OVER LORD<流星の剣> (不破美柚)
しおりを挟む

メインストーリー
零頁~プロローグ~


零頁~プロローグ~

  誕生の冬、始まりの春

 

 

 

 また、その時がやってきた。

 いったい何度この景色を見たことだろう。

 いや、この景色ははじめてみる景色だ。同じものなどあるはずがない。

 感じるのは既視感。

 

 そう。

 

 何度も似たような景色を見てきたのだ。正確な回数を思い出せないほどに。

 記憶は薄れ、色あせている。

 だがそんな記憶はなぜこんなにも温かく………熱の終わりを感じさせるのか。

 男はすこし遠のいた意識をもどし、目の前の女性をあらためて見た。

 普段はおろしている流れるような美しい金色の髪は頭の上でまとめられ、滑らかなさわり心地のよさそうな肌は汗ばんでいる。呼吸を一つするたびに一筋の汗が首筋を伝った。

 女はベッドに横たわりながら男を見上げる。

 その腕の中には生まれてまもない赤ん坊が穏やかに息をしている。

 女が口を開き、言葉を発する前に男が動いた。

 右手で女の肩を抱き左手で赤ちゃんをやさしく撫でる。

 機先を制されたかのように口をつぐんだ女に男は言った。

 

 「ありがとう」

 

 豪雪により外界と遮断された隔離された世界、そんな中で新しい命が生まれた日であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 また、その時がやってくる。

 

 

 閉ざされていた季節を越えて、幾重にも重なりあった雪のカーペットが春の日差しで失われその下から地面が顔をだす、そんな時期。

 少女――─アリシアはまだ時折肌寒いが春の陽気に満ちた風によってまい上がりそうになる金の髪をそっと抑える。風も日差しも、目前の景色も、春の陽気、生命の息吹を十分に感じさせた。そう、故郷を外界から遮断する冬の季節はもう終わったのである。

 

 (長かった………うん、長かった)

 

 アリシアは一人うんうんと頷く。自分に自分で納得していた。

 長かった。その気持ちは今日という日をどれだけ待ち望んでいたかを自覚させる。

 思えば自分の中に芽生えた欲求を意識してから、今年の春で二年と少し。ついに願いがかなう日が来た。今日くらいはこのうきうきした気持ちを素直に味わいたかった。

 

 今日、アリシアは故郷に背を向け旅立つのだ。

 

 自分が産まれた季節である冬を越えてアリシアは十五歳になった。立派な成人である。読み書き・料理・裁縫・掃除・狩りなど、この村に産まれた子供は十五歳をめどに一通りの知識と経験を教えられる。四季と呼ばれる寒暖差の移り変わりが特に激しい地方に属するこの村では大人になることは難しい。十五歳になれば誰でも成人と認められるわけではないのだ。大人と認められるには両親から自然と教えられるいくつものことを教えられずともできるようにならなければならない。やるべきこと、教わるべきことの多いこの村では十五歳で認められるのは目標だ。人によっては二十歳頃まで大人に認められない人だっている。現にアリシアと同い年の中にはまだ大人と認められていない人の方が多いくらいだ。そんな中でアリシアが認められたのは十五歳、つまり先の冬の時期だ。

 アリシアは十五回目の冬を思い返してすこし不満げに頬を膨らませるように口から春の息吹を吸いこませる。

 

 (すぅ―――むぅ)

 

 そもそも、私はもっと早くできたもん。

 まるで目の前に文句を言いたい相手がいるように青空に視線をむけ、見せつけるように頬を膨らませた。

 アリシアは十三歳のころにはあらゆることが自分でできたのだ。

 読み書き・料理・裁縫・掃除・狩り、その他さまざまなことをアリシアは十三歳のころには一通りできていた。周囲はそんなアリシアを驚きの目で見ていた。それは教えたこともないことすらできたからだ。だが周囲の驚きこそアリシアにとっては不思議に思うことだった。

 

 見てたから。だからできる。

 

 ぽつりと返事をした際に見た大人たちの驚きの顔が幼かったアリシアをどれだけ不安にさせたことか。両親に泣きついて笑われた時には大泣きしたのは今でもアリシアがはっきりと覚えてるはじめての泣いた思い出だ。同時に大慌てして平謝りする両親を見た珍しい思い出でもある。

 教えられることはアリシアにとって知らなかったことであり、見て学ぶことは既に知ってることなのだ。だって見てた事なのだから知ってる。知っていればできる。アリシアはそんな子だった。だからこそ十三歳の頃には知っていることは何でも出来たし、教えてもらえばそれも出来た。

 そんなアリシアは知れば知るほどできることが増えていく楽しみを感じて育った。自分の中に新しいものが増えていく喜び。知らなかったことを知った喜び。できなかったことができるようになる喜び。そんな経験を重ねるたびに貪欲に求めるようになった。

 だからこそアリシアにとって村の外の世界に対する興味は尽きなかった。

 村の外へ商売をしにいくおじさんたちやときどきやってくる旅人達が語る外の世界。知らないことばかり。知っている事が村の外では間違ってることもあるらしい不思議な世界。

 

 知りたい、見たい、触りたい。

 

 そんな望みがさらに原動力となって十三歳のころには一人前の大人であった。

 その自信を胸に抱いて両親に旅人になって村の外へ旅をしたいと言って却下されたときの衝撃はいまだにアリシアの中に不満として残っている。ただ、両親の言うことは絶対であるし、父の言うことも理解できたからこそアリシアはさらに二年、自分磨きとして村で日々鍛錬の日々を送っていたのだ。

 そうして十五歳の誕生日、祝いの席の中で両親から認められ、春を迎えた今、旅立つことを許されたのである。

 

 「アリシア。頬を膨らませてどうした?」

 「………ユーイチ」

 

 横からかかった声にすこしゆっくり答える。慌てて頬を元に戻すでもなく、ゆっくりすることで慌てた様子を見せないためにだ。そう、自然にすれば大丈夫。と自分にアリシアは言い聞かせつつ声をかけてきた人物を見る。視線の先にはアリシアが産まれてからずっと追いかけてきた人物が背負い袋を手に持ち立っていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 一言でいえば真っ黒な人である。

 背格好はアリシアより頭一つは高い。三つまではいかないだろう。真っ黒なコートの先からのぞく手や足には黒の手袋とブーツがある。黒いコートは綺麗に編まれていて汚れ一つ見えない。曰く魔法の品らしく着用者にあわせて伸び縮みする。アリシアが試しに着用した際は自分ピッタリにサイズが変わることに驚きと楽しさから返すのをしぶってしまった。手袋やブーツにはこれまた黒い金属があり手甲、足甲の役割を果たしているのがわかるがもう少し色はどうにかならなかったのか―――とはアリシアは思わない。むしろ真っ黒い統一感が見ていて落ちつくからいい、とさえ思ってしまう。友人や両親にはその盲目的なのは構わないけど自分の服は真っ黒にしないように、と強く言われていて、アリシアとはして残念なことだが自分の旅衣装は色鮮やかである。

 

 「どうした?」

 

 ユーイチの顔をみつめる。着てるものと同じくらい真っ黒くて短く切られた髪、そしてひときわ目立つ赤い瞳。その瞳が感情の起伏を感じさせない眼差しでアリシアをみつめている。いつもと変わらないその眼差しに自然と心のうきうきに拍車がかかる。

 

 「………やっぱり派手じゃない?」

 

 不満なんて感じさせない声で訴える。自分の袴をアリシアはつまんで少し持ち上げた。頬を膨らませていたのとはちがう理由だがこれも不満と言えば不満なものなのだ。

 

 「ユーイチみたいに、黒いのがいい、と思うの」

 「そんなことはない。ティーファやエルゼの選んだその服装はアリシアににあってる」

 

 母と友人の名前を出されては文句のいいようもない。

 

 「そう、かな」

 「そうだ」

 「なら、うん。いい」

 

 桜色の着物と群青色の袴。

 自分ではユーイチのように黒いのがいいと思いつつも、自分の大好きな人が三人とも似合うと言ってくれているのだ。服は自分で着るものだが他人に見られるものでもある。一番よく見てほしい人の目によく映ってるならそれが一番だ。

 

 「納得したなら、なによりだ。………荷物を出してきた」

 

 ユーイチが手渡してきたのは背負い袋とマントだ。

 動物の皮をなめしたマントはそこらのマントよりいいものだと一目でわかる。背負い袋の中には松明や水袋、保存食に小型のナイフ、ロープなど冒険をするのに必要な物がそろってる。

 アリシアはそれらを受け取ると目を輝かせて袋の中のものを身につけ始める。中身は事前に自分でいれたものだから知っているし、冬のころから準備していたマントは新品というわけではない。しかし、それでも旅立ちの日に、それらの物を身につけるというのは何かが違う。

 

 (その何かがいい………)

 

 うんうん、と頷きながらうきうきする心に従って装備を身につけるとそこには一人の新米旅人がいた。

 

 「どう………かな」

 

 マントをはおり、背負いかばんをよいしょと背負ってる姿は旅人だろう。

 内心では自信満々で胸を張ってるアリシアにユーイチは小さく微笑む。

 

 「どこからどう見ても旅人だ。だが、一つ足りてない」

 

 そういいながらユーイチは腰に下げていた紅色の鞘に収まった一本の刀を鞘ごと抜くとアリシアの方に差し出す。

 

 「腰が寂しいぞ。お前のためにうった。お前の刀だ」

 「……………いい、の?」

 

 アリシアはこと剣術に関しては師であるユーイチの言葉を初めて疑った。まさか自分のために刀をうってくれていようとは思ってもいなかったのである。

 

 「いい。俺から一本取ったら、大人として、剣士として認めると約束しただろう」

 「あれはユーイチ、本気じゃなかった」

 「馬鹿を言うな。本気だった。剣士と剣士同士で立ち会い。俺は一本取られた。……お前はもう剣士としても一人前だ。師匠のようにふるまうのはこの剣を渡すのが最後だ」

 

 (最後……)

 

 アリシアは言葉にできない不安と喜びがないまぜになった複雑な気持ちで目の前の刀とユーイチの顔で視線を行ったり来たりさせる。腕を認められ、その祝いにとついに帯びることを許された刀。しかも自分のために打ってくれたというものだ。それを受け取ることの幸せ、喜び、名誉、全てが混ざってすぐにでも受け取りたいという気持ち。そしてこれを受け取れば師と弟子ではなくなるという不安。自分ではまだまだあなたの背中は遠いと思っているのに、放り出されるような感覚が強い不安を感じさせ刀に手を伸ばさせなかった。

 

 「………ユーイチ」

 

 悩んだ末に声を絞り出す。

 まるで子供みたい、とすこし感じつつも。

 

 「ずっと、一緒にいて……くれる?」

 

 言葉にした途端に急速に顔が赤くなるのを自覚する。梅干しみたいになってないだろうか。

 だが、だが、対面した相手から目をそらすようなまねは命取りである。

 自分がこうして反応を示しているのだ。相手も自分に対して何らかの反応を必ず返す。

 それを逃さないようにすれば三手先、四手先、その先まで予想をたて対応することができるのだ。

 アリシアは力を抜くとうつむきそうな視線をぐっと相手の視線とあわせる。

 その様子は道場での立ち会いにそっくりだ。顔が真っ赤なのを除けばだが。

 

 「ずっとは約束できない」

 

 平坦な声。見つめ合ってもいつもの通り感情の揺らぎは見受けられない。

 

 「俺はずっと一緒にはいられないかもしれない。それはわからないことだ」

 「そう、だよね」

 

 わかりきっていた答えに本当に子供ぽい、とアリシアは自分をぽかりと叩きたくなった。

 ユーイチはそういう人だ。

 アリシアが産まれた時からずっとかわらない人。

 

 

 

 ───「俺は人ではない、自分以外にはもう存在しない人間種でな。歳をとらないんだ」

 

 

 

 昔、アリシアはユーイチにどうしてずっと外見に変化がないのか聞いた際にそう返された。

 その時のユーイチは今のように淡々としていて何でもないことを言ってるようであった。

 

 (わかってる……。うん。ユーイチは……)

 

 アリシアの旅にユーイチが同行するのは両親の頼みだったというのもあるがそれだけではないと、アリシアはわかっていた。

 きっと、もうこの村には帰ってこないつもりなのだ。

 両親たちとこの村にやってきて今日まで定住したように。旅立てば戻らず、どこかでまた落ちついて、そして旅立つのだろう。人のように見えるのに人ではないから。永遠に生きるから。だから同じ場所にいられない。

 故郷に帰りたい、ここに住みたいと願ってしまえばそれは別れになるだろう。

 アリシアには故郷に二度と戻れないという覚悟はできても戻らないとは言えなかった。

 自然とうつむいてしまったアリシアの頭がぽんぽんと叩かれる。

 アリシアが頭をあげるとユーイチが頭を軽く撫でてくれている。

 まるで大泣きした際にあやしてくれた時みたいだ。

 

 「そう悪く考えるな。約束はできない。だが……努力はする。俺もまだまだお前の側にいたいと思ってる」

 「ほんとう?」

 「ああ。だから一緒に旅に出るんだ。一緒に出たいと思ったからでるんだ。……お前はもっと成長する。強くもなるし、綺麗にもなる。もっとお前の成長を近くで見ていたい。今は……それじゃ不満か?」

 

 首を横にぶんぶんとアリシアはふった。

 

 「ううん。……嬉しい」

 「そうか。……剣士としてはもうお前に師匠として教えたいとは思わない。だが、まだ教えたいことはいっぱいあるぞ。たとえば武技のことだってそうだし、魔法のことだってだ。冒険者の先輩として、いっぱい教え込むつもりだ」

 

 そこでふとアリシアはユーイチの変化に気がついた。

 平坦な声だけど……そう焦っているのだ。それはアリシアの機嫌をとるため、というよりは口下手で勘違いさせたことを必死に訂正してるんだろう。

 

 「ん……」

 

 小さく笑う。

 可愛い、とユーイチに対して感じてしまうのはこの村で自分だけだろうとアリシアは思う。そしてそれが嬉しかった。

 

 「ありがとう。まだまだ、教えてほしい。……これからもよろしくお願いします」

 ユーイチの手を両手で握り、小さく頭を下げる。

 「ああ。こちらこそよろしく頼む。……受け取ってくれるな?」

 「うん。……大事にする。ずっと大切にする」

 

 差し出された刀を今度は素直に受け取れた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 街道を荷物を乗せた馬車が走っている。

 行商のものと思われる馬車は狂ったように激走していた。

 御者台に座っているのは女だ。まだ年頃は二十代半ばに届くかどうかという頃合いだろう。

 亜麻色の髪はサイドでまとめられ、黒い瞳には悲哀と覚悟が見える。

 女は慣れない手つきで必死に手綱を握りながら馬に鞭を打つ。

 荷台では御者台の女よりもさらに若い女―――少女が荷物を外へ投げ捨てていた。

 けたたましい音ともに木箱は割れ、中から貴金属や地方の特産品などが次々とまき散らされる。

 売り払えばそれなりの財産になる荷物を次から次へと捨てていく。

 

 「母さん! もう捨てられるものがない!!」

 

 荷台から悲痛な叫びが響く。

 

 「ウィーシャっ。こっちへきて! 切り離して荷台を捨てましょう。急いで!」

 「母さん、馬にのれないでしょ!? 母さんまで捨てられないじゃない! 馬鹿言わないでっ」

 「馬鹿いわないで! あなたまで失ったらあの人にどういえばいいの! 私はあなたの母親なんですよっ」

 「私はもう二度とお母さんを失いたくない!」

 

 荷台から怒鳴った勢いで少女が顔を出す。

 同じような亜麻色の髪は少女の活発さに合わせるように短く、母親に比べると成長途中の胸はやけに小さく見えた。

 御者台で母と娘はお互いに怒鳴り合いながらどうにか生き残る道を探す。

 後ろからは野盗化した傭兵団がウィーシャが捨てた荷物を無視して迫ってきていた。

 ウィーシャは視線で人を殺せそうな目で傭兵団を睨みつける。

 

 「お父さん……っ。このぉっ!」

 

 歯がきしみ、音を立てる。人生でこれほど歯を食いしばったことはないだろう。

 父が悪いわけでもない、母が悪いわけでもない、自分が悪いのか? そうならまだよかった。こんな理不尽な怒りを向けなくてすんだ。

 街道沿いは治安もいい。ここからエ・ランテルに向かうなら一日あれば問題ないよ。

 そんな言葉を信じたりはしなかった。護衛を雇って都市間の移動をするのは当然だ。モンスターに襲われる危険だって当然ある。だが雇った冒険者がまずかった。いや、最初から仕組まれていたんだろう。冒険者ではなく野盗で、紹介したやつもぐるだった。そうとしか思えない。

 だが冒険者組合で紹介された冒険者を、誰が疑うだろうか。 

 父が逃がしてくれていなければ今頃どんな目に合っていたか。そう思うと逃げなければならないと心が叫ぶ。自分の命を捨てて自分たちを逃してくれた父にできる最後の───。

 

 「……っ」

 

 最後の親孝行は逃げのびることだ。父はずっと言っていたではないか。あの時お母さんを助けられなくてすまないと。いつもいつも母さんと私が揉めるたびに申し訳なさそうな顔を……私がさせていたじゃないか。ここで私たちが捕まって乱暴されれば、父は死んでも死にきれないだろう。

 自分が八歳の時に亡くなった実の母親。母親を守れなかった父は今度こそ守りたかったはずなのだ。だから、絶対に二人で助かるんだ。

 そう覚悟を決めて母さんのほうへ顔を向けるとこの状況に似つかわしくない、穏やかな、そう、普段と変わらない表情を浮かべていた。

 ズキンと自分の胸が痛みを訴えたのは幻覚ではない。嫌な予感がした。

 

 「ウィーシャ、早く馬に乗って。……私が捕まれば満足して引き上げるかもしれないわ」

 「駄目。それは駄目。……絶対二人で助かるの!」

 

 母さんの穏やかな声に確かな覚悟を感じ抗うように声を出す。認められないものが正しい道だと信じたくなくて。

 

 「私は生まれが悪くてね。孤児院で育って、偶然神官としての力を見出されて冒険者になったの。読み書きだって難しい文字はわからないし、お父さんの……ジークの話す商売の話は難しくていつも聞いてばかりだったわ」

 

 やめて。今そんなことを話す必要なんかない。

 そう叫びたかった。しかし、口は開かず、ただ手を力の限り握りしめた。

 

 「冒険者ならこんな荒事だって日常茶飯事なのに、それでも私はジークやウィーシャの力になれない。癒す力しかない私は、ジークに逃げろと言われて、逃げることしかできなかった。でもそんな私でもできることはあるの」

 

 違う。あなたの癒す力がどれだけ私やお父さんを助けてくれたか。魔法だけじゃない。あなたが側にいてくれるだけでお父さんがどれだけ……私がどれだけ笑顔になれたか。

 

 「ジークに会えて、結婚できて、幸せだったの。ウィーシャの母親になれて嬉しかったの。あなたのためなら命だって、惜しくないの」

 

 勝手なこと、言わないで。

 叫びたいのに叫べない。

 母さんが手を伸ばしてくる。頬を撫でる手をいつものように払いのける力が湧いて出てこない。

 

 「お願い。馬に乗って。生きて」

 「~~~っ。嫌だ、よぅ。二人で、一緒に、逃げようよぅ」

 

 溢れる涙が声を震わせる。嫌だった。泣きたくなんてない。泣いたら駄目だ。なのに涙がとまらない。

 

 「お願い」

 「意地悪。意地悪、意地悪ぅ! 母さんが捕まったらお父さんはどう思うの!? お父さんは母さんに逃げてほしいの!」

 「あなたさえ生きていてくれればあの世でジークに、ううん、ジークとアイリさんに会っても胸を張れるわ」

 

 母さんにお母さんの名前で何かを言われたのは初めてだった。

 

 「ずるい…。母さんはずるい。ずるいよぅ。なんでどうして……私は、わたしは」

 「さぁ、早く。もう時間がないわ。急いで」

 「う、ぅっっ……ぁ」

 

 優しい母の眼差しに認めたくないという気持ちが折れそうになった時、ウィーシャの目に炎が映った。

 街道を曲がった先、右手の川と街道の間の窪地、そこに野営の火が見えたのだ。

 まだ街道は石畳ではない、でなければエ・ランテル近郊ではない。

 なら危険がある場所で野営をする人は……自衛の力を持っているはずだ。

 

 「母さん! あれ、あそこに! 火がある!」

 「ぇ、ぁ!」

 

 別れの覚悟を固めつつあった二人の目に、それは希望の光に見えた。親子が二人揃って助かる唯一の道。そこに導くための灯台の火だ。

 

 「助けてぇぇえええええええええ!!!」

 

 ウィーシャは人生の中で最も大きな声で叫んだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「おっと」

 

 目の前に投げ捨てられた木箱とその中身がまき散らされるのをダッカムは器用に馬を操り避けた。

 視界の後方へと貴金属や織物が転がり、消え去る。すこし後ろ髪を引かれつつも回収は後続の徒歩で追いかけてくる仲間に任せる。ダッカムの獲物が目の前を走っているからだ。

 

 「ひひ」

 

 ベロリと舌で唇を舐める。

 あの母娘の姿を思い返すと興奮が騎乗の姿勢を変えさせる。

 

 (やっぱり、母親には娘には手を出さないとか何とか言って従順にしたがわせるのがいいかなぁ。ひひ、あのもみごたえのありそうなたわわな胸をよぅ。娘の前で散々犯してやてぇなぁ。そんで娘も……ぐふふ)

 

 取らぬ狸の皮算用という言葉を知らないダッカムはすでに獲物を捕まえた気になっていた。今追いかけてるのは楽しむための前座のつもりだ。

 荷物をまき散らされてすこし長引いたがそれもここまでだ。女子供が適当に扱う馬車が傭兵の中でも馬の扱いにたけたダッカムに勝てるわけがないのだ。ダッカムは旦那や彼氏が体をはって逃した女子供を確保する役目をやって長い。いつもいつもお涙ちょうだいで少し逃げては自分に捕まるのだ。あの捕まった時の絶望した顔はいつ見ても笑える。

 

 「ほら、テメェら、もう少しだ。かこめやかこめ!」

 

 後ろを走る手下たちに馬車の横へつけるように指示を出す。

 自分はこのまま荷台に近づき乗り込むのだ。

 

 「一番のりは俺ってね」

 

 笑みがこぼれる。この傭兵団の掟のようなものだ。獲物は捕まえたものが最初に味わう。だからこそダッカムは金まわりはわるいこの仕事をしてる。金で女は買えると言う団長や幹部のいいようもわかる。だが、ダッカムは鮮度を求めた。生娘が貞淑な妻が、悲痛な叫びをあげ犯され、最後には嬌声をあげ乱れる。その過程を味わいつくすのがダッカムが求めてるものだった。ただ犯して自分の欲望を満たすだけのほかの仲間とは違う。相手を犯しつくし、乱れさせ、堕とす。もちろんその後にはただたんに回されるだけの人形になるのでダッカムのやり方は意味がないとも言える。だが、自分が最初にいいようにできるこの快感は金では買えない。金で買っては意味がない。

 もう目と鼻の先―――そう感じた瞬間目を疑った。

 

 「ああ!?」

 

 馬を止める。急な停止は地面を激しく削り、馬が悲鳴をあげる。

 だがそれも仕方がない。目の前は丘でありそのまま走れば落下は避けられないからだ。

 別に夜を見渡す目をもってるわけじゃないがダッカムが驚いたのはほかでもない獲物の馬車がこの丘からおちていったからだ。後をついていたからこそ直進した先が丘になっているとは思いもよらなかった。

 

 「ち、素人め……。血に濡れた女を抱く趣味はねぇんだがよぅ」

 「ダッカムさん、どうします」

 「決まってろうだろぅが! そんな高い丘じゃねぇ。間違いなく生きてるわ。さっさと捕まえて味わうんだよ」

 「わかりましたぁ!」

 「たく、それくらい当然だろうがよぅ。………ん?」

 

 丘から獲物が落ちた先を見下ろしたダッカムの目には予想とは違った景色が映っていた。投げ出されて倒れている母娘を想像していたが、そこにいたのは四人の人間だ。いや、投げ出された母娘をそれぞれ男と女が受け止めてる……とも見える景色だった。

 

 「冒険者か? ははぁん。ここで野営してるのをみてさっきあの声か。それに気を取られて曲がらずに落ちたか」

 

 馬車が落ちる前に響いた大声の意味がわかったダッカムは笑った。丘の上からなら相手の人数がしっかり把握できたからだ。奥に見える篝火、テントの大きさ。かまどのサイズ。そして目の前に出ている二人。間違いなく人数は二人だ。それに対してこちらは今いるメンツでも八人。追いかけてくる仲間は十四人だ。何一つ問題になりはしない。

 

 「あの人数だ。獲物を諦める必要なんかねぇ。かこめ。逃すなよ」

 「はい!」

 

 手下が丘を越えて母娘を抱き抱える二人組を囲む。右手には川だがそこもちゃんとかこんでいる手下の動きにやっと合格点をあげてやってもいいな、とダッカムは思った。エルフのように泳ぎの得意な種族なら川からすぐに逃げ出せる。だが、その逃げ場もふさいだ。もはや万に一つも逃しはしない。ゆっくりとダッカムはかこみに近づいた。

 

 「んぁ、申し訳ねぇんだがよ。俺たちの獲物が飛びこんじまったのがおめえさんたちの不幸なんだわ。死んでくれ……や?」

 

 ダッカムは近づきながら冒険者に通告をしたつもりだったが尻すぼみになった。それは近づいてわかった冒険者の女の美しさに目を奪われたからだ。囲んでる手下も息をのんでいる。彼らはこんなにも可憐でそして武装姿が美しい女を見たことがなかった。

 肩口まで伸びた金髪は月明かりを浴びて幻想的に輝いてた。見ているだけでも手触りのよさを感じさせるボリュームのある髪はそれだけで垂涎ものだったがそれは美しいさの一つでしかない。陶器のように、という言葉が似合うほど滑らかそうで白い肌は奇跡的な美しさで病的な不健康さを微塵も感じさせない。柔らかそうな唇は傭兵達の欲情を大いに刺激した。髪と同じ色の瞳は感情の色を見せず、それが神秘的な輝きを宿しているように見えた。彼らが見たことがないひらひらした服装も神秘的な雰囲気を増大させた。巫女さんというやつだろうか? とダッカムはどこかの国でそういう神職につく女がいるということを思い出した。もしかしたらこの女はその神職につく女で男はその護衛なのかもしれない。

 ベロリと舌で唇を舐める。神職につく女、これを穢せるのだ。今夜はなんていい日なのだろうと神に感謝しようとして今から神に仕える女を手ごめにするのだとより一層興奮して厭らしく笑った。

 

 「綺麗な嬢ちゃんだぁ。おい野郎ども。今夜はついてるぞぅ。男は殺せ。女にはなるべく傷をつけるなよ。折角ついてるんだ。綺麗なまま俺たちの物にしようじゃねぇか!」

 

 手下たちは興奮を隠さず声をあげて獲物を抜く。剣や斧、メイスなどそれぞれ各自が使いやすいもので統一性など一切感じられない。

 そんな興奮と欲望の視線や気配に囲まれながら美しい女の冒険者は一言、確認するよう仲間である男の冒険者に声をかけた。

 

 「もう、いい?」

 

 声も綺麗じゃねぇか。

 それがダッカムの最後の記憶になった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「ぅ、ぁ……?」

 「大丈夫? 怪我、してない?」

 

 ウィーシャは柔らかな感触に揺さぶられて目をあける。

 すると目の前には綺麗な女性の顔があった。まるでお姫様のような。

 

 「綺麗……」

 「? ありがとう?」

 

 二人してすこし間の抜けたやり取りをしているとテントの幕がひらいた。

 

 「ウィーシャ! 目が覚めたのね」

 「母さん!」

 

 抱きついてくる母に自分も力いっぱい抱きしめ返す。そうだ、私たちは野盗に襲われて、お父さんが逃がしてくれて、たすけてって叫んで………そして。

 

 「ここは? テント?? 母さん、私たちどうしたの?」

 

 周囲を見渡してもここはテントの中だとしかわからない。母と綺麗な女の人がいるだけだ。

 もしやあのまま野盗に捕まって連れてこられたのでは……と血の気が引く。

 

 「心配しないでいいのよ。ここは冒険者様のテントよ。野盗は冒険者の方が皆退治してくださったわ」

 「え、本当に? ……じゃあ、この人は?」

 

 今までの人生で見た女性の中で一番の美人だと間違いなく言える。そんな美しい人がなぜ冒険者のテントに……と視線を母と女性の間でいききさせる。

 

 「私。冒険者」

 

 と、母が答えるまえに女性が片手をあげて答えてくれる。

 そうか、冒険者だったのか……え?

 

 「ぼ、冒険者さん……なんですか? 私たちを助けてくれた??」

 「そう。野盗を倒した」

 

 肯定の頷きはすこし自慢げにもみえる。

 ウィーシャにはこんな美人で優しげな女性があの荒くれ者どもを退治してくれたということが信じられなかった。旅の途中でも女性の戦士や魔法使いの冒険者はみてきたし、護衛に雇って旅を共にしたこともある。けれどこんなに優しい雰囲気で、美人な人はみたことがない。

 

 「失礼」

 

 ウィーシャが戸惑っているとテントの幕が再び開き、男性が顔をのぞかせる。黒い髪に赤い瞳が特徴的なすこし壊そうな人だ。

 

 「ユーイチ様、御戻りになったんですね。ありがとうございます」

 

 母がふかぶかと頭を下げる。ここまでくればわかる。この怖そうな人も冒険者なのだろう。そして私たちを助けてくれた人なのだ。

 

 「ゆ、ユーイチさま……でしょうか? 助けていただいてありがとうございます。ウィーシャといいます。本当にありがとうございますっ」

 「構わない。顔をあげてくれ。野盗の討伐も冒険者の仕事の一つだろう。俺たちは自分たちの仕事をこなしたに過ぎない」

 

 地面に頭をつけるように頭を下げたウィーシャにユーイチは平坦な声を返すだけだった。本当に何事もなかったかのような声。

 

 「それより外が片付いた。申し訳ないが……確認してもらえるか?」

 

 その声はウィーシャの母に向けられていた。母はすこし覚悟を決めたように頷くとウィーシャの手をとって立ちあがらせる。

 

 「母さん?」

 「ウィーシャ……一緒に来てくれる?」

 

 母の硬い声にウィーシャは想像がついた。

 だからこそすぐさま頷いた。

 

 「うん。行こう」

 

 

 母と娘が父の亡骸を確認するのをアリシアとユーイチは距離をあけて眺めていた。

 既に野盗は二十二人全員この世にはいない。もう骨すら残ってないだろう。ユーイチがアンデッドが出ないようにと焼いてしまった。

 丘に落ちた馬車を元に戻し、そこに彼女たちの父の遺体は置かれている。

 母と娘はお互いを強く抱き嗚咽をもらしている。

 

 「……」

 「恋しくなったか?」

 

 じっとその様子を眺めていたアリシアにユーイチは故郷が恋しいかと声をかける。

 

 「ううん。平気。ユーイチが側にいるから。大丈夫」

 

 迷いなくそう頷くとすこしユーイチにもたれかかる。

 

 「ユーイチはあったかい。いつでも。だから側にいたら私もあったかい」

 「……よくわからないな」

 「うん。言ってて私もよくわからない……気がする」

 「何だそれは」

 「何だろう?」

 

 よくわからない、ね? と二人は寄り添い、たわいもない話をしながら母と娘の姿をずっと眺めていた。

 

 

 翌朝、四人は同じ馬車で移動していた。

 目的地が同じエ・ランテルということでユーイチたちは馬車にのせてもらうことにしたのだ。

 

 「アリシア様は本当にお綺麗です」

 

 ウィーシャの声にアリシアはすこし照れながら、そんなことはないよ、と返している。

 

 「ウィーシャのお母さん……ファリアさんの方が綺麗だと思う」

 「母よりもアリシア様の方が綺麗だと思いますよ? ねぇ、ユーイチ様」

 「どちらも綺麗だよ。もちろんウィーシャもな」

 「あら。こらウィーシャ、ユーイチ様にお世辞を言わせてはいけませんよ」

 「本心だぞ?」

 

 ガラガラと馬車の車輪がゆっくりとしたスピードで回る。穏やかな馬車の旅だがそれは気を紛らわすためにすこし空元気が混じっている。

 

 「アリシア様、ユーイチ様、街道が石畳になりました。そろそろです」

 

 ファリアは御者台から声をかける。

 

 「ありがとう。最後くらいは御者を代わろう」

 

 ユーイチが御者席に向かう。

 

 「いえいえ、私たちは命を救っていただいた身です。なのに返せるものはありません。せめてこれくらいは最後までさせてください」

 

 そう言われては無理にとはいえずユーイチはファリアの隣に腰かけた。

 その後ろではしきりにウィーシャがアリシアのことを褒めている。その声には強い憧れのようなものが見えた。

 

 「あの子ったら……申し訳ありません。ユーイチ様、娘がアリシア様を困らせているようで」

 「いや、いい。アリシアも困っているわけじゃない。褒められて照れてるだけだ」

 

 ユーイチには返事を返すアリシアの声には楽しそうな雰囲気があるように聞こえた。

 

 「ファリア、エ・ランテルについたら君はどうするつもりだ? いく当てはあるのか?」

 「はい。夫の………今は人に貸している家があります。もう亡くなられていますが、夫のご両親は隊商宿をしていたそうでその時に雇っていた従業員に家を貸しているそうなんです。そこにいこうかと」

 「そうか。なら、やはり先立つものは必要だろう。あれは君たちの今後のためにつかってくれ」

 

 あれとは野盗から取り戻した商品だったり、野盗の財布の中身などだ。

 ご丁寧に野盗のほうから回収してやってきてくれたので全て取り戻せたのだ。

 

 「ですが……それでは、本当に何もかも、お世話になってしまいます。野盗が持っていた品です。ユーイチ様やアリシア様に所有権がある、それが冒険者では?」

 「もとは君やウィーシャのものだ。……気にするな。金にはそれほど困ってはいない」

 

 そういいながら、意識してだろう、小さくユーイチは微笑んだ。安心させるように。

 

 「わかり……ました。本当に、ありがとうございます。よろしければ……宿をうちで取ってはいただけませんでしょうか? 宿屋としては家を構えていませんがもとは隊商宿です。すぐにお二人の部屋をご用意できると思います」

 

 感じ入ったようにすこし頬を染めるファリアはユーイチをしっかり見つめた。

 

 「……わかった。では、宿は御厄介になる」

 

 宿屋をやっていない家に泊ってほしい。それは、宿代くらいはこちらでと、それぐらいはさせてほしいということに他ならない。どこかに泊るのは確実なのだからユーイチには断る理由は特になかった。

 

 (それに……いい刺激になるだろうからな)

 

 振りかえり後ろで騒がしく話すウィーシャと照れたように答えるアリシアを見る。年下の同性から向けられる素直な憧憬の眼差しにアリシアは困ったような嬉しいような表情で短い言葉だがはっきりと受け答えをしている。それは二人旅の中では与えられないものだろう。

 

 (この大陸に渡って山を越えて……ここまで厳しい旅が続いていたが、ここでは温かなものであの子を満たしてやりたいものだ)

 

 進行方向に目を向け、視線の先に見える三重の城壁を見る。

 王国と法国、そして帝国の間にあるエ・ランテル。交易としても軍事拠点としても重要な都市だ。

 人の数も流れも多いこの場所で、アリシアの興味を満たしてくれるものが一つでも多く見つかればいい。

 ユーイチは荷台に声をかけながらいつものようにそう思った。

 

 

 

零頁~プロローグ~

  誕生の冬、始まりの春 終

 




2018年、5月30日。改行など手直しを行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一頁~二人の冒険者~  

零頁~プロローグ~を読んでくださった皆様ありがとうございました。
感想もいただけて書き手として嬉しく思います。

今回は少しだけ原作のキャラクターが登場します。
そうあのキャラクターです。

と言ってしまうくらい原作のキャラクターが出てきません。
それと重ねて、誤字脱字などで御不快にさせてしまいましたら誠に申し訳ありません。




一頁~二人の冒険者~

  その始まりは誰もしらない

 

 

 

 

 面倒な客だった。

 エ・ランテルの冒険者組合で受付嬢として働いているマリアは髪をかきあげる。肩口で切りそろえられた薔薇のような色の髪はマリアの自慢でありアピールポイントだ。しかし、その美しい髪も今はどんよりくすんで見えた。間違いなくマリアの醸し出す雰囲気が原因だろう。重いため息をはぁぁと吐き、手にもつ羊皮紙の束に目をやる。

 それは午後の仕事の初っ端から躓いたと思ってしまう原因であった。もちろん物理的に羊皮紙の束に躓いてわけではない。嫌な仕事が午後の最初の仕事だったというだけだ。ただ、ランチに美味しい物を食べ、さぁ午後も頑張ろうと気合いをいれた屋先に面倒事がやってくれば誰だって気持ちが萎えるではないか。

 マリアは心の中で愚痴をこぼす。それと同時にこの面倒事を持ちこんだ依頼人に対する申し訳ない気持ちを感じ、余計にため息が出る。特に、亜麻色の髪が可愛く映った少女の真剣な眼差しを思い出し羊皮紙の束が重く感じられた。

 

 「マリア、ようやく解放? 長かったわね」

 「イシュー」

 

 同僚のイシューが並んでいた最後の客を見送ってから声をかけてくる。マリアが一組の依頼人にかかりきりだったために他の対応が全て彼女に回っていた。マリアはすこし申し訳なく思いつつも、面倒なのはこっちのほうだったろうな、と思わずにはいられなかった。

 

 「それが依頼の内容? どれどれ……。え、これって。大事じゃない?」

 「呆れた。本当にまったくこっちを気にして無かったでしょ? すぐとなりで対応してたのに。説明に力を入れるのもいいけど、もう少し視野を広くもってよ」

 「あら。マリアがいけないんでしょ? 一組にあれだけ時間かかってたら私のほうに人が流れてくるんだから。それと勝負に力は抜けないの」

 「勝負って……、まぁ、いいけど。ごめんなさい。イシューも大変だったものね」

 

 少し愚痴っぽくなったのを反省する。イシューの勝負という仕事への接し方はいまいち分からないし、どうかと思うが仕事に支障がないなら口を挟むことではない。むしろイシューの言う通り一組の依頼主の対応にこれだけ時間を割いてしまったマリアのほうが問題視されるべきだ。客観的に。

 

 「それはもういいけど……私も客を捌くのは楽しかったから。そんなことよりこれ、どういうこと? 組合の不手際? まさかうち?」

 

 イシューの声は自然と小さくなってる。お昼を過ぎて忙しい時間も越えた組合には受付周辺に人の姿は少ない。だがそれでも声を小さくする、したくなるような依頼の内容だった。

 

 「違う、とも言い切れないけど。少し違うわ。最後まで読めばわかるけど、支部のほうで紹介された冒険者と野盗が共謀して襲ってきたそうよ」

 

 マリアの声も同じように小さくなった。小声で話すくらいなら黙って羊皮紙に目を通せと言えばいいのだが、胸の中にある厄介なものを誰かと共有したくてたまらなかった。

 

 「その支部は、もちろんうちの支部ね?」

 「そうよ」

 

 各都市にある冒険者組合には本部と支部がある。

 それは都市ごとに分かれる本部と都市に満たない街や村に置かれる支部と別れる。

 街ほどの大きさなら間違いなく支部はあり、村も大きなものになれば支部が置かれるようになる。

 本部は各支部から情報を集め、届けられる様々な依頼を都市の冒険者に届けたりしている。支部の方から都市へ向かう旅人や商人の護衛依頼を現地の冒険者にだすのも支部では当たり前のことだ。

 

 「いまのうちに転職先でも見繕ってた方がいいかしら?」

 「冗談。私たちにそんな伝手ないでしょ?」

 「まぁそうなんだけどね。ほら、なんだったら王都のほう、リエスティーゼの組合の方で雇ってもらうのは?」

 「雇ってはもらえるかもしれないけど……でも、もしうちの組合員が事件に加担していたら、きっと同じ国て理由で王都の方も影響出ると思うわよ。結局帝国の方に流れたりするんじゃないかしら」

 

 二人が嫌な思いを抱くのはもちろんこの事件に組合員が関わっていた場合を考えたらだ。紹介した冒険者が野盗と共謀していただけで組合は悪くない、だけで通ると思えるほど二人は楽観的ではなかった。現に事件の内容、依頼内容をより厳密に書いてもらった六枚からなる羊皮紙の束にははっきりと支部の組合員が事件に関与していると思うと、依頼主は書いている。そして依頼内容は支部が犯罪組織と繋がってないかや野盗の生き残りの調査、そして討伐である。それに知らなかったら知らなかったらで問題のある冒険者に依頼を任せたということになり、どちらにせよ組合の責任は免れない。そしてその責任を取ることはもうできないのだ。

 

 「依頼を持ってきたのは三人組で娘さんと母親、それと付き添いの男性だったんだけどね? 旦那さんがその時に亡くなられてるのよ……」

 「そう、書いてあるわねぇ……。ねぇ、どうしようもないんじゃないかしら? うちの組合」

 

 イシューの声には本当に次の職を探さなきゃいけない危機感がにじみ出ていた。そう、金銭的な問題だけならいい。それは責任を取れる。犯人捜しだって、問題の解決だってそれこそ無償で組合は取り組むし、そのための費用は全部負担するだろう。だが、死者が出た問題はどうにもできない。遺体はもう火葬して墓地に埋葬したそうだが仮に残していてもただの商人に死者蘇生の魔法に耐える生命力はないだろう。つまり、当たり前のことだが死んでしまった人を生き返らすことはできない以上、責任を取りようがない。できて平謝りするぐらいだ。

 

 「……私がさっきからため息ついてる理由もわかるでしょう?」

 

 マリアとイシューは同時にため息をつく。次の職を探すことは必要だろう。しかし、伝手はない。帝国に流れることになるかもとは言ったがはたして問題を起こした組合に所属していた自分たちを雇ってくれるだろうか? 受付嬢である彼女たちは業務はつつがなくこなせても、特殊な能力や力があるわけではない。経歴に傷がついてる人間をわざわざ雇うとは思えなかった。

 

 「でも、冒険者組合がつぶれるなんてことは……ないわよ。ね?」

 「それはないでしょうけど、少なくても私たちみたいな職員は切られるんじゃない? たぶん、王都の組合から人が派遣されて人員の入れ替えとか」

 

 変わりがいるような役職までそのまま残してくれるとは思えない。別の組合から人が来た段階で自分たちは職を失うだろう。

 

 「結局よ。結局」

 

 マリアは無理をして明るい声を出す。悲観してもしょうがないと開き直れる性格の持ち主だった。

 

 「私たちにできることはどうか私たちの生活が壊れないように願いながら、これを上に報告することよ。それしかできない」

 「……そうねぇ。けど、その依頼、そのままあそこに張り出されるとは思えないけど」

 

 イシューが見るのはカウンターから見て左手にある依頼書が張り出されているボードだ。

 この時間には特別もう急を要するものや目を引く依頼は残っておらず、張り出されているのは簡単かつ急ぎではないものばかりだ。

 

 「そうでしょうね。……あの子には悪いけど、依頼という形であそこに貼るにはかなり時間がかかるわ。組合内部の調査なんて表に出せるわけがないし、こっちでできる限り調べて、手をうって、それからよ。たぶん、依頼の内容は野盗の討伐だけになってるでしょうね」

 

 羊皮紙に書かれた内容では冒険者に依頼として出せるわけがない。そんな恥部を晒すようなまねは上の人どころかマリアでさ判断がつく。

 そんなことは依頼主も分かってるだろうと母親とお付きの男性を思い出す。

 

 「きっと脅しも兼ねてるわよ。騒ぎにはしないから問題を解決しろってね。 旦那さんが殺されて、恨みをはらしたいんでしょう。そのために組合に自主的に全力で働かせようとしてるのよ。たぶん、子供を連れてきたのはせかせるためじゃないかしら?」

 「ああ。なるほど。子供が騒いでことが大きくなる前に、てこと?」

 「ええ。子供が爆発するまえに結果を出せって言われてるのよ」

 

 亜麻色の髪の少女はとても強い思いを瞳に宿していたように見えた。それは純粋に父親の命を奪った人間を許さないという思いだろう。そこには組合全部に責任があるとか、そういうものではない。ただ、悪意を持って近づいてきた奴らを許さない、それだけだ。 

 きっと時間をかければ少女は怒るだろう。まして依頼書すら張り出されなければどうなることか想像に難くない。

 

 「支部の取り潰しまたは人員の一新でどうにかならないかしらねぇ」

 「それだけで済んでくれたら本当にいいわね」

 

 二人は一番現実味のありそうな案を言って気持ちを落ちつける。人員の一新も支部だけで終わってくれればいいのだ。まぁ責任の所在をつきつめていけば本部であるここにも延焼していくのはさけられないだろうが。

 

 「じゃあ。それだけで済むように。私は組合長にこのことを報告してくるから。イシュー、ここは任せるわね」

 「ぇ、ちょっと。一人?」

 

 イシューはそれは勘弁してほしいと視線で訴える。もしくはその説明をかわってくれない? である。

 ただでさえ本来は受け付けは三人で対応してるのに今日はもう一人の同僚であるウィナが病欠である。説明が長くなりそうなものを抱えてカウンターを抜けられるのはやめてほしかった。

 

 「ごめんなさいね。私、まだこの一組、終わってないの」

 

 手をふってマリアはカウンターをでて組合長の部屋へ向かう。背中にあたるうらみがましい視線は無視して。

 そうして進んだ先の部屋の前でマリアはこれから始まるだろう組合の問題の大きさを感じて、数度深呼吸する。

 

 (なるようになってよ。本当に。神様お願いします)

 

 あまり信じていない神様に一言だけお願いしてマリアは扉をノックした。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 エ・ランテルの街並みはアリシアにとってそれほど珍しいものには映らなかった。

 三重にまかれた城壁にこそ目を奪われたが街を一回りしても目新しいものが見つけられなかったからだ。

 故郷を離れて二年がすぎた。旅だった当時のアリシアであれば目を輝かせたものではあっただろうが、今では見たことのある、知っている景色のひとつにしか見えなかった。

 

 (でも、ここは人が多い)

 

 威勢のいい声で客寄せをしている屋台で串焼きを買う。

 おそらく鳥の肉だろう。甘辛そうなタレが食欲を誘う。いや、食欲どころかアリシア本人が誘われていた。

 

 「おいしい……」

 

 もぐもぐとアリシアは頬張る。綺麗なたべかたで頬にも手にもタレはついていない。

 小動物のような食べる様子と美しさから足を止めてアリシアを眺める人たちがまるで屋台に集まった客のように見えた。

 

 「ごちそうさま、でした」

 

 串を律儀に返しつつ、アリシアは自分の後ろに結構な数の人が並んでいるのをみて足早にさる。

 

 (しまった。あんなに後ろに並んでいたなんて……てっきり違うと思ったんだけど、ずっとお店の前にいたのは迷惑だったかなぁ)

 

 後ろにいた人がやけに自分を見ているとは思っていたが、もしかして迷惑をかけていたから視線で訴えていたのだろうか。

 ありえる。というかそうにちがいない。声をかけなかったのは武装しているからだろう。

 腰に帯びた愛刀を見下ろす。紅色の鞘に黒塗りの鍔、白柄はとても美しい。見るからに高額な逸品だとわかったのだろう。すなわちそれを持つ自分がそれ相応の腕前……もしくは身分の者と思い、声をかけることができなかったのだ。

 

 (最低だ。私、そんなつもりじゃ……)

 

 これではどちらにしても力で他人の迷惑を顧みない無礼者ではないか。

 アリシアはすこし落ち込みながら しかし、表情にはださずに宿に戻る道をすすむ。足取りは軽いとはいえなかったが。

 人込みを抜け、今度はもう買い食いはしない、と心に決めて道を進んでいると後ろの、先程通り過ぎた通りから乱暴にドアを開く音と女の子の喚き声のようなものが聞こえてくる。

 

 「この声……」

 

 聞きおぼえのあるその声に足を止めて振りかえる。

 

 (ウィーシャ?)

 

 宿の女主人の娘で自分を慕ってくれている少女の声だと理解すると踵を返し、来た道を戻る。

 曲がり角を曲がるとそこにはどこかにうったのかお尻を抑えてうずくまったまま閉まった扉を睨みつけてるウィーシャの姿がある。

 

 「冒険者組合のばかやろー! いい加減な仕事してんじゃない! このぉー!」

 

 声をかけようとしたアリシアの前でウィーシャはすぐに立ち上がり扉のすぐちかくまで詰め寄って叫ぶ。綺麗で通りのいい声だ。扉の向こうまでしっかりと響いただろう。

 

 「この、この!」

 「ウィーシャ」

 「ぇ、あ、アリシア様?! ぁ、その、ぇっと」

 

 今度は扉を殴ろうと拳を振り上げたところで流石に見かねてアリシアは声をかける。

 ただ、本心ではウィーシャの好きにさせてあげたかった。いい子であるこの子がこれだけ怒ってる理由をアリシアも知っていたのだから。

 

 「ウィーシャ。大きな声。駄目だよ」

 

 唇の前に人差し指を立てる。

 ウィーシャは人の注目を集めてる。悪い意味で。

 周囲の目は冷ややかだ。あるいは悪意を持ってこの子を見ている。子供が悪さをしに来たくらいにしか見られていないだろう。それはあんまりにもかわいそうだとアリシアは思った。ウィーシャは賢く、思いやりのあるいい子なのだ。

 

 「でもっ……はい。すいません。騒いじゃって」

 

 不満を胸にしまって謝るその姿にアリシアは思わずウィーシャを抱きよせた。

 

 「ふぇ? あ、アリシア様……?」

 「よしよし……偉いよ。一緒にかえろ。ね?」

 

 胸に抱き、頭を優しく撫でる。ウィーシャの中の不満が、やるせない思いがどうかこの子を苦しめないようにと願いながら。

 

 「……はい」

 「よし。手をつなごう」

 

 ぎゅっと手をつないで歩きだす。ウィ-ヤのしっかりした足取りを確認してアリシアは心の中でガッツポーズをする。どうやらすこしは自分も年長者としてウィーシャのためになることをできたようだ。

 ウィーシャとその母親であるファリアを野盗から救い、この都市にやってきてから今日で三週間が過ぎていた。

 最初の頃は祖父母の家での生活、父親の葬式、隊商宿としての仕事を始めるための準備などなど忙しく動きまわっていたためか父親を殺した原因に目を向ける時間がなかった。けれどもすこしずつ落ちつき自分の時間を持つようになって抑えが効かないのだろう。

 二週間ほど前に冒険者組合に依頼した野盗と支部の組合員の共謀に関する依頼はいまだボードに張りつけてさえもらえていない。新しい生活を安定させようと働くファリアやそれを手伝うユーイチの代わりにアリシアは毎日欠かさずボードをチェックしていた。だが、チェックで終わらせていたアリシアと違い、ウィーシャは直接詰め寄ったんだろう。どうして話が進んでいないのか、と。別の通りでも聞こえたあの綺麗な通りのいい声だ。店の中はウィーシャの声でいっぱいになったはずだ。おそらく冒険者か組合員に外に投げ出されてしまったのではないだろうか。うるさい子供を放り出すように。

 

 (ウィーシャは賢くて、行動力がある。……だから、不満や怒りが理不尽に無視されることが許せないんだね)

 

 アリシアはすこし恥ずかしげに手をつないでいるウィーシャを見下ろす。

 父親を理不尽に殺されたこの子に私はどう言葉をかければいいんだろうか。

 それは出会った時から思っていることだ。アリシアにはかける言葉がなかった。慰めや同情の言葉を言うのだけは違うと、それだけは分かったから、だからそのことには触れずにただ自然に触れ合うしかなかった。自分がウィーシャの立場であればきっとそうしてほしいだろうから。

 

 

 

 アリシアが頭を悩ませながら見下ろしている中、ウィーシャは感情がが溢れでてきたような声を出す。瞳には怒りや憎しみといった負の感情が見えた。

 

 「組合の奴ら、酷いんです。依頼をだして今日で十五日です。十五日ですよ。それだけたっても進展がないんですから。きっとこの街の組合の中にも野盗の協力者がいるんです。そうにきまってます。だから裏で手をまわしてなかったことにしようとしてるんです。もしかしたら私や母さんに害をなそうと企んでるかもしれ」

 「ウィーシャ」

 「ぁ……すいません。また大きな声を……」

 「ううん。大丈夫。ギリギリ大きな声には、なってなかったと思う」

 「……あは。ギリギリですか?」

 「うん。ギリギリ大丈夫」

 「アリシア様は、すこしだけ、ときどき面白いです」

 

 小さく笑うウィーシャに首をかしげるアリシア。二人の姿はまるで姉妹のようだった。

 

 「ウィーシャ。あんまり家をあけちゃだめだよ。お母さんが心配する」

 

 妹に注意をする姉のようにアリシアの声は優しい。

 だがその言葉の裏にどういう意図があるのかアリシアに賢いと言われるウィーシャはすぐに理解した。

 

 (……組合に文句をいいに行くのはやめなさい、ってことだ。これ)

 

 アリシアの意図をすぐに把握する。母が心配するという言葉は間違ってはいないがそれだけの意味ではないはずだ。

 

 (だって、そもそも一日中手伝いをしていた私に自由な時間を作るようにと言ったのは母さんだし……そのことはアリシア様だって分かってる。その上でだもんね……。やっぱり危険なことにつながるかもしれないし、それを心配してのことかな)

 

 歩みは止めずにアリシアを見上げる。アリシアの綺麗な金の瞳は常のように優しげな雰囲気だ。とても責める様子はない。

 

 「……心配ですか?」

 「うん。そうだよ。心配しちゃうよ」

 「アリシア様も……ですか?」

 「? ん。そう。私も、だよ」

 

 すこし不思議そうな顔をしてから頷くアリシアにウィーシャは当たり前のことを聞いたんだと分かった。

 

 (つまり、当然アリシア様も心配する……母さんの心配を越えた話ということ。やっぱり野盗と通じてる組合から狙われる危険性がある、てことかな)

 

 先程自分が叫びかけた言葉が現実のものである可能性が高い。おそらくそうアリシア様は考えているんだ。

 だからこそあのタイミングで言葉を切らせたのだろう。どこに敵の目があるのか分からないのだから。

 

 (あっ。もしかしてユーイチ様がうちに泊ってくださったり、手伝いをずっとしてくださってるのもそれを気にしてくださって? 冒険者としての依頼はここにきてまだ一度も受けてらっしゃらないもんね。きっと離れたらどうなるか、それを警戒してくださってるんだ)

 

 そういえば自分が出歩くように、冒険者組合に行くようになってからアリシア様も必ず街に出ていた。今回のように出会うこともあれば会わないこともあるが決まってアリシア様がすこし遅れて帰ってくる。おそらくだが隠れて見守ってくれていたのではないだろうか?

 

(そうだ。そうにきまってる。ユーイチ様が母さんを、アリシア様が私を守ってくださってたんだ。……あぁ、なんて子供みたいなご迷惑を)

 

 思い至った瞬間、羞恥から俯き足を止めてしまう。思えば母さんからも依頼についてはユーイチ様にお任せしているから心配しちゃいけないと散々言われていたではないか。

 

 「……ウィーシャ」

 

 足を止めた自分に声をかけるアリシア様の声はどこか困ったものだ。もしくはどこかがっかりしたようにも聞こえなくもない。

 

 (いてもたってもいられなくて進展を聞きに行ってたけど……それのせいでもしかしたら、お二人とも動けなかったんじゃ……? だってそうだよね。私と母さん、同じ場所にいてくれればユーイチ様、アリシア様、どちらかは別のことができるもん。それはつまり組合の中にいる野盗の仲間、そしてまだ残ってるかもしれない野盗の退治。……ああぁっ)

 

 ウィーシャは耐えかねたように空いている左手で頭を抱える。アリシアとつないでいる右手をふりほどきはしなかったところにまだ冷静さがあった。

 自分の軽率な行動が恩人である二人の邪魔になるばかりか、自分や母さんの命を危険にさらしていたのだ。なんということだ。

 

 (恥ずかしいっ。どこがもう大人よ! 一人前よ!! ばかウィーシャ!!)

 

 隊商宿をオープンしたら私にもちゃんと仕事をちょうだいね。子供扱いは嫌なんだから。

 そう母に言っていた自分を思い出して、ウィーシャはなにも言えなかった。

 ただの考え過ぎであるとは思いもよらなかった。

 

 (ど、どうしたらいいんだろう……)

 

 アリシアはただただ焦っていた。

 

 (まさかこんなに……ショックを受けるなんて)

 

 予想外。

 その言葉が頭の中でリフレインし、想像しえなかった出来ごとにただ慌てるしかできない。

 目の前には手を力なくつなぎ俯きながら頭を左手で抱えているウィーシャがいる。

 

 (なんて……姿なんだろう)

 

 無念さか、それとも怒りなのか。悲しみなのかもしれない。

 とにかく負の感情に満ち、気を落としている哀れな姿だ。そしてその姿にさせたのは間違いなく自分だ。

 少しは教える側として先達としてこの子の役に立てた。私はこういう面でも成長しているのだ。

 そう考えていた先程までの自分を心の中の自分がベシベシと往復ビンタしている。

 先程までの自分はただうたれ続けるばかりだ。

 まるで姉のようにウィーシャを導けたらいいなぁ、とほんわか感じていた自分はうぬぼれていたのだ。

 調子に乗った一言がどれだけこの子の優しい心を傷つけてしまったのだろうか。

 

 (ああぁぁぁ。きっとさっきの心配してるも、余計だったんだ。この子が欲しかったのは、心配なんてしてないよ、ウィーシャはもう大人だもの、て認める一言だったんじゃ……そんな気がする)

 

 十三歳の日に大人と認めてほしいと言って即却下された過去の自分を思い出す。あの時の自分は認められないことに不満を感じていたではないか。この子だっていまそう感じてるのではないか?

 アリシアには当時の自分よりウィーシャは賢いだろうと思えた。もちろん、できることはアリシアのほうが多かっただろうがウィーシャのほうが賢い。そう思うくらい我慢もでき、行動することもでき、そのためにしっかり考えられる子だった。その子の気持ちを推し量れない自分が情けなくてしかたがなかった。

 なんて声をかければいいのかわからない。何度も口を開き閉じる。何か言わなきゃいけないのに何を言えばいいのか分からない。慰める? 謝る? それとも怒るのが正解? いやどれも間違いだ。

 

 (旦那さんを亡くして、きっといつでもウィーシャのことを心配してるだろうから……そう、決してウィーシャが子供だからとか、信頼できないからとかじゃなくて、だから、安心……できないよ。ああ、こんな言葉じゃ駄目だ)

 

 必死に挽回しようと言葉を探すがふさわしい言葉が見つからない。

 焦りが頂点に達し考えが口から洩れでそうとする。

 

 (ぁ───、どうしよう……)

 

 考えても考えても何も思い浮かばないアリシアであった。

 アリシアとウィーシャは出会ってまだ一月ほどの関係でありながらも、見るものに姉妹と感じさせる雰囲気を持っている。それは似通った思考からくる、いわゆる天然と称されるものが原因なのだが今回もそうであった。 

 そんなアリシアを落ちつかせたのは自分たちをみつめる視線だった。

 その気配の主はアリシアがこの世で最も安心できる存在だった。

 振りむくと視線の先、人ごみの向こうから、おそらく意図的に気配を向けてくれたのだろう、その人がいた。

 

 「ユーイチ……!」

 「ぇ?」

 

 助けを求めるようにアリシアにしては大きな声をあげるとつられるようにウィーシャが顔をあげてアリシアの視線の先を見る。そこには母親のファリアとユーイチが並んで歩いていた。

 片手をあげて応えながらユーイチとファリアが近づいてくる。二人は一緒に買い物をしていたのかユーイチが片手に持つ皮のバックには食材がいっぱいなのが見えた。

 

 「どうした? アリシア」

 

 近くまできたユーイチはアリシアとウィーシャを見ながらどうして助けを呼んだのか、という意味で声をかける。彼はファリアと買い物をしながらアリシアとウィーシャの気配が同じ位置から動いていないことを気にして、近寄るように移動していたのだ。

 

 「う、えっと。その……」

 「?」

 

 助けを求めたのはいいがアリシアはユーイチにどういえばいいのかまた言葉が出てこなかった。いや、二人の時ならいくらでも話せる。だが、今自分のそばにはウィーシャがいる。本人の目の前で、ウィーシャになんて声をかければいいか教えてほしいなどと状況説明もこみで言えるはずがない。

 

 もじもじ。

 おどおど。

 

 挙動不審気味に視線を右往左往させるアリシアを見て顔に疑問を浮かべているユーイチの雰囲気はアリシアとの深いつながりを感じさせた。二人を見上げたウィーシャにはその姿が普段のアリシアとよく似ているように感じられた。まるでユーイチが父や兄でアリシアが娘や妹のようだ。実際は血のつながりはなく、師匠と弟子の関係だそうだが。

 

 「アリシア様、もしかして娘がご迷惑をおかけしたのでは? それでお困りになられたのではないですか?」

 

 ファリアはアリシアの視線が娘とユーイチ様の間で揺れていると見て、娘のことで困らせたのではと察した。

 

 「ファリアさん……そ、」

 「ごめんなさいっ」

 「そうじゃな……あれ?」

 

 そうじゃない、です。とこたえようとしたアリシアに先んじてウィーシャがアリシアとつないでた手を離し、三人に向けて頭をさげた。

 

 「ごめんなさい。母さん、ユーイチ様、アリシア様。勝手に冒険者組合に行ってしまいました。本当に、ごめんなさい」

 

 アリシアは目の前でふかぶかと頭を下げるウィーシャに目を白黒させていた。顔が驚きと困惑で無表情になっていたが心の中のアリシアもおなじだった。つまり心の底から何が起こっているのか分かっていなかった。ウィーシャの声には心からの反省、そして悪いことをしたという響きがあった。それはアリシアの想像していたものではなかった。もっと理不尽な物を耐える、苦しい思いを抱えているものだと思っていたのだ。

 

 「そう……ウィーシャ? 心配なのは分かるけどユーイチ様にお任せしているんですからね。私たちが勝手に行動したらうまくいくこともいかなくなるわ。もう一人で行っちゃ駄目よ?」

 「はい。もうしない、です」

 「ユーイチ様、娘が勝手をして申し訳ありません。お任せしたことを……」

 「構わない。ファリア、ウィーシャが行動してしまう気持ちは大切なものだ。俺がもっと安心させられればよかったんだ」

 

 俺の方こそ、すまない。そういいながら頭を下げようとするユーイチをファリアとウィーシャが慌てて止めている。

 

 (……? どうして、こうなったん、だろう?)

 

 わかんなーい、と心の中の自分が駄々をこねてぶー垂れている。アリシアには何がなんだかさっぱり事情が呑み込めなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「というわけだ。おおよそこんなところだろう。分かったか?」

 

 その晩、夕食、中庭での鍛錬、お風呂といつものようにすごした後、ようやく他の目がなく落ちつけたタイミングでアリシアはユーイチから説明を受けていた。ユーイチにはアリシアが何も分かっていないことが手に取るように分かっていたのだ。

 

 「ん。冒険者組合から、狙われる可能性があったから、ウィーシャが謝った?」

 

 ベッドに腰掛けているアリシアは桜色のどことなく大人の雰囲気がある和服を着ている。それは普段からの寝巻姿である。故郷の村やその周辺では寝巻にしていても何らおかしくない衣服だが、この国ではそうではないらしくファリアやウィーシャにはじめて見せた時は何をしにいくのかと驚きの視線を向けられていた。

 

 「そうだ。あの子は深く考えすぎる。そう考えて自分を恥じていたんだろう。……お前も気にし過ぎだ」

 

 説明するユーイチはアリシアとは違い和服姿ではない。というよりまだ寝巻姿ではなかった。お互いに自分のベッドに腰掛けながら二人は話している。ここはファリアとウィーシャの隊商宿になる予定の一階の二人部屋だ。本来隊商宿に泊る客は二階に宿泊し、一階は宿の持ち主やその家族が住むのが普通だ。しかし、ユーイチとアリシアはファリアの勧めもあり一階に部屋を借りていた。というのも二階の部屋はすぐに人に貸せるような状態ではなかったのだ。物置きになっている部屋もあれば、まともに寝具が揃っていない部屋など、どの部屋も客を泊ることなどできない。まして命の恩人をとめさせるわけにはいかない。そうして一階に泊ることになった二人は落ちついた雰囲気のこの部屋を気に入っていた。床も壁も天井も特別高級そうというわけではない。置いてある家具もありふれたものだ。だが、そのほうが二人の性にあっていた。

 

 「……でも、それは違うと思う。そんな気配は感じたことがない」

 

 アリシアは依頼をした日から今までを振り返るが様子をうかがう気配や危険を察知したことは今までなかった。精々なにかと理由をつけて絡んできた冒険者や酔っ払いくらいだろうか? それもすこし話したら解決したはずだった。

 

 「だろうな。俺も冒険者組合はこちらに手を出したりはしないと思ってる。あの子の考え過ぎだろう」

 「そう、だよね?」

 「組合には俺たちが襲ってきた野盗を全員返り打ちにした冒険者だと教えている。腕利きと知っていればそんなことはしないだろう」

 

 依頼を申請した際に、受付嬢に提出した羊皮紙には二人の冒険者が二十二人の野盗を倒した旨が記してあった。ユーイチはそのことに触れて、安心させるようにアリシアに同意した。

 

 「むしろそろそろこちらに協力を求めてくる頃だ」

 「? 協力? なにの??」

 「事を荒立たせないことに、だ。依頼という形ではなくしてほしいと言ってくるだろう。冒険者組合の信用のために今回の件は結局表ざたにはできないはずだ」

 「……それは泣き寝入りしろ、ってことではない?」

 

 アリシアはまだこの国に来てから日が浅いがそれでもこの大陸に渡ってからならすこし長い。だからこそ冒険者組合の必要性は理解していた。その地に生きる人にとって必要なものだろうと。なくなれば多くの人が困ることになると。だが、それでもそれを守るためにあの親子が涙を流すのは嫌だった。アリシアにとってファリアとウィーシャは守りたいと思える人たちだった。

 

 「安心しろ。そうはならない。組合そのものに全ての責任を取らせるのはファリアやウィーシャにとっても本意ではないだろう。もちろん、組合全てが裏でつながっているなら話は別だが、それはない。そうなら危険をおかしてでも口封じにでただろう。支部。あるいは支部の中の数人が犯人だ。そこには責任を取らせるさ」

 

 ユーイチの平坦な一言一言にアリシアは気持ちが落ち着いていくのが分かった。心の中の自分は猫のようにユーイチにすり寄っている。安心しきっているのだ。

 ハッとしたアリシアはペチンと自分の頬を叩いて気持ちをいれ変える。この甘えた姿勢が昼間の勘違い無様につながったのだ。この安心感を自分がウィーシャに与えられるようにならなければ。

 気持ちをいれ変え鋭い目をユーイチに向けると近寄っていたユーイチに軽く頭をたたかれる。

 

 「あぅ……」

 「極端すぎだ。気持ちは高ぶらず、落ち切らず、真中がいい。落ちつけ」

 「む……はい」

 

  叩いた手でそのまま頭を撫でてくるユーイチに子供扱いしてると不満を感じそうになるがこれも自分のまいた種である。それにこれに不満を感じても冷静にならねばならない。言われたばかりなのだから。

 

 「よし。……いい目だ。綺麗だぞ」

 

 ぼふ。

 

 落ちついた表情を作り、さぁ話をしようじゃないか、とユーイチを見上げたアリシアは同じように心の中で見上げていた自分ごとひっくり返ったような気分になった。不意打ちである。めったなことでは自分に対して綺麗とか言わない癖に予想もしてないタイミングで言ってくる。アリシアは予想していなかったユーイチの攻撃にただ素直に反応するしかなかった。顔を赤く染めて俯くという完敗の姿である。

 

 「……ユーイチは、ずるい」

 「素直と言ってくれ」

 「………ずるい」

 「ウィーシャや他の人にだって言われてるだろう? 俺だってそう思ってる」

 「……………ずるい」

 

 完全に子供のように頬をむーっと膨らませてアリシアは怒った。

 もう今夜は許さない。

 許さない理由が理不尽でも構わない。自分をこう思わせたのはユーイチなのだ。ユーイチが悪い。

 そう決めてプイと顔をそらすと、そのタイミングで丁度扉がたたかれた。

 

 

 「ユーイチ様。冒険者組合の方から人が来られました」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「あの…アリシア様?」

 「……」

 「あのぅ……」

 

 先程までいたユーイチの代わりにウィーシャが声をかける。

 だがアリシアはウィーシャに背を向けベッドに座り込んでいた。視線は壁に向けられていてまとう雰囲気は「私、不機嫌なの」というどこか子供じみた雰囲気を感じさせる。

 ウィーシャはそんな様子のアリシアがなんだか自分と同じくらいに子供のように見えて新鮮だったが戸惑っていた。そしてはやくユーイチ様と母が帰ってきてくれることを願った。

 ユーイチとファリアは冒険者組合に呼ばれて出ていった。

 ウィーシャはもうじき日付が変わろうかという時刻に呼ばれるなんて危ないと思い、止めたかったが、ユーイチに「心配するな」と言われてしまえば何も言えなかった。二人が無事に帰ってくることを願っていた。

 

 (アリシア様、どうしたんだろう……。ユーイチ様は喧嘩して拗ねてると言っていたけど……でも、アリシア様がそんなことでこうなるんだろうか?)

 

 実際はユーイチの説明通りなのだが、ウィーシャの賢い頭は自然と別の可能性を考え、思考を加速させようとしていた。

 

 「ん……帰ってきた」

 「ぇ、え?」

 「帰って来たよ。二人とも」

 

 そういったアリシアは立ちあがり、刀を手に持つとてくてくと歩いて行ってしまう。ウィーシャはそれを慌てて追いかけた。ウィーシャの耳には帰ってきた音など何も聞こえなかった。

 もう日付も回った時刻は少し寒々とした風が通る。

 ウィーシャはアリシアの背中を小走りで追いかけながら身を小さくふるわせた。

 

 「……ごめん。寒かったね。部屋で待っていても、いいんだよ?」

 

 アリシアがやっといつもの調子に戻ったのか普段通りの優しい声をかけている。

 

 「い、いえ。大丈夫です。ユーイチ様と母が帰って来たのなら出迎えたいです! は……くしゅっ」

 

 ぶるっと震える様子はとても大丈夫に見えない。アリシアはすこし微笑むとウィーシャの手を握る。

 

 「ん。じゃあ、一緒にいこう。これで大丈夫……寒くない、よね?」

 「え、っと。あれ、は、はい。寒くない…です。むしろあったかいくらいです」

 「そう。よかった。私もこのくらいがちょうどいいの」

 「え、えぇ? あの、これはもしかして何かの魔法の力ですか?」

 

 ウィーシャはアリシアと手をつないでから寒さを感じていなかった。むしろ温かい空間にいるようだった。

 

 「妖精さんのおかげ」

 

 いたずらを内緒にするような、意地悪しているような、そんな頬笑みをむけるアリシア。

 

 「行こう。もう家の前につくよ」

 「ぇ、ぁ、はい」

 

 温かさに包まれながら二人は歩く。すると確かにアリシアの言った通り、ユーイチとファリアが馬車を見送っていた。冒険者組合の馬車だろう。

 

 (なんでアリシア様は二人が帰ってきたことが分かったんだろう……これも魔法なのかな?)

 

 なんにしろすごい。

 ウィーシャは改めてアリシアを尊敬のまなざしで見上げた。毎日庭でみせるユーイチとの訓練の様子から、アリシアは剣士なんだろうと思っていたがこういう便利な魔法も使えるのだ。ウィーシャにはアリシアが何でもできるすごい人に見えていた。

 

 「ただいま。アリシア様、寒い中ありがとうございます。ウィーシャ。出迎えてくれてありがとう」

 

 ユーイチに寄り添いながらファリアが出迎えた二人に感謝の言葉をかける。

 アリシアが鋭い目をユーイチに向けたのを見上げていたウィーシャは見て、すこし疑問に感じたがそんなことよりも帰りをねぎらうのが先だった。

 

 「おかえりなさい。母さん。ユーイチ様、母をありがとうございました」

 「ただいま。話しあいに付き添っただけだ。何もしていないさ」

 

 そういうユーイチはファリアに片腕を預けていた。それはファリアがユーイチと腕を絡めてるようにも見えた。ウィーシャはハッとして先程のアリシアの鋭い目の意味を悟る。

 

(も、もしかして、そういう? そういうことをアリシア様は警戒されて?? いや、あり得ないって母さんはお父さんが大好きだし……ユーイチ様とそういう関係には……そ、それにアリシアさまだって娘とか妹みたいな、そんな雰囲気があるじゃない? いや、でも……?)

 

 急に浮上した疑惑に急速に思考が回る。

 そういえばエ・ランテルについてからというもの母とユーイチ様は一緒に行動することが多い。

 今日の買いものだって二人きりだ。

 それにユーイチ様はお強いし、頼りがいがある。父を亡くしたばかりとはいえ……いやだからこそ母さんが気を許してもおかしくないのでは?

 

 (娘目線だけど……母さんは若いと思うし、美人だと思う。そりゃアリシア様よりは綺麗じゃないと思うけど……ユーイチ様が求められてもおかしくは……ない??)

 

 そこで三人が不思議そうに自分を見ていることにきがついたウィーシャは慌てて想像を頭から消し去った。想像することしかできないことで母と恩人の関係を疑うなんてしたくなかった。

 

 (恥ずかしい。こんなふうに考えちゃうから私はだめなんだ)

 

 昼間のことを思い出し、また少しへこむ。やはりずっと働いてる方が変なことを考えなくて済むのでは?

 そう思わずにはいられなかった。

 

 「では、ユーイチ様、私は娘を連れて部屋に戻ります。今晩は……本当に、ありがとうございました」

 「ああ。俺もアリシアと一緒に戻る。まだまだ冷え込む。温かくして眠ってくれ」

 「はい。……ウィーシャいきましょう」

 「うん。アリシア様、ユーイチ様、おやすみなさい。ありがとうございました」

 「うん。おやすみ。ウィーシャ。ファリアさん」

 「二人とも。おやすみ」

 

 アリシアから手を離した瞬間、寒さを急に感じて身を震わせながらウィーシャはファリアとともに部屋に戻っていた。どちらも寒いのかつないだ母娘の手はお互いに少し震えていた。

 そんな二人の姿が見えなくなるとアリシアは不機嫌だったことなどわすれていた。

 

 「血の匂いがする……。危険だった?」

 「いや、危険はなかった。冒険者組合はちゃんと下手人を見つけてくれたということだ」

 「……ファリアさん?」

 

 アリシアの問いかけにユーイチはなにも何も言わない。その態度は答えを示していた。

 アリシアは優しいファリアを想い、胸が痛くなった。自分の意志だとしてもそれは辛いことだとアリシアは思った。

 

 「……支部の方には野盗と通じている組合員はいなかった。だが、残った野盗の居場所の手掛かりはみつかった。なのでその野盗の討伐依頼が出る。もちろんだが野盗は退治しなければならない。依頼の費用は冒険者組合がすべて負担する。ファリアたちには情報料と謝礼が贈られるそうだ」

 

 流れるような説明にアリシアは頷く。驚くこともなにもない。そういうことになったのだ。ただ、そういうことになったのならつまり。

 

 「依頼を受けるのは?」

 「俺たちだ」

 

 そういうことだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その日は隊商宿『金瞳の猫亭』の開店日だった。

 昔、隊商宿をやっていた時はそんな名前ではなかったが店を開き直すということで名前を変えたそうだ。

 典型的な隊商宿らしくとくに特徴的な外見ではない。建物自体も古くからある建物でお世辞にも綺麗とはいえない。

 ここエ・ランテルに隊商宿というのは少し古いとも言える。商人だけではなく貴族、著名な冒険者、そして旅人など、三国の間にあるこの都市には多くのそして様々な人が訪れる。そんな中で隊商宿というのは商人専用の宿屋だ。需要はないわけではないだろうが少ないし、この都市には合っていない。まだ王都のほうが需要があるだろう。

 だが、そんなすこし場違いな隊商宿は開店前から宿泊を希望する客が多くいた。これは店の前で長蛇の列を作っているというわけではない。開店前から予約を取り付けた客が多いからだ。だからこそ、開店日になっても一度に多くの客が来ることはない。徐々に徐々に人がやってくる。出迎えるのは通りのいい綺麗な声だ。

 

 「いらっしゃいませ。ご予約の御客様でしょうか? どうぞこちらで受付をお願いします」

 

 あどけなさが残るが、はきはきとした口調と理知的な瞳は子供の手伝いの様には見せないものがあった。立派な受付嬢だ。肩口で切りそろえられた亜麻色の髪を揺らしながら受付嬢はてきぱきと客をさばいていく。そんな彼女に客が声をかけると、すこし笑って受付嬢はこたえる。

 

 「はい。この宿にお泊りの冒険者様でしたら今は組合の方に行かれていたます。もうしばらくされたらお戻りなられると思います」

 

 何度も聞かれたことなのだろうまったく淀みない返事だ。

 そうしていると入口の方でざわめきが起こる。

 カウンターでチェックインしていた客と受付嬢がそちらを向けばそこには黒衣の剣士と金髪金眼の姫騎士がいた。その胸には薄く翡翠の色に輝く金属、ミスリルのプレートが下げられている。このエ・ランテル最高峰の冒険者ミスリルの階級である証だ。

 この隊商宿に開店前から予約が入った理由はこの冒険者が泊っている宿屋だからだ。

 この冒険者チームは一度の依頼でミスリルプレートを獲得した最速記録で一気に名前が知れた。男の赤い瞳と女のまるで王女様のような美しさはすぐに広まり、さらに実力を知らしめるかのように次々に難しい依頼を短時間でこなしてきた。難度の高い魔物の討伐、今まで出では考えられないほどに精密な周辺の地図作成、希少な鉱石の発掘などなど輝かしい実績を短時間で築き上げ、共に依頼を受けたミスリルの級の冒険者たちがすぐにオリハルコンに昇格すると周囲にもらすほどだ。最初は懐疑的に見ていた周囲の目はもはや影もなく、彼らを見つめる視線は羨望の眼差しだ。 

 そしてその羨望の眼差しに自慢と誇りを混ぜた視線を受付嬢が二人に向ける。

 

 「お帰りなさいませ。ユーイチ様、アリシア様」

 

 受付嬢の、ウィーシャの声が綺麗に室内に響く。誇り高い自慢するものを呼ぶ声だ。

 

 「ただいま。ウィーシャ」

 

 こたえる二人の冒険者はそんなウィーシャをほほえましく見つめていた。

 

 

 

 一頁~二人の冒険者~

   その始まりは誰もしらない 終




どのキャラクターがでてきたかおわかりでしょうか?
わからなくていいと思います。

まだナザリックのメンツがでてこない。こんな2次創作でいいのだろうか。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。
ご感想を頂けると励みになります。よろしければぜひいただきたいです。

2018年5月31日。改行。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二頁~冒険者アリシア~  

遅くなりましたが続編です。
本当は02頁が序章、入りの文章になるほどもっとしっかりとした内容だったのですが保存がネットの不具合でできず最初から描き直しになってしまいました。orz

新しいのを描くのはやる気を出せるのですが、どうして描き直しはこんなに億劫なのか……。遅々として進まなかったのですが、もう月も変わるということであげました。

中途半端な内容が恥ずかしい…。



あ、ようやく分かりやすい原作キャラクターが登場します!!





二頁~冒険者アリシア~

  始まりの足音

 

 

 

 

 一閃。

 

 振り抜かれた一刀がすれ違いざまに胴を薙ぐ。

 一瞬の間の交錯の後、片方が地面に倒れ伏す。

 流れた血がじわりじわりと大地を赤黒く染める様子は命が失われていく様にふさわしい。

 その様子を何事もなかったようにもう片方が見下ろしている。

 手に握られた刀。その刃には汚れひとつなく、木々の合間からさしこんでくる日差しを眩しいほどに反射させている。

 太陽の光を燦然と受けて輝く様子は神秘的なものを見るものに感じさせるだろう。そんな刃を、持ち主は自分の目線まで持ち上げ確かめるように傾ける。反射していた太陽の光が薄れ、後には銀色の刀身が残る。

 刀身には長くそして精緻な文字が峰にそうように刻まれている。隙間なく刻まれたそれは血溝の役割を果たしてるのだろうか。

 持ち主は数秒見事な刀身を眺めると満足そうに一度頷き、紅色の鞘に納刀する。鍔と鯉口のぶつかる小さな音が静けさに包まれた森の中に響いた。

 持ち主は思う。

 

 (これ、どうしよう…)

 

 流れるような金の髪が先程までの刀身と同じように神秘的に美しく輝く中、剣の持ち主、アリシアは自分が斬った“もの”の処理をどうするか頭を悩ませた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 冒険者、という仕事がある。

 それは字のごとく、冒険する者のことを指す、とアリシアは思ってきた。

 だから故郷を旅立った当初、アリシアは自分のことを旅人だと認識していた。

 冒険者と旅人、その違いは人によっては無いと答えるだろうし、人によってはあると答えるだろう。アリシアは違いがあると思う側だった。

 アリシアにとっての冒険者とは未開の地へ足を踏み出す者を指した。まだ誰も知らない世界を追い求める者。それが冒険者。対して、旅人はそれに続く者だとアリシアは思っている。明らかになった物へ、知られた場所へ旅をする。その地への最初の一歩を踏み出すわけではない存在。それが旅人。

 そう考えるのであれば旅だった当初、たしかにアリシアは旅人だった。

 故郷の村をでて山を抜ければ大きな街や都市があった。そしてそれはアリシアは行ったことはないが知識としては知っているものも多くあった。もちろんアリシアにとって初めて目にする街や都市というものは目を見開かんばかりの驚きであり、海沿いの都市に足を運んだ際には、海鼠と呼ばれる黒くて柔らかな生物の実態に想像との違いから本物だと言われても信じられなかったほどである。

 だが、それだけの未知と遭遇してもアリシアは旅人であった。

 それは故郷の大陸では地理について多くのことが調査済み、すなわち誰かが足を踏み入れた後だったからである。本当にだれも発見できていない場所や物などめったなことでは見つからず、冒険者の仕事というのは旅人や商人の護衛、魔物の討伐などアリシアの求めていたものとはすこしちがっていた。冒険者に憧れ、最初についた大きな都市の冒険者の店で登録を済ませたときには「旅人から、冒険者に成長……ふふ」と満足げにユーイチに対して微笑んでいたのだが、足を向ける場所が悉く既に誰かに踏破されている状況が続くと途端に物足りなかった。

 これでは自衛のできる旅人と何が違うんだろう?

 アリシアの問いにユーイチはそもそもそんなに違いはない、お前にとっての未知ならそれでいいじゃないか、と何度か声をかけたがそれでもアリシアには納得できなかった。

 例えば、旅立つ場所について調べようとする。当然だ。どれだけの危険があるか分からない以上できる限り調べて対策を立てる必要がある。そうして調べようとすると全容が判明するのだ。洞窟や遺跡であれば存在する魔物、自然人工を問わない罠の存在、それらをまとめた詳細な地図がぽんと手に入る。手に入ってしまう。それがアシリアにはつまらない。新鮮な未知の探求こそアリシアが求めていたものであり、いつしか実際に目にする程度では満足できなくなった。

 そんなアリシアが自分を冒険者だと思えたのはこの大陸に渡ってからである。

 故郷の大陸にある海沿いの国で出会った人魚たちから聞くところによると海を越えた先、海しか見えなくなってももっと進めばそこには別の大地が広がっているらしい。

 アリシアはその話の真偽を調べた。そんな話はきいたことがなく、もしかしたら故郷を出てからはじめてかもしれない本当の未知なのではなかと思ったからだ。そうしてとうとうアリシアは調べつくした。

 ない──。なにもない。

 人魚の友人たちから聞いた大陸の情報はなかった。強いて言えば昔の記録におなじようなことを言っていたという人間の証言が残っていただけだ。

 それまでずっとユーイチに手を引かれて旅をしていたアリシアは、わき上がる感情をどう表現したらいいかわからなかったが心の中の自分が激しく喜びを表すのに後押しされユーイチの手をはじめて引いた。

 

 「行こう。まだ、知らない場所へ──」

 

 そうしてアリシアは冒険者になった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「ユーイチ様、お茶をお持ちしました」

 

 宿の一室というより家族の部屋……夫婦の寝室と言っても差違えの無さそうな一室に綺麗で通りのいい声が響く。部屋の中は鎧戸が開けられていてそこから暖かな日差しが入り込み、清潔そうなベッドや丸テーブル、椅子を映し出していた。

 その椅子に男が座っている。半袖の部屋着と思われる黒いシャツ、黒いズボンに黒い靴。肌の露出以外は真っ黒な装いである。

 椅子に座っていた男がふり返ると視線の先には亜麻色の髪が綺麗な、まだあどけなさを残した少女がいる。

 

 「ありがとう。ウィーシャ」

 

 ウィーシャと呼ばれた少女はいえいえと返しながら丸テーブルの上にティーカップを置き、温かいお茶をそそぐ。テーブルの上には羽ペンにインク、そして数枚の羊皮紙があり、そのうち一つが彼女の目にとまった。

 

 「ユーイチ様。こちらがアリシア様の?」

 「そうだ。カッツェ平野のと、法国とエ・ランテルの間の街道周辺の地図だ」

 

 数枚の羊皮紙に精緻で美しい地図が書かれている。それは全てアリシアが描いたものだ。

 いつもはユーイチの側にいるアリシアはここにはおらず、エ・ランテルの外にでている。

 

 野盗化した傭兵団のアジトを発見、討伐した件から、正式に冒険者として登録を済ませたユーイチとアリシアはいきなりミスリルというこの街での最上級冒険者と認められた。これは冒険者組合の上層部が二人の腕前を認めたのもあるが、行動に支障がないようにそれなりの立場が欲しいというユーイチの要望に応じたためだ。組合内部の人間が犯罪者と手結んでいた件について口を閉ざしてもらうために組合はユーイチの要望に首を縦に振るしかなかった。

 ただ、そうして得た地位は確かにユーイチとアリシアにとって有益なものだったが悪いこともあった。急に自分たちの一番上にたたれた他の冒険者たちからはいい目では見られず、特に同じ立場、ミスリルのクラスの冒険者からは直接文句を言われるほどに目の敵にされたのだ。

 その状況の改善としてユーイチは手っ取り早く手を打った。認められないなら認めるしかない実績をあげればいい、という単純明快な対処であった。

 五日間、ユーイチとアリシアは二人で依頼を受け続けた。ミスリルへの依頼、あるいはプラチナの中でも上位の依頼。それらを一日につき一つ受けてはその日のうちにかたづけ続けたのだ。

 単純な魔物討伐に危険地帯にある薬物の採取など種類豊富とは言えなかったがミスリル級の冒険者パーティーが共同で退治する魔物を二人で狩ってその日のうちにかえってきた際には全員がもう認めるしかなかった。

 格が違うと。

 ただそうした依頼を受け続けたのはアリシアにとっては面白くなかった。単純に討伐依頼が多く、好む依頼ではななかったからだ。心の中の自分と一緒に不満をかかえていたアリシアは気を紛らわせるためにエ・ランテルに来るまでの街道周辺の地図を書いた。本人としては雑なものだったがそれは街にあるどの地図よりも精緻で正確であり、求める者が多くいたのだ。それ以来周辺地図の作成という期限の無い依頼をうけたアリシアは飛び出しては周囲を歩きまわっていた。

 

 「これ、全部縮図は正しいんですか?」

 

 アリシアが描いた地図が気になりウィーシャはユーイチの手元を覗きこんだ。

 

 「正確だ。アリシアの描いた地図は狂いがない」

 「すごいですね……うわぁ」

 「手に取っていい。それに座るといい」

 「ありがとうございます。えっと、じゃあ座ります」

 

 勧められるがままに対面の席に座り、地図を手に取る。

 見えれば見るほど精緻な素晴らしいものだとウィーシャにはわかる。

 父や母と商売で旅をしてる間に買った地図の中にここまで精緻な物があっただろうか。

 

 「アリシア様は、こういう才能もおもちなんですね」

 「ああ。こればかりは才能だ」

 

 本当に何でもできる人だなぁ、という意味でのつぶやきにユーイチは頷く。

 

 「え、こればかりですか?」

 

 ウィーシャにはアリシアは剣の才能もあり、魔法の才能もち、さらにはこういった地図を作る才能もある万能の人に見えたのだが、その師匠であるユーイチにはそうは思えないらしい。

 

 「アリシアの剣は才能の上に努力を重ねたからこそいまのものがある。他のものもそうだが、やり続けたからいまに至ったわけだ。だが、地図に関してはそうではなくてな。最初からできた」

 「最初から……ですか?」

 「ああ。もともと見ればできる、教えられればできる子だが……最初からその地図作成の腕を持っていた。こればっかりは才能だけと言える。自然と感覚でできるんだろうな」

 

 はじめてアリシアが地図を書いた時のことをユーイチは語り出す。

 

 「え、それじゃあ。なにも練習されてないんですか? 教えられても?」

 「そうだ。こればっかりは何も教えてないし、あいつもなにも練習してない。できて当然だから本人はそれが普通だ」

 

 旅の最中、「何を書いているんだ?」と訊ねてみれば「地図」と返されて自分よりもよっぽど精緻なものを見せられた時の驚きは、師であるユーイチをしてアリシアの底の知れなさを感じさせた。ただ、すぐに拗ねたり、不満ですぐぶー垂れるところは底が浅いので家族の目で見れば可愛げがある。

 

 「ふわぁ。アリシア様はやっぱりすごいですね。私なんてこれの模写もできないと思います」

 

 そういうウィーシャの目には憧憬がある。

 

 「ウィーシャなら練習すればできるようになるさ。……君は自分で思ってる以上に才能がある。アリシアのように急がず、ゆっくり伸ばしていけばいい」

 

 ユーイチはティーポットを持ち上げ部屋にある木製のカップにお茶を注ぐとウィーシャの前に置く。

 

 「あ、すいませんっ」

 「いいんだ。君はメイドじゃないだろう。話し相手になってもらっているのに俺だけのんでいては落ちつかない」

 

 そういいながらお茶をすするユーイチの姿はとても穏やかでウィーシャはどうして出会った時に怖いと思ったのか分からなくなった。自分もおなじようにカップを手に取り、お茶を飲む。口の中に広がるほんの少しの苦みと温かさ。二人してほっと一息をつくとおなじような仕草にお互いに小さく笑う。

 本当に、どうして怖いと思ったのだろうか。

 出会った時のことを思い返しつつそしてこの人なら、との思いで聞いてみたかったことを聞くことにする。

 

 「あの、ユーイチ様」

 「なんだ」

 「その……母とは、その……い、いいっ、関係なんでしょぅ、か?」

 

 恥ずかしさと緊張で若干声が上ずり、なんともみっともない訊ね方だ。

 ユーイチはぴたりと動きを止め、じっとウィーシャを見る。ウィーシャは急激に顔が赤くなるのを感じた。母親と恩人の関係を直接訊ねるのは想像していた以上に恥ずかしく、失礼なことのように思えた。だが、それでも聞いておきたい理由もあった。

 最近、噂が立っているのである。内容はウィーシャの母ファリアとユーイチの関係についてである。ファリアはウィーシャの父の再婚相手ではあるが若くまだ二十をすぎた頃である。孤児院で育ち正確な生まれが分からないのですこし前後するかもしれないがそれでも若い。そして美しかった。薄幸の美人という言葉がファリアにはよくにあう。ウィーシャの憧れでもある豊かな胸は男女問わず目を引き、娘よりも長くボリュームのある亜麻色の髪は艶やかな美しさがあった。そんな母だからこそウィーシャはユーイチとそういう関係になっていてもおかしくはないのではないかと思ってしまった。

 噂ではこう言われている。話題のミスリル級冒険者である彼の人物が古い隊商宿に身を寄せているのはなぜか? それは未亡人である女主人とできているから、というものだ。現に彼の人物は客の部屋ではなく家族の居住スペースに部屋を取ってる。これこそできている証拠ではないか。

 この噂の出どころはウィーシャもよく知らない。はじめて耳にしたのは宿泊客がはなしていたのを偶然聞いた時だ。それ以降、すこし意識して耳を傾けてみれば宿泊客をはじめ、噂の人物を見に来た冒険者たち、あるいは懇意にしている八百屋など、自らの周囲にはかなり広がっているとわかった。もちろん気にしなければ分からないほどのもので、噂をしている人たちが何かしてきたわけでもない。話題の冒険者に関する話だから盛り上がってるのだと考えれば無視していいのかもしれない。

 だが、ウィーシャはファリアの娘である。血はつながっていなくとも母と娘。娘として母のこととなるとどうしても気になってしまう。というよりかってに想像力を働かせてしまってファリアとユーイチに対して大変失礼な思いを抱くことも多々あったのだ。もちろん、すぐに自分を恥じてしまうのだが。

 だから、開き直って直接訊ねた。自分の中で納めておくとよからぬことを勝手に考えて取り返しのつかないことをしかねないと思ったのだ。

 

 「いい関係というのは、噂されていることか?」

 「は、はぃ。……ご存知でしたか?」

 

 かわらない様子のユーイチにすこしウィーシャも落ちつく。そしてやっぱりユーイチも知っていてウィーシャは聞いてよかったと安堵した。これで「何のことだ?」とでも言われたらそちらの方が混乱した。

 

 「ああ。耳に届いてきた。……安心するといい。やっかみ混じりで噂してる輩がいるんだろう。すぐに落ちつく」

 「ぁ、その……ということは、母とは、その……?」

 「いい関係だとは思うが、噂通りではないな。仲良くさせてもらってるだけだ」

 「そ、そうですか……はぁ、すいません。いきなり失礼なことを」

 

 ファリアに比べて薄い胸を抑えながらウィーシャはため息をつく。急な変化に対する恐れと母として見てきた人の女の一面を見ることへの戸惑いから、安堵の気持ちがため息をつかせたのだが──。

 

 「どうした。すこし残念にも見えるぞ」

 

 指摘されるほどにそれにはどこか残念な気持ちもあった。

 

 「……その通りです。すこし、残念でした。もし、噂通りだったら……」

 「だったら?」

 「困って、きっと慌ててたと思うんです。けど、ユーイチ様のような方が母と一緒になってくださるなら、きっと父とお母さんも喜んでくれるんじゃないかって、そう思って」

 「俺はどこの誰ともわからない旅の冒険者だぞ? どうしてそう思う」

 

 ウィーシャは口を開き、そして思いとどまったかのように口を閉じる。

 そして、立ちあがると一度ユーイチに頭を下げる。

 

 「母は私が言うのもおかしいですけど、若いです。それに綺麗です。だからもっと一人の女性として幸せがあっていいと思うんです。それに、私のことばかり考えられても、困っちゃいます。……お仕事中長々と失礼しました」

 

 そのままあげられた顔がユーイチには一番大人びて見えた。もしかしたら母を心配する娘と言うより、姉を心配する妹のように見ているのかもしれない。

 返事を待たずウィーシャは部屋をでる。そして向かうのは母の元だ。

 急ぎのことは何もない時間帯とはいえ隊商宿の店員は常に仕事中だ。

 足をとめずに部屋までたどり着き、扉をノックすれば母の声が聞こえる。とてもかわいい声なんじゃないかと娘ながらに思う。噂の通りでも全然おかしくない。自慢の母の声。

 

 「ぁ、思ってたより……残念だったのかな。期待してたのかも」

 

 母の声をきいて先程より残念な気持ちが膨れるのを感じ苦笑いしながら部屋にはいれば、自慢の母が笑って迎えてくれた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 冒険者であるアリシアは、ここ三日間歩きまわっているトブの大森林の中で椅子にすわっていた。 

 魔法のおかげもありアリシアは自分一人でならエ・ランテルからこの森までそれほど時間をかけずに移動できた。ただ、移動の方法が目立つので人の目のあるところではなかなか使用できない、というかしたくないためこの移動方法はめったな事ではつかっていない。そして何より本人の好みの問題もある。アリシアは自分で歩くのが好きだった。

 それでも移動時間を魔法で短縮しているのはユーイチから離れて行動しているからである。

 自分から行きたいと言いだしたとはいえ、ユーイチがエ・ランテルに残っていると思うとなんとなくすぐに帰りたくなったのだ。一緒に来てくれなかったユーイチが「俺は俺でいろいろと片付けておく」と言っていたのが気になった。なにをするつもりなのか。

 

 (よく、お母さんに、真似るのが好きな子だって言われたけど…)

 

 遠い地の家族、その中でも飛びぬけて自分に厳しかった母親の言葉を思い出す。

 生まれてからずっと真似をしてると言われた時はすこしむすっとしたのをアリシアは覚えていた。

 

 ――真似ではなく、学習なの。

 

 そう心の中の自分が訂正をいれてくる。アリシアはそれに頷く。そうだ。見て覚える。真似ているのは一つの手段なのだ。

 

 (私は、これがしたいの。ユーイチが街で何をしてるかなんて……気にならない、もん)

 

 早く帰って何をしているのか確かめてみたいという気持ちを自分の中から追い出す。心の中の自分が扉に鍵をかけて戸締りしてくれてる。そんな気がする。

 そんなふうに雑念に思考を取られる中、アリシアの手は素早く動いていた。

 手には万年筆が握られて、まるでスケッチをするかのように大きな羊皮紙に手早くペンが走る。その様子は風景画を描く画家のようだ。

 だが、描かれているのはこの森を俯瞰したものだ。まるで空から見下ろしたかのように狂いなく描かれている。

 カルネ村というこの森に一番近い村を出発点とし、アリシアはこの森の全容を解き明かそうと歩きまわっていた。今描かれている俯瞰図は歩きまわった結果描かれている。つまりは実際に空から見下ろしたわけではない。生まれついての才能と言われれば本人はむっとするだろうがアリシアは地図の作成に関して特別な努力をしていないのに誰よりも上手であった。木を見みれば多くのことが手に取るように分かった。歩けば歩くほど正確な距離がわかった。言ってしまえばこの俯瞰図は適当ではある。見たことがない物を自分の感じるままに描いてるにすぎない。だからアリシアにとっては適当なものだ。しかしながらそれが精緻な物、素晴らしい物として求められる。自分たちへの、というよりはユーイチへのあの不躾な視線をやめさせる方法としてアリシアはこの地図作成をしているのだ。

 魔物退治を連日引き受けて辟易していたアリシアにとって、暇つぶし程度の趣味が信用を勝ち取る材料になったのは幸運だった。魔物退治をどうして冒険者が率先してやらねばならないのか。国民は国の保護下にいるのではないのか。流れ者である冒険者に頼ることを前提にしたリ・エスティーゼ王国という国の姿勢にアリシアは首をかしげるばかりであった。アリシアにとっての冒険者は未知に挑む者。けっして魔物退治専門の傭兵ではないのである。

 だいたいのものを書き終わるとアリシアは休憩をやめて椅子や羊皮紙を片づける。腕に装備した銀の腕輪にある宝玉を近付けつつ、一言つぶやくと吸い込まれるように椅子や広げてあったかさばる荷物が消える。

 これは腕輪に込められた魔法の力のおかげだ。生物ではない高さ、幅、奥行き、それぞれ三メートルまでの物を納めることができる。この腕輪のおかげでアリシアは冒険者の物とは思えない私物を有していた。服や興味本位で買った化粧品、可愛い猫のお守りなど冒険にはつかわないものである。

 あるところでは収納ブレスレット、またあるところでは盗賊の腕輪。さまざまな名前で呼ばれているこの腕輪は大変貴重なものであり、ユーイチから絶対に外さないように言われていた。

 片付くと、そのまま踵を返して出口に決めたカルネ村へ戻る。今から戻ればもう日暮れ頃だろうがカルネ村にでればエ・ランテルまで一直線だ。それに夜の暗闇に隠れながら魔法で跳べる。日付が変わる前には帰れるだろう。帰ればお風呂は諦めて、清めの魔法で我慢、朝風呂をお願いしようと決め、目の前の湖に背を向ける。 

 ひょうたん湖と呼ばれているらしい湖には話せる亜人が住んでおり、一日やっかいになった際には歓迎の宴を開いてくれたものだ。

 

 「ばいばい。またね」

 

 彼らとは挨拶をもう済ませてきたのになんで言ってしまうのか。わからないなぁ、と心の中の自分に言われても自分でもよくわからなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 くそ、くそ、くそくそくそ!

 

 「くそがぁ!」

 

 スラム街の人気のない路地裏で苛立ちのこもった声が響く。

 声の主はフードつきのマントで身を覆い、外見から誰だかわからない。

 だが声は間違いなく男性のものだ。

 苛立ちが口から洩れると、そのままの勢いで男は木箱を蹴り壊す。

 グシャリと鈍い音とともに箱は壊れる。中には何も入っておらず、散らばった木片はところどころ腐敗している。長い間放置された物だったのだろう。 

 

 「何が黒衣の剣士だっ。ふざけやがって」

 

 歯が強く噛みしめられる音がフードの中から響く。そこには強い憎悪が見えた。

 この男の名前はイグヴァルジ。エ・ランテルを拠点にするミスリル級冒険者チーム、クラルグラのリーダーである。この都市、エ・ランテルを拠点にする冒険者の中で最高位の冒険者の一人である。エ・ランテルにはオリハルコン以上の冒険者はおらず、ミスリル級の冒険者というのは周囲の羨望の眼差しを一身に受け、貴族や都市の上層部から最も信頼され頼りにされる存在だ。

 だが、そんな羨む立場に立つ男は今、薄暗く不衛生な裏路地で苛立ちを物にぶつけている。

 理由はこの都市に最近やってきた冒険者にあった。

 

 黒衣の剣士と姫騎士。

 

 そう呼ばれる二人組の冒険者チームはまったくの無名だった。周辺国家で名前を知られた存在でもなく、旅の流れ者である。

 いわばイグヴァルジからすればこの二人組は新人である。冒険者になったばかり。生まれたての子猫のような存在。普段通りならこの都市最高位の冒険者である彼は羨望の的として余裕ある態度をしているだけでいい。挨拶をされたなら肩をたたき、形だけでも応援するところだ。

 しかし、この二人組はそうはならなかった。冒険者組合に登録されるとあろうことか一回の依頼をこなしただけでミスリル級、つまり彼と同格、そして都市最高位の冒険者だと認められたのだ。

 異例中の異例。このことはすぐに話題になり、そして多くの不満がエ・ランテルの冒険者の中に広まった。昇格試験を受け、実績を重ねて信頼を勝ち取ってきた先輩冒険者は、全てを飛び越えて自分たちの上に立った新人の評価に納得がいかなかったのだ。中には念質な嫌がらせを行う輩もいたほどである。そして彼もまたこの新人たちを快く思ってはいなかった。それどころか最も嫌っていた。最初に二人組に噛みついたのは彼だったのだから。

 実力や人格を疑う──いや、認めず、彼は冒険者組合に抗議した。

 

 俺たちが積み上げてきたものを無視するのか。

 他の多くの冒険者も不満に思っている。

 こんな組合では仕事にならない。他の都市へ拠点を移すことを考えさせてもらう。

 

 イグヴァルジの口調は激しく、怒りに満ちていたが当時は的外れではなかった。たしかに大多数の冒険者はそう思っていたのだ。

 しかし、その声が的外れになったのはそれからすぐのことだった。

 彼がクラルグラの仲間と依頼を探そうと冒険者組合で依頼が張り出されているはずのボードを見れば奇妙なことが起きていたのである。

 ミスリル級の依頼書がないのだ。それも依頼期間の短い長いに問わず、一枚もボードに張り出されていない。

 はじめ、彼は組合からの嫌がらせを考えた。そしてすぐにその考えを捨てた。どこの馬の骨かもわからない新人を過保護に守るとは思えなかった。他のミスリル級の冒険者たちが先に請け負ったのだろうと推察し、不満のせいで若干ストライキ気味にになっていたこともあり、美味しい依頼が溜っているという情報をききつけてやってきたのだが先を越されたのだろうと、舌うち交じりに諦めた。だが、すぐに最初の考えを訴えると考えていた。組合が故意にクラルグラに依頼を回さなかったと影で噂を立てれば不満は無視できないようになる。そうすればあの二人組もこの都市には居られないだろう。

 そう考えた彼は赤い髪の受付嬢に散々怒りの声をあげた。よく聞こえるように、目立つように。目立てば目立つほど話しは広がるのだから。

 

 依怙贔屓に依頼を出しているな。

 情報をさきにあの二人に回しているんだろう?

 あの二人は裏金でもわたしてるのか?

 

 散々怒りの声をあげ、頭を下げっぱなしの受付嬢の姿に溜飲を下げると間に入ってきた仲間にめんじた体でカウンターを離れ、二階の会議室へ。ここで二人組を待ち、戻ったところを糾弾するのだ。

 そう考えほくそ笑んでいた彼の笑みがその顔から消えたのはその二人組が帰ってきた時だ。

 たしかに二人組は帰ってきた。ただし、いくつもの依頼を一日でこなしながらだ。

 驚きでその日、その時、その場にいた冒険者は二人組に声をかけられなかった。

 二人組がこなした依頼はとても一日でこなせるものではなく、そして二人組でどうにかできるものではなかったからだ。そう、例えミスリルの冒険者であっても。

 あいた口がふさがらないとはまさにこのことであり、誰も糾弾どころか声すらかけられずに二人組は宿に帰っていた。

 そして、それが五日も続く頃にはもう誰もが二人組が特別な冒険者だと認めていた。そう、ただ一人を除いて。

 

 (ゆるさねぇ。俺を虚仮にしたあの二人……。絶対に蹴落としてやる)

 

 二人組の女の方が言った言葉を思い出し、怒りがこみあげる。

 イグヴァルジが二人組の異様な依頼達成の早さを不正だと訴えた時に言われた言葉。

 

 「あなたは、できないんですか?」

 

 これが? この程度ができないんですか? 同じミスリルの冒険者のくせに??

 その様子はこの程度のことをあり得ないことと言われてることに純粋に疑問を持っているようにしか見えず、その様子こそ二人組が特別な存在なんだと周囲に納得させた。

 そう、この二人にとっては何ら特別なことではないのだ。他の冒険者からすれば偉業と言っても間違いないものですら。

 イグヴァルジにとってこれほど屈辱的な言葉はなかった。

 ゆえに彼はこの人気ない裏路地にやってきたのだ。

 自分の邪魔をする、敵を追い落とすために。

 

 「お待たせしましたね。イグヴァルジさん」

 

 おなじようにフードをかぶった男が一人近づいてくる。彼こそイグヴァルジがここに来た理由だ。

 イグヴァルジは二人組に関する噂をこの男を介してエ・ランテルに流していた。

 

 「馬鹿野郎。どこに目があるかわからないんだ。名前を出すな」

 「それはどうもすいませんね……。で、ご依頼は?」

 

 悪びれた様子の無い男に舌打ちしつつイグヴァルジは耳打ちする。

 

 「あの二人がいすわってる宿屋の主人と黒野郎との関係だ。これが一番ネタになるだろう」

 「ほう? しかし、その件はもうながしてますぜ?」

 「踏み込むんだよ。前のは種だ。今回はそれをかりとるんだ。……いいか? 黒野郎は野盗と通じていた。美人の女主人を手に入れるために旦那を殺させ、そして口封じのために野盗を殺した。こうながせ」

 「ほーぅ。イグヴァルジさんもお人が悪い。そんなに嫌いですか? あの二人」

 

 性懲りもなく名前を呼んでくる男を射殺しそうな目でイグヴァルジが睨むと男は冗談めかした様子で頭を下げる。イグヴァルジは逐一ムカつく奴だと思いつつもむかつくどころではなく憎くてしかたのない相手に憤怒を燃やす。

 

 「ああ。当然だろうが。むしろ他の奴らがどうして仲良くできるのかがわからねぇな。よそ者に足蹴にされて、踏み台にされて、黙っていられるか。どこからきたかのかはしらねぇが絶対にこの街……いや、この国にいられないようにしてやる」

 

 そう言うイグヴァルジの瞳は月明かりをうつしながら、どす黒い炎が宿っているように見えた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 森を抜けるとそこには平野が広がっていた。

 空を見上げれば空は夜の帳に閉ざさされ、月と星の光が美しく輝いている。

 

 「はぁ……」

 

 美しい夜空。

 いつもなら見上げれば心が落ち着くその景色はアリシアを憂鬱にさせた。

 アリシアは珍しく心の自分と一緒になってため息をつく。いつもならどっちらかがため息をつきつつどちらかが気分を切り替えるように促すところだが、今回はどちらも肩を落としていた。

 カルネ村を目指して歩いていたはずのアリシアは、今まったく反対の方向、村から見て東北の方角から森を抜けてしまった。

 しかし、これはアリシアの本意ではない。

 アリシアはチラリと後ろを振り返る。

 後ろからせまってくる存在がいないことを確認し、少し肩の荷が下りる。

 

 (あのトロール……なんであんなに追いかけてきたんだろう)

 

 しゃべりなれていなさそうな、と言えばトロール族に失礼だろうか? と思いつつもそんなふうに思ったトロールの声を思い出す。

 

 (縄張りがどうとか、手を出したのは、とか言ってたけど……一応、殺してはいないけど……うーん)

 

 体を曲げ伸ばししながらどうにかできなかったかと考えるが後の祭りである。

 アリシアは湖から戻る途中、ずっとトロールに追われていた。

 発端自体はアリシアの行きの道中にあった。

 感が告げるがままに歩いていたアリシアはトロールに襲われたのだが、それを返りうちにしていた。

 しかし、彼らの縄張りを犯したのは自分かもしれない、悪いのは自分と思ったアリシアは言葉が通じる相手と考えて命までは取らなかった。トロールは高い再生能力を持つ。ゆえに出会いがしらの一刀以外は危害は加えず、謝罪してその場を立ち去ったのだ。

 行きの道はそれだけのことだったのだが、帰り道にはそのトロールの長だというそこそこ大きなトロール率いる魔物たちに追われる羽目になった。それぞれの技量や力はたいしたことがなく、カルネ村のほうに抜けようと思えば抜けられたのだが、しつこく追い回され続け、村に誘導することはできないと諦めた。最も手っ取り早い、トロールを全て殺すという発想はアリシアの頭には最後まで浮かぶことはなかった。

 その結果むしろ反対方向である現在地に向かって進んでしまったのだ。

 現在の時刻は既に日付が変わる直前という頃だ。村の方に歩き、また逆方向に戻ってきてしまったために時間がかかり過ぎている。

 

 (……しょうがない。もう今夜はここで野営しよう。寝て、朝になったら起きてすぐに帰ろう)

 

 迷っても、後悔しても選択肢がなければ決めて動くしかない。

 収納ブレスレットから野営の道具を展開すると手早くテントを設営する。テントの設営は十歳ごろにはできたことだ。淀みない動きでペグをうちこみ短時間でテントが仕上がる。

 

 (もうすぐ日が変わる……。かまどはどうしよう? もう松明で代用しちゃおうかな)

 

 腕や足、胸など、ところどころに装備していた鎧を消し、本人としては楽な袴姿とブーツという格好に衣装を変えながらアリシアはそこそこ貴重なアイテムの使用に踏み切るか考えている。使用するか悩んでいる松明は六時間の間は水をかけても消えないという魔法の品をつかった物で故郷で大量に仕入れてきた消耗品のたぐいだ。消耗品なのだから使わなければもったいないのだが、少なくても法国と王国……エ・ランテルにはうっていない品なのでなくなれば補充するすべはないだろう。それももったいなく感じる。そんな迷いを断ち切ったのは感覚を狂わせる気配の出現であった。

 

 「────」

 

 うんうんと考えていたアリシアは急に感じた違和感に思考を切り替えた。

 ハッと森に背を向け平野の彼方へ視線を向ける。

 方向としては噂に聞く帝国方向だろうか。まだ見ぬ土地が先に続く平野は森もなくまっすぐ延々と続いている。人工的な建物もなく遊牧民が住んでるわけでもない。だからこそその違和感、その存在は見過ごせなかった。

 

 「あれ……なに?」

 

 答えてくれるユーイチは側にいないのに口から声が漏れる。

 心の中の自分も目をまるくして驚いている。

 アリシアは自分の気配感知、あるいは視覚に問題がないか数秒確かめ、すぐに問題がないと判断し視線の先にある建物にあらためて目を見開く。

 先程までなにもなかった平野に、突如としてなにか人工物があるのだ。

 アリシアの気配感知はユーイチほどではないにせよ。例え魔法的な阻害があっても阻害があるということは分かるほど優秀である。また存在する力、あるいは霊力といわれる──身近なところでは武技に使われている力──は魔法的な阻害でも意識しなければ隠しきれないのでアリシアには感じ取れるはずである。アリシアが知る限りほとんどの隠蔽の魔法や幻術の類はこの部分を隠すことを怠っており感知できるものであるはずだったのだ。

 だが、視線の先にある人工物は先程までまったく感知できず、突如として現れた。

 

 「私じゃ、分からないくらいの隠蔽があった? でもそれを今解いた理由は? それとも……転移してきた?」

 

 もしや故郷で未知と呼ばれる存在だろうかと思いつつ思考を巡らせる。しかし、分からないことばかりだが、ただ一つはっきり分かることがあった。

 それは視線の先にあるものは自分が望む未知との遭遇の機会だということだった。

 

 「……いつでも戻れる準備はしておく。いい?」

 

 いえっさー! と心の自分が完全武装で頷くのを確認し、自分も合言葉をつぶやいて野営の支度をしまいこみ装備を纏い直す。

 普段着として登録している袴姿が瞬きの間もなく、ガントレット、胸当、つま先から腿まで覆う金属鎧に変わる。フルプレートではなく局部を覆った装備は動きやすさを重視していることが一目でわかる。体に沿うように腰当てが装備されている上から白いスカートがかかり青い紋様が浮かんでいる。

 先程まで森で装備していた姿に変わるとアリシアは流行る気持ちを抑えて未知へと歩む。

 近づけば近づくほどはっきりと見えてくるそれはどうやら墳墓のように見える。

 

 (まさか、魔法で隠されていた墳墓が効果が切れてみえるようになった? ……だとしたらすごい、幸運)

 

 徐々にはっきりと見えてくる未知に想像を働かせているアリシアの足が止まる。まだ距離は五百メートルはあるが止まらなければならない見過ごせないものがあった。

 

 「……強い。竜? いや違う。でも、人でもない」

 

 地下から浮上してくるように強い気配があらわになっていく。

 間違いなくあの墳墓からでてくるのだろう。

 アリシアはこの大陸に来てから二度目の衝撃的な気配に覚悟をきめた。

 

 (いざとなったら。全力で戦おう。……逃げる準備)

 

 この気配の主はもうすぐ表にでるだろう。敵意を持たれていなければ話し合いで解決したい。墳墓の中を見学させてもらえれば最高だ。存在を知られたからには生かしておけないと言われる可能性もあるがその場合は全力で抵抗すると心の中の自分とうちあわせをする。ここで意見の食い違いが起こると死ぬ。そう思わせる存在感がある。本当にときどきだが自分と自分なのにあわない時がたまにあるのでこれは大事なことなのである。

 今すぐ逃げてもいいよ! と訴える心の自分に首を横に振る。それがきっかけになって敵意を持たれていると思われたくない。既に知覚されている可能性はあるのだ。自分が感じるようにむこうが感じていないとどうして言えるだろうか。

 

 (話し合いで解決できれば……うん、一番。……トロールのことは置いておくから)

 

 それって今日駄目駄目だったやつじゃないー! という叫びを無視しアリシアは目を細め、約五百メートル先に現れた気配の主を見る。

 

 

 執事とメイド、墳墓には似つかない存在がこちらに足を向けてきたのはすぐだった。

 

 

 

 二頁~冒険者 アリシア~

   始まりの足音 続く




ここまでお読みくださってありがとうございます。

中途半端でしたがいかがでしたでしょうか?
ここから原作のキャラクターもビシビシ登場すると思いますのでようやくオーバーロードの2次創作らしくなってくるかもです。

本当ならアインズ様もでてきたんですけどね!
全部保存しきれなくて消えてしまった(泣

早いうちに続きをあげますので一読してくださった方にはよければ次の話しも読んでいただけたら幸いです。

ありがとうございました。


2018/06/22
台詞と地の文の間を一行あけました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三頁~冒険者アリシアと死の支配者~

話の内容は二頁からの続きになります。
本来なら二頁で書ききりたかったのですが、保存ミスによる描き直しで筆が遅く間も空いたので三頁とわけました。
二頁目を読んで下さった方には中途半端で物足りなかったかもしれません。
この三頁目はきりのいいところまでいきますのでどうぞお読みください。

そして、OVER LORDの二次小説なのになかなか原作のキャラクターが登場していませんでしたが、ついにでてきます。


三頁~冒険者アリシアと死の支配者~

  未知との遭遇

 

 

 

 「セバス。大墳墓をでて、ナザリックの周辺地理を確認せよ」

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウン。

 その本拠地ナザリック地下大墳墓最奥、玉座の間。

 この世の財と芸の頂点の一つといえる豪奢で美しいその場所から執事を筆頭に六人のメイドたちがあらわれる。五メートルを越える扉の開閉、そしてなにより退出の際の一礼は敬意と忠義に満ちており、その所作に一部の狂いもない。

 完璧な動きを見せていた執事とメイド達の外見も周囲に呑まれてはいない。

 むしろ玉座の間をでても広がる神域とも言うべき世界にふさわしいだけの美しさと気品を兼ね揃えていた。

 そんな見目麗しく、整った容姿の彼と彼女たちは一様に吹きだしてきた汗をぬぐっていた。メイドの数人にいたってはへにょりとその場に座り込んでいる。

 そこには扉が閉まるまで見せていた完璧な執事、完璧なメイドという様子は見受けられない。

 

 「ふはぁ──き、きんちょうしたっす」

 

 メイドの中で座り込んでいる数人の一人が声をあげる。

 その声には今だ抜けきらない緊張と興奮があった。

 

 「こら、ルプスレギナ。はしたない。玉座の間の前で座り込んではいけないわ。ナーベラル、エントマ、二人もよ」

 「はい。ユリ姉さん。もうしわけありません」

 「ごめんなさぁい」

 

 ユリ姉、と呼ばれたメイドの中のリーダー格とおぼしき女性の声にナーベラル、エントマと呼ばれた女性が立ちあがる。だが、その動きにキレはなく、すこしもたついている様子は疲労している様子をうかがわせた。

 

 「ルプスレギナ。貴女も早くたちなさい」

 「わーってるっす。あ──よいしょっ」

 

 最後まで座り込んでいた女性、ルプスレギナは重圧をたちきるかのように跳び上がり立ちあがる。

 

 「ふぅ。たったっすよ!」

 「立ちあがったくらいでなにやりきった顔をしてるのよ」

 「しょうがないじゃないっすか。そういうユリ姉だってハンカチをつかってるっす。気持ちはわかってるはずっすよ」

 

 ルプスレギナの言葉はメイド達の間に「たしかに」という同意の空気を流し込んだ。

 

 「……皆、思いは同じ」 

 「すごかったものね。あれが……玉座の間」

 「私なんてぇ、緊張しちゃってこの子が、取れちゃうんじゃないかってどきどきしちゃったぁ」

 「いきなりのお呼びでしたから。心の準備ができていなかったのは……否めませんね」

 

 まるで自室でお茶をする時のように弛緩した空気を漂わせ始めた妹たちに同意しつつも長女として声をあげようとしたユリの肩を軽くたたいたのは体格のいい執事だ。

 

 「セバス様」

 「ユリ。貴女はまったくもって正しいですがこの場は少しの間気を緩めさせたほうがよろしいでしょう。ガス抜きができるのはここまでですからね」

 「ですが……」

 「もちろん。すぐにでも私たちは動かねばなりません。ですが、緊張の糸は張り過ぎては切れてしまいます。この会話が終わるまでの間くらい大目に見ましょう。それに私も貴女も、ハンカチを仕舞う時間は欲しいでしょう?」

 「かしこまりました。セバス様。ではこのハンカチを仕舞うまで妹たちを見過ごします」

 

 そういうユリがあざとくハンカチを仕舞おうとすると妹たちは慌てて姿勢を正す。

 その様子に姉としてユリは小さく微笑み、先程までの夢のような時間を末の妹とも共有したかったと少し残念に思った。

 

 

 

 この日、執事のセバスの元、いつものように命じられていた仕事、侵入者への警戒任務に当たっていたユリをはじめとするプレアデスたちは普段なら転移の魔法でナザリック内部を移動する主人が直接歩いて移動されていることにまず驚いた。

 驚きはそこで終わらず初めて、そう初めて主人であるモモンガから「付き従え」と命じられるばかりか、初めて玉座の間に足を踏み入れる栄誉を味わったのだ。

 玉座の間では全員緊張と興奮のあまりガチガチになっていて、ナザリック大地下墳墓でもっとも美しい場所にふさわしい所作ができたか全員が不安に感じていた。直接声をかけられた際には気合いが入り過ぎてしまい大きな声を立てすぎたのではと誰もが思っていた。エントマに至っては汗で顔が外れそうだったと言うほどである。出た瞬間に緊張のあまり脱力してしまったのは全員であり、プレアデスの中でただ一人背筋を伸ばしていたユリも、ルプスレギナやナーベラルが倒れ伏さなければどうなっていたかわからない。妹たちの手本に、という思いで気をはっていたのだ。

 

 「では、これより我らが主人、モモンガ様からのご勅令に従い、周辺地理の確認、および知的生物の友好的な招待のために私は地上に上がりますが……」

 「セバス様、モモンガ様のご勅令によれば私たちの中から一人供をするようにとのことでしたが……」

 「そうですね。ユリ。もちろんそのつもりですよ」

 「では、是非私を供に」

 

 ユリが自分を供に、と立候補するとその後ろで控えていた妹たちが抗議の声をあげた。

 

 「……ユリ姉、ずるい。抜け駆け」

 

 抑揚のない声をあげているのはシズだ。表情もそれほど変わっていないが明らかに雰囲気が抗議の意思を伝えている。

 

 「シズの言う通りですわ。ユリ姉さん? 見逃せませんわね」

 

 表面上は笑顔でシズに続いたのは三女のソリュシャンである。笑顔ではあるがその笑顔は見る者に恐怖を抱かせるものだ。決してユリの決定に従う意志は見受けられない。

 先程までみっともない姿をさらしていたルプスレギナ、ナーベラル、エントマの三人もそれに乗っかるように異を唱える。

 

 「ずるいっす。ずるいっす! 私の方がユリ姉より受けがいいっす!!」

 「私はこの中でもっとも使える魔法の範囲が広く、セバス様を効果的に支援できるかと」

 「あー、支援ならぁ、私の方がぁいっぱいできるもんねぇ?」

 

 わーわーと声をあげる妹たちを手をあげて黙らせつつユリは余裕の表情を浮かべる。

 

 「あら、皆、つかれているのでしょう? 特にルプスレギナ、ナーベラル、エントマ、あなたたちは倒れるほどに。外には何が待ち受けてるか分からない以上、そんな状態で勤めが果たせるかしら?」

 

 余裕の返しに妹たちは全員うっと黙ってしまう。

 ソリュシャンやシズも倒れることはなかったが確かに先程までつかれている様子を見せてしまっている。

 プレアデスの面々の中で唯一姿勢を乱さなかったのはユリだけだったのだ。

 しかし、だからと言ってそう簡単に引けない理由があった。 

 皆、侵入者を警戒する任務ではない、新しい任務を受けたくて仕方がなかったのだ。

 それは決して普段の仕事を軽視しているわけではない。

 もし万が一、上階層を突破され攻め込まれればセバスをはじめとするこのプレアデスこそモモンガの前に立てる最後の盾なのだ。

 我が身を盾にし主人を守ることこそ忠義の誉れ。

 プレアデスの面々はこのことに誇りを感じている。だが、それでもそれは普段の仕事なのだ。

 セバスに同行し、周辺地理の確認、そして友好的に生物を連れてくる。

 これは特別な命令であり、ご勅令だ。言ってしまえばレアである。この機会を逃せば次はいつこのようなご勅令をもらえるかわからない。それだけに姉とはいえ妹たちは誰も引くはなかった。

 

 より強く抗議の声をあげる妹たち、そしてそれに応じるつもりはない姉のやり取りは仲のいい姉妹喧嘩のようでほほえましい。

 そんな姉妹喧嘩をやめさせたのは執事としてプレアデスのリーダーを務めてもいるセバスだ。

 セバスは手を数度叩く。

 

 「お静かに。時間をかけて相談していてはモモンガ様のご期待に応えられません。申し訳ありませんが、私の独断できめさせていただきます。よろしいですね?」

 「かしこまりました。セバス様の御言葉に従います」

 

 ユリの言葉に妹たちも頷く。これでチャンスができたと妹たちは内心で頬笑み、ユリはユリで先程の様子を見ていれば私こそ、という思いから自信をもっていた。

 

 「では、ナーベラル。貴女がついてきてください。他の者はモモンガ様のご指示のとおりに九階層に上がって警戒をお願いします」

 「は、はっ」

 

 名前を呼ばれた瞬間、ナーベラルの綺麗な黒髪をしばったポニーテールが嬉しげに跳ねた。

 返事の声にも隠しきれない喜びがあった。

 

 「なぜ、ナーベラルなのか。説明しておきましょう。まずユリには私がいない間のリーダーを務めてもらわねばなりません。供には選べません」

 

 何か言いたい視線に答えるようにセバスは説明していく。

 

 「シズは万が一のことを考えれば外にはあまり出せません。連れ去られる可能性もあります。エントマは相手が人間であった場合外見上不都合が起こる可能性もあります。モモンガ様のご勅令はあくまで友好的に招待するようにとのことですから」

 

 ナザリックの防衛システムをすべて把握しているシズ、全身を虫で模っているエントマは不満を殺して納得した。そう言われれば自分より姉妹たちの方が適任であると思ったのだ。

 

 「ソリュシャンとルプスレギナ、ナーベラルの中からナーベラルを選んだのは私の供だからです。ナーベラルも言っていましたが私は前衛職につく身、魔法職で支援も容易なナーベラルのほうが都合がいいのです。……よろしいですか?」

 

 セバスの言葉にだれも異を唱えたりはしなかった。

 姉妹だけで話しあっていればクジか何かで決める羽目になっていたと全員が感じていたし、セバスの選んだ理由も納得いくものだったからだ。それに九階層に上がって警戒に当たるのもご勅令だ。どちらにせよ名誉なことと自分を納得させている。

 

 「では、ユリ。他のメイドたちに客人のための食事や客間の支度を整えさせてください。この時間です。ナザリック内に招くともなれば一晩泊めることになる可能性もあります。準備を怠らないように」

 「かしこまりました。指示を出しておきます」

 「では、ナーベラル。行きましょう。急ぎますよ」

 「はい。セバス様」

 

 そうしてセバスとナーベラルの二人はモモンガのご勅令に応えるべくナザリックの外へと初めて踏み出すことになった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「失礼いたします。少々、お時間をいただけますか?」

 

 目の前までまっすぐに歩いてきた執事の男性はとても礼儀正しかった。

 アリシアはすこし面くらったように目をパチクリさせる。

 そのアリシアを執事の後ろに控える黒髪の美しいメイドが冷ややかな眼差しで見ていた。

 急に出現した墳墓と思わしき建造物から、とてつもない気配を漂わせてあらわれたのがこの執事の男性だ。

 隠れる場所などない平野でアリシアは油断なく墳墓に注意を向けつつも、気配遮断だけはしていた。

 直視されれば無意味だが約五百メートルの距離と夜中ということを生かしてすこしでもこちらから相手を観察する時間を作れたらと思ったのだ。

 そうして目の前の執事とメイドが墳墓から出て来た時にはあまりにも不似合いに感じ、首をかしげていたが、メイドの女性も只者ではないということは見てとっていた。

 目の前で空に飛ばれればそれは只者ではないだろう。

 

 (あれは……<飛行>の魔法かな。すごいな。私じゃ使えない)

 

 アリシアは自分では使えないタイプの魔法を扱えるメイドを決して侮れないと感じ、油断大敵という言葉を心の中の自分に清書してもらう。例えそれほど強そうに感じずとも自分にない物を持っている相手はそれだけで脅威なのだ。

 ましてもう一人、見るからに強者がいる。

 空を飛んでいたメイドに発見され、執事とメイドがこちらへ向かってきたのはそれから間もなくのことだ。

 途中からは自分も歩を進めお互いに近づいたが、見れば見るほどに執事の男性の底が知れないとわかる。

 まず人間に見えるのが驚きだった。

 

 (どこから見ても、人間に見えるけど……人間じゃ、ない、はず。こんな存在感で人間のほうがおかしい)

 

 今、目の前で挨拶している姿を見ても、人間にしか見えない。だが、アリシアにはとてもそう思えなかった。

 アリシアの目には竜が眠っているような、違和感があった。

 

 「ぁ。はい。あの……こんばんは?」

 「こんばんは。お嬢さん。これは失礼しました。私としたことが申し遅れました。私はセバスといいます。こちらはナーベラル」

 「……ナーベラルです。一度しか名乗りませんからよく覚えておくように」

 「む。ナーベラル言葉に気をつけなさい。失礼なことは許しませんよ」

 「は! 失礼しました。セバス様」

 「謝るべきは私ではなく……」

 「あの。大丈夫、ですから。セバスさんと……ナーベラルさん、こんばんは。私は、アリシアです。冒険者です」

 

 優しげな物腰から一転、ナーベラルという気の強そうな女性を叱るセバスの様子はとても怖そうに感じた。どことなくめったなことでは怒らなかった父親に怒られた時のことを思い出してしまい、懐かしさと同時に昔のトラウマがよみがえったのでアリシアとしてはぜひとも穏やかに話しあいたかった。

 

 「……そうですか。重ねて申し訳ありません。では、話をつづけさせていただきます。先程言ったようにいくつかお聞きしたいことがありお声をかけさせていただきました」

 「なんでしょう……? お答えできることならお力になります」

 「ありがとうございます。実は私どもの姿を見ていただければ分かりますように、私たちにはお仕えする主人がおります。その方はこのあたりの住人と話しをしたいと望まれているのです。よろしければ私どもとともに主の元まで来ていただけませんか? お礼はもちろんご用意いたします」

 「……あそこに、ですか?」

 

 もう二百メートルは先にある墳墓を指さすとセバスは頷く。

 

 「そうです。決して御不快な思いはさせません。願いを聞いてはいただけませんか?」

 

 アリシアは丁寧に言葉を尽くしてくれるセバスにどう答えるべきか悩んだ。

 正直なところ、面白い行ってみたいという感情が強くあったが心の中の自分が必死に自分の手をつかみ引きとめている。

 

 あそこは墳墓! その主人なんて絶対普通じゃない! しかもこんな強い人の主人! 行けば無事に帰れるか分からない!!

 

 正気に戻れーっ、この旅好き私ー! とまるで腕をつねるかのように力強く流されまいと引きとめてくれている。そのおかげで感情より理性を優先することができた。

 確かにこのまま行くのは危ない。

 墳墓と言うことは地下に潜ることは必須。しかも、セバスの気配が昇ってきた感覚からするとかなり深くまで潜ることになるだろう。そこからセバスという強者、そしてその主人、ナーベラルのようなメイドたちをいざとなれば戦って切り抜けなければならないのだ。どんな罠、他にどんな存在がいるのか不明な状態でだ。

 あまりに危険な行為というしかない。時間を理由にしてでもいいから断るべきだろう。

 

 (でも……。断るのはもっと危ない)

 

 だが、そう。断ってしまうのはもっと危険だ。相手がそれならと力で話を進めようとしたらどうするのか。

 現状でも一対二。長引けばむこうは高確率で援軍が来る。セバスを相手に短時間で決着をつけられる自信はない。

 つまり、アリシアとしてはなんとか落とし所を見つけて対話だけで済ませなければならないのだ。

 

 (入口のところまでセバスさんたちのご主人様にきてもらって……だめだ。それこそ反感を買いそうだ。なるべく、セバスさんたちが満足してくれそうな答え……要求……)

 

 悩んだのは十秒ほど。

 

 「その……、仲良く……セバスさんのご主人さまと仲良くさせていただけるなら。私もお会いしてみたいです」

 

 自分はなんて咄嗟の機転がきかないのだろうか。

 そう思いつつもこの時間の間で自分なりの答えを示してみる。

 危害を加えない、帰りたい時に返してほしい、など思いつきはしたがそれではいい印象を持たれない。

 敵対しては、悪い印象を持たれては駄目なのだ。

 だからこそアリシアは言ったのだ。仲良くなれば危ない目には合わないと信じて。

 

 「仲良く……ですか? それは私たちの主人と友誼を結びたいと、そうおっしゃるのですか?」

 

 すこし鋭さを増した視線をむけてくるセバスにアリシアは無表情になる。緊張した時に表情が固まっているだけだ。

 ひぃぃ後ろ後ろ!

 心の中の自分の叫びの先にはナーベラルが極寒の視線をこちらに向けている。

 アリシアはもう自分は失敗したのではと諦めかけた。

 

 「いえ、その……セバスさんやナーベラルさんのようなすごい方のご主人さまは、きっと素敵な方なんだろうと、思って。それで、いい関係を築けたらと」

 「下等生物の分際でモモンガ様と友誼を結ぼうなどと……思いあがるな!」

 

 ナーベラルの闇夜を切り裂くような鋭い声にアリシアは心の中の自分が白旗をあげたのを確認した。

 必死に旗を振り ニ・ゲ・ロ ニ・ゲ・ロ と信号を送ってくる。

 というか逃げなさいよ~! と最後には旗を捨てて引っ張ってくる。

 

 (わたしだって……逃げたいッ)

 

 でも逃げれば敵対の道しかない。それだけは駄目だと直感が告げている。

 アリシアは必死に逃げ出しそうな心の自分を叱咤した。

 

 「ナーベラル、黙りなさい!」

 「! は、はい。セバス様」

 

 またしてもナーベラルをたしなめたのはセバスだった。

 アリシアにはこれは少し意外に見えた。セバスのほうもきっといい気持にはとらえていなかったと感じていたからだ。

 

 「まったく。……ナーベラル。私はモモンガ様からこの方を招待することに関して要求を呑む許可を頂いています。ほぼ、ききいれて構わないと」

 「で、ですが。モモンガ様と友誼を結びたいなどと……! 認められるはずが!」

 「それを決めるのはモモンガ様です。われわれ従者が主人の友誼に口を挟んでいいと思うのですか?」

 「それは……いいえ。もちろんいいはずがありません」

 「では、そういうことです。アリシア様、われわれ個人の関係ならお答えできますが、主人のこととなると確約はできません。ですのでお話を通しておきますのでどうかアリシア様のほうから私どもの主人と友誼を結ばれていただければ幸いです。……ご安心ください。主人であるモモンガ様は貴女をお招きしたいのです。決してその身を害する考えはございません。私がお約束します」

 

 セバスとナーベラルの会話は多くのことをアリシアに教えてくれた。

 主人の名前はモモンガということ。

 セバスもナーベラル同様にアリシアの言葉に不快感をもっていること。

 そしてそれを押し殺す主人への忠誠心。

 この二人はモモンガという主人のために動き、言葉を発しているのだ。

 モモンガはそれだけの人物なのだ。

 ならば。

 

 「はい。わかりました。……私の意をくんでくださってありがとうございます。案内をお願いします」

 

 アリシアは目の前の忠誠心からそれを向けられるモモンガという人物を信じることに決めた。

 たとえそれが人間じゃなかったとしても。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「なに? つまり……私と友達になりたい、そう言ったのか。その娘は」

 「その通りでございます。モモンガ様」

 

 ナザリック地下大墳墓、その六階層にあるアンフィテアトルム。

 そこに全身を見事な装備品で固めた男がいた。

 いや、男かどうかも外見からは判断できない。そう断じてるのは声が男性の物だからに他ならない。

 なぜならその男には一片の肉もなく骸骨の姿をしていたからだ。

 名前をモモンガという。この男こそアインズ・ウール・ゴウンをまとめ上げるギルド長であり、ナザリック地下大墳墓の主人だ。その装備は全てが神器級と呼ばれる高価かつ強大な力を込めたものでできている。その手に握られるギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに至っては神器級を超越した力を持つ。

 それらの装備とその威容、纏うオーラ。

 まさにナザリック地下大墳墓の絶対の支配者にふさわしい存在である。

 そんなモモンガは予想外の出来事の連続でパニックに陥っていた。

 

 (ええ。なに? いきなり異世界にとばされたことが現実味を帯びてきたと思ったらなに? いきなり友達になってくださいって言われたんだけどー?! え、今時の若い子てそんな感じなの?)

 

 彼はユグドラシルというゲームの世界からこの世界にやってきた異世界人であった。

 このナザリック地下大墳墓全体がもともとはゲームの世界に存在するギルドの拠点であり、モモンガ以外は皆NPCである。そんなNPC達が自らの意思で行動するようになったのはつい先程からである。

 ゲームのサービス終了時、モモンガは一人、玉座の間で終わりの時を迎えていた。

 かつては栄えたギルドも紆余曲折を経て、最後の時を迎える瞬間に立ちあうのは一人しかいない。

 モモンガはかつての栄光の記憶を思い返しながらサーピス終了と同時にログアウトされる予定であった。だが、そんな当たり前はイレギュラーにより消え去ってしまった。

 サービス終了時間を過ぎてもモモンガはログアウトされなかったのだ。それどころか自分からログアウトすることもできない。しかも、NPC達が生きているかのように自分の意志を持ち始めたのだ。

 驚きながらも数々の検証により、異世界にとばされたという非現実的なものが現実だと認識せざるおえなくなったモモンガは、現状を把握するためにセバスに周辺の情報を集めさせていたのだ。

 

 そして今その報告を聞き、予想外の展開に無意識のうちに絶望のオーラを纏いつつ、モモンガは気持ちを落ち着かせるべく仲間の言葉を思いだしていた。

 

 (ぷにっと萌えさん、こういう時どうしたらいいんでしょう? あぁ、こういう会話はして無かったなぁ。ペロロンチーノさんとのこういう会話って全部ギャルゲの話だったし)

 

 かつての仲間たちの記憶を走馬灯のように思い出しながら役立ちそうな会話を探すが、ない。

 それもそうである。アインズ・ウール・ゴウンのメンバーたちは皆社会人。いい大人である。つまりは十代の感性を過去に置いてきた者たちだ。

 最近の若い子の気持ちがわかるのは若い子のみ。

 若い子と話す機会がないモモンガには分かるはずがないのである。

 

 「・・・・・・・・・・・・どうかなさいましたか? モモンガ様」

 

 かなり変な間をあけてしまったからか。セバスの声に硬さがみられる。

 モモンガは一呼吸置いてナザリックの支配者ぽいと自分では思ってる声音をだそうとする。

 だが、それより早くセバスの声が響く。

 

 「申し訳ございません。やはり、モモンガ様に許可も得ず、モモンガ様の交友関係に口を挟むなど、出過ぎたまねでした。どうかお許しください」

 「い、いや。待て! 頭をあげよセバス。ごほん、お前はけして間違ったことはしていない」

 

 まるでその場で虚空に浮かぶ自分に対して頭を下げていそうなセバスの口ぶりに慌てて口を挟む。

 <伝言>の魔法で話しているためお互いの姿は見えないが、モモンガには頭を下げているセバスの姿が目の前にあるかのように思えた。

 

 「ハッ。しかし……」

 「いいのだセバス。玉座の間にてお前にはできうる限りの許可を与えたつもりだ。そしてお前の判断は間違ってはいない。ここがわれわれにとって未知の場所であるならば情報は何よりも重視される。お前は見事に私の命令を守り、その貴重な情報を与えてくれる現地人を発見し、つれて来てくれるのだ。これを称賛せずしてなんとする」

 「モモンガ様……なんとう勿体ないお言葉。感謝の言葉もありません」

 「そう言ってくれるなセバス。感謝するのは私の方なのだから。その現地人、アリシアという女性だったか。仲良くしたいという要求か。お前はどう思う?」

 「やはり身の安全を考えているのでしょう。ナザリック地下大墳墓はその名の通り墳墓でございますから、一般的な人間の目で見れば身構えてしまうのも頷けるかと」

 「ふむ。やはりそうか。しかし、それならば身の安全の保証を約束させるか、もしくは拒否するということを考えそうなものだが……」

 

 セバスの意見にモモンガも頷く。

 自分がそのアリシアという女性の立場であればこんな夜中に怪しげな墳墓からでてきた執事とメイドにほいほいとついていくはずがない。例えどれほど見返りを約束されようともだ。いや、見返りが高ければ高いほどに怪しむだろう。

 だからこそ、モモンガはセバスに相手の要求をできる限り飲むように指示を出していた。

 身の安全の保証などを言いだされると考えていたからだが、まさか友達になりたいと言われるとは思ってもみなかった。

 

 「……モモンガ様、これは私の憶測なのですが申してもかまわないでしょうか?」

 

 セバスの声には硬さが見えた。

 それは憶測で主人に意見することへのためらいがあるからだろう。

 

 「構わない。直接見なければ測れないことはあろう。もうしてみよ」

 

 そんなセバスの緊張をほぐすかのように勤めて穏やかな口調を意識する。

 高圧的な上司では部下に不満を感じさせるだけだ。

 モモンガの中身──鈴木悟のサラリーマンとしての経験値がそう命じる。モモンガは主従関係をどう築くかは自信がなかったが、上司と部下という関係におきかえるなら何となく理解できた。自分が上司にされて嫌なことを自分がしなければいい。

 

 「はっ。おそらくですがアリシアという女性、かなり腕が立つと思われます。人を見る目もそれに見合ったものなのでしょう。私やナーベラルの力を推察し、その上に立たれる主人、モモンガ様のお力を感じたからこそ、私たちの気分を害さないように言葉を選んだのではないでしょうか?」

 「……なるほど。我らの力を感じ、敵対を避けるための言葉か。つまり友好的な関係をアリシアも築きたいと考えてる。そう見て間違いないな。そしてその判断ができるほどに、そしてお前が腕利きと認めるほどの強者であると。セバス。お前が見てとれる範囲で構わん。その女性は特別な存在……この世界でもイレギュラーな物に見えるか?」

 

 モモンガはアリシアが自分たちと同じようにこの世界にやってきた存在なのではないかと疑った。いや、そうであってほしいと願っていた。

 もし自分と同じような存在であれば協力したい。右も左も分からないどころか上も下も、それどころか自分が立っているのか座っているのかも分からないような状況なのだ。情報の共有ができる存在がいてくれれば何と心強いか。

 そしてなにより、もしそのアリシアがこの世界の住人で、自分と同じようにユグドラシルからやってきた存在でないのならば、それはこの世界がアインズ・ウール・ゴウンにとって脅威な存在であることの証明に他ならない。

 セバスはNPC達の中でも上位の存在でありそのレベルは100に達している。モモンガ自身、セバスと戦えば全戦全勝とはいかないかもしれない。それほどの強者なのだ。

 そのナザリックが誇る強者の一人が認めるほどの存在。それがこの世界の冒険者と呼ばれる存在のごくごく一般的な強さであったら? アリシアがこの世界で指折りの実力者であるなら問題はないだろうが平均的な実力者であったならば? 

 

 (そうであった場合……態度を考えないといけないよなぁ。ユグドラシルの世界ならそう簡単に力に屈することはないだろうけど、それがこの世界でも通用するかわからないんだから)

 

 そんなふうにモモンガが考えているとセバスがすこし迷ったような声をだす。モモンガにはそれが珍しいように感じ、不思議な気持ちにさせた。言葉を交わしたのはつい先ほどなのに長い付き合い故の感想だと思ったからだ。

 

 「正直……分かりかねます。見たところ特別な存在とは見受けられません。彼女は武装しているのですが、解除すればどこぞの町娘で通じるほどに、荒事とは無縁な令嬢にみえます。ですが、強さの底が私の目では見切ることができません。すぐ底に手が届きそうな、踏み入れればそのまま呑み込まれるような、なんとも不思議な感覚です。……強さを測らせない、という意味では間違いなく私やコキュートス様より上手でしょう」

 「それほどか。……なるほど。分かった。では、セバス。今私はアンフィテアトルムにいる。ここに守護者を全員集めているところだ。今から二十分後、供をしたメイドをこちらによこせ。メイドから外の報告を聞こう。お前はアリシアを九階層にある客間へ通せ。待遇は客人だ。他の者にも私の客人だと説明しておけ。決して失礼のないように。執事であるお前の仕事に期待しているぞ。セバス」

 「かしこまりました。モモンガ様」

 

 モモンガはセバスの深い敬意を示す声を最後に<伝言>の魔法を解除する。

 こちらに視線を向けるダークエルフの双子に視線を向けつつ、友達になりたいというアリシアにどう対応するか、増えた考えごとに対してないはずの脳をフル回転させるのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 時折転移を繰り返し、抜けた先に待っていたのは白亜の城。

 今、アリシアの前には荘厳と絢爛さを兼ね備えた世界が広がっていた。

 

 (ここが墳墓の中……地下の世界?)

 

 案内をしてくれているセバスの後ろにつき従いながらアリシアは周囲を見渡す自分を抑えることができなかった。

 何を見ても驚くしかできない。

 床、壁、天井。どれもがアリシアの人生の中でこれ以上ないほどのものであった。

 

 (物語で読んだ王様のお城や妖精郷の大樹の国は……もしかしたらこんなふうに感じるのかもしれない……)

 

 現実味というものを失わせていくような、ここが地下世界ではなく間逆の天の世界のような。

 とにかく何から何まで現実的ではなく、自分がまるで物語の登場人物になってしまったようだ。

 

 「アリシア様、どうかされましたか」

 

 先を歩いていたセバスが振り返ると、アリシアは歩みを止めて所在なさげに立っている。

 視線もどこか右往左往していた。

 

 「あの。よろしかったら、すこし魔法を使わせてもらってもいいでしょうか?」

 「魔法を? どうかされましたか」

 「ここは……とても綺麗で美しい場所で、その……すこし身を洗いたいと思ったんです。それと服装も」

 

 セバスは自分をうかがうアリシアの様子に嘘がないのを見てとり、自分の知識にないものをこの少女は常識として語っていると分かった。

 

 「体を清める魔法と服装を変える魔法ですか? それはスキルのようなものでしょうか?」

 「すき、る……? え、っと生活に便利な魔法です」

 「ふむ……。分かりました。私も興味がありますので拝見させていただいてもかまいませんか?」

 

 アリシアはセバスの言葉に頷き、ほっとした。

 こんな綺麗な場所に少しでも見合うように……いや、少しでもこの場所を汚さないように、できることはしたかったのだ。

 

 「えっとじゃあ、まず清めの魔法から……使います」

 「お願いします」

 

 セバスほどの強者になるとこういう魔法はあまり身近なものではないのかもしれない。

 そう思っていると、心の中の自分が<一新>の魔法を発動させる。

 この魔法は場所によっては<一身>、<リフレッシュ>などいろいろ呼び方が変わる魔法である。

 効果は汗や汚れなどを焼失させる火の魔法である。

 発動者の体をなぞるように一瞬炎が走ったと思うとそこにはいくぶんすっきりした様子のアリシアがいる。

 この魔法は装備品なども自分が認識できていれば悪影響なく綺麗にする。

 故郷では冒険者になったらまずこれを覚えろと言われるたぐいの魔法なのでアリシアは目の前のセバスの興味をみたせる自信は全くない。もっと派手な魔法だったらよかったのだが残念ながら見ての通り一瞬炎が全身を覆うだけである。

 

 「ほぅ。先程の炎で全身の汚れを落としているのですか。なるほど見違えて見えます」

 「そ、そんなことはない、です。……ありがとうございます」

 

 まるでいいものを見せてもらったと言わんばかりのセバスの態度にアリシアは慌てるしかない。むしろこんなものしか見せられず申し訳ない気分だ。

 これから見せる物も見栄えはよくないと思うと、もう持ち上げるのはやめてほしいと正直に思ってしまう。

 

 「それで……これが服装を変える、魔法です」

 

 そう言い終わると確かにアリシアの服装はかわっていた。

 違いを表すなら武装と非武装だろう。

 先程まで局部を覆っていた鎧が消え去っているどころか、その下に着ていた服すら変わっている。

 白地に青い文様のスカートはなくなり桜色と群青色が鮮やかな、袴とブーツのいで立ちに早変わりしている。

 

 「これは……魔法なのですか?」

 「えっと、厳密には魔法のアイテムの力です」

 「なるほど。装備を一瞬で変えるアイテムですか。便利な物をお持ちなのですね」

 

 これもまた感心したように頷くセバス。

 このくらいのことで持ち上げないでと内心あわあわしているアリシア。

 お互いに表情に特に出てないあたり微妙に意志疎通ができていなかった。

 

 「しかし、武装を解除されてもよろしかったのですか? 正直なことを申しますと、やはりアリシア様からすれば警戒されてしかるべきなのではないでしょうか?」

 

 案内を承諾するまでの逡巡した様子と今のアリシアの態度に違和感を覚えたセバスは、どうして武装を解除したのかと問うが、アリシアの態度は子供のようだった。

 

 「ぁ。そう、でしたね。すいません。あんまりにもすごい……お城? だったので、そういうのは頭から抜けてました。ただ、すこしでもここを汚したくないなぁと思っちゃったん、です……」

 

 抜けたところを指摘されて恥ずかしそうに頬を赤く染める。

 そんなただの少女のような反応がセバスの感覚を鈍らせる。

 

 (嘘をついているようには……まったく見受けられませんね。この様子を見ただけでは誰もこの少女を戦う者だと思いはしないでしょう)

 

 アリシアの様子は年頃の娘が恋愛話をしているかのようにしか見えない。

 しかし、セバスにはそれが強さを隠すための偽装のようにも見えた。それは最初に目にした時のこちらをみつめてきた視線をはっきりと覚えているからだ。

 

 (あの時、この少女は私を捉えていた。夜闇を見通すような力を持たない人間があの距離で。強さを測ろうとするかのようなあの目……間違いなくこの少女はプレアデスの誰よりも強いはず)

 

 ナーベラルは自分たちが発見してからアリシアがそれに気がついたと感じているのかもしれないが、セバスにはそれは誤りであると思えた。アリシアは自分とナーベラルに先に気がつき、その技量を推し量っていたのではないか? ゆえに自分の実力を隠しているのだ。取るに足らないと油断させるために。

 

 (そうだと、思っているんですがねぇ……。今のような態度はまったく強者にみえません。これでは私が間違った報告をしたと思われそうです。……特にデミウルゴス様あたりはつついてきそうですな)

 

 今頃ナーベラルから話を聞いているだろう主人と守護者たちの姿を思い浮かべればまっさきに口を出すだろうデミウルゴスの姿が浮かぶ。嫌いではないが、なぜだかそりが合わない相手ゆえにそういうイメージを持ってしまうのだろうか。

 

 (いけませんね。このように考えては。私はモモンガ様に忠実にお仕えするだけなのですから)

 

 邪念を断つかのように首を軽く横に振るとアリシアはビクリと身を振るわせる。

 

 「あの。武装していた方が……いいでしょうか?」

 「いやいや、そのようなことは。アリシア様がもっともくつろげるようにしてください。……そうですね、私見を述べさせていただきますと鎧姿も華やかでしたが、今のお姿の方が身軽に思えますし、色鮮やかです。主と話をされるには適していると思います」

 「ありがとう、ございます。では、このままで」

 

 安心したように微笑むアリシアはまるでどこかの国の姫のような雰囲気がある。

 セバスは再度襲ってくる疑惑を追い出すとアリシアを促し先へ進む。

 客間はもうすぐそこだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「──以上で、報告を終えます」

 「ご苦労だった。ナーベラル」

 

 セバスと共に地上の調査から戻ったナーベラルの報告が終わると周囲の守護者達がざわめいた。

 その声は驚きと怒り、そして戸惑いがないまぜになったものだ。

 

 「ナーベラル・ガンマ。セバスと貴女は下賤な人間ごときを至高の御方々が住まわれる場所へ案内したというの?」

 

 冷ややかな声で臣下の礼を崩さず問うのは守護者統括の地位につくアルベドだ。

 ナーベラルとはまた違う、妖艶な美とでもいうべき美しい顔が今氷のように冷たい無表情になっている。

 響く声はその冷たさも相まって斬り裂くばかりの鋭さを感じさせる。

 

 「はっ。それは……」

 「よい。アルベドよ。私が命じたことだ。ナーベラルをいじめてやるな」

 「モモンガ様のご指示で? そ、それは申し訳ございません。出過ぎたまねを」

 「気にするな。ナザリックに客人が来ることなどめったにないこと。お前たちの戸惑いは手に取るように分かる」

 

 ナーベラルを追求しようとするアルベドを抑えてモモンガは自分の指示だと説明する。その言葉にいっそう守護者たちとナーベラルのざわめきが膨れ上がる。

 

 「モモンガ様ノゴ客人ナノデスカ?」

 「え、ぇ、っと、確か昔、やまいこ様の妹様が来られたことがあったような……?」

 「確か……アケミさま? だったでありんしょうか?」

 「モモンガ様、来られたご客人というのはアケミさまなのですか?」

 

 コキュートス、マーレ、シャルティア、アウラが次々に声をあげる。

 その声は驚きと困惑に満ちている。

 ナーベラルの説明ではナザリックは原因不明の何かによってどこか不明の地に転移したという話しだったはずだ。しかし、それならばどうしてアケミさまがそこにおられるのだ?

 その声にモモンガはすぐには答えずじっと声をあげた守護者たちを見下ろした。

 モモンガの視線に一様に黙りつつも、守護者たちは疑問の様子を隠せない。

 だが、モモンガも内心首をかしげていた。

 

 (なんで? なんでいきなりあけみちゃんが来たと思ってるの? え、まさか客人って単語だけでだけであけみちゃんしかでてこないの? 客人=あけみちゃんってどんだけ言葉の定義が狭いんだ)

 

 モモンガは守護者たちに自分が招いたアリシアをどう扱うか先に説明しようと思い、客人という言葉を使ったのだが守護者たちの中では客人と言うのはおそろしく狭い範囲の言葉であったらしい。

 

 (そもそも、アリシアだって言って……なかったな。そういえばナーベラルは人間としか言ってないわ)

 

 一言もアリシアの名前を出さなかったナーベラルの説明も悪かったか。そう感じつつも、どう説明すればいいのか分からない。

 

 (普通に説明してそれで俺の評価は大丈夫なのか? こいつらのナザリックへの愛着……忠誠心っていうのはものすごいし、縁もゆかりもないアリシアを招待したら幻滅するんじゃないか? さっきアルベドもかなり怒った声をだしてたし……どうするよ。どうするのよ俺) 

 

 普通に説明する分にはできるがそれが自分の評価を下げはしないかと考えるあまり、モモンガは言葉を発することができなかった。モモンガの前にはいろいろ取れる選択肢はあるが、どれも評価を下げそうでうかつに選べないのだ。

 そうして数秒の間モモンガと守護者たちの間で空白の時が過ぎる。

 徐々に疑問の視線や態度が不思議そうなものに代わり、モモンガは咄嗟に背を向けてしまう。

 視線に耐えられなかったのだ。

 どことなく纏った絶望のオーラが肩に重くのしかかっているようにもみえる。

 

 (あ! 俺の馬鹿。背をむけてどうするよ。これどうしたらいいの……)

 

 モモンガが纏う空気が本当に絶望のオーラになり始めた時に声が上がる。

 それは先程まで黙っていた悪魔、デミウルゴスのものだ。

 

 「モモンガ様、発言する許可をいただいてもかまいませんか?」

 「……許す。デミウルゴス」

 「ありがとうございます。……まずはモモンガ様にお詫び申し上げたく思います。この程度の話を理解できずモモンガ様のお話をさえぎってしまい守護者の一人として何とお詫びしたらよいか」

 

 デミウルゴスがそう言って頭を下げるとすぐにアルベドも同じように頭を下げる。

 

 「守護者統括として申し訳なく思います。まさか、モモンガ様のお心をここまで解せぬと思わず……どうかお許しください。モモンガ様」

 

 知恵者である二人の態度に他の守護者は愕然とする。

 自分たちは当たり前のことを分からずそれゆえにモモンガから不評をかったのだと分かったのだ。

 ゆえにモモンガは自分たちに背を向け言葉を発しないのだと。

 慌てて謝罪の言葉を述べようと四人が言葉を発しようとするとマントを翻し、モモンガが振り向く。

 その視線、纏いしオーラ。

 自分たちの創造主たちの頂点にふさわしい絶対者の風格を目にし、守護者たちとナーベラルは自然と頭を下げ身を正した。

 

 「……デミウルゴス。説明する許可を与える」

 

 重々しい言葉にデミウルゴスとアルベドを除いた面々はさっと血の気が引く。

 やはり、その程度のことも分からないのか、と猶予をくださっていたのだ。

 

 「ありがたき幸せ。……さて、それではモモンガ様にご許可を頂いたので私から説明させてもらうよ。まず、勘違いしているようだが、客人というのはあけみ様だけを指す言葉ではない。セバスが案内しているという人間はモモンガ様にとっても初めてお会いする人間だ。それはナーベラルの説明を黙って聞かれていたことからもわかるだろう。万が一お知り合いなら、ナーベラルが人間と呼ぶ無礼を、見逃されるはずがありません」

 

 デミウルゴスに守護者たちの視線があつまる。その視線にこもるのは疑問だ。

 なぜ見知らぬ人間ごときを客人として迎えるのか。

 そんな視線をうけて頭を痛めたかのようにデミウルギスは一度眼鏡を押し上げる。

 

 「ふう。すこし考えれば分かることだと思うがね。いいかい? 見知らぬ土地に転移した可能性が非常に高い今、情報というのはなに物にも代えがたいものだ。それはセバスを偵察に出したことからもわかる。そしてその地で出会った人間から情報を引き出したいのは当然のこと。ゆえにモモンガ様はその人間を客人として扱うと前もって我々に宣言してくださったのだよ」

 「ど、どうしてでありんすか? 情報を抜くだけならなにも客人という扱いをしなくとも」

 「いいかいシャルティア。外はどうなっているのか分からないんだ。だというのに敵対行為をすればよけいな争いを生む。だからこそ友好的に客として歓待するとモモンガ様は仰っているのだよ」

 

 デミウルゴスの説明でようやく理解の色がシャルティアたちの顔に浮かび、そして羞恥と恐怖が残った。

 主人の前でとんだ浅慮を晒したばかりか分かって当然のように語られた言葉を理解できなかったのだ。守護者失格どころではない。もしこのことから失望されて、他の至高の御方々のようどこかへ行ってしまわれたら、見捨てられたらと思うと身が震える思いだった。

 

 (よし! デミウルゴス。見事だ。流石ナザリック一の知恵者と設定されてるNPCだ。ありがとうウルベルトさん! これでどうにかなる)

 

 「みご」

 「ここまでは、分かって当然のことだ。私やアルベドが謝罪したのも、皆がこの当然のことを理解していなかったことに対してだ」

 

 みごとだ、デミウルゴス。

 かつての仲間の一人でありデミウルゴスの生みの親に内心で感謝の言葉を述べながら、そう口を開こうとしたモモンガはデミウルゴスの続く言葉に口を閉ざすしかなかった。

 

 (ぇ、ここまでは? なに、俺の考えってこの先があったの? そんなの初耳なんだけど)

 

 骸骨の顔に表情が映るはずがないのだがモモンガは自分がポカーンと間抜けな顔をしてないだろうかと鏡を見たくなった。

 

 「ツマリ、マダ、モモンガ様ニハ何カ意図ガオアリダッタト?」

 「ああ。その通りだよ。コキュートス」

 

 (ないよ! え、あったの? どこに?)

 

 無表情で混乱しているモモンガをよそにデミウルゴスの説明は続く。

 

 「疑問に思わないかい? 先程早まってナーベラルを叱責しようとしていたアルベドをモモンガ様は寛大な態度で窘めてくださいました……。そのモモンガ様がいくら分かって当然と考えられていることだったとしても、あのようにお怒りをお示しになるかな?」

 

 (え、俺、怒ってるように見えたの? え、何……あぁぁ! 絶望のオーラか!? これか!)

 

 モモンガは先程からやけにアウラやマーレの表情が硬いと思っていたが、原因に気がついた。

 ダークエルフの双子は明らかに絶望のオーラをだしてから表情も硬くなっている。

 怯えさせていたのかとモモンガは慌てて絶望のオーラをきる。

 だいたい偉そうに話そうとしてスキルでオーラを纏う方がどうかと遅まきながら思ったのだ。 

 

 「ぇっと……モモンガ様はもっと別のことでお怒りに?」

 「ソレホド、我ラニ失望サレタ、トイウコトカ……?」

 「マーレ、コキュートス。二人の考えはもっともだが、それも違う。モモンガ様は最初からお怒りではなかったんだよ。背を向けられたのはただのポーズだ。モモンガ様のお考えは別のところにあるはずなんだ」

 

 デミウルゴスはモモンガと視線を交わす。

 モモンガは咄嗟に頷く。訳が分からないがとりあえず話を合わせておいた方がいい事だけは分かった。

 

 「デミウルゴス、我ラニモモモンガ様ノオ考エヲ教エテクレ」

 「……そうしたいのは山々なんだけどねぇ。コキュートス、アウラ、マーレ、シャルティア。どうして私やアルベドがここまで理解していながら口を挟まなかったと思う? ……答えは単純だ。私たちもここまでしかわかっていなかったからだ。つまり、君たちと同じようにモモンガ様の本当の思惑までは推察できなかったのだ。そうですよね? アルベド」

 「……ええ。その通りよ。デミウルゴス。モモンガ様は至高なる四十一人の頂点に立たれるお方、私たち程度はなにかある、ということまでしか分からないわ」

 

 非常に悔しそうに、残念そうに、無念そうにアルベドが頷く。

 デミウルゴスとアルベド。

 二人の知恵者をしてわからないモモンガの考えとはなんなのか。

 ついに守護者全員がモモンガに視線を集める。

 

 「モモンガ様、我ら守護者一同そろって無様を晒したこと、どうかお許しください。よろしければモモンガ様のお考えに触れ、より深くモモンガ様にお仕えできるチャンスを我らに与えていただけないでしょうか?」

 「………」

 

 『どうかモモンガ様のお考えをお聞かせください』

 

 守護者全員とナーベラルがふかぶかと臣下の礼を取っている。

 注目と期待を一身に受けながらモモンガは今一度絶望のオーラを纏った。

 

 緊張のあまり無意識で。

 

 「そうか。では、我が考えを述べよう。……デミウルゴスの言うほどに大層なことではないがな。だからこそアルベド、デミウルゴス。お前たちが分からずとも当然のことだ。これはそれほど大層なことではないのだ」

 「それはいったい……」

 「うむ。だいたいは先程デミウルゴスが話した通りだ。私は現地人を客人として迎えるつもりであったし、相手は無論あけみちゃんではない。そしてお前たちが客人だときいてあけみちゃんのことしか頭になかったのを見てすこし茫然としていたのも事実だ。……ふっ、決して怒っていたわけではない。気にするな」

 

 恥じるように顔をうつ向かせる守護者たちに手をあげて気にしないように促す。

 

 「さて、ここから先が私がお前たちに伝えようとしていたことだ。それはな。……私は客人と個人的な友誼を結ぼうと思っているのだよ。友人か、あるいは同盟者か。それは相手の出方にもよるがな」

 

 その言葉は守護者とナーベラルにとって衝撃的なものだった。

 ナザリック地下大墳墓の主人、至高の四十一人の頂点に立つ御方が……人間と友誼を結ぶ?

 一部の例外を除き、ナザリックの者は皆、人間を下等生物、取るに足らない存在と思っている。

 よくて食料、家畜のような存在としか思っていない。

 その家畜が主人と友誼を結ぶなどよは、いかに知恵者のアルベドやデミウルゴスであっても想像だにできないことであった。

 

 「お待ちください。モモンガ様、客人として扱うだけでも下等生物にはもったいないこと。それ以上のご慈悲を与えるなど!」

 「そのとおりです。人間などという下等な生物がモモンガ様の友人になられるなど、あってはならぬことっ」

 

 声をあげるナーベラルとアルベド。

 他の者たちも目でやめるように訴えかけている。

 

 「それだ。その態度こそ私が真に戒めたかったものなのだ」

 「! な、なるほど。そう言うことでしたかモモンガ様」

 

 感服したように頭を下げるデミウルゴスに他の者の視線が集中する。

 どういうことなのか? とアルベドですら事態がのみ込めていない。

 

 「よいか。この世界はかなりの確率でユグドラシルとは違う、異世界ともいうべきものだろう。その世界において我々が最強である保証はないのだ。……お前たちはただの村人が私と同格の力を持つかもしれないとそういう発想は持てなかったようだがな」

 

 徐々に徐々にアルベドを筆頭に守護者たちに理解の色が広がっていく。

 モモンガはそれを見て満足げに頷く。 

 

 「私が人間の友を持つのはお前たちに忘れさせないためだ。私の友人をお前たちが侮ることなどなかろう。今後、この世界で活動する際、決して侮るというミスを犯さないためにだ」

 

 モモンガは手に持つ杖、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを地面にうちつける。

 硬質な金属が地面をえぐる音が響いた。

 

 「よいか。これより人間を、ナザリックの外にあるものを侮ること禁止する。常に敵が己にまさると思え!」

 

 『はっ。畏まりました。我らが主よ!』

 

 深い敬意に満ちた声がその場に満ちた。偉大なる主人に絶対の忠誠を誓った者の声だった。

 

 

 (……勢いでこうなった。くそー、どうせなら可愛い女の子か、いい子であってくれ)

 

 

 偉大なる主人モモンガの内側で、鈴木悟は一回り以上年の離れた女の子と友達にならなければならなくなったことに先程までと違ったプレッシャーを感じるしかないのであった。

 

 

 

 

三頁~冒険者アリシアと死の支配者~

  未知との遭遇 続

 

 




ここまで読んで下さりありがとうございます。
はい。まったくキリがいいところまで描けませんでした。
これはもともとまとめていたのを二つに分けたせいで枠ができ、そこにかきたいものを余計に描き足したせいで字数を使ってしまいました。
描いていると妄想がふくれてしまい、かきたしが増えていくのが止まりません。

なので当初のキリのいいところは次回で到達すると思います。
…その次の話からはもっとシャープにまとめて書きます。




2018/06/22
台詞と地の文の間を一行あけました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四頁~冒険者アリシアとメイドさん~

興味を持っていただきありがとうございます。
この四頁目は二頁目から一つの話として続いています。
当初は二頁目の中で完結させるつもりが保存し忘れや、描きたしなどによってここまで伸びてしまってます。
ようやく二頁目当初の終わりまでたどり着きます。
アリシアとモモンガがついに出会います。
そしてエ・ランテルのほうでも動きがあるようです。

※少しR十五にかかりそうなシーンがあります。そこまで過激にしたつもりはないのですがご注意ください。



四頁~冒険者アリシアとメイドさん~

  モモンガさん、イレインさん……ライオン様?

 

 

 

 実際に目にした時、二人はお互いに目を見開くことで驚きをあらわにしていた。

 といってもそれはお互いの内心の話だ。

 アリシアは驚きのあまりむしろ無表情になり、モモンガは骸骨の顔ゆえに表情をうかべることがなかった。それゆえにお互いの驚きが相手に伝わることはなかったのだ。

 そんな二人は向かい合うように深紅のソファーに身をゆだねながら視線を交わしている。

 そこはナザリック地下大墳墓九階層にある客間。

 日付も変わり、もうそろそろ一時を迎えようかという時刻、そこには二人を含む四人の男女がいた。

 アリシアとモモンガの他二人とは執事とメイドである。

 執事のほうはアリシアをここまで案内してきたセバスであり、主人であるモモンガの側で背筋を伸ばして控えている。

 では、メイドのほうがナーベラルなのかというと、そうではない。

 アリシアがこのナザリックで見た三人目にあたるメイドの名前はノエル。

 奇しくもアリシアの袴と同じような群青色の髪とすこし赤みがかった瞳を持つ、とても整った容姿のホムンクルスである。彼女はナザリック地下大墳墓における非戦闘員として生み出された存在であり、戦闘メイドとして生み出されたプレアデスの面々とは役職が違い戦闘力は皆無である。

 ゲームの世界であるユグドラシルおけるレベルは1であり、とても戦う力はない。

 そんな彼女がこの部屋にいるのには理由があった。

 

 六階層での話が終わるとモモンガはさっそくアリシアに会いに行こうとしたが守護者に……おもにアルベドに強く反対された。

 それはモモンガが客間で会うつもりだと告げた時である。

 

 

 

 至高の御身がたかが人間ごときと対等にお話しされるなどあってはなりません。

 玉座ノ間ニテ我ラ守護者ト共ニ。

 

 

 

 血相を変えるアルベド。表情の読めないコキュートス。

 顔を見合わせるアウラとマーレ、シャルティア。

 頭痛がしたかのように頭を抑えるデミウルゴス。

 そしてモモンガはデミウルゴスと同じように頭がいたくなる思いだった。

 コキュートスはともかくアルベドの言葉は先程までの会話を無視するものであり、なんのために覚悟を決めて話をしたのか分からない気分にさせたのだ。

 だが、だからといってモモンガはアルベドを責めるようなまねはしなかった。

 なぜならアルベドの言葉こそ、守護者をはじめとするNPC達の気持ちだろうと分かり始めていたからだ。

 

 (アルベドは守護者統括。きっとNPC達が本心では嫌がっているということを伝えたかったんだろう。忠言は耳に痛い、だったかな? ぷにっと萌えさんが似たようなことを昔言っていたけ……)

 

 デミウルゴスがアルベドに注意するように言葉を発するのをモモンガは押しとどめると改めて護衛をつけての物々しい話し合いもなしだと改めて宣言していた。

 高圧的に物事を進めたいのではない。友好的な対等な関係の構築こそ望ましいのだ。

 そうしてモモンガは守護者たちにいかなる手段でも話しあいを覗くことを許さないように厳命し、客間に向かったのだ。

 流石に二人っきりは見逃せないと訴えたセバスの同室だけは許可したが、同じように手をあげたナーベラルまでは許可せずその代わりに歓待の準備をしていた一般メイドの一人を同室させた。それがノエルである。

 メイドを同室させるのはどうかとも思えるが、アリシアにこちらが友好的に話したいというアピールになるだろうという判断からだった。

 

 こうしてアリシアとモモンガは深紅のソファーに腰掛け、上品な木製の机を挟みながら向かい合っていた。

 お互いの第一印象は驚きであった。

 

 (ぇ、リッチ……じゃない。これは……もっと別の、たぶん、アンデッドの最高位の存在……。死の支配者?)

 

 アリシアは知識として知っていた最高位のアンデッドの登場に腰が抜けそうになり。

 

 (袴ブーツ……っ。だとぉ!? しかも金髪金眼のどことなくハーフな雰囲気の……美少女!!)

 

 モモンガは美しさの極みの一つのようなアリシアを見て目を見開いていた。

 もっともそんな反応はお互いに無表情だったために相手には伝わっていなかったのだが。

 

 「おっほん。ぁー、ご足労をおかけした上にお待たせして申し訳ない。私の名前はモモンガという。ここ、ナザリック地下大墳墓の主人だ」

 「いぇ、セバスさんの案内のおかげで何も不都合はありませんでした。気にしないで、ください。私の名前はアリシア、といいます。……なんとお呼びしたら、いいでしょうか?」

 「アリシアさんか。綺麗な名前だ。そう硬くならないでほしいな。私のことは気軽にモモンガさんとでも呼んでほしい」

 「……わかりました。モモンガ、さん」

 

 名刺交換のような挨拶がすむとモモンガは自分の前に置かれているティーカップに視線をやった。

 

 「ここまで来るのに喉も乾いたことだろう。私には気を使わず飲んでほしい。この身は見ての通り飲食不要なのだ。この紅茶も私は香りを楽しむだけなんだよ」

 

 モモンガの促しに頷きながらアリシアは一口、両手で大事そうに抱えたティーカップに口をつける。

 すると漏れ出すように「美味しい……」というつぶやきが聞こえた。

 アリシアは一瞬の間緊張も忘れて口の中に広がった紅茶の香りと味わいに目元を緩ませた。

 これほど美味しい紅茶を飲んだのは生まれて初めてだった。

 

 「とっても……美味しいです。モモンガ、さん」

 

 はにかむように微笑むアリシアはまるで女神の姫のようだった。

 

 「……はは。気に入ってくれてよかった。ノエル。お前のおかげでアリシアさんの微笑ましい顔を見ることができた。感謝するぞ」

 「感謝など、もったいないことでございます。至高の御身のために尽くすことこそ、我が身に与えられた唯一無二の存在理由なのですから。……ありがとうございます。我が君」

 

 アリシアに見惚れていた自分を誤魔化すようにモモンガはノエルを褒める。

 少し顔を赤くしたアリシアは照れながらノエルに向かって「美味しいです。……とっても」と声をかけノエルはそれに小さくお辞儀をして返した。

 

 

 ((完璧なメイドさんだ))

 

 

 奇しくもまったく同じ感想を二人は同時に抱いた。

 

 「さて、十分にリラックスしてもらったところで本題に入ろうか。実は……私はこことは違う遠い地に居を構えていたのだが、不測の事態に巻き込まれてしまったようでね。この地に転移してきてしまったのだ」

 

 モモンガはお互いに少し落ちついたところで本題に入った。

 話す内容はユグドラシルという異世界からの転移、ということを遠い土地に置き換えただけでほぼ真実である。

 何の前兆もなく、突如としてこの地に転移してしまったこと。

 それゆえにこの周辺、この大陸の知識がないこと。

 

 「我々は見ての通り人ならざる者が多い。だが、人や亜人たちと争いたいわけではない。ゆえに不審に思われるのを承知でアリシアさんをこうしてお連れしたのだ。見知らぬ土地では知らないと言うだけで不幸な出来事が起こってしまう物。どうか我々にこの地の話を聞かせてはいただけないかな?」

 

 語り終えたモモンガを見るアリシアの目はどことなく警戒が緩んでいる。

 それはモモンガの語りに嘘いつわりなしと判断したからに他ならない。

 

 「……わかりました。私は旅の冒険者です。この地に住んでいる人ほど、詳しくはないですが、知っていることは何でもお話します」

 「ありがとう。アリシアさん。ではまず、我々のように人や何かが転移してくるということはよくあることなのだろうか?」

 

 モモンガはここで注意深くアリシアを観察した。

 ここまで話せばユグドラシルから転移してきた者ならモモンガたちが同じようにユグドラシルからやってきたと分かるだろう。

 アリシアはユグドラシルから来た者ではないか。

 モモンガはその疑問をまず確認したかった。

 最初からそのつもりだったのだがアリシアの美しさにのっけから躓いてしまったのは本人だけの秘密だ。

 

 「よくあることではない、と思います」

 

 淀みなく答えるアリシアには隠している様子は見受けられない。

 モモンガが見る限りでは何か含みを持たせているわけでもないだろう。

 

 

 (この子はユグドラシルから来た子ではないのかな。ていうことはこの世界で産まれてこの外見なのか。この子が特別綺麗な子じゃなかったら外の世界は美男美女ばかりの世界だぞ……この姿になってよかったかもしれないなぁ)

 

 

 モモンガの中身である鈴木悟は美男に数えられる男ではない。

 言ってしまえば三十台も半ばに迫ったおっさんである。

 モモンガは美味しそうな紅茶を飲むことができない残念さよりも、ぱっとしない外見をアリシアの前に晒していないことに少し安堵した。この骸骨の姿の方がアリシアと向かい合うにふさわしく思えたからだ。

 

 「そうか。それは残念だ……」

 「ただ……私の故郷では、異界からやってくる人の話は聞きます」

 

 続いたアリシアの言葉に視線を戻すとまっすぐみつめるアリシアと視線が交わる。

 

 「異界……というのは───」

 

 

 

 ───ユグドラシルのことか? 

 

 

 

 モモンガは言葉をのんだ。

 目の前の少女がどういう立場で何を知っているのか、そして何をしていたのか。

 この時、自分が完全に受け手に回ったとモモンガは認めた。

 

 「異界のことはそれほど記録に残っていなかったです。……私の故郷では未知の存在を“異界のモノ”とよんでいました」

 「ほう。異界の者と? 知らない存在は異界から来た者と?」

 「はい。この大陸の国とは違い、大きく……人間種が衰えることはなく私の故郷は繁栄してきました。そうしていつしか、多くのモノを発見して、調べました。全てと言ってもいいくらいに」

 「なるほど。だから異界の者と言うわけか。……私たちのように唐突に、現れる者がいるのですね?」

 

 頷くアリシアを見て、モモンガは入手した情報を元に思考を回転させる。

 見逃せない発言が多くあった。

 まずは“私の故郷”と“この大陸”だ。

 

 

 (アリシアは故郷からこの大陸に渡ってきたということか。そしてアリシアの故郷はこの大陸より大きく繁栄している……)

 

 

 地図どころかこのあたりの地形すら分からないモモンガにとって別の大陸があるということがどれほど貴重な情報か。もしかしたら子供でも知っているような知識なのかもしれない。しかし、それで情報の価値が下がるわけではない。

 

 

 (そしてユグドラシルのプレイヤーが転移することもある程度認知されていて、それを未知の存在、異界の者として扱っているのか。……その扱いはどうなんだ? 討伐対象なのか?)

 

 

 「私は旅することに、知らないものを知ることが好きで、憧れて……冒険者になりました。けれど、故郷ではいつ現れるかもわからないそういう“異界のモノ”を待つしか本物の未知に出会う機会は、ありません。だから、私は故郷ではほとんど知られていなかったこの大陸に渡ってきました。……すいません。すこし話がそれました」

 「いやいや、気にしないでくれ。どれも貴重な話だ。なるほど。アリシアさんは未知を求めてこの大陸まで冒険をしてきたのだな……」

 

 

 

 まるでユグドラシルの正しい遊び方のようだ。

 

 

 

 言葉に出さないがモモンガは感心したように頷いた。

 思い返せば自分も、たっち・みーに引っ張られて果敢に厳しい世界にアタックを仕掛けていた者だった。

 異形種狩りに怯えることなく、自分たちに有利な世界から別世界に足を踏み入れる。

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの前身「最初の九人」だった頃、狩られる側だった自分たちはそれでも立ち向かって新しい世界を切り開いていった。そうやってナザリック地下大墳墓を攻略し、仲間たちとの黄金の日々を手にしたのだ。

 この少女もそうして恐れることなく未知へ挑んでいるのだろう。

 モモンガはアリシアへの好感度が伸びていくのを実感した。

 もしかしたら友人……友達と呼んでもいいのではないか、と感じるほどに。

 守護者たちの前では乗り切るために友誼を結ぶつもりだと言い放ったが、実のところモモンガは悩んでいた。

 自分の友はアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちだけだとそう強く感じていたからだ。

 いくら利があろうと有益な関係になると分かっていても。

 鈴木悟にとって友達はギルドの仲間たちだけだったのだ。

 苦楽を共にした、黄金の日々を共に歩んだ仲間たち。

 例え今は離れていてもその絆を、歩んだ日々を忘れることなどできない。

 その思いから友誼を結びたいというアリシアの言葉にどうこたえるか、悩んでいた。

 だが、実際に見て、話をしたアリシアは想像を越えて鈴木悟の心をとらえた。

 かつての自分たちを彷彿とさせる美しい姫。

 

 (この少女の手助けを出来ないだろうか)

 

 おかしなことにすこしそう思ってしまうほど力になりたいという思いが湧いてしまったのだ。

 綺麗な容姿と服装に見惚れてしまったのかな、と苦笑いする思いだった。

 もしかしたらあの時、異形種狩りの手にかかりそうになっていた自分を救ってくれたたっち・みーのように自分もこの少女を助けたく思ったのかもしれない。

 

 

 

 誰かが困っていたら助けるのは当たり前!

 

 

 

 そう堂々といい放った友人には程遠いが……憧れたあの姿に追い付きたいと思っているのだろうか。

 

 (……ふ、友達か。流石に年の離れた友達だな。ペペロンチーノさんに知られたら十八禁だぁー! とか叫ばれそうだよなぁ。たっちさんに見つかったらリアルで逮捕されるかも)

 

 仲間たちにこの子を友達として紹介したらどう反応されるだろう。

 そんな想像の中では仲間たちはザワザワ騒ぎたてながら出会いの経緯やどんな付き合いなのか吐かせようとしてくる。自分はそんな仲間たちから逃げ回りつつ困りながらも、楽しそうに笑顔だ。

 

 「ふふ、悪くないじゃないか」

 「ぇ、あの……?」

 「はは。いや、なに。アリシアさんのそういう未知を追い求める姿勢が好ましくてね。よかったら話が終わればこのナザリックを案内させてくれないか。私の数少ない自慢なんだ」

 「是非……っ。おねがい、します」

 

 見るからに嬉しそうに目を輝かせる様子の何とほほえましいことか。

 

 (皆。皆が俺の最高の友人なのは変わらない。けど……俺もいい加減新しい友達、作ってみます)

 

 自分やウルベルト以外は普通に他の友達がいただろうギルドの仲間たちにそう決意表明する。

 ウルベルトのショックを受けた顔を想像し、モモンガの内側で鈴木悟は静かに微笑むのだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「それで───アリシアさんは私たちをその異界の者だと思っている。そうではないですか?」

 

 やった、とアリシアが思っていた時だった。

 モモンガは実にリラックスしたように斬りこんできた。

 内心でびくっと身を振るわせる。

 

 「……はい。そう思っています」

 

 素直に答える。

 モモンガ相手に嘘などついても利益はない。

 圧倒的な存在感を漂わせる死の支配者を相手にアリシアは基本的に何でも従うつもりだった。

 戦っても勝てるイメージはちっともわかない。

 

 「ここからは隠し事はなしにしよう……。セバス。ノエル。二人はアリシアさんを泊める部屋の用意をせよ。我らの余りの部屋があったはずだ」

 「はっ。お、恐れながらモモンガ様。余りと申しますと、至高の御方々の……」

 「我らの部屋には余りの部屋があろう。何も人数分しか作らなかったわけではないのだ。……その部屋の支度を整えよ。よいな?」

 「はっ! 万事問題なく支度を整えます」

 「よろしい。この部屋には私が呼ぶまで誰も近付けるな」

 

 アリシアが目をパリクリさせている間に話が進み、セバスとノエルが一礼して部屋から出ていく。

 急な展開に思考が追いつかないアリシアは疑問符を浮かべるばかりだった。

 

 「すまない。余計なことだったかな? この時間ということを考えて部屋を用意させたのだが……」

 

 ぶんぶんと首を横に振る。そこまで考えていなかったが確かに話し終えたからバイバイなんていう展開はおかしい。一泊くらいして当然だろう。ましてこんな立派な場所だ。野営よりはるかに素晴らしいことだろう。

 

 「よかった。余計な事だったらどうしようかと思った」

 

 モモンガの声は穏やかでありそこから負の感情は感じ取れない。

 しかし、アリシアにはセバスの様子からなにかとんでもないことが起きたのではないかという予感を感じずには居られなかった。

 

 「では、続きをしよう。もう遅い時間だ。手短にした方がいいだろう。……そうだ。私たちはアリシアさんの言う異界からこの地に転移してきたのだ」

 

 (やっぱり。……この人達は未知なんだ)

 

 湧き上がる何かを内心の自分が抑え込む。

 アリシアにとって故郷で言うところの未知とはこれがはじめての遭遇だった。

 故郷での未知というのは異世界からの漂流物、あるいは漂流者である。

 そしてたいていの場合、未知は強大な力を持つ存在だ。

 

 

 

 ───あるところでは一夜にして巨大な砦が現れ。

 ───あるところでは瞬きする間に巨大な塔がたった。

 

 

 

 主人がいたりいなかったり、強大な魔物の住処だったり。

 様々だが、故郷の冒険者の目標はこの未知の発見だ。

 それを今アリシアは目にしているのだ。 

 

 (ということは、きっとこの人も、分かりあえるはず、だよね。ユーイチ)

 

 もし、未知と遭遇したら。

 その時の対処法をユーイチから教えられた時にまず大事だと教わったことがある。

 それは会話することだ。

 

 「例えるなら他人の家に連れてこられた猫だ」

 

 そう言って説明してくれたユーイチをアリシアは信じていた。

 故郷でも異世界からきてそのまま根付いた人は少なくない。

 アリシアの母親もその一人だった。

 単身この世界にやってきた母は右も左もわからずただただ怯える日々を過ごしていたと言う。

 だからこそ信頼してもらえるように言葉をつくし話しあわなければならない。

 見た目で敵対していては折角仲良くなれる機会を自分から潰してしまうだけなのだ。

 

 (見た目は……怖いけど。けど、話せる。同じように言葉を交わせるなら大丈夫)

 

 心の自分がそうであってほしいなぁ、と祈っている。

 

 「では、私たちのような存在はどう扱われているのだろうか?」

 「はい。私の故郷では───」

 

 アリシアはモモンガの質問に次々と答えながら心の中の自分をハンマーで叩いた。

 

 (ほしいなぁ、じゃないの。そうなるように努力する)

 

 わかってるてばぁーもう!

 頭を押さえて不平申し上げる心の中の自分を無視するアリシアとモモンガの会話はそれから一時間ほど続いた。

 その頃には時刻は二時を回り、長引かせて申し訳ないとモモンガがアリシアに謝罪することになるのだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 自分に突き刺さる視線をイグヴァルジはふりはらうように進む。

 おかしいと思わざるを得ないほどに周囲の視線が自分に集中していた。

 思えば朝起きて宿屋の一階に下りた時から様子がおかしかった。

 昼前とはいえ、いつもなら自分を待っている仲間の姿もなく、宿屋中の視線が自分に向かっているように思えてしょうがなかった。

 朝食と昼食を兼ねた食事を取っている時もどことなく居心地が悪い。

 料理を届けに来たウェイトレスの態度も昨日までの憧れに満ちた視線からやけに冷たい眼差しに変わっていた。

 

 (おかしい。どういうことだこりゃ)

 

 周囲の視線はまるで厄介者を見る目だ。

 とても最高位の冒険者を崇める目ではない。

 

 (なんだ。どうしてこんな……何が起こりやがった!)

 

 焦る気持ちを怒りに変えてイグヴァルジは自分を不躾に見つめる失礼な眼差しを睨みつける。

 

 「なにか用か? あぁ?」

 

 一言かければ蜘蛛の子を散らすかのようにその場は消える。

 だが、進んだ先ではまた同じ視線が待っている。

 自分を囲む冷たい視線の檻。

 それはイグヴァルジに怒りを灯し、いつしか憤怒をその顔に張り付けさせた。

 怒りのためか気がつけば目的地である冒険者組合の前までたどり着いていた。

 イグヴァルジは怒りのままに冒険者組合の扉を乱暴に突き開ける。

 扉が殴打された激しい衝撃音が響き、組合中の視線が扉をつきあげたイグヴァルジに向かう。

 そしてここでもイグヴァルジの不快感は消えなかった。

 同業者が、崇めるべき自分を冷めきった目で見つめている。

 ここにきてイグヴァルジは怒りよりも困惑と焦りの気持の方が強くなった。

 何が起きればこんな目で見られるのか───。

 心当たりがないわけではないのだ。

 

 「やっと来たかね。イグヴァルジ君」

 

 扉を開けたところで固まっていたイグヴァルジに声をかけたのは歴戦の強者の風格を漂わせる一人の男だ。

 名前をプルトン・アインザック。

 ここエ・ランテルの冒険者組合の長だ。

 その彼の眼差しは他の者と違い抜き身の刃を想像させる鋭さをもってイグヴァルジをみつめている。

 

 「く、組合長……」

 

 自分を見つめる冒険者組合長の視線に嫌な汗が噴き出す。

 イグヴァルジはユーイチをおとしめるために冒険者組合も一緒にして責めていた。

 かばいだてする方がどうかしている、そう考えてためらうことなく激しい言葉を浴びせ続けていたのだ。

 その冒険者組合長がいいイメージを持っているとは思えなかった。

 だが。

 

 「イグヴァルジ君、君が訴えてきた……ユーイチくんたちの件について分かったことがあってね。話ができたらと思っていたんだ」

 

 予想に反してアインザックの声音は穏やかだ。穏やか過ぎてその顔つきとのギャップを感じるほどに。

 イグヴァルジは話の中身よりそのギャップに戸惑った。

 

 「ほう。何か分かったんですか? 組合長」

 

 だが、そんな戸惑いを無視してイグヴァルジはアインザックの方へ歩み寄る。

 普段も顔に見合った激しい声音で話す人物ではないし、穏やかな声音は自分に媚びを売るためと見える理由もあった。

 昨晩、ワーカー連中に依頼したものが組合長の耳にも入ったのではないか。

 内容が内容だけに知れれば冒険者の資格はない。少なくてもこの国で続けられないはずだ。

 

 「ああ。実は昨晩から妙な話が伝わってきてな。なんでもユーイチ君は野盗と裏で手を組んでいたというものなんだ」

 

 (やはりか……! あいつもいい仕事をしやがる)

 

 湧き上がる歓喜を顔に浮かべないようにイグヴァルジは表情を険しく作り、無言で先を促す。

 まだ怒りの声をあげるのははやい。

 全てをここにいる全員に聞かせてからだ。

 

 「美人の女主人をその手にするために共謀し、事がうまくいったら口封じに野盗に手をかけたと……この噂が流れてきたのだ。……今、君の仲間に真偽を確かめてもらうために依頼を出していてね」

 「なに? ちょっと待て。俺は?」

 

 姿の見えない仲間たちが今何をしているのかが分かり、イグヴァルジは自分がそれから省かれたことに怒りがわき上がる。

 自分は『クラルグラ』のリーダーである。参加できなかったのはどうしてなのか。

 

 「君はこの時間まで何をしていた? 速やかに確認したかったのだ。この時間まで組合に顔を見せなかった君が省かれていても仕方あるまい」

 「ちっ。やつらは今どこに? 俺もすぐに向かう」

 「待ちたまえ。その前に確認したいことがあるのだ」

 

 アインザックの目が鋭さを増した。

 それに気がつくとイグヴァルジは自分だけ省かれたことへのいら立ちを少しの間忘れていた。

 朝起きてから感じていた視線の檻。

 それをアインザックの視線から感じたからだ。

 

 「……なんですか?」

 

 そんな目で俺を見るな。

 そう叫びたくなる気持ちを呑み込んだ声は硬く不満の色を感じさせる。

 アインザックはそんなイグヴァルジには理解できない言葉をかける。

 

 「私は、今ならまだ傷は浅く済むだろうと思うのだがどうだね?」

 「……?」

 

 イグヴァルジは怪訝な表情を浮かべ、そしてすぐに怒りをあらわにする。

 わけのわからないことで時間をつぶされている場合ではないのだ。

 

 「何を言ってるんですかねぇ。そんなことよりはやく奴らの場所をっ」

 「そうか……わかった」

 

 アインザックは手元のマジックアイテムを操作する。

 茶碗を二つあわせた貝のようなものだ。

 イグヴァルジはそれに見覚えがった。

 帝国の市場などで売られている冒険者御用達のアイテムであり嗜好品でもある音楽貝である。

 その使いかたは極めてシンプルだ。

 一つは裏側を開くことで周囲の音を記録する。

 二つは表側を開くことで記録した音を周囲に流す。

 嗜好品としては音楽を記録し流す使われ方が一般的だ。

 冒険者としては吟遊詩人が扱う魔法の音楽を記録することでその力を扱うというものだ。

 そして、裏稼業をおこなうワーカーなどもこれを扱っている。

 理由は言うまでもない。音を記録できるのだから。

 

 

 

 『お待たせしましたね。イグヴァルジさん』

 

 『馬鹿野郎。どこに目があるかわからないんだ。名前を出すな』

 

 『それはどうもすいませんね……。で、ご依頼は?』

 

 『あの二人がいすわってる宿屋の主人と黒野郎との関係だ。これが一番ネタになるだろう』

 

 『ほう? しかし、その件はもうながしてますぜ?』

 

 『踏み込むんだよ。前のは種だ。今回はそれをかりとるんだ。……いいか? 黒野郎は野盗と通じていた。美人の女主人を手に入れるために旦那を殺させ、そして口封じのために野盗を殺した。こうながせ』

 

 『ほーぅ。イグヴァルジさんもお人が悪い。そんなに嫌いですか? あの二人』

 

 『ああ。当然だろうが。むしろ他の奴らがどうして仲良くできるのかがわからねぇな。よそ者に足蹴にされて、踏み台にされて、黙っていられるか。どこからきたかのかはしらねぇが絶対にこの街……いや、この国にいられないようにしてやる』

 

 

 

 アインザックがひらいた音楽貝から流れる音は静まり返っている組合に大きく響いた。

 イグヴァルジは音楽貝とアインザックの間で視線を彷徨わせながら、急展開に驚きで身動きが取れなかった。

 

 「……というわけなんだが。イグヴァルジ。一応、弁明を聞こうか?」

 

 もはや穏やかさなど欠片も残っていない声音でアインザックがイグヴァルジに詰め寄る。

 イグヴァルジはミスリル冒険者としての矜持でなんとか後ろに下がらずに済んだ。

 

 「な、な……そ、それは、どうしてっ」

 「ん? これか? 昨晩組合にもち込まれてな。仕事を請け負ったというワーカーからな」

 「そ、そんなものが信用できるものか! 俺に声を真似た奴がそれを記録したんだろう!? 俺は知らんぞ!」

 「……そうか。お前は知らないのか。だ、そうだぞ」

 

 アインザックは組合の扉の方へ声をかける。

 すると扉はゆっくり開き数人の男が中へ入ってくる。

 『クラルグラ』のメンバーだ。

 

 「お、お前たち……!」

 「イグヴァルジ……お前、やり過ぎだよ」

 

 仲間の登場と、仲間の声音にイグヴァルジは焦りと怒りで顔を醜くゆがめる。

 何を言っているんだ。俺は知らないと言っているだろうが!

 どうして余所者を助けようとする!!

 

 「知らんと言ってるだろうが!! ふざけたことをぬかしやがって!! お前たちもなんだその目は!?」

 

 騒ぎ立てるイグヴァルジの足元に仲間たちが使いこまれた皮の手帳を投げる。

 イグヴァルジはそれを見てとっさに自分の荷物袋を触り、その手帳が誰のかを悟ると仲間たちを睨みつけた。

 

 「その手帳にはワーカーとの連絡手段。合言葉。落ち合う場所の候補……。いろいろのっていたよ。イグヴァルジ。お前のものだ」

 「ち、違う! 俺のものじゃない。だいたいおかしいだろう。俺の物だったとして俺がそんなことを書くと思うか?! 証拠を残すようなまねを!」

 「これがあったのはお前の荷物袋なんだが……それでもか?」

 

 仲間の硬い声に裏切られたとイグヴァルジはついに焦りよりも怒りが勝った。

 

 「お前ら俺を裏切ったのか!? わかったぞ! お前たちが俺をはめようとしているんだろう!? 同じ宿屋だ! 好きなように仕込めるだろうなぁ! お前たちが犯人だぁっ!!」

 

 怒りで顔を真っ赤に染め上げ、目をつり上げる姿は一般人がみれば腰を抜かすだろう。

 だが、そんなイグヴァルジを囲む冒険者とその関係者はイグヴァルジが熱くなればなるほど冷めていくように冷ややかな眼差しを向けていた。

 

 「いやぁ。イグヴァルジさん? 証拠を残すのも無理ないんですわ。だってあっしが細かく細かく指定して暗号化しましたからねぇ。あの時しっかりメモをとられてましたものね?」

 

 二階の階段に座り込む男から声が投げられる。

 それはイグヴァルジが雇ったワーカーだ。

 

 「お、お前……」

 

 あまりのことにイグヴァルジは絶句した。

 このワーカーとは二年近く仕事をやらせている。仕事仲間のはずなのだ。

 それが裏切るなぞ想像していなかった。

 

 「まさか……お前が組合に……」

 「ええ。そうですよ? いやぁいい仕事でした」

 

 儲かったと笑う裏切り者を殺してやりたいが、ここで反応すれば認めるようなものだ。

 なんとか怒声を呑み込んだイグヴァルジの正面にアインザックが立つ。

 

 「往生際が悪いぞ。もっと証拠を見せなければわからんのか?」

 「……ふざ、ふざけるなぁッ! 俺は、知らない!! そこの男とこいつらの陰謀だろうがぁ!」

 

 今、全てが無に帰す。

 イグヴァルジはその恐怖を怒りにかえてアイザックや元仲間たちに叫ぶ。

 

 「……いい加減にしたらどうだ」

 

 イグヴァルジの怒りと興奮がまき散らされる中、それをまったく意に介さず声がかけられる。

 感情の起伏など一切感じさせないその声は先程のワーカーと同じく階段の方から聞こえた。

 

 「てめぇ……!」

 「お前の仲間は音楽貝や証言。魔法で記録された映像を見ても、お前のことを信じていたよ。だから自分たちが調べると言ったのだ。……その仲間を最後まで裏切るのか?」

 

 階段を下りイグヴァルジの方へ歩み寄るのは全身真っ黒くて真っ赤な瞳がやけに印象的な男───ユーイチだ。

 

 最後通告。

 

 ユーイチの言葉にはその意味があった。それを感じ皆の視線がイグヴァルジに集まる。

 冷めきった侮蔑のこもった視線。

 

 (この野郎、何を言いやがるッ。何を言ってやがるッ! こいつらもなんだこいつらもなんだ! 俺をそんな目で見るんじゃねえ。俺は英雄になる男だ。俺だけが英雄にふさわしい男なんだぞ!!)

 

 イグヴァルジが冷静であればこのタイミング……いやもっと早く認めて謝罪をしていのかもしれない。

 だが、この時のイグヴァルジはそんなことはできなかった。

 全てに裏切られたように感じ。その原因こそ今自分のほうへ近づく黒い男だと思っていたから。

 だからこそ認められないのだ。

 

 「ふざけるんじゃねぇ!! もともとお前が、お前が調子にのらなきゃよかっただろうがぁっ! お前がここに来なければよかったんだろうがぁ!!」

 

 怒りが体を突き動かし、腰の短剣を抜きはなつとユーイチに向かってイグヴァルジは刃を向ける。

 

 「死ねぇ!」

 

 この原因さえ取り除けば全てが元通りになる。

 そんな考えさえイグヴァルジは覚えていた。

 

 まっすぐに突き入れられる切っ先。

 

 それに半歩後ろに下がりながら距離をあける。

 

 手首を左手でつかみひねりあげる。

 

 極まった肘を逃がさないように下げた足を踏み込み右手で肩をおしこむ。

 

 瞬きする間、とはこういうことを指すのだろう。

 見ている者が口を「あ」の形に開けた時にはイグヴァルジはそこに倒れこんでいた。

 

 「………」

 

 周囲の者が開けた口がふさがらない中、ユーイチは意識を狩りとったイグヴァルジの手を手放した。

 右手首、右肘、右肩。

 流れるような動きで全て破壊されている。

 イグヴァルジの意識がないのは腕を破壊された直後、首をわし掴みされ絞め落とされたからだ。

 周囲の目が何事もなかったかのように立つユーイチに集まる。

 イグヴァルジはミスリル級の冒険者だったのだ。

 それを鎧袖一触という言葉がふさわしいほどに相手にしなかった。

 胸に輝くミスリルプレート。

 それは羨望の眼差し、この都市の頂点の証のはずだ。

 だが、ユーイチの胸にかかっているそれはとてもちゃちなもの、分不相応の物にしか見えなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ここは天国だ。

 そうアリシアは思いながら、はふっと気の抜けた息を吐いた。

 九時を過ぎた頃、アリシアはナザリック地下大墳墓の大浴場で朝風呂を味わっていた。

 昨晩、トロールに追い回されてエ・ランテルに戻れず、朝風呂をお願いしようと考えていたのが嘘のようだ。

 

(極楽……極楽……)

 

 はふっ。

 心の中の自分もまったく同じように息を吐きながら頭にタオルを乗せている。

 アリシアは温かな湯に全て溶けてしまえとばかりに手足をだらけ、身をゆだねていた。

 

 

 モモンガとの話し合いが終わると遅い時間ということで案内された部屋ですぐに休んだアリシアだったがそこからずっと自分が天国にいるような感覚を抱いていた。

 まず案内された部屋は言葉に表せないほど綺麗で、豪奢であった。

 一体どんな立場の人であればこの部屋を使えるというのか。

 アリシアはどこか現実離れした思いで部屋を見ていたがすぐに自分がこの部屋を使うのだと思いだし、慌ててモモンガに確認したが、気にせず使ってほしいと言われてしまえばおそるおそる使うしかなかった。

 きっとセバスが慌てていた理由はこの部屋を使うように言われたからだと察しつつ、極力他の物に触らないように寝室の扉を開けると同じようにどこの姫君なら使えるのだという寝室が広がっていた。

 涎なんて垂らそうものならどれだけ怒られるだろうか。

 念入りに寝間着を選び、二度にわたって清めの魔法をかけ、おそるおそるベッドに身をゆだねる。

 そしてアリシアは天国にたどり着いた。

 

 (……すごいベッドだったなぁ。ふかふかなのに、ちゃんと受け止めてくれて)

 

 湯船につかるアリシアはベッドの寝心地の良さを思い返しもう一度、はふっと息を吐く。

 寝心地の良さを堪能した夜が明け、朝になると朝食の席を設けたとモモンガに招かれ座った席では一口一口をほっぺが落ちる思いで食べなければならない料理を堪能した。

 「もう普段の食事が食べられなくなるかもしれない」とアリシアの素直な感想を聞いたモモンガは大満足そうに「なんだったらいつでも食べにくるといい」と言いアリシアを困らせていた。

 

 (美味しかった……ユーイチにも食べさせてあげたかったな。……あんな料理、私にもできるかな……?)

 

 目を薄く開け、ふやけていた思考がすこしはっきりする。

 自分があんな美味しい料理を作り、食べさせてあげたら、ユーイチはどういう顔をしてくれるだろう。

 湯の熱とは違った理由で赤みが顔にし、それを隠すように湯船に口元まで鎮める。

 

 ぽこぽこと気泡がはじける。

 

 今の自分のように幸せだと思ってくれたら、きっと自分は今よりもっと幸せだろう。

 アリシアはその時を想像し、また赤くなり、料理の腕を磨くことを決意する。

 

 (モモンガさんにお願いすれば教えてもらうこともできるのかな。……ずうずうしい、かな)

 

 朝風呂を勧めてくれたモモンガならおそらく快く料理の勉強をさせてくれるだろう。

 だが、モモンガは立場のある人だ。自分のような旅の冒険者が図々しい。

 アリシアは朝食の席で紹介された人たちを思い出す。

 アルベド、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス。

 私の自慢の守護者たちだ、と紹介された方達の存在感はセバスに匹敵する。

 アリシアはセバスほどの強者がこんなにいるのかと驚きでいつものように無表情になっていた。

 そんなアリシアを見る守護者たちの目は決して好意的なものではなかったとアリシアは分かっていた。

 特に守護者統括と紹介されたアルベドという女性は天使のように美しい外見の中に悪魔のような狡猾さと残忍さを隠しているように見えた。

 そしてアリシアがそこまで分かるほどに隠しきれない不快感を発していた。……モモンガは気がついていなかったが。

 

 (一番いい部屋をお借りして、美味しいご飯を食べさせてもらえて……こうしてお風呂を貸してくれてる。もう十分。うん)

 

 アリシアはそう思いここまでしてくれたモモンガに心から感謝した。

 自分がモモンガにしたことはいずれモモンガもわかることだろう。

 だが、自分はもう二度とこんな体験はできないはずだ。

 

 (満足……満足……ごくらく……)

 

 次はないと思えばどれだけゆったりしてても罰は当たるまい。

 アリシアは再度湯に身を溶かす思いでくつろぎ始めた。

 

 そんなアリシアの意識をサルベージしたのは自分を呼ぶ声だった。

 

 「失礼します。アリシア様……。アリシア様、おやすみでしょうか?」

 「ふぁ……ん、ぁ、大丈夫です。なんでしょうか?」

 

 アリシアは自分を呼ぶおそらくメイドさんの声に湯船からあがると入口の方まで歩いた。

 頭にのせていたタオルを体に巻き、大きな浴室をもどる。

 すると金の髪を自分と同じように頭で纏めた赤い瞳のメイドさんがいた。

 

 「これはアリシア様、ご寛ぎ中のところ失礼しました……。私はイレインと申します。モモンガ様からご指示を受け、アリシア様のお世話をするように命じられています」

 「モモンガさんが?」

 

 

 

 ビクリ

 

 

 

 アリシアの言葉にイレインがすこし震えた。

 

 「はい。その通りでございます。モモンガ様はアリシア様をご友人と仰られ、手厚くもなすようにとのことです」

 「ご友人……」

 

 モモンガが自分をどう部下の人たちに説明しているのか。

 気にかけていたことが判明し、友人という好待遇にアリシアはありがたくもあり申し訳なくも感じた。

 自分が最初にお願いした「仲良くしてほしい」という願い。これを聞き入れてのことだろう。

 そのために部下達は不満を抱えているのだ。

 自分のようなどこの馬の骨かわからない女がモモンガのような主人の友達として扱われている。

 アリシアは自分のためにモモンガとその部下たちに問題が起きないようにと願った。

 

 「アリシア様、私はモモンガ様からのご指示を果たしたく思います。……どうかご入浴のお世話をさせていただけないでしょうか?」

 

 見るからに既に入浴を済ませているアリシアにイレインが頭を下げて願い出る。

 イレインはモモンガに直接アリシアの世話をするように命じられ、これ以上ない喜びを感じていた。

 これもプレアデスの面々がセバスについていきたがったのと同じように特別な指示を受けることが仕える者にとって至上の喜びであるからだ。

 そのためイレインは何としてもアリシアの入浴の御世話をしたかった。いや、せねばならなかった。

 例え、内心では主人をさん付けで呼べるような関係をアリシアが築いていることに嫉妬のような感情を抱いていたとしても関係ない。主人の命令に従い、行動すること。それがイレインのしたいことであった。

 ちなみにアリシアが体を洗い、入浴した後にイレインが遅れてやってきたのはイレインのせいではない。

 モモンガが予想するよりも圧倒的に早くアリシアがお風呂に入りに行ったせいである。

 なによりアリシアには着替えの用意や服を脱ぐという手間を省略できる方法があるため準備に手間取らなかったのである。

 結果、部屋を訪ねたイレインがアリシアの不在に気がついて慌てて風呂場に向かうということが発生したのだ。

 

 「ん。……わかりました。お願いします。イレインさん」

 

 頭を下げられてまで頼まれては認めるしかない。

 アリシアはすこし恥ずかしく感じながらも自分のお世話をお願いした。これにはもうすこしこの湯船に浸かっていられるという心の中の自分の欲望もある。

 先程から「もっとお風呂に入ろうよー」と自分をこの場所に引きとめようとする心の中の自分対「そろそろ出ないとモモンガさんに迷惑がかかるかもしれない」という出る出ない戦争が自分の中で何度も行われ、それに敗北し続けていたのだ。

 イレインのもう少し入浴を続けてほしいという願いはアリシアの本心とも合致したものであり免罪符をもらったかのようなものだった。

 

 「感謝いたします。アリシア様。……では、この奥に水風呂がございます。よろしければそちらで一度リフレッシュされてはいかがでしょうか。その後、あちらの扉の奥にございます岩盤浴や砂風呂を堪能されてはいかがでしょうか?」

 「水風呂……岩盤浴、砂風呂……」

 

 どれもアリシアは経験したことがないお風呂だ。

 水風呂とは字のごとく水の風呂なのだろうか? 岩盤浴や砂風呂に至っては想像できない。

 もしかしたら変な湯の色がしたので入らなかった湯船の一つかもしれない。

 ここナザリック地下大墳墓の大浴場はスパリゾートナザリックと呼ばれていて十二のエリアに分かれる九種十七個の浴槽を備える。

 アリシアが入っていたのは半身浴が基本の長く浸かることができる湯船だ。柚子のような果実が浮いており体の芯から温まる湯であった。

 そこに至るまでにいくつかあった変な色がしたりお湯がなかったり、光ってたりするお風呂のことかとアリシアは思い至る。そして入ってみたいとも思う。入り方が分からなかったから遠慮したがイレインがいればそれも解決している。

 

 「うん。それでお願いします」

 「畏まりました。ではどうぞこちらへ。お飲み物もご用意してあります」

 

 (入浴中に飲み物……温泉でお酒を飲む感じかな)

 

 アリシアは自分の知らないお風呂を楽しみにしながらイレインの後に続いた。

 そして実際に水風呂を目にし、がっくりした。

 

 「こちらが水風呂です。冷たすぎず、常温よりすこし低いほどを意識しています」

 

 そうイレインに案内されるとそこには広々とした浴槽こそ他と変わらないがみるからに温かくなさそうな水が入っている。

 

 「……水」

 

 ちゃぷちゃぷと手で試しに水面を混ぜてみると柚子風呂であったまった体にはかなり冷たく感じるほどに水である。

 

 「どうかされましたか? アリシア様」

 

 不思議そうなイレインに手をあげて何でもないと答えつつアリシアは逡巡した。

 この水に入るか否か。

 心の中の自分はNO! と否定的であり、自分でもそう思った。

 アリシアはお風呂が大好きではあったが水風呂は好きになれそうになかった。

 

 (……これ、ただの水。お風呂じゃない)

 

 そうひっそり抗議するくらいにはお風呂だと認めていない。

 だが、折角案内してくれたイレインの御世話にならないのはモモンガにも失礼ではないだろうか?

 悩むアリシアはちゃぷちゃぷと水面をかき混ぜ続ける。

 かき混ぜていたら湯にならないかなぁ、なんてすこし逃避も混じっていた。

 そんなアリシアを不思議そうに見ながら、なにか問題があったのかとイレインはアリシアの手元を確認しようと近づいた。水面になにか浮いているのかと思ったのだ。

 そうして踏み込んだ時だった。

 

 ズルッ。

 

 濡れた床に足を滑らせるとイレインはアリシアの方へ倒れ込んでしまう。

 アリシアは驚きつつも受け止めるのだが、なにせしゃがんでいたため姿勢が悪い。

 

 「ぁーっ」

 

 ざぷん。

 あったまった体にはかなりくる水風呂にアリシアはイレインともども浸かってしまうのであった。

 

 「ぷはぁ」

 「あ、アリシア様」

 「ぁ、イレインさん。大丈夫ですか? ごめんなさい。受け止められなくて」

 

 アリシアは腕の中のイレインに謝りながら、意外な水風呂の気持ちよさに驚いていた。

 先程までどこかふやけていた思考がすっきりし、湯船に浸かるのとはまた違った心地よさ……清涼感とでもいえそうなものがある。

 イレインが水風呂でリフレッシュと言っていた意味が分かった気がした。

 

 (なるほど……。これはこれでアリかも)

 

 流石はモモンガさんのメイドさんだ、と言ったら怒られるだろうかとアリシアは自分の価値観では産まれることがなかっただろう水風呂文化に感銘を受けた。

 

 「も、もうしわけありません。御世話をする私がこのような無様を……っ」

 

 大慌てで立ちあがりあがると深々と頭を下げるイレイン。

 その声には謝罪の念も強かったが失敗してしまったという無念が色濃くあった。

 

 「ううん。むしろ、ありがとうございました。……水風呂は、初めてで……冷たい水に入るのためらっていたんです。おかげでこのお風呂のよさが分かりました。……気持ちよかったです」

 「アリシア様……御寛大なお言葉、ありがたく思います」

 

 

 イレインが再度頭を下げた時だった。

 

 

 アリシアはイレインを抱き抱えるとそのまま前方に飛んだ。

 

 「ぇ―」

 「口を閉じて」

 

 腕の中のイレインが驚きの声をあげるのを遮りながら油断なく前方─先程まで自分たちがいた場所を見る。

 そこには腕を振りおろして、水面を爆発させたかのような水しぶきをあげた一匹のライオンがいる。体が石か金属かわからないもので出来ていのでもちろん本物のライオンではない。先程までただの置物だったはずのものだ。

 それが急に動きだし、襲いかかってきたのだ。

 

 「イレインさん。あれがなにか知っていますか?」

 「いえ……知りません」

 「そう、ですか」

 

 自分と同じようにこの事態に驚いているイレインにアリシアはなにか問題が起きたのかと警戒レベルを押し上げる。自分がなにかしでかして誰かの怒りにふれたから襲われたわけではないようだ。

 アリシアは注意を引くようにイレインから距離をとる。

 

 「とにかく、イレインさんは逃げて。そして誰か人を呼んできてください。それまで時間を稼ぎます。……壊さないように」

 

 壊したら責任の取りようがない。

 悲壮な思いを抱きながらアリシアはタオルをストンとその場におとす。

 するとその場には局部を鎧で覆った鎧姿のアリシアがいた。身軽なその姿は軽鎧装備と言える。

 右手を前に出すとその手には白柄紅鞘の美しい刀が握られる。

 

 「ぇ……畏まりました。すぐにモモンガ様にご連絡を……!」

 

 一体どこからどうやって装備したのか。

 イレインが頭をよぎった疑問をふりはらい立ちあがっるとそれを許さないかのようにライオンから声が発せられる。

 

 

 「マナー知らずに風呂に入る資格はない! これは誅殺である!!」

 

 

 「ぇ」

 

 男性の声が発せられたかと思うとライオンは明らかにアリシアを無視し、イレインの方へ突進していく。

 その速度はアリシアが目を見張るものであり、アリシアの見たところただの一般人とそう違いの無いイレインではそのまま引きつぶされるものだ。

 

 「この声、るし★ふぁーさ」

 「危ないッ!」

 

 茫然としたように身動きできないイレインの元へ飛びこむように移動しながら抱きかけると再度奥へ飛び込む。

 ゴロゴロと硬い大理石の床を転がり間一髪で攻撃を避ける。

 

 「平気ですか?」

 

 アリシアの問いにコクコクと頷くイレインの顔は蒼白だ。

 当然だろう。命を狙われているのはアリシアではなくイレインなのだから。

 

 

 (さっきの言葉……まさか、体を洗わずにお風呂に入ったから? それで襲ってきてるの?)

 

 

 アリシアは抱き抱えたイレインを左手でしっかりと抱え込む。

 狙われているのがイレインである以上自分から離れればそのまま引き潰される。

 

 「……捕まっていてください。このまま戦います」

 

 アリシアは覚悟を決める。どうにか許してもらえると信じてあのライオンを破壊する。

 そうでなければイレインを救うことはできない。

 

 「……私、誅殺」

 「イレインさん?」

 

 アリシアの危機感とは違いイレインはどこかうつろな表情でぼそぼそと小さく声を出している。

 

 「……アリシア様、おろして下さい。私は殺されなければなりません」

 「!? な、何を言ってるんです、か?」

 「至高の御方であられるるし★ふぁー様のお声が先程のものです。これは誅殺であるっと。至高の方々に望まれれば私はこの身を差し出さなければならないのです」

 

 ライオンがノッシノッシと重たそうに近づいてくる。だがあれが油断を誘うためのポーズだとアリシアは既に分かっている。先程のように予備動作なくあれほど早く動けるのだ。背を向けたら終わりだろう。

 

 「そんな……。だめです」

 

 おろしてくれと暴れるイレインを抑えながらジリジリと距離をとる。

 至高の御方、それについてアリシアはモモンガから聞き及んでいた。

 ここナザリックを作り上げたモモンガをいれて四十一人の存在。モモンガの仲間であり友人たちだ。

 今はいなくなってしまったが、と寂しそうに語るモモンガの顔をアリシアははっきり覚えていた。

 

 「おろしてください! 私は、殺されなくてはッ」

 「駄目、です!」

 「───隙あり!」

 

 また男の声が響くと言い争っている二人のところへライオンがチャージをかけてくる。

 振り下ろされる前足を避けようとするアリシアだがイレインが暴れるせいでうまく動けない。

 

 「!」

 

 なのでアリシアは動かなかった。

 硬い物が激しくぶつかり合う音が響くとライオンの前足はアリシアに届く前に浮遊する石の盾に阻まれている。

 

 

 <石障壁>

 

 

 心の中の自分がそう呟くのが遅れて聞こえた気がした。

 

 「──ッ!」

 

 背中に装備した鞘から愛刀・黒耀を抜きはなつ。

 

 一閃。

 

 片手での見事な抜刀術は光速の一閃となってライオンの前足を切り裂く。

 だが、それだけでもあった。

 

 (硬いッ。これ何でできて───ッ)

 

 伝わってくる刃が半ば弾かれたかのような手ごたえに目を見開きながら飛びずさる。

 見れば前足には確かに刃が走った跡が残っているもののそれがダメージになっているようにはとても見えない。両断を目的に攻撃したにしてはなんと後味の悪い結果か。

 

 「──」

 「離して下さい! 私が粗相を犯したからるし★ふぁー様のお怒りに触れたのです。これは当然のこと! モモンガ様のご友人であるアリシア様にまでもしものことがあれば……ッ。私はこれ以上至高の御方々のご期待を裏切るわけには……!」

 

 ジタバタと暴れるイレインの声には心からの願いがあった。

 本心だ。

 アリシアは分かった。

 本心からイレインはあのライオンに殺されたがっているのだ。

 

 アリシアは黒耀を鞘に納める。

 

 「おわかりいただけましたか。なら早くおろして」

 「おろさない」

 

 そして両手でイレインを抱えた。

 姫を抱える騎士のように。

 

 「な、何を言って」

 「イレインさんは一つ間違っている」

 「───な」

 「イレインさんがここで死ぬと私のお世話をしてくれる人がいなくなる。……それはモモンガさんの指示を無視してる」

 「ぁ」

 

 イレインは目から鱗が落ちたように暴れるのをやめた。

 アリシアの言う通りである。ここで死ぬことはモモンガの命令を無視した行為だ。

 

 「それにあのライオンはるし★ふぁーさん本人じゃないですよね?」

 「……その、通りです」

 「なら直接指示をしているモモンガさんこそ優先されると思います……。どうでしょう?」

 「……その、通りです」

 

 冷や水を浴びせられたかのように冷静さを取り戻したイレインはアリシアの言葉に素直に頷いた。

 同時にイレインの中でナザリックの外の者と見下ろしていたアリシアの評価が徐々に変わってきていた。

 

 「だから、私のお世話を……お願いします」

 

 自分を見下ろすこの人はモモンガ様が友人と認めた女性───。

 頷き返しながらイレインはアリシア様を見上げた。

 

 

 「口を閉じて。そして離れないで」

 

 

 両手で抱えたイレインに抱きつくように指示を出しより安定させる。

 アリシアはそれを確認すると一気に加速した。

 ライオンに先に動かれる前に。

 

 「───遅い!」

 

 またライオンから男の声が、るし★ふぁーの声が響く。

 アリシアの疾風のような突撃にもライオンは反応し前足をふりあげたのだ。

 加速のついている分アリシアには避ける範囲が狭い。

 だが、アリシアはそれを避けた。

 振り下ろしに合わせて“まるで走っていなかったかのように”その場に急停止する。

 タイミングを合わせてふりあげていた前足をライオンは振り下ろすしかない。

 しかもそれだけではないことをアリシアは見切っていた。

 全力での振りおろしをライオンは地面に当たる直前に寸止めしている。

 そう、先程からライオンは風呂場に被害が出るような攻撃はしないのだ。

 故にこうして寸止めすると大きな隙ができる。

 アリシアは寸止めしたため目の前に突きだしている前足に飛び乗る。

 すると前足を中心にライオンの全身から湯気が立ち上る。

 まるで全身が炎ににさらされているかのようにライオンの温度は上がり続ける。

 

 <熱金属>

 

 それは剣や盾など装備にかける火の魔法。

 魔法がかかったものの温度を上昇させ続けるという魔法である。

 上限はどれほどの魔力を使用者が込めたかによってきまる。

 これによりライオン全身の温度がどんどんどんあがっていく。

 心の中の自分が次々! と指示を出しつつ腕を回す。

 はねのけるように前足をふり回し、噛みつこうとするライオンから、自分から跳びのき距離をとる。

 見ればライオンは周囲の水分を蒸発させて発生させた白い蒸気を身にまといながらこちらをうかがっている。 

 

 「うん。やっぱり」

 

 このライオンの行動パターンはだいたい決まっているのだ。

 攻撃すればまず様子を見る。こちらに動きがあればそれに対応する。

 こちらに動きがなければ様子を見る。

 こちらの動き次第では別の行動も見せるだろうがつまり変な動きをしなければ。

 

 先程と同じようにアリシアは突っ込む。すると同じようにライオンは反応し前足をふり下ろす。また急停止しているアリシアはその攻撃を避ける必要もない。

 先程との違いは高温によって目の前のライオンがかなり熱いくらいだろう。

 そう熱いのだ。

 

 <氷棺>

 

 ピシ。

 

 アリシアは<熱金属>を解除すると今度は氷の魔法である<氷棺>を発動させる。

 すると目の前には氷の棺が現れライオンを包み込んでいる。

 これは本来は何かを封じ込める、何かを保存するための魔法だ。

 だが、その保存するためにこの魔法は対象がもつ熱を奪い去る。

 この場合はライオンの熱だ。<熱金属>で限界まで高温になったものを全て奪い去る。

 

 ビシビシビシビシッ。

 

 ひび割れる音が二重に響く。ひとつは氷の棺だ。

 強度自体は普通の氷でしかない氷の棺はライオンの力で動かれれば瞬く間に砕ける。

 アリシアがイレインをその場におろしている正面で氷は砕け散り中からライオンが現れる。

 だが、もはやアリシアの刃を防いだ威容は消え失せている。

 全身にヒビが入り、前足に至っては既に砕け散っている。

 氷を砕く際に自分の足も砕けたのだ。

 動きが鈍りつつもイレインに向かって動こうとするライオンの前にアリシアは立ち塞がる。

 そして、改めて黒耀を抜いた。

 

 「武技───二条雷徹」

 

 上段からの振りおろしはまるで刃が二重に重なったように見えた。

 ライオンの頭部に刃が触れるとそこを起点としてまるで竹を割ったかのようにライオンに亀裂が走る。

 それを確認してアリシアは鞘に黒耀を戻した。

 鍔と鯉口がぶつかる小さな金属音がやけに響く。

 それをきっかけにしたかのようにライオンは崩れさった。

 

 

 

 

 ライオンを撃退したアリシアはイレインに御世話をされていた。

 静かな浴室にわしゃわしゃと髪を洗う音が流れる。

 

 「かゆいところはございますか? アリシア様」

 「ううん。ない、です。……むしろ気持ちいい。イレインさん、髪洗うの上手です」

 「ありがとうございます」

 

 先ほどの戦いがなかったかのようにイレインがアリシアの髪を洗っている。すでにアリシアはタオル姿であるし、イレインは自分が望んだ通り献身的にアリシアの世話をしていた。

 折角のお風呂でのリフレッシュをライオンに邪魔されたまま終わらせては申し訳ない。

 そう願ったイレインにすべて任せたアリシアはライオンを倒した際にかぶったライオンの粉を洗い流してもらっていた。

 髪の泡を流し丁寧にタオルで包んでいるイレインの姿はどこか親身で優しさを感じさせた。それはナザリックに属する者がそうでない者に接する態度から逸脱したものと言える。例えそれが主人の命令だったとしてもだ。 

 イレインの目はどこか妖しく見惚れるかのようにアリシアをみつめていた。

 

 「アリシア様の髪はお美しいですね。手触りも素晴らしいです」

 「褒めすぎ、です。イレインさんの方が綺麗ですよ」

 「私は私を見つめることはできませんから。……お肌も本当にお綺麗です。こんなに美しいのにあれほどお強いのです。モモンガ様のご友人になられる方だと深く理解しました。……お洗いしますね」

 

 首筋から肩、背中、お尻、そして足へとイレインの手は淀みなく動く。無理な力など少しもかけず、必要な手順で必要な動きをしアリシアの美しい肢体をなぞる。

 

 (なんだろう……少し変な、感じ……?)

 

 いつのまにかに前に回ったイレインの手はアリシアの柔らかな胸を揉みあげるようにその先へ向けて動かしながら泡だてている。

 イレインの手がしごくように桜色の頂点を洗うたびにアリシアは今まで感じたことがない感覚に声が漏れた。

 

 「ぁっ・・・んっ」

 「お気持ち、よろしいですか?」

 

 後ろからつまむように洗うイレインの吐息が妙にくすぐったくアリシアは逃げるように身じろぎした。

 

 「なん、だろう。これ。体を洗って、こんな感じになるの。はじめてで」

 

 なにがなんだか───。

 心の中のアリシアも目を回してる。

 

 「───そう、ですか。私がはじめて、ですか」

 「……ん。これって、やっぱりイレインさんが上手で、だから気持ちいい、んでしょうか?」

 

 すこし潤んだ瞳をむけてくるアリシアにイレインは小さく微笑むと身を寄せて手を滑らせる

 

 「っ、そこは、自分で」

 「大丈夫です。お任せください。……アリシア様の仰るとおりです。私はこういうことが……得意ですから」

 「んっ、ぁ、っ、ま、まって」

 

 まってっ、まってっ!

 

 心の中の自分も同じようにあわあわする中、続けられたイレインのお手伝いの前にアリシアはなすすべもなかった。そして数分後、くったりとした様子でイレインにもたれかかるアリシアがそこにいた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その日は快晴だった。

 合わせて二日間に渡る夢のような時間に思いを馳せながらアリシアはエ・ランテルへむけてのんびりと歩いていた。

 ナザリック地下大墳墓での夢のような二日間を過ごし、アリシアは帰路についていた。

 ライオン事件後、事態を把握したモモンガには周囲の部下が驚きのあまり絶句するほど謝罪されていた。

 どうしても謝罪を受け入れてほしいと言われたアリシアは断り切れず「今度は料理を学びに訪ねてもいいだろうか?」と願いを口にし受け入れられていた。

 だが、アリシアにとっては恩を受け過ぎているとしか思えない。

 そのためナザリックの案内をしてもらった二日目の夜中。

 立派な執務室を借りてアリシアはお返しを準備し、今朝ナザリックを離れる際にモモンガに手渡していた。

 

 「最後にこんな素晴らしいものまで……ありがとう。アリシアさん。またいつでも訪ねてきてほしい。私の名において歓迎する」

 

 わざわざ出口まで見送りにきてくれたモモンガにアリシアは二日目の夜中に書き写したこの辺り一帯の地図をわたしていた。すこしでも役に立てればそれがお礼になるだろうと考えてのことだったが、モモンガはアリシアの心遣いに感激した様子で何度もお礼を言っていた。

 それはむしろアリシアを恐縮させるには十分だったのだが。

 

 「アリシア様……次回のお越しを心からお待ち申しています。また、お世話させてくださいませ」

 

 モモンガにつき従うように見送りに来てくれたイレインにアリシアは少し顔を赤くして頷いた。

 風呂場での失態を思い返し、本当にお世話になったという思いと羞恥が込み上げてきたからだ。

 

 (・・・・・・お風呂場でしたのっていつ以来だっけ)

 

 もう遠い昔のことで思いだされるのはバレて母親に怒られているところだけだ。

 顔を真っ赤に染めると恥ずかしさをふりはらうようにブンブンと首を横に振る。

 イレインとは随分と仲良くなれたのだがその分恥ずかしいところも見られてしまった。

 アリシアは次はどういう顔でイレインに会えばいいのだろうかとエ・ランテルまでの街道を歩きながら頭を悩ませるのであった。

 

 

 

四頁~冒険者アリシアとメイドさん~

  モモンガさん、イレインさん、そしてライオン? 終




ここまで読んでいただきありがとうございました。

過去最高の字数をもってお送りしましたがいかがでしたでしょうか。

もっともっと書きたいシーンが途中何度も浮かんできたのですが、それをいちいち描写しているといつまでたっても先に進まないという思いから泣く泣くカットしております。

本当は二日目のナザリック案内や、エ・ランテルでのユーイチ、イレインがどういう子なのか一般メイドとの会話で話したりとか・・・。

いっぱいしたいことが多い話でした。
時間があけばあくほど想像が膨らんでしまうのは余りいいことでもなのかもしれません。

本当に読んでくださってありがとうございました。

2018/06/22
台詞と地の文の間を一行あけました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五頁~戦士長ガゼフ・ストロノーフ~

興味を持っていただけてありがとうございます、

今回は読んでもらえばわかると思うのですが前回二万字を突破してしまったことを反省して、四千×四で一万六千字をめどに書き進めて行きました。

ただ、登場人物が増えれば増えるほどかきたいことが増えすぎてかく前に字数を意識しておかないとかき過ぎてしまいます。

今回はかきたい物をかなり削除したのでどこかでその分かけたらと思います。

さて、内容はやっとここまで来たかという感じです!

よければお読みくださいませ!!


五頁~戦士長ガゼフ・ストロノーフ~

  一人目の戦士は見えない物を知る。

 

 

 

 

 やけに機嫌がいい。

 

 ナザリック地下大墳墓九階層で働く一般メイドたちは同僚であり姉妹でもあるイレインの変化に敏感であった。

 すこし騒々しいくらいの声で溢れる食堂ではいくつかのグループに分かれて朝の食事が行われている。

 創造主を同じくするグループが三つとその他で合計四つ。その中でイレインはその他のグループに属していた。

 各々の理由から創造主グループを離れて食事を取っているイレインや他のメイドたちは食堂各地で疎らに座っている。その中でイレインの様子に気がついた者が首をかしげるように視線を向けている。

 

 「イレイン。隣、よろしいですか?」

 「リュミエール。ええ、構いませんよ」

 

 失礼します。

 そう言って行儀よく隣に座る同僚がその手に朝食を持っていないことにイレインは首を少し傾けた。

 

 「リュミエール、朝食はどうしたのですか? いつもなら……ああ、なるほど」

 「察しが良くて助かります。はい。ご察しの通りです」

 

 イレインは普段リュミエールが食事を共にする同僚たちを思いだし問いかけながら理解した。

 来るのが遅れる友人たちのために席を取っているのだろう。

 

 「しかし、それならばどうして私の隣に? たしかに私はすでに食べ終わり、食後の飲み物を味わっているところですのですぐに離れますが……貴女らしくないですね」

 「その通りですが、お言葉をそのまま返させていただきますよ。イレイン。貴女こそらしくないように見えましたよ」

 

 だから気になって声をかけたんです。

 リュミエールの言葉にイレインは意外なほど落ちついた様子で自分の頬に手をあてて、素早く周囲の目を確認した。するとじっとこちらを見つめてくる目といくつか視線が重なり、イレインはそれほど態度に出ていたのかと少し顔を赤らめた。

 そしてその態度こそイレインらしからぬものだった。

 普段のイレインはどこか冷めた目をしていて表情はめったに崩れない……よくできた人形のような対応をしていた。それが今日に限って表情をコロコロと変えていた。それは同僚たちでなければ気がつかないほどだったが、明らかに普段の様子からは想像できない姿だった。

 

 「モモンガ様からのご勅令、それほど喜ばしいものでしたか?」

 

 リュミエールは自分が知ってる限り、イレインに一番影響を与えただろう最近の出来事を口にする。

 羨ましい気持ちがこみあげてくるがリュミエールはそれを表情に出すようなことはしない。出さなくてもだれもが羨ましいと感じていることだ。わざわざ出す必要はない。

 友人たちであれば間違いなく表情にも声にも羨ましさをあらわにしてイレインを問い詰めただろう。

 

 「それは当たり前のことです。私たちにとって至高の御方々にお仕えすることこそ至上の喜び……なの、ですから」

 「イレイン?」

 

 ナザリックで生まれた者として当然の言葉のやり取りをしていたはずなのにイレインの様子がおかしかった。

 何かを思い返すように視線はティーカップの水面に固定され、赤らめた顔色は変わらず両手はそれぞれ頬に添えられている。

 

 「……リュミエール。貴女は創造主であられる至高の御方々からメイドとして何を望まれていましたか?」

 「? 私は皆と変わりません。ナザリックにふさわしいメイドであれ、おおよそ皆そうでしょう。ノエルのように完璧であれと命じられているのは特殊ですから」

 「そう、でしょうね」

 「……」

 

 リュミエールはおおむね事態を察しイレインの言葉を待つことにした。

 想像の通りならイレインの態度が普段と違うのも納得いくものだったからだ。

 

 

 

 「……私は、至高の御方に百合の花、同性を愛するように願われて創造され」

 「すいません。あちらの方に席が空きましたので、ここで」

 

 

 

 スッと逃げるように立ちあがろうとしたリュミエールだがその手をイレインはがっしりと掴む。

 

 「自分から話をふっておいて逃げるのはずるいでしょう」

 「それは……そうでした。ごめんなさい。予想外の内容だったからつい」

 

 座りなおしたリュミエールだが少し距離が開いている。

 イレインの言葉を聞き取った周囲のメイドたちもそっと距離を取った。

 

 「まったく。早とちりしすぎです。私は貴女達とそういう関係になるつもりはありません」

 

 すこし憮然とした表情のイレインにリュミエールは内心ほっと一息をつく。

 

 「だいたい、そう思っていたのならもっと早く手を出しています。……そうですね。ノエルかインクリメントでしょうか」

 「……そう、ですか」

 「ご安心を。そうあれと願われた私ですが、どうも同僚であり姉妹である貴女達にそういう感情は湧きません」

 

 イレインの落ちついた様子に調子を取り戻したリュミエールはまた疑問が頭に浮かんだ。

 リュミエールはイレインの様子から見て創造主に望まれていたことを果たせたがゆえに喜びをかみしめていたのだろうと思っていた。

 創造主の言葉はナザリックの支配者であるモモンガの言葉よりも大きい。例えモモンガにやめろと言われても創造主に願われた事ならばやめることは難しいだろう。

 悔しきかな、まだ直接そう願われたことがないリュミエールだったが、だからこそ自分たちの最上位である創造主の期待に応えることの喜びを想像し、その喜びの桁の大きさは果てがない。

 ゆえにイレインもそうだと思っていたのだが……。

 

 「とすると……イレイン、貴女のお相手というのは……どなたなのですか?」

 

 とたんに距離を置いた周囲がその包囲網を狭めてくる。

 話は聞こうと思えばききとれる。

 皆、この会話に耳を傾け視線を向けていた。

 自分達でなければ同性の存在となるとプレアデスの面々か守護者の三人だろうとすぐに想像がつく。

 そしてそのいずれかとイレインは睦言を交わしたというのだ。

 プレアデスも守護者も一般メイドの彼女たちからすると憧れの存在である。その憧れの存在と関係を持った。この重大ニュースに皆息をのんでイレインの言葉を待った。

 

 「ふふ。そうですね。言ってしまいましょうか。この想い胸に秘めたままでは何かミスを犯してしまうかもしれません。……アリシア様です」

 

 口にした瞬間自らの瞳の色とおなじように顔を染めるイレインは恋する乙女以外の何者でもない。

 だが、その熱の上がりようとは反対に周囲は困惑していた。

 

 「アリシアさ、ま……? それは、たしか昨日まで滞在していた……」

 

 外の人間では? とリュミエールと周囲の眼差しは壊れた機械を見るかのようだ。

 だが、そんな視線に気がついていてもイレインの熱は冷えることなどない。

 

 「ええ。そうなのです。アリシア様です。ナザリックに迎えられた二人目のご客人であり、モモンガ様がご友人と認められたお美しい姫様。あぁ、あれほどお美しいのに戦う際の凛とされた佇まい、あの眼差しの鋭さ……肌に手を伸ばした時のあの初心な御反応がもう……お可愛らしくて、もう」

 

 自分の指先をうっとりと眺め、手で包む。その指が何をしていたのかを味わうように。

 

 「ごほん。イレイン。落ちついてくださいね。イレイン。アリシア……という人間は一時的にナザリックに招かれた者でしょう? その者と睦言を交わすなどこの身を創造された御方々に不敬なのではないでしょうか?」

 

 リュミエールの眉をひそめた物言いにいつの間にか周囲に集まったメイドたちが同意したように声をあげる。

 だが、周囲の否定の声を受けてもイレインはなにも動じていない。

 それどころかゆるんだ口元を元に戻すと強い口調で言い返した。

 

 「皆、口を慎むように。モモンガ様がご友人と仰った方にその物言いこそ不敬です。モモンガ様はナザリックに属する者全ての主人。主人のご友人に敬意を払うことは当然至極真っ当な物。……モモンガ様が認められた存在。その事実さえあればナザリックの外の者であろうとそれだけで蔑み軽視できる存在ではないのです。……なにかありますか?」

 

 ティーカップに残った最後のお茶を飲み干し周囲を見渡す。

 イレインの眼差しと言葉にメイドたちは誰も言い返せない。

 事実イレインの言う通りなのだと皆分かっているからである。

 ただ、余所者が自らの主人と仲良くするばかりか友人を名乗る、その事実が気にくわない。この思いもまたナザリックの者のほとんどが持っていた素直な感情でもあった。

 

 「まったく。皆、そのような態度をモモンガ様の前で見せてしまえば我々の評価が下がってしまいます。気をつけてください」

 「……そうですわね。ごめんなさい。イレイン。私たちが間違っていたわ」

 

 リュミエールの言葉に周囲のメイドたちも謝罪の言葉を述べるが何人かはむすっとした表情のまま食堂を出ていく。イレインはその同僚たちが外を軽視している者たちだとすぐに分かった。

 

 (愚かな……とは言えませんか。私も、アリシア様のあのお姿を見るまでは同じ考えでしたから……ふふ、本当にご勅令に選ばれてよかった。あのお美しくもお可愛らしいお姿を私だけがこの目にできたのですから)

 

 イレインは再度アリシアの姿を思い出しその目に恍惚とした光を宿した。

 ナザリックに属する者のことをそういう目で見ることができなかったイレインにとって、同性かつ外の者であり、ナザリックに認められた存在というありえないような条件を抜けて目の間にやってきたアリシアこそ、はじめて出来た想いを捧げる対象であった。そしてそれがイレインにとって自分をそうあれと定めた創造主への忠義を果たすことなのだ。

 

 (アリシア様……どうか、またこちらへおいで下さいませ。アリシア様)

 

 周囲の喧騒を抜けて食堂を後にしながらイレインは初めての恋心を募らせるのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

  

 ウィーシャは朝の支度を急ぎながらすこし理不尽な思いを抱かずにはいられない。

 何が理不尽なのか。それはいつも自分が朝の支度を終えるのが一番遅いということである。

 自分が起きるのが遅いのならウイーシャはそう思わないのだが毎朝五時には目を覚ましているのにそれよりほかの家族が起きるのが早いのだ。

 

 (母さんも起こしてくれたらいいのに)

 

 今朝も起きだして窓を開ければいつものように中庭で朝の鍛錬を行っているユーイチと目があった。

 朝の挨拶を交わし、寝癖を指摘される。これもよくあることだ。

 ウィーシャはよく跳ねる自分の髪を恨めしく思い、ユーイチにだらけた自分を見せることを恥ずかしがった。

 部屋を出れば既においしそうな匂いが漂ってくるのを感じ、足早に台所に向かうと母のファリアが既に朝食の準備を進めている。

 ここでも朝の挨拶をすれば寝癖を指摘される。すこしむっとしてどうして一緒に起こしてくれないのかと言いたくなるがそれはぐっとこらえる。ウィーシャが口を閉ざすとファリアは身支度を整えておいでと微笑む。頭の先から足元まで隙なく身支度を整えているファリアはユーイチに寝癖など見られることはないのだろうと思うとウィーシャはすこし悔しかった。

 

 「よし」

 

 顔を洗い、髪を整え、身支度を整える。

 鏡の前で全身のチェックを終えると自然と一声漏れた。

 母の手伝いをするべく急いで台所へ向かうがその途中、中庭に佇むユーイチの姿が見えて自然と足が止まる。

 もう朝の鍛錬が終わったのか置いてある水差しからコップに水を注いでいる。

 そんな見なれた姿がウィーシャには格好いいと感じられた。

 いつもなら一緒にその場にいるアリシアの姿はなく、それがすこし残念であるのだが逆にユーイチを格好良く見せているように思えた。

 

 (なんだろう。ユーイチ様お一人の方が、なんだか格好いい。アリシア様がおられたら絵の中の世界みたいに綺麗なんだけど、こんなふうには思わないよね。……変なの)

 

 視線を向けているとユーイチがこちらに視線をすぐに向けてくる。

 とっさに手を小さくふるとユーイチも返すように手をあげてくれる。それだけで少し嬉しい気持ちがわき上がるのをウィーシャは自覚していた。

 するとユーイチが自分とは違う方を見たことに気がつき、それにつられるように視線を向けるとファリアが出てきていた。

 小さく頭を下げ微笑む母の姿は娘の目でもやはり綺麗だった。お似合いだと思うほどに。

 

 「ユーイチ様、朝食の準備ができました」

 

 まるで新妻のように声をかける様子にウィーシャは思う。

 

(もっと自分に素直になればいいのに)

 

 ユーイチと同じように母の方へ歩み寄りながらいつまでも自分のことを二の次にする母にウィーシャはため息をつきたくなった。

 

 

 「今日にはアリシア様が戻られるんですか」

 「ああ。そういう連絡があった。……早くて昼過ぎ、遅くて夕方と言ったところか」

 

 朝食の席で、もう三日も戻ってきていなかったアリシアが戻ってくると聞いてウィーシャは見るからに嬉しそうに声をあげた。

 

 「それは湯を沸かしてお待ちしておかないといけませんね。最近商人の方からいろいろ湯船につけるといいものをいただいたんです果物とか塩を」

 「果物と塩? 本当にいいの? 母さん。なんだかアリシア様を鍋にかけるみたいだけど……」

 「くっ、ふふ」

 

 お風呂に入ったと思ったら美味しく調理されてしまったアリシアの姿を想像しユーイチは口元に手をやって笑った。想像の中には少し涙目になって抗議しているアリシアがいた。

 

 「ふふ、ウィーシャ。大丈夫よ。どっちも疲れや美容にいいらしいの。食べる物とはまた違うのよ」

 「ぇ、ぁ、そ、そうなんだ」

 「ええ。なんだったらアリシア様がお使いになる前にウィーシャも使ってみる?」

 「い、いいよ。アリシア様には一番最初にお風呂に入ってほしいから!」

 

 微笑む二人におかしなこと言ったのかと恥ずかしそうに両手をあげるウィーシャの姿はそれがまた微笑ましく、二人の笑みは深くなるばかりだ。

 

 「もう。母さんもユーイチ様も! 笑いすぎですっ」

 「ごめんね。ウィーシャが可愛かったから」

 「すまない。ファリアの言う通りでな。許してくれ」

 「むー……可愛いと言えばゆるされると思ってませんか?」

 「思ってはいないさ。特別なことではないしな。ウィーシャは可愛い」

 「……むー」

 

 すこし顔を赤くしながらここにアリシアがいればどんなふうに思うだろうとウィーシャ思った。

 ウィーシャがよくアリシアに羨ましがられることの一つがこれだ。

 可愛いとユーイチに褒められることがアリシアにはほとんどないらしい。

 ウィーシャとしては自分より母を、母よりアリシア様を褒めるべきです! と一言言いたいところだったが褒められて嬉しい気持ちも本心である。

 

 「なら、いいです。ユーイチ様と母さんですし許します」

 

 だからこそ照れながらもそれを受け入れる。そんな自分が子供っぽくより一層照れていた。

 

 「ふふ。ユーイチ様、本日はどうされるのですか? ご予定はお決まりですか?」

 

 ファリアは娘の様子に頬笑みを絶やさずにユーイチと視線を交わす。

 

 「ああ。今日は冒険者組合に呼ばれている。昼を一緒に取りながら、と言われているからそれ以降はその話次第だろう。だからお昼は俺の分はいい」 

 「わかりました。夕食は多めに作って待っていますね」

 「助かる。遅くなっても食べに戻る」

 「はい」

 「…………」

 「あら……ウイーシャ、なに?」

 「別に。何にもないよ。母さん」

 「?? ……そう?」

 

 向かい合って話すファリアとユーイチの姿はもう夫婦に見える。

 ウィーシャはこんなふうに見えるのに一歩進まないのは母のせいだと、すこし抗議の目で不思議そうにこちらを見る母を見返していた。

 

 

 冒険者組合の自室。

 そこで組合長アインザックは人を待っていた。

 扉がノックされるとここまで案内してきたのだろう受付嬢のマリアの声がする。

 

 「組合長。オリハルコン級冒険者、ユーイチ様をお連れしました」

 「うむ。通してくれ」

 

 失礼しますと礼儀正しく入室してくる黒衣の男をアインザックは立ちあがって迎えた。

 

 「おお、ユーイチ君! よく来てくれた!」

 「どうも。組合長」

 

 固い握手を交わしてアインザックが迎えたのはつい最近オリハルコンに昇格したばかりのユーイチである。英雄と言われるアダマンダイトの一つ下であるオリハルコンだがアインザックにはそれすら分不相応に思えるほど、この黒衣の冒険者は抜けた存在であった。

 

 「どうぞ。かけてくれ。すまないね。わざわざ呼び出してしまって」

 「ありがとうございます。しかし、来てそうそう驚きましたよ。昇級というのはもうすこし格式ばっているのかと思ってました」

 「はは。正式な物はアリシア嬢も揃った時にと思ったんだが、決まっていることなら先に渡してしまっても同じだろう? ……オリハルコンは私程度でも名のれた階級だ。むしろすぐにアダマンダイトと認められないことを申し訳なく思うよ」

 

 向かいあって座る二人は穏やかに会話する。

 ユーイチの首元には来て早々にミスリルのプレートと交換したオリハルコンのプレートが揺れている。

 今までのエ・ランテル最高位冒険者はミスリル級だった。

 このプレートは名実ともにエ・ランテルの冒険者の頂点に立ったということを表している。

 

 「とんでもありませんよ。もともとの話を除けば私はプレートにこだわるつもりはありませんから」

 「そうかね。……しかし、あの時を思い返せば自分の目も節穴になったと感じてしまう。君を一目見た時はアダマンダイトだとは流石に思っていなかった」

 

 もともとの話、あの時。

 それはユーイチがアインザックに最初の依頼を受けるためにミスリルのプレートを保証してもらった時のことだ。二人がはじめてであったときでもあり、その際は今ほどは穏やかに話をすすめられなかった理由もあった。

 

 「強さを見抜かれるようではその程度ということですよ。組合長。……ところで」

 「どうかしたかね?」

 「どなたをお待ちなんですか? 隣の部屋にも人はいないようですが」

 

 アインザックは一瞬ユーイチを凝視しそしてすぐに笑みを浮かべた。

 

 「わかるかね? いやぁ恥ずかしいかぎりだ。君相手に隠し事やサプライズというのはできそうにないな」

 「これくらいわからなければ組合長にアダマンダイトと評価してもらえる冒険者ではないですよ」

 「ふふ。まったくもってその通りだ。……実はあまり表向きにできない、というより騒がせたくない依頼があってね。例のエ・ランテル近隣の集落が襲われているという話だよ。聞いているだろう?」

 

 声のトーンを幾分か落とし緊張感をあらわにするアインザックにユーイチは変わらない様子で頷く。

 

 「ええ。昨日はあの一件が騒ぎになったのであまり目立っていませんでしたが……。しかし、話では帝国の騎士が襲っているというものでした。それはつまり、冒険者が出る幕ではないということなのでしょう? ここでは」

 

 あの一件とは悪質なうわさを立て、競争相手を蹴り落とそうとしていた元ミスリル冒険者イグヴァルジの話だ。

 昨日はこのイグヴァルジの悪行と冒険者組合からの追放という話題で持ちきりだった。

 

 「ああ。確かにユーイチ君の言うとおりだ。他国から来た君にはおかしくも思えるかもしれないが……冒険者は人を守るための存在だ。決して人と争うための、国の軍事力の一端ではないのだよ。しかし、この話はまた微妙でね。それだけで我々が手を引いはいけない理由もあるんだ」

 「というと?」

 「どうにも謀り事が裏で進んでいるようでね。狙いは王国の兵士の釣り出しにあると考えられているんだ。王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ君のことは知っているかな?」

 「直接会ったことはありませんが。たしか、近隣諸国で一番の戦士という噂を旅の中で耳にしました。彼の御人が対応に?」

 

 頷くアインザックに不思議そうな視線をユーイチは送る。

 近隣諸国で一番腕のいい戦士を派遣するのだ。戦力に不満があるとは思えない。

 

 「実はだね。ストロノーフ君をまるで裸にするように非協力的なんだよ。貴族たちが」

 

 疑問の視線に答えるようにアインザックは事情を説明した。

 貴族たちの悪質な妨害により、持ち出せる筈の武具を持ち出せず、戦力もガゼフと彼の戦士団しかいない。

 なによりも問題なのは貴族による妨害であり、アインザックは目的はこの国一番の戦士であるガゼフを倒すことではないかとユーイチに語った。

 

 「なるほど。つまり、戦力的に不足しているのですね? ですが、だからと言って冒険者の力を借りれば政治的にまずいのでは」

 「その通りだ。だから君に頼もうというのは道案内だ」

 「道案内?」

 「そうだ。建前だがね。アリシア嬢の制作した周辺地図は比類ない精度だ。そしてなにより新しい。道先案内人として選ぶのは何も間違ってはいなかろう?」

 

 アインザックの無理やりねじ込んだかのような言葉にユーイチは少し笑った。

 アインザック本人がこの意見を無理やりだと思ってる節が見えた。おそらくだがもっと上の頼みを断りずらい方面から願われたのだろう。

 

 「それほど大事な方なのですね。戦士長殿は」

 「ああ。王の右腕とも言うべき存在さ」

 

 二人がそうして話している最中、扉がノックされる。

 アインザックに促されて入ってきたのはユーイチを案内してきたマリアだ。

 

 「組合長、伝言が届きました。ガゼフ・ストロノーフ様、お付きのようです」

 

 待っていた三人目にアインザックはユーイチを促した。

 

 「さぁ、難しい話はなしにしておいしい物でも食べに行こうじゃないか。私のおごりだ」

 

 わかりきった嘘臭い言葉にユーイチは表情を変えることなく頷いて立ちあがった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 風に乗って血の匂いが漂う。

 不穏な気配を感じて先を急ぐと眼に入ったのは襲われている村だった。

 遠目で見る限り騎士風の男たちが村を等間隔に包囲している。

 血の匂いはその包囲網の中から漂っていた。

 咄嗟に駆け寄ろうとした足がすぐに止まる。

 裏の自分が囁いた。

 

 ───いいの? 誰でも助けられるわけじゃないんだよ。

 

 いつもと違い子供じみてもなく、自分を覗きこもうとするような眼差し。

 

 (うん。助けに行く)

 

 迷うことなく促す、だがそんな自分を自分は嗤う。

 

 ───そう? 誰でも助けるの? 私はそんなにお人よしだった?

 

 お人よし。

 その言葉が数度自分の中で反響する。

 そうだ。

 アリシアという人間はそこまでお人よしではない。

 

 (ううん。私はそんなに……お人よしじゃ、ない)

 

 肯定することに抵抗感はない。

 本心だった。見も知らない人間のために何かをしようと思わない。

 

 ───なら……どうして助けに行くの? モモンガさんのように私ではかなわない人が、いるかもよ?

 

 私の言う言葉に間違いはない。その通りだ。

 ユーイチからも何度も言われている。自分の目の届かない範囲で無茶をするなと。

 今、側にユーイチはいない。

 困った時に助けてくれる存在はいないのだ。

 あの村には恩があるわけでもない。友人や家族が住んでいるわけでもない。

 助けに行く理由なんてない。

 

 ないのに───。

 

 「どうして助けに行くんだろうね……私は」

 

 今、側にユーイチはいない。

 返事のない言葉をその場に残してアリシアは放たれた矢のように襲撃者に襲いかかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その人物を目にした時、最初にガゼフ・ストロノーフの脳裏に浮かんだのは後悔だった。

 後で貴族共にとやかく言われようがあの二人にここまでついてきてもらうべきだった。

 その思いから口を開くのがすこし遅れてしまったほどだ。

 

 ───相手が帝国の騎士と確たるものが出てしまえば、これ以上は力を借りるわけにはいかない。

 

 ガゼフがそう言い、襲われた民の護送を願うとそれを聞き入れてくれた二人組の冒険者。

 赤い瞳が目立つ黒衣の剣士と王女に勝るかもしれないほど美しい姫騎士。

 ユーイチとアリシアの二人と別れてここまで進んだことをガゼフは後悔せざるをえなかった。

 引き連れている自慢の部下を全員返してでも二人に今この場にいてほしい。部下では無駄死にするだけだ。

 王国戦士長として近隣諸国一と称されるガゼフがそう感じるほどにその人物──アインズ・ウール・ゴウンと名のる魔法詠唱者の存在は異次元の物だった。

 纏う雰囲気は見上げても天井が見えず、覗きこんでも底が見えない。

 ガゼフは知っていた。

 強さを測れない存在ほどそれは自分と力量差があると。もちろん自分が見上げる立場で。

 

 (まったく。そんな存在に一日に二度も会うとはな……。いい日なのか悪い日なのか)

 

 家の陰から油断なく周囲を囲む敵を睨みつつガゼフは自分の運気はいいのか悪いのか計りかねた。

 

 (いや、いいも悪いもないな。俺は二度もあった好機を物にできなかった。結局は力が足りていなかったということだ)

 

 今から始まる法国の刺客との勝ち目の薄い戦いを前に自分が逃した大きな好機を思い出す。

 一つ目はユーイチとアリシアという凄腕の冒険者と先程別れてしまったことだ。

 アリシアのほうはまだ高みとして見上げることができるほどではないか、と思えるだけましであった。強さを測ることがまだできたのだから。

 ガゼフはユーイチの実力を全く把握できず出会った当初は侮ってしまっていた。

 わざと戦力にならない冒険者を共につけ、後でそれを糾弾する貴族の策略を疑ったのだ。

 実力を疑い敵意を見せたガゼフに対してユーイチは立ち会うことでその実力を証明した。

 己の掌をみつめガゼフは法国の刺客の手の込んだ作戦を笑う。

 一太刀でその手の剣を叩き落とされた自分程度にやり過ぎだと。

 二つ目はこのカルネ村で出会い先程村人のことを任せてきたアインズ・ウール・ゴウンだ。

 底知れぬ魔法詠唱者である彼に助力を願ったが断られてしまった。ガゼフは自分の口の拙さを恨むしかない。

 

 「戦士長。準備が整いました」

 

 副長の声に振りむくと自慢の部下たちが戦支度を整え終わっている。

 この中の何人が生きて帰れるか。

 

 「よし。作戦を開始するぞ。王国を汚す奴らに目に物を見せてやれ」

 

 威勢よく返事を返す部下たちを一人でも多く生還させる。

 ガゼフはいまだ忘れられない手ごたえの残る手を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 「行くぞぉお! 奴らの腸を食い散らかしてやれぇえ!」

 

 獲物の咆哮が響く。

 無駄なあがきだ、とニグンは嘲笑うが油断はしていなかった。

 相手は英雄級の実力を持った戦士ガゼフ・ストロノーフ。

 不用意に手を出せばかみ殺されるのは自分の方だと冷静にその実力を見極めていた。

 

 「だが、所詮は獣よ。少しばかり計算は狂っても変わらない物があるのだ」

 

 魔法が働きガゼフが落馬する。即座に周囲の部下達が呼び寄せられ、召喚された天使ともども多重の包囲網を形成する。

 忌々しい女の冒険者を思い出しわずかに苛立ちつつも、自らに課せられた命を無事に達せられたという手ごたえにニグンは満足した。

 

 ───ガゼフ・ストロノーフを抹殺せよ。

 

 この密命をうけてニグンはスレイン法国からやってきた。

 スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊、六色聖典の一つ陽光聖典の隊長であるニグンはこの命令を忠実に完ぺきにこなしていた。

 国の支援もあり、ガゼフの武具を奪い、戦力を剥ぎ、脅威な存在でなくした。

 あとは釣りだしも兼ねて直属の戦士たちを難民保護に回させる。

 ここまで持ちこんでしまえば質、数共に有利であり勝利は間違いない。

 だが、現実はそううまくいかないのか最後のところだけは偶然居合わせた女の冒険者に妨害されてしまい、ガゼフの戦士たちを減らすどころかこちらの部下が減ってしまっていた。

 

 (蒼薔薇と同じ愚か者めが……)

 

 金の髪のぞっとするような美しさをもった女。

 忌々しさを胸の内で殺しつつ、部下たちに冷静に状況への対応を進めさせる。

 予想していた通り、ガゼフの部下たちが突進攻撃を仕掛けてくる。

 愚かな行為だがもともとここまでガゼフが来たことが愚かな行為だ。愚かな者の教えを受けた部下どもは愚かなのだ。その行動は故に読みやすい。

 ガゼフと戦士団に挟まれた形だが動じる必要は一切ない。

 天使とガゼフの部下の戦力差は一目瞭然。

 そして天使たちは倒されても再召喚がきく。

 

 「次の天使を召喚せよ。ストロノーフに集中して、魔法を叩きこめ」

 

 流石は英雄級の戦士か。複数の天使を瞬く間に倒すガゼフ・ストロノーフは膂力技量共に素晴らしい。

 

 (惜しいな。お前の生まれがスレイン法国であったのなら。お前が仕える国が王国でなければ……いい人類の守り手になりえただろうに)

 

 稀有な才能の持ち主でも人類のためにならなければ殺すしかない。

 ニグンは冷静に檻の中で獣が死ぬのを眺めていた。

 

 

 

 勝機を逸したとガゼフは認めるしかなかった。

 部下たちの突進攻撃でほんの少し生まれた相手の指揮官を打ち取る好機。

 だが、まさかあれほど天使の再召喚が早いとは。

 斬り飛ばした天使が消滅する。

 そうすればすぐに他の天使がこちらの動きを止め、すぐに再召喚される。

 

 「不味いな……」

 

 弱気が口から洩れた呟きに怒りがわき上がる。

 弱音など吐いている場合ではない。自分が役目を果たさねば部下は誰ひとりとして生きては帰れないだろう。

 

 「幾らでもかかってこい! 貴様らの天使なぞ、大したこともない!」

 

 怒りを力にかえて咆哮するが相手の指揮官は冷静だ。

 一手一手で確実にこちらを追い詰めようとしてくる。

 

 せめて、天使の数が減れば。

 

 その思いから部下のほうに視線を向ける。部下たちの活躍に期待しなければならないところまで追いつめられていた。だが、部下たちは魔法の武器をもっておらず、自分のように武技<戦気梱封>を納めているわけでもない。天使の防御力を突破するのは至難の業だ。

 

 (やはり、苦しいか……ん?)

 

 予想した通りの苦戦の光景を目にしたガゼフだったが予想していなかった物も同時にとらえていた。

 それはこの苦戦の中ででも勝利への希望を部下たちが失っているように見えなかったのだ。

 普段から部下たちを鍛えているガゼフにはそれが何かを待っている。堪えているように映った。

 そこに勝機があるのだと。  

 

 (なんだ……なにを、いや、そうか! 数が!)

 

 ガゼフは先程から連発していた武技<六光連斬>をやめる。

 そして無理やり前に出ようとしていた動きをやめ、後ろに下がりつつ回避を心がける。

 敵の指揮官までの絶望的にながく感じる距離。

 それを自分から広げてでもガゼフは武技を使うわけにはいかない。

 あの位置で留まるためには大技の連発は不可避。だが、それでは前に進めない。

 進めなければ好機を逃す。

 

 「獲物は息切れしているぞ。押し込め!」

 

 敵の指揮官の声が響き、その声に従うように逃げ回るガゼフに向けて天使の刃が振りおろされ、魔法詠唱者からの魔法が飛ぶ。

 紙一重で、いや、避けられずに体から血を流しながらも、ガゼフは見た。

 敵指揮官後方から立ちあがる砂塵を。

 

 「に、ニグン隊長! 後ろから敵騎兵が突進してきます!」

 「なにぃ!」

 

 召喚者の動揺を感じ取ったのか、動きが鈍った天使の隙を逃さず、ガゼフはまとわりつく天使を数体蹴散らす。

 まるで壁のように自分と指揮官の間を埋めていた天使たちにようやく隙間が生まれる。

 先程までなら再召喚で穴埋めをされ続け一向に前に進めないところだ。

 だが、今は違う。

 

 「進めぇぇえ! 狙うは敵指揮官だ! 足を止めるなぁあ!」

 

 まるでガゼフのように威圧を込めた声が響く。

 副長の声だ。彼はガゼフの副官としてできうる限りのことをしていた。

 先頭をきって馬を走らせていた彼がしかけたのは時間差突撃である。

 自分達と相手を比べて自分たちが勝っている物。それは数と馬だった。

 難民の保護を冒険者に任せていたため数だけは揃ったままだったのが幸いした。

 ガゼフ、そして最初の突撃によって相手の盤面が固まったところをめがけて突撃するだけの数がそしてそれを脅威にする馬の速度が彼らにはあった。

 相手は魔法詠唱者たちだ。近づきさえすれば数だけではなく質でも勝ることができる。

 つまり相手は近づかせるわけにはいかないのだが、妨害するために天使はすでに召喚しつくしている。

 咆哮を轟かせながら副長が率いる戦士たちは敵指揮官へと一気に距離を詰めていった。

 

 「ち、あの女の妨害が! ここに来て災いするか!」

 「ニグン隊長!」

 「うろたえるな! ストロノーフにまわしていた天使を数体呼び戻せ! 一度勢いを止めてしまえば終わりだ!」

 

 足りない数を補うように再召喚された天使達はガゼフのところへ向かわずに副長たちの方へ向かう。

 前衛に守られていない後衛の脆弱さを補うにはそうするしかない。

 ガゼフは部下たちの働きに笑みを浮かべる。

 再度やってきた勝機がはっきりと見えた。

 

 (後は俺の仕事だ……ッ)

 

 覚悟を決めたガゼフは空いた隙間をくぐりぬけるように全速力で駆ける。

 すぐに先程まで粘っていた位置を越え絶望的に感じた距離がみるみる縮まっていく。

 

 「! 天使達に攻撃させろ! 急げ!」

 

 ニグンの緊迫した声音に反応したのか天使たちの攻撃はより熾烈になり、全速で走るガゼフに追いすがりながらその刃を振るってくる。

 だが、ガゼフはその攻撃に眼も向けない。

 その眼は敵指揮官を──ニグンを見つめて離れない。

 

 「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 鎧ではじけなかった天使の剣が背中を切り裂き、肩を貫く。

 だがそれでも止まらない。

 足を止めて応戦しない。

 ガゼフ・ストロノーフのやらなければならないことは一つだからだ。

 

 「こいつ……!」

 「お前だあぁぁぁぁあああっ!」

 「プ! 監視の権天使!! かかれ!」

 

 ニグンとの間に割り込んできた上位天使のメイスの振りおろしは他の天使よりもその脅威は明らかに高い。

 まともに受ければどうなるかは想像に難くない。

 だが、それでもガゼフは剣を向けなけった。

 

 

 

 ───武技<流水加速>

 

 

 

 反応と動きの速度を向上させる武技を使用し転げまわるように回避する。

 振り下ろされたメイスが地面を陥没させ、その威力をまざまざと見せつける。

 だが、当たらなければ意味がない。

 

 「貴様──!」

 「取ったぁぁあ!」

 

 二度の指示など与える間もなく、ガゼフの剣はついにニグンに届いた。

 剣がふりおろされ、鮮血が大地を染める。

 ぼとりと熟れた果実が大地に落ちるようにニグンの左腕は斬り飛ばされた。

 ニグンは致死の攻撃に対し、咄嗟に左腕を差し出し身を守ったのだ。

 

 「ぎゃぁぁああああああああっ!?」

 「ちっ、あさい─ガッ!?」

 

 召喚者を守るべく横薙ぎされた上位天使のメイスがガゼフを吹き飛ばす。

 地面を数度跳ねて止まったガゼフは口から数度吐血した。

 見ればその鎧は大きくひしゃげ、直撃をもらった左腕と脇腹当たりは傷口に鎧がめり込みひどい有様だ。

 

 「がはぁ、がふ……ぐぅ」

 

 剣を杖にかろうじて起き上がると既にガゼフは天使と上位天使によって包囲されていた。

 視線の先にはニグンが怒りの表情を浮かべている。

 見れば斬り飛ばしたはずの腕が生えている。

 ニグンたちは信仰系魔法詠唱者の集まりだ。ゆえに周囲の部下数人に回復魔法を使用させれば即死しない限りはすぐに戦線に復帰できるのだ。

 

 「はぁ、はぁ、魔法ってのは、何でもありか」

 

 力が上手く入らない左手に喝をいれ、剣を正眼に構える。

 ガゼフは魔法のでたらめさに半ばあきれながらもまだ戦意を失ってはいなかった。

 

 「貴様ぁ! ガゼフ・ストロノーフ!! よくもこの俺に無様な叫びをあげさせたなぁ!」

 「はは。無様と思うなら今すぐその口を閉じるんだなっ。はぁ、はぁ。今の貴様も同じくらい無様だ!」

 

 ニグンの苛立ち冷静さを失った様子はガゼフにとって好都合だった。

 自分の周囲の天使たちを見ればわかる。周囲の部下達にはそれほど天使があてがわれていない。

 肉薄した自分に対応するためにより天使を集めたのだろう。

 だが、人の数で分があるのはガゼフたちだ。この天使がこの場にいる限り部下たちが相手に肉薄する確率は高い。そうなればわからない。

 だからあえて挑発的な態度を取る。冷静さを奪うために。

 

 「貴様……ふふ、あははははっ。ふぅ。私の怒りを誘っても無駄無駄無駄ぁ! すぐに貴様を殺し、天使たちを貴様の部下に当てればいいだけのこと!」

 

 ニグンの声に周囲を囲む無天使が包囲を狭めてくるのを感じガゼフは残りの力を全て振り絞る。

 

(どうやら、効果はあったみたいだな……ふふ、俺にはもうお前を殺すだけの力は残っていない。あるとすればそれは部下たちだ。天使を俺に割いてくれるなら……)

 

 それはあらたな勝機だ。

 装備された竜の秘宝のおかげで英雄の域に達したガゼフはその持てる力をこの時発揮した。

 

 「殺せ!」

 

 上位天使を筆頭に二十体近い天使が襲い来る。

 そこにもう逃げ場などない。

 あるのは濃密に漂う死の気配とそれが似合わない天使。そして今、まさに死力を振るわんとしているガゼフだけだ。

 

 武技<六光連斬>

 

 一瞬六連。

 一太刀で六つの斬撃が六体の天使を光の粒にかえる。

 

 武技<即応反射>

 

 天使が消滅し、わずかに空いた場所へ踏み入れる。

 大技の連発にも躊躇はなかった。

 

 武技<六光連斬>

 

 再度発動した一瞬六連はその数だけ天使を減らす。

 

 「おおおおおおおおおおおッ!!」

 

 また一歩出来あがった光の粒が未だ残る空いた場所へ身を踏み入れる。

 だが、もう限界まで天使の包囲網は狭まった。

 

 「─即応反射─流水加速──ッ、六光連斬─ふんっ!」

 

 自分の限界を越えようかという大技の連発はついに周囲の天使を消し去った。

 腕は石のように重く、頭はもやがかかったかのように回らない。

 だが、本能に導かれるままにガゼフは残った上位天使を自分の持つ最強の武技で斬りはらった。

 通常の天使よりも濃密な光の粒を残し消え去る監視の権天使を前に、ガゼフはそこで力尽きるように剣に寄りかかった。

 

 「馬鹿な……あり得ない……。あれほどの天使を……上位天使を一撃だと……?」

 

 ニグンを筆頭に陽光聖典は全員茫然とした。

 目の前の戦士こそまさに英雄だということを、英雄の偉業を眼にした驚きは計り知れなかった。

 ましてその英雄に敵対している者にとってはなおさらである。

 

 「ぎゃぁ!?」

 「!?」

 「届いたぁ! 天使を出させるな!」

 「やれぇ!!」

 

 数秒の空白。

 驚き眼を見開いたその数秒。

 それがついにガゼフの部下の接敵を許し、ニグンの部下たちは大混乱に陥った。

 もともとが魔法詠唱者であり、今回の戦闘も常に有利な立ち位置である遠距離戦を想定した備えだったためにここまで近接されれば詠唱する暇ももらえない。

 また一人、また一人、振りおろされ、突き入れられる刃の前に陽光聖典は地面に倒れていく。

 

 「ニグン隊長!? 我々はどうすれ……うわぁぁっ」

 「……」

 「隊長!」

 

 慌てふためく部下達をしり目にニグンは決断するしかなかった。

 できれば使わずに済ませたかった人類の切り札を。

 

 「俺を守れ! 最高位天使を召喚する!!」

 

 その一言に突き動かされ陽光聖典は不得意な近接戦を展開する。

 ニグンと同じだ。片腕を失っても魔法で治せばいいとニグンへの接敵を許さない。

 

 「最高、ぃ、てん、し……?」

 「見よ! 最高位天使の尊き姿を! 威光の主天使」

 

 瞬間、真紅に染まっていた草原が一転して神々しい光に包まれる。

 それをみたガゼフやその部下、いや陽光聖典も含む皆が息をのんだ。

 光の翼の集合体。至高善の存在。

 その存在が味方である陽光聖典は歓喜の声をあげ、敵であるガゼフの部下たちは見上げるように膝をついた。

 この輝かしい存在が自分と敵対している。

 その現実を認められずにただただ呆然とするしかなかった。

 

 「これが……お前の、切り札だというのか…」

 「そうだぁ! 本来なら使いたくはなかったが……お前にはそれだけの価値があると判断したぞ。ガゼフ・スロノーフ」

 

 ニグンは勝利を確信し余裕を持って笑う。

 

 「ばかな、まねを。……俺一人のために、これほど用意するとはな」

 

 震える足は気を抜けばその場に倒れる。怒りを燃やしガゼフは最高位の存在の前に立ちつづけた。

 

 「用意周到というのだ。ふふ、強気な態度だが、そんな体で何ができる? 無駄なあがきをやめてそこで大人しく横になれ。せめてもの情けに苦痛なく殺してやる」

 「そう思うなら……お前が直接俺の首を取りに来たらどうだ? こ、こんな体だ。最高位の、天使なぞ……かはぁ、はぁはぁ、不必要だろう」

 「……ふん。口だけはよく回る。だが、勝算はあるのか? そんなボロボロの体で」

 

 ガゼフはこたえるように杖にしていた剣を構えた。

 だが、ふらつく足は隠せずもはや構えるだけで精一杯であった。

 死が、間近に迫るのをガゼフははっきりと感じた。

 

 「無駄な努力を。あまりにも愚か。私たちはお前を殺した後で、生き残っている村人たちも殺す。お前のしたことは少しの時間を稼ぎ、恐怖を感じる時間を長引かせただけにすぎない」

 

 その言葉を聞いてガゼフは笑った。

 最高位天使を前にしてそう思うのもおかしいと思いつつ、おかしいという気持ちがわいてくる。

 

 「くっ、くく、がはぁ、くふふ」

 「? 何がおかしい」

 

 気でも狂ったのかとニグンがいぶかしげな眼を向けてくるのが面白い。

 口から血を流しながらもガゼフが笑みを浮かべるとニグンたちはひるんだように一歩後退した。

 

 「愚かなことだ。……あの村には、俺より、強い御人がいるぞ。はぁはぁ、最高位の天使……はは、それが最高位なんだったら……あの御人こそ、まさに至高の存在だろうさ。そんな御人が守る村人を殺すなぞ……」

 

 不可能なことだ───。

 

 そう言いきるガゼフは武技の連続使用と夥しいまでの負傷により限界に達していた。

 朦朧とした意識はもはやいつ途切れてもおかしくない。

 だが、そんな状態でもはっきりとその言葉だけは聞き取れた。

 

 

 ───そろそろ交代だな。

 

 

 

 

 「ゴウン、どのぉ……?」

 

 はっとしたガゼフが瞬きすると最高位天使の輝きに照らされた平原からどこかちがう、倉庫のようなところに移動している。

 周囲には倒れ込んだ部下達も共にいて、それを心配そうに見つめる村人たちの姿がある。

 

 「ここ、は……?」

 「ここはアインズ様が魔法で防御を張られた倉庫です」

 「そんちょう、か。ご、ゴウン殿の姿は見えないようだが……」

 「いえ、先程までここにいらっしゃったのですが、戦士長様と入れ替わるように姿がかき消えまして」

 「そう……か」

 

 村長の言葉にガゼフは全身の力を抜いて倒れ込む。 

 慌てて駆け寄ってくる村人や意識のある部下達がけがの手当てを開始する。

 

 最高位天使と陽光聖典。

 

 周辺国家一の戦士と言われた自分ですら勝てなかった相手。

 しかし、ガゼフにはアインズ・ウール・ゴウンが敗北する姿を一切想像できなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 はふっ。

 

 アリシアはエ・ランテルに帰るとファリアとウィーシャの用意した御馳走をを食べ、一番風呂を味わっていた。

 料理もお風呂もナザリックの物とは比べられる物ではない。

 目の前に浮かぶ果物にしたってナザリックのほうがいいものだ。浴槽だって狭いし、綺麗ではない。

 だが、どこか心の中が温まるものがあった。

 

 (これも……いい。ううん。こっちのほうが……いい)

 

 その温かさに身をゆだねていると脱衣所に近づく気配がなにやら困っているのを察知し、アリシアは視線を向けた。

 

 「ウィーシャ?」

 「ひゃぅっ! あ、アリシア様……」

 「どうしたの? なんだか落ちついてないようだけど……」

 

 ウィーシャが何やらオロオロしている。

 自分ならいざ知らずしっかり者のウィーシャが珍しいとアリシアは湯船からあがり近づいた。

 扉から顔をのぞかせてみるとそこにはタオル姿でどこかあわあわしているウィーシャがいる。

 

 「……」

 「ぁ、あの、これはその」

 「……じー」

 「……ユーイチ様や、母がその、お、お背中でもお流ししながらご一緒しろとっ」

 

 恥ずかしそうに最後は若干叫びがら伝えてくるウィーシャにアリシアはイレインのことを思い出した。

 

 (……ぁぅ)

 

 「あの……アリシア様?」

 「ハっ。あ、ううん。なんでもないよ。……それじゃあ、お願いしてもいい?」

 「はいっ。ありがとうございます」

 

 顔を赤らめたアリシア以上に真っ赤にしているウィーシャはアリシアが既に入浴したとは思っていない。

 アリシアはイレインといいウィーシャといい、お世話をしてくれるのは嬉しいがどうしてこうなるんだろうと不思議に思った。

 

 「……」

 「あ、あの、アリシアさま? どこか痛いですか?」

 「ううん。そんなことないよ」

 

 よかったです。

 と一生懸命に洗ってくれるウィーシャにアリシアは心まで洗われる気分だった。

 

 「はい。洗い終わりました。アリシア様のお肌、とても綺麗です。すべすべしてます」

 

 ウィーシャは憧れを声にのせて笑顔である。

 そんな素直な憧憬にいつも照れてしまうアリシアはお返しにウィーシャを前に座らせる。

 ここはお風呂だ。一緒に入るのだから洗われたら洗い返すものだろう。

 

 アリシアはナザリックでお世話されたように自分もウィーシャを御世話しようと思ったのだ。

 

 それが自分を慕ってくれている妹のような子にする触れ合いだと女性同士での性知識が欠如しているアリシアにはそう思えた。なによりも新しく仕入れた知識を試してみたいという気持ちが強いのかもしれないが。

 

 「ウィーシャ、今度は私がする。座って?」

 「いいんですか? ありがとうございます。アリシア様」

 

 お互いに純粋な洗いっこを楽しんでいた二人であったが、お風呂から上がった時ウィーシャはどこか上の空であり、アリシアは満足げであった。

 アリシアは思う。

 

 (イレインがお世話をするのが好きなのも、わかる。結構楽しい)

 

 二人の様子に首をかしげるファリアとユーイチに何でもないと返しながらウィーシャはその夜、満足に眠れなかった。

 

 

 

五頁~戦士長ガゼフ・ストロノーフ~

  一人目の戦士は見えない物を知る。 終




お読みくださりありがとうございます。

いかがでしたでしょうか? 原作一巻の終わりまでようやく来ましたが、やはりナザリックの面々はあまりでてきません。

ここから原作第二巻の内容に差し掛かるわけですが、どうなるかもう決めていますのでまた一万六千字を目途に次の話を投稿できたらいいなぁと思ってます。

またお読みくださると大変嬉しく思います(ペコリ


2018/10/37 台詞と字の文の間を改行いたしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六頁~邂逅する超越者~

興味を持っていただきありがとうございます。
六頁は第二巻、そして第三巻の内容に少しずつ触れる内容になっています。
くどい描写や単調な表現が続いてるかもしれません。
もっと向上していけるように努力してまいります。

あと今回から台詞と地の文の間を一行あけることを基本にしていこうと思います。
よろしくお願いします。


六頁~邂逅する超越者~

  ファーストコンタクト

 

 

 

 夜の帳の向こうから朝日の輝きが覗きつつある、まだ夜の色を残す時刻。

 そんな早朝にアリシアとユーイチは向かい合っていた。

 春から夏へと季節が移ろうとしているこの時期は日が昇れば温かく昇らねば寒々としている。

 そんな季節の移り変わりを表したかのような肌寒い風が流れた。

 風に吹かれた一枚の葉が宙に舞う。

 ゆらりゆらりと揺らめきながら石畳の上に落ちる。

 そんな一枚の葉を認識しつつ、アリシアは首の横を通過した美しい一閃を反芻するように思い返した。

 

 「今日はこれでしまいだ」

 

 ユーイチは今しがた振り抜いたばかりの刀を鞘に納めている。アリシアはその納刀一つですら魅了される思いだった。

 御無沙汰だった日課の鍛錬。その締めの立ち会い。

 アリシアは刀を抜くこともなくユーイチに一本取られていた。それは特別おかしなことではない。お互いに本気で立ち会えばどちらかは何もできずに一本を取られる。二人の本気とはそういうものだった。

 今回のようにユーイチが勝利するのもほとんど変わらない。アリシアがユーイチから一本取るのは数百立ち会い一度あるかないかだ。だから特別なことではない。だがアリシアはユーイチの一刀に惚れ惚れするような美しさをみた。首筋に伝わってくる神々しいまでの一閃。見る者を、そして斬られた者すら魅了するだろう神技がそこにあった。

 

 「もう、一本」

 「駄目だ」

 

 もっと美しい物を見たい。素晴らしい業を感じたい。

 そんな思いを抱きながら再度の立ち会いを望むアリシアをユーイチはばっさりと斬り捨てるように拒絶した。

 そこには先程のような神々しい物は何もない。あるのは気の置けない存在をあしらう家族の日常である。

 やる必要がないという雰囲気を感じアリシアは憧憬の眼差しに不満をにじませてユーイチを見つめる。

 

 「何度でも言うぞ。今日はこれでしまいだ」

 「……駄目?」

 「駄目だ」

 

 むぅ。

 

 完全に不満の色をあらわにしアリシアはユーイチを睨んだ。

 だが、そんなアリシアの視線もどこ吹く風か。ユーイチは遠慮なしにアリシアの頭を少々乱暴に撫でた。

 アリシアは不満を維持しようとふくれっ面になろうとするが一撫でされるたびに自分の中の不満が空気が抜けるようになくなっていくのを感じてしまいどうにも複雑であった。

 心の中のアリシアは「久しぶりに撫でられた~♪」と猫のように目を細めている。

 少々乱暴なのが久しぶりの感触を刺激し、心地よかった。先程まで感じていた不満があっさりとなくなっていき、どうでもいいと感じてしまうのがほんの少しだけ悔しい。

 そんなアリシアをユーイチはしばらく撫であげると締めにすこし乱れた髪を整えるように手櫛をいれ整えあげる。手を離すとそこには鍛錬や乱暴な撫でまわしで乱れた様子はすっかり消え去り、美しい金の髪が艶をだしていた。

 ただ手櫛をいれただけではこんなふうになりはしない。

 

 「……使った?」

 「使った」

 「………気がつかなかった」

 

 アリシアが名残を惜しむように自分の髪を触ると汗さ土埃というものまでなくなっていた。ユーイチが<一新>を唱えていたことに遅まきながら気がついた。そしてそれに驚いていた。自分のものとは魔法を行使する技量の質が違うとはいえ魔法の行使にまったく気がついていなかったのだ。

 

 「その調子だから今朝はここまでだ。いささか空回り気味だぞ。真ん中に落ちついておけと言っているだろう」

 

 ユーイチの言葉、眼差しは弟子を窘める師の物だ。アリシアのどこか焦りにも似た感情の機微を見たユーイチはその原因をアリシアからすでに聞いていた。

 

 「異界のモノが凄腕ばかりなのは今に始まったことではないだろうに……それほどの危機感を覚えるほどだったか」

 「うん。……すごく、強い人たちだった。私じゃ、とても、勝てない……くらい」

 

 こくりと頷くアリシアの脳裏に浮かぶのは二日前に滞在していたナザリック地下大墳墓に住む自分より高みに位置する強者達の姿だ。アルベド、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバス。各階層守護者とその統括、そして執事。彼らの誰もが自分より上だとアリシアは認めるしかなかった。

 目の前のユーイチを筆頭にアリシアは自分より強い人を知らないわけではない。故郷では一度も勝てなかった存在は両手で数え切れないほどいた。特に自分の母のような異界のモノと呼ばれる人たちは抜きん出た存在だと理解している。現に母親と立ち会えば近づくこともかなわずに倒れ伏すのが関の山だ。

 

 (でも……)

 

 だが一度にあれだけの勝てない相手に遭遇したの初めてのことだった。しかも、彼らは自分に好意的な存在ではない。

 アリシアは自分を見つめる視線を思い出し、ぐっと拳を握りしめた。

 モモンガに紹介された際の彼らのあの視線。

 

 (あれは、玩具をみるような、研究動物のような……まるで相手にしていない目だった)

 

 同じ視線で物を見ることなど考えてもいない。アレはそういう目だったとアリシアは恐怖を覚えていた。

 彼らの主人であるモモンガが自分を友人と言ってもてなしてくれたことが救いでもあり、アリシアに恐怖を抱かせ焦りを生む原因でもあった。あの絶対的な忠誠心をもつ強者たちは自分が主人と仲良くしていることを快く思いはしまい。たとえそれが命令であってもだ。

 何か機会があれば……。

 

 (少しでも、機会があれば……きっと私は)

 

 嫌な想像が思考を支配し始めたその時、アリシアの頭は大きく後ろに弾かれた。

 その正面には右手の中指を弾くように伸ばした姿勢のユーイチがいる。

 

 「っ、ッぁ」

 

 いたい。

 

 アリシアは頭からジンジンと広がる激痛に耐えかねて、頭を押さえてぷるぷると震えて蹲った。

 どうすればここまで痛いデコピンができるのか分からない。本当にこれはデコピンなのか?

 ユーイチのデコピンを受けて、アリシアの中で怒りの炎が燃え広がった。

 なぜ───なぜ、自分がこんな痛い思いをしなければならないのか。ていうか逆だろう。落ち込んでいるんだからもっと優しく慰めてくれてもいいではないか。

 心の中のアリシアは声を出すことも出来ないくらい悶絶しているが思いは同じだった。

 アリシアは一心同体、怨敵撃つべしとばかりにユーイチを涙目で見上げた。

 

 「それでいい」

 「何、が……!」

 「うつむいてるお前はらしくない。……そうして顔をあげて」

 「何が!!」

 

 何かためになる言葉でも言おうと思ったのか、馬鹿め!

 

 心の中のアリシアが号令を下すとキシャーっとアリシアはユーイチに飛びかかった。

 怒った猫に手を出せば痛い目を見るのは当然である。

 しばらくしてウィーシャが朝食の支度ができたと伝えに中庭に出てくると、そこには斬り傷でいくらかボロっちく見えるユーイチがおり、そのユーイチに膝枕させてご機嫌なアリシアがいた。満足げに目を閉じているその様子からは嫌な想像やネガティブな感情は完全に消え去っていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 朝の時間も過ぎ昼に差し掛かろうとする頃、雲も少なく遮るものがない太陽の光が地をゆく者を照らしている。

 春の陽気と夏の兆しが垣間見える熱気がエ・ランテルを包んでいた。

 それはエ・ランテルの内と外をつなぐ城門とて例外ではない。城門に詰めた兵士が街道から近づいてくる馬車を日陰から眺めている。

 王国、法国、帝国。三国の境に位置するここエ・ランテルにおいて最も外の城門に備える兵士の役割は他の都市よりも大きい。商人や冒険者、そして貴族。三国が重なるゆえの雑多な人の往来がある。その中には犯罪者や他国からのまわし者も当然のごとくいる。商人や旅人の中からそれらを見咎めるのは難しい。だからといってチェックに時間をかけるわけにもいかない。手早いチェックを求められつつ、危険人物を見極めなければならない。そんな無茶を要求される兵士達は忙しくも目を光らせていた。

 そんな城門を一台の馬車が問題なく通過していた。馬が四頭で引く大型の馬車は乗車する者の裕福さを表すかのようで人込みで賑う道をすすむと視線が集中する。その視線を浴びながら御者台に座るのはとても品のいい執事であった。

 

 「手はず通りに進めます」

 

 執事の呟きは周囲の喧騒にかき消される。

 だが、同じように小さな声が馬車の中から返ってくるのを執事は確かに聞いた。

 

 「了解でありんす」

 

 

 

 隊商宿、金瞳の猫亭。

 さまざまな職業の人間が訪れるエ・ランテルという都市において、少々古臭い商人専用の宿屋である。

 そんな宿屋で唯一商人ではないのに宿を取っている一組の男女がいる。

 それこそがエ・ランテルで今話題騒然の冒険者ユーイチとアリシアである。

 

 最速記録保持者。将来の英雄。

 

 都市唯一のオリハルコン級冒険者は宿の女主人と懇意であり、家族のように一階の部屋で過ごしている。

 旅の冒険者だった彼らがこの都市にやってきてから二か月ほどたった。

 当初はその実力を妬んだ一部の人間により根も葉もないうわさをたてられたりなどしたが、今では都市中の人間が認める存在としてどこに行っても視線を集めている。

 特にその美しさから姫騎士と呼ばれ始めているアリシアの人気は群を抜いていた。

 そんな冒険者が滞在する宿屋は盛況だ。

 冒険者とつながりを求める商人達が宿を取り、古い隊商宿とは思えないほどに宿泊客が多い。

 宿泊客のために開放されている広めの談話室ではそんな商人達がユーイチと席を共にしていた。

 

 「ユーイチ様、昨日の取引はありがとうございました。おかげ様で私どもは皆このように笑顔を浮かべております」

 「お礼なんて不要です。私も、皆さんが快く引き取ってくださったおかげでかさばる物を現金に換えられました。いい取引だった、ということでしょう」

 「いやいや。あの武具は正直あの値段では安すぎるくらいでしたよ」

 「私や相方が扱わない物である以上、持っていてもしょうがない物です。それを手早く買い取っていただけたのですから、お気になららず。……そうですね。感謝の気持ちを感じられるのでしたら、今後ともエ・ランテルに滞在する時はこの店を御贔屓に」

 

 商人たちから、売りはらった武器の話で感謝されているユーイチをカウンター越しにウィーシャが眺めている。 

 宿屋の女主人の娘として、受付嬢として、そして一人の女性として、ウィーシャはユーイチが自分や母のフィリアを気遣ってくれるのが嬉しかった。

 二か月前、父親が殺された日。その日は辛く悲しい日だがユーイチやアリシアと出会った日でもある。

 そう思えばウィーシャには微笑むだけの力が湧いてくるのだ。もう血のつながった家族はウィーシャの知る限りいない。実の母も父も盗賊や野盗に殺された。祖父母はもう亡くなっている。残ったのは血のつながらない二人目の母だけだ。

 

 (でも、母さんがいてくれる。ユーイチ様、アリシア様が……いてくださる)

 

 血はつながらずとも確かなつながりを感じる温かな人たち。

 その人たちを想えば自然と胸が熱くなり、ふとした時に襲ってくる寂しさから守ってくれる。

 じっと見つめているとユーイチと目があう。

 ユーイチはウィーシャと視線を交わすと小さく微笑む。それはどこか困ったような笑みだ。

 ウィーシャはそれを見てカウンターを出てそちらへ向かった。

 

 「ユーイチ様、そろそろアリシア様とのお約束の時間ではないですか?」

 「む。もうそんな時間か。……申し訳ありません。皆さん、話はまた次の機会に」

 

 話を切り上げるユーイチに商人達は丁寧な礼を返して解散する。

 自分達の部屋に戻る商人たちの中には本来であればもっと上質な宿屋に泊まるのが当たり前の者も混じっていた。

 

 「ウィーシャ。ありがとう」

 

 ユーイチは商人の気配が遠ざかるのを待ち、ウィーシャに礼を言った。

 

 「お役に立てたのでしたらなによりです」

 

 本当はもう四時間はアリシアとの約束まで時間がある。

 それを知っているウィーシャが口を挟んだのはいい加減にユーイチが迷惑しているだろうと思ったからだ。

 それはまさにその通りで抜けだす機会をうかがっていたユーイチだったが、先に急な取引を持ちかけていたこともあり邪険に出来ず、昼食を共にしてからもうすぐ十五時前というこの時間まで話を共にすることになっていた。

 

 「ユーイチ様。母やアリシア様がお昼を一緒にできなかったのを残念がってましたよ」 

 

 これは少し嘘だ。二人がそう思っているのは事実だろうが、ウィーシャ本人がそう思っているのである。

 四人揃って食卓を囲める機会は最近少ない。ここに来たばかりの頃はユーイチとアリシアが冒険者としての活動を控えてくれていたおかげでずっと一緒だった。だが都市一番の冒険者とよばれるほどの活躍をしている現在では四人揃うのは難しい。ファリアとウィーシャだけの食事というのだって珍しくはない。

 ウィーシャは席が空いた食事が嫌だった。家族団欒の席はファリアと自分だけだと言われれば認めるしかないがそれでもだ。ファリアの隣にユーイチが座り、それに向かい合うように自分とアリシアが座っている。そんな景色が当たり前になってほしかった。空いた席がもう二度と埋まらないと想像するのが怖かった。

 だが、それを素直に口にできるほど子供ではなければ、大人でもない。

 

 「ファリアとアリシアが?」

 「はい。そうです。もっと一緒に、いる時間を大切にしてくださいね。母さんはユーイチ様の隣だと本当に幸せそうです。アリシア様だって……」

 

 ポフ。

 

 話すウィーシャをユーイチは優しく撫でる。

 話の腰を折られたウィーシャが見上げるといつもと変わらない紅の瞳と視線が交わる。

 

 「すまない。ウィーシャ。大事にする。お前たちとの時間を、もっと」

 

 わざわざかがんで目線を合わせるユーイチはいつもと変わらない。

 けれどもその言葉と眼差しは全てをわかってるようで、安堵させてくれるような温かさがあるようにウィーシャには思えた。

 

 「……はい。お願いします」

 

 アリシア様なら撫でてくれた手を取るのだろうか。

 ウィーシャはそんなことを少し思い、手をピクリと動かしてやめる。

 子供じみた心の内を汲んでもらっておいて甘えるのは恥ずかしかった。

 だが、そんなウィーシャの手をユーイチから取った。

 温かな掌にすっぽりと自分の手が包まれているのを感じ、ウィーシャはその温かさに熱せられたように顔を赤らめた。

 

 「ゆ、ユーイチ様」

 「そろそろあがりの時間だろう。一緒に外に出ないか」

 

 やはり自分の子供じみた嘘はばれている。

 誰よりも昼食を一緒にできなかったことを残念に思っていたのが自分だとユーイチが理解しているのが少し嬉しく、大きく恥ずかしい。

 

 「あ、あの、母やアリシア様を誘った方が!」

 「ウィーシャを誘っては駄目か?」

 「だ、駄目なんてことは、ないですが……」

 

 温かくて熱くて大変な左手。

 それはユーイチの右手に包まれてはいるが、自分からも小さく握り返している。繋がりを求めるように。

 

 「それに商人達の前で用事があると言ってしまった。とすればすこし出かけないとな? ウィーシャ。俺と一緒に出かけてくれないか」

 

 駄目押しとばかりにそうまで言われてはもう自分を抑える必要はない。

 アリシアとの約束があると言って逃げ道を作ったのは自分だ。

 ユーイチの言葉に背中を押されたようにウィーシャは頷いた。

 

 「わ、私、でよければ。……ご一緒します」

 

 一歩。

 

 こうして二人は共に歩み始めた。 

 

 

 

  

 エ・ランテルで最高級の宿屋、黄金の輝き亭はそのふれこみに間違いがない顔ぶれの客が宿泊している。

 貴族や高名な冒険者、大商人。

 エ・ランテルらしくさまざまな職、身分の客が集まる中、共通するのは目が飛び出るような高額の宿泊費や食費を当然のように支払うことができる懐具合である。

 そんな宿屋に執事と女性が一人訪れていた。

 この二人組が宿屋に入ってくるとまず周囲の目線は女性の方に集中する。それも当然というほどに女性は美しく、執事に全てを任せている様子は世話をさせることが当たり前でありそれだけでその女性がどこかの貴族、あるいは名家の令嬢だと見る者に理解させた。流れるようなブロンドの髪を持ち、凹凸見事な美しいというよりは魅惑の体をドレスで包んでいる。

 だが、目の肥えた者からすると美しい令嬢よりもその世話役であろう執事のほうが目を引いた。その執事の所作はどれもが一部の隙もなく気品すら漂う。それこそ着用している物が執事服でなければこちらのほうが貴族の当主で通るだろう。執事を見た商人や貴族たちは自分たちにはこれほどの使用人はいない、と驚きを感じていた。

 そして令嬢はそれほどの執事をかなりぞんざいに扱っている。

 入店から部屋に案内されるまで、自らを見つめる視線に極寒かつ鋭利な刃物のような視線で返していた女性は旅の疲れをまるで執事のせいであるかのように文句をいい、その言葉使いは気の強いという表現で収まらないほどだった。

 

 「こちらのお部屋でございます」

 「御苦労でした。ルームサービスなどは全てこちらから指示しない限り不要です。部屋には……」

 「セバス。私は疲れたと言ったのです。何をしているのです?」

 「失礼いたしました。どうぞ。ソリュシャンお嬢様。お入りくださいませ」

 

 ふん。

 

 ソリュシャンお嬢様と呼ばれた令嬢は髪をかきあげると苛立ちから大きくなる足音を隠すこともなく入室し、セバスと案内してきた従業員を閉め出すように扉を閉めた。

 

 「……見ていただけましたようにお嬢様は少々気がお強い御方です。こちらからの指示がない限り部屋には立ち入らないようにお願いします。ご案内御苦労でした」

 

 金貨を一枚その手に握らせてセバスと呼ばれた執事は従業員をねぎらった。従業員が一階へと戻る際に振り返ってみれば執事は礼儀正しくノックをし入室の許可を求めている。先程の令嬢のとげとげしい粗雑な態度と余りにも正反対なその態度に従業員は執事が主人に恵まれていないことを憐れむのであった。

 

 

 

 「失礼いたします」

 

 ノックの後に扉を開けて部屋にはいればそこには予定通りに二人の女性がセバスを待っている。

 老人の執事が一人で運ぶにはかなりの大きさのケースや鞄を下ろすと女性の一人、ソリュシャンが深々と頭を下げてくる。そこには先程までの高慢なお嬢様という様子はない。人に奉仕させるのではなく、人に奉仕する者の姿があった。

 

 「セバス様。先程は失礼いたしました」

 「構いませんよ。ソリュシャン。私は貴女に仕える執事ということになっているのですから」

 

 セバスはナザリックでは逆の立場であることを気にするソリュシャンに片手をあげて気にしないようにと念を押す。二人にこの役割を命じたのは絶対な主人であるアインズだ。気にし過ぎることもまた不敬だとその態度は示していた。

 そうしてソリュシャンから視線を切るとセバスは深々ともう一人、最初からこの部屋に潜んでいてもらった女性に頭を下げた。

 

 「アリシア様、この度はお力添え感謝いたします」

 

 ソリュシャンも同じように頭を下げる先で変装用の魔法を解除し、これまた変装用のベールを脱いだアリシアがいた。こぼれおちるように露になるその髪や瞳はソリュシャンよりも澄んだ美しさがあった。

 

 「頭を、あげてください。モモンガさんにも言いました。……友達の頼みなら、私は、応えたいですから」

 

 表情の変わらないアリシアには特別気取った様子はない。

 あくまでも自然体の反応は本心からの言葉であることは明白だ。

 ソリュシャンは伏せた顔の中で少しだけ表情を不快げにゆがませる。

 アインズをモモンガと呼んでいいとアリシアが許されていることに対する嫉妬がそこにはあった。

 

 「左様でございますか。アリシア様と我らの主人がそのように厚い友誼を結ばれている様子を目にできまして私どももとても嬉しく思っています」

 「セバス、さん。大袈裟です。……では、座って話しましょう、か」

 「畏まりました」

 

 主人の友人であるアリシアに対するセバスの態度は模範とすべきものだ。

 ソリュシャンも不満をおくびにも出さずにそれに倣う。

 ナザリックに属する者にとってのアリシアは非常に評価の分かれる存在であった。

 アインズの命令は何事よりも絶対であるが生きている者の性として感情を切り捨てられない者が多かったのだ。

 セバスやデミウルゴス、コキュートスのような男性陣はそれがアインズの決定ならと主人の友人であるアリシアに敬意を見せることに何も抵抗感はない。もちろん至高の御方に向ける物とは性質は違った敬意だが。

 逆に女性陣は現状ただ一人モモンガと呼ぶことを許されているアリシアに対して嫉妬の感情を抱かずにはいられなかった。アルベドに至っては憎悪すら抱くほどである。守護者の女性陣の中で最も穏やかなアウラでさえ本当に主人の友人としてふさわしいのかと心の中では疑問を感じている。例外は一部の感情をコントロールできる者、感情の起伏があまりない者たちである。プレアデスのユリとシズ、一般メイドのノエルやイレインなどがそれに当たる。

 アリシアは席に着いたセバスの後ろに控えるソリュシャンにも座るように促すが、ソリュシャンはそれを固辞する。それには内心の不満から同席を嫌がったのもあるが、身分を偽る必要がないときくらいはセバスを立ててメイドとして側に控えたい気持ちがあった。

 

 「それでは。これが、こちらで用意できた物です。確認してください」

 

 ソリュシャンの態度に納得したアリシアは用意していた革袋を収納ブレスレットの中から取り出す。

 それは丈夫そうな何かの動物の皮をなめしたものであり、パンパンに膨れ上がっている。それが二つ、テーブルの上に置かれると金属がこすれあう重々しくも騒がしい音がした。

 

 「拝見します。これは……白金貨ですね。そしてこちらが金貨ですか」

 

 セバスの言葉にアリシアは頷く。

 革袋の中には白金貨と金貨が詰め込まれていた。

 これはモモンガがアリシアに頼んでエ・ランテルの商人に武具を売りはらってもらって手に入った金だった。

 カルネ村を襲った法国の者たちからはぎ取った剣や鎧をモモンガは現地の金を手に入れるために売りはらったのだ。彼らの武具はどれもがモモンガたちにとって弱すぎるものであり手に納めている理由が見つからなかったためである。だが、そんな武具もこの大陸では非常に価値があるものだとモモンガはすぐに理解していたのだ。王国最強の戦士であるガゼフとその配下ですら魔法の武具で身を固めていなかったのだ。軽量化の魔法や少し鋭くなる程度の魔法しかかかってないとはいえ十分な価値になる。

 だが、そうして売りはらうのはいいのだが情報収集のためにセバスとソリュシャンを羽振りのいい商人として送り込む以上、エ・ランテルで自分達で売りはらうのは難しい。そのため近隣の町などで多少売りはらい最低限の金銭を得る以外の売却はアリシアにお願いしていたのだ。

 アリシアは拠点としている金瞳の猫亭の都合上、商人とのつながりが多い。口下手で交渉事には向かない性格も、ユーイチが商人と話をしていたため支障はなかった。

 その結果、今セバスの目の前にはかなりの金額がつまれていた。

 セバスとソリュシャンはその金額に驚きを感じた。自分達で売ったからこそ理解できたのだ。いくらなんでも多すぎではないかと。

 二人の感想は間違っていない。アリシアがモモンガから預かった武具はそのままでは決してここまでの額には届かない。精々がこの三分の一というところだろう。

 

 「アリシア様。失礼ながらお聞かせください。私どもも同じ武具を扱った身なので感じるのですが……これは多いのではないでしょうか?」

 

 アリシアが何か私財を費やしこちらに気を使ったのであればそれは主人の求めるところではない。

 セバスの言葉にアリシアは小さく頷き、その通りだと肯定する。

 

 「その通り、でもありますが……そうでもないんです。この金額は預かった武具を売ったお金で間違いありません」

 「と申されますと……何か商人からアリシア様にご要望されたりなされたのでしょうか? 我が主人はアリシア様が負担なさることを御心配されております」

 「いいえ。モモンガさんのお気持ちは嬉しい、ですけど、セバスさんの心配は杞憂です。……実は武具の売却を私の師匠、ユーイチに頼みました。ここまではモモンガさんも御承知の上だったんですが、その時に武具を全て再加工して売ったんです」

 「再加工、でございますか」

 

 こくりと頷くアリシアは続けて語った。

 ユーイチは全ての武具にかかっている魔法を再加工することでその効果を増し、あるいは複合効果を持たせることで価値を大きく向上させたのだ。

 より軽く、より鋭く、より硬く。

 鎧も盾も剣も。

 大きく性能を向上した武具を急ぎという理由で強化された性能と比較して少し安めに設定して売りはらった。

 懇意にしている同じ宿屋の商人複数に買い取らせた結果が今セバスの目の前にある革袋である。

 

 「その加工にはなにか費用がかかったのではないでしょうか?」

 

 当然の質問にアリシアは首を横に振る。

 

 「えっと。私も詳しいところまでは分かりません。けれど、ユーイチ曰く、もともと魔法がかけられてる品なら強化できる限りは金銭的、物質的負担はないらしいです。ただ、魔法を使った分疲れるくらい、らしいです」

 「それは……つまり、武具の加工の程度が低ければユーイチ様が強化出来る限り、武具の質を向上させることができると、いうことですね。それはすごい。流石はアリシア様の師に当たるお人です」

 

 セバスの心からの賛辞にアリシアは嬉しそうに照れた。

 自分の事だけならセバスのような人物に手放しでほめられるのは恥ずかしくも感じ、否定したくなるだろうが、ことユーイチのことで褒められているのであればアリシアはその通りと胸を張れるほど同意するのだ。

 それはセバスたちがアインズの全てを肯定し、成せないことなどないと思う気持ちと同じである。アリシアにとってユーイチは出来ないことなんてないと思えるくらい偉大で大好きな存在であった。

 

 「うん。ユーイチはすごいです。何でも、すごいんです」

 

 そう言いきるアリシアは子供のように憧れの人のすごさをセバスとソリュシャンに力説するのであった。

 

 

 

 アリシアとセバスの密会から、時間がたちもうすぐ二十時を迎えようとする時刻、アリシアとユーイチはエ・ランテルの外、近くにある森を訪れていた。

 既に夕食はファリアやウィーシャと共にし、二人はすぐに戻ると言ってここまで出ていた。

 普段とは違いアリシアを先頭に森の中を進んでいくと少し開けたところに森の中に不似合いなコテージ立っている。ここが二人の目的の場所である。

 

 「ここか?」

 

 ユーイチの言葉にアリシアは頷く。

 すると近づいてきた二人に気がついたのだろう。コテージの中からセバスとソリュシャンが二人を出迎える。

 二人とも本来の執事とメイドの姿であり、その立ち振る舞いは賓客を迎えるものだ。

 

 「ようこそおいで下さりました。アリシア様、ユーイチ様。本来であればこちらから出向くところをこちらの都合を汲んでいただき誠に感謝いたします」

 「構わない。場所を指定したのはこちらだろう。それに、アリシアがすごいすごいと話していたナザリックの皆さんと俺も会ってみたかった。こうして呼んでくれて感謝する。……ところで、金額の方はどうだったかな。出来る限りのことはしたんだが。満足してもらえたらありがたい」

 「我々の想像を越えるものでした。アリシア様からユーイチ様のお力あってこその結果だと聞き及んでおります。その件に関しましても感謝の言葉を述べたいのですが、どうぞ、中へお入りください。中には主人の代行として階層守護者であるシャルティア様がお待ちでございます」

 「分かった。中で話そう」

 

 アリシアはユーイチに続いてコテージに向かいながら自分の心の余裕に驚いていた。

 シャルティアがきていることはセバスから聞き及んでいたことだった。

 ユーイチと会いたいが他者の目につくところでは避けたいというセバスたちの要望を聞き入れて、こうして誰の目も及ばない森の中で会うことが決まっていたのは数日前からだ。

 セバスとシャルティアという自分よりも強いと感じる強者二人に、特にシャルティアは自分にいい感情を持っていないと分かっているだけに、会うことが少し恐ろしくもあったアリシアだったが、自分の目の前にある背中を見ていると何一つ不安も恐怖も感じていなかった。

 

 (側に、ユーイチがいれば……うん。なんだって、怖くない)

 

 ここで戦闘になることはないだろう。

 危険なことはないはずだ。だが、それでも想像してしまいがちなもしもの時。

 もしその時が来てもユーイチがいてくれれば大丈夫だとアリシアは再度自分がユーイチをどれだけ信頼しているか、頼りにしているかを噛みしめていた。

 扉をくぐるとそこは外見からは想像できないほどに広く、立派であった。

 そして入口から正面にシャルティア・ブラッドフォールンがスカートの端を摘み可憐な一礼をしている。その後ろに控える二体の吸血鬼の花嫁もそれに倣うようにアリシアとユーイチに対して敬意を示している。

 

 「わざわざご足労をおかけしてかたじけなくありんせん。私の名前はシャルティア・ブラッドフォールン。主人であるアインズ様の代理としてアリシア様、ユーイチ様のご両人に感謝を述べたく招かせていただきんした」

 

 優雅で可憐なあいさつはその容姿と相まって見る者を誘う甘い蜜のようだ。

 アリシアはすごく可愛らしいその様子の中に、どれだけの強者としての面が潜んでいるのかと思うとやはりモモンガが自分を友人と呼んでくれるのは分不相応のような気がしてならなかった。

 自分ではなくユーイチのことをそう呼んでくれるならばまさに相応な関係だと頷くところなのだが。

 

 「ご丁寧にどうも。俺の名前はユーイチという。様はいらない。すきに呼んでくれ」

 

 事前に話してはあるがユーイチがシャルティアの力を見抜けないはずはない。

 それでも普段通りと変わらない自分の師の姿に心の中のアリシアは黄色い声援を送っていた。

 

 「アインズ様からご客人として失礼のないようにと命じられておりんす。申し訳ありんせんが、様、が私の好きなようにでありんす」

 「ならそう呼んでくれ。シャルティア嬢」

 

 ユーイチが手を差し出すとシャルティアがそれを握る。

 穏やかに握手を交わす二人の様子に何か問題が起こる気配はなかった。 

 握手が終わるのを見計らいセバスが二人に声をかける。

 

 「お二人とも、どうぞ奥の間へ。部屋はどれも同じでござますが、私どもの手で御歓談の準備は整えてございます」

 

 セバスが指し示す先にはソリュシャンが扉の前で控えている。

 アリシアは素早い執事とメイドの進行に感心する思いだった。

 

 「流石はセバスでありんすなぁ。では、アリシア様、ユーイチ様、どうぞこちらへ」

 

 

 部屋の中は応接間になっていた。

 長テーブルと人数分の椅子。

 そして調度品が出しゃばらない程度に配置されている。

 一見、上等な応接間だがこれでも急ごしらえのものだった。

 本来であればこのコテージには宿泊用の部屋しかない。

 そういうマジックアイテムによって創り出された室内なのだ。

 ゆえに本来はベッドなどが置かれている部屋をセバスとソリュシャンが応接間にふさわしいように模様替えしたのがこの部屋だ。見るべき者が見ればどこか違和感を覚えるかもしれない。

 そんな部屋の違和感に気がついたわけではないがシャルティアはうっすらとした頬笑みの中で醒めた気持ちを隠していた。

 

 (どこかで期待していた私が悪かったのかもしれないでありんすねぇ。……どう見ても生意気な娘とさほど変わらないようにしか見えないでありんす)

 

 ユーイチと手を握り視線を合わせ言葉を交わしたシャルティアは最大限の警戒を持っていた心がどうしてもゆるんでしまうのを感じていた。

 それほどまでに想像していたレベルまでユーイチが到達しているように見えなかったのだ。

 

 シャルテアがアインズの代理となったのには訳がある。

 それは当初アインズが直接会おうとしたのを守護者達が必死にいさめたところから始まる。

 正体不明のプレイヤーと思われる存在であるユーイチとのファーストコンタクトはどれだけの危険があるか計り知れない。

 アルベドとデミウルゴスから強固な反対をされたアインズは仕方なくそれを認め、まずは使者を送り出すことに決めた。その使者に選ばれたのがシャルティアである。理由はいくつかあり、セバスと共に情報源になる人間の捕獲のためにエ・ランテルまで出向く目的があることが一つ。そしてもう一つが単独の存在として守護者最強の戦闘力を有しているからである。また<転移門>などの即座に帰還できる魔法を習得しているため万が一のことが起こっても囚われたり、殺される心配がもっとも少ないだろうという判断からであった。

 実はシャルティアは知らされていないがこれからの計画の都合上消去法でシャルティアにしか頼めないとアインズが思っていたことは誰にも知られてはいない。

 そうして送り出されたシャルティアであったがアインズから二つ厳命されていた。

 

 「よいかシャルティア。決して相手の反感を買うようなまねはするな。そして油断と慢心を捨てよ。相手は私と同じようにプレイヤーである可能性が高いのだからな」

 

 そう命じられていたシャルティアは警戒心が緩むのを自分の頬を叩いて律したかったがアインズの代理として来ている身である以上、無様は見せられない。警戒心をなんとか最低限維持しつつ、少しでも至高の御方に近付けるような優雅で気品のある仕草を心がけていた。

 

 「おっほん。まず最初に、謝罪を申し上げさせていただくでありんす。貴方様の御弟子であるアリシア様を深夜も過ぎた時刻に無作法にナザリックに招いたことを深く謝罪するでありんす。私の主人、アインズ様はとても深く気にしてあられんした」

 

 シャルティアの言葉にアリシアが何か言いたげな様子であったが自分が話す立場ではないと感じているのか何も言わない。そんなアリシアを尻目にユーイチは気にしないでほしいと片手を振った。

 

 「全てはアリシアから聞き及んでいる。アインズ殿はアリシアに対して最大限の誠意を見せてくれたと俺は思っている。謝罪をされることではない。むしろ、うちの子を手厚くもてなしてくれてこちらこそ感謝していると伝えてほしい」

 「ありがたいお言葉でありんすぇ。きっとアインズ様はお喜びになられると思いんす。必ずお伝えしんす。では、こちらからも感謝を。ナザリックのために尽力してくださり誠にかたじけなく思いんす。このお礼は必ずお約束いたしんす」

 「お礼を約束していただけるなら、いずれアインズ殿と二人でお会いしたいと伝えて頂きたい。きっとお互いに話すべきことが多いだろう」

 「はい。もちろん」

 

 絶対的な主人であるアインズにお礼の品を指定する行為をシャルティアは舌打ちしたい気分であったが決して表に出さない。友好的に主人とユーイチとをつなぐ役割こそ自らにに求められていることだとシャルティアは理解していた。

 

 「セバスの話ではこちらがお頼みした武具の売却の際に、ユーイチ様のお力添えのおかげで大きな利益をあげられたとか。何でも素材を必要とせずにより高価な武具にされたと聞き及んでありんす。そのようなことはナザリックでも聞いたことがない技術、ユーイチ様の万能ぶりに空いた口がふさがらない思いでありんした」

 

 今のシャルティアはどれだけ相手を見下ろしていてもそれを態度に出さないだけの使命があった。

 アインズの代理であるということ以上に自分の失敗は自らの創造主であるペロロンチーノの失敗であるとアインズの前で誓ったのだ。

 もちろん自らの創造主であれば自分と同じような失敗なんて絶対に侵さないだろうし、アインズもそうだとは思わないだろう。だがそう思えと、その覚悟で事に当たるように言われたのだ。自分の油断が創造主に泥を塗るようなまねを犯してしまえば生きていられない。

 そんな覚悟で挑んでいるシャルティアをセバスとソリュシャンは見直していた。

 享楽的で主人の前でも騒がしく、諌められているイメージが強かったシャルティアがそんな様子を欠片も見せず、それでいて気品を失わずに見事にアインズの代理を務めている。

 

 (この任務にシャルティア様が適任だとは正直思っていませんでしたが……流石はアインズ様。見事なご采配)

 

 (アルベド様も素敵な方だとは思うけれど……こんな見事な対応を見せられては…ねえ。やっぱり第一后はシャルティア様の方がふさわしいわね)

 

 セバスが主人の采配に感じ入り、ソリュシャンがシャルティアの側につくと決めるほど今のシャルティアに非の打ちどころはなかった。

 そんなシャルティアに見惚れもせずにユーイチは何でもないように平然としていた。

 

 「それほど褒められることでもないんだがな……。程度が低すぎる魔法の加工だったから出来ただけなんだ。君たちが所有する武具には同じように加工することはできはしないさ」

 「それは残念でありんす。よければ一目拝見したかったのでありんすが……」

 「シャルティア様」

 「ん。なぁに。セバス」

 「差し出がましいようですが一本、剣が売れずに残っております。もしユーイチ様がよろしければ加工を見せていただけるのではないでしょうか?」

 

 実際は売れずに残っていたのではなく、のちにやってくるアインズの供をする予定のナーベラルが身分を偽るために帯剣するための装備として保管していたものだ。

 セバスからの報告を聞いたアインズが機会があれば実演してもらうようにとシャルティア達に伝えて、それを送ってきていたのだ。

 

 「まぁ。そうでありんしたか? どうでございましょう。ユーイチ様。私共にユーイチ様の加工の業を見せていただけませんでありんしょうか?」

 「んー……」

 

 初めて迷うそぶりを見せるユーイチに驚いたのはアリシアだった。

 なぜならそれは値をつり上げるように商人と交渉する時のそぶりと同じであったからだ。 

 考え込むユーイチにシャルティアは主人の望みをかなえるためにも少し身を乗り出しつつ、頼みこむ。

 

 「もちろん。相応のお礼はお約束いたしんす。私共も予想よりはるかに大きな利益をアインズ様にご報告する際に実際に目にしていた方が詳細を報告しやすいのでありんす。いかがでしょうかぇ?」

 「……そうか。それならやろう。ご期待に添えたらいいんだが。ではお礼に一つ。手紙を書くのでアインズ殿に手渡してほしい。頼めるかな」

 「もちろんでありんす」

 

 そうしてユーイチはソリュシャンから剣を受け取り、シャルティアたちの目の前で再加工を実演したのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「それでこれが、再加工された剣と言うわけか」

 

 自らの執務室でシャルティアから報告とともに渡された剣を手に取り、アインズは確かめるようにその刀身を眺めた。

 既に魔法により剣の効果を確認しているアインズにシャルティアは頷いた。

 

 「はい。アインズ様」

 「確認するがシャルティアよ。確かにユーイチという人物は何か素材や金銭を消費した様子はなかったのだな?」

 「はい。セバスとソリュシャン、そして私の三人でしかと見届けましたが特別なにか消費している様子は見受けられませんでありんした。……アリシア様、も、そのように仰っておられんした」

 

 シャルティアの言葉にアインズはしばらく考え込むようにその手の剣を見つめると、送られてきた手紙を思いだしていた。ユーイチからの手紙はアインズが一読すると燃えてなくなっていた。

 赤い光を灯らせる眼窩の視線は深い叡智を醸し出しているように見え、側に控えるアルベドやシャルティアはしばしその姿に見とれながら言葉を待った。

 

 「……素晴らしいな」

 「はっ……アインズ様?」

 「シャルティアよ。命じた通り友好的に協力関係を築けるように対応したであろうな?」

 「御身の命じるままに。シャルティア・ブラッドフォールン。務めを果たした、と思っております」

 

 がたりと音を立ててアインズが椅子から立ち上がる。

 

 「アインズ様? どうかなさいましたでしょうか?」

 

 アルベドが困惑した声をあげるがアインズは無視しシャルティアの方へと歩み寄る。

 一歩一歩。

 何かを抑え込むようにいつもよりも纏うオーラが濃く見える。

 周囲の者たちが息をのむ中、シャルティアは背筋が凍るような思いでアインズが近寄ってくるのを見つめていた。もしや、自分に何か落ち度があったのではないか。失敗してしまったのではないか。そんな焦りが頭の中を駆け巡る。

 だが緊張感につつまれる周囲の様子に不似合いなほどにアインズの声は明るかった。

 

 「シャルティアよ。でかしたぞ。お前は最上の結果を持ち帰ってくれた」

 「へ? あ、アインズ様……?」

 「この剣は私に、そしてナザリックに大きな利益を生むだろう。そのためにお前は大きく貢献したのだ。流石はペロロンチーノさんの最愛の娘だ」

 

 アインズの手がシャルティアの頭に伸び優しげにその髪を撫でる。

 瞬間、シャルティアは喜びや歓喜、恥ずかしさなど、大きな感情の動きで湯だったかのように顔を真っ赤に染めた。創造主の名まで出されて自らの働きを称賛された喜び、不意をうたれた撫でる手。なにより主人の期待に応えられる働きができたことにシャルティアは歓喜の震えを隠しきれなかった。

 

 「ぁ、あぁいんずさまぁ」

 「シャルティアよ。今後も忠義に励んでくれ。期待しているぞ」

 「はぁいっ。このシャルティア・ブラッドフォールンんっ! ペロロンチーノ様の御尊名に恥じぬ働きを、アインズ様のご期待に応える働きをぉぉっ、誓います!!」

 「あ、ぁぁ」

 

 興奮から吐息も艶やかに大きな声で答えるシャルティアにいくらかアインズが引いているとは誰も思っていない。

 アルベドやナーベラル。そして一般メイド。

 皆、羨ましそうにその光景を眺めていた。アルベドは自分がシャルティアの立場にないことに歯噛みする思いだった。

 自分の行動が主人を喜ばせる。これ以上に仕える者の喜びはない。

 シャルティアとアルベドの視線が交わると勝ち誇ったような笑みをシャルティアが浮かべる。

 アルベドは悔しさを感じつつもそれを受け入れるしかない。アインズが満足している結果を出したシャルティアに反撃するのはアインズからの不評を買うだけだと聡いアルベドは分かっているのだ。

 

 (ぐぬぬ。今に見ていなさいよぅ。シャルティアぁっ)

 

 必ず自分も同じだけ、いや、それ以上にアインズに満足してもらう。そして、あんなことやこんなことをしてもらうのだ。

  そんなアルベドの覚悟を感じ取ったのか少し嫌な予感に身を震わしたアインズが振りかえるとそこにはいつもの微笑を浮かべているアルベドがいる。

 

 「なんでしょうか。アインズ様?」

 「い、いや。なに。何もないぞ。アルベド。……おっほん。ナーベラル。こちらへ」

 「はっ。何なりとご命令くださいませ。アインズ様」

 

 気を取り直したアインズに呼ばれたナーベラルがその前に跪く。

 そのナーベラルにアインズは剣の柄を向け差し出す。

 

 「これを装備せよ」

 「はっ。失礼いたします」

 

 差し出される柄を手に取りナーベラルはアインズに刃をむけまいと逆手でその柄を握った。

 

 「ご命令のとおり。装備いたしました」

 「……ふふ。ははは。そうか。装備できたか」

 「……は、はい。アインズ様?」

 

 気分よく笑い声をあげるアインズは珍しい。

 シャルティアですら恍惚とした気分をしばし忘れて目を見開きその様子を凝視した。

 

 「ナーベラルよ。その剣、本来であればお前の技量では扱うことのできない武装のはずだ。再加工により武器のランクが上昇しているからな」

 「そ、そうなのですか? ですが、何も不備は感じられませんが…」

 「そうだ。そうでなければ私もこうして喜びはしない。このことが私には喜ばしいのだ。……この加工にはメッセージが込められているのだよ。同じプレイヤーにしか、分からないものがな」

 

 アインズは剣の鞘をナーベラルに手渡しつつ、もう一度椅子に座り直す。

 アルベドをはじめ部屋の中にいる者が皆、説明を期待しているのをアインズは理解していたがあえてこれ以上話すつもりはなかった。

 手紙の内容と再加工された剣の事について深く話し過ぎるとNPC達には説明できないものが出てくるだろうと判断していたからだ。

 燃え尽きた手紙にはこう書いてあった。

 

 「普通は誰でも剣をもつことはできるだろう。」と。

 

 (ああ、そうだ。出来て当たり前だ。だが、それができない現実があった。しかし、ユーイチという人物はそれを出来て当たり前にする方法、あるいはこの世の仕組みを理解している。……間違いなく、ユグドラシルのプレイヤー)

 

 確信に変わった自分以外の同じ存在に鈴木悟は早く会いたいという気持ちを落ちつかせるのに一苦労していた。

 

 

 

 

 

 

 六頁~邂逅する超越者~

  ファーストコンタクト 終

 




間が空けばあくほど文字数が無駄に増えてしまう悪癖が出た話になったかもしれません。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
次の話はもう少し読みやすい者にできたらいいなと思います。
よければまたお読みくださると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七頁~仇には仇を~

お久しぶりになります。
長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
一頁で描き切ってしまいたいという意志で描き進めた結果、過去最高の分量になりました。
これで原作二巻の内容が終わります。
やはり下準備が必要だった一巻のところより短くはなりました。
ただ、短いと言っても実際のところ二頁分はあります。

今回はあのキャラクターが登場します!

たぶん、原作より酷いかな?


 七頁~仇には仇を~

   惨劇の夜と一つの影

 

 

 

 

 

 

 その晩、なかなか眠ることができなかったウィーシャは閉じていた目をゆっくりと開いた。

 外界をしっかり遮断したウィーシャの部屋はまっくらだ。目を開けてもほとんど何も見えないほどだ。

 だが、そんな夜の闇に包まれた世界でうっすらと輝くものがあった。

 ウィーシャは目を閉じる前と同じようにそこにそれがあることにすこし安堵しつつ手を伸ばした。

 それは髪留めであった。蒼い鉱石でできているそれは滑らかな手触りをウィーシャに感じさせる。その感触が気持ちよく何度かウィーシャは親指で表面をなぞった。

 

 「綺麗……、きれい……」

 

 光源がなくともうっすらと発光するその幻想的な輝きに思わずもれた言葉が、考えまいとしていた記憶を呼び起こしてウィーシャを赤らめさせた。

 

 (私はこんなに綺麗じゃない……ないったら)

 

 額に髪留めをコツンとおしあてるように頭を抱える。

 ウィーシャが寝つけないほどに悶々としているのは日が昇っていた頃にユーイチと出かけていたのが理由だった。

 任された仕事を終えて決まったとおりの自由時間。

 その時間、二人で街を歩いた。見かけない店を見つければ立ち寄り、道中たわいもない話をする。

 背の高いユーイチと小柄というよりは年相応のウィーシャではかなりの凹凸ペアであった。そんな男女が親子でもないのに親しげに歩むのは道行く人々の注目を浴びる切っ掛けになっていた。

 あくまでも切っ掛けなのは目がいけばあとはユーイチのせいで自然と注目されるからだ。

 黒髪と真っ赤な瞳。

 このあたりの人種ではない特徴的なそれらはこの街の最高位冒険者の特徴として知られていた。

 そんな注目の的の人間が女性と二人並んで歩んでいれば普通ならどこかしらで有名人の女性問題として話題になるものだ。

 だが、そんなふうに噂をする人の様子はなかった。

 だからこそウィーシャは自分は子供で、相手にされるされない以前の話なのだと言い聞かせてた。

 

 (そう、そう……私はまだ、子供なんだから。そう見られてるだけなんだから)

 

 そう念じて小さく深呼吸し再度、髪留めを眺める。

 するとまたどこか浮かれたような悶々とさせる何かが湧き上がってくる。

 そんな何かが湧き上がってくるのはその髪留めを渡された時のユーイチが原因だった。

 

 「ウィーシャ。もうじき髪を伸ばすだろう? その時に使うといい」

 

 髪留めを渡されて驚き、断ろうとして、真っ赤な瞳に見つめられて、受け取った。

 受け取ったのはその贈り物の意味に聡いウィーシャは気がついたからだ。

 これは祝えなかったウィーシャの誕生日の贈り物であった。

 もともとウィーシャが父やファリアと共にこのエ・ランテルに向かっていたのは父の実家で自分の誕生日を毎年祝っていたからだ。旅の商人であった父と孤児院育ちから冒険者になったファリアは自分の家を持ってはいなかった。もう祖父母も亡くなったとはいえ家族の家と言えるのはここしかなかったのである。だからこそ毎年自分の誕生日に戻ってきていた。

 だが、祝うはずだった十四歳の誕生日は父の葬儀を終えて数日しかたっていない頃だった。

 気分的にも新しい生活のためにも誕生日を祝うことに労力を割く余裕はなかった。

 そんな祝えなかった誕生祝いの品がこの髪留めなのだ。

 それは一目見ていいものだと分かる品だった。行商の娘として身につけはしないもののいろんな品を見てきたウィーシャにはそれがそこらの店で買えるような品ではないと分かった。

 そんな品を思いついたようなお出かけの中で見つけられるはずがない。事前に準備していたものであることは分かりきっていた。

 自分に事前に準備してまで渡す品。

 そこに込められた意味はそれしかない。

 おそらくファリアやアリシアの思いもこもった、三人を代表してユーイチが渡してくれたものだ。申し訳なさをはるかに超える喜びがあった。

 だが、これだけならウィーシャは眠れないほど悶々としなかった。

 

 「この髪飾りのようにウィーシャは綺麗だ。……髪が長い方が俺は好きだ。いつかそれを必要になるくらい伸ばしてくれると嬉しいな」

 

 肩を過ぎたあたりがいいと思う、と手で髪の長さを示していたユーイチが冗談で言っていたのかどうかわからない。いや、冗談だろうと笑うところだったのかもしれない。

 しかし、ウィーシャは笑えなかった。余計な御世話です、とでも微笑むのが期待されていた返事だったのではないかと時間がたった今でこそ思うものの、その時その場では顔を真っ赤にして慌てふためくしかできなかった。

 

 (綺麗……綺麗……髪が伸びたら……)

 

 髪が伸びると言うことは成長したら、という意味ではないのか。

 もう少し大人になったら、という意味だったらどういう意味になるだろう。

 そう考えるととても寝ていられない。意識がはっきりし思考はそれで支配されっぱなしだ。

 ユーイチが誰かれ構わずに女性を口説くような人ならこんな思いは抱かなかっただろう。

 しかし、ユーイチは聞かれれば答えるが自分から女性に綺麗や可愛いという類の言葉を使うことはない。至高の美しさを持つアリシアですら、めったなことでは褒められないとよく可愛いや綺麗と言われるウィーシャを羨むほどだ。ファリアに聞いてみても同様にその類の言葉はかけられないと言われる。

 

 そう。自分だけが特別な言葉をもらってる。

 

 そこに行きついてしまうともう顔が熱を持つ。自分では見ることはできないが絶対に赤くなっているとわかる。

 褒めてもらえるのは自分が子供だからなのか、それとも別の意味を持つのか。知りたいようで知りたくない答えを想像してはベッドの上で悶える。 

 

 「やっぱり。目をあけるんじゃなかった」

 

 手の中で淡く発光する髪留め。

 幻想的な蒼く美しい光。

 そんな光をみているともう思考が止まらなくなる。

 分かっていたはずなのに目を開いてしまった自分にウィーシャはすこしだけ呆れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 それはユーイチとナザリックのはじめての会談が無事に終わった二日後のことだった。

 

 「依頼?」

 「ああ。二日後にエ・ランテルを離れる。その間は留守を頼む」

 

 アリシアはユーイチを珍しげに見つめ、わずかに首をかしげた。

 二人きりの朝の鍛錬の中、地面に転がされたアリシアは自分の予想を抜けてきたユーイチの動きを思い返していたが、かけられた言葉に起き上がった。

 

 「急な依頼、だね。それに珍しい」

 

 起き上がると同時に魔法で全身の汗や汚れを落とす。

 スッキリした様子のアリシアは結んでいた髪を下ろして刀を鞘に納めると水差しからコップに水を注ぐ。

 二つのコップになみなみと水が注ぐと片方をユーイチに手渡した。

 

 「ありがとう」

 「ん。……いつ引き受けたの?」

 「昨日の晩だ。組合長と話していた時だ。俺が受けたい依頼だと紹介されたんだが、その通りでな」

 「内容は?」

 「野盗関係だ。……まだ残りがいたようだ。もしかすると関係はないのかもしれないが野盗の話は俺に回してくれるように言ってあるからな。実際に目にして確認するつもりだ」

 

 野盗関係。

 そう聞けばなぜこの話が急にユーイチに回されるのかは明白だ。

 だがアリシアは不満を隠さずにユーイチに詰め寄るように近づく。

 私が留守なのはどうしてなのか。

 心の中の自分が地面を叩いて憤りを見せている。

 そんなアリシアの視線をやれやれと言わんばかりに受け止めるとユーイチは飲み終えたコップを水差しにかぶせた。

 

 「二日はここを空ける。お前には残っておいてほしい」

 「……ん」

 「嫌か?」

 「嫌じゃ、ないけど…………ううん。嫌。二人で一緒にしたい」

 

 心の中の自分が拍手喝采を送る中、アリシアは我がままを言っていると感じつつも言わずにはいられない。

 

 (最近、お互いに一人でいろいろしてたからかな……)

 

 ユーイチがシャルティアと話っていた風景を思い出す。

 あの絶対強者に対して何も動じることがなかった頼もしい姿を。

 今、アリシアが感じているのは俗に言う女が強い男に惚れるという話でそう間違ってはいない。

 もともとべた惚れなのは知り合った時からであるが、近頃一人で活動することが増える中、ナザリックという危ないつり橋を平然と渡り切ってしまうその姿に再度惹かれているのである。

 結果、「昔は依頼はいつも二人だった」や「そう言えば最近は二人でいる時間が短い」などと昔よりも距離が近づくなるどころか、離れていっているように感じ、親猫に甘える子猫のように縋っているのだ。

 そんなアリシアに理解を求めるようにユーイチはその頭を撫でる。

 

 「そうか。……わかった」

 「じゃあ」

 「だが、今回は駄目だ。二人で行くことはない。それよりも留守を任せたい」

 

 理解を得たと思ったアリシアは花が咲いたような笑みを浮かべて、すぐにふてくされたかのように蕾を閉じる。

 なにがわかった、だ。結局分かってないではないか。

 

 「……わかってない」

 

 つい口からでた不満を聞いてユーイチは笑う。

 むーっと怒りに任せて頭を撫でる手を跳ねのけようとすると逆に掴まれる。

 見上げればいつも変わらない憧れの人がいる。いつもいつも変わらない人が。

 

 「これが終わったら、次の都市、次の国に行こう」

 

 想像していなかった言葉にアリシアは目を見開く。

 二人の時間が昔のように欲しいとは思ったがそれは考えていなかった。

 それほどにウィーシャやファリアとのここでの生活は心地のいいものだった。

 

 それにユーイチはファリアとかなりいい関係を結んでいたのではないだろうか?

 

 ウィーシャが何事もないと断じて呆れていたファリアとユーイチの関係をアリシアはなんとなくだが分かっていた。

 それは誰よりもユーイチを見てきた自分だからこそわかるほんの些細な仕草から読み取った物だった。おそらくだが一晩どころの関係じゃないだろうとすら感じていた。

 ユーイチが旅の中でそういう関係を築くのは何もこれが初めてではない。

 最初にそれを知った際にはそれはもう落ち込み、人生初の自棄酒を行い、周囲に大きな迷惑をかけたことは故郷の知り合いに最後まで笑いの種にされたほどだ。

 だが、今ではある程度当然だと思えていた。ユーイチほどの男性なら女性が惹かれて当然なのだ。ユーイチも男だ。例えばファリアのような素敵な女性に好意を抱かれてはそういう関係になってもおかしくはない。むしろ健全であると言える。であればファリアや他の女性がユーイチと関係を持ってもアリシアは動じない。当然のことなのだから。自分がずっと側にいられたらそれでいいのだ。

 

 「ぇ。いいの? ファリアさんやウィーシャのことは?」

 「いいさ。今回の件が片付けば二人が野盗がらみのことでどうにかなることはないだろう。店の方も、懇意にしてくれる客がついた。じきに俺たちがいなくても二人はやっていける。……長居を過ぎると機会を逸する。この辺りだろう」

 「そう……うん。分かった。今度は王都に行く?」

 「それは分からないな。帝国でも構わないし、聖王国でもいい。なんなら地図にない場所を目指してもいい」

 

 ユーイチの変わらない様子にアリシアは少しだけ安堵する。

 これまでと同様に特に後ろ髪を引かれるような様子は見受けられない。

 一晩以上の関係を結んだと思える女性はアリシアが知る限りファリアが初めてであった。

 ゆえに、もしかしたらここに居を構える可能性だってあるかもしれないと考えていたのだがそうはならないのだ。

 

 「どこでも……いいね。新しい世界が、待ってる」

 

 もうすっかり見慣れてしまったエ・ランテルの街並みを朝焼けがオレンジ色に染めている。

 そんないつも通りの景色がまた未知にかわるのだと思うとアリシアは心が弾む。そしてそれと同時に妹のように可愛がっているウィーシャと別れると思うとチクリと心が痛むのであった。

 

 「というわけだ。二人での依頼はまた今度だ。旅立てばいくらでも機会はある」

 「ん。わかった。……ぁ、モモンガさんとの約束はどうするの?」

 

 今日やってくる予定のモモンガはユーイチと話し合うと約束している。

 すっぽかすようなことになれば身の危険を感じるほどに強者がそろうナザリックとの話し合いは最優先事項のはずだ。

 

 「それは問題ない。約束通りに会うつもりだ。アインズ殿……アインズ・ウール・ゴウンか」

 

 どこか寂寥を感じさせる声音をアリシアは聞き逃さない。

 思えば初めて興奮気味にモモンガたちについて説明した際にも何か思いだしている様子を感じていた。

 長い時間を生きているユーイチのことだ。

 もしかすればどこかでその名前を聞いたことがあるのかもしれない。

 

 「ユーイチ、モモンガさんたちのこと───」

 「お二人とも! おはようございます! 朝ご飯の支度が! 整いました!」

 

 知ってる? と聞こうとしてウィーシャのやけに力のこもった呼ぶ声に遮られる。

 何事だと思い振り返れば目がやけに充血していて、どう見てもよく眠れなかったと思われるウィーシャが空元気を出している。

 

 「うぃ、ウィーシャ……? おはよう。眠れなかったの?」

 

 可愛い妹分に昨晩なにかあったのか。少しうろたえ気味に訪ねるがぶんぶんとこれまたらしくなく首を大きく横に振ってウィーシャは答えている。どう見てもふらふらだ。

 

 「ぜんぜん、全然だいじゅぶです。私は、元気です!」

 「……」

 「元気ですから、気になさらないでください! さぁ、今日も張り切っていきましょー!」

 

 ウィーシャが壊れた。

 アリシアは誰かにウィーシャが操られているのではないかと思えるくらいの衝撃を受け、伸ばそうとした手を所在なさげにおろおろさせる。

 するとユーイチがそんなアリシアを越えてウィーシャのほうに近づく。 

 ウィーシャの変化は劇的だった。

 

 「ウィーシャ。おはよう」

 「ゆ、ユーイチさま……おはようございま……す」

 

 あれ、なんだかしおらしい?

 昨日までのノーマルウィーシャと先程のハイテンションウィーシャともまた違う第三のウィーシャの登場にアリシアは驚く。

 名付けるとすれば……もじもじウィーシャだろうか。充血した目がさらに熱がこもったように定まっていない。どこか落ちついていない様子は恋する乙女のような―――。

 

 (うん? あれって……もしかして?)

 

 ピンときたアリシアの前でユーイチは目線を合わせるように少ししゃがみながらウィーシャと話している。

 目線が合うたびにどこかふらつく様子は体調が悪いのが原因なのだろうか。

 

 「ウィーシャ。今日は休め。体調が悪いんだろう」

 「だいじょうぶです。私は、元気ですから」

 

 まったく大丈夫ではない様子でだいじょうぶと言われても聞き入れられないのは当然だ。

 問答無用とばかりにユーイチはウィーシャを抱きかかえる。

 背中と足に手をまわして軽々と持ち上げると慌てたウィーシャの声が響いた。

 

 「あっ。ゆゆゆ、ユーイチさまぁ!?」

 「部屋まで送る。午前中だけでも寝ていろ。いいな?」

 「……はい」

 

 抱きかかえられたウィーシャは先程までの空元気ぶりや落ちつかない様子が嘘のように静かに身を任せている。

 まるでそのまま寝てしまいそうな様子である。

 アリシアがジーと眺める中、そのまま二人で家の中に戻っていく。

 ファリアが二人に声をかけるのが窓から見える中、アリシアはぽつんと取り残された。

 

 「……………ウィーシャも?」

 

 呟く言葉に誰も返事をしてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 ここで待て。

 そう言われた古ぼけた宿屋の一室。

 そこでお互いに同じ言葉で命じられた二人の女性がベッドに腰掛けている。

 どちらも絶世という言葉が似合う美人だが一人は気の強いという言葉を通り過ごして寒気がするほど張りつめた空気を纏わせることで外界を遮断しており、濡れたような美しい黒髪を纏めたポニーテールが少し揺れている。一方、その寒々とした空気から逃れるかのように出来る限りの距離をあけてもう一人の女性が座っている。負けず劣らず、むしろ勝るような美貌をもった金髪の女性は耐えるように身じろぎひとつせずに座っていた。

 彼女達、ナーベラルとアリシアがこうして部屋に二人きりになってからかれこれ数時間経過している。

 その間一言も二人は言葉を交わしていない。

 アリシアのことを無視するかのようにその場で姿勢を崩さないナーベラル。そしてそんなナーベラルとどうやってコミュニケーションを取ればいいのか分からないアリシア。

 アリシアは思う。

 

 (……早く、戻ってきて)

 

 どう考えても交流に難がある自分たちを残して二人で話している師と友人の一刻も早い帰還を願わずにはいられない。

 一切表情に出さないアリシアだが心の中では一切の興味を外界に向けていない。もはやナーベラルとの交流を諦めていた。

 

 (話せばわかる……。いい言葉だけど、話してくれない相手には……通用しない)

 

 こうなれば鍛錬だと思ってアリシアは目を閉じながらナーベラルの様子をうかがっていた。

 気の流れや魔力の動き、呼吸のペース。

 一つ一つ、確かめるように記憶しておく。

 そんなことに特別な意味はない。

 ただこの暇かつ息苦しい時間を少しでも友好的に使うべくアリシアは確認作業をやめなかった。

 

 

 

 アインズがモモンと名乗り、ナーベラルがナーベと名乗り、二人組の冒険者としてエ・ランテルにやってきた。

 まずは底辺冒険者からのスタートである二人が泊まる宿屋にアリシアはユーイチと一緒に忍び込んでいた。わざわざ誰にも気づかれないように忍び込むのはアリシアがセバスと接触したのと同じ理由である。内密の接触を望むモモンガに応えてのことであった。

 自分の師と友人の初顔合わせということでアリシアは恐怖ではなく少しの興奮から落ちつかない思いだった。

 

 

 ユーイチはモモンガのことをどう思うんだろう?

 モモンガはユーイチのことをどう思うんだろう?

 

 

 今の自分では見上げるばかりの頂きに立つ二人の超越者がお互いのことをどうとらえるのか。

 お互いに認め合うのか、それとも歯牙にもかけないのだろうか。

 きっと自分では思いもしないしないことをお互いに感じるのだろう。

 ただ圧倒されただけの自分とは違い、向かい合ってもどちらがのみ込まれるということはないはずだ。

 いつか自分もユーイチやモモンガを相手に対等に向かい合いたい。

 アリシアは握手を交わして挨拶をする師と友人を見ながら、自分が二人に釣り合うようになると決心を新たにするのであった。

 その場の四人の自己紹介が済むとユーイチとモモンガはあらかじめ決めていた場所へ転移で移動した。

 あくまで二人での会話を二人ともが希望していたからだ。

 そのため不満げなナーベラルとアリシアはその場に残されていたのだ。

 

 (最初は……こんなに嫌われてなかったような……ううん、嫌われてはいたんだろうけど、露骨じゃなかったような)

 

 目を閉じ余分な情報を遮断するからこそ見えてくるものがある。

 そんな魔力などの存在を知覚しながらアリシアは思う。ここまで露骨に距離を置かれた原因は自分の一言だったと。

 

 『モモンガさんは―――』

 

 ナーベラルは明らかに自分がモモンガさんと口にするほどに機嫌を悪くしていった。

 この間少し話したソリュシャンやシャルティアの様子からも分かったことだったが、自分だけがモモンガと呼ぶことを許されているようだったが理由だろう。

 

 『他に私のように呼ばせてる人はいないんですか―――?』

 

 失敗だった。

 確認のつもりでそう訊ねるとナーベラルは今の通りである。

 アリシアは自分の失敗に内心でため息をついていると、ふとあってしかるべきものがナーベラルにないことに気がつき目を開いた。

 

 「………」

 「………何か?」

 「ぁ、えっと。い、いえ、えっと」

 

 気がつくと同時に思わず凝視してしまい、ナーベラルの極寒の視線と目があう。

 こっちを見るな虫けらとでも伝えてくるその視線に気後れしつつもアリシアは驚きを隠せない。

 なぜナーベラルから感じないのか。そんなことがあるのか?

 

 「えっと……ナーベさんはあ、アンデッドなんですか?」

 

 自分の疑問が一番簡単に氷解する質問を口にするがナーベラルはより視線を鋭くし、侮蔑を隠さない。

 

 「……貴女には私がアンデッドに見えるのですか?」

 「………いいえ」

 「なるほど。目が腐っているわけではないようですね。その通りです。私はアンデッドではありません。これでよろしいですか?」

 「はい……。ありがとう、ございます」

 

 もう答える気はないと再度こちらから顔をそむけるナーベラルからアリシアは視線を外す。

 アンデッドなら、話は簡単だったのに。

 やはり見た通りアンデッドではない。

 

 (でも、それならなんでこの人は……こんなに薄いの?)

 

 驚くべき感覚は今でも離れない。

 再度確認するように目を閉じようとすると前触れなく部屋に転移門が開かれる。

 思わず立ちあがると自分とは逆にナーベラルは膝をついて頭を垂れている。

 これが主人を迎える従者と自分の違いか。

 そんなふうに思った矢先、神器級の装備に身を包んだモモンガといつもの通りの真っ黒い上下で身を包んでいるユーイチが戻ってくる。

 

 「ユーイチ、モモン……さん、お帰りなさ、い?」

 

 お帰りという言葉が適当なのだろうか。疑問のまま少し語尾が疑問になり同じように首をかしげる。

 それを見たユーイチが頷いて頭を撫でてくる。

 いつもより優しい! と心の中の自分が本を放り出して起き上がってくる。

 先程までのぐーたらぶりをまるで感じない元気な様子に、我がことながらアリシアはポカリと頭を叩きたくなる。

 

 「ただいま。アリシア。ナーベ嬢とは仲良くしていたか?」

 「う……う」

 「……そこらへん、もっと精進しろ」

 

 もしかしたらユーイチの撫でる手が優しいのは自分が感じた居心地の悪い時間を分かっていたからかもしれない。つまり、これは労わりの撫でなのだ。

 ナーベラルとの数時間の気まずい時間もこの優しい撫でが報酬なら無問題である。

 そんなふうに思った矢先に手が頭から離れる。

 アリシアは名残惜しそうに撫でられていた箇所に手を伸ばしかけ、モモンガが自分を眺めていることに気がついてやめる。子供ぽい所作を見せては友人と言ってくれているモモンガに申し訳ない。ここにはナーベラルの目もあるのだ。

 

 「……どうか、しましたか? モモンさん」

 「いや……なに、なんでもないよ。アリシアさん。ナーベが何かご迷惑をおかけしなかったかな?」

 

 おかしい。

 どこか視線をそらすその様子にアリシアは首をかしげる。

  

 「? ……いえ、むしろ私が気分を損ねてしまったようですいません」

 「なるほど……ナーベ、後で話がある」

 「はっ。承知しました。アインズ様」

 「モモンだっ」

 

 この部屋に来た最初にここではモモンとナーベと呼んでほしい言われたのでアリシアとユーイチはそう呼んでいるが、肝心のナーベラルはどうしてもなじめていなかった。

 

 (気のせい……だったのかな?)

 

 モモンガの視線はどこか意味ありげに見えたし、反応もおかしいように感じたが今は特にそんな様子はない。

 怒られて頭を下げっぱなしのナーベラルと首をかしげているアリシアを置いて、戻って来たばかりの二人は固く握手を交わす。

 その様子は硬く何かが結ばれたように見えてアリシアを喜ばせた

 だが、直後にそんなアリシアすら驚かす言葉がアインズの口から飛び出てくる。

 

 「今日はありがとうございました。ユウさん。何と実りの多い話だったか」

 

 ぇ……?

 

 驚きからアリシアは目をパチパチと開く。視界の端ではナーベラルが驚いたように顔をあげている。

 今、モモンガさんはなんて言った……?

 

 「こちらこそだ。君のように落ちついているモノとは久しぶりに出会ったよ。サトル君。……おっと、ここではモモンだったな。許してくれ」

 「はは。構いませんよ。むしろ申し訳ない。部下の前ではアインズと呼んでくれといい、冒険者の時はモモンと呼んでくれなどと……こちらの都合で」

 「それを言えばお互い様だろう?」

 「違いない」

 

 アリシアとナーベラルはお互いに目の前の二人の様子を信じられない思いで眺めていた。

 二人が握手を交わしお互いの肩を叩いて笑いあう様を誰が想像できただろう?

 少なくても数時間前の自己紹介の時はお互いにどこか硬さがあったし緊張感があった。

 それが戻ってきて見れば微塵もない。

 親しい友人と言える砕けた様子がそこにはあった。

 

 (わ、私よりも……友達っぽい?)

 

 仲良くなってくれたらと願っていたアリシアだったがまさかここまで仲良くなってるとは露ほども思っていなかった。

 ナーベラルもまさか自分の主人がナザリックの外の者に対してここまで気安く触れあうなど信じ難い思いだった。

 

 驚く二人をよそに二人の会話は進み、そして解散になった。

 そして図らずとも同じようにアリシアとナーベラルは師と主人に訊ねた。

 

 一体何があったのかと。

 

 

 

 

 

 

 一人剣を振るうこともなくアリシアは金瞳の猫亭でくつろいでいた。

 あの驚きで締められた話しあいから今日で二日たった。

 先程、他の冒険者と一緒に野盗絡みの依頼のためにユーイチが出発したのを見送ったところだ。

 なぜ自分ではなく他の冒険者と一緒なのかと問いただしたが、曰く「もともと先に依頼を受けていたのはこの冒険者たち」だったらしく、野盗絡みということで少々強引に組合の方でユーイチも一緒に行くように手をうってもらっていたらしい。

 そんな事情ではいたしかたなくこうして店に引きこもっているがやることがない。

 いや、実際にはあったが済ませてしまったというのが正しい。

 傍目には何も変わらないがアリシアの腕輪に収納された荷物の中身は充実していた。新たな旅に向けて油断なく必要な物を揃えている。

 

 (次は……王都? 帝国? どこにしようかな)

 

 アリシアはユーイチの言葉通りに野盗絡みの話が片付けば旅立てるように準備していた。

 昨日からはじめた出立の準備は既に整いいつでもでられる。あとはユーイチの帰りを待つばかりである。

 

 (……いつ言おう)

 

 準備は整った。だがアリシアを悩ませるのはいつウィーシャとファリアにうち明けるかである。

 もう一カ月以上共に暮らした母子にはまだ一言もここを出ることは告げていない。

 自分たちに懐いてくれて、好意を寄せてくれる二人との別れはアリシアにとってもつらい。

 だが、二人は自分よりも傷つくのではないかとアリシアは特にウィーシャの事を思いため息をついた。

 

 「ふぅ」

 「どうかしましたか? アリシア様」

 「んん。何でもないです。ファリアさん」

 

 仕事をしているファリアに首を振って大丈夫だと告げる。

 ウィーシャと違い、一歩引いて構える……見守るという言葉が似合うファリアは一つ頷いて、そのまま仕事を再開している。テーブルの上に負担軽減のように乗せられた豊満な胸は果実が実っているようで大変魅力的だとアリシアは同性ながら思う。

 たしかこの前、ウィーシャがファリアと一緒にお風呂に入った際に、羨ましく思うのを通り越して情けなく感じたと自分のまだ発育途上な胸を抱いて悲しんでいた。

 アリシアとしてはウィーシャの胸も年齢を考えれば育ってると思うのだが、やはり身近な比較対象が悪いのだろうか。そう、自分が剣の腕を比べる対象が悪いのと同じように。

 

 (そう考えたら……ウィーシャの気持ちもわかる。比べるのは当然だもの。……ぁ、脱線してる)

 

 思考がずれたと軽く頭を叩いて元に戻す。

 アリシアはユーイチに恋しているだろうウィーシャにどう伝えるかをまた考え始めた。

 どうも様子がおかしかったので観察してみればやはりそうとしか思えないほどにウィーシャはユーイチを意識している。何と言っても昨日一緒にお風呂に入った際には、ユーイチの好みの女性まで聞かれたのだ。

 

 「そ、その。ユーイチ様と母って仲がいいですよね?! でも、二人はその、あの、こう、関係を持つようなことはないですし……ひょ、ひょっとしてユーイチ様は小柄な女性の方がお、お、おすきなのでしょうか!!」

 

 それは私が知りたい。

 顔を真っ赤にして聞いてくるウィーシャには悪いがそれが分かればアリシアだってどれだけ助かるか。

 一応、傾向としてはファリアのような母性の強い女性を好むような気がしないでもないがそれを素直に言うわけにもいかない。ウィーシャはファリアとユーイチの間には特に何もないと思ってるのだから。

 答えに困り「ユーイチは素敵な女性が好き」と曖昧な言葉で逃げたが、やはりウィーシャの恋心は間違いないだろう。

 

 (ファリアさんのような感じだったら……いつも通りだからいいんだけれど)

 

 チラリと働くファリアを一瞥して今度はばれないようにこっそりため息をつく。

 ファリアのような大人の女性とユーイチが関係を結んでも、別れにくさはない。

 それはお互いに滞在中の間だけの関係だと理解しているからだろうし、別れがたいものをアリシアに感じさせるほど子供の関係ではなかったからだろう。

 

 だが、ウィーシャは違う。

 

 まるで昔の自分の様だとアリシアは思った。自分もウィーシャの立場であれば同じ反応だったのではないか。

 憧憬の眼差し、抱きあげられた際の身を任せる様子……初めてその想いが恋だと気がついた時の自分にそっくりだった。

 だからこそ、別れを知れば大きく悲しむだろう。

 しかも、ウィーシャは当時のアリシアより賢い。きっと上手く甘えられないし、自分で自分を傷つけるかもしれない。

 

 (どうしたら……いいんだろう)

 

 傷つけない言葉なんてかけようがない。

 その事実にすぐに至ってしまうのは我が身のことと思えるからだろうか。

 

 「……いいんですよ。アリシア様」

 

 自然と表情が硬くなりつつあったアリシアに書き物の手を止めずにファリアが話しかけてくる。

 アリシアが顔をあげる。

 

 「いいんです。アリシア様。私たちはもう十分、助けていただきましたから」

 「……でも、ウィーシャも、ファリアさんも悲しむでしょう?」

 

 声音から既に悟っていると分かりアリシアは隠さずに話を続ける。

 ファリアは手を止めて顔をあげて、視線をアリシアと交わす。

 普段と何も変わらない優しげな微笑みがそこにある。

 

 「はい。悲しみます。別れは寂しいものですから。けれど、終わりはそれだけではありません。今の生活が終われば新しい生活が始まります。アリシア様とユーイチ様に助けていただいている今の日々が終わっても……だから、大丈夫です。アリシア様。いつまでも同じところに留まっていては心配されてしまいます」

 

 ファリアの言葉には変化を受け入れて前に進む覚悟があった。

 けれどアリシアの心は晴れない。

 一番の心の棘はウィーシャなのだから。

 

 「でも……ウィーシャは」

 「娘のことはユーイチ様にお任せしませんか?」

 「? ユーイチに?」

 「はい。私たちがどう言葉を尽くしてもきっと枕を涙で濡らすことになるでしょう。けれど、ユーイチ様ならそうならないかもしれませんよ?」

 

 ファリアの言葉には少々悪戯をするかのような茶目っけが含まれていてる。

 アリシアはすこし驚いたが、すぐにそれに頷いた。

 言われて納得してしまったからだ。

 ウィーシャのことだから気を病んでしまっていたが、そもそもこういう話にアリシアは口を挟まなかった。ユーイチならしっかり清算してくれると分かっているからだ。今回も同じように任せればいい。そう例えどれだけ相手の女性を泣かせても……。

 

 (……ユーイチが悪い)

 

 ウィーシャを手酷く扱えばその分怒ればいいのだ。制裁である。妹分のために師匠に牙をむくのだ。

 心の中の自分が「いつものように丸投げ?」と笑ってるがそれをコツンと頭を叩いて黙らせる。

 これでようやくアリシアは全ての準備を終えてユーイチを待つことができた。

 どこか晴々した様子のアリシアを確認しファリアも仕事に再開させるのであった。

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ日が沈む。

 そう思うとのんびりと歩いてもいられない。ウィーシャは目的の店を目指して足早に歩を進める。

 仕事を終えた自由時間。

 何処に行くのか気にかけてくれるアリシアをなんとか誤魔化しウィーシャはまだ落ちつかない胸元を両手で抑えていた。その手には黒い巾着が大事そうに握られている。

 その巾着の中身はユーイチからもらった髪留めである。これについて調べるためにウィーシャはこっそりと出掛けているのだ。

 

 「右に抜けて。……もう少しっ。はっ、は、ふ」

 

 胸の動悸が呼吸を乱し息苦しさとともに汗がにじむ。

 けれども小走りはやめない。

 常識としてこんな時刻に女性は出歩く物ではない。ファリアに知られれば一言言われるのは間違いないだろう。ウィーシャはアリシアにもすぐに戻ってきますと嘘を言ってるのだ。

 ウィーシャは嘘をついた痛みに耐えるように強く胸を抑える。

 動悸が激しいだけではない胸の痛みを覚えるほど罪悪感を覚える。しかし、ウィーシャとしてはそうとしか言いようがなかったのも事実だ。

 アリシアやファリアに「ユーイチ様から贈られた品を調べに行く」などと言えるはずがない。

 両者共、間違いなくユーイチに好意をもっている女性である。その前でそんなことを言えない。

 それに贈り物を調べるという無礼な行為を知られたくはなかった。

 

 「はぁ、はぁっ。……っ、いた。ふー、ふー」

 

 目的地であるバレアレ薬品店の前で立ち止まると荒い息を整える。

 薬品店にウィーシャがやってきたのはこの店主、リィジー・バレアレがマジックアイテムの鑑定においてエ・ランテルで右に出る者がいない存在だからだ。

 蒼い髪留めを鑑定したいと思ったのはウィーシャの思い悩んだ心のためである。

 素晴らしい品だとは分かったが一体どれほどの価値があるものなのか。ウィーシャはユーイチがどれだけの品を自分に贈ってくれたのかを確認して判断材料にしたかったのである。

 ファリアの娘として見られている限り、いくらなんでも子供に大層すぎる物を贈りはしないだろう。だがもし女性として見られていたのならその可能性がある。

 そう考えてしまうとどうしても確認したい気持ちを抑えられずにこうしてウィーシャは自由時間に鑑定を願い出ていた。

 それがこの時間まで長引いてしまったのは髪留めがマジックアイテムだったためである。最初は違う店で鑑定をお願いしたのだが、結構な時間を取られた末に魔法の品は鑑定できないという答えだった。髪留めとしての価値は分かったものの、マジックアイテムとしての価値が分からなければ目的は達せられない。こうしてウィーシャは日没が迫る中急ぎ足でここにやってきたのだ。

 

 「よし。……ごめんください。バレアレさん……リィジーさんはおられませんか? 鑑定をお願いしたいんですが」

 

 息を整え扉を開けて中に入る。

 店の中は薬草やポーションの材料らしいものが棚に置かれていて少し独特な香りが漂っていた。

 ウィーシャは立派な薬師として成功した店の様子に素直に感嘆しつつ、視線を彷徨わせる。

 だが、明かりが外の沈みかけの太陽しかない部屋の様子は奥まで見通せず、一見留守のようにしか見えない。

 店の奥に踏み入りつつ、ウィーシャは半ば留守を確信しつつも奥で作業をしているのかもしれないと声を張り上げた。

 

 「ごめんくださーい。この時間に失礼します。どなたかおられませんかー?」

 「ぁ、お客さん? 今、手が離せなくてねぇ。奥に来てもらえないかしらぁ?」

 「あ、リィジーさんですか? はい。ありがとうございます」

 

 諦め交じりの声に返事が返ってきたことにウィーシャは喜び、そのまま声に導かれるまま奥へと続く扉を開けた。

 

 「はぁい。こんにちは」

 

 するとそこには金髪の女性が妖しげに目を細めていたのだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「おやー? これはついにきましたかね」

 

 ひとしきり遊び終えたところに飛び込んできた馬車の音を耳で捉え、クレマンティーヌは指先を一舐めした。

 その様子はまるで蛇のようであり、獲物を前に舌なめずりとはこの事かと見てる者に印象付けるだろう。

 もっともその様子が見れる者は周囲にはいないのだが。

 

 「これどうしよっかなぁ。殺しちゃっおうかな」

 

 その視線の先には先程まで遊んでいた玩具がある。

 無駄に動かさないように固定させているから三十分ほどの間ですっかり見慣れてしまった。

 面白みに欠ける玩具は不要だ。

 

 「んー。あ、いいこと思いついちゃった。この様子を見せたら面白いかも。うんうん。きっと面白い。そうだ。そうしよっと」

 

 自分は飽きても初めてみる者には新鮮だろう。

 いい使い方を思いついたとクレマンティーヌは鼻歌交じりで標的と新しい玩具をお出迎えしにいった。

 

 

 

 

 

 

 感じた違和感を危機感に転じるのに間はなかった。

 アリシアはその時、自分の感じるままに扉を蹴破った。

 扉越しに人間を蹴り飛ばした感触を感じつつも、見向きもしない。

 倒れた扉の下敷きになっているだろうその人間を躊躇なく踏みつけつつアリシアは視線を飛ばした。

 目の前には驚愕した視線を自分に向けてくる六人の人間の姿が見える。四人は男で二人は女だ。

 だが、その中に目当ての人物を見つけられず、探るように目を見開く。

 すると五人と向かい合っている女の奥、後ろの扉の先から目当ての気配を感じアリシアは突き進んだ。

 途中六人の男女が何か言ってくるが耳に入らない。

 邪魔するように立ちふさがる女を殴り飛ばし、扉を開けて奥へ。

 さらに先へ、一番奥の部屋へと足を踏み入れ、そこでようやくアリシアは自分の感覚は間違っていなかったと分かりその身をこわばらせた。

 

 「ぁ………」

 

 その視線の先には一人の人間がいた。

 一見して女性だと分かる背格好と可愛らしい顔立ちをしている。

 特に亜麻色の髪が綺麗で思わず撫でたくなるようだ。

 だが女性はおかしかった。

 というのも女性の両手は壁に縫いつけられるように先のとがった剣が突き刺さっているし、両脚からは出血が見られる。暴れないように腱でも切られたのだろう。極めつけはその顔だ。両眼からは血の涙のような濁った血液が溢れだしている。目だけではなく、鼻は潰れ、口は何かの化け物のように裂かれている。開いた口からのぞく舌は裂かれているようだった。 

 

 「うぃー……しゃ?」

 

 アリシアは自分の間違いであってほしいという願いから一度目を閉じた。

 だが再び目を開いても景色は変わらない。目の前にある物が変わらない。

 自分は間違っていなかった。

 そのことに強い悲しみと恐怖を感じ、震えながら探していた妹分に手を伸ばした。

 首元に指をあてると弱々しいが自分の指を押し返す脈動を感じ、堪え切れない涙があふれ出した。

 

 「あぁ、ぁ、ぁ」

 

 ――─よかった。

 

 安堵と申し訳なさから動けなくなったアリシアをよそに心の中のアリシアは急いで治癒魔法を行使した。大切な妹分のために。

 

 

 

 帰りの遅いウィーシャを心配したのはファリアが先だった。

 

 

 

 「あの子たら。どこに行ってるのかしら」

 

 不安を珍しく声にのせた呟きを逃さず、アリシアは探しに出た。

 気配を辿れる自分であればすぐに探し出せるとアリシアは考えていた。

 確かにすぐに見つかった。

 だが、その気配はおかしかった。

 場所が普段のウィーシャであれば行くはずの無いようなところであるのもそうだが、何よりも生きているのか死んでいるのか分からないほどに薄かったのだ。

 ウィーシャが危険にさらされている。

 そう理解するのに十分な情報だった。

 それゆえに躊躇なく飛び込んだ。ためらいなく足を進めた。

 ただひたすらにウィーシャの無事を確認したくて。

 そうしてアリシアはすすり泣いてウィーシャを抱きしめていた。

 五体全てを拷問されたウィーシャは傷を治しても目覚めない。

 消耗しきっているのだ。生きるために必要な力が。

 

 「あぁぅ。うう、ごめん。ごめんごめん……ごめんね、ウィ―……ううっ」

 

 自分がついていながらなんてことを。

 探そうと思えばすぐに見つかった距離で自分の妹分が嬲られていたと思うとアリシアは自分を何より許せなかった。

 ユーイチが何のために自分を同行させなかったのか。どうして一緒にいかなかったのか。

 それはこういうことを防ぐためではなかったのか。

 自らを責め立てる言葉が脳裏に満ち、口からは謝罪の言葉が溢れだす。

 

 こうなったのは私のせいだ。

 

 自責の念から動けないアリシアがしばらくその場に留まっていると声をかける人物が現れる。

 ヘルムの下から少しくぐもったような声がアリシアに届いた。

 

 「アリシアさん? どうして……ここに、いや、何があったんです?」

 「モモンさん?! お知り合い何ですか?」

 「あ、いや、その……あいさつを交わした仲ですよ。ペテルさん。すいませんが外していただきたい。ナーベ。お前はペテルさんたちから詳しい話を聞いておいてくれ」

 「畏まりました。モモンさ――─ん。というわけです。あちらで話を聞かせてください」

 

 騒がしい話し声にアリシアが視線を向けるとそこにはフルプレートを身にまとった冒険者がいた。

 

 「モモン、がさん……」

 「アリシアさん。どうされたんですか? その女性が何かされたのですか?」

 「あ、あぁぅ……モモンガ、さぁん」

 「ちょ、アリシアさん!? な、泣かないで」

 

 アリシアは友人であるモモンガの登場に情けなくてさらに泣いた。

 大切な人をすぐそばにいながら嬲り殺されかけ無様に泣き晴らす自分が情けなく、こんな自分を友人と扱ってくれるモモンガにあわせる顔がなかった。

 そんなアリシアにモモンガは手を伸ばし、ハンカチでその涙をぬぐった。

 そしてかなり不格好ながらも出来る限り優しい手でアリシアの頭を撫でた。

 

 「モモンガ、さん」

 「アリシアさん。何が起こったのか私は分かりません。ですが、どうか泣かないでください」

 「……すみません。ごめんなさい」

 「謝る必要もありませんよ。私たちは友人でしょう。どうか頼ってほしい」

 「……は、ぃ」

 「ああ。ほら、泣かないで。……何があったか教えてくれますか?」

 

 アリシアはあやされるままにモモンガに事情を説明した。

 すると話を聞いていくうちにモモンガは静かになっていた。

 

 「つまり……アリシアさんが妹のように可愛がっているその女性を、嬲り殺しにしようとしていた輩がいたのですね?」

 

 どこか怒りさえ感じさせる迫力のある声にアリシアはコクリと頷く。

 そしてようやくウィーシャにこのような仕打ちをした輩に対して怒りがこみ上げてくる。

 ユーイチが手酷くふるどころの話ではない。

 アリシアは自分の腕の中で浅く息をするウィーシャを強く抱きしめながら呟いた。

 

 「許さない……」

 

 必ず後悔させてやる。

 そう決心した瞬間、心の中のアリシアが笑った。

 そうこなくちゃっと。

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは殴られた頬を抑えつつ怒りに目をつり上げていた。 

 エ・ランテルの墓地。そこにあるズーラーノーンの隠れ家。

 そこにリィジー・バレアレの孫、ンフィーレア・バレアレを連れ込み、首尾よく目的を果たしたが怒りは収まらない。全ては突然現れた女のせいであった。

 ンフィーレア・バレアレが冒険者と共に薬草採取から帰ってきたところを狙って拉致する計画は間違っていなかった。現に絶対に逃さない状況を作り悲鳴をあげさせて遊べる余裕すらあった。

 だが突如として現れた女一人に邪魔され、共に計画を企てたカジットは無様に蹴り飛ばされ、クレマンティーヌ自身も拳の一撃で吹き飛ばされてしまったのだ。そのせいで目標を包囲網から一度逃してしまい、カジットが眠りの魔法で眠らせなければ取り逃がしていた。

 

 「くそ、糞糞!! この私が……油断してたとはいえ、もろにもらうだと……」

 

 カジットの説明では最近上り調子の旅の冒険者がいてオリハルコン級らしいという話だが、クレマンティーヌは自分の攻撃にあそこまで簡単にカウンターを決められる人間がオリハルコンな訳がないと断言できた。必ずアダマンダイト級の腕を持つ。そしてそれを冷静なところで認めてしまうのが余計に腹立たしく苛立ちのままに石畳を蹴り砕いた。

 

 「よさんか。クレマンティーヌ」

 「あ?」

 「予想外なことはおきたが我らの目的は達せられた。見よ。このアンデッドの軍勢を。もはやこうなれば誰も我等を阻むことはできん」

 

 カジットが弟子たちとともに見せびらかしてくる先にいるのはアンデッドの大群だ。

 それはなるほどと思わせる数を確かに有していた。

 だが、真に強い者を知るクレマンティーヌは数がどれだけいようがそれが何なのだと言いたかった。

 自分とて装備が整っていれば問題なくこのアンデッドの群れを越えてカジットを殺せるだろう。

 英雄とはそれくらいできる者なのだ。

 

 「ふーん、……でもでもカジッちゃん? あれは何かな?」

 「何? ……なんだ、あれは」

 

 暢気なカジットを尻目にクレマンティーヌは戦闘態勢に入った。

 視線の先では人間が放たれた矢のようにこちらに向かって飛来してきていた。

 それは間違いなくあの女であった。

 

 

 

 地面を大きく削り取りながらアリシアは目標の前、およそ十メートルほどで停止した。

 引き潰して簡単に終わらせるわけにはいかない。

 心の中の自分との意思疎通も速やかに正面を見据えればローブ姿の集団がこちらを睨みつけている。そしてその後ろに女がいる。

 漆黒の剣のリーダーが言った特徴と合致することを確認する。

 

 (こいつが……)

 

 自然と力が入り、先程まで纏っていた風がアリシアの感情を表したかのように再度強く吹き上がる。

 突風がアリシアを包み、自然と砲弾を打ち出すように持ち上げ始めたところで何事もなかったように風が収まった。

 

 ――─だからそれで終わらしちゃ駄目でしょう?

 

 心の中の自分の声がしっかりと聞こえそれに頷く。

 

 「おぬし……空を飛んできたようだが、一人でここまで来て無事で帰れると思っているのか?」

 

 ローブ集団のリーダー格と思わしき男が話しかけてくる。

 心底どうでもよく感じたが、一人でという言葉だけがストンと胸に落ちた。

 

 (モモンガさん……ありがとう)

 

 自分をここまで導いてくれたモモンガに感謝の言葉を呟く。

 ウィーシャの生死に気を取られすぎて犯人たちの顔をまったく見ていなかったアリシアがここまでこれたのはモモンガと漆黒の剣の面々のおかげであった。

 

 「では、周囲のアンデッドはこちらで。アリシアさんには敵の本丸を叩いていただきましょう。なぁに、目立つ戦果をいただけるわけですから気になさらないでください」

 

 笑って送り出してくれたモモンガにはエ・ランテルで著名な冒険者になるという目的がある。この世界のお金を稼ぐため、そして情報を集めかつての仲間を探すため。そのためにこの一件は大きく役に立つはずだ。だが、事件の首謀者という大きな手柄を自分に譲ってくれた。漆黒の剣の面々も覚えてる限りのことを伝えてくれた。おかげでこうして相手を間違えないで済む。

 

 「……終わったら、なにかお礼をしないと」

 「何を言っている……? 気でも狂ったか?」

 「そこの女」

 

 まっすぐにこちらを見下ろす女を睨みつける。

 

 「わたし? なぁにかな?」

 

 間延びした声。ふざけている様子だが演技だとすぐにわかる。

 こちらの実力を把握しようと油断なく構えている。

 女が腰を挑発するように振った瞬間、腰に装備されたスティレットが見えた。

 それはウィーシャの手にささっていたものと同じものだ。

 

 「すぐには殺さない。長く苦しめてから……殺す」

 「おー、こわぁいなぁ。カジッちゃん、やっちゃって?」

 「わしに命じるでないわ。だが、小娘。わしを足蹴にした貴様はここで殺して……」

 

 

 <魔法三重最強化/混沌の火柱>

 

 

 カジットが言い終わる前にローブ集団の周囲に三本の黒炎が立ち上がりそのまま飲み干す。

 言葉尻すら焼ききり、溶かし、蒸発させ、炎が消えたその場にはローブの糸屑すら残っていなかった。

 

 「……うるさい」

 

 ただ一人残った女が目を見開いてこちらを見ている。

 そのあっけにとられたような顔すら鬱陶しい。

 

 ――─じゃあ、やっちゃおうか。好きなだけやりなさいよ。私はやり過ぎちゃうから。

 

 (うん。任せて)

 

 お邪魔虫を排除したアリシアは無造作にクレマンティーヌに近づいていく。

 もう二人を隔てるものは何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 目の前で立ち上がった三本の火柱にクレマンティーヌは背筋に冷たいもの覚えた。

 それはその火柱を受ければ致命傷になるものだと目の前で実証されたからだ。

 カジット・デイル・バダンテールとその弟子たちを骨すら残さず焼き殺した魔法の威力は信じがたいほどである。カジットは決して魔法一つで滅びるような弱い魔法詠唱者ではない。むしろ自身が魔法詠唱者であるがゆえに魔法防御に関してはクレマンティーヌ以上かもしれない。そのカジットが一撃である。

 

 (でたらめな魔法使ってくれるじゃないの。しかも、無詠唱? いきなり発動してきた……こいつ本業は魔法詠唱者か? なら私にカウンターを決められるほどの格闘技術は何? 魔法戦士ってやつ?)

 

 先程まで演じていた享楽的でふざけたような態度は微塵もなくクレマンティーヌはステレットを抜き、そのまま弓を引き絞るかのように右腕を引いて構える。

 腰を落とし姿勢を低くしたその構えはクレマンティーヌの得意とする刺突攻撃に特化したものだ。

 一撃必殺の突き業ゆえに仕留め損なえば大きな隙を生む。本来なら数合刃を交えてから使用を考えるべきだろう。だが、アリシアが見せた黒炎がクレマンティーヌに全力を出す以外の選択肢を捨てさせる。無詠唱で突如として放たれる一撃必殺の魔法。どれほどの消耗があるのかは分からないが余裕を見せていたら当然死したでは笑えない。

 

 (いいじゃない。純粋な戦士じゃないなら……このクレマンティーヌ様の攻撃を凌げるものか)

 

 <疾風走破> 

 <超回避>

 <能力向上>

 <能力超向上>

 

 バレアレ薬品店で受けたカウンターの一撃は脳裏に焼きついている。クレマンティーヌはあの速度を越えるべく四つの武技を重ねる。

 そして絶対の自信を元にアリシアに照準を合わせる。

 狙うのは喉。視線は向けずに心臓を狙う軌道から上にずらし、回避されようとも最低でも首を削り、呼吸を乱す。

 アリシアが足をあげて進もうとしたその時、クレマンティーヌは地面を爆発させ突き進んだ。

 

 ドシュ。

 

 「ぇ―」

 

 爆発的な加速で繰り出された切っ先は虚をつかれたようなアリシアの首に吸い込まれるように突き立った。

 

 

 

 

 

 

 ――─ちょっと。痛い。

 

 (うん。痛い)

 

 想像していたものとは違った突きに情けないほどにあっけにとられてまともにもらっている。

 これをユーイチが見ればただでは済むまい。

 

 ――─痛いね。

 

 (うん。痛いね)

 

 首から伝わる激痛はこの間延びした刹那の間、途切れることなく続いている。

 痛すぎて通常の感覚に戻れば涙が出るのは確実だ。放っておけば死ぬだろうか? それとも自然回復で戻せるのだろうか。昔なら即死しただろうが今ではどうだろうか。

 

 ――─あの子は、もっと痛かっただろうね。

 

 (うん。もっともっと痛かっただろうね)

 

 目をえぐられた傷が脳裏に走る。

 あの痛みはこんなものではなかったはずだ。

 

 ――─あの子は、もっと、怖かったよね。

 

 (うん。もっともっともっと、怖かっただろうね)

 

 脳裏に刻まれているのは嬲られたウィーシャの姿。

 自分が気を緩めたから描かれてしまった悲劇の絵。

 脳裏に響くのは自分を呼ぶ声。

 信頼し頼り愛している───家族の声だ。

 

 ――─ああ。ウィーシャは私の家族だった。

 

 (うん。ウィーシャは私の……家族だった)

 

 役目を果たせず守れなかった自分にあの子の家族を名乗る資格はもう、ない。

 だがそれでもやらなければならないことがある。

 理不尽な暴力に一方的に攻撃されたウィーシャには耐えることしかできない。

 それは仕方のないことだ。強者が弱者から奪うのはこの世の理だ。仕方のないことではある。

 しかし。

 

 (泣き寝入りなんて、させない)

 

 守れなかったくせに何をと言われるかもしれない。

 今更遅いと言われるのかもしれない。

 でも、それでもこれだけはさせてほしい。

 この痛みはその対価だ。

 自分を許すための甘えた行為。

 情けないと笑ってほしい。どうか怒ってほしい。

 それでも私はしたいのだ。

 

 (ウィーシャのために、私が。私のために、私が)

 

 お前を殺す。

 

 

 

 

 

 

 骨の砕ける音響き、クレマンティーヌは地面に倒されていた。

 

 「ぇ――─」

 

 アリシアの首にステレットが根元まで突きたったその瞬間、手首をつかまれるままに投げられたのだ。

 余りの早さに手首は極まるのを通り越し一回転してねじられている。

 本人はまだ自覚はないが同時にはねられた足首は砕けてあらぬ方向を向いている。

 

 「なにが……」

 

 訳の分からない急激な変化に思考が追いつかないクレマンティーヌをアリシアは見下ろしていた。

 

 「痛い」

 「な……お前、どうして」

 「痛い」

 

 倒れたまま見上げるクレマンティーヌの視線は自分を見下ろすアリシアの首から目が離れない。

 そこには手ごたえのとおりに根元まで突き入れたステレットが首から生えている。

 間違いなく致命傷だ。

 

 「ぐぁっ!?」

 

 目にも止まらなぬ早さで何かを振りおろしてきたと思った瞬間左手に鋭い痛みが走る。

 クレマンティーヌの左手はアリシアの振りおろしたステレットで貫かれ地面に縫い付けられていた。

 

 「おまぇぇ! がっ!?」

 「うるさい」

 

 喉元に足を振りおろし黙らせ、アリシアは首に刺さったステレットをゆっくりと引きぬいた。

 引き抜く一瞬だけ溢れかえりそうな血液が姿を覗かせるがすぐに塞がる。

 やっと途切れた痛みに心から安堵しつつアリシアは手に持ったステレットを今度はねじれて使いものにならないクレマンティーヌの右手に突き入れた。

 ドスっと重く鈍い音がし、くぐもった悲鳴が響く。

 完全に地面に固定したのを確認しアリシアは足を地面に下ろし、クレマンティーヌを見下ろした。

 

 「はぁ、はぁっ。おまえ。どうして、どうして死んでない!?」

 「死ぬほど痛かった」

 「なら死ねやぁっ。どうやって生き延びたぁ!」

 

 信じがたいものをクレマンティーヌは見ている気分だった。

 首をまともに貫かれて生きている人間など知らない。

 いや、もしかしたらあの二人なら生きているのかもしれない。だが、この女が生きているのはどうしてだ?

 

 「……ねぇ。どんな気分だった? こうするの、楽しい?」

 「あぁ……? なにを、っぅっ! き、て、めぇ!?」

 「こうして、こうして……こうやったの? ねぇどんな気分だったの?」

 

 小刀を取りだすとアリシアは躊躇なくクレマンティーヌの足を削り出す。

 突き立て、削り、えぐり出す。

 部位欠損という攻撃がある。

 生命力などが飛び抜けて高いタフネスな魔物と相対する時に使うもので一時的に狙った部位を使用させなくさせ、生命力の上限を削る。この攻撃が決まるとただの治癒効果では治し切れず、自然回復をある程度待ってから治すか、専用の魔法やアイテムが必要になる。

 アリシアが取りだしたものはその攻撃に特化したものだ。

 ユーイチが創り出したその小刀はアリシアの動きに合わせ、クレマンティーヌの足をその波打った刃で削り出していく。

 一度の動きで肉が裂け。二度目の動きで肉が掻きだされる。三度目の動きで骨が削られる。

 

 「キィィィィッァァアッ!!!」

 

 自分の足がまるで果物の果肉をスプーンで救うようにえぐられる。

 その痛みを原動力にクレマンティーヌはもがいた。

 だが両手を地面に縫い付けるステレットは抜けなかった。

 それはいつの間にかに産まれ出た木の根が上から覆いかぶさりより強固に縫い付けているからだ。

 そして足は使いものにならない。絶賛削り取られている最中なのだ。

 出来うる限りの抵抗を重ねてもどうしても拘束を解除できず激痛のあまり意識が失われるはずであったが、遠のきつつある意識が不自然にすっきりして元に戻り、痛みを常に感じさせている。

 

 「ねぇ、答えて? あの子を嬲った時、どんな気持だったの? こんなふうに……手足を傷つけたんでしょう?」

 

 両脚の太ももから肉をそぎ落とし真っ赤に染まった小刀を掲げながらクレマンティーヌに向きなおる。

 痛みでどうにかなりそうなのにどうにもならない狂った感覚を感じ、浅い呼吸を繰り返しながらクレマンティーヌは目に涙を浮かべ悲鳴を上げ続けている。

 

 「ヒーーっ、ひーー、ひひ、ひいぃ。いた、いたいぃぃききぃ」

 「……正気に戻しても口がきけない? ああ、なるほど。すこしわかった。だからあの子の口を裂いたんだ? こんなふうに」

 

 血に濡れた小刀を悲鳴を叫びつつけるクレマンティーヌの頬に突き刺し、貫通させる。

 空気を切り裂くような悲鳴がやみ、不格好な叫びが地を這うように漏れた。

 

 「よく見ろ。……正気でしょう? 私を見ろ」

 

 強引に瞼を指で開かせ、そのまま引きちぎる。

 もはや閉じることの出来ない瞳がアリシアと視線を交わす。

 片方は恐怖と絶望にあふれ、片方は極寒の視線に怒りをにじませている。

 むき出しになった眼球を指先でもてあそぶように撫でまわし、葡萄の皮をむくように指先に力をいれてえぐり出す。

 もはや言葉にならないただただ悲痛な叫びが木霊するがそれでもクレマンティーヌの意識は正常だった。

 正常でなければ意識を失うか死んでいただろう。

 意識を保ち続け、激痛をしっかりと認識できているのは心の中のアリシアのおかげだった。

 覚醒効果と適度な常時回復魔法、暴れないように拘束魔法をかけつつ助けていた。

 魔法で嬲る自信が心の中のアリシアにはなかった。あの鬱陶しいローブ集団のように恐怖を与えることもなく一瞬で殺してしまう自分の姿しか想像できない。

 だからこそ、より深い痛みと絶望を与えるために自らは一歩引いてクレマンティーヌが死なないようにサポートに努めていた。

 そのため片目を潰されてもなお、クレマンィーヌはそれを認識するだけの意識があり、もはや痛いという感覚だけが全身を包んでいた。

 強引に目をあわせるとアリシアは閉じることのできない目でこちらをしっかり認識していることを確認し嗤った。

 

 「ねぇ、おんなじように笑えてるかな。私。貴女のように……ねぇ、どうかな?」

 

 次は腹に手を伸ばしながらアリシアは心の中の自分がギリギリの生命維持に失敗するその時まで嬲るのをやめなかった。

 

 

 

 

 

 

 ナーベラル・ガンマはアリシアのことを幸運な人間だと思っていた。

 異常事態に陥り他に選択肢がなかったからこそナザリックに、アインズに認められる存在になれた世界一……いや、世界で二番目に幸運な人間。

 そしてそんな幸運なだけの人間風情が分をわきまえずにアインズと対等に話している様は許しがたいものであった。だが他ならぬアインズの命令で友好的に接するように言われている以上ある程度は友好的に接していかなければ不敬である。

 そんな思いでアリシアと接してきたナーベラルは冒険者ナーベとしてモモンに命じられて先行してアリシアの救援に向かっていた。

 それは都市街に進行してきたアンデッドをモモンが一人で大立ち回りを繰り返し、暴風のような活躍で追い散らし終わった時に命じられたことだ。

 アインズはモモンガとして友人であるアリシアの復讐をサポートするために直接自分が首謀者を倒しに行くつもりはなかった。首謀者を倒すのも知名度を稼げるだろうが、アンデッドの大群をたった一人で迎え撃つ様を多くの人間に見せつけるのも大きな宣伝になるとみていからだ。

 目論見通り衛兵や漆黒の剣の面々の前でモモンはアンデッドを都市街に近づけさせず一方的に殲滅する戦果をあげていた。だが、都市の内部への進行を許すわけにはいかないと少しばかり張り切りすぎたため、アリシアが戻らぬうちに全て片付け終わってしまったのだ。

 そのためアインズはトブの大森林で捕獲した森の賢王ことハムスケを防御に残し、のんびりと向かいつつ、ナーベラルには形だけでも素早い救援に向かわせるべく<飛行>の魔法で先行するように命じた。

 そうして空を飛んできたナーベラルが目的の場所に降り立つとそこにはアリシアがいた。

 ナーベラルの目にはアリシアが下等生物の腸を引きずり出して切り刻んでいるように見え、そう見えたことが強い驚きを与えていた。

 

 (いま、私はこの女が……)

 

 下等生物、つまり人間と同じように見えなかった。

 このことにナーベラルは驚きを隠せなかった。今、目の前で血に濡れた両手を見下ろしているアリシアのことをどうしても下等生物と思えない。

 その高まった存在感は自分をはじめとしたプレアデスの面々をはるかに凌ぎ、まるで守護者たちのようだった。

 

 「ぁぁ、ナーベさん。すいません。時間をかけすぎましたか?」

 

 一瞬炎が覆ったと思うと先程までの血に濡れた姿が嘘のように普段と同じ、明るさを取り戻す。

 だがそれでも一度感じた存在感をナーベラルは無視できない。

 

 「ぇ、ええ。その通りです。アリシア……様、アインズ様が御心配されております」

 「すいません。ちょっと加減が分からなくて……いま終わらせますね」

 

 言うが否や標本のように地面に縫い付けられた下等生物の死体が黒い炎にまかれて焼き消える。

 その炎の威力にナーベラルは目を見開いた。

 魔法詠唱者として他のプレアデスの面々と比較しても抜けた性能をしている自分よりも高い威力の魔法を目の前の剣士が行使したからだ。

 魔法戦士と言う職業は知っているがそれにしたって魔法の威力が高すぎる。痕跡一つ残さないとはどういう威力だ。

  

 「ふぅ。これでよしです。これでここには誰もいなかった、です」

 「?」

 「モモンさんがこの件を片づけられた、ということです」

 

 よく内容が分からないナーベラルはすこし苛立ちを覚えるが後ろに迫るアインズの気配に気がつき、迎えるべく姿勢をただした。

 するとアリシアがその横に並んで声掛けてくる。

 

 「ナーベさんは、しっかりしていて、すごいです」

 

 そう言う顔はいつもの無表情で、先程感じた違和感とはかけ離れていて、ナーベラルはこの不思議な人間はなんだとこの時初めてアリシアをアリシアとして認識したのであった。

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中で何かが迫る恐怖にウィーシャは怯えていた。

 歪んだ笑みで自分を見つめ嗤うそれはどれだけ逃げてもおってくる。

 息が切れてその場に倒れ込んだウィーシャにそれは覆いかぶさりケタケタ嗤って告げる。

 

 ほらぁ、いっぱい啼いていいんだよ?

 

 そうしてその指が自分の目に伸びてきて――─。

 

 「ひぃやっぁっ!」

 

 ウィーシャは跳び起き、目を抑えてベッドの上でうずくまった。

 その背は可哀想なくらいに恐怖に震えている。

 そんな背中を優しく撫でる手があった。

 

 「ウィーシャ。俺だ」

 「ぁ……? ゆー、いち、様……?」

 

 一度ビクリと跳ね、おそるおそる振り返るとウィーシャの視線の先にはユーイチがいる。

 その手が自分を抱くように抱えてくれていると気がつき、ウィーシャは安堵から涙を流して縋りついた。

 

 「ゆーいち、さまぁぁあっ」

 「ウィーシャ。……辛かったな。すまない。側にいてやれなかった」

 「わたし、わたし、わたしがぁ、わたし……っ」

 

 しばらくの間、縋りつくままにウィーシャは泣いた。

 いままで経験したことがない酷い出来ごとに震え、恐怖し、泣き叫んだ。

 だが、ウィーシャは自分を包んでくれるユーイチの全てが、傷ついた自分を癒してくれるような気がした。

 耳に届く声、撫でてくれる手、抱きかかえてくれる腕、頼もしい胸。

 ユーイチに抱かれている間に得られる温かさがその身を震わせる恐怖からウィーシャを守っていた。

 暗い部屋を照らす蝋燭が半分の長さになる頃、ようやくウィーシャは震えがなくなりその身を全てユーイチに任せていた。 

 その様子を確認してユーイチは巾着を取りだした。

 それはウィーシャが大事に抱えていた髪留めが入ったものだ。

  

 「何があったかはアリシアからおおよそ聞いている。……そして俺のせいだともわかってる」

 「ゆーいち、さま?」

 「これを気にして、嘘をついてしまったんだろう? すまない。俺が君を悩ませたから、こんな目にあわせてしまった」

 

 髪留めを受け取った自分がどう感じたかを見抜かれたことにウィーシャは胸が痛めたかのように苦しくなった。

 その苦しさに耐えかねるように両手でユーイチの手ごと巾着を自分の胸に抱きかかえた。

 

 「ゆ、ユーイチ様、ユーイチ様、謝らないでください。私が、嘘をつかなければこんな事には」

 「ウィーシャ……」

 「私は、私は……私はこの髪留めをいただいて、浮かれてしまったんです。ユーイチ様が特別に目をかけてくださってる。特別に……ぁ、いしてくださってるっと」

 

 より強く、ユーイチの手を胸に押し付ける。

 その胸の中にどれだけの不安と痛み、そして温かさがあるのか、少しでも伝わってほしくて。

 

 「まだ短いこの髪が長くなる頃、この髪留めが必要になる頃には大人になって、お側にいられるんじゃないか、そんな想像が頭から離れなくなって、それで、それで、それが……そうであってほしくて」

 

 先程までとは違った涙が溢れる。

 痛みや恐怖ではない。熱のこもった涙が頬を伝った。

 

 「けれど、そんな子供の想いのせいで、ご迷惑をおかけして、心配をかけて……私は、私は、なんて、なんでぇ」

 「いいんだよ。ウィーシャ」

 

 抱えられていない左手でユーイチはウィーシャの涙をぬぐう。

 そしてその頬を優しく撫でた。

 

 「ユーイチ、様……」

 「泣かせてばかりで謝りたいのは俺の方だ。ウィーシャ。俺は君に不誠実だった」

 「……そんな、ことは」

 「あるんだ。俺は君をそう想わせるとだろうと思って髪留めを渡した。君を思い悩ませて、その結果、今回のようなことを招いてしまった。俺がもっと誠実に君と向き合っていればこうはならなかったはずだ」

 

 ユーイチの言葉にウィーシャは引き込まれるようにまっすぐに視線を交わした。

 自分のこの痛い位の恋心を期待していたと、そう言ったように聞こえ、理解が及ぶにつれて顔が赤く染まっていく。

 抱き込んだユーイチの手が胸に当たっているが振れた部分が熱を持ったように熱い。

 その熱は当然頬に当てられた手からも感じられそのまま全身が熱に満たされていく。

 

 「ユーイチ様……それは、その……」

 「俺の故郷では早ければ十三の頃に嫁に行く女性も珍しくはないんだ。……ウィーシャはもう十分大人だと、俺は思ってるよ」

 

 蝋燭の光が二人を照らしている。

 もうじき消えるだろう蝋燭が最後に照らしだしたのは重なりあう一つの影であった。

 そうして悲しみと喜びにあふれた夜は明けていった。

 

 

 

 

 

 

 七頁~仇には仇を~

   惨劇の夜と一つの影 終

 

 




お読みくださってありがとうございます。

次回は原作第三巻の内容に進んでいきます。
何とか六月中にあげたいと思います。

またお読みくださればこれ以上ない喜びです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八頁~恩には恩を~

お待たせしました。
あーー、6月中に何とかあげたかったのですが間にあいませんでした!
もうしわけありません。

急ぎで仕上げたので甘いところが多々あると思いますがどうか御寛大な心でお読みくだされば幸いです。

今回は原作第三巻の内容に踏み込んでいます!


 八頁~恩には恩を~

   1on2

 

 

 

 コテージの中で向かい合う二人の男がいる。

 男たちは椅子に腰かけつつ既に二時間ほど言葉を交わしていた。

 

 「では……子孫にあたるということですか?」

 

 それまでよりも感情の高ぶりを感じさせる声音が落ちつきを保っていた会話に彩りを加え始める。

 だが、受け答えする男は変わらない。当たり前のように普段と変わらずに首を縦に振る。

 

 「そういうことになるな」

 「それは……それは何という偶然なのでしょう」

 「偶然? それは違うよ。この世にあるのは必然だけと古い友人がよく言っていたものさ。俺もそう思う」

 

 これまで手をつけていなかった飲み物に手を伸ばし、すこしの間をあけた。

 

 「全てが必然なら……」

 

 二人の会話はしばらくの間続いた。

 

 

 

 

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは自身を呼びとめる声に驚きよりも不快感が勝った。

 だがそれを表情にだすことをギリギリこらえつつ振り返る。

 

 「おや、これはユーイチ様。こんなところでお会いするなんてえらい偶然なことでありんすえ」

 「こんばんは。シャルティア嬢。この世には偶然はないさ。あるのは必然だけだ」

 「それはよい心がけでありんすと思いんす。貴方様と言葉を交わすことは誠に有意義ではありんすが私はアインズ様の命で行動している最中なのでありんす。この辺で失礼させていただきたいのでありんすが?」

 

 後ろの方を気にするシャルティアの視線が一度動いた。それにつられるようにユーイチもそちらの方を見る。

 その先には洞窟の先、野盗化した傭兵団が逃げこんでいるはずだった。

 シャルティア武技、魔法、世界情勢に詳しい犯罪者の捕獲を命じられてここにきていた。この任務こそシャルティアがいまやるべき命じられたものである。

 

 「待ってほしい。君が命じられていることに関してはアインズ殿から聞き及んでいる。アインズ殿は俺と君がぶつからないか気にしておられたよ」

 「アインズ様が? ───それは本当でありんすか?」

 「ああ。本当だ。俺の目的は家族に手を出した者への制裁でな。ここの野盗も関係者だと調べがついているんだ。なのでここへの手出しは俺に譲ってもらえないか?」

 

 自身に命じられた中で最も優先するべきと言われていることをシャルティアは忘れてはいない。

 それは目の前の男、ユーイチとの友好関係を築くことだ。現に最初の会談が上手く行った際にアインズがどれほど褒めてくれたことか。

 

 「貴方様のお言葉はよーくわかりやした。けれどもそれでは命をこなすことがかないんせん。なのでアインズ様に叱られてしまいんすから、譲るわけにまいりんせん。道中とらえた輩は皆役に立ちそうではありんせんでしたから」

 

 ここまでの道中、シャルティアはセバスやソリュシャンと共に野盗を罠にはめてアジトの情報を聞き出していた。そのおかげでここまでこれたのだが肝心のアインズに役立てる犯罪者の捕獲にはつながっていない。<集団全種族捕縛>でその場で殺した数人を除いてナザリック送りにしたがアインズの求めている役立ち方はできない。精々がデミウルゴスの実験の役に立つくらいだろう。

 先程までシャルティアに斬りかかっていたブレインという男はどうやら武技が扱えるようなのでシャルティアとしてはどうしても逃せない。内心では見下ろしているユーイチに対して譲る気にはなれなかった。 

 

 「主人の命に忠実である以上、君がそう言うのは当然だ。俺としても代案がないわけではない。聞いてもらえるか?」

 「代案? なんでありんしょう?」

 「俺の目的は野盗ではあるが、既に制裁を終えた男が一人いる。その男は元エ・ランテルで高位の冒険者の一人だった。武技も扱えるし、周辺の情勢にも詳しいだろう。俺はその男の顔を知っているので君に引き渡す。他の輩は俺にやらせてほしい。元高位冒険者だ、他の野盗などよりよほど役に立つはずだ」

 

 ユーイチの言葉は淡々としていて嘘の様子はない。

 高位の冒険者が野盗に身を落としていたのは好都合だとシャルティアは思った。もうすでに取るに足らない輩は数だけは多く捕えている。あとは一人重要な人物を連れていけばいい。

 そう考えれば申し出を受けられる。もちろん、突っぱねて全員自分で弄べばいいとも考えないではないが、そうするよりもここでユーイチに借りを作っておくのはアインズの意向に沿うと思われた。

 

 「そういうことならかまいんせん。既に数は十分。質のいいのが一匹、欲しかったところでありんすから」

 

 そうしてシャルティアはユーイチに野盗を任せることにした。

 

 

 

 隠しきれない苛立ちを付き従う吸血鬼の花嫁にぶつけながらシャルティアは洞窟の外でユーイチを待っていた。

 

 「……遅い」

 

 手早く済ませると言ってから結構な時間が経過している。

 もはや手早い時間ではない。

 とはいえここで急かしに行ってもいいことはない。余裕の無いそぶりを見せればアインズの名前に傷がつくかもしれない。

 そう思ってこらえていたシャルティアの元に<伝言>が届いてくる。

 

 「シャルティア嬢」

 

 それはユーイチのものだ。

 ついに片付いたかとシャルティアは一息つきたかったが、仕切り直して話を続けた。

 

 「これはユーイチ様、そろそろ片付きましたかえ?」

 「ああ。片付いてはいる。件の元冒険者も捕縛して転がしている……んだが、申し訳ない。事情がありエ・ランテルまで転移している。俺はその場にいない」

 「はい?」 

 「すまない。アリシアからすぐに戻るようにと連絡があり……離れられなくなってしまった。君に謝るのはもちろんのこと、こちらにいるアインズ殿にも直接謝罪させてもらう。無礼なまねを失礼した」

 

 舐められた真似に激怒しそうになったシャルティアだったが直接アインズに謝罪をすると言われれば強くは怒りを見せられない。ここで自分が怒りをみせたあと、アインズが気にしないでほしいともし言ってしまえば、自分の行動がアインズの意思に反してしまう。それは許されない。ならば対応はアインズに任せてしまえばいいとシャルティアは自分の態度を保留することにする。

 

 「そうでありんすか。わかりんした。そちらにも事情はありんすもの、仕方がありんせん。わたしのほうにも貴方様に加工の件で借りがありんすから気にせんといてくださんし」

 「ありがとう。シャルティア嬢。感謝する」

 

 <伝言>を終えると吸血鬼の花嫁を見張りに残してシャルティアは野盗の元アジトをゆっくりと進んだ。

 すると徐々に濃くなる血の匂いに沸き立つような高揚とそれを抑えねばという理性が戦いを始める。

 濃密な血の気配の元へと先程より足早に進めばそこにはシャルティア好みの光景が広がっていた。

 

 「あらあら。これは……これは……思ったよりも趣味がいいようでありんすね」

 

 壁一面、床一面に広がる愉しんだ痕にシャルティアはユーイチへの評価をすこし上方修正した。

 自分を待たせているという時間制限がある中で最大限に遊んだと見える。自分であればもっと短時間で終わらせてしまっただろうし、同好の士であるソリュシャンでは長く遊びすぎたかもしれない。なるほど、こうしてみれば短時間で見事に遊びきったと思えた。

 血への渇望、疼きをまるで頭痛をこらえるように耐えながらユーイチの手際に感心していたシャルティアの前には唯一手を加えられていない無傷で転がされている男がいる。元・エランテル最高位冒険者の一人であったイグヴァルジだ。

 彼はエ・ランテルを追放されて以来、ユーイチへの復讐を成し遂げるためにこの野盗化した傭兵団、死を撒く剣団に所属していた。ここに身を寄せたのはこの野盗たちはユーイチとアリシアの二人に多くの団員を殺されており復讐心を持っていたこと、そしてユーイチが野盗狩りを行っていることからいずれはぶつかるだろうということからだ。戦い慣れた野盗はいい捨て駒になるとふんでのものだった。だが、彼の復讐は達成されることなく、こうして地面に転がされていた。

 シャルティアはイグヴァルジに近づき数秒興味深そうに眺め、本当にこれが高位の冒険者なのかと疑問を抱いたが他に生きている人間もいなかったので<転移門>を開いた。

 

 「ユリ。追加でありんす」

 

 ナザリック地表。

 そこでシャルティアから捕縛した人間の受け取りをしていたユリは現れたシャルティアに対して深く頭を下げ出迎えた。苦手意識を表にださないように努めて冷静な対応である。

 

 「これはシャルティア様。手早い御仕事。流石はナザリックが誇る階層守護者様です。お見事です」

 「そう褒めんでくださんし。このくらいはナザリックの者であれば誰でもできて当然のこと。過度に褒められては背筋がかゆぅ感じるでありんす」

 「御言葉ですが、おそらくアインズ様は御褒めのお言葉をシャルティア様に贈られると思われます。であれば、私も称賛の言葉を御贈りしたく思います」

 「ぐふ、ふふ。ユリ? アインズ様はわたしを、こほん、妾を褒めてくださんしょうか?」

 「はい。間違いなく。外に出られている者の中でも一番早く結果を出されているシャルティア様です。アインズ様はきっと御褒めくださると思います」

 「うふふふふ。あははは! そう。うん。そうよね! ああ、ユリ。今夜は一段と貴女が愛しく見えるわ。どう、今夜は空いていなくて?」

 

 数々の性癖を創造主であるペロロンチーノによってその身に宿すシャルティアはユリのことを性的に愛していた。ユリの全てが性癖のドストライクである以上、シャルティアにとってユリをそういう目で見ることはペロロンチーノの期待にこたえることであり望まれていることである。そうであるがゆえに他のナザリックの面々もやめろと否定できないものでもあった。とはいえ当人であるユリは創造主であるやまいこからそういった内容の期待は込められていないので困るしかない。むしろ同性愛者と求められていない以上、万が一でもシャルティアとそういう関係になれば創造主の期待にこたえていないとも言えた。

 なのでいつものごとくユリは困ったような内心を隠し、丁寧にお辞儀をした。

 

 「申し訳ありません。シャルティア様、私はセバス様の代わりにプレアデスの纏め役もこなさねばなりません。それにこの人間もしっかり管理せねばならないとなると時間は取れません」

 「んー。そうでありんすか。残念でありんすねぇ。では……今度、ね?」

 

 背の低さを生かし滑り込むようにシャルティアはユリと視線を交わらせ、蠱惑的な眼差しで捕えた。

 スキルなど何も使用していないにもかかわらず、同性のユリですら思わず引きこまれそうになる甘く誘うその視線は確かにユリの心に届いてはいた。

 

 (このように可愛らしい表情をどうしてアインズ様の前ではされないのでしょう? アルベド様に対抗意識を下手に見せない方がよっぽど男性からの受けもいいとボクは思うのだけど)

 

 心の動揺を冷静に整えつつユリは「はい」と曖昧に頷いた。

 その了承に乗じて具体的な日取りを決めてしまおうとシャルティアが一歩前に進んだ時、進行方向とは逆、いまだ閉じていない<転移門>の方へとシャルティアの顔が回った。

 自分で自分の首をへし折って回ったかのような歪なねじれが何かの異変を感じさせユリに戦闘態勢を取らせた。

 

 「シャルティア様? いかがされましたか?」

 「……あの子たちが、敗れた」

 「シャルティア様?」

 「ユリ。その人間をしっかりナザリックへ届けなさい。わたしは……役目を果たす」

 「は、はい。いえ、お待ちを。供の吸血鬼の花嫁になにか? であれば御一人では危け──」

 「だまれぇ! このわたしが危険? 守護者一の戦闘力を持ち、最も重要な第一から第三階層の守護をまかされるこのわたしが!?」

 「し、失礼しました。お許しを」

 

 自分で使い潰すならいい。だが自分の妾をどこのだれかもわからぬ者に殺されてシャルティアの怒りはユリでは制止できないほどであった。

 止めるにはアインズかアウラの言葉が必要であっただろう。だが、その両者は共にこの場にはいなかった。

 それがシャルティアの運命を分けた。

 

 「何処の誰かは知らないけどぉ……舐めたまねを…!」

 

 <転移門>を潜りユリですら目で追うのが難しい速度でシャルティアは襲撃者の元へと走り去り……そして戻ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合の一室。

 そこにアリシアは呼ばれていた。正確にはユーイチと一緒に呼ばれていたのだがその場にはアリシア一人である。昨晩の出来事で急遽戻ってきたユーイチはウィーシャとファリアの側についている。

 恐怖に震え、安堵に涙し、温かさに包まれてウィーシャは昨晩眠りについた。だが、恐怖の体験は一晩眠って消えるようなものではない。ウィーシャには安心できる頼れる存在が側につく必要がある。

 

 (私、じゃぁ、なくて……)

 

 アリシアは力不足を悔いるのを通り越し、ただただ気持ちを沈ませていた。

 結局、あれからウィーシャと話せていない。

 昨晩はファリアとユーイチに事情を説明し、アリシアは逃げるように犯人の元へ向かっていた。

 二人にすら合わせる顔がないと駆けだしたのにウィーシャとどうして会うことができるだろうか。

 心の中のアリシアも打つ手なしとお手上げ状態である。今はとても会う勇気がなかった。

 そのためユーイチではなくアリシアが冒険者組合からの緊急の呼びだしに応じていた。

 

 「――という、わけなんだが、ユーイチ君から話は聞いているかな? アリシア嬢?」

 

 組合長アインザックの説明をまったく聞いていなかったアリシアははっとして咄嗟に頷く。

 完全に授業中眠りこけていた生徒と同じ様だが、生来の無表情が功を奏したのか説明を受けても全く動じいていない肝の据わった冒険者にアインザックには見えた。

 

 「都市の急変を察知してユーイチくんが戻ってきてくれたのは感謝するが……難しいものだ。あちらが立てばこちらが立たず。アダマンダイト級の冒険者が引く手数多な理由を痛感しているところだよ」

 「……?」

 

 分からない。

 アリシアはさっぱり言われていることが理解できずにいた。当然である。話を聞いていなかったのだから。

 どうやらユーイチのように優秀な冒険者を求める人が多いという話のようだ。

 

 (それは……そう。いまだって、ウィーシャが必要にしてるのは私じゃなくて…)

 

 

 ――はいはい。ちょっと落ち込み過ぎないでもらえないかなぁ? 私まで気が滅入るの!

 

 

 たまりかねたように手に持っていたハンマーで自分を叩いてくる自分にアリシアは申し訳ない思いだった。

 

 (ごめん。気をつける……)

 

 

 ――そうしてね。ちゃんと聞いてるから説明してあげる。二度はしないからね。

 

 

 こちらが立てばあちらが下がる。

 アリシアは自分がダメダメな時には頼りになる心の中の自分に感謝し、気合いを入れ直した。

 空元気でも上の空よりはましである。

 無理やり気合いをいれたアリシアが事情を確認したところ、どうやらユーイチがエ・ランテルに戻った後、一緒に行動していた別の冒険者が吸血鬼に襲われたようだ。しかも、二匹存在し、どちらも魔法を扱える上位の吸血鬼らしい。

 

 (……それって上位?)

 

 

 ――ここではそうなんでしょう? 魔法も使えない下位の吸血鬼が普通の吸血鬼という感じなんでしょうね。

 

 

 吸血鬼が魔法を使う。それのどこが上位の証なのか。普通ではないかと疑問を覚えるアリシアだったが心の中の自分の説明に納得する。この大陸ではどうにも本当の上位種というのは知られていないらしい。故郷の大陸よりも平均が人間も魔物も恐ろしく低い。

 

 (つまり、その吸血鬼の討伐?)

 

 ――そうらしいよ。組合長は都市最高位の冒険者であるユーイチに引き受けてほしいらしいね。

 

 

 ユーイチに引き受けてほしい。

 今の自分には一番刺さる言葉だろうな、と自分の気分すら下げつつ心の中のアリシアは表のアリシアを伺った。自分が役立たずであり、人一人守れない未熟者だと心の中のアリシアもおなじように感じているのだ。

 お互いに自分の言葉で気分を下げつつもアリシアは何とか落ち込みの沼に沈みこまずに済んだ。

 

 (そう。うん。でも、それは今、ユーイチには受けてほしくない)

 

 

 ――だよね。つまり、今回の依頼は、そういうこと。

 

 

 当分はウィーシャの側にいてほしい。

 アリシアはようやく事態を把握して組合長と話を進めるのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 首に下げた銀の指輪が陽光をうつし燦爛と輝きを放つ。

 少しの間その指輪を手に取り眺めてからアリシアは再度目的地に向かって歩き始めた。

 組合長から依頼を受けてかれこれ数時間たつ。

 アリシアはユーイチとファリアに断ってから吸血鬼退治の依頼をこなすべく一人進んでいた。

 場所は正確に把握していた。何といっても実際にその場にユーイチがいたのだから把握はしやすい。

 教えられて歩いてみればアリシアからすれば不本意ながらもそこだと分かってしまう。

 産まれ持った才能とユーイチに言いきられてしまうこの感覚だけは才能に胡坐をかいているように見られているようで少々嫌いであった。

 

 「……」

 

 心の中の自分とも一言も会話せずにアリシアはじっと前を見て進んでいる。

 昼を回ったが夕焼けには程遠い太陽が再度胸元の指輪を照らした。

 金瞳の猫亭を出発する時、アリシアはウィーシャと目を合わせた。

 一瞬の交錯ではあったが間違いなくウィーシャは何かを言いたげな様子で口を開こうとしていた。

 だがアリシアはそれを察知していながら気がつかないふりをして足早に店を出ていた。

 紡がれる言葉が怖かった。

 

 

 今頃何しに来たんですか。

 

 

 そう言われるのではないかと思うと目を合わせられなかった。

 どれだけユーイチやファリアに自分のせいではないと言われてもそうとは思えなかった。叫びたかった。

 

 側にいたのがユーイチなら、ウィーシャはこんな目にあっていた?

 

 そう叫びたかった。絶対に同じ結果にはならなかったと断言できた。

 過去に何度も何度も自分を窮地から救ってくれた師匠なら、自分が憧れ愛し追いかけている最愛の人なら。

 

 「ウィーシャを救えていたんだ」

 

 落ち込んだ気分のままに足が止まりしばらく動けない。

 心の中のアリシアも同じように後悔と自責の念でできた沼にどっぷり浸かっていて言葉もない。

 妹のように可愛がっていたのだ。でも、どこかで線を引いていた。いずれ別れるから、いずれここから旅立つから、だから――かけがえのない人と同じように守っていなかった。

 そういい訳してしまう自分が腹立たしい。

 いい訳の必要などどこにもないほどに胸が痛いではないか。あのウィーシャの姿を見て心が引き裂かれたじゃないか。大切な家族だと思っているじゃないか。

 母と別れる時のあの別離の辛さを紛らわそうと何を線引きしているのか。

 

 

 ――いつだって別れは辛い。知ってるでしょう。でも、私はそれでも旅立つの。

 

 

 「うん」

 

 

 ――お母さんと別れた時のようにウィーシャやファリアとも別れる。けれどそれでも進まないといけない。

 

 

 「うん」

 

 

 ――大切な人といくら別れたって構わない。そうでしょう? 一番別れたくない人の側に私はいるんだから。

 

 

 「うん……っ」

 

 これから迫りくる何かに備えるために心の中の自分が強く発する言葉に最後は力強く頷いた。

 ウィーシャは大切な人。

 そしていずれ別れる人だ。

 別れの辛さを越えて強くならないといけない。そうでないとユーイチの側にはいられない。

 

 「うん。大丈夫。……帰ったら、ウィーシャと話そう」

 

 

 ――そうだね。帰れたら、ね?

 

 

 アリシアはその言葉に頷いて目の前で光られた<転移門>に対して身構えた。

 軽鎧を纏いアリシアにとってのベストな完全装備である。

 腰に構えた紅鞘白柄の黒耀はいつでも抜き放つことができる。

 

 先程からずっと見られていることに気がついていないわけがなかった。

   

 そうして構えるアリシアの前に現れたのは――。

 

 「アリシアさん。こんなところで一体何を?」

 「モモンガ……さん?」

 

 完全武装のアリシアとは違い、かなり普段の装備からランクを落とした物を身につけているモモンガががアウラとマーレを連れて現れた。

 

 

 

 

 

 

 お互いの登場がお互いにとって予想外の物であったとアリシアとモモンガは情報を交換し把握した。

 吸血鬼の討伐依頼を受けてやってきたアリシアはともかく、モモンガがここに現れた理由にアリシアは無表情を硬くして驚いていた。

 

 「まさか、あのシャルティアさんが……」

 「私もアリシアさんとおなじように驚いてしまったよ……。それこそが油断だと気づきもしなかった」

 

 <転移門>をくぐりもともとモモンガが待機していた――アウラがアリシアを発見した高台でお互いに驚きを認め合った。

 

 

 ――まさかシャルティアさんが精神支配を受けてるなんてねぇ。

 

 

 予想外。

 

 そう心の中のアリシアも素直に頷いている。

 そして納得した。

 なるほど、相手がシャルティア・ブラッドフォールンならそれは上位の吸血鬼だろう。最上位の最上位とも言える。それ以上の吸血鬼がこの大陸にいるんだろうか。

 

 「私は今からシャルティアを殺すつもりだ。そうすることでしか……あの子を救い出す方法がない」

 「……それしか、ないんですか?」

 「ああ。……残念ながら、うてる最大の一手は使った。もはや、一度殺して蘇生させるしか、方法はない。今は精神支配した輩が新たな命令を下していないが、今すぐにでも現れ命令を下すかもしれない。そうなる前に開放してやらねばならない」

 

 硬い声で答えるモモンガの後ろでアウラが強く拳を握り、マーレが心配そうにアウラとモモンガを見つめていた。苦渋の決断であることはすぐにわかる。モモンガにとって大切な友人が生み出したシャルティアはその子供のように愛おしい。たびたび<伝言>の魔法で会話していたアリシアはそのことを知っている。だからこそ、モモンガがどれだけ心を痛めているか想像がついた。

 

 「だから、すまないがアリシアさん。ここは戦場になる。ここでアウラとマーレと共に待機していてくれ。なんだったらナザリックにいてくれてもかまわない」

 「……? アウラさんとマーレさんは、戦わないんですか?」

 

 モモンガの言い方ではまるで一人で戦うように聞こえる。

 アリシアが視線をダークエルフの姉弟にやると口惜しそうに二人とも表情を曇らせた。

 

 「ああ。私一人で戦うつもりだ。相手には伏兵がいるかもしれない。どれだけの敵がいるともわからない現状では最少人数でシャルティアを討つことが何よりだ。そしてそれができるのは私だけなんだ」

 「嘘……」

 

 あのシャルティアに一人で? 後衛のモモンガが?

 アリシアは信じられないと目を見開いた。

 

 「もちろん。私は勝つつもりだ。私はアインズ・ウール・ゴウン。この名に敗北はない。……ふ、アウラ、マーレ。二人もそのように気を落とすな。ここで私の勝利を見届けるがいい」

 「はい。……アインズ様」

 「は、はい……」

 

 気を落とすなと言われても二人の表情は冴えない。当然だった。

 敬愛する主人と仲間が望まぬ形で争うのだ。

 そしてアリシアはモモンガの真意に気がついていた。

 その心優しい親心に。

 

 「モモンガさん。私に、モモンガさんの前衛を努めさせてください」

 

 モモンガを一人にしたくない。

 もう目の前で大切な人が傷つくのを黙って見てはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 アルベドの叫び声にコキュートスが気を取られるのを確認し、デミウルゴスはほんの一瞬、安堵と喜びの笑みを浮かべた。

 ナザリック地下大墳墓、その主人、アインズの執務室に集まった守護者三人。

 アルベド、コキュートス、デミウルゴス。

 この部屋にこの三人が残ったのは他でもない。

 アインズを一人で行かせはしないデミウルゴスをこの場にとどめるためにアルベドが一計を案じたのだ。

 いかなデミウルゴスとはいえコキュートスとアルベドの両者に阻まれては動きようがない。

 たった一人残られた至高の御方であるアインズにもしものことがあればと考えれば今すぐにでもデミウルゴスはアインズの元へ馳せ参じたい思いで一杯であった。

 だが、それはアインズ自身の命令で禁じられていた。

 自ら一人だけでシャルティアと戦う。

 その主人の命令をナザリック一の知恵者であるデミウルゴスは理解できなかった。

 どうして数で押しつぶさない。どうして御身を危険にさらすのか。

 それがどうしても理解できなかったデミウルゴスであったが、<遠隔視の鏡>から映し出される景色を見てようやく理解が追いついた。そして最悪の状態からでも益を生み出すアインズの神機妙算に頭を垂れる思いだった。

 

 「アインズさまぁ! どうして! 私ではなくその人間をッォォ!?」

 「アルベド。少シ落チツケ。騒ギヲ起コスノデアレバ容赦ハセンゾ」

 

 先程までの落ちつきが嘘のようにアルベドが錯乱している。

 それもそのはずだ。ナザリックの全ての者が供を願ってもかなわなかったのに今、アリシアという人間が供に認められたのだ。

 だが、そのアリシアというピースの登場がデミウルゴスの疑問を晴らしていた。

 

 (アルベドには悪いとは思いますが、このアリシア様の登場はおそらく示し合わせていた物……。つまり、最初からアインズ様はアリシア様と二人で戦うつもりだった)

 

 なぜ、ナザリックの者ではなくアリシアなのか。それはアリシアがナザリックの者ではないからこそ適任なのだ。

 

 (ここでアリシア様にシャルティアを救うという効果的な功績をあげさせて、私達ナザリックの者すべてに認めさせるおつもりなのですね? アインズ様。お二人の関係を)

 

 現在ナザリックではアリシアの能力を疑う者が多い。

 セバスやデミウルゴス、コキュートスは見方は違えど一定の評価を下していいるが、他の守護者やプレアデスからの評価は低い。

 見ただけではまったく実力が把握できず、それこそ撫でるだけで殺せそうな、そんな雰囲気をアリシアがもっているため見下した見方を改められない者が多くいたのだ。

 アインズの目的は今回シャルティアとの決闘でアリシアの実力を見せ、自らの友人として、そして側に立つ者としての価値を皆に見せようとしているのだ。

 そうデミウルゴスは判断し、アルベドもまた理解した。それゆえの安堵と錯乱であった。

 

 「アルベド。落ちつきたまえ。アインズ様のご決断だろう?」

 「デミウルゴス……貴方ねぇ」

 「ふふ。この展開をアインズ様がお認めになられたということはこれもまたアインズ様の掌の上のことなのでしょう。つまり、アリシア様はシャルティアと競えるだけの実力を有しているということです。下手な前衛ではスポイトランスのいい餌食ですからねぇ」

 「あのシャルティアと? 馬鹿なこと言わないで頂戴。デミウルゴス。そんなわけがあるわけないでしょう。アインズ様のことです。きっと上手い使われ方をお考えになられたのでしょう。捨て駒として」

 「アインズ様ノ御友人ニ対シテ無礼ダゾ。アルベド!」

 「まぁまぁ、コキュートス。落ちつきたまえ。……アリシア様に対してふさわしい敬意の示し方をこの決闘でアインズ様が見せてくださるはずだよ」

 

 あちらを宥めこちらを宥め、そして宥められたり。

 デミウルゴスはこの短時間でのやり取りを笑う余裕すらあった。

 疑問が解消された今、自らの主人を何の不安もなく信じることができた。

 そして守護者たちの視線の先でついにアインズはシャルティアと相まみえようとしていた。

 その隣に立つアリシアにアルベドは嫉妬の炎を燃えたぎらせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 最後の確認を終えて詠唱に入るモモンガから支援魔法がとんだ。

 

 「すごい……」

 

 思わずもれる感嘆の声がモモンガの卓越した魔法詠唱者としての技量を表している。

 <上位全能力強化>をはじめとする物理攻撃力、防御力、魔法への抵抗力、移動速度、耐久力、全てと言っていいほどの支援魔法がその身に注がれる。

 モモンガの声が止み、支援が終わったことを確認してから四肢を動かし、アリシアは体に伝わるモモンガの力に思わず笑みがこぼれた。間違いなくこれまでアリシアが受けた魔法的支援の中で最高クラスのものだった。

 

 (勇者はいつもこんな感じだったのかな……)

 

 故郷において最も優れた後衛陣から支援を受けていた友達の姿が思い浮かんだ。

 後ろを守ってれば勝てる! そう断言していた友達。

 前を助けていれば勝てる! そう信じていた友達。

 ユーイチとの二人旅の中ではなかなか機会に恵まれなかった前衛後衛の理想にどこまで近づけるだろうか。

 

 

 ――私もできる限りやろうっと。

 

 

 心の中のアリシアがモモンガによって大きく底上げされた自分に自らの特徴に合った支援を重ねていく。

 

 

 ――はい。終わり。

 

 

 「あれ、<太陽の輝き>は?」

 

 対アンデッド戦においてかけない方がおかしい類の魔法がかけられなかったことに思わず声が漏れ、モモンガから何か不足があったのかと訊ねられ、慌てて首を振る。

 

 

 ――まだ早い。いいから任せて。

 

 

 どこか遊んでいるような雰囲気に若干の不安を覚えつつもアリシアはモモンガに向かい合おうとして。

 

 (というわけで、少し任せて)

 

 

 ――え?

 

 

 久しぶりに裏返ったことに気がついた。

 

 「アリシアさん? 準備はよろしいですか?」

 「うん。いいよ。 ……モモンガさん、これからは敬語はいらない」

 

 

 ――ちょっと!

 

 

 心の中のアリシアの悲鳴じみた制止を意に返さずアリシアはモモンガに向き直るとにっこりと花が咲くように微笑んだ。

 

 「私はこの戦いで証明したい。私が貴方の友人にふさわしいと。お互いに助け合える存在だと。だからお願い。私を信じてほしい。モモンガさん。絶対に貴方に接敵させない」

 「……アリシアさん。私は」

 「私を友人だと言ってくれるなら。貴方を助けさせて。お願い」

 

 

 ――待って待って待って! 何を言ってるの!

 

 

 心の中のアリシアの悲鳴が届くがアリシアはモモンガを見つめて動じない。

 放った言葉に嘘偽りはなかった。アリシアは自分の存在価値を証明したかった。一方的に与えられるだけの友人関係でありたくなかった。モモンガが自分のことを友人と認めて、頼ってくれと言うのであれば……自分だってモモンガに頼られる存在でなくてはならない。

 視界の端に人形のように棒立ちしているシャルティアがいる。

 本人の意思があればどれだけ無念の思いだろうか。

 そしてそんなシャルティアを手にかけようとしているモモンガはどれだけ苦しいだろうか。

 

 助けたい。

 今度こそ。

 

 アリシアの強い意志の宿った眼差しに何を見たのか。

 モモンガは頷いた。

 

 「……分かった。アリシアさん。なら存分に頼らせてもうぞ。言っておくが私のかつての仲間であれば後衛が殴られるなんてことはなかった」

 「うん。負けない覚悟が私にはある。……それに作戦もある」

 「ほう。流れは確認した通りで間違いないだろうが。タゲ取りに何か名案でも?」

 「モモンガさんに手伝ってほしいことは一つだけ。……私が同意を求めたら頷いてほしい」

 「……それだけ? 構わないが」

 

 一体何をするつもりなのか。

 心の中のアリシアがあわあわと必死に裏返そうと引っ張り込むが久しぶりに表返ったアリシアは粘る。

 どこ吹く風のアリシアと大慌ての心の中のアリシア、そして覚悟を決めたモモンガ。

 どこか噛み合わないタッグは戦端を開いた。

 

 

 

 「超位魔法――<失墜する天空>」

 

 

 

 第十位階を越えた究極の魔法が棒立ちのシャルティアを包み込み戦端が開いたはずの森の中。

 

 「ちょっと離れなさいよー! この小娘!!」

 

 その爆心地の中心にいたシャルティアの叫び声が響いていた。

 みればそのシャルティアの視線の先ではモモンガに抱きつき、押し付けるべきところを自慢げに押し付けているアリシアの姿があった。

 モモンガは空いた口がふさがらない思いで茫然としている。

 

 「ん? 貴女はモモンガさんの敵でしょう? どうして私がモモンガさんと仲良くすることを邪魔するの?」

 

 普段では考えられない少し小馬鹿にしたような物言いでアリシアはシャルティアを見下ろしていた。

 一時的に鎧を外すことで露になった柔らかな胸元が体にぴったりと張り付くインナー越しにモモンガの体に押しあてられいる。

 

 「それは! ええっと、それは、えっとなんで私はアインズ様と……? ええい! そう!! アインズ様を倒さねばならないから!! 貴女がいちゃついていたら邪魔でしょう!? 離れなさい!!」

 

 自分がどうして敬愛してやまないアインズと戦わねばならないのかさっぱり分からず、シャルティアは自分の感情に戸惑う。そんなシャルティアを普段とは逆で完全に見下し憐みを込めてアリシアは見つめた。

 

 「ふぅん。貴女、モモンガさんのことが好きなんだぁ」

 「はぁ!? と、当然でしょう!? アインズ様の御美しい御姿! この世で最も美しい御方!!」

 「でも、貴女じゃ無理。だって貴女はアインズ様としか呼べない」

 「……なんだって?」

 

 ぴたりと騒いでいたシャルティアが動きを止めて凝視するようにアリシアを見つめた。

 まるでその視線で風穴を穿つように。

 

 「だってそうでしょう? アインズ・ウール・ゴウンは誇り高いギルドの名前。その名で呼ぶ限り男女の中になれるわけがない。けど……私は違う」

 

 艶っぽく少し頬を赤らめながらアリシアはモモンガの頬…骨にキスをする。

 それで身を固まらせたのは二人、先程から精神の安定化が起きて止まらないモモンガと現状への理解が及ばずただただ目の前の許せない景色を眺めさせられているシャルティアである。

 

 「私だけがモモンガと呼べる。私だけがこの人の隣に立つことを……許された」

 「黙れ……」

 

 みしみしとシャルティアの持つスポイトランスがきしむ音が響く。

 そしてアリシアはモモンガから自然と離れて武装を纏い直した。

 挑発はもう終わりだ。

 

 「だから貴女が恋仲になることなんてないの。私が、モモンガさんの、恋人。最愛の人よ。ねぇモモンガさん?」

 「ぁ、ああ。その通り、だ?」

 

 そうしてモモンガが頷いたことで何かが決壊したのか。

 

 「うわぁぁぁぁああああああああああ!!! おんどりゃぁぁぁ泥棒猫がぁぁぁ!!!」

 

 シャルティアの怒りに任せての突撃攻撃はまっすぐにアリシアへと向かい。

 

 

 <魔法三重最強化・爆撃地雷>

 <魔法三重最強化・混沌の嵐>

 

 

 「きゃぁぁぁぁあぁ!??」

 

 事前に仕込んであった迎撃魔法の二重発動でシャルティアは炎と爆発に巻き込まれて大きく後方へ吹き飛んだ。黒炎で身を焼かれながら超位魔法でガラス化した地面にめり込んでいる。三重化された二つの魔法はよほどの高威力だったのか少しの間シャルティアの動きが停止した。

 

 

 ――はい。あとは……お・ま・か・せ!

 

 

 (この、ばかぁぁぁぁ!)

 

 ようやく元の通りに表返ったアリシアはあわあわとモモンガの方を振り返る。

 その視線の先ではモモンガは唇が触れた頬骨をおそるおそる撫でている。まるで先程の感触を思い返すかのように。

 

 (……)

 

 

 ――きゃ、モモンガさん、恥ずかしですぅ。あいだっ!?

 

 

 完全にふざけて笑う心の中のアリシアに蹴りを御見舞してアリシアはシャルティアの方を向いて叫んだ。

 

 「こ、これでタゲ取りは成功しましたぁぁぁ!」

 

 こうなれば自棄だとばかりに切り替えて思考を無理やり戦闘に向け直し、アリシアはシャルティアに向かって突撃を開始した。

 

 

 ――あ、はい。<太陽の輝き>ね。これで準備完了!

 

 

 暢気な心の中のアリシアは思惑が上手くいった喜びで笑っていた。

 

 

 

 

 

 アリシアとモモンガの作戦は単純であった。

 モモンガの切り札を温存しながらシャルティアが所持しているだろう蘇生アイテムを切らせる。

 これに尽きた。

 モモンガの切り札<あらゆる生ある者の目指すところは死である>は即死効果を高め、本来であれば即死がきかない相手にすら一定時間後に即死させるという破格の性能を持つスキルだ。

 だがそれゆえに一度使ってしまえば長時間再使用はできない。現実的に一度の戦闘で二度は使うことができないのだ。

 だからこそアリシアは宣言していた。自分が一度シャルティアを殺すと。

 その援護をしてほしいと断言したアリシアをモモンガは信じきったわけではない。

 だがユーイチとアリシアから説明されたユグドラシルから転移してきたモノの弱点がその通りであれば確かにアリシアはシャルティアを殺せるとモモンガは思っていたし、そうであった場合のリスクを考えて信じたくなかったというのが本音であった。

 それはすなわちその弱点を突かれれば間違いなくモモンガをはじめとするナザリックの面々は殺されるとモモンガ自身がそう思っていたのだ。

 そしてそれは時間の経過か蘇生アイテムなどを用意するしか対策のしようがないものでもあった。

 

 「<魔法最強化・重力渦>!」

 

 アリシアとシャルティアの一瞬の交錯の後を狙ったモモンガの魔法が飛ぶ。

 それを魔法で受け止めようとシャルティアが石の壁を生み出すが、そこに綺麗な穴が空き<重力渦>がそのまま抜けてくる。

 

 「がぁっ。このさっきからちょこまかと!」

 「――ッ!」

 

 魔法の直撃で動きが完全にストップしたシャルティアに振りおろされる刀は、受け止めようともちあげられたスポイトランスを巧みにかわし胴を薙いだ。シャルティアからすればまるですり抜けたかのように感じる見事な一閃であった。

 黒耀の刃にべったりと付いた血を振りはらってアリシアはシャルティアと相対する。

 既にこうして刀と槍を交えるのは四度目であった。

 その度にアリシアは攻撃を避け、自分の攻撃をあてることよりもモモンガの魔法を命中させるために動いていた。

 

 (いい、感じ!)

 

 自分にかけられた数多くの支援魔法がシャルティアと自分の身体能力の差をこれでもかというくらいに埋めてくれている。本来であれば攻撃する暇もないほどに防御一辺倒が関の山だったはずだ。モモンガという最高の後衛の存在がアリシアをシャルティアと同じ舞台に立たせていた。

 

 

 ──でも、そろそろむこうも。抜けようとしてくるよ。流石に与えたダメージが違う。

 

 

 心の中の自分の言葉に頷きながらアリシアはシャルティアが自分を越えて、モモンガを狙うその瞬間を待つ。

 開幕ヘイトを自分に集めさせることに不本意ながら成功していたが、流石に都合四発もモモンガの魔法の直撃を受けているシャルティアである。自分を放置してもモモンガを狙いに行くことは容易に想像できた。むしろ今までそれをしてきていないのがおかしいことであり、どれだけアリシアの恋人発言に怒りを感じたのかの証明であった。

 

 (来る)

 

 「<力場爆裂>!」

 

 シャルティアの放った衝撃波がアリシアをはじきとばす。

 ゴロゴロと大きく転がりモモンガとシャルティアから大きく距離があく。

 

 「アインズ様ぁ! もう逃しません!!」

 

 その隙を逃さずシャルティアは翼を広げアインズの元へと一直線に跳ぼうとし。

 

 「ぷぎゃぁ!?」

 

 突如として叩きつけられるような風圧によって飛行状態を解除されて地面に落下した。

 

 「隙ありだ! <魔法最強化・現断>!」

 

 

 ―─こっちも。<魔法最強化・混沌の刃>

 

 

 自分が最速で移動しようとしたところで飛行状態を解除された故にシャルティアはろくに受け身も取れずに頭から地面に激突しその上からモモンガとアリシアの魔法の刃が飛んだ。

 黒炎の刃とすべてを断つ魔刃はシャルティアを三つに引き裂いたが時間を巻き戻すかのように傷が治る。

 先程から見せているシャルティアのスキルだ。このスキルのおかげでシャルティアはモモンガの魔法をこれで五回もらっていながらもまだ健在であった。

 

 「今のは……いったい」

 「私の魔法。上空に逃したら……不利だから。どう? 地面を這うのは。お似合いだね」

 「この……! 調子に乗ってぇ!」

 

 アリシアに妨害されたと知るやシャルティアは怒りの形相で再度向かい合う。

 最も脅威なのはモモンガの魔法だとシャルティアはわかってはいた。

 だが、同じようにアリシアに妨害されてはモモンガとまともに戦うことすら難しいと分かり始めてもいた。

 なぜなら自分の知らない妨害魔法を先程から多用されており、自分の魔法や動きが想定したとおりに働いてくれないのである。モモンガの魔法を受け止めようと作成した石の壁には穴があき、空を飛ぼうとしたら地面にたたきつけられる。自分の知識にない魔法のオンパレードにシャルティアは対応しきれていなかった。

 

 (難しい、わね。こいつ思ってた以上にやる……!)

 

 事ここまでくれば認めるしかない。

 シャルティアはアリシアが自分と戦える稀有な人間だと認め、切り札を切ることにした。

 

 

 <死せる勇者の魂>

 

 

 白い光が集結しもう一人のシャルティアを創り出す。

 これがシャルティアの切り札である。

 魔法や一部スキルこそ使用不可能だが武装や能力値は何一つ違わない。

 そんなもう一人のシャルティアと言ってもいい存在を創りだすこのスキルこそ奥の手。

 

 「来たぞ!」

 

 モモンガの危機感を含んだ声が響き、アリシアはモモンガとの間に立ちふさがるように刀を八双に構えた。

 

 「ここは通さない」

 「ほざけぇ!」

 

 <死せる勇者の魂>で生み出されたもう一人のシャルティアが本物と変わらない速度、力でアリシアを追い立てる。

 アリシアは魔法によって向上した身体能力とシャルティアを大きく引き離す剣の業でそれを見事に迎撃するがそれまでだ。とてもじゃないが本物のシャルティアまで妨害できる暇はない。

 

 「っ……」

 「今度こそ……!」

 「飛べないお前が私に接敵できるかな? <魔法三重最強化・現断>!」

 

 アリシアを越えてモモンガの元へ疾走するシャルティアだったが、何度飛行しようとしても空を飛べない。

 そのため<飛行>の魔法で距離を取ろうとするモモンガ相手になかなか距離を縮められない。

 だがモモンガも高度をあげすぎればアリシアの<下降気流>の魔法にひっかかってしまうため空高く逃げるわけにはいかない。

 モモンガは低空飛行で距離をあけつつ魔法を連射しシャルティアに効果的なダメージを与えていった。

 シャルティアはその魔法を避ける機動力もなく、直撃をどうしてももらってしまう。

 だがシャルティアとしてはここでアインズを追い詰めなければ勝機はない。

 アインズは純後衛。接敵してしまえばシャルティアが一方的に有利なのだ。

 

 「<魔法三重最強化・現断>!」

 「不浄衝撃盾!」

 

 幾度かの攻防の末に最後の不浄衝撃盾を使ってモモンガの魔法を防いだ時、シャルティアは自分の飛行能力がようやく回復したのが分かった。バッドステータスを受けていたのか魔法の効果範囲を越えていたのか定かではないがこれでようやく追いつけるとシャルティアは嗜虐的な笑みを浮かべて疾走した。

 

 「アインズ様ぁぁぁぁ! お待ちくださいませ!」

 「くっ、早い! ……な!? がっ、ぐっ」

 

 シャルティアの本気の速度に焦ったのか、モモンガは高度を高く取り過ぎ不意に飛行能力を失ったようにその場に投げ出される。

 先程の自分と同じように空中に仕掛けられていた魔法にひっかかったのだとシャルティアは勝利を確信してモモンガに突っ込んだ。

 だが、絶望的な状況であるはずのモモンガどこか余裕を感じさせる動きで壁を創り出す。

 

 「<骸骨壁>!」

 

 骸骨の群れで形成された壁が生み出されシャルティアの視界を覆う。

 骸骨たちの攻撃がシャルティアを襲うがどれひとつとして届きはしない。

 

 「はっ! <魔法最強化・力場爆裂>!」

 

 この程度の壁で自分が止まるとでも思っているのか。

 そう嘲笑を浴びせながら強化した衝撃波で自分とモモンガを阻む壁を破壊し、異変に気がついた。

 

 「……武技」

 

 そこにいたのは追い立てていたモモンガではなく上段に刀を振りあげているアリシアであった。

 

 「なっ!?」

 

 いつの間に入れ替わった。

 そう叫びたかったシャルティアだったが、その声は発せられることはなかった。

 

 「──二条雷徹!」

 

 刀身がぶれた様に重なる一閃二条の斬撃は魔法を行使した直後のシャルティアに回避できる物ではない。

 そもそも後衛職であるモモンガを追いかけていたため近接攻撃を避けるという発想がなかった。

 

 「が、ぁ、あああああっ!?」

 

 袈裟懸けに走り抜けた斬撃は武技の効果も合わさりシャルティアに大打撃を与えた。

 <太陽の輝き>の効果で神聖属性を得た上にカルマ値が低い相手に特攻を持つアリシアの攻撃はシャルティアを二つに裂いた。

 もはやそれを回復させるスキルが残っているわけがなく受けたダメージは魔法で回復させるしかない。

 

 「<魔法最強化・大致死>」

 

 両断され倒れたシャルティアの視線の先では<死せる勇者の魂>で創り出したもう一人の自分が大きな木に覆いかぶさられるようにして動きを止めているのが見えた。おそらくは拘束に対する耐性を無視する束縛魔法か。その分効果は薄いようであと少しすれば抜けだせるだろう。

 そしてその近くにはモモンガがいる。アリシアとモモンガの位置がそっくりそのまま入れ替わったかのような配置だ。おそらくアルベドがもつ<位置交換>のスキルと似たようなものを使用したのだろう。

 今の位置取りを好機だとシャルティアは捉えていた。

 アインズは先程飛行能力を失い大きく機動力が落ちているはずだ。

 そして<死せる勇者の魂>は健在。大したダメージを受けていない。そしてシャルティア自身もすぐに回復が終わる。MPもスキルも底をついてしまうがモモンガやアリシアとてそれは同じこと。アリシアはともかく、モモンガはMPがなくなれば雑魚同然。このまま攻め立てればいずれは追い込める。

 

 「<魔法最強化・大致死>」

 

 そう。こうして回復を進めていればあとは近接戦を挑んでしまえば……。

 

 「え?」

 

 そこまで考えたところでシャルティアはなぜ回復している自分に追撃が飛んでこないのかという疑問を抱くとともにようやくはっきりしてきた意識の中で強烈な危機感を感じた。危機感が後ろを振り返えらせた。

 

 「ふ──……!」

 

 するとそこには八双に構えた刀を白く発光させたアリシアがいた。

 その刀身の輝きは自分を滅する力がある──。

 そう瞬時に理解できるほどの白滅の光だった。

 

 

 

 どうしてこんなに薄いのか。

 

 

 

 これはアリシアがナーベラルを確認した際に感じた違和感である。

 それはこの世界に存在する力、世界とのつながりとも言うべきものが希薄だったことを指していた。

 よくアンデッドに見られる物でこのつながりが薄いことがアンデッドという種族の最大の弱点であった。

 ゆえにアリシアはナーベラルに驚きのまま訊ねたのだ。

 アンデッドであれば普通だが、そうでないならこれはなんだ。

 その疑問に答えてくれたのはユーイチだった。

 ユーイチ曰く、異界からやって来たばかりの者はこの世界にとって異物であり、溶け込み、根付くには時間がかかるらしい。そのため種族的にアンデッドではなくても世界とのつながりが希薄になっているとのことである。

 そしてそれは大きな弱点であった。

 ユーイチやアリシアはそのつながりが薄ければ薄いほど、存在ごと断つすべを知っていた。

 本来であればいかな希薄なアンデッドとはいえ一撃死までには至らないその攻撃だが、この世界に来たばかりのナザリックの面々には即死に値する攻撃になる。

 とはいえ万全の状態のシャルティアに最初から使っても効果は薄い。

 避けられる可能性、スキルで防がれる可能性、無効化される可能性。

 ゆえにアリシアとモモンガは消耗戦の末に最後のとどめにこの斬撃を用意していた。

 残酷なまでに白く光り輝きすべてを塗りつぶす致命の斬撃。

 

 

 

 「<武技――光芒一閃>」

 

 

 

 その斬劇が振り抜かれた瞬間、シャルティアの意識は一瞬途絶えた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 戦いから帰還したアリシアは金瞳の猫亭に忍び込むかのように帰っていた。

 こっそりと忍んだ理由はもう日付を回ろうとする遅い時間になってしまったことと、万が一でもウィーシャに出会いがしらに会いたくなかったのだ。

 

 

 ――話すって決めてたでしょう?

 

 

 と、呆れたように文句を言う心の中のアリシアすら少し元気がない。

 当然だ。今日はシャルティア・ブラッドフォールンという圧倒的な強者と死闘を演じていたのだ。

 いくらモモンガの支援があったとはいえよくもまぁ無事に帰ってこれたものだとアリシアは自画自賛したい思いだった。

 魔法を唱え、武技を使い、頭を働かせる。

 おまけに慣れないあんな破廉恥な挑発まで行ったのだ。思い返しただけで赤面ものである。

 精神も肉体もくたくたに疲れていた。

 もしこんな状態でウィーシャにあって厳しい言葉をかけられては耐えられない。

 そんなふうに逃げる理由を作ってはこっそりと自分の部屋に戻ったアリシアであったが。

 

 「お帰りなさいませ。アリシア様」

 「ぇ。う、ウィーシャ……? どうして?」

 「えへへ。ユーイチ様にお願いして今夜はこの部屋で寝させてもらうことになったんです」

 

 疲れていたがゆえに部屋に気配が一つあることは気がついていたがユーイチが寝ているのだろうと確認もせずに入ってみればそこにいたのは起きていたウィーシャであった。

 

 「あの、アリシア様」

 「な、なに……?」

 

 ウィーシャが口を開くたびにビクビクと怯えるアリシアは腰がひけていた。

 だが、ウィーシャにはアリシアを責めるような様子は微塵もなかった。

 

 「昨日の出来事があって……私、怖いんです。怖くて、一人じゃ眠れなくて、震えが止まりません」

 

 そういうウィーシャの手は確かに小さく震えている。

 アリシアはその恐怖を感じさせたのは自分のせいだと直視することができずに目を伏せた。

 

 「ですので……今晩は一緒に寝てくださいませんか? アリシア様と一緒なら、私、怖くないです」

 「ぇ、ぇ、え? 何、で? ウィーシャ。私は、ウィーシャを守ってあげられなかったんだよ?」

 

 自分の側にいたいと願うウィーシャにアリシアは困惑した。

 守れなかった自分の側にいてどうして安心できるのか。

 どうして、自分を責める言葉が出てこないんだろう。 

 アリシアのそんな視線と言葉をウィーシャは大きく首を横に振って否定する。そんなふうに思ってほしくないと全身で表わしているようだ。

 

 「そんなことありませんっ。私、覚えてます。痛くて痛くて、怖くて、助けてほしくて、でも、声も出せなくて、手も足も動かなくて、目も……見えなくて」

 「ウィ、ウィーシャっ」

 

 つらい体験を思いだしているウィーシャが恐怖で震え、涙を浮かべるのを見ていられず、アリシアはおそるおそるウィーシャを抱きしめた。それはまるであの時のように。

 

 「でも、そんな、時に、聞こえたんです。アリシア様の声が。私の名前を呼んでくれて、助けてくれたアリシア様の声が。今でも、今でも、その時の声が、私を救ってくれます。私は、アリシア様に、助けていただいたんですっ」

 

 泣きながらしっかりと自分に抱きついてくるウィーシャ。

 自分に助けられたと縋りつき涙を流すウィーシャ。

 そんなウィーシャに言いたいことはいっぱいあった。

 謝りたくてしょうがなかった。

 けれど、何よりも先に考えるよりも先に、言葉が自然と溢れて来た。

 それは涙とともに。

 

 「あ、ありが、とう。ありがとうぅ。ありがとう。ウィーシャっ」

 

 その夜、二人して泣いて二人で抱き合って二人は眠りについた。

 翌朝、ファリアとユーイチに発見された二人は仲良く同じ布団にくるまり眠っており、それはまるで本当の姉妹の様であった。

 

 

 

 

 

 

 八頁~恩には恩を~

   1on2 終




お読みくださりありがとうございました。

誤字脱字がひどかったのではないでしょうか?
拙い表現で誤魔化している場所も多かったのではないでしょうか?

次回はなんとかもっと上手く纏められたらいいなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九頁~LETSPARTY~

 遅くなりました。
 八月中を目指して、そしてやはり到底かなわず、のんびりと描いていたら詰まりました。
 もう四千字ほど? 描いてはいるんですがタイプがどうしても遅くなってるのできりのいいところであげています。今回は八千字ほどでしょうか。
 
 今回からは原作四巻や数多くのドラマCDの時系列になります。

 といってもリザードマンはかすりもしていません。
 かする予定は……あるのかな??

 


 九頁~LETSPARTY~

   温かいモノ

 

 

 

 

 

 コテージの中で向かい合う二人の男がいる。

 男たちはほぼ同時にソファーに腰かける。

 

 「では、改めまして。私は──」

 

 先に口を開いた男を対面の男は手をあげて制した。

 

 「お互いに名乗る必要があると感じるのなら、ここでは本当の自分を出すべきだと思う。どうだろうか」

 

 制された男は重々しく頷く。

 そうして男二人の会話は続いていく。

 すると次第に片方が聞き手になりもう片方が話し手になっていく。

 

 「──ということで間違いないというのがむこうでの結論だった」

 

 淡々とした話し手の様子は常に変わらないが、話が進めば進むほど聞き手の様子は重々しさを増していっていた。

 

 「多くの者、事象に裏付けされているのならそれは確かにその通りなんでしょう。ですが、それでは戻れないということですか……」

 「そうなってしまう。違う可能性にかけた人たちもいたがそれが上手くいったかどうかは分からなかった」

 「違う可能性とは?」

 

 そこで少しだけ話し手の表情に暗い影が落ちた。

 

 「自殺という選択肢だよ」

 

 二人の会話はまだまだ続いた。

 

 

 

 

 

 

 ジュワっと熱したフライパンの上で肉が焼かれる音が耳に届く。

 植物性の油を垂らしてから焼かれる厚めの肉の塊は大の大人の胃袋をそれ一枚で満たしてしまいそうだ。

 

 (焦がす……けど、焼き過ぎない……)

 

 だが料理人は知っている。

 このステーキを三枚は軽く食べてしまうのが自分の料理を食べる男だということを。

 

 (少し……みでぃあむ? 赤みがあった方がおいしくなる……)

 

 料理長や副料理長から教わった通りに最後は蒸すために鍋蓋をかぶせてしばしの間見守る。余熱で焼き加減を調整するのだと教わったが見ただけでは分かりにくい。既に三度は想像と違う焼き加減だった料理人である。

 だが、今回は上手くいったようだ。

 とりだしたステーキを鉄板の上で切り分ければ想像していた通りの焼き加減である。

 

 「みでぃあむ」

 

 みでぃあむ!

 ぐっと内心で自分が喜びの拍手をうつのをアリシアは心地よく感じていた。

 

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールンとの死闘、そしてモモンガとの共闘。

 この大陸に来て初めて行った全力の戦闘と言っていい戦いを終えたアリシアは今、晩ごはんを作っていた。

 ただの晩御飯に肉厚ステーキは重たすぎる。つまりはただの晩御飯ではなかった。

 この日の夕食はアリシアとユーイチがアダマンダイト級冒険者に認められた祝いの席なのだ。

 

 「アリシア様。テーブルの支度は整って……わぁ、すごいっ」

 「ウィーシャ。ありがとう。もうすぐ準備できるから……座っておいてね」

 

 はいっと元気よく返事をする妹分に微笑みを返してアリシアは鍋のスープを少し味見した。すると口の中に貝類の出汁がきいた味が広がってくる。その沁みわたるような味に云々と納得する。

 ウィーシャと二人で集めた食材の中でもこのスープに使った貝類は掘り出し物だ。故郷のように白米を食べる場所であれば炊き込んでしまったところだろう。アリシアは混ぜ物をいれたご飯が好物の一つであった。 

 

 

 じゅるり。

 

 

 「ぁ」

 

 いけない。

 内心の自分が涎を垂らすのにつられかけて気を引き締め直す。

 ご飯ではなくともこのスープも非常においしい。それにメインディッシュはステーキだ。

 アリシアは目の前に並んだ四枚のステーキを見比べる。

 先程の肉厚が目立つもの以外はどれも少し焼き過ぎている。みでぃあむとは少し違うだろう。

 練習すれば練習するほど上達する。

 見ればすぐに覚えることのできるアリシアはナザリックとは程遠い調理環境でも四枚目にして想像の通りのみでぃあむを実現していた。

 

 「練習……」

 

 一番初めに焼いたものは自分の物、二番目はウィーシャ、三番目はファリアのだ。

 最後にユーイチのステーキを焼いた理由は言うまでもない。

 アリシアはスープを鍋ごと運んでいく途中で二人の女性から声をかけられた。

 先程から共同キッチンを伺っていた気配だと分かっていたアリシアは少しだけ視線を合わせてすぐそらした。

 目の前には従業員姿の女性が二人いた。銀の髪が美しく、ウィーシャと同じくらいの背丈の少女と対象的に背が高くて金の髪の二人だ。背もそうだが体つきもどこか凹凸な二人組である。 

 アリシアはこの二人を知っている。新しくこの店で雇うことになった従業員であり、ユーイチが野盗から救い出してきた女性たちだ。。

 名前は銀髪で貧乳のほうがエルティシア。金髪で巨乳の方がリディア。

 ユーイチが連れてきた女性は六人もいるのだがその中でこの二人は落ちつきのある方だった。他の四人の中には貴族の血を引く娘が一人いてよくキーキー喚いている。それに穏やかに対応できるのがこの二人だが他の三人は見過ごせないようで口論になる。結果、アリシアは他の四人は騒がしい組として扱っていた。

 ファリアより年上のリディアは年長者として捕えられていた時からある種の母性で他の五人を落ち着かせていたらしいのでわかる話だが、エルティシアはここでもリディアと対象的で六人の中でも最年少の十二歳頃だという。

 歳不相応に落ちつきのあるエルティシアがじっとアリシアを見つめる。襲われた際にショックで話し方を忘れてしまったエルティシアは一言も口に出せないがアリシアはその言いたいことが分かった。

 

 「二人とも。大丈夫だから」

 「もしよければ配膳のほうを手伝わせていただくことは……」

 「大丈夫。気にしない、で」

 

 リディアが恐縮したように言い、エルティシアがじっと見つめてくるのはアリシアの手伝いをしたいからだ。

 調理前から何か手伝うことはないかと聞いていたのでアリシアにはこの二人が何をしたいかすぐに察することができた。従業員である彼女達とは夕食の席が異なるのだが彼女達は普段ファリアの手伝いをしているので店の者が調理をしているのに手伝わないのが心苦しいのである。

 

 (……それだけじゃないだろうけど)

 

 いつもの無表情を崩すことなくアリシアは二人の手伝いを断る。

 本来アリシアは話すのが苦手であるのでこの二人に限らず六人全員に対してどこか壁を作ってしまうのは仕方のないことであった。まして、六人とも大なり小なりユーイチに好意を抱いている。それを当然と思っていても好きこのんで他の女性をユーイチの側に置きたくはない。

 そういうわけで確かな壁を感じさせてアリシアは二人の手伝いを断って食卓に進んだ。

 そこには想像した通りの風景が広がっている。家族三人が待ちわびたように迎えてくれる温かい世界だ。

 

 

 

 ──いつか。どこかで。新しい家族もできるだろう。

 

 

 (うん。お母さん) 

 

 故郷の母の言葉がふと頭によぎりつつアリシアは自分を呼ぶ妹分に応えながら柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓が誇る至高の料理の数々。

 今、アインズの目の前にはそれらがテーブルにずらりと並べられている。

 まるで検められるのを待つかのように一糸乱れず、美しさすら感じさせるその様は料理の見栄えも合わさり芸術作品のようだった。

 

 「これらが候補にあがっておりました料理を実際に仕上げたものでございます」

 

 料理長が何処から発しているのか分からない声で伝えてくるのをアインズは聞き取りつつ、どこか気分の低下を感じてしまう。

 黙っていればわかるまいと内心でため息をついて料理の数々に向けていた視線を料理長に、そしてその先にいる副料理長にむけた。

 

 「見事なものだ。料理長」

 

 アインズの一言で料理長と副料理長は恐縮したように頭を垂れる。

 どこか身を固くしたようなお時儀は仰々しくセバスというよりはデミウルゴスに近いとどこか集中できない思考でアインズは思った。

 現在、ナザリックでは急ピッチで式典の準備が進んでいる。何の式典かというと洗脳されたシャルティアを助けるのに大きく尽力してくれたアインズの友人、いや、モモンガの友人であるアリシアに感謝を伝えるための物だ。

 どこか調子のおかしかったアルベドも元に戻り、進められているこの式典には大きな意味があるとアインズは考えていた。それは僕達のやる気の高さを目にしているからだ。

 当初アインズが考えていたものよりもはるかに大規模になってしまい、もはや式典という言葉を使わなければならないことに思うところがないわけではないのだが、ナザリックをあげて、しかも自分とアリシアの関係に不満を感じていただろう僕達の方から率先して準備を進めているのだから些細なことには目をつぶるべきだろう。

 そう思っていたアインズなのだが目の前の料理を見ているとどうしても萎えてくるものがった。

 

 (俺に検分させるなよ……俺は食べられないんだぞ……?)

 

 怒りではなく虚しさを感じるがゆえに一向に元の調子に戻らない。

 元の世界では食事に興味を持たなかったアインズであったが、この世界にやってきて目にする料理の数々にはやはり興味をそそられてしまう。それだけならまだこんな虚しさを感じないのだが……。

 

 (はぁ。アリシアさんの料理……はぁ。俺はなんで食べられないんだ。くそ)

 

 二日前にナザリックで料理の指導を受けていたアリシアの料理を思い出す。それは目の前の輝かしいものとは違ってどこか家庭的であり、温かさに満ちていた。

 アインズは味見をしても口からこぼすだけで味も何も分からないため、料理長や副料理長が味見をしていたのだがその光景の何と羨ましいことか。鈴木悟からアインズになったことの最大のデメリットはもしや飲食ができないことではないかと感じてしまったほどである。

 

 「うむ……。本当に。本当に見事だぞ。料理長。この調子で頼む」

 

 食べられない自分に意見を求めないでくれ。

 そんな思いからアインズは少し投げやりに返事をしつつ、指輪の力を使って転移するのであった。

 

 

 

 「……アインズ様」

 

 アインズが立ち去った食堂で料理長と副料理長は打ちひしがれていた。

 周囲を囲む一般メイドが心配そうにそちらを見るのと料理への興味で視線を揺らしている。

 二人にはアインズがどこか不満を感じているように、もしくは失望したように見えていたのだ。

 

 「おぉ……。アインズ様、一体何がお気に召されなかったのか……」

 

 苦悩の声をあげる料理長の声は小さく震えている。それは自分の至らなさを呪う自責の現れである。

 同じようにその身を震わせていた副料理長が料理長の手を取り立ち上がらせる。

 

 「料理長、まだ日はあります。アインズ様に御満足していただける料理をその間に……」

 

 副料理長の言葉に力なく料理長は頷く。二人とも分かっているのだ。この料理で失望されるのであれば難しいということを。至高の四十一人の頂点、絶対の主人であるアインズに検分を頼む以上、既に全精力を込めて料理しているのだ。

 

 「ねぇねぇ料理長。これは食べてもいいんですよね?」

 

 おいしそーと料理人の苦悩を無視した一般メイドの言葉に料理長は力なく頷いた。

 テーブルの料理は式典にだすつもりで用意したもので本来食べ切られることを想定していない。なのでアインズに失望された以上、料理長としてはすべて床にたたきつけたい気持ちだったがそうもいかない。食材はすべて至高の御方々が設定された通りのものを使っている。それをただただ浪費することは許されることではない。

 許可を出すと歓声をあげて自分の皿に料理を盛り始める一般メイドたち。一般メイドは皆よく食べる。足りないことはあっても残すようなことはあるまい。

 料理長は茫然と猛烈な勢いで料理が減っていく食事風景を眺めていた。

 本来であればアインズもこの場にとどまり、食事風景を見学する予定であった。式典では至高の御方によって創造された者は恐怖公などの一部を除いて皆参加することになっている。これは任務でナザリックを離れているセバスやデミウルゴスも呼び戻して行われるものだ。

 式典の中で最も食事を食べるだろう一般メイドの食事風景を観察し最後の検分を行う……その予定だったのだが。

 

 「くぉっ!」

 

 自分の不甲斐なさに苛立ちを隠せず料理長はテーブルに拳を叩きつけた。もちろん戦闘技能を有していない料理長の拳でテーブルがどうにかなることはなく、どこか軽い音が流れただけである。

 

 「料理長……さっきからどうされたんです?」

 「そうそう。モグモグ。こんなに美味しい料理なのに」

 

 食べながら美味しい美味しいと話しかけてくる一般メイドの何と暢気なことか。

 料理長は叫びたい気持ちを押しとどめて彼女達に質問してみることにした。

 

 「実は……」

 

 その料理がアインズから失望を買ってしまったと説明をすると一般メイドは皆目を丸くして驚いた。

 

 「えっ。こ、この普段よりも圧倒的で破壊的な料理が、アインズ様に御不快を!?」

 「え、えっと、その、こほん。あー、美味しくなかった」

 「え? え? ……こほん。おいしくなかったです?」

 「えー!? そ、そう言う流れ!? な、なら私も……美味しすぎてまずいよ!」

 

 主人が不快と感じた料理を美味しそうに食べるわけにはいかない。

 一転してまずいまずいと言う一般メイドにもはや笑いそうになりながらも料理長はその様子こそ正しいと感じていた。

 

 「……料理長。アインズ様はこのまずい料理の何処が御不満だったのでしょうか? 確かに式典にふさわしいとは思えないほどまずい料理ですが、アインズ様は食事を取られないはず。味の問題ではないような気がしますが」

 

 インクリメントが取り皿いっぱいに料理を積み上げながら尋ねるのを見て多くの一般メイドは「まずいまずい」「こんなまずいものは早く視界から消してしまいましょう」といいつつ食事を再開している。

 自分の正面に座ってもくもくと食事をするインクリメントに料理長はそれが分かれば苦労はしないと首を横に振った。

 

 「わからないんだ……。アインズ様に御検分いただくために味はもちろんのこと、見栄えや香りも最大限力をいれたつもりなんだが……」

 「確かに。シクススの言葉にもありましたが、普段よりもすべてが破壊的ですものね」

 

 こんなにまずいと普段の料理が食べられなくなるわ、と言いつプリップリの海老を堪能するかのように味わっているインクリメントである。話を聞くメイドがうんうんと頷いている。

 調理側から見ても、食べる側から見ても一体どこがアインズに失望されたのか分からない。

 料理長の藁にもすがるつもりの質問も空振りに終わってしまう。

 

 

 かに見えた。

 

 

 

 「それはアインズ様のことだけを考えているからではありませんか?」

 

 

 

 口元をナプキンでふきながら声をあげたのはイレインである。

 いつもと全く変わらない人形のような所作と声音でノエルと一緒になってテーブルいっぱいに広がる料理を堪能している。どうやらいの一番に料理を大皿ごとテーブルに移して確保していたようだ。まだ食べるようでノエルと自分の物をしっかり確認してから料理長の元へと歩み寄ってくる。

 

 「アインズ様のことを考えるのは当然のこと……」

 「はい。それは当然のことです。しかし、料理長。であればアリシア様をお喜ばせになることこそアインズ様が最もお喜びになられることに間違いはないはずでは?」

 

 料理長と副料理長はイレインの言葉にはっとしたように料理を見た。

 だがまだわからない。アインズのためを思うならアリシアを喜ばせる。これは分かることだ。アリシアとアインズは共に歩む間柄、アリシアが喜んでいる様子を見ればアインズはそれ以上に喜んでくれるに違いない。

 

 「しかし、それならばなおさらではないか? アリシア様であればこの料理を食べれば御満足されるはず」

 

 そんな料理長の疑問の声にどこか上から見下ろすようにイレインは答える。

 

 「二日と三時間二十四分三十二秒前にアリシア様がお越しになられました。それはアインズ様からお誘いしてのことだそうです」

 

 ……?

 

 分からないようにイレインに視線を向けている料理長や周囲の一般メイドに少しだけ呆れたようにイレインは眼を細めた。

 

 「お分かりになりませんか? 式典までの日取りを考えれば二日と三時間二十五分二十八秒前にアリシア様をお招きするのには何か意図が御有りだったと考えてしかるべきです。アインズ様もアリシア様も多忙な御方なのですから」

 「……確かに。イレインの言葉は筋が通っているように思えるわね」

 

 インクリメントが頷くように他のメイドや料理長は目から鱗の気持ちで頷いていた。

 確かに式典を予定しているのにその間に詰め込むように約束をとりつけるだろうか。それこそ式典で料理を堪能してもらってから改めて料理を学びにくる流れの方が自然に思える。

 

 「御理解いただけたようでなによりです。インクリメント。では、その意図は何だったのかという話ですがこれはもう明らかでしょう。アリシア様の御好物のリサーチです」

 

 

 ピシャァ!。

 

 

 イレインの言葉を耳にした瞬間、一般メイドたちは料理長と副料理長に雷が落ちたのを見た。

 

 「式典で何を出せばアリシア様が一番お喜びになられるのか。アリシア様は故郷を出られて久しいと聞き及んでいますから故郷の御料理を用意できればそれはそれは御喜びなられることでしょう」

 

 淡々と紡がれるイレインの言葉に料理長と副料理長は震えが止まらない。

 もはや誰にでも明らかになるほど全身を震わせているその様子は一般メイドに心配を通り越して不安を抱かせるほどであった。

 

 「そして故郷の料理が一番御所望とも限りません。この大陸で食べた物がまた食べたいと思われるかもしれませんし、また別の可能性もあります。……アインズ様はこれを確認するために御約束の日取りをわざと式典の前に入れられたのでしょう。そしてそれを料理長、貴方が分かっておられなかったから、御失望されたのでは?」

 

 ここにある料理がアリシア様の御好物のようには思えませんし。

 イレインの言葉を受けた料理長は地面に頭をうちつけた。

 その勢いは明らかにダメージが発生してる類のものであり周囲の一般メイドが慌てて止めに入る。

 

 「はなせ! 私は、私は、アインズ様のご信頼にお応えすることが……ぬぉぉぉっ!」

 「だ、だからってそんな落ちついてください。料理長!」

 「そうですよぉー! 死んじゃいますー!」

 

 ぎゃー、はなせ、きゃー。

 騒ぎ出す料理長を尻目にインクリメントやノエルは追加の料理をさらによそっている。

 それを見てイレインも席に戻ろうと後ろを見ると明らかにテーブルの上の料理が少ない。

 

 「……ノエル?」

 「どうかしましたか? イレイン」

 

 あくまでもしらを切るつもりのノエルにすこし怒りを覚えたイレインはゆっくり席に戻ろうとする。

 しかし、料理長の鬼気迫る声がそれを制止する。

 

 「イレインっ。き、君は……アリシア様の御好物を知っていないか?!」

 「料理長。貴方は御存じないんですか?」

 「無念だがそうなのだ……ッ。作りたい料理の話ならしたのだがアリシア様ご本人の好物の話はしていなかった……私は、何という無能なのだ」

 

 メイドに取り押さえられながらガックリと肩を落とす料理長は打ちひしがれている。

 主人が分かって当然と思っていたことを自分はわかっていなかったのだ。失望されてもしかたない。最後にいい残した「見事」という言葉のなんと皮肉が効いていることか。

 

 「……私も二日と三時間三十分三秒前の時にはアリシア様にご質問する機会はあまりありませんでしたから、一つ二つしか聞き及んでいません。式典の食事は確か皆を揃えての立食とか。それでは種類が足りないでしょう」

 

 イレインの言葉にさらに料理長の落ち込みは深くなる。自分が一つも知りえないアリシアの好物をイレインは二つも知っているのだ。明らかに料理の話題をする機会は自分の方が多かったにもかかわらずだ。

 

 「確かに……いや、その二つと作りたいと言っていた料理を実際に作れば……」

 「ですが。この状況を解決できる案が私にはあります。それとその作りたいという料理だけはだしてはいけませんよ。アリシア様はその料理を振る舞いたいのであって自分で食べたいわけではないのですから」

 

 かなり強い言葉で念を押すようにイレインが料理長に詰め寄った。イレインにとってアリシアの意向を無視する行為は決して見過ごせない。

 

 「あ、ぁぁ。わかった。そうしよう。だが、ならどうするんだ? どうやって好物や故郷の料理を知るというのだ」

 

 押されたように頷く料理長の最後の疑問に初めてイレインは微笑んだ。

 望みがかなった子供が感情をあらわにするようなはしゃいだものだ。

 

 「ですから、料理長。私にご協力ください。アインズ様に料理長のほうからお願いしてただきたいことがあるのです」

 

 イレインのその様子は恋する乙女であった。

 その日、料理長の嘆願は通り、イレインの望みはかなうことになる。

 

 

 

 

 

 

 九頁~LETSPARTY~

   温かいモノ 続く

 




いかがでしたでしょうか。
料理長ってこんなキャラなのかなぁっと首かしげつつ描いてました。
想い人が女性をたくさん連れてくるのでアリシアは少しご機嫌斜めですが、妹とその母親の顔を見てると中和されてます。二人旅なら怒っていたかも。六人は多すぎだーって。

この先の話も考えてあるし、描き進めてあるのでよろしければまた読んでいただけましたら嬉しいです。

ここまでお読みくださりありがとうございました。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十頁~LETSPARTY!~

ようやく十頁になります。

お待ちくださった皆様、かなり間が空いてしまいすいません。
そしてこのLETSPARTYはまだまだ続きます。
今回でLETSPARTYは終われるかなとか思っていたら全然そんなことはありませんでした。
膨らんでしょうがないです。

誤字脱字、拙い表現ですがどうかお読みくださいませ。


 十頁~LETSPARTY!~

   温かいmono

 

 

 

 

 

 

 ナザリックで行われる式典まであと二日に迫った朝。

 アリシアはその日もいつもと変わらずにユーイチとの鍛錬を行っていた。

 

(ぁ、ダメ──)

 

 お互いの一閃が朝靄を切り裂き宙に火花を散らす。

 その様子は仮にこの場に最近アリシアと鍛錬をするようになったモモンガや漆黒の剣の面々がいれば「五分」と称しただろう。どちらに天秤が傾くかわからない手に汗を握るような真剣勝負に思える。

 だがアリシアは三合打ち合い己の敗北を察した。

 

 (あと四つ。返せな──)

 

 

 トン。

 

 

 最後の刃は一閃というには軽すぎる音をたててアリシアの胴に添えられた。

 並みの冒険者であれば一太刀で終わらせる刃の応酬の末に敗れたアリシアはため息をついた。

 

 「──ぃ。ふぅ。……やっぱり。返せなかった」

 「入りはよかったな。だが二手目で遊び過ぎだ」

 「遊んだんじゃない。ああすればもっと自由に……幅が広がると思って」

 「自分の呼吸で入ったんだ。押し切ってしまえ」

 「……それでこの前負けたんだけど?」

 「まぁ、ここの違いだな」

 

 指を二本立てて腕を叩いて見せる師匠の姿に少々憮然としつつもアリシアは頷く。

 自分と師匠の間には隔絶した差があることはわかっているのだ。

 だがそれでも負けっぱなしなのは自分が許せない。

 

 「ところで昨晩の件だが……」

 「! ど、どう?」

 

 アリシアはユーイチの言葉に頭の中で先程の反省点を洗いだすのをやめて飛び上がるように迫る。

 内心から「らしくなーい」と暢気な声が聞こえてくるが無視する。昨晩持ち込まれた問題に自分では打つ手なしと思うからこそユーイチに頼んでいたのだ。これは最後の防波堤である。これを越えると受け入れるしかないそういう基準である。

 アリシアはユーイチが自分の望み通り断ってくれると願いつつ見上げたが、すこし呆れたように首を振る様子を見てショックを受けた。

 

 「だ、ダメ……?」

 「ああ。ダメだ」

 「どうして……!」

 「お前が嫌がってるわけじゃないからだ」

 

 ぐわしっと乱暴に頭を撫でられる。

 両手でそれをどけようにも奇妙なことにどけられない。

 内心では撫でられることを喜んでいることが腹がたつが言ってしまえば腹が立つのはそこだけだ。

 アリシアはユーイチの言葉をしっかり理解していた。

 

 「アインズ殿の提案は断るようなものではない。いいじゃないか。ナザリックの方々と仲良くすることはお前の希望でもあっただろうに」

 「それは、そうだけど……」

 

 それはそうなのだが……仲良くしすぎるのにも問題はある。

 それを伝えようと撫でている手を握るとじっとユーイチを見上げる。

 いつもと変わらない眼差しが少しでも変わってくれることを願って。

 

 「……。それこそだ。真摯に対応した方がいいだろう?」

 

 伝わった。けれども変わらない。

 それもいつものことだと思いつつも悔しさを感じるのを抑えることはできない。

 不満を瞳に宿してジトっと眺めると対象的に優しい視線で返される。その優しさの意味がわからずアリシアが目をパチクリさせた瞬間、強烈なデコピンがアリシアを襲った。

 アリシアに掴まれていた手がするりと抜けだしてアリシアの額をはじいた。

 

 「──っ」

 

  ──っ。

 

 痛みという点ではこれ以上ないほど痛覚を刺激するユーイチのデコピンに内心の自分ごとうずくまってアリシアは痛みに耐える。自然と涙が少し溢れた。

 

 「悪意を受け取るよりも好意を受け取るほうが難しいと知れ。先に上がるぞ」

 

 ユーイチは逃げるように朝食だと呼びに来たウィーシャを抱き上げて食卓に入っていく。

 少し恥ずかしそうにしてユーイチとアリシアの間で視線をうろうろさせているウィーシャにはわかるまい。自分がアリシアからの反撃を恐れたユーイチによって盾にされているということを。

 

 「ぁ、アリシア様っ。ご飯ですよ……?」

 「う、ん。すぐ、行くね」

 

 額を抑えつつも何とかいろんなものを我慢して笑顔でウィーシャに応えたアリシアは「絶対にやり返す……」と心に決めたのであった。

 その日の朝食の席ではデコピンを狙うアリシアからウィーシャやファリアを盾にして逃げるユーイチという攻防が影ながら行われることになる。

 

 

 

 

 

 そんな影の攻防が行われている金瞳の猫亭に歩みを進める二つの人影があった。

 

 「ここです。イレイン」

 「ご案内感謝いたします。ナーベ様」

 

 それはエ・ランテルに冒険者ナーベとして潜入しているナーベラル・ガンマと昨日までナザリックで式典の準備をしていたイレインである。

 ナーベラルはともかくなぜイレインがここにいるのか。それはイレインに唆された料理長の嘆願をアインズが認めたからである。

 嘆願とはイレインをアリシアの元に預けて好みの食事を確認させるというものだった。

 アインズを除……かなくともナザリック内でもっともアリシアへの好感度が高く、アリシアといい関係を築いているイレインであれば適任とも言える役割ではある。

 当初アインズはそんなまどろっこしい、スパイのような真似をしなくてもと却下するつもりでいたのだが、周囲の反応に流されるままに認めるしかなくなっていた。

 

 

 

 「──という理由があったとも理解することができず役割を果たせなかったこの身になにとぞッ」

 

 (そんな意図はなかったって!)

 

 「何を言っているのかしら。料理長。アインズ様がご用意してくださた機会を台無しにしておきながら再度の機会を求めるなんて……不敬にもほどがあるわよ。よくおめおめとアインズ様の眼前に立てたわね」

 

 (アルベドォ!?)

 

 

 

 そもそもアインズは料理教室の日にアリシアに感謝を伝えようとサプライズで宴席を用意するつもりだったのだ。だがデミウルゴスやアルベドに宴席の話を通した結果、式典レベルにまで跳ね上がってしまい「友人に感謝を伝える。そう噂に聞く誕生日パーティーのようなものかな。ふふ」と考えていたアインズの計画は頓挫してしまった。

 ナザリックの誇る二人の知恵者を前に流されたようにアインズはナザリックの主人としてふさわしい態度を求められるがゆえにどうにも料理長の願いを断ることができず、アリシアに許可を取ったらという条件で認めたのだが、断り切れなかったアリシアからユーイチへとつながった末に認められてしまったのだ。

 そうしてイレインは最大限の装備で身を固めさせられ送り出された。

 その装備は緊急時の防御撤退に特化したものでナーベラルの物よりもランクが上であった。

 ナザリックのNPC達はアインズにとっては友人の子供であり本来であればナザリックの外へ出したくはない。ましてや戦闘能力のない一般メイドはなおさらである。

 それを理由に断ろうともしたのだが「アインズ様の友人としてシャルティアと渡り合ったアリシア様の元に送り出す以上、そのような心配は必要ないのでは?」とアルベドに言われてしまえば返す言葉が続かなかった。

 結果、一般メイドとしてはおかしな装備でイレインはエ・ランテルにやってきたのだ。

 

 「アイン、ごほん。モモン様のご指示ですから。当然のことをしたまでです。では打ち合わせ通りに。貴女も役目を果たして下さい」

 

 一般メイドの中でもイレインとは仲がいいナーベラルは後輩の面倒を見るつもりで丁寧にうち合わせしていた。もし何らかの失敗をしてしまった場合あとでイレインに一言言われるとわかっているのでそれは嫌だった。

 

 「もちろんでございます。……ところで、ナーベ様」

 「何か?」

 「はい。……あの人間の娘はアリシア様とどういったご関係でしょう?」

 

 事前に説明していた人間の娘に対して再度の説明を要求されナーベラルはその美しい髪を少し揺らした。普段のイレインからは逸脱した問いのように思えたからだ。

 

 「? あの人間ですか。アリシア様が妹のように接していると聞いています。モモン様から関係を悪化させるような行為は許さないと命じられていると思いますが、人の街で暮らす以上不快であろうと手出しは許されません。いいですね?」

 

 ひょっとして主人の友人と人間風情が楽しげに話しているのが苛立ったのだろうか。

 それなら釘を指しておかねばなるまいとナーベラルは気をつけるように念を押した。自分だって思うところがあるのに我慢しているのだから。

 

 「ええ。はい。わかりました。妹……妹……」

 「……大丈夫なの? イレイン」

 「ええ。大丈夫。ナーベラル」

 「そう。貴女が言うなら信じるわ。行くわよ」

 

 ぶつぶつと何やら呟く様子は本格的に普段の様子からかけ離れており、ナザリックの中で話すように素で呼びかけてしまったナーベラルに同じように素でイレインは返した。

 その声に騙されたナーベラルはやはり普段アインズに注意を受け続けてる者だった。

 イレインはナーベラルと違って呼び方を間違ったりはしないのだから。

 

 

 

 

 

 

 アリシアにはその場に誰がいるのか分かっていた。

 当然同じようにわかっているだろうユーイチと激しい争いを水面下で行いつつも確かに気配を感じる。もはや慣れた薄い存在感が二つ、門を越えてきた。

 

 「朝食のお時間に失礼します。お客様です」

 「あら? こんな時間から?」

 

 家族の朝食の時間は新しく雇った従業員たちが客対応をしている。

 やってきたのはアリシアがうるさい四人組とくくってるうちの一人だ。名前をシーンという。

 商人の一人娘で父と二人旅だったところを野盗に攫われ慰み者にされていた。

 年頃はファリアと同じ頃だという。黒くて短い髪はどこか中性的な雰囲気を醸し出している。

 

 「はい。それが冒険者のナーベ様がアリシア様に御用件あるとのことです」

 「まぁ、ナーベ様がアリシア様に」

 

 ファリアとシーンの視線がアリシアに向くとアリシアは頷いて席を立つ。

 こうして落ちついてる時はシーンは大人しいのだが口論になるときはかなり言葉使いが荒い。 

 その荒さが、口論の原因がユーイチへの好意の高さを表しているようでアリシアとしてはあまり好きになれなかった。

 

 「ごちそうさまでした。ユーイチ、行ってくる。ゆっくり食べてて」

 「ああ。後で何の用件だったか教えてくれ」

 「うん」

 

 最後までデコピンすることはなくまたの機会になってしまったのは無念だがナーベラルとイレインが来た以上覚悟を決めねばならない。

 

 (言わないと。私はユーイチのことが好きだって)

 

 イレインが自分のことをそういう意味で好きだとわかったのはウィーシャを風呂場で洗ったことがファリアとユーイチにばれて事情聴取を受けた時だった。その時点でアリシアの性知識に同性愛というのは含まれておらず、ナザリックの風呂場での出来事もマッサージか何かというとらえ方だった。だが、ユーイチやファリアから、そしてモモンガから話を聞いて同性愛、百合という文化、趣向があり、イレインがそういう目で自分を見ているとわかった。

 このことにアリシアはひどく戸惑った。同性から言い寄られる、求められるのは初めての経験だったからだ。異性から告白される、求められることは既に経験があり、その度にユーイチが好きと言い続けてきた。だが、同性はどう対処したらいいのだろうか。百合というものが自分に何を求めてくるのか分からない。確かに感じる自分への好意をよくも分からずに斬り捨ててもいいのだろうか。

 悩んでしまったがゆえに料理を学びにナザリックに行った際には作業に熱中することでイレインとあまり話さないようにしたほどだ。

 だがそれが正しかったのかと自らに問えば首を横にふらなければならない。

 ユーイチに言われた通りなのである。嫌ではないのだ。ただ戸惑い、どうしていいかわからないから逃げようとしている。それはイレインに対して真摯な態度とは言えない。

 どうしていいかわからない。それは変わらない。だが逃げずに自分ができる限り真摯にイレインに向かい合いたかった。

 

 (よしっ。しっかり、私)

 

 内心では「女同士だからいいんじゃない?」と自分と同じでよくわかってない癖に自分が囁いてくるが無視する。頬を軽く叩いて気合いをいれ、アリシアは店のカウンターまでやってきた。

 予想通りそこにはいつもの冒険者姿のナーベラルと旅装に身を包んだメイド……とでもいうべき装いでイレインが待っている。お互いの姿を確認し、ナーベラルとアリシアが声を出そうとした時、予想だにしない一言が二人の身動きを封じた。

 

 

 

 「アリシアお姉様!」

 

 

 

 アリシアがカウンター前にやって来た瞬間、イレインはそう叫ぶとアリシアに駆けよりその首元に手を伸ばし抱きついた。

 アリシアもナーベラルもお互いに目を見開いて驚いた。アリシアは驚くと表情が固まるので無表情になっただけだがナーベラルは空いた口がふさがらない。口をパクパクしては何と言葉を紡げばいいのか分からなくなっている。

 

 (イレ、イン……。打ち合わせは何処に行ったのですか?!)

 

 まったく打ち合わせになかったイレインの行動にアドリブがきかせられない。

 

 「ぉ、姉さま?」

 「はい。お姉様。お久しぶりです」

 

 

 驚きの中からかろうじて漏れ出したアリシアの疑問の声にイレインは普段の人形のような表情とはまるで違い、花が咲いたように微笑んだ。

 どういうことかとアリシアの視線がナーベラルに向けられるがナーベラルも訳が分からない。

 イレインはプレアデスの姉妹であるルプスレギナとは違う。仕事中に無意味にふざけたりはしない。

 であればこの言動にも何か意図があるのではないか。

 アインズの供としてナザリックを離れる時間が多いゆえに最近のイレインを知らなかったことと、アインズから考えることの大切さを説かれ続けていたためナーベラルは必死にイレインの意図を把握しようとした。

 

 (どういうこと……お姉様……妹? 入口前での会話……妹として接触を? このことはアリシア様やユーイチの方には知られているの?)

 

 なぜ。

 なぜなの?

 必死に考えるが目の前で再会を喜んでいるイレインの意図がわからない。

 妹として接触して何の利益がナザリックにあるというのだ。

 とはいえわからないでは済まされない。

 

 (イレインから説明がなかったのはアインズ様のお供を許された私であればこのくらいはわかるということ……それがわからないのは……まずい)

 

 もし意図と違う行動をしてしまえば冷めた眼差しでぼそりと言われることだろう。がっかりしたような声音で。

 お互いに仲がいいからこそ当然できると思われていることを出来ないのは恥ずかしい。

 そして今回は先輩風を吹かせるつもりでいたナーベラルとしてはここで理解できない態度を晒すわけにはいけない。

 そういった追い詰められて急速に回る思考の中でナーベラルはついに答えを見つけ出した。

 

 「おはようございます。アリシア」

 「お、おはよう……ナーベ。あの、こ、これは……?」

 「ええ。都市外での依頼で貴女の妹を名乗るメイドを保護いたしましたので確認のために護送してきたのです。モモンさ──んは諸々の手続きを済まされています」

 「ぇ、あ、ぇ?」

 「で? イレイン、といいましたね? このアリシアは貴女の姉でちがいないのですか?」

 「はい。ナーベ様。ありがとうございます。私のお姉様はこの方で間違いありません。ご案内感謝いたします」

 

 

 (よし。これでよかったようね)

 

 

 ナーベラルがたどり着いたのはイレインに任せてしまえである。

 あえてあいまいに。事情を知っているのはイレインだとしてしまえばいい。

 そうすればすべて最後は事情を把握しているイレインに任せられる。

 

 (ふ。我ながら咄嗟によく流せたわ。これもアインズ様の教えのおかげ…・・・と思うのは不敬ね。アインズ様であればイレインに丸投げなどなされないわ。精進しなくては)

 

 アインズがくしゃみできる体であれば盛大にしていそうな考えをナーベラルが抱いていると軽い足音を立てて食卓からウィーシャが顔をのぞかせた。

 

 「あのぅ。アリシア様? ユーイチ様から様子を見てきてほしいと言われたのですが……そちらのお客様は……?」

 

 従業員からアリシアの妹が来たという報告を受けたユーイチからどんな様子か見てきてほしいと言われたウィーシャはアリシアに抱きつくメイドの姿に戸惑いをあらわにしていた。

 

 「えっと、ね、ウィーシャ、この子は……」

 「お初にお目にかかります。私はアリシアお姉様の妹のイレインと申します」

 

 アリシアから離れるとウィーシャに対してイレインは礼儀正しくお時儀をする。

 先程までとの変わり身の早さにアリシアやナーベラルは全くついていけない。

 

 「ほ、本当にアリシア様の、い、妹様なのですか……?」

 

 どこかおかしいアリシアの様子を見るとにわかには信じられず問いただしたウィーシャに対してイレインは揺るがない人形のような表情で言い返した。

 

 「はい。当然です。今まで私のお姉様がお世話になりました」

 

 そして人形のような表情をすぐに捨て去りアリシアに抱きつくのであった。

 

 

 

 

 

 

 押しつけるように立ち去ったナーベラルを見送った後、当然のようにイレインによる事情説明が入った。

 

 「というわけですので、アリシアお姉様は私のお姉様なのです」

 

 ウィーシャに向かいあうように座ってイレインは求められた通りの説明をした。

 それを聞いてウィーシャは先程のアリシアの戸惑った様子に納得していた。

 

 「つまり、実の妹様ではない、ということですよね?」

 

 イレインの説明はこうだ。

 アリシアとユーイチにかつて自分は助けられ、その際に両親を失った自分の面倒を二人に見てもらっていた。特にアリシアは妹のように可愛がってくれて、別れる際に姉と呼ぶことを許してもらったのだと。

 そうであればアリシアの戸惑った様子も納得がいく、久しぶりの再会とまさかここで会うとは思わずに驚いていたんだろう。

 

 「血のつながりはなくとも、私がお姉様の妹であることにかわりはありません。ですので実の妹とおもっていただきたいです」

 

 隣に座るアリシアの腕をつかんで離さない様子は姉に甘える妹の図として正しいように見えた。

 確かに姉妹に見えるほどお互いに美しい金の髪であり、顔の作りも人形のように整っている。

 決定的に違うのは瞳の色だけだ。アリシアは髪と同じ金色であり、イレインは血に濡れたような赤い瞳だ。

 だがウィーシャにはその違いですらどこか似通って見える。

 

 「ゆ、ユーイチ様、今のお話は本当なんでしょうか?」

 

 見上げればイレインと同じように赤い瞳が自分を見下ろしている。

 そうアリシアとの違いであるその瞳の色もユーイチとの共通点に見えてしまいウィーシャにはイレインが二人と実際に血のつながりがあるのではないかとすら思えてしまった。

 

 (例えば……お二人の子供とか。年齢がおかしいけど、そんな雰囲気あるよね)

 

 ユーイチとアリシアの間に産まれた子供が自分だと言われたら信じてしまいそうなくらいだ。二人とイレインの類似点にウィーシャはなぜだか落ちつかなかった。

 

 「そうだな。確かにアリシアの故郷を旅してた頃、世話をしていた子が何人かいたな」

 「じゃあ、この方の言われることは……」

 「だが俺はその辺アリシアに任せていたからな。このイレインがあの時世話をした子かはわからん。覚えていない。どうだ。アリシア」

 

 

 びっくっ。

 

 

 話をふられてアリシアは身震いした。

 

 「えっと……」

 「その子はお前が世話した子なのか?」

 

 ユーイチの確認するような声に自然とアリシアはイレインを見た。

 見つめてくるアリシアをイレインは見つめ返している。片時も離したくないように腕を抱き、交わった視線を外すことはしない。

 その様子になぜだかウィーシャは苛立ちを覚えた。

 あんなふうに抱きついているイレインもそうだが、そうさせているアリシアにもだ。

 

 (なんでだろう。何だかこう……あ、この感じ知ってる)

 

 ファリアが父と結婚した際に感じた物……父を取られたように感じて嫉妬していた時の気持ちを思い出してウィーシャは急に羞恥を覚えた。

 

 「この子は……イレインは──」

 

 ウィーシャが勝手に羞恥を覚えている間にアリシアは少し考え、そして答えをだした。

 

 「うん。ユーイチ。この子はあの時の子。……大きくなったね。イレイン。綺麗になった」

 

 もう私よりも美人さんだ。

 そう続けて微笑むアリシアとそのアリシアに今度は腕どころではなく完全に抱きついているイレインをウィーシャは何とも言えない気持で見ていた。

 

 「お姉様……お久しぶりです、お姉様。イレインはお会いできてこれ以上ないほどに嬉しいです」

 「うん。私も嬉しいよ。……ところでイレイン。どうしてここに?」

 

 抱きついてくるイレインを引き離しつつアリシアはなぜイレインがここにいるのか問いただした。

 ウィーシャが聞いたアリシアの故郷はなんと海という大きな湖を越えるらしい。

 そんな遠いところからイレインは何をしに来たのだろうか。

 

 「はい。実はお姉様やユーイチ様とお別れして以来メイドとして教育をうけていたのですが、一年前に卒業いたしました」

 「そうなんだ……?」

 「はい。そうなのです。卒業者はお仕えしたい御方か就職先を見つけてそちらに行くことが通例なのです。私はやはりお姉様にお仕えしたいと思い、こうして追ってまいりました」

 「え、アリシア様のメイドとして働きたくて……追ってきたのですか!?」

 

 海を越えるのはそれは大変なことらしい。

 ウィーシャはアリシアから苦労話を聞いていたのでイレインの行動力に驚いた。

 それはもう忠義や執念という言葉で説明がつくものなのだろうか。

 

 「渡ってきてもアリシア様が見つかる保証はどこにもないのに……」

 「それが? お姉様にご説明中ですので横から口を挟まないでくださいませんか?」

 「む」

 

 明らかに棘のあるイレインの声音にウィーシャはカチンときた。

 まだ出会って一時間もたっていないが明らかにこのメイドは自分に対して敵意を抱いているとわかり始めていた。そして同じように自分もこの自称アリシア様の妹に対して敵愾心ともいうべき想いが芽生えてきた。

 

 「そ、そういう言い方は、ないんじゃないかと思いますが! だいたいさっきからアリシア様にくっつき過ぎです。久しぶりの再会だからお分かりになられないんでしょうけど、アリシア様はお困りです!」

 

 立ち上がったウィーシャはアリシアの手を引いて自分の後ろにまるで守るように移動させる。

 イレインが自然とたちあがってくるが断固ブロックする。

 するとイレインの人形のように整った無表情がどこか怒りの色を見せはじめる。

 

 「どきなさい。お姉様のお側にいる妹は私であるべきです」

 「それは! アリシア様が決めることです! それに……わ、私の方があなたよりも表情豊かで社交性があります。抱き心地がいいと一緒に寝たら褒められるくらいにアリシア様と私は仲良しですから!」

 「えっと……二人とも?」

 

 お互いに譲れない物があるとはっきり分かった今、ウィーシャとイレインの間には対決という方法しかない。困ったように頬を掻くアリシアの声も届かず、事情を概ね把握して微笑むファリアやじっと眺めるユーイチの姿はもちろん視界に入っていない。

 

 「一緒に…………寝た?」

 「そーです。私は三日に一度はアリシア様と同じベッドで眠るほど仲がいいんです」

 「……それが、何だというのですか」

 「いいえ? 何ということのほどでもありませんよ。私にとってはそれが当たり前ですから。あなたはそうじゃないみたいですけど!」

 

 わなわなと体を震わせるイレインを見て勝利を確信するウィーシャ。

 だがイレインはその程度で負けを認めることはしない。

 

 「なるほど……。では、私は三日に二度、お姉様と同じベッドで眠ります」

 「な!? な、なにを言っているんですか!?」

 「何か? あぁ、なるほど。三日に一度しかベッドに呼んでもらえない程度の貴女では想像もできないことでしたか。私であれば毎晩のようにお姉様に呼ばれてみせましょう」

 「もらえない程度ですって……だいたい、毎晩とか言ってるくせに、一日私にとられている計算じゃないですか!」

 「何を言っているんですか? 呼ばれない一日はお姉様が御一人で眠られるに決まっているではないですか。御一人の時間も当然必要です。……貴女に私が劣るとでも?」

 「むーーっ」

 

 額をつき合わせるくらいに接近して睨みあう姿はいくら当人たちが真剣でも見ている側からすれば微笑ましい。ファリアとユーイチはその二人の様子を眺めるだけで止める気は一切ない。そのためどうしてもアリシアが割って入るのだが…。

 

 

 「あの……二人とも? 私は」

 「「アリシア様・お姉様は黙っていてください!」」

 「は、はい……」

 

 自分のとり合いをしている二人が自分に冷たい。

 内心の自分に爆笑されながらアリシアは目の前の可愛らしい攻防をしばらく眺めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 冒険者組合でモンスター討伐の依頼の報告を済ませてからアインズは<黄金の輝き亭>にとってある部屋へと引き上げていた。

 ナザリック地下大墳墓の資金に手をつけられないアインズにとって気を抜けば瞬く間に財布の中身をからにしてしまうこの最高級の宿屋に泊ることは頭を痛める問題であったが冒険者モモンの風評のためにもやめられずにいた。

 

 (はぁ。ほんと。俺もユウさんのように宿代をタダにしてくれる亭主とどこかで知り合えないかなぁ。美人さんじゃなくていいからさ。この意味のない柔らかい布団に食べられもしない高級料理のせいで膨れ上がる宿代をどうにかならないかなぁ……)

 

 主人として。そして親の目線でナザリックの者を見ているがゆえに必要なものは万全に用意したい。

 セバスの活動資金に守護者たちへの給金計画、そしてこれからかかる様々な活動への準備金。それを考えれば法外な値段をとられる高級宿に泊るくらいならいっそのことアリシアやユーイチと同じ宿屋に泊るという手も考えた。現にアインズと同じように印象を大事にする商人たちの中にはアダマンダイト級冒険者とのつながりを求めて、という理由でそうしている者が数多くいる。アインズも同じようにすればいいのだ。

 

 (とはいえ、あそこはアリシアさんやユウさんの家のようなもんだしなぁ。友人の家に転がり込んで家賃を節約とかしたくないって。俺もいい歳の大人なんだから。それにあの美人の亭主さんとユウさんはそういう関係らしいし? 万が一でも目撃とかしたら気不味いじゃないか)

 

 アリシアから若干愚痴のように語られた金瞳の猫亭の人間関係は大変羨ましい。

 仮にアインズの友人の中で最もそういった憧れを持っているペロロンチーノがユーイチの立場であったなら迷わず「親子丼! いただきまーす!」と手を合わせているだろう。そしてアリシアにも手を出しているに違いない。そんな友人ほどではないし、アンデッドの体になってそんな欲求も感じなくなりはしたが、アインズにも興味や憧れというものはある。少し嫉妬してしまうのは仕方のないことであった。

 

 「アインズ様」

 

 報酬で膨らんだ財布を片手にそんなことを考えているとイレインを送り届けていたナーベラルが部屋に戻ってきた。何度注意しても間違える言い方にもはやため息もでてこない。

 

 「モモンだ。無事に送り届けてきたようだな。御苦労」

 「失礼いたしました。モモンさ──ん。はい。アリシア様のところに送り届けてまいりました」

 

 注意すれば不自然ながらこうして一生懸命に直そうとしているのだからそれほど強くしかりつけることでもない。少し不器用な娘を見ているようなものだとアリンズは自分に言い聞かせた。

 

 「なにぶん急な話だ。実際に目にしたアリシアさんやユーイチ殿の反応はどのように見えた。ナーベよ」

 「はっ。それが……アリシア様はどこか事態が呑み込めていないご様子でした」

 「事前に連絡していたはずだ。一体何があった?」

 

 アリシアには<伝言>で昨夜のうちに伝えてある。ナーベラルが少し困惑したように語るようなことはなにもないはずだ。

 アインズが問い詰めるとナーベラルは自分が目撃したことをそのまま報告した。

 

 「なに? イレインがアリシアさんの妹?」

 「はい。そのように話していたのですが恥ずかしながら私ではなぜそうなっているのか理解できなかったのです。よろしければモモン様にご解説していただきたいのです。どうか至らぬこの身に御身のお考えをお聞かせ願えませんでしょうか」

 

 (いや、俺だって知らないぞ。そんなことは。働き手を探しているメイドとして側に行くんじゃなかったのか?)

 

 予定外のことに説明を求めるナーベラルは正しい。

 だがアインズにとっても予定外のことである以上、説明できるはずもない。

 二人だけの密室で少しの間アインズにとっては嫌な空気が流れた。気のせいかどこかナーベラルの視線に冷めた物はないだろうか?

 そんな空気を気にしないように振る舞いつつもアインズは内心冷や汗をかいた。

 

 「……ナーベよ何度も言うようだが自らの力で考えなければならない。私は人形の主人ではないのだ。自ら考える頭。そして考えたことを実行に移せる体を育てねばならない」

 「はい」

 「だが、今回のことは急なことでもある。特別に……そうだな、アルベドに確認をとることを許そう。そして私に頼らずどうしてその考えに至ったのかを聞きとり今後の参考にするがいい」

 

 いつものように自分で考えることというところに落ちつけようとしたアインズだったが粛々と頷くナーベラルの姿に罪悪感が強くなった。

 無能な上司が新人にパワハラをしている図ではないか? 

 自らの発言や態度は自分が部下の立場であれば無能な上司だと思えて仕方がないものだろう。

 説明もせずに自分で考えろという癖に自分の命令には従えというのだ。

 何というダメ上司だろうか。

 そんな思いを抱くがゆえにアインズは何とかナーベラルに説明できるようにと他力本願な解決策を出した。

 自分でわからないのであればわかるやつに説明させれればいいのだ。デミウルゴスはナザリックを空けているだろうがアルベドはいる。アルベドであればイレインの謎の行動もしっかり説明してくれるだろう。あとはそれに頷くだけでいいのだ。

 

 (こうやってやり過ごすすべばかり学んでいる気がするが……できるやつに任せるのも上司の務めだ。ダメ上司がしゃしゃり出ていい結果になったことはほとんどないからな)

 

 そんなアインズの心の内にもちろん気がつかないナーベラルは真面目な表情をより引き締めて顔を伏せた。

 至らぬ自分への配慮に感じ入り、我が身の未熟を恥じたからだ。

 

 「不肖なるこの身になんと勿体ないお言葉。感謝の言葉もございません」

 「よい。私はお前たちの成長を楽しみにしている。ナーベ……いや、ナーベラルよ。ナザリックの外へ供に連れ出したのはお前の成長を願ってのことでもあると知れ。一歩一歩、確実に歩むがいい」

 「はっ」

 「よし。では早速ナザリックに戻るぞ。折角の機会だ。私もアルベドがどうお前に説明するか見てみるとしよう」

 

 アインズが伏せたナーベラルに何も考えずに手を伸ばす。

 差し出された手を前にナーベラルはどう反応していいかわからず再び顔を伏せた。

 

 「お、お許しを。アインズ様。不肖のこの身では御身の手を取ることは恐れ多く……」

 「ん? ……ナーベラルよ。私が差し出した手を取れないか?」

 「め、滅相もございません! ですが、このような扱いはアルベド様や……アリシア様にこそふさわしいのではないでしょうか」

 「アルベドに限らずナザリックの者は皆、私の愛しい子らだ。そしてアリシアさんは私の大切な友人である。皆、私が手を取りたい愛しい者たちだ。もちろんナーベラル。お前もな。さぁ、手を」

 「アインズ様。……はい。このナーベラル・ガンマ喜んで手を取らせていただきます」

 (……手を差し出しただけでこれだものなぁ。敬意は嬉しいがまどろっこしい)

 

 感激の面持ちで自分を見上げるナーベラルから視線を外しつつどうにかしてこの大袈裟な反応を省略できないだろうかと取り組むべき課題として心に書き込むアインズであった。

 

 

 

 

 

 

 こじんまりとした浴室で一人アリシアは熱っぽい吐息を吐いた。

 それはどこかため息交じりのようでもありどこかしら疲れを感じさせる。

 

 

 ──お疲れ様。こういう時は裏にいて助かるわぁ……ふぅ。

 

 

 自分と同じようにタオルを頭にのっけて一息ついている自分にたいして言いたいことが沸々と湧き上がるが言いはしない。言わずとも自分は自分である。お互いに理解していることだ。

 

 

 ──どうするの~。あの子達、今も扉の向こうでやり合ってるようだけど?

 

 

 どうするもこうするもない。

 どうしろというのか。

 今も二人が脱衣所の前で額をつき合せている気配が伝わってくる。ウィーシャとイレインの対立は深まる一方に見えた。

 自分を取り合っているのはわかるのだがどうにも熱くなりすぎていて回りが見えていないのが困る。

 そして自分が困ってるのを楽しんでいるユーイチやファリアはずるい。

 孤立無援。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 

 はふ……。

 

 ため息交じりの吐息で水面が少し揺らぐ。

 精神的な疲れがこの温かな湯船に溶けてくれればいいのにと二人の気配を捕えるのをやめる。

 今はただ何も考えずに目を閉じていたかった。

 

 

 ──そんなこと言ってもそうも言っていられないでしょう? ほら二人が脱衣所まで来てるわよ。

 

 

 自分がダメな時は内心の自分がしっかりしている。

 いつもと逆な時こそ自分は普段の自分のようにぐーたらしてもいいのではないか?

 

 

 ──なら私と裏表変わりなさいよ。ウィーシャもイレインも可愛がってあげれば解決するわよ。あんなことやこんなことを。

 

 

 ダメだ。この頭がハッピーバレンタインめ。

 故郷のある地方のとある国で流行っていた罵倒の言葉を自分に投げかける。

 この言葉を教えてくれた友人には自分が言われてしまったが、やはりこのダメな自分にこそこの言葉はふさわしいのだ。

 いつぞやのように湯船からあがるとてちてちと音を立てて脱衣所への扉をゆっくりと開く。するとそこには服を競うように脱いでいる二人の姿がある。

 

 「……二人とも、どうしたの?」

 

 この浴室はナザリックのものとは比較にならない。

 三人ではとてもせまい。二人が限界だ。

 当然自分が入ってることは二人とも知っている。とすればさしずめどっちが背中を流すか競い合ったのだろうか。

 

 「アリシア様! このメイドが! 邪魔をしてくるんです!!」

 

 ウィーシャが怒ったように言い放つが負けじとどこか突っぱねるようにイレインも言い返す。

 

 「お姉様。この従業員がお姉様のお背中を流そうとする私を邪魔するのです。まったく……でしゃばりなのですから」

 「なにがでしゃばりですかっ。もともとわ・た・しが! アリシア様と一緒にお風呂に入ってたんですからね!」

 「それは御苦労な事です。ですが下がりなさい。お姉様の妹であり、専属のメイドである私が来たからには貴女は不要です」

 「何が妹ですか! この自称妹!」

 「なっ。自称とは何ですか! この減らず口しか持たない従業員が!」

 「……」

 

 やはり思った通りだ。

 目の前で半裸で言いあう可愛らしい妹達? の姿にアリシアは一日中続いているこの争いにいい加減うんざりしてきた。できることならこのまま扉を閉めて見なかったことにしたいとすら思う。

 

 

 ──でも、それじゃ解決しないからねぇ。ほら……お姉ちゃん? しっかりしなさいな。

 

 

 妹たちの喧嘩を仲裁するのも姉の仕事だと自分が押しつけてくるがこのダメダメな自分に主導権を渡してしまうとなにをしでかすかわかりたくもない。だとすれば姉の立場である自分がやはり仲裁に入るしかないのだろう。

 ユーイチやファリアが何も言わないのはやはり二人の間を取り持つのは自分だと思ってるからに違いあるまい。言わばそういった姉としての側面でも信頼され始めているということだ。

 成長しているというところを随所に見せていかねばならない。

 アリシアは期待に応えるべくブレスレットの中に収納してあるピヨピヨハンマーを取りだす。

 これは子供の遊び道具として開発された可愛らしい音のなる柔らかいハンマーだ。

 ダメージは一切与えないがその代わり怯む効果がある。冒険者にはまったく効果のないものだが二人には有効だろう。

 言い合いに夢中になっているせいでこちらの動きに気がついてない二人に向けて振りあげたハンマーを振りおろす。 

 

 

 ピヨ! ピヨ!

 

 

 「あいたっ」

 「きゃっ」

 

 (うん。可愛い)

 

 久しぶりに使った得物の変わらない可愛らしさに満足しつつアリシアはそれに負けないくらい可愛らしい反応を返した二人を見下ろした。

 どちらも驚いたように頭を抑えてアリシアを見上げている。

 

 「二人とも。喧嘩はしない」

 

 有無を言わさぬとすこし目を細めて言うと二人が慌てて頭を下げる。

 冷静になれば二人とも礼儀正しく賢い子なのだ。

 

 「すいません。アリシア様。ご迷惑をおかけしました」

 「申しわけありません。お姉様。どうかお許しくださいませ」

 「ん。……でも、許してあげない」

 

 頭を下げていた二人が驚いたように同時に顔をあげてくる。

 そんな様子に絶対に仲良くなれると確信を抱きつつ、微笑んでしまいそうにゆるみそうな頬を硬く、怒ってますと言わんばかりにわざとらしくする。

 

 「ぇ、あの、あ、アリシア様……?」

 「二人とも喧嘩ばかり。私は、すごく疲れた」

 「ぁ、あの。お、お姉様……?」

 「明日もおなじように二人が喧嘩するのに巻き込まれたら疲れちゃう。だから許してあげない」

 

 そう言って開いていた扉をぴしゃりとしめてそのまま湯船に戻る。

 ふーっと一息ついた頃には扉の外から二人の謝罪の言葉が聞こえてくるが無視する。

 すこし目をさまして欲しいし、そして私を取りあうのならせめて私の言葉を聞いてほしいと私が思ってることに気がついてもらおう。

 

 

 ──二人とも可哀想なくらい慌ててるけどいつまで放置しておくの?

 

 

 んー。もう一度体があったまったらかな?

 

 

 ──あはは。二人ともかわいそうー。でもそんな二人も可愛いからいいわねぇ。

 

 

 ピヨ!

 

 

 ──むきゃ!?

 

 

 ダメな自分をハンマーで叩きつつもうしばらくの間アリシアは湯船につかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 アリシアが目を閉じて湯船にその身をゆだねている間。

 怒られた二人は慌てた様子を隠せなかった。

 ピシャリと閉められた扉へと言葉をかけてもアリシアからの返事はない。

 イレインはもちろんのことウィーシャにとってもこんなことは初めてであった。

 下着姿で扉の前で佇むしかできない。

 最初はお互いに「貴女のせいで」と睨みあったがすぐにそのことをお互いに恥じていた。

 

 (このメイド……イレインはアリシア様がお世話した、うー、妹を名乗ってもいいと言われるくらいアリシア様の身近にいる人だもんね)

 

 (この従業員……ウィーシャでしたか。事前の情報でお姉様が妹のように可愛がっているとわかっていたのに……)

 

 

 ((それに嫉妬して騒ぐなんて……私ったらなんてことを))

 

 

 まったく同じように反省しながら二人は自然と目があった。

 睨みあいではなく、敵意なしで見つめ合うのはこれが初めてであった。

 最初に口を開いたのはウィーシャだった。

 

 「……ごめんなさい。イレイン、さん」

 「……なぜ、謝るのですか」

 「だって、私がその、貴女に嫉妬したから……それで張り合っちゃって、こんなことに……」

 「それなら謝らないでください。その件に関しては私の方こそ謝罪しなければなりません。……アリシアお姉様が妹のように大切にしている貴女に私の方こそ、嫉妬していたのです。私が対抗しなければこのような事にはならなかったはずです」

 

 ここに至ってようやくウィーシャとイレインは対決ではなく和解の道を歩めた。

 二人とも妹のポジションを取られるのは嫌だったが、それ以前にアリシアに嫌われてはどうしようもない。

 そして聡い二人は失った信頼を取り戻すためには協力する必要があるとわかっていた。

 

 「どうしましょう……このままアリシア様に距離を置かれちゃったら」

 

 ウィーシャの言葉にイレインはぞっと背筋に冷たいものがはしった。

 

 「冷静に……なりましょう。きっとお姉様が求められているのは私たちの反省であるはずです。お優しいお姉様が、そんな、距離を置かれるなんて……」

 

 嫌な想像が脳裏に閃き自然と拳に力が入る。

 人形のように整った顔が青ざめている。その様子はとても冷静になれていない。

 ナザリックでの料理教室で自分のことをアリシアが避けていたのをイレインはもちろんわかっていた。

 だからこそ料理長を唆して側にいられるようにしたのだ。

 この想いを枯らしてしまっては創造主であられる至高の御方に合わせる顔がない。

 命じられた求められるままにこの身はあるのだ。今は遠い創造主の言葉に従える自分は何と幸せ者だろうか。

 今のナザリックではパンドラズ・アクター以外自らの創造主の命に従うことはできない。

 一度創造主の命じた言葉に従う甘美な快感を知ってしまったイレインにはどうしてもそれを手放すことはできなかった。

 そんなイレインの様子に気がつかないほどにウィーシャにも余裕はない。

 あの事件以来、甘えてばかりの自分にアリシアは疲れてしまったのではないだろうか? 

 

 「もともと……アリシア様は旅がお好きで……私が無理に引き止めて」

 

 口の橋から洩れるようなつぶやきはウィーシャの悩みの一つでもある。

 母やユーイチ、そしてアリシア自身からも聞かされていることだがアリシアは旅が好きだ。新しいものに触れることを何よりも喜びにしている。

 だから故郷を出て、海を渡り、ここまでやってきたのだ。

 そんなアリシアがここに長くとどまってくれている理由は自分にあるとウィーシャは気がついていた。

 傷ついた自分に責任を感じて側にいてくれている。

 そんなアリシアに甘え続けていた自分という荷物を下ろしたくなったのではないだろうか。

 イレインとウィーシャは二人して青ざめて立ちすくむ。

 そんな様子をアリシアが直視していたら我慢できずに抱きしめていただろう。

 思考が硬直して同じところをぐるぐると回り始めた頃、ようやく扉が開き、タオルを巻いたアリシアが脱衣所にでてくる。

 

 「……二人とも。反省した?」

 

 どこか硬いアリシアの言葉に二人は頷いた。

 

 「は、い。お姉様」

 「っぁ……、ん、は、ぃ」

 

 イレインのかろうじて出せたような返事に自分も声を出さなければとウィーシャは口を開こうとするがどうしても涙声になってしまいそうで一言返すので精いっぱいだった。

 もういっぱいいっぱいの二人を前にしてアリシアのほうは自分を抑えるのに苦労していた。

 予想以上の二人の沈鬱で悲しみにいまにも崩れ落ちそうな雰囲気に慌てて謝ってしまいそうな自分をなんとか押しとどめていた。

 ここで甘やかしてしまうから……だから私はお姉さん失格なのだ。

 かつての数々の失敗が頭をよぎる。

 

 

 故郷の村で子守りをしていた時のこと。

 旅の中で面倒をみていた弟分たちのこと。

 そしてウィーシャやイレインのこと。

 

 

 自分のどこか甘やかしてしまう心が姉としてはダメなのだ。

 時には鋼の精神で厳しく叱らねばならない。

 

 

 ──でも、この二人。もういっぱいいっぱいよ?

 

 

 珍しく不安そうな、心の底から心配している声をだす自分に心が揺らぎそうになる。

 だがダメだ。今回はウィーシャとイレインが悪い。

 

 「ん。もう、喧嘩はダメだよ? 仲良く……してくれる?」

 

 もはや言葉もなく頷く二人は普段より一回りも二回りも小さく、子供のように見えた。

 こんな子たちに私は何をしているんだろうか。

 

 

 ──私は、なにを……ぁれ?

 

 

 「うん。じゃあ、二人とも一緒にお風呂に入ろうか。私が背中を洗ってあげる」

 

 

 ──え? あ、え?

 

 

 急に裏返った自分に気がつくのが遅れてアリシアはポカンとした声を表の自分に届けるしかない。

 二人を両手で抱きしめながら表になった自分は舌をだした。

 しょうがないじゃない。無理して大人ぶる私は私じゃないし。この子たちを抱きしめられない私は私じゃないんだから。

 無理してんじゃないのと今度は逆にハンマーで叩かれてしまい思わず怯む。

 裏に回ってしまったアリシアは狭い中三人でお風呂に入る様子を意気消沈したように眺めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 十頁~LETSPARTY!~

   温かいmono 終




以上十頁でした。

いかがでしたでしょうか?
一部いろいろと書き方を試してみたりしているのですが気がつかれたりしているのでしょうか?

多重人格というよりは並列思考なアリシアの表現もずっと悩んでいます。
心のーとか影のとか、裏とか、内心とか。
いろいろ変えてしっくりくるものを探している感じです。

次回でLETSPARTY本番まで行ってそこからリザードマンと魔樹までいけたらなぁと思います。

またお読みくださったら大変嬉しく思います。

ここまでお読みくださって誠にありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一頁~LETSPARTY!!~

十一頁目です!

 少し珍しい場面の描写となります。
 できる限り彼ら二人の描写はしたくないのですが、合間合間に少しずつ挟んでいこうかなぁと。

 あと作者はナーベラルが大好きです。
 いずれはもっとナーベラルの可愛らしいところを描けたらいいと思います。
 


 十一頁~LETSPARTY!!~

    アルベド先生と教え子(たち)。

 

 

 

 

 

 

 「ナーベラル。貴女の考えに足りていないのは外部の視点よ」

 「外部でございますか?」

 「ええそうよ。イレインの役割は料理のリサーチに留まるものではないわ」

 

 <金瞳の猫亭>でイレインとウィーシャがアリシアを困らせていた頃。

 ナザリックではアルベドを先生にした勉強会が行われていた。

 

 (いや……正確にはそれは俺だけなんだろうな)

 

 アルベド先生に向けてナーベラルと共に視線を向けているアインズは心の中でメモをとり続けている。自分よりよっぽど頭のいいアルベドの考えに触れることで少しでも自らの糧にするつもりだった。

 

 (ナーベラルには悪いが……いい機会だ。デミウルゴスやアルベドのようなできる奴から少しでも勉強しておかないといずれはボロが出るかもしれないからな)

 

 エ・ランテルでナーベラルにアルベドから直接学ぶようにと言い出したのはその場を乗りきるためでもあるが自分にとっても有益だからだ。

 アインズは結果だけではなくどうしてそこに至ったのか、過程も含めてナーベラルに説明せよと命じた時のアルベドの様子を思い出す。少し硬い表情のアルベドを見ていれば、アルベドにとって今の状況はまるで先生が恩師の前で生徒に指導をするようなものだろうか。

 

 (悪いな。アルベド。お前にとっては俺は全知全能のような存在かもしれないが……勉強させてもらうぞ)

 

 そんなアインズからの自らを見定めるような眼差しに、アルベドは身震いするような快感……も感じつつ、それを上回るプレッシャーを感じていた。最近の不調ぶり、酒に逃げていたことをアインズが知らないはずもない。ともすればこのような些細なところで自分が守護者統括にふさわしいのかどうか評価している可能性だってある。シャルティアの大失態へのアインズの対応や些細な対処の仕方を見ても自分たち守護者への評価が下がっているとアルベドには思えた。ゆえに失敗は許されない。

 

 「ナーベラル。まずは始まりから考えてみましょう。……アインズ様はお優しい御方です。至高の御方がたの中でも最後までお残り下さった慈悲深き君……そんなアインズ様が料理長との検分の約束を途中で説明もなく切り上げるような……露骨な失望した対応をなされると思う? そんなことはありえないわ。つまり、そこにはアインズ様の意図があるということよ」

 

 (俺の覚え違いにどんな意図が……)

 

 「それは一体どのような……」

 

 まったく同じように生徒二人が疑問を浮かべているとアルベド先生はわからない生徒にも丁寧に指導してくれる。隠れて授業をうけている気分のアインズは「本当に頭のいい奴は他人に説明できる」という会社の先輩が言っていた言葉を思い出していた。

 

 「それはね。ナーベラル。私たちに考える機会を与えてくださっているのよ。アインズ様の叡智をもってすれば自ら行ってしまえばその全てが最高の結果に終わることでしょう。ですが、それではアインズ様の品位を他ならぬ私たちのせいで落としてしまうのよ。アインズ様は常々仰られているでしょう。自分で考えるのだと。……料理長に対しての態度にはつまりそういう意図があるの」

 「……自ら考え、行動する機会をおつくりになられたということでしょうか?」

 「そう。その通り。アインズ様は私たちのために常に成長する機会を、貢献するチャンスを与えてくださっているのよ」

 

 (なるほど……そういうふうにとらえてくれているのか)

 

 「しかし、それがイレインを妹として側に置くことにどうつながるのでしょうか?」

 「ナーベラル、貴女はその場にいてどう対応するか、アインズ様に指示を仰いだ?」

 「え、ぁ、いえ……申し訳ありません自分で判断を……」

 「謝ることじゃないわ。それこそがアインズ様が貴女に用意した成長の機会だということよ」

 

 アルベドの言葉にナーベラルは理解が及んだように顔をあげ、そして咄嗟にアインズのほうを見た。

 

 (そういうことにしておこう……!)

 

 重々しく頷くアインズを確認しナーベラルは自分に成長する機会を与えてくれていた主人への感謝と喜びに全身を震わせ、そしてそれに気がつけない自らの頭の固さを恥じてその場に跪いた。

 

 「アインズ様。日頃から多くの機会を与えてくださっている私に成長する機会を下さりありがとうございます。そして、不肖のこの身ではアインズ様のお心配りに気がつけず……アインズ様の御意志を認識していなかったこの身をどうかお許しくださいませ」

 「よい。気にするな」

 「……ですが、これまでも今回のように機会を与えてくださっていたのではないでしょうか?」

 「ふ。それも含めて気にするな。お前は確実に成長している。言ったであろう。一歩一歩、確実に進むがよい」

 

 自分が気がついていないだけで多くの成長の機会をアインズが用意してくれていたのではないかと不安を隠せないナーベラルをアインズは不安に思う必要はないとはげました。

 

 「アインズ様……はい。今後とも精進いたします」

 

 ナーベラルの頬は感激のあまりすこし赤く染まっている。

 アインズがそんなナーベラルを親が子を想うように愛おしく思っていると何処からともなく何かが砕けるような音がしたような気がしてアインズはアルベドの方を見た。

 

 「アルベド? 今、何か音がしなかったか?」

 「なんでしょうか? 気のせいではないでしょうか」

 「そうか……?」

 「はい」

 

 それにしてはやけに右手を握りっぱなしにしているようにアインズには見えたが深く踏み込めば沈んでいきそうな気配を感じたので言及しなかった。

 

 「おっほん。では、続きを聞かせてやれ。アルベド。どうしてイレインが妹を名乗ったのか」

 

 そう。まだ肝心のそこが説明されていない。

 アインズにはどうしてもイレインが妹を名乗る理由はないと思えた。

 あるとしてアリシアのことを慕っているイレインがナザリックのこと深く考えずに行ったのではないか。それくらいしか想像がつかない。

 

 (果たして我らがアルベド先生はどのような答えを……)

 

 「はい。畏まりました。アインズ様。……ここまではアインズ様がナザリック強化のために私たちへ与えてくださっている機会を説明したわ。ナーベラル。アインズ様の言動には常にこのように何かしらの意図があると思いなさい」

 「はっ」

 

 (いや、それはきつい……)

 

 「ここからは本題のイレインの妹発言の真意について説明しましょう。まずはここでなぜイレインなのか、という疑問があるわ。イレインは確かにアリシア様に対して私たちの中で飛び抜けた好意を持っているでしょう。ですが、それがアリシア様にとってご迷惑ではない保証はないわ。行きすぎた好意は時として相手の迷惑に……? どうかされましたか? アインズ様?」

 「いやいや、どうもしていないぞ。なぁ、ナーベラルよ」

 「ぇ、ええ。はい。私も、どうも、していません」

 

 鏡を見てから言えといいたくなるようなアルベドの言葉にまじまじと見ていた二人は揃って首を横に振った。

 そんな二人の様子が妙に呼吸があっていてアルベドとしては悔しさを感じるほどだ。

 

 「そうですか……では、続けます。それに側に常駐させる必要がどこにあるのかというのも見逃せないところよ。リサーチのためであればそのような必要はないし料理教室で仲が良かったユリのほうが適任だわ。イレインは一般メイドですから戦闘能力もなくいざという時にその身を守れないのですから」

 「? ですが、その点はアルベド様が問題ないと仰っておられたように覚えておりますが……」

 

 ナーベラルの発言は正しい。

 その身を自分で守れないことを理由にアインズが却下しようかと思ったところでアリシアがいるから問題ないと言ったのはアルベドである。

 

 「ええ。それは間違いじゃないわ。私はアインズ様にどうかお気づかいなくとお伝えしただけよ」

 

 (何?)

 

 アルベドの言葉の真意を測れずアインズは微妙だせずに心の中で疑問符を浮かべ続けていた。

 同じようにまったく理解が追いついていないナーベラルは態度にだして首をかしげている。

 そんなナーベラルをアルベドは優しげに見下ろした。

 

 「いい? ……イレインは餌よ」

 「な」

 

 (な)

 

 「イレインに課せられた役目は大きく分けて三つ。一つ目は料理のリサーチ。二つ目は私達とアリシア様とのつながりをより深くし、それを外部の人間に知らしめるため。そして三つ目がその外部の人間によって狙わせるための餌よ」

 

 アルベドが指をあげて告げたイレイン妹発言の真意に二人は愕然とした。

 思いもよらない後者二つの理由に空いた口がふさがらない思いだった。

 現にアインズは精神の抑制が発動している。

 

 「ど、どうして……そのようなことを?」

 

 仲のいいイレインが餌としてまかれているということに少なからず動揺を隠せないナーベラルの問いにアルベドは淡々と答える。

 

 「先程言ったでしょう。ナーベラル。貴女の考えに足りていないのは外部の視点だと。……私たちを狙ったのか、それすらまだ曖昧なほどに正体不明のシャルティアを洗脳した敵。ワールドアイテムを持つこの敵はそうそう罠にかかるものでもなければ尻尾を出すものではないわ。でも、相手にとってもこのナザリック地下大墳墓を直接落とせるようなことはないわ。であれば、ナザリックの外にいる者を各個撃破、もしくは捕縛しようと目論むのは当然のことでしょう」

 「つまり……最も狩り取りやすい餌をまいたというのですか? 食いつかせるために」

 「その通りよ」

 「ですが、それではイレインではなすすべもなく敵の手中に落ちるだけでは? あのシャルティア様でさえ洗脳した相手に……一般メイドのイレインでは」

 「それが目的よ。一般メイドのイレインであれば……復活のコストは安いわ」

 

 アルベドの言葉にその場の空気が凍った。

 何を言っているのか分からないとまるでイレインの妹発言をその耳にした時のようにナーベラルは茫然とした。

 

 「イレインがその身を犠牲にしてもナザリックの財政には悪影響はないわ。それどころかすぐに復活させられるのだから死ぬことにリスクがないのよ。でも、もし、死ぬような事態になれば大きなメリットがある」

 「それは、いったい……?」

 「当然のこと。アリシア様を完全にこちら側に引き込めるでしょう? 後ろ盾の超越者のプレイヤーと一緒に」

 

 (……なるほど、な)

 

 「アリシア様にとってもイレインを死なせた相手は敵でしょう。そしてイレインを死なせた負い目は必ず残るわ。……今は協力者、同盟者、アインズ様のご友人という位置づけだけれど、その時にアリシア様は晴れてナザリックの者と呼べるのよ。こう考えればわかるでしょう? 適任はイレインしかいないのよ」

 

 アルベドの言葉の裏には仲のいいナーベラルの手前あえて言わなかったこともある。

 それはイレインのことを不穏分子として見ているということであった。

 今のイレインはアインズかアリシアか選べと言えばアリシアを取るだろうとアルベドは判断していた。創造主の命令というのもあるがイレインの愛は一途で献身的なものだ。アインズを選べばアリシアに害が及ぶのであればイレインは絶対にそれをしないだろう。創造主である至高の御方の言葉であればためらわずアリシアすら殺すだろうがその創造主の残した言葉に従っているイレインには極限の状態ではアインズの言葉すら届かない。

 であれば優しいアインズとは違いアルベドにはイレインを餌にでも捨て石にでもできる。そしてそれは既にイレインとも合意の上であった。

 

 

 

 「──わかりました。アルベド様。私がナザリックに、アインズ様に害をもたらすようであれば私をどうか上手くお使いくださいませ」

 

 

 

 ナザリックを立つ前に意志を確認したアルベドにイレインは躊躇なく頷いた。

 アインズへの忠誠心とアリシアへの愛を確かに感じさせるイレインのことをアルベド個人としては好意的に見れる。同じように愛を捧げる存在がいるのだから。

 だが、守護者統括としての地位につく以上、理性をもってナザリックに最大の利益をもたらさなければならない。

 

 「そのためにもイレインには深くアリシア様と結びついてもらわなければならないのよ。たんに働き手を探して偶然出会ったメイドではなく、家族のように近しい間柄でないといけないの。まぁ、妹である必要はないけれどそれはイレインの判断よ。……アインズ様、以上が私の考えでございます」

 

 アルベドは頭を下げてどのような評価をアインズが下すのか緊張のあまり身を固くした。

 相手がデミウルゴスであればまだその思考を読み、断言できる。

 だが相手は自分やデミウルゴスですら及ばない頂きに立つ方なのだ。

 まるで違う判断である可能性だって零ではない。

 そしてその場合自分は守護者統括として、そしてアインズを愛する者として、ふさわしいのであろうか。

 どこか不安げなナーベラルよりも内心では大きな不安を抱えているアルベドはアインズの言葉を待った。

 

 「アルベドよ」

 「はっ。アインズ様」

 

 重々しく口をひらいたアインズにアルベドは咄嗟に跪いた。

 

 「流石は守護者統括だ。見事な推察だ」

 

 その言葉はアルベドとナーベラルに称賛の声音として伝わった。

 

 「ありがとうございます。守護者統括として当然のことです」

 

 内心の安堵を表に出さずに震えそうになる声をアルベドは完全に抑えた。

 

 「アインズ様、アインズ様もイレインを餌として扱うおつもりだったのですか?」

 

 先程からナーベラルがそれとわかるほど動揺しているのはなにも仲のいいイレインがそういう扱いを受けたからではない。

 ユグドラシルから異世界への転移という未曽有の事態に陥ってから今までの間ナーベラル・ガンマはアインズ・ウール・ゴウンに最も近くで仕えてきた臣下である。

 ナーベラルはすぐそばでアインズを見てきた。その経験が告げていたのだ。

 

 (アインズ様らしくない)

 

 アインズがどれだけの愛情を自分たちに向けてくれているのかをナザリックで一番理解していたのはナーベラルだ。何度も同じ過ちを繰り返し、他のどの同胞達よりも謝罪の言葉を口にせざるを得なかった自分をいつも許し、励まし、失望せず、なおかつ期待してくれる自らの主人。

 そんな慈悲深い主人が無力なイレインを敵の前にむざむざと差し出すような事をするのだろうか。

 ナーベラルの動揺は敬愛してやまない主人の像からアインズが踏みでた気がしたような、胸の内をどこか冷たい風が通るような曖昧な不安からくるものであった。

 そんなナーベラルの不安を見抜いたようにアインズはどこか微笑んだようにナーベラルに視線を向けた。

 その視線だけでナーベラルは自らの不安が杞憂であると悟るに十分であった。

 

 「ナーベラルよ。誤解するな。イレインには確かに罠としての側面もある。だが……私はただ食いつかせるつもりはない。冒険者モモンとして活動している私が普段どこにいると思っている」

 

 アインズは椅子から立ち上がりナーベラルの前に立つと安心させるように手を差し出した。

 その手を自然と取ることができた自分をナーベラルは褒めてしまいたかった。

 手を取った際にアインズから満足しているような気配をほんの少しだけ感じた。

 

 「それでは……もしイレインに何かあれば……私たちが?」

 「そうだ。私とナーベラル……だけではないぞ? ユーイチ殿にアリシアさんこの四人で敵対した愚か者に報いを受けさせる。この件はアリシアさんには伝えていないがユーイチ殿には伝えてあることだ」

 

 主人が同等以上と評価する超越者と既に打ち合わせ済み。

 

 (ああ。やはり私程度の者がアインズ様のなされることに不安を感じるなんて……それこそが不敬極まりないことだった)

 

 つないだ手の何と頼もしいことか。

 アルベドの目の前だというのナーベラルはその手を自ら離すことはできなかった。

 

 (アインズ様……)

 

 その手を取ることを許されたのは自分なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 「──ということなんですが、ユウさん。改めましてそちらに預けたイレインのことをお願いします」

 「任された。責任を持ってあずかろう」

 

 お互いに周囲に誰もいない中、二人の超越者は<伝言>で言葉を交わす。

 

 「しかし……優秀な部下に恵まれているな。よほど丁寧に創り出されたんだろうな。統括殿は」

 「ありがとうございます。いやぁ制作者のタブラさんは設定魔だったんで……うっ」

 「どうかしたのか?」

 「いや……タブラさんの設定を俺が書き変えたのが胸にきまして……」

 「ああ。ふふ。モモンガを愛している、だったか。サトル君も隅に置けないな。もう責任を取って嫁にするしかないんじゃないか?」

 「いやいやいや、嫁にするったてこの体ですよ? コキュートスからはお世継ぎをーとか言われてますけど、ないものでどうしろと」

 「それならどうにかできないでもないぞ?」

 「え、本当ですか? うわー、聞きたいような聞きたくないような……」

 

 お互いを本名で呼び合う二人の間柄は余りに驚かれるので二人の時にしか見せないものだ。

 アリシアやナーベラルの前では少し意識して硬い口調をしなければならないのがお互いに煩わしいと思うほどに二人にしかない確かなつながりがある。

 

 「イレインの件は了解したが……サトル君、申し訳ないがうちのアリシアが少々暴れるだろうから発散させてやってほしい」

 

 お互いに伝えるべきことを伝えた後の最後の雑談で、笑い話ですませられなさそうな話題を投げられて鈴木悟は首をかしげた。

 

 「はい? アリシアさんが暴れる……ですか? ついに六人の女性達に手を出したとかですか?」

 「違うがそれほど違うわけでもないなぁ。いや、手は出してないぞ? あの六人には」

 「うわぁ。なんかもう聞きたくないなぁ……」

 

 まぁ、そう言わずに。

 えぇぇ?

 

 

 この時の会話の通り。

 式典当日。

 モモンガは友人アリシアの暴れっぷりに大いに困ることになる。

 式典まで残り一日、イレインがアリシアの側に来た日の夜のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 十一頁~LETSPARTY!!~

    アルベド先生と教え子(たち)。 終。




お読みくださってありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
デミウルゴスやアルベドのような知能高い系のキャラクターの台詞とか考えると大変不安になります。

次回はアリシアが暴れてアインズがハラハラし、守護者たちが感心? する予定です。

おそらく二万字を越えそうなのですが分割した方がいいのか悩むところです…。
そもそも一万五千字ほどで描いている今のペースでいいのだろうか…。

よけれまたお読みくださいませ。

感想などいただけましたら作者は感激します。

今回も誤字脱字、拙い表現でお目を汚してしまい申し訳ありませんでした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十二頁~LETSPARTY!!!~

お待たせいたしました。
何とか十一月中に~LETSPARTY~を書きあげられました。

十二月ははやめに更新できたらと思います。

目指せ王都編まで!

今回はなんとしても~LETSPARTY~を十二頁で終わらせるために字数が多くなっています。三万三千字ほどに…膨れ上がってしまいました。
分けるかどうか悩んだのですが分けたらもっと字数が膨れ上がると判断してもう一話で纏めてしまいました。

長々と書き連ねておりますがお読みくださいませ。

戦闘シーンを頑張ってみました!!


 十二頁~LETSPARTY!!!~

    比翼連理

 

 

 

 

 

 勘違いしている。皆勘違いしているのだ。

 

 

 

 吐きだした息が凍る。

 炎を司どる偉大で優しい友人の力は我が身しか覆っていない。

 昂る精神を鎮めるように吐きだした吐息は瞬時に氷ついて可視化する。そしてそのまま地面に落ちてゆき音もなく砕け散る。

 この圧倒的な冷気が支配する世界において自分は異質なものであろう。

 一切の不備なく人間がこんな環境で動けるはずがないのだから。

 

 

 

 勘違いしないでほしい。見損なわないでほしい。

 

 

 

 この全てが氷つく痛々しいほど寒々しい世界を支配する主は先程から動かない。

 その手に携えた四つの武器を広げるように構えて世界の主にふさわしい威容を放っている。

 吐く息すら瞬く間に氷つき砕け散るような世界は余りにも人が住む世界とかけ離れていて、まるでどこか別の世界や御伽噺の中の氷の世界のように思える。普通の人間であれば自分自身の異物感に堪え切れなくて命を断つのではないかと感じるほどだ。

 だがそんな人を異物に変える世界でもこの寒々しい空気が愛おしいとさえ思う。

 寒過ぎて死んでしまうこの空気こそ自分だと思えた。

 それは自分が極寒の世界、雪という白亜の檻に閉ざされた季節に産まれた存在だからなのかは自分でもわからない。

 わかるのはこの空気は自分にとって好ましい物であるということだ。

 そんな変な自分に少し笑う。

 どうせなら春の温かな日差しを、生命の息吹に満ちるあの空気を好きになればいいのにと思った。

 

 

 

 何をされたっていいのだ。何が起こったって構わない。

 

 

 

 微笑んだ自分を不思議に思ったのかあるいは好戦的に受け取ったのか世界の主がどこか笑ったような空気を放つ。

 あざ笑ったり嗤う類のものではない。

 本当に楽しんでいる類いのものだ。

 それを感じて応じるようにこちらも笑った。

 嬉しくて楽しくて。

 認められたのだとはっきり伝わってくる。

 満足を与えられたのだと。

 だからこそ笑う。

 まだまだ応えるのはこれからだと。

 纏った炎が冷気を遮断する結界を描く。

 その中でこちらも四本の武器を構える。

 これでついにお互いの武器の数は同じになった。

 あとはどちらがが上手く舞えるかである。

 

 

 

 

 この気持ちは萎えることはなく消えることも鎮まることもない。

 

 

 

 お互いに四本の腕で四本の武器を構えた両者はこれがお互いの上限だと察した。

 これ以上ないほどに引き絞られた弓の弦なのだ。

 今この場においてはこれ以上のものはない。

 あとはどちらが先に相手に届くのかである。

 その点に関して両者共に自信を持っていたが同じように覚悟もしていた。

 ほんの少しのズレ。

 一つ、ボタンをかけ間違うだけ。

 お互いの舞から半歩でもはみ出せば。

 どちらかが死ぬ。

 その確信を抱いてもなお笑いがこみあげてくる二人は既に自分たち以外の存在をどこかに放り捨てていた。

 

 

 

 私たちは比翼にして連理なのだから。

 

 

 瞬間。

 最後の交わりに自然と全てが抜け落ちる感覚を両者共に抱いた。

 砕け落ちる音が鈍く響いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その日の朝は少し変わった目覚めから始まった。

 すこし肌寒い空気が漂う早朝。

 いつものように目を覚ましてみればウィーシャの目の前には綺麗な金の髪がまるで秋の収穫時期の麦畑が黄金色に輝くように枕を彩っている。

 アリシアのような綺麗な髪をしばらく眺めてから憧れを込めて数回手櫛をいれた。滑らかな手触りもアリシアとそっくりで朝からウィーシャは非常に悔しかったが寝起きでふやけた思考が定まってくると少々上機嫌になった。

 自分よりも遅く目覚める寝坊介が目の前にいるのだから。

 昨晩同じベットで眠ることになったイレインはウィーシャが何度か手櫛をいれても目覚めなかった。

 飲食睡眠不要のアイテムを外していたイレインにとって<金瞳の猫亭>での初日は心地よい疲労をその翌日にのこしていた。

 耳を澄ませないと聞こえないほど静かな寝息を立てているイレインをベッドに残してウィーシャは身支度を整え始める。曇った窓を開ければユーイチとアリシアが鍛錬している姿が見えるだろうが最近のウィーシャは起きてすぐに窓を開けなくなった。

 

 「夜天の主」

 

 掌にのせた蒼い髪飾りが合言葉に合わせてウィーシャに暗闇を見通す力をその瞳に授ける。

 長旅で疲れているのだろうイレインを起こしたくなかったウィーシャは想い人からの贈り物に頼って薄暗い部屋でも問題なく鏡を見つめられた。想像していたとおりにとび跳ねている髪に櫛を入れ始める。

 

 (この髪はどれだけ手入れしても跳ねちゃうんだから……)

 

 何かの呪なのか。どれだけ寝る前に手入れしても跳ねてしまうこの髪さえ大人しくしてくれればもっと早く支度ができるのにと、ウィーシャは櫛をいれる力を少し強めた。

 ウィーシャが向かいあう化粧台はつい最近この部屋に置かれた新品である。本来この部屋には年頃の娘のものにしてはいささか殺風景に見えるほど物が置いてなかった。それはウィーシャの私物がほとんどなかったこともあるが部屋に自分のために新しく物を揃えることをウィーシャが嫌がったからである。共用のスペースは宿の中にある。そこまで行けば新しく買う必要はない。

 自分たちの懐具合を把握していたがゆえにウィーシャは家具を置くことを断っていた。

 そんなウィーシャの部屋にこうして新品の化粧台がおかれているのはウィーシャの変化とファリアの親心の結果だ。

 ユーイチへの想いを自覚してからてから、ウィーシャは毎朝だらしなく跳ねる髪の毛を想い人に見られることに耐えられなくなっていった。

 まだ家族だけの空間ならいままでのように過ごせたのかもしれない。むしろその部分でコミュニケーションが取れただろう。だが、今では新しく従業員が六人もいる。大部屋にはウィーシャの部屋とは違い家具が揃っている。彼女達は身支度を整えてから顔を見せることができるのだ。

 比較される、ということはないだろうが彼女達より自分が少しでもだらしなく、見劣りするように見えるのが嫌だった。ウィーシャは想い人の前に誰よりも身嗜みを整えてから現れたかった。

 そんな娘が部屋で鏡も見ずに髪と戦っているのをすぐに察したファリアがつい最近用意したのがこの化粧台だった。アリシアと二人で買い物から戻ってみれば自分の部屋にあったこの化粧台はウィーシャを感激させた。

 自分の変化に気がついてくれたことや先を考えれば余裕はない家計からだしてくれたことへの気恥かしさや感謝から涙が出るほどだった。

 

 「あらあら。さっそく出番かしら」

 

 そう言って化粧台に座らせてくれたファリアに毎朝感謝してから身嗜みを整えている。

 化粧台のすぐそばにはそれならばとアリシアから贈られた石が置かれた大皿がある。

 <泉石>と呼ばれる天然のマジックアイテムで握ると水がわき出てくる。

 

 「これで洗顔もしちゃえばいい」

 

 こうすればユーイチの前でも平気、だよね?

 すこし微笑んでそう言ってくれたアリシアに感謝して石を握れば透明な水が大皿に溜っていく。大皿の次は木製のコップに同じように。

 こうして化粧台と洗面所を手に入れたウィーシャは手早く朝の支度をすませた。

 

 「よし」

 

 一部の隙もないことを確認してから窓をあける。

 こうして最近のウィーシャは一番綺麗なところを想い人に見せるようにしているのだが。

 

 「……あれ?」

 

 がちゃりとひらいた窓の先にある中庭にその想い人の姿がない。

 刺し込んできた来た光にベッドの上でイレインが身じろぎしたので閉め直したがウィーシャは首をかしげていた。

 

 (おかしい。何かあったのかな)

 

 ユーイチとアリシアが毎朝の鍛錬を行わなかったことはない。

 例えどちらかがいなくても一人で黙々と剣を振っている二人だ。アリシアに至ってはユーイチとの朝の時間を何よりも待ち遠しく感じるのだと言っていた。

 それなのに揃って家にいるはずの二人が姿をみせていない。

 ウィーシャは起こすつもりだったイレインをその場に残して足早に部屋を出た。途中で庭に使い終わった水を捨てながら進んでいくと朝食の匂い漂ってくる。覗き込んで見るとその場にはユーイチとアリシアどころか母もおらず、従業員たちが朝食を準備している。

 

 「おはようございます。お嬢様」

 

 まとめ役のリディアの声に揃って挨拶する彼女達はだいぶまとまりが出てきたとウィーシャには感じられた。

 貴族産まれであることを気にして、助けてもらったユーイチに対してですら文句を言っていた問題児も慣れない調理の作業を教えられながらこなしている。

 

 「おはようございます。皆さん」

 

 本来ならウィーシャと同じ時間に起きるように言われているはずなのだが、彼女達はウィーシャよりも早く起きている。

 それはリディアがファリアの手伝いをするために起きだしたために一人また一人と早く起きるようになり結果全員が早起きになってしまったからだ。

 それに合わせて自分も早起きしようと思ったウィーシャであったがそこまでする必要はないとファリアとユーイチにいわれたために変わらずに五時に起きている。

 

 「ファリアさんならユーイチ様とご一緒に奥へ行かれましたよ」

 「ありがとうございます。……あれ、二人だけですか? アリシア様は?」

 「私たちも見ていません。もしかしたら夜中に急な御依頼で出られているのかもしれません」

 

 すぐに自分の聞きたいことを察して答えてくれるくれるリディアに御礼を言いつつその場を後にする。

 昨晩自分とイレインに一緒に眠るように言ったアリシアは依頼で家を空けるとは言っていなかった。

 リディアの言うとおりなら本当に急な依頼だったのだろうがそんな急を要する依頼にユーイチがついていかないのはなぜなのか。

 

 (依頼が終わったからユーイチ様だけ早くお帰りになったのかな? ぁ、朝風呂にいかれてるのかも)

 

 きっとそうだと納得したウィーシャが奥へ進むとファリアとユーイチが食卓についている。

 それを見て納得したばかりだというのにまた違和感を覚えてしまう。

 どうして食器もださずにいるのだろうか。

 

 「おはようございます。ユーイチ様。おはよう。母さん」

 「おはよう。ウィーシャ」

 「おはよう」

 

 違和感に目をつぶって元気よく挨拶するといつもと同じように挨拶が返ってくる。

 やはり自分の気にし過ぎだとウィーシャは余り気にしないようにと自分に言い聞かせた。

 ウィーシャは隣り合って座っている二人に対して向かいあうように定位置の席に座った。

 そして隣の席を少し見てから二人に訊ねる。

 

 「アリシア様はもしかしてお風呂ですか? 中庭におられなかったので急な御依頼でもあったのかとリディアさんと話していたんです……? 母さん? どうかしたの?」

 

 そうだろうと半ば確信していたウィーシャだったがそこでようやくファリアの様子がどこか普段と違うことに気がついた。

 違和感の源泉のような気配を漂わせている。

 

 「うん。……実はウィーシャに話があってね。大切な話なの」

 

 一度、伺うようにユーイチを横目で確認してからきりだしてきたファリアにウィーシャはどこか胸が跳ねたような気がした。

 

 「大事な……話?」

 

 どこかユーイチを頼りにしているように、寄り添いあうように見える自分の母と自分の想い人はいつも思っているようにまるで夫婦のようだ。

 

(ぇ? まさか──)

 

 その普段の様子が何か決定的に違って見えた。

 ウィーシャは思考がぐるんと一回転した感覚に襲われてどこか現実感を失い始めた。そんな娘を見つめながらファリアは口を開いた。

 

 「私……妊娠したの。ユーイチ様との赤ちゃんを」

 

 ファリアの言葉は大きな衝撃を与えずにするりとウィーシャの耳に届いた。

 

 

 

 妊娠。赤ちゃん。

 

 

 

 その言葉を噛み砕くように耳から脳へと通して咀嚼するようにゆっくり理解する。

 そして数秒後。

 

 「……きゅぅ」

 「ぁ!」

 「……まったく同じだな」

 

 予想を上回る告白にウィーシャは気を失うのであった。

 それは一時間ほど前にユーイチから話を聞かされたアリシアとまったく同じ反応であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 きっかけはどこかと問われたらあの日の夜だと答える。

 許せない。許すことができない掠奪者をこの手にかけた日の夜。

 伝わってくる命の名残のような手ごたえが体の中身を消し去っていた。

 復讐の後に残るのは虚しさだけというが自分には何も残らなかった。

 何も残らなかったことがただただ恐ろしく、辛かった。

 子供がいるのと叫んだ女の声が耳から離れない。

 自分も同じように奪う側に回ったのだと嫌でも実感してしまう。

 この手で娘を抱いていいのだろうか。こんな自分を夫は望んでなどいなかっただろうに。

 けれども、そうしたいと願ったのは他ならぬ自分なのだ。

 ゆっくりと進む馬車の中で揺れでごまかせない震えを感じ両手で我が身を抱きしめる。

 そんな時だった。

 震える自分を抱きしめてくれた命の恩人はただ一言だけ言ってくれた。

 

 大丈夫だ──。

 

 まるで魔法の言葉のようにその一言はすっぽりと私の中に入り込んでくれた。

 その一言が救ってくれたのだ。

 恩人の腕の中は温かくて震えが溶けて消えていくようだった。

 馬車からおり、娘とともに寝室へ向かう際に体が震えた。

 その震えは恩人の温かさを欲してのものだった。

 

 転機になったのは恩人と目を合わせ、話すごとに温かさが胸に広がるようでやけに指輪の冷たさが気にかかるようになっていた頃のことだ。

 その日の夕方、日も暮れそうな頃、恩人を偶然見つけた。そこは夜の店であった。

 恩人が店に入るのを目撃した自分の中に芽生えたのは悔しさであった。遅くなる理由はこれだったのかと思うとどうしてなのかと問いたくなった。そして、そんな自分に驚かないほどには自覚があった。

 その悔しさに押されるままに初めての夜は自分から迫ったようなものだった。

 石女である自分であればご迷惑を万が一にもおかけすることはない。

 そんなことを言って迫った自分を受け入れるのではなく求めてくれた。

 そうしてその夜から自分は愛妾になった。

 

 

 

 動揺を隠せない娘に母親は慎重に言葉を選んで事情を説明している。

 母親の部屋で説明を受ける娘はどこか所在なさげに見えた。

 朝食前に驚きのあまり目を回して気を失ったアリシアとウィーシャはお互いに「なんだ。夢か」と胸をなでおろしていたが勿論そんなことはなく夢ではないと説明を受けていた。

 ナザリックでの式典を翌日に控えたアリシアはイレインを伴って既にナザリックへ向けて出発しているためこの場にはいない。

 ナザリックでの式典となるとアリシアには手持ちで着ていくのにふさわしいと思える衣服がすぐにはでてこなかった。そして、それならばとモモンガの薦めで衣装を借りうけることになっていた。

 そのため前日から衣装合わせも兼ねてナザリックで過ごす予定になっていたのだ。

 ゆえに親子二人でベッドに腰かけつつ話しあっていた。

 

 「……つまり、もう一月くらい、二人はそういう関係だったの?」

 「ええ。そうよ」

 「……ぜんぜん気がつかなかったや」

 

 ウィーシャは当時を思い出して少しの不満を覚えた。

 それはファリアにではなくユーイチにだ。

 そうではないかと訪ねた際にはそうではないと言っていたではないか。

 だが、すぐにユーイチが何も嘘を言っていないと納得もしていた。

 あの時の噂はあるところではユーイチが野盗と繋がっていたなどという悪質なものが流れていたのだ。

 噂通りではないが仲良くしているというユーイチの言葉には何も嘘はない。

 右手で腰かけたベッドを少し撫でる。

 ここで母と想い人が過ごしていたと思うとどこか切ない気持が湧き上がってきて涙にかわった。

 

 「それなら、もっと、早く……い、言ってほしかったなぁ」

 

 自分が入り込む隙間などファリアとユーイチの間にあろうはずがない。

 だって自分がそうなればいいと思うくらいお似合いなのだから。

 ファリアに一人の女性として幸せを見つけてほしいと願っていたのは本心だ。

 だが芽生えた自分の女としての気持ちは抑えようもなく膨らんでるのだ。

 

 「だいたい、なら、なんで、応援するみたいに、化粧台とか、だって」

 

 泣き顔を見られたくないと両手で顔を覆ったウィーシャの肩をファリアは抱いた。

 

 「ウィーシャ。よく聞いて。私がウィーシャを応援してるのは本当よ。……私はお父さんが最後の夫なの。ユーイチ様と結ばれたいとは思ってないのよ」

 「そんなこと、言ったって、結ばれてるじゃ、ない」

 「私は愛妾よ。妻じゃないわ。求められた夜にその日一晩愛していただくのが私なの。私は、今の関係が一番いいと思ってるの。……ウィーシャに言わなかったのは勘違いしてほしくなったから」

 

 涙をぬぐって赤らんだ目でウィーシャはファリアを見上げる。

 普段は聡いウィーシャでもいっぱいいっぱいで理解が追いついていなかった。

 

 「勘、違い?」

 「そう。ウィーシャにはユーイチ様の奥様になってほしいの。ウィーシャが望むとように。私とは違ってその日一晩じゃなくて常日頃から愛される存在になってほしい」

 「私が……ユーイチ、様の?」

 「うん。……綺麗だって褒められるウィーシャならきっとなれるわ」

 

 少し冷静さを取り戻してきた頭で母が本心から言っていると理解する。 

 

 「わかった? 落ち着けた?」

 「う、ん。少し……混乱してるけど」

 

 ファリアがユーイチの愛人であり、そしてお互いにそれ以上の関係になることはないと思っていることはわかった。そしてそれがファリアの望みであることも。

 二人が関係を持っていたことは娘として喜ばしいことだ。

 自分がまだユーイチを好きでいていいのであればむしろ祝福したいくらいなのだから。

 

 「あ、でも、待って。なんで、その、赤ちゃんができちゃったの? 母さんは確か……」

 

 しかし、冷静になってくると疑問が浮かんでくる。

 ファリアは子供ができない体質でウィーシャの父との間にもできることはなかった。

 そういう意味でも冒険者になるしかなかったの、とファリアが語っていたのをウィーシャは覚えている。

 性格的に不向きな冒険者業をしていたのは孤児院を出ても嫁入りすることもできず働ける仕事を選んだだけのことだ。

 それがどうしてできてしまったのか。

 ファリアは自分でも驚いているとまだ膨らみも何もないお腹を撫でた。 

 

 「ユーイチ様がね。ご説明してくださるとは思うのだけど……。赤ちゃんができたのは私やユーイチ様も驚いたことなの。信じられなかったけど……ユーイチ様は真剣にそうだと仰ってたわ」

 「そう、なんだ。うん。ユーイチ様がわざわざ仰るってことは本当なんだよね。おめでとう。母さん。母さんとユーイチ様の赤ちゃんだよ」

 

 もう子供はできないと言われていた母が子宝を授かったのだ。娘として喜ばないわけにはいかない。

 

 「ありがとう。………ん。ありがとう」

 

 しかし、どこかファリアの表情には曇りが見えた。

 いろんな不安があるのだろうとウィーシャは肩を抱いてくれているファリアのお腹を撫でた。

 

 「大丈夫。私も、大丈夫だから。……できれば、弟がいいな」

 

 安心してほしいとウィーシャが前向きに笑うとつられたようにファリアも笑顔になった。

 

 「気が早すぎるわよ。妊娠したと言ってもユーイチ様じゃないとわからないくらい、早い時期なんだから」

 「いいじゃない。弟がいいなぁ。妹だと母さんに似て胸とかすぐ私より育ちそうだから」

 「ウィーシャだってまだ大きくなるでしょうに」

 

 そうかなぁと胸を触る娘にファリアは微笑んだ。

 窓はぼんやりと夕暮れでオレンジ色に染まっている。

 そろそろ夕方も終わり夜になる頃だ。

 

 「ウィーシャ」

 「なに?」

 「今は私がユーイチ様の夜のお相手をさせていただいているけれど……お腹が大きくなったらできなくなるわ」

 「……うん。そう、だね」

 

 ちらりと視線を下げればファリアのベッドがある。

 ここでまたファリアとユーイチが過ごすのだと思うとウィーシャは落ちつけなくなる。

 ファリアとユーイチのことだからそういう痕は何も残してないだろうが、どこかそんな空気を感じてしまうのは自分の想像力のせいなのだろうかと少し顔を赤くした。

 

 「その時はウィーシャがお願いね。他の女性にユーイチ様を取られちゃ駄目よ」

 「え、ぇぇ!? か、母さん……それは、私が?」

 

 ぎょっとしたようにファリアを見つめるが冗談を言っている様子はない。

 本気だ。

 本気で自分に期待している。

 頷いたファリアにウィーシャは首を縦にも横にも触れずあわあわとただ顔を真っ赤に染めていくばかりだ。

 

 「いい。ユーイチ様はウィーシャの気持ちをご存じよ。中途半端な形では絶対に御抱きになられないわ。だから……その時はウィーシャの全部をユーイチ様に差し出すつもりで身を投げてごらんなさい。きっと受け止めてくれるわ」

 「わた、私は、その……でも、母さんは愛人じゃ」

 「私は愛妾よ。それに私が望んだことだもの。ウィーシャはしっかりと責任を取ってもらいなさい」

 

 正直な話、ウィーシャは愛妾や妻だと言われてもそこまで考えていないとしか言えない。

 自分の気持ちにユーイチが応えてくれれば嬉しい、というくらいなものだ。

 

 (アリシア様を指しおいて最愛の人になりたいとかそんなことは考えてもいないけど……)

 

 けれども自分のこの想いにユーイチが向き合ってくれることが結果として母が言うように受け止めてくれるということになるならば。

 

 「う、ん」

 

 ウィーシャは首を縦に振りたいと思えたのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 自らの足音だけが静かに響くのをセバスは心地よく感じていた。

 

 (全てが素晴らしい)

 

 歩みながら以前よりも一層、こここそ至高の存在が住まうにふさわしい場所だと改めて感じてしまうのはナザリックの外で働いているからだろうか。

 式典のために呼び戻されたセバスはそのように感じ入りつつも目的の場所を目指して歩み続けている。彼は先程主人であるアインズに報告を終えたところで任された仕事はない。むしろアインズから式典を楽しむようにと厳命されていた。

 セバスが足を止めて目的の部屋の前でノックをするとどこか罅割れたような声がする。

 

 「コノ世ノ全テノ栄光ハ……」

 「ナザリックにあり」

 「ウム。ヨク来テクレタ。セバス。感謝スル」

 

 合言葉を述べて入室したセバスを出迎えたのはナザリックが誇る守護者の一人コキュートスだ。

 いつもなら守護者各位の休憩時間を合わせて行われる勉強会の時のように他の守護者の姿もあるのだが大柄のコキュートスがいても広々と感じる室内に他の存在はない。

 

 「他の守護者の皆様はまだのようですね。コミュートス。てっきり私が最後かと思いましたが」

 「ソノ様子デハ、ナーベラルカラ話ガ通ジテイナイヨウダナ」

 「といいますと?」

 「ココに来テモラッタノハ相談事ガアッタカラダ。他ノ者ニハ関係ノナイコトダ」

 「コキュートスが私にですか?」

 

 セバスはコキュートスが自分を相談相手に選んだことに少し疑問を抱いた。自分よりもデミウルゴスのほうが相談するにふさわしい気がしたからだ。

 セバスはコキュートスの対面に腰かけた。

 

 「それは光栄なことですが、私よりもデミウルゴスの方が大抵のことは適任でしょう? どうされたのですか」

 「実ハナ……」

 

 そうしてコキュートスから説明を受けたセバスは概ね事態を把握した。ただ一つ分からないことがあるとすればデミウルゴスが珍しくコキュートスの問いに答えなかったことぐらいである。

 

 「コキュートスの望みは分かりました。ですが、私の方から口添えはできません。私はアインズ様から参加者として楽しむようにと強く言われています。式典の運営に関わることに口を挟んではアインズ様の御意志に反してしまいます」

 「セバスノ言ウトオリダ。無理ヲ言ッテスマナイ」

 「気にしないでください。協力はできませんが明日には当日を迎えるのですから動くのであれば今すぐにでもマーレに協力を願いに行くべきです。デミウルゴスほどではありませんが準備万端整えてからアインズ様に申し出てみるのがよろしいでしょう」

 「……成程。ヤハリ相談シテヨカッタヨウダ。言ワレナケレバ私ハコノ足デアインズ様ノ元ヘ向ラッテイタダロウカラナ」

 「それはよかった」

 

 二人の話は外に漏れることなく終わった。

 その後、セバスは極力運営側に関わらないように自室でひきこもった。その間にコキュートスはマーレに協力を仰ぎそのままアインズから無事に許可をもらうことに成功する。

 それは、式典前日の慌しさの中最後の催しが決まった瞬間であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 (決まったことに文句を言うつもりはないんだが……)

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 

 そんなことを思ってしまうのはもとより自らが意図した方向ではなかったからなのか。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の主人アインズ・ウール・ゴウンとしての面を表に貼りつけながらモモンガとして鈴木悟として深いため息がでた主人の様子に気がつく僕達はいない。そのことがこの場で唯一の救いだったのかもしれない。

 

 第六階層の円形闘技場。

 アインズはその貴賓席に今腰をおろした。先程まで今から始まる演目に対して激励の言葉を述べていたところだった。

 玉座の間での式典はアインズの予想を越えて盛り上がるほどつつがなく進んでいた。

 楽団が奏でる祝音に包まれながら始まった式典はここまでの論功行賞から始まった。

 デミウルゴスやセバス、ソリュシャン、ナーベラルと続けて名前を呼ばれた者達には揃って同じ勲章が授与されていた。ナザリック十字勲章と名付けられた鉄十字の意匠のそれは特別な魔力がかかったものではないが授与された者を感激させたことは言うまでもない。

 だが最も皆を感激させたのはアインズのシャルティアへの対応であった。

 アインズはシャルティアにも同じように十字勲章を授与した。それは全ての責任は己にあり、命を捨てることになるほどの忠勤を認めるものである。

 当然主人に言われようとも大罪人という意志を拭えないシャルティアはそれを固辞した。

 

 「受け取る資格はありんせんでありんす……」

 

 そう言葉尻を震えさせるシャルティアにアインズはこう言って受け取らせた。

 

 「私はお前たち、皆を愛している」

 

 シャルティアの手の中に十字勲章を握らせその手を自らの手で包み、アインズは改めて宣言したのだ。主人として親としてお前たちを愛していると。その愛は空よりも高く海よりも深い物なのだと。

 

 「よく頑張った。他の誰にも分からずともよい。シャルティアよ。お前の頑張りを、ナザリックへの貢献を私は分かっているつもりだ。……助けてやれなくてすまなかった。どうかこれを私の愛の証として受け取ってほしい」

 

 感極まったのはその場にいた者全てであった。

 涙を流せる者で涙をうかべない者はおらず、涙を流せない者は流せる者を皆羨んだ。

 だが、そうして感情を高ぶらせた皆であったが授与者代表としてデミウルゴスが感謝の言葉を述べる頃には目に溜った涙を拭い平静を保っていた。それはそこからが式典の肝であると理解していたからだ。

 

 「アリシア様。ご入場でございます」

 

 先触れとしてユリの声が響くと皆、揃ってその場に膝をついた。

 楽団の演奏の中、二人のメイド──イレインとノエル──を介添えとして従えながら登場したアリシアに多くの者が内心感嘆しつつ拍手で迎え入れた。

 アリシアの「黒がいい」という要望を聞き入れつつイレインが用意した衣装は漆黒のウェディングドレスであった。頭の天辺から足先まで身につけているものは全て黒を基調にした色彩である。それを着こなす絶世の美女が表情を変えずに歩いてくる様は身震いするような美しさを放っている。

 その美しい主人の友人を拍手で迎え入れる者たちの中にはかつてあった侮るような気配は欠片もなかった。

 

 「モモンガさん。お招きいただけて光栄です」

 

 アインズは玉座をおり手を取って迎えそのまま玉座の隣へとアリシアを導いた。

 いつもなら当然のように一つしかない玉座の隣にはこの日のために用意されたもう一つの席があった。

 まるで王とその妃のような光景こそがアリシアがアインズの友人として認められている証である。

 ナザリックに属する者ではなくモモンガの友人という扱いであるアリシアに対して贈られたのはモモンガのエンブレムが入った勲章であった。黒骸勲章と名付けられたそれは十字勲章よりも見事なものだと誰の目にも見えた。

 

 「さて……では、皆の者よ。硬い話はここまでだ。我等に多大な力添えをしてくれたアリシアさんへの感謝とシャルティアが無事に帰ってきた喜びを皆で祝おうではないか。今日この場は無礼講である。盛大に祝うがよい!」

 

 そうして論功行賞が終われば宴が始まった。

 アインズが玉座の彩りを華やかなものに変える魔法を使えば控えていた一般メイドや運営側に回ったユリやこの日ばかりはとアインズの許可の元でてきたプレアデスの末の妹が玉座の間へと料理を運び入れた。

 

 「あ」

 

 その料理の中にはアリシアの好みの料理が多く含まれていた。

 イレインから料理長へとリサーチ結果は流れ、結果テーブルを埋め尽くすほどの料理となって露になった。

 

 「いかがですか?」

 「とって、も……美味しい、です」

 

 ふるふると少し震えるほど美味しさを露にするアリシアを眺める視線は微笑ましい物を見るものばかりだった。食べられないなりにアインズも雰囲気に流されて歌を披露することになればシャルティアとアルベドがデュエットを願い出て衝突する。宴は終始穏やかで楽しいものであった。

 

 

 

 

 それが一転して円形闘技場へと席を移すことになったのはドレス姿で参加している姉とは違って運営側として参加しているマーレの発案が元である。

 宴の途中で別室に移動していたアインズとアリシアが貴賓席に通されれば闘技場を利用した様々な演目が用意されていた。

 マーレ、アルベド、プレイアデスの面々による目を見張るものや苦笑いがこみあげてくる演技や演出に拍手をおくっていた皆であったが、最後の一人になったところでアインズは落ち着かなくなった。

 

 「モモンガさん、行って来ます」

 

 先程までドレスを纏いアインズの隣に座っていたアリシアの姿はない。代わりに闘技場の中央で武装した姿で歓声を受けているアリシアの姿がある。

 

 (それはいいんだけどなぁ……大丈夫かなぁ)

 

 本来、アリシアの対面にはアインズ自身が立つ予定であった。

 

 「子供を作ったのでガス抜きをしてやってほしい」

 

 という同盟者の言葉を受けてアインズはギルド武器の持つ力で各属性のモンスターを召喚しようとしていた。転移した初日にアウラとマーレが根源の火精霊と戦う様を見ていたアインズにはそれが適任に思えた。見栄えもよくアリシアに確かな手ごたえを感じてもらいつつ確実に倒してもらえる程度の相手だろうと見ていたからだ。

 だが今、アリシアと対峙しているのは根源の火精霊ではない。むしろその正反対のような存在だ。

 

 「み、皆さぁーん! ほ、本日最後の催しはアインズ様のお言葉にあったようにシャルティアさんと互角に戦ったアリシア様と、こ、コキュートスさんによる試合になりま~~~すぅ!!」

 

 マーレの再度の告知にわれんばかりの歓声が闘技場全体からわき上がる。

 そう。根源の火精霊の豪火の竜巻とは縁遠い、極寒の気配を漂わせる武人コキュートスがアリシアの対面に立っていた。

 

 (どうなんだ? ユウさんからの説明通りなら確かにコキュートスとアリシアさんならいい勝負だろうけど……あー、お互いに無事に終わってくれよ)

 

 開始の合図をマーレが託してくるのでそれに手をあげて応える。

 既にコキュートスはその手に持った白銀のハルバートを構えている。応じるようにアリシアも腰だめに刀を居合の形で構えている。両者共によーいドンの合図を待ったランナーである。

 

 「はじめっ!」

 

 両者の無事を祈ったアインズの一声が剣士と武人の最初の交わりを開始させた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 闘技場の地面が爆発した。

 砂塵が暴風によってまき散らされたかのように周囲に舞い広がった。

 

 (早イナ──)

 

 アインズの開始の合図とともに疾風のごとき速度で瞬く間に迫るアリシアに対して、コキュートスは予想以上の速さに感心する余裕があった。

 その手に持つ白銀のハルバートが自然と反応する。それはコキュートスの意志によるものではない。卓越した戦士として自然とできてしまう無意識の動きだ。

 思考時間どころか伝達時間をも省略したコキュートスの動きはアリシアの動きに見事にタイミングをあわせた。

 四つの腕をもつコキュートスの右上腕がハルバートを振り抜き間合いに入り込んだアリシアを両断せんと襲いかかる。

 アリシアの武器は刀。

 コキュートスの現在の武装は長柄のハルバート。

 そして腕の長さなどを考えればまずアリシアにはリーチの不利が存在しているように見えた。

 だからこそコキュートスの反応は正しい。

 一方的に攻撃できる間合いに相手が無造作に踏み込んできたのだから。

 しかしコキュートスは即座に自らの無意識の動きを自ら妨げた。

 

 (ム!)

 

 刃がアリシアを捉えると確信した瞬間コキュートスはハルバートを手放した。

 袈裟懸に振りおろしたハルバートはそのままコキュートスの手を離れて地面に突き刺さる。

 だがアリシアがそれに巻き込まれることはない。

 コキュートスがハルバートを手放した時には“まるで走っていなかった”かのようにその場に停止していたからだ。

 

 「! ッ!」

 「ォオ!」

 

 一瞬目を見開いたアリシアとコキュートスの視線が交錯しすぐさまそれはお互いの獲物で遮られる。

 暴風と化した風を纏ったアリシアの抜刀術はハルバートを捨てたことで空いたその手に武器を握ったコキュートスに受け止められていた。

 刀と刀が甲高い音を響かせて激突した。

 本来刀はこのように正面から打ち合うことなど想定されていない。ゆえにお互いの刃にはそれが生半可な刀であれば刃こぼれかひびが入ることは免れなかっただろう。

 だが両者の刀は共に生半可なものではなかった。

 

 片や超越者が打ち、使用者と共に育ってきた黒耀。

 片や至高の四十一人の一人が愛用していた斬神刀皇。

 

 どちらもこの激しい初撃に見事傷一つつくことなく耐えきっていた。

 同じ白銀を思わせるような美しい刃がお互いを映し出すように重なり合う。

 名残が残る暇もなく刃と刃は離れる。

 アリシアが大きく後ろに飛びのいたからだ。

 

 「……初見で見切られたのは初めて」

 「私モイキナリ武器ヲ手放ナシタノハ初メテノコトダ」

 

 本気で初撃で沈めるつもりの一撃をいとも簡単に受けられたアリシア。

 愛用している武器を投げ捨てなければ取られていたと確信を抱くコキュートス。

 両者共に焦りや怒りを抱いてもおかしくないような攻防を経ても戦意が衰えることはない。

 むしろお互いに昂りを抑えられなかった。

 

 (ヤハリ様子ヲ見ルナド不要ダッタナ)

 

 左上腕でハルバートを広げて構え、右上腕で斬神刀皇を正眼に構えるかのようにアリシアに向けた。

 四本の腕に武器を構えた時こそコキュートスの戦士としての真価が発揮される。

 ならば二本の現在は手を抜いているのか。

 答えはノーだ。

 武器が四つしかないのであればイエスだったかもしれないが、コキュートスには二十を越える武器の選択肢がある。

 剣、刀、槍、盾、細かく分類すればその武器の数と同数の種類がある。その中から何を抜くのかを見極め、そして相手に悟らせない。

 アリシアの抜刀術と同じである。間合いや武器を悟らせず。致命的な一撃を避け、致命的な一撃を打ち込むためあえて二本の腕は空けているのだ。

 

 「次ハコチラカラ行カセテモラオウ」

 

 翼を広げるようにコキュートスがハルバートを振りあげる。それに合わせるようにアリシアが疾風のごとき速さで踏み込んでくる。

 それは受けの立場ではない。あくまで攻めるという後の先を狙った動きだ。

 その動きこそ望んだものだとコキュートスは一振りごとに武人としての昂りを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 客席から眺める景色に空いた口がふさがらない。

 そしてそれに気がつかないほどシャルティアは目の前の攻防に驚いていた。

 歓声をあげていた客席は静まり返り固唾を飲むとはこの事かと言うばかりに闘技場で戦う二人へ視線を送っている。

 シャルティアはその皆の様子に安堵していた。

 驚き固まっているのが自分だけではないかと不安を感じたからだ。

 だが安堵したのもつかの間、最も自分に近い両隣の二人からどこか余裕を感じその両者の間で視線をさまよわせた。

 

 「さっきからどうしたのよ。シャルティア。ちゃんと見ておきなさいよ」

 

 シャルティアの視線を煩わしそうに左隣りに座ったアウラが注意を促した。

 その服装はいつものような男装ではない。アウラ曰く「うー、こんなヒラヒラしたの調子狂うなぁ」というような深紅のドレス姿だ。

 普段から男装ばかりなアウラだが実は服の種類は守護者の中でも弟と並んで豊富にある。これは二人を創造した至高の四十一人の一人ぶくぶく茶窯が集めに集めた結果だ。

 

 男装の少女アウラと男の娘マーレ。

 

 「一人で二人分可愛い! 二人で四人分も可愛い!!」

 

 だから勝てるわけねーだろうがオラァ! と弟であるペロロンチーノとの言い争いで往復ビンタをおみまいしていた創造主のいう通り、二人には男向け、女性向けの服装がそれぞれ用意されていた。そのおかげでこうしたドレスもすぐに用意できたのである。アウラ本人としては恥ずかしい限りだが周囲の反応は拍手喝采であったので流石はぶくぶく茶窯様だと照れながら改めて敬意を感じてもいた。

 そんなアウラは自らの言葉を実践しているのか話しかけながらも視線は戦う二人から離していない。

 シャルティアはその様を見て慌てて視線を前に戻した。

 コキュートスの断頭牙と斬神刀皇の双撃をすり抜けて反撃を行うアリシアの姿がそこにある。

 

 「あ、アウラ。いや、その……これほどだったと思わなくて……」

 

 驚きの余り普段の言葉使いも忘れてシャルティアは飾らぬ本心を語った。

 自分に勝利した相手ということは無論分かっている。

 けれど、それをシャルティアは覚えていない。正直なところ過去の自分が敗北したのは至高の四十一人の頂点に立たれるアインズ・ウール・ゴウン様に槍を向けるという愚かで不敬極まりないことをした報いだと考えていた。アリシアはアインズのために壁役として貢献したのではなかと思っていたのだ。

 だが、実際に目にしたアリシアの力はただの壁役では収まりがつかない。

 まだ二本しか抜いていないとはいえただの壁役がコキュートスと五分に戦えるはずがないのだ。

 そんな素直な驚きに呆れたようにアウラは右手でシャルティアに突っ込みをいれる。

 軽いチョップですこしシャルティアの頭が揺れた。

 

 「呆れた。言ったでしょうに。アリシア様はあんたと五分に戦える剣士だって」

 「そ、そうだけど、そうだけど……」

 「まぁまぁ、アウラ。実際に目にするのがこれが初めてなのだからそう言わなくていいんじゃないかな?」

 

 驚きで混乱しているシャルティアの肩を持ったのは右隣に座るデミウルゴスだ。

 アウラ同様に視線を外さないデミウルゴスの声音は優しい限りだ。

 

 「そう? この虚乳。少し自覚が足りてなんじゃない?」

 「はは。いやいや、多くの者が驚いているのだから仕方がないさ。私やアウラだって初めてみた時は驚いただろう」

 「まぁ……そうだけどさ。むー。こらシャルティア。こっち向くな。前向いてなさい」

 「うっ。わ、わかってるわよ。もうっ」

 

 横目でうかがったシャルティアは頭を再度アウラに叩かれつつ、二人が見たという“初めてみた時”をを覚えていない自分に幻滅して視線が下がりそうになった。

 だがアインズから授けられた十字勲章の重さを感じ何とか負けないように視線を保った。自責の念を乗り越えていかなければアインズの示してくれた愛に応えることができない。それだけは絶対に出来ないことであった。

 三人の視線の先では近づいては離れ、離れては近づいての一進一退の攻防が続いている。

 二刀のコキュートスとアリシアにはほとんど差はないように感じる。

 

 「見事でありんすねぇ。コキュートス相手に……」

 「……ふ、まぁ、あんたは槍を突いてもかすりもしてなかったし、コキュートスだからでしょうね。いまだにお互いに一撃入らないのは」

 「ふぇ!?」

 「ああ。アウラの言うことは本当だよ。シャルティア。確かにスポイトランスはほとんど当たっていなかった」

 「付けくわえるとあんた滅茶苦茶斬られてたからね。ほんとコキュートスは流石だよ」

 「ほんとでありんすかぁ? そんなに?」

 「そ・ん・な・に!」

 「イタイッ」

 

 いまだ自覚が足りないと今度は拳骨が落ちてきた。

 シャルティアの小さな悲鳴は静けさの中では異音として響くかと思われたがそうはならなかった。

 客席から歓声が起こったからだ。

 ついにコキュートスが三本目の武器を抜き放ち懐に入り込んだアリシアを斬りあげたのだ。

 青白くうっすらと光り輝くブロードソード。

 その刃を紙一重のところで避けたアリシアを待っていたのは斬神刀皇による斬撃である。避けるために丁度その間合いに飛び込む形になった。

 そして斬神刀皇の斬撃を逃げのびたところには断頭牙の刃が待っている。

 コキュートスの三本の武器を使った連撃はアリシアに一切の攻撃と防御を許す気配がない。

 

 「アウラ。どう思います?」

 「足が止まったら終わり」

 

 デミウルゴスの言葉にアウラは簡潔に答えた。

 刃から身を守るために防御を選択した瞬間、切り刻まれる。

 そう思わせるだけの激しさと容赦の無い攻撃はコキュートスはちゃんと自制をきかせているのかとアインズとデミウルゴスが不安に感じるほどであった。

 そしてコキュートスの勝利を願って歓声が上がる中、アリシアの身を案じるアインズとデミウルゴスが不安を感じた丁度その時、何かがはじけるような音とともにアリシアはコキュートスの斬神刀皇を受け止めたのであった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 コキュートスが絶対の信頼を置いている斬神刀皇。

 その右薙ぎの剣撃は容赦のないものであった。

 

 アインズとデミウルゴスの不安は当たっていた。

 既にコキュートスには手加減という意識は一切なかった。

 そうなってしまったのはアリシアが予想以上に強かったためだ。シャルティアとの一戦を見ていたコキュートスですらそう感じるほどに実際に対面したアリシアの技量は深く高いものだった。

 一太刀一太刀を意図を持って撃ちこまなければ即座に斬りこまれる。

 しかも意図をもってというが実際そんな思考時間はない。

 その場の一瞬の攻防の中で空気と気配、相手の状態から体の反応で生まれる一太刀。

 それの積み重ねが一進一退の攻防だ。

 それは舞踏のようなもので両者による阿吽の呼吸がうまれていた証拠でもある。

 

 この一太刀がどういう結果を招くのか。

 

 それをお互いにほぼ一瞬で理解してその通り打ちあっている。

 お互いにお互いの上を行こうとしても行けずにまるで踊るように打ちあっていたのだ。

 その均衡が崩れたのはアリシアがコキュートスの内側についに踏み入れた時だった。

 長い腕が邪魔をして斬神刀皇ですらアリシアをとらえることができない。

 ついにその舞踏からアリシアがコキュートスを押し倒した。

 しかし、コキュートスが二本の腕を空けていたのはこのためである。

 瞬時に抜刀されたブロードソードがアリシアを下から掬うように斬りあげた。

 そしてそこからの舞踏は押し倒されまいと逃げ回るアリシアを追い詰めんとするコキュートスという図にかわった。

 五分の状況から一転してコキュートスが圧倒的優位に立ったのだ。

 

 (ダガ。此処マデデハアルマイ!)

 

 しかし、好転したこの状況ですら舞踏の中の一部であろうとコキュートスは察していた。

 自分が武器を新たに構えたその瞬間は確かにアリシアには不利な状況だろう。だが、そんなことはお互いに分かっていたことだ。

 ならば必ず打つ手を持っている。

 

 (見セテミロ。シャルティアヲ倒シタソノ技ヲ!)

 

 何処までも底の見えないアリシアの全てを見極めんとコキュートスは武人として剣士のアリシアを信頼しているがゆえに一切の手加減を捨てて必殺の一撃を放った。

 その一撃をアリシアはついによけ切れずに黒耀で受け止める。

 だがそれはそのままでは死が待つ動きであった。

 その場でとどまろうと吹き飛ばされようと既に断頭牙の刃の中である。

 コキュートスはどちらに転ぼうと捕えきれると確信していた。

 

 「キタカ!」

 

 そして斬神刀皇から伝わってくる歪な手ごたえについに打つ手を打たれたのだと瞬時に把握した。

 斬神刀皇が走り抜けた後には、吹き飛ばされた先、そしてその場、そのどちらからもアリシアの姿は消えていた。

 

 「ぇ──?」

 

 誰が叫んだのか。疑問を浮かべた一声が変に闘技場に響いた。

 アリシアは斬神刀皇の一撃を受けて真上に弾きとばされていたのだ。

 それは飛んで避けたという様子には一切見えなかった。斬撃を受けて弾きとばされたようにしか見えなかった。しかし、それならばなぜ真上に跳ねあがるというのか。

 

 (! 風ガ!)

 

 もっとも近くにいるコキュートスにはなぜそうなったのか少しだけ理解できた。

 アリシアの右側に風の壁のようなものが存在していてアリシアはそれに身を預けるように上に登っているのだ。なぜそうなっているのかはコキュートスには分かるところではないがそうなっているとしか思えない。

 そしてコキュートスが気がついたのは風の壁だけでははない。むしろ風の壁は付属品だ。

 風が上昇しているアリシアに向けてまるで渦を巻くように集まって行ってっているのだ。

 初撃からずっと纏ってきていた暴風のような風が可愛く見えるほどの大竜巻になりつつある。

 

 「切リ札トイウコトカ」

 

 面白イ。

 

 コキュートスはスキルと魔法を即座に使用しその身に氷の鎧を纏う。

 スキルによる追加武装を魔法によって強化したその鎧こそ、鎧を装備できないコキュートスの唯一かつ最大の防御手段であった。既に回避が間にあわないと悟ったがゆえに即座の判断であった。

 四本目の腕で盾を握るという方法もあるがそれはしない。相手の一度の打つ手にたいして四本目まで使いたくなかったからだ。舞踏のバランスが大きくアリシアに傾くことは避けねばならなかった。

 

 (来イ──!)

 

 その大竜巻に周囲がようやく気がついた瞬間。

 

 「──ヴァルハーゼの乱風」

 

 今まで無詠唱で魔法を使い続けていたアリシアが初めて詠唱するとコキュートスの上から竜巻がふってきた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 巨大な竜巻がコキュートスを飲みこみ周囲に砂塵をまき散らす。

 運営側のマーレやアルベドが客席への、特に貴賓席への防御を咄嗟にかけたことでナーベラルは砂塵に目を潰されることもなくその光景を目に焼き付けていた。

 

 「すさまじい」

 

 ぽつりと漏れ出した言葉にはなんら感情は籠っていない。当然だ。本人としては話している自覚もないのだから。

 蒼黒いドレスを身にまとったナーベラルはセバスとソリュシャンの間に座りながら親友であるコキュートスと新しい友人になりつつあるアリシアの試合を眺めていた。

 コキュートスとナーベラルが創造主の仲の良さも手伝って親友と呼べる間柄であるということは実はナザリック内でもあまり知られていない。両者共に仕事熱心であり与えられた役目に没頭するあまり第三者がいる時は一切そんな様子を見せないからだ。

 そんなあまり知られていない親友同士な二人は昨日も二人で相談をしていた。それはもちろん今目の前の試合の事についてだ。

 

 「ナーベ。アリシア様ハ実際ドノ程度ヤル?」

 「キューちゃんには悪いけど私には戦士としての素養がないから……魔法のことくらいよ。分かるの」

 

 ナザリックには無数の存在がいるといえども第五階層守護者を「キューちゃん」呼びできるのはナーベラルとアインズくらいなものである。アインズはそう呼ぼうとそもそも思いつかないだろうが。

 そんな二人の会話の中でナーベラルがコキュートスに注意出来たのは自らの専門職である魔法についてだ。

 冒険者ナーベとしてアリシアと見えるように一緒に依頼をこなした経験を幾度かもつナーベラルは魔法を使用していることに気がつけないことにまず驚いていた。

 

 「ぇっと。私は、基本的に、詠唱しないから……」

 

 舌噛んじゃいそうだし……と語ったアリシアの言葉の意味を前衛の高速戦闘についていくために詠唱はしない、当初ナーベラルはそう思ったが付き合っていく中でそうではないと確信していた。

 アリシアやユーイチはそもそも詠唱せずとも魔法が使えるのだ。魔法を使うのに詠唱を必要としないのが普通なのだ。無詠唱化して魔法を使っているのではなく元から詠唱を必要としない。

 ナーベラルは自分たちとは魔法の使い方が違うのだという事に気がつき、それをアインズに報告した時のことを忘れない。それはアインズがとても喜んでくれた日であったからだ。

 

 「そうかそうか! ナーベよ。お前の言うとおりだ。そしてそれにお前は気がつき、こうして進言してくれた。素晴らしいぞ」

 

 アインズの対応を思い出せば胸に温かい物が広がってくるほど注意を受け続けていたナーベラルにとってその日は嬉しい一日になった。そしてだからこそ自分の判断は間違っていないと確信する。

 武人として剣を交えるつもりの“キューちゃん”に助言するのは一つだけだ。

 

 

 

 「アリシア様は魔法を使っているようには見せないでしょうけど絶対に使ってると思った方がいいわよ。そして使ってるということが分かるということはそれは大きな術……詠唱まで必要ならなおのこと。だから、その辺気をつけておいたら?」

 

 

 

 そんなナーベラルの言葉が竜巻に全身を切り裂かれている最中コキュートスの脳裏に浮かんだ。

 

 (マサニオ前ノ言ウ通リダナ。剣士ガコレホドノ魔法ヲ使ウト誰ガ想像デキルダロウカ)

 

 やはり親友は持つべきもの。事前に話をしていてよかったとコキュートスは感じていた。

 コキュートスがアインズが不安を感じるほどに本気を出しているのには魔法によるバフが積み重なっているだろうというところもあったからだ。

 そして何よりこの大竜巻。

 迷いなくスキルと魔法を使用できたのはナーベラルの忠告のおかげだった。無ければ今頃ズタズタに切り裂かれていただろう。使用しているにもかかわらず無視できないほどのダメージを受けているのを感じているのだから。そして、何よりも余裕が生まれていることが一番大きかった。

 

 (ソウデナケレバコノ一撃、気ガツケタカドウカ!)

 

 「ムゥン!」

 「ぇ──?」

 

 大竜巻の中、アリシアの本命の一撃をコキュートスは斬神刀皇で撃ち落とした。

 初撃の抜刀術よりなお速い速度で突き進んできたアリシアを横から斬り落としたのだ。

 撃ちだされた竜巻以上の激しい風を纏っていたアリシアだったが斬神刀皇の刃はその風を斬り飛ばし見事にアリシアに届いていた。

 

 「ぐ……く……んんっ」

 「ムォォォ……ッ」

 

 アリシアが斬り落とされた瞬間に竜巻がはじけ飛ぶ。

 するとそこに現れたのは右の脇腹から血をにじませているアリシアと全身を引き裂かれてまるでひびが入ったかのようなコキュートスだ。

 アリシアは風の守りのおかげで何とか大ダメージを回避していたが脇腹を切り裂かれて地面にたたき落とされたため呼吸を大きく乱していた。

 切り裂かれている中で無茶な動きをしたコキュートスも無事では済んでいない。右上腕が激しく傷ついているのはそのためだ。

 

 「ふぅ。ふぅ──」

 

 もう既に傷はふさがっているのかアリシアが傷を気にする様子はない。

 そしてコキュートスもまた同じように傷を気にするそぶりはない。

 再度のスキルの使用で罅割れた外骨格をまた白銀の氷が覆う。

 どちらも大きな死線を越えてもなお戦意を失いはしなかった。

 

 「……ダメ。届かない」

 「ム……?」

 

 誰かに語りかけるようにアリシアのもらした言葉にコキュートスは耳を疑った。

 衰えぬ戦意を見せる好敵手が発する言葉には聞こえなかったからだ。

 その言葉の真意を見定めようと初撃以来の受けの構えをコキュートスは取った。

 そして、試合が死合にかわる声を聞いた。

 

 「一本じゃ……足りない」

 

 二本目の刀をアリシアが抜くのを見てコキュートスは直感的に分かってしまった。

 目の前の剣士はまだまだ底を見せていないと。

 

 「アァ……本当ニ素晴ラシイ!」

 

 そうして三刀流のコキュートスと二刀流のアリシアによる二幕が始まった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 右手で黒耀を横に広げるように。

 左手で新たに抜いた刀を正眼に。

 コキュートスが二刀を構えた時とほとんど同じ様でアリシアは突撃する。

 その疾風のごとき速さは初撃の時と何一つ変わらない。

 対するコキュートスは一刀から二刀にかわったアリシアに対して特に何かを変えることはなかった。

 

 両手から片手になってしまえば攻撃を受け切れないのではないか。

 増えた手数に三本の武器で追いつくのか。

 

 そんな問いは見ている観客達が抱くもので相対する二人に今更疑問などない。

 

 目の前の相手に絶対の信頼があった。

 

 

 

 「「──!」」

 

 

 

 五本の武器による壮絶な打ち合いが始まる。

 一閃が地面を削り虚空に火花を散らせ続ける。

 

 「……まずいですね」

 

 そんな同僚と主人の友人の戦いの様子を眺めていたセバスは眉間に少し皺を寄せた。

 ナーベラルを挟んで座るソリュシャンがその呟きを逃さずセバスに視線を向けた。

 

 「セバス様? どうかされたのですか?」

 「ええ。少々まずいことになっているようです」

 

 視線を戦う二人から話さずに答えるセバスにソリュシャンは自分も視線をむけなおした。

 一度コキュートスに傾いた流れをアリシアは見事に挽回した。形成はまた五分に見えるところまで戻っている。違いがあるとすれば五本の武器が交差する中でお互いに回避ではなく打ちあうことを選択せざるを得ないところか。

 

 「コキュートス様が不利なようには見えませんが……」

 

 ソリュシャンの言う通り、打ちあいであれば膂力に勝るコキュートスの方に分があるように見える。それにコキュートスの纏っている白銀の氷の鎧。いまだ全開ではないにしろ致命傷をうけることなどないだろう。

 セバスはそれに頷きながら自分の隣に座るデミウルゴスに意識を向けた。

 心配しているのはコキュートスが負けることではない。

 

 「デミウルゴス。コキュートスのあの様子。とても自制ができているようには思えませんが」

 「……そうであってほしくはないんだが武人としての君の目にもそう見えるかい? セバス」 

 

 お互いに不本意ながら同意見であることをセバスとデミウルゴスはそれぞの視点から判断して頷いた。

 間違いなくコキュートスは本気である。

 主人の友人に対して取り返しがつかないことをしかねない。

 アリシアは主人の友人であり、プレイヤーと結びついている人物だ。もしものことがあれば主人にどれほどの迷惑をかけてしまうことか。

 

 「あの様子では寸止めなど少しも考えていないでしょう。どうするのですか? 大事に至らぬ前にアルベドかマーレに仲裁させるべきなのでは?」

 「私にその裁量はないよ。そしておそらくアルベドやマーレにもないのだろうね。あるなら既に止めているでしょう」

 「つまり、アインズ様の御意志ということですか」

 「そういうことになるね。そしてアインズ様のご判断は全て正しいのですから私たちが気にしていても仕方がないということさ」

 

 運営側のトップであるアルベドにすら止めることができないということはこの死合はアインズが審判をつとめているのだ。

 デミウルゴスの言葉は正しい。セバスもアインズが判断しているのであればなにも不安はなかった。

 

 「ところでセバス。君から見てどちらが優勢かな?」

 「見ての通り五分……ではありませんね。有利なのはコキュートスでしょう」

 「そうなのかい。私にはいささか劣勢に見えるが……」

 

 二人の視線の先でコキュートスの乱撃をくぐりぬけてアリシアが左の刀で斬撃を浴びせるのが見えた。

 徐々にアリシアのほうが有効打を与えているように見て取れる。

 コキュートスの刃は先程からかなり余裕をもって弾かれていてアリシアの足を止められていない。

 そのせいで腕の内側まで潜り込まれてしまいブロードソード一本でアリシアの二刀を受けなければならなくなっている。

 だがそんな劣勢に傾きつつあるコキュートスの様子を見てもセバスはコキュートス有利を断言した。

 

 「アリシア様には余裕がないように見えます。先程からコキュートスの攻撃を片腕で両腕以上に防いでいるのは明らかに何か特殊技能を使っているはずです。おそらくは武技でしょう。どういった内容かは分かりませんがそうでなければ説明がつきにくいですからね」

 「なるほど。それに対してコキュートスにはまだまだ余裕があるということですか」

 「ええ。無論のことですがアリシア様もまだ切り札を残しているでしょうが……このまま戦えばコキュートスが勝ちます」

 

 セバスがいい終わるのとほぼ同じタイミングで闘技場の内部を氷の檻が包んだ。

 地面から壁までが一瞬で氷つき凍てつくような空気が世界を満たす。

 魔法による障壁で守られている観客席にはその影響はないがその障壁までもが氷ついた。

 

 「これは……!」

 「コキュートスのフロスト・オーラのようですが……他のスキルや魔法を併用してますね。全力のフロスト・オーラとは……」

 

 フロスト・オーラはコキュートスの持つスキルの中でも脅威になり得るものではない。

 氷属性に対する耐性があれば無害に等しいからだ。

 そのスキルにコキュートスはほとんどのリソースを割いている。

 そうでなければこれほどの効果を発揮するものではない。

 障壁越しの客席ですら身を切るような冷気を感じるほどであり、今の闘技場内では生半可な軽減効果では立つどころか身動き一つもできないだろう。

 デミウルゴスをはじめとして何人かはすぐに問題に気がついた。

 こちらの視界まで奪ってしまっているためにアインズが仲裁の判断を下せないのではないかと思ったからだ。

 その視線が一斉にアインズの方を向く。

 視線の先では絶対の主人が動じることなく席についていた。

 まるで問題ないと伝わってくるその様子に視線を向けた者たちは慌てて視線を元に戻した。

 アルベドに指示されたマーレが視界を確保するために魔法を試行錯誤しているがなかなか上手くいかない。

 闘技場に備わっている客席への防衛システムと自分たちがかけた魔法の防御を解除すれば視界は戻るかもしれないがそうすれば死人がでるのは言うまでもない。

 客席の中には冷気への耐性がまったくない者やそもそもレベルが足りていない一般メイドなどもいるのだ。

 

 「ちょ、ちょっとでも解除すれば目を送れますけど……」

 「それも出来ないわね。……この冷気じゃ」

 

 マーレとアルベドは運営を任されていながら客席に中の様子を伝えられない事に歯がゆさを感じていたが、もはやどうにかできるとすればそれはアインズをおいて他にはないように思えた。

 内側から凍結した障壁がまるで磨かれた宝石の玉のようだと皆が見つめ、ざわざわと騒ぎ始めていた時だった。

 

 「ぁ!」

 

 数秒の間、氷に閉ざされていた障壁がその内側を映し出した。

 それはマーレやアルベドの思考錯誤の結果ではない。氷が溶けて覗けるようになっただけだ。

 数秒後また冷気に閉ざされたその内側の世界を見た者はついにこの死合に決着がつくのだと理解した。

 

 

 そこには四本目の武器として盾を構えたコキュートスと全身に燃えたぎる業火を纏わせているアリシアの姿がった。

 

 

 その様子は最終局面にふさわしい威容であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 フロスト・オーラを解放した時、コキュートスは周囲のだれよりもアリシアの状態を分かっていた。

 二刀になってから剣を交えるたびにこちらの剣撃がそのまま返って来たかのような異常な手ごたえをコキュートスは感じていた。

 断頭牙を全力で振れどもアリシアの片腕にあしらわれる様にはじき返される。それは細い刀から感じる手ごたえではありえないものだ。

 

 (コレガ武技カ)

 

 アインズから聞かされていたこの世界特有の技。

 戦士職専門の魔法のようなもの。

 自分とアリシアの技量に大きな差が表れるとしたら武技によるものだろうと戦う前から想定していたコキュートスは取りみだすことはなかった。

 むしろついに武技を引き出せたと確かに追い詰めている手ごたえを感じたほどだった。

 そしてそれは当たっていた。コキュートスの剣撃を完璧に弾くほどの武技はそうそう連発出来るものではなかった。

 そして、それでもアリシアは武技に頼らなければならないほどに手詰まりであった。

 

 

 ヴァルハーゼの乱風。

 

 

 風の複合魔法と武技を組み合わせた自慢の一撃で決定打を与えられなかった段階で追い詰められていた。

 武技を使わなければ打ち合うこともできない二刀へと構えを変えたのはそうでなければコキュートスの三刀に対して手数が足りないからだ。

 そして何よりもアリシアを追い詰めていたのは常に纏い続けなければならない“風”であった。

 シャルティアと互角に戦えたアリシアだがそれはアインズによる事前のバフのおかげだ。

 アインズのおかげで身体能力でほとんど差がなくなったがゆえにシャルティアに勝る技量であしらうことができた。

 だが今回は違う。バフもなければ相手はシャルティアとは比べ物にならない技量をもつコキュートスだ。

 技量を五分としたとしてもそれではもともとの能力差で負けてしまう。

 そのためにアリシアは速度で追いつけるように風の魔法を常に身にまとっていた。

 しかし、本来これは瞬時に間合いを詰めるために使うもので常時纏い続けられるほど燃費のいい魔法ではないのだ。

 風を纏いながら徐々に自分に強化魔法をかけるもののそれでも風なしではまともに打ちあうこともできない。

 魔法と武技を常に使い続けなければならない。

 そんな過度な消耗状態のアリシアをコキュートスは感じ取っていた。

 だからこそ全力でフロスト・オーラを使用した。

 

 吐きだす息すら凍てつく、人では耐えられない領域。

 

 それに耐えるためにアリシアにさらなる消耗を強いることで短期決戦を申し出たのだ。

 確かに現状のまま打ち合えばアリシアの剣は何度もコキュートスに届く。

 しかし、決定打には程遠い。精々が纏った白銀の鎧を剥がすのが関の山だろう。

 コキュートスには引いて勝つという気は一切なかった。アリシアという好敵手とお互いに全力を出し切りたかった。

 

 そんなコキュートスの意図をアリシアは分かっていた。

 コキュートスに応じるように冷気に包まれる中、ほんの少しだけ微笑んだアリシアは風と一緒に炎を纏った。

 

 「ヤハリ。マダ先ガアルカ」

 「はい。あります」

 

 アリシアは纏った風と炎で周囲に業火を渦巻かせる。

 コキュートスはフロスト・オーラでより強化された白銀の鎧を纏っている。

 このタイミングではまだ余裕を見せているのはコキュートスである。四本目の腕がどの獲物を抜くかと見えない武器をアリシアにちらつかせている。 

 

 「ダガ。私ニハ炎ヘノ完全体性ガアル。ソノママデハ勝チ目ハナイゾ」

 

 自身に授けられた装備品によってコキュートスは本来弱点であるはずの炎から一切の悪影響を受けない。

 そのことを伝えられてもアリシアには動じる様子はなかった。

 弱点に対して耐性を備えようとするのはよくある話だったからだ。

 

 「だと、思います。だけど、私の炎は……貴方に届きます」

 

 よくある話ゆえに耐性をどうにかする方法はあるとアリシアは伝えた。

 だから気にしないでほしいと。

 コキュートスは無駄な手間を取らせたと少し苦笑いした。

 

 「ソウカ。余計ナコトダッタナ。忘レテクレ」

 「はい。……行きます」

 

 話してる時間があるならその分全力をぶつけるとばかりにアリシアを纏う業火は勢いを増していく。

 フロスト・オーラによって熱を奪いとられていた闘技場にまるで太陽が出現したかのような熱量だ。

 コキュートスはその脅威を瞬時に把握した。

 

 あの炎は自分に届く。

 

 そう確信するほどに自分の炎への完全体性が頼りなく思えた。

 ゆえに四本目の腕に持つ武器はすぐに決まった。

 コキュートが武器を取りだしたその瞬間にアリシアは動いた。

 自分との短期決戦を望んでくれたコキュートスに感謝してアリシアは新たな武器を取りだすのを待っていたのだ。

 

 

 

 「───炎武帝の行進」

 

 

 

 ヴァルハーゼの乱風に続く、二度目の詠唱から繰り出されたのは炎の突進だ。

 アリシアの身を炎が包み染め上げ、炎そのものに変えて周囲を融解させながらコキュートスに迫る。

 だがヴァルハーゼの乱風に比べれば遅すぎるその突進を迎撃するのは容易であった。

 コキュートスは例え途中から爆発的に速度が変化しようとも対応できるだけの余裕を持って断頭牙を振り抜いた。完全耐性を抜かれるのであれば炎は致命的な弱点である。むざむざと近付ける必要はない。

 武技に弾かれたとしてもその勢いで次の連撃を用意していたコキュートスは予想を越えた結果に驚き、そして自らの創造主──武人建御雷に感謝した。

 

 「!」

 

 炎に包まれたアリシアに刃は吸いこまれてそのまま何一つ手ごたえをつかめずにすり抜けたのだ。

 炎武帝の行進は使用者を炎に変えて突撃させる自爆技のようなものだった。

 容赦なく道中に存在する塵芥を燃やし溶かし消し去る。

 コキュートスの持つ武器だからこそまだ耐えられたが並大抵の武器なら振り抜くこともできずに触れただけで消滅するほどである。

 断頭牙をすり抜け右手に構えた炎の剣をアリシアはコキュートスに突き入れた。 

 

 「──!?」

 「グォォッッ!?」

 

 だが通常の武器では防御もままらない炎の剣ですらコキュートスを越えることはなかった。

 四本目の腕で選んだ武器は円形の盾である。これはコキュートスの持つ武器の中で唯一炎ダメージを軽減することに特化した性能をもっていた。

 

 「武人ってのは油断しねぇもんだ。一つくらいこういうのを持たせておくべきよ」

 

 創造主である武人建御雷がナーベラルの創造主である弐式炎雷にそう言いながら自分にこの盾を預けてくれた時のことをコキュートスはおぼろげながら覚えている。用意周到という言葉では足りない未来予知とも言うべき創造主の配慮に天井知らずの敬意が沸き起こる。

 しかし、炎ダメージを軽減することに特化した盾を持ってしても無傷ではすまなかった。

 数秒の均衡の後、轟炎の火柱を立ちあげて終わった炎武帝の行進はコキュートスに初めての炎による痛みを届かせていた。

 

 「ムォォ……コレガ灼カレル痛ミカ……ッ」

 

 炎とかしたアリシアは盾を越えコキュートスを越えて壁際まで抜けていた。

 特化した盾ですら止め切ることができずに全身を焼き溶かされたコキュートスは一切の余裕がなくなっていた。

 纏っていた白銀の鎧は氷で編んだものだ。太陽のごとき炎に耐えられることもなく既に全焼している。姿を覗かせたライトブルーの体はあちこちが焼かれていて、ヴァルハーゼの乱風によって切り裂かれていた傷口が不格好にふさがっている。外骨格が溶けて固まったからだ。

 

 「か、はぁはぁはぁはぁっ……!」

 

 だが、余裕もなくなり苦しい立場に置かれたコキュートスよりもなおアリシアは苦しかった。

 炎武帝の行進はヴァルハーゼの乱風よりもはるかに消費が大きい。

 纏っていた風と炎の勢いは急激に弱まっていき今にも消えてしまいそうだった。

 魔力の消費と武技の連続使用に頭も体も悲鳴を上げる。

 

 二人の様子はもし客席から見られていたらすぐにストップがかかるものだっただろう。

 だがフロスト・オーラに遮断されたこの現状は炎武帝の行進でつかの間のあいだしか漏れ出していない。

 そのためいつどちらかが死んでもおかしくないような戦いを止める者はいなかった。

 

 そして二人もまた決着を望んでいた。

 お互いにようやくここまで来た喜びを感じていたのだ。

 四本の武器を構えたコキュートスにはもう忍ばせている余力はない。

 ここまできてようやくお互いに全力で舞えるのだ。

 

 二人は示し合わせることなく同時に振り返った。

 焼け爛れた外骨格をものともしないコキュートス。

 乱れた呼吸を一息で整えて立ち上がったアリシア。

 どちらもお互いの意志を感じ取っていた。

 

 

 

 ──コレガ最後ノ

 ──交わり 

 

 

 つかの間の業火に見舞われた凍てつく世界に再び静かな冷気が漂う中、二人の中から急激に余計なものが抜け落ちていった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ようやくここまでこれた。

 その喜びすら抜け落ちていき、見開いた瞳からは全ての色が消えていくようだった。

 アリシアは既に乾ききった自分を振り絞るように魔力を練り上げて風と炎を纏い武技を用意していた。

 

 

 ──でも、それだけじゃ届かない。

 

 

 (うん)

 

 

 同じように余計なものが抜け落ちた心の中の自分の呟きを肯定する。

 四本の武器を構えたコキュートスには二刀では追いつけない。

 

 

 ──だから、私もでる。

 

 

 (うん)

 

 だからこそ本来なら禁じ手にされている物に手を出す。

 普段ならユーイチに危険すぎるからやめるように言われている切り札中の切り札。

 アリシアはナザリックに来る前にユーイチから言われた言葉を思い出す。

 

 「制限しないで暴れて来い」

 

 本来ならヴァルハーゼの乱風も炎武帝の行進も禁じ手であった。

 使いすぎると体に負担がかかるからと心配されているからゆえに自分でも使おうとはしない禁じ手を既に二度も使った。なのに相手の腕一つ落とせていない。

 

 コキュートスはただの強い存在ではない。武人としても卓越した存在であった。

 

 だからこそアリシアはそれに応じることが楽しくてたまらない。

 自分の絶対の一撃が弾かれようとも嬉しいのだ。

 業に業で応えられることのなんと甘美なことか。

 そしてそれの積み重ねこそが最愛の人の隣に立つ唯一の方法だと知っていたから。

 

 

 「「約束の二人」」

 

 

 だからこそ“心配していない”という信頼の言葉を送ってくれたユーイチに応えるように最後の切り札を二人で唱えた。

 一瞬だけコキュートスから驚きの気配が伝わり、そしてそれが歓喜の興奮に変わったのが分かった。

 

 「行くよ。私」

 「うん。行こう。私」

 

 二人にアリシアは分かれていた。

 

 約束の二人は自身を二人に分ける特殊技能。

 

 装備までは同じではなく白いスカートを纏っているいつものアリシアに対して新たに現れたアリシアはそれを黒に染めた全身真っ黒な装備だ。

 しかし、二人に分かれたことはメリットよりもデメリットのほうが大きい。

 二人に分かれても一人であることに変わりはないからだ。

 片方が死ねばもう片方も死ぬ。片方の消耗はもう片方の消耗でもある。

 手数と対応力をあげる代わりに消耗を二倍にしたのがこの業だ。

 もともとは裏のアリシアがユーイチに甘えるために自力で編み出した業であり戦闘を考えて作られたわけではないのだ。

 だから禁じ手というのは危険性という意味ももちろんあるが実際は二人同時に甘えてくることにユーイチが耐えかねたものだった。

 そんな非戦闘用の業を駆使しなければならないほど追い詰められていながらもアリシア達は笑い、コキュートスも応じるように笑ったような気配を出す。

 そしてついに最後の交わりへとアリシア達は踏み出した。

 冷気に満たされた世界を走破してこの世界の主であるコキュートスへ迫る。

 

 一歩一歩。疾風のような速度で走っているのは試合の始まりと変わらない。

 

 だが進めば進むほどその速度を支えている風の魔法が途切れそうになっていく。

 炎にしても全身を飲みこむほどの業火が全身をわずかに覆う灯火のように薄い物に変わっていく。

 その様子は正真正銘最後の力をふり絞っている証拠だった。

 

 「来ィ!」

 

 コキュートスはその最後の力を真っ向から受けて立つ。

 半ば融解した断頭牙を振りあげ二人のアリシアをまとめて両断せんとふりおろす。

 

 「ふっーぅ!」

 

 動くたびに速度が落ちて行く中、白いアリシアが二刀で受け止め、弾く。

 その隙に黒いアリシアが迫るが斬神刀皇が迎撃する。

 コキュートスは盾を防御にではなくシールドバッシュに使い、踏み込んできた白いアリシアをまた断頭牙のリーチに迎え入れた。

 

 「この!」

 「入レサセン!」

 

 ふりおろされた断頭牙を白いアリシアは懸命によける。

 転がるように回避しなければならないほどもう速度について行けていない。

 それは黒いアリシアも同様だった。

 斬神刀皇を何とか防いで前に出ようにもブロードソードの斬りはらいの素早さに防御するしかない。

 枯れ果てようとしている魔力が与え続けていた速度を失わせている。

 それを感じつつもコキュートスには油断も何もない。

 それは向かう先が見え始めているからだ。

 

 一合打ち合えばそこから先、行きつくとこまで舞踏を続けるしかない。

 

 お互いの動きはもはやお互いの意志を離れて反応と反応の応酬に変わっている。

 四本の腕、四本の武器、二つの体を持って入り込もうとするアリシアに対して同じようにコキュートスは四本の腕に持った自慢の武器でそれを迎撃し打ち落とす。

 限界が目に見えて近いアリシアと等しくコキュートスもまた体が限界を迎えようとしていた。

 罅割れたように見えるほど切り裂かれ、そしてそれが分からなくなるほど融解された外骨格。特に無茶な動きの影響で右上腕は斬神刀皇を振るう力が明らかに弱っていた。そのせいで速度が落ちてきている黒アリシアに何度か潜られかけている。

 そして断頭牙を握る左上腕はまだ振るえている方だったがこちらは炎に焼かれたせいで断頭牙が限界に近かった。それは本来の性能の三分の一もだせないほいほどであり、火力が売りの武器としては致命的な状態であった。

 

 「ウォォォォ!」

 「はぁぁぁっ!!」

 

 お互いに苦しさから叫んだ。

 断頭牙と黒耀がぶつかり合い限界に近い断頭牙の刃が欠けた。

 限界まで狭まった炎の守りでは凌ぎ切れずついにアリシアの身をフロスト・オーラの冷気が蝕み始める。

 黒いアリシアがブロードソードの斬りはらいを奇跡的に回避しコキュートスの胴を薙ぎ払う。

 背中に抜けた黒いアリシアをコキュートスも追いきることができない。ダメージが積み重なっていたその体が悲鳴をあげていた。

 

 

 

 「「「────」」」

 

 

 

 白黒のアリシアにコキュートスが挟まれる形になった瞬間。二人は決した事を悟った。

 もはやお互いに限界を越えた。

 次の交錯、交わり、舞踏が最後だ。

 それ以上はお互いに持たない。 

 

 この死合の終わりが来たのだ。

 

 「「武技──」」

 

 白黒のアリシアがまったく同じ動きで迫る。

 それはもはや二人にとって遅いと言えるほどに鈍い動きだ。

 風は失われ、うっすらと纏っている炎は冷気を防ぎきれす、体のあちらこちらが凍傷に犯されている。

 

 「────オオオオオオオオオオオッ!!」

 

 コキュートスは叫んだ。

 咆哮をあげ残された力を余すことなく注ぎ込み、左右の上腕から武器を振りおろした。

 断頭牙と斬神刀皇が唸りをあげてアリシアへ迫る。

 

 

 

 「「二条……らいってつ!」」

 

 

 

 二つの体で握る四本の刀の刃がそれぞれブレたかのように重なりあいそのまま十文字に振り抜かれた。

 

 

 ビシィ──!

 

 

 まるで世界そのものを断つかのような酷く耳障りな音が確かに二人の耳に届いた。

 そしてまるで身の詰まった果実を踏みつぶすような生々しい音が響いた。

 

 「……見事ダ」

 

 凍った地面に断頭牙と斬神刀皇が突き刺さるように落ちた。

 そして同時に赤く染まった左右の上腕がぼとりと転がった。

 アリシアの放った武技との真っ向からの打ちあいの結果、コキュートスは上腕を関節をすべて破壊されて失っていた。もはや要をなさなくなっていた外骨格をはじめとして両上腕は斬撃の衝撃に耐えられず斬られたというよりは崩れるようにボタボタと地面に転がっていった。

 この結果をもってコキュートスは勝負に負けたと認め、すぐさまフロスト・オーラを解除した。するとコキュートスの左隣で倒れていたアリシアが荒い呼吸を再開した。アリシアの呼吸は武技を打ち終った直後に止まっており、同時に黒いアリシアは姿を消していた。

 魔力の限界に達していたアリシアは今もなおうっすらと炎を纏っているもののコキュートスのフロスト・オーラを防ぐことはもはや不可能であった。そのためコキュートスがフロスト・オーラを解除するまでの数秒の間、身動き一つできず、呼吸すら止まっていた。

 勝負に負けたコキュートスではあったが試合には勝っていたのだ。

 

 フロスト・オーラが解除されたことで闘技場を満たしていた冷気が急速に失われていく中、コキュートスはポーションを取りだしてアリシアにふりかけた。体力と魔力を同時に回復する二重回復薬であるそれは限界のあまり立ち上がることもできないアリシアに活力をあたえた。

 

 「オ見事デス。流石ハアインズ様ノゴ友人。完敗デシタ」

 「……私の方こそ、完敗でした。コキュートスさんの勝利です」

 

 両者共にお互いの気持ちが分かるあまり、ほとんど同時に小さく笑いあった。

 お互いに負けたと思っていた。自らを負かした強者に惜しみない賛辞を送りたい気持ちで一杯であった。コキュートスが残った腕で手を差し伸べる。アリシアがその手を取って立ちあがった時、外から息を飲む様なにぶい悲鳴が起こり、その声に周囲の事を思い出したアリシアとコキュートスは周囲を見渡した末に繋いだ手をお互いに高々とあげてお互いを讃えあった。

 

 「そこまで!」

 

 そんな両者の姿を確認したアインズの締めの言葉でアリシアとコキュートスの充実した交わりは終わったのであった。

 

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

 

 式典から二日後の夜。

 

 金瞳の猫亭の一階にある二人部屋。

 置かれている調度品は長い年月をかけて使いこまれてきたものばかりで宿屋の部屋と言うよりは実家のような安心感を与える。二つ並ぶように置かれている寝具を見ればそんな雰囲気と合わさって夫婦の部屋のように見えた。

 そんな部屋の中を蝋燭の灯りだけが照らしている。半ばまで溶けている蝋燭は長くもなく短くもない時間が経過しているのを表す時計のようでもあった。

 二つある寝具の間にある調度品の上で明かりを放つ蝋燭で照らされた部屋の中、片方の寝具には人がいなかった。丁寧に折りたたまれた毛布からはそこで人が眠る予定はなかったのだと伝わってくる。逆に相対するように置かれているもう片方の寝具には複数の人の姿があった。

 

 「──つまり、全て美味しかったんだろう。よかったじゃないか」

 

 黒いゆったりとした寝間着を着たユーイチが自分の腕を枕にしているアリシアに声をかけた。

 蝋燭の灯りに照らされて輝いているアリシアの金の髪をユーイチは指で何度か梳いている。指が髪を抜けるたびにアリシアは気持ちよさそうにしていた。

 

 「でも、やっぱりあれは苦手だった。素直に言うべきだった……」

 「少し見栄をはったな。明日それとなくイレインに伝えてみればいい」

 「ん」

 

 猫であれば喉を鳴らしてすり寄っているような──というか喉を鳴らす以外はすべて猫のようにアリシアはユーイチに甘えまくっていた。

 腕枕を堪能し自分の足を相手の足に絡めるようにして密着している。

 余すところなくその存在を感じたいかのような、自分の全てを相手の懐に差し出すような無遠慮で無防備な格好だった。

 そんなアリシアの反対側から同じような格好で抱きつくアリシアから声がした。

 

 「料理も式典も全部いい経験だったけど……。一番嬉しかったのはやっぱりこうなったことかなぁ」

 

 <約束の二人>によって分かれたアリシアは二人でユーイチに甘えていた。

 同じ姿かたちの二人は瞳の色だけが違う。ユーイチの左にいるアリシアは普段と同じ金の瞳で右にいるアリシアは深紅のような赤い瞳だった。

 分かりやすく判別するためにどこか一か所だけ意図的にいじるとなってアリシアが選んだのは瞳の色である。

 ユーイチの特徴的な赤い瞳を自分もという考えから挟まれているユーイチは金と赤の瞳から視線を送られていた。

 

 「「んー」」

 

 考えることは同じなのかアリシア達は同時にユーイチの頬に唇をあてた。

 そして少し蠱惑的な頬笑みを浮かべた。

 二人の豊かで綺麗な胸元が押し当てられて潰れていた。

 

 「………やれやれ」

 

 二人にわかれると過度に甘えたがる。

 そんなアリシアにユーイチは珍しく困ったように息を吐いた。

 

 「困るくらいなら素直に抱いてくれていいんだよ? いつでも」

 「ん。……うん」

 

 いつものように確信犯な二人をユーイチは窘めるように同時に撫でて胸に抱き寄せた。

 余計なことを言わせないしさせない。

 

 「やれやれ。いろいろ溜るとあとが怖いといつも言ってるだろうに。今回のようにできることも……百年に一度くらいはあるんだぞ」

 「だからさ、私にその溜ったものをだしてくれれば万事問題ないと思うよ? 私が溜めさせてるんだから」

 

 胸に頭をすり寄せつつ答えるアリシアにアリシアも同意するように何度か頷いた。

 間違いなく絶世の美女である女性にそこまで迫られてもユーイチはぶれることはない。

 より優しく頭を撫でながら寝つかせようとする様はまるで子供をあやしているかのようだ。

 

 「そうはしない。ファリアがいる。間にあってるからな」

 「でも……もうすぐ間にあわなくなるじゃない?」

 「その時はその時だ」

 「その時は……ウィーシャ? 手を出すなら泣かせたら怒る」

 「………さぁなぁ。その時はその時だ。言えるとすればお前には手を出すつもりはないということだけだ」

 

 早く寝ろとばかりにユーイチは頭をやさしく叩いた。

 だが、まったく相手にされていないように扱われてもアリシアの中に不満は欠片もない。むしろだからこそ圧倒的な幸せを感じていた。

 

 「けち」

 「……手を出さなくても泣かせたらお仕置き。責任は取ってあげてね?」

 「それだけ気に入ることも珍しいな。……ウィーシャとファリアなら、分からないことでもないか」

 「同じくらい好きでしょ? ユーイチだって。だから子供のことすぐに言ったんでしょう?」

 「私が、気がつくころだと思ったから」

 

 全てを見透かしたような瞳を同時に向けられてユーイチは何とも反応しがたく、アリシアの頭をただ撫でた。

 そしてそんなふうに図星だと伝えてくるユーイチをアリシアは可愛いと感じて、より強くその身を押しつけた。そのまま一つになってしまえとばかりに。

 

 

 

 ファリアが妊娠したことで周囲はアリシアのことを気遣ったがアリシアは驚きこそすれ負の感情をまったく抱いていなかった。そしてそんなアリシアのことをユーイチも最初から分かっていた。アインズに発散できる場所を頼んだのは別の理由からであり、アリシアのことを何一つ心配はしていなかった。

 

 人ではない種族であるユーイチの子を孕むということは人間にとって大きなリスクも孕むことであった。

 

 過去五百年をさかのぼってもユーイチの子供を産んで死ななかった女性はすくない。生き残っても長生きできた例はなく子供が物心ついた頃には亡くなっていることがほとんどだ。

 子供を作れば死なせてしまう。それが分かっていて最愛の人との間に子供を作ろうとするほどユーイチは子供を欲しているわけではなかった。

 つまり、ユーイチが遠慮せずに抱いているということは相手を愛しているわけではなかった。死のうが生きようが関係ない。溜った性欲の発散に使っているだけにすぎないのだ。

 毎日しても百年に一人できるかどうかというほどにユーイチは子供ができにくい。

 ゆえにユーイチは自分の子供が出来たかどうかすぐに分かった。ただの幸運か不運か、はたまた相性が良かったのか。理由は分からないがファリアがユーイチの子供を孕んだのは何と初夜であった。

 この時、ユーイチの決断は素早かった。離れがたいと思う前に旅立ってしまおうとしたのだ。だが、その矢先に気にかけていたウィーシャの大怪我のために離れられなくなってしまい現在に至る。

 そんな事態を理解しているからこそアリシアはファリアが孕もうが、ウィーシャが恋を募らせようが気にしない。ユーイチが一番気にかけていて愛してくれているのが自分だと分かっているからだ。

 

 「全部、私を想ってしてくれたこと。……ふふ」

 「嬉しい」

 

 旅立ちたい。

 ウィーシャを放っておけない。

 

 そんな自分の気持ちを汲み取ってくれているからこその結果だ。

 それを理解しているがゆえにアリシアは幸せであった。だからこそ、今手出しされなくてもそれが嬉しい。それは自分を愛している証拠なのだから。

 そして他の女性は自分に対して溜めたもので抱かれているのだ。一つになるなんて程遠い。そんな行為にアリシアは動じることなどない。まぁ、抱かれたい欲求はあるので余りにどうでもいい輩がユーイチに抱かれるのだけは納得いかないのだが。むしろそういう意味でファリアに感謝しているくらいだ。

 

 「ふー……やれやれ」

 「やれやれ~♪」

 「や、やれやれ~?」

 「……………」

 

 自分のミスで世界を回る旅の足を止めてしまったことに対する謝罪という形で禁じ手を許した結果、ダブルアリシアに甘えられているユーイチはもはや言葉もなく、この美しい姫様がどうか早く寝静まることを願った。

 

 

 

 蝋燭はまだ三分の一は残っていた。

 

 

 

 

 十二頁~LETSPARTY!!!~

    比翼連理    終

 

 

 




お読みくださってありがとうございます。

いかがだったでしょうか?

コキュートスとの戦闘シーンを書きたいというところから初めてみた~LETSPARTY~、ようやく書けました。

今回はテーマとしてアリシア視点では極力書かないように意識しました。
最初の方で気絶するほどの驚きがあったのでそこについて極力言及したくなかったのと、ナザリック内の描写がメインなのでこの機会にもっとナザリックのNPC達に話してもらいたかったのもあります。

次回はリザードマンと魔樹になります。

展開としては大事なところになるのですがやることはサックリしているのでサックリ描けたらいいなぁと思います。

次回もよろしければ読んでいただけると精神抑制される思いです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三頁~希少種とレアモンスター~

興味を持っていただいてありがとうございます。

遅くなりました。十三頁目です!

今回からまた原作やドラマCDで語られた部分に入るのですが…読んでみていただけたらわかります。はい。

今回は一万二千字ほどで区切りがいいところまで描けたのでホッとしています。

ではどうぞ!



十三頁~希少種とレアモンスター~

   大災厄の開花

 

 

 

 

 

 

 最初は嘲りの声に満ちていた周囲は今で静寂に満ちていた。

 鳥の鳴き声を風が運んでくる。

 そこは晴天に照らされ清浄な空気に満ちていた森林だったはずだが、今では錆ついたような血の匂いに包まれていた。

 青々と生い茂った森林へ向けて血だまりが続いている。それは何かが逃げようとした痕跡に違いなかった。

 

 「ウゥオロァ!?」

 「さて。これで終わりだな」

 「お疲れ様でした。モモンさ、ん!」

 「うむ。ナーベも周辺の警戒、御苦労だった」

 「勿体ないお言葉でございます」

 

 ナーベラルに獲物を手渡しつつアインズは斬り伏せたゴブリン達を見渡した。

 ゴブリン部族連合と呼ばれるだけの数が皆揃いもそろって斬り伏せられている。

 群がられた最初の交戦ポイントは血だまりどころではなく血の沼のようになっている。

 そこから四方八方へと血だまりと共にゴブリンの死体が散乱していた。

 

 「やれやれ。数だけは立派だったな。二人だけでは処理に手間取ったかもしれん……連れてきて正解だったかな?」

 「モモンさんのご慧眼に感服いたしました」

 「ふむ……。では、呼ぶとしよう。ナーベ呼んできてくれ」

 「畏まりました」

 

 <飛行>の魔法で待機しているハムスケ達のところへ向かったナーベラルを見送ったアインズは確認のように<伝言>の魔法を飛ばした。

 

 「アインズ様」

 「アルベドよ。ないとは思うが……結果はどうだ?」

 「お察しの通り姉さんや周辺の監視網からは何も報告が上がっておりません」

 「そうか……こうまで隙を見せても喰いつかないとすればこちらも対応を考えなければならないかもしれんな」

 

 二、三度。ヘルムを指でコツコツとつつきながらアインズは同盟者であるユーイチの言葉を思い出していた。

 

 (その可能性がないとも言えんな。我々が狙われたわけではない……か)

 

 

 

 「狙われたのはサトル君ではなく、俺たちかもしれん。またはただの不慮の事故かもしれんぞ」

 

 

 

 対策会議を二人で行った際に言われた言葉が身にしみてくる。その可能性は低いのではないかとその時は否定していたが、ここまで相手からの反応がないとそうではないかと感じてしまう。

 

 「殿ぉ~~~~!」

 「む」

 「アインズ様? 何か?」

 「いや、ハムスケ達が戻ってきた。切るぞ。周辺の監視はそのまま続けよ。それと、デミウルゴスは待機させなくていい。本来の仕事に戻してくれ」

 

 アルベドとの<伝言>を切れば丁度全速で走り込んできたハムスケが滑り込もうとして血だまりばかりの周囲に足場を気にしている。その後ろからナーベラルを先頭に冒険者チーム<漆黒の剣>の面々が続いていた。

 ハムスケのために数歩移動しつつアインズは片手をあげて自分と周囲への驚きの視線に応えた。

 ハムスケも<漆黒の剣>の面々も屍が重なり血が川になっているような蹂躙のあとに驚いていた。

 

 「皆さん、御覧のように片付きました。はぎ取りとあとの処理のほうをお願いします」

 「はい! 流石はモモンさんです。これだけの数を……」

 「烏合の衆というやつですよ。数だけではいくらいても変わりません。それではお願いします」

 

 手頃な岩にアインズは腰を下ろした。側にはナーベラルとハムスケがひかえる。冒険者組合から目付役のように冒険者チームを連れていくように指示されていたこともあり共にやってきた<漆黒の剣>の面々がざわつきながらはぎ取りなどの後処理をしている。それを一瞥したアインズは首に下げられたオリハルコンのプレートをつまむように空にかざした。

 

 「これでアダマンタイトと認められたらいいんだがな……難しいだろうな」

 

 他の者にきかれたらまだ一月も冒険者稼業をしていないくせに何を言うのかと言われそうな呟きを洩らすとナーベとハムスケが即座に反応した。

 

 「モモンさんであれば当然最高位の冒険者として扱われるべきです。やはり、かとうせ……んんっ、見る目を持たぬ俗物ばかりです」

 「それがしもそう思うでござるよ。というか殿が最上位でなくて誰が最上位になれるのか甚だ疑問でござるぅ」

 「ふ。お前たちの言葉は嬉しいがな。やはり、短期間でアダマンタイトと認められるには英雄的な偉業が必要なんだろうな」

 

 アインズは視線をゴブリンの死体の群れに向ける。

 

 「あんなゴブリンをいくら斬ったところで英雄の偉業にはならん。やはりそういう機会がいる。デミウルゴスの提案の通り、機会を自作演出するしかないかもしれんな」

 

 アインズはエ・ランテルでオリハルコンまではすぐに昇格したがアダマンタイトにはなかなかなれずにいた。

 それは当然のことだがアインズとナーベラルの実力が不足していたわけではない。自分たちではなく周囲に問題があった。

 エ・ランテルではつい最近、それこそアインズがやってきた頃にアダマンダイトに認められたユーイチ達がいる。ユーイチ達は過去に類を見ない速度で認められている。ここでそれよりも早くアインズ達をアダマンタイトと認めることは組合にとっていいことではなかった。人類の英雄であるアダマンタイト級冒険者というものを軽んじたように扱っては世間の目が厳しいのだ。

 ミスリル級からオリハルコン級の依頼として請け負った今回の依頼に<漆黒の剣>がサポーターとしてついてきているのは目付役という意味合いもある。現に<漆黒の剣>にはアインズの働きぶりを報告するように組合から指示が出ている。だがそれはアインズの昇格のための実績作りのためだ。既に組合長であるアインザックはユーイチを通じてアインズの実力をアダマンタイト級だと認めている。ユーイチという英雄を迎え入れたばかりの冒険者組合がアインズを受け入れるための準備を進めているのだ。

 あとは切っ掛けがあればいい。なにか大きな依頼をこなせばアインズはエ・ランテル二組目のアダマンタイト級冒険者として認められるだろう。例えば強大な吸血鬼を一人で倒したとされているアリシアのように。

 

 (無意味な死や殺戮は不利益につながるとは伝えてあるし……デミウルゴスなら上手く計画してくれるだろう。許可を出すか)

 

 デミウルゴスの提案とはマッチポンプだ。

 王国の窮地を救う英雄としてモモンを担ぐための踏み台を用意する。

 多くの死者を出したくない理由も数多くあり塩梅が難しくアインズは簡単には許可をだしたくなかった。だが、十分に理由を理解しているデミウルゴスが万事問題はないと言っているのであれば出していいのではないかと思えていた。

 

 「デミウルゴスであれば私より上手く事を進められるだろうからな」

 「お戯れを」

 

 ほんの少しだけ頬を緩ませるナーベラルは冗談としかうけとっていない。

 アインズはどうにか自分が絶対的に正しく、間違いなど起こさないという認識を改めたかったがどれだけ言い聞かせても僕達は皆、同じ反応である。

 それがいいことでもあると思いつつ、いずれ大きな墓穴を自ら掘りそうでアインズはせめてデミウルゴスやアルベドのほうが知恵が働くと広めるべく行動しているが実を結ぶにはまだまだ遠かった。

 

 「サトル君」

 「む。ユ──イチ殿、どうかされましたか?」

 

 <伝言>の魔法に答えつつアインズは咄嗟に出そうになった言葉を呑みこんでこれはナーベラルが言い間違えるわけだと苦笑いしつつ、周囲への警戒を強めた。同盟者からの急な連絡が何らかの危機を伝えるものである可能性は十分にあったからだ。

 

 「伝えるべきと判断して急な連絡をいれさせてもらった。緊急ではないので楽にきいてくれ」

 

 そんなアインズの様子が容易に想像できるのかユーイチの声は平坦で抑揚を感じさせない普段と変わらないものだ。

 

 「そうですか。何があったのですか?」

 「先程、組合の方から俺に依頼があった。内容はトブの大森林奥地に存在する万病を立ちどころに癒す薬草を採取するというものだ」

 「ほう。万病を癒す薬草ですか? それはそれは……」

 「興味があるかい?」

 「それはもう。こちら特有の物である可能性が極めて高いですしね」

 

 興味を示したアインズの声音は自然と喜色に溢れている。

 それを感じ取ってユーイチは小さく笑った。

 

 「うちの姫様も行きたいと齧り付きなんだが……組合からは他の冒険者チームを同行させることを勧められた。なんでもアダマンタイト級冒険者でも一チームでは難しい難度の依頼だそうでな。そこでどうだろう? サトル君も一緒に来ないか? 二人してエ・ランテルを空ければはっきりもするだろう」

 「なるほど。そういうことですか」

 

 わざわざ定時連絡までまたなかった理由をアインズは察した。

 近頃アインズとユーイチは交互に都市を空けるように依頼を受けていた。

 それは都市内、都市外どちらかに接触させようと隙を見せるためだ。どちらも万全のバックアップを強いてあるので罠を張っていたのだ。だが、それでもお互いにそれらしき手合いと遭遇したことはない。

 だからユーイチの誘いには一緒に都市を空けて反応を確かめようという意味合いがあるのだ。何かあればよし、なければ対応の仕方を変更する。

 当然都市に残しているイレインや<金瞳の猫亭>の人々にも危険は及ぶことになる可能性はあるがそれに関してはユーイチが責任を持っているためアインズが心配することではない。「心配はいらない」というユーイチの言葉とイレインに持たせたアイテムの力を信じるのみである。

 

 「どうだろう? 少し急いでくれれば今晩にでも戻ってこれると思うんだが明日の朝出発で間にあうか?」

 「ええ。大丈夫です。今回はハムスケに車を引かせてますから……魔法で能力を向上させて急がせますよ」

 「そうか。なら明日の朝、落ち合おう」

 「! 何やらそれがし、期待されているご様子! しかとお応えするでござ、イタぃ」

 「モモンさんが大事なご連絡をされている最中に騒がしい。静かになさい」

 

 発せられた自らの名前に興奮したハムスケがナーベラルに殴られるのを横目で確認してからアインズは後処理の様子に目をやった。視線の先では血の匂いにむせながら<漆黒の剣>の面々が後処理をしている。今日中にエ・ランテルに戻るとなると手間取っていられない。少々強引でも終わらせにかかるべきだろう。 

 

 「分かりました。連絡をくださってありがとうございます」

 「気にしないでくれ。俺のほうに難度の高い依頼が回ってくるせいでサトル君の足を引っ張っているのは感じている。これが少しでも切っ掛けになってくれたらいい」

 

 

 

 (やっぱりそこも気を使ってもらってたかぁ)

 

 

 

 アダマンタイト級冒険者がいれば最も難易度が高い依頼はそちらに行くのが道理だろう。

 そのせいで自分たちに美味しい依頼が回ってこなくてもしょうがない。むしろ見知らぬ土地での活動をずっと支援してもらっているのだ。アインズとしては足を引っ張られるどころか手を引っ張ってもらってると感じているので恐縮する思いだった。

 

 「そんなことを言わないでください。いつも感謝していますよ」

 

 今度話すときはもっと感謝を伝えよう。

 他人の目の色を気にしなければならないことに閉塞感を感じたアインズは鈴木悟としてユーイチと話せる機会を待ち望んだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 <金瞳の猫亭>の従業員は総数十名になる。

 二人は店の亭主であるファリアとその娘のウィーシャだ。

 それに今は亡くなっているウィーシャの祖父母、先代の亭主の下で働いていた住み込みの老夫婦が続く。

 もともとこの四人で問題なく営業できていた店であるがゆえに新しい六人の従業員の仕事は多くない。むしろ少ないと言ってもいいほどだ。

 ファリアの考えでは六人も雇う以上、いずれは事業やサービスの拡大をしていかなければならないのだが今のところその話は進んでいない。これは野盗の元で酷い扱いを受けていた彼女達の心体が回復するまでの期間を設けているためだ。幸か不幸か集客の源泉であるユーイチとアリシアが無期限に滞在しているために六人増えてもいまだに黒字であるので焦る必要がないというのが大きかった。

 

 「………」

 

 そんな少ない仕事を終えて与えられた自由な時間。

 エルティシアは与えられた寝台に腰かけながら同僚たちの様子をじっと眺めていた。視線を向け同意を求められれば頷くか首を横に振る彼女だがけして話の輪に入ろうとはしない。それはエルティシアが周囲に壁を作っているわけではない。彼女は話すことができないため参加していないだけだ。

 おそらく十二歳頃だろうとは従業員六人のまとめ役であるリディアの言葉だ。

 リディアとエルティシアの出会いは当然野盗に攫われて乱暴された時になるのだが、その時に野盗の誰かがそう言っていたらしい。

 正確なことは本人に聞くしかないのだが襲われたショックで口がきけなくなったエルティシアに身の上話をさせるのは憚られたため十二歳頃と最年少の従業員である。

 銀の綺麗な髪が二つのお団子のように頭の上で結ばれている。ウィーシャよりもおさなく年相応な体は本当に男の欲望の標的にされたのかと疑うほどに凹凸に欠けていた。

 そんな小さな体を時折揺らしてエルティシアは少々あきれていた。

 それは同僚たちが口にする下世話な話にだ。

 

 「やはりファリアさんとユーイチ様は男女の仲だったのか……」

 「はぁ。ファリアさんが相手じゃ勝てる気しないなぁ。綺麗だし、大きいし、優しいし……」

 「勝つ負けるの話なの? そんな話にしたらアリシア様に誰だって勝てないじゃない。ねぇ、カナリア」

 「う、うるさいわね! だ、だから私にそんな話をふらないでもらえる!? 私はな、なにも気にしてないんだからぁ!」

 

 うるさい。

 

 エルティシアが迷惑そうな視線を送ってることに気がつきもしない四人はシーン、ルチル、アスフィ、カナリアである。皆、生まれや育ちは違えどたどり着いた先は同じ境遇の同僚たちだ。

 皆揃いもそろって野盗の標的にされるだけの美人だ。特にカナリアは貴族生まれなためか肌や髪の質が従業員の中では抜けている。だがそんな美人程度では主人の側には不似合いだとエルティシアには思えてならなかった。エルティシアの主人の側には至高の美しさを持つ女性がいる。その方を差しおいて愛されたいと願うのは身の程を知らないことだ。

 散々からかわれたカナリアが逃げ込むようにエルティシアの横に座りにくる。カナリアは自尊心が高く他の従業員とずっと衝突を繰り返していたが一番年下のエルティシアにはそんな態度は見せず猫かわいがりしている。話せないからなのか自分の本心も時々独り言のように相談してるほどだ。

 

 「シアはあんなふうになっちゃ駄目よ! まったくもう。私は、気にしないって言ってるのに」

 

 気にしてるくせに。

 

 自分をぬいぐるみのように抱えながら強がるカナリアにエルティシアは呆れている。カナリアが主人に恋心を抱いているのは知っている。なにせ自分から言っていたいたのだから。だが、エルティシアはもともと主人のことを悪く言っていたカナリアのことがそんなに好きではない。カナリアはそんなふうに思われているとは露ほども思っていないだろうが、そもそもこの可愛がり方も気に入っていないのだ。

 

 「みんな、騒がしいですよ。扉の外まで聞こえてます」

 「リディア! ぁ、シア」

 「あらら、シア、どうしたの? ……なるほどなるほど、こら四人とも。大きな声ではしたないですよ。この店にいるどなたにご迷惑をおかけしてもユーイチ様やファリアさんへ失礼です。シアも迷惑だと言っていますよ」

 「……」

 

 従業員のまとめ役、母のような姉のような存在であるリディアが戻ってきたのを見てエルティシアは逃げるようにそちらへ向かった。リディアは従業員の中で唯一、エルティシアの言いたいことが何となくわかる。先程から下世話な話題で盛り上がる四人に注意をしてほしいというエルティシアの気持ちを何となく察したリディアは頬笑みを浮かべつつ怒った。

 二度頷いてそれに同意するエルティシアを見て四人は素直に謝った。この四人にとって一つの線引きがエルティシアが怒るというところになっているらしい。カナリアもエルティシアを怒らせると素直に謝るのだ。

 

 「しかし、リディア。ああ、シア。もう騒ぎはしないからそう怒らないでくれ。ユーイチ様とファリアさんが男女の仲というのは私たちにとってどうしても気にかかることじゃないか?」

 

 別に怒ってはいない。

 

 無表情ゆえに怒ってると思えば怒っているように見えてしまうだけだ。

 シーンの言葉にそんなふうに思いつつカナリアが座っていた椅子を引いてエルティシアはリディアに勧めると自分は少しびくついているカナリアの隣に座った。そこが自分の寝台だからだ。

 

 「ありがとう。シア。それでシーン。私は気にならないけれど、皆は違うのね」

 

 リディアが座るとシーンは頷く。それに同意するようにルチルとアスフィもだ。

 

 「それはそうだろう。ユーイチ様が側に女性を置かれるのなら……私たちにもお情けをいただけるのではないか、と思ってしまうよ」

 「お、お情けって、ななななにを言ってるのよっ」

 「お情けで間違っていないと思うけど? カナリア。私たちのように傷持ちでご迷惑しかおかけ出来ない女が寵愛を頂こうというのは……おこがましいことさ。女神のような方が側にいるんだよ?」

 

 うんうんとエルティシアは頷いた。シーンは周囲に煽られなければ冷静だ。

 ルチルやアスフィも頷いてるのを見て、カナリアが少しショックを受けたように身動ぎした。

 カナリアは恋しているのだ。少女のように。他の五人全員が最初からそんな高望みはしていないというのにカナリアだけは望んでいるのだ。ユーイチの隣に立つ自分を。

 ゆえに時折喧嘩になる。五人からしてみればカナリアは望みすぎであり、カナリアからすれば周囲の諦観ぶりに腹が立つ。

 

 「そうです。アリシア様がお側にいるのにその愛をほんの少しでもこちらに傾けていただこうなんて……望みすぎです」

 「ああ。アスフィ。君の言うことは正しいよ。私だってそう思う。けれどもファリアさんが男女の仲というのは……そういう役割が必要とされているということだろう? ファリアさんがそれに応えられなくなる日はそう遠くない。既に子種を頂いているという話だったじゃないか。ならファリアさんが応えられない間、誰かがその役割を求められてもおかしくはないだろう。私が言っているのはそこさ」

 

 シーンは男前な女性だ。

 ルチルやアスフィでは少し言い淀むことでもはっきりと口にする。二人が顔を少し赤く染め、カナリアが真っ赤に顔を染めてわなわな震えている。

 リディアがすこし困ったように首をかしげた。

 

 「でも、それこそアリシア様がお側にいるじゃない。その役割を私たちにお求めにはならないと思うけど?」

 「アリシア様のことをユーイチ様は誰よりも愛されているし大切にされているんだろう。だから、おそらく……ちゃんと結婚されない限り、手を出されないんじゃないだろうか。そうじゃないとファリアさんと関係を持ってるのがおかしいじゃないか」

 「……シーン。勝手な決めつけは駄目よ?」

 「分かってる。何も事実とは言っていないさ。……シアもそう睨まないでくれ」

 

 下世話な話をするシーンが悪い。

 

 今度は怒っていたエルティシアの視線を受けたシーンだが堪えた様子はない。それは事実として今この話が必要だと思っているからだ。

 そんなシーンを看過できなくなったエルティシアは目を細めた。隣のカナリアが気がつき目を見開く。表情に出るほどエルティシアが怒ることは稀であった。

 

 「私が言いたかったのはファリアさんが勤めてる役割が他の誰かに必要になる時が来たら……」

 「やめなさい」

 

 リディアの怒った声が静かに響いた。大部屋の中に全員に届かせるには不十分なほどの大きさだったにもかかわらず、思わず背筋を伸ばすだけの怖さがあった。

 エルティシアは立ちあがろうとした腰を下ろした。これならリディアに任せればいい。

 普段の柔和な雰囲気を消し去ったリディアは言葉を飲んでるシーンを一瞥してから順に皆を見渡した。

 

 「この話はここまで。いいわね」

 

 有無を言わさぬ空気に全員が頷いたのを確認してリディアは立ちあがり部屋をあとにした。

 静寂に包まれた部屋で四人がどこか所在なさげに自分の寝台に横になるのを見てエルティシアはようやく静かになったと喜んだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 いい天気だ。

 空を見上げれば雲一つない。青々とした気持ちのいい空がずっと広がっている。

 輝く日輪が暖かな日差しでこちらを照らしている。

 

 「いい天気ですね」

 

 こちらの様子に気がついたモモンガが声をかけてくる。視線を前に戻せばフルプレート姿の冒険者モモンとそのパートナーのナーベがこちらを振り返っていた。

 二人に頷いてから止めてしまった足を進める。二人に並び、抜いて、その先にいるユーイチに追いついた。

 

 「もういいのか?」

 「うん」

 

 最後尾から先頭に並んでみれば舗装されていない地面が道として続いている。エ・ランテルからトブの大森林への道はこの道をまっすぐだ。

 アリシアとユーイチ、そしてモモンとナーベ。四人の冒険者は組合からの依頼を受けてエ・ランテルを朝方に出発したところだ。

 

 「行ってらっしゃいませ」

 

 まだ太陽も姿を見せない時刻でも見送りの姿があった。

 ファリアとイレインに見送られて朝靄の中、エ・ランテルの三重の城壁を越えた先で待っていたモモンガ達と合流し歩き続けて現在に至る。

 魔法を使えば森までは一瞬だがモモンガがアリシアに合わせる形で徒歩での移動になっている。これにアリシアは大変恐縮していたのだが気にしないでほしいと言われればそれ以上は何も言えなかった。

 

 「そういえば、こうしてアリシアさんたちと旅をするのははじめてですね」

 「そう、ですね」

 「普段はこうしてパーティを組んで冒険とはなかなかいきませんから、なんだか懐かしさすらこみあげてきますよ。ペテルさん達とは時々依頼を共にしますが……パーティとは言えませんからね」

 

 こうして歩きながら雑談をするのもモモンガからの気づかいなのだ。

 アリシアは暢気に足を止めていた自分を恥ずかしく思い少しだけ歩むスピードをあげた。

 

 「イレインの様子はどうでしょう? 何か問題を起こしていませんか?」

 「最初は戸惑っていたようだが、今は店の中での立ち位置も定まって落ちついていますよ。今では従業員の教育係をしています」

 

 速度をあげたアリシアに対して落としたユーイチがモモンガと並んで話をしている。

 モモンガにつき従うナーベラルは最後尾になり自然と陣形を組む形になったためアリシアは後ろの二人を気にしつつもそうして先頭を歩いた。

 

 「本業がメイドというだけあり、いい手本になってますよ」

 「それはよかった。私のところの者は皆、少々……外の者を見下しがちですが、イレインはそんな問題を起こしていないようでなによりです」

 「あー……言動が厳しいのは確かに」

 「……なるほど。何となくですが想像がつきます」

 

 

 (ナーベラル……今、いい?)

 (……なにかよう? アリシア)

 

 

 アリシアは後ろの二人の気心の知れた会話に耳を傾けつつナーベラルに<念話>をとばした。

 <念話>は<伝言>よりも扱いにくい魔法だ。習得には同じくらいの手間がかかるが扱いにくさは<念話>の方が勝るためアリシアの故郷でも広まっているのは<伝言>のほうだ。

 あくまで言葉を口にして伝える<伝言>は魔法を習得すれば何も難しいことはない。だが、思ったことがそのまま伝わる<念話>はコツをつかまないと伝えるつもりのない思考がただ漏れになる恐れのある魔法であった。言葉を口にする必要は一切ない分、完全上位互換とはいかない難しさがあるのだ。

 アリシアは魔法職であるナーベラルがこの世界の魔法を習得する手助けをしている。アリシア目線では<伝言>と<念話>は非常に似通っているのでそこから教えようとこうしてちょくちょく<念話>を使う感覚に慣れてもらっていた。そんな中でお互いにかなり遠慮しない間柄になってきたのだがお互いにそこまでの自覚はまだなかった。

 

 (モモンガさんとユーイチ……やっぱり仲が良すぎるような……)

 (確かにそう思うけれど、知っていることはお互いに伝えられたことだけでしょう? 分からないわよ。理由なんて)

 

 お互いに周辺への警戒を怠らずに進みつつ言葉を重ねる。

 自分たちのパートナー同士がやけに仲がいいことにお互いに首をかしげていたのだが、二人とも同じ言葉で説明されていた。

 

 

 「「気があった。いい友人になれるとな」」

 

 

 示し合わせたかのように同じ言葉で説明されては裏に何かあるのだろうと嫌でも考えてしまう。一体何が二人を短期間で通じ合わせたのか。

 

 (気になる……)

 (気にしても仕方のないことよ。……もういいかしら?)

 (うん。また)

 

 直接言葉を交わすときは他人の目があってお互いにいろいろ気を使わねばならないため<念話>での会話がここまで対等だとは誰にも知られていない。それこそユーイチもアインズも知らなかった。そしてアリシアとナーベラルの当人たちでさえ仲が良くなった自覚は持っていなかった。自然と成行きのままお互いのことを呼び捨てにしお互いに敬語をやめていたからだ。

 <念話>を切れば夏の陽気が風に吹かれてアリシアを襲った。

 寝ころべばすぐに眠れる自信がある。

 そんな確信を抱くほど周辺には危険はなく穏やかな旅路だった。

 

 「ん? アルベドか」

 

 後ろから聞こえてきたモモンガの若干緊張した声音がそんな夏の陽気を吹き飛ばしていくのを感じる。

 歩みも視線も変化させず、アリシアは先程までと変わらずにのんびりと歩いて見せた。

 

 (八十五点かな)

 (厳しい……)

 

 そんな様子をうかがっていた師匠からの採点に抗議しつつ周辺への警戒を強める。

 

 「なに? 巨大な木? ……では、こちらではなくそちらに問題が? いや、待て。すぐに対応するな。私たちもすぐに向かう。ああ。ではな」

 

 <伝言>を切ったモモンガが足を止めたのでそれに合わせて全員止まった。

 

 「どうした? アインズ殿」

 「ユーイチ殿……全長百メートル近く、あるいはそれ以上の植物型モンスターに心当たりは?」

 「……一応あるが、それがどうかしたのか?」

 

 ユーイチの声が珍しく強張ったのをアリシアは聞き逃さない。

 いつも変わらない感情の起伏を感じさせないその表情が今はどこか緊張しているように見えるのはずっとその顔を見続けてきたアリシアだからなのか。

 そんなユーイチの様子とモモンガのいうモンスターに心当たりのあるアリシアは息をのんだ。ユーイチやモモンガが緊張感を持つ植物の大型モンスターはいるにはいるのだが……強すぎるのだ。

 

 

 

 (もしかして……もしかして……【寄生樹】のユグドラシエル?)

 

 

 

 アリシアの故郷で数百年の年月とその時代を生きた冒険者や賢者たちによってまとめられた魔物辞典。その中でもあまりの希少性と危険度から一般向けに発売されている辞典にはただ一言「すぐに遺言を残せ」と記されている魔物達がいる。

 竜種を代表する【究極竜】のように大きく分類分けされた種類の中にはもちろん植物を代表する魔物が存在する。それが【寄生樹】のユグドラシエルである。

 ユグドラシルとよく似た名前がついているように命名したのはユグドラシルからきたプレイヤーの一人である。プレイヤーがユグドラシルの名前をつけようとしたほどに強大な力を有した自然が産んだ神木ともいうべき大樹、それがユグドラシエルである。

 しかし、このユグドラシエルがユーイチやモモンガにとって致命的なまでに脅威になり得るかといえばそうではない。この神木は一切の敵対行動を取らないからだ。宿した力は強大無比だが生命維持に必要な防衛行動しかしないために入念な準備をもって狩りにいけば倒せはする魔物なのだ。

 問題なのは【寄生樹】である。【寄生樹】は名前の通り他の生き物に寄生することで生きる植物だ。その強さは【寄生樹】そのものが強い場合もあれば寄生先が強い場合もあるのだが、アリシアの故郷では全植物型モンスターの中でも一番の討伐対象に指定されるほどの存在である。それはユグラシエルに【寄生樹】がたどり着くと大災厄が起こるからだ。

 神木と評されるほどの力を持つユグドラシエルなのだが【寄生樹】に対しては一切の防衛をしない。それは【寄生樹】がユグドラシエルの生命維持に対して悪影響を与えないからである。そのため一度とりついてしまった【寄生樹】はユグドラシエルから力を吸い上げ続ける。その結果、際限なく力を増大させるのだ。本来寄生先がいずれ死ぬことで終わるそれはユグドラシエルが持つ圧倒的な大地からの自然治癒の範囲を越えないため終わることがない。敵対行動をしない神木を経由して大地から、大陸から、この星から際限なく力を吸収し続けいずれは星を干からびさせる自然が産んだワンターンキル。それが【寄生樹】のユグドラシエルである。

 当然、その力はユグドラシエルをはるかに越えるもので記録に残る魔物や英雄の中でも最強として知られている。【寄生樹】のユグドラシエルを倒そうとするとどうしてもユグドラシエル本体とも戦闘になってしまう上に蔓や枝に囚われてしまえば養分にされてしまうからだ。

 

 

 

 (確か……昔、ユーイチが……)

 

 

 

 そんな究極の魔物をすぐさま想起したしたアリシアはユーイチを見つめた。

 かつての【寄生樹】のユグドラシエル討伐戦でユーイチは家族や友人のほとんどを失ったのだとアリシアは当時の戦いを生き残った者たちから聞かされていた。それ以来、妻を持つことも同じ場所に留まることもしなくなったと聞かされたときには胸がいっぱいになり、自分のことではないのに涙があふれて申し訳ない思いだった。

 自分が絶対の信頼を置く師匠をそこまで追い詰める存在がいるのかと思うとアリシアはその身をただ硬くするしかなかった。

 

 「実はトブの大森林に突如先程言った通りの植物型モンスターが現れたようなんです。私の知識ではユグドラシルには特徴に合致するモンスターは存在していなかったはずなんですが……」

 「……もし俺の知っている【寄生樹】であるならすまないがお互いに命をかけてもらうことになるほどの魔物だ。早めに手を打った方がいいだろう。いた仕方無い<転移門>を開いてもらえるか?」

 「………それほどですか。分かりました。すぐに参りましょう」

 

 ユーイチの様子から事態の深刻さを感じたモモンガはすぐにモモンからアインズへとその姿を変えた。

 全身を神器級の装備で固めた超越者の姿を晒したモモンガはすぐさま<転移門>を開いた。

 

 「行くぞ」

 「ん……」

 

 目の前の<転移門>がまるで地獄へ繋がっているようではあったがそれでも進むことにアリシアは躊躇はなかった。

 

 

 ──側にいられるなら。

 

 (どこにだって行く)

 

 

 最愛の人の側こそ自分の居場所。

 アリシアはユーイチと並んで<転移門>に踏み込んだ。絶対に離れないと伝えるように。

 

 

 

 

 

 

十三頁~希少種とレアモンスター~

   大災厄の開花 終

 

  




ここまでお読みくださりありがとうございます。

いかがでしたでしょうか?
今までよりも次話への引きが綺麗かなぁと思いつつも説明にガッツリ字数使いすぎじゃない? とか思ったりして頭を悩ませていたのですがどう感じられたでしょうか。すごく気になる…!

ドラマCDでは「誰でも倒せる」と言われていたアレですがこの二次小説ではどうなっているのか。そしてどうにかなっていた場合、どうしてそうなったのか。

もしよろしければそんなところを考えていただけたら少し面白さが増すかも知れません。すいません。高望みですね。

次回は…頑張って早くあげます!

お読みくださってありがとうございました。
感想などいただけたら嬉しくて精神抑制される思いです。ぜひよろしくお願いします!
よければまたお読みください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四頁~希少種とレアモスターその2~

新年明けましておめでとうございます。
今年もオーバーロードを楽しんでいきたいと思います。

……

1月も末になっての更新、誠にすいませんでしたぁァァァああ!!

◇◆◇

今回はちょっと予想外の内容かもです。
初見の方は最初の方だけご注意を。あまり好まれない入り方かもしれません。
この魔樹編、サクッと終わるはずが一気に長くなったのはたぶん原作を読みなおしたせいかもしれません。
まだまだ続きます。




十四頁~希少種とレアモンスターその2~

   大災厄の餌

 

 

 

 どうしてこうなったのか。

 

 自らが創造したNPCであるパンドラズ・アクターを見送り、アインズは玉座に座っていた。自分の子供ともいうべき存在を見送った直後だからかそんな思いを抱かずには居られなかった。

 

 「……不思議だな。まるであの時のようだ」

 

 今のように玉座に座ることに覚えがあった。

 それはあの日、ユグドラシルが終わりを迎える日。

 仲間たちとの黄金の日々の本当の意味で最後の日になるはずだったあの時もこんなふうに不思議と冷静だったような気がした。

 

 「いや……あの時とも違うか。今の俺は本当に一人だ」

 

 うつ向かせていた視線を周囲に向けてみれば玉座の間はまったくの無人であった。

 あの時側に控えていたアルベドやセバスたちの姿は今回はない。当然だ。自分でそうしたのだから。

 

 「皆……無事に逃げのびてくれよ。お前たちは皆の、俺の宝なのだから」

 

 終わるはずの日が始まりの日に変わったあの時から自分を支え続けてくれた子供たちの顔が自然と浮かぶ。皆、自分の判断を望むまい。だがこれこそ最善だとアインズは確信していたし、何よりこれこそが自分の望みであると感じていた。

 

 

 

 【寄生樹】のユグドラシエルの強さはアインズの想像をはるかに超えて強大無比なものであった。

 推定していた百メートルをはるかに超えて成長するその威容は天を貫き世界を穿つ終焉の存在であった。

 

 「ここで斬るしかない」

 

 その存在を目の当たりにして言葉を失ったアインズにユーイチは言った。これでも今が一番弱いのだと。

 今をおいてこの存在を滅する機会はないと告げた同郷の同盟者の言葉にアインズは従った。お互いに持ちゆる全てを使った。魔法、武技、稀少アイテム、人員。余すことなく全てだ。

 

 だが───。

 

 

 「アインズ様ァァァぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 

 シャルティアの最後の言葉が脳裏から離れない。

 自分を庇って【寄生樹】に囚われ存在ごと呑まれてしまった友人の愛娘。

 シャルティアの最後を見たアウラの叫びが木霊するように頭の中で響いた。

 

 「ユグドラシルからの転移者はこの世界にとって異物でな。存在の力とでも言うべきもの……人によって名前は様々なんだが、まぁ、そんな力がどうしても薄くなる。年月がたてば順応してくるものなんだが」

 

 ユーイチに説明された通りであった。

 普通なら囚われても即座に消滅することなどシャルティアの高レベルであればありえない。だが、転移して日が浅いナザリックの者は皆、囚われればそれが例え守護者であっても瞬きの間すら耐えることができなかった。

 

 普通に戦えれば勝てたのかもしれない。

 いや、勝てたとアインズはそれが意味のない事だと分かっていても思ってしまう。囚われてもシャルティアなら脱出出来ただろう。できなくても助けだせたはずだ。【寄生樹】の攻撃は全て避けなければならないという無茶な状況でなければ決して敗北はなかった。

 

 「……いや、まだ敗北を認めてはいないぞ」

 

 暗い眼窩に赤い眼光をたぎらせてアインズは今もなお作戦のために戦っている友人を待っていた。

 すると地下深くにあるはずの玉座の間が揺れ始めた頃に美しい姫君が駆けこんできた。その指には赤い指輪が収まっていてその身を華やかにするのに役立っていたが残念なことに意味はなかった。力なく揺れるその腕はねじり曲がり、見るからに粉々に骨が砕かれている。そんな左腕を筆頭に全身ボロボロであったからだ。

 

 

 「モモンガさん……」

 「アリシアさん。こちらの準備は整いました」

 

 玉座から立ち上がってアインズはアリシアを迎えた。【寄生樹】を相手に戦うことは至難の技だ。よくここまで持ちこたえたとアインズはアリシアをほめたたえたかった。

 

 「腕は……やはり治せないんですね」

 「はい。……あれに一度捕まって吸われちゃったから、回復がどうしても、遅くなって……ごめんなさい。あまり役に立てなかった」

 「そんなことはない。お互いに……ここからでしょう?」

 

 自分の無力を嘆きたいのはお互い様だ。

 だがお互いに嘆くよりもやるべきことがあるのだ。

 

 「うん。他の、皆さんは……」

 「アルベドや皆は退避させた。作戦の都合上、皆がいても……いや、正直に言おうか。あの子たちを失いたくはない。私の身を庇って……死なせては友人たちに顔向けできないからな……パンドラズ・アクターの説得に、苦労しましたよ」

 

 アルベドに嘘をつき、パンドラズ・アクターを説得してアインズは皆をデミウルゴスの所へと避難させていた。当然、アインズが一人残ることを見逃せるアルベドたちではない。だが、パンドラズ・アクターの滅私の演技はアルベドたちの目を欺き、アインズとしてナザリックを跡にしていた。

 

 「……だと、思いました」

 「………ユーイチさんは、まだ?」

 「はい。一人で……壁になってくれてます」

 

 ここで迎え撃つために【寄生樹】を釘づけにする役割をになっているユーイチは今も一人で戦っている。

 

 「なら私たちもやるべきことをやりましょう。……あの子たちを逃しても世界が【寄生樹】にからされては意味がない。ここで。……俺たちで始末をつけよう。アリシア」

 「うん。モモンガさん。私も。そのつもり」

 

 アインズの計画は簡単に言えば落とし穴だった。

 ナザリック地下大墳墓を余すところなく利用した巨大な落とし穴。

 【寄生樹】のユグドラシエルは大地から力を吸い上げ続ける。ならば根元を断ちその力の供給を断つ。

 だが根元を断つと言っても神木ユグドラシエルの根だ。

 完全に断つことができるほど浅いわけはなく根は深く地面を潜っている。

 だからこそ地下墳墓であるナザリックが落とし穴として有効であった。

 地底深く根を張っているがゆえに上手く誘導すれば根はナザリックへ落ちる。

 ユグドラシエルの最大の弱点である根を叩くことができるというわけだ。

 ただし、それはもちろん【寄生樹】も共に落ちてくるということになる。そうなれば転移したばかりのナザリックは崩壊する。

 だからアインズは皆を退避させていた。それはワールドアイテムである玉座を使う都合上邪魔にしかならないだろうというのもあったが何よりもシャルティアのように自分を庇って死なせたくなかったからだ。

 

 「遅くなった」

 

 アインズとアリシアがその声に振り返るとユーイチがゆっくりと玉座の間に入ってくる。

 緊急事態にも関わらずゆっくりした動きなのは片足を失っているからだ。右手に槍をもち、それを杖がわりに歩を進めていた。

 

 「ユウさん…!」

 「ユーイチ……っ。ごめん。ごめんっ、私の、せいで」

 「謝るな。片足程度で済んで幸運だ。気にしてない。戦闘は魔法で補う。……よく生き残ったぞ」

 

 謝るアリシアの頭をぽんぽんと軽く叩きユーイチはアインズに向き合った。

 

 「サトルくん。俺が想定より早く事を為せたのは……君の子供たちのおかげだ。今も【寄生樹】に向けて攻撃を続けている子たちのおかげで片足だけですんだ」

 

 ユーイチの言葉にアインズは咄嗟に<伝言>の魔法を使いかけやめた。

 一瞬の気の緩みが死を招く戦場に子供たちはいる。<伝言>が油断を招いてしまえば取り返しがつかない。

 

 「あいつら……。まったく。忠誠心が高すぎるっての」

 「主人冥利に尽きるな? ……俺たちがどれだけ削ぎ落とせるかでこの戦いは決まる。完全に根を断てばサトルくんの子供たちがやってくれるはずだ。俺たちの仕事は根をそぐこと。それだけに全力を注ぎこむぞ」

 

 アインズとアリシアはユーイチの言葉に頷いてそれぞれに用意していた大技の準備に入る。

 ユーイチも杖代わりの槍を捨て、魔法で疑似的に生み出した両足で地面を踏みしめ、使いきりの両手剣を構えた。

 

 ナザリックの各階層をぶち破り【寄生樹】のユグドラシエルが迫る。

 最深部の玉座の間に伝わる振動は激しさを増していく。それは死が目前に迫っているのと同義であったが三人には恐怖はなかった。

 そして天井を崩壊させながら玉座の間に姿を見せたユグドラシエルの根に向かって三人はそれぞれの必殺の業を叩きこみ、そのままナザリックの崩壊に巻き込まれていった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「……とまぁ、最悪を想定していたらこんな流れだったかもしれないな」

 「それほど……ですか。【寄生樹】のユグドラシエルとは」

 「ああ。種族としては頂点に座する竜種ですらいい餌にしかならないほどの災害だよ。発生直後でなければ俺たちだけではどうにもできないだろう。今のタイミングでギリギリといったところか」

 「やはりユグドラシルの常識では測りきれないなぁ」

 「サトル君、ユグドラシルとこの世界の違いは何だと思う?」

 「……リアルだということですね」

 「そうだ。ここは現実だ。現実というのはある意味果てがない。何でも起こるし何も起きない起きないもので……災厄にも果てがないものさ。起きなければ知りもしなかったモノがある日唐突に目の前に現れる。世界の可能性は予想を越えて常に俺達を狙っている。だからこそ、慎重に行動しなければならない……。歴史から学ぶ者を賢者といい失敗から学ぶ者を愚者という。せめて愚者でありたいものだよ」

 

 <転移門>をくぐりアルベドから状況を確認した四人を待っていたのは報告通りの百メートルを超す巨大な大樹であった。その枝はそれぞれが百メートルより長く、三百メートルに届こうかというほどでありトブの大森林の木々をかき集めては本体にぽっかり空いた口でむさぼり食っている。その様子はユーイチやアリシアのいう大災厄にふさわしいようにも思えた。

 

 「……なんだこいつは?」

 

 だが緊張感を失わせて首をかしげたユーイチの雰囲気に流されたように直視したアインズやアリシアは肩すかしをくらったように疑問を感じていた。

 確かにこの大陸でみた中では抜けているほど……決して油断できないほどの力を有している存在ではあったがユーイチやアインズはもちろんのこと、アリシアですら苦戦するほどの相手には感じていなかったからだ。四人の中で唯一、ナーベラルだけが勝ち目がないだけでナザリックの守護者であれば誰でも勝てるくらいの相手である。とてもじゃないが【寄生樹】のユグドラシエルとは比べられる存在ではない。

 

 「ユーイチ。あそこから、声がする。行ってきていい?」

 「ああ。いいぞ。ただし、極力戦闘は避けるように。何があるかはまだわからん」

 「うん」

 「……! ナーベラルよ。アリシアさんに同行して協力せよ」

 「畏まりました。アインズ様」

 

 風が伝えてきた妖精の声を無視できなかったアリシアがナーベラルと共に森の中を進んでいった。

 残ったユーイチとアインズは二人が声上げながら妖精を救助している様を眺めつつ動きを止められているこの大樹の魔物をどうするか意見を合わせていた。アインズがナーベラルをアリシアに同行させたのは側から離すためであった。他人の目がない方が話しやすいのは二人とも同じであったからだ。

 

 「ユウさん。空間……固定でしたか? 拘束のほうは問題ないですか?」

 「問題ない。いくらか抵抗を感じるが……この程度なら数日でもこのまま維持できる。流石に苦痛だからやりたくはないが」

 

 右目を手で覆い左目だけで大樹を眺めるユーイチは時間停止に似た特殊技能でその動きを封じていた。

 

 「サトル君、こいつの処分だが……このまま倒してしまうのはいささかもったいないと思わないか?」

 「といいますと?」

 「こいつはこの大陸の住人にとって間違いなく国家規模の災厄だろう。王国では対処の仕様がないほどかもしれん。王国戦士長殿が何人いても勝てないだろう」

 「そうですね。セバスからの報告でも王都の方にもこれといった強者は確認されていませんから……王国はこいつに滅ぼされるかもしれませんね」

 「だがそうはならない。それは俺たちがいるからだ。俺や君がいる以上王国がこいつに滅ぼされることはない。だが──」

 「なるほど。では、他国はどうなのか、ということですね?」

 

 アインズはユーイチの思惑を理解して手をポンっと叩きニヤリと笑った。もちろん骸骨の顔は一切の表情を浮かべてはいないが。

 

 「ああ。そうだ。特に帝国。あそこは俺も行ったことがない。確認してみるのにこいつを利用するのはいいことだろう。それに……英雄モモンの偉業の一つにはうってつけだろうさ」

 「いいんですか? 美味しいところをいただいて」

 「いいさ。だが、ただ倒すのは少々もったいない。どうせなら余すところなく利用しよう。その方がサトル君のためにもなる」

 

 アインズは隣に立つユーイチを見つめた。

 嫌な予感がした。

 それはまるで上司から面倒な仕事を押し付けられる一歩手前のような空気であり、鈴木悟がいつも回れ右で逃げ出す類のものであった。

 

 「俺のために……なる、ですか?」

 「ああ。……絶好の機会だ。君もこの世界でのレベルアップを体験してみるといい」

 

 冷や汗をかける体ではないのになにか冷たい物が背筋を伝う感覚をアインズが覚えていると一本の木を二人で抱えてアリシアとナーベラルが戻ってくる。

 二人の抱えた木には少々口うるさく感じるほど忙しない妖精がアインズの骸骨の姿を見て悲鳴をあげている。

 そんな妖精の態度にアインズが気を悪くしていないかとアリシアとナーベラルは様子を窺った。だが二人してすぐに首をかしげた。アインズは二人がそれとわかるほどどこか調子が悪そうな雰囲気を醸し出していたからだ。

 

 「ちょっと今日は体調が悪いので直帰します」

 

 見る者がみればまさにそう言いたげな雰囲気であったが二人には流石にそこまでは分からず、不思議な雰囲気の友人&主人の様子に首をかしげるだけであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 王国と帝国の間にはそれぞれ二つの都市がある。

 まずは王国のエ・ランテル。これは帝国だけでなく法国とも隣接する三国が交わる非常に重要な城塞都市である。その重要さは三重にまかれた城壁から嫌でも伝わってくる。

 そして帝国側にも当然のように隣接する都市がある。

 カッツエ平野から漏れ出すアンデッドや王国に対する備えとして機能している帝国大要塞の影に隠れ、帝国の首都アーウィンタールからエ・ランテルに向けて丁度半ばに位置する都市こそそれだ。

 この都市からはエ・ランテルのように交易による人の騒音は聞こえてこない。軍事拠点としての意味合いがより強いからだ。それは決して王国からの侵攻に備えているという意味合いではない。近くにあるカッツエ平野からはアンデッドが発生しては漏れ出し帝国、王国問わず被害を与えている。その備えとして大要塞がありはするのだがこの都市も人ではなくアンデッドに対する備えが強い都市と言える。常設の軍を持たない王国とここで戦うということを想像はできても現実味をもって捉えるのは難しかった。

 当然、アンデッドを相手と想定する以上、この都市にはある程度の神殿の勢力が存在している。

 彼らは前線都市に住まうだけの実力派の魔法詠唱者であり神の奇跡をもって穢れを払う行いを何よりも尊ぶ存在であった。

 

 

 

 「か、神よ……我が信仰を捧げし偉大なる御身よ……ど、どうか救いの道を示した、たまわんことを……っ」

 

 

 そんなアンデッド相手に一歩も引かない勇気をもつ神官が震えていた。

 寒さからではない。むしろ季節は温かいものであり寒さによる震えなど無用なものだ。

 彼が震えて神に祈っている……いや、縋っているのは恐怖によるものだ。

 十字架のペンダントを握る右手が掌に喰い込み、血すら顔をのぞかせる。

 全身を震えさせ汗を滝のように流す男はその痛みを感じる事はなかった。そんな些細なことなど目の前の現実に比べれば気にとめることではないからだ。

 男がへたり込み情けなくも健気に祈っているのは城壁の上だ。そこは本来神官である彼がいるべき場所ではない。本来はこの都市の中でも特別立派な神殿こそが彼の意場所であった。そんな彼が城壁に呼び出されるような異変こそが目の前の現実である。

 城壁の先、そこは見晴らしのいい平野だ。ところどころに木々が生え左手に進めばカッツエ平野にたどり着き、右手に進んでいけばトブの大森林につく。

 そんないつもの景色がこの日、男の視線の先にはなかった。特別障害物のない見晴らしのいい平野が広がっているはずの景色には禍々しい巨大な大樹がいたからだ。

 その大樹と都市との距離は五百メートルは離れていがそれだけ離れていてようやく都市の住人はその大樹の異質さを感じ取れた。それよりも近けばむしろ現実感を感じる間もなかったからだ。

 男の視線の先では大樹の全長よりながい触手が周囲に群がる獲物を捕食している。その範囲は驚くほどで三百メートルはある。五百メートル離れていても聞こえる断末魔と悲鳴に城壁に残った者たちは震えていたのだ。

 獲物とは帝国の騎士たちである。彼らはこの巨大な大樹から都市を守ろうと果敢に出陣し、大樹本体に届くことすらなく一方的に喰われていた。

 騎士たちからすれば命がけの戦場にその身を置いているのかもしれないが外から見えてしまう神官の男たちにはそれが戦いの様子には見えなかった。ただ餌をまいているようにしか見えなかったのである。

 

 「わ、我々はどうすればいいのですか? どうすればいいのですか!?」

 

 神に縋っている男に縋るように新米の騎士が声をかける。男は騎士では対処できない異変の際に神官に対処を求めるという規則の元呼ばれてきていた。だから、その新米騎士の問いかけは当然ではあった。そのために男は呼ばれたのだから。

 

 「祈れ」

 「は……?」

 「祈らんか! 神に! 神に祈らずしてこの災厄を切り抜ける方法などありはしない!! お前は! アレが人にどうにかできると思うのか!!」

 

 男は新米騎士を突きとばして今度は床に頭をつける勢いで祈りだした。

 それが神殿でも有力な神官と知れていたこの男の選んだ結論であった。

 祈るしかない。もはや人の力が及ぶものではない。

 男は逃げ出せるほど臆病でもなければ勇気もなく餌となった騎士団のためにも神に祈った。

 そしてその祈りはすぐに結果となって現れた。

 数十秒後、餌がなくなったために歩みを再開した大樹によって都市はなくなっていた。

 まるで開墾したかのように掘り返された地面の土が残り、他は何一つ残らなかった。

 こうして帝国の国境の都市は消滅したのである。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 まるで豪雨にうたれているようだ。

 

 自らに指示を求める人の群れに応じつつバハルズ帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは頭を最大限回転させ続けていた。

 ジルクニフという人物は帝国の歴代皇帝の中でも圧倒的な才覚をもっている。そういう評価だ。少なくても彼の周囲は皆そう評価するし、彼自身もその才覚を自覚している。それは彼が皇帝になってからの帝国の繁栄を見ればわかることであった。

 新しい物を取り入れ古く無用なものを取り除くことに躊躇わない様は鮮血帝と評され、帝国に新しい繁栄をもたらすだろうと予見できる人物であった。

 そんな聡明な人物は今初めて自らの手に余る事態に遭遇していた。

 それは帝都に迫る大樹のせいであった。

 

 「爺」

 「陛下」

 

 ジルクニフの呼ぶ声に応えて身長の半分ほどの長さがある白髭を撫でながら老人が進みでた。

 

 「帝国の切り札、そして我が師であるフールーダよ。あの大樹に対して結論は出たか?」

 「は。陛下。報告と合わせて観察した結果……おおよその対処法が見えましたぞ」

 

 老人のその言葉に周囲から歓喜の声をあがった。その中にはジルクニフのものもある。

 その歓声の中心にいる老人の名前はフールーダ・パラダイン。英雄の領域を超えた逸脱者と呼ばれる賢者である。その存在はフールーダ一人で他国を威圧できるものであり一騎当千を越えたまさに次元の違う存在であった。

 ジルクニフは優れた皇帝ではあったが今回の大樹の災厄が既に自分の扱える範疇を越えていると分かっていた。国境の都市が一日どころか数時間ももたずに喰われてしまう規格外の魔物の襲来。一目確認してジルクニフは分かってしまった。アレには帝国騎士総出でかかっても勝てないだろうと。

 だがそれでも希望を捨てていなかった理由こそフールーダの存在だ。フールーダも帝国全軍に等しいだけの力量をもった存在であったからだ。

 

 「残念ながらあれを倒すことはかないますまい。この国の全てを使っても本体に届くかどうか」

 

 そんな周囲の期待の視線を裏切る一言をフールーダは当然のように口にした。それにざわめく周囲を余所にジルクニフは続きを促した。その言葉を出されても驚きはなかったからだ。それほどまでに圧倒的だと感じる魔物なのだから。

 

 「事ここに至っては被害をどれだけ抑えるか、それにつきます」

 「あの大樹は道中の動植物を捕食しながらこの帝都に迫っている。接敵されれば国境の都市と同じく跡形も残るまい。これをどうする?」

 「帝国西へと誘導しましょう」

 「……誘導し、そのまま国外へと導く、ということか」

 

 フールーダが頷いたのを見ながらジルクニフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。誘導するために必要なものがなんなのかすぐに分かったからだ。

 

 「でもよ。陛下。そんなに上手くいくのかい? 俺たちなら、一人を除いて喜んで働くけどよ」

 

 帝国四騎士の一人であるバジウッドが皇帝に向ける言葉とは思えない砕けた口調で言葉を投げる。それは必要なものが自分たちの犠牲であるということを理解していたが故の言葉だ。

 フールーダとジルクニフは互いにあの大樹が餌に釣られるということを見て取っていた。知性は薄く本能のままに捕食し成長している。ならば餌を目の前に釣り下げれば移動先を誘導できると判断したのだ。だが、都市の中には多くの住人がいる。木々を積み重ねても誘導出来る可能性は低い。ならば目の前に誘導にかかるほどの量の餌をまくしかない。その餌の役割ができるのは騎士団だけであった。

 

 「……いざという時は我が身を優先させていただきますわ。構いませんわよね? 陛下」

 「ああ。もちろんだとも。レイナース。君とはそういう約束だからな」

 

 バジウッドに一人を除いてと指摘されたレイナースは国家存亡の危機に直面しつつもあっさりと役割を放棄するつもりだと告げた。バジウッドと同じ帝国四騎士という重役につきながらも彼女の忠誠心は騎士団の中でも指折りで低い。それは彼女とジルクニフの関係が主従と言うよりは雇用主と雇われというものに近いからだろう。レイナースの顔の右半分は布のように垂らされた金の髪で隠されているが、魔物退治の際におった呪のせいで醜く変異し、黄色い膿をうんでいる。彼女はその呪を解くことを第一にしているがゆえに他のすべてを二の次にしている。それは自分の故郷である帝国の命運すら同じであった。

 

 「最初から逃げないのか? てっきり最初から逃げると思ったが」

 「……最初から逃げてもかまいませんわよね? 陛下」

 「はは、ナザミ。余計なこと言ってるとこいつは本当に最初から逃げ出すぞ。形だけとはいえ居てもらわなきゃならんのだから口とじとけ。頭だけでも俺たち四人が揃っていないと士気にかかわるぜ」

 「………構いませんわよね? 陛下」

 「構わないんだが、バジウッドの言うとおりだ。君に出陣は命じないから頭だけでもいてくれ。レイナース。その後は好きにして構わない」

 「分かりましたわ」

 「ありがとう。それからバジウッド。お前の指摘はもっともだ。帝国騎士団だけでは餌として不十分だろう。半数……いや、三分の二を犠牲にしたとてまだ帝国の外へと導くには足りない」

 

 バジウッドの指摘にジルクニフは頷いた。国外に向けて誘導するには騎士団の犠牲だけでは足りない。もっと大きな犠牲が必要であった。

 

 「つーことは……どうなさるんで?」

 「西の都市を丸ごと餌にする。騎士団にはそこまであの化け物を誘導してもらうことになる」

 

 ジルクニフの言葉にレイナースを除く周囲の騎士は歯噛みしたが異論はでなかった。誰もが大樹を前にして具体的な対策を口にすることすらできないのだ。その中でジルクニフとフールーダは具体的なことを口に出すことができるのだから

 

 「では、陛下。事は一刻を争いますぞ」

 「ああ。皆に異論はないようだ。これよりあの大樹を国外に追い出すために動く。それから法国に使者をだしてこのことを伝える。あれを倒せる国があるとしたら法国だけだ。討伐を願うとな」

 

 こうして帝国は肉を切らせて骨を守るべく行動を開始した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 バハルズ帝国帝都アーウィンタールの冒険者、そしてその道をはずれたワーカー達は静かに騒いでいた。それはひっそりと情報が回ってきていたからだ。

 

 

 ──帝都に大災厄を呼ぶ魔物が迫っている。

 

 

 そんな噂はその魔物によって滅ぼされたという王国との国境の都市から逃げのびてきた兵士や冒険者によってもたらされていた。だが、それがひっそりと回っているには理由がある。帝国騎士による情報規制のためだ。見回りの兵士たちはいつもよりも多く帝都を見回っている。何も知らない住人からすれば特別気にすることではなかったが少しでも知ってしまった者にはそれが何なのか推察してしまえるものであった。

 そんなひっそりとした噂話で各テーブルが盛り上がっている<歌う林檎亭>の一室にワーカーチーム、フォーサイトは集まっていた。

 

 「今、噂されてるのは話した通りなんだが……どうやらマジっぽい」

 

 リーダーのヘッケランが自分のベッドに座りながら仲間たちに話している。二人部屋の中には四人の男女がいた。ヘッケランと神官のロバーデイク、半森妖精のイミーナ、そして魔法詠唱者のアルシェである。フォーサイトは冒険者で評価するとミスリル級に属する腕利きのワーカーチームだ。そんな四人組が深刻な表情で話しているのは身の振り方である。

 

 「私の方でも傷の手当てをした神殿のほうに探りをいれてみましたが……噂が真実だと思った方がいいでしょうね。そしてそれを国が隠しているというのも」

 「身の丈が雲に届くような巨大な魔物が国境の都市を丸呑みにして帝都に迫っている……こんなのが本当に正しいっていうの? ヘッケラン、ロバー」

 「俺だって信じられないがよ……どうにも調べれば調べるほどそれが真実だと感じてる」

 「私も同じです。なにより騎士たちのあの見回り。あれが信憑性を増しています。国としては情報が流れて暴動につながるのを恐れているのではないですか?」

 「そう。ならどうする? そんな魔物が迫ってるってなるとここにいたらまずいんじゃない?」

 「ここには彼の大賢者フールーダ・パラダインがいますし、何より帝都です。滅びるということは……ないと思いたいですが」

 「いや、わかんねぇぞ。相手は都市を丸呑みにするような化け物だって話だ。少なくても帝都が無茶苦茶にされるくらいは想像しておくべきじゃないか?」

 「となると此処から逃げるのですか? しかし、それは……」

 「ロバーの気持ちは理解するけどよ。怪我を治す神官が死んじまったらどうしようもないぜ?」

 

 イミーナは男たちの話しあいを自分のベッドに腰掛けながら聞きながらずっと隣に座るアルシェの様子をうかがっていた。普段なら帝国魔法学院出身の深い知識で適切な意見を述べているだろうパーティの知識役が部屋に入ってから一言も話していなかったからだ。

 イミーナが見ていることに気がついたアルシェがうつ向かせていた視線をあげた。その瞳には普段映さない深刻な悩みが見えてイミーナは咄嗟にアルシェの手を取った。

 

 「──イミーナ」

 「アルシェ。抱え込んでること言ってみなさい。そんな顔されたら気になってしょうがないわ」

 「──でも」

 「もちろん。話したくないなら言わなくていいわ。でも、今、話すかどうかで悩んでいるでしょ? なら言ってみなさい」

 

 アルシェが視線を男たちに向けるとヘッケランもロバーデイクも同意するように頷いた。二人とも黙ってばかりのアルシェの様子を気にしていたからだ。

 

 「──わかった」

 

 自分の悩みに気がついている仲間にこれ以上隠すのは憚られた。アルシェは自分の家庭の事情をつぶさに語った。家が鮮血帝による没落された貴族であり、両親は借金をしてまで貴族としてのくらしにこだわっていること、そして何より妹が二人いること。

 

 「──悩んでいたのは、帝都を抜けだすのなら妹たちを連れていきたくて。でも家の恥を皆に素直に言えなかった。ごめん」

 「謝る必要はないぜ。なるほどな。だからか……」

 「そうよ。アルシェ。しっかし、酷い親ね。私が一発殴ってやりたいわ」

 「こらこら暴力はいけませんよ。殴るより先に神の言葉を聞かせましょう。改心しなければ神の拳を受けさせればいいのです」

 

 三人はこれまでアルシェが装備を新調させずに報酬を何に使っているのかという疑問が解消されたと同時に、苛立ちや怒りの思いがあった。もちろんアルシェ本人ではなくその両親にだ。

 イミーナが不機嫌そうに一度拳をベッドに叩きつけた。

 

 「──ずっと踏ん切りがつかなかった。あんなのでも両親だから。でも、今回の件で決心がついた。帝都が危険にさらされているなら妹たちを連れ出して余所でくらしたい。これが、私の意志。ごめん。自分勝手でパーティのことを考えてない。だから私の言葉は無視してほしい」

 「分かった。アルシェ。今回はお前に決定権はない、ってことでいいな?」

 

 ヘッケランの言葉に頷いたアルシェは皆が此処に残ると決めても自分は妹達と共に帝都を出るつもりだった。いずれはそうしなければならないと何年も考えていたのだ。その時が来たのだとアルシェはチームを抜ける覚悟をしなければならなかった。

 自然と視線がうつ向き始めたアルシェには見えなかったが三人は一度視線を合わせてお互いの意志を確認すると笑った。

 三人とも妹のようなアルシェを見捨てるような仲間ではなかった。

 その日のうちに彼らは荷物をまとめて帝都をでる支度を整えることになった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 帝都を夜の闇が包み、マジックアイテムや松明の灯りが帝都の中をぽつりぽつりと照らしている。そんな中をフォーサイトの四人は人目につかないように気をつけながら進んでいた。

 

 「お姉さまー?」

 「しー。クーデ。静かにね」

 「はーい」

 「クーデリカ、騒がしくしちゃいけないよー」

 「ウレイも、ね?」

 「はーい」

 

 四人の最後尾を歩くアルシェの両横に妹である双子の姉妹、ウレイリカとクーデリカが共に歩んでいる。フォーサイトは先程この二人をアルシェの実家から連れ出してきたばかりだった。

 少々生ぬるく感じる夜風を浴びながら双子の姉妹は大好きな姉とのお引越しに眠気を吹き飛ばして笑顔を浮かべていた。天使のような愛らしさを見せるその笑顔は姉のアルシェのようにいずれ人目をひく美人になるだろうと容易に想像させた。

 

 「ふふ、こーんなに可愛らしい妹さんで羨ましいわぁ」

 「おいおい気を抜くなよ。イミーナ」

 「分かってるわよ。伊達にヘッケランより耳長じゃあないわよ」

 「それ、関係ありますかね?」

 「──皆、その、静かに」

 

 軽口を叩きあう仲間達を見つめる妹達の視線をアルシェが気にすると三人とも軽く謝って口を閉じた。

 フォーサイトが夜闇に紛れるように移動しているのには理由がある。

 それは都市の外へと繋がる門が騎士たちによって封鎖されていたからだ。

 騎士による見回りや警備が度を越し始め流石に住民たちが騒ぎ始めた頃、室外への外出を禁じるように命令が下されそれと同時に全ての門が閉じられたのだ。

 想像していた以上の速さで事態が進行していることに気がついたフォーサイトは話しあったその日の夜に行動を起こしていた。

 門は閉ざされ空にも騎士の目が光っている。

 通常なら抜け道はないのだが彼らは帝都有数のワーカーである。

 帝都にこっそり忍び込む道の存在を知り得ていたし、忍び込むことができるということはその逆もまた可能ということだ。

 彼らが目指していたのは鮮血帝によって排斥されたある貴族が所有していた屋敷だ。墓地近くに立地している薄汚れた屋敷は至るところがボロボロで何も残っていない。だが、そんな屋敷が残っているのには隠れた理由がある。それは屋敷にある地下道だ。もともと何かあれば帝都外に脱出できるように設計された隠し通路でありそれはいまだに使用可能であった。

 

 「見えたな。あの屋敷だ」

 「──本当にぼろぼろ」

 「ああ。まぁ誰の手入れもなけりゃこうなるわな。確か家主が手放す際に一悶着あったらしいしな」

 「お姉さまー、あそこが新しいおうち?」

 「お姉さまー、きたないよ?」

 

 早合点した妹たちが初めて見せたどこか不安な表情に笑顔で「違うよ」と応えてアルシェは二人を抱きかかえた。此処までは隠れながら進んでいたが屋敷までの道にはもはや隠れられるような場所はない。妹たちを歩かせている余裕はない。

 アルシェは準備ができたと仲間たちに頷いた。 

 

 「よっしゃ。じゃあここからはただ突っ切るだけだ。見つかっても振り返るなよ」

 「了解。先頭は私が行くわよ」

 「では最後尾は私が。いざとなれば私は置いて行ってくださいね。此処に残って神官としての務めを果たすのも悪くはないですから。いいですね? アルシェ。何かあっても振り返らないように」

 「──ごめん。ありがとう」

 「いいな? ……行くぞ!」

 

 ヘッケランの一言でイミーナが先頭を切って走り出す。彼女は一度隠し通路を利用したことがあるためその所在をつぶさに把握していたのだ。その迷いない走りにつき従ってヘッケラン、アルシェ、ロバーデイクの順で駆ける。緊張感をました姉の雰囲気に普段は無邪気な妹たちも声をあげることなく、姉にしがみついた。

 

 「……おかしいっ。視線がない」

 

 先頭を走るイミーナから順にフォーサイトは皆、すぐに疑問を感じた。

 街中をあれほど見張っていた騎士の見回りの気配がないのだ。空を飛んでいるはずの皇室空護兵団の視線もない。

 まるで意図的にこの場所だけ穴を空けたかのような違和感。

 背筋が冷えるようなそれに気がつきイミーナの足が止まりそうになるがヘッケランの「行け!」という声に押されてまた進みだす。

 地上もダメ。空もダメ。残す道は地下しかない。

 そこにしか道がないのであれば進むしかないのだ。

 

 「わかってるわ──!?」

 

 イミーナが屋敷の崩れかかった扉をくぐり隠し通路にむかって一直線に進もうとした瞬間。

 唐突にイミーナの体はその反対方向──ヘッケランがいる方向へと投げ出された。

 

 「イミーナ!? ッロバー!! 頼むっ」

 

 ヘッケランは恋人であるイミーナを咄嗟に投げ捨て剣をぬいた。

 イミーナの体には何かに貫かれたかのような痛々しい傷があった。

 本来ならすぐにポーションを使い傷を癒したい。無事を確認したい。

 だがヘッケランは恋人を守るためにも剣を抜かなければならないと即座に判断した。

 そしてそれは間違っていなかった。

 瞬間、受けた剣ごと吹き飛ばされるほどの攻撃に晒されたのだから。

 

 「うぉっ!?」

 「受けた? 私の槍を……聡い脱走者のようですわね」

 

 冒険者としてはミスリル級の腕をもつヘッケランが受け止めきれず姿勢を崩される様を間後ろで見ていたアルシェは驚きでその足を止めてしまった。

 

 「──え? そんな、あなたは」

 「どうしたのですか!? イミーナ、へっけら……な、なぜここに<重爆>が……!?」

 「人の顔を見てどうしてそんなに驚くのかしら……そんなに死にたいの?」

 

 帝国に住む者なら誰でも知っている帝国四騎士の一人、<重爆>レイナース・ロックブルズがフォーサイトの前に立ちふさがっていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その場にレイナースがいたのはフォーサイトにとっては不運だったがレイナースにとっては必然であった。

 帝国騎士全体への作戦の通達が終わればレイナースの帝国四騎士としての務めは終わったも同然であった。だが、それでも彼女はいまだに帝国四騎士として働いていた。それは都市の外へいらぬ脱走者を出さないことだ。

 それは帝国のために働くというよりは我が身のためという意識が強かった。

 都市外に脱走者が増えれば大樹の誘導に支障がでかねない。そうなれば自分が逃げる際に大樹に喰われる可能性もある。

 そうならないためには一番はジルクニフやフールーダの指示通りに大樹を帝国西の都市まで騎士団が誘導してくれることだ。そうすれば反対方向から他国へ逃げればいい。そうすれば万が一にも大樹に出くわすことはない。

 そのためにレイナースは帝国四騎士の一人として務めを果たしきっていた。門は全て厳重な警備によって閉ざされているし、皇室空護兵団によって上空も抜かりはない。逃げ出す者がいても西側に追い出せるように手はずを整えてある。

 そうして万全の仕事を終えた彼女は最後は自分だけが帝都を抜けだせるように地下の隠し通路に潜んだ。いつでも逃げ出せるようにと彼女がこの隠し通路を維持していた本人であった。ゆえにヘッケラン達は知らないことであったがこの通路の存在自体はジルクニフも知っているものであった。

 

 「管理出来ているのであれば好きにさせるといい」

 

 ジルクニフの許可がおりている公認の隠し通路にレイナースが潜んだのは自分が逃げ出すためもあるが、誰かが逃げ出さないために見張るためでもある。フォーサイトはこの見張りにひっかかってしまったのだ。

 

 「警告しますわ。ただちに家に戻りなさい。今なら目をつむりましょう」

 

 レイナースは左目で飛び込んできた脱走者を見渡し、そして先程の言葉を少々後悔した。

 どうにも彼女の眼にはフォーサイトの面々が子供を誘拐した無法者にしか見えなかったのだ。

 だがそんな少しの後悔も瞬きする間になくなっていた。

 

 (どうでもいいことね。子供が攫われようが、誰が悲しもうと……)

 

 そんなの知ったことじゃないわ。

 

 レイナースにとって大事なのは我が身のことだけだ。

 実家に裏切られ、愛した男に拒絶されたレイナースに残っていたのは自分と呪いだけだった。

 彼女にとって呪いを解くこと、我が身の安泰こそが何より重視されることであり、仮にフォーサイトが人攫いで子供が邪神の供物として捧げられてもどうでもいいことであった。

 そんな冷淡な眼差しに晒されながらもヘッケランは痺れた片手を軽くふると得意の二刀を構えた。

 その様子からは退く様子は微塵も感じられない。

 レイナースはそっと目を細めると躊躇なく槍をヘッケランの後ろにむけて振るった。

 

 

 

 武技─<空斬>

 

 

 

 斬撃を飛ばす武技を倒れて気を失っているイミーナに使ったのだ。

 当然イミーナは反応することはない。

 

 「! イミーナ!!」

 

 まさか目の前の自分を無視してイミーナを狙うとは思っていなかったヘッケランは咄嗟に反応出来ない。そのまま刃はイミーナに迫る。

 

 「危ないッ!」

 

 だがかろうじてロバーデイクがその身を盾にしてイミーナを守った。

 庇った両腕から鮮血が月明かりに照らされて艶めかしく輝いた。

 

 

 

 武技─<空斬>

 

 

 

 「──ロバー! !? ダメッ」

 「お姉さ」

 「んん?」

 「ん、くアァっ!?」

 

 レイナースはロバーデイクがイミーナを守ることを見ていなかった。続けざまに今度はアルシェを──正確にはその手に抱えられた双子の姉妹を狙って武技を放っていた。咄嗟に背中でかばったアルシェの口から押しとどめられない悲鳴が上がった。

 この二度の武技は完全にレイナースの目論見通りの結果を生んでいた。

 弱い者を狙うことで枷をつけ敵を分断する。

 そして挑発だ。

 もう一度レイナースが武技を放つ仕草を見せるとヘッケランは瞬時に飛びかかってくる。

 当然の対応ともいえるそれはしかし手早く片付けようとしたレイナースの思惑通りだった。

 

 (さようなら──)

 

 

 武技─<爆牙>

 

 

 自らの通り名である<重爆>の元になった武技の一つをもってレイナースは自らの槍の間合いに入ったヘッケランを貫いた。足場が破裂するほどの強烈な踏み込みで繰り出されたその一突きは初見で、しかも、自分から飛び込んでしまったヘッケランにかわせるものではなかった。

 

 「が───」

 

 奇しくも恋人のイミーナと同じように左肩を穿たれたヘッケランはそのままアルシェのそばまで吹き飛ばされた。左手に握っていたナックルガード付きのショートソードは粉々に砕かれていてレイナースの武技の威力のほどをあらわしていた。

 だがその粉々に砕かれた剣こそがレイナースにとっての予想外であり、ヘッケランが確かな技量を持っていた証であった。

 

 「……防いだ。やるわね」

 

 通常、レイナースの槍とヘッケランの双剣の戦いであれば間合いのやり取りが存在する。

 当然入りこまれなければ一方的に槍で攻撃できるレイナースが有利であり、入り込めば柄の長さが邪魔をしてヘッケランが有利になる。

 レイナースはそれをヘッケランを焦られることで無造作に飛びこませ、初速から最速を引き出せる自らの武技で迎え撃ったのだ。当然、レイナースの思惑としては一撃で刺殺していたはずであった。

 だがヘッケランはギリギリのところで剣を盾にして致命傷を避けていた。武技の威力のせいで受け切ることはできなかったが命を奪うつもりで放った武技が片腕を奪うに留まったのだ。

 

 (ただの無法者ではない。腕利きのワーカー? 子供は攫ったのではなく助けた? それとも本当の親子なのかしら? ……まぁ、どうでもいいかしら)

 

 どちらにせよ今、逃げ出されては問題になるかもしれない。

 レイナースは倒れ込んだヘッケランに近づくこともなく同じ動きを繰り返した。 

 それはつまり<空斬>の連続使用である。

 同じように弱い者を狙い続け枷にし、まともに動かせない。

 <空斬>とは通常剣や斧のような取り回しのいい武器で行うのが常識だ。レイナースの槍のように柄の長い武器で行うには難易度が高くなる。

 だが難易度が高いだけ効果も大きい。槍から繰り出される<空斬>は剣のものより大きく広範囲を切り裂いた。もちろんその分ダメージも大きい。

 

 「ぐぉ!!」

 「ッツアぁぁッ!?」

 

 イミーナと妹達。それぞれを庇うロバーデイクとアルシェの口からは痛みに耐える言葉しか出てこない。

 気を失っていてはそれは全くの無防備だ。イミーナが直撃を受ければそれが致命傷になるかもしれない以上、ロバーデイクは庇い続けなければならなかった。だがそのせいでろくに動くことができない。傷を癒す神の奇跡を唱えようにも詠唱していては防御することができない。防御の姿勢を崩してはロバーデイク自身がもたなかった。

 アルシェもまた魔法を唱える余裕がなかった。

 いや実際には唱える余裕はあるのだがそれに気がつかないほど精神的な余裕がなかった。

 アルシェにはレイナースの<空斬>が死神の鎌のように思えたほどだ。そんなものに妹達が自分という壁一枚を隔てて晒されようとしているのだ、妹達を守るという意識が強いあまり抱きかかえて背中でかばうという姿勢を崩すことができないのである。

 

 「っぁ、う」

 「お姉さま……? お姉さま?」

 「お姉さま、だいじょうぶ?」

 

 三度目の<空斬>を背中に受けてアルシェの意識は途切れそうになった。妹達を抱き上げるために背中に背負っていた愛用の杖は既に切り裂かれて地面に落ちていた。見るも無残に切り裂かれた背中はマントが赤く染まるほどの出血がみられすぐにでも治癒の魔法が必要であると誰の目にも明らかであった。

 そんな状態だったがアルシェは小さく腕の中の妹達に笑いかけた。大丈夫だと。心配はいらないのだと。

 

 「──だいじょ、ぶ……だよ」

 

 妹達のためならどんなことにだって耐えて見せる。耐えられる。出血のせいか思考が乱れ始めたアルシェはそう言って精一杯の強がりを見せていた。

 

 「ロバー! アルシェ! 魔法を使え!!」

 

 次の<空斬>に耐えるように身を硬くしていたアルシェやロバーデイクに新たな選択肢を与えたのはヘッケランの叫ぶような声だった。

 

 「俺が抑えている間に! 立て直せ!!」

 

 先程まで気を失っていたとは思えない気迫のこもった声が響きつられるようにアルシェは振り返った。

 右腕一本でヘッケランがレイナースに向かっていくのが見えた。

 

 「ヘッケランっ。分かりましたよ! <中傷治癒>!」

 

 ロバーデイクが防御を捨ててアルシェの傷を優先して治すことでアルシェにもようやく魔法を使う余裕が戻ってきた。だがその選択が正解かどうかはヘッケランがレイナースを抑えられるかどうかにかかっていた。例えイミーナを含めてアルシェやロバーデイクが万全であっても、前衛であるヘッケランがいなければ三人とも槍で貫かれて死ぬだろう。それほどにレイナースは強かった。

 

 「ウォォォォッ!!」

 

 俺を見ろと言わんばかりの気勢をあげてヘッケランが突っ込んでくるのをレイナースは冷めた眼で見下していた。

 

 (馬鹿ね。今度は確実に仕留めてあげる)

 

 先程と同じような状況だがそうではない。

 既にヘッケランは左手が満足に動いていない。二刀で戦う戦士が片手になっている。ただでさえまともに立ち会えばレイナースに分があるのにこれはもう覆せない差であった。

 同じように間合いに入るのを待ち。武技<爆牙>で仕留める。

 流石にその頃には神官の回復が残りの三人には間にあっているだろうが関係ない。この前衛以外自分とまともにやりあえる相手ではない。三対一でも勝ってみせる。

 レイナースは自分の思うがまま動くヘッケランが槍の間合いに入るのを待った。

 そしてヘッケランは無謀にもまったく同じように無造作に間合いに入り込んできた。

 

 

 

 武技──<ばく>

 

 

 

 「がぁ!?」

 

 

 必殺の武技を放つその間際、レイナースは顔をのけぞらせるように後ろにそらした。

 それは自ら望んだ動きではない。彼女にとっての右側、髪の布で覆い隠したせいで視界がきかない呪われた右側面に石礫が飛んできたのだ。

 

 「行け! ヘッケラン!!」

 

 石礫を投擲したのは倒れていたイミーナだった。

 当初気絶していたイミーナは気を失ったふりをしていたヘッケランからの<伝言>で眼を覚まし、不意の一撃のために気絶したふりをしていたのだ。

 ヘッケランの叫び声は自分に注意を向けさせてイミーナの不意打ちを決めるためのものだ。

 そしてそのまま勝負を決めるための。

 まったくの無警戒であったレイナースはその石礫に反応することができず、その直撃をもらうことになった。どちゅっと何かが何かに埋まるような異音がレイナースの右顔面から響いた。

 

 「とったぁぁ!! <剛腕剛撃>!!」

 「──このっ!」

 

 勝利をもぎ取るべく振りおろされたショートソードをレイナースは左肩で受けて見せた。

 帝国四騎士に与えられてる帝国屈指の金属鎧。もちろんのこと魔化され強化されているそれをもってレイナースはヘッケランの攻撃を受け流そうと試みた。

 だがレイナースは攻めることを得意としていたが守ることは帝国四騎士の中では最も不得意であった。もちろんそれでも十分に高い技量を有していたがそれはこの圧倒的不利な体制から防御を可能とするものではなかった。

 

 「ぅ、あああああああああッ!!」

 

 ヘッケランの渾身の一撃をレイナースは鎧でさばききれなかった。武技によって破壊力を増した一撃が肩口から胸元を通り、腰当たりまで抜けていくと、それを追いかけるかのように鮮やかな赤い物が噴き上がった。

 そのままレイナースは自分の血だまりに倒れていった。気を失ったその顔色には美しい貴族の令嬢という普段の趣はまるでなく、醜悪極りない呪われた右側面に石が食い込み黄色い膿を顔全体に広がらせているという有様であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 温かな日差しが地面を照らしている。

 なま暖かい風が幾度か吹き抜けて、地面を進む人間達に嫌でも季節の変化を印象付けた。

 帝都を抜けだすために走り抜けた一夜から数日後、王国へと向かう旅の馬車の中にフォーサイトの姿があった。荷台には多くの荷物と共にアルシェの妹達がはしゃいで景色を指さす姿が見える。馬車を囲むように歩いているヘッケランたちはそれを見て微笑んでいた。今彼らは護衛の依頼を兼ねて王国を目指していた。

 あの夜、フォーサイトは帝国四騎士の一人、<重爆>レイナース・ロックブルズを倒して見事に都市を脱出していた。そして彼らはその日を境に帝国では重犯罪人として追われる身となってしまった。

 もともとワーカーとして活動している以上真っ白な潔白の身ではなかった彼らだが、今では誘拐、国家反逆罪、そして帝国四騎士の殺害未遂という罪で帝国中で指名手配が進んでいた。

 

 「やっぱり殺した方がよかったんじゃないの?」

 

 というのはイミーナの言葉だ。

 レイナースはヘッケランの一撃で重傷を負ったが、そのヘッケランの指示のもとロバーデイクの治癒の奇跡で一命を取り留めていた。

 

 「だからダメに決まってんだろ? あそこで殺してもうやむやにはならねぇさ。調べられたら条件に当てはまるのが俺たちだってバレるに決まってる。そうなった時に殺しちまってたら国外にだって追手が差し向けられるぜ。殺してなければワーカーチームの一つをわざわざ国外にまで追ってこねぇさ」

 

 何度目かの同じやり取りをするヘッケランとイミーナを見てアルシェはこれでよかったのだろうかと考え込み、一人、歩みを止めた。

 自分や妹達が故郷を捨てるのはいい。それはもうどうしようもないことだったのだから。だが仲間たちまで故郷を追い出される必要はなかったはずだ。もっと稼いでもっといい暮らしが仲間達には待っていたのではないだろうか? 

 

 「アルシェ」

 「──ロバー、皆」

 「おいおい、どうしたんだよアルシェ。足が止まってんぞ」

 「そうよ。しかもそんなに自然に止まらないでよ。ちょっと気がつくのが遅れちゃったじゃない」

 「それはヘッケランと痴話喧嘩していたからでは?」

 

 少し進んだ先で止まった馬車から仲間たちが駆けよってくる。

 普段となにも変わりがない仲間たちの態度に、アルシェは何度目かも分からない問いを投げかけずには居られなかった。

 

 「──皆、本当に、よかったの? 私のせいで」

 「またその問いですか? 気にしないでくださいよ。アルシェ」

 「そうそう。ある意味すっきりしてんだから。ワーカーってのは長く続けるもんじゃない。どこかで蹴りをつけなきゃならねぇもんだ」

 「そうよ。あの可愛い子が借金のせいで売られたり、大樹の被害に遭って死ぬことに比べたら今の現実はすこぶる平和よ」

 

 イミーナの指さす方向には馬車の荷台から自分を呼ぶ妹達の姿だ。

 本当に雲にとどくような巨大な大樹や帝国四騎士レイナースとという何か間違えればすぐに死んでいただろう局面を潜っても妹達の天使のような笑顔が曇ることはない。その理由は自分との新たな生活に希望しか見えていないからだ。

 そのことを理解していてもアルシェには妹達の笑顔に心から笑って応えられない。自分の笑顔が仲間の未来を奪った物だと思うと頬はこわばり、硬い表情を浮かべることしかできない。

 雇い主の呼ぶ声にロバーデイクが応える。

 また歩みを再開しなければならない。だがアルシェの足は重たいままだ。

 

 「……はぁー、しゃーねぇな。こいつはエ・ランテルについて落ち着くまでは黙ってるつもりだったんだがなぁ」

 「──ヘッケラン?」

 「ぇ、ちょっと、まさか」

 「いいだろう? イミーナ。アルシェにこれからのいい未来をガツンと話しておかねぇと先に進めねぇさ」

 「──? いい、未来?」

 

 おうとも。

 ヘッケランはそう言ってイミーナの肩を抱いてあっけに取られてるアルシェを真正面から見つめて宣言した。

 

 「俺たちは王国で落ちついたら結婚するつもりだ。ワーカーも冒険者もやめて危険から退いてな」

 「──ぇ。い、イミーナ、ほ、本当?」

 「ぁー……うん。本当。いや、落ちついたらよ? 商売でも何でも、落ちついた職を見つけたら……その、つもり」

 

 アルシェは顔を赤らめるイミーナと格好つけても照れているのが隠しきれないヘッケランの様子を見て、本気で言っていると理解し、そして自分も顔を赤らめた。

 

 「──お、おめでとう。おめでとう?」

 「な、なんで言い直すのよ」

 「──ご、ごめん。その、嬉しいんだけど、嬉しくて、なんて反応したらいいかわからない」

 「まるでアルシェが結婚を申し込まれたみたいですね?」

 「ほんとにな。これくらい素直に照れてくれたら──イデデデ」

 「はいはい。どうせ私はひねくれてますよっ」

 「あはは。でもそのちょっと素直じゃないところもヘッケランが好きになった理由でしょう──イダダダ」

 「あんたら──ッ。ちょっと黙れ!」

 

 イミーナによって頬をつねられているヘッケランとロバーデイクの姿は何と滑稽なことか。

 二人をつねっているイミーナの照れ隠しの様子はなんと可愛らしいことか。

 そんな仲間たちの幸せな光景を目の当たりにしアルシェの目から自然と涙がこぼれた。

 

 

 

 ああ──幸せがここにある。

  

 

 

 人前で涙を流すことなどいつ以来か。

 幼い頃は貴族の娘として、成長した後は帝国魔法学院で偉大な師の弟子として、ワーカーになれば妹達を守る姉として。アルシェは常に一歩大人であらねばならなかった。涙を流して縋りつくことなど許されなかった。自分が誰かを何かを守らなければならなかった。

 ずっと思い描いていた、想像していた幸せの形。それは夢見るたびに姿を変えていろんな幸せをアルシェに夢見させていた。

 だが、今、アルシェの目の前に広がる光景はそのどれよりも美しく幸せに満ちていた。幸せに包まれてはしゃぐ仲間達、そして希望に満ちた瞳で自分を呼ぶ最愛の妹達の姿。

 

 「お姉さまー! はやくきてー!」

 「お姉さまー! 鳥さん! 鳥さんがおさかなさんをねらってるんだよー!」

 

 どんな夢よりも目の前の現実こそが幸せで輝いていた。 

 

 

 

 「──あ、ああああぁぁ。うあぁぁぁぁっう、う、うぅぅ」

 

 

 

 泣きじゃくって仲間たちに縋りついた。

 ずっと溜めていた涙を幸せの咆哮をあげるように流し泣き続けた。

 安堵と喜びがその胸を満たしていた。

 子供のように泣きじゃくるアルシェを幸せを感じさせる暖かな日差しが照らしていた。

 

 そうしてアルシェはまた歩き出した。数日の旅を経て無事にエ・ランテルにたどり着いた。

 そこは今大陸でもっとも安全な都市であった。

 国を滅ぼす大樹を滅ぼした英雄─モモンとアリシアが住まう都市なのだから。

 

 

 

 

 

 十四頁~希少種とレアモンスターその2~

    大災厄の餌 終

 

 

 




お読みくださってありがとうございます。

いかがだったでしょうか?

今回は原作では悲しいことになってしまいました人達が登場しました。
最後の方が1月中の更新に間に合わせようと駆け足だったので余裕があるタイミングで加筆修正で細部を整えるかもしれません。
もっと盛ってもいいし、もうワンシーンほしいと感じてます。まぁそれよりも速く続きを書くことが先決ですが。

次の話はモモンさんの冒険です。

冒険者らしく冒険してもらいます。

よろしければ是非次の話もお読みいただけたら感極まって精神抑制される思いです。
さらにご感想をいただけましたら抑制されすぎて無表情になっていると思います!

今回はお読みくださりありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五頁~希少種とレアモスターその3~

内容は過去最も薄い二千ほどになります!

まだ書きまとめてるものの頭だけ、という感じです。

すいません。2月中にあげられませんでした。



 十五頁~希少種とレアモスターその3~

    レベルアップ

 

 

 

 レベルアップ。

 

 それはどういう意味をもつのだろう。

 

 より早く走れるようになった時か?

 より重たいものをもちあげられるようになった時か?

 より多くの事を学んだ時か?

 

 結局のところレベルアップという言葉の意味と言うのは人それぞれに異なる。

 例えばスポーツ選手であれば球技や種目に応じたレベルアップが存在するだろう。速い球を投げられるようになった、や、長い距離を走れるようになった、などだ。

 

 そんな人によって意味や捉え方が異なる言葉の意味をモモンガは考えてしまう。

 ユーイチにとっての──この世界においての──レベルアップとはどういうことなのだろうかと。

 

 (ユグドラシルであれば…俺の場合はやっぱり魔法を習得する、っていうのがレベルアップの意味……だよな)

 

 現在レベル100。ユグドラシル基準だとこれ以上のレベルアップはありえないところまで成長しているモモンガはかつてのレベルアップの感覚を思い出していた。レベルが上がるごとに頭を悩ませ魔法を選んだ自分がそこにはいる。選んだ魔法に満足したこともあれば効果に不満があったり、イメージに合わなかったりでレベルダウンして取り直したこともしばしばある。そのどれもが楽しい思い出である。

 

 (現実……社会で生きていく上でのレベルアップといったら、なんだろ? 仕事を片付ける速さとか……世渡り? 処世術を学ぶことがそれっぽいなぁ。うわ、なんて浪漫のないレベルアップだ)

 

 社会人鈴木悟としてのレベルアップについても考えるがそれはあまりにもレベルアップと認めたくないような、そんな浪漫も夢もないものが当てはまってしまうことにモモンガは軽くため息を吐いた。これが現実世界では警察官であるたっち・みーであればまたちがったのだろうと思うと自分の器の狭さというのを嫌でも感じてしまう。

 

 

 ぽんぽん。

 

 

 そんな様子を隣にいるアリシアが気にかけてくれるのか左肩のあたりを軽く手で励ますようにさすってくれる。

 友人である絶世の美女からの励ましに応えるように大丈夫だとモモンガは頷いた。

 今、この場も現実である。

 そしてその現実での自分には友人たちの残した子供達と大切な宝物があり、隣には美しい姫が友人としているのだ。

 

 (ふ。たっちさん。ここでは私も……勝ち組ですよ。ふふ。ウルベルトさんもいてくれたらなぁ!)

 

 今はいない友人達。

 かけがえのない仲間達に自慢したい。

 こんな美人と友達になったんですよ! 羨ましいでしょ! と。

 そんな叶わぬ願いを抱きつつモモンガはこの世界についてのレベルアップについて再度思考をめぐらした。

 ゲームとしてのユグドラシル。

 現実としてのリアル。

 では、異世界としての今、この世界でのレベルアップというのはどういう意味をもつのか。

 

 (やはり、ユグドラシルよりは現実に近いものなんだろうが……とはいえ、世渡りがうまくなるのがレベルアップと言われてもな。ユウさんがレベルアップという以上やはりユグドラシルの感覚に近いものがあるはず。つまり、魔法やスキル、技能の習得だ)

 

 同じようにこの世界にやってきたユーイチはモモンガより数百年以上先輩にあたる。

 当然その分、経験値を稼いでいる。ゲーム的にも現実的にも。

 

 (仕組み的にはおそらく……この世界に馴染む、ということがレベルアップするということに近いんだろうな。ユグドラシルの根だったか)

 

 ユグドラシルの根。

 それは異界のモノが自分たちの状態を表すのに使う表現の一つだ。

 転移したばかりのモノは皆、ユグドラシルの根に囚われている。そこから抜け出せなければ世界にとって異物のままなのだ。

 ユーイチから聞いた言葉から何となくだがレベルアップの意味について想像ができ始めたところで隣のアリシアが前を指さした。そろそろ時間のようだ。

 

 「モモンガさん……。そろそろ限界です」

 「そのようですね。アリシアさん。では……よろしくお願いします」

 「はい。精一杯。サポート……しますね」

 

 二人して同じように頭を下げて同じように少し声にだして笑った。

 お互いに自分が表情にだせていないと分かっているからこそ、口に出して伝えていた。

 

 「……行こう。アリシア」

 「はい。モモンさん」

 

 そうして二人は空高く舞い上がった。

 空には月と数え切れない星が二人を待っている。

 モモンガは惜しいと感じた。

 このまま二人で夜空を楽しめたらいいのにと。

 

 (って、何考えてんだ俺。しっかりしろ、足手まといになるわけにはいかないんだから)

 

 頬を叩けたら思いっきり叩いていただろう。モモンガは自分の心に喝をいれてそのまま決戦の地へと降下した。

 

 

 「──どうやら、間にあったようだな」

 「ん──」

 

 アリシアと冒険者モモンが降りたった大地には天を貫く魔樹がそびえたち、二人を見下ろしていた。

 

 

 

 

 十五頁~希少種とレアモスターその3~

    レベルアップ 終

 

 

 

 

 

 




過去もっとも内容が薄いものとなっております。

字数はなんと二千字に届いていません。

次回更新はもっとガッツリしたいと思います。
そしてもっと早く更新します!

ここまでお読みくださってありがとうございました。
よければまたお読みください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六頁~希少種とレアモスターその4~

遅くなりました。
十六頁。魔樹編完結です。

…四月って進むのはやいですね。

なんかすぐに一カ月が終わろうとしてます。
もっともっと早くもっとかけるようにしたいと思っています。

拙い作品ですがどうかお読みくださいませ。

武技<ケーキ入刀>が炸裂します。


 十六頁~希少種とレアモスターその4~

    村人Mと剣士A

 

 

 

 

 嵐のような一瞬が過ぎればそこには何も残っていない。

 乱雑にほうきでも使ったのかというくらいに根こそぎ掃除されている。

 そんな目の前の光景に帝国騎士たちはもはや戦慄を覚えるのをやめていた。

 すでに驚き恐怖する状態は過ぎ去り、あるのはある種の諦観と使命感だ。

 

 「引きすぎるなよぉ!! 粘り続けるのが俺らの仕事だぁ!!」

 

 帝国四騎士であるバジウットの声が響いた。日も暮れ、太陽の代わりに月と星が大地を照らす中、彼らは天を貫くばかりにそびえる巨大な大樹、いや、魔樹と戦っていた。

 王国との国境付近のトブの大森林から突如として出現した魔樹は帝国の都市をむさぼり、帝都まで接近していた。その威容は国家規模の災厄を越え、大陸の、この世界の危機にふさわしかった。

 そんな魔樹を討伐するために帝国騎士は出陣している……わけではない。

 

 彼らは餌だ。

 

 帝国最強の存在である逸脱者フールーダと鮮血帝ジルクニフの意見は一致していた。

 あの魔物を倒すことは帝国では不可能だと。

 例え騎士が総出でかかっても倒せない存在であると魔樹を評価していたがゆえに帝国騎士に与えられた任務は誘導であった。

 帝都西の都市まで誘導し、そのまま帝国の外へ導く。

 魔樹は動植物を呑みこみながら、知能を感じさせずに帝都へ向かっていた。であるなら餌をまいての誘導が可能である。

 そう自分たちが餌になればいいのだ。

 

 「とはいえきついぜ。これはよ」

 

 バジウッドはそびえ立つ魔樹を前にして自分の感覚がおかしくなったような違和感を感じずにはいられない。三百メートルは離れているのにまるですぐそばにいるような魔樹の圧力、そしてその長い枝のような触手が六つ、食事に手を伸ばすように自分たちの方へと向けられる。

 接近したような実感はまるでないがもうすでに魔樹の攻撃範囲だ。こちらの攻撃は届く範囲ではなくただ攻撃を受けるしかない絶望的な距離。

 

 「バジウッド」

 「ナザミかよ。まだ俺らは前にでねぇぞ」

 

 両手に盾を構えた帝国四騎士最硬の騎士であるナザミが堪え切れない感情をその顔に表していた。

 そんな同僚の気持ちは自分よりも強いだろうと感じつつもバジウッドは自分たちの出番はまだ先だとナザミを押しとどめることしかできない。帝国騎士の象徴である自分たちが倒れるのはもっと後でなくてはならない。

 

 「俺たちの出番も回ってくる。今、釣りだしている他の騎士たちと同じようにな。だ・か・ら、絶対に出るなよ。いいな」

 「わかっているが……耐えがたいものだ」

 「耐えなって。なぁに、死ぬ順番が違うだけだ。今晩が勝負なのは違いねぇよ。ま、ニンブルの奴には最後まで堪えてもらうがな」

 

 今晩の間に自分たちは死ぬ。

 二人ともそう思っていた。今もなお目の前で捕食されていく仲間のように自分たちも喰われて当然だと感じていた。ただ、全員死ぬわけにもいかない。ならより若い者が生き残るべきだろう。

 自分たちよりも後方に配置されている同じ帝国四騎士のニンブルの名前を出すとナザミは少し気を落ちつかせた。死ぬよりは生きていた方が大抵の場合はいいが、生き残る方が辛いときもある。それが今だとバジウッドは感じていた。

 そんな時、注意を向けるために撒き餌のように放っていた前線に動きがあった。少しずつだが魔樹がこちらの方へ移動し始めている。

 

 「動き始めたな」

 「いよいよかい。さぁて、どれだけ引けるかね」

 

 帝国四騎士の二人は向きを変えようとしている魔樹を眺めながら退く準備を始めた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「これは……一体どうしたことだ!」

 「分かりません。なぜ、このようなことに……」

 

 帝都の皇城でジルクニフとフールーダはお互いに理解が及ばずにその口から疑問を口にした。

 

 「陛下。ここは危険です。お引きを…!」

 「馬鹿者が! アレに迫られている帝都の何処に安全な場所があるのだ!」

 

 苛立ちをぶつけるかのように進言してきた秘書官を一喝したジルクニフは思考を巡らせるがどうして眼前の結果になったのかがわからなかった。

 

 「なぜだ……。なぜあそこから進路を変えた? 一体なぜ……」

 

 ジルクニフの口からもれだした言葉こそ彼の眼前に広がる景色を表していた。天を貫くような巨大な魔樹は帝国騎士による撒き餌を捕食しても依然として帝都へ向けてまっすぐ進んでいた。

 撒き餌が最初から何も効果を発揮していなかったのであればジルクニフをこれほど動揺させはしなかっただろう。ジルクニフには通用しなかった時の最後の手もあったからだ。だが、撒き餌は当初効果が確かにあった。

 

 「陛下、お許しを。もしやあの魔樹にはある程度の知能が備わっていたのやもしれませぬ」

 「よい。爺。……私も同意見だった。それに見ていただろう。アレは確かに騎士につられて一度は方向を変えた。間違ってはないないはずだ」

 

 前線のニンブルからの報告を待たずとも魔樹が進路を変える様子は皇城からでも確認できた。

 誘導に成功したと安堵の吐息をもらす者に囲まれながらジルクニフ自身も内心で安堵していた。最悪を免れたと。

 だが丁度ニンブルからの報告が来た時だった。魔樹は音を立てながら急に方向を元に戻し、騎士団に背を向けて帝都への歩みを再開した。

 その様子は前線のバジウッドやナザミはもちろんのこと、ジルクニフやフールーダですら数秒の間空いた口がふさがらないほど鮮やかとも言えるような動きであった。蝶に導かれる女子のように誘導されていた魔樹は瞬き一つする間に帝都を呑みこまんとする嵐と化したのだ。

 

 「……陛下。事を急ぐべきです」

 

 フールーダの言葉にジルクニフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべそうになるが堪えるかのような歯ぎしりの音だけ残して平静を保った。激情に身を任せられればどれほど楽なのだろうか。

 

 「法国からはまだ返事が来ないのか? 転移の魔法でやってこれないのか? 魔樹を倒せるような奥の手があの国にはあるだろう」

 

 フールーダに決断を迫られつつジルクニフは最後の望みである法国からの援軍はどうしたのかと確認した。周辺国家最強の戦力を持ち、もっとも歴史のある法国であればあの魔樹であれ対処できるはずだ。であれば下策の下策を命じるようなことにならなくてすむ。

 そんなジルクニフの期待は首を横に振る臣下の様子でうち砕かれる。どうにも援軍は間にあいそうにないらしい。

 

 「仕方がない。爺。最後の手を打つ。帝都内に残った騎士に命じて住人を西の都市へ向けて避難。騎士団には少しでいい。足止めの後、東へむけて撤退するように命じろ」

 「陛下。今から避難させても…」

 「間にあわないのは分かっている。西側に集めるのが目的だ」

 

 帝都は広い。今避難を開始したところで間に合うはずがない。

 だから目的は住民の避難ではない。

 元より切り捨てる予定だった西の都市。そちらに向けて誘導できるように住民を餌にする。

 これにより帝国の東の領土は被害なく乗り切れる。もちろん帝都と西の都市を失ってしまえば実質帝国は崩壊したも同然だが全てを失うよりはましである。

 そんな下策の下策を命じながらジルクニフは自嘲気味に小さく笑った。 

 

 (何が最後の手だ。これが鮮血帝と言われた皇帝の命じることか)

 

 国を救うわけでもなければ民を救うわけでもない。

 そんな命令を最低限の最低限として命じなければならない。

 無能な自分を笑ってしまうがどうしようもないのが現実だ。隣に立つ逸脱者と呼ばれる存在ですら手に負えない化け物が帝国を呑みこもうとしているのだ。わずかな欠片とはいえ帝国を形として残すことができればそれは勝利とも呼べるのかもしれない。

 

 「現状、アレに対して打てる手は限られている。だが、どんな形であれ勝利はある。全てを失うわけにはいかない。皆、最善の勝利に向けて行動せよ」

 

 ジルクニフの声に応じるフールーダ達はただ頭を下げるしかなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「おい。おい。ありゃなんだ」

 「──見たことはない。けれど、たぶん、あれが噂の巨大な魔物」

 「本当に雲に届こうかというような大きさですね。あれは巨大な木……なんでしょうか」

 

 帝都を脱したフォーサイトの面々は地下道を抜け地上に出た先でそれをみた。

 かなりの距離を走り帝都から離れているにもかかわらず、その帝都よりもさらに離れているはずの魔樹の姿がはっきりと目にできた。

 それはまさに終幕の訪れだと思わせる存在感であり帝都を脱したのに彼らを不安にさせるものだった。

 

 「……ぁ、れってどうするの? あんなのに何が勝てるの?」

 

 驚きで数秒かたまっていたイミーナが魔樹を指さしながら声をあげる。あれは誰がどうするのだと不安から言葉を発していた。

 

 「──イミーナ、落ちついて」

 

 妹達を抱き上げているアルシェがイミーナを落ち着かせる。フォーサイトは皆同じように衝撃を受けていたがその中でもアルシェはその腕の中にある温かさのおかげで取り乱さずにすんでいた。

 そしてそんなアルシェを見ることでイミーナ達も少しだが冷静さを取り戻した。

 

 「ごめん。アルシェ。そうね。今私たちが気にすることじゃないわ」

 「ええ。そうです。少なくてもアレに対して私たちができることはないでしょう。ならば逃げの一手は最適解と言えるはずです」

 

 ロバーデイクの言葉にアルシェが強く頷いたのを見ながらヘッケランは一度手を叩いた。

 

 「よっしゃ。それじゃあ逃げるぞ。あんな化け物が迫ってるって時に帝国騎士の追手でも来た日には笑えねぇ」

 「逃げると言っても具体的には何処を目指しますか? このまま進めば東の都市がありますが、じきに手配書が回るでしょう」

 

 帝国四騎士の一人に重傷を負わせたことはじきに知れ渡る。それは自分たちが都市につくのより早いかもしれない。

 

 「でもアレに襲われてるのよ? 帝都だって滅びるんじゃない? なら気にせず行けばいいと思うけど」

 「それは、そうですが。しかし、帝都が滅びると決まったわけでは……」

 「──とてもどうにかできるとは思えない」

 

 ロバーデイクの心配をイミーナとアルシェは無用なものだと言う。それほど魔樹をどうにかできるとは思えないのだ。例えフールーダ・パラダインがいようが、場所が帝都であろうが関係ない。アレに襲われて無事でいられると思えないのだ。

 

 「まぁまぁそこは俺も考えてるよ。ここはいいとこ取りしようぜ」

 「いいとこ取り?」

 「ああ。そうさ。まず帝都が無事かどうかだがよ。ある程度無事に終わってくれなきゃダメだろ。帝国の首都が襲われて、アレをどうにもできないとかもう世界の終わりだぜ。ここはそんな事にはならないと信じて動く方がいいだろうよ」

 「──確かに」

 

 ヘッケランの言葉に皆頷いた。言われてみればその通りでどうにも出来ないのであればこの世界はおしまいのようなものだ。どこかでどうにかしなきゃダメなのだ。ならばある程度は期待するべきである。

 

 「アレはある程度どうにかなる、としたらロバーの言う通り都市にそのまま行くのはまずい。わざわざ捕まるために行くようなもんだ。だからよ。その手前、街や村、王国へ向かう商人が利用するようなところを目指す。そこで上手く商人の護衛依頼でも引き受けられたら万万歳。なけりゃ荷馬車でも買って王国へ行こう。敵対国に逃げこめばどうにかなるだろ」

 

 どうだと言わんばかりに仲間を見渡したヘッケランはそこでようやく自分を見つめる仲間の視線が変なことに気がついた。

 

 「「「…………」」」

 

 三人ともなにか変な物をみるような……例えるならこの食べ物腐ってる? 腐ってない? と怪しんでるようなそんな目で見ていた。

 

 「んぁ? おいおい、どうした? 三人とも黙ってよ」

 

 何かおかしなことでも言っていたのだろうかとヘッケランが確認すると三人とも目をそらした。

 

 「……いや、あんたにしてはよく頭が回るな、なんて」

 「ええ。ヘッケランとは思えないほど冷静だと思ってはいませんよ?」

 「──うん。本当にヘッケラン? とか思ってない」

 「おーーい! お前ら俺のことをなんだと思ってんだぁ!!」

 

 ヘッケランの叫びに笑いが起こる。

 そんな彼らは距離があるゆえにまったく気がついていなかった。

 彼らの視線の先にそびえる魔樹が一方的な戦闘中であり、戦っている騎士たちが無造作に喰われていることはまったく彼らにはわからなかった。

 当然だ。距離があり過ぎてフォーサイトには騎士たちが豆粒よりも小さく見え、声などなにも聞こえなかったのだから。もし見えていれば帝都がどうにかできるという考えなどほんの少しでも湧きはしなかっただろう。

 魔樹にとって帝国騎士は豆以下の存在だったのだから。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 蟻以下だ。自分たちは蟻以下だ。

 そんな自己評価を自分にしなければならないほど帝国騎士たちは簡単に死んでいた。

 せめて蟻並みにしぶとければ。

 あの触手、枝に飛び移り数が多ければ喰い敗れるだけの存在であれれば。

 どれだけよかったのだろうと思えた。

 大盾を構えた壁役たちが振るわれた触手に巻き込まれながら死んでいく。 

 彼らには痛みなどなかっただろう。

 触手が来ると身構えた瞬間既に死んでいたはずだ。

 彼らの後ろにいた騎士たちはついに自分の順番が来たと待ち望んでいた瞬間に咆哮をあげる。

 何の戦果をあげれるわけでもない足止めになっているのかすら定かではない戦い。

 そんな戦いはもはや生き残っていることが苦痛であった。

 彼らは臆病ものではなく騎士として不誠実だったわけでもない。

 騎士として忠節を忘れないからこそ逃げ出さず国のために身命を賭している。

 だがそんな勇敢な騎士たちは仲間がただ喰われていくのを見送り続け、もはや自分の番を待ち望むようになっていた。

 

 はやく。はやくこの地獄を終わらせてほしい。

 

 そんな思いに支配された騎士たちは死ぬ順が来た時、死ぬその瞬間ですら勇敢であった。

 

 「ナザミ」

 「バジウッド」

 

 そしてそれは程度は違えど彼らを率いるバジウッドたちも同じであった。

 その時を待ち、耐えに耐え発散するように死ぬ。

 そのことにいささかの迷いもない。

 二人はいよいよ自分たちの番だと視線を通わして頷いた。

 

 「ずいぶんとかかったな」

 「ニンブルの奴がしつこくてなぁ。ようやく全て押しつけて来たってとこだ。後のことはあいつがやってくれるわ」

 「そうか。ならば後顧の憂いなし。俺たちは先に行かせてもらおう」

 「おうよ。はは! 出来る奴に後を任せるのはいいねぇ」

 

 ナザミはほんの少し、バジウッドは豪快に笑って最後にお互いの拳を合わせた。

 

 「行くか」

 「ああ」

 

 そして二人はお互いの獲物を握りしめた。

 バジウッドが持つグレートソード。

 ナザミが両手に構える大盾。

 両者共にこれほど自分の獲物が頼りないと感じた瞬間はなかった。

 まだ数百メートル離れた距離を置いて二人は魔樹を見上げる。

 

 剣や槍はもちろん。弓でも魔法でも届かない距離。そんな距離が至近距離だった。

 

 魔樹の触手が恐ろしい早さで二人より前に布陣していた騎士たちを刈っていく。

 触手はその大きさに不釣り合いなほど速く、見合うほどに苛烈であった。

 フールーダ・パラダインの言葉に間違いはなかった。帝国の全てを導入して本体に届くかどうか。

 そんな存在だとその場にいる者全てが理解していた。

 

 (あとは頼んだぜ。ニンブル。陛下、このでけぇ木は法国のやつらに食わせてやらぁいいんですよ)

 

 バジウッドは突撃を命じると同時に駆けだした。ナザミがまったく遅れずにその横に続く。

 もう帝国騎士は半壊状態であり、これが最後の足止めであった。

 帝国四騎士二人の死と同時に残った騎士は撤退する手筈である。

 その苦渋の撤退を指揮するニンブルに後のことを全て任せバジウッドは駆けた。剣を振るう機会があると思っていない彼はその分全速力で走った。馬には乗っていなかった。馬も殺すのはもったいなかったからである。撤退する騎士たちのために一頭でも馬が残った方がいいからだ。

 

 「うぉおおおおおお!!!」

 

 誰にきかせるわけでもなく吠えた。

 この機会を逃せば胸の内の鬱憤を抱えたまま死ぬことになる。

 理不尽すぎる魔樹という存在に対して抱えた鬱憤を怒声に変えてうちだした。

 仲間を主君を国を妻たちを脅かす存在に対して何もできずに死ぬしかない自分を、そして元凶である魔樹を許すまじと咆哮しバジウッドは一歩、一歩と絶望すら感じない可笑しなまでに遠い距離をただ突き進み。

 

 触手がふり上がるのを視界にとらえた。

 

 (ただじゃぁ終わらねぇ!)

 

 何度も見た刈りの前兆。

 直後に襲う無慈悲な死神の鎌のような一撃。

 それに対して両手でグレートソードを構えた。

 隣では両手の盾を構えたナザミがいる。

 お互いに受け止められるとはこれっぽちも思っていない。死なないなんて少しも思っていない。

 だが何もせずに死ぬのだけは許せなかった。ちっぽけでも最大限に抵抗しなければ許されなかった。

 そうして前線を駆けていた騎士たちは皆、揃って来るべき衝撃に身構え──。

 

 

 

 「──どうやら、間にあったようだな」

 「ん──」

 

 

 

 英雄たちの声を聞いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その光景を見た全ての者が目を見張った。

 ドシンっと何かが空から大地へと落下して大きな音を立てて砕けた。

 その時、静寂に包まれるべき夜の帳を裂くような悲鳴にも似た音が響いた。

 

 「─────ッ!!」

 

 その音の主は先程までこの世界の主であった。

 地面に転がる豆のような存在を喰い散らかしていた絶対的な存在であった。

 そんな魔樹がもだえていた。苦しんでいた。痛みに声上げて泣いていた。

 

 「なんだ……これは?」

 

 それを見た誰かが呟いた。

 誰かは分からないがそれはその景色を眺める騎士全ての代弁であった。

 目前の景色が何なのか、どうしてそんな結果が起こるのかが理解できずに彼らの視線は自然と魔樹との間に立つ二人へと注がれた。

 

 「ほう。予想以上の切れ味だ。流石はユーイチ殿の用意した武器だ。……これなら問題なさそうですね」

 「ん。はい。ユーイチの打った武器はすごいです、から」

 

 彼らの視線の先でその二人の人物は一つの武器について語っていた。

 全身をフルプレートの鎧で包んだ漆黒の人物が手に持つ身の丈を上回る大剣を満足したように見つめている。その傍らでは金髪金瞳の少女がそれに応じるように強く頷いている。局部を鎧で包んだその姿は戦乙女とも呼ぶべきものだがそれでは不釣り合いなほど美しく幻想的であった。

 そんな黒騎士と戦乙女の傍らには砕け散った木片が散らばっている。

 それは先程前線の帝国騎士を襲った魔樹の触手である。

 黒騎士によって断ち斬られた触手は地面に落下した衝撃でひび割れ、斬り口から燃え広がった赤黒い炎に包まれようとしていた。

 

 「ナーベには命じてあるんだが……そこの君」

 「は……はいぃ!? ぁ、あの、えぁ!?」

 「……そう驚かないでもらえると助かるんだがな。まずは急に君たちの戦場に割って入ったことを謝罪する。その上で、君を指揮する立場の方を紹介してもらいたいんだが」

 

 黒騎士は一番近くにいた帝国騎士に声をかけるが驚きのあまりまともな対応を取れる者はおらず、帝国騎士たちは怯えるように距離を置いた。

 

 「困ったな……」

 「モモンさん。たぶん、あの人たちだと思います。装備がいい」

 「ほう。む、確かに。周辺の騎士よりもいい装備ですね。助かります」

 

 戦乙女が指示した先にいたのはバジウッドとナザミであった。二人は自分たちに近づいてくる異物に少し放心しながら向かいあった。

 

 「失礼。私はモモン。彼女はアリシア。あなたたちがこの場の責任者でしょうか?」

 

 黒騎士が死地と化した戦場に似つかないほど礼儀正しく名前を名乗る。その横でアリシアと呼ばれた戦乙女が丁寧に頭を下げるのが見えた。

 

 「お、う。俺たちは帝国四騎士のバジウッドとナザミ、だが……モモンとアリシアか、あんたたちはいったい何者なんだ?」

 

 理解が及ばない中でもバジウッドが声を絞り出すとモモンと名乗った騎士は少し安堵したかのように喜んだ。

 

 「帝国四騎士の方々ですか。これはいい。実は私たちは王国から依頼を受けた冒険者なのですが……誠に勝手ではあるのですがあの魔樹の討伐は私たちに任せていただけませんか?」

 「……はぁ? と、討伐だぁ? あの魔樹を?」 

 「ええ、そうです。依頼を達成できなければ信頼に関わってきますので……どうか許可していただけないでしょうか?」

 

 バジウッドとナザミはお互い顔を見合せながら目の前の異物が何を言っているのか何とか噛み砕いて理解しようとしていた。

 相手は帝国の全てをもってしても倒すことのできない存在である。そんなものを討伐するというこの異物は何なのだ?

 

 「お前たちは……何なんだ? どうしてそんなことが言えるんだ?」

 

 ナザミが何とか理解しようと頭を押さえながら異物に詰め寄る。

 そんなナザミの気持ちを周囲の帝国騎士は誰もが分かっていた。

 

 期待していいのか。

 この地獄のような状況を覆す救いの手がやってきたと。

 信じていいのか。

 

 誰もがそんな不安を抱いて戦場に現れた異物を眺めていた。

 そんな視線を受けて異物たちはどこか不思議なようにナザミやバジウッドの視線を見つめ返した。

 

 「何……ですか。そうですね……アダマンタイト級冒険者のモモンと」

 「ん。アダマンタイト級冒険者の、アリシア、です」

 

 異物たちはよく見えるように首に下げたプレートをその手にかかげて見せた。

 夜闇の中月と星の光を反射して輝くそのプレートはまさに人類の守り手、英雄の証であった。

 

 「アダマンタイト……」

 「英雄の……冒険者」

 

 へたり込むように帝国騎士から力が抜けていく。

 大地に倒れる時は死ぬ時だったはずの彼らはそうではない安堵を噛みしめ、そして希望をその瞳に宿していた。

 かろうじて周囲の騎士たちのように座りこむことはなかったバジウッドとナザミはプレートから目を離し、改めて視線をあわせた。その先には英雄たちが立っている。

 

 「どうでしょう? 許可をいただけますか?」

 

 再度の問いに帝国四騎士の二人は躊躇なく頷いたのであった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「なんなのだあの二人は……誰か! 知っている者はおるか!」

 「はっ。王国のエ・ランテルにて三番目のアダマンタイト級冒険者が生まれたという報告があります。男女の二人組とのことですので間違いはないかと」

 「あの最速でアダマンタイトに昇格した冒険者か……それが今、現れたというのか……」

 

 皇城にてジルクニフは遠身の魔法を介して戦場の様子を確認していた。

 そして見たのだ。彼の腹心の部下が引き潰されようとするところを救った冒険者の登場を。

 まるで葬儀の真っ最中のように沈鬱な空気に包まれていた部屋の空気が一転してざわついていた。皆、突如現れた冒険者が魔樹の触手を斬り飛ばす様子を見ていたのだ。先程まで帝国騎士はただ捕食され続けていた。自分たちでは手の打ちようがない魔物相手に明確なダメージを与えられる存在が現れたのだ。その場が歓喜に沸くのは当然のことである。

 だが、その歓喜の声に包まれている中でジルクニフは喜ぶよりも先に疑問が思考を支配した。

 

 (……よすぎる)

 

 男女二人組のアダマンタイト級冒険者。ユーイチとアリシア。

 異国からの旅人であり、エ・ランテルにて史上最速でアダマンタイト級だと認められた最新の英雄である。

 ジルクニフはこの冒険者について知らなかったわけではない。直接見たことがなかっただけだ。

 ユーイチのほうは黒い装備から黒衣の剣士と呼ばれ、アリシアのほうは王国の姫にも劣らない美しさから姫騎士と呼ばれているということも知っている。なんだったら懇意にしている宿屋の名前まで覚えている。

 分からないのはなぜこのタイミングで唐突に現れたかだ。

 ジルクニフの目には彼らが機会を窺っていたように映ったのだ。

 

 (どうして騎士たちが丁度限界を迎えようとしている時に現れたのだ……そこに意図を見出すのならば……)

 

 急変した事態に応じるように思考速度が上がろうとした時、部屋に駆けこんできた臣下の声がそれを遮った。

 

 「陛下!」

 「どうした?! 何か……!」

 

 ジルクニフは急いで駆けこんできた臣下を問いただそうと声をあげ、そして一瞬、言葉を失った。

 それは当然の反応であった。過ぎたモノを見れば人は誰でも硬直する。

 恐ろしいモノ、憎らしいモノ、嬉しいモノ。感情を揺るがす方向は違えど感動することは変わらない。

 そしてそれほど臣下の背後にいた女性は美しかった。

 

 「はっ。失礼いたしました。実は、アダマンタイト級冒険者の方が陛下を御尋ねになられております」

 「……そのアダマンタイト級冒険者殿は黒髪の美しい女性であるか?」

 「え。ぁ、さ、左様でございま……うわぁ!? ど、どうしてこちらにっ。お待ちいただくようにと!」

 「先にお伝えした通り火急の用件ですので待つのは双方にとって不要と判断いたしました。失礼を。あなたが皇帝陛下でしょうか?」

 

 艶やかな黒髪を頭の後ろで結んだ美しすぎる冒険者の視線が冷ややかにジルクニフを捉える。その胸の上でアダマンタイトのプレートが揺れているのを確認したジルクニフはすぐに気がついた。この冒険者が二人組の仲間であると。

 

 「いかにも。私がバハルズ帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスである。冒険者殿、お名前をお聞かせ願えるかな?」

 

 二人組のアダマンタイ級冒険者と三人目のアダマンタイト。ジルクニフでなくとも何らかのつながりを感じずにはいられないだろう。だがジルクニフであろうとそれが帝国に悪意があるものなのか、それとも何もないのか、判断がつかない。判断できる材料が少なく、選択肢がないほど状況は切迫していた。

 ジルクニフが皇帝の顔の下に隠した疑問を見透かしたようにに絶世の美女は目を細め淡々と名乗った。

 

 「私の名前はナーベ。アダマンタイト級冒険者チーム漆黒のメンバーです」

 

 ナーベは──ナーベラル・ガンマは主人から命じられた任務をこなすために理解のおぼつかない様子の人間たちに口を開いた。

 その様子は事態の深刻さに見合った通りの淡々としたものであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 計画自体はデミウルゴス提案のものとかわらない。

 つまりはマッチポンプである。

 窮地に陥ったところを助け恩を売る。

 変わったところといえば場所が王国から帝国になり、窮地を招く危機をデミウルゴスが用意するのではなく魔樹──ザイトルクワエに変更になった程度だ。

 だが、その程度の変更点が生む付加価値は大きかった。

 

 「まず一つ。王国ではなく帝国を相手に計画をすすめられた、ということです。これは大きな違いがあります」

 

 ナザリックに再度呼び戻されたデミウルゴスは他の守護者たちとともにソファーに腰をおろしながら指をたててその付加価値について説明していた。

 その場にいたシャルティアとコキュートスがデミウルゴスの視線をうけてしばらく頭を悩ませる。それを横目に余裕を感じさせて座るアルベドと比べて明らかに理解が及んでいなかった。

 

 「はぁー……思いつかないんでありんす」

 「口惜シイガ私モダ」

 「そう落ち込んではいけないよ。今のように熟考する、ということの積み重ねが大事なのだからね」

 

 シャルティアは頭を抱えて、コキュートスは静かに首を横に振り降参の意思を示した。両者共に分からない事が悔しく自分のことを情けなく感じて仕方がないが、デミウルゴスはその姿勢こそが大事なのだと励ました。

 

 「王国の調査は進んでいて、帝国のほうはまだ未調査だということが大きいのです。アインズ様がエ・ランテル。セバスたちが王都で情報収集を重ねていますがシャルティアに手を出した相手の気配はありません。おそらくだが、私の計画を進めていた場合、それを防ぐことのできる強者は王国からは出てこないでしょう──」

 「けれども、帝国が相手ならばその可能性は零ではないわ。デミウルゴスの計画を防ぐことのできる強者が存在する可能性。それはすなわちシャルティアに手を出した我々の敵である可能性が高い。……それをあの──ザイトルクワエだったわね? あれを餌に釣りだそうという考えなのよ」

 

 言葉を攫ったアルベドにデミウルゴスは内心ため息をついた。どうにもこの守護者統括殿は横からかすめ取るようなまねが多い。

 

 「……ダガ、ソレナラバ始メカラ帝国ヲ標的ニスレバ良カッタノデハナイカ?」

 「そうでありんすね? デミウルゴスの計画では王国がその標的……これがあの魔樹、ざ、ざい、ざい……ザイトルクワエ? を利用することで帝国に変更出来た? それはどうしてそうなるんでありんす??」

 「デミウルゴスガ直接帝国ヲ標的ニシナカッタ理由……ツマリ、ソレモマタ調査ノ状況ニアル、トイウコトカ?」

 「調査の状況……当然王国のほうが詳しく調べがついているでありんすから……」

 「調ベガツイテイナイ帝国ヲ標的ニ据エルニハリスクガ高イ。トイウ判断カ」

 

 (……流石はアインズ様。お見事な采配でございます)

 

 横からかすめ取られるように自分の言葉を奪われていたデミウルゴスであったが、そんな小さなひっかかりなど気にも止まらなくなるほど彼の目の前の光景は素晴らしいものであった。

 あれほど考えても一から一を学ぶことが限界であった同僚二人が一つの説明から思考の網を広げて答えに近づいてきている。

 それはひとえにアインズが彼らに学び成長する機会を設けているからだ。

 

 (エ・ランテルへの供のナーベラルも近頃は熟考してから、行動する、とワンクッション挟むようにしていると聞いています。アインズ様のお求めになられている意識改革は順調のようだ)

 

 デミウルゴスは主人の求めているものが目の前にあることに喜びを感じると同時に、頭を悩ませる二人にそのことについて詳しく説明したくなったが眼鏡を指先で押し上げるだけでそうはしない。至らぬと我が身を恥じ、努力を重ねる二人の姿こそ主人が求めるもの。であればそこはわざわざ説明する必要はないのだ。

 

 「ええ。コキュートス。シャルティア。その通りです。王国を相手にでしたらナザリックの者が出向いても問題はないでしょう。だがシャルティアを精神支配できる相手が潜む可能性がより高い帝国相手には、いささかリスクが高すぎるからね」

 

 肯定したデミウルゴスにコキュートスは安堵をシャルティアは少しの喜びを顔に張り付けた。

 だが、デミウルゴスとしてはここで思考を止めてもらっては困る。主人の望むように彼らにはまだまだ成長してもらわなければならないのだから。 

 

 「おや? 二人とも。まだまだメリットはありますよ。そこで落ち着かれては困りますね」

 

 少し笑みを浮かべるデミウルゴスにコキュートスとシャルティアが背筋を伸ばし直す。そんな様子をアルベドは面白そうに余裕の笑みを浮かべて眺める。それに気がついたシャルティアが瞳に火を燃え上がらせて再度頭を悩ませ、コユートスは四つの腕をそれぞれ組み不動の構えで長考に入った。

 

 (アルベドもいいタイミングで煽りますねぇ。意図的なのかどうかは置いておきますが流石は守護者統括。……ふふ、アインズ様。私やアルベドにはこのようにお求めなのでしょうか? いや、御身のことです。おそらく既に私もアルベドも意識できないところでその御意志のままに行動しているのでしょうね。……その御心を考えることこそ私が重ねるべき努力と推察いたします)

 

 デミウルゴスは解説するタイミングを計りながら自分も大きな掌の上で踊っているのだという確信を抱きつつ、自分をそのように動かせる主人の大きさに隠しきれない喜びを感じた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その両手で暗い炎が揺らめくような刀身をもつ大剣を握りしめて鈴木悟はかくはずのない冷や汗がその背骨を伝うような緊張感を感じていた。

 

 (でかい……。気圧されているな。まったく……条件が違えばこうも見える世界が違う)

 

 ゆっくりと前進しながらそびえ立つ魔樹ザイトルクワエを見上げる。

 その視線の先では先行したアリシアが空中で触手の攻撃をさばいている。

 見事なものだと軽く現実逃避も兼ねて感心する。自分では同じ条件でも避けきることはできまい。

 

 (いや、本来ならあんな防戦一方になるような実力じゃないんだ。アリシアさんは。それもこれも俺の経験値のため……俺の名声のためっ。えーい、負けるな俺。ユウさんの剣もある。やれる!)

 

 先程確認した同盟者から渡された剣の威力は証明済みである。戦士系技能を持たず、剣の業を収めたわけもない自分でもあの触手を両断できた。ならばやれるはずだと鈴木悟は自分に課せられた役割を全うするべく歩む速度をあげた。

 ザイトルクワエにその剣を見舞うためにはまだまだ距離は離れていた。

 

 

 ──この機会にこの世界でのレベルアップを経験するといい。

 

 

 ユーイチの言葉は鈴木悟に大きな枷を嵌めものであった。

 もちろんアインズではなくモモンとして戦う以上、本来の戦い方である魔法詠唱者としての力を発揮しないのは言うまでもないのだが、それならそれで鈴木悟にはやりようがあった。<完璧なる戦士>の魔法を使えば十分にザイトルクワエと戦うことのできる戦士としての力を持つこともできる。だがユーイチによって与えられた枷はそれを許さないどころか鈴木悟がモモンガとして培ってきたもの全てを否定するものだった。

 

 

 ──ユグドラシル産のモノの使用を一切禁じる。

 

 

 モモンガとしての魔法だけでなく、装備品に至るまで全てのユグドラシル産の禁止。

 それがユーイチが鈴木悟に与えた枷の内容だった。

 鈴木悟にとって丸裸どころか四肢をもがれるようなこの条件にはもちろん意味がある。

 それはこの世界での成長、レベルアップのためにはユグドラシルのモノは邪魔だからだ。

 この世界にとっての異物であるユグドラシル産のモノ……それはこの世界での成長にとっては妨げるものでしかないとユーイチは鈴木悟に説明していた。

 例えばこの世界のブロードソードとユグドラシル産のブロードソードがあるとする。どちらも同じ性能で同じ持ち手で同じ魔物を斬り殺したとする。

 それを比べるとユグドラシル産のブロードソードではほぼ成長につながらないことを鈴木悟よりも先輩であるユーイチは知っていた。

 この世界での成長、レベルアップと言われているものは存在の密度が増すことである、とユーイチは数ある説の中で自身で一番納得いくものを信じていた。何かを学び、鍛え、倒すという行為はその密度を増すことにつながり質が向上する。そしてこの世界のモノではないものが間に入ると異物に邪魔をされて得られる経験値がそこでほぼ止まってしまう。

 つまり、鈴木悟がモモンガとしての力を行使して何をしても効率が非常に悪いのだ。

 それは例えモモンとして戦っていても悪い。なぜならモモンの装備はそのすべてがモモンガの魔法によって生み出されたユグドラシル産のものだからだ。

 まして転移してまもないモモンガはその存在自体が異物である。ただでさえ世界に馴染むのに時間が必要なのに異物まみれのまま異物で何をしようともほとんど得られるものはない。海にスポイトで水滴を垂らして真水にしようとするようなものでほぼ意味がないのだ。

 そこまで説明をうけた鈴木悟はユーイチに訊ねた。

 

 「異物が邪魔をするのであれば異物である自分ではそこまでしてもやはり意味がないのでは?」

 

 そんな当たり前の問いにユーイチは肯定と否定を行った。間違っていないがそれは違うと。

 

 「エ・ランテル周辺にいるゴブリンのような雑魚ならサトル君の言うとおりだ。どちらであれ誤差の範囲を越えない。だがこの魔樹……ザイトルクワエだったか、これは別だ。例えるならそうだな……レベル1のままでレイドボスを倒せば爆発的に成長できるだろう?」

 

 鈴木悟はユーイチの言葉をすぐに理解した。

 目の前のザイトルクワエはアウラが計ったところユグドラシル基準だとレベル80から85ほどだという。それに対して自分は。

 

 (この世界基準だと俺はそもそも技能を持ってない……例えるなら村人。レベル1ですらなくレベル0。つまり、本来なら些細な経験値でも成長できる……?)

 

 些細な、ゲーム感覚で言えばただの子供でも持っている時があるようなレベル1。それに必要な経験値は少ない。それに対してザイトルクワエはレイドボスのような計測不能のHPを持つ魔物だ。倒せば莫大な経験値が入ることは間違いない。例え自分が異物で、効率が悪く十分の一しか入らなかったとしても一万の経験値だとすれば千も手に入る。それはレベル0からレベル1に成長するためには十分なように思えた。

 だからこそ武器や魔法といったさらに効率をさげるモノを使ってはならない。裸一貫まで効率を高め、できる限り強大な敵を少人数で倒す。異物である鈴木悟が成長できる可能性はそれしかないのだ。

 そのため今モモンとして身につけている装備は鎧やマントに至るまでユーイチとアリシアからの借りものである。装備者が着用したことがある着衣になる魔法の品でモモンとしての装備を纏い、ユーイチから借り与えられた大剣を装備していた。

 装備を全て借りうけているのはもちろんナザリックにはこの世界産の装備品でろくな物がないからなのが最大の理由なのだが、剣に関しては別の意味もある。それは鈴木悟がザイトルクワエを倒すための火力を実現させるためにだ。

 当然レベル0である鈴木悟ではそのまま戦っても勝ち目はない。レベル100の魔法詠唱者としての身体能力や魔力はあれど動きはせいぜいが30レベルの戦士並み、魔力はどれだけあってもこの世界の魔法を使えない以上使う方法がない。だからユーイチはそんな鈴木悟に最適な魔法詠唱者のための剣を渡していた。

 

 

 

 (……きます)

 

 

 

 距離を詰めたモモンガにアリシアからの<念話>が届く。

 アリシアの役割は上手いことモモンガの前に一本の触手を縦振りするように誘導するものだ。

 モモンとしてのモモンガでは複数本の触手の殴打は間違いなく避けられない。そのためアリシアにはザイトルクワエの攻撃を一身に受け、その上で地面にたたきつける攻撃をモモンの攻撃範囲内に空振りさせることが求められていた。しかも、あくまで鈴木悟の成長とモモンの名声作りのためにアリシアには大きな目を引くような攻撃は禁じられている。

 モモンガがアリシアのタゲ取りを絶賛したのはこれが理由だ。

 空中に魔法で足場を作り速度を調整し、全力で避けているふりを重ね、時折わざと回避に失敗する。頃あいを見て縦振りを誘発させそれを避ける。

 卓越した業が夜空で披露されていた。 

 

 (応ッ!)

 

 モモンガは借りうけた剣を両手で構えながらアリシアからの合図にタイミングを合わせて右側に踏み込んだ。

 直後左側に大地を揺らすように触手が叩きつけられる。

 少し想定より距離が離れすぎていると判断しモモンガは全力で跳躍して触手にむけて剣を振りおろした。

 

 「はぁぁぁあああっ!!」

 

 気炎一閃。

 

 モモンガの渾身の力と魔力を注がれた剣撃は炎を纏い触手を焼き切り、蝕んで、見事に触手を両断する。

 

 

 ──ッ!!

 

 

 最初の触手を斬り飛ばした時と同じく空気を切り裂くような悲鳴が声もなく響いたのをその場にいた全ての者が感じた。痛みにのたうちまわる触手は切り口から蝕み続ける炎によってその半ばまで焼き喰われその動きを完全に止める。

 モモンガの持つ剣にはその刀身に細かすぎるほど精緻な文様が刻まれている。

 それこそがユーイチが鈴木悟に貸し与えた理由であり、レベル0の鈴木悟がザイトルクワエに有効打を与えられる理由である。

 それには使用者の魔力を炎ダメージに変換できる力が宿っていた。

 発生した炎が持つ特性は侵蝕、炎上という基本的なものだ。

 この力のおかげでモモンガは有り余る魔力を火力に変える方法を得たのだ。

 

 (よしっ。あと四本……!)

 

 (モモンガさん、次は、すこし速くなります)

 

 (分かりました!)

 

 痛みをがむしゃらな怒りに変えてモモンガのほうに向かいそうなザイトルクワエをアリシアが翻弄する。

 円運動で戻ろうとする触手に飛び移ると這うように駆けだす。

 するとその後には削られてズタズタになった傷跡が一直線に残っている。

 部位欠損を起こすことを目的に作られた小刀が風の刃を纏い触手を切り裂いたのだ。

 とたんにザイトルクワエの動きが変わる。

 部位欠損攻撃は大きく痛覚を刺激する。両断とはいかなくても触手の内側をズタズタにされて掘り返されたザイトルクワエの激痛はモモンガの気炎一閃によるものと遜色なかった。

 むしろモモンガよりも近くにいるアリシアのほうにこそその注目はうつるのであった。

 振り払われ、空中に投げだされたアリシアへと触手が振りおろされる。

 それを空中に創り出した足場をけりつけアリシアは避け切る。

 その先にはアリシアからの合図で即座に身構えていたモモンガが駆けこんでくる。

 

 「はぁぁぁ──ッ!!」

 

 完璧なタイミングで今度は下から掬うようにモモンガは剣を振り抜いた。

 勢いのままモモンガといれ違いに大地に向かった触手は炎による侵蝕と着地の衝撃が合わさり先程のものよりもはやくその動きを停止させた。

 

 (あと三本……!)

 

 気合いをいれてモモンガはアリシアに追従するように距離を詰めた。

 直後、ザイトルクワエから何かが撃ち出されたのが視界に入ったがそれに反応する必要がないことは分かっていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 帝都に迫った魔樹と駆け付けた冒険者二人の戦い。

 それを少し離れたところから眺める三人の人影がある。二人は背の低い子供のような背丈の双子だ。名前を姉のアウラと弟のマーレ。男装の姉と女装の弟の姉弟はナザリックが誇る階層守護者である。当然それにふさわしいだけの実力を持つのだが、双子はどこか落ち着かない様子でじっと視線の先の戦いを見つめていた。

 

 「わぁ。あんな攻撃も出来たんだね。お姉ちゃん」

 「種を弾丸のように飛ばす攻撃かぁ……単純だけど射程も触手より長そうだし有効だね」

 「アインズ様、だ、大丈夫、かなぁ……ぁ、大丈夫そうだね」

 「うん。あの攻撃はアインズ様じゃなくてアリシア様に向かってるからね。全ての能力を制限されてるアインズ様と違ってアリシア様の制限は緩いからあのくらいなら問題ないよ」

 

 心配を口にするマーレを安心させるように話すアウラだがその表情は明るいものではない。むしろ余裕がないのはアウラの方であった。視線はマーレよりも数段険しく、纏う雰囲気からはどこか慌てているような落ち着かない様子が見て取れる。

 それは理性では理解していても感情が何かを訴えかけているようなそんな動作だった。

 

 「姉君の言うとおりだよ。弟君。今のところはアインズ殿のところに対処不可能な攻撃が飛ぶことはないだろう」

 

 そんなアウラの右隣から感情の色を映さない平坦な声を発したのは全身真っ黒な装備に身を包んでいるユーイチである。エ・ランテルで黒衣の剣士と呼ばれる原因とも言える黒一色の装備は瞬きすればそのまま夜の闇に溶けて消えてしまいそうにも見えた。

 そんなユーイチの左目は閉じられている。瞳力ともよばれる眼を経由して使用する特殊技能の使用による弊害としてしばらく視力がなくなっているのだ。

 ユーイチが視力を失うほど瞳力を使った理由はザイトルクワエの誘導のためである。

 特に力を注いだのは素早くトブの大森林から追い出すためにだ。周囲の動植物から力を吸っているザイトルクワエの存在はトブの大森林に長々と留まらせるわけにはいかなかったのである。

 

 「後付けの力に頼れば負担も大きいものさ。まったく割に合わんよ」

 

 アインズにその力を称賛された時に苦々しくユーイチは答えていた。片目を数日失うほどのデメリットにまったく釣り合わない能力というのは本心であった。

 そんな片目の塞がった主人の同盟者、主人の友人の師匠に対してアウラは胡散臭そうな顔色を隠そうとせず、マーレはそんな姉の態度を見るたびに乾いた笑みを浮かべた。マーレは片目を閉じたユーイチの後を引き継いで大地ごとザイトルクワエを移動させる役目を担っていた。同じ仕事をする中で姉よりは言葉を交わす機会があったからか少し態度が柔らかいように見える。

 

 もっとも見えるだけなのだが。

 

 「あ、あはは。ゆ、ゆーいちさんから見てもそうなんですね。なら上手くいきそうですね」

 「……今のところは、ね」

 「ぇ? お姉ちゃん?」

 「重ねて言うが姉君の言う通りだよ。弟君。今は問題はない。……姉君、魔樹のレベルは今はどんなところだ?」

 「…………推定85から90というところですね。ユーイチサマ」

 「そうか。この短期間でよく伸びたものだな」

 

 過去の忌々しい記憶が蘇り残った右目を細めたユーイチと不機嫌さを隠していない姉の言葉にマーレは首をかしげて困惑した。そして偉大な主人がよく行うように片手を口元まで寄せて二人の言うことを考える。これから何が問題になるんだろう? 

 マーレが数秒考えたその時、戦場からまた叫び声が伝わってくる。

 四本目の触手がアインズによって断たれたのだ。これで残すは二本。

 

 「ここからね」

 「ここからだな」

 

 それを確認してほぼ同時にアウラとユーイチが声を出す。

 それは考えるそぶりを見せているマーレに対するヒントのつもりでお互いに出したのだが、かぶるようなタイミングになったことにアウラはますます不機嫌さを増し、ユーイチは少々首をかしげた。

 

 「あの……その、どうしてここからなの? お姉ちゃん」

 

 そんな二人の様子に怯えながらちょんちょんと姉の肩を叩く。

 すると少し目元を抑えていた姉が振りかえる。その顔色はどこか落ち着いていた。

 マーレはそんな姉の様子にほっとした。

 主人の同盟者への自分の態度に対して姉も問題があると自覚しているのだろう。ならば問題はない……はずだ。

 

 「そろそろアリシア様のタゲ取りにも限界があるってことよ。今までは種飛ばしたり、葉を刃にしたり……そんな攻撃を自分に向けさせることで触手の攻撃をうまくアインズ様の前に空振りさせてたけど、いくら知能なしのモンスターとはいえ優先順位が変わるわ。ぶくぶく茶釜様なら最初から最後まで全ての攻撃を受け切られたでしょうけどね」

 

 あ、なるほど。

 マーレは一つ頷いて理解を示した。

 

 「わかったぁ。シャルティアさんとの戦いの時みたいなことが起きるんだね! それでそろそろアインズ様に攻撃が……ぁ、あれ? 僕、何かおかしなこと言った?」

 「………なんにもないわよ! 馬鹿マーレ。たくっ。これくらいわかりなさいよーっ」

 「いた! 痛いよお姉ちゃん……!」

 

 答えにたどり着いた喜びで笑みを浮かべたマーレだったが自分の答えを聞いた瞬間、姉の態度がまた何かを抑えるような苛立ちを帯びた物にかわったことに驚き、尻すぼみになったところを手痛く怒られている。

 マーレはなぜアウラが怒っているか分からないから怒られても何が地雷なのか分からない。だから踏んでしまう。そしてそれが分かっているユーイチにはそんな姉弟のコミュニケーションが面白く、ついつい笑ってしまいそうになるのだが、自分が笑うこともそれはそれで地雷を踏むのと同じだと理解しているので込み上がるものをかみ殺していた。

 そんな時、ユーイチは自分の役目がそろそろきたことを察知した。

 

 「では二人とも。俺のほうはそろそろ出番のようだ。アリシアとアインズ殿のバックアップは君たちに全て任せる。不測の事態が起これば俺のことは構わず手はず通りに」

 「! 敵襲? どこから……!」

 「敵襲かは分からない。転移してきた者がいたのは確かだ。別の場所に着地させたからそちらはの確認は任せてもらう。手はず通りに、な」

 

 ユーイチの役割は外部からの目を排除し、転移などでやってくる者への対応であった。

 転移や遠隔視という物に対する対策はアリシアの故郷では最も進んでるものだ。それは当然ながら歴史の浅い時期にそれらの影響が大きかったためである。長い間の研究と対策により現在では転移することの危険性が極めて高くなり安全が保障されている場所以外への転移はしないのが常識とされている。そんな転移対策によって既に帝都周辺は外部からは転移するどころか覗き見ることもできない。外から転移や覗き見を行えばまったく違う場所へ飛ばされたり、違う場所を見せられることになる。

 そのためナザリックで待機しているデミウルゴスたちはリアルタイムで現状を把握してはいない。ナザリックに詰めている仲間に連絡する役目はこの場にはいないナーベラル・ガンマが担っていた。

 

 「わ、わかりました。えっと……お、お気をつけて」

 「ユーイチサマに何かありますとアインズ様のご友人であるアリシア様が悲しまれ、アインズ様のお心を痛ませることになりますのでお気をつけください」

 「ぉ、お姉ちゃん……」

 「気遣い痛み入る。アインズ殿やアリシアには心配無用と伝えてある……裏切らないさ」

 

 言い終ると異常な口の動きとともにアウラとマーレには理解できない言語が小さく呟かれる。

 一瞬だけ歪な黒い魔法陣のようなものが出現し瞬きの間もなく消えた。

 するとそこにはユーイチの姿はなく代わりに一本の小刀が地面に突き刺さっていた。

 

 「転移……じゃないわね」

 「うん。アルベドさんのスキルに似てる?」

 

 二人になった双子の声はもはや聞きなれた悲鳴と丁度重なった。

 ザイトルクワエの触手は残り一本になっていた。

 二人が視線を元に戻すと空を跳んでいたアリシアがアインズの側へと戻っている。

 そのアリシアの姿を見て双子は眼を見開いた。

 

 「こ、コキュートス!?」

 「こ、コキュートスさん? ……じゃない?」

 

 アリシアの背中には双子の同僚である階層守護者の腕に酷似した物が四つ生えていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 (<氷盾>)

 

 残りの触手が二本になったところでアリシアは落下した。

 今まで駆け抜けていた足場が消え、重力に引かれるまま落ちて行く。

 直後、種の弾丸が先程まで留まっていた空間を通り過ぎ、足場を構築していた魔力の名残を消しとばした。

 金の髪が風で大きく捲られ旗のようになびいた。

 周囲の環境を整える風の魔法も、身体能力向上の魔法も全て解除したアリシアは無防備なまま背中から落ちていた。

 瞳を閉じ、力を抜いて愛刀である黒曜すら消し大の字で地面に落ちるまで一つのことに集中する。

 

 (<氷盾>。<自動人形>)

 

 常に分けている思考を合わせて作り上げる。

 自分の思う最高で最適な魔法の形を。

 

 (<原石の刃>失敗。再挑戦<原石の刃>失敗)

 (<氷槍>。<氷剣>)

 

 数秒の時間もない地面へ落ちるまでの短い時間に挑戦と失敗、再挑戦を繰り返す。

 思い描くのは四つの腕を構える氷河の主。

 包み込むのは絶対零度の安息の世界。

 

 (<原石の刃>失敗)

 (<精神共有>)

 

 感じ思い出すのは世界を断つごとき斬撃の気配。

 自分を貫く世界の主の視線。

 塗り替えるのは炎に包まれる自分。

 

 (<原石の刃>)

 

 アリシアは地面に落下した。

 ごふっと口から鮮やかな血が噴き出し、全身からの流血がすぐにその場に血だまりを作り上げる。

 だが、死んではいない。

 モモンガのように無傷ではすまないがアリシアもただの落下程度で死ぬほど、普通の人間ではなかった。 

 

 (<創造>)

 

 駆け寄ってきたモモンガが気がついたように魔樹を見上げた。

 予想通り二本の触手が挟みこむように向かってくる。

 

 「──<氷装コキュートス>」

 

 ズルリ。

 

 流れた血が霧散し、想像し創造した通りの魔法を生む。

 それは氷河の主の四つの腕。

 その死を呼ぶ冷気に安堵してアリシアは立ちあがった。

 直後耳慣れた悲鳴が周囲を包んだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「──<氷装コキュートス>」

 

 生みだされた四つの氷の腕がザイトルクワエの触手を受け止めた。

 掴み上げそのまま触手を固定する四つの腕は想像した通り──コキュートスのように小揺るぎもしない。

 

 

 ──間にあった。

 

 

 「……間にあってない」

 

 先程の背中から受けた落下ダメージを思いだし、不満に頬を膨らませる。

 本当なら血を使わなくても成功し、無傷で降りたつ予定だったのだ。

 後遺症はないとはいえ痛みは本物だ。目玉が飛び出るかのような衝撃と痛みは感じたくはなかったし、なにより落下したのは見栄えがわるい。

 だが、不満を感じてもそれはどこかにあてられるものではない。

 失敗して手間取ったのは自分自身だ。

 想像がすこし甘かった。

 やはり魔法は苦手である。

 

 

 ──でも、ほらこれでだいたい終わり。あとは最後の仕事だけ。

 

 

 内の自分の声に頷けば固定していた触手が二本とも焼失していく。

 視線を左前に向ければモモンガが振り抜いた剣を戻してこちらを向いたところだ。

 

 「ん。できた」

 

 無事に全ての触手を誘導し終わったことを確認して少し安堵しつつモモンガに並ぶ。

 モモンガはアリシアの背から翼のように生える……というか浮いている四本の腕を指さした。

 

 「アリシアさん。これは……」

 「コキュートスさんの、腕をイメージして、氷を纏って、ます」

 

 風や炎を纏うのと同じです、と説明するとモモンガはそういうものですかと興味深そうに氷の腕を見上げた。

 急ごしらえの腕を見られることに少々照れを感じて空いている手で頬を掻いた。 

 そんな二人に激怒している存在が声なき叫びをあげる。

 二人は同時に振りむいた。

 触手を全て失ったザイトルクワエがより強まった憎しみの感情を二人に向けて向けていた。

 怒りをエネルギーに変えたように散々アリシアにかわされ続けてきた種飛ばしや葉を飛ばす遠距離攻撃を見舞ってくる。

 

 

 ──動かなくていいから。

 

 

 「うん」

 

 だが、それらがアリシアとモモンガに当たることはない。

 氷の右上腕がその手に氷の剣を握り左上腕が槍を握る。

 

 

 ──せーっ……の!

 

 

 内のアリシアが思い描く通りに剣と槍が振るわれる。

 その腕の大きさと獲物のリーチを生かし、範囲内に侵入してきた全ての攻撃を切り裂き、撃ち落とす。

 撃墜された種や葉はその切り口から凍結し、地面に落ちた衝撃で粉々に砕け散る。

 周囲に砕け散った氷が霧のように立ち上がり、月光に照らされ幻想的な美しい風景を描いた。

 

 「素晴らしいですね。正確かつ……範囲が広い」

 

 モモンガはその自動に反応しているような動きの速さと強さにも感心していたが、なによりも評価していたのは動きの範囲だった。本物のコキュートスでは出来ない関節を無視した可動範囲を見せる腕の動きはまさに自由自在。三百六十度全てに対応できるものだった。

 

 

 <氷装コキュートス>。

 

 

 それはコキュートスとの試合を経てアリシアがイメージし続けていた氷を纏う魔法を形にしたものである。

 今まで水の形質を変えて纏った氷の魔法は浮遊する盾や剣、槍という使用方法であった。だが、盾はともかく剣や槍は出せる速度に限界があり実質役に立たないものであったのでアリシアは氷を纏うことはほとんどなかった。

 しかし、ナザリックでのコキュートスとの試合で使うイメージが湧き出てきた。

 その日からアリシアは一人二役で考えた。

 氷河の主の業を再現しきるのは不可能。 

 力も早さも劣って当然。武器に至っては比べるまでもない。

 であれば違う強みが必要だ。

 稼働範囲を生物では出来ない範囲まで拡大し、反応速度を自身に等しくさせるために操作を内の自分に任せ切る。視界が及ばない背後や上下も反応できるようにしたため内の自分は三百六十度全てを知覚できる。使い過ぎれば頭に負担がかかることは想像に難くない。

 強度の脆弱さを補うために地属性の魔法を骨組みとして質を向上させるのに散々失敗したが纏えてしまえばその動きは生半可な攻撃など通さない。

 そんな<氷装>に迎撃をまかせながらアリシアとモモンガは最後の仕上げにはいる。

 横に並ぶように立ち、二人で炎の大剣を握りしめた。

 四つの手で握りこまれた大剣をモモンガの魔力が伝う。

 それまでの触手を斬り落としていたものとは違う圧倒的な魔力の奔流がそれを炎として刀身に纏わせる。

 

 「モモンさん、その……ペースを維持してください。やり過ぎると魔力だけじゃすみません」

 「しょ、承知した……!」

 

 モモンガを戦闘前に感じた冷や汗が襲う。

 ここが大詰めだと分かっていた。

 触手を斬り落としたあとはトドメの一撃が必要になる。より具体的に言うならばトドメの一撃のために触手が邪魔だったのだ。

 いくらこの剣に魔力を吸わせてもそれだけでは攻撃範囲が足りない。侵蝕の特性を持つ炎とはいえ本体を斬っても燃やしつくせるものではない。触手だからこそ焼き斬ることができていたのだ。

 触手を残してトドメに入ることができないわけでもないが、それをするためには触手を含めた全ての攻撃を<氷装>が迎撃できる必要がある。未完成だった<氷装>を計算に入れるわけにはいかないのでこの展開はいた仕方がないものだった。余裕の中で<氷装>を完成させたのが余計だったのであって本来であれば<氷盾>や<石障壁>で飛び道具を防ぐ予定だったのだから。

 

 「私が……形を整えます。そのままで」

 

 アリシアが武技を発動させるために力を剣に込めていく。

 その瞬間、剣の刀身に刻まれた紋様がもう一列、魔力によって発光するとなりで輝く。

 この剣──炎剣フロムカーニエは魔力と武技の合わせ業を切り札とするものだった。

 ユーイチが鍛えたこの剣の使用用途は極めて単純な前衛による戦略兵器である。

 基本的に自分の能力では集団を一振りで殲滅することなどできないユーイチが対多数対大型魔物のために用意した魔剣。

 その真価は魔力だけでも武技だけでも引き出せない。

 魔力で炎を燃やし、武技でそれを形作る。

 最も有効なのは純後衛型の魔法詠唱者がその魔力に応じた武技を扱えることであるのだがそんな特出した存在はそもそもこの剣を使う必要がない。自分で殲滅できる魔法を使えばいいのだから。

 ユーイチが自分で使う際は魔力石を数個砕いて魔力を充填し、武技を放つ。

 だがそもそも武技をまったく使えないモモンガが使うためには他者のサポートが不可欠だ。

 そのサポートをするのがアリシアである。

 モモンガの魔力を武技の形に押し込んでいく。

 

 「すごい……」

 

 その魔力の量にアリシアは必死に制御しながら感嘆の声をもらした。

 ユーイチがこのタイプの魔剣を振るったのをアリシアは何度も見ている。

 だが今だかつてこれほどの魔力を武技に変えたことがあっただろうか?

 

 

 ──それ以上炎がでかくなると<氷装>に支障がでる。もっと早く武技にまとめて。

 

 

 <氷装>の最大の弱点である炎の魔剣が成長し続けている。

 ふれてもいないのに<氷装>はその維持により多くの魔力を必要としはじめていた。

 内の自分にせっつかれながらアリシアは魔力を武技に整えあげる。

 するとそれまで無秩序に刀身を這っていた炎が剣先から一直線に伸びる深紅の輝きとして生まれ変わる。

 

 「モモンさん」

 

 ふわりとアリシアが浮かぶ。モモンガと同じ高さまで腕が上がるように。

 

 「準備ができました」

 

 夜の暗闇を禍々しいまでの深紅の光が切り裂いていた。

 モモンガは掌から伝わる感覚に恐怖を感じていた。背筋が凍るような死が迫る予感であった。

 

 (これが……武技?!)

 

 ぞっとするような腹の底から力が抜け落ちる感覚が、薄皮一枚隔てて待っている。

 そう感じるほど武技を使う感覚は異質であった。

 今まで感じたことがないところからリソースを奪われそうになっている感覚。

 そして自分はそのリソースがまるでなく、無理をすれば何かが失われるのではないか。

 この時、モモンガはユーイチの言う存在する力、霊力、という言葉を初めて認識できた。そしてそれが自分にないものだとも。

 

 「……いきます」

 

 光り輝く深紅の大剣ゆっくりと振りあげる。

 万が一でもアリシアの手が離れてしまえば武技が発動できない。

 暴発したらどうなるかわからない恐怖を精神抑制で乗り越えつつ、モモンガは隣のアリシアを確認する。

 

 「ん」

 

 金髪金瞳の友人は微笑を浮かべて頷いた。

 

 (天使かよ……!)

 

 今度は恐怖ではなく美しさに感動して精神を抑制したモモンガは落ちつきを取り戻した。

 

 

 

 「──武技<フロムカーニエ>」

 

 

 

 武器の名前がそのまま武技の名前なのがこの手の魔剣の特徴らしい。

 モモンガはトリガーを引く感覚で剣を振りおろした。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その瞬間世界は茜色に染まった。

 

 「え」

 「えー?!」

 

 バックアップ要因として控えていたアウラとマーレが眼を見開き、直後に眼を両手で抑えた。

 

 「な──」

 「これは──」

 

 皇城でナーベラルやジルクニフとその周囲が眼を焼くような光に耐えられず眼をつむった。

 

 「うわ!」

 「め、目がぁッ!」

 

 英雄の戦いを目に焼き付けていたバジウッドたち帝国騎士がその光を目に焼き付けて全員が悶絶した。

 

 「──ぇ?」

 「な――」

 「あの馬鹿……!」

 

 そして転移してきた存在と相対したユーイチは全力で逃げた。

 ギリギリであった。

 ユーイチは転がり込むように間一髪その光剣の射程外に逃げのびた。

 転移してきた何者かがどうなったのか確認する余裕もない。

 少しの間意識を失っていたユーイチが目を覚ますと焦げくさい臭いが自分から漂っている。

 左半身を綺麗に焼失したユーイチはまだ生きている自分を認識して、ぼやいた。

 

 

 

 「二人とも……やり過ぎだ」

 

 

 

 そんな周囲の驚天動地の騒ぎの中心でアリシアとモモンガは自失呆然と立ち尽くした。

 視線の先には何もなかった。

 <氷装>の巨大な腕が視界に入ることもないし、視線の先に見えていた森林や小高い丘など育まれてきた自然もなにもない。

 そして攻撃目標だったザイトルクワエは……何処に行ったのだろう?

 

 目の前にはガラス状に溶けて固まった大地が一直線に走りぬけていた。

 その道中に何かが存在した痕跡が見当たらない。

 二人は周囲を見渡して最後にお互いを見つめた。

 ヘルムの下でモモンガは顎を限界まで開き、アリシアは無表情に磨きがかかり過ぎ人形どころか石造のような表情だった。

 

 「ぁ」

 

 どちらの呟きが小さく漏れた。

 

 「「……ど、どうしよう」」

 

 今だ握りっぱなしの柄の先、炎剣フロムカーニエの刃は……消えていた。

 まるでそんなものはなかったかのように。

 

 翌朝、救国の英雄として帝都で大歓声を受けることになる二人は魔剣を消しさってしまったことに怯え続けていた。

 当然のようにユーイチから怒られた二人は仲良く土下座することになる。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 漆黒の英雄、滅びの魔樹を斬り裂き、世界を救う。

 

 「すごいですね。ユーイチ様」

 「ああ。凄過ぎだよ。……やり過ぎだ」

 

 エ・ランテルにある<金瞳の猫亭>の自室でユーイチは寝台にその身を預けながら療養していた。

 そのすぐ側では亭主のファリアが果物をむいている。娘のウィーシャが買ってきたものだが肝心の娘はむく前にイレインに連れ去られてしまっていた。従業員の技術向上のための時間になったからだ。

 

 「はい。ユーイチ様。どうぞ」

 「む、ぐ」

 「美味しいですか?」

 「……ああ」

 

 無念そうに連れ去られた娘と対照的にユーイチの世話をするファリアは楽しくて仕方がないといった様子だ。

 ユーイチはそんな様子に苦笑いしつつもそろそろ果物を残してもらわねばと、いずれ駆けこんでくるだろうウィーシャを気づかった。

 

 

 

 モモンガの魔力を吸い上げてアリシアがまとめあげた武技はザイトルクワエを消し去り、あろうことかユーイチを直撃していた。

 

 

 

 「やり過ぎだ馬鹿者ども!」

 「イタ」

 「イタ」

 

 ピヨッ! ピヨッ!

 

 ピヨピヨハンマーで友人と弟子を叩きのめしたユーイチはしばらく安静が必要な体になってしまった。

 左半身を完全に失ってしまい本調子にもどるまで自然回復が必要になってしまったのだ。

 帝都からもどって既に三日経ったが今でも形だけは左腕も左足もあるが中身はスカスカのようなものだった。

 力もろくに入らず感覚もほとんどない。

 モモンとアリシアに担がれて<金瞳の猫>に戻った際にはファリアとウィーシャの悲鳴と取り乱しようがひどく、慌てている他の従業員がむしろ冷静になってしまうほどだった。

 アリシアは動けないユーイチの変わりにモモンとナーベの正式なアダマンタイト昇格のための証言などを行っている。魔樹との戦いの際に持っていたのはモモンガのは着用した衣類を再現できるマジックアイテムのおかげ、ナーベのものはユーイチのものだった。

 

 「ユーイチ様、あーん、です」

 「……ぁーん」

 「ふふ、美味しいですか?」

 「………ああ」

 

 まるで林檎のようだが林檎ではない味のする果物を噛み砕きながらユーイチは普段とは違い意識して平坦な口調で話した。意識しないとげんなりした空気を伝えてしまいそうだった。嬉しそうに世話をしてくれるファリアに対してそれは出来なかった。

 

 「はい。あーん」

 

 (……ウィーシャすまん)

 

 この調子では残るまい、と思いつつも止めることもできず、ユーイチは粛々と果物を食べた。

 十分後、盛大な親子喧嘩を目撃することになるのだが自業自得であった。

 そんなユーイチに怒られたアリシアと鈴木悟は二人して肩を落としているのだがそれもまた自業自得であった。

 

 

 

 救国の英雄たちの肩は重たかった。

 

 

 

 十六頁~希少種とレアモスターその4~

    村人Mと剣士A 終




ここまでお読みくださってありがとうございます。
魔樹編完結です。

どうでしたでしょうか。

遅筆にとても見合わないものだという自覚はあります。このくらい五日もあれば書けるはず…。

もっと早くというよりもっと時間を取れるようにしたいものです。

リザードマンはどう考えてもそこまでドラマが起きないので舞台裏で済ましつつ、王都編にガッツリいきたいところです。
さぁ、イビルアイやラキュースを書くぞ! と楽しみです。

よろしければ感想などいただけましたら精神抑制される思いです。

誤字脱字、拙い表現失礼いたしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十七頁~ユグドラシルの根~

あらすじ

テラースフィアという大陸がある。
そこからやってきた冒険者のアリシアとユーイチはエ。ランテルで知り合った新しい身内とともに過ごす中、ナザリックにてモモンガに出会う。
貴重な出会いを歓迎し時折奔る緊張を超えながら、帝都での一幕を終えたアリシアは急遽旅立つことになった。

王都へ。


 十七頁~ユグドラシルの根~

    表裏の交わり その壱

 

 

 

 彼女のことを思い出すとまずは空が浮かぶ。

 四方を城壁に囲まれた都市のその中心にある王宮。

 そこの中庭から見上げる空。

 青色だったり、赤色だったり、星が散らばる黒色だったり。雨粒が降り注ぐ灰色の時すらある。

 そんな空を私はいつも見上げてしまう。

 体を大の字、もしくはくの字にしてしまう私は空を見ている。

 そしてすぐに彼女が現れる。

 決まったように私の痛みが和らいで負けたことが自覚できるようなタイミングで。

 いろんな空色を遮るように。

 いつも勝ち誇ったような笑みを浮かべて。

 

 ──私の勝ち。

 

 どんな綺麗な空よりも綺麗な紅い瞳を輝かせて彼女は笑って手を差し伸べる。

 そんな彼女に私はいつも憮然とした、悔しさを隠しきれない顔になりながら手を伸ばす。

 

 そんな記憶が積み重なったのが友情というのかもしれない。

 

 そう思うほどそんな記憶を積み重ねた私は彼女のことを大切に思っている。

 親友だと。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 太陽が地に堕ち、月が天に昇る時。

 全てを晒し明らかにするような陽光から神秘を覆い隠すヴェールのような月光にかわった世界で二組の冒険者がお互いの獲物を振りまわしていた。

 

 「<魔法の矢>」

 

 線の細い中性的な顔立ちの人間がやや甲高い声を紡ぎ、魔法の矢を生み出す。

 生み出された光の矢は狙いをたがわず目的の場所へと進む。

 するとその場所へ丁度ぶつかるようなタイミングで黒い影が飛び込んできた。

 月光を鈍く反射するその黒い影は全身を黒い金属の鎧で包んだ人のようだ。

 その黒い人は飛んでくる魔法の矢を驚くべき身のこなしで避けようとしてその動きを止めた。

 動こうとした瞬間足元の地面が柔らかく湿り気のある泥のような物へと変質したのだ。

 

 「<泥沼>」

 

 ぼさぼさに生えた口髭を震わせた恰幅のいい男の魔法だ。

 地面を一時的に底なしの沼のように沈ませ緩ませる魔法は機動力を奪うのに適していた。

 恰幅のいい男の目論見通り黒い人は自分に迫る矢への対処が遅れた。

 

 「シッ──!」

 「うぉぉお!!」

 

 回避を黒い男が断念するかしないか、その刹那のタイムラグ。

 その間にも周囲は動いていた。

 蜘蛛のように細みの弓兵が弓を放ち、金髪碧眼の戦士風の男が腰だめに構えた鉄の剣を黒い人へ突き入れるべくその体ごと突っ込んだ。

 この時、黒い男は誰が見ても追い詰められていた。

 魔法と矢が飛んできて、十分に動けないほど足場は悪い。

 そして防御を捨てた特攻をしかけてくる戦士までもがその切っ先を向けている。

 もはや回避も防御も不可能。

 目論見どおりに進み快心の手ごたえを感じた一組の冒険者──漆黒の剣はついに憧れへとその手が触れるのではないかと感じていた。

 

 「なるほど──」

 

 だが、彼らの憧れである黒い男──もう一組の冒険者モモンは彼らの期待に応えてみせた。

 その手に持った見るからに体格に見合わない細い木剣が弧を描き自らに迫った戦士──ペテルの剣を跳ね飛ばし、それをニニャが放った魔法の矢に命中させる。

 

 「ぅ」

 

 嘘と叫ぼうとしたニニャの言葉は途切れた。

 なぜなら自分の魔法の矢と合わせてモモンを狙ったルクルットの矢がモモンの漆黒の鎧をかすめてこちらへと向かってきたからだ。

 

 「危ないのである!」

 

 側にいたダインがニニャを突き飛ばしたことでルクルットの矢は仲間を射抜かずに空を貫いた。

 だがダインに感謝しつつ起き上がったニニャの眼前に飛び込んできたのは月夜の明りを遮る漆黒の鎧姿だ。

 

 「あ……」

 「これで一本。よろしいですね。お二人とも」

 「降参である。モモンどの」

 「ええ。はい。降参です。モモンさん」

 

 手をあげて降参を現した二人が視線を先程までモモンが立っていたはずの場所を捉えるとそこではペテルが泥の沼に倒れ込みながら両手をあげ、その先ではルクルットが手をあげている。持っていたはずの弓はなくなっていた。

 

 「では、今夜の鍛錬はここまでにしましょうか。皆さん、お疲れさまでした」

 

 鍛錬の終わりを告げるモモンの声は何事もなかったかのような常日頃と変わらないもので息が乱れる様子など一切感じられない。

 それを見上げる漆黒の剣の面々は自分たちが憧れる英雄のいただきに何度目かもわからない感動を覚えるのであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 (いや、焦った!)

 

 漆黒の剣とわかれて体裁のための宿屋に戻ったモモンことアインズは魔法で創り出した兜を消しつつ、遅れながら襲ってきた安堵感を噛みしめていた。

 いつも側にいるはずのナーベラルがいないため遠慮なくかかない汗をぬぐう動作などいれている。

 それほど今夜の漆黒の剣との鍛錬はアインズに緊張と充実を与えるものであった。

 

 (アリシアさんがいないのは初めてだったから失敗したらどうするかとか思ったけど、やっぱり……俺、強くなってるよ。うん)

 

 ふふ、ふはは。

 

 誰も見てないからと思わず笑い声をあげてしまう。

 その様子は新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにも見えた。

 アインズが今夜行っていた鍛錬は本来アリシアによる技術指導の時間であった。

 コキュートスをはじめとしたナザリックの前衛職から手ほどきも受けているアインズであったが、やはり、最初から100Lvの力を与えられたNPC達と0から積み重ねてきたアリシアでは教え方に違いがあった。

 NPC達はいい動きの到達点がはっきり見え、その動きを指導してくるのだがアインズとしては高いハードルをこのフォームで飛べと見せられているようでどうやればその動きにたどり着けるかがよくわからなかった。その点、アリシアは完全に1からの指導を行っていた。剣の握り、足運び、基礎となる振り方などなどアインズが求めていた基本を丹念に教えてくれる。

 そのため近接戦闘技術の向上のためにも、美人の友人との交流という意味でも、アインズにとって欠かせない時間とも言えるような時間が今夜の鍛錬である。

 そこに漆黒の剣が関わるようになったのはアインズの意思ではなく、アリシアが彼らにお礼をしたいといった結果、一度見学することを許したのがきっかけである。

 それはアリシアにとっては「その程度のことで御礼になるのかな?」と首をかしげるものではあるがアインズにとっては「やべぇ!」と焦るものであった。何と言ってもアインズがアリシアに指導してもらってるのが二人の鍛錬の全てだ。しかも内容は初心者が教わるそれであり、実力者の冒険者として名を売るモモンとしては絶対に見られるわけにはいかないのだ。

 結果。

 

 「一緒にやりましょうか」

 

 とアインズの方から漆黒の剣に提案して一緒に鍛錬をすることにしたのだ。

 そうすれば彼らに教えるという名目で自分の見せられない面を隠せると判断したからだ。

 だがそれを聞いたアリシアからモモンガさんのことを考えた提案が飛び出て来た。

 

 それが今夜も行われたモモンと漆黒の剣の模擬戦である。

 

 当然だが実力の差を理由に双方から断られそうになったのがそれも見越してアリシアがアインズに渡したのがモモンがふっていた木剣である。

 それを最初に握ったアインズはあっけに取られたような声をあげてしまった。

 握っただけで粉々になってしまったのである。

 

 「アリシアさん、これは?」

 「モモンさん……それを砕かないように戦ってください。そうすればお互いにいい練習になります……まず、私がやります、ね?」

 

 ちゃんと振れていれば壊れません。

 

 それを漆黒の剣の面々を相手に木剣を振るって証明してみせたアリシアに再度木剣を手渡されてからアインズは苦戦した。

 何とか握ってみせるものの、相手の武器を受けるとか相手に斬りつけるとかそんな激しい動きを出来るとはとても思えずまともに防御も攻撃もできなかったのだ。

 最初の頃は何とか身体能力の違いで武器を使わずに避けまくり、ぽんぽんと撫でるように木剣で一本を取り続けていたが、相手に学習されてはそれも難しい。

 こうして剣を扱うということの難しさを痛感する格下との模擬戦にようやく慣れ始めたのはつい最近、ザイトルクワエと戦い終わりエ・ランテルに戻って来た時からだ。

 

 「100Lvのその先……か」

 

 アインズは木剣を抜きだし片腕で強く振る。

 空気を斬り抜ける音が鋭く響くが木剣が壊れるようなことはない。

 ユーイチにいわれたこの世界でのレベルアップ。

 それが本当に我が身に起こったのかどうか。

 それは確たるものとしては確認できなかった。ナザリックに戻りどれほど確認しようがユグドラシルの基準では100Lvのままであった。だが、ザイトルクワエを撃破してからというものアインズは明らかに手ごたえを──レベルアップしたのではないかという感覚を感じていた。

 

 (コキュートスやアリシアさんも明らかな違いを感じる、って言ってたもんな。それがレベルアップなのか技術の向上なのか結論はまだでない。けれど、俺は強くなった)

 

 アリシアが王都のセバスの元へ出向いている今夜の鍛錬。それは初めてのアリシアのサポートがないものだ。それを上手く斬り抜けたことでより実感できた。

 それが嬉しくてたまらない。

 アインズは鼻歌すら出しそうな心地よい気分でかつて見たアリシアの抜刀術を見よう見まねで繰り出す。鞘はないので左手で代用するお遊びだ。

 脳裏に映るのは完璧なタイミングで反応し、振り抜かれた美しい銀閃。

 いつかは自分もあれができるのかもしれない。 

 アリシアが常々ユーイチを目標として鍛錬を怠らない気持ちがアインズには最近分かってきた。

 

 「俺もいい目標といい友人ができ……ん?」

 

 剣を振り抜いて格好良く呟いたつもりのアインズが手の中の違和感に気がつくと木剣が柄から先へとかけて徐々にひび割れていっていた。

 

 「げ!?」

 

 力を入れ過ぎたことに慌てて気がついてももはや遅い。

 ビシッと実に軽やかな割れる音がすると木剣がバラバラに砕けて床に転がった。

 この木剣は壊れても破片を集めれば直すことはできる。だが直すことができる人はユーイチしかいない。

 

 「……しまらないなぁ」

 

 アリシアがエ・ランテルに戻ってきた時に無事に切り抜けたという報告をしようと思っていたのに最後の最後でこれである。

 アインズはユーイチに連絡をいれつつ破片を集めにかかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 一歩一歩を味わうように地面を踏みしめる。

 一瞬一瞬を見逃さないように視線を巡らせる。

 初めての土地、初めての景色を眺めるたびにそうなってしまう。

 アリシアは王都というには人の手があまりかかっていない、未発達な都市と感じながらも初めてみる景色を味わいつくしていた。

 

 

 初めてみる王都は想像以上にらしくなかった。

 

 

 期待外れ、と言ってしまえば分かりやすいのだろうか。

 建物、道、空気、音、匂い。

 どれもが期待外れであり、ある意味予想外なものであった。

 アリシアはエ・ランテルで足踏みしていた期間が長すぎたのもあるのか王都に対して自分が期待し過ぎていた、想像を膨らませ過ぎていたことを実感する。

 もしくは先に帝都を見てしまったからだろうか。あれのせいで王都への期待が増されたのは否めないだろう。それほど帝都の様子はいい景色に映っていた。

 もっと見学できればよかったとアリシアは帝都に長居できなかったことを残念に思う。もっともあの時はユーイチに怒られる予感で景色を楽しむ余裕はこれっぽちもなかったのだから結局どうしようもなかったのだが。

 そんな初見の王都にいささかの失望を覚えながらアリシアは一人黙々とだが全てを見逃さずに歩いていた。目的地は王都に潜入しているセバスの元だ。

 一人でセバスの元へ行くことには二つの意図がある。

 一つは王都を見てみたいという気持ちが膨れ上がってしまったせいだ。帝都見物というのがした魚の大きさを痛感してしまうあまり、新しい冒険への渇望がうずきとなって日々襲ってくるようになった。そんなアリシアの様子はユーイチはおろかモモンガや妹分のイレインやウィーシャにもすぐに伝わり、商人からの簡単な依頼を受けるという名目で王都へ一人向かうことになったのだ。

 そのためアリシアは王都につくなりまずは商人からの依頼、といっても簡単な荷運びを終わらせるために指定された場所へ荷物を届けていた。

 王都へ足を踏み入れるなり自分に集まる視線にはいい加減動じることはないが、その中に何か敵意が混じっていないか、奇異なものが混じっていないか、それを確かめながらアリシアは王都を歩く。自然とそうなるのは自分の性分だが一つ意識していたのが敵意の発見である。

 それが二つ目の理由であった。シャルティアを襲った相手の正体は依然として不明でありその尻尾をつかむことにユーイチもモモンガもあの手この手と誘いの策を弄していたのだが、いまだに一つ足りとてうまく運んだことはない。これまでアリシアが気軽に王都へいけなかった理由がここにもあり勝手にユーイチやモモンガから離れることは今まで許されていなかったのだ。その状況を変えるべくアリシアだけ王都へ行かしてみようという提案はユーイチからモモンガに伝えられていた。

 

 「この状況では他にどうこうもできない。違った目線も大事だ。……そろそろ発散させてやりたい」

 「そうですね。さっきの模擬戦も鬼気迫ってましたし……そうしましょう」

 

 溜ったものを発散するかのように剣を振るっているアリシアの姿に圧倒されていた二人は状況を動かすためにアリシアにセバスへの接触も含めて王都への旅を頼むことにしたのだ。それは秘密裏にしていたセバスとの接触を表に出すことで何か変化が起こる可能性を期待してのことだ。罠としての役割も兼ねて王都での情報収集をしているセバスには万全のバックアップを既に敷いている。そこにアリシアを向かわせてなにか事が起きればよし、起こらなくてもよし。王都の情報はほぼ集められている状況でもあるためセバスをナザリックへ戻すいい切っ掛けになるという判断である。

 こうしてアリシアは同行を願ったイレインをなだめて王都へきていた。

 

 (それにしても……)

 

 荷運びの依頼を終えて依頼のわりにしっかりした額の報酬と覚える必要があるのか分からない商人の名前を覚えつつアリシアは自分が今向かってる方向に疑問を感じずにはいられない。

 

 (ここ……聞いていた拠点がある雰囲気じゃないよね)

 

 セバスとソリュシャンは羽振りのいい商人として拠点を構えている。

 だが今アリシアが歩いている道、そしてその先はとてもそんな二人が拠点を置いているはずがないほどアウトローであった。貧民街とでも言えばいいのか、とにかく視界に入る家はみすぼらしい。道も踏み固められているだけであり整備されているとはとてもではないが言えない。

 そんな予想に反した場所をアリシアが進むのはもちろん意味がある。進む道の先から確かにセバスの気配が伝わってくるからだ。セバスの気配をたどることは造作もないアリシアは場所も何も考えずにただセバスの気配をおってここまで足を運んで来ていたのだ。

 

 (もしかしてよみ間違ってる? でもこれで別人の気配だったら……へこむ)

 

 周囲の景色の変化に自分が変なところに迷い込んだのではないかと首をかしげながらもまた一つ路地を曲がった先でアリシアはようやくセバスを見つけた。いつもの執事服姿のセバスだがその手にはきたない袋に包まれた女性を抱きかかえている。そしてなにやら男と話を……というより何かを懇願されているようだった。

 

 「セバスさん……なにを、しているんですか?」

 

 驚かせるつもりはないものの、予想に反していた周囲に合わせるように気配を消してそろりと進んでいたアリシアの言葉にセバスと跪いていた男が驚きながらこちらを見るのをアリシアは申し訳ない思いで受け止めていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 セバスと合流し、そしてまた別れてアリシアは王都の外へと歩みを進めていた。

 そのすぐ後ろにはつき従うようにどこか怯える男がいる。男の名前をアリシアは知らないし、知ろうともしなかった。

 男はセバスが助けた女性──娼婦の処分を任されていた。病気にかかり全身をひどく嬲られた娼婦では客はもう取れない、用済みだったので処分しようとしていたのだが、そこで運悪くセバスに出会ってしまったのだ。それは女性にとっては救いの手であっただろうが男にとっては退路を断たれたようなものだ。処分に失敗すれば組織から死が贈られるが、男がセバスから女性を取り戻すことなど出来るはずもない。セバスの情けにすがるしかなくなった男を見下ろして、アリシアはどうせならと自分が男を遠方へ逃がす役割を買って出ていた。

 

 「なら……。そのお金、全部で。私が引き受けてあげますよ」

 「ほ、ほんとかぃ!? たのむ! 頼む……!」

 

 王都にも通り名が広まっているアダマンタイト級冒険者が護衛についてくれるなら助かるかもしれない。そう願って男はセバスから情けで渡された金袋をそのままアリシアに差し出した。

 アリシアが助けたいとみじんも思わないこの男に手を貸したのはひとえにこの金袋のためだ。この金を稼ぐために友人であるモモンガがどれほど頭を悩ませているか知っていたからだ。セバスには主人の苦労は分からないだろうが外貨を稼ぐための友人の頑張りをアリシアはよく分かっていた。その成果たる金袋をこんな男に投げ捨てるのは看過できなかったのである。

 

 (どうしてこんなことに……さっきはいったばっかりなのに)

 

 男を連れて城壁を越え、王都の外へと着地しつつアリシアは先程堂々と門をくぐったはずの王都にこそこそと背を向けていることを少々不満に思っていた。

 

 「すげぇなぁ。流石はアダマンタイト級冒険者だ。姫騎士なんて言われて見栄えだけかと思ったぜ」

 「………こっち」

 「ふぁ……お、おう。じょ、冗談じゃねぇや。黄金の姫よりも上玉がいるなんてよ。こんな状況だってのに緊張が吹き飛んじまうよ」

 「…………」

 

 たかがばれずに城壁を越えたくらいで評価してほしくもないし、話しかけられたくもないのだが素直に従ってくれている以上何も言わずに仕事を済ませた方がはやい。嫌な仕事が早く終わるならそちらの方がい当然いいのでアリシアは話しかけてくる男を無視しつつ王都の外を進んでいた。

 そうして日が落ち始めた頃、びくつきながらも野営の支度をしていた男をアリシアはその場に蹴り倒した。

 

 「ぶへっ⁉︎」

 

 倒れ込んだ男の上を黒い影が数本通過して地面に突き刺さる。それは刃を黒く塗り染めたダガーだ。

 ようやくのおでましにアリシアはついに成果があったかと報われたような気になった。

 ぞろぞろと周囲を取り巻くように集まってきていた気配の主たちが姿を見せてくる。 

 数は多い。男一人殺すには贅沢すぎる人数だろう。

 

 「こ、こいつら……八本指の暗殺者だ……!」

 

 蹴られれて倒れたままの姿勢でみっともなく男が騒いでいる。

 その様子は心底怯えきっていて、頼りきった懇願するまなざしをアリシアに向けている。

 そんな様子をちらりとみて嘘はないと痛感する。

 ということは外れだ───と内の自分がぼやいた。

 この程度の刺客を送り込んでくる相手がシャルティアをどうこうできるはずがない。

 目的の相手ではなかったことを確信しつつも、その落胆をみせずにアリシアは消していた鎧を身にまといなおした。

 

 「確認。あなたたちの目的は……この男?」

 

 瞬時に武装を整えた自分をみて警戒を強めた暗殺者に問いかける。

 しかし、その返事は言葉ではなく一斉に放たれた暗器による投擲攻撃だった。

 暗闇の中ではほとんど見分けがつかないような真っ黒に染められた刃物がまだ小さい焚き火に一瞬彩られその存在を主張しながら向かってくる。

 その返事(ダガー)を受け取りながらアリシアはより注意深く、相手の存在ごと見分けるように見た。しかし、集中のあまり間延びしたように遅い感覚の中でも見てわかる以上のものはない。

 

 (──いいか)

 

 十中八九。

 この暗殺者たちは標的ではないと思うけれども。

 

 (一人だけ生かしてきけるだけきけばいい)

 

 保険をかけておけばあとは処理して問題ないだろう。

 そう判断すれば面倒事は終らせるに限る。

 アリシアは先程受け取った返事(ダガー)を掌の上でそれぞれ数本もちかえる。

 暗殺者たちは今頃になって自分たちが投げたダガーが何事もなかったかのように両手で受け取られていることに気がついた。

 そしてそれに気がついた時にはそれが自分の首に突き刺さっていた。

 そんなアリシアからの返事(ダガー)に驚きだけを返して暗殺者たちは倒れた。

 

 「ぇ……?」

 

 ただ一人残った暗殺者が何がおこったのか分からず周囲で倒れた仲間を見渡した。だが誰一人として起き上がらない。皆、喉を貫かれて生きていられるような存在(レベル)ではなかった。

 そんな棒立ちの暗殺者にアリシアは近づく。急いだというよりも自然に距離をつめるとそのお腹に手をおいた。すると身構える暇もなく一瞬ビクリと痙攣した暗殺者は緊張感を失い弛緩した表情を見せてくる。

 

 「大丈夫。あなたはすぐには死なないですから。だから──私の質問にこたえてくれる?」

 

 友達から教わった相手の気を乱し自白させる業を久しぶりに使いつつアリシアは淡々と事情聴取することにした。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 夜陰に紛れて本日二度目の王都入りを果たしたアリシアはセバスとソリュシャンの拠点にて、助けた女性を見下ろしていた。

 静かな寝息を立てている女性はどこか見覚えがあるような顔立ちで、そしてはっきりと初対面の相手である。

 ウィーシャのほうが整っている、とは身内びいきであろうが怪我が治ったその顔立ちは美しいと呼べる類の美貌なのだろう。

 この類の感想をアリシアは実際には口にしない。口に出せば周囲から刺されても文句は言えないと言われ続けている。

 

 どの(ツラ)で人をほめてるんだよぉ──! 

 

 とはアリシアの友人の一人である女勇者の絶叫である。

 合法的暴力だと許されたその嵐のような剣撃を覚えている限り、おいそれとアリシアは口に出さないだろう。

 ゆえに口に出したときは心底そう思っているのだが。

 

 「……あなたも」

 

 時折表情を苦しげにゆがめる眠る名も知らぬ女性を見つめてアリシアは確信する。

 この女性はセバスに恋をするだろうと。

 モモンガとセバスの間ではすでに今後の話が終わっている。

 この女性の意向次第ではあるがセバスが面倒を見ることになるだろう。

 いずれはアリシアの故郷(テラースフィア)へと活動の幅を広げたいモモンガはそこに住まうモノに好印象を抱いてもらうためにもナザリックを共存共栄できる存在にみせるための実績が欲しかった。

 トブの大森林の亜人を保護し友好関係を結んでいるのもその一環である。結果として森の王様のような扱いを受けているがそれは存在としての格の違いから生まれるものなのでしょうがない。

 この女性には共存共栄のための生き証人になってもらうのがモモンガが求めていることであった。

 

 「……恋って気持ち、いいよ」

 

 ウィーシャがユーイチに恋したように、この女性は自分を助けてくれた素敵な異性であるセバスに間違いなく恋をする。そんな確信を恋する者として抱きながら、アリシアはその頭を軽く撫でた。セバスならこの女性をどう転んでも幸せにする気がする。

 

 「お父さんに、似てるからかな?」

 

 生まれ育った故郷に今でも母と住んでいるはずの父は母をそれはそれは幸せにしていた。そんな父によく似た雰囲気を持つセバスだからそう思うのか。

 もしくはその戦闘スタイルのせいか。

 親友がその紅い瞳に喜色を光らせて微笑んでいる姿が脳裏にわいてきて、微笑んでしまう。練気の達人は敵に回せば強敵にもほどがあるが仲間にいてくれればこれほど心強いこともなかなかない。セバスも親友もその点よく似ていた。

 ああ、何をやっているのだろうか。友達は。

 

 「…………恋にはライバルもいる」

 

 順に姿を思い浮かべた友達。その最後に浮かんできた友が怒りを通り越して殺すと目で告げてきている。その怒髪天を衝いた形相は自分の勝手なイメージだが、間違いなくそんな顔をさせた自覚がある。自分ならそんな顔をするからだ。

 同じように恋をして、同じように求めて、同じように技を磨いて──自分より強い友達(ライバル)

 

 「ライバルがいないうちに頑張ることを、お勧めする」

 

 手強いでは済まないような相手が出てきてからでは遅いのだ。

 一瞬、ウィーシャの姿が飛び込むように脳裏に映し出されアリシアは苦笑いするしかなかった。

 あの子も十分すぎるほど手強い恋敵になるのかもしれない。

 もしかしたらすでになっているのかもしれないが。

 

 

 

 十七頁~ユグドラシルの根~

    表裏の交わり その壱終。

 




再開です。

書きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サイドストーリー
幕間の物語~その零 駆け寄る足音はいまだ遠く~


お久しぶりです。
もうお待ちくださってるかたはおられないかも知れませんが最新話投稿です。
活動報告のほうでもあげましたが、この話は九割九分オリジナル要素で構築されています。

本当はゲヘナが行われる王国編で合間合間に挟んでいこうと思っていた話です。

内容はアリシアの故郷であるテラースフィアという大陸から彼女の友達たちが旅立つというものです。
ナザリック地下大墳墓は名前だけ(本当に)しか登場しない幕間ですがどうぞ!


 アリシアの故郷。

 ナザリック地下大墳墓が転移してきた大陸から海を挟んでずっと遠くにあるその大地はテラースフィアという名前だ。

 大陸と続かないのはテラースフィアに住む人々は海の向こうに別の大地があると知らず、自分たちが住む大地こそが世界の全てだと認識していたからだ。

 そんなテラースフィアはいくつかの世界で成り立っている。文化の違い、生活圏の違いで自然と分かれた世界の一つに三国同盟という国がある。

 三国が同盟を結んで一つの国になった……わけではなく、国という形態になる前、ギルドという形であった頃にそういう名前をつけてしまったからという由来の国名を持つ、その国の練兵所。

 そこではその時壮絶な決闘がついに終わりを迎えていた。

 

 「私の───勝ち」

 

 まるで今から戦が始まるような布陣をしく東西の両軍の兵士たちはその勝鬨を聞いた。

 兵士たちの視線の先では勝鬨をあげた人間が誇らしげに胸を張っている。チャイナドレスを押し上げるように実った胸をが示す通りその人間は女性だった。

 名前をフェイリン。

 この国の姫として生を受け、その天真爛漫な性格と母親似の美貌で国中の人間に好かれているお姫様だ。

 そんなお姫様は勝利の証である獲物を高々と掲げた。

 

 「青龍偃月刀、とったぞォォォ!!!」

 

 ──う、うぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!

 

 フェイリンの勝鬨に応えるように西の兵士たちが勝利の声をあげた。

 そんな声じゃ足りないとばかりにフェイリンは飛び跳ねて勝利の声をせがみ、それに応えるために西軍の兵士が、そしてフェイリンから指示を受けた東軍の兵士が声を張り上げて叫ぶ。

 その中には涙を流す者もいるが勝利の喜びに沸く兵士たち、というふうにはみえない寂寥が垣間見えるものであった。

 フェイリンが勝利した。それはこの国の兵士たちにとって寂しさを感じさせずにはいられないものだ。

 今日この時の勝敗が意味することはフェイリンの一人立ち、旅立ちであった。

 

 勝てば一人前と認め旅立つことを許す。

 負ければそれを許さない。

 

 近隣諸国の中で武力をもって和をなす立ち位置である三国同盟の姫に相応しい最後の試練であった。

 相手をつとめたのはその試練を命じた母親であるサクラだ。

 ミカゲ・サクラ。三国同盟の現在のギルド長代理であり、国王でもある彼女はユグドラシルからこのテラースフィアへやってきたギルドメンバー二人の片割れである。

 ギルド内の役職は<軍神関羽>。本来のギルド長の趣味で古い中国の武将になぞらえられている。

 100レベルのユグドラシルプレイヤーとして三国同盟がいる世界の中でも指折りの実力者であるサクラは歓声をあげる兵士たちとそれを求めて飛び跳ねるフェイリンの姿を眺めて自分の右腕を見た。

 

 (本当に……強くなった)

 

 肘から先、先程馬上から降りおろした時まで確かに青龍偃月刀を握っていた右腕がなくなっている。

 カウンターで見事に蹴り飛ばされてしまっていた。

 痛みとともに広がっていく何とも言えない寂しさと喜びに耐えるように右腕を眺めるサクラの背中に愛馬であるセキトが頭をこすりつけた。触れた先からセキトの謝罪の感情が伝わってきてサクラは残った左手で少し乱暴にその首筋を撫でた。

 

 「よくやった。お前も、私も……全力だった。あの子が強くなったんだ。ユグドラシルの基準を越えてくるほどに」

 

 セキトはディバインスレイプニールという祝福された八本の脚をもつ神馬でり、三国同盟の少ないNPCの一人である。

 <軍神関羽>と<武神呂布>の二人のために創造された存在であり、そのレベルは騎獣であるのに100レベル。創造主である本来のギルド長の「関羽と呂布は赤馬兎の上で最強なの!」という意向が最大限に発揮されている。

 セキトに騎乗したサクラや<武神呂布>は100レベルを越える戦闘力を誇る。これはただの100レベルプレイヤー二人やNPC二人が組んだ物と比べても圧倒的だ。騎乗する二人のために生み出されたセキトは専用の装備品のようなもので乗り手の力を他の何よりも高めてくれる。

 そう。サクラはユグドラシルのプレイヤーとして自分が用意できる最大限の力を持って娘の一人立ちを止めようとした。負けるつもりなど微塵もなかった。

 だが、負けた。

 

 「……私たちのユグドラシルに勝ったフェイリンを私は信じるぞ。カオル」

 

 フェイリンを産んですぐに亡くなったカオルのことが頭によぎった。親友である彼女の分まで自分はあの子の母であれただろうか?

 振り返るとカオルによく似た紅髪紅瞳の娘がスキップするように近づいてきていた。

 

 

 

 兵士たちの声に満足したフェイリンは勝利をたたえる歓声に後押しされる形で先程まで死闘を演じていた母の元へ駆けだした。

 愛馬であるセキトの首を優しく撫でる母がちょうどこちらを振り返った。

 綺麗な黒髪が陽光を映してきらびやかに広がった。

 

 「おかーさーん! わたし、わたしの勝ち! だよね!」

 「ああ。……フェイリン。お前の勝ちだ」

 「えへへ。やったー勝ったー♪」

 「まったく子供のようにはしゃいで……」

 「そりゃはしゃぐよー。だっておかーさんに勝ったんだもの。嬉しいなー。嬉しいなー!!」

 

 フェイリンは興奮と喜びを隠さずにその手に握った青龍偃月刀を見つめる。

 これを手にすることをどれほど夢見たことか。

 この青龍偃月刀はサクラの愛用する神器級の武器であり、フェイリンが一人立ちする時に渡すと親子の約束を交わしたものでもある。

 この武器を手にするということはフェイリンの人生の目標の一つであったといえる。

 それがいま叶った。

 だがついにたどりついたというのにフェイリンには新しい背中がはるか遠くに見えた気がした。それは黒くて大きな大切な人の背中だった。 

 

 「……へへ。なんだかおかしいや。今、たどり着いたばっかりなのに、もう、次が見える」

 「次?」

 「うん。次。次の……私の目標が、しっかり見える」

 

 ゴールはどこにあるんだろう。

 新しく見えるようになった次の目標を認識してそんなことを思う。

 母親に認められた今、一人前の武人、一人のフェイリンとして、あの人の背中へ走っていきたい。

 振り向いてもらうのではなく、追い抜いて自分が振り向けるように。

 それがゴールなのかもわからない。追い抜いた先にはまた違う目標が見えるのかもしれない。走り続けてももしかしたら何もないのかもしれない。 

 

 「まだまだ私は走るよ。おかーさん」

 

 けれど走りたい。

 そう思う以上、足を止めるつもりはフェイリンにはなかった。

 

 「そうか。……そうだな。………あいつの言うとおりだったな」

 「へ?」

 「なに……お前の歩みを止めることは出来ないということさ。それはお前のものだ。フェイリン。……行っておいで。お前の行きたいところに」

 「……うん! おかーさん! 大好き!!」

 「こ、こら! むぐ」

 

 フェイリンは母に抱きつき幼いころから変わらず全身で母への親愛を伝えた。

 産みの母によく似ているフェイリンは育ての親のサクラより頭一つほど背が大きい。 

 幼いころとは逆に娘の胸に母が顔を埋める違いはあれど、それこそ成長の証であった。

 

 (おかーさん、母上様、ありがとう)

 

 二人の母に産まれてからの全てを感謝して、この日、フェイリンは故郷をでた。

 最後まで笑顔でいられたことに安堵していたのは母娘ともにであった。

 そしてそれをお互いに部下の兵士、共に旅する友人に指摘され、破顔するのも同じであった。

 血の繋がりよりも深く結びついた親子の絆を二人はずっと感じていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 テラースフィアをでる、それはすなわち外洋に出るということに他ならない。

 そしてそれは船に乗るということでもある。

 テラースフィアのどの港の造船技術も外洋を渡り新しい大地を探すことを想定して船を作ってはないない。ゆえに船を用意するとなると普通ならば零からのスタートとなるところだ。

 だがフェイリンは仲間たちとともに目の前に必要なものを揃えた船を見上げることができていた。

 

 「はぁ~……これが船なんですね。すごい……」

 「でっかいなぁ。筏作って川下りするのとはわけが違うねぇ。すごーい!」

 「勇者様。流石に筏と比べられてはどの船も……むしろ立つ瀬がないと申しますか……」

 「剣聖。いつものこと」

 

 神官、勇者、剣聖、賢者。

 いずれも外見上は見目麗しい女性たちがそれぞれに船を見上げて声をあげている。

 皆、フェイリンの旅の仲間であり友人である。

 ここに至るまで槍兵や鬼殺しといった他の仲間の力も借りたフェイリンはついに外海に繰り出すことのできる船を手に入れたのである。

 これには先に旅立っていったアリシアとユーイチの存在が大きい。

 フェイリンは旅の目的である二人のあとを追い続け、二人が用意したものと同じ船を用意することに成功していたのだ。

 そうフェイリンが旅立つにいたった最大の理由は二人を追わねばならない理由が出来たからであった。

 それは二人に迫る危機であり、大事に至る可能性が高いものであった。

 テラースフィアの外の世界を求めるということへの対価であり、それは知る者が知れば当然の報い。

 そしてそれを知ってしまったフェイリンにとっては無視できない友達の危機であった。

 

 「……」

 「んー? フェイフェイどうしたの? 感動して声も出ない?」

 「勇者様。アリシアならともかく、フェイリンはそんな可愛らしい反応はいたしませんよ」

 「同意。剣聖の言う通り。むしろ今勇者と一緒になってはしゃいでないのが不思議」

 「あ、あの~……フェイリンさんもアリシアと同じくらい可愛いと思いますけど……あ、もちろん、勇者様も」

 「え………。いま、すごく自然に思い出されたかのようにつけたされたんだけど。ぼ、僕は可愛く……ない?」

 「「アリシアに比べれば」」

 「それ酷くない?! 僕だって可愛いっていわ、いわれ、いわ………最後に言われたの、いつ?」

 

 姦しい仲間たちの声にフェイリンは自分の中の固まっていた緊張が薄れていくのを感じ、仲間たちに内緒でこっそり笑った。

 そしてその場にいたならば、神官と一緒になって困っていただろうアリシアの姿を幻視する。きっとアリシアであれば口下手なりに勇者の何処が素敵か無表情に磨きをかけて言うのだろう。

 

 「……あ――、世話の焼き甲斐のある友達だなー! アリシアは!」

 

 フェイリンのいつもの声に落ち込んでいた勇者も含めて皆笑顔になった。

 世話の焼き甲斐のある友達とは皆が感じていたことである。

 皆の心の中では無表情のアリシアがちょこんと座って「私、頼んでない。……皆、お節介」と言っている。しかし、隠しきれない喜びがおぼろげに見えるような見えないような。そんなアリシアの感情の機微を表すかのように尻尾がふられている。

 

 「ふふ、もしかしたらユウ様とのハネムーンを邪魔したと怒られるかもしれませんよ?」

 「そんな顔してたら武君直伝のデコピンだ。まったく」

 「私たちは二人の救援救助のためにいまからこの船に乗り込むのですから気が緩み過ぎでは……まぁ、分かりますけど。あの剣神武君と讃えられる方がついているのに私たちは本当に必要なんですかね?」

 

 賢者の言葉に皆一様に一瞬考えた。

 ここに集った皆の目的は迫る脅威から二人を守り保護することだ。

 だが友人たちの間ではドジで抜けているとの評判であるアリシアならいざ知らず、その師匠は別格である。一対一で勝てる者はテラースフィア全体を見渡しても確実にはいない。どれだけ強い存在でも五分。そんな存在がついているアリシアを含めて果たして自分たちが行く必要はあるのだろうか。

 

 

 

 ──ゆうゆうが一緒にいるなら行く必要ないもん。次に会う時はゆうゆうから一本とれるようになってからって約束したから。

 

 ──俺はいい。あいつを助けようと思ったことはない……あの少女はあいつが守る。

 

 

 

 槍兵と鬼殺しの言葉をフェイリンたちは思い返していた。

 この二人のような友人知人は多かった。

 自分より強い人を守りに行く必要が何処にあるのかと。

 それを感じなかったフェイリンたちではないが……。

 

 「ま。友達なんだから助けにいっていいでしょ! ね。フェイフェイ」

 「えへへ。さすっがリンリン。勇者様のお墨付きなら間違いないね!」

 「当然なのです。僕は勇者ですから。そして勇者だから……か、可愛いはず!」

 「キャー! 可愛い。でもアリシアの方が可愛いのは事実だよ!」

 「ウキャー! それは言うなよぅ。事実だけど!」

 

 勇者──リンリンことリーシェン・リンテンスの言う通り、脅威に友達が晒されようとしているのを黙って見逃せないお人好しの集まりがこのパーティであった。

 

 「そういうことですね。勇者様。フェイリン。剣神武君のことですから脅威は全て排除されていると思いますが……アリシアを庇って万が一ということもあります。足手まといの分だけ私たちの助力が必要だと思いましょう」

 「剣聖……シルヴィア。剣聖じゃなくなってますよ。アリシアへの対抗心ですぎ」

 「ぷぷー。まぁまぁ、ナルシア。仕方ないって。なんたってシルシルはユウイチにぞっこんだもの!」

 「旅立つ日くらい剣聖として振るまってみましょうと言ったのはシルヴィア。……ぞっこんだとは思う」

 「ふ、二人とも何を言ってるんだ! 私は! 私はだなぁ……そう! アリシアの何でも首を突っ込む癖を気にしてるだけだからなっ」

 「え、隠さなくていいんじゃーん。ユウイチの一番弟子は私だーって言ってアリシアに決闘申し込んだの忘れちゃったのー?」

 「──~~っ! ゆうしゃぁ!! それは、それは内緒だと言っただろうが―――!!」

 

 剣聖シルヴィア・ローレンが顔を真っ赤にして勇者に掴みかかろうとするがリーシェンは賢者ナルシアを盾にして逃げ惑う。盾にされたナルシアは面倒くさそうな表情で助けを残りの二人に求めた。

 

 「ぶあはははははっ。あは! ひー、なにそれ、面白っ」

 

 だが爆笑しているフェイリンは何の役にもたたないと早々に見切りをつけ、残った最後の一人、神官イルザを見つめた。

 軟かなウェーブがかった黒髪を楽しげに揺らしていたイルザはそれに頷くとシルヴィアをなだめるように割って入った。

 

 「そういえばユウ様から聞いたことがあります。ユウ様は二人ともとても可愛らしかったと仰ってましたよ」

 「……そ、それ、本当? イルザ。武君が私を? 可愛い?」 

 「はい。手のかかる妹みたいで、と」

 「いも……っ。いも、う、と……」

 「あ、あれ。シルヴィア、どうかした?」

 

 女性の容姿をめったなことでは褒めない武君が自分のことを影では褒めていたのか……! 

 実はそんなことがあったらいいなぁと望んでいたシルヴィアは妹みたい、というワードに崩れ落ちていた。

  

 「「ぶははははははっ!」」

 

 ひーおなかいたいとリーシェンとフェイリンが地面に倒れ込み。

 

 (どうして可愛いって言われたのにショックを……?)

 

 神官としての生活ばかりで恋する乙女の気持ちがよくわからずイルザが首をかしげ。

 

 「あの。どうでもいいのでそろそろ荷物を積み込みませんか?」

 

 心底目の前の景色がどうでもいいナルシアは各自の<倉庫>に入りきらなかった共用の荷物を指さすのであった。

 初めて外洋に繰り出し未知との遭遇に胸躍らせる記念すべき日ですらフェイリンたちはこんな調子であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 つい先刻まで快晴快晴と騒いでいたのが嘘のような大嵐のただなかでフェイリン達は悲鳴を上げながら闘っていた。

 

 「ナルシア――、あとどれくらいもちそ――ぅ?!」

 

 視界のほぼすべてを暴風雨が占める中、勇者ことリーシェンが船の周囲を飛び回りつつ船の防衛の中心であるナルシアに怒鳴りつけた。怒鳴り声でようやく聞こえるか聞こえないかという周囲であったからだ。

 

 「──……ッ。──で、ぁ」

 「もーぅ! 声がちいさぁぁいい!!」

 「──<伝言>あなたは声が大きいんです。勇者。無駄に魔力使わせないでください。この調子ではあと一時間ほどですね。勇者のせいで経過報告以外に<伝言>を使ったので一時間をきってしまうかもしれませんね? 責任を取って速く終わらしてください」

 「<伝言>分で!? まぁ、終わらせるのはいいけどさぁ。一時間かぁ。微妙だね」

 

 よっと。

 リーシェンは軽い掛け声とともに手にした両手剣を標的に向かってふりおろした。

 

 

 一瞬九連。

 

 

 解体された標的は力を失い、荒れ狂う暴風雨に捲かれて吹き飛んでいく。

 全てが瞬きする間の出来ごとの中、それはまるで何かの触手に見えた。

 暴風雨をものともせずにリーシェンはそれを繰り返しては繰り返し続ける。

 

 「──私たち防衛組はひたすら耐えるだけですからね。シルヴィアとフェイリン次第です。……なんて泣き言は聞きたくないので速く終わらせて下さい勇者。何のための嵐の剣ですか」

 「うぐっ。それ言っちゃう? この子ったら調節難しくて……アリシアのヴァルハーゼくらいならいいんだろうけど、ここで使ったら船ごとやっちゃいそうだもん。というわけで、これは決して泣きごとでもいい訳でもないんだからね! イルザ。二人は無事だよね。問題ない?」

 「──私を介して会話しないで大声で叫んでください。馬鹿みたいに。馬鹿なんですから。攻撃組は無事なようです。厄介な状態異常にも、物理的、魔法的な拘束もないようですよ」

 「よかったぁ。流石はイルザの<聖戦>。そこらへんは無問題だね……ってバカバカ言うなぁ! うわ、ナルシアのせいでこっちにきたぁぁ!!」

 

 周囲を囲うように広がった触手の群れを切りはらい、突破しようとしてリーシェンは「無理!」と叫んだ。船を囲んでいた触手の大半が向かってくるのが見えたからだ。そもそもサイズの違いで回避するスペースが少ないところに数の暴力である。回避も防御も出来ない間に合わない。

 だから叫んだ。

 

 「──あなたが斬った分だけそりゃあなたにヘイトがいきますから。私のせいではないですよ」

 

 船への圧力が減ったその瞬間、リーシェンだけ避けるように熱線が縦横無尽に奔り、群がろうとした触手達が香ばしい匂いだけ残して暴風の中に消えていく。そして触手に代わるかのようにリーシェンの周囲を光り輝くクリスタルが舞った。

 

 「ようやくきた! これでもう少し自由にできる。一時間私もいけるよ。あーー……なんだかおなか減ってきたなぁ。いい匂いする」

 「──イカ焼きなら終わった後で食べてくださいね。それよりも接続したら操作はそちらに預けるんですから、なくさないでください。なくしたら覚悟してください」

 「いえっさー! さぁさぁ巨大イカめ!! フルアーマーリーシェンこと勇者が相手だぁぁ!!」

 「「(フルアーマーリーシェンが勇者なんですか……?)」」

 

 勇者の叫び声を聞いたナルシアとイルザがほとんど同じタイミングで首をかしげていたがそんなことは露とも知らずリーシェンはナルシアの魔法で守られる船の周囲を飛び回り、イカの触手を斬り飛ばし続けた。

 

 

 

 テラースフィアの外へ。

 アリシアを追って船を出発したフェイリン達を待っていたのは大嵐と襲撃であった。

 嵐の中、船を丸ごと飲みこまんとしたのは巨大なイカ──クラーケンであった。

 その大きさの違い、海中からの容赦ない不意打ち。

 それを考えれば初撃で沈められてもおかしくない交戦であったが、あらかじめ知っていれば備えられるものである。

 ナルシアを中心としたフェイリンたちはクラーケンが襲ってくるという事態を想定して防備を張っていた。

 

 「自動防衛の海中空中での動きに特化したゴーレムに衝撃緩和、ダメージコントロール、浮遊に水球壁……」 

 

 その他もろもろ。

 地形の不利がつくと想定してそれが覆るほどの事前準備を重ねてきた。

 だが、実際に遭遇したクラーケンは想像を越える力と知性を有していた。

 時間が自分の有利に働くという認識を崩さず持久戦をしかけてきたクラーケンの前に用意していたゴーレムは全滅。どうしても不利な水中戦を要求されるにいたり、現在に至る。

 リーシェン、ナルシア、イルザが船を守り、フェイリンとシルヴィアに三人分の支援魔法を飛ばしてクラーケン本体へ送りだしていた。

 戦いが始まって既に三時間。

 その戦いもついに攻撃組に全てをゆだねる状況になっていた。

 

 「<武技──豪火剣乱>」

 

 水中にはありえない炎の軌跡が蜘蛛の巣のようにクラーケンの巨大な本体に奔る。

 シルヴィアは武技の結果を確認することもなく、水中を走る。

 その場に足場があるかのように、そして水の抵抗などないかのように。

 陸地と変わらないその動きは同じ時空中を飛びまわっていたリーシェンより速い。

 

 「<武技──暁>」

 

 突き刺した剣先から茜色に海中を染めるかのような光が発せられる。

 短期決戦を挑み続けようやく逃げ惑う本体にとりついた剣聖シルヴィア・ローレンは己の武技を放つことにいささかも躊躇がなかった。

 

 「……ッち。浅い。あとは任せた。フェイリン」

 

 大技二発。

 されどその巨体に見合うほどの耐久を有するクラーケンの息の根を断つほどではない。

 突き立った剣を抜き、反対側へまわっていたフェイリンにあとを任せて海上を目指して駆けあがった。

 攻撃組の中でもシルヴィアの役割はフェイリンをクラーケンに接敵させることであった。

 それは攻撃の相性の問題で自分よりもフェイリンの方が有効打を与えられると理解していたからだ。

 

 「任せて。急ぎで!」

 「分かってる!」

 

 巻き込まれる可能性を考慮して全速でシルヴィアは逃げる。

 そんなシルヴィアが十分ははなれきったと確認したところでフェイリンはゆっくり動いた。

 尋常ならざる回復力、耐久を見せつけていたクラーケンだが剣聖の大技を二発もらってすぐに動けはしなかった。

 フェイリンは動きたくても動けないクラーケンに掌を押し当てた。

 

 「……絶招──ぐっ!?」

 

 動けないはずのクラーケンから噴射された墨の直撃を受けてフェイリンは吹き飛びかけた。

 咄嗟に掌をクラーケンの体内にぶち込んで離れないように掴んで離さない。

 

 「ごぼ──」

 

 これ、墨は無視できないわけか――。

 なら耐えるしかないと噴射が終わるまでの根競べをする気だったフェイリンは思わぬ声を聞いた。

 それはいま戦っているクラーケンのものであった。

 投げかけられた言葉は疑問。

 なぜテラースフィアの外へ出るのか。

 

 (ああ。やっぱり。この子もそうなんだよね──)

 

 このクラーケンの墨吐き攻撃は本来人間が耐えられる圧力を越えている。

 もし耐えれたとしても相当な状態異常で対象を犯すはずだ。

 フェイリンは勇者と世代を代表する賢者、複数の神から力を授かる神官の三人からその魔力の大半を消費した支援魔法をもらっている。そのおかげで状態異常にかかることもないが本来なら一刻も早く逃れなければならない類のものだ。

 こんな生物は通常産まれるはずがない。まして高い知性を有して意思疎通も可能なクラーケンなんて。

 

 (あなたは使徒なんでしょう? きっとご主人様に可愛がられて、ご主人様のことが好きで一人でここにずっといる。古くから私たちを見守ってくれてた優しい存在)

 

 伝わる思念に応じてみれば返ってくるのは再度の疑問だ。

 そしてそれも分かっていた。

 だから返す言葉はすぐに口からでた。

 それは丁度墨吐きの勢いが弱まった瞬間で。

 

 「ごめんなさい。友達のためだなんていわないよ。……私は自分のために歩みを止めるわけにはいかないから」

 

 水中でのペナルティを完全に無効化しているがゆえにべったりと全身を墨で黒く染めあげながらもゆえに目立ちすぎるその紅の瞳を爛々と輝かせフェイリンは堂々と宣言した。

 

 「だから……決められた境界なんてこじ開けるッ! 絶招──!」

 

 フェイリンは軽く掌を添えて笑って、叫んだ。

 瞬間海が爆ぜた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 あれから数カ月。

 果てのない船の旅に過半数が倒れていた。

 まず根をあげたのは勇者だった。

 

 「あ――………。村の林檎が食べたいよ――!」

 

 大量に持ち込んだ食料の大半が水だということを教えられ絶望にうちひしがれたリーシェンはあっけなく根をあげた。毎日食べる魚や海藻といった慣れない食事に参ってしまったのだ。

 

 「勇者。果物の類は計画的に食べねば持ちません。賢者が生産魔法でいろいろ用立ててくれますから耐えてください」

 「いやいやいやー! オレンジの味がする透明な水はもういや―! 僕は騙されないぞ――!」

 「最初は気に入っていたでしょう! ええい、武君直伝のデコピンをもらって馬鹿になってください!」

 「おふぅッ!?」

 

 最初のうちは剣聖としてなんとか堪えてきたシルヴィアが次に根をあげた。

 

 「ぁ、ぁああ……。こうちゃ、のみたい。りんご、のやつ」

 「ふぇぇぇぇ………牛乳のみたいよぅ………」

 「ぎゅぅ、にゅう………りーしぇ、そうだ、むね、おっぱい……」

 「うぇ? しょっか…。私の乳でぎゅうにゅう!? しるしる、むねむね―!」

 「<安らかなる慈愛の一時>」

 

 魚も生産魔法によるカクテル飲料も受け付けなくなり、ついにお互いの胸をまさぐり始めたリーシェンとシルヴィアをイルザが神の導きで眠らせて急場をしのぐも。

 

 「うっぷ」

 「イルザ。食べないと持ちませんよ。今日の疑似海魚の照り焼きは自信作なのですが?」

 「……すいません。ナルシア。ちょっと一食食べるのは」

 「そうですか……」

 「私も……交代までの間は寝ていますね……」

 

 シルヴィアの次はイルザと長期航海にすっかり体調を崩してしまっていた。

 今では決められた役割分担以外は魔法で無理やり寝て時間を潰してしまっている。

 そしてそのせいで余計に体調を崩していた。

 

 「しかし、フェイリン」

 「んー? なに? ナルシア」

 「フェイリンは元気ですね。リーシェンは当然としてもイルザも根をあげてるというのに」

 

 そんな病人ばかりの船の上でフェイリンとナルシアは元気に釣り糸を垂らしていた。

 

 「あはは。そういうナルシアこそ。一番体力ないくせに」

 「馬鹿にしないでください。私にとって偏食なんて問題になりません。いつものことですから」

 「それっていいことじゃないねー」

 「いつものことなので。ですが、フェイリンは違うでしょう? むしろ食べ物にはかなり気を使っているサクラの娘じゃないですか。正直リーシェンの次に根をあげると思いましたが」

 「あ――、う――ん……やっぱりこれのおかげかな」

 「青龍偃月刀の?」

 

 釣り竿を垂らしたままフェイリンが空に掲げて見せた青龍偃月刀にはそんな魔法はかかっていないはずだとナルシアは疑問の声をあげた。

 

 「うん。これはおかーさんがずっと愛用してきたもので、ずっと私が欲しかった目標で……これを持つ身が海の上での生活に負けちゃ駄目だ……がんばろう、ってなんだか思えるの」

 「なんだ。精神論ですか。……てっきりあなたが装備していれば何かバフがあるのかと思いましたよ。精神の安定化とか」

 「あはははは。そんなのないってないって──あ! 引いてる! 引いてるよ――!」

 「む。これは久しぶりの大物でしょうか。ふふ、腕が鳴りますね」

 「ナルシア、すっかり釣りにはまってるねぇ」

 「フェイリンこそ」

 

 もはや食料確保というよりも元気な二人による趣味のための釣りにより、魚を見たくもない三人の食欲をそぎ落とす日々が続いていった。

 その後、あまりにも症状がおかしいので本格的なナルシアによる研究と検診の結果、慣れない食事による心体への悪影響は病気といっていいものであると結論されるに至った。

 

 「それを改善するためとはいえ食料の減りは急速です。正直なところ、このままでは一カ月もすればまた魚と生産魔法の生活です」

 

 そうして航海日誌を振り返りつつナルシアが現状をやられていた仲間たちに共有させていく。既に航海は半年を越えていた。

 

 「うえぇぇぇ。……嫌だなぁ」

 

 リーシェンが思いだしたくもないと耳をふさいでソファに転がっている。

 居住性を意識して用意した新品のソファは長旅と時々まき散らされた酸っぱいものですっかり使用感が染みついていた。

 

 「賢者。それは避けられないだろうか? 私も、正直、もうあれはごめんだ」

 「……」

 

 シルヴィアの声は硬い。

 正気に戻ったあと自分がどんな有様だったのかを振り返り悶絶していたシルヴィアは恐怖すら感じているのか頭の後ろで結んだ髪が怯えるように震えている。そしてそれは無言で頷くイルザも同じであった。

 

 「無理です。はい。ちっともどうにもなりません」

 

 やられていた三人のどうにかしてほしいという視線を受けたナルシアだがそれをすぐに跳ねのけるかのように即答した。

 自らの<倉庫>に日誌を返しつつ、林檎を一つ掴み頬張る。

 <保存>の魔法で鮮度を保っている林檎はナルシアの一口ごとにシャキシャキと音をたてて、既に自分の分を食べつくしてしまったリーシェンに涎をださせた。

 

 「林檎ぉ……」

 「あげませんよ? 私のなので」

 「う、うううう………あーん! こんなことならもっといっぱいいっぱい持ってきたらよかったぁ!」

 「こればかりは勇者の言う通り……まさかこれほど長引くとは……」

 「思っていませんでしたね……」

 

 さめざめと泣くリーシェンの言葉にシルヴィアとイルザは深く頷く。

 どちらかといえばいつものなら勇者らしくない振る舞いを正す立ち位置の二人だが、この時ばかりはリーシェンを責める余裕がなかった。

 誰もまさか半年も海の上にいることになるとは想像もしていなかった。

 いまの状況はひとえにこの一点が作り出していた。

 外洋の知識がなく、船に乗った経験といえば昼に出て夜には港につく巡回船ぐらいでしかない彼女達には実際どれほど大変なのか分かりかねたのだ。

 一人が持てる、そして船に詰め込める荷物には限りがある。

 あのクラーケンのように追手の一味と争うことを考えればどうしても脅威への対策をメインに各自が準備を済ませてしまったのだ。

 

 「力や技を比べあうのだけが冒険ではないということです。とにかく、食事問題は生産魔法による栄養管理をいれなければどうにもなりません。アリシア達に追いつくまで我慢してください」

 「うえぇぇ……ね、ねぇ、ナルシア、実際のところアリシアにいつになったら追いつけるの……?」

 「分かりません。これはアリシアがいる方向が分かるだけだと言っているでしょう」

 

 ナルシアが持ち上げてみせたのは透明な球体だ。中は透明な液体で満たされ一部分だけ金色に細く矢印のように光っている。

 ナルシアお手製のこのアイテムは中に入れたモノの存在を読み取り、その現在位置を指し示す。現在この中にはアリシアの髪が入れられており、常に一定の方向を指し示していた。

 

 「方角は常に安定していますし、間違いなく海底都市に沈んだり天空の城をさまよったりはしていませんよ。今もまだ私たちと同じように海の上か、既に陸地かのどちらかです。死んでいたり、アリシアから離れすぎるような存在になっていればそもそも反応しないので無事だとは思います。……というわけで私たちは地道に追いかけるしかないのです」

 「無事なのは嬉しいんだが……」

 「シクシク……陸地がこいしいよ……いるざぁ、慰めてぇ」

 「勇者様、はしたないですよ……ですが、はい。よしよし」

 

 ナルシアは眼帯を外して情けない声をあげる友人たちの姿を視た。

 三人ともに歪みのないあり方をみせている。その様子は普通の左目で見た時と比べても異常があるように見えない。

 

 「まだまだもちそうで──ん?」

 「フェイリンが何か慌てているようだ。なにかあったか」

 

 シルヴィアがそう言うなり船室の扉を開いた。

 すると普段では考えられないような慌しい足音をたてて外で見張りをしているはずのフェイリンが駆けこんでくる。

 普段から活発で天真爛漫なフェイリンだったが今の様子は明るくはしゃいでいるというものではない。色濃くうつるのは驚愕であり信じられないものを目の当たりにしたと雰囲気が告げている。

  

 「みんな――っ! そ、そと! そと来て! そとぉぉぉお!!」

 

 フェイリンが興奮のあまり息を荒くして叫んぶとシルヴィアがわずかに緊張感を表にだし、そしてそれをすぐにやめた。脅威が迫っている様子ではなかったからだ。

 その様子にもしやとリーシェンが起き上がった。

 

 「追いついた……? 追いついたのフェイフェイ!! そうだと言って!!」

 

 脅威に晒されたのでなければもしや追いついたのではないか。

 リーシェンは縋るような気持ちで期待の眼差しをむける。

 

 「ごめん。そうじゃないよリンリン」

 

 だがフェイリンはそうじゃないからとリーシェンからの期待の眼差しを即座に否定し、再びソファに沈んだリーシェンを両手で起こしつつ皆をせかした。

 

 「陸地が見えたの! 陸地! おっきい!!」

 

 そう言い残すとリーシェンを担いでフェイリンは船室を飛びだし、自分が見たものがそこにあることを自分でも再度確認した。

 再度確認しないと、いや、何回見てもそれは信じがたいものだった。

 船の進行方向。まっすぐ進んだ先に見える大きな陸。

 半年を越えた航海の中で見ることがなかったもの。ついに発見したもの。

 

 「新大陸……新しい、世界」

 

 アリシアが目指して旅立つ切っ掛けになった人魚の伝説。

 テラースフィアが見えなくなってもずーっと進んだ先には新しい世界がある。

 世界はまだ未知で満たされている。

 それが今フェイリンの視線の先に現れていた。

 追いかけてきた皆一様に自分の視線の先に映る景色に目を奪われた。

 新しい世界を目にし、常識が覆された事実は喜びとも怒りとも、何とも言えない感動を感じさせて言葉を失わせるに足りるものであった。

 

 「新世界かぁ……すごいね。アリシアの言ってた通りだった」

 

 フェイリンに担ぎあげられているリーシェンが真っ先に皆を振り返った。

 真っ先に笑顔を浮かべられた。

 

 「あのユウイチだってすこし否定的だったの覚えてるよ。僕。でもアリシアはね、きっとあるって譲らなくてさ……おとぎ話のようなことは、まだまだいっぱいあるんだね」

 「ええ。そうですね。私たちの常識が通用する世界はテラースフィアだけのものなのでしょう。世界は……広かった」

 「まぁリーシェンが勇者に選ばれるようなおとぎ話のような実話もあるわけですから、あることはあるのだろうと思っていましたが、いやはや、実際目にすると言葉を失ってしまいます」

 「きっとアリシアのことですから、ユウ様に胸を張って自慢げにこの景色を見ていたんでしょうね」

 

 自分たちが見ている景色を同じように見たはずのアリシアの様子を皆頭に思い浮かべた。

 驚きで人生で一番の無表情になり、そして人生で一番の勝ち誇った自慢げな顔をして振り返り。

 

 

 ──ね。言った通りだったでしょ。ユーイチ……!

 

 

 そう言ってから最愛の人の手を取っている。

 そんなアリシアの姿が浮かんできてシルヴィアは若干悔しそうに、他の面々は心底安堵した。

 ああ、あの子の冒険が始まったのだと。

 いつもいつもユーイチの後ろついて離れたがらなかったアリシアが自分でユーイチの手を引いた一世一代の大冒険。それはこの景色を見ただけで成功と断言できるものだ。

 

 「でも──この景色からまた始まったんだよね。アリシアの新しい冒険が」

 

 フェイリンは目の前に続く大地へと旅立っていた友達の新たな出発に自分の胸も高鳴るのを感じた。

 ゴールはスタートライン。たどり着いてもたどり着いてもその先があるのだ。

 

 「ずるい。一歩先に行かれちゃった」

 「ふふふ。本当に。ええ、本当に。……抜け駆けばかりずるいぞ―――! アリシアぁぁっ!!」

 「あ、叫んだ」

 「シルシルにはわざと教えなかったんだよね?」

 「ええ。教えればアリシアと決闘してでも一緒に行くといいはるでしょうから。私のところで情報は遮断しておきました」

 「私は教えようとしたので……シルヴィア、無実ですよ?」

 「お前ら全員そこになおれぇ! 全員デコピンの刑に処してくれる!!」

 

 想い人を争っているライバルの抜け駆けを教えなかった仲間たちの裏切りを空気を和ますために伝えられてシルヴィアは怒りを子供のように露にして仲間たちを追いかけ回した。

 代表としてリーシェンが全員分の罰を一身で受けることになるまで時間はかからなかった。

 

 「いや!? おかしくない!?」

 

 フェイリンに抱えられて逃げることも出来なかったリーシェンの悲鳴が新大陸へと近づいっていった。

 悲鳴と笑いに包まれた足音をたてながらフェイリンたちは新しい冒険へと向かうのであった。

 

 

 

 幕間の物語~その零 駆け寄る足音はいまだ遠く~ 終

 

 

 

 




ここまでお読みくださり誠にありがとうございます。

前回のハロウィン投稿から日がたちすぎる中、投稿したものがオリジナル万歳ですこしもったいない気がしてます。
もっと書きたい意欲は常に持っていますので頑張って書くぞ…・・・。


よければご感想などお聞かせ下さい。今回のオリジナルなものはどう映ったでしょうか?

ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その壱~

内容が原作二巻の内容に差し掛かるということで幕間の物語をいれてみました。
ナザリックが転移してまだ数時間。
緊急会議をひらいたモモンガ様。
内容は招いた客人アリシアの扱いについてのもので?


事前に準備を整え冷静に言葉の刃を交わすモモンガ様。
そこに炸裂するデミウルゴスの言葉の爆弾。
今回も無事に爆弾を処理できるのか。

どうぞお読みくださいませ。


幕間の物語~モモンガさん奮闘記その壱~

     モモンガさんはやり手リーマン

 

 

 

 玉座から見える眼下の景色は想像以上に壮観だった。

 モモンガは勢揃いとはいかないにしてもこれなら十分に目的が達せられると安堵しつつも最悪の事態も想像し、ぞっとするような怖気に襲われて気を引き締めなおした。

 ナザリックがユグドラシルから別の世界へと転移をしてから二時間と少しが経過しようとしているこの時、玉座の間には多くのNPCが集結していた。

 守護者統括のアルベドを筆頭に第四、第八を除く各階層守護。

 執事であるセバスを筆頭にプレアデスの面々。

 メイド長のペストーニャを筆頭に一般メイドが四十一人。

 

 (俺の言葉一つでよくもこんなに集まるなぁ。いきなり大出世した気分だ。現実での俺ならきっとこの場にも呼ばれてもいない。デミウルゴスのいう品位のない僕なんだろうなぁ)

 

 つい数時間前には残業させようとする上司の魔の手からのがれるために頭を下げていた身からすると本当に信じられない環境の変化だ。

 だが、いつまでもその変化に戸惑ってもいられないとモモンガは頭を垂れて跪く部下達に手をあげて答えた。

 

 「皆、面をあげよ」

 

 その場の視線が全てモモンガに注がれる。どれもが絶対の忠誠と敬意に満ちている。

 若干名、淫らな光をその瞳に宿してはいるがモモンガは見なかったことにする。

 そのみなかったことにされた筆頭であるアルベドはモモンガに一番近い位置に跪いている。

 本来ならモモンガの横に侍るのがこの玉座の間にてアルベドの定位置なのだが今回はモモンガの命令によって他の皆と同じようにモモンガの眼下にいた。

 

 「まずは皆に感謝しよう。執務室ではなくここ玉座の間にて皆の意見を聞きたいという私のわがままを聞き入れてくれて心より感謝する」

 「感謝などもったいないお言葉。我ら一同、モモンガ様に全てを捧げし者たち。モモンガ様の願われることこそ我れらの願いでございます」

 

 第六階層の時にも似たようなことをアルベドは言っていたがその時守護者が同意を示したように全ての者が動じていない。

 モモンガは部下達が自身へむける忠誠心を改めて感じながらそれに応えなければならないプレッシャーがジリジリと自身をあぶってくるように感じた。

 

 「アルベド、皆よ。お前たちの言葉は私をとても喜ばせている。それはお前たちが本心からそう思っていると伝わってくるからだ。……今後とも飾らぬ言葉で私に応えてくれ」

 

 

 『はっ。畏まりました。我らがある主よ』

 

 

 練習したわけでもあるまいに一糸乱れぬ対応をみせる。

 だが、その中でアルベドとデミウルゴスだけがこの先の展開を予想しアルベドは眉を顰め、デミウルゴスは笑みを心の中で浮かべた。

 

 「ここに集まり皆の話を聞きたかったのは他でもない。既に話は通っているだろう原因不明の転移の件、そしてナザリックに招いている客人──アリシアさんのことが関わっている」

 

 

 ピシッ──。

 

 

 どこか空気がひび割れたかのような錯覚をモモンガは感じた。

 それはアリシアさん、とモモンガが発した瞬間からだ。

 どこか硬い表情を浮かべるアルベドを筆頭に多くの者がどこか身構えている。

 やはりナザリックの外の者には風当たりが強い。

 それがナザリックには一人しかいない人間だからなのかは分からない。

 もしかしたら異形種として人間種のプレイヤーと戦ってきたアインズ・ウール・ゴウンというギルドから生まれたNPC達ゆえに人間であるアリシアには敵意を抱いてしまうのかもしれない。

 そうであるならそれを否定はできないだろう。自分たちの子が親を見て育ったのだ。

 だが、それでも時と場合という物がある。

 

 「まずは皆に問いたい。私がアリシアさんをどれだけ重要視しているか、どれだけ好待遇でナザリックに迎え入れているか。それを意識した上で答えよ。……私が彼女と友人になり個人的に付き合って行くことをどう思う?」

 「モモンガ様、恐れながら……」

 「よい。答えよ。アルベド」

 「はっ。私は反対でございます」

 

 やっぱりな。

 モモンガは真っ先に反対してくるだろうと分かっていたアルベドの言葉に頷く。

 玉座からは皆の表情が手に取るように見える。

 アルベドの言葉に同意する視線が数多くあった。

 

 「ほう。私が彼女にあの部屋をあてがい、さんとこの場で呼んでいることの意味を分かった上でその発言なのだな。アルベド。理由を述べよ」

 「はい。失礼いたします。では、まず、モモンガ様があの人間と友誼を深めていらっしゃる理由はこの世界の知識を得るため、また、不用意な敵対を避けること……そして、我らに決して油断しないように念を押されるためと愚考いたします」

 「ふむ……」

 「モモンガ様をして原因不明と言われる今回の事態。それに最大限の警戒をされるのは当然のこと。ましてモモンガ様からすれば取るに足らない存在である我らであればなおのこと。モモンガ様の仰られることは全て正しいものです。ですが、見逃せない問題もあると僭越ながら思うのです」

 「……ほう。見逃せない問題か。それはいったいなんだ?」

 

 アルベドに他の者の視線が集まる。その視線は複雑な色を持っている。

 主人の言葉が全て正しいと認めつつも物申す、それは不敬ではないかという眉をひそめるもの。

 そしてアルベドの言葉に期待するもの。主人を翻意させられる言葉を期待するものだ。

 

 「二つございますが……一つはあの人間がこの世界でそれほどの地位の者ではない場合です。モモンガ様のあの人間に対するご寛大かつご慈悲ある対応はナザリック外の者に対してはこれ以上のものがあってはならない程の物であると思えます。ですがこれから先、この世界の力ある者を交渉の席などで招く可能性はございます。あまりあの人間を好待遇で迎え過ぎては対応が下手になる恐れがあるのではないか、というものでございます」

 「なるほどな。確かに。我々と同じ、あるいはそれ以上の力を有している存在との対応を見越してか。素晴らしい意見だ。アルベド」

 「も、もったいないお言葉。至らぬこの身に感謝いたします」

 

 跪く者たちの空気がざわつく。

 実際に言葉を話しているわけではない。だが、アルベドの意見が評価されていることに希望を持った者たちの空気が明るくなったのだ。

 

 「二つ目の問題とやらも聞かせてくれ」

 「はい。二つ目は……この場におられない至高の御方々への配慮でございます。創造主たる御方々たちのご帰還を私たちは皆夢に見ております。御戻りなられた際にモモンガ様が人間を御方々と変わらないように扱われておられましたらどう思われるでしょうか? ……失礼を承知で発言させていただきます。もし、お戻りになられた御方々がそれを見てまたどこかへ行かれてしまわれたら……直接その手で創られた者は耐えられないと思うのです。モモンガ様」

 「……なるほど。仲間たちが戻って来た時に、か。そしてそう思うお前たちは、アリシアさんがお前たちの創造主たちと同格のように扱われることが許せないか?」

 モモンガの視線がアルベドから他の配下に移る。

 視線を向けられた配下たちは皆、慌てたように視線を右往左往させ、落ち着きを取り戻せない。

 アルベドの言葉は配下達が抱える不満に真っ当な理由をつけたものであった。

 妬みや嫉妬のような感情が先にたちモモンガが人間を友にすることに反対していた者もいる。

 だが、その者たちとて突きつめれば一つの思いがその感情を生み出している。

 

 

 ──自分たちの創造主と人間が同じ扱いを受けること。これを自分たちが見逃していいのだろうか。

 

 

 それが創造主の御不快をかわないだろうか。

 もしそれでお戻りになられたと思ったら……そのまま踵を返されたら。

 そんな思いを誰もが少なからず抱き、常と変わらない様子のデミウルゴスやアリシアを配下の中で一番評価できているセバスですら抱いていた。

 そんな不安を見てとったモモンガは片手をあげて微笑んだ。もちろん骸骨のその顔に表情などない。

 だが皆、モモンガがまるで親が子に向けるような慈愛の眼差しを向けているような空気を感じていた。

 

 「アルベドの意見はどちらも素晴らしいものだ。守護者統括にお前を配置したことを私は誇りに思うぞ」

 「な、何という勿体ないお言葉……ッ。モモンガ様に失礼な御言葉を使ってしまったこのアルベドを御許しくださるばかりか、そのようなお言葉まで……このアルベド。感謝の言葉もございません」

 「だがアルベド。そして皆よ。心配は無用だ。私はこのナザリックを支配する者。お前たちの創造主たち、我が仲間のまとめ役だ。当然そのことについても考えてある」

 

 モモンガの言葉に歓喜のどよめきが起こる。

 流石は至高の御方々の頂点に立たれる方、我らの絶対なる主。

 自分たちの不安を晴らそうとしてくれる主人を配下たちは感じ入ったように見上げた。

 

 「まずアリシアさんを友にすると言っても、ギルドに加入させるわけではない。あけみさんが入れなかったようにアインズ・ウール・ゴウンの一員と認められるには条件があり、アリシアさんはそれを満たしていないからだ。だから仲間たちのように私が彼女を扱うことはない。……お前たちの創造主たちは皆、私のかけがえのない友であり黄金の日々を駆け抜けた仲間なのだ。同じように扱える者はいない。つまり、私個人の友でありアインズウールゴウンの仲間ではない。という関係を築こうとしているのだ」

 

 モモンガの言葉を配下たちは静聴して身動ぎもしない。

 偉大なる主人が自分たちの不安を消し去ってくれる。そう信じているのだ。

 

 「先程アルベドが述べた私の考え……その全ては正しい。貴重な情報の入手や争いの回避、そしてなによりお前たちのナザリックの外の者を軽視するその油断。慢心とも言うべきものを無くしたい。その思いを私は抱いている。……だが、それだけではない。私はアリシアさんと話す中で彼女がとてつもない存在であることが分かったのだ。絶対に敵対してはならないということがな」

 「モモンガ様……それはいったい?」

 「プレイヤーだよ。デミウルゴス。アリシアさんの周囲には私と同等の存在であるプレイヤーだと思われる存在がいるのだ」

 

 モモンガの発言に親を見るような眼差しで見上げていた配下たちの視線が緊張感を帯びる。

 一般メイドの中には恐怖をその眼に浮かべる者もいた。

 守護者達とてその身に帯びる緊張を隠せない。

 プレイヤー。自分たちの主人と同等の存在であり、かつてアルベドを除くすべての守護者はプレイヤーの前に打ち倒されていた。

 千五百人にも及ぶ大軍勢でナザリックが攻められたその際には、ナザリック一の知恵者であるデミウルゴスが守る第七階層すら破られたことはナザリックに属する者全てが知っている。

 その存在が周囲にいる。武器を持てば守護者一の戦闘力を誇るコキュートスがかつての不覚を思い出し自然とその手を握り締めた。

 

 「アリシアさんの故郷では我々のようにユグドラシルから転移してきた存在は珍しくないらしい。アリシアさんの母親もそうして転移してやってきたようだ。つまりアリシアさんはプレイヤーの娘ということになる」

 「デハ、ソノ母親ヲ警戒シテ?」

 「それだけではないぞ。コキュートス。アリシアさんは二人で旅をしているそうなのだがアリシアさんの師匠にあたるその人物こそ、プレイヤーだと私は確信している。その人物は老いることなく数百年は生きているとのことだ……。わかるか? この意味が。私と同等の存在が私よりもこの世界に数百年早く存在しているのだ。当然その数百年分私が劣っていると思うべきだろう」

 「も、モモンガ様が劣ってありんすなんてありえやしませんっ」

 

 シャルティアの驚きから思わずもれた叫びに周囲の者も同意したように頷く。

 

 「そ、そうです。至高の御身に、偉大なるお力を御持ちのモモンガ様が劣るなんてこと、あ、ありません!」

 

 モモンガと同じ魔法職であるからこそマーレにはそんなことは認められなかった。

 偉大なる死の支配者、超越者である主が劣るなど想像できない。

 

 「シャルティア、マーレ。そのありえないという考えを捨てよ。お前たちの気持ちは嬉しく思うが、その考えこそ我らが敗れる理由になるだろう」

 

 ざわついた雰囲気が一言で鎮静化する。

 

 「いいか。この世界には我々の知らない魔法、力が存在する。セバスが目撃したという清めの魔法は私の知識にもない。未知の魔法だ。そしてこの世界には武技と呼ばれる戦士職専用の魔法の力が存在するらしい。……お前たち、考えてみよ。ウルベルトさんがこの未知の魔法を、たっちさんがこの武技の力を、共に数百年分私より早く学んでいたとすればどうなる。……それでもお前たちは私が劣らないと言えるのか? 私に敗北はありえないと?」

 

 魔法職最強と戦士職最強の至高の御方の名前をだされて比べられてはだれも断言できない。

 そんな二人にそれぞれ創造されたデミウルゴスとセバスは皆よりもはっきりと断言できた。

 自分たちの創造主であれば負けるはずがない、と。

 

 「その沈黙こそが答えだ。いいか? プレイヤーは私と同等の存在であり、未知の力を数百年分早く吸収することができたのだ。その力は情報が不足している現状では想像することもできない。そして数百年も同じプレイヤーと繋がりを持つことができる機会があったということだ。現にアリシアさんの母親はその人物と過去に旅をしていたそうだ。わかるか。私は数、質共に劣っていると言えるのだ。そして何をする上でも情報がない。こんな状態でどうやって勝つことができるのだ。デミウルゴス。答えてみよ」

 「……申し訳ございませんモモンガ様。私には方法が思いつきません」

 「悪いな。デミウルゴス。お前が答えられずともしょうがない事を聞いた。私とて思いつかないんだからな」

 

 謝罪など恐れ多いことです、とデミウルゴスが頭を下げる。

 その顔が再び上がるのを待ち。モモンガは言葉を重ねた。

 

 「だからこそ、私はアリシアさんと友になり、協力関係をつくる。そうすることでプレイヤーと結びつき、敵対する愚を犯さないようにするのだ。……そして私はこの場に仲間たちがいればきっとそれを認めてくれると信じている。ギルドのために最善を尽くした結果なら仲間たちは、お前たちの創造主たちはきっと喜んでくれるとな。……どうだ、アルベドよ」

 「モモンガ様のご判断はやはり万事において正しいものであったと、ご説明を受け理解いたしました。私の浅慮でモモンガ様の御手間をとらせましたこと深くお詫び申し上げます」

 

 言葉通りにアルベドは深々と頭を下げる。

 モモンガの説明はアルベドの指摘した問題は問題にあらずと言ったようなものだ。アルベドとしては知らなかった情報があったせいとはいえモモンガに余計な手間をかけさせてしまった以上失敗以外の何物でもない。

 

 「よい。謝るな。アルベドよ。皆の意見をききたいという中で大勢の者たちの気持ちを代弁したお前の発言。ありがたく思う。……では、他の者はどうだ? どのような意見でも構わない。言った通り、私はお前たちの飾らぬ言葉を嬉しく思う。そうだな……では、メイドたちよ。お前たちの気持ちを聞かせてくれ。ペストーニャから述べよ」

 「畏まりました……わん」

 

 思い出した様に語尾につけたされる言葉にモモンガは友人が付けた設定を思い出し微笑むのであった。

 

 

 

 「で、ですのでわたしはモモンガ様の御判断に心より従いんす。でありんすが、一言だけ、コキュートスに倣う様ではございますが…以前のような不覚は、二度としないででありんす。創造主であられるペロロンチーノ様の御尊名にかけて」

 「よくぞ言ってくれた。シャルティア。ペロロンチーノさんと私はギルドの中でも特に仲がよかった。私はぺロロンチーノさんがどれだけお前を愛しているか、自慢に思っているのかをよく聞かされたものだ。私は彼の弓の腕前に絶対の信頼を置いていた。……その彼の名前において誓ったお前を私は彼のように信じるぞ。お前の失敗はペロロンチーノさんの失敗と思え」

 「……! は、はっ!! はいっ。シャルティア・ブラッドフォールン。この身、この魂に、今のお言葉を刻みますっ!!」

 

 最後の一人、シャルティアから話を聞き終わり、モモンガは充足感を得ていた。

 アルベドの後だったからか、皆の発言はモモンガとアリシアとの交友関係を認める旨の発言が続いていた。

 確かに一部、ナーベラルのように抵抗感を隠せない者もいたがそういう者こそモモンガには必要性を理解し事態をのみこんでいるように見えた。

 コキュートスやシャルティアに至っては以前の敗北が屈辱として色濃く残っているのか、モモンガが望んだ以上の緊張感を持っている。

 

 (これで皆が侮ったり人間を軽視することの緩和につながれば最高だ。アリシアさんの説明ではこの辺りは三つの人間の国家に挟まれてるらしいしなぁ。いきなり不仲になって大戦争。それぞれプレイヤーが影にいました。とか話にならない)

 

 自分の想定通り、進ませたい方向に進む会議。

 モモンガの中の鈴木悟はサラリーマンとして理想的な光景に快感を感じていた。

 しかし、そんなモモンガは意味深な視線を向けてくるデミウルゴスに気がついてしまった。

 

 「……」

 「……モモンガ様、どうかなされましたか?」

 

 眼鏡を指で押し上げる様子はまさにキレ者。

 モモンガは先程まで感じていた快感を忘れ、冷や汗をかく思いだった。

 思えば六階層でもデミウルゴスの鋭い思考がモモンガを追い詰めていた。

 

 (ま、まずい。この調子で何か言わせてしまえば今度こそ取り返しのつかない展開になるかもしれない……! もうわかってるけど、デミウルゴスは俺なんか足元にも及ばないくらい出来る奴だ!)

 

 「ふ。何でもないさ。デミウルゴス。何でもない。いいな?」

 「……なるほど。わかりました。モモンガ様」

 

 (いや! 何がなるほどなの!? まずい……!)

 

 何かを心得たようなデミウルゴスの頷きにこれ以上の会話の継続はまずいと直感が告げる。

 ボロが出る可能性が非常に高い。

 

 「で、では、これで話をやめよう。皆の者。命じた通りまずはナザリックの隠蔽、そして周辺の安全確保。そのための警備と連絡網の強化に努めよ」

 

 『はっ』

 

 返事を聞くと逃げるようにモモンガは指輪の効果で転移し自室へ移動する。

 なんて便利な指輪なんだと。

 モモンガはギルドの指輪に改めて感心せざるを得なかった。

 

 

 

 モモンガがいなくなった瞬間、皆の視線が自分の方へ向くのを感じ、予想していたこととはいえデミウルゴスは同僚達の甘えともいえる態度にため息をつきたくなった。

 振りかえればセバスをやメイドたちにプレアデス。

 横を見れば守護者達がこちらを見つめている。

 唯一こちらに視線を向けないのはアルベドただ一人だ。

 

 (流石に統括……というより当事者というべきでしょうか)

 

 自分と同じように事態を把握しているのであればアルベドに今声をかけるのは火に油を注ぐようなもの。

 デミウルゴスはアルベドには触れないようにすると決める。あくまでアルベドに触れないだけなのがデミウルゴスのほんのささやかな楽しみであった。

 

 「デミウルゴス。先程ノ話ハ何ダッタノダ?」

 「さぁ、何のことかな?」

 

 とぼけてみても流石に皆何かあったのかは分かっている。

 アウラがジトっとした眼差しを向けてくるのをみて観念したようにデミウルゴスは両手をあげた。

 

 「しょうがない。この話は内密にしてくれたまえよ。モモンガ様は私に何もなかったと仰られているのだからね? ……全てモモンガ様の思い通りに話が進んだな、ということです」

 「それってアリシア……様と御友人になられるって話だよね? それだけじゃないでしょう?」

 

 そんなことは分かってるとアウラの言葉に頷く者は多かったがデミウルゴスは指を軽くふった。

 

 「言ってしまえばそれだけとも言えるんだがね。……今日の御話でモモンガ様が望まれたのは私たちの同意なんだよ。アリシア様との交友関係を認めるというね」

 「え、でも、それじゃあ特に何もないんじゃ……」

 「そう。言ってしまえば特に何もないんだよ。だからモモンガ様は私たちに何も嘘は言っておられない。だから皆、安心したまえ。我らに御不快を覚えたわけではない」

 

 メイドの数人がデミウルゴスの言葉に安堵した。

 玉座の間という聖域でモモンガに自ら言葉を発する。

 初めての経験に多くの者が緊張して上手く話すことができなかった。

 そのことに主人が腹を立てたのではないかとメイドたちは急いだように転移したモモンガを見て不安を感じていたのだ。

 

 「……ただ、この交友関係を認める、というのはモモンガ様が今後どのような関係をアリシア様と築かれても我々には口を挟むな、ということでもあるんですが……ね?」

 

 その言葉にはっとした数人がアルベドとシャルティアに視線をむけた。

 そしてその様子を見た周囲の者も同じように二人を見た。

 

 「? な、なんでありんす? チビ」

 「……なんでもないよ。虚乳」

 「ちょっと!? 今……絶対違う言葉つかったでしょう!?」

 「え、違ってないよ? あ、言い直そうか? 偽乳」

 「おんどやぁぁぁ!! それが違うつってんだぁぁぁ!!」

 

 一気に弛緩し、騒がしくなった空気がぎこちなくなった固まりつつあった空気を押し流した。

 マーレがアウラとシャルティアを必死に仲裁する。どことなくこの弛緩した空気におされるままにメイドたちが退出していく中、ブルブルと肩をふるわせるアルベドを尻目にコキュートス、セバスと共にデミウルゴスは玉座の間をでて歩きだした。

 

 「デミウルゴス。結局、答エハ何ダッタノダ」

 「ふむ。ここならいいでしょう。簡潔に言いますとモモンガ様はアリシア様を御后の候補、としても見ているのではないかということですよ。コキュートス」

 

 想像を越えた内容にコキュートスは仰天した。

 

 「何!? ソレハ、本当ナノカ?」

 「あくまで私の推察ですがね。……セバス。玉座の間でもモモンガ様はたびたび仰られていたが、アリシア様をここまで案内した君は彼の女性をどう見たんだい?」

 「モモンガ様がおっしゃられた通り、非常に美しい人間の女性でした。またプレアデスを越え、我々に匹敵するやもしれない……そんな危機感を覚えるほどの力量があると判断しました。それが何か? デミウルゴス様」

 「なに。コキュートス、これが答えさ。モモンガ様はすこし過剰にも思えるほどアリシア様を御褒めになられていた。よほどお気にいられたのだろうね。そしてアリシア様はプレイヤーの娘。政略結婚の相手として利用価値は十分にあるんだ。少なくてもアルベドやシャルティアよりはね」

 

 コキュートスとセバスはその言葉でようやく事態を把握し、今頃玉座の間で行われているだろうアルベドの豹変を想像してその場に居合わせなかった幸運に、いや、自分たちを促して外へ連れ出したデミウルゴスに感謝した。

 感謝されることでもないよ、とデミウルゴスは笑う。感情的になり過ぎる守護者統括殿にはいい薬だろう。

 

 「それにそのプレイヤーはともかく。アリシア様は人間だ。長くても百年ほどしか生きられない。たった百年の間。御后に人間を据えれば脅威な存在であるプレイヤーをモモンガ様の身内として引きこむこともできる。それに産まれてくる子供はモモンガ様の血を受け継ぐ御子。きっと長く生きられることでしょう。そうなればもしもの時がきても我々は忠義を尽くせる御方がいる。……プレイヤーを抱き込みつつ将来の希望も生み出す。いい案だと思わないかい?」

 「モモンガ様ノ御子ヲ!! オオオオッ。ソレハ素晴ラシイ事ダゾ!! 流石ハデミウルゴス」

 「私というよりはこの短時間でここまで計算されたモモンガ様こそ流石は至高の御方。私はあくまでモモンガ様の御考えを読み取ろうとしたにすぎません」

 「いや、それこそ流石です。ナザリック一番の知恵者であられるデミウルゴス様。その観察眼、お見事としか言いようがありません」

 「セバス。私に敬称はいらないよ。本来私たちに上下はないのだから」

 

 コキュートスもデミルウゴスの言葉に同意するとセバスも了承する。

 デミウルゴスの言葉は至高の御方に直接創られた者、皆に当てはまることだ。

 それは玉座の間に集まっていた者たちは全員当てはまる。

 

 「本来、私たちの同意などなくともモモンガ様の御言葉はナザリックの法。独断で決められて当然のことです。ですが、モモンガ様はお優しい御方。いきなり人間を后に迎えるとなれば気持ちを抑えられない者がいるのは当然……ええ、いるでしょうねぇ。二人ほど。うち一人に至っては何をしでかすか分かった物ではありません」

 

 三人の頭の中には今頃アウラやマーレに宥められている守護者統括の姿が浮かんだ。

 

 「なので、今回のこれは布石です。モモンガ様もすぐに御后に迎えると決めたわけではないでしょう。それこそ本人の意思も確認されるはずですからね。もしこの話が現実の物になった時に必要になると思ったからこそああしてアルベドを説得し認めさせたのです」

 「成程。流石ハモモンガ様」

 「ええ。本当に。私はナザリック一の知恵者と創造されたが恥ずかしい思いだ。このままではウルベルト様に申し訳がない」

 「ウルベルト様も、比べる相手が間違っていると仰られるのではないですか?」

 「こればかりはセバスの言うとおりであってほしいね」

 

 穏やかにデミウルゴスたちがモモンガを称えながら歩いていたその頃。

 

 

 

 「キィイイイイイイイイイ!! 人間風情があぁぁあ!!」

 「あ、アルベドぉ!? お、落ちつくでありんす! それは先程注意を受けたばかり」

 「あんたが冷静でどうすんのよ!? この御馬鹿偽乳吸血鬼がぁ!!」

 「あぁぁ!? 偽乳言うんじゃねーぞコラァっ!! 誰が御馬鹿だってぇぇ!!」

 「アルベド、落ちついてよォォォ! ここ! 玉座の間だって!! シャルティアが馬鹿で偽乳なのはいつものことでしょう!?」

 「このちびがぁぁあ!!」

 「さ、三人ともだ、だ、だめですよ~っ!」

 

 

 女が三人集まれば姦しい。

 玉座の間にてそれを必死になだめるマーレ(男)の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

幕間の物語~モモンガさん奮闘記その壱~

     モモンガさんはやり手リーマン 終

 

 

 




ここまでお読みくださってありがとうございます。
初めての幕間の物語。
今回は二頁から四頁まで続いた話しの中でナザリック側がどんな話をしていたかというものです。

描いていてデミウルゴスの頭の良さをどう引き出せばいいのかはオーバーロードの二次小説を描いてる人全員の難題なのではないかと思いました。
デミウルゴスを賢く見せるために他のキャラクターの知能が下がってないか心配になっています。

でも、デミウルゴスの「なるほど。流石はアインズ様!」は見せ場ですよね。描きたい。

レベルは低いですがなんとかこれからも描いていきたいです。


2018/10/28 台詞と字の文の間を空けました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その爾~

お久しぶりです。
少し間の空いた投降になってしまいました。
GWは逆に忙しかった。ゆっくりお休み出来た方が羨ましい…。

今回はお試しで台詞と地の文の間を開けてみました。
すこし違和感あるものになっているかもしれません。試験的なものと言うことで御容赦ください。

幕間の物語その爾になります。
爾が爾なのは趣味です。
原作第二巻の内容に触れる本編のほうも書きすすめているのですが、予想以上に短く収まりそうです。
趣味で描いてるものですからのんびりと続けて、いつか原作最新刊に追いつけたら。


幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その爾~

     鈴木悟には友達がいないがモモンガにはいる件について。

 

 

 

 朝と言ってもナザリックは地下にあるので朝日が昇るわけではなく時間がそう指し示すだけだが、そう言われている時刻。

 モモンガはアリシアと朝食の席についていた。

 

 「どうかね? お口にあったかな?」

 「ん……。はい。とっても、おいしいです。こんなにおいしい朝ご飯ははじめて、です」

 「それはよかった」

 

 もぐ……もぐ……。

 一口一口噛みしめるように、というのだろうか。大事そうに食べるアリシアの姿をモモンガは嬉しそうに、そしてすこし羨ましく見つめていた。

 

 (しょうがないこととはいえ、この体じゃやっぱり食べられなかったもんなぁ。噛んでみたけどぼたぼた落としただけだったし……くそー。羨ましい)

 

 じっと羨ましい視線を向けると恥ずかしげな視線が返ってきてモモンガは片手をあげて気にしないでくれ、と眺めていた気恥かしさを隠していた。

 

 

 ベキィン。

 

 

 金属が折れたような音が耳に届きモモンガがそちらを見るとアルベドがすこし恥ずかしそうに地面に落ちたフォークを拾っている。

 

 「アルベド」

 「申し訳ありませんモモンガ様。フォークを落としてしまいました」

 「そんなに謝ることではない。むしろお前でもそのようなミスをするのだと可愛らしく思うぞ」

 「か、かわっ!? え、えっと」

 「ユリ。新しいものを」

 「畏まりました。アルベド様、こちらを」

 「え、ええ。ありがとう、ユリ」

 

 フォークを落としただけにしては変な音だったとモモンガは首をかしげ、アリシアはそのモモンガを不思議そうに眺めていた。

 今、この部屋にはモモンガとアリシア以外に各階層守護者とユリ、そしてセバスの姿があった。

 朝食の席で部下に友人を、友人に部下を紹介するためにモモンガが皆を集めたのだ。

 モモンガとアリシアが四角のテーブルに隣り合うようにつき、守護者たちが長いテーブルにアルベド、デミウルゴス、シャルティア、アウラ、マーレ、コキュートスの順に向かい合うように座っている。

 

 「……」

 「シャルティア」

 「! ……な、何でありんす?」

 「わざと落とさないようにね?」

 「わ、わかってるでありんす。もうっ」

 

 アルベドが可愛いと言われたことに対抗意識を燃やしたシャルティアの行動をアウラが呆れた顔で制止する。デミウルゴスやアウラはアルベドとシャルティアの行動に頭が痛かった。

 

 (モモンガ様とその御友人の前で粗相をするんじゃない)

 

 その思いからアウラは渋い表情をつくり、デミウルゴスはなんとかそれを顔色に出ないようにしていた。

 姉の渋面をみて隣に座る弟のマーレがくいくいと裾を引き、自分の額を伸ばすように見せる。

 はっとしたようにアウラはすぐに渋面をなおし、静かに食事を再開した。

 

 「ごちそうさま、でした」

 

 そんな守護者たちを尻目にアリシアは最後のデザートを食べ終え手を合わせた。

 食事が始まってから食べ終わるまでアリシアは物静かだったが時折みせた感じいるような吐息がアリシアの感動を表していた。

 

 「こんなにおいしいご飯は初めてでした。モモンガ、さん。ありがとうございます」

 「はは。気にしないでくれ。我がナザリックが誇るものの一つである料理だが、私は味わうことができないからね。アリシアさんのように美味しそうに食べてくれるなら嬉しい限りだ」

 

 モモンガの言葉に守護者達が少しの間動きを止める。

 美味しそうに食べてくれることが嬉しいと言った主人の前で自分たちはどうやって食事していたか。

 少し固まった守護者たちに気がつくこともないモモンガは上機嫌だった。

 

 「はい。……もう普段のごはんが食べられないかも、しれないくらい、美味しかったです。ほっぺが落ちるってこういうことなんだ、ってわかりました」

 「そうか。うんうん。なんだったらいつでも食べに来てくれて構わないぞ。アリシアさんであればいつでも歓迎しよう。昨晩はゆっくりできなかっただろう。今日はゆっくりしていってくれ」

 「はい。ありがとうございます。……勿体ない言葉です、けど嬉しいです」

 

 小さく微笑むその様子は大変美しい。

 自分達が作り出したNPCの美しさとは違う自然な美しさに希少性を感じるのか、モモンガはその微笑みが見れたことに満足していた。

 

 

 

 

 「では、イレイン。アリシアさんの手伝いを頼むぞ。タオルや着替えなど不備がないように」

 「畏まりました。モモンガ様」

 

 食器を下げに来たメイドの一人にアリシアの御世話を命じたモモンガは自らを見つめる守護者たちに視線を戻した。

 どの守護者もどことなく表情が硬く見え、モモンガは自分の対応がまずかったかもしれないと緊張した。

 友好的に友好的にとアリシアに構いすぎてナザリックの主人としてあるまじき態度になっていたかもしれない。

 アルベドやシャルティアの視線はどことなく不満げでもある。もしかしたら営業に来た女性にセクハラを働く上司を見つめる部下の図に見えないこともない。

 

 「……さて、何か言いたげな様子だな。構わないぞ。率直な意見を述べよ」

 「では、僭越ながら私から。セバス、貴方の報告ではアリシア……さまは私たちに匹敵する力を持つかもしれないとのことだったと思うけど」

 「その通りでございます。アルベド様」

 「でも、それにしてはとても頼りなく見えたわ。私たちどころかプレアデスの誰よりも劣るように見えたのだけれど? 私の目か貴方の目、どちらかが腐っているのかしら?」

 

 自分ではなくセバスに対する厳しい声にまるで自分が怒られたかのようにモモンガは内心ビクリと震えた。

 まったくそんなことを気にせず食事の席を楽しんでいたため、まるで部下が仕事をしてる前で堂々とさぼっていたような罪悪感がモモンガを苛む。

 

 「どちらの目も腐ってはいないと思いますが……。私から言えることは強さを隠すことも強さの証だと思います」

 「ウム。セバスノ言葉ハ一理有ルゾ」

 「おや、コキュートスもセバスと同意見かい?」

 「アア。底ノ見エナイ力ニ脅威ヲ感ジテイタ。セバスノ評価ハ間違ッテイナイダロウ」 

 「む。それって私たちに匹敵するってこと? ……私もアルベドと同じように感じたんだけどな。マーレは?」

 「ぼ、僕も同じ、です。なんだか優しそうな人だなぁって」

 「そうでありんすぇ。とても戦う者に見えなかったでありんすっ」

 

 守護者たちの中ではアリシアの強さに感じ方が分かれているらしい。

 強そうに見えないと言うアルベド、シャルティア、アウラ、マーレ。

 警戒に値する強者だと言うセバスとコキュートス。

 モモンガは目の前で意見を交わす守護者達の見え方の違いが気になった。

 

 (同じ100レベルのNPC達でもこうも意見が分かれるのか。まぁ、確かに見てわかる強さなんて分からないよなぁ。なんかオーラとか気とかそんな言葉が飛び交ってるけど何なんだそれは? 俺には分からないものもNPC達は分かるのか?)

 

 熱を帯びてくる議論にモモンガは手をあげてそれを遮る。

 モモンガが手をあげた時には先程までの熱弁はどこに行ったのかというように守護者たちは静かであった。

 

 「アルベドとセバスの意見は大いに分かった。それに賛同する意見もな。だが、デミウルゴス。先程からお前は自分の意見は述べていないようだが?」

 「はっ。言ってしまえば私の意見は中立なのです。モモンガ様」

 「中立……。なるほどな。私と同じだな。デミウルゴス」

 「モモンガ様と同意見とは、このデミウルゴス嬉しく思います」

 

 デミウルゴスの鋭い意見や深い洞察には苦しめられていると言ってもいいモモンガだったがこの時ばかりはその考えを分かっていた。

 

 「アルベド、そしてセバスよ。お前たちの意見はその通りだろう。どちらも正しいものだ。私の持つ指輪の中に力を隠す物があるように、強さを隠すことの優位性は大きい。現に今こうして意見が割れていることからもそれは分かるだろう。だが、強さを感じ取れない以上、疑念を抱くのは当然だ。ゆえにだからこそどちらにも揺れてはならない。弱すぎるとも思わず、強すぎるとも思わない。……油断はできない。そのことが分かっていればこの話はそれまでだ」

 「はい。畏まりました。モモンガ様」

 

 頷く部下たちにモモンガは胸をなでおろした。

 

 「ではアリシアさんがお風呂に入っている間に済ませてしまわなければならないものも多いだろう。移動の手間も惜しい。ここで報告を聞きたい。隠蔽工作や警護の状況はどうなっている? マーレ、デミウルゴス。聞かせてくれるか」

 「は、はいっ」

 「畏まりました」

 

 異世界にとばされてから一晩。

 マーレとデミウルゴスから報告を聞いたモモンガはこの短い間にNPCが驚くほど働いていたことを知り、自分が知らないうちにナザリックがブラックになっていることに驚愕することになるのだが、報告を受け終わった頃にはそれを上回る驚きで精神が抑制されることになる。

 

 

 その驚きはメイドの報告でもたらされた。

 報告を聞くと驚くのもつかの間、モモンガは転移した。

 その素早さはその場にいた守護者達が声をかける間もないほどである。

 守護者たちからの報告を受け今後についての話を重ねていた時、メイドから思わぬ知らせが届いた。

 

 

 ──大浴場にてライオン型ゴーレムがイレインとアリシア様を襲った。

 

 

 思わぬ出来事、というより自分でもまったく知らなかったナザリックのギミックに空いた口がふさがらない思いだったモモンガがより詳しく聞くと、犯人である友人の名前がでてきて高ぶった感情が強制的に抑制された。

 

 (るし☆ふぁーのやろう! なにしてくれてるんだっ)

 

 悪戯をして喜ぶ子供のようににやつく友人の姿を幻視しモモンガは沸々と煮えたぎる怒りを感じていた。

 るし☆ふぁーはNPC達が至高の四十一人と呼ぶモモンガの仲間の一人である。

 ゴーレムをつくるセンスは抜群なゴーレムクラフターだが、悪戯好きなトラブルメーカーでもある。

 そんなるし☆ふぁーのことをモモンガはあまり好きになれずにいた。異世界に転移して、フレンドリーファイアが解除されている今、彼の残した悪戯は悪戯では済まないのだ。

 

 (その悪戯のせいでメイドとアリシアさんにとんでもないことをしでかしてるんだぞ! あー、もう! なんで風呂場にそんなゴーレムを!!)

 

 モモンガは指輪の力で転移し、アリシアが休んでいる部屋に向かう。

 道中すれ違ったメイド達が身を硬くするのを見たモモンガは襟元をただした。

 

 (ふぅ。落ちつけ俺。慌てるな。俺はナザリックの支配者なんだぞ。動揺は見せちゃいけない)

 

 幾分か落ちついた歩みで目的の部屋までたどり着くと一つの深呼吸を挟み、扉を軽く叩く。

 少しの間をおいて扉越しから声が聞こえてくる。世話を命じたイレインのものだ。

 

 「モモンガ様でしょうか?」

 

 真っ先に自分だと言い当てられたことに軽く驚きつつもその声にモモンガは安堵した。

 NPC達が動く様を見るたびにモモンガは彼らを創り出したかつての仲間たちの姿を思い出していた。

 仲間たちの残した子供のようにも見えるNPC達がその仲間の残した悪戯で命を奪われてしまうなどあってはならない。

 だからこそイレインの落ちついた声音はモモンガを安堵させ、そして最悪の結果からイレインを守ってくれたアリシアに対する深い感謝と謝罪の念が浮かび上がった。

 

 「ああ。私だ。アリシアさんに会いたい。今は大丈夫か?」

 「……。僭越ながら、アリシア様に御確認させていただいてもよろしいでしょうか?」 

 

 おそらくその場で跪いているのだろうイレインの声音は緊張している。

 絶対の主人に対して不遜な物言いだと自分では思っているのだろう。

 確かにこれを他の者が聞けばモモンガが望むことを人間の意向次第で妨げるというのかと激怒されたかもしれない。だが、モモンガはこの言葉が嬉しかった。イレインはモモンガがアリシアの世話役を命じたメイドだ。そのメイドがむしろここで世話をするアリシアの意向を無視して主人を迎え入れてはそれこそモモンガは困ってしまう。

 

 

 (よかった。アリシアさんは人間だが、俺の友人としてしっかり認知されているようだ。咄嗟にそこにいたメイドを選んでしまったが、結果的にはいい選択だったのかな)

 

 

 「ああ。構わないとも。私はここで待とう。イレイン。よい仕事だぞ」

 「勿体なき御言葉。感謝いたします。モモンガ様。……では、確認してまいります」

 「うむ」

 

 しばらく待っていると慌てて追ってきたのだろう守護者たちが騒がしくないほどの速度で近づいてくる。

 それと同時にイレインが扉を開けた。

 

 「モモンガ様、アリシア様はすぐにお会いになるとのことです」

 「分かった。……イレイン、守護者たちが近づいてくるがここは通すな。私の命だと伝えろ。誰も通すな」

 「畏まりました。……ですが、それではモモンガ様をアリシア様の元までご案内できません」

 「私のことは気にするな。物々しく守護者を引き連れてはいけない。頼んだぞ」

 「畏まりました。アリシア様はリビングで御待ちです」

 

 イレインに迫りくる守護者たちを任せ、モモンガは部屋の奥へ向かう。ギルドメンバーの部屋と同じ作りのこの部屋は複数の部屋からなる。そのうちの巨大なピアノの置かれたリビングの扉をノックすると「……はい。どうぞ」とアリシアの声が返ってくる。モモンガだと分かっているような返答に首をかしげつつもモモンガは扉を開け。

 

 

 そして跳び込むように土下座した。

 

 

 「申し訳ない! アリシアさん!! 全てはこの私の責任だ」

 

 椅子から立ち上がってモモンガを迎えようとしていたアリシアは突然の土下座に目を白黒させて固まっているのだが土下座しているモモンガには確認のしようがない。

 この土下座こそ鈴木悟がサラリーマンとして愛用していた武器である。その完成されたフォームは美しさすら感じさせる。

 鈴木悟はリアルでの友人が一人もいなかった。ゆえに友人にどうやって謝ればいいか咄嗟に分からなかった。だから自分が最も使い効果の大きい謝罪方法をとった。それが営業先に行う飛び込み土下座であった。

 

 「ぁ、あたまを、あげてくださいっ。あの、こ、困りますっ」

 「いや! すぐにあげることなど出来ない。私の落ち度でアリシアさんを危険に晒してしまった。何とお詫びを申し上げたらいいのか……っ」

 「あ、の! と、とにかく頭をあげてください……っ」

 

 そんなことはやめてくれと慌てているアリシアとひたすらに謝り倒すモモンガ。

 二人のやり取りは謝罪もなにもいらないと叫ぶアリシアが折れ、お願いを聞いてもらうという形に落ち着くまで続いた。途中、モモンガの叫びが届いた守護者が乱入してきて土下座する主人に驚愕したのちに、主人にならって守護者全員で土下座するというアリシアからすれば悪夢のような光景が広がり余計に長引いていた。

 

 「本当にすまなかった。乱入してきた部下たちのことも含めて深く謝罪を……」

 「い、いいんです! モモンガさんは、も、もう謝らないでください」

 

 それ以上は言わせないとアリシアは膝をつくモモンガに手を差し伸べる。

 モモンガはアリシアの手を取り立ち上がり、向かい合うように席に着いた。

 イレインの制止をふりほどいて乱入してきた守護者──アルベドとシャルティア──を部屋の外へ返し再度二人きりになりお互いにようやく一息ついた。

 

 「騒がせてしまって言うべきことを伝えていなかった。アリシアさん。私の部下、イレインを助けてくださってありがとうございます。何があったかは聞き及んでいます。謝罪と感謝の気持ちでいっぱいです」

 「はい。わかりました。……えっと、それで、お願いを言ってほしいとのことなんですが……」

 「ああ。是非、こちらの謝罪を受け取ってほしい。私の所有するものであれば喜んで差しだしますよ」

 

 ようやく落ちつくところに落とせこんだとモモンガはほっと一息をついた。

 謝罪にマジックアイテムというのはユグドラシルの中ではよくあることで、つまりモモンガにとっては慣れ親しんだものだ。

 

 「流石に神器級の物やギルドに関係する品は難しいが……おお、そうだ。アリシアさんは前衛職。この指輪などはどうだろうか? 右手に装備するとその手に装備した武器を透明にするというものなんだが」

 「えっ、と」

 「む。気に入らないかね? それもそうかもしれんな。不可視化するとはいえ対策は取りやすいものだし、不意の一撃には向くが装備品の変更の手間がかかるから現実的ではないと仲間と話していたのを思い出した。申し訳ない」

 「いや、その。ぁ、あやまるのは駄目です。あの」

 「そうだった。ふむ。もう謝罪は十分だったな。ではいろいろ見せよう」

 

 そう言ってモモンガは懐からマジックアイテムをいくつか取りだすその全てが伝説級の品であり、その一つでも売りはらえばアリシアは今後お金に困ることはなくなるだろう。謝り倒しつつもアイテムを見繕っていたモモンガは自分ではもう使用することがなかったり、昔衝動買いしてアイテムボックスに投げ込んだままだったりしたが性能自体は認めているアイテムをアリシアの前に広げつつ饒舌に語り出した。

 

 「このマントは各種属性魔法に対する耐性を装備者の抵抗値に応じて向上させてくれる。素晴らしい逸品なのだが私ではカバーする範囲の違いで使う必要がなくてね。このアンクレットは前衛職が気をつけるべき移動を阻害する効果に対しての耐性と速度向上、そして短距離転移を行うことができる。短距離転移は一日の使用回数が決められているがその便利性は前衛にとってなかなか得難いものだと思う。このベルトは少々特殊で受けたダメージをMPに変換する効果がある。これだけ聞けば後衛職向けだと思うかもしれない。実際私もそう思って入手したんだが、変換効率が悪く、消費MPが激しい純魔法職では雀の涙にしかならなかったんだ。それでお蔵入りにしていたんだが、ベルリバーさんという私の仲間の魔法剣士曰く、どうもこれは前衛職の少ないMPで使う分にはかなりのものらしい。言われて私も納得したんだが、前衛職が使う魔法はそこまで消費が……む? どうかしたかね?」

 

 語るのに夢中になっていたモモンガをアリシアは手をあげて遮る。

 目の前に並べられた品にアリシアは恐縮する思いだった。

 なぜならほしい物は別にあったからだ。

 

 「その、も、ものじゃなくても、いいでしょうか?」

 

 大変素晴らしい、すごい物を前にして失礼なことなんですが―─。そういうアリシアを見てモモンガの中の鈴木悟はふと、ずっと昔、子供の頃の自分を思い出した。

 

 

 お弁当はいらないから。お母さん、一緒に――。

 

 

 「………」

 「……? モモンガ、さん?」

 「あ、ああ。いや、何でもないよ。それで、ものじゃなければ一体何がいいのかな?」

 

 なぜ急にこんな昔の記憶を思い出したのか。

 モモンガは自分でも忘れていた子供の頃の記憶にわずかに動揺しつつ、精神の抑制を自由にきかせられないアンデッドの体に文句を言いたくなった。

 そんなモモンガの様子に怒りを感じなかったアリシアはモモンガのどこか動揺している姿にほんの少し首をかしげた。

 

 「ぇっと。今度、料理を教えてもらうために、また来てもいいでしょうか?」

 「料理……?」

 「はい」

 

 おそるおそるアリシアが口にした願いはモモンガの予想以外の物だった。

 数秒の空白の後、モモンガは思考を再開する。

 料理というのはそれこそ先程思い出した母の思い出ぐらいしかないほど、モモンガには縁遠い物だった。

 鈴木悟として生きてきた中で料理らしい料理というのは母のそれだけだった。母が死に、天涯孤独の身になってからというもの食事とは生きていくための栄養摂取でしかない。

 素直な感想を言えばそんなところに無駄なリソースを割くのは愚かだとも思えるほどだ。

 だが、アリシアは目の前に広げられているどれも素晴らしい逸品を前にしてそれを退けてでも料理がいいという。モモンガには意味がわからなかった。

 

 「理由をきいても? 私は自分でこそ使わないにしてもこれらのアイテムは素晴らしいものだと自負している。それを辞退してまでどうして料理を教えてほしいと?」

 

 疑問をそのまま口にするとアリシアは少し頬を赤く染めた。

 モモンガがセバスから報告をうけた「とても戦闘者に思えない。一見した様子は恋する少女」が目の前にいた。

 

 「その。とっても、朝のご飯がおいしくて……。モモンガさんが言う通り、あの料理は人に誇れるものだと思ったんです。………そんな料理を、私も作ってあげたくて」

 

 (……そう、かぁ。そうなんだな)

 

 アリシアの答えを聞き、モモンガは納得した。

 母と同じだ。

 手間暇をかけて料理をするのは自分のためではない。

 その料理を食べてくれる人を想うから手間暇を惜しまないのだ。

 仕事で疲れていても自分のために料理を作ってくれ、最後は好物を準備してくれているうちに過労死した母と目の前のアリシアは同じだ。いや、料理をする者は皆大なり小なり同じなのかもしれない。

 

 「……どんな味だったかなぁ」

 「ぇ……?」

 「気にしないでくれ。はは。構わないとも。あとで料理長のところに顔合わせに行こう」

 「……はい。ありがとう、ございます」

 

 目の前で安堵し喜びをにじませながら頭を下げるアリシア。

 そんなアリシアの作る料理はどんな味なのだろうか。この世界の料理事情は分からないがモモンガには断言できることがあった。

 母の手料理。その味はおぼろげだが温かく、幸福が幼い過去の自分を満たしている。

 

 (きっと、アリシアさんが作る料理も食べる人をこんなふうに温かくするんだろう)

 

 アリシアが料理を食べさせたいと想う相手に少しだけ嫉妬してしまうほど、昔確かに感じた温かさを自分はもう感じられないのだとモモンガは寂寥を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 再び朝日が上がる。

 空を見渡せば青空が一面に広がり、日の出とともに立ち上がった夕焼けがおし消されようとしている。

 ナザリックの玄関である墳墓の入り口でモモンガはアリシアを見送っていた。

 

 「短い間だったが、よく無茶な願いを聞き入れて我が家へ来てくれた。おかげで多くのことが分かった。ありがとうアリシアさん。貴女は私の大切な友人だ」

 「ううん。こちらこそ、です。モモンガさん。この二日ほどの日々は濃密で、美しく輝いて、御伽噺のようでした。……友人と言っていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございました」

 

 骨の手と柔らかな肌の手ががっちりと握手を交わす。

 そこには確かに結ばれた何かがあった。

 

 「料理指導の話はまた使いを出そう。見ての通り今ナザリックは隠蔽工作で場所を隠そうとしている。アリシアさん自ら来てもらうのは難しいだろうし、こちらも困ってしまう」

 「はい。分かりました。<伝言>の魔法ですね?」

 「ああ。<伝言>か人を送る」

 

 お互いに試すかのように<伝言>の魔法で話し、通じ合ってる様子を確認している。

 それを眺めるイレインは主人と想い人の仲の良さに微笑みそうになるのを必死に我慢した。

 どこかで鳥の鳴く声がすると二人はそちらをつられたように見る。なんの偶然か丁度、エ・ランテルがある方向だ。

 

 「……名残は惜しいが、そろそろか。アリシアさん。この世界に来て初めて迎えたのが君でよかった」

 「初めてモモンガさんの家にお邪魔したのが私で……嬉しいです。……これを、どうぞ」

 

 そう言うアリシアは数枚の羊皮紙を丸めた筒をモモンガに手渡した。

 

 「これは……地図?」

 「はい。……私がこの大陸にきて、直接歩いたところだけですが、昨晩纏めました。……こんなお返ししかできませんが、受けとってもらえませんか?」

 

 手渡された地図の精密さにモモンガは数秒凝視し、これだけの物を一晩で描きあげるアリシアの技能の幅広さに驚いた。

 

 「最後にこんな素晴らしいものまで……ありがとう。アリシアさん。またいつでも訪ねてきてほしい。私の名において歓迎する」

 「よかった、です」

 

 安堵したように微笑むアリシアは朝日を浴びて神々しい。

 神話の中に出てくる姫とはアリシアのように美しいのではないか。

 モモンガはもうこの世界の住人がアリシアのように美しいとは思わない。心の美しさを覘かせるような、外見だけではない美しさはアリシアだから持っているのだ。

 外見だけなら方向性の違いはあれどアルベドやシャルティアは何一つ劣っていない。だが、こんな透き通った美しさはない。おそらくナザリックには存在しないものだろう。

 

 「アリシアさん……」

 「なん、ですか?」

 「私からは、これを受け取ってほしい」

 

 モモンガが懐から──アイテムボックスから取り出したのは銀の鎖に通された装飾の美しい指輪だ。

 それを見てアリシアがぎょっとしたように目を見開いて固まる。

 この指輪は昨日モモンガがアリシアに見せたどのアイテムよりも高い質で魔力が込められているとアリシアにはすぐに分かった。

 

 「これは……」

 「気がついたかな? 察しの通り、これは神器級と呼ばれるアイテムの一つだ。その名を……」

 「だ、駄目です。私はもう約束をさせてもらいました。受け取れません」

 「そうかい? だが、これを受け取ってもらわないと今度は私が地図をもらったまま何も返せずに君を送り出してしまうことになるんだが……」

 

 モモンガの言葉に返答に困りながらもアリシアはなんとか受け取らないようにと言葉を重ねる。それにはこれ以上は甘えられないという思いが強くにじみ出ていた。

 ナザリックでの夢のような日々を体験しただけでも申し訳ないほどに感謝しているのに、モモンガはアリシアが壊したライオンについて咎めるどころかイレインを助けたことに対する感謝の言葉をかけてくれた。その上、もう一度ナザリックに料理を学ぶために訪れてもいいと約束してくれている。

 それに対してアリシアが返せたことはこの大陸に来て日の浅い自分が知っているだけの周辺の知識、そして先程渡した地図だ。どちらもいずれモモンガならより詳細な物を手にいれられるだろう。

 与えられたものと返したものがつり合うように思えずアリシアはこれ以上甘えられないと首を横に振る。

 しかし、モモンガはアリシアの手を取るとその手の中にしっかりと指輪を握らせる。

 

 「ぁ」

 「アリシアさん。私は君を気に入った。そして今、君が感じてる感謝の気持ちを私もおなじように感じていると知ってほしい。君が地図を寝る間を惜しんで作ってくれたように、私も君に何かを送りたいのだ。……友人として」

 「モモンガさん……」

 「受け取ってほしい。そして身につけている姿を見せてほしい。それはデザインも美しい。きっと君に似合う」

 

 そうまで言われて誰が断れるだろうか。

 モモンガに見送られながら、ナザリックに背を向け、エ・ランテルに向かって歩くアリシアの首元には美しい銀の輝きが覗いていた。

 

 

 

 アリシアを見送りモモンガは自室へと戻る。

 するとそれを待っていたかのようにデミウルゴスが扉をノックする。

 入室許可がおりるとデミウルゴスは静かに全身から敬意をにじませつつモモンガの元へと歩み寄る。

 その手にはひび割れた鉱石が握られている。

 それはライオン型ゴーレムの残骸である。

 

 「よくきたなデミウルゴス。本来の仕事で忙しいお前に追加で仕事を任せたことをまずは許してほしい」

 「とんでもございません。モモンガ様。至高の御身のために働くことこそ私の存在理由でございます。いかようにでもこの身に御命じくださいませ」

 

 目の前で跪くデミウルゴスを立ち上がらせるとモモンガは自分の対面に座るように自ら椅子を引いた。

 

 「も、モモンガ様!? そのようなことを御身自ら行なわれては…!」

 「ん? ……あぁ、デミウルゴス。いいのだ。今回は特別だ。それに命じた仕事を素早くこなした配下のために椅子を引くことはお前たちのじょ……おっほんっ。お前たちの上に立つ者として喜ばしく思う。さぁ座るのだデミウルゴス。座って私に話を聞かせてほしい」

 「はっ。……寛大かつ温情ある御言葉の数々、このデミウルゴス感激いたしました。モモンガ様が自ら引いてくださった椅子に腰かける栄誉に与らせていただきます」

 

 異世界に転移してからまだ日が浅いモモンガにはNPC達の何でも敬いすぎる態度は少々息苦しさを感じさせる。だが、自らを絶対者として敬う者にそれをやめろとは言い難い。それにその深すぎる敬意がアインズ・ウール・ゴウンが積み重ねてきた栄光の証のようでもあり、モモンガは自分がそれに見合うように精進する必要があると背筋を伸ばした。

 

 「さて、それを持って来たということは結果がでたのだろう。報告せよ」

 「はっ。結論から言いますとセバスとコキュートスの意見が正しかったことになります」

 

 テーブルの上にひび割れた鉱石が置かれる。

 

 「あのライオン型ゴーレムが希少金属で作られていることはすぐわかりました。当初はアイアンゴーレムかと思ったのですが希少金属以外にも細々とした強化アイテムを使われていることが判明しました。レベルは七十ほどと思われます。流石はるし☆ふぁー様の御作りになられたゴーレム。お見事です」

 

 心からの称賛が声に表れている。デミウルゴスだからというわけではないがNPC達は皆、ギルドメンバーの合話をするときには敬意ゲージがふりきれている。唯一残ったギルドメンバーとして普段ならモモンガはすこし照れる思いだった。だが、今回は照れる様子はない。

 

 「なるほどな。確かにるし☆ふぁーさんのゴーレムは素晴らしいが、今回ばかりは度し難い。風呂場にゴーレムを設置した話は聞いたこともないからな。そのせいで私の友人と大切な部下に危害を与えてしまった。………しかも、希少金属に強化素材だと? あいつめ」

 

 その素材は一体どこから捻出した? 

 風呂場を作った時期を思い出しながら仲間の不正にモモンガは怒りを煮えたぎらせる。

 多数決を重んじるアインズ・ウール・ゴウンにおいてギルドの資産をちょろまかすなぞ許されない。

 ギルド長のモモンガとて自分のために使いたかった物を他のメンバーに流したことは何度もある。

 勝手な行為は許されるはずがないのだ。

 

 (もしかしたら、一部のメンバーはそういう不正に嫌気がさして……)

 

 嫌な想像に行きつき首を振ってそれを追い払う。するとデミウルゴスが神妙な表情でモモンガを見つめている。

 

 「どうした? デミウルゴス」

 「これは失礼しました。モモンガ様のお怒りのほどを察し、言葉を失っておりました。……それほどまでにアリシア様は大事な御友人になりましたか?」

 「アリシアさんは確かに様々な面で大切な友人だ。私の友人は数少ない。その中の一人になったのだから当然だ。だが、イレインとて大事だ。イレインをナザリックのギミックで殺してしまったなんてことになっていたらそれこそ私は仲間たちになんと詫びればいいか……。わかるな。デミウルゴス」

 「はっ。御友人だけでなくメイド一人にも同じように大切にしてくださるモモンガ様の懐の広さ、愛情あふれる御姿。このデミウルゴス。身を震わせて感激する思いです。……そして、最悪の事態を回避してくださったアリシア様をモモンガ様がいかに御信頼されているか伺い知りました」

 

 その言葉にモモンガは頷くとテーブルの上の鉱石を手に取りひび割れてはいるがそれがかなりの希少金属であることを改めて確認する。

 

 「……この金属は物理魔法、そのどちらにもかなりの耐性を有しているはずだ。武器を作るには向かないが盾やこういうゴーレムを作るに向いたものだろう。それをるし☆ふぁーさんほどのゴーレムクラフターが手がけたのだ。おそらく守護者でも鎧袖一触とはいくまい。負けることはないだろうがな。それをイレインの報告ではアリシアさんは相手にしなかったそうだ。無傷で倒したと」

 「その報告は私も聞き及んでいます。領域守護者に匹敵するゴーレムを倒すとは……やはりセバスやコキュートスの武人としての目はそうでない者とは一線を画したものですね」

 「そのようだ。皆が皆、武人の目を持つわけではない。オーラや気で見てとれないものもある。より一層気を引き締めねばならないな」

 

 モモンガは自然と「この世界で最初に出会ったのがアリシアさんでよかった」とつぶやいた。

 警戒しなければならないほどの力を持つ人物だが同時に友好的な関係をつくることに成功した人物でもある。

 これは今後モデルケースとしてさまざまなところで有効だろう。 

 デミウルゴスが同意して頷く。モモンガはついでにデミウルゴスに一つ頼みを聞いてもらおうと話しかけ、そしてまたデミウルゴスに頼っている自分の駄目上司ぶりにすこしへこむのであった。

 

 

 

 

 幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その爾~

      鈴木悟には友達がいないがモモンガにはいる件について。 終

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださりありがとうございました。
前書きでも書きました通り、今回は台詞と地の文の間が空いています。
それが読みやすかったのか、読みにくかったのか。
どうだったでしょうか?
近いうちに続きを投稿します。
またお読みくださったらとてもうれしいです。
感想などいただけたら狂喜乱舞で精神抑制されます!

ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その参~

お久しぶりです。

幕間の物語の第参話になります。

この参話で幕間は終わりになります。

出来る限り原作で語られているところは深く書きたくないので、いろいろ書きとばしているため突拍子なかったり略しすぎに見えるかもしれません。

ご容赦くだされば幸いです。



幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その参~

     鈴木悟、モモンガ、そしてアインズ。

 

 

 なんという景色なのか。

 

 

 一面に広がる夜空を見上げ、モモンガははやる気持ちを抑えられなかった。

 咄嗟に<飛行>の魔法を唱えようとしてその身を覆う金属鎧を思い出す。

 魔法詠唱者はそのほとんどがモモンガが纏うようなフルプレートの鎧を装備しては一部の物を除いて魔法を唱えることができない。

 アリシアがナザリックを離れてから、供回りに囲まれたことを少々鬱陶しく感じたモモンガは気分転換に外に出るためにその身を金属鎧で隠していた。最もモモンガでは認識できないオーラや気というものでデミウルゴスやその僕にはすぐにばれてしまい、今もデミウルゴスが背後に控えているのだが。

 アイテムボックスから<飛行>の魔法がかかったネックレスを取りだすと装備するなり星空の海に飛び込むように舞いあがる。

 魔法で作り出したヘルムを脱ぎ棄てるように外せば視界を星が包み込む。

 感極まったモモンガは自然を愛したかつての仲間、ブループラネットの名を呼び彼がここにいないことを悲しんだ。

 仲間に向けた独り言をモモンガが思わずつぶやくと追ってきたデミウルゴスが芝居がかった返事を返す。

 わずかな苛立ちを覚えるモモンガだったが美しい星空の前では些細なことだと素直に思えた。

 

 「本当に。この世界は美しいな。この宝石箱のように輝く夜空だけではない。この美しい世界に釣り合うような美しい人もいる。我々にはない透き通るような美しさに満ちている。そんな美しいものがこの身を飾る物か……確かにそうかもしれんな。私がこの地に来たのは誰も手にいれていない宝石箱を手に入れるためか」

 

 星空を手中に入れるように握る。

 まるで星をつかんだような、そんな子供じみた行為すらどこか絵になるのではないかとモモンガには思えた。それだけの美しさに包まれているのだと。

 

 「アリシアさんにこの夜空……。この世界は美しいもので溢れている。……ふっ。いや、私だけを飾る物ではないな。ナザリックの皆、そして我が友たちと共に味わいたいものだ」

 

 デミウルゴスがモモンガに声をかけるが星空とそして心に浮かぶ友に思いをはせるモモンガには届いていない。

 かけがえのないギルドの仲間、そして新しい友人の顔が浮かび、彼らとこの景色を眺められればどれだけ嬉しいだろうかとその光景を想像し、微笑みとともに一抹の寂しさがこみあげてきたモモンガは首を軽く横に振った。

 

 「モモンガ様、このデミウルゴス。先程申し上げましたこと、確かに情報の少ないこの状況で出過ぎたことかもしれないと思います。ですが、モモンガ様のお望みがそこにあられるのでしたら必ずやご期待に沿うとお約束いたします」

 

 (? 何をデミウルゴスは言ってるんだ?)

 

 胸に湧き出た寂しさを首を振って追い出していたら、後ろのデミウルゴスがなにやら仰々しく頭を下げている。その顔はいつもの理知的でどこか狡猾さを感じさせるものではなく、邪悪な蛙のものだ。デミウルゴスの形態変化の一つである蛙顔が何やら神妙そうに頭を垂れている様に話を全く聞いていなかったモモンガは首を傾げる思いだった。

 

 (デミウルゴスは何か言ったんだろうか? 文脈からはそうとしか思えないな。やばいな。見惚れてて聞きそびれた)

 

 部下がこのように頭を下げてまで意見を述べているのに上司が景色を見ていて話を聞いていなかったでは威厳が台無しである。

 モモンガはなんとか話を合わせようと曖昧な言葉を並べることにした。

 

 「確かに。今は情報がすくない。私は夜空の美しさ一つにこうまで驚き、魅了されているのだからな。デミウルゴスの言葉は早計だろう。だが、お前の言葉を私は嬉しく思うぞデミウルゴス。私も同意見だ」

 「同じお気持ちとは……ありがたき御言葉でございます。ではモモンガ様、情報を収集し目途が立った際に即座に行動に移せるように備えさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 「うむ。許す。備えは必要なことだ」

 

 再度仰々しく頭を下げるデミウルゴスはもう追加で何かを述べる様子がない。

 納得してくれたようだとモモンガは安堵で一息ついた。

 視線を前に戻すと美しい星空がまた一面に広がる。

 透き通った美しさに朝別れたアリシアを想起し、もう一晩泊まってもらえばよかったとモモンガは後悔した。一人でこの景色を眺めるよりは仲間や友達と一緒に眺めたかった。

 

 「この景色を、アリシアさんと一緒に眺めたいものだ。……すまんな。デミウルゴス。側に従えさせておきながら」

 「お気になさらないでください。モモンガ様。……アルベドやシャルティアであれば御満足させられましたでしょうか?」

 

 急にでてきた二人の名前に一瞬戸惑いながらもモモンガはすぐにデミウルゴスの言いたいことを理解して笑った。面白い冗談を言うじゃないかと。

 

 「はは。あの二人ではな。お前と同じだデミウルゴス。この景色を共にみたいと思うのは我が友故にだからだ」

 「なるほど……分かりました。モモンガ様。いずれ必ずアリシア様とお二人でこの宝石箱を楽しめるように、このデミウルゴス尽力いたします」

 「ははは。頼りにしているぞ。デミウルゴス」

 

 仰々しいデミウルゴスの態度は芝居がかっていてどこか面白い。

 想像していたよりもかなりユーモアがあるデミウルゴスにモモンガはしばらく笑い、そしてアリシアだけでなく仲間たちともこの景色を眺められたらと強く思った。

 

 (この世界に来ているのは本当に俺だけなのか……いや、ヘロヘロさんだっている可能性はある。もしかしたら辞めたメンバーが新キャラでログインしていた可能性だってある。アリシアさん曰く<伝言>の魔法は名前と顔を認識していなければ使えない。それに大陸を離れるとつながらないそうだしな……)

 

 この世界の<伝言>の魔法の仕組みをアリシアから教わったモモンガは仲間たちと<伝言>が繋がらなくても諦めていなかった。ヘロヘロは別の大陸に、辞めたメンバーは新キャラなのだから届かなかっただけではないだろうか。

 

 (であれば……アインズ・ウール・ゴウンの名前が世界に轟けば……俺がここにいると分かれば)

 

 きっと皆会いに来てくれる。

 この時、モモンガはこの世界での目標を見つけたような気がしていた。

 

 

 

 

 

 遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>。

 

 室内や洞窟内部は見渡せないが周辺を俯瞰的に確認できるマジックアイテム。

 モモンガは星空を堪能した昨晩から今までの間手元にアリシアからもらった地図を置きつつ、それを起動させ何度も繰り返し動かしている。

 マーレの働きにギルドの指輪で報いたり、それを見たアルベドのどことなく漏れ伝わる感情におされるがままにアルベドにも指輪を渡したりした昨晩からすすめる作業は進んでいない。

 

 「む。……む」

 

 モモンガは後ろに控えるセバスを少し気にしてしまう。昨晩、供を付けずに出歩いたら機嫌を悪くさせてしまった。怒ったら怖いところが創造主のたっち・みーに似ていて怒らせたモモンガとしては嫌に意識してしまってしょうがない。正直なところ長時間操作方法のわからないアイテムと格闘していて飽きてきているのだが、常に側に控えるセバスの目を考えると何の成果もあげられずにやめるわけにもいかない。

 

 「何とかして高さを……ここら辺にアリシアさんのいうカルネ村があるはずなんだが……」

 

 アリシアがナザリックを去った後、モモンガは自分が今できることの一つとしてこのアイテムの操作に取りかかっていた。まったく上手くいっていなかったが守護者たちの前でこのアイテムを警戒に役立てるようにと言った手前やめるわけにもいかない。

 地図と鏡を見比べながら手を広げたりおろしたりしているとなんとかコツをつかめ、自由に動かせるようになる。

 思わず歓喜の声をあげるモモンガをセバスが軽く拍手をして称えた。

 

 「御見事でございます。モモンガ様」

 「セバス。つき合わせて悪かったな」

 

 少しの照れを隠しつつモモンガがセバスをねぎらえばセバスは側に控えることこそ自分の存在意義だと言う。その姿は執事として、そしてたっち・みーに創造された者としての強い矜持を感じさせる。

 

 「さてさて。ではアリシアさんの地図にある村を確認するとしよう」

 

 たぶん、この近くだろう。

 そんなふうに思って高さを調節するとどうやら見当違いなところを見ていたらしく村はまだ先だった。

 少し苦笑いしてそちらの方を確認すると森を背に牧歌的な村がある。

 

 「これがアリシアさんの言っていたカルネ村か。たしかこのナザリックに一番近い村と言っていたな」

 

 少し寄せてみれば朝の仕事と思われる水くみなどを進めている村人の姿が目につく。

 水を汲むということは川や井戸などで水を得なければならないということだ。

 

 (アリシアさんが言うには蛇口のようなマジックアイテムもあるらしいけどな。一日に決まった水を生むとか。この村にはそういったものはないようだ)

 

 ユグドラシルにはなかったアイテムに興味をそそられているがカルネ村にはそのような物があるふうには見えずモモンガは少し肩を落とした。

 

 「モモンガ様、こちらをご覧ください」

 「ん? ……ん? これは……騎士団か?」

 「そのようです。詳しくは分かりませんがどうやらあの村を襲うつもりのように見えます。逃げ道をふさぐように部隊を分けていますね」

 

 セバスの言う通り少し高い視点から確認してみると騎士団は村を包囲している。

 襲うつもりなのは間違いないだろう。

 

 「確か、あの紋章は……うむ。バハルス帝国のものだな。王国の村を襲い物資でも奪う計画というわけか?」

 

 アリシアから教えてもらった知識にある紋章を見たモモンガは口にした言葉を即座に首を振って否定する。

 

 「どう見てもそんな賊のような真似をするにしては堂々とし過ぎている。とすれば狙いは帝国の軍勢がここら辺にいることを伝えるため。陽動、釣り出し……それにスレイン法国の偽装工作の可能性もあるな」

 「モモンガ様、いかがいたしましょうか」

 

 セバスの声に変化はない。

 だが、モモンガにはその後ろにたっち・みーがいるように思えた。

 武装した騎士と非武装の村人では虐殺になることは目に見えている。

 異形種狩りに遭っていた自分を救ってくれたたっち・みーであれば間違いなく助けに行きたがるだろう。

 もしかしたらそんな創造主の性格がうっすらとセバスにも宿っているのかもしれない。

 モモンガはそんなセバスを見て嬉しく感じた。やはり、仲間たちが生み出したNPC達はその魂を受け継いでいるのだ。親が子供に似るように。

 

 「ふ。助けるぞ。セバス」

 

 安心させるようにモモンガは断言すると立ち上がる。

 

 「セバス。アルベドに命じて僕を準備させよ。透明化、あるいは隠密能力に長けた者を後詰として送り込む手はずを整えさせよ。準備は全てアルベドに任せる。……私の警護はセバス。お前に任せるぞ」

 「畏まりました。モモンガ様。この身を盾にモモンガ様をお守りいたします」

 「よし。では隣の部屋にいるアルベドに伝えよ。助けに入るのはもうしばらく待つ。……窮地に陥ったところを救った方が恩が売れるだろうからな」

 「はっ」

 

 セバスが素早くそれでいて礼儀正しく移動する中、モモンガはアイテムボックスから仮面とガントレットを取りだし、装備していく。

 これはアリシアから教わったことの一つだ。

 

 

 ――人は皆怖がると思います。

 

 

 ユグドラシル感覚では気がつかなかった。この身が恐怖の対象であるということを遅まきながら自覚したモモンガはこうして装備を整えているのだ。

 

 「……まさか嫉妬マスクを装備することになろうとは」

 

 最後にスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンから発せられるエフェクトを解除して鏡で確認するとなんとか邪悪な魔法詠唱者で収まりそうないで立ちに収まったような気がする。

 

 (この神器級装備が邪悪感出してるよなぁ。でも、危険の度合いが読み切れない以上外すわけにはいかない。アリシアさん曰く、守護者や俺のような強者は自分の師匠以外、この大陸では見たことがないらしいが絶対はないしな。もしかしたら対アンデッドでは鬼のように強いかもしれない)

 

 鏡で村の様子を確認すると騎士が村の襲撃を開始した。

 麦畑で作業をしていた男とその子供が無残に斬り伏せられ、丁寧なことに倒れたら心臓を貫かれている。

 

 「チッ……?」

 

 胸糞悪くなるような、あるいは卒倒するような虐殺の景色を見たのに、モモンガは自分が恐ろしいほどに冷静なことに驚いていた。

 舌打ちのような声を出したのはこの村がアリシアが御世話になった村だったからだ。

 あの美しい友人なら迷うことなくあの親と子供が殺される前に飛び出し助けただろう。

 モモンガに助けてくれるように願ったかもしれない。

 だが、モモンガはナザリックの利益を優先してわざと犠牲のでるタイミングを待っていた。

 そんな自分に対して不快感が込み上げてきただけであり目の前で殺されている人間にたいする同情が何一つわかない。モモンガは自分の精神がアンデッドの物に染まりつつあると感じていた。

 

 「…………」

 「モモンガ様、準備が整いました」

 「おお。セバス。私も今、整ったところ―─」

 「モモンガ様ぁ!」

 

 セバスの入室を迎えるとすぐに慌てた様子のアルベドが飛び込んでくる。

 その様子にまず何か異変が起きたのかと意識を向けられるが、すぐに気がつき冷静に対処する。

 

 「アルベド。どうした。そんなに慌てて」

 「どうしたもこうしたでもありませんっ。モモンガ様の護衛なら私こそがふさわしいはず! ことモモンガ様をお守りする事に関して私の右に出る者がおりましょうか?!」

 

 やはり。

 予想通りの言葉にモモンガは落ちついてアルベドを制した。

 

 「落ちつけアルベド。お前の守護の能力をナザリックにおいて私が一番信頼していることは言うまでもないだろう」

 「であれば……!」

 「だが、今から向かうところは人間の村だ。人間を、助けに行く。私は友好的な関係を築くために向かうのだ。それには我々が異形種であるということはできる限り隠した方がいい。アリシアさんも言っていたが、初見で受け入れるには我々の外見は難しいのだ。その点、セバスであればボロがでることはない」

 「私とて鎧を身にまとえば」

 「鎧をまとわなければならないということは鎧を破損してはならないということだ。つまり、アルベドのスキルで鎧にダメージを肩代わりさせられなくなるということ。十全に能力を発揮できないお前と発揮できるセバス。私が選ぶのはセバスだ」

 「ぅ……」

 

 押し黙ったがまだ何か言いたげなアルベドにモモンガは安心するようにその頭を撫でる。

 突然の接触にアルベドは慌てたような興奮したような声をあげた。

 

 「も、ももんがひゃま?!」

 「アルベドよ。私がセバスとともに先行することができるのはお前が万全のバックアップをしてくれると信じているからだ。例え私とセバスが危機に陥ろうとアルベドの助けがあるとな。私の信頼を裏切らないでくれ。……期待しているぞ。アルベド」

 「……はぁい! モモンガ様! どうぞご安心ください。この身に代えましても不備なくモモンガ様をご支援いたします!!」

 

 撫でられていた手を取り、頬を赤く染め微笑むアルベドは妖艶な美女だ。

 アリシアとは違った、ナザリックらしいとも言えそうな美女が自分に笑みをかべるのはモモンガにはまっすぐ見つめ返しにくい。照れ隠すように握られた手を少し握り返すと黄色い声ともに強く握り返されモモンガは慌てて手をほどいた。

 

 「モモンガ様、そろそろ向かわれた方がよろしいかと」

 

 残念がるアルベドを尻目にモモンガはセバスに言われて鏡の中を見ると村がかなりの被害を受けている。森に駆けこもうとしている姉妹が騎士に追われている。

 

 

 (しまった! まずい)

 

 

 「行くぞ。<転移門>」

 「いってらっしゃいませ。モモンガ様。セバス。くれぐれも気をつけなさい」

 「勿論でございます。アルベド様」

 

 アルベドは転移門に消えていくモモンガを夫を見送る妻のように見送ると勤めを果たすべく僕たちを集めにかかった。

 

 

 

 「な、何だ貴様たちは。どこから現れた!」

 「どこから? この通り転移門でやってきたのだよ。……ああ、どこからやってきた、か。ナザリック地下大墳墓と言う場所から来たんだが、知っているかね?」

 「な、何をわけのわからんことを……。構わん。邪魔立てするならば殺すまでだ」

 

 モモンガが<転移門>をくぐると今まさに少女に刃がつき立てらるギリギリの瞬間だった。

 わざと騎士の注意を引くようにスタッフを地面につき立てながら歩み寄ると委縮したように騎士が一歩後ろに下がった。

 

 「モモンガ様、ここは私が」

 「いや、よい。まずは私だ。セバスはそこの少女たちの手当てを頼む」

 「畏まりました」

 

 追従してきたセバスを少女たちの側につけると騎士たちが怒りの声をあげようとするが、すぐに黙る。

 主人に対して無礼な態度を取り続ける輩に対してセバスの視線は極寒のものに変わっている。モモンガはその視線が自分に向けられていないことに安堵した。

 

 「女子供は追いまわせるのに老人に一睨みされて恐怖するのか? ……せっかく来たんだ。無理やりにでも実験に付き合ってもらうぞ」

 

 敵は二人。

 モモンガは最も得意とする魔法、そして最も弱い魔法で強さを推し量ることにする。

 

 「<心臓掌握>」

 

 手を伸ばし、握る。

 微かに何かを潰した感触が手に残る。

 先程まで威勢よく叫んでいた騎士がその場に崩れ落ちてている。

 即死魔法である<心臓掌握>を受けてこの状態ということは死んだということだ。

 

 「……やはり、か」

 

 人を殺しても動揺がない。何も感じない。

 心まで人間を辞めたということを実感しながら、モモンガの視線は慌ててこちらと死体の間で視線を右往左往させている最後の騎士に向けられる。

 

 「き、貴様。何をした……」

 「<心臓掌握>だよ。魔法でそこの男を殺したまでだ」

 「ふ、ふざけるなっ。そんな魔法、聞いたことが……」

 

 徐々に後ずさりし手が震えだす騎士を前にモモンガは一歩前に踏み出す。

 すると恐怖を怒りに転換できたのか。騎士が剣を振りかざして突っ込んでくる。

 

 「<魔法の矢>」

 

 反射的に準備していた魔法を唱えると十個の光弾がモモンガの周囲から飛び出し、騎士を連続で撃ちつける。

 全身を漏れなく撃たれ、糸が切れた操り人形のように騎士が地面に倒れ伏す。

 

 「…………?」

 

 次は第二位階の魔法を準備していたモモンガは起き上がる様子の無い騎士を<生命感知>で確かめる。

 するとあろうことか第一位階の魔法で死んでしまっている。

 

 えーっと。

 

 モモンガは弱すぎる騎士に空いた口がふさがらなかった。

 

 (いや、アリシアさんから確かに聞いていたけどさ。モモンガさんの相手になりそうな人なんていませんってさ。でもさ。第一位階の魔法で即死ってなんだよ。弱すぎる……いや、こいつらが雑魚だっただけか?)

 

 少しの間、横たわる死体を見下ろしているモモンガをセバスが呼ぶ。

 モモンガが振り返ればセバスが手を取って少女を立ち上がらせ、服についた砂埃を実に紳士的に払っている。

 

 「モモンガ様、こちらの治療は無事にすみました」

 「御苦労だった。どれ、君たち。どこか不備はないか? 私の執事は優秀でね。問題はないと思うのだが」

 「は、はい。嘘みたいに、もうどこも痛くありません」

 「ありませんっ」

 

 姉妹はこくこくと頷く。

 

 「はは。嘘ではない。君の傷を癒したのは気功と呼ばれるスキルだ。もう怪我は心配ない」

 「きこう……ぁ、あの! 助けてくださってありがとうございます!」

 「ありがとうございます!」

 「……気にするな」

 

 茫然とした様子から一転、これだけは言わねばならないとばかりに姉のほうが目に涙を浮かべで頭を下げる。

 同じように頭を下げた妹と一緒にその場にへたり込むように膝をつく。

 助かった安堵から腰が抜けたのだろう。

 モモンガはその様子を見て、自己嫌悪を感じてしまう。

 あの美しいアリシアなら、見知らぬ自分を助けたたっち・みーなら、きっとこの姉妹を危機に陥る前に助けだし村人たちの平和を乱すことなく、感謝の言葉ももらわずに立ち去ったのだろう。

 それに比べ自分はその感謝を引き出せようとわざと遅れてやってきたのだ。どうして胸を張れるだろうか。

 

 (結局、俺は憧れるばかりでたっちさんの様には……)

 

 「ぁ、あと、図々しいとは思います! でも、貴方様しか頼れる方がいないんです! どうか、どうか! 私の村を……お母さんとお父さんを助けてください!!」

 「了解した。……生きていれば助けよう」

 

 おそらくだが今も生きている確率は低い。

 胸に刺さった自己嫌悪から姉妹の顔を直視できず、モモンガは背を向けスキルを発動する。

 すると先程殺した死体が動きだし、瞬く間に死の騎士(デスナイト)へと変貌する。

 

 (うげ、死体に乗り移るのか。ユグドラシルとは違うな)

 

 ゲームであれば凝った演出だが、現実となれば少々悪趣味にも見える自らの僕の召喚にすこしばかり引いてしまうが、即座にモモンガは死の騎士(デスナイト)へと指示を出す。死の騎士(デスナイト)は死を連想させる黒い金属鎧に身を包み、赤い瞳で殺戮が命じられることを期待しているようだ。

 死の騎士(デスナイト)へ村を襲っている騎士を殺すように指示を出すと咆哮をあげて死の騎士(デスナイト)は走り去ってしまう。

 いくら命じたこととはいえ普段盾役として役に立てている僕がまさか自分を残して先行すると思わず、モモンガはまたも空いた口がふさがらなかった。

 

 「……まぁ、いい。ところでお前たちは魔法という物を知っているか?」

 「は、はい。村にときどき来る薬師の……私の友人が魔法を使えます。あ、最近だと、村に滞在された冒険者の方が魔法を使ってくださったのを見ました」

 「そうか。なら話が早いな。私は魔法詠唱者だ。君たちを守る魔法をかけておこう。それとこれも渡しておく。この笛を吹けばゴブリンの軍勢が君に従うように現れる。それを使って身を守れ」

 

 相手をした騎士程度なら容易に撃退可能なアイテムに突破困難な防御魔法をかけたモモンガはセバスを促し村の方へと足を向ける。死の騎士はいまだに健在。ということは目立った強敵はいないようだが油断はできない。少女たちの護衛にセバスを残すようなまねは命取りになりかねない。

 だが、村に向かおうとした二人を姉妹は呼びとめる。

 

 「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます! それと、おな、お名前は、お名前は何と仰るんですか?」

 

 名前。

 

 咄嗟にそのままモモンガと返そうとして言い淀む。

 今の自分はナザリックに残った唯一のギルドメンバー。仲間と築いた栄光の全てを背負うものだ。

 この世界で名乗るべき名前は――。

 

 

 「名前か…………我が名を知るがいい。我こそはアインズ・ウール・ゴウン」

 

 

 名前は一つしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 「アインズ・ウール・ゴウン様」

 「アインズでよい。セバス」

 「よ、よろしいのでしょうか? 至高の御方々、そして今ではナザリックの絶対者である方のお名前を略すなどという不敬をお、行っても?」

 

 NPCの言葉はいつもいつも大層に思える。

 だが、いつもそれだけの敬意を言葉に込めているということでもありそれが当たり前であることがモモンガには、いや、アインズには嬉しかった。

 

 「構わないぞ。セバス。かつての仲間が姿を見せてくれるまで、この名前は私の名前。ならば私が許そう、その名で呼ぶことを」

 「畏まりました。アインズ様」

 

 常に礼儀正しいセバスだがこの時は一層その所作に敬意が満ちている気がした。

 モモンガはギルドの名にそれだけ重きを感じてくれているのだと嬉しく思うと同時に、その名を自分が名乗ることをどう思うのか不安を感じた。

 

 「セバス。私がこの名を名乗ることをお前はどう思う。この名はもともと我等四十一人全員を示す名だ。お前を作ったたっちさんを含めてな。……私がお前たちの主人を差し置いてこの名を名乗ることをどうとらえる?」

 「僭越ながら申し上げます。モモンガ様は我らが主人のまとめ役であり、頂点に立たれる御方。そして……最後までお残り下さった唯一無二の御方でもあります。我らの創造主が異議を唱えるのであればともかく、私はモモンガ様がその名をお名乗り下さることに喜びという感情以外ございません。ナザリックに属する者は皆同じ思いであると思います。アインズ様」

 「……そうか。それは礼を言おう」

 「礼などもってのほかであります。……ところでよろしかったのでしょうか? あの少女の前で私はモモンガ様とお呼びしてしまいましたが……」

 

 

 あ。

 

 

 自分の名乗りだけにしか注意を払っていなかったのでセバスが自分の名を呼んでいたことを失念していたとアインズは自分のミスに気がついた。思い返せばアインズだと名乗った後、どこか姉妹は戸惑っていたような気がする。あれはこのことだったのか。モモンガはやらかしてしまった自分の頭を押さえたく思ったがセバスの前でそんなことはできないとなんとか自重した。そして、取り返せないミスではないと冷静に判断する。

 

 「問題ない。記憶をいじる魔法を試してみたいと思っていてな。後であの姉妹の記憶からお前がモモンガと読んだ記憶をアインズに書き換えるつもりだ」

 「成程。この世界での魔法の効果は少々異なる様子。それをお試しになるためでしたか。流石でございます」

 「世辞はいい。……急ぐ必要はないだろうが登場の仕方にも意味はある。空を飛ぶぞ。<飛行>」

 

 上手く誤魔化せた安堵感を魔法の行使でごまかしつつアインズは宙に浮かぶ。

 セバスにも<飛行>の魔法をかけ二人でのんびりと空を舞う。

 死の騎士に生き残りを殺さないように指示をしつつ進むとすぐに村の上空にたどり着く。

 視線の先では死の騎士が相手の騎士に手にしたフランベルジュを向けている。騎士たちは誰もが怯え腰で神にでも祈っているようだ。

 

 「祈るくらいなら虐殺などしなければいいものを……」

 

 神など信じていないからか。アインズには騎士たちの行動が理解できない。

 

 「アインズ様、いかがいたしますか?」

 「騎士たちを捕虜にして情報を吐き出させる。だが、村人の目もある。わざと逃がし目の届かぬところで捕まえナザリックへ運ばせるつもりだ。<伝言>」

 

 騎士たちが見た目の通り帝国の兵士なのかどうかは知りたい。

 それにアリシアから得た知識の裏付けは必要だろう。

 後詰の支度を整えているだろうアルベドに騎士を捕縛しナザリックへ運ぶように命じるとアインズは死の騎士に命じその動きを止める。そして騎士たちと村人の前にふわりと降り立った。

 村人や騎士にはアインズの知れない風貌と使役する死の騎士、そして後ろにつき従う執事の鋭い眼差しは恐怖の対象でしかないが、村人たちは騎士から命を奪われているため、得体のしれないアインズに恐怖を抱きつつも期待は隠せなかった。救いの手ではないかと。

 

 「はじめまして、諸君。私は、アインズ・ウール・ゴウンという」

 

 努めて穏やかに。

 そう演じるアインズの声音が騎士には死を呼ぶ絶望の調べに聞こえた。

 

 

 

 

 あれが武技か。

 王国の戦士長、ガゼフの放つ一瞬六連の斬撃にアインズは感心したように頷いていた。

 下級も下級の天使を一撃で倒せなかった時には「なにが近隣諸国最強だ」と肩すかしもいいところだと思ったが、部下の戦士たちはともかくガゼフの技量は天使を大きくしのいでいる。問題なのはその武器だろうとアインズはおそらく何も魔法の力がないバスタードソードを眺める。

 

 「あの武器さえまともであれば私の出番はなかったやもしれんな」

 「アインズ様。周囲の準備が整ったようです」

 「そうか。これで安心して試せるというものだ」

 

 聞こえてきたセバスの声にそちらを見ずに返事を返す。

 というのも今アインズは<遠隔視>の魔法で視界をガゼフ達の戦場をとばしているために自らがいる村の倉庫を視認していなかった。

 そんなアインズをサポートするためセバスは離れず側に控えていた。

 

 

 

 

 騎士たちを捕縛しカルネ村を救ったアインズは当初村長からこの世界の金を頂戴するつもりであった。

 それは情報の入手手段はもうアテがついていたからだ。

 アリシアから知る限りの基礎知識を教わり、今度は別口の情報源として騎士も捕縛してある。

 これ以上情報を仕入れようにもそれはこの牧歌的な村に住む村長から教わることではない。

 

 (街に行って暮す必要がある)

 

 アインズはもっと大きな街に行きそこで実際にこの世界の常識や知識を吸収するしかないと考えていた。幸い友人になったアリシアは一番近い都市であるエ・ランテルを拠点にしている。誰ひとり知り合いがいない都市ではないのだ。そうなれば必要なのはこの世界で使える通貨だ。何をするにしても入用になるのは目に見えている。

 だが予想していた以上に村の財は少なくアインズには金銭を受け取ることでむしろデメリットが発生するとしか思えなかった。これはアインズとアルベドのミスとも言える。アインズが助けに入るのが想定よりも遅れたため予想以上に人が死んでしまったのだ。働き手を失った村に金銭を要求しても芳しくはない。

 実は金銭よりも期待していた先祖代々伝わるマジックアイテムなどはないだろうかと確認してみるがやはりない。

 

 (うーむ、やっぱり知っていることばかりだなぁ)

 

 金銭を要求できない以上。情報を提供してもらい、恩を売っておく。

 アインズは友好関係の構築だと思って知っている話に耳を傾けていた。

 そんな村長の話も終わり、亡くなった村人の葬儀が済めばここにいる理由もない。

 ナザリックへ帰還しようとしていたアインズだったがすぐに村長から助けを求められた。

 騎士風の一団が近づいてきているということで手助けすることになったのだ。それが今、法国の特殊部隊と戦っている王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとの出会いになった。

 アインズはNPC達とは違い気やオーラを感知することができない。ゆえに近隣諸国最強の戦士と紹介されたガゼフに興味があった。しかも、話を聞けばアリシアとその師匠……ユーイチと先程まで共に行動していたという。

 

 (その二人を含めて最強なのかどうか……。見た感じ先程の騎士たちよりは上なのは分かる。目が違う)

 

 村人を助けたことに対して深い感謝を表し、初対面の自分に敬意を示してくれる。そんなガゼフに好感を覚えつつもアインズはやってきたチャンスをつかむべく交渉するつもりであった。

 上手く交渉して欲しがっていないように見せながら金銭を要求できないだろうか? もしくはより深い恩を売れないだろうか。 

 アインズはその思いで騎士の武装を引き合いに出しながらガゼフと言葉の剣を交えようとしていた。

 だがそれも法国の横槍で遮られてしまう。

 アリシアの話からもきいていた法国の特殊部隊がガゼフを追ってきたのだ。

 村を襲った騎士もまた法国の手の者だろう。アインズは全ての流れを把握したがゆえにガゼフからの助力の求めを断った。

 それは法国とガゼフ、両者の実力が把握できていなかったからだ。

 未知数の敵に対して自分が好きこのんで矢面に立つ必要はない。

 だが、アインズは村人を守ってほしいというガゼフの頼みだけは聞き届けていた。

 自分にはない強い意志の力。死を覚悟してでも進むその眼差しとガゼフの人柄に心を動かされたからだ。

 

 

 

 そうして防御魔法で囲んだ倉庫に村人を守護しながらアインズは戦況を見守っていた。

 法国の戦力。ガゼフの力量。

 全てを観察し、アインズはまたも肩透かしを食らった気分だった。

 

 「弱い……」

 

 使われる魔法はことごとく第三位階以下、召喚される天使も下級も下級の天使だ。

 上位物理無効化の常時発動型特殊技術によってアインズは法国からもガゼフからもダメージを受けることはないだろう。

 言ってしまえば姉妹を助ける際に戦った騎士と同じだ。<魔法の矢>だけで倒せてしまえるとアインズはユグドラシルから来たナザリックとこの世界の者との間には大きな差があると思えた。

 

 (いや、分からないか。アリシアさんのようにプレイヤーの子孫は他にもいるだろう。数百年以上前からプレイヤーはこの世界に来ているようだし、平均値はともかく個人として抜け出た存在がいるだろうな。……だが、ここにはいないか)

 

 ナザリックの領域守護者に匹敵するゴーレムを倒したアリシアはこの世界で生まれた存在だ。

 アインズは友人の顔を思い浮かべながら決して油断はできないと気を抜いてしまいそうになる自分に言い聞かせる。

 

 「む。あれは……魔封じの水晶? ……ユグドラシルのアイテムもあるわけか」

 

 法国の指揮官……ニグンが取りだしたアイテムをユグドラシルのものと見て取り、アインズの警戒は自然と上がる。ニグンは最高位天使の召喚といっていた。その言葉がそのままの意味ならアインズが本気を出さなければならない相手ということになる。つまり、ガゼフは助かることはない。

 

 「それでは困るな。セバス」

 「はっ」

 「そろそろ行くぞ。敵の眼前に飛び込む。相手の天使次第では前衛は任せるぞ」

 「畏まりました」

 

 恩を売るためにもガゼフに死んでもらっては困る。

 アインズは結局大したことがなかったこの世界の最高位天使に拍子抜けしつつも転移するのであった。

 

 

 

  

 

 ──アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説とせよ。

 

 

 カルネ村での件が片付くとアインズは玉座の間でNPCとその高位の僕達の前で宣言した。

 モモンガからアインズへと名前をかえ、この名をこの世界中に広めると。

 知らぬ者がいないほどに、全ての英雄を凌駕する存在にしろと。

 それこそが我らの行動方針である。

 アインズのその言葉に全てもの者が頭を垂れる。

 その中で一人、声をあげる者がいた。

 

 「我らが至高の主アインズ・ウール・ゴウン様。尊き御名を略しアインズ様と呼ばせていただける栄誉に感謝の言葉もございません」

 「デミウルゴス」

 

 皆が頭を垂れる中デミウルゴスは無礼にならないほどに顔をあげ、アインズと視線を交わす。

 

 「デミウルゴス。そして他の者たちよ。お前たちがこの名に深い敬意を抱くことを私は心から喜んでいるぞ」

 「ありがたき御言葉でございます。……アインズ様、これから先アインズ様がそうお名乗りになられることは承りました。それでは、アリシア様にはなんとお呼ばせになるのでしょうか?」

 

 デミウルゴスの言葉に少しばかりアインズは首をかしげたくなった。

 それは今気にすることなのだろうかと。

 しかし、よく見ればデミウルゴス以外の面々もどこか気にしている節がある。

 

 (デミウルゴスが確認を取るということはやはり大事なことか。確かに、アリシアさんはギルド繋がりではなく、俺個人の友人という扱いだ。もしかしたらアインズという名前で呼ばれることに皆は納得できていないのかもしれない。それに数日もしないうちに名前を変えたからこう呼んでくれと言うのも変なもんかな)

 

 「デミウルゴス。アインズ・ウール・ゴウンという名はモモンガという名よりも重い名だ。お前たちの創造主を指しおいて私がこの名を名乗ることは本来許されることではない」

 

 セバスに言った言葉を他の皆にも伝えるようにアインズは口を開く。

 

 「私がこの名を広めるように厳命するのは、この世界のどこかにいるかもしれない仲間たちに我らがここにいることを伝えるためだ。世界中に知れ渡れば必ず会いに来てくれるだろう。そしてその時、私はモモンガに戻り、アインズ・ウール・ゴウンの名は輝かしいギルドの名に戻るのだ。……つまり、私は個人的な友人にアインズと呼ばせるつもりはない。アリシアさんには今後もモモンガとよんでもらうつもりだ」

 

 言い終わるとデミウルゴスが何やら納得したと言わんばかりに頷いた。説明をうけた部下が納得したという安堵すべき場面にも関わらずアインズは少し怖いものを覚えた。

 

 「分かりました。アインズ様、説明のお手間を取らせてしまったこと誠に申し訳ございません」

 「よい。皆も分かったな」

 

 頷く部下たちを見下ろし話すべき事は済んだとアインズは自室へ引き上げるのであった。

 

 

 

  

 

 幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その参~

     鈴木悟、モモンガ、そしてアインズ。 終。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みくださりありがとうございました。

これでようやく次話から第二巻の内容に踏み込んでいきます。

ほとんど描き上がってますので次の話は早めにあげれると思います。

拙い物ですがよければまたお読みくださると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その肆~

お久しぶりの投稿になります。
今回も王国編ではなく幕間です。

書き方を…忘れてしまった…!

リハビリも兼ねて短い話を書いて上手くなりたいと思う次第です。


幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その肆~

     労働の対価

 

 

 

 この日、彼らはお互いの周囲に隠れて魔法で連絡を取っていた。

 

 「ありがちなことだ。その話はよく耳にしたよ」

 

 相手からの相談ごとに頷くように返事を返したのはユーイチである。彼は相手よりもこの世界に来て長いため二人で話をすれば相談される側になることが多かった。

 

 「どこも同じなんですね。アルベドたちの様子を見ていれば創造されたNPCが、創造主であるプレイヤーにマジな忠誠を誓っているのは骨身にしみているので想像できます。つまり、ユウさんには経験上対策があると思っていいでしょうか?」

 

 その相手である全身骨身の男───ホームではアインズであり、エ・ランテルではモモンであり、友人(アリシア)の前ではモモンガであるその男は鈴木悟としてこの異世界での同郷の先輩に助言を求めていた。

 今夜の話題はナザリック地下大墳墓のブラック体質の改善についての相談であった。

 この異世界に転移してきて驚きの連続であわただしい日々を過ごしている鈴木悟であったがその驚きのなかには自分のホーム、ナザリック地下大墳墓の実態も含まれていた。

 ゲームとしてユグドラシルを遊んでいるときは当然気がつかないことではあったが、NPCたちが意思をもって行動しはじめるとどうしてこうなったのかと驚いてしまうことが多かった。

 その驚き、困惑することの原因というか根幹にあるものがブラック体質である。いわゆるブラック企業と呼ばれるものがおこなう洗脳とも呼ぶべきもの。それが当然のものとして存在したのである。

 そのことを鈴木悟はどうにかしたかった。

 自分の愛するギルドをブラックに染めたくなかった。

 ホワイト企業と呼ばれるものにしたかった。

 なぜならブラック企業は憎むべき敵であったからだ。

 何人かのギルドメンバーの引退の原因になったのは「リアルの仕事が忙しすぎて」というものであった。鈴木悟はNPCたちがブラックに働いてる姿を目の当たりにするたびに最後に見たギルドメンバーであるヘロヘロの疲れ切った声を思い出さずにはいられない。自分の仲間を奪ったブラック企業を鈴木悟は許すわけにはいかないのである。

 だがナザリックのブラック体質は忠誠心からくる奉仕である。それがブラック体質と言えるものではあるのだが、「働くことが望みです。働かせて下さい」と心底願っているNPCたちに休めといって効果的に働いたことはなく、鈴木悟は長期目線でどうにかすると決めて、それについて意見を求めたのだ。

 

 「ああ。ある」 

 

 ユーイチはそんな同郷の後輩の相談に頷きながら応える。彼には長年生きて目にしてきた経験があった。その中には鈴木悟と同じ悩みを抱えた友人達の努力している姿もあったのである。

 

 「サトル君と同じような悩みを抱えていた古い友人がいたよ。アイテムのおかげで疲労が貯まらないから問題がない、そういわれると返す言葉に困る。そういう問題じゃないんだ……とよく嘆いていた」

 「ああ。それです。そうなんです。それが望みだと言われてしまえばどうすればいいのかと……」

 「友人は二つの対処法で解決していた。まずは長期的な意識改革だ。これは徐々に余暇を過ごす方法とその意味を君の子供たちに教えていくだけだ。そうだな、自分磨きのための余暇がすなわちナザリックへの貢献につながる、とでも認識させてしまえばいい。それは君の思うところと合致するだろう?」

 

 NPCたちの心身の成長は鈴木悟の目指すものである。

 いずれは友人(アリシア)の故郷であるテラースフィア大陸へ渡り、そこにいる多くのプレイヤーたちと交渉、交流したいと考えている鈴木悟にとって自身やNPCの心身の成長は欠かせないものである。

 鈴木悟はユーイチとのPvPを一度だけ経験したことがある。結果は惨敗であった。

 お互いに本領を発揮したわけではないのは理解していたが、圧倒的な差を痛感せずにはいられないほどの明らかなレベル差。

 ゲームでは経験することができない命のやり取りをするという本当の闘い。

 ユグドラシルの限界である100レベルを越えたこの世界のレベル。そして戦闘経験の差。

 数百年分の戦闘経験の差。

 一度のPvPで見せつけられたその差は成長によって地道に埋めていくしかないものだ。

 

 「そうですね。問題はその自分磨きが仕事の範疇になってしまわないか……ん? 自分磨き……ユウさん、自分磨きというのはつまり、強くなるということにとらわれないということですね?」

 「ああ。俺はそういう意味で言っている。例えるなら守護者統括殿が君に気に入られようと女を磨くということも当然自分磨きだろうな?」

 「ははは、つまり、アリシアさんと同じですね? 料理の腕をみがいたりというわけですか」

 「ははは、そういうのも含めてはいるな。他にもいろいろあるだろう。言語を学んだり、剣の腕を磨いたり、ゲームが上手になってもいい。なんでも上手くなればそれが君への貢献につながると分かれば……おのずとそれぞれ好きなことができるだろう。それが余暇を過ごす意味になるはずだ」

 

 お互いにそれぞれ熱烈に想いを寄せてくれている相手がいるため理解は早い。

 二人とも自分に振り向いてもらおうと努力する愛らしい子の姿が容易に想像できた。

 それに素直に応えてあげられないので嬉しいながらも困ってしまうのも同じであった。

 

 「もう一つの方法は?」

 「さっきのが長期的目線かつ根本的な解決になるのに対して、もう一つは形だけ整えるものにはなる。シンプルな理屈なんだが……労働に見合った報酬があればブラックではない、ということだ」

 「それはいわゆる給料……それは確かに。しかし、考えましたが、給料を支払うことも難しい上に、もらった給料をどうやって使うのか、という点も難しい話ですよ? そもそもあいつら報酬という形を受け取るとむしろ精神的苦痛を感じそうで」

 「忠誠というのは報酬目的ではないからな。そこはサトル君と彼らの捉え方の違いだが……しかし、共通していることはある。君は彼らの働きを評価したいし、彼らは評価されれば嬉しい。そこで評価しつつ彼らが素直に受け取れるモノを用意したらいい」

 「それはいったい……?」

 「勲章だ。ほらハーゲンクロイツだったか? 君の大好きなものにもあるだろ」

 「うっ……はぁぁぁっ。くっ、精神の安定化ぁぁあ! もっと仕事しろ! はぁ、はぁ、その話は余り深くは………」

 「いや、君が勝手にもだえてるだけだ」

 

 自分ではイタイ過去だと感じているハマっていた趣味を指摘され鈴木悟は一人もだえる。

 精神の安定化が起きたり起きなかったりするギリギリの動揺なのか。はたまたずっと恥ずかしがっているからかしばらく動揺を隠せない。

 

 「おっほん。……あー、意味は分かりました。勲章ですか。つまりドイツの鉄十字勲章とかそういう感じのものを作るわけですね。さしずめナザリック十字勲章……!」

 

 ポンっと手をうちあわせ、鈴木悟は全てを理解した。

 

 「なるほど。これをアリシアさんにもということか。式典で今までの貢献を認めることでシャルティアを慰めて、アリシアさんへの感謝を形にしてみせると。なるほどなるほど。勲章かぁ。いいですねぇ」

 「理解がはやくて助かる。式典での報酬は、特別魔力のこもった名品という形にするより、名誉の証である勲章の方が確実に受けがいいだろう。アリシアにとっても君から勲章を授与された立場を得られて受け入れられやすくなるだろうしな」

 

 アリシアへの感謝を伝えようと考えていたサプライズパーティは巡り巡って大がかりな式典になっていた。

 鈴木悟はこの式典でアインズとして配下に報い、モモンガとしてアリシアに感謝を伝えなければならなかった。

 だが、ナザリックの者は皆、無報酬で働くことが報酬と普通に思っているブラック体質であり、式典でも褒め言葉だけで満足してしまうことは容易に想像できた。

 だからといって褒め言葉だけで済ませてしまえばいいとは思わないのがアインズであり、モモンガとしてもアリシアにしっかり感謝を形にしたかった。

 彼は嬉しかったのだ。初めての命をかけた闘いに挑むその時に駆け寄ってきてくれた仲間が、友達がいてくれたことが。

 アリシアにしたことは些細なことだったのにずっと助けてもらっている。

 恩を受けるだけ受けて返さないなんてことはしたくなかったのだ。

 アリシアがシャルティアとの闘いに挑む際に言い放った言葉こそ彼の言いたい言葉である。

 お互いに助け合える存在になりたいのだ。

 

 「しかし、君の子とアリシアが同じ勲章を授与されるとまた問題かもしれん。ギルドの勲章と君個人の勲章はまた別で考え、ギルドのエンブレムと君個人のエンブレムで分けて用意するべきだろう」

 「それはそうですね。それに今後も功績に応じて勲章を授与することを考えるとデザインは控えめにして……勲章の種類も六種類くらいは用意しておいてもいいかもしれない。図書館でドイツ関係の書籍を引っ張ってきますかね」

 「そうするなら書庫にはもどさないほうがいいぞ。足がつかないからな」

 

 一つの問題に解決のめどがつき鈴木悟は少々饒舌になりつつ勲章のデザインや種類についてユーイチに語った。

 数日後、試作品をつくった彼はデザインの確認のためにそっち方面の知識があるパンドラズ・アクターに意見を求めた際に、自分がキャラデザとして身につけさせていたそれっぽい勲章があることを指摘される。

 その場は二人だけだったこともあり何事もなく切り抜けたが、のちに「創造された時から勲章を授与された存在」としてナザリック内でひと騒ぎがおこることになるのだがそれはまた別の話である。

 

 

 

幕間の物語~モモンガさん奮闘記 その肆~

      労働の対価 終

 




お読みくださりありがとうございました。

今回のワンシーンは時系列的にはシャルティア戦がおわり式典までの間になります。
原作ではアインズ様には鈴木悟として話す相手がおりませんがここでは同じプレイヤーとしてユーイチがいてよく相談相手になっています。

よければご感想をいただけましたら幸いです。


ありがとうございました。

PS:今回から多機能フォームで書いています。正直今更!? と思われそうですが、ふりがなをうてると気がつけてちょっといろいろ書きやすくなった気がしてます。デスナイト君とかふりなが打ちたかったんです。魔法も。こういう機能的なものはずっと不慣れなですね…。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~姦しい『ファリアの場合』~

幕間の物語その肆になります。

いつものより短くするのを意識して書きます!
※これから書く。

5000~8000字で納める気持ちで参ります。



 幕間の物語~その肆 『姦しい ファリアの場合』~

      母として亭主として女として。

 

 

 

 

 

 

 燦々と我が身を照らす陽光の先を追えばそこには雲少ない青空が広がっている。

 数少ない雲はもくもくと大きく、いうなれば重厚そうで、子供が描く雲とはこういう雲をイメージしていると思える。

 そんなつい見入ってしまう空を見上げてもファリアの心は晴れなかった。

 しないようにと気をつけているため息がこみ上げて来そうになりファリアは気分を変えるべく大きく背伸びをした。

 

 「ん~~……どうしよう」

 

 背伸びで豊かな胸が一度大きく弾む。

 ウィーシャの憧れの一つであるその魅力的な胸もファリアにとっては肩が凝る原因でしかない。ファリアはアリシアのようなサイズが一番いいのではないかとウィーシャに言いたかったが、ある者とない者の立場で話せば確実に機嫌を損ねると分かっていたので言ってはいない。まして、最近少し下着がきつくなっていることなど決して言ってはならなかった。

 

 「これもあれも……本当にユーイチ様のせいなのですから」

 

 自分を悩ましている問題のほとんどはユーイチがもちこんできたものだ。

 そしてユーイチが持ち込んできたからこそ問題ととらえてる自分にファリアは少し呆れたように亡くした夫から贈られた指輪を撫でた。

 

 

 

 

 娘のウィーシャが暴漢に襲われて酷い怪我をした夜から今日で十日目を迎えている。

 その間、いろいろなことがあったが何より大事なことはウィーシャが大きく引きずらなかったことだ。日が暮れると一人でいることに耐えられないようだが、ファリアやユーイチ、アリシアの誰かが側についていた。寝る時間になればアリシアと共に寝るようになり、ときどきユーイチの側に行くのもファリアはしっかり把握していた。

 そんなウィーシャの無事に安堵するファリアを一番困らせた出来事はユーイチが連れてきた女性たちであった。

 野盗の討伐から戻ってきたユーイチが六人の女性を連れてきたのは、アリシアが吸血鬼討伐の依頼を受けて逃げるように出立した日だった。

 それぞれに暗い表情を浮かべていた女性を六人も連れてきたユーイチにファリアが事情を尋ねてみれば、野盗に囚われ慰み者にされていた女性達をエ・ランテルまで連れ帰ってきたのだが、この六人にはもう身寄りがないらしい。

 

 「身寄りが確認できたのは貴族に関わる娘ばかりでな。この子たちはいいところの商人の娘だったり、妹だったり、妻だったり……囚われた際に身寄りがなくなってしまった者たちだ」

 

 そう説明されればファリアには他人事には聞こえない。

 自分や娘だって彼女達と同じように野盗たちに好きなように扱われていたかもしれないのだ。あの時、ユーイチとアリシアがそこにいなければ。

 彼女達の落ち着く先が決まるまでここの部屋を貸してほしいというユーイチの願いをファリアは快く受け入れた。もとよりユーイチの願いは何でも聞き届けるつもりではあったが事情を聞けば自分からそう言いだしたかった。

 そうして今に至るまで彼女たちに店の手伝いをしてもらいながら過ごしてきたのだが……。

 

 「ファリア様、洗濯が終わりました」

 「ありがとう。無理はしなくていいですからね。一つのことが終われば一度休憩してください」

 「はい。ありがとうございます。……ユーイチ様は、どちらにおいでか、ご存じないでしょうか?」

 

 これである。

 ファリアは笑顔を崩さずにラウンジの方でお話をされていたと伝えて見送り、困ったように頬に手をあてた。

 

 「……人のことは、言えないけれど」

 

 そう。決して彼女達のことを悪くは言えないし、ましてやユーイチのことを悪く言えるはずもないのだが胸の中にあるもやもやした気持ちをファリアは持てあましていた。

 彼女達がここに住み始めてから三、四日した頃には気がついていたことだが、皆、ユーイチの側にいたがった。中には素直になれない子もいたが今では明らかに好意を寄せている。

 

 自分を救ってくれた英雄が異性でなおかつ格好いい。

 

 どん底からすくいあげられた彼女達が好意を持たない理由などないのだ。大なり小なりの好意は離れがたい気持ちを産み、六人ともこのままここで働かせてほしいと願うようになっていた。

 ファリアとしては複雑だった。

 同じように襲われて奪われて救われた身として、その気持ちを理解するがゆえにどうにかしてあげたいと思う気持ちがある一方で、冷静に宿屋の亭主として六人も住み込みで雇うことはできないとの判断があった。

 

 「せめて二、三人なら……。雇ってあげることもできるのに」

 

 そもそもこの隊商宿はそこまでの人手が必要ではない。

 飲食の提供はファリアが唯一店で出せると判断したパンぐらいなもので基本的に外食か持ち込みである。共同の調理スペースがあるのでそこで料理をする客だっているくらいでほとんどこちらから用意することはない。

 客が使える大浴場が一つあり、男性女性を時間で区切っている。この浴室の管理に人手がかかると言えばかかるがそれは現在の人員で足りている。

 今働いているのはファリアとウィーシャに年老いた老夫婦の四人だ。

 老夫婦はもともとファリアの亡くした夫の両親のもとで働いていた従業員であり、ファリアがここに身を寄せるまで住み込みで店を管理していた。

 そのためこの店の管理という面においてファリアやウィーシャよりも優れており、浴室の管理などもお手のものだ。学のないファリアがなんとか店を切り盛りできているのも老夫婦のサポートあってのものだ。

 事業を拡大すれば六人とも雇うことができるだろうが、ここは隊商宿である。古い商人専用の宿屋。本来であれば日々の糧を得るので精一杯のはずで我が身のことを心配して暮らさなければならないはずだ。

 それが今、予想外に貯金がたまるほど収入があるのは都市最高の冒険者であり、最近ではついにアダマンダイト級に認められたユーイチとアリシアがいるからだ。

 二人がここにいてくれるおかげでこの店は繁盛している。個人的なつながりを持ちたい輩や節制をしたいがある程度の面子を気にしていた輩がこぞって滞在していく。

 ユーイチ達を除いて一階は家族のスペースではあるが、滞在を希望する商人から使っていない部屋があるなら客に開放してはどうだと言われるほどだ。まぁ、その部屋は六人もの女性を泊めるために使われているのだが。

 ともかく、今盛況なのは決してこの宿屋に価値があるのではなくユーイチとアリシアに価値があるだけなのだ。下手に大きくしてしまえば二人が旅立った後に立ち行かなくなるだろう。

 

 「旅立った後……」

 

 ウィーシャの出来事があったゆえにユーイチが旅立つのが先延ばしになった。

 そのことを娘に悪いと思いながらも喜んでしまう自分は酷い母親だ。

 

 「……仕事しよう」

 

 誰が見たって美しい青い空。

 そんな空とは違い晴れない自分のもやもやに、ファリアは心の中でため息をついてしまった。

 

 

 

 

 

 その日の晩、予想していなかった扉を叩く音にファリアは髪の手入れをやめて立ち上がった。

 

 「どなたですか?」

 「俺だ」

 「ユーイチ様? どうぞ」

 

 扉を開ければそこには異国の寝巻に着替えたユーイチが立っている。

 黒い意匠はいつもと変わらないが普段のものより開放的になった肌着は季節に合い寝心地がよさそうに見えた。

 ユーイチが約束もなくこんな時間に訪ねてくることは今までないことであった。

 ファリアはユーイチを迎え、扉に鍵をかけるといつものようにベッドに腰かけているユーイチの隣に座った。

 

 「こんな夜更けにすまないな」

 「それは構いませんが、どうなさったのですか? 今夜は三人で寝られているはずでは?」

 

 アリシアの提案で今夜は三人で寝ることになりユーイチはウィーシャとアリシアの三人で眠っていたはずだ。

 ファリアも誘われたがこの宿屋に四人で眠れるような大きなベッドはない。

 気持ちだけいただいて次の夜にご一緒しますとファリアはアリシアに断っていた。

 

 「一緒に寝ていたんだがな……やはり、俺込みで三人は無理があった」

 

 話を聞けば二人が眠る前からギリギリで、何とか二人が眠るまで姿勢を保った後、こうして抜け出てきたそうだ。ウィーシャももう子供ではない。小柄なウィーシャ込みとはいえ大人三人ではやはり無理があったのだ。ましてユーイチは大きい。

 

 「あら。それは残念です。ということは私も三人では眠れなさそうですね」

 「そうなるだろうな。二人を両腕で腕枕すればいけそうだが……」

 「それはユーイチ様も同じだったのでは? 両手に花をされればよろしかったのに」

 「アリシアとウィーシャが寄り添って眠っているところに、わざわざ間に入るのは無粋だろうに。分かって言ってるな?」

 「うふふ。どうでしょう?」

 

 実の姉妹のように仲のいい二人が並んで眠る姿を最初に目にした時、何ともいえない多幸福感が胸に満ちたのをファリアは覚えている。それは一緒に並んでその様子を目撃したユーイチも同じだ。自分があの景色の間に割って入るのは確かに無粋である。

 そして、そんなことはわかりきっている。ファリアが腕枕をすればできるというのはもっと別の理由だ。

 ファリアはほんの少しユーイチのほうへ身を寄せてその腕を抱いた。

 もっと別の理由であるその胸がユーイチの腕を挟みこむように迎えた。

 

 「ユーイチ様、はっきり言ってくださってもよろしいのに。この胸が場所を取ると」

 

 寝る前で下着も外しているせいか、いつもよりも素直にユーイチの腕を挟みこむ胸をこの時ばかりはファリアは嬉しく思う。ユーイチに出会うまでは女の武器を意識したことはなかったファリアだったが、意識してみれば肩こりの原因であり変に視線を集めるばかりの胸も、自慢にしていい物だった。

 

 (アリシア様だって、ここまではできないでしょうし。……ごめん、ウィーシャもできないね)

 

 この景色を見れば自分のと比べるだろう二人を想像してファリアは少しおかしくなった。

 どちらもすこししょんぼりとしている様子がありありと想像できて申し訳ないが微笑ましかったのだ。

 

 「どうした。今夜はファリアにしては積極的だが」

 「望外の喜びと言うのでしょうか? 約束されていない時に二人になれて、年甲斐もなくはしゃいでいるんです」

 「十分すぎるほどに若いだろうに。……ファリアには甘えてばかりだ。俺でよければいつでも甘えてほしい」

 

 ユーイチはいつもと変わらない瞳でファリアを見つめた。

 その平坦で感情を表に出さない視線がファリアにはなぜだか、優しく、自分のことを案じてくれているように思えた。自分が抱えている浅ましい心の曇りを気にかけているような、そんな気がしたのだ。

 

 「……御言葉に甘えても、いいんでしょうか?」

 「ああ。もちろんだ」

 「では……甘えさせていただきます」

 

 ファリアは胸で挟みこんでいた腕から離れ、ユーイチの正面に回ると首に腕をまわし抱きついた。

 そして少しの間見つめ合うと自然な動きで顔を寄せた。

 唇が重なりぴったりと体が密着する。二人の間で胸が窮屈そうに押しつぶされた。

 そんなファリアを引きはがすこともなくユーイチは受け入れ、抱きかかえるようにその背に手をまわした。

 数秒の間、一つになってから、ゆっくりとファリアは唇を離す。

 薄くお互いの唇から垂れ落ちた涎が淫らな光を映した。

 

 「私は浅ましい女です」

 

 母としてでもなく、亭主としてでもなく、一人の女としてファリアは胸の内を愛する男にぶつけた。

 

 「貴方を私が求めるように、他の子が求めてしまうのが、貴方とこうして二人過ごす夜が失われていくのが嫌でたまりません。……私はファリアとして、貴方に覚えていてほしいんです。あの時、世話をした女の一人ではなく、ファリアと」

 

 そう。どんな真っ当な理由を並べてもそれは建前でしかない。

 ファリアが他の同じ境遇の女性達を住まわせることにストレスを感じていたのは不安であった。

 自分と同じような境遇の女性が増えて、自分と同じように愛しい男性の側にいることを望み、自分という愛妾が愛妾の一人になるのが嫌だった。

 自分が比べられる相手がまったく違う立場の女性であればこうは思わなかったのかもしれない。

 例えば貴族の令嬢や冒険者の仲間、森に住む亜人たち。

 そんな自分とは違う立場の女性が愛妾になっても、ファリアは何も言わなかっただろう。

 ファリアは自分がユーイチの一番側にいる女性でありたいとは思っていなかった。結婚し、妻になるのは亡くした夫が最後だと思っていた。ユーイチに惹かれてしまった自分を受け入れ、気持ちに素直に向き合えば向き合うほどにいまの関係こそ一番望んでいる物だった。だから、アリシアやウィーシャがユーイチと結ばれることを応援していた。自分はユーイチが望んでくれる限り側にいられればそれでよかった。

 だが、自分と同じ境遇の、同じ立場の女性が増えることは嫌だった。それはファリアの中の女としての矜持であり、プライドであり、我がままだった。ユーイチに自分のことを特別に見てほしかった。多くの中の一人ではなく、ファリアとして覚えてほしかった。ユーイチの一番側にいられなくてもしっかりと覚えていてほしかった。

 自分をファリアから多数の中の一人にするかもしれない彼女達を受け入れるのは嫌だったのだ。

 

 「今更……おかしいとお思いでしょう? こんな些細なことに拘るなんて」

 

 だが、そんな自分の思いがとても小さなことを気にしているとも思っていた。

 ユーイチがここまでの旅の中で多くの女性と関係をもってきたことはアリシアから聞き及んでいたし、本人も認めていた。なにせ、愛妾という関係になったのはユーイチが女性を買ったのをファリアが目撃したのがきっかけだったのだから。

 所詮、どれだけ望んでも旅の中で関係を持った女の一人でしかない。

 そう思えば同じ境遇の女性が愛妾になるのを嫌がるのは意味がない。もうすでに多数の中の一人なのだから。それに確認はしていないが既に過去に同じような女性が関係を持っていたかもしれないのだ。

 けれども、どうしても気にしてしまう。そんな無意味な抵抗で恩人であるユーイチが助けようとしている女性達に手を差し伸べるのをためらっている自分をファリアは浅ましく救いようがないと思っていたのだ。

 

 「おかしくない。……大切に想ってる人に自分のことを忘れてほしくないと願うのは当然のことだ。ファリアは何も間違っていない」

 

 いつもと変わらない平坦な声。

 労わるように髪に手櫛をいれてくれる。

 普段、ウィーシャやときどきアリシアに見せるように自分をあやしてくれているとすぐにわかる。

 顔を赤らめる恥ずかしさを目をつむり体を寄せてそれを受け入れようとする喜びが勝った。

 

 「今晩ここに来たのは三人で眠れなかったのもあるが、昼間のファリアの様子が気になってな。実を言うと一人で寝かせたくなかったんだ」

 「ぁ……そ、それほどあからさまだったでしょうか?」

 「どうだろう。少なくても俺以外は特別気にはしていなかった。ファリア。君に一つ、言っていなかったことがあるんだが」

 「なんでしょう、ぁ?」

 

 撫でてくれていた手がそのまま頭を、背中を抱えてしっかり抱きしめてくれる。

 すり寄っていた胸板に抱き寄せられて思わず語尾が裏返る。

 普段よりはるかに早く鼓動を伝える自分とは裏腹に耳に伝わるユーイチの鼓動は一定で乱れがない。

 

 「俺は旅の中で女性とは一夜限りと決めている。旅する者として、冒険する者として、後腐れが残らない関係が欲しかったからだ」

 「え。今までの方とは……一夜限りでしたのですか?」

 「ああ」

 

 それは初耳で、唐突で、特別だった。

 なぜならもうすでにファリアは何度も夜を共にしていたのだから。

 

 「では……なぜ、私とは……」

 「君が欲しいからだ。俺は君が欲しい。君を側におきたい。そう思ったから、二度目、三度目と夜を共にした」

 「わた、私を……お側に?」

 「ああ……だから二度目の夜に言っただろう。俺の愛妾になってほしいと」

 

 ファリアは確かに二度目の夜に愛妾という言葉をかけられていた。

 それをファリアはユーイチと関係を持った女性を指す言葉だと解釈していたが、実際は違っていたのだ。

 

 「で、ですが。ここからお立ちになると、いう話をされていたではありませんか。それは……?」

 

 そろそろここを立とうと思う。

 そう言われた夜をファリアは忘れていない。胸を締め付けた寂しさを堪えた夜を忘れられるはずがない。

 

 「戻らないとは言っていないだろう? ……言葉足らずだったか。すまない。旅にはでる。遠くにも行く。だが、決して二度と戻らないことはない。……それほど、君はもう俺にとって特別なんだと知ってほしい」

 

 抱きしめられながらファリアはユーイチにとって自分が特別な存在なのだと知るともやついていた不安が溶けて消えさり、湧き上がる歓喜に心が震えていくのを感じていた。

 その震えは次第に体に伝わり、そして堪え切れないように涙を産み、頬をぬらした。

 

 「ユーイチさま。……お慕い、しています」

 「俺も、君を想っている」

 

 今度はユーイチからの口付けをファリアは目を閉じて受け入れた。

 この夜を境に、ファリアは指輪を外すようになった。

 

 

 

 

 

 幕間の物語~その肆 『姦しい ファリアの場合』~

      母として亭主として女として。 終

 




今回の幕間の物語は 姦 という文字をテーマに三人の女性を中心に据えて書いていくつもりです。
今回は普段はあまり描写されないウィーシャの義理の母、ファリアさんでした。
本当はもっともっと書きたいことがあるのですが、長くなりすぎるのも進歩がないということで、今回の 姦 テーマ幕間はすべてこれくらいの分量で書きたいところです。
3つ合わせて普段の一本分くらいだと思います。

普段より短いので次の話は七月七日ぐらいにでもあげれると思います。

次回もよろしければお読みくださいませ。

※今回は約七千字でした!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~姦しい『アウラの場合』~

幕間の物語 その伍です。
今回は予想外だろうと思われるアウラをターゲットにして書いていきます。

これから…今回はきっちり五千字を目途に!

書きます!!


 幕間の物語~その伍 『姦しい アウラの場合』~

      守護者として同僚として友達として

 

 

 

 

 

 

 「「あぁぁぁぁぁぁああ」」

 

 

 ナザリック地下大墳墓。

 その第九階層にあるショットバー。

 そこで二人の女が酒臭いため息をついているのを見てアウラは自分もため息をつきたくなった。

 普段は食堂で働いている副料理長がこの日はバーテンとしてその場にいる。

 アウラは副料理長から視線を向けられたような気がした。副料理長は目と呼ばれている器官がぱっと見分からないので感覚としてだったが確かに助けるような視線を感じ片手をあげて任せるように伝える。

 ナザリックが誇る守護者と守護者統括がこうして自棄酒に走っていればプレアデスでも止められまい。そう、止めるのならば同じ守護者かそれこそ主人の言葉が必要だろう。

 

 (だからってデミウルゴスも私に押し付けなくてもいいでしょうに)

 

 本当にもう。

 

 自分に落ち込む二人を任せた男守護者共にも不満があったが、目の前で嘆き、酒を飲んでいる駄目守護者とその統括にはもっといらつきを感じてしまう。例えその理由に同情したとしてもだ。

 

 (女の戦いにまだ負けたとも決まってないのになにをこんなところで……)

 

 アウラにはこんなところで油を売っている暇があるなら失敗を取り返す努力なり、女を磨く努力なりをするべきだと思えて仕方がなかった。

 

 

 

 駄目守護者とその統括こと、シャルティアとアルベドがショットバーにてこんな醜態をさらすことになったのは数日前にさかのぼる。

 精神支配を受けたシャルティアをアインズとその友人アリシアが救ったのが切っ掛けになった。

 守護者として失格ともいえる大失態を演じてしまったシャルティアが落ちこむのは致し方の無いこととも言えるかもしれない。何と言ってもナザリックに手を出し、主人の顔に泥を塗った相手の詳細すら覚えていなかったのだから。

 しかし、ならばどうしてアルベドまで落ち込んでいるのか。

 それはアインズとアリシアがどうにも親密な関係であると知ったからである。

 シャルティアを救う際にあろうことかアリシアはアインズの腕を取り四肢を絡ませ身を寄せたばかりか、その頬にキスをしたのだ。

 それを見たアルベドの動揺はすさまじく、デミウルゴスを自分でその場にとどめていたのにもかかわらず二人の間に割って入ろうとしてコキュートスから本気で攻撃されるという、アインズの耳にはいればこちらも失態と言えるような態度を取っていた。

 事態が落ちつきを見せたタイミングでアルベドはアインズに真偽のほどを、どうしてあのような真似を許したのかを直に訊ねた。アインズの返事はおおむねシャルティアを挑発するために必要な行動だったと説明していたのだがアインズの一言がアルベドの胸を貫いていた。

 

 

 「私とアシリアは友人だ。お互いを助け合うのに理由はいらない。私とて彼女を助けるためならこの身を危険にさらしてもかまわないのだから」

 

 

 アリシア。

 そう。呼び捨てである。

 友人と認めて以来、アリシアに対して敬称を外すことがなかったアインズが呼び捨てにしているのだ。

 その様子は明らかに自分たちに向けられる呼び捨てとは違ったとアルベドや守護者各位は感じていた。

 それは支配し、命じ、上に立つ者の呼び声ではなかった。共に並びたち認め合う者への呼び声だった。

 その日以来アルベドは普段の元気を失った。最もアインズが関わっていた時のハイテンションがなりを潜めただけでむしろ統括としてふさわしい落ちつきを保っていたのだが。

 その結果、こうして仕事が一通り片付けば逃げるようにショットバーに入り浸っていた。

 自らの失態に落ち込んでいたシャルティアは先客としてアルベドを迎え、事情を聞いてさらに落ち込んでいた。

 

 「わたしの失態のせいで……アインズ様は守護者への評価をおさげになられたんでしょうか……」

 「うう……アインズ様ぁ。アインズ様ぁぁ」

 

 普段の言葉使いも忘れて落ち込む様をアルベドはいじることもできずに酒を飲むしかない。

 酒は毒として扱われるため、アルベドは耐性を解除している。

 シャルティアは種族として毒を受けないためただただ気落ちしているだけだがアルベドは深酒のせいで酔っ払っていて一度酒を飲み始めたらアルコールを抜かない限りずっとこのままであった。

 そんな二人をデミウルゴスやコキュートスは失敗と普段の暴走を考えればいい薬だと関わらない構えだったがアウラにはどうしても無視はできなかった。

 それは同じ守護者として女として、何より友人として、見捨ててはおけないという強い気持ちがあったからに他ならない。

 弟のマーレも連れてこようとしたがアリシアが絡んだことでのアルベドや姉の姦しい様を玉座の間で見ていた弟は「し、仕事があるから! ご、ごめんなさいっ」と逃げていた。

 そうしてアウラは一人で二人に気合を入れるべくショットバーに足を運んでいたのだ。

 

 「こらぁ! 二人とも。何を飲んだくれてるのよ」

 「ちび……」

 「アインズ様ぁぁぁ……」

 「まったく。守護者とその統括が酔い潰れてて、それで皆に顔向けできるの? しっかりしなさい」

 

 突っ伏して嘆いているアルベドはアウラの言葉に気がついていても振りむく気力がわかないがシャルティアは雰囲気に気分が酔ってるだけなのでアウラのほうをむいた。

 

 「こら! シャルティアぁ。いつもの調子はどこへ遣ったのよ。アルベドも! ここで酒を浴びてるところをアインズ様に見られでもしたらそれこそ取り返しがつかないわよ」

 「うっ。で、でも……」

 「でも、なによ」

 「わかっているわよ。わたしだって……酒の力に頼ろうとするくらいなら、少しでもアインズ様のお力になるべく動くべきだと」

 「ならそーしなさいよ!」

 「でもぉ! 私は、私は取り返しのつかないことをぉっ! アインズ様に槍を向けるなど……あってはならないこと!! 私はペロロンチーノ様の御尊名に傷をつけてしまった……あぁぁぁぁっ」

 

 涙が溢れ、本格的に泣きだしたシャルティアはふがいない自分を罪深い我が身を許せなかった。

 創造主の名にかけて誠心誠意お仕えすると誓い、主人から泥を塗るようなまねはするなと言われていたにもかかわらずこの体たらく。

 自身が最も愛する二人に取り返しのつかない迷惑をかけてしまった罪悪感を抱え、それを整理することもできず、動けなかった。例えそれが最も愚かな行為だと分かっていたとしても。

 そんなシャルティアの気持ちはアウラにも痛いほどわかる。自分が同じ立場であれば同じように酒に逃げていたのかもしれないと思う。だが、そうではない。

 

 「あんたねぇ。そんな調子じゃ本当に取り返しがつかなくなるわよ。アインズ様が! 自分の責任だと仰っていたでしょう。それに勝手に責任感じることこそ、一番の不敬でしょうが! ほら、シャッキとしな……さい!!」

 

 バチンと痛々しい音が耳に残るような張り手がシャルティアの背中に決まる。

 椅子から転げ落ちたシャルティアは痛みに身を震わせた。

 そんなシャルティアを逆に椅子に立ってアウラは見下ろした。

 

 「ひぎゃ!? い、いたいっ」

 「アンデッドが痛がってんじゃないの! まったく。ほら、アルベドも。さっきから酔っ払ってまったく……はぁ~もう!」

 「ふぁいんざまぁあ? ……あら? アウラ?」

 「おはよーございますぅ? アルベド~?」

 

 アウラが自らのスキルを使用して毒を吸いだすとアルベドは急速に酔いがさめてぽかんとした表情を浮かべた。

 意地悪い表情を浮かべたアウラはそのまま顔を近付ける。

 

 「オラァ!」

 「ごっぅ!? な、何?」

 「っぅ~っ。な、なんつー硬さしてるのよ。こっちの方が痛いとか」

 「え、えっと? ごめんなさい?」

 

 目を覚ませとばかりに繰り出されたアウラ渾身のヘッドバットだったがアルベドには痛痒を感じさせなかった。むしろ反動で小柄なアウラのほうが吹き飛ばされてシャルティアが手を差し伸べている。

 

 「ほんとよ! まったく……で? アルベドもお酒に逃げてないで目を覚ましなさい」

 

 涙目で怒りの声をあげつつ、アウラはアルベドを睨みつける。

 

 「あ、アウラ……?」

 「アルベドもシャルティアも! よその女が出てきたからってなぁーに怖気づいてるの! あんたたちその程度の覚悟だったわけぇ!?」

 「べ、別に怖気づいてなんていないわ! けれど……アインズ様が選ばれたのであれば……」

 「そ、そうよ。私たちが出しゃばったところで……」

 

 アルベドとシャルティアはお互いに視線をかわして揃って弱腰である。

 シャルティアは大失態を演じた自分を蔑むあまりアリシアにかなわないと思い、アルベドは付加価値を考えると冷静な部分でアリシアを認めざる得なかった。

 両者ともに自分がいまだにアインズから臣下としてしか見られていないと思うがゆえに隣に立つことを許されているアリシアと比べて一歩どころではない差を感じてしまうのである。

 普段のように人間風情や小娘がという声が上がらないのはシャルティアと戦うアリシアの姿を目にしたことが大きい。覚えていないシャルティアを除いてナザリックの者はアリシアの力とナザリックへの貢献を認めるしかなかった。そうなるとアインズの友人もしくはそれ以上の関係、という側面が改めて広がりもはやその点において認めないことは許されなかった。

 だがアウラにはいかな理由があれど二人の弱腰は受け入れられなかった。

 

 「馬鹿言ってんじゃないの! あんたたち、いい!? あんたたちはこのナザリックの支配者であらせられるアインズ様の正妻を狙っていたんでしょう? 私やマーレ、デミウルゴス、コキュートスや他の皆! みーんな、あんたたちの態度に思うところがあったのよ? それが何!? その程度のことで諦めるなら最初から言うんじゃないわよっ」

 

 同僚が主人の后になることに皆が皆、それぞれに思うところがあった。

 それは好意的なものであったり、思慮深いものであったり、否定的なものまで様々だ。

 その中でアウラが抱いていたのは好意的なものだ。

 偉大な主人の隣に立ちたいと願う友人を心から応援していた。自分はまだ年若くアインズの隣に立つことなど想像すらおこがましいと感じるがゆえに。その景色を想像できる二人を認め、どちらにせよ頑張れと思っていたのだ。

 

 「あんたたちの今の態度を見たら、皆こう思うわ。上っ面だけの腰抜けだってね!」

 「なんですってぇ……!」

 「も・ち・ろ・ん! アインズ様だってそうよ!!」

 「うっ」

 

 弱気になっていても見逃せない罵声に反骨心が湧き上がった二人だが、アウラの一言に顔を伏せてしまう。

 

 「あーもう、いいわ! あんた達二人がどれだけ腰抜けかはよぉーくわかったから。でもね、言っておくからね。そんなんだったら私が正妻になるわよ!」

 「「ええ!?」」

 

 今までそんな気配を微塵も見せていなかったアウラの正妻になる発言に仰天する二人を鋭く見返してアウラは強く宣言した。

 

 「私だってアインズ様のこと、大好きだもの。誰にだって負けてない! まして、外からやってきた人間に負けてたまるもんですか! 今はまだ出るとこ出てないけど、今に見ておきなさいよ。アルベドやアリシア様を越えるナイスバディでアインズ様をメロメロにしてみせるんだから!」

 

 力強い宣言の中でも主人の友人としてアリシアに敬意をみせつつ、アウラは先程から驚き続きの二人を指さしてきっちり宣言する。

 

 「そーいうわけだから。私が正妻になってから精々後悔してなさい。それが嫌なら、アインズ様に見初められるように女を磨きなさいよ!」

 

 言うだけ言ったとばかりにショットバーをあとにするアウラを二人は口をあけて見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 「な、なるほどねぇ。それで二人とも、最近、元気に?」

 「そうなのよ。まったくアルベドもシャルティアも世話が焼けるんだから」

 

 第六階層。自らが任された領域でアウラとその弟のマーレは先日の件を話していた。

 アウラが喝をいれて以降、大失態を演じたシャルティアはまだどこか不調ではあったが目の前の仕事に黙々と取り組み、いつもの廓言葉もみられるようになった。

 アルベドのほうはいつもと変わらない仕事ぶりだが、ショットバーに通うことがなくなり立ち直ったように見える。近々アリシアを招いて行われる宴の計画も問題なくこなしているように見えた。

 二人ともなんとか立ち直ったように見える。

 

 「で、でも、まさかお姉ちゃんまでアインズ様の御后を狙ってたなんて……僕、全然気がつかなかったよ?」

 「ばか、あれは二人のお尻に火をつけるためだってば。アインズ様だって私みたいな子供よりはアルベドや……そこれそアリシア様のような体型の女性がいいに決まってるわよ」

 「えっと、それじゃ、嘘言ったの?」

 

 マーレがおどおどした落ちつかない様子を演じているのをじっと見つめて、少しの間をアウラは空けた。

 嘘とは言えなかった。

 そう。嘘は何も言っていない。

 誰よりもアインズのことが好きな自信はあった。

 

 「嘘じゃないけどね。私はまず一人前の大人になることが大事だから。あと五十年くらいは先よ」

 「そ、そっかぁ。……あのね、お姉ちゃん」

 「何? 改まっちゃって」

 「あのね? ……僕は、どんな相手よりも、お姉ちゃんがアインズ様の御后になってくれたら、嬉しいよ?」

 

 まるで応援しているようなその口ぶりにアウラは気恥ずかしさや喜びを隠すようにその頭を乱暴に撫でた。

 ナザリックの中でも双子として生み出された二人にしかない絆がそこにはあった。

 

  

 

 

 

 

 幕間の物語~その伍 『姦しい アウラの場合』~

      守護者として同僚として友達として

 




遅くなりました!。
七日にあげたかったのですがあげられず無念でした。
今回はアウラが気落ちした二人に喝を入れる話でした。

最後の方でマーレと姉弟の絆をちょっとみせたり。

アウラもマーレも描いていて予想以上に可愛いです。
作者はこの姉弟が大好きですw

次回はもっと早くあげられたら!

お読みくださりありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~姦しい『漆黒の剣の場合』~

こんにちは。
幕間の物語その陸です。

一カ月以上更新できずに申しわけありません。
お盆前お盆中お盆後と忙しすぎました…。休みが休みにならない(悲)。

そんなどうでもいい話はさておいて今回は漆黒の剣の面々からみたアリシアやモモン。エ・ランテルの住人目線での話を書いていきます。

原作とは違った展開で活動中の漆黒の剣。二次小説ではありがちな展開ですね。
今回も五千くらいで読みやすく終われたら幸いです。


 幕間の物語~その陸 『姦しい 漆黒の剣の場合』~

      見上げる喜び

 

 

 

 

 

 その日もエ・ランテルの冒険者組合は賑わっていた。

 通常であれば三人態勢の受付嬢が絶え間なく訪れる冒険者や依頼人に対応するため六人で働いている。

 依頼書が張り出されているボードが隙間なく埋められていることことからもその盛況ぶりがわかる。

 本来であれば冒険者組合としてはこの盛況ぶりは大変喜ばしい事態とは言い難い。

 依頼が多いということはそれだけエ・ランテルはもちろんのこと、王都リ・エスティーゼをはじめとした王国の人々が被害に遭っているということである。人を守るための組織である以上組合としては想定を越える賑いは本来であれば歓迎できるものではない。そう。本来であれば。

 

 「やっぱりモモンさんのほうが上じゃないか? というか、俺にはモモンさんより強い人がいるとは思えないよ」

 「いやいや、わかんねーだろ? アリシアさんの動きはモモンさんよりも素早く映ったぜ?」

 「ほう。ルクルットにはアリシア氏の動きが見えていたのであるか?」

 「いや? 見えるわけねーだろ。噂通り超綺麗だってことは分かったけど」

 「それ、もしかしなくても外見と好みの問題で判断してませんか?」

 

 組合の二階席で冒険者チーム<漆黒の剣>の面々が盛況の理由を話の肴にして自分たちの番を待っている。

 四人が話しているのはモモンとアリシアのどちらが強いのかという内容だ。

 この話題がなぜ組合の盛況につながるのか。それは両者共に英雄級の腕前を持つと言われている冒険者であるからだ。

 数ヶ月前にやってきたアリシアとユーイチという二人組の冒険者は今では正式に最高位の冒険者、アダマンダイトと認められていた。そしてそれを追うかのように最近都市にやってきたこれまた二人組のモモンとナーベという冒険者チームもまた他の者とは一線を介した冒険者であった。短い期間ゆえにいまだにミスリル級で留まっているが<漆黒の剣>の面々のように共に仕事に当たった者は誰もがすぐにアダマンダイトになると信じて疑わなかった。

 アリシアが来るまで王国のアダマンダイト級冒険者は王都に二組しかいなかった。

 当然のようにその二組は多忙であり、懇意にしている貴族や王族、商人からの依頼で予定を取られていることが多い。

 そうなれば当然のように新しく繋がりを求めることは難しい。

 だがエ・ランテルにやってきたモモンやアリシアは新規新鋭であり、いわば何処にも抱え込まれていない。

 なりたてのアダマンダイト。そして将来のアダマンダイト。

 その両者と繋がりを持ちたいという依頼人、そして同業者は多かった。

 そのため今の組合には多くの商人や貴族から依頼が舞い込んでいた。

 

 「あたぼーよ、ニニャ。ナーベちゃんやアリシアさん。あんなに綺麗なんだぜ? そりゃどっちかって言われたらなぁ?」

 

 自分の好みで話すルクルットに仲間たちが苦笑いを浮かべるのをニニャもまた同じように苦笑いを浮かべて見ていた。どちらも尊敬に値する冒険者であるし、アリシアに至っては命の恩人であるのだからとリーダーとしてペテルが注意を促すが真剣な物ではない。皆、ルクルットがふざけているのを分かっていた。

 

 「つまり、甲乙つけがたいということであるな」

 「そう。それよ」

 「ものはいいようだなぁ。話をふったのはルクルットだろうに」

 

 ふとニニャは一階でざわめきが起こったような気がして振り返った。

 するとそこには既にたちあがり手すりから下を見下ろしているルクルットがいる。

 

 「お、話題のアリシアさんが戻って来たぞ! アリシアさーん!」

 「……この動きがいつでもできればルクルットもすごいと思うんですけど」

 「言うな。ニニャ」

 

 物音を、少なくてもニニャの耳にはほとんど残さずに素早く移動したその動きは普段はなかなか見れない。

 ニニャはペテルと一緒になって現金なその俊敏さに笑ってしまう。

 

 「うぉー! なぁなぁ今俺に手を振り返したって! 見たかよ!」

 「いや、絶対気のせいだろ」

 「そんなことないね! さっきのは目が合ったって!」

 

 ペテルを相手に騒がしいルクルットに並びつつニニャが下を見下ろせばアリシアが受付で札をもらって椅子に腰かけている。

 おそらくそれは何度も断った末にそうなったのだろう。

 

 「アリシアさんとモモンさん。どちらが上かなんて私たちにはわからないことでしょうけど……どちらも謙虚な方たちですよね」

 

 ニニャの言葉にダインが深く頷けばペテルとルクルットが視線を向けてくる。

 

 「アリシアさんほどの冒険者なら順番待ちなんて無視してもかまわないだろうに……あ、今も他の冒険者が順番を譲ろうとしてますね」

 「本当であるな。だが、アリシア氏は困惑されているようである。人柄の良さが伝わってくるのである」

 

 モモンを通じて少し交流がある<漆黒の剣>の面々はアリシアの心境がわかった。

 特別待遇で順番抜かしをすることに抵抗感を感じているのだ。

 

 「アリシアさん。最初は綺麗だけどぞっとするような怖さを感じたけど……普段は本当に可愛らしい人だよな」

 「お、なんだよペテル。やっぱそうだよな!」

 「お前のように何でも色眼鏡かけてるわけじゃないから一緒にされたくないな。……いや、最初は怖かったよ。本当に。これが英雄の眼なのかと思った」

 

 ペテルの意見にニニャも同意見だった。

 アリシアと話す機会があったのはニニャたちが命を助けられた時。バレアレ家にて薬草の荷降ろしをしていた時だった。

 その時のアリシアはペテルとニニャが怖いと思うほどに鬼気迫る感情を瞳に宿していた。なによりそう伝わるほどの激情を言葉や動作に一切出さない様子が恐ろしかった。

 

 「それもアリシア氏の愛情深さを表しているのだろう。懇意にしていた娘子に手酷い扱いをした輩に対してはあれほど強く激しいが……普段はあの様子であるからな」

 

 ダインの視線の先では待札の交換を了承したアリシアがより多くの人に囲まれている。

 自分達よりどうぞお先に用事をお済ませください!

 商人や冒険者。

 先程までは長い待ち時間にいらついていた者でさえ笑顔でアリシアに順番を譲ろうとする。

 一度、順番の交換を了承してしまったがゆえに自分を囲う人達の処理に困り果てている様子はとてもアダマンダイト級冒険者には見えない。

 

 「あーいうふうになるからモモンさんは特別待遇をうけているんだろうなぁ。お、モモンさんだ。ナーベちゃんは……ぁー、一緒じゃないなぁ」

 

 喜色ばんだ声をあげたルクルットがすぐに残念そうに萎れる。

 すると入口の扉が勢いよく開かれ全身甲冑姿のもう一人の話題の人物、モモンが現れる。

 アリシアを囲んでいた人々の視線すら攫うその偉丈夫ぶりはオーラを纏っているようだった。

 

 「よくわかりましたね。ルクルット。最近調子よすぎじゃないですか?」

 

 二階席からは入口は見えない。

 だが、ルクルットは見えていないのにもかかわらずモモンの登場を予言した。普段であればその傍らにいるはずのナーベの存在がないことまで言い当てている。

 

 「いやー、最近我ながら冴えてるんだよねぇ……これも特訓の成果、なんてね」

 「調子に乗るな、この」

 「いや、ルクルットの言うこともあながち間違いではないのである! ルクルットに限らず皆の動きがよくなってきていると感じているのである!」

 「……そうかな?」

 「どうでしょう? 実感はありませんけどね」

  

 ペテルとニニャは成長を主張してくるルクルットとダインの言葉に首をかしげた。

 一瞬お互いに視線を交わして同意を確認してから下の様子を眺める。

 そこではモモンにつれられるようにアリシアが受付をしている。

 特別待遇を当然のように受けているモモンの「困るくらいなら私と一緒に報告を済ませてしまいましょう」という言葉に頷いたアリシアは丁寧に自分を囲っていた人々にお時儀をしてからモモンに続いていた。

 そんな二人を目で追いながらペテルは少し息を吐いた。

 

 「時々とはいえあのお二人からご教授を受けてるんだからそりゃ成長してると思いたいけどさ……。流石に気のせいだろう。こんな短い間で実感できるほど強くなれるはずがない」

 「そうですよ。それこそモモンさんにそんなこと言ったら幻滅されますよ」

 

 二人でルクルットとダインの言葉を否定した通り、漆黒の剣は時々モモンとアリシアから教えを受けていた。

 モモンが実戦形式だったり、基礎作りの手ほどきを行い、アリシアがそれを監督する。

 アダマンダイト級冒険者と将来のアダマンダイト級冒険者の二人に教えを受ける機会を<漆黒の剣>が得ることができたのはアリシアからの御礼ということになっている。

 アリシアやモモンの活躍で事なきを得たアンデッドの大群が襲ってきた事件が解決してから数日後、アリシアのほうから漆黒の剣に対して御礼をしたいという申し入れがあった。

 

 

 「皆さんがいなければ……目的が果たせなかった、と思います。なにか、私にできることは、ありませんか?」

 

 

 事件当日の時のペテルが恐怖を感じた視線をその名残も感じさせず願い出てきたアリシアに漆黒の剣の面々が望んだのは当初は「見学させてほしい」というものだった。

 <漆黒の剣>の面々は事件後、モモンとアリシアが時々一緒に鍛錬をしていることを当人同士の会話を聞いて知っていた。クレマンティーヌに殺されかけた一件が脳裏から離れなかった四人はもっと強くなりたいという思いから頂きに立つ二人の鍛錬を見させてほしいと願ったのだ。そしてそれはアリシアには了承された。だがそのまま認められなかったのはモモンのほうであった。

 

 「参加されるならペテルさんたちも見てるだけでは勿体ない。人に教えるのも自分を磨くことの一つです。参加なさってはどうですか」

 

 モモンの鶴の一言により見学どころか直接指導をうけることになったのだ。

 指導を受けるたびに課題を突き付けられ、その課題に取り組み終えたと思ったら再度指導を受け、さらなる課題をだされる。

 他の冒険者が知れば金を払ってでも代わってほしいとせがむ様な時間を既に二度得ていた。

 ペテルやニニャは少しずつ進歩はしているとは思いつつもルクルットが言うほど伸びているわけがないと思っていた。

 

 「そうかねぇ。俺はほんとよくなってると思うんだけどなぁ……」

 

 珍しくルクルットが本音のように言葉を漏らしたが皆の視線はそこには集まらなかった。

 

 「やぁ。皆さん。お変わりなさそうですね」

 「……こんにちは」

 

 ずっと話題にあげていたモモンとアリシアが階段を上がって来たのだ。

 ルクルット本人も含めて背筋を伸ばして漆黒の剣は二人を迎えた。

 

 「モモンさん、アリシアさん。お疲れ様です。わざわざお声掛けしていただけて光栄です」

 

 ペテルが代表するかのように話してる後ろでルクルットは自慢げに二階席を見上げる同業者や依頼人たちを一瞥した。この二人との間に自分たちのような関係を築きたくて集った輩たちの視線が気持ちよかった。

 

 「こんにちはっ。モモンさん。アリシアさんも相変わらずお美しいですね! 今度皆で美味しいものでも食べに行きません、ひディっ!?」

 「あはは、すいません。お二人とも」

 「うむ。御両人に対してのルクルットの軽率な発言、どうかご容赦願いたいのである」

 

 流石に馴れ馴れしい発言は仲間として見過ごせず、杖と肘と拳でルクルットを黙らせる。

 目の前の二人は敬意を示してしかるべき相手だ。実力もそうだがアリシアに至っては命の恩人でもあるのだから。

 

 「構いませんよ。それより皆さん、受付の順番ですよ」

 「ぇ。ぁ、わざわざすいません。ありがとうございます。モモンさん」

 「皆さんには私も勉強させていただいていますから、お気になさらないでください。またよろしくお願いします。……それと、しばらくアリシアさんとこの席を使わせてもらうので帰りの挨拶は結構ですよ」

 「勉強だなんて……させていただいているのは私たちの方です。はいっ。分かりました。皆、行こう」

 

 ペテルの促しにダインがルクルットをかついで続いていく、最後に頭を下げてニニャが続いた。

 カウンターに行ってみれば本来よりも早い順番で呼ばれている。

 モモンがアリシアやその相方とよく二階席で話しているのは有名だ。

 場所を借りるために自分たちの順番を繰り上げてもらったのだろう。

 アリシアはあくまで他の者と対等な立場に立とうとするが、それでは先の待札の譲り合いのような問題もおきる。

 

 「どっちが強いのかなんてわからないけど。俺はやっぱりモモンさんだな」

 

 超越した存在として己を理解し、それに見合うあり方をしているような気がしてペテルはアリシアよりもモモンのほうが憧れであった。

 

 目指すならあんな人になりたい。

 

 夢物語でぼんやりと想像していた英雄像が今身近にいる。

 そんな幸運にペテルは自然と笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 幕間の物語~その陸 『姦しい 漆黒の剣の場合』~

      見上げる喜び 終

 




こんな感じで約五千字でした。

実は今回は一度すべて描き直しています。

姦しい というタイトルで幕間を続けていたので今回も…と思っていたのですが、その、少々ニニャに触れすぎるのはどうかとなりまして(汗

ニニャの場合から漆黒の剣の場合に変更することになりました。
まぁ、ルクルットがいれば姦しいです……よね? 騒がしいだけかな。

できれば次回の投稿は何とか八月中にしたいと思ってます。
今月中に何とかもう一つくらいは…!

その時もよければお読みください。

お読みくださりありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~練習 鍛錬 研究 壱合目~

幕間の物語の漆話目になります。

ほんの少しリザードマンについても触れています。

登場人物はコキュートスとアリシア。
お互いを認めあうようになった二人の一コマです。



幕間の物語~その漆  練習 鍛錬 研究~

     四本腕の練習

     

 

 

 精霊や妖精と呼ばれる存在から加護を授かっているアリシアは基本的に側にいる精霊たちに応じて行使する属性を選択する。

 

 火山ならば火の精霊を。

 海ならば水の精霊を。

 荒野ならば土の精霊を。

 嵐の中ならば風の精霊を。

 

 周囲に合わせるのはそれが最も効率がいいからだ。

 なにも火の精霊や妖精の気配が全くないところで火の力を使うよりも他の精霊たちの力を借りた方が負担も少なく、効果も大きい。

 だが最も効率的なものを全てにおいて選択できるかといわれればそうではない。

 例をあげるのであれば式典の最後を締めたコキュートスとの手合わせだろう。

 ナザリック地下大墳墓第五階層「氷河」の守護者コキュートス。

 氷河の守護者を担う守護者の力は絶大であり、氷の世界を自ら作り出せるほどだ。

 そんな世界であれば氷の精霊の力が強まる。

 ならば最も効率よく行使できる属性は当然氷だ。さしたる負担もなく最大限の力を振るえるだろう。

 だが、アリシアは炎を纏った。

 安息すら感じる絶対零度の世界を自分から遠ざけ、最低効率で最大の炎を纏った。

 当然のようにそれには理由がある。

 氷を纏っても冷気からの悪影響は防げる。しかし、それは冷気を軽減するものではない。冷気を受け付けないだけなのだ。

 いわゆる耐性というものは頼りになるが頼りにしてはならないものでもあった。

 それは耐性を突破されればそっくりそのまま抜けてくる恐れがあるからだ。

 耐性とはつまり0か100かの世界だ。

 

 

 ──○○に対して耐性を持っている。

 

 

 それは○○に対して悪影響を受けないにはならない。

 例え完全な耐性と呼ばれるものであっても真に力のある者はその耐性を越える術や業を持っている。

 それはモモンガが死なき者にすら死を与える術を持つようにだ。

 アリシア自身も属性耐性であれば抜く術を身につけている。ゆえに自分より強者であると感じる存在がそれを出来ないと判断できない。

 だからこそ耐性ではなく相反する属性での軽減。

 水や氷に対して纏うのは炎になるわけだ。

 しかし、今、アリシアはあの時以上の氷の世界に身を置きながらも無理やり火の力を使おうとはしていなかった。

 

 

 <氷装>コキュートス。

 

 

 四つの氷の腕を使用者の周囲に纏わせ自由自在に動かす追加武装。

 それは多種に渡る氷の魔法を基本に土の魔法を補助に組み込まれ生まれた見た目以上に複雑な新しい魔法。

 氷土の複合による武装魔法は創造主であるアリシアの思い描いた通りの性能を表現する。

 人間に備わった二本の腕では対処しきれない広範囲をカバーするだけの稼働範囲、前衛の高速戦闘についていけるだけの反応と動き、そして四つの腕を自在に稼働させる思考の割り振りと自動防御。そして氷の武装の付加効果として装備者を冷気から完全に守る耐性。

 <氷装>が持つ耐性にまかせてアリシアは一面を覆う吹雪の世界に立っていた。それは相手が耐性を抜く手段を行使しないということが分かっているというのもあるが、最大の理由は<氷装>のテストのためである。

 

 「あ」

 

 激しいような呆気ないような。

 一瞬どちらだろうと悩んでしまうような罅割れ、砕け散る音が美しく鳴り響いた。

 

 「あ……あ……あ………」

 

 それは一度で済まず二度三度、そして四度とまるで舞踏を彩る音楽のように連続して続いた。

 そんな激しく、儚く、そして美しい光景のただなかでアリシアは肩身が狭そうに一瞬身を固くし。

 

 「……参りました」

 「ウム」

 

 自分に刃を向けるコキュートスに対して両手をあげて白旗をあげる

 これで本日三度目の降参であった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 現在ナザリックはトブの大森林を完全に支配下に入れるために動いている。

 その名目は保護であった。

 魔樹ザイトルクワエの出現により王国と帝国による調査の手がトブの大森林に及ぶのは免れない。その際に森に住む亜人種達を保護するというのである。

 当然だがただ保護するというのが目的ではない。保護しているというようにアピールすることが目的のひとつであった。それは自分たちがいかにこの世界の住人と友好的に接しているか、という実績作りのためだ。

 アインズは将来的には大陸を渡り、アリシアの故郷の国々と交渉の席を持ちたいと考えていた。自分と同じプレイヤーが数多く存在する大陸へと渡り、そこにいるかもしれないギルドの仲間たちを探すこと、そしてこの世界での生き方を模索するためにだ。

 だがユーイチから伝え聞く限り、アリシアの故郷はこの世界との共存を図って発達しているため、ナザリックがこの世界の住人に対して手酷い扱いを行うわけにはいかなかった。ただでさえアインズ・ウール・ゴウンは要注意ギルドとして名前がリストに上がっている存在であり、ユーイチもその名前を知っていたのだから。

 そんな目をつけられているギルドが人間を家畜同然のように扱っているとか、世界征服を目指すとか、そんな共存の意志を見せないようでは受け入れ拒否どころか、世界の危険として処理される可能性がある。

 アインズはユーイチを通してこの世界に長くいるプレイヤーの力を痛感していた。防衛に徹したナザリックでも落ちかねない。そう考えるからこそ無用な争いを避けるために争わない、という方向性を示していた。

 そんな実績作りのための標的になったのは森の中にある湖にすむ亜人種達であった。

 

 

 

 「蜥蜴人の人達が……この辺りに住んでます。皆、面白い方でした」

 

 

 

 以前、蜥蜴人の集落で過ごしたことがあるアリシアを介して交渉も進み、多少のもめごともあったが話は進んでいた。それはアインズの活躍も大きい。魔樹を森から追い出す役割を嫉妬マスク装備の謎の魔法詠唱者としてアピールしていたためだ。

 そんな仲介役のために、イレインと共にナザリックに滞在していたアリシアは時間を合わせてコキュートスと手合わせしていた。

 のだが……。

 

 「はぅ……」

 

 コキュートスの部屋にて小休止を挟みながらアリシアは想像以上の結果に気を落としていた。

 当然だがいい結果に満足しているのであれば気を落としたりしない。

 想像以上に悪い結果になったからこその反応だ。

 <氷装>の魔法は一度たりとて満足に機能していなかった。

 想像していなかったわけではない。

 <氷装>コキュートスと名付けたようにコキュートスの動きに感銘を受け、それを再現した魔法が本家に届かないとは容易に想像できる。

 だが、当然ただ見劣りするものに組んだつもりもなかった。

 アリシアはコキュートスの様子をちらっと眺めた。

 彼の武人には出来ない──圧倒的な稼働範囲と切り捨て可能な腕であること。

 それは武器や力、速度で届かなくとも十分役割を担えるはずであった。

 一刀ではさばききれない、入り込めないコキュートスの四本の腕から放たれる磨かれた武芸の業。

 それをかいくぐるために一撃に一本の腕を合わせ、懐に入り込み、断つ。

 少なくてもアリシアはそれができる出来だと自信を持ってコキュートスとの鍛錬に持ちこんできた。

 

 「はぅ……」

 

 だが結果は惨敗。

 打ち合うどころか合わせることすらかなわず、まるでその場にアリシアを縫いつけるように放たれるコキュートスの一振り一振りはその都度<氷装>の腕を砕いた。

 

 

 ──風なしだと速度が足りない。

 

 

 心の中で分かりきったことを呟く。

 風を纏えないことはない。だが、それで一時互角に戦えても意味がない。

 アリシアが目指すところはいかに平時の状態でコキュートスと戦えるか、である。

 最初の手合わせの時のように過負荷が堪えるような戦いでは相手に多少引き延ばされてしまえば詰みだ。

 

 (いい案だと思ったけど……外れだった……?)

 

 アリシアは何度も三度の完敗を反芻する。

 まともに動けていない<氷装>をどうすればまともに動かすことができるのか。

 これでもようやく作り上げた自分の速度についてこれる魔法である。その可能性はまだあるはずだと改善案を探した。

 

 

 ──というか、さ。

 

 

 (何?)

 

 

 ──風なしだと速度が足りてないんだから……私の速度についてこれる程度の<氷装>じゃ、そりゃ変わらないんじゃ……ない?

 

 

 (……先に言ってほしい)

 

 <氷盾><氷剣><氷槍>。

 アリシアはこれまでも氷を纏う魔法を作り上げてきた。

 だがそのいずれも既にアリシアについてこれない魔法であった。

 盾も剣も槍も、アリシアの方が早い。

 格下相手にしかほぼ使えなくなってしまった氷の武装魔法。

 それがようやくついてこれるところまで昇華されたと思っていたら、求めているのは格上をどうにかする方法である。まったく足りていない。

 

 

 ──大人しく火か風でも、もっと燃費のいい形にした方がいいのかも。

 

 

 自分が感情的であればあるほど冷静で客観視できる心の中の自分の言葉が脳裏に響く。

 確かにその通りではあるが、それでは根本の解決にならない。火も風も維持しようとすればどうしても消費が大きい。そもそも留まるものではないのだから当然そうなのだ。

 対面したら詰んでしまう方法が分かってるのにそれに応手がないのはまずい。

 そうしてうんうんと考え込んだアリシアにコキュートスが声をかけた。

 

 「ソウ気ヲ落トサレナイコトデス。……悪イ物デハナカッタ」

 「そう……ですか?」

 「アア。悪クナイ。守護者ニモ十分通用スルダロウ」

 

 コキュートスは使用した武具の様子を確かめ仕舞いこむ。

 どこか罅割れたような無理やり声の形に落とし込んだような声が静かに響いた。

 

 「ダガ。今ノママデハ。同格以上ノ戦士、前衛職トノ戦イデハ選択肢ヲ狭メテイルノハ確カダ」

 「………はい」

 

 一定の評価を下しつつもやはり問題ありと断じる。

 コキュートスの指摘は<氷装>最大の問題点を露にしていた。

 それは防御に失敗した時の回避スペースの無さである。

 <氷装>が防御できないレベルで破壊されるということはアリシアに攻撃が直撃するということにつながる。それを避けるために破壊されつつ、最低限攻撃をその場で縫いとめるために<氷装>はその場を氷結させて抑え込む。これは本来いいことだ。アリシアの目指した最低限である、相手の攻撃に腕一本を合わせる、という動きなのだから。

 だが、それも瞬く間に連続で破壊されてしまえばそうも言っていられない。

 破壊され氷結効果を発揮したがゆえにアリシアが身動きする範囲が限定されてしまうのだ。

 動きの読みあいではアリシアのほうが上手ではあるのだが、動きの幅が制限されてしまえばそれも簡単に覆る。

 

 最初の一本を砕けば次はこう、その次はこう。

 

 三度の敗戦、その全てで一度腕を砕かれればどうしようもない状態にされていた。最低限の防御が動きを狭めるという問題である。

 

 「少ナクトモ、私相手ニアハ有効デハナイ。……少シ、手ヲ加エル必要ガアル」

 「何か……ありますか?」

 

 助言をもらえそうな雰囲気に飛びつくと視線の先では少し考え込む様な様子が見えた。

 

 「ソウダナ……一ツ尋ネタイ」

 「はい」

 「……腕ノ形デアル必要ハアルノダロウカ?」

 

 

 ──確かに。

 

 

 コキュートスの言葉にアリシアは目から鱗を体現するかのような表情を浮かべた。硬く真剣そのもので悩みを抱えた表情が一転して解決の糸口を見つけたかのように和らぐ。

 腕である必要は……ない。

 腕という形が便利だから、四つの腕なのは一度その動きを見たから。

 だから<氷装>にその形を選んだ。そしてそれは使えるものではある。

 だが、求めてる方向性と違うのであれば新しい形に変えても問題はない。

 アリシアは自分が自覚のないままに思考が狭まっていたと気がついた。

 先程の手合わせと同じでその場から思うように動けない自分を見透かされていたのだとすると、少々恥ずかしい気持ちになる。

 

 「私ヲ手本ニ作ラレタノハ光栄ダガ……腕ノ利点ハ多数オ相手取ル時ニアルト見エタ。ナラバ、一騎打チニハモット特化サセタ形ガ相応シイ。……立チ合ッタ者ノ目デハソンナトコロカ」

 「……ありがとう、ございます。コキュートスさん」

 

 丁寧に頭を下げる。

 思いついた、求めたものを掲げるあまり見落としていた。

 形に拘る必要などないのだ。

 腕の形は確かに自分の反応についてこれる。

 だがそれでも足りないなら反応についてこれるよりも上。反応した時には動き終わっている、そんなものが必要だ。

 アリシアは「気ニスルナ」と左下腕を掲げるコキュートスにもう一度頭を下げてから起き上がるとそのまま部屋を抜け、氷河の領域へと足を踏み入れた。

 途端、吐きだした息が凍る。

 手が。足が。その先から震えだし、いずれは死に至るほどの氷の世界。

 この氷河の領域が本来侵入者にあたえるダメージは解除されているがそれでもその身の凍るような冷気は変わらない。

 その中でアリシアは一息。その冷気を取りこむように深呼吸した。

 

 「ひゅうぅ……」

 

 体の芯から凍えきるような冷気が体を満たしていく。

 冷気に犯されていく体にアリシアはいつものように心地よさを感じながら目を閉じた。

 そして思い描く。自分の反応と一致する武装を。

 自分よりも早く、強い相手に通用するような特化した魔法を。

 対面に来るのはコキュートスの四つの腕。

 その腕からは回避するのも防御するのも難しい業が繰り出される。そのまま立ち向かっても勝てはしない。

 ならば、なにがあれば勝てるのか。

 腕の考え方は間違っていない。

 例え一本一本は劣っていようが防ぐ盾として使い潰せるのだから。

 

 

 ──でも盾じゃない。

 

 

 盾を掲げても間にあわない。それは腕と同じ難点だ。

 盾ではない。

 盾ではないが攻撃を受けられる構える必要がないもの。

 

 「ふぅ――……」

 

 溜めこんだものを排出するように息を吐いた。

 四肢に至るまで世界と一つになったかのような冷気に満たされていた体が時間を巻きもどすように温かさに満たされていく。

 先程まで包んでいた冷気はその四肢からは何一つ感じられない。

 それをいつものように残念に思ったところでコキュートスが姿を現した。

 休憩時間が終わるのだ。

 

 「デハ。再開ダ」

 「……はい」

 

 温かさをを取りもどした四肢とは裏腹に急激に頭から熱が消えうせるような感覚が脳内を突き抜けるように広がる。

 

 

 ──ああ。これだ。

 

 

 快感に酔うように裏の自分が笑ったがそれをアリシアが自覚することはなかった。

 感覚が抜け落ち、熱を感じない、冷え切った思考。

 その集中しきったとしか例えようのない雰囲気を見て取ったコキュートスが四本の武器を構えた。

 

 

 遠慮ハ不要。

 

 

 その確信をもって本日四度目の手合わせを開始する。

 武人と剣士の交わりはこうして何度も繰り返される。

 蜥蜴人の集落へと最後の交渉へ向かうまでの間、双方が時間を作って行われた練習においてアリシアが勝利したのは最後の一回だけであった。

 こうして武人と剣士は業を磨き合い、友好を深めていた。

 

 

 

 幕間の物語~その漆  練習 鍛錬 研究~

     四本腕の練習 終

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださってありがとうございます。

コキュートス大好きな私はどんどん彼の武人を書きたくなります。
予定している王国編でも大活躍! の予感。

ちなみにユーイチ大好きなアリシアが泊まり込みでナザリックに来ているのは怒られたからというのもあります。

次回更新はたぶん、明日になると思います。
私にしては具体的な日付を書いていると思われると思うのですが、もうほとんど書けているだけです。はい。

今回の話と続けて書いていたら、そういえば幕間はそういうものではなかったと。

次回は金瞳の猫亭でのユーイチとファリア、ウィーシャとイレインの予定です。

オリキャラだらけになりますがよろしければお読みください。

ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~練習 鍛錬 研究 弐合目~

初の連日投稿になります。

今回はユーイチとファリアによる幕間の物語です。

イレインとウィーシャの話はまた分割しています。
幕間の物語の主役は一組か一人でいくということを忘れそうになる作者です。


 幕間の物語~その 捌 練習 鍛錬 研究 弐合目~

      死に至る練習

 

 

 

 その部屋はまるで夫婦の寝室であった。

 使いこまれ月日の経過で馴染んだ調度品の数々。

 二つの寝台の距離感は近すぎず遠すぎず、丁度よい距離感を感じさせていた。

 

 「すぅ─……はぁ──……すぅ──……」

 

 そんな熟年夫婦の雰囲気を感じさせる室内で一人の女性が片方の寝台にむかって向かいあうように椅子に座っている。その両手はだらんと投げ出され、寝台の主、上半身を起こした姿でその手を握る男と繋がっていた。

 

 「はぁ―……すぅ──……はぁ───……」

 

 左右の手をそれぞれ繋ぎ二人の男女はその呼吸を合わせるように深呼吸している。

 お互いに目を閉じ、脱力しきった様で行われるそれは何かの儀式か魔術の類か、はたまた医療行為にすら見える。

 そしてそのように見えるのはすべて正解であった。

 

 「すぅ―――っ、はぁ―――……ぅ」

 「……ん。今日はここまでだ」

 「ふ――……ん。ぁ……」

 「まだできる、というのはなしだ。これはほんの少しでも無茶したらいいことは何もない。いいな?」

 「はい……畏まりました。ユーイチ様。本日もありがとうございました」

 「お疲れ様。ファリア」

 

 ユーイチは呼吸法の練習を終えたファリアを労わるように撫でる。

 その手を全ての神経を持っていかれたかのように意識をしながらもファリアはユーイチの脱力しきったままの左手を両手で握り「ユーイチ様も」とこちらも労わるように包み込んだ。

 

 

 

 魔樹の討伐から帰還し、アリシアやモモンがその偉業をたたえる声からようやく解放された頃になってもユーイチの左半身は力を取り戻せていなかった。

 周囲は当人を置いていく勢いで心配し取り乱していたが「じきに治る」と言い切られ、気にもとめていない姿を見せられて表面上は沈静化している。

 そんなようやく一つの穏やかさが戻った頃からユーイチとファリアは日に一度、呼吸法の練習時間を取っていた。

 それはユーイチの子を妊娠しているファリアのためのものだ。

 人間にとって死に至るほどの負担を強いる異種族の出産を遠からず控えているファリアが無事に子供を産めるように──死なないように。その対策としての呼吸法だ。

 

 「ユーイチ様。その……私は上手になっているでしょうか?」

 「心配はいらない。少しずつ、馴染んでいる」

 「……はい」

 「………ファリア。おさらいしておこう」

 

 少し陰りが見えたファリアの手を再度取り、指と指を絡ませる。

 初めてのおさらいという流れに少し力が入ったファリアの指をほぐすように数度握り返しながらユーイチはファリアの視線と、呼吸に自分のそれぞれを合わせた。

 

 「人にはそれぞれの器がある。自分という器には水が満ち、それを消費しては補充して生きている。これは存在する力。人によっては霊力や気、オーラなどと表現したりするものだ。それは当然、君にもある。君の中には君を存在させている器とその中身がある」

 「……はい」

 

 ファリアは返事をしつつ、力を抜いていく、呼吸するという意識もない。すべてをユーイチに任せきっている。導かれるままに動けるように合わされている。

 ユーイチが一息、特殊な呼吸をするたびに、自然とファリアの呼吸も合わさる。

 今、二人は呼吸と指先を通して混ざり合っていた。

 

 「普通の出産であればその力を大きく損なうだけで器には異常が起きない。だから、どれだけ力を失っても死に至らなければじきに治る。今の俺の左のように、な。時間はかかっても治る」

 「………はい」

 

 ファリアの脳裏に一瞬の間、その瞬間が見えた気がした。

 愛する人の子供を抱え、愛する人の側に寄り添い、最愛の人の子供を見つめる自分。

 そんな一瞬の想像にのぼせたかのようにファリアの瞳に色が灯った。

 その視線を受け止めつつユーイチは指先だけ絡ませていた手を深く繋ぎ直した。

 

 「だが、俺の子を孕んだ君はそうはいかない。俺の子は君の器をはぎ取り、吸収し、少しでも俺に近い存在として産まれようとする。それは子にとっては当然の行為だ。人間ではないが人間として産まれる。不安定で曖昧な存在のまま。だから、自分の存在に最も近しい君から、器を奪い、自分の糧にする。その結果、母体である君の器は君という存在を維持できなくなる。生きるためには器を満たしきる水が必要なのに、器が壊れているせいで水がたまらない。そうして徐々に衰弱し、やがては死ぬ」

 「…………はい」

 

 先程の一瞬の想像よりも深く、今度の景色は感じられた。

 お腹の子供に自分を喰われる。

 その想像が容易にできてしまう。

 だが、不思議と呼吸もなにも乱れない。

 話の合間に行われるユーイチの一呼吸に導かれるままに落ちついた一定のペースを維持し続けていた。

 

 「子供が君を喰うことは止めようがない。止めるには子供を殺すしかない。産むならばそれは避けられない。君は器を欠損し、衰弱するだろう。この呼吸法はその時までに君の器を強く、強固な存在にするためのものだ。周囲の存在の力を体内に取り込み、体内で自分の物へと変換し、一時的に器を越えた存在へと昇華する。これにより出産後、多少は君の存在を維持するのに役立つだろう。本来、君の器があったところまでなら君の体に何も負担を与えないはずだ」

 「…………」

 「だが……ファリア」

 「はい」

 「それでも君は死ぬ」

 

 混ざり合っていた感覚が途切れるとファリアはほんの少し、だるさを伴うような疲れを感じた。

 呼吸によって器の上限を越えて溜めこんだ存在の力が体の負担になっているのだ。

 ユーイチは繋がっていた右手を離し、ファリアの頭を撫でた。

 それは男と女ではない。恋人同士でもなければ、夫婦のものでもない。

 最も近しいのは親と子のものであった。

 

 「いくらごまかしても君は死ぬ。それは避けようがない。俺は……助けてやれない。助ける方法を、知らない」

 「……はい」

 「今なら、まだ間にあう。子を殺せば、君は助かる。ウィーシャのためにも、生きるべきではないか?」

 

 この問いは二度目であった。

 妊娠のことを知らされた時に、ファリアはユーイチからすべての事情を聞いている。

 自分の子供を産めば死ぬと。

 何人もの女性がそれで死んだと。

 そんな事情を説明された上での問いかけにファリアは最初の時と同じように答えた。

 恥ずかしそうに微笑んで。

 

 「ユーイチ様は子を殺したくないでしょう?」

 「……ああ」

 「私もです。だから……産みたいです。私とユーイチ様の子を」

 

 我ながら浅ましい。

 ウィーシャの母として、守るべき娘がいる身でありながら。

 得てしまった望外の宝をどうしても手放せない。例え死ぬことになっても。

 

 「呼吸法をおぼえれば、子供が物心つくころまで生きておられた方もおられるのでしょう?」

 「ああ。……そうだ」

 「なら私は物心ついてから、もう一年。ううん。もう半年でも、一月でも、一日でも、その方より長生きします。その努力をします。精一杯生きます」

 「……そうか」

 「はい。そうです」

 

 微笑んでいるわけでもない穏やかなファリアの表情にユーイチは何も言えなかった。

 言えるような立場にいなかった。

 だからこそ、何も言わずに抱きしめた。力の入らない左手はなく、右手だけで抱き寄せた。

 ウィーシャの母親というには若すぎるその体を包んだ。

 

 「……ありがとうございます」

 

 満足に動かないユーイチの左手に手を伸ばし触れ合いながらファリアは目を閉じる。

 耳にユーイチの鼓動を感じた。穏やかな一定のペースを崩さないそれに、なぜだか自分の鼓動も同じように動いているような錯覚を感じる。

 

 (いつか……)

 

 ファリアは思う。

 いつか、この選択を後悔する日が来るのだろうかと。

 そんな日が来ないとは言えない。

 けれどもこの時間だけは忘れないでおこう。

 愛する人の胸に抱かれて、目を閉じていたこの時間をいつでも思い出そう。

 どれだけ後悔してもこの穏やかな一瞬を得たことを。

 

 「私は……幸せ者です」

 

 こんなにも幸福な時を私は忘れない。

 

 いつしか眠りにつくまでファリアは幸せを噛みしめ続けていた。

 

 

 

 

 幕間の物語~その 捌 練習 鍛錬 研究 弐合目~

      死に至る練習 終

 

 

 




お読みくださりありがとうございました。

明日はイレインとウィーシャの話をあげようと思います。

オリキャラ軍団の話になってしまってますがお許しください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語~練習 鍛錬 研究 参合目~

幕間の物語~その玖  練習 鍛錬 研究 参合目~です。
三日間連続の投稿になります。

今回はイレインとウィーシャのお話。

負けられない戦いが…ある!



 幕間の物語~その玖  練習 鍛錬 研究 参合目~

      負けられない特訓

 

 

 

 「やり直しです」

 

 うっ。

 

 冷たい。

 余りにも冷たいその一言にウィーシャはビクリと背筋を振るわせた。

 そーっと窺うように振り返るとこちらを見下ろす視線とぶつかり合う。

 背丈はほとんど変わらないのに見下ろされているように感じるのは教えを請う立場だからか。

 そんなぎこちない様子のウィーシャに音も立てずに近づいてきたのはメイドのイレインである。彼女は今、ウィーシャにメイドのイロハを教え込んでいた。

 

 「分かりますか?」

 「うっ……えーっと、あ、足のつき方?」

 「違います。背筋です。あなた、一度褒めたからといってもう出来たつもりになっていませんか?」

 

 先程は「様になってきた」といわれた背筋について厳しい指摘が入る。

 出来たつもり、になっていなかったかと問われればウィーシャは否定できなかった。

 ほんの少し、そう、ほんの少し、終わった後のことを考えてしまっていた。

 その集中の乱れがイレインの目についたのだろう。

 

 「ごめんなさい」

 「分かってくださったら結構です。では、再開しましょうか。もう一度です」

 「う―――……わ、わかった」

 

 店で働く同僚ではなく、アリシアを妹のように慕う者どうしでもなく、教官としてのイレインには容赦という言葉がまるでない。

 そのことを骨身にしみて理解しているウィーシャはこれで終わった後のことはなくなったと内心さめざめと涙した。

 一瞬、想い人を甲斐甲斐しく世話する母の姿が浮かんだのは幻であるきっと。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓。

 自身が創造された場所。この世で最も尊き御方がお住まいになる場所。

 姉妹たちや同僚たちが暮らし、働いている場所。

 自分にとってかけがえのない場所。

 自分の存在理由であるとさえ思っていた場所を離れて人間の街で暮らすようになってから短くはない日がすぎた。

 当初は定まった役割がなかったイレインだが今ではしっかりとした立場を<金瞳の猫亭>の中で確立していた。

 それは従業員の指導教官である。

 当初は従業員兼アリシアのメイドとして働いていたイレインが教官という立場になることになったのはひとえに従業員達の技術のなさとイレインがメイドとして優れていたからだ。

 ウィーシャをはじめとする従業員たちはメイドはもちろん、従業員としての教育を一切受けていない。

 対してイレインは創造された時からメイドとしての技能を持っていた。

 両者を比較した時の仕事の出来は明らかに差が生まれるものであった。それはお互いにとって意識せざるを得ないものであり、自然とイレインが指導する立場に収まったのだ。

 店の亭主であるファリアからも正式にその役目を任せられたイレインの指導は容赦がなかった。従業員はもちろんのこと、同じアリシアの妹分であるウィーシャも例外ではなく、言葉一つ、仕草一つを指摘しては鍛えていた。

 

 「お辞儀の角度が違う。百やれば百回、千やれば千回。そのすべてで同じ角度を保ってください。頭で覚え、体でも覚えなさい。思考を止めず、思考せずとも動けるようになってください。あなたは少し出来るようになったら思考をやめるから駄目なのです」

 「は、はいぃ」

 「ではまた歩行から……集中してください。でないと、私もあなたも寝れませんよ?」

 「はい――!」

 

 ウィーシャが半ば泣きそうな表情で騒がしくない程度に声を出した。

 もはや月と星が空に広がり、店の従業員が皆寝静まった時間になってもイレインの指導は終わっていない。

 体を休めるべき夜中の指導はやり過ぎのように見える。

 だがこれはイレインが命じて行わせているのではない。自主練習の時間であった。

 イレインはウィーシャから頼みこまれて時間外の指導をしているのである。

 本音の部分であればイレインとしては寝たかった。

 防衛に特化した装備を身にまとうがゆえに飲食睡眠不要の類のアイテムを装備していないイレインにとって慣れない疲労を回復させる睡眠は非常に大切な行為になっていた。

 

 (それに……いつでもアリシア様の元へ馳せ参じる用意をせねばなりませんのに)

 

 望まれればいつでも夜の共をするためにもこんな時間外の指導を引き受けている暇はないのだ。このままではいつまでたっても愛する人と過ごすことはできない。

 イレインはまだまだ不安定なウィーシャの動きすべてを視界にとらえながら内心で呆れている。これが自分と同じ妹分だと思うと情けない。

 

 (……さっきよりはいいですが、終わらせようと力が入り過ぎてますね。あんなに力んだメイドが何処にいるのですか)

 

 これで決める!

 

 というウィーシャの意思を感じつつもそれでは合格点を出せない。

 これは今夜も睡眠時間は三時間取れればいいところだろう。

 

 (まったく……不出来な姉妹をもつとこうも苦労するのですか。……なるほど。皆に同じだけの技量をお与えになったのはこういうことなのかもしれません。流石は至高の御方) 

 

 どれだけ自分の望みから外れていようとイレインがウィーシャの指導を引き受けているのはアリシアの妹分というお互いが譲らなかった大事な立場のためだ。

 アリシアが望んだ通り、仲良くすると決めた以上、席を一人で独占しようという考えをイレインはすぐに捨てていた。そうなると残された道は共存である。二人で共にアリシアの妹分を務めるしかない。

 そう定まった時から、イレインにとってウィーシャは仕事のできない生意気な口だけの従業員から、不出来な妹という立ち位置になった。

 そしてイレインは姉妹のたのみを断ることはなかったのだ。

 

 自分とこの娘はアリシア様の妹。

 

 その繋がりがあるのであれば妹に指導をするのは姉として当然の責務である、そうイレインは何一つ疑問を持たず思っていた。

 

 「……力を入れ過ぎです。疲れているのはいい訳になりませんよ。それではカナリアにも劣ります」

 「う……ん。ま、負けないっ」

 

 ウィーシャが個人指導を求める原因になった従業員の名前をあげると疲労を感じていた瞳に強い光がともったように見えた。

 イレインはその人形めいた表情の裏でほんの少しだけ笑った。

 

 「……負けないのは構いませんが、力を入れ過ぎないでください。自然体で体の軸を意識して。はい。もう一度」

 「うん!」

 「声が大きい」

 「ぁ、ご、ごめん」

 

 本当に、不出来な妹だ。

 今夜一番の集中をみせるウィーシャの姿をみていると何度でもイレインはそう思ってしまう。何度でも。

 

 その夜、二人はぎりぎり三時間睡眠を取った。

 普段通りの睡眠時間はまだまだ遠かった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 近頃、冒険者の人達の気持ちが理解できるような気がする。

 ウィーシャは受付業務を笑顔でこなしながらそんなことをふと思った。

 最近まともに眠れていないはずなのになぜだか日中辛い感覚がなくなりつつある。

 

 (冒険者の人達は三時間眠れたらそれでいいっていう話だけど……本当のことだったのかな)

 

 短い睡眠が悔しいながらも日常になりつつも、それに慣れつつある自分に驚く。

 もしかしたら姿勢を意識して動き回っているおかげで体が少し強くなったのかもしれない。睡眠時間を削っての練習はしっかり成果として表れているのだろうか。

 

 (……成果としてはまだまだ。うん)

 

 睡眠時間に慣れた程度で何が成果だ、とウィーシャは気合いを入れ直す。

 越えなくてはならない目標は明確なのだから。

 

 ウィーシャが夜中に個人指導をするに至った原因は従業員の問題児カナリアにある。

 イレインの最初の指導を受けた際、すぐに成果が形になったのがカナリアだったのだ。

 

 「なかなか筋がいいですね」

 

 そうイレインが褒めるほどカナリアは従業員として、メイドとしての技術を会得するのが速かった。

 そして姿勢よく働くカナリアはいつもよりずっと綺麗であった。

 

 

 

 ──見違えた。綺麗になったな。

 

 

 

 そんなカナリアにユーイチが言った言葉をウィーシャは完璧に思いだせる。というかいつでも脳裏に張り付いている。普段と変わらない様子で紡がれた短い言葉でそれに驚いた自分や周囲。そして華が咲いたように喜び笑ったカナリアの表情。そのすべてを忘れていない。

 

 私以外を自分から褒めた。

 

 目の前で起きた。初めてのこと。

 自分だけの特別がカナリアに奪われたその瞬間は忘れようがない。

 ユーイチはアリシアでもファリアでも、自分からはその容姿を褒めることはめったにない。その中でずっと、自分だけが褒められて、可愛いと、綺麗だと言ってもらえていたのだ。

 

 

 

 自分だけが!

 

 

 

 「負けるわけにはいかないの……!」

 

 

 その日からイレインに頼みこんで毎日毎晩特訓の日々が続いている。

 成果はまだ形になってはいない。

 一つのことを覚えるたびに、何かミスを指摘される毎日だ。

 正直イレインの指導にくじけそうになる。

 だが、ウィーシャは負けたくはなかった。

 

 

 「アリシア様や母さんなら! 納得する! でも他の人には誰にだって負けたくないの!!」

 

 

 迷惑そうに目を細めたイレインをそうして口説き落とした言葉は今も自分の原動力になっている。

 その負けん気こそが少ない睡眠時間にも負けない最大の要因であった。

 

 そんなウィーシャと交代するようにイレインがカウンターに入ってきた。

 交代の時間には少し早かった。 

 

 「ウィーシャ。こちらはすべて終わりました。受付を変わります。休憩してください」

 「うん。イレイン。後はお願い。……ありがとう」

 「御礼を言われることは何もしていませんが……この私が指導しているんです。早く一人前になってください」

 

 表情を変えない友達に御礼を言って休憩のために部屋に戻る。

 ここで回復させておかないと深夜までは持たない。

 

 「……負けないもん」

 

 仮眠のために瞼を閉じながらウィーシャは一言そう呟いた。

 

 

 

  幕間の物語~その玖  練習 鍛錬 研究 参合目~

      負けられない特訓 終

 

 

 

 

 




お読みくださりありがとうございました。

ちょっと整ってない、というか、なんでしょうか。
我ながら少々納得いかない文章です。

ちょっと急ぎ足になったかもしれません。

次回は幕間ではなくとうとう王国編の予定です。
まとまった分量で三回くらいの投稿で考えてます。

次回更新は来月の予定です。
よければまたお読みください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ある日の物語一幕目~お菓子をくれないと悪戯するよ?~

すごくお久しぶりの投稿になります。

長らくお待たせしました! 王国編です!!

・・・・・・

というわけではありません。
王国編は一度データが吹き飛んでしまい再度書き直しております。
かなりモチベを削られてしまって筆が進まない中、オバマス(オーバーロードのソシャゲ)の新規イベをやった結果・・・

「本筋すすまねぇなら時期ネタ書くか!」

と開き直って書かせていただいています。
王国編を書きながら、今後はちょっと思いついたネタをあげていけたらと思います。

ではハロウィンネタをどうぞ。
今回はお菓子はいらないので悪戯をしたい彼女達にお菓子を渡すために奮戦する男二人のお話です。


 ある日の物語一幕目~お菓子をくれないと悪戯するよ?~

          俺たちのお菓子はどこだ?

 

 

 

 「お、お菓子をくれないと……いたずらし、しますぅ」

  

 

 ──可愛い。

 

 

 こ、これであってますよね? と自分やユーイチへと視線を右往左往させているウィーシャは大変可愛らしい。これは大問題だ。是非お菓子をあげたいが悪戯をみてみたくもなる。

 南瓜などで彩られた<金瞳の猫亭>では今現在『はろうぃん』という季節の祝い事が行われていた。

 ことの発端は店に訪れる商人がユーイチに「旅の中でこの時期に何か祝い事やお祭りごとで何か記憶に残ってらっしゃるものはありますか?」と雑談で問いかけてきたことから始まった。

 

 「この時期でしたら……そうですね。ハロウィンでしょうか」

 「はろ、はろうぃん?」

 

 王国周辺ではなじみのなかったハロウィンという祝い事だが、それを聞いた商人から話が繋がりなんと都市長までたどり着き「アダマンタイト級冒険者、救国の英雄殿の馴染みの祝い事ならやっちゃってもいいんじゃないかな?」と都市をあげて開催されることになってしまった。

 これは冒険者組合がかつてユーイチやモモンに行った接待と似たような意味合いを持っていた。

 伝言リレーの結果都市の上層部にはユーイチが故郷の祭を懐かしんでいると伝わっていたのだ。

 ユーイチはあくまでぱっと思いついた祝い事を話の種に使っただけだったのだが、まったく本人の意思とは関係ないところで話は進み五日後にはエ・ランテル初のはろうぃん祭が開催されるとなったのだ。

 そうして今、従業員とアリシア達は集まり来るべきはろうぃんに向けての知識をユーイチから教えられていた。

 ウィーシャが顔を真っ赤にしてユーイチに向かいあっている。

 教えられた通りの言葉を口にしているだけなのでそんなに恥ずかしがらなくてもとアリシアは思うが、自分が同じ年ごろの時に同じ言葉を平然と言えたかと問われれば答えはノーなのでうんうんと内心で頷いている。

 

 お菓子をくれいないと悪戯する。

 はろうぃん特有の約束された勝利の言葉にアリシアは魅了されていた。お菓子をもらえるのもいい、悪戯をするのもいい。どちらに転んでもいいことしかない気がする。

 部屋に戻ったら私も言ってみよう。

 そう決意してこの場はウィーシャやイレイン達、従業員に譲ることにする。

 祭りに向けて店では初めて屋台を出すことが決まっている。

 望んだ結果ではないとはいえユーイチが発端になった祭だ。余所の店が祝っているのに祝わないわけにもいかない。

 そのためのはろうぃんに対する予習の時間を奪うわけにはいかないのでアリシアは黙ってその様子を眺めていた。

 

 「それはこわい。ではこのお菓子をどうぞ」

 「あ、ありがとうございます。ユーイチ様」

 「……このようにハロウィンというのは子供や女性が家をまわり、お菓子をもらうというものだ。南瓜やその羽のような黒いマントは雰囲気を出すための飾り付けや衣装の類だ」

 

 恐縮しているウィーシャの頭をなでつつ、ユーイチが従業員を見渡している。

 

 「屋台では子供にはお菓子を配り、大人からは料金をもらって料理を出すべきだろう。この前話したケバブの作り方は皆覚えたな。あれだ」

 

 隊商宿であるこの店では客から料金を取る飲食はお酒とファリアが焼いたパンしかない。

 そのパンに肉や野菜を挟んだメニューを屋台で出そうという話である。

 ユーイチ曰くケバブと言うらしい。果たしてどんな食べ物なのか。

 

 

 ──食べたことなかったかな? どうだったけ?

 

 

 心の中の自分もおなじように記憶をたどっている。

 パンの中に肉や野菜を挟みそのまま食べる買い食い専門のような料理。

 サンドウィッチのようなものともまた違うらしい。

 完成品は是非試食させてもらいたいものだ。

 

 

 ──じゅるり。おっと。

 

 

 アリシアは初めてにめっぽう弱い。

 知りえなかった料理が身近にあったことに喜び、食欲と知識欲を同時に刺激されていた。

 

 「あら、シアちゃん、どうしたの?」

 

 ソファに座って『はろうぃん』の説明を聞いていたファリアがエルティシアに声をかける。最近つわりが落ち着き始めたそのお腹は大きく膨らんでいて妊娠していることが一目でわかるようになっている。

 ユーイチとの間にできた子供は順調に育っていた。

 そんなファリアの声に少しだけ視線を向けて応えてからエルティシアはウィーシャの横に並んでじっとユーイチを見上げて微妙だにしない。 

 

 「…………」

 「シアちゃん?」

 「……あ、なるほど。ファリアさん、シアはきっとユーイチ様の言われた子供や女性が家をまわる、というのを実践しているんだと思います。お嬢様が女性役で、きっと自分は子供の役だと言ってるんだと思います」

 

 従業員のまとめ役であるリディアの説明にシアは一度コックリと頷いてジッとユーイチを見上げる。言葉を話すことのできないエルティシアだがリディアだけは何となくその意図を理解できていた。

 

 「そうか。……すまない。シア、今のでお菓子は品切れだ。用意していなかった」

 

 何かを訴える視線に合わせるように膝を床につけ視線を合わせるユーイチだったが用意していたお菓子はウィーシャに渡した一袋だけだ。

 

 「………………」

 「えっと、ユーイチ様。この場合はどうなるんですか? お菓子がないと」

 

 リディアでなくても分かるエルティシアの残念がっている雰囲気に隣に並んでいるウィーシャが自分がもらった袋を抱えて焦っている。<金瞳の猫亭>の中で最年少のエルティシアは誰からも可愛がられる小動物のような存在だ。ユーイチやアリシアに可愛がられているウィーシャにとってもそれは変わらない。自分だけがお菓子をもらえてエルティシアがもらえないのは間違っていると思えた。

 

 「そうだな……皆、こういうことは実際に良くあることだ。お菓子を配っていたらなくなってしまい、子供に配れなくなる。当然本来はそうならないように準備を怠らないものだが、配り歩いていたりしていれば手持ちがちょうどないときもあるものだ。……そして、こういう時は潔く悪戯を受けるのもこの祭りの肝でもある。子供の悪戯と笑える雰囲気を楽しむのも醍醐味であるということだ」

 「悪戯を受けるのもお祭りの一部なのですね」

 「ああ。だが子供の悪戯には時として加減を忘れたものもある。例としては窓を割られたりとかな。そうはならないように基本的にはお菓子を渡せるようにそなえるのが大切だ」

 

 ユーイチの説明に几帳面な従業員がメモを取っている。

 窓を割られると聞いて想像以上に大変な祭りであると皆認識を改めていた。

 ウィーシャなどはファリアが妊娠していることもあって店の窓を割られるような悪戯は避けなければと気合いを入れ直していた。石でも投げられてはたまったものではない。

 

 「というわけだから……シア、この場にお菓子はない。すまないが悪戯で許してくれ」

 

 

 ──あ、ずるい……羨ましい。

 

 

 羨ましい。羨ましい。

 先程までのお菓子をもらえなかった可哀想なシアを見る目が一転して変わる。

 ユーイチに悪戯できる羨ましいシアの誕生である。

 

 (私だったら……デコピン)

 

 アリシアは内の自分と一緒になって頷きながら自分だったら今までの御礼も兼ねて渾身のデコピンを見舞うのにと羨ましげにシアを見て、そして恨めしげにユーイチを見た。今まで事あるごとに自分を悶絶させてきたあのデコピンを今度はユーイチが喰らえばいいのだ。そして思い知ればいい。どれほどいたいか。

 

 「…………」

 

 アリシアが心の底から思い知らせてやるんだと願っていると、それに応えるようにエルティシアは両手をユーイチの頬を挟むように広げた。

 

 (両手のビンタ。それもいい)

 

 衝撃の逃げ場がない挟みこむビンタとはいい選択だ。

 いつもと変わらない無表情でその様子を見ているアリシアは、内心あくどく微笑んでいる気になりながら、エルティシアがそれはもう強烈なものを御見舞してくれることを期待していた。

 

 

 ──いい音なるやつがいい。

 

 

 そんなアリシアの応援が届いたかのようにエルティシアは両手をペチっとユーイチの頬に添えた。

 そんな可愛いらしい悪戯を予感していた周囲が和み、少々残念にアリシアが想っている中、本命の強烈な悪戯が炸裂した。

 

 「……──」

 

 躊躇なくエルティシアはユーイチの唇を奪ったのだ。

 擬音にしてすればちゅーっと数秒なったかのような見事なキスシーンである。

 周囲が一瞬にして静寂に包まれる中、唇を離したエルティシアは自分の唇を抑えつつ、まるで「ごちそうさまでした」と言わんばかりに一礼して満足そうにリディアの側に戻っていった。

 

 

 ──え。あれってありなの?

 

 

 心の中の自分が目を見開き指を指していた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「ぶわはははははっ。あはははは──む、精神が抑制されました」

 「わざわざ言わなくても分かるよ。まったく」

 「いや、だって面白じゃないですか。しかし、納得しましたよ。なるほど。だからアリシアさんどこか不満げだったんですね?」

 「子供の悪戯に嫉妬するなと言ってやってくれたら助かる」

 「いやいや俺はアリシアさんに睨まれたくないんでやめておきます」

 

 ハロウィン祭当日。

 アダマンタイト級冒険者としての務めを終えたモモンことアインズとユーイチはナザリックにてうちあげをしていた。

 アインズの自室にて二人でお互いの健闘ぶりをたたえあっている。二人ともエ・ランテルでは子供に菓子を配りながら遊び続けていた。

 

 「す―─、ふ――……あ──、これ生き返るわぁ」

 「アンデッドの体で何を言うのやら」

 

 ユーイチは珍しく持ちこんできた酒を飲み、アインズは煙管のような細ながいパイプを口にくわえている。飲食が出来ない体のアインズだったが匂いは分かるため、それを楽しめるようにとユーイチから贈られた嗜好品だ。

 

 「いやこのミントの感覚がすーっと鼻の奥というか……なんですかねこれ。スッキリするというか……」

 「完全にやばい薬物に手を出している感想だな……他にも試してみるか? 炭酸のはじける感覚を味わえるやつもあるが」

 「どんな匂いなんですかそれ……いただきます」

 

 二人だけで会える稀少な機会を逃さず日頃の精神的肉体的な疲労を癒すかのように二人はお互いにリラックスして雑談を重ねていた。

 今日は夜通しで騒ぐため二人の間にあるテーブルにはいくつかの遊具がつまれている。それはボードゲームであったりカードゲームであったりタイルゲームだったりとアナログゲームの類だ。

 いくつかはナザリックの書庫からアインズがこっそり持ち出してきたものであり、残りのものはユーイチがアイテムボックスに詰んでいたものを引っ張り出してきたものだ。

 アリシアの故郷──テラースフィアでは寿命がなかったり、実質ないようなものだったりする者がユーイチのように数多く存在する。どうしても生き飽きてしまいがちな中で趣味として多くの者に好かれているのの一つがアナログゲームであった。今夜、二人は酒と匂い煙草を味わいつつ遊戯に興じようとしていたのだ。

 

 「しかし、他人事ではないだろうに……笑っていていいのか? 今夜はここもハロウィン祭だろう?」

 

 ユーイチがアインズに手札を配りながら二人対戦用のカードゲームの準備をしつつ尋ねる。ナザリックにもハロウィンの話は広がっていた。日のあるうちのエ・ランテルでの祭りが終われば夜中はナザリックでハロウィン祭の予定が組まれていた。

 ユーイチが今夜こうしてアインズの部屋に来ているのもそれに参加するという名目である。実際の目的の大半は二人で気楽に遊ぶためだが。

 

 「その辺は抜かりないですよ。ハロウィンを楽しむにあたっていくつかのルールを設けましたし、お菓子もそこの箱にこれでもかというほど詰め込んでありますから、あとは尋ねてきた子たちにお菓子を手渡していくだけです。……これって追加のカードありますけど、勝利点を稼ぐのが目的のゲームに変わりないですよね?」

 「ああ。目的として協力するが最終的に勝利点を多く獲得した方の勝ちだ。……ここのハロウィンのルールについては初耳だ。俺も参加者として確認しておこうか」

 「あれ? アリシアさんから伝わってませんでしたか? じゃあ説明しますね」

 

 アインズは配られた手札から戦略をねるのを一時中断しアイテムボックスの中からチラシを取りだしてユーイチに手渡した。それはナザリックの者やアリシアに配られていた「第一回ナザリックハロウィン祭」と書かれている注意事項である。

 

 

 1.参加者は仮装すること。

 2.女性と子供は「お菓子をくれないと悪戯する」と相手に対して一度だけ要求できる。

 3.要求していいのは自分よりも年齢か役割が上の者に限る。

 4.お菓子を渡さなかった場合悪戯を受けること。

 5.暴力行為の禁止。

 

 

 「だいたいこの五つにまとめられている通りです。トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、というお決まりなものですよ」

 「……なるほど。終了時間は?」

 「夜が明ければ終了です。一夜のお祭り騒ぎですね。……では、そろそろやりますか。ふふ。今日こそは勝たせてもらいますよ?」

 「日頃、アインズ、モモンガ、モモンと忙しいサトルくんが果たしてどれだけ上達したか、見せてもらうとしよう」

 

 対戦するゲームは遊ぶ機会を作るようにしてから一度もアインズが勝ったことがないものだ。自然とアインズのチャレンジャー精神がメラメラと燃えあがり、その暗い眼窩が赤くそのやる気を映し出すかのように輝いた。

 先手のワンドローもらいます、とアインズが山札からカードを引きゲームが始まった瞬間。

 

 

 「む。きたようだ」

 「と――と……タイミングが絶妙ですね」

 

 来訪者の気配を察知したユーイチが手札をテーブルの上に伏せる。

 

 「アウラ嬢とマーレ君だろう。他にはいない」

 「あの二人ですか。真っ先に来てくれたようですね。ふふ。どれどれ……可愛い子たちの登場となればお菓子を渡さねばなるまい!」

 「張り切っているな」

 「そりゃまぁ……アウラとマーレが楽しめそうだなー、とか思いながら二人の楽しんでる姿を想像してましたからね。さぁーって、お菓子、おか……何?」

 

 お菓子を大量に詰め込んでいたはずの収納BOXをひらいたアインズの姿がピタリと停止する。

 漏れ出した呟きは先程までの気の抜けた楽しげな雰囲気ではなくなっていた。

 

 (お菓子が……ない、だと?)

 

 アインズの覗きこむ視線の先には深淵が広がっている……真っ黒い箱の底が見えるだけだ。

 宝物殿の財宝のようにつまれていたはずのお菓子がない。

 そしてそのアインズの背中を見てユーイチは全てを察した。

 

 「……<伝ッ」

 「かけるな。思うつぼだぞ」

 「? ……ユウさん?」

 「大方、ペストーニャ殿か料理長殿に確認を取ろうとしていたな? やめておけ。おそらく首謀者たちによって既に身柄を拘束させられているだろう」

 

 用意していたお菓子がひとつ残らずなくなっているという事態を目の当たりにして、用意するように命じた料理長たちへ<伝言>を飛ばそうとしたアインズをユーイチが止める。

 

 「<伝言>を使えばその反応を見て……確認できるということですね?」

 「その通りだ。……サトルくん、今夜はアナログではなくリアル脱出ゲームのようだ」

 

 こうして。

 テーブルにつまれていたアナログゲームを片づけつつ二人はゲームの始まりを告げる最初の来客を迎えることになった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 アインズとユーイチが事態を呑み込んだ頃。

 

 「今頃、アウラとマーレがアインズ様の元へ向かったところね」

 「ふふ。ちびらしく掌でうまく踊ってくれしんしょうね?」

 「……今のところ、順調だと思います」

 

 三人の女が一室に集まって丸テーブルを囲んでいる。その周囲には側に控えるメイドが一人と拘束されて身動きの取れない犬顔のメイドと何処に目が目があるか分からないスライムのような顔の料理長がいた。

 三人の女はそれぞれが妖艶、甘美、清らかな美しさを持つ美女である。

 

 

 それは本当に着衣として成り立っているのかと見る者に言わせてしまうだろう布面積な衣類をきたサキュバス。

 小さな体に不釣り合いなほど大きな胸を詰め込んでた吸血鬼。

 黒いマントをたたんだ翼のように着込みつつとがった八重歯をのぞかせる姫騎士。

 

 

 アルベド、シャルティア、アリシアの三人は計画通りに事が進んでいること確信して頷きあった。

 三人はハロウィンにつけこんでそれぞれの想い人に悪戯をするために手を組んだのだ。

 ことの発端はアリシアが語った<金瞳の猫亭>でのエルティシアの悪戯が原因だった。

 

 

 悪戯しても罪には問えない。怒られない。

 

 

 そんな甘く逃せない状況があるということを逃さず三人が企てた「お菓子はいらないので悪戯します」作戦は決してこのナザリックの主人が定めたルールを破るものではなかった。

 お菓子をかくしたのもルールの範囲内であったし──そもそもこの三人が直接かかわったわけでもない。全てルールを守って行う合法なものであった。

 

 「ペストーニャ、料理長。一応聞いておくけれど……アインズ様からのご連絡はないわね?」

 「ないです……わん」

 「こ、こちらも、ありません」

 

 ペストーニャと料理長は顔を見合わせて困っていた。

 守護者統括と守護者、そして主人の友人によるこの行為はハロウィンのルールに沿うものではある。だがルール内の行動とはいえ主人のお菓子を渡したいという希望を損なうようなまねをしてもいいのだろか。

 

 (アインズ様でしたらこれも悪戯のうち。ハロウィンの楽しみだとお許しくださるかもしれませんが……)

 

 それでも主人の所有するお菓子を隠したことは大罪ではなかろうかと、ここにはいないお菓子を奪った人物を思い浮かべ、彼の人物だからこそ許されそうだと妙に納得してしまう。

 

 「さぁ次の手を打ちましょう。連絡しなかったということはまだ手持ちのお菓子があるということ」

 「アインズ様が御持ちになっていおられんしたんでしょうかえ?」

 「たぶん……ユーイチの持っていた分、だと思います。けどほとんど手持ちはないはずです」

 

 三人して悪だくみをしてる美女たちを見てもう一度顔を見合わせてペストーニャと料理長はため息をついた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 部屋の入り口付近に待機させていた一般メイドからアウラとマーレがやってきたという報告を受けてアインズはしばらく待つようにと指示を出した。

 

 「……どうしましょう?」

 「首謀者の目星はお互いについているだろう? なら、目的も分かっているはずだ」

 「ええ。それはまぁ……」

 

 二人の頭にアルベド、シャルティア、アリシアの姿がよぎった。

 三人がお菓子をもらうつもりがないのは明確だった。

 

 「目的は……悪戯、しかも確実に俺たちの貞操があぶないやつですね」

 「俺はともかくサトル君は本当に危ないかもしれないな。……さて、ご丁寧にお菓子を奪ったところを見る限りルールに従うつもりはあるらしい。つまりこのお菓子は無敵の盾なわけだ」

 

 ユーイチが二人分のお菓子を、店でウィーシャとエルティシアに渡そうと思っていた物を取り出してアインズに渡す。

 

 「だが、君はお菓子を受け取るのを楽しみにしているアウラ嬢たちをがっかりさせたくはないだろう? だからこれはそのまま渡すといい。それに、俺はともかく君は二人がかりで襲われたらどちらかには悪戯されてしまうからな」

 「ですが、アウラとマーレに渡せば乗り込んできませんか? 今襲われたらひとたまりもないですよ」

 「おそらくだがそれはない。むこうは俺たちがいくつお菓子を持っているかわからない。つまり、迂闊にキーワードを使ってしまうわけにはいかない。アウラ嬢とマーレ君の直後にはまだ来ないだろう。……きたら大人しくお世継ぎでも作ってくれ」

 「いやいやいや……その時は一蓮托生でアリシアさんを唆しますからね!? そっちも覚悟してくださいよ!!」

 「……とりあえず二人が待っているぞ」

 

 ユーイチに促されてアインズは二袋のお菓子を懐に隠しつつアウラとマーレの元へ向かった。

 するとそこには伯爵姿のアウラと魔女娘姿のマーレが待っていた。 

 

 「アインズ様! えへへ。トリック・オア・トリート!」

 「え、えっと、お、お菓子をいただかないと、い、い、い、いたずらさせていただいちゃいます……ご、ごめんなさいっ!」

 

 (二人とも……やっぱり純粋にこの催しを楽しんでくれてるなぁ。ありがたい。うぅ、本当はうんとたくさん渡す予定だったのに)

 

 渡しきれないほど用意したはずのお菓子はおそらくアルベドたちの手によって隠されてしまっている。

 アインズはそうと感じさせないあえて演技がかった声音で二人に応じた。

 

 「ははは。それは恐ろしい。これで悪戯はご勘弁願いたい」

 「わ─! ありがとうございます! アインズ様!」

 「あ、ありがとうございます。アインズ様っ」

 

 想像通りの喜び様を見せてくれる二人の無邪気な姿を見ていると二人に協力を仰いでアルベド達を何とかしてもらうという案が消えうせていくのを感じる。

 

 「さぁ。まだ他の者のところをまわるのだろう? 早くいくといい。また明日今夜の成果を報告してくれ」

 「はい。わかりました。アインズ様、おやすみなさい」

 「アインズ様、失礼しました。おやすみなさい」

 「ああ。おやすみ。二人とも」

 

 丁寧なお辞儀をして退出していった二人を見送りアインズは何としても無事に今夜を乗り切る決意を固める。それはナザリックの支配者として無理やり抑え込もうというのではない。楽しそうにはしゃいでいた双子の守護者のように、きっと立場を忘れて悪戯の計画を考えているアルドベやシャルティア、そしてアリシアのことを可愛らしく感じるがゆえに、そこに水を指すような終わり方をしない、という覚悟を決めたのだ。それはすなわちハロウィンのルールに従って今夜を乗り越えるということだ。

 

 (やってやる。この楽しいひと時を笑顔と笑い声に包まれたまま終えて見せる)

 

 状況は圧倒的に不利。

 エ・ランテルまで逃げ込めば流石にどうにかなるだろうが相手にアリシアがいるのが致命的だ。転移の対策はおそらくされていると見て間違いないだろうし、転移してまで移動しようとすればそれはお菓子の未所持を表すようなものだ。

 

 (当然それを見越して罠にかけるという手もあるだろうが……駄目だな。イレインがいる)

 

 転移先をいじられ逃げ場を失いイレインに「トリック・オア・トリート」と言われてしまえば自分はつむ。お菓子がなければアルベドとシャルティアが逃げ場のない状況で襲ってくるのは間違いない。相手はこちらが用意していたお菓子がないことが分かっているのだ。不確定要素としてエ・ランテルでのハロウィン祭りで残していたお菓子がどれほどなのか分からないから今は向かってこないのだろうが。

 

 (うん……? 待てよ)

 

 そこまで考えたところでアインズの思考は一つの疑問を覚えた。

 本当にアルベドたちはお菓子を隠したのか?

 アルベドたちはハロウィンのルール。つまりアインズ自身が定めたものに従って悪戯を成功させようとしている。それはルールに従わなければ問答無用で断られる、もしくは怒られると分かっているからに他ならない。であればお菓子を隠すという行為はルール違反だと言われる可能性を考えているはずだ。

 

 「つまり……お菓子がないのはルール的にセーフ?」

 

 この世界に転移してきてからまだ一年にも満たない。だが濃密な時間をそれこそ眠らずに過ごしてきたアインズには確信を持って言える。主人の持ち物を意図的に隠すようなことはナザリックに属する者にとって大罪に値するだろうと皆が思っていることを。

 それが許されるような何かがあるとすれば──。

 

 「ハロウィンのルール」

 

 それ以外にありえない。

 奥の部屋でユーイチを待たせていることも忘れて椅子に座りつつ机の上にいる猫を撫でる。

 ハロウィンのルールではお菓子を渡せなければ悪戯をしてもいいとなっている。つまり、何処かで「トリック・オア・トリート」と叫んだ何者かにお菓子を渡さなかったために悪戯されたのだ。

 

 

 (お菓子は悪戯で隠された? ……俺、トリック・オア・トリートって言われたのアウラ達が初めてなんだが)

 

 「ごろにゃん」

 「……ん?」

 

 じっとアインズと机の上にいる猫の視線が絡みあう。アインズはその猫を見たことがった。

 そう。たしかそうだ。自分の黒歴史に触れるような言動をするがゆえに痛々しいあいつに、愛されるということを理解させるために変身させた時にみたような……。

 

 「あ。あぁぁぁぁ!? お前か! パンドラズ・アクター!!」

 「ニャニャニャー! にゃにゃにゃぁ―!!」

 

 

 ──やっとお気づきになられましたかマイマスター!

 

 

 そう言っているだろうなぁと何となく伝わるってくる適当な猫語を発する自らが創造した存在。

 パンドラズ・アクターを捕獲してアインズは思い当たる節があったことを思い出していた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「いやー、ナーちゃんその尻尾めちゃくちゃ可愛いっすねぇ。猫っすか? 化け猫?」

 「ありがとうルプー。ええ、この日のためにアリシアに用意してもらったわ。ルプーのは狼男?」

 「ちーがうっすよ。狼女っす! うふふ、お菓子をくれないと食べちゃうっすよー!」

 「ひょっとしてそれボクに言ってる? さっきセバス様と一緒に渡したでしょう」

 「……ルプスレギナ、それは仮装と言える? 変わってない」

 「変わってるっす! 灰色狼っすよ!」

 「人狼のあなたがその選択はないでしょう。私のように無難に魔女にでもしてればよかったのに」

 「私もぉ。そう思うぅ」

 「ちょっとぉ!? 皆して……な、何を言うっすか!? セバス様もオーちゃんも似合ってるって言ってたっすからね!?」

 「……二人とも優しいから」

 「ぼっそと言われると……こ、心にくるっす。この格好じゃアインズ様のご期待に添えない?」

 「アインズ様であれば全てを御理解下さった上で褒めてくださると思うわ。……ルプーの可愛らしいところ」

 「いやいやいや、それは駄目っす! 私はちゃんと出来る女としてやってるんっすから……い、今からでも着替えてくる!」

 「往生際が悪いわよ。さ、もうつくのだからしゃきっとしなさい」

 「いーーやーーー。だ、だめっす~~~!」

 

 

 

 騒がしすぎない程度にはしゃぐ声がアインズの部屋を訪れたのを確認してアルベド、シャルティア、アリシアの三人は行動を起こした。

 最初に訪れたアウラとマーレからプレアデスに至るまでの間に訪れた者たちは既に三組に及ぶ。そのいずれも人数とタイミングをアルベドによって調整されてアインズの部屋を訪ねていた。

 もちろん当人たちにはその自覚はない。アインズのお菓子の所持数を見極めるための弾役にされていた。

 弾役が「アインズ様から頂いた大切なお菓子~!」とはしゃぎながら立ち去っていく中、勝負をかけるタイミングを計っていたいた三人はプレアデスが来るのを待っていた。

 今夜各部屋をまわるグループを全て把握しているアルベドにとってプレアデスのグループは最後の判断に丁度いい数と人であった。

 

 「ユリはプレアデスの長女。そして性格と趣味を考慮しても間違いなくお菓子を作り、配る側のはず。つまり、自分がもらうことは想定していないでしょうから間違いなく仮装をしていないでしょう。である以上、アインズ様はユリにお菓子を渡す必要はないわ。今夜のハロウィン祭のルールは仮装をしていなければならないのだから」

 

 アルベドは角度によっては見えてしまうのではないかというような自らの仮装の端をつまみつつ説明する。

 

 

 ──それは本当に仮装でありんす?

 ──ぁ、見える。

 

 

 呆れたようなシャルティアと無表情に磨きをかけて視線をそらすアリシアの様子を気にもとめずにアルベドは口角を楽しげにゆがませる。

 

 「しかし! アインズ様はお優しい御方……! 間違いなく他の姉妹にお渡しになるのにユリに渡さないなんてことはないわ。例えそれがどれだけ自分の首を絞めようとね。ふふ、その隙をつくのよ。他にもいろいろあるけれど、確かなチャンスだということを理解してもらえたらいいわ」

 「同じ目的のために動いているアルベドが言うんでありますから信じているでありんす。……それではユリたちが出てきたら手はず通りに」

 「畏まりました。シャルティア様。まずは私がアインズ様にキーワードを」

 「……イレインがお菓子をもらえたらその次に私が。お二人は同時に、ですよね」

 「ええ。その通りです。仮にアインズ様がお菓子を一人分御持ちだったとしたら……分かってるわね、シャルティア」

 「もちろんでありんす。その場合、アインズ様に選ばれた方が悪戯できるということでありんしょう? うふふふ」

 「そういうことよ。くふふ」

 

 双子の吸血鬼に扮したイレインとアリシアがアインズに迫り、手持ちのお菓子を使わせてから、シャルティアとアルベドがトドメを刺す構えだ。

 そのまま三人はプレアデス達が部屋から出てくるのを待ち、そしてその姿が見えなくなったのを見計らってアインズの部屋に突撃した。

 

 「アインズ様!」

 「おや、今度はアルベ……」

 

 アルベドに反応したアインズがピタっと動きを止める。

 

 「くふふ。アインズ様、今宵は、このアルベド、御趣旨に沿いますように守護者統括という地位を忘れこのように仮装して参りました」

 「か、仮装……? アルベドよ。一応、確認するが、それは何の仮装なのだ?」

 「OK枕を装備した夫を待つサキュバスです!」

 

 

 おまえのそれは仮装なのか?

 

 

 その場にいる全員がそんな視線をアルベドに向けたが誰もそれを実際には口にしなかった。

 アインズはあとほんの少しでその言葉が出かかったが何とか抑え込んでいた。先程見た「は、灰色狼の狼女です……」というルプスレギナを見ていなければ即座に突っ込んでいただろう。人狼の狼女を認めたのだからサキュバスのサキュバスを認めてやらないのは不公平というもの……かもしれなかった。

 

 「な、なるほど。シャルティアは雪女か? アリシアさんとイレインは……なるほどお揃いの吸血鬼か」

 「はい。その通りでございますアインズ様。……失礼いたします。トリック・オア・トリートでございます」

 

 壱の太刀の役割であるイレインがアインズに近づきキーワードを口にする。

 するとアインズは両手をあげて困ったかのようなジェスチャーをいれて大仰に手を広げた。 

 

 「それは勘弁していただきたい。これで許してほしい」

 

 お菓子袋をアイテムボックスから取り出しイレインに手渡した。 

 

 「ありがとうございます。アインズ様。……大切にいただきます」

 「えっと、モモンガさん。私も、です。お菓子をくれないと……悪戯します」

 

 イレインがアインズから直接菓子を賜ることの想像以上の歓喜に感情を内心で爆発させている中、アリシアが照れを隠さずに吸血鬼の仮装のための八重歯を覗かせつつキーワードを口にする。

 そんな愛らしい友人に心底悪戯されたいと感じつつもアインズは即座にお菓子を手渡す。

 

 「ははは。すいませんが悪戯はこれでお許しください」

 「あ……ありがとうございます。あの、ユーイチは?」

 「奥の部屋でアリシアさんをお待ちですよ」

 「う。……わかりました」

 

 自分のことを待っていたというほどであるならお菓子は間違いなく余裕を持って用意されているはずだとアリシアは自分の悪戯が未遂に終わったことと、待っているだろうユーイチからの仕返しを予感しつつ奥の部屋へとイレインを伴って向かった。

 そんなアリシアを見送ったアインズが自分たちに向ける余裕の視線を浴びてアルベドとシャルティアは自分たちの敗北を理解した。

 

 

 「「トリック・オア・トリート!」」

 

 

 アインズの部屋に観念したように同時にキーワードを口にする声が響く。

 それはナザリックのハロウィンが無事に終わることを意味していた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 なぜお菓子を隠したのか。

 問い詰められた我が子の主張にアインズは手で顔を覆った。

 

 

 ──私だけいただけないのはズルイ。

 

 

 ドイツ語とオーバーアクションを解読すればその言葉で全てがまとめられた。

 理由を把握してパンドラズ・アクターがそう思ってしまったのは自分のせいだとアインズは痛感していた。

 パンドラズ・アクターにだけお菓子を渡さないつもりなどなかったがそう誤解させてしまった原因は全て自分にあった。パンドラズ・アクターは確かに「トリック・オア・トリート」と叫んでいたのだがアインズはそれをそうだと知らずに断ってしまったのだ。

 そう……オーバーアクションとドイツ語のせいで!

 

 

 (元をたどれば全て俺のせいじゃないか……)

 

 

 パンドラズ・アクターの全ては過去の自分が設定したものだ。

 そのせいで振りかかった問題は全て自業自得である。

 

 

 (……結果的にハロウィンは成功したから、よしとするか。うん)

 

 

 一騒動あったものの、こうして無事にナザリックのハロウィンは終わったのであった。

 

 

 

 

  

 ある日の物語一幕目~お菓子をくれないと悪戯するよ?~

          俺たちのお菓子はどこだ? 終

 

 




十月三十一日までに書ききれなかった・・・!

最後もう駆け足で書いたので書き終わった直後の現在ですらまったく手ごたえがないです・・・・・・。

ですが、なんといっても久しぶりの投稿! 更新!
とりあえず何か形にして見せたいし、時期ネタはタイミングを外すとどうにもならないのであげました。

いつも以上に残念な内容と拙い表現になってます。

ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異界の記憶:《リリカルマジック・フラッシュバック》

オバマスとリリカルなのはのコラボに触発された私は急激に膨れ上がっていく創作意欲とガチャで完全敗北した無念さを何処かにぶつけたくなって仕方がなくなった。

不破美柚「そうだ。王国編とかヤルダバオトとかオリキャラとのバランス調整とかで悩んでるくらいなら、また番外編でなのはをだせばいい」

不破美柚「書きたいものを書くんだ。書き散らすって誰かが言ってた!」

久しぶりの更新がクロスオーバーな投稿でいいのか? 本当に? という疑問が頭の上を通り視界を掠めながらもそれを無視した結果がこちらになります。


リリカルマジカルに喝采せよ。はじまります。

※喝采せよって言う人は一切出てきません。


 

 「俺はいろんな世界を渡り歩いてきた」

 

 

 

 その人はわたしにそう言って話してくれました。

 わたしが感じた疑問や感じた想いを、別れる前に晴らすためにその男の人は口を開いてくれました。

 

 

 

 「いろんな、というのはそれこそあの星のように、無数で数え切れない、覚えきれないほどに……果てがない。そんな旅路をずっと続けてきた。そんな中で、まだ覚えていられている思い出の中に、君によく似た家族がいるんだ」

 

 

 

 君ではないがな。

 そういって空をを眺めるその人の横顔は無表情でした。固まったようなその顔色には誰がどう見たってなんの熱も感じさせないはずでした。

 なのに、どうしてなのか。

 わたしにはそれが泣いているように見えたのです。

 

 

 

 「どうしてわたしを助けたの、と君はきいたな」

 

 はい。

 

 「どうしてこんなにも温かくなるの、と君は不思議に感じたか」

 

 はい。

 

 「それは……きっと、俺の思い出の中の家族が君を助けさせるんだ。君を大事に想わせる。家族の縁というものは切っても切れず、離れても変わらない。そんな縁が俺にあったからだ」

 

 

 

 視線が重なった。

 真っ赤なその瞳が背後に月光を従えてわたしを見つめている。

 こんな瞳に覚えはない。

 この人をみたことはない。

 出会ったことはない。

 なのにどうしてなのか。思い浮かぶのは兄と父の姿だ。

 

 

 お兄ちゃん。

 

 

 だったの? と投げかけた声に初めて無表情が崩れた。

 その場に人がいれば誰がどう見ても、はっきりと分かるほどの頬笑みを浮かべてその人は頷いた。

 

 「君ではないがな。───なのは」

 

 それはわたしが自分の世界に帰る間際のことで。

 私以外に誰もそれを知らなくて。

 だからあの人は話してくれたんだと、そう思うんだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、その第六階層にある円形闘技場。

 そこで一人の吸血鬼の悲鳴が響き渡った。

 

 「なぁんででありんすかぁぁぁぁあ!?」

 

 地面が抉れ小さなクレイターを作るほどに拳を叩きつけながら悔しがっている悲鳴の主はシャルティア・ブラッドフォールン。ナザリック地下大墳墓が誇る階層守護者の中でも直接戦闘においては最強を誇る猛者だ。

 真紅の鎧を身に纏い創造主から賜りし自慢の槍を振りかざせば下等生物如き塵芥にすぎない。

 そんな強者であるがゆえにシャルティアにはこの結果が納得いかなかったのである。いや、できなかったのである。

 

 「なんで、どうして……一本もとれないなんて……!」

 

 苛立ちと不甲斐なさが何度も拳を地面にぶつけさせる。

 シャルティアをそうまで悔しがらせる結果とは模擬戦の内容が悪かったから……つまりは負けたからである。

 そんなシャルティアと対峙する位置にその場にそぐわない装いの女が立っていた。金の髪に金の瞳で整い過ぎた顔立ちに美しいシルエット。桜色の和装で着飾ったその装いは戦闘に挑むには華やかすぎ、もろすぎた。

 そんな美女は意識して表情を困ったように崩しながらシャルティアにむけてあわあわと手を広げている。それはかける言葉がないが、決して結果通りではないのだと訴えかけているのだが地面に怒りをぶつけているシャルティアには見えていないし、見えたとしてもその意図が伝わらないほどには中途半端な仕草であった。

 

 「えっと……その………えとぉ………」

 

 そんな美女であるアリシアは助けを求めるように友人の顔を見た。

 アリシアの友人は今しがたこの日三度目の一本の宣言をその右上腕に構えた白旗で示したまま微動だにしていなかったが、アリシアの視線を受けて一つ頷いてその手を下した。

 

 「シャルティア。ソウマデ悔シガルモノデハナイ。御方ノゴ友人ニ対シテ、無礼ニ当タルゾ」

 「え、あ、そういうんじゃなく……」

 「うっ、分かってるでありんす! ………失礼いたしんした。アリシア様」

 「………いいえ。あのシャルティアさん。その、結果は気になさらずに、あの」

 

 隠しきれず抑えられない感情を漂わせるシャルティアにうまく言葉をかけられずにいるアリシアは何度もチラチラと審判を務めた友人であるコキュートスに視線を送る。しかし、生粋の武人であり主人に仕える忠実な従者であるコキュートスはあまりにもその意図をくみ取るのがうまくなかった。

 

 「ソノ通リダ。アリシア様ノ技量ハ、シャルティアデハ届カヌ域ニアル。結果ハ気ニセズ、ソコカラ学ブコトダ」

 

 

 ビキ。

 ヒィ。

 

 

 コキュートスの無遠慮な言葉に青筋が浮かぶどころではなくなっているシャルティアとそれを間近で見ているアリシアの悲鳴がその心の内で響いた。

 シャルティアと同じ階層守護者であるコキュートスは武器の扱いに関しては守護者の中で最も優れた武人である。だからこそアリシアの業を評価していた。

 ゆえに結果を不思議に思うこともないのがそれがシャルティアにとってもアリシアにとっても望まぬ対応になってしまい、その場の雰囲気は冷え込み続けていたのだがそれもこの武人には問題に見えないのだ。

 コキュートスの守護領域のように冷え込みつつあるこの場所は不定期に開催されている模擬戦の機会として用意されたものだ。

 ナザリック地下大墳墓の主人であり、アリシアの友人であるモモンガことアインズによる許可を得て開催されているこの模擬戦にシャルティアが参加したのは今回が最初だ。

 最初ではあるが実際には二度目の機会となる対決に向けてシャルティアは決するものがあった。

 

 

 今度こそ完膚なきまでに勝つ!

 

 

 覚えていないがゆえに信じられない敗北。

 それは最強の階層守護者として位置づけられているシャルティアにとって許されざるものであった。

 自らの存在理由に関わるものなのだ。

 弱い自分に価値などない。シャルティアはそう思うがゆえに敗北という結果だけが残っている現状を勝利という結果で上塗りしたかったのである。

 だがいざ始まれば完膚なきまでに勝ったのは結果的にはアリシアの方であった。

 シャルティアには信じられない攻防が三度立ち合い三度続いた。

 まったく槍が当たらないのである。

 これは模擬戦であり、痛打になりえると審判役のコキュートスが判断すればそれが一本になる。シャルティアのスポイトランスによる攻撃はその全てが痛打になりえる威力をもっていた。

 だが当たれば一本になりえるその超威力の槍捌きはまったく当たらない。かすりもしないと言っていい結果だった。

 そのことに焦ったシャルティアが遮二無二にふり回せば振り回すほどに余裕をもってアリシアは避け、浮き出た隙を見逃さずシャルティアの首を飛ばし、胴体を両断し、その両腕を斬り落とした。

 無論、これが実戦であればその一撃で終わることはない。むしろアリシアとしてはこれほどはっきりと振り抜いてしまうとその後隙を生むとわかっているので、これはあくまで模擬戦の結果でしかないのである。

 ましてアリシアはもともとの能力の差を埋めるために自分だけ事前に魔法でその身体能力を増しているのだ。これはそうでもしないと双方に利する模擬戦にならないからという配慮からだが、シャルティアもコキュートスも魔法戦士に値する前衛だ。魔法を使えるならもっと強くて当たり前なのである。

 だからこそ、この模擬戦の結果はあくまで大きなハンデのもとであり、まして二度目の自分と実質初顔わせのシャルティアでは見切りに大きな差があるのだからどうか気にしないでほしいというのがアリシアが心底伝えたいことであった。

 

 「ふ――、ふ―――………!」

 「…………」

 

 だが懸命に激情を抑えようとしているシャルティアを見ていれば何を言っても火に油を注ぐ結果になるとすぐに分かってしまう。

 三本目を取ったらすぐに武装解除した判断が正しいのか間違っていたのか。

 武装したままでは延々挑まれそうな気配がしたので逃げた形なのだが、震えたくなるほど冷え込む殺気を感じるがゆえに武装し直したくなる。しかし、今すればそれはもう一戦という流れに他ならない。

 

 (それは………怖い)

 

 内心で隠れる自分が再戦を断固拒否する。

 そもそも真っ当にやれば明らかに自分より上の存在だ。

 故郷の友人と違って自分は戦闘には興味がないのだ。業の比べ合いなら望むところだが。

 

 「ム───」

 「は───」

 「え?」

 

 びくついていたアリシアは何度か瞬きした。コキュートスとシャルティアが同時にその背を伸ばし、驚いたような色を見せ───臨戦態勢に入ったのである。

 疑問が抜けないままアリシアはとにかく武装を纏い直した。

 いつもの白いスカートと局部鎧をまとった軽装備を瞬時に装備しつつ、二人の対応を気にする。

 明らかに<伝言>を受け取っている様子をみせる二人がそれぞれに返事を返している。

 すると先に切り上げたシャルティアが全速で飛び立っていた。

 

 「……あの、コキュートスさん。何があったんです、か?」

 

 シャルティアの急ぎようはただ事ではないのだが、それに比較して急ぐ様子のないコキュートスに問いかけるとこの武人らしく端的に返事が返ってきた。

 

 「コノ階層ニ侵入者ガ出タヨウダ」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「《ディバイィィィン・バスタァァァァ!!》」

 

 襲いかかってきた摩訶不思議な生物をノックアウトしつつ天井ギリギリの高さを維持して飛びながら高町なのはは状況を理解しようと必死だった。

 

 「レイジングハート、ここ、何処だかわかる?」

 

 相棒のインテリジェンス・ディバイスに何度問いかけても答えは同じ、ノーだ。

 わけが分からない。

 自分は朝ご飯をたべて、友人と合流して学校に向かい、その最中立ちくらみがしたと思ったらここにいたのだ。

 天井のある森の中。

 訳が分からないままに高いところから見てみようと勢いよく飛んでみれば思いっきり頭をぶつけた天井を掌で触りながら、なのはは状況を整理する。

 

 「ええっと、ここは何処か分からなくて、それで外みたいな景色だけど、天井があるから室内で……それで───!」

 

 レイジングハートが警告する前に第六感とも言える感の良さがなのはを救った。完全に死角になっていた一角から本当に弓矢なのかと疑いたくなるほどの弓撃が襲ってきたのだ。

 咄嗟にサイドステップを踏むように飛翔魔法をズラし、レインジングハートが防御魔法を展開する。

 初撃を避けた先の本命の矢がシールドに阻まれて粉々になった。

 

 

 ───! やるっ。防いだ。

 

 

 「今の声……! あの! すいませんっ。私、何か……!」

 

 何かしてしまったのか、何か勘違いがあるのか。

 なのはは襲撃者と話しあいたかった、何かしてしまったのなら謝りたかった。

 だが、そんな会話を試みる暇を与えてくれるほど守護者は容赦を知らなかった。

 レイジングハートがけたたましい警告を発した。

 それに応じてふりむいて状況を確認───する暇もなくなのはは魔法を発動した。

 

 「死ねぇぇぇ!!」

 「《アクセルシューター》、シュ──ト!!」

 

 展開していたスフィアから放たれた高速誘導弾が紅の襲撃者(シャルティア)を真っ向から迎撃する。

 体格にそぐわぬ大きなランスを抱えたその襲撃者は真正面からぶつかり、その思わぬ威力と速度に驚いたように急停止した。

 

 (この感じ、あの時みたい……! ヴィータちゃんとのっ)

 

 鉄槌の騎士ヴィータ。

 友人である彼女との出会いもこんな感じだったと同じ紅の襲撃者(シャルティア)をみつめてなのはは思いだした。

 

 「あの! すいません。私、何かしてしまいましたか? 気がついたらここにいて、何かしちゃったのならごめんなさいっ。どうか話を聞いてもらえませんか!」

 

 ランスを構えてこちらを窺う相手に対してそれでもなのはの行動は話し合いだった。

 ヴィータとの出会いを思い返せばより一層その思いは強くなっていたのだ。話し合えば戦う必要はない気がした。

 そして何より───戦ってはいけないと何かが告げた気がしたのだ。

 

 「わかったでありんす」

 

 なのはの声をきいた紅の襲撃者(シャルティア)は微笑んだ。

 その声音は甘く薫る蜜のような聞く者を魅了する色を乗せて、濃厚な殺意を伝えてきた。

 

 「この侵入者をたたき落とすのは任せるでありんす」

 「……! っ!?」

 

 話を聞くつもりがない相手だとなのはは理解するしかなかった。

 本当の殺意というものに晒された経験はすくなかったがそれでも本物かどうかは察しがついた。

 それに対して行動を起こせる人間でもあった。

 

 「《アクセルシューター》………いくよ。レイジングハート」

 

 再度スフィアを展開する。話を聞いてくれないなら聞いてくれるまで戦うだけ。

 戦意を奮い立たせてなのははシャルティアと激突した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 急行したシャルティアに任された役割は侵入者(なのは)を地面にたたき落とすことだった。

 <飛行>の魔法よりも素早く宙を飛ぶ侵入者(なのは)を捕らえるのは時間がかかる。

 どのようにしてこの階層に現れたのかもわからない相手に対して守護者たちはその場で判断を下した。

 まずはアウラとマーレ、そしてその場に居合わせたシャルティアとコキュートス。

 役割は大まかに二つに分けられた。発見した侵入者を抑える組と無視はできない要素であるアリシアを監視する組だ。

 主人の友人とはいえ緊急時に好き勝手に動かれては困る。そのためコキュートスは動かずにアリシアをその場に留めていた。

 こうしてアウラ、マーレ、シャルティアによる侵入者(なのは)への対応が始まった。目的はとにかく倒すことである。第六階層の守護者でありマーレの姉としてその場の指揮をとったアウラはできれば捕獲したかった。主人ならば可能であれば捕獲を望むだろうと容易に想像がついたからだ。

 だがそれが困難な相手であるとも分かっていた。相手はこの階層まで気付かれることなく忍び込んだ相手であり、目の前にした能力は尋常ではなかった。

 

 (本気で狙った私の狙撃を無傷でしのぐ上に、空を飛ぶ速度は並みじゃない)

 

 主人の同盟者がみせたような転移ではない空間移動のような魔法をいつ使われるかもわからない。

 飛ばれたままでは何をどうしても逃げ道を許してしまう。

 そう考えたアウラがシャルティアに任せたのが侵入者(なのは)を地面に落とすことだ。

 既に第六階層の生い茂った森林エリアではマーレが用意したペットたちがその時に備えて待っている。

 落してさえしまえば何もさせずに倒すことも可能のはずだ。

 

 「そして可能なら捕らえる………ッ!」

 

 シャルティアが衝撃で吹き飛ばされ距離を取らされた時を狙ってアウラは矢を射た。

 結果は見ない。防がれるのは分かっている。

 自分の場所がばれないように即座に移動しながら、すでに対処を始めているだろうアインズが何も言わないことを自信に変えてアウラは再度狙撃の姿勢に入った。

 

 

 

 

 アウラの矢が侵入者(なのは)の動きを強引に縫いとめた。

 それを視界に納めながらシャルティアは驚きをその顔に張り付けていた。

 

 (……この小娘、いったい何を狙っているの?)

 

 侵入者(なのは)が使うものは魔法だ。それはすぐに分かった。<魔力の精髄>で把握した魔力はシャルティアやマーレを越える。シャルティアが知る限りこれほどの魔力を持つ存在はアインズしかいなかった。

 

 (当然、アインズ様には及びませんが……MPは減っている。つまり魔法のはず。しかし、それにしては………)

 

 侵入者(なのは)がまたもやスフィアを展開して迎撃態勢を取る。

 シャルティアはあの魔法の攻略に手こずっていた。

 速度もある上に威力も十分脅威、おまけに必中に近いほどの誘導性がある。

 <魔法の矢>の完全上位版と言ってしまえば凄味が薄れるかもしれないが、必中で高速度な魔法である<魔法の矢>が単純に威力と速度を増せば十分すぎるほどの脅威だった。

 この魔法に加えて侵入者(なのは)が常に狙っている砲撃がシャルティアの動きを鈍くしていた。

 

  

 ───「《ディバイィィィン・バスタァァァァ!!》」

 

 

 高レベルの僕ですら一撃で撃ち落として見せたあの魔砲を常に狙っている。

 それを警戒するあまりスフィアの動きにうまく嵌められている感覚があった。

 先程などアウラが矢で動きを止めなければ撃ち抜かれていたかもしれない。

 だが、シャルティアはそんな当たり前な脅威に戸惑っていたわけではなかった。

 

 「どうして直接ダメージを与えてこない? MPを狙う?」

 

 ついに疑問が口からこぼれおちた。

 侵入者(なのは)の攻撃は先程から何度かシャルティアに直撃している。

 それはシャルティアがスキルを使ってまで防ごうとしなかったことと、予想外の魔法の動きに対処が遅れたからだがそれによるダメージがないのだ。

 正確にいえばHPへのダメージがなく、MPへのダメージなのである。

 侵入者(なのは)が使う攻撃手段は今のところ全てMPへのダメージでしかなく、そのことがシャルティアには理解できなかった。確かにMPを削る攻撃は有効だ。無意味なものではないし、アインズやマーレのような純粋な後衛職にたいしては回復可能なHPへのダメージよりも嫌がられるだろう。

 だが、シャルティアは明らかに前衛としての役割が強い上に、それが侵入者(なのは)にとっても脅威になっている手ごたえがあった。

 

 「はぁぁ!」

 「……ッ!」

 

 スフィアからのホーミングレーザーじみた攻撃を数発受けながらも接敵し、シャルティアは確認するように槍を突き入れる。

 直撃コースだ。先程までの模擬戦闘であれば間違いなくコキュートスが認める一撃になる。

 それになにも対応できていない。

 なのに槍が阻まれる。

 

 

 ───《プロテクション》

 

 

 「ぐぅっ」

 

 スポイトランスが何を削ったのかもわからないおかしな手ごたえを伝えてくる。

 与えたダメージに応じてHPを回復させる愛槍のおかげでダメージがまるではいってないことがわかってしまう。

 

 

 ───《バリアバースト》

 

 

 そしてこれだ。

 攻撃が弾かれた揚句、何かが爆発したかのような衝撃とともに吹き飛ばされる。こうして距離を作られ魔砲の構えを維持される。アウラの狙撃が砲撃までは許さず牽制してくれているが状況はこれの繰り返しに近かった。

 

 (衝撃波によるダメージも全てMPに……おかげでもうほとんどMPが残ってないのは問題と言えるけれど私はMPがきれても十分戦える。もうMPにダメージを与える意味なんてないはず。なのになぜ……?)

 

 明らかに自分の近接攻撃に対して対応しきれていない相手がどうして悠長にMPを削りにくるのか、その意図が読めずシャルティアは思いきった攻めができずにいた。

 それは覚えてはいないかつての過ち、許されざる失態が警戒心をどうしても強めてしまうからだった。

 失敗してはならないというプレッシャーのため事態を動かすことができずにいた。

 

 「まぁいいわ。このまま続ければじきに飛ぶMPも尽きることでしょうし!」

 

 失敗を恐れるがゆえに案牌を取りつづける。

 そんなシャルティアの状態だったからこそ、先の模擬戦でアリシアの勝利があり、コキュートスが結果を疑問視しなかったのだがそれがこの戦闘においても結果にでることになった。

 

 

 

 

 再度の突撃をみせる相手の様子はかつてのヴィータと本当によく似ていた。

 そしてそれを支える仲間が潜んでいる周囲の状況もそっくりだった。

 だからこそ、なのはには切り返す策があった。

 

 「レイジングハート、カートリッジ、ロード!」

 

 レイジングハートが掛け声に応じて起動する。

 魔力がこもった銃弾を排出し、宙に薬莢をまいた。

 

 「……!?」

 

 《アクセルシューター》を振り切るようにして接敵していた紅の襲撃者(シャルティア)が驚愕で目を見開いた。

 カートリッジに込められていた魔力によって一時的に自身の限界を突破したなのははその強化された魔力を持って攻撃を襲撃者ごと受け流した。

 

 「《ラウンドシールド》!」

 「っぅ!? かったい!!」

 

 《プロテクション》とは違い弾いて守るのではなく受け切って凌ぎきる凌ぎきる。

 そうすることで位置を入れ替えた。

 レイジングハートが即座になのはの意思に応えて反応する。

 

 

 ───《シールドバースト》

 

 

 増した魔力に合わせて強まった衝撃波が相手を目的の方向へと綺麗に吹き飛ばした。

 なのははその吹き飛ばした相手とその先へとめがけてレイジングハートを構えた。

 

 「カートリッジ、ロード!」

 

 必殺の一撃に相応しい魔砲がそれに続いた。

 

 

 

 

 急激に増した侵入者(なのは)の魔力に驚いたシャルティアがとった行動は本気の攻撃だった。

 様子見の構えを即座に捨て、捕獲のことなど頭から消え去り、本気の一撃を抉り込んだ。

 だが致命の一撃に相当した攻撃が通らない。それどころか完璧に流された。

 

 (そんな……っわざと!?)

 

 反応できていなかった相手ができる技量ではない。

 先程までの対応は餌を捲かれていたとシャルティアはその時気がついた。

 そして、それに気がついてしまったせいでもっと大事なことに気がつくのが一瞬遅れてしまった。

 警戒していた砲撃が自分に向いたその時だった。

 アウラからの援護が飛んでこない。

 

 (な───後ろに!?)

 

 直後にアウラの視線が背中に突き刺さった。

 アウラが狙撃のために構えていたその射線と完璧に重なってしまったのだ。

 

 (これも───)

 

 「《ディバインィィィィン・バスタァァァァァア!!》」

 

 これも狙い通りだというのか。

 シャルティアは迫りくる桃色の光を信じられない思いで見上げた。

 

 

 

 

 姉のペットを周辺に配備していたマーレは姉の位置をシャルティアよりも正確に把握していた。

 それは技能によってではなく「お姉ちゃんならあそこの次はあそこだろうな。うん」という第六階層という戦場と姉のことを知り尽くしているからこその感覚的なものだった。

 そしてそれは完ぺきにあっていた。

 

 「お姉ちゃん!」

 

 ゆえにシャルティアの攻撃が受け止められた段階でマーレには相手の意図が見えた。

 即座に自身の魔法の有効範囲内ギリギリに移動する、シャルティアや姉を直接移動させる時間はない。

 確認するまでもなく相手の魔砲が撃ち込まれようとしている。

 

 (トメルノハムリ、イドウハダメ───)

 

 シャルティアに次ぐ守護者二番手の序列を与えられたマーレの能力が本人も自覚しえない窮地において本領を発揮した。考えることもなくその時間も必要とせず、必要な魔法を選ぶその高速思考。

 

 (間にあって───!)

 

 対魔法に特化した防御魔法が姉ではなくシャルティアに間にあった。

 緑色の魔法の盾が迫りくる桃色の極光に相対した。

 

 「───! 不浄衝撃盾!!」

 

 シャルティアが自分にかけられた魔法に反応してそれに応じるようにスキルによって盾を生みだす。

 もう魔法でどうにかできるMPは残っていなかった。

 かわすのではなく耐える。

 狙撃姿勢だったがゆえに咄嗟に回避に移れなかったアウラを守るべく二人は間にあう限りの防御で《ディバイン・バスター》を受け止めた。

 

 

 パリン。

 

 え───?

 

 バリン。

 

 なぁ───!?

 

 

 マーレの防御魔法が触れた瞬間に崩壊し、続いてシャルティアの不浄衝撃盾が拮抗することもなく砕かれた。

 これには二つ理由があった。

 一つ目は高町なのはの世界の魔法が“バリア貫通”という効果をほぼ全ての攻撃魔法に付与するのが当たり前だったことだ。前提として防御魔法の効果が厚い世界ではそれを貫通する対策が攻撃魔法に施されているのは当然であった。

 二つ目はナザリックの面々も元はこの世界の住人ではなかったことだ。なのはの世界の“バリア貫通”がこの世界でもそのまま機能するかはモノによる。だが、この世界のモノでなければ双方とも存在の厚みはどちらもごく薄く影響を受けやすかった。

 だから、バリア貫通の効果を受けてしまった薄い二枚の盾は意味をなさなかったのだ。

 

 「うそ」

 

 それを目の当たりにし、シャルティアが光に呑みこまれたのを見たアウラから思わず声が漏れた。

 極太の魔砲から逃れられる時間はなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 砲撃で目的とした襲撃者二人を同時に仕留め、なのははゆっくりと高度をおろした。

 

 「これでお話聞いてくれたらいいんだけど……うん、わかってる。レイジングハート。気をつけるよ」

 

 警戒を怠るなと警告してくれる相棒に頷きながら、慎重に様子を確認する。

 生い茂った森林が超位魔法で抉られたようになっている。

 こんな様ではナザリックどころかどんな立場の者が見ても殺意と敵意を疑うことはないだろう。

 だがなのはには敵意はなかった。

 これだけ全力の戦闘をしても、相手が致命傷を負うことはないと分かっていたからだ。

 

 非殺傷設定、というものがなのはの世界にはある。

 

 それは魔力ダメージによる攻撃であり、肉体的なダメージを最小限にとどめつつ、ノックアウトする攻撃方法だ。もちろんそれを解除することで物理的な破壊を可能ともすることはできるが、なのはは管理局といういわゆる警察のような組織の協力者である。殺すことを目的としていないため基本的にはこの設定にしているのだ。

 それがシャルティアが感じた違和感の正体であり、MPダメージばかりだった理由だ。

 非殺傷設定の攻撃はMPダメージ扱いとして扱われていたのである。

 なのはとしては普通に攻撃していただけのものがシャルティアにとっては意図が読めないものになっていたのだ。

 その認識のずれがシャルティアに不覚を取らせたのだ。

 

 「あ、あの……お話、聞いてもらえませんか? 私、戦うつもりはないんです」

 

 巨大なスプーンですくわれたようにへこんだ地面の底で折り重なったように倒れている二人の襲撃者に向けてなのはは空中から声をかけた。

 完全に意識を奪っていないとレイジングハートがすぐさま感知してくれていた。

 

 「………シャル、ティア、動ける?」

 「…………」

 「………………死んでたら、引っぱたくからね?」

 

 アンタは呼吸もしないから見ただけじゃわかんないんだから。

 なのはのの声の先でアウラは朦朧とする意識で覆いかぶさって守ってくれたシャルティアの安否を気にかけていた。

 変な攻撃でおかしな異常だった。

 まったくダメージを受けた感覚はないのに、身体が動かない。

 アウラが感じたことがないその感覚は疲労感と睡眠欲に晒されたベッドの上で感じるそれだった。

 目もあけるのも辛いほどの酷いダルさがアウラを襲っていた。

 これが非殺傷設定による攻撃の結果だった。

 MPがほとんど残っていなかったシャルティアは完全に意識が飛ばされ、かろうじて意識を保てたアウラは強烈な違和感に晒されていた。

 結果、身動きがとれず侵入者に近寄られている。

 そんな危機的状況にさらされているアウラだが、だからといって焦ってはいなかった。

 あるのはたった一つの心配ごとだ。心のどこかで妹分のように見てしまっているシャルティアが自分をかばった結果、また死んでしまってはいないだろうか。

 二度目の蘇生を主人は認めてくださるだろうか。アルベドはいい顔をしないだろうな───。

 

 「っ………て、変な、心配、してるなぁ。お願い、まーれ、こきゅぅ、とす」

 

 

 ───地上まで、引き寄せたでしょ?

 

 

 アウラは仲間にバトンを渡したという確かな手ごたえがあった。

 侵入者を空から落とす。

 その仕事を結果的にやり遂げられたとほくそ笑んでいた。

 だから侵入者が近寄ってくれば来るほど安堵していたのだ。

 

 「あの……大丈夫、ですか?」

 

 侵入者がこちらを覗きこんでくる。

 アウラはそれを見てたいそう気分を良くし、そのまま笑顔で気を失った。

 これだけ降ろせば十分だ。 

 

 

 

 そして冷気が駆け抜けた。

 

 

 

 「───!」

 

 なのはは振り向き驚愕し考える余地なく《アクセルシューター》を全弾発射した。

 視線の先には氷河の主が二本の武器を構えて体躯に似合わぬ疾走を見せていた。

 

 「シュ──ト! ───!?」

 

 驚きを驚きで塗りかえられる。

 なのはの視線の先で信じられないことがおきた。

 発射された無数の光弾が───弾かれていた。

 ライトブルーの巨体がその両上腕に構えた武器を振るった。

 光弾を撃ち落とし、退け、防ぎ、直撃など一撃も許さず迫ってくる。

 

 

 ───ソノ動キ、既ニ見切ッタ。

 

 

 なのはを感じたことがない悪寒が貫いた。

 それは高町なのはを直接襲ったことがなかったモノ。今、初体験することになったモノ。

 

 死が目前に迫る音だ。

 

 「レイジングハート!」

 

 急上昇。

 相棒に防御魔法をお願いして全速で空へ逃げる。

 目の前に迫る蒼い死神(コキュートス)から遠ざかりたい一心が急加速で身体を空へ逃がそうとする。

 だが、その身体は急停止した。

 頭上のほんの少し上に大木の枝が伸びてきたのだ。

 激突を回避するために一瞬だけ制止したなのはに死神の手が伸びた。

 

 「これ、っ鎖!? うそっ」

 

 蒼い死神の右下腕から放たれた鎖がなのはを絡め取った。

 レイジングハートが咄嗟に貼った《プロテクション》ごと包み込み、なのはの年相応に小さな身体を地面へ引き寄せる。

 

 「う、ぐっぁ!?」

 

 《バリアブレイク》の暇も許されず叩き落とされた。

 なのははすぐさま鎖を弾きとばそうとして、そんな暇がないことを悟るしかなかった。

 蒼い死神(コキュートス)がその四本の腕の武器を振り下ろさんとしているのを理解したからだ。

 

 「《ラウンドシールド》っ、ぅ! づゥ!?」

 

 紅の襲撃者(シャルティア)の攻撃を防いだ魔法の盾が軋みをあげる。

 なのはのバリアジャケットにダメージが抜けてくる感覚が突きささった。

 

 (コレ、マズイ───)

 

 防御に専念してもなお抜けてくる猛攻には一切の隙がなかった。

 抜けだす糸口がない。

 みつからない。

 打つ手が思い浮かばず焦りだけが思考を暴走させる。

 そして。

 

 「ぁ」

 

 なのはは斬り飛ばされた自分の左腕をあっけにとられたように見つめた。

 レイジングハートを握ったまま歪に曲がった腕はなぜか切断面が凍っていた。

 

 「ぇ………ぁ、ぁぁっぁ!?」

 

 途端に強烈過ぎる痺れたような痛みが左肩から全身にひろがった。

 左腕は脇の下からすくい上げるように斬り取られていたが、出血はなかった。

 傷口は凍っていて流血を許さなかった。それは即座の回復を許さぬ冷傷であった。

 

 「殺シハセン。───生キテ役立ッテ貰ウ」

 

 蒼い死神(コキュートス)の声はそれに相応しく聞き取れたのが奇妙なほどに人外のモノであった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 アリシアはコキュートスを見送って遠くから戦況を見つめていた。

 四刀流を巧みに扱う友人は見事に侵入者を撃退し、無力化に成功したようである。

 

 (よかった……)

 

 心の自分が、どんなもんだ、と胸を張っている。

 コキュートスが侵入者の攻撃に完璧に対処できたのは彼の技量も当然ながら、アリシアの魔法による支援もあった。

 

 (見て取った通りの魔法で本当によかった。間違ってたらなんの役にも立ってなかっただろうし……)

 

 動かないようにと言われて地上から見上げた侵入者とシャルティアの戦闘。

 それによって得た侵入者の攻撃の癖やら魔法の系列。それらを元にコキュートスに支援魔法をかけていた。

 心の自分が、終ったのだから早く合流してインタビューしようではないか、とせきたててくるがそれはもう少しあとだと言い聞かせる。

 

 「動かない。約束」

 

 声に出してその場に座り、動いていいと言われるまでその場に留まる姿勢をとった。

 アリシアがそう約束したから、コキュートスは見張りをやめられたのだ。

 約束をほんの少しでも破ることはいい結果を生みはしない。

 

 「…………がまん」

 

 あの侵入者は間違いなく“異界のモノ”だと見て取ったアリシアは是非話を聞きたいとうずく冒険心を必死に抑えていた。

 だが悲しくもその機会は訪れなかった。

 

 「───え?」

 

 心の自分と一緒になって唖然という名の無表情で顔を固めながらソレを目にした。

 自分の師匠が自分の友人の腕を斬り飛ばしていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 なのはとコキュートス、両者の間に黒い風が吹き込んだのは瞬く暇もない煌めきの様な合間の出来事だった。

 

 「──ムッ」

 「いっう……っぅ……」

 

 それにコキュートスは一瞬遅れて反応し、なのはは痛みに耐えながらそれでも必死に逃げ出そうともがくばかりで気がついてはいなかった。

 コキュートスは無思考の武人としての業の反応に任せてその腕を振った。

 相手が主人の同盟者だということなど入り込む隙間などないほどに、迫りくる脅威に向けて当然の反応を返すしかなかった。

 だからこそ。当然だから故に。

 その黒い風は動いた瞬間からコキュートスの動きが全て分かっていた。

 

 「………あ、れ」

 「生きているな? 無事だな?」

 「い、あ、あの、あなたは………?」

 「抵抗するな。こい」

 「わっ!?」

 

 黒い風がなのはを小脇に抱えて阻害を受けない移動法で目の前から消えるのをコキュートスは黙って見ているしかなかった。

 

 「………コレガ超越者ノ業、カ」

 

 アリシアが駆け寄ってきて慌てて魔法を行使し、結果が出ずに青ざめているのも気にならぬほどコキュートスは先程見てしまった業に感動していた。

 速度ではない。重さではない。鋭さではない。

 ただ神がかっていた妙技。

 

 

 ───アレコソ、マサニ神技。

 

 

 コキュートスはその四本の腕を全て斬り落とされてもなお、武人としての頂を見た感激で胸を熱くしていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 問いかけに答えてくれた見知らぬ人を見つめて、なのはは何とも言えない気持ちをどう吐き出していいのかわからなかった。

 突然の出来事の連続に戸惑う中、感じた温かな感覚。

 それはなのはが大切な人達に感じる大切な思いと似通っていて、名前も知らない人にどうしてそんな思いが湧き出てくるのか。

 この人がソレを感じるのはこの人の事情のはずなのに。

 

 「わたしの中にもそんな縁があるんでしょうか?」

 「さぁな。それは俺が知ることではないよ。………もしかしたら君は君も知らないところでそちらの世界の俺を知っているのかもしれないし、そんなことはないのかもしれない。縁があるというのはその時を生きる者では理解できないこともしばしばある。それこそ、君の先祖や君の子孫が俺に出会っているのかもしれん」

 「そう、いうものなんでしょうか」

 「そうだとも。俺も、覚えがあることだ」

 

 波打つ音が静かに響いている。

 場所はあの天井のある森林ではなく、何処かの海岸だった。

 月が綺麗だった。

 

 「月が綺麗だな」

 「あ、はい。なのはもそう、思ってました」

 

 ちょうど考えたことを言い当てられたような気がしてすこし慌てながらなのはは振り返ってきた見知らぬ人をしっかり見つめた。

 何度みても見たことがない真っ赤な瞳だった。

 

 「だが、見納めだ。そろそろ君を還さねばならない。これ以上遅くなると君のことに関して記憶が残ってしまいそうだ。そうするといろいろ面倒事になる」

 

 その言葉の意味をなのはは既に説明を受けている。

 この世界に偶発的にやって来たばかりのなのははまるっきり定着していない異物であるがゆえに、早期であれば元の世界に返すことも可能だと。

 そうして返してしまえばこの世界になのはがいたということは認知されなくなるのだとか。

 

 「あの、ありがとうございました。私、高町なのはっていいます」

 

 見知らぬ人が空間に亀裂の様なものを作りだすのを見てなのはは慌ててお礼を言って、いつ切りだそうかと思っていた自己紹介をした。

 まだ自己紹介もしていないほどの短い出会いだった。

 

 「もう知っているよ。なのは。………ゆういち。漢字と名字はすきに想像してくれ」

 「ゆういち、さん……あの、なんて言ったらいいのか、えっと……」

 

 なのはは何かにせかされていた。

 なのはの中の何かが、何かを伝えろと気持ちを動かしていた。

 それこそが縁だと分かっていても、どうしてそう思うのかが分からず、なのは言葉が見つからず口を開いては閉じ、閉じては開いた。

 

 「気にしなくていい」

 

 ゆういちが頭を撫でてくれる。

 すると徐々に視界がうっすらと透けてきた。

 おかしいと感じて自分の身体を見渡せば色味が失せ、透けてきている。

 

 「なのは。………これまでだ。お別れだ」

 

 撫でていた手がどけられる。

 この世界からの退場が近いのだと分かる。

 薄れていく身体と透けていく目の前の景色。

 美しい月が浮かぶ夜空はもう見えない。

 月光を映して輝く海ももう見えない。

 唯一見えるのは真っ黒い人の形をした何か。

 その赤い瞳だけだった。

 

 「元気で頑張りますっ」

 

 もう何に言ってるのか、本当に言葉になっているのかも曖昧に感じながらなのはは叫んだ。

 己が感じる縁につき動かされた。

 

 「皆で笑顔で、過ごせるように!」

 

 だから、あなたも、笑顔で───。

 

 

 

 ブツン。

 

 

 

 古いテレビがきれるようなそんな終わり方でなのはは元の世界に戻っていった。

 アリシアもアインズも、直接戦闘をした守護者たちですら、そしてなのはを助けたユーイチですら、記憶することがなかった一幕はこうして終わった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 「ほ~~~? つまり、なのはちゃんの好みは赤い瞳の黒服がよう映える人ってことでええの?」

 「そ、そうなの? なのは」

 「いや~~……どうだろ? 私、いまだに好きな男性のタイプとか、よく分かってないよ」

 「で、でも、さっきはあんなに大切そうに話してたけど……」

 「そうそう、あーんな顔で話されたらそう見えてまうよ?」

 「にゃははは、それ、むかしアリサちゃんにも言われたなぁ……いや、でも本当にそういうんじゃないと思う。うん。たぶん」

 

 同じ管理局で働く身である友達と仕事に関して相談していた最中、急にもちあがった恋愛話で話のネタにされつつなのはは昔の夢の出来事を思い出しながらそれに付き合っていた。

 

 「夢で見たあの人にもしもう一度会えたら……今度はもっとお話ししたいなってそう思うくらいかな」

 

 周囲に美人だの綺麗だの言われる割には恋愛話はまるでない。

 そんな三人故になのはが投げ込んだ夢の話は盛りあがり、この日の話題を独占することになった。

 一幕の記憶はこうして残っていた。

  

 

 




更新と滞っていて肩身が狭い思いです。

ほんの少しでも当作を気にかけてくれていた方が今だおられましたら本当に申し訳ありません。

本編でもない、単発モノですが、一応更新です。

いやほんと、すいません。


オバマスとなのはコラボを見て、ぜひ書いてみたいと書かせていただきました。
ここまでお読みくださりありがとうございました。

よければご感想などいただけましたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。