メンテナンス奇想曲 (副赤)
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メンテナンス奇想曲

「…ううむ。」 

柔らかな初秋の太陽が明かり取りの窓から差し込む大洗女子学園、戦車道ガレージ。

 その片隅であんこうチーム装填手の秋山優花里は難しい表情で卓上のラップトップの画面を睨みつけていた。画面には優花里の絞り込んだインターネットオークションの出品物一覧が表示されていたが、その件数は10件にも満たない。

「予想していたとは言え、現実を目の当たりにすると辛くなります。」

「優花里さん、どうかな?」

 疲れた表情で額に手を当てた優花里の後ろに立ったのは、大洗女子学園の戦車整備を一手に引き受け、また自身らも「レオポンさんチーム」としてポルシェティーガーを駆る自動車部の中島悟子、通称ナカジマだった。

「現実は辛く厳しいという事が分かっただけです。」

 答えて今しがたまで睨んでいたラップトップの画面をナカジマに見せる。

「どれどれ…『レア物!ポルシェティーガー 車長キューポラ用ペリスコープ 900000円』『コレクション用 エレファント 転輪 700000円』…」

そこに並んでいた数少ない品物は全てがポルシェティーガーあるいはエレファントに関連するものであったが、その中に彼女たちの期待に沿うものは無かった。

「何て言うか、実用品じゃなくて骨董品とかコレクションアイテムとか、そういう扱いなんだね、ポルシェティガーのパーツって。値段も格別だし。うわ、何これ履帯1コマ300000円?」

「酷い話ですよね。その履帯IS-2か何かのものですよ。ポルシェティーガー用なんて嘘っぱちもいいトコです。こんなの、ゼロ2つ削ってもいいくらいですよ。」

「いや今そういう話じゃないし…。」

「質問コメントで突っ込んでみようかな。」

「止めときなって。」

 マニア的憤りで逸脱し始めた優花里の話をナカジマは軌道修正する。

「えーっと、つまり今のところ、レオポンの修理部品は手に入らないって事?」

「そうなりますね…残念ですが。」

 嘆息し、2人は後ろを振り返る。

 ガレージに整然と並べられた大洗女子学園の誇る戦車たち。そのうちの1輌、ナカジマたち自動車部「レオポンさんチーム」が乗るポルシェティーガーが履帯を外され、各部メンテナンスハッチを解放した状態で佇んでいた。

「モーターについては問題ないんですが、先日壊した駆動系は全く部品の出物がありません。八方ふさがりです。」

 

 

 

 

 戦車道全国高校生大会で見事優勝を果たし、また大学生選抜チームとの対決に勝利した大洗女子学園ではあったが、その輝かしい成果の裏側でこの学園の戦車道は兵站、特に整備面において他校より大きな負担を強いられていた。

保有戦車の多彩さ、マイナーさから来る部品調達の困難。これがその理由である。

 ひとくちに戦車と言ってもその1単位を構成する要素は無数に存在する。車台だけを取ってもシャーシ、エンジン、トランスミッション、サスペンション、履帯、転輪、駆動輪etc…とその構成品は驚くほど多く、それら全てに入念な整備点検が必要となる。そして必要であれば損耗した部品を交換しなければならない…が、今優花里を悩ませているのは、その交換するための部品のストックが底をついたという問題だった。 

よりにもよって、大洗女子以外はどこも使っていないポルシェティーガーの部品が。

 大学選抜との試合でモーターを壊してリタイアしたポルシェティーガーは、その日のうちにパワーユニットを交換する形で復旧した。しかしあの激烈な加速が足回りに与えた負荷は大きく、大洗に着いて数日後、試験走行中に左の履帯が破断。その際に起動輪と幾つかの転輪までもが破損し自走不能となった。3輌がかりで牽引して学園まで戻ったものの、必要な交換部品を欠いた状態では修理もままならず、今こうして無残な姿を晒している。

 マイナー競技とは言え戦車道は茶道、華道に並ぶ女子の嗜みであり、戦車道に関わる一切合切は日本国内のみならず世界経済の中において巨大なマーケットを確立していた。砲弾やパーツは国内外のメーカーが戦車道連盟のレギュレーションに適合する規格品を販売しており、通信技術の進歩に伴い現在ではインターネットオークションによる個人取引も盛んに行われている。

 しかしメーカーが製作販売するパーツは市場に出回った、所謂「メジャーどころ」な戦車が主流であり、マイナーな車種のそれは定期的に少数ロットを生産するに留まる。酷い場合はそもそも生産すらされず、過去に生産された同型車から出たジャンクパーツを購入して整備を行わねばならない。

 今のポルシェティーガーは正にその状況だった。そもそもがヘンシェル社のタイガーⅠとのコンペに負けた試作戦車であり、生産台数もごく僅か。扱いが極めて難しいガスエレクトリックドライブに重戦車故の足回りの脆弱性。動力系と走行系双方に無視できない爆弾を抱えた本車にとっては、その分厚い装甲と88ミリ砲という絶大な火力も運用に踏み切るセールスポイントたり得なかった。

『そんな不安材料の塊買って維持する予算があるならタイガーⅠでも買うっての。』

 搭乗員の愛着や練度を抜きにして、大洗女子がそんなポルシェティーガーを運用しているのは、装甲火力共に強豪校の戦車の水準より頭ひとつ落ちる大洗の保有戦車状況が前述のセールスポイントを強く欲したためであり、また整備や運用上のデメリットをある程度無視できているのはひとえに女子高生という範疇を大きく逸脱したスキルを持つ自動車部4人の不断の努力によるものである。

 しかし彼女たちの腕前を以っても、「パーツ不足」という根本的な問題は解消できなかった。

 現在この難物重戦車を戦車道の公式試合用として運用しているのはこの大洗女子学園のみ。そんな戦車にファクトリーメイドのパーツ供給などある筈もなく、必然中古部品の流通も存在しない。

 ポルシェティーガーが発掘された際に一緒に発見された予備部品で今まで修理を続けて来たが、その在庫が底をついた今、この猛獣が再び野を駆ける事は到底不可能に思えた。

 

 

「ちなみに他の車輌のパーツ供給ってどうなってるの?」

「Ⅳ号、Ⅲ突は数が市場に出回ってるので中古部品も豊富です。メーカーも定期的にパーツを再生産してますから新品も簡単に手に入ります。M3リー、ヘッツァーも問題ありません。ルノーB1はマジノ女学院から中古パーツが定期的に売りに出るんで供給は安定しています。」

 ふと不安を感じて尋ねたナカジマに、優花里はスラスラと答えながらラップトップを操り表計算ソフトを立ち上げる。無数のグリッドに区切られた表には、各車輛ごとのパーツストックの状況が記載されていた。

「問題は3式中戦車と89式ですね。不人気車なんで元々パーツが少ないんです。生産を止めてるメーカーもあって、今はまだ大丈夫ですけどこの先どうなるか…。」

「そのうちオークションで中古パーツやデッドストック漁る羽目になるかも、かぁ。」

「中古でも出物があるだけまだマシですよ。」

 優花里は再び背後のポルシェティーガーに視線を移す。大洗女子随一の強力な牙を持つ人造の獣はその中古パーツの補給すらままならず、バラバラの状態で車庫の置物と化している。

「まぁ仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。ポルシェティーガー運用してる学校なんてウチくらいのものですし。」

「でも学園艦の奥からこいつが出てきたって事は、昔はこれで戦車道やってたって事だよね。その頃はどうやって部品調達してたんだろう?」

「そこも以前調べてみたんですが、やはり哀しい結果でありました。」

 大洗女子戦車道が本格始動してからすぐの頃、優花里は生徒会長角谷杏に頼まれ古いリストの実地検証に当たっていた。そのリストとはかつて戦車道華やかなりし頃、大洗女子が懇意にしていた戦車道関連の商店、工場を列記したものだった。

 記録によると大洗女子の戦車道は母港である大洗町とかなり密接な協力関係にあり、競技で使用する砲弾や戦車の部品類の買い付け、製造は全て大洗町で賄われていた。先人たちの遺産とも言うべきこれらのコネクションを用いれば「地元価格」でお安く戦車道を再開できるのではないか。

「という訳で今回秋山ちゃんにはそのコネクションがどれだけ生き残っているかの確認をして来て貰うよ。」

 命を受け単身大洗町に飛んだ優花里は時の流れにこっぴどく打ちのめされる。大洗女子学園が戦車道復活を決めるまでの数十年の間に、リストに名を連ねていた商店、工場の殆どは戦車道関連の事業から手を引いていた。

 高齢のため店を閉めた、受注が無くなったので金型や資料を全て売り払った、戦車道の部品を作っていたのは先代で、その先代は2年前に逝去した…。

 優花里が訪れた店の主は大洗女子の戦車道復活を皆…ただの1つの例外もなく…喜んでくれたが、彼らにそのための助力を請う事はついにできなかった。唯一食事についてはほぼ全ての店が優花里の申し出を快諾し、ケータリング「だけ」は盤石の態勢を取れたと杏に報告できたのだが…。

 

 

 

 

「レオポンに3式、89式…こう考えてみるとウチの戦車はマイナー車ばっかりだね。こんなばらばらの戦車たちでかつて戦車道で名を馳せていたのも大洗町の協力あっての事だったんだろうなぁ。」

 優花里の話を聞き終えたナカジマは腕を組んで唸る。

「色んな戦車に触れられてわたしは嬉しいんですけど、迅速な整備という視点で考えると車種がばらばらの戦車道チームというのは悪夢以外の何ものでもないですね。」

「パーツも整備マニュアルも全部各車専用品が必要だからねぇ。秋山さんやエルヴィンさんに手伝って貰わないとホント辛いよ。」

 およそ機械というのはその性能を十二分に発揮するためには弛まぬ保守整備が必要となる。それは戦車とて例外ではない。整備は戦車道を行う上で必要不可欠な裏方仕事であるが、その難しさ故にこの競技の敷居を上げ、全国大会を目指す新規参入校を阻む要因でもあった。しかし大洗女子の抱える整備の課題は、他所の学校とは多少毛色の違うものだった。

 一般的に戦車道を選択科目に取り入れている学校は、その使用戦車を車種或いは使用国である程度統制する。本旨は学園のカラーによるものであるが、戦車に関わる整備を円滑化できるという大きなメリットが存在する。聖グロリアーナはマチルダ、サンダース大付属はシャーマン、プラウダはT-34。数的主力となる戦車の種類を絞る事によって整備の必要技能は大幅に縮小される。

 翻って、倉庫内に放置されていたⅣ号戦車を皮切りにあらゆる場所から「発見」された大洗女子の戦車たちは、その全てが異なる車種であり、およそ統制という言葉からは無縁の混成部隊であった。各車の共通部分など殆ど存在せず、全ての車輌に個別の整備知識、整備要領が必要となる。

 現在大洗女子は8輌の戦車/突撃砲を保有するが、整備要領がまるで異なる8輌を完璧に整備するためにメカニック担当である自動車部がどれほどの苦労をしているか、戦車マニアである優花里には痛い程理解できた。自分の知識を活かして何かの手伝いが出来ればと助力を申し出、自動車部の実技指導を仰いだ結果、今では各車輛の簡単な整備なら出来る程度の技能を習得したが、重整備となると手も足も出ない。歴女チームの一員で近代欧州戦史を守備範囲にしている松本理子…エルヴィンも優花里ほどではないが戦車の知識を持っており、同じく整備の手伝いをするようになったが、正規整備要員4人+半人前2人という体制はお世辞にも磐石とは言えず、加えて自動車部4人のうち3人が3年生という現状は大洗女子の整備事情が抱える大きな課題の1つであった。

 

「市場でのパーツ購入は不可能となると…生産業者に直接交渉するしかないのかな。黒森峰に業者紹介して貰おうか?あの学校エレファント使ってたし。」

 話を元に戻し。

市場でのパーツ調達が難しいと判断したナカジマは別の切り口を提案した。

 黒森峰女学院はポルシェティーガーの車台を流用して製作された重駆逐戦車エレファントを保有している。流用と言うだけあって車台はポルシェティーガーとほぼ同じ。そのエレファントの部品を納入している業者と交渉するというナカジマの発案は悪くないように思えた…が、優花里の反応は芳しくなかった。

「黒森峰は専属契約した工場で部品を一括生産購入してるんで、それも難しいですねぇ。黒森峰から出る中古パーツを入手する事も考えたんですけど、あの学校廃棄品を校外に放出する事がないらしくてそっちのセンもダメです。」

 先述のマジノ学園がそうであるように、一部の学校は整備で出た程度の良い中古部品(場合によっては車輛そのもの)を定期的に他校へ有料で提供している。しかし黒森峰はそのような事をせず、その全てを廃棄品として処分しているらしい。

「まるでワークスチームだね。プライベーターの辛さが身に染みるよ。」

「ワークスと言えば他の学校もそうですよ。サンダースやプラウダだと、戦車の整備や部品の調達も姉妹校に依頼すればすぐ届くみたいです。」

 多くの学園艦はそのモチーフとなった国の学校と姉妹校提携を結んでおり、戦車の整備や部品の供給をその姉妹校から受けている。技術交流という目的で年に数回の紅白戦も行われている。しかし大洗はかつて戦車道が科目にあった頃からどこの学校とも提携を結ばない独立校であり、整備補給について頼るべき後ろ盾の学校が存在しない。かつては独立校でありながら多種多様な戦車を運用する特異な学校として有名であったらしいが、それを支えていた大洗町も今となっては頼れない。

「…となると図面を工場に持ち込んで生産して貰うしかないのかぁ。自動車部の繋がりで工場のアテならあるんだけど、ワンオフって高く付くんだよなぁ。」

 わしわしと頭を掻きながら視線を巡らせるナカジマ。視線の先にはピカピカに磨かれたホンダのレーサーレプリカが停められていたが、そのチャンバー形状は市販のそれとは微妙に異なる形状をしている。

「1ロット10個から受注する〜とか言われそうですよね。そうなるとどれだけコストが掛かるやら…。これは会長に掛け合ってみないと。」

 放任主義の生徒会長は整備に関する一切の権限を自動車部に一任していた。それは整備に必要な予算についても同様であり、ある程度の金額であれば生徒会の決済無しで使用できた(無論使用後に領収書を添えての報告は必要である)のだが、このパーツ注文の方式となるとさすがに無許可で、とするのは筋が悪いだろう。見積もりすら提出できない現状でどう会長に具申するかを考え始めた優花里に、ナカジマの絶望的な言葉が突き刺さった。

「あー、でもその図面がないや。」

「図面無いんですか?!」

 工場に部品生産を依頼する以上、その部品についての各部寸法、構造、材質、重量等が正確に書かれた図面が必要になる。しかしポルシェティーガー発掘時、整備マニュアルと運用マニュアルは見つかったものの図面の存在は確認できていない。

「写真や映像資料じゃ詳細な寸法も材質も分かりませんね。メジャーな戦車ならネットに図面のpdfファイルがあったりしますけど、ポルシェティーガーのは見た事ないです。黒森峰ならエレファントの図面があると思うんですけど…。」

「コピーは…させてくれないだろうね、多分。」

 Ⅲ号戦車のように他の学校でも使われているような戦車ならいざ知らず、エレファントは黒森峰のみが運用し、黒森峰重戦車部隊の一翼を担う重要な機材である。そんな重要なポジションの機材の図面を貸してくれと言ったところで門前払いを食らうのが関の山のように思えた。

「あまり考えたくはないですが、慢性的なパーツ不足が続くようならレオポンを売却して別の戦車を購入する事も検討しないといけませんね。」

「愛着はあるから絶対直してあげたいんだけど、現状がこれじゃなぁ。この子にかまけてチーム全体を機能不全に追い込むのは本末転倒だし…。」

「諦めるのは早いぞナカジマ先輩!グデーリアン!」

 突如本名ではなくソウルネームを呼ばれ、優花里は思わず立ち上がって声の方を向く。そこにはⅢ号突撃砲「カバさんチーム」車長を務める松本里子…エルヴィンが立っていた。

「エルヴィン殿?」

「話は全て聞かせて貰った。要は図面を手に入れれば良いのだろう?ミラージュ5Jの輸出をキャンセルされたイスラエルが戦闘機を国内生産した時のやり方を真似よう。」

「…なるほど、モサド式でありますか…。」

 何やら得心いったらしく不敵な笑みを浮かべる優花里。戦車マニアと戦史マニアが不気味な笑みを浮かべる横で、ナカジマだけが怪訝そうな表情でその光景を眺めていた。

 

 

 

 

 それから数日後の夕方、校舎に残る生徒の数も疎らになった黒森峰女学園。その校舎内を歩く2つの影があった。

「潜入成功であります。」

「敵地潜入なんてプラウダ戦以来だ。何だかワクワクするな。」

 黒森峰の制服を身に付けているが、その2人は紛れもなく優花里とエルヴィンだった。一見敵地潜入というミッションに相応しい装いではあったが、優花里は背中にいつものタクティカルバックパックを背負い、エルヴィンはトレードマークのゴーグル付の制帽を被っており、今ひとつ「黒森峰の生徒らしさ」に欠ける風態であった。

「それでは、『ネシェル作戦』開始です!」

 学園の車庫で優花里の口にした「モサド式」というのは、1967年イスラエルが戦闘機のジェットエンジンを自国生産するため、エンジンを生産している会社のエンジニアを買収して図面を入手したという逸話に由来する。その工作活動を行ったのがイスラエルの諜報機関である「モサド」であるが、このエピソードには「モサドの工作員が直接会社に潜入して図面を盗み出した」という誤った説が存在する。

 優花里とエルヴィンは敢えてその間違った解釈に乗った。

黒森峰に通ずる知り合いなど存在しないし金を積もうにもその金がない。ならば自分たちで潜入して手に入れてしまおう。無論本当に図面を盗むつもりはない。必要な図面の写真をカメラで撮影し、それを基に大洗で新たに図面を引き直す。これが優花里とエルヴィンの考えたプランだった。

 ちなみに作戦名の『ネシェル』とは、この工作活動の成果でイスラエルが完成させた戦闘機のペットネームである。

 2人のスパイは校舎の廊下を堂々と進む。途中何人かの生徒とすれ違ったが、黒森峰の制服を着た優花里とエルヴィンは気付かれる事なく目的の資料室まで辿り着いた。資料室。ここに黒森峰戦車道に関わる様々な資料が保管されている事は学園の案内パンフレットで確認済みだ。

「ここだな。」

 優花里とエルヴィンは「許可を受けた者以外の立ち入りを禁ず」と書かれた扉を開けようとする。

「! まずいぞ。鍵が掛かってる。」

 ドアノブを握ったエルヴィンが渋面を作る。しかし優花里は落ち着いてポケットから数本の細い金属の棒を取り出した。

「こんな注意書きしてある部屋が施錠されてない筈がないですよね、やっぱり。」

 ドアノブの前に屈み込み、棒を鍵穴に差し込む。30秒ほど経って優花里がキーシリンダーを回すと、さも当然かのように鍵が開いた。

「…グデーリアン、その技、無闇に使うなよ。」

「使い所は心得てますので心配無用であります。」

 優花里とエルヴィンはピッキングで解鍵したドアを開け、室内へ入り込んだ。

その奥行き10メートル程の細長い部屋は両側に立つ巨大な棚にその内積を殆ど取られていた。ドアの延長線上、棚と棚の間に人ひとりがやっと通れるくらいの通路が1本あるだけで、その最奥にはブラインドカーテンで遮光された窓がある。夕暮れ時で電気を点けていない部屋の中は薄暗く、明かりなしでの捜索は不可能に思えた。

 しかし彼女たちをたじろがせたのは部屋の暗さではなく、その棚の大きさだった。天井まで届く棚が両側に並び、棚に備え付けられた薄い幅広の引き出しは数え切れないほど。この中から目当てのエレファントの足回りの図面を見つけ出す事はとても骨の折れる作業に思えた。しかしここまで来た彼女たちに「諦める」という選択肢は存在しない。優花里とエルヴィンは制服のポケットから赤いフィルターを装着したフラッシュライトを取り出し、手分けして棚に貼られたラベルを確認し始める。

「信じられん。Ⅳ号戦車関係の資料だけで棚が幾つも埋まっている。」

「Ⅳ号はバリエーションが豊富ですからね。恐らくその全ての関連資料が収蔵されてるんですよ。」

「几帳面というか杓子定規過ぎやしないか?被ってる所は切り捨ててもいいだろうに。」

「そこを全部収蔵しちゃうのがドイツ流なんですかね。それにしても素晴らしい…。あぁこんな立場じゃなければ1日じゅうこの部屋に篭っていたいです。」

「あったぞ!エレファント!」

 恍惚とした表情の優花里を放置して部屋の奥の方を捜索していたエルヴィンが1つの引き出しを丸ごと抜き出し床に置く。探し続けていた重駆逐戦車が描かれた図面が赤い光に照らし出された。

「やりましたねエルヴィン殿。さぁ後は写真を撮るだけです。足回りの図面を探して…」

 いそいそとバックパックから一眼レフを取り出そうとした優花里の背後で、今しがた彼女たちが入って来たドアががちゃりと開いた。

「ちょっとあなた達、資料室は許可を受けた者以外立ち入り禁止よ。」

「あ。」

 懐中電灯を持った黒森峰の生徒がひとり、戸口に立って優花里たちに声を掛けてくる。その腕には風紀委員を意味する腕章が装着されていた。放課後の戸締り確認で巡回していたようであったが、タイミングとしては最悪だった。

(迂闊だぞグデーリアン!何故鍵を掛けなかった!)

(申し訳ない!完全に忘れてたであります…!)

 小声で叱責するエルヴィンにやはり小声で謝罪する優花里。そんなふたりの事情など解さぬ風紀委員は彼女たちに近づく。

「明かりも点けずに何を探してたの?赤い懐中電灯なんて持って…」

 風紀委員の懐中電灯の光が優花里の顔を照らし、その直後彼女の言葉が止まり、次いで息を呑む音。

(いかん、バレました。)

「あなた大洗の!」

「失礼!」

 言うが早いか優花里とエルヴィンは踵を返し、部屋の奥にある窓に向けて突進した。先着したエルヴィンがブラインドカーテンを持ち上げ、優花里が窓に取り付き鍵を外して開け放つ。流れるような連携で2人の侵入者は窓から学舎の外に飛び出した。

「侵入者だ!捕まえろ!」

 響く警報。同時に校舎内がにわかに騒がしくなる。

「グデーリアン!このまま学校を出て市街地に逃げ込むぞ!人混みに紛れこめば追っ手を振り切れる筈だ!」

「了解です!」

 正門へと走る2人。しかし黒森峰の動きは彼女たちの想像以上に迅速だった。突如Ⅱ号戦車が2人の進路を塞ぎ、増設されたサーチライトと砲塔をこちらに指向した。

『動くな!もはや逃げられんぞ!神妙に縛につけ!』

「何でそこだけ時代劇チックなんだ!」

 優花里はちらりと背後を振り返る。校舎脇の駐輪場から側車付の偵察バイクが発車しこちらに向かってくる。更に後部に数人の生徒を乗せたケッテンクラートも近付いて来るのが見えた。

 まさかこんな形で潜入が失敗するとは。優花里は己の迂闊さを呪いながら必死に頭を働かせる。Ⅱ号戦車は砲塔をこちらに向けているが、まさか撃っては来ないだろう。しかしその速力から人間の足で逃れることはできない。加えて後方からは機械化された多数の追っ手。撒くことは不可能。

「エルヴィン殿、これまでであります。ここは潔く投降して事情を説明するしかないです。あの副隊長ならともかく、隊長の西住まほ殿ならきっと我々の話を聞いてくれる筈です。」

「無念…!」

『両手を挙げて跪け!』

 Ⅱ号戦車の車長が拡声器で怒鳴る。大洗のスパイ2人は大人しく両手を挙げた。

 

 

 

 

 

「隊長、侵入者2名を連行しました。」

「ご苦労さま。」

 連行された隊長室で、優花里とエルヴィンは黒森峰女学院戦車道のトップ2と対面した。重厚な黒塗りの机の向こうに隊長、西住まほがいつものポーカーフェイスで座り、その傍らに副隊長、逸見エリカが立ち、眉根に皺を寄せて優花里たちを睨みつけている。まるで主人の横に控えて牙を剥くジャーマンシェパードのようだと優花里は思ったが、そういう自分自身がみほに付き従う姿を他校の生徒から「柴犬のようだ」と評されている事を彼女は知らない。

「黒森峰へようこそ。…あなたたちは確か大洗の…」

「はい!大洗女子学園あんこうチーム装填手、秋山優花里であります!」

「同じく大洗女子学園カバさんチーム車長、エルヴィンだ。」

 あんこうチーム、という単語に机の向こうで腕を組む隊長のポーカーフェイスに薄く笑みが浮かんだのを優花里は見逃さなかった。

「そうか。みほは、妹は元気か?」

「え?は、はい。今は二度に渡っての廃校取り消しの立役者として、角谷会長共々メディアの取材対応に奔走されており…」

「うん、うん。」

「隊長!今はそういう話をしている時ではありません!」

 突如みほの話を振られ、戸惑いながら話し始めた優花里をエリカが厳しい口調で遮った。確かに侵入者相手にこのタイミングで世間話をするのは些かおかしい。

 しかしこんな話をのっけから振って来るところからすると、エリカはともかくまほの方は今回の自分たちの闖入をあまり問題視していないようだ、と優花里は踏む。サンダース大付属のケイもそうだったが、隊長格になるとある種の寛大さが身につくのかも知れない。

 妹の話題を遮られ心なしか不満げな表情のまほに代わり、エリカが尋問を始める。

「何が目的かは知らないけど、拘束後に西住隊長に報告して来たウチの風紀委員たちに感謝する事ね。本来なら即座に警察に突き出されても文句言えないのよあなた達。」

「他校への偵察行動は認められている筈ですが。」

「『試合前の』でしょう?我が校が近々大洗女子と試合をするなんて話はないわよ。」

「あっ。」

 戦車道において敵勢力の把握に努める事は基礎中の基礎であり、そのための情報収集活動は戦車道のルールとして認められている。その方法もヒュミント、練習風景の視察、他校の学舎への侵入など様々であるが、全ての前提として「今度試合を行う学校の」という条件が存在する。

 大学選抜との試合が終わった直後の大洗女子と黒森峰が試合を行うという約束は存在しないし、必然優花里たちの「偵察活動」もその正当性を喪失する。

「捕虜の扱いはジュネーブ条約に則って貰うぞ!」

 追い詰められたエルヴィンが意味の分からないことを要求するが、エリカは唇の端に皮肉げな笑みを浮かべそれに応じる。

「そのジュネーブ条約でスパイが捕虜として扱われてないのはご存知かしら砂漠のキツネさん?」

「ぐぬぬ…」

「ダメですエルヴィン殿。今回の件はどうやっても我々の失態です。」

「報告によると」

 今度はまほが口を開く。

「きみたちは資料室で何かを探していたようだが、何を探していた?あそこには戦車の図面やマニュアルしか置いてない。」

 優花里は大洗女子学園のガレージに置かれたポルシェティーガーの現状を説明し、自分たちの潜入の目的を全て話した。黒森峰の2人の隊長はその話を黙して聞いていたが、パーツ入手の苦労や整備の人員不足を窺わせる話になると同情するような表情を見せた。

 ひととおり優花里が話し終えた後、エリカが口を開く。

「大洗女子なんて小規模校があんな失敗兵器をよく運用してるものだと思っていたけど、やっぱり無理があったようね。ウチでさえエレファントのメンテは大変だと文句が出てるのに。」

「本当にごめんなさい、図面を盗むつもりはなかったんです。写真だけ撮れれば…」

「だからデジタル1眼なんて持ってた訳ね。スパイみたいな真似を…。この件、誰が指示したのかしら?まさか副隊長が?」

「西住…もとい、みほ殿は関係ありません!これは自分が独断で行った事です!全て自分の責任であります!」

 メディアへの対応に忙殺されているみほや杏にこれ以上の問題を抱えさせたくない。そう考えたからこそ、この「ネシェル作戦」は立案されたのだ。当然みほや杏はこの事を知らない。責任の所在は全て自分にある。この後どのような処分を受けるかは分からないが、みほや杏へ、いや大洗女子戦車道に類が及ぶような事態だけは絶対に避けなければならない。

 優花里の訴えを静かに受けたまほは、傍らのエリカを振り返り問う。

「どう思う。」

「嘘じゃないと思いますよ。あの子ヌケてるけど、こんな狡いテ考える人間ではないですから。そういう事態になったら真正面から図面を貸してくれと頼みに来る筈です。」

 内心優花里は安堵のため息をつく。みほに負担を掛けぬよう潜入したのに見事に捕まり、そのせいでみほにあらぬ疑いが掛かるなどという事態になったら目も当てられない。黒森峰2トップがみほの元チームメイトで良かった。

 安堵が表に出すぎてへにょへにょと顔を崩す優花里。一方まほはそんな優花里を見つめながら何か思案げに眉を寄せていたが、やがて何かを決めたらしくやおら立ち上がった。

「…ちょっと待ってなさい。エリカ、この2人にコーヒーでも出して頂戴。」

「え?あの、ちょっと?!隊長?!」

 部屋に残された全員の頭上に浮かんだ疑問符を無視し、まほは隊長室を出て行った。

「スパイにコーヒーを?…私が?」

 

 

 

 

 2人のスパイの定位置は隊長の机の前から応接用のソファへと移された。

不機嫌そうな顔を隠そうともしないエリカが2人の前に置かれたテーブルにコーヒーカップを置く。礼を言って口元に運ぶが、状況が理解出来ない不安と全身から不機嫌オーラをばら撒く目の前のエリカに気圧され、コーヒーを味わうどころの話ではない。それは側にいるエルヴィンも同様らしく、小声で優花里に話しかけてきた。

(グデーリアン、これはどういう事だ?)

(私にもさっぱり…。)

(黒森峰事情は複雑怪奇…。)

(あぁ副隊長殿が怖くてコーヒーの味が分からないであります。)

 何とも気まずい居心地の中で待っているとまほが帰って来て、手にした図面ケースを優花里に手渡した。

「図面のコピーだ。持って行きなさい。写真を撮るよりはずっといいだろう。」

「「「え?!」」」

 優花里とエルヴィンは勿論、エリカまでもがまほの言葉に驚き硬直する。

「よ、宜しいのですか?!」

 それだけではなく、まほは次いで1枚のバインダーを再び優花里に手渡す。

「それとこれはウチで出した中古品の目録だけど、これでいいなら持って行きなさい。交換したとは言えまだ十分使える筈だ。」

「え、えぇっ?!」

 バインダーに綴じられた紙には、エレファントの定期整備で出た交換部品の一覧が記載されていた。書面の記載を信じるなら現状のポルシェティーガーを修理した上に修理パーツのストックすら可能になる量だ。

「隊長!それはいけません!廃棄部品の譲渡は規定に反します!」

 隊長の想定外の行動に固まっていたエリカがようやく動き出し、鋭い口調でまほを制する。

「構わん。」

「図面のコピーだけならまだしも、いくら隊長の仰る事とは言え部品の譲渡は容認できません!ご自身の立場を悪くするような真似はお止め下さい!隊長が大洗のためにそこまでする必要はない筈です!」

 まほに対して従順なエリカがここまで食い下がるのも珍しい事だったが、彼女がそうしなければならない程にまほの行動は黒森峰の規定を逸脱していた。しかし彼女の言葉には別の響きが含まれている。

 

何故他校のために貴女がそんな危ない橋を渡らなければならないのか。

 

貴女にとって大洗は…否、西住みほは自分の立場を危うくしてまで守るべきものなのか。

 

 そのエリカの心境を、隊長室にいる全員が感じていた。しかし腹心の部下に面と向かって反発されても尚、まほはいつもの朴訥とした表情を崩さず口を開く。

「何もみほの為というだけではない。」

 エリカが敢えて触れなかった公私混同をこのタイミングで堂々と認めるその豪胆ぶりに優花里とエルヴィンはある種の感銘すら受けたが黙っていた。

「動く完全なポルシェティーガーは恐らくこの世界で大洗の1輌だけだ。その資料的価値は計り知れない。」

 言われてエリカははたと気付く。全国大会の際自身が「失敗兵器」と罵った通り、ポルシェティーガーは大戦末期に試作車数輌を生産しただけでその歴史を断ち切られたドイツ戦車史における徒花のような存在である。それがこの極東の学園艦から発掘され、走り、闘っている。まるで当然のように存在するため気付かなかったが、これは確かに殆ど奇跡とも言える現象である。

「その貴重な戦車を修理する手段を持ちながら規定のために協力を拒み、錆びた鉄塊になるかバラバラにされて売り払われるのを看過したとあっては戦車乗りの恥だ。それを邪魔するのが下らない規定であるなら、私はそんなもの無視する。」

「だったら博物館にでも…」

「それではダメだ!完全な稼働状態にあるからこそレオポンは貴重な存在なのだ!博物館で置物となった末に修理不能なまでに内部が劣化した例はいくらでもある!」

 エリカに烈火の如く反論したのはエルヴィンだった。

「只でさえこの国は工業製品の動態保存が下手だと言われているんだ!土浦の三式を見ろ!知覧の四式戦を見ろ!レオポンをあんな風にむざむざ朽ち果てさせるような真似は我々にはできない!」

 エルヴィンの言葉にエリカは顎に手を当てる。土浦武器学校の三式中戦車がレストア不可能な程劣化しているという話は戦車道ニュースで読んだ事があるし、知覧特攻記念館の四式戦闘機がやはりレストア不可能な程劣化して海外のレストアラーから失望の声を受けたという話も知っている。予算と法律という大きな問題が存在する故の悲劇であるが、それは現存し稼働状態にある、(恐らく世界でただ1輌の)ポルシェティーガーを巨大な文鎮にしていい理由にはならないだろう。そしてそのポルシェティーガーのコンディションを維持できる技術と情熱を持っているのは大洗女子学園しか思いつかない。そう考えるならまほの意見にも同意できる。しかしやはり西住流直系にして黒森峰女学院戦車道を束ねる隊長が他校のために「規定違反」を犯すという事は看過できない。学園の名声、西住流の家名、そしてそれ以上に逸見エリカ個人にとって、西住まほは清廉潔白な存在でなければならないのだ。

「…分かりました。ですが隊長、この場での部品の供与の約束はお待ちください。隊長ご自身が規定を破り、部品を『横流し』したとあっては下の者に示しが付きませんし、何より隊長のお名前にキズがつきます。ここはまず理事会に事情を説明した上で規定の改正を行い、その上で堂々と供与を行うべきです。」

「…うん、分かった。」

 エリカの譲歩案にまほは頷き、ぽかんと口を開けて固まる大洗の間者に向き直る。

「そういう訳だ。済まないが部品の譲渡については少し待って欲しい。私が必ず理事会を納得させて見せる。」

「よ、宜しくお願い致します!」

「します!」

 水飲み鳥のような動きで2人は頭を下げた。

 

 

 

「…って言って2週間、まるで音沙汰無しでありますなー。」

 大洗女子学園。校庭にⅣ号戦車を引っ張り出して洗車をしていた優花里がぼそりと呟いた。黒森峰との交渉を終え大洗に帰還して時間が経ったものの、まほとエリカからの連絡は全く来ず、ポルシェティーガーの整備は2週間前と同様全く進んでいない。空は抜けるように晴れ渡り、秋の陽がぽかぽかと暖かいが優花里の心境は曇ったままだった。

「理事会を説得するって言ったんでしょ?やっぱり一朝一夕って訳には行かないんじゃないかな。…まぁ仕方ないよ。元々無茶を言ったのはこっちだし図面のコピーを貰えただけありがたいと思わなきゃ。」

 車長用キューポラのペリスコープを交換し終えたナカジマが、ホースで転輪のカーシャンプーを落とす優花里に車上から声を掛ける。

「そうではありますが…ん。」

 秋の青空にターボプロップの音が響く。優花里が空を仰ぐと学園の上空を1機の大型輸送機が低く飛行していた。

「C-130かな?」

「いえ、C-130は4発エンジンですがあれは2発エンジンです。あのシルエットは…C-160トランザール?でも何でこんな低く?」

 空を見上げながら優花里が首をかしげた直後、輸送機の後部カーゴハッチからガイドパラシュートが飛び出し、次いでメインパラシュート、それに引きずられるようにして木箱を積載したパレットが空中に躍り出た。

「重物投下?!何で?!」

 驚く優花里の視界の中で、カーゴ投下を終えたC-160が大バンクする。その垂直尾翼には誇らしげに輝く鉄十字を模した校章。

「黒森峰!」

「交渉、上手くいったんですね!」

 パラシュートに吊るされふわふわと舞い降りた貨物パレットが校庭に落着する。優花里とナカジマはⅣ号戦車を走らせパレットに取り付き、車載工具を総動員して木箱を破壊する。果たして中には優花里とナカジマが待ち焦がれたものが個別梱包されてみっしりと詰まっていた。

「エレファントの履帯が!起動輪が!軸受けが!こんなに!」

「黒森峰で見せて貰ったリストより多いですよこれ!」

 はしゃぐ優花里とナカジマの頭上に再びターボプロップの轟音が近づく。見上げた先、頭上をフライパスするC-160の開け放しになった後部ハッチに誰かが立っているのが見えた。優花里は急いでⅣ号の車内から双眼鏡を取り出し輸送機にフォーカスを合わせる。

 

西住まほ。

 

 この交渉を纏めた彼女が部品の受け渡しまでも買って出たらしい。

優花里は翼を振りながら遠くなるC-160に敬礼し、ナカジマは頭を下げる。

 各々がそれぞれの形で感謝の意を表し終えた頃には、黒森峰の輸送機は遠くに消えていた。エンジン音が残響の如く遠く聞こえる。

 

と。

 

「あいた。」

 遅れて降ってきた何かが優花里の頭にぶつかった。

それはパラシュート付の小箱だった。落着のタイミングを考えるに、最後のフライパスの際にまほが投げ落としたものらしい。箱には「大洗女子学園戦車道 あんこうチーム 秋山優花里様」と油性マジックで書かれていた。納品書の類だろうかと訝りながら、優花里は頑丈そうな金具で閉じられた箱を開ける。

 箱の中には四つ折りにされた1枚の便箋とお菓子が詰まっていた。フロランタン、シュトーレン、タルト…。

「うわ、美味しそう。」

 箱の中を覗き込んだナカジマが目を輝かせる横で、優花里は便箋を開く。便箋には綺麗な字でこう書かれていた。

『約束を履行する。遅れて済まない。 黒森峰女学院 西住まほ』

 そして最後に一言。

『今度は裏口ではなく正門から入って来なさい。』

「えへへ。」

 いいのだろうかこれで。潜入した筈の黒森峰から部品どころかお菓子と招待状まで貰ってしまった。葛藤しつつもだらしない笑顔になって頭を掻く優花里。その耳にこちらに走り来る足音と聞き馴染みのある声が響く。

「秋山さん、今のパラシュートは何だったんですか?」

 みほには自分とエルヴィンが黒森峰に忍び込んだ事は内緒にしているし、当然優花里とまほの間に交渉があった事も知らせていない。さてこの大量のポルシェティーガーの部品をどう説明したものか。

 まぁ、「黒森峰と交渉して中古パーツを融通して貰った」と説明すればいいだろう。嘘は言っていない。

優花里は振り返って今しがた降ってきたお菓子をみほに勧めながら、事情を説明するプロットを作り始めていた。

 

 

-終ワリ-



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