優等騎士の英雄譚 (桐谷 アキト)
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1話 入学

初投稿の作品です。
処女作であり、不定期更新ですが、頑張っていきますので長い目で見ててください。




——まただ。またあの光景だ。

 

過去の光景の中に意識だけを浮かべながら、青年は自分が夢を見ていることを理解する。

 

己の決して消えることはない血塗られた罪の記憶。何にでも贖うことができない大罪を犯したその日の記憶。

 

紫。その色を宿した狂ったような瞳が、かつての少年を見下ろし、妖しく光る血濡れの刃がゆらりと上がる。

 

響き渡る大人達の悲鳴と怒声。背後で聞こえる大切な友達の泣く声。

 

そんな中、黒い人影がゆっくりと迫ってきた。

 

ゆらりと持ち上げられたその凶刃には禍々しく光る紅黒い雷が迸り大気を奔った。

 

「————」

 

ただただ無我夢中だった。何とかしなきゃ———それだけを思っていた。

 

だけど眼の前で起きた惨劇に、さらに昔の悲劇を重ねてしまった少年の精神は限界を迎えて。

 

そして次の瞬間——少年の視界が黒く染まった。

 

視界が元に戻った時、少年の目に写ったのは赤の一色だけだった。

 

それが血の海だと理解するのにしばらく時間を要したが、体にべったりと付着した生々しい感触と、鉄の匂い。そして、少年のことを化け物を見るような目で見てくる人達を見て全てを理解した。

 

 

——これは自分がやったことなのだと。

 

 

あまりにも異常な光景に少年は意識が薄くなっていく。自分が助かったのかも解らないまま。

 

ただ——それでも最後に、誰かの叫び声がしたのを少年は聞いた。

 

その言葉を、その瞳を、今も青年は忘れていない。泣き叫ぶ女性の声が、恐怖に満ちた瞳が、何度も繰り返される。

 

それはまるで呪いか何かのように———どうかあの子を返して、と。

 

 

 

 

 

 

 

「——っ!はあっ……はあ……———っ」

 

青年新宮寺蓮が勢い良く体を起こしたのと、荒い息を吐いたのはほぼ同時だった。胸を押さえている状況に、自分の意識が覚醒したことを理解し、深呼吸を行い、乱れている鼓動を落ち着かせ、びっしょりとかいた汗を袖で拭う。

 

「……何度見ても慣れないな、あの時の悪夢は……」

 

ベッドに倒れ込み仰向けの状態で、蓮は己の右手をじっと見つめ、

 

「……もう、あれから、六年か。…………くそっ」

 

蓮は忌々しくそう呟くとベッドから降りカーテンを開ける。

 

外から差し込む朝の光と、どこからともなく聞こえてくる小鳥の囀りに朝になったと理解し、もう一つのことを思い出す。

 

「………ああ、そうだ。今日は入学式か」  

 

そう言って蓮は部屋にかけてあった制服を見る。

真新しいそれは白と黒の二色で作られており、ロングコートのようなものまであった。それは今日から自分が通う新しい学園の特注制服だ。

 

彼はその制服を見た後、服が張り付くくらい汗をかいている自分の現状にため息をつくと、

 

「……とりあえず先にシャワーでも浴びるか」

 

と、水色の長髪を靡かせながら寝間着姿のまま、ジャージを手に取り部屋を出て浴室へ向かった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

この世には、ある一つの職業が存在する。

 

それは、《伐刀者(ブレイザー)

 

自らの魂を武装———《固有霊装(デバイス)》として顕現させ、魔力を用いて異能の力を操る千人に一人の特異存在。だ。

 

古い時代には『魔法使い』や『魔女』とも呼ばれてきた彼らは、科学では測れない力を持っており、最高クラスならば、時間の流れを意のままに操り、最低クラスでも身体能力を超人の域に底上げすることができた。

 

人でありながら、人を超えた奇跡の力。

 

武道や兵器などでは太刀打ちすることすら叶わない超常の力。

今や警察も軍隊も———戦争ですら、伐刀者の力なくては成り立たない。

 

しかし、超常的な力というものはいいことに使おうとする者もいれば悪いことに使おうとする者もいる。そんな無法者達の拘束であり抑止力であるのが《魔導騎士》である。そして、その《魔導騎士》達を統括するために《魔導騎士制度》というものがある。魔導騎士制度とは、国際機関の認可を受けた伐刀者の専門学校を卒業したものにのみ『免許』と『魔導騎士』という社会的立場を与え、能力の使用を認めるというものだ。

 

伐刀者の魂を具現化させた固有霊装は『聖剣』『魔弓』『呪具』『宝具』など様々な形態をとって伝説な伝承で語られるいわゆる『魔法の杖』だ。

 

「蓮。もうそろそろ時間じゃないのか?」

 

テレビを見ながら朝食後のコーヒーを飲む水髪の青年新宮寺蓮に廊下から赤ん坊を抱きかかえた黒髪の麗人が声をかけてきた。

 

彼女の名前は新宮寺黒乃。元世界ランキング三位の実力を持ち《世界時計(ワールドクロック)》と呼ばれている超凄腕の伐刀者であり蓮の養母である。

 

彼女の言葉に壁に掛けられた時計を見ると、すでに家を出る時間が迫っていた。今日は高校の入学式だ。遅刻なんてあってはならない。

 

「ああ、今行く!っと、その前に」

 

蓮はコーヒーを飲み干し椅子にかけてあった裾の長いタイプの制服を羽織ると鞄を持って玄関に向かおうとする。だが、扉のそばにある棚の上にある幾つもの写真たてに目を向け、その一つの青と赤の縁の写真立て、幼い自分とその両脇に立つ黒髪の青年と蓮と同じ水髪の女性が写った写真を見ると、笑みを浮かべ、

 

「行ってきます。親父、お袋」

 

今はもういない実の両親にそう告げて、彼は今度こそ玄関に向かい靴を履くと靴紐を結ぶ。

 

「忘れ物は無いか確認したか?」

「ああ、ちゃんと確認したよ。じゃあ行ってくるなー。鳴」

「あぅ」

 

蓮は去年生まれたばかりの妹の頭を撫でると、玄関の扉を開ける。

 

「母さん、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい」

 

黒乃の言葉に頷き蓮は玄関を開けて駅まで続く桜並木の道を急いで駆けた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

破軍学園に入学した蓮は一年一組に配属された。一クラス三十六人のこの教室では縦六横六の座席配置になっている。

担任の女教師が自己紹介を終えて、クラスメイトも一人ずつ挨拶を済ましていく。

教室の三列目の一番後ろの席に座っていて窓を眺めている水色の長髪と蒼色の瞳の長身の男が彼だ。

 

ふと、隣から視線を感じたのでそちらに振り向くと、こちらを見ていた一人の少年と目があった。

 

黒髪に黒瞳の男子生徒は蓮と目が合うと朗らかな微笑みを浮かべて声をかけてきた。

 

「初めまして僕は黒鉄一輝。好きに呼んでくれて構わないよ」

「新宮寺蓮だ。よろしく、黒鉄」

「うん、よろしく。新宮寺君」

 

苗字の通り鉄のような鋭さを秘めながら優しい光を放つ瞳を持つ彼はニッコリと笑ってきた。

 

見た目通り優しい人だ。なんというか彼とは仲良くやっていけそうな気がした。

 

「でも、驚いた。まさかここであの《紺碧の海王》と会えるなんて」

「…………へぇ、よく気づいたな」

 

《紺碧の海王》。

 

それは彼の二つ名だ。

 

齢9歳にしてはもはや異常とも言えるぐらいの大規模な水魔術と容姿からその二つ名をつけられた。

 

小4の時に世界リーグに初出場し世界1位を勝ち取って以来、公式戦には一切出ていなかったから知らない者の方が多いのだが、あの男の身内なら知ってて当然だろう。

 

日本には現在2人のAランク学生騎士がいる。

 

1人は蓮。

 

そしてもう1人は彼の実兄。

 

名は黒鉄王馬。二つ名は《風の剣帝》。二つ名のとおり風の異能を持つ学生騎士だ。武曲学園に入学したらしいが、ほとんどを修行の旅に費やしているそうだ。彼らしいといえば彼らしい。

 

 

「まぁリトルが最後だったし知らない人が多いのは仕方ないよ。王馬兄さんとも試合してたよね」

「ああ」

(やはりあいつの弟か。顔は似てるが性格は大違いだな)

 

 

脳裏でそんなことを考えながら担任の諸連絡を聞いて、入学初日ということもあってその場で解散となった。

 

この後は、各々に割り当てられた寮部屋に行って荷物を置いてルームメイトと顔合わせとなる。

 

そして明日に学園施設の案内と訓練場の使用やその他諸々学園生活に必要なことを説明する。

 

 

そして担任の女教師が退室して、早くも小・中と付き合いがあったであろう子達が次々とグループを形成していき、話で盛り上がっていく。

 

男子も女子も例外なくこのグループ形成の流れに乗り遅れた者は今後の学園生活はボッチになるだろう。

しかし、ボッチになりたいのかはわからないが、すでに退室しようとする生徒達もいくつか見受けられた。

 

クラスメイトたちがグループを形成していく中、蓮は教科書を整理してカバンにしまい、それを肩にかけるように持つと教室の扉に手をかけた。

 

蓮はここでのグループに入る気は毛頭なかった。蓮には先に外に出たクラスメイト達はともかく今形成しつつある殆どのグループからいやな感じがしたからだ。

 

「じゃあ、また明日。黒鉄」

「うん。また明日。新宮寺君」

 

一輝にそう別れを告げた蓮は立ち上がり、教室から出ようとする。

 

『あの人が新入生主席の新宮寺連かー』

『すっごいカッコいいね』

『髪の毛が素敵…。透き通った水みたい……』

 

蓮に向けられた視線はどれもが好奇心に満ちたものだった。しかしそれも無理はない。なにせ蓮の入学成績は破軍学園の歴代最高成績であり、次席とは圧倒的な差をつけている。

 

それに加え日本人離れした容姿だ。

 

彼はハーフで、両親から受け継いだ水色の髪に紺碧の瞳と整った顔立ちは世間一般で言うところのイケメンに分類される。体格も平均よりも大きいが、太すぎず細すぎずスッとしている。

 

うなじで結んだ腰まで届く長い髪も様になっており、その場にいるだけで注目を集めずにはいられない、天性のスターだ。よく天は二物を与えずと言うが、彼はその言葉を真っ向から否定する存在だった。

 

それ故にクラスメイトたちは話しかけるのを躊躇ってしまい、遠巻きに見て、各々の感想を述べることしかできなかった。

 

だから別の話題に話が移るのは時間の問題だった。

 

『ねえねえ、あの黒髪の人って例のFランクじゃない?』

 

女生徒の声。その声は別段大きいわけでもないのに、雑音や話し声で賑わっていた教室全体に響き渡りまるで時間が止まったかのように一切の音が消えた。

 

その声に蓮も思わず足を止めてその会話に耳を傾ける。

 

『え、それってあの人?』

『そう、噂だと面接官に賄賂を渡したとか』

『ああ、俺もそんな風に聞いたぞ』

『面接官に媚び売って入学かよ』

 

声の発生源は、教室の前側の扉の近くでたむろしている女子グループだ。そしてその少し離れたところにいる男子グループも発言した。

 

クラス中の視線が蓮と話していた一輝に集まる。

 

すると、男子グループから一人の男子生徒が代表格として出てきた。

 

彼は次席の、名前は桐原静矢。

 

その顔には明らかな侮蔑が浮かんでいて、少なくとも一輝と仲良くなるために話しにきたわけではない。

ちなみに主席は蓮だ。

 

「何見知らぬふりをしているんだい?君のことを言ってるんだよ。黒鉄一輝君」

 

嘲笑の色が濃く表れているその声にクラスの視線がさらに強くなる。そんな中、その中心にいる一輝は先ほどの優しい笑みとは一転して、なにも感じさせない冷たい鉄のような無表情で、しかし口調は先ほどと同じまま桐原に答えた。

 

「僕に何か用でもあるのかな?桐原君」

「いや、今日から仲良くするクラスメイトに挨拶しようと考えてたんだけどさ、落ちこぼれの君になんて言ったらいいかわからなくてね」

 

桐原の言葉に後ろにいた男女の取り巻きたちは下衆な笑い声で笑う。対する一輝は相変わらず無表情のまま。

 

周りの視線も侮蔑と嘲笑が混ざっており誰も一輝を助けようとはせず傍観を決め込んでいた。

 

それもそうだろう。

 

つまりは彼らは怖いのだ。変な正義感でこの場に割り込んで、この学園生活お先真っ暗になるのが、

 

それに、Fランクというのは悪い意味で目立つのだ。

 

伐刀者のランクにはAからFまでの六つのランクがある。

 

学生騎士の大半を占めるのはEランクとDランクだ。

彼らは仲間が多いが、少数精鋭の上位陣に見下されている。

常に高みに存在する『天才』と形容される人種を見上げ、羨む者たちだ。

そんな彼らにとって、Fランクの一輝はさぞかし好都合な存在なのだろう。

自分よりも下がいるんだと、八つ当たりの道具にしても構わないと、良心が痛むことなど、罪悪感を抱くことなどないのだと、自分たちが今までされてきたことを下のやつにできると、安心することができるのだ。

 

くだらない。実にくだらない。どこの場所でもそうだ。伐刀者だけでなく、一般でも成績で区別されて馬鹿にされる。そんな人達を彼は何度も見たことがある。

それにそんなに見下されるのが嫌なら這い上がればいい。

 

諦めずに自分を信じ続けるならば、()()()()()()()()()()()()()()()

 

そして一輝は明らかな侮蔑の声に怒ることなく、全く同じ口調で返した。

 

「別に、思いつかないなら何も言わなくていいよ。それに落ちこぼれの僕とは関わり合いたくないんじゃないのかな?」

「いやいやそんな風には思ってないさ。ただ僕は『天才』だからね。『無能』の君とどう接したらいいかわからないんだよ」

 

わざとらしく『天才』と『無能』を強調して自分達の立場を明確にする桐原。対するその言葉に眉ひとつ動かさず冷静に無表情を貫いている一輝。

 

そして周りの観衆の侮蔑の色が込められた視線と笑い声。

 

それらを見て俺はこれ以上聞くのも気分が悪くなるから、引き戸を引いて教室から出る。そして教室から出る直前に、

 

「…………くだらん」

 

誰にも聞こえないほどの声量で最後にそう呟き、扉を開け外に出た。廊下に一人出た蓮はこの後どうしようかといくつか選択肢を脳内に浮かべ決めた。

 

「とりあえず寮に行くか。鍵ももらってるし」

 

そして担任から配られた校内の見取り図を広げいざ学生寮へ向かおうとした時だった。

 

「なあ、ちょっといいか?」

「ん?」

 

一体誰なんだろう、と自分を呼ぶ声の方に振り向くと、一組の前の出入り口の方から一人の男子生徒と二人の女子生徒がこちらに駆け寄ってきていた。彼らは先程蓮よりも先に出ていたクラスメイト達だ。

 

焦茶色の短髪の男子、明るい栗色の短髪の女子、眼鏡をかけた黒髪のボブカットの女子だ。

 

「えと、君達は?」

「おっと、悪い自己紹介がまだだったな。俺は一組の葛城レオンハルトだ。レオでいいぜ。よろしくな」

「同じく一組の新宮寺連だ。俺のことも蓮で構わない。よろしく」

「OK、蓮。それでこっちの二人が……」

 

男子同士すぐに打ち解けた二人は軽く握手を交わす。そしてレオが自身の後ろにいる少女達に自己紹介を促した。

 

「私は佐倉那月です。同じ一組です。よろしくお願いします。新宮寺君」

 

気弱そうな外見を裏切らない口調の眼鏡をかけた黒髪の女子に蓮は柔らかい態度で返した。

 

「新宮寺蓮だ。こちらこそよろしく、佐倉さん」

「あたしは木葉マリカ、よろしくね。新宮寺くん」

「ああ、こちらこそ。木葉さん」

 

那月に続いて挨拶をしてきた栗色の髪の女子にそう応える。

彼女は那月とは正反対と言っていいい活発な性格だった。ショートの髪型や明るい髪の色やハッキリした目鼻立ちが、活発な印象を増幅している。

そして全員の自己紹介が終わったところで、蓮は些細な好奇心を満たそうとしてみた。

 

「三人は、同じ中学なのか?」

 

それに対するマリカの答えは実にあっさりとしたものだった。

 

「違うよ。全員、さっき初対面」

 

てっきり中学の同級生なのかと思っていた蓮は意表を突かれた。その表情がおかしかったのか、マリカはクスクス笑いながら続ける。

 

「いやね、あたしもクラスで友達作ろうと思ったんだけどさ、あの空気の中にいるのが嫌で外に出たら那月が声をかけてくれたのがきっかけ」

「……ああ、なるほどね」

 

確かにあの空気なら気を悪くする人もいるだろう。

マリカだけでなく那月もレオもそうだとするならば、彼等は少なくともあの半端者達とは違い、ちゃんと現実を見ているのだろう。

 

「ま、ここで立ち話でもなんだし、歩きながら話そうぜ」

 

レオの提案に満場一致で賛成しその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「えっ!じゃあ新宮寺くんってあのAランク騎士の《紺碧の海王》滝沢蓮なの⁉︎」

「ああ、そうだよ」

 

食堂へ向かう道中、蓮の二つ名を知ったマリカがそう驚いていた。那月も目を丸くして驚いているが、レオだけは分からずに蓮に訊ねた。

 

「なぁその《紺碧の海王》って蓮の二つ名なのか?」

「はぁっ⁉︎あんた《紺碧の海王》を知らないの⁉︎」

「なっ、し、知らなかったらまずいのかよ?」

 

レオの何気ない問いにマリカは驚愕をあらわにし鬼気迫る表情でレオに怒鳴り散らした。

 

「まずいわよ!日本人だったら誰もが知る鬼才の学生騎士の名よ!小4で初めて小学生(リトル)リーグに出場という偉業を成し遂げただけでなく、初出場にして怒涛の勢いで世界1位、つまり頂点まで勝ち上がった九州の麒麟児。逸脱した水魔術とその容姿から、海を支配する蒼き王者《紺碧の海王》の二つ名が付けられたあの滝沢蓮を知らないなんて……はぁ、これだからモテない男は」

「なっ?失礼なのはテメーだろうが!少しツラが良いからって調子乗ってんじゃねーぞ!」

「ルックスは大事なのよ?だらしなさとワイルドを履き違えているむさ男には分からないかも知れないけど」

「なっ、なっ、なっ……」

 

とりすました嘲笑を浮かべるマリカと、今にも唸り声が聞こえそうなレオ。

 

「……マリカちゃん。駄目だよ。少し言い過ぎよ」

「レオも少しは落ち着け。今のはお互い様だ、それに口では勝てないと思うぞ」

 

一触即発の空気に見兼ねた那月と蓮がそれぞれ二人の仲裁に入った。

 

「……那月がそう言うなら」

「……分かったぜ」

 

二人の仲裁に渋々といった感じで頷き、お互い顔を背ける。だが、目は逸らさなかった。同じような気の強さ、似たような負けず嫌いに、実はこの二人、案外気があうかも知れないと蓮は思った。

 

「でも、悪かったな。知らなくて、俺そう言うのはあんまり興味なかったからさ」

「いや、別に構わないよ。俺も公式戦に出てたのはその時のリーグだけだったしな。もう六年も経ってるんだ、知らないのも無理はないよ」

 

頭を下げ謝罪してきたレオに連はすかさずそう言うと、そこで那月が当然の疑問を浮かべた。

 

「あれ?でも、今の苗字は新宮寺ですよね?前は滝沢だったのに……」

「あ、確かに」

「本当だな。親が再婚したとかか?」

 

レオの問いに蓮は苦笑を浮かべ頷いた。

 

「まあそんなところかな。四年前にね」

 

蓮の家族事情は初対面の彼等にはあまり知られたくなかった。信用できるに値すると思うなら話してもいいのだが、変に気を使わせるのもなんだし、そう誤魔化すことにした。

 

「あの、折角ですから、皆さんでお茶でも飲みに行きませんか?」

「いいね。賛成!学園の近くに美味しいケーキ屋さんがあるらしいからそこ行こうよ!」

 

投げ掛けられたのはお茶の誘い。同じクラスメイトとして仲良くしようと言うことだろう。

その誘いには蓮もレオも快諾する。

 

「そうだな。クラスメイトだし、同性異性関係なく友人はいくらいても多すぎるということはないからな。レオはどうだ?」

「俺も構わないぜ」

「OK!じゃあ、一時間後に正門前で待ち合わせにしましょう!それぞれルームメイトとの顔合わせもあるしね」

 

マリカの提案に三人は揃ってうなずき、一度解散してそれぞれのルームメイトと顔合わせをして正門前で待ち合わせをしケーキ屋に向かうことにした。

 

彼女が連れていったケーキ屋はデザートの美味しいフレンチカフェテリアの店で、そこで昼食を済ませ、色々と談笑に花を咲かせた。

 

 

 

 

 

最後に余談だが、マリカと那月はルームメイトであり、レオは他のクラスの人で、蓮は一人部屋だった。

 

 

 




初めて二次小説を書いてみたのですが、思っていた以上に難しかったですね。

誤字報告やコメントなどお待ちしております。


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2話 最強と最弱

今回は独自解釈が多めです。


蓮が破軍に入学してから一週間が経ち、一年一組ではある変化が起こった。

 

蓮の隣の席に座る黒鉄一輝がいじめを受けるようになった。しかもそれは生徒個人ではない。学校規模でのいじめだった。『実戦教科を受講する際の最低限度の能力水準』というありもしない規定を作り一輝を訓練場から締め出したときは、さすがに驚いた。

しかもそれが学園の理事長が決めたことだから呆れを通り越して笑えてくる。

 

蓮はそういったことに興味がないので、となりの席に座る隣人として会話を続けた。

だが、そのたびに彼は苛めを受けているとは思えないような笑顔で対応してきた。

それが蓮にはひどく不思議に思えた。

 

そしてその日の昼。レオとマリカと那月と食堂で昼食をとっているとき、色々な話に花を咲かせていたとき、蓮が箸を皿の上におきふと尋ねた。

 

「なあ、同じクラスの黒鉄一輝のことどう思う?」

 

彼の質問にまず答えたのはレオだった。レオは食事の手を止めると、訝しげに問い返す。

 

「黒鉄一輝って、いつも実技の授業の時締め出されてる奴だろ?」

「ああ、そうだ」

「どう思うって言われてもなぁ、俺はあいつと話したことないからなんとも言えねぇよ。強いて言うならなんか無理してるとは感じるな」

「やはりそう思うか」

 

レオの言葉に蓮も同じ考えだったのか少し考え込む。

入学式の日に初めて顔を会わせたときから感じていた彼の笑顔。一見すれば穏やかな笑みにも見えるそれは、どこか影が差しているようにも見えたのだ。

レオはそういうところを感じ取ったのだろう。

 

「そう思うって、蓮さんは何か思うところがあるんですか?」

 

那月がそう尋ねてくる。

那月の呼び掛けが「新宮寺さん」から「蓮さん」に変わっているのは、マリカが名字が長いから名前で呼ぶ、との一方的な宣言によるものであり、当然、那月も同じことを宣言して、はやくも既成事実とかしている。

以後、この四人はお互いを名前で呼びあっている。

 

「ああ、少しな。那月やマリカはどう思う?」

「私はやりすぎだと思います。いくら実技の授業が受けれないからって締め出さなくても見学とかで済ませればいいのに」

「アタシも同感。Fランクだからってわざわざあんなことまでしなくてもいいと思うわ。というか、あれを平然とする先生達の気が知れないわ」

 

那月やマリカは一輝の境遇を哀れんでいた。確かに彼の現状を知ればそう思うのは当然なのだろう。レオもそう思っているはずだ。

 

「でもさ、蓮くんとレオは何で無理してるって思ったの?」

「俺はなんとなくそんな感じがしたから」

「うわっ、なによそれ、まさしく野生動物ね」

 

レオのセリフに呆れ声をもらすマリカ。

 

「あ?んだとコラ」

「だってそうでしよう?アンタ如何にも肉体労働派だからねー」

「確かに体動かす方が性に合ってるけど、人を見る目なら自信はあるんだからな」

「ウッソーアンタガー?」

「······バカにしてんのは分かったからその棒読みやめろ、余計にムカつく」

「ふ、二人とも今は蓮さんのお話を聞きましょう?ねっ?」

「……分かったわよ」

「……わったよ」

 

那月の言葉に渋々と頷き互いに顔を背けるマリカとレオ。おろおろと視線を左右に振る那月に蓮は肩をすくめて話し始める。

 

「…………そろそろ話すぞ?まず、実戦授業にもうけられたあの規定。あれは今年からつくられたものだ。理事長が作ったと考えるのが妥当だが、そんなものをつくって理事長にはなんのメリットもない、だから理事長よりもかなり上の立場の人間がそう命じたのだろう。

そしてその規定に該当するのはEランク未満の騎士、それはFランクの黒鉄一輝以外いない。つまりあの下らない規定は黒鉄一輝を対象に作られたようなものだ。

それに加え、彼は黒鉄家当主であり国際魔導騎士連盟日本支部長黒鉄厳氏の息子だ。

これらのキーワードを組み合わせれば大きな権力を持つ黒鉄厳氏が何らかの理由で彼が騎士学校を卒業することを邪魔したいのだろうと俺は考えている」

 

蓮の推測にレオは小声で「マジかよ…」と呟いた。抑揚の乏しい声は、呆然とした声が表面的なものだけでないことをよく示していた。那月も表情が驚愕に染まっていた。

マリカも眉間に皺を寄せて何事か無言で考えている。険しい顔つきからするに、不快感を覚えているのは確かだった。

 

「おおよその話しは理解できたけどよ。

それだとおかしくないか?なんで実の父親が息子の卒業を邪魔してるんだよ。親としてあり得ねぇんじゃねぇの?」

 

レオが腑に落ちないと言う顔で蓮にそう尋ねた。

確かに実の父親が息子を追い詰めることになんのメリットがあるのかさっぱりわからなかった。

それには蓮も同感らしく首を横に振る。

 

「さあな、俺もそこまではわからん。ただ、入学したてであんな状況になってるんだ、たぶん幼少からあの手の嫌がらせはあったと考えた方がいいのかもしれないな。だからこそ俺は彼が何時も無理をしていると感じたんだ」

 

蓮の説明に得心がいったのか、レオは何度も深くうなずいている。なぜか那月も、同じような顔でうなずいていたが。

 

「すごいですね……そんなことまで考えていたなんて」

「そんなこと考えもつかなかったぜ。さすがだな、蓮は」

 

二人が漏らした感嘆のため息にマリカがふと呟く。

 

「でも、それはいくらなんでも考え過ぎなんじゃないの?」

 

マリカの指摘に蓮は気難しい表情を浮かべると呟く。

 

「だといいがな。………少し確かめる必要があるな」

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

放課後になった瞬間彼はレオ達に鍛錬で使う場所探しを任せ、すぐに教室を飛び出し校舎を歩き回り一輝の姿を探した。締め出された間何しているのかわからない。でも、確認したいことがあった。そして彼を探し歩き回っているときだった。

 

「あれ?新宮寺君?」

 

蓮の名を呼んだ声の主である、黒鉄一輝はジャージ姿で汗をかき、それを首に巻いたタオルでぬぐっていた。おそらく走り込みしていたのだろう。確かにここら辺は走りこみのルートにはぴったりの道だ。

 

目を見開いてこちらに近づいてくる一輝に少し居心地の悪さを感じる。

 

「どうしてここに?」

「黒鉄こそここで何をしていたんだ?」

 

相手の質問に被せるように質問を返す。失礼だと思うが許せ、と心の中で手を合わせた蓮。そして一輝は答えた。

 

「僕は今トレーニング中でね、学園の周りを走っているところだったんだよ」

「……そうなのか。確かにここの外周は走りこみに向いてるな」

 

この破軍学園は東京ドーム10個分という馬鹿げた敷地面積を誇っていて、外周はたしか20キロ以上はあったはず。

だが今トレーニング中ということは少なくとも授業中からやっていることになる。そのことを蓮は尋ねてみた。

 

「それは授業中もやっているのか?」

「うん。そうだよ」

 

一輝は蓮の言葉に頷くと寂しそうな笑みを浮かべてボソッと呟いた。

 

「………僕にできるのはこれぐらいしかないからね」

 

その言葉を聞いた蓮は彼をあることに誘った。

 

「なあ、このあと時間はあるか?」

「え?う、うん、ランニングも終わったからね」

「少し確認したいことがあるんだ。ちょっとついてきてくれないか?」

「?うん、いいよ」

 

首を傾げながらもそう了承した一輝はそのまま彼の背中についていった。

 

 

一輝の了承を得た蓮はレオと連絡を取りながら一輝を第五訓練場に連れて行った。

そこは無人かと思われていたが、先客がおりその人物は、蓮の友人達だ。

 

「おーい、こっちだ蓮」

「本当に連れてきたのね」

「準備は終わってますよー」

 

クラスメイトのレオ、マリカ、那月がリングの上に立っており、ちょうど入り口に着いた蓮達に向け手を振っていた。

蓮は彼らに近づくと申し訳なさそうに友人たちに声をかけた。

 

「すまんな、急に頼んでしまって」

 

蓮の謝罪にレオはカラッとした笑顔で首を横に振った。

 

「おいおい水臭いぜ、蓮。俺も黒鉄のことは気になってたしよ」

「大丈夫ですよ。今日はまだ誰もいませんでしたから」

 

那月も人当たりの良い柔らかいほほ笑みで、蓮の謝罪を否定する。

 

「そーよ。私達も黒鉄くんの実力は気になっていたから気にしなくていいわよ」

 

マリカもいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべそう答える。

三者三様の笑顔に蓮は表情を綻ばせ先程の謝罪が無意味だったと理解し笑みを浮かべる。

 

「あの、新宮寺君これは一体?」

 

入り口で呆然とし立ち尽くした一輝は訳がわからないというふうに蓮に尋ねる。

彼は不敵な笑みを浮かべると、制服の上着を脱ぎながらこう告げた。

 

「黒鉄一輝、今から俺と模擬戦をやらないか?」

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

黒鉄一輝から見て新宮寺蓮はとても不思議な人だった。

 

突然だが彼は学園からいじめを受けている。それは彼の実家が仕向けたものであるけど、いじめを受けていることには変わりなかった。

 

普通ならイジメられている人間に関われば自分たちも巻き添えを食らうと思い関わらなくなるのが普通だ。だけど、蓮は違った。

 

彼は同情や哀れみもせず、それこそ普通の隣人のように接してくれた。

蓮を初めて見たとき彼は驚いた。

 

日本に二人しかいない若きAランク騎士の一人《紺碧の海王》新宮寺蓮。

 

何があったのかは不明だが、滝沢から新宮寺へと名字から変わっていた。だが、そんな些細なことはどうでもいい。

 

ただ入学式に顔を合わせたとき、彼が無意識に纏う独特のオーラに圧倒された。

 

彼から感じられる雰囲気はまさに剣客のそれだ。

しかし、彼が剣客だというのはあの六年前のリトルリーグでの情報で知っていた。強者だということももちろんだ。

無論、破軍学園に史上最高成績で主席入学を果たしたから、並外れた実力があるのは分かっていた。

だだ、それが自分の予想よりも遥かに上回っていたことに驚いたのだ。

それにパッと見ただけでも、彼の細身の体躯はかなり鍛え上げられており、日頃から鍛錬を怠っていないことが明らかだった。

そして改めて彼が自分が知る中で同世代では最強の騎士であることは確かだ。

 

はっきり言って一輝には伐刀者の才能はない。

 

伐刀者史上初のFランクで、持ってる異能も『身体能力倍加』という魔力を使えば誰だってできるような能力だ。

 

でも、そんな彼にも一応武器はある。

 

それは眼だ。

 

彼は昔から嫌われ者で、誰にも何も教えてもらえなかったから、他人の剣を見て盗むしかなかった。そうしてるうちに、いつの間にか三分もその人の剣を見れば、その件の流派に存在する技や、どういう進化を経て今の形となったのかという歴史、そしてそこに存在する欠点まで、全部理解できるようになった。

 

そしてそれを持って彼を見てみてはっきりいって強いということがわかった。それもかなりの強さ。多分この学園でも最強に位置するだろう。見ただけでもわかるぐらいにそれははっきりとしていた。

 

だからこそ、一輝は一人の剣士として一度彼と剣を交えてみたいと思った。

 

そしてそんな彼から模擬戦をしようと持ちかけられた。

 

これは願っても無いことだった。

 

Fランクの自分にまさかAランクである彼が興味を持つなんて思わなかった。

 

だから一輝はその申し出に、

 

「うん、いいよ」

 

迷うことなく即答した。それに蓮は、

 

「よし、じゃあ今すぐやろうか」

 

鋭い瞳に闘志の炎を宿し不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

蓮の見立てでは一輝は確かに伐刀者の才能はない、Fランクがその証拠だ。だが、人間としてはもはや超人の域に達しているはずだ。

 

先ほどのマラソンがいい例だ。

 

あれだけの距離を走って僅かにしか息が上がっていないのだから、体力は並大抵のものじゃないだろう。

 

そしてランクは伐刀者としての能力を評価するもの。体術や剣術は評価項目に含まれない。

 

だが、彼の身体能力は先ほどの走り込みから予想するにAかBのどちらかだ。

 

訓練場の内部には直径百メートルほどの戦闘フィールドと、それをすり鉢状に囲む観客席が設けられており、それはコロシアムを彷彿とさせていた。

 

「じゃあ模擬戦を始めるわよ。双方、《固有霊装(デバイス)》を幻想形態で展開して」

 

レオと那月はリングの端に移動し審判役のマリカの言葉に両者共に頷き己の魂を顕現する。

 

「来てくれ。《陰鉄》」

 

そして一輝は開始線に立ち己の固有霊装である烏のように黒い鋼の日本刀を召喚する。

蓮も自分の固有霊装を召喚するために両手を横に広げる。

 

「行くぞ。《蒼月》」

 

瞬間、彼の両手には二本の白銀色の鋼の日本刀が顕現していた。

 

右腰には藍色の光沢に包まれた鞘が下げられている。

 

準備を終えた二人は開始線に立ち己が得物を構える。

 

お互いに口をつぐみ、じっと対峙する敵を見据え己が得物を構え意識を極限まで研ぎ澄ます。いつでも反応できるように。

 

「では、試合………始め!」

 

マリカの手が振り下ろされ、試合開始の声が響いた。そして蓮と対峙する一輝は《陰鉄》の切っ先をこちらに向けて告げた。

 

「僕の最弱(さいきょう)を以って、君の最強を打ち破る———!」

 

瞬間、言葉と共に、一輝の全身と《陰鉄》の刀身から蒼い焔のように揺らめく、淡い輝きが生まれた。

 

あれは可視化できるほどに高まった魔力光だ。

 

だが、一体どんなからくりであの魔力の輝きを出した?

 

一輝は彼のそんな心を読んだかのように言う。

 

「僕はこの能力を普通には使わないで全力で使っているんだ。そしてそれは文字通りの全力。普段、人は本来の半分程度の力も使いこなせていない。だけど、僕は生存本能(リミッター)を意図的に破壊して本来使えない力に手をつけているんだ」

 

つまりは短時間の超強化能力。一輝の異能は身体能力倍加であり、普通の伐刀者なら誰でも行える魔力放出による身体能力強化の下位互換の能力しか彼は有していない。

 

多分、極めて短い間でしかまともに渡り合うことができないような能力だろう。

 

そして生存本能を意図的に破壊、か。

 

面白いことを考える。だが、あの魔力の猛りはエネルギーのロスによって生み出されるもの、つまり一輝のあの切り札はあまりにも使い勝手が悪い。

 

ただただ魔力を限界まで絞り出し燃やし尽くすだけでは足りない。それらを全て制御し身体の内側で最大限作用させることこそが重要なのだ。

 

だが、同時に気づく。

 

一輝は魔力制御すらもままならないのだ。闘争に必要な魔力の使い方だけならば一流に匹敵するのだろう。だが、それ以外は下の下以下だ。だからこそ、ああして日頃から体を鍛えているのだろう。自分の唯一の強みを高めそれだけは負けたくないと思い、必死に鍛え上げてきたのだろう。

 

彼はふと口角を釣り上げ笑っていた。

 

素晴らしい。それだけの技をなすためにお前は一体どれだけ自分をいじめ抜いた?どれだけの屈辱を味わった?

 

お前の根幹を支えるその覚悟はなんだ?

 

なんとなくわかった彼の人となりからそれが並大抵の覚悟ではないことは伝わった。

 

だが、まだ足りない。

 

もっとお前の覚悟を見せてみろ。

 

 

最弱の騎士(黒鉄一輝)》。

 

 

「ならば見せてみろ!来い!黒鉄!」

「行くよ!新宮寺君!」

  

瞬間、一輝は蓮に向けて弾丸の如く駆け出した。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

一輝の唯一の伐刀絶技《一刀修羅》は1分間に凝縮した身体能力超強化の魔術だ。

 

自らが持つ全ての力、自分自身のありったけをたった1分間のうちに使い尽くすことで、最弱の能力を何十倍もの強化倍率に引き上げる、最弱が最強に至るための答え。

 

修羅になることを選んだ者の答えだった。

 

この1分間だけは誰にも負けないように、誰だって倒せるようにと、鍛え行き着いた一つの答えだった。

 

故に一輝は短期決戦の速攻に賭けた。そしてそれは正解でもあり不正解でもあった。

 

一輝はそのまままっすぐに蓮の元へ駆け出す。そのタイムラグは0.13秒。並の人間ならば反応することができないおそるべき反射スピードだ。

 

一輝は蓮の今の実力を全く知らない、知っているといえば六年前の頃のだけだ。だからこそ、この一瞬で決めようとした。

 

そして、まだ蓮は動かない。それは彼の筋肉の動きからも見て取れた。試合開始の合図に一瞬筋肉が反応し収縮しただけ、これならばいける。これだけの有利な時間なら居合の軌道も蓮の目線や呼吸、筋肉の動きも何から何まで見切れることができる。

 

(さあ、行くよ!新宮寺君、君の最強を見せてくれ!)

 

一輝は自分の間合いに踏み込んだ瞬間、勝利を確信し蓮の首元に剣を振り下ろす。だが、

 

「———」

「——え?」

 

その瞬間、一輝は蓮と目があった。彼の鋭い瞳が自分のことをはっきりと捉えていたのだ。そして次の瞬間、一輝は足がガクンと動かなくなったような感覚を覚え、その直後意識がゆっくりと奈落へと堕ちていくのを感じた。

 

(………一体何が起こった⁉︎)

 

まだ彼は剣を振るってなどいなかったはず、己の目で彼の身体は反応していないということはわかっていた。なのに、なぜ?

 

その答えはすぐに分かった。

 

《幻想形態》により体力だけが削られることで発生する《血光》がいつの間にか自分の首と腹部から舞っており、蓮は日本刀を振りぬいていたのだ。

 

時間という絶対的優位はこちらが獲得したはず、だがそれを嘲笑うかのように追い越した神速の斬撃。

 

気づかないうちに放たれた斬撃。

 

それは超人的な一輝の動体視力や反応速度を凌駕し、一輝の対抗できる武器を全て無力化したということ。

 

目の前に佇む男はその双刃を一度振るっただけで一輝を倒したのだ。

 

答えを得たと同時に、一輝は薄れゆく意識の中、見る。

 

双剣を振り抜いた男の背中の大きさを、

 

それはただ大きいのではなかった。

 

ただならぬ覚悟をいだき、そのために強くなろうとしている誇り高く、逞しい背中だった。

 

それは幼い頃憧れたあの()()のようだった。

 

(………ああ、すごい。……こんなにすごい人が、いたなんて)

 

そして一輝はそのまま意識を完全に手放した。

 




決して一輝君が弱いというわけではありません。

蓮が強すぎるだけです。


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3話 海王の蒼刃

3/31追記。桐原との戦闘内容を一部修正しました。


僅かな疲労を覚えて目を覚ました一輝は観客席に横たわっていた。どうやら誰かにここに寝かされたようだ。

まだぼんやりとした意識のまま何が起きたのかを思い出そうとした時、

 

「おおおぉぉぉっっ‼︎‼︎‼︎」

 

誰かの雄叫びが聞こえ一気に意識が覚醒する。

その声の元を辿ろうと体を起こし、声のした方向——訓練場のリングの方へと視線を向ける。

 

そこで見たのはリングの上で格闘戦を繰り広げる蓮と茶髪の少年、葛城レオンハルトの姿だった。

 

蓮は腰に佩いた《蒼月》には手をかけず、両腕に前腕部を覆える、青白い光を放つ透き通った水色の重厚な氷の籠手を、対するレオも己の固有霊装(デバイス)である、前腕部を包む幅広く分厚い、赤光を放つ深く艶のある漆黒色の手甲《ジークフリート》を展開している。

 

青の氷拳と赤の剛拳がぶつかるたびに重く鈍い音が響き、火花が散る。

 

お互い殴り合うかと思えば、どちらからともなく防御または反撃へと転じ攻防が幾重にも繰り返される。

 

どちらも一目で高度な打ち合いをしていることがわかる。

 

拳撃の破壊力、立ち回り、技術、そのどれを取っても近接戦闘においてなら、軍隊の第一線で通用しそうな戦闘力を有していた。

 

レオの戦闘スタイルは霊装の形から格闘術であることはすぐにわかる。だが、今まで剣術使いだと思っていた蓮があそこまで高度な格闘術までこなせることに一輝は驚愕を隠せなかった。

 

そしてふと先ほど起きたことを全てはっきりと思い出し、苦い顔を浮かべ、ポツリと力なく呟く。

 

「………ああ、そうか。僕は…負けたのか」

 

自分が負けたという事実を認識し、気分が重くなるのを感じる。

 

夢だと思いたかったが、そう上手くはいかない。

 

自分は負けた。

 

それも、言い訳もつかないほどに完膚なきまであっさりと惨敗を喫した。

 

明確な敗北の感覚。それは一輝の胸中によく分からない虚無感として泥のように巣喰いじわりじわりと広がる。

 

そしてそれから逃げるように椅子の背にもたれ目を閉じて黙り込む。

 

すると、不意に彼に声がかけられた。

 

「あ、起きたんですね」

 

後ろからかけられた声に振り向くと、スポーツドリンクとタオルを持った那月とマリカがいた。

 

一輝の右隣に那月とマリカは座り、那月が一輝にスポーツドリンクを渡す。

 

「はい、これをどうぞ」

「あ、ありがとう。えと……佐倉さんと木場さんであってるかな?」

「ええ、そうですよ」

「うん、あってるわよ。でも、あたしたち一度しか自己紹介してないのによく覚えてたわね」

「まあね。クラス名簿とかで顔と名前は覚えていたから」

 

クラスメイトの顔と名前を全部覚えていた一輝は今初めて会話するこの二人のことも、蓮と戦っているレオのことも知っていた。

 

実際に話したことはなかったが、Aランク一人にDランク三人という珍しい組み合わせのグループであり、この一週間の学園生活のほとんどを彼らは四人で過ごしているという話は少し有名だ。

 

「どこか痛いところはありませんか?」

「ううん、特にどこも。《幻想形態》だったから、少し気だるさがあるぐらいだよ」

「そうですか。なら良かったです」

 

そう那月は穏やかな笑みを浮かべる。

《一刀修羅》の使用後はその反動で疲労困憊になり呼吸すらままならなくなるのだが、発動時間が短かったため、思ったより疲労は蓄積されていなかった。(今まで寝ていたから少し回復していたというのもあるが)。

 

だが、今思い返してみれば彼の攻撃はあまりにも速すぎた。魔力放出による爆発的な瞬間加速であそこまでのスピードが出るものなのかと思い知るほどだ。

そしてあのスピードの中、寸分たがわずに首と腹部を斬り払える技術と身体能力。少なくとも今の自分では出来ない。自分よりもはるかに高みにいることが明らかだった。

 

「おーい、二人ともー!黒鉄くん目覚ましたよー!」

 

そんな思考に沈みふけっていた時、マリカが立ち上がりリングでいまだに戦い続けている二人に声をかける。

二人はその言葉が聞こえたのか、ピタリと動きを止めると、こちらに手を振る。それを確認したマリカは自分を見上げる一輝に視線を向ける。

 

「なんか蓮くんがあなたに確認したいことがあるらしくてね、目を覚ましたら呼んでくれって言われてたの」

「確認したいこと?」

「んーそれは分からないけと、蓮くんがすぐに教えてくれるわよ」

 

彼女の言葉に一輝は「そうだね」と苦笑を浮かべる

しばらくして二人はリングから降り観客席へと上がってきた。

レオと共に上がってきた蓮は那月からスポーツドリンクとタオルを受け取る。

 

「蓮さん、レオくん。これスポーツドリンクとタオルです」

「ああ、ありがとう。那月」

「ダンケ、那月」

 

二人は那月に礼をいうと、喉の渇きを癒したり、汗をぬぐったりなどする。蓮はスポーツドリンクを一口飲むとタオルで首元を拭いながら一輝たちが座る観客席の一段下に座ると身体ごと一輝の方に向け穏やかな笑みを浮かべる。

 

「起きたか。どこか痛むか?」

「いや、どこも大丈夫だよ。それより確認したいことってなにかな?」

 

蓮はしばし沈黙すると、こちらに体ごと向け、先ほどの穏やかな表情から真剣な表情へと変え、その深海のように深い紺碧の瞳をこちらに向ける。

 

そこに宿っている感情が何か読み取れず、一輝は声には出さずに困惑する。

 

「黒鉄……単刀直入に聞くぞ」

 

蓮は本来の要件を切り出し、大きく核心に踏み込み尋ねた。

 

「お前は『黒鉄家』からの妨害を受けているだろ?」

「ッッ‼︎」

 

一輝は押し黙り平静を保つ。

だがその質問を聞いた瞬間、一輝の黒瞳が驚愕に揺らぐのを蓮は見逃さなかった。

確かにこの質問は彼の気を悪くするものなのだろう。

だからと彼は続ける。

 

「気を悪くさせたのなら謝る。それに話したくないんだったら話さなくてもいい。失礼なことを聞いているのは重々承知しているからな」

「ううん、そんな風には思ってないよ。……それに君の言ったことは事実だよ。僕は実家から妨害を受けている」

 

一輝の言葉に訓練場の空気がしんと静まり返り静寂が満ちた。先ほどまで賑やかに談笑していたレオ達も口をつぐみ一輝の言葉に耳を傾けていた。

 

「理由を聞かせてもらってもいいか?」

「僕は伐刀者としては前代未聞のFランクだ。だから実家は僕が魔導騎士になること自体を恥だと考えているんだよ」

 

黒鉄家は代々優秀な伐刀者を輩出してきた明治から続く日本の名家だ。

 

日本を第二次世界大戦で戦勝国へ導いた極東の英雄であり、若き英雄を育てた経験もある『サムライ・リョーマ』黒鉄龍馬もその一人である。

 

騎士の世界においてとても強い影響力を持っており、その権力を使い破軍学園に直接圧力をかけてきたそうだ。

 

曰く『黒鉄の家を出奔したはぐれ者。黒鉄一輝を卒業させるな』と。

 

もちろんその事実を一輝は知らない。だが幼い頃から冷遇されてきたからかそんなことだろうとは薄々感づいていた。何より今の教師陣の対応を見れば明らかだが。

 

「名家の面子もあるからね。あの大英雄を輩出した家系から僕みたいな『Fランク(落ちこぼれ)』なんて出したら、家名に傷が付くと思ってるんだよ。なにせ今の騎士社会は『ランクこそが全て』だからそう思われるのは仕方がないよ」

「そんなっ酷すぎですっ!それが親のすることなんですか⁉︎」

「同感。そんなの親以前にただのクズだわ。才能がないからってそこまですることないじゃない」

「ああ、全くだ。学校が生徒を売るなんざ前代未聞だぜ」

 

血相を変えてそう叫んだのは那月だった。

理不尽すぎる事実に彼女は激しい憤りを感じたのだ。

無論、それは那月だけではなくレオもマリカも同じで、二人とも表情を険しくし憤慨を顕にしていた。

ただ一人蓮だけが表情を変えずに無言のまま話を聞いていた。

 

「心配してくれてありがとう。でもこればっかりはどうしようもないんだ。僕に才能がないことも、学園が実家の要求に屈し売り払ってしまうほどの価値しかないことも承知している。だから僕は僕を欲しいと思わせるほど強くなろうって決めたんだ」

 

そうだ。今の自分の価値がないのであれば、その価値を上げればいい。上げて上げて、学園が惜しいと思うほどの強い騎士になればいいのだ。

 

一輝は、そう思い続けることで自分自身を鼓舞していた。

それが黒鉄一輝がもつ強さだった。

 

「なるほど……」

 

今まで黙って話を聞いていた蓮は一言そう呟く。

黒鉄一輝はただの優男だと思っていたら、とんだ修羅だったわけだ。

自分の思い違いを蓮は笑った。

 

「……えと、どうしたの?」

 

その笑いの意味がわからず一輝は困惑の声を上げた。

 

「いや、すまない。俺はお前のことを過小評価していたようだ。

黒鉄一輝、認めよう。お前は強い。騎士としても、人間としても。お前は強い心を持っている。揺るぎない覚悟を持っている。それに才能がなくてもお前は努力でそれを覆そうとしている。そうなんだろ?」

「え、あ、うんそうだけど」

「だったらそのまま貫けばいい。騎士は己の剣で道を切り拓く者だからな。今までもそうしてきたんだ。自分の剣を信じればいい。けどな」

 

スッと一輝の眼前に彼の手が差し出された。

 

「たまには誰かを頼れ。少なくともここにいるメンバーはお前のことをFランクとか落ちこぼれとかそんな目では見ない。黒鉄一輝という一人の人間としてお前を見ているからな、相談ぐらいにはたまに乗ってやるさ」

 

一輝の脳裏に彼の古い記憶が蘇る。

道場で兄や分家の人達が稽古をつけてもらっているのを外から覗き見ることしかできなかった自分を、身も心も冷え切って、蔑まれ、唾を吐かれ、それでも諦めたくない一心でずっと竹刀を振り続けたことを。

 

今まで妹と()()()ただ二人を除いて誰も自分を見てくれなかった。彼自身の本質は見もせず、才能だけで判断され突き放されてきた。

 

ただ、自分を見て欲しかった。

 

ただ、自分を認めて欲しかった。

 

ただそれだけの為に、諦めたくないからとずっと剣を振ってきた。

 

それを思い出した瞬間視界が滲む。それが涙だと気づくのにしばらく時間を要したが、それを拭う事すら忘れ震える両手で彼の手を取った。 

 

「うぅっ、うあぁ……!」

 

嗚咽はすぐに号泣へと変わる。

 

蓮の手にすがりついて、一輝は恥も外聞もかなぐり捨てて大声で泣き始めた。

 

それを咎める者はおらず皆が優しい笑顔でそれを見ていた。

 

初めて差し伸べられた彼の手はとても大きく、とても優しくて温かった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

ようやく落ち着きを取り戻した一輝は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした顔を取り戻していた。だがやはり恥ずかしかったのか顔を赤面させながらも謝罪ではなくお礼を言ってそのまま寮の自室へと帰って行った。

 

それからしばらくしてレオとマリカが打ち合いをしている傍黙々と双剣で素振りをしていた蓮に那月が話しかけた。

 

「黒鉄くん良かったですね」

 

話題はもちろん一輝のことだ。

 

「そうだな」

 

彼は刀を振るう手を止めると軽く笑みを浮かべる。

先ほどの一輝の表情は本当に救われたように見えた。今まで誰にも認めてもらえなかったからか、初めて認めてくれる誰かに出会えて嬉しかったのかもしれない。

 

「でも意外でした。蓮さん、他人のことを詮索するタイプにも見えないのに」

「意外って、そんなにか?」

「はい。でも蓮さんはそういうのには興味ないと思ってましたから」

 

心底不思議そうに首を傾げる那月に、蓮は苦笑を漏らす。  

 

「……まあ確かに他人のことはあまり詮索しないよ。他人事で済めばそれでいいからね。それに例え他人の事情を聞いたとしても大抵のことはどうしようもないからな」

「そうなんですか?」

 

那月の疑問に蓮は素直に頷いた。

 

「ああ……けどな、黒鉄のことはなんとなくだが気になったんだ。それで気になったから声をかけた。ただそれだけだよ」

 

そう言って、もう一度軽く笑って見せると、那月はなぜか屈託のない笑みを浮かべ彼を見上げていた。

今の話のどこに彼女が笑みを浮かべた要因があったのか分からない蓮は顔には出さずに戸惑う。

そして、その要因はすぐに示された。

 

「それはきっと蓮さんが優しいからですよ」

 

それはあまりにも突飛な言葉だった。

 

「………優しい?俺がか?」

 

こんな訊き方をすること自体おかしいのだが、今の彼女の言葉に頭の芯がスッと冷えたのを感じてしまった。 

そんなことを全く知らない那月は彼の言葉に頷いた。

 

「はい。苦しんでいる人に手を差し伸べて助ける。簡単そうに見えていざやろうとすれば難しいのに蓮さんはそれを難なくやり遂げる。その行動力と優しさを私は心から尊敬します」

 

なんの悪意もない心からの称賛。それを素直に喜べなかった蓮は皮肉な気分が表に現れないよう、慎重に表情を作り、作り笑いを浮かべる。

 

「そうか。ありがとう、那月」

「いえ別にお礼されるような事は言ってませんよ」

「そうかもな。……ああそれと、そろそろレオとマリカに終わらせるよう言ってきてくれないか?もうすぐここも閉まるからね」

「あ、そうですね。そろそろ閉館時間ですし」

 

そう言って那月は今だに互角稽古をしているレオとマリカの元に走っていった。

 

そんな那月の後ろ姿を見ながら蓮はタオルで顔を拭いながら、浮かない顔をする。

 

(俺が優しい?そんなわけがない。俺はただ………()()をしているだけだ)

 

ただ償いのためにそうしているだけだ。

 

あの時犯してしまった大罪を少しでも減らすために、誰かを助けることを免罪符とし自己満足しているだけに過ぎない。

()()()()の真似事をして誰かに手を差し伸べ助ける。そんなのは偽善だ。どうあっても優しさなんて甘いものじゃない。

()()()が他人の真似事をしているだけの行為に賞賛など与えられる資格はない。

これはただの()()()()だ。罪の意識から生まれた偽善に過ぎない。

 

それをなんとか自分にとって許容できるものへと変えようと、足掻いているだけに過ぎない。

 

それだけなのだから。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

学園での生活が始まり二ヶ月。

 

蓮達は一学期中間試験を迎えていた。

 

形式は筆記試験と実技試験。

筆記試験はどんなかというと、これは普通の高校と同じだ。英語、数学、国語などの一般教科だ。そして実技試験は組別で行い二人一組で模擬戦をして成績をつけるということだ。

 

だが、ここでも一輝は学園からの嫌がらせにより試験を受けさせてもらえなかったが、一輝もそれは覚悟していたらしく、特に動じることはなかった。

 

そして、その実技試験のために蓮達は第五訓練場でそれぞれ模擬戦をしていた。

レオ、マリカ、那月もそれぞれ勝ち星を挙げた。

今はほとんどの組みが終わって、最後の蓮の番になった。

 

『では、両者開始線についてください』

 

アナウンスに従い蓮は開始線に立ち、視線の先で同じく開始線に立つ対戦相手———桐原静矢を見据える。

 

そう、蓮の相手は学年次席の彼だ。

 

能力至上主義で努力なんて才能の前では結局何の意味も持たないという歪んだ思想の持ち主で、才能というほんの小さなモノにしがみついている生徒だ。

 

普段の生活でもそうだった。普通の生徒は自衛のために一輝から遠ざかっていたが、彼だけは教室で自分の取り巻きの女子達と、わざと一輝に聞こえるように一輝を中傷したり、クラスメイト達に一輝が不利になる噂を広めたりと、いろいろ嫌がらせをしてた。

 

(……………くだらんな)

 

蓮は人知れず不快な表情を浮かべる。

桐原は開始線に立つ蓮を見て気色の悪い笑みを浮かべてこう言い放った。

 

「君ほどの人間が何であんな落ちこぼれのクズと仲良くしているんだい?君と同じ『天才』である僕の方がもっと良好な関係を築けると僕は思うよ。君の周りにいるやつらもそうさ、彼らもDランクと言う格下の雑魚の癖に君のような天才の周りにいる」

 

Dランクの友人。それはレオ、マリカ、那月のことだ。桐原は彼らが蓮の周りにいると言うことが気に食わないらしい。そしてそれからも桐原は説得と称した友人たちの罵倒を続ける。

蓮がこの学園で出会った友人達を。

 

「見苦しいと思わないかい?才能もない雑魚が才能に愛されている君の周りにいる。それは君の成長にはならない、かえって君は腑抜けになってしまうよ。

君だって鬱陶しいんだろ?頭にきてるだろ?なら今からでも遅くはない。彼らとは縁を切ったほうがいい」

 

桐原は自分が言うことが全て正しいと言うふうに大仰に話し、彼らとの縁を切るように蓮に促す。

 

蓮は眉ひとつ動かすことなく反応を示す。

 

「………お喋りな男だな。まあ、常日頃のことだから仕方がないのかもしれないな」

「おやおや、手厳しいね、君は。そんな調子だと、いつか窒息しちゃうんじゃないのかい?」

 

大げさな口調と仕草に偉そうな口上。

だが蓮には、桐原の戯けた態度に付き合うつもりはさらさら無かった。

 

「もうお前の妄言も聞き飽きた。とっとと始めよう。———行くぞ。《蒼月》」

 

蓮は両手に己の《固有霊装(デバイス)》である白銀の鋼の刀身を持つ藍刀を展開する。

これ以上話しても無駄と判断したのか桐原は肩をすくめ自分も固有霊装を展開する。

 

「狩りの時間だ。《朧月》」

 

桐原は翠の色をした弓を手にした。

そして双方の固有霊装の展開が終わったとほぼ同時に試合開始のブザーが鳴った。

 

試合開始のブザーが鳴った瞬間、桐原の姿がリング上から消えて無くなる。

 

これが桐原の異能。自分の全情報を遮断する完全なステルス迷彩《狩人の森(エリア・インビジブル)》。

 

対人戦において最強と謳われる能力だ。これを使われてしまえばもう肉眼で彼を見つけることはできない。

完全ステルスを施したその姿を捉えることはもはや不可能。

桐原は蓮の後ろに回り込んで彼の後頭部を狙うように弓に矢を番え、狙いを絞る。

その矢には明確な殺意と敵意が宿り、この一撃で終わらせようとしているのがうかがえた。

 

対する蓮は脱力するように藍刀を二本とも鞘に納め、一本を手に取り腰を低く落とし居合抜きの構えを取る己の眼をあるものに()()()()そのままじっと佇む。

 

それを見た桐原は、心底馬鹿にでもするかのように嘲笑の声を上げた。

 

『ハハハ!なんだいその構えは?一丁前にサムライ気取りかよ!そんな構えで僕の《狩人の森(エリア・インビジブル)》に勝とうと本気で思ってるのかい?』

「…………」

 

《狩人の森》の効力により、距離も方向もぐちゃぐちゃになった声に蓮は一切言葉を返さない。

 

そのつまらない態度に、桐原は一度ため息をつくと声音に殺気を込めた。

 

『無視か。そんなに早く終わりにしたいのなら望み通りにしてあげるよ。斬れるなら、斬ってみろよ《紺碧の海王》』

 

そして撃ち放たれたのは必殺の一撃。

 

空色の光を放つ魔力の矢が何もない空間から突如現れ蓮の頭を射貫く————はずだった。

 

「——っ」

 

矢が放たれた瞬間、蓮は矢が放たれた方向へと身体を向ける。

 

《蒼月》を納めた藍色の鞘から視認できるほどの眩いの青白い光が漏れ出てそれは放たれた。

 

 

「———《流水刃》」

 

 

それは超高圧で循環する水流の蒼刃だ。

水とはただ滴るだけで岩にすら穴を開ける力を持つ。

故に、この地球上に水で斬り裂けぬものなど存在せず、超高圧の激流の刃はいかなる障害も例外なく斬り裂く刃と化す。

 

視認できないほどの速度で放たれた水流の蒼刃は音もなく振るわれ、魔力の矢をバターの様に容易く斬り裂き、そのまま射線上にいる桐原ごと訓練場のリングと観客席を深く斬り裂いた。

 

「…………は?」

 

その間の抜けた声は、桐原静矢の口から零れた。

蒼の軌跡に《幻想形態》で斬り裂かれた桐原は虚空の中から姿を現し全身から《血光》を散らしながら膝をつくと、

 

「一体、なに、が……」

 

何が起きたのか分からないままリングへと崩れ落ちた。

 

「き、桐原静矢、戦闘不能。しょ、勝者、新宮寺蓮」

 

レフェリーは今の結果に戸惑いを隠せないまま控えめな声で勝者の名を宣言した。

 

勝者の顔に、喜悦はない。

勝って当然と言う顔だった。

軽く一礼して、《蒼月》をしまい桐原に背を向けると、

 

「つまらんヤツだな」

 

そう侮蔑を隠さずに一言呟くと、そのまま背を向けリングから降りる。

 

観客席の生徒達の殆どは声を発することができなかった。

 

誰もが魅入られたのだ。彼の剣客としてのオーラに、気高く、孤高でありながらも、どこか静謐であり、儚くもある彼の雰囲気に、観客の誰もが呑まれたのだ。

 

静寂に満ちた空間を蓮は特に気にすることもなくそのまま青ゲートをくぐりその場から去った。

 

 



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4話 望まぬ再会

やっとFGOの第二章「永久凍土帝国アナスタシア 獣国の皇女」が始まりましたね!

アタランテオルタも出るようですし楽しみです!

それと今回は新しいオリキャラが登場します。


「よっ、お疲れさん」

「お疲れー蓮くん」

「お疲れ様です。蓮さん」

 

リングから引き揚げた蓮を労ったのは先に模擬戦を済ませ彼の帰りを待っていたレオ、マリカ、那月だ。

 

「ほんの少し魔力を使っただけだ。特に疲れるようなことはしてないさ」

 

いつものように不敵な笑みを浮かべ余裕のある声でそう答えた。

 

「でも桐原の奴意外だったわね。いつもは範囲攻撃使える奴とは試合しないのになんで今日に限って蓮くんとやったんだろう。瞬殺されるってのはわかってただろうに」

 

桐原は能力の特性上、広範囲攻撃を使える敵とは絶対戦わない。

全情報を遮断する完全なステルス迷彩は相手から姿を晦ますことは出来てもその場からいなくなるなんてことはできない。どこに隠れていてもリングの上にいるのは確実。

蓮の場合は水でも氷でもいい。リングを氷原や海に変えて仕舞えばそれだけで彼を倒すことはできる。

 

桐原自身もそれはよくわかっているはずだ。なのになぜ蓮との模擬戦を素直に受けたのか、それがマリカにとっては疑問だった。そしてそれはレオも那月も同じだった。

 

「ああ、確かに。あのチキン野郎ならビビって棄権すると思ってた」

「私も同感です。桐原くんは広範囲攻撃を使える人と戦ったのは見たことありませんし、自分の口からもそう言ってましたしね」

 

事実、桐原は勝てる相手としか戦わず、範囲攻撃持ちとは戦わないと言うことを自分の口から話している。

そしてその言葉の通り、今まで範囲攻撃持ちと戦う姿を見たものは誰もいない。

三人はそのことを覚えていて、当然の疑問を思ったのだ。

だが、あの試合中に桐原の妄言を聞いていて彼の目論見を知った蓮はその疑問に答えた。

 

「いや今回の桐原の目的は俺に勝つことじゃない。俺を自分達のところに引き込むつもりだったんだよ」

 

そして蓮は桐原が話した内容をそのまま彼らに伝える。すると、

 

「はぁ?何よそれ私達が雑魚?あんな腰抜けに言われたかないわよ」

「……ムカつく話だな。あのチキン野郎なめやがって」

「流石にそれは言い過ぎです。伐刀者の優劣は才能だけではないのに」

 

三者三様の意見に蓮は頷く。

 

「那月の言う通り伐刀者の強さは才能だけでは決まらない。自分の能力を深く理解しどのように使いこなすかが重要だ。才能があるからと言ってその上にあぐらをかいていたら宝の持ち腐れになるだけだ」

 

才能があるからと言って何もしなければそれはただの驕りとなりいざという時何もできなくなる。

逆に才能が他人より劣っていたとしても己の能力をちゃんと理解し使いこなすことでその優劣の差は容易くひっくり返る。

桐原のように異能こそが至上だと考えているならば、それは大きな間違いだ。

 

極少数の本当に強い騎士達は、異能こそが至上ではなく己が持ちうる全てを極めようと日々鍛錬している。異能に頼りきりではなく、武道を第二の武器としているのだ。

そしてそのような本物達が桐原のような半端者に負ける道理などあるわけがない。

それに、

 

「桐原は俺をどうしても自分達のグループに引き込みたかったんだ。異能至上主義のあいつのことだ。才能があるものを一つに固め、他との格付けをする魂胆だったのだろう。だが、そんなこと俺は微塵も興味がないしくだらないからな、速攻で却下させてもらったよ」

 

蓮の言葉に三人は納得したように頷く。

 

「それであの瞬殺だったのかぁ、でもよぉどうやって桐原の居場所がわかったんだ?蓮には見えてねぇだろ?」

「そうよ、あれは範囲があるから観客席にいたアタシ達には見えていたけど蓮くんには見えてないはず、見えない桐原相手にあんなに正確に水の斬撃を飛ばすなんて……」

 

一つの疑問が解決すれば、今度は別の疑問が浮かび上がる。

先程の桐原を瞬殺した時の絡繰だ。

一体何をしたのか?なぜ桐原の場所を把握できていたのか?

一歩も動かずに、矢が放たれた瞬間に動きそれよりも速く敵を切り裂くなど自分達では到底真似できない。

レオもマリカも並大抵の敵には負けないし実戦経験もそれなりに積んでいる。だがあそこまで完璧に自分を隠蔽する異能だと手の打ちようがないのだ。

だが、一人だけその核心に迫る内容を呟いた。

 

「………もしかして、魔力の光を『視た』んですか?」

 

那月だった。

魔力の光を『視る』。一見訳がわからない内容だ。レオもマリカも何を言っているんだ、という目で那月を見ている。

だが蓮だけは目をわずかに見開いてほんの少し驚いていた。

 

「………何でそう思うんだい?」

「蓮さんは水使いですからリング全体を攻撃すればいいのに、何故か消えたリング全体を探るように見渡してました。それが可笑しいと思ったんです。それで見えないはずの桐原さんが矢を放った瞬間、そこに焦点を合わせ攻撃したからもしかしたら魔力の光が見えてるのかなって思ったんです」

 

那月の説明にレオとマリカは感心したように頷き、蓮は肩をすくめ苦笑いを浮かべると、

 

「これは驚いた。まさかそこまで見抜かれてるとはね」

「えっ?じゃあ、まさか……」

「そうだ。那月の言う通り俺は桐原の魔力の光を視て攻撃した」

 

那月が蓮の言葉に眼を見開いて固まっていた。

 

「えっと、どう言うことなの?私、さっぱりなんだけど」

「俺もだ。魔力の光なんて普通に見えるだろ?」

 

話の全容が見えない二人は訳がわからずに蓮に問う。

 

「ああ、レオが言う通り魔力の光は見える。だが、それはあくまで可視化できるほどに高まった場合のみだ。伐刀者が無意識に纏っている魔力は無色のエネルギー体だから通常は見えない。だが、稀にその無色のエネルギーですら様々な色調として視える眼をもつ者がいる。それが『霊眼』と呼ばれる特殊な眼だ」

 

『霊眼』。一部ではすべてを見抜く眼とも言われ、千人に一人の特異存在である伐刀者達の中でもさらに希少な一種の「特異体質」のことで、意図せずに人が無意識にまとう魔力の光が見えてしまうものだ。

 

そのため霊眼を持つ者は、先天的に伐刀絶技使用時の魔力の輝きに過剰な反応を示してしまう。

例えば、一般の人には部屋のライトの明るさ程度にしか見えない魔力の光も、その霊眼では太陽の光を直視した時の眩しさと同じなのだ。

 

無意識に纏う魔力の光ですら眼を痛めてしまうほどだ。

だから下手すればその視覚がもたらす過剰な情報量にそれを処理する視覚神経と脳が悲鳴をあげ、失明の危険性もある。

 

言い換えれば、その眼をコントロールすることができれば、他の人では感知できないような迷彩を施された魔力の罠ですら見破ることができ対応することができる。

つまり、戦闘においてはその眼をコントロールできれば敵よりも一枚多く手札を持つことができるのだ。

 

だが、先程あげたようにリスクが大きすぎる。まさしく諸刃の剣というわけだ。

 

「俺はその霊眼の持ち主でな。今では完璧に制御できるようになった」

「成る程ね。それで桐原の魔力の光を辿ったってことなの?」

「ああ、桐原の魔力の色は空色。いくら異能が完全隠蔽で姿が見えなくても、俺からすればはっきりした人の姿が人の輪郭を象った魔力の塊に変わっただけだからな、空色の塊を辿ればいいってわけだ」

 

でも、と蓮は視線を二人から那月へと向ける。

 

「那月はよく気づいたな。普通の人ならただ立っている風に見えたはずなんだが、もしかして知ってたのか?」

「はい。『霊眼』のことは昔本で読みました。かなり古い本だったので実在しているかどうかは分かりませんでしたが、まさか本当に実在しているとは思いませんでした」

 

彼女は見た目にそぐわず読書が好きだ。

そのせいか寮の自室にも様々なジャンルの本が置いてあるらしい。

 

「…あーそうだ。三人とも俺が霊眼を持ってるってことは周りには黙っといて欲しいんだけど?」

 

蓮は思い出したように困惑した表情で間を取ると、三人に近づき声を潜める。

 

「別にいいけどよ。その眼なんか問題があんのか?普通にすげえと思うんだがなぁ」

 

蓮の言葉にどこか不思議げに問うレオに、難しい顔で考えていたマリカぎ、割と本気の声で叱りつけた。

 

「バカね、大有りよ。微弱な魔力の光ですら見抜ける眼なんて喉から手が出るほど欲しいものに決まってるじゃない。下手すれば眼を奪われるってことも考えられるわ」

「マリカの言う通りだと俺も考えている。一部の間ではこの眼を神聖視する者もいるらしいしな。最悪拉致されてモルモットにされるかもしれない」

 

想像してしまったのだろう。顔を青褪めたレオは何度も深く頷いている。

那月もやはりその可能性は考えていたのだろう。顔を青ざめて体を小刻みに震わしていた。

 

「とりあえず暗い話はここまでにしよう。ちょうど昼休みだ。早く食堂に行こう」

 

時間を見ればもうすぐ12時になるところだった。

今日はそれぞれ模擬戦を終えれば各自自由解散となっているので、蓮達一行は途中で一輝と合流し食堂に向かうことにした。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

その日の放課後場所は変わり、破軍学園の生徒会室。

 

そこの生徒会長が座る机では、二人の少女がタブレットである動画を見ていた。

 

一人は女性としては小柄な方で腰まであるような長い黒髪が特徴の少女。

 

一人は女性としては長身で可愛いと言うよりは凛々しいと評したほうがいい黒髪のショートボブが特徴の少女。

 

小柄な少女はこの学園の三年生で現生徒会長の《妖精姫》三枝真弓、長身の少女は同じく三年生で風紀委員長の《斬姫》渡辺麻衣。

二つ名を持ち序列一位と二位という学園きっての実力者である。

そして二人はある動画を見ていた。

 

「……うわぁ、この子凄いわね」

「ああ、寸分違わずに水の斬撃で切り裂いている。観客席まで切り裂く斬撃の威力もそうだが、正確に狙ったのも凄まじいな」

 

二人は今年の新入生の中間試験の録画映像を見ていた。

そしてその中でも凄まじかった今年の新入生主席新宮寺連の試合映像を見て感嘆の声を二人は漏らしていた。

 

二人がこれを見ていたのにはちゃんと目的がある。

それは、

 

「うむ、彼は風紀委員に欲しいな。これほどの強さなら風紀委員として申し分ない」

 

そう、彼女らは彼を風紀委員に推薦しようと考えているのだ。

毎年ではないが風紀委員会は新入生の中から一人生徒会役員に選ぶことがある。

そして今年は風紀委員会の枠が一枠あまりその空きを一年生の中から選ぼうと言うことなのだ。

 

「しかも彼は座学も優秀ときた。まさしく文武両道だな」

「そうね。実技の成績は文句なしの一位として、まさか座学でも一位だなんてねー」

 

まだ成績優秀者は公表されてはいないが、彼女らは教員達から暫定的なものを一応貰っている。

その結果、新宮寺蓮は座学実技共に一位の成績だったのだ。

 

「新入生主席でAランクで文武両道。完璧すぎるわね。彼なら全く問題ないと思うし、会長権限で任命しちゃおうかしら」

「賛成だ。それにもし断られても無理やりにでも引き入れてやるさ」

 

二人揃って人の悪い笑みを浮かべそう呟く。

確かに彼は文武共に秀でているとても優秀な生徒に映るのだろう。そしてそれは他の生徒達もそうだ。

一年生の間ではすでに新宮寺蓮は完璧超人だと言われているらしい。(もちろん当人もその事実は知っている)

 

そして二人が人の悪い笑みを浮かべあっている時、ちょうどタイミング良くか悪くかは分からないが、生徒会室に二人の女子生徒が入ってきた。

 

「こんにちは」

「失礼します」

 

栗色の髪を三つ編みにした眼鏡をかけた美少女と白いドレスのような服と鍔の広い帽子を被った長い金髪の長身の美少女。彼女らは二年生の生徒会副会長《雷切》東堂刀華と同じく二年生の会計《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタだ。

 

二人はタブレットを見ながら談笑していた真弓と麻衣を視界に納めると困ったような呆れたようなどちらともいえない曖昧な表情を浮かべた。

 

「もう会長またサボりですか?それに渡辺委員長も仕事してください」

「まあまあ落ち着いて、刀華ちゃん。これはれっきとした仕事なのよ?」

「そうだぞ東堂。これは今年空いた風紀委員の選考なのだよ」

「選考?誰かめぼしい子でもいるんですか?」

「そうなの!一人すごい子がいてね」

 

楽しそうに話す真弓がタブレットを片手に刀華達にこちらに来るよう促す。

二人は促されるまま彼女達に近寄ると真弓が見せてきたタブレットの映像に映る人物を見る。

 

「「……えっ?」」

 

二人は目を見開き瞳が驚愕に揺れた。

映像に映る蒼髪の少年新宮寺蓮。彼女達は彼のことを知っていた。

そして知っていたが故に動揺してしまった。

だが、それは僅かなものでそれに気づかなかった真弓はそのまま楽しそうに話し続ける。

 

「彼は一年一組所属の《紺碧の海王》新宮寺蓮君。歴代最高成績で主席入学を果たしたAランク騎士でしかも中学生にして『特例召集』を何度も経験しているんですって」

 

『特例召集』。それは学生の身でありながら何度も実戦に参加するもので。彼は中学生でありながら《解放軍(リベリオン)》を筆頭とする様々な能力犯罪者組織の拠点をいくつも壊滅させた実績を持つ優秀な学生騎士だ。

 

「ほんと頼もしいわよね。こういう子が登校に入学してくれるなんて」

「それでだ。私達は彼を風紀委員に任命しようと思ってるんだ」

「……彼をですか?」

「ああ、『特例召集』を経験しているなら実力は申し分ないだろうし心強い」

 

カナタの問いに麻衣は言う。

確かにこれ以上ない正論だ。誰も反論できるわけがない。

だが、

 

「……ですが、まだ本人には話していないのでしょう?いつお話しするつもりなのですか?」

「近いうちにするつもりだ。そうだな明後日にでも彼を生徒会室に招待しよう」

「……そうですか」

 

それきりカナタは口を閉じた。

そして今になって一言も言葉を発していない刀華の異変にカナタの正面にいた真弓と麻衣は気づいた。

 

「刀華ちゃん?」

「東堂?」

 

二人は不思議そうに彼女の名を呼んだ。

それにつられてカナタも刀華を見る。

 

「………っ!」

 

刀華は泣いていた。ポロポロと溢れる涙を隠すことなく呆然と立ち尽くしていたのだ。

 

「お、おい東堂どうしたんだ?」

 

麻衣の言葉に刀華は自分が涙を流していることにようやく気づき慌てて涙を拭うとなんでもないように取り繕う。

 

「っ!い、いえ、なんでもありませんっ!見苦しいところを見せてしまってすみませんでした」

 

今の態度の急変を見ていればなんでもない風には見えなかったが、二人はそれの追求はしなかった。

その涙の理由を知っているカナタはただ刀華を心配そうに見ていた。

 

「すみません会長。来たばっかりなんですが少し席を外させてもらいます」

「う、うん、いいわよ」

「では、失礼します」

 

そう言って刀華は真弓と麻衣に一礼をした後生徒会室を後にした。その後数秒間静寂が支配していたが、それをカナタが破った。

 

「会長。私も少し席を外させてもらいます」

「え?あ、うん、いいけど」

「失礼しますわ」

 

そう告げるやいなや一礼もせずすぐに二人に背を向け駆け足で生徒会室を出て行った。その彼女らしからぬ行動に二人は訳がわからず首を傾げた。

 

「……私、何か気に触ること言ったかしら?」

 

当然状況を理解できていない真弓は首をかしげる。

 

「……大丈夫だ。私も訳がわからない」

 

真弓と同じように状況が理解できなかった麻衣はただそう返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 

生徒会室を後にしたカナタは刀華の後を追いかけ屋上へと辿り着いた。

もうすぐ沈みそうな夕陽が殺風景な屋上の景色を茜色に染めている中、彼女が探していた人物はその無骨なフェンスに手をかけていた。

 

「………刀華ちゃん」

 

カナタは彼女の名を呼ぶ。

 

「……カナちゃん。追いかけてきたの?」

「はい。刀華ちゃんは何か考え事があるとよく一人になりますから」

「ごめんね。迷惑かけちゃって」

「いいえ、構いませんわ。それで、やっぱり蓮さんのことですか?」

 

刀華の問いに答えたカナタはほぼ分かっていたが恐る恐ると先ほどの涙の理由を尋ねた。

その問いに刀華はカナタへと体を向けると、悲しげな笑みを浮かべ頷いた。

 

「……うん、そうだね。久しぶりに彼の顔を見て動揺しちゃったんだ。もう二度と会えないと思ってたから」

「……ええ、私もそう思ってました。もう6年も経ってましたからね……」

 

少し嬉しそうに、だが悲しげな声でカナタは呟く。

そして刀華は遠い目をし過去に想いを馳せる。

 

「そっか、もう6年も経ってるんだね、あの日から。今振り返ってみればあっという間だね」

「はい、そうですね」

「ねえ、カナちゃん」

「なんでしょう?」

「さっきの話が本当ならさ、明後日蓮くんは私たちと顔を合わせるかもしれないんだよね」

「ええ、そうなりますね」

 

先ほどの真弓と麻衣の会話を思い出し首肯する。

確かに彼女らの言い分が正しく実行されるのであれば、刀華とカナタは生徒会役員として彼と顔を合わせないといけない。

普通なら別に気負いすることもない。だが、

 

「……カナちゃん。私は彼に会うのが怖いよ」

「……っ」

 

刀華の悲痛な声にカナタは息を飲んだ。

それは彼女の心の傷であり今までずっとカナタが危惧していたことだったからだ。

6年前のあの事件は彼女の心に深い傷を負わせた。それは罪となり重荷となって彼女を今もなお苦しめている。

 

「だってあれだけのことをしたんだよ?私達を助けてくれたのに、恩を仇で返すような真似をした。今更会えるわけがないよ」

「……刀華ちゃん」

「彼は悪くないのに、むしろ被害者なのにみんな寄ってたかって彼を悪者にして、挙げ句の果てには町から追い出した。それを私は見ることしかできなかった」

「……刀華ちゃん、もうやめてください」

 

カナタの制止の言葉も今の彼女には届かない。

刀華は再び涙を流し始め、胸のあたりを抑え独白を続ける。

 

「あの時私達が守られたから蓮くんが取り返しのつかない十字架を背負うことになったっ!あんなことになるんだったらいっそ——」

「刀華ちゃん!」

 

声を荒げ何か言葉を吐き出そうとしたらその瞬間。刀華はカナタの抱擁により後に続く言葉を遮られた。

——『自分が死ねばよかったんだ』——という言葉を。

 

「…カナ、ちゃん」

 

刀華は声の震えを、流れる涙を止められず、カナタの抱擁に驚く。

その彼女の耳元で、カナタは穏やかな声音で伝え、栗色の髪を撫でる。

 

「そんなことを考えたら駄目です。私は蓮さんも刀華ちゃんのどちらか片方でも死んでしまったら嫌です。だから自分の命をそんな風に無下に扱わないでください」

「……っ!」

「あの時言ったでしょう?私は貴方のことをずっと支え続けるって。だから何か辛いことがあったら私に言ってください。必ず力になりますから」

 

それはまるで妹を励ます姉のようだった。

そしてそれが限界だった。

その優しい言葉に、包み込むような暖かい抱擁に、嗚咽が溢れる。

あの時の後悔と悲哀が涙となり、悲鳴となり吐き出されていく。

 

カナタのドレスの胸元が刀華の涙により濡れていくが、そんなことは全く気にせず刀華が泣き止むまでずっと無言で抱擁を緩めず頭を撫で続けた。

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

「蓮お前にお客さんだぜ」

 

中間試験が終わった翌日。授業が終わり放課後を迎えた時、カバンの中身を整理している蓮にレオがそう声をかけた。

 

「客?」

「ああ、二年生で白いドレス着てる人だ。廊下で待ってるってよ」

「白いドレス着てるって学園内にそんな生徒いるの?」

 

レオの言葉に答えたのは蓮ではなくマリカだった。マリカは蓮越しに顔を覗かせるとそう声を張り上げる。

 

「事実いるんだからそう言ったんだよ。まあ普通は可笑しいよな」

「そうですね。生徒なら制服着用のはずですし」

 

マリカだけでなくレオと那月も訳が分からないという顔をしている。

 

「別に制服着用は義務じゃないぞ?校則には服装は自由と書いてあったはずだ」

「え、そうなの?」

「ああ。よく読めばわかることだ。とりあえず廊下で待ってるんだな?」

「ああ、そう言ってたぞ」

「分かった。じゃあ先に行っといてくれ、後から向かう」

「了解」

 

レオの言葉に頷くと教室の出入り口へと向かい廊下へと出る。

周りを見渡しレオが言ってた白いドレスを着ている生徒を捜そうとするがその必要はなかった。

なぜなら、すぐに見つけれたからだ。

殆どの生徒が白と黒のツートンカラーの制服を着て廊下を歩いている中、ただ一人純白のベルラインドレスを着た長身の女性は廊下の窓側の壁の前で立っていたからだ。

 

鍔の広い帽子を被っているせいで、目元は見えないが、後の輪郭や美しいブロンドから整った容姿を想像させる。

その佇まいはまるで上流階級の貴婦人のようで、彼女の前を横切る生徒達は、彼女の雰囲気に二度見していた。

蓮を呼ぶ件の少女が彼女だと即断定し近づく。

 

「すみません。待たせましたか」

 

一応形だけの謝罪をする。

 

「いえ、呼び出したのはこちらですしお気になさらないでください」

 

まるで唄うように典雅な声音で淑女のように丁寧に答えると帽子を取り素顔を見せる。

 

「————」

 

その顔を見た瞬間、蓮の時が止まる。

日本人離れした美しく整った容姿に、蓮とはまた違う色合いの青色の双眸。

その少女を蓮は知っていた。

忘れるわけがない。

彼女は、蓮にとってとても大切な人であり、姉同然の人。

 

 

「お久しぶりです、6年ぶりですわね」

 

 

とても会いたくなかった、

 

 

「蓮さん」

 

 

幼馴染だった。

 

 




破軍学園に生徒会があるなら風紀委員会があってもおかしくないよね、と思い書きました。

それと、特殊な眼『霊眼』についてはどこのをモデルにしたかはわかる人にはわかると思います。

気づいた方は感想欄で他の読者に気づかれない程度に話してみてください。

感想や誤字脱字報告をお待ちしております。



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5話 過去の罪

  
今回は全体的に暗い話になりますね。

追記、内容を一部付け足します。


 

 

あの後、二人だけで話したいというカナタの申し出を、蓮は受け学園から少し離れた喫茶店へ移動し奥の空席に案内され、二人掛けのテーブル席に向かい合うように座った。

 

そして蓮はコーヒーを、カナタは紅茶を注文し、喉を軽く潤したところで、

 

「……ありがとうございます。来てくださって」

 

ゆっくりとカナタが口を開いた。蓮は首を横に振る。

 

「いや、構わない。俺も聞きたいことがあったからな」

 

会いたくはなかったが、もう会ってお茶をしている以上、あの日から気になっていたことを少しは聞いておこうと思った。

 

「……苗字、変わったんですね」

「ああ、四年前にな。()()母さんが結婚したんだ。それで苗字が滝沢から新宮寺へと変わった」

 

蓮の両親の秘密をカナタは知っている。だが、その話をこれ以上するつもりはない。何故ならその話は蓮にとっては()()()そのものなのだから。

そして蓮は次の話題に話を切り替えた。

 

「しかし、六年か。六年も経つとお互い変わるものだな。カナタもものすごく綺麗になった」

 

感慨深そうに、だがどこか悲しそうに蓮は呟いた。

お互いこの六年でだいぶ変わった。

カナタを見てまず思うのは、驚くほど綺麗になったことだ。蓮の知るカナタは、お嬢様で周りよりも大人びてはいたがどこかやんちゃなお転婆娘な感じだったが、今はむしろ逆だ。とても一歳違いとは思えないほどに落ち着いた貴婦人のように見える。

六年。恐らく、蓮の知らない時間が彼女を変えたのだろう。彼女以外の幼馴染も同じなはずだ。

そして今のカナタ達はもう、蓮の知る彼女達ではないのかもしれない。今の蓮がもう六年前のあの頃とは違うように。

 

「そうですわね。私も貴方を見て驚きました。昔は同じぐらいだったのに今は頭一つ分あって、驚くぐらい格好良くなったんですもの」

 

そう言ってカナタは表情を綻ばせた。

その穏やかな微笑が、記憶や中にあるかってのカナタと重なって、ようやく実感した。

自分は今、確かに幼馴染の貴徳原カナタと再会したのだと。

そのことは嬉しかった。もう叶わないと思っていたことが叶ったのだから。

だからこそ、過去の罪と向き合わなければいけない。

 

「……で、話ってのは何だ?昔話をするためだけに誘ったんじゃないんだろ?」

 

一度コーヒーを啜り一息つくと、先ほどの穏やかな雰囲気から一転一切の感情を感じさせない冷たい声音で問い掛ける。カナタは表情を暗くし手元の紅茶に視線を落とすと少し間を開けて言葉を返した。

 

「……今日は生徒会の使いで来ました」

「生徒会?」

「ええ、私は生徒会の会計ですので、それで生徒会長と風紀委員長が貴方に話があるそうですので明日生徒会室に来て欲しいとのことです」

 

まさかの人物からの呼び出しに蓮はわずかに驚く。

現生徒会長と風紀委員長。学内序列一位と二位の座にいるまさしく破軍学園の三大巨頭の二人。

七星剣武祭に出てはいないものの、出ればベスト3は間違いなしと言われている本物の実力者達。

名前や顔写真で彼女らの存在は把握していたが、まさかそんな人物達から呼び出しを受けることになるとは予想外だった。

 

「……要件は?」

「それは明日話すそうです。私は内容までは存じ上げません」

「……そうか。了解した」

 

実はカナタは話の内容を知っていたが、真弓と麻衣から言わないようにと口封じをされているため口には出さなかった。

そんなカナタの様子をじっと観察していた蓮はその真偽を追求することはなくそのまま流した。

 

「で、話は他にもあるんだろ?」

「……ええ、むしろそちらが本題です」

「わかった。だが、その話をする前に」

 

蓮は右手の人差し指の先に青白い光を灯すと机を軽く一度叩き、一言呟く。

 

「———《静謐なる海界(アクア・セレン・テルミナス)》」

 

ポゥッと淡く光る手の平サイズの青色の魔法陣が机の中央に浮かび上がると一瞬で溶けるように消えた。

 

「今のは?」

「水で俺達を囲む程度の小さな遮音結界を張った。これで俺達の会話は外には漏れない」

 

水の魔術で音が外に漏れないようにする結界を張る。他人には一見何もないように見える空間だが、実際には二人を囲むように透明な水の層が幾重にも覆いかぶさっていた。

 

霊装(デバイス)も顕現せずに発動してみせた伐刀絶技(ノウブルアーツ)に一切の魔力を感知できなかったカナタは彼の『迷彩』の技術の高さに目を見張ったが、同時に感謝もした。

 

なにせ今からする話はあまり他人には聞かれたくない話だ。幸い、二人の席の周りには人がおらず、店内の客の数はまばらだ。だが、万が一のことがある。今のように店内の向かい側から()()()()()を感じている状況ならば、尚更だ。

蓮もそれに気づいて結界を張ったのだろう。

そして浮かべていた微笑を、冷たい無表情へと変え、

 

「………六年前のことです」

 

そっと囁くように言った。それは、予想していた通りの言葉だった。

 

「……やはりか。なら、俺から先にいいか?」

「……ええ、構いませんわ」

「………あいつらは、刀華と泡沫は元気なのか?」

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

——そんな二人の様子を、離れた席からこっそり見ているもの達がいた。

蓮のクラスメイトのレオ、マリカ、一輝、那月だ。先に訓練場に向かおうとしたのだが、やはり二人の事が気になってこっそり後をつけてきたのである。(主にマリカとレオが言い出した事だ)そして向こうの会話の一部分をかろうじて聞き取り、

 

「やっぱりねー、あの先輩、蓮くんと何か関係があると思ってたのよー」

「しかし驚いたぜ。まさかあんな美人な先輩と幼馴染だったとはな」

 

レオとマリカが興味津々と言った様子で店の反対側にいる彼らの様子を食い入るように眺めていた。

だが、

 

「ね、ねえ、これって覗きだよね?流石に新宮寺君も怒るんじゃないかな?」

「そ、そうですよっ他人の逢引を覗くような真似……」

 

困惑した声で二人に言う一輝と顔を赤くしている那月だ。二人は常識を弁えているのか二人の逢瀬?の現場を覗き見るのは流石に失礼だと思い二人を止めようとしている。だが、この野次馬コンビは止まらなかった。

 

「えーでも二人も気になるでしょ?あの二人の関係」

「……確かに気にはなるけど…」

「大丈夫だって、バレねぇようにちゃんと隠れるしもう少ししたら切り上げるからよ」

「……う、うん、程々にね」

 

多分、このまま何度やめさせようとしても彼らの好奇心は止まらないのだろう。

説得を諦めた一輝は遠くに座る二人に視線を移す。

先ほど自分達に先に行っといて欲しいと言った時に感じた雰囲気、あれはあまり踏み込んでいいものには感じなかった。

近寄って欲しくないような他者を拒絶するような意志が感じられた。

だから、カナタとの会話はあまり他人には聞かれたくないものなのかもしれない。

 

だが、やはりあんな美人との二人きりでの会話は年頃の好奇心をくすぐるのだろう。

一輝はバレなければ問題ない、と自分に言い聞かせ、罪悪感を感じながらも二人の会話に耳をそばだてた。向かいの席を見れば那月も顔を赤くしながらも興味津々に耳をそばだてている。

 

これは蓮にバレたら全員怒られるな、と未来の心配をしハァとため息をつく。

 

再び蓮達の様子を窺いながら、

 

(でも、彼のあんな顔は初めてだ。一体、彼女と何があったんだろうか)

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

蓮の言葉にカナタは暗い顔をし答えるのを躊躇っていたが、やがて答えた。

 

「……ええ、二人とも元気です。ですが」

「泡沫は俺のことを憎み、刀華は自分を責め続けている。そうなんだろ?」

 

半ば確信に近かった問いにカナタは首を縦に振る。

 

東堂刀華、御祓泡沫。

 

その二人は蓮の幼馴染でありカナタ同様にとても仲が良かった。蓮だけは一歳年下だったがそんなことは気にせずによく四人で遊んだ。

全員伐刀者だと言うことが判明した時には大喜びしていた。

 

しかしそれも六年前のあの日に終わった。

あの事件以来、泡沫は蓮のことを激しく憎悪し、刀華は自分のせいだと思い今もなお己を責め続けている。

 

蓮は彼らの性格を考えればまた可能性の一つとしてそうなることはわかっていた。だが他人の口から聞かされると、その元凶が自分にあることに罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 

「………そうか。だが()()()()()()をしたんだ。恨まれても仕方ない」

「———ですが!」

 

カナタは声を大きくして、短く息を呑んだ後、絞り出すようなか細い声で、

 

「六年前のあの事件で、蓮さんは……」

「……ああ」

 

カナタが何を言いたいのかは解る。六年前に起きた事件のせいで、蓮は住んでいた町を離れることになった。その時に自分がしでかした事と、失われたものを、新宮寺蓮は忘れていない。

だが、

 

「確かにあの事件の発端は俺じゃない。だが、俺は被害者であると同時に、加害者なんだ。いくら取り繕うとも、それだけは変えることができないんだよ」

 

蓮は苦笑を浮かべる。

絶対に消すことができない血塗られた《過去(大罪)》。

それは彼らの心に深い傷を残した。

だから、彼らから恨まれ憎悪の対象になったとしても仕方のないことなのだ。

 

「カナタが心配なのはわかる。六年前、俺は自分のしたことを最後まで背負いきれなかった」

「違います。あれは蓮さんのせいじゃありません……だってあれは」

 

カナタが言おうとしたその先の言葉を、蓮は「いや」と首を振って遮った。

 

「それでもだ。この罪はどうあろうとも消えることはない」

 

すると、カナタは俯き、今にも泣き出しそうな顔で、

 

「……確かにそうなのかもしれません。ですが、誰が何と言おうと、私達を守ってくれたのは貴方です」

「……ああ、ありがとう」

 

カナタがそう言ってくれるなら、たとえ許されることはなくても、少しだけ救われた気がした。

大きな過ちを犯し、多くの人から大切な者を奪った自分に、それでも守れたものがあったのだと、ほんの少しだけ安心できた。

蓮は表情を綻ばせ、コーヒーを一口啜ると静かな声で告げる。

 

「……カナタ、俺はこの罪も彼らの憎しみも一生背負い続けるよ」

 

己の覚悟を、あの日に立てた誓いを。

 

「偽善でも構わない。誰からも認められなくても構わない。悪魔と呼ばれてもいい。大切な人達を護れるのなら何だって構わない。俺は俺が守りたいものの為にこの剣を振るう」

 

それだけが彼に許された唯一の使命であり、唯一残された償いでもある。だから、

 

「俺は戦い続けるよ。この手が血に染まっていたとしても、この力が呪われていたとしても、俺が殺してしまった人達以上の人々を救いたい。それが俺にできる唯一の贖罪だから」

「………っ」

 

カナタは顔を俯かせ、悔しそうに唇を噛んで、膝の上でスカートを強く握りしめていた。

 

「俺からは終わりだ。済まないな、先にしてしまって」

「……いえ構いません。それに私が言おうとしたことも同じでしたし、お気になさらなくて結構ですわ」

 

事実カナタも蓮が聞いて来たことと同じことを言おうとしていた。だが、それはあくまで一つであり、まだ彼に聞きたいこと、言いたいことはある。

蓮もそれを感じ取っているのか無言でカナタが切り出すのを待っていた。

 

そしてカナタは切り出した。精一杯の勇気を振り絞って、一番聞きたかったことを彼に尋ねた。

 

「蓮さん、貴方は私達をまだ幼馴染として見てくれますか?」

「……………」

 

しばしの沈黙。そのたった数秒の静寂がカナタには何時間にも感じられた。そして蓮はゆっくりと口を開き。

 

「………ああ」

 

一言、そう答えた。

答えとしてはあまりにも簡潔すぎるものだが、カナタにはそれが聞けただけで十分だった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

その後も蓮とカナタの話は続き、店を出る頃にはすっかり日は暮れ、空には月が上りつつある。

蓮はいくらカナタが伐刀者として強いとはいえこんな夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかないと、カナタとともに学園へと歩き出した。

 

「………蓮さん、今日は本当にありがとうございました」

 

しばらく無言で歩いていると、唐突にカナタが口を開いた。

 

「突然だな」

「ごめんなさい。ですが、また貴方とこうして話ができるとは思ってもいませんでしたので」

「……確かにそうだな。俺も思ってもいなかった」

 

そして再び沈黙が続く。

今度はそれを蓮が破る。

 

「そういえば、おじさんとおばさんは元気なのか?」

 

この場合はカナタの両親がそれに該当する。

蓮は実の両親が生きていた時から彼女の家と面識があり、彼女の両親も二人が死んだ後も良くしてくれてた記憶がある。

 

「お父様とお母様ですか?ええ、元気ですよ。逆に元気すぎてたまに困っちゃうときがありますもの」

「……なんとなく、想像できるな」

 

蓮は二人の性格を思い出し苦笑を浮かべる。

カナタの父親の貴徳原幸太郎はかなりフレンドリーな人だ。そしてその妻貴徳原サヤカも似たようなものだった。

あの二人の性格には戸惑いを禁じ得なかった、というよりテンションについていけないとわずか9歳にして思ってしまうほどだった。

 

「ここまでで構いませんわ」

 

気づけばもう破軍学園の正門まで来ていた。

カナタは蓮の前に一歩進みでるとこちらに振り向く。

 

「蓮さん、私は貴方の味方であり続けます。この世界の誰もが貴方を否定し拒絶したとしても、私は、私だけは貴方の味方であり続けます。それが、私に出来る唯一の恩返しです」

 

強い覚悟を持って告げられた言葉に、蓮は一瞬目を見開くも口の端に笑みを浮かべる。

 

「……ああ、ありがとう。じゃあ、何か困ったことがあったら頼らせてもらうよ」

「はいっ……蓮さん、今日はお誘いに応じていただき本当にありがとうございました。明日、生徒会室でお待ちしております」

「ああ、また明日な」

「はいっ、また明日」

 

カナタは嬉しそうに答え、お淑やかに頭を下げると背中を向け寮へと続く道を足早に駆けていった。

それを見送った直後、ふと生徒手帳(破軍学園の生徒手帳は身分証明書から財布、携帯電話、インターネット端末と、何にでも使える優れものである)とはまた別の携帯端末のメールの着信音がポケットから聞こえてきた。送信者の名を見て、内容に目を通し一瞬だけ険しい顔を浮かべたがすぐに元に戻し、ポケットにしまう。

 

そして一つため息をつくと、視線を後ろに向けた。正確には正門から少し離れた電柱の陰にだ。

 

「いい加減に出て来たらどうだ?お前ら」

 

蓮はよく通る声で電柱の陰にいる追跡者(もう正体は気づかれている)に投げ掛ける。すると、

 

「あーあ、やっぱりバレちゃってたかー」

「だから言ったろうが、あの時点でバレてたってよ」

「ああ、うん、とりあえずごめん」

「えと、ごめんなさいっ」

 

電柱の陰から出て来たのは、マリカ、レオ、一輝、那月だった。マリカとレオは全く反省の色なし、一輝と那月は申し訳なさそうに謝罪していた。

蓮はそれに呆れたように笑みを浮かべ息をつくと。

 

「まあ、お前達が覗いてたのは気づいてたよ。だから途中で結界を張らせてもらったんだ。黒鉄や那月ならともかく、レオ、マリカ、お前達は変に楽しんでそうだったからな」

「「ギクッ」」

 

二人はわざとらしい声を揃って出して、乾いた笑みを浮かべていた。悪戯っ子気質のあるマリカとやんちゃ気質のあるレオのことだ。図星で言い訳もできないからああいう反応をしたのだが、それが見事に同じだった。

それを見て再びため息をつき踵を返すと、

 

「とりあえず今日は夜も遅いしもう帰るぞ。話を聞きたいのなら明日話してやる」

『はーい』

 

今度は四人仲良く揃って返事をしてきやがった。

全く、と悪態をつきながらも蓮の口の端には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

その日の深夜。

車通りの多い高速道路を一台のバイクが疾走していた。

黒い戦闘服に身を包み、同じく黒いヘルメットで顔は隠れていてわからない。唯一分かるのは、そのヘルメットの後頭部からはみ出ている長い尾のような水色の髪が風に靡いているだけだ。

 

しばらく高速を走り続け、人の多い都市部を抜けると高速を降り一般道路を走り続け人気のない山間部へと入る。

そして山道に止められていた大型オフローダー二台と大型トレーラーを視認すると、その手前でバイクを止める。

バイクから降りた男はそのヘルメットを外し、素顔をあらわにした。

 

月光の下で淡く煌めく水色の長髪。

闇夜に鮮やかに輝く、深い紺碧の瞳。

顔立ちは整っており、身体つきは細身。

その蒼髪碧眼の男は、破軍学園一年の新宮寺蓮その人だった。

 

彼がなぜ深夜にこんな山間部にいるのか、その疑問はすぐにわかった。

 

彼がバイクから降りたと同時に大型オフローダーから降りてきた1人の壮年の男性が、蓮の前に立ったからだ。

彼らは蓮の旧知の人物だった。

蓮は彼らの前で姿勢を正し、敬礼する。

 

「少佐、桜宮現着しました」

「うむ、急な召集に応じよく来てくれた。特尉」

 

旧知の人物であり、上司でもある日本国の特殊部隊である、国防陸軍独立魔戦大隊隊長・氷室茂信少佐は蓮へそう言葉を掛ける。

 

「いえ、これも当然のことです。本官も大隊の一人、任務があるというのに休むわけには行きません」

 

通常の軍隊の編成とは別系統の、魔導騎士連盟の部隊とはまた違う魔導騎士だけで構成された部隊であり、一般の部隊では手に負えない案件。つまり凶悪異能犯罪者の案件を担う部隊だ。

機密の度合いが通常の軍事機密よりもはるかに大きいため、一介の高校生などが関わりあう、ましてやその存在を耳にすることすらも許されないのだが、蓮はとある事情から、戦略級魔導騎士・桜宮亜蓮として彼の部隊に所属している。

そして今夜はとある犯罪組織を確保するために、メールで召集を受けこうして深夜、寮を抜け出し出動していたのだ。

 

「本官が言えたことではないが、高校生になってからますます学生らしくなくなったな」

「今更ですよ。それで、現在の状況はどうなっていますか?」

「トレーラーで話す。来てくれ」

 

氷室に促され、蓮は彼と共にトレーラーへと歩く。

 

「しかし、久し振りだな。直接会うのは三ヶ月ぶりか?」

「そうですね。それで今回は一刻を争う問題だと考えてよろしいのですか?」

「ああ、無論だ。だから特尉を呼んだのだからな」

 

トレーラーの中は情報室になっており、この辺り一帯の地形図、ある建物の構造。それらが2人のオペレーターの操作によりモニターに表示されていた。

それを見て瞬時にこれが今回の敵の情報だと理解する。

 

「黒木、特尉に現在の状況を説明して差し上げろ」

 

黒木と呼ばれた氷室の副官の女性士官は頷く。

 

「はい。犯罪組織『レガリア』はここから約二キロ先にある廃工場に見立てた実験施設を隠れ蓑とし、非人道的な実験を行なっているとの報告があり、我が隊はその実験施設の破壊、並びに実験対象の子供達の保護、そして研究者たちの拘束の任務にあたります。本作戦は迅速に行われる必要があるため先行部隊として貴官、本官、増田少尉、桑原大尉の四名の少数精鋭で当たります。作戦開始は一時間後、他の2人は既に各ポイントにて待機しております。それまでに子供達のデータを頭に入れておいてください」

「ご苦労。特尉、『レガリア』は小規模な組織で、主に研究者の集まりだ。だが、行なっている実験が危険すぎるため、我が隊が事態にあたるよう命令が下った。そこで貴官にも出動を命じる」

「はっ、了解しました」

「特尉、今回は子供達の保護を最優先にしろ。敵の殲滅は子供達を救出した後だ」

 

氷室は断固とした表情でそう言い切った。蓮は無言で敬礼する。

殲滅。それは敵の危険度がそれほど高いということを示していた。

 

故に蓮は手加減も容赦もせず、人質を必ず救出し敵を完全に殲滅することを決意した。

 

 

 

そして一時間後。

 

『時間だ』

 

氷室の一言を通信で聞いていた4人の軍人は、それぞれの持ち場で身構える。

 

『この作戦は失敗が許されない。それを重々承知した上で各自任務に当たれ。では、作戦開始!』

『了解!』

 

氷室の合図に4人の人影がそれぞれの場所から森を飛び出し廃工場へと向かう。

 

「征くぞ———《蒼月》」

 

そのうちの1人、蓮は己の魂の形である藍色の双刀を顕現し、戦場へと出陣した。

 

 




  

カナタのセリフ、あれはどっからどう見ても告白みたいなセリフですが、カナタはヒロインではありません(未定)

そして、次回は主人公がとにかく蹂躙する。

それと戦略級魔導騎士は言い換えれば何になるかは皆さんわかりますよね?



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6話 意外な勧誘

14巻ついに販売しましたね!
寧音の過去と黒乃の出会い。それにナジームの戦闘。とりあえず最初から最後まで痺れる内容でした。
とくに、ナジームとの戦闘でのバケモノっぷりは私的には大好物なものでしたので、読んでる間ドキドキが止まらなかったです。


と、まあ前置きはこのくらいにして、少し時間がかかったのですが書けましたので投稿します。
今回は少し短めですが。


 

作戦は30分で終幕を迎えた。

『レガリア』は非戦闘員が多数を占める弱小組織だ。実験の内容はかなり危険なものだったが、兵力はそれほどなかったため、当初想定していた時間よりもだいぶ早く作戦が終わったのだ。

 

子供達を無事救出した蓮は桑原や増田よりも先に離脱し水の能力で安全かつ迅速に外で待つ黒木の元へと運んだ。

黒木の方は何人か逃亡者が出ていたようで、彼らを一人残らず縛り上げ、その積み上がった人の山の上で呑気に座り蓮の帰りを待っていた。

黒木の元に辿り着いた時に、ちょうど後続の部隊が到着し、中で拘束した研究者達の確保やまだ息のある敵兵の拘束をする為に中へと向かった。

 

救出した子供達は体に異常が無いか検査をするため、病院に運ばれた。

 

後続の部隊が中で捜索をしている中、蓮は施設の破壊などの後始末を氷室達に任せることにした。

軍人とはいえまだ学生だ。明日も学校があり、今は夜の3時だ。そろそろ帰らないと明日、というか今日の学業生活に支障が出るかもしれない。(もっとも、彼が一度の徹夜ぐらいで体調を崩すわけないのは知っていたが、氷室のせめてもの親切心だ)。

蓮もそれに当然気づいており、素直にその言葉に甘えることにした。

 

「今回もご苦労だった。特尉」

 

帰路につこうとする彼を、行きと同じく氷室と、今度は副官の黒木が見送る。

そして氷室は彼を労った。

まだ学生である彼を、深夜に駆り出した事に関してだろう。

だが、蓮は首を横に振って返す。

 

「いえ、前も言いましたが、本官も大隊の一人です。こうして任務に出動するのは当然のことですよ。それに今回は子供達を助けれましたから」

 

蓮の言葉に氷室は呆れたように、だがどこか嬉しそうに息をつくと、笑みを浮かべる。

 

「まったく、お前のそういうところは変わらずだな。ああ、そうだ、今年の七星剣武祭は出るのか?」

「まだ分かりません。ですが、出れるなら出て優勝を狙いますよ」

「ハハハ、お前なら優勝は確実なんじゃないのか?」

「さあ、それはどうでしょう」

 

氷室の言葉に蓮は笑って流した。

 

「蓮君。今度みんなでお酒飲みに行きましょう。いいお店知ってるから」

「楽しみにしてます。黒木少尉」

 

隊の中では一番年齢が近い黒木少尉が笑みを浮かべながらそう言葉をかける。軍務で鍛え上げられた彼女はメリハリのある目に毒なプロポーションの持ち主だが、今の服装もルックスも派手ではなく、性格にも飾りけがないので、蓮も気軽に言葉を交わすことができる。

 

「では、俺はこれで失礼します」

「ああ、そうだな。気をつけてな」

「はい」

 

そして二人に一礼すると、ヘルメットをかぶりバイクをまたがり、光のない山道をヘッドライトで照らしながら走り去っていった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

その日の朝。いつものようにレオ、マリカ、那月、一輝と寮前で待ち合わせをし、一緒に登校していた。

普段なら、このまままっすぐと校舎まで行き、教室まで親友達と共に行くはずだった。

だが、今朝は違った。

 

「あなたが新宮寺くんですね」

 

のんびりと歩む背後から、彼を呼ぶ声に蓮は振り向く。

腰まである長い黒髪に赤い瞳のこのメンバーで一番小さい那月よりもさらに小柄な少女。

こちらを見上げる少女の顔に蓮は見覚えがあった。

 

「おはようございます。三枝会長」

 

蓮に続いて、他の四人も一礼する。

 

「あら、私のこと知ってたの?」

「この学園の生徒会長にして序列一位の《妖精姫》三枝真弓先輩を知らない人はこの学園にはいないと思いますが?」

「ふふ、嬉しいわね。ありがと」

 

真弓はクスリと微笑んだ。美少女なルックスと、小柄ながらもバランスのとれたプロポーションは、高校生になりたての男子生徒ならば勘違いしそうな蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。

 

「それで、今日はいったいどのようなご用件で?」

 

蓮はそれなりに丁寧な対応で真弓にそう訊ねた。

 

「昨日の件で話したいのだけれど……ご一緒しても構わないかしら?」

「はい、それは構いませんが……」

「あ、別に内緒話をするわけじゃないから、また後にしましょうか?」

 

そう言って、微笑みながら目を向けたのは、一歩後ろに固まっている4人の友人達。

彼らは滅相も無い、と言葉と身振りで意思表示した。

 

「お話というのは、生徒会のことでしょうか?」

 

彼らの許可を得た蓮は、話の流れを自分の方へ引き戻した。

 

「ええ。細かい時間を伝え忘れていたから空いてる時間を聞こうと思って。お昼はどうするご予定かしら?」

「食堂で済ますと思いますよ」

「じゃあ、生徒会室でお昼をご一緒しない?お弁当の自配機もあるし」

「……生徒会室にはそんなものが置かれているのですか?」

 

蓮は驚きを隠せずそう問い返した。

自動配膳機は、一般の施設ではあまりお目にかかれない。見れるのは、空港の無人食堂や、飛行機や長距離列車などの特別な施設だ。なのになぜ、騎士学校の生徒会室に置かれているのだろうか。

 

「余りこういうことは言いたくないんだけど、忙しい時は遅くまで仕事をすることもあるから」

 

真弓は、ばつの悪い照れ笑いを浮かべながら、勧誘を続ける。

 

「何だったら、みなさんで来ていただいてもいいんですよ。生徒会の活動を知っていただくのも、役員の務めですから」

 

しかし、真弓の社交的な申し出を、全くの正反対の口調で謝絶したものがいた。

 

「せっかくですけど、私達はご遠慮させていただきます」

 

はっきりとした返答、拒絶だ。

マリカの普段とは異なる態度に、気まずい空気が流れ、わずかに沈黙が訪れる。

彼女が何を思って謝絶したのかわからない以上、何もできない。

 

「そうですか。じゃあ、新宮寺くんだけでも」

 

ただ一人、真弓は笑顔を崩さなかった。

彼女の謝絶に鈍い、というよりかは、何か自分たちが知らない事情を弁えている風にも感じられた。

そしてマリカのとった態度を考慮するならば、このまま断るのは難しくなった。

だから、蓮は観念してその勧誘を受けることにした。

 

「……分かりました。俺一人でお邪魔させていただきます」

「そうですか。よかった。じゃあ、詳しいお話はその時にしましょう。お昼休みにお待ちしてますね」

 

何が楽しかったのか、くるりと背を向けた真弓は、軽い足取りで立ち去った。

それを見送った蓮は、チラリと視線をマリカへと移す。

マリカは余り変化は見られないが、僅かばかり不機嫌なようだ。

 

同じ校舎へ向かうというのに、残された五人の空気だけでなく、足取りまでもが重くなった。

何故こうなったのか、と思わず蓮の口からため息が漏れた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

そして早くも昼休みだ。

生徒会室へ向かう足は僅かばかり重い。重いのは気分の問題であり、ただの比喩表現だ。だが、前に進みたくないという意味では同じだ。

なにせ、生徒会室にはカナタだけでなく刀華や泡沫もいるはずなのだ。

昨日、カナタから聞いた話では刀華は副会長、泡沫は庶務をしているそうだ。泡沫はともかく、刀華は会う確率はかなり高い。

出会い頭の空気が重くなるのは確実だ。

蓮は腹をくくるべきかと覚悟を決めた。

 

生徒会室は、三階の廊下の突き当たりにある。

見た目は他の教室と同じだ。違いがあるとするなら、ドア上部に設けられた「生徒会室」と刻まれた木彫りのプレートと巧妙に隠されたセキュリティシステムぐらいだろう。

 

扉の前で一度深呼吸し、ノックをする。

中から明るい歓迎の言葉が返される。蓮はドアノブに手をかけ、扉を開く。

 

「失礼します」

「いらっしゃい。遠慮しないで入って」

 

正面にある長机の奥から真弓の声がかけられた。

何がそんなに楽しいのか、笑顔で手招きしている。

蓮はドアから一歩の位置に立ち止まり、手を横につけ、目を伏せ、一度お辞儀をする。

 

「どうぞ掛けて。お話は、お食事をしながらにしましょう」

 

蓮の丁寧な対応に表情を綻ばせた真弓は、会議用の長机に座るよう促す。

学校の備品としては珍しいであろう、重厚な木製の方卓に、椅子を引いて座る。

 

「何がいいですか?色々ありますよ」

 

驚いたことに、ここには自配機があるだけでなく、メニューまで複数あるらしい。しかも、周りを見れば冷蔵庫だけでなく簡単なキッチンもある。本当に揃っている。

 

「じゃあお肉料理でお願いできますか?」

「ええ、ふふ男の子ですね」

 

真弓は壁際に据え付けられた和箪笥ほどの大きさを操作して注文した。

ホスト席にはもちろん真弓が、その隣、蓮の前に一人の女性とが、その隣にもう一人女子生徒が座っていた。

そして真弓が話を切り出した。

 

「知らないと思うから、紹介しときますね。私の隣が三年の書記の篠原鈴華、通称スズちゃん」

「……私のことをそう呼ぶのは会長だけですよ」

 

この瞬間、真弓にあだ名をつけられるような事態は絶対に避けよう、いや避けなければならない、と蓮は強く決心した。

それに鈴華の印象はカナタ同様かなり大人びて見えている。どう見ても「スズちゃん」より、「鈴華さん」とかの方があっている。

とはいえ、もうすでに蓮のことを『れー坊』と呼ぶ人がいるのは伏せとこう。

 

「その隣は風紀委員長の渡辺麻衣」

「よろしく」

「それと今はここにはいないけど、副会長のとーかちゃんと、会計のかなちゃん、庶務のうたくんの三人を加えたメンバーが、今期の生徒会役員です」

 

どうやら今はあの三人はいないようだ。多分、カナタが気を利かせてくれたのだろう。そのことに心の内で安堵した。

と、ここで麻衣が軽く口を挟んだ。

 

「私は違うがな」

「そうね。麻依は別ね。あっ、準備ができたようね」

 

ちょうど自配機から、無個性ながらも正確に盛り付けされた料理がトレーに乗って出てきた。

しかし、出てきたのは計三つ。。

ひとつたりない、そう思い、視線を巡らすと麻依が弁当箱を取り出したのが見えた。

真弓と鈴華が立ち上がり、自分たちのを運んでから、蓮の分を運び、奇妙な会食が始まった。

まずは当たり障りのない話題。この学園に入学してからどうだ、とか。学園には慣れたか、など上級生が下級生に気にかけるようなありきたりな話題だ。

それが済み、蓮は会話の話題を変えるために麻依に言葉をかける。

 

「そのお弁当は、渡辺先輩が自分で作ったものですか?」

「そうだ。……意外か?」

 

少し意地の悪い笑みを浮かべ答えにくい口調で返した。

彼女からしたら、出来過ぎな下級生を少しからかうつもりで浮かべたものなのだが、

 

「いいえ、少しも。女性がお弁当を作るのはごく普通のことだと思いますよ」

「……そ、そうか」

 

思いがけない返しに麻衣は少し顔を赤らめ気恥ずかしさを覚えた。

 

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」

 

真弓が会話をそこで切り上げ、唐突に切り出した。

まあ高校生の昼休みはそう長くはない。それにすでに食べ終わっている。そろそろ本題に入ってもいい頃だと思っていた蓮は頷く。

そこで真弓は麻衣と視線を合わせ頷くと、真弓ではなく麻衣が口を開いた。

 

「単刀直入に言おう。私達は、君が風紀委員会に入ってくれることを希望する」

「………理由を聞いてもよろしいでしょうか?」

「そうだな。まずは風紀委員とはなんなのか、から話そうか」

 

麻衣は一つ頷くと説明する。

 

「風紀委員は校則違反者を取り締まる組織だ。主な任務は学園で定められた場所、場合以外での能力使用に関する校則違反者の摘発と、魔術を使用した争乱行為を取り締まる。つまり、学内限定での警察と検察を兼ね備えた組織というわけだ」

「それで、何故俺が?」

「なに、簡単なことだ。君は強いだろ。しかも、『特例招集』も経験している。私としてはそういう本物の実力者が風紀委員になって違反者を取り締まって欲しいと思っているんだ……っと、そろそろ昼休みが終わってしまうな。すまないな、蓮くん放課後に続きを話したいんだが、構わないか?」

 

麻衣の言う通り時計を見ればもう直ぐ昼休みが終わりそうだ。それにこればかりは有耶無耶では済ませられない話だ。

 

「……わかりました。放課後にまた伺います」

「ああ、さっきの話、考えておいてくれよ?」

 

蓮は彼女の念押しに渋々といった様子で頷くと席を立ち一礼し、生徒会室を後にした。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「風紀委員……か」

 

誰もいない無人の廊下を歩きながら一人でに呟いた蓮。

生徒会長に呼ばれたからなんなのかと思えば、まあ大体は予想のつく話だった。

実力者が風紀委員となり違反者を取り締まる。確かにその方が安全かつ道理にあっている。だが、

 

「………はぁ」

 

蓮は深いため息をついた。

別に風紀委員を務めるのは構わない。中学の時も生徒会役員の経験があるから不安にはならない。

問題はそこではない。

 

(カナタはともかく刀華と泡沫にはあまり会いたくねぇな)

 

それが蓮が溜息をついた原因だ。

カナタに聞いた話と昔の彼らを考えれば会えば修羅場になるのは確実だ。

どうにかして彼らとの接触を避けることはできないだろうか、そんな現実逃避をしていると目の前の曲がり角から三つの人影が出てきた。

 

「————」

 

その三人を、いや正確にはカナタと共に歩く二人の姿に息を詰まらせた。

一人はくすんだ銀色の癖毛と光のない金色の瞳のともすれば幼稚園児にすら見える小柄な少年。

もう一人は栗色の髪を三つ編みにした少女。

御祓泡沫と東堂刀華だ。

最も会いたくない時に、会ってしまったことに内心で再び溜息をこぼした。

そして曲がり角を曲がり切り、蓮の存在に気づいたところで三人は彼の姿を視認した。

 

「………えっ?」

「…………滝沢?」

 

楽しそうに談笑していたであろう彼らは笑顔を一転させ、動揺を隠せていなかった。

刀華は目を見開き一言小さく零し、泡沫は呆然とした声で彼の旧姓を呼んだ。

 

「……………」

 

蓮はなるべく無表情を保ったまま、彼らから目を背け、横を通り抜けようとする。だが、

 

「おい、待てよ」

 

彼は低い声音で呼び止められた。

そちらに視線を向ければ、案の定泡沫がその顔を激情に歪ませ、まるで親の仇でも見るかのような目で見上げていた。

 

「……何ですか?」

「……何でお前がここにいるんだよ」

「いたらだめですか?」

「っ当たり前だろうがっ!お前が騎士になる資格がないのは自分でもわかっているだろっ!」

 

泡沫の怒りの叫びに、蓮は僅かに顔を顰める。

こうなることは分かっていた。だから、何も言えない。何も言わない。ただ罵倒をありのまま受け入れる。

何も言わない蓮に泡沫はさらに苛立ちを募らせ決定的な言葉を発した。

 

「お前が騎士を目指す?よくもそんなふざけた真似……この六年、刀華達がどんな思いで過ごしてきたかも知らないでっ!」

「ッッ」

「………」

 

泡沫の言葉に刀華がピクリと反応し、カナタが息を呑む。蓮は泡沫から刀華に視線を移す。するとこちらを見ていた視線は逸らされた。よく見れば刀華の体が小刻みに震えているのが分かる。恐怖によるものだ。

蓮に会うことに対する恐怖、それが身体を震わすほどのものだと理解した時、蓮は目を伏せ、その瞳を冷たいものへと変えると、

 

「……話はそれだけですか?」

「えっ?」

 

予想外の言葉に泡沫は間抜けな声を漏らす。だが、淡々と蓮は言葉を続ける。

 

「これ以上用がないのなら俺はもう行かせてもらいます。午後の授業に遅れてしまうので」

 

何も言えない泡沫達に背を向けると蓮はそのまま立ち去った。

 

 




一年生編は10話から15話の間で終わらせようと思っています。

それと今、並行して前日譚の方も執筆しております。出来次第投稿しますので、そちらもよろしくお願いします。

ではまた次回、さよならー。


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7話 因縁と禁句

午後の授業は実技だった。

一クラスにつき約三名の実技担当の講師が監督している中、それぞれの生徒が粘土の形を変えたり、水を浮かせたりしていた。

これは魔術制御力を鍛えるための鍛錬であり、素のままの魔力を特殊な粘土に通わせ、手を使わずに整形するものだ。並の者であれば星型や三角形などの単純な図形を作るので精々。出来の悪い騎士なら梅干しのように形の悪い粘土の塊が出来上がる。しかし、卓越したものであれば本物そっくりの精巧な形を作れる。

もう一つ、水を魔力で浮かばせそれを零さないよう保ち続けるものだ。こちらは単純に浮かばせる水の量によって制御力の高さが分かる。

 

一年一組はまさに実技授業の真っ最中であり、それぞれ好きな方を行なっている。

粘土組はある模型をモデルにし、水は大きめの水槽一杯分の水を割り当てられている。

そして粘土側の一角では、

 

「蓮、生徒会室の居心地はどうだった?」

 

粘土の整形中に、左肩を突かれたと思ったら同じように粘土の整形をしていたレオが蓮にそんな事を聞いてきた。その顔には特に含むところはなく、ただ単に興味津々といった様子だった。

 

「風紀委員にスカウトされた……」

「へー、すげぇじゃん」

 

レオは賞賛を送る。蓮の左前の席で整形を行なっていた那月も頷き、感じ入った目を蓮に向けていた。

周囲で小さなざわめきが起こっているのは、多分、他のクラスメイト達も那月と同じように感じたのだろう。

 

「そんなにすごいのか?というか、一年を風紀委員にスカウトするのもどうかと思うんだがな」

 

蓮はレオの賞賛を素直に受け取れずに、そう疑問を零す。

そんな蓮に、那月の隣に座っていたマリカが尋ねた。

 

「確かに珍しいわよね。それで、風紀委員って何をするの?」

 

マリカに問われ、蓮が麻衣に聞いた話をかいつまんで説明するにつれて、三人とも目が丸くなっていった。

 

「そりゃまた、面倒そうな仕事だな……」

「危なくないですか?それって」

 

嘆息するレオの後ろで、那月が心配そうな表情を浮かべた。

 

「ホント酷い話ね。蓮くん、そんな危ない仕事、断っちゃえ」

 

マリカは悪戯っぽい笑顔を浮かべ、わざと明るい口調で、唆す。

 

「えぇっ、面白そうじゃねぇか!受けろよ、蓮。応援するぜ」

「でも、それって魔術のとばっちりを受けるかもしれないんですよ?」

「そうよ。きっと、逆恨みする連中だって出てくるわ」

「でもよぉ、蓮なら強ぇしいいと思わねぇか?」

 

レオの言葉にマリカは少し考えこむそぶりを見せる。

 

「う〜ん……それはそうかもね。蓮くん、強いし」

「マリカちゃん、納得しないで!そんなの、喧嘩しなければいいでしょう?」

「でも那月。こっちにその気がなくても、火の粉を払わなきゃならない時だってあるじゃない?」

「うっ、それは……」

「世の中には濡れ衣とか冤罪とか、いくらでもまかり通っているしね」

 

なんでか、反対派のマリカがいつの間にか賛成派に傾いていた。

 

「ほら、そろそろ再開しろ。先生がこっち見てる」

「あっ、ホントだ」

「やべっ」

「は、はいっ」

 

少し離れたところを見れば、監督の一人がこちらを険しい顔で見ていた。長い私語に注意しようと思っていたのだろう。レオ達は慌てて粘土に向き直り、整形を再開する。

蓮はもうすでに模型そっくりの形に整形し終わっているので他の三人が整形をしている様を眺めることにした。

那月、マリカはそこそこ制御力は高い方だ。形としてもあともう少しといった感じだ。

レオは細かい作業があまり得意ではないのか、模型の輪郭が分かるぐらいだった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

風紀委員にスカウトされたことで妬みや嫉みを受けなかったのはありがたい。

だが、一同揃って「頑張ってねぇ〜」と送り出されるのも、なんか調子が狂ってしまうし、気が滅入ってしまう。

放課後、昼休み時以上に重い足で蓮は生徒会室へ赴いていた。

 

一見少し情けない雰囲気だが、事情を知る者から言わせれば、仕方がないの一言で済ませられる。

昼休み時と同じように扉の前で深呼吸をし、ノックをし中に入る。

と、明確な敵意を孕んだ鋭い視線に迎えられた。発生源は、長机の方。昼休みには空いていた席の一つだ。

無論、その視線の持ち主は庶務の御祓泡沫だ。

 

「失礼します」

 

悲しいことに、蓮はこの手の視線や雰囲気には慣れている。

彼がポーカーフェイスを保って軽く黙礼しても、その敵意は消えずにずっと突き刺さる。

彼の左右に座っていたカナタと刀華は敵意はむけず、カナタは普通に微笑んでいたが、刀華は目を合わせようともしなかった。

そんな状況も知らず、気安い挨拶が二つ、飛んできた。

 

「よっ、来たな」

「いらっしゃい、蓮くん」

 

既に身内扱いで気軽に手を挙げてみせたのは麻衣、なぜか名前呼びをしたのは真弓だ。もっとも、それが癇に障ったというわけではなく、もう手遅れだったか、と諦めの境地に到達していた。

 

「それで、話は考えてくれたかね?」

「ええ、俺でよければ引き受けさせてもらいます」

「よかった。それじゃあ「渡辺先輩、待ってください!」……」

 

麻衣の言葉に制止が入った。呼び止めたのは御祓泡沫。麻衣はその声に、少し機嫌を悪くしながら応じた。

 

「何だ、御祓泡沫庶務」

「渡辺先輩、お話ししたいのはその風紀委員の件です」

「何だ?」

「その一年を風紀委員に任命するのは僕は反対です」

 

声音に怒りを滲ませながら、泡沫が意見を述べる。

麻衣が眉を顰めたのは、演技ではなく本心からだというのがすぐにわかった。もっとも、それが何の感情を反映してのものかはわからないが。

 

「おかしな事を言う。生徒会としての意思表示は既に生徒会長によってなされているし、彼もそれをつい今しがた受諾した。君がとやかく言うものではないよ」

 

麻衣は、蓮と泡沫を見ながら交互に言う。

泡沫は昼休みと同じように激情を孕んだ顔で蓮を見る、いや睨んでいる。

そんな二人を、鈴華は冷静に、真弓は面白そうに、刀華は目を背け、カナタは少しハラハラしている。

 

「そいつには風紀委員の適性はありません」

 

それは過去のことで蓮を恨んでいるから言えるのだが、事情を知らない麻衣にとっては詭弁以外の何者でもなかった。

 

「出会って早々そいつ呼ばわりか、東堂といい、君らには何らかの因縁があるようだな。だが、そんなこと私には何の関係もないことだ」

「………ですが、こいつは……」

「そもそも君に彼の適性云々を決める資格はないよ。それを決めるのは生徒会長と委員長の私だけだ」

 

麻衣に完全論破された泡沫はたじろぎ、気圧されながらも、白旗をあげるつもりはないようだった。

そんな不満を目敏く感じ取った麻衣はさらに畳み掛ける。

 

「なんだ?不満があるようだな。なんなら、私と戦ってみるかい、御祓庶務。勝てれば提案を飲んでやらんこともない」

「……ッッ!」

 

自身と実績に裏打ちされた麻衣の言葉に、泡沫は悔しそうに唇の端を噛んだ後、顔を俯かせる。

それを降参と受け取ったのか、麻衣は勝ち誇ったような笑みで頷くと、蓮の腕を取る。

 

「さて、色々とあったが、早速委員会本部へ行こうか」

 

麻衣はとっととこの場から去ろうと、蓮の腕を引っ張る。

真弓はそんな様子を能天気に手首の先だけで手を振っている。カナタは微笑みを浮かべこちらを見ている。

泡沫と刀華は顔を上げていない。それぞれの思惑があるようだが、今となってはその方がありがたい。真弓と麻衣に余計な勘ぐりをされないで済む。

そして麻衣に腕を引かれるまま、大人しく麻衣の後に続き、外へ出ようとする。だが、その直前。

 

「おい、新宮寺」

 

泡沫が蓮を呼び止める。それに麻衣はあからさまに不機嫌な顔で何かを言おうとしていたが、蓮が手で制し未遂に終わらせる。声音から友好的でないのは明らかだが、先ほどのことでこうなるかもしれないと思っていたから、とりあえず振り向くことにした。

 

「何でしょうか?」

 

敬語ではあるものの、その言葉には敬意など全くなく、早く済ませろという意思が伝わってくる対応だった。

 

「お前がどれだけ上辺を綺麗に取り繕っても、過去は消せないことを忘れるなっ、僕は絶対にお前を許さないからなっ!」

 

泡沫はそう吐き捨てる。

たとえどれだけ時が流れようとも、お前が過去に引き起こした悪夢の記憶は、決して消えることはないのだから。

だから、許せない。あれだけのことをしながら騎士を目指そうとしているお前を僕は許さない。

 

そういう意味が込められた言葉に、事情を知らない真弓、麻衣、鈴華は訝しげに泡沫を見るが、誰もそのことを尋ねる人はいない。いや、尋ねれないのだ、蓮と泡沫の間にある険悪な空気がそれを許さなかった。だが、それを他ならぬ蓮が掻き消す。

 

「……委員長。行きましょう」

「あ、ああ、そうだな」

 

泡沫から再び背を向けた蓮は麻衣に促す、我に帰った麻衣は頷くと外に出る。その後に蓮も続いた。泡沫は言いたいことを一先ず言えたからか、もうそれ以上呼び止めることはしなかった。

 

生徒会室と同じ階層の真逆の場所に、風紀委員会本部はあった。

彼女に続いて本部室へ足を踏み入れた蓮に、麻衣は長机の前の椅子を指差した。

 

「まあ少し散らかっているが、適当にかけてくれ」

 

これが少し、と言っていいのか?確かに、足の踏み場がないとか、椅子が荷物置きになっているとか、そこまでではないが、書類とか本とか携帯端末などの、とにかく色々なもので埋め尽くされた長机。これはお世辞にも少し散らかっているとは言えない。

机の前に半分引き出された状態の椅子があったので、軽く位置を直してから蓮は腰を下ろした。

 

「悪いね。ウチは男所帯で、整理整頓はいつも口酸っぱく言い聞かせているんだが……」

「居ないのなら、片付けようがありませんよ」

「……校内の巡回が主な仕事だからな。部屋が空になるのも仕方がない」

 

現在、この部屋にいるのは二人きり、風紀委員の定員は七名ということだが、その倍は入れそうな広さでこの閑散とした空気は、物が散らかっていることにより無秩序感を増幅していた。

 

「それはそうと、委員長、今から部屋を片付けてもいいですか?」

「ああ、そうだな。私も手伝おう」

 

慌てて立ち上がった彼女は、見た目以上に気配りの人かもしれない。

席を立ち書類整理を始めていく。手を動かす速度は両者同じだが、蓮の手元にどんどんスペースができているのに対し、麻衣の方はなぜか一向に進まない。

チラッと蓮が視線を動かす。すると麻衣は諦めて手を止め肩をすくめる。

 

「すまん。こういうのはどうも苦手だ。……しかし、それにしてもよく分かるな」

「何がですか?」

「書類の仕分けだよ。適当に積んでいるだけかと思ったら、きちんと分類されているじゃないか」

「見てればなんとなくわかりますよ。どれがどういう系統のものかは……あと、机にはあまり座らないでください。それと、その姿勢をされると少々目のやり場に困ります」

 

彼が場所を開けた机の上に、麻衣はもたれかかるように腰掛けて書類の束をパラパラと見ている。スカートの裾が彼の腕に触れそうな密着具合だ。太腿を微妙に隠すスカートからすらりと形のいい脚が伸びている。いくら、レギンスで素肌が見えなくても、形はわかってしまうので精神衛生上あまりよろしくない位置だった。

それにほんのりとかすかに甘い匂いが漂い、性的な興奮を覚えてしまったが、それを鋼の理性で押さえ込んだ。

 

「ん?ああ、悪い。ただ、君でもそういう風に思うことはあるんだな」

「先輩のような年頃の淑女相手にそんな態度を取られたら、緊張してしまうのは仕方のないことだと思いますが?」

「えっ、あ、ああ、そ、そうか」

 

ニヤニヤと悪い笑みを浮かべた麻衣に、蓮はため息交じりの答えを返す。予想外の返しだったのか、麻衣は頰を赤らめ口籠もった。

蓮はそれを一瞥すると腕を再び動かし、次のエリアに取り掛かる。

 

「ま、まあそれはいいとして、君をスカウトした理由は先ほども言った通り、『特例招集』を経験している本物の実力者だからだ」

「それは覚えています。一応聞きますが、本物というのは()()()()()()()()()()()()()()と考えてよろしいのですか?」

 

机の上のものをあらかた片づけ終え、端末の整理に取り掛かる。待機状態の端末は再起動させ電源を切り、電源が切れていた端末と一緒に一箇所にまとめていく。

 

「ああ、そう考えてくれて構わない」

「しかし、それならわざわざ一年から引っ張ってこなくても二年や三年には少なからずいるんじゃないんですか?」

 

壁際の本棚に本を並べていきながらそう呟き麻衣の方に視線を向ける。すると、麻衣は首を横に振る仕草をしていた。

 

「残念ながらそうじゃないのが大多数なんだよ。それに、そういう輩は変なところでつけあがったりするから面倒なことこの上ない。君もそういう輩は一度ぐらいは見たことがあるだろう?」

「……まあ、ありますね」

 

本を並び終え、端末を入れた箱を抱えながらそう呟く。

 

「だから、君のように才能があったり、逆に才能がなくても諦めたりせず努力している人の方がこういう仕事に向いているんだ」

「………そういうことですか」

 

本棚に並び終え、蓮は肩を一回、グルリと肩を回すと、上着を脱いでシャツの袖を捲り上げた。

 

「理解してくれたかな?」

「ええ、大体は」

 

蓮は次はキャビネットへと視線を移し、屈んでぐちゃぐちゃになっている中の物を並べ替えていく。

 

「あと一つ質問してもいいかな?」

「何でしょうか」

「御祓や東堂とはどういう関係なんだ?」

「…………ッ」

 

いきなりストレートな質問を向けられ、蓮の手が止まる。

それに気づいたのか、気づいてないのか定かではないが、麻衣は話し続ける。

 

「御祓は明らかにお前のことを敵視していたし、東堂は君の動画を見た瞬間、泣き出したからね。昨日今日会った仲ではないのは明らかだからな、少し気になったんだよ」

 

確かに泡沫との険悪な空気や刀華が蓮の動画を見て泣いたことを考えれば明らかに昔に確執があったのは明白。

そう考えて麻衣は蓮に尋ねたのだろう。

蓮は降参したように笑みを浮かべると、手を動かしながら答えた。

 

「……まあ、隠すほどのものでもありませんからね。簡単に言えば幼馴染ですよ。俺と泡沫、刀華、そしてカナタは昔同じ町に住んでましたから」

「ほお、貴徳原までもか。だが、幼馴染だったら尚更あんなに敵意を向けられるなどあり得ないんじゃないのか?」

 

麻衣の言い分も分からなくもない。もし、あの事件がなくて今もまだあの町で彼女達と過ごしていたらきっとこんなことにはならなかっただろう。とても仲が良くなっていたのかもしれない。でも、それはあくまでifの話だ。

現実は真逆と言っていいほどに関係は切れている。

蓮は麻衣の言葉に首を横に振った。

 

「いえ、ただちょっと昔に住んでいた町で色々あって、仲が悪くなったんです。それ以来会ってはいないんで、彼らに会うのは六年ぶりになりますね」

「………そうか……なんか、変なことを聞いてしまったな。すまない」

 

気になったとは言え、少し踏みすぎてしまった。そう思った麻衣は蓮に一言詫びる。

 

「いえ、構いませんよ。あの状況を見てれば気になるのは仕方がありません」

 

蓮は穏やかな笑みを浮かべると、立ち上がり腰を伸ばす。

 

「一応、あらかた掃除は終わりましたが、他に何かありますか?」

「あ、ああ。そうだな、じゃあ次はこっちを頼めるか?私の背では届かないからな」

「分かりました」

 

麻衣が指示した場所に蓮は移動する。

そんな彼の背中を麻衣は気まずい表情で見ていたのは彼女以外知ることはなかった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「……ここ本当に風紀委員会本部?」

 

部屋を訪れた真弓の、開口一番がこのセリフだった。

 

「いきなり心外なご挨拶だな」

「だって、どうしちゃったの、麻衣。スズちゃんがいくら注意しても、とーかちゃんやカナちゃんがいくらお願いしても、全然片付けなかったのに」

「事実に反する中傷には断固抗議するぞ、真弓!これは片付けようとしなかったんじゃなくて、片付かなかったんだ!」

「そっちの方が女の子としてはアウトだと思うんだけど」

 

真弓が目を細めて斜に睨むと、麻衣はとっさに顔を背けた。

 

「まあ別にいいけどね……って、ああ、そう言うことね」

 

大型端末を開いて何か作業をしている蓮の姿を目に留めて、真弓は納得顔でうなずいた。

 

「早速役に立ってくれてる訳ね」

「まあ、そう言うことです」

 

背中を向けたまま答えた後、大型端末を閉じて蓮は振り向いた。

 

「委員長、点検終わりましたよ。痛んでる部品があったのでいくつか交換しておきましたから、もう問題ないはずです」

「ああ、ご苦労だったな」

「しかし、委員長もこれぐらいはできるようにしてください」

「………そうだな、そうするよ」

 

今度は蓮の追求から露骨に顔を背ける。しかし、心なしか、こめかみの辺りが冷や汗で汗ばんでいるようにも見えた。

 

「それで今日はもう終わりでいいんですか?」

「あ、ああ、他の委員との顔合わせは明日やろう。放課後ここに来てくれ」

「了解です。では、失礼します」

 

麻衣の言葉を蓮は受け容れると、椅子の背にかけていた上着を取り腕にかけ、扉の前で麻衣達に一礼し本部を後にした。

 

 

蓮が去った後、麻衣は人知れずため息をついた。そんな麻衣を隣にいた真弓が見逃すわけもなく、

 

「どうしたの、麻衣。ため息なんかついちゃって」

「いや、少しな。そうだ、お前は何でこっちに来たんだ?」

 

麻衣は適当にはぐらかすと、逆に訪問の理由を尋ねた。

普段ならいつものように悪戯っぽい笑みを浮かべるのだが、今回は真剣な表情を浮かべら答えた。

 

「実は、さっきの蓮くん達のやりとりのことでね」

「………ッ」

 

真弓の言葉に麻衣は僅かに目を見開く。

 

「あの後、うたくんととーかちゃんは黙りきりだったから、彼女達と幼馴染で仲のいいカナちゃんに少し時間を取らせてもらって色々教えてもらったの」

「蓮くんと彼らが幼馴染ということをか?」

「あれ、知ってたの?もしかして蓮くんに教えてもらったの?」

 

真弓の問いに麻衣は首を縦に振る。やはり真弓も気になり、比較的冷静かつ刀華と泡沫のことを一番理解しているカナタに問いただしたのだろう。

 

「そう。じゃあ、麻衣は他に何か聞いた?」

「昔何かがあって仲が悪くなったとしか聞いていないが、真弓はどうなんだ?」

「私も似たようなものよ。ただ、六年前に凶悪異能犯罪者が起こした事故に巻き込まれたと聞いたわ」

 

どうやら真弓の方は麻衣よりも進展があったらしい。六年前の事故の存在を聞いた麻衣は顎に手を当て思案顔をする。

 

「『どれだけ上辺を綺麗に取り繕っても、過去は消せない』か。どうやらその六年前の事件は、彼らにとってはだいぶ重いものなんだろうね」

 

泡沫が去り際に残した言葉を麻衣は反芻し呟く。

普段は飄々としている泡沫がたぶん自分たちが知る中で初めてあろうほどの激情をあらわにしたのだ。

それが並大抵でないのはすぐにわかった。

だが、それを麻衣は詮索する気にはならなかった。

真弓はともかく麻衣はその答えを知るのを躊躇ってしまったのだ。

何故かは分からないが、その答えが彼の「何か」を決定的に壊してしまう気がしていたからだ。

だから、麻衣は真弓に警告した。

 

「真弓、お前が蓮くんをからかったりするのは構わないが、過去の事は絶対に詮索するなよ?」

 

真弓は猫被りな性格で自分が認めた相手にしか、素顔は見せないし、人の悪い笑顔で他人をからかったりすることがある。だからこそ彼女がその態度で彼に接し過去の事を聞き出そうとしたらどうなるか分かったものじゃない。

 

「分かってるわ。流石に部外者の私たちが介入できるような問題じゃないしね、精々からかうだけで済ませるわよ」

 

それもそれでどうかと思うんだが、と麻衣は思ったのだが、とりあえずはこれで彼があまり不快な思いをしないで済んだと心のうちで軽く安堵した。

 

こうして麻衣と真弓の間では意図せずに蓮の過去の事は禁句事項となった。

 

 



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8話 代表任命式

「全員揃ったな?」

 

蓮が風紀委員入りを果たした翌日。風紀委員会本部には蓮を含めた風紀委員、計七名が揃い腰掛けていた。

そんな中、全員の有無を確認した麻衣は立ち上がった。

 

「今日は新入りを紹介する。立て」

 

事前の打ち合わせも予告もなかった展開に、特にまごつく事なく、すぐさま立ち上がった。

落ち着いた面持ちながら肩の力を抜きすぎているような風情のある蓮の姿は実力主義が徹底されているこの委員会内では頼もしく見えるだろう。

 

「1ー1の新宮寺蓮だ。今日から早速パトロールに加わってもらう」

 

彼の名は学園内ではある程度広まっていたらしく、ざわめきが生じた。

それもそうだ。今学園で噂になっているAランクの新入生。その話題の当人がまさかの風紀委員会入りをしていたのだから。

 

「誰が面倒を見るんですか?」

 

二年生の、岡村と言う生徒が手を挙げてそう発言した。

 

「しばらくは私が見る。今日のところは私に同行させて、巡回のイメージを掴んでもらうつもりだ」

「使えるんですか?」

 

値踏みするような視線で蓮の体つきを見回す。

確かに彼はAランクで実力もあるのだろう。だが、実戦で使えるかどうかが彼らにとっては重要だ。

新参者を無条件で歓迎するほど彼は安くはないようだ。

麻衣は岡村を余裕の顔で見ていた。

 

「ああ、心配するな。使えるやつだ。

新宮寺の腕前は動画で見たから問題ない。こいつはまさしく本物だ」

 

麻衣がそう強く言い放った。

麻衣の言葉にその場にいた全員が見る目を変えその目には疑惑ではなく歓迎の色を浮かばせた。その顔には全く、侮ったりしたりする色が無かった。

 

「さて、ほかに言いたい奴はいないな?なら、早速行動に移ってくれ。レコーダーを忘れるなよ。

新宮寺については私が説明するから残れ。他のものは、出動!」

 

全員が一斉に立ち上がり、踵を揃えて、握り込んだ右手で左胸を叩いた。

何の真似かと思ったが、後で聞いたところによれば、風紀委員会で採用されている伝統の敬礼だった。他にも、挨拶は時間を問わず「おはよう」を使うと言うルールもあるらしい。

麻衣、蓮を除いた五名が、次々と本部室を出て行く。

彼らは出て行く前に蓮に一人ずつ軽い自己紹介をし声をかけて、本部室を後にしていった。

 

「まずこれを渡しておこう」

 

声を掛けた麻衣は、黒と赤の腕章と薄型のビデオレコーダーを手渡す。

 

「レコーダーは胸ポケットに入れておけ。ちょうどレンズ部分が外に出る大きさになっている。スイッチは右側面のボタンだ」

 

言われた通りブレザーの胸ポケットに入れて見ると、そのまま撮影できるサイズになっていた。

 

「今後、巡回の時は常にそのレコーダーを携帯する事。違反行為を見つけたら、すぐにスイッチを入れろ。

ただし、撮影を意識する必要はない。風紀委員の証言は証拠としてそのまま証拠に採用される。

念のため、くらいに考えて貰えばいい」

 

蓮の返答を確認し、麻衣は携帯端末を出すように指示した。

 

「委員会用の通信コードを送信するぞ……よし、確認してくれ」

「確認しました」

「報告の際は必ずこのコードを使用すること、こちらから指示ある際も、このコードを使うから必ず確認しろ。

最後は固有霊装(デバイス)だ。

風紀委員の霊装使用については、いちいち誰かの指示を仰ぐ必要がないし、場所も学内ならどこででも使って構わない。

だが、不正使用が判明した場合は、委員会除名の上、一般生徒より厳重な罰が課せられる。くれぐれも、甘く考えない事だ」

「了解しました」

「うむ。なら早速パトロールと行こうか」

 

麻衣に促され、蓮は麻衣の後に続き最後に本部を出て行った。

 

 

 

 

「とまあ、見てもらった通り巡回ルートに決まりはない。校内をくまなく見て回る必要もない。大体は特定のルートを回る奴ばかりだ」

 

学園内巡回中に麻衣は基本的なことをレクチャーを行なっていた。

風紀委員の基本的なことをあらかた聞き終えた蓮は納得したように頷く。

 

「まあ大体はこんな感じだな。何か質問はあるか?」

「いえ、今のところは」

「うむ、なら今日はもう終わりだ。ところで、一つ聞きたいんだがいいかな?」

「何でしょうか?」

 

了承を得た麻衣は笑みを浮かべると、

 

「君は今年の七星剣武祭には出るのか?」

 

七星剣武祭。それは日本に存在する七つの騎士学校。

 

南関東の『破軍学園』。北関東の『貪狼学園』。東北の『巨門学園』。北海道の禄存学園』。九州・沖縄の『文曲学園』。中国・四国の『廉貞学園』。近畿・中部の『武曲学園』。

 

その七校からそれぞれ代表選手を出し、一番強い騎士を決める武の祭典だ。

蓮は麻衣の言葉に頷く。

 

「まあ出れるなら一度は出て見たいですね」

「ふっ、そうか。まあ、今年は私も真弓、それに十束も出るからな。それに加え、君も出てくれるなら心強い」

「今年は出るんですか?」

 

蓮は意外そうな声をあげる。

教員達から聞いた話では真弓と麻衣、十束は一年、二年と諸事情で七星剣武祭を出ていないからだ。今年もてっきり出ない思っていたから、まさかと蓮は驚いてしまったのだ。

 

「ああ、そうだ。我々は今年で最後だからね。

ここ最近は破軍は負け続きだから、今年はAランクの君も含めて私達で一気に首位独占してやろうじゃないか」

 

好戦的な笑みを浮かべ胸の前で握りこぶしを作りながら麻衣はそう意気込んだ。

確かにこの三人が出るのならば心強い。

学内序列一位の《妖精姫》と二位の《斬姫》。そして三大巨頭の最後の一人《鉄壁の武者》十束克己。全員がBランクの実力者達だ。

七星剣武祭に出れば上位三冠は間違いなしと言われている程だ。

 

「そうは言っても、まだ俺は選抜されてませんよ?そもそも一年生から代表生が出るのは稀ではありませんでしたか?」

 

確かに一年生で七星剣武祭に出るのは珍しい。破軍学園でもここしばらくは出ていない。

だか、麻衣はそれを一蹴する。

 

「何、特に問題ないだろ。リトルで世界1位をとった男を七星剣武祭に出さないなんてそんなの周りから大バッシングを食らうだけさ」

 

どうやら彼女は蓮が選抜されることを疑ってはいないようだ。そしてタイミングがいいのか悪いのか本部の扉からノック音が聞こえ真弓が入ってきた。

 

「麻衣、ここに蓮くんは…っていたいた」

「どうしましたか?会長」

「さっき先生達に呼ばれていてね。蓮君に話があってきたの」

 

真弓の言葉にまさかと思いつつも、その話を聞いてみることにした。

 

「……ちなみに、そのお話というのは?」

「七星剣武祭代表のことなんだけどね。実は一枠余っちゃってね、その最後の一枠にあなたが選抜されたの」

 

辻褄を合わせたかのような内容に蓮は思わず声を上げそうになったが、それを堪える。だが、視界の端で麻衣がニヤリと笑ったのが見えてしまい嘆息する。

 

「……それで、俺の意思を確認しにきたという訳ですか」

「そうなのよ。で、どうかな、出てくれる?」

 

真弓は両手を合わせながら上目遣いでこちらを見上げる。

それが見事に似合っていて、あざとさを感じさせていた。

そして真弓の問いに対する蓮の答えは決まっていた。

 

「はい、俺でよければ、ぜひ」

 

すると真弓の顔がパァッと明るくなり満面の笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。貴方が出てくれるなら私たちとしても心強いわ」

「な?私の言った通りになっただろ?」

 

真弓の満面な笑顔と麻衣の勝ち誇った顔に蓮は苦笑を浮かべ、

 

「ええ、そうですね」

 

一言、そう返した。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「えっ?七星剣武祭の代表に選ばれた?」

 

放課後、風紀委員の見回りを終えた蓮は待っていたレオらと合流し、そろそろ常連扱いを受ける程度には足繁く通っている本格的な店構えの喫茶店に、彼らは腰を落ち着け、今日あったことを話した時の一輝の反応がこれだった。

他の三人も目をまん丸にして驚きを示していた。

 

「七星剣武祭代表って、全校で六人だけなんじゃないんですか?」

「まあね」

 

目を丸くしたまま問い掛けた那月の質問を、蓮があっさりと肯定する。二人の表情は、まさしく対照的だった。

 

「まあねって……蓮くん、感動薄すぎ」

 

絶句する那月と呆れ顔のマリカ。その隣でレオが楽しそうに笑ってる。

 

「蓮にしてみりゃ、七星剣武祭なんざ出れて当然、ってこったろ」

「でも、一年生が七星剣武祭に出場するなんてほとんどないことだよ?」

「前例はあんだろ?先生達だって、リトルで世界1位とった天才を出場させないはずねぇって」

 

一輝の反論に笑顔のまま再反論したレオ。

 

「天才は止めろ」

 

それに対して、照れているのではなく、本気で嫌そうに蓮が釘を突き刺した。

 

「蓮さん、本当に天才と言われるのがお嫌いなんですね……」

「都合のいい言葉だからな」

 

皮肉その他の他意もなく不思議そうに問い掛けた那月に、蓮はきっぱりと答えた。

 

「いや、でも凄いよ」

 

雲行きが怪しくなった雰囲気を察してか、それを晴らそうと一輝が話した。

 

「一年生の出場者は今まででも数える程しかいないし、Aランクとなれば戦績次第では卒業後にA級リーグへの推薦もあるから」

 

A級リーグとは《国際魔導騎士連盟》が開催している伐刀者にのる格闘興行《 KOK(King of Knights)》のトップリーグの通称だ。

今世界で一番人気のあるスポーツであり、一年の放送権料が3兆円を超えるという競技の花形とも言えるトップリーグに推薦される。

それは魔導騎士を目指すものにとってどれだけ凄いことか、ここにいる全員は理解していた。

 

「正式発表はいつなんですか?」

「来週だと聞いている」

 

蓮を最後につい今日七星剣武祭のメンバー選定が終わったばかりだ。

任命式も含め諸々と準備する時間が必要なのだろう。

 

「へー、それじゃあ来週まで秘密ってわけか?」

 

レオが若干楽しそうに訪ねてくる。その瞳からはワクワク感が見えており、宣伝して回ろうという魂胆が見え見えだった。

 

「別に秘密ということではないんだが、三枝会長から無闇に言いふらすなと言われてるからな。そう捉えて構わんだろ」

 

そう言って、特に宣伝しそうなレオとマリカに視線を向ける。すると、二人はすかさず顔を背け半笑いを浮かべていた。

そしてマリカがその視線から逃れるように話題を変え、それにレオがすかさず乗る。

 

「そ、そういえばうちの学園では四人目だよね?Aランクでの七星剣武祭出場者って」

「あ、ああ、確かにそうだな。そう考えるとやっぱすげぇよな」

 

そうやって二人があからさまに話題を変えた、か蓮はそれに突っ込むことはせず、というより言わなくてもわかってるだろうと、思い注文しておいたコーヒーを一口啜る。

 

その時、ふと口の端がつり上がっていたのに気づいたものは誰一人いなかった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

そして七星剣武祭代表任命式の当日の朝、一年一組の教室では、

 

「おはよう。聞いたぜ、新宮寺、凄いじゃないか」

「おはよう、新宮寺君。頑張ってね」

「おはようございます、新宮寺くん、応援してますよ」

「ヨッ。頑張れよ、新宮寺」

 

普段それほど親しくないクラスメイト達が、蓮に挨拶のついでに激励しているという状況が発生していた。

月曜日、教室に到着してから、蓮は次々とクラスメイトのエールを受け取っていた。

何について、といえばもちろん、七星剣武祭代表に選ばれたことについてである。

 

「皆、情報が早ぇな」

「本当ですね。まだ先週決まったばかりで、正式発表にはなっていないのに」

「ホント。私達は蓮くんから聞いたから知ってるわけだけど、一体どこから聞き出してくるんだろうね?」

「さあ、僕達は誰も口外してないし……」

 

レオも那月もマリカも一輝もとぼけているという顔ではない。どうやら、釘を刺したお陰か、宣伝して回ることはなかったようだ。

とはいえ、緘口令を敷いているわけでもないので、大方、教員達の会話が聞こえたとかそんなところだろう。

 

「確か、五限目が全校集会になって、体育館で任命式なんですよね」

 

那月がそう言いながら、生徒手帳で今日の予定を確認している。

午前は通常授業で、そして午後が五限目が任命式になっている。

高々選手の任命式のために一限を削り全校生徒を集めるというのは、それだけこれがどれだけ大きなイベントなのかを示している。

 

「そういえば、出れなかった二、三年生とか、桐原はか〜な〜り、悔しがってるみたいよ」

 

真弓から代表入りの話を聞いた時に、実は候補には桐原や何人かの二、三年生も含まれていたらしいのだが、先生達の合議の結果、蓮がその椅子に座り、選ばれなかった生徒達がいたそうだ。

それに桐原は中間試験の時以来、妙に蓮に対抗意識があったため(もっとも、桐原が勝手に抱いているだけだ)、プライドを盛大に逆撫でされ、その上この抜擢だ。

前々からエリート意識を持っていた桐原にはますます苛立ちを募らせる結果になったようだ。

現に今もマリカの言葉に教室の隅にいた桐原が額に青筋を立ててこちらを睨んでいるのが遠くからでも見える。

 

「……そうみたいだな」

 

朝から嫉妬の視線に晒された蓮からすればもうわかりきっていたことなのでそう嘆息する。

嫉妬どころから敵意を向けてきた生徒達も少なからずいたが、蓮はあえてそこには触れないようにした。

それに嫉妬される側に立つことが多かった蓮にはもう慣れたことだが、逆に嫉妬を抱いたことが乏しいために、その辺りの機微を察することができなかった。

 

「仕方ないですよ。嫉妬は理屈じゃありませんし」

 

那月のザックリとした答えに、蓮は言葉を返せず、

 

「ま、辺に気負わずに普段通りにやればいいんじゃない?」

 

マリカの投げやりな気休めに苦笑を返すことしかできなかった。

 

 

 

 

四時限目終了後、普段は滅多に使われない体育館に、全校生徒が集まり、六名の代表の正式な任命式が行われるのを待っていた。

 

そして、代表メンバー達は他の生徒達が座っているところとは別の代表戦用の席に座り、理事長が名前を呼ぶのを待っていた。

 

「何だか少し緊張しますね」

 

いつの間にか蓮の隣に来ていたカナタが蓮に話しかける。

いつもは落ち着きのある彼女でも少しそわそわしていた。

 

「そうですね」

 

蓮とカナタはあの二人きりでの会話以降、お互い敬語で話すことにしていた。 昔のように馴れ馴れしい口調で話すと、色々と勘ぐられそうなのでただの先輩、後輩の関係を演じている。

 

『ではこれより、任命式を開始する。名前を呼ばれたものは壇上へ上がるように』

 

その時ちょうど任命式が始まり代表の名を読み上げていく。

 

『三年Bランク。三枝真弓』

『三年Bランク。渡辺麻衣』

『三年Bランク。十束克己』

『二年Bランク。東堂刀華』

『二年Bランク。貴徳原カナタ』

 

そして最後に、

 

『一年Aランク。新宮寺蓮』

 

蓮の名が呼ばれた。

 

「はい」

 

短く返事をして席を立つと、脇の階段から壇上に上がる。

、先に呼ばれた五人と同じように理事長の前に歩いて行き、

 

『おめでとう』

「ありがとうございます」

 

賞状とメダルを受け取り、一礼し、これまた先に呼ばれた五人と同じように、集まった全校生徒の方を向いて、壇上に代表選手として横並びになる。

 

少し余裕ができたので舞台の下を見渡すと、前半分の主に上級生の人の列に、異分子が紛れ込んでいるのに気づく。

その異分子ーーマリカは前から三列目、ほぼ最前列といっても過言でない席で、蓮の視線に気付き手を振っていた

さらに目を凝らせば、マリカの隣には那月、その逆側にはレオ、さらにその隣には一輝、その後ろにも見覚えのある顔が並んでいる。

1ー1よクラスメイトのほとんどが、上級生のきつい視線にもめげず、一塊に陣取っていたのだ。

蓮が彼らの勇気ある行動に目を奪われているうちに、理事長が選手団団長に選ばれた真弓に校旗の預託を行い、最後に高らかに宣言していた。

 

『ここに並ぶ六人を、正式に我が破軍学園の七星剣武祭代表と認める!』

 

瞬間、大きな拍手と割れんばかりの喝采が起こった。

音の発生源は言うまでもなくこの体育館にいる生徒と教師全員だ。

だが、その中でもひときわ大きく目立ったのが、蓮のクラスメイト達だ。

彼らは理事長が宣言した瞬間に、他の生徒達よりも早く手を打ち鳴らし応援の声を、祝福のエールを、叱咤の激励を他ならぬ蓮に送った。

それはやがて選手全員に対するものへと変わり、体育館全体に広がった。

 

 

こうして、南関東『破軍学園』の七星剣武祭代表選手が出揃った。

 

 




次は合宿編か、もしくはそれをすっ飛ばして七星剣武祭に行くか、検討中です。

ちなみに風紀委員会の設定は魔法科高校の劣等生のものです。


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9話 頂を征した王

合宿はカットで、七星剣武祭もこの話で終わりです!


破軍学園に限らず七星剣武祭前はどの学園でも強化合宿が行われる。

破軍学園は7月下旬の大会直前に奥多摩にある合宿施設で十日間の強化合宿が行われ、代表選手はそこに参加し直前の追い込みをし、七星剣武祭に臨む。

 

代表の六名はそこで各々の鍛錬法で個々に実力を高めていった。

 

そして、毎年8月半ばに行われる七星剣武祭。

 

今年は驚異の大番狂わせが起きた。

 

二十年連続で決勝進出を続け、最近では五年連続で表彰台を独占していた日本最強、世界有数の強豪校『武曲学園』が表彰台どころかベスト4にも入れなかったのだ。

武曲学園の連覇を止めた学園は近年弱小校と噂されていた破軍学園だ。

 

今年は破軍学園が表彰台だけでなくベスト4を独占し、それだけで終わらずベスト8に一人、ベスト16に一人と好成績を叩き出したのだ。

 

今年もどうせ武曲が独占するだろうと思われていたが、それをここ数年はベスト16にも入れていなかった負け続きの破軍がまさかの下克上を果たしたことに、日本全国が熱狂に包まれた。

 

試合の内容もどれもが接戦ではなく、そのほとんどが圧倒的な勝利を飾っている。まるで、今まで舐められていたツケを返すかのように、怒涛の勢いで七星の頂まで上り詰めたのだ。

 

あまりにも予想外な結果に、殆どの人が驚いていたが、その代表メンバーの詳細を知った瞬間、全員が納得した。納得してしまった。

 

今年の破軍学園の七星剣武祭代表は全員が幾度も《特例招集》を経験し、数々の犯罪組織を潰し、犯罪者を捕らえた実績を持っていた。

どの年でも各校に半分《特例招集》経験者がいれば多い方に分類されるのに、まさか全員が経験しているとは誰が思うだろうか、

それに加え、彼らは全員がBランク以上で一人はAランクという他に類を見ない組み合わせ。

出場者はBランクからDランクが殆どであり、歴代の『七星剣王』は大半はBランクかCランクに占められているのだから、この人選ははっきり言って反則そのものだった。

 

そして、ベスト4の四人は特に異常だった。

 

今大会覇者の《紺碧の海王》改め歴代最強の《七星剣王》新宮寺蓮。

 

2位の《妖精姫》三枝真弓。

 

3位の《斬姫》渡辺麻衣。

 

4位の《鉄壁の武者》十束克己。

 

彼らはそれぞれの出場ブロックA、B、C、Dブロックを無傷で制した怪物達だ。

 

新宮寺蓮は海と形容すべき大規模な水魔術と多彩な氷魔術と卓越した剣術で相手を薙ぎ払った。

 

三枝真弓は『凍結』の異能と芸術の域まで高められた高速高精度の射撃で相手を圧倒した。

 

渡辺麻衣は『斥力』を操る異能で臨機応変、多種多彩な重ね合わせの魔術で相手を翻弄した。

 

十束克己は類を見ないほどの堅牢な障壁を何重にも張り攻撃をほとんど自分に届かせず防ぎ、相手を叩き潰した。

 

その四人は全員が学生騎士のレベルを超えており、準決勝以降の4試合はどれもがA級リーグでしか見れないような高レベルな試合だった。

 

それに加え、真弓、麻衣、克己の三人はBランクとしてはあまりにも強すぎるため、大会中に急遽BランクからAランクへの昇格が決まったぐらいだ。

 

世界的に見ても卓越した水準にあり、学生騎士レベル程度に収まるようなものではなかった。

 

そして、圧倒的な強さで頂を征した一人のAランクと三人のBランク改め四人のAランク騎士達は破軍学園の《黄金世代》の三人の騎士に並ぶ逸材と噂されるようになった。

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

七星剣武祭の表彰式終わった後、蓮は歴代最強の七星剣王ということで日本だけでなく海外の報道陣も加わったインタビューを引き受け、約二時間インタビューに答え続けるという重労働を経て、選手宿舎のロビーにあるソファーに座りぐったりともたれかかっていた。

 

報道陣の数が多すぎたのだ。

報道陣は日本だけでなく海外のもおり、何カ国いるかわからないぐらいいて、さすがの蓮も途中で逃げたかったが、運営の人達が逃さずに約二時間引っ切り無しに話し続けていたのだ。

 

彼は精根尽き果てた佇まいにロビーにいる一部始終を見ていたスタッフ達は同情の眼差しを向けながら仕事に専念していた。

蓮は深く息を吐き、部屋に戻り休もうと考えたちょうどその時、タイミングを見計らっていたように、蓮の目の前にペットボトルが差し出された。

 

「飲むか?」

「あ……ありがとうございます。十束先輩」

 

蓮にペットボトルを差し出したのは一人の大柄な男。

見上げるような大男というわけではなく、身長は185センチ前後。だが分厚い胸板と広い肩幅、制服越しでもわかる、くっきりと隆起した筋肉と存在感の大きさがまるで巌のような印象を抱かせていた。

彼は十束克己。破軍学園三年の三大巨頭の一人で、《鉄壁の武者》の通り名を持つ今大会4位入賞の男だ。

 

蓮は彼に礼を言うと、ペットボトルを受け取り、中身をグッと呷る。

 

「ぷはっ……はぁ、助かりました」

「構わん。大分疲れたようだな」

「……ええ、そうですね」

「流石の《七星剣王》でも試合のようには行かんか」

「それはまあ……はい、なにせ、こんなにインタビューを受けるのは初めてですから」

 

蓮は苦笑を浮かべながらそう答えた。

 

「リトルの時とは違うのか?」

「あの時はまだ子供でしたし、インタビューも数を少なくしてたそうです」

 

さすがに当時10歳の蓮に今日のような大人数のインタビューは体力的にも精神的にもきついだろう。

あの時は運営側が蓮がまだ幼かかったから、インタビューの数を減らすように言ったのかもしれない。

 

「……僭越ながら、先輩はどちらも苦になさらないように見受けられますが」

「慣れているからな」

 

そういえばこの人は名門十束家の次期当主だった、と今更ながらに思い出した。

それに彼のどっしりと構えた姿勢からも場数を踏んでいることがよくわかる。

 

「それと、新宮寺」

「はい?」

 

蓮が顔を上げれば、克己が蓮に手を差し出していた。

克己さん穏やかな笑みを浮かべる。

 

「一足先に言わせてもらう。七星剣武祭優勝おめでとう」

「……あ、ありがとうございます」

 

差し出された手を蓮は握る。

彼の手は見た目通りゴツゴツとしており、力強かった。

克己は清々しさが感じられる声で言った。

 

「俺はお前という気高い騎士と戦えたことを誇りに思う。素晴らしい戦いだった」

「……ッ!俺もです。貴方達との試合はとても充実しました」

 

そう。あれほど充実した戦いは本当に久しぶりだった。

克己とは準決勝で、真弓とは決勝戦で、麻衣とは合宿でそれぞれ戦った。

合宿からの三週間。蓮にとってとても充実した日々だった。

それは克己らも同じだ。今年の七星剣武祭は彼らの三年間で一番充実した戦いだった。

固い握手を交わし、お互い笑みを浮かべた時、蓮を呼ぶ声が聞こえた。

 

「蓮」

 

声のした方に二人揃って振り抜くと、そこには二人の女性の姿があった。

ピシッとスーツを着こなしている黒髪の麗人と丈の合ってないダボダボの着物を着た黒髪の童女。正反対の服装の二人は蓮が良く知る人達だった。

だから彼は彼女らの名を呼んだ。

 

「母さん、寧音さん。久しぶり」

 

黒髪の麗人は蓮の母である新宮寺黒乃。童女の方は現在KOKの三位《夜叉姫》の二つ名を持つ太平洋圏最強騎士西京寧音だ。

彼女も黒乃同様幼い頃から世話になっていた人だ。

 

「ああ、久しぶりだな。それと七星剣武祭優勝おめでとう」

「ウチも久しぶりさねー。ま、なんにせよ、優勝おめでとさん、歴代最強の《七星剣王》くん」

「ありがとう、二人とも」

 

二人の賛辞に蓮はそう短く返すと、背後で無言で佇む克己へと視線を戻す。克己は僅かに目を見開いていた。

しかし驚くのは無理もないことだ。なにせ蓮が気軽に話している二人は日本人なら誰もが知っているほどの超有名人だ。それにその片方が蓮の母親ならば尚更のこと。

 

「十束先輩、紹介します。彼女は俺の母で、こちらはご存知の通り《夜叉姫》です」

「……そうだったのか。初めまして、破軍学園三年十束克己です」

 

克己は最初こそ驚いていたものの、すぐに落ち着きを取り戻し二人に名乗り一礼する。

 

「丁寧にありがとう十束君。紹介に預かった新宮寺蓮の母新宮寺黒乃です。息子がお世話になっています。息子が学校で何か迷惑はかけていませんか?」

「いえ、そんなことはありません、彼は風紀委員として良くやってくれてます」

「そうですか、なら良かったです。それでだ蓮、お前に少し話があって来た、今から時間取れるか?」

 

黒乃の言葉に蓮は目線を克己に向け、視線で席を外して構わないかと問う。克己はそれに頷く。

それを確認した蓮は申し出を了承した。

 

「ああ、大丈夫だよ」

「ならついて来てくれ」

「分かった。では十束先輩、また」

「ああ、またな」

 

そう言って、蓮は黒乃と寧音の後に続きロビーを後にした。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

黒乃と寧音に連れられ、蓮が来たのはホテルのある客室に向かう、おそらく、二人がこの期間中に使っていた部屋だ。

 

「とりあえず、かけてくれ」

 

黒乃に促され、部屋に備え付けられたソファーに座る。そして黒乃と寧音は向かいのソファーに座る。

 

「さっきも言ったが、改めて七星剣武祭優勝おめでとう。拓海も喜んでたぞ」

「父さんが?そりゃ良かった。それと鳴は元気か?」

「ああ、もう自分で歩けるようになったぞ」

「……マジか。見たかったな、それ」

 

蓮は少し悔しそうにそう呟いた。

血は繋がってはいないものの、去年生まれたばかりの可愛い妹の成長の決定的瞬間を見れなかったのは兄として惜しいものだった。

そんな様子に黒乃はクスリと微笑んだ。

 

「この夏休みに一度帰ってくるのだろ?ならその時にでも一緒に散歩にでも行ってやればいい。鳴も会いたがってたからな」

「ん、まあ、そうだな。じゃあそうするとして、一体何の話だ?」

 

すると、黒乃は真剣な表情を浮かべ答えた。

 

「実は来年から破軍学園の理事長を務めることになってな、それを伝えに来たんだ」

「驚いた。なんで母さんが?」

「理由としては二つだ。一つは破軍学園が近年、日本にある他の騎士学校六校と比べていいところがない上、七星剣武祭も今年を除いて負け続きだ。そんな破軍学園を立て直すために私が呼ばれたんだ。着任は11月を予定している」

「二つ目は?」

「端的に言うならお前の監視役を頼まれたんだ」

「それは俺が《魔人(デスペラード)》で、()()()()()()があるからか?」

「そうだ」

 

蓮は深く息を吐くと、顔を顰めながら視線を窓の外に向ける。

《魔人》。その言葉は日本などの小国が数多く加入している《国際魔導騎士連盟》において最高機密事項。

伐刀者は生まれながらに持っている魔力の総量によって個々の運命が定められる。そして魔力の上限は決して変わることはない。

それは絶対不変の理であり、誰もが知っている事実。

だがごく稀にその前提を覆す例外が存在する。

己の限界を極め尽くし、自らの強固な意志で運命の鎖を断ち切り、人としての魂の限界を打ち破り、運命の外側に至った例外。

その存在を《魔人(デスペラード)》と呼び、それに至る現象を《覚醒(ブルートソウル)》と呼ぶ。

 

この覚醒に至った者はこの星を巡る運命の輪から外れ、一般的に変わることはないと言われている魔力上限を引き上げることができる文字通りの『ジョーカー』。

彼らがどれだけいるかでその国の兵力は大幅に左右されるぐらいだ、一騎当千。いや、それすら生温いほどに《魔人》と言う戦力は絶大なのだ。

 

現在日本国籍を持つ《魔導騎士》達の中で、《魔人》はたったの三人。

一人は《大英雄》黒鉄龍馬と同じ時代を生きた伝説の騎士《闘神》南郷寅次郎。

一人は今ここにいる《闘神》の愛弟子、《夜叉姫》西京寧音。

そして最後の一人は、寧音と同じくここにいる最年少で至った()()()()()()()()()()、《七星剣王》新宮寺蓮。

 

そして黒乃と寧音は六年前に引き起こした事件のことも考慮して、まだ若すぎる《魔人》新宮寺蓮が再び能力を暴走させないように監視と警護の任務に当たることになったのだ。

蓮は顰めていた表情を申し訳なさそうにすると、二人に頭を下げる。

 

「ごめん、俺のせいで二人に余計な仕事を……」

 

六年前の事件のせいで蓮は二人には多大な迷惑をかけてしまった。

それに罪悪感を感じてしまっていた蓮は二人にそう謝罪した。だが、二人はそれを笑って流した。

 

「大丈夫だ。お前の頑張りは私達がよく知っているからな、全然余計な仕事じゃないさ。それに息子の成長する姿を近くで見れるんだ。親としては嬉しいことなんだぞ」

「そうだぜれー坊。れー坊が力を使いこなせるようになっているのはよく知っているからさ、そこまで気にする必要はねーよ」

 

二人の嘘偽りもない言葉に蓮は一瞬驚いた表情を浮かべるも、すぐに苦笑を浮かべ、

 

「………ああ、ありがとう」

 

ただ、そう返した。

 

 

 

その後、理事長に着任するにあたって、学園の現状を知りたいという黒乃の申し出に、蓮は今の腐った学園の現状を事細かに説明していった。

それからいくつか談笑をした三人は、やがて部屋を出た。

 

「じゃあ来週には一旦帰るよ」

「ああ、待ってるぞ」

「じゃあ、ウチも遊びに行っていい?鳴ちゃんに会いてぇし」

「どうせお前はフラッと来るだろ。だが、鳴に変なこと教えたら許さんからな」

「うわー、怖ぇー、親バカは怖いねぇ、れー坊もそう思うだろ?」

 

どすの利いた声で黒乃は寧音をジロリと睨む。が、寧音は飄々とした笑みを浮かべ蓮に同意を求める始末。だが、それがこの二人の間ではよくあることだから、黒乃も「全く……」とため息を吐くだけだった。

そして、そんな時だった。

 

「あ、いたいた!おーい、蓮くーん」

 

大声で手を振りながらこちらに近づく少女は、予想通りマリカだった。そして、

 

「マリカちゃん、ここホテル内だから静かにしないと……」

 

少し恥ずかしそうにマリカの袖を引っ張っている那月が、その後ろにはレオと一輝が続いてきていたが、レオはマリカの悠然とした振る舞いに眉を顰め、一輝は苦笑いを浮かべている。

 

「お前らなんでここに?」

 

蓮は少し驚きながらもマリカに話しかけた。

 

「三枝先輩がホテルのレストラン貸し切って祝勝会するから蓮くんを探してきてって言われたの」

 

蓮の声の調子で釘を刺されたことを察したのか、マリカは無駄口をたたかず簡潔に答えた。

 

「なるほど、分かった」

「ん、って、ねぇ蓮くんの後ろにいる二人ってまさか……」

 

すると、マリカは後ろの二人に気付き恐る恐るといった様子で尋ねる。他の三人も黒乃と寧音に気づいたのか若干どよめきの声を上げていた。

それを見た蓮はわざとらしく笑みを浮かべると、半身になり後ろの二人が彼らによく見えるようにする。

 

「紹介するよ。この人は俺の母さんで、こっちは知り合いの西京寧音さん、皆には《世界時計(ワールドクロック)》と《夜叉姫》って言った方がわかるかな?」

 

蓮の紹介に4人はあからさまに驚いていた。

彼はそれを一瞥すると、今度は黒乃達に振り向いて、レオ達の紹介をする。

 

「母さん、寧音さん。彼らは俺のクラスメイトで友人だ。前にいるのが木場マリカさんと佐倉那月さん。それで後ろが葛城レオンハルトに黒鉄一輝だ」

 

そうすると、4人は慌てて2人に頭を下げそれぞれ挨拶する。

4人の慌てた様子を見て黒乃と寧音は笑うと、黒乃は軽く頭を下げ、寧音は軽く手を振る。

 

「新宮寺蓮の母の新宮寺黒乃だ。息子がいつもお世話になってる」

「ウチはれー坊の姉貴分の西京寧音だぜー。れー坊がいつも世話になってるねー」

「い、いえ、むしろ私達の方が世話になりっぱなしで、息子さんとは仲良くしてもらっていますっ」

 

2人の挨拶にマリカはあからさまに慌てて胸の前で両手を振りながらそう慌てて口早に話した。

その言葉に、残りの三人も頷いており、ガチガチに緊張しているのが目に見えて分かった。

そんな様子に両者の間で見ていた蓮は笑みを浮かべ、

 

「マリカ落ち着け、お前らもだ。そんなに緊張しなくてももっと気軽に接すればいいから」

「いや、それ無理だからっ、《世界時計(ワールドクロック)》と《夜叉姫》だよ⁉︎日本のトップスター達じゃん!緊張するなって言う方が無理だから!」

 

まあ友人を探していたら突然日本のトップスターの二人が探している人の後ろにいたのだ。テレビ越しでしか見たことがない彼らにとって本物は緊張するのかもしれない。

同じことを繰り返し言うほど慌てているマリカに寧音はカラカラと楽しそうに笑う。

 

「トップスターとは嬉しいこと言ってくれるお嬢ちゃんだねぇ。なかなか可愛いし、もしかしてれー坊の彼女?」

「えぇっ⁉︎い、いえ私は……」

「寧音さん調子に乗らない」

「寧音あまりからかうな」

「へいへい、冗談だって、さすが親子。息ぴったりだぜ」

 

軽くマリカを茶化したがすかさず蓮と黒乃の息ぴったりの釘刺しに若干楽しみながらも素直に従う。

寧音の態度に嘆息すると黒乃は一歩前に踏み出し穏やかな笑みを浮かべ未だに緊張しているマリカ達に言った。

 

「蓮の言う通りもっと気楽に接してくれて構わない。それにその様子だと息子と仲良くしてくれてるみたいだから、これからもこの子のことをよろしくお願いします」

『は、はい』

 

四人からの返事を確認した蓮は黒乃達に背を向け言った。

 

「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」

「ああ」

「またねー」

 

背中越しに蓮は頷くと、四人に近づき彼らの肩を叩いた。

 

「ほら、ぼけっとしてないで行くぞ。三枝先輩が呼んでるんだろ?」

「え、あ、ああ」

「なら急ごう。ちょうど腹も減ってきたからな」

「あ、ちょ、ちょっと待ってよ蓮くん!」

 

先んじて行く蓮の背中を四人は黒乃達に一礼した後、慌てて追いかける。

そして追いついた先でマリカやレオが蓮に何かを言っているが、何を言っているのかは黒乃達には聞こえない。だが、彼らが浮かべている笑みがその会話が楽しげなものを示していた。

 

それを見ていた黒乃は嬉しそうに表情を綻ばせていたのは隣にいた寧音だけが気づいた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

その日の夜、選手達が利用していた宿舎の一階にあるレストランでは、

 

「では、新宮寺蓮くんの《七星剣武祭》優勝を祝して、乾杯っ!」

 

レストランを貸し切り破軍学園の選手達や応援に来ていた生徒達が祝勝会に集い、真弓が手に持ったビールのグラスを掲げ、蓮を祝福する。

 

『乾杯ッ!』

 

他の面々もグラスを掲げ蓮に祝福を送り、賑やかな祝勝会が始まった。

 

 

同ホテルの同階にある蓮達が貸し切っているレストランの向かいにある別のレストランでは黒乃と寧音が夜景を楽しみながら、向こうから聞こえる祝勝会の賑わいに耳を傾け、優雅な夕食を摂っていた。

 

「向こうは楽しんでるな」

「だね〜」

 

話題にしていたのは一年生ながら《七星剣王》の座を勝ち取った蓮のことだった。

 

「れー坊ももう15歳かー。あれからもう十年経つんだね」

「ああ、今思えば早いものだな」

「くーちゃんとしてはどうなのよ」

「何がだ?」

「何って、そりゃあれー坊の事だよ。あの日れー坊を引き取ってあの二人に代わって育てて、大きくなったと思ったら、今や歴代最強の《七星剣王》の称号を勝ち取った。母親としちゃどう思ってんだい?」

 

寧音の質問に黒乃は誇らしげな笑みを浮かべ答えた。

 

「無論、誇らしいさ。《七星剣王》の称号を取った事もそうだが、それ以上に私はあの子の母親でいれるということが嬉しいよ」

 

黒乃は蓮の苦悩を誰よりも近くで見て、知っている。

彼の過去の苦しみを知っているからこそ、あそこまで立派に成長した息子の姿を黒乃は誇らしく思ったのだ。

それを聞いた寧音は呆れたように溜息をついて頬杖をつくと呟いたり

 

「まったく、くーちゃんもそうだけどやまちゃんといい、サーちゃんといい、ウチの友達は揃いも揃って親バカだよねぇ」

 

付き合いが長いから、寧音自身も蓮のことを弟のように可愛がって誇らしく思っているのはとっくに分かりきっていた。

黒乃は母親として、寧音は姉貴分として蓮を可愛がり支えてきた。お互いの苦労をよく知っているから、寧音が照れ隠しに呟いているのに気付き笑みを浮かべる。

 

「私が親バカならお前は姉バカだな」

「……うっせ」

 

黒乃の返しに寧音はプイッと顔を背けていたが、口角が緩んでいたのを黒乃は見逃さなかった。だが、それに触れると面倒事になりそうなのであえて触れずに、祝勝会の賑わいに再び耳を傾けた。

 

向こうから今もなお賑やかな声が聞こえ、耳を澄ませば蓮の笑い声も聞こえてくる。

 

それを聞いた黒乃は穏やかな笑みを浮かべた。

 

もし叶うのなら、このまま蓮の両親を殺した仇への復讐心も消えてほしい。

 

自分の命や、誇りなんかよりもずっと大切な息子だから、もう復讐に囚われるのなんてやめて、自分の幸せのためにこれからの未来を生きて欲しい。

 

一人の母親として、彼らから託された者の一人として、そう願わずにはいれなかった。

 

(今度は私達があの子を守るから、お前達は安らかに眠っててくれ。……大和、サフィア)

 

黒乃は今はもうこの世にいない、親友の二人の名を心の内で呟いた。 

 




あと、2、3話で一年生編は終わらせる予定です。


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10話 平和な日常

今回はやっとレオ、マリカ、那月の異能が出せました!

それとUAが10000更新しました。読んでくれた皆様ありがとうございます!これからもこの作品をよろしくお願いします!


七星剣武祭も終わり、夏休みも明け蓮達は二学期を迎えた。

始業式が終わり、一週間が過ぎた頃、レオ、一輝、マリカ、那月は食堂で蓮を待っていた。

待っている理由は近々行われる生徒会選挙が始まるのと、来月に風紀委員会の入れ替わりの時期なのでその準備に追われているからだ。

 

「すまない、待たせた」

「おう、お疲れさん」

「お疲れー」

「お疲れ」

「お疲れ様です」

 

待った時間は十分ほど。予め風紀委員会で遅れると連絡を言われていた四人は頭を下げた蓮を笑いながら労う。

蓮は自分の昼食であるうどんが乗ったお盆をテーブルに置くと空いてる席に腰を下ろした。

 

「思ったより風紀委員の仕事が長引いてな」

「やっぱ忙しいのか?次期副委員長ってのは」

「まあな」

 

実は蓮は新学期になってから委員の入れ替えが終わった後、風紀委員の副委員長を務めることになっている。

だからか、そのため前副委員長からの引き継ぎのための資料や、これから忙しくなるであろう事務処理を担当していたのだ。

風紀委員会は主に実働部隊で構成された組織なので、事務面は全員が分担して行うことになっているのだが、今は彼が中心に事務をこなしているという状況になっている。

 

今日も四時限目を休み、先生から急遽言い渡された仕事に勤しんでいたのだ。

幸い、成績は全く問題ないので支障はなかった。

 

「そうなんだ。じゃあ、今日の鍛錬はどうするの?」

 

彼らはいつも放課後になれば、演習場に移動し各々の能力や剣術、体術を鍛えている。

放課後になれば共に鍛錬に励むのが彼らの日常だったが、蓮が風紀委員に入ってからは先にレオ達の四人が場所を抑えて、遅れて蓮が合流するという形になっている。

最近忙しくなってるから、今日も遅れてくるのかというマリカの質問に蓮は申し訳なさそうに頷いた。

 

「すまんな、今日も遅れそうだ」

「うん。分かった」

 

マリカの快諾に蓮は一つ頷くと箸の手を動かしてうどんを食べ始めた。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

放課後、蓮達が鍛錬をする場所は日によって変わる、訓練場が空いてれば訓練場へ、空いてなかったら校舎の裏手や各所に点在する森の広場で、もしくはプールで行うこともある。

彼らは週に一、二回のペースで模擬戦を行なっている。

今日は第五訓練場に彼らの姿はあった。

とはいえ、最近は蓮が風紀委員会の仕事で遅れるため、決まって、レオ、マリカ、那月、一輝の四人が場所取りをしている。

そして蓮が合流した後、第五訓練場ではいくつもの金属音が響く。

音の発生源はリングの上で2組に分かれ時間制限を設けた模擬戦を行なっているレオと蓮、マリカと一輝だ。

 

いつもはどの訓練場でも放課後は各々が自由に戦えるバトルロイヤルの場となり、好きに暴れられるため、何人もの生徒が利用して戦いの賑わいで沸いているのだが、今回は偶然なのか、レオ達以外は誰もおらず、貸切状態で戦いをしていた。

 

「オラァッ!」

 

気合の入った声とともに、手甲型の固有霊装、《ジークフリート》を嵌めたレオが拳を突き出す。

蓮はそれを間一髪で避けカウンターの一閃を腹部に刻む。だが、だが刃が当たった瞬間甲高い音を立てて刃の進行が止まる。

レオの全身は赤光を帯びており、赤い魔力の膜が蓮の刀を弾いたのだ。

これは魔力が持つ衝撃に対する耐久力を活用した防御術、魔力防御ではなくレオの異能によるものだ。

 

レオの異能は『硬化』。シンプルに防御力を底上げするものだ。

それで全身に防御力向上の鎧《鋼鉄装甲(パンツァー)》を発動していたのだ。

外部からの攻撃を遮断できるほどの防御力場を鎧のように纏うことでレオは蓮の斬撃を無力化したのだ。

 

「《槌矛(シュトライトコルブン)》!」

 

レオが叫んだ直後、振り上げた右拳に魔力が集まり、レオの拳を分厚く覆い、蓮に殴りかかる。

 

「《海龍纏鎧》!」

 

蓮は避けずに全身に氷と水で構成された鎧を瞬時に纏う。関節部分は水で、装甲部分は氷で作られた鎧は並みの攻撃では傷ひとつつかない。

すかさず蓮は左腕でレオの拳を受ける。

装甲板に鉄球が衝突したような、殴ったにしては重すぎる音が響いた。

蓮の体が数メートル跳ね飛ばされるが、すぐに足を踏ん張り体勢を立て直す。

 

「……ッ!(流石に響くな)」

 

数メートルの後退を余儀なくされた蓮は兜の下で左腕に感じた痺れに笑みを浮かべる。

蓮が作った氷の籠手は生半可な攻撃なら衝撃も通さないのだが、レオの拳はそれを貫通し、蓮の左腕には破城槌でも打ち込まれたような衝撃が響いていた。その証拠に、籠手には亀裂が入っている。

これがレオの強みだ。

レオは身体能力がずば抜けて高い。魔力放出なしなら蓮を遥かに凌ぐほどだ。

だから、レオの異能はレオ自身の身体スペックとてつもなく相性がいい。ただでさえ堅牢な一撃が、さらに堅牢になるのだ。広範囲攻撃無しの近接オンリーの戦いだが、十分に手強い。

蓮はすっと立ち上がり、籠手を修復する。

 

「やはりパワーならお前の方が圧倒的に上だな」

「ま、それぐらいしか蓮に勝てるもんがねぇからな」

 

レオは肩を竦めて笑う。

レオも自分の強みがパワーだということは自覚している。もっと頭を使う戦い方をした方が有利なのだろうが、はっきり言って自分はそういうのがあまり得意ではない。だから、シンプルにパワーを高めることにしたのだ。

それを考えれば蓮はレオにとって最高の鍛錬相手だった。

彼が生み出す氷は不純物がない分硬い。その上、彼の膨大な魔力によってその防御力は桁違いに上がる。

だから、蓮の氷はレオのパワーを上げるためのいいサンドバッグになるのだ。

逆に、蓮もレオの攻撃を受けることで氷の硬度上昇を行なっている。

 

「次はもっと固めに行くぞ」

「おう、たのむわ」

 

蓮は《海龍纏鎧》の強度をもう一段階あげて、レオに向け駆け出した。

 

 

そして別のリング上ではもう一つの戦いが繰り広げられていた。

マリカと一輝だ。

 

一輝がリング中央で《陰鉄》を正眼に構え、マリカはリングを縦横無尽に駆け巡っていた。

マリカが幾度も一輝とぶつかり、甲高い金属音を鳴らし、火花を散らす。

 

「くっ、なんて重さだ……!」

 

マリカの斬撃を受け止める《陰鉄》が軋み、支える両腕に痺れが伝わってくる。

白銀の刀身を持つ日本刀《蛟丸》を振るうマリカはその身からは想像もつかないほどのとてつもなく重い斬撃を幾度も叩きつけながら、その重さをものともしない速度でリングを駆け巡る。

 

マリカの異能は『慣性制御』。自分と自分が触れたものに掛かる慣性を操作する異能だ。

一輝に叩きつける重撃はマリカの伐刀絶技《山津波》。自分と《蛟丸》に掛かる慣性を極小化して的に高速接近し、インパクトの瞬間、消していた慣性を上乗せして刀身の慣性を増幅して対象物に叩きつける技だ。

慣性を消して得たスピード、プラス、慣性を増幅して得た重さは最大威力で十トンの巨大なギロチンの刃を空高くから落とすのに匹敵する程だ。

 

レオがディフェンス特化ならば、マリカはパワーとスピードに特化している。

一輝もこれほどの重撃を繰り出す相手とは今まであったことがない上、一輝とマリカは剣術の腕はほぼ互角、一輝は予想以上に苦戦を強いられていた。

 

(……ほんと、黒鉄も滅茶苦茶よね)

 

だが、マリカもマリカで一輝の防戦に内心歯噛みしていた。

一輝はマリカの重撃を無駄のない動きで受け流し、地面に衝撃を逃していたのだ。その証拠に、一輝の足元ではリングが陥没し、ひび割れ、破砕されている。

マリカ自身もここまで受け流せる敵と戦うのは珍しかった。

 

一輝とマリカの模擬戦はほとんどが決着がつかず時間切れで引き分けに終わる。

マリカは天賦の才と異能の慣性制御、一輝は積み重ねた努力の結晶と異常とも言える観察眼。

それが二人の戦いを拮抗させていた。

幾重にも斬り結んだ二人は今はお互いに得物を正眼に構えつけ入れる隙を窺っている。

 

そしてマリカが慣性を極小化し一輝に斬りかかろうとした瞬間、模擬戦の終了を告げる声が響いた。

 

「そこまでです!」

「「「「ッッ!!」」」」

 

時間を計っていた那月の声が響いて、四人は同時に動きを止めると、各々霊装をしまいリングから降りてベンチにいる那月の元に集まると休憩する。

ドリンクを飲むレオはマリカと一輝に鍛錬の成果を尋ねた。

 

「そっちはどうだった?」

「また引き分け。レオ達はどうなのよ」

「どうも何もまた俺の負けだよ」

 

レオはドリンクを片手に肩を竦め首を横に振った。

結局あの後、強度を上げられた《海龍纏鎧》を破ることはできず、逆に氷の槍を何本も撃ち込まれ、力場が緩んだところに一撃を叩き込まれ負けた。

 

「ま、それもそっか」

 

マリカの軽口にレオは顔を顰めただけで反論はしなかった。

この場にいる蓮以外の四人は蓮との模擬戦で一度も蓮に勝てたことがない。いずれもが敗北に終わっている。

それに、いつまでたっても蓮に勝てないことにレオ達は蓮が天才だから、Aランクだから勝てないなどくだらない言い訳をするつもりはない。

マリカもそういう意味で軽口をたたいたわけではない。

蓮はこの場にいる誰よりも剣術と魔術を磨き上げ、経験を積んでいるから強いと分かっているからこその発言。

レオもそれを理解していたから、何も反論しなかったのだ。

 

それに、レオがかなり汗を流しているのに対し蓮は僅かにしか汗をかいておらず、さらに疲れを感じさせずに涼しい顔でドリンクを飲んでいたので、差別的な思考に囚われること自体が馬鹿馬鹿しく思えてしまうのだ。

 

「私は少し休むけど、みんなはまだ試合するの?」

「僕も少し休むよ」

「俺もだ。魔力がすっからかんだしな」

 

マリカの言葉に一輝とレオが便乗してドリンクとタオルを片手にベンチに座り込む。

三人とも差はあれど汗を流しており、少しクールダウンの時間は必要だった。

そうなると、必然的に次に戦う組み合わせは決まる。

まだ今日は試合をしていない那月と、まだ余力を残している蓮だ。

二人は顔を見合わせるとお互いに笑みを浮かべ、

 

「じゃあ、那月、やるか?」

「はい、お願いします」

 

二人はリングへと上がり、お互い開始戦に立ち霊装を顕現する。

 

「行くぞ。《蒼月》」

「来てください。《彩葉(いろは)》」

 

蓮は二本の藍色の日本刀を腰に提げる。対する那月は若葉色のボロボロの表紙の手帳サイズの本が彼女の胸の前で滞空し、淡い黄緑の光を放っている。それは佐倉那月の固有霊装。《彩葉》だ。

 

「それでは、始め!」

 

二人とも準備が整い、審判役のマリカが手を振り下ろし、模擬戦が始まった。

 

まず蓮が《蒼月》を構え、一気に肉薄する。だが、

 

「《色葉語録(ショートカット)》——防護壁」

 

那月の黄金色の瞳が黄緑の光を帯び、舌からは翡翠のプラズマが迸り、《彩葉》が独りでに開きページが黄緑に光った次の瞬間、那月と蓮の間に巨大な壁が突如出現した。

 

これが那月の異能『言霊』。言葉に纏わる概念を操り実体化させる異能だ。今のは伐刀絶技《色葉語録(ショートカット)》。自分が記憶した物質を言葉にし実体化させる技。

那月の瞳が光り、舌からプラズマを発するのは言霊を使用した時に現れる副次的なものだ。

そして彼女の能力は多彩さが売りだ。なにせ、彼女は言葉の数だけ別の能力を持っているのだから。少ないなんてありえない。

 

那月は言霊の異能で防御壁を作り出し、蓮の攻撃を阻んだ。

そして、言霊はこの程度では終わらない。

 

「ッッ!」

 

蓮は振り下ろそうとした手を止め、バックステップ。すると、那月は舌からプラズマを迸らせながら言葉を紡いだ。

 

「《色葉語録》——槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍!」

「ハァッ!」

 

退避した蓮の真上に突如槍が何本も出現し驟雨のように降り注ぐ、それに気づいていた蓮はこともなげに《蒼月》を振るい降り注ぐ槍の雨の悉くを斬り払う。

那月はすかさず次の言霊を紡ぐ。蓮の左右から三メートルを超える巨大な二枚の分厚い鋼鉄の板。それは、

 

「《色葉語録》プレス!」

 

左右から圧力をかけて中にある物を圧壊させる工作機械、プレス機だった。

《幻想形態》の為死ぬことはないものの、喰らえば体を潰された痛みを味わう事になる。それにこの瞬間まで槍の雨が降り続けていて、瞬時にプレス機に反応して耐え凌ぐのは並の騎士なら到底不可能。だが、そこは《七星剣王》だ。瞬時に対応してみせた。

 

「《蛟龍双牙》」

 

《蒼月》に膨大な水を刀身に纏わせ長大な二体の蛟龍を生み出す。

その蛟龍は主人の意思に応え巨大な顎を開き押し潰そうと迫るプレス機を押し留め、循環する超高圧の水牙を持って鋼鉄の板を噛み砕いた。

 

「ッ!《色葉語録》!」

 

槍の雨を凌がれ、プレス機を砕かれた那月は二頭の蛟龍を仕舞いこちらに迫ろうとする蓮を、

 

「落とし穴!」

「なにっ?」

 

那月は蓮がいた場所に落とし穴を生成し落とす。

蓮は踏み込もうとした地面が突然陥没した事に僅かに目を見開きその穴に落ちていく、穴の底を見れば何本もの槍が生えており、落ちたら串刺しになるのは確実だ。

さらに間髪入れず那月が次の言霊を紡ぐ。

 

「《色葉語録》——落雷!」

 

《彩葉》から閃光が生じ、それに呼応するように蓮の頭上に雷雲が集い、雷が迸る。

迸る雷撃が無防備な蓮を仕留めようと襲う。だが、

 

「———咲き乱れろ。《雪華繚乱》」

 

空中に生じた雷が蓮を撃ち倒そうとした瞬間、落ちて行く蓮がそう言葉を紡ぎ、魔術を発動する。

リング上に六枚の花弁を持つ大小様々な青白い氷の花《雪華》が咲き乱れ、雷が空中に咲いた大量の《雪華》に防がれた。

 

「えっ?」

 

初めて見る伐刀絶技に那月だけでなくマリカ達も目を見開く中、落とし穴から青い人影が飛び出し、空中に浮かぶ《雪華》を足場にし、無空を駆け回りながら空を飛び、那月の正面まで瞬時に移動していた。

那月の正面に移動した青い人影、新宮寺蓮は那月の首筋に銀光煌めく刃を添え告げた。

 

「ここまでだな」

「参りました。お見事です」

 

剣先を引かれ告げられた言葉に那月は穏やかな笑みを浮かべ頭を下げる。

 

「お疲れ。最後のはなかなか良かったぞ」

「ありがとうございます。でも、蓮さんは難なく対応しましたね。それに最後の伐刀絶技はどんなものなんですか?見たところ《雪華》と似ていたのですが……」

「ああ、《雪華繚乱》だ。空中に《雪華》を大量に展開する伐刀絶技で、俺の空中戦でも使える技の一つ。今まで見せたことはなかったから、知らないのは当然だ」

「そうだったんですか」

 

那月は蓮の言葉に納得する。

すると、マリカ達がリングに上がりマリカが那月にタオルを手渡した。

 

「那月、お疲れ。すごかったわよ」

 

マリカの賛辞に那月は首を横に振る。

 

「ありがとうマリカちゃん。でも、私は全然弱いよ」

「そうか?俺達よりかは善戦できてたと思うぜ」

「うん、そうだね。僕達じゃあんな戦い方できないし、佐倉さんならではだよ」

「ありがとう、レオ君、黒鉄君」

 

男子二人からの気休めに那月は微笑む。

すると、蓮が軽くかいた汗をタオルでぬぐいながら一つ提案をする。

 

「そろそろ食堂に行こうか。時間もちょうどいいしな」

 

時計を見れば時刻は6時半。たしかに夕食の時間としてはちょうどいい。

 

「賛成〜。もうお腹ペコペコだったのよ」

「早く行こうぜ。腹減った」

 

似たような発言をする二人に蓮はやはりこの二人は色々と似通った部分があるなと思ったが声に出すと面倒なので、心の内にそのまま潜め、マリカ達と共に食堂へ向かう。

 

 

そして彼らは和気藹々と夕食を共にし、食後談笑した後各々自室へと帰る。

 

 

同じ教室で勉強し、放課後は全員で鍛錬し五人で切磋琢磨する。食事は昼と夕を共にしそれぞれ部屋に戻って一日を終える。

 

 

それが彼らの、とても賑やかな破軍学園の日常だった。

 




レオとマリカの異能は魔法科でも彼らが得意としていた魔法をモデルにし、マリカの異能は魔法科の山津波と全く同じなのですが、レオの硬化に関しては設定を変えています。

それと那月の言霊の異能は夜桜四重奏の言霊使い五十音ことはの能力をモデルにしています。



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11話 新理事長就任

はい、お待たせしました!
少しリアルのほうで立て込んでて投稿が遅れてしまいました。

そして、遂に一年生編がこの話で終わりです。
次からは原作入りするつもりです!
では、どうぞ!


時は流れ、生徒会、風紀委員共に三年生が引退し、生徒会では会長選挙と委員会の新メンバーの入れ替えも終わった。

 

生徒会では三年生の真弓と鈴華は引退し、その穴を埋めるように今の一年生から二人が生徒会入りをした。

風紀委員会も麻衣を筆頭に三人が引退し、二年生三人と一年生一人の四人の最も多忙な時期があったが、それも三週間で鳴りを潜め、無事に一年生二人と、二年生一人、計三人の補充に成功した。

 

そして、11月も中旬に入り、黒乃の理事長就任式が明日に迫った日、副委員長に就任したばかりの新宮寺蓮は風紀委員会本部でパソコンで事務作業をしていた蓮は手を止め深く息をつく。

 

「……ふぅ」

 

今本部には蓮しかいない。他の者は非番だったり、巡回に回っていて出払っているからだ。

実を言うと今日蓮は非番だったが、やる事ができたため、それを今片付けているところだ。

そして、本部に来てからずっとパソコンと睨み合いをしていて多少の疲労を感じていた蓮は、首を少し回し背凭れに頭を預けた。

その時、本部の扉が開き外から二人の少女が入って来た。

 

「「おはようございます」」

 

二人のうち、茶髪の彼女は新しく風紀委員会入りした二人の一年生のうちの一人の三組の五十嵐陽香。

一年生の中で四人いた候補者のうち蓮からのスカウトで引き受けてくれた一年生だ。

ちなみにランクは桐原より上のBだ。

 

そして彼女の隣には黒髪の大人しそうな女の子もいる。こちらも彼がスカウトした一年生であり、同じ三組の名前は北原凪。ランクも陽香と同じBランクだ。

更に言えば、この二人は実技試験では蓮に次ぐ二位と三位の実績を持っているのだ。

 

彼女らは桐原より上のBランクでありながら、桐原のように低ランクの生徒達を馬鹿にすることはせずただ愚直に自分たちを鍛え続けているいたってまともな生徒達だ。

どうやら、二人とも巡回から帰って来たようだ。

 

「ああ、お疲れ」

「あれ?蓮さん、今日は非番じゃなかったんですか?」

「蓮さん、急用でもあったの?」

「まあそんなところかな。少しやる事ができてね」

「「?」」

 

二人は蓮がパソコンで何をしていたのか気になったのか、横から覗き込んで尋ねる。

 

「これは何をしてるんですか?」

「……ランキング表?」

 

凪の言った通り、パソコンの画面には学年ごとに分けられたクラス、出席番号、性別関係なしの全体順位が記されていた。

蓮はお茶を飲みながら二人に見えやすいようにパソコンを斜めにずらす。

 

「ああ、これは次の理事長に渡す資料の一つだよ」

 

蓮が今作成しているのは黒乃に頼まれているものの一つだ。

七星剣武祭直後に黒乃から聞かされた改革の内容から、自分なりに黒乃の改革が円滑に進むように彼女が必要であろうものを作成しているのだ。

とはいえ、他の生徒達にとって新理事長が誰なのかは明日の就任式にならないと分からないので建前上新理事長に提出するための書類製作ということで、生徒達のパーソナルデータをまとめていたのだ。

蓮の説明に二人は納得し、頷いた。

 

「そうなんですか。そういえば明日ですもんね、就任式」

「まともな人だといいね。陽香」

「うん」

 

今の理事長のやり方に少なからず不満があった二人は次の理事長がより良い学園を作ってくれることを願っていた。

どうやら、彼女らも今の理事長のやり方には不満があるらしい。

というのも、生徒会や風紀委員会を含めた全校生徒の約3割は今の理事長のやり方に不満を抱いている。

学園の風潮もそうだが、二週間前の黒鉄一輝の一件が大きいだろう。

 

何があったのかというと、二週間前、黒鉄一輝が襲われたのだ。

下手人は桐原。中庭で珍しく一人で昼食を取っていた一輝に桐原が話しかけ、突然決闘を提案して来たのだ。

理由としては『七星剣武祭代表候補にまで選ばれた自分といい勝負をしたのなら、先生達も能力不足なんて言えない』と何ともくだらないものだった。

それに、いくら校内とはいえ、教師の許可なく戦闘を行えばそれは処罰の対象だ。だが、一輝が少しでも不祥事をやらかせば、黒鉄本家と繋がっている理事長は嬉々として一輝を退学に追い込む。それが狙いだった。

だが、一輝は当然のように拒否。広場を後にしようとした時、桐原が彼の背に射撃を打ち込んで来たらしい。しかも、《実像形態》でだ。

 

幸い、レオからの通報を受けた蓮が駆けつけ桐原を捕縛し一輝に治癒を施したおかげで、難を逃れたものの、一方的に攻撃したはずの桐原は『厳重注意』という名ばかりの罰則で済まされていた。

それに風紀委員会は猛反発し処罰を重くするよう理事長に掛け合ったが、取り合ってもらえず、あまつさえ『黒鉄一輝の存在はこの学園の風紀を乱している。よって彼に厳罰を課す必要はない』と、碌でもない発言をし、結局その件は『厳重注意』だけで終わった。

 

そのことから、事の顛末を知った風紀委員会の殆どは今の理事長とその一派の教師達に不満を抱いているのだ。

だからこそ、次の理事長が差別をせず生徒を平等に扱う人であって欲しいと望んでいる。

 

「まあ、恐らく大丈夫だろうな。それにこんな時期に理事長が変わるんだ。前よりはマシだと思うよ」

 

一応知らない体を装った蓮はキーボードを打つ手を再開させながらそう答える。

すると、二人は表情を明るくさせ、蓮の言葉に同意して頷くと、ある申し出をする。

 

「確かにそうですね。あ、それと蓮さん、私達にも何かできることはありませんか?」

「ん?なんでだ?」

 

蓮の問いに今度は凪が答えた。

 

「蓮さんの手伝いをしたいの。いつも事務仕事を任せちゃってるから、少しでも手助けになりたい。ダメかな?」

 

凪の言葉に蓮は笑みを浮かべると一つ頷き彼女らの申し出を承諾した。

 

「…ああ、そうだな。じゃあ、二人にはこれを任せたい。いいか?」

「はいっ!」

「任せて」

 

蓮が傍に置いておいた書類を二人に手渡すと二人は笑顔を浮かべ快く頷き、三人で書類作業を始めた。

 

その後、書類作業は約二時間続いたのだが、途中で蓮の仕事量とペースに陽香と凪が根をあげたのは余談だ。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

校内は朝から足が地についていない空気に覆われていた。

今日は放課後、普段使われない体育館で新理事長就任式が行われる。

新理事長が誰なのか気になっている生徒らは、新理事長の就任に賛否両論の声を上げながらも、今か今かと時間になるのを待っている。

そして、昼休みが終わり、いよいよ新理事長の就任式が始まろうとしていた。

 

 

「全員揃ったわね?配置の最終確認をするわよ」

 

午後の授業終了後、風紀委員全員が委員会本部に集められていた。

基本的にバラバラで行動することの多い風紀委員が全員揃うことは滅多にない。今日はその数少ない全員が総動員される行事だった。

 

「今回は生徒会と分担してやるわ。私達の持ち場は壇上付近よ」

 

風紀委員は総勢七名、生徒会は総勢五名。たったの十二名で数百名が集まる会場を警備する。

そして各々の持ち場を、今月から新しく委員長に就任した二年生の宮原千秋が指示していく。

 

「……演壇の上手が私、下手が新宮寺君。以上よ」

 

千秋を含めた全員が立ち上がり、確認の意を表す。自分の持ち場は舞台袖。

最終防衛線を委員長と副委員長で勤めることに蓮は『今日は委員気合が入ってるな』と思った。

まあ、彼女も前の理事長に不満を抱いていた一人だ。この就任式は必ず無事に終わらせたいのだろう。

 

「じゃあ早速配置にかかって。それと新宮寺君はちょっと残って」

 

他の風紀委員が本部を後にしていく中、残った千秋は蓮に近寄るとこっそり耳打ちをした。

 

「何ですか?委員長」

「先生から聞いたんだけど、新理事長って貴方のお母さんであの《世界時計(ワールドクロック)》って本当?」

 

どうやら彼女は新理事長のことを知っていたようだ。

おそらく、教職員や生徒会長の刀華、そして委員長である千秋には話が通っているのだろう。

 

「ええ、そうですよ」

「ふーん、即答ってことはもしかして前々から知ってた?」

「まあそうなりますね」

 

千秋が何とも言えないような表情を浮かべた。

 

「……まあ親子だからと言うのもあるからなんだろうけど、委員長の私ぐらいには教えてくれても良かったんじゃない?」

「すみません。母には口止めされていましたので」

 

初めは非難の眼差しを向けていた千秋も蓮の説明に(無理やり)納得するとため息をついた。

 

「分かったわ。じゃあ貴方も配置について」

「分かりました」

「うん。それにしても、《世界時計(ワールドクロック)》が理事長ならこの学園も大丈夫そうね」

 

心配無用だったわ、と安堵のこもった言葉に蓮は「そうですね」と答え、笑みを交わし合った。

 

 

………と言う背景を思い出していた時、ちょうど黒乃が司会の案内に従い舞台裏から出てきて壇上に立っていた。

そして自己紹介も兼ねた言葉を生徒達に聞かせるように述べた。

 

「初めまして、破軍学園の生徒諸君。本日からこの破軍学園の理事長を務めることになった新宮寺黒乃だ」

 

彼女の名を聞いてこの会場内にいた生徒の殆どが驚きの声を上げた。

無理もない。彼女は引退したとは言え、現役時には世界3位にまで上り詰めた本物の実力者だ。そしてこの破軍学園のOGでもある。

世界トップレベルの騎士の登場にざわめきが広がる中、黒乃は一度軽く手を挙げ静かにと一言いい生徒達を静める。

 

「私の方針は『完全な実力主義と徹底した実戦主義』だ。前の理事長とは異なるから、今まで通りぬるま湯に浸かってられると思わないほうがいいぞ?

まぁ、文字通り死に物狂いで頑張ってもらうつもりだから、覚悟しておきたまえ」

 

口唇の端を僅かに釣り上げた黒乃の笑みと放たれた威圧感に生徒達は殆どが萎縮し冷や汗を流していた。

そして静まり切った会場内で黒乃は有無を言わさぬ威厳をもって、自分の改革を話していく。

 

授業方針の変更。実技と座学が半々の割合だったのが、来年からはその割合を六対四に振り分けられた。

将来的に国を守る存在となるため、教養ももちろん必要だがやはり実力を高めることが最優先事項だと、黒乃は自分の教育方針に基づいて判断したそうだ。

 

そして、七星剣武祭代表選手の選抜方法の変更。

今年までは『能力値』での選抜だったが、来年からは実力重視の『全校生徒参加の実戦選抜』へと変わった。人数は六名と今年と変わらない。

 

教師陣の約半分を解雇や、寮の部屋割り制度の変更などその他諸々あるが、大々的に取り上げるべきなのはやはりこの二つなのだろう。事実、後日の新聞ではこの二つの挑戦的な改革が注目を集めたそうだ。

 

話を戻すが、今もなお行われている説明は蓮がすでに本人から聞かされたものであり、殆どの生徒がしっかりと聞いている中、蓮は若干暇そうにしながら話を聞き流していた。

暇潰しがてらに生徒達の顔を見渡せばその殆どが驚愕に満ちている。

黒乃のやろうとしていることは今までの風潮を真っ向から否定するようなものであり、斬新かつ大胆な改革にやはり驚いているのだろう。

 

「……以上で話は終わりだ。これからの君達の頑張りを私は期待している」

 

黒乃の説明が終わり一礼したことで、弾かれたように何人かの生徒が(おそらく賛成派の生徒達だ)勢いよく拍手をし、それにつられた生徒達も拍手をし反対派の生徒達を巻き込みながら、体育館全体へ広げていった。

最初に拍手をしていた生徒達を見れば全員が納得したような、歓迎するような笑みを浮かべている。どうやらこの就任式は彼らにとって素晴らしいものだったらしい。

反対派の生徒達も殆どが口をつぐみ、何とも言えない顔で拍手をしていた。彼らは彼らで今の説明が有意義なものだったと認めざるを得なかったようだ。

 

そして、《世界時計》新宮寺黒乃の新理事長就任式は無事に幕を閉じた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

黒乃の理事長就任の翌日の昼休み。蓮は黒乃に頼まれていた資料を渡すため、理事長室に来ていた。

 

「失礼します、理事長」

「ああ、入れ」

 

中に入れば、革のソファーに座り、タバコをくわえたスーツ姿の麗人、黒乃がいた。タバコを吸って座るその姿が妙に様になっている。

 

「理事長、頼まれてたものが仕上がりましたよ」

「ご苦労。それと、今は私とお前二人だ。無理に敬語を使わんでいいぞ」

「そうか。ならお言葉に甘えさせてもらおうよ」

 

蓮は黒乃の言葉に態度を他人行儀から身内がするそれへと変えて黒乃に近づくと、手に持っていた資料の分厚い束とポケットにしまっておいたUSBを取り出し黒乃の目の前に置く。

 

「これが母さんに頼まれてたもの全部だ。言われた通り、資料とUSBに分けといたよ」

「ああ、ありがとう。だが、もう少し遅くても良かったんだぞ?」

「やるなら早く済ましたほうがいいだろ?それに一生徒として、息子として母さんの学園作りに協力しているだけだ」

「全く、そう言うところは変わらんな」

 

蓮の言葉に笑みを浮かべた黒乃は蓮から資料を受け取るとパラパラと確認する。

一通り確認した黒乃は満足げに頷くと、視線を再び蓮に向ける。

 

「あとで細かく確認するが、これなら私の仕事も捗る。ありがとう、蓮」

「いや、それほどでもないさ。それに、手伝ってくれた子もいるからな。思ったよりも早く済んだ」

「そうなのか?お前が人の手を借りるなんて珍しいな」

 

蓮は基本的にあまり人の手を借りずに一人で大抵のことを済ませてしまう。それをよく知っている黒乃からすれば今の発言は少しばかり意外だった。

だが、蓮は首を横に振った。

 

「いや、あっちがどうしても手伝いたいって言うから、仕方なくだよ。まあ人手が多いに越したことはないけどな」

「ふふっ、そうか」

 

黒乃は母性を感じさせるような優しい笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ俺は見回りがあるからそろそろ行くよ」

「そうか、頑張れよ。風紀委員副委員長」

「はいはい」

 

黒乃の言葉に蓮は笑みを浮かべると背を向けて理事長室の扉の方へと向かう。ドアノブに手をかけた時、黒乃に背を向けたまま、再び口を開いた。

 

「母さん」

「ん?」

「いきなりこんなこと言うのも何だけどさ、俺は、母さんに引き取られて良かったと思ってる。今の俺があるのは母さんのおかげなんだよ。だから母さんの手助けになるならなんでもする。それが俺にできる親孝行だ」

 

そして理事長室の扉を抜け廊下に出てそのまま本部へと向かった。

それを見送った黒乃は小さく微笑んで、その胸中に一つの決意を宿す。

そうだ。息子がそういう風に思ってくれてるなら、自分は彼の道を、時間を全力で守る。

 

『……黒乃……蓮を、頼む。お前になら、任せられる』

『レンのことを、お願い。この子に、人の温もりを、教えてあげて』

 

かつて蓮の実の両親を看取った時に聞かされた約束は今でも覚えている。

だから、蓮を引き取り自分の手で今まで育ててきた。

ならば、自分がこれからすることは決まっている。

 

(お前の時間は私が守る。この先何があろうとも、必ず……)

 

これからの時代を担うであろう若き騎士を自分の命をかけて必ず守り抜くと誓った。

 

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

 

新宮寺蓮は福岡のある町で生を受けた。

両親ともに世界的に有名な伐刀者(ブレイザー)だった。

 

父の名は《紅蓮の炎神》桜木大和。

 

母の名は《紺碧の戦乙女(ブリュンヒルデ)》サフィア・インディゴ。

 

日本とヴァーミリオン皇国でそれぞれ最強と呼ばれ、さらには世界最強夫婦とも謳われた二人だ。

炎と水と氷において彼らの右に出るものはおらず、最強であり最高の炎使いと水使いだった。

蓮はそんな二人の子供として生を受けた。

 

若き英雄たちの息子であり、二人の才能を受け継いだのか、同年代の少年少女達と比べても、彼の実力は群を抜いていた。

 

母と同じ《水》と《氷》の異能を使い、両親仕込みの槍術と剣術でメキメキと実力を伸ばしていった。

蓮も母の異能と槍術、父の剣術。そのどちらも使えることが何よりも嬉しく、二人に褒めてもらいたいためにどんどんと強くなっていた。

だが、そんな幸せな日々は彼が5歳の時に終わりを告げた。

その日は隣町に三人で買い物に行った時だった。

 

突如世界で最も知られている犯罪組織である《解放軍(リベリオン)》がその町を襲撃してきたのである。

もちろん魔導騎士であった二人はそのテロリスト達相手に応戦。だが後ろに蓮や一般人達がいたせいで本来の実力を出しきれずに《解放軍》の重鎮《十二使徒(ナンバーズ)》の二人と数百人の《使徒》や兵を相手に、その九割以上を道連れにし亡くなった。

その後両親を亡くした蓮は二人の遺言に従い彼らの親友だった《世界時計(ワールドクロック)》滝沢黒乃に引き取られ姓を桜木から滝沢へと変えた。

 

両親を失い最初はひどく塞ぎごんだ蓮だったが、死んだ両親の思いに応えようと伐刀者として鍛え続けやがて彼は小4時に小学生リーグに出場し《紺碧の海王》として名を轟かせ、世界1位の称号を勝ち取った。

それはあなた達の息子はここまで強くなったのだと、亡き両親に見せたかったから。

 

《紺碧の海王》として活躍し始めた頃、蓮をさらに絶望の底に叩き落とす事件が起きた。

それは凶悪異能犯罪者が起こした事件に蓮は巻き込まれた。

しかも、タイミングの悪いことに、それは黒乃がいない時に起きた。

伐刀者だった彼はどいうわけか町に住む人たちを次々襲った。その中には魔導騎士も何人かいたが、悲劇は止められず、犠牲者はどんどん出ていった。

そして、その犯罪者を倒したのが蓮だった。だがそれは眼の前で友人や知り合いらを殺され、大切な人にその凶刃が襲いかかるのを目の当たりにして、両親が死んだ瞬間を思い出し錯乱してしまい異能を暴走させてしまったからだ。

そして、このときに蓮は《覚醒》を果たし、日本三人目の《魔人》になってしまった。

 

気がつけば、蓮は病院のベッドで横になっており、事態はすでに収束し、それを他ならぬ蓮がやったのだと聞かされた。その証拠に、彼のおかげで助かった命は多数ある。刀華達もその一人だ。

だが、生き残った者達の心までは救えなかった。

彼の異能の暴走は、無慈悲なまでに完全に、周囲一帯を破壊したのだ。犯罪者も、犠牲になった一部の者達の亡骸も、彼が住んでいた町の半分を———何もかも全て彼の異能の暴走により跡形も残っていなかった。

 

よって、彼は危険すぎる。二度と悲劇を繰り返さないように逮捕するべき。そんな方向に話が進むのにそれほど時間はかからなかった。

でも、別に蓮もそれでもよかった。大切な友達を、親しかった人を消してしまった蓮もまた、自分のしたことの重さを背負いきれず、ほとんど抜け殻のような状態だったから、もうなんでもよかったのだ。

町の人たちも『家族を返せ』や『あの怪物を殺せ』などの恨み辛みの言葉を何度も蓮に投げかけていたのだから。

魔導騎士連盟も蓮の『追放処分』を考えていたのだが、二人の親友であった《世界時計(ワールドクロック)》滝沢黒乃と《夜叉姫》西京寧音の世界トップクラスの二人、さらには生ける伝説とも呼ばれている《夜叉姫》の師の《闘神》南郷寅次郎が彼を擁護したことで結論が出た。

黒乃と寧音に蓮が能力を暴走させないよう、蓮を監視しろという決定を下したのだ。

 

《魔人》となった蓮が再び暴走したとき、彼を殺せるのは同じ《魔人》である寧音とそれに近い実力を持つ黒乃だけだと判断したから。

その決定に蓮達は大人しく従い、住んでいた町を離れ、黒乃と共に東京に引っ越した。

 

そしてあれから六年が経ち、今住んでいる町の人達とも親しくなり幸せな日々を送っていた。だが今でもあの日の悲劇の記憶は悪夢となり彼を苦しめ続けている。

 

 

一度は壊れた心も、蓮は持ち直し黒乃や寧音の監視のもとひたすら研鑽を重ねた。

己の罪と向き合うために、もう二度とあの悲劇を起こさないがために、今もなお抗い続けている。

 

 

今度こそ誰かを本当に守れるように。

 

 




新しいオリキャラ出したけど、多分あんまり出番ないかも………。

そして最後には蓮の出生と過去を載せました。
割とざっくりな説明ですが、彼はかなり重い過去を背負っています。

それと、最後の方にありましたが蓮は槍も使えます。


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12話 新生活と波乱の予感

お待たせしました!


四月。

それは学生にとっては一つの分かれ目の時期だ。

新入生は新たな学園生活の始まりを、在校生は一年の学業を終え、一つ上の学年へと進級する。あるいは卒業し、魔導騎士の免許を取得した後、各々の道へと進む。

 

破軍学園でも、一年は二年へ、二年は三年へ、三年は卒業という流れになる。そして元三年は三月に卒業式を終え既にこの学園にはいない。

進級した生徒らは黒乃が考案した新たな部屋割り制度に従い、男女混合の部屋となり、殆どが入れ替えを行なっていた。

そして入れ替えも終わり、今日は在校生の始業式があった。

 

「オハヨ〜」

 

一人寮を出て校舎へと向かっていた蓮の背中に声がかけられる。

声の方を振り向けば、やはりというべきか予想通りマリカが那月を伴って来ていた。

二人は今年もルームメイトのため、出るときも同じのようだ。

 

「ああ、おはよう。那月、マリカ」

「おはようございます、蓮さん」

 

那月にそう声をかけると、今度は二人に続いて更に三人が合流する。

レオ、陽香、凪だ。陽香と凪は彼女らが風紀委員会入りしてから蓮達と行動を共にするようになっていた。そして彼女らもルームメイトである。ただ一人を除いて先月までのメンバーが集まっていた。春休みもあったし、こうして顔を揃えるのは久しぶりだった。

ちなみに、蓮は今年も一人部屋だ。レオは去年とはまた違う生徒とルームメイトになったそうだが、そのルームメイトは見る限りこの場にはいなかった。

 

「レオ、ルームメイトは一緒じゃないのか?」

「ん?ああ、秋彦なら先に行ってくれってよ」

「そうか」

 

レオの言葉に蓮はそう短く応えた。そのとき、那月が唐突に暗い声で呟いた。

 

「黒鉄君、残念でしたね。留年だなんて…」

 

そう、ここにいない黒鉄一輝は留年してしまった。

黒乃もなんとかしようとしていたのだが、いかんせん一、二学期の実技成績がないし、元々どうすることもできなかったら手のつけようがなかったのだ。

それを聞いた一輝は元々覚悟していたからか、特に動じることはなく素直にその留年を受け入れた。

そして新入生の入学式兼始業式はまだ4日先だ。今日は彼にとっては登校日じゃないので、今日はルームメイトのいなくなった自室でゆっくり過ごすらしい。

 

そして、那月の言葉にその場にいた蓮以外の全員が暗い顔を浮かべる。一輝の実力を知っている彼女らからすれば納得がいくわけがなかった。

蓮は表情を変えることなく前を向きながら、二人を冷静に咎める。

 

「そうだな。だが、その話は俺達がとやかく騒いでもどうにもならない。それに黒鉄も受け入れてるんだ。彼がそうしている以上、俺達が哀れむことは彼にとって最悪の侮辱になる」

「……すみません」

 

冷たい、と言われてもおかしくないような口調に那月は申し訳なさそうに顔を背けた。

 

「ま、学年が違うからと言って俺達の関係が変わるわけじゃない。普段通り接していればそれでいいだろうな」

「そうよ。那月は無駄に気にしすぎなのよ。黒鉄がそんなこと気にするような奴じゃないのはわかってるでしょ?」

 

蓮とマリカが浮かべた笑みには、無用な気遣いと書いているようにも見え那月はいつもの笑顔を戻した。

 

「はい。そうですね」

「でしょ?気にする必要なんてないのよ。普段通りにすればいいのよ、普段通り」

 

マリカら笑みを浮かべて言った。

すると、その笑顔につられてか陽香も凪も明るい顔を浮かべていた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

新学年になりクラス替えがあり、蓮、那月、陽香は二年三組に、レオ、マリカ、凪は二年四組に振り分けられた。

ちなみにマリカとレオが同じクラスだと判明した時、二人は盛大に嫌そうな顔をして見せていたが、それが本心なのか、照れ隠しなのかは本人にしかわからない。

蓮は割とどうでも良かったが、那月、陽香、凪は興味深そうにしていた。

 

教室での配置は六×六列と去年と同じで、五十音順による座席指定も一年生の時と同じ。ただ男女混合となっていた。

それが黒乃の改革に基づいたものだとすぐに気づいた蓮は、無意味な詮索をすることもなく、自分の席へと向かった。廊下側三列目、前から三番目。前の席は去年とは変わり那月。五十音順で「サクラ」と「シングウジ」だから何ら不思議ではない。

陽香は「イガラシ」だから、廊下側一列目、前から三番目の席だった。

 

「今年は那月が蓮くんの前かぁ。あたしもこっちの方が良かったなぁ。だったらどっちかの隣に座れたのに」

 

あながち冗談とも聞こえない口調でぼやいたのは、いっぱいに開けた窓のレールに両ひじをついたマリカだ。

 

「別に必要ないだろ。隣のクラスなんだし」

「…うん、全然問題ない」

 

そのマリカと窓枠の間に身体をねじ込むようにして顔をのぞかせているレオがセリフとは裏腹に残念そうな口調でそう続け、陽香と共に蓮達の近くに来ていた凪が呟いた。

 

「そうだな。クラスが別でも何ら不都合はない」

 

一年前なら間違いなく口喧嘩になっていた場面だが、二人は特にそんなことはなかった。その変化が少し可笑しかったが、そんな素振りは露ほども見せず彼はレオの言葉を首肯した。

 

「他のクラスは立ち入り禁止、というわけじゃないですし」

「ただ授業を受けるのが別のクラスというだけですものね」

 

陽香と那月が蓮の言葉にすぐさま同調する。

 

「ま、それもそうね……ところでさぁ」

 

マリカは二人の言葉にあっさりと頷くと教室の中を見回すと、

 

「蓮くん、桐原達に随分睨まれてるね」

 

蓮は軽く肩をすくめておどけたように笑うことでマリカのセリフを肯定した。

彼女に指摘されるまでもなく、自分を憎々しげに見つめる視線に気づいていた。それが誰の視線であるのかも把握している。

どんな理由で彼に憎悪を抱いているのかは判明している。見られているだけで実害はないから蓮は無視するつもりだったが、マリカにとっては見過ごしにできないことだったようだ。

 

「ただの嫉妬と敵対心からなんだろうけど、意味ないってわからないのかしら」

「人の気持ちなんてそうそう簡単に切り替えられるものではないんだろ」

「そうそうって…もう、半年以上前だよ?」

「それでもだ」

 

マリカにそう答えて、蓮は右斜め後ろ、視線の発生源である桐原にチラリと目を向けた。

憎悪を込めて彼を睨んでいた桐原静矢とその取り巻き達は慌てて目をそらす。だが、そんな自分に腹が立ったのか、一層険しい目つきで蓮を睨め付けた。

そんな桐原の態度が、マリカの神経をますます逆撫でした。

元々、自分たちを雑魚呼ばわりして、関係を切るよう蓮に勧めた桐原の態度には腹を据えかねている。

幸い、粘性の低い気質だから自分から突っかかったりはしないが、きっかけがあれば蓮に変わって喧嘩を買う、どころか売ることも厭わないというのがマリカの心情だった。

そして、今まさにマリカは桐原に「喧嘩を売られている」と感じたのだろう。

マリカの双眸が鋭い光を宿し、目を細めるのではなく、逆に大きく見開かれた両目のまじりがつり上がった。

ただでさえ、猫っぽい印象のあるマリカの美貌が、虎か豹を思わせるどう猛な美を帯びた。

このままだと少々面倒なことになりそうなのでもう止めようと蓮は思い彼女を止める。

 

「マリカ、口出しも手出しも無用だ」

 

マリカが不満いっぱいの顔を蓮に向けた。気弱な男子ならすぐに土下座して謝り逃げ不要な迫力だが、あいにく蓮は全く動じなかった。

 

「降りかかる火の粉は自分で払うだけだ。向こうに火をつける度胸があるなら、だがな」

 

蓮が酷薄な笑みを浮かべた。その馴れ合う気が皆無どころか、手を出してくるのなら反撃も厭わない姿勢を見て、マリカの表情が和らぐ。照れ隠しの微笑はですぎた真似をしたという後悔の表れか。

そこへタイミングよく予鈴がなった。

 

「あ、じゃあ私達は荷物置いてくるねー」

 

そう言って、マリカはレオと凪を連れ隣の自分の教室にカバンを置きに行った。後で合流するからすぐに会えるだろう。そのとき、今度はよく知る声がかけられた。

 

「おはよう、蓮」

 

真後ろからかけられた声に蓮が座ったまま振り向く。そこには教室に入ってきたばかりの黒髪で細身の男子生徒が笑みを浮かべて立っていた。

 

「ああ、おはよう。秋彦」

 

秋彦と呼ばれた男子生徒岸田秋彦に蓮はそう応えた。

岸田秋彦は朝の会話でも出ていた通りレオのルームメイトだ。去年は二組で蓮達とあまり交流はなかったが去年の11月に幼馴染だったマリカが無理やり連れてきたことで、交流を持つようになった。

 

「おはようございます。岸田くん」

「おはようございます」

「おはよう、佐倉さん、五十嵐さん」

 

秋彦は那月と陽香にそう返すと、那月の隣二列目の二番目の席に座る。

 

「秋彦、朝はどうしたんだ?」

「制服のボタンが一つほつれちゃっててね。直してから来たんだ。せっかくの始業式だからちゃんとしとかないといけないし」

 

ほら、と言って彼は制服の上着のボタンを見せる。

すると確かに彼の言った通り、他のボタンとは違う糸で縫われているボタンがあった。

しかし、僅かに糸が緩いようにも見える。そしてそれに気づいたのは蓮だけじゃなかった。

 

「あれ、でも岸田くん、この糸少し緩いですよ?」

「え?…あっ、本当だ。慌ててやったからかな」

「始業式が終わったら私が直しましょうか?」

 

困った表情を浮かべる秋彦に那月がそう提案をすると、彼は意外だったのか目を見開いて驚いていた。

 

「え、いいの?」

「大丈夫ですよ。裁縫は得意ですから」

「じゃあ頼めるかな?」

「はい、任されました」

 

秋彦と那月のやりとりを見ていた蓮は腕時計を見ると唐突に席を立つ。

 

「そろそろ時間だ。体育館に行こう」

「あ、もうそんな時間ですか」

「ああ」

 

時計を見れば体育館で行われる始業式が後十分後に迫っていた。

秋彦も那月も席から立つと四人で廊下に出て、四組にいるレオ達と合流して、体育館へと向かった。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

全校生徒を集めた始業式が終われば、担任の挨拶やその他諸々の連絡事項があるだけで今日は終わりだ。

明日から通常通りのカリキュラムが始まるが、今日は昼前に終わったため、ちょうど昼の時間帯、蓮達一同は私服に着替えた後、食堂で昼食を取っていた。勿論、一輝も交えてだ。

四人がけのテーブルを二つくっつけて、男子四人と女子四人で分けている。

 

「へぇー、じゃあ青山先生は三組になったんだ」

「ああ」

 

昼食中は様々な話題で盛り上がった。

新学年に上がったからか、誰が担任になったとか、一年の時のクラスメイトがいたとか、ありきたりな会話をしていた。

唯一二年生に上がれなかった一輝は男子テーブルの外側の席に座り、穏やかな笑みを浮かべながら、彼らが楽しげに話す光景をただ静かに何処か羨ましそうに眺めながら、注文した食事を口に運んでいた。

 

彼らが談笑している中、食堂にいた生徒達はそのほとんどが視線を蓮達八人組に向けていた。

なぜなら、彼らが視線を向けている蓮達のメンバーは全員が二つ名を持っているからだ。

 

《紺碧の海王》改め《七星剣王》新宮寺蓮。

《剣の舞姫》木場マリカ。

《鋼の獅子》葛城レオンハルト。

《言霊使い》佐倉那月。

《閃光の魔女》五十嵐陽香。

音響の射手(サウンドシューター)》北原凪。

《精霊使い》岸田秋彦。

 

破軍学園きっての実力者達。二年生の中ではトップ10に入り、学園全体で見ればトップ20に全員入っている。

無論一輝も実力はあるのだが、それは周りには認知されていないどころか、留年してしまったから《落第騎士(ワーストワン)》という不名誉な二つ名をつけられてしまっている。

だから、周囲の生徒達はなぜ一輝が学園内では最強グループの輪の中に入っているのか疑問でならなかった。

事情を知らない彼らはなんであんな奴が、どう見ても実力が見合わないだろ、侮蔑と嘲笑、疑念の視線を向けていたのだ。

その視線に気づいた。気づいてしまった一輝は僅かに顔を曇らせる。

 

「一輝どうした?」

「う、ううん、何でもないよ」

 

隣に座るレオに一輝は慌ててそう取り繕う。だが、その表情は僅かに暗いままだった。だが、レオはそれを追求することなくまた談笑に戻った。

しばらくして、一輝は他の者よりも早く食事を終えるとトレイを持ち席を立つ。

 

「僕は理事長に呼ばれてるから先に行くよ。それと今日は用事があるから午後の鍛錬は行けないからまた明日ね」

 

口早に言った一輝に全員が了承し、また明日と言う。

そして一輝は一人先にトレイを片付け、食堂を出ていった。

一輝が食堂を去った後、レオは紙パックのジュースを飲みながら一輝が去った方向をずっと見ていた。

 

「レオ、どうしたの?」

「なあ……一輝の奴、俺たちを避けてねぇか?」

 

レオに質問で返されたマリカは彼の言葉に頭に疑問符を浮かべる。

 

「そう?そんな風には見えなかったけど、あんたの気のせいじゃないの?」

「…んー、気のせい、なのか?」

「私に聞いてどうすんのよ。ま、あんたみたいな野蛮人の言ってることはほとんど勘違いでしょうしね」

「んだとゴラァ」

 

マリカの茶々に神妙な顔つきだったレオがマリカに食いついた。

 

「レオ、よしなよ」

「マリカちゃんもからかっちゃダメだよ」

 

そして秋彦と那月が二人の仲裁に入るのは、まあ去年から見慣れた光景だ。

その光景に笑みを浮かべながら眺めていた蓮は右ポケット、生徒手帳じゃない端末が震えているのに気づく。

 

「すまない、電話だ」

 

蓮は一言彼らに詫びを入れると、席を立ち食堂から離れると人気のない森の広場まできて、初めて端末に表示された呼び出し相手を見ね、通話ボタンを押す。

 

「桜宮です。少佐、本日はどのようなご用件ですか?」

 

通話相手は、蓮の上官の陸軍少佐氷室茂信だった。

 

『特尉、急な電話すまない。ちょうど昼の時間だったんじゃないのか?』

「いえ、ちょうど食べ終わったところですから、問題ありません」

『そうか、なら早速本題と行こう。本日、本官宛に総理大臣が貴官と話がしたいから立ち会って欲しいという話が来た』

「…総理大臣がですか?」

 

想定外の人物の名に蓮は僅かに返答に詰まった。

 

『なんでも重要な要件らしい。できれば本日話をしたいと言っていたから、本日の午後5時に首相官邸に来て欲しい』

 

断る理由などない。いや、断ってはいけない。詰まる所、この話は現職の内閣総理大臣、すなわちこの日本の最高責任者からの招集命令のようなものだ。

断るわけにもいかないし、彼には昔世話になったことがある、だからこの話を断る理由などなかった。

 

「分かりました。五時に出頭します」

『では次の話だが、特尉、明日から特別任務に当たって欲しい』

 

任務という言葉に蓮は気を引き締めて、続きを待った。

 

『青森の港周辺で不穏な動きをする輩がいるという情報がある。彼らの痕跡も発見された』

「《解放軍(リベリオン)》ですか?」

『ああ、実に嘆かわしいことだ。痕跡から《使徒》は少なくとも5名はいるようだ。何をするかは定かではないが、被害が出る前に不穏な芽は摘んでおきたい』

 

《使徒》が5名ということは非伐刀者の兵も含めれば低く見積もっても150名はいることになる。

それは少しどころか一般市民にとっては危険な状況だ。なら、早めに対処したほうがいいに決まっている。

 

「殲滅戦になりますか?」

『そうだ、詳しい説明は明日話そう。とりあえず今日の五時に官邸に来てくれ』

「了解しました」

『ではな』

 

返事を待たずに氷室は電話を切った。

ツー、ツーと無機質な音だけが電話口から聞こえた。

 

(………俺と話がしたい、か)

 

雲ひとつない晴天の空を見上げながら、一体どんな話をされるのかをいろいろ考えながら、蓮は小さく息をついた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「よく来てくれた。久しぶりだね、蓮くん」

 

午後五時。軍服に着替えた蓮は氷室に言われた通り首相官邸に出頭し氷室に案内された蓮は首相官邸の一室、首相の書斎に連れられ暗い色調の紺色のスーツを着こなし、色の入った眼鏡をかけ喜ばしそうな声を上げているロマンスグレーの男から来客用のソファーに座らされ歓迎されていた。

彼の名は月影獏牙。日本の現総理大臣だ。

蓮は彼の姿を視界に収めると丁寧に頭を下げ挨拶をする。

 

「お久しぶりです。月影総理」

「ああ、新宮寺くんの結婚式であって以来だからもう五年かね。どうかな、元気にしていたかい?」

「おかげさまで家族も含め元気です。母の出産も無事に」

「そうか、新宮寺くんは無事に出産を終えたのか、よかったよかった」

 

月影は本当に嬉しそうに、蓮の記憶よりも皺の深くなった顔を綻ばせると蓮の成長を喜ぶ。

 

「それに蓮くんもすごく大きくなったね、桜木くんにそっくりだ」

「…ありがとうございます」

 

蓮の実の両親と黒乃は月影が昔破軍学園の理事長を務めていた時の生徒だった。

《黄金世代》とは彼ら三人のことであり、三人とも月影の事を尊敬し、慕っていたと聞いている。

蓮も幼い頃、それこそ両親が死ぬ前にも何度か会っており、今でも昔の彼のことは思い出せる。

だから、彼の優しい声や温かい笑顔が昔と何ら変わっていないことに表情は自然と穏やかになった。

ここが会食の席だったならこのまま久しぶりの再会を喜ぶのだが、今はそんなことにかまけている時間はない。

 

「総理、本日はどのようなご用件なのでしょうか。我々は重要な用件があるとしか伺っておりませんが」

「そうだね、再会を喜ぶのはこれぐらいにしてそろそろ本題に入ろうか」

 

蓮の隣に立っていた氷室の言葉で月影の顔からは笑顔が消え真剣な表情を浮かべる。

氷室と蓮は無言で顔を引き締め姿勢をピシッと正し、彼の言葉を待つ。

そして彼は言った。

 

「単刀直入に言おう。新宮寺蓮君、貴方には破軍学園を抜けて『国立・暁学園』に参加して力を貸して欲しい。君の力が必要なんだ」

 

 

 

重い声音で放たれたそれはのちに起こる波乱の始まりの合図でもあった。

 

 




彼はどちらを選ぶのか。

乗るか、乗らないか。裏切るか、拒絶するか、どちらにしても彼は悩むだろう。

それは十六の少年には重すぎる未来の可能性の話だから。

そして、彼が悩んだ末に出した決断はーーー



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13話 魔人の決断

遅くなってしまい申し訳ありませんでした!
少し、リアルの方で立て込んでいまして、課題とか課題とか課題とかで、
まあ、とりあえず、お楽しみいただけたら嬉しいです。



「単刀直入に言おう。新宮寺蓮君、貴方には破軍学園を抜けて『国立・暁学園』に参加して力を貸して欲しい。君の力が必要なんだ」

 

蓮の瞳をまっすぐ見て真剣な声音で言った言葉に蓮は目を見開いた。

 

「は…?」

 

辛うじて喉から絞り出せたのはその一文字だけだった。

それほどに彼は今の言葉に動揺していた。

すぐには言葉が出なかった蓮の代わりに氷室が月影が尋ねた。

 

「……総理、特尉に破軍を抜けろというのはどういうことでしょうか?それに『国立・暁学園』とは一体……?」

「知らなくて当然だ。暁学園はまだ立ち上げていないからね。そしてなぜ私がその学園を立ち上げようとしているのか、簡単に言うと日本を救うためだ」

 

氷室の問いにそう答えると月影は続ける。

 

「二人は分かっていると思うが、現在我々が享受している平和は薄氷の上に成り立っていて、いつそれが崩れるのか分からない状況だ。

日本も所属している《国際騎士連盟》。

アメリカや中国、ロシア、サウジアラビアといった大国が結んだ《大国同盟(ユニオン)》。

この世界の闇に巣食う超巨大犯罪結社《解放軍(リベリオン)》。

この三つの勢力が互いの抑止力となって、三つ巴の形で平和を保っていた。だが、そう遠くないうちに《解放軍》が瓦解することが決定している」

「なぜ、そう思うのですか?」

「……《暴君》の寿命だよ」

「「ッ……!」」

 

蓮の疑問に、簡潔に返した月影の言葉に二人は表情を強張らせた。

現在、三勢力にはそれぞれ一人非常に強力な《魔人》がいる。

《連盟》の本部長を務めKOK世界ランキング1位の《白髭公》アーサー・ブライト。

《同盟》の米国が誇る《超能力部隊(サイオン)》の長を務める二十代という若さの男、《超人》エイブラハム・カーター。

そして《解放軍》の第二次世界大戦以前より闇の世界に君臨し続けるならず者の王、盟主《暴君》。

この桁違いの力を持つ《魔人》三人がそれぞれに居てこそ、今の平和が成り立っていた。だが、第二次世界大戦以前から史実に名を連ねてきた《暴君》はかなりの高齢だ。

いつ天寿を全うしてもおかしくない。

そして、《暴君》が死ねばその後の世界では何が起こるか、軍人であり、様々な事件を解決してきた独立魔戦大隊所属の少佐である氷室と、特尉であり《魔人》でもある蓮はすぐに気づいた。

のちに起こりうる、最悪の可能性を。

 

「……なるほど、総理は《暴君》が死ねば残った二つの勢力による《解放軍》残党の囲い込み競争が始まり、その結果、《連盟》と《同盟》の戦争、つまり、第三次世界大戦が生じると言いたいのですか」

 

結論に至った氷室に月影は大きく頷く。

 

「その通りだ。そしてすでにこの囲い込み競争は始まっている。《同盟》の国々も、連盟加盟国の一部も、独自のルートで《解放軍》との接触を行い引き込んでいる。だが、このままでは……」

「《連盟》は《同盟》にたいし大きく後れを取ってしまう、ですか」

 

蓮の言葉に月影は無言で頷く。

 

《連盟》と《同盟》による残党の囲い込み競争は自然と《同盟》が有利になるだろう。

なぜなら、《連盟》はその母体である魔導騎士連盟本部が明確に《解放軍》に対し敵対姿勢をとっているからであり、個人単位での小さなつながりはあれど、組織としてのつながりでは《同盟》の方が深く強いからだ。

そうなれば《解放軍》が所有している大多数の戦力は《同盟》に流れるだろう。無論《解放軍》の《魔人》達もだ。

 

この世界を大国による分割管理下に置くことを目的とする《同盟》と、小国同士が協力しあい今の世界の形を保とうとする《連盟》。

この二つは同じ星の中に決して共存することのできない組織だ。《解放軍》という第三勢力が失われれば必ず大戦は起き、血で血を洗う戦争の時代が始まる。

 

「このまま《連盟》に与したままでは日本の未来は絶望的だ。だから《同盟》に鞍替えする。そうすることで貴方という《魔人》は《同盟》の戦力に数えられ、日本も絶望の未来を回避できる」

 

あまりにも常軌を逸した提案だ。だが、彼の口調は真剣そのもの。彼は本気で連盟脱退を考えている。

 

「その第一歩として、貴方には《暁学園》に参加し、連盟脱退のために力を貸して欲しい」

「………」

 

日本三人目の《魔人》が沈黙したのを見て、口だけで教師から総理に上り詰めた男はじっと彼を見る。

隣に立つ氷室も彼が口を開くのをじっと見守る。

 

蓮は顔を俯かせているせいで表情は読めない。だが、その様子から真剣に考え込んでいることはわかる。

必死に悩んでいるのだろう。この提案を断るか断らないかで日本の未来は大きく変わるのかもしれないのだから。

だが、氷室は《解放軍》に両親を奪われた彼がこの計画に参加するとは考えられなかった。

 

三年前に()()()()で彼と戦場で生死を共にした氷室は彼が両親を殺した仇敵に深い怨恨を抱いていることも、もう二度と悲劇を繰り返さないために強くあろうとしていることも知っている。

 

犯罪者と手を組んでテロ紛いのことをするのは、歴代最強の《七星剣王》、破軍学園最強の学生騎士『新宮寺蓮』としての立場だけならば直ぐにでも断っていただろう。

だが、彼は同時に日本三人目の《魔人》、戦略級魔導騎士『桜宮亜蓮』としての立場や責任もある。

一人の学生騎士(新宮寺蓮)として、一人の軍人(桜宮亜蓮)としての二つの立場に板挟みされている。

 

 

破軍を裏切り、暁学園に参加するのか。

 

 

月影の誘いを拒絶し、破軍に居続けるか。

 

 

自分はどちらを選ぶべきなのか。どちらが正しいのか。

どちらの決断が最良の結果を生み出すか分からなかった。

 

しばらく無言で佇んでいた蓮はゆっくりと口を開くと、

 

「………一晩、考えさせてください……」

 

そう静かに言った。

これに対し、月影は答えを急かすということはせず、一つ頷き、

 

「勿論だ。君にも考える時間は必要だからね。明日、決断を聞かせてくれればいい。ただ、この話は誰にも明かさないで欲しい。それだけは守ってくれないかな?」

「……分かりました。……明朝また伺います」

「ああ、急にこんな話をしてすまなかったね」

「特尉ご苦労だった。今日はもう帰っていい」

「……ハイ」

 

二人の労いの言葉に蓮は敬礼すると、背を向け歩き扉の前で一礼すると書斎を後にした。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

蓮が書斎から去ってから、氷室は改めて月影へと目を向けた。

 

「総理はどうなるとお考えですか?」

「どう、とは?」

 

訊ねた氷室に、月影はすっとぼけた答えを返した。

氷室は気を悪くした様子もなく、はっきりと言った。

 

「蓮のことです。総理は本気で彼が暁学園に参加するとお思いですか?」

「さあ、それは彼次第さ」

 

月影の返答に氷室は僅かに目を見開いた。

 

「彼には参加するしないに関わらずこの先の未来に絶望が待っているかもしれないということを知って欲しかっただけだ。それを知った上でどうするかは彼が決めることだよ。とはいえ……」

 

月影は言葉を切って氷室の目を見据える。

 

「つまるところ私は彼に母親を、友人を裏切れと言っているんだからね。正直にいえば彼がこの計画に参加するとは考えにくい」

 

氷室の沈黙は、月影の推測が彼にとってわかり切っていることの証だった。

そう。この計画が国を救うための計画なのだとしても、それを持ちかけられた蓮からすれば、破軍を裏切れと言われてるようなものだ。

結果的に国を救えて家族や友人を守れたとしても、彼らを裏切ることには変わらない。

それが彼の心にどれだけの苦悩を与えるのか分からないほど月影も愚かではない。

彼の三人の親に教鞭を振るい、彼らの性格をよく知って且つまだ幼かった蓮のことを知っているなら、両親を亡くした当時の蓮を知るのなら尚更。

だが、

 

「それでも彼は日本に三人しかいない《魔人》の一人で、現時点で我が国の戦力の中軸になり得ている貴重な戦力だ。仮に彼が断ったとしても支障のないプランニングはしているが、確実性を取るならやはり彼に参加してもらったほうがいい」

 

月影は胸の前で握り拳を作るとグッと強く握り締める。

 

「私はどんな手段を使ってでもやらないといけないんだ。この国を救うために、もうあのような悲劇を二度と引き起こさないために、彼の《魔人》としての力が必要なんだ」

 

月影の瞳に覚悟の炎が燃えていることに氷室は気づいた。

いくら批判しようとも、月影は誰にも邪魔はさせないと言わんばかりにその悉くを無視するだろう。

だから氷室は彼の計画を止めるような言葉は言わない。だが、一つ言っておきたいことがあった。

 

「総理。自分は総理が何を思って今回の計画を始めようとしているのかは分かりかねます。ですが、世迷いごとではないのは確かなのでしょう。その上で、一つ進言をお許しいただきたい」

「……言ってみたまえ」

「総理の仰る通り、蓮はこの国において欠かせない戦力です。こう申しましては身内贔屓かもしれませんが、彼はあの若さで既に《夜叉姫》や《闘神》を凌ぐこの国最強の《魔人》でしょう。

確かに暁学園に彼が参加すれば勝利は確実となり、総理がしる絶望の未来は回避できるのかもしれません。しかし、彼は家族を裏切るということは絶対にしない。なぜなら、家族や仲間を、自分が大切だと思う人達を守る事こそが彼が《魔人》たる所以なのですから。それに……」

 

一度言葉を切り、今度は氷室が月影を見据えた。

 

「彼は今自分の罪と向き合っています。総理が悲劇を繰り返したくないように、彼にも悲劇を繰り返したくないという想いがある。

そのことを知っておいていただきたい」

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「………」

 

官邸からバイクで学園へと戻った蓮(もちろん軍服姿ではなく制服姿だ)は駐車場から寮へと続く道をゆっくりと歩いていた。

その顔は優れていない。官邸を出た時から変わらず暗いままだ。

 

「はぁ……」

 

今までの道中ずっと月影との話のことばかりを考えていた。

あの場では話されなかったが、蓮は薄々感づいていた。

もし、月影の言う通り第三次世界大戦が始まれば、日本は、東京は戦火に呑まれるということを。

そして、戦火に呑まれれば因果から外れた《魔人》達は分からずとも、因果に守られている者達は死ぬかもしれない。

破軍学園の友人達も、蓮の家族も。

それは何としてでも避けないといけない。もう大切な人をこれ以上失いたくない。

 

《魔人》である蓮はこの計画に参加するべきなのだろう。

《七星剣王》でもあるし、これ以上ない人材だ。

暁学園が勢いづくのは目に見えている。

だが、前提問題として暁学園に参加して連盟から脱退すればその悲劇は確実に避けられるという確証はあるのか?

それも分からない。一体、どちらを選べばその絶望の未来を回避できるのか、そんなこと分かるわけがない。

あるいは、どちらを選んでも———

 

何も分からなかった。まるで暗闇の中を手探りで歩いているような、そんな感覚が蓮の胸中を埋め尽くしていた。

 

「………くそ」

 

答えが全く見出せない自分の不甲斐なさに、彼にしては珍しく毒づいた。

そして、自分の部屋がある第二学生寮の前に辿り着いた時だった。

 

「あ、蓮さん」

「……ああ、陽香と凪か」

 

声が聞こえた方向ー寮の玄関の奥に視線を向ければ、そこには私服姿の陽香と凪がいた。

二人は蓮の姿に気づくとこちらに駆け寄ってきた。

 

「もしかして、今までずっと用事だったんですか?」

「……ああ。二人は散歩か?」

「は、はい。それもあるんですけど……」

 

そこまで言って、陽香はなぜか口ごもり始めた。

一体どうしたのかと思い尋ねようとするが、それよりも先に凪がズバッと言った。

 

「蓮さんを待ってた。食堂もしまっちゃったのに全然帰ってこないから陽香が心配してたよ」

「ちょ、凪⁉︎」

 

聞かれたくないことを暴露された陽香は露骨に顔を赤らめ悲痛な叫びを上げた。

だが、凪はどこ吹く風で陽香の抗議を若干楽しみながら流していた。そんな二人のやりとりに穏やかな笑みを浮かべる。

 

「そうか。心配かけてすまなかったな」

「い、いえ、気にしないでください。私が好きで待ってただけですから」

「それでもだ。……ところで、凪。今、食堂が閉まってると言ったか?」

「うん。もう八時半」

 

蓮は腕時計を見る。

時計の針は八時半を指していた。

 

「……参ったな。夕飯のことを考えていなかった」

 

蓮はため息をつく。

破軍学園の食堂は八時に閉まるのだ。

月影の話でずっと思いつめていたせいで、それ以外のことは全く考えれなかったようだ。

全く情けない、と蓮は心のうちで呟く。

 

「あ、あの、蓮さんはまだ夕食を取られてないんですよね?」

「ああ」

 

やれやれと言った風に蓮はもう一度ため息をつき肩をすくめる。

 

「そ、それなら、私が作ってもいいですか?」

 

もじもじと上目遣いで蓮を見上げる陽香が提案してきた。

 

「…いいのか?」

「はい。勿論蓮さんが良ければですけど…」

 

陽香がダメですか?と視線で尋ねてくる。

その視線にどんな意図が隠れているのかは蓮には分かりかねるが、作る気分ではなかった今の蓮には有難い話だった。

 

「そうだな。じゃあ頼もうか」

「はい!」

 

すると陽香はパァっと擬音がつくくらい顔を輝かせ、とても嬉しそうに声を上げた。

その隣で凪は、なぜか「よくやった」と言いたげに何度も頷いていた。

蓮は二人の少女に交互に顔を向け、僅かに疑問を浮かべながらも、

 

「とりあえず行くか」

 

そう言い、陽香の横を通り、自室へと向かった。

後ろでは、喜びのあまり小さくガッツポーズをした陽香と、そんな陽香に凪がサムズアップをしていたが、それに蓮が気づくことはなかった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「どうぞ」

「お、お邪魔します」

 

第二学生寮の四階の角部屋425号室が蓮の自室だ。そして、その隣がレオと秋彦、さらにその隣がマリカと那月、陽香と凪の部屋と見事に一輝を除く七人のメンバーが固められている。

全員が学年トップ10に入る程だ。出席番号も性別も関係なしの力の近いもの同士を同じ部屋にするという黒乃の方針で彼らは近くの部屋にされたのだろう。

もっとも、これには黒乃の私情も含まれているのだが、それを彼らが知ることはない。

 

蓮の部屋に通された陽香は部屋を見渡す。

部屋は綺麗に整頓されており、黒で統一された家具は大人な感じを漂わせている。男子の部屋を見たことがない陽香でも、蓮の部屋は同年代の男子達のそれとはかけ離れているということがなんとなく分かった。

 

「台所にあるものは好きに使ってくれて構わない。俺は今からシャワーを浴びにいくから、出来上がったら呼んでくれ」

「は、はい!」

 

上着を椅子の背にかけた蓮は荷物をソファーの手前に置くと、ネクタイを解きながら、陽香にそう言い、着替えを片手にそのまま浴室に向かった。

 

 

浴室に向かった蓮を見送った陽香はすぐに料理に取り掛かるために、台所に入り冷蔵庫を開いて何を作るか考える——筈だったのだが、なぜかいまだに部屋を見渡していた。

 

「これが……蓮さんの部屋」

 

黒を基調とした家具、ベッドは紺色だったが、それ以外は全て黒だ。机も、椅子も、本棚も。

高校生ならもう少し明るい色を入れてもいいのかもしれないが、彼にはこの色合いの方がしっくりくると陽香は思った。

破軍学園一のイケメンであり、日本最強の学生騎士。《紺碧の海王》《七星剣王》の二つ以外にも複数の二つ名で呼ばれている文武両道の優等生の部屋はとても同い年とは思えないものだった。

 

「っていけないっ、早く作らないとっ!」

 

蓮の部屋を見渡していた陽香は呆けてる場合じゃないと慌てて台所へと駆け込み冷蔵庫を開く。

 

「えーと、食材は……」

 

陽香は料理の腕には少し自信がある。

凪と幼馴染の陽香は凪の家によく遊びに行って、その際に二人一緒に使用人に料理を教えてもらっていたからだ。

ちなみに凪の父は大企業の社長であり、凪の実家は使用人も複数いるお金持ちの家だ。

 

「これなら……あれかな」

 

陽香は冷蔵庫の食材を一通り見て、何が作れるかをいくつか思い浮かべる。

 

「うん、決めた」

 

どうやら何を作るか決まったようだ。

 

「よし!頑張ろっ!」

 

自室から持ってきたエプロンを身につけた陽香はそうやって意気込みながら調理に取り掛かった。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

サァァと肉体を打つシャワーの音が浴室に響く。

腰まである長い水色の髪を纏めてアップにすることはなくそのまま下ろしているせいで、濡れた髪が身体に張り付くが、別に蓮は気にしていない。

 

「………いつ見ても醜いな」

 

彼は鏡に映った自分の肉体を見て自嘲気味に薄く笑った。

浴室で露わになった彼の肉体は鍛え上げられており、まさに鋼の肉体だった。

筋肉の太さ自体は驚くほどではない。成人の体ほどのボリュームはない。だが、少年らしさを残しながらも、腹筋も胸筋も、全身の筋肉がみっしりと重く硬く引き締まり、ルネサンス彫刻のような筋が刻まれている。

 

そこまでなら見事な肉体だと言われて終わり。

だが、彼の肉体には彫刻と違って余計なもの———大量の傷痕が皮膚に印されていた。

一番多いのが切り傷。

同じくらい多くの刺し傷。

所々に細かな火傷と銃弾の痕。

そして一際大きく目立つのが左肩から右脇腹に伸びる巨大な切り傷。

単に血の滲むような鍛錬を積んだ、というだけでは、こういう風にはならない。

実際に斬られ、刺され、焼かれ、血を流しながら拷問のような、あるいは拷問そのものの鍛錬を積んで、初めて、こいう身体になる。

そして、IPS再生漕(カプセル)(四肢切断や臓器の損失程度であればたちまち治せる治療施設のことだ。一般には普及していないが、騎士である彼らはその責務故に気軽に使える)の技術が発達した現在、大抵の傷など残らないのが普通だ。そんな時代に、これほどの傷を有しているのは、あまりに異常。度を超えて異質だった。

 

今の彼ならば再生漕なぞ使わなくても、治癒で簡単に治せる。なのに何故彼は傷を残しているのか、それはひとえに忘れないためだ。

 

七年前、一人の凶悪犯罪者によって引き起こされた悪夢。

死傷者数百人を出し、一つの町を半分破壊し尽くした災害のような事件。

 

『黒川事件』と呼ばれたそれは、これまでの伐刀者による事件の中でもとりわけ凄惨なものとして記録に残っている。

 

この胸の一際目立つ斜め傷はその時に出来たものだ。傷があまりにも大きすぎたため再生漕でも、当時の蓮の『治癒』でも治せなかったものだ。

だが、蓮は完全には治せなかったことを知った時、罪の証として残すことにした。

自分が《魔人》になり、人間から化け物になったことを、大量殺戮を行なった事実を忘れないために。

そして他の傷痕は全て独立魔戦大隊の軍務や『特例招集』でできた傷だ。

その一つ一つが自分が人殺しをした証であり、誰よりも強くあろうと努力した証でもあるのだ。

 

これらの傷痕は家族や寧音、大隊のメンバーにしか見せていない。プールなどでレオや一輝、秋彦には見られたが、なるべく言わないように口止めしているし、基本的にラッシュガードを着用し隠し仲のいい女子達には見せていない。

蓮の身体に刻印された傷痕は十代の、いやもっと人生経験の豊富な女性であっても、直視し難いものであるはずだ。数が多い上、一つは異常に大きいのだから、その傷痕の原因を勝手に想像して怖気を覚えるのが普通だからだ。

 

「さて、そろそろ出るか」

 

そう言ってシャワーを止め、浴室から脱衣所に出る。

置いておいたタオルで体の水滴をぬぐい、服を着る。

ズボンを履き、最後にシャツを着ようと手に取った時、予期せぬことが起きた。

 

「蓮さん、ご飯できました」

 

タイミング悪く陽香が蓮を呼びに来てしまったのだ。

陽香はまだ風呂に入っていると思っているから脱衣所に入って来たのだろう。だが、蓮はすでに脱衣所にいる。

ドアの開く音と共に、空気が変わり、陽香が息を飲んだのが分かった。

しまった、と蓮はすぐに思ったが、すでに手遅れだった。

 

「蓮さん、それって……」

 

陽香の声には隠しきれない緊張が滲んでいた。

 

「……すまない、嫌なものを見せてしまったな」

 

蓮は陽香から目を逸らしシャツを着ると鏡を見て髪を束ねながら、

 

「陽香、夕飯ができたから呼びに来たんだろ?なら、向こうで待っていてくれ、すぐに向かう」

「……え、あ、はい。わ、分かりました」

 

呆然としていた陽香は蓮の声にハッとなり、扉を閉めリビングへといった。

再び一人となった蓮は髪をポニーテールにすると一つため息をつくと苦い声でつぶやく。

 

「……はぁ、今日はついてないな」

 

まさにタイミングが悪かったとしか言いようがない。

しかし、どうこういってもこの夥しい数多の傷痕を見られた事実は消えない。もし、あとで聞かれたりしたら適当に誤魔化すとしよう。

そう決め、蓮は最後に洗面台に置いておいた一つのネックレスを手に取る。

赤と青の二色のクリスタルで彩られた六枚の花弁を持つ八重桜の形のネックレスだった。

 

ネックレスを首にかけ脱衣所を出る。すると、いい匂いがリビングから漂ってきた。

その匂いに惹かれるままリビングに入ると、二人がけのテーブルの椅子には陽香が座っていて、その向かい蓮が座るところには肉じゃがやご飯、味噌汁が並べられていた。

 

「ど、どうぞ」

「ああ、頂くよ」

 

椅子に座った蓮は箸を取り肉じゃがを一口食べる。

その様子を陽香はドキドキとしながらじっと見つめる。

 

「ど、どうですか?」

「うん、美味しいよ」

 

素直な感想をそのまま伝えると陽香は暗かった顔が一転し瞬く間に明るくなる。よほど、自分の料理が美味しいといってもらえたことが嬉しかったようだ。

しかし今度は申し訳なさそうな表情を浮かべると、気まずそうな声で蓮に頭を下げ謝罪した。

 

「あ、あの、蓮さん。先程は変な態度を取ってすみませんでした」

「いや、気にしてない。陽香も気にしないでくれ、と言っても無理か。見ていて気持ちの良いものじゃないよな」

「い、いえ、わ、私は気にしません」

 

最初に一度噛み、それから早口でまくし立てるが、途中でもう一度噛んでしまい最後に恥ずかしさから赤面し顔を俯かせていた。

彼女の様子を見る限り、無理してそう言っている様子でもない。どうやら誤魔化す必要はなかったようだ。

 

「……そうか。そう言ってくれるとありがたい」

 

だから、蓮はこの話はこれで終わりにし、別の話題へと切り替えた。

 

「陽香、話は変わるんだが俺は明日から数日学園を空けることになる。だから、その間の授業のノートを帰ったら見せてもらってもいいか?」

「それは良いですけど何か用事でもあるんですか?」

「『特例招集』がかかってね。明日から地方に行かないといけないんだ」

「……ッ」

 

陽香は息を呑んだ。

蓮が『特例招集』を経験していることはこの学園では周知の事実だ。それのせいで一年生の時から度々授業を休んでいることも同様。

『特例招集』では犯罪者との生死をかけた戦闘をする。学園での命の保証があるような生温いものじゃない、本当の殺し合いだ。

 

「大丈夫、なんですか?」

「ああ」

 

素っ気なく答え蓮は再び肉じゃがを口に運び食事を再開させる。だが、陽香の心配そうな眼差しに逆に不安にさせてしまったと軽く後悔してしまった。

だから、少しでも安心させるために蓮は箸を止めて穏やかな笑みを浮かべた。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「蓮さんが強いのは知っています。でも、心配なものは心配ですし、不安なんです」

 

蓮が強いのは知っている。それこそ、プロの騎士相手でも彼は苦にしないだろう。彼とまともに渡り合えるのはA級リーグの選手だけだと言われても納得できる。

それでも彼も人間であることに変わりはないのだ。いくら化け物じみた強さでも死ぬときは死んでしまう脆く弱い存在なのだ。少なくとも陽香はそう思っている。

陽香の言葉に珍しく驚いた蓮はかすかに目を見開くと観念したように息を吐く。

 

「……そうか。心配してくれてありがとうな。ちゃんと気をつけるよ」

「はい!」

 

そして蓮は再び箸を進め食事を再開した。

陽香の料理を舌鼓をうちながら美味しそうに食べる蓮を陽香が笑顔でずっと見ていたのは彼女だけの秘密だ。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「………ふぅ」

 

陽香が部屋に戻った後、部屋の電気を全て落とし真っ暗にした蓮は床に座りベッドに凭れながら夜空に浮かぶ青白い満月と窓から見える桜を肴に一人晩酌をしていた。

今はちょうど春。桜が咲く季節であり、夜風に舞い上がる花びらは酒の肴にはもってこいのものだった。

 

「………ああ、いい味だな」

 

蓮は杯に注いだ日本酒を一口飲みその香りと味を堪能してそう漏らした。

彼の目の前には徳利と酒瓶が置いてあり、瓶に巻かれているラベルには『大吟醸 大和紅桜』と書かれている。

それは奇しくも実父と同じ名前が含まれており、彼が最も気に入っていた日本酒だ。

蓮が成人したらこの酒を酌み交わしたい、と大和が言っていたのを蓮は成人した日に黒乃から聞かされた。

その時にこの酒を初めて飲んだ。華やかな香りでスッキリとした味わいは成人したばかりの自分でも飲みやすかった。

もしかしたら、彼も初めて飲んだ時にこの味を気に入ったから蓮にも飲ませてやりたいと考えていたのかもしれない。

 

「………俺は決めたよ」

 

満月を見上げながらふと呟くと、不吉な含み笑いを浮かべ口の端を僅かに釣り上げる。

 

「俺はもう人間には戻れない。『人』の道から外れ『魔』に堕ちた一匹のバケモノだ。

だが、それでも、俺にも守りたいものがある。今のこの生活を、今の家族を、壊させるわけにはいかない。

貴方達を失ったあの日に、俺は大切な人達を守るためにこの獣の力を躊躇なく振るうと決めたんだ」

 

蓮は傍に己の魂を、ふた振りの藍色の日本刀《蒼月》を顕現させ、その鞘を撫でる。

夜の海のような藍色は月明かりに照らされ暗い光沢を放っていた。

一見鮮やかにも見えるそれは、鬼気を孕んでるようにも見えた。

 

「貴方達の無念は俺が晴らす。それは俺自身の感情のためだ。そうしなければ、俺の気が済まないから」

 

言い終わると同時に、彼の紺碧の瞳が青白い光を帯びた。

その瞳の中では、激怒というのも生温い、蒼白に燃える復讐の業火が荒れ狂っていた。

二人は復讐を望んでいないのかもしれない。だが、たとえそうだとしても、彼は復讐をやめる気は無い。そのために今まで生きてきたのだから。

大切な者を最後まで守り抜き、両親の仇を取る。

その執念が、怨念が、決意が、覚悟が、ある種の呪いとなっているのだ。

そして、その呪いこそが彼の揺るぎない自己(エゴ)であり絶対的価値観(アイデンティティ)でもあるのだ。

 

「……全て、俺が終わらせる」

 

怨嗟に満ちた冷酷な声音は誰にも聞かれることはなく、夜の闇に溶けて消えていった。

 

 

 

 




 
誤字報告や感想、お待ちしておりまーす。

それと、前回の後書きでやった次回予告風のものはちょくちょく思いつけば入れていくつもりです。

それと熱中症には本当にお気をつけてください。


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14話 己の在り方

どうもお待たせしました!
今回は10000字超えです。
時間はかかったが書ききりました。今回はやりたかった展開の一つですので、どうかお許しを……

すごい今更ですけど、評価が黄色になりました! 
評価してくださった皆様、お気に入り登録ひてくれた皆様、本当にありがとうございます!
これからもこの作品をよろしくお願いします!



翌朝、蓮はいつもの時間通りに起き、びしょ濡れになり汗が張り付いた体をシャワーで洗い流す。

シャワーから上がり、タオルで体を拭い、髪に残っている水気を魔術で取り払う。

そこまではいつもと同じだ。

だが、今日はいつもと違いトレーナーではなく、制服を手に取り着替えていく。

今日は月影に返事をする日でもあり、軍務もあるため、いつも行なっている早朝トレーニングはやめ早めに出ることにしたのだ。

 

制服に着替え髪をうなじで結んだ蓮は淡々と朝食の準備を進めていく。

パンを二枚焼き、焼きあがるまでの間にベーコンエッグを焼いていく。

パンが焼きあがれば、その上にベーコンエッグを乗せ、もう一枚にはバターを塗り、特製のフレッシュジュースをコップに入れれば蓮お手製朝食の完成だ。

席に着いた蓮はテレビをつけ、早朝のニュースを見る。

つけたニュース番組では、

 

『十年に一人の天才騎士!ヴァーミリオン皇国第二皇女ステラ・ヴァーミリオン様(15)。破軍学園に首席入学!』

 

という見出しが画面に映っていた。

 

「ステラ・ヴァーミリオン……Aランクで確か二つ名は《紅蓮の皇女》だったか」

 

蓮は見出しと同時に出ている顔写真を見ながら自分が知り得ている情報をつぶやく。

画面には燃え盛る炎を体現するかのようなウェーブのかかった紅蓮の髪や、日本人離れした美しい顔立ちの中央で鮮やかに輝く真紅(ルビー)の瞳が映っていた。

まさしく紅蓮と呼ぶにふさわしい姿だ。自分が蒼髪碧眼から紺碧が二つ名に含まれているように、彼女もその容姿と立場から《紅蓮の皇女》の二つ名がつけられたのだろう。

 

「……ヴァーミリオン皇国からの()()()の留学生。お袋の故郷の姫君、か」

 

ヴァーミリオン皇国は亡き母サフィアの故郷だ。そしてステラ・ヴァーミリオンはその国のお姫様でもある。

 

「『炎』の能力で、魔力量は平均の30倍か。……人間のままでその魔力量なら最高峰と言われてもおかしくはないか」

 

前情報として黒乃から聞かされていた彼女の実力に感嘆の声を漏らす。

正確には違うが大和と同じ炎の異能。そして魔力量は平均の30倍、それはとてつもない量だ。しかも、彼女は因果の外に出ていない正真正銘の人間。《魔人》に至っていなかった時の蓮ですら総魔力量は平均の25倍だったのだ。人間の中では最高峰の潜在能力を秘めているかもしれない。

もっとも、25倍ある時点で十分最高クラスなのだが、《魔人》になった以上魔力量は増加しているためその情報は既に意味をなさない。

 

「……破軍にくるのならいつか会えるだろうし、その時にでも確かめればいいか」

 

蓮はテレビに映る彼女を見定めるような目で見ると最後に静かな声でそう呟いた。

それと同時に朝食を終わらせ、画面を消すと、食器を魔術を使い洗浄、乾燥まで一気に済ませた。水魔術を使えば食器の洗浄や服の洗濯など普通にやるのと比べれば簡単に終わる。

それにしばらく学園を空けるのだ、食器も洗濯物も綺麗にしておかなければあとあと面倒なことになる。

 

「よし。これで大丈夫だろ」

 

家事を終えた蓮は昨日あらかじめ準備しておいた大型リュックサックを肩にかけると玄関の扉を開ける。

 

「行ってくる」

 

誰もいない部屋に一言そう言い、彼は部屋を後にした。

そして一階に降り寮を出た時、彼を呼ぶ声が聞こえた。

 

「お、蓮!」

「レオ、それにお前達も、おはよう」

 

声の方向に視線を向ければ、ジャージ姿のレオが寮前の道に置かれているベンチに座りながらこちらに手を振っていた。さらにレオの周囲にはマリカ、那月、秋彦、陽香、凪の五人もいた。

時間的に早朝トレーニングを終えたばかりなのだろう。

それぞれ内容は違えど早朝トレーニングの終盤では全員が自然と集まるようになっている。

いつもならここに蓮も入っているのだが、こうして招集や軍務がある日はその輪には入らなかった。

 

「その荷物、もしかしてまた招集か?」

「ああ、そうだ。また数日空けることになる」

「新学期始まって早々忙しいわね。少しは休んだほうがいいんじゃない?」

 

レオとマリカが蓮に近づきながらそう言う。心配しているとも取れるその言葉にれんは首を横に振る。

 

「いや、さほど忙しくはない」

 

本心からの言葉にレオとマリカは更に心配することはなかった。彼らは蓮がむざむざやられるような人間ではないと思っているからだ。

そして次に蓮は同じクラスメイトの那月と秋彦に目を向ける。

 

「那月、秋彦。陽香にはもう言ったがいない間のノートを頼んでもいいか?陽香一人に全て任せるのは申し訳ないからな」

「うん、それくらいなら大丈夫だよ」

「はい。私達で分担しときます」

「ああ、頼む」

 

最後に同じ風紀委員の陽香と凪に声をかける。

 

「陽香、凪。委員長に数日委員の仕事を休むことと入学式に間に合わないかもしれないと言うことを伝えておいてほしい。頼めるか?」

「うん、任せて」

「は、はいっ」

「じゃあ、行ってくる」

 

凪は抑揚のあまりない声音で頷き、陽香は声をうわずらせながらそう答えた。蓮は最後に一言そう言うと彼らに背を向けそのまま駐車場へと歩いて行った。

 

 

 

駐車場の一角には蓮が普段仕事のために使う移動手段として黒いバイクが置いてある。招集や軍務が多いことを鑑みての特例措置だ。

だが、今日はそのバイクは使わない。

蓮はバイクが置いてある方向とは真逆、赤い車の方へ歩み寄る。

窓を叩くまでもなく、助手席の扉が開いた。運転席にはまだ若い一人の女性が座っていた。

 

「おはようございます。黒木さん」

「おはよう蓮くん。時間通りね」

 

黒木響子少尉。氷室の部下であり蓮と同じ独立魔戦大隊の一人だ。

彼女は氷室からの命令で蓮の送迎を任されたのだ。昨日の時点で待ち合わせ時間を決め、今こうして時間通りに合流した。

 

「さっきの子達はお友達?」

「さっき?……ああ、()()()んですか。はい、それならそうです、俺の友人ですよ」

「そう」

 

クスッ、と黒木が笑いをこぼした。

黒木が自分の能力を使えば場所にもよるが離れた場所を見るくらいは造作もないはずだだから蓮は驚きはしなかった。

 

「じゃあ今日はお願いします」

「ええ、荷物は後部座席に置いてね」

「はい」

 

彼女の言葉に従い後部座席に荷物を置き助手席に座ろうと扉を開き身を屈めたその瞬間、

 

「いやぁあああああ‼︎‼︎ケダモノぉぉおおおおお‼︎‼︎」

 

女子のものと思われる甲高い悲鳴が響き渡ったのだ。

 

「は?」

 

座り込もうとした蓮は思わず間抜けな声をあげ、悲鳴の発生源と思われる第一学生寮の方へ視線を向けると訝しげに眉を潜めた。

黒木も窓を開けて蓮と同じようにその方向を見て首をかしげた。

 

「今の悲鳴は何かしら?」

「……おそらく誰かがセクハラでもしたんでしょう。ケダモノと叫んでましたし」

「こんな早朝から?それは流石にあり得ないんじゃないかしら」

「…………だといいんですが」

 

蓮は半ば祈るように呟く。

どうにも面倒ごとになりそうな気がしてならない。それにルームメイトを男女混合にしたのだ、男女間の問題が起きないはずがない。少なくとも一度ぐらいは事故が起きると蓮は思っている。

 

「……とりあえずもう行きましょう。時間が惜しい、総理も待ってるはずです」

「え、ええ、そうね」

 

蓮はもっともな理由で現実から目を背け今度こそ助手席に座る。黒木もそれに頷きハンドルを回し官邸へと向かった。

 

 

ちなみに、先程の悲鳴は今朝話題にあげたばかりの姫君のものであり、自分の友人がその姫君に痴漢行為を働いたこと、その後に二人の間に一悶着あったことを蓮は帰還後に知ることになる。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

「やあ、昨日ぶりだね。朝早くご苦労」

「待たせてしまい申し訳ありません。月影総理」

「いやそんなことはないよ。私もつい先ほどきたばかりだからね」

 

制服から軍服に着替えた蓮と月影はお互い挨拶をする。

黒木も氷室から事情は聞かされているが、月影からの指示で席を外しているため、今書斎には二人しかいない。

 

「それでどうするかは決めてくれたかな?」

 

挨拶もそこそこに、月影はそう切り出した。

 

「はい。今回の件ですが、自分は辞退させていただきます」

「……そうか、分かった」

「国の存亡をかけた計画に私情を持ち込んでしまい申し訳ありません」

 

深々と頭を下げた蓮に月影は苦笑を浮かべ首を横に振る。

 

「いや、元々こちらが無理を言っているんだ。自分の都合を交えるのはなんら不思議ではない。君が謝るようなことは何一つないよ。

もし気が変わったらいつでも連絡をいれて欲しい、その時は君を歓迎するよ」

「………分かりました」

 

蓮は月影の言葉に頷き顔を上げる。その表情は申し訳なさが伺えたものの、自分の選択に後悔はしていないように見えた。

 

「月影総理、最後に一つよろしいですか?」

「構わないよ。何かな?」

 

蓮は月影の目を見据える。

 

「自分は今の家族や生活を誰にも壊させるつもりはありません。もし、それが脅かされるようなことが起きれば自分は容赦するつもりはありません。たとえ、国家や世界であろうとも関係なく、自分が全て滅ぼします。………それが、俺が決めた《魔人》としての在り方です」

「ッ」

 

月影は息を呑んだ。

一瞬にしてこの部屋を冷気が支配していた。

それは雪や氷がもたらす冷気ではなく、一点の曇りもない細く鋭い鋼の刃のような冷気。

鬼気とも言えるそれを放っている張本人は、その鋼の冷気をすぐに収め、穏やかな笑みを浮かべると、軽く頭を下げる。

 

「話は以上です。この後軍務がありますので自分はこれで失礼します」

「…あ、ああ、気をつけるんだよ」

「はい」

 

そして蓮は月影に背を向け扉を開き外に出る。

その際、外から話し声が聞こえたが、おそらく外で待っていた黒木に声をかけたのだろう。

コツコツと二つの靴音がだんだんと遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった頃、月影は()()()()椅子に座り落ちた。

 

「……ハハ、これは参ったね」

 

月影は乾いた笑い声を上げた。

先程までは平静としていたが、今はその反動で血の気が引いた顔には冷や汗が滲んでいた。

 

(蛇に睨まれた蛙の気持ちはこんなものなのかもしれないね)

 

月影はそんな馬鹿げたことを思ってしまった自分に対して苦笑を浮かべた。

 

「………彼はまるで諸刃の剣だ」

 

その表現は言い得て妙だ。

新宮寺蓮はこの国、いや《連盟》において最高戦力の一つであり、また危険分子でもある。

鎖に繋げられない理性ある怪物、といったところだろう。

矛盾しているように見えるが、それこそが彼なのだ。

こちら側が誠意を見せていれば彼は裏切らないし強大な戦力にもなる、しかし、逆に彼の逆鱗に触れるようなことをしてしまえば、こちら側が滅ぼされる。

 

「《魔人》とはいえ、16歳であれだけの気迫を放てるとは末恐ろしいよ。

《覚醒》の()()()()()()に一度堕ちてしまったからなのか、《魔人》なら誰だってそうなのか、ともかく、あれなら氷室少佐の言っていることもうなずける」

 

新宮寺蓮というハイリスクハイリターンの存在。齢16歳の身で国のトップにそう思わせるほどの《魔人》に月影は畏敬を感じてしまった。

氷室の進言に偽りがないことを理解した。

 

「……国家や市民のためではなく家族や友人を守るために戦う、か。なるほど、君はまさしく《魔人》だよ」

 

国や市民の為に自分を犠牲にすることはなく、あくまでも家族や友人のために戦う。

それはとんだエゴだ。

だが、そのエゴこそ彼が《魔人》たる所以なのだ。

それに《魔人》というのは総じてエゴイストだ。誰もが自分の揺るぎないエゴを、願いを持っている。

そもそもそれらは《魔人》に至るための絶対条件であり、なければ《魔人》になることなど到底不可能だ。

彼が国家や市民のためではなく、身内や友人のために戦うのも彼自身の願いから来ているのだろう。

 

「……まあとやかく言っても仕方がない。計画もそろそろ大詰めだ。彼の事は一度置いておこう」

 

月影は思考を切り替え、暁学園の計画が記された書類を手にし、計画の最終調整に取り掛かった。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

月影との話が終わった後、蓮は黒木と共にヘリで移動し青森の津軽陸軍基地に来ていた。そこで氷室から作戦の説明が行われると言われていたからだ。

野戦用の軍服に着替えた二人は、風間の部下によって作戦室に通された。

 

「来たか。黒木もご苦労だった」

 

入室と共に敬礼した二人にぞんざいな答礼を返し、氷室は二人に座るように指示した。

 

「さて、まずこの映像を見てくれ」

 

壁一面を使った大型ディスプレイに、衛星写真と思しき写真が表示された。

そこには二隻の大型船が写っている。

 

「今から十分前の写真だ。斥候部隊からの報告によればここから約30キロ離れた港に停泊している二隻のうち一隻は貨物船であり、もう一隻は偽装した護衛艦とのことだ。

使徒の数は六名。信奉者は約三百名。動員規模から見て大規模なテロを行う意図があると我々は推測している」

 

氷室の言葉に作戦室の雰囲気が一気に引き締まった。

これだけの規模ならばテロは容易に行えるだろう。そして、それによってもたらされる被害は甚大なはず。

 

「いつ奴らが動くかわからない以上事態は一刻の猶予もない。故に先手を打ち奇襲をかける必要がある。

他の隊は既に配置についている。黒木、お前の隊にも既に指示を出して配置についてもらっている。特尉と共に合流しろ」

「「はい」」

「うむ、ではお前達が隊に合流次第作戦を開始する。急いで準備してくれ」

 

命令を下された二人は敬礼し、それぞれ準備に取り掛かる。

 

「特尉、君から預かった荷物はトレーラーに置いてあります。急ぎましょう」

 

蓮は久しぶりに再会した上司の一人、柳葉少尉の声に頷き彼の後をついていった。

駐車場に停めてあった大型装甲トレーラー二台の一つの中に入り預けていた荷物を受け取り中から戦闘服を取り出しハンガーに掛けると、おもむろに着ているものを全て脱ぎ捨てる。

トレーラーの中には女性士卒の目もあったが、お互い気にする様子はなかった。独立魔戦大隊の兵士は全身検査をすることはなんら珍しくもない。

男性士卒が女性士卒に全裸を見られるだけでなく、その逆もまた然りなのだ。

羞恥心で立ちすくんでしまうようではやっていけない職場なのだ。

蓮は手早く戦闘服を着込み、最後にフルフェイスのヘルメットを被る。

 

「必要な情報は全てバイザーに転送したよ」

「ええ、確認しました」

 

蓮はヘルメットを操作して情報を確認すると頷く。

すると、そこに氷室と黒木がやって来た。

黒木は蓮と同じタイプの女用の戦闘服を着ており、ヘルメットは脇に抱えていた。

 

「特尉、準備はできたな」

「はい」

「それなら黒木と共にすぐ向かってくれ。言っておくが手加減する必要はない。敵に降伏を勧告する必要もない。殲滅しろ」

「了解しました」

「では特尉行きましょうか」

 

蓮は黒木と共にトレーラーの外へ出て飛び降りる。

 

「行くぞ。《蒼月》」

 

蓮は腰に自身の霊装、二本の藍刀を顕現し腰に提げる。

そして、黒木も同じく霊装を顕現させる。

 

「来なさい。《白月(びゃくげつ)》」

 

白塗りの鞘に納められた一本の小太刀《白月》を顕現し、

腰に提げると、視線を交わし頷き合うとそれぞれの能力で黒木の隊と合流するべく空へと飛び上がった。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

同時刻、破軍学園の食堂の一角では蓮を除くいつものメンバー六人が陣取り共に夕食をとっていたが、ふとレオが声を上げた。

 

「そういや皆選抜戦はどうするんだ?俺は出るつもりだぜ」

 

二週間後から行われる七星剣武祭の出場選手選抜戦。今年からは全校生徒参加の実戦選抜となっているが、強制ではなく自由参加なので、もし参加しないのならば試合の日程をメールで送ってくる『選抜戦実行委員会』に不参加の意思を書いて返信することになっている。

そして、レオは出るつもりのようだ。

レオの言葉に全員が食事や談笑を止め、それぞれ答える。

 

「僕も出るよ。自分の力がどこまで通用するか知りたいしね」

「……私も。ずっと出たかったから」

「私も出ますよ」

 

秋彦、凪、陽香の三人は出る気満々のようだ。

 

「私は出ませんよ。戦うのはあまり好きではありませんし」

 

那月は参加するつもりはないらしい。彼女の能力は強力なのだが、好戦的な性格ではないしかなり内気というか引っ込み思案なので出ないのも不思議ではない。

そして最後の一人、マリカはというと、

 

「あたしは勿論出るわよ。選抜戦だしあわよくば強い人と本気でやれるかもしれないし」

 

彼女も参加の意思を見せた。これで、那月以外は全員参加することになった。

 

「でも、理事長も粋なことしてくれたわよね。おかげで今年は退屈することはなさそう」

「お前、ほんと好戦的だよな」

「だまらっしゃい」

 

レオの苦笑まじりの軽口にマリカは右手を上げレオの左肩を軽く叩き、ジト目で睨んでくるレオを無視し今度はマリカが声を上げ話題を変えた。

 

「そういえばさ、今朝の試合凄かったわねー」

 

今朝の試合、それは今日、破軍学園に鳴り物入りで入学したばかりの超新星(スーパールーキー)Aランク騎士の《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンと、留年してしまったFランク騎士の《落第騎士(ワーストワン)》黒鉄一輝との模擬戦のことだ。

どういう経緯で模擬戦することになったのかは不明だが、噂を聞きつけたマリカ達は全員で試合を見ることにしたのだ。

結果から言えば黒鉄一輝の勝利だった。敗因としては一輝がFランクだからと油断していたこと、それ以上に単純な実力が一輝の方が上だったことだ。

マリカ達は一輝が勝つことを疑ってはいなかったが、他に見に来ていた生徒達はFランクがAランクに勝つという予想外な結末に言葉を失い固まっていたそうだ。

 

「まあ、初見で《一刀修羅》はキツイだろうな」

「でも、初見で瞬殺した人もいるんだけどねー」

「うん、あの時はすごかったよね」

「あー、ありゃあすごかった。一瞬で終わっちまったもんな」

 

蓮と一輝の初めての模擬戦をその場で見ていたレオ、マリカ、那月は当時の瞬殺劇を思い出し笑みを浮かべる。

その模擬戦を知らない秋彦、陽香、凪も瞬殺したのが今ここにはいない蓮のことだとすぐに気づき賞賛の笑みを浮かべた。

 

「やっぱり、蓮さんはすごいね」

「…うん、本当に」

「でも、一体何がどうなって模擬戦やることになったんだろう」

『さあ?』

 

当然の疑問を漏らした秋彦に事情を知らないレオ達はそう答えるしかなかった。

 

「ところで、皆さんは蓮さんとステラ・ヴァーミリオンさんが戦ったらどっちが勝つと思いますか?」

 

那月がふと漏らした疑問に、全員が一度顔を見合わせ、

 

「そりゃあ蓮が勝つに決まってるだろ」

「蓮くんの圧勝ね」

「蓮さんが勝ちます」

「…蓮さん」

「蓮だね」

「ふふ、皆さんそういうと思ってました」

 

と、全会一致で蓮が勝利することを疑わなかった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

場所は変わり、蓮と黒木は、黒木の隊(黒木を含め八人の分隊規模にも及ばない小集団だが、全員が相当な手練れだ)と合流し港から少し離れた山の中腹にいた。

 

「……よし、ハッキング完了。通信手段は全て遮断したわ」

「さすがは《電光の魔女(エレクトロン・ソーサリス)》。大隊一の雷使いは伊達ではありませんね」

「ありがとう。けれど、そんな大それたものじゃないわよ」

 

冗談めかした笑顔ながらも、黒木も本音のところ、満更でもなさそうだった。

そして、今のでわかるように黒木の能力は自然干渉系《雷》。

彼女は電子や電波への干渉を得意としている魔導騎士だ。

黒木は氷室からの命令で《解放軍》が持ちうる通信手段、船の電力その全てをハッキングし掌握したのだ。言葉にすれば簡単なことだが、実際やるとなれば魔力制御力が最低でもAは無いと出来ない芸当だ。

それを確認した蓮は腰に提げた《蒼月》を鞘ごと手に取りその名を呼ぶ。

 

「《蒼月》」

 

するとその声に呼応するように淡い青光を放ち《蒼月》が日本刀から()()()()()()()()()()()へと姿を変えた。

固有霊装(デバイス)の形態変化。それは普通ならばありえないことだ。

なぜなら、固有霊装とは己の魂の形、自分の生き様だ。

双剣や複数展開するタイプならば、複数個展開できるが、形そのものが変わるなどありえない。

しかし、蓮はそれを成し遂げた。

『黒川事件』を境に魂がバケモノへと変質した彼は己のあり方さえもその日を境に変わってしまったのだ。

 

この現象を目の当たりにして黒木達は特に驚きはせず、さも当たり前かのように見ていた。だが、事実彼らの中ではこれは見慣れた光景なのだ。それはこの後に起こる現象も然り。

 

両手に持った銀色に青いラインのある銃身を持つ二丁拳銃へと姿を変えた《蒼月》を構え、右手を斜めに伸ばす。

銃口が向く先は山の麓、《解放軍》達が潜む港。

 

「少佐、黒木少尉が準備を終えましたので作戦を開始します」

『うむ、了解した』

 

現在地から港まで、直線距離で約700m。

蓮が構えている拳銃形態の《蒼月》には、当然照準スコープなどついていない。

にも関わらず、ここにいる全員「見えるのか?」と訊かなかった。

蓮に見えているのは分かりきっていることだからだ。

黒木自身、蓮と視え方が違うが、港内のどこに兵がいて、どれが使徒であるか、視えているからだ。

そして彼は港内にいる見回りをしていると思われる三人組の兵士の一人に狙いを定め静かに引き金を引いた。

銃声にしては甲高く異質な音が響き魔弾が放たれた。

 

『迷彩』が施された不可視の弾丸はそのまま真っ直ぐに見回りをしている三人組の兵士の一人に向かって伸びていき、着弾した瞬間、その魔術が発動した。

標的の肉体が青い光に覆われたかと思えば、来ている服、持っている武器ごと輪郭が消えた。

それまで兵士の身体があった空中に、ポッと、薄い炎が生じた。

青と橙が混ざり合った炎は、一瞬で消えた。

地面に落ちた、僅かな灰だけを残して、兵士の身体は消失、いや、()()()()

残された二人の兵士は、突然の出来事に度肝を抜かれ叫ぶことも喚くこともできずにいた。

慄然とした表情で、互いに、交互に、顔を見合わせる。程なくして、彼らが悲鳴を上げようとした瞬間、二人の身体を青い光が覆い、仲間と全く同じ運命を辿った。

僅かな灰を残し肉体、衣服、武器全てが灼熱の炎で焼き尽くされたのだ。

 

しかし、なぜ蓮が炎の能力を使っているのか?

彼は水使いのはず。水の応用で爆発を起こすことはできても、対象物を焼き尽くす炎など出せるわけがない。伐刀者の能力は一人に一つが原則であり、那月の『言霊』のように複数扱えるように見えてもその実、そういう能力だからであり、厳密には一つである。

しかし、どの世界にも例外はある。魔人がそうであるように、複数の能力を持つ者も少なからず存在する。

それが蓮だ。彼は少し違うが水と炎、先天的に二つの能力を有しているイレギュラーな存在なのだ。

両親ともに《魔人》だったからなのかは分からないが、少なくとも彼は世界最強夫婦とまで謳われた二人の能力を両方とも受け継いでいた。

 

「《悪魔の焔(デーモンフレア)》……本当に、身の毛もよだつとはこの事だわね……」

 

無機物、有機物関係なく対象物を完全に焼失させる伐刀絶技《悪魔の焔》。

自分で名付けたわけではなく、いつしか敵側で噂になり名付けられた、冷酷無比な魔術に黒木は隠しきれない戦慄と共に呟きを漏らした。

他の者も顔は見えないが、黒木と同じような反応をしていることが空気で分かった。だが、そんな空気に頓着せず、港全体を上から見渡し()()()()確認した蓮は右手を下ろし黒木に声をかける。

 

「少尉、そろそろ行きましょう」

「…ええ、そうね。じゃあ行きましょうか」

 

黒木の言葉にその場にいた九人は全員空を飛び港へと直行した。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「ん?」

 

見回りをしていた別の三人組の兵士の一人がふと空を見上げた。

 

「おい、どうした?」

「いや、なんか向こうの方でなんか飛んで来たような」

「はぁ?何も飛んでねぇぞ」

「鳥と見間違えたんだろ」

 

他の二人はゲラゲラと声をあげ、気のせいだと笑う。

男は鳥じゃないもっと大きな何かが飛んで来たように見えたんだがと首を捻るも、すぐにどうでもいいか、と自己完結し二人の方に振り向く。

すると、二人のすぐ後ろに黒い人影が一つ闇の中静かに佇んでいたのが見えた。

 

「お、おいっ!」

 

後ろっ!と二人に叫ぼうとした瞬間、人影が振るった二つの銀閃によって二人の首は既に宙を舞っていた。

 

「ヒッ」

 

男の口から悲鳴が上がりかけた。

だが声が悲鳴に変わる前に、人影が振るう銀閃が彼の視界を左右に分けた。

男は体を縦に真っ直ぐに切り裂かれ、左右に肉体を分かちながら断面から勢いよく鮮血を溢れさせ、人影の服を汚しながら崩れ落ちる。

足元に崩れ落ちた男の死体に人影は視線を向けると、いつの間に血を洗い落とした蒼銀の双刀を二丁拳銃へと変化させ銃口を向け引き金を引き死体を焼き消した。他の二つも同じように焼き消していく。

 

「………」

 

死体を無残に焼き消した謎の人影ー新宮寺蓮はたった今命のやり取りをし三人を殺したのにも関わらずヘルメットの陰では眉を一つ動かす様子がなかった。

彼の後ろに数人の黒づくめの兵士が降り立つ。それぞれが刀や槍、銃を手にしている。

蓮はそのうちの一人と一言二言言葉を交わすと、貨物船の中へと踏み込んだ。

 

 

 

「…はぁ」

 

《解放軍》との接触から二十分。一方的な蹂躙をし敵を殲滅した蓮は一人、港から約5キロ離れた海の上に立っていた。

藍色の闇に染まった空の下、ヘルメット越しでもわかるほど右目を青く輝かせ、水平線を眺め浅く息をついた。

他の隊員達は船の取り調べや逃走者がいないか捜索を行っている。蓮は氷室からの指示で後処理が終わるまで後続の船がいないかを海上で警戒することになっていたのだ。

彼ほどの水使いならば大気中の水分や海の水に自分の魔力を張り巡らせることでまさしく千里眼や順風耳の如く遥か遠く離れた場所の出来事でも見聞きすることができる。

更には水や氷で様々な生物を創り出し使役し見回りさせることでも指摘が来た場合迎撃することもできる。

事実、今も鮫や鯨、鯱、海豚などの海洋生物や、鷹や鷲などの鳥類を百数体創り出し、海と空の警戒をさせている。視覚と聴覚を共有させているため、それぞれの状況も逐一把握できている。

 

並みの水使いがやろうものならあまりにも多過ぎる情報量に神経が焼き切れて死ぬか、いくら魔力制御が優れていようとも魔力が枯渇してすぐに力尽きる。

《魔人》であり、その魔人としての膨大な魔力と異常すぎる魔力制御、そして彼の()()()()()を考慮しなければ不可能な芸当だ。

 

彼は緊張の糸を緩めず、警戒を続けながら一人でいるのをいいことに物思いに耽っていた。

考えていることは暁学園のこと。

その話は断った。母を裏切ることなどできるわけがなかったから。

実の両親を亡くして十一年。彼女には負担ををかけすぎた。両親を亡くした日も、黒川事件の時も、他にも色々と迷惑をかけてきたのに彼女は自分を見捨てなかった。

人間から化け物に堕ち大量殺戮を行なった自分を、

今もなお人を殺し手を血で汚し続けている自分を、

親友の子とはいえ血の繋がりがない赤の他人の自分を、

彼女はそれでも、こんな自分を息子として愛してくれている。なら、その愛を裏切るわけにはいかない。

 

今回、月影に暁学園の話を持ちかけられ断りはしたものの、良いきっかけになった。

こうして、己のあり方を再認識することができたのだから。

自分が何の為に在るのかを、何の為に戦うのかを。

それを昨日今日で、はっきりと再認識できた。

 

自分に定められたものを。

自分に残された二つの衝動を。

 

獣となり、戦場を闊歩し敵を殲滅する。

敵方にとっての悪夢や、絶望の象徴となり戦う。

全ては愛する者を護る為に、怨敵への報復を果たす為に。

 

家族を愛し護ろうとする家族愛。

怨敵を必ず殺そうとする復讐心。

 

それらが、七年前、彼が九歳の時に定められた《魔人》としての責務と在り方だ。




異能の2つ持ちと霊装の形態変化。これは絶対に外せない設定の一つですので、不満があってもどうか温かい目で見ててください。

彼は暁学園を断りました。普通なら食いつく話なんですけど、まあ魔人だからってのもあるし、彼にも譲れないものなありますからね。

あと、一輝とステラの試合やその他諸々はザックリカット。なんでかって、そりゃあ、まあ………ねえ?

次回、紅蓮のお姫様と紺碧の王者の邂逅回………の、予定です!




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15話 紺碧と紅蓮の邂逅

9/21 後半部分の内容を大幅修正。


 

四月の早朝。

つい二時間前の朝にしては早すぎる時間帯に軍務から帰還した蓮は制服に着替え、体育館へと向かっていた。

今日は入学式がある日だ。

在校生達は休みなのだが、生徒会や風紀委員会の生徒達は違う。

彼らは入学式の準備があるため、登校する必要があった。

新入生や来賓の誘導、役員達の配置の最終打ち合わせ、式直前のリハーサル等、新入生を迎え入れる準備があった。

 

前もって、委員長の千秋には陽香と凪を介して間に合わないかもしれないということは伝えている。だが、やはり間に合うのなら副委員長として参加しないわけにはいかなかったからだ。

式直前は最終打ち合わせやリハーサルの為に体育館の準備室にいるということを前もって千秋に聞いていた蓮は本部には向かわず寮から直接体育館の準備室へと足を運んだ。

準備室には既に生徒会と風紀委員会の殆どの面々が揃っていた。

その中には生徒会長の刀華と副会長の泡沫の姿もあり、刀華とは最低限話せるぐらいにはなったが、泡沫は今だに敵意を孕んだ鋭い眼差しで睨んでくる。しかし蓮にとってはもはやどうでもよく、その視線を流して風紀委員の面々へと視線を向けた。

 

「あ、おはようございます!蓮さんっ!」

「…おはよう、蓮さん」

「ああ、おはよう」

「おはよう、新宮寺君。間に合ったのね」

 

蓮が陽香と凪と朝の挨拶を交わした時、千秋が蓮に話しかける。

 

「おはようございます。委員長、ギリギリ間に合いました」

「そうね。ちょうどいいわ。これから最終打ち合わせを始めるから話を聞きながらそのプリントに目を通しておいてくれるかしら?貴方がいる場合の配置も考えておいたから」

 

そう言って、千秋は一枚のプリントを見せる。それは役員のそれぞれの役割を記したものであり、風紀委員の欄には蓮がいる場合といない場合の二種類がご丁寧に書いてあった。

 

「ありがとうございます、委員長」

「いいわよ、別に。じゃあ、刀華、そろそろ最終打ち合わせを始めましょう」

「ええ、そうですね。では、開始三十分前の配置から、来賓の誘導に……」

 

刀華は千秋の言葉に頷き、リハーサル前の打ち合わせを進めた。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

式直前のリハーサルは無事終了し、本番の入学式もアクシデントもなく予定通り終了した。

そして、その後は生徒会は解散だが風紀委員会は校内の見回りがある。

風紀委員会は新入生が入学式初日に問題を起こせばそれを取り押さえる必要がある為、入学式が終わった後も、仕事があるものはまだ本部にとどまる。と言っても、新入生が入学初日に問題を起こすなど数える程しかない為、念の為、ということだそうだ。

今日の担当は蓮、陽香、凪の二年生組だ。

蓮は数日委員の仕事を空けてしまっていたからその埋め合わせの為、陽香と凪はその手伝いを希望していた。

 

そして、当の三人は今風紀委員会本部にいた。

彼等は本部で少し休んだ後、見回りをするつもりだ。

と、その時陽香が休憩中の蓮のところに近づき、生徒手帳のディスプレイにある映像を映しだし蓮に見せた。

 

「蓮さん、この動画は見ましたか?」

「ん?」

 

蓮は生徒手帳を受け取り、ディスプレイに映った映像を見る。

そこに映し出されていたのは、

 

「…黒鉄と…もう一人はステラ・ヴァーミリオンだと?何故訓練場にいるんだ。まさか来日した当日に二人は模擬戦をしたのか?」

「はい。ちょうど蓮さんが招集に行かれた日の午前中に、なんで模擬戦をしたのかはわかりませんが」

 

ふむ、と蓮は頷き動画の再生ボタンを押し、その模擬戦を見る。眉ひとつ動かさずにじっと無言でその映像を見る。

時間にしておよそ六分弱、映像が終わった時、蓮はディスプレイから目を離し軽く息をついた。

 

「どう思いました?」

「そうだな。今はまだなんとも言えないな」

「どういうこと?蓮さん」

 

蓮や陽香と同じく休憩中だった凪が訊ねた。蓮は再び動画を見返しながら答えを返した。

 

「負けてはいるが、彼女も実力はあるはずだ。体捌き、剣技、魔術、映像越しでも強いのはわかる。少なくとも、自分の才能の上に胡座をかいているようなものではないだろうな」

 

だが、と蓮は動画に映るステラ・ヴァーミリオンを見据える。

 

「これだけでは情報が少なすぎる。彼女の潜在能力、戦闘スタイル、伐刀絶技、まだ未知数だ。本当に知りたいのなら他人の評価を聞いて決めるのではなく、自分の眼で確かめた方がいい」

「それもそうですね」

「確かに」

 

確かにそれは道理だ。百聞は一見にしかずという言葉があるように、彼女の実力は実際に対峙して計らなければ分からない。

これには陽香も凪も同感だと頷く。

 

「じゃあ、ヴァーミリオンさんに決闘でも申し込むんですか?」

「いや、戦う気は無い。あっちが挑んでくるのなら話は別だがな。……それにしても、なんだ?この下らないコメントの数は」

 

蓮はディスプレイを下にスクロールし動画の下にあるコメント欄に書かれたコメントの数々を見て眉を顰め不快な表情を浮かべた。

この試合はヤラセだの。黒鉄本家が息子に箔をつけるためにヴァーミリオン皇国に金を渡して八百長を仕組んだだの。FランクがAランクに勝つことなんてありえないだの。

現実を直視せず自分達の諦めを正当化しているだけの愚物共の戯言ばかりだったからだ。

 

「……やっぱり黒鉄の強さを認めたくない人が多いみたい」

「この前の試合から結構な書き込みがあって、殆どがこういうのばかりで……」

 

陽香の言う通り更に下にスクロールしても出てくるコメントは似たようなものばかり。しかもそれが三桁もあるのだから怒りを通り越して呆れるしかなかった。

 

「馬鹿馬鹿しい……が、これは少しまずいことになるかもしれないな」

 

蓮は忌々しげに吐き捨て、生徒手帳を陽香に返すと少し真剣な声音でそう呟いた。

 

「まずいことって、それは一体……?」

 

陽香がどういう意味かと尋ねようとした時、風紀委員会本部に置いてある電話機がけたたましく鳴った。

 

「あ、私が出るよ」

「頼む」

 

一番近かった凪が受話器を取り電話に出る。

本部に置いてある電話機は生徒会や教員室、理事長室などの学園内での連絡手段だけでなく、生徒からの通報を受ける役割も担っている。

そして、しばらく通話していた凪が受話器を下ろすと、少し呆れたような表情(あまり変化は見られないが付き合いの深いものならそれが呆れているとわかる)を浮かべながら二人に顔を向けた。

 

「蓮さん、早速起きたよ」

「新入生か?」

「うん、乱闘騒ぎ。複数の生徒が教室内で霊装を使ってるって、場所は一年一組」

「早速やらかしてくれたわけか。わかった。凪はこのまま残って連絡を頼む。陽香、行くぞ」

「はい!」

「分かった」

 

蓮はすかさず二人に指示を出し椅子から立ちそのまま本部を出て通報現場へと駆けて行く。二人はすでに通信機とレコーダー、腕章を前もって身につけている。

ここ本部から一年一組の教室は少し時間がかかる為、二人は普通に走るのではなく魔力放出で少し加速をし、自転車が走るぐらいの速度を出し廊下を駆ける。

 

「あの蓮さん、さっき言ってたまずいことって一体なんですか?」

 

陽香は廊下を走りながら前を同じように走る蓮に先程の質問をする。

蓮は前を向きながら陽香を一瞥せずにそのまま走り出した。

 

「FランクがAランクに勝つことは、Aランクには勝てないと諦めFランクを見下していた連中にとっては面白くないだろう」

 

学生騎士の大半を占めるのはEランクとDランクだ。

そして彼らはそれ以上のランクを持つ者たちを常に見上げる者。高みに存在する『天才』と形容される人種を見上げ、羨む者たちだ。

そんな彼らにとって、Fランクがいるというのは、安心できることだった。自分達よりも下にいる。自分達が最底辺ではないと安堵するための存在。

そんな存在が、自分達が天才と呼び、特に神聖視するAランクを破るなど、あってはならない。

勝てなくて当たり前と諦めているのに、自分達よりも下の存在が勝った、それは彼らにとっては気分のいい話ではないからだ。

 

「その事実を信じたくない連中は黒鉄に必ず何かしかけるはずだ。言葉でも暴力でも何でもいい。気に入らないから潰そうとするはずだ」

「ッ!てことは、まさか」

「ああ、去年のような流血沙汰が起きてもおかしくないってことだ。さっきの通報も被害者はおそらく黒鉄だ」

「っっ!」

 

陽香は息を呑む。去年の一輝と桐原との間に起きたことを覚えている分、驚きは大きかった。

 

「負けるとは思わんが……と、着いたな」

 

そんなことを話しているうちに、現場に着いた。が、少し様子がおかしかった。

何故か、教室の前に生徒達がたむろし教室の中の様子を伺っていたのだ。事情を聞くために蓮はその人混みの中で一番手前にいた眼鏡をかけた女子生徒に声をかける。

 

「そこの君、少しいいか?」

「はい?なんですーーって、し、《七星剣王》新宮寺先輩⁉︎」

 

女子生徒が上げた悲鳴に近い声に廊下にいた全員がバットこちらを見て、どよめきの声をあげる。だが、蓮はそれを無視し話を続ける。

 

「通報を受けて来た風紀委員の新宮寺蓮だ。今何が起きているか、並びに何があったか事情を聞きたい」

「は、はいっ、えぇっと実はー」

 

そして眼鏡の女子生徒が事情を説明しようとした時、中から感じた二つの魔力の高まりと膨れ上がった敵意と殺意に蓮は顔を上げ、壁越しに霊眼で教室の中を視る。

すると、紅蓮と翡翠に光る人影二つが大剣と小太刀らしきものを持ちながら睨み合っていた。

どう見てもあれらは固有霊装だ。それに二人の気配から衝突は免れない。

 

(教室を吹き飛ばすつもりか……!)

 

二人の魔力量からして衝突すれば周りに被害が及ぶのは確実だ。

蓮は魔術の照準を二人の霊装と両手にセットし魔術を発動し二人の霊装と両手を瞬時に凍らせた。

 

「陽香、事情聴取は任せる」

「はい、分かりました」

 

蓮は殆どの生徒達が呆気にとられ硬直している中、一人静かな足取りで教室の中へ踏み入れ、赤髪と銀髪の女子生徒二人を初めてその青い瞳で捉えると、

 

「止まれ。指定された場所以外での能力使用は校則違反だ。今すぐ霊装を納めろ」

 

冷たく、硬質な声音でそう命じた。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

 

それは突然起きた。

 

今話題になっている超新星(スーパールーキー)の赤髪の少女ステラ・ヴァーミリオンと、留年した黒鉄一輝の実妹である銀髪の少女黒鉄珠雫が、黒鉄一輝のことで睨み合いになり、霊装まで取り出す事態になり、あわや大惨事になりかけた瞬間、二人が持つ霊装と両手が凍りついたのだ。

 

「なッ⁉︎」

「えっ⁉︎」

 

二人は突然のことに目を見開き驚くしかなかった。

水使いの黒鉄珠雫ならともかく、炎使いであるステラ・ヴァーミリオンの霊装はいってしまえば太陽の中心みたいなものだ。一番高熱を放つ部分であり、それを凍りつかせるなど尋常なことではない。

二人はすかさず各々の能力で解凍を試みるも、

 

「嘘でしょっ……アタシの炎でも解凍できないなんて⁉︎」

「私の氷でも全く砕けないとは……っ!」

 

尋常ならざる強度を持つ氷に二人の背中には冷たい汗が浮き上がった。

 

「これは……」

 

二人が動揺する中、黒鉄一輝だけはその氷魔術の使い手に心当たりがあった。

いや、心当たりも何も答えはすでに分かりきっている。Aランクの炎を霊装ごと凍らせる程の規格外の氷魔術は同じAランクにしかできない芸当。そして、学園内において他の生徒達とは違い教員の指示なしで能力を行使できる特権を持つ存在。それらの条件を満たす存在など彼が知る中ではたった一人しかいない。

 

「止まれ。指定された場所以外での能力使用は校則違反だ。今すぐ霊装を納めろ」

 

冷たく、硬質な声が聞こえ、そちらに視線を向ければ、予想通り蒼髪碧眼の青年が教室に入って来た。

その青年は日本にいるのなら誰だって知っている有名人だ。

この学園最強であり、日本最強でもある現《七星剣王》。理事長の息子であり、風紀委員会副委員長の新宮寺蓮その人だ。

 

「…新宮寺君」

 

一輝は彼の名を呼ぶ。蓮は一輝を一瞥すると声をかけることもなくすぐに二人に視線を戻し、冷たい声音で続けた。

 

「……風紀委員だ。事情を聞く、全員この場に残れ」

 

有無を言わせない絶対的な威圧が込められた声音に、珠雫は大人しく従い霊装を納める。彼の存在を当然知っている彼女は今ここで抵抗しても無駄だということがわかりきっている為、素直に従ったのだ。

これがただの有象無象だったのなら、従いはしなかっただろう。抵抗をやめたのを確認した蓮はとりあえず二人を拘束する氷を解除する。

そして、珠雫が霊装を納め抵抗をやめた一方、ステラ・ヴァーミリオンは、

 

「ちょっと、アンタどいうつもりよ⁉︎なんで邪魔するの!」

 

敵意を剥き出しにし蓮を睨み食ってかかった。

 

「言ったはずだ。この学園において指定された場所以外での能力使用は校則違反だ。俺はそれを止めただけにすぎない」

 

その怒鳴り声に対して、蓮は平坦な口調で律儀に応える。

 

「ッ、じゃあアンタも同じじゃない!魔術を使ってるんだからど「ステラ、止めるんだ!」なんで止めるのよイッキ!」

 

逆上したステラが、更に声を張り上げて蓮も同罪だと言おうとしたが、一輝によって止められ矛先を一輝に変える。一輝は若干張り詰めた表情でステラの敵意のこもった視線を受け止めると、口を開く。

 

「彼は風紀委員だ。風紀委員は生徒会同様先生の許可なしで能力を使用することを許されているんだよ。この場合も二人を止めるために能力を使ったから彼は違反にはならない」

「そ、そうなの?それなら、うん、分かったわ。でも、この人一体何者なの?アタシの炎を凍らせるなんて普通じゃないわ」

 

ステラは留学生だ。だから日本では超有名な《七星剣王》の称号を持つ彼を知らなかったのだろう。

蓮は外国人だから知らないのも無理はない、と思っていた。一輝も同じことを考えていたようで苦笑している。だが、同じく話を聞いて来た珠雫は違った。

 

「え?…あの、ステラさん、貴方本当に彼のことを知らないんですか?」

「何よ。知らなかったらいけないの?」

「当たり前です!貴方、わざわざ日本に留学しに来ておいて彼のことを知らない⁉︎馬鹿にもほどがあります!いいですか!」

 

珠雫は鬼気迫る表情でステラに詰め寄ると、自分が持ち得る、というより日本での常識にもなりつつある蓮のことを話し始めた。

 

「彼の名前は新宮寺蓮さん。日本の全ての学生騎士の頂点に立つ現《七星剣王》であり、貴方と同じAランクで水使い。その実力は歴代最強とも呼べるほどで、誰もが認めるこの日本最強の学生騎士なんですよ!」

「……えっ?この人が、《七星剣王》?本当なの、イッキ?」

「うん、本当だよ。付け加えていうなら、彼は二年生でこの破軍学園の校内序列一位で、風紀委員会の副委員長。そして、理事長の息子だよ」

「ッッ!」

 

未だ信じられなかったステラは一輝の補足説明でやっと理解し、目を見開き、驚愕の視線を蓮に向ける。

当の本人は一度ため息をつくと、若干面倒臭そうに話し始める。

 

「今二人の紹介に与った新宮寺蓮だ。一応現《七星剣王》だ。……だが、今俺のことはどうでもいい。俺は通報を受けて風紀委員としてここに来たからな、先にそちらを済ませよう。陽香、そっちは何か分かったか?」

 

蓮は三人から視線を外し廊下で事情聴取をしている陽香の方へ視線を向けそちらに近寄る。

 

「はい。聞いてみたら、通報を受けたのはそちらの二人のことではなく、五人の男子生徒が黒鉄君に襲いかかった事の方みたいです」

「やはりか。なら、その五人はどこにいる?」

「全員ここにいます。来てください」

 

陽香の言葉に彼女の後ろから五人の男子生徒がぞろぞろと教室に入ってくる。全員どこか怯えた様子だった。

蓮は彼らを正面から見据えると、視線を鋭くし先ほどと同じ冷たい声音を彼らに向ける。

 

「お前達はなぜ無断で霊装を使った?」

「……あ、え、えと……」

 

彼らの中でひときわ体躯のいい少年が、ビクビクと震えながら何かを話そうとして、話せないでいた。

 

「新入生でも霊装使用についての説明は受けたはずだ。去年俺たちも同じ説明を受けたからな、受けてないとは言わせん。そしてそれを知っていながら能力を使い他人を襲った。もう一度聞く、なぜ無断で霊装を使った?」

 

確かに入学式で霊装使用についての注意は黒乃から受けている。そして、違反すれば停学などの重い処分を受けることは聞いていた。

だがそれでも彼らは使ってしまった。ただ現実を認めたくないが故に。しかし、それを言おうにも彼らはすっかり蓮に気圧されており顔は蒼ざめ、声は震えうまく言葉を紡げない。

蓮は彼らの答えを待たず、自分のセリフに言葉をつなげた。

 

「襲われたのは黒鉄だったな。襲われた理由としては先日行われたAランクとの試合が妥当なところか、むしろそれ以外で要因は見当たらないはずだ。

大方、あの試合はFランクがイカサマで勝ったと思い込んでそのFランクを懲らしめようとしたのだろう?」

 

蓮は相手が無力に怯える哀れな新入生だからと目溢しするほど寛容ではない。

そして、彼の予想はまさしく正鵠を射ていた。

彼の言った通り彼らはFランクを叩き潰しイカサマを認めさせようとしてていた。

 

『…ッ!』

 

五人の男子生徒が蓮の推測に顔を一層青ざめ身体を見て分かるぐらいにガタガタと震わせる。

それが彼らが蓮の言った通りのことをしたのだと裏付ける決定的な証拠となった。

 

「その様子だと俺の推測通りか。加えて《幻想形態》ではなく《実像形態》を使ったようだな」

 

蓮は再びため息をつくと、呆れと非難の視線を向ける。

 

「お前達は揃いも揃って阿保か。

あれは何の不正も行われていない正々堂々と真剣勝負をした結果だ。にもかかわらず、それを認めず馬鹿馬鹿しい空想で塗りつぶそうなど愚の骨頂だ。

そんな下らない思想はとっとと捨てろ。あったところで何の意味もないし邪魔だ。

それに霊装は喧嘩の道具ではない。今回はお前達と黒鉄との間に隔絶した実力差があったからことなきを得たが、最悪死人が出てもおかしくなかったんだぞ。

こういうのはあまり言わないが先輩として一つ忠告だ。良くも悪くも、魔術は力だ。俺達は人一人を簡単に殺せる程の力を持っている。だからこそそれを軽々しく使うことは許されない。使うのなら相応の覚悟を持て、覚悟を持たない者に力を振るう資格はない。それを肝に命じておけ」

 

有無を言わせない威圧感の込められた重く低く冷たい声音は新入生を震わせるには充分であり、ほぼ全員が何度も頷き了承の意を示していた。

それを確認した蓮は今度はステラと珠雫へと視線を向ける。

 

「次はお前達だ。どんな理由であんなことになった?」

「「それはコイツがッ!……うぅーー!」」

 

二人が同時にお互いを指差し、被ったことにお互いを恨みがましい視線で睨みいがみ合う。

このままではラチがあかないと判断した蓮は一輝の方へ視線を移す。

 

「黒鉄、何があった?」

「あー、うん、話せば長いと言うか、恥ずかしいと言うか……」

 

一輝は頰をかきながら恥ずかしそうに蓮から目を逸らしそう言う。その様子から、一輝も駄目だと判断した蓮は陽香に視線をさらに移した。

 

「陽香、何か聞けたか?」

「えと、ざっくり言いますと痴話喧嘩みたいなものらしいです」

「…は?」

「簡潔に言いますとまず黒鉄君の妹さんが黒鉄君にキスをして、ヴァーミリオンさんが黒鉄君のメイド宣言して、その後も色々とあって霊装まで出して衝突しかけたらしいです」

「………つまり男女の問題ということか?」

「……要約するとそうです」

「………………はぁー」

 

予想外な返答に蓮はしばらく唖然としていたが、すぐに露骨に溜息をつくと毒気を抜かれた表情を浮かべた。

 

「理由は聞かん。そういう問題は当事者に任せるしかないからな。だが、今回の事は当然上に報告させてもらうぞ。霊装を使ったことには変わりないからな。

処分は免れないと思うが、何か言い分があるのなら直談判しに行け。

そして、問題を起こした者達は今回の事を教訓とし、以後このような事の無いように」

「ちょっと待ってほしい新宮寺君」

「何だ黒鉄?」

 

踵を返そうとした蓮を一輝が呼び止めた。

 

「処分って、具体的にいうと停学処分になるのかい?」

「それが妥当だな。何か文句でもあるのか?」

「今回の事はどうか不問にしてくれないかな?」

「なに…?」

 

一輝の唐突なセリフに蓮の眉が顰められる。

 

「彼らも君に言われて反省したはずだ。何より襲われた僕は怪我はしてないし悪ふざけが過ぎただけなんだ」

 

他の一年生達が絶句し目を丸くする中、蓮はこちらをまっすぐ見る一輝を見て呆れたように溜息をつくと、

 

「断る」

 

それを、容赦無く切り捨てた。

これに一輝はわずかばかり目を見開いた。一輝としては、被害者である自分が言えば彼らが入学早々処分を受けなくて済むと思っていたようだが、そんな甘い考えなど蓮には通用しない。

 

「今回の件は不問にはしない。誰が何と言おうとこの判断は変えるつもりはない。これを許容すればまた別の誰かがやらかすだけだ。さっきも言った通り何か言い分があるのなら理事長に直談判しにいけ。それにな、()()()()

 

蓮は冷徹な表情を浮かべると、優しすぎる友人に、アドバイスをする。

 

「余計な情けで怪我をするのは、自分だけじゃないんだぞ。いつかその甘さが自分の身を滅ぼす。それはお前自身が一番よく分かっているはずだ」

「ッッ」

 

これ以上の問答は無意味だと物語る蓮の瞳に一輝は息を呑んだ。

そして、背を向け立ち去ろうとした蓮を、今度は別の者が呼び止めた。

 

「あ、あの!」

「…今度は何だ。ステラ・ヴァーミリオン」

 

彼を呼び止めたのはステラ・ヴァーミリオンだった。

蓮は足を止め首だけで彼女の方に振り向く。

 

「文句は受け付けないぞ」

「いえ、それではありません」

「じゃあなんだ?」

 

彼女はとても真剣な表情を浮かべると、

 

「レン先輩、アタシと一度手合わせしてください!」

「ステラ⁉︎いきなり何を!」

 

さっきのような攻撃的なものではなく敬意が込められた丁寧な口調で突然の決闘申請に話を聞いていた新入生達からどよめきが生じる。隣に立つ一輝も驚きに目を見開いている。

周りがどよめく中、蓮はしばらく無言で彼女を見つめると静かに口を開いた。

 

「随分と急な話だな。なぜ俺に挑もうとする?」

「アタシが留学して来たのは強い人と戦って強くなるためです。だから、この日本で最強の騎士のアナタに挑んで頂までの高さを知りたいんです!お願いします!」

 

彼女の視線には強い闘志の焔が灯っていて、すぐにでも戦いたいと視線が告げていた。

その告白を受け、蓮は小さく溜息をつくと、彼女を正面から見下ろすと、

 

「巫山戯ているのか?」

「え…?」

 

先ほどよりも冷徹で鋭い眼差しがステラを貫いた。

ステラは困惑混じりの声で蓮を見上げる。

 

「つい先ほど問題を起こしたばかりなのに、それを反省もせずにすぐさま戦いを申し込むのか。我儘がすぎるぞステラ・ヴァーミリオン。都合良く話が進むとでも思ったか?」

「……ッ」

 

彼の指摘にステラは息を呑む。

蓮はステラをその鋭い瞳で捉え、口を開く。

 

「お前は自分がやったことについての自覚が足りないみたいだな。全く反省の色が見えない。皇族だからと言ってなんでも意見が通ると思うな。ここはお前の国ではなく日本だ。

日本には郷に入っては郷に従えという言葉がある。他所から来たのならまず此方のルールに従え。意見を通すのはその後だ」

「で、でも!」

「でもじゃない。さっきも言ったはずだ。俺達は人一人を簡単に殺せる力を持っていると。特に俺達AランクやBランクは他よりも力がある分方向性は違えど一人どころか何十何百と簡単に殺せる力がある。その事を誰よりも自覚する必要がある。

お前達はそれを自覚せずに一時の激情に流され近くに何十と生徒達がいる状況で、周囲の被害も考えずに霊装を使い目の前の敵を叩き潰そうとした訳だ」

「そ、そんなつもりじゃ……」

「も、申し訳ありませんでした」

 

ステラは反論しようとしたが、蓮の氷刃の如き眼差しと有無を言わせない口調に声が段々と萎んでいき、瞳には恐怖の色が浮かび始めていた。

珠雫もその瞳に恐怖の色を浮かばせ、強張った表情のまま静かに頭を下げた。

 

「今更どう言おうと無断で霊装を使ったことは事実だ。

お前がどんな目的で日本に来たかなど俺にとってはどうでも良いし、この場ではなんの免罪符にもならない。

今必要なのは反省しているかしていないかだ。黒鉄妹は反省したようだが、その様子だとお前は全く反省していない。しているのであれば、俺に戦いを申し込むような愚行は犯さないはずだからな」

「…ぁ、うぁ…」

 

ついに蓮の出す気迫に呑まれまともな言葉を発せなくなったステラは目の前に佇む男が何倍にも大きく見えてしまい一歩後ろに下がってしまった。

そんな様子を蓮は冷たい瞳で見ると、彼女から顔を背け踵を返したが、一歩踏み出したところで足を止め、背中を向けたまま声を発した。

 

「停学が明けてその時にまだ俺に挑みたいという心意気が残っているのならその時は相手になる行くぞ、陽香」

「は、はい」

 

陽香に一声かけると蓮は今度こそ教室から立ち去っていった。

後に残されたのは、誰一人として言葉を発せられない新入生達と、怯えた表情を浮かべる珠雫、限界が来て腰を抜かして座り込むステラ。そして、蓮が去った方向を張り詰めた表情で見ている一輝の姿だった。

 

 

 

その後、蓮と陽香の報告を受けた理事長達の協議の結果、今回の二件の当事者である七名の生徒に与えられた処罰は一週間の自室謹慎と反省文提出になった。

 

 

 

 




すごい今更だけど、蓮の髪や目の色合いは最弱無敗の神装機竜のクルルシファー·エインフォルクの髪と目をイメージしてくれればいいと思います。


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16話 最強の称号を持つ男

ついに、ついに、フェアリーテイルファイナルシーズンが本日から放送開始しました!

いやー、昔から大好きだな漫画だから嬉しいです!

毎週欠かさず録画して見なければ。ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ


「じゃあ、停学が明けたら相手してあげることにしたんだ?」

「ああ」

 

夕方、いつものメンバーで食堂に集まり夕食を食べてる中、マリカが蓮にそう尋ねてきた。それに蓮は一言返し、味噌汁を啜る。

 

「それでどう倒すつもりなんだ?作戦とか考えてんのか?」

 

すると今度はレオが楽しそうにそう尋ねてきた。

彼の、いやここにいる全員が蓮が勝つことを疑っていないため、勝てるかではなく、どうやって倒すのか、作戦はあるのかと尋ねてきた。他の皆も興味津々にこちらに視線を向けてくる。

蓮は箸を置くと、不敵な笑みを浮かべ。

 

「特に必要ない。今日会ってみてある程度の力量は把握した」

 

そう淡々と告げた蓮は箸を持ち、食事を再開する。

これでマリカとレオは揃って人の悪い笑みを浮かべるあたり、やはり二人の思考回路は似ている。(本人はどちらも強硬に否定するだろうが)。

 

「あーあ、ヴァーミリオンさんもついてないわね。入学早々大魔王にボッコボコにされるんだから」

「だな。どんな蹂躙をするんだか」

「まあ、そこまで徹底的にはしないんじゃないかな?」

「さ、流石に蓮さんでも手加減しますよ」

「どうかな。蓮さん試合になると容赦ないし」

「みんな、少し言い過ぎよ。蓮さんに失礼じゃない」

「いいんだ、陽香。俺は気にしてないし、叩き潰すことには変わりないんだからな」

「うわっ、大魔王が蹂躙宣言した」

 

………と、少し物騒な内容だが、大きな盛り上がりを招き。その後、食事が終わっても食堂が閉まるまで学生らしく賑やかに騒いだ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「ステラ、大丈夫?」

「……ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう、イッキ」

 

蓮達が食堂で盛り上がっていた時、一輝は自室で気落ちしているルームメイトのステラ・ヴァーミリオンに優しく声をかけた。

あの後、ステラは蓮の気迫に呑まれてしばらく座り込んでいた。それほどに彼女は蓮という存在に恐怖したのだ。そうなった原因は彼女にあるのだが、確かにあれは初対面でやられたら確実に恐怖するだろうから、彼女だけが悪いとはとてもじゃないが言えなかった。

 

「……あれが、《七星剣王》なのね」

 

ステラは唇を噛み締めながらそう呟いた。それに、一輝は静かに頷き肯定する。

 

「……うん。七星の頂を目指す以上、絶対に避けては通れない壁だよ」

「凄かったわ。あんなに凄い気迫を出せる人はヴァーミリオン皇国にはいなかったわ。……ねえ、イッキから見て、あの人はどれくらい強いの?」

「まさしく最強の一言に尽きるよ。僕でも手も足も出ない。なにせ、《一刀修羅》を使った状態で瞬殺されたぐらいだからね」

「………えっ?」

 

そう告げた一輝の言葉にステラは目を見開いた。

《一刀修羅》それは一輝の唯一にして最強の伐刀絶技だ。自分はその絶技に翻弄され負けた。なのに、蓮はそれを瞬殺したという事実がステラの背筋に寒いものを感じた。

 

「勿論、君には炎の異能があるから変わると思うけど、間違いなく君よりは遥かに強いよ。もし戦っても確実に負ける」

「……でしょうね。あの人の氷を溶かせなかった時点で格上なのはわかったわ」

 

ステラは怒ることもなく、冷静にその事実を受け止めた。

彼女も力の差は感じた。それに、彼の気迫に呑まれた時点で彼が自分よりも圧倒的に強いということはわかった。

 

「それでも、ステラは挑むんだろ?」

「……ええ、勿論よ。勝てないから挑まないなんてことはしないわ。勝てなくても、経験になるのならやるわよ」

 

そう言うステラの瞳には焔のような強い闘志の光が宿っていた。それを見た一輝は素直に彼女を凄いと尊敬した。

現状の強さに胡座をかかず、常に上を目指し続けるその姿は、一人の騎士としてだけではなく、一人の女性としてもとても魅力的に見えた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

一週間後の早朝、蓮は往復20キロのマラソンを行なっていた。。

彼は第二学生寮から10キロほど離れた小高い丘をコースにしており、丘に着けば武術の鍛錬と魔術の調整を行い、終われば丘を下り寮へと戻る。

いつもならば、寮に着くまではコースがコースなだけに滅多に誰かとは会わないが、今日は帰りの途中でとある二人の人物に出会った。

 

「……あ、おはよう、ございます」

「おはよう、新宮寺君」

 

会ったのは一週間前に邂逅を果たしたステラ・ヴァーミリオンと彼女のルームメイトの一輝だった。

ステラは少しおずおずとし、一輝は少し強張っているもののなるべく自然体で挨拶をしてきた。

 

「ああ、おはよう。黒鉄、ヴァーミリオン」

 

蓮も彼らの裏にあるそれぞれの思惑は無視し、自然体でそう挨拶をし、そのまま走り去ろうとするが、ステラに呼び止められた。

 

「あ、あの、シングウジ先輩…」

「なんだ?ヴァーミリオン」

 

蓮は足を止めると、ステラに身体を向け彼女を見下ろす。

先週に味わった恐怖を思い出し、一度びくりと身体を震わせるものの、なんとか踏みとどまり、蓮に頭を下げた。

 

「先週は迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。

それで折り入ってお願いがあります」

「模擬戦のことか?」

「はい。改めて、アタシと手合わせをしてください」

 

一週間前と同じように頭を下げるステラを見下ろすと、彼女に背を向け、

 

「今日の十一時。第13訓練場に来い。そこで相手をしてやる」

「っ!はいっ!ありがとうございますっ!」

 

ステラは顔をパァッと輝かせ勢いよく頭を下げる。蓮はそれを一瞥し軽く手を振ると、マラソンの続きを始め彼らの元から走り去った。

 

こうして、Aランク同士の試合が成立し、それは瞬く間に学園全体に広がった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

昼。学園は喧騒に包まれていた。

それもそのはず、伐刀者最高位のAランクであり、鳴り物入りで入学した超大型ルーキーである《紅蓮の皇女》の二つ名を持つステラ・ヴァーミリオンが、同じAランクであり破軍学園校内序列第1位、歴代最強の現《七星剣王》、二つ名を《紺碧の海王》その他いくつもの二つ名を持つ最強の男、新宮寺蓮に決闘を申し込んだからだ。

Aランク同士の激突に当然学園中の生徒達だけでなく教員達までもが盛り上がり、試合会場となった第十三訓練場には生徒教員問わず、人で溢れかえっていた。

新聞部の計らいで大型モニターを取り付け、入れなくなった人達でも外で見れるようにしている。

 

『さあ!会場の内外で試合を今か今かと待っている皆様‼︎急遽決まった試合ですが、これは必ず見るべき試合です‼︎

我が校の校内序列最高位にして歴代最強の《七星剣王》!《紺碧の海王》新宮寺蓮に!ヴァーミリオン皇国の第二皇女の《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンが勝負を申し込み戦いが成立したのですから‼︎

世にも珍しいAランク学生騎士の試合。これは見なければ損だぁ‼︎

そして、実況は私、月夜見が!解説は青山先生がお送りします!』

『よろしくお願いします』

 

実況席ではマイクを片手に腕を振り回し、盛り上がりを隠さない破軍学園『放送部』の少女と、その隣にいる緑髪のおっとりとした若い女性教師、蓮の担任である青山摩耶がいた。彼女らの後ろの席には理事長である黒乃と今年から臨時講師として来た寧音の姿もあった。恐らくは、周囲に被害を出さない為だろう。

そして、訓練場内のボルテージがマックスに達した時、タイミングよく今回の主役の一人が姿を現した。

まずはじめに姿を現したのは今回の挑戦者(チャレンジャー)。鮮やかな赤髪を靡かせ、表情を引き締めている少女。《紅蓮の皇女》の二つ名を持つステラ・ヴァーミリオンだ。

 

『おーーーーっと!まず最初に赤ゲートから姿を現したのは《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン選手です!』

 

大歓声の中、ステラはリングに上がり向かいの青ゲートの奥にいる人物を鋭く見据え、出てくるのをじっと待つ。

暫くし、青ゲートの奥の闇の中から一人の男が姿をあらわす。

ポニーテールに束ねた鮮やかな青髪を靡かせる長身痩躯の男。《七星剣王》の称号を持つ新宮寺蓮だ。

 

『そして青ゲートからは、あの男が来た————‼︎我らが破軍学園の、この日本の頂点に立つ最強の《七星剣王》!我が校の風紀委員会副委員長にして校内序列最高位の《紺碧の海王》新宮寺蓮選手の入場だ———‼︎‼︎』

 

ステラの時よりも一際大きい歓声が訓練場に響く。

もはや轟音と形容すべき歓声の中、蓮はゆっくりとリングに上がり、ステラの二十メートル先で止まる。

ステラは蓮に軽く頭を下げる。

 

「今回は急な試合を受けていただきありがとうございます」

「別に気にしてない。ちゃんと反省もしたようだからな、断る理由がない」

 

二人は軽く言葉を交わすと、開始線に立ち、

 

「全力で行かせてもらいます!歴代最強の《七星剣王》‼︎

《紺碧の海王》新宮寺蓮先輩!………傅きなさい。《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》!」

 

ステラが熱を帯びた赤い燐光を発しながら、その両手に紅蓮の炎を纏う黄金の大剣を顕現させる。

刀身からは彼女の意気込みを表すかのように紅蓮の炎が激しく揺らめき熱風が巻き起こっている。

 

「行くぞ。《蒼月》」

 

蓮は右手を前に突き出し掌を上に向ける。

瞬間、月の輝きのように淡く、冷気を帯びた青白い燐光と青く輝く水が溢れ、紺碧色に輝く月のような形の魔力球が掌の上に出現した。

蓮はそれを掴むと、刀を身に付けるように右腰に添える。

紺碧の月は、二つに割れると静かに剣の形へと変わり、やがて藍色の光沢に包まれた二振りの日本刀へと姿を変えた。

海を凝縮したような艶やかな藍色は光の反射で光沢を放っていた。

 

「それが、シングウジ先輩の霊装……」

「ああ、《蒼月》だ」

「……刀は抜かないんですか?」

「ああ、抜かない。今のところこれを抜く気は無い」

 

それは暗に刀を抜くほどの相手では無いと言ってる様なものだ。

プライドの高いステラは一瞬カッとなったものの、すぐに落ち着きを取り戻す。

彼にはそれを言えるだけの実力があると理解しているが故にだ。

 

(アタシより格上なのは一週間前でもうわかっている。なら、この人の技術を盗んでやる!この人との戦いで学べないことなんて一つもないんだから!)

 

格上との戦いで学べないことなど何一つない。

だからステラは、倒すつもりで挑むと同時に彼の戦い方を観察しあわよくば自分のものにしようという魂胆で戦いに臨むことにした。

全ての前準備が整い、会場は一層大きな興奮に揺れる。あとは開始の合図を待つだけだ。

 

『幻想形態』での試合だが、二人のAランクの実力を、此処にいる人間達は見ることとなるのだ。

歴史に名を刻むほどの大英雄の資質を持つ二人の天才の戦いを。

そして、

 

『それでは試合、———開始ィィ‼︎‼︎』

 

実況の月夜見が手を振り下ろし、戦いの始まりを告げるブザーを鳴らした。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

試合の合図が鳴る。

ステラは開幕速攻を仕掛ける。この一週間公開されてる彼の試合映像を嫌という程見て対策はしてきたが、それでも情報が足りない。ならば、彼よりも先に一撃を見舞うしか無い。

ステラは30倍の魔力量をフルに活用し足裏に魔力を集めて爆発させ加速をする。

轟、と風を鳴らしステラは蓮に迫り、炎纏う一刀を大上段に構え振り下ろす。

伐刀絶技《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》の炎を纏った《妃竜の罪剣》の温度は摂氏3,000度。それに加え、ステラの武装は大剣。超重量武器だ。そんな重撃をまともに喰らえば一撃で戦闘不能になる。

それに対して、蓮はそれを一瞥しただけで刀すら抜かず自然体で佇んでいた。

 

「ハァァァァァ‼︎‼︎」

 

裂帛の気合いとともに叩きつけられた重撃。

戟音と衝撃が訓練場に響き、訓練場そのものが激震し、更に爆炎が噴きあがり、両者の姿が炎に呑まれ搔き消える。

最初から全力全開の攻撃に、観客は一斉に盛り上がる。

 

『き、決まったァァ————‼︎‼︎まず最初に一撃を入れたのはステラ選手!なんと言うパワー!なんという炎!こちらにまで熱風が届いてきます!果たして新宮寺選手は無事なのでしょうか⁉︎』

『うわ〜、熱いですねぇ〜』

『此処でもほんわかですね⁉︎青山先生!』

 

解説が若干天然混じりの発言をしているが、今観客が注目しているのはステラと蓮の事だ。爆炎の中で一体何が起こっているのか、それだけだ。

やがて爆炎が晴れ、二人の姿が浮かび上がる。浮かび上がった二人の光景に観客達は絶句し、誰かが嘘だろ、と呟いた。

ステラの一撃を蓮は平然と受け止めていた。

炎を纏う大上段の振り下ろしの一撃を蓮は右手の人差し指と中指、たった二本の指で挟んで軽々と受け止めていたからだ。

伐刀絶技《妃竜の息吹》を纏う攻撃は近づく敵を悉く焼き払う。にも拘らず、それを水も氷も使わずにたった二本の指だけで止められた。

 

『な、なんとォォォ⁉︎⁉︎指二本で受け止めてる‼︎新宮寺選手無傷です!ステラさんのあの爆炎を受けながらも、全く動かずにたったの指二本で攻撃を受け止めた———‼︎‼︎青山先生これはどういう事なのでしょうか⁉︎』

『どうも何も、ただのシンプルな魔力防御ですよ。でも、見た感じ挟んでる指先にしか魔力纏ってなさそうなんですよね』

 

は?と観客達からそんな困惑する声が漏れ、ざわめく。

 

「…うそ、でしょ……!」

 

予期せぬ事態にステラは目をむく。

初撃で終わるとは思っていなかった。だが、今の攻撃を、指先だけの魔力防御で受け止められ、爆炎を生身で凌がれたことには流石に動揺を隠せなかった。

指の間で震える《妃竜の罪剣》を見て、蓮はぼそりと呟いた。

 

「大体3000度くらいか。A級の火力としては及第点だが、俺からすれば全然温い。その上、パワーも軽い。レオの方が重いな」

 

冷静に分析した蓮は指先で大剣を挟んだまま、

 

「ガッ⁉︎」

 

硬直したままのステラの鳩尾に鋭い蹴りを打ち込み、二十数メートル吹き飛ばす。

 

「ゲホッ、ごほっ!おぇっ!つぅ…!」

 

リングを転がり、やがて横たわるステラは肉体を貫くような痛みに腹を抑え悶絶する。

 

(け、蹴り一つで、こんなに……⁉︎)

 

伐刀者は魔力を纏うことでバリアの役割を果たすことができる。それは魔力が多けれ多いほど堅牢になり、世界最高の魔力を持つステラの魔力防御は計り知れない。

だが、蓮の蹴りはたったの一撃でステラの堅牢な魔力防御を突き破ったのだ。とはいえ、流石の蓮も素の身体能力で彼女の防御を突破できるほど頑強ではない。魔力放出込みの蹴りだ。

それでも、ステラの心には大きな焦燥が生まれた。

今までこれほど重い一撃を受けたことはなかった。いつもパワーで圧倒してきたステラはパワーで圧倒されるという経験がなかったからだ。

しかし、ステラはそこで一度思考を打ち切り、ゆっくりと立ち上がる。蓮は追撃をかけずにその場から一歩も動かずにこちらを見ているだけだった。追い討ちをかけるまでもないと言わんばかりにその場に佇んでいた。

その表情には明らかな余裕があり、これにステラは悔しそうに唇を歪めると、指揮刀のように《妃竜の罪剣》を振るうと、

 

「燃やし尽くせっ!《焦土蹂撃(ブロークンアロー)》」

 

背後に百を超える炎熱の球体を作り出し、勢いよく撃ち出し、幾条もの光の矢となり蓮に襲いかかる。

リングの横幅全てを埋め尽くすように迫る炎熱の絨毯爆撃は蓮に回避の隙間を許さず、蹂躙するはずだった。

 

「咲き乱れろ。《雪華繚乱》」

 

蓮は指をパチンと鳴らし、背後にステラが生み出した炎熱の球体と全く同数の大小様々な氷の花を咲かし、手裏剣のように回転させて炎熱の矢を迎え撃つ。

蓮を呑み込むはずだった爆炎は一つ残らず無数の雪華に斬り刻まれ、

 

「え……?」

 

そのまま雨あられとステラに氷雪の絨毯爆撃が降り注いだ。

 

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎」

 

悲鳴と轟音と氷雪。もはや会場の誰も、ステラの姿を視認することはできない。それどころか、人一人倒すにはあまりに行き過ぎた暴力の前に絶句するしかなかった。

やがて、氷雪と粉塵が晴れた頃、ボロボロになったステラは地面に再び転がっていた。

 

「うぐ…、うぅっ…」

 

膝を突き、痛みに呻くステラ。彼女の周囲には無数の雪華が地面に突き刺さっている。ナパーム弾の直撃にも耐えうる特殊石材で作られている伐刀者用のリングに、まるでバターにナイフを突き刺すかのように深々と雪華が突き刺さっていた。

それだけで、その氷華が異常な切れ味を持っていることがわかる。

 

(つ、強い……っ!)

 

自分の得意分野である攻撃で力負け、魔術でも圧倒された。たった2度の攻防で圧倒的な格差があることを思い知らされる。

ステラ・ヴァーミリオンが『燃料無限の超高機動重戦車』と例えるならば、新宮寺蓮は『燃料無限の超高機動戦艦』だ。重戦車と戦艦。どちらが上かなど比べるまでもない。

感じたことのない圧倒的力量差に動揺するステラに、蓮は無表情なまま冷ややかな侮言を告げる。

 

「無様だなステラ・ヴァーミリオン。

俺と同じAランクで、魔力量は世界最高の30倍だから少しは期待していたが。この程度の力量なら相手をする必要もなかったな。とんだ無駄足だった」

「———、」

 

その態度は、その侮辱は、———消えかかっていたステラの闘争心に再び火をつけた。

 

「こ、んのおぉおおおお!」

 

ステラは怒りのまま剣に炎熱を纏わせ、

 

「喰らい尽くせっ!《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》ッッ‼︎‼︎」

 

振り抜く勢いで蓮に撃ち放つ。

《妃竜の罪剣》の切っ先から迸った火炎は瞬く間に蛇のように長い体を持つ炎竜の形を成す。

飛び出した炎竜の数は三匹。それが身をくねらせながら、乱ぐい歯の並ぶ顎門を開いて食いかからんと蓮に襲いかかる。

しかし、蓮は右手をスッと前に突き出し掌に魔法陣を浮かべ対応する。

 

「…甘い」

 

リングを突き破り咲いた氷の薔薇から荊が伸びて炎竜を瞬く間に絡め取り、更に四方八方に浮かび上がった無数の青い魔法陣から円錐状の水の槍が伸びて炎竜の身体を貫き、地面に縫い付けることで完全に無力化する。

氷薔薇の荊棘(ソーン・ローゼ)》。

渦巻き貫く海流槍(アクア・ウェルテ ・スピア)》。

氷の薔薇と荊を生み出し敵を拘束。円錐状の水槍で敵を貫く二つの伐刀絶技だ。

そして、ステラに視線を向け、気付く。

《妃竜の大顎》に気を取られた一瞬のうちに、ステラの姿がリング上から消失したことに。

 

(消えた?…いや、これは…)

 

目を霊眼に切り替えることで、視界の端に動く赤い人影を視認した蓮は彼女が陽炎の要領で姿を眩ませていることに気づいた。

そして、蓮の背後、陽炎のように揺らぐ空間からステラが現れ、蓮の首筋めがけ剣を振り下ろした。

陽炎の暗幕(フレイムベール)

熱により光を屈折させることで、自身の身体を敵に見えなくするステラの伐刀絶技だ。

彼女の魔力量に物を言わせる物量で攻め立てるだけが能の騎士ではない。彼女のスタイルは蓮と同じ超高次元オールラウンダーだ。魔術の引き出しも多い。

そしてその引き出しから取り出した戦術でステラは見事、蓮の背後を取った。だが、そう思っているのはステラだけだ、蓮には一挙一足行動の全てが見えていた。

 

「ヤアァアァァッ!…ぐぁっ⁉︎」

 

無防備な蓮に渾身の袈裟懸けを打ちおろそうとするが、次の瞬間、真横からまるで大型トラックに追突されたような超質量の衝撃がステラの体を殴り付け、彼女の体を吹き飛ばし観客席の壁に叩きつけられる。

 

「か…っはッ……!一体、何が……?」

 

大きく開いた口から肺の中の酸素をすべて吐き出し、地面に倒れこもうとするが、剣を地面に突き立てることで支える。

視線を向ければ、彼の背後には水で構成された一体の巨大な蛟龍が主人を守るように佇んでいた。伐刀絶技《蛟龍牙》だ。

蛇のような外見のそれは、ステラの《妃竜の大顎》を三匹束ねたよりも大きい。そして、蛇とは違い三本の爪を持つ二本の腕がある。

先程の衝撃は、あの蛟龍が巨体を鞭のように振り横から叩きつけたものだとステラはすぐに理解した。

蓮はリングに上がってきたステラに顔だけ向け、

 

「お前には足りないものがある」

「足りないもの……?」

「そうだ。一つは経験。苦戦した経験が少なすぎるから立ち回りが甘くなる。そして、もう一つは圧倒的な敗北だ。一輝のような小手先のものではなく、自分の持ちうる力全てを使っても悉く通用しない敗北だ。他にもあるが、今必要なのはその二つだ。他のことなど後でどうにでもなる」

そう告げ、蓮は今まで発動していた魔術を全て解除。

完全に身一つとなった蓮はステラにある提案をする。

 

「ヴァーミリオン。今お前が放てる最強の伐刀絶技で来い。無論全力でだ」

 

その提案にステラは息を飲むと、挑戦的な笑みを浮かべ、

 

「っ…上等!やってやるわよ!」

 

その提案に乗る。

実力はあちらが何段も上だ。このままやってもジリ貧でこっちが負ける。それなら、僅かにでも勝算が高い方を選択する他ない。

 

「蒼天を穿て!煉獄の炎!」

 

ステラはその場で《妃竜の罪剣》を天に掲げ、残った全魔力を注ぎ込み、そこに宿る炎の光度と温度を一層猛らせ、揺らぐ炎という形で存在できないほどの炎熱を束ね、 刃渡り二百メートルを優に超える光の刃を生み出し、ドームの天井を溶かし貫くほどの光の柱を形成した。

 

「今のアタシじゃ貴方には勝てない。だからこれは、いつか必ず貴方に追いついていつか超えてみせるという決意!」

 

そして、太陽の光そのものとも言える光の柱が徐々に傾き始めた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『お、おい、またかよ!』

『逃げろぉぉ!巻き込まれるぞォォォォ!』

 

観客の生徒達は光の剣に恐れ悲鳴を挙げて逃げていく。

そんな中、青ゲートの真上の観客席で観戦していた、マリカ達七名は全く動じずに面白そうにその剣を見上げる。

 

「おー、一度見たがこりゃ前よりもすげえな。ここまで熱気が届いてくるぜ」

「ああ、流石Aランクと言うべきだろうね。凄まじいよ」

 

レオと秋彦は彼女が放とうとしている最強の伐刀絶技に素直な賞賛を浮かべながら笑う。

 

「確かにあれはすごいですけど、蓮さんなら問題ないですよ」

「うん。蓮さんなら難なく対応できる」

「ええ、そうですね」

「当然よ。蓮君とヴァーミリオンさんじゃ踏んできた場数が圧倒的に違う。負けるなんてありえないわよ」

 

元よりここにいる6人は蓮が負けるとは微塵も思っていない。必ず勝つと思っている。

今すぐA級リーグに参加しても上位に食い込めるだろうと言われているぐらいなのだ、いくら才能があろうともルーキーごときに蓮が遅れを取るわけがない。

 

そんなことを話しているうちに、光の剣はさらに傾き、蓮に向かって振り下ろされていった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「焼き尽くせ!《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》————‼︎」

 

眼前には天を衝くほどに吹き上がる紅蓮の火柱。それが、蓮に向け振り下ろされる。

その光の剣は滅びの意味を知っている。

その紅蓮の炎は戦域全てのものを焼き払える。

その太陽は森羅万象全てを灰燼に帰すことができる。

並の伐刀者ならば、受け止めることすら叶わない滅死の極光。

それが、その外見からは予想できない速さを持って蓮に迫る。

 

(……凄まじいな)

 

蓮は素直にそう思わざるをえなかった。

これだけの火柱は流石にAランクでなければ出せない。

これだけの灼熱の炎。幼い頃は自分の身体すら焼いていたはずだ。しかし、彼女はそれをここまで使いこなすレベルまで高めた。その努力は賞賛に値するものだ。

 

「見事なものだ。だが……」

 

彼が最後まで言い終わる前に、紅蓮の火柱は、蓮を呑み込んだ。

——その刹那、

 

「えっ⁉︎」

 

ステラの放った最高の一撃。縦一線に振り切るはずだった炎の魔剣が、途中で動きを止めた。

なぜ止まった?なぜ動かない?意味がわからず混乱する。

しかし、その答えはすぐにわかった。

熱閃の中心で、蓮が片手で魔剣の刃を掴み止めていたからだ。

 

「そんなっ…⁉︎」

 

目の前の現実が、理解できずにステラは混乱する。

自分が持ちうる中で最高かつ最強の一撃はもはや対人で振るわれるものではなく、対軍、対城レベルの一撃だ。

それが、片手で平然と受け止められるとは思わなかったからだ。

蓮は不敵な笑みを浮かべると先程の続きを呟いた。

 

「俺はもっと熱い炎を知っている」

 

蓮はもっと熱い炎を操れる男を知っている。

彼のあの紅蓮の火焔は、もっと猛々しかった。もっと激しかった。

それに比べれば、彼女の炎など生ぬるい。

 

「だから、この程度の炎に遅れを取るわけにはいかない」

 

蓮は刃を掴んだまま、一歩、一歩ゆっくりと歩き出す。

その歩みに合わせギシギシと、規格外の膂力を自慢とするステラの両手に、今まで感じたことのない圧迫がかかる。

踵が徐々にリングにめり込み、足元の床に亀裂を刻んでいく。

 

(これでも、力負けするの⁉︎)

 

それは彼女にとって初めての経験だった。

今まで、彼女が誇る最強の伐刀絶技《天壌焼き焦がす竜王の焔》を真正面から受け切り、押し返したものなど誰一人としていなかった。

しかも、それを右腕一本でなそうとしている理不尽な現実は、ステラを更に驚愕させた。

 

「お前はまだまだ強くなれる。だが今はまだ弱い。だから経験を積め。その未熟な器に勝利も、敗北も、屈辱も、あらゆる経験全てを注いで強くなるんだ」

 

そう言って、刀身を掴む手に更に魔力が込められ、《天壌焼き焦がす竜王の焔》の刀身が瞬く間に凍り付き、粉々に砕け散った。

 

「ッッ⁉︎」

「これで終わりだ」

 

蓮が呟き右手をゆっくりとあげると、彼を中心に白い霧が、渦を巻き流れる。

霧は冷気でできていた。

それはやがて吹雪となり彼を中心に吹き荒れる。

その様は、まるで死者に裁きをもたらす、氷の魔王の現界か。

 

「凍てつけ」

 

冷たく、低く、権威が込められた声音で告げ、蓮は右手を振り下ろした。

 

 

「《ニブルヘイム》」

 

 

それは彼が持つ二つ名の一つ《氷雪の魔王》の代名詞となった絶対零度の超広域殲滅魔術。

あらゆるもの全てを凍てつかせる魔王の裁き。

空間が凍りつき、訓練場内部は一瞬にして極寒の冷気に覆われ、厳冬を超えた凍原の地獄へと変わった。

 

「……う、嘘」

 

ただの訓練場が、晶光煌く、氷雪の世界へと瞬く間に塗り替えられ、その様を目の前で目の当たりにしたステラは畏怖を込めた声音でそう呟く。

訓練場はそのほとんどが氷結しており、端の部分でも霜が降りていた。

外は春の陽気に包まれ暖かいはずなのに、今この場だけは氷点下よりもさらに低く気温が下がっており、場内にいるものはほとんどが血の気が引いた唇を震わせているが、全員無事だ。吹雪に巻き込まれる直前、黒乃や寧音、教師陣による迅速な対応で事なきを得たからだ。

 

しかし、ステラは酷い状態だった。

髪や服には氷が張り付いており、四肢に至っては完全に凍りつきその場から動けないでいる。

氷の彫像になる寸前の状態に彼女はなっていたのだ。

超至近距離で防御するまもなく喰らったのだから当然といえば当然の帰結だった。

 

『で、出ましたー!《ニブルヘイム》!相変わらず、凄まじい威力です!訓練場が一瞬にして凍りつきました!これが《七星剣王》!やはり日本最強の実力は伊達じゃない!というか、寒い!寒すぎです!』

 

寒さによって声が震えている実況の悲鳴を聞きながら、まだ意識があるステラは、眼前に立つ男を見る。

《天壌焼き焦がす竜王の焔》により空いた天井の穴からは雲一つない透き通った青空が覗き、眩しい太陽の日差しが差し込む。

それらを背に、凍原の中心に悠然と佇み、青い瞳でこちらを見下ろす蓮。風に煽られた青髪を靡かせるその姿は、まさしく絶対王者のそれだった。

 

(これが…《七星剣王》。…七星の頂に住まう、最強の男の実力……こんな凄い人が、いるなんて)

 

ステラは畏怖の視線を込めて彼を見る。

彼の実力はステラの予想をはるかに上回っていた。彼の底が全く見えなかった。

 

(こんなに、強いなんて……遠すぎる、わよ…)

 

七星の頂を目指すなら避けては通れぬ存在。

辿り着くためには彼を超える必要がある。だが、そのビジョンが全く見えない。

もちろん、覚悟も決意もある。諦めるつもりもない。だが、遥か高みにある頂までの道が霞んだ気がした。

 

「そこまで。勝者、新宮寺蓮」

 

静かに響いた黒乃の声を最後に、ステラはゆっくりと意識を手放す。

 

(でも、これからもっと、強くなって…いつか、貴方を超えてみせるわ。……シングウジ先輩)

 

最後に相手をしてくれた王者に敬意を込めた視線を送り、心の中で再戦することを誓い、完全に意識を失った。

 

 




大魔王の蹂躙、気が弱い人ならトラウマができるでしょうね。はい。


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17話 恋心と災難

今更なんだが落第騎士の英雄譚15巻怒涛の展開の連続で読んでてびっくりしたわ。
一輝もステラもすごかったけど、最後の珠雫で全部持っていかれた。(驚)

アスカリッドさんには死んでほしくなかったなー、たった一人の家族を守るために世界を敵に回すその覚悟はまさに見事としか言いようがない。

ヴァーミリオン皇国編は一段落ついたとして、日本で発生している『脱獄事件』とやらの全容を早く知りたいものですね、それに黒乃の旦那の拓海さんがどんな人なのかを早く知りたいですねー。





 

蓮がステラ・ヴァーミリオンを模擬戦で下した翌日、彼は破軍学園の近くにある全国展開している大型のショッピングモールにいた。

彼の格好はいつもの学生服とは違い、黒いTシャツの上にゆったりとしたオーバーシャツをジャケットがわりに羽織り、下はグレーのジーンズの黒を基調とした出で立ちだ。

そして、彼は二階にある有名ブランドの服屋の試着室の前に置いてある椅子に座り文庫本を読んでいた。

 

そして、先程から蓮の周囲にはチラチラと彼を窺い見る視線が無数にあった。

それは若い男女のものだ。女性客に連れられている男性客はその何れもが蓮より年上、あるいは歳が近い。高校生、大学生、ヤングビジネスマンといったところだろう。

彼らは足を組んで椅子に座り本を読む蓮を遠巻きに窺い見ていた。彼らは足を組み本を読むという至ってよくある姿勢をとっているだけの蓮の姿に目が離せなかったのだ。

 

しかし、そうなるのも無理はなかった。

言わずとも知れた歴代最強の《七星剣王》。その上、U-12での世界チャンピオン最年少記録保持者。伐刀者でなくても知っている超有名人だ。日本を代表する騎士といっても過言ではない。

更にその容姿だ。順調に伸びた結果180を超える高身長になり、その辺の世界的なトップモデルが裸足で逃げ出すほどのルックスを持っている。

それだけの条件を兼ね備えていて、人が多いショッピングモールにいれば否が応でも称賛や羨望、嫉妬などの様々な視線に晒されるに決まっている。

 

普通なら煩わしいと感じたり、逃げ隠れたりするのが普通なのだろう。

だが、蓮は自分に注がれる眼差しを有害なものと無害なもので選り分け、害のないものを自然と無視するという境地に至っていた—彼の場合、そうでなければ街を歩くこともできない—ので、煩わしいと思うことも、逃げ隠れるということもしなかった。

しかし、今回に限ってはその視線を集めているのは彼だけではなかった。

 

ふと、試着室の扉が開き、中からは淡い黄色のブラウスの上に、春らしい明るい色のカーディガンを羽織った陽香が現れた。

彼女も周囲から視線を集めているもう一つの要因であり、十分に可愛いと評されるルックスとメリハリのあるプロポーションが男女問わずたくさんの視線を集めていたのだ。

 

「あの、ど、どうでしょうか?」

「陽香によく似合う色だと思うよ」

「あ、ありがとうございます。蓮さん」

 

陽香から服の感想を求められた蓮は素直な感想を述べた。

蓮の素直な感想に、陽香は頰を赤らめ試着室の扉を閉めた。

美男美女のやりとりに周囲の人達は目が離せなかった。

それに当然気づいている蓮は見事にスルーしたが、陽香はそもそもその視線に気づいていなかった。

 

しかし、なぜ蓮が陽香とショッピングモールに来ていて、陽香の試着に付き合っているのか、それは昨夜の夕食まで遡る。

 

 

「映画?」

「は、はい。い、一緒に観に行きませんか?」

 

いつものように四人がけのテーブルを二つくっつけ七人で食事をしている最中、蓮の隣に座る陽香にそう誘われたのが切っ掛けだった。

小声で言ったからか、周りには聞こえていない。彼女の隣に座る凪には聞こえているかもしれないが、彼女はパクパクと食事をしており、聞こえてる様子ではなかった。

 

「ああ、いいよ。朝に校門前でいいのかな?」

「はいっ」

 

明日は予定もなく特に断る理由もないので、蓮は二つ返事で了承する。すると、陽香はこの前夕飯を作ってもらった時と同じようにパァっと顔を輝かせ大きく頷いた。

そして、隣に座る凪の方を向いて蓮からは見えないようにVサインを浮かべ、凪がサムズアップしていた事に蓮が気づくことはなかった。

 

 

翌朝。学校の正門前で待ち合わせた二人は、そのままショッピングモールへ向かった。

 

彼らの目的地である映画館(シネマランド)は四階にあるのだが、観る予定の映画の上映時間までまだ余裕があるため、すぐには向かわず陽香の提案で春物の服を見ることになった。

いつもは凪やマリカ、那月と買い物に行っているらしいが、偶には男性からみてどうなのかを知りたいそうだ。

最も、それが本音か建前かは蓮には分かりかねるが。

 

ちなみに、何の映画を観るかについて尋ねてみれば、『砂漠の王女カルナ』を観ると答えた。砂漠の盗賊団に攫われたカルナ姫が若い盗賊のリーダーに恋をするアニメ映画らしい。

何故、恋愛もののアニメ映画に蓮を誘ったのか、それすら蓮には分からなかったが、ここ数日は色々と忙しかったので、気休めに丁度いいか、と真意を探ることもなく一人で自己完結した。

その後、二人はショッピングモールについた後、陽香の提案通り服屋に入り、今に至る。

 

 

「……こっちはどうでしょうか?」

 

試着室の扉が再度開かれ、本日4度目のお披露目。

今度のは、花柄模様のワンピース。胸元やスカートにはふんだんにレースが飾られ、露出も多くはなく、アイボリーの生地に散りばめられた細かな花柄が年相応の可愛らしさを演出しており彼女によく似合っている。

 

「ああ、良く似合ってる。さっきのよりも良いと思うよ」

「そ、そうですか?…それなら、これにします」

 

蓮に最も好評だった服を選んだ陽香は、再び試着室の扉を閉め、しばらく経った後、今日着てきた、伸縮性の高いセーターとフリル付きの膝上丈スカートに着替えて出てきた。

 

「では、会計に行ってきます」

「ああ、俺は外で待っておくよ」

「はい」

 

陽香が服を持ってレジに向かい、蓮は店の外に出て陽香を待つ。その間、蓮は端末でシネマランドのHPにアクセスし、観る予定の時間と空き席を確認した。

時間的にちょうど良く、後十分もすれば入場が始まるといったところだった。席もいくつか空いており、今からチケットを買いに行けば間に合うだろう。

どの席に座ろうか考えていると店内から袋を持った陽香が出てきた。

 

「蓮さん、お待たせしました」

「構わないよ。それに時間も丁度良いから、そろそろ四階に移動しようか」

「あ、もうそんな時間なんですね。分かりました」

 

蓮がそう切り出し、二人はそのままエスカレーターで二階から四階のシネマランドへ移動し、チケットを買い、お供としてポップコーンとドリンクも買った二人は指定されたスクリーンへと移動し『砂漠の王女カルナ』を視聴した。

 

 

チケットを買う際に、カップル割はどうですかと店員に提案され、じゃあそれにしてくださいと蓮が迷いなく言ったことに陽香が思い切り赤面したのは余談だ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「中々面白い話だったな」

「はいっ!とても面白かったですっ!」

 

シネマランドから出てきた二人は歩きながら先程の映画の感想を言い合っていた。蓮は穏やかに微笑み、陽香は目元を赤く腫らしていた。

見ていた映画『砂漠の王女 カルナ』が予想以上に面白く感動したので陽香が号泣したのだ。その隣で見ていた蓮は終始無表情だったが、今の様子からして彼も楽しめたようだ。

 

「しかし、この映画館はまともなタイトルの映画がないな」

「言われてみれば、そうですね」

 

現在この映画館で上映されている映画は計4つ。

一つは二人が見た『砂漠の王女 カルナ』。

他は『私は妹に恋をした。※R-15』や『男たちの失楽園。※R-15』とどちらもR-15指定のものであり、さらに極め付けが、『ガンジー 怒りの解脱』。

サイトに掲載されているポスターの画像には、ガンジーというタイトルの下に、炎をバックにした坊主頭上半身裸のムキムキマッチョメンが、重火器を手に佇んでおり、『許すことは強さの証と言ったな。あれは嘘だ』という煽り文句まである。もう色々ひどい。行き過ぎたカオスっぷりだ。

四つのうち三つが地雷臭がする為、二人は自分達が見た映画が一番まともだったと共に思った。

 

映画を見たからか時刻はちょうど昼前。

ちょうど、腹の虫がなる頃合いだった為、二人は昼食を済ませることにした。

各階にあるディスプレイに浮かぶ地図を見て、どこに入るかを決めた二人は三階にあるパスタハウスへと足を運んだ。

 

店内に入った途端、喧騒が一瞬で途切れた。

客だけでなく、店員までもが店に入ってきた蓮の姿に息を呑んで立ちすくんだのだ。

素でモデル顔負けのルックスに唖然としたのだろう。普通なら、静まり返った店内と数多の視線に戸惑うはずなのだが、こういう対応をされるのは日頃から注目されている蓮からしてみれば慣れたものだった。

 

「すみません。席に案内して欲しいのですが」

「っ、も、申し訳ありません!すぐにご案内しますっ!」

 

蓮の言葉にウェイターは我を取り戻し、急いで二人を席へ案内した。

二人は店奥のテーブル席に案内された。椅子を引こうとするウェイターを制して、蓮は陽香の背後に回り、椅子を引く、陽香は少し驚いたような仕草をするも、おずおずと蓮の引いた椅子に腰を下ろす。蓮はその向かいの席に座り、ウェイターに視線を向け、慌て気味に差し出されたメニューを鷹揚な仕草で受け取り、一つ陽香に渡すとウェイターを下がらせた。

そんな彼の所作は年齢に不似合いな貫禄に満ちていた。

彼に目を向けていた客達ーそのほとんどが女性客ーがその視線に羨望の眼差しを浮かばせていた。

 

しかし、その視線を見事にスルーした二人は受け取ったメニューを開き、しばらくして何を頼むのかを決めると、すぐに店員を呼んでオーダーを終えた。

 

「そういえばずっと気になってたんですけど」

「ん?」

 

オーダーを済ませ、料理を待っている間、水を一口飲んだ陽香がふと疑問を漏らした。

 

「その花のネックレスはいつもつけてるんですか?」

 

陽香の視線の先には蓮の首に下げられた銀のフレームに赤と青の二色のクリスタルが嵌められた六枚弁の八重桜を模したネックレスがあった。

蓮はその質問に頷き、ネックレスを手に取る。

 

「そうだね、風呂の時以外は基本つけてるかな」

「そうなんですか。殆ど身につけているということは、やっぱりとても大切なものなんですか?」

「ああ、昔大切な人からもらったものなんだ」

 

そう言い、手の中にあるネックレスを見て蓮は昔を懐かしむように笑みを浮かべた。

蓮が肌身離さず身につけている桜のネックレスは彼の実の両親からもらった最後のプレゼントだ。

六歳の誕生日プレゼントの為にわざわざ特注で作ってもらったものらしい。ーらしいというのは、そのネックレスの事を知ったのが、二人が死んで葬儀を済ませた後であり、理由を知っていた黒乃からその時に全てを聞かされたからだ。ーそれ以来、蓮は二人が遺した形見として日常生活の殆ど身に付けている。

もちろん、毎日手入れを欠かしていない為、ネックレスには錆や傷の一つもない。

赤と青のクリスタルが天井のライトの光を反射してキラキラと光っていた。

 

「すごい綺麗ですね」

「ああ、俺もそう思うよ」

 

蓮は陽香の言葉に笑みを浮かべ、ネックレスを再び首から下げる。

その時、タイミングのいい事に料理が運ばれてきた。

 

「お待たせしました」

 

それぞれ頼んだものが机へと並べられていく。見た目や匂いで十分食欲をそそられる料理に二人の顔は自然と緩んだ。

 

「じゃあ食べようか」

「はい」

 

そう言って二人はそれぞれ料理を味わう。

料理は、カジュアルな店構えに関わらず、至極満足のいく味だった。

前菜やスープ、そしてメインのパスタも、小細工のない真っ向勝負の品々で二人は存分に舌鼓を打ち堪能した。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

食事の会計は蓮の奢りで済ませた。陽香も払うと言っていたのだが、こういう所ぐらいは男である自分が払うと蓮に押し切られ、仕方なく蓮に奢られた。

それに、蓮は軍務や特例召集などの収入により、ポケットマネーは元服を迎えたばかりの16歳の少年にはしては異常な額だった為、昼食の代金二人分を払った所で全く響かなかった。

 

食事を終えた後、二人はしばらくモール内を適当にブラブラしいろんな店を回る事にした。

 

「そういえば、蓮さんは選抜戦の相手は決まりましたか?」

 

他愛のない話をしている最中、隣を歩く蓮に、陽香が問い掛けた。

破軍学園での七星剣武祭の出場枠を決める選抜戦は明日から始まる。

今日までに対戦相手の通知が選抜戦実行委員会からメールで送られる手筈となっている。

だから、陽香は蓮が初戦で戦う相手が誰なのか気になったのだ。

 

「いや、まだ来てないな。陽香は?」

「私は三年生の幡手という方で、2日目です」

 

陽香は今朝方に実行委員会から既にメールを受け取っていた。

対戦相手は三年生、Dランク騎士幡手 岳だ。記憶が正しければ彼は確か岩使いであったが、陽香の実力をよく知っている蓮は贔屓目なしに客観的に判断して素直に陽香が勝つと思った。

 

「陽香の実力なら大丈夫だろう。いつも通りにやれば問題なく勝てる筈だ」

「はい!頑張ります!」

 

蓮からの激励とも取れる言葉に陽香は歓声に近い声で強く頷いた。蓮は陽香のそんな様子に笑みを浮かべていた。

そして、当の陽香はというと、

 

(蓮さんに激励された!)

 

今の言葉を蓮に激励されたと思い。心の中で歓喜に打ち震えていた。しかし、それは心の内にとどまらず、嬉しそうな表情ともなっていた。

 

陽香は蓮のことを友達としてではなく一人の異性として好きだ。

彼女が蓮を意識したきっかけは、破軍に入学する前、入学試験の日だ。陽香は彼と同じ試験グループだった。

 

破軍学園は他の学園のように素質があれば、誰でも入学できるというわけではなく、全寮制と支援金による衣食住の保証+学費全額免除という特典が存在する分、入学の際にその投資に見合うかどうかを選別するための入学試験が行われるのだ。そこで、陽香は彼と同じグループになった。

初めて見た時、まず彼の容姿に惹かれた。

淡い水のような蒼髮と海のように鮮やかな紺碧の瞳。整った顔立ちと、明らかに他の受験生達とは違う雰囲気。

後から、彼が日本に二人しかいないAランク学生騎士の一人、U-12優勝最年少記録保持者である《紺碧の海王》の二つ名を持つ騎士だと知った。

 

そして、彼が試験で見せた伐刀絶技に圧倒されたと同時に、魅了された。

 

陽香はBランクと言うこともあって実力は十分すぎるほどにあった。中学時代まで、自分の周りで最高の好敵手は同じBランクの小学校時代からの親友である凪だけだ。お互いが親友であり、最高の好敵手であった。

二人に比肩し得る魔術の才能を持つ子供は、あいにく彼女たちのコミュニティに存在しなかった。

騎士学校に入り、お互い以外の切磋琢磨するライバルが得られることを望んでいたが、同時に、自分たち以上の才能には巡り会えないのではないかと言う思いも彼女たちの心にはあった。

だが、そんな思い上がりは隣を歩くこの凛々しい青年によって粉々に打ち砕かれた。

 

彼は「別格」だった。

嫉妬することすらもバカバカしくなるほどの、圧倒的な才能、そして実力。

入学試験で試験官に見せた伐刀絶技は、発動スピード、威力、規模、魔力制御、全てにおいて完璧で圧倒的だった。

しかも、それだけではなく、彼の魔術はとても()()()()()

彼女は蓮のように霊眼を持っているわけではない。だが、光使いである彼女は一般の伐刀者に比べて、魔術行使の副作用で生じる光のノイズに敏感だった。

魔力の無駄。余分な魔力が空間を震わせることで生じる光のノイズ。

だが、彼にはそれが全く感じられなかった。それの意味するところは、一切の無駄がない魔術。魔力を一滴も零す事なく全てを伐刀絶技に使い切る、計算され尽くした精緻な魔術。

それを、その混じり気のない純粋で鮮やかな『青』を、陽香は、美しいと思った。

今までに見たことのない、とても幻想的で神秘的な美しい魔術だと感じた。

その日以来、ずっと忘れられないほどに、それは彼女の心に深く刻まれた。

それが彼女が蓮を意識した切っ掛けだった。

 

それからは、彼と話をし、交流を深めていくうちに、ますます彼に惹かれ、いつしか彼の隣を歩いて支えたいと思うようになった。

 

まだ告白はできてはいないが、日頃からアタックはしている。今日も凪達のアドバイスを受け意を決して今日やっとデートに誘うことができたのだ。

とりあえず一歩前進できたことは大きな成果のはずだ。

そして、ここまでは彼女の思い描いた通りに状況が進んでいる。この後もプランは一応考えてはいるが、どのタイミングで切り出そうか決めあぐねていた。

 

 

「……っ」

 

 

その時、ふと、隣を歩いていた蓮が足を止めある方向へと視線を向けた。

 

「蓮さん?」

「………」

 

不思議に思った陽香が尋ねても蓮はその瞳に警戒の色を浮かばせた彼は氷刃の如き眼差しを壁の方へ向けていた。

そして陽香が再び声をかけようとした時、

 

「陽香今すぐここを離れるぞ」

「え?あ、はい」

 

有無を言わせない口調に陽香は戸惑いながらも頷き、歩き出した蓮に続く。

一体何があったのだろうかと陽香が思考を巡らせた瞬間、モール内に銃声と悲鳴が響き渡った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『おい、そっちはいたか?』

『いや、こっちもクリアだ。この階の客はさっきのでもう

全部集め終わったんだろう』

 

黒の戦闘服とガスマスクに身を包んだ二人組の男が、手にアサルトライフルを構えながら、三階の廊下を歩き格店内の様子を捜索していた。

 

『一度下に戻るぞ。ビショウさんに報告だ』

『おう』

 

そう言って、二人は周囲を警戒しながら小走りで下へと降りていった。その様子を()()から見ていた蓮はため息をついた。

 

「《解放軍(リベリオン)》か、相変わらず迷惑なことをしてくれる」

 

人二人は乗れそうな巨大な6枚花弁の氷の華『雪華』に蓮と陽香は乗っていた。

《解放軍》の兵が銃を発砲する瞬間、いち早く彼らの存在を察知した蓮が陽香を抱え飛び上がり、足元に一枚雪華を展開しその上に乗り天井に張り付くことで、事が落ち着くのを待っていた。それと同時に遮音結界《静謐なる海界(アクア・セレン・テルミナス)》と水分を用いて光を屈折させる隠蔽結界《鏡花水月(ミラージュ・ムーン)》を自分達を包むように小さく展開して完全に姿を眩ましこの場をやり過ごすことに成功した。

 

「陽香、怪我はないか?」

「は、はい、大丈夫です。いきなり飛んだので驚きましたけど…」

「それはすまなかった。言う間も無く来てしまったからな」

「いえ、大丈夫です。それで、これからどうするんですか?」

 

陽香の質問に、蓮は周囲を見回しながら答えた。

 

「とりあえず外に出る。奴等の目的は大方人質をとっての資金調達だろう。それならそう簡単に人質は殺されないはずだ」

「ですが、逃げ出すにしても一体どこから……」

 

陽香の言葉に蓮は少し離れたところにある1階から3階まで繋がっている大きなガラス壁の方を指差す。ガラス壁は銃で撃たれたからか大きく割れており、人二人は余裕で通れそうな穴が開いていた。

 

「あそこから出よう。有難い事に奴等が銃で割ってくれたからな、このまま外に出る。片付けるのはその後だ」

 

そう言うと蓮は雪華を操作し、空中をまるでサーフィンでもしているかのように飛び、割れたガラス壁を潜って外へと出た。

 

外に出た二人はショッピングモールから少し離れた所へ降りる。

外には既に、警察が来ていて何台もの警察車両がバリケードを作るように並び、武装した大勢の警察官が周囲を固めていた。しかし、この程度の規模では突入出来たとしても、人質の命の保証までは出来ない。

ということはつまり、自分が全てやらないといけないのだ。最も初めから一人で済ませるつもりだったのでさして問題はないのだが。

蓮は警察官の一人に近づくと生徒手帳を取り出しながら声をかける。

 

「すみません、破軍学園所属の新宮寺です。責任者のところに案内してくれませんか」

「え、あっ、は、はい!こちらへどうぞ!」

 

蓮に気づいた警官が慌てて敬礼し、責任者の元へと二人を案内する。

通された蓮は同じく通された陽香を置いて責任者のもと

へ歩み寄る。

 

「破軍学園所属の新宮寺です。現在の状況を説明願いたい」

「はい。犯人は解放軍。規模は二十人から三十人ほどで、全員が銃器で武装。監視映像をモニターしている警備会社からの情報では、買い物客五十名程度を人質としてフードコートに集めているようです。身代金とモールの金品を要求しています」

 

蓮の予想通り、彼等の目的は定期的によくやる資金調達だった。敵、人質の数、どこを見回りしているかその全てをたった今魔力索敵し終えた蓮は警察官が言った情報と齟齬が無いことを確認する。

 

「何度も交渉を試みてはいますが、《使徒》が出てこないので……」

 

見れば警察車両の上からメガホンを持って必死に交渉している警察官がいた。しかし、相手側は姿を現そうとすらしないのであまり意味がないようだった。

状況を一通り聞いた蓮は一度頷く。

 

「分かりました。全員ここで待機しててください。俺が全て確実に、始末します」

「え、お一人でですか⁉︎せめて応援が来るまで」

「時間が惜しい。それにこの程度ならむしろ一人の方がやりやすい。後、人質はここに()()ので保護を迅速に頼みます」

 

『流す』の言葉の意味が分からず、殆どの人が首を傾げるが蓮は自分で考えろと言わんばかりに彼等から陽香へと視線を向けた。

 

「陽香はここにいてくれ。すぐに片付けてくる」

「は、はい蓮さんもお気をつけて」

「ああ」

 

陽香の万感を込めた眼差しに見送られ、蓮は警察車両の前に進み出る。

 

「《海龍纏鎧》」

 

蓮は東洋の武士鎧を模した氷と水の青白い全身鎧を身に纏い、敵を駆除するためにショッピングモールの中へと踏み込んだ。

 

 

 




デート描写書くの難しいね。


そして、私の都合上設定に一部修正を加えます。
1つ目は、蓮が小4時に小学生リーグでの世界二位を世界一位に変え、最年少優勝記録保持者とすること。
2つ目は、陽香と凪のランクをCからBへ変更すること。

以上2つの設定を変更します。


12/27追記
海龍纏鎧のイメージを西洋の甲冑から東洋の武士鎧へと変えました。


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18話 冷酷な復讐者

お待たせしました!
久々の投稿です。


フードコートには人質が約五十名程度が集められており、M4を武装し黒の戦闘服とガスマスクに身を包んだ男達十人ほどが彼等を囲むように円を描いていた。

緊迫した空気の中、人質達は必死に恐怖を押し殺している。

だが、ここで突然予想外の方向へと事態が急変した。

 

「お母さんをいじめるなぁ————っ‼︎」

 

小学生くらいの少年が、雄叫びをあげながら持っていたアイスクリームを兵士に投げつけた。

兵士のズボンに白い斑が描かれる。そんなものには攻撃力などあるはずもないのだが、激昂させるだけならば効果は十二分にありすぎた。

 

「この餓鬼がぁぁああああ‼︎‼︎」

 

兵士は当然激怒し、自分の腰ほどにもない子供の顔に容赦なく蹴りを見舞う。

 

「シンジッ!」

 

人質の輪から飛び出したのは二十代後半ほどの女性。子供の母親なのだろう。手足の細さに対して腹部が大きい。子供の弟か妹を身ごもっているのだろう。

だが身重な体とは思えない速さで、それほどに必死な動きで、子供を抱き寄せ庇う。

 

「おいどけよ女ぁ!餓鬼が殺せねぇだろうが!それとも何だ?テメェも一緒に死ぬかぁ?」

「ごめんなさいごめんなさいっ!まだ子供なんです……っ!どうか、命だけはっ!」

「ダメだねぇ!豚の分際できたる《新世界(ユートピア)》の《名誉市民》である俺様のズボンを汚したんだ!その罪は死んで償うしかねぇんだよっ!」

「おいやめろヤキン‼︎人質に手ェ出すなって何回言やわかるんだ!俺らにまでとばっちりが来ちまうだろうがっ!」

「いいだろ!一人や二人ぶっ殺そうが変わんねーよっ!」

「ひっ!や、やめて…っ」

 

銃口が親子に向けられる。子供を庇うように覆い被さったが、銃弾は母親ごと子供を容易く貫き親子諸共殺すだろう。

そして、何の躊躇もなく容赦もなく引き金に指がかかり、引き絞られようとしたその時、銃が何かに握り潰され、ヤキンの銃を構える両腕が斬り落とされた。

 

 

「ぎゃっ」

 

 

ヤキンの口から悲鳴が迸る——迸りかけた。だが声が悲鳴に変わる前に、何者かの拳がヤキンの鳩尾にめり込んだ。

両腕の断面から勢いよく鮮血を溢れさせながら、ヤキンは後ろに大きく殴り飛ばされる。

一瞬の後に、後方にある柱に轟音を立て激突した彼は崩れ落ちようとするが、全身を水の槍で貫かれ意識を取り戻すこともなくあっけなく絶命した。

 

予想外の、想像もつかない光景に、人質もテロリストたちも等しく固まった。

動きを止めただけでなく、思考までも止まっていた。

ただ一人の例外を除いて。

 

「愚かだな」

 

あまりにも冷たく、無機質な声が、静まり返ったフードコートに響いた。

その声を合図に、止まっていた時間が動き出した。

声のした方に一斉に目を向ければ、先程までヤキンが立っていた場所にはいつの間にか、親子を庇うように立つ青白い水氷の武士鎧を身に纏う者がいた。

多少くぐもってはいるものの声音と体格からして男。それしか分からない。分からない故に、未知の脅威に対する恐怖と焦燥が男達の胸中に生まれた。

 

「なっ⁉︎い、いつの間にっ!」

「伐刀者だと…っ⁉︎」

「誰だテメェっ‼︎」

 

男達はほぼ反射的に銃を何者かに構え引き金を引くが、いくら経っても弾丸は飛び出てこない。

()()()()()()()()()の銃火器は既に使い物にならない。

なぜなら、弾丸を飛ばすために必要な火薬の燃焼によるガス圧が火薬そのものが凍結されることで封じられているからだ。

彼らの前に立ちはだかる鎧を身に纏う男、偶然このモールに来ていた新宮寺蓮が銃火器を己の異能で沈黙させたのだ。

突然の事態に男達がパニックに陥る中、蓮が静かに告げた。

 

「無駄だ。火薬を凍らせた。何をしようともお前達は銃を使うことはできない。それに」

 

次の瞬間、人質を包むように青い水の球体が現れ、人質と男達を分断した。

伐刀絶技《蒼水球(ブルー・スフィア)》だ。

 

「その程度の弾幕ではどうしようと俺の結界は破れない。抵抗するだけ無駄という事だ。

一応、投降の勧告をしておこう。

全員、武器を捨てて両手を頭の後ろに組め」

 

投降の勧告と彼から発せられる威圧感に男達はたじろぎ、数歩後ずさる。このまま彼の言葉に素直に従っていれば、少なくともここにいるメンバーだけは、捕まるだけで済んだはずだ。

だが何を血迷ったのか、メンバーの二人が、恐怖に錯乱し銃を投げ捨て大型のコンバットナイフを抜き放つと、突然蓮に襲いかかったのだ。

誰かが止めようと大声を上げるが、男達には仲間の声は届いていなかったようだ。

 

「それがお前達の返答か」

 

蓮はそう呟き襲いかかってきた男達に向けて逆に間合いを詰めると、両腕の装甲を一回り太くし鋭く巨大な鉤爪を持つ獣のような腕に変化させ、左右に振り払い二人の体を斬り裂いた。

 

「ひぃっ…!」

 

人質の中から引き攣った悲鳴が漏れる。

目の前で、素手で人体を斬り裂くショッキングな光景は闘争からかけ離れた世界にいる一般市民にとってはもはや恐怖でしかなかった。

 

「お前達は、運が悪い」

 

命じ、裁く、権威と共にあるその言葉遣いは、圧倒的な威圧を伴う。

 

「大人しく降伏していれば、少し痛い思いをするだけで済んだものを」

 

蓮が両腕をゆっくりと広げ鉤爪を構える。

たったそれだけの行為で、男達の身体は金縛りにあったかのように動けなくなっていた。

 

「俺は慈悲深くはない。チャンスは与えた。だが、それを無下にしたのはお前達自身だ」

 

男達の顔が、恐慌と、絶望に染まり、手に持っていたM4が次々と手から零れ落ちる。

彼らは不気味な怪物を見る目を、蓮に向けていた。

あえて素手で斬り裂いたのは、こうした方が相手の動揺を誘える上に、簡単に恐怖を刻み込めることを分かっているから。

元より悪鬼羅刹扱いなど、蓮の注文どおりだ。だから今更化け物のように見られてもどうでもいい。

戦意を挫かれた彼らに、青き魔人(新宮寺蓮)は無慈悲に冷酷な声音で告げた。

 

「祈るがいい。せめて、楽に死ねることを」

 

瞬間、悪魔の宣告と共に、目にも留まらぬ速度で青色の風が男達の間を駆け抜ける。

疾風の線上で血飛沫が舞い、解放軍達が崩れ落ちていく。

魔力放出で加速しながら、獣のように研ぎ澄まされた氷の鉤爪を振るい、テロリストの身体を斬り裂いていったのだ。

彼は、敵の命を奪うことに躊躇を持っていなかった。

今まで何人も殺してきたから、解放軍そのものに憎悪を抱いているから、ということもあるのだが、相手も自分を殺すことのできる状況で、敵を殺すことを躊躇うことがどれだけ傲慢でどれだけ愚かなことなのかを心の芯に叩き込まれている。

一分もしないうちにテロリストは無残に斬り裂かれて行った。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「それは本当ですか?」

 

理事長室で仕事をしていた黒乃は通話相手の言葉に眉を顰めた。先ほどのテロリストの鎮圧の追加情報の報告だったが、それが少しばかり予想外のものだったからだ。

 

「……はい、分かりました。連絡感謝します」

 

そう言って彼女は受話器を下ろすと、静かに息を吐いた。

そんな黒乃の様子にソファーでだらけていた寧音が声をかける。

 

「くーちゃんどうしたん。なんかあった?」

「…ああ、先程のテロの件でな」

「それうちの生徒が何人か事態に当たってんだろ?なんか問題起きたの?」

「それについては問題ない。だが、あのショッピングモールには蓮もいたそうだ。それでさっき、蓮もテロリスト鎮圧に向かったと警察からの連絡があった」

「……あちゃー、マジか」

 

寧音は若干顔をひきつらせると、額に手を当てため息をついた。

本来、魔導騎士免許未取得である騎士学校の生徒はテロなどの緊急時に遭遇した場合、学園に連絡して霊装使用の許可などを貰う必要がある。

だが、蓮に関してはそれは適用されない。

理由は単純。彼が二人の魔人の間に生まれ、彼自身も現在日本に三人しかいない魔人という特異な立場にいるからだ。

魔人である以上、それは他勢力にとっての明確な脅威となり、命を狙われることもある。

彼は今まで何度か他勢力から命を狙われたことがあり、自衛のために例外として魔導騎士連盟本部から彼の敷地外での霊装使用を彼自身の意思に委ねられている。だからこそ、今回のようなテロに遭遇してもわざわざ許可などもらわずに自分の意思のみで霊装を使用できた。

だが、二人が気にしているのはそこじゃない。そもそもそれはすでに保護者である黒乃や同じ魔人である寧音は認知していることだ。

なら、今最も懸念しているのはなんなのか。それは、

 

「…テロリスト達が何もしなければいいんだが」

「いやー無理っしょ。だって賊は解放軍だろ?ならもう皆殺し確定してるようなもんじゃん」

 

そう、二人が懸念しているのは、本来気にする必要もないテロリスト達のことだ。

確かに蓮が鎮圧に向かえば、大抵の事件は安全かつ迅速に解決できるし、人質も全員無事に救出できる。

事実、彼がこの数年で対応したテロや事件は、全て無事に鎮圧され、一般市民の死傷者はゼロという素晴らしい結果を出し続けている。

だが、その目まぐるしい功績の裏側には、テロリスト、特に解放軍に関しては使徒を除き、非伐刀者の信奉者達を皆殺しにしているという過激な背景もある。

リーダーの使徒さえ捕縛できれば後は不要だと言わんばかりに、彼は全て殺しているのだ。いわゆる過剰防衛というやつだ。

だが、それは彼が殺しを楽しむような快楽殺人鬼だからではなく、自分のように両親を殺されてしまった不幸な子供を増やさない為に、殺すという確実な手段を持って、敵を殲滅しているに過ぎない。

それは復讐でもあり、繰り返さないためでもある。

両親を殺した解放軍を激しく憎悪し、もう二度と大切なものを奪われない為に、一抹の不安すら残さずに敵を確実に屠り後顧の憂いを完全に断つ。

二人はその事実を知っているからこそ、敵に同情せざるを得なかったのだ。

 

「無抵抗で投降してくれるのが一番マシなんだがな」

「それ一番あり得ないパターンだぜ?くーちゃん」

「…言ってみただけだ」

 

寧音のツッコミに黒乃は素っ気なくそう返す。

彼女も蓮が全員を殺さずに無力化するだけにとどめるとは思っていない。ただ、そうであってほしいと願望を口にしただけだ。

そのことについてはあまり期待していなかった。

解放軍がテロを行い、蓮が鎮圧に向かった以上、今回も結果は変わらないと思ったからだ。

 

 

賊の大半の鏖殺と人質の全員無事救出。

 

 

その二つの結果に終わると。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

この場にいるテロリストを斬り殺した蓮は再び《蒼水球》の前に立ち、人質を見下ろす。

人質達は一様に嘔吐をこらえたような表情で、少し怯えた目を向けて来たが、そんなこと蓮にとっては瑣末なことだった。

 

「外に警察がいる。今からそっちに送るから全員動かないでくれ」

「た、助かるんですか?」

「当然だ。そもそも俺は君達を救けるためにここに来た。俺が来た以上、人質は全員無事に救ける」

 

恐怖に怯えていた人質の顔に安堵が浮かび、感謝の声が口々に溢れる。まだ恐怖は残っているが、助かったことによる安堵は大きいようだ。

だが、

 

「ちょっと待ちなさい‼︎」

 

大きな怒声が、突然響く。それは人質の中から響いた。

蓮はその方向を見る。そこには仁王立ちし、双眸に怒りの炎を滾らせ、掴みかからんばかりに蓮を睨む赤髪の少女、ステラ・ヴァーミリオンがいた。

 

「何だ?」

 

愛想の欠片も無く、不機嫌丸出しの口調で蓮が訊き返す。

ステラは怒声を持って問いかけに応じた。

 

「アンタどいうつもりよ‼︎なんで全員殺したのっ!一人や二人腕を斬り落として無力化すればよかったでしょ⁉︎アンタが誰かは知らないけど、やりすぎにも程があるわよ!」

 

確かに、彼女の言い分は一理ある。

しかし、それはあくまで彼女の基準の中での話だ。わざわざそれに合わせる気など毛頭ない。

 

「それを決めるのはお前じゃない」

 

彼女の問答に付き合う気は初めからないので、蓮は呆れ声で切り捨てた。

それに投降するしない以前に解放軍を皆殺しにすることは既に決まっていたことだ。

なぜなら、解放軍が彼の目の前で親子を殺すという愚行に走ったからだ。それは彼の逆鱗に触れる行為だった。

親子を傷つけ殺そうとした者は、たった一人。

だが、彼にとってはそれだけで皆殺しするには十分な理由だった。

しかし、そんな事を丁寧に説明する気はないので、そのまま次の行動に移る。

 

「このまま外に送りたいところだが、お前達の中に一人市民に扮したテロリストがいる。そいつを引っ張り出そう」

 

そう言い、水球内部にいる人質の中から赤いTシャツの若い男を氷の鎖で縛ると外に引っ張り出す。

引っ張り出された男は、困惑した顔で蓮を見上げる。

男の顔には困惑の色が強く現れていた。

 

「え、え?…な、なんで、俺が?」

 

男は声を震わせ、疑問を口にする。

普通の一般市民なら当然の反応だ。だが、彼は蓮の言った通り、解放軍のメンバーだ。

もし、テロリスト達が鎮圧された時、一般市民に扮した自分が人質を取り逆に脅す事で、脱出するための布石の役目を担っていた。

それまでは無実な被害者を装う必要がある為今精一杯、被害者の演技をしている。過去もこれで場を切り抜けたことがある。今回もそれで成功するだろうと思っていた。

 

「猿芝居はよせ。その手口はもう見飽きた」

 

しかし、その表情は、冷酷な視線と冷ややかな侮言に、瞬時に凍りついた。

 

「人質の中に味方を紛れ込ませる手口は知っている。ポケットに拳銃を隠し持っていることもだ。

そんなものが俺に通用すると思うな」

 

言葉で、蓮は男を凍りつかせた。

蓮は男を氷鎖で縛ったまま、徐に《蒼水球》へと手をかざす。

すると、《蒼水球》の下で渦潮が発生する。

 

「先に殲滅してしまったが、救助が最優先だな。隠れている者も含めて全員先に流そう」

 

《蒼水球》から新たに氷鎖が三本飛び出し、二本は吹き抜けの際にある三階へ、一本はフードコートの奥へと伸びる。

上からは私服姿の黒鉄一輝と長身痩躯の男が降ろされ、奥からは見えない何かが鎖に巻きつかれ《蒼水球》の中へと引き寄せられる。収容が完了した瞬間、《蒼水球》を乗せた渦潮は大波へと変わり、外へと流れて行った。

そして、それがフードコートを出て完全に外へ出たのを確認した時だ。

 

「あぁ⁉︎んだよこりゃあ⁉︎」

 

フードコートに驚愕の声が響いた。

声が聞こえた方に視線を向けると、そこにはぞろぞろと十人ほどの完全武装した兵士を連れて歩いてくる、顔に入れ墨の入った男がいる。

男は血に濡れたフードコートを見渡し、蓮と目が合うと、激情を孕んだ瞳で睨め付けてきた。

 

「テメェ何をしたぁっ‼︎」

「人質は全て逃がさせてもらった。ここにいたお前の部下達はこいつ以外全員殺した。黒地に金刺繍の外套を着ているということは、お前がこの一党のリーダーだな?たしか、ビショウといったか」

「テメェ…何もんだ?」

 

ビショウと呼ばれた男は、自分の名前が言い当てられたことに警戒を露わにし、蓮に問い掛けるが、彼が答える前に胸倉を掴みあげられている部下が必死にビショウに助けを求めた。

 

「び、ビショウさん!助けてくだっ」

 

しかし、その言葉が言い終わる前に蓮が振るった鉤爪で上半身を刈り取られ、生々しい音を立て地面に崩れ落ちた。

 

「ユーゴ⁉︎テメェッ!」

 

生首になった部下の名を呼ぶが、当然返事はない。

ビショウは攻撃的な眼光と手に持っていた拳銃を向けてくる、部下達も銃を咄嗟に構えた。

 

「抵抗するだけ無駄だ。お前の能力は既に割れている」

「は?何を言って…」

「概念干渉系《反射》。

固有霊装は両手中指の一対の指輪、珍しい形状だな。

反射使い(リフレクター)》。相手が強ければ強いほどに技の威力が増す受けの名手。

お前の場合は左の指輪で力を吸収し、右の指輪でそれを己の魔力に変換して敵に撃ち返す、といったところか。

だが、この能力は当人の認識能力に左右される為、それを上回る速度で攻撃するか、あるいは反射されても攻撃をそのまま撃ち抜けば簡単に対応できる」

 

己の能力を完璧に言い当てられたことにより、ビショウだけでなく部下までもが全員息を呑んだ。

これは蓮が持つ霊眼の特性によるものだ。

 

伐刀者の能力は大きく分けて四つが存在する。

身体強化系、自然干渉系、概念干渉系、因果干渉系の四つに分けられる。そこからさらに細かく分類されていくのだ。

そして伐刀者の能力にはそれぞれ異なる波長(パターン)があり、大まかに分けて四系統、細かく分ければ多種多様だ。

蓮はその波長を視ることが出来る。

ただ霊眼を持っているだけでは、到底できない。使い熟せるようになった者にしかできない芸当だ。

今まで数多の戦場や、学園、国防軍で会ったことのある伐刀者の波長を片っ端から全て視て解析し記憶した。

もはやそれはデータベースといっても差し支えないほどの情報量であり、彼は霊眼でビショウを解析、記憶から照合し、概念干渉系《反射》の能力を持つ伐刀者だと看破したのだ。

しかもそれだけでなく、体内の魔力が左手から右手へと流れていることも見抜いた彼はビショウの戦闘スタイルまでも完全に把握することができた。

もし、蓮が知らない能力の伐刀者がいたとしても、戦闘中に分析し覚えればいいだけの話だ。

 

「……テメェ、なんで……」

 

ビショウが呻く。その顔には、先の怒りはどこかに消え失せ、ただ恐怖しか残っていなかった。

 

「別にどうということはない」

 

蓮は兜の下で冷笑を浮かべる。

 

「俺にはそれを可能にする『眼』がある。

お前から視える魔力波長を読み取り、解析し、記憶から照合する。そうすればお前がどんな魔術を使うのかもわかるし、対処できる」

 

ビショウ達には蓮が何を言っているのか理解できなかった。

だが、これだけは分かった。

目の前のこの男は、最初から、自分達のことを同じ人間としてみてはいない。

彼らの持つ、顔も名前も個性も意思も、そして能力も、この男にとってはなんの意味もなしていなかったと、ビショウは直感的に理解した。

この男にとって自分たちは、単なる『敵』に過ぎない。『障碍物』でしか無い。

そして今、取り除く方法を確立したことで、障碍物ですらなくなったのだ。

 

「さて、さっきお前は俺に何者かと聞いてたな。いいだろう、最後に俺が誰かくらいは教えてやろうか」

 

蓮はポツリと呟くと兜を解除し素顔をあらわにした。

現れた男の素顔を見た瞬間、ビショウ達は驚愕を露わにし、表情を凍りつかせる。

 

「し、《七星剣王》新宮寺蓮⁉︎」

 

今まで以上の動揺が彼らの中に広がる。

 

「ああ、そうだ。俺は今からお前達を、殲滅する」

 

その両眼に青白く燃える業火を宿した蓮は淡々と無機質にそう告げた。

それはビショウ達にとってはもはや死神の死刑宣告にしか聞こえなかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「ステラ!珠雫!二人とも大丈夫?」

 

蓮によって《蒼水球》に収容され、モールの外へと押し流された黒鉄一輝は、同じように流された人質たちが外で待機していた警察たちに次々と保護されていく中、妹珠雫のルームメイトであり、今日ステラ、珠雫と共にモールに遊びに来ていた長身痩躯の男、有栖院凪と共にステラと珠雫の元へと駆け寄る。

二人は一輝の声に気づきすぐに立ち上がった。

 

「ええ、私達は無事です。ですが、アレは一体何者なんですか?あんな躊躇なく人を殺せるなんて…」

「ええ、あたしも驚いたわ」

 

珠雫と有栖院凪は訝しげな視線をショッピングモールへと向ける。

ここからはショッピングモールの外観しか見えない。だが先程何人ものテロリスト達が無残に斬り殺されたのを目の当たりにしてしまったからか、今も中で同じようなことが起きているのではないかと、疑惑と畏怖の感情をその瞳に宿していた。

 

「ッ!」

「ステラ行っちゃ駄目だ」

 

そして、珠雫と同じように身を起こしたステラが弾かれたようにモールの中へと駆け出そうとしたが、一輝が彼女の腕を掴んで引き止めた。

 

「ステラが怒る気持ちはわかる。でも、あそこに戻ったとしても、彼は止まらないし、止められない。逆にステラが危険な目にあう。死にに行くようなものだ」

「だからって……、っ!」

 

だからってあんな人殺しを放置していいわけがない。

そう返そうとして、ステラはハッとする。それは同じく話を聞いていた珠雫や有栖院凪も同じく。

 

「ちょっと待って。イッキ今『彼』って、アイツの事を知っているの?」

 

この気づきに珠雫も有栖院凪もハッとし、疑惑の目を一輝に向ける。一輝はただ静かに首を縦に振りそれを肯定した。

 

「ああ、知っている。知らないわけがない。彼は…新宮寺君だよ」

『ッ⁉︎』

 

三人は揃って驚愕に息を呑んだ。

まるで息をするように平然と何人も斬り殺した男が、自分達が通っている学園の先輩で、日本最強の学生騎士《七星剣王》の称号を持っているあの新宮寺蓮だということがあまりの衝撃だったのか、珠雫は若干震える声音で一輝に問うた。

 

「そ、それは、本当なのですか?」

「うん。あの鎧は《海龍纏鎧》。僕達をここに運んだ水の球体は《蒼水球》だ。見たことがあるから見間違えるわけがない」

「け、けど、何であんなに殺したのよ‼︎シングウジ先輩だったらそれこそ、怪我人も出さずに、簡単に無力化できたでしょ⁉︎」

 

ステラの言い分は最もだ。

確かに蓮ほどの実力者なら人質に怪我を負わせることなく、簡単に敵を無力化できる。だが、彼はそうはせず躊躇なく全員を殺した。

その行為は、ヴァーミリオン皇国で育った彼女からしてみれば、許容しかねるものだった。

そんなステラの性質を知っている一輝はそれを肯定した。

 

「ああ、確かに彼なら簡単にできただろうね。でも、彼はそんなことはしない」

「どうしてよ⁉︎」

「戦場を知っているからだよ」

 

なぜかと問われれば、一輝にはそう答えることしかできなかった。

何せ、一輝も蓮のことは詳しく知らないのだ。

去年の交流で外面の強さは知った。どういう性格なのかもなんとなく分かった。だが、彼の過去は、戦う動機は、分からなかった。

いくら目を懲らそうとも彼の底は見えなかったのだ。

それは他の友人達も同様で、彼のことを詮索することは今までなかった。それ以上に、彼が自分の話を一切しないからだ。

しかし、幾度も特例招集を経験し、世界各地を飛び回り、戦っていることは知っている。それで紛争を終わらせたことも、犯罪組織をいくつも潰したことも何度もニュースになっているから知っている。

しかし、彼がどんな風に戦っているのかは一輝も今日あの蹂躙を見るまで知らなかった。

 

「何度も特例招集を経験して、戦場で命のやり取りを経験して来たから、としか言いようがない。

僕もステラも戦場に赴いた経験はないしテロに遭遇した経験もない。けど、彼はそのどちらも経験している。しているからこそ、その時どうすればいいかを身を以て知っているんだよ」

「……だとしても、アタシは納得できないわ。あんなの間違ってる」

 

ステラは自分の価値観に基づいて、人を助ける為とはいえ蓮がやったことはどうしても許せなかった。その時だ。

 

「あんなバケモノを止めようなんて、考えないほうがいいよ」

 

突然、一輝達の会話に一人の男の声が割り込んできた。

声のした方を見れば、一輝達と年の変わらない、線の細い少年がいた。

その人物を一輝は知っている。何しろ元クラスメイトなのだから。

 

「久しぶりだね。桐原君」

「ああ、久しぶりだね。黒鉄一輝君。…君、まだ学校にいたんだね。とっくに退学したのかと思ったよ」

 

かつての級友である桐原静矢は、静かに微笑むと、細めた瞼の隙間から、嘲りの視線をよこした。

 

「「っ」」

 

ステラと珠雫の二人が目に見えて不快な表情に変わり、声を荒げようとした刹那、一瞬先に一輝が言葉を返した。

 

「お生憎様留年しただけで済んだよ。君もここにいたんだね。誰かと遊びに来たのかい?」

「ガールフレンド達とね。それがまさかこんなことに巻き込まれるなんてね。最悪だよ」

 

桐原はやれやれと肩をすくめる。

彼の後ろには着飾った少女達がいて、皆一様に顔を青ざめていた。彼女らが桐原のガールフレンドととやらであっているのだろう。

 

「それで、バケモノって新宮寺君のことかい?」

「当然さ。他に誰がいるってんだよ。あんなに躊躇いなく人を斬り殺すのをバケモノ以外にどう例えればいいんだい?」

 

戯けたような口調ではあるが彼の顔には明らかな警戒と畏怖が浮かんでおり、それが彼が本気で蓮のことをバケモノだと思っている何よりの証左だった。

 

「あれはただの化け物だ。人の皮を被った怪物。あれが《七星剣王》なんだから嫌になっちゃうよ」

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「う、撃て!撃ちまくれェェッ!」

 

ビショウは原初的な恐怖と焦燥に駆られ、射殺を半ば悲鳴混じりの声で命じた。

だが——

 

「な、な……」

「た、弾がでねぇっ⁉︎何が起こってんだっ⁉︎」

「何やってんだテメェらっ‼︎早くこいつを撃ち殺せっ‼︎」

「で、ですが、弾が出ないんですっ‼︎」

「はぁっ⁉︎」

 

いくら引き金を引こうとも弾丸は、一発も発射されなかった。

既に手は打たれていたのだ。先程人質を囲んでいたテロリスト達がもつ銃火器の火薬を凍らせたが、彼が凍らせたのは()()()()()()()()()()()()。つまりこのモール内にいる解放軍達が装備している銃火器の火薬を先程既に全て凍らせていた。

しかし、彼らは火薬を凍結させられていることに気づいていない。なぜ弾丸が発射されないのか、パニックに陥っていた。

 

「テメェ何しやがったぁ⁉︎」

「………」

 

ビショウが先程と同じように叫んでいるが、もう、これ以上この男達に付き合うのも億劫なので、返答の代わりに右手を前に突き出す。

次の瞬間、天井から、床から、壁から、柱から、空中から、ありとあらゆる方向から様々な形状の水氷の刃が無尽蔵に生えテロリスト達の身体をバラバラに斬り裂いた。

 

斬り裂く海流の乱刃(アクア・スラッシュ・ラーミナ)》。

 

ありとあらゆる場所から水氷の刃を生み出し、敵の悉くを斬り裂く伐刀絶技だ。

部下達がことごとく斬り裂かれ絶命する中、使徒であるビショウだけは、情報を引き出す必要がある為、四肢を斬られるだけにとどまった。

 

「ぎゃああぁぁああ!て、テメェよくも—ガッ⁉︎」

 

ビショウの悲鳴混じりの抗議は、刃で全身を貫かれ強制的に打ち止められた。

幻想形態で全身を貫かれた彼は、あまりの激痛に泡を吹き、失禁して、いつのまにか失神していた。

血だまりの中に沈む数多の死体と、失神しているビショウを見回し、眉を顰めた蓮は獣の腕を元に戻し、血の海とも形容できる血だまりを全て乾燥させ赤黒い粉に変え、斬り落とした者達の断面を全て一瞬で凍結させた。

これで後に処理を任せる警察の者達も少しは気が楽になるだろう。

蓮はそれきり彼等を一瞥することもなく背を向けその場を立ち去った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

ショッピングモールから出て来た蓮を一番に出迎えたのは外に待たせていた陽香だった。

 

「蓮さん!お怪我はありませんか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

駆け寄ってきた陽香に蓮は纏ったままだった《海龍纏鎧》を解き、素顔を露わにし、怪我がないことを示す。

それを見て陽香は胸を撫で下ろした。

と、同時に、陽香の後ろから先ほど蓮が話していた警察の責任者が駆け寄ってきた。

 

「新宮寺さん。今から調書を作りますので、署に同行願えますでしょうか?」

「無論です。すぐに行きましょう」

「ありがとうございます。それと」

 

そういって、彼が後ろを向いた先には先程テロリストに殺されそうになっていた親子がいた。

何故まだここにいるのだろうかと訝しげに思った蓮だったが、

 

「二人が貴方にお礼を言いたいらしく」

 

責任者の一言で蓮は納得した。助けられたお礼を言いにくるのは今までも何度かあったからだ。

責任者の言葉とともに母親が前に出てきて、蓮に深々と頭を下げた。

 

「あの、騎士様、私達を助けてくださり本当にありがとうございます。貴方がいなければ私達はどうなっていたか…」

「気にしなくて結構です。俺は騎士としての責務を果たしたまでですので。それより子供の顔は大丈夫ですか?一応、逃す時に『治癒』を施しましたが…」

「ええ、それはもう綺麗に治りました。騎士様のおかげです。ほら、シンジ貴方もお礼を言って」

 

母親がシンジと呼ばれた少年の背中を押し、蓮の前に立たせた。シンジは屈託のない笑みを浮かべ蓮を見上げると、

 

「おにーちゃん!助けてくれてありがとう!」

 

そう元気な声で礼を言った。

 

「ああ、どういたしまして」

 

蓮はそれに微笑むと、片膝をつき少年と同じ視線までしゃがむと優しい声で言葉を返した。

 

「顔は大丈夫か?」

「うん!もう全然痛くないんだ!おにーちゃんのおかげだよ!」

「そうか。それなら良かった。だが、さっきのような事はもうするな。如何してかは分かるな?」

「…うん」

 

シンジは若干声音が暗くなって顔を俯かた。蓮に言われずとも彼もさっきの行動が自分だけでなく母親までも危険に晒したことを子供ながらに理解したのだろう。

蓮は右手を少年の肩に置くと、静かに言った。

 

「別に責めているわけじゃない。

お母さんを守りたかった気持ちはわかるが、無策で挑んだところで何も救えない。それどころか、自分だけでなく他人までも危険に晒してしまうという事を覚えておいて欲しいんだ。

それに、君のお母さんを守るために動いた勇気は立派だった。それだけは誇っていい。ただし、これからは気をつけろよ。今回みたいに助かるとは限らないからな」

「うんっ!」

 

そして帰路に着いた親子達を見送った後、蓮は陽香に視線を向ける。

 

「陽香はどうする。署で待つか?このまま学園に帰ってもいいんだぞ」

「いえ、蓮さんがいいのなら署で待ちますよ」

「待ってても退屈なだけだが」

「大丈夫です」

 

陽香はそう言って頷いた。蓮はそれ以上は何も言わずに、責任者の方へと向き直る。

 

「では、彼女も一緒に署に向かうということでお願いします」

「ええ、分かりました。パトカーはこちらにあります」

 

そう言って、責任者がパトカーへ二人を誘導しようとした時、こちらにもはや敵意とも言える鋭い視線を向けてくる存在に気づいた。蓮は足を止めそちらの方へ視線を向けると、思った通り、ステラ・ヴァーミリオンが睨んできていたのだ。その後ろには珠雫、一輝、それと先程一輝と共にいた長身の男がいた。

蓮は一つ嘆息すると、責任者と陽香に先に向かっていて欲しいと言い、二人をパトカーの方へ行かせた後、彼女に振り返った。

 

「何の用だ。ヴァーミリオン」

「……アナタ、何とも思ってないの?」

「何をだ?」

「ッ!テロリストを殺したことに決まってるでしょ⁉︎あそこまでする必要はなかったはずよ!なのに、どうして殺したの‼︎」

「…はぁ」

 

ステラの怒号混じりの質問に、蓮は露骨に溜息をつき、呆れた視線をステラに向けた。

 

「どうもこうも奴等はテロリストで何の罪もない親子を殺そうとした。それだけで殺す理由は十分だ」

「確かにあれは許されない行為だわ。でも、アナタなら殺さなくても無傷で拘束できたでしょ!」

「ああ、出来たな。だが、それをする必要性が感じられない」

「え…?」

 

冷たく淡々とした口調に、ステラは呆然とする。

 

「解放軍がテロを起こしたのなら、もうそこは日常ではない。非日常の戦場だ。それに武器を持って人を殺そうとするのなら、自分も殺されるかもしれないことは頭に入れておくべきだ。

そして奴等は人質を殺そうとした。ならば生かす理由などない。彼ら自身で代償を払ってもらった、それだけだ」

「それは……」

「そもそも、お前は実戦経験はあるのか?特例招集で戦場に赴いたことは?」

「…な、ないわ…」

 

ステラは蓮の言葉にそう答えるしかなかった。

彼女は確かに強い。蓮に完膚なきまでに叩き潰されはしたが、ヴァーミリオン皇国では一番の実力者だ。だが、彼女は戦場を知らない、命の保証がある《幻想形態》での戦いしか知らない。

自分の命を懸けた殺し合いなど、彼女は経験したことがなかった。

蓮はつまらなさそうに彼女を見下ろすと、聞き分けのない子供を叱るように厳格な口調で続けた。

 

「戦場では一瞬の判断が状況を左右する。

何も考えずに突っ込んだせいで味方が死ぬこともある。

救助が間に合わず、市民が敵に殺されることもある。

家族や友人を目の前で殺され、悲しみ怒る者がいる。

お前はその現実を知らない。その光景を見ていない。人が殺されるということがどんなことになるのかを知らないから軽々しくそんなことを言える」

「そ、そんなことはっ!」

「ある。知らないからそんな綺麗事を吐けるんだ」

 

蓮は彼女の言葉を容赦なく切り捨てた。

蓮は人の死を多く見てきた。自分が殺した者、敵に殺された者。数え切れないほどの多くの死を見た。

戦争の中で親や、子、友を殺され、悲しみ怒る者達を見た。

仲間や家族の亡骸を抱えたり、縋り付いて泣き叫ぶ者達を見た。

愛する者を奪われることがどれだけ辛く残酷なことなのかを身をもって知っているからこそ、彼は戦い続けるのだ。

 

「お前はヴァーミリオンの皇族だろ。

騎士であると同時に政界人でもあるお前は自国の人間の命を何よりも優先する責務があるはずだ。民の命が危険に晒された時は民を守るため、敵対するものは殲滅する。そうしなければ、家族も、仲間も、誰一人守れず、失うからだ。

誰も殺さず、誰も死なせない?巫山戯るな。そんな綺麗事が伐刀者の世界で通用すると思ったか。

優しさだけで、理想だけで、大切なものを守れると、誰かを救えると思うな。それはただの思い上がりだ。

命の保証が必ずある試合しか知らない者が、俺のやり方に口出しをするな」

「で、でも!だからって!」

 

ステラは蓮の言葉に反論しようとするが、何も言葉が思いつかなかった。

彼が言ってることは反論の余地がないほどに、正しい。

いざという時に優しさを振り切り、理屈に徹する。それは政界人として、戦士としてはまさしく理想的な在り方の一つだ。

ステラはそれを言葉としては知っていたが、そういう人物に会う事は今までなかった。だから、どうすれば彼の言葉を覆せるのかわからなかった。

蓮は言い淀んでいるステラから一輝へと視線を向けると、冷たく鋭い眼差しを向けた。

 

「黒鉄、どういうつもりか知らんが、お前がそうしたいのなら好きにすればいい。

どちらを選ぼうと俺にはどうでもいいが、レオ達には一言ぐらい言え。お前のことを多少なりとも気にかけていた」

「……」

「俺からはそれだけだ」

 

そう言い残すと、何も答えない一輝に背を向け警察の責任者と陽香が向かったパトカーの方へと歩いて行った。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

警察署で事情聴取を終えた蓮は、受付で待たせていた陽香と夕焼けが照らす道を歩いていた。

警察署から学園は少し距離がある為、パトカーで送ると提案されたが、夕食も外で済ませるつもりだったので、その提案は断り、今は陽香が事前に調べていたレストランに向けて歩いていた。

しばらく無言で歩いていた時、蓮が口を開いた。

 

「…今日は大変だったな」

「そうですね。まさか、テロに巻き込まれるなんて」

 

陽香が昼間のことを思い出して心の中でため息をつく。

せっかく凪達と考えたデートプランが解放軍達のせいで午後の予定がほとんどお陀仏になってしまったのだ。ため息をつくのも無理はない。

だが、こうして最後に夕食に行けるのは不幸中の幸いだった。

 

「しかし、本当に良かったのか?」

「え、何がですか?」

「警察署で待ってたことだ。テロの後始末でいつ終わるかもわからないのにわざわざ俺の事を待つ必要なんてあったのか?」

 

その疑問は蓮が警察署に向かう前に陽香にしたものと同じだった。蓮としてはテロの後始末に時間がかかる事を知っている。今回は手短に済ませることができたが、何度も同じ様には行かない。(と言っても、そもそもテロに巻き込まれること自体かなり珍しいことだ)

それなのに、(彼女自身の要望ではあるが)女の子を長時間一人で待たせてしまったことに多少の罪悪感を蓮は抱いたのだ。

だが、そんな疑問に陽香は首を横に振ると、穏やかな笑みを浮かべ蓮を見上げた。

 

「いいえ、全然問題ありません。取り調べに時間がかかるのは仕方のないことです。それでも、蓮さんを待ったのは私がそうしたかったからです。蓮さんが気を使う必要はありません」

 

それに、と陽香は続ける。

 

「婦警さんが話し相手にもなってくれましたし、退屈ではありませんでしたよ」

「……そうか」

 

蓮は苦笑しながら頷いた。

これ以上の気遣いは彼女を逆に怒らせてしまうだろうと蓮は理解したからだ。

その時、蓮のズボンのポケットから端末のメールの着信音が鳴り響いた。ディスプレイを見れば、差出人は選抜戦実行委員会。

 

「…実行委員会からか」

「対戦相手の通知ですか?」

「恐らくそうだろう。さて、誰になったんだろうな」

 

蓮が端末を開き、メールの内容に目を通す。その内容は、

 

『新宮寺蓮様の選抜戦第一試合の相手は、二年四組葛城レオンハルト様に決定しました』

 

「…まさか、初戦から当たるとはな」

「誰だったんですか?」

 

蓮は無言でメールを見せる。内容を見た陽香は目を丸くして驚いていた。

 

「え、葛城くんと?」

 

確かに選抜戦の対戦相手は抽選で決まる為、誰が相手なのかは出るまでわからない。ともすれば、知り合いとぶつかる可能性だって十二分にあり得る。だが、まさかいきなり一戦目で自分の親しい友人と想い人が戦うことになろうとは誰が思うだろうか。

陽香の言葉に蓮は頷く。

 

「そうみたいだ。決まったものは仕方がない。誰であろうと叩き潰す。それだけだ」

 

その顔には何の表情も浮かんでなく、緊張も、油断すらもない。ただあるがままに事実を受け止め、普段通りに戦う。友人とか知り合いなど関係ない。相対し戦うというなら誰であろうと叩き潰すという機械じみた意志が、冷たく、鋭い、鋼のような声音に宿っていた。

 

 

同時刻、破軍学園の食堂ではレオ、マリカ、那月、秋彦、凪の五人が夕食をとっていた。

既にレオ以外の四人は対戦相手が決まっており、未だ決まっていないレオはまだかまだかと食事中でもチラチラとポケットにしまっている端末を気にしてばかりいた。

やがて、端末からメールの着信音が響くとレオはバッとポケットから端末を取り出しディスプレイを見る。

送信者は選抜戦実行委員会。

やっと来たかと思い、メールを開き内容に目を通した瞬間。

 

「…マジかよ」

 

顔を青ざめ一言そう呟きテーブルに突っ伏した。

それを不思議に思った秋彦がレオに声をかける。

 

「レオ、どうしたんだい?いきなり机に突っ伏して」

「……選抜戦の相手が決まったんだよ」

 

レオがげんなりとして呟く。

彼の様子からして当たって欲しくない相手だったらしい。

 

「やっと来たんだ。それで、誰が相手なの?」

 

相手が気になったマリカは誰なのかをレオに問うた。

マリカの問いにレオは一言。

 

「蓮」

 

対戦相手の名を言った。

その名を聞いた四人のうち凪以外が全員『うわぁ』と一言呟いた。

 

「それは…運が悪いとしか」

「まさかいきなりラスボスと当たっちゃうとはねー。あんたくじ運悪すぎよ」

「が、頑張ってください」

「…ファイト」

「……はぁ」

 

気休めにもならない慰めにレオは露骨にため息をつく。

親しい間柄にいるレオ達は彼の強さをよく知っている。そして友人だからといって遠慮するような男ではないということも。

そしてレオは一度深く息をつくと、

 

「まあ決まったもんはしょうがねぇ。腹括るか」

 

多分、いや確実に蓮には勝てないことは分かっている。

蓮とレオの間には隔絶した実力差があるし、普段の鍛錬でも本気のほの字も出していないことなど丸わかりだ。

だからといって、ただで負けてやるほどレオだってやわではない。

できるだけのことはやるし、足掻くだけ足掻いてせめて無様を晒さない様にはしなければ、とレオは覚悟を決めた。

 

それに、蓮にはまだ見せていない『とっておき』もある。少なくとも一泡吹かせることぐらいはできるかもしれない。

 

 

こうして、学内序列1位《七星剣王》新宮寺蓮と序列7位《鋼の獅子》葛城レオンハルトの試合が決定した。

 




憎悪と憤怒を糧に『人』を捨て『獣』へ堕ちた彼は戦い続ける。

狂気をその魂に宿した彼は先の見えない闇の中を更に先へ歩き、更に深く沈んでいく。

そうしなければ、何もかも失ってしまうと思っているから。


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19話 獅子の意地

 
16巻買いました!
最初のカラーで素晴らしい絵が見れて眼福だった。皆さんいい物をお持ちでしたね……。
それと《大炎》の宗教名見て銀魂を思い出したのは私だけではないはず。

毎回予想の斜め上を言っていて、読んでいてほんとに飽きない!
今まで出てきたキャラたちの成長も見れたし、カナタや刀華、泡沫の日常系ストーリーが見れて良かったです。

というか、刀華さんは大丈夫なんでしょうか。読んでて不安しかない。

それととりあえず、蔵人と綾瀬はとっととくっついて欲しいと思った。

5/12追記 《海龍纏鎧·王牙》の形状に一つ設定を追加しました。

 


解放軍の事件から一夜が明けた月曜日から、破軍学園ではついに六つの『七星剣武祭出場枠』を巡る『選抜戦』が始まった。

 

マリカと秋彦は一日目に、陽香と凪は二日目に、蓮とレオは三日目に試合がある。

そして既に二日目までの試合は終わり、あとは三日目の試合を残すだけとなった。

 

一日目、序列5位《剣の舞姫》木葉マリカは慣性操作による伐刀絶技《山津波》で敵に高速接近し、一刀の元に切り捨て瞬殺した。

序列6位《精霊使い》岸田秋彦は概念干渉系『精霊』の能力で、様々な精霊を使役し、敵を圧倒した。

 

二日目、序列8位《音響の射手(サウンドシューター)》北原凪は『振動』の能力で、敵に振動波を放ち豪快に吹っ飛ばし場外アウトで勝利。

序列9位《閃光の魔女》五十嵐陽香は『光』の能力で、凪とは打って変わって繊細な魔術で敵を翻弄し勝利。

 

蓮の友人達の殆どが無傷での完全勝利を飾っており、その序列に恥じない戦いをした。

 

他にも期待の新人の首席入学者Aランク《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン、次席入学者Bランク無名の黒鉄珠雫も目を引く戦いぶりだった。

二人は一日目の試合に出場し、ステラは一歩も動かずに圧倒的な力を見せつけ相手を蹂躙した。珠雫は卓越した魔術制御により属性の相性差を物ともせず、相手を容易くねじ伏せた。

 

そして蓮達と関わりの深かったもう一人《落第騎士》黒鉄一輝は二日目の試合に出場した。

対戦相手は元同級生の《狩人》桐原静矢だ。

広範囲攻撃を持たない一輝にとって、桐原は相性最悪の相手だった。

それに加えてその日の一輝はコンディションが最悪だった。

公式デビュー戦の緊張だけではない。

ただただ理不尽に耐え続けてきた彼がやっとの思いで得たチャンス。それはプラスにもなるが、同時に自らの全てを試される機会でもあった。

負ければ、全てが無に帰す。これまでの苦渋の日々が、全て無駄だったのではないかという未曾有のプレッシャーが彼の心を蝕んでいたのだ。

それに加え、天敵とも言える桐原は己の能力をさらに向上させており、一輝にとってまさしく最悪の事態に陥っていた。

 

そして、桐原に嬲られていた時に、『七星剣武祭で優勝し、七星剣王になれば卒業させてやる』という本来知るはずのない真実を観衆達が知り、彼らは一輝を嘲笑った。

初めはその罵声に一輝のクラスメイトたちが反論した。

『七星剣王ですら稀のAランク騎士であるヴァーミリオンに勝ってるから、実力がある』と。

だが、それすらもヤラセや八百長などありもしない荒唐無稽な空想を正当化し現実を否定する言葉に、やがて飲み込まれていった。

桐原の煽りに呼応した観衆達の津波のような罵詈雑言が重圧となり一輝の心が折れそうになっていた。

だが、そんな彼らにステラが激昂しこう叫んだのだ。

 

『FランクがAランクに勝てるわけがない?そんなの、アンタ達が勝手に決めつけた格付けじゃないのッ!アタシ達天才には何をやっても勝てない。そうやって勝手に枠にはめて、自分自身の諦めを正当化しているだけ!そうやってお前達が諦めるのは勝手の。だけどお前達の諦めを理由に一輝の強さを否定するなッ!』と。

 

それは彼の実力を身を以て体験しているからこそ、自分自身の価値を信じ続けた男の魂の輝きを見たからこそ言える言葉。

あれほど他人を強いと思った瞬間はない。あれほど他人に憧れた瞬間もなかった。そしてそれがどれだけ誇り高いことか、彼女は知っているから。

 

『才能なんてその人間のほんの一部でしかない。そんな小さなモノにしがみついているアンタ達に、イッキの強さがわかるわけがないッ!理解できるわけがない!だからそんな知った風な口で、アタシの大好きな騎士をバカにするなぁっっ‼︎‼︎』

 

それは一人の少女の嘘偽りない紛れも無い本心。

自分が海を渡って初めて戦い、負かされた自分の憧れの騎士だから。

自分は黒鉄一輝という男の価値を信じているから。

その叱咤に、一輝の心には確かな闘志の炎が灯り、立ち上がる。

 

そこからは一輝の逆転劇の始まりだった。

他人の剣術の型や太刀筋から積み重ねられた歴史を紐解き、そこに至る思想を汲み取り根幹にざす『理』を暴き剣術を盗む己の剣術《模倣剣技(ブレイドスティール)》。

それを応用し、対戦相手の『絶対価値観』を盗み出し、思考や感情の全てを掌握する《完全掌握(パーフェクトヴィジョン)》を編み出し、桐原の不可視の矢を捉え、隠れている桐原の姿を探し出し追い詰めていった。

今まで見下していた人間が自分を追い詰める状況に、今まで試合で怪我をしたことがなかった桐原は恐怖し、彼に必死で命乞いをし、挙句にはジャンケンで決着をつけようなど子供じみた懇願をしたが、それに一輝が耳を貸すはずもなく、結局鼻の頭の皮膚を出血すらしない程度に浅く切られただけで口から泡を吹き失神した。

 

選抜戦二日目、《落第騎士》黒鉄一輝と《狩人》桐原静矢の戦いは大多数の予想を裏切る結果に、つまり黒鉄一輝の逆転勝利に終わった。

 

その日彼等は魅せられた。

凡人が才能のあるものを降すいう逆転劇に———。

 

しかし、次の日彼らは思い知らされる。理解させられる。刻み込まれる。

 

 

絶対的強者がどんなものなのかを。

 

 

圧倒的才能がどんなものなのかを。

 

 

唯一無二の最強の男の実力を。

 

 

桐原程度の『名ばかりの天才』では無い。紛う事なき『本物の天才』の実力を————!

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

そして選抜戦三日目最終試合。

試合会場の一つ第七訓練場では本日最後の試合が始まろうとしていた。

観客席は満席になり、先日のAランク同士の試合の時のように外に観衆は溢れ、大型モニターを再び取り付ける事態となる。

しかしそうなるのも当然だ。なぜなら、今から行われる試合はそれだけ見る価値があるものなのだから。

 

『さあ、ついに本日の最終試合が行われるわけですが、すごい人だかりです!しかしそれも当然!なぜならこの試合はそれだけ注目される選手が出るのですから!なお実況は引き続き、私、放送部の月夜見が、解説は西京寧音が担当します!』

『ういー、よろしくねー』

『さあそれでは注目の選手の紹介です!まず赤ゲートから出てきたのはこの男っ!

その高い攻撃力と防御力はまさに鋼の如く、勇猛果敢に戦う姿はまさに獅子の如し!その姿からついた二つ名は《鋼の獅子》!

七星剣武祭代表有力候補の一人、学内序列7位の二年Dランク葛城レオンハルト選手ッ!』

 

実況の紹介に合わせ、赤ゲートからは茶髪の大柄な少年が出てくる。

茶髪に翡翠の瞳をもつ、ワイルドな少年は葛城レオンハルトだ。

レオは実況の紹介に合わせ、自分の意気込みを見せるかのように拳を上に突き上げる。

すると、観客席から歓声が湧き上がった。

 

『葛城選手気合は十分のようです!』

『いいねぇ、うちはああいうの好きだぜー』

『西京先生の好みはどうでもいいです』

『さいですか』

 

月夜見は先日解説をすっぽかされたことを根に持っているのか、寧音を雑にあしらう。

レオはそんな会話を聞き流しながら、リングの開始戦に立ち、青ゲートをじっと見据える。やがて、青ゲートから人影が姿を見せた。

蒼髪を靡かせ、怜悧な輝きを秘めた碧眼を携えた凛々しい青年新宮寺蓮が青ゲートから姿を現した。

 

『次に青ゲートから姿を見せるは我らが破軍学園新宮寺理事長の息子であり、風紀委員会副委員長にして、校内序列最高位!

彼こそ我らが破軍の誇りであり、日本の全ての学生騎士達の頂点に立つ覇王!

先日、学内序列上位の最上級生を全く寄せ付けず圧勝したステラ・ヴァーミリオン選手に無傷の完全勝利を飾り、U-12最年少での優勝記録は未だ破られず、七星剣武祭では一年生ながら圧倒的な強さで頂に上り詰め歴代最強の《七星剣王》と謳われる前年度主席入学者!その容姿と圧倒的な水魔術から《紺碧の海王》の二つ名を付けられ、それ以外にも数多の二つ名を持ち、未だ公式戦・交流戦共に無敗の絶対王者!

最強という言葉はこの男のためにあるようなものッ!

七星剣武祭代表最有力候補筆頭!二年Aランク新宮寺蓮選手ッ!』

 

実況の紹介に合わせ、蓮がリングに上がるとレオの時よりも大きい歓声が上がる。

紹介に蓮は特に反応することもなく威風堂々と、超然とした歩みで開始戦に立ちレオと向かい合う。

蒼髪の奥から覗く碧眼と目を合わせた瞬間、レオは楽しそうに笑った。

 

「へへっ、面白ぇ」

 

こちらを射抜くような鋭い眼光。氷刃の如き冷たい眼差しがこちらを真っ直ぐに見据えている。

確かに凄まじい。大抵のものなら目を合わせるだけで萎縮するだろう。だが、そんなことでは彼の闘志は損なわれない。

レオにはあえて強敵を求める悪癖こそないが、相手が強ければ強いほど、萎縮するのではなく血を熱くたぎらせる傾向がある。

それは、()()()()()()がそうさせているのかもしれない。だが、その都度、彼は心の中でこう嘯くのだ。

ーそれがどうした、と。

戦う前から負けた気になるよりずっといい。心が折れたら、逃げることすらできなくなる。

それがレオの信条だった。

心が折れることは、命を放棄すること。

逃げるのは、逃げられると思っているからだ。逃げることを諦めていないからだ。牙を剥く獣を前にした時、人は逃げようと思って逃げられるか?何も考えず闇雲に逃げ出すか、生き延びることを諦めて立ちつくすのではないだろうか。

ーそんな無様な死に方だけは御免だ。俺は戦って、生きる。

 

二人は20メートルほど間合いを開けて開始戦に立ち向かい合う。

怜悧な輝きを秘めた紺碧の眼光と好戦的かつ野生的な翡翠の眼光が交差する。

両者の間に言葉はない。交わす必要がなかった。

二人は交わす言葉もないまま、己が霊装を顕現させる。

 

「《ジークフリート》!」

「行くぞ。《蒼月》」

 

レオは両手に深紅の装飾が施された光沢のある漆黒の手甲《ジークフリート》を嵌め拳を構え、蓮は蒼銀の双刀《蒼月》を腰に提げ自然体で構える。

 

『それでは本日の最終試合、開始です!』

 

試合の火蓋が切って落とされた。

それと同時にレオが蓮に向けて駆け出す。

 

「《槌矛(シュトライトコルブン)》ッッ!」

「《海龍纒鎧》」

 

レオが叫んだ直後、赤光を放つ過剰な魔力がレオの右拳を分厚く覆い、蓮の全身を青白い魔力光が覆い水氷の武士鎧が包む。

 

「オオオオォォォォッッ‼︎‼︎」

 

雄叫びを上げながら、拳を強く引き絞り蓮に殴りかかる。

蓮はそれに対して避けずに左腕に雪華を形成し盾のように構えディフェンスの態勢をとり、レオの拳を受ける。

瞬間、重すぎる金属音が訓練場に響いた。

蓮の体が大きく跳ね飛ばされる。蓮は後方宙返りで転倒することなく、余裕を持って姿勢を立て直した。

 

「ッ!」

 

そして今度は蓮から動いた。

左腕に装着していた雪華を掴み外し、強く踏み込むと、右腕を大きく振るい手裏剣のようにレオ目掛け勢いよく投擲した。

 

「うおっ⁉︎」

 

レオはそれを間一髪回避。髪が数本斬られ宙に舞う。

レオの真横を通り過ぎた雪華は観客席の壁に深々と突き刺さる。

蓮は雪華を投擲した直後、足首、踵、腰、背中、肩、肘の、身体の各部の装甲がスライドし下から氷で構成した小さな筒状のようなものを何本も生やし、そこから水をジェット噴射のように噴出させ、レオに急速に迫る。

伐刀絶技《水進機構(レシプロ・スラスター)》。高速、飛行移動の為に使う補助型の絶技の一つだ。氷の筒を生成しそこから水を大量に噴射させることで推進力を得て加速しているのだ。

蓮は青白く輝く右拳を強く引き絞り、右肘から一層激しく水を噴射させ、先程のレオと同じように襲いかかる。

 

「《鋼鉄装甲(パンツァー)》ッッ!」

 

レオの防御は間一髪で間に合った。

全身に赤光放つ『硬化』の鎧を纏い、腕を交差させ拳を両腕で受ける。だが、

 

「ぐぉっ⁉︎」

 

レオの想定を上回る硬く重い一撃が、交差した両腕に突き刺さり、大きく吹き飛ぶ。

リングを転がったレオは急いで顔を上げようとし、自分の眼前に一つの影を見た瞬間、思考するよりも早く自ら地面を転がる。

《雪華繚乱》と《水進機構》を併用し頭上にいつの間にか移動していた蓮が左足を大きく振り上げた状態のまま勢い良く降下し踵をレオがいた場所に叩きつけた。

リングは叩きつけられた蓮の踵を中心に蜘蛛の巣状にひび割れ粉砕される。その余波は観客席にまで及び亀裂を刻む。

 

レオは足場を崩され、蹌踉めき片膝をつく。その隙を突き再び蓮が迫る。右足で大きく踏み込んだ蓮が左拳を振り上げ、上から叩きつけるように振り下ろす。

この左拳も先ほどと同じように水のジェット噴流の加速を得ており、凄まじい速度でレオの頭部めがけ迫る。

 

「《(シュペーア)》ッッ‼︎‼︎」

 

レオが指を揃えた右手を突き出す。

硬化した指の穂先と氷纏う拳が激突する。

一際重い金属音が響き、衝撃がリングを駆け抜ける。

 

「ッ!」

 

蓮は兜の下で僅かに目を見開く。

拮抗していた。自分の加速した氷拳とレオの硬化した四本貫手が。

そしてレオの貫手が刺さった一点に二人の規格外の膂力が集中し、そこを中心に亀裂が生じはじめる。その亀裂はだんだんと広がり、やがて甲高い音を立て手首から先の氷が粉々に砕け散り素手が露わになった。そこをすかさずレオが蓮の左手首を逃さないように強く掴む。

 

「オオラァァァァァッッッ‼︎‼︎‼︎」

「ッッ!」

 

雄叫びをあげて振るわれるボディアッパー。

蓮は回避しようとするも左手首がレオに掴まれたせいで回避できない。

その左拳には赤光が分厚く覆われている。発動している魔術は《槍》ではなく《槌矛》。レオが持つ一番の攻撃力を持つ鉄拳の一撃。

そして、右手で防ぐよりも一瞬先にそのボディアッパーが蓮の胸を捉え、重すぎる金属音を立てる。その音の中にピシリと小さな破砕音が混ざり聞こえた。

蓮の体が大きく殴り飛ばされるが、倒れまいとつま先に力を入れ、更に《水進機構》による慣性中和で踏みとどまるもの、勢いは殺せずリングを削りながら十メートルほど後退を余儀なくされた。

 

(…ここまで重いのか。お前の拳は)

 

蓮は内心でそう呟くと、殴られた胸部に視線を向ける。

大きな亀裂が入り、ボロボロと小さな氷の破片がいくつも零れ、中から制服があらわになっていた。

並大抵のものなら亀裂すら入れることができないほどの強度を持つこの氷鎧にレオは亀裂を入れ、砕いたのだ。

普段の鍛錬以上の強度、それこそ七星剣武祭で使用した氷の強度に匹敵するほどのものだ。

これには蓮も僅かながらも驚いた。

魔力放出による膂力強化とレオの異常な肉体性能が合わさり、手加減なしで放たれた全力の鉄拳《槌矛》。それは、ステラ・ヴァーミリオンの訓練場を揺らすほどの重撃を、容易く受け止めた蓮の堅牢なる防御を突破したことに他ならない。

そして胸に残る痺れと鈍痛。膝をつくほどのようなものではないがレオは僅かでも蓮にダメージを与えた。

 

蓮は本気でもなければ全力ではない。強すぎる『魔人』の力のほぼ全てを封じ力に制限をかけている。しかし、それでも並大抵のものなら容易くねじ伏せるレベルだ。

だが、レオは本気ではなくても圧倒的な防御力を持つ蓮の鎧の強度を一時的に上回った。これを成した学生騎士は、去年の七星剣武祭でAランクに昇格した、真弓、麻依、克己の三人だけだ。

序列7位《鋼の獅子》葛城レオンハルト。彼は間違いなく強い。ランクこそ平凡なDだが、それをカバーできるほどの圧倒的な肉体性能や戦闘センスを持っている。

近接戦闘に限定するならレオは七星剣王クラスだ。

強いのは知っている。蓮には及ばずとも、Dランクながらその高い攻撃力と防御力、攻防一体のシンプルな異能で序列7位まで登りつめた実力なのだ。しかし、ここまで強いとは、流石の蓮も思わなかった。

基礎能力が去年の時よりも著しく向上している。戦い方だけじゃない、魔力制御も、戦闘に必要な全てが大きく成長していた。

 

そして、この状態の氷を僅かにでも砕ける程のパワーを持っているのなら、()()()()を使って相手をしてもいいかもしれない。

蓮は人知れずそう思うと氷を瞬時に修復し、拳を強く握りしめ《水進機構》から水を噴射させ勢い良くレオに飛び出した。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

リングの上で繰り広げられる格闘戦。

戟音を奏で、火花を散らし、青と赤の二色の軌跡が激しくぶつかり交差する。

拳だけでなく、足技も交えた壮絶な格闘戦。お互い殴り合うかと思えば、どちらともなく攻勢に出て、どちらともなく守勢に回る。一進一退の攻防が試合開始から十分間ずっと幾重にも繰り広げられていた。

実況を務める月夜見の声が熱を増す。

 

『激しい格闘戦が繰り広げられていますっ‼︎

お互い一歩も引かないっ!一歩も譲らないっ!

男の意地のぶつかり合いだァァァァ‼︎‼︎‼︎』

 

月夜見の声に呼応して、観客達もそこかしこで驚きの声をあげる。

 

『すげぇ!葛城の奴新宮寺と互角にやりあえてる!』

『強いとは思ってたけど、ここまでやれんのかよ⁉︎』

『レオくんいっけー!!』

『あの《七星剣王》相手に、すごい……っ!』

『新宮寺の氷を何度も砕いてる!どんなパワーしてんだよ⁉︎』

『でも、瞬時に修復して対応してる!どれだけ高レベルな魔力制御なのよ⁉︎』

『副委員長!そのまま押し切れーー!!!』

『どっちも揃って化け物だ。葛城はDランクなのに、Aランクの新宮寺と張り合ってる……!』

『二人の戦いに会場中がどよめいています!

それもそのはず!力も、技も、その全てが校内戦レベルではありません!

七星剣王とそれに食らいつく実力者の戦い!

お互い被弾はありながらも一歩も引かない!

まさに龍虎相打つ!この戦い、いったいどちらに勝利の女神は微笑むのでしょうか‼︎』

 

選抜戦初戦の戦いとは思えぬほどに高度な戦い。それは観客たちを魅了し、熱狂の渦に引きずり込んだ。

 

「あの葛城という人、Dランクとは思えない強さですね」

「音が尋常じゃないわ。二人ともどんなパワーしてるのかしらね」

 

同じように試合を見ていた珠雫もアリスも感嘆の声を漏らす。

そして、彼らと同じように試合を見ていたステラは、

 

「すごいっ……」

 

険しい表情を浮かべながら、二人の戦いに感嘆の声をこぼす。

珠雫やアリスと違い直接蓮と戦った経験があったからこそ、彼らの強さをより強く痛感したのだ。

自分以上の剛力を使う騎士が二人もいたこと、自分は蓮にかなり手加減されていたこと。その二つの事実を理解したからだ。そして、その呟きを隣で聞いていた一輝は、試合から目を離さずに彼女の言葉に応えるように口を開く。

 

「ステラ、珠雫。この試合はよく見ておいたほうがいい。新宮寺君は勿論のこと、現時点では今彼と戦っている葛城君も君達と同格か格上の騎士だ」

 

一輝の言葉に二人はやや強張った表情で頷く。

 

「……ええ、正直、かなり勉強になるわ」

「…私もです。どうやら認識を改めないといけませんね」

 

二人はそのまま試合を見続ける。

自分より格上と同格の騎士達の戦いから少しでも技術を吸収するために。

 

 

そして、一輝達がいる赤ゲートとは正反対の位置にある青ゲートの真上で試合を見ているマリカ達一行もまた驚いていた。

 

「レオ君凄いですね。蓮さんとあそこまで撃ち合えるなんて」

「うん。去年のレオではあそこまで戦うことはできなかった」

「…凄い」

「うん、蓮さんと互角に殴り合えるのは葛城君のパワーだから出来る芸当だよ。少なくとも私達じゃあんな戦い方できないよ」

 

彼らもレオの成長に驚いていた。

少なくとも去年のレオでは、あそこまで殴り合えていなかった。そうする前に魔術の持続時間が切れるか、蓮に押し切られ敗北していたからだ。けれど今は違う。あの七星剣王と十分も壮絶な殴り合いを続けている。日本で無類の強さを誇る彼と互角に殴り合えるのすさまじいことだ。しかしそれと同時に、一つの現実が彼らには見えていた。

 

「…でも、蓮は全力も本気も出していない」

 

秋彦の呟きに全員が同意する。

そう。去年の七星剣武祭を見ていたから、今まで彼の強さを見てきたから、分かる。

 

蓮は手加減していると。

 

蓮はレオのように近接特化型の伐刀者ではない。数多の経験と圧倒的な戦闘技術とセンスによる近、中、遠距離の全てに対応できる全距離対応万能型の伐刀者だ。全ての距離において敵を圧倒し捩じ伏せるほどの技術と暴力を持っている。まさしくオールラウンダー型の伐刀者だ。

今の攻防に限定すれば確かに五分なのだろう。しかし広い視野で戦い全体を見つめれば、蓮が手加減をしていることぐらい一目瞭然。レオもそれは重々承知のはずだ。

そして彼らの会話に一切参加しなかったマリカは神妙な面持ちでリングを見下ろしていた。

 

(………レオ、アンタ早く『アレ』を使わないと、何もできないまま負けるわよ)

 

 

▼△▼△▼△

 

 

(……分かっちゃいたが、やっぱ強ぇなぁ)

 

蓮と長時間殴り合いを続けるレオは内心苦笑いする。

分かってはいたことだが、やはり蓮は強い。

周りは拮抗していると騒いでいるが、実際は違う。自分は彼に手加減をされている。だから互角に見えるだけなのだ。《海龍纏鎧》と《水進機構》しか使っていないのが良い証拠。だが、そんなこと今に始まった事ではない。

なぜなら、彼が手加減していることなどとうに分かり切っていることだから。

それに、だんだんとレオは防戦を強いられるようになってきている。

蓮の連撃の回転速度が上がってきている上に、ダメージらしいダメージが入らない。

《水進機構》による急激な加速による攻撃の回転速度の強制上昇。それは肉体に相当な負荷を与えるはずだが、彼はそれを意に介さずに速度を上げ続けてきている。砕いた氷も次の瞬間には何事もなかったかのように真新しい状態へと修復されており、いくら砕いても彼の肉体に届く前に氷に阻まれてしまう。

おそらく『治癒』も並行して使用し続けているのだろう。

どんな傷でもほぼ一瞬で治してしまうほどの超高レベルな治癒術の使い手だ。致命傷すらも彼にかかればすぐに治せてしまう。だからレオの攻撃もすぐに治せているはずだ。

逆に自分の肉体には容赦なく打撃が撃ち込まれていき《鋼鉄装甲》でも防げなくなり、ダメージは服の上からは分からずとも確実に蓄積され続けていき、内臓は傷つきもう何度も血を吐いている。

こうして戦うたびに思う。

やっぱり、こいつ()はすごいやつだと。

 

U—12の世界大会を最年少で優勝した記録を持つ青年。

その時点で、当時の《七星剣王》よりも強いと称され、今では彼と互角に戦えるのはA級リーグのトップ選手達だけだとも噂されている男。それだけの実力を持つ男に、並の人よりも体が頑丈でパワーがあるだけの自分が勝とうなんて烏滸がましいことなのだろう。

誰に言われるまでもなくそんなことは分かっている。

元服を迎えてすらいない中学生の段階で既に『特例召集』に何度も参加し、幾多の戦場で戦い生き残ってきたのだ、普通の鍛錬しかしていない自分が渡り合えるわけがない。

 

それに、レオは初めてプールで彼と鍛錬を共にした日、更衣室で着替えている時に彼の肉体に刻印された数多の傷痕を見ている。

アレは素人目から見ても普通の鍛錬でできるものではなく、実際に殺し合った末にできた傷だと分かるほどだ。

それがどれだけの修羅場をくぐり抜けた末にできたものなのか、レオには想像ができなかった。

しかしそれを見た時自分はハッキリと理解した。

 

—だから彼は強いのだと。

 

修羅場を経験しているから、常在戦場の心構えが出来ているから、自分の手を人の血で汚す覚悟があるから、彼はあそこまで強いのだと。

なら、経験も、心構えも、覚悟も足りない自分や他の生徒達が勝てないのは当然だ。自分が蓮に勝てるものがあるとすればそれはフィジカルだけ。能力や、戦闘センス、戦闘技術、経験においては比べるまでもなく劣っている。しかもそのフィジカルの優位でさえ彼が魔力放出での膂力強化を行えば容易く覆される。

つまり自分はこの男に勝っているものなど何一つとしてないのだ。

だが——

 

(そんなことは分かってるッッ‼︎‼︎)

 

レオはそんな現実を認めた上でそう心の中で叫ぶ。

そんなことはわかりきっている。今更言ったって何も変わらない。

 

(今のままじゃ足りねぇッ!)

 

自分には彼と比べて決定的に足りないものがある。

それを補うために一ヶ月積んで身につけた力がある。

この戦況を打開できるとまでは言わないが、少なくとも、少しは改善できるかもしれない切り札をレオは身につけた。

とはいえ最初に使う相手が蓮だったのはレオとしては願ったり叶ったりだ。

なぜなら、この一ヶ月積んできたものは何もかも全て、彼と、《七星剣王》新宮寺蓮と戦うために会得したとっておきなのだから…ッ!

 

レオは殴られた勢いを利用して後ろに大きく飛び距離をとる。

蓮との距離は約五メートル。蓮なら一瞬で詰めれる距離だろう、だがそこにレオは切り札を切るタイミングを見出した。

そして彼は高らかに吼え、自分の切り札を切るための呪いを唱えた。

 

「吼えろォッ‼︎《ジークフリート》ォォォ——ッッ‼︎‼︎」

 

瞬間、彼の体から赤光が燃え盛る炎のように噴き出し全身が今までのとは比較にならないほどの眩い赤い魔力光を帯びた。

それだけに終わらず彼の右手には()()()()()()()()()が顕現した。

 

 

それは、《鋼の獅子》が行き着いた一つの答えだった。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

『アンタには足りないものがある』

 

つい2ヶ月前、マリカに突然呼び出された時に言われた言葉だった。

 

『足りないもの?』

 

いつもとは違い表情は引き締められ、真剣味を帯びていたので、レオは大人しく耳を傾ける。

 

『ええ、アンタの歩兵としての潜在能力は一級品よ。近接戦闘だけならアンタはかなり上まで食い込めると思う』

 

思いがけない高評価をつけられて、レオは呆気にとられる。普段から口喧嘩が絶えない間柄の彼女がこうも素直に賞賛するのだ。喜ぶよりむしろ訝しむのが普通だった。

 

『でも、アンタには人を殺す覚悟はある?』

『っ……オメェにはあるのか?』

『ええ、あるわ。私も蓮くんほどじゃないけどそれなりに実戦経験は積んでるし、人だって殺したことがある。そもそも私はそういう剣を使っているからね』

『……確かに俺は人を殺したこともねぇし。実戦経験も、そういう技術も俺にはねぇ』

 

レオは蓮と違い、人間の肉を斬り裂き、骨を砕く暴力を実体験していない。戦場になど立ったことがない。

 

『レオ、アンタ前にあたしに蓮くんの力になりたいって相談してきたわよね。厳しいようだけど今のアンタじゃ何もできないわ。無論、あたしも他のみんなもそう。あたし達は序列こそ一桁に入ってはいるけど、蓮くんと比べたら天と地ほどの実力の差があるわ。彼にはそれだけの実力がある』

『……だろうな。けどよ…』

 

そう反論しかけてレオは突然口をつぐむ。

『あんなに大量の傷を見たら力になりたいって思うのも仕方ねぇだろ』と言おうとしていたが、そもそも彼の全身の古傷の事は本人に口止めされている。

勝手に話したら後でなんて言われるかわからない。

レオは後のことを考えて少しゾッとした。

そんな彼の態度に、マリカは疑問を感じた。

 

『?何よ?』

『いや、なんでもねぇ。確かに俺は蓮と比べたら全然弱ぇよ。アイツがその気になれば一瞬で終わっちまうだろうな』

『そうね分かってるなら話が早いわ。なら当然分かってるわよね。今のままじゃ到底無理だって』

 

マリカの眼差しが、レオの瞳を射抜いた。

レオは無言で頷く。

 

『蓮くんの力になりたいっていうなら、最低でも殺し合いを覚悟しておく必要があるわ。蓮くんがいる場所はそういうとこよ。本気でそう思っているなら、アンタは自分の手を人の血で汚す覚悟をする必要がある。アンタにはそれが出来るの?』

『愚問だぜ。俺は蓮のダチだ。アイツの力になれんならなんだってやってやる』

 

レオはマリカの眼差しからわずかも目をそらす事なく、簡潔に、明快に答えた。

 

『フフッ、オトコノコね』

 

マリカはそれに含み笑いをこぼす。

その笑顔が妙に艶かしくて、レオは思わず目を逸らす。

 

『だったら、あたしが教えてあげる』

 

逆光の中、マリカは言葉を紡ぎ。

 

『どこまでやれるか分からないけどアンタが強くなれる手助けをしてあげるわ。精々覚悟しなさい』

 

そう楽しそうに告げた。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

レオの身体から赤い魔力光が炎のように迸ったのを視認した瞬間、蓮は一人納得していた。

 

(なるほど。これがそうか)

 

実を言うところ、レオには何か秘策のようなものがあるのを蓮は戦いながら感じ取っていた。

それに戦いながら分かったことがいくつかある。

格闘技術の向上もあるがそれではない。レオは蓮やマリカと違い我流で自分を鍛えてきた。そのせいなのかどうかはわからないが放たれる気迫の鋭さはまるで荒々しい獣を連想させ、身体の動きも野生的だったが今は違う。

その獣のような気迫の中に極僅かだが、研ぎ澄まされた剣気のようなものを感じた。

 

もう一つは彼の瞳。

今までは長く殴り合っていれば、必ず瞳の闘志の輝きが弱まっていた。だが、それがいつまでたっても消えない。むしろその逆。髪の奥に輝く眼光は、その鋭さを増していた。

明らかに前とは違う。

彼に何かしらの指導を行った人物がいる。何かしらの策があるのは疑っていいだろう。

 

そして、その疑念は今目の前に映る光景によって確信へと変わった。

 

全身を輝きを放つ赤光が帯びており、炎のように揺らめくそれは凶悪な獣を打ち倒しその毛皮を褒美として賜り鎧にした一人の戦士を彷彿とさせる。

彼の右手には彼の身長を上回る、約二メートルの長さの黒曜石を思わせる漆黒の大剣が一振り握られている。

その両刃の刀身は象の頭を切り落とせるのではないかと思うほどに大きく、その反面、刃は並の刀剣よりも薄い。

刀身には、荒々しい深紅の装飾が施されており、それは一見獅子を象ったようにも見える。

 

固有霊装の形態変化と新たな伐刀絶技。

 

今目の前で起きている現象はその二つだ。

固有霊装の形が変わることは特に驚きはしない。自分のように前例があるのだから他の人ができても何らおかしくはない。

重要なのはもう一つの方。

深紅色に燃えるその鎧は、獣の—まるで獅子の毛皮を纏ったようにも見える。

蓮は霊眼で彼の鎧を視る。

霊眼の制御によりその者が使う伐刀絶技がどんなものか、どれだけの魔力が込められているのかを解析できるようになった蓮はレオが身に纏う鎧が《鋼鉄装甲》よりも魔力密度が濃いことを看破する。

 

(…魔力密度が《鋼鉄装甲》のそれを遥かに上回っているな。魔力の過剰放出で『硬化』の強度を通常の何十倍にもあげたのか。原理こそ黒鉄の《一刀修羅》に似ているが、あれとは別物。どちらかといえば俺の……)

 

さらにあることにも気がついた蓮はレオの次の動きを警戒する。だがその反面、兜の下では不敵な笑みを浮かべていた。

 

(なら見せてもらおうか。お前のその力)

 

 

そしてレオの突然の変化に観客たちは困惑の声をあげ、実況はマイク片手に声を張り上げた。

 

『こ、これは一体どういうことでしょうか⁉︎葛城選手から突然赤い光が立ち上ったかと思えば、彼の右手には黒い大剣が⁉︎私の記憶が正しければ葛城選手の固有霊装は籠手だったはずですが……』

『霊装の形が変わったんだろうねぇ』

『デ、霊装の形が変わる?そんなことが可能なんですかっ?』

『うん可能だよ。事故で記憶をなくしたりて形が変わる奴もいるからねー。でも、レオ坊は違うだろうね。レオ坊の場合は、多分テメェのあり方を変えたんだろうね』

『あり方をですか?』

『そ。霊装ってのはテメェの魂の形であり生き様だ。己のあり方が変われば当然霊装の形も変わってくる。

レオ坊が何を思って形を変えたのかは分からないけど、どう説明しろって言われりゃあそう答えるしかねぇよ』

 

寧音の言葉に会場中がどよめく。

霊装そのものが変わるなど、常識では考えられないことだ。事故で記憶をなくした伐刀者の霊装の形が変わると言う話はあるにはあるが、それもかなり珍しいケース。

だからこそ今レオが成したことに、彼の霊装の形をよく知る観客らが驚愕したのだ。だが、周りが驚愕に包まれる中マリカだけは寧音の言葉を肯定した。

 

「ええ、西京先生の言う通りよ。レオは霊装の形が変わったわ」

 

まるでこうなることが、いやそもそもレオの霊装が変わることを知っていたかのような口ぶりだ。

 

「マリカちゃんは知ってたの?レオ君の霊装の形が変わっていたことを」

「当然よ。だってアタシがうちでアイツを鍛えていた時に成ったんだもの。みんなも知ってるでしょ?レオがうちの道場に春休みに通ってたことを」

 

那月の問いにそう答えたマリカの言葉に秋彦達は納得する。

確かに春休みレオが泊まり込みでマリカの実家木葉家の道場で鍛えてもらった話は聞いていた。

木葉家は黒鉄家には劣るもののそれなりの名家だ。剣術に秀でており木葉の剣といえば剣術の世界ではかなり有名な家柄だ。

 

「確かに鍛えてもらった話は聞いてたよ。でも、霊装の形が変わるってことは余程のことだ。今までの自分自身のすべてを捨て去るほどの決意で努力をしなきゃできない。…それに、あの赤い鎧は《鋼鉄装甲(パンツァー)》とは違う?」

 

一つの疑問が解決すれば、また新たな疑問が出てくる。

今の彼の身に起きているもう一つの現象。今まで見たことない新たな伐刀絶技だ。獅子の毛皮のように揺らめくその赤光の鎧は秋彦達が知る《鋼鉄装甲》とはまた違うようにも見えた。

新技なのは確かなのだろうがあれが一体どのようなものか考えても出てこず疑問を浮かべる秋彦達にマリカは膝を組み直し眼下の様子から目を離さないまま言った。

 

「いいから見てなさい。今のアイツは……強いわよ」

 

そうマリカが言い終えたと同時にレオが蓮に向けて駆け出した。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「それがお前の奥の手だな?」

「ああ」

 

蓮の問いにレオは周囲のどよめきには目もくれずそう短く返す。

 

「《金剛獅子(ジークフリート)》。俺がこの三ヶ月で編み出した新技だ。今はまだ時間はそう長くは保たねぇけど…」

 

レオは新たな霊装である大剣を右手で構え強く踏み込むと、

 

「さっきよりは戦えるぜッ‼︎」

 

そう叫び猛然と蓮に突撃する。

 

「ッ!」

 

五メートルの距離をほぼ一瞬で詰めたレオは右手の大剣を斜めに一閃する。

虚を突かれたとまではいかないが、それでも先程より遥かに早くなった動きに蓮はすかさず対応し左腕を盾のように構え受け止めようとする。だが、

 

(ッ!これはっ!)

 

左腕と大剣がぶつかる瞬間蓮は己の直感に任せ、足裏から魔力を爆発させ、さらに《水進機構》の噴射口をほぼ全て前面へ向け勢いよく水を噴射させながら後ろに下がりその斬撃から逃れる。

蓮がいた場所を赤の一閃が通り抜ける。

観客達から見れば、レオの大剣の一閃から蓮が逃れ大剣が空振りしたように見える。

しかしそれは間違いだ。なぜなら、

 

「…へへっ」

「……」

 

蓮の左手首から流れる『赤』が、レオの斬撃を完全には避けれなかったことを証明していたからだ。

 

『『『『なっ⁉︎⁉︎』』』』

 

会場のほとんどの観客達が困惑の声を上げた。

当たり前だ。日本最強の学生騎士が、《七星剣王》たるあの新宮寺蓮が、僅かながらも血を流したのだから。

左手首に刻まれた、斬った、とも分からぬほど、僅かな細い線。そこから赤い雫が溢れ滴り落ちていた。

 

「……」

 

それは瞬時に『治癒』により塞がり何事もなかったかのように治っていたが、彼らは彼の蒼白の鎧に朱が浮かんだのをはっきりと見た。

 

『あの《七星剣王》に傷をつけた』。

 

その事実が、ある種の驚愕となって会場を包み込んだ。

 

『な、な、な、なんということでしょう!あの新宮寺選手の左手から血が滴っていました!新宮寺選手初めての流血ですっ!』

(……これは驚いたな)

 

実況の声を聞きながら、蓮は内心で密かに驚いていた。

まさかレオがここまでやるとは思わなかったからだ。

最近では月一でしかできなくなっていた模擬戦でもあの大剣や《金剛獅子》は見たことがなかった。そのことから、明らかに隠し球として扱っていたことは明白。

パワーもスピードもさっきより段違いだった。

間違いなくさっきのようにはいかない。

 

それにあの薄い刃が厄介だ。

他の刀剣よりも遥かに薄いあの刃は、どんな刀剣よりも、どんな剃刀よりも鋭い刃となり、余程のことがなければ大抵のものは斬り裂いてしまうのだろう。

刃筋を通す——刃を真っ直ぐ入れて真っ直ぐ振り抜く。刀身の軌跡が真っ平らな平面になるほどの綺麗な斬撃。

これこそが木葉一門の秘剣『薄羽蜻蛉』。

短くも密度の濃い修行の結果として、レオが身につけた()()()の切り札だ。

 

そういえばレオは昼休みにマリカの実家の木葉家の道場で泊まり込みで鍛えてもらったと言っていたことを蓮はふと思い出した。

おそらくそこで剣術を学んだのだろう。どうりでマリカの剣と似通っている部分があったわけだ。

 

更に言えば《金剛獅子》も厄介だった。彼のその伐刀絶技は《落第騎士》黒鉄一輝が持つ唯一の伐刀絶技《一刀修羅》にかなり似ている。

《一刀修羅》は一輝が己の脳のリミッターを外すことで、たった一分に己の持つ全ての力を使い尽くすことで、最弱の能力だった身体能力倍加の強化倍率を倍から何十倍にも引き上げる伐刀絶技だ。

レオの《金剛獅子》はこれに限りなく近いが、全く同じというわけではない。

なぜなら、この絶技には《一刀修羅》と同じように時間制限はあるものの、一輝とは違いオンオフが自在であり、デメリットもあるにはあるが、《一刀修羅》の、使用した一分後にはまともに呼吸すらできないほど衰弱しきる、というほどのものではないからだ。つまり、《一刀修羅》のデメリットをできる限り削ったものがレオの《金剛獅子》なのだ。

鍛えた魔力制御や集中力により一切の無駄なく魔力を伐刀絶技や攻撃に転用させ、過剰注入し凝縮することで、一時的に鎧の硬度を上げさらに魔力放出による破壊、防御、推進の力を底上げしているのだ。

その強化倍率は数十倍どころか、数百倍にまで引き上げられている。

今のレオの肉体には生半可な攻撃はダメージだけでなく衝撃すらも通さず受け付けない。全て絶対硬度の鎧の前に阻まれるだけだ。

 

秘剣『薄羽蜻蛉』と伐刀絶技《金剛獅子》

 

どちらも蓮と渡り合う、あるいは人を殺すための覚悟を身につける為に得た技だった。

 

「オオオォォォォォォォッッ‼︎‼︎」

「ッ‼︎」

 

再びレオが猛然と突撃する。

だが、今度は蓮も何もしないというわけではなかった。

 

「……ッ!」

 

右手に魔法陣を浮かべすかさずレオの突貫に対応する。

次の瞬間、彼の進路を阻むように上下左右から水氷の刃と槍が伸びる。

至近距離での《渦巻き貫く海流槍》と《斬り裂く海流の乱刃》の同時発動。普通なら対応できない。レオもその例に漏れずガードが間に合わなかった。

それらは何の妨害もないために真っ直ぐにレオの衣服を貫くはずだったが《金剛獅子》を身に纏うレオの皮膚を穿つどころか窪ませることすらできず、甲高い音を立てその動きを止める。

そう。《金剛獅子》により絶対の硬度を宿したレオの肉体は蓮の水氷の刃と槍すらも阻んだのだ。

 

「おらぁっ‼︎」

「っっ」

 

レオはそれをまるで意に介さずに大剣を大きく振るい水氷の刃槍の水平に断ち斬り、前へと強く踏み込み、彼の眼前へと進み出て射程圏内に蓮を捉える。

しかし、今大剣を振るったとしても刃が届く前に蓮は簡単に避けるだろう。だからレオは左拳を構える。

そもそも大剣はあくまで囮や、蓮を驚かせるための物だ。まだ剣術を習いたての自分が剣で蓮に勝とうだなんて到底無理な話だ。

付け焼き刃の剣術ではない、自分の持つ全身全霊の拳の一撃を放つ。

蓮はすぐさま両腕をクロスさせこれをガードするも、

 

「ッッ———っ!」

 

その剛拳は蓮のガードを物ともせず両腕の氷を完全に殴り砕きその下の両腕が不自然な方向に曲がり、衝撃を伝って兜、胸部の氷も半分ほど砕き割り後方に大きく殴り飛ばした。

吹き飛びながらも《水進機構》を噴射させることでで地面を転がることはなく、すぐに両足を地につけ踏ん張り再びリングを削り十メートルほど後退しただけで倒れずには済んだ。

蓮は砕けた両腕を力なく下げる。彼の剛拳を受け止めた両腕は粉々に砕かれてしまい、いくら力を入れてもピクリとも動かない。それに上半身を覆う氷の約半分が粉々に砕かれ、兜の氷も砕かれ、素顔が半分ほど露わになっている。

砕けた両腕も鎧も瞬時に治癒、修復。問題ないことを確認し顔を上げた蓮の眼前にはすでにレオが迫っていた。

 

「ッ!」

「ラァッ!」

 

蓮が退避する隙を与えず間合いに飛び込み、パンチを繰り出す。

《金剛獅子》を身に纏うそれは《槌矛》のそれを超える絶対の硬度を宿している。

一撃が胸に打ち込まれる。再び胸部の鎧が容易く砕ける。

一撃が顔面に打ち込まれる。再び兜が容易く砕ける。

堅牢な氷の鎧を、絶対の硬度を宿したレオの拳が打つ。

殴る。殴る。殴る。

連打する。

鉄拳、否、金剛拳のラッシュ。

戦車砲にも等しい打撃の嵐が蓮の肉体に次々と打ち込まれていく。一撃一撃もらうたびに、氷が砕け、肉体が傷ついていった。

蓮が大きく吹き飛び、今度こそ地面を転がり地に伏した。

地面には、彼が吐き出した血が飛び散っており、蓮がいるところまでの道を作っているようにも見えた。

それは内臓に大きな損傷を負っている何よりの証左。

レオはその場でへたり込んで荒い息を何度も吐く。

大粒の汗を大量に流し、肩は大きく上下している。明らかに消耗が激しい。もって後数分というところだろう。

 

『し、新宮寺選手、ダウン!あの《七星剣王》が!日本で一番強く誇り高い騎士が!地に伏しました!』

『…………』

 

蓮が地に伏すという予想外の光景に、会場中はどよめきの声を上げることすらできずに驚愕に声を出せないでいた。

両腕は肘から先が粉砕骨折。肋骨が三本骨折。内臓もいくつか損傷し、もはや意識を失ってもおかしくないほどに甚大な外的損傷だった。

これを見ていた観客達の脳裏に一つの考えがよぎる。

 

『あの《七星剣王》が負けてしまうのか?』

 

つい先日にFランクの黒鉄一輝がAランクのステラ・ヴァーミリオンに逆転勝ちを成したように、Dランクの葛城レオンハルトがAランクの新宮寺蓮を下すのではないかと思ってしまっていた。

 

…………しかし、それはあくまで可能性であり、大部分の半端者達の考え。

本物の実力者達は、彼らをよく知る者達は、あの最強が、あの《七星剣王》がこの程度の損傷で終わるわけがないことをよく知っている。

だとすれば、これは終わりではなくむしろ始まり。今までのはただのお遊びだ。

本当の戦いがやっと始まろうとしていた。

 

「……」

 

蓮の指がピクリと動く。

全身を淡い蒼光が包んだ次の瞬間、彼の傷は全て治癒されており、傷一つ残っておらず、損傷した腕も何事もなかったかのようになり、服についた血や、リングに飛び散った血は全てが青い粒子となり彼の体内に戻るように吸い込まれていく。

蒼光が収まった時、蓮は砕け散ったはずの両手でリングをついて、上半身を持ち上げ、ゆっくり立ち上がる。

試合前となんら変わらない、余裕に満ち足りた超然とした姿で。

 

「相変わらず無茶苦茶だな…」

 

レオは驚愕を隠さずに呟く。

確かにこうなることは分かっていた。分かってはいたが………あまりにも治癒の速度が速すぎる。並大抵なら数十秒もかかるものでも彼にかかればコンマ数秒なのだから無茶苦茶と言われてもおかしくはない。

だが彼はすぐに気を取り直して、膝に力を入れ再び大剣を構える。

《金剛獅子》のリミットまであと僅かだが、これがないと彼とは戦えないから、動揺している暇があるならこの絶技の維持とこの後の戦いに全神経を注ぐ。

対する蓮は、凄絶な笑みを浮かべて口の端を僅かに釣り上げていた。

 

「ッッ‼︎(ヤベぇなこれ…)」

 

その笑みにレオは背筋に冷たいものが流れる。

彼から放たれる絶対的な威圧感。一瞬でも怯めば間違いなくそこで終わる。瞬く間に呑み込まれてしまう。いや、喰われる。

彼の内側には背筋が凍るような何かがある。狂気にも似たそれに触れてはダメだ、とレオは本能的に感じ取ってしまった。

やがて、蓮が静かに口を開く。

 

「お前がここまでやるとは思ってもいなかったよ」

 

そう言ってゆっくりと両腕を広げる。

眼を灼くほどに激しく、それでいて美しい青白い光の粒子が、蓮の身体から沸き立った。

 

「どうやら俺はお前の実力を見誤っていたらしい。去年よりもだいぶ強くなってるな」

「お前よりは全然弱ぇよ」

「それでもだ。お前ほど硬かった相手は十束先輩以来だ。誇っていいぞ、お前は十分強い。だからこそ…()()で相手をしよう」

 

そう言って《海龍纒鎧》を纏う蓮。

それと同時に濃密な魔力が、激しい輝きを伴い彼を中心に渦巻き、吹き荒れる。

 

「…ついに出したか」

 

レオは好戦的な笑みを浮かべながらも、これから起こるものがなんなのかを知っているが故に、冷や汗をにじませ苦々しく呟く。

やがて、彼の眼前で蓮の全身を包む《海龍纒鎧》の形状が変わっていく。

 

兜の額からは鬼を思わせる一対の角、側頭部からは龍を思わせる鹿のような角が一対、計大小四本の氷の角が兜からそそり立つ。

四肢の装甲は一回り太くなり、狂暴さを感じさせる極めて鋭利な鉤爪を持つ獣のそれへと変わる。

腰からは魔力を凝縮させた半透明の青い尻尾が伸び、ゆらゆらと揺れる。

背中には無数の突起が立ち並び、後頭部から尾にかけて背骨をなぞるように三角形の鰭が一列に並ぶ。

両眼からは炎が如き青い輝きが漏れ出て揺らめく。

それはさながら神話や御伽噺の世界に住む龍が、人に近い姿形をとって人の世に降臨したようにも見えた。

 

一人の青年は凛々しい武者から荒ぶる龍人へと姿を変える。

 

青白い燐光を放ち、蒼光に身を包み、圧倒的な威容を放つその姿は、神秘的であり幻想的であったが、同時に荒々しさと禍々しさを兼ね備えていた。

その威風堂々たる佇まいは、まさしく風格ある王者そのもの。

 

これこそが昨年の七星剣武祭において、二位の《妖精姫》三枝真弓と《鉄壁の武者》十束克己を圧倒し完膚なきまでの蹂躙を見せた伐刀絶技。

 

その名は———

 

 

「———《海龍纒鎧・王牙(かいりゅうてんがい・おうが)》」

 

 

龍は獅子を喰い殺さんと初めてその爪牙を剥いた。

 

 




………ちょっと、レオ君強くしすぎたかな?

ちなみに、《金剛獅子(ジークフリート)》は魔法科高校の劣等生の西城レオンハルトが使うジークフリートがモデルです。


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20話 《優等騎士(オンリーワン)

破軍学園壁新聞
キャラクタートピックス  文責・日下部加々美

LEN SINGUUZI
新宮寺 蓮


■PROFILE
所属:破軍学園二年三組
伐刀者ランク:A
伐刀絶技:《流水刃》《叢雨》
二つ名:《紺碧の海王》《七星剣王》《優等騎士(オンリーワン)》《氷雪の魔王》
人物概要:歴代最強の七星剣王

攻撃力:A +(可変あり)
防御力:A+(可変あり)
魔力量:A(可変あり)
魔力制御:S
身体能力:A(可変あり)
運:D

かがみんチェック!
日本でただ二人のAランク学生騎士の一人で言わずも知れた歴代最強の《七星剣王》。破軍学園序列第1位で風紀委員会副委員長も務める学園最強の先輩だよ。
成績も学年主席とまさに文句のつけようのない完璧超人!
Uー12の世界大会で最年少で優勝した記録を持つ実力者で当時はかなり騒がれてたけど、その大会を最後に表舞台から姿を消していたよ。でも、六年ぶりに七星剣武祭で見せたその実力は劣るどころかむしろさらに強くなっていてびっくり。
戦闘になれば容赦がなく、圧倒的な実力で相手を叩き潰す様は魔王の二つ名が付けられる程。
しかも、魔力量はステラちゃんに次いで世界二位の25倍!それに、中学生から特例召集を何度も経験しているからか経験値が異常に高くあらゆる状況にも対応できる完全無欠の優等生!まさにパーフェクト!まさにナンバーワン!
ちなみに、去年の破軍学園でのイケメンランキングは見事一位!文武両道だけじゃなく、容姿端麗ときた。うん、もう完璧すぎて、この人には弱点なんて存在しないんじゃないかな!?
むしろあるなら誰か教えてください!!



ーーー

今回は前書きに蓮のプロフィールを載せました!

当初は一万文字ぐらいを予定していたのに、気づけば二万文字超え…。自分でもびっくり。

そして今回は王者の蹂躙回です! 
さあレオ君はこの魔王を相手にどこまで食らいつけるのでしょうか!


それとモンハンアイスボーンは凄いね。
これから忙しくなるから少ししかできなかったけど、今までのモンハン作で一番好きです!
そしてガチ勢とか実況者の皆様方はやっぱり凄いですわ(✽ ゚д゚ ✽)


さて話を戻して、それでは早速20話どうぞ!




 

 

 

『で、出ましたぁぁ——‼︎《王牙》です!新宮寺選手が去年の七星剣武祭において二人のAランク騎士、十束先輩と三枝先輩を蹂躙した大技《海龍纏鎧・王牙》!その大技を今このタイミングで使いましたー!』

『す、すげぇ、気迫だ……』

『お、おっかねぇ……』

『同じ、人間なの…?怖いっ』

 

《海龍纏鎧・王牙》を纏った蓮は明らかに威圧が増していた。

天が落ちてきたかのような、何もかも押し潰すような膨大なプレッシャーがレオの眼前に佇む蒼銀の龍人から放たれ、この場を支配する。

殆どのものが直接向けられているわけでもないのにその獣のような荒々しい気迫に呑まれ、声は震え更に本能的に恐怖し身体も震え、一歩も動くことができなかった。実況もまた同様で、その気迫に声を震わせながらも、なんとか声を張り上げ気丈に振る舞う。

平然としているのは、解説席にいる寧音と観客席にいる黒乃ぐらいだ。

 

レオも強気な笑みは浮かんではいるものの、どこか表情は硬く、恐怖に全身が引き攣る。

本能が今すぐ逃げろと叫んでいる。勝てるわけがない、喰われる前に早く逃げろ。頼むから逃げてくれと、そうけたたましく警鐘を鳴らしている。

だが、それを無理やり押さえつけ蓮の動きを警戒しながら大剣を構えいつでも反応できるように身構える。

そんな圧倒的重量すら感じる静寂な空間の中で、ゆらりと、仁王立ちしていた蓮が両手を地面につけ獣のように四つん這いになり四肢に力を込めた次の瞬間———()()()()()()

 

 

『は……?』

 

 

その呟きが誰のものかは分からない。だがそれはこの場にいる殆どの観衆達の言葉を代弁したものだった。

次の瞬間には蓮がいた場所のリングは爆ぜ、レオの眼前に三十メートルもあった筈の間合いを()()()()()()、拳を振り抜かんとする蓮の姿があった。

 

「ッッッ⁉︎⁉︎」

 

目の前に突然現れた蓮にレオは目を大きく見開く。

閃光が如く瞬時に懐に潜り込まれたのだ。レオはすかさず防御しようと腕を動かすも既に蓮の拳がレオの胸部に拳が撃ち込まれていた。

 

「ガァァッ⁉︎⁉︎」

 

それはレオの想定を遥かに上回る重撃であり、ノーガードだったレオの胸部に深く突き刺さり、パキンとガラスが割れたような破砕音を響かせながらレオの身体は砲弾のような勢いで吹き飛び観客席下の壁に叩きつけられ、壁にめり込む。

 

「ゴフッ…、ぐぁっ、あぁっ!」

 

壁から剥がれ地面に倒れこんだレオは、血を吐きながら胸を押さえ悶絶していた。

 

『つ、痛烈ゥゥゥ!新宮寺選手が動いたかと思えば次の瞬間葛城選手が吹き飛び壁にめりこみました!まるで先ほどのやり返しだと言わんばかりの凄まじい一撃!そしてなんという速度でしょうか‼︎先程とは比較になりません‼︎』

(い、一撃でこれかよっ⁉︎)

 

レオは心のなかでそう吐き捨てる。

《海龍纏鎧・王牙》を纏った一撃はレオが誇る絶対硬度の鎧《金剛獅子》の防御壁を突破し肉体に強烈なダメージを届かせたのだ。

今まで感じたことがない未曾有な衝撃が全身に伝わり、頑強な骨に罅が入り、たった一撃で肉体が悲鳴をあげていた。

それに、胸元を見れば《金剛獅子》発動時の赤光の装甲が剥がれている。今の一撃で砕かれたのだろう。

相当な切れ味のあるはずだった蓮の水氷の刃槍を阻んだというのに、今度はこっちの鎧が容易く砕かれてしまった。

 

レオは《海龍纏鎧・王牙》の恐ろしさを知っている。

 

伐刀絶技《海龍纒鎧・王牙》。

 

それは蓮が持つ数多ある伐刀絶技の中でもとりわけ強力無比な技の一つだ。

原理としては実に単純。魔力放出による肉体性能や魔術の過剰強化だ。

彼は平均の25倍もの莫大な魔力をその抜群の制御力によって、一切の無駄なく一滴も溢す事なく攻撃と防御に作用させ、魔術強度と身体能力を底上げしている。

《海龍纏鎧》の鎧の魔力密度を通常の数十倍にもあげ、その放出した魔力を霧散させず肉体と鎧の中で循環させその密度を維持し続けているものが《海龍纏鎧・王牙》なのだ。

レオの切り札である《金剛獅子》は、この《海龍纏鎧・王牙》を参考にして編み出されたもの。

蓮が《海龍纏鎧》を媒介にしたように、レオは《鋼鉄装甲》を媒介にして魔力密度を上げたのだ。

 

そして《一刀修羅》との大きな違いは、二人とも脳のリミッターを外していないということ。

蓮の魔力制御の腕は一輝とは比較にならないほど卓越しており、リミッターを外して魔力を絞り出さなくても元々ある膨大な魔力を一滴も外に漏らすことはなく最大出力を維持したまま、体内で循環させてエネルギーのロスを完全に無くすというもはや神業の域に達している。

レオはその域には達していないが、一輝の《一刀修羅》が炎のように燃え盛っているのと比べ、彼はそれを鎧の形にとどめていることに成功している。それは魔力制御力が一輝よりも格段に高いことを示している。

とはいえ、最大出力を維持するのだから当然消費する魔力は増える。それでも使用限界時間は《一刀修羅》の一分に比べれば遥かに長い。

 

一輝は魔力制御の腕が絶望的に下手だから、一分という短い時間のみでしかその魔術を使えない。ならば、一輝よりも十分な魔力があって、なおかつ魔力制御の腕が一輝よりも優れているなら、わざわざ脳のリミッターを外さなくてもその強化倍率は一輝のそれよりも高くなる。

 

更に言うならば《海龍纏鎧・王牙》ははっきり言って時間制限がないに等しい。莫大な魔力量を持ちながらその回復量も凄まじく高いため、魔力を使った端から回復していくからだ。

疲労もあるにはあるが、それも《一刀修羅》に比べれば、瑣末なもの。

蓮の魔力量は単純計算で一輝の250倍という馬鹿げた量だ。最小の消費で最大の効果を生み出す《海龍纏鎧・王牙》の強化倍率は脳のリミッターを外してなくても()()()()()()()()()()()()()()

 

即ち、《海龍纏鎧・王牙》とは《金剛獅子》や《一刀修羅》の欠点を完全に無くした完全上位互換であり、基本的には多対一で数的不利な状況であってもそれを覆し逆に敵を蹂躙し殲滅するために編み出された対軍、対城用の殲滅特化型伐刀絶技でもある。どうあっても、たった一人を相手取るために作られた技ではない。

 

その事実をレオは知っていた。

当然だ。去年の七星剣武祭での蹂躙を見ているのだから。

準決勝と決勝も途中までは拮抗していたが、蓮があの鎧を身に纏った瞬間、拮抗していたのが嘘だったと思うぐらいに一方的な蹂躙になっていた。

それはいまだにレオの脳裏に焼き付いていた。だからこそその強さに惹かれ、彼の背中に憧れ目標にして、彼の鎧を自分なりの形にしようと日々鍛錬し、対抗できるように編み出したものだった。なのに、それがたったの一撃で突破された。

 

確かに《金剛獅子》は強い。あの防御力と攻撃力の高さはそれこそ並大抵のものなら捩じ伏せるだろう。蓮の《海龍纏鎧》も破ったのだ、それくらいの自負は持っててもいい。唯一、誤算があったとすれば《海龍纏鎧・王牙》の性能が予想以上に高かったこと。ただそれだけだ。

 

リングの外に出てしまったことで、審判によるカウントが始まる。カウント10で戻って来なければそこで終わり。選抜戦規定により自動的にレオの敗北となる。

観衆達は誰も声援を送らない。送れないでいた。

たった一撃で覆されたこの状況に驚愕していたのだ。

そして審判のカウントが8まで行ったとこでレオは緩やかな足取りだったが、なんとかリングへと戻った。

 

『葛城選手、カウント8でリングに戻りましたっ!

ダメージは大きいですが、まだ彼は諦めていません!その足でリングに戻ってきました!何か、策があるのでしょうか?』

(ねぇよ。そんなもん)

 

実況の言葉を、レオは内心で否定する。

策なんてない。レオが編み出した《金剛獅子》は蓮が《海龍纏鎧・王牙》を纏ったことでアドバンテージを失った。

 

(ただまぁ、たった一撃で、終わりってのは格好がつかねぇもんな…)

 

そうだ。

蓮の力になりたいと啖呵を切ったんだ。

だったら、自分は蓮が思うほど弱くはないということを見せないといけない。

なにより、これで終わってしまっては特訓に付き合ってくれた師匠とも呼べる存在に……マリカに合わせる顔がない。

なんとかリングに戻ったレオは、その両足でしっかりと立つと《金剛獅子》の破損部分を修復し、大剣を右手に、左手で拳を作り再び構え、リング中央で佇む蓮に不敵な声をかける。

 

「続き、やろうぜ」

 

レオの闘志がまだ尽きていないことを理解した蓮は、兜の下で唇の両端を僅かに吊り上げた。

 

「ああ、やろうか」

 

そう答えた直後、蓮は脚に力を込め、石盤のリングを容易く踏み砕き、再びレオに襲い掛かる。

魔力放出による身体機能超強化と《水進機構》による噴流加速。その二つを合わせたことでもはや神速とも呼べる速度で飛翔する。

観客達からすれば蓮が再び消えたように見えた。

 

「チッ!」

 

レオは咄嗟に右を向くと大剣を突き立て盾のように構える。

瞬間、ガァァンっという轟音と共に龍の拳が大剣の腹に撃ち込まれていた。

拳撃をレオは持ち前の直感でなんとか反応し受け止めたものの、あまりの衝撃に体は軋み足元のリングは勢いよく陥没する。

 

「流石に二度目は対応するか。だが、無駄だ」

「ぐっ」

 

蓮は大剣の刀身を凍らせながら右肘から勢いよく水を噴射し、力任せにレオを大剣ごと吹き飛ばす。

勢いよくリングの上を転がり、起き上がろうとするレオの頭上には既に高く飛び上がった蓮がいて、右腕を強く引き絞り狙いを定めていた。

 

(やべっ)

 

観客席を見下ろせるほどに高く飛び上がった蓮が、背中の無数の突起、右肘から強烈に水を噴射させ弾丸もかくやという速度でレオに右腕を振り下ろす。

なんとか立ち上がったレオは、上空の蓮を視認した瞬間、受け身を取ることも考えずただがむしゃらに真横に自分の体を飛ばす。

瞬間、レオの真横を青白い閃光が通り抜け、大きな爆砕音と砂塵と共に、大地が縦に揺れた。

 

「ッ———‼︎‼︎」

『は、はぁぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎』

『きゃあああぁあっ‼︎‼︎』

『う、うそだろ…ッ⁉︎』

 

観客席の所々から悲鳴が上がる。それも当然だ。なぜなら、

 

『な、な、なんということでしょう!新宮寺選手の拳がリングに叩きつけられた瞬間、会場に激震が奔りリングが崩壊したァッ!』

『《王牙》を使ってる時のれー坊のパワーは数十倍に跳ね上がってるからねぇ。この程度のリングなら簡単に砕けちまうよ』

 

リングは解説の言葉通り粉々に崩壊し、観客席も大きな亀裂がいくつも刻まれ、所々崩れていたからだ。

先の踵落としよりも更に圧倒的な破壊。

脚と拳では筋肉量から踵落としの方が威力は高いはず。だが、《海龍纏鎧》と《海龍纏鎧・王牙》との性能の差が筋力の差を容易く潰し覆したのだ。

 

「ぜぇあぁ!」

 

直撃を免れたレオは、拳を地面に突き刺している蓮の腰めがけ咆哮と共に大剣を振るう。

それが《海龍纏鎧》のままならば容易く切り裂けれただろう。しかし、今蓮が纏っているのは《海龍纏鎧・王牙》だ。

キィィンと甲高い音を立てレオの刃は、蓮の左籠手で容易く受け止められた。

何も不思議なことはない。《海龍纏鎧・王牙》は《海龍纏鎧》の上位互換だ。そうなると当然そこに込められてる魔力量も違う。魔力量も違うということはそのバリアの硬度が違うということ。レオの刃が如何に鋭くても元々堅牢だった氷の鎧が、更に並外れた強度を持てば、通ったはずの斬撃も通らなくなるのは必然だった。

 

「ッ!」

 

蓮の蹴りがレオに襲いかかる。

左で受け止めた大剣を横に弾きながら、左脚を軸にし、長い脚を加速させた蹴りをレオの左脇腹に叩き込む。

ドォンと鈍い音が響く。確かな手応えを感じた蓮はそのまま脚を振り抜こうとしたが、出来なかった。それは、

 

「ガフッ……あぁ重てぇな。けど、捕まえたぞっ‼︎」

「……!」

 

大剣から手を離したレオが両手で叩き込まれた脚を抱え込んでいたからだ。

レオは血を吐きながらも笑みを浮かべる。

次の攻撃に活かすためにわざと攻撃を受ける。受けたダメージは大きかったが、とりあえずその思惑は成功した。

レオは離さないように脚を抱える腕に一層力を入れると、血を吐きながらも足元のリングを砕きながら両足で強く踏ん張る。

 

「うおおらあぁぁぁぁ‼︎‼︎」

「ッ!」

 

蓮を豪快にぶん回しリングへと叩きつける。レオほどの腕力ならば《金剛獅子》の身体強化も相まって一撃で戦闘不能になるかもしれないレベルの一撃だが、蓮はリングに激突する瞬間、自分の激突地点を中心に水の緩衝球を生成することで衝撃を緩和。

受け止めさせた蓮は緩衝球を消し、両手をリングについて、腰から伸びる尻尾を鞭のように振るい強烈な打撃をレオの横っ腹に打ち据える。

 

「ごぉっ⁉︎」

 

レオは腹部に叩き込まれた打撃に苦悶の声をあげ数歩蹌踉めき思わず片膝をつく。

 

(くそっ!尻尾のこと忘れてた!)

 

打たれたところを押さえながら、レオは己の失態を呪う。

鎧から伸びるあの尻尾は飾りではない。あれも《王牙》形態での攻撃手段の一つ。動物が尾を振るい攻撃に使うように、彼も魔力を束ねて作った尻尾を攻撃に使用することができる。

尾鰭と無数の突起が生え並ぶそれは、何も補強せずとも強力な武器となるのだ。

人間にできる動きではない。そもそも人間はその部分が退化して無くなっているのだから、使いようがない。

だが、蓮は本来人間にはないはずの部位を自由自在に操れる。()()()()()()()()()()()()()

レオはそんな重要なことをつい見落としてしまっていた。

そして顔を上げればすでに蓮が目の前にいて、蒼く光る右腕を振り抜いていた。

斜め下から打ち上げる、アッパーカット。それは寸分違わずにレオの顎を捉える。

 

「がっ⁉︎ッッ、くそっ!」

 

痛みに呻きながらものけぞらずに踏ん張りなんとか反撃しようとレオは蓮がいた場所へ拳を振るう。

だが、それは蓮に容易く受け止められてしまう。そして今度は強烈な頭突きを見舞われる。

 

「がっ⁉︎」

 

意識が飛びそうな強烈な衝撃に視界がくらみ、数歩後ずさった彼は眼前から蓮の姿が掻き消えたことに気づく。

 

(どこに行った⁉︎)

 

レオは急いで周りを見渡そうとしたが、背中に衝撃を受け前に蹌踉めく。

 

「ぐっ!」

 

尻尾をリングに叩きつけることでレオの正面から外れ、レオのの後ろに回り込んだ蓮が背中に拳の一撃を叩き込んだのだ。

 

「ラアァッ!」

 

すぐさま振り向き、反撃。大剣を振るい蓮がいると思われる場所を薙ぎ払う。しかしそれは蓮に刀身を鷲掴みにされたことで容易く受け止められてしまう。

 

「なっ⁉︎」

「……」

 

蓮は右腕で大剣を掴んだまま強引にその剣を持つ腕ごと降ろし、そこを支点に異形の尾で側頭部に横薙ぎを叩き込む。

 

「ぐはっ!」

 

防御が間に合わずレオは側頭部に喰らいリングを転がるも即座に立ち上がり痛みをこらえながら蓮の方へと駆け出す。

蓮はレオに駆けることはせず後ろに下がりながら高く飛び上がりリング上に無数に蒼銀の華を咲かせると華を足場にし、その上を獣のように四足歩行で上下左右縦横無尽に駆け回り始めた。

 

(まじかよっ)

 

その光景を見たレオは足を止め顔を青ざめさせる。

音速を超えた超音速の速度で三次元の立体高速機動を行う。その場を通るだけで大気やリングは爆ぜ、ソニックブームが発生する。

急停止し姿が見えたかと思えば、すぐにその姿は掻き消え閃光へと変わり、複雑な軌道を描き、急旋回もしている。

 

この学園には蓮達と同じ二年生で《速度中毒(ランナーズハイ)》という二つ名を持つ生徒会に所属している校内序列10位の兎丸恋々という少女がいる。

彼女の異能は『速度の累積』。

自らの身体にかかる『減速』という概念を無視し、『停止』しない限り際限なく加速を累積することができ、その最高速は千二百キロに達し、音速を超えた超音速の域に達し、マッハ2を超えている。

彼女は破軍学園屈指の速度に特化した騎士であり、超音速の拳、伐刀絶技《ブラックバード》は強力だ。

彼女の最高速は人間の動体視力でどうこうできる領域を超えており、残像すらも捉えれない。

 

それと同等、いや急停止や急旋回を織り交ぜている時点でもはや彼女よりも卓越した高速移動を蓮は《水進機構》の噴流加速と身体機能超強化により可能にしている。

それに加え、彼の場合は兎丸の平面高速移動ではなく、三次元の立体高速機動だ。敵が対処しなければならない範囲が彼女よりも広い。

自分の周囲空間を四肢で上下左右縦横無尽に飛び回る超音速の青い閃光。

それは目で追い切れる領域を超えていた。

 

「ぐっ、がはっ、ごっ」

 

閃光が彼と接触する度に、拳や尻尾、頭突きによる打撃。蹴撃。鉤爪による爪撃が雨霰と暴風雨が如く降り注ぐ。

倒れることすらできずにレオは龍の暴力に晒される。

一撃受ける度に赤光が剥がれていき《金剛獅子》が破られつつあった。

 

「ぐ、ぁっ」

 

二百を超える連撃を浴び最後に強烈な拳の一撃が轟音を響かせながら鳩尾に突き刺さりついに膝が崩れ落ちる。

膝に力を入れ立ち上がろうとしてもピクリとも動かない。

更に身に纏う《金剛獅子》も輝きを失い空中に溶けるように消えてしまった。

ついに限界を迎えたのだ。魔力もほぼ底をつき、魔術を維持するための集中も途切れた。あれだけの暴力に晒されたのだ。むしろここまで蓮の猛攻を耐えたことを褒めるべきだろう。

片膝をつき大剣も手から零れ落ち、完全に無防備になってしまった。

 

——その隙を龍王は決して見逃さない。

 

蓮は四足歩行の姿勢で助走をつけながら体を回転させ、尻尾で周囲を薙ぎ払うように振りかぶり、背を反らし足を一気に前へ、そして上空へと飛び上がる。

そうすれば当然尻尾もその動きに従い斜め上へと振るわれレオの顎を下から打ち上げる。

後ろへの一回転。それはまさしくサマーソルトの型。脚ではなく尻尾で敵をなぎ払ったその動きはまさしく獣のそれであった。

 

「がっ⁉︎」

 

レオの身体は空中に打ち上げられ、大きな弧を描き空を舞う。このままレオはリングに受け身すら取れずに落ちるだろう。

しかし彼が宙を舞った瞬間、下にいる蓮がレオよりも上に跳躍し、左腕の装甲を何倍にも大きくし人一人は容易く叩き潰せるほどの巨大な龍の腕へと変えレオめがけ容赦無く振り下ろした。

 

「———」

 

圧倒的質量が衝突したことでレオの身体は砲弾のように吹っ飛びリングに激突し、あまりの衝撃にリングにめり込みそのままピクリとも動かなくなった。

 

 

 

△▼△▼△▼

 

 

『葛城選手ダウンッ!リングに叩きつけられた葛城選手は倒れたままピクリとも動かない!このまま終わってしまうのかぁ‼︎』

『つ、強すぎる…』

『バ、バケモンだ…』

『これはもう、決まったな』

『ええ、葛城君も強かった。でも、新宮寺君の方が圧倒的に強かった』

『むしろ葛城君はすごいよ。あの新宮寺君相手にここまで食らいついたんだから』

 

リングに佇む絶対王者たる男の蹂躙を目の当たりにした観客達はこの状況に思い思いに口を開く。

そこに侮辱の類は一切ない。ある者は蓮の実力を再認識したことで彼に畏敬の念を覚え、ある者は決着がついたと思い、ある者は蓮を相手にここまで戦ったレオの健闘を褒め称えていた。

両者ともに学内序列1位と7位という破軍きっての実力者なのだ。レオのランクがDだからといって先日の黒鉄一輝の試合の時のように地に伏しているレオを馬鹿にするような空気はない。

彼の実力を認めているからこそ彼らはレオの奮闘に感嘆の声を上げていたのだ。

その時、誰かが震える声でふと呟いた。

 

 

『……これが……《優等騎士(オンリーワン)》』

 

 

優等騎士(オンリーワン)》。

 

 

それは彼が持つ二つ名の一つだ。

羨望と畏敬の念を以って付けられたと同時に無責任な賞賛がこめられた二つ名。去年の七星剣武祭で七星剣王になった後、いつのまにかその名がネット上で広まっていた。

 

あまりにも逸脱した才能。

類い稀な天才的な戦闘センス。

敵を蹴散らす圧倒的な“力”。

敵を翻弄する卓越した“技”。

あらゆる戦術を思いつく頭脳。

それらの策を可能にする高いフィジカル。

戦闘において必要な全てを持っており、センスの塊でありながら全てのステータスも高水準にある弱点らしい弱点がない超高次元の万能型騎士。

 

幼少の頃から才覚を示し続け『神童』と呼ばれ、常に勝者の側に立ち誰も寄せ付けず圧倒的な実力で頂点に君臨し続ける最強の王者を天才と褒め称え、あるいは憧れ、あるいは雲の上の存在だと諦観する者達が、唯一無二の存在たる孤高の天才に与えた二つ名、それが《優等騎士》だ。

 

それほどまでに凄まじい彼の実力を知っているからこそ彼らは思ってしまった。

新宮寺蓮には何をしても勝てない。

どれだけ努力して力や技を身につけても、どれだけ巧妙な策を考じても、その全てがそれ以上の圧倒的な才能と技術で悉く蹴散らされる。

だから思ってしまう。

こんな怪物に勝てる奴なんているわけがない。一体、こんな怪物とどう戦えばいいんだと。

 

そして彼らと最も親しい五人ももう決着がついたと確信していた。

 

「レオ…」

 

彼の師匠とも言えるマリカはリングに倒れる弟子の名を小さく呼ぶ。

 

(もういい。アンタはよく頑張ったわ)

 

マリカは心の内で彼の奮闘に賞賛を送った。彼女はレオがこの一戦に懸けている想いを知っている。

そのためにどれだけ努力したのかも知っている。

その結果蓮に《王牙》まで使わせたのだ。むしろこの敗北はレオにとって確実に糧になる。今回の敗北を誇りにしてこれからもっと強くなればいい。

そんな事を思っていたマリカに隣に座る秋彦が目線はレオに向けたまま声をかける。

 

「マリカ」

「なに?」

「レオはよく戦ったと思うよ。君が鍛えていなかったらここまで戦えていなかったはずだ」

「…確かにそうなのかもしれないけど、ここまでやれたのはアイツの意志があったからよ。あたしはその手助けをしただけ」

 

秋彦の言葉にマリカはそう返し、審判の試合終了の宣言を待つ。

さすがにいくら強靭な肉体を持つレオもあれだけの猛攻を食らえばもう立てないだろう。魔力もほとんど残っておらず《金剛獅子》ももう纏うことはできないはずだ。

もうここまでだ。レオは実によく戦った。だが相手が悪すぎた。ただそれだけ。

 

だから予想外だった。

 

動けないはずのレオが血だらけになりながらもゆっくりと立ち上がったことが。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

リングにめり込んでいるレオは辛うじて意識が残っていた。

全身はすでにボロボロで、魔力も枯渇していてもはや意識を失ってもおかしくないほどに甚大な外的損傷を受けていたが、彼の肉体性能の高さと《金剛獅子》のお陰で意識が飛ぶことはなかった。とはいえそれも本当にギリギリ。一瞬でも気を抜けばすぐに意識は暗闇に沈むだろう。

 

(……声が、遠い…)

 

朧げな意識のままレオは天井を見上げる。

もう周囲の声も微かにしか聞こえない。

もはやこれまで。確かに自分は強くなった。血が滲むような特訓をし、霊装の形が変わるほどの決意で努力した。

でも足りない。全然足りない。《王牙》を使ったとはいえ、手を抜かれた状態でここまで一方的にやられた。勝負にならなかったのだ。もうこのまま続けても意味はない。

むしろ自分が憧れ目標にした騎士とここまで戦えたのだ。もう意識を手放して休め。

現実がそう非情に語りかけてくる。

だが、

 

(…まだ、だ…)

 

レオは意識を手放さないどころか、腕に力を入れ立ち上がろうとしていた。

 

(……まだ、終わらせねぇ)

 

彼はまだ諦めていなかった。

勝てるとは思わない。消耗具合は目に見えて明らかだ。もう動けるはずがない。それなのに彼は確かに立ち上がろうとしていた。

 

『か、葛城選手が立ち上がろうとしています!あれだけの傷を負いながらもまだ立ち上がろうとしています!』

『おいおい、マジかよ。あんだけやられてまだ立てんのか』

 

これにはさすがに実況も寧音も驚いていた。誰もが決着がついたと思っていた。だがその予想をレオは見事裏切った。蓮も兜の下で僅かに目を見開いていた。

レオはガクガクと笑う膝に力を込める。

今にも激痛で意識が飛びそうだったがそれをなんとか踏ん張り続ける。ここで倒れるなと己を叱咤する。

 

(…お前を、孤独(一人)にはさせねぇよ)

 

あの日、彼の肉体に刻印された大量の古傷を見てしまったから。

彼が『特例召集』で何度も戦場に赴いて何度も殺し合いをしていることを知ってしまったから。

レオは彼と関わっていくうちにある日ふと思ってしまったのだ。

このままだとコイツはこれからも自分を犠牲にし続け、その果てにいつか消えてしまうんじゃないのかと。

目先の強さに気を取られがちだが、レオにはそれぐらい彼が不安定な存在に時折見えていた。

どれだけ傷ついてボロボロになっても、それでも己の命を顧みず自分を犠牲にして戦い続けるその捨て身の姿が、まるでその弱さを誰にも気付かれないように隠して、その強さで自分自身を守っているような悲しげなものに見えた。

 

それはレオの憶測に過ぎない。勘違いなのかもしれない。

これを蓮が聞けば余計なお世話だと笑って流すだろう。

ただ、レオは誰かが彼の手を掴んでおかないと、誰かが彼の名前を呼び続けていないと、誰かが彼を引き止めていないと、すぐに水泡のように簡単に消えてしまうんじゃないのかと思ってしまったのだ。

 

圧倒的な強さと存在感で誰よりも周囲の関心と、期待と賞賛を……世代をたった一人で背負い続けてきた。一時期表舞台から姿を消し六年の空白があったものの、去年の七星剣武祭で見せた彼の強さに、誰もが昔以上に彼に期待していた。

それがどれほどの重荷になっているのか、自分には計り知れないほど重いのだろう。

だがそれを知ろうともせず、誰もが彼を『天才』だと突き放している。

背負わせたはずの彼らが背負わされた彼を自分達とは違う存在だと見てしまっている。

自分だって必死に努力しているのにそれを一切理解してもらえず無責任な言葉を並べられて全て才能の一言で片付けられてしまう。

誰も彼自身には興味がなく、興味があるのは彼の残す結果だけ。そうしていくうちに彼は普通とは同じでいられなくなっていた。

辛かったはずだ。苦しかったはずだ。なのに、誰もそれに気づこうとしないし、見ようともしない。

 

だけど、()()()()()違う。

ちゃんとお前の事を見る。『天才・新宮寺蓮』ではない、自分達と同い年の『親友・蓮』のことを。

決してお前を孤独になんてさせない。お前を突き放したりなんてしない。一人で苦しませたりなんてさせない。

お前の強さに追いつけるように何度でも食らいついてやる。

お前の苦しみを少しでも和らげれるように支えてやる。

何より自分は彼のことを仲間だと思っている。ならばその仲間のために何か手助けをしようとするのは何も間違ってはいない。

 

俺達は知っている。

他人なんて目じゃないくらいに相当な努力を積んで今のお前があるということを。

いつも冷静で落ち着いていて、人が悪く冷たい所もあるがお人好しな所もある心優しい青年だということを。

蓮がどれだけ凄いやつかなんて嫌という程知っている。だがそんなこと知ったことではない。

力とか才能の差などどうでもいい。誰がなんと言おうともう決めたのだ。

 

何があっても俺はこれからもお前のダチであり続けると‼︎‼︎

 

その矜持が、想いが、願いがついに彼を完全に立ち上がらせた!

 

「はぁ……っ!はぁ……っ!あぁぁぁぁっっっ‼︎‼︎」

『た、立ち上がりましたァッ!葛城選手、血を吐きながらも、足を震わせながらも満身創痍のその身を持ち上げ、立ち上がりましたァァッッ‼︎し、信じられません!あれだけ傷を負ったというのに……!』

『意地で立ったんだ。レオっちはまだ諦めてねぇよ!』

 

二本の足でしっかりと立ち上がったレオは、眼前に佇む蓮に闘志に満ちた強い眼差しを向け吼える。

 

「どうした蓮っ‼︎まだ俺は立ってるぞ‼︎かかってこいッッ‼︎‼︎」

「……ッ」

 

文字通り手も足も出ず、血を吐きながらも蓮を挑発するレオの態度に、蓮は自分でも気づかないうちに兜の下で笑みを浮かべていた。

恐ろしいまでの執念だ。ここまで猛攻に耐えた敵は彼にとっても久しぶりだ。

『友の力になりたい』という想いが、彼に不屈の闘志を与えていたのだが、それを蓮が知るはずない。だが、ここまで粘り食らいついてきたレオを、彼にしては珍しく()()()()()だと警戒した。

 

(……次で終わらせよう)

 

このまま続けても確実に倒せるが、時間がかかりすぎると判断し、左腰に差した《蒼月》を一振り手に取ると足を後ろに広げ居合抜きの構えを取る。

それに対し、レオは両手で大剣を盾のように構えなけなしの魔力で再び《金剛獅子》を纏い、正面から受けて立つという強い意志を見せる。

 

「ッッ——‼︎」

 

次の瞬間、蓮の姿が消える。

青い閃光と化してレオの正面に迫り剣を抜き放つ。

《蒼月》の鞘から眩い青白い光が溢れ、凍てつくような冷気が漏れ、勢いよく水気が湧き出す。

その抜刀術をレオは知っている。

一度しか見たことはないが、振るえば敵が持ちうる全てを斬り裂いていた。

力も、策も関係ない。手向かうもの全てを悉く斬って捨ててきた伝家の宝刀。

淀みのない滑らかな動作から放たれるそれは、思わず見惚れてしまうほど美しく、魅入られるほどの流麗さであったために、その様をたたえ『流水』に喩えられるほどの絶技。

 

 

「————《叢雨》」

 

 

二人の影が交錯した瞬間、蒼光が煌めき、甲高い音が静かに鳴り響く。

氷と化し水を纏いしその一閃は、魔力放出による腕力上昇。刀の茎から水を噴射させ刀身を射出。氷を研ぎ澄まし摩擦を極限まで減少。それらの技術と居合抜きの技術が合わさったまさしく集大成たる神速の抜刀術。

それはレオの《金剛獅子》と盾のように構えた大剣を易々と斬り裂き、湧き出た水が彼を中心にリングを水浸しにさせる。

研ぎ澄まされた蒼の一閃はレオを斬り裂くだけに留まらず、その後ろの観客席とリングさらには天井まで、居合がそのまま飛ぶ斬撃に転化し大きく斬り裂いたのだ。

その余波は、会場を両断するだけに留まらず、観客席ごと会場の外の数百メートル先の地面にまで深々と細い斬痕を刻み、会場上空の低い位置にある雲まで斬り飛ばした。

そしてレオの側を通り抜けた蓮は、鎧を解きいつのまにか血が洗い流された白銀に輝く藍刀を滑らかな動作で鞘に納める。

 

「こふ…っ」

 

キンと納刀の音が響いた瞬間、蓮の背後でレオは大剣ごと《金剛獅子》と胴を深々と斬り裂かれ、小さく咳き込み、口から血の塊を零す。

血とともに膝から力が抜け、霊装が赤い光の粒子となって消えていくのと同時に彼の体がぐらりと後ろに倒れ、仰向けに水浸しのリングに水音を立て崩れ落ちる。

 

『蒼光一閃‼︎斬って落としたァァァァッッ‼︎‼︎

同時にレフェリーが腕を交差ッッ‼︎試合終了ォォォ———ッッッ‼︎‼︎

葛城選手、善戦を見せましたが健闘虚しく敗退ッッ‼︎

激戦を征したのは我らが破軍学園最強!《七星剣王》新宮寺蓮選手ですッッ‼︎‼︎』

『や、やべぇよ。どんな威力の斬撃だよ⁉︎』

『理事長先生が時間止めて避難させてくれなかったら彼処にいたヤツ全員巻き添え食らってたぞ……やっぱバケモンだ』

 

実況が勝者の名を告げると同時に、観客達は会場を大きく斬り裂いた斬痕にどよめきを起こす。

そして主審の試合終了の宣言がなされるとすぐさま担架を担いだ施設職員が駆け上がってきてレオを担架に乗せ医務室へ運ぼうとする。だが、担架に乗せたところで蓮が近づき待ったをかけた。

 

「少し待ってください。カプセルに運ぶ前に俺が傷を塞ぎます」

 

そう言うと職員達は文句一つ言うことはなく、一つ頷いて蓮に場を譲る。そして蓮はレオの横に立つと胸元に右手をかざし治癒を始める。手の平が淡い青に輝き、レオの全身がその輝きに包まれるとあれだけ深かった裂傷や小さな外傷まで全てが瞬く間にふさがり何事もなかったかのように綺麗さっぱり治った。

 

蓮はその高い治癒術を扱うことからこの七星剣武祭選抜戦での救護スタッフの一人に黒乃から任命されている。

軽度な傷ならばカプセルで治せるが、カプセルでも全快が怪しい、もしくは緊急を要するほどの傷を負った場合に限り彼が治癒をし傷を塞ぐ役割を担っている。

致命傷すらも容易に治せる蓮の治癒術は世界的に見ても最高峰の域にあるのだ。

 

「これでいいでしょう。あとは医務室に運んでください」

 

手を離した蓮が職員達にそういうと全員が頷いてレオを保健室へと運んでいく。

その様子を見た蓮は彼らに背を向けると蒼髪を靡かせながら青ゲートをくぐりやがてリングから去った。

ステラはそんな彼の背中を最後まで見つめた。

 

(………やっぱり、凄まじいわね)

 

レオは決して弱いわけじゃない。パワーと格闘術に秀でた学園でも屈指の強者だ。

だが蓮は更にその上を行く怪物。レオがどれだけ手を尽くしてもその想定の遥か上を往く存在。

戦ったから知ってる。あれこそが、七星の頂に君臨する王の姿なのだ。

通常の量りでは到底量ることなどできない超人だ。

同じAランクとして自分はまだまだ彼の領域に至っていない事を痛感した。

 

だが、それ以上にステラは先の戦いからいくつか気になっていたことがあった。

 

(シングージ先輩の伐刀絶技……()()の技と全く同じ…)

 

ヴァーミリオン皇国の国民だからこそ気づけたのかもしれない。

今までの試合映像を何度も見返したり、今回の試合を見て思った結果、蓮が扱う数多の伐刀絶技は彼女が尊敬する偉大な騎士の一人が使う技と全く同一のものだった。

オリジナルのものもあるが、彼の使う魔術の殆どが名前も形も全く同じなのだ。

偶然というには明らかに被りすぎている。だとすればそれは意図してのもの。

 

例えばそう……彼女の技術を受け継いだりとか。

 

そう考えれば納得できる。

受け継いだのであれば、全く同じ形にもなるし名前もそのまま使っても可笑しくはない。

それに彼女と同じ蒼髪碧眼。同じAランク。同じ水使い。

力や才能、性別の違いはあれど似通った容姿。『彼女』と彼の間にあるこれらの共通点はもはや遺伝を示しているのではないだろうか?

 

更に言えばあの剣術や体術も『彼』から受け継いだのならば尚更その繋がりがある事を教えているようなものだ。

 

(やっぱり……彼が、そうなのね)

 

ステラはヴァーミリオン皇国の皇女としてあの二人——サフィアと大和の間に子供がいる事を両親から聞かされていた。

ただそれは子供がいるということだけ。名前も性別も今どこに住んでいるのかも彼女は教えてもらえなかった。

 

だが彼と出会い戦ったことでようやく確信した。

 

彼こそが———

 

 

「…テラ、ステラ?」

「ッ!」

 

思考の海に沈んでいたステラは一輝が肩に触れたことで大きく肩を揺らし一輝の方を見た。

一輝は不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「僕達もそろそろ行こうかと思ったんだけど、どうしたの?」

「……なんでもないわ。行きましょう」

 

一輝の言葉にステラは思考を中断させ他の二人と同じように席を立ち、一度だけゲートの方を見て寮へ帰ろうとした。

だが、

 

「ちょっと待ちなさい」

 

彼を呼び止める声が一輝の背後から聞こえた。

その声に足を止め振り向くと、そこには険しい表情でこちらを睨むマリカとその後ろでおどおどしている那月がいた。

 

「……木葉さん、佐倉さん」

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「…………」

 

蓮がリングから控え室へ続く通路を抜け、控室から出た時、彼に声をかけるものがいた。

 

「いやいやぁ、今日も凄いもん見ちゃったねぇ」

 

その声に振り向くと、そこには小柄な赤い人影が、西京寧音がからんころんと天狗下駄を鳴らしながら蓮に近づいてきた。蓮は立ち止まり彼女の名を呼ぶ。

 

「西京先生ですか」

「やっほー。初戦勝利おめでとさん。いい試合だったよ」

「どうも」

「にしても驚いたよ。まさか初戦でいきなりれー坊が《王牙》と《叢雨》を使ったんだから。そんなに強かったのかい?レオっちは」

「ええ、強いのは間違いないでしょう。七星剣王クラスの実力はあると思います」

 

蓮は素直な感想を言う。

確かにレオは強かった。手加減していたとはいえ蓮に確かな傷を与えた一人なのだから。少なくとも《王牙》と《叢雨》を使うぐらいには。

だが——

 

「そんなことはどうでも良い。相手が何をしたところで俺のやることは変わりません」

 

彼のやることは変わらない。

どれだけ力をつけようとも、どれだけ策を弄しようとも、彼がやることは変わらない。

相対する以上は友達であろうとも関係ない。

自分の前に立つのなら、誰であろうと——

 

「叩き潰す。それだけです」

 

その声は鋼のように冷たく、鋭く、力強かった。

 

「やれやれ相変わらずだねー。ま、れー坊らしいっちゃらしいけどね」

「俺には約束があります。それを果たすまでは、誰にも負けるつもりはありませんよ」

 

『約束』。その内容を思い出した寧音はクスリと笑みを浮かべる。

 

過去61回行われた長い歴史を持つ七星剣武祭でも二連覇の偉業を達成した騎士はいない。世界最強夫婦とまで呼ばれた彼の実の両親であり、黒乃や寧音をも凌ぐ実力を持つ大和とサフィアですら連覇は達成できていなかった。とはいえ、正確には大和は一年と三年で二度獲得している為、二回制覇の偉業を達成している。

 

そして、蓮は幼い日に二人に約束していたことがあった。

『俺は七星剣武祭三連覇する』と。

憧れた両親と同じ頂に並び立つ為に、両親を超えたいと願っていたが為に、彼は伐刀者のことすらよく分かっていない幼い時分に、二人が果たすことができなかった三連覇を果たすことを約束していたのだ。

そう言った時、蓮は二人にこう言われた。

『お前なら出来る。頑張れ』と。

自分が憧れ目標にしていた騎士達が、あの偉大なる英雄達が、そう言ってくれたのだ。

 

「だから勝ちます。全員捩じ伏せて、1位になって俺は優勝する。

あと二回です。あと二回優勝すれば三連覇を、二人との約束を果たすことができる」

 

サファイアのような海色の瞳には静かに燃える闘志の炎が灯り、淡い青白い光を放ち、あたりに強大なプレッシャーが一瞬だけ放たれる。それは先程よりも強大であり、押し潰すどころか喰い殺すようなものだった。

しかしそれだけの重圧を間近で浴びたはずの寧音は普段通り飄々としていた。

 

「頂点に立つのは俺だ」

 

蓮は最後にそう呟くと、そのまま歩き去ってしまった。

その場に一人残された寧音は小さく息をつき笑みを浮かべた。

 

「れー坊ならやれるさ。頑張んな」

 

寧音は彼ならばできると信じている。

一国の戦力にも匹敵する対国家級の魔人だからというわけでもなければ、類い稀な才能を持つ天才だからでもない。

 

この子ならできると確信できていたから。そう思わせるほどの何かがこの子にはあったからだ。

初めて会ったあの日に、まだその才覚を示すそれ以前に彼女は彼を見てそう思ったのだ。

 

だからこそ彼女は期待している。

人をやめ獣に堕ちどれだけ歪み狂ったとしてもその本質が変わらない限り、彼ならばどこまでも高みに羽ばたけると。

 

彼が幼い頃に魔導騎士になることを志したあの日からずっと。

 

 

△▼△▼△▼

 

 

「久しぶりね黒鉄。とりあえず昨日の桐原との試合は勝利おめでとうとだけ言っておくわ」

「………うん、ありがとう」

 

マリカは一輝達と少し距離を置いたまますっと目を細め、尖った声を投げつける。表情や仕草の端々から苛立ちを滲ませているのが見てわかる。

 

「他の皆はどうしたんだい?」

「皆は蓮くんの所に行かせたわ。ここにいるのはアタシと那月だけよ。それよりも、黒鉄、アンタどういうつもりよ?」

「…………」

 

一輝はマリカの問いに何も返さない。ただただ申し訳なさそうな表情を浮かべているだけだ。

彼女のその問いの意味を理解しているからこそ、後ろめたさで何も答えなくなっていた。

 

「ねぇ黙ってたら分からないわよ。それともはっきりと言ったほうがいいかしら?」

「ま、マリカちゃん。少し落ち着いて」

「那月は黙ってて」

 

痺れを切らしたマリカが更に苛々を募らせる。そんなマリカをおどおどした那月が宥めようとするもあっけなく一蹴された。

 

「それでも答えないつもりなのね。だったら言ってやるわよ!」

 

その様子を見てもずっと口を噤んだままの一輝にマリカは遂に限界に達し、ガツンと踵を踏み鳴らしながら一輝にずいと近づくと制服の襟を掴んだ。

 

「どういうつもりであたし達を、蓮くんを避けてるのかって言ってんのよ!」

 

すっかり人がいなくなり、数えるほどしかいなくなった会場内でマリカの苛立ち混じりの声が響く。

まだ残っていた人達の視線が何事かという視線がマリカに集中したが、彼女はまるで気にせず続ける。

 

「確か三学期になってからね。アンタは昼も色々理由をつけてたまにしか一緒に食べなくて放課後の鍛錬もあたし達のところに参加もしなくなって会うことを避けるようになっていた。答えなさい。どういうつもりで避けてたのよ!」

 

マリカは一輝を引き倒さんばかりの力で、掴んだ襟を自分に引きつける。その勢いに一輝はガクンと姿勢が崩れるが、文句を口にすることはなく、遂に観念したのか静かに答え始めた。

 

「…申し訳なかったからだよ」

「っどういうことよ」

「君達が僕のせいで悪く言われるのが、僕には耐えられなかったんだ」

 

そうして一輝は語り出した。

 

ちょうど黒乃が理事長として破軍学園に来てからのこと。

一輝は、自分が彼等と共にいていいのだろうかと思うようになっていた。

 

あれだけ自分がFランクであることは気にしないと言っていたのに、今になって自分にまともな能力がないことを悔やむようになっていた。

自分だけ彼等と同じ所に立てていないと思っていた。ここは自分が本当にいていい場所なのかと。

彼のその優しさ故か、誰かに相談できるわけもなく、ただ一人でずっと考えていた。

 

その頃には蓮は勿論のこと蓮と親しいレオ達もそれぞれ二つ名を持ち那月を除き全員が学内序列一桁に名を載せるようになっていた。

序列外の那月はそもそもあまり戦わないため序列には並んでないがその実力は学内でも上位にいる。

そして彼等は全学年含め最強のグループとなりつつあり、他の生徒達から一目置かれるようになった。

そんなグループ内に本来その場には似合わないはずのFランクであり《落第騎士》とも呼ばれている一輝がいることが彼らには理解できなかったようだ。

 

だからだろう。日々彼らに対する陰口が絶えなかった。

一輝だけではない。蓮達も陰口を言われるようになっていた。

 

それが彼の心に追い打ちを掛けた。

 

今更誰に何を言われようが、構わなかった。だが、それはあくまで自分だけ。蓮達まで悪く言われるのは耐えられなかった。彼等は一輝を認めてくれた数少ない人達であり、恩人でもあり同時に尊敬する人達でもあったから。

 

自分を認め友人になってくれたのが嬉しかった。

この学園で居場所をくれたことが嬉しかった。

何気無い事で笑いあえることが嬉しかった。

 

でも、だからこそ、自分が彼等のそばにいてはいけない。

彼等と共にいては迷惑をかけることになる。それだけは嫌だ。彼等が侮辱されることは自分がされるよりも何倍も辛い。

 

それに学年が変われば会う機会も減り、一緒に行動することもほとんど無くなる。そして自分がいるせいでこれからも彼らに迷惑をかけることになってしまうのならもういっそのこと離れてしまったほうがいい。

 

いつまでも彼等の強さに、優しさに甘えてはいけないから。これ以上迷惑をかけたくはなかったから。

 

『………っ』

 

一輝の後ろで話を聞いていたステラ達が息を呑んだのが一輝は気配でわかった。

目の前で話を聞いてた那月も目を見開いて驚いていて、マリカは鋭い視線はそのままに僅かに眉を顰め静かに話を聞いていた。

やがてマリカはその視線を維持したまま静かに口を開いた。

 

「蓮くんには何か言われたの?この前会ったんでしょ」

「……僕がそうしたいのなら好きにすればいい、どちらを選んでも俺にはどうでもいい。ただ、皆には一言言え、僕のことを多少なりとも気にかけていた、って言われたよ」

 

一輝はあの日蓮に言われたことをマリカにそのまま伝えた。そうすると彼女は納得したのか一つ頷いた。

 

「まあ蓮くんらしいわね。確かに最近顔を出さなくなったアンタをあたし達は心配してたわ。で、アンタはあたしが引き止めてなかったらけじめもつけずに何も言わないで有耶無耶にしようとしてたの?」

「それは……」

「もういいわ」

 

一輝がなんとか答えようとした時それにかぶせるようにマリカぎ呟き襟から手を離すと一輝から少し距離をとる。

それがどこか一輝を突き放したかのように見えた。

マリカは苛立ちや怒りの入り混じった表情を浮かべる。

 

「もういい。アンタがそのつもりならもうあたしは何も言わないわ。勝手にすればいいじゃない。

でもね、これだけは言わせてもらうわ」

 

そう言って一度口を閉じると、一輝の目をじっと見つめ、強い口調ではっきりと言った。

 

「アンタの言い分も分からないことはない。アンタの性格を考えればこうなることは十分に考えれた。けれどそれ以上に……アンタがあたし達の事を信じていなかったからこうなったのよ」

「ッッ‼︎‼︎」

 

マリカの指摘に一輝は目を見開きあからさまに狼狽えた。

何かを言い返そうとしているのだが、言葉が見つからないのか口籠っている。その隙に、マリカは容赦なく言葉を重ねた。

 

「信じていれば相談とかはしていたはずだし、筋も通していたはずよ。

でもアンタはそれをしなかった。それってつまり、あたし達は信頼されてなかったってことでしょ?」

「……」

 

一輝は何も言い返せない。その場限りの嘘もひねり出せない。

 

「結局のところ、アンタも他の奴と同じようにあたし達を()()()()()で見てたのよ。だから意味もない劣等感を勝手に抱いて避けるようになった」

「ッッ」

 

一輝は『そういう目』に思い当たる節があるのか、顔を背け申し訳なさそうな表情を浮かべた。

そしてマリカはもうこれ以上話す気は無いのか、一輝から目を背け那月へと向けた。

 

「那月、行くわよ」

「え、でも……」

「今何か言ったとしてもこいつの意志は変わらないわ。あたし達も蓮くんのところへ行きましょ」

「う、うん」

 

何か言いたげな那月だったが、マリカの言葉に渋々頷いて彼女の後をついていく。

そしてマリカは一切一輝の方に見向きもせずそのまま歩き、那月はちらりと一瞥し一輝の側を通り過ぎ、そのまま蓮がいるであろう場所へ向かった。

二つの靴音が段々と離れた時、一言も発さずに立ち尽くしている一輝の背中にステラが恐る恐る声をかける。

 

「い、イッキ…」

「ごめん。今は何も言わないでくれないかな」

 

一輝は顔を伏せながら、悲しみを押し殺したような声音で皆に頼む。

今は何も言わないでほしい。

もう少しすれば落ち着くから。

 

そんな彼の気持ちを察して、皆が無言で頷き、落ち着くまでずっとじっと待ってくれている。

正直ありがたい。慰めの言葉を少しでもかけられれば今にも泣き出しそうになったから。

だけど泣いてはいけない。今回だけは絶対に泣いたらダメだ。この学園に来て初めてできた友人達を裏切ったのは自分だ。泣く資格などない。

 

一輝は唇を噛み締め、拳を強く握りしめ、落ち着くまでじっと耐えた。

ステラ達はそんな一輝の背中を唯々何も言わずに落ち着くまで見守り続けた。

 

 

△▼△▼△▼

 

「………っ」

 

試合終了から二時間後。

敗北したレオは意識を覚醒させた。

ゆっくりとまぶたを開くと、薄闇に浮かぶのは見知らぬ白い天井。それでレオはすぐに自分が医務室にいることに気づいた。

 

「起きたのね」

 

かけられた声に首を回し横を向けば、ベッドの隣の椅子に座り足を組んでいるマリカの姿とその後ろに座ったり、立ったりしている友人達の姿があった。

 

「………ああ、負けたのか。俺」

 

レオはそう呟きながらゆっくりと半身をベッドから起こす。記憶は《叢雨》で斬られ倒れたところまで残っている。だから自分が敗北したことはすぐにわかった。

それに仲間達も労わるような表情を浮かべているから、記憶が残ってなくてもすぐに分かっていたはずだ。

だが負けたというのに、レオはそれほど悔しくはなかった。

元々勝てるとは思ってなかった、むしろあそこまで戦えた事を自分でも驚いているぐらいだから。

でも、あれだけ鍛えてくれた師匠の前で無様を晒したことだけは申し訳ないとは思った。

 

「わりぃな。あんなに鍛えてもらったのに負けちまった」

 

レオはマリカに視線を向けると照れ臭そうに空笑いを浮かべ若干申し訳なさそうに呟いた。それにマリカは一瞬呆気にとられるも、すぐに呆れたような笑みを浮かべ、

 

「何言ってんの、アンタは十分頑張ったわよ。蓮くんに王牙だけじゃなく叢雨まで使わせたんだから」

「…おう」

 

マリカの賞賛混じりの言葉にレオは照れ臭そうにそう呟くと今この医務室にいる面々を見渡し蓮と陽香の姿がいないことに気づく。

 

「そういや蓮と五十嵐は?」

「トレーニングルームよ。ギリギリまでトレーニングするって。陽香はそのお手伝い」

「まじかよ」

 

レオにとっては今までで一番の激闘だったのに、彼にとっては鍛錬に支障が出ない程度の試合だったことに改めて実力の差を思い知らされた。

陽香が蓮の鍛錬のお手伝いをしている理由は何となくわかるので触れないでおく。

 

「…やっぱすげぇなあいつ」

 

そう呟くレオに秋彦が口を挟む。

 

「レオ、一ついいかな?」

「おう」

「君はどうして霊装の形が変わったんだい?一体君の中で何が起きたんだい?」

 

その言葉に全員の視線がレオに集まる。やはり気になっていたのかマリカ以外の全員が興味津々でこちらを見る。

レオは照れ臭そうに頰を掻くと、長い沈黙の後口を開く。

 

「…………あー、別に話しても良いんだけどよ。蓮には秘密にしててくれねぇか?」

「……何か蓮にバレたら困ることでもあるのかい?」

「いや困る訳じゃねぇんだけどよ…」

「じゃあどうして?」

「蓮くんの為だからよ」

 

気恥ずかしさから言い澱むレオに変わってマリカが答えた。

それにレオとマリカを除く三人が首を傾げた。

 

「蓮の為に?」

「ええ、レオの霊装が変わった理由は蓮くんの為だからなのよ。レオ、言いにくいならあたしから話そっか?」

「…いや自分で話すわ」

「ならいいけど」

 

レオはまだ気恥ずかしさが残っているのか頭を掻いていたが、やがて意を決し話し始める。

 

「先に二つ言っておく。これはあくまで俺の憶測に過ぎねぇことだから本当かどうかは分からねぇ。後この話はなるべく蓮には話さないようにしてくれ。変な気を遣わせたくない」

「分かった。秘密にしておくよ」

「はい」

「うん」

 

全員が頷いたのを確認したレオは自分の魂の形が変ったきっかけを話した。勿論古傷のことは伏せているがそれ以外の全てを。

 

「——てわけだよ」

 

レオが話し終えた時医務室には静寂が満ちた。

前以て知っていたマリカ以外の三人が一様に驚いた表情を浮かべている。

秋彦は蓮の古傷のことを知っている上に、蓮の為に何かできないかと相談を受けていたから彼の気持ちは痛いほどよくわかる。

 

そして、それは他の皆も同じだった。

那月も凪も前もって話を聞いていたマリカも、蓮の古傷のことは知らないがレオの話をただの憶測だとは思えなかった。

 

「だからレオ君は強くなろうとしたんですか?」

「ああ。つっても足元にも及ばなかったけどな。やっぱまだまだ遠いわ」

そう苦笑いを浮かべるレオ。だが、そこには悔しさが隠せておらず今のが空元気だったのは明らかだった。

その時、話を聞いていた凪が口を開いた。

 

「……多分、葛城の憶測はあってると思う」

 

四人の視線が凪に集まる。普段は口数の少ない彼女にしては珍しく饒舌に話を続けた。

 

「蓮さんは、なんでも一人で抱え込むんだと思う。

辛いことも、苦しいことも、何もかも全て一人で背負いこんじゃう。しかも、それを全く顔には出さないから私達は気づけなかった。

勝手な思い込みだけど、今まで、蓮さんが弱音を吐いた所を見たことがないからそうだと思う」

「確かに、蓮さんが弱音を吐いているところは見たことありません」

 

凪の言葉に那月は暗い表情を浮かべる。

入学してから一年。思い返してみれば蓮が弱音を吐くところを見たことはない。

 

いつも自分たちが見ている彼の姿は、とても強くて、頼り甲斐があって、時には優しく時には厳しい、そんな姿ばかりだ。

いつも彼の優しさや強さだけしか見ておらず、人が当然持つはずの弱さを一度たりとも見たことがなかった。

 

「私達は今までちゃんと蓮さんのことを見れてたんでしょうか?」

 

那月は自然とそんな疑問を零していた。

そうすると今度は那月に視線が集まる。その視線に那月は少し緊張しながらも言葉を紡ぐ。

 

「わ、私は蓮さんのことを友達だと思ってますし、人として尊敬してます。ですが、私達は本当の蓮さんをちゃんと見れてたんでしょうか?

レオくんの話を考えてみれば、私は、私達は蓮さんの本当の姿をまだ、見れてないと思うんです」

「……確かに佐倉さんの言うことは最もだ。僕達はまだ蓮のことを全然知らない」

 

秋彦の言葉に全員が無言の肯定を示す。

ここにいる全員蓮のことを深くは知らない。知ってても表面上の事と少し深いところだけだ。

彼を深いところまで知っているのは、母親である黒乃、黒乃の親友で蓮が幼い頃から付き合いのある寧音。……そして一番古い幼馴染である貴徳原カナタぐらいだろう。

 

「知らねぇならこれから知るしかねぇだろ」

 

誰もがここにいない蓮のことを考えていた時、ずっと布団に視線を落としていたレオが顔を上げてその瞳に強い意志の光を宿し静かにそれでいてはっきりと呟いた。

 

「俺は蓮のことをダチだと、仲間だと思ってる。

アイツが一人で苦しんでるなら、それを助けたい。有難迷惑でも、俺たちの我儘でアイツの領域に踏み込んででも、俺はアイツを助けたいんだよ。それが、仲間ってもんだろ」

 

まさにそれこそが、レオが強くなろうとしたきっかけであり、魂の形を変えるほどの決意の現れなのだ。

彼の力になるためにレオは強くなった。今はまだ届かない。だがいつか届けばいいと思っている。

そして陽香も蓮のことを真に見ようとしている一人だろう。

 

おそらくこのメンバーの中でレオと今ここにはいない陽香が蓮のことを真に見ているはずだ。

レオは友情から、陽香は恋心から、それぞれ別の方向から彼の強さや弱さをひっくるめて全てを見ようとしている。

 

だからこそ、レオはこの場にいる全員に伝えた。

もしも、これからも蓮の友達でいようとするなら、彼のことを少しでも多く知るべきなのだと。今までちゃんと見れていなかったのならば、これから見ていけばいいんだとそう問いかけた。

 

そしてそれに真っ先に同意したのはマリカだった。

 

「ええ、そうね、レオの言う通りだわ。確かに蓮くんにだって踏み込んで欲しくないことだってあると思う。けれど、蓮くんが苦しんでいる時に何も出来ないぐらいなら少しでも蓮くんのことを知っておいた方が力になれるわ。そうは思わない?」

 

それは暗にそう思って当然だろ、と視線で圧をかけてきているようにも見えている。

その圧に屈したわけではなく、それが当然だと言うふうに秋彦、那月、凪の三人は頷く。

 

「そうだね。僕も蓮のことは友人だと思っている。なのに苦しんでる時に何もできないなんて友人失格だよ」

「はいっ。そうですね」

「うん」

 

三人の答えに、レオとマリカは満足げな様子を見せる。

この結果は、レオが望んだ通りのものだったからだ。

 

そうだ。仲間なら、仲間だからこそ一方的に助けられるというわけにはいかない。互いに信頼しその背中を預けれるようにならないと本当の仲間とは言えない。

 

だからこそ彼らはこの日決めた。

 

これからもっと強くなろう。

いつか彼が自分達のことを信頼して背中を預けてくれるぐらいに強くなろう。

 

そうすればいつか本当の彼を見ることができるかもしれないと信じているから。

 

 

 

 

そして、彼らの一連のやりとりを医務室の外で聞いていた者がいたことは誰一人として気づくことはなかった。

 

 




一方は離別を決め、一方は結束を高めた。

共に歩んでいたはずの道は、それぞれの想いにより二つに分かたれた。

それがこの先、滅びの運命が待つ未来においてどのような結果を齎すのか。

『人』である者達と、『魔』に堕ちた者が紡ぐ物語の結末は、彼らはおろか神ですら分からない。



これにて一巻分が終了!
次回からは二巻に入りますのでこれからもこの作品をよろしくお願いします!



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21話 乙女の決意

半年以上も期間を開けて待たせてしまったこと、本当に申し訳ありませんでしたっ!

今はコロナで大変な時期ですが、私はなんとか無事です。皆さん本当にお身体に気をつけてください。いつ何処で誰が感染してるか分かりませんからね。

そして、今回から宣言通り二巻へと入りま〜す。




第一訓練場に轟音が響く。

 

一人の男子生徒が観客席下の壁に上半身が突き刺さっていた。おそらくは殴り飛ばされたのだろう。凄まじい勢いと速度で壁にめり込んだ彼は、そのまま意識を取り戻すことなく呆気なく意識を失いぐったりと気絶している。

 

「試合終了!勝者、新宮寺蓮!」

 

それを確認した審判がすかさずジャッジを下し勝者の名を告げる。

 

『しゅ、瞬殺——ッ‼︎新宮寺選手、序列20位の赤城選手を場外ノックアウトで瞬殺‼︎これで9連勝‼︎やはり強い!強すぎる!これこそが最強の七星剣王だぁ——ッッ‼︎‼︎』

 

試合が終わってもなお興奮する実況と熱狂している観客達には目もくれずに、その注目の的である蒼髪碧眼の男、新宮寺蓮は戦いの勝利に高揚することもなく、ただ普段通りの態度で試合のあった第一訓練場を悠々と後にする。

 

七星剣武祭代表選抜戦が始まり、レオとの試合を終えて約一ヶ月ほどの新緑みずみずしい初夏に差し掛かった頃。

 

新宮寺蓮。歴代最強の七星剣王と謳われる破軍学園、否日本全学生騎士の頂点に立つ帝王は、初戦の《鋼の獅子》葛城レオンハルトの試合後の8戦全てを瞬殺で片付けていた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「お疲れ様です。蓮さん」

 

蓮が試合のあった第一訓練場の出口から出てくると、出迎えてくれたのはいつものメンバーである六人であり、陽香がスポーツドリンクを蓮に差し出した。

 

「ありがとう。まあすぐに終わったし疲れてはないな」

 

ドリンクを受け取り喉を軽く潤した後、蓮は無責任な傲慢を隠さずにそう言う。微塵の疲れも見えない様子から、彼らはまあそれもそうだろうなと各々呟く。

 

彼の実力は十二分に把握している。校内序列一桁相手を蹂躙できるまさしく最強にふさわしい実力をもつ彼が今更序列二桁程度の者に負けるわけがない。

それに、彼に限っては余程のまぐれが起きない限りとか、相性悪だからとかで敗北などあり得ない。その悉くを蹂躙できるため敗北なんて微塵も考えたこともない。

 

足首にも噛みつけないような矮小な羽虫程度に、何よりも誇り高く、平伏すほどに強大な絶対強者たる王が揺らぐ道理などあるわけがないのだから。

 

そして合流した彼らは他愛もない話をしながら、校内を適当に散歩する。

そうすれば、様々な生徒から教員生徒問わず視線を向けられるわけで、今注目のメンバーである彼らは当然のように視線を向ける。

 

『おい、アレ見ろよ。2年のトップ7が全員揃ってるぜ』

『うわすげぇ、全員雰囲気あるなぁ』

『序列一位と五位から九位。それに佐倉さんは序列外だけど実力は間違いなく一桁レベルだしねー』

『潰し合わない限りは確実にあのメンバーの何人かは代表入りはするだろうな。《鋼の獅子》は初戦負けただけで今の所九連勝だし。出てない佐倉さんと葛城以外は全員無敗だしな』

『2年でこれだけ有望なんだもんなー。一年も三年も有望なのがいるし、今年も破軍が勝てるのはほぼ確実だろ』

 

代表選抜開始からすでに一ヶ月が経過している。

その間に有力選手は相当絞られ、その中でも特に注目を浴びているのが蓮達だ。

参加してない佐倉は当然除外するとして、レオも惜しくも初戦で蓮に負けてしまったため候補からは外れている。だが、他の五人は無敗を維持している。そうなれば注目されるのは当然の成り行きだ。

その様を聞いて、候補から外されているレオは若干不満げに頭をかく。

 

「分かっちゃいたが。言われるとやっぱ悔しいなぁ」

「あんたはくじ運が悪すぎたのよ。初戦から大魔王なんて運が悪いにもほどがあるでしょ。今度お祓い行ったら?」

「お前ら、本人の前で疫病神扱いか」

「「あははは」」

 

レオのぼやきにマリカが肩を叩きながらそんなことを言っていたが、バッチリ聞いていた蓮は苦笑を浮かべ肩越しに振り返りながらツッコむ。

そうすると、二人は揃って詫びることもなく曖昧な笑みを浮かべ言葉を濁しただけだった。その様子に蓮は嘆息する。

 

「あのな、くじ次第では俺達の誰かがやり合うかもしれないんだぞ。レオのことを言ってる場合じゃないだろ」

「うへーそれ言わないでよー。考えないようにしてたのに」

「でも、それを言ったら一位と二位、もしくは三位の試合も実現しそうじゃないですか?」

「それはとても気になる内容だね。レオ以上の激戦になるかも」

 

序列一位と二位、あるいは三位の試合。それは学園中の誰もがこの選抜戦の中で実現して欲しいと願うカードの二つだ。

それだけ三人の実力は突出しているからだ。更にいえば、蓮、刀華、カナタの上位三人は粒揃いの序列一桁の生徒達の中でも群を抜いて強い。それに、三人とも数少ない特例招集を経験している百戦錬磨の騎士達だ。その三人が戦うかもしれないと考えるとそれはもう気にならないわけがない。

と、その時だ。

 

「あ、あの!」

 

蓮を呼び止める声が横から聞こえてきた。そちらに視線を向けると、選抜戦が始まってからもはや恒例になりつつある光景が目に移った。

数人の女子生徒が、何か小さな袋を手に蓮に近づいてきたのだ。そして彼女らは蓮の前で止まると頰を赤らめながらもじもじとした様子で蓮にその手の中にあった袋を差し出した。

 

「あ、あの新宮寺先輩。選抜戦応援してます!頑張ってください!」

「こ、これ、私達で焼いたクッキーです!よかったら食べてください!」

「試合かっこよかったです!」

 

これは選抜戦が始まってからはもはや見慣れた光景だった。

蓮は容姿もさることながら、圧倒的な実力を持っていることから全学年の女生徒達に絶大な人気がある。最近ではわざわざ試合の応援にきたり、こうしてお菓子などをあげたりする生徒もいるくらいだ。

 

「ああ、ありがとう」

 

蓮は穏やかな笑みを浮かべると慣れた手つきでその袋を受け取った。

袋を受け取ってもらった女生徒達は顔を赤らめながら蓮達の元から走り去った。

そしてお菓子の袋を片腕で抱えている蓮を見てレオがニヤニヤと笑いながら肩を叩く。

 

「いやー相変わらずモテモテだなー大魔王様は。今日も献上品は大量じゃねぇか」

「レオよしなって、まぁ確かにすごいけど…」

「レオ、秋彦、あとで模擬戦をしようか。最近運動不足でな、解消に少し付き合え。俺は《王牙》を全力で使うし《叢雨》も連発するがどうする?」

「調子乗ってすんませんでした」

「えっ僕も⁉︎」

「冗談だ」

「いや、冗談に聞こえなかったんだけど…」

「気のせいだろ」

 

レオの茶化しは大魔王の権威の前にすぐに屈することになった。誰だって命は惜しいのだ。

そして秋彦はいつの間にか自分も巻き添えを食らってることに驚愕の声を上げる。

男子達がそんな話題で盛り上がってる中後方ではマリカ達も蓮の人気具合に各々呟く。

 

「でも、本当凄いわよねー。毎月何人から貰ってるのよ」

「20は超えてるよね。しかも、それを全部律儀に受け取ってる所がまた人気を上げてるんだよね」

「……紳士的」 

 

女子達が感心の声を上げる中、ただ一人陽香だけは違った。

 

(蓮さんはかっこいいからモテるのは当然なんだけど……)

 

彼女は思い悩んでいた。何にとはいうまでもない。

彼女もまた恋する乙女。ならば、自分の意中の相手がモテている現状に思うところがあるのは当然のこと。

ならばとっとと告白して仕舞えばいいものと思うかもしれないが、いざ告白を考えると異性の交際経験が無いことや恥ずかしさが邪魔して中々踏み出せないでいた。

 

(う〜〜、どうしよう)

 

恋する乙女は今日も悩んでいた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

破軍学園の広大な敷地には訓練場だけでなく数々のトレーニング施設があり、プールも当然存在する。

しかも、全長百メートル級のプールが、二つも。

 

彼らは今日の鍛錬場所を第一プールにし現在蓮達以外に他に利用者のいない貸切状態で鍛錬していた。

 

「うぉぉ‼︎」

「はぁぁ‼︎」

「やぁぁ‼︎」

 

レオ、秋彦、マリカは水面の上に()()五体の精密な氷の人形相手に五対三の複数同時戦闘を行っていた。

これは蓮が考案した連携訓練であり魔力制御力の鍛錬も兼ねているものだ。

蓮が造形した氷の人形と戦うという至ってシンプルなものだが、この訓練はそれに加えて水面の上でというのが曲者であり、プールの底までまっすぐに魔力による足場を作るか、各々の能力で水面に立って戦わなければならないという既存の訓練法の中でもかなりの難易度を誇っている。

既に二体を倒し今は三対三の同数での戦況になっている。

 

「那月。次はこれだ」

「はい。えっと…………《葉語登録(インストール)》《色葉語録(ショートカット)デザートイーグル」

 

那月はベンチに座りながら、氷で作られた拳銃、デザートイングルの隣に己が霊装《彩葉》から端末を片手にし液晶画面を見ながら実物のデザートイーグルを出した後光の粒子に変えて《彩葉》に仕舞っていた。

これは、那月専用の鍛錬であり、言霊の構築と消去速度の上昇。言霊のレパートリーを増やすことが目的だ。

言霊とは言葉の数だけ武器を持つことができ、言葉とイメージが合わさることで彼女は多種多様な武器を出すことができる。

これは彼女が『言霊』という能力を持っているからこそできる芸当。

 

彼女の言霊は知識にある物体を言葉にすることで実体化する能力であり、知識が必要な以上その元となる実物を知らないと何も始まらない。

そこで蓮が知っている兵器を氷で創り出し、その構造を那月に教えることで本型の霊装《彩葉》に登録されていくのだ。

それが那月の伐刀絶技《葉語登録(インストール)》。彼女の課題はとにかく言霊の数を増やす。その一点だ。

 

凪は飛び込み台の上に立ち、次々と眼前の水面から生えてくる氷柱をスナイパーライフル型の霊装《紫苑》で狙いを定め自分の『振動』の能力で次々と砕いていく。

これはレオが硬化の強度を上げるために蓮の氷を使ったのと同じものであり、彼女の能力向上のための訓練だ。

 

陽香は今は蓮達の隣のベンチで通常の水を浮かせる訓練の上位版、蓮が操作する激流の渦を浮かせ球体にとどめさせる訓練を行っている。

彼女が浮かばせている水球のサイズはバスケットボールぐらいのサイズだが、難易度を考えれば十分に実力があることがわかる。

 

最後に那月に指導している蓮はそれをこなしながらもこれらの水流と氷人形の操作と氷柱の造形を全て一人で行っている。

同じ水使いに同じことをやるのは難しい。魔力量も魔力制御力も足りないからだ。だが、100体以上の氷の生物を何時間も操作できる蓮にとってはむしろこれぐらいやらないと鍛錬にならない。

と、その時、レオ達の方で変化が起きた。

 

「これで!」

「ラストォ!」

 

秋彦の風の精霊により行動補助を受けたレオとマリカが二体の氷人形を切り裂き、あるいは殴り壊し、最後の一体を前後からの挟み撃ちで首と胴を斬り裂き倒していた。

許容量を超えたダメージを受けた氷人形が砕け散り下のプールに溶けたと同時に三人もまた疲労から魔力の足場が消えプールに浮かぶ。

三人とも疲労が顔に出ており、肩で息をしていた。

そんな三人に蓮はベンチから声をかける。

 

「三人ともお疲れ。続きはやるか?」

「んーちょっと休むわ。流石に疲れたし」

「俺もだ」

「ぼ、僕も」

「分かった。なら一度休憩にするか」

 

蓮は水面に浮かぶ三人を水流を操作してこちらへと手繰り寄せながら、飛び込み台の上に立つ凪に手を振る。

黙々と《紫苑》を構えて氷柱を砕き続けていた凪もちょうどひと段落ついたようで、蓮の意図に気づいた凪は小さく頷くとこちらに歩いてくる。

 

「どうだった?五対三の模擬戦は」

 

そういうと蓮はベンチに置いてあるよく冷やしたスポーツドリンクの缶やペットボトルをプールから上がってきた三人に差し出す。

 

「結構キツかったわね。能力なしだったから良かったけど、使われてたら負けてたわよ」

「同感だね。蓮の動きをトレースした人形だからか武術は達人級だ。そこに魔術も加わったら勝ち目がないよ」

「つっても、前に比べたらだいぶ戦えるようにはなったんじゃねぇのか?」

「そうですよ。三人の連携も良くなってきましたし個々の実力も上がってますから」

「でも、なんで蓮さんは連携訓練を?それなら授業でもやってますよね?」

 

学生騎士を養成する騎士学校では当然戦闘の授業もある。当然だ。彼らはいずれこの国の防衛を担う戦士であり、いくら学生騎士といえど騎士である以上は市民を守る義務もある。

その時、数的不利などは良くある話だ。それらに備えて学園でも授業でペアを組んで戦う授業はある。だが、

 

「ああ確かにある。だが、正直にいってしまえばあの程度でははっきり言って()()()()()()()

ここにいる全員が序列一桁、あるいはそれに匹敵する者達だ。たかだか半端者達相手に一々手間取っていてはいざという時に対処できないからだ」

 

蓮ははっきりとは言ってはいないが詰まる所、学園の生徒程度の実力ではお前達では相手にならないから、俺の氷人形で鍛錬した方が効率的だと言っているようなものだ。

あまりにも傲慢な発言だが、実際のところ彼の言う通りなのだ。

数多の戦場をくぐり抜け、何人もの世界最強レベルの人物達に鍛えてもらった蓮からしてみれば、ここの生徒達の大半はあまりにも弱い。

しかもそれは、蓮だけでなくマリカ達も薄々感じていたことだった。実際に全員蓮の言葉に頷いた。

 

「まぁ確かに蓮くんの氷人形の方が強いわね」

「というか、蓮の動きをコピーしてる時点で比較しちゃダメだろ」

「蓮基準で見たらそりゃあ誰だって弱いよ」

「…比べるまでもないと思う」

「確かに蓮さんのいう通りですよね」

「み、皆さん、流石にそれは言い過ぎでは……」

 

そう宥める那月もその表情からは僅かばかりの肯定の色も見受けられる。やはり、彼女も物足りなさは感じていたようだ。

蓮の見立てでは、この一年で彼らの実力は飛躍的に上昇している。全員その序列に相応しいほどの力を彼らは身につけている。

 

「ま、鍛錬の様子から見てもお前達は確実に強くなってる。俺が保証する」

 

蓮はドリンクを一口飲んだ後、そう高評価をつける。

それを言われた彼らは誰もが認める最強にそう言ってもらえたことに無性に嬉しかったようで、笑みを浮かべていた。その様子を見て、蓮は人知れずほくそ笑む。

蓮が彼らの鍛錬内容に干渉しているのは何も授業レベルとかの理由だけではない。

最たる理由は、

 

(……お前達には死んでほしくはないからな)

 

ただ彼等に死んでほしくないから。

 

あの日、月影からの暁学園の誘いを断ってしばらく経ってから蓮はレオ達の鍛錬メニューを去年よりも数段難しくした。

 

それは、もしも彼等が自分のような化物と遭遇した時に生き残れるだけの力を身につけて貰う為だ。

 

自分という『魔人』に関わってしまっている以上、彼女達は少なからず望まぬ戦いに巻き込まれてしまう可能性が大きい。

もしかしたら、『魔人』同士の戦闘に巻き込まれてしまうかも知れない。

無論、巻き込まないようにもしものことがあれば彼等を全力で守るつもりだ。だが、この世に絶対は存在しない。

だからこそ、万が一に備えて彼等には強くなってもらいたかった。

そう思うほどにいつの間にか彼等の存在は彼の中で大きくなっていた。破軍学園に来てからのこの一年と数ヶ月の期間は今までの人生でもあの日々と同じくらいに充実していた。

 

 

 

彼らには何があっても生きて欲しいと願っている。

 

 

 

自分のような魔性に堕ちた穢れた醜い『化物』とは違い、彼らは美しく、気高い心を持った『人間』なのだから。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

その日の夕食は全員で焼肉だった。

凪が実家の父から送られてきた大量の高級肉を皆で食べよう提案したことで、レオと秋彦の部屋に各々食材を持ち寄って焼肉パーティーをすることになった。(全員で何かを食べるときはレオ達の部屋に集まるのが恒例になっている)

七人は和気藹々と二つの鉄板を囲み、談笑に明け暮れた。

 

陽香はやはりというべきか蓮の世話を甲斐甲斐しく焼き、焼いた肉を皿に盛り付けてあげたりとか、飲み物を渡したりとか、それはもうアプローチをしていた。

それを面白そうに見ながら凪やマリカは楽しげにお喋りしたり、レオは専ら食べる方に口を使っていた。そして少し意外だったのが時折那月が秋彦に肉を取ってあげたりしていた。

時に、陽香は凪達の会話に加わり、時に蓮と秋彦はレオとフードファイトを繰り広げたりもしていた。

 

そして、夕食の時間はいつものように楽しげな空気が終始流れていた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

夕食後、陽香は鏡に向かっていた。

今は片付けの最中だったが、陽香は「お花摘み」を口実に部屋を抜け出した。

鏡を見ながら、陽香は夕食前の凪の言葉を思い出していた。

夕食前、蓮達を焼肉に誘った後凪はこっそり陽香にこう告げたのだ。

 

『蓮さん達を食事に誘うから、陽香は食後蓮さんを誘いなさい』と。

 

その意味はすぐに分かった。何度も相談していたからこそ、彼女が陽香の告白のお膳立てを整えてくれていることにすぐに気がついた。

陽香は少し迷った後、淡いルージュを目立たないように薄く引き、髪を整え服装をチェックする。

 

「よしっ!」

 

陽香は自分自身に気合を入れて、蓮を誘い出すべく、レオ達の部屋へと戻った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

等間隔に並ぶ街灯が照らす夜道に二つの足音が響く。

蓮と陽香だ。

陽香は片付けを終えた後、蓮に「外に出ませんか?」という誘いをし、蓮が二つ返事で承諾してくれたことで二人は外を歩いていた。

だが、スタートがスムーズすぎた所為で誘った彼女自身が戸惑っていた。今も隣を歩く蓮の顔をチラチラと盗み見ながら、いつ話を切り出そうか悩んでいる。

隣を歩く蓮は何も言わない。

夜道を歩く陽香の隣を少し隙間を開けた状態で同じ歩調で歩いている。

その姿には何となく、自分の意図を察していながらそこへ至るのを避けている、というふうに感じられた。

その彼の態度に、自分自身から踏み出さなければ有耶無耶にされてしまう、という危機感が彼女の背中を押した。

気づけば、彼らは街灯もない少しひらけた場所まで来た。

 

「れ、蓮さん」

 

何度も口を開け閉めしてようやく振り絞った声に、蓮は足を止め陽香と正面から向き合った。

ここには街灯の明かりはない。代わりに月明かりが差している。

わずかに吹く風の音や揺らめく葉の音が闇を満たす星空の下で、二人は向かい合う。

 

「あ、あの……」

 

しかし、そこから先が続かなかった。蓮が目線で促しても、陽香は何度も顔を上げては緊張した顔で俯き目線をそらしてしまう。

 

「うん、なに?」

 

蓮はいつもよりも柔らかい口調、柔らかい声音で優しく続きを促した。

その声に勇気付けられたのか、陽香は顔を上げて、

 

「そ、その……わ、私、蓮さんのことが好きです!」

 

長い逡巡の上に搾り出した告白は、もしかしたら、あたり一帯に響き渡っていたかもしれない。

だが、そんなことに思考を巡らす余裕は陽香にはない。今、彼女にとって世界は、蓮と自分の二人だけで形作られている。

 

「蓮さんは私のことを、どう思ってますか⁉︎」

 

蓮と視線を合わせることもできず、瞼をぎゅっと閉じてしまった陽香に、答えは中々返ってこない。

彼女は恐る恐る目を掛け、涙声で問い掛けた。

 

「そ、その……ご迷惑、でしたか?」

 

彼女の問いに蓮は笑って首を振る。

 

「いや迷惑じゃないさ。いつかはそう言われるかもしれないと思っていた。もしかしたらそうなんじゃないかと気づいていたからね」

 

月明かりに照らされた蓮の顔を見て、陽香は哀しげな瞳をしていると思った。

優しい笑みを浮かべながらも、その表情や瞳には哀しみが隠しきれていなかった。

押し寄せてくるであろう悲しみに堪えるべく、陽香は手を握り、口を噤む。

だが、帰ってきた答えは、予想外のものだった。

 

「陽香、俺はまともな人間じゃない」

「……えっ?」

「幼い頃、解放軍のテロに巻き込まれたことがある。……その時に、俺は精神を壊されたんだよ」

 

陽香の顔がサッと青褪めた。夜の闇の中でも分かるほどに蒼白に。

大きく目を開き、のろのろと上げられた両手で口元を覆い、「そんな……」と呟きを漏らす。

蓮は自分が《魔人》に至った日の事を、犯した大罪を思い出す。あの日から、自分は決定的に変わってしまった。

一度壊された精神は、彼自身が持つ復讐の感情のせいで歪な形に固まってしまった。

 

「その時に、俺は人が持っていて当然の倫理観とかを無くしたんだ。息をするように簡単に人を、敵を殺せるようになってしまった。そんな奴がまともなわけがない。狂っているとしか言いようがない」

 

蓮はまるで他人事のように語っていた。

 

「俺には恋愛をする資格がない。大勢の人を殺した俺は罪を重ね過ぎた。人として壊れた俺はこれからも人を殺し、罪を重ね続けるだろう。A級騎士として戦い続ける以上避けては通れないんだ」

 

陽香は自分の口を押さえたまま何も言わなかった。

一言も発することができない文字通りの絶句状態だった。彼女自ら紡ぐ言葉はなく、蓮の告白だけが陽香の耳から染み込み、意識に綴られる。

その間も蓮の告白は止まらず、続けられる。

 

「前に俺の体の傷を見た事があっただろ?あれは全てが戦闘でできた傷だ。カプセルでも治せない傷もあったが殆どの傷を俺は治癒せずに残している。

それは、俺が人殺しの化物だという事を忘れないための戒めなんだ。普段は隠してるけどね」

 

蓮は自分の体に残るひときわ大きい傷跡を服の上から触れる。彼女が勇気を振り絞って告白をしてきたことに、蓮は《魔人》の事を話すことはできないが、己の罪の証は話すべきだと思ったから。

 

「何度か想像した事がある。

誰かに恋をして、結婚して、家庭を築く。そして子供に魔術や武術を教えて、その子の成長を誰かと一緒に見守る。そんなどこにでもあるような家族の姿を」

 

《魔人》に堕ちた日から、蓮はその光景を何度か夢で見た事がある。顔の見えない誰かと家庭を作り、いつしか子供が出来ていて妻や子供と幸せに過ごす。

剣や魔術を教えて欲しいと言われれば、手取り足取り教えてあげる。

縁側に座り、庭で遊ぶ子供をその誰かと一緒に楽しそうに眺め、その成長を見守る。そんな幸福な夢を。

それはとても尊くて、心地いいものなのだろう。どこにでもあるようなありふれた人の幸せがそこにはあるのだろう。

だからこそ思う。その情景は、

 

「それは俺が得ていいものじゃない」

 

はっきりとそう断言した。

なぜなら、それは『人間』が得るべきものだから。

《魔人》になり、人が当然得られる安寧を捨てて闘争の世界に身を堕とした自分にはそれはあまりにも眩しすぎる。

鮮血に塗れた醜い化物が、得ていいものじゃないのだ。

 

「俺は陽香に告白されて嬉しかったよ。こんな化物でも好きになってくれるんだと思ったから。陽香が真剣な気持ちで言っているのも分かる。

卑怯な言い方だが、俺は陽香のことも好きだよ。けど、それは他の友達と同じように、なんだ。

そんな中途半端な気持ちで告白を受け入れれば、いつか必ず陽香を傷つけてしまう。それは、とても残酷で、辛いことだから」

 

そう言って、蓮は無力感の漂う儚い笑みを浮かべた。

 

「陽香の気持ちには、応えられない」

 

蓮は口を閉ざした。

陽香は何も言わずに無言で俯く。

葉を揺らす風の音が、二人の間を流れ夜の闇を満たす。

月が僅かに動こうかというだけの時間が過ぎた時、陽香が顔を上げた。

 

「……蓮さんは、優しいですね」

「……俺は、優しくないよ」

「いいえ、蓮さんは優しいですよ。だって、告白を断るだけならただ一言言えばいいだけなのに、私を傷つけないように気遣ってくれるんですもの」

「………」

 

陽香の言葉に蓮は黙り込む。それが図星だった事を示していた。陽香は真剣な表情を浮かべる。

 

「それにさっきの話の通りなら、蓮さんは、私以外の女の子を恋人にすることもないんですよね?」

「まあ、そうだけど……」

 

なんだか思いがけない雲行きに蓮は戸惑いながらも頷く。

 

「……だったら、いいです」

「え?」

「蓮さんはこれからも恋人は作らないんでしょう?なら、私が蓮さんのことを好きでいても、横恋慕にはなりませんよね?」

「それは……そうだが………」

「じゃあ、問題ないです。私はこれからもずっと、蓮さんのことを好きでいることにします!そしていつか振り向かせてみせますから!」

 

明るく、そう宣言した。

蓮は一瞬ぽかんと間抜けな顔をした後、

 

「……敵わないな」

 

苦笑しながら頷いた。

これ以上何か言うのは無粋だというのが分からぬほど、流石に蓮も鈍くはなかった。

陽香はくるりと蓮に背を向けると、顔だけを振り返らせ、眩しい笑顔を浮かべた。

 

「ならそろそろ戻りましょう。門限も近いですし」

「……そうだな」

 

そう言って、蓮は陽香の後を追う。

その足取りは、心なしかいつもよりも、リラックスしているようにも見えた。

陽香は蓮には見えないように頬を赤らめ、笑みを浮かべる。

 

(少しだけ、この人との距離を縮められた気がする…)

 

今回の告白は、望み通りの結果でもなければ、予想していたどの結果でもなかったが、結果的に想いを告げることもできたし、彼のことを少しでも知る事ができた。

それに彼が抱えている苦しみの一端を見れた気がした。

そして、彼女は新たな決意を心に宿す。

 

蓮を想う気持ちはこれからも変わらない。

彼を知りたいと言う気持ちも、支えたいと言う気持ちも変わらない。

だが、そこに新たに加えるべき事ができた。

 

 

(いつか、蓮さんが自分も幸せになっていいと思える日が来れるように私は蓮さんのことを好きでい続けます)

 

 

彼自身が自分も幸せになってもいいんだと、己を『化物』だと蔑む彼が、いつか『人間』として心の底から笑い幸福を享受できるように、これからも彼を好きで居続けることを決意した。

 

 




告白シーンは難しいな……。


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22話 《音響の射手》の挑戦

時系列的には一輝の所に絢瀬が弟子入りして少したったあたりかな。


 

男は夢を見た。

 

 

それは地獄。

 

 

一面炎に呑み込まれたどこかの街と、生きながら焼かれもがき苦しむ人々の姿を。

男も女も老人も子供も例外なく誰もが、炎に呑まれ苦しみながら死に絶えている。

肌は周りを取り巻く炎の熱さを。

耳はつんざく人々の絶叫を。

鼻は人間の肉が焼け焦げる匂いを。

その全てが男をいつまでも苦しませる。

 

 

炎に焼け焦げて、ぐらりと斜めに傾く『東京スカイツリー』の姿が、この街が東京だと言うことを教える。

 

 

これがただの悪夢ならどれだけ良かったか。だが、彼自身が感じた五感全てがこの地獄が現実であることを否応なしに突きつける。

 

 

これは起こりうるかもしれない『絶望の未来』。

 

 

男が意図せずに『予知夢』と言う形で視てしまったいずれ来たる東京の未来だった。

 

 

 

 

 

そして『悪夢』の中で男はあるものを視た。

 

 

 

 

 

 

300メートルオーバーの高さを誇る鉄塔『東京タワー』に巨大な体を蜷局を巻くように巻き付け、赤黒く焼けた空に向けて咆哮をあげる()()()()の姿を。

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

陽香の告白から数日後の夕方。

学内の一角に存在する風紀委員会本部には風紀委員会役員総勢7名が集まっていた。

彼らは毎月の中旬に行われる定例会議の為に集まっているのだ。

 

「今月は違反者はゼロだったけど、先月みたく暴れ出す生徒もこれからも出るかもしれないから全員気を引き締めてこれからも取り締まりを続けるように。

じゃあ、今月の定例会議はこれで終了。解散!」

 

委員長である千秋の言葉に全員が立ち上がり、敬礼をすると、今日の当番の者達を残し次々と本部室を出て行く。

蓮、陽香、凪も非番なので本部室を後にしレオ達の待つ寮へと向かう。

その道中で陽香は隣を歩く凪に呟いた。

 

「今月は何事もなくてよかったね」

「そうだね」

 

話していたのは今月の違反者がゼロだったこと。

今年から選抜戦のシステムが導入されたことで、何か弊害が起こるかと風紀委員会は危惧していたが、ひとまず出だしの1ヶ月間は何事もなかった。(入学式での一年生の乱闘騒ぎは別として)

 

「恐らくは選抜戦がいいガス抜きになっているんだろう。それに俺達としては問題が起こらない方がありがたい」

「選抜戦の運営もありますしね」

 

会話に参加した蓮の言葉に陽香は苦笑混じりでそう答えた。

今年に入ってから蓮達風紀委員会や刀華率いる生徒会は実務の内容が増えたのだ。

それは選抜戦の運営だ。その運営は理事長の黒乃をはじめとした教員達が主導で行なっているが、その補助として生徒会や風紀委員会にも要請が出ていることがある。

まだ一年目ということもあり教員達も蓮達も忙しいのだ。だから、生徒同士でのいざこざが起こらないのは正直言ってありがたい。

 

「運営のことも忙しいが選抜戦ももう中盤だ。ここからが本当に厳しい戦いになるだろう。今無敗を維持している俺達には一瞬の気の緩みも許されない」

「確かにそうですけど、蓮さんは誰か警戒している人はいるんですか?」

「俺か?そうだな……」

 

蓮は少し思考する。

この選抜戦で警戒している生徒ははっきり言って今の所いない。誰でも勝てる自信はある。

そもそも、この学園の生徒達と比べると、自分はあまりにも実力差がありすぎる。《魔人》ということもあり総魔力量は既にステラ・ヴァーミリオンを超えている上に、経験の積み重ねが他の生徒達と比べても桁違いなのだ。

だが、しかし強いて挙げるとするならば一人。たった一人だけいる。

 

「強いて言うならステラ・ヴァーミリオンだな」

「それは同じAランクとしてですか?」

「それもあるが単純に彼女は力の全てを使いこなせていないように感じる」

「どういうこと?」

「あの時の炎が世界最高の魔力量を持つものの炎とは思えない。A級としては確かに及第点の火力だが、魔力量を考えればアレは()()()()

 

蓮はそうはっきりと告げる。

蓮はこう言うが、二人には彼女が今操れる熱量も凄まじいものだと思っている。しかし蓮はそうは思えないようだ。

 

「彼女はまだ発展途上。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしも彼女が完全に力を使いこなせたなら……一体どれだけの強さになるのだろうな」

「「っ……‼︎」」

 

蓮の言葉に二人は僅かに息を呑む。

あの蓮が、誰もが認める最強の《七星剣王》がここまで言うのだ。ならば、それはあり得ない話ではない。

確かに彼女の才能は一級品だ。魔力量も表向きは蓮を超えている。

ともすれば、蓮に匹敵する程の存在になるのかもしれない。だが、たとえそうだとしても、

 

「まあ俺の相手にはならないがな」

 

最後にそう付け加え、不敵な笑みを浮かべた。

蓮は自分の強さに絶対の自信を、自らが《絶対強者》である事の自負を持っている。

 

なぜなら彼は()()()として生まれたのだから。

 

世にも珍しい《魔人》同士の間に生まれた奇跡の子。

生まれながらにして《魔人》であり、僅か9歳にして《覚醒》に至り今や非公式ながらに日本最強に君臨しているのだから。

それだけの力を自覚している蓮が今更学生騎士程度に負けるとは毛頭思ってない。

 

「それよりも陽香は大丈夫なのか?生徒会長が相手だろ」

 

そう、蓮の言う通り陽香の次の試合相手はこの学園での校内序列2位にして、昨年の七星剣武祭ベスト8に上り詰めた、破軍学園生徒会長、《雷切》東堂刀華なのだから。

陽香は表情を暗くするも、すぐに力強い表情に変わった。

 

「大丈夫、とは言えません。ですが、蓮さんが鍛えてくれましたから。私は全力で勝ちにいきます」

「気力は十分のようだな。なら何も言わんさ、思う存分戦ってくればいい」

「はい!蓮さんが鍛えてくれた事、絶対に無駄にはしません!」

 

陽香は両手でぐっと握りこぶしを作ってその意気込みを表現する。

どうやら、戦う前に必要な心構えは出来ているようだ。

その時生徒手帳からメールの着信音が二つ同時に響く。

発信源は、蓮と凪だ。

同時に鳴った事にまさかと思いつつも二人は無言で生徒手帳を開く。ディスプレイにはこう表示されていた。

 

 

 

『新宮寺蓮様の選抜戦第十試合の相手は、二年四組・北原凪様に決定しました』

 

 

 

(……まさか、このタイミングで来るか)

 

蓮はこの間の悪さに心の内で毒づいた。

出来れば別々の場所で見たかったが、もうきてしまったものは仕方がない。

間違いなく凪の方にも届いたメールも同じ内容のはず。みれば、凪の端末を覗き込んでいた陽香が驚愕の表情で二人を交互に見ていた。

だが、肝心の凪には動揺が見えるどころかむしろその逆。少しだけ嬉しそうな顔をしていた。

 

「次は、蓮さんが相手なんだね」

「そうみたいだな」

 

真っ直ぐに蓮を見据える凪の視線に蓮もまた彼女の黒の瞳をじっと見る。

そして蓮が切り出す前に、凪が切り出してきた。

 

「蓮さん、一つお願いがあるの」

「なんだ?」

「全力で相手をしてほしい」

「……」

 

凪の頼みに蓮は一瞬目を見開き、静かに口を開いた。

 

「……言っておくが俺はレオとの一戦でも全力は出していない。別に全力を出さなくても誰であろうとも勝てる自信があるからだ。それを分かった上で言っているんだな?」

 

傲慢な発言に凪は目くじらをたてることもなく首肯する。

そんなこと凪にはわかり切っていることだ。今更不快になるわけがない。

 

「うん、今の私じゃどうやっても蓮さんには届かないと思う。けど、だからと言って最初から諦めてるわけじゃないよ」

「……」

「むしろチャンスだと思ってる。だって蓮さんほどの騎士と本気で戦える機会なんてこの先何回あるか分からない。だからこれは私の挑戦。蓮さんに私の全てを試せる最高の機会。私はそれを無駄にはしたくない」

「そうか……」

 

蓮は凪の言葉に一つ息をつく。

強い相手と戦いたい。それは伐刀者なら誰だって一度は抱いたことの一種の本能のようなものだ。

そして同世代で傑出した力を持つ蓮と本気の勝負をしてみたいというその気持ちは蓮にも理解できるもの。

だから蓮は笑みを浮かべ彼女の挑戦に応えた。

 

「ならば、俺に断る理由はないな。いいだろう、この《七星剣王》がお前の挑戦を受けて立つ。心してかかってこい。だが、どんな結果になっても後悔はするなよ?《音響の射手(サウンドシューター)》」

「勿論。蓮さんが相手ならどんな結果になっても私にとって間違いなく経験になるから。だから、蓮さんも全力でかかってきて」

「ああ」

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

同時刻、破軍学園から少し離れた東京某所のある山奥。

 

 

そこに建てられた小さな山小屋に人影があった。

 

 

数は16。男女関係なく全員が一般的な登山用の服に身を包み、大きなリュックサックを部屋の隅に纏めて置いていた。

これだけなら団体での登山客が山小屋で一休みしているように見えるだろう。だが、それは事実ではない。

 

彼らは一般人ではない。全員が伐刀者だ。

 

更に言えば全員この国の人間ではない。全員が《魔導騎士連盟》と《解放軍》との三竦みの関係にある巨大組織《同盟》の一角中華連邦の伐刀者ー『闘士』ーの集団だ。

なぜ、敵対する組織の者達が山奥でこんな格好で集まっているのか?

ただの観光というわけではない。

全員が自分達の主である中国政府の命令によりこの日本に入国したのだ。

 

彼らは———《黒狗(ハウンドドッグス)

 

中国政府の暗部の一つ。戦闘、暗殺に特化した特殊部隊だ。長い歴史を持ち、中国の闇の側面の一つとして長きにわたり暗躍し続けた秘密部隊。

()()()()のために、この日本へと彼らはきた。

テーブルを囲み彼等の中の1人、中年の男がこの辺り一帯の広大な地図を広げながら口を開いた。

 

「作戦の変更はない。当初の予定通り殺害対象はただ1人。だが邪魔する者がいたら其奴も殺して構わん。作戦開始は三日後だ。各々現地での準備を整えておけ」

(シー)

 

男の言葉に全員が頷く。

彼等の目的。それはある伐刀者の抹殺。

中国政府だけでなく《同盟》《解放軍》内で、その強さから極めて危険性の高い存在として優先殺害リストにその名が記されている者の排除だ。

 

 

「我等の目的はこの男ただ一人」

 

 

男は一枚の写真をテーブルの上に乗せる。そこには一人の青年が写っていた。

男は小型ナイフを掲げるとその写真にナイフを突き刺した。

 

 

 

「《七星剣王》新宮寺蓮の抹殺。それだけだ」

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

破軍学園に存在する複数の訓練場では今日も変わらず、選抜戦を見る生徒たちの歓声で賑わっている。

しかし、今日はその一つ第五訓練場が一層賑やかだった。

なぜなら、今日は久方ぶりに序列一桁同士の戦いが観れるからだ。しかも、二試合連続でだ。

 

 

第10試合

『《七星剣王》新宮寺蓮VS《音響の射手(サウンドシューター)》北原凪』

 

第11試合

『《雷切》東堂刀華VS《閃光の魔女》五十嵐陽香』

 

 

序列一位と八位。序列二位と九位。

 

学内でも屈指の実力を誇る四人が七星剣舞祭も中盤に差し掛かったこの時期に激突することになった。

そして第9試合が終わった今、会場のボルテージは最高潮に達し、今か今かとその時を待ちわびている。

その中にはレオ達だけでなく、一輝やステラ、珠雫を始めとした有数の実力者達もいる。

黒乃や寧音もすり鉢状の観客席の最上階で試合を待っている。

 

『えーそれではこれより本日の第10試合を開始しまーす!

まず赤ゲートより現れたのは、破軍学園風紀委員会役員の一人にして七星剣舞祭代表有力候補!

その小柄なルックスとは裏腹に、戦闘は豪快の一言に尽きる!

『振動』の能力で敵を粉砕してきたリトルクラッシャー!

2年《音響の射手(サウンドシューター)》北原凪選手です‼︎‼︎』

 

薄暗い通路を抜け、赤ゲートからまず現れたのは短い黒髪のマッシュレイヤーの少女北原凪。

歓声響く中、彼女は相変わらず表情に乏しいが、親しいもの達から見れば緊張している面持ちで、青ゲートの奥を見据える。

割れんばかりに響いているはずの歓声が響く中、彼女の意識は今、目の前のたった一人に集約されている。

 

『そして、青ゲートより姿を見せるのは、同じく風紀委員会副委員長にして、我が校の校内序列最高位!我らが日本の学生騎士達の頂点に君臨せし《七星剣王》!

人の形をした大海は今日も圧倒的な実力で相手を蹂躙するのか!

荒れ狂う大海を従えし蒼き海の王者!

破軍が誇る最強の水使い!2年《七星剣王》新宮寺蓮選手です‼︎‼︎』

 

青ゲートより、水色の長い髪と長ランを靡かせて破軍学園だけでなく日本最強の学生騎士が盤上に上がる。

その姿を双眸に捉え、凪は一筋の冷や汗を流す。

 

(……やっぱり、桁違い)

 

対峙すれば分かる。

圧倒的すぎる。

空気が彼の纏う覇気に呑まれ、張り詰めている。

身体中の産毛がぞわぞわし、射抜くような眼光の鋭さに、汗が滲み体が震えるのが分かる。

まるで、彼の背後に何か巨大な怪物がいるような気がして、今にもその怪物が自分を嚙み殺そうとしているように錯覚してしまう。

 

今までの選抜戦で相手をしてきた者達とは何もかもが比べるまでもないほどに桁違いだ。

自分より格上なのは明らかだし、全力を出し切っても遠く及ばない相手だ。

 

だが、それでも彼女は棄権することはしなかった。

むしろ、これはチャンスなのだ。

 

今までは陽香以外にライバルと呼べるほどの強者はいなかった。思えば、その時の彼女達は井の中の蛙状態だったのだ。

だが、この破軍学園で蓮に出会ったことでその思い上がりは完全に打ち砕かれた。

 

日本で最強の地位に君臨する学生騎士。

歴代最強の《七星剣王》と謳われる男。

そして、A級リーグで名を馳せる化け物達と肩を並べると言われるほどの騎士に全力で勝負を挑める機会なんてそうそうない。

だから絶対に引かない。

自分の全力が出し切れる戦いから逃げるなどもってのほかだ。

 

(これは私の挑戦。今の私にできる全てをぶつけるっ!)

 

高ぶる気持ちのまま彼女は相棒を呼び寄せる。

 

「打ち砕け。《紫苑》」

 

彼女の右手から鮮やかな紫色の燐光が溢れ出し、やがてそれは一つの形を成す。

光が晴れた時、そこに現れたのは白銀の銃身に紫の花を象った装飾のある美しい狙撃銃だ。

これこそ彼女の霊装《紫苑》。

凪は《紫苑》を構え、銃口を蓮に向ける。

 

「行くぞ。《蒼月》」

 

対する蓮も己が相棒を呼び寄せる。

青い燐光が舞い、腰に現れるのは鞘に納められたままの艶やかな藍色の双刀。

 

会場のボルテージもいよいよ最高潮に達し、両者の準備も整った。

あとは、試合の開始の合図を待つだけ。

そして———

 

 

『それでは第10試合目、———開始‼︎』

 

 

戦いの始まりを告げるブザーが鳴らされた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「《共振破壊(レゾナンスブレイク)》ッッ‼︎」

 

 

試合開始の合図がなされた瞬間、凪は躊躇わず《紫苑》の引き金を引き、最初から全力で魔術を行使する。

同時に訓練場を凄まじい地鳴りが襲い、各所に亀裂を刻み始める。

《紫苑》から紫白の振動波が蓮のいる一方向に向けて放たれる。にも関わらず、訓練場全体が揺れているのはその振動波の余波によるもの。

今までの敵の殆どがこの技に呑まれ悉く粉砕されてきた。

だが、相手はその普通には当てはまらない。

 

なぜなら、彼は七星の頂に住まう本物の怪物なのだから!

 

「——《蒼水球(ブルー・スフィア)》」

 

蓮は自身を紺碧に輝く水の球体で包む。

水の障壁は紫白の波動を正面から受け止め、轟音と衝撃が訓練場全体に響く。

紫の衝撃波は、紺碧の水球にぶつかるも傷一つつけられない。激しく渦巻く激流の球体は、蓮の鉄壁の防御魔術の一つだ。そう簡単に破られるわけがない。

それに水とは衝撃に対して非常に強い抵抗力を持つ。しかも、その表面が激流のごとく常に高速で回転しており、それらの激流が衝撃波の悉くを受け止め粉砕しているのだ。

 

「———ッ」

 

だが、凪は指を止めることはなく一度で攻撃が通らないと見るや、間髪入れず障壁への攻撃を繰り出し破壊を試みる。

幾度も響く轟音と衝撃。何という荒々しい攻め。

だが、幾度と波動が放たれようとも紺碧の障壁はビクともしない。

しかし、この程度は想定内。

彼は日本で一番強い学生騎士。しかも、連盟最高ランクのAランクだ。魔力の総量も自分のソレとは桁違いだ。

自分の思い通りに状況が進むとは微塵も思っていない。

そして、ついに彼が反撃に動いた。

 

「《凍息重砲(フリージング・カノン)》」

 

蓮は空中に無数の氷のライフルを生み出し、銃口を振動波を撃ち続ける凪に向け一斉に冷気を帯びた氷弾と水の弾丸を放つ。

機関銃のように放たれる蒼の光弾に、凪も一度壁への攻撃を中断し《紫苑》を構え光弾を迎え撃つ。

 

「《砕波弾雨(バーストレイン)》ッ‼︎‼︎」

 

《紫苑》から放たれる振動波を帯びた紫白の光弾が空中で無数に弾け、驟雨が如く青い光弾に向けて放たれる。

水氷の驟雨と破壊の弾雨が空中で激突し青紫の爆煙が生じる。

その爆煙を突き破って無数の蒼の閃光が一気に凪へと襲いかかる。

 

「………!」

 

凪は自身を守るように、《砕撃紫盾(パープルシェル)》を球状に展開する。

紫白の防壁には振動が付与されており、攻防一体の防壁が冷気と水の閃光が接触した瞬間に粉々に粉砕されていく。

閃光が途切れたと同時に爆煙も晴れ、中からゆっくりとこちらへ歩いてくる蓮の姿が現れる。

全身に要塞に匹敵するほどの堅牢な防御力を持つ紺碧の魔力障壁を纏い、攻撃の悉くを受け止めてきた蓮が悠々とした足取りで凪の元へと向かう。

 

対する凪は再び《共振破壊》を放つ。

しかし、今度は頭上も含めた全方向からだ。

またも障壁に阻まれたものの今度は彼の歩みを止めその場に縛り付ける。

一つでも足を止めるほどの強烈な振動波を前後左右と頭上からの五方向から受けたのだ。流石の蓮でも動きを封じられ、即席の紫白の光の檻に閉じ込められる。

だが、激しい衝撃波が入り乱れる結界に囚われているというのに、障壁には傷一つつかない上に、当の本人は涼しい顔をしている。

 

「……邪魔だな」

 

蓮は右足を持ち上げると煩わしいものを払うように地面に勢いよく振り下ろした。

 

ゴッッッッ‼︎と、激震と轟音を伴い訓練場が縦に揺れる。

 

大出力の魔力を津波に変換し周囲に放出する事で蓮は強引に結界を突破したのだ。

内側から放たれた荒々しい津波に食い破られた紫白の結界は、光の粒子となり空中に霧散する。

そして、再び一歩足を進めようとしたところで蓮は直感に従い頭上を見上げる。

 

横殴りの暴風が如き攻撃に晒されていては気付かなかったのだろう。既に蓮の頭上にはサッカーボールサイズの紫白の魔力球体が既に眼前に迫っていた。

 

「《砕光魔弾(メテオ・ストライク)》ッッ‼︎」

「……ッッ‼︎」

 

直後、蓮めがけて落下した魔弾は蓮をリングごと粉砕した。蓮がいた場所は大きく陥没する。

伐刀絶技《砕光魔弾》。圧縮に圧縮を重ねた振動波を質量弾として放ち、着弾した瞬間に一気に振動波を解き放つ絶技。その威力たるや凄まじく、破壊の亀裂は観客席にまで及ぶ。

擬似的な小隕石が齎した破壊の痕跡に、息も忘れるほどの緊張から解かれた実況や観客達がそこかしこで驚きの声を上げ始める。

 

『す、………凄まじぃいぃぃいいい‼︎‼︎

な、なんというハイレベルな攻防なのでしょうか!私、実況を仰せつかっておきながら、何一つ言葉を発することができませんでした!』

『な、なんだよ!《音響の射手(サウンド・シューター)》、ここまで強かったのかよっ‼︎』

『まだ試合が始まって1分も経ってないのに攻撃、防御、拘束、切り札……どれだけ手数を重ねたのよ⁉︎』

『《七星剣王》が化け物なのは分かってたけど、《音響の射手》の方も十分化け物レベルじゃない‼︎』

『あ、ああ、確かにすげぇよ……けど、けどよ……』

 

興奮冷めやらぬ観客達が、徐々に気付き始める。

視線は凪から離れ、クレーターの底にある瓦礫の山へと移る。盛り上がっていた興奮は、そのまま畏怖へと置きかわり、観客のほとんどが顔を蒼褪めさせる。

この戦いが自分たちでは到底及ばない領域にあることはわかった。だが、その苛烈な攻撃を一身に受けても、なお砕けない者の姿を見てしまった。

 

 

 

『なんで、アイツは……あの手数全てを、()()()()()()()()()()()()()⁉︎』

 

 

 

ザッ、と地面を踏みしめる音が静かに響く。

クレーターができるほどの苛烈な攻撃を受けたはずなのに、球体には傷どころか罅すら入っていない。

紺碧に輝く水の障壁に包まれた新宮寺蓮がそこに立っていた。

 

(ここまでやっても届かない……さすが蓮さん)

 

僅かながらに凪は苦虫を噛み潰したような表情になる。

《砕光魔弾》は彼女がもつ手札の中で高い破壊力を持つ技だった。込める魔力に応じて破壊力も変わるが、凪は蓮ほど魔力制御の腕に優れているわけでもない為、蓮を拘束している一瞬に圧縮した分しか放てなかった。

 

それでも、僅かでも傷を与えればと思ったが、現実はいつだって非情で彼は無傷でこの猛攻を凌いだ。

 

だが、これも彼女にとっては想定内だった。

何もかもが常識外れなのだ。自分では通用すると思っても、彼にとっては耐えれる程度の攻撃だった事は幾らでもある。

それに所詮は戦略の一つが失敗に終わっただけ。

他にも当然策は用意してある。あとはそれが通用するかどうかを試すだけ。

そう思い《紫苑》を構えなおした時、クレーターの底から凪を見上げていた蓮が静かに口を開いた。

 

「凪お前は昨日言ってたな。全力で相手をして欲しいと、だからここからは俺も全力で行かせてもらう」

「ッ!」

 

そう言って蓮は《蒼水球》を解き《海龍纏鎧》を纏うと背に《水進機構》を創りクレーターの底から全体を見下ろせるほどの高さまで飛ぶとその場で滞空する。

 

「——臨界せよ。《海龍纏鎧・王牙》」

 

蓮は右腕を横に振るう。

青い光と水の渦が彼を覆い鎧の形状を変化させていく。

形作られるソレは凪達が良く知るもの。

名だたる強者達の悉くを蹂躙してきた破壊の権化たる頑強なる蒼き海龍王の鎧。青い輝きを伴って《海龍纏鎧・王牙》が姿を現した。

しかし、これで終わりではない。

 

「もう一つ面白いものを見せてやる。《水進機構・蒼翼(レシプロ・スラスター・アクセル)》」

 

背鰭の両側にある突起の《水進機構》が青く光り輝き変形を始める。大きさを、長さを増していき、更に水が纏わりつき鳥と戦闘機の翼を合成したような巨大な翼へと姿を変えた。

一対の蒼翼には通常よりも数倍の太さの《水進機構》が3本ずつ備わり、それを水が覆って翼の形を成している。

更には両腕には3メートル近くある巨大な氷のライフル《凍息重砲》が握られ、無数の《雪華》が彼を守るように浮かんでいる。

 

「さあ、続きをやろうか」

 

蓮は凪を見下ろすと銃口を凪の方に向ける。

銃口にはサッカーボールサイズの青い魔力球体が現れた。

 

「《破槍弾(ブレイクスピア)》‼︎‼︎」

 

ドンッ!と重音を上げて、槍状に圧縮し貫通力をあげた振動弾が蓮に放たれる。だが、それは蓮の周囲に浮かぶ《雪華》がその射線上へと動き防いだ。

凪の攻撃を防ぎながら、蓮はその球体を銃口から放つ。

 

(遅い?)

 

その球体は明らかに今までの攻撃に比べ明らかに速度が遅い。この速度なら急いで対応しなくても十分に対処できる。そう思い凪は《砕撃紫盾》を展開しつつ《破槍弾》を放つ。

だが、

 

(ッッ、これはダメッ!)

 

凪はその考えをすぐさま自分で否定し、全力でその場から飛び退く。次の瞬間、青い球体は落下速度を急激に速め、《破槍弾》と《砕撃紫盾》を容易く粉砕し地面に着弾すると大爆発を巻き起こし青色の爆煙を漂わせる。

爆発はリングに先ほどよりも大きいクレーターを作り出すだけでなく訓練場全体にも亀裂を入れる程の破壊を見せつけた。

 

『こ、これはまた凄まじいものが放たれました!

先程の北原選手の攻撃よりも凄まじい爆発!

あの小さな見た目に反し、恐ろしいまでの破壊力です!』

「うわえっぐ、何よあれ」

「ただの水の質量弾ではないようだけど、爆弾かな?」

「水で爆弾か?そんなの出来んのか?」

「不可能、だと思いますけど……」

 

初めて見る技にマリカ達は戸惑いの声をあげたり、その威力の凄まじさに引いたりと様々な反応を見せる。とはいえ、その胸中には全員が共通して『蓮ならなんでもあり』という本人からすれば少し失礼な気持ちを持っているが。

 

そして、四人がわからなかった技の正体を別の場所で見ていたカナタは知っていた。

 

(《蒼爆水雷(ブルー・ボルス)》相変わらず凄まじい威力ですわね)

 

伐刀絶技《蒼爆水雷(ブルー・ボルス)

それは水蒸気爆発を起こす技。

水は熱せられた水蒸気になった際、体積は約1700倍になり、水の瞬間的な蒸発により、体積の増大が起こり、それが爆発となる。

しかし、これは多量の水と高温の熱源が接触した場合で発生するものだが、蓮はそれを魔術で干渉することで可能にした。

多量の水を圧縮した水球を、着弾と同時に一気に気体へと変化させることで、圧縮されていた水が一瞬でその体積を爆発的に増し、擬似的な水蒸気爆発が発生する。

 

カナタは招集の時にそれを見ている。無論その破壊力もだ。

レオ達は知らないがカナタは刀華と共に招集命令を受け犯罪組織の一つを壊滅させた時、彼らが隠れている施設を上空からの《蒼爆水雷》の絨毯爆撃で数分足らずで壊滅させたのを知っている。

それだけの凄まじい威力を秘める爆弾を蓮はこの試合で使った。つまり、それは凪がその技を使うに値するほどの実力者であると認めていることを意味している。だが、

 

(そうだとしても、蓮さんには敵いません)

 

確かに凪は強いのだろう。序列八位にいるだけのことはある。

だが、どれだけ実力があろうと彼には勝てない。

彼の研鑽を隣で見てきたからこそそうはっきりと断言できる。

 

カナタはくすりと微笑むと、わずかに顔を上げ遠くを見るようにその美しい碧眼を細め、その瞳に一人の騎士の姿を映す。

その瞳には昔よりも逞しく凛々しくなった一人の王の姿が映る。

 

(貴方の勝利を信じていますわ。何よりも猛々しく、何よりも誇り高き我が王)

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『爆撃爆撃爆撃‼︎爆撃の嵐だぁ———‼︎‼︎空爆のような爆撃の嵐が絶え間なく北原選手に襲いかかる‼︎北原選手は防御で手一杯の様子です‼︎』

 

轟音が絶え間無く響く中、実況が負けじと声を張り上げる。リングはもはや見る影もないほどに破壊され尽くしていた。絶え間無く降り注ぐ《蒼爆水雷》によりクレーターが出来ては他の爆撃に壊され、また別の爆撃に壊される。それを繰り返していくうちにリングは完全に崩壊し、今は瓦礫の山やクレーター広がり、所々凍りつくなど異様な惨状へと変わっていた。

 

そんな惨状を作り出した当事者である蓮は蒼翼から勢いよく水を噴射しながら宙を飛翔し逃げ惑う凪へとトリガーを引き続け《蒼爆水雷》を始めとした氷弾や水弾を放ち、リングを凍らし、抉りながら凪を追い詰めていく。

凪は《砕撃紫盾》を全力で駆使し数多の弾丸を逸らし、防ぐものの完全には防ぎきれず傷があちこちにでき始めている。時折、一矢報いようと反撃を試みるも彼に届く前に周囲に浮遊する《雪華》が盾となり阻むか、驚異的な速度で容易く避けられてしまう。

 

会場ももはや最初の熱気はとうに消え失せ、今や蓮の非常識な強さに絶句し畏怖の視線を宙を舞う蓮に向けている。

凪も学内序列八位という破軍屈指の実力者なのは間違いない。だが、蓮は《七星剣王》だ。破軍を含め全ての学園の生徒達の頂点に立つ存在。しかも、歴代最強と謳われるほどの化け物じみた実力の持ち主なのだ。

 

勝てるわけがない。

 

そんなこと分かっているはずなのに、凪はそれでも諦めなかった。

 

(私は、蓮さんには届かない)

 

彼には勝てないことなど初めから分かっている。

彼は自分では到底及ばないほどの才能と実力を持っていることも。そんな彼に自分が勝とうだなんて身のほど知らずな願いだと分かっている。

それでも折角真剣に蓮にぶつかれる機会があるのならそれを無駄にはしたくなかった。

 

(このまま逃げ回っていてもじきに捕まる。だったら!)

 

凪は逃げ回るのをやめると背筋を伸ばし《紫苑》を構える。銃口からは紫色の輝きが覗いていた。

その光景に蓮は凪への砲撃を続ける。凪はそれを《砕撃紫盾》を展開し防ぐ。だが、砲弾の威力が強すぎるせいか、壁には無数の亀裂が生まれる。

あと5秒もしないうちに結界は破られるだろう。だが、それだけあればこの切り札は放てる。

 

(距離…出力……大丈夫、できる……‼︎)

 

そして防壁が砕ける瞬間、凪はトリガーを引き、その名を叫んだ。

 

「《電磁熱線(フォノンメーザー)》ッッ‼︎‼︎」

 

銃口から放たれたのは紫白の閃光。

それは降り注ぐ砲弾群を破りながら一直線に突き抜け、蓮に襲いかかった。

それを蓮は余裕を持っていくつかの《雪華》を結合させた盾で防ぐ。そしてプラズマを纏った紫白の閃光が《雪華》に突き刺さり——白い蒸気を上げて貫いた。

 

「なっ」

 

蓮は一瞬目を見開くも、すかさず右の《蒼氷重砲》を盾にし熱線を受け止めた。だが、受け止めたその銃身からは白煙が上がっていた。

ここにきて凪は初めて蓮の氷にまともなダメージを与えた。

伐刀絶技《電磁熱線(フォノンメーザー)》。

超音波の振動数をあげて、量子化した熱線を放つ技によって。

 

『なんと言うことでしょうか!北原選手が放った熱線が新宮寺選手の《雪華》を溶かし貫きました‼︎

この土壇場で北原選手、ついに新宮寺選手に明確な攻撃を届かせました!』

『お、おぉぉぉ!マジかよ!新宮寺の氷を貫きやがった!』

『す、すげぇ!まだ北原にも勝機があるんじゃねぇのかっ⁉︎』

 

観客達が実況の言葉に再び興奮の熱を上げ始めた。

それは控え室にいる陽香も例外ではない。

 

「凪…すごい!」

 

陽香は祈るように組んでいた手を更に強く握り、感嘆の声を漏らす。

何しろ相手は誰もが認める日本最強の学生騎士。

その相手に、凪は一矢報いたのだ。

 

(私は知ってるよ。ここまで、凪がどれだけ努力してきたか……!)

 

幼い頃からずっと陽香は凪が努力する姿を見てきた。

勝てないことをわかっていたとしても、凪はそれでも蓮に勝とうと全力を尽くして挑んでいる。

ならば自分にできることはただ一つ。

 

(頑張って!)

 

ただ彼女の奮闘を応援するだけだ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「へぇやるな」

 

蓮は表面が溶けて窪んでいる右腕の《凍息重砲》を見ながら感心する。

今の状態での《雪華》は数倍の強度にしている。少なくとも、戦車砲すら傷ひとつつけれないほどの強度であることは確かだ。

だが、それを凪は貫き、懐まで届かせた。その事実に僅かに驚いたのだ。

 

(まあ、問題はないな)

 

だからと言って、蓮にとっては大したことではない。

熱線化した超音波射撃。確かにそれは強力だ。しかもBランクの魔力と相まってそれはかなりの威力を誇り、七星剣武祭でも十分に通用するレベル。

だが、それだけだ。

この程度では、自分を凌駕することはできない。

 

「………」

 

再び《紫苑》の銃口から紫白の熱線が放たれた。

先ほどと同様の熱量と速度を持って襲いかかるそれを前に、今度は左の《凍息重砲》を構え蒼の閃光を放つ。

冷気を帯びた閃光はちょうど二人の中間あたりで熱線と激突すると呆気なく熱線を打ち消し凪へと襲いかかる。

 

「……ッッ‼︎」

 

凪は紙一重でその閃光をかわしながら、苦々しい表情を浮かべた。

 

(冷気を強くしてきたっ、なら!)

 

凪は負けじと超音波射撃の加熱を強めて熱量を上げて三射目を放つ。だが、結果は同じ。再び蒼の閃光に破られた。

それを見て、彼女はたった二度の衝突で悟った。

 

(駄目。もう、通用しない)

 

今この時点で彼女の切り札は切り札ではなくなったのだ。

もう何度繰り返そうとも結果は同じ。他の手を考えるしかない。彼女は再び牽制として《共振破壊》を全方向から放つ。

しかし、それは魔力放出と蒼翼の噴射加速により強引に内側から突き破られる。

水を噴射させ驚異的な速度で空中を飛翔し凪に狙いを絞らせないようにしているのだ。あそこまでの速度で飛び回られては凪では狙いを定められない。

 

(《電磁熱線》はもう通じない。他も駄目。だけど……)

 

自分の切り札だった《電磁熱線》は一度は通じたものの、二度目からは完全に無力化された。

他の技でもありえない速度で避けられるか、それ以上の砲撃で掻き消されてしまう。

もう打つ手なし。今度こそ万事休すと思われたが、このタイミングで準備がやっと整った。

 

(……やっと、できた)

 

彼女はずっと準備していた。

今までの攻撃はこの技を完成させるための布石。

馬鹿げた威力の砲撃から逃げ続けながらも、攻撃を弾かれ霧散した魔力をその場に留めさせて、蓮にも気づかれないように彼を囲む結界を構築し、いざという時に大規模の魔術を即発動できるようにしたのだ。

そして今、蓮に対抗できうるかもしれないもう一つの切り札が完成した。

 

「蓮さん」

「?」

「これが、私のもう一つの切り札だよ」

 

凪は《紫苑》を下ろし、右手を蓮に向けて突き出す。

そして強く握りしめ、叫ぶようにその切り札を唱えた。

 

「《爆雷紫界(エアーマイン)》ッッ‼︎‼︎」

「ッッ⁉︎」

 

凪の号令を合図に、前触れもなく半径15メートルはある巨大な紫日の球状破砕空間が生まれ瞬く間に蓮を呑み込んだ。

次いで、蓮を襲ったのは全方向からの衝撃波の嵐。

先ほど蓮を一瞬抑えた《共振破壊》とは比較にならないほどの衝撃波が絶えず様々な方向から蓮へと襲いかかった。

衝撃が氷を、肉体を打ち、轟音が絶えず響く。

 

(捕らえたッ!もう逃がさないッ‼︎)

 

凪は残った全魔力を注ぎ込んでその技の維持に全力を尽くす。あの鎧を砕くには、あの鎧の魔力を、出力で上回ることが最善であり唯一の道。

しかし、魔力量で圧倒的に劣る自分ではそれは到底無理な話だ。

()()()()()()()()

出来る出来ないの話じゃない。やるかやらないかの話だ。

方法なんて分からない。それでもやる。

とにかく自分の全てを出し尽くして初めて土俵に立てる相手なのだから!

 

「まだっ!」

 

自分の全魔力を注ぎ込み、更には超高密度の魔力結晶である霊装《紫苑》すらも分解して魔力に還元し、結界に注ぎ込む。衝撃はさらに勢いを増し、会場全体に凄まじい轟音を響かせる。

 

「ッ‼︎」

 

そして遂に、彼が両手に持っていた《蒼氷重砲》や彼を守るように浮遊していた《雪華》が全てバキン、と甲高い音を立てて砕け散った。

氷晶の破片が光を反射しながら宙を舞い、やがて粉々に砕かれる。

 

『ここで新宮寺選手の《凍息重砲》と《雪華》が粉砕されたっ!す、凄まじい威力と轟音です!まさに死力を尽くした怒涛の猛攻撃!し、しかし……』

 

マイク片手に興奮気味に解説していた実況がふと言葉を詰まらせる。

そう、確かに凪は《蒼氷重砲》と《雪華》を砕いたのは事実だ。高い強度をもつソレらを砕けたのは凪だからこそだろう。だが、それでも……

 

『お、《王牙》には傷どころか罅一つついてすらいませんっ!まさに絶対防御の鎧!北原選手、やはり万事休すかっ‼︎』

「くっ」

 

海王の鎧は揺るがない。

並の伐刀者なら呑まれた時点でいくら全力で魔力防御しても簡単に破られ木っ端微塵になるだろう。だが、《蒼氷重砲》や《雪華》は砕けても、彼の膨大な魔力を込められて形造られた《王牙》は彼女の全力をもってしても砕けなかった。

 

そして、その代償は大きい。

 

霊装すらも分解し、限界まで魔力を絞り込んだ身体は今にも倒れてしまいそうなほど。

大出力の伐刀絶技を長時間維持し続ける為の術式は彼女の脳を焼く。霞み始めた視界、ふらつき始めた肉体。充血する瞳。肉体を蝕む痛みを彼女は気力で堪え、それでもなお魔術を行使続ける。

血を吐きながら、鬼気迫る表情を浮かべ、彼女は己の全てをこの一瞬に注ぎ込み、叫んだ。

 

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ———ッ‼︎‼︎」

 

その声に応えるように《爆雷紫界》はその輝きを増し、紫白に輝く光球と化す。内側で荒れ狂う衝撃波も、鳴り響く轟音も更に激しさを増す。

 

凪の文字通りの全身全霊の一撃。それは確かに凄まじい。

だが、これだけの攻撃でも、蓮の《王牙》を砕くには至らなかった。

 

そして紫白の牢獄に囚われ続ける蓮はどこまでも冷たい声で現実を突きつけるように静かに告げた。

 

「残念だが、ここまでだ。凪」

「ッッ‼︎」

 

荒れ狂う衝撃波の嵐の中、蓮は右腕を突き出し、莫大な魔力を青く輝く極光として右腕を包むように集束させる。右腕を中心に膨大な冷気が激しく渦巻く。

込められた魔力は少なく見積もっても《ニブルヘイム》と同等の膨大な量。それが右腕に集束されていく。

 

「陽香の試合を見る為にも意識は残るよう加減する。だから安心して沈め」

 

彼が相対する敵に対してやる事はいつだって変わらない。

 

ただ蹂躙するだけだ。

 

その直後、観客達全員が思い知らされる。

 

力も、異能も、小細工も、全てを真正面から()()()()()ことが出来るからこそ彼はAランクなのだと。

 

策も技術も必要ない。ただ在るがままにその力を振るうだけで強く、どこまでも不条理で理不尽だからこそ、彼は新宮寺蓮なのだと。

 

瞬間、右腕から極光が解き放たれた。

 

 

 

「————《巨竜の咆哮(ファフニール・ロア)》」

 

 

 

青の極光が世界を塗り潰す。

 

解き放たれるは全てを凍てつかせる巨竜の咆哮。

 

広域冷却魔術《ニブルヘイム》に指向性を持たせた蒼銀の極光は、紫白の牢獄を内側から容易く食い破り、一直線に凪に襲いかかる。

轟音と閃光がリングだけでなく、ひび割れた会場全体を軋ませる。リングを中心に吹雪が吹き荒れ、瞬く間に会場を凍てつかせる。

やがて、極光が消え去った後現れたリングは凄惨の一言だった。

観客席の眼下にあったはずのリングは氷原へとかわり、凪がいた場所は、背後の観客席をも呑み込んだ巨大な氷山が生まれていた。

凪はその氷山に首から上だけ無事な状態で呑み込まれて体の殆どを氷漬けにされていた。

 

その様子を見た審判が凪を戦闘続行不可能と判断し、両手を交差させる。

 

『ッッ、し、試合終了ォォォォ‼︎‼︎

な、何か正体不明の極大の一撃が全てを凍りつかせてしまいましたーッッ‼︎

北原選手、善戦を見せたが、やはり前年度No. 1《七星剣王》の壁は厚かったっっ‼︎‼︎

力と技術の攻防を制したのは我らが学園最強!《七星剣王》新宮寺蓮選手です‼︎』

 

そして、と実況は唾を飲む。

 

『学園屈指の実力者である北原選手の策と攻撃を受け止め、それら全てを蹂躙する様はもはや怪物!もはや生きる災害とも言えるでしょう‼︎

まさしく、これこそが……歴代最強と謳われる《七星剣王》の実力だぁぁぁぁッッ‼︎‼︎』

 

静寂に満ちた会場に実況の声が響く。

観客達は誰も声を発せなかった。誰もが何が起きたのかわからずに困惑し絶句していたからだ。称賛を通り越し彼らは実力差がかけ離れすぎている蓮に畏敬の念を抱いた。

そんな中蓮は静かに氷山に半身を呑まれた凪の元へと近づいた。

 

「まだ意識はあるな?」

「……うん」

「なら良い。そのままじっとしてろ」

 

蓮は氷山に触れると、左手に青い魔力の輝きを灯す。

すると氷山を含めた会場中の氷が全て蓮と同じ青い光を帯び始めると、次々と気化され水蒸気へと変わっていく。

やがて氷点下まで下がっていた室温は、徐々に上がり、壁に張り付いていた氷柱も跡形もなく消えていき、試合の始まる前の状態に戻っていた。

氷から解放された凪は先程よりも血色の良くなった顔に微笑を浮かべ連に礼を言う。

 

「蓮さん、ありがとう」

「構わん。大分無茶をしたな」

「蓮さんが相手だもん。無茶をしないと、まともに戦えないから」

「だが、立つのもやっとの状態で陽香の試合は見れないだろう。だから」

 

蓮は凪に手をかざし、レオの時と同じように彼女の傷を治癒術で癒す。彼女の全身が青い輝きに包まれ10秒もしないうちに彼女の内側の傷は瞬く間にふさがった。

輝きが消えた後、凪はゆっくりと立ち上がる。

目眩は消え、その足取りは先程よりもしっかりとしている。

 

「まだ疲れはあるけど、流石蓮さんだね。ありがとう」

「構わないさ。ああそれと、あとで陽香に『頑張れ』と伝えておいてくれ」

「うん、分かった。陽香も喜ぶよ」

「そうだといいな」

 

そう言って蓮は凪に背を向けリングから立ち去る青ゲートの奥へと消える。凪もゆっくりとした足取りで赤ゲートへと引き返し観客席に向かった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「………」

 

珠雫は水色の髪を靡かせてリングを去る蓮の背中を見つめる。

 

(……すごい。あれだけの氷を瞬く間に水蒸気に変えるなんて)

 

膨大な量があったはずの氷を瞬く間に水蒸気に変えたその技術の高さに同じ水使いである珠雫は驚愕する。

 

(悔しいですが……彼は私なんて足元にも及ばないほどの格上の水使い……)

 

この国で()()、自分よりも格上と認めざるを得ないほどの《水使い》。

 

(もし彼と当たったら、どうやって突破できる?)

 

間違いなくこの破軍学園でなく、七つの騎士学校で七星の頂を目指す者全てが最も警戒すべき騎士。

そして自分が敬愛する兄と恋敵とも言うべき少女が傷一つつけることすらできなかった男。

もし、戦う事になったとして自分は彼にどうやって対抗すれば良い?

自分と同じ水の使い手。自分以上に水を変幻自在に操る姿に珠雫は冷や汗が流れるのを感じた。

勝てるビジョンが一つも浮かばない。それどころか無傷で完封されるビジョンしか思い浮かばない。

 

(ホント嫌になるわね。あんな怪物が私達と同じまだ学生だなんて……)

 

どう考えても彼は学生の枠には収まりきらない反則級の存在だ。あんなのが未だ自分達と同じ元服を迎えたばかりの学生なんて、正直信じたくなかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「お疲れ様。試合すごかったね。れんくん」

 

青ゲートから控え室へと戻った蓮に労いの声がかかる。

それは次の試合の為に控え室で待機していた刀華だった。

 

「刀華か。そういえば次だったな」

「うん、五十嵐さんとだよ」

「陽香は……強いぞ。お前でも苦戦を強いられるかもしれない」

 

蓮の警告とも取れる言葉に、刀華は優しい笑みを浮かべてくすくすと笑う。

 

「ふふ、れんくんが言うなら油断できないね。でも」

 

彼女の温和な笑みに細められた瞳の奥に、刃物のように鋭い眼光が浮かんでいる。

それは自分の強さに絶対の自信を持ち、その上で自分よりも更に強いものとの戦いを渇望している戦士の瞳。

 

「私は負けないよ。もう一度、れんくんとカナちゃんと三人で七星剣武祭に行きたいから」

 

彼女ははっきりと断言する。

バチバチと、刀華の気力に呼応するように周囲の大気を帯電させ、稲妻を生む。

その光景に蓮は口の端に笑みを浮かべる。

 

「そうか、ならいい」

 

今の彼女は完全に戦士としてのスイッチが入った状態だ。

昨年のベスト8に名を連ねる、現状破軍のNo.2を担う少女は蓮と同様に敵を情け容赦なく血の海に沈める残忍さと凶暴さを持ち合わせている。

だからわかる。こうなった彼女は本当に強い。

 

(もっとも、それは滅多に見ないが………)

 

刀華は蓮に言われずとも認めているのだろう。

《閃光の魔女》が《雷切》にとって油断ならない相手だという事に。

だとすれば、この戦い自分が思う以上の激戦になるかもしれない。

 

『東堂刀華選手。リングの修復が終わりましたので、入場してください』

 

「じゃあ、行ってくるね」

「ああ」

 

そう言って刀華は椅子から立ち上がりリングへと向かう。

その闘志に満ちた背中を見送りながら蓮は彼女の対戦相手である彼女のことを思った。

 

 

(さて、陽香。お前は彼女を相手にどう戦う?)

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「…凪、お疲れ…残念だったね」

 

試合を終えて控え室へと戻ってきた凪を陽香は労った。

 

「うん……悔しいよ」

 

淡々と語られた口調は本当にそう思っているのか疑わしいものだったが、小学校からの親友である陽香は、凪の本音を誤解するはずもなかった。

 

「凪……」

 

ほんの少し、自分より低い彼女の頭を、陽香は胸の中に抱え込み優しく撫でる。

凪はダラリと手を下ろしたまま、陽香の胸に頭を預けた。

 

「最初から、勝てるとは思ってなかった」

「そう……」

「でも、全力も出さない時点で手も足も出なかった」

「………」

「悔しいよ、陽香」

「……うん、残念だったね」

 

そのまま、僅かな時間が過ぎた後、凪は身体を離した。

 

「……ありがとう。もう、大丈夫。陽香は自分の試合のことに集中して」

「うん」

 

そう。凪を慰めてはいたものの、陽香だって気の抜けない相手なのだ。

学内序列2位の《雷切》東堂刀華。

序列2位と言うことはつまるところ、彼女はこの学園で二番目に、蓮の次に強いのだ。間違いなく格上の相手。

間違いなく今までのようには行かない。苦戦は免れないだろう。

親友を労っている暇すら本来はないのだ。

 

 

『五十嵐陽香選手。リングの修復が終わりましたので、リングに入場してください』

 

 

放送で呼び出しがかかり、陽香はベンチから立ち上がる。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「うん。頑張って。あと、蓮さんから伝言もらったよ」

「蓮さんから?」

 

陽香は想い人からの伝言に思わず試合前にもかかわらず表情を輝かせた。凪はその様子に一瞬苦笑いを浮かべると伝言を伝える。

 

「『頑張れ』って」

「〜〜〜ッッ、うん!頑張るよ!」

 

たった一言。されどその一言は彼女の闘志の炎を一気に強めた。

緩んだ頰を引き締め、今度こそ彼女は入場ゲートへ向かう。

その背中を凪は黙って見送った。

 

 

(陽香、頑張って)

 

 

 





二年生の序列を公開。


1位《七星剣王》《紺碧の海王》新宮寺蓮
2位《精霊使い》岸田秋彦
3位《剣の舞姫》木葉マリカ
4位《鋼の獅子》葛城レオンハルト
5位《音響の射手(サウンドシューター)》北原凪
6位《閃光の魔女》五十嵐陽香
7位《言霊使い》佐倉那月
8位《速度中毒(ランナーズハイ)》兎丸恋々
9位《破壊者(デストロイヤー)》砕城雷
10位《狩人》桐原静矢


全体の序列はまだ一人二つ名が決まってないからもう少し掛かります。




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23話 魔女の覚悟

なんか、またコロナ感染者増えてきて世の中大変なことになってますね。

大学も行けなくてずっと家にいる状態で退屈です。
あまり外に出られなくて、鬱憤がたまってるかもしれませんが、皆さんも本当に体調にはお気をつけください。外出したら、マスク、手洗い、うがい、消毒、ソーシャルディスタンスこれ必須ですよね。

それはそうと、二作目としてありふれた職業で世界最強の二次『竜帝と魔王の異世界冒険譚』を先月から四話ほど投稿しております。(優等騎士が遅くなったのは、これのせい)。

そして、今更ですが、18巻相変わらず内容が素晴らしくて、怒涛の展開づくしですね。
特に王馬と黒乃がめちゃめちゃカッコ良かったです!
そして、拓海さんが予想通りな人で良かった!




 

「ここにいたんだな。母さん、寧音さん」

 

蓮は観客席の最上階の鉄柵の前で立ちながら試合を観戦していた黒乃と寧音の元に近寄る。

 

「お、れん坊試合お疲れー」

「お疲れ蓮。少しは加減しろ。訓練場を破壊する気か」

「あれぐらいは大目に見てくれ」

 

蓮はそう答えると、そのまま黒乃の隣に立つ。

 

「お前は友達のところに行かなくていいのか?この会場にいるだろう?」

「…ああ、まあいるんだが、試合の直後だからこっちで見たほうがいいだろうと思ってな」

 

蓮が視線を向ければ、確かにその先には蓮の友人達の姿があり、まだ凪の姿は見えないがやがて合流するはずだ。

そして黒乃は蓮が向こうに行かないことを自然と察した。

蓮は蓮なりに試合直後、友人とはいえ勝者と敗者が同じ場所にいるのは気まずいだろうと気遣ったのだ。

 

「そういうことなら構わんさ」

 

黒乃はそんな息子の不器用な気遣いを追求することはせずに、話題を変えた。

 

「ところで蓮。お前は次の試合をどう見る?」

「そうだな二人とも同じBランク。素質は両者劣っていないだろう。だが、経験から言えば勝つのはー」

「刀華か」

 

蓮は無言で頷く。

正直なところ、どちらが勝つかと言われれば勝つのは刀華だと言わざるを得ない。

特例招集で共に招集がかかることもあるため、彼女やカナタとは共闘経験がある。それを鑑みて蓮は刀華の方が実力が上だと判断したのだ。

だが、

 

「まあ何が起こるかは分からない。番狂わせはいつでも起きる可能性はあるからな」

 

実力の差はあるがそれがかけ離れすぎていない限り全てを決める勝因にはなり得ない。

 

戦いとは何が起こるかわからないのだ。

 

 

一方、別の場所では、

 

「凪ー!こっちこっちー!」

 

控室から観客席へと上がってきた凪をマリカが手を振って凪を呼ぶ。

凪はマリカ達の方に視線を向け、観客席の最上階に一塊になっているマリカ達のもとへと歩き、マリカの隣に腰を下ろす。

 

「試合お疲れ様。凄かったわね」

 

マリカに続き他の友人達からもねぎらいの言葉が次々と飛んでくる。

それに彼女は僅かに笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。でも、まだまだだよ」

 

そう言って周りを見渡した後、ある人物がいないことに気がついた。

 

「蓮さんは?」

「来てないわよ」

「…え?」

 

凪は思わず驚愕の声を漏らす。

次は陽香の試合があるのだ。いつもは特に用事がない限りはこのメンバーの試合は全員で見ていたのだが、なぜ今回に限り来ていないのか。そう疑問に思った時、横からすぐに答えが出た。

 

「凪さんを気遣って別の場所で見てるんじゃないでしょうか?」

「確かに。蓮ならありえるね」

「だな。あいつ妙なところで人に気遣うからなぁ」

「……別に気使わなくていいのに」

 

凪は不満そうにそう呟きながらマリカの隣に座る。

 

「ま、そういうところも蓮くんらしいけどね」

「…まあ、たしかに」

 

凪だって分かってた。蓮は優しいから試合後に人を気遣って別の場所で見るぐらいはすることに。レオの時もその日は見舞いにはいかなかったぐらいだ。

そして今度は少し思い詰めたような、心配するような表情を浮かべた。

 

「やっぱり心配?」

「……うん。相手が相手だから」

 

陽香の相手は刀華。学内序列二位の蓮の次に強い生徒。去年の七星剣武祭ではベスト8にまだ上り詰めている。一筋縄ではいかない相手だ。

心配しないわけがない。

そしてそんな心配をよそに、次の試合の実況が始まる。

 

『さあリングの修復も終わりましたので、興奮が冷めないうちに次の試合にいきましょう!なんと次の試合も序列一桁の試合‼︎これは目が離せません‼︎まず現れたのはこの人だぁ——-‼︎‼︎』

 

興奮に実況が声を張り上げる中、青ゲートから現れたのは栗色の長い髪を三つ編みにし靡かせる少女。

 

『まず青ゲートから姿を見せたのは、我が校の生徒会長にして校内序列二位‼︎

前年度の七星剣武祭では二年生で準々決勝まで駒を進めましたが、前年度の七星剣王となった新宮寺選手に敗北し、ベスト8という結果に終わりました。

しかし、彼女は再び七星の頂を争う戦いの場に帰ってきました!その手には一年前よりもさらに磨きがかかった伝家の宝刀を引っさげて!

その疾さ、その鋭さはまさに雷の如し!

金色の閃光が瞬く間に今日も相手を斬って捨てるのか!

破軍が誇る最強の雷使い!三年《雷切》東堂刀華選手です‼︎‼︎』

 

眼鏡を外した彼女は盤上に上がり、対戦相手をじっと待つ。続いて赤ゲートから現れたのは茶髪をおさげにした少女。

 

『続いて赤ゲートから姿を見せたのは、我が校の風紀委員会役員の一人にして、校内序列九位‼︎

こちらもまた七星剣武祭代表有力候補の一人‼︎

破軍学園でも屈指の魔力制御力で繰り出される光の魔術は繊細かつ変幻自在‼︎

今日も多彩な閃光で相手を翻弄するのか!

二年《閃光の魔女》五十嵐陽香選手です‼︎』

 

陽香は緊張しているが、戦意に満ちた面持ちで盤上に上がる。やがて開始線に立ち両者向き合う。

 

「………」

「………」

 

両者何も言わない。話す必要がない。

そして両者は言葉を交わさずに霊装を顕現する。

 

「鳴け。《鳴神》」

「照らせ。《へカート》」

 

刀華の周辺の大気には金色の稲妻が走り、それが刀華の手に収束し、黒漆の光沢を持つ鞘に納められた日本刀《鳴神》が顕現する。

陽香の周辺の大気には黄金の燐光が舞い、それが陽香の両手首に収束し、装飾が施された白金の腕輪《へカート》が顕現する。

 

刀華は刀を鞘に納めたままの《鳴神》を構え、陽香は《へカート》を身につけた両腕を構える。

両者気合いは十分。昂る気持ちに応えるようにブザーが鳴らされた。

 

 

『それでは第十一試合目———

 

 

——— LET’s GO AHEAD《試合開始》‼︎‼︎』

 

 

試合の火蓋が切って落とされた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

《閃光の魔女》と《雷切》

 

互いに学生では最高クラスであるBランク騎士。

破軍きっての実力者同士の対決は、先ほどの蓮達との試合とは打って変わって睨み合いという形から始まった。

 

『両者動きません!睨み合ったまま一歩も動かない!』

 

既に試合開始から1分が経過しているが、未だにお互い攻撃はせずに、距離を保ったまま睨み合っている。

その立ち上がりに蓮は呟く。

 

「賢明だな。刀華相手に不用意に踏み込むのは愚策だ。不用意に入り込めば《雷切》で切り捨てられるだけだからな」

 

刀華の二つ名《雷切》。それは彼女が持つクロスレンジ最強の伐刀絶技、超電磁抜刀術の名前でもある。あまりにも強く、あまりにも鮮烈だったために、そのまま彼女のニつ名になったほどの絶技だ。

腰に差した《鳴神》の鞘と刀身に雷の能力で強力な磁界を発生させ刀身を射出する。その鞘走りを持って振るわれる一刀は落雷をも切り裂く異次元の速度と威力を誇る。

これまでの公式戦において、《雷切》を使った試合は、たった一人、去年の七星剣武祭を制した蓮を除き、ほぼ全て刀華の勝利に終わっている。ゆえに、伝家の宝刀と呼ばれるのだ。だからこそそれを警戒するためにまず動かずに読み合いになるのは必然だった。

 

「互いに七星剣王クラスの力を持つ騎士同士。しかも、どちらも全ての距離で攻撃手段を持っている。迂闊には動けないだろう」

「それに陽香は中・遠距離型であり、刀華は近距離型。まず得意な領域が違う。だからこそ、陽香は不利になる距離に足を踏み入れる道理がない」

「けど、このままでは悪戯に時間を消費するだけさね。どっちかが動かなきゃ流れを掴もうにも掴めない。だとすると、まず動くのはとーかちゃんかね」

「いや、まず動くのは陽香だ」

「…へぇ、それはどうしてだい?れん坊」

 

寧音の言葉を蓮が否定する。

それには寧音は意外だったらしく、笑みを浮かべながら尋ねた。黒乃も無言で蓮の話に耳を傾ける。

蓮は笑みを浮かべてリング上の陽香に視線を向けながら寧音の質問に答えた。

 

「確かに流れを掴むにはどちらかが動かないと掴めない。そして陽香は近距離戦があまり得意ではない。だとしたら遠距離からの攻撃かあるいは防御に徹するかが妥当。そうしたらまず自分からは動かない。

()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、今回は違うはずだ」

 

そして、蓮の言葉に答えるかのように、陽香が動いた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「羽ばたけ——《金光蝶(ハピリオ・アウルム)》」

 

《閃光の魔女》陽香は金光を纏う両手を振るう。

そうすれば、彼女の霊装《ヘカート》から無数の金色の光の球体が飛び出し彼女の周囲で無数の黄金の鳳蝶が形作られる。

 

『五十嵐選手、周囲に黄金の蝶を出現させましたっ!なんて美しい光景でしょう!』

 

一見ひらひらと可憐さすら感じるが、その実中身は光を圧縮した光熱の爆弾であり、掌サイズの蝶で地雷に匹敵する威力がある。

そんな光熱の絨毯爆撃を携えた陽香は、右腕を前に突き出しー

 

「行って」

 

一言、命じた。

その言霊に呼応し、無数の光熱の鳳蝶は、羽ばたき刀華に襲いかかる。金色の光の尾を引き羽ばたく様は、蝶というより無数の流れ星を彷彿とさせる。

対する《雷切》刀華は、降り注ぐ蝶に動じず稲妻を纏う刀を振り抜いた。

 

「《雷鷗》」

 

雷で形作られた三日月型の斬撃が、さながら翼を広げた鳥のように無数に疾駆し鳳蝶を迎え撃つ。光熱と電撃が激突し無数の爆発を巻き起こした。

爆煙が両者の間を漂いお互いの姿を見えなくするが、その間に両者は次の手を打つ。

 

陽香は光で構築した槍を持ち、刀華は《鳴神》に雷を迸らせる。

煙が晴れた瞬間、両者ほぼ同時にぐんっ!と膝を落とし体を前傾姿勢にし、一瞬にしてトップスピードにギアを入れて駆け出す。

 

そして、陽香と刀華。両者が激突し、火花を散らしながら戟音を奏でる。

一度では終わらず、光槍と雷刀が幾度も交錯していく。

 

『これは凄まじい斬り合いです!閃光と雷光がリングの中央で何度も弾けるっ‼︎』

 

片や雷光迸る刀を、片や閃光煌めく槍を携え、2人はリング中央で斬り合う。

そんな中、刀華は内心で感心した。

 

(これは上手いですね。潜り込もうにも槍が変形して入り込めないし光の加速ですぐに距離を取られる)

 

彼女のいう通り、陽香は光槍で常に《雷切》の間合いの外から攻撃を仕掛け続けている。

近づかれると判断すれば、攻撃の手を緩めずにすぐに光の槍を変形させて牽制、あるいは光の加速ですぐに距離を取り、リーチの長さを生かして《雷切》の射程には入らずに中距離からの攻撃を仕掛け続けている。

 

戦い方が上手い。自身と相手の力の差や長所をよく理解している。

槍術に関してはお世辞にも達人とは言えない。基礎はできてはいるようだがはっきりいって二流三流レベルだ。

しかし、魔術を悟らさないほどの高い魔力制御力が槍術の拙さを補っているのだ。

確かに見事な技術だ。魔力制御だけならば刀華は陽香に劣っているのかもしれない。だが、

 

(この程度で私を抑えられると思わないで下さい!)

 

《雷切》の射程には入らずに《雷切》を封殺した上で中・遠距離からの攻撃に徹する。

刀華とて学生とはいえその実力はナショナルリーグでも通用するほどだと言われている歴戦の猛者だ。

その手の戦法はもう飽きるほどに見てきた。今まで刀華はこの戦法を用いてきた相手を何人も打ち破り斬り捨ててきたのだ。ならば、取る手段は今までと変わらない。

 

今まで通り、食い破るのみ!

 

「ハァッ!」

「ッ…あっ」

 

三十合交錯した後の三十一合目で刀華は槍を受け止め刀と槍の接触点から雷撃を陽香の身体に叩き込む。

バチン!と火花が弾け、電撃が陽香の総身を駆け巡る。彼女の身体を麻痺させ蹌踉めかせる。

好機と判断した刀華は素早く大上段からの唐竹割りを無防備な陽香へと繰り出す。だが、

 

「《星光の剣群(ルクス・グラディウス)》」

「ッ!」

 

プラズマ纏う刀が振り抜かれようとした刹那、刀華は突然バックステップし距離を取る。ついさっきまで自分がいた場所を見れば、光の剣が三本突き立てられており、陽香の周囲には計九本の光剣が輪を作り浮いていた。

そして、光剣は陽香の元へと戻ると輪へと加わり、陽香の周囲を浮遊する。

 

陽香は痺れた体を無理やり動かすのではなく、光の剣を作り操作することで、彼女の上と左右から奇襲を仕掛けたのだ。

電撃で麻痺するのはあくまで肉体のみなので、魔術を発動することになんの支障もない。

しかし、頭上という絶対的な死角からと左右からの一撃。左右のが塞がれたとしても頭上の一撃には意識が回らないはず。迷彩をも駆使したのだ、普通なら気付くはずがない。

だというのに、刀華はそれに反応してたやすく避けた。

 

『これは間一髪‼︎蹌踉めいた五十嵐選手に追い討ちをかけようとした東堂選手、五十嵐選手の奇襲を見事回避!』

(……避けられた)

 

陽香自身、こうなることは予想できていた。

彼女が使った槍術は蓮に教わったもの。レオがマリカに剣を教わった同時期から、陽香は蓮に槍の指導を受けていた。

 

なぜ蓮が槍術を扱えるのかは謎だったが彼の厳しい指導の元着実に槍術を身につけていた。だが、今日この戦いで使いこなすにはまだ時間が足りなかった。

だからこそ、自分は槍での勝負は最終的に打ち負けることは簡単に予想できた。その上で彼女の虚をつくのなら自分の得意な魔力制御を活かすしか方法はない。

 

槍術の稚拙さをカバーするための伐刀絶技。

 

会心の一手だったが、やはり刀華には読まれていた、否バレていたようだ。

 

伐刀絶技《|閃理眼『リバースサイト》》。

 

蓮よりもたらされた情報の一つだ。

雷使いとしての能力の応用で、彼女は視力を遮断し知覚の精度を高めることで相手の体に流れる微細な伝達信号を感じ取れるようになる。

人間とは生きた機械であり、神経を走る伝達信号の動きから相手の次の行動を、眼球を操作する筋肉に送られる信号からは相手の視線の位置を、脳内物質の分泌命令からは相手の生理状態を、手に取るように理解できるのだ。

だから、刀華は陽香の奇襲を回避できたのだ。

そして、陽香は前もって蓮からそれを教えられていた。だからこそ、完全な不意打ちにも対応したことに驚かなかったのだ。

 

「「…………」」

 

実力は拮抗している。お互い有効打は無し。

2人のBランク騎士の戦いは再び振り出しに戻った。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『五十嵐選手、東堂選手を全方位から光の剣を操って襲いかかるっ!対する東堂選手、これを雷を駆使して凌いでいます!両者互角です!お互い一歩も譲りません‼︎』

 

リングでは雷光が迸り、閃光が煌めいていた。

一度振り出しに戻った両者の戦いは、槍と刀の斬り合いだけでなく、今度は陽香が十二本の光剣を巧みに操り刀華を全方向から襲い、さらに自身は槍での攻撃も試みている。

それを刀華は《閃理眼》で陽香の行動を読み、雷を纏った《鳴神》を振るい、雷撃を放つことで迎撃している。

 

『す、すげぇ、五十嵐さん。会長と互角にやりあってるぞ……』

『二人ともホントに同じ人間かよ……』

『どっちも凄まじいな。これが七星剣武祭有力候補達の戦いかよっ』

『どっちもそろって化け物レベルじゃない!』

『これがBランクの力なのかよ!』

 

2人の互角のせめぎ合いに会場のあちこちから興奮の声が続々と湧き上がる。

 

「すげぇな五十嵐。会長と互角じゃねぇか…!」

「強いのは分かってたけど、ここまでとは思わなかったよ」

「陽香さん、すごいです!」

「ホントね。蓮くんの指導のおかげかしら」

 

実況達と同じように、戦いを見守っていたレオ達も陽香の奮闘に感嘆の声を漏らした。

何しろ相手は破軍のナンバー2。

そして前年度の七星剣武祭でベスト8にもなった女性だ。そんな相手と、彼女は全くの五分に渡り合っている。

それは、陽香の力が七星の頂に住まう怪物達と互角であることを示している。

 

「陽香……!」

 

そして、同じく試合を見ている凪は両手を祈るように組んで彼女の試合を固唾を飲んで見守る。

 

(私は陽香が頑張ってるところをずっと見てきたから。だから、勝って!)

 

 

「うひゃー、陽香ちゃんが会長と互角に戦えるなんて」

「うむ。どうやら実力を見誤っていたな。さすがは9位にして会長と同じBランク騎士だ」

 

凪達とは別の場所、青ゲートの真上から、試合観戦していた刀華率いる生徒会メンバーの二年生の《速度中毒(ランナーズハイ)》兎丸恋々と《破壊者(デストロイヤー)》砕城雷は口々に感嘆の声を漏らす。

 

「うん。確かに彼女は強いね。刀華と互角に戦えるなんて驚きだよ。ねえ、カナタ」

「ええ、そのようですね。しかし、本当に驚きましたわ。まさか五十嵐さんがここまで戦える方だったなんて」

 

同じく試合を見ていた泡沫もカナタも陽香の戦いぶりを認める。

そして認めた上で、涼しげに余裕の笑みを浮かべた。

 

「それでも、勝つのは刀華だ。……二人だって、去年の敗戦から刀華が何もしてないとは思ってないだろ?」

「同感だ。あの方は常に上を見続けるお方。昨年の経験を生かして強くなっているに決まっている」

「うん、確かにね」

 

泡沫の言葉に至極当然というふうに雷と恋々はうなずく。去年蓮に負けてから彼女が必死に努力しているのを知っている。

だからこそ、刀華が陽香に負ける姿は想像ができない。

 

「そういう事。何も心配する必要はないよ。何せ刀華は彼女なんかよりも背負っているモノの重みが違うんだ」

 

泡沫は刀華を信頼しきっていた。

なぜなら、昔から泡沫という少年は東堂刀華に全幅の信頼を置いているからだ。

多くの人々の期待や願いを背負い、それらに応えようとする刀華の強さを知っているからこそ、泡沫は刀華が勝つことを疑っていない。

 

「そう、負けるわけないんだよ。……刀華が、あんな化け物なんかに……」

 

最後に泡沫はそう小さく呟いた。

 

(……うたくん)

 

しかし、その呟きは隣に座るカナタにだけは聞こえていたようで彼女は悲しい表情を浮かべた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「ほぉ、見事だな」

「そうだねー、あれだけの魔力制御。学生にしちゃ中々だよ」

「ああ、ここまでのは学生でもそういないだろう。だが、それよりも五十嵐が使うあの槍術……蓮、お前が教えたな?」

 

蓮と一緒に観戦していた黒乃と寧音は陽香の高い魔力制御に感心の声を上げる。そして黒乃や寧音は彼女が使う槍術に見覚えがあった、ありすぎた。

なぜならあの槍術は、自分達の親友が使っていたものなのだから。

 

そして黒乃はわかり切っていることを蓮に言う。蓮は試合から目を逸らさずに面白そうに口の端を吊り上げて応えた。

 

「ああ、槍術の方はな。だが、教えたのはあくまで基礎だけだ。全ては教えていない」

「良かったのか?あれは、あいつのだろう」

 

そう、今陽香が使っている槍術。あまりにも未熟でオリジナルとは比べるまでもないが、あの槍はまさしく蓮の母、サフィアが使っていた槍術だ。

騎士槍技(パラディンアーツ)』。インディゴ家に伝わる古くからある槍術。

ステラ・ヴァーミリオンが使う剣技『皇室剣技(インペリアルアーツ)』はヴァーミリオン皇族に伝わる剣技であるように、『騎士槍技』はサフィア・インディゴの実家インディゴ家に伝わる槍技だ。

蓮はそれをサフィアの息子として当然習っており知っている。そしてそれを基礎だけではあるが、蓮は陽香に伝授したのだ。

この会場でそれに気づいたのは黒乃達の他にカナタは当然のこと、おそらくはステラもだろう。

 

蓮は黒乃の言葉に笑みを浮かべ肯定する。

 

「別に構わないだろ。これぐらいじゃあの人も文句は言わないさ」

「だが、『光使い』の五十嵐ではあの技を使いこなすのは不可能なのはわかっているはずだ。基礎だけ教えてどうするつもりだ?」

 

黒乃はあの槍技の特徴を知っている。

そして、蓮がこの槍技の全てを教えなかったのにはちゃんとした訳がある。

 

「確かにあれは水使い用に最適化されたものだ。『光』ではこの槍術の全ては使いこなせないだろう。だが、それでいいんだ」

 

『騎士槍技』それはインディゴ家に伝わる槍術であり、水使いに最適化された技術だ。

代々インディゴ家の伐刀者は、水や氷、それに付随する能力を持つ者が多い。そんな自分たちの水や氷の能力と組み合わせられる槍術を彼らは長い時間をかけて作り磨き上げた。その長い研鑽が積み重なった結果、今の『騎士槍技』ができたのだ。

 

一切の無駄のない体捌きと研ぎ澄まされた槍技が描く軌跡は流水のように滑らかで淀みなく変幻自在。そしてさながら一種の舞踏のようで美しい。

 

水と槍、そしてそれを振るう者が一体となる流麗の極み。

それこそが『騎士槍技』だ。

ステラの繰り出す『皇室剣技』が烈火ならば、『騎士槍技』は流水だ。

そして、蓮は全てを教えなかったが、それでいいと考えている。

 

「あの槍技は他の属性の使い手にも応用できるはずだ。基礎だけ教えてあとは自分の能力を掛け合わして模索して、自分だけの技を作ればいい」

 

蓮は期待しているのだ。

母から教わった槍技。基礎だけではあるがそれを陽香が使えばどのような形へと変化するのだろうかと。彼女自身のオリジナルがどんなものになるのだろうかと期待している。

 

そして、今回の試合はそれを作り上げるための第一歩なのだ。

 

(…ああ、そうか)

 

黒乃は蓮の横顔を見て気付いた。

なぜ彼がそこまでしたのかの理由を。

黒乃は蓮とレオ達がいつも一緒に鍛錬していることを知っている。そして蓮が良く彼らにアドバイスや鍛錬相手になってあげたりしていることも知っている。

だから、気付いたのだ。

 

(お前は、それほどまでに彼等のことが大切なんだな)

 

蓮は期待しているだけではない。彼らのことを大切に思っているからこそ、自分が持つ技術を教えて少しでも強くなって欲しいと願っているのだ。

 

「ふふ」

 

黒乃はそんな息子の想いに無性に嬉しくなって、彼の頭に手を伸ばして癖の少ないサラサラした蒼髪を撫でる。

 

「どうした?母さん」

「いや、何でもないさ」

 

突然の行動にキョトンとする蓮に黒乃は笑いながらもそう応えて自分もまた試合に目を移す。

寧音は黒乃の意図に気付いており、蓮には見えない位置でニヤニヤと笑っている。

そして、ちょうど黒乃が目を移した時、再び、試合の流れが変わった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

陽香は光の剣を駆使し、あらゆる方向から時間差をつけ、緩急をつけ、刀華を襲い、自身も槍での攻撃も加え続ける。

だが、それでも陽香は刀華に有効打を与えられないでいた。

 

(……っ、攻め切れないっ!)

 

《閃理眼》による先読みのせいで刀華への攻撃はその方向も、タイミングも全て見抜かれている。

しかも、刀華は陽香の攻めに慣れてき始めている。突破されるのも時間の問題だろう。

そしてそれを肯定するように、刀華が全身に雷を纏い、その動きを一気に加速させた。

 

(来るっ!)

 

伐刀絶技《疾風迅雷》

雷の力で筋肉を刺激し、その性能を限界まで引き上げる刀華の伐刀絶技だ。

その速度はまさしく電光石火。

そして、その速度を持って光剣の包囲網を突破し、槍の間合いの内側にも入り込んだ刀華は下段からの斬り上げを仕掛ける。

 

「《星光の華盾(ルクス・スクトゥム)》‼︎‼︎‼︎」

「ッ‼︎」

 

《鳴神》の刃が胴体に迫る瞬間、陽香は間一髪で八枚花弁の光華の盾を生成しその凶刃を防ぎ、すぐさま光剣を嗾ける。しかし、驚くべきことが起きた。

 

(えっ⁉︎)

 

十二本全てで全方位から貫こうとした光剣達が稲光のような斬閃の軌跡が描かれたほんの一瞬で全て弾かれたのだ。

武術の素人でもわかるぐらいに全てを斬り落とすことは不可能だったはず。

あり得ない速度の斬り返しに、陽香は動揺してしまう。しかし、それが大きな隙を生んでしまった。次の瞬間、陽香は刀華の姿を見失い、眼前に《鳴神》を振りかぶる刀華の姿を見た。

 

「っっ⁉︎⁉︎」

 

その光景に陽香は反射的に悲鳴をあげそうになるが咄嗟に堪え、光槍で防御態勢を取ると同時に体を後ろに投げ出す。

しかし、それは間に合わず陽香は胸を浅く斬り裂かれ、投げ出した勢いのままリングを転がる。

 

『五十嵐選手ついに被弾ッ!この試合初めてのダメージヒットは《雷切》東堂刀華選手ですッ!』

「くぅっ‼︎」

 

胸元には血じわりと滲み、焼くような痛みに苦悶の悲鳴を上げながらも陽香はすぐに身を起こしこれ以上近づかせないために、眼前に大量の光の蝶をけしかけ爆発させ無理やり遠くへと距離を取った。

爆発の威力にさしもの刀華も追撃をやめ大きく距離を取る。

 

(何で一瞬消えたの⁉︎眼は逸らさなかったのにどうして私は気づかなかったの⁉︎)

 

理性を総動員させて冷静な判断で自分の体を遠くへと飛ばしたが、陽香の頭は半ばパニックに陥っていた。

何が起きたのかわからない。光剣を弾かれたことに動揺したとはいえ、目線は一瞬たりとも逸らさなかった。なのに、目の前で見失った。

陽香は刀華は光剣を放ち牽制するも、再び眼前に振り下ろされる《鳴神》の刃を見た。

 

「〜〜〜ッッ⁉︎⁉︎⁉︎」

 

今度はしっかりと受け止めることはできたものの、やはり動揺は大きい。

 

『五十嵐選手、今のは際どい防御でした!しかし、先程からいったいどうしたのでしょうか!なにやら、ほうけていたように見えましたが!』

 

(私が、ほうけてた?)

 

実況の言葉に陽香は訝しげに眉をひそめる。

試合中なのには呆けるなんて、そんなもの自殺行為だ。だが、実況の目にはそう見えていたらしい。

しかも、これは二回目だ。二回もほうけるようなことがあるのか?

そう自問自答したところで、陽香は気づく。

 

(っ、ちょっと待って。()()()()()()()()()()?)

 

瞬きをしたわけでもない。次の刀華の動きを注視していた。油断なんてするわけがない。なのに自分は見失って被弾を許してしまった。

だが、今のカラクリ。それは前にも見たことがある。それに気付いた瞬間、陽香の思考は冷静さを取り戻しあることを思い出し始める。

 

《雷切》対策として蓮に教えを乞うた時、いやそれ以前に蓮との模擬戦をした時にも見たことがある。蓮も刀華と同じように見ていたのに見失ったことがある。前にそのカラクリを聞いた時、確かこう言っていたはずだ。

 

(……確か、《抜き足》って言ってた)

 

彼は古武術のある種の特殊な呼吸法と歩法によって、自らの存在を相手の『覚醒の無意識』に滑り込ませる体術だと言っていた。

その結果、見えているのに相手が見えていることが分からなくなる。脳も眼も相手の動きを捉えているはずなのに、意識がそれを必要のない情報として分類してしまうから生命の危機が迫るギリギリの瞬間まで認識できなくなる。

覚醒の中に存在するわずかな無意識に、相手に一切悟られないように()()()()()()()()()()ことで入り込み意識のロックを外す。

それが古流歩法《抜き足》のカラクリだ。

 

陽香は蓮の《抜き足》を何度も体験している。刀華は蓮よりもだいぶ粗があるため、陽香でも気付くことができたのだ。

そして《抜き足》を破る方法は実にシンプル。自ら『覚醒の無意識』に目を向ければいい。だが、これは言うは易く行うは難しだ。

 

なぜなら、銃口や剣を向けられている危機的状況下で、自ら銃口や剣から目線を外し、他のどうでもいいことに注目する必要があるからだ。

これを行うにはそれなりの訓練を積み、自分の身体や意識を自在にコントロールできるようにないと出来ることではない。

例えばマリカや黒鉄一輝、ステラ・ヴァーミリオンならこれは可能だろう。

彼らは武術や剣術を身につける過程で、ほぼ完全に自らの体を制御下に置いているからだ。

 

しかし、陽香は違う。魔力のコントロールこそ超一流だが、肉体のコントロールに関してはまだ素人。武術も基礎を習っている段階だ。だから、見落としてると認識し集中して視野を狭めることになれば、悪循環に陥る。

陽香は前もって蓮に言われており、こうも言われた。

 

()()()()()()()()()と。

 

初めこそ意味がわからなかったが、自分の能力の特性を考えればすぐに気がついた。

それから《抜き足》を始めとした()()()()()()への対策を自分で必死に考え続けた。

その末、彼女は一つの技を作った。未だ試したこともないぶっつけ本番だが、試すには絶好の機会だ。

 

(今ここで試す。アレが通用するのかをっ‼︎)

 

だから、陽香は剣の包囲網を突破し再び迫る刀華を前に、

 

 

「——《天光眼(サテライトアイ)》」

 

 

——瞳を金色に輝かせた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『陽香、お前の強みは魔力制御だ』

 

ある日、彼に指導してもらったときに言われた言葉だ。

 

『魔力制御…ですか?』

 

陽香は困惑混じりの言葉を蓮に返す。

蓮のいう通り確かに自分は魔力制御が得意なことは確かだ。だが、自分の目の前にはそんな自分すらも霞むほどの神懸ってると思うほどの圧倒的な魔力制御を扱う少年がいる。

そんな彼に言われても正直実感がわかなかったのだ。

そんな内心を見透かしたかのように蓮は笑みを浮かべた。

 

『意外だったか?』

『い、いえ、ただ私は蓮さんと比べたら全然ですし……』

『まあ俺を基準にすればそうだな』

 

隠しもしない傲慢さに陽香は特に怒りはしない。そして蓮も言葉を続ける。

 

『とはいえ、陽香の魔力制御の腕は学生の中では一流だし、ナショナルリーグでも通用するレベルだと俺は見ている』

『え…?』

『俺の見立てではそれぐらいの技量はあるはずだぞ』

 

蓮が自分の力を高く評価していることに、陽香は嬉しくなった。

好きな人に高く評価されている。それで喜ばない人などいない。

しかし、続く蓮の言葉にその興奮は冷まされる。

 

『だが、それでは足りない』

『……っ』

『魔力制御だけができても意味がない。ごく稀に魔術のみで並外れた実力を持つ者もいるがこれは本当に稀だ。

ほとんどの強者は武術と魔術の両方を習得する。半端者なら魔術だけで倒せるだろう。ただし、本当の強者と戦うには武術の基礎すらできてない陽香では力不足だ』

『は、はい。確かに、私は武術は全くできません……』

 

陽香は言っているうちにだんだんと表情が暗くなっていくのが自分でもわかった。

彼に評価されたことに浮かれてはいたものの、確かに蓮のいうとおり本当の強者達は武術も修めているのが普通だ。事実、七星剣武祭に出てる者達の大部分が何かしらの武術を身につけている。

けど、自分にはそれがない。選抜戦で大抵の相手に勝てたとしても、本当の強者達には敵わない。

そんな陽香に蓮は一つ提案する。

 

『そこでひとつ提案だ』

『…?』

『俺が陽香に武術を教え、魔力制御を鍛える。厳しく行くし、時間はかかるだろう。やるかどうするかは陽香次第だ。どうする?』

 

蓮の提案。

自分が彼女の武術、魔術の師匠になるということ。自分の指導のもと、陽香を強くさせるということ。

 

その提案に、陽香は迷わなかった。

好きな人に鍛えてもらえるのはまたとない機会だが、それ以上に今のままでは足りないと自分でもわかっていたからだ。

彼が自分達に背中を預けてくれるように、もっと強くなるべきだと、前から決めていたことなのだから。

だから、陽香は決然とした表情で蓮の提案を呑む。

 

 

『やります!ご指導お願いしますっ!』

 

 

こうして陽香は蓮の弟子になった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

陽香の瞳が金色の輝きを帯びた。

 

それはこの場にいる全員が見ており、何かの伐刀絶技かと疑うものが殆ど。だが、この会場でただ1人、蓮だけは小さく笑みを浮かべた。

 

(そうだ。それでいい)

 

まるでこうなることがわかっていたかのような物言いだ。それはまさしく正解だ。

彼は分かっていた。

彼女ならできると。《閃光の魔女》の二つ名を持つ学園でも屈指の魔力制御を誇る彼女ならば自分の意図を理解して必ずやり遂げると。

そして今、蓮が思い描いた可能性を陽香は確かに実現させたのだ。

 

(そのまま進め。陽香の思うままに、やりたいようにただ突き進め。そうすれば道は拓ける)

 

だから、蓮は自分の一番弟子へと心の内でささやかなエールを送った。

 

 

「ッ!」

 

陽香の変化に刀華は警戒を強める。

瞳が金色の光を帯びているのは何らかの伐刀絶技を行使している証だろう。だが、今のところ自分には何も攻撃はこない。光の剣群もどういうわけかさっきよりも動きが鈍くなったので容易に突破できた。

もしかしたら、反撃の一手を練っているのかもしれない。たとえそうだとしても、

 

(それでも、貴方に《抜き足》は破れないっ!)

 

さっきの攻防で刀華は陽香が《抜き足》を破れないことはわかった。

いくら魔術を行使しようとも認識していなければ放てない。だったら、《抜き足》で彼女の意識の隙間を掻い潜りゼロ距離で《雷切》を叩き込めばいい。

そう思い、勢いのまま《抜き足》を使い彼女の無意識に潜り込む。そして接近して《鳴神》を振り抜こうとした刹那、光の槍が迫る光景を見た。

 

「なっ⁉︎」

 

目を見開きながらも、抜き放とうとした《鳴神》を一瞬で納めて鞘ごと持って光の槍を弾こうと動いた技量は流石といったところだろう。

だが、光槍は《鳴神》と接触する直前、穂先が蛇のようにぐにゃりと軌道を変え、彼女の肩を穿ち、その勢いのまま間合いの外まで突き飛ばした。

 

「つぅっ!」

『な、なななんとぉ⁉︎ここで東堂選手も被弾!肩を穿たれ、一気に間合いの外まで突き飛ばされてしまった!』

 

あの《雷切》が傷を負い突き飛ばされた。

滅多に見ない光景に実況だけでなく観客達もどよめきの声を上げる。

それはかつて蓮がレオとの試合で血を流した時のと同じぐらいの衝撃だった。

しかし、その当事者である刀華は傷を負ったことよりも、自分の《抜き足》に反応したことに動揺していた。

 

(槍が曲がったのは直前で変形したからで、私の反応が間に合わなかっただけのこと。

それより、なぜ私の動きに反応できたの?まさか、一度見ただけでもう《抜き足》を見破ったと言うの?)

 

予想外の事態に刀華は表情には出さなかったものの心の内で驚愕した。

明らかに陽香は武術の素人だ。《抜き足》を見切れるわけがない。なのに、陽香は刀華をしっかりと目で捉えて、更には自分よりも早く攻撃してきた。

攻撃の方は光の加速を使えば何とかなるだろう。だが、どうやって見切った?

そこで気付く。

 

(あの目……)

 

先程と今の攻防での違いはただ一つ。彼女の瞳が金色の輝きを帯びたこと。おそらくは視覚に作用させる補助型の伐刀絶技だろう。あれが《抜き足》を見破った、そうとしか説明できない。

そして、その予測は的中していた。

 

伐刀絶技《天光眼(サテライトアイ)

 

刀華の予測通り、視覚に作用する伐刀絶技であり、見えない敵に対処するための魔眼だ。

着想を得たのは蓮の『霊眼』だ。

彼は魔力の光を視る事で魔力の流れや質、量を看破し敵がどんな魔術を使うのかを見抜いている。しかし、これは彼が父大和から受け継いだ一種の特性だ。

この眼を持たない者が同じことはできない。黒鉄一輝のように《完全掌握》や刀華の《閃理眼》を使えない限りは不可能。

だが、陽香のような光使いは例外だ。

 

光使いである陽香は魔力の光に対する感受性が他の伐刀者達よりも遥かに強い。入学試験の時に蓮の魔力の青い輝きを見れたのもその特性の発露。

それを応用して彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()新技を作った。

それが《天光眼》。陽香だけの『霊眼』だ。

 

蓮ほどはっきりと人の形まで見ることはできない。だが、超高密度魔力結晶体である霊装や、伐刀絶技の発動の前兆は大まかにだが、魔力の輝きを見ることができるようになった。

陽香は刀華を見ていない。刀華の持つ()()()()()()()()を視たのだ。

 

『目で見ようとするな』。その言葉の意味はまさしくその通りで、肉眼で見るのではなくこの魔術を使用した状態の眼で見ろということだ。

蓮は陽香が自分でその可能性に気づき、陽香ならできると信じた上で全てを教えなかった。

 

それを信頼と言わずして何と言えばいい?

この技が完成して、彼の意図を理解した時、どれだけの高揚感が身体を駆け巡ったことだろうか。

好きな人に信頼されている。その事実を知った時、彼女はどれだけ嬉しかったことか。

 

(私はあの人の期待に応える為に、あの人のいる夢の舞台へ行く為に、この試合、負けるわけにはいかないッ!)

 

陽香は光槍を構えて今度は自分から仕掛けた。

 

「《金光狼(リュカオン)》‼︎」

 

陽香は槍を振るい、空中に浮かびあがった無数の魔法陣から光の狼を生み出し刀華へと嗾ける。そして、陽香はその姿を眩ませた。

光を屈折させて自分の姿を隠す《幻影舞踏(ミラージュ・サルタティオ)》を発動し刀華の背後に回り込む。

 

彼女が背後に回り込んだ時点で十体はいた光狼はその半数が既に切り捨てられ霧散し、残る五体もじきに切られるだろう。

だが、それでいい。

狼は囮だ。本命は別にある。

陽香は《幻影舞踏》を維持したまま、《星光の剣群》を発動し大量の光剣を生み出す。それは先ほどの12本を遥かに超える360本。今の陽香が出せる限界数だ。

それが刀華を囲むように幾重にも輪を作り刀華を囲む。

それだけでなく、光の分身を五体作り、同じように光槍を手に持ち、自分を含め六人で四方から突撃する。

 

光の分身や光剣群には全て《幻影舞踏》の光学迷彩がかけられているが、《閃理眼》を持つ刀華には全て見抜かれているだろう。

だから、陽香は発想を変える。

何をしても見抜かれるなら、対応できないほどの量をぶつければいい。

 

そして刀華がちょうど残りの光狼を斬り捨てた瞬間、一気に光剣と分身、陽香が一斉に襲いかかる。

頭上、前後左右全ての方位から刀華を逃がさないように囲い込み串刺しにしようとする。

これにはいくら《雷切》といえども回避は不可能。そのまま物量の波に呑まれる———はずだった。

 

だが、刀華は回避行動は取らず、鞘に納めて《雷切》を放つ構えも取らず、おもむろに《鳴神》を天に掲げる。直後《鳴神》には視認できるほどの激しい稲妻が奔り刀身が白く輝く。

その刀身には莫大な魔力が込められている事は一目でわかる。しかもあの《雷切》すらも超えるほどの。

 

「ッッ!」

 

その魔力に陽香は戦慄する。

陽香は刀華の最大攻撃は《雷切》だと思っていた。だというのに、それを超えるほどの魔力を込められたあの技は一体何なのか。

焦燥を露わにした陽香は、ソレが放たれる前に決着をつけようとする。

 

しかし、それは一瞬の差で間に合わなかった。

 

刀華は雷光迸る《鳴神》を天より落ちる雷が如く勢いよく振り下ろした。

 

 

 

「《雷轟霹靂(らいごうへきれき)》———ッッ‼︎‼︎‼︎」

 

 

 

瞬間、()()()()()()()()()()()()無数の落雷を束ねたかのような轟音が響き、白い光が爆発する。

爆発はいとも容易く、刀華に襲いかかる全てを吹き飛ばした。

激しい衝撃がリングだけでなく会場全体を揺らす。

リングは刀華がいた地点を中心に大きくえぐれ焼け焦げ、その破壊の威力を物語っている。

 

そして、最も近くで落雷を喰らった陽香はあまりの激しさにリングの端まで吹き飛ばされ、ピクリとも動かないでぐったりと倒れていた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『こ、これは凄まじい爆発だぁ———‼︎‼︎‼︎

リングに突如巨大な雷が落ちた瞬間、五十嵐選手を魔術ごと吹き飛ばしたぁぁ‼︎‼︎五十嵐選手動かない!これは決着がついたのでしょうか‼︎』

 

実況の声が会場に響き渡る。

先ほどまで互角に戦っていた両者だったが、刀華が放った落雷のような一撃が全ての状況を文字通り叩き潰したのだ。

そして、この結末は観客達にこの試合の勝者が誰なのかを理解させた。

 

『これはもう、決まったな』

『ああ、五十嵐さんも会長相手に善戦を見せたけど……やっぱり強いよ会長は』

『でも、五十嵐さんもよく戦ったと思うわ』

『ああ、あの人もさすが序列9位だよ』

 

もはや最初の熱気は消えた。

既に戦いが終わったかのような雰囲気で口々に陽香の健闘を讃えている。

その只中で、マリカ達もまた同じように決着がついたと思っていた。

彼らは何も言わない。今ここで何か言っても無駄だということがわかっているからだ。

自分たちにできることは、後で彼女の健闘を讃え、慰めることぐらいだ。

だから、何も言わない。ただ静かに試合の決着を待つ。

 

だが、ただ一人、凪だけはまだ終わってないと思っていた。

 

(陽香……)

 

凪にはわかる。

小学生の頃からずっと一緒だったから。

陽香が今、どんな気持ちなのかを。

どれほど強い想いを胸にこの戦いに臨んだのかを。

惚れた男の期待に応えるために、惚れた男を支えたい為に強くなろうとしていることを。

だから、凪は席から立ち上がり、叫んだ。

 

 

「陽香‼︎頑張れ‼︎」

 

 

言葉一つでどうにかなるわけではないとわかっていても、彼女は叫ばずにはいられなかったのだ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

刀華は《鳴神》を振り下ろした状態で、荒い呼吸を繰り返す。

彼女も消耗が激しいようだ。

 

(まさか、《雷轟霹靂》まで使うことになるとは……)

 

《雷轟霹靂》。それは対蓮用に考案した広域破壊型の伐刀絶技。

水と雷、本来の相性ならば刀華の雷の方が有利だが、彼は雷を通さない水である超純水を大量に作り出し操ることができるため、その優位性は消える。

昨年はその物量になすすべもなく、最後の渾身の《雷切》すらも容易く防がれた。

 

そこで考案したのが《雷切》を超える二つの大技だ。

その一つがこの《雷轟霹靂》。

 

ただ大出力の雷を周囲に落雷のように放出するだけの制御が必要ではないシンプルな技。

だが、シンプルが故に強力無比。

周囲を爆砕するそれは、蓮の扱う超純水をその落雷で吹き飛ばそうという魂胆で作った。

 

この試合では、いや七星剣武祭に行くまでは使うまいとしていた技だったが、先程の陽香の全方位攻撃は《雷切》でも防ぎきれなかった。

あれを全て防ぐには周囲を落雷で粉砕するこの《雷轟霹靂》しかなかったのだ。

 

(…蓮くんの言った通りだったね)

 

刀華は心の内で強敵と戦えたことにほくそ笑んだ。蓮の言った通りだった。

《閃光の魔女》五十嵐陽香は確かに強かった。

さすがは蓮が認めた騎士だ。

 

七星剣武祭に行く前にここで彼女と戦えたことを刀華は誇りに思った。

彼女はこの勝利を誇りに七星剣武祭に胸を張っていくことを決め、強敵として自分の前に立ちはだかった陽香に感謝の念を送る。

そして、審判による試合終了の合図を静かに待つ。

 

その時だ。

 

 

 

「陽香‼︎頑張れ‼︎」

 

 

 

対戦相手の名を叫ぶ一人の少女の声が響いた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

凪の精一杯の声。それは確かに陽香の耳に届いた。

 

(聞こえ、たよ……凪…)

 

雷に焼かれたせいで全身が突き刺すように痛い。

だが、今はそんなものどうでもいい。

体の麻痺はすでになくなり、動ける。

動けるのなら、立ち上がれ。

いつまでも寝てるな。まだ試合は終わっていないぞ。

そう陽香は己自身に強く叱咤する。

 

「……ぅ……うぁ…」

 

陽香は痛む体に鞭打ちゆっくりと立ち上がる。

 

(駄目。……こんなところで倒れちゃ、蓮さんに、凪にもみんなにも合わせる顔がない)

 

彼女はまだ諦めていない。

彼女にはまだ戦う意志が残っている。

彼女にはまだ戦える力が残っている。

ならば、まだ試合は終わっていない。

陽香は腕に、足に力を込めて立ち上がろうとする。

 

『五十嵐選手立ち上がろうとしています!まだ試合を諦めていません‼︎』

 

実況の声が遠くから聞こえる。でも、今はそんなことどうでもいい。試合終了の声でないのならば、まだ試合は続行しているということなのだから。態々耳を傾ける必要はない。

 

(この程度の傷が…なんだっていうの⁉︎)

 

全身を雷で焼かれた?

激痛のせいで満足に動けない?

そんなの些細なモノだ。彼が受けてきた痛みに比べれば遥かにマシだ。

幾らでも耐えれる。

 

(こんなところで、倒れるなっ‼︎)

 

ここで倒れたら、彼を支えるぐらいに強くなるなんて夢のまた夢だ。

だから倒れるわけにはいかない。終わるわけにはいかない。

 

(私は、貴方の力になりたい)

 

全身が悲鳴を上げる中、陽香の脳裏によぎるは想い人の優しくも儚く悲しい笑顔。

数日前の告白した日の夜。月明かりに照らされたあの悲しい笑顔が忘れられなかった。

 

彼の笑顔を見た時、陽香は漠然と理解した。

この人は死ぬまで戦うことをやめないんだと。

これからも自分を『人間』ではなく壊れた『化け物』とし、A級騎士として死ぬまで戦い続けて人殺しの罪を重ね続けるのだろう。

そして、そんな自分には人が当然持つ幸福な生き方を得てはいいものではないと決めつけ、人として壊れて狂ってしまった人殺しの化け物として戦い続ける生き方が相応しいと。

 

それ程までに悲しい生き方があるだろうか。

 

多くの人を守り救ってきた彼には充分に幸せになる資格があるはずなのに、彼自身がそれを認めず自ら傷つき、その果てにいずれ死ぬ。

そう自分の終わりを定めてしまっている事が辛くて仕方がなかった。

 

だから、()()()()()が彼を繋ぎ止めたい。

貴方が自分を『化け物』だと蔑むのなら、私達はそれ以上に貴方を『人間』だと言おう。

貴方が傷つくのを躊躇わないのなら、私達はこれ以上彼に傷を負わせないために寄り添おう。

 

今は背中しか見えないが、いつか追いついて彼の横を走っていけるように強くなりたい。

好きな人を支えられるぐらいに強くなりたいという想いが間違いであるはずがないのだから。

 

その為にも、今ここで倒れてはいけない。

 

そして何よりも、

 

(私は《七星剣王》の、蓮さんの弟子なんだからっ‼︎‼︎)

 

弟子として、師匠に成果を見せなければ、鍛えてもらった意味がないから!!

 

「はあ……っ!はあ……っ!」

 

陽香は荒い呼吸をしながら、なんとか立ち上がる。体の至る所から血が流れ、動くたびに激痛が走り、膝ががくがくと笑っているが、それでも彼女は立ち上がった。

 

『五十嵐選手、立ち上がりました!

目に見えて深刻なダメージ!両膝が笑っています!しかし、それでも彼女の眼は死んではいません!まだまだ続行の意思が伺えます!』

 

自らの状態をやや興奮気味に解説する実況の声を聞き流し、陽香はふらふらとした足取りながらもその手に再び光槍を作り出し、光槍の切っ先を刀華に向け、腰を低く落とし、眼前の敵をしっかりと見据えて告げる。

 

「まだ、終わって、いませんよ。勝負です。東堂先輩」

「っ」

 

彼女の言葉に刀華は理解した。

陽香の普段からは見られない気迫が、その想いを雄弁に語っている。

五十嵐陽香がこの試合を、あの一撃で終わらせることを。

体力的にも残存魔力量的にも彼女はあの一撃がまさしく最後なのだろう。満身創痍。そのはずなのに彼女の瞳に宿る闘志の光は衰えるどころか、より強くなっている。

 

「……ッッ‼︎」

 

それを理解した瞬間、彼女は体の芯から昂ったのを感じた。

 

彼女のような誇り高い騎士が自分の渾身を以て挑もうというのだ。それに応えねば、もし勝ったとしても誰に誇れるというのだ⁉︎

何より、刀華自身がこの誇り高い騎士に勝って、七星剣武祭に行きたいと思った。

ならば、断る理由などあるわけがない!

 

だからこそ、陽香の宣告に刀華は口の端を笑みの形に吊り上げて、《鳴神》の切っ先を陽香に向け、刃を水平に構え自身の《雷切》をも超える最大最強の絶技の構えを以て応えた。

 

「受けて立ちましょう」

「……ありがとう、ございます」

 

自分の勝負を受けてくれたことに感謝しつつ、陽香は全身に今までにないほどの眩い黄金の光を纏い、光の槍もその大きさ、長さを増し五メートルほどの大槍へと姿を変えその先端を刀華に向ける。

 

対する刀華もまた己の能力で前方の空間に磁界を形成し自らの体にもまた《疾風迅雷》の雷を纏う。

 

放たれるはお互いが持つ最強の渾身の一撃。

 

どちらも身体への負担が大きすぎる絶技。

 

陽香は自身を正しく光と化すことで光速での加速をもって槍での突きを放ち、刀華は自らの体そのものを弾丸とするレールガンとなり加速された突きを放つもの。

どちらも同じ突きという攻撃手段であり、その貫通力が生み出す破壊力は今までの、それこそ《雷切》ですら上回る。

 

お互い、それだけの強力無比な攻撃力を持って、最後の攻勢に出る。

両者同時に踏み込み、弾けるように前方に体を投じた。

 

 

 

「《光神の閃輝槍(フォイボス・ハスタ)》————ッッ‼︎‼︎」

「《建御雷神(タケミカヅチ)》————ッッ‼︎‼︎」

 

 

 

瞬間、閃光と化した陽香と雷光のトンネルを潜り抜け、電磁加速された刀華の肉体が、破壊的な速度で加速し、相手に一直線に飛ぶ。

お互いの渾身の一撃が激突して、その激突の余波が大気を震わし、リングを爆砕し、会場を軋ませる。

《雷轟霹靂》をも超えるほどの耳を貫くほどの轟音が轟き眼を焼くほどの閃光が爆ぜて、視界を白く染め上げる。

もはや知覚することすらできないほどの轟音と閃光の中、蓮は一度としてその目を逸らさず、閉じなかった。

やがて、耳を聾した轟音と眼を眩ませた閃光が治まった頃観客達はその結果を見た。

 

 

半壊したリング上で《鳴神》を前に突き出し、右腕から大量の血を流している刀華の姿と、その鋒の先、叩きつけられた観客席下の壁の下で血塗れで倒れ伏している陽香の姿があるのを。

 

 

今度こそ勝敗は決した。

観客達と同じように呆然としていたレフェリーが、思い出したかのように陽香に駆け寄る。暫し様子を見ていたレフェリーが立ち上がり頭上で腕を交差した。

 

『し、試合終了ォォ——ッッ‼︎‼︎

五十嵐選手、善戦を見せましたがやはり前年度ベスト8の壁は厚かったッ‼︎‼︎

Bランク同士の死闘を征したのは我らが生徒会長!《雷切》東堂刀華選手です‼︎』

 

実況が勝者の名を高らかに告げ、試合の幕が下された。

確かに実況の言葉通り、陽香は善戦を見せた。

彼女らの攻防は学生のレベルを遥かに超越したものだった。

 

少なくとも、師匠である蓮は彼女はよくやったと思っている。

だが、それでももっと何かできたのではないのかと後悔や責任感が胸中に一気に押し寄せてくる。

自分がもっとしっかり教えていれば、彼女はもっと戦えたのではないだろうかと思ってしまう。

そして、担架に乗せられ医務室に運ばれていく血塗れの陽香の姿を見た蓮は、

 

「……行ってくる」

「ああ」

 

黒乃に一言そう告げ、背を向け弟子の元へと走って行った。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

視界を焼く閃光の後に訪れた深い無明の闇から意識を覚醒させた陽香は小さな呻き声を上げながら目を開ける。

 

「んっ……んぅ…ここ、は……」

 

重い瞼を持ち上げ、首を動かし周囲を見渡す。

目に飛び込んできたのはシミひとつない医務室の白い天井と、

 

「起きたか。陽香」

 

よく見知った想い人の顔、とその隣に座る親友達と、彼らの後ろにいる友人達の姿。

その光景に、陽香は自らの敗北を思い出した。

 

「私、負けちゃったんですね」

『………』

 

ポツリとつぶやかれた言葉に、想い沈黙が降りる。

その時、座っていた蓮が暗い表情を浮かべながら、

 

「……陽香、すまなかった」

「え……?」

 

突然そう謝罪する。

陽香にはその謝罪の意味が本当に分からず少し困惑気味に蓮の顔を見る。

 

「俺の判断が甘かった。もっと教えられることがあったはずなんだ。俺の教え方がよかったら、もっと戦えたはずだった。お前の師として情けないことをした」

「い、いいえ、蓮さんは何も悪くありませんよ。そもそも蓮さんが指導してくださらなかったら、私は会長相手に太刀打ちできませんでしたから」

 

蓮の謝罪の意味を理解して、陽香は勢いよく頭を振り、ついで蓮に頭を下げた。

 

「むしろ私が未熟だったから、蓮さんが教えてくれた事を活かせなかったんです。私の方こそごめんなさい。それに、蓮さんには感謝してます。蓮さんが教えてくれたから、私はあそこまで戦えたんです」

 

陽香はそう言うものの、明るく振る舞っているのは誰の目から見ても明らかだった。

そして蓮が何か言おうとする前に陽香が言葉を続けた。

 

「少しだけ、一人にしてもらえませんか?今日は少し疲れてしまったので……」

 

俯いたまま、陽香は皆に頼む。

今顔をあげれば、泣き出すに決まっているから顔はあげない。

蓮は言いかけた言葉を飲み込み、陽香の気持ちを察して席を立つ。

 

「分かった。しっかり休息をとるんだぞ」

「はい。ありがとうございます」

 

蓮は陽香にそう告げると皆を連れてすぐに医務室を去った。

だが、ただ一人、凪だけはその場に残った。

 

「……凪」

 

陽香はなぜまだいるのかと顔を上げて視線で尋ねる。彼女の瞳にはすでに涙が滲んでおり、すぐにでも泣き崩れそうだった。

そんな陽香に凪は、自分がやってもらったように彼女を優しく抱擁することでその疑問に答えた。

 

「……え?」

「陽香は、頑張ったよ」

「っ」

 

凪の言葉に陽香は息を呑む。

 

「蓮さん陽香のこと褒めてたよ。負けてしまったけど、師として誇りに思うって。立派だったって。だから……もう強がらなくていいよ。ここには、蓮さんもいないから」

「うっ、うぅっ」

 

それが限界だった。

好きな人の前では気丈に振る舞っていたとしても、やはり悔しいものは悔しかった。

陽香は込み上げた嗚咽を溢し、涙を流し凪の胸にしがみつく。

 

たった一敗。だが、その一敗で、自分は七星剣武祭への道が閉ざされてしまった事を分かっているから。

 

勝って、蓮と一緒に七星剣武祭に行きたかった。 

 

叶わなかった願いが、届かなかった夢が、その名残が陽香を苛む。

言葉にできないほどの悔しさを、陽香は悲鳴として何度も吐き出す。

 

凪は知っている。

彼女が弱さを吐き出せるのが自分しかいないと言う事を。

彼女の親友であり、ライバルであったから、彼女の抱える悔しさが手に取るようにわかった。

 

だから、凪は何も言わずに陽香が泣きやむまで体を抱きしめ続け、頭を撫で続けた。

 

 



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24話 祈望

三ヶ月近くもお待たせしてしまい本当申し訳ありません!

コロナが今もなお猛威を振るう中、みなさん体調とかは大丈夫でしょうか?私はまだ元気ですが、やはり外出する時は不安になりますね。皆さんもお気をつけください。

それはそうと、UAが五万を超えました!読んでくださった皆さんありがとうございます!他の方々の作品からすれば少ないと思いますが、それでも私にとっては嬉しい更新記録です!

そして魔法科高校の劣等生の来訪者編がついに始まりましたね!映画ではもうやらないかなと思ってたので、嬉しいです!

それと、蓮の妹の楓ちゃんですが、原作の方で黒乃の娘の名前が出てきたのでそちらの方に修正しておきます!こういう名前はなるべく原作に合わせていきたいので……。

それでは、最新話をどうぞ!





貴徳原カナタは彼を、新宮寺蓮の姿を夢で見る事がある。

 

最初は彼が両親と楽しそうにしているとても幸せな光景が写っていた。

二人と笑い合う幼い彼の年相応に無邪気に笑う姿は今でも忘れられない。本当に、この日々は彼にとって、そしてカナタにとっても幸せだった。

彼が愛する大好きな両親と共に過ごす。そんなありふれた、けれどかけがえのない幸せがそこにはあった。

 

だが、その光景はやがて炎に焼かれ消えて、両親の姿も炎に呑まれて消えてしまった。

炎が消え、場面が切り替わると誰もいなくなった葬儀の場で、彼らの遺体の前で泣いている蓮と彼に寄り添う幼いカナタの姿があった。

この時に彼が復讐を、もう誰も失わないように強くなることを決意したのをカナタは今でも覚えている。

あの時、自分は何もできなかった。

彼を復讐に堕ちることを止める事ができなかった。彼を繋ぎ止める言葉を言えなくて、その手を引き止めることができなくて、ただ彼の隣に居て慰めることしかできなかった。

 

もっと何かできることがあったはずだ。なのに、自分は何もできず、見ていることしかできなかった。

 

それから彼は取り憑かれたように鍛錬に没頭していた。友達とも遊ぶことはなく、暇さえあればただひたすらに強くなるために鍛錬していた。

どれだけ血反吐を吐こうとも、どれだけ傷を負おうとも、彼は自身を実験台にして治癒術の研鑽を重ねて、強引に回復し鍛錬に打ち込んでいた。

そこにはある種の狂気が伺えて、同年代の子供達は勿論、大人ですら諦めてしまいそうな鍛錬量に音をあげることはせず、ただひたすらに愚直に強くなろうとしていた。

その姿はあまりにも悲しくて、痛々しかった。

みかねた黒乃の頼みでカナタが連れ出してなければ、刀華や泡沫とも遊ぶことはなかったし、同じクラスメイトたちとも親しくならなかっただろう。

 

そして、その後は蓮がカナタや刀華、泡沫を背に庇いながら一人で戦うあの時の光景が映り、最後にはどこか遠くに行ってしまう夢。

どれだけ走っても彼には追い付けず、どれだけ呼びかけても彼に声が届くことはなく、やがて彼は遠くに消えてしまう。そこで夢はいつも終わっていた。

 

しかし、六年の時を経て彼と再会してから夢では続きを見るようになった。

 

場面は切り替わり、カナタは海の上に立っていた。

 

『ここは……?』

 

初めて見る光景にカナタは戸惑いを隠せない。

あたりは真夜中のように暗く、藍色と黒色が混ざる海は酷く不気味だ。

雲ひとつない藍色の夜空に浮かぶ青白い月が海を照らしていなければ、暗闇に呑まれたのではないかと錯覚するほどだ。

 

夜空に浮かぶ月明かりが海に反射して、道のようになって水平線の果てまで続いている光景は幻想的で美しかった。

カナタも思わずその光景に見惚れてしまう。だが、それも一瞬、彼女はすぐさま蓮の姿を探す。

 

不意に後ろから水音がきこえて振り向くと、そこには探していた彼の姿があった。

 

彼女は安堵の表情を浮かべるも、すぐに表情を悲痛なものへと変えた。

彼の姿はあの9歳の姿ではなく、背や髪が伸びた今の姿だった。だが、それが原因ではない。今の彼の姿に彼女は悲痛な表情を浮かべたのだ。

蓮の姿はみるも無惨なものだった。

背中や腹には無数の刀剣が突き刺さり、全身の至る所には痛々しい傷が刻まれ、服に血を滲ませていた。透き通った水のようにきれいだった髪は赤黒い血で薄汚れていた。血で汚れていない部分を探す方が難しいほどに。

両手に持つ《蒼月》も、赤黒い血で白銀色の刃を濡らし妖しい輝きを放っている。

海へと流れ落ちた血は彼の足元を中心に赤黒く染めていった。

先程聞こえた水音は血が海に滴り落ちた音だったのだ。

 

そんな傷だらけの姿の蓮は彼女から数メートル離れた位置に立ってカナタに視線を向けていた。

 

 

『蓮さん……』

『………』

 

 

カナタが呼んでも蓮は何も応えてくれない。

ただ、こちらへと向けられる海色の瞳に光はなく、暗く淀んで虚な瞳。まるでこちらを見ているようで見ていない。そんな瞳だった。

空色と海色の瞳が交錯し、しばらく経った頃。

蓮は口の端を小さく吊り上げて、悲痛に満ちた笑みを浮かべると不意に口を開いた。

 

 

『ごめんな』

 

 

紡がれたのはたった一言の謝罪。

だが、その一言に込められた想いを彼女は知っている。知っているから、彼女はその目尻に涙を浮かばせてしまった。

そして蓮はそのまま彼女に背を向け、暗い闇へと歩き始めた。

 

『ッッ、駄目っ‼︎』

 

カナタは咄嗟に蓮を追いかけ引き止めようとする。

だが、突如彼女の足元から黒い鎖が何本も飛び出し彼女の体を戒める。

 

『待って!行かないで!蓮さんッ!そっちに行っては駄目ですッ!』

 

カナタは叫びながら、鎖を破ろうと身を捩るがどれだけ力を入れても鎖は信じ難い強度を持ち、拘束はわずかも緩まない。

その間も蓮との距離はひたすら遠ざかるばかり。そして、彼の行く手には業火がいつの間にか燃え盛っていた。

空もいつの間にか暗い曇天へと変わっており、あんなにも美しかった月は雲に呑まれ、黒く染まった空からは幾度も雷鳴が轟いている。

 

そして紅蓮の炎は、全てを悉く焼き尽くしてしまいそうな勢いで燃え盛っていて、近づくものを拒むような、そんな感じだった。

 

彼はその業火を前に躊躇わずに足を踏み入れる。炎はまるで彼を歓迎するかのように道を開けて、再び彼の通り過ぎた後を炎で閉ざす。

それは彼が地獄を歩くのを歓迎するかのようだった。

 

『いやっ、蓮さんッ!止まって!そっちに行かないでっ‼︎‼︎』

 

そしてその背に向けてカナタは涙を流しながら何度も叫ぶ。しかしその声が届くことはなく、手を差し伸べることもできない。

 

ある程度歩いた時、蓮はふと足を止めて振り返る。一瞬、カナタは声が届いたのかと喜色を浮かべたが、すぐに表情を張り詰めた。

 

なぜなら、炎に照らされた彼の髪は白銀へ、瞳は黄金へと変わっていたたから。

それだけではない。

彼の額と側頭部には青い炎を凝縮したような青黒い角が大小4本生えていた。瞳孔は縦に割れており、青く染まっている。

顔面の半分ぐらいは肌色の皮膚から何か別の組織へと変わっていて、青色に煌めく硬質なものはまるで鱗のよう。

耳も鋭く尖り、鱗のようなもので覆われている。わずかに空いた口から覗く歯は鋭く尖った牙へと変わっていた。

 

彼は人の姿でありながら人ならざる異形へと変化しつつあったのだ。

 

『———』

 

蓮はカナタを一瞥すると、口を開いて何かを呟く。遠すぎるからか何を言っているのかは分からなかった。そして、彼は、再び彼女に背を向けて炎の中を歩き出す。

今度は止まることはなく、だんだんとカナタとの距離が広がり、遂にはカナタの眼前で炎に呑まれ……消えてしまった。

 

 

「待ってっ‼︎‼︎」

 

カナタは悲鳴じみた声を上げながら身を起こす。

瞬間、目に映った光景が、炎ではなく寮部屋の壁だったことから、彼女は自分が夢を見ていたんだということに気付いた。

 

「はぁ、はぁ……今のは、夢?」

 

カナタは荒くなった息を整えながら呟く。

ふと自分が涙を流していることに気がついた。

 

「私、泣いて……」

 

カナタは零れ落ちる涙を拭う。

普段から滅多に涙を流すことはない彼女が泣くのは、それだけショックが大きかったのか、あるいは見た夢が彼のことだったからか。あるいは、その両方か。いや、そうなのだろう。

蓮がカナタを大切に想うように、カナタもまた蓮のことを大切に想い、愛しいとまで感じているのだから。

そんな彼女からすれば、今の夢はあまりにも悲しすぎた。

 

夢の中で彼は炎に呑まれた。それはまるで彼がいつか無残に死んでしまう日を予見したかのようだった。

しかも、炎に呑まれた光景が両親と同じ末路を辿ってしまうような、そんな予感を抱かせたのだ。

 

「蓮さん……」

 

カナタはいいようのしれない不安に震える体を自らの腕で抱いて落ち着かせようとする。だが、震えは一向に落ち着かなかった。

彼女は掠れるようなか細い声で嗚咽を漏らす。

 

 

「私は、どうしたら……」

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

まだ日が昇ったばかりで幾分か涼しい早朝の破軍学園内を赤いジャージを着たカナタは走っていた。

中途半端な時間に目が覚めてしまった彼女は、そのまま二度寝して仕舞えばもしかしたら、またあの悪夢を見てしまいそうだったので、気晴らしも兼ねてランニングを行うことにしたのだ。

ルームメイトの刀華はまだ眠っていたので、わざわざ起こさずに寝かせてあげることにした。それに、今日ばかりはあんな夢を見てしまった後だからか、一人で走りたい気分だった。ルートも変えている。

 

(あの蓮さんの姿は……あれは、あの時の……)

 

炎に呑まれる直前に見た彼のあの姿、人と化物の両方の性質を持っているような姿は一度だけ見たことがあった。

全てが変わったあの悪夢の日《黒川事件》でだ。

あの日、彼は死にかけた。明らかに瀕死の重傷だった。胴体に刻まれた傷はあまりにも深く、心臓も斬り裂かれたはず。流血はすでに致死量を超えていて、傷痕からは損傷した内臓や砕けた骨が零れ落ちていたほどだった。治癒を行うための魔力も残っていなかった。

だというのに、どういうわけか彼は立ち上がった。魔力も尽きて死に体のはずなのに、彼の体からは莫大な魔力が噴き出していた。

しかも、その魔力量は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それだけの莫大な魔力を噴き出しながら、獣のような狂った咆哮をあげた蓮は、カナタの眼前で()()姿()()()()()()()()()

 

あの変化がなんなのかわからない。蓮の異能がそうさせたのか、あるいはまだ未解明の伐刀者の未知の力なのか。

一つわかるのは、あれが夢ではなく現実で起きたということだけだった。

 

異様な音を立てながら、自身の肉体を別の何かへと変質させた彼の姿は、まさしく化け物と形容するほかになく、それが元々蓮だったとしても、恐怖を抱かずにはいられなかった。

そして、化け物へと転じた彼は怒りや憎しみ、悲しみ、負の感情を凝縮したような怨嗟の雄叫びを上げながら敵に襲いかかった。

そこからはもはや戦闘とは呼べるようなものではなく、ただの蹂躙だった。

まるで傷つけられた獣が、傷つけた者に怒り狂いその敵を殺そうと怒りのままに襲い掛かる、まさしくそんな構図だった。

 

圧倒的な力で周囲をも巻き込んで破壊の限りを尽くした蓮は、敵を無残に殺した後やがて力尽きた。そして、その破壊の爪痕は町だけでなく、見ていた人たちの、守ったはずの人達の心にも深く刻んでしまった。

その結果、彼等は蓮を人として見ることはできず、大量殺戮の化け物としてしか見れなくなり、本能的な恐怖や、純粋な怒りから彼を拒絶した。

彼はそれに怒ることもせず、只々それを受け入れて黒乃と共に町を去った。

 

六年が経ち、彼の姿をビデオで見た時、カナタは刀華が泣いていなければ、自分が泣き崩れていたことだろう。

また会えたんだと。謝罪の機会が得られたのだと。叶わないと思っていたことに心を躍らせていたことだろう。

しかし、その反面彼に会わせる顔がないとも思っていた。一番寄り添うべき時に寄り添えず、立ち去る背を見送ることしかできなかった自分が一体どの面を下げて彼に会えばいいんだと。

 

《黒川事件》での苦しみは自分達は同じ傷を抱えた者がいたから、時に励まし合うことができた。

だが、蓮は違う。彼は別の地で黒乃と新たな生活を始めた。例え彼女が彼の苦しみを慮り、母として支えることができたとしても、分かち合うことはできなかった。

しかも蓮は自身の能力で取り返しのつかないことをしてしまっている。心の傷は、誰よりも大きいだろう。将来を嘱望され、神童と言われようとも、彼だってまだ9歳の子供だった。まだ誰かの助けが必要な年なのだ。到底一人で抱えきれるものではなかった。

 

カナタには刀華や泡沫、『若葉の家』の子供達がいた。辛い時も、苦しい時も、いつも共にいてみんなで強くなることができた。だがその頃、蓮はたった一人異郷の地で、後悔と罪悪感に苛まれ押しつぶされそうになりながら、苦しみ続けた。

一体どれだけ悩んだのか、どれだけ自分を呪ったのだろう。

それを分かっているからこそ、彼との再会を手放しで喜べるわけがなかった。

 

それでも一度会って話をしたかったカナタは、風紀委員スカウトの件で会長である真弓に頼み込み、真弓と麻衣が行くはずだったのを自分が代わり、二人で喫茶店に立ち寄った時、それを酷く痛感した。

 

彼は今もずっと過去に囚われたままなのだということに。

 

両親を失った絶望、大切な家族を殺した敵への憎悪と怒り、取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感、自身の力に対する恐怖。復讐と贖罪。それらがないまぜになって今もなお彼のことを蝕み続けているのだとわかってしまった。

だからあの時誓ったのだ。

例え世界の誰もが彼を拒絶したとしても、化け物だと恐れたとしても、自分は、自分だけは最後まで彼の味方であり続けると。

 

(といっても、黒乃さんや寧音さんは最後まで味方でいるでしょうけど……)

 

確かにそう誓ったが、黒乃や寧音も彼の味方であり続けるだろう。それだけは断言できる。

 

そんなことを考えるうちに、彼女は自分が寮からだいぶ離れたところまで走ってきたことに気づいた。

場所的には学園の端の方。小高い丘がある場所だ。そこからは破軍学園だけでなく周辺の地域も一望できるほどに小高い場所だ。

彼女は丘の頂上で一休みしようと思い、そこへと向かうと先客がいることに気づく。

 

(あれは……蓮さん?)

 

カナタよりも先に丘の頂上には青いジャージを着た蒼髪の青年、蓮がいた。

カナタと同じ早朝の鍛錬なのだろう。

十メートルほどの中空にふわりと浮かぶ蓮は、《蒼月》を腰から提げたまま両腕を指揮棒のように振るっている。その腕の動きに合わせて、彼の周囲には淡く輝く半透明な水で構成された多種多様な海の生き物達が悠々と空を泳いでいた。

まるでそこには海があるかのように、空を気持ち良さそうにふわふわと泳いでいた。

まるで彼が指揮者であり、生物達が楽器を奏でる奏者であるかのように、朝焼けの光を舞台照明のようにして青と橙に照らされるそれは音こそないが、一種のオーケストラのようだ。

 

「……綺麗」

 

カナタは夢のことも忘れて、その幻想的な光景に思わず魅入ってしまう。

しかし、それで終わりではなかった。

今度は蓮の体が淡い輝きを帯びるとだんだんと体の色を失い紺碧色に輝く人型の水へと変化した。

次の瞬間、彼を水の球体が包みある形を作る。そこにいたのは半透明の体を宙にくねらせる一頭の青い海龍だった。

 

「え…?」

 

カナタは思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。

海龍の大きさは20m近くあるだろう。頭部の4本の角、鋭い鉤爪や背中の突起、背鰭や尾鰭は《海龍纏鎧・王牙》の特徴にそっくりだ。

そしてカナタの視線に気づかないまま、海龍と化した蓮は悠々と生物達と共に宙を泳ぐ。

時にはゆったりと、時には素早く天を自由気ままに泳ぐその姿はまさしく神話の世界に住む海龍だった。

カナタは思わずその光景に魅入られており、ただその海龍の遊泳を見上げていた。

 

『?』

「ぁっ」

 

十分ぐらい経った頃、カナタは海龍とふと目があった。海色の瞳がカナタを視界に収めると、海龍はカナタへとゆっくりと降下していき、カナタの眼前でその巨躯を淡く輝かせると姿を変えて、元の蓮の姿へと変わった。

 

「カナタ、おはよう。お前も朝の鍛錬か?」

「おはようございます蓮さん。今日は少し早く起きたのでその分早めに……蓮さんも鍛錬をされていたようですが、今は何をされていたのですか?」

「日課の鍛錬だ。ちょうど今は魔力制御の応用をしていた」

 

蓮はそう言って右腕を少し上げる。

すると、右腕が色を失い水へと変わる。それを見てカナタは蓮がやっていたことを理解した。

 

「まさか……自分の体を水に変えた上で、足りない部分は魔力で補いながら自身を別の形へと形成したということですか?」

「そういうことだ。ほら」

 

そう言いながら蓮の腕が形を変えて翼、刃へと次々と様々な形へと変えていった。

それを何食わぬ顔で平然と行なっている蓮にカナタは純粋に凄いと同時に戦慄した。

 

水使いだけでなく、炎や雷、風などの自然干渉系の伐刀者達は魔力制御の鍛錬の一環で自身の肉体を魔力化し、自身が持つ属性へと変換させることを試す。

しかし、試みたものは大多数がそれを断念する。

 

 

それはなぜか?

 

 

難しすぎるからだ。

肉体を魔力化し、自身の属性へと変換し、再び元の肉体へと再構成する。

言葉にして仕舞えばたったそれだけだが、それをこなせるというのは、魔力制御の極地の一つである技術を持っているということでもある。

 

一流の魔力制御力を以て、数十兆の細胞からなる人体の一つ一つに干渉し、それら全てを肉体から魔力へと変えて、蓮の場合ならば水へと変換し、再構成の式を組んで発動し、元の肉体へと再構成する。

そうすることで、彼は斬撃や打撃などの物理攻撃を完全に無効化している。

だが、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()

例え、式を組んだとしてもそれが死後に発動しなければそれまでであり、再構成をほんの少しでも誤れば、後にどんな障害が残るかわからない。

発動しようにもあまりにも高度すぎる魔術処理に、脳が悲鳴を上げて神経が焼き切れてしまう可能性もある。

 

確かに物理攻撃無効化は大きなメリットであり、戦いにおいては強力な手札の一つだ。

しかし、その為に必要な技術が高すぎるし、リスクも大きすぎるのだ。

だからこそ、殆どの者が自身の肉体の粒子化を断念してしまう。

雷使いである刀華もそれを試みたことはある。だが、彼女も今現在の自身の技量ではできずに断念している。

連盟基準で最低でも魔力制御がAはなければできない超高難度の技術だ。

 

物理攻撃を完全無効化し、傷ついた肉体を再構築することで回復、あるいは蘇生する伐刀絶技——— 《青華輪廻(リィン・カーネーション)》だ。

 

蓮が今使ったのはまさしくその絶技ではあるが、《青華輪廻》はそれだけでなく更に、液体化した肉体と魔力で生み出した水を合わせて自身の質量を超える物体にすら流体変化することも可能である。更に彼は大量の水の生物たちを生み出して様々な操作を行う伐刀絶技《海神の遊戯(アクアワルツ・ルデーレ)》も併用していた。

 

どちらも超高難度の技術であり、カナタはさすが魔力制御がSなだけはあると感嘆はした。だが、同時に戦慄したのは、それをなすことは…言って仕舞えば、狂気の沙汰だからだ。

肉体の粒子化ができるということとは、自殺行為を何度も繰り返しているのと同じこと。

それは普通の人間がやれる事ではない。

なのに、蓮はそれを日課の鍛錬に組み込んで毎朝平然と行なっている。毎日自殺行為を繰り返しているのと同じだからこそ、カナタは戦慄したのだ。

 

「……凄い、ですわね」

「俺にとってはこれは出来て当たり前の事だ。出来なければ俺はとうに死んでいる」

 

さも当然であるかのように淡々と言う蓮の言葉に、カナタは悲痛な表情を浮かべ、俯く。

死の恐怖を意に介さずに、神経を焼くはずの激痛すらなく、毎朝自殺行為を繰り返している。

一体、その領域に辿り着くまでにどれだけの苦痛を味わったのだろうか。

それが強くなりたいという一心だけならば、まだ良かったのだろう。だが、そこには間違いなく復讐心があったはずだ。自身をも焼き尽くす程の昏い憎悪の炎がその背後にはあったはずだ。

 

(……本当に不甲斐ないですわね)

 

誰よりも彼のそばに寄り添っていたはずなのに、その炎を消すことができなかった自分が情けなくて、ただ隣に居ただけで満足していた自分に腹が立った。

 

「何か嫌なことでもあったか?」

「え…?」

 

突然の問いにカナタは思わず顔を上げる。

蓮は心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「い、いえ、大丈夫ですわ。ご心配ありがとうございます」

 

カナタは慌てて表情を取り繕いそう言って誤魔化した。あんなこと言えるわけが無い。

余計なことを言って彼に変な気を遣わせたくなかったから。

 

「……そうか。ならいいんだが、悩み事があるなら聞くぞ?」

「ええ、その時はお願いします」

「ああ」

 

蓮は一応の納得をみせる。

蓮は人の感情に疎いわけでは無い。先程のカナタの表情を見れば何かあったのは明白。だが、蓮はそれを深くは尋ねない。

無理に聞き出そうとするのは良く無いことだとわかっているから。

蓮は時計を見る。そろそろ、戻る時間だった。

 

「俺はもう戻るが、カナタはここを使うのか?」

「……いえ、今日は走るだけのつもりでしたし、私もこの後は寮に戻ろうと思っていますわ」

「そうか」

 

そう言って蓮は先に寮へと戻ろうとする。だが、そこでカナタが止めた。

 

「あの、蓮さん…」

「ん、なんだ?」

「あの、私もご一緒してもよろしいですか?」

「…まぁ、それはいいが。俺のペースは速いぞ。着いて来れるか?」

 

蓮の問いにカナタは力強く頷いた。

彼が言った言葉はそのままの意味なのだろうが、カナタには別の意味でも捉えられたからだ。

 

「はい。着いていきます」

「ならいい。じゃあ行こうか」

「はいっ」

 

そうして、蓮が走り出しカナタがその後に続く。確かに蓮のペースは速いが、今はまだ着いていける速度だ。

 

(……懐かしいですわね)

 

カナタは彼の大きな背中を見ながら、思い出す。

昔もこうだった。

彼の背中をいつも追いかけていた。

いつか彼の隣に立ちたくて、その為に彼の隣に相応しくあろうと努力してきた。

それでも、いくら走っても彼の背中には追いつけなかった。けれど、だからこそ追いかけ甲斐があった。

 

それは今も変わらない。

今も変わらず彼女は彼の背中を追いかけ続けている。どれだけ実力の差を見せつけられようとも、それでもなお追いかけることをやめなかった。

 

もう後悔したくないから。

あの日、何もできなかった。

去ってしまう貴方を抱きしめることも、引き止めることすらできなかった。

何も言えなかった。何も言えずに別れてしまった。彼を癒す言葉をかけられなかった。

だから、次こそ救ける。

今度こそ、彼を守ろう。

今度こそ、彼を支えよう。

今度こそ、彼を癒そう。

 

もう二度と後悔しない為に、私は彼の味方であり続けよう。

 

いつまでも、貴方に着いていきましょう。

仮令、貴方が、音の速さで駆け抜けて行っても。

仮令、空を突き抜け、星々の高みへ翔け昇っても。

いつか、貴方の隣に並び立つ為に、私はどこまでも貴方に着いていきます。

 

 

それが《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタが抱いた騎士としての覚悟だ。

 

 

 

 

 

ちなみに蓮の二十キロマラソンについて行ったはいいものの、蓮のあまりの速度と緩急の激しさに魔力放出を使って必死に食らい付こうとしたカナタだったが、途中でギブアップして蓮に背負われて寮に戻ったのは、余談だ。

 

 

その際に、彼に背負われて嬉しそうな表情をしていたのは彼女だけの秘密。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

夕方、授業を終え放課後を迎えた蓮は風紀委員も非番なため、レオ達と共に今日はプールでトレーニングをしようと考えていたところ、突然黒乃から電話での呼び出しがかかった。

 

「それで、母さん。急に呼び出したのは何かあったからなのか?」

「そうだ」

 

理事長室で来客用のソファーに座る蓮は向かいのソファーに座る黒乃へと問いかける。

黒乃は蓮の問いに頷く。

 

「ああ、実はお前に取材の依頼が来ててな」

「取材?」

「そうだ。七星剣武祭前に《七星剣王》であるお前の取材をしたいらしい。しかも、大手キー局からだ」

 

そう言って、黒乃はそのキー局から送られてきた取材についての書類を蓮に見せる。

見れば、そこには確かに大手のキー局の名前があり、取材をしたいと言う旨が書かれていた。

 

「……日にちは?」

「今週末の土曜日だそうだ。その日は選抜戦もないだろう?」

「…確かにないが…」

 

蓮は言い淀む。

キー局からの取材依頼。伐刀者として名を上げていくということはそれだけメディアに注目されることにつながる。

黒乃や寧音、大和やサフィアも取材を受け雑誌に記事を掲載された経験がある。

蓮もリトルリーグで優勝した時も取材は受けたし、雑誌にも載ったことがある。そして、これから騎士として生きていく以上はメディアにも多く出るべきだろう。

 

だが、例えそうだとしても蓮はメディアに出ることを躊躇う。

蓮がメディアの取材を躊躇う理由。それは父と母の関係を知られてしまう可能性があるからだ。水使い、そして、水を体現したかのような蒼髪碧眼の持ち主。

それだけでもサフィアとの関係性を疑う者がいるかもしれない。特にヴァーミリオン皇国の国民ならば尚更のこと。

蓮はそれをよしとしない。

注目されるということはそれだけ関係に気付いてしまう者達が増える可能性がある。

 

そしてもしも関係に気付いたものがいれば、蓮を始末しようと思う者も増える。

今はその強大な力のみで殺害対象にされているが、あの二人の子という情報が加われば、更に刺客が増える可能性だってある。

今でこそ自分一人で対処できているが、もしかしたら家族や友人達にも、魔の手が及ぶかもしれない。

黒乃や寧音はまだ大丈夫だろう。だが、義父である拓海やまだ3歳児の妹、鳴は安全とは言い難い。特に蓮と黒乃が学園にいる間は尚更危険だ。政府にも護衛を頼んではいるがそれでも万全ではない。それに、友人であるレオ達も敵が彼等よりも強ければ危険だ。

彼らの身を案じるならばこの情報は何が合っても公開するべきではないのだ。

 

しかし、本音を言うならば自分があの二人の息子だということを言いたい。

自分こそがあの英雄達の息子であり、唯一にして正当な後継者なのだと胸を張って言いたい。

別に黒乃の息子であることが嫌というわけではない。彼女に引き取られて良かったと思っている。

それでも、あの二人は、自分にとって誇りであり、夢であり、目標でもあったから、彼等の息子であるということも言いたかった。

 

かといって、出生を明かしてしまったせいで彼等の身に危険が及んでしまっては本末転倒だ。

復讐の為だけでなく、大切な者達を守るためにも戦う彼にとって、守るべき者達を危険に晒し傷つけてしまうということは許しがたい屈辱であり、最も恐れていることなのだ。

だから明かさない。明かせるわけがない。

自分のせいで大切な者達を傷つけてしまうなど、見たくなかったから。

 

去年もそういう考えから、七星剣武祭での記者の質問には答えたものの、雑誌の取材依頼には応じなかったのだ。

 

黒乃はそんな蓮の心情を察して、母性を感じさせる優しい笑顔で言った。

 

「お前の言いたいことは分かってる。私達のことを気にかけているんだろう?」

「………」

「お前は本当に優しい子だ。私はそんなお前の母親でいれることが誇らしいよ。でもな、私はお前があいつらの息子として活躍する姿も見たいんだ。いつか、新宮寺の姓ではなく桜木とインディゴ、あの二人の姓を名乗って、騎士の世界を勝ち上がっていく姿をな」

 

いつか新宮寺蓮ではなく、桜木大和と桜木・I(インディゴ)・サフィアの二人の息子、桜木・I(インディゴ)・蓮として活躍する姿を見たい。

それが黒乃がずっと抱いてきた願いだった。

たとえ姓名が変ろうとも、血の繋がりがなかろうともそれでも黒乃にとって蓮は愛しい大切な息子であることには変わりはないのだから。だとすれば、名字が違うことなど些事だ。それがあろうともなかろうとも、彼女が蓮へと注ぐ愛情は変わらないから。

蓮もまたそんな黒乃の心情を察したのか、気恥ずかしそうに視線を逸らした。

黒乃はそんな様子を見て笑う。

 

「ふふ、まあ今回は嫌なら断っていいさ。ただ私がそういう思いでいることを知っていてくれればいい」

「……ごめん。だが、今はまだ無理でもいつか必ず名乗ることは約束する」

「ならいい。先方には私から連絡を入れておく」

「ありがとう。……それで、話はそれだけか?」

「いや、まだ二つある」

 

そう言って黒乃は膝を組み、口から紫煙を吐き出すと、次の話題を口にする。

 

「奥多摩にうちが所有する合宿施設があるのは知っているだろ?」

「ああ、去年七星剣武祭前にはそこに強化合宿に行ったからな。それがどうかしたのか?」

「向こうの管理人からどうも妙な報告を聞いてな」

「妙な報告?」

 

蓮の問いに黒乃は頷いて答えた。

 

「ああ、最近不審者が出たそうだ」

「不審者、ね。妙ってのは不審者の特徴がか?」

「そうだ。なんでも体長四メートル程の巨人や古代生物の群れらしい」

「は?」

 

突然出た荒唐無稽な特徴に、蓮は思わずそんな声をあげるが、すぐに可能性に気づく。

 

「……まさか伐刀者の仕業か?」

「やはりお前もそう思うか。そうだ。私もそう考えている。そこでだ、お前には奥多摩に調査に向かってもらいたい」

「まぁいいが。俺一人でか?別にそれでも構わないが」

「いや、生徒会にも頼んでいる。あちらには外部から助っ人を呼ぶよう言っておいた。お前も含めれば能力的には十分だろう」

「ちょっと待て」

 

蓮は黒乃の言葉に待ったをかけると、険しい表情を浮かべて続ける。

 

「どうして生徒会と一緒なんだ?あれぐらいの範囲なら俺一人でも十分だ。それに、俺と泡沫の仲の悪さは知っているだろ。わざわざ一緒に行く意味がない」

 

蓮と泡沫の仲は悪い。一方的に泡沫が嫌っているのだが、その事実は黒乃も知っているはずだ。にもかかわらず、その二人を同じ調査に向かわせるなど一体どういうつもりなのか。蓮はそんな疑念と困惑の視線を黒乃に送る。

黒乃は一つ息をつくと、深々とソファーの背にもたれた。

 

「それは十分に分かっている。確かにあれぐらいの範囲の捜索ならお前一人でも何ら問題はない」

「だったら…」

「だが、もしもあっちで強大な敵と遭遇したとき、お前は必ずそいつと戦うはずだ。なら誰がその状況を伝える?」

「っ」

「生半可なものなら逃げることも叶わないような敵が現れたら、お前は必ず身を呈して戦うはずだ。その時、その情報を学園に伝えるものとしてある程度の実力を持ったものがいなければならない。敵から逃げ切れる実力を持つものがな」

「……確かに、それだと生徒会が適任か…」

 

理にかなった説明に蓮は不承不承だが納得する。確かに蓮が戦った場合、敵の強さにもよるが余波に巻き込まれる可能性だってある。その余波から最低限自分の身を守ることができ、かつ心をおられずに学園へと情報を伝えることができるとしたら、実力者の集団である生徒会が適任だろう。

 

「そうだ。泡沫がお前を嫌っていることは知っている。だから向こうでは単独行動をとっていい。それにもしも何かあっても、東堂かカナタに伝えれば御祓も無碍にはできないはずだ」

 

確かに泡沫は蓮を嫌悪していて未だに二人の仲は元に戻っていないが、刀華とカナタは蓮との仲を修復しつつある。

そして、泡沫は昔から刀華に全幅の信頼を置いている。カナタも刀華ほどではないが信頼されているだろう。

そんな二人からの指示なら泡沫も素直に聞き入れるはずだ。黒乃はそれを分かっていた。

蓮もそれについては分かっており、深くため息をつくと両手を軽くあげて降参の意思を見せる。

 

「分かった分かった。生徒会と一緒に行けばいいんだろう」

「ああ任せた。調査は来週だ。頼んだぞ」

「ああ」

「そして最後にもう一つだ」

 

黒乃は膝を組んで、先ほどとは違いどこか心配するような、気遣うような表情を浮かべる。

 

「蓮、()()()()()()()

「………」

 

黒乃の問いに蓮はしばし沈黙すると、答えた。

 

「ああ、()()大丈夫だ」

「……信じていいんだな?」

「ああ、破軍に入ってからは一度も()()()は使ってないからな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

黒乃は蓮の言葉に一度目を伏せると、悲しみを堪え縋るような声音で呟いた。

 

「……だとしても、最悪の時以外はなるべくあの力は使わないでくれ。いつ()に戻れなくなるかわからない。そうなったら、私は……」

「分かってる。母さんに迷惑は掛けないつもりだ」

「ならいい。話は終わりだ。急に呼び出してすまなかったな」

「いや構わないよ。じゃあ、俺はこれで」

 

そう言って蓮は理事長したから出て行った。

一人になった黒乃は煙草を口から離して携帯灰皿に押し込むと、深々と息をついて暗い表情を浮かべた。

 

(蓮が嘘をついていないのは分かる。だが……)

 

黒乃はあることを危惧している。

今さっき蓮が言ったことに嘘偽りがないのは分かっている。

だが、それでも黒乃が言った最悪の時が来たら蓮はまず間違いなく『力』を使うだろう。

敵が自分以外では太刀打ちできないほどに強大かつ危険であり、後ろに守るべき者達がいる時、彼は躊躇わずに払う代償が大きすぎる『力』を使う。

 

最悪、命を落としかねないほどの代償を。

 

蓮はそんなリスクを承知で我が身を顧みずに、『力』を使い大切な者達を守ろうとするはずだ。彼はそう言った自己犠牲ができてしまう子になってしまった。

 

それは大切だからという優しさから、失いたくないという恐怖から来ているのだが、黒乃からすれば、守るべき対象に自分を含めていないことが辛かった。

 

そして、もう一つ蓮が躊躇なく『力』を解放する場合がある。黒乃はそちらの方を危惧していた。

 

それは、仇敵との遭遇だ。

 

蓮は両親を奪った敵の名前は知らずとも、その顔と魔力のオーラを見て覚えてしまっている。

12年経とうともそれは鮮明に残っていて、もしも遭遇してしまったのなら、蓮は黒乃達の制止すら無視して怒りのままに『力』を解き放ち暴れ回るだろう。

 

そうなったら周囲への被害は計り知れない。

まだ9歳の頃の時点で街を半壊させたのだ。当時と比べ桁違いに強くなった蓮が万全の状態でその力を解放し完全に理性を無くせば、街どころか、県、地方すらも壊せるだろう。

 

……いや、そんな可愛いものでは済まない。

 

蓮という《魔人》の本質は……この星に大きな傷を刻むことができてしまう程の力を持つ、人の形をした一つの『災害』なのだから。

 

それだけは何としても避けなければならない。

 

もしも蓮が理性をなくし暴走してしまった時、それを止めれるのはこの国では黒乃と寧音だけ。二人しか()()()()()()()()()()()()()()

それは重々承知している。

蓮もまたそれを了承しており、二人に子殺しの罪を背負わせないようになるべく『力』は使わないようにしている。

 

だが、一度蓮が暴走し、それを止めるために自分達が対峙した時、黒乃は一つ確信があった。

 

 

自分達では蓮には勝てない。

 

 

彼には、新宮寺蓮という名の災害には黒乃や寧音でも太刀打ちができない。圧倒的な暴威に呑まれるだけだ。

それだけ、蓮という《魔人》の力は常軌を逸している。同じ《魔人》でも上位に位置する力を彼は齢17にして持ってしまった。

 

だが、それでも黒乃達は蓮を止めなければ…殺さなければいけない。

子殺しの罪を背負ったとしても、黒乃達は何がなんでもやらなければいけないのだ。

 

 

 

 

———蓮を守る為に。

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

誰もが寝静まった深夜に彼等は動く。

 

闇夜の森を突き進む複数の影があった。

各々が様々な武器を持ち、漆黒の服装に身を包み闇夜の中を進む。

木々の間から月光が照らさなければ、それは完全に闇に紛れ、同化していただろう。

 

わずかな物音しか立てずに突き進む彼らの動き、素人目から見たとしても熟練したそれだ。

 

彼らは備え、機を待っていた。

狩りの時を見極め、こうして今夜が絶好の機会と判断したのだ。

 

獣が群れを成し狩りをするように、彼らもまた見事に息のあった動きで、森を駆け抜けていく。

森を抜けた彼らの視線の先には、一つの建物が映る。その一室。そこに彼らの目標が、彼等が喰い殺そうとしている獲物がいる。

 

そして、黒き走狗達はこの日のために研ぎ澄ました牙と爪を携え駆ける。

 

残酷で無慈悲な狂宴の夜が、今始まろうとしていた。

 

 




ヒロインまじどうしよ……(^◇^;)


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25話 狂宴の夜

………画力が欲しい。


そして今回も二万字を超えましたー。


「……!」

 

 

誰もが寝静まった夜に蓮は唐突に目を覚ました。目を開いた彼はそのまま起き上がることはなく、横になったまま、周辺の気配を探る。

 

(……来たか)

 

寮周辺に集まる不穏な気配と慣れ親しんだ感覚。

感じる気配は明らかに学園生のそれでもなければ、警備員のものではない。そもそも、この時間ならばもう勤務時間外だ。そして、気配と同じ数の魔力も感知した。

それは今まで幾度となく感じてきたもの。

 

 

つまり敵だ。

 

 

(数は7か)

 

寮の眼前にある森の中から感じる気配の大凡の数を見分ける。

幾度となく敵対組織からの刺客と殺し合ってきた蓮は、気配感知が卓越していた。それこそ野生の獣以上にだ。

《魔人》が持つ獣の魂による本能からの直感もあるが、高い魔力制御力と歴戦の経験が敵の存在を感知できるようにしていた。

破軍学園に入学してからは無かった襲撃に蓮はいつでも対応できるように、気を引き締める。

 

 

 

やがて、その時は来た。

 

 

 

突然()()()()()()()()()()筒状の物が部屋に投げ入れられる。

それは、部屋の床に落ちるや否や音を立てて中からガスが一気に噴き出す。

無色かつ無臭だったが、詳しいものならすぐにこれが毒ガスの類であると直感でわかるはずだ。

 

「ッ!」

 

そして、部屋にガスが広がったのを見計らってか、音もなく窓ガラスを突き破って、人影が、体格からして男が部屋に飛び込んできた。

男は手に漆黒の大太刀を手にしており、床に着地した後、蓮が寝ているベッドへと方向転換すると、床を勢いよく蹴り、布団の膨らみへと剣を突き立てた。

 

ドスッと低い音が響き、確かに肉を貫いた感触を得た。だが、その感触に男は違和感を感じて布団を剥ぎ取った。

 

「なに?」

 

中には確かに新宮寺蓮の姿がある。

だが、突き立てたはずなのに、傷口からは血が一滴も流れていない上、傷口は血肉の赤色ではなく淡い青色だ。

そこで人影の脳裏に蓮の能力がよぎる。

卓越した水魔術の使い手。つまり、この蓮は、

 

 

人形

 

 

そう考えた瞬間、男の背筋に悪寒が走る。

 

「余所見してる場合か?」

「っ⁉︎」

 

背後から声が聞こえ、ついで強烈な衝撃が男を襲った。

咄嗟に振り返り視界に映る鞭のようにしなる脚を見た瞬間、防御体制を取れたのは流石だろう。だが、蹴撃が強すぎたのか、男は容易く蹴り飛ばされる。

窓ガラスを突き破り、ベランダの柵すらも粉砕して、男は宙に飛ばされる。

 

「ぐっ!」

 

男は呻き声をあげながらも、空中で体制を立て直そうとするが、それよりも早く窓から飛び出した蓮が男に強烈な踵落としを見舞う。

それも剣で何とか受け止めた男は、しかし防ぐことは叶わず蹴り飛ばされ地面に叩きつけられる。

 

「がっ!」

「ッ!」

 

追撃をかけようとした蓮に今度は下から雷撃と炎熱が襲いかかる。蓮は追撃をやめてその攻撃を《雪華》で防ぐ。

その方向を見れば、二人が地上から蓮を狙っていたことが分かる。そして、今度は別方向から二つの人影が襲いかかる。

手に持つ武器は漆黒の鎖鎌、青緑の偃月刀だ。

二人は息の合った連携で蓮へと襲いかかる。

蓮は《雪華》を操作し、彼らを斬り裂こうとする。しかし、二人が《雪華》に接触する直前橙光を全身に帯び、次の瞬間()()()()()()()()()()蓮へと襲いかかった。

 

「っ!」

 

紫光を帯びた鎖鎌が蛇のように唸り、緑光を帯び暴風を纏う偃月刀が振り下ろされ、ニ方向からほぼ同時に蓮へと迫る。

 

「「っっ‼︎」」

 

だが、その悉くが《青華輪廻》により液体化した蓮の体を水音を立ててすり抜けた。

攻撃が空振りした男達を蓮は《蒼月》を振るい斬り裂こうとする。だが、それは再び襲いかかった雷撃と炎熱に阻まれ、攻撃することは叶わずそのまま三人とも地面に降り立った。

 

蓮が降り立った直後、瞬く間に彼の周囲を七人の人影が取り囲む。それぞれが己の得物を構えている。対する蓮も《蒼月》を構える。

 

「一応聞こうか。貴様達は何者だ?何を以て俺の首を狙う」

 

返答を期待していない問い。名乗るものもいるが、半分ぐらいは問答無用で襲いかかってくる。今回もその類かと思った蓮だったが、その予想に反し最初に蓮を襲った男ーリュウ・ジーフェンが答えた。

 

「そうだな。冥土の土産に教えてやろう。我らは《黒狗(ハウンドドッグ)》。

我らが国家の脅威になる者を狩る禍狗だ」

「……驚いた。これは大物だ」

 

蓮は彼らの正体に僅かの驚愕を見せる。

自身もまた日本の自衛隊の特殊部隊に所属しているからこそ、その名を知っていた。

中国の闇の側面の一つ。暗部の一つとして長きにわたり暗躍してきた非合法部隊。

実力は折り紙付きで日本、連盟内でもその部隊は強力な部隊の一つに数えられている。それほどの敵が、蓮暗殺のために動いたということは……

 

(他の国は分からんが、中国は本腰を入れてきたというわけか)

 

中国とは三年前のある戦いで禍根を残している。もしかしたらそれが関係しているかもしれない。

 

(まあ今はそんなことはどうでもいい)

 

とにかく、今は彼らを殲滅することが最優先事項だ。理由などそのあとに聞けばいい。

蓮は左手首に巻いてある時計にも似た機械に軽く触れると、瞬時に《海龍纏鎧・王牙》を纏い、《蒼翼》を背に生やし《蒼月》の鋒を彼らに向けると、不敵な表情を浮かべた。

 

「いいだろう、かかってこい《黒狗》。俺の首、狩れるものなら狩ってみろ」

「元よりそのつもりだ。貴様の首貰い受ける」

 

そう言うやいなや、ジーフェンは蓮へと襲いかかる。

蓮もまた同じようにジーフェンへと駆け出す。二人の姿が一瞬消えて、次の瞬間には金属音を立てて鍔迫り合いをしていた。

漆黒の大刀と蒼銀の双剣が火花を散らしながら幾度と交錯する。どちらも達人クラスの武人。二人が振るう剣は視認が難しいほどであり、両者はその超高速の領域で斬り結んでいた。

幾度となく斬り結びやがて、五十合は斬り合った時、蓮の周囲の影から無数の影の刃が串刺しにしようと飛び出す。

 

「《雪華繚乱》」

 

蓮は雪華を無数に生み出し自身を包むように展開する。しかし、影の刃は容易く突き破り蓮に襲いかかる。

刃はあらゆる形をしているが、どれもが歪であり、不気味な漆黒の輝きを放っている。

 

「ハッ!」

 

蓮はそれら全てをさまざまな形状の青い水氷の刃《斬り裂く海流の乱刃》で相殺して、その隙に《雪華》の球体から外へと飛び出す。しかし、飛び出した先には既に敵が待ち構えていた。

 

蓮の頭上に落ちる二つの人影。

片や暴風を身に纏い宙を飛ぶ偃月刀を構えた男ールウ・リー、片や空中を蹴って跳んでいる銃を持った女ーチョウ・ミンファン。リーが暴風を刀に纏い翡翠に輝く風の刃へと変え蓮へと振り下ろし、ミンファンが蓮へと山吹色の輝きを纏う弾丸を放つ。

 

「《流水刃》」

 

蓮は双剣に激流を纏わせ瞬時に圧縮させて、青く輝く水刃へと変え、風の刃を受け止めて、《流水刃》を飛ばし弾丸を迎撃する。しかし、風の刃は弾くことができたものの、《流水刃》は弾丸と衝突した瞬間に、向きを反転させこちらへと返ってきた。

 

「っ、くっ!」

 

蓮はそれを何とか剣で斬り裂く。自分の攻撃だからか、返ってきた反動は凄まじかったが、それでも斬ることができた。そしてついで弾丸が襲ってきたが、今ので技の正体を看破し、抵抗を受けながらも弾丸を力任せに斬り落とす。

しかし、その瞬間背後に殺気を感じ、後ろ向きに剣を振るったが、それは甲高い音を立てて止められる。

 

「ッ!」

 

受け止められた感触に、蓮はそちらへと視線を向ける。蓮の水刃を受け止めたのは、雷撃を纏う青紫色の籠手をつけた男ーバオ・レイ。彼は雷を纏う籠手で直接防いでいた。

 

(…止めるか)

 

ギリギリと火花を散らしながら、レイは蓮の一太刀をなんとか止めた。

超純水で構成された水刃は雷で作られた防壁を容易く突破したが、霊装で食い止められた。

霊装とは超高密度の魔力結晶体。どれだけ強力な攻撃であっても、余程のことがない限りは壊されない。

今回はそれを逆手に取られたというわけだ。

 

「ハァッ!」

 

そしてその後ろからは、炎を纏う朱色の大槌を振り上げた女ーホン・リーファが飛び出してきて、赤い炎槌を蓮へと振り下ろそうとしていた。

しかし、それはいつの間に蓮の頭上に展開された《凍息重砲》から放たれた《蒼爆水雷》で迎撃される。

 

炎槌と爆弾が激突し、中空で爆ぜてその場にいる全員を爆煙で覆い隠す。その隙に上に飛ぼうと黒煙の中を飛び抜けようとしたら、それはリーにより風で瞬く間に払われ、阻まれる。

 

(流石に対応が早いな。だが、後ろの二人はいつの間に上にきていた?)

 

対応の速さに納得と同時に歯噛みしながら、先程の奇襲を思い出す。

レイとリーファが後ろから奇襲してきた方法を探る。確かに雷ならば素早く移動することは可能だが、そんな伐刀絶技が発動された気配はなかったはず。

ではなぜ?その答えは彼等の足元にあった。

 

(ッ、影の足場か!)

 

そう、彼等の足元には影で作られた足場があったのだ。それは下から伸びていて、地面の影から伸びているのがわかる。

そして、蓮が下から嫌な気配を感じ回避行動を取ろうとした瞬間、それよりも早く足に何かが巻きつきガクンッと下に引っ張られる。

見れば、地上にいるジーフェンの足元から伸びた無数の影の手が蓮の両脚と尻尾を掴んでいた。

 

(やるな!)

 

引っ張り下ろされながらも、足と尾から生やした氷の刃で瞬く間に影を斬って拘束から脱出する。

だが、その一瞬で今度は漆黒の鎖鎌を構えた男リー・ラオと橙色の脚甲を装備した女ーファン・リーユエが襲いかかる。男の鎖鎌が蓮の腕へと巻き付き、巻きついた地点を中心にじわりと紫の光を滲ませた。

 

(っ、毒か!)

 

蓮は腕を液体化させて拘束を脱しようとするが、リーユエの蹴りが蓮へと迫る。脚甲が霊装のようだが蓮はその蹴りを《王牙》で耐えれると判断し、拘束の脱出を優先させた。

腕を液体化させて肘の部分で接続を外した籠手から引き抜き、毒が染み込んだ氷の籠手だけを解除する。毒が蓮の肉体に直接触れる前に解除に成功する。しかし、成功したと同時に、リーユエの蹴りが蓮の腹へと吸い込まれ、

 

「ぐっ!」

 

勢いよく蹴り飛ばされた。

彼女の蹴りは蓮の鎧をすり抜けて肉体に直接届き、体の芯に衝撃が叩き込まれ蓮は宙を舞う。

しかし、すぐに態勢を立て直しホバリングしながら周囲を見渡す。

上にはリーとミンファンとレイの三人がいて、下には残りの四人がいる。完全に囲まれた状態だ。

 

(黒は影、青紫は雷、赤は炎、翡翠は風、山吹色は反射。さらに紫色は毒か、そして橙色は、透過の能力だな)

 

蓮は霊眼で襲撃者達の魔力色と異能を全て瞬時に把握する。

幾度か刃を交えて分かったが、彼らは総じて伐刀者としての技量が高い。全員が最低でもBランクであの影使いの男に至っては連盟基準で見てもAランクはあると断言できるぐらいだ。間違い無く精鋭中の精鋭だ。

それだけでも十分に厄介だが、《黒狗》の厄介な点は他にある。

 

(しかし……ここまで連携が取れてるとはな。戦うのが上手いな。やりにくいことこの上ない)

 

蓮は彼らの連携の高さに思わず感嘆する。ここまでの連携を見たのは初めてだ。能力の組み合わせ方も上手い。蓮をして厄介だと言わざるを得ないほどだ。

流石は世界有数の大国の暗殺部隊。その実力も伊達ではないということだ。

そして、蓮は戦いながら敵の狙いの一つに気づく。

 

(……ここから逃がさないつもりか)

 

敵の策の一つはおそらくここに釘付けさせて蓮に全力を出させないこと。ここで全力を出して仕舞えば、寮に被害が出るのは確実。そうなれば他の生徒達も守らなければいけない。

そうなればこちらが不利なのは明白だ。

それは蓮もわかっている。だからこそ、

 

(だが、ここで戦うわけにはいかない。場所を変えさせてもらおうか)

 

蓮は彼らの策にはめられるつもりは毛頭ない。多少傷を負っても強引にここを抜け出して別の場所で戦うべきだ。

誰一人として巻き込ませはしない。一人で全て片付ける。

これは自分一人だけの戦いなのだから。

 

「ッ!」

 

蓮は風刃と雷撃を弾き、下から伸びる影の刃を刈り払うと、一瞬距離が開いた隙に勢い良く体を回転させながら、その動きに合わせて自身を包む水の竜巻を発動する。

伐刀絶技《渦巻く激流の竜巻(アクア・フルクシオ・トルネ)

水の竜巻を発生させて、敵の攻撃を防ぐと同時に敵に攻撃も行える攻防一体の伐刀絶技。

蓮はそれを発動し攻撃を全て防ぐと同時に、竜巻の範囲を広くし彼らを呑み込まんとするが、それは容易く避けられる。

だがそれでいい。今は距離を取らせることが目的なのだから。

 

「《蒼翼(アクセル)》ッ!」

 

そして、包囲網が広がったのを見逃さずに、《蒼翼》から水を噴射させ飛び上がると、《透過》の能力を付加された攻撃がいくつか《王牙》の鎧をすり抜けて肉体に直接傷を刻んだが、強引に包囲網を突破する。

 

(頼むから誰も出てくるなよっ!)

 

蓮は今の間に見知った者達が起きてこちらに来ないことを願いながら、森の中へと飛び込んだ。

 

黒狗達は蓮が包囲網を突破したことに何の動揺もない。すかさずジーフェンが次の指示を出す。

 

「流石にこの包囲は突破できる、か。作戦を第二プランへ移行。例のポイントへ誘導しろ」

『是』

 

ジーフェンの指示に彼らは頷くと、蓮を追うべく林の中へと飛び込んだ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

蓮は外へ出た瞬間に寮全体を《静謐なる海界》で瞬時に覆い戦闘音が聞こえないようにしていた。

そうすることで、生徒達を音で起こさないように配慮し巻き込む可能性を低くし、その間になるべく早く遠くへと距離を取る算段をとった。

事実、蓮が寮から離れる瞬間まで誰も外に出た様子はなく《黒狗》達の意識を自分一人に向けたままにすることができた。

 

しかし、たった一人だけ、偶然にも起きてしまった者がいたのだ。

 

『———』

「…ん、んぅ?」

 

それは本当に偶然だった。

蓮が部屋に侵入したジーフェンを外へと蹴り飛ばし、自分も外へと出たとほぼ同時に、一階下の部屋で眠っていたカナタが唐突に起きてしまったのだ。

 

「なんでしょう……?」

 

カナタは部屋の外から聞こえた来たわずかな戦闘音に反応して欠伸をしながら体を起こして窓へと近づくと、不意に人影がいくつか空中で動いているのを見た。

 

「…っ」

 

カナタはとっさに身を隠すとカーテンの隙間から外を覗き見て息を詰まらせる。

そこには双剣を構える水色の髪の少年ー蓮が武器を構えた黒ずくめの集団と戦ってる光景があった。

 

(蓮さんっ‼︎)

 

今感情のままに飛び出すのは悪手だということを分かっているカナタはぐっと堪えながらしばらくその様子を見る。

戦闘はしばらく続き、やがて蓮が水の竜巻を生み出して、その隙に寮のそばにある木々の中に飛び込み、その後を黒ずくめの者達が彼を追いかけて林の中に消えていった。男達の姿が消えた後、カナタは今の状況を分析する。

 

黒ずくめの集団は総じて実力が高い集団だった。戦いぶりからもそれは見て取れて、少なくともこの学園では自分や刀華、黒乃や寧音などの一部の強者でしか太刀打ちできないと判断できる。

音が聞こえなかったのは、蓮が遮音結界を張っていたからだろう。蓮の魔力も感じられたからそれは間違いない。

 

では、襲撃の理由は?

なぜ蓮を狙うのか。あれほどの実力者集団が蓮を襲撃する理由。それはすぐに思い当たった。

 

(学生にしては強すぎるが故に、各国の組織が彼を脅威と認識したからでしょうね)

 

それは蓮が学生にしては強すぎる力を持っていて、それが脅威と認識されているから。

黒乃や寧音などの世界でも有数の強者達と互角に戦えるほどの力をすでに学生の段階で持っており、その力で数多の犯罪組織を壊滅させた実績を持つ。

だからこそ、裏の世界では蓮の存在は危惧され、こうして暗殺者が差し向けられるのだろう。

 

その推測は正解だ。

『新宮寺蓮』という存在は『連盟』にとっては最高戦力の一つであり、同時に『連盟』以外の敵対組織からはブラックリストに名を連ねているほど危険視されている。

壊滅させた組織の数は多く、構成員も何百何千何万と蓮に殺されている。

そういった理由で裏の世界では蓮はかなりの組織から敵意を向けられている。それは『同盟』『解放軍』であっても同じ。中国、アメリカ、ロシアなどの有数の大国も蓮のことを危険視しているのだ。

 

しかし、その事実をカナタは知らない。

知らずとも、彼が召集であげた戦果や、常軌を逸した強さなどを鑑みればそうなることなどすぐに予想できる。

なによりも『黒川事件』。あれはその最たる例だった。

 

あの時も、町を襲った解放軍の男は蓮の命を狙っていた。

その時、男が蓮は近い将来必ず我々の脅威になると言っていたのだ。

つまり、あの事件はリトルリーグでの蓮の戦いぶりを見た《解放軍》が彼の成長に危機感を感じ、まだ未熟な子供のうちに始末するべきだと判断して起きた事件なのだ。

 

不意にカナタの脳裏に今朝見た悪夢が思い起こされる。

傷だらけになり、化け物になった果てに炎の中に消えてしまう蓮の姿。蓮が辿るであろう未来の一つの可能性が。

 

(あんな未来にはさせませんわ)

 

カナタは意を決する。

あんな未来にさせてたまるか。

もう二度とあのような惨劇を繰り返さないと誓った。何もできない自分とはもうお別れだ。

大切な人が今襲われている。

それを知ったのにのうのうと寝られるわけがない。

 

カナタはクローゼットを静かに開けて、静かに、けれど迅速に着替え始める。

 

彼女は自分一人で向かうつもりだ。

ルームメイトである刀華は起こさない。戦力としては刀華も加えた方が心強いのは確か。だが、もしも蓮襲撃の理由に彼の両親との関係を疑われているということがあれば、刀華にも蓮の出生の事実が知られてしまう。

それは蓮自身も望んでいないことだ。

彼からは自分から明かすまで黙っていてほしいと言われている。自分の我儘に付き合わせるわけにもいかない。

 

幸い、少し物音が立ってはいるものの今のところ刀華が起きる様子はない。いつもの可愛らしい寝顔を晒してすやすやと眠っている。

彼女が眠っているうちに終わらせることができたら御の字だ。

 

それに蓮が襲われている今、黒乃と寧音が動かないはずがない。必ず蓮の救援に向かうはずだ。二人が加われば大抵の敵はなんとかなるだろう。本来ならカナタの救援など不要、あったところで足手纏いになるだけだ。

 

だが、それでもいくのは自己満足だ。

次こそ彼を助けたいという我儘だ。

何も出来ないまま、ただ座して待つなんてごめんだ。もう二度と後悔したくない。

その為に彼の元へ行く。何も出来なかった過去を繰り返したくはなかったから。

 

(なんだかんだ言ってこれを着るのは初めてですわね)

 

カナタは思い出し笑いをしながらクローゼットからある服を取り出す。

取り出されたのは、いつも彼女が身につけている白いドレス一式ではなく、紺を基調とした戦闘服だった。

ロングブーツ、プロテクター付きのグローブやズボン、いくつかのポケットがある上着、軍人の格好にも似たその格好は普段の彼女らしからぬ姿で、その美貌も相待ってまるで映画にでも出てきそうな上品な女軍人のようだ。

 

これはカナタが入学前にもしもの時に備えて、個人的に父、貴徳原幸太郎に頼み作ってもらった彼女専用の戦闘服だった。

学生騎士の制服と同じく強靭な特殊繊維で編まれており、グローブやブーツだけでなく服の各部にプロテクターが仕込まれ、防弾、防刃に優れた戦闘服は魔力で作る鎧と合わさってカナタの身を十二分に守ってくれるものとなっている。

と言っても、今まで実際に使われたことがなく、クローゼットの奥で埃を被りかけていたそれを、彼女はいよいよ使おうというわけだ。

ちなみに余談だが、同様の戦闘服は刀華も持っていて同じようにクローゼットの奥にある。だが、これは身体のラインが出るタイプなので彼女は恥ずかしいらしい。

実際、学園でも屈指のプロポーションを誇るカナタの身体のラインは見事に強調され、多少なりとも抑えられてはいるものの豊満な胸や尻の形がよく分かってしまう。

 

最後に彼女は髪を束ねてポニーテールにし、ロングブーツを手にしてベランダへと出る。

ブーツを履いた彼女は、刀華が寝ていることを確認して静かに窓を閉じると、柵へと手をかけ一度深呼吸をしてすっと森の奥、その先の今なお森の中を駆けて遠ざかる青い流星へ視線を向け、

 

「今行きますわ。蓮さん」

 

そう言って、彼女はベランダから飛び降りて深い闇の中へと身を投じた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

同時刻、動いているのはカナタだけではなかった。

 

「寧音急ぐぞ!」

「わーってるよ!」

 

住宅街の夜空を走る二つの影。

両手に黒金と白銀の2丁拳銃を携える黒髪の麗人—新宮寺黒乃と赤を基調としたラフな格好をし両手に紅の鉄扇を持つ小柄な童女ー西京寧音だ。

二人は黒乃の能力で空間を時間的に固定し、足場にし、時間加速での加速と寧音の重力操作の能力の加速の二重掛けで空を駆けていた。

二人がこんな夜中に空を走っているのは偶然ではない。

 

二人はとあるアラーム音で目を覚まし、すぐに着替えてそれぞれ自宅を飛び出した後合流し、道を急いでいた。

 

とあるアラーム音。それは蓮が左手首に身につけている時計にも似た機械から送られた信号を知らせるもの。

蓮は《魔人》であり、日本において最高戦力でもあることから、最重要人物として監視がつけられている。

左手首の装置には、蓮の体調をモニタリングする機能だけでなく、何かしらの事件が起き緊急を要する場合にアラームを鳴らし、救援を呼ぶ機能もある。

GPS機能もついており、救難信号を送った相手、黒乃と寧音にリアルタイムで位置情報が送られているのだ。機械が壊れない限りは、2人は蓮の位置をいつでも補足できるということになる。

 

「ここからだと60km以上離れてるな」

 

黒乃は手元の端末に目を落としつぶやく。

画面に表示された地図には二つの点があり、一つは赤で自分達の現在地。もう一つは青い点で蓮の位置だ。

蓮は都市部を離れて今は山間部へと凄まじい速度で移動しているようだ。今もなお移動しており、黒乃達の速度よりも速い速度で離れているのがわかる。

 

はじめ蓮はこれを渡された時つけることを躊躇った。

なぜなら、蓮はいくら事情を知っているとはいえ二人を巻き込みたくなかったからだ。

全部一人で解決しようとしていた蓮は、当然刺客たちとも一人で戦う気だった。

しかし、黒乃達もそこは譲らなかった。

彼女らとて蓮の気持ちがわからない訳ではない。だが、それでも託された者として、保護者として、彼を守らなければいけなかったからだ。

それには流石の蓮も折れて、渋々だが装置をつけることにした。

 

しかし、今までこの装置の救難信号が使われたことはない。破軍に入学する前は基本的に家におり、黒乃がそばにいたからだ。

寧音も近くに住んでおり、もしも蓮が襲われるようなことがあってもすぐに二人が駆けつけることができた。

 

だが、今回は違う。

学生寮と黒乃達の自宅は離れている。加えて、すでに信号が送られてから数分が経過している。その間にも蓮と刺客達の交戦は続いており、今は破軍から離れて山奥に向かっていることが位置情報でわかる。

それは黒乃達の位置からさらに遠ざかることとなり、二人はそれだけ救援が遅れてしまうことになる。

 

「しかし、まさか深夜とはいえ破軍に直接乗り込んでくるとは…」

「多分相当強ぇぞ。今回の連中は」

「ああ、だろうな」

 

蓮を襲う暗殺者達のレベルは回数を経るごとに強くなっている。前回、破軍入学四ヶ月前に襲撃してきた者達はそれなりに手こずったが、倒せた。

しかし、今回は確実に前回のよりも格上なのは間違いない。

だから、一刻も早く蓮の元へ駆けつけるために、蹴り足に込める力を一層強くした。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

森の中を青い閃光が突き抜け、それらを追う幾つもの影。更には炎熱、雷電、暴風、毒、黒影が青い閃光へと次々と襲いかかる。

 

「《流水刃》ッ《蒼爆水雷》ッ」

 

青い閃光……蓮はそれらを迎撃、あるいは避ける。といっても、ほとんどの攻撃を蓮は避けている。なぜなら、放たれている攻撃の半分ほどに『透過』が付与されているからだ。

だから、付与されていない攻撃だけを霊眼で的確に見分け弾いている。

 

(……だいぶ離れたか)

 

蓮は体感として30キロは寮から離れただろうと推測する。方角は街とは真逆の山々のある方向、破軍学園はすでに抜けており、人気のない方向に行くことで人目につかないようにしていた。

そして、それは《黒狗》たちも同じだった。彼等は暗殺者。人の目があるところでは戦わない。無論、不測の事態で人の目に触れることはある。だが、そう言った場合は必ずその者は証拠隠滅として殺されるのだ。

それが暗殺者である彼等の果たすべき任務だ。

蓮もそれを知っているため、一般市民や、親しい友人たちを巻き込まないためにも一人遠く離れた山奥で戦うことを決めていた。

それに、元々強力な伐刀絶技を多く持つ蓮は、周辺に味方がいない状況の方が戦いやすいのだ。

 

木々を避けながらチラリと背後へ視線を向ける。

後ろからは風の大鷲と火の鳥、影の大狗に騎乗し蓮を追う七人の姿がある。彼等は蓮の《水進機構・蒼翼》の速度について来ていたのだ。

その上、一定の距離を保ちながら魔術まで放ってきたり、追いついて直接攻撃を仕掛けることもある。どうやら、こういった追撃戦も彼等は得意らしい。

しかし、蓮の近接戦闘での技量は凄まじく、直接攻撃を仕掛けても、『透過』を付与されていない攻撃では中々《王牙》を突破できず、傷を与えられない一方で、《黒狗》達は所々傷が出来始めていた。

 

「ッッ!」

 

直接攻撃が一旦止まったのを見計らって、蓮は《蒼翼》の噴射口の向きを変え、前方へと向けて噴射させて急停止する。さすがの《黒狗》達も蓮の急停止には僅かに反応が遅れて、瞬く間に蓮を追い越してしまう。

 

「《氷霧極夜(アイシクル・ミスト)》ッ!」

 

そして蓮は煙幕のように濃い白霧を生み出して周囲一帯を呑み込み、その隙に上空へと飛び出し、林を見下ろせる位置まで高く飛び上がると右手を振り上げる。

 

背後には数百はあるだろう無数の魔法陣が浮かび夜空を埋め尽くし、様々な物を生み出す。

ある陣は水氷の槍を、ある陣は水氷の刃を、ある陣は水の竜巻を、ある陣は氷の重砲を、ある陣は水の爆弾を、ある陣は氷の弾丸を、ある陣は氷の華を、ある陣は蒼き蛟龍を、ある陣は水の鮫や鯱を、数多の魔術が無数の魔法陣から放たれようとしていた。

 

明らかに常軌を逸した魔術の数。たった七人に向けるものではない。最低でも対軍レベルの破壊力がある。しかし、それだけの破壊を蓮は躊躇わずに使う。

 

「消えろ」

 

無慈悲に右腕を振り下ろす。

瞬間、放たれるは破壊の嵐。

驟雨のように降り注ぐそれは一見すれば流星群に見える。だが、そんな悠長なことは言っていられない。

 

「ッッ!全員集まれっ!」

 

ジーフェンの指示で全員が一箇所に集まり、影を操作して盾のように広げる。直後、破壊の流星群が降り注ぐ。

 

轟音と振動が辺り一体に響き、局所的な絨毯爆撃が降り注ぎ木々をへし折り、地面を抉り土煙が舞う。やがて30秒ほどその爆撃が続き、土煙が晴れた後、広がる光景は蓮の予想を裏切っていた。

 

「なに?」

 

想定していたよりも、破壊の跡が少なかったのだ。確かに着弾地点の木々は全てがへし折れ、中には根元が抉れているものまである。しかし、地面へはそれほどでもなく、1メートルほど抉られているだけだ。

見たところ、最初の数秒間だけが地面に着弾したのだと予想できる。

一体何が、そう思ったところで眼下にある黒い球体へと視線を向ける。

 

黒い球体は影で構成されており、球体が解かれ、中からは七人が姿を現す。

目立った傷が見られないことから、どうやら攻撃は全て影の中に回避したことで凌いだようだ。

 

(どうやって凌いだ?いや、そもそもあそこまで破壊が少ないのはおかしい。何かあるはずだ)

 

蓮は今の破壊の顛末を不審に思い、ゆっくりと降下しながら警戒する。

ジーフェンは蓮を見上げながら口を開く。

 

「凄まじいな。これでまだ学生なのだから恐れ入る」

 

ジーフェンは素直に称賛する。だが、その佇まいは隙が全くない。蓮は彼の挙動の全てを注視する。

 

「貴様の今の攻撃だけでも滅ぶ軍隊はいるだろう。だが、考えたことはないか?」

 

そういうや否や、周囲に影が広がる。それはさながら闇が世界を侵食するようだ。

そして、その暗黒からはいいようのしれない何かがあり、蓮は警戒心を高める。

ジーフェンは暗黒を広げながら、上空からゆっくりと降下する蓮へと言葉を続ける。

 

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「っ、まさかっ」

 

蓮は先程の顛末を理解し、目を見開く。

 

「そうだ。少し減ったが返そう」

 

パチンと指を鳴らす。

次の瞬間、彼らの周囲に広がっていた暗黒の中から無数の青い星が浮かび上がる。

それらの青い星は先程連が放った無数の魔術そのもの。それが今度は、自分に襲い掛かろうとしていたのだ。

 

「ッッ!!!!」

 

蓮は珍しく焦燥をあらわにし、自身の眼前に《雪華》の防壁を何重にも重ねて展開する。

そして、無数の青い流星群が眼下の暗黒から放たれ、蓮を喰らわんと牙を剥く。

 

眼下から迫る青の流星群は《雪華繚乱》の防壁を甲高い破砕音を響かせながら次々と容易く食い破る。ならばと蓮はの魔力防御の密度を上げながら《蒼月》を眼前で交差させて、さらに《蒼翼》で自身を包み込み完全防御の体勢を取る。

直後、蓮は返ってきた自身の破壊に呑み込まれる。

青の嵐が蓮を蹂躙する。普段のような手加減された威力ではなく、まさしく殺す気で放った魔術は影を伝って術者であるはずの蓮の総身を容赦なく打ち、《王牙》を砕こうとする。

 

ジーフェンが操る影は、そこに入り込んだ物を影を伝って出すことが可能だ。彼はそうやって蓮の破壊の嵐を影の中に吸収して、影の中を伝って別の影に転移させることで外へと放出したのだ。やがて破壊の嵐が収まり、蓮が姿を現す。

 

「ゴホッ」

 

《蒼翼》はみるも無惨に砕かれ、根本からなくなっている。《王牙》にも所々亀裂が入り、半分ほど砕けて肉体に直接傷を刻んでいた。

兜も半分ほど砕けており、あらわになった彼の口からは血が吐き出され、ツーと口の端から垂れている。

流石の蓮でも、一つ一つが致死級の攻撃であり、さらには自分が放ったのは無傷で耐えることはできなかったようだ。

《蒼翼》がなくなったことで浮力を維持できなくなった蓮は、そのまま地面にふらふらと降り立つ。

 

「流石に自分の攻撃は効いたようだな」

「……ああ、そうだな。自分の攻撃を受けたのは初めてだ。正直驚いてる。……なるほど、よく効くものだな」

 

蓮は口の端の血を拭いながら、自分の魔術の破壊力に自嘲する。だがそれも一瞬。血を拭うと自身を青い輝きで包む。傷は瞬く間に癒え、鎧と翼も修復される。数秒の内に蓮は完全に回復した。

 

「しかし、影を伝って攻撃を返すカウンター系の伐刀絶技か。《反射使い(リフレクター)》よりも厄介だ。あんな使い方もあるんだな。初めて見たよ」

 

蓮は何もなかったかのように平然とし、初めて見る影の使い方に感心の声すらあげた。

そこには自身の攻撃が通用しなかったことに対する動揺はない。あるのは、ただ新しい情報を得たということだけ。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

「……まさか、たった数秒で完全に回復するのか。ますます貴様は生かしてはおけんな」

 

ジーフェンは警戒心に満ちた声で、殺気をさらに膨れ上がらせる。残りの六人も武器を構えて殺気を膨らませる。

蓮は涼しい顔をしながらも状況を分析する。

 

(他の六人も強いが俺が苦労する相手ではない。一人ずつなら確実に殺せる。だが、この影使いの男は強いな)

 

他の六人、Bランク程度なら特に苦労せずに倒せるだろう。能力も把握したし、対策も立てれた。といっても、破軍にいる強者達でも彼らには勝てないだろう。蓮に次ぐ序列の刀華やカナタなら戦えるかも知れないが、レオ達ではまだ勝てないだろう。それぐらい《黒狗》は強い。

そして、ジーフェンはその中でも別格だ。他の六人とは強さの段階が明らかに違う。

それに、気になるのはそれだけではない。

 

(これで全員なわけがない。まだ何人か潜んでいるはずだ)

 

ここにいるので全員なはずがないのだ。必ずどこかに潜んでいるはず。

何部隊かに分けて最終的には全員で襲いかかる。そういった手合いとも蓮は戦っている。問題は増援の数と、その増援がどれだけの強さとどんな能力を持っているか。それ次第によっては、戦況が変わる。

だからこそ、蓮はこの戦場一帯を自分に有利な形へと変える。

一瞬で莫大な魔力を込め吹雪を纏わせた右腕をふりあげ、地面に振り下ろす。

 

「凍てつけ」

 

冷酷な一声を持って放たれた魔術は超広域殲滅魔術《ニブルヘイム》。

直後、半径5キロにも及ぶ広範囲に一気に絶対零度の冷気が吹き抜け、大地が、木々が凍りつく。

《氷雪の魔王》の代名詞たる凍獄の銀世界。

極寒の氷雪が、煌めく氷晶が、月光に照らされ月夜の世界を白銀に塗りつぶす。

 

戦場一帯を局所的な吹雪で凍てつかせて、極寒の冷気により体力を消耗させ間接的な持続ダメージを与える。そうすることで敵を削ることにした。

 

「耐えるか。流石《黒狗》といったところから」

 

普通なら今の冷気で凍らされ、なすすべも無くなるのだが、そこはやはり長きにわたり中国を支えてきた暗部組織の人間だ。

彼らは各々の魔力や異能を使い鎧のように身に纏うことで冷気を緩和していた。

その手際は見事と言えるだろう。だが、蓮に比べれば彼らの魔力量は少ない。いずれ鎧が消えるのも時間の問題だろう。

 

「《氷薔薇の荊棘(ソーン・ローゼ)》」

 

雪原に無数の蒼銀の氷薔薇が咲き誇り、棘のある荊を四方へ伸ばし敵を絡め取り絞め殺そうと襲いかかる。

鋭い風切り音を持って迫る荊の鞭打、鞭打に比べれば少し遅い速度で四肢に絡み付こうとしてくる荊。

鞭打と拘束。二種類の攻撃が織り交ぜられており、黒狗達はタイミングの異なる二種に応戦する。

そして、幾人かが迎撃に間に合わず命を絡め取られようとした時、氷の荊の悉くが影から伸びた黒刃に切り刻まれた。

やったのは他でもない。影使いであるジーフェンだ。

 

(やはり影使いは直接殺すべきだ)

 

蓮は《蒼月》を構えると、ジーフェンを直接仕留めるために彼へと接近しようとした。

 

「ッッ!」

 

次の瞬間、耳が風をきって走る何かの音を感じとり、自分に迫る気配に気づく。

蓮は咄嗟に後ろへと振り返り見上げる。眼前には萌葱色に輝く魔力の矢が迫っていた。

 

(矢か。…ッ!これはっ!)

 

蓮は落ち着いた動作で《雪華》で防ごうとするが、その性質を見た瞬間、回避行動を取る。 

《雪華》は容易く貫かれ地面に突き刺さる。しかし、矢はそれだけではなく次々と襲いかかる。避けるだけなら造作もない。だが、矢の奇襲に合わせて、元々いた七人も攻撃を仕掛けてきた。

 

炎、雷、風の遠距離攻撃に合わせ、ジーフェンによって影の中を移動し足元から、あるいは木々の影から、人の影から残りの者たちが襲いかかってくる。

 

「《蛟龍八津牙(こうりゅうやつが)》」

 

蓮は遠距離での伐刀絶技で対応する。

青い燐光を巻き上げながら《蒼月》から放たれるのは八頭の水の蛟龍。

蛟龍はそれぞれが巨大な顎門を開き、敵を噛み千切らんと迫る。

しかし、黒狗達はそれらを脅威的な速度で掻い潜ったり、『透過』ですり抜け、あるいは影の中に回避したりしてやり過ごす。さらには風の大鷲、火の鳥、雷の獣、影の黒狗の群れが蛟龍へと襲いかかり、そちらへと応戦せざるを得なくなった。

そして影の中から再び、レイ達が仕掛けてくる。

 

「っ!」

 

それを蓮は水を纏わせた《蒼月》で応戦するものの、敵の攻撃が苛烈さを増したことと、予想外の場所からの奇襲によりついに隙が生まれてしまい、四肢が矢に撃ち抜かれる。

 

「くっ」

 

《王牙》の防御力をものともしない矢。それは矢自体が強力というわけではなく、矢に《貫通》の能力が付加されているからだ。

更には反射使いの女が仲間の攻撃を反射して予想外の方向からの奇襲を行う。雷撃が、炎熱が、暴風が《王牙》を打つ。

一瞬動きが鈍る。その隙をついてどこからともなく白金色の鎧を身に纏った男ーフェイ・タイランが目の前に突然現れた。

 

「くっ!」

「ゼァッ!」

 

タイランの薄紅色の光を宿す拳が胸を撃つ。拳が胸を撃った瞬間、予想外の衝撃が蓮の胸を突き抜けて、あの《王牙》の鎧に亀裂を入れ、蓮を殴り飛ばす。

 

「がっ⁉︎」

 

蓮は肺の中の空気を吐き出し地面を転がる。倒れた蓮に氷を纏う水色の大斧を振りかぶった男

ーワン・グーウェイが迫る。

迫る大斧を《蒼翼》を噴射させて回避。反撃として《流水刃》を二つ飛ばすも、今度は純白色の風火輪を持った女ーリャオ・シャオメイが前に飛び出してきて、白炎を盾のようにして防いだ。

その隙に左右から雷撃を纏う籠手を振り抜かんと迫るレェイと2本の短刀を持った男ーチェン・ウゥリィが襲いかかるが、余裕を持って受け止めるとすぐさま弾き、相手に一撃見舞いながら全員から距離を取り、無理やり戻した蛟龍の背に乗る。

 

(五人。…いや、六人増えたか。増援の能力は《貫通》と水使いに炎使い。だが…)

 

蓮は胸をさする。胸には鎧の感触はなく、ボロボロと剥がれているのが分かる。

それはすぐに修復され元どおりになるが、蓮は戸惑いを禁じ得なかった。

 

(《王牙》を砕くか……なんの能力だ?)

 

蓮は初めて見る能力に思考を巡らせる。

タイランの魔力光は薄紅色。魔力波長は概念系だが、今の伐刀絶技の原理が不明だ。単純にパワーに特化しているのならまだいい。だが、それ以外では手こずるだろう。

しかし、先程突然目の前に現れたカラクリは分かる。

 

(《空間移動(テレポート)》の使い手もいるな。…本当に厄介な能力ばかりだ)

 

蓮は敵の能力の多様さに思わずため息をつく。

一対一ならば本当にどうとでもなるが、連携が噛み合えばここまで厄介なものになるらしい。

 

(?何だ?違和感が……)

 

そこまで思考した時、蓮は己の体に起きた異変に訝しむ。

なんとなくだが、体から少し魔力が抜けていっているように感じる。魔力だけではない、体力や筋力、体のあらゆる力がかなり緩やかだが落ちているようにも感じる。

霊眼で見れば、先ほどのウゥリィの短刀を受け止めた(蒼月》の刀身の表面に銀色の勾玉に似た紋様が浮かんでいた。

 

(銀色ということは…さっきの短刀の男か。こっちは何の能力だ?)

 

蓮はまた別の新たな異能の正体も探ろうとする。だが、

 

(……少し解析する時間が欲しいが…)

 

そう心の内で呟き足元から迫る影の刃を躱す。蓮は躱すことができたものの、蛟龍は影の刃に貫かれ霧散する。他の蛟龍も相打ちの形で消滅していた。

そして着地した蓮の両サイドから迫るグーウェイの氷の大斧とレイの雷の拳撃を双剣で受け止める。氷が凍てつかせようと、雷撃が焼き焦がそうと激しさを増すが、氷の大斧は同じく氷で、雷は超純水で耐え抜く。

敵は蓮が思考する時間を易々と与える訳がない。そんなことは分かりきっていることだ。だから、

 

(戦いながら、探らせてもらうとするか)

 

ギリギリと鍔迫り合いをし両手が塞がっている蓮の前後と上から、今度は三人が一斉に襲いかかる。上からは炎槌を振るうリーファが、前後からはリーとラオの二人が。

両手が塞がっているこの状況ならば迎撃は厳しい。

普通ならば、

 

「………」

「っ!?」

「なっ!」

 

蓮は唐突に両腕の力を抜いて両サイドの二人の攻撃を受け流す。受け流されたことで二人は前のめりになり、思わず体勢を崩してしまう。

蓮は蹌踉めいた二人と、前後の二人の位置が重なった瞬間、《蒼月》を手放し低く腰を落とすと肥大化させた氷腕で掌底を放ち、尻尾で薙ぎ払う。

 

『ガッ⁉︎』

『ぐっ⁉︎』

 

ウゥリィとレイは吹き飛び後ろに迫っていたリーとラオを巻き込んで地面を転がる。

蓮は飛び上がると、炎槌を勢いよく蹴り飛ばす。氷の脚撃と炎の大槌が激突するも、拮抗は一瞬で脚撃が大槌を蹴り上げる。

 

「くっ」

 

リーは空中で大槌を振りかぶった状態になり無防備になる。その隙を蓮が見逃すはずなく、蓮の氷拳が深々とリーファ腹へと突き刺さった。

 

「ガハッ!」

 

突き刺さると同時に腹部が凍りつき、女は苦悶の声と共に大量の血を吐き出し、バキバキと木々をへし折りながら地面に叩きつけられる。

追撃をかけようとした時、地面が不自然に動き、土が無数の龍の形を取りリーファを守るように動き蓮へ襲いかかる。

 

「邪魔だ」

 

蓮は《蒼月》に水を纏わせるとその龍達を瞬く間に切り裂いていく。そして最後の一頭を切り捨てた時、蓮の背後の地面が盛り上がり、青黒い槍を構えた男ーウォン・ガオランが飛び出してきて刺突を繰り出してくる。

 

(土を操る異能か。これで十四人だな)

 

蓮は冷静に敵の数を加え対処する。

見事な体捌きで放たれた刺突は雨のように蓮へと襲いかかる。

しかし、それらを蓮は悉く斬り払うと距離を取り《蒼翼》から水を噴射させ空を飛翔する。

 

「逃がさんっ」

「いいや、無駄だ」

 

ガオランが槍の石突を地面に突き立てると、瑠璃色の魔法陣が浮かび上がり、先ほどと同じように土が盛り上がり龍の形となって蓮に襲いかかる。

だがそれらは再び解き放たれた《蛟龍八津牙》によって容易く食いちぎられる。

その間に宙に飛んだ蓮は霊眼を駆使して、貫通使いを探す。

 

(そこか)

 

ここから400m離れた森の奥。太い枝の上にのる萌黄色に輝く人の姿を見つけた。そばには、薄緑色の人型もある。

萌葱色の人型が弓を構えていることから、その者が《貫通》の能力を持っていると看破。

 

「ッッ」

 

蓮は《蒼翼》から勢いよく噴射させ、その場にいる十二人を置き去りにして木々を突き破りながらまっすぐ二人へ突貫する。

 

「《渦巻く激流の竜巻(アクア・フルクシオ・トルネ)》」

 

水の竜巻を纏い、横向きの青い竜巻と化して木々を容赦なく巻き込みながら彼らへと迫る。萌葱色の人型、シルエットからして女ージュン・ジーファイは《貫通》の矢を無数に放つものの、《青華輪廻》により液体化している蓮の身体をすり抜けるだけに終わる。

そして竜巻が2人を飲み込もうとした瞬間、竜巻が止められる。

 

(っ、《障壁使い》かっ!!)

 

蓮の眼前には薄緑色の障壁があり、黒緑の長手甲型の霊装を構えた男ーグー・ジンがジーファイの前に立っていて障壁を展開しているのが分かる。

 

(硬いな)

 

しかも、生半可な硬度ではない。

これほどの硬度を使える障壁使いはそうそういないだろう。

そして止められた一瞬で、十二人が追いついてきて、背後から各々攻撃を放ってくる。

それを蓮は《渦巻き貫く海流槍》と《斬り裂く海流の乱刃》を同時発動し水氷の刃槍で迎え撃つ。

凄まじい音を立てながら、ぶつかり相殺されていく中、その隙に距離を取ろうと下へ降りようとした蓮を四方1mサイズの薄緑の障壁が取り囲み閉じ込めようとする。

先ほどの硬度から考えるに、すぐに突破しなければ袋叩きにされるのは確実。だからこそ蓮は出し惜しみをしない。

 

「《叢雨》ッッ!!」

 

咄嗟に《蒼月》を鞘に納めて伝家の宝刀を解き放つ。振るった勢いのまま蓮は体ごと勢いよく回転させて、自身を囲む障壁を研ぎ澄まされた蒼き一閃で悉く斬り裂いていく。

そのまま飛ぶ斬撃へと転化させて周囲へ放つ。しかし、それは誰にも当たることはなくただ斬線上にあった木々を斬り落としただけに過ぎなかった。

再び見晴らしが良くなった森の中で、《黒狗》達は蓮を取り囲むように着地する。蓮もまた着地し彼らを見据える。その時、ジーフェンが口を開いた。

 

「…これが日本の《仙人》の力、いや連盟では《魔人》といったか。まだ少年だとしても、その実力は《四仙》と同格の域だな」

「知ってたか。いや、あの《黒狗》なら俺達《魔人》のことを知っていてもおかしくはないか」

 

中国では魔人のことを仙人と呼ぶ。

現在中国が保有する魔人は四人おり、かれらは《四仙》と呼ばれている。

闇の暗部に属するものならば、彼らの存在だけでなく正体すら知っていてもおかしくはないはずだ。そして、それを知っているからこそ精鋭を集めたのだろう。というよりも、これだけの戦力を投入しなければ蓮を殺せないと判断したのだ。

と、その時だった。

 

「ッ、ゴフッ!ガハッ、ゴホッ、ゴホッ」

 

蓮は咄嗟に口を抑え、片膝をつく。

しかし、手でも抑え切れないほどの大量の血が吐き出され、何度も咳き込む。

手足からは力が抜けて痙攣を始め、ゆっくりとだが、確実に身体が壊れ始めているのを感じる。

 

(毒だとっ⁉︎いつの間にっ!)

 

そう。漆黒の鎖鎌の使い手ラオ。彼はが毒使いだった。だが、毒は体内に入れられていないはず。彼の攻撃は鎧には触れたものの、直接肉体には触れていなかったはずだ。

 

(いや…待て…)

 

そう考えたとこで、蓮は最初の毒ガスの入った筒を投げ入れられたことが脳裏に過ぎる。

あの時、あそこからは魔力を感じていた。部屋に充満する毒ガスはよくよく注意しなければわからないほどの極薄の紫色をしていた。

そして毒使いの魔力光は紫色だった。

 

(っそういうことか)

 

蓮はそこまで考えて自分の失策を悟る。

初めは《王牙》で完全に毒を吸い込むのを防げていた。

だが、《王牙》に何度罅が入った?

何度肉体が外気に触れていた?

いや、そもそも《透過使い》がいた時点でなぜその可能性を考えなかった?

 

『透過』と『毒』を重ね合わせれば、鎧の防御など関係なしに直接肉体内部に毒を届かせることができるではないか。

 

そう考えれば、辻褄が合う。おそらくは今までの戦闘中ずっと『透過』を付与された毒が散布されていたはず。

いくら薄めた毒であっても、時間をかけ多量に吸い込めば、それは強力な毒に成り果てる。

彼らの攻撃が苛烈さを増していたことから、そちらにばかり注視していた中、極薄の毒霧にまで対処が回らなかったのだ。

『透過』使いであるリーユエが途中から襲ってこなかったのも、ラオ達のサポートに回っていたからだ。

 

「やっと毒が効いたか。一定量吸えば5分もしないうちに細胞が壊死し死に至る毒を使ったのだが、効果を表すまで20分以上かかるとはな…」

 

ラオが畏怖を込めた声音でそう言う。

伐刀絶技《毒蛇の呪血》

蓮に使用された毒は地球上のどこにも存在しない、彼オリジナルの毒だ。彼はこの世界に存在するありとあらゆる毒を操るだけでなく、新たな毒を調合し作り出すことができるのだ。

今回のは体内に一定量入れば、体細胞を次々と壊死させて殺すという凶悪なものだった。

 

毒霧を散布していたはずなのに、仲間に影響がないのはただ単純に彼らが事前に解毒剤を服用していたからに過ぎない。

そしてラオは蓮に化け物を見るような目で見ていた。それもそのはず。彼の言った通り、今蓮が吸い込んでいた毒は、並の伐刀者なら5分もしないうちに死ぬものであり、いくら薄めて時間がかかるとはいえ、それでも20分以上も効果が出るのに時間がかかったことに畏怖を感じたのだ。

 

ジーフェンは他の仲間に視線を送り、周囲の警戒を任せると、自分は霊装である大太刀を持って蓮へ走る。

毒で体を蝕まれた蓮の体は、数多の死線を潜り抜け、何人もの命を奪ってきたからこそ、すでに死に体だと分かる。

だが、ジーフェンは油断しない。

なぜなら、蓮は《魔人》だ。対峙するこの男が人間ではないことをわかっているからだ。

ジーフェンは彼が何かする前に一刻も早くトドメを刺すべきだと彼に迫る。

そして、蓮の首を斬り落とそうと『透過』が付与された刃を振るった瞬間、ジーフェンは見た。兜から覗く、怜悧な眼光を。

 

「———《豪炎斬破(ごうえんざんぱ)》」

 

瞬間、蓮の体から紅蓮に燃え盛る灼熱の赫炎が噴き出し、炎で形成された鋭利な刃がジーフェンに襲いかかる。

 

「っ、何っ⁉︎」

 

予想外のことに驚愕の声を上げたジーフェンだったが、さすがは暗殺部隊の長と言うべきだろう。咄嗟に足元の影から黒刃を出し紅の炎刃を迎え撃つと同時に、魔力強化で後ろへと大きく飛び退いたのだ。

いくつかの炎刃は黒刃を破りジーフェンへ襲いかかったが、彼は影を鎧のように展開することで防いだ。見た限りダメージはないが、動揺は大きい。

 

「貴様っ、なぜ炎を使えるっ⁉︎」

 

ジーフェンは焦燥と驚愕を滲ませた声で叫ぶ。

当然の疑問だ。能力は一人につき一つが原則。

水と炎二つなどあり得ないし、関連性もない。彼が疑問に思うのは当然だ。

だからこそ蓮は彼の問いに兜の下で冷酷な笑みを浮かべて答えた。

 

「なに、不思議なことはない。俺は生まれた時から二つ能力を有していた。ただそれだけの話だ」

「元々複数持ちだったというのかっ⁉︎」

「そうだ。世界には俺達《魔人(デスペラード)》のような例外(イレギュラー)がいる。《魔人》という人の理を超えた例外がいるなら、異能を二つ有する例外がいてもおかしくはないだろ?」

 

そう言いながら蓮はスッと立ち上がる。

彼はもはや毒に蝕まれている様子はなかった。

蛇の毒如きでくたばる()はいない。

蓮は文字通り焼き尽くしたのだ。体内に蔓延る毒を全て。そして、壊死した細胞を全て治癒し蘇生させた。

時間と手間をかけた作戦が水泡に帰した瞬間だった。

 

「…馬鹿な。この数秒で俺の毒を全て焼いたというのかっ」

「一手足りなかったな。もっと強力な毒を使うべきだった。あるいはもっと早くトドメを刺すべきだった。俺相手に長期戦は勧めないぞ」

 

愕然とするラオに蓮はそう淡々と告げる。

それを聞いてジーフェンは確信した。

この男は危険すぎる。中国だけじゃない。『同盟』ひいては世界にとっても彼は危険な存在になりかねないと。

今すぐに何が何でも殺さなければ、のちに取り返しのつかないことになると。

 

(この男は今殺すべきだ!危険すぎる!)

 

かつてないほどの危機感を抱く。暗殺対象にこれほどまでに危機感を抱いたのは初めてだった。

その危険性はジーフェン以外も感じ取ったのか、全員が更に殺気と警戒心を高めて霊装を構えた。

対する蓮は、右剣に紺碧の水流を、左剣に紅蓮の火炎を纏わせるとその総身から青白い燐光を迸らせ、青い眼光を妖しく炎のように揺らめかせながら告げる。

 

 

 

「さあ続きをしよう。死力を尽くしてかかってこい。貴様達の目の前にいるのは人ならざるバケモノだぞ」

 

 

 

月が照らす夜に荒ぶる龍は滾り狂う水と燃え盛る炎を携えて、黒き禍狗を喰らわんと牙を剥いた。

 

 




わかりにくいかもしれないので、この話で出てきた《黒狗》メンバーの名前と魔力色、霊装の形、判明している能力だけまとめておきます。

漆黒ー影使いーリュウ・ジーフェンー大太刀
赤ー炎使いーホン・リーファー大槌
青紫ー雷使いーバオ・レイー籠手
翡翠ー風使いールー・リーー偃月刀
山吹色ー反射使いーチョウ・ミンファンー拳銃
紫色ー毒使いーリー・ラオー鎖鎌
橙色ー透過使いーファン・リーユエー脚甲
薄紅色ー???ーフェイ・タイランー全身鎧
薄水色ー水使いーワン・グーウェイー大斧
純白ー炎使いーリャオ・シャオメイー風火輪
銀色ー???ーチェン・ウゥリィー短刀の双剣
瑠璃ー土使いーウォン・ガオランー槍
萌葱色ー貫通使いージュン・ジーファイー弓
薄緑色ー障壁使いーグー・ジンー長手甲

………中国語って難しいね。というか、名前こういう感じでいいのかな。






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26話 狂瀾怒濤

今回も二万文字……というか、最高文字数更新してしまったよ!

詰めに詰めた結果こうなったわけですが……まぁ後悔はない!
思ったより早く出来上がりました!

というわけで、最新話どうぞ!


月夜の雪原に輝く紺碧の水流と紅蓮の火炎。

二種類の異能をその双剣に宿し、青白い燐光を総身から迸らせる蓮を前に、黒狗達は蓮を囲んだまま動かない。

黒ずくめの格好だからわからないが、彼らの顔には一様に冷や汗が伝っており、表情は強張っている。

 

警戒しているのだ。これだけの精鋭を用いても殺しきれない化け物じみた男があろうことか、二つの異能を有しているのだから。

今までの暗殺対象の中で間違いなく最強である男をどうすれば殺せるのかと、思案しているのだ。

 

そんな緊迫した空気の中、蓮が火炎纏う左剣をゆらりと掲げる。

そこには煌々と燃え盛る紅蓮の火焔が宿っており、それが激しさを増していく。

 

「《煉獄》」

 

彼の言葉に応え、振り下ろされた左剣から灼熱の業火が周囲へと解き放たれる。

伐刀絶技《煉獄(れんごく)》。

《ニブルヘイム》と同系統の超広域殲滅魔術。

燃え盛る超高熱の火炎をただ周囲へと解き放ち、敵を焼き尽くすシンプルな焼却魔術だ。

直後、《ニブルヘイム》が広がる領域全てに炎が広がり、煉獄の紅世界が広がる。

灼熱の火炎が、舞い散る火花が、銀世界に紅を加え紅白へと彩っていく。そしてあろうことか、《煉獄》の熱気は《ニブルヘイム》の冷気と相克を起こすことはなく一つの技として混ざり合う。

 

蓮は《煉獄》を発動させることで炎と氷の二つを融合させた伐刀絶技を発動したのだ。

極寒の冷気と灼熱の熱気が混ざり、白き凍獄と紅き煉獄が融合し、世界を氷焔の地獄へと塗り替える絶技。敵を焼き尽くし、凍てつかせる終末世界の具現。

その名も———

 

 

「——《氷焔地獄(インフェルノ)》」

 

 

半径5キロ《ニブルヘイム》が広がっていた銀世界は瞬く間に焔の赤が加わり、紅白の氷焔世界へと塗り替えられていく。

灼熱の熱波と極寒の寒波が入り混じり、津波となってジーフェン達に襲いかかる。

 

『『ッッ‼︎‼︎』』

 

そして、これには彼らも各々が能力で防御するだけでなく魔力の障壁も加えて完全防御の体勢に入る。

彼らは中国内でも屈指の熟練した伐刀者。

2種類の暴威を耐えることはできたが、体には所々小さな火傷や凍傷が出来ているものもいた。

 

(ッッ、どれだけ対軍魔術を持ってるんだ⁉︎この男はッ‼︎‼︎)

 

ジーフェンは彼の手札の多さに驚愕する。

見るに炎の魔術も水とほぼ同等の熟練度だと断定して間違いはないだろう。手札の数も同様。それだけでなく水や氷と炎を組み合わせた融合魔術が他にもあると予測できる。

そして何よりも恐るべき点は、それだけの力をまだ元服したばかりの少年が扱えているという不変の事実だ。

明らかに常軌を逸した強さだ。

これが《魔人》なのか。

これが人の限界を超えた者なのか。

 

危険だ。危険すぎる。

この男は確実に世界にとっての厄災の火種となり得る危険な存在だ。

一刻も早くこいつを殺さなければ、未曾有の災害となり得る。

そう危機感を抱いたジーフェンは半ば叫ぶように指示を出した。

 

「っ殺せっ!」

 

隊長であるジーフェンの指示のもと、彼らは蓮を殺さんと再び襲いかかる。そして蓮もまた迎え撃つために動いた。

 

「——」

 

氷焔地獄の中心に立つ蓮は《蒼月》を構える。

その動作はさながら、翼を広げるかのよう。

そして、グッと勢いよく身を屈め、脚に力を込めて、足裏で炎を爆発させると勢いよくジーフェン達に迫った。

 

「—— ッッ‼︎‼︎」

 

蒼紅の閃光と化した蓮は水流と火炎纏う《蒼月》を振るう。

 

「《双刃乱舞(そうじんらんぶ)》」

 

水と炎の刃が無数に放たれる。

青い水の刃《流水刃》と赤の炎の刃《烈火刃》が無数に宙を駆けて彼らに襲いかかる。しかし、それらは彼らの眼前に現れた薄緑の障壁に阻まれた。

だが、蓮に阻まれた動揺はない。障壁の硬度は先程確認しているからこそ今のは小手調べに過ぎない。

その時、背後の影からジーフェンが飛び出てくる。大太刀の鋒だけでなく、彼の背後に広がる影の黒刃を無数に伸ばし蓮の背中へと向け、彼に襲いかかった。

だが、

 

「……」

 

蓮はそれに難なく反応し、眼光を青く輝かせながら反転すると、水氷と火炎の無数の刃で影の刃を相殺し、ジーフェンに刃を振り下ろす。

 

「ッッ」

 

それを大太刀で受け止めたジーフェンは、先程の動揺はもうなく、暗殺者の、獲物を狩る狩人の眼をしていた。そして再び最初の時のように二人は凄まじい速度で斬り合う。

影を纏う黒刀と水纏う蒼刀、炎纏う紅刀が宙に三色の軌跡を描きながらぶつかる。

そして幾度となく斬り合い、鍔迫り合いをした時、蓮は素早く呪いを唱えた。

 

「——爆ぜろ 《爆蓮華(ばくれんげ)》」

「ぐっ」

 

直後、左剣の紅蓮の輝きが増し刀身が爆ぜる。

紅蓮の爆炎がジーフェンを呑み込み吹き飛ばした。

地面を転がるジーフェンに爆炎の中を突っ切った蓮は右の水刃を振り下ろす。地面を深々と切り裂くほどの威力だったが、間一髪のところで避けられ影の中に逃げられる。

そして、無数の土龍や雷獣、風の大鷲、火の鳥、毒蛇が再び喰らわんと迫ってくる。だが、

 

「《双龍八津牙(そうりゅうやつが)》」

 

《蒼月》の刀身が輝き、右剣から青白い燐光を散らしながら蒼の蛟龍《蛟龍牙》が、左剣から紅蓮の火花を散らしながら紅の焔龍《焔龍牙》がそれぞれ8頭ずつ計16頭放たれ、それらを迎え撃つ。

先程のように相打ちで消滅すると思われたが、先程とは込められた魔力量や放たれた数が違うからか、蓮の龍達が削られながらも敵の獣達を次々と蹂躙し始めたのだ。

その間に、蓮は《蒼翼》を大きく広げ宙に飛び上がると《蒼月》を振るい呪いを唱える。

 

「《雪華繚乱(せっかりょうらん)》《焔華万紅(えんかばんこう)》」

 

宙に現れるのは六枚花弁の蒼銀の雪華と五枚花弁の紅蓮の焔華。藍色の月夜に咲く蒼と紅の2色の大小様々な花々。それが蓮の背後に数百輪と咲き乱れる。

そして更に呪いを唱える。

 

「舞い散れー《双輪・乱れ花吹雪(そうりん・みだれはなふぶき)》」

 

放つは二つを融合させた蓮オリジナルの伐刀絶技。炎と氷の花々で敵を蹂躙する技だ。

その言霊に呼応し、2色の花々は解き放たれ、まさしく花吹雪となって襲いかかる。

一見すれば、2色の花々が夜空を彩り舞い散る様は幻想的で美しい。だが、その実それらは凶悪な冷気と熱気を秘めた殺戮の華だ。

それらが無数に宙を舞って襲いかかる。

彼らは各々能力を使いそれらを凌ぎ、相殺していく。しかし、あまりの華の量に防御が破られていき小さな傷を多数に刻んでいく。

それを見下ろし、いざ動こうとした蓮の背後に突如人影が現れた。

 

「…ッ」

 

現れたのは両耳に金色の翼の耳飾りをつけた女ーハオ・メイ。

彼女は黄金色の魔力を右拳に込め蓮へと殴りかかる。

 

(この女が《空間移動》の使い手か)

 

メイの魔力の性質を視た蓮は、彼女が転移使いであることを看破し防御ではなく回避を選択する。

往々にして空間移動系の伐刀絶技を使う者は、触れたり、何かを媒介にマーキングしたりすることでその能力を発動させることが多い。

彼女もそうだろう。これが攻撃と転移両方を兼ね備えた技だとするなら接触を避け回避が得策だ。

 

「ッ?」

 

そして彼女の接触を余裕をもって回避した蓮は、背後から殺気を感じとる。

背中越しに視線を向ければ、いつのまにかリーファがおり、炎槌が迫っていた。

 

「ッッ!」

「《爆槌》ッ!」

 

既に振り下ろしの段階に入っていた動作に、蓮の防御は間に合わず兜に炎槌が叩きつけられる。そして着弾の瞬間、蓮がジーフェンを爆炎で吹き飛ばしたように、兜で巨大な爆炎が巻き起こり、蓮を下へ勢いよく吹き飛ばす。

 

「グッ!」

 

地面へとまっすぐ落ちていく蓮は《蒼翼》で勢いを殺しながら、残っていた焔龍を操作し、自身を受け止めさせることで撃墜を免れる。

だが、今度はレイが真横に突然現れて紫電纏う雷拳を振り抜いていた。

蓮は目を見開きながらも、彼の眼前に《雪華》を移動させて盾とし防ごうとする。だが、レイの拳が橙光を、『透過』の輝きを纏い、《雪華》だけでなく《王牙》の鎧すらすり抜けて肉体の芯に直接雷撃を叩き込む。

 

「ガッ」

 

肉体を直接強烈な雷で焼かれ、蓮は短い苦悶の声をあげる。そして、拳の勢いそのままに蓮は殴り飛ばされる。

殴り飛ばされた蓮を待ち構えるのは、ガオランとシャオメイ。彼等はそれぞれ霊装の刃に萌黄色の輝きを纏っていた。

 

「ッッッ‼︎‼︎」

 

それに蓮は回避行動を取ったが、二人が全身に黄金色の輝きを纏った瞬間、その場から消え、ガオランが正面に、シャオメイが背後に転移していた。

穂先が自身の眼前に迫った時、蓮は咄嗟に体を横に逸らす。そのおかげか、槍は蓮の頭を突き刺すことはなかったが、右肩を《王牙》ごと貫かれた。そして、シャオメイの斬撃は背中に大きな十字傷を刻み、白炎で焼く。

 

「くっ」

 

蒼銀の氷鎧が傷つかれた部分を中心に赤を滲ませていく。

 

(くそ、そういう使い方かッ!)

 

蓮はすぐに体勢を立て直し、ガオランとシャオメイに《蒼月》を振るう。

紺碧の水流がシャオメイを、紅蓮の火炎がガオランを捕らえる。青と赤の刃を奔らせ、閃光の如き速度の斬撃が迫る。

 

「ぐぁっ!」

「ぁっ」

 

蒼紅の閃光が二人を圧して、ガオランは爆ぜる爆焔に吹き飛ばされ、シャオメイは研ぎ澄まされた水流に霊装である風火輪を上に弾かれる。そして、ガラ空きになった胴体に、水纏う右剣が吸い込まれる。

しかし、右剣がシャオメイの胴体を断とうとする直前に、彼女の姿が掻き消えた。

 

「……」

 

霊眼で宙に残る金色の光の残滓の道を辿れば、メイの側に腹を押さえているシャオメイの姿があった。

手の隙間から溢れる血を見るに、どうやら転移には成功したものの完全には躱し切れず、胴薙ぎが彼女の体を掠めたらしい。

 

(……とりあえず、()()()()()()()()()()()()()。しかし、転移がここまで面倒に成るか)

 

蓮は襲いかかる他の攻撃を凌ぎながら距離を取ると、傷を治癒しながらそんな事を思い、《空間移動》の厄介さに改めて感心する。

彼らは転移を利用することで、攻撃の予備動作を終えた段階で蓮の近くへと転移させることでほぼタイムラグなしの連撃を繰り出しているのだ。

それに加えて『透過』や『貫通』を利用することで防御を無視して攻撃を直接届かせ、危険な場合は転移で逃すと言う厄介な戦法を取っていたのだ。

距離を取った蓮に追撃をかけようと彼らが迫ってくる。

 

「《螺旋焔槍(らせんえんそう)》《渦巻き貫く海流槍(アクア・ウェルテ・スピア)

 

蓮は炎の槍と水氷の槍を以て迎え撃つ。

二色の槍衾が彼等を刺し貫かんと迫る。

 

「《反鏡》」

 

しかし、それらはミンファンが自分達の眼前に展開した鏡の形にも似た山吹色の『反射』の壁で全て反射された。

まだ距離がある蓮は上に飛んで回避しようとするが、既に蓮の左右、上、背後は三メートルの障壁に囲まれてしまっていた。

斬り裂こうにも、それよりも槍衾の方が早く届いてしまう。そして、逃走経路を失った蓮に自身の致死の槍衾が迫る。

 

「ッッ《氷華の城壁(クリスタル・ランパード)》‼︎‼︎」

 

蓮は両足に魔力を込め、自身の眼前に《雪華繚乱》の防壁をも上回る厚さ4m横幅60m高さ30mにも及ぶ巨大な華の装飾が施された堅牢な城壁を生み出す。

城壁ができた瞬間、槍衾が激突するも蓮の持つ防御系伐刀絶技の中では最硬度の盾だ。破られずに槍衾は霧散する。

 

「《叢雨》」

 

その間に、蓮は障壁を《叢雨》で斬り裂いていく。

 

「っ⁉︎」

 

そして上空に飛びあがろうとした蓮は突如ガクンっと体勢を崩し、片膝を突く。

 

「なに…?」

 

蓮は突然のことに困惑する。

急に四肢から力が抜けた。いや、急にというよりは無視できないほどに力が落ちたというべきだろう。

それに魔力も、明らかに今まで消費した量よりも多い量の魔力が抜けている。今でこそ回復が追いついているおかげで大事には至ってはいないが、看過することはできない。

霊眼で自身の肉体を視れば、《蒼月》に浮かんでいたはずの勾玉の紋様が自身の両腕にも浮かんでおり、そこから青い光がゆらゆらと漏れ出ているのがわかる。

 

(…そういうことか…)

 

それで蓮はついに不明な異能の一つの正体を看破した。

短刀の男、ウゥリィ。彼の能力は概念干渉系《減少》。ありとあらゆるものを減少させる能力だ。体力や魔力などの何らかのエネルギーを減少させることができる。速度や温度、質量などあらゆる物だ。

おそらくは、先ほどの銀勾玉の紋様が魔術発動のための刻印であり、刻印が刻まれている者の力を減少させているのだろう。

 

それは正しい。

ウゥリィの伐刀絶技《堕落の呪印》。呪印を刻まれた者の魔力や体力、筋力などを、術者が解かない限り、また術者の魔力が許す限り、減少させ続けるという代物だ。

 

(……これは、無視はできないな)

 

もともと莫大な魔力を持ち、魔人になったことで魔力上限が大幅に上昇したため、今でこそ大した量は減ってはいないが体力は看過できない。放置してはならない物だ。

なによりも先にあの減少使いの男を殺すべきだと蓮は判断する。

 

「厄介なっ」

 

蓮は眼前の城壁の一部が萌黄色に輝いたのを見て、毒づきながら咄嗟にそこから飛び退く。直後、巨大な萌黄色の魔力の閃光が壁を貫き、巨大な穴が空く。

並外れた硬度を持っているのは確かなのだが、《貫通》の能力である以上、意味をなさない。

大穴からは黒狗達が姿を現す。多少の消耗があり、全員が火傷や凍傷、裂傷などで血を流しているが、未だ余力は十分に見える。

 

そして蓮が彼らへと駆け出そうとした瞬間、蓮の真横の氷壁に黒い影が滲み、そこだけでなく、足元、背後、正面の影からも無数の水氷、炎の槍が飛び出す。

 

「ッッ⁉︎」

 

足を止め飛翔しようとしたものの、それは間に合わず、自身が出した槍衾が影を伝って襲いかかった。

ガガガと氷を削る異音が響き、蓮はそこで動けなくなる。削られてはいるものの《王牙》自体は破られてはいない。だが、それでも槍衾の威力は強く蓮をその場に抑えつけたのだ。

どうやら先ほどの槍衾の一部を影の中に取り込んで放出したようだ。

 

「ハァッ!!」

 

蓮はその槍衾を《蒼月》で全て斬り裂く。

だが、その直後突如蓮の真後ろ。転移してきた淡藤色の錫杖を構えた女ールー・ランが現れ、錫杖から白菫色の鎖が4本放たれる。

 

(これはっ、まずいっ!!!)

 

その魔力の性質を視た蓮は目を見開き、明らかな動揺を見せる。

しかし、蓮の反応は間に合わずに、鎖が右腕に巻きつく。そして、鎖が輝いた瞬間、蓮が身に纏う《王牙》が消失し、《蒼月》に宿っていた水流と火炎も消える。

 

「ッッ‼︎‼︎」

 

予想通りの事象に蓮は苦い表情を浮かべながら、鎖を斬ろうと剣を振り下ろす。だが、それは薄緑の障壁に阻まれる。

()()()()()()()()()()()では、この障壁を短時間で斬り裂くのは難しい。だからこそ、蓮はこの事象の元凶を、ランを殺さんと彼女に接近するがこれもまた障壁に阻まれて行けなくなった。

そして、蓮にタイランが迫る。障壁を斬るのをやめ、迎え撃とうとするが今度は左腕が足元の影から伸びた影の腕に絡め取られる。

 

(しまったっ)

 

液体化で逃れられない蓮は、魔力強化した腕力で影を千切ろうとするも、千切るたびに新しい影が絡み付いて抜け出せない。

それだけでなく、下半身を縫い付けるように影の刃が両脚に突き刺さっているせいで動けない。

そうして抜け出そうともがく蓮に迫るタイランは激しく輝く薄紅色の輝きを全身に纏い、左拳を構えていた。

 

(っ、情報不足が仇になったかっ!)

 

不明だった二つの能力のうち、一つは『減少』だということがわかった。

だが、タイランの能力だけはまだ分析不足が故に不明。そしてその不明がいま大きく響いてしまった。

それでも、彼の左拳に宿る輝きが、自分にとって危険なものであることはわかった。

 

「オオオオォッ‼︎」

 

魔術も発動できず、両手が縛られている無防備な胴体に、タイランの拳が吸い込まれるように叩き込まれる。

拳が胸部に深々と突き刺さった瞬間、未曾有の衝撃が全身を駆け巡り、蓮を容易く殴り飛ばす。

 

「ガッ、ハァッ…!」

 

その威力は凄まじく、蓮の足を地面から引き抜き、宙を舞う。

背後の分厚い氷壁を障子を破るかのように容易く突き破り、地面に突き刺さるがそれでも止まらず地面を抉り、道を作りながら250mも吹っ飛ばされた。

 

「ガハッ、ハァー、ハァッ、ゴフッ」

 

やっと止まった蓮は口から何度も大量の血を吐く。胸部は大きく凹み、肋骨だけでなく背骨も砕け、内臓もいくつか傷ついているのが分かる。

蓮にしては珍しく重傷とも言える傷を負ったが、まず今のを受けて重傷でいられること自体が可笑しいのだ。

並の者ならば今ので確実に死んでいた。

蓮は《青華輪廻》で肉体を再構成し治癒しながら、ランの能力を思案する。

 

(今ので16人。魔力無効までいるな)

 

そう。ランの能力は魔力を無効化するという能力だ。そして、この能力は蓮でさえも天敵になりうる。

なぜなら、伐刀者が超人たり得るのは魔術を扱えるから。その魔術を無効化されるということは、魔術での攻撃手段がなくなるということだ。

そしてこれは《魔人》も例外ではない。

《魔人》といえどその力の源は魔力だ。限界を超えたが故に絶大な魔力を有してはいるが、無効化の能力の前では無意味。

どんな強力無比な魔術であっても、それの源が魔力である限り全ての魔術を無効化できるのだ。

 

伐刀絶技《虚縛り》。無効化の能力を宿した魔力の鎖を相手に巻きつけることで、巻きつけている間のみ、あらゆる魔術の発動を打ち消すという凶悪な技だ。

今は鎖がないので蓮は治癒に専念できる。

 

蓮の多彩な伐刀絶技は、物理攻撃無効化や超広域殲滅魔術など、確かに強力無比ではあるが、魔力が無効化されて仕舞えば発動できない。攻撃力こそないが、対蓮の能力としてはまず間違いなく最悪の能力の一つ。

 

(無効化がいるならば、確かに俺を殺せるな)

 

しかも、タチの悪いことに敵は無効化だけではない。先ほどの連携から考えるに、無効化された場合蓮は無防備になる。魔力自体は扱えるため、魔力制御で防御や強化はできる。だが、それでも万全とはいえない。

魔力無効化の能力があれば、手練れであるならば蓮を殺せる可能性は十二分にあるのだ。

 

「………」

 

3秒もたたずに治癒を終わらせた蓮は静かに立ち上がる。同時に、黒狗達が蓮の前に降り立つ。

 

「先程のでも殺しきれないか。しかも、すでに治癒も終わっている。末恐ろしい男だ。致命傷が致命傷ではないと言うことか。やはり貴様は一撃で殺さなければいけないようだな」

「……ああ、そうだな」

 

ジーフェンの言葉に蓮は笑みを浮かべると再び《王牙》を纏い《蒼月》を構える。

その様子にジーフェンは感心する。

 

「鎧が消されたことに対する動揺も既にないか」

「いや、あるさ。無効化の能力が貴様達の連携でこうも活きるとは思わなかっただけだ。見事な連携だよ。《黒狗》」

「だが、それでも我々は貴様を殺せていない。ならば、貴様を殺せるまで繰り返すのみだ」

「やってみろ」

 

そう言うや否や、蓮は飛び出す。魔力放出で強化された脚力での大気を突き破るような速度に、ジーフェンは影の刃で迎え撃とうとする。だが、

 

「《鬼神纏鎧・焔魔(きしんてんがい・えんま)》」

「ッッ!」

 

蓮は鎧を切り替える。

凍てつく氷と荒れ狂う激流を纏う頑強たる大海の龍王の鎧から、全てを焼き払う獄炎纏う煉獄の鬼神の鎧へと。

《王牙》同様身体能力超強化の焔鎧だ。

蒼銀の水氷が消え、代わりに紅蓮の火炎が彼の全身を包み、一回り太い四肢や額から生える2本の角、象られた甲冑が鬼を想起させる。

 

「燃え尽きろ」

 

蓮は鎧から灼熱の炎を解き放ち影の刃を悉く焼き払う。

 

「ッッ‼︎」

 

蓮は焼き崩れる影の刃群を突き抜ける。ジーフェン達の前にジンが躍り出て、自分達と蓮の間に障壁を展開した。

しかし、蓮は障壁を前に止まることはせず、《蒼月》を共に鞘に納め左剣を手に、居合の構えを取り駆ける。

鞘からは紅蓮の炎が迸り、焼き尽くす熱気が溢れる。茎から炎を噴射させて刀身の射出速度をあげる。

放たれるのは父より受け継いだもう一振りの伝家の宝刀。

 

 

 

「———《鬼切(おにきり)》」

 

 

 

紅蓮一閃。

赫焔が爆ぜ、ゴォと轟音が鳴り響く。

紅蓮の火炎纏う一閃は障壁を容易く斬り裂いた。そして、《叢雨》と同様飛ぶ斬撃となり、眼前にいたジンの右腕を肩から斬り飛ばした。

 

「っぐ、ぁっ!」

 

右腕が宙を舞い、激痛に呻き声を上げるジン。傷口からは血は溢れていない。斬られたと同時に超高熱の火炎が傷口を焼いたのだ。

右肩を抑え悶えるジンに追撃をかけんと蓮は迫るが、そうはさせまいと他の者達がカバーに回る。

しかし、それは織り込み済みだったのか、あっさりとバックステップで距離を取る。

そして、無数の《雪華》と《焔華》の二色の花々を空中に展開すると、軽い足取りで《焔華》の一つに乗り、足場として駆け回る。

それはかつてレオを蹂躙した《雪華》の足場を使った三次元立体機動だ。

蓮は紅蓮の閃光となって、炎の尾を引きながら宙を駆け回り、襲いかかる。

 

(……流石だな。これも凌ぐか)

 

しかし、流石は《黒狗》。レオの時とは違い、人数がいるからこそ、その分一人にかかる防御の負担が減っていると言うのもあるが、彼ら自身の技量の高さもあって、蓮の猛攻を凌いでいたのだ。

やがて、目が慣れたのだろう。

彼らは防御をしながらも、次々と反撃し始めてきた。蓮はその攻撃を掻い潜り、防ぎながら、駆け抜けていく。

花々を飛び回りながら、蓮は上空に無数の火焔の球体を一瞬で生み出す。

藍色の夜空に浮かぶ無数の赤い焔球は、さながら太陽が分裂したかのような赤き流星群。

 

「《爆焔紅玉(ばくえんこうぎょく)》」

 

それが降り注ぐ。

《蒼爆水雷》に匹敵する火力を持つこの赤き星々は純粋な爆弾となり、空爆そのものとなって襲いかかる。

さしもの彼らもそれには目を見開き、各々が防御体勢を取り、能力だけでなく魔力障壁をも展開する。

ジンが全員を覆える障壁を展開し、それにリーユエが『反射』を付加して、爆撃を跳ね返していく。

だが、蓮は動じない。

 

「《爆焔紅玉》」

 

更に赤の焔球を生成し、反射された自身の焔球にぶつけて相殺していく。

赤の爆炎が彼らの間に広がり、一時的にお互いの視界を塞ぐ。

しかし、その爆轟を突き破り更なる焔球が襲いかかる。

 

『っっ‼︎‼︎』

 

ジンとリーユエは反射障壁を維持し続ける。

その後も爆撃は続き反射障壁に凄まじい衝撃が響き続ける。更なる爆炎により一向にお互いの姿は見えない。

それでも黒狗達は動いた。

メイの転移によりリー、リーファ、ラオが上空へ現れる。場所は蓮の頭上2m。

そこへ転移した彼らは眼下の蓮へと攻撃を仕掛けるべく視線を向ける。

 

しかし、そこに蓮の姿はなかった。

 

『『『ッッ⁉︎⁉︎』』』

 

そこにいるはずの男がいないことに驚いたが、彼らも歴戦の猛者だ。すぐに蓮の目的に気づき、未だ障壁の下にいる仲間に警告を飛ばす。

 

「気をつけろっ!!これは罠だっ!!!」

 

警告が飛ぶも、もう手遅れだった。

 

 

「まずは貴様からだ」

 

 

その声は障壁の下にいたウゥリィの真後ろから聞こえた。

声が聞こえた直後、ウゥリィの首が宙を舞う。

ぐるりと逆さになった視界に、首がない自分の体が見え、その背後に獄焔を纏い剣を振り抜いている、赫焔の鬼の姿を見た。

 

 

「…は…?」

 

 

それがウゥリィの最期の言葉だった。

 

 

「まず一人」

 

 

静かに、鬼の声が響いた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

自分が異能に目覚めたのは生後まもなくらしい。

 

 

父曰く、自分は生まれた直後、母の腕の中で産声を上げながら水と炎を解き放ったらしい。

 

咄嗟に両親が己の異能で自分の暴発を抑えたくれたことで、分娩室どころか病院を破壊しなくてすんだ。

 

だが、あの時はさぞ度肝を抜いたことだろう。

 

なぜなら、通常伐刀者の能力発現は自我が芽生えてからと言われているからだ。

まだ自我すら朧げな乳幼児の時点で能力が発現する例は確かにある。そういった子供は、大体が強い能力を持っている。

だが、それがまさか乳幼児どころか出産直後の新生児の時点で能力を発現し、あまつさえ母と父が持つ二つの能力を受け継いでいたとは誰も思わなかったはずだ。

 

《魔人》であり、ともに10年に1人の天才と称される二人だからだろうか、星の因果から外れた者達の子供だからこそ、常識では当てはまらないことが起きたのだろうか。

 

詳しい理由はわからない。

だが、自分が二つの異能を持って生まれたことは確かだった。

しかし、生まれてはや一年半が立ち自我を獲得した頃、自分は二人に片方は使わないように言われた。

 

それは自分への危険を減らすため。

今はまだ公表してはいないが、いつか二人の息子だと世間に公表した時、二人の能力を持っていることを知られては危険だと言っていたからだ。

 

それは息子を想う愛が故の決断。

 

昔は意味がわからなかったが、二人の言いつけ通り自分は片方を、炎を封じた。

だが、封じたとはいえど裏で研鑽することは欠かさなかった。

二人の指導のもと、自分は着実に異能の扱いを覚えていった。

 

やがて、霊装が発現し自分の手にはまだ余る藍色の双刀を手にした時、自分は初めて恐怖した。

自身の中に得体の知れない何かがあることを感じ取ったからだ。

内側から自分を喰らい尽くすような、そんな恐ろしい怪物が自分の中に宿っていることを本能的に理解したのだ。

そして己の内側にいる何かに恐怖し、泣きじゃくる自分に両親は優しく言った。

 

『その力が危険であっても、それはお前の敵じゃない。いつか必ずお前の味方になってくれる。だから、怖がる必要も、泣く必要もないんだ。大丈夫。心配しなくてもできるさ。

何せ、お前は俺とサフィアの息子なんだからな』

 

『いつか必ず使うべき時が来るわ。だから、その時が来たら考え、受け入れなさい。そうしたら、必ずその力は応えてくれるわ。

だって、私達の息子だもの。貴方なら、ヤマトと同じようにその力も使いこなせるわ』

 

そう、自分は両親に言われた。

 

 

だから自分は決めた。

 

その時が来たら躊躇なくこの力を使おう。

 

母の水と父の炎……そして、この『獣』の力を。

 

 

今度こそ誰かを守れるように。

二度と繰り返さないために。

 

 

だって俺は、《紅蓮の炎神(お父さん)》と《紺碧の戦乙女(お母さん)》の唯一の後継者(息子)なのだから。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「一人」

 

 

淡々と蓮の声が響く。

ウゥリィの首が宙を舞ってゴトッと地面に落ちた後、体が血飛沫を上げながら崩れ落ちる。

蓮は《爆焔紅玉》を囮にし、その爆焔で焔幕を作り上げて、背に生やした《水進機構》で背後に上空から回り込んだのだ。

そして厄介な能力を持っているウゥリィの背後に移動し、首を切り落とした。幸い、ウゥリィは一番外側にいたから容易く接近できた。

 

他の者達が驚く中、蓮は手を開いたり閉じたりして自身の状態を見て、腕と《蒼月》から銀勾玉の呪印が消え、力の漏出が止まったことを確認する。

 

(減少が止まったな。これである程度戦いやすくなった)

 

そして、早速漏出していた魔力や体力が回復し始めているのを把握する。

自身の状態を再認識し、動こうとした時、既に黒狗達は動いていた。

瞬く間に蓮を取り囲む。

 

「仲間を殺された動揺はなしか。よく訓練されている」

「当然だ。我らは中華連邦が暗部《黒狗》。最後の1人になろうとも必ず獲物の心臓に牙を立てる。それこそが我らの使命だ。

そのためなら、この命喜んで国家に捧げよう」

「暗殺者の矜持か。そう言うのは嫌いじゃない。ただ、俺に牙を立てることは果たしてできるか?」

「ほざけ」

 

そう言って、ジーフェンは影の刃を操作する。しかも、今度は四方だけでなく、巨大な刃を伸ばした上からの攻撃も加えている。

更には影の黒狗が群れを成して、刃を口に咥えて襲いかかってきた。

それを見て、蓮はさらに鎧を切り替える。

 

 

「《鬼龍纏鎧・陰陽(きりゅうてんがい・おんみょう)》」

 

 

顕現するは水氷と火炎が合わさった鎧。

氷の鎧の上に、焔の鎧が加わり羽衣と化す。

《王牙》と《焔魔》。二つの鎧を融合させた鬼龍の鎧。角は4本へとなり、尾も生えた。背には再び《蒼翼》が創り出される。

姿形は《王牙》をベースにし、その上に炎の羽衣とかした《焔魔》が加わった。

蒼紅の鎧を身に纏った蓮は更に発動する。

 

「《海鮫血牙(かいこうけつが)》」

 

蓮の背後に浮かんだ青の魔法陣。そこから大量の水鮫の群れが現れる。

牙や鰭が鋭い水流の刃となっており、敵を喰い散らかす、血に飢えた青鮫の群れだ。

それらが主人の命に応えて、黒狗達を迎え撃つ。

黒狗と青鮫が刃をぶつけ合い、喰らい合いをしている中、刃は襲いかかるが、それを再び焔で焼き尽くしていく。

そんな中、蓮は1人へと視線を向けながら呟く。

 

「意気込んでいるところ悪いが、早速もう一人追加だ」

 

そして蓮は1人に照準を定めると、青き眼光を対象へ向けながら静かにその技の名を唱えた。

 

 

「——《紅の血華(クリムゾン・リリィ)》」

 

 

その直後、シャオメイに異変が起きた。

 

「ぁ、ぐっ…ぁぁ、あ゛っ」

『ッッ‼︎‼︎』

 

シャオメイは手に持っていた霊装を落とし、震える両腕で自身の体を抱きながら何か苦しんでおり、悲鳴ともうめき声とも取れる声をあげている。

見れば、彼女の腹には花を象った青い魔法陣が浮かんでいる。

 

「ぃ、やっぁ…、たす、けっ……」

 

そうして彼女は涙を流し仲間達へ助けを求めながら、その体を一気に破裂させた。

肉が弾ける音が響き、紅い華を咲かせてあたりに鮮血を撒き散らしながら、一瞬で散らした。

 

『………』

「二人」

 

仲間の一人が破裂した光景にジーフェン達は今度こそ思わず目を見開き絶句し、攻撃が止まった。

 

「貴様…いま、何をした……?」

「見ての通り肉体を破裂させた。

《紅の血華》。対象の血液を気化させて、体内から破裂させる殺すための魔術だ」

 

伐刀絶技《紅の血華》。

原理は《蒼爆水雷》と同じ、液体を気化する魔術だ。しかし、この場合用いる液体は対象の血。蓮は対象の肉体に干渉し血液に己の魔力粒子を混ぜることで、血液を支配しそれらを気化させ、その圧力で皮膚と筋肉が弾け飛び、弾け飛んだ赤血球が真紅の華を咲かせるのだ。

これは倒すためでも勝つためでもなく、確実に敵を屠るための殺人用の即死魔術だ。

蓮は先ほどシャオメイの腹を斬った際に、魔術発動の為の魔力を流し込んでいたのだ。

 

「これで十四人だ。増援がいるなら早く呼べ。いないなら命をかけて俺を殺す方法を模索しろ」

 

そう言って蓮は《蒼翼》で飛翔し未だ硬直している黒狗達の中で、近くにいたリーファとの距離を一息で詰める。

リーファは先程の光景に動揺していたのか、蓮の急襲に反応が遅れた。

 

「くっ!」

「遅い」

 

蓮は振るわれる炎槌を容易く避けると、左脚で上から踏みつけ、勢いよく身体を回転させて氷の尻尾での鞭打で右肩を狙って薙ぎ払う。

 

「ぐっ!」

 

回避する間も無く打ち据えられた、リーファの右肩はバキと嫌な音を響かせる。

今の音なら、間違いなく砕けただろう。

苦悶に顔を歪ませ、一瞬動きを鈍らせたリーファに蓮は今度は《蒼月》を納めた右拳で、頭蓋を砕かんと振り下ろす。

しかし、それが当たる前にリーファが消えて、入れ替わるようにタイランが目の前に現れ、交差させた両腕のガードで受け止めた。

 

「「………」」

 

無言で睨み合う2人。

加減なしの蓮の拳を受け止めたタイランは、激痛に身を歪めるどころか、微塵も動かない。

おそらくはこれも彼の異能が働いているのだろう。現に、彼の全身を薄紅色の魔力光が鎧のように覆っていて、何らかの伐刀絶技を使っているのはわかる。

 

「フッ!」

 

だから蓮はそれを確かめるために一度拳を引いた後、左剣も納めて炎纏う双拳でのラッシュを放つ。

音もなく、視認できないほどの速度で振るわれた拳は、ガードに触れた瞬間に爆ぜる。

強力な拳撃と、ゼロ距離での爆破がタイランを呑み込む。

そして、連続に響くはずの打撃音と爆音は、あまりのラッシュに一つの音として成立させた。

普通ならこれで全身の骨を砕けるはず。

だが、どいうわけか、タイランは全く動じていない。蓮よりも大柄な体格と相待って、まるで巌のようだ。

 

(これでも効いていないだと?)

 

防御型の伐刀絶技か、それともただ単純に体の頑丈さで耐えているのか。果たして、このカラクリが一体どんな物なのか思考を巡らせる蓮だったが、

 

「ハァッ!」

 

今度はタイランが動く。

薄紅色を宿す剛拳を蓮に振り抜かんと迫った。

今までの二度の強力な攻撃から、受けてはまずいと判断した蓮は飛翔し回避する。

そして、確かに拳は避けることができた。

 

「ッなっ‼︎」

 

だが、拳は余波で蓮を吹っ飛ばし、振り抜かれた拳が大地を撃った瞬間、大地が割れた。

轟音と土煙をあげて、彼の拳は地面を放射状に砕いたのだ。

空中で体勢を立て直した蓮は、その破壊力に思わず目を見開く。

 

(なんだ、この威力はっ)

 

地面をたやすく砕くほどの威力。

先ほどの《王牙》を砕いたと言い、並の伐刀者なら一撃で殺せてしまうような馬鹿げた威力。

やはり、パワーに特化した異能なのか。

しかし、それでは先ほどの蓮のラッシュを耐えた防御力はどう説明する?

攻撃力と防御力は違う。

攻撃は最大の防御ともいうが、タイランは先ほどの一撃のみを除いて、防御しか行ってなかったはず。

だとしたら、カウンター系か?

『反射』のように、力を跳ね返す異能だろうか。だが、霊眼で見た限り、『反射』の異能とは波長が完全に異なっているので『反射』ではないということになる。

 

そこまで考えた時、蓮の背後にリーとレイが迫る。リーは偃月刀を振るい巨大な暴風の塊を、レイは拳を振るい雷撃を放つ。

蓮はそれを巨大な《流水刃》と炎の刃《烈火刃》で相殺する。しかし、その直後予想外のことが起きた。

 

(仲間を狙っただと⁉︎)

 

間髪入れずに放たれた暴風と雷撃が、蓮ではなくタイランを狙ったのだ。

一瞬、仲間割れかと思ったが視線で追った先にいるタイランが全く動じていないことから、それも作戦のうちだと気づく。

そして、暴風と雷撃がタイランを呑み込んだ。

舞った土煙が消え、その中にいたタイランは鎧が少し汚れている程度で傷らしい傷がなかったのだ。

 

(…まさか……)

 

その様子に蓮は一つの可能性を思い浮かべる。

タイランの能力が蓮の予想通りならば、面倒だ。

それを確かめるために、蓮は背後の2人を無視して、タイランへと向かう。

《蒼翼》で噴射加速し、身体能力超強化の拳に炎を爆発させる《爆蓮華》を込めた爆拳を防御体勢を取ったタイランへと振り下ろす。

蒼紅の閃光がタイランに触れた瞬間、大爆発を起こし轟音を生む。爆破の衝撃波が周囲へ解き放たれ、木々を揺らす。周囲のもの達が思わず身構えるほどの衝撃波だった。

爆焔の中から蓮が飛び出してホバリングし、眼下をジッと見据える。

やがて爆炎が晴れ、中から姿を現したタイランは相変わらずの無傷だった。

 

(……やはりそうか…)

 

蓮はそれで彼の能力をいよいよ確信する。

次の瞬間、こちらを見上げていたタイランが姿を消し、蓮の背後へと転移する。

そして振りかぶった右拳にとてつもない魔力光を纏わせて、蓮の顔面に振り下ろす。

 

「………」

 

蓮はそれを危なげない動作で見切ると、()()()両腕をクロスさせて防御体勢を取った。

直後、拳が蓮のガードを打ち、()()()()()()()籠手の氷を砕き、炎を掻き消して、両腕を容易くへし折り、拳が胸に突き刺さる。

 

「ぐっ」

 

胸部へと再び突き刺さった拳の衝撃に、蓮は苦悶の声をあげ血を吐きながらも身を任せ、下方へ勢いよく落ちる。

落ちながら《蒼翼》を噴射させて緩やかに曲がることで地面スレスレを飛翔し、再び高く飛び上がる。

飛び上がった時にはすでに両腕は治癒され、籠手も修復されていた。

蓮は彼の能力を確信し、彼を見下ろしながら、タイランに問う。

 

「貴様……俺の力を『蓄積』しているな?」

「………」

 

タイランは蓮の問いには答えず、再び拳を構える。しかし、膨れ上がった殺気が蓮の問いを正しいと認めているようなものだった。

 

蓮のいう通り、タイランは概念干渉系《蓄積》の異能の持ち主だ。

自身が受けたあらゆる衝撃。打撃、銃撃、斬撃、霊装が全身鎧であることからそれらを全て受け止め、体内に蓄積させることができる。し自身に蓄積し、必要に応じて放出することができるカウンター系の能力。

彼は今までの蓮の攻撃の衝撃をことあるたびに吸収し、蓮へと放ったのだ。

だからこそ、《王牙》が砕けたり、常人なら一撃で殺せる一撃を放つことができたのだ。

これはジーフェン同様《反射使い》よりも厄介だ。なぜなら、反射使いは相手の攻撃が強ければ強いほど、技の威力が勝るが、所詮は一発ずつ。『蓄積』のように衝撃を溜めて、まとめて放出することはできないのだ。その点で言えば、『蓄積』の方が『反射』よりも優れている。こと蓮との戦いにおいては尚更。

 

「それなら俺の鎧を砕けるのも道理だ。俺の力をまとめて返したんだ。先の影使い同様俺自身の力を利用すれば傷つけることができるわけだ」

 

『透過』『貫通』『魔力無効化』

この三つの能力がなければ、ジーフェンを除いた彼らが蓮の鎧に傷をつけることはできない。

だが、出来ないなら、敵の力を利用して壊せばいい。

それだけの話だったのだ。

 

「ッッ!」

 

そして、足元からジーフェンが影の刃を、ガオランが無数の土龍を伸ばして襲いかかる。既に青鮫と黒狗の戦いは終わっており、どちらも消滅している。

蓮はそれらを《蒼月》で斬り裂きながら、掻い潜るとランへと迫る。

ウゥリィとシャオメイは殺した。ならば、次狙うのは無効化を持つラン。彼女の能力がこの中で一番厄介で危険だからだ。

それは彼らも分かっているのだろう。ランを守るように動く。

 

ガオランが地面に槍を突き刺し、無数の瑠璃色の魔法陣から土塊のゴーレムを生み出し迎え撃つ。蓮の眼前に現れた身長7mはあろうゴーレムが数にして約50、地中の鉄分を固めて作った大剣や棍棒などの武器を構えて、足音を鳴らしながら迫る。

ランまでの道が閉ざされ、視界がゴーレム達に遮られる。

蓮はそれに対して手法を変えて対抗する。

 

「《蒼月》」

 

蓮は両手の《蒼月》を一度魔力の粒子へと戻し、次の瞬間には白銀の刃を持つ藍色の槍へと姿を変えた。

霊装の形態変化だ。

それを手に、蓮は穂先に紺碧の輝きを灯し水を纏わせると、

 

「ハァッッ!!」

 

流水を思わせる澱みない動作で槍を振るい、瞬く間にゴーレムの群れを青い月光が斬り払っていく。

その槍技は《騎士槍技》。

母より受け継いだ水使い専用の槍技だ。

突きと払いの槍の攻撃手段である二つを織り交ぜ、そこに水の異能を加えた流麗の極み。

そうして振るわれる槍技はまさしく流麗なる舞踏そのもの。

ゴーレム達の攻撃を掠ることもなく、交錯すればゴーレムが、水が流れるが如く宙を滑る青の軌跡にたちまちに斬り裂かれ、穿たれて土塊へと戻っていく。

 

「槍だとっ⁉︎貴様の霊装は双剣のはずだ!」

「俺の霊装は特殊なんでな!」

 

目をむいて驚愕するガオランに蓮はそう言い放つと、槍を片手で持つと地面を砕くほど強い踏み込みをし、槍を投擲した。

 

「穿てっ!!!」

 

主人の言葉に応え、小さな水の竜巻を纏う《蒼月》はまさしく一条の閃光となって、射線上のゴーレム達を瞬く間に砕き、ガオランへと迫る。

 

「ッッッッ!!!」

 

ガオランは地中の鉄分を操作して、鉄の壁を生成。それを何層も作り出し投擲を受け止めようとする。だが、槍はそれらを紙を貫くように容易く砕いていった。

やがて、最後の一枚を穿ち、更にガオランを穿たんと迫った瞬間、ガオランは下の影から出てきたジーフェンによって影の中へと引き摺り下ろされ、間一髪のところで回避。

槍はそのまま飛翔し、途中で虚空に消えた。

そうして武器を自ら手放した蓮に、さらなる攻撃が迫る。

 

「ッ!」

 

蓮が真横へ視線を向けた瞬間、視界を埋め尽くすほどの距離まで迫った紫色の大蛇が口を開けて襲いかかってきていた。

回避する間も無く蓮は大蛇に丸呑みにされる。

 

「そのまま骨まで溶けろっ!」

 

ラオは蓮を飲み込んだ毒大蛇に魔力をさらに送り込み、《毒蛇の呪血》よりも強力な、瞬く間に細胞を溶かし殺す毒塊の蛇、《妖呪の蛇神》で蓮を呑み込み鎧ごと骨まで溶かそうとする。

だが———

 

 

「———《炎陽(えんよう)》」

 

 

瞬間、太陽が生まれる。

毒の大蛇の喉元から視認できるほどの太陽が如し眩い紅蓮の光が生まれ、大蛇の内側から煌々と燃え盛る紅蓮の焔が噴き出した。

燃え尽きつつある毒蛇の体内からは無傷の蓮が現れる。

夜空に燦然と輝く紅蓮の日輪となりて、焔灯る藍槍を構えて蓮はラオを見下ろし告げる。

 

「無駄だ。貴様の毒はもう俺には通用しない」

「くっ、化け物がっ」

「ああ、自覚しているさ。そんなこと……だが、貴様達はそんな化け物を殺しにきたのだろう」

 

歯噛みするラオに蓮は自嘲じみた笑みを浮かべて肩を竦めると、双剣形態へと戻した《蒼月》を構えてラオへと襲いかかるが、今度はジン、レイ、グーウェイがラオの左右を駆け抜けて襲いかかる。

彼らは大剣の形状をした薄緑の障壁と雷の巨拳、巨大な氷の大斧を以って蓮に襲いかかった。

 

「灰塵となれー《焔獄焼嵐(えんごくしょうらん)》」

 

それらを蓮は素早く呪いを唱えて発動した紅蓮の炎の竜巻で自身を包むように展開し、攻撃の全てを飲み込む。

超高熱の紅蓮の火炎の竜巻が彼らの攻撃を焼き消していく。障壁の大剣だけは竜巻を抜けたが、それは《蒼月》で外へと弾き出す。

そして、弾いてから5秒後に蓮は竜巻の中から飛び出す。

 

「ッッ‼︎」

 

焔竜巻のあまりの熱量に距離を取っていた彼らは飛び出してきた蓮に、各々攻撃を仕掛ける。水と炎の刃で迎撃している蓮だったが、足元から伸びた影の刃に呆気なく貫かれた。

やったか、と思った彼らだったがジーフェンだけが気付き叫ぶ。

 

「っ違うっ!これは人形だっ‼︎」

『ッッ⁉︎』

 

ジーフェンの警告が飛んだ直後、蓮の体が青く輝き次の瞬間大爆発を起こす。

《陰陽》を纏っていたからこそわかりづらかったが、この蓮は彼が作り出した彼そっくりな精巧な氷人形であり、人型の《蒼爆水雷》を《陰陽》の形状で氷炎で包んで擬似的な人間爆弾に仕立て上げたものだったのだ。

それにまんまと騙された彼らは爆発に防御体勢を取る。

 

青い爆発は轟音を生み、地面を大きく抉る。

ジンが張った障壁も容易く砕かれる。

リーユエとタイランは己の能力で凌いだものの、他の者達はジーフェンが自分ごと影の中に引き摺り込んでなければ間違いなく負傷は確実だった。

そして爆煙が晴れ、影の中から出た時、蓮の姿はどこにも無かった。

見失った蓮の居場所を特定すべく、彼らは魔力や気配を探る。

そして、この中で最も気配感知に優れているジーフェンが蓮を捉える。

場所は———ラオの背後。

 

「ラオ後ろだ!!」

「三人」

 

ジーフェンが叫ぶと同時にラオの背後から声が聞こえる。

見ればラオの背後の空間が揺らめいており、そこにはいつのまにか蓮がいた。

伐刀絶技《陽炎幻夢(かげろうげんむ)》。

鏡花水月(ミラージュ・ムーン)》と同じ隠蔽魔術であり、く熱を用いて自身の姿を見えなくする絶技。蓮はそれを用いて、ラオの背後に回り込んだのだ。

 

「ッ⁉︎⁉︎」

 

ラオは目を見開き、咄嗟に迎撃しようと振り向こうとする。だが、それよりも蓮の行動の方が早かった。

 

「《黄泉陰火(よみいんか)》」

「ガッ⁉︎」

 

瞬間、紅蓮の炎を灯す蓮の左剣がラオの左胸を、心臓を貫いた。

直後、剣から炎が広がりラオの体が紅蓮の炎に包まれると一瞬で焼失する。後には何もなく、わずかに残った灰だけがラオがその場にいたことを証明していた。

 

「……まさか、《悪魔の焔(デーモン・フレア)》?」

 

リーファがそう呟く。

その言葉を他の者達も知っていたのか、困惑と驚愕の視線を向ける。

だが、そうなるのも当然だ。

悪魔の焔(デーモン・フレア)》ともう一つの技名、そしてある二つ名は裏社会に今もなお轟く正体不明の存在であるが、特に中国においては、それらは不倶戴天の敵と言ってもいい存在の名前であり、技なのだ。

そしてジーフェンが、蓮に問うた。

 

「水と炎の二つを使える時点でまさかとは思ったが、……貴様が、あの《破壊神(バイラヴァ)》だな?」

 

それは、3年前に裏社会でその名を轟かせた正体不明の怪物の二つ名。

たった1人で戦争を終わらせた超常の化け物。

中国軍の上層部がその名を恐れ、名を口にすることを禁じた悪夢の存在。

その問いに蓮は、兜の下で酷薄な笑みを浮かべ、

 

 

「ああ、その通りだ」

 

 

それを肯定した。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『沖縄防衛戦』

 

 

のちにそう名付けられた海戦が起きたのは今から3年前。場所は沖縄の日本海側の地域。

当時、日本は中国からの侵略を受けた。

理由は不明。

《同盟》と《連盟》との対立があり、アメリカ、ロシア、中国と《同盟》でも有数の大国にある日本という小国。

三大国に囲まれておきながら、日本という小国は歴史上においてかつて一度たりとも、彼らに敗北し侵略されたことはない。

 

それだけの強さを誇っている日本は3年前に沖縄近海に現れた中国軍の先鋒艦隊と戦った。

 

卓越した《空間移動》の使い手がいたのだろう。突如、次々と軍艦を転移させて、日本の監視網を潜り抜けて沖縄近海へと現れた彼らは、本州、九州から離れている沖縄諸島をまず占領することを決めた。

 

しかも、その中国艦隊には当時中国最強の一角を担っていた、《四仙》と並ぶ希少な存在《四神》ー《青龍》《朱雀》《白虎》《玄武》、そして《麒麟》の5頭の神獣『四神』を宿す者達に冠せられる呼び名があり、そのうちの一人、《白虎》ルオ・ガンフーも先遣隊としてこの侵略作戦に参加していた。

上層部の人間達は中国最強の《魔人》の一人がいるのだから、その作戦は成功すると確信すらしていた。

 

 

だが、その結果は———惨敗。

 

 

僅かな捕虜を残し、先鋒艦隊が悉く壊滅された。軍艦は一隻も例外なく消滅し、9割以上の兵が戦死。《白虎》も敗北し、戦場で命を落とした。その一報を聞いた中国政府は訳がわからなかったらしい。

勝利を確信していた作戦が、蓋を開けてみれば、あちらは被害が軽微でこちらだけが壊滅的被害を被ったのだから。

 

これを成し得たのは、ガンフーと同じく《魔人》だったという。初めは、《夜叉姫》か《闘神》が戦ったのだと思っていた。

だが、唯一命からがら帰還に成功した《転移使い》や捕虜で帰還した者達の報告を聞けば、それは《夜叉姫》でもなければ、《闘神》でもなく、さらには《世界時計》でもない正体不明の存在。

 

精々わかるのは、それが青い魔力光を放っていたこと、()()()()()()()()()()()()()()()()を使っていたということ、そして()()姿()()()()()()()()()ということだけだ。

 

その者の正体まではわからず、その《転移使い》もその化け物につけられた戦いの傷が祟ってその数ヶ月後に死亡した。

その後、彼等の報告と、いくつか戦闘途中で送られてきたビデオを見た彼等は、その怪物に畏怖した。

 

人ならざる異形の怪物。炎と水を携えて敵の悉くを蹂躙するその姿に、悪い冗談だと、タチの悪い夢だと願うほどに。

 

だが、これは紛れもない事実であり現実だ。

 

中国軍が敗北し《白虎》が死亡したという情報は瞬く間に全世界へと伝わり、裏社会を駆け巡った。

そして、正体不明の名も無き怪物は、中国をはじめとし、裏の世界である二つ名で呼ばれるようになった。

 

 

その獄焔は敵の存在を許さず、灰塵となって焼き尽くす一切焼却の悪魔の裁き。

 

 

ー《悪魔の焔(デーモンフレア)》ー

 

 

その聖水は味方の傷を、命を癒し、死の淵から救い上げる神の恵み。

 

 

ー《神の聖水(ディバインアクア)》ー

 

 

敵を滅ぼす獄焔と味方を蘇らせる聖水。その二つを操る超常の魔神を、畏怖を込めてかの神話の神に擬えてこう呼んだ。

 

 

 

破壊と再生を齎す魔神『破壊神(バイラヴァ)』と。

 

 

 

そして、そう呼ばれた者が当時まだ14歳の中学生だったということは知る由もない。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

破壊神(バイラヴァ)

 

 

昔にそう呼ばれ畏怖された二つ名を思い出し、蓮は懐かしさに兜の下で笑みを浮かべ、ジーフェンの問いを肯定した。

 

「ああ、そうだ」

 

沖縄の地で()()()()()を制したあの日、自分は確かに中国の艦隊を滅ぼし、敵兵を蹂躙した。

それ以来、自分がそう呼ばれていたことは知っていた。なぜなら、蓮もまた裏で戦い続けてきた人間。そういった情報も手に入れることができるからだ。

 

「まさか……貴様があの《破壊神(バイラヴァ)》だったとはな。だが、その時の貴様は14歳のはずだ」

「ああ、だが、その時点で俺は《魔人》だったからな。そこらの学生騎士と同じように考えてもらっては困る」

 

ジーフェンは蓮の言葉に剣を構えながら答える。

 

「どこまでも常識はずれな存在だな貴様は。……何にせよ、貴様を殺せば我々は宿敵を殺せる上に脅威を取り除けるわけか」

「殺せると思っているのか?すでに三人殺されていて、残りも消耗があるだろうに。どうやったら俺を殺せるというんだ?」

「くどい。殺せるまで繰り返す、それだけのことだ」

「なるほど。実に分かりやすい。なら、やってみろ」

 

そして再び彼等は動き出す。

対する蓮は、槍形態だった《蒼月》を双剣へと戻し、再び水流と火炎を宿して駆け出した。

ランを狙おうにも、恐らく彼らは何が何でも彼女を守るだろう。それでは時間がかかりすぎる。少なくとも黒乃と寧音がここに来てしまう前に彼らを殺さなければいけない。

 

「《焔獄焼嵐》《渦巻く激流の竜巻》」

 

蓮は炎と水の竜巻を自身の周囲に展開する。その数八個。

赤と青の竜巻が交互に並び、時計の針のように輪を描いてそそり立ち、激しく渦を巻く。

それらが渦巻きながら、移動を始めジーフェン達へと襲いかかった。

しかし、その八つの竜巻の半分は、ランが伸ばした4本の魔力無効化の鎖に絡みつかれて呆気なく霧散し、残りの4つも彼らが距離をとったことで飲み込まずには至らない。

 

「ッッ!」

 

蓮は残った四つを操作し、自身を囲むように移動させる。しかし、これもまたランの伸ばした鎖に絡みつかれて霧散。

だが、その間に竜巻の勢いを利用して上空へと飛翔し高度を上げる。

四つの竜巻が霧散した時には既に100mの高度まで上昇した蓮は双剣を二本とも天に掲げ、素早く呪いを唱える。

 

 

「———薙ぎ払え《蒼刀(そうとう)湍津姫(たぎつひめ)》。焼き祓え《紅刀(こうとう)咲耶姫(さくやひめ)》」

 

 

瞬間、一瞬で現れるのは天をも貫くほどの滾り狂う激流と燃え盛る光熱の二柱。

蓮がもつステラの《天壌焼き焦がす竜王の焔》と同系統の必殺技。激しく渦巻く激流と激しく燃え盛る光熱の双剣で相手の一切合切を薙ぎ払う必殺の剣だ。

表舞台ではリトルの時以外では今まで一度たりとも使われたことのない絶技。

 

「集束」

 

その二柱を蓮は一呼吸もしないうちに圧縮する。

一度制御を間違えば、周囲を破壊しかねない滾り狂う激流と燃え盛る光熱の柱を蓮は類い稀な魔力制御によって圧縮に圧縮を重ねて小さくしていく。

幾重にも幾重にもその工程を繰り返し、やがて刃渡り400mはあった二柱は、もはや柱の形ではなく、刃渡り4mを超える程度の大きさにまで圧縮形成された紺碧色の蒼刀と紅蓮色の紅刀へと変わっていた。

裏の世界では何度も使用され、敵組織を幾度となく呑み込んできた蓮の厄災の双剣が姿を表した。

その厄災の双剣を両手に蓮は地面へと勢いよく降下しグーウェイとガオランへと振り下ろす。

 

「ッッ⁉︎」

 

初めは霊装で受け止めようとしていたが、それをやめ咄嗟に全力で回避したために、間一髪で二人はその攻撃を逃れる。

そして、極光の双剣が地面へと叩きつかれた瞬間、———大地が大きく切り裂かれた。

 

「なっ……」

「馬鹿なっ」

 

あまりの威力にグーウェイ達だけでなく全員が絶句する。

蓮の極光の双剣は大地に底の見えぬほどの斬痕を二つ刻んだのだ。その距離は実に約8km。尋常じゃない射程と破壊力を誇るそれに彼らも絶句するほかにない。

蓮の二つの極光の剣は彼が持つ数多の伐刀絶技の中でもとりわけ強力無比な絶技だ。

有効射程は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()射程は数千km。力を抑えた状態でも5kmは優に超えるほどだ。

 

まさしく厄災としか言いようのない破壊の極光の双剣を手に、蓮は追撃をかける。

青と赤の極光の双剣を、先程と遜色ない速度で振りまわし、まさしく嵐となって避けたグーウェイとガオランに襲いかかる。

あまりの勢いにグーウェイとガオランは防戦一方となる。

 

(反撃の隙がないっ‼︎‼︎)

(なんて重さだよっ⁉︎)

 

今は何とか魔術と霊装を駆使して防いではいるが、防げるのがやっとな程度だ。すぐに破られてしまうだろう。

事実、それから十合も切り合わないうちに、障壁は容易く破られ、大斧も両腕ごと斬り飛ばされてしまい、両腕とともに宙を舞う。

ガオランも槍を弾かれて無防備になる。

そして無防備になった二人に、極光の双剣が両断せんと迫る。

しかし、二人が突如消え蓮の背後にタイランが転移で現れ、拳を振り翳す。

 

先程の大爆発の威力を蓄積して放つ拳撃が迫るそれを、蓮は左剣で迎え撃つ。

 

「ガッ⁉︎」

 

先程とは違い、タイランの拳はあっけなく弾かれ、鎧型の霊装だったことも幸いし、切り裂かれることはなく横薙ぎに吹っ飛ばされた。

それをカバーするようにリーファとレイが左右から迫る。

5mはあろう巨大な炎の大槌と、籠手から伸ばした4mはある雷の大刀を携えて振り下ろす。しかし、それらは蓮の極光の双剣を前に呆気なく弾かれる。

そして、蓮はその場で勢いよく体を回転させて、二人を切り裂こうとする。

蒼紅の竜巻と化した蓮に二人は霊装を掲げて能力を使いながら防御体制を取る。

レイは何とか霊装で防ぎ、間合いの外へと弾かれるだけで済んだが、リーファは竜巻の猛攻にうまく防御ができずに、腰から両断された。

 

「……ぁ…」

「四人目」

「リーファぁぁぁッッ!!!」

 

ボトリと、切り離された上半身と下半身が地面に落ちる。夥しい量の血と臓物をこぼしながら崩れ落ちる光景に、レイが悲鳴染みた声で彼女の名を叫んだ。

仲間以上の情があったのだろう。彼の声からは確かに親愛以上の愛を感じた。

事実、彼らは恋人であった。こんな明日も生きれるか知らぬ身であってもと、二人はお互いを愛していた。

 

それは蓮もまた感じ取っていた。

蓮は誰であろうと人の愛を否定しない。

暗殺者だから情を持つなとも言わない。

暗殺者としてどれだけ心を殺そうとも人である限り、心を、感情を持つのは必然なのだから。

 

それに、蓮はそういう者達を多く殺してきた。故郷に家族や恋人がいた者、共に肩を並べ戦う恋人がいた者。それらを全て『敵』と断じて殺し続けてきた。

自身の大切な者達を守る為に、どれだけ人の『愛』を斬り捨て、『幸せ』を奪ったのか分かっているからこそ、蓮は彼らの愛を笑わない。

だからこそ蓮は冷酷な声音で告げた。

 

「すぐにあの世で再会させてやる」

 

そうして、レイへと迫る。が、直後、横から襲いかかる影の槍へと意識を変えて左剣を振り下ろす。

大地ごと蓮は影槍を焼き斬っていく。それからも、影刃、影槍、影狗が断続的に、間隔を空けて影の中から飛び出して蓮に襲いかかる。

他の者達への攻撃ができないほどの密度で放たれるそれを、蓮は極光の双剣で悉く薙ぎ払っていく。その様は一見すれば巨大な剣の翼を振るい、舞を踊るよう。

 

蒼紅の剣翼を羽ばたかせて、蓮は大地を舞い黒き影を悉く切り裂いていく。

それがしばらく続き、影の中から萌黄色の巨大な閃光が迫ってきた。

 

「ッッ!!!」

 

剣翼を掻い潜って頭部へと迫るそれを、蓮は何とか上体ごと逸らして避ける。だが、

 

(ッ、影移動っ!)

 

避けた先にあった影が閃光を飲み込むと、数瞬後に、今度は右側から襲いかかる。蓮はそれすらも間一髪で避けるが、かすった極光の左剣が僅ばかり、削られていた。

 

(この剣も貫くのかっ!)

 

《貫通》あらゆるものを貫く概念系の能力。

それは、どうやら蓮の有する必殺の剣すらも貫くらしい。

更に避けても、今度は正面から、また避けても今度は真下から、とおそらくは魔力が続く限りこの応酬は続くのだろう。

それだけでなく、風の刃や水の刃も影の中から飛び出して襲いかかってくる。

それらを捌きながら、《貫通》の閃光を避け続ける。その時、蓮の正面の影の中から一人の女が躍り出る。

 

(ここでくるのかっ‼︎)

 

出てきた女はラン。

錫杖の先端に白菫色の魔力の刃を作り、蓮へと迫る。

蓮は彼女が刃を自身に届かせる前に、殺さなければと動く。

他の攻撃を無視し、蓮は左の炎剣を前方に突き出す。風と水の刃が全身を撃ち、《貫通》の極光が右腕を水剣ごと吹き飛ばしたがそれすら構わずに、蓮はランの腹を貫いた。

だが、()()()()()()()()()()()()()

 

(っっ透過っ!!)

 

ランの体はいつのまにか橙光に覆われていた。それは『透過』の異能が付加された証。

リーユエはこの土壇場でランに『透過』を付与したのだ。

『透過』と『魔力無効化』。蓮にとって最悪な組み合わせの攻撃が迫る。

そして蓮の目前まで迫ったランは全身から魔力を噴き出しながら、錫杖の刃を伸ばし、

 

「《虚刀(きょとう)朧華(ろうか)》ッッ!!!!」

「〜〜〜ッッ!?!?」

 

白菫色の刃が蓮の胸を貫いた。

瞬間、刃を起点に鎖が伸びて蓮の全身を縛りつけ、魔力無効化の能力が働き、蓮が今用いているあらゆる伐刀絶技が、紅の極光の炎剣と《陰陽》の鎧が霧散する。

 

「がっ、こ、のっ…!」

「ガフッ⁉︎」

 

蓮は血反吐を吐きながらも、《蒼月》を籠手形態に変えて貫手でランの胸を貫く。全身から魔力を吹き出していたことで、『透過』の効果は消えており、蓮の貫手が鳩尾に風穴を開けて彼女の胸を貫通したのだ。

ランもまた血反吐を吐き、ガクッと膝から崩れる。風穴は開けた。ならば、あとは死を待つのみ。彼女が死ねば、あとはどうにでもなる。

これで終わり———

 

「ハァァァァァァァァッッッ!!!!」

「なにっ⁉︎」

 

あろうことか、彼女は倒れなかった。

崩れ落ちる体を、足で支え、血反吐を吐きながらも更に己の魔力を高めたのだ。

直後、彼女の全身から先端に杭のついた白菫色の鎖を放ち、蓮の全身を突き刺しさらなる拘束をする。

 

(まだ、動けるのかっ⁉︎)

 

意地でも崩れ落ちないランに目を見張る蓮。

そして露わになった首目掛けてジーフェンが影纏う大太刀を振り抜いた。

 

(魔力防御をっ!!)

 

蓮は咄嗟に首に魔力を集中させて、超高密度の魔力の障壁を作り、ジーフェンの影刀の一撃を止める。

 

「かっ…⁉︎」

 

ガキィンと甲高い金属音を鳴らして、止まった刃はギリギリと燐光を散らしながら蓮の首を刎ねようと障壁を削る。

それに蓮は明らかな動揺を浮かべる。

 

(まずいっ!削れ始めてるっ!!)

 

その時、ジーフェンとは反対側から紫電の雷刃が首に叩きつけられた。こちらもまた甲高い音を鳴らしながら、障壁を削っている。

見れば、レイが合わせた籠手から伸ばした一本の雷刃を構えていた。

 

「貴様はここで殺すっ!!散って行った仲間達の為にも!!」

「ッッ!!」

 

両サイドから迫る黒の影刀と青紫の雷刃。

それは蓮の首を刎ねようとギリギリと燐光を散らしながら、障壁を削っていく。

だが、蓮はそれよりも先に目の前で刃を突き立てている、瀕死のランにとどめを刺すことを優先する。

 

(こいつらは後回しだっ!先にこの女をっ!)

 

ランを殺し、無効化を解けば瞬時に発動できる《青華輪廻》で肉体の再構築を行える。

そうすれば、自分は万全の状態に戻れる。

蓮は右腕を引き抜き、再び刀形態へと戻した《蒼月》で下から両断しようと振り上げる。が、それは半ばで止まる。

あげようとした左腕が薄緑の障壁に阻まれていたからだ。

 

(障壁使いッッ!!目障りなっ!!)

 

次の瞬間、リーの風纏う偃月刀で左腕が斬り落とされる。二の腕半ばで斬り落とされた左腕は、《蒼月》を離してしまい地面に落ちる。

ランの腹に刺さっていた《蒼月》も腹の風穴から滑り落ちて地面に転がる。

 

(左腕も斬られたっ!)

 

ならば脚だ。

魔力で超強化した脚力で、高く跳び上がる。そうすることで無効化の範囲から逃れよう。

そして、足に力を込めようとした刹那、力が入らなくなる。

 

(足がっ⁉︎何が起きたっ⁉︎)

 

何事かと目を向ければ、両太腿にはそれぞれ風穴が空いており、少し離れたところで矢を構えたジーファイがいた。

 

(貫通使いかっ!!くそっ、脚に力が入らないっ!!)

 

《貫通》で足を穿たれた蓮は、その場から逃げることすらできなかった。

魔力無効化の鎖も今もなお蓮を縛り付けている。今の蓮に唯一残された方法は、首の防御を上げ維持し続けることだけだ。

 

「オオォォォォォァァァアアア!!!」

「ぐぅぁぁぁああああああっっ!!!」

「ぬぅあああああああああっっ!!!」

 

蓮、ジーフェン、レイの三人の雄叫びが戦場に響く。

どれくらい続いただろう。

ピシリと小さな音が響いた。

音の発生源は首元の蓮の魔力障壁。

ギリギリと燐光を散らす蓮の魔力障壁に小さなヒビが入っていた。

黒の影刀と青紫の雷刃が障壁を砕きつつあったのだ。

そこからはもうあっという間で、やがて魔力障壁は甲高い音を立てて一瞬で砕かれ二つの刃が蓮の首に刃を立てる。

 

 

『——————』

 

 

次の瞬間、ついに蓮の首は宙を舞った。

 

 

 

「蓮さんッッ‼︎‼︎」

 

 

 

蓮は意識が薄れていく最中、最後に少女の泣き出しそうな悲鳴が聞こえた気がした。

 

 




新しく判明したキャラと異能はこんな感じです。

フェイ・タイランー『蓄積』
チェン・ウゥリィー『減少』
黄金色ー転移使いーハオ・メイー耳飾り
白菫色ー魔力無効化ールー・ランー錫杖

これでとりあえず黒狗メンバーの能力と名前は全て公開できましたねー。
改めて考えると無効化ってめちゃ強いですよね。原作でも諸星くん魔人相手にいい立ち回りしてましたし。


そして、次回いよいよクライマックスです!次回がどうなるかはお楽しみにー!




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幕間 雪降る聖夜に

まず初めに謝罪を。
クリスマス回でありながら、肝心のクリスマスに投稿が間に合わなかったこと誠に申し訳ございませんでした!!

実は、書いていたデータが消えてしまい、思い出しながら慌てて書きなおした結果、このような事態になってしまったんです。
どうか、お許しください。

そして今回、クリスマス回ということで、前回の首が吹っ飛んだ26話の続きはまた後日投稿させていただきます。

幕間というとFGOを連想しますよね。
私はまだクリスマスイベント終わってないんですよねー。(急がないと、カルナさんが……)

そして今年も私は家族とクリスマス!!
チキンとシャンパンとケーキが美味い!!
プレゼントはない!!!

とまぁ、前置きはこのくらいにして、とりあえず、リア充もクリぼっちも家族クリスマスもみんなまとめて、


メリークリスマス!!!


はい幕間どうぞ!!







12月25日

 

 

吐く息が白く、突き刺すような冷気に満ちるある冬の一日。

それは日本だけでなく世界中で毎年行われている一大イベントの日だ。

冬の季節。それも一年の終わりがすぐそこまで迫っている日。

雪が優しく降る街は夜になっても活気に満ちており、街の至る所にはイルミネーションがあって、色とりどりの装飾を施された木々が道路脇に立ち並び、道だけでなく街を彩っている。

 

装飾を施された店では赤と白の仮装に身を包んだ商魂逞しい店員達が、稼ぎ時であるこの時分にケーキやチキンなど、この日用に作った様々な商品を必死に売り込んでいる。

街を歩く人々の中には、多くの恋人がいて寒い中、仲睦まじく手を繋ぎ愛を深めている。

 

家族、学生、老人、老若男女問わずに誰もがこの日を楽しみ、特別な食事に舌鼓を打ち、プレゼントをお互いに交換したり、贈る日。

 

元はイエス・キリストの降誕祭を祝う日であり、今は誰もが楽しむ一年に数ある大イベントの一つ。

 

そう、クリスマスだ。

 

街だけでなく国レベルで盛り上がるこの一大イベントを楽しむのは、国防を担う為の騎士を養成する騎士学校の生徒『学生騎士』達も例外ではない。

冬休みに入っている彼等もまた実家に帰省したり、友達と会ってこのクリスマスを謳歌していた。

そしてそれは、彼等も同じ。

人で賑わう駅前に彼等はいた。

 

駅前を歩く八人組の若者の集団。

 

先頭を歩く淡青色の長髪の青年、新宮寺蓮とその隣を歩くのは茶髪のおさげの少女五十嵐陽香と黒髪の少女、北原凪だ。

その後ろを歩くのは、明るい茶髪の少女、木葉マリカと眼鏡のボブカットの大人しそうな黒髪の少女、佐倉那月だ。

そして、最後列で歩くのは男子三人で、そ一番大柄な体格の茶髪の青年、葛城レオンハルト、黒髪の穏やかな顔立ちの青年、黒鉄一輝、大人しめな黒髪の青年、岸田秋彦だ。

彼らはそれぞれが歩きながら、思いの思いに話に花を咲かせていた。

 

彼らもまた若者であり、例に漏れず彼らは朝から娯楽施設でボウリングやカラオケで遊び尽くし、クリスマスを堪能し、夜にはクリスマスパーティーを開いて更にクリスマスを楽しもうとしていた。

 

「ここから蓮さんの家ってどれくらいなのですか?」

「十分ぐらいだな。住宅街の中にあるぞ」

「……意外と近い」

 

陽香の問いに蓮はそう答えて、凪が呟く。

 

今彼らが向かっているのは蓮の家だ。

なぜなら、クリスマスパーティーの場所は蓮の実家で行われるからだ。ちなみに、発案者は蓮ではなく黒乃だ。

せっかくのクリスマスなのだから、友達を誘ってみてはどうだと言われ、蓮がもともと誘うつもりだったのでレオ達を招待したのだ。

 

これには全員が快諾した。

実家の都合で家には帰れない一輝以外の者達は家でクリスマスパーティーがあるだろうに、わざわざ自分の誘いに応じてくれたのを蓮は感謝した。

 

「そういえば、蓮くんの家ってことは理事長先生もいるってことよね」

 

そう呟くのはマリカだ。

蓮はそれに頷く。

 

「そうだな。あと、寧音さんもきっと来るぞ。いや、確実に来るな」

「マジか、寧音先生も来んのか」

「まぁ家が近いからな。毎年うちに来てるぞ。ただ、寧音さん酒癖悪いからなー、絡まれないように気をつけろよ?」

「あ〜なんか納得ね」

 

蓮の説明にマリカを始め全員が納得する。

寧音は普段からズボラさが滲み出てしまっているため、酒癖が悪いと言われてもイメージにそぐわないのだ。哀れである。

 

「……あとは、もしかしたら南郷先生も来るかもな」

「南郷先生って、もしかして《闘神》南郷寅次郎のこと?」

「そう、その南郷先生だ。あの人は、俺と寧音さんの師でもあったからな。普段は京都にいるが東京にいるのなら、年寄り一人は寂しいとかなんとか言って来るかもしれん。実際に去年は来た」

「何か蓮くんの話を聞いてると、どんどんイメージが崩れるんだけど」

 

一輝はそう苦笑を浮かべる。

《大英雄》黒鉄龍馬の終生のライバルにして、齢90を超えてなお、現役の老騎士。

日本人ならば誰もが知っている大物騎士の一人。特に黒鉄龍馬の曽孫である一輝にとっては、偉大な人物の一人なのだが蓮の話を聞くとただの好々爺に聞こえて、偉大なイメージが崩壊しかかっていた。

それは、伐刀者の名門でもある千葉家と岸田家のマリカと秋彦も同様の反応を示している。

しかし、実際そうなのだから仕方ない。

 

「というか、蓮さんと《世界時計》《夜叉姫》《闘神》が一つの家に集まるって、よく考えたらすごいよね」

「確かに。戦争起こせるレベル」

「てか、国滅ぼせる戦力だろ」

「ザ・魔王軍って感じね」

「お前らな……」

 

陽香の呟きに悪ノリした凪、レオ、マリカに蓮はため息をつき困ったような笑みを浮かべる。だが、その表情はどこか楽しそうであった。

その時、蓮のポケットに入っている端末が震える。

着信だ。

画面に表示されている名前は母である黒乃だ。蓮は液晶をタップして電話に出た。

 

「もしもし、母さんどうした?」

『蓮、今駅前にいるだろう?少し頼まれてくれないか?』

「ああ、それはいいけど、何をすればいい?」

 

黒乃は蓮が左手首につけた時計型の機械で位置情報を逐一把握できる。だから、今の蓮の居場所を把握できた。

蓮もそれは知っているため、特に驚かずに黒乃の頼み事を聞く。

 

『実は料理なんだがな、お前達の分も考えたら少し足りなさそうでな。スーパーで好きな物を適当に買って来るといい』

「何でもか?」

『ああ、酒でもチキンでも何でもいいぞ。ただし、買ったからにはちゃんと食べるんだぞ』

「分かってるって」

 

そして蓮は通話を切ると、歩みを止めてくれてた友人達へと振り返る。

 

「さて、急遽予定変更だ。スーパー寄るぞ」

「何か買うの?」

「どうやら料理が足りないみたいだ。いろいろ好きな物を買ってから家に行こう」

「じゃあチキン買おうぜ!」

「お酒も買うわよ!」

 

メンバーの中で一番元気なレオとマリカがそう口々に言う。

普段は口喧嘩が絶えないが、こいうところはやはり二人は似ている。

そして蓮達はそんな二人に賛同し、近くのスーパーへと向かった。

 

駅前のすぐそばにあるスーパーマーケットはそれなりに大きく、客の出入りが多かった。

蓮達はそのスーパーの中へ入る。

 

「へー、ここすごい広いわね。品揃えも凄そう」

「うん、ここなら色々見つかりそうだね」

 

日本の大手のスーパーマーケット。

店舗の大きさも十分であり、品揃えも十分だ。レオ達が満足いくものが見つかるだろう。

 

「じゃあ、適当にバラけて色々と見て回るか。買う前に一度確認し合おう」

 

蓮の指示に全員が頷き、レオ、秋彦、一輝とマリカ、那月と蓮、陽香、凪の3グループに分かれて、それぞれ商品を集めていった。

 

15分後。色々と料理や酒、お菓子などを買った彼らは幾つかのビニール袋を持って、スーパーを出た。袋はもちろん男達が持っている。

 

「しかし、思ったよりも買ったな」

「まぁ食べれそうだしいいんじゃねぇの?」

「そーよ。お酒も飲めなかったら、持って帰れば良いんだし」

「まぁ確かにそうか」

 

蓮はレオとマリカにそう相槌を打つ。

そして今度は陽香が隣を歩きながら蓮に尋ねてきた。

 

「それよりも、良かったんですか?」

「ん?何がだ」

「いえ、お支払いです。自分達の分は私達も出しますよ?」

 

陽香の言う通り、蓮は一万を超える支払いを全て自分がカードで支払ったのだ。

レオ達も流石に出すと言ったが、いちいち出すのは時間がかかるからと言う理由で一蹴された。

別に一万や二万程度、蓮の収入から考えれば大した出費ではないので構わないし、蓮としては友達とこういうことをするのが久しぶりで嬉しかったから、と言うのもある。

 

「これぐらいなら良いさ。別の機会に飯でも奢ってくれるならそれで良い。ほら、早くいくぞ」

 

蓮はそう答えて、無理やり納得させると皆を先導して自宅へと向かった。

 

  

▼△▼△▼△

 

 

東京都の住宅街の一角。駅から徒歩十分のところに蓮の自宅はある。

他の一軒家よりも一回り以上大きい三階建てはあるだろう家の門には『新宮寺』の表札がある。

 

「着いたぞ」

 

蓮はそう言ってガチャリと門の扉を開けて中へと入る。陽香達もその後を着いていく。

レオ達は大きな庭の横のタイルの道を通りながら、面白げに蓮の家を見渡す。

 

「ここが蓮の家かぁ。普通の一軒家よりもデケェな」

「本当だね。中はどうなってるんだろう」

「トレーニングルームとかあるんでしょうか?」

「ああ、理事長もいるからありえそうね」

 

口々に家の内装について想像を巡らせているレオ達に蓮は笑みを浮かべながら、玄関に鍵を差し込む。

 

「まぁそれは気が向いたらな」

 

ガチャリと鍵を捻り扉を開ける。

すると、扉の奥リビングの扉が開き、中から小さなサンタが現れた。

 

「にぃに、おかえりなさいですのー‼︎」

 

可愛らしい小さなサンタ……もふもふのサンタ帽子と、スカートのあるタイプのもこもこのサンタ服に身を包んだ小さな女の子は蓮の2歳の妹にして新宮寺家の大事な宝物、新宮寺鳴だ。

蓮の姿を見るやぱぁっと満面の笑みを浮かべて、蓮に走り寄る。

蓮は袋を玄関に置いて、笑みを浮かべると妹を自分の胸に迎え入れる。

 

「ああ、ただいま鳴。元気にしてたか?」

「うん‼︎鳴はいつだって元気ですの‼︎」

「はは、それは良い。子供は元気が一番だからな」

 

鳴は大好きな兄との会話に、本当に嬉しそうな笑みを浮かべ蓮にぎゅーと抱きつく。

と、その時鳴は蓮の肩越しにレオ達に気づく。

 

「にぃに、この人達は誰ですの?」

「俺の友達だよ。鳴、挨拶をしなさい」

「はいですの‼︎」

 

鳴は蓮から腕を離して下ろしてもらうと、子供ながらの拙いお辞儀をして自己紹介をする。

 

「はじめましてですの‼︎にぃにの妹のシングージメイです‼︎今日は、ゆっくりしてくださいですの‼︎」

「よくできました。良い子だ」

「「「可愛い〜〜〜〜‼︎‼︎‼︎」」」

 

鳴の挨拶に若干ポカンとしていたレオ達は現実に戻り、陽香、マリカ、那月は鳴のあまりの可愛さにすぐにやられ、鳴に近づいた。凪も言葉には出していないが、緩んだ表情から鳴の可愛さにやられたものだとわかる。

 

「何この子、すごい可愛いんだけど‼︎」

「サンタの格好良く似合ってますね〜」

「蓮さんの妹だから、やっぱり可愛いぃ〜」

 

女子たちがキャッキャと鳴の可愛さに悩殺される中、蓮は一つため息をつくとマリカ達から鳴を離すと抱え上げて床に下ろした。

 

「鳴リビングで待ってろ。俺達も手洗ったらすぐに行くから」

「はいですの‼︎」

 

鳴はそう元気よく返事すると、とてとてーとリビングへと消えていった。

その後ろ姿を明らかに残念そうに見る女子四人に蓮は若干、呆れた表情を浮かべると、靴を脱いで上がる。

 

「あのな、鳴が可愛いのはわかるがいつまでも玄関にいるわけにはいかないだろ。まずは手を洗え」

『はーい』

 

蓮の言葉なら全員が頷き、蓮の案内のもと靴を脱いで上がり洗面所に向かう。

 

「蓮って、もしかしなくてもシスコンか?」

「否定はしないが、妹弟が可愛いと思うのは兄姉として当然じゃないのか?」

「あぁ、確かにそれはわかるよ」

「…うん」

 

レオの呟きにそう答えた蓮に、妹がいる一輝と弟がいる凪が理解を示す。

確かに自分達でもそう言うに違いなかったから。可愛いものは可愛いのだ。

 

(……妹……か)

 

一輝は皆が洗面所へ向かう中、一人廊下で立ち止まり、その妹へと想いを馳せた。

一輝にも一つ下の妹がいる。

自分を虐げてきた黒鉄の家の中でたった二人自分に優しくしてくれた者達の一人。

自分なんかと比べるまでもないほどの、素晴らしい才能を有していて黒鉄の家でも上の立場にいた子。それでも、自分に懐いてくれていつも後ろを追いかけてきた可愛い大切な妹。

 

(珠雫は今頃、どうしてるかな。…元気にやっていけてるだろうか)

 

自分が家を飛び出してからはや3年。今頃妹の珠雫はどうしているのだろうか。

一足先に手を洗い終えた蓮は、廊下でただ突っ立っている一輝に声をかける。

 

「どうした?黒鉄」

「え、あっ、な、何?」

「いや、どうもぼうっとしていたように見えたからな。もう皆行ったぞ」

「あ、うんすぐ行くよ」

 

そう言って一輝は慌てて洗面所へと向かった。しかし、ずっと一輝の様子を見てた蓮は彼を呼び止め声をかける。

 

「妹のこと、考えていたのか?」

「うん。今珠雫はどうしてるかなって……」

「確か、三年は会ってないんだったよな」

「そうだよ。中学生に上がる時に家を出たからね。今の君達のを見てたら、昔のことをね」

 

レオ達がいなくなり随分と人が減った玄関で、二人の間に静寂が漂う。

一輝は自分が暗くさせてしまったのかと慌てて謝る。

 

「あ、ごめん。こんな日に、暗い話をしちゃって」

「ん?ああ、別に家族のことを思うのは何も悪くないだろ。

いつ会えるかわからないんだ。なら、会えない間、考えるのは当然だろ。俺だってそうだからな」

「君もかい?」

「ああ、招集に行く度に思うよ。

いつ死ぬかわからないが、家族が帰りを待ってくれていると思えば、戦える。戦った意味があると思える」

 

何度も特例招集を経験し、敵を倒し続けている無双の戦士である蓮は、家族や仲間の平穏を守る為にも戦っている。

その家族や仲間達が帰りを待ってくれていると思えば、戦えるのだ。

 

「俺にとっての家族はそれだけ大切で尊いものだ。だからこそ、守りたいし、笑顔が見たいと思う」

 

招集を経験したことのない一輝は蓮の横顔に何かただならないものを感じ、目が離せなかった。

蓮はそんなことを知らずに、穏やかな笑みを浮かべながら続ける。

 

「それに、妹も伐刀者なら来年は破軍に入学するんじゃないのか?だったら、その時に積もる話でもすれば良いさ」

 

蓮は一輝の肩をぽんぽんと叩きながら、自分もリビングに向かう。

 

「うん、そうだと良いね」

 

一輝も笑みを浮かべると、彼の後についていく。

来年会えたのならその時に、今までできなかった家族の時間を過ごそうと一輝は思った。

 

しかし、来年確かに一輝は珠雫と再会するのだが、再会して早々キスされるとはこの時思いもしなかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「ただいま」

『お邪魔しまーす』

 

リビングはやはり外観から予想できた通りに広く、段差があってまるで大きな掘り炬燵のような構造になっている。

上段にキッチンやテーブルがあって、下段にはカーペットとテーブル、大きなテレビが置かれている。

二つのテーブルには所狭しと料理が並べられていた。壁にもクリスマス用の飾り付けがあり、隅にはクリスマスツリーが置かれている。

そして、中では鳴とサンタ帽を被っている黒乃と同じ帽子を被っている栗色の髪の優しげな男が蓮達を出迎えた。

 

「おかえり、蓮。ちょうど準備が終わったところだ」

「蓮、おかえり。後ろの子達がお友達かな?」

「ああ、そうだよ。前に話した俺の友人だ」

 

蓮はそう言って、体をずらし男にレオ達がよく見えるようにする。

 

「初めまして。蓮の父の新宮寺拓海です。

息子と仲良くしてくれてありがとう。今日はぜひ楽しんでいってください」

 

そう言って、黒乃の夫にして蓮の義父の拓海は軽く頭を下げる。

そうすると、レオ達も初めて黒乃と会った時のように慌てて頭を下げて各々挨拶をする。

それを横目に見ながら、蓮は買ってきた袋の塊を魔術でふわふわと浮かばせながら黒乃の元へ運ぶ。

 

「母さん、これ」

「多いな。また随分と買い込んだな」

「別に大丈夫だと思うけど?」

「そうだろうな。なら、早速向こうに並べてくれ」

「ああ」

 

蓮はそう言って宙に無数の透き通った四枚の羽を持った氷の結晶でできた妖精のようなもの50体ほど生み出すと、妖精達を操って台所からとってきた皿に盛りつけたり、料理を並べたりしていった。

その見事な手際に、レオ達は流石だなぁと感心して、鳴は目をキラキラと輝かせていた。

 

「妖精さんですの‼︎」

「せっかくのクリスマスだからな。今年は氷の妖精を作ってみたよ」

「すごいキラキラしてて綺麗ですの‼︎」

「そう言ってくれると、作り甲斐があるな。だが、俺のはこんなもんで終わらないぞ」

「すごいですの‼︎」

 

そして鳴が側で目を輝かせる中、蓮は妖精達を操って一通りの作業を行い、途中に鳴を楽しませる動きを織り交ぜながら、レオ達へと振り向く。

 

「俺は着替えてくるから、お前らも好きにくつろいでて良いぞ」

 

そう言いながら、蓮は早々にリビングを出て二階の自分の部屋へ向かった。

リビングに残っているレオ達は、蓮がこの部屋を去ってなお動き続け料理を運んでいる氷妖精達を見て呟く。

 

「いやー、流石だな蓮。この部屋にいなくても、操作できるのかよ」

「しかも、五十体以上を同時操作してる。流石の魔力制御だよ」

「本当にすごいよ。一体何体が限界だろうね」

 

男子達は蓮の魔力制御力に感心の声をあげる。

一方、女子達は……

 

「うー、私はまだまだだなぁ」

「……陽香も魔力制御力は高い方だよ」

「でも、蓮さんと比べると私なんか霞んじゃうよ」

「陽香も学内ではトップクラスの魔力制御力じゃない。別に蓮くんと比べて自信落とさなくても良いんじゃない?」

「そうですよ!陽香さんだって魔力制御はすごいじゃないですか!」

「うぅ〜、でもぉ」

 

陽香が蓮の魔力制御力と自分のを比較してまだまだだと痛感している中、女子三人がそう慰めの言葉をかける。

確かに彼女たちの言ってることはわかるし、自分も蓮と比べるのは烏滸がましいと思う。それでも、やはり好きな人に追いつきたいと思うからこそその差を痛感しているのだ。

そんな陽香に黒乃が近づいて言った。

 

「まぁあの子は潜ってきた修羅場の数が違うからな。要は経験値の差だ。でもまぁ、あの子に追いつきたいというのなら、もっと経験を積んで強くならないとな」

「理事長先生…」

「ほら、お前達も少しは手伝え。全部蓮の妖精に任せるつもりか?準備もクリスマスの醍醐味だぞ」

 

そう黒乃に言われ、レオ達は上着と荷物を置いて料理を運ぶのを手伝う。

 

「あ、手伝いますよ」

「ありがとう。確か君は…葛城くんだよね?」

「レオでいいっすよ。てか、俺のこと知ってるんすか?」

「うん、君達のことは蓮から聞いてるよ」

 

そう言って、拓海はレオに料理を手渡し呟く。

 

「蓮が良く君達の話をしているからね。

蓮が友達を家に呼ぶのは久しぶりなんだ。

今日はせっかく来てくれたんだから、心ゆくまで楽しんでいってね」

「そんなに俺らのこと話してるんすか?」

「うん、それはもうたくさん」

「へー、マジすか」

 

拓海の言葉にレオは目を見開いた。

蓮の人柄は八ヶ月の付き合いで何となくわかってきたが、それでも友達のことを親に楽しそうに話す姿は予想できなかった。

それはマリカ達も同様で、料理を運びながら聞き耳を立てて全員が驚いている。

そんな皆の様子に黒乃は笑った。

 

「ふふ、そんなに意外だったか?」

「え、あ、いや…えと、はい、意外でした。蓮くんそういう話はあまりしないのかと思ってましたから」

 

マリカは何とか取り繕おうとしたものの、やはり取り繕えず素直に認めた。

黒乃はそれに目鯨は立てずに、笑みを崩さなかった。

 

「まあ学園でのあの子の様子を見れば、昔から知ってなければ、そう思うのも無理もないだろう。だが、それも蓮なんだよ」

 

黒乃は鳴を抱き上げながら、話を続ける。

 

「蓮は人との縁を大事にする。

それは家族は勿論のこと、友人も同様だ。

それに、中学では友達が出来なかったからな。破軍でできて嬉しいんだろう」

「え、中学生の時はお友達居なかったんですか?」

 

黒乃の話を聞いていた一輝が、そんな疑問を黒乃に投げかけた。

 

「お前達ほど仲のいい友達は中学の時にはいなかったな。

まあ当時は色々あってな、そう言った話はまた別の機会に蓮に聞くといい」

 

とにかく、と黒乃は話題を戻す。

 

「何も百戦錬磨、常勝無敗の最強騎士の姿だけが蓮の姿だけでは無い。こうして人との繋がりを大事にする、友達が出来て喜ぶような、そんなどこにでもいる一人の人間なんだよ。そのあたりをどうか覚えておいてくれ」

 

全員が全員、別の一面を持っていたりする。

それは、蓮とて例外では無い。

家族を愛し、友人との繋がりを大事にする、そんなありふれた一面を蓮だって持ち合わせている。

そして、黒乃の言葉にはどうかその優しい一面を知ってもらい、蓮を受け入れてほしいというふうにも聞こえた。

それを感じ取ったのかは定かでは無いか、レオ達全員が笑みを浮かべた。

 

と、その時タイミングよく蓮がリビングに戻ってくる。部屋着に着替えたのだろうと思い、そちらを振り向いたレオ達は一瞬固まった。

 

「待たせたな。…ん?どうしたお前ら」

「いやどうしたって、何で蓮もサンタの格好してんだ?」

 

そう、蓮は部屋着に着替えたのではなく赤と白のもこもこのサンタ服なら着替えていたのだ。

なまじ、顔がいいだけにサンタコスでも十分絵になる。

クリスマス特集の雑誌の表紙を飾ってそうだ。

蓮はレオの疑問にさも当然であるかのように答える。

 

「何でって、せっかくのクリスマスなんだからな。格好から楽しまないと損するだろ。

それに、去年鳴にお揃いにしたいとせがまれてな。毎年着ることにしたんだよ」

「…あぁなるほど」

 

レオはそう若干げんなりとした様子で答える。

そういえば、蓮はハロウィンでも楽しんでいたなと思い出す。どうやら、蓮はイベントごとは楽しむタイプのようだ。

ちなみに、二ヶ月前のハロウィンでは、レオ達がそれぞれコスプレをするなか、蓮は魔王のコスプレをした。

似合ってるというか、似過ぎていたので笑いどころか全員が咄嗟に霊装を構えたのは余談だ。

だって、今にも世界を滅ぼしそうに見えたから。

それで、一瞬で魔王VS勇者とその仲間達のような構図ができて、破軍学園でもちょっとした話題になった。

 

それから、しばらくして料理が全てテーブルに並べ終わった。所狭しとならぶ料理はよりどりみどりでどれも美味しそうだ。

そして、全員が二つのテーブルに散らばってシャンパンやジュースの入ったグラスをもち、蓮はその二つの間でグラスを片手に持って立っている。

 

「えーじゃあ、せっかくのクリスマスだ。色々と話すのは無しとして、食べて騒いで聖夜を楽しもう。メリークリスマス!」

 

蓮は笑みを浮かべながら、まどろっこしい前置きはなしに、グラスを掲げ言った。

 

 

『メリークリスマース!!!』

 

 

そうして聖夜の宴が始まった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「ねぇ、鳴ちゃんはお兄ちゃんのどこが好きなのかなー?」

 

宴が始まり、しばらくした頃、やはり予想通り近所に住む寧音が乱入してきた。

サンタ帽子を被って、尋ねてきた寧音は当然の如く宴に参加した。

そして、寧音と盛り上がり酒を飲んで少しでき始めているマリカがリンゴジュースをごくごくと飲んでいる鳴に、そう尋ねた。

どうやら、パパのどこが好きみたく、子供によくする質問をしていた。

ジュースを飲んでいた鳴は、グラスから口を離すと満面の笑みを浮かべて答えた。

 

「かっこいいところですの‼︎あと、優しいところもですの‼︎」

「ん〜〜、もう、鳴ちゃん可愛すぎ‼︎‼︎」

 

可愛らしい反応にマリカは思わず鳴の頭を撫でる。もう完全に悩殺されている。

というか、酒が入ってきて気の強いキャラが崩れかかっているが、誰もそれには触れない。

酔った女豹はめんどくさそうだから。

そして、頭を撫でられて目を細める鳴に今度はマリカとは反対側から那月が尋ねた。

 

「じゃあ、鳴ちゃんにとってお兄さんはどんな人?」

 

那月の問いに鳴はほぼ即答で答えた。

 

「かっこいいヒーローですの‼︎にぃにはどんな悪い敵も倒しちゃう強いヒーローですの‼︎」

 

それは子供の憧れにも似たものだろう。

鳴にとって蓮は悪い敵をやっつける正義のヒーローらしい。七星剣武祭での戦いも見ていてなおそのイメージが強くなったらしい。

その返答に女子達は全員が表情が緩んでしまっている。マリカどころか、全員鳴の笑みにやられている。

 

それを遠目で見ながら、レオは蓮の肩を肘で小突く。

 

「だってよ、強くてかっこいいヒーローさん」

「レオ、喧嘩売ってるならいい値で買ってやるぞ?」

「ジョーダンだって、ジョーダン」

 

蓮とレオはそんなことを言っている。

レオも酒が入ってきて若干酔ってきている。

 

「ハハハ!皆良い感じに酔ってんじゃん‼︎いい酒持ってきた甲斐があったぜ」

「寧音さんも酔ってるでしょ。明日二日酔いになっても知りませんよ」

「いいっていいって、れー坊もそんなかてーこと言わずに飲もうぜー」

「まあいいですけど」

 

そして、しばらく談笑をした後、蓮が徐に立ち上がって、ぱんぱんと手を叩き全員の注意をこちらに向ける。

 

「じゃ、事前に予告した通りプレゼント交換でもするか。持ってきてるプレゼントを並べろ」

「やったー、待ってましたー‼︎」

「待ってました!」

 

蓮の提案に、マリカとレオが一番に歓喜の声を上げ、自分のカバンのところに向かった。レオ達もそこに向かい、鞄の中からそれぞれ用意したプレゼントを取り出す。

全部が綺麗な包装を施されていて中身がわからない。

 

しばらくして、那月の言霊で出したロープを蓮達八人が手に握っている。

ロープの先にあるプレゼントは何か分からない。プレゼントにくくりつけたロープを引っ張ってそのプレゼントをもらうという内容のようだ。

 

「それじゃ引くぞ。せーの!」

 

蓮の合図に合わせて、黒乃達大人三人と鳴が見守る中、ロープが引っ張られ、それぞれの手にプレゼントが渡る。

包装紙を破り、中を開ければプレゼントが現れた。蓮が手にしたプレゼント、それは……

 

「ほぉ、マグカップか」

 

蓮が手にしたのは、赤に白い文字でMerry Christmasと綴られたマグカップだ。

誰のものなのか尋ねようとした時、それよりも先に名乗り出てきた。

 

「あ、それ私が選んだものです」

 

陽香だ。どうやら、マグカップのプレゼントは陽香が選んだものらしい。

そして、そういう陽香の手元には水色の花の装飾がついたヘアアクセサリがあった。

 

「そのアクセサリー、陽香が選んだのか」

「じゃあこれって、蓮さんが選んだものですか?」

「ああ。ということは、俺と陽香はお互いのを交換したというわけか」

「そう、みたいですね」

 

そう答える陽香は若干酔ってるからか嬉しさが隠しきれず、満面の笑みを浮かべ頬を赤らめていた。

好きな人に自分のプレゼントが渡り、なおかつ好きな人のプレゼントが自分の手元にあるなんて嬉しいに決まっている。

 

「ありがとう、大事に使わせてもらうよ」

「私も。大事に使わせてもらいます」

 

お互いにそう笑みを浮かべた。

ちなみに、それぞれプレゼントを貰ったが、一部変なのもあってマリカが大笑いし、かつ軽くキレたのは余談だ。

それからも宴は続き、今は家にあるゲーム機で四人での格闘ゲームに興じている。

 

対戦は白熱し、酔ったレオとマリカ主催の格闘大会まで始まる始末。

そして1グループまで予選突破し、決勝進出を果たした蓮は他のグループでの対戦を見ていた時、ふと端末が震えていることに気づいた。

 

「すまない、電話だ。少し席を外す」

「はい、わかりました」

 

蓮は那月にそう言うと、ベランダを開けて庭に出る。

 

「もしもし、カナタか」

 

電話の呼び出し相手は幼馴染の貴徳原カナタだった。

 

『夜分にすみません。蓮さん、パーティーでもされてましたか?』

「ああ、レオ達も誘って家でな。そっちも賑やかそうだな」

 

蓮は電話越しにでも聞こえてくる子供達の笑い声に笑みを浮かべる。カナタもクスクスと笑っていた。

 

『ええ、今は若葉の家でクリスマスパーティーをしてますの。うたくんったら今はカラオケで熱唱中ですわ。しかも、酔っ払った刀華ちゃんまで参加してもう面白いったらありませんわ』

「へぇ、泡沫はわかるけど、刀華もか。後で動画くれないか?面白そうだ」

『勿論。後でお送りいたしますわ。それと、東京では雪だとか』

「ああ、まさにホワイトクリスマスだよ」

『そうですか…こちらは降ってませんので羨ましいですわ』

「それは残念だな。……そういえば、電話なんてどうしたんだ?」

『……貴方の声を聞きたかったから、というのはダメですか?』

「………」

 

蓮は電話口で告げられた言葉に思わず、驚き一瞬言葉に詰まった。だが、すぐに笑みを浮かべると応える。

 

「いや、別にダメじゃないよ」

『ありがとうございます。それはそうと、近いうちにそちらに伺ってもよろしいでしょうか?』

「ああ、構わないがどうしたんだ?」

『貴方にクリスマスプレゼントを渡したいのですけど、今はこちらにいますから、近いうちに東京に戻るのでその時に渡そうと思うのですが、宜しいですか?』

「なんだ、そんなことか。全然いいよ。むしろ楽しみにしてる」

『ええっ、では、近いうちに必ず伺いますわっ』

 

電話口でも伝わるカナタの嬉しさは伝わった。

どうやら、相当嬉しいようだ。

そして今度は蓮が言った。

 

「実は俺も用意してるんだ。プレゼントを」

『本当ですか?』

「ああ、紅茶を用意して待っておくよ。もっとも、お前が普段飲んでいる紅茶に比べれば安いだろうけど」

『いいえ、貴方の入れてくれた紅茶ならきっとどんな紅茶よりも美味しいですわ』

「そうか」

 

そして、二人はしばらく電話越しで談笑を続ける。やがてそろそろ電話を切ろうとした時、カナタが呟く。

 

『ああ、そう蓮さん最後に一つ』

「ん、なんだ?」

『メリークリスマス。楽しい聖夜を」

 

蓮はそれに一層穏やかな笑みを浮かべると、雪が降る夜空を見上げながら、

 

 

「メリークリスマス。そっちも楽しい聖夜を」

 

 

勿論、同じようにそう返した。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

蓮がカナタと電話している頃、鳴が睡魔の限界が来てウトウトとしたことで黒乃がベッドへ運んで寝かした後、レオ達の格ゲー予選がやっと終わり一区切りついて、ふと拓海はレオ達に向けて呟いた。

 

「皆、今日は本当に来てくれてありがとう」

「どうしたんすか?拓海さん」

「蓮の前では言えなかったけど、どうしても君達には蓮のことでお礼を言いたくてね」

 

そうして拓海は全員が耳を傾ける中、話し始める。

 

「蓮が友達を、しかも今日みたいな特別な日に家に呼ぶのは小学生の頃以来なんだ。中学生の時は招集を受けて、時々学校を休むことがあったし、なまじ何でもできちゃう子だから同級生達とはあまり親密ではなかったんだよ。放課後もひたすら黒乃さんやネネちゃんとトレーニングしていたから、遊びに行くことも本当に少なかった」

 

蓮は中学生の頃、必要以上に親しい友人を作らなかった。

その時は、まだ『黒川事件』でのことを抱えていて、自分のせいで誰かを傷つけてしまうことを極端に嫌い、心に壁を作って必要以上に友人を作らなかったし、髪も黒く染めて自分が伐刀者であることを隠し、深い関わりを持つこともなかった。

それに蓮は天才で、勉強でもスポーツでも一位を取っていたから、それでも一目置かれたりしていた。

誰もが蓮ではなく、蓮の才能を見るようになってしまっていたのだ。そして蓮も、深く関わろうとはせずに、そのまま三年間を終わらせてしまった。そんな蓮だったが破軍に入ってからは変わった。

 

「電話でもだけど、夏休みに家に帰ってきた時も君たちの話をいつも楽しそうに話してたよ。

あの子にとっての中学生時代は、ずっと戦ってばかりの日々だったし、自分を隠し続けてた日々でもあった。

それでも、破軍に行ったら蓮をちゃんと見てくれる友達に出会えた。そのことが、あの子にとっては本当に嬉しいことだったんだ」

 

拓海も蓮を幼い頃から知っている。

そもそも妻である黒乃と出会ったのは破軍学園であり、彼はランクこそEランクだったが大和やサフィア、黒乃の三人と同級生だったのだ。

黒乃と付き合うようになった後、自然と大和達との関わりも増えて、黒乃が蓮を引き取った当初の事も知っている。

そして、《黒川事件》の暫くした後、黒乃と拓海はついに結婚して拓海は蓮の義父になった。

 

だから拓海は蓮のことをよく知っている。

過去にどんなことがあって、何に傷つき、何のために戦っているのかということも全て。

でも、それでも黒乃と同じように血の繋がりがなくとも蓮を息子として愛した。

鳴と同じように自分達の掛け替えの無い宝物として、愛情を注いだ。

そうして、育った宝物も同然の息子が、破軍に入ってからは友達のことを楽しそうに話したりし、今日は友達を家に招待した。

その事実が、今まで成長を見てきた拓海は何よりも嬉しかった。

 

「だからどうか、これからも蓮の友達でいてくれないかな」

 

そう言って、拓海は頭を下げる。

黒乃と寧音がシャンパンを飲みながらも、無言でことの成り行きを見守る中、やがて拓海に、声がかかる。

 

「当然っすよ、拓海さん。俺達はずっと蓮のダチでいるつもりです」

「そうね。私も蓮くんに会えたから今が楽しいわけだしね。一緒にいると退屈しないわ」

「はい。蓮さんと会ってなければ、私はこんなに楽しい生活は送れていなかったと思います」

「僕も同感です。彼のおかげで僕は日常が楽しいと思えました」

 

入学式の日に蓮に出会ったレオ、マリカ、那月、一輝がそう答えた。

 

「むしろ私達の方が感謝を伝えたいくらいです。私は蓮さんのおかげでみんなと友達になれましたし、強くなることもできました」

「……うん、蓮さんのおかげ」

「そうだね。蓮がいたからここにいるみんなが繋がることができた」

 

次いで、陽香、凪、秋彦がそう言う。確かに蓮が中心にいたからこそこのグループは出来上がったとも言える。蓮がいたからここにいる全員が繋がったのだ。

もしもいなかったら、バラバラのままだっただろう。

そして最後に、レオが言った。

 

「拓海さん。俺達も蓮には感謝することばかりっすよ。いろんなことを教えてくれて、いろんな刺激をくれた。

あいつはいつも俺たちのことを引っ張ってくれるリーダーです。

そんなすごくてかっこいいリーダーに出会えたことに感謝したいぐらいすよ」

 

レオの言葉にマリカ達は全員が無言で頷く。

その様子を見て、蓮は本当に素晴らしい友達に恵まれたんだと拓海は目の端に涙を浮かべる。

それは黒乃も寧音も同じで、黒乃は拓海同様嬉し涙を浮かべてしまっている。

当然だ。親としてこれほど嬉しい事はないから。

拓海は朗らかな笑みを浮かべ、改めて頭を下げる。

 

「蓮は、本当にいい友達を持ったね。うん、ありがとう。これからもあの子のことをお願いします」

 

拓海の頼みに、レオ達は笑顔を浮かべて引き受ける。そのタイミングでちょうど蓮が電話から戻ってきて、ベランダから戻ってきた。

 

「今戻った…って、どうしたんだ?皆揃って」

 

蓮は本日二度目になる全員の視線を浴びる経験に首を傾げて疑問を浮かべる。

心なしか、空気も変わってるように感じた。

先程まではまさに楽しい活発な空気だったのに、今はそれに何か優しさのようなものが混じっている。

だが、その真意を尋ねる前に拓海がコントローラーを持ちながら言葉を被せた。

         

「ああ蓮、戻ったんだね。

もうすぐ決勝を始めるから、準備急いでね」

「分かったけど、その前に少し飲んでくる」

 

蓮は拓海にそう言って、テーブルにある自分の分のグラフにシャンパンを注ぎ喉を潤した。

その時、椅子に座り拓海達を見ている黒乃がふと蓮に尋ねた。

 

「蓮」

「何?母さん」

「今は楽しいか?」

 

 

蓮は黒乃の問いにしばらく口を閉じると、やがて笑みを浮かべて答えた。

 

 

 

「ああ、とても楽しいよ」

「そうか」

 

 

 

そう答えた蓮に黒乃は嬉しそうに言った。

そして、テレビ側の方からは蓮を呼ぶ声が聞こえる

 

 

「おいれー坊‼︎飲んだならあんたも早く来なー!決勝戦でボコボコにしてやっから!」

「ははっ、負けるつもりはありませんよ。優勝は俺がもらいます」

「へっ、リアルでは負けっけどゲームはリアルと違うってことを教えてやるぜ!」

「言うじゃないかレオ。俺はゲームでも強いと言うことを見せてやろう。精々頑張れ」

 

 

蓮は寧音とレオの挑発にそう答えて決勝戦を制覇すべくテレビ前に移動する。

 

 

そして、家からは少年少女の笑い声が響き、外では雪が降る中、楽しい聖夜は更けていった。

 




どうでしたか?お楽しみいただけましたか?

今回父親の拓海さんと妹の鳴ちゃんを出させていただいたのですが、いかんせん情報が少ないので自分の理想を混ぜて書かせていただきました。

格闘ゲームの対決、すなわちスマ○ラ。スイ○チで皆さんは遊んでいます。

そして、現在コロナが猛威を払い、さらに脅威を強める中、自分達個人でもできる事はまだあるはずです。
手洗いや消毒、マスクなど基本的なことをすれば少しでも影響は減らせることができると思います。
いつか、普通の生活に戻れる日を願って、今皆さんで頑張るしかないのではないでしょうか。

色々とご高説を垂れてしまい、申し訳ありません。
とりあえず、皆さんいい聖夜をお過ごし下さい!!

それではまた次回、お会いたしましょう!!

さようなら!!








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27話 雲蒸龍変


今年最後の投稿です!

今回は二万どころか三万字越えになってしまいました((((;゚Д゚)))))))

そして今回はついに、大暴露回です!!
何が暴露されるかはまあ読んでからのお楽しみということで。

では、最新話 雲蒸龍変

どうぞ!!






 

 

時は少し遡る。

 

蓮達の魔力の残滓を辿り、森の中をカナタは魔力放出で脚力を強化して凄まじい速度で駆けていた。

 

「はぁ、はぁ」

 

カナタは多少呼吸を荒げながらもそれでも駆ける速度を緩めず、魔力を惜しみなく使い一刻も早く彼の元へ向かおうと走る。

道中、薙ぎ倒された木々や、抉られたり切り裂かれたりしている地面。感じる魔力の残滓の数や今なお聞こえてくる轟音が戦闘の激しさを物語っていて、カナタは焦燥を募らせた。

 

(どうか、無事でいてくださいっ)

 

彼の無事を願いながら走りつづけ、やがて、紅白に揺らめくある境界線へとたどり着いた。

 

「これは……」

 

カナタがたどり着いた境界線。それは蓮の氷炎の融合魔術《氷焔地獄(インフェルノ)》の効果範囲の末端だった。

確かにそこからは蓮の魔力が感じられる。

 

「……炎も使わなければいけないほどの敵、ですか」

 

カナタは蓮が炎の異能も持っていることを知っている。いや、偶然知ったと言うべきか。

黒川事件のあの日、蓮が暴走した時、水だけでなく炎も使っていたのを間近で見たからだ。

カナタは蓮が水だけでなく炎を使っている状況に危機感を抱く。

 

蓮が炎を使うのは、水だけでは勝てないと判断したのではないだろうかと。

それは確かに正しい。ラオの毒は蓮が炎を使って解毒しなければ危険な代物だったからだ。

ただそれだけだ。炎を一度使った以上隠す意味がないからこそ使っているだけの話。

だが、それを知らないカナタは蓮が炎を使わなければいけないほどに追い込まれている状況だと認識し、尚のこと急ぐ。

しかし、《氷焔地獄》に踏み入った瞬間、熱波と寒波がカナタを襲う。

 

「くっ」

 

咄嗟に魔力防御で全身を覆ったが、それでも伝わる熱気と冷気にカナタは顔を顰め、一度範囲内から出る。

 

(まだ相当離れてるはずですのに、この威力っ)

 

此処から蓮のある場所は約5kmだ。

それだけ離れているというのに、伝わる熱気と冷気の凄まじさに、カナタは戦慄する。

今蓮は敵味方の選別を行なっていない。いないが故に、効果範囲内に踏み込んだ自分以外の全てを焼き、凍らせんとしているのだ。だからこそ、カナタにもその攻撃が及んでしまった。

 

(これは上から行ったほうがいいですわね)

 

地面を走るのに比べれば、空中を走ったほうが影響も少ないはず。

そう考えて彼女は自分の霊装を顕現する。

 

「参りますわよ。《フランチェスカ》」

 

現れたのは透けるほどに薄い、ガラス細工のような『レイピア』。

カナタはそれを右手に握り、胸の前で水平に構えて左手の平に切先を当てて差し込む。

《フランチェスカ》の刃は彼女の掌に突き刺さることはなく、塵と砕けて、無数の小さな粒子の刃となって夜天に砂光と舞う。

これが《紅の淑女》の戦闘態勢だ。

 

カナタはそれを操り、空中に薄ぼんやりと輝く透明なガラスの足場を構築し、そこを足場に夜天を駆け上がる。木々よりも高いところまで来たところで、彼女は進路を再び蓮のいると思われる方向へ変える。

熱波と寒波の影響はまだあるものの、先ほどよりは幾分か緩和されている。

そしていざ、向かおうとした時、彼女の視線の先で蒼紅の星が天に昇り、直後天を貫くほどの二つの柱が立ち上った。

目視でも分かるほどの、400mはあろう青く輝く激流の柱と赤く輝く光熱の柱、それらが空中に浮かんでいる蒼紅の星から立ち上っているのを見た。

 

「蓮さんっ!」

 

カナタはすぐにその蒼紅の星が蓮であることを把握。そして、あの二つの柱が蓮の伐刀絶技であることも理解した。

激流の柱。あれはおそらく《蒼刀・湍津姫》だ。リトルの頃に何度か見たことがある。しかし、彼女の記憶では精々50m程度だったが、今は400mまでサイズが巨大化している。

だとすれば、もう一つの光熱の柱は《紅刀・咲耶姫》だろう。かつて蓮の父大和が振るっていた紅蓮の光熱の剣。蓮が炎を使えるのならば、サフィアのだけでなく彼の炎魔術を受け継いでいてもおかしくはない。

 

次の瞬間、二つの柱が縮小を始める。……否、あれは圧縮だ。巨大な二つの柱を蓮が類い稀な魔力制御で圧縮し始めているのだ。

カナタはそちらに蓮がいると確信し、その二つの柱へ向けて走る。

 

そして、蒼紅の星が大地に落ちた瞬間、大地が割れたのを見た。

 

「っっ‼︎」

 

遠目からでも分かるほどのその青と赤の巨大な斬撃は、カナタの視界を中心から右へと進み、その進路上にあったものを悉く斬り裂いた。その破壊が蓮の必殺の双刀によるものだとカナタはすぐに気づく。

そして再び彼女が無空を駆ける中、今度は声が聞こえてくる。

 

「オオォォォォォァァァアアア!!!」

「ぐぅぁぁぁああああああっっ!!!」

「ぬぅあああああああああっっ!!!」

「ッ⁉︎」

 

それは三人の男の雄叫び。

しかも、そのうちの一人はよく聞きなれた蓮の叫び声だった。

彼女はその雄叫びに、何か嫌な予感がし、さらに加速する。やがて、前方に木々が倒れて開けた場所が見える。カナタはその手前で地面に降りると、再び地上を駆ける。

 

そして、開けた場所に出た先で見た光景は———

 

 

 

『——————』 

 

 

 

蓮の首が刎ねられた瞬間だった。

   

 

 

「そん…な……」

 

 

 

カナタはその光景に目を見開き呆然とする。

彼女の見ている前で、蓮を左右から挟む男達が刃を振り抜き、蓮の首が緩やかに宙を舞った。

自然とカナタの瞳からは涙が溢れ、唇が悲しみに震える。

 

「い、や…いやぁ……」

 

そして、首が大地にゴトンと落ちて転がり、蓮の体が血飛沫を上げて崩れ落ちたのを見た瞬間、

 

 

 

「蓮さんッッ‼︎‼︎」

 

 

 

夜天にカナタの絶望に満ちた悲鳴が響いた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「任務完了。全員、よくやった」

 

 

蓮が崩れ落ち、生命活動を完全に停止したのを確認したジーフェンは、まだ生存している仲間達にそう言う。

残った者達は全員が、疲労のあまり座り込み、荒い呼吸を繰り返している。

かつてないほどの強敵との激闘。体力、魔力的なのは勿論、精神的な疲労も大きかった。

そして、蓮が死んだことで、《氷焔地獄》が空中に溶けるように消え間接的な持続ダメージの結界も消える。

そんな中、ジーフェンは蓮の体が崩れ落ちると同時に崩れ落ちたランの遺体を抱えながら周囲の状況把握に努める。

 

(五人死んでしまったか。しかし、《破壊神》を殺せたのは大きいな)

 

中国にとって不倶戴天の宿敵。

かつてないほどに大損害を被ることになった元凶を討ち取ったその功績は大きい。

日本の損失は相当に違いない。対国家クラスの、おそらくは日本の最高戦力である怪物が死んだのだ。戦力の大幅ダウンが見込めるはず。

そして、腕の中で事切れているランを見る。彼女の鳩尾には風穴が空いており、触れた体温も既に冷たいことから既に絶命しているのも分かる。

 

(ウゥリィ、シャオメイ、ラオ、リーファ、ラン、お前達は良くやってくれた。お前達がいたからこそ、この作戦は成功した)

 

この作戦で散った優秀な仲間達へ感謝と黙祷を捧げながら、ジーフェンはランの開いたままの瞼をそっと下ろした。

ジーフェンは一度ランの遺体を地面に寝かせる。

 

「このままこいつと仲間の遺体を回収し、撤退といきたいところだが……」

 

そう呟きながら、ジーフェンはそこから飛び退く。直後、ジーフェンがいた場所の地面が何か見えない刃物のようなもので斬られた痕があった。

視線を向ければ、その先にいたのは、涙を流しながら怒りに満ちた表情でこちらを睨むカナタだった。

 

「まだ、終わってはいないな」

 

その言葉を聞いた者達は頷き立ち上がると、カナタへと向き直る。

ジーフェンは数日間の調査で彼女の顔を知っている。

 

「《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタだな。何故ここにいるのか、は問う必要はないな」

「よくも、よくも蓮さんをッ‼︎絶対に許さないっ‼︎‼︎殺すっ‼︎」

「我らからこの男の死体を取り返す気か?

そうはさせん。この男の、《破壊神(バイラヴァ)》の死体は持ち帰らせてもらう。我々の任務はこの男の死体を本国へ持って帰るまでだ。この死体は我が国が日本の最高戦力の一つを殺したと言う最大の証になる。

最も、この場を見てしまった以上、貴様の命も狩らせてもらうがな」

「黙りなさいっっ‼︎‼︎‼︎」

 

そう叫び、カナタは激情のまま飛び出す。

魔力放出を使い凄まじい速度で彼らへと迫る。

彼女の心は怒り一色だった。蓮を殺されたことへの怒りが、今の彼女を突き動かしていた。

カナタが飛び出したのに合わせ、ジーフェンの左右からレイとグーウェイ、リーが左右から駆け抜ける。

 

ジーフェンは大斧を振り翳し水の斬撃を、レイは雷の大刀を振るい雷の斬撃を、リーが偃月刀を振るい風の斬撃を放つ。

水、雷、風、三属性の斬撃が正面からカナタに迫るが、それをカナタは目に見えないほどに小さな粒子の刃《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》を自身の周囲に嵐のように回転させて迎え撃つ。

 

「《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》ッッ‼︎‼︎」

 

さながら、目に見えない削岩機のように数億も

の刃の斬撃で、その三つの斬撃を削り切った。

そして、その直後、

 

「ガッ⁉︎」

 

リーが全身から血を噴き出して崩れ落ちる。

まるで数万の太刀を浴びたように無数の斬撃を総身に刻んでいた。

 

「「ッッ‼︎」」

「気をつけろ!《紅の淑女》は目に見えない粒子の刃を無数に操るっ!見えずともそこには刃があると思え!」

 

ジーフェンは全員に警告を飛ばす。

事前に破軍学園の主要な伐刀者の能力と戦法は調べてある。だからこそ、ジーフェン達はカナタの戦い方を知っている。

今のも、カナタが粒子の刃を操り一番近くにいたリーをその粒子の刃で斬り刻んだのだ。

 

実のところ、《紅の淑女》貴徳原カナタを相手にした場合、無傷でいられる者は殆どいない。蓮のように全身を液体化させることで、回避することはできるが、それができないものは無傷で勝つことはほぼ不可能。

なぜなら、カナタの伐刀絶技《星屑の剣》は、自らの霊装の刀身を目に見えない程の細かい欠片として大気中に散らし、その欠片を操り敵を刻む技。

その欠片の小ささたるや、呼吸していれば自然と肺の中へと入ってしまうほどであり、これを完全に回避するのは、至難の業なのだ。

そして、ジーフェンの指示に従い彼らは彼女から距離を取り遠距離での攻撃を始める。

 

「邪魔ですっ‼︎‼︎」

 

それらをカナタは《星屑の斬風》で斬り刻み、防ぎながら、魔力放出も併用しとてつもない速度で距離を詰めていく。そして、距離を詰め、レイを射程に捕らえていざ切り刻もうとした刹那、彼女は背中を無数の黒い刃に貫かれた。

 

「ぇ……?」

 

カナタは目を見開き、口からゴプと血を溢す。

背を見れば、カナタの背後の影から刃が伸びていた。

カナタは確かに強い。日本でも有数のBランク騎士として名を馳せているだけはある。《黒狗》であろうとも、彼女ならば渡り合えただろう。

だが、それはあくまで一対一ならだ。

ジーフェン達の能力を把握しきれていなかったことも大きい。

 

そもそも蓮でさえ苦戦を強いられた相手を、いくら蓮が厄介な能力持ちの術者を幾人か殺したところで、怒りに呑まれている状態で、いや万全であってもカナタが勝てる相手では無いのだ。

 

そこから戦況は一気に傾く。

カナタが展開していた数億の刃で構築した攻防結界。近づく敵の悉くを斬り刻み、近づかせない攻防一体の結界。

攻撃を防ぐはずの結界をすり抜けて雷撃が迫ってきた。

 

「ッッ‼︎‼︎」

 

カナタはなんとか背中から黒刃を引き抜き、それを防ごうと刃を操りガラスの壁を構築する。

しかし、雷撃はそれすらもすり抜けて、直後、カナタの総身を撃つ。

 

「ああぁっっ⁉︎⁉︎」

 

総身を焼き焦がす雷撃にカナタは絶叫をあげる。雷撃に片膝をつき、荒い息をつくカナタに今度はジーファイが放った萌葱色の光の矢が、刃の結界を突き破りながら迫った。

 

「くっ!」

 

それを避けようとカナタは横へ飛び退く。

回避には成功した。そして反撃をしようと刃を操作しようとした直後、カナタの右腕が宙を舞った。

 

「なん、で…?」

 

カナタは訳がわからないと言った様子で、千切れ飛んだ自分の右腕を見る。

彼女の視界の隅に映る地面には、先程避けたはずの萌葱色の矢が刺さっていた。

確実に避けたはずのそれが、どうして自分の右腕を千切ったのか、彼女には訳がわからなかった。

その絡繰が、影を伝って矢がカナタの背後から飛び出してきたなど、能力を把握しきれていないカナタには分かるはずもない。

そして、次の瞬間、カナタの左側にタイランが音もなく現れる。

 

「なっ!」

「はぁっ!」

 

咄嗟にカナタが壁を作るよりも早く、タイランの拳が彼女の左腕を撃つ。『蓄積』によって溜められた蓮の攻撃の威力が、カナタの左腕を粉々に砕き、それだけで終わらず左肋骨をも砕き殴り飛ばす。

 

「ガッ⁉︎」

 

地面を10m転がったカナタは何度も咳き込み血を吐き出しながら、フラフラとした足取りで立ち上がる。

しかし、立ち上がった時にはすでに敵が迫っていた。

 

「ッッ」

 

ジンが無数の剣の形状にした数十本の障壁剣を、カナタに投げつけていた。

 

(防御をッ!)

 

カナタはガラス壁を構築し、それを防ごうとする。しかし、それは《貫通》が付加されており、ガラス壁を容易く突き破りカナタの全身を穿つ。

 

「〜〜〜〜ッッッ⁉︎⁉︎⁉︎」

 

全身を貫かれたカナタは、全身に刻まれた無数の傷口から血を噴き出し、声にならない悲鳴をあげて崩れ落ちる。

しかし、崩れ落ちる間も無くグーウェイが《転移》で彼女の真横に現れ、大斧に水を纏わせて巨大な水槌へと変え、カナタを横殴りにする。

 

「っ、ああぁぁっ⁉︎」

 

悲鳴をあげて再び地面を転がるカナタの先には、待ち構えるようにガオランがいて藍槍を地面に突き立て地面から土龍を生み出した。

土龍は牙が並ぶ顎門を開きカナタへと襲いかかる。

 

「ッッ《星屑の(ダイヤモンド)…、(ランス)》ッ‼︎」

 

地面を転がりながらも何とか体勢を立て直したカナタは、痛む体に鞭打ちながら、粒子の刃を一点集中させて錐のように渦巻かせて槍の形にすると、その土龍を貫き、そのまま姿を変えて土龍を包み込み、瞬く間に斬り刻んだ。

土龍が砂塵となって崩れ散る。そして、そのままガオランへと刃を襲い掛からせようとしたが、そこまでだった。

彼女の左側には7mはあろう土のゴーレムがいて、鉄分を固めた棍棒を既に振り下ろしていた。

 

「ガッ⁉︎」

 

防御する間も無くゴーレムの棍棒に叩き落とされ、カナタは地面を何度もバウンドしてやがて一本の木の幹に叩きつけられる。

 

「ゴホッ、ゴホッ、」

 

叩きつけられたカナタは、地面に崩れ落ち幹に凭れると大きく開いた口から何度も血を吐き出す。

この数分の間に彼女は見るも無残な状態になっていた。

右腕は斬り落とされ、左腕は砕けあらぬ方向に歪んでいる。両脚もまともに動かせない。全身の骨がほとんど折れるか罅が入っている。全身には無数の傷があって、血がとめどなく溢れ、激痛が彼女の意識を苛む。金糸のように美しい金髪は、血と土で薄汚れてしまっていた。

 

「無駄な足掻きだったな」

 

そう言いながら、ジーフェンは力無く倒れているカナタに近づく。

 

「くっ」

 

カナタは歯噛みしながらもせめてもの抵抗として《星屑の剣》で至近距離にいる、橙光を纏ったジーフェンを斬り刻まんと数億の刃をけしかけるも、それは再び何事もないかのようにすり抜けてしまった。

 

「無駄だと言ったはずだが」

 

そう呟きながら、ジーフェンはカナタを影の腕で拘束し、全身に荊のように影腕に生やした小さな刃を突き刺していく。

 

「ぁぐっ、」

 

激痛に顔を歪め、更に傷を増やし傷口から血をこぼすカナタにジーフェンは影纏う刃を持ち上げ淡々と告げる。

 

「あの男の後を追わせてやる」

 

ジーフェンはカナタの首へと刃を振り下ろす。

もう数瞬もしないうちに、刃はカナタの首を蓮と同じように刎ねるだろう。

影から伸びた腕がカナタを木の幹に縛り付けているため逃げることもできない。

既に満身創痍の状況の中、カナタは自分の死を悟った。

 

 

(ごめんなさい……貴方の仇を……取れませんでした)

 

 

カナタは刃が迫る中、微笑を浮かべ心の中でそう蓮に謝罪をする。

頬には涙が伝って、血の滲んだ戦闘服に滴り落ちる。

 

 

(……せめて、死後では…貴方と、一緒に……)

 

 

せめて天国では次こそ貴方と一緒にいたい。

そんな事を考えながら、カナタは蓮の遺体がある場所へ視線を向ける。

しかし、その直後、彼女は己の目を疑った。

 

 

(……え………?)

 

 

視線を向けた先、黒狗達の更に後方の月が照らすある一点。

 

 

そこにはあるはずのものがなかった。

 

 

そこにあるはずの彼の遺体が———跡形もなく消失していたのだ。

 

 

(…どう、し…て……?)

 

 

自身に命の危機が迫っている中、どういうことだと思った瞬間、視界に青の輝きが満ちて、次いで声が聞こえた。

それは聴こえるはずのない彼の声。

 

 

 

「彼女に手を出すな」

「ガッ⁉︎」

 

 

 

その声が聞こえた直後、カナタにトドメを刺そうと大太刀を振り上げていたジーフェンが横から誰かに吹き飛ばされる。

地面を転がるジーフェンは、すぐに身を起こし何事かと自分が先程までいた場所へ視線を向け、

 

「なんだと…っ⁉︎」

 

驚愕に目を見開いた。まるで幽霊を見るような目をカナタのいる方向に向けている。

なぜなら、そこにはいるはずのない男が立っていたからだ。

その顔は、その体格は、感じられる魔力と気配は、間違いなくあの男のもの。

 

あり得ない。あり得るわけがない。

あの男はつい先程確かに殺したはずだ。

液体化を封じて、両腕を切って、両足も完全に動けなくして自分とレイの二人で、首を刎ねたのを覚えている。

生命活動が完全に停止したのを確認した。

どうあってもあそこから蘇るなどありえない。完全に死んだはずだ。

なのに、どうして生きている⁉︎どうして立っている⁉︎

 

「ぁ……」

 

カナタは呆然とした表情を浮かべ、戸惑いの声で目の前で自分を庇うように立つ男の背中を見上げる。

その大きく逞しい背中は、カナタが憧れて惚れた人のもの。幼い時からずっと見てきて、追いかけて、憧れ、いつか恋を抱くようになった彼の大きな背中。

それは紛れもない英雄の背中だった。

カナタは震える声で彼の名を呼ぶ。

 

 

 

「蓮、さん……?」

 

 

 

その名を呼ばれた男、全身に眩い紺碧の輝きを纏う青年ー新宮寺蓮はカナタに振り向いて微笑んだ。

 

 

 

「ああ、俺だ。大丈夫か?」

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「え、…そんな……だって、蓮さんは……」

「じっとしてろ」

 

蓮はまだ状況について行けていない彼女の問いを無視して、カナタの影の拘束を《蒼月》を振るい悉く斬り裂く。拘束がなくなり、崩れ落ちるカナタを抱き抱えると、彼女の耳元で小さく呟いた。

 

「少し離れるぞ」

「きゃっ」

 

蓮はカナタの返事を聞かずに、ひとっ飛びで近くの木の側に移動し、そこに彼女を降ろすと彼女の傷に視線を向ける。

 

「あ、あの……」

 

戸惑いの眼差しでこちらを見上げるカナタの右腕は無くなって、左腕も粉々に砕けてしまっている。着ている戦闘服は所々斬り裂かれ、そこからは無数の痛々しい傷が覗いていて、血が流れてしまっている。大小様々あって、この数分の間に相当の傷を負ったものだとわかる。

 

(こんなに傷が……)

 

自分が呑気に蘇生していた間に、彼女が戦ってつけられた傷を見て蓮は自分でも怒りが込み上げてくるのを感じた。

 

彼女が来る前に決着をつけるべきだった。

使う必要がないからと『力』を使わなかったから、時間がかかり首を刎ねられると言う不覚をとってしまった。

使っていればこんなことにはならなかった。

使わなかったからこそ、カナタがこの戦場に間に合ってしまい、涙を流させて傷を負わせてしまった。

もう二度と、悲しませまいと、傷つかせまいと、今度こそ彼女達を守ろうと誓ったのにこの体たらく。

本当に情けない。

 

(とんだ醜態を晒してしまったな)

 

守るべき大切な人を傷つけた者達に、そんな状況を招いてしまった自分の不甲斐なさに、蓮は怒りを抱かずにはいられなかった。

 

「……ッッ」

 

しかし、その込み上げてくる激情を歯を噛み締めてグッと堪えると、少し離れたところに転がっているカナタの右腕を水の鞭ですぐに回収すると掌に、中心に三つ巴が描かれている青い魔法陣を浮かべながら、静かな声で唱える。

 

「———癒しを此処に。《清明之雫(せいめいのしずく)》」

 

魔法陣から青く輝く雫が一粒滴り落ちる。

その雫がカナタに触れた瞬間、淡い青光が彼女の全身を包み込み、右腕を繋げて、全ての傷を忽ちに癒していった。

カナタは未だに信じられないのか、癒された自分の体を一頻り見た後、震える声で蓮に尋ねた。

 

「本当に…蓮さん……なのですか?」

「本物だ。お化けじゃないから、安心しろ」

 

蓮はカナタの口の端から溢れている血を拭いながら、穏やかに微笑みそう言った。

それでやっと、蓮が生きていることを実感したのか、カナタはその瞳から大粒の涙を何度も溢し、嗚咽を漏らしながら蓮にしがみついた。

蓮もまた彼女を優しく抱きしめる。

 

「良かったっ…蓮さん、無事で、本当に良かったっ……」

「ごめんな。俺が不甲斐ないばかりに心配をかけた」

「いいえ、いいえっ、……貴方が無事ならそれだけで十分です。……でも、後で文句ぐらいは言わせてください。心配したんですから」

「ああ、分かってる」

 

それぐらいなら甘んじて受け入れる。

それだけのことを自分はしでかしてしまったのだから。

蓮は彼女から体を離すと、涙の流れる頬を優しく撫で、目尻から涙を拭うとスッと立ち上がり、いきなりシャツを脱ぐ。

 

「ッッ」

 

露わになった傷だらけの肉体に彼女は一瞬息を呑むも、蓮はそれに構わずカナタにシャツをかける。

カナタは蓮が自分に服をかけてきたことに戸惑いの表情を浮かべた。

  

「えっ、あ、その…」

「服は後で母さんに直してもらうとして、とりあえず今はそれで隠しておけ。色々とまずいからな」

「え?」

 

カナタは目を背けながら言われた蓮の言葉に自分の体を改めて見回した。

先程は血が滲み痛々しい姿だったが、蓮が治癒したことで傷は全て完全に癒えて痛々しい姿ではなくなった。

だが、体を貫かれた際に当然彼女が身に纏っている戦闘服も斬り裂か無数に破れた跡がある。

服の損傷は蓮は直せなかった為、戦闘服の破れた箇所から彼女の新雪のように透き通った白い柔肌が露わになっていたのだ。紺色の戦闘服と相舞って、なかなかに扇情的な姿になっていた。

 

「〜〜ッ‼︎‼︎」

 

自分の状態を再認識したカナタは顔を一気に赤らめ声にならない悲鳴をあげ、蓮の黒いシャツを着て自分の体を隠す。

戦闘時、服が破れることはあり、肌が露出しても今まではあまり気にしなかったが、好きな人に見られていると意識すると流石に恥ずかしかったようだ。

蓮はその様子に微笑むと、彼女に背を向ける。

 

「少し待っていてくれ。すぐに終わらせる」

 

しかし、そう言う蓮をカナタは立ち上がって止めた。

 

「ま、待ってください!それなら私も!」

 

傷は彼のおかげで完全に癒えた。魔力もまだ残っている。ならば、自分も戦える。彼を一人で戦わせるわけにはいかないと彼女は立ち上がる。

だが、それを蓮は止めた。

 

「駄目だ。カナタはそこで休んでいてくれ」

「で、ですがっ!」

「俺は大丈夫だから、今度こそちゃんと守らせてくれ」

「ッッ」

 

カナタは蓮の言葉に込められた意味を理解し、しばらく逡巡するも、やがて声を絞り出した。

 

「……どうか、ご武運を」

「ああ」

 

蓮は一つ頷くと、カナタへと背を向けてジーフェン達の方に向き直る。

再び自分達の前に立つ蓮の姿に、ジーフェン達は明らかに動揺していた。ジーフェンは青ざめ、動揺のままに叫ぶ。

 

「有り得んっ!貴様の首は確かに刎ね、殺したはずだ!なのになぜ生きているっ⁉︎無効化もあったんだぞっ‼︎‼︎いくら《魔人》だからといって魔術を封じれば蘇生できないはずだっ‼︎‼︎」

 

ジーフェンだけではない。他の者達もまた蓮に驚愕と疑惑の視線を向けている。

だが、彼等の疑問は尤もだ。

蓮が肉体を液体化して、蘇生することができるのは知っていた。そのためにも、その蘇生のための式を作らせないために、ランが命尽きるその時まで魔力無効化の鎖で縛り付けていた。

そして彼の首を刎ねて、生命活動を完全に停止したのを確認した。

だと言うのに、なぜ彼は生きているのか。

そう狼狽するジーフェンに、蓮は酷薄な笑みを浮かべながらただ告げる。

 

「ああ、確かに貴様達の手際は見事だった。

実際、首を刎ねられた一瞬まで俺は《青華輪廻》の式を構築すらできなかった。そうして俺の首は肉体から分たれ、俺は一度貴様達に殺された。だが、それだけの話だ」

「何だと?」

「人は心臓を穿たれても十数秒は意識がある。それは首を刎ねられたとしても例外ではない。

事実、俺は首を切られてもしばらく意識が残っていた。それに、首が切り離されはしたが、そっちには魔力無効化の干渉は及んでいなかった。だからこそ、俺は大気中の水分や、地下を流れる水脈に干渉できた。

そして、意識を繋ぎ止めながら魔力を吸収し蘇生の式を組み生命維持を行い、カナタが戦っている間に肉体を蘇生させた」

 

自然干渉系の伐刀者は、自分の対応する属性の力を吸収し、自身の魔力に変換することができる。

蓮が行ったのはまさにそれであり、大気中の水分や地下水脈に干渉し、それらの水を『喰らう』ことで、魔力に変換したのだ。

更には、それらの水と自身の魔力を繋げ、魔力回路を構築し、そこに意識を繋げることで死による意識の喪失を回避。蘇生の式を構築したのだ。

 

「当然そのまま蘇生しては貴様達には気づかれただろう。

だから、俺は隠蔽結界を使いながら元の肉体を人形に置き換えて、貴様達にそれが本物の死体であることを思いこませながら、その間に隠蔽結界の中で俺は自分を蘇生させた」

 

意識が保てているのならば、蓮の埒外の魔力制御も遺憾無く発揮される。

体内に残る残留魔力と新たに吸収した魔力を用いて、隠蔽結界《鏡花水月(ミラージュ・ムーン)》と水の人形、《青華輪廻(リィン・カーネーション)》の三つを同時発動したのだ。

埒外の神業といっても足りないほどの、卓越しすぎた技術だ。

 

「まぁつまり、何が言いたいかというとだ」

 

そう言って一度口を閉じた蓮は首の調子を確かめるようにゴキと鳴らすと、不敵な笑みを浮かべて静かに、されど堂々とした声で言った。

 

 

 

「一度殺したくらいで、この俺が死ぬとでも思ったか?」

 

 

 

それは己こそが絶対強者であるが故の傲慢な発言。

 

己こそが最強であると疑わないが故の不遜な態度。

 

自分が埒外の天才であることを自覚し、この世界に己よりも強い者など一人としていないと確信し、自分ならばできると疑わないからこそのものだった。

 

 

「〜〜〜ッッ‼︎‼︎」

 

 

これにはジーフェン達もいよいよ確信した。

 

自分たちが殺そうとしていたこの男が、——— 人間ではないことを。

魔術を封じ、首を刎ねたからなんだ。

目の前の男は、それを意に介さずに容易く蘇ってみせたではないか。

普通なら死んで当然のはずが、彼にはもう当然ですらない。

死を超越しているこの男が、常人のように死ぬ光景が、未来がまるで想像できない。

その有様をもはや人とは呼べない。呼べるわけがない。

 

コレは、この男は、人の形をした災害。人外魔境に住まう魔性に堕ちた化け物だ‼︎‼︎‼︎

 

同時に理解せずにはいられなかった。自分達はそんな怪物ー否、神の、決して触れてはならぬ物に、龍の逆鱗に触れてしまったのだと。

 

彼らは漸く蓮という《魔人》の力の強大さを、異質さを、その歪みを理解した。そして、此処からどう撤退するか、誰をうまく逃すべきかを各々が思考を巡らせている中、蓮は冷酷な声音で続ける。

 

「ただ、貴様達が俺を一度殺したのも事実だ。そこは認めよう。人である貴様達が《魔人》を一度殺したことは見事だ。ここまで俺が追い詰められたのは久しぶりだからな。

だから、餞別として特別に見せてやろう」

「餞別だと?」

「ああ、そうだ。別にこの力を使わなくても俺は勝てる。力を使わずとも鏖殺することに変わりはない。……だが、貴様達は俺の逆鱗に触れた」

『ッッ‼︎』

 

冷酷な声音とともに放たれた濃密な殺気に、彼らは思わず体が強張った。

先程は見せなかった圧倒的な殺気。

それに、彼らは蓮の背後に天を衝くほどに巨大な身体をくねらせる龍を幻視した。

彼らが蓮の殺気に慄く中、蓮は青い炎のような静かな怒りをその瞳に宿しながら静かに告げる。

 

 

 

「覚悟しろ。

貴様達は俺を怒らせた。

全員生きて帰れると思うな」

 

 

 

そう言って、蓮は全身から魔力を迸らせる。

先程よりも遥かに膨大な量の魔力が彼の総身から噴き出し、青い光となる。

鮮烈な青が夜の闇を激しく照らしていく。それはまるで月光のようで、まるで地上にもう一つの月が現れたかのよう。

そして、青き月と化した蓮は静かに呪いを唱えた。

 

 

「目醒めろ——————《臥龍転生(がりゅうてんせい)》」

 

 

静かに言霊を唱えた直後、彼を中心に眩い紺碧色の魔力光が彼自身から噴き出し天を貫いた。

 

その光の柱の中で彼の様相が変わっていく。

 

腰にある二振りの《蒼月》は青い光の粒子となって蓮の体に吸い込まれ戻っていく。

 

海を凝縮したような紺碧色だった瞳は、月のような鮮やかな黄金色へと変化している。瞳孔は黒から青へと染まり、爬虫類のように縦に割れる。

 

水を思わせる淡青色の髪は神秘的な白銀色へと色を変え凍てつくような輝きを芯から発している。

 

背中や腰からは《王牙》にも生えているような青白く揺らめく魔力で形成された鰭、突起、尻尾が生えていた。

額と後頭部にも魔力で形成された青黒い角が大小四本生えている。

 

肌は髪と同じように真っ白に染まり全身には独特な水色の紋様が顔から爪先に至るまで全身に浮かび、胸には三つ巴を表す、三つの勾玉の紋様が描かれ一際強く輝く。

 

 

その身に宿るは人外の異能。

 

 

彼の内に宿る真なる力が今顕現する。

 

 

それは災いと恵みを齎すもの。

 

 

それは海と天を象徴するもの。

 

 

それは神の化身。あるいは神そのもの。

 

 

彼の実父—桜木大和をして()()と称した()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

世界を滅ぼしえる可能性を持つ禁忌の力。

 

 

それが今、解放された。

 

 

様相が変わった蓮はゆっくりと顎を上げ夜空を仰ぐや、

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️—————————ッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

高らかに天に吼えた。

 

 

 

彼の口唇から放たれたのは力強く、清冽な轟きは地鳴りにも、海鳴りにも、雷鳴にも似た人ならざる怪物の咆哮。

 

 

 

その声音は人の姿を借りた荒ぶる『神』の顕現を示すもの。

 

 

 

天地を震わせる強大な咆哮を以って、『神』は自らの覚醒を告げた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

それは15年前、まだ大和とサフィアが生きていた頃。

 

福岡の山の中腹に立つ大きな一軒家に黒乃と寧音が遊びにいった日のことだった。

 

『蓮は水使いじゃない?何を言ってるんだ?』

『そうだぜ。どっからどう見ても水使いだろー。いや、あの子の場合は水と炎使いかね』

 

出された茶を飲みながら、二人はそう呟く。

二人の向かいには、座布団に触るこの家の主人が、一人の精悍な顔つきの黒髪の青年がいた。

彼こそが桜木大和。《紅蓮の炎神》の二つ名を持ち、史上最高かつ最強の炎使いであり、現日本最強の地位に君臨する最強の伐刀者だ。

 

そして、今庭で2歳程の水色の髪の男の子と共に、水魔術で様々な水人形を作り遊んでいるのは、男の子と同じ水色の髪をポニーテールにしている麗しい美女。

彼女こそが桜木・I(インディゴ)・サフィア。大和の妻であり、《紺碧の戦乙女(ブリュンヒルデ)》の二つ名を持ち、大和と同じように史上最高かつ最強の水使いとして名を馳せる現ヴァーミリオン皇国最強の伐刀者だ。

 

彼女と遊ぶ小さな男の子は、大和とサフィアの大切な息子ー蓮だ。

蓮は今、サフィアと共に水魔術の鍛錬も兼ねて人形遊びをしていた。

大和はそんな二人へと視線を向けながら、二人の問いに応えた。

 

『まぁそうなんだがな、お前らは俺の霊眼の特性を知っているだろう?』

 

そう言って、大和の朱玉を思わせる紅い瞳が赤光を帯びる。全てを見通すことができると言う神秘の眼『霊眼』を使用した証だ。

これに二人は頷いた。

 

『無論だ。魔力の流れを見れることだろ?だから、魔力隠蔽もお前には通じない。それがどうかしたのか?』

『霊眼は魔力を見ることができる。なら、魔力ってのはなんだ?』

 

魔力とは理を超えて世界を塗り替える力。

伐刀者が運命を切り開き、己の生きた足跡を些細に刻む魂の力。

その考えに至った寧音が、大和の疑問に答えた。

 

『そりゃあ……魂の力じゃないのかい?』

『そうだ。魔力とは魂の力だ。つまり、霊眼とはその者の魂をみれると言うこと。

そして、生後間も無くの頃に俺はあの子の魂をみた。確かにあの子には二つの異能の波長があった。だが……』

 

そこまで言って大和は口を噤む。

それはまるで言うのを躊躇っているようにも感じた。

だから、その先を察した黒乃が代弁した。

 

『水だと思ってた異能は、水ではなかった、ということか』

『……あぁ』

『でもよ、それの何が問題なんだよ。水だと思ったら別の異能だったなんて、やっくんと同じパターンじゃねぇかよ』

 

寧音の言う通り、大和は純粋な炎使いではない。

彼の能力は炎ではなく『鬼』だ。

概念干渉系《鬼》。東洋の神話で語られる人々が抱く恐怖と人々が恐れた暴力を象徴した存在であり、東洋では最も有名な妖怪であり、神話世界の絶対強者の力をその身で体現する能力。

炎など『鬼』の力の副産物に過ぎない。

 

彼が『鬼』の力に目覚めたのは、一年生の七星剣武祭決勝戦の真っ只中だ。今までAランクで強すぎる才能を有していたからこそ、自分の力を誤解したまま今まで来たが、サフィアとの戦いで完全に『鬼』の力が覚醒したのだ。

 

そして蓮が水使いではないと言うことは、水にまつわる概念系の能力を有していると言うことになる。

その概念が何かは分からないが、大和と同じようなパターンであることには間違い無いだろう。だが、それの何が問題なのだろうか。

目の前に前例がいるのだから、何も動じなくていいはずなのだが……

そんな二人の疑問に大和は首を横に振った。

 

『さっき俺が魂の力を見れると言っただろ?

魂の力をみれるということは、とどのつまりその者の魂の形、その魂の本質をみれるということだ』

 

霊装は魂の具現と言われているが、厳密には魂そのものではない。霊装とは魂の象徴であり、投影。

欠けたり砕けたりしても、精神的ショックが魂にフィードバックするだけだ。

しかし、大和の霊眼は大元の魂そのものの本質を見ることができる。

その者が持つ異能の本来の姿や、そのものの内面の性質など、その個人の本質を暴けるのだ。

 

『因果の内にいる『人間』は俺のような特殊な能力を持っていない限り、大体が人の形か霊装の形を取っている。

魂の性質によってはどす黒かったり、綺麗だったりと、色やオーラも見分けが付けれる。

そして《魔人》であるならば、はっきりとした人ならざる存在が映る。例えば、サフィアなら『戦乙女』で、俺と寧音が『鬼』であるように、何らかの人の形をした人外の姿が映るんだ』

 

そこまで言えばもう分かってしまった。

大和が何か得体の知れないものを見てしまったのだと。

 

『………大和。お前は、あの子に何を視たんだ?』

『………』

 

大和は黒乃の問いには答えずに大きくため息をつくと、嬉しさも戸惑いが混ざった複雑な表情をしながら、庭先で遊ぶ妻と息子に視線を向けながら呟く。

 

『全く我が息子ながら驚かされた。あの子の才能は俺達なんざ霞むほどに凄まじいほどだ。まさしく神懸かってるっていうほどにな。……いや、これは言い得て妙か』

『?さっきから何勿体ぶってんだよ。やっくんは何を見たんだい?』

『………怪物だ』

『『は?』』

『俺は、あの子の魂に怪物が宿っているのを視た』

 

あの『鬼』の力を宿す大和が、蓮の中に宿るなにかを怪物と称したことに二人は思わずそんな声をあげ、疑問を投げかける。

 

『どう言うことだ。怪物だと?』

『そのままの意味だ。あの子の魂は《魔人》でないにも関わらず既に人の形をしていない。人ならざる怪物の姿を象っていた。

いや正確には、いたのはその怪物だけじゃなかった。その中心には小さな子供もいたんだ。その怪物はその子供を守るようにして眠っているように見えたよ。

ああいった人と怪物がいる場合は、それに由来する概念系の能力を持っているということだ』

 

小さな子供とはつまり蓮のことだろう。

そしてそれを守るようにして、眠っているその怪物の姿に大和は驚愕したと同時に、安堵もしたらしい。

 

『守っていると言うことは、あの怪物は蓮の味方だ。そこは安心できる。だが、それを差し引いたとしてもあの力は危険だ』

『お前がそこまで言うのか』

『ああ、断言できる。あの子の力は世界を滅ぼすことができる力だ。間違いなく最強の部類に入る異能だろうな』

『『ッッ‼︎‼︎』』

 

正直、大和は自分が『鬼』と言う神話の存在の能力を持っているとはいえ、その能力が本当に実在していたのかと己の目を疑った。

なぜなら、蓮に宿る怪物はそれだけ、常識はずれの生物の形を取っていたのだから。

『鬼』すら凌駕する存在が、あの子の中には宿っていた。

寧音はその正体に何か心当たりはないのか大和に尋ねた。

 

『……その力に、何か心当たりはあんのかい?』

 

その問いに大和ははっきりと頷いた。

 

『ああ、これはあくまで俺の予想だ。

だが、ほぼ確信に近いと言ってもいい。

荒唐無稽な話だが、俺が『鬼』の能力を持っている以上あながち勘違いとも言い切れない。

何せ、『鬼』とその怪物は神話の中でもかなり密接な繋がりがある。伝承によっては血縁関係だったのもあるぐらいだ。

だから、もしかしたらあの子の異能は———』

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️—————————ッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

 

夜天に力強く、清冽な咆哮が轟く。

それは『神』の顕現を示す轟き。己が存在を世に知らしめるための咆哮だ。

そして様相が変わり、咆哮を上げた蓮は顔を下ろし、その金碧へと変わった龍の眼でジーフェン達を見据える。

ジーフェンは蓮の姿に目を見開き驚愕する。

 

「何だ、その、姿は…っ‼︎」

「………」

 

蓮は彼の言葉には答えずに、無言で右腕を空に掲げる。

掌に三つ巴の描かれた魔法陣を浮かばせて、蓮は呪いの言葉を告げる。

 

「《叢雲(むらくも)》」

 

刹那、蓮の掌に浮かんだものと同じものが、しかしサイズは桁外れなほどの巨大な青色の魔法陣が夜天の空に浮かび上がる。

その魔法陣が天に変化をもたらした。

 

「っ、風がっ、それに雲が集まって…っ⁉︎」

 

ジーフェンの言う通り、雲ひとつなかったはずの藍色の夜空に、突如風が吹き、魔法陣を中心に雲が集まってきたのだ。

やがて、寄り集まった雲は膨張し、黒色を纏い、低く垂れ込め、月を覆い隠し、夜天を更なる黒で呑み込む巨大な黒雲と化す。

しかし、それだけでは終わらない。

 

「っっ、雷雨だとっ⁉︎」

 

突如雨が降り、雷鳴が轟き始めたのだ。

雨は瞬く間に激しさを増し、彼らを雨で濡らしていく。

突然の天候の急変。それが単なる自然現象ではないことは明らかだ。この事象は目の前の男が齎したもの。

それはつまり、蓮が持つ本来の力は、天候を操作することが可能だということを示している。

そして、どよめく彼等を無視し、更に蓮は告げた。

 

「天より降り落ちろ———《神鳴(かみなり)》」

 

蓮は言霊に合わせ右腕を振り下ろす。

直後、天の黒雲は蓮の言霊に応えて青白い光を弾かせて、青き雷を無数に大地へと落とした。

 

「っ、全員回避しろっ‼︎‼︎」

 

ジーフェンが天より振り落ちる落雷に、青ざめて全員に警告を飛ばす。

直後、落雷の雨が大地に降り注ぐ。

耳を聾する轟音が、足を揺らす振動が、彼等に襲いかかる。

ジーフェンの指示に従い彼等は全員回避行動を取る。

雷使いであるレイは蓮の雷撃を蓄電し己の力へと変換し、反射使いであるミンファンは雷撃を反射し、透過使いであるリーユエは雷を透過して凌ぎ、それ以外のメンバーはジーフェンによって半強制的に影の中に引き摺り込まれて回避に成功する。

そして落雷の雨が収まり、影の中から出てきた彼等に蓮はさらなる攻勢に出る。

 

「……」

 

蓮は全身に()()()()()()

バチバチと全身から稲妻を発した蓮は、身を屈めグッと両脚に力を込める。

 

 

「《雷迅天翔(らいじんてんしょう)》」

 

 

瞬間、蓮の姿が消える。

否、消えたと見えるほどに疾く、鋭く、動いたのだ。自身を雷光と化し、雷の速度で移動する伐刀絶技によって、蓮は影の中から出てきたガオランの眼前に飛び込む。

 

「ッッ⁉︎⁉︎」

「六人」

 

ガオランが反応するよりも疾く、蓮は稲妻迸る右手で彼の頭部を鷲掴みにし地面に叩きつける。

 

「《破天轟雷(はてんごうらい)》」

「ガッ⁉︎」

 

直後、巨大な雷鳴が轟き、蓮の右手からは夜の闇を青白く焼くほどの激しい雷撃が解き放たれ、その雷撃の中心にいたガオランは全身を一瞬で焼き焦がされ、事切れた。

仲間が瞬殺されたことに、未だ動揺が消えていない彼等に蓮は、更に技を放つ。

 

 

「《暴嵐穿雨(ぼうらんせんう)》」

 

 

降り注ぐ大量の雨粒。それらが突如軌道を変えて雨粒の弾丸となって襲いかかってきたのだ。

それだけではない。地面にいくつも生まれている水溜りからも同様に無数の水滴が浮かび、弾丸となって襲いかかる。

何人かは全力の魔力防御だったり、能力で打ち消すことはできた。しかし、

 

「ぁっ…」

 

先程カナタの《星屑の剣》の攻撃で倒れ、水使いであるグーウェイに治癒されたリーだけは防御が間に合わず、雨粒の弾丸に風の防壁を容易く突き破られ、全身を蜂の巣にされて、どしゃと血飛沫を上げながら水音を立てて崩れ落ち、絶命する。

 

伐刀絶技《暴嵐穿雨》。雨粒を操り弾丸以上の速度で操作する事で、地面を容易く抉る魔弾として、あるいは攻撃を削り弾く防壁として使用する攻防一体の絶技。

原理としてはカナタの《星屑の剣》と同じ物。しかし、その一粒一粒の威力はカナタのそれを凌駕していた。

 

「七人」

 

蓮の無慈悲な宣告が響く。

 

「クソッ‼︎‼︎」

 

電磁波の障壁で雨粒の弾丸を弾いたレイは、そう悪態をつきながら蓮に無数の雷獣と雷刃を放つ。

 

「《青嵐風碧(せいらんふうへき)》」

 

だが、それらは蓮を中心に発生した()()()()によって悉く阻まれ霧散する。

 

「一体何なんだ貴様の異能はっ⁉︎水と炎じゃないのかっ⁉︎」

 

レイはあり得ざる事象の連続に、思わずそう叫んだ。蓮はその様子に攻撃の手を止めると、蓮が口を開いた。

 

 

「そうだな。餞別と言ったんだ。なら、冥土の土産に教えてやるぐらいはいいだろう」

 

 

蓮は《青嵐風碧》の障壁も一度解除すると、自身の異能。その本来の力の正体を、話し始める。

 

「我が力は自然(カミ)の具現であり、水はあくまで概念干渉系の副産物。

その概念は中国人である貴様達もよく知っている存在だ。

それは龍宮の主として荒れ狂う大海を支配し、大地に災禍の津波を齎す者。

それは天を自在に飛翔し、天空を支配し、雲を呼び豊穣の雨を降らせる者。

それは東方を守護する聖なる青き神獣。

それは厄災を呼び凶兆を謳う荒ぶる神。

東洋の神話において豊穣と災禍の象徴として語り継がれ、森羅万象遍く全ての生物の頂点に立つ水を司る神。その存在に、その名に貴様達は聞き覚えがあるだろう?」

「…っっ、そんな馬鹿なっ‼︎いや、だが、まさかっ、貴様の能力はっ……‼︎‼︎」

 

 

ジーフェンはその能力の正体に気づき目を見開く。

そして蓮はその気づきを肯定した。

 

 

「そうだ。概念干渉系———《龍神》

東洋の神話において海と天を支配する荒ぶる神の力をその身で体現する能力。

それこそが、俺の本来の力だ。

……あぁ貴様達には《青龍》とでも言ったほうが分かりやすいか。中国ではそちらの名のほうが有名だったからな」

 

『『『ッッッ‼︎‼︎‼︎』』』

 

 

蓮より齎された最悪の情報に、その場にいるカナタを含めた全員が驚愕する。

 

水など、それこそ彼の力のほんの一部に過ぎない。神話の怪物を、神の力をその身に宿すことで『龍神』の力を体現すること。

『龍』という概念にまつわる()()()()()()()()()を体現する力。それこそが、蓮が持つ水の異能の本来の姿だった。

そして、中国では《龍神》は『龍王』とも呼ばれ、それは転じて5頭の神獣《四神》の一角、《青龍》としての側面も持っている。つまり、彼は、中国が《四神》の一角、《青龍》の二つ名を冠している伐刀者でもあるのだ。

蓮はその『神』の力を、解放した。

しかし、彼の説明にジーフェンは疑問を抱く。

 

「だ、だが、『青龍』ならば属性は『木』のはずだ‼︎水を使える説明にはなっていない‼︎」

 

そう、『青龍』は古代中国に由来する守護聖獣だ。そして中国の五行思想により『青龍』は東方を守護し、『木』を司っているとされている。

『木』の属性は風、雷や植物を司る力のはずだ。風雷の力は理解できたとしても、なぜ『水』を使っているのか、それが彼等にはわからなかった。その疑問に、蓮は応える。

 

「確かに、貴様達の疑問はもっともだ。

『青龍』は中国の五行思想においては『木』属性を司っているため、相生によって力を高めることはあっても、本来ならば『水』は『玄武』が司り、『青龍』が扱うことはできない。

しかし、日本の四神相応による四大元素ならば話は違う。『青龍』は東方を守護する事には変わりはないが、四大元素では『水』を司っている。

そもそも『龍』とは中国でも日本でも、古来より雨を司る存在として語り継がれている。龍は空を飛び天から雨を降らす事で都などを旱魃などから守ってきた。

雨とはすなわち『水』だ。とすれば、『龍』とはもともと水を司っていたという事を意味している。それに、日本では『龍神』とは海に存在する龍宮に住まう龍の神であり、水を司り天候を操る水神として古くから語り継がれている。

天候を操るということは、気象変動である雨、雪、風、雷などを操れるということだ。

そして、『青龍』とは『龍神』、あるいは『龍王』が転じた者であり、同一の存在。しかし、同一の概念でありながらも、二つの思想がそこには存在している。

つまり、『龍神』という概念には二つの思想があり主に水神として語り継がれる『龍』の『水』を司り天候を操る力だけではなく、『青龍』が司る五行の『木』の力も内包されているということだ」

 

『龍』とは日本、中国含めた東洋圏では水を司る海神、あるいは水神として広く語り継がれている。

中国での五行思想の『青龍』のような『木』属性を司るのが珍しいのであって、元々『龍神』・『龍王』とは水を司り大海だけでなく天候をも支配する神であったのだ。それは日本、中国、ひいては東洋の如何なる国であっても変わりはない。

蓮は9歳の頃《魔人》となった時にその力に目覚めてから、今までの長い鍛錬や『龍』についての文献資料を徹底的に調べ尽くした事で自身の『龍神』という概念の本質と関連性を理解し、それを行使しているに過ぎない。

 

概念干渉系の能力は応用が効き、できることの幅が極めて広い。

自分の解釈次第でできることが増えると言っても過言ではない。

蓮はそれを利用し、水を司り天候を操る能力しか知らなかった《龍神》の力を、さらに掘り下げ《龍神》にまつわる数多の伝承や文献を調べ上げ知識を深めることで《青龍》の使う『木』の属性なども蓮は会得したのだ。

 

「それに俺が3年前に戦った《白虎》ルオ・ガンフー。奴も五行の《金》による金属を操る力だけでなく、風の力も使っていた。それはつまり、《四神》もやろうと思えば四大元素の力も行使できるという事に他ならないだろう?」

 

龍虎とも呼ばれているように、古来より龍と虎は対の存在として語られている。

それは四大元素でも当てはまり、青龍が『水』を司り雲を呼び雨を降らすことで都を守ってきたのならば、白虎はそれと対となる『風』を司り、水害などに対抗し、雨雲を吹き飛ばす暴風の力を持っていた。

 

3年前に蓮が沖縄で激闘を繰り広げた《白虎》ルオ・ガンフーも、金属を操るだけでなく風も使って蓮を追い詰めた。

おそらくはその龍虎の概念の関係から、風を使えらようになったのだろう。

その時に、蓮は《白虎》の力の使い方を見て《龍神》の力の可能性を辿り、《青龍》としての『木』の力を発現したのだ。

だが、それは蓮がいうほど簡単な話ではない。

己の異能の深淵を見つめ、その先にある可能性を手繰り寄せ我が物にするというのは、あまりにも至難の業だ。

 

ジーフェンは蓮の説明にようやく納得を見せると同時に、歯噛みする。

 

(まさか、空席だった《青龍》が日本にいるとはっ‼︎)

 

中国の《四神》の五つの席はいつも全てが埋まっているとは限らない。

今現在《四神》の異能を発現させている闘士はたった二人。《朱雀》と《玄武》のみ。

他はまだ見つかっていない。3年前までは《白虎》も席にはいたが、蓮に殺されており空席。

《麒麟》、《青龍》は共に80年以上空席で未だ《白虎》と共にその異能を発現した者は発見されなかった。

 

そもそも、《四神》の力は生まれた時から発現しているわけではない。初めは聖獣がもつ属性の力を宿しているただの自然干渉系の伐刀者であり、そこから鍛錬を経てその力を覚醒させ、概念干渉系へと昇華させなければ、《四神》の異能は発現しない。もっとも、いくら鍛錬したところでただの自然干渉系だったということも多々ある。

 

しかし、まさか敵国である日本で《青龍》の力を宿し覚醒させた者が見つかるとは予想外だった。

中国以外での国の《四神》の覚醒。それは中華連邦の《四神》の席制度が出来て以来初めてのことであり、国家防衛の守護に欠落が生じてしまっているということを示している。

 

何としてでもこの事実を本国に持ち帰らなければいけない。

だが、どうやってここから逃げる?どうやってここから仲間を逃す?

完全に神の力を解放した蓮の前から逃げられるビジョンが全く浮かばないのだ。

そんなふうに彼らが動揺する中、蓮は身構える。

 

 

「話は終わりだ。精々足掻いて見せろ」

 

 

そう言うや否や、蓮は再び《雷迅天翔》を発動し青い雷を纏って一気に距離を詰める。狙うは転移使いであるメイだ。転移という厄介な能力を持ち、なおかつここから逃さないために、まずは足を潰す事にした。

 

「ッッ‼︎」

 

彼等も蓮の狙いは分かっているのだろう。

メイの眼前には守るようにタイランが立ちはだかった。蓮を迎え撃つべく右拳を振り翳す。

対する蓮も、同じく拳で迎え撃つ。

二つの拳が激突した瞬間、凄まじい音と衝撃波が周囲へと解き放たれ、タイランに未曾有の衝撃が伝わるが、『蓄積』の能力で蓮の拳の衝撃を耐え切った。そして、先程のも合わせた衝撃を蓮に返そうとした時、蓮は呟く。

 

「そういえば、貴様には散々してやられたな。これはお返しだ。どれだけ『蓄積』できる?」

「ぐっ…!」

 

次の瞬間、残像すら見えないほどの神速とも言える拳のラッシュを再び見舞う。しかも、今度は雷撃と爆炎を織り交ぜた拳撃だ。

それがタイランが反撃する間もないほどの密度と速度で放たれる。先程よりも一発一発が遥かに強烈な衝撃が、瞬く間にタイランの『蓄積』限界値に達しようとしていた。

 

(ぐっ、反撃をっ‼︎)

 

タイランは限界に至る前に、今溜めている衝撃を一度放出しようと苦し紛れの一撃を放つ。

しかし、

 

「無駄だ」

「ガハッ⁉︎」

 

放った拳は容易く避けられ、逆に蓮の拳がタイランの霊装を砕き、その胸に拳を突き刺していたのだ。

神話の世界に君臨する神が持つ圧倒的な膂力。

《臥龍転生》を発動し龍神の力を解放した時の蓮の膂力は《王牙》の比ではない。《王牙》状態での数十倍にまで高まった龍の膂力は圧倒的な破壊を生み出す。

それは、霊装であってもだ。何百発も同じ箇所に一点集中で撃ち込まれた打撃が、超高密度の魔力結晶体である霊装を砕いたのだ。

 

「終わりだ」

「……ッッ‼︎‼︎」

 

胸を貫かれたタイランは抜け出す間もなく、頭から爪先に至るまで全身を内側から水の刃で貫かれ絶命する。

 

「八人、これで半分だ」

 

タイランの亡骸をその場に捨て、蓮は残りのメンバーへと狙いを定める。が、その時、背後にグーウェイが転移によって現れ、大斧を振りかざした。

水を纏い明らかに切れ味を増した鋭利な水斧を蓮は容易く掌で受け止める。

 

「———スゥ」

 

そして、蓮は小さく息を吸うと、口内を青く輝かせながらガパッと開き、

 

「◾️◾️◾️◾️———ッッ‼︎‼︎‼︎」

「……ぁ……な……」

 

瞬間、咆哮と青の閃光が解き放たれた。

それは、まさしく龍の息吹(ブレス)そのもの。成すすべもなくその閃光に飲み込まれたグーウェイは、閃光に身体を穿たれ血霞となって消える。

 

伐刀絶技《蒼龍の息吹(そうりゅうのいぶき)

原理としては、龍の息吹(ブレス)を模して水、雷、風の3種を融合させた破壊の極光を口から放つだけのシンプルなもの。

だが、そこは《龍神》の力だ。ただ3属性を混ぜ合わせた程度では済まない。

放たれれば辺り一帯もろとも吹き飛ばすことのできる息吹が、グーウェイを塵に変えた後、数十km先まで届き、自分が生み出した黒雲を貫いた。

 

「九人、半分を切ってしまったな。早く策を考えねば、すぐに死んでしまうぞ」

 

蓮は瞬く間に二人を殺すと、流水、炎熱、雷電、暴風を携えて残りの者達へと襲いかかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「す、すごい……」

 

複数の属性を操り黒狗達を追い詰めている蓮の姿にカナタは驚きを隠せなかった。

 

概念干渉系《龍神》

 

蓮の持つ炎ともう一つの水とは違う本来の異能。

蓮の過去の暴走を思い出し、もしかしたら水とは違う異能を持っているのではないかとは思っていたが、まさか『神』が蓮に宿っているとは思わなかった。

その神の力を解放した蓮は、圧倒的だった。

瞬く間に四人を殺し、残りの八人をほぼ一方的に追い詰めていた。

凄まじい力だ。あれの前では常人では相対することはおろか、武器を構えることすらできないだろうと予感できるほどの凄まじい威圧感。

今まで見てきた蓮の試合全てが児戯に見えてしまうほどの、凄まじい激闘。

これこそが、蓮の全力であり、本気なのだろう。

だからどうしても思ってしまう。

 

(私は、弱い……)

 

カナタとて弱いわけではない。

むしろ、有数のBランクとして間違いなく強者の部類に入るほどの騎士だ。

だが、それでも今の蓮を前にすれば霞んでしまう。

蓮の仇を取ろうとした時も、成すすべもなくやられて殺されそうになった。

蓮が助けに来なければ、間違いなく死んでいただろう。

だから、どうしようもなく悔しかった。

自分はまだ彼に守られてしまうだけの強さしかない事に。

まだ背中を預けて共に戦えるほど強くはない事に。

そうカナタが悔しさに打ちひしがれていた時だ。突如頭上から声が聞こえる。

 

「カナタッ‼︎」

 

聞き慣れた女性の声が聞こえたと同時に、カナタの両脇に二人の人影が降りてきた。

それは、蓮の救難信号を受けて自宅から走ってきた黒乃と寧音だった。

 

「黒乃さん、寧音さん」

「何故ここにいるのかは後で聞く。怪我はないか?」

「はい、蓮さんに治癒してもらいました」

「そうか。無事でよかった。しかし、蓮の奴……」

 

黒乃はそう言って、激闘を繰り広げている蓮へと視線を向ける。

様相が変わり、炎や雷、風まで使っているところを見ると蓮が《龍神》と炎の力を解放したのだと一目でわかった。

 

「咆哮が聞こえたからまさかと思ったが、やはり《龍神》と炎の力を使ったのか」

「でもなんで……あぁなるほど、そういう事か」

 

《龍神》の力を使っている蓮を見て、その理由を思案する寧音だったが、カナタを一瞥したあと、彼女のズボンに無数の穴があることから蓮が何故力を使ったのかを理解し、蓮のシャツをカナタが着てることに対して、悪戯な笑みを浮かべた。

 

「てか、カナちゃん。そのシャツれー坊のじゃん。なになに、彼シャツかい?それに、その格好どうしたん。いつもと雰囲気違うじゃん」

「え、あ、そのこれは蓮さんに体を隠すように渡されたシャツで、後これは父に頼んで作ってもらった戦闘服です」

「そんなものを頼んでいたのか?」

「ええ、いざという時に備えて。ですが、まさか今日使うとは思ってもいませんでしたが……」

 

そこまで言って、カナタは二人と普通に会話をしている事に疑問を抱く。本来ならば、二人とも蓮の援護に入るはずだ。なのに、自分と呑気におしゃべりをしてしまっている。

霊装を顕現して、いつでも戦いに介入できるようにしてはいるが、戦いに介入する気が全く感じられなかった。

 

「あ、あのお二人は蓮さんを援護しなくていいのですか?…いえ、あの力なら正直援護は不要だと思えますが……」

 

自分の身を案じているならば、それは大丈夫だ。傷は癒えて魔力もある程度回復したので、余波から自分の身を守るぐらいはできる。

そう伝えようとしたところで、黒乃が応えた。

 

「いや、援護は必要ないだろう。

蓮があの力を使ったのなら、じきに決着がつく。私達はここから奴らを逃さないようにすればいいし、万が一に備えてお前のそばにいた方がいい」

「そーだねぇ。もしもの時にカナちゃんが人質にでも取られたらそれこそ面倒だ。それに、れー坊ブチギレてるから下手に手出さない方がいいよ。

ああそれと、くーちゃん。カナちゃんの服破れてるっぽいからちゃちゃっと直してやんなよ」

「そうだな」

 

そう言って、黒乃は自分の『時間』の能力で、カナタの戦闘服の損傷を直していく。

カナタは蓮のシャツを脱いで、戦闘服が修復できたことを確認すると黒乃に感謝を伝える。

 

「ありがとうございます。黒乃さん」

「これぐらいなら構わんさ。手ひどくやられたみたいだからな、無事で何よりだ」

 

黒乃はそう優しく応える。

そしてカナタは蓮の激闘を見ながら、呟いた。

 

「《龍神》それが、蓮さんの本来の力なのですね」

「蓮から話を聞いたのか。そうだ。あれが、あの子の本来の力だ。私達も大和から聞かされた時は耳を疑ったよ」

「大和さんは蓮さんの能力が炎と《龍神》だということを知っていたのですか?」

「ああ、《霊眼》の特性で視たらしい」

「そうだったんですね…」

 

カナタは蓮と大和の『霊眼』の性質を知っている。その異能の本来の姿を見ることができるということも、カナタは大和から蓮へと伝えられたのを知っている。

だが、それでも疑問が残る。

 

「蓮さんはなぜあの力を、今まで使わなかったのでしょうか?」

「…いくつか理由はある。まずあの力は強すぎて、学生騎士相手ではわざわざ使うほどの相手はいないからだ。七星剣武祭でも、同様だ。

そして、もう一つ蓮はあの力は後ろに守るべきものがいる時に使うようにしているんだ。無闇矢鱈と自分の力を誇示するためのものではなく、自分の『大切』を守るための力としてな」

 

あくまで蓮は誰かを守り、二度と失わないようにと強くなり、戦っているだけにすぎない。

強大な力をひけらかして誇示するような男ではないのだ。

黒乃はカナタへと視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべる。

 

「今回、経緯は分からんが、お前は奴らに傷付けられた。だからこそ、あいつは怒り、お前を守るために力を使ったのだろう」

「……私は、彼の『大切』に入っているのでしょうか?」

「当然だ。お前があの子の『大切』に入っていないわけがないだろう。あの子にとってお前はそれほどまでに大きい存在なんだから」

「………」

 

カナタは自分で聞いたことだったが、彼に『大切』だと認識されている事実を再認識して、思ったよりも嬉しくて顔を赤らめた。

黒乃はそんな彼女の様子にクスリと笑うと、再び蓮へと視線を戻す。

 

 

 

「まあ見てるといい。

ああなった蓮はもっと強い。

なにせ、あの子は『大切』な者達を守るために強くなっているのだからな」

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「おのれっ‼︎」

「チッ‼︎」

 

蓮は《雷迅天翔》で雷を纏いながら、正面から迫るレイとジンの攻撃を力ずくで強引に突破する。

 

「温いっ‼︎」

 

雷はそれ以上の雷で破壊され、障壁もガラスを破るように圧倒的な膂力で容易く砕かれる。

雷光と化した蓮の速度は今やジーフェン以外の者達の目には追うことが難しくなってきていた。

そして、地面を蹴り砕くほどの強さで踏み込み、魔力放出も加え、雷速を超えた神速で二人の眼前に一瞬で迫り、ジンの首を雷を纏わせた右手刀ではねて、水を纏わせた左貫手でレイの左胸を貫き心臓を握りつぶした。

 

「ぁ…が、うぁ…」

「ぐっ、くそっ…ばけもの、め」

「十人、十一人」

 

ジンは小さな呻き声を上げながら崩れ落ち、レイは悪態をつきながら最後の悪あがきで反撃しようとしたが、蓮が腕を引き抜いたことで呆気なく崩れ落ちそのまま死ぬ。

 

「さあ、後五人だ。貴様達はどうやって俺と戦う?どうやって俺に抗う?

知恵を絞れ‼︎死力を尽くせ‼︎命がまだあるのならば、命のある限り足掻き続けこの窮地を脱して見せろッッ‼︎‼︎」

 

蓮は怒りの炎が宿った眼で生き残っている五人を視界に収め、告げる。

 

(くっ、どうすれば…っ)

 

ジーフェンは現在の自分達の状況に苦渋を滲ませる。

今残っているのは、ジーフェン、ミンファン、リーユエ、ジーファイ、メイのたったの五名だ。すでに仲間の大半が、11名が蓮に殺害された。魔力無効化を持つランが既に死んでいる以上、首を刎ねた時と同じ手段は使えない。だが、魔力無効化なしでどうやってこの男にとどめを刺せばいい?

そう思考を巡らせる中、ジーフェンは蓮の背後、カナタがいる場所に更に二つの人影が増えた事に気づく。

それは、破軍の要注意人物である黒乃と寧音だった。

 

「っ、《世界時計》に《夜叉姫》だと⁉︎」

 

追い込まれている現状に、さらに怪物二人が戦闘に加われば、容易く全滅してしまう。

だが、蓮はジーフェンが抱いた危機感を否定した。

 

「安心しろ。二人は手を出してこない。俺が一人で貴様達の相手をする」

「何故だ。数の有利を活かさないのか?」

「必要がない。貴様達を殺すのに二人の力は借りない。俺一人で事足りる」

「………」

 

傲慢な発言だが、今の蓮にはそれだけのことができる力がある。

中国が探し求めた《青龍》の力を宿す者。

神の力を宿すのならば、自分達を殺すことなど訳もないのだろう。

それに蓮の言った通り、二人は戦いに介入する気がなく、ただ静観しているだけだった。

 

「余所見をするな。貴様達の相手は俺だぞ」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

蓮は、黒乃達の存在に気づき動揺する彼等の一瞬の隙をついてミンファンへと迫る。

 

「くっ」

 

蓮が眼前に迫る中、ミンファンは何とか自分の眼前に《反鏡》の反射障壁を展開することに成功する。

攻撃の予備動作に入っている蓮は、もう止まらない。なすすべもなく、跳ね返った自分の暴力に、距離を取らされるはずだ。

そう、考えていたミンファンの心境を蓮は嘲笑うかのように、平然と動いた。

 

「っ⁉︎」

 

唐突に蓮の姿が視界から消えたのだ。

蓮は尻尾を地面に叩きつけ、無理やり進路を横に変えてそのまま背後へと回り込む。

そして、

 

「《水龍刃尾(すいりゅうじんび)》」

 

魔力の尾に水を纏わせ切れ味を増した水の刃尾で背後からミンファンの胴を断ち斬った。

 

「…ぁ……」

 

ミンファンは宙を舞い胴体から血や臓物を撒き散らしながら地面に転がり絶命に至る。

 

「十二人」

 

蓮はそう呟きながら、改めてメイへと狙いを定めるが、横からジーフェンが斬りかかってきた。

蓮はそれを左腕で受け止める。本来鳴るはずのない音が響き、大太刀が蓮の腕に止められる。

今の蓮の全身には青い紋様が浮かび上がっていて、それが魔力防御となり、龍神の鱗と同じ役割を示している。

つまり、今の蓮の全身は魔力の鱗に覆われており、生半可な攻撃では傷がつけられなくなっていたのだ。

 

「…ッ」

 

一太刀を受け止めた蓮は拳を振り翳そうとしたが、咄嗟に背後へと下がった。

直後、蓮のいた場所を萌葱色の極光が通り過ぎた。『貫通』の砲撃だ。

さすがに龍鱗の鎧があったとしても、『貫通』には関係ない。ゆえに、この能力は蓮であっても負傷は避けられない。

そして避けた先で、ジーフェンが影の中から飛び出してきて、無数の影刃を伴いながら蓮に襲いかかる。別の方向からはリーユエも現れ、メイの『転移』と『透過』を織り交ぜた連携を見舞おうとする。更には影の中から、蓮の間合いの外から、『貫通』が付与された矢が無数に飛来する。

蓮はそれらを両手に纏わせた水の手刀で斬り払い、避けていく。

 

「………」

 

その攻撃を捌きながら蓮だったが、影の中から飛び出してきた数十本の貫通矢が蓮の胸や胴体に突き刺さり大きな風穴を開け、左腕を千切る。

宙を舞う鮮血と左腕。それは蓮の動きを鈍らせるには十分な一撃だ。

そのはずなのだが———

 

「ッッ」

「な、にっ⁉︎」

 

蓮は怯むどころか、平然と動き、舞ったはずの左腕の手刀でジーフェンに斬りかかってきたのだ。

受け止めたジーフェンは未曾有の衝撃が伝わり、何とか流したものの足元の地面は蜘蛛の巣状に粉砕される。

全員が何故と混乱したが、すぐに気付く。

 

(再生しているっ‼︎)

 

蓮の胴体に空いた筈の風穴はあり得ない速度で傷が塞がり、もう血の一滴も滴っていない。

千切れたはずの左腕も瞬時に再生したのだ。

それは龍神という生命体が持つ生命の強さだ。

龍神という生命体にとっては、致命傷ですら致命傷にならない。

爬虫類は種類によっては尻尾だけでなく、失った手足すらも再生が可能である。

蛇神とも深い関わりのある龍神もその例に漏れず、しかし比較にならないほどの回復再生能力を有している。

そして、蓮は今、伝承によっては不死身の存在である龍神の回復再生の能力を人の身で体現しているのだ。

———金剛のような龍鱗の鎧を突破したところで、いくら傷を負おうとももはや傷にすらならないのだ。

蓮はジーフェン達の攻撃を捌きながらジーファイへと金碧の龍眼を向けて、青く輝かせる。

 

「ガッ⁉︎」

 

直後、ジーファイの足元から蒼の蛟龍が飛び出し彼女を大きく開いた顎門で咬みちぎる。

バラバラに食いちぎられたジーファイの遺体の一部が、蛟龍の口から零れ落ち血が滝のように流れ落ちる。

    

「これで十三人」

 

そう呟く蓮の背後に、リーユエが《転移》で現れ、足を振り上げ踵落としの体勢に入る。

しかし、それは水音を立てて蓮の肉体をすり抜けた。《青華輪廻》の液体化だ。

頭部から胴体を通り、腹部で動きを止められた右脚を蓮は霊装ごと掴む。

 

「『透過』の能力は厄介だ。

だが、攻撃の瞬間には接触させるために、その部分だけでも『透過』を解除しなければならない。それが仇となったな」

「ッッ」

 

リーユエは右脚に感じた僅かな痛みに顔を青ざめて、『透過』を使って蓮の肉体から右脚を引き抜き背後に下がる。

だが、その時点でもはや手遅れだった。

 

「もう仕込ませてもらった。そのまま散れ」

「ッッぁ、ぐっ」

 

直後、リーユエの身体が一瞬で膨れ上がり風船のように破裂し、肉が弾ける音が響く。

《紅の血華》だ。蓮は先ほど彼女の脚を掴んだ時に、肉体に直接魔力粒子を注ぎ込み干渉して破裂させた。

 

「十四人。残るは二人」

 

蓮はすかさず右手を天に掲げる。

天に渦巻く黒雲は、それに応え青白い雷光を迸らせ雷撃《神鳴》を放った。

メイは《転移》の連続使用で雷撃を躱し続け、ジーフェンは影を操作してやり過ごす。

そして、回避行動の最中、2人は目配せをし、頷く。

直後、メイの姿が消えて同時にジーフェンが落雷が降り注ぐ中、果敢に蓮へと襲いかかる。

ジーフェンが殿となり、メイをここから逃す算段のようだ。

メイは一度の転移で1km転移できる。残りの魔力を惜しみなく使えば、すぐにでもこの場所から逃げおおせるくらいはできるだろう。

だが、逃げを選択した時点で、彼女の命運は決まっていた。

 

「言ったはずだ。生きて帰れると思うなと」

 

それはメイの真上から聞こえてきた。

 

「……え……?」

 

メイが間抜けた声を上げながら見上げると、そこには水の蒼刀を構える蓮の姿があった。

メイは確かに転移には成功していた。

しかし、移動できた距離はたったの50m。それは蓮が龍神の力を使えば一瞬で移動できる距離であり、霊眼で転移の軌跡を、進路を辿った蓮が先回りしたのだ。

そして迫る蒼刀に、メイはもう一度転移しようとして気付く。

 

(身体が、動かないっ⁉︎)

 

身体が一歩も動かず、転移を発動することも出来なくなっていたのだ。

そして硬直するメイに蓮は容赦なく刀を振り下ろす。

 

「《魔人》から逃げようとした。それが貴様の敗因だ」

 

蓮はそう呟きながら、メイをバラバラに切り裂いた。

 

「十五人」

(…っっ、やられたっ)

 

ジーフェンは己の失策を呪う。

彼はメイが蓮の前から動けなくなった原因を知っていた。

それは《魔人》の特性だ。

《魔人》とは己に与えられた運命の限界を乗り越え、この星を巡る因果の外側に至った存在。

自身の生まれ持った才能限界を越え、星の因果すらもねじ曲げて、星の歴史に自らの足跡を刻むことができる。

それはすなわち、因果に対し強い主体性を持っていると言うことであり、自らの意思で、世界の運命を塗りつぶす力を有していると言うことだ。

それはつまり、《魔人》とは己の能力の他に、後付けで因果干渉系の能力を獲得することができることを意味している。

 

先ほどのメイの硬直はその特性の発露だ。

蓮と彼女の間には隔絶した実力があり、メイが蓮を前に逃げの選択を取った。

逃げると言うことは負けを認めることであり、自分達の上下関係をはっきりと決めたと言うこと。

そこまで分かっているならば、もはや過程を経る必要もなく、蓮が彼女に『抵抗するな』という『意』を放つだけで、蓮の持つ運命の引力が、メイを呑み込み因果を、かくあるべき形に結ぶ。

メイの転移が50mで止まったのもそう言うことであり、蓮はメイの行動をそう強制づけたのだ。

 

《魔人》ならば、誰もが有する特性を蓮は使っただけに過ぎず。これに対抗するには同じ《魔人》になる以外に道はない。

ジーフェンはその特性を知っていたのだ。

そしてメイも殺した蓮はジーフェンへと振り向き、告げる。

 

「さあ、後は貴様だけだ。どうする?」

「くっ、おおおぉぉぉぉぉ!!!!」

 

ジーフェンは歯噛みしながらも、雄叫びを上げる。直後、彼の全身を黒い影が衣のように覆い、ある形を作っていた。

それは人の形をしながらも人とは違う獣の姿。

同時に、彼の周囲には影が広がり始める。

世界を侵食するように闇夜よりも暗い黒が世界を飲み込んでいく。

そして影が、闇が盛り上がり、形を成す。それは前足となり、後ろ足となり、尾となって、大きく開かれた口となる。

彼の周囲に生じたのは、先ほどよりもはっきりとした形を持った漆黒の毛並みを持つ大型犬———否、《狗》の群れだった。

そしてジーフェンも影によって姿形を変えていき、やがて紅い眼光を揺らめかせる人型の獣へと変わった。

 

黒い人型のバケモノと言ってもいい姿。

狗と同様の突き出た口、ピンと立った耳、口には剥き出しの鋭い牙。腕は人間と酷似しているが、黒い影の毛皮に覆われ鋭利な爪が伸びている。足は狗同様の形であるが、二本足で立っている。腰にある尻尾は六つ。

そして、その手には禍々しい輝きを放つ漆黒の影が纏わりつく大太刀。

姿形を変容させたジーフェンを見て、蓮は言う。

 

「それが貴様の奥の手か?」

『《夜天の黒刃狗神(やてんのこくじんいぬがみ)》。私の切り札だ。これで貴様の相手をさせてもらう』

「何故それを最初から使わなかった?それは見るからに強力な絶技だ。それを使い仲間と共に戦えば、俺を完全に殺し切れた可能性があったはずだろ」

『たしかにそうかもしれん。だが、これは周囲に仲間がいてはおいそれと使えるものではなくてな。周囲を容赦なく巻き込んでしまう故に、使えなかった』

「仲間がいなくなったからこそ、出せる力というわけか」

『そう言うわけだ』

 

人型の狗となったジーフェンは身を屈め、大太刀を構える。

それは宣戦布告の構え。言葉にはせずともただでは終わらせない、最後の最後まで足掻き続けるという気迫がはっきりと伝わってくる。

そこから逃げてはならない。

それは一人の武人として何があっても迎え撃たねばならないものだ。

蓮は、彼の気迫に、矜持にここで確実に倒しておかなければならない敬意を表すべき『敵』だと認識を改める。

 

 

「……ああ、受けて立とう」

 

 

そうして蓮もまた両腕を構える。

全身に青雷を纏い、両手に水の蒼刀と炎の紅刀を宿し、鉤爪のようにする。

 

 

『《同盟(ユニオン)》が一角、中華連邦暗部組織《黒狗(ハウンドドッグ)》総隊長《黒刃の狗神(スラッシュ・ドッグ)》リュウ・ジーフェン』

「《魔導騎士連盟》日本所属、破軍学園2年《七星剣王》新宮寺蓮」

『「いざ、尋常に」』

 

 

 

「『勝負ッッッ‼︎‼︎‼︎』」

 

 

 

そして最後の戦いが始まる。

 

気づけば蓮が生み出した《叢雲》は消えていて、再び姿を表した青白い月が、夜の世界を淡く照らしている。

その月光の下、三人の人間が見守る中、蒼龍と黒狗は雄叫びを上げながら最後の激闘を繰り広げている。

 

「オオオオオォォォォォォォ—————————ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

遠吠えにも似た雄叫びをあげ、ジーフェンはまさしく獣となり大地を疾駆し、蓮に迫る。

同時に、周囲の影が蠢き大量の黒狗の群れが、様々な形状の黒き影の刃を伴い襲いかかる。

 

蓮もまた雷を纏い、大量の水の刃と水の青鮫を生み出しながら、両手に《蒼刀・湍津姫》と《紅刀・咲耶姫》を纏わせた水炎の鉤爪で迎え撃つ。

 

「◾️◾️◾️◾️◾️◾️———ッッ‼︎‼︎」

 

蓮は鉤爪を振るいながら水と炎の斬撃を無数に飛ばし、口から青の極光を放つ。

極光や斬撃が攻撃の一切を薙ぎ払うも、すぐにそれらは影の中から無尽蔵に湧き出てきて襲いかかる。そして、影の異形に転じたジーフェンが影の中から襲いかかった。

 

「『ッッッ‼︎‼︎‼︎』」

 

青い水と赤き炎と黒き影の刃が、水の青鮫と影の黒狗が雄叫びと轟音を奏でて幾度となくぶつかり合う。

そんな中、その術者である二人もまた、大地を、宙を縦横無尽に舞い鉤爪を、刃をぶつけ何度も何度も切り結ぶ。

二人の移動速度はもはや目で追いきれない。

現れては瞬時に消えるを繰り返す、『青』と『黒』の音だけの見えない攻防戦が始まっていた。

 

これが連盟基準でAランクの中国屈指の実力者である《黒刃の狗神》の二つ名を持つリュウ・ジーフェンの実力。

元々彼だけが初めから、蓮と互角に渡り合っており、その実力はもはやA級リーグの出場選手とほぼ同格。

もしかしたら黒乃や寧音にも迫らんとしている。それは寧音達も肌で感じ取っていたらしく、静観しながらも険しい表情を浮かべ戦いの行く末を見ていた。

カナタは二人の凄まじい戦いに目を見開いている。

 

幾度となく斬り結ぶ中、ジーフェンが紅い双眸を怪しく輝かせ、直後影の中から、巨大な刃を無数に出現させる。

その刃の一つの先には蓮がいた、ジーフェンは彼の動きを見切り、動く蓮を寸分違わず狙い撃ちしたのだ。しかし、その刃は蓮を貫いておらず、両の鉤爪に阻まれていた。

ジーフェンは刃の上を駆け登り蓮へと迫る。蓮もまた刃の上に立つと勢いよく駆け下り迫る。

そうして再び始まる音だけの攻防。

 

それがどれほど続いただろうか。

しかし、戦いに永遠はない。いつか必ず終わりが来て、勝者と敗者を決めるのだ。

 

やがて、終わりが訪れる。

 

『オオオオオォォォォォォォォォ——————ッッッ‼︎‼︎‼︎』

 

一際強い雄叫びをあげジーフェンが周辺の影をも大太刀に纏わせ大鎌へと形を変えて蓮へと距離を詰める。

蓮も右の水の蒼刀の鋭さを、大きさをより一層増し、迎え撃たんとする。

蓮の目前へと迫ったジーフェンは、影に覆われた大鎌を、一気に振り下ろした。

 

『斬れろォォォォォォォオオッッ‼︎』

 

そして青と黒の光が爆ぜる。

やがて光が収まり、見えた光景ではジーフェンの大鎌が蓮の左肩に刃を立てていたが、同時に蓮の水の鉤爪がジーフェンの鳩尾を貫いていた。

ジーフェンを覆っていた黒い影の衣が剥がれていき元の姿を覗かせる。大鎌も影が剥がれて大太刀が姿を表す。

それと同時に、一帯に広がっていた闇も祓われて、数多の刃や黒狗の群れも崩壊して散っていく。

ジーフェンはごぽりと口から血の塊を吐き出して、引き抜かれた鳩尾からもとめどなく血が溢れ、その場に力無く膝を突いた。

勝敗は決した。この激闘を制したのは今この場に立っている蓮が勝者だ。

蓮はジーフェンに向けて言葉を送る。

 

「誇るといい」

 

力無く見上げたジーフェンの瞳に映った蓮の表情は真剣そのものであり、そこに侮りや嘲笑はなくただ敬意のみがあった。

 

()()は強かった。貫通などの特異な能力も持たず、影の力で俺を相手にここまで抗った」

 

蓮は左肩に触れる。

大鎌が突き立てられていた場所には一筋の裂創が刻まれ、スゥーと赤い血が流れていた。

最後の最後に、ジーフェンは蓮の龍鱗の防御を突破し、蓮に傷をつけたのだ。

『貫通』『透過』『魔力無効化』それらの特殊な能力の使い手が死んだ中、たった一人影の力のみでそれを成したのだ。それは蓮にとっては賞賛に値する結果だった。

 

 

「見事だ。人間でありながら、今の俺に傷をつけたこと。俺を追い詰めたこと。リュウ・ジーフェンという強者と、《黒狗(ハウンドドッグ)》の戦士達へ敬意を表する」

 

 

蓮は片膝をつくと、彼の瞳を真っ直ぐ見返し惜しみない賞賛を敵であるジーフェンに贈った。

ジーフェンはそのまっすぐな瞳に力なく笑う。

 

「フッ…殺しにきた、相手に、敬意を表する、のか、貴様は…」

 

もはや彼に動く力もないし、魔力もほぼ尽きている。それにこうも決定的に負けが決まった以上、何かしようという気も失せた。

出来ることといえば、精々話すことだけだ。

 

「そうだ。俺は尊敬すべき敵もいることを知っている。貴方達のような矜持や覚悟を持っている敵にはそれ相応の敬意を払っている。

国や思想は違えど、貴方達もまた何かを護るために戦っている護国の戦士たちだ。

それほどの素晴らしい志を持つ強者を、なぜ尊敬しないというのだ」

 

もはや蓮には彼らがカナタを傷つけた時の怒りはなかった。無論、カナタを傷つけたこと自体は許し難いことだ。

しかし、それ以上に彼らの矜持と覚悟に蓮は心を動かされ、敬意を抱いたのだ。

 

ジーフェンは意識が薄れ始めながらも、蓮の言葉に嘘偽りがないことが自然と理解できた。

彼は本当に自分を尊敬しているのだ。

大人数で殺しにきたと言うのに、彼は自分と同じ何かを護る戦士として自分達に敬意を送っていた。

 

「……暗殺者である、私が……まさか敵に敬意を抱かれ、その敵である少年に…看取られて、逝く…とはな……」

 

口ではそう言うジーフェンだったが、不思議と悪い気はしなかった。

なぜなら、彼は見たから。

大切な者が傷つけられ怒る彼の姿を。それは彼が優しさを持つ何よりの証。

《破壊神》などと呼ばれていようとも、彼だって誰かを守りたいと思う一人の戦士だったことに気づいた。

そんな優しさを持つ誇り高き強者と最後に戦えたことを、一人の暗殺者として、一人の武人として誇りに思った。

そしていよいよ意識が消えかかってきた。もうじき死ぬだろう。それは蓮も感じ取ったようで、蓮は言った。

 

「貴方達の生き様はしかと見させてもらった。

貴方達のことは決して忘れないことを誓う。

貴方以外の名は知らずとも、俺は誇り高き戦士達と戦ったのだと言うことを。

だからもう、ゆっくり休むといい。俺が最期まで看取ろう」

「……フッ……そう、か……」

 

そうして、ジーフェンはゆっくりと目蓋を閉じながらその体を傾かせた。

蓮が咄嗟にその体を受け止めたものの、もう彼の身体は冷めきっていて、既に事切れていた。

蓮は彼の遺体を優しく地面に寝かせる。

 

 

彼の表情は実に穏やかで、まるで陽だまりで微睡むようなものだった。

 

 

こうして、今度こそ決着はついた。

 

 

蓮は見事、中国の暗部組織である《黒狗》との戦いを制したのだ。

 

 

 






ついに、ついに解放できました!!!
蓮の真の力は、『龍神』です!!

コンセプトとしては蓮はステラと同格かつ対極の存在としてキャラ設定を考えて、その結果ドラゴンと対になるのは龍神しかない!!と思って、能力は龍神にしました。
青龍との関連性などは完全な独自解釈ですので、どうか温かい目でよろしくお願いします。

それだけでなく、魔人同士との子供という特異性も考えて、色々と考えた結果、蓮は炎と龍神の二つの異能を持つ騎士になったというわけです。

とまぁ、話はこれくらいにして今年はこれで投稿は終わりますが、来年も『優等騎士の英雄譚』を楽しみにお待ちしていただければうれしいです。

それでは皆様、良いお年を!!

来年お会い致しましょう!!!



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28話 紅の想い

UAが60,000行くのを待とうかと思ったけど、大分かかりそうだったので投稿します!

今回で黒狗編は完全に終了。次からはやっと日常展開に入れます。
一応時間軸で言うと、この日は一輝が蔵人を倒した日、つまり2巻のラストになりますね。


ジーフェンの遺体を優しく地面に寝かせた蓮は、彼の遺体のそばで片膝をついたまま手を合わして黙祷を捧げる。

 

「………」

 

しばらく黙祷を捧げた後、スッと立ち上がり戦場に転がっている《黒狗》達の死体を一つ残らず炎の魔術で灰になるまで焼くとその遺灰を生み出した風の魔術で空高く送る。

これは彼なりの敬意を評した敵への弔い方だ。

野晒しにして腐り果てさせる事に比べれば、遥かにマシだし、彼らの遺灰が風に乗っていつか故郷である中国に帰れることを願って、蓮はその遺灰を自分が生み出した風に乗せて見送った。

 

やがてしばらくして、全ての遺灰を風に乗せて天高くへと見送った蓮は《臥龍転生》を解除する。

スゥと体の青い紋様が消え、髪と目の色も元に戻り、放たれていた膨大な魔力も静まる。

蓮は深く息をついた。

 

(久々の龍神化は疲れるな)

 

伐刀絶技《臥龍転生》。龍神の力を体現する強力無比な絶技が故に、その状態を維持するのは負担が大きく、肉体、精神共に疲労が蓄積されている。それに加え、黒狗との激闘での消耗もある。

今も倦怠感と疲労が体に残っている。かと言って、この程度は特にどうという事ではないので普通に耐えれる。

蓮はしばらく無言で佇み、息を整えると黒乃達の方へと振り向こうとする。

 

「母さん、終わった……っと」

 

蓮は振り向いた瞬間に、カナタが蓮の胸元へ飛び込んできたので咄嗟に受け止める。

 

「うぅっ、蓮さんっ…よかったぁ…」

 

飛び込んできたカナタは蓮の胸元に顔を埋めたまま、小さな嗚咽を漏らし、肩を小刻みに震わしている。

 

(心配かけてしまったな……)

 

蓮はそう思いながら彼女の髪を梳くように撫でると彼女を安心させるために言った。

 

「大丈夫、今度こそ終わったぞカナタ。俺はちゃんと生きてる」

「はいっ」

 

カナタは蓮の言葉にそう頷き、胸元から顔を上げる。その瞳からは涙がポロポロと溢れ出ていて、頬は赤くなっていて、唇を震わしている。

 

「蓮さん、ご無事でよかったです。…あの時は、もう駄目かと……」

「そうだな。ごめん」

「本当に心配したんですのよ……」

「ごめん」

「お願いですから、もう一人で無茶はしないでください」

「……ごめん」

「さっきからごめんばかり、貴方は反省しているんですかっ?首が飛んだんですよっ。もっと反省してくださいっ!」

 

そう言って頬をぷくぅと膨らませて怒る彼女の姿は、普段の彼女らしからぬ姿であったが、蓮は昔はこんな表情をよく浮かべていたなと思い出して、穏やかに微笑みながら謝る。

 

「分かってるよ。ちゃんと反省してるから。もうそんなに怒らないでくれ」

「………貴方って人は……もう」

 

文句なのかは分からないが、言いたいことを言ったカナタは再び蓮の胸元に顔を埋める。

蓮も困ったような笑みを浮かべながらもカナタを抱きしめて、カナタが満足するまで頭を撫でる。そしてしばらく、無言の時間が過ぎた後……

 

 

 

 

 

「……ゴホン。あー、そろそろいいか?」

 

 

 

 

 

しばらく様子を見守ってて近づいてきた黒乃の咳払いでそれは終わる。

 

 

「ひゃっ⁉︎えっ、あ、そのっ、こ、これはっ」

 

 

カナタは完全に二人だけの世界に没頭していたらしく、黒乃の言葉に一気に顔をボッと赤面させ、可愛らしい悲鳴をあげて蓮から離れると、ワタワタと慌てる。

黒乃はその様子に少々驚く。

 

「あぁ、いや、心配する気持ちは分かるから、そこまで慌てなくて大丈夫だぞ?」

「あぅ、うぅ///は、恥ずかしいですわ…」

 

カナタはしゃがみ込むと、手に持ってた蓮のシャツで顔を覆い隠してしまう。しかし、それでも隠せてない耳は真っ赤に染まっていた。

寧音はそんなカナタを見た後、蓮に顔を向け近づくとニヤニヤと笑みを浮かべ、蓮のことを肘で小突きながら言った。

 

「なー、もしかしてだけど二人って付き合ってんのか?それならそうと教えてくれりゃあいいのに」

「全くだな」

 

二人の様子を見た寧音は蓮にそう言う。やはりと言うべきか彼女には蓮とカナタが恋仲に見えたらしい。

それは黒乃も同じらしく、寧音の言葉に頷いて蓮の方をじっと見ている。その瞳には面白がってるのが隠せていない。いや、隠さないと言った方が正しいか。

それはまるで隠さなくてもいいから早く吐けと言ってるようだ。

蓮はそれに呆れた表情を浮かべると、しばらくの沈黙の後深いため息をついて言った。

 

 

「…………………ハァ、一応、言っておくが、俺達は二人が思うような関係じゃないぞ?」

 

 

実際二人は付き合ってはいない。そもそも付き合ったのなら、話ぐらいは聞くはずだ。それは寧音も黒乃もわかっている。

しかし、

 

「か〜ら〜の〜?」

「変わらないから。俺とカナタはそういう関係じゃない」

「……確かに、そうですけど……そこまではっきり言わなくても……」

 

蓮のはっきりとした物言いに、カナタは少ししゅんとする。

確かに事実なのだが、そうもはっきり言われると乙女心が傷ついてしまう。乙女の心は強いと同時に柔くもあるのだ。

そして羞恥心のダメージから回復したカナタは蓮に恥ずかしそうにしながらシャツを返して黒乃達へと頭を下げる。

 

「あの、大変お恥ずかしいところをお見せしてしまいました……」

「いいさ、珍しいものが見れた。

それに、付き合ってるのが本当なら、学園でも二人でいることがあるはずだからな。一先ずは、蓮の言い分を信じるとしようか」

 

カナタに黒乃が笑みを浮かべながらそう言うと、寧音も黒乃に賛同する。

 

「そだねー。尋問するのは後にして、とりあえず情報整理しようかな」

「尋問してまで吐かせたいのか……」

 

蓮のツッコミも清々しいほどにスルーして、黒乃と寧音は真剣な表情を浮かべる。

 

「冗談だ。それで今回の襲撃犯は《同盟》の一角、中国の暗部組織の《黒狗》。それで間違いはないな?」

「ああその通りだ。人数は16人。影使いのリュウ・ジーフェンがAランク相当であり、残りの者達が全員Bランク相当でかなりのやり手だった。最低でも、カナタや刀華でなければ太刀打ちできない程に強い。

そして連携も見事としか言いようがない。間違い無く、今回は強敵だった」

「そこまで言うほどの奴等だったのか」

「どうやら噂以上だったようだね」

 

二人も《黒狗》の存在は知っている。

彼らは裏社会においてはかなり名の知れた暗部組織であり、中国でも屈指の実力者だと言うことを。そして蓮の話を鑑みてもその噂は正しい、いや噂以上だったようだ。

そこで二人は思い出す。先程カナタが蓮に聞き捨てならないことを言ったことを。

 

「……待て、そういえばカナタ」

「はい」

「さっき、お前は蓮に首が飛んだと言ってなかったか?」

「……えぇ、私が来た時ちょうど蓮さんの首が刎ねられていました…」

 

そう言って、カナタは少し顔を青ざめ、体を恐怖に振るわせる。

先程の光景を思い出したのだろう。

今は無事に生きているから安堵できるものの、あの時は想い人が目の前で殺されたのだから相当怖かったはずだ。

黒乃もそれを感じ取ったのだろう、すかさず詫びる。

 

「すまん。思い出させてしまったか」

「……いえ、大丈夫です。蓮さんもご無事ですから…」

「…そうか。なら、話は戻すが蓮《|青華輪廻リィン・カーネーション》》、或いは《紅華輪廻(こうかりんね)》は使わなかったのか?もしくは使えなかったから首を刎ねられたのか?」

 

《紅華輪廻》も《青華輪廻》と同じく物理攻撃無効化の炎魔術だ。蓮は大和が使っていたその蘇生の炎魔術も使えた。

 

「ああ、後で過去を見ればわかることだが、敵に無効化の能力者がいてな。彼女が命懸けの特攻をしてきて魔術を無効化された。

そして俺は両腕を斬られて、両足も抉られて魔術も物理も、どちらとも抵抗を封じられて首を刎ねられたんだよ。まぁその後蘇生したがな」

「……いや、簡単に言うけど、それ結構まずい状況だったんじゃねーの?」

 

寧音の指摘に蓮は否定することなく素直に頷いた。

 

「ああ、実際危なかった。もしもカナタが間に合わなければ、蘇生にはもっと手間取っていただろうな。最悪助からなかったかもしれない。お前のお陰だよ」

「え?」

 

黙って話を聞いていたカナタが突然のことに驚いて蓮へと振り向く。

 

「私が、ですか?……でも、私は、何もできませんでした……あっさりと殺されそうになって……守るどころか結局、助けられたのに、どう、して……」

 

確かにカナタは蓮の遺体を取り返すことはおろか、一人倒した程度で呆気なくやられて殺されそうになった。カナタ個人の戦果を見れば、彼女が戦った数十秒の時間のことはそう思っても仕方がない。

だが、蓮にとっては違う。蓮にとってはその数十秒は確かに意味があったのだ。

だから、蓮はカナタに笑みを浮かべる。

 

「お前が来てくれて、俺の為に怒り涙を流し戦ってくれたあの数十秒は決して無駄な足掻きじゃなかった。

あの数十秒で俺は蘇生を済ませることができて尚且つ今度こそお前を守ることもできた。

お前が俺の命を繋ぎ止める切欠を作ってくれたんだよ」

 

蓮は手を伸ばしカナタの頬を優しく撫でる。

潤み始めた空色の瞳を蓮は真っ直ぐ見て礼を言った。

 

「だから、助けに来てくれてありがとう。今回は本当に助かった」

「……ッ‼︎はいっ、はいっ‼︎」

 

カナタは嬉し涙を流しながら、蓮の手に自分の手を重ねて頬を擦り寄せる。

自分ではまだ彼の役には立たないと思っていた。役に立てるほど強くないと思っていた。

だけど……

 

(……私は、貴方のお役に立てたのですね)

 

他ならぬ彼がそう言ってくれた。

それが何よりも嬉しかった。自分が彼の役に立てた事が、そして今度こそ彼を助ける事ができたのだと言うことに。

蓮が今もそうであるように、カナタも今もずっとあの時のことを後悔していた。

ずっと、ずっと二度と繰り返さないと誓って強くなろうと努力してきた。

未だその隣には並び立てていないし、まだ彼の背中は遠い。だが、ほんの少しだけ、その背中に近づけた気がしたのだ。

そして、カナタがその嬉しさの余韻に浸っていた時、黒乃が尋ねた。

 

「……まぁそれは分かったが、どうやってカナタは蓮が襲われていることを知ったんだ?」

 

そうだ。蓮もカナタも無事であったことは喜ばしいことだ。

しかし、自分達は発信機からの救難信号によって蓮の襲撃と位置情報は常に捕捉できたが、カナタには何も無いはずだ。どうやって蓮の襲撃を知ったのか。その疑問に、カナタは涙を拭いながら応えた。

 

「…私は、何か物音が聞こえて起きて外を見た時に蓮さんがちょうど戦っているのを見て…それで、いてもたってもいられなくて……蓮さん達が森の中へ消えた後、魔力の残滓や戦闘の痕跡を辿ってここまで追いかけて来ました」

「……ああ、そういうことか。結界を張る直前に起きたのか」

 

蓮は頭を抑えて呟く。

自室でジーフェンを外に蹴り飛ばして自分も部屋の外から出た直後には、寮全体に《静謐なる海界》の遮音結界を張って音を遮断したのだが、どうやらカナタはその時に偶然にも起きてしまい、結界を張る直前のコンマ数秒の間に響いた戦闘音で完全に目が覚めてしまったらしい。流石にこればかりは蓮にも予測できなかった。

 

「……タイミングが悪かったとしか言いようがないか」

「……とりあえず、経緯は分かった。……しかし、よく東堂を起こさずに部屋から出れたな」

「ええ、まあ、刀華ちゃんは一度眠ると朝まで起きませんし…今夜もぐっすりと眠っておられるので、おそらく大丈夫かと」

「……そうか」

 

そう呟いた黒乃は蓮へと視線を戻して、顎に手を当てると険しい表情を浮かべ呟く。

 

「しかし、今回の襲撃でそのレベルの敵が来たとなると次の襲撃は……」

「ああ、間違いなく次は来るだろうねぇ」

 

それは言葉にせずとも蓮には簡単に理解できた。

次の刺客は、どの勢力か問わずとも必ず《魔人》を差し向けてくると。

 

そうなれば、周辺に及ぶ戦闘の被害など今回のような程度では済まない。

元々災害クラスの力を持ち、敵勢力の抑止力たり得ている戦略級伐刀者である蓮の相手を務めれるのは、同じ天変地異の怪物のみだ。

だとすれば、戦闘区域の周辺地域には避難勧告をしなければならないはずだ。

蓮もそれは分かっている。だから、険しい表情を浮かべた。

 

「………次は、この程度では済まないだろうな」

「蓮分かってると思うが……」

「ああ、なるべく使わないようにはする。だが、こうなってしまった以上は『最悪の可能性』も考慮しなければいけないだろう」

 

《魔人》同士の戦いはもはや伐刀者の戦いの枠組みを逸脱している。

《魔人》と言っても一概には言えず、破壊に特化した者、索敵に特化した者、補助に特化した者など、元々有している能力などの諸々によって技量が変わってくる。と言っても、《魔人》と言うだけで、怪物じみた実力を有しているのは確かだ。

蓮はその中でも特に破壊に特化した存在であり、彼と破壊力で張り合えるものは世界中に点在している《魔人》達の中でもそうはいない。

そして、それほどの怪物達がぶつかったのならば、蓮を含め彼らは必ず解き放つだろう。

 

——— 《魔人》の本領。負の側面の極地を。

 

そうなってはいよいよ手がつけられなくなる。

その戦いはもはや只人が介入できないほどの破滅的な災害になり得る。

 

蓮が言った『最悪の可能性』とはまさしくそれだ。

黒乃もそれを分かっており、分かっているが故に苦渋を滲ませた表情を浮かべた。それは悲しみの色が大きかった。

黒乃は、拳を強く握り震わせながら言った。

 

「それは分かっている。分かっているが……私は、お前にあんな風になってほしくない……7年前も、3年前も何とか戻れた。だが、次は戻れる保証はないだろっ」

 

悲しみを押し殺した黒乃の言葉に、蓮は若干顔を伏せると静かな声音で言った。

 

「…………分かっている。本当にギリギリまで使わないようにする。だが、もしもその時が来たら……」

「その時はウチらも腹括るさね。

ただ、なるべくれー坊も気をつけてくれよ。ウチらだってそんな事はしたくねぇんだから」

「……ああ」

 

寧音に言われた蓮は一言そう応えて軽く頷いた。

 

「……とにかく、備えておくことに越したことはない。俺の方から少佐達には連絡しておくから、母さん達は連盟の方を頼めるか?」

「……ああ、分かっている。明日中にでも各所に連絡はしておこう」

「助かる」

 

そして次の襲撃への備えを話し合っていた3人に、突然声がかけられる。

 

「あの、皆さん……」

 

声をかけたのは、話に完全に置いていかれていたカナタだ。

カナタは3人の視線が向けられる中、多少の困惑を浮かべながらも真剣な表情で3人に問うた。

 

 

「先の戦闘で蓮さんや敵の方達が話していたのを聞いたのですが、《魔人(デスペラード)》や《破壊神(バイラヴァ)》とは一体なんなのでしょうか?

聞き慣れない単語ですが、もしかして7()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

『——————』

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

カナタの口から発せられた二つの単語。

 

 

《魔人》と《破壊神》

 

 

片や蓮の存在を示す名称であり、片や殺戮の魔神と化した蓮の隠された二つ名。

 

それは本来ならばカナタが知るはずのない名。

黒乃や寧音などの極一部の者達しか知らないはずの言葉だ。

故に、蓮達3人は目を見開き、突如空気が緊張に張り詰め、表情が強張った。

 

「ッッ‼︎」

 

張り詰めた空気を肌で感じたカナタは、今の発言が触れてはならない何かに触れてしまったのだとすぐに理解した。

 

「……カナタ、蓮や黒狗の奴らから聞いたと言ったか?」

 

黒乃が低い声でそう尋ねる。寧音も無言でじっとカナタの表情を窺っている。

二人の有無を言わせない迫力に、生唾をごくりと飲み込んだカナタは無言で頷く。

それを見た黒乃は次いで蓮に視線を向ける。

 

「蓮どういうことだ。まさか、話したのか?」

 

黒乃にキツい口調で尋ねられた蓮は、先程の険しい表情から一転して気まずい表情を浮かべ冷や汗を流し、黒乃から目を逸らしている。

蓮は焦りの色を浮かばせながらぶつぶつと呟く。

 

「………いや、すまん。そういうわけじゃないんだが………あー、やらかした」

「おい、どういうことか説明しろ」

 

観念したのか蓮は嘆息し、話し始めた。

 

「それが…ジーフェン達は魔人の事を知ってたからな。…カナタに話したわけじゃないんだが、俺とジーフェン達の会話で何度か《魔人》は言っていたから、おそらくそれで……《破壊神》の方も俺は言ってないが、おそらく俺が蘇生している間に、彼らが言ったんだろうな」

『…………』

 

黒乃と寧音は思わず無言になる。

確かに思い返してみれば、黒乃達が救援で来た時も一度《魔人》の単語を発していた。そして黒乃達がくる前にも何度か発言しているのならば、カナタの耳にも当然入り、疑問を浮かべるに違いない。

つまるところ、蓮だけが悪いと言うわけではないのだが、カナタがいるにも関わらず、連盟の重要機密事項である《魔人》の名を発してしまった蓮の不注意ということだ。

 

「はぁ……なるほど、分かった。こればかりはお前の不注意だったという事でいいな。

カナタ、お前には悪いが今の話は忘れて「いえ、教えてください」……なに?」

 

《魔人》に至ったもの、あるいは近づいたものにのみ開示される。だが、その資格を有していないカナタは知るべきではないことだ。故に忘れろ、と言おうとした黒乃に被せるように言ったカナタに黒乃は思わずそう返してしまう。

カナタは真剣な表情を浮かべ、力強い眼差しを黒乃と同様に驚いている蓮達へと向ける。

 

「3人の話を聞く限り《魔人》が連盟に、ひいては世界にとっても何か特別な存在であることは分かりました。本来ならば、私が知っていいような話ではないのでしょう。

正体を知らず、不確かなまま記憶に留め、何があっても他言しないことが最善なのだと思います」

「そこまで分かっているなら、なんで聞こうとするんだい?」

 

寧音の問いにカナタは一度隣に立つ蓮へと視線を向けると再び寧音へと戻し力強い口調で確かに言った。

 

「もう後悔したくないからです。

あの時、私は何も出来ませんでした。ただ守られるだけでした。

私にはそれがどうしても許せなかった。

そんな情けない自分にどうしようもなく腹が立ちました。だから、もう繰り返さない為に今まで努力してきました。

これは私の我儘で自己満足です。もう二度と何も出来なかった過去を繰り返したくないという一心です」

 

全ては蓮の為に。彼の力になる為に、今度こそ彼を守る為に。あの雨の日にそう誓ってここまで強くなった。

ならば、ここで引いていい理由などない。

 

「だからこそ、今日蓮さんが襲われている事実を、世界中の敵対組織から命を狙われていることを知ってしまった以上、私はもう何も知らないままではいられません。

足手纏いだからと、ただ彼の無事を祈り座して待つなんてこともしたくありません。

知ってしまった以上、私も蓮さんの力になりたい。今度こそ彼を取り巻く悪意から守れるように微力ながらお力添えしたいのです。ですから、お願いします」

 

そう言ってカナタは黒乃と寧音に深々と頭を下げる。

 

 

「どうか私に、《魔人》について教えてください」

 

 

『…………』

 

 

カナタの告白を受け、黒乃と寧音はしばらく黙り込み何かを考えていた。

その様子を横目で見ていた蓮は、内心で思う。

 

(……教えれるわけがない)

 

蓮だったら、カナタがなにをしようとも《魔人》やそれに関係することは教えない。決して教えないと断言できる。

彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。

何もできないのは嫌だからと、がむしゃらに強くなって今度こそ守る。その気持ちは自分も同じだから。

本音を言うならば、彼女がそう思ってくれていたことに感謝したい。久しぶりに再会した時も、彼女は自分の罪を赦してくれた。自分の味方であると言ってくれた。

もしも正直に全てを話せば彼女は怯えることもなく真っ直ぐに向き合い、力になってくれるだろう。

それに、彼女が頑固なのは昔からだからよく知ってはいる。こうなった以上は、こちらが折れないといつまでも言い続けるだろう。

だが、それでも……

 

(駄目だ。お前を巻き込むわけにはいかない……)

 

蓮は己でも気付かぬうちに歯を強く噛み締めギリッと鳴らす。

そうであっても、蓮はカナタには決して明かしたくない。

カナタだけではない、自分の周りにいる親しい友人たちにもだ。

 

《魔人》の事を話すと言うことは、人ならざるもの達の戦いに彼女を巻き込む事であり、未だ人間であり、その限界点まで到達すらできていないカナタに話したところで、魔人同士の戦闘に不用意に巻き込んでしまい、悪戯に死なせてしまうだけだ。

それは、それだけはあってはならない。

 

だったら、巻き込ませないように突き放せばいい。それで彼女が傷ついてしまったのだとしても、彼女が死んでしまうことにくらべれば遥かにマシだ。

あの時、両親の死に打ちひしがれていた自分を掬い上げてくれたのはカナタだ。深く暗い悲しみの闇の中に光をさし、手を伸ばしてくれた。

彼女がいたからこそ、自分はあの時もう一度立ち上がれて強くなる事ができた。

 

あの時から、ずっと、ずっと、蓮にとってカナタは大切な人であり恩人なのだ。

 

それほどまでに美しく気高い人間が、自分みたいな怪物に巻き込まれて傷つくのは見たくない。

 

だから、どうかここは諦めてくれ。

本当に大切に想うからこそ、蓮はカナタには幸せに生きて欲しい。

彼女が人並みの幸福を得て、平穏に生きれるのならば、自分はそこに魔の手が決して届かないように何が何でも戦い続けれるのだから。

そして蓮が願う中、やがて黒乃と寧音が目配せをして頷くと、黒乃が静かに口を開いた。

 

「駄目だ。これは国家だけでなく連盟にとっても秘匿すべき重要機密であり、話すことはできない。お前には誰にも口外しないように黙ってもらうしかない」

「そんなっ…!」

 

顔を上げ抗議の声をあげるカナタの一方で、蓮は内心安堵した。傷つけるかもしれないが、これで彼女を巻き込む可能性は大きく下がったと。

だが、次の黒乃の言葉で蓮は目を見開いた。

 

「………だが、ここにいるのは私達だけだ」

「え?」

「なっ」

 

次いで告げられた言葉に二人はそれぞれ反応を示す。カナタは純粋な驚きから、蓮は動揺から目を見開く。

蓮は血相を変えて黒乃に詰め寄り叫ぶ。

 

「ま、待ってくれ!まさか話すつもりなのか⁉︎」

「そうだ。僅かに聞いた程度なら強く言って黙らせればいい。だが、カナタはもう隠し通せないほどに知ってしまっている。なら、この場で全て話しその上で絶対に口外しないようにさせるしかない。私達が黙っていれば済む話だ」

「だ、だとしても、俺達の事はそんな簡単に話していいものじゃないだろ!

話して、本来なら巻き込まれなくても良いはずの事に巻き込まれでもしたらどうするつもりだ!」

 

普段ならば決して見せないであろう明らかな狼狽を見せた蓮にカナタが驚く中、寧音が諭すように話しかけた。

 

「確かにれー坊の気持ちはよくわかるよ。

知っちまった以上、その過程で厄介事に巻き込まれるかもしれねぇ。それで死なれでもしたら最悪だ。れー坊としてもそれは何があっても避けたいのはよく分かる」

「だったらっ!」

「けどな、ここで話さなかったら最悪カナちゃんは貴徳原の力使って独自に探りを入れるかもしれないさね。だとしたら、そっちで厄介事に巻き込まれた方がウチらとしては面倒だ。

だったら、今ここで全部話しちまって余計な事をしないように強く釘を刺せばいいって話だよ」

「……ッッ‼︎‼︎」

 

蓮は反論できずに悔しそうに歯噛みする。

寧音の言っている事が道理だったからだ。確かにここで教えてもらえなかったら、カナタは貴徳原財団の情報力を使って口外せずとも自分なりに探るだろう。

その過程で、厄介事に巻き込まれ、それが自分達の認識の外で起きてしまったのならば最悪彼女を守れないかもしれない。

ならば、話した上で釘を刺し自分達の目の届く範囲に置くことで、厄介事に巻き込まれても自分達が守れるようにするということだ。

それを理解したからこそ、蓮は反論できなかった。

 

「……ッッ、くそっ」

 

蓮はそう悔しそうに吐き捨てて近くの倒木に移動して腰掛けて黙り込む。

反対なのは変わりはないが、もう無駄だと悟ったのだろう、邪魔する気はないらしい。話が終わるまで、静観するつもりのようだ。

押し黙る蓮を一瞥した黒乃はカナタへと向き直る。

 

「カナタ、話す前に聞きたい事がある。

お前は7年前のことについて触れたな。なぜそれが関係していると思った?」

「はい。それは、蓮さんの魔力が彼の最大値すらも超えて上昇したことと、蓮さんが人ならざる異形へと姿を変えたのを見たからです。

あの時は、伐刀者の未知の力がそうさせたのだと思いましたが、あれが《魔人》の力の一端なのではないでしょうか?」

 

カナタの推察に黒乃はその通りだと頷く。

 

「そうだ。そして今から話すことは連盟が、そして日本が秘匿している最重要機密の一つだ。絶対に他言するな。他言したら命の保証が出来なくなる可能性がある」

「承知しましたわ。他言しないことを誓います」

「よし。では話すぞ」

 

そして黒乃は話し始める。

 

「私達伐刀者の魔力は生まれた瞬間に総量が決まっているのが常識だが、ごく稀にその前提を覆す例外が存在する。

それが《魔人》だ。自らの強固な意思で人としての魂の限界を打ち破り、運命の外側に至った存在のことだ。

限界を踏み越えた《魔人》は魔力の最大値を更新できる現象が発生する。この現象を《覚醒(ブルートソウル)》という。

《覚醒》を経た伐刀者の魂はその時点で、今までの人間のそれとは異なるモノに変質し、運命に捕らわれない存在となるんだ。

《魔人》は魔力量が増加するだけでなく、因果に対する強い主体性———《引力》と呼ばれる特性を帯び、因果干渉系の能力による影響を受けにくくなる。

7年前蓮の身に起きたのはまさしくこの《覚醒》であり、それが蓮の暴走の原因だ」

「……そう、でしたか。ですが、あの時の姿は、一体」

 

《魔人》の話は理解した。

滅茶苦茶で荒唐無稽な、今まで知っていた常識が崩壊するような到底信じがたい話だが、不思議と納得できた。

だがまだ疑問は残る。

7年前に見たあの蓮の変わり果てた異形の姿だ。魔力の上昇は《覚醒》によるモノだとわかった。ならばあれは一体《魔人》の何がどう作用したのかが分からなかった。

黒乃はそれも話すと言って話し始める。

 

「それは《覚醒超過》による肉体の変質だ。

《魔人》の成れの果てと言っても良いだろう。

そもそも《覚醒》とは、自身の魂を人ならざる存在へと変質させる事だ。

《覚醒》を経て、その力を使い過ぎれば人ならざる魂の影響が肉体にまで及び、肉体が魂の形に最適化しようと変質して、膨大な力を得る代わりに人としての理性を失い、自己に飲み込まれたケダモノと化す。

それが《覚醒超過》だ。そしてそれこそが、《覚醒》が『ケダモノの魂(ブルートソウル)』と呼ばれている所以でもある」

 

肥大化した自己はその人間から分別を奪い、欲望のままに暴れ狂うただのケダモノと化してしまう。

 

「古来より世界各地で伝えられている『鬼』や『悪魔』をはじめとした人の形をした異形は、魔に呑まれ身も魂も堕ちてしまい、人間性を喪失してしまった伐刀者の成れの果てだというのが、現時点での連盟での見解だ。

お前が見た蓮の肉体の変化もそれだ。

蓮はあの日に《龍神》の力に目覚めると同時に《覚醒》に至り、そのまま《覚醒超過》にも至ってしまい、自身の肉体を変質させて怒り狂う怪物となって制御できない力で破壊の限りを尽くしたというわけだ」

 

《魔人》の本領とも言える《覚醒超過》。魂だけでなく肉体すらケダモノへと変える事で比類なき強力な力を得て、その対価として己の人間性を支払う。

そして蓮は、《覚醒》に至ったと同時に《覚醒超過》にも至り、人ならざる異形へと、憎悪の獣へと転じて怒りと憎しみのままに周囲を敵もろとも破壊し尽くした。

その結果が、あの黒川事件の惨劇だ。

 

「………」

 

あの日の顛末を理解したカナタはしばらく黙り込む。

正直、自分が想像していた以上に衝撃的な話だった。だが、長年ずっと喉に引っかかり続けていた悩みがようやく解決できた。

だから、この荒唐無稽な事実を現実として容易く受け入れる事ができた。

 

「……話は分かりました。では、《覚醒超過》の事があるから、公にはできなかったという事なのでしょうか?」

「それもある。だが、それ以上に我々伐刀者の人権を守るためだ」

「人権、ですか?」

「そうだ。《魔人》に至るにはまずあらゆる努力を惜しまず自分にできる全てをやり尽くす努力と、その果てに見えた己の可能性限界を前にしてもそれを踏み越えようとする強烈な本人の意志。その二つが必要不可欠。()()()()()を除き、それらが覚醒の絶対条件だ。

そして連盟が恐れたのは、無茶をすれば限界を越えられるという間違った認識が広まってしまうことだ。もしも広まれば、それを知った非伐刀者がそれを自国の伐刀者に強要するかもしれない。

そうすれば、我々伐刀者の人権は酷く軽んじられ、最悪ただの兵器として扱われる未来もありえるだろう」

「……ッッ‼︎‼︎」

 

瞬間、カナタは目を見開き、息を呑みこんだ。

黒乃が口にした未来の形に戦慄したのだ。確かに、この事実が広まれば、そのような未来も十二分にあり得てしまう。

人間の可能性を無理矢理極めつくす、殺人的な訓練を伐刀者全員に課して、己の可能性限界を試されるような環境を強いる事になる。

最悪強力な兵器としてしか扱われない未来も存在するだろう。

そんな事をしたところで、生まれるのは悲劇だけだ。

 

「だからこそ連盟は《魔人》の存在を秘匿し、連盟傘下の中でも《魔人》を輩出している国家の一部の人間にしか、その存在を明かしていない」

「……はい。それは確かに危険ですね。秘匿するのも当然ですわ」

 

カナタは頷く。

これは確かに、軽々に外に漏らしてはならない話だと、理解したからだ。

 

「では、輩出している国家ということは、既に日本には蓮さん以外に《魔人》がいると言う事ですか?」

 

そこで、カナタは会話の最中に浮かんだ疑問を投げかける。

これに黒乃は頷き、肯定をした。

 

「その通りだ。現在日本国籍を持つ魔導騎士では蓮を含めて3人。

一人は今此処にいる寧音と、もう一人は寧音と蓮の師匠でもある《闘神》南郷先生だ。

ちなみに、大和もサフィアも《魔人》であり、お互いに国を代表する《魔人》だった」

「寧音さんに南郷先生もですか。それに、あのお二人もそうだったのですね……」

 

自分が見知った人物が何人も《魔人》だった事に驚きを露わにしながら、次の疑問を投げかけた。

 

「……しかし、蓮さんの場合はどうなのですか?あの時の状況は、今の黒乃さんの話で聞いた至り方とは異なると思うのですが…」

 

当時まだ9歳の蓮が己の可能性限界を極め尽くしたとは到底思えない。それに、《龍神》の力が開花していなかった時点で、まだ伸び代はあったはずだ。

先程黒乃は全てをやり尽くす努力と、限界を越えようとする強い意志が必要だと言った。

ならば、蓮はなぜ《覚醒》に至ったのだろうか?

その疑問に、黒乃は悲しいような暗い表情を浮かべ目を少し伏せるとしばらく黙った後話し始める。

 

「…………蓮の場合は先ほど言った『一部の例外』に当てはまる特殊なケースだ。

《覚醒》には先程のとは別にもう一つの手段がある。それは、自身が生命の危機にさらされた時だ」

 

己の可能性限界を問われる生命の危機。それに類する絶望感や憎悪、怒りなどの負の感情によって自己が急速に肥大化し《覚醒》に至るという例もある。

しかし、己の意思やそこに行き着くまでの研鑽、覚悟を伴わない自己の肥大はその人間の精神に大きな傷をつける。

精神に大きな傷を抱えたまま、しかし力だけが異様に増大するということは、とても、そうとても危険な事なのだ。

幼くして《覚醒》に至った蓮がまさにそれだ。

 

幼い頃に両親を奪われ、復讐を誓った。

あの時から蓮は復讐に囚われ、常に怒りと憎悪の炎がその心には燃え盛っていた。

どれだけ楽しい事があってもその裏ではいつでも黒い炎が燃え盛っていたのだ。

それは今も変わることはなく蓮は己の歪みの炎に焼かれ続けている。

だからこそ蓮はあの日瀕死に陥った後《龍神》の力が目覚めたと同時に《覚醒》に至り、その直後に《覚醒超過》にも振れてしまったのだ。

 

「ッッ」

 

それを理解してしまったカナタは目を見開き驚愕を露わにするが、恐怖に身体を震わせることはしなかった。

だって、これは自分から望んで聞いたのだ。なのに、恐れてしまっては今の蓮を拒絶することに他ならない。

だからそれをグッと堪え、現実として受け止めてこれほどの話を話してくれた黒乃に礼を言う。

 

「………お話ししてくれてありがとうございます」

「いや、お前には全てを話すと言ったんだ。今更隠し立てするつもりはない。まだ聞きたいことはあるだろ。話を続けるぞ」

「はい。でしたら、《破壊神(バイラヴァ)》についてを。聞いた限りでは蓮さんの二つ名なのでしょう」

「そうだ。《破壊神》は公にはされてはいない蓮の二つ名の一つだ。お前は3年前沖縄で発生した『沖縄防衛戦』を覚えているか?」

「はい。覚えております」

 

『沖縄防衛戦』。それは過去の歴史の中で起きた戦争の中で最も新しい戦争だ。

自分が住んでいた九州の地のすぐそばでの沖縄で起きた中国との戦争。遠い世界の話でなかったソレが自分の生活圏のすぐ側で発生した事に、当時刀華や泡沫共々驚いたのはよく覚えている。

ニュースでは、沖縄に駐在していた自衛隊と現地の魔導騎士達の奮戦と増援として来た黒乃と寧音の尽力のおかげで撃退に成功したと聞いていたが、彼女の口ぶりからは何か違うように聞こえる。

そしてそれは正しかった。

 

「蓮の《破壊神》の由来は、その防衛戦にある。あの戦争を終わらせたのは、私達ではない」

「まさか、蓮さんが…?」

「そうだ。沖縄にいた蓮が自衛隊と魔導騎士達と協力し、市民の避難誘導と防衛に努めさせて、自分一人で中国軍の艦隊と戦いその悉くを殲滅した。私達は戦争が終わった後に来たに過ぎない。それが公開されなかった本来の結末だ」

「……ッッそうだったのですね」

 

つくづく今日は驚く事ばかりだとカナタは思う。

確かにそれは公開できないだろう。

14歳の子供がたった一人で戦争を終わらせたことなど公にして仕舞えば蓮の身が危ういからだ。黒乃と寧音がやったと言った方がずっとマシだ。

だが、何故蓮が沖縄にいたのか、そんな疑問をカナタは溢す。

 

「ですが、何故蓮さんが沖縄にいたのですか?」

「中学の修学旅行先が沖縄だったからな。単純にタイミングの問題だ。旅行中に蓮は戦争に鉢合わせしたんだよ」

「……な、なるほど」

 

まさかの理由にカナタはそう返すしかなかった。昔から思うが、蓮は強敵との遭遇率が高すぎると思う。

平和とは縁遠い星の下に生まれたのではないのかと疑うほどだ。

そしてさらに衝撃的事実が告げられる。

 

「その時、蓮は中国最強の一角であり《魔人》でもある《白虎》の二つ名を持つ男と交戦した。しかも、二人とも《覚醒超過》の状態で戦っていた」

「えっ⁉︎」

 

カナタは声に出して驚愕をあらわにする。

瞬間、カナタの脳裏にある光景がよぎる。

戦争が終わった後の沖縄の風景がヘリで撮られていたが、その時にとある地区の被害が他とは比較にならないほどに凄惨だったのを思い出した。

建物なんてほぼ瓦礫の山となり、地面は根こそぎ抉られ、破壊の跡がどこかしこにあった。

あれは、黒川事件よりも被害がかなり酷かったが、あの時の惨劇にも似ていたように見えたのだ。だとすれば、あれは《覚醒超過》を使った者同士の戦いの後だったのか。

だがそれよりもだ………

 

「蓮さんは大丈夫だったのですか?」

 

《覚醒超過》を使用したのならば、理性が消えて暴走状態にあったはずだ。

それが蓮だけでなく敵の男もそうだと言うならば、それは相当危険であったはずだ。一体、どうやって切り抜けたのか……その疑問には蓮が応えた。

 

「……初めこそは、お互い『人間』のままで戦っていたさ。だが、決着がつかずに膠着状態が続いた後、奴は勝負を決める為に《覚醒超過》を使い自我を保ったまま虎の獣人、つまり人虎へと変質した」

 

あの日のことははっきりと覚えている。

蓮の眼前で自身の肉体を人間から獣へと変えたルオ・ガンフーはあろう事か平然と自我を保っており、それで蓮を後一歩のところまで追い詰めたのだ。

一度でも判断を間違えれば死んでいた。一度でも対応を誤れば何も守れなかった。

極限の状況下で今まで以上の逆境を強いられ、その果てに追い詰められた蓮は、当時《覚醒超過》を黒乃から禁じられていたが、使用せざるを得なかった為に、《覚醒超過》を使用し人型の龍へー龍人へと自身を変質させた。

激流のような破壊衝動に精神を蝕まれながらも、なんとか自我を保っていた蓮はそのままお互い獣の姿で戦いを再開。

そして周囲を破壊しながら激闘を続け、なんとか蓮が勝ったのだ。

 

「俺も《覚醒超過》を使って自我を保ちながら、なんとかガンフーを倒せた。

その時はまだ、なんとか自我を保ててたよ。だが、中国艦隊の殲滅に踏み切ってからは自我が薄れて破壊衝動に呑まれつつあった。そして艦隊を滅ぼした頃はもうほぼ理性が消えていたな。

……母さん達がいなかったら、確実に沖縄は沈んでいた」

 

自嘲じみた笑みを浮かべて蓮はそう呟いた。

戦いに勝った蓮は薄れゆく意識を必死に繋ぎ止めながら、中国艦隊をたった一人で殲滅した。

しかしその後、自我が保てなくなりかけて周囲を誰彼構わず破壊しようとすらしていた。その時に、ちょうど応援に駆けつけた黒乃と寧音のお陰でなんとか自我を取り戻し人間に戻れたのだ。

そして再び黒乃が話し始める。

 

「その後に蓮は《破壊神》と呼ばれ、裏で囁かれるようになった。

数多の兵士を屠り、艦隊すらもたった一体で破壊し尽くした破壊を齎す凶兆の厄災。

たった一人で戦争を終わらせた人知を超えた理外の怪物。敵には破滅を齎す災禍の炎と味方には再生を齎す豊穣の水を操る殺戮の魔神として、蓮は裏社会において恐怖の対象の一つとなった。

だが、蓮の奮闘のおかげで日本の人的被害はほぼゼロ。負傷者は多かったが、それでも一人も死者を出さなかった。一方で、中国の被害は壊滅的であり、9割以上の数千の兵士が命を落とし、全ての艦船が跡形もなく焼失した。

これが《破壊神》と呼ばれた切欠となった『沖縄防衛戦』の顛末だ」

「……すごい、ですわね」

 

カナタは純粋にそう思う。

たった一人で戦争を終わらせた事、誰一人として死者を出さなかった事。彼が挙げた戦果に一人の騎士としてすごいと思った。

それは、まるで英雄のようだ。

いや、真実蓮はもう英雄だ。

かつて街を守り抜き、死者を一人も出さなかった蓮の両親と同じように、蓮も一人の死者も出さず守り抜いたのだ。それはもはや英雄と言っても過言ではない。

 

そしてすごいと同時に、感謝もした。

彼があの時、戦い勝ったからこそ、自分達が住む九州の地に侵略の魔の手が及ばなかったのだ。

沖縄を侵略すれば、次は九州が狙われるのは明白。そうすれば自分達が住んでいる福岡の地も危なかっただろう。

だが、その危機は蓮が戦ってくれたおかげでなくなった。自分達が戦争に怯える中、彼がたった一人で戦って全てを守ったのだ。

 

「蓮さんが守ってくれたから、今の私達があるのですね」

「そうとも言えるな。……さて、話は戻るが、お前が聞きたいのはそう言うことだけじゃないだろう?蓮の身体についても聞きたかったはずだ」

「ええ。話を聞く限り《覚醒超過》が何のリスクもなしに使える力であるはずがありませんもの」

 

これに黒乃は静かに頷いた。

 

「そうだ。そもそも《覚醒超過》とは自分を全く異なる存在に変質させる現象だ。

一度変貌した以上、外見は取り戻せても中身が別物に変わっていてもおかしくはない」

「だとしたら蓮さんは……ッッ!」

 

そこまで言いかけたカナタは咄嗟に口を塞ぐ。

だって、今自分は蓮がすでに人間はなくなっているのではないかと言い掛けそうだったからだ。

そんな彼女の心配に、黒乃は安心しろと言った。

 

「確かに、過去に二度も変質してはいるが、検査の結果は陰性。つまり、蓮の肉体はまだ外側、内側ともに『人間』だ。

体組織にはどこにも異常は発見されてない」

 

そう、月一度自衛隊の独立魔戦大隊で蓮にだけ行われている肉体検査での結果は今もまだ陰性。

現段階では未知の体組織や体構成、遺伝子異常は確認されていなかった。

それが意味するところは蓮はまだ人間であると言うこと。

 

「っっそれは、良かったです」

 

それを理解したカナタは、心の底から安堵する。しかし、続いて言われた事にそれは急激に冷める。

 

「だが、次も今の形に戻れる保証はない。蓮には再三言っているがなるべく力は使わせないようにしている」

「……そう、ですか」

 

確かに次使ったとして元の形にまた戻れるか分からない。実物を見たからこそ分かるが、あれは使うにはリスクが高すぎる。

次使えば肉体が元に戻れるか分からないのだ。最悪、獣のままという事も十二分にあり得る。

いや、無事に戻れたとしても内側で何らかの異常が発生している可能性だってある。そうすれば、日常生活への弊害は計り知れない。

 

その事実を理解したカナタは、しかし考えてしまう。

 

蓮の隣に並び立ち、蓮を守るためには力が必要だ。

《魔人》へ至り、人知を超えた存在になっている蓮を守れるぐらいに強くなる方法は、ただ一つ、自分もまた《魔人》へ至り同じ領域へと踏み込む事。

だとすれば———

 

「カナちゃん、そのつもりなら腹括れよ」

「ッッ⁉︎」

 

今まで黙っていた寧音が真剣な声で言う。

普段の飄々さが消え、凄んだ声音に込められた威圧感にカナタは反射的に下がって身構えてしまう。

 

「《魔人》に至るっつぅことは自分の死の運命を乗り越えるってことだ。

それは正気の沙汰じゃ出来ねぇよ。自分を極め尽くすことが一生使ってできるか分かんねーのに、さらにその上を渇望するなんざそりゃとんだイカれたエゴイストさね。

互いを愛しているから、互いに相応しくあるために至った夫婦もいりゃあ、戦いの愉悦を求めて至ったロクデナシだっている。

至り方なんて《魔人》の数だけあるから、カナちゃんの想いをどうこう言うつもりはねぇよ。

……ただ、さっきくーちゃんが言った通り、《魔人》ってのは人を辞めたバケモンだ。その精神が『人間』でいられる保証もねぇ。

運命の外側に至ったら、元々の運命にあった人として得られる安寧を失う可能性だってあるんだ。カナちゃんはそれらを全て承知の上で、《魔人》になるつもりなのかい?」

「…………」

 

カナタは寧音の言葉に構えを解きながらしばらく思考する。

黒乃から《魔人》の力の恩恵とリスクの全てを聞いた。人としていたいのならば、迷う事なく《魔人》になることを諦めるだろう。

だが、蓮を守りたいならば《魔人》にならなければいけないのは事実だ。どちらの道が正しいのか分からないカナタは、それを暫く考える。

 

考え込むカナタを黒乃と蓮が静かに見守る中、質問した寧音はほろりと相好を崩した。

 

「別に《魔人》になるってことが全てじゃねーんだ。

くーちゃんだって愛する旦那の妻でいてぇから人でいることを選んで引き返したんだ。『人間』であり続ける事も、誰にも恥じる事のねぇ、むしろ誇れる立派な選択だよ。

誰かを想えるなら尚更ね」

「寧音……」

 

寧音の言葉に隣に立つ黒乃が、寧音を驚いたように見ている中、寧音はじっとカナタの答えを待った。

やがてカナタが口を開いた。そして告げられた返事は……

 

「……分かりません」

「ん、話してみな」

 

寧音は優しくカナタの説明を促した。

暫く逡巡したのち、カナタは自分の考えを話し始める。

 

「……確かに、《魔人》に至ると言うことは寧音さんの言う通り人の幸福を捨てるかもしれないことなのは分かります。ですが、同時に黒乃さんのように人としての幸福を捨てたくないのも分かります。

正直、どちらの道を選ぶのが正しいのかは私には分かりません。

ただそれでも一つだけはっきりと言えることがあります」

「それは何だい?」

「どちらにしても今のままでは足りないと言うことです。

《魔人》に至ることを選ぶ選ばないにしても、今よりもっと強くならなければいけない事には変わりません。なら、《魔人》に至るかどうかは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今は先のことを考えるよりも何よりも強くなることを優先するべきなのですから」

 

《魔人》に関する全てを聞いた上で、あれこれ考えるのは後にして、今は一刻も早く強くなることを優先する。

はっきりとそう告げたカナタに、寧音は一瞬目を見開くと次の瞬間、噴き出して腹を抱えて笑った。

 

「ぷっ、あはははははははははははッ‼︎‼︎‼︎

その時に考えればいいって、確かにカナちゃんの言う通りだけどさぁ、そんなこと言う奴初めてみたよ!あははははっ、あー、腹いてぇ。でもまぁ、うん百点満点の答えだ」

 

寧音は目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、反対の手で親指を立てる。

カナタの返答は、寧音にとって満足のいくものだったらしい。黒乃も口の端に笑みを浮かべてすらいる。

ただひとり、蓮だけは驚愕に目を見開いていたが、そんなことは気にせず、寧音はある提案をした。

 

「なら、うちらが鍛えてあげるよ」

「え?」

「カナちゃんが限界点に到達できるまでの間はうちとくーちゃんが鍛えてあげるって言ってるんだよ。

勿論、うちらは厳しく行くし地獄見てもらうけど、どう?やってみる価値はあると思うぜ?」

 

寧音と黒乃の二人による特訓。

世界最強に名を連ねる二人からの特訓など、それは強くなろうと日々努力している伐刀者達からすれば喉から手が出るほどに羨ましい物だ。

それは、カナタも同じで、強くなりたい彼女からすれば願ってもいないことだった。

だからカナタは迷わずにその提案を受け入れた。

 

「はい。ご指導お願いいたします」

「ん、じゃあ明日…つぅかもう今日か、放課後から始めるとするかな。くーちゃんもそれで良い?」

「ああ、私もそれで構わない。ただ私はお前ほど暇じゃないからな。お前がメインにやれ。お前が言い出したことなんだからな」

「あいよ」

 

そう言ってひらひらと手を振り了承する寧音。

これでカナタは自分が聞きたいことは全て聞き終えたが、ふと新たな疑問が浮上した。そしてその疑問を彼女はすぐに口にした。

 

「しかし、《魔人》がそれだけ希少な存在ならば、国も野放しにはしないと思いますが、蓮さんも同じなのでしょうか?」

「ちょうどその話に移ろうとおもっていたところだ。その通りだ。《魔人》である蓮を野放しにしてはいない。当然、監視があり、私と寧音が《連盟》から任されている。もしも再び暴走してしまった時に、蓮を止めるためにな」

 

黒乃は殺す事を口にはせずに、ただ暴走を止めるということです説明する。

いくら全てを話すとは言ったものの、蓮を止める為に殺すなんて言って仕舞えば、どんな反応するかなど火を見るより明らかだ。なにより、黒乃とてカナタを不用意に悲しませたくはなかったのだ。

そんな気遣いが隠された黒乃の説明にカナタは納得する。《魔人》を監視するということは、監視する方もそれなりの実力がなければできない。

 

「蓮には発信機やバイタルチェックなどの機能をつけた装置を付けてもらっている。それで蓮の日々の体調や心拍、そして所在地などを私と寧音の端末に逐一送信できるようにしている」

「そこまで、するのですか?」

 

実は、黒乃達だけで無く独立魔戦大隊もその情報は共有しているのだが、ここでは伏せておく。

そして、位置だけでなく健康状態まで把握されている事にカナタはいささか疑問を覚えた。そこまでしなくてもいいんじゃないかと。

だが、その疑問に黒乃は首を横に振り否定する。

 

「そこまでしなければいけない理由があった。そして同時に蓮という《魔人》の存在は、私や寧音、南郷先生よりも重要視されていたからな」

「やはり、《龍神》の力、ですか?」

「そうだ。他に類を見ない『神』の力を宿す者。それがただの伐刀者だったのならば、まだマシだったかもしれないが蓮は《魔人》だ。

振るわれる力も更に並外れていると言ってもいいだろう」

 

《龍神》という能力は、日本という国家においては最重要に分類されるほどに貴重かつ希少な能力だ。

なにせ『神』だ。神の力が希少なわけがない。

過去の記録を漁っても500年以上前に《龍神》の力を発現した者が一人だけおり、その力で他国からの侵略を何度も防いだという記録のみで、数百年に一度というレベルの発現自体が極稀の超希少な能力なのだ。

そして、その力は四方を海に囲まれた地形である日本では、特に重要な意味を持つ。

海と天を操る力は、日本を周辺国からの侵略から守るために盾となるだけでなく矛にもなりうるのだ。それに、日本はどこの国とも地続きではない。必ず海路か空路で仕掛けなければならない。その時に、その海と空を支配する存在がいたならば、国家防衛戦は日本側がかなり有利になるに違いないのだ。

 

そして、その力を持つ者が数百年ぶりに現れ、さらに《魔人》に至ったことは喜ばしい事だったが、それがまだ幼い9歳の少年が成したということに上層部は喜びは消え代わりに危機感を覚えた。

もしも、それだけの凄まじい力が狙われた時、分別のつける大人ならまだしも、精神がまだ不安定な子供が、何かがきっかけで力を再び暴走させてしまったら、それは未曾有の災害に成り果てると誰もが直感したからだ。

故に、政府は蓮に監視をつけた。日本国の最重要人物かつ最高戦力として、彼の身に万が一が起きないように、監視をつけたのだ。

 

「現に、私達では一対一では力を完全に解放した蓮には勝てない。間違い無く日本最強の戦力であり、連盟でも5本の指に入ることは間違いないと断言できる」

「っっ」

「それだけ強力かつ希少な能力を宿した蓮を政府や連盟は野放しにするわけがない。私と寧音が近くで監視し、装置で蓮の状態を逐一把握するという事で落ち着いた。最初は施設に軟禁でもしろとか言い出す馬鹿者がでてきていたが、それは私達が黙らせた」

 

危険性ばかり考えて施設に軟禁させて、必要な時にしか使わない生物兵器のような扱いをしようとした愚か者もいたが、それは黒乃や寧音だけで無く、月影や氷室、そして連盟までもが動いて黙らせたのだ。

そして、蓮に装置を取り付けて常時その居場所と体調を把握するという事で落ち着いたのだ。

カナタは蓮の扱いに多少なりとも不満はあるが、これ以上の妥協案はなかったのだろうと考え、黒乃の説明に納得した。

 

「これで、お前が知りたいことは全て話した。他に何か聞きたいことはあるか?」

「………いえ、貴重なお話をしてくださってありがとうございます」

「そうか、また気になったことがあれば私達に聞きに来るといい」

「はい」

 

そしてカナタは倒木に座り込んでいる蓮へと視線を向ける。蓮は顔を下に向けているために表情は分からないが、だが組まれた両拳が鬱血するほどに強く握りしめられていることから、彼の心境が分かった。

そんな彼にカナタは近づくと両膝をつくと彼の名を呼ぶ。

 

「……蓮さん」

「………カナタ、俺は……お前がこの件に関わって欲しくないと、話した今でも思う。お前には《魔人》のことなど何も知らないままでいてほしかった。

何も知らずに、何事もなく生きていて欲しかった」

「……ええ、貴方ならそう思うのは当然ですわ」

 

力無くそう答えた蓮にカナタはそう優しく応えた。知ってしまった衝撃的な真実の数々、それらと蓮の性質を知っているのならば、蓮がカナタに知られたくないと思うのは当然のことだった。自分だって立場が逆転していたら、きっと同じことを考えていた。

大切だから危険な事に巻き込みたくないと。

どれだけ傷つけてもその真実から遠ざけたかったと。

それが、痛い程によくわかる。だが、だからこそカナタは。

 

「だとしても、私は貴方が抱えていた秘密を知れたことがどうしても嬉しいんです」

「…っ」

 

蓮はカナタの思いがけない言葉に思わず顔を上げる。顔を上げて見えたカナタの表情は今まで以上に穏やかだった。

カナタは蓮の頬へと手を伸ばすと、優しく触れる。

 

「とても失礼な事を仰っているのは分かっています。ですが、それでも私は貴方が抱えているものを知りたかった。それを知って、今度こそ貴方の力になりたかったんです」

 

だから言わせてください、とカナタは少し潤み始めている瞳で蓮を見つめて言った。

 

「7年前の事。そして、3年前の事。私達を守る為に、命を懸けて戦ってくれてありがとうございます。

だから、次は私達に貴方を守らせてください」

「ッッ」

 

カナタの言葉に目を見開いた蓮はしばらくカナタの瞳を無言のまま見続けて、やがて目を伏せると頬にある彼女の手に自分の手を重ねた。

 

「一つ、約束してくれ」

「はい」

 

縋るような声音で告げられた言葉に、カナタは頷き続きを待つ。蓮は絞り出すように、その約束を、否願いを告げた。

 

「お前が俺に力を貸してくれることはもういい。お前は昔から頑固だから、言ったら止められないことは分かっていたから、それに関してはもう何も言わない。

……ただ、《魔人》は俺も含めて全員が常軌を逸している。人の持つ運命を捻じ曲げることもできるぐらい滅茶苦茶で、常識が通用しない存在なんだよ」

「……ええ」

「だからどうか一つ約束してほしい。俺の身を案じるのは構わない。ただ、自分の身を第一に考えろ。もしも俺がお前達を守りきれなくなった時は、迷わず逃げろ。逃げて生き延びてくれ」

「っ、それはっ」

 

その願いは、蓮を守ると言った自分の誓いを半ば否定するようなものだったからだ。蓮でさえ追い込まれる状況の時、カナタに自分を見捨ててほしいと言ってるようなものなのだから。

それを後ろから聞いている黒乃と寧音はそれにピクリと反応したものの、動きはしなかった。

そしてカナタが何かを言う前に、蓮が被せる。

 

「頼むっ。俺に力を貸すのも、俺を守ろうとしてくれるのも構わないっ!だが、それでも俺の為に命を捨てるような真似はするなっ!

俺は、俺のせいでお前が死ぬのは御免だっ!でなければ、あの時守った意味がなくなるっ!俺のせいで死ぬなんてことがあれば……俺はっ」

「蓮さん……」

 

カナタは蓮の抱える気持ちに気づき目を見張った。蓮はカナタには死んでほしくないのだ。

それは両親という最も近くにいて、最も愛した存在を目の前で失ったからこその言葉。

カナタを大切に思うからこそ、自分のせいで死なれたくない。自分の命を第一にして、生きてほしい。

そんな気持ちを理解してしまったから、蓮に異論など言えるわけがなかった。

 

「……はい。分かりました。約束します。ですが、そうならない時は貴方のお力になってもいいでしょうか?」

「……ああ、それなら構わない」

 

蓮はカナタの手を離してスッと立ち上がると、カナタの顔を見ずに言った。

 

「それでも、感謝はしている。ありがとう」

「っ、はいっ」

 

そう言ってカナタの横を歩き黒乃達の方へ行く蓮に、カナタは笑みを浮かべながらついて行った。

二人の成り行きを見守っていた黒乃と寧音は困ったような、呆れたような、嬉しいような、そんな感情が混ざった曖昧な表情を浮かべていた。

 

「話は終わったか?」

「ああ、終わりだ。そろそろ帰ろう」

「そうだな。もう夜も遅い、私達はともかくお前達は少しでも体は休めないと今日に響いてしまうな」

「だねー。じゃあれー坊悪ぃけど、ちゃちゃっと頼むよ」

「分かってる」

 

そう言うと、自分の横に半透明の水の肉体を持つ巨大な海龍を瞬時に生み出すと3人に乗れと促す。

そして、黒乃、寧音、カナタが背に乗ったのを確認すると海龍を操作する。海龍は一度咆哮をあげると、大地を蹴って空へとふわりと飛翔を始める。蓮を置いて飛び始めた事にカナタは戸惑いの声を上げた。

 

「えっ、あの蓮さんは…?」

「大丈夫だ。今から森林を癒すから乗らなかっただけだ」

「癒す?」

 

黒乃が言っている意味がわからず首を傾げるカナタなら眼下で、蓮に変化が起こる。

 

「《臥龍転生》」

 

再び莫大な魔力が解き放たれ、蓮の容姿が変化したのだ。それは『龍神』の力を使った証。

それにカナタは蓮がやろうとしていることを理解した。

蓮は今から森林を文字通り癒そうとしている。

『龍神』の力を使い、蓮達の戦闘で荒れた森林を修復するつもりなのだ。

そして、蓮は両腕を広げて呪いを唱える。

 

「《叢雲》」

 

空に巨大な青色の魔法陣が浮かび上がり、再び黒雲が集う。黒雲の範囲は先ほどよりも遥かに広く、学生寮の端の30km先まで広がる。

蓮は目を閉じて別の呪いを唱えるとそこに魔術を重ねる。

 

「天より恵みを、生命を癒し、安らぎを齎せ。———《天恵之慈雨(てんけいのじう)》。

 

再び魔法陣が浮かび上がり、青色の輝きが黒雲に染み渡る。漆黒の雲に青い輝きが波紋のように広がる様は美しかった。それと同時に、蓮の全身から青い光の粒子が放たれ、森林に広がっていく。

そして青い輝きが黒雲と森林に染み入ると、先ほどと同じように雨が降り始めた。しかし、先ほどと比べ遥かに穏やかに雨は降っていた。

先程の雨が荒々しいのならば、こちらはとても静かな雨だ。優しく雨が降り注ぎ、青い水滴が無数に木々へと触れた瞬間、それが起こった。

 

「っ、嘘っ、森林が………」

 

カナタは眼下で広がる光景に目を見開く。

森林が再生しているのだ。青い雫が落ちた木々は例外なく優しい蒼光に包まれ、元々の形へと癒されていき、瑞々しさを増していく。

折れた倒木は例外なく元に戻り、裂けた大地すらも水流操作で土を削り運ぶことで修復されつつある。

彼女達の眼下では、森林が青い輝きに包まれ、癒やされている。夜空に広がる黒の樹海に突如広がる青緑色の樹海は、とても幻想的で神秘的な光景だ。

カナタがそれに驚く中、黒乃は彼女に解説をしてあげた。

 

「《天恵之慈雨(てんけいのじう)》。回復魔術である《清明之雫(せいめいのしずく)》をまさしく雨の如く大量に降らして範囲内の生命を癒し蘇らせる蓮が持つ最高峰の回復系の伐刀絶技だ。

『龍神』、正確には『青龍』が持つ『木』を司る力を利用し、蓮は植物を人と同じように癒している」

 

『青龍』の『木』属性は風雷だけでなく植物も該当している。

蓮はその植物を操作する力と、『龍神』の代名詞の一つでもある、作物に豊穣を齎す恵みの雨の力を合わせて、人間だけでなく植物も癒す伐刀絶技を開発した。

それが、伐刀絶技《天恵之慈雨》。

範囲内にあるあらゆる生命、動物に収まらず植物すらも癒す、超広域回復魔術なのだ。

『木』の力によって、木々に干渉して『水』の力で癒し元の形へと戻していく。

 

天より恵みの雨を降らして、植物を、生命を癒すその力は、まさしく神の御業、神の奇跡だ。

 

そして、その安らぎの慈雨が数分続いた後、森林が完全に修復、それどころか先程よりも明らかに瑞々しさが増して、生き生きとしている様の森林に満足した蓮は、空で待つカナタ達の元へと飛翔して、海龍の頭に乗る。

 

「森林の治癒は終わったぞ」

「それは構わんが、学生寮まで範囲を広げてなかったか?」

「ああ、寮からここまで来た時の進路上の木はあらかた薙ぎ倒してしまったからな。まとめて治癒した」

 

治癒した、とは言うが、もしもこの深夜にふと目を覚ましたものがいた時、外の森が青く輝いているのを見れば、それはもう大層驚くはずだ。きっと、瞬く間に学園中に噂が広がるだろう。

 

「……まぁ、こんな深夜にわざわざ起きるようなやつは居ないだろうから、気にしなくてもいいか」

 

しか、こんな深夜にわざわざ起きる者もいないだろうと思うので、そこら辺は気にしなくてもいいかと黒乃は無理矢理納得した。

そんな黒乃を傍目で見ながら、寧音は蓮に声をかける。

 

「やーしっかし、れー坊の回復魔術はスゲェーよなぁ。動物だけじゃなくて、森林まで癒やしちまうんだもん」

「ええ、そうですわね。ここまで広範囲をまとめて治癒するなんて、凄まじいですわね」

 

カナタもそれには同意だ。

半径40キロ範囲内にある、破損した木々を蓮は全てたった数分で癒してしまったのだ。それをすごいと言わずしてなんと言うのか。

それに蓮は静かに笑みを浮かべて応える。

 

「『龍神』の力があればこそできるものだ。鍛錬した結果できるようになっただけだ」

 

とはいえ、ここまで使いこなせるのは蓮だからこそと言わざるを得ないだろう。

しかし、これ以上褒めると蓮が照れてしまいそうなので、二人は蓮を称賛するのはそれぐらいにした。

 

「母さん、悪いが部屋の修理を頼みたいからこのまま一緒に来てもらっていいか」

「ああ、構わんぞ。私も一度寮に向かおうと思ってたからな」

「うちも一応行くぜ。れー坊の護衛としてな」

「ああ、ありがとう。なら、そろそろ帰るか」

 

そう言って蓮は海龍を操作する。

海龍は再び咆哮を上げると、その巨体をくねらせて飛翔し学生寮へと向かう。

 

 

「………」

 

 

そして、海龍が寮へ向かい始めた直後、蓮は一度だけ視線を遥か後方へ向けたが、特に何かするわけでも無くすぐに視線を前へと戻した。

そして、それきり寮に戻るまで蓮はその方向へ振り返ることはなかった。

 

 

 

その後、学生寮に戻った蓮達は、蓮の部屋を氷で密閉していたため中に充満したままの毒ガスを炎で完全焼毒した後、荒らされた蓮の部屋の窓、ベランダを黒乃の能力で元通りにしてもらった。

無論、他の生徒にバレないように隠蔽と遮音結界を張りながらだ。

蓮の部屋の修復が終わり、黒乃達を見送った後、カナタも蓮の力を借りて刀華にバレないように部屋に戻り、そそくさと戦闘服から部屋着に着替えて何事もなかったように布団に潜り込み身体を休めた。

 

 

 

 

こうして、《黒狗》が企てた蓮の暗殺事件は人知れず収束した。

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

 

「ふふふ、彼がそうなのね」

 

 

蓮が《黒狗》との激闘を制し、海龍に乗ってその場を後にした直後のこと。彼らがいる場所から約200キロほど離れた上空。そこに彼女はいた。

 

彼女の姿を見たものがいるなら誰もが口を揃えてこういうだろう。

 

 

 

———黒い堕天使と。

 

 

 

背中に広がるのは三対六翼の常闇のような美しくも妖しい紫光を帯びた漆黒の翼。黒を基調とし紫の装飾が施された美しいドレス甲冑。妖しく、そして禍々しい紫の刃を夜闇に輝かせる黒紫の大鎌。頭部から生える捻れた一対の紫黒の大角。風にさらわれ靡く艶やかな黒髪。妖しく光る魔性の赤紫の瞳。

藍色の夜空に浮かぶ、紫黒の星。凶兆を呼ぶような禍々しくも美しいその姿はまさしく黒い堕天使と言える姿だ。

 

「彼が《世界時計》や《夜叉姫》《闘神》をも凌駕する日本最強であり、《連盟》トップクラスの《魔人》ですか」

 

彼女は蓮と《黒狗》の戦闘を途中からだが見ていた。

《黒狗》の実力がどれほどのものかは彼女も自身が所属する組織を通して知っている。だからこそそれを全滅させたことに驚いた。

 

だが、彼の《龍神》の力を見れば納得だ。

 

あれは、あの力ならば、殆どの者が相手にならないだろう。それこそ、同じ《魔人》であっても彼と戦うにはそれなりのリスクを背負う必要がある。

それだけ彼女が見た彼の《龍神》の能力は強力無比なものだ。おそらくは今まで見てきた中で、最高かつ最強の能力に違いない。

 

 

「なるほど。あれは確かに逸材ね」

 

 

彼女は思う。確かにあれほどの逸材、伐刀者の研究者であるあの男ならば喉から手が出るほどに欲しい貴重な生体サンプルなのだろうと。

もしも彼の出生や能力も知れば素晴らしいと狂喜乱舞するに違いない。

そして戦士としても彼の強さは筆舌に値する者であり、一度戦ってみたいと思うのも仕方がなかった。

 

「でも、驚いたわ。まさか、私の視線に気づくなんて」

 

女はそう少し感心したように呟く。

驚く事に200キロも離れたところにいる自分の視線に蓮だけが気づいたのだ。

と言っても、誰かが見ている程度で、自分が誰かまでは分からなかったようだが。

それでも、自分の視線に気づいた事に彼女は少なからず驚いたのだ。獣の直感か、あるいは歴戦の戦士の勘なのか。いずれにしてもすさまじい感知能力だ。そして、驚きは一瞬でその感心の声は、すぐに狂気の悦びの声に変わった。

 

「ふふふ、2()()()()()()()()()()()()()()()()()。いつか相見える日を楽しみにしてるわ。そして、偽りの家族ごっこを終わらせて、本当の家族の元に送ってあげる。

精々今の幸福を噛み締めておきなさい。《七星剣王》レン・シングウジ。……いえ、こう呼んだほうがいいかしらね」

 

彼女はそう言って、くすくすと笑うとある名前を、その名を口にする。

 

「『()()()()』桜木・I(インディゴ)・蓮」

 

それは一部の者しか知らないはずの彼の名前。そしてその呼び名もまた彼の血の繋がった肉親を知らなければ出てこない物だ。

なぜ彼女がそれを知っているのか。しかし、そんな疑問を溢すものは今ここにはいない。

女は歪んだ三日月の笑みを浮かべる。

 

「あの二人は、食べれなかったから……次会ッタラ、貴方ヲ食ベサセテネ?」

 

あまりにもどす黒い意志の込められた悍ましい言葉は、結局誰の耳にも届くことはなかった。

そうして彼女は背を向けると翼を大きく広げて一度はためかせると、その場から一瞬で姿を消す。

 

 

その場には宙を舞ういくつかの紫の燐光と黒い羽根だけが残された。

 

 




最後ヤベー奴が出てきましたねー。

それと、この作品では寧音は原作に比べて黒乃に対する当たりが柔らかくなった。蓮のおかげで。
そして、おそらく原作と比べて一番化けるのはおそらくカナタです。


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29話 恋敵宣言

最近暖かくなってきて、やったーと思ってたけど思いっきり花粉にやられた作者です。

花粉辛いです。鼻水止まんねぇよ、ちきしょう(T . T)

突然ですが、最近ダンメモ始めました。
ちなみに、私のお気に入りのキャラはリューさんです。アストレア・レコードを見て気に入りました。
正義を抱いていたが、復讐者に堕ちてしまい苦悩する彼女の在り方にうるっときましたよ。

そして、記念すべき30話です。ここまで来れましたよー!
といっても、まだ七星剣武祭は愚か、原作二巻相当までしか進んでないですけどねっ!

まぁそれはそれとして、記念すべき30話目。
29話 恋敵宣言どうぞ!!





《黒狗》との激闘を制した日の昼。

昨夜の激闘でまだ体のだるさが残ってしまっている蓮は、午前の授業を休んだ。

とは言え、欠席にカウントはされない。

何故なら、蓮は今日代表選抜戦を控えているからだ。選抜戦を控えている生徒は、当日の授業を免除され自由出席になる。

蓮はそれを利用して、昨夜の激闘の疲れを取る為に朝食を済ませた後、仮眠を取っていた。

そして、昼まで仮眠を取った後、今はいつものメンバー7人で食堂に集まり昼食を共にしていた。

 

「しっかし、珍しいよなー。蓮が朝練寝坊するどころか、授業休むなんて」

「だよね。何かあったのかい?」

 

レオが親子丼を口にしながら零した呟きに秋彦が同意し、蓮へと疑問の視線を向ける。他の四人の女子達からも同様の視線を向けられた蓮は、特盛のきつねうどんを啜るとお茶を一口飲んでから答えた。

 

「少し眠れなくてな。本読んでたら夜更かしをしてしまったんだ。それに最近色々と忙しくて、少し疲れが溜まっていたみたいだ」

 

無難な言い訳を蓮はした。

流石に昨夜は暗殺者に襲われて戦っていましたなんて言えないし、その激闘の疲労と『龍神』の力を使った事で疲労感が今も残っているとは口が裂けても言えない。

そしてそのせいで、蓮は早朝の鍛錬に出れなかったのだ。いつもならば、鍛錬が終わる頃には寮の前に集まるのだが、蓮の姿が見えない事に心配して、部屋を訪ねてみれば蓮はまだ寝ていたということが発覚したのだ。

寝坊はおろか、遅刻したこともない蓮が珍しく朝練を寝坊したことや、招集など特別な理由でもない限り選抜戦がその日にあっても授業を欠席しなかった蓮が休んだ事は驚いたが、むしろレオ達はそう言う一面もあるのだなぁと思っていたりもする。

ただ一人、蓮に恋する乙女である陽香だけは違った。彼女は隣に座り何気ない表情をして話す蓮を心配そうに見る。

 

「蓮さん、本当に大丈夫なんですか?」

「ん?ああ、大丈夫だぞ」

 

陽香の言葉に蓮は平然とそう返す。

確かに蓮のいう通り、一見すれば少し疲れてるように見えるだけで特に何も違和感はない。だが、どういうわけか違和感が拭いきれなかった。

蓮もそんな陽香の心情を察したのだろう。穏やかな笑みを浮かべて、陽香に言った。

 

「本当に俺は大丈夫だから。少し疲れてるだけだし、もう少し仮眠取れば疲れも取れる。今日の選抜戦も問題はないよ」

「……なら、いいですけど……本当に疲れたら、言ってくださいね?何か手伝えることがあったら、手伝いますから」

「ああ、その時は、頼むよ」

 

蓮の言葉に多少不満はあるものの陽香は一応の納得をみせる。そして、話題を変えるようにマリカが別の話題を口にする。

 

「そう言えば聞いた?昨夜、急に地震があったらしいよ」

「ああなんかあったらしいな。それと、晴れだったのに急に局所的な雷雨が発生したとか。SNSでも話題になってたよな」

「森も突然光り輝いたっていう話もあったよね」

「っ」

 

マリカに続きレオ、那月が口にした話題に蓮は思わず、食べていたうどんを喉に詰まらせそうになった。

マリカ達が話題に上げた内容の原因は、十中八九蓮だ。なるべく人の目につかないように山奥に移動してはいたが、夜闇の中であれだけ魔力光を放ったし、激闘の轟音や龍神の咆哮も聞こえてしまったはず、そして局所的な落雷も遠くからでも視認できてしまう。完全に隠し切る事は不可能だったのだろう。

 

午前中に氷室には報告を済ませ、月影にも火消しを頼んだのだがやはりというか、まだ火消しは出来ていなかったらしい。

人の口に戸が建てられないように、きっとしばらくSNSを騒がすのだろう。

そう思いながら、蓮はお茶を飲む。その時、食堂に備え付けのテレビで流れているニュース番組でアナウンサーがとあるニュースを口にした。

 

『では、次のニュースです。今日深夜二時頃、東京と山梨の県境の山間部で局所的な地震と雷雨が発生しました。気象庁は今も原因を調査中とのことです』

「ッッ」

 

不意打ち気味に聞こえてきた話題に今度は飲んでた茶を咽せそうになった。

アナウンサーが話したのは、ついさっき話題にもなった異常気象騒ぎだったのだ。

そしてその証拠とばかりに、気象庁から提供されたであろう、蓮が戦っていた場所の天気図まで出されている。更には、誰かが撮影したのだろう。突如集まる黒雲や、何度も落ちる雷、森から突如放たれた閃光などなど遠目だが蓮の激闘の証拠が真っ暗な画面を照らしていた。

 

それは食堂にいる全員が目にしており、レオ達以外にも殆どの生徒がテレビを見上げている。

そんな中、ゲストであるコメンテーターや、司会などが口々に意見を交わしている。

やれ、これは本当に異常気象なのだろうかと。伐刀者の仕業ではないだろうかと。もしかしたら誰かが戦っていたのではないかと、様々な憶測が飛び交っている。

それを見ながら、レオは呟いた。

 

「いや、異常気象とかじゃなくてどっからどう見ても伐刀者の戦闘だろ」

「……うん、それしかあり得ない」

「だとしても、天候に影響を与えるのは相当だと思うよ。蓮はこれ見てどう思った?」

 

レオ、凪に続いて秋彦がそう呟いて蓮に疑問を投げかける。既に平然と取り繕っていた蓮はわざと神妙な面持ちを浮かべて答えた。

 

「そうだな。……間違いなく伐刀者の仕業だろう。天候の急変、巨大な魔力砲撃、森林への干渉。おそらくは、複数の伐刀者なのだろうな」

「後の二つはわかるけど、天候の急変って伐刀者にできるものなの?」

「できるだろうな。一人では無理だがそういう能力持ちが何人か集まったなら、と考えれば可能だろう」

 

と言っても、全て蓮が一人で成した事なのだが、その真実を知らないレオ達はこの中で一番戦闘経験と知識が豊富である蓮の言葉に納得する。

 

「何人かが、ねぇ。だとしたら、それってもしかして『解放軍』とかの奴だったりするのかな?」

「可能性はあるな。だが、ここまで分かりやすい痕跡を残すとは考えにくいな」

「だとしたら、どうなるんですか?」

 

陽香の疑問に蓮は少し考え込む素振りを見せて、答えた。

 

「多分、『解放軍』と誰かが戦ったんじゃないか?伐刀者同士、特に力がある者達ならばあれぐらいのことはできるだろう」

「なるほど」

 

蓮の言葉にそう頷く陽香に蓮は心のうちで密かに安堵した。

誰かが戦っていた、と大まかなことはあってるが、細かい部分は実は違うことを気取らせずにうまく誘導できたと。

そして、話題が一区切りついたところで、レオが何か思い出したように呟く。

 

「あっ、そうだ。今朝の壁新聞、蓮見てねぇだろ?」

「?見てないが、何か面白いことでも書いてあったのか?」

 

蓮の問いにレオはニッと笑みを浮かべて、今朝から学園中を騒がせている話題を口にした。

 

「それがよ、黒鉄が盤外試合で貪狼のエース《剣士殺し(ソードイーター)》に勝ったんだってよ!」

「……へぇ、まさか黒鉄が……」

 

蓮は手を止めて感心の声をあげる。

彼の力をよく知る自分からすれば、その話は確かに感心に値するものだった。

 

「そういえば、蓮くんは去年《剣士殺し》と戦っていたわね。といっても、ほぼ一方的だったと思うけど」

「ああ」

 

マリカの指摘に蓮は頷く。

《剣士殺し》倉敷蔵人。貪狼学園のエースで3年。そして去年の七星剣武祭ベスト16だ。

蓮と同じブロックだったが、彼に蓮は圧勝している。そのほかも交流試合でも試合はしたことがあり、蓮は彼相手に無傷での勝利を重ねていった。

 

「確か……霊装を伸ばせるんだったか?《剣士殺し》の能力は」

「そうだね。変幻自在に伸縮可能だから、どんな間合いでも侵食できたはずだよ」

「いいや、それは少し違うぞ。レオ、秋彦」

 

レオの秋彦の言葉に蓮はそれを否定した。

否定された二人は蓮に疑惑の視線を向ける。視線を向けられた蓮は二人だけでなく陽香達にも聴こえるように説明し始める。

 

「あいつの霊装《大蛇丸》の能力は『刀身の伸縮』でなく、『持ち主の意のままに刀身を動かせる』ことだ。あいつは、刀身を自在に操作し、まるで剣そのものが生きているかのように動かせる」

 

戦った蓮は蔵人の戦い方をよく知っている。

変幻自在に変形伸縮する《大蛇丸》ら遠い距離にいる敵には弾丸のような速度で突きを伸ばし、それを躱されてもリング全体を薙ぎ払うような切り払いで斬り伏せる。

一方で、間合いに飛び込んでくる敵に対しては《大蛇丸》を片手剣ほどに縮小し、連打の回転で圧倒する。

どんな間合いにおいても最善のリーチを選択できる蔵人の伐刀絶技《蛇骨刃》は、剣戟において一切の死角を持たない。

派手さこそないもののシンプルゆえに極めて攻撃的で厄介な能力だ。遠距離攻撃を持たず近接主体、マリカや一輝のような剣戟を主とする剣士にとっては、絶えず相手の間合いが変化する相手はやりづらい。

そして、その能力であるが故に《剣士殺し》。

その名の通り、剣士にとっては天敵だ。

 

だが、彼の真骨頂は何もその能力の特性ではない。彼を強者たらしめるその力は———

 

「『反射神経』。それこそが、《剣士殺し》の真価だ」

「反射神経って、私達にもある反射神経よね?どういうこと?」

 

予想通り首を傾げたマリカに蓮は説明する

 

「簡単なことだ。あいつは反射速度が常人のそれを遥かに上回っている。

反射速度とはつまり人間が知覚し、理解し、対応するまでの速度のことだ。

大体普通の人間で0.3秒、一流の短距離選手では0.15秒。そしてこの、伝達信号の速度は、どれだけ鍛えても0.1秒を超えることは、()()()()()()()()()()()()()()()は不可能。

だがな……あいつの反射速度は0.05秒を切っているんだよ」

『———ッッ⁉︎』

 

全員がその事実から齎される答えに気づき絶句する。それも無理はないだろう。

この中でも一番反射速度が優れているマリカですら、0.13秒を切っているぐらいなのだ。

もはや蔵人のそれは人類の領域を超越している。それが意味するところはすなわち、マリカが一手の行動を起こす間に、二つから三つの行動を起こせるということだ。

 

「そして、その類い稀な反射速度を以ってすれば、常識では出来ないことをやってのけれる。

例えば、回避できないはずの攻撃を回避したり、攻撃し塞がれる瞬間に軌道修正を加えて、不意打ちをしたりという逸脱した行動ができるというわけだ」

 

そう、蔵人の剣には技術なんてものは存在しない。あるのは剥き出しの暴力だけだ。

しかし、その暴力だけで、彼は全てを蹂躙できる。

なぜならば、反射速度とは、全ての運動の根底を司る速度であり、どれほど体を鍛え、どれほど肩を磨き、駆け引きを覚えても———その全てを初速で置き去りにされては無意味。

どんなに優れた駆け引きの果ての不意打ちであっても、蔵人は見てから対処できる。

どんな雑な打ち込みであっても、蔵人はガードを見てから打ち込む位置を変えられる。

さながら後出しジャンケンを無限にできる理不尽さこそが《剣士殺し》倉敷蔵人の真価。

技も経験も、策略も駆け引きも、全てを無意味と化す悪夢じみた天性。

超人の域に達した反応速度と、その反応速度を活かし切る行動速度。二つの神速を持って成す絶技《神速反射(マージナルカウンター)》だ。

 

蓮の全てを見抜く『霊眼』とは異なる系統の神からの贈り物なのだ。

 

「それに、《神速反射》はただの特性だからこそ、それ自体に攻略法はない。そしてあいつはその神速を以ってほぼ同時に最高八連撃の斬撃を放てる」

「それ、近接だけだとどうやって勝つんだよ」

 

レオは呻くように呟いた。

レオが言うこともわかる。遠距離でやるならまだしも近接の攻撃手段しか持っていない者達にとっては、蔵人の特性は悪夢そのものだ。

そしてそんな相手に近接しかない一輝がどうやって勝ったのか、レオには分からなかった。

蓮はそんなレオに笑みを浮かべて言った。

 

「何、別に真っ当な攻略法がないだけで弱点は存在する」

「弱点?」

「そうだ。《神速反射》はその速度のせいか行動数が常人より多い。さて、ここで問題だ。行動数が多ければ、より多く消費するものは何だ?」

「……あっ、スタミナですか」

 

陽香の言葉に蓮は正解だと頷く。

 

「そう、簡単な話だ。行動速度だけならば、目を見張るがスタミナまで多いわけじゃない。あいつはスタミナの消費が激しいからこそ持久戦を嫌う。

勝ちに行くのなら、持久戦を視野に入れることも一つの手だな。ただし、その間、なます斬りにされないようにと言う注意がつくが」

「じゃあ、真っ当じゃない攻略法は?」

 

秋彦の指摘に蓮は酷薄な笑みを浮かべる。

それだけで、秋彦達は答えを察したのだろう。『うわぁ』と若干表情を青くさせる。

蓮はそれに気づきながらも、真っ当じゃない攻略法を口にする。

 

「近接で戦わなければいいんだ。遠距離から大規模魔術を連発して、反応してもどうにもならないほどの絨毯攻撃をする。それで終わりだ。

俺や秋彦、陽香、凪、それと那月はこの戦法を取れるな」

「うわぁ……そういえば、蓮くんリング自体を海で飲み込んで窒息させて勝ったこともあったんだっけ?」

「そういえばそんなのもあったなぁ。あの水責め喰らいたくねぇよ」

「あとは、氷漬けとか魔術での大量爆撃もやってたような。確かにそれなら反射速度とか関係ないですね」

 

過去の蓮の数々のえげつない倒し方を思い出してげんなりして呟くレオ達。

近接ではまず間違いなく強敵の部類だろう。遠距離でも、刀身を伸ばせる以上強いはずだ。

何せ、去年の七星剣武祭ベスト16だ。それはつまり、言い方は悪いが日本で上から9から16番以内の強さに入っているということだ。

自分たちが戦って果たして勝てるかは、いざやって見なければ分からない。

だからこそ思う。そんな相手に黒鉄一輝はどうやって勝利を収めたのだろうかと。

彼の性格上、まぐれなどあり得ない。だとすれば、それは純然たる己の力のみで成し得たということだ。

記憶の中にはいかなる状況からも勝ちを取っていこうと足掻く彼の戦う姿がある。たから黒鉄一輝は足掻き勝利をもぎ取ったのだとわかる。

 

そして、この一件が彼らに齎した衝撃は小さくなかった。

かつて隣で強くなろうと切磋琢磨してきた者だ。今こそ距離をとってしまい、関わることが極端に減ってしまったものの、おそらくはこの学園内では数少ない初めから彼の強さを認めていた者達。

故に、レオ達は、差をつけられたと思ったり、いつかやると思ってた等様々な考えを巡らせる。

だが、彼らの胸中にはただ一つ共通していることがあったのだ。

 

 

それは、今より強くならないといけない、と。

 

 

それは黒鉄一輝に触発されたからだろう。

元々ある目的があったとは言え、自分達より遥かに魔力で劣る者が、紛れもない強者を倒したのだから、強くあろうと日々鍛えている彼らがそう思うのは当然だ。

 

そして、そんな彼らの様子を見ながら、彼らがそんなことを思っているとは露知らず蓮は心の内で密かに呟く。

 

(まぁ後は、反射速度を超えるほどの速度で圧倒するっていう手もあるんだが……)

 

反射速度を超える速度。人体のだせる瞬間最大加速による行動速度を以ってしさえすれば、確かに蔵人の速度を超えることができる。

………だが、それは、それを行うのは、その技術を得ると言うのは、至難の業だ。

そもそも、それを行う為には脳の伝達信号そのものを作り替える必要がある。

そしてそれを説明したところで、実物を知らないレオ達には難しい話だろう。マリカならば理解できるかもしれないが、それでもオリジナルには程遠い。

 

ならば、そのオリジナルから技術を学び会得した蓮が教えればいい話なのだが……話はそんな単純ではない。

なぜなら、そのオリジナルは、蓮の師匠の一人である彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。軽々にその関わりを話してはいけない。

だからこそ話さない。話せば危険だと分かっているからだ。

そして、蓮は時計を見ながらレオ達に告げる。

 

 

 

「…….…そろそろ食わないと、授業遅れるぞ?」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

あの後、急いで残りの昼食を掻き込んだレオ達は午後も休むことにした蓮と食堂で別れ、足早に教室へと戻って行った。

一人別れた蓮はというと、

 

 

「……ふぅ」

 

 

一人、第二学生寮の屋上にあるテラスにあるベンチに横になっていた。

未だ疲れが完全に回復し切っていない蓮は、このまま部屋に戻っても気が滅入ると思い、気分転換も兼ねて屋上のテラスに移動したのだ。

この時間は、生徒達は授業中なので寄り付かないし、選抜戦を控えている生徒達も各々コンディションを整えているので来ることはないだろう。

そして一人でいるのをいいことに蓮は物思いに耽る。

 

(火消しは今日中には済むだろうな。ならば、其方については問題ない。だが……)

 

昼レオ達が話題にし、ニュースでも話題になっていたことは月影や氷室にも火消しを頼んでいる為、今日中にでもその問題は鎮火されるはずだ。

たとえ、ニュースにならずSNSで騒がれていたとしても暫くすれば収まるだろう。

だが、問題はそこではない。昨夜、蓮は確かに感じていた。

 

(誰かが俺のことを見ていたな)

 

蓮は昨夜のことを振り返る。

あの時、寮に帰る直前に蓮は()()()()()()()()()()()()()()()。色々と終わり、落ち着いた頃合いにやっと気づけたのだ。

だが、それは裏を返せばそうなるまで気づかなかったと言うこと。そして、蓮の戦いの一部始終をその誰かが見ていた可能性があると言うことだ。

 

(間違いなく、《魔人》が見ていたのは間違いない。100km以上離れたとこから俺達を見ていたなど、《魔人》でなければ、それこそ人工衛星でない限りは不可能だろう)

 

蓮が魔術を使わず、己の獣の感知能力をフル活用し周囲を索敵した時、その効果範囲は凡そ百数km。

魔術を使えば、それこそ大陸を跨ぎ見通すことも可能だがあの時は使わなかった。

だが、蓮はあの時それを使ってまで正体を探らなかったことを正しいと判断した。

なぜなら、

 

(久しぶりに感じた。あそこまでの純粋な狂気は)

 

蓮はあの視線に、純粋な狂気を感じた。

常人ならば吐き気を催すかもしれないほどの悍ましい狂気を。それに、そこには執着に似た何かを感じた。まるで極上の獲物を見ているかのような得体の知れない不気味な感覚。

とてもじゃないが、まともな人間が持つそれではないことを本能的に直感し、獣の本能がそれには触れるなと警鐘を鳴らしてすらいたのだ。

もしも、あの時正体を知覚していれば最悪戦闘は避けられなかっただろう。

 

(一体誰だ?何の為に見ていた?)

 

世界中に存在する《魔人》達の誰が自分を見ていたのか。一体、何の目的で見ていたのか。

その目的、理由、正体のあらゆる全てが分からない。まるで、姿のわからぬ深淵を相手にしているかのようだ。

 

(あれが、()()だと仮定するならば、『黒狗』を使って俺の実力を見極めようとしたのか?いや、あるいは『黒狗』の襲撃情報をどこからか聞いて見に来たのか?)

 

前者ならばその《魔人》は中国所属の存在だ。だが、後者ならばそれ以外アメリカや、ロシアなどの中国以外の『大国同盟』加盟国。あるいは、《解放軍》などの犯罪組織に所属する《魔人》だ。

 

そのどちらの組織からの刺客を幾度となく殲滅してきたのだ。流石に敵側も少し慎重になっているのかもしれない。

だが、自国の暗殺部隊を犠牲にしてまでその実力を図ろうとしたのかと言われれば、それも断言はできない。それに割りに合わないだろう。

《魔人》の実力を見極める為に、自国の最強の暗殺部隊を犠牲にするとは凡そ考えれない。

だとするなら、自然と中国以外の組織に所属する魔人が、どこからか『黒狗』の襲撃情報を聞いて視察に来たと考えた方がいい。

 

(だが、それ以上の憶測は今の段階では出来ない)

 

いくら考えたところでそれは憶測の域を出ることはない。それに、《魔人》が相手ならば対策もあまり取れはしないだろう。

精々、力を発揮できるように場所を確保することぐらいだ。自分にできることといえば、それまで備えておくこと。

いずれ来るであろう脅威に備えて警戒するぐらいしか出来ない。

 

(一応、少佐と月影総理、母さん達、後は黒鉄長官にも報告はしといたほうがいいな)

 

日本のトップに位置する者。自分の上司である者、保護者であり屈指の実力者である者達、日本の騎士を束ねる長たる者達には今日中に報告を済ませておいたほうがいい。

後でアポを取って選抜戦が終わった後に向かおうかと思い、今は少し一休みしようと瞳を閉じようとする。

その時だ、ヒールを鳴らす音と同時に声が聞こえた。

 

「あら、蓮さん」

「カナタか」

 

横になった姿勢のまま其方を見れば、そこには白いドレス姿のカナタがいた。

 

「お前も今日選抜戦あるのか?」

「ええ、その様子だと蓮さんもですか?」

「ああ」

 

彼女が近づいてくるのを横目に見ながら蓮は身体を起こし、少し横にずれて彼女の座るスペースを確保する。

 

「隣、座っても?」

「どうぞ」

 

蓮の了承を得てカナタは蓮の隣に少し距離を置いて腰掛ける。腰掛けた彼女は笑みを浮かべながら、蓮へと言葉を掛ける。

 

「お疲れのようでしたから、横になったままでもよかったのですよ?」

「横になってたら、お前が座る場所がないだろ」

「ふふ、お気遣いありがとうございます。でしたら……」

 

そう言って、彼女は自分の太腿をぽんぽんと叩く。

 

「私の膝を枕にしてくつろいでください。硬いベンチよりも私の膝を枕にしたほうがよろしいですわ」

「……いや、それは流石に……」

 

流石に躊躇う蓮にカナタは無言の笑みを浮かべ続けている。それは妙な圧を持っており、彼女の笑みと相まって拒絶できない雰囲気だった。

彼女の頑固さをよく知る蓮は、一度ため息をつくと降参する。

 

「分かった分かった。俺の負けだ」

「ふふ、ではこちらへどうぞ」

 

カナタはそう言って姿勢を正し、自分の膝へ蓮を誘う。蓮は抵抗することもなく、彼女の膝に自分の頭を乗せ膝枕の体勢になる。

頭を乗せた途端、予想以上の柔らかさと、香水でもつけているのか甘い香りがはっきりと漂ってくるが、蓮は湧き上がる興奮を鋼の理性でぐっと堪え静かに目を閉じる。

彼女の膝枕は予想以上に心地が良く、初夏に差し掛かったことで感じる少しの暑さと屋上に吹く風も相まって、少し微睡み始めた。

 

「どうですか?」

「……ん、あぁ悪くないな」

「ふふ、そうですか」

 

そう微笑んでカナタは蓮の癖の少ない髪を優しい手つきで梳く様に撫でる。

蓮はそれに何も言わずに、ただ無言で気持ちよさそうに身を委ねた。

 

「やはり昨夜の疲れがまだ?」

「そうだな……大分消耗したからな」

 

思えば、首が飛んで蘇生をし、更には『龍神』の力も行使した。片方はひどく頭を使い、もう片方も少なくないリスクを被った。

有り体に言っても自分が普段よりも疲れていると、はっきりと自覚できていた。

 

「あまり無茶をなさらないでくださいね?貴方とていつか倒れてしまうかも知れません」

「……わかってる。これからは気をつけるよ。

まぁもっとも、しばらくは襲撃もないはずだからな。しっかり休むつもりだ」

「ええ、そうしたほうが賢明ですわ」

 

カナタはそれからも蓮の頭を撫で続ける。

膝から伝わる温もり、彼女の笑み、彼女の髪を撫でる手つき、それらは在りし日の思い出を想起させてくれた。

 

(……あぁ、懐かしいな)

 

蓮は無性に懐かしく自分でも気づかないうちに笑みを浮かべていた。

なぜなら、それは久しく感じていなかったもの。あの暖かい陽だまりのような日々で、自分はいつも彼女に甘えていた。子供だから親に甘えるのは当然なのだが、蓮は彼女に、母親に頭を撫でてもらうのが好きだった。

父親にも撫でてもらうのも好きだが、母親に撫でてもらうのが一番好きだった。どんな小さなことでも彼女は自分の頭を優しく撫でてくれた。

あの温かくてとても優しい。まるで穏やかな月のようなそんな彼女の温もりを蓮はふと思い出していたのだ。

 

「………似てるな」

「?似てる、ですか?」

「ああ、お前の手つきは……お袋の、お母さんの手を思い出させてくれる。とても温かくて、とても優しい。そんな人の手だ」

「っ、ふふっ、そうですか。それは光栄ですわ」

 

カナタは蓮の言葉に一瞬目を見開いたものの、すぐに穏やかな笑みを浮かべそう言う。

カナタもサフィアには頭を撫でてもらったことがあった。今でもその温もりは覚えている。

だから、そう言ってもらえたことは嬉しかったのだ。それからしばらくカナタは蓮の頭を撫で続け、蓮も静かに目を閉じてカナタにされるがままになっていた。

ふと、穏やかな静寂が続いたのちカナタが口を開いた。

 

「そう言えば」

「ん?」

「昨夜の様子がSNSで話題になっていましたね。昼間ニュースに出ていました」

「……あぁ、その話か。レオ達ともそれで持ちきりだったよ」

 

蓮は目を開くとげんなりした様子でそう呟く。

カナタはそんな蓮の様子を見てくすくすと笑う。

 

「ふふ、その様子ですと無難な言い訳で誤魔化した、と言ったところですか?」

「まぁその通りだが、よく分かったな」

「女の勘、ですわ」

「………不思議なものだな」

 

そう言って、お互い笑い合う。

笑い合うとカナタは少し真剣な表情で蓮に尋ねる。

 

「もしも気になるようでしたら、貴徳原の方で情報統制しましょうか?」

「いや、それはもう政府と連盟が火消しに当たってくれているはずだから、気にしなくて良い」

「連盟はわかりますが、政府もですか?」

「ああ、月影総理に午前中に頼んでおいた」

「月影総理とお知り合いなのですか?」

 

カナタの問いに蓮は頷く。

 

「ああ、幼い頃からな。まだ両親が生きてた頃何度か家に来てたからお前も知ってるはずだぞ」

「………そういえば、お家に来てましたわね」

 

カナタは記憶を振り返ってみて、そういえばいたなと思い出す。

まだ二人が存命だった頃、蓮の家にカナタが遊びに行っていた時、何度か月影が来たことがあった。あの時は、大和達の知り合いのおじさんと言う認識だったが、そのおじさんが後に総理大臣になっていて、驚いたのは記憶によく残っている。

 

「お二人は、どういった関係なのですか?」

「親父達が学生だった頃、破軍の理事長だったんだよ。親父も、お母さんも、母さんも月影さんの教え子だったからな。それ繋がりだ」

「そうだったのですね」

 

意外な繋がりにカナタは純粋に驚いた。

総理大臣が知人というのもそうだが、教師が総理大臣になったというのが驚きが大きかった。並大抵の事ではないはず。きっと相当苦労したのだろう。

 

「ま、そう言うわけだ。わざわざ貴徳原が動く必要もない。それに今日中には火消しが終わり、しばらくすれば落ち着くだろう」

「そうですか。ですが、もしもお困りでしたら、何でも言ってくださいね?私の権限の範囲でですが、できる限りのことはしますので」

「その時は頼むよ」

 

何が何でも蓮の力になりたいカナタの言葉に蓮はそうやんわりと応えた。

そして、そう応えた後、蓮は神妙な面持ちを浮かべながら、悲嘆と疑問が籠った視線をカナタへ向けると口を開く。

 

「なぁ、カナタ」

「はい」

「どうして、お前は……そこまで俺の為にしてくれるんだ?」

 

蓮はその答えに気づきながらも、そう聞かずにはいられなかった。

人とは異なる存在《魔人》のことを知った。

『龍神』という力の強大さと危険性を知った。

蓮を取り巻く悪意と過酷な現状を知った。

だと言うのに、なぜ彼女は昨夜あれだけのことを言えたのだろうか。

その真意を蓮は彼女の口から聞きたかった。

 

そしてお互いバカでも鈍感でもない。蓮がカナタの真意に気付いているように、カナタもまた蓮のそんな気持ちに気付いていた。

だから、彼女は躊躇うことなくはっきりとそれを口にした。

 

 

 

 

 

「貴方が好きだから。貴方に恋をしているから。愛している貴方を、支えたいと思うのはいけませんか?」

「………」

 

 

 

 

半ば予想していた返答に蓮は気まずそうにカナタから目を逸らし、上体を起こすとカナタとは視線を合わせずに青空を見ながら呟く。

 

「なんで、俺なんかを好きになったんだ」

「………」

「昨日知ったはずだ。俺はもう『人間』じゃない事を、何万もの人を殺している事を。

そんな大量殺人鬼を、好きになったところで良いことなんて一つもないんだぞ、むしろ、災いしか齎さない。

俺よりも良い奴なんてそれこそたくさんいるだろうに………なんで俺を好きになったんだ」

「蓮さん……」

 

最後の方は少し責めるような強い口調で話した蓮にカナタは、ただ静かに彼の名を呼ぶ。

 

蓮には分からなかった。

なぜこれほどまでに自分が彼女から好かれているのかが。陽香だってそうだ。

人の血を多く浴び、罪を背負いすぎたこの醜い咎人(化け物)をどうして好きになれる?

 

人の血を浴びすぎて、死体の山を幾つも積み上げてしまった自分の世界には血と屍ばかりが広がっている。だと言うのに、それを思い返してみても何も感じなくなってしまった。

人を殺すことに慣れてしまった。命を奪うという行為に嫌悪も苦痛も高揚もも、何も感じなくなった。

それはもう狂っていると、壊れているとしか表現できない。

これが、まともな人間であるはずがないのだ。

 

「俺にはもうまともな心がない。戦う事も、傷つく事も、人を殺す事も、もう、何も感じないんだよ」

 

そうして誰かと戦い誰かを殺すのを繰り返していくうちに自分の心が麻痺して、血の匂いが消えなくなり、浴びた血が落ちないことに気づいた。

何度殺しても、痛まない。

何度洗っても、落ちない。

何度拭っても、消えない。

まるで罪の烙印が魂に刻まれたかのようにいつまでも自身に付き纏っている。

 

だから漠然と理解した。

 

あぁ、これが自分の咎なのだと。

 

人を殺し続ける自分には死の匂いを、死者の血を纏うのがお似合いなのだと。

残虐な化け物であれ。

冷酷な咎人であれ。

人の血を飲み干せ。

人の命を喰らい続けろ。

心なき怪物と成り果てろ。

そう獣の魂が嗤っているように思えた。

 

だからこそ蓮は人知れず祈っていた。

あの日、別れたあの雨の日から、自分のことなんて忘れて、普通に生きていてほしかった。

同じ伐刀者としていつか再会し、共に戦うことがあったとしても、その時までにはただ同郷の人間程度の認識であってほしかった。

 

そして叶うのならばいっそのこと自分を恨んでほしかった。憎んでほしかった。

 

お前のせいで家族や友達は傷ついたのだ、と。

お前のせいで町は滅茶苦茶になったのだ、と。

お前のせいで生きるべき命が消えたのだ、と。

なぜ、お前が死んでくれなかったんだ、と。

お前一人が死ねば、何も傷つけられることはなかったのに、と。

 

自身に憎悪と憤怒の丈を思い思いにぶつけて欲しかった。

それを向けられた時、辛くないと言えば嘘になる。去年泡沫と再会した時言われた事も、傷付かなかったと言えば嘘だ。

だが、それで良かったのだ。泡沫の反応が蓮にとって最も望ましいもので、有難かったのだから。

傷つくのは、自分一人でいい。

他の者達が傷つくことがないように、全身全霊で命尽きるその時まで守り抜こう。

彼らが負うはずだった傷は全てこの身で引き受けよう。

その傷は誇れるものであり、決して悲しむべきものではないのだから。

 

それが、人を捨てて魔なる怪物へと堕ちた『魔人》たる自分に許された歪な『正義』なのだから。

 

「だから、俺はお前の気持ちには応えられないし、応える資格もない。

お前は化け物を好きになるな。それは決して幸福に繋がることはない」

 

故に蓮はカナタに言った。

自分を好きになるなと。自分ではない他の誰かを好きになって欲しいのだと。それこそが、お前の本当の幸せに繋がっているのだと。

陽香にも思っていることを蓮ははっきりと告げた。

 

「……………」

 

蓮の独白にカナタは何も言わない。

彼女の顔を見ていない蓮からは彼女がどんな顔をしているのかはわからない。だが、きっと恐れているような表情をしているのかも知れない。

そして、しばらく風の音だけが聞こえた後、カナタは静かに口を開く。

だが、それは蓮が予想していたいずれのものではなく、衝撃的なものだった。

 

「ええ、知っていますとも。

貴方が多くの罪を背負っていることも。一般人を多く殺してしまったことも。これからも戦い続け多くの敵を殺してしまうだろうということも。そんなことを、私が知らないわけがないでしょう。

ですが、それでもあえて言わせてもらいます。

()()()()()()()()()()()()?」

「………はっ?」

 

カナタの発言に蓮は目を見開いて、動揺をあらわにし、彼女を見る。

自分の視界に映った彼女は———静かに怒っていた。

 

「蓮さん、貴方は昨夜黒乃さん達にも話した覚悟ですら納得してくれなかったのですか?

あの時、私の協力を許してくれたのはその場限りの嘘だったのですか?」

「……それは、違うっ。だが、だとしても……」

「貴方は少し私のことを見くびり過ぎです。

その程度のこと百も承知です。そんなことを言われても、私は何も恐れませんわ。

私がその程度の些事で怯える小娘だと思ったら大間違いですわ。

それに、私は貴方が抱えている事情を知っています。貴方がそう思った理由も大凡察することはできます。

きっと、貴方はご自分のことが大嫌いでしょうがなくて、どうしようもないほどに憎くて、許せなくて仕方がないのでしょう」

「……ッ」

 

蓮はカナタの問いに息を呑む。

カナタの指摘通り、蓮は自分の事が大嫌いだ。自分の事が心底憎いし、許せなかった。

これだけ罪を重ねたのに、醜く生き足掻いている自分が。

化け物を自覚してるくせに、人の皮を被り笑っている自分が。

多くの大切を奪ったはずなのに、復讐を志している自分が。

父と母の優しさを振り切って人でなくなり、化け物になってしまった自分が。

 

そんな救いようのない自分が———大嫌いだった。

 

カナタはそんな蓮の気持ちに気づいていた。

今まで彼を見てきたからこそ、昨夜蓮の抱える真実を知ったからこそ、至った結論。

そしてその結論に至りながら、それでもカナタは———

 

「それでも、私は貴方のことを貴方が思う以上に好きなんです」

 

二人の出会いは蓮が0歳でカナタが1歳の時で、まだ本当に生まれたばかりの歳で二人は両親の仲が良かったこともあり、出会った。

お互い有名人であり、《魔人》同士の子供と言うことで、世間には時が来るまで公表しないと決めていたが、それでも歳の近い子供との交流は必要だと、大和達はカナタと会わせたのだ。

 

そこから蓮とカナタは交流を深めていった。その頃から、カナタは既に蓮に対して特別な感情を抱いていた。

その感情の名は当時分からなかったが、今となってはそれが恋なのだとはっきりと分かった。

いつからかは覚えていない。気づけばカナタは蓮に恋心を抱いていた。

もしかしたら、出会った日から無意識下で一目惚れしていて惹かれていたのかも知れない。

 

そして、カナタは知っている。

彼の根底にある想いを。人から化け物に変わり、心が変わってしまったのだとしても、心が壊れ歪んでしまったのだとしても、その根底にある両親から受け継いだ想いだけは、変わっていないことを知っていた。

それを、蓮自身は自覚していない。いつの頃か忘れてしまっていた。だがそれでもいい。無意識下だとしても、それをいつか思い出してくれるのであれば、構わないのだ。

いつか、その根底を思い出して、彼がまた進み出してくれる日を、カナタはいつでも待ち続ける。

 

「人間の貴方も、怪物の貴方も、私は両方を受け入れて愛しますわ。

貴方が背負う罪を共に背負いましょう。走り続けていても、疲れて休みたくなった時は私が貴方の安らぎになりましょう」

 

カナタは怒りを消して穏やかな表情を浮かべると、そう言って蓮の手を両手で取り優しく、されど強く握る。

 

「今は人の告白を受け入れられないのは分かります。だから、私は待ち続けます。私か、あるいは私じゃない誰かの告白を受け入れる日が来るのを。

そして、いつか貴方を縛るものが無くなり、心の底から笑える日が来るように。貴方の心に巣食う闇が払われて、貴方自身が生きていいんだって思える日が来るように。

私は貴方を好きでい続けることをここに誓いますわ。そして、その時に改めて私の告白の返事をお聞きしても良いですか?」

「………………はぁ〜〜」

 

蓮はカナタの言葉にしばらく目を見開いていたが、やがて目を伏せると盛大なため息をついて困ったような、呆れたような笑みを浮かべた。

 

「………全く、本当に女ってのは分からない。

性別が違うだけでここまで変わるものなのか?…………お前も陽香も強いな、本当に」

「ふふ、伊達に10年以上想い続けていた訳ではありませんわ。女性に不思議なパワーがあるのは昔から決まっていることですから」

「………本当に、不思議なものだな」

 

よく『母は強し』や『恋する乙女は強い』とかいう言葉は聞くが全くその通りだと思う。

何かスイッチが入った時の彼女達は力とか関係なく、その心がとても強い。

何か概念的な力が働いているのではないだろうかと、心の底から疑ってしまうほどに。

 

「今は何も応えることはできない。だが、いつか必ず返事はすることは約束するよ」

「ええ、ずっとお待ちしてますわ」

 

蓮は再度ため息をつくと、彼女の肩に自分の頭を乗せると毒気の抜かれた覇気のない声で言った。

 

「なんか、また疲れた。少し寝る」

「ふふ、そうですか。でしたら、何時に起こしますか?」

「……そうだな、じゃあ三時ごろで……半に試合だから……」

「ええ、ごゆっくりと」

 

カナタの腕によって優しく膝に導かれながら、蓮は静かに目を閉じて今度こそ完全に意識を沈める。

やはり疲れていたのか、すぐに穏やかな寝起きをたて、規則的に動く体に蓮が完全に寝たことを理解したカナタは、慈愛に満ちた笑顔で蓮の髪を撫でながら、彼の横顔を見る。

いつもは大人びた印象がある顔だが、今のように無防備に寝ている状態は年相応の少年のように見えた。

 

「この横顔は、昔のままですわね」

 

体格は昔より遥かに逞しくなった。

血に恵まれたのだろう。他の者達よりも優れた体格になっていた。背丈も昔は同じぐらいで視線もほぼ同じだったのに、今となってはすっかり見上げるようになった。

顔は昔よりずっと凛々しくなった。

両親から受け継いだ容姿の特徴を余すことなく受け継いでいた容姿は、幼さが消え今や凛々しく、勇壮な男の、戦士の顔へと変わっていた。

だが、それだけ変わったのだとしても、今安らかに眠る彼の横顔は、昔見たままだった。

カナタはそれを見ながら、どれだけ変わってしまっても変わらないものもあるのだと、より強く実感した。

 

「いつか、貴方自身を焼く黒い炎が消える日が来ることを願っていますわ」

 

蓮を今もなお焼き続ける瞋恚の炎。それがいつの日か消える事を願いながら、カナタは蓮の頬に優しく唇を落とす。

 

「……んっ…」

 

一瞬、体をよじらせた蓮だったが、カナタが髪を撫で続ければ次第に落ち着き、穏やかな寝息を立てる。

カナタはその様子にクスリと笑うと、小さく呟いた。

 

 

 

()()()、貴方は自分を化け物と仰っていますが、私にとって貴方はずっとかっこいい英雄(ヒーロー)なのですよ」

 

 

 

確かに彼を化け物だと恐れる者は多いだろう。

彼の罪を知れば、罵る者だって多いことは分かりきっている。

 

ですが、それでも私は、私だけは声を大きくして言いましょう。

 

彼は英雄なのだと。

 

幼い頃からずっと、私にとって彼は英雄だと。

 

彼は英雄と讃えられるだけの功績を、偉業を成し遂げたのだと。

 

英雄の子に生まれた彼もまた、英雄なのだと。

 

誰かを守った。誰かを笑顔にした。誰かを救った。

 

彼はその力で多くの人を、この国すらも守ってみせた。

 

もう十分ではないか。

彼はもう十分苦しんだ。

彼はもう十分罪を贖った。

なら、もう良いはずだ。

 

 

 

 

だからいつの日か、彼が赦される日が、彼自身が自分を赦す日が来て欲しい。

 

 

 

 

 

強くて、凛々しい。されど弱くて、脆くもある。そんな不器用な英雄を恋い慕う一人の乙女はそう強く願った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

放課後、授業も終わりいつものように選抜戦が始まる。

いくつかの試合が終わった後、レオ達6人は第四訓練場の出入り口の一つに集まっていた。

 

理由は一つ、試合を終わらせ控室から出てくる蓮を迎えるためだ。

今日も蓮は危なげなく勝利を収めた。

いつものごとく、開幕速攻で蓮はその場から動かないまま、遠距離魔術で敵を瞬殺した。

いつも通りの圧倒的な力に、観客達は決まって歓声をあげて蓮の強さに畏敬の念を抱いた。

レオ達は蓮が負けるわけがないと確信しているので、いつもは心配することはなかったのだが、今日だけは少し違っていた。

 

「蓮さん……本当に大丈夫かな?」

「どうしたの?陽香」

 

ふと呟いた陽香に凪がそう反応する。

陽香は曖昧な表情を浮かべると、凪達に話し始めた。

 

「蓮さん今日朝練も寝坊して出てこなかったし、授業も午後も休んでたでしょ?」

「うん」

「今まではなかったから珍しいわよね」

「でしょ?でも、蓮さんが夜更かしした程度で、朝練を寝坊するのはともかく、授業を丸々休むなんてことあるかな?」

 

陽香の鋭い指摘に全員が確かにと頷く。

普段選抜戦があった時も関係なく、全ての授業に出席していたのにもかかわらず、今日は授業を休んだ。

選抜戦の相手に備えてといえば、あり得るかもしれないが蓮の今日の相手は、レオ達よりも弱い相手だ。レオや凪の時ですら授業を休むことはしなかったというのに、わざわざ今日だけ休んだのは不自然なのだ。

 

彼女は昼の会話で最後まで少し違和感が残っていた。蓮自身は大丈夫だと言っていたが、それは蓮を表面上のことでしか知らない者達ならば騙しきれたかもしれない。

だが、レオ達は蓮のことを深く知ろうとして、友達として彼の手助けをしたいと考え行動している者達だ。何か理由があるはずだと考えるのが妥当だ。

 

朝練寝坊だけならば、珍しいの一言で済んだ。だが、授業を疲労のせいで丸々休むのは、陽香からすれば珍しいでは済まない。

 

「多分だが、結構疲労が溜まってるんじゃねぇか?それこそ、俺らにも隠せないほどに」

「確かに、そう言われれば納得できるわね」

 

レオの指摘にマリカは頷く。

そう考えれば、蓮の不調にも説明がつくはずだ。しかしだ、

 

「でも、試合の時は疲れてるように見えてなかったよ」

「むしろ、スッキリしてませんでした?」

 

そう。秋彦と那月が指摘したように、試合の時に遠目から見た蓮はどことなくスッキリとしていたように見えていた。それはレオ達もわかっている。

昼食から一度も会ってないから分からないが、その間に蓮はしっかり休めてたように見える。

そしてそれが陽香を悩ませていた。

 

「うん、私もそう見えたの。

だから、蓮さんもう疲れが取れたんじゃないかなって思ったけど…やっぱり心配だし…」

 

どうやら、陽香も二人の意見に同意なのは間違い無いが、やはり蓮のことが心配なことには変わらず、半々の思いがせめぎ合っているという状態なのだろう。

その時、ちょうど控室に続く通路の奥から待ち人が現れた。

 

「なんだ、待っていたのか」

「よ、蓮。疲れは取れたのか?」

「ああ、すっかりな」

 

レオは蓮へと近づき肩を叩きながら笑みを浮かべてそう言う。それに蓮はスッキリとした表情でそう答える。その様子からは、蓮は完全に回復したことが窺える。そして、レオに続き秋彦やマリカ達が蓮と話していく。

蓮はいつもと何ら変わらない様子で何気なお話を彼らと交わしていた。

それを見て、陽香はもう大丈夫なのかなと思いつつ自分も蓮を労うべく、話しかけた。

 

「蓮さん、試合お疲れ様です。その、本当にお体は大丈夫ですか?」

「ああ、もう完全に回復した。心配かけてしまって悪いな」

「いいえ、蓮さんが元気ならそれでいいんです」

 

ちょうどその時、蓮へと声をかける者が別にいた。

 

「こちらにおいででしたのね。蓮さん」

 

典雅な声音が彼らの耳に届く。

そちらに視線を向ければ、純白のベルラインドレスを身に纏い、金糸のような金髪を靡かせる貴婦人然とした少女ー貴徳原カナタだ。

 

「カナタか」

「先程の試合拝見いたしました。他者を寄せ付けぬ圧倒的な力、流石ですわ」

 

そう彼女は恭しく称賛を述べる。それに蓮は穏やかな笑みを浮かべて称賛を返した。

 

「そういうお前も無傷での完勝だったじゃないか」

「ふふ、あれぐらいできませんと追いつけませんもの」

「そうか」

 

何に追いつこうとしているのかを知っている蓮は、笑みを浮かべる。

二人の間だけで通じる会話に、レオ達が首を傾げる中、カナタは徐に陽香へと視線を向け、彼女の名を呼んだ。

 

「それはそうと、五十嵐さん。少しお時間よろしいでしょうか?」

「え?私とですか?」

 

話しかけられるとは思ってもいなかった陽香が戸惑い混じりの声をあげる。カナタはその困惑に頷きを返して続ける。

 

「ええ、貴女と()()()()()()()()をしたいのです。今から私と少し話しませんか?」

「大事な、話、ですか?」

「ええ、貴女と私にとってはとても大事で重要な話ですよ」

「……」

 

レオ達が何のことかとどよめき、蓮だけが唯一理解したのか、苦笑を浮かべ複雑な表情を浮かべ、凪はピンと来たのか、陽香に応援するような眼差しを向ける中、陽香は少し考える。

カナタが一体何の話をしようとしているのかはわからないが、今ここで断れば、自分は彼女に決定的な敗北を喫してしまうという予感があった。だから、陽香はその予感に従い、彼女の提案を承諾した。

 

「はい。良いですよ」

「ええ、では行きましょうか。では、皆さん少しの間彼女をお借りしますね」

 

まるでそういうのを分かっていたかのように、さも当然のように頷くと蓮達にそう告げる。

話の流れについていけないレオ達が呆然とする中、蓮だけが肩を竦め苦笑する。

 

「あぁ、分かった」

 

そうして蓮達に見送られ陽香はカナタに連れられ、その場から立ち去る。

 

「……頑張れ」

 

去りゆく陽香の背中に凪がそう小さく呟いたのを、隣に立っていた蓮だけが聞き逃さなかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

二つの足音が規則的に響く。

前を歩くのは白いドレスを身に纏い、鍔の広い帽子を被った長身の少女ーカナタと、後ろを歩く制服姿のおさげが特徴の少女ー陽香だ。

二人は蓮達の元から離れた後、一度も会話はない。

 

(一体、何の用なんだろう)

 

陽香は無言の静寂が続く中、考えた。

カナタと陽香はお互い知らない中ではない。

凪繋がりで昔から知っていた仲だ。カナタや凪は財閥や実業家の娘として社交界のパーティーに顔を出すことは多い。

そして、陽香は凪に誘われ、彼女について行って何回かパーティーに参加したことある。そういった機会で、二人は何度も会っているため、厳密には知らない仲では無い。

しかし、交流と言えばソレくらいで破軍に入学してからは、風紀委員会と生徒会での事務的なやり取りでぐらいしか話したことがない。

これが、凪ならばもう少し話題があったかも知れないが、自分とは話題と言える話題など殆どない。ましてや、二人で個人的に大事な話なんてあるはずがないのだ。

だから、陽香は自分と彼女にある共通点について必死に考えていた。

 

そして二人はしばらくお互い無言のまま歩き続け、やがて、少し離れたところにある林の中の広場に出た。そこでようやく、カナタは足を止めた。

 

「ここまできたら、他の人の目もない事でしょう」

 

そういって、カナタは陽香へと振り向く。

真剣な表情と眼差しに、陽香は疑問を隠さないまま問いかけて。

 

「……それで、話って何でしょうか?」

「ええ、あまり時間もかけたくありませんし、単刀直入に話しましょう」

 

そしてカナタは一拍置いて笑みを浮かべたまま、瞳に好戦的な色を宿し、自分の用件をはっきりと告げる。

 

「五十嵐陽香さん。私は貴方に宣戦布告をしにきました。貴方にだけは負けるつもりはありませんわ」

「それは……どういう……?」

「いえ、ただこれから恋敵(ライバル)になる方に宣戦布告ぐらいはしておきたいと思いまして」

「ッッ⁉︎⁉︎」

 

それだけで陽香はカナタがなぜ二人だけの話を持ちかけたのかを完全に理解した。

なぜなら、彼女は恋敵とはっきりと言った。そして彼女の様子からして陽香の想い人の正体も気付いているに違いない。だとすれば、その意味は、

 

「貴方も……蓮さんのことが、好きなんですか?」

「はい。私は彼が好きです。彼を愛しています」

 

頬を赤らめながらもはっきりと告げたカナタに陽香は少し驚いた。

幼馴染だと聞いてまさかとは思っていたし、生徒会と風紀委員会でのやりとりでも親密な姿は何度も見ている。

もしかしたら、カナタも蓮に好意を抱いているのではないかと勘ぐったことは多々あり、それが事実だったからだ。

そして、陽香は一つの疑問を彼女にぶつけた。

 

「……どうして私にそんな話をしに来たんですか?」

 

何故それをわざわざ自分に言いに来たのか分からなかった。そんなこと、あえて話す必要はないんじゃないかと。自分の知らぬところで勝手に告白なりなんなりすればいいじゃないかと。

陽香の問いにカナタはクスリと小さく笑みを浮かべると、さも当然であるかのように答えた。

 

「簡単な話です。貴方が真に蓮さんを見ようとしているからですわ」

「……っ」

「他の方々も蓮さんに好意を抱いているのは確かなのですが、どうも、彼の容姿や才能しか見てないように見えるのです。……ですが、貴方は違う」

 

カナタは真剣な表情で陽香を見据える。

その表情に、陽香は一瞬狼狽えるものすぐに、緊張を滲ませながらも一生懸命カナタを見返す。カナタはその様子に小さく微笑むと話を続けた。

 

「貴方は蓮さんの内面を見ようとしている。

彼が抱えている闇を知り、それでもなお支えようとしている。

彼がどれだけの闇や傷を抱えていたとしても、それらを全て受け入れようとしている。

そんな強い覚悟が、貴方からは見受けられました。だから、貴方にこの話をしたのです」

 

陽香も、カナタに比べれば遥かに劣るが蓮の過去の傷のことをほんの少しだけ知っている。

告白した時に、陽香が蓮の身の上話を少しだけ聞いた程度だが、あれでも本気でないものは離れてしまうだろう。

だが、陽香はそれでも蓮を好きでいる事をやめなかった。むしろ、より好意は増した。

 

蓮のかっこいい部分だけしか知らなかったが、その日を境に……いや、もっと前から陽香は蓮の暗い部分も見ようとしていた。

そして実際にそれをあの日に一部でも触れた。

実際に触れて知りながらも、陽香は蓮に失望することはなく、さらに距離を縮めようとすらしていた。

 

他の女生徒達はよくあるイケメンや、強い人に群がっているような態度にしか見えず、レンの事を真に知ろうとすらしていない。表面上のことしか見ていない。長年思い続け蓮の闇を知っているカナタからしてみれば、言い方は悪いが彼女達の好意は酷く薄っぺらく写った。

 

そして、同じ男に恋をしているからだろうか。カナタには他の女生徒達と陽香との間にあるそんな決定的な違いがよく分かった。

財閥の娘として育ち、財界で多くの人を見てきたから審美眼が肥えているのもある。

そして、直感した。彼女は自分の恋敵になり得る存在だと。

 

「勝手ですが、私は貴方のことを認めているのですよ。彼と出会って、表向きの部分しか知らなかったはずなのに、彼の内面に少しでも触れながら、それでも恐れずに向き合おうとしている方は珍しいでしょう。

彼の内面は、見る人によっては恐れてしまう人も多いでしょうからね」

「先輩は、蓮さんの内面を知っているのですか?」

 

陽香の問いにカナタは余裕の笑みを浮かべると、平然と答える。

 

「ええ、全て知っていますよ。貴女が知らない事も全部」

「ッッ⁉︎」

 

それは優越感から来たのだろうか。彼女の余裕ある物言いに陽香は少しカチンとくる。

早速勝負を吹っかけてきた。

元より、蓮の情報量はカナタの方が多い事ぐらい知っている。なにせ幼馴染だ。レオ達からも一年の初めに二人で喫茶店で何か話してたのを見たと聞いていたぐらいだ。だから、自分の知らない蓮を知っているからなんだというのだ。

陽香は強気な表情を浮かべて、カナタに対抗する。

 

「知らなければ、これから知っていけばいいだけです。貴徳原先輩こそ、いつまでもそんな余裕は出来ないと思いますよ」

「っふふっ、ふふふっ、ええ、そう言ってくださらないと張り合い甲斐がありませんわ」

 

カナタは一瞬驚くも、すぐに手を口に当ててくすくすと上品に笑った。そうして笑って気が済んだのか、陽香に頭を下げて礼を言った。

 

「お時間をかけて済みません。ですが、有意義な話ができました。ありがとうございます」

「……私も、()()()有意義な話ができました。ありがとうございました」

 

陽香もそう返して礼を言う。

そして、言いたいことは全て言い終えたのか、カナタは陽香に背を向ける。

 

「では、そろそろ私は行きますわ。この後、用事がありますので」

 

そう言って、彼女は元来た道を戻って行った。

一人、残された陽香は夕焼けの空を見上げながら静かに呟いた。

 

 

 

「貴女に負けるつもりはありません。私が、絶対に蓮さんを振り向かせて見せるんですから」

 

 

 

確かに彼女は間違いなく強敵だし、きっと現段階では最も蓮との距離が近いだろう。

彼との積み上げた時間や、蓄積した情報量、長年紡いできた想いの強さ。

それら全てを鑑みても、自分では全く彼女に足りていないのは明白。

だが、そんなことはどうでもいい。

『恋』はそれだけで決まるほど温くもないし、甘くもない。突発的に変化することだって起きるのだ。

 

 

ならば、私がそれを起こして見せよう。

時間や、情報量が、想いの強さが自分より大きかろうが知ったことか。

 

 

何が起きるかわからないのが人生だ。それは恋愛も然りなのだから。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

カナタは陽香に恋敵宣言をして別れた後、生徒会室には向かわずにそのまま第十訓練場へ向かう。

人の気配が全く感じないし、どこか不思議な感覚があるのを疑問に思いながらも彼女は中へと入り、リングに続く通路へ向ける。

そこには、既に人影が二つあった。

 

「来たか」

「お、来たね。カナちゃん」

 

人影の正体は黒乃と寧音だ。

ここに二人がいる理由は、特訓のため。

昨夜、強くなるために寧後から提案された二人がかりでの特訓を早速始めるためだ。

カナタは二人に頭を下げながらリングへと上がる。

 

「申し訳ありません。少し遅れてしまいました」

「いいや、構わないさ。だが、何かいいことでもあったのか?なんだか嬉しそうな表情だぞ」

 

カナタは無意識に嬉しい表情を浮かべていたのかと思いながら、小さく笑みを浮かべて先程のことを思い返しながら話す。

 

「……いえ、ただこれからライバルになる方に宣戦布告をしてきただけですわ」

「ライバル?……ああ、そういうことか。ふふっ」

「くくっ、カナちゃんも好戦的だねぇ」

 

黒乃が何かに気づいたように面白そうに微笑む。寧音も理解したようで笑いながら呟く。

分かっていたことだが、黒乃達にはカナタが蓮に好意を寄せていることなどとっくの昔にバレてしまっている。

だが、それでもこう揶揄われると恥ずかしいことには変わりない。

カナタは頬を赤らめ恥ずかしそうにしながら、訓練場全体を見渡しながら、無理やり話題を変える。

 

「そ、そういえば、ここだけ何故他の生徒がいないのでしょうか?本来ならこの時間帯なら生徒達がいてもおかしくはないはずなのですが」

 

七星剣武祭代表選抜戦中は、正午から十七時までは試合が行われているが、それが終われば訓練場は各々が自由に戦えるバトルロイヤルの場となる。

もちろん『幻想形態』での戦いなのだが、しかし細かいルールがなく、授業などとも違い各自が好きに暴れられるため、選抜戦に参加していない生徒も率先して参加する。

だからいつもこの時間は、どこの訓練場も戦いの賑わいで沸いているはずなのだ。

だが、カナタ達がいる第十訓練場は戦いの賑わいどころか自分達三人の気配以外何も感じない。誰もいないのだ。

そんな疑問に、寧音はあっけらかんと答えた。

 

「あぁそれね、うちが『引力』使ってこの訓練場に来させないようにしてるんだよ。

つっても一応、くーちゃんが理事長権限で貸し切ってるし、ここは学園の外れの方にあるけど生徒達が近寄ると面倒だ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

最後だけ冷たい声音で告げられたことに、カナタは少し冷や汗を流しながらも改めて理解する。

自分が今からやろうとしていることは、時折黒乃や寧音などの教員達が執り行う特別講習とは桁違いのレベルのものなのだと。

そして寧音は早速自身の霊装である一対の鉄扇《紅色鳳》を展開しながら、カナタと距離を取る。

 

「さて、話はここまでにしとこうかな。時間もあまりねぇし、早速始めるよ。けど、その前に一ついいかい?」

「はい、なんでしょうか?」

「まずうちらは何も教えない。基本的にカナちゃんをボコってボコってボコりまくるだけだ。まぁアドバイスがありゃあその都度言うかも知れないけど、基本うちらはカナちゃんをボコボコにするだけ。だから、なるべく…」

「私自身で、何かを掴めと言うことですね」

「そゆこと。保証もなんもねーけど、それでもやるかい?」

 

寧音はそう問いかける。

寧音と黒乃はカナタにただただ己の力を見せつけ、蹂躙し、自分がいかに弱いかを、無力感を思い知らせる方針で特訓を行うようだ。

時折、アドバイスはするがそれも最低限で、なるべくカナタ自身がきっかけを掴めるようにする。

およそ教職に携わる者がやることとは思えない特訓方法だが———カナタはすでに答えが決まっていた。

 

「それで構いません。お願いいたしますわ」

 

カナタはそう即答して、自分も霊装のレイピアを展開して構えた。

そもそもカナタにとってはこの2人に特訓をつけてもらうだけでも十分過ぎるほどに魅力的な提案なのだ。

その中で、自分自身で何かを探す事ぐらい織り込み済みなのだ。だからこそ、今更そんなことを言われたところで揺らぐわけがない。

寧音は期待通りだったのか、ふわりと微笑むと自分も霊装を構えた。

 

「なら来な。地獄見せてやるよ」

「ええ、ご指導鞭撻のほどお願いしますッッ‼︎‼︎」

 

そう告げて、カナタは寧音へと襲い掛かった。

 

 

それからしばらく第十訓練場では外に聞こえるほどの轟音と壮絶な激震が幾度となく続いた。

 

 

 




とりあえずここで2巻は終了。
そして恋敵宣言したことにより、蓮達を巡る恋愛戦争はどうなるのかっ⁉︎
これからをお楽しみにしててくださいッ!!

それと、最後にちょっとしたアンケートやります。
アンケート内容は蓮が一年生の頃の七星剣武祭編と合宿編を見てみたいかどうかです。
ざっと見積もっても10話は超えそうなのですが、まぁ気軽にアンケートどうぞ。




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30話 調査依頼

皆さんお久しぶりです。
優等騎士二ヶ月ぶりに投稿することができました。
今回から本格的に原作3巻に踏み切ります。
3巻は原作では、一輝にとって重大な事件が起きたとこでもありますからね〜〜。

最近モンハンライズ ではガンランスを使い始めています。
ブラストダッシュが飛んでて気持ちいいですわ。それに、アイスボーンでも太刀とガンランスをメインに使っていたので、ライズでも使いこなせるようにしなければ!

とまあ、話はここまでで、早速最新話をどうぞ。



 

 

「シズク、負けちゃったわね」

 

 

医務室から寮へと続く廊下を歩く中、ステラはふと悲しそうにそう呟いた。それに、隣を歩く一輝は静かに頷く。

 

「……そうだね」

 

そう答える一輝の表情はステラ以上に悲しいものだった。

今日、一輝の妹である珠雫は選抜戦で敗退した。

相手は陽香も戦った序列2位の《雷切》刀華。

実況が善戦と称していたように、確かに彼女達の戦いは学生のレベルを遥かに超越したものだったが、その実試合の内容自体は珠雫の完敗だ。なにしろ、彼女はただ一度も刀華に触れることすら叶わなかった。

それのどこが、善戦と言えようか。

 

そして、選抜戦において一度敗北すると言うことは、代表の道が閉ざされると言うこと。

全国を、七星剣武祭を目指すのならば、この戦いは一度も負けてはいけないのだ。

だからこそ、悲しかった。叶うのなら、ステラや珠雫と一緒に七星剣武祭に出たかったから。

しかし、そう思う一方で、一輝は誇らしくもあった。

 

「……でも、立派だったよ。珠雫は最後まで諦めていなかったから」

 

一輝もステラもはっきりと見ていた。

彼我の力の差を最も強く感じていたはずの珠雫は、それでもなお最後まで諦めず戦い続けた姿を。

 

(……本当に、強くなったんだね)

 

幼い頃はいつも自分の後ろをトコトコとついてきていて、あの小さな女の子がーあんなに立派になった。

今日この瞬間ほど、一輝が空白の四年の年月の経過を感じた時はなかった。

 

「一敗したら、その時点で終わり……私達も、油断できないわね」

「うん、僕達も他人事じゃない」

 

一輝は前に折木から聞かされていると言うのもあるが、分かるものならば既に気付いている。

この選抜戦の代表六枠は無敗の強者が埋めることになると。

自分達もまた同じルールで戦っているが故に、油断ならない。

それこそが新理事長・黒乃が敷いたルール。高位ランク同士の星の潰し合いをさせてでも、一点物の綺羅星、すなわち最強の七星剣王を生み出す為の弱肉強食の戦いだ。

 

「もう選抜戦も終盤に入った。これからは僕達も一層気を引き締めていかないとね」

「ええ、私は負けないわよ」

 

一輝の言葉に、隣を歩くステラはそうハッキリと断言する。

彼女の瞳には、強く、爛々と輝く闘志の炎が宿っていた。

 

「私は絶対負けない。七星剣武祭の決勝で、イッキと戦って今度こそ勝つんだから」

 

ステラの強い意志のこもった表情に、一輝は胸の内から込み上げてくる喜びの感情を得た。かつて、二人が交わした再戦の約束。その実現を心待ちにしているのが、自分だけではないとわかったのだから。

 

「……それは僕も同じだよ。僕も、ステラと戦うまでは絶対に負けない」

「ふふ、当然よ。途中でいなくなったりしたら許さないんだから♪」

 

一輝の返事に、ステラはにっこりと満面の笑みを浮かべる。その笑顔に、一輝は自分でも分かるぐらいに頬が緩んだ。

 

…………さて、ここで、余談だが。

実を言うと、この二人は付き合っている。

 

付き合い始めたのは、初戦桐原との試合があった日の夜だ。

それから二人は、密かにだが交際を続けている。

今も実際に一輝が周囲に人がいないことを確認してから、ステラの手に指を絡めていた。するとステラもまた、一輝の、手をきゅっと握り返した。

紆余曲折あったおかげか、初めこそはまだ固かったものの、お互いスキンシップにも少しずつなれてきていた。最近では、人目のないところにいくと、どちらか片方が自然にもう一人の手を握るようになっていた。

 

指をしっかり絡め合うことで相手の体温と存在をしっかり認識できるこの行為が、二人は好きだった。

 

しかし、ここ最近は、水面下で問題が発生していた。

 

(手を繋ぐのはいいけど………もっと、近づきたい)

 

ステラは心の内で密かに思う。

彼女は今の現状に一抹の物足りなさを感じていたのだ。

物足りなさ、と言うよりは一輝にもっと女として求められたいと言う欲望が、彼との距離が近くなれば近くなるほどに強くなっているのをステラは自覚していた。

 

端的に言えば、この皇女様。欲求不満なのである。

 

夜。眠りにつく前に片付けを交わした時とかは特にだ。

昨夜なんかは、唇と唇が離れた時に甘い艶声が出てしまい一輝を驚かせてしまったのだ。

 

(あれは、恥ずかしかったわ……)

 

昨夜の様子を思い出し、ステラは赤面する。

その艶声に驚きすぐさまベッドに飛び込んで布団を頭から被ったが、しかしそれでも体に灯った火が消えるにはそれなりの時間を有してしまった。

 

(アタシって性欲強いのかしら……)

 

思い出すだけでもすごく恥ずかしい。

そもそも求められたところで応えられるか分からないのだ。

なぜなら、ステラにはヴァーミリオン皇国第二皇女という重大な立場があるのだから。

しかし、一輝もステラも既に成人してお互い結婚の権利がある、一端の大人。

 

だからこそわからない。

もしも、自分が一輝に女として求められた時、自分はどちらを選ぶのかが。

 

皇女としての建前か、それとも自分自身の気持ち。そのどちらを優先するのか。

いくら我慢しても答えは出てこない。

しかしだ。もし、一輝が本気で自分を欲しいと求めてくれた時が来たのなら自分は———。

 

「ステラ?なんだか顔が赤いけど大丈夫?」

「ふぇ⁉︎あ、な、なんでもないわ!」

「なんでもないのに顔がそんなに赤くはならないよ。もしかして、熱でもあるんじゃないかな?」

 

心配そうな表情で一輝が額で熱を測ろうとおでこを近づける。普段ならまだしも、今はその親切心はステラにはキツかった。

 

(い、いいい今、顔は近づけないで———っ)

「は、ほんとに大丈夫だから!ホントなんだからぁ!だからそんな近くに来ちゃだめー!」

 

何とか一輝を押し返して、我がことながらなんと節操が無いのだろうかと呆れる。

こんなまだ日も落ちきっていないような校舎の中であんな不埒なことを想像するとは——。

 

(そういうのはベッドに入るまで禁止よっ)

 

むしろベッドに入ればいいのか?というか、もはや答えは出ていないだろうか?と言う自分自身の心の中からのツッコミは無視して、気持ちを何とか落ち着ける。

ふと、そんなときだ。

 

「んっ……しょっと……」

 

二人の目の前の曲がり角から、真っ白い歪な長方形のお化けが、ぬぅっと現れた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「お二人とも、ありがとうございます。資料を拾ってもらっただけじゃなくて、運ぶのまで手伝ってもらって……」

「いえいえ、流石にあんなことがあれば手伝いますよ」

「まぁ、あれを一人では流石に大変よ」

「あはは……ちょっと横着してまとめて運ぼうとしたので自業自得ですね。反省します」

 

一輝とステラの言葉に小さく舌を出してはにかむのは刀華。

先程二人がでくわした歪な長方形のお化けは、見上げるほどに堆く積まれた紙の束を一人で両手に抱えて運んでいた刀華だった。

それが、一輝達に突然声をかけられたことで驚き、その際に足が絡んで床にぶちまけてしまったのだ。

二人は驚かせたお詫びも兼ねて、刀華の資料運びを手伝うことにしたのだ。

刀華は資料を運びながら、一輝達に視線を向けて口を開く。

 

「でも、びっくりしました。ステラさんのお顔は新聞で見たことがあったので知ってましたが……黒鉄くんとは、何だか今会うのは不味かったですね」

 

まずいと言うのは、やはり一輝が珠雫の兄だからだろう。妹の七星剣武祭への道を自分が閉ざしたのだ。兄として何か思うところがあるはずだと思ったのだろう。

しかし、一輝はそんな思惑に反して、小さく首を横に振って答える。

 

「いいえ、勝負ですから感謝こそすれど、恨みなんてありません。珠雫は全てを出し切って戦って、貴女はそれを真っ向から受けて、存分に応えてくれました。

僕にとってはそれが全てです」

「そう、ですか」

 

偽りのない一輝の本心に、刀華は笑みを浮かべてそうつぶやく。しかし、それに疑問を浮かべたものがいた。

 

「アタシもそれは同意見だけど、一つだけ気になることがあるわ」

 

ステラだ。

彼女は少し剣呑な色を宿した視線で刀華を見つめると、若干棘の入った言葉で尋ねる。

 

「トーカさん、貴女眼鏡をしてないとほとんど何も見えないくらい視力が低いみたいね。だったら、試合の時どうして眼鏡を外してたの?もしかして、手を抜いたの?」

 

ステラはどうしてもそれを聞きたかった。

ステラは珠雫と刀華の試合の時、刀華が初めから眼鏡を外して戦っていたのを知っている。それに、先ほども資料を落としてしまった時、眼鏡も落ちてしまい、手探りで眼鏡を探していたのを知っているからだ。

それに対し、刀華は。

 

「い、いや、そげなことなかとよっ!」

「「え?」」

「え?……あ。……そ、そんなことありませんよ〜」

 

咄嗟に方言が出てしまい、二人が目を丸くする中、刀華は頬を赤くしながら慌てて取り繕ったがすでに遅かった。

それに気づいた刀華は、わざとらしく「おほん」と小さく咳払いして口調を戻す。

 

「むしろ、逆ですよ。珠雫さんほどの相手ならば、眼鏡をかけたままでは不利になると思ったからです。視力を遮断することで、知覚の精度を高めないと、彼女レベルの相手では、厳しいですから」

「視力の遮断?」

「私の伐刀絶技なんですけど、視力を遮断することで相手の体に流れる微細な伝達信号を感じ取るんです。要するに、雷使いとしての能力の応用ですよ」

 

刀華は《閃理眼》の詳細を二人に簡単に伝える。

 

「相手の偽ることのできない剥き出しの本心を、私は読み解くんです。ですから、珠雫さんの罠も奇襲も全て見破れたと言うわけですよ。原理としては、黒鉄くんの《完全掌握》と似てますけど、私の場合はカンニングで、黒鉄くんとは似て異なるものです。……ですから、決して手を抜いたとか、そう言うのではないんですよ」

「ん……よく分かったわ。その、ゴメンなさい。失礼なこと言ったわ」

「いえいえ、構いませんよ。それにしても、ふふ」

「ん?何よ。随分嬉しそうね…?」

 

訝しんだステラの疑問に、刀華はそれはもう嬉しそうに応える。

 

「ええ、それはもう。ステラさんはすごく友達想いの方なんだなー、って思いまして」

「んなっ⁉︎」

 

その言葉に、ステラの頬が火が灯ったように赤くなった。

 

「あ、あいつとは友達なんかじゃないわよっ!ライバルよ!ライバルっ!」

「なるほど、ライバルと言う名のお友達ですか。ステラさんはツンデレさんなんですね」

「な、なんでそうなるのよっ⁉︎」

「あら?違うんですか?黒鉄くん。お二人は、仲良くないんですか?」

「いえ、すごく仲がいいですよ」

「イッキ⁉︎もーっ、知らないっ!」

 

刀華の意外な返しと恋人のまさかの裏切りにステラがぷいっと二人から視線を外して足を早めて、一人でそそくさと先に行ってしまった。

しかし、一輝の記憶が正しければ、彼女は生徒会室の場所を知らないはずだ。

だから、きっも先の曲がり角を曲がったあたりで自分達を待っていることだろう。

その姿を想像してくすりと一輝は笑うと、彼女を追わずに刀華に尋ねる。

 

「ところで、自分の能力のことを僕達に話してしまってもいいんですか?選抜戦は終盤ですけど、まだ僕達が戦う可能性もあるのに」

「ええ、別に構いませんよ。手札の一つのカラクリが知られたところで、私は負けるつもりはありませんから」

「っ!」

 

瞬間、一輝は落雷を浴びたかのように、自分の脳天から足先までが戦慄に痺れたのを感じた。

先程は年上の女性らしい温和な笑みを浮かべていたと言うのに、今ではその笑みに細められた瞳の奥に、刃物のようにギラつく野蛮な光を見たからだ。

 

それは、まさしく自分やステラと同種の、自分の強さに絶対の自信を持ち、その上で自分よりもさらに強い者との戦いを渇望している、自信と野心に燃える瞳だ。

 

(……ははっ、この人もすごいな)

 

それを見て、一輝は思わず心の内で笑ってしまう。

自分のこの女性はきっととてもいい友人になれるだろう、と。

 

そして、叶うことなら、いつか———この女性と本気で戦いたい、と。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

そして案の定、曲がった先で拗ねながらも待っていたステラと合流して5分ほど歩いたのち三人は生徒会室の前にたどり着いた。

 

「ふーっ。やっと着いた。生徒会室って意外と遠いのね」

「お二人ともありがとうございます。ぜひ中でお茶でも飲んでいってください。ちょうど昨日貴徳原さんがとっても美味しい茶葉を差し入れしてくれてたんです」

「じゃあ、お言葉に甘えて、ステラは?」

「アタシも。喉カラカラだもん」

「ではどうぞ中へ———ふぎゅ‼︎」

 

刀華は二人を室内へと招き入れながら足を踏み入れて、爪先が何か重いものに引っかかり、前のめりにすっ転んで変な声をあげる。

その時に、頭からモロに行ったせいか、お尻が二人に向かって突き上げられる形になり、パンツが丸出しになってやや大きめの尻が二人の視線に晒される。

 

「……ねえイッキ。この人のパンツに広告のせたらスポンサー料取れるんじゃない?」

「その発想は思いつかなかったよ」

「あいたたた……っ。もーなんなん?」

 

先程出会った時と同じようにパンツが丸出しになっている光景に、二人がそんなことを話す中、刀華は言葉を訛らせながら、なんとか起き上がる。

そして、生徒会室を見た刀華は、顔を一気に真っ青にさせる。

 

「な、なにこれ———ッッ⁉︎⁉︎」

 

目の前に広がる光景に刀華は悲鳴をあげる。

生徒会室ははっきり言って、カオスだった。

本棚という本棚から本が、引き出しという引き出しから雑貨が、その全てが無差別にぶちまけられたように散らかり放題で部屋の殆どを埋めていたからだ。

 

そして、そのカオスと化した部屋には、刀華以外の生徒会役員が揃っていた。

実に達筆な文字で議事録をまとめ直すのは坊主頭の厳つい男子生徒、書記の砕城雷。そんな彼にお茶を注いでいるのはカナタ。

この二人は真面目に仕事をしている。

しかし、そんな真面目に仕事をしている一方で、副会長である御祓泡沫は熱心にテレビゲームに興じ、そのゲーム画面を興味深そうに眺めながらランニングシャツにパンツ一丁というあられもない格好をした小麦色の肌の活発そうな少女、庶務の兎丸恋々がエキスパンダーを使い筋トレをしていた。

 

ありえないはずの二つの空間が同居している、カオスな空間に刀華が絶句する中、泡沫と恋々が声をかける。

 

「あれ〜?かいちょー帰ってきたんだー。おかえりー」

「あはは⭐︎刀華はドジだなぁ。また転んだのかい?」

 

元凶であるはずなのに、呑気に声をかけてくる二人に、刀華は眉をきりりと釣り上げながら声を張り上げて怒鳴る。

 

「も〜〜‼︎兎丸さん!ダンベル使うたらちゃんと元の場所ば戻してっていつも言っちょるばい!危なかよっ!それにうたくんも漫画ば読んだらちゃんと本棚に直して!いっつも出したら出しっぱなしにして!ていうか何で試合の準備でたった1日留守にしただけでこげんに散らかっとると⁉︎」

 

そんな彼女の怒声に二人は全く反省の色を浮かべるどころか、

 

「むっ、かいちょーどうしてこれを散らかしたのがアタシたちだと決めつけるの?冤罪かもしれないよ!」

「生徒会室で筋トレするのは兎丸さんしかいませんし、漫画を読んで出しっ放しにするのもうたくんと貴女しかいないからですよ!」

「いやー、なんか急にる◯剣とドラゴン◯ールとスラ◯ダンク全巻通し読みしたくなっちゃって、本棚に取りに行くのも面倒だから全部出しちゃったんだよねぇ。で、それ読んだら童心に返っちゃって急にスーファミやりたくやって部屋中ひっくり返してようやく発掘したんだよ。ああでも刀華のいない間の仕事はちゃーんと雷とカナタがやってくれたから大丈夫!」

 

とまあ、このように反省する素振りなんてゼロでむしろ開き直ってしまっている。

これには刀華もますます怒る。

 

「なに他人任せにしてどや顔ってるんですか腹立つ!全く貴方達はいつもいつも——」

「会長。興奮しているところ申し訳ないが、さっきから客人が引いておるぞ」

「——— ハッ!」

 

部屋のあまりの惨状に怒りで我を忘れていた刀華は、はっと思い出しギギギと入口に振り返った。

するとやはりというか、そこにはゴミ屋敷と化した生徒会室の惨憺たる有り様を、ちょっと引き攣った笑顔で眺める客人二人の姿があった。

 

「お、おほほ。ちょーっと待ってくださいね〜?」

 

刀華が青ざめた顔に愛想笑いを浮かべながら、二人をやんわりと廊下に押し出して、ぴしゃりと扉を閉じた。

その直後、

 

「ほら!みんな片付けるの手伝って!うたくんももうゲームやめなさい!」

「わっ!ちょ、ちょっとまって刀華!それ昨日からセーブしてな、ちょま、う、うわああ!ボクのはぐりんがぁぁぁッッ‼︎‼︎」

「ゲームは一日一時間っていつも言ってるでしょ!全く少し目を離すとこれなんですから!」

「って、ちょっと待って!カナタ!その漫画まだ読み途中だから閉じないで‼︎せめて栞つけさせてぇぇ!」

「残念ですがまた探してくださいうたくん。砕城さん、そちらにこの塊お願いしますわ」

「承知した。それは某が運ぼう」

「あと兎丸さん、貴女なんて格好してるんですか!生徒会には男の子もいるんですからスカートくらい穿きなさい!」

「えー。だってかいちょーがクーラー壊したから熱いんだもん!」

「会長が電化製品に触れるとすぐにショートしちゃいますからねぇ」

「うっ、そ、それについては非常に申し訳なく思ってますけど、だからって生徒会室で下着姿はだらけすぎですよ!風紀が乱れてます!全ての生徒の範となるべき生徒会役員としてあるまじき姿です!」

「かいちょーだって寮だと下着姿のまま昼寝してたりするくせにー」

「ふふ、会長は昔から気を張る相手がいないと際限なく怠けますからね」

「いいいいま私の私生活ば関係なか!と、ともかく早く片付けてください!片付けないと全部捨てちゃいますからね!」

「うぅ、わかったわかった!」

「ハリー!ハリー!」

 

ギャーギャードッタンバッタン。

まるで引っ越しでもしているかのような物音と騒ぎ声に、生徒会室の窓がガタガタ音を立てて揺れる。心なしか、床も揺れているような気もする。その騒動と騒音を廊下から聞きながら、二人は。

 

「トーカさん、なんだかお母さんみたいね」

「……生徒会長も大変なんだね」

 

一輝とステラはなんだか刀華に優しくしてあげたい気分になった。結局運んできた資料は置く間も無く、追い出されてしまったので今も腕の中にあるが、それは責めれない。

そして待ちぼうけすること数分。

ようやく生徒会室のドアが現れ、中からげっそりとした刀華が出てくる。

 

「ぜぇ、ぜぇ………、お待たせ、しました。どうぞ中に……」

「あ、はい。お、お邪魔します……」

 

招き入れられた一輝は、この選択は失敗だったかな、と思いながらステラと共に生徒会室に立ち入り、そして驚いた。

なぜなら、先ほどまでカオスな部屋だったのに、今は部屋ごと取り替えたかと思うほどに綺麗になっていたからだ。

先ほどまで散乱していた本は全て本棚に収納され、床も顔を映すほど磨かれている。

その清潔さと埋もれていたアンティーク調の品のいい調度品が、その空間をまるで西洋の城の一室のようにも思わせる。

よくもまあものの数分でここまで片付けたものだと感心したが、よく見て気付いた。

 

(……あ。あそこのクローゼットが異様に膨らんでいる)

 

そしてその扉の前で砕城が汗を流しながら、地蔵のように必死に踏ん張っていることから、その理由を察した。

 

(……頑張って、砕城くん)

 

一輝は地獄の釜の蓋を必死に押さえつけている人柱に心の内で激励を送り、刀華に勧められるまま、部屋の中心にあるソファーに腰を下ろし、生徒会役員達と同じテーブルにつく。

すると、向かいに座った恋々が小麦色の肌に他人懐っこい笑みを浮かべて話しかけてくる。

 

「クロガネ君。お久しぶりー。アタシに勝ってからも快調に勝ち続けてるみたいだねー」

「はい。なんとか頑張ってます」

 

そのやり取りに追随する形で、カナタもステラに柔和な笑みを浮かべて挨拶する。

 

「ステラさんもお久しぶりです。会うのは二度目ですね」

「ええ。まさかこの部屋に呼ばれる日が来るとは思わなかったけどね」

「貴徳原さん。お二人にお茶をお出ししてください」

「ええ」

「あ、カナタ。ボクも」

「カナタ先輩!アタシ、マドレーヌが食べたい!」

「あら、悪い子二人には会長の許可がないとあげませんわ」

「えー‼︎なんでー⁉︎」

「ひどいよ刀華!おやつが食べられないんだったらボク達はなんのために生徒会室にいるのさ!」

「生徒会役員だからに決まってるでしょ⁉︎何を言ってるんですか⁉︎」

 

刀華が悲鳴のような声をあげる。

確かに、今の言い分は酷すぎる。

刀華の寿命がツッコミで燃え尽きそうだ。

そんな過労でゼェゼェ荒い息を吐いている刀華に、ふとクローゼットを抑え、もとい前で立っている砕城が、厳しい顔に喜色をうかべて感心した声で言う。

 

「しかしさすが会長。仕事が早い。もう例の件の助っ人を見つけてくるとは。それもいい人選だ。二人ならば、戦力として申し分ない」

(ん?戦力?助っ人?)

 

突然の物騒な言葉に一輝とステラは揃って首を傾げる。そんな話は刀華から一度も聞いていない。どう言うことだと二人は刀華に視線をやるも、

 

「はい?」

 

当の刀華もキョトンとした顔で頭にはてなを浮かべている。その反応に砕城は困惑を見せた。

 

「む?なんだ違うのか?珍しい客だからてっきりそうかと思っていたんだが」

「なんだい刀華。もしかして忘れてたのかい?ほら、理事長に頼まれたじゃん」

「黒乃さんに頼まれたって………あ、ああああっ‼︎‼︎」

 

砕城と泡沫の言葉に、刀華は青ざめた表情で立ち上がり、叫ぶ。どうやら、今のいままで本当にその内容のことを忘れていたようだ。

 

「あらあら。もしかして本当に忘れていたのですか?私もてっきりそのためにお二人をお連れしたのかと思っていましたのに」

「……あぅ、はい。珠雫さんとの試合に集中していて忘れていました……」

「ねぇ。例の件ってなんのこと?」

 

頭を抱えてしょんぼりする刀華にステラが尋ねる。しかし、その質問には刀華ではなく、カナタが全員分のティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。

 

「先日理事長から生徒会に頼み事があったのです。七星剣武祭の前にいつも代表選手の強化合宿を行っている合宿施設が奥多摩にあるのですけど、最近そこに不審者が出たみたいなんです」

「それは物騒ね」

「ええ。そこで生徒会に理事長が手配した方と協力して調査してほしいと頼まれたのです。先生方は今は選抜戦の運営で忙しいですから。……ですけど、合宿所の敷地には高い山や広い森もありまして、とても生徒会だけでは人手が足りませんの。そこで、理事長から助っ人を呼ぶように言われたんです」

「なるほど。それで偶然僕達が、と言うことですか?」

「まぁそうなりますね」

「うっ、ごめんなさい」

 

カナタの一言に刀華が気まずそうにしょんぼりする中、一輝は件の不審者について尋ねた。

 

「ちなみにその不審者というのはどんな人物なのか、情報はあるんですか?」

「ええ、それなんですが———なんでも、体長4メートル程の巨人や古代生物の群れらしいです」

「きょ、巨人⁉︎」

「こ、古代生物⁉︎」

 

不審者の特徴に一輝とステラは揃って目を丸くする。わざわざ破軍の敷地に侵入するくらいだから、どんな人間なのだろうと思えばまさか、それが人間ですらなかったのだから。

 

「はい。管理人からの報告を鑑みても私達生徒会だけではとても、人数が足りないのです」

「確かに。規模や捜索範囲を考えても妥当だと思います」

 

一輝は実際に見たわけではないが、合宿施設がある敷地のことはある程度だが知っている。

確かに、あれだけの規模を捜索するのならとても生徒会だけでは能力的に、何より人数が足りないのだ。

 

「ね、ねぇ、巨人と古代生物って、それ本当なの⁉︎」

 

一輝が思案する中、隣に座るステラが荒唐無稽な話題に、身を乗り出して食いつく。

 

「ずいぶんと食いつくねステラ」

「だ、だって巨人に古代生物よ!未確認生物よ!ロマンじゃない!!アタシ古代生物にも会ってみたいわ!!」

 

そう言った彼女の緋色の瞳は、まるで少年のようにキラキラと輝いていた。

どうやらその手のものが大好きなようだ。

そして、ステラの反応を見た恋々はまるで同志を見つけたと言わんばかりに呼応する。

 

「へえステラちゃんはそう言うの好きなんだ!」

「川◯浩探検隊のDVDで日本語を覚えたくらい大好きよ!」

(ものすごいところから日本に入ってきてるよこの皇女様……!)

 

思わぬところからの日本語の覚え方に、一輝はやや戦慄していたが、恋々はステラと意気投合したようだ。

 

「おお!ステラちゃん、話せるねぇ!」

「それ殆どやら……」

「副会長。それ以上はいけませんわ」

「ねえねえイッキ!トーカさんも困ってるみたいだし、アタシ達が協力しましょうよ!」

 

ステラが目をキラキラさせながら一輝の肩を揺する。

一輝としては正直なところ、巨人とか古代生物などのそのてのUMAには全く興味はないが、生徒会が忙しい原因である選抜戦制度で恩恵を受けた身だ。

だから彼らに協力すると言うことは、むしろ是非にという気分だ。故に二つ返事で了承した。

 

「そういうことでしたら、一生徒として喜んで協力させてもらいますよ。合宿所も生徒のための施設ですしね。ステラもこう言ってますし、僕達でよければ喜んで」

「ほ、本当ですか⁉︎申し分ないです!!本当にありがとうございます!すごく助かります‼︎」

 

二人の快諾に、頭を抱えて沈んでいた刀華の顔に正気が戻り、弾む声で感謝の気持ちを言って握手しようとする。だが、一輝に伸ばされた手をステラがインターセプトして代わりに熱い握手をかわした。

 

「よろしく。よろしく」

「え?あ、はい、よろしくお願いしますね」

 

真意がわからない行動に首を傾げながらも言った刀華の姿に苦笑いを浮かべながらも、一輝はふと思い出したように尋ねた。

 

「そういえば貴徳原さん」

「はい、なんでしょうか?」

「さっき、理事長が手配した人と協力って言ってましたけど、その手配した人は誰なんですか?」

 

生徒会に協力すると言った以上、助っ人の存在は知っておきたかった。

そんな一輝の当然の質問に、カナタは困惑の表情を浮かべると首を横に振る。

 

「いえ、それが私達も誰かは存じ上げていません。理事長が個人的に手配しておくとしか言われてないので……」

「え、そうなんですか?」

「ええ。ただ、調査を始める前に一度報告にはくるそうなので、今はその人が来るのを待っているところです。それに、理事長が依頼した方なので信頼できる方だと思っていますわ」

「そうですか」

 

一輝はそう言って納得を示す。

誰が協力者なのかはわからないにしても、あの黒乃が選んだ人物だ。能力的にも、人格的にも申し分はないだろう。

だがやはり誰かは気になる。

黒乃が個人的に頼む人物。実力、人格ともに彼女が信頼を寄せる人物などそれこそ数えるほどしかいないのではないだろうか。

そして、その該当する人物を一輝は一人知っている。

 

(まさか……)

 

協力者の存在に心当たりがあった一輝はもしかして、と思い口を開こうとする。

しかし、その時、生徒会室の扉がコンコンとノックされた。

 

「私が出ますね」

「うん、お願い」

 

一番扉に近かったカナタが刀華達にそう言って扉へと向かい、扉を開ける。扉の向こうにいたのは、右腕に風紀委員の腕章をつけ、封筒を持った蒼髪碧眼の青年ー新宮寺蓮だった。

 

「あら、蓮さん。どうなされたんですか?」

「会長のサインが必要な書類を持ってきたのと、後はもう一つ別件で来た。会長はいるか?

「ええ、中に。どうぞ」

 

カナタはそう言って蓮を中へと案内する。

生徒会室に蓮が入ったと同時に、泡沫が敵意に満ちた眼差しを向けてきて空気がピリつくが、蓮はどこ吹く風という風に流しながら、一瞬砕城の方を見たあと、刀華達へと視線を向けた。

向かいに一輝とステラがいるのを見て、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「すまない。取り込み中だったか?」

「大丈夫ですよ。ちょうど終わったばかりですから。それでサインが必要な書類はどれですか?」

「今月の決算報告書と活動報告書だ。委員長のサインはもらってるから、あとは会長のサインをもらって、俺が理事長に持っていく」

「分かりました。そこでちょっと待っててくださいね。あ、貴徳原さん、彼にお菓子とお茶お願いします」

「ええ」

 

刀華はソファから立ち上がると、蓮が封筒から取り出した二枚の書類を受け取り会長机に移動してサインを始める。

その間、待つことになった蓮は砕城の方へと視線を向け、労いの言葉をかけた。

 

「砕城、大体は察したが、大丈夫そうか?」

 

膨らんでいるクローゼットの扉を見て大体を察した蓮は、色んな意味での労いの言葉だったが、それに砕城は強気な笑みを浮かべる。

 

「何の。この程度心配無用だ」

「………開けた後が大変そうだな」

「……それは、言わないでくれ」

「……すまん」

 

僅かにげんなりした表情に蓮はそう返すほかなかった。そして今度は恋々に視線を向けて苦笑を浮かべた。

 

「兎丸、一応風紀委員の前なんだから服装はまともなのにしてほしいんだが?」

「いいじゃんいいじゃん。固いことはなしで。アタシとシングージ君の仲でしょー?」

「クラスメイトだけのはずなんだがなぁ。とにかく気をつけろよ」

「はーい」

 

既にこのやりとりは何度もしていたのだろう。蓮は肩をすくめると恋々に軽く注意するだけにとどめた。すると、今度はカナタが蓮に近づく。彼女の手にはトレイが握られており、マドレーヌを置いた皿と、ティーカップがあった。

 

「これどうぞ。マドレーヌと紅茶です。今回はいい茶葉が入ったので是非」

「ああわざわざ悪いな」

 

蓮はそう礼を言いながら、マドレーヌを手に取り食べ、紅茶を一口口に含むと美味しさに舌鼓を打つ。

 

「ん、美味いなこれ」

「ふふ、ありがとうございます。選んだ甲斐がありますわ」

「それに紅茶との組み合わせもいいな」

「ええそうでしょう。私もそう思ったんですか」

 

蓮が舌鼓を打ちカナタが彼の反応に喜ぶ中、蓮はふとこちらを見ている一輝達に視線を向ける。

 

「そういえば、二人はなぜ生徒会室に?また黒鉄絡みでヴァーミリオンと黒鉄妹が問題でも起こしたか?」

「……確かに、前科があることは否定しないけど、シングージ先輩の中でアタシとシズクは問題児扱いなのかしら?」

「そりゃ、入学初日に痴情のもつれで教室を爆破しようとしたからな。問題児扱いして当然だろ」

「うぐっ」

 

入学初日の余罪を突きつけられ、ステラは短く呻き声を上げる。確かにそれを言われて仕舞えば、何も言い返せない。

一輝はそんなステラを見ながら、苦笑いを浮かべるとここにいる理由を話す。

 

「東堂さんの手伝いをしていて、その流れで生徒会室に招待されたんだよ。その後、僕達は生徒会に頼まれた仕事を手伝うことになってね。今ちょうどその話が終わったところだよ」

「仕事?そうか、お前た「はい。新宮寺君終わりましたよ」…ああ、ありがとう」

 

一輝に何か言おうとした蓮だったが、突如割り込んできた刀華に話を中断して生徒会長のサインを確認すると礼を言って、封筒にしまう。

そこで、刀華が蓮に話しかけた。

 

「そういえば、もう一つ別件があると言ってましたけど、どう言った話なんですか?」

 

刀華の質問に蓮は一瞬泡沫に視線を向けて再び戻すと、今回自分が来た目的のもう一つを話す。

 

「奥多摩調査の件だ。理事長に頼まれて、俺も協力することになった」

「えっ⁉︎本当ですか⁉︎ありがとうございます‼︎貴方が協力してくれるなら、百人力ですよ‼︎」

 

まさかの強力な援軍の存在に刀華は目を丸くすると、一輝達の時以上に弾んだ声で感謝を表した。

 

「新宮寺が同行するなら心強いな」

「だね!ていうか、シングージ君一人ですみそうだけどね」

「あ、それはアタシも同感だわ」

「ステラ、僕達も引き受けたんだからちゃんと仕事はしないと駄目だよ」

「分かってるわよ」

 

他の者達も蓮の協力に口々に喜びの声をあげている。

 

「黒乃さんが信頼する方ですからかなり絞られましたが、やはり蓮さんだったのですね」

「まぁな」

 

カナタも当然その整った顔に喜色を浮かべて蓮の協力を心の底から歓迎する。

そして、カナタ達が盛り上がる中、ただ一人だけ、真逆の反応をしている者がいた。

彼は、その様子を忌々しそうに見ると、小さく舌打ちをして冷たい声で言い放った。

 

「何でお前が参加する必要があるんだよ」

 

突如冷水のような冷たい言葉が蓮にかけられる。その言葉に、空気が明らかに気まずくなり、蓮はその声の主、泡沫に視線を向けた。

椅子に座る泡沫は明らかな嫌悪と敵意を浮かべながら、険しい表情のまま言葉を続ける。

 

「黒鉄くんとステラちゃんが助っ人で来てくれるだけで充分だ。お前の協力なんていらないよ。むしろ邪魔だ」

 

敵意を微塵も隠そうともしない物言いに刀華とカナタは悲しげな表情を浮かべ、それ以外の者達が固まる中、向けられた当人である蓮は眉一つ動かさずに口を開く。

 

「理事長は今回の件を軽くは見てはいません。だから万全を期して俺も調査に向かうように言いました。それに、俺は向こうでは単独行動を取っていいと許可が降りています。向こうでは極力関わらないように配慮します。それでも不満ですか?」

「むしろ不満しかないね。僕達生徒会とそこの助っ人二人が揃っても実力不足だって思われてることが。それに、単独行動を取るなら、尚更僕達の行動にも支障が出るだろ。そんなの邪魔以外の何者でもないよ」

「……理事長の判断に反対すると?」

「ああ大反対だ。人殺ししか能がないお前なんて不要さ。僕達だけで事足りる」

 

泡沫は虫を払うように手をひらひらさせて、明らかな嫌悪と憎悪の凝り固まった罵詈雑言を蓮にぶちまける。

隠そうともしないその態度に一輝達が絶句する中、蓮はそれでも眉一つ動かさず表情を変えない。

 

「確かに黒鉄とヴァーミリオンが助っ人で来る以上は能力的にも充分。不測の事態が起きない限りは、問題なく調査はできるでしょう。俺の力など借りずとも出来ると俺個人は思いますよ」

「だったら——」

「だが、それでもお前達が対応できないような不測の事態が起きたらどうするつもりだ?」

「は?ーッ」

 

丁寧さが消え傲慢と威厳に満ちた口調で告げられた言葉に、泡沫が眉を顰めて気づく。

蓮の表情が先程とは違い明らかに冷たいものへと代わり、瞳もまた非情の色を宿していた。

それは、学生騎士ではなく歴戦の戦士のもの。

絶対強者たるものの瞳だ。

泡沫はその瞳に見据えられ、一瞬体が強張った。そして、泡沫に蓮は低い声音のまま告げる。

 

「もしもお前達が束になっても勝てない強敵がいた時、お前はどうする気だ?

まさか戦うのか?自分達ならなんとかなるとでも?随分と思い上がっているな」

「ッッ……‼︎‼︎」

 

蓮にそう指摘され、泡沫は見る見るうちに表情に悔しさを滲ませて敵意をさらに増幅させて蓮を睨む。だが、睨むばかりで反論はしない。

なぜなら、泡沫とて分かっているからだ。蓮の言っていることは正しいことに。

 

「本来なら俺一人で調査はできる。

あの程度の敷地面積なら、さほど手間はかからないからな。

それでも、母さんが俺に生徒会と協力するよう言ったのは、もしもそれほどの敵が現れた時に俺が残って戦い、お前達がそれを学園に伝える為だ。

つまりは、想定外の事態が発生した場合、殿は俺が引き受けるから、()()()()のお前達は早急に学園に戻り状況を報告しろと言う話だ」

「なっ…!」

 

泡沫は屈辱に顔を赤くさせる。

黒乃がそういう意図を持っていたと言うのも驚きだが、それ以上に蓮にとっては自分たちがその程度の存在にしか見られていないということに気づいたからだ。

 

「それにお前に決定権はない。既に決定は下された。俺が調査に行く決定は覆らない。それでも、俺が邪魔なら母さんに直談判しに行け。ただし、彼女を納得させられるだけの理由があれば、だがな」

 

蓮は言いたいことを言って気が済んだのか泡沫から背を向けて生徒会室を出ようとする。

泡沫は何も言わない。ただ表情を俯かせて、握りしめた両手をふるふると震えさせていた。

刀華達は何か言おうにも、何も言葉が出ずただ困惑の表情で成り行きを見守るしかなかった。

そして、カナタの前を通りかかった蓮は足を止めてカナタを見下ろした。

 

「カナタ、さっきも言った通り俺はあっちでは単独行動する。それと俺は現地に直接向かうから、出発の時間が決まったら伝えてくれ」

「ええ、わかりました。後でお伝えしますわ」

 

成り行きをある程度予想していたカナタは特に動じることもなく快く蓮の頼みを了承した。それを確認した蓮は、今度こそ扉を開き最後に俯く泡沫を背中越しに一瞥した後、ピシャリと扉を強く閉じて生徒会室から立ち去った。

 

 

 

こうして、禍根を残しながらも蓮は、生徒会役員、一輝とステラと共に、次の週末に奥多摩に向かうことになった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

次の日曜日。

蓮はバイクで、その他は砕城が運転するバンに乗って奥多摩の山奥にある破軍学園の合宿施設へ各々赴いた。

そして、現地で合流した彼らは早速調査には踏み切らなかった。

 

刀華の発案で捜索の前に腹ごなしをしようと言うことになったのだ。

合宿施設の面積はいくつもの山と深い森を有する険しい地形であり、いくら伐刀者といえどたった八人での捜索は生半可なことではない。故に、まずは腹を膨らませて英樹を養わないことには始まらないというわけだ。

そして、蓮とカナタが管理人の事情聴取を担当し、他の者達が昼食を作ることになった。

 

蓮とカナタは一度集まったキャンプ場から施設へと続く道を歩く。

ザッザッと砂利を踏みしめる音を二つ鳴らしながら蓮は周囲を見渡しながら呟く。

 

「ここに来るのも久しぶりだな」

「そうですわね。去年の強化合宿以来ですから、もうすぐ1年経ちますわ」

「去年は確か、俺達代表選手だけが来てたな」

 

蓮は去年のことを振り返る。

去年、ここで七星剣武祭前の最後の追い込みのための合宿を行った。ここで他の五人の代表達とかなりの模擬戦を行い、この広い敷地を自由に使い気ままに己を高めていった。

あの数日はとても充実した日々だった。

それを思い出しているうちに、蓮は共に切磋琢磨した三人の先輩騎士達のことも思いだしていた。

 

「……十束先輩達は、今頃どうしているだろうか?」

 

蓮は卒業していった三人の先輩に思いを馳せる。色々と世話にはなったし、それぞれのブロックを制し、最後に七星の頂を目指し戦った強敵達でもあった。

だからこそ卒業して数ヶ月が経った今どうしているかが、気になっていたのだ。

カナタは顎に手を当てて、彼らの進路を思い出す。

 

「確か、十束先輩と三枝先輩がナショナルリーグに進んで、渡辺先輩が防衛大学に進学されましたわね」

「……あぁ、そういえばそうだったな」

 

蓮もカナタに言われて思い出す。

確かに卒業式直後に三人に花束を贈った時にそんなことを話していた。

真弓と克己はプロ騎士としてナショナルリーグに進み、A級リーグを目指して日々試合や鍛錬をしている。

一方、麻衣はナショナルリーグには進まずに自衛隊にある伐刀者の部隊に入るべく、防衛大学の伐刀者専用学科に進学していた。今はきっと座学や訓練で忙しいだろう。

既に自衛隊の特殊部隊に特務尉官として所属している蓮とももしかしたら会うかもしれない。

といっても、独立魔戦大隊は自衛隊の中でも極秘の部隊であり、一般隊員はその存在を知らない。更には、蓮は自衛隊にいる時は変装しているため、よほどのことがない限りそれはあり得ないだろう。

 

「蓮さんは卒業後の進路はどうされるつもりなのですか?」

 

そんなことを考えていると、ふとカナタから尋ねられる。その内容に、蓮は顔に諦念の色を浮かばせると空を見上げながら、答える。

 

「さぁな。親父達と同じようにナショナルリーグに進むのか、もしかしたら自衛隊に入隊して軍人になるかも分からない。

俺の場合は立場が立場だからな。多分、進路を自由に決めることは難しいかもしれないな」

 

日本が保有する最強戦力の《魔人》だから。『桜宮亜蓮』として既に特殊部隊に所属しているから。カナタは知らないが、蓮は日本政府にとって最後の切り札である『破壊兵器』と同時に最後の砦としての『防衛機能』も担っている。

だからこそ、既に蓮には自由がない。政府や連盟に監視されており、所在や体調も身につけている装置で把握されている。おおよそ、自由とはいえなかった。卒業後も政府や連盟から何かしらの干渉は受ける。蓮はそう考えていたのだ。

 

「……そう、ですか」

 

それを理解しているカナタは悲しげな表情を浮かべる。カナタにして見れば、既に蓮が自身の将来を決めることを諦めているかのような物言いが悲しかったのだ。

英雄の子として生まれ、英雄に憧れた少年が、ある日を境に化け物に堕ちてしまい、国に首輪を付けられている。

その現状がカナタにはとても辛かった。

それにめざとく気づいた蓮は、微笑んで隣を歩く彼女の頭を帽子越しに優しく撫でた。

 

「心配してくれてありがとう。

でも、俺は大丈夫だ。どの道、《魔人》になってなかったら俺はこの場にはいなかったし、誰も守れなかった」

「……蓮さん、私は…」

「着いたぞ。話はここまでだ」

 

何かを言おうとしたカナタの言葉を遮り、蓮はそう言う。

キャンプ場からはそれほど離れてはいなかったので、合宿施設はもう目の前だったのだ。

そして、その正面入り口の前には白髪の初老の男性が立っていた。彼がこの施設の管理人の宮原幸一だ。

彼は、二人の姿を視界に捉えると、ペコリとお辞儀した。

 

「新宮寺さん、貴徳原さん。お久しぶりです。よく来てくれました。今回の調査引き受けてくれてありがとうございます」

「お久しぶりです管理人さん。早速ですが、例の件についてお話を詳しく聞かせてください」

「勿論です。では、中へどうぞ」

 

宮原に促され、二人は施設の中に案内され広間のソファーに並んで腰掛ける。少し待って、お茶を三つ持ってきた宮原は、お茶を置くと蓮達の向かいに腰を下ろした。

 

「早速話させていただきますが、その例の巨人達が現れたのはつい十日ほど前でした」

「十日、ですか。俺が母さんに依頼されたのが八日前だから、それよりさらに二日前ですか」

「そうなりますね。最初見たのは深夜でして、夜中に足音のようなものが聞こえたので、施設の内外を見回りしていたのです。

そして、外に出た時に私は不審者を、例の巨人と古代生物の群れを見たのです」

 

夜見回りをしていた時、ふと頭上から何か唸り声のようなものが聞こえたらしく、見上げれば、月明かりに照らされた巨人達がいたそうだ。

顔などの詳しい特徴まではわからなかったものの、シルエットなどから巨人だと分かったらしい。しかも、森の奥からも無数の古代生物達ーつまり恐竜達が顔をのぞかせていたのだ。

大小はバラバラであり、大きいものならば巨人並みの恐竜もいたらしい。

しかし、巨人達は何かするわけでもなく、すぐに踵を返して森の奥に消えたらしい。恐竜達も同様だった。

 

「初めは幻かと思いました。ですが、翌朝周囲を調べて見れば足跡のようなものが多数ありましたし、またその夜も同じようにこちらを見下ろして観察するようでした」

 

確かな証拠として宮原は数枚の写真を差し出す。

地面にある複数の足跡の写真や、夜こちらを見下ろす巨人や古代生物達の姿も映っていた。

二日目から用意していたのだろう。確かにこれなら物的証拠として十分だ。

 

「確かに、これは幻ではないですね」

「はい。流石に気味が悪くなった私は、こうして理事長に連絡させていただいた次第です」

 

宮原の話を聞いて、蓮は写真を見下ろしていた視線を上げて宮原へと向ける。

 

「なるほど。大体の話はわかりました。証拠もありがとうございます。これなら調査に役立てるでしょう。それと、いくつか聞いてもよろしいでしょうか?」

「はい」

 

蓮は宮原の了承を聞くと、指を3本立てて鋭い視線を向け尋ねた。

 

「俺が聞きたいことは三つです。

一つ、その生物達の群れは昼には現れずに夜にしか姿を現さないのですか?二つ、群れが現れる前に森で何か異変などは起きていましたか?三つ、その生物達からは魔力を感じましたか?」

 

蓮の質問に宮原は少し考え込むと、やがて答える。

 

「はい。例の生物達は夜間にしか姿を見ていません。あと、現れる前ですが森の奥から土砂崩れにも似た地鳴りのような音が聞こえてきました」

「土砂崩れ?」

「それに、地鳴りですか?」

 

宮原からもたらされた証言に蓮がめざとく反応する。カナタも同様の反応を見せる。その二人の反応に宮原は頷きを持って返す。

 

「はい。確かに()()()()()()()()()音が聞こえてきたんです。1日目はわかりませんでしたが、二日目からはその音に気付きました」

「施設にいても聞こえてくるほどですか?」

「ええ。それなりに響いていたとは思います」

「なるほど。情報ありがとうございます。では、三つ目の方は?」

「はい、魔力ですが……申し訳ありません。私には察知できませんでした」

 

宮原も伐刀者の端くれだ。

今回の異変が何らかの伐刀絶技による外的干渉だったのならば、何かしらの魔力の痕跡はあるはず。そう思い、魔力感知を行ってみたものの、自分では分からなかった。

宮原は期待に沿う答えではなかったことを悟り、申し訳なさそうな表情を浮かべる。だが、蓮の考えは違っていた。

なぜなら———

 

(ビンゴ。大体見えてきたぞ)

 

今の情報だけでもだいぶ不審者の存在について絞り込めたからだ。

だが、それに当然気付かない宮原は、申し訳なさそうな表情のまま蓮達に深々と頭を下げた。

 

「申し訳ございません。私が知っていることはこれぐらいです。お力になればいいのですが……」

「いえ、情報提供ありがとうございます。

十二分に有益な情報です。貴方から提供されたこの情報は調査に必ず活かしましょう」

「もしかして、蓮さん何か分かったのですか?」

 

カナタの問いかけに蓮は茶を一気に飲み干すと徐に椅子から立ち上がると、笑みを浮かべた。

 

「ああ、だいぶ不審者の正体を絞り込むことができた。管理人さん本当にありがとうございます」

「えっ、もう分かったのですかっ⁉︎」

 

宮原は自分が提供した情報では大した証拠にはならないと思っていたからこそ、蓮の発言に心底驚く。しかし、カナタは蓮のその言葉に驚くどころか、彼ならば分かるとむしろ納得していた。

 

「はい。大体絞り込めました。ですから、俺達は腹拵えした後早速調査に踏みかかります。カナタ、行くぞ」

「ええ」

 

蓮に促され、カナタは宮原に一礼すると彼の後を追う。そして、玄関を抜け外に出た蓮にカナタは話しかけた。

 

「蓮さん、犯人の目星はついたのですか?」

「ああ、大体な。巨人達はあくまで伐刀絶技で作られただけの()()だ」

「その根拠は?」

「夜にしか姿を現さないこと。

それはつまり、昼間ならば姿がはっきりと分かってしまうから、人形だと言うことをバレないようにするためだ」

 

夜はシルエットしかわからなかったそれらも、昼間になれば日光に照らされはっきりと外見がわかるだろう。

それで人形だと分かって仕舞えば、恐らくは犯人の行動が無駄になるはずだ。

 

「そして、地鳴りのような音。

それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。地面から盛り上がる際の音と、岩を削り造形する際に生じる音。それらが合わさったことで地鳴りのような音になったのだろう」

 

地面から岩塊や土塊を引き摺り出す際には必ず音は発生する。しかも、宮原の証言を鑑みるに、恐らくは相当数の人形が作られていることだろう。

だとすれば、引き摺り出す音も相当なはず。

それは都市の雑踏がない森林ではきっとよく響くはずだ。大岩が転がったような音という証言からも、それは推測できる。

 

「最後に魔力。

魔力を感じないと言うことは、魔力制御がとてつもなく高いと言うこと。本当に生きているのならば、野生の本能に従い魔力を放つことで自らの存在を誇示している為、これには当てはまらない。つまり生物達は生きているわけではなく、無機質な人形であると言うこと。

これらから考えるに巨人達はあくまで人形。何者かがどこかから操っている、と考えるのが最も濃厚だろうな」

 

仮に本当に巨人達が生きていたとしても、それは魔力を持った特異個体に分類されるはず。

そして、特異個体に魔力を隠蔽するような知性も技術はないはずだ。何より、野生の本能から強さを誇示する為にむしろ魔力を放出するはずだからだ。

それがないということは、巨人達は人形であり、それを作ったものは優れた魔力制御力を有しているということだ。

そして蓮が人形だと感じた最大の根拠は、

 

「何より、野生動物ならば殺し合いをするはずだ。巨人達、大小様々な恐竜達。同族同士が争わなくても、異種族同士で殺し合うはず。

しかし、その全てが管理人を観察するような動きをしていた?嗚呼おかしいな。それは、既存でも過去でも、捕食動物の行動には当てはまらないからな」

 

それだった。

その生物達には本来の生物達が持っているはずの野生がない。本物ならば宮原など格好の餌だ。あの夜の時点で食われて終わりだろう。

それに、巨人と恐竜の間で殺し合いが発生してもおかしくないのだ。

だが、それがなく観察し何もせず立ち去るという無機質な生物らしからない行動がそれを裏付けていたのだ。

 

「なるほど。確かにそう考えれば、納得できますわね」

 

蓮の推測を全て聞いたカナタは納得したように頷き、よくあれだけの少ない情報でここまで推測できたものだと感心した。

カナタの感心をよそに蓮は前を向いたまま険しい表情を浮かべる。その表情は、数多の死線を潜り抜けて生き抜いてきた戦士のものだ。

 

 

「カナタ、お前から全員に伝えろ。

敵は伐刀者。遠隔操作を得意とし、多数の軍勢を作ることが可能。対峙するなら最大限心してかかれ、とな」

「ええ、分かりましたわ」

 

 

有無を言わせない迫力に、カナタは大人しく従う。あの百戦錬磨の無双の戦士である蓮がここまで言うのだ、ならば警戒はするに越したことはないだろう。

だからカナタは蓮の言葉を疑いはせずに、了承し頷くと、蓮の後を追い刀華達が待つキャンプ場へと彼と共に向かった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

———この時、彼らはまだ知らない。

 

 

既に、巨悪が動いていることを。

 

 

想像を絶するような悪意が静かに、されど確実に蠢き闇に潜みながら魔手を着実に伸ばしていた。

 

 

人知れず、静かにそれは幕を上げていた。

『彼』を絶望と憎悪の果てに完全に堕とし、この世界に邪悪を齎す最悪の狂劇が。

 

 

 

今は、まだ序章(プロローグ)

 

 

 

()()()()使()が企んだ狂乱の宴(オルギア)は、まだ始まったばかりだった。

 

 




最新話どうだったでしょうか?
今回は久しぶりに原作主人公の一輝とステラが出ましたねー。
そして、原作と違う調査対象。それが、どんな結果になるのかは続きをご期待下さい。

それと最後にアンケートですが、皆さん投票ありがとうございます。
可能ならみたいと言うのが多かったので、やります。
やると言っても、まだ全然かけていないので大分先になりますが……どうか、気長に待っていてください。いつか必ず投稿しますので!

そして、優等騎士だけでなく、竜帝の方もよろしくお願いします。
どちらとも感想や評価お待ちしております!

(竜帝があと一人で評価に色つくから、早くだれか評価して、……とは言わないよ。うん、言わない言わない)……チラッ

それでは、また次回お会い致しましょう!


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31話 背負う重み

モンハンライズ のアプデでヌシ・ジンオウガは予想できてたけど、まさかバルファルクまでくるとはっっ!!
ダブルクロス以降出てこなかったから、マジで嬉しい!!

しかし、ヌシ・ジンオウガ見て思った。
……君、金雷公やん。

もうこの勢いのまま、タマミツネ以外のクロスの四天王全部出して欲しい。ガムートもライゼクスも長らく見ていないからなーー。

まぁ、今日から早速バルファルクとヌシ・ジンオウガはやることは確定しているとして、早速最新話をどうぞ!





 

 

時は少し遡る。

蓮とカナタが事情聴取に向かった一方で、キャンプ場に残った一輝達は、昼食の準備を始めていた。

合宿施設から借り受けた調理器具と、刀華が持ってきていた具材をキャンプ場に運び、早速調理を始めていくことにする。

別に合宿施設の食堂を借りることもできたのだが、せっかく山に来たのだからキャンプカレーにしようという流れになったのだ。

 

「ん〜。空気が美味しいわ。それに涼しくて気持ちいいわね」

 

運んできた包丁やまな板などの調理器具を、煉瓦で組まれた炊事場において、ステラは一つ大きく深呼吸をする。

 

「アスファルトが少ないから、空気がほどよく冷やされているんだろうね」

「日本はどこもかしこもコンクリートで固めすぎなのよ。暑いし蒸すしでたまらないわ」

「まあもう殆どこの国は亜熱帯も同然だからね……」

 

ステラの故郷ヴァーミリオン皇国は欧州の北側に位置する国だ。日本よりもずっと温度は低く、空気も乾いている。

そんな国で育ったステラにとって初めて体験する日本の夏は、正直めげる過ごしにくさだ。

事実、ここ最近ステラが夜、寝苦しそうに唸っているのを同室の一輝は耳にしている。それに、暑さで人が死んでしまうのが日本の夏だ。唸るのも無理もない。

 

「……でも、本当にいいのかしら。シングージ先輩の分は作らなくて」

「………」

 

ステラが訝しがりながら呟いた一言に一輝は暗い表情を浮かべる。

実は、キャンプ場に道具を運ぶ前、キャンプカレーを提案した刀華に蓮は自分の分は作らなくていいと言ったのだ。それを聞いた刀華は初めは反対したものの、最終的には蓮に押し切られてしまい、悲しみながらも渋々納得していた。

泡沫と蓮との間にある確執の正体を知らない一輝達は、何かあって刀華達に遠慮しているということしかわからなかった。

それに、前の生徒会でのやり取りを聞いても、泡沫と蓮との仲は相当に悪く、一緒に昼食を取ると明らかに空気が不味くなるからと思っていたのだ。

 

「……本人がそう言ってるんだからいいんじゃないかな。それに、事情を知らない僕たちには何も出来ることはないよ」

「……そう、だけど……」

 

ステラは分かっているというふうに頷くも、やはりまだ不満げだ。こう言った料理は皆で食べた方が美味しいに決まっているのだから。なのにどうして……と。

 

「ねえねえステラちゃん!一緒にバトミントンやろーよ!」

 

その時、ステラよりも一足先に調理器具を運び終わっていた恋々が、ラケットを片手にステラに大きく呼びかけた。

ステラはすぐに表情を取り繕い、強気な笑みを浮かべる。

 

「いいわね!でもアタシは強いわよ?」

「なにおー⁉︎アタシだってフットワークじゃ負けないってのっ!かかってこーい!」

「ふふん♪このアタシに勝負事を挑んだこと、後悔させてあげるわ!」

 

そう言って、ステラは恋々の方に駆け足で行ってしまった。

 

「あ、ステラ……やれやれ、今からご飯を作るのに…」

 

手を伸ばして呼び止めようとして失敗した一輝はため息をつく。そんな彼にスーパーの袋いっぱいの具材を運んできた刀華は優しい笑みを浮かべる。

 

「別にいいですよ。カレーなのでそんなに人数は必要ないですし。お二人には後の片付けをやってもらいましょう」

「そうですね。….…あ、そうだ。材料費いくらでしたか?自分達の分は払いますよ」

「ふふふ。そんなの気にしなくていいですよ。黒鉄くん達には助っ人で来てもらったんですからお食事ぐらい奢りますよ。というか、奢らせてくれないと流石に私が心苦しいです」

 

少し困ったように肩をすくめる刀華。確かに、もしも一輝が彼女の立場でも同じ申し訳なさを感じてしまう。むしろ、これ以上の遠慮は困らせてしまうだけだ。

 

「……なら、お言葉に甘えてご馳走になります」

「刀華のカレーは秘伝の自家製カレールーで作るから、滅茶苦茶美味しいんだ」

「ええ。是非是非期待しててください」

「じゃあ黒鉄くんと砕城くんはジャガイモと人参の皮剥きをお願いしますね」

「わかりました」

「うむ、心得た」

「うたくんはご飯を用意してくれますか?」

「ねぇ刀華。あのカレーやるって事はさ、ご飯ももちろん『アレ』だよね?」

「うん。ちゃんとカリフォルニア米買ってきたから、よろしくね」

「ふっふっふ。腕が鳴るぜぇ」

「ふふ」

 

泡沫と刀華が何やら語り合う姿に、一輝は何が何だかわからなかったが、二人の仲が深いということだけはなんとなく理解できた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「む。黒鉄、貴殿は刀だけでなく包丁の扱いも上手いのだな」

「あはは、まぁ一人暮らしが長いもので」

 

砕城の賞賛に一輝はそう答える。

家出してから四年。それだけの時間を一人暮らしをしていれば、一定の家事スキルは自然と身につく。だから一輝は非常に手際良く、自らに与えられた役割をこなし、ジャガイモを一度水に浸してから一口大の大きさに切っていく。

そして褒める砕城も一輝と同じかそれ以上の手際の良さで人参の皮を剥いていく。

 

「終わったか。ならば持っていこう」

「はい」

 

特になんの問題もなく役割をこなした男二人は、刀華の元へと持っていく。しかし、その途中、ふと、一輝の足が止まった。

 

「………」

「〜♪」

 

自分の顔を千切って配る国民的ヒーローアニメの主題歌を口ずさみながら、見事な手際で肉とタマネギを刻んでいるエプロン姿の刀華。

若くして母性すら感じさせる立ち姿に視線が吸い込まれる。

その姿が一枚の絵画のように、完成されたある種の『美』を持っていたからだ。

 

「む?どうした?」

「あ、いえ、何でもないです」

 

前を歩く砕城に声をかけられ、一輝ははっと我を取り戻す。

 

(どうしたんだろう僕は。……今、東堂さんの雰囲気に飲まれていた)

 

珠雫を圧倒的強さで打ち倒した彼女をみた時も、ここまでのものは感じなかった。それに不思議に思いながらも、一輝はとりあえずその疑問を頭の端に追いやって砕城の後を追い、持っている野菜を刀華に渡した。

 

「これジャガイモです。水にさらしておきました」

「黒鉄くんもご苦労様です。わぁ、一口サイズに切ってますね。とってもグッドです」

「せっかく青空の下で食べるんですから、田舎カレーの方がいいかなと思って」

「花丸百点満点お見事です。黒鉄くんは刀だけじゃなくて、包丁さばきもお上手なんですね」

「はは、長い一人暮らしのお陰ですね。他に何か手伝う事はありますか?」

「いいえ。あとはお鍋一つでできる事ですから、休んでくださっていいですよ」

「それなら、某は兎丸達の様子を見にいこう」

「僕は、少し散歩をしてきます」

 

刀華の言葉に甘え、砕城がすかさずそう言って一輝もそう答える。そして、一足先に炊事場を抜けさせてもらい、適当な場所を歩こうかと思い歩いていたその途中で———

 

「ふっふっふ。どうしたんだい後輩クン。刀華のおっきいお尻に見惚れてたのかな?ふっふっ、ませてるねぇ」

 

先程刀華を見つめてしばし立ち尽くしていたことを、飯ごうでご飯を炊いている泡沫に追求される。

 

「い、いえ。違いますよ!」

 

一輝は顔を僅かに赤くして直ぐに否定する。

確かに刀華のお尻は丸くて柔らかそうで、男として魅力を感じないわけではないが——そうではなかった。

 

「そうじゃなくて……自分でもよくわからないんですが、こう、なんというか目を奪われたんです。東堂さんが炊事場に立つ姿に。なんていうか、そこに目を逸らしちゃいけない何かがあるように思えて」

「ふぅん……」

 

一輝の返答に、泡沫は何やら興味深そうに唸る。

 

「目を逸らしちゃいけない何か、か。うん。一眼でそれに気づくなんて、黒鉄くんはやっぱり只者じゃないね」

「どういう事ですか?」

「あの立ち姿に見逃しちゃいけない何かを感じたんだろう?その感覚は正しいって事だよ。あの姿こそが刀華の核、彼女の強さの源泉みたいなものだからね」

「強さの源泉?」

「ああ、昔から刀華を見てきた僕は、ソレをよく知っている」

 

昔から。そのワードに一輝は去年蓮から聞かされた彼らの関係を思い出し、それを口にした。

 

「確か、『若葉の家』という、養護施設の出身、ですよね」

「ん?ボク、君に話したっけ?」

「あ、いえ、御祓さんではなく、去年新宮寺君から聞きました。貴徳原さんのことも」

「…………」

 

一輝は簡単にだが、蓮、カナタ、刀華、泡沫の四人の関係を蓮から教えれている。刀華と泡沫が同じ施設の出で、カナタと蓮が昔からよくその施設に出入りしていて、そこからの仲のいい幼馴染だったと。

 

ここで蓮の名を出すのは憚れたが、それでもその名を出した一輝はこの後、泡沫の機嫌が悪くなることを予感した。だが、それは少し予想が違っていた。

 

「ふんっ、あいつから聞いたのか。そういえば、君達は去年は一緒につるんでたね」

 

泡沫は一輝から顔を背けてそう不満そうにつぶやく。しかし、その声音とは裏腹に一瞬見えたその表情はおおよそ憎しみだけではなかった。そこには驚きや悲しみなどの感情も入り混じった複雑なものだった。

その様子に、一輝は少しばかり反応に困る。

てっきり不機嫌になると思っていたのに、反応が予想外であり、自分が聞こうとしている話題に触れていいのか否か計りかねていたのだ。

 

(……東堂さんの強さの源泉。それに……)

 

昔から刀華を知り、そして蓮のことも知る泡沫の様子に、どうしても興味を惹かれた。

東堂刀華がどういう女性なのかを。

そして同時に、気にもなった。

なぜ昔は仲が良かったはずなのに、そこまで蓮のことを毛嫌いするのか。

だから、一輝は思い切って彼に尋ねた。

 

「あの、良かったら教えてくれませんか。

御祓さんの言う東堂さんの強さの源泉が何なのかを。そして、………貴方が何故そこまでして新宮寺君を否定するのかを」

「…………」

 

一輝の問いに泡沫は一輝を見上げながら、しばし黙り込んでから、言葉を紡いだ。

 

「……黒鉄くんは、養護施設って聞くとどういう場所だと思う?」

「身寄りをなくした子供達が暮らす施設……ですよね」

「まあそりゃそうなんだけどさ、でもその『身寄りの失くし方』にも色々あってね。事故や災害で親を亡くしたり、親に捨てられた子供。…………でもそんなのはまだいい方で、親に殺されかけて行政に引き離された子供とかも、まあ色々ね」

「親に……ですか」

 

自身も実家から無能として扱われ、迫害を受けてきた身としてその言葉に思わず暗い表情を浮かべた。

 

「うん。で、ウチの施設は当時、そんな結構複雑な事情を持った子供がいたこともあって、まあなんというか、雰囲気が悪くってね。似たような境遇の連中同士で、些細なことで傷つけあったり罵り合ったり、……、みんな苦しんでいたよ。だけど、そんな中で刀華はそのみんなを笑顔にしようと頑張っていたよ。

自分も同じ境遇なのに。小さい子供に絵本を読んで聞かせてあげたり、院長先生に変わっておいしいご飯を作ってくれたりね。……院長先生はすごくいい人なんだけど、料理だけは本当に不味くてたまらなかったね。アレはもうみんな大喜びだったよ。あはは」

 

話しながら、思い出し笑いをする泡沫に一輝は笑みを浮かべた。

 

「面倒見のいい人だったんですね」

「昔からね。人の世話を焼かずにはいられないタチなんだ。……その親に殺されかけた奴もそう。そいつはもうとにかく手に負えないくらい乱暴で、どうしようもないくらいに壊れてて、何度も何度も刀華を傷つけたけど、だけど刀華は一度だってそいつのことを見捨てなかった。そのおかげで……そいつはもう一度人間に戻れた。人間らしい感情を取り戻すことができた。だからそいつは今でも刀華に感謝していて、刀華のことが大好きなんだ」

 

目をふして昔の情景を口にする泡沫の様子に、一輝はその親に殺されかけた子供が泡沫自身であり、自分の話をしているのだと理解する。

 

「そんなそいつがさ、いつか刀華に尋ねたことがある。どうして刀華はそんなに強いのかって。どうしても気になったんだ。刀華も両親を亡くした自分達と同じ境遇の、同じ子供のはずなのに、どうしてそんなに他人を愛せるのかが。そしたら刀華は言ったよ。

『自分はたくさん両親に愛してもらった。それは普通の家族に比べたらとても短い時間だったかも知れないけど、たくさんの笑顔と愛情をもらった。その思い出は両親が亡くなった今でも自分を支えくれている。だから自分も、他の子供達を笑顔にしたい。みんなが支えになるような思い出を作ってあげたい。自分の両親が自分にそうしてくれたように。人を愛することは、両親が自分に教えてくれた大切で大好きなことだから』……とね」

 

そして、その言葉通り彼女は戦い続けている。それは、子供達のためだ。子供達のヒーローだからこそ、彼女は戦い続ける。

 

「刀華は施設を出た今もずっと『若葉の家』の子供達にとっての『ヒーロー』であり続けて、みんなに笑顔と勇気を与えてくれている。親無しの自分達でもすごい人間になれるんだと言うことを身をもって示し続けてくれている。

全国でも指折りの実力派学生騎士《雷切》として活躍し続けることでね」

 

そこまで言われて、一輝は彼女の強さの源泉が何たるかを理解した。

 

それは———『善意』。

 

自分のためではなく、誰かのために比類なき力を発揮する。彼女はそう言った魂のあり方をした騎士なのだ。

そして、その断片を、一輝は料理を作る彼女の姿に垣間見て、目を奪われたのだ。

 

「黒鉄くん。君はボクの予想以上に強いよ。ボク程度は相手にならないし、カナタでも危ういと思う。だけど、それでも君は刀華には勝てない。あの子の強さは別格だ。なぜなら、あの子は自分が負けると言うことがどう言うことか、どれほど多くの人間に悲しみを与えることかを知っているから。だから負けない。だから折れない。あの子と君とでは、()()()()()()()()()()()が違うんだ」

「…………」

 

告げられた言葉に、一輝は応答を返さなかった。

ただ、視線を泡沫から、楽しそうに料理を作る刀華に向けて、思いを馳せる。その華奢な双肩に背負われた多くの人達の期待や願いに応えようとする刀華の強さについて。

 

(……確かに、僕にはそう言うものはない)

 

一輝は自分自身の価値を信じたいと言う一心でここまで来た。

自分の理想とする自分になる為に、今までひたすらに頑張ってきた。

故に、泡沫の言う誰かの想いが託された重みは、自分の剣には宿っていない。その事実は、まるで黒いもやのような漠然とした形をとり、一輝の心にまとわりつく。

そして、そのもやが暗闇の向こうで問いかける。

 

お前の軽い剣で、彼女を倒せるのか?———と。

 

そう思考に耽る一輝に、泡沫はさらに告げた。

 

「それで、ボクがどうしてあいつを嫌うかだったかな」

「……いいんですか?」

 

一輝はその言葉に思わず振り返り尋ねる。

聞きはしたものの、それは半ば賭けで尋ねたところで話してくれないと思っていたからだ。

泡沫は一輝のそんな思惑を察したのか、複雑な表情を浮かべ頷く。

 

「……うん、まぁね。

君とは会ったばかりで、あまり親密じゃないからっていうのもあるかも知れないけどね。

余り構えずに聞いてくれよ」

 

親密な関係じゃないからこそ、繊細な話も差し障りなくできることもある。今回はその類だった。

そして、一輝が黙り泡沫の話の続きを待つ中、彼は独り言を呟くように話し始めた。

 

「ボクは、あいつは騎士になるべき人間じゃない、なっちゃダメなやつだと思ってる。あいつには騎士になる資格はないんだよ。

なぜなら、あいつは過去に一生かけても償えないような大罪を冒したからだ」

「え……?」

 

憎悪と怒りに満ちたその言葉に、一輝は思わずそんな声をあげてしまう。

そんな一輝に泡沫ははっきりと告げた。

 

「アイツは騎士じゃなくて、罪人だ。

昔、取り返しのつかない事をして刀華とカナタを傷つけて悲しませた。

だというのに、あいつは償いをする訳でもなく、のうのうと騎士を目指している。ボクにはそれがどうしても許せないし、理解できない」

「………」

 

一輝は前に泡沫が蓮に言い放った言葉を思い出した。

『人殺ししか能がない』。確かに泡沫はそう言っていた。

それを言うに至った原因が、彼が言った取り返しのつかない事に繋がるのだろう。

大罪とはつまり誰かを殺したこと。そしてその大罪が、仲の良かったはずの刀華やカナタを傷つけて悲しませた。だから、泡沫はその罪を犯した蓮を嫌い憎んでいるのではないだろうか。

 

そして、刀華とカナタを傷つけ悲しませるということは泡沫にとってはそれだけ許せなかったのだろう。元々あった友情が、その大きさのまま憎悪へと反転してしまうほどに。

 

(もしかして、あの時も……)

 

一輝はふと思い出した。

去年、蓮がカナタと喫茶店に入って自分達がそれを尾行した日の事を。

あの日の彼の雰囲気。他者を拒絶し、秘密を知られたくないような、自分達との間に壁を作っていた事を。

あれは、あの時彼女と話していたのはこの話のことだったのではないだろうか?

 

いきなり核心に迫る一輝だったが、何も知らない彼ではそれ以上の推測はできなかった。

そして考え込む一輝に泡沫は彼を横目で見ながら話し続ける。

 

「確かにあいつが強いのは認める。

でもそれだけだ。あいつはただ強いだけでそれ以上でもそれ以下でもない。

あいつは刀華のように多くの人の期待や想いを背負っているわけでも、誰かに笑顔と勇気を与えるわけでもない。全てが自分本位で、人々には恐怖しか与えない。それに、あいつは()()()()()()()()()

 

泡沫ははっきりと断言する。

自身が抱く蓮への印象を。蓮に抱く憎悪の感情を。

 

「あいつは刀華や君達とは違って、何も背負っていない。ただ元から持っている傷つけるだけの『暴力』だけで上にいる。

あんなのが、《正義の味方》?《英雄》?とんでもない。あんなのはただの《殺戮者》だ」

「…………」

 

それは違うのではないか。そう言おうとして、しかし一輝の口からはその言葉が出なかった。

自分のようにまだまだ彼のことを知らないのならともかく、泡沫は蓮のことを昔からよく知っている。一輝の知らない蓮を知っているからこそ、こう言っているのだろう。

 

(彼が……何も背負ってないわけがない)

 

ただ、それでもやはり一輝は彼の言葉は間違っていると思った。

あの日ショッピングモールでの戦闘を見たときも、彼は解放軍の兵士の尽くを鏖殺していた。

あの後、自分たちが外に出された後も彼はきっと敵を惨殺したのだろう。

 

『殺戮者』

 

ああ確かにそう呼ばれてもおかしくはないかも知れない。だが、それは……全て守る為に戦った結果のはずだ。

確かに、彼は笑顔や勇気よりも恐怖を与える事の方が多いだろう。事実、学園でも彼には畏敬の念を抱いている者が多いからだ。

 

中学生の時から《特例招集》で幾度となく戦場に赴き自分では想像できないような悪意と謀略の数々を叩き潰してきた実績を持っているが、それは裏を返せばそれだけ敵と戦いその全てに勝利していると言うこと。

戦った分だけ、人を殺し血を浴び前線に立ち続けているということだ。

 

そして、それだけ人々の、国の平和を守り続けてきたと言うこと。

 

一輝は確かに蓮は『殺戮者』だと思っているが、泡沫とは違い『守護者』だとも思っている。それも自身が憧れた《大英雄》黒鉄龍馬と同じ素晴らしき偉大な『英雄』だと。

 

泡沫の言う通り、彼は昔大罪を冒してしまったのかもしれない。だが、それでも彼はこれまで多くの人々を守ってきた。

たとえ、それが敵を鏖殺するという過激な手段であったとしても、彼は確かに今の日本の平和の維持に貢献し続けてきた。

 

それに知っているのだ。

彼が家族を心の底から愛して、大切に想っていることを。そして彼の心にはただならないほどの覚悟があるという事も。

誰かを愛せる人が、覚悟を持てる人が、何も背負っていないわけがない。

 

そして、自分は彼に救われた人間だ。

去年の一年間、折れずに耐えれたのは自分の価値を信じたいという気持ちのほかに、彼らが、蓮があの日手を差し伸べてくれたからだ。

身内以外で自分を初めて見てくれて、認めてくれたから、自分はあの一年間を耐えることができた。

彼は誇り高く、優しい人間だ。

誰かを愛し、想い、手を差し伸べることができる心優しき気高い心を持っている高潔な『騎士』であり、誇り高い『英雄』だ。

 

だから思う。

彼だって、背負っているものの重みは刀華にも劣らないということを。

彼の大きく逞しい背中には、少なくとも彼の家族や寧音、レオ達の想いが、他にも彼と関わりがあるであろう人達の想いが多く背負われていることを。

彼の剣は断じてただの『暴力』ではなくて、その多くの想いが込められておりとても重く、とても強い『誇り』の剣であることを。

 

そして、前にも、去年のクリスマス、蓮の家に招待された時も今と同じように目を奪われた事があった。

それが、蓮と二人きりで玄関で話していた時のことだ。彼が特例招集に向かう時の心情や、家族を想う気持ち、それを話している彼の横顔に刀華の後ろ姿と同じように目を奪われた。

 

刀華の後ろ姿に彼女の強さの源泉の欠片を見たのだから、同じような感覚に陥った蓮の横顔にもその源泉の欠片、彼が抱く覚悟と想いが形作る心のあり方を垣間見たのだ。

 

「去年は負けちゃったけど、今年は違う。刀華は去年の屈辱を糧にして強くなった。だから、今年はあいつなんかに、負けるわけがない。背負うものの重みで負けているあいつじゃ刀華には勝てないよ。……だって、バケモノはいつだってヒーローに倒されるんだから」

 

一輝が心の内で泡沫の考えを否定しているとは知らずに、泡沫は飯盒を下から焼く炎に視線を向けながら、忌々しげに吐き捨てる。そして、泡沫は飯盒から視線を上げて、一輝に視線を向け、真剣な声音で忠告する。

 

「最後に一つ忠告しておくよ。あいつを化け物じみた強さを持っているだけの同じ人間だと思わない方がいい。あれは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

「それは、どういう…?」

 

一輝が思わず漏らした疑問には答えずに、泡沫はそのまま話し続ける。

 

「運が良ければ……いや、悪ければか。

もしかしたら、君達は見ることになるかも知れないね、アイツの()()を、アイツの()()()姿()を。……ただ、そうなった時、君は、あいつと連んでる子達もだけど、覚悟しておいた方がいいよ」

 

 

———ソレを見た後で、アイツを人間か怪物、どちらで見るかをね。

 

 

泡沫の意味深な呟きは何かいいようのしれない寒気を伴っており、一輝の背筋を怖気が伝った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「…………」

 

キャンプ場から少し離れた川沿いのある場所、森の中に突如広がる空間。

そこには、燦々と陽の光が降り注いで、囲む木々や清冽な空気も合わさってどこか神秘的で静謐な空気が感じられる場所。

その空間に蓮は自身が造形した氷の椅子に座り、これまた同じく造形した氷のテーブルに置いてあるバケットに詰められたサンドイッチを一人頬張る。一口含み何度か咀嚼した後飲み込んで、次いで水筒のお茶を流し込む。そして再び、サンドイッチを数度頬張りお茶を飲む。この繰り返しだった。

 

カナタと事情聴取を始める前に刀華に昼食はいいと断った蓮は、一度駐車場に戻りバイクのトランクから大きめのバケットを取り出すと、一人この河原まで来て昼食を取っていた。

 

蓮が昼食を断った理由は、元々持ってきていたからというのもあるが、それ以上に泡沫達の事を考えてだ。

泡沫と昼食を共にしたら、必ず険悪ムードになるし、そんな空気のまま昼食を取れるわけがない。特に、刀華特製のカレーならば尚更だ。

あのカレーを食べる資格は、自分にあってはならないのだから。

蓮は川の流れに逆らいながら泳ぐ鮎達を見下ろしながら、サンドイッチを頬張りその味の感想を呟く。

 

「……美味いな」

 

実はこのサンドイッチは蓮が作ったわけではない。全て陽香の手作りなのだ。

前に、奥多摩に調査に行く旨をレオ達に伝えたところ、別行動を取ると聞いた陽香が昼食をつくらせてくださいと蓮に頼んだのだ。

適当に済ませようとしていた蓮はそれを承諾し、朝一に陽香がせっせと作ったサンドイッチの詰まったバケットを受け取ってから、奥多摩に来たのだ。

 

今頬張っているのは、レタスにベーコンとチーズが挟んでいるサンドイッチ。ピリッと焼かれ胡椒の味付けがされたベーコンとチーズ、それにレタスのシャキシャキとした食感が絶妙だった。そしてしばらく、黙々と食べ続けていると、ふと砂利を踏みしめる足音が蓮の耳に届く。

蓮はその音の正体を確かめることはなく、水面を見下ろしながら気配を正確に感じ取り近づく者の名を呼んだ。

 

「……どうした。カナタ」

 

蓮に近づく者——刀華達と昼食を食べているはずだった、カナタだったのだ。

カレーを手に持った彼女はこちらを振り向かずに自分の名を呼んだ蓮に特に驚くことはなく穏やかな笑みを浮かべて話しかける。

 

「……昼食をご一緒したいと思いまして。隣、宜しいでしょうか?」

「……俺は構わないが、いいのか?泡沫がいい顔しないだろ」

 

振り返った蓮は尋ねる。

ただでさえ蓮が調査に同行しているだけで、あそこまでの嫌悪をむき出しにしているのに、さらにカナタが蓮と昼食をとることは、蓮を憎んでいる泡沫からすれば、気分の良い話じゃなかった。

それを正確に読み取っていた蓮がそう気遣うものの、カナタは首を横に振った。

 

「構いませんわ。それにうたくんの事なら刀華ちゃんに任せておけば、大丈夫ですから」

 

泡沫から全幅の信頼を寄せられている刀華がいえば、泡沫も渋々だが黙るだろう。

泡沫に関しては、刀華に任せれば大体解決する。これは、昔からの周囲の人間の共通認識だったのだ。

きっと、今も刀華が説得している事だろう。

納得した蓮は、無言で自身の隣に氷の椅子を造形してカナタに座るように促す。

 

「では、隣失礼しますわね」

「ああ」

 

そしてカナタは蓮の隣に腰掛けて、手に持っていたカレーを机に置いた。しかし、置かれたカレーの数は一つではなく、大盛りと並みのアンバランスな二つ。それに蓮は思わず訝しむ。

 

「なぜ二つなんだ?まさか俺の分とか言わないだろうな」

 

蓮の少し鋭い非難の視線が彼女に向けられる。

彼女にも昼はいらないことは伝えたし、自分にはそのカレーを食べる資格がないことは彼女も分かりきっているはずだ。なのに、どうして持ってきたのか。

そんな非難が込められた視線に対して、カナタは分かっていると言うふうに頷いた。

 

「ええ、分かっていますわ。これは二つとも私の分です。実はお恥ずかしい話なのですが、最近食事量が増えまして。一皿では足りないと思っていたところなのです」

「……あー、もしかして、母さん達との特訓のせいか?」

「ええ、恐らくは。今までよりも密度も量も比較になりませんので」

 

黒乃と寧音のしごきの特訓は苛烈を極めていた。戦っては、打ちのめされ、気絶する。気絶してはすぐに叩き起こされ、無理やり回復させられてまた戦う。ひたすらその繰り返しであり、普段よりも行動量は増えている為、当然その分だけ、消費は激しいのだ。そして、日頃の食事量も増えており、最近はよく食べるようになった。

刀華には食べ過ぎで太るよと言われているが、今のところ太った様子はない、寧ろより体は引き締まった。

 

「調子はどうだ?まあ、お前の様子を見れば、大体はわかるが」

 

カナタの説明に納得した蓮はカナタの体を見ながら、そう尋ねる。

カナタはお淑やかな所作でカレーを掬うと口に運び味わい頷いた。

 

「順調ですわ。自分でも強くなっていることは自覚できています」

「そうみたいだな」

 

蓮は青い瞳を輝かせて彼女の肉体を診る。

水使いが使う治癒術の応用で蓮は見たものの肉体状態を見ることができる。簡単な怪我は勿論として、筋肉疲労の具合や細かい体調など、蓮は本職の医者のように視診することでそのものの状態を把握できるのだ。

今もカナタの肉体を透視のようにして診察しており、前見た時よりも身体が引き締まっていることが分かったのだ。

カナタはそれを知っていたのか、特に疑問に思うことはなく平然と応える。

 

「ええ、その通りですわ。やはり貴方にはお見通しですわね。流石です。ですが……」

「?」

 

カナタは手を伸ばし蓮の両目を片手で隠すとクスクスと笑いながら悪戯っぽく言った。

 

「レディの身体を凝視するのはいただけませんわ。もしかしたら、セクハラになってしまいますわよ?」

「……すまん。これからは気をつけよう」

「うふふ、冗談ですわ。貴方ならいくらでも見て構いません」

「…………」

 

ドストレートな言葉に蓮は思わず無言になる。

《紅の淑女》と世間では呼ばれてはいるが、昔の彼女を知っている蓮からすれば彼女は猫を被っていると思っている。

淑女然とした姿はあくまで外面。その内面は、まだまだ悪戯気質なお転婆娘だ。とはいえ、その本性は今はあまり見せていないので知らない人の方が圧倒的に多い。

 

そして前の膝枕といい、今回の事といい、恋は女を大胆にさせるとは聞くが、それはどうやら

本当らしい。

好きな人だからこそ、全部みてもいい。

つまるところ、彼女はそう言っているのだが、それは淑女らしからぬ発言だった。蓮は小さく嘆息すると、彼女の手を下ろしながら呟く。

 

「なぁ、前から思ったが遠慮がなくなってきてないか?」

「好きな人の前ですから」

「………」

 

間髪いれない返しに蓮は思わず無言になる。

 

「と、ともかく特訓の方はたまに俺も様子は見に行くから頑張れ」

「ふふ、ええ、勿論ですわ」

 

露骨に視線を逸らし、話題を変えた蓮に、カナタは笑いながらもそう答える。次いで、カナタは蓮の手とバケットにあるサンドイッチに視線を移した。

 

「そういえば、そちらは蓮さんの手作りですか?色とりどりで美味しそうですね」

「いや、これは陽香が作って……ぁ」

 

蓮は何気ない様子で陽香が作ったことを言ったが、直後やらかしたと直感する。

なぜなら、陽香の名を聞いたカナタの笑顔に無言の圧力が加わったからだ。どう考えても恋敵が自分達の好きな人に昼食を持たせたことに対してだ。

というか、この状況で陽香の名前を出すのは不味かった、と蓮は軽く後悔する。

そして、蓮が無言になる中、カナタは小さく笑みを浮かべる。それは先程とは違い、好戦的な何かが宿っていた。

 

「ふふ、そうですか。ええ、五十嵐さんったら、手の早いこと。本当に張り合い甲斐がありますわね。私も今日のことを考えたら、お弁当を作って差し上げるべきでしたわ。そうすれば、対抗できましたのに、大失態ですわ」

「お、おい……」

 

ブツブツと呟くカナタに蓮にしては珍しく恐る恐ると言った様子で声をかける。それに反応したカナタは威圧的な笑みを浮かべながら、蓮に迫った。

 

「蓮さん」

「あ、ああ」

「今度お昼、私がお弁当を作ってお持ちしてもよろしいでしょうか?」

 

どう考えても対抗意識からだろうが、蓮に断れるはずなどなかった。

いや、そもそも断る気など元からないのだが、手間をかけるなどの、気を使った理由で断って仕舞えば後がどうなるかわからない。というか、絶対にまずいことになる。

そう直感した蓮は、カナタの頼みを承諾する。

 

「あ、ああ、構わない」

「では、今度お持ちしますね。何かリクエストはありますか?」

「いや、特には。お前の作るものならなんでもいい」

「分かりました。では、期待してお待ちください」

 

約束を取り付けたカナタは笑みを浮かべる。

その様子を横目で見た蓮は再び食事を再開させて、サンドイッチを頬張る。

カナタもスプーンを動かしカレーを口に運ぶ。川のせせらぎ、風に葉が揺れる音、咀嚼音と、食器が鳴らす音が静かに響き、無言の時間が少し過ぎた後、蓮が全てのサンドイッチを食べ終わり、カナタも一皿目を8割ほど食べ終わった頃、カナタは二皿目には手をつけずにふと食事の手を止めて口を開いた。

 

「そういえば、ここにはこのような場所もあったのですね。去年は知りませんでした」

 

カナタは周囲を見回しながらそう呟く。

この合宿施設の付近を川が流れていることは知っていたが、川沿いにこのような秘境的な場所があることは知らなかった。

 

「ああ、去年ここを見つけてな」

 

蓮は周囲を見回し笑みを浮かべながらそう答える。

彼がこの場所を見つけたのは、去年の七星剣武祭前の強化合宿の時だ。夜間の時間帯に一人鍛錬していた蓮は、月明かりに照らされたこの場所を見つけて気に入ったのだ。

 

暗闇の森の中、突如広がる月明かりに照らされた空間は、どこか幻想的であり一目見て蓮はすぐにここを気に入った。

今は昼だが、夜間の月明かりとは違った良さがあって昼夜関わらずこの場所は蓮にとって安らぎを与える場所にもなっていた。

 

「そうでしたか。確かにここはどこか心地よいですね」

「そうだろ?見つけたのは夜だが、昼でも全然いい。それにどうも俺はこういう自然の空気の方が肌に合ってるらしい」

「といいますと?」

 

カナタの疑問に、蓮は青空を見上げながら穏やかで自然体な笑みを浮かべて応える。

 

「龍神の力のせいなのか、《魔人》になったからかは分からないが、どういうわけか、都会よりもこういう山や海の自然の空気の中にいる方が()()()()()()()()()()()()()()()()

「………っ」

 

カナタは蓮の何げない言葉に、僅かに目を見開く。蓮は分からないと言ったが、カナタにはその理由に心当たりがあったのだ。

それは黒乃や寧音が密かに危惧していた事でもあった。

 

それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

《覚醒超過》を使用し、今はまだ肉体に影響は出ていなくても、最も魂と密接に繋がっている精神の方には既に影響が出ているのではないか?黒乃と寧音は考えたのだ。

それはカナタも鍛錬中に三人しかいない時に聞かされ知っていた。だからこそ、今の言葉に反応してしまったのだ。

 

もしも、今の蓮の発言が山の空気が美味しいなどの類であれば良かった。だが、そうではない事はすぐに分かった。

今の発言が意味するところは即ち、『獣の本能』。

超常的存在であり、『神』でもある『龍神』。海を、天を支配する森羅万象遍く生物全ての頂点に立つ存在。

自然の具現と言われるほど、龍神は自然と密接につながっている。そして、その自然の中に身を置き安堵するということは、人ではなく野生に生きる獣の本能が彼の心にはあるという事。

それはつまり、蓮は二度の《覚醒超過》により、肉体に異変はなくとも、精神が先に変質しかけ獣のそれに引っ張られつつあるのではないだろうか。

 

だとすれば、いつかは———

 

「……っ」

「カナタ?」

 

カナタはその果てを想像してしまい、咄嗟に蓮の手を握った。蓮はカナタの行動に戸惑いの声をあげる。

 

「蓮さん。……お願いですから、もう…どこにもいかないで、もう……遠くには、いかないで……」

 

カナタはそうか細く呟いた。

彼女には重なって見えてしまったのだ。あの時見た悪夢の光景が、異形へと変質していく中、炎に呑まれて消えてしまうあの姿と、今の蓮の儚げな様子が重なって見えてしまった。

だからこそ、咄嗟に手を伸ばしたのだ。

あの時、届かなかったから。

今度こそ、彼を引き止めるために。

このまま放っておけば、彼は身も心も怪物に堕ちてしまう。そう直感してしまったから。

 

「………」

 

彼女の懇願にも似た呟きに、蓮は何も答えられない。

彼には分からなかった。彼女が今そんな事を言った理由が。ただ、わかるのは自分が何か彼女を悲しませるような事をしたことだけ。

だから、蓮は彼女の手を優しく握り返した。

 

「大丈夫だ。俺は、ここにいる。遠くには行かないよ」

 

その理由を察することはできなかった蓮は、そう優しく言った。

今後、どうなるかはわからない。

もしかしたら、彼女の言う通りどこか遠くに行ってしまうかもしれない。

だが、それでも蓮はどこにも行くつもりはない。彼女の手が届くところに自分はいるから大丈夫だと。蓮は彼女を安心させるためにそう言った。

 

(……蓮さん…)

 

だが、カナタは知っている。蓮が復讐のために戦っていることを。

もしも、この先の未来で『その時』が来てしまったら、彼は迷わず一人になることを選ぶ。一人で全てを背負ってしまう。一人で戦って傷ついてしまう。そして、既に自身の終わりを定めてしまっている彼は、きっと『その時』が終われば躊躇わずに死を選んでしまう。

 

それを止めようにも自分にはまだそれだけの力はない。

寧音と黒乃に鍛えてもらっているおかげで、確かに実力は伸びている。自分でも強くなっていることは自覚できた。それでも彼の隣に立つには到底足りない。彼の背中を守るには圧倒的に実力不足だ。

だから、カナタは———

 

「……ですが、無理は禁物ですよ。

もう私も貴方の事情は知っているのですから、一人で抱え込まずに私にも頼ってください」

 

楔を打つことにした。

今の自分では彼を止めることはできない。だが、もしもの時に引き止める要因の一つになり得ればいいと考えたのだ。

どうしようもなくなった時に、その言葉を思い出して、頼ってほしいから。

 

「……ああ、ありがとう」

 

きっと、その真意に気づきはしなかっただろう。だが、それでも蓮は笑みを浮かべて礼を言った。その真意には気づかずとも、彼女が蓮を心配してくれていることはわかったから。

蓮の言葉に、僅かにでも安堵したのかカナタは穏やかな笑みを浮かべると告げる。

 

「ねぇ、蓮さん」

「なんだ?」

「……資格なんて要らないんですよ」

「……?何の話だ?」

 

訝しむ蓮にカナタは儚げに笑うと二皿目のカレーを彼に差し出す。

 

「このカレーは貴方も食べていいんです」

「………そういうわけにはいかない。俺がソレを食べていいはずがない」

 

カナタの言葉に一瞬目を見開いた蓮は、目を背けながら冷たい声音ではっきりとそう言う。しかし、それでもカナタは諦めない。

 

「ですが、このカレーは刀華ちゃんと私、うたくんだけじゃなくて、貴方もレシピ制作に携わっているでしょう」

 

そう、実はこのカレー。刀華とカナタと泡沫だけでなく蓮もレシピ制作に一枚噛んでいる、四人の合作カレーだったのだ。

刀華やカナタと共に、料理がまずい院長の代わりに、あまりお金をかけずにみんなが喜ぶご馳走を作れないかと何日も頭を唸らして、さまざまな調味料や材料を混ぜて試行錯誤した末の一品。

刀華やカナタと同じように蓮も『若葉の家』の子供達が笑顔でいてほしいと願って、作った。

蓮にとっても『若葉の家』の子供達のことは大切だった。黒乃に引き取られはしたものの自分も彼らと同じ『親を亡くした』子供だったから。

親近感というか、同族意識のようなものがあったからだ。だから、自分が黒乃に引き取られ幸せになっているように『若葉の家』の子供達にも幸せに、元気になってもらいたかったのだ。

蓮にとってもこのカレーは思い出の品だった。

 

だからこそ、製作者の一人である蓮はこのカレーを食べる資格が、否資格なんてどうでも良く食べていいのだ。

しかし。

 

「確かに俺もソレを作るのを手伝った。だが、あくまで手伝っただけだ。

それに、俺があの子達にしたことを考えれば、食べていいはずがないだろう。何より、俺にはソレを食べる資格がない」

 

それでも、蓮は頑なに拒んだ。

確かに自分も製作には携わった。だが、所詮はそれだけの話だ。『黒川事件』のことを考えれば、自分がそのカレーを食べていいはずがない。

自分がそのカレーを食べると言うことは、そのカレーに込められた彼らの想いと、あの日々の思い出を穢すことに他ならない。

だからこそ、自分にはそのカレーを食べる資格はない。

そう告げる蓮にカナタはとても優しげな表情を浮かべながら、告げる。

 

「美味しいご飯を食べるのに資格も、理由もいりませんわ。それに、勿論私もですけど、刀華ちゃんは今日をとても楽しみにしていたんです」

「……何?」

「調査に来たのに何を浮かれているんだと、お思いになられるでしょうけど、それでも私達はまた貴方とあのカレーを食べれると思って嬉しかったんです。もう叶わないと思っていましたから」

「………」

「無理を言っているのはわかります。貴方の考えも理解はできます。ですが、それでも少しでいいんです。ほんの一口でもいいですから、どうか食べてもらえないでしょうか?そうしたら残りは私が食べますから」

 

カナタはそう優しい声音で懇願した。その懇願と彼女の真剣な眼差しを受けた蓮はソレを見つめ返しながら、しばらく沈黙する。

それが、どれだけ続いたのだろう。しばらくの沈黙ののち、ついに蓮は屈した。

 

「はぁ……分かったよ、食べる」

「っ、ありがとうございます。量は少なくしているので、この量でも食べ切れると思いますわ」

 

蓮の承諾を受けて、カナタは表情を綻ばせるとカレーをさらに蓮の方に押し出し、そんなことを言いながら横に置いていたポーチからタオルに包んだスプーンを差し出す。

その一連の行動と最後の発言に、蓮はカナタの思惑を察した。

 

「お前、まさか……最初からそのつもりで……」

 

思えばおかしかった。

カナタが持ってきたカレーは一皿目と二皿目で量が違ったのだ。一皿目が大盛りなら、二皿目は並より少し多い程度。

初めから二皿目の量を減らしていたのは、つまりそう言うことなのだろう。

気づいた蓮にカナタは申し訳なさそうな表情を浮かべ、謝罪する。

 

「はい。そのつもりでした。騙すような真似をしてしまい申し訳ありません。ですが、それでも貴方には食べてもらいたかったんです」

 

実際にカナタの食事量が増えたのは本当だ。しかし、その増えた分は、一皿目で大盛りにしていて補っている。だから、二皿目は初めから蓮に食べさせるつもりだったのだ。

 

「大丈夫ですわ。貴方が食べたことは秘密にしておきますから。それに、ここには私と貴方以外誰もいません。貴方がここで食べても、誰も咎める人はいませんのよ。ですから」

「……………」

 

カナタに促された蓮は、しばらくの間カレーを見下ろす。やがて、しばらくの逡巡の後、ため息をつきついに蓮はカナタからスプーンを受け取り、カレーを一掬いして一思いに食べる。

しばらく無言で食べ続け飲み込んだ後、蓮は小さく笑みを浮かべながら呟いた。

 

「………腕を上げたんだな」

 

その声音には確かな喜びと感嘆があった。

白米の代わりにガーリックライスを使い、刀華がタッパーに持ってきたのだろう、牛すじの旨味がたっぷりと溶け込んだ自家製のカレールーを合わせることで香ばしい香りのするカレーになる。

このカレーの味を蓮は今でもはっきりと覚えている。あの時も、とても美味しくて皆で大喜びしていたのを覚えている。

だからこそ、気づいた、昔よりも美味しく改良されていることに。

 

「ええ、昔よりも改良したんですのよ。あの時よりも、美味しくなっているでしょう?」

 

カナタはそれに穏やかな笑身を浮かべながら得意げに呟く。蓮はもう一口食べながら、それに返した。

 

「………ああ、昔も美味かった。だけど、今はもっと美味い。懐かしい味だ」

 

そこからは蓮は一度もスプーンを止めなかった。ガツガツとサンドイッチを大量に食べた後とは思えないほどのペースで蓮は何度もカレーを掬っては、口に運んでいった。

一度もお茶を飲むことはなく、カレーを味わい尽くさんと言わんばかりに蓮は口に掻き込む。

時折聞こえる感嘆の声を、カナタは隣で嬉しそうに聞きながら表情を綻ばせて、自分もまた残りのカレーを食べていった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

奥多摩の森林上空、灰色の雲が覆う空の中を青い流星が飛翔していた。

流星の正体は蓮だ。

《海龍纏鎧》を纏い、背には巨大な蒼の翼《水進機構(レシプロ・スラスター)蒼翼(アクセル)》を生やして、水ではなく、青い魔力を噴射して飛びながら、上空からの探索を行っていた。

ここは、登山者などが往来する普通の山とは違い、伐刀者の訓練用施設であるため道はまるでならされておらず、どこもかしこも草木が鬱蒼と生い茂っている。

それに加えて斜面の傾斜もきつく、なかなかに険しい道だ。しかし、この程度の道ならば蓮にとってはどうと言うことではないのだが、彼の場合は上空から見渡した方が効率がいいが故に、空を飛んでの調査を行なっている。

 

 

「………」

 

結局、食べ終わるまでそばを離れなかったカナタに単独行動をすることとカレーが美味かったことを改めて告げ、刀華達の準備が終わるよりも一足先に、単独で山に入り調査を開始したのだ。

 

調査を始めてから一時間。

生徒会と一輝とステラ達も山入りした中、蓮はまず、宮原が見せた証拠写真が取られた場所に向かい足跡の痕跡を見付け、『霊眼』での魔力痕跡を探ってみたものの、目立った魔力的証拠は残っていなかった。

 

蓮の『霊眼』は常人では見えない魔力の光を視認するだけでなく、伐刀絶技の影響により、その場に残留する魔力も見ることができる。

蓮はそれを利用し、事件現場の残留魔力を見て、波長を判断しそれを辿って敵の確保、殲滅を行なったこともあるのだ。

しかし、足跡にはその残留魔力はなかった為、今はその人形の素体となった岩を切り出したと思われる場所を捜索中なのだ。

足跡では見つからずとも、岩を切り出した時には必ず魔力が残っているはず。そう蓮は読んだ。

 

(どこかに岩石を切り出した場所があるはずなんだがな……なかなか見つからないな)

 

蓮は飛翔しながら、森を見渡す。

兜の右眼部分をカメラのレンズのようにして、時折ズームしながら望遠鏡のように隈なく探していく。

広大な敷地をいくつかの区画に分けた後、蓮はその区画を一つずつ探しているのだが、足跡はところどころにはあるが、大きな痕跡はなかなか見つからない。

 

(この辺りにはないか。……別のポイントに向かおう)

 

蓮はこの区画にはこれ以上の痕跡はないと判断し、次の区画へと移動するがその途中でふと止まり、ホバリングしながら鉛色の空へと視線を上げた。

 

「……これは……」

 

空の様子を見ながら、瞳の色を変化させる。

深い紺碧から、鮮やかな金碧へと。

それは『龍神』の力を行使している証。彼は、今瞳だけ龍神化しているのだ。

蓮はその龍眼を以って、空を視る。

 

「もうすぐ降るな。しかも結構な豪雨だ」

 

天を操ることができる龍神の力を宿しているか、彼は天候の未来予測ができるようになった。

その天候予測の龍眼で蓮はこの後、おそらくは30分ほど後に豪雨が降ることを予測する。豪雨になれば、この山の中での捜索は他の者たちなら困難になるだろう。だから、

 

「…………」

 

蓮は懐から端末を取り出し、電話をかける。

一度コール音が鳴った後電話相手が応じた。

 

『もしもし、蓮さん。どうされましたか?』

 

蓮が電話した相手、合宿施設にて連絡係として残っているカナタだった。蓮はカナタに電話がつながったことを確認すると、単刀直入に言った。

 

「カナタ、後30分ほどでここ一帯に豪雨が降る。捜索に出ている全員を一度撤退させて、雨が止むまで待機させろ」

『雨、ですか。ええ、分かりました。皆様に伝えましょう。ですがどうしてお分かりになったのですか?』

「『龍神』の力だ。天候操作の派生で天候予測も出来るからな。それでだ」

『ああなるほど。ですが、それなら密かに雨雲をずらすことはできないのですか?』

 

カナタの疑問はもっともだ。

龍神の能力の一つである天候操作。

それを使って、雨雲を別の地域にずらして、この地域一帯を晴れにして捜索を継続できないだろうかということだ。

しかし、それに蓮は首を横に振った。

 

「確かにそれは出来るが、俺はあくまで有事の時以外は天候操作は使用しないようにしている。無闇矢鱈と天候を変えることはしない」

 

蓮は決めているのだ。

本当に必要な有事の時以外は、無闇に天候を、自然の流れを歪めないことを。

この星の運命から外れた存在である《魔人》の自分が、自身の力に任せて好き放題天候を変えていたら、いつか取り返しのつかないことになるかもしれないと、蓮は思っているからだ。

ソレを理解したカナタは了承の意を示した。

 

『……なるほど、話はわかりましたわ。そちらは調査を続けるのですよね?』

「ああ、そのつもりだ」

『でしたら、どうかお気をつけください。

余程のことがない限りは、貴方なら大丈夫でしょうけど、もしも危険を感じたらすぐに連絡してください。すぐに駆けつけますので』

「その時は頼む」

 

そして蓮は通話を切って、端末を懐にしまうと再び飛翔を始める。その最中、蓮は今回の騒動の原因に思考を巡らせていた。

 

(しかし……一体、何が目的だ?)

 

蓮には犯人の動機がわからなかった。

なぜ、わざわざ合宿施設て人形を操っていたのか。その理由が蓮には皆目見当もつかなかったのだ。

ただの悪戯ならばまだマシだ。灸を据えてやればいい。だが、悪意によって行われたものなら?しかも、その悪意の主が蓮と黒乃が危惧した通りの強大な存在だったのならば?

 

(………どうも、胸騒ぎがする)

 

蓮は調査を始めてからずっと嫌な予感を感じていた。邪悪な何かが人々の目に映らずに水面下で蠢いており、これはその前兆だと、そんな気がしてならないのだ。

 

(……やはり、学園に戻した方がいいか?)

 

一応、豪雨が降るため全員を施設に撤退させるように伝えはしたが、やはり安全を考慮して巻き込ませないように遠ざけて学園に戻らせた方がいいのではないのか。

そう考えはしたものの、すぐに首を横に振る。

 

(いや、俺が守っていた方がまだマシか)

 

本当に強大な敵がいた時、その場で足止めできている状態ならともかくまだ会敵していない段階で、自身の手の届かない場所で彼らが襲われてしまったのなら本末転倒だ。

だから、この場から離れさせるにしても蓮がここで足止めが出来ていることが前提条件となる。

 

「降ってきたか」

 

そこまで考えて蓮は鎧を打つ雨水に、雨が降ってきたことを把握する。

最初はポツポツと降っていたそれが、時間を待たずにすぐさま蓮の言った通りに大振りの豪雨へと変わっていく。

 

「……あれは?」

 

蓮は前方に不審なものを見つけた。

山の麓から中腹まで広がる断崖。岩壁は所々崩落している。そして、その麓には大量の倒木があり、無理やり広げられて造られたかのような空間があった。

蓮はすぐにその場所を霊眼で視る。

そしてついに見つけた。

 

「やっと見つけた」

 

そこには遠くからでもわかるほどの濃密な魔力が残っていたのだ。

蓮はすぐにそこに向かい、降り立つ。

周囲を見渡せば、地面にはまるで巨大な何かが這い出てきたかのように、大きく抉られた跡が無数にあり、岩壁はまるで何かに斬られたかのように大きく削られている。木々は無数の何かに倒されたかのように辺り一体全て軒並み根こそぎ投げ出されている。極め付けは、無数にあるのではないかと思ってしまうほどの様々な形状の大量の足跡があった。

間違いなく、ここが人形達の素体となった岩石や土塊を採掘した場所だ。

蓮は早速霊眼で魔力痕跡を探る。

すぐにそれは見つかり、残留魔力が最も濃厚な場所へと向かい、更なる分析を試みる。———そして、大きく目を見開いた。

 

「ッッ⁉︎なんだとっ⁉︎」

 

蓮は魔力を視た瞬間、珍しく焦燥を露わにする。同時に、蓮は黒乃の判断が正しかったと心底思った。

魔力の痕跡を辿った結果、今回の騒動の元凶の正体に行き着いた蓮は、焦燥を露わにしながら冷や汗を流した。

 

(俺が来て正解だった。まさか、これほどの奴が関わっているとはな。だが、なぜ奴が関わっているっ⁉︎)

 

今回の騒動の元凶はやはり伐刀者だった。

能力の系統は概念干渉系だが、蓮にとっては初見の未知の異能のため断定はできなかった。

しかし、能力の波長などから敵のスタイルは鋼線型の霊装を用いて、魔力の糸を伸ばして人形などの無機物を遠隔操作する『鋼線使い』ということがわかった。

 

そして、蓮が視たその魔力が宿している特異な性質。それはあまりにも邪悪であり、魔力越しに見てもわかるぐらいに悪意に満ちたドス黒い魔力。

()()()()()()()()()の魂を有し、この星の運命とは異なる独自の『引力』を持っている人外魔境に住まう怪物。

 

 

そう、《魔人》だ。

 

 

蓮と同じ《魔人》が、今回の騒動の元凶だったのだ。

『鋼線使い』と《魔人》。この二つのキーワードを有する存在など蓮は一人しか知らない。

 

「何が目的だっ‼︎《傀儡王》オル=ゴールッッ‼︎‼︎」

 

蓮はその名を怒りのままに叫ぶ。同時に、とてつもない殺気と魔力が周囲一帯に放たれて、遠くにいた鳥達が勢いよく木々から飛び立ち、遠くへと逃げる。

どうやら、蓮のあまりの殺気と魔力の濃さに、敏感な野生動物達は怯えたらしい。

しかし、そんなこと蓮にはどうでもいい話だ。

 

《傀儡王》オル=ゴール。

《解放軍》に所属する《十二使徒(ナンバーズ)》の一人であり、世界に点在する《魔人》達の一人。

特にその中でも、悪辣さに長けた《魔人》だ。

直接的な攻撃力は《魔人》達の中では弱い部類であり、一対一ならば最弱に部類されるかもしれない。しかし、彼の恐るべきところはそこじゃない。

 

彼の最も恐ろしい点は、異常なまでの魔力制御力にある。

彼はその高すぎる制御能力を持って闇の世界から蜘蛛の糸を伸ばし多くの人間を人形として操り《解放軍》の目となり、耳となっており、世界中の情報を集めるいわば諜報の役割を担っている。

そして、更に言えば彼はその埒外の魔力制御と総量を以て、通常の鋼線使いでは不可能なほどの距離の糸を伸ばし、数千、数万の人間を操作しているのだ。

 

それらを鑑みて、連盟では《傀儡王》の総合的な危険度はあの《解放軍》の盟主である《暴君》よりも遥かに高いのだ。

故に、彼がなんらかの行動を起こしたとなれば、看過はできない。最悪の事態に備える必要がある。

だが、蓮は今回の件でオル=ゴール本人が動くとは思っていない。彼が操る数万もの人形の一体が、なんらかの目的を持って動いていると見ている。

 

しかし、だ。もしも、今回の件で彼の興味を引いてしまうことがあれば、………もしかしたら、本人が動くかもしれない。

そうすれば、自分たちのような《魔人》ならともかく、カナタや刀華達では何もできずただ悪意に呑まれて弄ばれて終わりだ。

だからこそ、自分が対応しなくてはならない。

何故なら、蓮は《傀儡王》などの世界各地の凶悪な《魔人》に対抗できる希少な《魔人》なのだから。

 

「とにかく、全員を一箇所に集めて結界を張るべきか」

 

《傀儡王》が操る『人形』が相手ならば、たとえ本人よりも遥かに劣る相手だったとしても彼女達には荷が重いだろう。

蓮は全員に分散されていてはいざという時に不利な状況になると危惧し、全員を合宿施設へと一度撤退させて結界を張りつつ様子を見て、もしも、最悪の事態になれば全員を学園へと飛ばして状況を伝えさせよう。

そう判断して、カナタにそれを伝えるべく懐から端末を取り出し、連絡しようとする。

その時、タイミングがいいのか悪いのか、蓮の端末が着信音を鳴らした。

蓮は頭上に水の膜を作り傘がわりにして電話に出る。電話の主はカナタだった。

 

「カナタ、どうした?」

『先程言われた通り、全員に施設に撤退するように伝えました。ただ、一つ問題が発生しまして』

「何があった?」

 

蓮は正体が判明したばかりなのもあって、強い警戒が滲んだ冷たい声音で思わず問いかけてしまう。

 

『刀華ちゃんとうたくん、そして恋々ちゃんと砕城さんのペアは既に撤退して休憩しているところです。ですが、どうやらステラさんが倒れたらしく、黒鉄さんは戻らずに近くにあった緊急避難用の山小屋で休んでから戻る、とのことです』

「っ、こんな時にかっ」

 

蓮は思わずそう悪態をついてしまう。

無論、一輝達が悪いわけではない。おそらくは日本のなれない気候と、山の天気に体を崩したのだろう。

仕方ないと言えば仕方ない。だが、それはタイミングが悪すぎた。一箇所に集めるべきだと判断したばかりのこのハプニングだ。

タイミングが悪いとしかいいようがない。

そして、蓮が悪態をついたことに、ただならない事だと感じたのか、カナタが緊張を滲ませた声で尋ねてくる。

 

『蓮さんがそう言うということは、何か分かったのですね』

「ああ、目的は不明だが少なくとも敵の正体だけは判明した。だが、それを話す前に一人になれる場所に移動しろ。お前以外には話せない事だ」

『ッッ‼︎‼︎……分かりました。少々お待ちください』

 

その言葉に、話の重要性や危険性が高いことを理解したカナタはそう了承し、一度通話を切る。おそらく刀華にその旨を伝えているのだろう。少し待った後に、再び端末がカナタからの着信音を鳴らす。

 

『蓮さん、お待たせしました』

「すまない、助かる」

『いえ、貴方が言うのですからそれほどのことなのでしょう。それで席を外させたと言うことは、まさか《魔人》が関わっていると言うことでしょうか?』

 

カナタは蓮が自分を一人になれる場所に移動させたことに、今からする話が自分しか知らない《魔人》の事だと判断する。それに蓮は頷いた。

 

「その通りだ。ただ、間接的に関わっていると言ったほうがいいか」

『しかし、一体、誰が……』

「《傀儡王》オル=ゴールだ」

『ッッ、あの《十二使徒》の一人がですかっ⁉︎』

 

電話口からでもわかるほどの動揺の声がカナタの口から発せられる。

カナタは《魔人》のことを知ってから、蓮達に世界各地の《魔人》の存在などをレクチャーされている為、《傀儡王》の事も知っていた。

故に、《傀儡王》の危険性なども当然知っている。

 

「正確には奴が操る人形の一体がだがな。何にしろ、碌でもないことは確かだ」

『ええ、目的が不明でも《傀儡王》ならば警戒して当然ですわね』

「ああ、とは言えまず間違いなく術者は出てこないと見たほうがいい。それもこの地域一帯にはいなくて、数十、数百kmから離れたところから遠隔操作しているだろう」

 

一般的な『鋼線使い』が糸を伸ばし人形を自在に操る範囲はせいぜい数百mから1kmが良いところだ。しかし、それは通常の、あくまで『人間』が成せる範囲であり、《傀儡王》に関してはこの世界全土に糸を伸ばし自在に操ることができる。

だから、今回も術者たる人形は蓮達の前には決して姿を表すことはない、そう踏んでいる。それは、カナタも同じ認識だ。

 

『はい。貴方の言う通りでしょう。ですから、私達に一塊になるように伝えたのですね』

「ああ、結界を張りながら様子を見るつもりだったんだがな……」

 

そう思った矢先に一輝とステラのハプニングだ。うまくいかないことばかりだな、思わず嘆息してしまう。それを聞いてカナタは笑った。

 

『ふふ、まぁそればかりは仕方ないでしょう。なにせ、ヴァーミリオン皇国と日本では環境が違いますから、来日したばかりのステラさんが体調を崩すのも無理はありません。どうか、大目に見てあげてください』

「分かってる。彼女を責めるつもりはない。とにかく、二人の方は俺が向かおう。お前達がわざわざ雨に濡れながら向かう必要もない」

『はい。お願いします。場所は西側です。山小屋の場所はわかりますわよね?』

「ああ、この辺りの地図は全部頭に入ってる」

『流石ですわ』

 

調査する以上、その場所の地形などは把握しておかなければならない。蓮はこの辺り一体の地理は完全に覚えており、自分が今いる位置と、一輝達がいるという山小屋との位置を脳内に展開した地図に照らし合わせて把握する。

蓮の発言に、カナタは惜しみない賞賛を送った。

 

「念の為、『鴉』をそっちに飛ばして結界を張る。お前の側に置いておくから、何かあれば『鴉』に言え。そうしたら、俺にも届く。それと、しばらくヴァーミリオンの様子を見てからそちらに戻るから、少し遅くなるかもしれない」

『ええ、かしこまりました。蓮さん、お気をつけください』

「ああ」

 

そう言って、通話を切った蓮は右掌を上に向けて造形を始める。

掌に青い魔力が収束されて形成されたのは、先ほど言った通りだが、通常よりも一回りほど大きい一羽の氷鴉だ。

魔力で構成されており、胸の奥に青く輝く魔力の結晶が埋め込まれた、青白い氷で形作られており、青い魔力の眼が輝いている。

胸元の魔力結晶《蒼水晶(アクア・ラクリア)》には、魔力が込められており、ここにストックされた魔力を用いて結界などの伐刀絶技を発動することができる。

それだけでなく、この結晶と蓮とで魔力の糸を繋げており鴉の眼を通して別の場所の様子を見たり、その逆で自分の状況を鴉が虚空に投影して見せる事も可能。糸が繋がっているため、特定の相手との連絡手段にもなるのだ。

 

「行ってこい」

 

蓮は右腕に足を乗せる氷鴉にそう告げると、腕を振るって合宿施設の方へと飛ばす。

鴉は一鳴きして豪雨降り注ぐ空へと飛び立ち、氷の翼を羽ばたかせて合宿施設へと向かった。

 

『鴉』を合宿施設へと向かうよう操作しながら、蓮は別の方向——一輝とステラがいるという山小屋の方へと向くと、《蒼翼》から勢いよく魔力を噴射させて、豪雨の中自分もまた飛び立つ。

 

「急ぐか」

 

蓮は今の状況もあり急いで向かうべきだと判断して、噴射の威力を高めてまさしく流星となって一輝達がいるであろう山小屋へと向かった。

 

そして、二十分もしないうちに山小屋へと辿り着いた蓮は、山小屋の少し離れたところに降下する。着陸の瞬間だけ、一瞬魔力を噴かせて体を浮かばせた蓮は、僅かな水音を立てて着陸する。

 

「二人はこの中にいるな」

 

山小屋の前に降り立った蓮は、山小屋の中に二人分の、一輝とステラの気配があることを確認して扉を開けて中の二人に声をかける。

 

「二人とも大丈、夫…か…?」

 

蓮はそう声をかけるも、入った瞬間、蓮は目の前の光景に思わず固まる。

そこで蓮が見たのは………

 

 

 

 

「「「……………………」」」

 

 

 

 

半裸で絡み合おうとして硬直している、一輝とステラの姿だった。

 

 

 

 




蓮には霊眼があるから残留魔力見れば、《魔人》かどうか分かっちゃうんだよね。
今回のこの騒動も、平賀はオル=ゴールの人形だから纏う魔力は同じだから、他の人間には気付かなくても、蓮には簡単に気付かれます。

そして、最後18禁シーンに突入しかけているようにしか見えない二人と、蓮がエンカウントした瞬間でしたねー。
さて、蓮が来るまでの間に二人に何があったのかはまた次回をご期待ください!




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32話 蠢く悪意



……ヤベェ、また三万字越えやっちゃったよ。
なんだか最近は1話あたりニ万字超えるのが普通になってきた感じがしてきた。

それはそうと、この前FGOキャメロットの後編を観に行きましたが、もう素晴らしいの一言に尽きますね。
絵もそうですけど、あの長いストーリーを二本分の映画にまとめたのもすごいし、ベディがめちゃくちゃかっこよかった。そして何より、獅子王よ。推しサーヴァントが映画で動いてるのをみるだけでもう最高なのに、あんなに表情が変化するなんて…‥なんて言葉で表現すればいいのだろうか。

そして、モンハンストーリーズ2が楽しみでしょうがない。
PVはクオリティ高いから、ハマること間違い無し。今は予約して待機中ですねd(^_^o)






 

 

 

蓮がカナタの連絡を受けて山小屋にたどり着く少し前、風邪で倒れたステラを山小屋に運んだ一輝はかつてないほどに焦っていた。

 

バケツをひっくり返したような豪雨が降り注ぐ中、人気のない山奥にひっそりと立つ緊急避難用の山小屋。

そこに倒れたステラを運び込んだ一輝はずぶ濡れになってしまった服を乾かすために囲炉裏の火を起こした後、カナタに連絡して報告した。

 

(貴徳原さんが言うには、新宮寺君が救援に来てくれるって話だけど……)

 

カナタから蓮を救援に向かわせることを聞いた一輝は、今どこにいるかわからないが、彼がここに来るまでは少し時間がかかるだろうと判断する。そして、彼が辿り着く前にステラの容体を少しでも落ち着かせようと彼女にも服を脱ぐように提案した。

 

だが、生まれて初めて経験する体調不良に、気づかずに病状を悪化させていた彼女は、限界まで風邪を悪化させていた為に1人で服を脱ぐだけの力が残っていなかった。

そして、服を脱ごうとして体勢を崩したステラに、彼女の体を気遣って一輝が自分が脱がしていいか?と思い切って提案する。

ステラは初めこそ恥ずかしくためらったものの、意地になるような場面ではないし、この大切な時期に、更に悪化させては選抜戦にも支障が出ると判断して、恥ずかしさを押し殺して一輝の提案に委ねた。

 

そして、いざ彼女の服を脱がせようとして今に至る。

 

(……ステラの為にも、僕がしっかりしないといけないのはわかってる。けど……)

 

初めこそ、彼女の羞恥を煽らないようにする為にも自分がしっかりして、事務的にかつ、迅速に服を脱がそうと強く決意した。

やましいことを考えるなどもってのほかだ。

そう強く戒めて、意気込んだのはよかった。だが………

 

(これは……正直、耐え難いっ)

 

まず、肌に張り付いているストッキングを外すために、ストッキングにつながるガーターベルトのクリップを外し、太ももとストッキングの間に指を差し入れたのだが、もうその時点でまずかった。

ストッキングの下に指を差し入れたのだが、その太ももの柔らかい感触と、ストッキングをわずかに捲っただけで素肌から閉じ込められた甘い匂いが立ち込め、一輝の鼻腔に届き脳髄を強烈に刺激したからだ。

 

恋人の蠱惑的な肉感と香りに一瞬くらっときたものの、それを一輝は意地で押さえつけてストッキングを捲っていく。

捲れ上がっていく黒地の下からは、正反対の眩しいほどの白い素足が現れる。

長時間踏ん張るためにふくらはぎの筋肉が発達し、やや瓢箪型になっている農耕民族の日本人とは違う、太腿からつま先にかけてスッと針のように細くなっている狩猟民族特有のフォルムが彼女の長い足をよりしなやかに見せており、一輝はその脚線美に思わず生唾を飲み込む。

 

(耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ。耐えるんだ黒鉄一輝)

 

そう自分に言い聞かせて誘惑に耐えながらなんとかストッキングを引き抜いた一輝は一度深呼吸した後、次の行程に移っていく。

他の女子ならば、事務的にできたのだろうが、恋人ならばそれは不可能であり一輝は常に内から来る劣情に悩まされる。

最愛の少女の衣服を、自分の手で一枚一枚剥がしていくと言う官能的かつ悪魔的な行為に彼の心臓は激しく強い鼓動を刻んでいく。

 

(……こんな調子で僕に、出来るのか?………だけど……)

 

果たして最後まで理性を維持できるのかと自問自答した一輝はちらりとステラの表情を窺った。

彼女の表情は、いまにも火が吹き出しそうなほどに真っ赤だった。瞳が揺れているのは、間違いなく風邪だけではないはず。

 

(僕がしっかりしないとっ)

 

弱っている彼女を助けれるのは自分だけなのだ。だからこそ、這い上がる劣情を抑えつけると、彼女を安心させるべく微笑みながら語りかける。

 

「ステラ。大丈夫。もっと気を楽にして」

「う、うん………」

 

返す言葉もまだ強張ってはいた。

しかし、それも当然だ。服を脱がしている側の自分ですらここまで乱されているのだ。脱がされている彼女はもっと恥ずかしいはずだ。

だからこそ、自分は少しでも早く、彼女をこの状況から解放しなければならない。

 

そう決心し、一輝は次のシャツのボタンに手をかける。

首元から一つずつ、鼻に触れすぎないように丁寧に、されど迅速にボタンを外していく。

雨水を吸い込んだシャツは、ステラの丸く豊満な、乳房の形がハッキリとわかるほど体に張り付いていたため、嫌でも意識させられるし、ボタンをつまみ上げるのも一苦労だったが、それでも慎重に、彼女の胸元を解いていく。

そしてついに一番下のボタンを外して、シャツの襟元に手をかけると、それを左右に開く。

湿った抵抗を示しながらもステラの肩を滑り、肌を隠すヴェールが剥がれると、彼女の呼吸とともに蠱惑的に動く喉元が、レース地のブラに押さえつけられ窮屈そうにしている大振りの乳房が、女性としての柔らかさと鍛えられたしなやかさを共存させる白いお腹の上で、呼吸のたびに物欲しそうに蠢く小さな窄まりが、彼女の官能的な輝きが全て晒される。

 

「ッッ」

 

同時に、一輝は自分の脳髄が焦がされたのを感じた。喉が一瞬にして干からびて、体の一部分が激しく熱を持ち脈動する感覚。

今すぐにでも、この甘く香る最高級の果実のような柔肉を隅まで隈なく味わいたい衝動に駆られるものの、それすらも彼は鋼鉄の理性で押さえつける。

やがて、遂に一輝はシャツを脱がせることに成功した。

 

(や、やり切った。やり切ったぞ僕。こ、これで大丈夫だよね?)

 

理性と本能の勝負は理性が制した。

きっと脳内の一輝はその功績に勝鬨をあげていることだろう。ここを乗り切れたら、後はもう安全だ。タオルケットを彼女の身体を見ないように迅速に被せればそれで終了なのだから。

そして、この戦いに終止符を打つべくタオルケットに手を伸ばそうとして———

 

「あの、イッキ………その、ブラも、外して、欲しいの………」

「………what?」

 

突然下着姿のステラがそんな事を言ってきた。

既に下したはずの敵性本能軍が、不屈の戦士の如く立ち上がり、決死の特攻攻撃を仕掛けてきたのだ。その思わぬ反撃に、一輝の理性軍は怯み、アメリカンな声が溢れる。

 

(僕に外せ、と?……ブラジャーを?この、僕に?)

 

少なくとも、未だ経験のない童貞である自分には、かなり、とても、すごく困難な課題だ。しかも、そう言う空気ではないのだ。

それに、ここまでも相当堪えたというのにブラジャーという最大の難関であり、本殿へと攻め入るための最後の門でもあるそれを攻略して仕舞えば、果たして自分の理性がどうなるかは分からない。

しかしだ、そうしてためらう一輝にステラは苦しそうな声で言う。

 

「お願い。…息、すごく苦しいの……。ホック外す、だけで、いいから……」

 

ゼェゼェと荒い息をこぼし、胸を大きく上下させながら彼女は苦しそうに喘ぎながら言う。

確かに今の彼女には押さえつける形のブラジャーは、辛いだろう。胸が大きい彼女なら尚更だ。

 

(やるしか、ないのか)

 

正直、未だ戸惑いの方が強いものの、ここまで苦しんでいる恋人を前にすれば、その頼みを無碍にすることはできない。

 

「う、うん。……分かった。やるよ」

 

一輝は努めて平静を維持しながら、早速取り掛かる。彼女のブラジャーはフロントホックだ。肩紐がある型なので、ホックを外したところでブラが外れるなんてことはないはずだ。

 

(大丈夫だ。ホックを外してすぐにタオルを被せれば、うん、これならいけるっ!)

 

脳内で瞬時にシュミレーションをして、素早く済む方法を導き出した彼は、恐る恐る彼女のブラのホックへと手を伸ばす。

手を伸ばすたびに色気が増していき、甘い香りも強くなっていくような錯覚を覚えた一輝は自然と息が荒くなっているのを自分でもはっきりと認識できた。

 

そしてその様子に目の前にいるステラが気づかないはずもない。

興奮して荒くなる呼吸。緊張などで血走る瞳。そして、下半身のとある部分が激しく熱を持ち、異様に盛り上がっている様子に、ステラは密かにその覚悟を済ませようとしていた。

初めこそは、乙女だからこそ理想のシチュエーションというのもあったが、ここまで来てはそれすらももはやどうでもいい。

 

一輝が自分に興奮してくれていると言う事実が、ステラに女としての喜びを感じさせてくれていた。彼が自分を女として求めてくれたのならば、それ以上に嬉しいことはない。

だから、もしもそうなったときは、自分は彼のことを受け入れて愛し合おう。

 

ステラが『女』としての覚悟を済ませつつある中、一輝は震える人差し指で、フロントホックに差し入れてついに、プツンとそれを外す。

 

「ッッ!」

 

瞬間、押さえつける力から解放されたステラの大きな質量を持つ二つの乳房が、弾けるように跳ねたのだ。

 

「〜〜〜〜ッッ!」

 

その弾みは、葛藤し続けて、本能軍と瀬戸際の攻防を演じていた理性軍に致命的な一撃を齎すには十分な誘惑であり、彼を金縛りのようにその場に硬直させた。

ブラを外した直後、咄嗟にタオルケットを被せて体を覆い隠すという、事前に考えていた策は既に誘惑の前に容易く吹き飛び、一輝の頭を真っ白にしていた。

その様子を見て、ステラは不意打ち気味にとんでもないことを呟いた。

 

「ねぇ、イッキ……しても、いいわよ」

「っ」

 

その言葉は辛うじて抗っていた理性の糸を焼き切るには十分であり、一輝の理性軍が本能軍に完全に敗北した瞬間であった。

脳と肉体は完全に本能一色に染まり、もはや誰も彼の動きを止めるものはいない。

一輝はステラの肩に手を伸ばし優しく、されど力強く握ると今度は体を動かして唇を近づける。ステラも迫る一輝に目を瞑り事の成り行きに身を委ねた。そして、そのまま2人は男女の階段を登る……………はずだったのだが、ここで予想外のことが起きた。

 

 

「二人とも、大丈、夫…か…?」

 

唐突に扉を開けて山小屋の中に入る、部外者()

その場の空気が完全に凍りつき、一輝とステラは思考を停止させ、瞳を限界まで見開きながら蓮の方を見る。そして、半裸で絡み合い今から行為に至りますと言わんばかりの空気に、蓮もまた、予想外の光景に扉をあけた状態のまま固まる。

 

「「「………………」」」

 

しばしの硬直と沈黙ののち、蓮の瞳が静かに動く。囲炉裏の前に広げられた二人分の衣服。それはおそらく乾かすためだろう。それは理解できる。

しかし、一輝はズボンのとある部分が異様な盛り上がりを見せており、対するステラは下着以外何もつけておらず、ブラも肩にかかっている程度で、前は完全に開いている。

二人の状態と体勢、空気からおおよその事態を察した蓮は、一度頭上を仰ぎ見て、再び二人を見ると、片手で謝罪の形をとりながら告げる。

 

「………あー、すまない、出直す。終わったら電話で呼んでくれ」

「ちょっと待ってぇぇぇぇ!!!」

 

気まずそうに視線を泳がせ渇いた笑みを浮かべ、扉を閉じようとした蓮を一輝は《一刀修羅》もかくやという速度で必死に引き留めた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

バチバチと囲炉裏の炎が音を鳴らし、煌々と山小屋の中を照らす中、それを囲むように三方向に座る少年少女達の姿がある。

 

一人は気まずそうに瞳を閉じ、片足を曲げて座る蓮。

一人は鍛え上げられ、引き締まった上半身を露わにしながら、体育座りで頭を抱えながらぶつぶつと呟く一輝。

一人はタオルケットにくるまり大粒の冷や汗をかきながら、狸寝入りを決めているステラ。

 

蓮が山小屋に辿り着いた時、明らかに行為に至ろうとした直前であったからか三人の間には物凄く気まずい空気が流れていた。

その光景を見てしまったせいで、律儀に出直そうとしてくれた蓮を、一輝が必死に引き留めて全力謝罪しながら自分達が付き合っていることを明かし、なんやかんやで蓮を引き止めることに成功したのだ。

そして、その成功と引き換えにこの気まずい空気ができていた。

 

既にこの空気ができてから、20分は経過している。ステラは一見すると眠っているようだが、不規則な呼吸音と全く上下しないタオルケットの様子から、全く眠れないにも関わらず必死に狸寝入りを決めているとわかる。

一輝は「僕は最低だ。弱っているステラにあんなことを…」などとぶつぶつと呟き続けている。このままでは衝動的に首を吊るか、《陰鉄》で腹を切りそうだ。というか、真面目な彼ならば本当にやりかねない。

二人の様子はあの冷静沈着な蓮を以ってしても、気まずいと思わせてしまっていた。

 

(……まぁ、俺も悪いのは事実だからな)

 

しかし、そうなるのも仕方のないことかもしれない。

なにせ、二人しかいない雨の中の山小屋、風邪で弱っている恋人。普段とは違いすぎる状況と空気に、まだまだ若い少年少女が興奮し、そういう流れに進むのもなんらおかしくはない。

そしていざ行為に至ろうとした瞬間に、第三者である蓮が来て一気に現実に引き戻されたのだ。二人の性格からしてこうなるのも無理はなかった。

 

「………はぁ」

 

蓮は瞳を開き、二人の姿を見ると、見かねたかのように小さく嘆息する。

しかし、それはこの静寂に満ちた空間では、思った以上に響いてしまい一輝とステラは露骨に肩を揺らした。

ステラはそれから沈黙したが、一輝は顔を上げて、絶望と後悔に塗れた表情と虚ろな瞳をこちらに向ける。それはまるで、死刑判決を間近にして悟った囚人のようだ。

蓮はそれに、気まずさを感じながらも、このままでは埒があかないと判断し、そのまま続ける。

 

「あー、二人とも?ノックしなかった俺も悪かったから、そこまで気にするな」

「いえ、僕が悪いんです。新宮寺さんならすぐ来れるって分かってたのに、ステラの服を脱がすのに夢中になって忘れていた僕が悪いんです。本当にごめんなさい」

「…………(何故敬語?)」

 

意気消沈し、敬語で話して謝罪する一輝に蓮は思わず沈黙する。真面目な性格だということは、去年の交流で知っていたが、こうなると流石に面倒臭い。

そして、一輝の言葉に嬉しそうに肩を震わせた布団の塊に蓮は一瞬、恨めしそうにジト目を向けるもすぐに一輝へと視線を戻し、咳払いをする。

 

「とにかく、気にするなとは言わないが、ノックをしなかった俺も悪いし、俺が来ることを知っていながら、あわや性行為に及ぼうとしたお前達も悪い。それでいいだろ」

「い、いや、それは……」

「それで、いいよな?」

「は、はい。それでいいです」

 

有無を言わせない迫力と目が笑っていない笑顔に一輝は反論すらできずに、一瞬で屈服し彼の判決を受け入れた。

屈服し、縮こまった一輝に蓮は再び嘆息すると、口を開く。

 

「とりあえず、2人の服を乾かすのとヴァーミリオンの診察をやろう。彼女を起こしてくれ」

「えっ、あ、うん。ありがとう」

 

去年の交流で蓮が『治癒』の応用で医者のように診察することができることを知っているため、頷いてそう頼む。

蓮はそれに一つ頷くと、立ち上がり自分の向かい側で広げられている服に手を翳して、服の水分を水蒸気に変えていく。一瞬にして、服を乾かした蓮はタオルケットの塊と化しているステラへと視線を向ける。その先では、一輝が彼女をタオルケット越しにさすって言葉をかけていた。

 

「ステラ、今から新宮寺君が診察してくれるけど、起きれる?」

「………えぇ、大丈夫よ」

 

一輝の言葉にステラはゆっくりと体を起こし、顔だけを出してタオルケットにくるまった状態になる。

蓮は彼女のそばにいる一輝に声をかける。

 

「黒鉄、服は乾かしたぞ」

「ありがとう新宮寺君。じゃあ、ステラのこと頼めるかな?」

「ああ。ヴァーミリオン、そのまま楽にしてろ。すぐに終わる」

 

蓮は彼女に近づき片膝をつきながらそう言う。

 

「……えぇ」

 

ステラはタオルケットから顔を出したまま、小さく頷き瞳を閉じると蓮に全てを任せる。

蓮は右手を伸ばすと、指先に青い輝きの灯った人差し指を彼女の額にトンと軽く当てる。

 

「………」

 

同時に、蓮は瞳を青く輝かせて彼女の体に魔力を染み渡らせて肉体を視る。これは、昼間にカナタにやったのと同じ物であり、蓮は彼女の肉体状態を診察していく。やがて、数秒ほどで診察を終えた蓮はその結果を彼女達に伝える。

 

「よくある風邪だな。ただ、免疫機能が少しばかり低下しているのと、体が風邪に抵抗しているからか、体内で炎症を起こしているな。少しじっとしてろ」

「え?え、えぇ」

 

蓮は一度ステラから指を離すと、ステラの頭上に三つ巴の魔法陣を浮かべながら呪いを唱える。

 

「癒しを此処に。《清明之雫》」

 

魔法陣から青く輝く水滴が一滴彼女の頭部に落ちる。直後、彼女の全身を淡い青光が包み彼女の体内の炎症を癒していった。

 

「……うそ…」

 

ステラは突然体がだいぶ楽になった事に驚愕を隠せず、しきりに自分の体を見回していた。

一輝も何が起きたの分からずに困惑している。

 

「免疫機能の方は薬を飲まないとどうしようもないが、体内の炎症の方は全て癒した。だいぶ身体が楽になったはずだ」

 

2人の反応をよそに、蓮は穏やかな笑みを浮かべながらそう告げる。

そして蓮の言った通りで、喉の痛みが無くなり、脱力感もほぼ無くなったことから蓮が言った通りに治癒されたのだと、ステラは自分の身をもって理解する。

 

「あ、ありがとう。だいぶ楽になったわ。シングージ先輩」

「ああ、どういたしまして。服は乾かしてあるから、すぐ着るといい」

「ええ、そうさせてもらうわ」

 

礼を言うステラに、蓮はそう返すと元の場所にステラに背を向けるようにして座り直して瞳を閉じる。

ステラはそれを見て、背を向けるから早く着替えろという意図を察し、そそくさと着替える。

しばらくして最後にリボンを結び、着替え終えたステラは、律儀にも背を向けてくれた蓮へと言葉をかける。

 

「先輩、もう着替え終わったからこっち向いていいわよ」

「分かった」

 

ステラの許可を得た蓮は姿勢を動かし、再び囲炉裏に向き合う形になる。今度は蓮の向かいにステラと一輝が横並びに座っていた。

治療を受けて、かなり回復したステラは蓮に感心の視線向ける。

 

「でも、すごい治癒術ね。今までここまでの治癒を使える人は見たことがないわ」

「新宮寺君の治癒は僕も受けたことがあるからステラの気持ちはわかるよ」

「なに、何度も戦い続けて怪我人や自分の怪我の治癒を繰り返してできるようになっただけの話だ」

 

蓮は2人の言葉にそう返すと、横に並び寄り添い合う2人を視界に入れると2人に尋ねる。

 

「そういえば、二人はいつから付き合ってたんだ?学園ではそんな空気は出ていなかったような気がしたが」

「……桐原君との試合の日の夜だよ。ステラから告白されたんだ。学園ではステラのことも考えて秘密にしてる」

「ほぉなるほど。確かにヴァーミリオンの立場ならそれが正解だろう。それに、試合の時も告白まがいのことをしていたな」

 

蓮は面白そうにそう呟く。

彼女の立場を考えてみれば、おいそれと公表するわけにもいかないし、秘密にするのは至極当然だろう。

それに、思い返してみれば一輝が桐原に嬲られあわや心が折れそうになった時に、彼女が怒り叫んでいた。

あの言葉がきっかけで、一輝が立ち上がったことを思えば、もうその時点で一輝にとってステラはそれほどまでに大きい存在になっていたのだろう。

 

「うっ、あ、あの時は必死で……」

 

ステラはその時のことを思い出して思わず赤面する。あの時は、好きな人が嗤われていてそれに怒りを覚えて感情的に言ったことだが、その後それを振り返るたびに赤面していた。

しかし、一輝は恥ずかしがるステラに笑みを浮かべると、口を開く。

 

「でも、あの時は本当にステラに感謝しているよ。ステラがあの時、叫んでくれなかったら、僕は立ち上がれなかったから」

「イッキ……」

 

一輝の言葉にステラは瞳を潤ませて見つめ合う。一瞬にして、2人の間に桃色空間が出来上がったのを囲炉裏の奥から見てた蓮は、仲のいいことで、と心の内で呟きながら口を開く。

 

「しかし、二人の出会いは母さんから聞いていたが、よくもまあそんなにも早く恋人関係になったものだな」

 

蓮は悪戯な笑み浮かべてそう言う。彼は黒乃から二人の出会いを密かに聞いていたのだ。

二人の出会い———ステラの着替えを一輝が誤って覗いてしまい、自分も服を脱ぐことでチャラにしようとした結果、痴漢騒ぎになりその後決闘騒ぎにもなったことを。そして、負けた方が勝った方に一生服従するという話まで。

最初その話を聞いた時、一体前世で何をしたらそんな出会いをするんだと、呆れ笑いを浮かべた程だ。

 

「いやはや、傑作だ。まさか、覗いてしまったから自分も服を脱いでチャラにしようとは。それに、負けた方が一生服従……ククッ、訳がわからなすぎて面白い」

「ちょっ、そこまで知ってるの⁉︎」

 

蓮は黒乃から聞いた話を思い出しながら、愉快だと笑いを堪えずに漏らす。一輝は三人しか知らないはずの事実を蓮が知っていることに驚愕する。それに、蓮は笑いを堪えながら答えた。

 

「それはまあ母さんから聞いたからな。しかし、予想外にも程があるぞ?風紀委員に現行犯で見つかったなら確実に有罪だな。Mr.変態紳士」

「その呼び方はやめて⁉︎というか、理事長はどれだけ僕のプライバシーを明かせば気が済むんだ⁉︎」

 

前も黒乃に勝手に黒鉄家での事情を明かされたことのある一輝は、彼女が平然とプライバシー侵害を二度も行ったことに驚愕の声をあげる。

蓮はその様子を見ると、笑いを堪えるのをやめて酷く穏やかで優しい微笑みを浮かべる。

 

「まあ、何はともあれおめでとう。

俺個人としてお前達二人の恋愛は応援するし、祝福しよう」

「え、えと、あ、ありがとう」

「あ、ありがとう、シングージ先輩」

 

突然の祝辞に戸惑う二人だったが、一輝が少し言いにくそうにしながらもどこか縋るような口調で蓮に言う。

 

「あの、このことは、まだ……」

 

一輝が言いたいことは言われずとも分かっている。彼が言いたいこととは、自分達が世間に公表するまで自分たちの関係は黙っていてほしいと言うことだ。蓮ならば、間違いはないだろうと安心はできるが、念の為だ。

ステラも同じように蓮の返答を待つ。

蓮はそれに当然と言うふうに頷く。

 

「分かってる。お前達が公表する時までは秘密にしておくと誓おう」

 

黙秘を了承したことに一輝とステラは心底安堵し、あからさまにホッとする。

蓮はその様子を見てほくそ笑む。

 

「………しかし、ヴァーミリオン皇国と日本の国際恋愛か。しかも、状況が違うとはいえ同じ学年で、ルームメイト。……よく似ている」

「?」

「ッ」

 

蓮はそう独り言を呟き、懐かしそうに、そして嬉しそうに笑みを浮かべる。

一輝がその様子に首を傾げ、ステラがその言葉の真意に気づいた時、ふと蓮の視線が2人に向けられる。

 

「お前達に限って、別れるなんてことはないだろうからいずれは結婚するつもりなのだろう。いつ公表するかはもう決めているのか?」

「い、いや、まだだけど……」

 

一輝は戸惑いながら首を横に振る。

どうして、蓮がここまで聞いてくるのかがわからなかった。ただの好奇心とは違う。どこか懐かしさと嬉しさがあって、自分達を()()()()()()()()ように見えた。

 

「でも、やっぱり公表する前に最低限ステラのご両親には挨拶しときたい、かな……」

「まぁ公表する以上は、お互いを知るためにも事前に挨拶は必要だな」

 

結婚するにあたっての基本常識には蓮も賛成だと頷く。しかし、それを聞いていたステラの顔色が明らかに青くなった。

それは明らかな拒絶の表情だ。

 

「ね、ねぇイッキ。挨拶なんだけど……結婚ギリギリまで隠しておかない?」

 

あげくにはそんな事まで言い出したステラに一輝は困惑を隠せなかった。

 

「いやさすがにそんなわけにはいかないよ。……世間に公表するならまだしも、ご両親には事前にするべきだよ。真っ先にするべき話だよね」

「そ、それは分かってるんだけど……えっと、こう、娘からお父様への小粋なドッキリ⭐︎って方向でどうにかできないかしら」

「それはドッキリ⭐︎なんて可愛らしいものじゃ済まないよ。下手したら心臓とまるよね」

 

少なくとも一輝は自分が父親だったとき、娘の結婚式の招待状が何の前触れもなしに朝刊と一緒に届いたならば、コーヒーを吹き出すだけでは済まないと断言できる。

蓮も無言でうんうんと仕切りに頷いていることから、同じ想いを抱いているとわかる。彼の場合は、鳴のことを考えてのことだろう。

 

「でもでもぉ……やっぱりぃ……」

「えっと……ステラのご両親って、どんな人なの?」

 

それでもなお言い淀むステラに一輝は思い切って尋ねた。挨拶は無理でも、両親の人となりは知っておきたかったから。

 

「えっと、お母様は普通の人なのよ?……でも、お父様がね、そのだいぶ変わり者というか、度が過ぎた親バカだから、アタシを溺愛してるのよ。だから……」

「つまり付き合ってると聞いたら、反対されるとかのレベルを超えて、ただごとじゃ済まないってことか?」

「え、えぇそうなのよ」

 

蓮の言葉にステラは唸りながら小さく頷いた。それには、まさかと思いながら一輝は僅かな希望を願って恐る恐る尋ねる。

 

「で、でもただごとって具体的にはどうなるの?」

「多分だけど、賛成反対以前に、挨拶に来たイッキがヴァーミリオンにいる間に全てを闇に葬ると思うわ」

「…………」

 

一縷の希望が完全に摘み取られた。

 

「というか、相手が本物の国王だからそれ洒落になってないんだけど……」

「だって事実なんだもの」

「嘘でしょ……」

 

一輝は思わず頭を抱えて呻く。

予想の範疇を明らかに超えた事実に、一輝は酷い頭痛を感じた。蓮に治癒してもらえないだろうか、とどこかずれた現実逃避をし始めたとき、蓮が納得したように呟く。

 

「あぁなるほど。国王陛下の性格を考えればそうなるのも頷けるな。だが、そう考えたら、ヴァーミリオンはよく日本に留学できたな。相当反対されたんじゃないか?」

 

蓮はステラの父・現ヴァーミリオン国王であるシリウス・ヴァーミリオンとも面識がある。

ヴァーミリオン皇国で行ったサフィアと大和の葬儀の際に、国王夫妻とその長女、つまりステラの姉であるルナアイズ第一皇女殿下とは一度だけ会ったことがあるのだ。

最も、あの時は2人を亡くしたショックでほぼ無気力状態だったので話はしていなかったが、近くに来て何かを言っていたことは覚えている。そんなことを思い出していた時、蓮の疑問にステラは頷いて答えた。

 

「そりゃ相当反対されたわよ。

大の大人が大泣きして騒いで、正直迷惑だったわ」

「いや、そりゃ娘が『俺より強い奴に会いに行く』なんていって留学を決意したら、父親とか関係なしに止めるよ」

「あのときはお母様がなんやかんやでお父様を投獄してくれたからなんとかなったけど……」

「ちょっと待って⁉︎なんやかんやで国王が投獄されるの⁉︎ステラのお母さんはどんな人なの⁉︎」

「いたって普通の人よ?あ、そうだわ。今回もお母様に投獄してもらえば、万事解決じゃない」

「いやいやいやいや!何も解決してないよ!お願いだから、普通に会わせて!」

「え?でも殺されるわよ?」

「うわさらっと当たり前のように言われた⁉︎」

「く、くくく……」

 

真顔で返された言葉に一輝は怯み、思わず叫んだ。その様子をずっと見ていた蓮は、堪えかねたように笑う。

 

「新宮寺君…?」

「先輩…?」

 

2人が揃って視線を向ける中、蓮は軽く抑えた手の隙間から吊り上がった口唇を見せながら呟く。

 

「いや、すまないな。つい2人のやりとりが面白くてな。しかし、ヴァーミリオンは愛されているな」

「ただ子離れができていないだけよ。面倒ったらないわ」

 

ステラが多少うんざりしながらため息をつく。親バカな父を持つ娘の反応としてはよくあるものだった。

 

「それでも、愛されていないよりは比べ物にならないほどにマシだ。むしろ、その愛情の深さはヴァーミリオン皇国を象徴していると言ってもいいんじゃないか?」

「うーん、そうなのかしら……?」

「あくまで俺の持論だがな。

愛情の大きさに優劣をつける気はないが、それでも、情愛に満ちた国の王ならば、家族愛が深すぎても納得だ。特に、国王陛下のような御仁なら尚更だな。

それに、大事な愛娘なんだ。何処の馬の骨とも知れぬ男には渡したくはないだろう。自分が認めた男でなければ、任せないはずだ。父親というのはそう言うものだと思うぞ」

 

子供がいない彼でも、親が子に抱く感情ぐらいは多少なりとも理解がある。

といっても、黒乃や大和、サフィアから聞いた話を自分なりに解釈して言っただけに過ぎないのだが、少なくとも、自分に娘ができればそう考えるだろうとは簡単に予想ができる。

事実、鳴が大きくなって彼氏でも連れてきたらそう思うのは間違いないと今からでも断言できるのだから。

 

「そ、そうね。そうかも知れないわね。で、でもっ!少しはおとなしくして欲しいわっ」

 

蓮の指摘にステラは顔を若干赤らめながら目を逸らしながら、そう小さく呟くと拗ねるようにプイッと顔を背けてしまった。

彼女とて理解はしているのだ。両親が自分をしっかりと愛してくれている事を。愛情があるが故にこうなるのも。癪だけどそれは認めざるを得ない、と言ったところだろう。

蓮はくすりと笑うと、言う。

 

「とにかく、お前達にも順序があるだろうからな。決まったら是非教えてくれ。俺も、お前達の事は是非とも祝いたいし、必要なら何か手助けしよう」

「え、えぇ、ありがとう先輩」

「う、うん。ありがとう。でも、どうしてそこまでしてくれるの?」

 

一輝に祝福と手伝いを確約してくれた蓮に感謝を述べるものの、そう尋ねずにはいられなかった。

確かに祝ってくれる気持ちは嬉しいし、素直に受け取るつもりだ。だが、今の2人の関係は微妙な所であり一輝が一方的に距離を置いてしまっている。だと言うのに、こんな提案をする蓮の内心がわからなかったのだ。

問われた蓮は一瞬、悲しそうな表情を浮かべるもすぐに静かな笑みを浮かべて応えた。

 

「………お前達は俺が尊敬する人達とよく似ているんだ」

「似てる?」

「ああ」

 

蓮は頷くと一輝とステラを見る。

その藍色の瞳には、2人が見たことがないような、とても穏やかで優しげな光が宿っていた。2人が蓮の眼差しに驚く中、蓮は2人から視線を外すと、目の前で揺らめく炎を見て懐かしそうに、されど悲しそうに目を細めると呟く。

 

「詳しくは話せないが、俺には今でも尊敬する2人の『英雄』がいる。誰かを愛し、誰かを護り、明日を誰かと生きる。そんなどこにでもあるようなありふれたものだが、同時にとても尊くて、眩しくて、美しい、そんな『人間』の生き方ができていた人達だった」

 

人ならざる堕ちた獣の魂を持つ『魔人』。

闘争の世界に身を堕とし、まともな精神を失い狂い果てた自己の怪物。おおよそ、『人間』が持てるような幸福は得られないはずの存在。

血と慟哭に満ちる闘争の世界で暴れ狂い、その果てに『獣』として死ぬ。

 

———そのはずだった。

 

だが、彼らは、大和とサフィアは違った。

2人も蓮と同じように魔なる『獣』の魂を宿していた。だが、その精神は、その在り方は……堕ちてもなお『人間』だった。

戦いの愉悦を求めたわけでも、憎悪と絶望に呑まれたわけでもない。愛する恋人に相応しくある為に強くなろうとしていた。

そして愛し合った果てに、自分が生まれ、2人は自分に精一杯の『人間』の愛情を注いで育ててくれた。

2人の愛情を注がれたから、2人を誰よりも近くで見ていたから、彼らと同じ《魔人》になったから分かる。2人は『魔』に堕ちてもなお気高い『人間』だった。

 

「強くなる理由も、持っている才能も、性格も、容姿も、違うところの方が多い。だが、それでも、互いを愛し、どこまでも高め合うその姿は、その『愛』の在り方は………とても似ていた」

 

一輝とステラでは2人との共通点は少ない。

だが、愛を深めるその姿は、愛故に高め合うその在り方は蓮がかつて憧れ、愛し、目指したものの『怪物』である自分では、届かないものだとして手を伸ばすのを諦めた『英雄』の在り方に酷く似ていたのだ。

 

今はまだ『人間』だが、近い将来間違いなく2人は《魔人》に至ると蓮は確信している。そして、《魔人》になっても彼等は自分のような事にはならないだろう。

醜き憎悪の『怪物』ではなく、気高き誇りの『英雄』として、新たな未来を切り開き紡いでいくはずだ。そして、その未来はきっと輝かしいものになるに違いない。

だからこそ、その未来を蓮は。

 

(……見てみたいと、思ったんだろうな)

 

自分の両親と似た恋の経緯を持つ2人。

お互い《魔人》に至った後も、きっとお互いを高め合う最愛の恋人にして最高の好敵手たる2人が紡ぐであろう輝かしき未来を、彼らの軌跡を蓮は見てみたいと思ってしまったのだ。

蓮は1人口の端を僅かに上げて、人知れず笑みを浮かべる。

 

今もなお黒い瞋恚の炎を己の内側に宿し、復讐の為に多くの人々を殺し暗い未来しか歩めない自分にとっては、2人の未来はまさに対極だ。

彼らが紡ぐ未来は、大切に思っているレオ達と同じように輝かしくて、眩しくて、尊いものだ。

それに、蓮が2人を祝福するのにはもう一つ理由があった。それは、

 

「何より()()の祝い事なんだ。祝福も手助けもしたいと思って当然だろう。恋愛や結婚は人生でも特に目出度いことだ。だからこそ、友が幸福を掴むというのなら、俺はそれを祝福したい」

 

一輝が『友人』だからだ。

今でこそ距離を取ってはいるが、蓮個人としては一輝のことを今でも『友人』だと思っている。だからこそ、友の幸福を祝福したかった。

 

「………えっ?」

 

蓮が零した呟きに一輝は心底目を見開き、目に見えて動揺する。蓮はそれに目敏く気づいた。

 

「どうした?」

 

何か気に障る事をいったのだろうかと、そう思い尋ねるも一輝は首を横に振り否定する。

しかし、否定してもその表情は決して優れなかった。そして困惑、疑問がない混ぜになった表情のまま一輝は応える。

 

「……その、木葉さんから話は聞いてると思うけど……僕は、君達を裏切ったんだよ?そんな僕が、君に友人なんて言われる、資格はないよ」

「………ああ、そのことか」

 

一輝の言葉に、蓮は得心する。

蓮達はマリカ本人から一輝と彼女の間で何があって、何を話したかを知っている。

だからこそ、一輝がどんな思いで蓮達の元を去って、マリカ達がそれに何を思ったのかも知っていた。それに、ショッピングモールでの一件の時、蓮は一輝に『どちらを選ぼうと、俺にはどうでもいい』と突き放すようなことを言ってい為に、蓮の今の友人発言に戸惑うのも無理はなかった。

それを理解した上で蓮は、一輝の瞳をまっすぐ見て告げる。

 

「確かにマリカの言い分は一理ある。

何も相談せずに、俺達の輪から去った事に怒りを覚えるのはあいつらならば仕方のない事だろう。それだけあいつらはお前のことを大切な友人だと思っていたし、高め合える存在だとも思っていたからな。俺もそうだ。お前が離れる可能性は分かっていたとはいえ、思うところはあった」

「…………」

 

友人だと心の底から思っていたからこそ、裏切られたと思って怒りなどの何かしらの負の感情を抱くのは仕方がない。そう言われて、一輝は顔を伏せる。

 

「……だがな、良いんじゃないか?そんなことがあっても」

「えっ?」

 

顔を上げた一輝の目に映った蓮の顔は、初めて、手を差し伸べてくれた時と同じだった。

 

「家族も、友達も、恋人も関係なく誰でも、人生で一度ぐらいは喧嘩することだってあるだろう。だから、俺個人としては今回のことについては責めるつもりはない。

1人で抱え込んで、苦悩して、その果てに友の為を想って離れる。酷く身勝手で、我儘で、独善的で、一方的な思い込みでもあるが、それは『人の心』があるからこそできることだ」

 

蓮個人の持論として、『人』とは『人の心』を持つからこそ、『人』たりえていると考えている。

ある時は笑い、ある時は悲しみ、ある時は怒る。何かに苦悩できたり、誰かを想えることができること。人として当たり前ではあるが、同時にとても大事なモノを持っているからこそ、『人』は『人』でいられる。

人を傷つけ殺すことに何も感じなくなったような存在には『人の心』ではなく、『怪物の心』がある。

 

———ちょうど、自分のように。

 

そして、蓮は基本的に友好関係に関しては『どうでもいい』と考えている。しかし、これは文字通りの誰にも関心がないと言う意味ではない。

蓮は親しくなり、大切に思うようになった者は受け入れるが、何らかの理由で輪から去る者を追いはせず、その者の意思を尊重する。つまり、『来る者選び、去る者追わず』。そういうスタンスでいる。

その原因は、黒川事件後の出来事にある。

あの時、取り返しのつかないことをしてしまい、泡沫をはじめとした町の人たちから憎悪の感情を抱かれるようになったことが原因だった。

自身が招いたこととはいえ、それは当時の蓮には耐え難いものだった。

 

それから蓮は極端に友達を作ることを恐れていた。それは、もしもの時、泡沫達のように自分がまた誰かを傷つけてしまうのではないかと危惧していたからだ。

傷つけてしまい、またあのような事になったらと恐れていた。

だから思った。また友達ができ親しくなった時、その友達が何らかの理由で距離をとったとしても自分は理由を聞かず、聞いてもその人を責めずに仕方がないと割り切り静観しようと。

 

それに、蓮は自身が一人になることを躊躇わない。

既に己を『怪物』と定めているからこそ、『人間』とは長くは馴染めず、いつか必ず離れるべき時が来る。自分は狂い、壊れた『怪物の心』しか持っておらず、誰かを想えるような美しく、気高い『人の心』を持つ彼らとは『違う』と考えてしまっているからだ。

 

だからこそ、蓮は友達がどちらを選択しようとも『どうでもいい』のだ。

 

「それに、お前のことだから俺達を嫌ったわけではなく、俺達のことを考え抜いた末に決めたことなのだろう?」

 

一輝の真意を知っている蓮はそう言葉を投げかける。それに対し、一輝は静かに頷いた。

 

「……それはもちろんだよ。僕にとって君達は恩人なんだ。そんな尊敬できる人達を嫌いになるなんてあり得ないよ。

でも、だからこそ、僕のあの態度は最低だった。どの選択を選ぶにしても、ちゃんと君達に話して、筋を通すべきだった。本当にごめん」

「イッキ……」

 

一輝はそう答えると両手を床について深々と頭を下げる、所謂土下座をする。

ステラはそれを見て小さく呟く。

ステラは知っていた。一輝があの日マリカと話した日からずっと思い悩んでいるのを。

表面上では平静を取り繕っているように見える。だが、ふとした拍子で、自分達しかいない寮部屋では1人、あの時の罪悪感や後悔が湧き上がって暗くなり塞ぎ込むことが多々あった。

 

一輝と蓮達の出会いや、去年の1年間どのように彼らと過ごしたのかも一輝から全て聞いていたステラは、彼に非があるのはわかってはいるが、それでもどうか彼を赦して欲しいと願わずにはいられなかった。

 

そして、少しの沈黙の後、黙って土下座を見下ろしていた蓮は小さく口の端を吊り上げ笑うと一輝に優しげに声をかける。

 

「黒鉄、それは俺にじゃなくて、あいつらに言ってやれ。一発は確実に殴られるだろうが、最終的には許してくれるだろう」

「それぐらいは勿論甘んじてうけるよ。

それに、君ならそう言うとわかってたけど、僕は筋を通すって決めたんだ。だから、葛城君達よりも先に、最初に手を差し伸べてくれた君に頭を下げることが最優先だと思った」

「……全く、この石頭が」

 

蓮は呆れながらも嬉しそうな表情を浮かべるとそう呟く。

 

「その時になったら、それとなくフォローをしよう。決心がついたら、俺達のところに来い」

「うん。そうさせてもらうよ」

 

蓮の提案に一輝はそう頷いた。

ひとまず和解の糸口を見つけ、ひと段落ついた様子を静かに見守っていたステラが口を開く。

 

「そういえば、調査を始める前にカナタさんから先輩が敵の情報についていくつか判明したから気をつけるようにって言ってたけど、その後は何か掴めたの?」

「ああ。もう大体敵の正体と戦闘スタイルは目星がついている。といっても、流石に誰かまではわからないがな」

「そうなの⁉︎」

「本当⁉︎」

 

蓮は《傀儡王》の事は伏せて、二人に伝える。

二人は蓮が既に敵の正体まで掴んでいることに、何度目か分からない驚愕をし、目を丸くさせる。

ちょうど、その時だった。

 

「ッッ」

 

ふと、突然蓮は顔を上げると、途端に先程までの穏やかな表情から一転して険しいモノへと変えながら、片目を青く輝かせた。いきなりの奇行に2人して戸惑う。

 

「新宮寺君?」

「先輩?」

 

2人が問いかけても蓮は返事をせずに、険しい表情を浮かべたまま周囲の気配を探る。

 

「………来てくれ。《陰鉄》」

 

その只ならぬ様子に、何かを感じた一輝は徐に己の霊装—黒刀《陰鉄》を呼び出した。

 

「イッキ?」

「静かに。……新宮寺君。もしかして、()()()()()?」

 

困惑するステラを静かにさせると、一輝は緊張を滲ませた声音で蓮に尋ねた。蓮は一輝には視線を向けないま頷く。

 

「ああ、いる。しかも、囲まれているな」

 

瞳を青く輝かせて、外の雨雲と自身の片目を繋げた蓮は山小屋を中心に状況を俯瞰し、無数の影が山小屋から少し距離を取って山小屋を囲んでいることを視認したのだ。

 

「「っっ‼︎‼︎」」

 

蓮よりもたらされた情報に、一輝とステラの間に緊張が走る。

 

「囲まれてるって、ヤバいじゃないっ」

 

そして、一輝だけでなくステラも霊装の大剣《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を展開し今にも飛び出そうと身構えるが、それを立ち上がった蓮が止まる。

 

「2人はまだ外に出るな。俺がいいと言うまで何があっても出てくるな。いいな?」

「う、うんわかった」

「分かったわ」

 

2人の返事を確認すると、蓮は2人を置いて1人扉の方に向かい外に出た。バタンと音を立てて閉じられた後、外からは激しい雨音しか聞こえなくなった。2人は蓮がいつ声をかけても動けるように構えておく。

時間にして約十秒。2人が構えながら待っていた時、突如小屋全体が地震にあったかのように激しく揺れた。

 

「な、なにっ⁉︎」

「地震っ⁉︎」

 

2人は地震だと思い咄嗟に身構えるも、揺れはすぐに収まった。しかし、揺れが収まったというのに小屋全体が奇妙な感覚に包まれたかのように感じた。そう、まるで()()()()()()()()()()

奇妙な感覚を確かめるべく、外にいる蓮に声をかけようとした一輝だったが、扉に手をかけたと同時に蓮の方から声がかかる。

 

『2人とも、外に出てきていいぞ』

 

蓮から許可を得た2人はお互い顔を合わせて頷き合うと、意を決して外に出る。

扉から少し離れた地面には蓮が背を向けて立っていた。

 

「「?」」

 

しかし、一輝達は蓮に声をかけるよりも先に周囲の光景に違和感を覚える。

自分達の記憶が正しければ小屋の前には崖などはなく、地面が続いているはずだ。だというのに、蓮の少し先のところで地面は途切れ、代わりに黒い何かが下には見える。更には、蓮の周囲の空間が半透明の水の膜のようなモノに包まれていたのだ。

最初こそそれに違和感を覚えたものの、やがてその違和感の正体に気づく。

 

「こ、これはっ、まさかっ浮いてるのかい?」

 

一輝の言う通り、今この小屋は下の地面ごと宙に浮いていたのだ。

眼下に見える黒いのは森のことであり、蓮の周囲の空間、否、小屋ごと囲んでいるのは《蒼水球》だったのだ。つまるところ、蓮は小屋を《蒼水球》で包んだ後、それを空に浮かばせたということだ。

蓮は2人の方に振り向くと、下を指差しながら呟く。

 

「下を見てみろ。お目当ての奴らがいるぞ」

 

彼の言葉に、2人は下を覗き込む。

覗き込んだ先、眼下にいたのは———小屋を囲みこちらを見上げる群れをなす巨人と恐竜達だった。だが、それを見たステラは思わず、

 

「なんか、思ってたのと違うっ⁉︎」

「そっち⁉︎いや、気持ちはわかるけどもっ‼︎」

 

ステラの気持ちも尤もだ。

なぜなら、小屋を見上げる巨人や恐竜達はイメージしていた姿ではなく、大小様々な岩石をつぎ合わせて作られた人形だったからだ。

 

「まぁ形はともかく、まさかこれほどいるとはね」

 

一輝は眼下の光景に思わず呻く。

なぜなら、眼下で群れを成している岩人形達は少なく見積もったとしても六百はいるからだ。

ステラもまた、その数の多さに思わずごくりと喉を鳴らす。

 

「ねぇ、どう戦うの?シングージ先輩。アタシ達は何をすればいい?」

 

これだけの大群を前に何らかの策や自分達がすべきことは何なのかをステラは尋ねる。

言われずとも、彼女は蓮の手伝いをするつもりだった。体もほとんど回復したので、気力共に十分だ。だが、そんなステラに蓮は蒼銀の双刀《蒼月》を顕現させながら平然と告げる。

 

 

 

「手助けは必要ない。この程度は俺一人で相手できる」

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「手助けは必要ない。この程度は俺一人で相手できる」

 

少なくとも、六百は居るであろう御伽噺の住人、あるいは古代の支配者達を前に蓮は平然とそう告げた。

それに、ステラは思わず疑惑の声をあげる。

 

「一人でって、こんな訳の分からない相手に1人で戦うつもり⁉︎そんなの無茶よ!」

 

至極当然な疑問をステラは蓮にぶつける。だが、蓮はそれには答えずに背後にいる二人に視線を向けると呟いた。

 

「別にこの程度の数を1人で潰すのは俺にとっては無茶じゃない。既に何度も経験していることだ。

まぁいい。ちょうどいい機会だ。お前達に少しレクチャーしよう」

「れ、レクチャー?」

「何をするつもりなの?」

「いいから見てろ」

 

蓮は二人にそう答えると眼下で蔓延る巨人や恐竜達の姿を視界に収めると、全身から魔力を迸らせ、片眼を青く輝かせると徐に呪いを唱え始める。

 

「《蛟龍八津牙》《海鮫血牙》《海神の遊戯(アクアワルツ・ルデーレ)》」

 

指をパチンと鳴らして一瞬で現れたのは、四百を優に超える魔法陣の数々。そこから現れたのは、八頭の水の蛟龍と水の青鮫の群れ。そして、水で構成された鯱、鯨、ダイオウイカなどなど多種多様な海棲生物達。

相手が陸の存在ならば、こちらは海の存在で対抗すると言わんばかりに、大量の水の魔法生物達が蓮の頭上に姿を表す。

 

「「ッッ⁉︎⁉︎」」

 

一瞬にして水魔術の軍団を生み出した技量に蓮の背後で一輝とステラが息を呑む。

 

(三つの伐刀絶技を同時にっ、しかもこの数を、一瞬で⁉︎)

(こ、こんなの滅茶苦茶にも、程があるわよっ⁉︎)

 

一輝は伐刀絶技の複数同時行使を準備もなしに一瞬でこなした蓮の技量に。ステラは同じAランクでありながら、自分とは桁外れな魔力制御力に驚愕する。

二人が背後で絶句するのには気づかないまま、蓮は人形達を睥睨して告げる。

 

「さあ、蹂躙の時間だ。木偶人形共を喰らい尽くせ。———暴れろ」

 

『『『『—————————ッッッ‼︎‼︎』』』

 

絶対の主人である海王()が下した命令に、生物達は咆哮を上げて空中を泳ぎ地上で蔓延る巨人と恐竜達に襲いかかる。

 

『『『——————‼︎‼︎‼︎』』』

 

巨人や恐竜達もまた雄叫びを上げながら、迫る軍団を迎え撃たんと岩の剛腕や鉤爪を振り上げる。

 

だが、轟音を立てて激突した瞬間、巨人や恐竜達はその悉くが迎撃の甲斐なく海王の暴威に呑まれた。

巨大な蛟龍達がその顎門を開けば、敵を数体まとめて丸呑みにして体内で渦巻く激流によって砂粒になるまで粉々に砕いていき、鉤爪を振るえば水の斬撃が放たれ纏めて切り裂き、長い尾を振るって纏めて薙ぎ払っていく。

青鮫や鯱達はその研ぎ澄まされた水牙や水鰭を持って敵を食い散らかし、切り裂いていく。

巨大な鯨やダイオウイカ達は、その巨体や長い鰭で叩き潰したり、長い触腕でまとめて握り潰している。

 

一方的な蹂躙だった。

岩石で形作られた人形達の悉くが、抵抗虚しく水魔術によって構成された、海王が率いる暴威に食い散らかされて、粉々に崩れ落ちていく。

中には蓮達がいる中空に高く飛び上がって襲い掛かろうとした者もいたが、飛び上がったところで素早く動いた兵隊達によって悉くが叩き落とされる。

 

「す、すごい……」

 

一輝はこれだけの強力な兵隊を、精密操作できている蓮の技量に純粋に驚く。

数百体を一気に造形したのに魔力が枯渇する様子もない膨大な魔力量。

数百体の水の生物をそれぞれ精密に操作してのけるその高すぎる技量

しかも、その全てが強力な存在であり、自身がAランクでありながらも、自身が手を下さずに相手を蹂躙できる強力な兵隊を生み出せるその実力。

そのどれもが貧相な能力や魔力しか持たず、近接での戦法しかない自分ではどれだけ努力しても決して出来ない芸当だった。

そして気づく。

 

(……これだけ、凄まじくても、彼にとっては戦法の一つで……本気ですらない)

 

自身が直接手を下すことはなく、大量の軍団を使役して敵を蹂躙する絶技。一国の軍団を相手にしても、勝てそうなほどの凄まじい魔術。だというのに、彼にとってはそれすらも戦法の一つに過ぎず、これだけの大規模の魔術を使用しても全く本気には程遠いという事に。

 

(一体、彼の全力は、本気はどれほどなんだろうね……)

 

最早、凄いを通り越して恐れすら抱いていた。

既に世界に名を馳せるA級騎士達と同格だと言われ、《世界時計》黒乃と《夜叉姫》寧音達の世界でも特一級の戦士達とも互角に渡り合える実力を持つ男。

自分と歳は変わらないはずなのに、蓄積された経験、知識は比較にならずそれを元に数多の激戦を制してきた学生騎士。

これまで彼の圧倒的で超高レベルな戦いを見てきたが、それでもその全てが本気ではない。なら一体、彼の本気とはどれほどのものになるのか、それを想像した一輝はいつか追いついて超えてみせると意気込んでいたが末恐ろしさを感じてしまった。

 

対するステラも、驚愕と同時に悔しさに唇を噛み締めていた。

 

(同じAランクなのに、ここまで格が違うものなのっ⁉︎)

 

ステラは蓮の凄まじい技量に自身との格の違いを痛感する。

数百体の魔法生物を瞬時に生み出し、それをそれぞれ異なる動作で緻密に操作できるその魔力制御力は、……自分よりも上だと認めている同じ水使いの珠雫ですら圧倒的格上だと認めざるを得ないほどのもの。

自分もAランクに恥じない魔力制御力はあると自負しているが、それでも彼を前にすれば霞むほどに未熟だと思い知らされる。

 

(…全てにおいて、今のアタシじゃこの人には勝てないわ……)

 

パワーでは完敗したが、魔術勝負ならばもう少しやりあえると思っていた過去の自分をぶん殴ってやりたい。魔術勝負でも彼には手も足も出ず完封される未来しか見えない。

 

彼女は蓮と同じく世界的に見ても希少なAランクだ。

そしてその中でも、世界最高の魔力量を持つ存在として、今まで戦った相手の全てを圧倒し、勝ってきた。

だからこそ、それに見合う自信があったし戦えば勝てると思っていた。だが、蓋を開けてみればそんなのはとんだ大間違いで、ステラは2人の騎士に敗北を刻まれた。

 

Fランクであり、自分より遥かに劣るはずなのに、真っ向から自分を打ち倒し初めての敗北を与えた黒鉄一輝。

同じAランクでありながら、その力や技量、経験は自分とは桁違いで、自身に初めて理不尽を与えた新宮寺蓮。

 

最弱の騎士(黒鉄一輝)最強の王者(新宮寺蓮)。対極に位置する2人の英雄の存在を、強さを彼女は知った。

 

一輝の強さは今まで散々見てきたし、恋人だからこそ悔しさではなく、嬉しさが勝っていた。

彼にはまだまだ上があり、自分とどこまで高め合うことができるんだと、高揚が大きかった。

 

だが、蓮に関しては彼の戦いを見るたびに彼の強さが次々と更新されていき、その差が全く縮まらない事を痛感した。

 

そこまで考えて、気づく。

蓮の人形達が悉く破壊している岩人形達。その殆どが異音を立てながら、磁力のように引き合い再び元の形に戻っていたのだ。

 

「人形が、再生している?」

「これが伐刀絶技?一体、どんな能力なんだ…?」

 

元の形に戻った人形達は再び蓮の兵隊達に砕かれるものの、砕かれた端から次々と糸に繋ぎ合わされて復活を繰り返している。 

その様に、完全に初見である2人は未知の能力に思考を巡らせる。

前もって、蓮からは警告されていたために敵が伐刀者であることは分かっていたが、いったいどんな能力でこれだけのことをしているのかまだは分からなかった。

そんな2人に、蓮は片眼を青く輝かせながら敵の正体を伝えるべく声をかける。

 

「岩石を操る自然干渉系の伐刀者だと初見なら思うだろう。だが、敵の正体は『鋼線使い』だ。お前達は知っているか?」

「う、ううん、初めて聞いたよ」

「アタシもだわ」

「そうだろうな。学生騎士の試合では見ないタイプだ」

 

蓮は眼下の光景を見ながら言う。

 

「『鋼線使い』のスタイルは、無機物を魔力の糸で操って、人形などを作り敵に嗾けるものだ。だからこそ、術者である当人は離れた場所から操作することができ、かつ人形が壊れても魔力が持続するならばいくらでも再生できる。

だが、それはつまり術者を見つけない限りはほぼ無限に戦い続けると言う事。

炎で薙ぎ払えるヴァーミリオンならばまだマシだが、黒鉄は相性が悪すぎる。1人で遭遇してしまった場合は、嬲り殺しにされるだろう。お前のスタイルは対人戦闘のみでしか活かされない。故に、無限に出てくる人形相手の長期戦は不利だ。たとえ、《一刀修羅》を使ったとしても、居場所を特定できない限りは、ジリ貧だ」

 

一輝のスタイルはあくまで対人でしかその真価を発揮しない。

一分間の超強化の《一刀修羅》もリングのような隠れる場所のない場所かつ敵が逃げようとしない状況だということを前提として初めてその真価を発揮する。しかし、この『鋼線使い』のように大量の人形を操作する相手には、一分間の制限時間はあまりにも短すぎる。

居場所を特定できなければ、いたちごっこになってしまい、無限に湧き続ける大群相手にはとてもではないが、頼りにはならない。

 

「……うん、確かに。こういう相手では、僕はとことん役に立たないだろうね」

 

蓮の説明を聞いて自身の相性差を理解した一輝は苦い表情を浮かべて頷く。そしてステラは今の話に焦りを滲ませながら呻くように言う。

 

「で、でも、術者を探すって言ったって、そんなのどうやって探せばいいのよ」

「魔力を辿ればいい」

 

対処法がわからないステラがこぼした疑問に、蓮はそう短く答える。

 

「『鋼線使い』の戦法には一つの鉄則がある。同時に複数の人形を操る場合は、全てを自分自身がダイレクトに操作するのではなく、他の人形を操るための人形を、言わば司令塔のような役割を持つ『中継点(ハブ)』を介して操作を行う。この戦法の利点は、さっきも言った通り術者が姿を隠せる点にある。

故に、索敵されることは最も避けなければいけない。その為には、自分に繋がる糸を出来るだけ減らす必要がある。しかし、裏を返せばこの木偶人形を操っている無数の糸が一点に収束しているハブを見つけて潰せば、終わるということだ」

 

隠れる場所がなく、リングの上で正面から戦える学生騎士には全く馴染みのない戦い方。しかし、蓮は多くの特別招集を経験し、その全てを生き残ってきた。故に、戦闘経験はそこらの学生騎士を軽く凌駕しているし、学生騎士では知らないスタイルも数多く熟知している。

 

「こいつらも同じだ。一見すれば全く異なる動きを見せているように見えるが、よく見れば幾つかのパターンがある。

パターンが分かれば、あとはそのパターンに合わせて対処していけばいい。そして、対処しながら魔力の糸を辿り、多くの人形と異なる動きをしているハブを見つけ出し叩き潰す。それで勝てる」

 

蓮は簡単にそう言ってのけるが、実際それをやってのけるのは難しいことだ。なぜなら、いくつかパターンがあると言っても、一輝達からすればほとんど変わらないように見えるし、魔力の糸の気配は確かに感じ取れたものの、それがどこに繋がっているのかまでは分かっていないのだ。

 

「確かに、言ってることはわかったけど……」

「そんな簡単に、出来ることじゃないでしょ。これは……」

 

思わず口に出してしまう2人に蓮は肩越しに見て微笑を浮かべる。

 

「まぁ今はまだ難しいだろう。これから出来るように鍛錬すればそれでいいさ。俺もすぐにやれと言うほど鬼じゃないからな」

 

まぁ追い込みはするが、最後にそう付け加えた蓮に2人は揃って苦笑を浮かべる。

その時、一輝は視界の端に二十は超える無数の岩塊が飛来して迫っていることに気づき、血相を変えて叫ぶ。

 

「っ⁉︎新宮寺君っ‼︎」

「問題ない」

 

一輝の警告に平然と応えた蓮は、既に右腕に氷のライフル《凍息重砲(フリージング・カノン)》を握っており、碌に見向きもしないまま引き金を引き無数の岩塊を蒼光の水弾で全て撃ち砕く。

いくつかは数個を纏めて貫通して砕き、いくつかは水弾が爆ぜて周囲の岩塊を纏めて砕いた。

《蒼水球》に激突する直前に、すべての岩塊は砕かれ、破片が飛び散る。

 

「えっ、全部撃ち抜いたっ?」

「ウソでしょっ」

 

刹那の間に全弾命中させるという技量に、いくつかは《蒼水球》に被弾すると覚悟していた一輝とステラが唖然とする中、蓮は岩石が飛来した方向を見やる。そこには少し離れた位置からボールや槍のような形状の岩塊を両腕で抱えたり、口に咥えてこちらを見上げている複数の木偶人形達がいた。

どうやら、近づけないから遠距離で攻撃しようと考えたようだ。

 

「投擲か。粋なことをする」

 

ただ岩石の人形を操るだけでなく、巨岩の投擲までしてのけたことに、蓮は僅かに感心する。だが、それだけだ。

 

「別にどうともならないが、邪魔だ。凍ってろ」

 

蓮は低い声音で宣言すると、照準を定め引き金を引き、青白い氷の閃光を放った。冷気を帯びた閃光は巨人達に真っ直ぐ伸びていく。

人形達が迫る閃光に気づき回避のために動くよりも遥かに早くソレは人形達に突き刺さり、周囲を巻き込みながら氷の棺桶に閉じ込める。

そして次の瞬間には、ダイヤモンドダストとなって粉々に砕け散った。

 

「一応、言っておくが既にハブの特定は済ませている」

「えっ⁉︎」

「じゃあ、どうして潰しにいかないのよ?」

 

さらりとハブを特定していることを伝えた蓮に、一輝は純粋に驚くが、ステラは訝しむ。

ハブを特定したのならば、こんな人形同士の戦いを続けるのでではなく、早急に潰すべきだと。そう訝しむステラに蓮は特に眉を立てることはなく、淡々と告げる。

 

「言ったはずだ。レクチャーだと。

黒鉄のスタイルは知っているから聞かないが、ヴァーミリオン。お前は対戦相手と戦う時は事前に下調べをしておくか?」

「……いいえ、しないわ。

テロリストと遭遇した時、敵の能力がわかってるなんてことはほぼあり得ないでしょ。

だから、相手がどんな能力を持っていようと戦えるようにならないとダメだから、下調べはしないわ」

「感覚を養う為にあえてしないか。

心意気は認めるが、それは愚策だな。今すぐにその認識を改めろ」

「っ、どうしてよ?」

 

自身のスタイルを真っ向から否定されたステラは不満を表情に滲ませながら少し怒り混じりの声でそう返す。

蓮はステラを見ないまま話す。

 

「敵と戦う時は殆ど相手の能力が分からないことが多い。だから、その為に感覚を養う。確かにそれはその通りで、理にはかなっている。だが、似たようなパターンを持つ能力に遭遇することは多々ある。そのときに役立つものは何だ?

今まで培った経験と知識だ。それらがあるからこそ、未知の状況に対し予測ができ打破できる可能性が生まれる。

感覚を養うだけじゃ足りない。同時に経験と知識を蓄え続けろ。学べる機会を無駄にするな」

 

戦いは一瞬の判断が状況を左右することが多々ある。そしてその一瞬に、状況を打破できる経験や知識があったならば、勝てる可能性が大幅に高まる。

しかし、もしその予測ができなかったのならば、対処できずにそこで終わりだ。だからこそ、蓮は下調べを、経験を積み知識を蓄えることを怠らない。戦った敵のスタイル、能力、その全てを記憶している。

完全なる未知を、僅かでも既知に変えることがとても重要なのだ。

今回のこの人形達も、あの《黒狗》との激闘と比べれば比較にもならないほどに稚拙だ。

蓮はステラに言い聞かせるように強く言った。

 

「下調べはできるうちにしたほうがいい。

安全な間に知識を、経験を積み重ねろ。そうして、未知の危機に遭遇したときに少しでも役に立てるように、状況を打破できるようにしておけ。国を、家族を守りたいのなら、出来ることは全てやり尽くせ。知識と経験は裏切らないし、積みすぎて困ることもないからな」

「ッッ」

 

蓮にそう指摘されてステラはハッと気づく。

確かに感覚を養う為に下調べをしないと言えば、聞こえはいいがそれは裏を返せば学べる機会を不意にしているとも言える。

それはとても損をしていることになる。だからこそ、蓮はそれをステラに伝えたのだ。

 

「今回のこともその一環だ。

わざわざこの木偶人形共に付き合ってるのも、必要なことだからだ。お前達は『鋼線使い』に関する知識、経験がない。だから、今ここで学んで帰れ。それがいつか必ず役に立つ。そして、全てを糧として喰らい尽くして今よりももっと強くなるんだ」

「「………」」

 

蓮の激励とも取れる言葉に、2人は思わず沈黙する。

彼の言ったことは全てが反論の余地もないほどに正しくて、恐ろしく勉強になるものだ。

蓮は沈黙する2人に振り向くと、ステラへと視線を向けて言う。

 

「ヴァーミリオン。ここからが本題だが。お前はここまでとは言わないが、似たようなことは必ずできるようにしておけ」

「え…?」

 

突然のことに、訳が分からずそんな声を漏らすステラに蓮は更に続ける。

 

「お前はヴァーミリオン皇国を守るのだろう?なら、今のままではまだ足りない。

確かに魔力制御も高く、応用的な戦いもできてはいる。だが、苦戦した経験が少ないからか、魔力量にものを言わせて力でゴリ押したり、作戦が稚拙な傾向がある。

並大抵ならば、それで何とかなるが、これからはそれでは戦えなくなるぞ」

「そ、そんなことはっ……」

 

そんなことはない、そう言おうとしてステラは口をつぐむ。

日本に来る前の彼女だったら、今の蓮の言葉を否定できたはず。しかし、この日本で一輝と蓮に敗北し現実を知ったからこそ、蓮の言葉を認めざるを得なかったのだ。

口を噤むステラに練はさらに続ける。

 

「己にできる全てを極め尽くせ。

常に戦いのビジョンを模索し続けろ。

国を、家族を守りたいのならば、何が相手でも負けないように、そして勝てるように研鑽を続けろ。一瞬たりとも怠るな。

もたついたところで敵は待ってはくれない。勝つか負けるか。結局伐刀者の戦いはそんなものだ。意思を強固に。力を磨き。覚悟を決めろ。でなければ、大切なものを守れずに全てを失う」

(新宮寺君。君は、過去に何が……)

 

他人事ではなく、まるで自分のことのように語る蓮に多少の疑問を覚える一輝。

今の物言いに気になっていたものの、その真意を尋ねる気にはならなかった一輝はそのまま話を聞く。蓮は口を噤むステラに振り向くと、好戦的な笑みを浮かべてはっきりと告げた。

 

2()()()()()()今、日本は俺が、ヴァーミリオン皇国はお前自身が守らなければならない。もしもできないならば、()()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「ッッ⁉︎」

(2人?)

 

挑戦的な言葉にステラが目を見開く。

蓮はステラが自分の出生の事を知っている前提で話を進めている。そして、今の反応を見る限り、ステラは蓮のことについて気づいていると理解できた。

 

(一体、2人は何の話をしているんだ?)

 

そして、話の意味が理解できていない一輝はただ疑問を浮かべていた。一輝は蓮の出生を知らないからこそ、今の話の意味がわからない。

それ以前に、先程の会話からも蓮はヴァーミリオン皇国について何かを知っているようにも思えた。そして、それを疑問に思ってもいないステラの様子も気がかりだった。

気になった一輝は思い切って2人に尋ねようとしたもののそれよりも早く蓮が呟いた。

 

「レクチャーはここまでだ。そろそろ、終わらせよう」

 

そう呟くと、蓮は戦いを終わらせる為に、新たに魔術を発動する。

《蒼水球》の上空に巨大な青い魔力の塊が二つ生まれ、やがてソレらはある形を成す。

 

「出てこい。《水天の海龍(ワダツミ)》、《氷禍の巨竜(ファフニール)》」

『クゥァァァァァァアアアァァァ‼︎‼︎‼︎』

『ゴォォォアアアァァァァァァァ‼︎‼︎‼︎』

 

海王の命によって荒天の下に現れたのは、40mはある紺碧色の海龍《水天の海龍》と、広げれば30m近い大きさになる巨大な氷翼を羽ばたかせ、鋭い氷の鉤爪と強靭な四肢と一対の巨角を有する20m程の蒼銀色の巨竜《氷禍の巨竜》だった。

まるで、王を守護する番人のように二頭の神話の怪物は天を揺るがすような咆哮を上げて蓮の左右で滞空し、こちらを見上げてくる海王の敵である不埒な愚者達を殺気の篭った鋭い眼光で睨んでいる。

 

『『ッッ‼︎‼︎』』

 

明らかに先程の生物達とは一線を画する迫力と存在感、そして込められた魔力の濃密さを肌で感じて、一輝とステラは息を呑んだ。

蓮は地面の端から足を踏み出して、空中に《雪華》の足場を作りながら、空中を歩いていく。

空中を登っていくと同時に、海龍と巨竜が蓮の周りを緩やかに舞う。

二頭の怪物が海王の周囲を飛び交う中、蓮は眼下で蹂躙されている木偶人形達へと視線を向けて、怒りが滲む声音でつぶやく。

 

「奴が相手だから、どんなものが出てくるかと思えば……この程度の木偶人形共しか寄越さないとは。………随分と俺のことをナメているな」

 

蓮の声音には冷たい怒りが宿っており、冷たい殺気が放たれる。事実彼は怒っていた。

もしも、破軍の敷地内で何かをしようものならば、《七星剣王》である蓮が出張ってくるのも予測できたはずだ。

だというのに、この程度の木偶人形しかいない。確かに一輝達ならば経験不足などの理由で苦戦はするだろう。特例招集にでているカナタや刀華ならば、多少は手こずるものの勝てるだろう。

つまり、カナタや刀華が多少手こずる程度の相手なのだ。蓮ならば相手にすらならない。

《傀儡王》でも、『中継点』の人形ならばこの程度なのか、はたまた、揶揄われているだけなのか。どちらにしても、この木偶人形の存在は、蓮を多少なりとも不快にさせたのだ。

 

「どういうつもりでこんなことをしでかしたのかは知らんが、この程度の玩具でこの俺に勝てると思っているのか?思い上がるなよ。人形風情がっ」

 

蓮はここにはいない《傀儡王》へと告げながら、ゆっくりと右手を掲げる。

同時に、左右で滞空する海龍と巨竜が息を吸い込むような動作を行い、その口に青い魔力を集わせる。口内から漏れる輝きは徐々に増していき、巨竜からは冷気が、海龍からは水気がそれぞれ溢れる。やがて、二つの輝きが臨界点に達したとき、王は右腕を振り下ろし無慈悲に宣告する。

 

 

「———悉く消え失せろ」

 

 

『『—————————ッッッッ‼︎‼︎‼︎』』

 

絶対零度の如き冷たい声音によって告げられた宣告に従い二頭の怪物はガパッと顎門を開き、それぞれ咆哮と共に紺碧と蒼銀の二筋の極光を解き放った。

片や激しい水流を圧縮に圧縮を重ねた激流の極光。《蒼龍の息吹》の劣化版、水属性単体の息吹《海龍の息吹》。

片や《ニブルヘイム》に指向性を持たせた、絶対零度の吹雪の極光《巨竜の咆哮(ファフニール・ロア)》。

 

二つの破壊が人形達を蓮の兵隊ごと飲み込み、轟音と閃光で世界を塗り潰す。

きっと、轟音と閃光はカナタ達のいる施設にまで届いていることだろう。そう思ってしまうほどに凄まじかったのだ。

 

そして、耳を聾する轟音と目を焼く閃光が収まったとき、眼下には———何も残っていなかった。

山小屋を中心とした半径2キロほどの森林が二つの破壊に呑まれてその様相を大きく変えていた。

巨竜がいた側の半分が吹雪に呑まれ氷原と化しており、海龍がいた側の半分の方が地面が大きく抉られており地肌が剥き出しになっている。氷雪の極光に呑み込まれた木偶人形達は、全てが哀れな氷の彫像と化しており、一方で激流の極光に呑み込まれた木偶人形達は、塵となって消しとばされていた。

 

一瞬で見渡す限りひしめいていた岩の人形達が例外なく破壊し尽くされた。

刹那の間に、破壊し尽くされた世界。

二頭の怪物の圧倒的な破壊を目の当たりにした一輝とステラは絶句する。

声を失う2人を、蓮の呟きが現実に戻す。

 

「これでしばらくは人形を作れないし、操作もできないだろう。このまま直接ハブを潰しに行く。お前達はここで待機してろ」

 

一輝達の返事を待たずに、蓮は《海龍纏鎧》を纏い《蒼翼》を生やすと、《雪華》を勢いよく蹴り噴射口から魔力を噴かせながら、一瞬にして閃光となって最初から補足していた『中継点』がいる場所に向かう。

ここから約3km離れた場所に魔力の糸の全てが収束された起点となる人形がいる。その魔力を辿れば、居場所の特定など容易いことだった。魔力噴射の威力を最大限まで高めて、十秒もしないうちに距離を詰めると肉眼でハブを捉える。

 

「そこか」

 

それは、巨大な蜘蛛だった。

目算でも3mはありそうな大蜘蛛が木々の間に潜んでいたのだ。しかし、今は全ての人形を一度に破壊された影響なのか、ギチギチと体を軋ませるだけで満足に動かせてすらいなかった。

どうやら、人形を全て纏めて破壊されるという、大きすぎる被害によって一時的に操作できなくなり再接続する為に、今は糸を必死に伸ばそうとしているようだ。

霊眼では魔力の糸が蜘蛛から無数に伸びる光景が、はっきりと見てとれた。

蓮は、大蜘蛛目掛けて急降下すると頭部に拳を突き立てる。

 

「———ッ」

 

振り下ろされた拳は轟音を立てて下の地面ごと蜘蛛の頭部を粉々に砕く。そして、頭部の中にあった魔力の核をしっかりと握ると拳を引き抜きながら、冷酷な声音で告げる。

 

「警告だ。次は無い」

 

蓮はこの糸の先にいるであろう《傀儡王》のハブの人形にそう警告すると、魔力を流し込みながらその核を握り潰した。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「ふふふ、流石は噂に聞く《七星剣王》。ちょっと新しいハブの試運転を兼ねてちょっかいをかけただけのつもりだったのですが、……容赦ありませんねぇ」

 

日本某所。

昼にもかかわらず、闇が吹き溜まったかのような暗い室内で、長身の男が半身から氷の刃を無数にはやし、血を滴らせながら、蓮に賞賛を送る。

 

「酷い有様だな。半身をやられたか」

 

半笑いをする長身の男を、その向かいのソファーに座る影が、蔑むような目で見ながら問いかける。男はそれに対して、半身を見せながら、平然と答える。

 

「ええ、それはもうこの通り」

 

男はそう言って、ほらと自身の右半身を見せる。

彼の傷はひどい有様だった。文字通り半身が内側から貫かれていたのだ。首と顔を覗く、右肩、右腕、右胴体、右足、右半身を指先、爪先に至るまでびっしりと内臓ごと血に濡れた氷の刃が貫いていた。

蓮は魔力の糸をたどりながら、自身の魔力を注ぎ込んで超長距離にいる男の体内で《斬り裂く海流の乱刃(アクア・スラッシュ・ラーミナ)》を遠隔発動したのだ。

 

「いやー、もう酷いやられようですよ。躊躇のかけらもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「《前夜祭》前にいらん事をするからだ。愚か者が。そもそも、『奴』は貴様程度にどうこうできる相手ではないだらう」

「おやおや手厳しい。ですが、返す言葉もありませんねぇ。ふふふ」

 

男は人影の言葉に、戯けるように笑いながら無事な左手で自分の頭をペシと叩く。

そのどこまでもふざけた態度に、人影はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「俺はただの学生(ゲスト)だから《軍》の思惑など知ったことではないが、お前は《軍》側の人間だろう?作戦前から軽率なことは控えるべきではないのか?今回のように痛い目を見るぞ」

「まあそうなんですけどねぇ、ほら性ですよ。《道化師(ピエロ)》のね。いかんせん待つだけというのは、詰まらない。楽しくない。これはとても良くないことです。ボクの存在意義にも関わってきますよ。

ボクは《道化師》です。いつでも笑っていないといけない。善行も悪徳も、すべてスマイルで楽しんで《演劇(サーカス)》を盛り上げてこその《道化師》でしょう?」

「知ったことか。貴様の言葉は相変わらず理解に苦しむな。何がそんなに楽しいのだ」

「フフフ。まぁそこはお互いの意見の相違というものですね。それに、理解できなくて結構です。心の内を読まれる《道化師》なんて、何の価値もありませんから」

 

軽薄さを隠そうともしない声で答え、男は左手の五指を何度も軽く動かす。

それに合わせて、右半身から生えていた夥しい氷刃が小さな音を立てて取り除かれていく。

その度に大量に出血し、水音を立てて床に広がるものの、男は構いもせずに刃の除去を行なっていく。

 

「あ〜〜これは酷い。内側までびっしりと抉られてますねぇ」

「だろうな。『奴』はこのぐらいのことなら簡単になせる。それほどの男だ」

「フフフ、たかが学生騎士の頂点に立ってるだけだと思ったましたが、やはり裏社会でも名を轟かせる《七星剣王》は違うということですか。

ですが、彼、今回は警告で半身で済ませましたが、やろうと思えばボクのこと殺せましたよね。幻想形態を使うこともしないとは、いやはや末恐ろしい」

 

確かにこの魔術は敵を切り裂くために作られたものだ。発動された時点で、ほとんどのものは失血死やショック死をしてしまう。

肉体を破裂させる《紅の血華》には劣るものの、この技も体の内側から発動させれば、即死する狂気の技だ。だからこそ、この殺傷力は頷けるのだがまず体内でそれを発動させようとは思わないだろう。

だが、蓮はそれを平然と行う。

なぜなら、敵だからだ。敵には一切の容赦も慈悲も与えない。自身の『大切』を脅かし、邪魔をするのならばその全てを滅ぼす。彼はそう己の心に刻んでいる。

人影は、男の言葉に嘲笑するように呟く。

 

「戯け。奴にとって敵とは滅ぼすべき存在だ。

色々と噂は聞いたが、奴は敵の悉くを滅ぼしてきたそうだ。情報を得るための人質だけを残し、その他の全てを殺したらしい。

貴様はちょっかいをかけただけかもしれないが、たったそれだけでも、奴に敵認定させるには十分だったのだろう。だから、そうなった。それだけの話だ」

「ふふふ、敵対する者の悉くを滅ぼすとは……彼は魔王や邪竜とかの類ですかね?」

「知るか」

 

男が零した疑問を人影はバッサリと切り捨てる。男はそれに何か反抗するわけでもなく、思い出したように彼に報告する。

 

「あぁ、そういえば現場には《七星剣王》だけでなく、《紅蓮の皇女》もいましたよ。ですが、どうにも顔色がよろしくありませんでしたね。風邪でしょうか?」

「そんなことを俺が知るわけもないだろう」

「おや心配ではないのですか?君は《七星剣王》だけでなく、彼女にもご執心で2人に会うためにこの作戦に参加したと聞きましたが?」

「然り。貴様らの戯言に付き合っているのはそれが理由だ。新宮寺も《紅蓮の皇女》も俺が挑み超えるべき壁だからだ。しかし、体調を崩した程度で大会に来られないのなら、《紅蓮の皇女》も所詮はその程度だったというわけだ」

 

人影の言葉に嘘はない。その言葉通りの強い意志が感じられる。それを感じ取って男は、ことさら自分と彼との相性の悪さを感じる。

全くからかいがいのないつまらない男だと。

 

「やれやれ冷たいですねぇ。まぁ《七星剣王》の方は()()()()()()()()()()()()()()()と予想はつきますが、《紅蓮の皇女》の何が君をそうさせたんです?」

「答える義理はない」

「あ、そうですか。ですが、欲張りはいけませんねぇ。ちゃんとメインディッシュは選んであげませんと。浮気性な男性は女性に嫌われますよ?」

「ほざけ。道化が」

 

人影はそう吐き捨てるとソファーから立ち上がり、男の横を通ると扉を開けてその場を去る。

1人残された男は、氷刃の除去と糸での傷の縫合を行いながら、溜息を漏らし言った。

 

 

「ほんと可愛くないですねぇ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「終わった。帰るぞ」

 

 

《傀儡王》のハブの人形に警告した蓮は、一輝達がいる場所に戻ると、《蒼水球》の前でホバリングしながら浮かばせていた《蒼水球》を操作して下の窪みに嵌め込み小屋を元の場所へと戻すと着地する。

海龍と巨竜も小屋の両脇に降り立ち、ずしんと地響きを鳴らしながら着地する。

蓮は《蒼水球》を消すと、すかさず2人を雨で濡らさないように頭上に水膜の傘を作る。

《蒼水球》が解かれ外に出ることができるようになり、雨で濡れなくなった一輝達は蓮の元へと近寄りながら尋ねる。

 

「もう、大丈夫なのかい?」

「ああ、警告も済ませた。もう手出しはできないだろう」

 

そう言いながら蓮は《海龍纒鎧》と《蒼翼》を解除する。《蒼月》を腰に差しただけの状態になった蓮は、鉛色に染まり大粒の雨を降らせる空を見上げながら呟く。

 

「まだ雨は降りそうだな。2人とも巨竜(ファフニール)に乗れ。このまま施設に帰るぞ」

 

その言葉と共に蓮は海龍(ワダツミ)の頭部へとひとっ飛びで乗り移り、巨竜を2人の前に移動させ身をかがませると、片翼を広げて地面につけて階段代わりにさせる。

人形とはいえ、巨竜に乗るという初めての出来事に2人は多少の戸惑いを見せながらも翼を伝って背中に乗り込み、ステラを前にして一輝が座る。2人が座ったのを確認した蓮は二頭を操作する。

二頭の怪物は咆哮をあげると、勢い良く地面を蹴って空へと飛び上がった。

瞬く間に山小屋から離れ、空高くへと飛び上がった巨竜と海龍に一輝達は感嘆の声をあげる。

 

「こんなこともできるのか……」

「……何でもありにも程があるわよ」

 

圧倒的な破壊力や防御力だけでなく、診察したら怪我を簡単に治してしまう高度な治癒力にも秀でており、更にはこのような本物と見紛うほどの超精密な人形すらも自由自在に創造し使役してしまう。

水使いができるありとあらゆる可能性の全てを非常に高い次元で使いこなしているその姿に、同じ自然干渉系の能力のステラは自分はまだまだ未熟だと理解した。

感嘆する2人の声を聞いていた蓮は、海龍を近づけると声をかける。

 

「いい機会だったから、お前の妹にも見てもらいたかったんだがな」

「珠雫にかい?確かに新宮寺君の水魔術は珠雫にとってはいい勉強になることは間違いないと思うけど、いいのかい?」

 

炎使いのステラならともかく、水使いである珠雫ならば、蓮の技術は何一つ無駄になるはずがないので、話を聞くよりも直接見ることでいい勉強になることは間違い無いだろう。

ただし、そんなに自分の技術を他人にホイホイ見せてもいいものかと疑問に思った一輝は思わず尋ねる。それに、蓮は何食わぬ顔で言った。

 

「流石に全部をそうやすやすと教える気はない。ただ、水使いとしての汎用的な戦法とかは教えてもいいかもしれないな。

それに、彼女は魔術に頼りすぎな傾向があるな。体格も理由なのだろうが、それでも近接もできるようにするのが、これからの課題だろう」

 

確かに珠雫は魔術の遠距離攻撃を主軸にしており、近接を苦手としている傾向がある。

それは、いざという時に致命的な隙をもたらすだろう。そうならないためにも、遠近両方ともこなせるようにしておくべきなのだ。

蓮の指摘に一輝も同意だと言わんばかりに頷いた。

 

「僕もそれは同感だ。今度珠雫に伝えてみるよ」

「ああ、任せた」

「あと、可能であればなんだけど珠雫が君の元に師事しに来たら、よかったら見てもらえないかな?」

 

それは兄としての頼みだ。

同じ水使いとして珠雫と蓮では雲泥の差がある。そしてそれは珠雫もまた感じているはずだ。

だからこそ、もしも、珠雫が蓮に弟子入りしてきたらどうか受け入れてほしい。そう嘆願する一輝に蓮は静かな声音で答える。

 

「……彼女次第だ。彼女が戦う理由が俺を納得させれるものだったのなら、考えてもいい」

「それで十分だよ。ありがとう」

 

一輝は頭を下げて礼を言う。

話がひと段落ついたのを見計らって、今度はステラが蓮に尋ねる。

 

「ねえ先輩。さっき、ハブに警告したって言ったけど、捕まえに行くことはできなかったの?」

 

結局、一輝とステラは自分たちを襲ってきた木偶人形を操作してきた敵の正体はわからないままだ。

蓮は知ってはいるが、危険すぎるためにあえて伏せている。

しかし、敵の正体がわからないことがステラにはどうしても気に入らないらしい。

問題の大元の原因を解決していないのだから、やり残しがある感は拭えないのは仕方ないことだろう。蓮はそれに苦笑を浮かべる。

 

「まあお前の気持ちも分からなくは無いが、今からすぐ行くには少し無理があったな」

「どうして?」

「ハブを潰したときに術者との距離を測ったが、結構離れていたからな。確か140kmぐらいだったか」

「「140kmっっ⁉︎⁉︎」」

 

都内にいるかすら怪しい距離に、ステラと一輝は揃って驚愕する。

鋼線使いなどは置いといて、そもそもそれだけの距離から魔術を遠隔発動することなど聞いたこともない。それが事実ならば、糸の向こうの存在は蓮とは別ベクトルで危険な存在なのだろう。

 

「『鋼線使い』って、そんなに離れたところからでも攻撃できるものなのかい?」

「いいや、普通はできない。一般的な鋼線使いは数百mから1kmだ。100km以上はもはや異常だな」

 

蓮ですらそう言うのだ。ならば、糸の向こうにある存在は自分達では太刀打ちできないかもしれない危険な存在だと言うことだ。

 

「で、でも、さっき警告したって言ってたよね?まさか糸を辿って……?」

「ああ、ハブの糸を辿って俺自身も魔力を伸ばして、術者に直接かなりの手傷を負わせた。カプセルを使っても怪しいレベルの傷を与えたから、もう二度と近づきはしないだろう」

「140km離れた相手に……?」

「?そうだが?」

 

蓮はそう平然と答えるものの、一輝とステラからすれば蓮も異常以外の何者でもない。

140km先の人形を操れるのもすごいが、そもそも140kmも離れた相手に、どうしてカプセルですら治療が怪しいような重傷レベルの手傷を叩き込めるのだろうか。

やっぱり蓮は学生騎士としてはもはやチート的存在だと言っても、おかしくはないだろう。

そんな話をしながら、海龍と巨竜に乗った三人は雨の中を進む。

蓮が作った水膜の傘のおかげでずぶ濡れになることもなく日が暮れる前に余裕を持って施設へと帰還した。

施設の前にはカナタを除く生徒会の面々が揃っていた。上空を飛ぶ蓮達の姿を見た恋々と刀華が走り寄り、その後ろを砕城と泡沫が歩く。

 

「あ!やっほーみんな!おっかえりー!」

「ステラさん、大丈夫ですかー?」

 

地響きを立てて着陸した巨竜から滑り降りた一輝とステラに2人が駆け寄る。

特にステラが体調を崩したことを心配していた刀華はステラの容態を確認して、やっと安堵の息を着く。

 

「よかった。もう、だいぶ回復してますね。でも、大切な選抜戦が控えているし、この後病院に行きましょう」

「シングージ先輩のおかげで大丈夫よ。これくらいは休めばどうにかなるわ」

「駄目です!風邪だけじゃなくて、病気を甘く見てると痛い目を見ますよ!確かに新宮寺君が治癒してくれたのなら安心だとは思いますけど、念には念をです!」

「え〜〜〜」

 

まるでお母さんのようにきりきりと真剣な目で言う刀華に、ステラは嫌そうにしながらゲンナリした顔を見せる。一輝はその後ろで苦笑を浮かべており、泡沫も笑みを浮かべている。

刀華の両親は病気で亡くなったことを知っている蓮からすれば、体調管理にうるさいのは昔からのことなので、きっとステラが折れるまで続けるのだろうと思い2人のやりとりを横目で眺めていた蓮に砕城が声をかける。

 

「すまないな。新宮寺に全て押し付けてしまったようだ」

「気にするな。あればかりは、お前たちでも手強い相手だっただろう」

「お前がそこまで言うとはな。…それほどの相手だったのか?」

「そう言うわけじゃないが、単純に相性差の話だな。鋼線使いが相手だったからな。物理攻撃しかないお前では厳しい、と言う話だ」

「なるほど。確かに某では鋼線使いは不利だな」

 

実力不足も突きつけられたのだが、そこら辺は割り切りがいいためか、別段眉を立てることなく蓮の言葉に頷いた。

そこまで話し、蓮はここにいない彼女のことが気になり尋ねる。

 

「そういえば、カナタはどこに?」

「……む、ああそうだった。実はその件で黒鉄に話があったのだ」

「黒鉄にか?」

 

蓮の問いに頷いた砕城は顔を上げて、黒鉄に、声をかける。

 

「砕城君。どうかしたのかい?」

「ああ、実は先ほどお前に客人が来てな。今は貴徳原殿が対応している」

「客人?僕にですか?」

「そーそー、なんか学校に行ったらこっちにいるって聞いてきたみたいだよー?」

 

一輝は2人の言葉に思わず首を傾げる。

客人というが、自分にはわざわざ奥多摩まで自分を追いかけてくるような人に心当たりはない。学校に行ったらということは、少なくとも学外の人だろう。

 

「えと、その人の名前とかわかりますか?」

「確か………そう、『赤座』と名乗った少々小太りな体型の中年の男性だったな」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

告げられた名に、一輝だけでなく蓮も目を見開き表情を強張らせる。

『赤座』。その名前がつく者を蓮達は知っている。そして、小太りの中年ときたら、もはや1人に絞り込めてしまった。だが、なぜその男がこゆな奥多摩にまで訪ねてくるのかは皆目見当もつかなかった。

そして、一輝達の動揺が収まらないうちに、それは現れた。

 

「おーいたいた。よぉ〜やく会えましたよぉ。ご無沙汰してますねぇ〜。一輝クン。んっふっふ」

 

耳に粘りつくようなねっとりとした不快な男の声音が2人の耳に届く。

視線を向ければ、そこには砕城の言った通りの小太り体型の中年男性。でっぷりとした樽型の体型を赤いスーツに閉じ込めて、恵比寿にも似た顔に汗と笑みを浮かべていた。

 

「イッキ。誰なのこのおじさん………」

「この人は……赤座守さん。黒鉄家の分家の当主だよ」

「ッッ———!」

 

一輝の只ならない様子に、この人が友好的な相手ではないということは分かっていたが、黒鉄家の関係者だと分かった瞬間、ステラはこの人物がどういう存在かを理解して、ざわりと、威嚇する猫のように警戒心をあらわにしてステラは総毛立たせて険しい表情を浮かべた。

蓮もまた、感情を一つ感じさせないような冷たい表情を浮かべて、目の前の男を冷ややかに見下ろしている。

その空気が張り付くほどの剣呑さに、カナタを除く生徒会の面々は困惑を隠せなかった。だが、その一方で警戒心を向けられている赤座本人は、いやらしい笑みを浮かべると。

 

「んっふっふ。そう怖い顔をしないでくださいよぉ。私だって嫌なんですよぉ?ただでさえこんな出来損ないのために学園に出向いたのに、いなかったので奥多摩くんだりまで足を運ぶという二度手間なんてねぇ?」

 

臆せずに、攻撃的な言葉をためらわずに彼は吐き出した。その露骨な侮蔑の言葉に、この場にいる全員が、この男が一輝に、明確な敵意と悪意をまえていることを感じ取る。

そして、そのあまりな物言いに刀華は黙っていられなかった。

 

「ちょ、貴方なんなんですか⁉︎そんな言い方、あまりにも失礼なんじゃないですか⁉︎」

 

失礼な物言いにすかさず刀華は反応するものの、当の本人はというと

 

「おやおやぁ、これはこれは噂に名高い《雷切》さん。こんにちわぁ。あーもう時間的にはこんばんわぁですかねぇ?どうやらウチの出来損ないが貴方方にご迷惑をかけたそうで。いやぁ与えられた任務の一つもこなせないような役立たずで本当に申し訳ありません。あまりの情けなさに恥ずかしいあまりですよぉ。一族を代表して謝罪いたします。このとーり」

「だ、誰もそんなことして欲しいなんてー」

「誠にぃ申し訳ありませんでしたぁ」

 

刀華と話しているように見えて、まるで聞きもせずに勝手に話を進め、一方的に一輝を貶める主張を繰り返すその露骨な害意に、刀華だけでなく他の者達も困惑する。

そんな中、刀華を後ろに押して誰よりも前に進み出た蓮が冷たい眼差しで赤座を見下ろしながら切り出した。

 

「それで、赤座守倫理委員長殿。本日はどのようなご用件でこられたのでしょうか?お互い多忙の身の上、下らない前置きは無しにして早速本題に取り掛かりましょう。その方が()()()()()()()()()()()()()()?」

 

これ以上彼の不快な言葉を聞くのはごめん被るので蓮は早々に本題を告げるように促す。それに対して、赤座はその顔に気色の悪い笑みを浮かべると早速要件を切り出した。

 

「んっふっふ、流石は《七星剣王》さん。話が早くて助かりますねぇ。今日私がここにきたのは、あなたの言った通り、『騎士連盟日本支部の倫理委員長』として、一輝クンにとーっても大事な話があるからなんですよぉ」

 

表情こそ笑っているが、細められた瞼の奥にある光はあまりにもどす黒く、醜かった。そのことから、彼が持ってきた要件が全くもってろくでもなく、くだらないものなのは聞くまでもなくわかった。

だが、聞かないことには話は進まない。だから、一輝は静かに促した。

 

「今更僕にどんな話があるんでしょうか?」

「んっふっふ。まぁ話すよりもコレを見てもらった方が早いでしょう。どーぞどーぞ。今日の夕刊ですぅ。《七星剣王》さんもどうぞぉ」

 

懐から取り出され、手渡されたのは複数の新聞記事。

 

一体ここに何が書かれていて、どう一輝と関係があるのか。そしてなぜ、倫理委員会がこの場所に来たのか。

 

妙な胸騒ぎと嫌な予感を覚えながら一輝と蓮がそれぞれ新聞を開くと———

 

 

 

 

そこには、木々を背景に口づけを交わしている一輝とステラの写真が一面に掲載されていた。

 

 

 






さぁて、この丸く肥え太った赤狸をどう調理してくれようか。
蓮がいる以上原作通りには進ませねぇぞぉ!

……おっと、失礼。少々興奮してしまったようです。
3巻では一番書きたかったシーンが始まったので、つい、ね。

ちなみに、蓮は見てないよ。何を、と言われても、ナニとしか言えませんねぇ。見てないと言えば見てないんですよ。うん、ミテナイミテナイ。あの豊かな果実の先端にあるものなんてね。

あと、すげぇ今更なんだけど、蓮の《水進機構・蒼翼》。あれモデルはバルファルクの翼ね。あんな感じで飛んでると思ってくれればいいですよ。だから、滅茶苦茶速い。

さぁ、ここから蓮がどう動くのか。それは次回からをご期待ください!また次回お会い致しましょう!
感想、誤字報告、評価をよろしくお願いします!!





……………狸ってジビエにありましたっけ?





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33話 友の為に


皆さんこちらではお久しぶりです。やっと大学も夏季休暇に入ったのですが、色々と忙しくて投稿にめちゃくちゃ時間がかかってしまったのでひとまず謝罪します。

最近はコロナが更に猛威を増していて満足に外出する事もできませんね。私も思うように出れなくてずっと家にこもってますよ。(ニートではありませんよ)。
とはいえ、モンハンや買い溜めしたラノベがあるので全然苦ではないんですけどね。いやー、モンハンストーリーズ2は本当に楽しいですねえ。

私は現在二つ名でパーティーを固めてまして、燼滅刃と青電主が早速主力となってくれてますよ。それにあの二体は私は二つ名の中では特に好きなので、嬉しいですね。ちなみに、白疾風も好きです。




 

 

一輝達に渡された新聞に映っていた、一輝とステラが口付けを交わしている写真。

驚きのあまり、ステラは目を丸くしその写真に釘付けになりながら震える声で言う。

 

「イッキ、こ、これって……」

 

ステラの問いかけに一輝は何も言葉を返せなかった。

この写真に写っている場所は、一輝達が普段からトレーニングに利用している林の中の開けた場所。そしてそこで片づけを交わしたときのものだ。手渡された夕刊全ての一面に、その様がデカデカと掲載されていた。

それを見て、一輝は理解した。

自分は誰かにずっと張り付かれており、この二人の関係を示す瞬間をすっぱ抜かれたのだということに。しかも、校内にいる誰かにだ。

 

「んっふっふ。よぉく撮れているでしょう?顔もくっきりばっちり。夜だと言うのに、最近のカメラは怖いですねぇ。山奥だからわからないでしょうけど、巷は大騒ぎですよぉ?

国賓に手を出すなんて、前代未聞の不祥事ですからねぇ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」

 

嘲笑う赤座に、ステラは一輝から新聞を引ったくりながら怒鳴り声をあげる。

 

「ふざけないで‼︎こんな記事デタラメよ‼︎‼︎一体、どう言うつもりよ⁉︎」

 

そう怒鳴って、彼女がさしたのは『姫の純潔を奪った男』『ヴァーミリオン国王激怒』『日本とヴァーミリオンの国際問題に発展か⁉︎』と事態の重大さを殊更煽り立てようとでもしているかのような言葉が踊っている一面の記事だ。

しかも、そこには一輝の実家である『黒鉄家』から提供された『黒鉄一輝』と言う人物の人物評が掲載されていたのだ。

 

昔から素行が悪く、黒鉄の家を困らせていた問題児であり、人格的に問題のある人間である、と。

さらには女癖も非常に悪く、ステラの他にも複数の女生徒ともふしだらな交際を行なっているとまだ。

それらはありもしない、根も葉もない出鱈目にすぎない。だが、この記事にはその出鱈目がさも真実であるかのように書き連ねられていたのだ。

 

『黒鉄一輝は昔からの札付きで、人格的に問題のある男だ』と。

 

そんなものを見て、恋人であるステラが黙っていられるわけがない。

しかし、そんな激昂するステラに対し赤座はそのニタニタとした嫌な笑みは崩さない。

 

「いやいや、残念ながらそれは全て事実なんですよぉ。お姫様が知らないだけで、実際は昔から手を焼かせてきた素行不良の問題児だったのです。いや〜、身内のことを悪く言うのはほんとぅに心苦しいのですが、そこの無能は昔から何度も犯罪行為をおこなっておりましてねぇ。私たちはその対応に日々手を焼かされていたわけなんですよぉ」

 

一輝を知る者からすればそれこそ有り得ないと言う内容をすらすらと口にしていき、その笑みを深くしながら一輝に侮蔑の視線を送る。

赤座は気づいていないが、そのあまりの物言いにその場にいたほぼ全ての人間が、赤座に、嫌悪に満ちた眼差しを送っていた。

当然だ。ここまで露骨な悪意などそうそう見るものじゃないのだから。

そして、そんな赤座の物言いにステラはさらに怒りを募らせる。

 

「ふざけないでっ‼︎あんた達こそ嘘ばっかり言ってるじゃないの‼︎一輝が無能で問題児ですって⁉︎そんなこと、彼を知る人間なら誰だって嘘だってわかることよっ!こんなふざけた記事、アンタ達が意図的に仕組んだものでしょうっ‼︎」

「んっふっふ。随分面白いことを言うのですねぇ。もしや、彼からジョークでも教わりましたか?いやぁ、そうでしたら申し訳ありませんねぇ。先程も言ったとおり、この記事は全て事実なんですよぉ。それに、もうこうした記事になったわけですし、いくら貴方達が騒ぎ立てようとも、大衆がどう受け取るかは、明らかでしょう?」

「ッッ‼︎くっ」

 

もはや何を言ったところで無駄だと言ってるような物言いに、ステラは歯軋りをする。

同時に確信する。これは、黒鉄家からの明確な悪意を孕んだ攻撃に他ならないと。

彼らは、このスキャンダルを最大限活用して一輝を潰しにかかっている。これに乗じる形で、連盟本部が管理する一輝の騎士としての資格を取り消して、追放処分をかそうとしているのだ。

黒鉄本家の意に沿わなかった落ちこぼれを、封殺する為に。

 

「まぁとにかく。これは『倫理委員会』の正式な招集ですぅ。応じて頂けないと、んっふっふ。まぁ、一輝クンの立場はとても悪いものになってしまいますよぉ。……もちろん、来て頂けますよねぇ。一輝クン。んっふっふ」

 

赤座は一輝の両肩に手を乗せ、ねっとりと告げる。対し、一輝はしばしの沈黙の後、何かを決心しそう答えようとした時だ。

 

「わかり「少し待ってもらえませんか?」っ?」

 

突然、一輝の後方から声がかけられる。

声をかけたのは今までずっと静観していた新宮寺蓮だ。蓮は二人に声をかけると感情が感じられない無機質な眼差しを一輝の肩越しに赤座に向ける。

 

「少し彼と話したいことがあるので、よろしいでしょうか?大丈夫です。そこまで時間はかかりませんので」

「ん〜、まぁいいでしょう。ですが、手短にお願いしますよ。こちらも暇では無いので」

「ええ、もちろんですよ」

 

蓮は冷酷な表情のままそう告げて一輝へと向き直ると、いきなり胸ぐらを掴んだ。

 

「っっ⁉︎新宮、寺君っ⁉︎」

「ッッ⁉︎」

 

突然のことに一輝と赤座は困惑する。しかし、蓮は二人の反応には構わずに冷酷な声音で告げる。

 

「やってくれたな黒鉄。こんなふざけた記事がうちの学園から出ることになるとは、いい迷惑だよ本当に」

 

淡々と告げられるのは怒りの言葉。

怜悧な眼光が一輝を射抜き、彼に抵抗の一切も、口を開くことすら許さなかった。

そしてそのまま彼は言葉を紡いでいく。

 

「去年から色々と騒ぎの渦中にあるとは思っていたが、今度は皇女絡みか。お前は何かしら問題を起こさないと気が済まないのか。全く、救いようの無いやつだ」

 

怒りの次に出てくるのは侮蔑の言葉。蓮は絶対に口しないであろう侮蔑の言葉を一輝に告げていたのだ。その発言には、一輝だけでなく背後にいるステラすらも目を見開いている。

 

「今回の一件は、去年とは状況が違う。だから、俺は何も手を貸すつもりはない。手を貸す気も失せた」

 

蓮はそう告げ一輝を赤座の方に突き飛ばすと、そっけなく背を向けて赤座に声をかける。

 

「赤座委員長。話は終わりましたので、どうぞ彼を連行してください」

「え、ええ、分かりました。では、早速行きましょうかねぇ」

「………はい」

 

最初こそ蓮の対応に戸惑いを隠せなかった赤座も、一輝の消沈した様子に満足げな笑みを取り戻して一輝についてくるよう促して蓮達に背を向ける。

 

だからこそ、気づかなかった。

一輝の姿が一瞬青い燐光を帯びてブレた後、消沈した様子ではなく挑むような覚悟に満ちた瞳で前を見ていることに。

そして、蓮がその様子を肩越しに見送り、口の端にわずかに笑みを浮かべていたことに。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

一輝が赤座に連れて行かれた後、その場に取り残された者達の殆どがたった一人思惑を理解した彼女を除き、ある者に疑惑の視線を向けていた。

 

「………シングウジ先輩、今のはどういうつもりよ?」

「…………」

 

ステラが全員の疑惑を代表して、その人物に詰問する。対する蓮は、どこ吹く風という風にステラを見返して何も言わない。

 

「どうして、()()()()()()()()()()()()()()っ⁉︎」

 

ふざけた幻。

それは先程ステラを含めて全員が見ていた光景につながる。実を言うと、蓮が一輝の胸ぐらを掴み上げて罵ったあの光景は、蓮が作り出した幻だ。本物の蓮と一輝はただ向き合って立っているだけで、蓮が何かを一方的に言って、小さい青色の結晶体を渡していた。

しかし、幻とはいえ一輝を罵ったことの真意がまるでわからなかったステラは、蓮に尋ねずにはいられなかったのだ。

しかし、その疑問に答えたのは蓮ではなかった。

 

「布石を打ったんですわよね?」

 

カナタだ。彼女は、穏やかな笑みを浮かべながら前に進み出ると蓮とステラを見ながらそう答えたのだ。

 

「どういうこと?カナちゃん。今のが布石って?」

 

しかし、カナタ以外で蓮の真意を把握しているものはいない。刀華を始め、全員が首を傾げる。それにカナタはクスリと笑い蓮と一瞬目くばせするとその真意について話し始める。

 

「あの演技は蓮さんが黒鉄さんの為に動かないと彼らに思わせる為ですよ。黒鉄さんを見捨てるような発言をすることで、去年とは違い蓮さんは黒鉄さんを守るつもりはない。そう思わせることで、これから動きやすくするための布石を打ったと言うことですわ」

「これから動きやすくする為、ってまさか……」

 

ステラはまさかと思いつつ蓮を見る。蓮はそれに対して、口の端を釣り上げて笑みを浮かべた。それはステラの考えを肯定するものだった。

 

「ああ、カナタの言う通りだ。俺はこれから黒鉄を助ける為に動く。その為にあの演技は必要だった。奴が馬鹿で助かったよ。あんな猿芝居でも騙されてくれたんだからな」

「で、でも、どうして……」

「山小屋で言ったはずだぞ。ヴァーミリオン」

 

蓮は困惑するステラの頭にぽんと手を置いて優しく撫でると、山小屋でも伝えたことを改めて彼女に伝える。

 

「必要なら何か手助けするとな。だから、俺は俺自身の身勝手な都合でお前達を助ける。それだけの話だ」

「ッッ、レン先輩っ」

 

涙ぐむステラに蓮は二、三度優しく頭を撫でた後、彼女の横を通り過ぎてカナタの元に近づく。

 

「カナタ、あそこまで当てたんなら俺がやろうとしてることは分かっているな?」

「はい。全てとまではいきませんが、大まかなことは」

「ならいい。細かいことは後で母さん達も交えて話す。お前にも、貴徳原の力を借りることになる」

「ええ、分かっていますわ」

 

みなまで言わずともカナタは蓮がやろうとしていることは分かっているし、協力するつもりだった為、全てを聞かずとも快く蓮の頼みを了承した。

蓮は申し訳なさそうな表情を浮かべると、カナタに謝る。

 

「悪いな、迷惑かけることになる」

「いいえ、迷惑なんて思っていませんわ。

私もこの件は腹に据えかねています。全面的に協力させていただきますわ」

「ありがとう」

 

自分の謝罪にそう答えてくれたカナタに蓮は礼を言うと彼女達に背を向ける。

 

「カナタ、ヴァーミリオンを任せた。俺は寄るところがある」

「ええ、承りました。蓮さんこそお気をつけください」

「ああ」

 

カナタとそう短く言葉を交わして、蓮は一輝を救うための下準備をする場所へ向かう為に駐車場へと向かった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

黒鉄一輝が赤座に連れられ、車に乗せられ駐車場を出てからしばらくのこと。

車内は当然静寂に包まれており、助手席に座る赤座と後部座席に座る一輝は目を合わせようとすらしなかった。

しかし、そんな静寂の中、赤座はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべ口を開いた。

 

「んっふっふ、どうしましたぁ?随分と大人しいですねぇ。もしや、お友達にあんなことを言われたのが堪えましたかぁ?」

 

赤座は蓮によって見せられた幻しか見ていない。だからこそ、蓮が一輝の胸ぐらを掴み上げて侮辱した事しか知らない。

それを見たが故の、言葉だったが当然それが幻だと理解している一輝は冷静に否定した。

 

「いいえ、そんなことは思ってもいませんよ。これは、僕が招いたことですので」

「?んっふふ、まぁいいでしょう。自分の愚かさをわかっているようで何よりです」

 

予想外の返しに一瞬赤座はミラー越しに一輝を見ながら首を傾げるも、すぐにまぁいいと切り捨て一輝から目を逸らす。

再び静寂が戻った中、一輝は外の景色を眺めながら胸ポケットに、その中にある物体に服越しに触れる。

そこには、幻の一輝と蓮が話している間に密かに渡された青い結晶がー《蒼水晶》があった。

蓮に持っておくように渡されたものだ。しかし、一輝にはそれを渡した真意がわからなかった。

 

(一体、君はどういうつもりで……)

 

とはいえ、必要になるはずなので疑いはしても持たないという選択肢は一輝にはなかった。

その時、胸元の《蒼水晶》がブルブル震えたと思うと小さくだが、声が聞こえてきた。

 

『黒鉄、聞こえているか?』

「ッッ」

 

声の主は、バイクで移動中の蓮だった。

一輝は突然の声に思わず声が出そうになって慌てて口を噤んだ。慌てて前を見ると、気づいた様子はなく、何とか赤座達には気付かれることはなかった。

 

『いきなりすまない。声は出さなくていいから、聞こえているならその《蒼水晶》を二回叩け』

 

次に聞こえた蓮の指示に一輝は素直に従い、胸元の水晶を指先でコツコツと2回叩く。

それで把握したのだろう。蓮は話を続ける。

 

『まずその《蒼水晶》だが、お前とお前の周辺の状況を逐一把握するために持たせたものだ。監視装置の類と思ってくれて構わない。今のように、俺から通信を送れるし、魔力の眼を作ることで周囲の状況も把握できる。だから、その《蒼水晶》をずっと身につけていろ。何があっても外すな』

(ッッ……なるほど、そういうことだったのか)

 

一輝は蓮の説明にようやく真意を理解した。

つまり、蓮が持たせたのは監視装置であり、一輝の状況を遠隔で把握するものだったのだ。

その後も、蓮の話は続いていく。

 

『査問会があっても、それは名ばかりでお前の心証を悪くする為の証拠集めの茶番にしかならないだろう。だが、それはこちらとしても好都合だ』

(?それは、どういう……)

 

蓮の言っている意味がわからない一輝は頭に疑問符を浮かべる。

 

『その《蒼水晶》で査問会含めて奴らとお前との会話全てを記録させて貰う。それで、証拠を集める。どうせ、お前の意見なんて聞かないだろうからな。不当な査問だと突きつけることができるはずだ』

(ッッまさかっ、君はっ)

 

そこまで言われて一輝は気づいた。

蓮が倫理委員会と真っ向から事を構えようとしていることに。

その気づきに応えるかのように、蓮は応える。

 

『今回の一件。さすがに看過することはできない。俺もこれには怒りを覚えた。

だから、やるなら徹底的にやる。あらゆる証拠をかき集め、奴らの思惑を根本から砕く』

「ッッ」

 

今まで聞いたことがないような一切の感情を感じない低い声に、一輝は《蒼水晶》越しに体を震わせた。

彼は間違いなく怒っている。それこそ、自分が見たことがないほどの尋常じゃないほどの怒りを、彼は抱いていた。

 

『お前は今から奴らの懐に行くことになる。恐らくだが、何としてでもお前を追放しようとするはずだ。

そのためならどんな手でも躊躇わず使うだろう。つまり、お前は誰の手助けもなしにたった一人で奴らと立ち向かわなければならない』

 

そんなことは初めから分かっていた。

あんなふざけた記事を作るぐらいだ、彼らは自分を何が何でも排除しようとするはずだ。

そして、蓮が《蒼水晶》を持たせてくれたとはいえ、査問会の場では自分一人だ。一人で、あの悪意に満ちた集団と戦わなければならない。

 

『俺もお前を助ける為に動く。

十分な証拠を集めるまで少し時間はかかるかもしれないが、それでも、お前を必ず助け出すことを誓う。

だから、俺から言えるのは二つだけだ。———何が何でも耐えろ。そして、何があっても負けるな』

「ッッ」

 

蓮からの激励に、一輝は思わず目を見開いた。

彼が本気で自分を助けようとしていることが分かったからだ。それはあの時と、初めて手を差し伸べてくれた時と同じだった。

自分という友を救い出すために、彼はまた戦おうとしてくれているのだと。

 

『では、一度通信を切る。何か伝えたいことがあれば、後で一人の時に伝えてくれ。健闘を祈る』

 

そう言って、ブツリと通信が切れた。

しばらくは通信はできないだろう。これからは文字通りの孤独な戦いだ。

だが、一輝の胸中はとても穏やかだった。

 

(ありがとう新宮寺君。僕は、君に救われてばかりだ)

 

いつも自分は彼に助けられていた。

去年出会った時からずっと、自分は彼の優しさに救われていた。そして、今回も、彼は倫理委員会だけでなく連盟支部ーつまり黒鉄本家とも事を構えようとしている。

たとえ、彼が怒る理由が自分の事ではなくヴァーミリオン皇国にあったとしても、それでも構わない。

彼が事態解決のために動いてくれているという事実が、一輝の背中を押してくれているのだから。

 

(君が動いてくれてるんだ。なら、僕が負けるわけにはいかない)

 

こんなふざけた茶番に屈さない。

一輝は自分があの愛らしい少女にどれだけ愛されているのかをよく知っている。一輝は彼女の笑顔も、強さも、優しさも、全てを知っている。

だからこそ、彼女を愛することが間違いであるはずがない。不祥事などと言わせてたまるものか。

 

退かないし、屈するつもりもない。

この男達が自分の主張に耳を貸さないことなど、分かっている。だが、別にこんな連中に認めてもらう理由もないし、心底どうでもいい。

 

しかし、この気持ちにだけは嘘をつくわけにはいかないのだ。

 

だから彼女の為にも戦おう。

 

自分が彼女を愛しているという事実は、誰にも否定することなどできないのだから。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

時は少し過ぎ、場所は首相官邸。

その正門では二人の警備員がある話をしていた。

 

「なぁニュース見たか?」

「あぁ見た。皇女様のやつだろ?」

 

警備員達は交代前に見た世間を騒がせているニュースの話題をしていた。

 

「まさか黒鉄本家の子供があんなことをしでかすとはなぁ。写真で見ると優男っぽいのに、人は見かけによらないってやつか」

「そうだな。確かにあの記事には度肝を抜かれたよ」

 

二人は記事の内容でしか一輝の事を知らない為、そのまま鵜呑みにしてお互いに意見を交わした。だが、一人は怪訝そうな表情を浮かべている。

 

「でも、あの記事なんかおかしくないか?」

「何がだ?」

「いや、あの記事自体がだよ。なんというか、捏造してるような気もするんだよなぁ」

 

どうやらこの男はあの記事を見て内容を信じたものの、どこか納得がいっていないらしい。というよりかは、あの記事を疑っているようだ。

 

「捏造してるって、どこがだよ?」

「いやだって、黒鉄家なら昔からの札付きつっても、とっくの昔に家から追放できたはずじゃないのか?それに、皇女様の件もこれ彼氏ができたとかどうこうの話だけだろ?」

 

彼の意見は正しい。黒鉄家ならば昔からの悪ガキだとしても追放はできただろう。その機会だったいくらでもあった。

さらには、あの記事も真相は国賓である皇女ステラ・ヴァーミリオンに彼氏ができた、程度の話なのだ。なのに、それをこうもふざけた記事へと仕立て上げた。それが、彼には理解できなかったらしい。

その推測に、もう1人も顎に手を当てて考える。

 

「あ〜〜、確かにそう言われると頷ける部分もあるなぁ。でも、実家からの証言だぜ?わざわざ嘘を言うのか?」

「そこなんだよ。実家からってのが謎なんだよな。わざわざこんな身内の醜聞晒すか?」

「言われてみればそうだな。確かに、おかしい」

「だろ?」

 

どうやら2人の間ではあの2人の記事は捏造であり、何らかの意図があったという結論になった。そこまで話した時、警備員の一人が周囲の異変に気づく。

 

「……なぁ、さっきから静かすぎないか?」

「?……っ、本当だ。この時間帯にしては、おかしいな」

 

もう一人も周囲の異変に気づき険しい表情を浮かべる。男の指摘通り、先ほどからこの周囲がどういうわけか静かすぎるのだ。

普段のこの時間帯ならば、帰宅する人や車などで首相官邸前は人通りがそれなりにあるはずなのにだ。最初こそ偶然かと思ったが、二人はこれが普通じゃないことを直感する。

 

「おい」

「分かってる」

 

二人は言葉を交わして大剣と日本刀型の霊装を瞬時に展開する。

首相官邸を警備するこの二人は伐刀者だった。国の頭である首相官邸だからこそ、それを守るのが伐刀者というのは納得がいく。

しかも、霊装を構えるその動作からは魔力量こそ多くはないものの、よく鍛えられているものだと伺えた。

そして、二人が警戒を始めた直後、彼が現れた。

 

「「ッッ‼︎」」

 

不意に首相官邸の正門前に止まった一台の黒い大型バイク。その運転手は、黒いヘルメットを被り、服も黒一色に包まれており素性が全く知れない見るからに不審な存在。

男は正門前でバイクから降りると徐にヘルメットを取る。現れたのは一言で言えば『鬼』だった。

常闇のような深い漆黒色の長髪と月を閉じ込めたかのような金碧色の縦に割れた瞳。そしてその容姿を決定づけたものが、彼の顔を覆う角を連想させる突起がついた仮面だった。

 

それはまさしく『鬼』だ。

『鬼』はバイクから降りるとゆっくりとこちらへと歩いてくる。その姿に、警備員達はいいようのしれない悪寒が背筋を駆け抜けたのを感じた。

 

「そこの男っ‼︎その場から動くなっ‼︎」

「両手を上げて、その場に膝をつけ‼︎」

 

そこからの対応は早かった。

日本刀を構える男が、その刀から雷撃を『鬼』の前方1メートル手前に威嚇攻撃を行いながらそう叫ぶ。もう1人も、同じように霊装を構えて漆黒の魔力を放ち警戒の声を上げた。

 

「………」

 

『鬼』は一度止まり着弾した箇所を暫し無言で見下ろす。そこで、止まれば良かったのだが、あろうことか『鬼』は止まらなかった。

『鬼』はその境界を踏み越えて、再び歩みを進めたのだ。

 

「ッッ‼︎警告はしたぞっ‼︎」

 

雷使いはそういうと同時に、今度こそ『鬼』に向けて雷を放つ。もう1人も同時に駆け出しており漆黒纏う大剣を巨大化させて振り下ろす。

淀みない動作から放たれた一連の攻撃は間違いなく当たると思われた。だが、

 

『動くな』

 

『鬼』は容易く止めてみせた。

たった一言、言霊を唱えるだけで雷撃は呆気なく霧散し、雷使いと大剣使いは金縛りにあったかのように動きを止められた。

 

「なっ、にっ⁉︎」

「体がっ⁉︎」

 

たった一言で行動の一切を封じられたことに、2人は驚愕する。

 

(一体、何をされたっ⁉︎)

(くそっ、これじゃあ連絡も取れないっ!)

 

2人はなんとか金縛りを解こうとするも全く解ける気配がない。それを他所に『鬼』は更に歩みを進めて2人を視界に収めて見下ろす。

 

「ひっ」

「ぁっ」

 

目が合った瞬間、2人の口から小さい悲鳴が漏れた。仮面の奥から覗く怜悧な眼光を秘めた金碧の魔眼に見据えられた瞬間、2人は魂を握られたかのような感覚に陥ると同時に、鬼自身から発せられる禍々しい覇気に呑まれ、どう足掻いても勝てないと悟ってしまったのだ。

一瞬で2人を無力化してしまった『鬼』は、静かに口を開く。

 

 

 

『………月影漠牙に用がある。貴様達は邪魔だ。寝てろ』

 

 

 

刹那、大気を青く染めあげるほどの濃密な魔力が放たれ、警備員達が、首相官邸そのものが凍らされた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「………これは、参ったな」

 

蓮が首相官邸に踏み込む少し前、首相官邸の書斎では首相である月影漠牙が頭を抱えながらそう呻いていた。

彼の眼下には広げられた今日の夕刊があり、そこには一輝とステラについての記事がデカデカと写されていた。

そして、この記事こそが、月影を現在進行形で困らせていた元凶だった。

 

「こんな記事を厳君がやったとは思えない。だが、黒鉄一輝君になんらかの対応を行ったのは事実。だとしたら、これは彼の部下の誰かが命じられて行なった陰謀か」

 

月影は黒鉄一輝の父、黒鉄厳のことをよく知っている。なにしろ、政治家として出馬する際に、支援を頼んだぐらいだ。

彼とは十年来の付き合いがあるからこそ、こんなことをしでかす人ではないとわかる。だが、彼が一輝を伐刀者の免許を取らせないようにし妨害しているのは、蓮からの話で知っている為、部下の誰かが彼に命じられて企てたとすぐに真相に行き着くことができた。

だが、今月影が気にしているのは誰が企てたとかではない。

 

「これを見て、彼が動かないはずがない」

 

一人。確実に、この記事を見て動く人間がいるのだ。彼が危惧しているのは、その人物のことだ。

 

「こんな、ヴァーミリオン皇国を侮辱するような記事だ。彼は内心怒っているだろうね」

 

そもそも、この記事自体政界人である自分からすれば不適切にも程があるし、不可解な点が多すぎる。

まず、何故いきなりステラと一輝の交際を不祥事だと言えるのか。それがおかしいのだ。

 

自分でも怒りを覚えるような記事なのだ。

ヴァーミリオン皇国が誇り、死してなお慕われている女傑たるサフィアの息子である蓮が怒りを覚えないはずがない。

必ず、動くに決まっている。

 

そして、《魔人》たる彼を怒らせて敵に回すということは、シンプルに破滅を意味している。蓮という強大な力を持つ怪物を敵に回すことがどれほど危険なことかを、月影はよく知っている。

だからこそ、月影は対処をすべく、受話器を操作して秘書長に電話をする。

 

『首相、どうされました?』

「ああ、実は今日の予定を全てキャンセルして欲しいんだ」

『……全て、ですか?』

 

困惑を隠せない秘書長は恐る恐る月影にそう尋ね返した。

 

「ああ、国防に関わる問題が発生してね。そちらの対処に回らないといけなくなってしまった。だから、今日の予定は全てキャンセルして、官邸内にいる人達も警備員を含めて、全員今日は業務を切り上げてすぐに帰るよう伝えてほしい」

『理由は聞きませんが、かしこまりました。皆様にお伝えします』

「ああ、頼むよ」

『はい』

 

とりあえずこれで不要な被害は抑えることができるだろう。あとは、彼が来るのを待つだけ、だと思っていたのだが、月影は自分の選択が遅すぎたことを理解する。

電話を終えた直後、首相官邸が凍りついたからだ。

 

「ッッ⁉︎もう、来てしまったか」

 

書斎室は窓しか凍っていないものの、直後感じた超濃密な魔力と息苦しいとすら思えるほどの威圧感に、月影は彼が来てしまったのだと理解した。

この様子だと、恐らくは書斎とその中にいた月影以外の首相官邸の全てが彼の魔術によって凍らされたはずだ。

それから、しばらく物理心理共に冷気が支配する書斎で待ち人を待っていた時、外からコツコツと静かな足音が聞こえてきて、ガチャリと扉が開かれた。

外から入ってきたのは、漆黒の長髪と金碧の瞳を携え鬼の仮面をつけた予想していた人物よりも少し背の高い大柄の男性。

 

予想とは違ったものの、その人物を彼は知っている。

 

なぜなら、この姿こそが日本が保有する戦略級魔導騎士——日本国陸上自衛隊特殊部隊『独立魔戦大隊』所属、桜宮 亜蓮特務尉官ー新宮寺蓮が軍人として変装した姿なのだから。

彼は、冷徹な表情のまま仮面から爛々と輝く金碧の眼光を覗かせながら、淡々と言った。

 

「突然のご訪問、申し訳ございません。月影漠牙内閣総理大臣」

 

丁寧でありながらも、威圧感を隠そうともせず何か不用意な発言をすれば迷いなく叩き潰すであろう蓮の様子に、月影は冷や汗を流し体を少し震わせながらも何とか平静を保ち首を横に振る。

 

「……いいや、大丈夫だよ。ただ、いきなりの訪問は良いとして、これは少しやりすぎじゃないかな?新宮寺君」

 

月影は震える声でなんとかそう言い切ることができた。蓮はそれに対して、仮面を外して変装を解く。濡羽色の漆黒から海色の淡青の髪へ、金碧の瞳は紺碧へと、服も破軍学園の黒白の制服へ、背だけでなく顔つきすらも変わり、元の彼の姿へと戻る。

変装を解いた蓮は詫びる様子もなく平然と答えた。

 

「まだこの程度で済んで良かったと安心するべきだな。俺がもう少し理性が抑えられなければ連盟支部を潰してた。それに、ここ一帯は結界で覆っている。逃げもできないし、外からは何も代わり映えしない首相官邸が映っているから騒ぎにもならん」

「…………」

 

周囲への対処も完璧に行っている蓮の対応に、月影はやはりそうかと驚きはしなかった。

蓮とて首相官邸を凍らせると言うテロ行為を行っている以上、隠蔽するに決まっている。そして、蓮ならばそれは容易だ。だから驚かないのだ。

蓮は淡々と話を進めていく。

 

「さて、こんなくだらない前置きは無しにしよう。早速本題にいかせてもらう。月影漠牙内閣総理大臣。これはいったいどういうつもりだ?」

「ッッ⁉︎⁉︎」

 

月影は今度こそ大きく身を震わせた。

蓮から向けられる鬼気が濃密さを格段に増し、魔力が可視化できるほどに放たれ、その背にこちらを睥睨する龍を見た。

 

(これは……相当に、キテるね)

 

蓮の様子に、月影はこの記事を企てたまだ顔を知らない者によくもやってくれたなと毒づく。

蓮の濃密な鬼気はそれだけこの記事が彼を怒らせたと言うことの何よりの証左だ。

一つ発言を間違えれば、彼は連盟支部を叩き潰し、その暴力を以て事件解決に強引に動く。そう思わせるほどに、彼の気迫は凄まじかった。

 

月影はその可能性を理解し、この10年で首相まで上り詰めた思考をフル回転させ、何とか正解を導き出した。

月影は震える足腰を奮い立たせて立ち上がると、蓮の前まで歩き彼を見上げると、ゆっくりと頭を下げた。

 

「この件は私が命じたわけではない。だが、それでも日本国の首相として他国を、しかもヴァーミリオン皇国を貶めるような記事が出たことを止められなかったことは、後日、事態の背景について捜査すると共に、ステラ・ヴァーミリオン第二皇女殿下を始めとし、ヴァーミリオン国王陛下にも謝罪文を送らせてもらう。

君の怒りは最もだが、今はどうかその怒りを収めて欲しい」

「……………」

 

蓮はその様子をしばらく無言で見下ろしていたが、十数秒経った後、途端に魔力や鬼気を解くと静かに口を開ける。

 

「政治家らしい薄っぺらい言葉だが、今はお前の言葉を信じよう。とはいえ、お前がこんなことをしでかすとは初めから思っていないからな。一応、お前の意志を聞きたかったが為に、この対応を取らせてもらった」

「……そうか。態々すまないね」

 

顔を上げて、冷や汗を流しながらもそういった月影に蓮は首を横に振ると、自分も軽く頭を下げた。

 

「いえ、それより俺の方からも謝罪を。

このような強引な手段で貴方の元に押しかけ、脅迫まがいの対応をしたこと謝罪いたします」

「それは構わないよ。私も、予想よりも被害が軽微で内心安心していたんだ。

ただ、君は多分私以外の人間を凍らせているのだろう?なら、まずは彼らを解放して欲しい。口止めは私の方が行おう」

「はい」

 

その後、蓮が結界は維持したまま氷だけを解除し、官邸内の人間の意識を戻させると月影が厳重に箝口令を敷き、更には蓮が『引力』を使ってまで徹底的に口封じを行い無理やり帰らせて、官邸を月影と蓮二人きりにさせる。

二人きりになった事を確認した月影は、早速本題に入った。

 

「それじゃあ、早速本題に入ろうか。先ほども言った通り、この記事については私は何の関わりもない。これから、背後関係を調べるつもりだった」

「では本当にまだ何もわからない状態ですか」

「そうなる。すまないね。首相でありながら、対応が完全に出遅れてしまった」

 

そう謝罪する月影に蓮は首を横に振って止める。

 

「いえ。この記事は出たばかりですし、これから調べると言うのも納得がいきます。

俺が来た理由もこの件の解決に貴方の協力を得る為なのですから」

「それなら心配は不要だ。この記事は、私個人だけでなく、首相としても看過できない記事だからね。君への協力は惜しまないよ」

 

月影とてこの記事は横暴にも程があると思っていたところだ。蓮に言われずとも事態解決に動くつもりだったし、黒鉄家に説明を求めるつもりだった。

そんな時に、蓮の方から協力を持ちかけられるのはこちらとしても願ってもない話だ。

国家としての政治力と、圧倒的な武力の二つの抑止力。この二つが合わさる事で、伐刀者関連で実権を握っている連盟支部の黒鉄家に対抗できるのだから。

 

「私の方はこれから調べるが、君の方では何か掴めているのかい?」

「はい。首謀者に関しては、もう特定できています。……いえ、特定というか、所用で奥多摩の合宿施設にいた際に、首謀者本人が直接黒鉄一輝を連行して行ったので……」

「では、その人物は誰なんだい?」

 

曖昧に答える蓮に月影は多少気にしつつ、その人物について尋ねた。

 

「魔導騎士連盟日本支部倫理委員長赤座守。黒鉄家の分家の当主であるあの男がこのふざけた事を企てた首謀者だと思われます」

「赤座守。……あぁ、彼か。しかし、何でこんなことを……」

 

月影も赤座のことは黒鉄 厳を通して知っている。見るからに野心に満ちており下卑た思惑を隠せていない、政治家としてあまり好感は持てない男だった。

だからと言って、今回の事を企てた真意までは分からない為、月影は小さく呻く。しかし、それに対して蓮ははっきりと言い放った。

 

「黒鉄一輝を追放する為です」

「なに?」

 

蓮より齎された情報に、月影は思わず眉を顰める。

 

「そのままの意味です。おそらくは、黒鉄 厳氏はFランクである黒鉄 一輝が選抜戦で勝ち進んでいる状況をよく思っていません」

 

蓮は去年からの付き合いから厳の目的をほぼ読んでおり、その推測と合わせて今回の背景について語っていく。

 

「このままでは彼は七星剣武祭に出てくる可能性が高い。だからこそ、彼が全国に出てくる前にどうにか彼を追放処分にしようと考えているはずです。しかし、今のままでは何も決定打たりえる証拠がない。そこで彼らは考えたのでしょう。無いのなら、作ればいいと」

「っっ⁉︎」

 

今回の一件、まさしくその理由が当てはまるはずだ。一輝は去年の時点で彼らの魂胆に気付いていたために尻尾を掴ませなかった。蓮の協力もあり見事去年は尻尾を掴ませなかった。

しかし、どうしても証拠を得たい彼らは今年もどうにか追放させようと、証拠を集めていたはずだ。

そんな時に、彼らは入手したのだ。ステラ・ヴァーミリオンとのスキャンダル写真を。

 

「ステラ・ヴァーミリオンとのスキャンダル写真。彼らは、ずっと黒鉄一輝を張っていた末にあの写真を入手した。

彼らは二人の関係を好機と捉えて、その写真を利用して国賓の皇女を誑かした不良として、しかもさらに印象を悪くさせる捏造話をつけて世間に大々的に報じた。そうすることで、黒鉄一輝の世間でのイメージを悪くさせて、その上で査問を行い彼を追放しようという魂胆なのでしょう」

 

本当のところはわからない。

だが、過去の経験則や、去年の一輝に対する対応。黒鉄家のお家事情や、日本支部内の空気。蓮が持ち得る情報全てを組み合わせた結果、そう推測することができた。

 

学生騎士としての資格を奪う『退学処分』には『追放処分』という前段階を踏む必要があり、その資格を管理しているのは『国際魔導騎士連盟』の本部であり、支部では剥奪請求しかできない。

だからこそ、その剥奪請求で確固たる根拠を得るために、去年から厳は動いていた。桐原静矢を嗾けたことや『留年』もその一つだ。

そして、この記事で厳は追放処分に必要な証拠を集めるつもりなのだろう。

 

「黒鉄厳がなんらかの対応を命じ、その結果赤座守はこんな記事を作り上げた。奴らは今回の件で本気で黒鉄一輝を追放しようとしている。

その結果、どうなるかも考えもせずに」

 

追放処分がどんな問題を引き起こすかや、こんな国際問題を引き起こした責任など、彼らは何も考えておらず、ただ、黒鉄一輝を追放する為に周囲を引っ掻き回した。

その愚行は蓮を怒らせるには十分であり、何よりも。

 

「問題は、奴らがヴァーミリオン皇国を謂れもない理由で侮辱したことです。

親父とお袋が築き上げた両国の友好を奴らは下卑た思惑で壊そうとしている。それを断じて許すわけにはいかない」

 

両親が築き上げた友好をくだらない私情で壊されることが、何より蓮を怒らせたのだ。

 

「それで、私は君に協力するつもりだが具体的には何をすればいい?」

 

月影は蓮に協力するといった以上、彼の作戦に則って行動すべきだと判断し、総理大臣としてまずは何をすればいいのか彼の作戦を尋ねた。

 

「まずは俺がヴァーミリオン皇国に行く際のサポートをして下さい。憶測ですが、外へ情報を漏らさないために空港も規制している可能性も考えられます。俺なら強引に突破はできますが、なるべく不法入国は避けたいので、貴方の権限で俺が出国できるようにしてもらいたい」

「なるほど。君が直接出向くのか」

「ええ。顔も名も知らない者が行くよりは、学園の生徒であり、あの2人の子でもある俺が出向く方が話が進むでしょう?」

「確かにそうだね」

 

月影も蓮の意見には同意だ。月影は外交官を派遣しようと考えていたが、学園の内情を知っており、なおかつヴァーミリオン皇国とも縁がある彼が出向いた方が、話は円滑に進むと容易く予想できた。

 

「日程などはもう考えているのかい?」

「ええ。一応5、6日後に向かう予定です」

「その日にちにした理由は?」

「それまでの期間に国王陛下に提示するための証拠を集めるためです」

 

蓮はそう言うと、手のひらに《蒼水晶》を生み出す。

 

「黒鉄一輝にはこの《蒼水晶》を持たせてあります。これはいわば監視・盗聴を行うための小型装置の役割を担っています」

「それで査問会の様子を記録するんだね?」

「はい。俺の予想ですが、どうせ査問会とは名ばかりのこと。揚げ足を取るためにしかすぎません。だからこそ、それを彼らに気づかれないように査問会でなく、支部内での証拠になり得る有力な会話全てを記録することで、逆にこちらが問いただすんです」

「そして、その証拠を倫理委員会が動く前にヴァーミリオン国王陛下に見せると」

「はい」

 

概ねその通りだ。

おそらく、倫理委員会もヴァーミリオン皇国に何らかのアクションを取るだろう。しかし、それは嘘の情報を伝えるだけに過ぎない。何も知らないのをいいことに、自分達の思った通りに話を進めるのだろう。

だが、そうはさせない。期間は5、6日。その間にできるだけ証拠をかき集めて、倫理委員会が動くよりも先にヴァーミリオン国王陛下に直接謁見し、真実を伝える。

そうすることで、ヴァーミリオン皇国からも働きかけるように協力を要請するのだ。

だが、月影は一つ疑問が残っていた。

 

「しかし、その間に彼らが動く可能性もあるだろう。それはどうするつもりだい?」

「いえ、彼らがヴァーミリオン皇国に連絡を取るのは、恐らく選抜戦終盤、来週以降になるでしょう」

「その根拠は?」

「黒鉄一輝が折れるわけがないからです」

 

蓮は信じている。黒鉄一輝がただの精神的リンチ程度で折れるはずがないと。

彼らとてそれはわかっているはず。だからこそ、査問によって精神的リンチを加えている間に、ヴァーミリオン皇国に根回しをするのだろう。しかし、それも一週間以内に行われることはないはずだ。ある程度追い込んでから根回しをするはず。だから、その前にヴァーミリオン皇国に向かい布石を打つのだ。

 

「君の計画は概ねわかった。私も異論はない。報道はこちらでやっておくよ」

「ええ、頼みます。ですが、報道に関しては貴高原財団にも協力してもらうつもりです。ですので、俺が連絡を取るまではじっとしててください」

 

普通ならば総理大臣に何らかの指図をすることはあり得ないのだが、今回は状況が状況だ。月影も、蓮の知り合いとして力を貸しているため、彼の作戦に素直に従った。

 

「ああ分かった。君の指示を待とう。それで、これでひとまず話は終わりでいいかな?」

 

これで、一度目の作戦会議は終わりだと判断した月影は蓮に尋ねる。

しかし、蓮は首を横に振りそれを否定する。

 

「いえ、最後に一つだけ」

 

実を言うと彼にはもう一つ目的があった。それは、今回の件とは全く関係のない蓮個人が気になった話だ。

てっきり終わりだと思っていた月影は、思わず首を傾げて尋ねる。

 

「何だい?」

 

月影の問いかけに、蓮はしばらく沈黙した後、意を決したかのようにもう一つの目的を果たすために口を開いた。

 

 

 

「貴方が暁学園計画を始めたその理由を教えてください」

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

蓮の質問に、月影はわざとらしく首を傾げる。

 

「その理由は、前に話したと思うよ?」

「はい。《暴君》の寿命により、三大勢力の均衡が崩れて、《解放軍》の人員が両組織に流れた結果、『連盟』と『同盟』で囲い込み競争、つまり第三次世界大戦が始まり日本は絶望の未来に呑まれると」

「そこまで分かってるなら、改めて聞かなくても良いんじゃないかな?」

 

蓮とて前に話したことはしっかりと覚えている。だからこそ、それが理由だと納得できればよかったのだが、蓮はそうではないと何となく思ってしまったのだ。

蓮は月影の問いかけに首を横に振る。

 

「いいえ、確かにそれが理由だとしても納得がいきます。……ですが、それがたった10年前まで、破軍の理事長に過ぎなかった貴方が首相を目指す理由にはなり得ていないと俺個人としては思います。だからこそ、貴方に聞きたい」

 

蓮は徐に瞳を青く輝かせて月影を視る。

霊眼使用により輝いた瞳で蓮は、月影を視ながらはっきりと核心に踏み込んだ。

 

「月影総理。貴方は()()()()()()()()()()()()()?」

「ッッ⁉︎な、なぜ、それをっ」

 

蓮の指摘に月影はあからさまに狼狽える。

なぜなら、それは本当にごく僅かなものにしか明かしていないものなのだ。

蓮には当然明かしていない。だが、月影は気づいた。蓮の瞳が輝いており、その神秘の眼の力を持って自身の異能の正体を半ば看破したと言うことに。

 

「いや、君の眼を以ってすれば分かってしまうのか……」

「貴方の異能波長は因果干渉系のソレです。

そして、戦闘系の伐刀者じゃないことも母から聞かされています。因果干渉系の中でも誰も正体を知らない。つまり、正体を隠すほどの異能。それは、戦闘系ではないにしても母さんの『時間』と同等か、それ以上の希少な異能であることは間違い無いと判断できます」

 

ずっと疑問だった。

なぜ、月影が暁学園を立ち上げるに至ったのか。

《暴君》の寿命が尽きることで、《解放軍》と言う第三勢力が消えてしまいその結果、抑止力のいなくなった二つの勢力が争い第三次世界大戦が始まってしまうから?

確かに。ソレも理由なのだろう。だが、言い方は悪いがソレは後付けのようにも聞こえるし、世界情勢を気にする者であれば、一度は考えることだ。蓮だって一度考えたことがあったが、そんなまさかと切り捨てていた。そして、多くの人間が、そんなバカなと考えないようにする。

 

しかし、月影は何かを視たからこそ、その考えがよりはっきりと確信へと至り、この計画を実行したのではないだろうか。

 

そして、彼が視た何かは誰かの手によるものではなく、自分自身の手で視たものだ。だとすれば、考えつくのは彼自身の伐刀絶技の他にはない。

 

「月影総理。貴方は貴方自身の能力で何かを、絶望の未来を視たのではないですか?そして、その結果、貴方は第三次世界大戦が起きる確証を得てしまったことでこの計画を始めた。………違いますか?」

「………………」

 

蓮の鋭い視線を真っ向から見返していた月影は、しばらく険しい表情のまま沈黙を貫いていたが、やがて数十秒の後、力を抜くように息をつくと苦笑を浮かべた。

 

「……やれやれ、本当に参ったね。

まさか、そこまで言い当てられてしまうとは。君は、私の頭の中でも覗いたのかなって思うほどに正確に言い当てたよ」

「だったら……」

「ああ、仕方ない。本当は君には見せるつもりはなかったんだがね。そこまで言い当てられては、もはや隠すのも難しい。だから、特別に見せよう」

 

そう告げるや否や、月影は両腕を前に突き出し、唱える。

 

「万象を照らせ。《月天宝珠》」

 

その言葉とともに月の輝きのような淡い金光を放つ、金色の金属で装飾が施された拳大の水晶球が現れた。

宝珠型の霊装に蓮は、わずかに驚く。

 

「それが、貴方の霊装ですか。……初めてみる形ですね」

「そう、これが私の霊装《月天宝珠》だ。

君の『龍神』とは別ベクトルの稀少性を有し、その能力がゆえに、発現した時からずっと日本の国家機密となっていて、連盟にもその詳細は伏せている。私も、これを人前で見せるのは久しぶりだよ」

「………そうですか。では、見せてもらえると言うことでよろしいのですね?」

 

問うた蓮に月影は頷くと、少し疲労を感じさせる表情を浮かべて微笑み、

 

「無論だ。まずはこれを見て欲しい」

 

そう言って、滞空する《月天宝珠》を指で弾く。

すると、《月天宝珠》の鏡面に波が立ち、球体の下部から一滴。雫が床の絨毯に滴り次の瞬間、蓮達の足元に光り輝く波紋を起こし、ある映像を部屋一面に映し出す。

 

「ッッ、これはっ……」

 

その映像に、蓮は思わず表情を強ばらせて息を呑んだ。

なぜなら、浮かび上がった映像は———地獄だったからだ。

一面炎に呑み込まれ、苦鳴を上げながら炎に焼かれている人々達の姿が、まさしく地獄としか形容できない光景が広がっていた。

 

しかも、これはただの映像ではない。

周りを取り巻く炎の熱さが、耳をつんざく絶叫が、人の肉が焼け焦げる匂いが、その映像から伝わる情報全てが、疑いの余地もなく現実だと言うことを、蓮は経験から理解したのだ。

 

「これは、これはっ……一体どういうことですかっ⁉︎」

 

蓮ですら思わずこの光景に、戸惑いの声をあげる。それほどまでに動揺が大きかった。そして、周囲を見渡して映像の一箇所にある一つの存在に気付いた。

 

「あれは……スカイツリー?ということは、まさかここは東京なのかっ⁉︎」

 

視線の先にある斜めに傾いた巨大な鉄塔『東京スカイツリー』の姿を捉え、この映像が東京だと言うことに気づき、蓮は戦慄の声をあげる。

そんな彼に、月影は静かに告げる。

 

「私の異能は『歴史』を司っている。

《月天宝珠》は一定範囲内の人や場所の『過去』を、すなわち『歴史』を見ることができる。基本は過去しか見れないが、時折、今現在の因果線上に存在する『未来』を、私に『予知夢』と言う形で見せてくることがある。……これは、その力が私に見せた未来の記憶。今のまま星の運命が進めば、いずれ辿り着いてしまう未来の東京の姿だ。それを私と言う人間の過去から再生している」

「ッッッ⁉︎」

 

月影の説明に、蓮は目を剥いた。

今自分たちが立っている場所が、この東京がこのような地獄に呑まれてしまうことなど誰が信じられるであろうか。

 

「………こんな未来が、待ち受けているのですかっ⁉︎」

 

蓮は驚愕に声を震わせながら思わず月影に尋ねる。それに、月影は首を縦に振る。

 

「おそらくは。今のままではこの未来に辿り着いてしまう事は確かだ」

 

月影の言葉に、蓮はこの地獄を生み出した原因を理解しつぶやく。

 

「……まさか、第三次世界大戦がこれを?」

「……私は、そう予想している。そしてこれこそが、私が暁学園を立ち上げた理由だ」

 

月影は己が行動するに至った証拠を見せ、そう告げた。

 

「日本をこの滅びの未来から救う為には、《連盟》から鞍替えして、《同盟》に加わることが唯一の方法だと私は考え、実行した。《暁学園》を立ち上げ、その強さを以て脱連盟の気運を高め、《連盟》脱退の際にクリアしなければならない国民投票で過半数の賛成票を取得するための作戦を」

 

この悪夢を見たのは、今から12年前。

コレを見てからずっと、月影はひたすら、それを成すためだけに生きてきた。そのためだけに、ただの教師にしか過ぎず、票田も持たない身でありながら《反連盟》を掲げる有力者を取り込み、世論を動かして、保守派の旧与党を退け政権を握ったのだ。

戦う力を持たない彼には、それしか方法がなかったから。

月影は指をパチンと鳴らし、《月天宝珠》を消し、映像を閉じると真剣な表情を浮かべ蓮には向き直る。

 

「新宮寺蓮君。対国家級戦略魔導騎士である君に、卑怯ではあることは分かっているが、それでも改めて聞きたい」

 

だからこそ、彼は言わなければならない。ソレが卑怯で最低な選択だとしても、月影は彼に言わなければならなかった。

 

 

「君は滅びの未来を知った。このままではこの未来に行き着いてしまうことも、理解した。

だからこそ、改めて言わせてもらう。

私としては、君に暁学園に参加して欲しい。君が暁として《七星剣王》になれば、確実にこの未来は回避でき、君の家族や友達はあの地獄を味合わなくて済む。だからこそ、日本最強たる君の力で、どうかこの国を救ってほしい。

破滅の未来を知った上で、もう一度君の意志を聞かせてくれ」

 

 

その言い方は、卑怯だ。

その言い方は、最低だ。

彼は、蓮の優しさに付け込もうとしている。

家族を、友人を、己の大切を守ろうとしている彼に、その大切を利用して口車に乗せようとしている。

 

(……私は、人として最低だな)

 

月影は自分の愚かさに内心で嘲笑いながらも、それでも蓮に告げた。

見せるよう頼まれたとはいえ再び勧誘を、しかし今度はさらに追い込むような証拠を見せて蓮に破軍を裏切る選択を再び迫っている。

 

「……ッッ」

 

蓮はあの時と同じように顔を俯かせしばらく沈黙する。だが、音が鳴るぐらい強く噛み締められた歯や、震えるほど強く握り締められている拳を見るに、相当葛藤しているのが分かった。

 

無理もない。前は話を聞いただけだったが、今回は違う。その未来の可能性の一つを実際に見てしまい、今の現状、辿る未来をよりはっきりと、明確に理解してしまったが故の葛藤だ。

 

やがて、拳から血が溢れ下の絨毯に滴り落ちてしまうほど強く握られてから少しした後、蓮は顔を上げて苦渋に満ちた重苦しい表情を月影に向けて、絞り出すように震える声で言った。

 

 

「………すみま、せん。……俺は、それでも、引き受けることはできませんっ」

 

 

蓮は震える声で月影の勧誘を再び断った。あの絶望の未来を見た上で、それでもやはり、その選択を選ばなかったのだ。

月影はそれを初めから分かっていたのか、酷く優しげな表情を浮かべた。

 

「……そうか。うん、君ならそう答えると思っていた。だから、謝らなくていいよ。君は何も悪くないんだ。私の方こそすまない。君に二度も酷な想いをさせてしまった」

「ッッ……月影さん。俺はっ、俺は何が正しくて、何が間違っているのか、分かりません」

 

蓮は震える声音で言葉を紡いでいく。

あの未来を見たからこその己の意志を、言葉にしていく。

 

「ですがっ…俺も貴方と同じように、あんな未来を許すつもりはないっ。そして、これほど日本の未来を憂い、日本を救おうと足掻いている貴方の頼みを二度も断った以上、俺は尚更《魔人》としての責務を全うしなければならないっ」

「っっ、それはっ」

 

月影は蓮が言わんとしていることに気づき、目を見張る。蓮は月影が気づいた通りのことを宣言した。

 

「俺が全て背負います。俺はこの国最強の《魔人》であり、人ならざる化け物です。だからこそ、もしも貴方が言った通りの未来になった場合に、俺が、俺自身の全てを賭けてこの国の盾となり、矛となり全てを守ります。誰1人として死なせはしませんっ」

 

苦渋に満ちた表情を浮かべながらも、葛藤の末に導き出した決意を胸に蓮はそう力強く宣言した。

 

月影が十二年前に見た地獄を引き起こさないために、日本を救おうと暁学園を設立し連盟脱退を目指しているように、蓮もまた地獄の未来を見たことで、怪物だと定めている自分自身を犠牲にし命を賭けることで、この国の民全てを守ろうとしている。

月影は蓮のそんな心情が手に取るようにわかってしまった。しかし、その考えは、その自己犠牲の選択は、

 

(……君がそう言うことは分かっていた。でも、駄目だ。それじゃあ、駄目なんだよ)

 

決して月影が望んだものではなかったのだ。

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

月影は暁学園計画とは関係なしに蓮がこれ以上傷ついてほしくはないと思っている。なぜなら、知っているからだ。蓮が何度も傷ついてそれでも、愛する者を守る為にと、両親の無念を晴らす為にと戦い傷つき続ける姿を。

 

学生時代や卒業後の2人を、生まれたばかりの蓮を知っているからこそ、その想いは強かった。

だが、悲しいことに自分には彼を止めれるほどの力はなかった。

 

(けれど、私がそう言ってもきっと止まらないのだろう。いや、もう止められないんだろうね)

 

恐らく、彼はもう自分一人では自分を止めることはできない。

贖罪の為に、復讐の為に、大切の為に戦い続けている彼は、もう己の歩みを止める術が分からなくなってしまっている。

だから、彼には彼自身を止めてくれる人が、拠り所となってくれる存在が必要だ。

しかし、その役目は月影ではない。他の誰かだ。だから、

 

(誰か、どうか彼を愛する誰か。彼を止めて欲しい。もうこれ以上、彼が苦しまないように、彼を救って欲しい)

 

自分ではもう分からないほどに、無意識に誰かに救いを求めている彼を、暗闇から引っ張り上げて欲しいと、彼は一人の知人として、孫同然にも思っている子のこれからの幸福を願った。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

その後少し話して、学園で黒乃達と打ち合わせをする為に蓮が去った後、月影は一息ついて椅子に深く座り込む。

 

「ふぅ……とりあえず、一つの難所は越えたか」

 

月影は深く息をつくと、額に浮かんでいた汗を拭う。

今回の一件。自分達がやるべきことは既に決まっており、どう対処すればいいかも考えつつあったが、蓮というイレギュラーがどう動くかによっては手順を変更せざるを得ない点が多く存在していた。

だからこそ、今回蓮が全面的に協力し動いてくれるのは大きかった。

黒鉄家とて何らかの妨害行為をするだろうが、蓮が相手では足止めは敵わないだろう。

 

それに、日本とヴァーミリオン皇国との外交も両国の英雄のサラブレッドである蓮という存在が橋渡しになることで予定よりも大分楽になるはずだ。

なにより、シリウス陛下も顔も名も知らぬ有象無象ならばともかく、蓮の話ならばしっかりと耳を傾けてくれると断言できる。

 

「大和くん。サフィアくん。私の選択は、合ってるのかな?」

 

月影は机に置かれている写真立ての一つに視線を送りながら、そう呟く。

そこには若い頃の自分と、破軍の制服を着た大和、サフィア、黒乃の、自分の大事な3人の教え子達の姿が映されていた。

 

大和が破軍の旗を天高く掲げ、その胸に大きなトロフィーを抱えながら快活に笑っている。

サフィアはその隣で表彰状を手に持って、お淑やかな笑みを浮かべていた。黒乃は腕を組みながら不敵な笑みを浮かべている。……そして、大和の隣で彼の頭に手を置いて撫でながら、笑みを見せる月影の姿もそこにはあった。

 

これは、確か彼らが一年生の時で大和とサフィア、黒乃が七星剣武祭に出場して一年生ながらベスト3を独占し、表彰式を終えた後の写真だった。

黒乃と大和は国からの推薦を受けて、入学前から月影が教え育てており、サフィアはヴァーミリオン皇国の留学生として来日し、大和達とともに切磋琢磨していた。

3人とも自分にとっては掛け替えの無い大事な教え子であり、教師人生で最も思い入れが大きい3人でもあった。

 

「……君達は、今の私を見てどう思うかな」

 

目を閉じれば今でも彼らとの日々は思い出せる。彼らは自分をよく慕ってくれていた。

卒業後も葉書をよく送ってくれたし、蓮が生まれた時はわざわざ報告に来てくれたぐらいだ。

 

だから思わずにはいられない。

彼らの大切な息子にあんなに心苦しい想いをさせた事を、彼の力に頼らざるを得ない自分の未熟さを、こんな計画を企てている自分を見てあの二人はどう思うだろうかと。

 

「きっと幻滅して、怒るだろうね」

 

月影は自嘲気味に笑う。彼にはそんな二人の姿が簡単に思い浮かべれたのだ。彼等ならば今の自分を見れば、そう思うはずだと断言できた。

 

「………しかし、あの未来を見せてもやはりダメだったか」

 

月影は先ほどの事を思い出して、悲しげな表情を浮かべながらそう呟く。

あれほどの衝撃的な事実。それを知って仕舞えば蓮とて考えが変わるかも知れないと思っていたが、やはりというか彼の意志は自分が思う以上に強固だった。

 

「本当はあんなもの、見せるつもりはなかったんだけどね……」

 

月影は脳裏に自分が見た絶望の未来の光景を思い出す。血と悲鳴に満ちた炎の地獄。いずれ現実となってしまう未来の東京の姿。

あれは、当初は蓮にだけは何としてでも見せてはいけないと決めていた。だが、あそこまで踏み込まれてしまっては()()()()()()()見せなければ、蓮は納得しなかっただろう。

 

そう。月影はあの未来の全てを見せていたわけではなかった。

彼が見せていたのは、本当に一部。肝心な部分が映っていなかった。あの未来にはまだ先があったのだ。

それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

月影はそれも見ていた。

 

「君には全てを話せるわけがないよ。私は、君にはその時を乗り越えれるまで、知らないままでいてほしいからね」

 

月影は何があっても蓮にはあの悪夢の結末は話さないつもりだ。彼がどれだけ脅そうともだ。

本当にあの悪夢を乗り越えることができれば、その時はちゃんと話してあげよう。彼は、そう考えていた。

そして、そう決めた理由にはある想いがあった。それは———

 

 

 

「何せ、この計画は日本を救うということも本当だけど、元を辿れば……」

 

 

 

———君を守るための計画なのだから。

 

 

 

月影が零した言葉は、誰の耳にも届くことはなく静かに空気に溶けた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

首相官邸で月影との交渉を終えて、学園へと戻った蓮をカナタとステラが駐車場で出迎えた。バイクから降りてヘルメットを外した蓮にカナタが近づき声をかける。

 

「おかえりなさい蓮さん。用事は無事に達成できたんですか?」

「ああ。協力を取り付けることができた」

「でしたら、後でお話を聞かせてくださいね」

「当然だ。あと、ヴァーミリオンもついてこい。お前の協力も必要だ」

「ええ、勿論よ」

 

蓮は自分の要請に力強く頷いたステラから再びカナタへと視線を向ける。カナタは蓮が何かを言うよりも先に、答えてみせる。

 

「黒乃さん達には既に連絡済みです。寧音さんも理事長室で待っています」

「助かる。すぐに向かうぞ。二人とも来い」

「はい」

「ええ」

 

そう言って蓮は二人を連れてまっすぐに理事長室に向かう。その道中、校舎の前まで歩いた時、その前である集団を見つけた。

蓮達が集団に気づくと同時に、集団も蓮達に気づき慌ててこちらへと近寄ってくる。それは、レオ達だった。

 

「蓮‼︎この新聞、どういうことなんだ⁉︎」

「なんで今更こんな記事が出たんですか⁉︎」

 

レオと那月が血相を変えた蓮に詰め寄る。

レオと那月は蓮やマリカ同様、一年の初期から付き合いがある為、尚更この記事の衝撃は大きかったようだ。

蓮は険しい表情のまま二人を宥める。

 

「二人とも気持ちはわかるが落ち着け」

「で、でもよぉ、これ黒鉄相当まずい状況だろ」

「そうですよ。それにここにいないってことは、もうっ」

「そうだ。もう倫理委員会に連行された」

『ッッ⁉︎』

 

二人は目を見開きあからさまに動揺する。蓮はそんな二人から目を逸らすと、再び歩みを進める。

 

「詳しい話は後でする。今はすぐに理事長の所に行かないといけない」

「………また、黒鉄を助けるの?」

「……マリカ」

 

しかし、不意に聞こえた呟きに蓮は足を止めて呟きの主に視線を送る。それは誰よりも後ろにいて、腕を組みながら複雑な表情を浮かべているマリカだった。

マリカは棘のある口調で続ける。

 

「去年はまだ学園内で済んだからよかったけど、今度は倫理委員会が、黒鉄家が相手なのよ?いくら蓮くんでも勝てないわよ。力が強いだけじゃ、今回の事はどうしようもできないでしょ」

「………」

「蓮くんは確かに強いわ。それも、この日本でも有数の伐刀者だと私は思っている。

武力だけなら、貴方は黒鉄家が相手でも勝てると確信できるわ。でも、今から貴方が使うのは武力じゃない。権力なのよ。権力においては黒鉄家に圧倒的に分があるわ」

 

マリカの言い分も尤もだ。

武力ならまだしも、権力ならばあちらに分があるのは明白。いくら蓮であっても不利な状況だ。むしろ、蓮も要らぬ噂を立てられてしまうかも知れない。

 

「ねぇ、今回はどうしようもできないわよ。

去年とはまるで状況が違うわ。もう貴方個人が介入した所でどうにかなる問題じゃない。下手をしたら、世間が貴方の敵になりうるわよ」

 

マリカはそう厳しい口調で言い放った。

今回ばかりは相手が悪いから、蓮が無理に戦う必要はない。そう言ったのだ。

マリカ以外にも、レオと那月を除き陽香達も複雑な表情を浮かべているから、彼女らもマリカと同じ事を考えているとわかる。

 

「ッッ」

 

ステラもそれをわかっているのか、悔しそうに拳を握り締めていた。恋人を助けたい気持ちはあるものの、確かにマリカの言い分は正しいと理解できたからだ。

蓮はステラのそんな様子を肩越しに確認すると、再びマリカに視線を戻し笑みを浮かべると口を開いた。

 

「マリカ」

「なに?」

「心配は無用だぞ」

「なっ」

 

蓮の言葉にマリカはあからさまに赤面する。

マリカは本気で蓮の事を心配していたのだ。蓮ならばこの問題を目にして解決に動かないはずがない。そう分かっているからこそ、リスクと天秤にかけて蓮に止めるようにキツく言ったのだ。

蓮が下衆な思惑に巻き込まれてほしくないから。

その想いを蓮は一瞬で見抜いたのだ。そして、赤面し動揺するマリカに蓮は続ける。

 

「大丈夫だ。何も無策で挑む訳ではない。ちゃんと手札はこっちだって用意しているんだ。だから安心しろ。俺が奴らの下卑た思惑に負けるわけがない」

「……それは、信じていいの?」

「ああ、大丈夫だ。だから、お前達が心配する事は何も起こらないし、起こさせない。黒鉄は無事助けるし、奴らの思惑は全て叩き潰す」

 

マリカだけでなく心配そうに視線を送る友人全員を視界に収めて蓮ははっきりと宣言する。

それについに折れたのか、マリカは困ったような笑みを浮かべて肩の力を抜いた。他の者達も同じように困ったような笑みを浮かべている。

マリカは初めて笑みを浮かべると、先程とは一転して穏やかな口調で話す。

 

「ま、蓮くんがそういう人ってのは分かってるから、こうなることはわかってたけど。絶対にできるのよね?」

「ああ、必ずだ。必ず助ける」

「ならもう何も言わないわ。あたしは、あたし達は蓮くんのことを信じるわ」

「悪いな」

「いいわよ。あたし達の仲でしょ?」

 

そう言って、ひらひらと手を振るマリカや笑みを浮かべる友人達に蓮は背を向けると、カナタ達に声をかける。

 

「二人とも、行くぞ」

「はい」

「ええ」

 

そうして蓮は二人を連れてその場を離れ、校舎内に入り今度こそ理事長室へ向かう。

その道中、ステラは蓮に話しかける。

 

「レン先輩、いい友達がいるのね」

 

ステラの言葉に蓮は肩越しに彼女に振り返るとすぐに笑みを浮かべながら視線を前に戻して言う。

 

「そうだな。いい奴らだよ。本当に」

「ふふふ」

 

蓮の呟きにカナタが後ろでくすくすと笑う。

それからしばらく、理事長室に辿り着いた3人は、ノックをし許可を得てから中に入る。

中には奥の椅子に座る黒乃と手前の来客用のソファーに座る寧音の姿があった。

 

「来たな。座れ」

「やほー」

 

黒乃は早速3人に座るよう促し、寧音は3人を見て陽気に手を振る。黒乃に促されステラが寧音の隣に蓮とカナタが反対側のソファーに腰を下ろした。

黒乃は早速蓮に尋ねる。

 

「早速だが、蓮、月影先生との交渉は成功したのか?」

 

居場所を常に察知できるからこそ、蓮が首相官邸に向かっていたことはすでに黒乃達も知っている。蓮はそれに対して頷きを返す。

 

「ああ、全面的に協力してもらえることになった」

「よくやったな。これでだいぶこちらも動きやすくなるだろう」

「流石れー坊。手が早いねぇ」

「流石ですわ。蓮さん」

 

蓮の報告に黒乃や寧音、カナタは口々に賞賛の言葉を送った。そんな中、ただ一人、ステラは困惑し首を傾げる。

 

「ね、ねぇツキカゲってこの国の総理大臣よね?まさか、レン先輩、さっきの用事ってこの国のトップに協力を取り付けることだったの⁉︎」

 

驚愕の声をあげるステラに蓮は平然と頷く。

 

「そうだ。流石にこの記事に関しては、月影さんも動くつもりだったからな。簡単に協力を取り付けることができた」

「えぇ……というか、ツキカゲさんってもしかして、先輩、総理大臣と知り合いなの?」

「ああ、親父やお袋、母さん達が破軍の生徒だった時の理事長だったからな。俺も餓鬼の頃から知ってる仲だ」

「そうなのね。……って、あの人達のことカナタ先輩の前で話してよかったの?」

 

蓮を待つ間に多少親しくなったのか、苗字から名前呼びになったステラはそう言いながら、カナタに視線を向けながらそんなことを尋ねる。ステラとしてはカナタは蓮の出生のことを知らないと思っているのだろう。

そんなステラの問いかけには、蓮ではなくカナタが反応する。

 

「大丈夫ですわ。私は蓮さんが生まれた頃からの幼馴染ですので、大和さんとサフィアさんとも親交がありました」

「そういうことだ。カナタはこの学園の生徒ではお前を除いて唯一俺の出生を知ってるやつだ」

「そうだったのね。ならいいわ」

 

二人の説明でステラはあっさりと納得した。

そして、今度は寧音が蓮に尋ねる

 

「で。れー坊は具体的にどういう作戦で行くつもりだい?月影先生に協力を取り付けてきたんなら、もう考えてあんだろ?」

「ああ、今からそれを話す」

 

そして、蓮は月影にも話した計画の内容を黒乃達にも順を追って説明していく。

数分後、一通りの計画の概要を聞き終えた黒乃達はそれぞれが納得の表情を見せる。

 

「なるほどな。証拠を集めてヴァーミリオン国王に見せると、確かにそれが一番手っ取り早い方法だな」

「内部はもう黒鉄家の手があるから、外部から叩こうってわけかい。いいね。うちは異論ないよ」

「アタシも異論はないわ」

 

そうステラも賛同する。だが、彼女の表情は決して浮かばれたものではなかった。

 

「でも、どうしてたかだか一学生にしか過ぎないイッキをここまで追い詰めるのよ。イッキのお父さんは。実の息子じゃないの?」

 

ステラにはまるでわからなかった。

なぜ、黒鉄家がここまでして一輝を糾弾するのか。こんなことをすれば、家名にも傷がつくはず、そのリスクを承知で一輝を追い詰めようとする姿勢に理解がいかなかったのだ。

 

「知らん。そんなことは今どうでもいい話だ」

 

そう悩むステラに蓮はキッパリと断言した。

 

「家族を大事に思えない者の考えなど、俺達に理解できるわけがないだろう」

「レン先輩……」

 

蓮は思い悩むステラに淡々と、冷酷に告げるとその総身が凍てつくような冷たく鋭い眼差しを彼女に向けると続ける。

 

「それに一応言っておくが、この件でヴァーミリオンが気に病む必要はない。くれぐれも、別れた方がいいなんていうなよ?そんな情けない事をほざいたら、本気で叩き潰すぞ」

「ッッ」

 

ステラは蓮より発せられる覇気に、背筋を戦慄が駆け抜けるのを感じた。

現に、ステラは少しだけだが悩んでしまっていた。もしも自分が、普通の女の子だったらこんなことにはならなかったはずだと。自分が、一輝の重荷になってしまっていると思い始めていた。七星剣武祭の出場枠がかかった、この大切な時期に足を引っ張っていることが、苦しかった。

蓮には、その悩みを簡単に見抜かれてしまったのだ。そして、蓮は厳しい視線のままさらに続ける。

 

「お前達は何一つとして間違っていない。間違っているのはあっちであり、罰せられるべきもあっちだ。だから、気に病むな。堂々としていろ。彼を、黒鉄一輝を愛しているのならば、彼の奮闘を信じるぐらいはしてみろ」

「ッッ‼︎」

 

その冷たい言葉は、ステラの悩みを消し飛ばすには十分なものだった。

 

「……そう、ね。ありがとう、レン先輩」

 

ステラは素直に蓮に頭を下げる。蓮はフンッと話を鳴らすと、カナタに視線を向けながら話す。

 

「カナタ、貴徳原の方でだが……何故笑っている?」

 

しかし、それは途中で止まりそんな疑問が溢れた。何故なら、ステラから視線を向けた蓮の瞳には嬉しそうに笑みを浮かべるカナタの姿があったからだ。

カナタはそんな蓮の問いかけにくすくすと笑うと応える。

 

「ふふ、いえ、蓮さんはやはり優しい方だなと思いまして。そういうところは、あの御二方とそっくりですわ」

「何がだ?」

 

何を言っているのか分からないのか、蓮は思わずそう返してしまう。

カナタと同じように笑っていた黒乃と寧音も話に参加して、蓮の疑問に答えた。

 

「そういう優しさは大和とサフィアに似てるってことだよ」

「そだねー。そういうところは、マジであの二人そっくりだぜ」

「…………」

 

二人の指摘に蓮は気まずそうに視線を逸らす。

黒乃は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、続ける。

 

「ふふ、お前は二人に大和とサフィアを重ねてるのだろう?それに、お前がここまで動くのは、二人が築き上げた友好をつまらない思惑で穢されて怒りを覚えたからじゃないのか?」

「……まぁ、そうだが……」

「やはり、お前はあいつらの子だよ。なんだかんだ言ってお前もサフィアの、ヴァーミリオン皇国の気質を受け継いでいるんだ。だから、今回の件も動いた。そうだろう?」

「…………はぁぁ〜〜」

 

黒乃の言い逃れのできない指摘に蓮は何も言えなくなり、気恥ずかしそうに顔を伏せると深く、それはもう深くため息をついた。

完全に図星だったようで、蓮は気恥ずかしさで反論ができなくなっていたのだ。その様子を、黒乃、寧音、カナタは揃って笑みを浮かべて見ている。その様子を見て、ステラは意外そうに目を丸くする。そんな彼女に隣に座る寧音が楽しそうに話しかける。

 

「意外だったかい?ステラちゃん」

「え、ええ…少し、というか、かなり……」

 

ステラは蓮の普段の姿しか知らない。

冷静沈着であり、戦いにおいては冷酷無情な頼もしくもどこか怖い先輩というイメージが強かったため、家族に何かを言われて気恥ずかしい表情のような年頃の男子の表情を浮かべている蓮の姿が意外だったのだ。

それ聞き、寧音はカラカラと笑う。

 

「れー坊は普段はクールだけど、身内とか親しい奴だけの時になるとな、あんなふうに弱くなるんだよ。おもしれぇだろ?」

「そ、そうだったのね……」

 

誰にだって意外な一面はあるということなのだろう。それを理解したステラは蓮に対する認識を少し上方修正することにした。とはいえ、今日の一連のことで蓮の認識は既にかなり上方修正されていたのだが。

 

「んんっ‼︎と、とにかく、貴徳原の方で月影さんと協力して情報統制と印象操作を行なって欲しい。頼めるか?」

 

蓮は羞恥心が限界に達したのだろう、わざとらしく咳払いをして話を強引に続ける。

蓮の話を聞いていたカナタは頷く。

 

「ええ、父にも伝えておきましょう。ですが、情報統制の方は分かりますが、印象操作は何をすれば?」

「ちょうど一人、いい生贄がいるからな。奴を存分に使わせてもらう」

 

蓮は心底酷薄な笑みを浮かべて、若干の殺意混じりにそんな事を呟く。その笑みにカナタはだいぶ怒っているなと思いながらも、その生贄の存在に心当たりがあったため尋ねた。

 

「まさか、あの倫理委員長を使うのですか?」

「そうだ。黒鉄厳氏が命じたのは事実だが、印象操作を行なってあの記事を作ったのは赤座で間違い無いだろう。だからこそ、奴を利用させてもらう」

 

蓮は既に印象操作の内容も考えつつあった為、それも話していく。

 

「奴は分家の当主だ。そして、分家だからこそ本家にコンプレックスを抱いており、本家を妬み引き摺り下ろそうとずっと画策していた。そして、当主の息子である黒鉄 一輝を利用して黒鉄本家の格を下げて名前に傷をつける事で、自分達が上にのしあがる為に各新聞社に圧力をかけてあんな記事を世間に出した。……まぁ、こんなところだろう。そして、奴は本家に歯向かったとして、国際問題を引き起こした事の責任やその他諸々を全て押し付けて、完全に失脚させる。こんな筋書きで行こうか。奴もまさか自分が標的にされるとは思ってないだろう」

「……私としてはそれでも全く構わないが、黒鉄長官には何もしないのか?彼が全ての元凶だろう?」

 

印象操作の為の捏造記事について、ある程度の筋書きを提案した蓮に黒乃がそう尋ねる。

黒乃としてはそういう記事でも問題はないと思っているが、赤座だけでなくこの全ての元凶である黒鉄 厳には何も責任追求はしなくていいのかと、そう尋ねた。それに対して、蓮は首を横に振った。

 

「ああ、ある程度時期を見計らって、密かに警告ぐらいはするつもりだが、彼が今長官の席から降りるのはまずい」

「どういう事だ?」

「黒鉄長官は人格こそ破綻しているクズだと思っているが、その能力や判断力は捨てるには惜しい人材だ。きっと、後々役に立つはずだ」

「?後々だって?」

 

黒乃達は揃って蓮の言葉に疑問を浮かべる。

確かに蓮の言い分はもっともだが、蓮は何を指して言っているのかが分からなかったのだ。カナタやステラも同様に首を傾げている。

 

「まぁ今の世界情勢は少し不安定だからな。人格は兎も角、優秀な指揮能力を持っている指揮官を引き摺り下ろすのは得策じゃないって事だ」

「なるほど。そういうことか」

「それに先に根も葉もない記事を作って印象操作してきたのはあっちだ。なら、こっちが同じ手段を取っても文句は言えないだろう?」

「くくくっ、確かにねぇ。自分がやっといて卑怯だぞなんて言えるわけねぇもんな」

 

蓮の説明に黒乃は納得を見せ、寧音は殺気に満ちた笑みを浮かべた。あの記事だが、蓮だけでなく黒乃や寧音も頭にきていたのだ。

 

「とりあえず、やるなら徹底的にやるだけだ。奴はヴァーミリオン皇国を侮辱した。それを許すものか」

「無論だな。私のシマで私の生徒にあやをつけたんだ。死ぬほど後悔させてやる」

「そうだね。うちも今回のは相当頭にきてんだ。ただじゃすまさねぇよ」

 

3人はそう言って凄まじい殺気を放つ。それにはステラやカナタは肌が粟立つのを感じた。

 

(これは、3人とも本気ですわね……)

(お、おっかないわね……)

 

赤座は本当に愚かな事をしたと言える。なぜなら、日本に3人しかいない《魔人》達の二人と、世界で3番目にまで強くなった騎士の3人の怪物を怒らせたのだから。赤座は知らないが知っているものからすれば、なんて愚かな事をしたのかと赤座に同情を抱かざるを得ない。

蓮は殺気を収めるとカナタへと再び視線を向ける。

 

「まぁ、そういうわけでカナタには月影さんと連携してそういう印象操作を行なってくれればいい。仲介は俺がやろう」

「え、えぇ、分かりましたわ。では、そのように動きます」

「あとは……ヴァーミリオンなんだが……国王陛下はお前達の事を素直に認めるのか?」

「うっ、そ、それは……」

 

蓮の質問にステラは珍しく言葉を詰まらせた。そう、ある程度の問題解決の兆しが見えてきた以上、次の課題こそそれなのだ。

あの父親が素直に娘の恋人を認めるかどうか、ということだ。

 

「ごめんなさい……今のところ、それは保証できないわね。お父様ったらアタシのことになると、聞き分けがないのよ」

 

ステラは力無くそう答えた。

なにしろ中学生の頃、学校の行事で山にキャンプに行くことになった時、熊の毛皮を着こんでこっそり森から娘を監視していた父親だ。あのときは本物の熊だと思って焼き殺しかけたらしい。………ただ、その正体が自分の父親だと知った時はそのまま焼き殺してやろうかと思ったらしいが。

とにかく、そんな親バカだからか、一輝を歓迎するビジョンが全く見えないのだ。そのことに頭を抱えるステラに、黒乃が珍しく母性を感じさせる優しい笑顔を浮かべて言った。

 

「大丈夫だ。お前のようにまっすぐな娘を育てた御仁なのだからな。黒鉄の器が分からないはずがない。それに蓮もフォローに回るんだ。問題はないさ」

「………」

 

根拠があるとは思えない理屈。だが、どういうわけか黒乃の言葉はステラの不安を驚くほどあっさりと打ち消してくれたのだ。

そう。悪い父親ではない。ステラも父親のことを心から愛している。

だからこそ、彼にも自分が愛した男を好きになって欲しいと思った。

 

「そうなると……いいなぁ」

「まあ顔合わせの時はヴァーミリオンの方からもアシストを入れてやれ。『既婚者』からの助言だが、娘の両親への挨拶はケーキ入刀よりも前に行う共同作業だからな。男に任せっきりにはするなよ。向こうは自分の娘が男をどう守ろうとするかも見ているものだからな」

「ぜ、善処します」

「ふふ。ああ、頑張れ。……ああ、それとカナタ」

 

黒乃は微笑みながらそういうと、次に蓮に視線を向ける。二人の話を笑みを浮かべて聞いていたカナタは突然の事に首を傾げながら応じる。

 

「なんでしょうか?」

「蓮がヴァーミリオン皇国に行く際に、お前もついていって欲しい。頼めるか?」

「私がですか?」

「母さん、俺は一人でも大丈夫だが?」

 

カナタが疑問をこぼし、蓮がそう言う。カナタも印象操作の事もあるし、日本に残ると思っていたし蓮も危険がない為、一人で行こうとしていたからだ。

だが、そんな二人に黒乃は告げる。

 

「私や寧音が日本を離れるのは万が一を考えても避けるべき事態だ。だからこそ、蓮が行くのだが()()()()()()()蓮が一人で行くよりカナタにもついて行ってもらった方がいいと思ったからな。それに、一人より二人の方が話が進むだろ?無論、公欠にするし、選抜戦の方は調整するからそこは安心してくれ」

「………はぁ、そういう事か。分かったよ」

「ええ、そういう事でしたら、分かりましたわ」

 

色々と省略した説明だったが、蓮とカナタはすぐに理解して納得する。黒乃はカナタを蓮の護衛として連れていかせようとしたのだ。

蓮は国内なら兎も角、国外では緊急時を除き単独行動は許されていない。だから、国外行動中の間、蓮の護衛になるべき人物が必要なのだが、黒乃と寧音が動けない以上、人選は限られている。

そこでカナタが選ばれた。それは蓮がヴァーミリオン皇国で国王陛下との対談の時のサポートとしての役割もそうだが、同時に蓮の護衛としてそれに足る実力があると判断したからだ。

 

「印象操作の方は私も協力する。幸太郎殿と月影先生との仲介も私がこなそう。だから、カナタは安心して蓮と共にヴァーミリオン皇国に向かってくれ」

「ええ」

「あと、蓮、丁度いい機会だ。お前はそろそろ二人の墓参りに行ってやれ」

「………」

 

黒乃の指摘に蓮はあからさまに表情を暗くさせて、彼女から視線を逸らし二つのソファーの間に視線を落とす。その瞳には強い罪悪感が宿っていた。

黒乃は一気に暗くなった蓮の様子に驚く事もなく、話を続けた。

 

「蓮。お前が墓参りを躊躇う気持ちは知ってる。後悔、悲しみ、罪悪感があるからこそお前はあの二人の墓前に立つことを()()()()()。そう考える理由もわかっているつもりだ」

(恐れてる?どういうこと?)

 

ステラは黒乃の言葉に疑問を浮かべる。

ステラには蓮が墓参りの何を恐れているのかまるで分からなかった。彼女の疑問をよそに、黒乃は再び優しい笑みを浮かべた。

 

「だがな、そうだとしても、そろそろあいつらにもお前の成長した姿を見せてやれ。あの葬式以降、お前は一度も行ってないんだ。そろそろ行ってやらないとあの二人も悲しむぞ」

「………………分かったよ」

 

黒乃の言葉に観念したのか、蓮は長い沈黙の後、ついには黒乃の頼みを了承した。

蓮の了承を得た黒乃は頷くと、椅子から立ち上がった。

 

「とりあえず、大まかな計画はこれでいいだろう。蓮は盗聴した音声の記録やヴァーミリオン皇国に向かうための準備を、カナタは貴徳原に連絡と蓮と同様準備を。ヴァーミリオンも今日明日のうちに蓮達がそっちに向かうことと、倫理委員会の話を信じないように連絡をしてくれ。それでいいな?蓮」

「ああ、それで問題ない。追加情報や変更があれば、追って連絡する」

「よし。なら、今日はこれで終わりにしよう。奥多摩の件もあったからな。今日はとりあえず休め。以上だ」

 

そう言って黒乃はパンと手を鳴らして会議を終了させた。

こうして、黒鉄一輝救出の為の打ち合わせは恙無く終わり、同時に救出計画も始動する

 

 

これより始まるのは、怪物達による怒りの反撃だ。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

これは、国を救う為でもなければ、未来を守る為の計画ではない。

 

 

これは、一人の青年を守る為の計画だ。

 

 

始まりはある英雄達の死であった。

 

 

ソレこそが、後に始まる狂乱の宴(オルギア)の開幕の知らせ。

 

 

彼らが死んでしまったからこそ、その宴は始まってしまった。

 

 

この10年。時間をかけ、緻密に準備に準備を重ねて、その宴の序章は始まった。

 

 

奇跡の子を巡り、世界では水面下での争いが繰り返されていた。

 

 

彼の預かり知らぬところで、あるいは彼自身が見聞きしていたところで、その真相は世界の誰にも気づかれる事もなく、静かに序章を紡いでいたのだ。

 

 

10年という長い準備期間を経て、狂劇はついに幕を開け、同時に、暁学園計画も始まりつつある。

 

 

その選択が、その計画が、未来に何を齎すのか。因果より外れた魔人と因果に守られし人間が紡ぐ未来は、誰であってもその結末を予知することはできなかった。

 

 

ただ分かることは、今や世界は大きな唸りに呑まれつつあるということ。

 

 

この世界の流れは、誰の手でももう止めることはできないということだけだ。

 

 





私的には一輝を救出するルートがあってもいいと思うんです。
というわけで、この作品では一輝を助ける為に主人公を中心として色々と動きます。

3巻もいよいよ後半に突入。母の故郷であるヴァーミリオン皇国でどんなことが起こるのか、次回以降をお楽しみにしてください。
そして、一輝救出計画が進むと同時に、赤座にどう調理するのかが密かに決まりつつあります。というか、《魔人》二人と魔人クラスの騎士を怒らせるって、赤座どんだけやばいことをやらかしたんだよって話ですよねww

あと、最後に蓮の変装ですが、魔法科のリーナのパレードと似たような感じだと思ってくれればいいです。こちらでは水の魔術で変装してます。

では、また次回に!!
皆さん、感想や評価をお待ちしております!!








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34話 母の故郷


………史上、1番の長文が出来上がった。
つめにつめこんだら気づいたら、こうなってた。後悔はしていない。
今回は蓮がヴァーミリオン皇国に向かう話です。
母の故郷でもある地で蓮は一輝を救うための協力を得るべく、国王に会いにいくわけなのですが、果たして会談の結果はどうなるのか。

そして、今回はオリキャラが数人ほど出ます。楽しみにしててください。

………そういえば、私は原神をプレイしているのですが、この前何気にガチャを引いたら単発で雷電将軍が出てきました。……そんだけです。
嬉しかったので、言いたかっただけです。

FGOは映画を見てからまた再開したけど、まだアトランティス終わらせてないと言うスローペース具合………

まあ、と言うわけで、34話どうぞ‼︎




 

 

 

月が出ていない新月の深夜。

場所はイギリス。その離島に存在するとある監獄で事件が起きた。

監獄では一際巨大な爆発音が響き、警報がけたたましく鳴り響く。そんな中、監獄内では刑務官達が慌ただしく動いていた。

 

「侵入者だ‼︎総員第一種戦闘配備につけ‼︎‼︎」

「ここに襲撃だと⁉︎正気か⁉︎」

「正気なわけがあるか‼︎‼︎相手はテロリストだぞ‼︎」

 

刑務官達の怒号やサイレンが監獄内でけたたましく響き渡る。

ここは、ヘルドバン監獄。

イギリスの北大西洋に位置する小さな離島。島自体が一つの監獄と化しており、ここには主に特に危険なA、Bランク相当の伐刀者の犯罪者達が収容されている。

世界的に見ても最高峰の警備システムは、いかなる脱獄も侵入者も許さない。

 

———そのはずだった。

 

その脱獄・侵入不可の監獄がこの日、襲撃を受け、あろうことか侵入を許してしまったのだ。

これは、監獄設立以来の前代未聞の事件であり、刑務官達は慌ただしく監獄内を駆け回っている。

そんな中、看守室にはここの看守長がおり大量に展開されているモニターで監視カメラの映像を見ながら部下から現状の報告を受けていた。

 

「侵入者の数は?」

「そ、それが、一人とのことです‼︎」

「なんだとっ⁉︎」

 

看守長は驚愕に眼を見開く。

創立から何十年も立っているこの監獄は今まで誰の脱獄・侵入を許しておらず、それを覆す前代未聞の事件が発生したのに、さらにそれが複数犯ではなくたった一人の手で行われたことに驚愕を隠しきれなかったのだ。

 

「敵の正体は⁉︎」

「それも不明です‼︎どのブラックリストにも該当しませんっ‼︎正体が確認できないんです‼︎」

「どう言うことだっ⁉︎」

 

部下の一人は青ざめた表情を浮かべながら、監視カメラの映像の一つを操作し、時間を巻き戻す。そこに映っていたものを見せながら答えた。

 

「み、見ての通り黒い霧のような物を纏っており、はっきりとした姿が掴めませんっ」

「なんだっ?この能力は…っ」

 

看守長は監視カメラの向こうに映る光景に眼を見開く。

カメラには禍々しい闇が広がっていたのだ。

黒紫の輝きを放つ瘴気を思わせる霧が監獄正門前には広がっていたのだ。

正門前にいた警備員達が霊装で応戦するも、その攻勢も虚しく瘴気に呑まれる。瘴気が晴れれば現れたのは、無惨な死に様を遂げた警備員達の死体が残っていた。その死体は瘴気が形を成した蛇のようなものに次々と丸呑みにされていった。

そして、瘴気を纏う何者かはそんな惨状の中を歩いて悠々と歩いて正門を突破していたのだ。

看守長は表情をさらに険しくさせると、矢継ぎ早に部下に指示を出していく。

 

「全隔壁を下ろせ‼︎同時に、全ての刑務官に霊装の使用許可並びに侵入者の殺害を許可する‼︎そして、連盟本部へと連絡も入れ、応援要請を出せ‼︎‼︎」

「は、はい‼︎‼︎」

 

部下に指示を出した看守長はマイクの電源をつけると、監獄全体に聞こえるように操作して叫ぶ。

 

『総員聞け‼︎今、この監獄に侵入している者は明らかに《魔人》だ‼︎‼︎全員なんとしてでもそいつを突破させるな‼︎‼︎繰り返す‼︎なんとしてでも突破させるな‼︎‼︎』

 

警告した看守長は通信を切ると、背を向けて出口へと向かい、自身も侵入者の対処へと向かう。

 

(少し見ただけでも奴が並大抵の存在じゃないことはわかる。これほどなのかっ。敵対した《魔人》の力というのはっ‼︎)

 

看守長を始めここにいる刑務官達は全員連盟本部からここに配属された時に、秘匿されていた真実ー《魔人》についての真実を明かされている。

なぜなら、この監獄の最下層ー地下300mにある一つの巨大独房。通称『タルタロス』には一人の《魔人》が収容されているからだ。

故に、その監獄を警備する者達として《魔人》の存在を明かされ、強大さや危険性を知ることで職務に対する責任感を一層強く持つことを求められている。

 

(だが、何が目的だ?なぜここを襲撃する理由がある⁉︎)

 

考えられる理由としては、まず仲間の救出だろう。ここには、最下層にいる《魔人》だけでなく《解放軍》や犯罪組織に所属していた凶悪な伐刀者が多く収容されている。それらを狙ってこんな蛮行を企てたと考えるのが妥当だろう。

そして、襲撃に来た人物は確実に《魔人》。だとしたら、

 

「狙いはあの男かっ‼︎」

 

狙いは間違いなく最下層に収容されているあの男の確保で間違いないだろう。

 

「まずいなっ。奴を解き放ってしまえばどうなるか分かったものではないっ‼︎」

 

看守長は冷や汗を流しながら、足早に廊下を駆け抜ける。

賊が狙ってるであろう男はそれほどに危険な存在だ。

再び世に解き放って仕舞えば、取り返しのつかないことになってしまうから。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

看守長による殺害許可や隔壁を下ろすなどの指示を受けた刑務官達は迅速に従い隔壁を下ろしながら、迎撃を続けていた。

それぞれの霊装や防衛システムで迎撃をしているものの、例の侵入者は一向に足止めすら敵わなかった。

 

「くそ‼︎なんなんだあの能力はっ⁉︎何系統の力なんだっ⁉︎」

「わからん!だが、無茶苦茶にも程がある‼︎‼︎こっちの攻撃が何一つ通用してないっ‼︎‼︎」

「チィ‼︎いい加減死ね‼︎化け物がぁぁっ‼︎‼︎」

 

刑務官達の困惑や怒り混じりの叫び声が廊下にこだまする。彼らは先ほどから必死に攻撃を続けていたものの、それらは何一つとして有効だになっていないのだ。

 

この、黒紫の瘴気には。

 

黒紫の瘴気はどんな攻撃を放っても何一つ効果がなく、侵蝕するかのようにジリジリと刑務官達との距離を詰めていったのだ。

やがて、瘴気が形を成して蛇となる。

赤紫の眼光を放ち、瘴気を纏いし漆黒の大蛇。それが無数の形を成してのたうち回る。

黒蛇はその顎門を開き、紫の液体を滴らせる。

床に落ちた瞬間、ジュッと音を立てて床を溶かしたその液体の正体はー猛毒だった。

そんな猛毒滴らせる黒蛇達は攻撃を続ける刑務官達に顔を向けると、一気に襲いかかる。

 

「来るぞ‼︎‼︎」

「駄目だ‼︎突破される‼︎」

「何で、攻撃が効かねえんだよっ⁉︎⁉︎」

 

黒蛇はどれだけ攻撃を受けようとも、その全てを瘴気で全て飲み込み刑務官達へとそのまま喰らいついた。

 

「ぎっ、ぎゃぁぁぁぁぁ⁉︎」

「あ、ァァァ、体が、溶けっ、た、たすけっ……」

「は、はやくっ、逃げっ、あ、ぁぁがぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎」

「た、退避‼︎退避‼︎あの蛇に触れるな‼︎()()()()()()()っっ‼︎‼︎」

 

蛇に噛みつかれた者は例外なくその猛毒によって体を溶かされ、次々と黒蛇に取り込まれていく。

その様を見てしまったまだ無事な刑務官達はすぐさま距離を取ろうとするものの、黒蛇達の猛追の方が早かった。

 

「な、なんで一瞬で、…ぎゃぁぁぁ⁉︎⁉︎」

「に、逃げられないっ‼︎あぁぁぁぁ⁉︎」

 

そして、一分もしないうちにこの階にいる刑務官達は例外なく黒蛇に喰われ尽くされた。

悲鳴も消え、静寂に戻った廊下で黒蛇達の群れの背後、その瘴気の中からこつこつと足音が聞こえてくる。

 

「ふふふ、ああ、やっぱりここの監獄の伐刀者達は皆質がいいわね。とっても美味しいわ」

 

瘴気の闇から現れたのは一人の女だった。

三対六翼に、大角、紫黒のドレス甲冑に紫の大鎌を持つ魔性の堕天使。

それは、蓮と黒狗の激闘を遠くから観戦していたあの女だった。

彼女は恍惚とした表情を浮かべ、口を弧に歪めながらそう呟く。

 

彼女こそ、このヘルドバン監獄に襲撃を仕掛け、侵入した賊である。

 

「さて、恐らく彼がいるのはこの最下層。確か—《タルタロス》、だったかしら?」

 

看守長が危惧した通り、彼女の狙いは最下層《タルタロス》に収容された《魔人》の囚人だった。

 

それからも、数多の刑務官の迎撃を喰い破ってきた彼女は、300mも地下を降りてやがて最下層の独房《タルタロス》に辿り着いた。

 

「ここね」

 

広大なドーム状の地下空間の中、眼前に聳え立つのは縦、横、奥行共に8mはありそうな巨大な金属製の箱。否、独房。

床や天井には至る所に電子機器が積み上げられており、規則正しく明滅している。

そして、その独房に付けられた。6mはあろう巨大かつ頑丈そうな鋼鉄の扉。

《魔人》を逃がさないために設計されたこの独房はまず扉の分厚さが4mもあるのだ。

連盟の長《白鬚公》の命令により当時のあらん限りの技術物量を全てつぎ込んで作られた特性の独房。

一本一本が10tの重さにも耐えれるほどの特性の頑丈な鎖で収監された者の身動きを完全に封じ込み、尚且つ超高濃度の筋弛緩剤を含ませたガスを定期的に散布させることで動けなくしているという相当徹底した収監具合だった。これではいくら《魔人》といえど抜け出すのは難しい。

ソレほどまでに中に収容されている《魔人》というのは危険な存在なのだ。

しかし、それも内部からの話。外部からの干渉には何も対策をしていなかった。

いや、この鋼鉄の扉や、何枚にも重ねて作られた防壁も考えれば外部からの干渉にも対策は十分だったのだが、生憎、今回の侵入者相手には効果がなかった。

 

「なかなかに頑丈だけど、外から壊す分には何の問題もないわね」

 

彼女はそう呟きながら、大鎌に紫の燐光を纏わせると、目にも留まらぬ速さで鎌を振るう。

紫の軌跡が数度刻まれた後、金属の扉がバラバラに斬られて轟音を立てて崩れ落ちる。

 

扉を斬り崩し中に入る。中にいたのは、拘束具で雁字搦めにされている筋骨隆々の褐色肌に黒髪の大男だ。

女はその男の姿を捉えると、彼に親しげに話しかける。

 

「久しぶりね。元気だったかしら?《牛魔の怪物(ミノタウロス)》」

 

牛魔の怪物(ミノタウロス)》。神話でも有名な怪物の一体と同じ二つ名を持つ男は、彼女の呼びかけに静かに顔を上げた。

 

「…………貴様か。久しいな」

「ええ、久しぶりね。アリオス」

 

どうやら二人は旧知の中らしく、軽く言葉を交わした。この神話の怪物の二つ名を持つ大男はアリオスと呼ばれているらしい。

アリオスは挨拶を交わすと、彼女に剣呑な眼差しを向け尋ねる。

 

「それで、自分に何の用だ?」

「貴方をここから出すために来たの。是非協力してもらいたいことがあってね。ここまでくるのに苦労したわ」

「その割には襲撃からここまでくるのにそう時間はかからなかったな。自分の記憶では、《タルタロス》は最下層にあったはずだが」

「ええ、300mは潜ったわね。でも、たかだか『人間』が守る程度の監獄、いくら警備が厳重だからって、一度入れれば造作もないわ」

「なるほど。納得した」

 

アリオスは彼女の説明に納得を示す。

確かに彼女ならば、一度侵入できればここまでくるのは容易いだろう。ここまでどれだけの警備システムや刑務官が相手であろうとだ。

アリオスは剣呑な眼差しのまま彼女に尋ねた。

 

「それで、自分に協力して欲しいと言ったが、何をさせる気だ?」

「ええ、実はある人と戦って欲しいのよ」

「断る。ここまで来て悪いが帰ってくれ」

 

彼女の頼みをアリオスはにべもなくあっさりと拒絶した。それには、彼女は思わず首を傾げてしまう。

 

「あら、どうして?貴方、戦うの好きだったでしょう?」

 

彼女の記憶が正しければ、アリオスは生粋の武人であり強者との戦いを何より求めていたはずだ。相手がどんな立場であろうとも戦いを挑む戦闘狂。それこそが《牛魔の怪物(ミノタウロス)》だというのに、何故か彼は依頼を断ったのだ。それが、彼女には理解ができなかった。アリオスは目を伏せると静かにその理由を話す。

 

「もう戦う理由もない。『彼』は死んでしまった。もう彼以上の戦いを楽しめる強者はいないだろう。だから、ここから出たところで意味がないのだ」

「『彼』ねぇ。……それって、もしかして最後に戦った《紅蓮の炎神》ヤマト・サクラギの事かしら?」

 

彼女はアリオスが投獄された経緯を知っている為、その最後の戦いの相手を知っておりその名を口にした。

それは日本がかつて有していた炎の神と称された最強の英雄ー桜木大和だった。

アリオスはそれを肯定する。

 

「そうだ。自分は一度彼に敗北し、再戦を誓ったが、彼は自分との誓いを果たす前に死んでしまった。彼は最高の好敵手だったのだ。好敵手なき世界に何の価値がある?」

 

アリオスは彼に敗北し、捕まった。だからこそ、いつになるかは分からないが、いつか再び挑むことを誓ったのだ。だが、その約束は叶わずに自分が牢獄に囚われている間に、彼は彼の妻とともに死んでしまった。

大和を最高の好敵手だと認めていたからこそ、その喪失のショックは大きく、大和以上の英雄はいないと外の世界に希望を見出せなくなってしまったのだ。

 

「わかったのなら帰って欲しい。貴様ならここから簡単に脱出できるだろう。もう自分には構わないでくれ」

 

そう言ってアリオスは目を閉じて黙り込む。彼の意志は堅い。何か言ったところで無駄だろう。もはや、彼の意思を変えることはできない。

……このままなら。

 

彼女は妖しく笑うと、自分が持ってきたカードの一枚を切った。

 

「ふふ、では彼の力を継ぐ者がいたとしたら、どうする?」

「……なに……?」

 

アリオスはピクリと反応して、黄金の瞳に疑惑の色を乗せて彼女に向けた。食いついてくれたアリオスに彼女は話を続ける。

 

「いるのよ。貴方が投獄された翌年に、《紅蓮の炎神》と《紺碧の戦乙女(ブリュンヒルデ)》。二人の《魔人》の間に生まれた奇跡の子供が。彼らの素質を受け継ぎ、彼らをも超える英雄の子が」

「……まさか、あの二人に子供だと?だが、年を考えるとまだ17、18の子供だ。そんな少年に何が期待できる?」

「驚いた事に、その子供はもうすでに《魔人》なのよ」

「……ッッ⁉︎」

 

アリオスは衝撃的な事実にあからさまに目を見開いた。最高の好敵手であるヤマトに子供がおり、しかも《魔人》に至っているという事実が、アリオスを驚愕させたのだ。

アリオスは心の内から湧き上がる興奮に、若干声を震わせながら彼女に問う。

 

「その、少年は、強いのか?」

「ええ、私が保証するわ。彼はもう日本最強の《魔人》であり、連盟トップクラスの実力を備えている貴方が求めてやまない《紅蓮の炎神》に匹敵する『()()』よ」

「く、くくく、くくく……」

 

彼女がそう太鼓判を押すと、アリオスは拘束されたまま肩どころか全身を震わせながら笑い、

 

「オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

突如、顔をあげて大咆哮を上げた。

大気だけでなく監獄すらビリビリと震わせるほどの大咆哮は歓喜に満ちていた。

その声量は、あまりにも凄まじく近くにいようものならば鼓膜を破られるはずだったが、彼女は最初から予見していたのだろう。耳を両手で押さえて少し顔を顰めるだけにとどめた。

 

「……相変わらずすごい声ね。耳栓がいくつあってもたりないわ」

「くく、すまんな。つい昂ってしまった」

「にしても、いきなり叫ぶのはやめてくれるかしら?こっちの身にもなって欲しいわ」

「すまんと言ってるだろう。それより、この拘束を解いてくれ。どうやら、《魔人》でもこの拘束は無理なようだ」

「なら、私の計画に協力してくれるって事でいいのかしら?」

 

女は分かり切ったことをアリオスに尋ねた。アリオスはそれに大きく頷き、賛同の意志をしめす。

 

「ああ、貴様の悪巧みに付き合ってやろう。

貴様が何かろくでもないことを考えてるのは確かだろうが、自分にとってはそんなことどうでもいい」

 

アリオスは金色の眼光をぎらつかせると、口の端を釣り上げて獰猛な笑みを浮かべる。

 

「彼の息子がいて、それも彼に匹敵する『英雄』となれば、昂らないはずがない。早く会って戦いたい。ヤマトが果たせなかった再戦を、彼に果たしてもらいたい」

 

もう待ちきれないと言うふうに口早に告げるその様子は、まるで最高の玩具を見つけた子供のようだ。

 

「ふふ、悪巧みとは失礼ね。でも、契約成立ね」

 

女は、その様子を見て呆れるように肩をすくめると、手にしていた大鎌で瞬く間に彼の拘束具を切り裂いた。

拘束具から解放されたアリオスは体を解しながら、彼女に礼を言う。

 

「礼を言う」

「いいわよ、別に。ただ、お礼ついでに早速手伝ってもらおうかしらね」

 

そう言いながら、彼女は独房の外、広間の出入り口へと視線を向ける。その視線の先には何人もの刑務官がいた。

刑務官達はそれぞれが霊装を構えている。

数にして40。全員が伐刀者であり、この監獄の刑務を任された鍛え抜かれた者達だ。

それは構えや魔力の質、気迫からも窺える。

 

何より、彼らはアリオスの正体を知っている。知っているからこそ、何があっても脱獄させないように、命を賭ける覚悟があった。

 

「さて、ではやろうかしらね」

 

彼らを前に、迎撃しようと再び瘴気を放ち、黒蛇を解き放とうとするもののアリオスが彼女の前に出る。

 

「どけ、自分がやる」

「あら、いいの?」

「構わん。18年ぶりに外に出れるんだ。体を解しておきたい」

「なら任せるわ。でも、くれぐれも壊しすぎないようにね?」

「それは保証できないな」

「そこは保証しなさいよ」

 

そう軽口を叩きながらアリオスは前に出る。その瞬間、刑務官達は一斉に攻撃してきた。

 

「放てぇぇぇッッ‼︎‼︎」

 

看守長の怒号が響いた直後、炎や雷、氷などあらゆる魔術の全力全開の遠距離攻撃がアリオスに放たれ、廊下を様々な色に染め上げながらアリオスへと襲いかかる。

耳を聾する轟音が廊下を震撼させて、アリオスを呑み込む。しかし、それでも止まらず直撃してもなお魔力砲撃は次々と雨の如く撃ち込まれ続ける。やがて、2分が経過した頃刑務官達は攻撃を止める。一時的な息切れだ。

 

「次、構えッッ‼︎‼︎」

 

十数秒のインターバルを挟み、次弾を放つ為に構える刑務官達。煙が晴れた事態を確認するのでは遅い。完全に気配が途絶えるまで、飽和攻撃を続けるべきと判断したのだ。

そして、

 

「ッてぇッッッ‼︎‼︎‼︎」

 

二発目の暴威が放たれる。そして、最悪の囚人と侵入者を撃砕せんと煙の中に魔術の砲撃が届こうとした刹那、ソレら全てが煙の内側から解き放たれた()()()()()()()()に呆気なく霧散した。

雷にも見える漆黒の魔力は、放たれた魔術の悉くを破壊した。ただの魔力放出。されど莫大な量の魔力が魔術を粉砕したのだ。

唖然とする彼らに、煙の中からアリオスの声が届く。

 

「………見事な攻撃だ。だが、無駄だったな」

 

聞こえてきたのは感心があったものの、落胆が大きい声音。そして同時に、煙の向こうでライトに照らされたアリオスのシルエットが()()()()()()

 

「そ、そんな……」

「あ、あれは……」

 

煙の向こうで変化しつつあるシルエットに刑務官達はどよめき、表情を凍りつかせる。

 

ソレは岩のような拳を有していた

ソレは見上げるほどの巨躯へと変わっていた。

ソレは鎧のような筋肉を有していた。

ソレは漆黒の皮膚を持っていた。

 

漆黒の皮膚の巨躯の黒き影が、声を失う刑務官達を睥睨する。

 

「っひ、ぁ」

「ぁ、ぁぁ」

 

黄金色に輝く黒き『怪物』の双眼は見据えられた刑務官達は一様に恐怖に声を引き攣らせる。ある者は腰すら抜かしている。彼らは恐怖し、同時に理解したのだ。

 

《魔人》が有する『引力』によって齎された殺意。それらがまだ『人間』に過ぎない矮小な存在達に『殺意』を叩きつけ、魂の底から理解させる。

 

これには勝つのは不可能だと。

 

一度でもそう思って仕舞えば、もうお終いだ。

彼らの意思は悉くが《魔人》の『引力』に屈して争うことすら許さない。

残された道はただ一つ、

 

「では、さらばだ。ヘルドバン監獄の刑務官達よ。貴様達を撃滅し、自分は外へと出させてもらう」

 

ただ蹂躙されるのみ。

 

「オオオオオオォォォォォォォッッ‼︎‼︎‼︎」

 

アリオスは両刃斧を構えると、雄叫びをあげて変化した巨躯で地面を踏み砕き爆進して刑務官達の悲鳴を己の怪物の咆哮でかき消しながら一人残らず撃滅した。

 

 

 

 

この日、一人の魔人が一人の魔女の手引きによって脱獄した。

 

 

名をアリオス・ダウロス。

 

 

二つ名を《牛魔の怪物(ミノタウロス)》。

 

 

《解放軍》に所属していた《魔人》の一人であり、かつて《紅蓮の炎神》桜木大和と死闘を繰り広げた怪物だ。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

黒鉄一輝が連行されてから、5日後。

さまざまな証拠をかき集めた蓮はカナタと共にヴァーミリオン皇国へ向けて出発していた。

学園から貴徳原の車で空港に移動して、各種手続きの後これまた貴徳原財閥所有のチャーター機で日本を発った。

途中、黒鉄家の妨害も予想されていたが、月影のおかげだろう。何の妨害もなく、予想よりも遥かにスムーズに手続きを終えてチャーター機に乗り込むことができた。

 

そして、流石は日本屈指の大財閥。

所有しているチャーター機も相当な高級仕様であり、機内にはシアタールームだけでなく、BARにサロン、寝室には高級ベッド、そしてシャワールームだけでなくバスルームまで完備されていたのだ。

蓮はいつもは軍用の輸送機ばかり乗っているため、こういったチャーター機に乗る経験は殆どない。ゆえに、流石の蓮もこのチャーター機の内装には信じられないと目を丸くさせていた。

それを隣で見ていたカナタは父に頼んで用意してもらった甲斐があったと密かにほくえんでいた。

実のところ、このチャーター機はカナタが父に頼み込んで用意してもらったものだ。せっかく、蓮が12年ぶりに母の故郷であるヴァーミリオン皇国に向かい、二人の墓参りをすると言うのだ。ならば、せめて空の旅は快適なものであって欲しいと願ったからこそのもの。

父、幸太郎もその意見に大いに賛同して、財閥が所有する最高級のチャーター機を使わせたのだ。

 

しかし、そんなカナタ達の思惑に蓮が気づくはずもなく、普通に折角だし楽しもうと言うことになり映画を見たり、豪華なフランス料理の夕食などを堪能して空の旅を満喫していった。

そして、時間的には夜になった頃。蓮はサロンの革張りのシートに座りながら、神妙な表情を浮かべ手元に視線を落としていた。

 

「………………」

 

彼の手元には、一枚の写真が握られていた。

そこには、3歳ぐらいの幼い自分が黒髪の青年ー父である大和に肩車されながら、蒼髪の美女ー母であるサフィアと手を繋ぎながら子供らしく笑っている写真だ。

蓮はどんな経緯であれ、母の故郷であるヴァーミリオン皇国に向かっていることに少なからず緊張していたのだ。

 

「………もう、明日か」

 

明日にはヴァーミリオン国王との謁見があり今回の一件についての会談を行うことになっている。しかし、その点に関しては問題ない。もう見せる資料や記録音声などの用意は済ませている。話すことも既に考えているため、そちらは特に気負いはしないだろう。

問題は両親の墓参りの方だった。

 

(あの葬式の日から、一度も俺はあそこには行ってない。……)

 

二人の遺体はヴァーミリオン皇国のとある場所に埋葬されている。

それは、二人が残した遺書に墓地の場所を指定されていたことや、蓮がそう強く懇願したからこそ。葬儀も日本ではなく、ヴァーミリオン皇国で行われ、蓮も一度だけヴァーミリオン皇国に行き、葬儀に参加した。

しかし、それきりであり蓮はその後は一度もヴァーミリオン皇国に行っていない。日本の実家で二人の写真の前で手を合わせることはあっても、二人の墓にはどうしても行かなかったのだ。……正確には行けなかった、が正しいが。

蓮は写真をテーブルに置くと、深く座り込み天井を見上げながら深く息をついた。

 

「………はぁ、こんな俺を、あの二人はどう思うんだろうな?」

 

蓮はそう呟く。

二人の死からもう12年もたつ。だというのに、埋葬したその一度しか墓前で手を合わせていない息子など、一般的に見れば親不孝者としか言いようがないだろう。彼らも、そんな不甲斐ない蓮を見てどう思うのだろうか。

きっと、彼らでも怒っているのかもしれない。

そこまで考えた時、ふとドアの開く音が聞こえる。

そちらに視線を向ければ、水色のワンピースタイプのパジャマに身を包んだカナタが出てきた。

風呂に入ったのだろう。体からは仄かに湯気がたつており、頬も少し赤くなっている。余程気持ちよかったのか、御満悦そうな表情でバスルームから出てきた彼女は、蓮へと視線を向ける。

 

「あら、蓮さん。どうされました?何か考え事でも?」

「……ああ、ちょっとな」

 

そう答え、再び沈黙した蓮の隣にカナタは腰掛けて、心配そうに蓮を見上げる。しばらく二人の間に静寂が流れた時、蓮は天井を見上げながらふと口を開く。

 

「なぁ、カナタ。お前は毎年墓参り行っていたのか?」

「ッッ……ええ。欠かさず行っておりますわ」

「そうか……」

 

そして再び蓮は沈黙する。カナタは蓮が何か言うのを待っているのか、蓮から目を逸らし前を見ながら静かに待つ。やがて、蓮はまた口を開き呟いた。

 

「なぁ、カナタ。今の俺をあの二人が見たらどう思うだろうか?」

「………っっ」

 

カナタは蓮の問いかけに悲痛な表情を浮かべ、息を詰まらせる。蓮は膝に腕を乗せると顔を俯かせて膝の間で握られた両拳を見下ろしながら、苦しそうに呟く。

 

「分からないんだ。どんな顔をしていけばいいのか。きっとあの二人は今の俺を見て、情けないと思っているか、怒っているはずなのは間違いないから……」

 

《魔人》に堕ちたこと。12年も墓参りに行かなかったこと。大量に人を殺していること。その他諸々、蓮は二人が亡くなってからの12年間の己の足跡を決して誇れてはいなかったのだ。胸を張って生きていると誇らしく言うことはできなかったのだ。

 

それは、罪悪感が大きかったから。

 

何度あの二人の想いを裏切ったことか。どれだけ、あの二人の愛に叛いたことか。

数えるのも馬鹿馬鹿しいほどに、自分は罪を重ね過ぎた。

そして、これこそが出発前に黒乃が『恐れている』ことだつた。

 

「蓮さん……」

 

カナタはあの後黒乃や寧音達と交わした話を思い出す。

 

ステラや蓮も交えた作戦会議の後、退室した二人に続こうとカナタも外に出ようとした時、不意に黒乃に少し残って欲しいと呼び止められたのだ。

そうして、自分と黒乃、寧音しかいなくなった理事長室で黒乃は話し始めた。

 

『蓮は墓参りに行くと言ったが、恐らくは行かないだろう。いや、行けないと言った方が正しいか』

『それはどう言うことですか?』

『さっき、恐れてると言っただろう?蓮はな墓参りに行くこと自体を恐れてるんだ。それは、罪悪感があるからだ』

『………もしかして、顔向けができないと思っているのですか?』

 

カナタも黒乃が言わんとしていることに気づく。そう。蓮は大和とサフィアに顔向けできず、その罪悪感で墓参りに行くこと自体を恐れているのだと黒乃は言っているのだ。

黒乃は悲しそうな表情を浮かべながら、窓の外を見る。

 

『正直、あの子のこれまでの経緯を考えれば、そう考えてしまうことも仕方のないことだ。

9歳で《魔人》に至り、中学生の身でありながら単騎で戦争を終わらせ、今や学生でありながら日本だけでなく連盟の中でも五本の指にははいるであろう屈指の最高戦力の一つ。

これまでの経験が、あの子を『大人』にしてしまった』

 

今まで辿ってきた蓮という存在の17年間の足跡。それらが蓮を『年頃の子供』であることを許さなかったのだ。

そして、ソレらがあるからこそ蓮はあの二人に顔向けできないと、本気で思っていた。

 

『今もずっと自分を責め続けているからこそ、二人の墓前に立つことすら出来ないんだ。

自分にはその資格がないと思っているんだろう』

『そんな……あの二人なら、どうあっても蓮さんを愛するはずです』

『ああ、私もそう思う』

『そだね。あの二人なら、れー坊がどんな道を選んでも愛するだろーね』

 

カナタの言葉に黒乃だけでなく黙って話を聞いていた寧音も賛成する。確かにあの二人の事を知っているのならば、蓮がどんな道を選んで者それでもと愛そうとするだろう。

そんな可能性はたやすく想像できる。

だが、蓮にはそんな想像すらできなかったのだ。罪悪感がそれを考えないようにさせてしまっていた。

だから、蓮は墓参りに行く事を躊躇う。

罪悪感故に、彼は墓参りに行く事を恐れているのだ。

黒乃はカナタに視線を向ける。

 

『だから、お前にあの子の背中を押して欲しい。頼めるか?』

 

黒乃は最後にそう頼んだ。

彼が迷い悩んだ時に、彼の背中を押して決断させて欲しいと。

だから、

 

 

「———大丈夫ですわ」

 

 

カナタはそっと蓮の手に自分の手を重ねると、安心させるように言った。

 

「蓮さん、あの二人はそんなこと思っていませんわ。断言できます。よりにもよって、あの二人があなたが恐れているようなことを考えているわけがありません」

「………だが、今までのことを考えたら……」

「確かに、これまでの貴方の足跡は決して人に褒められたものではありません。怒る者、恐れる者、悲しむ者、そう言った者の方が多いのかもしれません」

「…………」

 

暗い表情を浮かべた蓮にカナタは「ですが」と続け微笑んだ。

 

「あの二人に限ってはそんなことはあり得ません。私が知るあの二人は、貴方をとても愛していました。それは、今もそう。どんな道を辿ったのだとしても、これは貴方が歩んだ軌跡です。『蓮』という人間が、諦めずに歩み続けた証です。その生きている証はあの二人にとってはそれだけでもとても誇れるものになるはずですわ」

「………本当に、そう思うか?」

「ええ、勿論。それに、12年経った大事な息子が、こんなに大きくなったんですもの。成長した姿を見せるだけでも十分喜んでくれると思いますわ」

「…………」

 

カナタの言葉に連は何ともいえないような表情を浮かべるとしばらく視線を左右させると小さくため息をついて、ソファーから立ち上がった。

 

「………風呂に入ってくる」

「ええ」

 

小さく口早に告げた蓮にカナタは短くそう返した。そして、着替えを取りに行くべく部屋を出ようとした蓮はドアを開け出る瞬間、

 

「……いつもありがとう」

「ッッ」

 

そう礼を言ったのだ。

直後にはドアが閉じられたもののその言葉をしっかりと聞いていたカナタはクスリと笑みを浮かべるとテーブルの上に置かれてる蓮が置いてあった写真を手に取った。

 

「蓮さん、貴方を愛してくれている人は、信じてくれている人は貴方が思っている以上に多いんですよ」

 

自分もその一人だからこそ、カナタは願う。

私の、私達の『愛』が彼を人の世(こちら側)に引き留めてくれる縁にならんことを。

彼が、これ以上怪物に堕ちないように。これ以上傷付かなくていいように。

どうかこの想いが、この愛が、彼の心を照らす光にならんことを。

 

 

 

しかし、彼らはまだ知らない。

 

 

向かう異国の地で、魔女の手引きによって凶悪な試練が待ち受けていることに。

 

 

 

それが、彼に更なる苦悩を与えてしまうと言うことを。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

翌日。蓮とカナタがモーニングを食べ終わり、それぞれ蓮が黒、カナタが白のスーツに着替えてゆっくりしていた頃、飛行機はついに、ヴァーミリオン皇国上空にたどり着いた。

 

「蓮さん。見えてきましたわよ」

「ほぉ……」

 

カナタの言葉に、蓮は窓からヴァーミリオンの国土を見下ろし、感嘆の声をあげる。

視界に映るのは、国土の殆どが平野ヴァーミリオンを、どこまでもなだらかに広がる鮮やかな緑の絨毯。

所々に並び立つ風車と、川沿いに見えるほどの小さな民家が寄り添った集落。山と建造物の多い、ごちゃついた印象のある日本とは全く異なる風景だ。そんな、牧歌的な光景を見つめながら、蓮は思わず呟く。

 

「昔と何も変わっていない、綺麗な光景だな」

「ええ」

 

この風景は12年前かつて一度目にしたモノと何ら変わっていない。そして、懐かしい感覚が蓮の胸中に広がった。

ヴァーミリオン皇国。母サフィアが生まれ育った国。

欧州の一角、北海に面した湾岸沿いに存在する、今時珍しい絶対君主制国家。元は隣国クレーデルラント王国の一部だったが、数百年前独立し今に至る。主な産業は広い平野を生かした畜産や切り花の輸出。そして、美しい自然を生かした観光業。天然ガスの輸出などだ。

ここまでは欧州では珍しくない、ごく普通の国家だが、このヴァーミリオン皇国には他の国にはない大きな特徴があった。

それは、国民の皇族に対する忠誠心の高さ。

 

一つ、有名なエピソードがある。

 

数多の悲劇を生んだ第二次世界大戦。ナチスドイツの台頭により、欧州は火の海に包まれた。それはヴァーミリオン皇国にも及び、皇都フレアヴェルグは一度ナチスドイツの手によって陥落していたのだ。

この際、当時のナチスドイツはヴァーミリオン皇族の根絶やしに乗り出したが、結局それは果たされなかった。

 

何故か?それは、ヴァーミリオン皇国民が一丸となって皇族を匿い続けたからだ。

趨勢が変化し、ナチスドイツがヴァーミリオンから完全撤退するまでの間、どんな非道な拷問にも屈さずに皇族を匿い続けた。

そして、第二次世界大戦が終結するや、国民は全世界に加速度的に広まった政治の民主化の流れを完全に無視し、再びヴァーミリオン皇族を唯一絶対の王としてたてたのだ。

この鉄の忠誠心を物語るエピソードには、ヴァーミリオン皇国建国時の事が大きく関係していた。

 

ときのクレーデルラント王国の圧政に耐えかねた民衆が、穏健派貴族筆頭であったヴァーミリオン公爵を旗頭にはじめたヴァーミリオン独立戦争。

しかし、この時代は有力貴族の縁者は大抵が中央に表向きは婚姻という形をとり、人質して囲われているモノだ。それは、ヴァーミリオン公爵も例外ではなく、クレーデルラント王国は家族の命を盾にし、ヴァーミリオン公爵に反乱の中止を迫った。

しかし、ヴァーミリオン公爵は一度たりとも屈しなかった。毎週愛される家族の肉体の一部が送り付けられようとも、自身の家族全員の命と引き換えに、悪夢に屈さず、必死に耐え抜き独立戦争をやり切ったのだ。

 

自分に助けを求めてきた、弱き民の為に。

 

このときのヴァーミリオン公爵———ヴァーミリオン皇国初代皇帝の献身を国民は今も尚忘れていない。それは童話として、歴史として、広く語り継がれ、鉄の忠誠心を育んでいる。

 

『ヴァーミリオン皇国は一つの国にして、一つの家族』

 

かつて、サフィアが蓮にそうヴァーミリオン皇国のことを話してくれた事があった。

国民は皆、皇族を愛し、皇族もまたそんな国民を愛し、善政を敷く。そんな皇族と国民が家族のように近しい間柄にある。そういう国なのだと。だから、蓮も大和も私の大事な家族であり、同時に大事なヴァーミリオン皇国の家族だと、彼女はそう教えてくれた。

 

そして、彼女は実家であるインディゴのことについても話をしてくれた。

 

インディゴ。それは、元々はクレーデルラント王国において、代々騎士団長などの優秀な騎士を多く輩出する子爵家だった。

インディゴ子爵家もまた穏健派に所属しており、ヴァーミリオン公爵とは友好関係を築いていた。そして、ヴァーミリオン公爵が独立戦争を始めたとき、インディゴ子爵もまた騎士団に所属している一族の者達を率いて公爵を守り支えた。

インディゴ子爵もヴァーミリオン公爵と同様に、毎週家族の肉体の一部が送られてきたものの、それでも屈さずヴァーミリオン公爵を守る剣となり盾となった。

 

彼等もまた同じだった。どれだけ悪夢を、絶望を見せつけられたとしても、弱き者を守る騎士の使命を全うする為……そして、新たに感銘を受けた理想の主の道を守る為に、インディゴ子爵は国民達と共に戦い続けたのだ。

その後、独立戦争に勝ったヴァーミリオン皇国初代皇帝は、彼等の貢献に報いインディゴ子爵を公爵にし新生ヴァーミリオン皇国の騎士団の全権を彼に託した。

それは、鉄の忠誠と血の貢献があったからだ。それからは、インディゴ家はヴァーミリオン皇国を支える騎士の家系として再び名を馳せており皇族に深い忠誠を誓っているのだ。

 

その歴史があったからこそ、今ではヴァーミリオン皇国の軍は国を象徴し皇族の名でもある赤い軍服を着用し、騎士団は国の剣であり盾を象徴し公爵の名である青い軍服を着用しているのだ。

ヴァーミリオン皇国民にとっては一般常識であるそれを蓮もサフィアから聞かされており知っていた。

 

そして、しばらくして空港に着いた彼等はやがて機内アナウンスに従い乗降口に向かう。乗降口の側にはスーツ姿の20代後半の女性が一人待っていた。

彼女はカナタのボディガードにして優秀な部下の黒馬 雪菜だ。ここまで飛行機を操縦していたのも彼女である。

 

「お嬢様。蓮様。下に迎えの車が来ております。足元にお気をつけてお降り下さい」

「ええ、ありがとう。雪菜さん。いつもありがとうございます」

「感謝の極みです」

 

カナタの謝辞に雪菜は恭しく頭を下げる。そして、蓮もまた彼女に礼を言う。

 

「雪菜さん、ありがとうございます」

「いいえ。それよりも、蓮様。お嬢様のことをお願い致します」

「ええ、任されました。……じゃあ、行こうか。カナタ」

「はい」

 

雪菜にそう答えて、蓮はカナタに視線を向けてそう告げると彼女を連れて乗降階段を降りていく。降りた先には、純白の高級車が停まっており、二人の到着を待たずして運転席から青い軍服姿の蓮よりかは幾分か色の濃い青髪の女性が出てきて、後ろの扉を開いた。

そこから長くウェーブのかかったピーチブランドの小柄な女性とその後から同じ髪色だがすらりとした長身の女性が降車してくる。

そして、小柄な女性が蓮達を見上げると、

 

「久しぶりね、レンくん。それにカナタちゃんも。一年ぶりね」

 

幼い造形の顔に温和な笑みを浮かべ、二人の来訪と久しぶりの再会を歓迎した。

お互い知った仲であるため、蓮とカナタは恭しく頭を下げると挨拶をする。

 

「こちらこそお久しぶりです。アストレア・ヴァーミリオン王妃様。ルナアイズ・ヴァーミリオン第一皇女殿下様」

「お久しぶりです。アストレア様、ルナアイズ様」

 

なんと、この幼女のような女性は、ヴァーミリオン国王の妻。つまり、この国の王妃アストレア・ヴァーミリオンなのだ。そして、彼女の隣に立つ長身の女性はヴァーミリオン皇国次期女王。第一皇女ルナアイズ・ヴァーミリオンだ。

アストレアは頬を緩ませ表情を綻ばせる。

 

「ふふ、二人ともお久しぶりぃ。カナタちゃんは去年も会ってるけど、レンくんは本当に久しぶりねぇ。テレビで活躍は見てたけど、改めて見ると、とても立派になったわぁ」

「……ッいえ、まだまだです。俺はまだあの二人には届かない未熟な身ですよ」

「あら、そうかしら?私はそうは思わないわよぉ?」

 

アストレアはそう言うと、蓮の右手をきゅっと優しく握る。それから、声音には深い喜びを込めて桃色の瞳で蓮を見上げながら言った。

 

「あの日から12年。貴方のことはずっと心配だったわ。でも、こんなに大きくなって、経緯はどうであれまたこのヴァーミリオン皇国の地に来てくれた。私はそれが嬉しいの。それに、貴方は生まれた時からこの国の大事な家族の一員よ。だから、改めて言わせて。———お帰りなさい、レンくん。私達はずっと貴方の来訪を待ってました」

「……ッッはい。ありがとうございます」

 

蓮は彼女の言葉に表情をほんの少しだけ和らげて、彼女手を優しく握り返してそうお礼を言った。そして、彼女は満足げに蓮の手を離した。

次に、ルナアイズが蓮に右手を差し出す。

 

「話すのは初めてだったな。私がステラの姉にしてヴァーミリオン皇国次期女王。第一皇女ルナアイズ・ヴァーミリオンだ。初めましてだ。レン・シングウジ」

「はい。こちらこそ初めまして」

「うむ。ステラの一つ上とは思えないほどにしっかりした青年だな。そして、カナタも久しぶりだ。去年に墓参りで会ったな」

「ええ。お久しぶりで。殿下もお変わりがないようで何よりです」

 

蓮の手を話しカナタにも視線を向けて言葉を交わしたルナアイズは再び蓮に視線を戻すとじっと蓮の顔を見つめる。流石に、これには蓮も戸惑う。

 

「あの、どうされました?」

 

蓮の指摘にルナアイズは知的な笑みを浮かべる。

 

「ん?あ、ああ、すまないな。

12年前のことをつい思い出してしまった。母上同様私もあの時の君の様子を見ていたから、その後のことが心配だったんだ。……だが、見たところ元気そうで何よりだ」

「見ての通り、元気ですよ。俺は」

「そのようだ。さて、アルテリア、お前も話したいことがあるだろ?」

 

そう言って、ルナアイズは車の側で控えていた軍服姿の女性に声をかける。

アルテリア、そう呼ばれた女性はルナアイズに尋ね返す。

 

「よろしいのですか?」

「当然だ。私達よりもお前の方が彼に思い入れはあるだろう。私達に遠慮する必要もない」

「では」

 

そう言って蒼髪の女性が前に進み出るとまずカナタへと視線を向けて、優しく微笑んだ。

 

「お久しぶりですね。カナタさん。元気にしてましたか?」

「ええ。アルテリアさんこそ元気そうで何よりですわ」

「ありがとう」

 

そう短く言葉を交わした後、アルテリアは蓮へと視線を向けると先程と同じように優しい笑みを浮かべた。

 

(ッッ、この人は、まさか……)

 

後ろで纏められた蓮より幾分か色の濃い蒼海を思わせる青色の長髪。蓮と同じ紺碧色の瞳。……そして、サフィアとほんの少しだけ似ている優しくも知的さを秘めた顔立ちに、蓮は彼女の正体にほぼ辿り着く。そして、アルテリアは心の底から嬉しそうに微笑みながら、蓮へと手を差し出してはっきりと言った。

 

「こうして顔を合わせるのは初めてですね。私はアルテリア・インディゴ。サフィアさんの兄の娘。つまり、貴方の従姉妹です」

「ッッ」

 

蓮はアルテリアの名乗りに僅かに驚く。

会うことは覚悟していたものの、まさか国についてすぐに母の身内に、自分の親戚に会うとは思っていなかったからだ。

蓮も手を伸ばして、彼女の手を握る。

 

「……初めまして。新宮寺 蓮です」

「ええ、貴方の活躍はテレビでずっと見させてもらっていました。あれほどの強さ、流石あのお二人の息子だ。……それに、本当に無事でよかった」

 

アルテリアはそう言って目の端に涙を滲ませると、蓮へと左手を伸ばしてその頭を優しく撫でた。

 

「………あんな小さかった子供が、今じゃこんなにも大きくなっていた。ここまで無事に育ってくれたこと、私は本当に嬉しいんです。

この12年間、ずっと心配だったから。だから、この国にもう一度来てくれてありがとう」

「………………………はい」

 

苦々しくもどこか嬉しそうな複雑な表情を浮かべた蓮は少しの沈黙ののちに、小さく笑みを浮かべると短く呟く。それを見て、アストレアがパンパンと手を打ち鳴らした。

 

「はいはい、それじゃあまだまだ積もる話もあるでしょうけど、取り敢えずお城に向かいましょうかぁ。アルテリアちゃん、悪いんだけど運転お願いね」

「かしこまりました」

「二人も行きましょうか」

「はい」

「ええ」

 

アストレアにそう言われ、二人は荷物をトランクに載せた後、アルテリアが運転する車に乗り込み城に向かった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

空港から城へ向かう道中、車の座席から蓮は静かに外の街並みを眺めていた。

 

「………(いい国だな。ここは)」

 

石畳の道路にレンガ造の家屋。北欧の様式に倣った街並みは素敵な景観であり、古き良き伝統を受け継ぎ残すという意志が伝わってくる。

そして、何より、注目すべきは、

 

(国民が皆、心の底から笑えている)

 

道路を歩く親子、風船を持って走り回る子供達。パンを売っているおばさん。パンを買いおばさんと話すおじさん。工事をしている人達。花を籠に入れて運ぶ親子。見渡す限り殆どの人が、心の底から笑えていたのだ。

表面上の笑みではない。心の底からこのヴァーミリオン皇国での暮らしを幸福だと感じていたのだ。

 

(………………もしも、俺もこの国で……)

 

街並みや人々の暮らしを見ていた蓮はあることを一瞬考えたが、その思考をすぐに止めた。

それは、考えたところで意味のない話だったし、なにより、してはいけないものだったから。

そして、そんな思考を振り払い、再び景色を眺める蓮にアストレアは微笑みながら尋ねる。

 

「ふふ、レンくんどうですか?ヴァーミリオンの街並みは」

「ッええ、素敵な景観です。昔ながらの街並みが残っていて、人々も笑顔で暮らせている。……この街並みを見ただけでも、この国がいい国だと言うことがわかります」

 

惜しみない賞賛に、アストレアはさらに表情を綻ばせ外見相応の子供のような笑みを浮かべた。

 

「ふふふ、ありがとう。そう言ってもらえると、私もパパも嬉しいわぁ」

 

アストレアがそう破顔した後、ルナアイズが蓮に尋ねた。

 

「レン。どこか行きたいところはないか?父上との会談前にどこか寄りたいところがあれば、好きなだけ言ってくれ」

「え?い、いえ、それは流石に出来ません。国王陛下も待っておられるでしょうし、先に会談を済ませてからの方がよろしいかと思いますが……」

「なに構わんさ。父上なんていくらでも待たせればいい。どうせ、あの記事を見てまだ不貞腐れてるだろうからな」

「はぁ……」

 

ルナアイズの存外な父親の扱いに蓮は多少戸惑うものの、よくよく思い出してみればステラが留学する際にも、アストレアがごねる国王陛下をなんやかんやで投獄したと言っていた。

その話とこの態度から察するに、国王陛下は妻と娘達の尻に敷かれているのではないだろうか。

そして、蓮はルナアイズの提案に首を横に振り、意志を示した。

 

「しかし、それでもやはり先に会談を済ませるべきかと思います。元々会談をするために来たのです。なればこそ、陛下達の憂慮を晴らすのが先決だと思います。俺の私情など後回しで構いません」

「ふむ……まぁ君がそう言うのならそれでいいが……なら、会談が終わった後、私とアルテリアで皇都を案内しよう。それで構わないか?」

「……それでしたら。カナタもそれでいいか?」

 

第一皇女に国の観光案内をさせるなどどうかと思ったものの、ルナアイズの提案に渋々了承した蓮はカナタへと視線を向ける。

 

「えぇ、構いませんわ。それに、12年ぶりのヴァーミリオンなんですもの。蓮さんの好きなようになさってください」

「そうか。……でしたら、殿下。そう言うことでお願いできますでしょうか?」

「うむ。構わんぞ。それと、私のことは気軽にルナアイズと呼んでいいぞ。様もなしでいい」

「………しかし……」

 

そう言われても皇族にそんな態度は取れないと言葉を詰まらせる蓮にルナアイズは息をついて呆れ笑いを浮かべる。

 

「そんなことは気にしなくていい。お前は生まれた時から、住む場所は違えど、この国の家族の一人だ。ならば、そんな堅苦しい言葉も不要だ。それとも、君は家族にすらそんな堅苦しい言葉を使うのか?」

「………わかりました。ルナアイズさん。……これでいいですか?」

「ああ、今はそれでいいさ」

 

ルナアイズの説明に折れた蓮は観念したように肩を落とすと呼び方と口調を変える。それに、ルナアイズは満足そうに頷いた。

 

「そういえば、王妃様。一つ聞いてもいいですか?」

「あら、私のことは名前で呼んでくれないの?」

「………貴方もですか」

 

娘に便乗したアストレアの頼みに蓮は若干困ったような表情を浮かべてしまう。

 

「ええ。私はサフィアちゃんとは仲が良かったし、ルナちゃんのことは名前で呼んだのだから、サフィアちゃんの息子なら私も名前で呼んでほしいわぁ」

「…………はぁ、分かりました。アストレア様」

「様もなしで」

「……アストレアさん。先程ルナアイズさんが国王陛下は不貞腐れていると仰っていましたが、やはり相当怒っていますか?」

 

先程ルナアイズが国王陛下がまだ不貞腐れてると言っていた為に、予想通りあの記事は既に赤座の手によって送られていたのだと理解する。

というより、元々あの記事を知っていなければ話のしようがないのだが……。

アストレアは困ったような表情を浮かべる。

 

「ええ、ちょうど5日前にね。クロノさんから連絡を受けた直前に連盟支部経由で例の新聞が送られてきたわ。もうそれからはパパはずっと怒っていて、『俺の断りもなく娘に手を出すなんぞ許さん‼︎』って日本に乗り込もうとしたぐらいだもの」

「……そこまで怒っていましたか…」

「まあ、私がなんとか説得したから今は不貞腐れてるだけに落ち着いてるわぁ」

「……そうですか」

 

蓮は何をしたのかは尋ねなかった。

なぜなら、説得と言った瞬間のアストレアの表情が決して触れてはいけない類の黒い表情だったからだ。

 

「一応聞きますが、あの記事は国民の皆さんは知っているんですか?」

 

話題を変え蓮はそう尋ねる。アストレアは再び困ったような表情を浮かべて、頷く。

 

「……そうね。ニュースでみんな知っちゃったわ。それからは殆どがパパみたいになっちゃってねぇ」

「………愛されているが故にですか」

「そんなところだな。皆、娘として、姉として、妹として、家族としてステラを愛しているからな。まぁ要は親バカなのだ。この国の国民達は全員な」

「…………」

 

呆れながらも嬉しそうに呟いたルナアイズに蓮は一瞬目を見開くも直ぐに口の端を釣り上げて笑みを浮かべる。

 

「理解していたつもりですが、どうやら認識が足りなかったようです。『一つの国で一つの家族』。母から聞かされたヴァーミリオンの国柄の意味を俺は今ようやく本当の意味で少し理解できた気がします」

 

蓮は『ヴァーミリオンは一つの国で、一つの家族』の意味を理解していたつもりだった。

だが、それは言葉でしか知らなかった。実際にその形を見ていなかったが、今その形の一端を垣間見て漸くその言葉の意味を理解し始めたのだ。それには、ルナアイズだけでなく、アストレアやカナタ、そして運転しながらも話を聞いていたアルテリアすらも笑みを浮かべた。

 

「そういえば、アルテリアさん」

「なんですか?レンくん」

「青い軍服を着てると言うことは、騎士団の所属なんですか?」

 

蓮にそう尋ねられたアルテリアは微笑み頷き、自身の所属を明かした。

 

「はい。そうですよ。私はヴァーミリオン皇国騎士団《青薔薇の騎士団(ローゼン・ナイツ)》第一部隊の隊長を務めています」

「アルテリアちゃんはこの国に二人しかいないBランク騎士であり、《白青の水乙女(ウンディーネ)》の二つ名を持ってるんですよぉ。次期騎士団長とも噂されてるぐらいですから」

「……なるほど、確かに彼女は強いですね」

 

蓮はアストレアの説明に納得する。

初めてアルテリアを見た時、感じた気迫、佇まいから相当な高水準の強者だと気づいた。むしろ、カナタと同じBランクと言われてソレぐらいないとおかしいと思ってたぐらいだ。

 

(アルテリアさんは、強いな。ステラ・ヴァーミリオンよりも)

 

現段階ではステラ・ヴァーミリオンよりもアルテリアの方が格段に強いだろう。

アルテリアはそんな蓮の賞賛にバックミラー越しに微笑んだ。

 

「ふふ、Aランクであり歴戦の猛者である貴方にそう言ってもらえると嬉しいですね」

「そんな大したものではありませんよ」

「いえいえ、そんなことありません。……ああ、そうだ。よろしければ、会談後、時間がありましたら手合わせしてもらえませんか?」

「ええ、俺でよければ」

「ありがとうございます」

 

そしてそれから、しばらく談笑をしていくなか、ふと蓮は通りにある建物の一つに視線が向く。工事中だろうか。教会の屋根の上に作業員らしき人物達が工具を手にして何か作業をしている。

 

『ッッ‼︎‼︎』

 

しかし、その時だ。突然、壁面に亀裂が入ると瞬く間にその亀裂を増していき、直後ガラッと大きくその部分の屋根ごと壁面が崩れ作業員を巻き込みながら下へと落ちたのだ。しかも、落ちる先は扉がありそこから数人の子供が出てこようとしていたのだ。

 

「お、おい早く離れろ‼︎‼︎」

「崩れるぞ‼︎」

 

大人達が揃って悲鳴や怒号をあげる。

子供達もその大人の剣幕に気づいたのか上を見上げて、もう眼前に迫る瓦礫を前に恐怖に身を固める。

 

「危なっ」

 

危ない、丁度見ていたルナアイズが叫ぼうとした刹那、車がガタンと揺れると同時に、車の後部扉が勢いよく開き青い閃光が車の中から飛び出し、崩れる破片の真下へと突っ込んだ。

そして、閃光が子供達の下にたどり着いた瞬間、落ちてから瓦礫と作業員全てが突如出現した無数の水の手と水の球体によって受け止められたのだ。

 

「えっ……?」

 

ルナアイズは眼前の光景に目を見開き、愕然とする。  

 

「———大丈夫か?」

 

子供達を庇うように立って、瓦礫を受け止めているのは、蓮だった。

背に《蒼翼》を生やし、子供達を庇うように広げながら、落ちてきた瓦礫全てを虚空に浮かぶ魔法陣から水の手を伸ばして受け止め、あるいは水の球体で包んでいたのだ。

国民達も一瞬の出来事で驚いている。

蓮は一際巨大な瓦礫を片手で受け止めながら、下でぽかんとしている子供達に笑顔を浮かべ、子供達に声をかける。

子供達は何が何だかわからなかったが、やがて状況を理解したのか一様に表情を崩して大粒の涙を流しながら蓮に泣きついた。

 

「うわぁぁんん‼︎‼︎」

「怖かったよぉぉ‼︎」

「えぇぇんん‼︎」

「もう大丈夫だ」

 

涙を流し泣きつく子供達に蓮は順番に頭を撫でながら、そう優しく微笑む。子供達が無事だと分かった大人達も彼らの様子に安堵して、興奮の声をあげる。

 

「す、すげぇ、あの兄ちゃんあの一瞬で瓦礫全部全部受け止めたぞ……」

「というか、あの青い髪に水の能力って、まさか、インディゴ家の人か?」

「なんにせよ、無事で良かった。作業員も無事そうだ」

 

作業員も無事で、水の球体に包まれた彼らは何が何だかわからずに仕切りに周囲を見回して球体に何度も触れていた。

 

「今下ろすのでそのままじっとしててください」

 

作業員達にそう言った蓮は水球を操作して十分に離れた場所に作業員達を下ろす。下ろした蓮はまだ呆気にとられている作業員達に声をかけるよりも先に、まだ泣きついている子供達に声をかけた。

 

「君達も早く外に出るんだ。ここは危ないから」

「お兄ちゃんは出ないの?」

「俺はこれをどかさないといけないから。ほら、早く。向こうでシスターも待っている」

 

片手で指をさし外側にシスターがいて心配そうに子供達を見ているのを子供達に知らせる。

子供達はシスターを見つけると、それぞれ蓮にお礼を言いながらシスターの方へと走り寄っていった。

それを見送った蓮は声を張り上げて外にいる市民達に警告する。

 

「全員近づくな‼︎‼︎今から瓦礫を砕く‼︎‼︎」

 

直後、市民達が距離をある程度取ったのを確認してから蓮は一気に瓦礫を砕く。

手で受け止めた瓦礫をまず砕き、その後に水の手で受け止めた瓦礫も握り潰していき、全ての破片を一つに集める。轟音を立てながら、瓦礫は次々と粉々になり、十数秒後には2m四方の氷の塊に収められる程に砕かれ纏められていた。

 

「これでいいか」

 

ドンと自分の側に氷の塊を置き瓦礫の粉砕を終えた蓮は一息つく。

同時に、周囲の国民達が拍手と共に歓声を上げた。

 

「兄ちゃんすげぇな‼︎‼︎あれだけの瓦礫を一人で全部受け止めちまうなんて‼︎」

「子供達を助けてくれてありがとう‼︎お兄さん‼︎‼︎」

「兄さんカッケェじゃねぇか‼︎つい見惚れちまったぜ‼︎」

「初めて見る顔ね。海外からの観光客かしら?」

「しかし、本当に凄かったな。何者なんだあの人?」

 

口々に告げられる称賛の数々に蓮は目を丸くして言葉を返さないでいた。

自分としてはまさかここまで大層感謝されるとは思っていなかったのだ。

そして、助けられた子供達も蓮の元に駆け寄っていく。

 

「あ、あのお兄さん‼︎助けてくれてありがとう‼︎」

「助けてくれてありがと‼︎」

「兄ちゃんさっきのスッゲーかっこよかった‼︎」

「お、おお」

 

子供達も口々に蓮に感謝の言葉を送っていく。

あまりの勢いに蓮は最初こそ驚いたものすぐに子供特有なものだと気づき笑みを浮かべると、片膝をついて目線を合わせる。

 

「どういたしまして。それより、さっきのは本当に危なかったぞ」

「う、うん、凄い怖かった」

「俺、死ぬかと思ったもん」

「次からはちゃんと上も気をつけて歩くんだぞ。じゃないと、今回のようなことがまた起きるかもしれないからな」

「うん、気をつける‼︎」

「よし、いい子達だ。なら、気をつけろよ」

『はーい‼︎』

 

子供達は蓮の言葉にそう元気よく返事した。

それに微笑んだ蓮は車から降りて近づいてくるカナタに視線を向けて立ち上がる。

 

「蓮さん、お見事です」

「まあ割と本当に危なかったからな。間に合ってよかった」

 

蓮は未だに群がる子供達の頭を撫でながらそう安堵する。そんな二人に、一人のシスターが近寄ってきた。

 

「あの、ありがとうございます。子供達を助けていただいて」

「いいえ、俺は俺ができることをしただけですよ。それよりも、あの教会はかなり老朽化が進んでいたのでしょうか?」

「はい。それそろ改装をと思って業者に依頼していて、今日はちょうど教会の状態を見てもらっていたんです。そしたら、あんなことになって……本当にありがとうございます。貴方がいなければ、今頃子供達はどうなっていたか……」

 

シスターは目の端に涙を浮かべながら、蓮にそう深々とお辞儀した。蓮はそのお礼を受け取りながら、教会へと視線を向ける。

教会は外見から見ても少々古く、修繕や改築をするべきなほどだ。シスターの判断は正しかったが、生憎タイミングが悪かったのだ。

 

「なんにせよ、教会の改装は急いだ方がいいでしょう。あんなことになった以上は、もしかしたら、他の部分も崩壊するかもしれません。少し調べてもよろしいでしょうか?」

「えっ、よ、よろしいのですか?」

「ええ、まあルナアイズさん達の許可があればですけど……構いませんか?」

 

そう言って振り向けば、ルナアイズ達も近くまで来ており、蓮の問いかけに快く頷いた。

 

「ああ、構わん。好きに見てくれ」

「そういうことでしたら」

 

蓮はそう答えるとすぐに動き教会の壁面に触れると瞳を青く輝かせて、自身の魔力を教会の隅々まで浸透させる。

青い魔力が血管のように浸透する光景に市民達が驚く中、ルナアイズは隣に立つアルテリアに尋ねる。

 

「なぁ、アルテリア。お前は先程のレンの動きはできるか?」

「……予め気づいていれば出来たかもしれませんが、流石にあの状況下で同じことをやれと言われれば、難しいですね」

「そうか……分かっていたつもりだが、どうやら彼は私達の思っている以上に強いんだな」

「そうね。私も驚いたわぁ」

 

ルナアイズは蓮の試合動画を見ているため、強さは把握しているつもりだった。だからこそ、あんな凄まじい動きができたのだろう。

しかし、そう納得するルナアイズやアストレアの一方で、Bランク騎士として名を馳せているアルテリアは違った。彼女は、カナタに近づくとそっと耳打ちする。

 

「カナタさん、少しお聞きしても?」

「はい、なんでしょうか?」

「レンくんのあの動き、()()()()()()()()?」

 

アルテリアの問いかけにカナタは微笑むと首を横に振り、否定した。

 

「いいえ、あの程度全力のうちにも入りませんよ」

「……やはりですか」

 

カナタの言葉にアルテリアは蓮の実力があんなものではないとはっきりと理解した。

そして、彼女は教会の調査をしている蓮を見る。脆い箇所を見つけた蓮は《蒼翼》で飛びながら、その位置をいくつも作業員達に教えていた。その様子を見て彼女は思った。

 

(レンくん、貴方は私程度が挑んでも勝てないほどに強い騎士だ)

 

あの一連の動きだけで分かってしまった。

蓮は自分など足元にも及ばないほど強いと。

周囲の状況を把握するための、危機感知能力と観察力。躊躇わずに瓦礫に飛び込める胆力。あの一瞬で最適な状況を選べる判断力。

伐刀者の素養だけでなく、戦士として必要な感覚能力が軒並み異常だった。

ルナアイズにはああ言ったが、自分でもあそこまでの領域には達していない。

 

(でも、いったいその領域に辿り着くまでに、どれだけの修羅場をくぐり抜けたというの?)

 

彼女もまたBランクという強者の一人。ゆえに、蓮のあの強さが並大抵ではない経験によって積み上げられたものを看破する。

そして、そこに至るまでどれだけの修羅場を潜り抜けてきたのか、彼女は気になったのだ。

 

「ッッッ」

 

彼女はそれを理解して震える。

『新宮寺蓮』という騎士の底知れぬ実力に畏敬を抱き………そして、高揚を得ていた。

彼女とて一人の武人だ。

実力が遠く及ばずとも、一人の武人として圧倒的強者に挑みたいという渇望があった。

 

 

(見てみたい。貴方の本気を)

 

 

だからこそ思う。

従姉妹としてではなく、一人の武人として彼に真っ向から挑みたいと。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

それから、教会の脆い箇所をいくつか見つけて業者の判断で教会は一度取り壊して立て直すことが決まった。

その際に、あれはすぐに崩落すると看破した蓮はルナアイズの許可を得て業者の指示に従いながら、教会の取り壊しを行う。

しかも、水の結界を展開することで決して砂埃の被害を外に出さないようにして迅速かつ丁寧に解体を行なった。

その後、解体を終わらせて市民やシスター達に感謝された蓮は、そのまま車に戻り城へと向かった。

 

皇都外周部の城下町を抜け、高級住宅街を抜けて皇都中央の城に辿り着き、正面玄関に着いて一行は車から降りる。

 

『おかえりなさいませ。アストレア様。ルナアイズ様』

 

降りた一行を出迎えたのは何人かの執事と侍女達だ。

本物の執事と侍女達の出迎えに、財閥の娘であるカナタは別として、力はあれど一般人にすぎない蓮は少し落ち着かない気分になった。

 

「ふふ、流石の蓮さんもこういうのは慣れてませんね」

「一応一般人にいきなりこれに慣れるというのは酷だろ……」

「ふふっ、ええまあ確かに」

 

カナタは嘆息混じりに答えた蓮にくすくすと手を口に当てて笑う。

 

「このままパパのところに案内するわぁ。きっと玉座にいるはずよ」

 

アストレアにそう言われ、侍女達にスーツケースなどの大型の荷物を預けた蓮とカナタは3人の後をついていく。

 

「……これが、本物の城か……」

 

本物の城に入ったことがない蓮は広い大理石の廊下を歩きながら、あちこちに視線を巡らせながら歩く。幼い頃に貴徳原の屋敷に遊びに行ったことはあったものの、やはり本物の皇族の城はわけが違った。

そして、しばらく歩いて十字路に差し掛かった頃、右の通路から一人の男が現れる。

 

「ん?おお!ここにおられましたか、アストレア様、ルナアイズ様」

 

アルテリアと同じ青の軍服に身を包んだ壮年の蓮よりも大柄な体躯の男性。青色の髪と瞳の男性はアストレア達の姿を捉えると、笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「グラキエスさん、もしかして迎えに来てくれたんですか?」

 

グラキエス。そう呼ばれた男はアストレアの言葉に頷く。

 

「ええ、私も会談には参加する予定でしたので、玉座に向かう前に皆様をお迎えしようと思っていたのです。もっとも、見ての通り私が来る前に到着して、私は遅参してしまいましたが」

 

そう言って快活に笑うグラキエス。彼の笑い声が廊下に響く中、アルテリアがわざとらしく咳払いをすると、彼にジト目を向ける。

 

「コホンっ。もう()()()、そろそろ挨拶をしてください。彼が戸惑っていますよ」

「お父様?」

 

アルテリアの言葉に蓮は反応する。

今彼女はグラキエスのことをお父様と言った。だとしたら、彼はー

 

「おおこれはすまない。私もこの会談は心待ちにしていたものでな。カナタちゃんは一年振りだな。元気そうで何よりだ」

「グラキエスさんも、お変わりないようで」

「うむ。それで、君がそうか……」

 

グラキエスはカナタに頷くと蓮へと視線を移し、感慨深そうに呟く。そして、蓮へと近づくと彼の肩にそっと手を置いた。

 

「君は私の事を覚えていないかもしれないから、改めて挨拶をさせてもらおうか。

私はグラキエス・インディゴ。インディゴ家現当主にして、『青薔薇の騎士団』騎士団長でもある。そして、サフィアの兄だ。久しぶりだな、レン」

「お久しぶりです。グラキエスさん。あの時は申し訳ありません。せっかく声をかけてくださったのに、何も言葉を返さなくて」

 

あの時、それはヴァーミリオン皇国で行われた大和とサフィアの葬式の時だ。

あの時、塞ぎ込んだ蓮にヴァーミリオン国王夫妻だけでなく、サフィアの兄であったグラキエスも蓮に話しかけていたのだ。

だが、無気力で塞ぎ込んでいた蓮は視線を返しただけで、何も言葉を返さなかった。そのことの謝罪を蓮は言ったのだ。

それに対し、そんなことは構わないとグラキエスは首を横に振る。

 

「いい。あの時の君のことを考えれば仕方のないことだ。君が謝る理由はない」

「…………」

「それにだ。12年振りに来てくれた甥なんだ。心配はすれど、怒るわけがないだろ。ずっと会うのを楽しみにしていた。だから、こうしてやっと会えて私は嬉しいんだ」

 

そう言って、サフィアとどこか似ている笑みを浮かべると蓮の頭をわしゃわしゃと撫でて、

 

「見違えるほどに大きくなったな。ヤマトくんとサフィアの良いところを受け継いだ精悍な顔つきだ。立派な男の面構えというやつだな」

「……ありがとうございます。グラキエスさん」

「私としては気軽に叔父さんと呼んで欲しいんだがな……」

 

名前呼びで丁寧にお礼を言われたことにグラキエスは小さく肩を落とす。それに対し、蓮は乱れた髪を整えながら軽く頭を下げた。

 

「すみません。俺はまだ、自分の出生を明かしていません。明かすだけの踏ん切りがついていない。だから、俺が、いつかあの二人の息子だと、名乗るようになった時、改めてそう呼ばせてください」

「ッッ、あぁ、その日を期待して待っていよう」

 

嬉しそうに表情を綻ばせるグラキエス。そこに、アルテリアが参加する。アルテリアはグラキエスを押し退けると蓮に言った。

 

「レンくん。お父様のことを叔父さんと呼ぶなら、私のこともいつか姉さんと呼んでくれませんか?」

「……えと、はい?」

「だって私は貴方の従姉妹なんですよ。なら、私のことも姉さんと呼んでくれても構わないでしょう」

「……えと、まぁ、確かに……」

 

アルテリアの説明に、一応の納得をみせる。確かに彼女の言い分もわかると言えばわかるが、グラキエスといい、話が急過ぎないかと蓮は戸惑う。

正直なところ、蓮にとってはいくら親戚とはいえほぼ初対面なのだ。多少なりとも、彼女の言葉には戸惑いを隠せなかった。

そこに、ルナアイズがヘルプに入ってくれた。

 

「アルテリア、気持ちは分かるがそれはもう少し時間が経ってからで良いだろう。彼も戸惑っているぞ」

「え?あっ、すみません。レンくん、つい……」

「あ、いえ、別に大丈夫ですよ?」

 

12年振りに会ったのだから、色々と話したいことがあるのは蓮も分かるためすかさずそう答える。そして、少し沈黙すると、静かに微笑んだ。

 

「………アルテリアさん。今はまだ、難しいですが、機会があればいつかそう呼びます」

「……約束してくれますか?」

「ええ、いつか必ず。約束します」

「…………なら、良いです。私もすみません。12年振りだからって、年甲斐もなくはしゃぎすぎました」

 

アルテリアはそう言って頭を下げる。それに対し、蓮は微笑みながら、アルテリアとグラキエス二人に視線を向ける。

 

「二人ともありがとうございます。この俺を、家族のように思ってくれて。本当に、ありがとうございます」

(蓮さん……)

 

二人への感謝と喜びに満ちた言葉。だが、カナタだけは気づいてしまった。

ほんの一瞬だけ、蓮の表情が影がさしたかのように仄暗くなったことを。

 

「それはそうと、ここで立ち話もなんですしまずは陛下の元へ行きましょう。積もる話はそれからで」

 

カナタが何かを言う前に蓮がそう話題を移す。

 

「ええ、そうね。なら、行きましょうか」

 

そして、グラキエスも加わった一行はそのまま玉座の間へと向かった。

 

しばらく歩き、玉座の間がある皇宮へとたどり着き、巨大な観音開きの扉を押し開き中に入る。

 

「陛下。日本からの来客が到着いたしました」

 

グラキエスは一礼するとそう告げる。

扉の手前から赤い絨毯が敷かれ、その絨毯の奥には大きな玉座がある。

そこには、一人の男性が座っていた。

 

「おう、来たか」

 

玉座に座るのはステラと同じ灼熱の炎のような紅蓮の髪。2m近くある巨大な体躯ともみあげに繋がった顎髭は、獅子が如き勇壮さを思わせる。そして、獅子のように厳しい面立ちで入ってきた蓮達の姿をしっかりと捉えていた。

あの巨大の男こそが、この国の王。シリウス・ヴァーミリオン国王その人である。

彼の左右、一段下がった場所には禿頭の老人と、白髪と青髪が混ざった初老の男性が控えていた。

 

部屋の中ほどまで進んだ後は、ルナアイズとアストレアはシリウスの左右に立ち控える。

アルテリアとグラキエルは一段下の二人の老人のそばにそれぞれ控えた。

そして、シリウスとある程度の距離まで近づいたところで蓮は徐に片膝をつくと、恭しく頭を下げる。

 

「お久しぶりです。シリウス・ヴァーミリオン国王陛下。此度は謁見の許可を頂き誠にありがとうございます。並びに、今回の一件について謝罪を…「あぁ〜、そういうのはえぇわい。楽にせぇ」……しかし」

「はぁ、全くお前というやつは……」

 

途中で話を遮られそう言われたことに蓮は静かに抗議の声をあげる。それに対して、シリウスは困ったような嘆息を吐くと、玉座から立ち上がりズカズカと近寄り蓮の前まで歩くと、あろうことか自分も彼と同じように片膝をついたのだ。

 

「陛下⁉︎なにをっ……ッッ⁉︎」

 

シリウスの突然の行動に蓮は目を見開き声をあげるも、言い切る前にシリウスが蓮の腕を掴み無理矢理立たせたのだ。

驚愕を隠せない蓮の肩に手を置いてシリウスははっきりと告げる。

 

「ええか、ワシはな、そういう堅苦しいのは嫌いなんじゃ。それに、お前は育った場所は違えどこの国の大事な家族の一人やとワシは思っちょる。だから、そんな堅苦しくせんでもえぇ」

「………」

「今回の一件、ステラやクロノから話は聞いちょる。お前達が話の真相を伝えるためにわざわざこの国に来たのもじゃ。

だからこそ、謝罪などいらん。お前は何にも悪いことなどしておらんじゃろうが」

「………しかし、この不測の事態を招いてしまった責任はあります。校内に不審者の侵入を許し、あの二人の写真を撮られてしまったことは、俺達風紀委員の失態です。ですから、「じゃから、それも分かっとるわい」ッ」

 

そう言っても尚、謝罪の姿勢を崩さない蓮にシリウスはそう言ってまた溜息をつくと、困ったような呆れたようなそんな表情を浮かべる。

 

「クロノから話は聞いておったが、本当に真面目なやつじゃのぅ。それが、お前の性分なら何も言わんが、せめてここでだけはそんな堅苦しい言い方はやめい。これは、国王命令じゃ」

「………分かりました。命令ならば、仕方ありません」

 

蓮の真面目さを利用して命令という形でシリウスは蓮の態度を改めさせる。命令という形を取ったシリウスの意図に気づかないわけもなく、蓮は頷き軽く頭を下げる。シリウスは一つ咳払いをすると、

 

「まぁよう来てくれた。ずっと待っておったぞ。レン」

 

厳のような強面に優しい笑顔を浮かべて、グラキエスと同じように蓮の頭を撫でる。

 

「……ありがとうございます。陛下」

 

これに蓮は小さく笑みを浮かべて礼を口にした。そこに、今度はこの部屋に元々いた二人の老人が近寄ってきた。

 

「ホホホ。あの時の幼児が、まさかこんなにも大きくなってるとは。時が経つのは早いものですなぁ、エーギル」

「そうだな。本当に早いものだ。ダニエル」

 

お互いに名を呼び合いながらそんなことを呟く二人は、一歩引いてスペースを作ったシリウスの前に出て自己紹介を始める。

 

「私は国際魔導騎士連盟ヴァーミリオン支部長官兼、ヴァーミリオン皇国剣技指南役を任されているダニエル・ダンダリオンと言うものです。貴方が来るのを待っていました。《七星剣王》レン殿。カナタさんもお久しぶりですね」

「はじめまして。日本から来ました破軍学園2年新宮寺蓮です」

「ホホホ、これはこれは丁寧にありがとうございます」

「お久しぶりです。ダンダリオンさん」

 

ダンダリオンとそう握手を交わすと、今度はエーギルと呼ばれた老人が手を差し伸ばしてきた。

 

「俺はヴァーミリオン皇国の宰相兼、ヴァーミリオン皇国騎士団『青薔薇の騎士団』の武術指南役を任されているエーギル・インディゴだ。

そして、サフィアとグラキエスの父であり、お前の祖父に当たる者だ。この日を楽しみにしていたぞ。レン。勿論、カナタ嬢もな」

「はい。俺も、貴方達に会える日を楽しみにしていました」

「お久しぶりです。ご壮健で何よりですわ。エーギルさん」

「ああ」

 

従姉妹、叔父に続いて、今度は祖父との邂逅に蓮も表情を綻ばせてそう言う。

自分の親戚に会えることが嬉しくないわけがなかったのだから。そして、更に話を続けようとするエーギルに、アストレアはぱんぱんと手を打ち鳴らした。

 

「は〜〜い、エーギルさん、お話ししたい気持ちはわかるけど、それは後で。今は会談を進めましょう」

「む、確かにそうだ。すまない」

 

エーギルはアストレアに一言詫びるとダンダリオンと共に元の場所に戻った。シリウスも玉座にどかっと座り直した。

そうして、話の場を作ったアストレアは早速蓮に尋ねる。

 

「それじゃあ、蓮くん。早速なんだけど、今回の事件についての真相を話すのをお願いできますか?」

 

ヴァーミリオンの国政を指揮している実質的な指導者である王妃アストレアは蓮に早速会談を始めるように言う。

騎士団の者であるグラキエスとアルテリアに外に出るように言わないのは、彼らも会談に参加して良いと言うことなのだろう。

 

「わかりました。まず今回の事件ですが———」

 

そう判断した蓮は、早速話しはじめた。

 

今回の一件、そもそもがふざけた茶番であること。この記事は殆どが捏造でありもしないでっち上げであること。黒鉄家が本格的に一輝を追放しようと今回の件を企てたこと。

今回の騒動の背景を、蓮がわかる範囲で自身の推測も交えて全て説明していき、同時に今まで盗聴した査問会の記録音声を聞かせ、全てを伝えた瞬間、

 

「ッッ———‼︎」

 

皇宮内に物が砕ける音が響く。

音の発生源はシリウス。シリウスが怒りのままに手すりを殴りつけ砕いた音だった。

 

「なんじゃ、そのふざけた話はぁッッ‼︎‼︎」

 

シリウスはその強面を怒りを滲ませ、その巨体から陽炎が僅かに立ち上っていたのだ。

彼は激怒していた。

今回の事件の背景が自分達では理解できない下らない私情の上に成り立っていることや、実の家族にそこまでするのかということ。それに加えて、査問会の記録音声が彼をそこまで激怒させた。

そして、これにはシリウスだけでなくこの場にいる全員が呆れや怒りなどの表情を浮かべていた。

 

「………呆れたものですね。まさか、ここまで腐っているとは」

「査問会という名のただの異端審問だな、これは。しかしまぁ、聞けば聞くほど反吐が出る内容しかないな」

「とんだ茶番としか言いようがありませんな」

 

ダンダリオンとエーギル、グラキエスは呆れ果てて溜息をついた。

それだけ査問会の様子はふざけたものだったのだ。

蓮の《蒼水晶》によって録音された音声。しかも、査問会の様子だけ全体が見えるように録画していたのだ。

そうして始まった査問会。

殆ど照明が灯されていない暗く淀んだ室内では、一輝が部屋の中心で立つことを強要され、彼をコの字に取り囲むように長机が並べられており、赤座を始めとしたスーツ姿の紳士達『赤服』つまり『倫理委員会』の人間達が計5人座っている。

 

そうして、事実確認から聴取が始まったのだが、委員会の者達は一輝の主張は悉く聞き入れずに自分勝手な軽蔑の言葉を好きに並べているだけ。

しかも、ステラと一輝の交際を子供のお遊び程度にしか見ておらず、勝手な理屈で国際問題になりかねない不純異性交遊を行なっているというのだ。それに対し、一輝が反論しても屁理屈な態度が悪いと言って、心証が悪いと判断されている。

彼らは一輝の成人としての責任能力を問いながら、一輝にあるべき成人としての法的権利は一切認めない。自分達に取って都合のいいシーンだけ、一輝を成人として扱っているのだ。

そもそもの前提として、一輝もステラも既に元服を迎えている成人だ。結婚する権利もあるというのに。

 

この彼らの様子を見てシリウス達は確信したのだ。

これは、彼の騎士としての資質を精査する場ではなく、『黒鉄一輝には騎士としての資質がない』という結論を、より確固たるものにするための材料を集めるための糾弾する場に過ぎないのだと。

 

「で、でも、この話はおかしいです。どうして、お二人の関係から彼の騎士としての資質を問う流れになるのですか?そもそも、当人同士での話し合いもなしに、外野が騒ぎ立てるのが異常だと思いますが…」

 

アルテリアはそう口を開き全員に問う。

確かに、彼女の疑問は正しい。

これは所詮は、一国の姫に留学先で恋人が出来たという、スキャンダルではあるものの悪い話題ではないはず。

それに二人とも、成人済みであるため二人の恋愛や結婚は法のもとに許されているのだ。

この二人の気持ちが決まっている以上、そこにシリウスが愛娘に恋人ができたとして不快感を示しても、それは話し合いの場を設けることで解決する話。

だというのに、それがなされないうちに、外野が間違ってるだの不祥事だのと叫び、全ての紙面が足並みを揃えて一輝の騎士としての素質に疑問を投げかけるのは明らかに異常なのだ。

そんな、疑問に蓮は答える。

 

「簡単なことです。この騒動に恣意的な思惑を絡め、黒鉄一輝を追放しようと考えている者達がいるからです」

「つまり、それが黒鉄家というわけか」

「はい」

 

ルナアイズの気づきに蓮は頷く。

黒鉄家はこの騒動を利用することで、一輝を追放しようとしているのだ。

 

「皆様もご存知の通り、魔導騎士の資格剥奪は連盟本部にしか出来ません。支部長もその権利は有していません。

だからこそ、連盟本部に提出する『除名申請』の後押しとするために、この騒動を利用し彼を締め上げることで、彼自身の口から自分が間違った行動を取ったという言質を取るということです。

全ては、黒鉄本家の意に沿わない、一族の落ちこぼれを追い出すために」

「落ちこぼれ?どういうことじゃ?」

 

カナタの言葉にシリウスが反応して片眉を吊り上げながら、そう尋ねる。それには蓮が答えた。

 

「彼は唯一のFランクです。誰よりも伐刀者の才能がない。名家故の下らないメンツで、そんなFランクという無能を出したら家名に傷がつくと考えているんでしょう。彼の父であり、黒鉄家当主でもある黒鉄厳氏は彼を魔導騎士にさせない為に幼い頃から様々なことをしてきました。

去年も当時の理事長に命じて実戦強化を受けるための最低基準というありもしない規定を作らせて、授業を受けさせずに留年させました」

「そんなことが、あったのか」

「はい。しかし、その後は幸いにも理事長が母・新宮寺黒乃に変わったおかげで、黒鉄家からの干渉も防ぎ、選抜戦などが設けられ彼にも活躍の場は与えられています。

彼はその選抜戦で己の強さを示し、七星剣武祭選抜選手の候補にも数えられているぐらいです。しかし、それは当然黒鉄家からすればいい話ではありません。だから……」

「今度こそ追放する為に、ステラちゃんとのスキャンダルを利用したということなのね」

「その通りです」

「そう……」

 

妃としての威厳を隠さない口調でそう呟いたアストレアは蓮の肯定にしばらく押し黙る。

他の者達もあんまりな話に何も言えずに沈黙していた。そんな時だ、ルナアイズが尋ねた。

 

「レン。なぜ、マスコミは足並みを揃えてあんな記事を容認したんだ?自分達の方が国際問題を引き起こしているのは、馬鹿でも分かるはずだろう?」

 

確かにその通りだ。

このスキャンダルはそこまで騒ぎ立てるものでもないし、わざわざ一輝の騎士としての資質を問うものでもない。

それに、たかだかマスコミ風情が一国の姫の判断を差し置き、二人の付き合いを『不祥事』扱いする方よほど失礼だ。彼らの方が国際問題を引き起こしていると言える。

しかし、これにも当然理由があったのだ。

とても胸糞悪い理由が。

 

「ええ、それも調査済みです。調べたところ、マスコミは『倫理委員会』の方から強い圧力があったようです」

「圧力だと?」

 

ルナアイズの疑問に蓮は頷き貴徳原や総理のツテを使い得た情報を口にした。

 

「はい。『ヴァーミリオン皇国皇女のスキャンダル』を不祥事として報道して、マイナスイメージを作るようにと。もしも、拒否すれば『KOK』を初めとする公式の騎士興行の速報掲載権限を取り上げると脅したそうです」

「なっ……」

「なんじゃと⁉︎」

 

齎された驚愕の事実にルナアイズは絶句し、シリウスは思わず前のめりになる。

そう。ここまでマスコミが足並みを揃えた理由は、倫理委員会よりそういう脅しがあったからだ。

 

「『KOK』は連盟が大元締めだからそういう脅し方もできるというわけね」

「まさしく、首元に刃を突きつけられたと同じ。従う他なかったということでしょう」

 

アストレアとダンダリオンはそう言う。

この世界で一番巨大なエンターテイメントの速報が掲載できない、というのは情報誌の売り上げにおいてはショック死すら起こしかねないほどの大打撃だ。

死刑宣告にも等しいだろう。

マスコミは反論することもできずに、この決定に従う他なかったのだ。そして、この事実は黒鉄厳が本気で一輝の騎士資格を奪いにきているという何よりの証左だ。

 

「信じられん。なぜじゃ、なぜそこまでして自分の息子を追放しようとするんじゃ?たかだか一学生じゃろうが、それに、息子が活躍するのを見てなぜ、よく思わんのじゃ?」

 

シリウスが怒りに拳を震わせながら、そんな疑問を溢す。前にステラが蓮にこぼした疑問と同じだったことに、蓮は小さく笑みを浮かべるとすぐにその表情を冷たいソレへと変える。

 

「分かりません。正直、彼がなぜあそこまで息子を毛嫌いするのかは皆目見当がつきません。ですが、今までの状況から考えてみても、何をしてもおかしくないでしょう。過激で直接的な手段も厭わないかもしれません」

「「「…………」」」

 

蓮の神妙な言葉に全員が黙り込む。

『倫理委員会』の査問は日の光も届かない地下深くで行われる。そこはいわば黒鉄家の膝下であり、黒鉄の血統に取っての聖域。

周囲には黒鉄家の人間しかおらず、味方は一人もいない。そんな孤立無援な状況下で一輝がまともな扱いを受けられるはずがない。

現に、

 

「………黒鉄一輝はすでに薬物を盛られています。しかも、身体と心の調子を壊すというタチの悪いものが。彼に毎回支給されている食事に細工されていたようです」

「はぁっ⁉︎」

「それは、本当なの?」

 

更なる衝撃的事実にシリウスは目を丸くし、アストレアは驚きながらもそう尋ねる。

それに蓮は《蒼水晶》で一輝の体内をリアルタイムで診察しながら頷く。

 

「ええ、間違いありません。まだ、彼自身の心が折れていないからそこまで悪影響は出ていませんが、もしも彼の心が大きく崩れるようなことがあれば一気に……」

 

蓮は己の診察で一輝の体内には薬物の反応があることを把握した。しかも、それは蓮の言った通り身体と心を壊すという相当タチの悪い代物。

独立魔戦大隊で自分への耐薬物実験も兼ねて打ち込んで覚えた薬の成分を照らし合わせると憲兵時代の自白剤と一致したのだ。

しかし、現段階ではその効果があまり表面化していないのが幸いだ。彼の心が強くまだ折れていないからこそであり、彼自身も少し体調が悪い程度にしか思っていないだろう。

だが、もしも一度でも彼の心が崩れてしまうようなことがあれば……一気にその効果は表れてしまうだろう。

 

「正直、あの査問以外で彼の心を折る手段があるのかは分かりかねますが、それでもこれははっきり言って時間との勝負です。

助け出すのが遅ければ遅いほど、彼は心身ともに痛めつけられ、取り返しのつかないことになります。ですから」

 

蓮はそういうと身を低くして頭を深々と下げる。カナタもそれに倣い同様に頭を深々と下げた。頭を下げた蓮はシリウスに懇願する。

 

「お願いしますっ。シリウス陛下。黒鉄一輝を助ける為に、貴方のお力を貸してくださいっ。

この一件、糾弾すべきは倫理委員会を初めとした黒鉄家の者達であり、どうあっても黒鉄一輝ではないっ。

愛娘に恋人ができたことに思うところがあっても、今はどうか彼を助けるために力を貸してほしいっ。

ステラ殿下のためにも、どうか、お力添えをお願いしますっ」

 

蓮の懇願に無言の沈黙が続く。

そんな中、アストレアを初めとした面々は揃って玉座で神妙な顔を浮かべるシリウスへと無言の視線を向けた。

 

「…………」

 

シリウスがそのいくつもの無言の視線の圧に冷や汗を浮かべつつチラチラと周囲に視線を送った後、やがて耐えかねたかのようにため息を吐く。

 

「…………まぁ何も知らんならまだしも、こんなことを知ってしまってはのぉ。とてもじゃないが断れんのぉ」

「ではっ」

 

顔を上げた蓮にシリウスはゆっくりと頷いた。

それは、蓮が期待していた反応であり、シリウスは続ける。

 

「ああ、お前達の熱意に免じて協力してやるわい。愛娘を下らん悪巧みに利用されたんじゃ、ワシも一言言ってやりたいからのぉ」

「っっありがとうございますっ、陛下っ」

「本当に、ありがとうございます」

 

見事、会談の末にシリウスの協力を得ることができた蓮とカナタは揃って表情を明るくさせてシリウスに頭を下げた。

それにシリウスは「構わん構わん」と手を振りながら返すと、蓮に尋ねた。

 

「協力することは構わんが、その前に一つ聞かせてくれんか?」

「?はい、なんでしょうか?」

 

シリウスはこの会談の途中から気になっていたことを、思い切って尋ねた。

 

「何故、そこまでしてあの小僧を助けたいんじゃ?」

「…………」

 

その質問に、カナタ以外の全員の視線が蓮に集中する。それは、全員が気になっていたからだ。そして、蓮は姿勢を正して小さく笑うと静かに応えた。

 

「………勿論、彼が友人だからというのもあります。……ただ、それ以上に俺は二人の姿が、両親と重なって見えたんです」

「ヤマトとサフィアに、じゃと?」

「はい。あの二人のお互いを愛し、高め合う姿勢は、彼らの『愛』の形は、違うところがあれど俺の記憶の中にある両親とよく似ていました」

 

蓮は昔を懐かしむように目を細めると、自分の手を見つめる。

 

「彼らの在り方はとても輝かしくて、眩しくて尊いものに見えました。きっと、彼らが紡ぐ未来は俺の予想を遥かに超える素晴らしいものになるはずに違いない。だから、俺はその未来を見てみたいと思ったんです」

 

かつて山小屋で一輝とステラを前にして抱いた想いを蓮は言葉にして紡いでいく。

誰もが黙って聞く中、蓮は顔を上げてシリウスを真っ直ぐに見た。

 

「何より、俺の両親が築き上げた友好をあんなつまらない下卑た思惑で穢されるのが耐えられないんです。二人が残したものを俺が、守りたい。

そういった理由で、俺は今回の件動きました」

「…………そうか、そうじゃったのか。分かった。ならば、ワシも協力は惜しまん。国王として最大限の協力をしよう」

「ありがとうございます。陛下」

 

そう言って再び頭を軽く下げた蓮にシリウスは玉座から立ち上がると蓮に近寄り、酷く優しげな表情を浮かべると蓮の頭に手を乗せ、髪をわしゃわしゃと乱暴とも言える手つきで撫でる。

 

「今の姿をヤマトとサフィアにも見せたかったのぅ。こんなに立派に育った姿、あの二人が見たら号泣するに決まっとる。そう思わんか?」

 

表情を綻ばせながらそう言うシリウスにその場にいた全員が頷いた。

 

「ええ、そうですね。きっと、あの二人なら立派になったと喜ぶに違いないわ」

「違いないな。俺でもそう思うんだ。あの二人がそう思うのは当然のことだ」

「ホホホ、えぇえぇ確かに。私もです。ここまで大きくなったと思えば、こんなにも立派になったんですから」

「きっとヤマトは男泣きして、サフィアなら思いっきり抱きしめてあげたりしてたかもしれませんな」

 

ルナアイズとアルテリアを除き、サフィアとヤマトと長い関わりのあった者達が目の端に涙を浮かべたり、嬉しそうな表情を浮かべながら口々にそう言った。

そして、二人との関わりは少なくとも、アルテリアとルナアイズも同様のことを思ったのだろう。ルナアイズは満足げに頷き、アルテリアは目の端に浮かんだ涙を拭っていた。

シリウスは頭を撫でるのをやめると蓮の両肩に両手を置いてポンポンと優しく叩いた。

 

「レンよ、わざわざ伝えに来てくれたこと礼を言う。もしも、伝えに来てくれんかったら、ワシらはあのアホ共に好きなように動かされていたじゃろうな」

「……ええ、そうなる可能性は十分にあり得ます」

「そうじゃな。そんで、そうならん為にお前達が動いてくれたんじゃ。本当に感謝しかないわい」

 

シリウスは蓮から手を離すと、背を向けながら続けた。

 

「色々とこの後の対策も話す必要があるじゃろうが、今日はとにかくこれで終わりじゃ」

「え?」

「今日はもう会談は終わりっちゅうことじゃ。

色々と知りたいことも知れたしのぉ。明日、対策会議をすればえぇ。

二人も飛行機の移動とかで疲れとるじゃろう。今日はこれで終わりじゃから、先に観光なり休んだり好きにするとえぇ」

 

シリウスはそうぶっきらぼうに言って玉座にどかっと座り直した。てっきり、このまま対策についての話し合いもすると思っていた二人は、少し戸惑う。

そんな二人にアストレアは近づいていった。

 

「お二人ともお疲れ様。今日は二人も疲れてるだろうから、これで終わり。あとは好きにしてていいわよぉ。なんなら、このままルナちゃん達と一緒に観光に行くのはどうかしらぁ?」

「えと、本当にいいんですか?対策についても早めに話した方いいと思いますが……」

「いいのいいの。もう私達も真実を知れたから、あっちのいいようには動かされないわ。それに、パパもまた不貞腐れ始めてるから」

 

そう言って「ほらぁ」と二人に耳打ちしながらシリウスの方に視線を送る。見れば、シリウスは頬杖をつきながら何か不機嫌そうにぶつぶつと呟いていた。

耳をすませて聞いてみると、

 

「レンの頼みやから助けちゃるが、……ぐぬぬっっ‼︎あんの小僧っ、ワシの断りもなく、ステラとキスなんぞしよって、ワシゃぁしようとする度に殴られとるんじゃぞっ‼︎おのれ、あのクソガキガァっ‼︎会ったらいてこましたるわぁ———‼︎‼︎」

 

全身から炎を滾らせながら一輝への怨嗟を呟き続け、しまいには吼えたのだ。

大事で仕方がない愛娘のキスシーンが記事に載っていたからだろうか。

ぶつぶつと愛娘を奪おうとしている彼氏に恨みが大量に篭った怨嗟を呟き続けていたのだ。

その様子を、その場にいる蓮とカナタを除く全員が心なしか呆れた視線を向けている。

最も男性陣は気持ちは分からんでもないと呆れ笑いを浮かべていたが。

 

その様子を見て、確かにこれ以上ここにはいるべきではないだろうと判断した蓮達は、アストレア達大人組にシリウスを宥めるのを任せてルナアイズの先導の下、さっさと部屋を出ていった。

 

こうして蓮達は締まらない最後になったものの見事シリウスの協力を取り付けることに成功したのだった。

 

 





監獄の襲撃事件から始まり、大和と死闘を繰り広げた《魔人》の脱走。
それから、ヴァーミリオン皇国で蓮は従姉妹、叔父、祖父と次々と親戚に出会いましたね。

後、自分としてはインディゴ家の立ち位置として元々子爵家でその後、公爵に格上げされて騎士団の全権を握ると言うふうにしたのですが、インディゴ家はあの歴史に違和感なく溶け込めてたでしょうか?
西洋の爵位があまりよく分からなくて、あんなのでいいのかな?と
思いながら書きました。……まぁ多分大丈夫だよね。

と言うわけで、また次回お会い致しましょう‼︎さよなら‼︎


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35話 墓参り


お待たせしましたァァ!!


 

 

 

 

お父さんとお母さんが死んだ。

 

 

俺の目の前で殺された。

 

 

何も、できなかった。守ることも、共に戦うことも、何一つ出来なかった。ただ守られるだけだった。

 

悲しかった。辛かった。苦しかった。

二人を失った俺はこれからどう生きていけばいいのか、どう強くなればいいのか何一つ分からなかった。

もっと、剣や槍を教えて欲しかった。もっと、魔術を見たかった。………もっと、二人に愛されていたかった。

 

そして、あの日から俺の心には昏い炎が生まれた。

それは瞋恚の炎。二人を殺した敵が憎くて憎くて、何がなんでも俺自身の手で殺したくてしょうがなかった。

奴の首を二人の墓の前に持って行きたいほどに俺は奴を憎んだ。

 

だから強くなるために己を鍛え続けた。

もっと、もっと強くなれば、誰よりも強くなれば、きっと奴も俺を殺しに来るかもしれないと思ったから。

奴が無視できないほどに強くなって、俺の前に引き摺り出したかったのだ。

 

瞋恚の炎は俺を絶え間なく焼き続けていて、同時に俺の憎悪の薪にもなりえていた。それは決して尽きることはなく、どこまでも俺を動かし続けた。

なんて醜いことだろうか、なんて悍ましいことだろうか。

強さを求めて自分を鍛え続ける姿は、どこか狂気にも取り憑かれているように見えて自分でも嫌悪感を抱くほどだった。

だが、そのあり方を変えはせずに、果てには人ならざるもの、《魔人》になってしまっていた。

 

憎悪と憤怒の果てに堕ちてしまった魔性の怪物《魔人》。それと同時に覚醒した己の真の力『龍神』。

それらが、更に俺を戦いの世界に引き摺り込んだ。もう、どうやって止まるのかも分からずに、ただひたすらに剣を振るって強くなり続ける他なかった。

 

 

斬って、砕いて、壊して、潰して、刻んで、千切って、喰らって、焼いて、凍らして、殺し続けた。

 

 

戦って、傷ついて、治して、戦って、傷ついて、治して、戦って、戦って、戦って、戦い続けて…………

 

 

そうして、ある日ふと振り返った時、俺は、俺が今まで歩んだ軌跡は血と死体で出来上がっていたことに気づいた。

夥しいほどの死体が積み上がり、無数に山を作り、俺が殺した者達の血が池となり、海となった。俺の身体には決して落ちぬ血がこびりつき、罪の烙印が刻まれた。

 

やがて、理解してしまった。

俺は———『英雄』にはなれないのだと。

あの二人のような輝かしい英雄には決してなれないことに。

俺は、誇り高き『英雄』ではなく、醜い『怪物』だ。

 

この身は罪を背負いすぎた。

 

数多の命を喰らい、数多の血を浴び続けた。

 

とうに人ではなく、怪物となっていた。

 

俺だけの『英雄』達を奪われ、復讐に取り憑かれて2人の愛と想いに反き『怪物』へと成り下がった。

 

なんともつまらなく、滑稽な話だろうか。

かつては、英雄である両親に憧れ彼らのような英雄になりたいと願っていたはずなのに、気づけばそれとは対極にある怪物に成り果ててしまったのだから。

 

 

 

たとえ、それでも、

 

 

 

 

……………そんな怪物でも貴方達は俺を愛してくれますか?

 

 

 

 

それに答えてくれる人はもういないのに、俺はいつまでもそんな問いかけを繰り返していた。

 

 

 

いつか答えを返してくれるという叶うはずのない願望を俺はずっと抱き続けている。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「さて、話し合いも一段階目は済んだことだし、早速観光と行こうか。レンどこに行きたい?」

 

シリウスを他の大人達が宥めている間に、ルナアイズの先導の下さっさと皇宮からでて城下町に繰り出した後、蓮はルナアイズにそう尋ねられた。

蓮は暫し考えると、自分がまず行きたい場所を彼女に伝えた。

 

「すみません。観光の前に花屋に行ってもいいですか?」

「花屋か?別に構わんが何故だ?」

 

ルナアイズの疑問に蓮は笑みを浮かべると静かに答える。

 

「……最初に墓参りに行きたいんです」

 

蓮は観光もしたいがそれよりも先に、両親の墓参りに行きたかった。自分がこの国にまたきたことを先に伝えたかったのだ。

その意図を理解したルナアイズは微笑み、彼の頼みを了承する。

 

「分かった。だが、ちょうど昼時だ。先に昼食にしよう。それで構わないな?レン」

「ええもちろん」

 

時間を見れば12時過ぎだ。

9時ほどにヴァーミリオン皇国についてその後、会談でだいぶ時間を使ったからだろう。遅めのモーニングを食べたとはいえ、蓮達は腹の虫がなる頃合いでもあった。だから蓮は快く頷いた。

 

「予約は私がしておきますよ」

「ああ、任せた。それじゃあ早速行こうか、レン」

「はい」

 

蓮は頷くとルナアイズとアルテリアについていった。

 

「……ふふ」

 

そして、そんな蓮の姿をカナタは満面の笑みで微笑みながら彼らの後を追いかける。

それから、アルテリアが予約した高級レストランで彼らは腹を満たして、件の花屋へと向かった。

 

「ここだ」

 

昼食を済ませてしばらく城下町を歩きルナアイズが止まったのは城下町の大通り沿いにある一軒の店の前だ。その店は、そこそこな大きさを誇っていて、店頭にも値札が置かれた色とりどりの花や観葉植物が置かれており、店の看板には綺麗な花の装飾が施された枠の中に『Flora』と書かれていた。

 

「このフラワーショップ『Flora』は我が国で一番の花屋だ。郊外だけでなく海外にもいくつか支店を持っており、切り花の輸出は主にこの店が担っているんだ」

「『Flora』。確か、日本の百貨店にも店を出していましたね」

「ええ。私もこの国に来たら必ずここで花を買うほどお世話になっていますわね」

 

フラワーショップ『Flora』は日本でも有名だ。

蓮も黒乃に荷物持ちに百貨店に連れられた時に、見かけたことがあるし、品質や保存状態も高いレベルだったのを覚えている。カナタもこの国に墓参りに訪れれば必ずと言っていいほど、ここで花束を購入しているらしい。

早速、中に入る。中も色とりどりの花で溢れていて、カラフルなエプロンをつけたスタッフ達が店の中を忙しなく動き回っていた。

スタッフ全員がルナアイズ達の来店に気付き、爽やかな笑顔を向けてくる。

 

「いらっしゃいませ!あら、ルナ様‼︎今日はどうなされたんですか?」

 

そのうちの一人、妙齢の女性がルナアイズの名を呼びながら近づく。

 

「見ての通り買い物だ。彼が花を欲しくてな、色々とアドバイスをしてほしい」

「彼と言うと、そちらの方でしょうか?」

「そうだ」

 

女性スタッフが蓮の姿に気付き、彼に近づき軽く頭を下げる。

 

「いらっしゃいませ!本日はどのような花をお探しですか?」

「墓参りに持っていく花を探しているんですが、どう言うのがいいですか?」

「墓参りですか。それでしたら、こちらなんて如何でしょうか?」

 

そして、スタッフは蓮をコーナーの一角へと連れて行って様々な説明をしていく。それを蓮は一つずつしっかり聞いては、真剣に持っていく花を検討していた。

その様子を見ながら、アルテリアは徐にカナタに尋ねる。

 

「そういえば、カナタさん」

「なんでしょうか?」

「どうして先程レンくんが墓参りに行きたいって言った時嬉しそうだったんですか?」

 

アルテリアの問いかけにカナタはクスクスと笑うと花を真剣に選んでる蓮を見ながら答える。

 

「実は彼、最初は墓参りに行くつもりはなかったんです」

「え?」

「なに?」

 

アルテリアとルナアイズは揃って目を丸くし、疑問の声を上げる。カナタは蓮の方を見たまま話を続ける。

 

「この12年。彼には様々な困難がありました。それらの経験を経た後、彼はもう昔のようにいられなくなってしまって、ずっと罪悪感があったんです」

「罪悪感?」

「はい。詳しくはお話できませんが、彼は今の自分の在り方を誇れていません。今の自分の姿はあのお二人に顔向けできないと考えているんです。ですから、墓参りに行くことを恐れていました」

「だったら、なぜ自分から墓参りに行くなんて言い出せたんだ?」

 

ルナアイズの疑問ももっともだ。墓参りに行くのを恐れているものがどうして自分から墓参りに行きたいと言うのだろうか。

一体、何があってそう心変わりしたのか気になったのだ。カナタは彼女の疑問に笑うと、わざとらしく言った。

 

「分かりません。でも、彼なりに過去に向き合おうとしているのが私は嬉しいんです」

「………そう、だったんですね」

「彼なりに前に進もうとしているわけか」

「そうなりますね」

 

今回の一件は彼が前を向いて進む為の第一歩でもあるのだ。

それからしばらく、時折カナタやスタッフらの助言も受けながら数種類の白い花を選んだ蓮はスタッフ達にお礼を言って二人の墓がある場所に向かった。

しばらく歩き、皇都の郊外に出て花畑の間に作られた石畳の道を歩いていくとやがて一つの丘に辿り着く。蓮はその丘を見上げながら呟いた。

 

「あれが、そうか……」

 

大和とサフィアが墓に指定した場所。それは『ヴァーミリオン皇国が一望できる高い場所』だ。そうして選ばれた場所があの丘だ。特に名前はないらしいが、黒乃曰くサフィアのお気に入りの場所でもあったらしい。

だから、あそこに二人の墓を建てたのだろう。彼女のお気に入りの場所から皇都を一望できるようにと。

 

「………」

 

着実にその時が近づいていることに蓮は人知れず緊張して無意識のうちに花束を握る手に力が入っていた。クシャと包み紙が僅かに潰れる。

腹は括っていたはずなのに、やはり目前にすると少し足が重く感じる。そんな時だ。

 

「………っ」

 

ふと自分の手に誰かの手が添えられる。

見れば、カナタが歩きながら心配そうにこちらを見上げており震える手に自分の手を重ねてくれていたのだ。

カナタは言葉にせずとも向けてくる視線で自分のことを案じてくれているのがわかった。

だから蓮はカナタに小さく微笑むと、視線で大丈夫だと応える。カナタは微笑むを返すと手を離して前を向いた。

 

(……今ので、解れたな)

 

蓮は先ほどまで緊張していたはずなのに、今は少し緊張が和らいだように感じた。

そんな事をしているうちに蓮達は遂に麓まで辿り着いた。

 

「この上に彼らの墓がある」

 

そう言ってルナアイズは麓の階段の手前で止まった。彼女はどこか気遣うような表情を浮かべると蓮に尋ねる。

 

「どうする?一人で行くか?」

 

彼の心情を察してのことだろう。そんな気遣いに蓮はくすりと小さく笑う。

 

「いえ、一人で行きます。気遣いありがとうございます」

「そうか。なら、私達は此処で待っている。気が済むまで話してこい」

「はい」

 

蓮は頷くと、一人花束を持って階段を登っていく。木で作られた階段は一歩上がっていくたびにザッザッと音を響かせている。

花畑の中にある階段を登り切ると、頂に辿り着く。頂は大きくひらけており、周囲の景色が大きく見渡せる見晴らしの良い場所になっている。中心には大きな桜の木が生えており、その根元、蓮の目の前にソレはあった。

 

「…………」

 

白い岩石を削って作られた大きな石碑。

台座には色とりどりの献花が置かれており、白い石碑を華やかに彩っている。それが意味するのは、死後12年が経っても人々から慕われていると言う事だ。

石碑には桜と青い薔薇、それに加えて花に囲まれるように槍と刀が交差した紋章のようなものが刻まれている。

彼らを象徴する花と霊装の形だ。

そして、交差する霊装の下にはある文章が刻まれている。

 

『ヤマト・サクラギ サフィア・I・サクラギ』

 

『私達の愛する家族にして、私達の最高の英雄達』

 

『穏やかな我らが故郷の地でどうか安らかに眠ってほしい』

 

と。そう記されていた。

此処こそ、桜木大和と桜木・I・サフィアの墓だ。

12年の時を経て、蓮は漸くこの場に立ったのだ。蓮は墓石を見て堪えるようにぐっと口を噤むと、墓石に近づき花束を置く。そして、少し離れると震える声で言った。

 

 

「…………久しぶり、来たよ。親父、お袋」

 

 

蓮はそう言うと悲痛な表情を浮かべたまま再び口を閉じる。

沈黙が数秒。あるいは数十秒経った時、蓮は静かに口を開く。

 

「俺さ、17になったよ。もうあの日から、12年経った」

 

訥々と静かに、そして悲しみを堪えるかのような声で蓮は言葉を紡いでいく。

 

「12年だよ。時間の流れはあっという間だな。自分でも驚いてるよ」

 

12年という長いがあっという間の年月が過ぎた事に驚いて蓮はわざとらしく肩をすくめる。

 

「9歳の時にリトルで一位を取った。最年少記録らしくてさ、今もまだ記録は更新されていないらしんだ。……俺は破軍学園に入学して、一年の時には《七星剣王》を取ったよ。……親父達と同じ黄金世代に並ぶ逸材だって賞賛されていた。……今年も、《七星剣王》を目指すつもりだよ………」

 

僅かに震える声で口早に告げられていくそれは、まるで子供が必死に親に褒めてもらおうと色んなことを話しているようだった。

 

「……あぁそうそう、破軍学園は今年から理事長が変わって母さんに変わったんだ。……母さんは新聞にも載るぐらいの、大改革を行ったんだ。……批判もあったけど、賛成意見もあって俺は賛成派でさすごい改革をしたと思ってるよ……寧音さんも非常勤講師になってさ、生徒達に色々教えてるんだ。……まぁ、たまにサボったり、生徒にちょっかいかけたり、悪い部分はまだまだあるけど、それが寧音さんらしい」

 

自分だけでなく、両親にとって数少ない友人達のことも話していった。思い出しながら、時折面白そうに笑いながら話していく。その後も今までにあったことを面白おかしく話していった。

 

「……でさ、そのレオが面白くてさ、課題やるときも騒いでるせいでマリカに脛蹴られて悶絶して、マリカと言い争いになったんだ。

俺達は、それを笑って見てるんだ………」

 

楽しそうに話していた蓮は、ふと口を閉じて表情を暗くさせる。しばらくまた沈黙の時間が続いた後、蓮は暗い表情を影がさす儚げなものへと変えて、遂にそれを言った。

 

 

 

「………………俺は貴方達と同じ、《魔人》になった」

 

 

 

その言葉が紡がれた直後、心なしかあたりの空気が一気に暗くなったように蓮は感じた。

 

「………『龍神』の力にも目覚めた。《魔人》に至ったのと同時に、俺はその力にも目覚めたんだ。二人は知っていたんだろ?母さんから聞いたけど、もう少し時間をかけて目覚めさせるつもりだった、って言ってたんだってな」

 

周囲には花畑が広がり優しい風が花や頬を撫でて心地よいというのに、蓮にはこの場所にいるのが酷く息苦しく感じられた。

蓮は一度口を閉じて、長い間沈黙するとやがて絞り出すように声を出した。

 

「………なぁ、二人は今の俺のことどう思った?」

 

蓮は思い切ってそう尋ねる。しかし、目の前にあるのは石碑のみで、二人はいないので当然答えられるはずがない。

だから、蓮はそのまま言葉を重ねた。

 

「《魔人》に覚醒した直後《龍神》の力にも目覚めて暴走した。《覚醒超過》を使って、人の姿を捨てた後逃げ惑う一般市民ごと敵を殺した。その後も、沢山の人を殺した。《解放軍》の人間や、テロ組織の人間、あるいは敵国の人間も。敵は悉く殺してきた。連盟や世間は多くの敵対組織を潰したり、テロを解決したりと英雄視する声もあるけど、俺はそうは思えないんだ。だって、理由は何にせよ俺は多くの命を奪っていることには変わらないんだから、立場がそれを許してるだけだ。

俺自身ももう人を殺すことに躊躇いを感じなくなった。息をするように人の命を奪えるようになった。きっと俺は、多くの組織から恨まれてるんだろうな。家族を奪ったと憎んでいるかも知れない。俺も所詮はあの女と同じで、誰かの大切を奪ったんだ。

怒るだろうな。呆れるだろうな。こんな奴が貴方達の息子だなんて、恥晒しも良いところだよ。本当に、ごめんな。ダメな息子で」

 

蓮はそう言い切ると石碑に右手を伸ばして指先で軽く触れると、悲痛に満ちた儚い笑みを浮かべて指を離し大きく石碑から距離をとった。

 

「でも、そう思われていても、やっぱり諦めることはできない。俺は、どうしても復讐を止めることはできない。だって、俺が《魔人》になったのは、二人を殺した敵を殺したいからなんだ。

きっと、貴方達はこんなこと望んでいないんだろう。生きていてくれれば、いいんだろうな。

でも、俺はどうしても耐えられない」

 

蓮は視線を落とすと、自分の右手を見ながら強く拳を握りしめると殺気すら感じるほどの低く冷たい声で己の覚悟を告げる。

 

「これは遺された者の意志だ。

愛を、夢を、誇りを、目標を、俺の全てを奪った。だから、俺は奴を必ず殺す。何があっても俺は必ず復讐を果たす。

これは俺のエゴで、俺だけの復讐だ。誰にも邪魔はさせない。たとえ、それが貴方達であってもだ。誰も巻き込ませない。俺一人で奴を必ず殺す」

 

冷酷な声音で蓮は己の覚悟を語っていく。それは二人に伝えるためでもあったし、同時に己の存在意義を再認識させて気を引き締めさせるための言葉でもあった。

 

復讐を果たそうとしている者に、その者の大切な人達はそんなことを望んでいないと言うことはある。

だが、あれは悪手だ。

なぜなら、それは遺した者の意志を押し付けているだけだ。だったら、大切な人たちを奪われた者、遺された者の意志はどうなる?

見つめ直して、前を向いて生きるのもいいだろう。だが、奪われた怒りで奪った者に復讐するのも遺された者の意志なのだ。第三者がそこに介入していいものではないし、ましてや他人の意志を自分なりに勝手に解釈してそういうのも筋違いにも程があるからだ。

だから、蓮は復讐をやめない。これは、奪われた者だけの想いなのだから。

蓮はそう言い切って拳を解いて腕を下ろすと、穏やかな笑みを浮かべ、

 

「そうすれば、きっと俺は()()()()()()()()()

 

最後にそう儚い言葉を言って、二人に背を向ける。

 

「俺はもう行くよ。次会うのは全てが終わった後だ。その時は酒を持ってくるから、ゆっくりと話そう」

 

そう言って蓮は足を前に踏み出して石碑から離れていく。そして、階段に差し掛かった時に蓮は小さく呟いた。

 

「だから、そこで見ててくれ」

 

そうして蓮は階段を降りて、麓で待ってるカナタ達の元へと戻っていった。

 

 

………しかし、この時蓮は気づいていなかった。彼の胸に下げられた桜のネックレスに嵌められた赤と青の2色の結晶が陽光に照らされて一瞬淡く輝いたのを。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

話を終えて丘の麓にまで降りてきた蓮を、待っていたカナタが出迎えて近づく。

 

「………おかえりなさい、蓮さん。お話はできましたか?」

「……ああ」

 

カナタの言葉に蓮は悲しくも嬉しい表情を浮かべた。その表情で蓮は話すべきことをちゃんと伝えられたのだと理解したカナタは微笑んで彼を優しく労った。

 

「お疲れ様です。よく頑張りました」

「……ああ」

 

その労いに蓮もまた彼女を見下ろしながら彼女と同じように笑みを浮かべる。そして、顔を上げると少し離れて様子を見ていたルナアイズ達に視線を送る」

 

「ルナアイズさん、アルテリアさんお待たせしました。早速、行きましょう」

「いいのか?もう少し、ゆっくりしていてもいいんだぞ?」

「そうですよ、レンくん。私達は待ちますよ?」

 

二人は心配そうにしながら優しく言った。

彼女達としては12年ぶりに両親の墓参りをしたのだから、もう少しここにいてもいいと言うことだろう。

そんな二人の気遣いに蓮は笑って応える。

 

「いいえ、伝えるべきことはもう伝えれましたから大丈夫ですよ。今はまだこれでいいんです」

 

そう言うと、それにと続ける。

 

「実はずっと楽しみだったんですよ。観光が」

 

正直なところ、蓮は早く観光をしたくてしょうがない。密かにスマホでヴァーミリオンの名所を事前にチェックしているぐらいには楽しみにしていたのだ。

 

「フッ、ハハハハッ。そうかそうか。なら、案内しよう」

 

ルナアイズは蓮の言葉に思わず吹き出して笑みを浮かべると、そう促して背中を向ける歩き出す。

 

それからはルナアイズとアルテリアがガイドという世界で一番豪華なヴァーミリオン観光が始まった。

 

花畑などのヴァーミリオンの有名な観光地や、伐刀者の養成学校、歴史ある建造物など、皇都にある有名どころや郊外にまで出向いてルナアイズとアルテリアがはりきってガイドを行い、蓮達も各地で写真を撮ったり、お土産を買ったりとしていった。

そうして回ること約4時間。

夕方頃、彼らは喫茶店に入って休憩していた。

 

「今日1日で随分と回りましたね」

 

アルテリアが紅茶を一口飲みカップに置くとそう言う。若干の疲れが見えたもの、弾んだ声から楽しんだことが窺える。

そして、彼女の言うとおり今日のこの数時間でかなりの数の場所を巡った。

 

「……ああ、全くだな。お前は本当に楽しみにしていたんだな。レン」

 

カップを手に持っているルナアイズが疲れを隠さずにジト目を蓮に向けてそう咎めるように言う。ジト目を向けられた本人は、軽食であるサンドイッチを一口頬張ると苦笑いを浮かべる。

 

「ははは、すみません。つい楽しんでしまいました」

「いいさ。我が国を楽しんでくれたのなら、案内した甲斐があると言うものだ」

 

ルナアイズは優しく言う。彼女も蓮に楽しんでもらえたのが何よりなのだ。そして、カップを皿に置いた後、徐に尋ねる。

 

「そういえばなんだが、お前達は宿はどうしたんだ?事前にホテルを予約しているのか?」

「ホテルはカナタに一任してますけど……どうなったんだ?」

 

カナタが出発前に宿の手配は任せてほしいと言っていたために、彼女に任せっきりになっていたが、ルナアイズに尋ねられ気になったレンはカナタにそう尋ねる。

カナタはクスリと微笑むと答える。

 

「ええもちろん、しっかりと予約はしておりますわ。実はこの後一度城に戻って荷物を置きに行こうと思っていたところでしたの」

「だそうです」

「ふむ。お前達さえ良ければ、城に泊まっても良かったんだが、まあ既に予約しているならソレでいいか。じゃあ、夕食はどうするのだ?」

「夕食はまだ決めていませんわね。どこかいいレストランを予約するつもりでしたわ」

「なら丁度いいな。夕食は蓮の来訪祝いを兼ねて城で小さなパーティーを開きたいと思うんだがどうだろうか?」

 

ここぞとばかりに提案してきたルナアイズに蓮は戸惑いの表情を浮かべた。

 

「パーティー、ですか?」

「うむ。君達と私達皇族とインディゴ家の者達でのささやかな歓迎パーティーをしたいと思うんだ。悪くない提案だと思うんだが、君達はどうしたい?」

 

ルナアイズの問いかけにカナタは満面の笑みを浮かべて了承する。

 

「私は構いませんわ。蓮さんはどうなさいますか?」

「………俺も大丈夫です。他のインディゴ家の方とも会いたいですし」

「決まりだな。なら、そう伝えておこう」

 

そう言ってルナアイズがスマホを取り出して連絡をしようとした時、蓮の胸ポケットにしまっていたスマホが着信音を鳴らした。

呼出人を見た蓮はすぐに立ち上がった。

 

「電話ですか?」

「ああ、母さんからだ。きっと会談の進捗とかだろうな。ちょっと外に行ってきます」

 

カナタにそう答えて、ルナアイズとアルテリアにそう伝えると足早に店を出る。

店を出て路地裏に移動した蓮は周りを確認してからようやく電話に出た。

 

「もしもし、母さん」

『蓮、今は大丈夫か?』

「ああ、路地裏に移動したから大丈夫だ。それで、どうしたんだ?」

『実はな、先ほど連盟から全ての所属国家に秘密裏に緊急連絡が来た』

「緊急連絡?」

『ああ、昨夜イギリスの離島にあるヘルドバン監獄が《魔人》の襲撃を受け壊滅的被害を被った』

「なっ」

 

蓮は目を見開いて明らかに動揺する。

ヘルドバン監獄。世界で最も警備が厳重な監獄であり、表向きには所在地は公開されていない幻の監獄。そこにはA、Bランククラスの凶悪な伐刀者犯罪者が数多く収容されており、最も危険な監獄としても知られている。

この場所を知っているのは、連盟本部の上層部とイギリス政府の首脳陣、そして連盟に所属している蓮達《魔人》達と黒乃のように《魔人》級の伐刀者のみだ。

警備も厳重であり、犯罪者の侵入や脱獄を許したことがなかったはず。それがまさか、襲撃を受けたと言う。しかも、それを成したのが《魔人》なのだから、驚愕を隠せないのも無理はない。

 

「……まさか、あのヘルドバンが襲撃を受けたのか。それで、被害状況はどうなったんだ?」

『最悪だ。襲撃してきた《魔人》の侵攻を食い止めることはできず、看守達は軒並み殺され、収容されていた囚人達も全員が姿を消した。僅かに生き残った看守達もほとんどが重傷で目覚めるかも怪しいほどだ』

「最悪、としか言いようがないな。本当に」

 

被害状況に蓮は思わず顔を顰める。

収容されていた囚人が消えたと言うことは、脱獄したと考えるべきだろう。だが、あそこに収容されているのはいずれも世界指名手配クラスの危険人物。一人紛れ込むだけで国家に悪影響を及ぼしかねないのだ。しかも、それが収容されていた全てだ。もはや、悪夢の再現といってもいいだろう。

 

『……だが、一番の問題はそれではない』

「まだあるのか?」

『ああ。肝心なのは、その襲撃時にヘルドバンの最下層《タルタロス》に収容されていた一人の《魔人》もその襲撃者の手引きによって脱獄したことだ』

「ッッ⁉︎⁉︎」

 

《魔人》の脱獄。

それは確かに、一番の問題だ。何せ、《魔人》とは力の方向性によっては一国の軍事力をも凌駕できるほどの存在なのだ。《魔人》が一人戦場にいるだけで、パワーバランスが容易く崩壊してしまうほどに常軌を逸した存在。そんな危険な存在が脱獄した。それはつまり、最悪世界のどこかで未曾有の『災厄』が引き起こされてもおかしくはないと言うことだ。

 

「………《魔人》まで、脱獄したのか。

それで、その《魔人》の名は?その情報を出したと言うことは、連盟に所属する全ての《魔人》は備えておけと言いたいんだろう?

だったら、その敵の詳細を教えてくれ」

 

恐らく連盟の所属国家に連絡が行き渡ったと言うことは、そこに所属する伐刀者達。その中でもとりわけ精鋭に備えておけということだ。

いついかなる時でもその《魔人》によるテロが発生しても迅速に対処できるように。

黒乃は蓮の言葉を肯定する。

 

『無論だ。脱獄した《魔人》の名はアリオス・ダウロス。《牛魔の怪物(ミノタウロス)》と呼ばれている男だ』

「っ!おい、ちょっと待て。そいつは確か……」

『ああ、18年前に大和がヴァーミリオン皇国で戦い倒した相手だ。その一件で捕まり、今までヘルドバンに収容されていた』

「親父が戦った敵か……」

 

蓮も話には聞いていた。

自分が生まれる前、大和達がまだ破軍学園の3年生だった頃、両親への挨拶も兼ねてヴァーミリオン皇国に向かった二人の元に彼は現れたらしい。

サフィアを皇都の防衛にあたらせて、たった一人でアリオスを相手した大和は数時間にも及ぶ激闘の果てにどうにか打ち倒したと聞いている。

 

「能力は確か……黒い雷を使うんだったか」

『ああ、記録ではそうなっている。そして、単純な強さで言えば大和とほぼ互角。つまり、世界最強クラスの怪物ということだ』

「厄介だな。そいつが一度暴れでもしたら……」

『生半可なものなら一瞬で殺される上、町程度ならば簡単に消滅するだろう。一言で言うなら、奴もまたお前や寧音同様『生きる災厄』だな。連盟内の《魔人》達でも奴と渡り合えるのはごく限られたものだけ、お前はそのうちの一人だ』

「……話は分かった。とにかく、俺も備えておく。今どこにいるかわからない以上、常に備えておいた方がいいな。気を付けておく」

『そうしてくれ。《白髭公》からもそう命令されている』

 

凶悪な《魔人》が脱獄し、行方が分かっていない以上は、今この瞬間にでも現れてきてもおかしくないはずだ。だからこそ、常に注意しといたほうがいいだろう。

そして、蓮は残った疑問を言った。

 

「それで、ヘルドバンを襲撃した《魔人》についての情報はあるか?」

『………いや、それが正体不明らしい。

看守達もどのブラックリストにも該当しない存在だと、通信で伝えていたようだ』

「正体が、分からない?母さん達でもわからないのか?」

『……ああ。私達も見覚えがない存在だ』

「……そうか」

 

蓮は首を傾げる。

《魔人》の詳細は連盟所属国家全てのデータベースで共有されており、現在存在している《魔人》についてはデータがあるはずだ。

だというのに、その正体が不明ということに疑問を覚えたのだ。

考えられる可能性としては、表舞台には出ずにずっと潜んでいたか、最近覚醒した者か。その二つだ。

ヘルドバン監獄を襲撃できるほどの強者ならば、まず後者はあり得ないだろう。だったら、自然と前者になるが、それに該当する存在が蓮にはどうしても分からなかった。

正体不明に悩む蓮に黒乃が少し口早に言う。

 

『……とにかく、二人の《魔人》が何らかの目的で動いたのは確かだ。用心はしておけ』

「分かってる。それと、脱獄した他の囚人達のことはどうなってる?そっちの情報もくれないか?」

『勿論…と言いたいところだが、《牛魔の怪物》の他に姿を消した囚人達はいずれも()()()()()()()()()()()

「は?」

 

蓮は思わずそんな声を出してしまう。

黒乃が言っていることが訳が分からなかったからだ。黒乃はその反応を予想していたのか、静かな声で話を続けた。

 

『………確かに囚人達は監獄から姿を消したのは事実だ。だが、襲撃とほぼ同時に受けた通信で範囲網を敷いたイギリス軍と連盟本部の騎士達はいずれも件の《魔人》と《牛魔の怪物》以外の囚人の島からの逃亡を確認していない、との事だ』

「どう言う事だ?姿を消したのは事実なんだろ?なのに、姿が確認されていない?」

『ああ、その通りだ。そこには恐らく例の《魔人》が絡んでいると思われている』

「なに?」

『戦闘を行いながらリアルタイムで送られてきた映像で判明したその《魔人》の能力は三つ。まず一つは黒紫の瘴気を操る事。二つは瘴気は毒で構成されており、その毒は類を見ないほどに凶悪。そして、三つがその瘴気は()()()()()()()()()()()()ということだ』

「てことは、つまり………」

 

そこまで聞けば、いよいよ推測できてしまった。

なぜ、島外への逃亡が確認されていないのに囚人達が監獄から姿を消したのか。

つまりは、その襲撃者が己の能力の一つであろう瘴気で全て取り込んだと言う事だ。

そこまで推測して蓮は顔を青ざめる。もしも、この推測が正しければその襲撃者は《魔人》の中でもトップクラスの力を持つ存在ということになるからだ。黒乃も同様のことを考えたのだろう、静かにその気づきを肯定した。

 

『恐らくは取り込まれた、と考えていいだろう。だが、これははっきりいって不味い状況だ』

「俺でもわかる。詳細は不明だが、取り込める以上は力を上乗せできる可能性も考慮できる。つまり……」

『ああ、収容されていた囚人総勢142名の力をその《魔人》は得たと考えられる』

 

A、Bランクの伐刀者142名の力を全て自分のものにした。言葉にすればそれだけだが、はっきり言ってそれは悪夢だ。

ただでさえ、強力な力を142人分獲得したのだ。そんなこと、蓮でも悪夢だと思わざるを得ない程のこと。そして、それを成した存在は蓮達が思う以上に凶悪な存在だということを理解せざるを得なかった。

蓮は思わず額を押さえてしまう。

 

「《牛魔の怪物》だけでも厄介なのに、まさかそんな危険な存在までいるとはな……」

『連盟本部では《魔人》達の他に、A級リーグのトップランカー達にも用心するよう伝えられている。私達全員で対峙しなければならないほどの凶悪な敵であり、各自すぐに動けるように備えておけと通達されている』

「だろうな。そうなるに決まってる」

『蓮。今後はお前にも緊急の呼び出しが増えるだろう。お前も備えておけ』

「ああ、当然だ。流石にそんな存在は野放しにはできないからな」

 

蓮は当然と頷く。

自分も《魔人》であり、同時に日本最強なのだから、間違いなく自分が出なければいけないほどの強敵だ。学生だからとのうのうとしていられるわけがない。

そう黒乃に返した蓮に、黒乃は話題を変えた。

 

『緊急の要件はこれで終わりだ。話は変わるが、そっちの会談はどうなった?』

「とりあえず、現状を伝えることができたし、協力も取り付けることには成功した。後は対策を話し合うだけだ」

『話はわかった。今はどこかの路地裏にいるようだが、もしや観光でもしていたか?』

「ああ、ルナアイズさんとアルテリアさん達に案内されながらな、今はカフェで休憩していた所だ。勿論、カナタもいるぞ」

『……そうか。折角のんびりしている所悪いが、出来れば早めに会談を終わらせてほしい。正直、今の状況ではお前を野放しにしておくことはできなくなったからな』

「……まあ、そうなるのも仕方ないよな」

 

蓮は仕方なさそうに肩をすくめる。

確かにこうなった以上は、のんびり観光なんてしていられない。すぐに会談を済ませて警戒にあたるのが妥当だ。特に蓮の感知能力ならば、超広範囲の探索も可能だ。それを分かっているため、蓮は駄々をこねる事もなく黒乃の命令を快く了承した。

黒乃は少し申し訳なさそうに謝罪する。

 

『……すまない。折角、ヴァーミリオンに行ったというのに……』

「いいよ。こればかりは仕方ない。それに、墓参りは出来た。今回はそれで十分だ」

『っそうか。墓参りは出来たんだな』

「ああ」

 

きっと黒乃は安堵しているのだろう。電話越しでもその雰囲気がたやすく感じ取ることができた。

 

『分かった。とにかく、急いでくれ。陛下達には私の方からも連絡を入れておく』

「助かる」

 

蓮は短く礼を言うと電話を切り、スマホをしまいながら喫茶店に戻ろうとする。だが、

 

「ッッ‼︎」

 

突然背後から感じた気配に蓮は足を止めると、ゆっくりと後ろを振り返った。

 

 

そこには———『白』がいた。

 

 

武器も闘気も纏わない気取らない佇まいの私服姿の妙齢の女性。

新雪のように輝く純白の髪や、目鼻立ちの整った容姿。穏やかな眼差しの奥に全てを透かして見るような怜悧な輝きを秘めた灰銀色の双眸。

その美しい純白の女性を蓮は知っている。

 

知らないはずがない。なぜなら、彼女はその界隈ではあまりにも有名であるし、蓮にとっては()()()()なのだから。

 

だから、蓮は顔を合わせると少し驚いたようにしながらも、平然と彼女に話しかける。

 

「驚いた。まさか、貴方がここにいるとはな———エーデ」

「ええ私も驚きです。久しぶりですね、レン」

 

エーデ———《比翼》のエーデルワイスは表情を綻ばせると歌のような典雅な響きを持った声で返した。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

《比翼》のエーデルワイス。

伐刀者でなくても、剣の道を志す者でなくても誰でも知っている超有名人物。

強すぎるあまりに『捕らえる』ことを放棄された『世界最悪の犯罪者』。

同時に……全ての剣の道の果て。その頂点に立つ『世界最強の剣士』。

 

そして彼女こそ——蓮の二刀流剣術の『師匠』でもあった。出会いは蓮が中学2年の頃だ。その時に、彼女が普段拠点としている場所、北欧のエストニアに聳え立つ《剣峰》エーデルベルクに直接赴き剣の稽古をつけてもらったのだ。

 

蓮はそんな師匠の一人であるエーデルワイスと思わぬ所で出会ったことに驚きつつも、尋ねる。

 

「今日はどうした?まさか、弟子に会いにきたと言うわけじゃないだろ?」

「ええ本当に偶然です。これから日本に向かうので、彼らの墓参りに来たんです」

 

彼女も大和とサフィアの数少ない友人の一人だった。まだ、彼女が指名手配される前に()()()の繋がりで顔を合わせて密かに戦ったことがあったほどだ。

 

「どうして貴方が日本に向かうのか気になるが、今はとにかく急いでる。何か伝言があるなら手短に伝えてほしい」

「ええ無論そのつもりです。今の連盟は予断を許さない状況にあることは分かっていますから」

「っその様子だとヘルドバンのことも……」

「勿論存じています。裏の界隈では有名な話ですからね。そして、伝言もその件に関してです」

「………」

 

蓮は真剣な表情を浮かべると、エーデルワイスの続きの言葉を待つ。

エーデルワイスは特に間を開けることもせずに、単刀直入にその伝言を伝えた。

 

「『魔女』に気を付けなさい」

「魔女?」

「はい。『魔女』がこの一件の主犯です。私の予想ですが、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なに?」

「確かに伝えました。私はこれで失礼します」

「待て!」

 

立ち去ろうとするエーデルワイスを蓮は慌てて引き止めながら、真剣な面持ちのまま低い声音で尋ねる。

 

「最後にひとつ聞かせろ」

「何ですか?」

「貴方が日本に向かうのは、『暁』に関係していることなのか?」

「…………」

 

エーデルワイスは蓮を無言で見つめる。そして、数秒の沈黙の後やがて答えた。

 

「……直接関わりはありませんがね。他に質問はありますか?」

「……いや、無い。情報提供感謝する」

「ふふ、可愛い弟子に伝言するぐらいは構いませんよ」

 

蓮の礼にエーデルワイスはクスクスと微笑むとスッと路地裏の闇に姿を消した。

エーデルワイスが姿を消した後、しばらく無言で佇んでいた蓮は深いため息をついた。

 

「…………はぁ」

 

蓮は壁にもたれかかると、空を見上げる。路地裏のため見える空は狭かったが、それでも空が青かったのは分かった。

 

「………もう、始まっているのか?」

 

何かに尋ねるわけでもなく、そんな独り言を呟いた蓮は思考を振り払うように頭を振ると急いで喫茶店に戻る。

喫茶店では変わらずカナタ達が談笑を続けていた。戻ってきた蓮にカナタが気付く。

 

「あら、蓮さん電話は終わったんですか?」

「……ああ」

「?どうかしましたか?」

「少し面倒なことになった。ルナアイズさん」

「ん?どうした、蓮」

 

早速蓮はルナアイズに口早に告げる。

 

「すみません。観光は中止です。今すぐに城に戻りますので、急ぎ会談を再開させるよう陛下達に伝えてください」

「お、おい待て。一体何があったんだ?」

 

突然のことに戸惑うルナアイズがそう尋ねる。だが、急いでいる蓮は詳しい話はせずに彼女に簡潔に伝える。

 

「説明は後でします。今はすぐに城に向かいま…ッッ」

 

城に向かいましょう。そう言いかけた時、蓮は弾かれるようにある場所に勢いよく振り向いた。

何事かとルナアイズが尋ねようとした時、カナタやアルテリアも気づく。

 

「「ッッ‼︎‼︎」」

 

二人もガタッと立ち上がると蓮と同じ方向に視線を送る。ルナアイズにはわからずとも伐刀者である彼女らは気づいたのだ。

視線の先に『何か』がいることを。しかも、普通じゃない存在が。蓮を含めて三人とも険しい表情を浮かべる。カナタやアルテリアに至っては冷や汗すら流しているほどだ。

 

「お、おい?」

 

突然の行動にルナアイズが戸惑う中、蓮は口を開く。

 

 

「……まずいな」

 

 

そう蓮が呻くように呟いた直後、突如、遠くで爆発音が響いた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

突如晴天の皇都に響いた爆発音。それが聞こえた瞬間蓮はすぐに動いた。

 

「《蒼月》ッッ!!」

 

《蒼月》を展開し、瞬時に《王牙》を纏うと《蒼翼》を広げすぐに飛び立てるようにしながらカナタへと振り向き叫ぶ。

 

「カナタ‼︎アルテリアさんと一緒にルナアイズさんを城に送れっ‼︎」

「蓮さんはっ⁉︎」

「俺は敵の対処をする‼︎騎士団と軍にも出動要請を急げ‼︎市民の避難誘導と皇都の防衛を最優先にしろ‼︎‼︎戦闘は行うなっ‼︎お前達では手に負える相手じゃない‼︎‼︎俺が全て引き受けるっ‼︎陛下達にもそう伝えろっ‼︎分かったらさっさと動けっ‼︎‼︎」

「は、はいっ‼︎」

 

矢継ぎ早にカナタにそう指示を出した蓮はカナタ達の返事を聞かずに《蒼翼》から勢いよく魔力を噴射させて空へと飛び立つ。

空高く飛び上がった蓮は一望できる位置まで飛ぶとホバリングをして皇都を見渡す。

爆発音が響いた場所を見れば、城下町の二箇所で炎が立ち上がり、黒煙が立ち込めていた。

 

(爆発箇所は二つ。南側の城下町、二つの距離はおよそ50m程度。距離は近い。あの程度なら鎮火もすぐに行える。だが、問題は……)

 

蓮は爆発地点を見下ろす。そこには逃げ惑う人々の他に、異質な存在がいた。

 

『オオォォォォォォォ‼︎‼︎』

『ガァァァァァァアアア‼︎‼︎』

『キシャァァァァァ‼︎‼︎』

 

醜い雄叫びをあげるそれらは、()ではなかった。遠目からでもはっきりと分かるそれらは、人狼(ウェアウルフ)翼人鳥(ハーピー)蜥蜴人(リザードマン)蜘蛛人(アラクネ)鷲獅子(グリフォン)半人半蛇(ラミア)人馬(ケンタウロス)。伝承の中でその存在を知られている者達と同じ姿をした怪物達が城下町の一角で暴れていたのだ。

彼らこそ先程感じた異質な気配の持ち主達だ。

突如、現れた気配に変えて、感じたことがない魔力の気配に蓮は警戒心をあらわにする。

正体不明の怪物達というのもあるが、それ以上に彼らの魔力が《魔人》のソレと酷似していたからだ。だが、彼らは《魔人》ではないのだ。

『人』と『魔』が混ざり合ったかのような半端で異質な魔力。今まで感じたことも見たこともない不気味な魔力を持っていたのだ。

 

(あれは……)

 

そして、ちょうど見回りをしていたのだろう。青い軍服を着た騎士団と思しき者達が3人その異形達を相手に戦っている。

だが、明らかに劣勢だ。数的不利もあるし、その上実力差も隔絶している。一人が崩れれば一気に瓦解するだろう。

だから、

 

「——————ッッ」

 

蓮は《蒼翼》から魔力を勢いよく噴射しながら真っ直ぐと降下していき、ちょうど一人にとどめを刺そうと鉤爪を振りかぶった人狼の顔面を横から蹴り飛ばした。

 

『グウゥ⁉︎』

「え…?」

 

人狼は呆気なく蹴り飛ばされ、道路を転がり、男は何が何だか分からずに呆気に取られている。蓮はそれらを無視してすかさず次の行動にあたる。

 

「《蛟龍八津牙》」

『グォ⁉︎』

『ギギッ⁉︎』

 

《蒼月》から8頭の青の蛟龍を顕現させると、騎士達を襲っていた他の怪物達をまとめて弾き飛ばす。そして、弾き飛ばすと同時に騎士の面々を《蒼水球》で包み込んで治癒も同時に行っていく。

あまりの一瞬の出来事に何が何だか分からない彼らに蓮は背を向けたまま告げる。

 

「よく耐えた。後は俺に任せろ」

「え?あ、貴方は一体……」

「俺のことはいい。こいつらは俺が引き受けるから、お前達はとっとと下がれ」

 

有無を言わせない口調に騎士達は一瞬口籠るものの、立ち上がり霊装を構えて戦闘継続の意思を示す。

 

「駄目だっ‼︎奴らの目的がわからない以上、ここで食い止めるのが俺達の役割なんだっ‼︎」

「俺達だってまだ戦えるっ‼︎」

「それに、まだ市民達の避難が終わっていません。ここで食い止めて逃げれる時間を私達が稼がないと」

 

決して諦めず、市民を最後まで守り抜くという強い意志。その在り方に蓮は兜の下で笑みを浮かべる。

 

「その心意気は認めよう。お前達は国を愛し護る為に戦う誇り高き護国の戦士達だ。だからこそ、今ここで失うのは惜しい。

ここは下がれ。こいつらは全てこの俺が引き受ける」

「そ、そんなっ我々も共に戦わせてくれっ‼︎」

「貴方一人に任せるわけにはいきませんっ‼︎」「我々も騎士団の一員です‼︎のうのうと引けるわけがありませんっ」

 

蓮が賞賛し自分に任せて下がらせようとするも、それでも彼らは引き下がりはしなかった。

当然だ。彼らは騎士だ。弱き者達を守り、敵を倒すという騎士の本懐を全うしようとしている者達なのだ。下がれと言われて、はいわかりましたと下がれるわけがないのだ。

その気持ちは分かる。だが、

 

「……お前達では敵わない相手だ。ここで無駄死にするぐらいならば、市民の避難に尽力しろ」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

蓮が冷酷な眼差しを浮かべ有無を言わせない迫力で告げると同時に、莫大な魔力が放たれ殺気が彼らにぶつけられた。

壮絶な迫力に騎士達は全員身を震わせて押し黙ってしまう。

やがて、震える体に鞭打って動いた騎士の一人が蓮の背を見て軽く頭を下げる。

 

「……敵の数はおよそ7。全てが人外の姿をしています。虚空から突如出現し、暴れ始めました。目的、能力は不明、強さは常軌を逸しています。死者は今の所0。負傷者は多数。この辺りの負傷者は既に我々が交戦中に他の者が逃しています。他の場所では未だ救出が続けられているはずです。あとは、託します。どうか、気をつけてください」

 

力になれないと痛感した彼は、せめて持っている情報は伝えようと蓮に自分が持ち得る情報を伝える。

蓮はそれに振り向くことはせずに、小さく頷いた。

 

「委細承知、託された。《七星剣王》の名に誓って、奴等は俺が倒す」

「ありがとうございますっ。おいっ、行くぞっ‼︎」

 

騎士の一人がそう言って他の者を鼓舞してその場から離れていく。遠くへと去っていく気配を感じつつ、蓮は改めて怪物達を見据える。

怪物達は一様に蓮に視線を向けており、弾かれたその場所から動かずにじっと蓮を見ている。先程蹴り飛ばした人狼もだ。襲いかかることはせずに、自分とある一定の距離まで近づくと、その場から動かずに静かにこちらを見ていた。

それらに蓮は疑問を浮かべながらも、静かに《蒼月》を持ち上げて鋒を向けながら尋ねる。

 

「戦う前に一応聞こうか。貴様達の目的はなんだ?何をもって、この国を襲う?」

『……………』

 

怪物達は蓮の質問には答えない。だからこそ、蓮は即座に戦闘に移れるように身構えた、その時だ。黒い人狼が笑い声を上げながら答えた。

 

『ハハハハッッ、テメェ強ェな。他の雑魚トハ桁違いダ。テメェがソウか、『レン・シングウジ』ッテノハ』

(俺のことを知ってる?)

 

蓮は兜の下で眉を顰める。

別に人狼が喋れることには驚いていない。《覚醒超過》の可能性も考慮していた以上、彼らが伐刀者であることは理解していたからだ。

だが、何故この人狼は自分の名を知っているのだろうか?蓮はその疑問を口にはせずに答えた。

 

「だとしたら、どうする気だ?」

『俺達ト共ニ来い。アノオ方ガテメェをご所望ダ』

「断ると言ったら?」

『来なイナら殺しテいいト俺達はソウ命じラれてイル』

 

そう告げると同時に殺気を膨れ上がらせた怪物達を前に蓮は警戒しつつ思案する。

 

(あのお方?背後には黒幕がいるのか。つまり、こいつらは突発的じゃなくて計画的に動いたことになる。その黒幕の狙いが俺だと?……くそっ、心当たりが多すぎて誰が黒幕なのかわからん)

 

間違いなく彼らにはボスのような存在がいて、ボスの命令で自分を殺しに来たと考えられる。

しかし、そんなことはよくあることなので蓮にはどこの組織から来た刺客か判別がつかないのだ。そして、それ以上に気になることがあった。

 

「貴様ら、《覚醒超過》を経た《魔人》じゃないな?何者だ?どうして獣の姿になっている?」

『ふフッ、あのオ方が力をクレタノヨ。人ヲ超えた獣ノ力ト姿をね。ダカラ、私達はアノお方に従い貴方ヲ殺ス。あのオ方の目的ノタメニ』

 

その問いかけに答えたのは人狼ではなく蜘蛛人だ。紫の大蜘蛛の頭部に紫色の肌の胴体が乗っかっている蜘蛛人は、妖しく笑いながらそう告げた。

 

「つまり、お前達は人為的に《覚醒超過》に至らされたというわけか。全く、厄介なことをする奴もいたもんだ」

『あのお方を愚弄スルナ。貴様トテ人ノ皮ヲ被っただケの我等と同ジ獣であロウに』

「それは否定しない。俺も所詮はお前達と同じ獣って所は、認めよう」

 

赤い鱗の半人半蛇(ラミア)の女性にそう言われ、蓮はそう肩をすくめながら、軽い口調で答える。だが、その裏では内心驚愕し焦っていた。

 

(まさか、人為的に《魔人》を生み出し、その上《覚醒超過》に至らせれるとはな。だから、こんな異質な魔力をしているわけか)

 

確かに人為的に《魔人》を生み出すことは理論上可能だ。無茶をすれば限界を越える事を強要すれば可能ではある。

だが、この怪物達は明らかにそれとは別の方法で《魔人》に至るどころか、その先の負の極点である《覚醒超過》にも至り、肉体を完全に『魔』へと変えているのだ。

異質な魔力というのは、つまりそういうことだ。純粋な《魔人》ではなく、人工的に生み出された《魔人》だからこそ、その魔力の質にも変化があるということだろう。

 

(本物よりやや劣ってはいる。だが、人工的に()()A()()()()()()相当の覚醒超過個体を増やせることがわかれば、パワーバランスが容易くひっくり返る。しかも、暴走せずに理性もしっかりとある。そんなことが可能なのか?)

 

そう考えるものの、実際に目の前に理性のある怪物達がいる以上はその可能性を認めざるを得ない。

 

(間違いなく《魔人》が絡んでいるのは事実。だが、いったい誰がこんなことを——ッ)

 

そこまで考えて蓮は気づいた。

先程黒乃から受けた報告とエーデルワイスからの伝言を思い出して、情報を照らし合わせる。

黒乃はヘルドバンを襲撃した《魔人》は人を取り込むことができると言った。エーデルワイスは《魔女》が主犯だと言って気をつけろと言った。そして、目の前にいる人工的に《覚醒超過》に至った者達。

極め付けは、蓮が霊眼を使って彼らの魔力を見た結果、彼らには二種類の魔力があったことだ。元々持っていたであろう魔力の色に加えて、もう一色あまりにも禍々しい黒紫色の魔力色もあった。しかも、これは全ての怪物達にあり、元々の魔力が黒紫の魔力に呑み込まれていたのだ。

 

(まさか———ッッ)

 

そこまで考えて、蓮の中で全てが繋がった。

彼らの正体と例の《魔人》が成したことを。

蓮は驚愕を悟られないように平静を取り繕いながら、その気づきを口にする。

 

「そうか。貴様らはヘルドバンの囚人か。あのお方とやらの力で《覚醒超過》に至ったというわけだな」

『ホウ、よく分かっタじゃネェカ。誰カの入れ知恵デもあっタカァ?』

「……さぁ、どうだろうな」

 

わざとらしく肩をすくめて濁した蓮。

やはり蓮の予想通り彼らは全員がヘルドバン監獄から姿を消した囚人だった。

 

(これで確定した。監獄を襲撃した《魔人》は人為的に覚醒超過個体を生み出せるっ‼︎)

 

なんとしてでもこの情報は持ち帰って共有しなくちゃいけない。そうしなければ、これから始まるであろう動乱に呑まれてしまう。

身構える蓮を前に人狼は「マぁいい」と呟くと鉤爪を構えて低い声音で告げた。

 

『時間稼ギに付き合ウノはここマデだ。ソロそろ行クゾ。あのお方ハ死体デモいイつったカラな。遠慮ナク殺サセてモラうゼッッ‼︎‼︎‼︎』

 

そういうと、人狼含め怪物全てが殺気を最大限にして蓮に襲いかかった。

蓮は《王牙》を解除すると素顔をあらわにしながら、襲いかかる怪物達に静かな声音で告げる。

 

「こっちも加減はなしだ。最初から全力で行かせてもらう。———目醒めろ!《臥龍転生》ッッ‼︎‼︎‼︎」

 

刹那、ドンっと蓮の全身から噴き出すのは莫大な紺碧色の魔力。その光の奔流の中で、蓮の様相が変化を遂げて白髪金眼へと変わり、青い紋様が浮かび上がる。

『龍神』の力を発現させた蓮は顎門を大きく開いて青天に吼える。

 

「◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️—————————ッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

ヴァーミリオンの皇都に龍神の咆哮が轟く。

皇都どころか郊外にすら轟かせるであろう、龍神の咆哮に、市民は多くが戸惑い恐れる中、怪物達は微塵も動揺していない。

それどころか、全員が嬉々として笑って黒い殺意の濃度を上げたほどだ。

 

『イいゼイイゼェ‼︎‼︎‼︎テメェの持ツ力全部ブッ壊しテ暴れルダケダァァァッッ‼︎‼︎』

 

人狼も獰猛な笑みを浮かべると、全身に燃え盛る漆黒の炎を纏って雄叫びをあげる。

 

「◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️———ッッ‼︎‼︎」

 

様相が変わった蓮も全身に青雷と白風を纏いながら、龍の雄叫びをあげると人狼へとまっすぐに突っ込む。

直後、轟音を合図として怪物達の激闘が始まった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

突然の爆発は皇宮にいるシリウス達にも聞こえた。

 

「なんじゃ⁉︎何があった⁉︎」

 

シリウスは玉座から勢いよく立ち上がるとテラスの方へと走り出しながら、声を上げる。

それには先に窓から皇都を見下ろしていたダンダリオンが答えた。

 

「どうやら城下町で爆発が起きたようです。火事……では、ありませんね。何者かによる犯行と考えるべきでしょう」

「テロっちゅうわけか。じゃったら、早く騎士団を派遣して…ッッ」

 

騎士団を派遣しようと備え付けの専用回線端末の元に行こうとしたシリウスは足を止めて、再びその爆発の方向を見る。

しかし、その表情には冷や汗が浮かんでいた。

 

「あなた?」

 

シリウスの様子に疑問を感じたアストレアが伺う。シリウスは動揺を隠さないまま答える。

 

「な、なんじゃ?この気持ち悪い魔力は……」

「……あぁ、こんな魔力感じたことがない。しかも、《魔人》ともどこか違う。なんだ?アレは」

「分かりません。あんなのは、感じたことがない。アレは、化け物です」

 

この場にいるのは、アストレア以外全員が伐刀者だ。ゆえに、彼らは事故現場から感じる魔力に気付き、動揺を隠せていなかった。

そして、ここにいる全員が《魔人》の存在を知っている。サフィアが《魔人》に覚醒したからこそ、上層部である彼らはその存在を明かされていたのだ。

だから、彼らには分かってしまった。

事故現場から感じられる複数の異質な魔力。それらが全て、人間のソレでもなければ、魔人のソレでもない全くな未知なる存在のものだということに。

 

「シリウス、騎士団の派遣はお勧めできない。正直向かったところで、殺されるのがオチだ」

「私も同意見です。ここからでも分かります。あそこにいる賊らは最低でもステラ様に匹敵する者達です。騎士団の者達では敵わないでしょう。もしも、太刀打ちできるとしたら………」

 

その先をダンダリオンは口にはしなかったものの、誰もがその先の答えは分かっていた。

今この国にステラ並みの力を誇る相手に対抗できる存在は一人しかいないということに。

 

「確か彼はルナちゃん達と一緒にいるわね。

急いでルナちゃん達と連絡をと「陛下‼︎報告です‼︎」ッッ」

 

アストレアが急いで蓮と一緒にいるであろうルナアイズに連絡を取ろうとポケットからスマホを取り出そうとした時、騎士団の一人が皇宮の扉を勢いよく開きながら、駆け込んできたのだ。

彼はそのまま片膝をつくと、粗い呼吸のまま口早に報告する。

 

「敵と交戦し撤退している者からの報告です‼︎

現在、南方の城下町では二度の爆発が発生。火は依然と燃えており、火の手が周囲に広がりつつあります‼︎

首謀者は七名‼︎目的、能力ともに不明‼︎しかし、その全員が人外の、怪物の姿をしているとのことです‼︎」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

騎士の報告にその場にいた全員が目を見開いて驚愕する。その報告の意味を理解しているからこそだ。

騎士は更に続ける。

 

「死者は未だ0ですが、事件現場周辺の市民のの避難がまだ完了しておらず、見回りの者達が急いで救助と避難誘導に当たっています‼︎」

「なら、その怪物達は誰が対処しているの?」

 

誰よりも早く冷静を取り戻したアストレアが騎士にそう尋ねる。騎士は戸惑いながらもソレに答える。

 

「はっ、それが助けられた騎士の報告によれば、敵の対処に当たっているのは騎士団の者ではなく、正体不明の人物とのことです」

「正体不明?誰も分からないの?」

「はい。氷の鎧を纏っており顔がわからなかったそうです。ですが、騎士が情報を託したときにその者は自分のことを《七星剣王》だと名乗っていたそうです」

「ッッ、そう、彼が、もう動いてくれてるのね……」

 

アストレアは自分達が頼まずとも、彼が対処に間に合ってくれたことに少しだけ安堵する。

彼が対処してくれるならば、他のことに専念できると、アストレアは急いで指示を出していく。

 

「分かったわ。ならば、騎士団と軍は急いで周辺地域の市民の避難を優先して。

皇都南方は閉鎖するわ。彼の戦闘の邪魔にならないように、迅速に避難を行って防衛に努めてちょうだい。急いで‼︎」

「ハッ!」

「エーギルさんとグラキエスさんも騎士団と軍を率いて現場指揮を取って。現場では貴方達の判断に任せます」

「任された」

「御意っ‼︎」

 

指示を受けた騎士と、エーギル、グラキエスが駆け足で皇宮を出ていった。

残されたのはアストレアとシリウス、そしてダンダリオンだけだ。アストレアはフゥと一度息をつくと二人に振り向く。

 

「パパ、ごめんなさい。あなたの意見も聞かずに指示を出しちゃって……」

「えぇわい。こういうのはママの方が適任じゃからのぅ。それに、さっき連盟本部やクロノから来た連絡のことも気になるしのぉ」

「ヘルドバン監獄のことですね」

 

シリウスはそうじゃと頷く。

彼らは既に連盟本部からヘルドバン監獄の一件の報告を受けているし、黒乃からもその件で会談を早めてほしいと言われているからだ。

そして、この後どうするかと対策を講じようとした時再び皇宮の扉が開かれた。

 

「父上!母上!」

 

入ってきたのはルナアイズとアルテリアにカナタだ。ルナアイズは二人を視界に収めるとアストレアに近づく。

 

「ルナちゃん‼︎無事だったのね‼︎…ああ、よかった」

「ああ、カナタとアルテリアが真っ直ぐ城まで送ってくれたからな」

「そう。二人ともありがとう」

「状況は途中会ったエーギル達から聞いている」

 

ルナアイズ達は途中であったエーギル達から状況は聞かされているため、何が起きているかはある程度把握していた。

そう答えたルナアイズの横にカナタが進み出て、自分達に伝えるように言われた伝言を伝える。

 

「陛下。アストレア様。蓮さんから伝言があります」

「なんじゃ?」

「私達では手に負える相手ではないので、騎士団と軍には市民の避難と皇都の防衛に努めるようにとのことです」

 

それはアストレアの指示とほぼ同じ内容だ。状況を聞いて知っているのに、ソレをあえて口にしたという事は、蓮本人がそう思っていると知らせるためだ。

つまり、事態はそれだけ逼迫していることを意味している。

蓮からの伝言にアストレアは考える。

 

「彼自身がそう言うほどだとしたら、事態は相当重く見た方がいいですね」

「そうじゃな。もしかしたら、ヘルドバンの件も無関係じゃなさそうじゃな」

「ヘルドバン?まさかあのヘルドバン監獄のことか?どうして今その名が出てきたんだ?父上」

「実はじゃな……」

 

連盟本部からの報告をルナアイズは知らない。

だから、どういうことかとシリウスに尋ねた彼女にシリウスが答えようとした、その時だ。

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️—————————ッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

『ッッ⁉︎⁉︎⁉︎』

 

突如、王都を揺るがすほどの轟音が響いたのだ。それは何かの咆哮のようなもので皇宮にもしっかりと届いており窓ガラスをビリビリと震わせるほどだった。

同時に感じる絶大なまでの魔力の高まりにシリウス達は戸惑う。

 

「今度はなんじゃ⁉︎」

「もしや、例の怪物達の咆哮でしょうか?」

「分かりませんっ。ですが、この魔力の高まりは異常ですっ‼︎先程感じた異質な魔力をも凌駕するほどですっ‼︎」

 

新たな魔力の高まりと咆哮にシリウス達がどんな存在なのかと驚く中、ただ一人、カナタだけは違った。カナタは静かにシリウス達の憶測を否定する。

 

「……いえ、違います。今のは敵のものではありません」

「……カナタちゃんは今のがなんなのか、知っているの?」

 

恐る恐る尋ねたアストレアにカナタは静かに頷く。

 

「……はい。あれは、あの咆哮と魔力の高まりは……蓮さんが本気を出した証拠です。それも、全ての制限を解除した、文字通りの全身全霊の、本気の力を、彼は今解放したんです」

 

カナタにより齎された衝撃の事実にシリウス達は揃って驚愕する。

 

「なっ……」

「これが、レン殿の本気、ですか?」

「まさか、これほど、なんてっ」

 

強いとは分かっていたが、それがここまでの力など予想だにしていなかった彼らは全員が揃って驚愕の視線を蓮がいるであろう方向に向ける。そんな中、カナタは窓ガラスに近づくと城下町を見下ろす。

 

「蓮さん……」

 

黒煙が立ち込める場所、そこにはここからでもわかるほどの青い魔力の燐光が迸っている。

間違い無く、蓮だ。しかも、感じられるプレッシャーは『黒狗』との激闘よりも濃密だ。

 

だとすれば、あの時よりも危険な戦いになるのは明白。だから、彼女は静かに想い人の勝利を祈った。

 

 

(貴方なら勝てます。ですから、どうか無事に戻ってきてくださいっ)

 

 





今回はマジで詰めに詰め込みました。
ヴァーミリオン皇国編はまだ少し続きますので、気長によろしくお願いします。
いやほんとに、いつになったら七星剣武祭に入れるのやら。

では、また次回お会い致しましょう!さよなら!!


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36話 破滅の予兆


最近、ライズで狩猟笛にハマっています。
マガイマガドの笛が使い勝手が良すぎて、古龍戦やヌシ戦でも重宝しているほどです。今まで、食わず嫌いで敬遠してたのを、少し後悔したぐらい。

あと、予告になりますが、今年中に僕のヒーローアカデミアのSSを投稿するつもりでいます。どのモンスターを使うかはお楽しみに。

というわけで、最新話どうぞ。




 

 

 

 

「……これでよしと」

 

場所は変わり日本・破軍学園理事長室。

蓮に緊急連絡を伝えた黒乃は、ついでシリウス達にも連絡をとって、必要なことを伝え終わり、一息ついていたところだ。

黒乃は背もたれに深く凭れ小さく息を吐いた。

 

「くーちゃんあっちの調子はどうだった?」

 

その時、席を外して理事長室を出ていた寧音が戻ってきて黒乃に尋ねる。寧音を睨み、「ノックぐらいしろ」と一言言った後黒乃は答えた。

 

「順調だそうだ。一段階目の協力を取り付けるのは成功したらしい。それで、今は休憩も兼ねての観光をしているそうだ」

「へぇ、順調で何よりだね。でも、観光かぁ、あーうちも行きたかったなぁ」

 

来客用のソファーに腰を下ろした寧音は羨ましそうに呟いた。黒乃はそれに何も返さずに、神妙な面持ちになると、腕を組んで真剣な声音で寧音に尋ねた。

 

「それで、お前の方は何かわかったのか?」

 

そう問われた寧音は飄々な雰囲気が消えて、真剣かつ緊迫したような表情を浮かべ頷く。

 

「ああ。ヘルドバンを襲撃した《魔人》な。……やっぱり、()()()()()()()だったぜ」

「ッッ………そうか、やはり生きていたのか。奴は」

 

『クソババア』の正体に心当たりがあったのか、黒乃は低い声音でそう呟く。黒乃はギリッと歯を噛み締める。彼女の表情は言いようの知れない怒りに満ちていた。

 

「あれだけの傷を負いながら、生きながらえていたことも驚きだが、12年たった今になって動き出すとはな。一体何が目的だ」

「さぁね。ただ、アレが動いた以上は日本だけじゃなく、世界規模で何かが起こるぜ」

「だろうな。間違いない」

 

黒乃は寧音の言葉を静かに肯定すると、深くため息をつく。

先程、黒乃は蓮との電話でヘルドバン監獄を襲撃した《魔人》のことは、黒乃達でも見覚えがない存在だと言ったが、あれは嘘だ。

彼女達はその《魔人》のことをよく知っている。知らないわけがないのだ。

なぜなら、その《魔人》は———自分達にとって深い因縁のある存在なのだから。いや、正確にいうと、()()()()()()()()()()()だ。

 

連盟から送られてきた情報を聞いてまさかと思い、戦闘映像を見てすぐに2人は確信に至った。監獄を襲撃した《魔人》は奴だと。

 

「くーちゃん、れー坊には伝えるのかい?」

「ダメだ。今はまだそれを話す時じゃないし、今話せば、あの子は確実に探しに飛び出てしまう」

「うん、止めようとしても、きっと行っちまうだろうね」

 

黒乃はわざと蓮には映像を送らなかった。

なぜなら、映像を見てしまえば蓮はすぐにその魔力の持ち主の正体に気づいてしまうと思ったからだ。

だって、彼は覚えてしまっている。

彼女の顔を。彼女の姿を。彼女の魔力を。

あの幼き日に自分の眼にそれを焼き付けてしまったのだから。

 

ヘルドバン監獄を襲撃した《魔人》は、蓮にとっての不倶戴天の仇。

両親である大和とサフィアを殺した張本人なのだ。

 

今もなお復讐に囚われ、憎悪に身を焼き続けている蓮がそれを知って仕舞えばもう止められないだろう。

全てを捨ててでも、仇を討ちに世界中を飛び回るはずだ。

 

だから伝えない。

彼を復讐の権化にしたくなかったから。

しかし、もしも2人の願い虚しく彼女が自分達の前に現れた時は黒乃と寧音の二人が対処するつもりだ。自分達二人が己の全てを賭けて彼女を殺す。そう考えていた。

だが、

 

「なぁ、私とお前で奴に勝てると思うか?大和とサフィアでも勝てなかったあの女に」

「……………」

 

黒乃の問いに寧音は押し黙る。

もしも、対峙した時、あの二人を同時に相手して勝った存在に自分達が勝てるのかが分からなかったのだ。

そして、しばらく沈黙が続く中、寧音が絞り出す様に答えた。

 

「……正直、わかんねぇよ。うちら二人であのバケモンに勝てるかどうかは。アイツは間違いなく世界最強に名を連ねるバケモンで、多分アイツに勝てるやつなんて、今の世界にはいねぇかもしんねぇ。……でも、うちらがやらなくちゃ、確実にれー坊が戦うことになる。そんなことには……」

「ああ、そんなことにはさせない。あの子達の未来を守るためにも、私達がやらなくてはな……」

 

『彼女』は世界最強に名を連ねる本物の怪物だ。大和とサフィアという世界最強夫婦として名を轟かせていた2人を殺せるほどの力の持ち主なのだ。

おそらく、今の世界で彼女に太刀打ちできる存在などいないのかもしれない。

だが、それでも自分達が奴を倒さなくてはいけない。そうしなければ、蓮が狙われることになると分かっているからだ。

 

あの2人の息子であり、『龍神』という稀有な力を持つ『魔人』である以上、彼女の興味を惹くことは間違いないだろう。

だとしたら、間違いなく2人の激突は免れない。そうすれば、蓮は人の姿を捨てて怪物になってでも彼女を殺そうとするだろう。

よしんば、彼女を蓮が殺したとしても、人の姿に戻れなくなっているかもしれない。

 

そんな未来にさせないためにも、彼の保護者として、また師匠として、そして大和達と親友であった自分達が彼女を殺さなければならない。

蓮をこれ以上、『人』から外れさせないためにもだ。

 

そう改めて決意をした時、ふと黒乃のスマホがけたたましく呼び出し音を鳴らす。

呼び出し人を見れば、それはカナタであった。

何か会談に進捗でもあったのかと思った黒乃はそのまま、ボタンを押して電話に出る。

 

「もしもし、私だ。何かあっ——————なに?」

 

電話口から聞こえてくるカナタの焦燥に満ちた声音で語られた報告に彼女は思わず眉を顰める。

 

 

そうして、彼女達は一つの凶報を知ることになった。

 

 

『ヴァーミリオン皇国に謎の怪物数体が襲来。《七星剣王》新宮寺蓮が応戦中』と。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

ヴァーミリオン皇国首都フレアヴェルグ。

そこの上空は現在黒雲に呑まれていた。

本来ならば夕焼けから藍色と黒に染まる夜空が見れるはずなのに、突如出現したどんよりとした黒雲に呑まれ、不吉な様相を浮かべている。

そんな黒雲からは絶えず稲光が走り、雨が降り、風が吹き荒れている。

南地区から避難し、北地区に移動しているヴァーミリオン皇国の国民達は突然の爆発音から始まる不穏な空気に誰もが戸惑い恐れた。

多くの人が空を見上げ、ついで南地区の方向に視線を送っていた。

 

その先では、激戦が繰り広げられていた。

 

 

「◾️◾️◾️◾️◾️◾️——————ッッ‼︎‼︎」

『ハッハハハハハハァ——————ッッ‼︎‼︎』

 

 

獣達の咆哮が黒が立ち込めた漆黒の荒天に響き渡る。

荒天には幾度となく青い雷鳴が瞬き、雨が降り注ぎ、風が吹き荒れつつあった。

擬似的な『覚醒超過個体』7体の襲撃を前に、蓮は『龍神』の天候干渉の力を使い伐刀絶技《叢雲》によって周囲の天候を塗り替え、今やヴァーミリオンの首都には局所的な嵐が発生している。

その嵐の中心。蓮がいる所は、既に元の街の様相などなく、無数の破壊の跡ができていた。そんな災害の中心のような場所で蓮は戦っていた。

 

『イイゼェイイゼェ‼︎‼︎‼︎テメェは最高だァァっ‼︎』

「ッッ‼︎」

 

黒炎纏う人狼が喜悦に満ちた声を上げながら、鉤爪を振るう。桁違いの熱量を持つ黒炎に対して、蓮は両手に《蒼刀・湍津姫》と《紅刀・咲耶姫》を纏わせた水炎の鉤爪で迎え撃ち相殺する。

 

「黒幕は何故俺を狙うっ⁉︎黒幕は、『魔女』は何が目的だっ‼︎‼︎」

 

蓮は人狼の攻撃を捌きながら叫ぶ。

彼の中ではすでに人狼達を怪物に変えたのはヘルドバン監獄を襲撃した《魔人》と同一人物だと考えており、エーデルワイスの警告でも『魔女』に気をつけろと言われている為、蓮は彼らの黒幕=魔女だと考えているのだ。

 

『知ったコトか‼︎‼︎俺達ハあノお方の意志ニ従ウまでダ‼︎』

「怪物にされたことに、怒りも憎しみも何も感じないのかっ⁉︎」

『感じネェな‼︎‼︎むしロ、感謝シテるぐライだッ‼︎コの姿ヲ得て俺達ハ更に力ヲ得タっ‼︎‼︎強さヲ得たノニ、何故そんナ感情(モノ)を抱クっ⁉︎⁉︎』

「この、狂人がっ‼︎」

 

既に人の心などない発言に蓮は思わずそう毒づいた。人狼は左拳の黒炎を一層燃え上がらせ振りかぶる。

 

『トニかく、テメェはツいテ来てもラうゾっ‼︎‼︎』

「行くわけないだろっ‼︎」

 

蓮はそう吐き捨てると、右の水の鉤爪をより大きく鋭くさせて、振りかぶる黒炎の一撃にぶつけた。黒炎と蒼水が激突して大量の蒸気を生み出し、至近距離にある互いの姿を見えなくさせる。

蓮は咄嗟に人狼から距離を取るも、背後から鷲獅子が蒸気を突き破って襲いかかってきた。

 

『クァァァ‼︎』

「ッッ」

 

鷲獅子が雄叫びを上げ、赤い眼光の尾を引きながら黒い風を全身に纏い、鋭い矢の如く突っ込んでくる。

 

「《青嵐風碧》ッッ‼︎」

 

しかし、その突進に対して蓮は白風の障壁を纏うことで受け止める。だが、

 

『無駄だヨッ‼︎‼︎』

「……ッッ‼︎」

 

蓮は眼前の光景に思わず眉を顰めた。

なぜなら、障壁に阻まれた鷲獅子は自分が纏う黒風の密度と威力を更に上げることで、強引に風の障壁を突破しようとしてきているのだから。

 

「チッ、だったら焼かれて灰になれ」

 

蓮は突破しようとする鷲獅子を焼き尽くさんと、《青嵐風碧》を解除した瞬間に炎を解き放とうとしたが、それは直前で止めざるを得なかった。

 

「ッッ…《疾風天駆(しっぷうてんく)》ッッ‼︎」

 

《青嵐風碧》を解除して攻勢に移る直前、蓮は何かを察知して攻撃の予備動作をキャンセルすると、《雷迅天翔》のほかに、風を纏い加速する《疾風天駆》も発動して勢いよく飛び上がる。

直後、蓮が先程までいた場所に、赤雷を纏った槍と血色の水を纏う赤蛇の尾が突き立てられた。

 

『今のニ、反応すルのカっ‼︎』

『厄介ナッ‼︎』

 

赤雷纏う白槍を持つ人馬と尻尾を伸ばした半人半蛇は蓮の対応の素早さに忌々しげに毒づく。

それらを見下ろした蓮は、黒雲を操作して《神鳴》を落とそうとする。だが、

 

『《妖蜘蛛の縛糸(デモン・バインド)》』

「ッッ⁉︎⁉︎」

 

妖しい声音が聞こえた直後、蓮の全身が突如金縛りにあったように止められる。

 

(体が動かないっ⁉︎それに毒もかっ)

 

見れば、目を凝らさなければわからないほどの極細の魔力の糸が蓮の全身に絡みつき縛っていたのだ。拘束は強く指一本も動かせない。霊眼で見た限り蓮の全身を紫の魔力が覆っていることから、何らかの概念系の能力が働いていると理解できる。

しかも糸からは紫の液体ー毒が滲み蓮の肉体を蝕もうとしていた。

そして、もがく蓮の眼前に一つの影が現れる。両手の緑の翼を羽ばたかせて現れたのは翼人鳥の女。彼女が蓮の眼前に飛び上がると、鉤爪のついた片足を振り上げる。

 

「《斬烈狂爪(ブラッディネイル)》」

 

振り上げられた鉤爪には、禍々しい黒緑の魔力光と黒風が宿っており、蓮の顔面右側を防御も意に介さずに眼球ごと深く切り裂いた。

 

「ぐぅっ⁉︎」

 

眼球を抉るように斬られたせいで、右側の視界が完全に絶たれた蓮は苦悶の声を上げてしまう。その隙をついて、翼人鳥がすかさず襲いかかるが、

 

「《青華輪廻》ッッ」

『ナニっ⁉︎』

 

顔から夥しいほどの鮮血を溢す蓮は目を焼く激痛に呻きながらも、自身の肉体を液体化させて糸の拘束から脱する。

液体化により脱出した蓮は風を纏って飛びながら、翼人鳥を焼き切らんと左の炎の紅刀の熱量を上げて振りかぶる。

しかし、振りかぶった直後、蓮の胴体を赤雷纏う槍と無数の鋼剣が貫き無数の風穴を開けた。

 

「ガフッ……」

 

腹部だけでなく、心臓、両肺も貫かれ、右足も千切れた蓮は口からゴポリと血をこぼし一瞬左の炎の収束が緩む。

しかし、蓮は歯を食いしばると左の炎を再び収束させて、裂帛の声をあげて炎剣を振るう。

 

「ハァァァッッ‼︎」

 

炎の熱量が再び増し次こそ炎熱の剣が翼人鳥に放たれた。

 

『ナっ、グゥっ⁉︎⁉︎』

 

翼人鳥は間一髪風で全身を包むことで防壁にしたものの、蓮の炎剣はその風すらも飲み込んで彼女を焼きながら叩き落とした。

 

『こノっ‼︎』

 

カバーをするべく鷲獅子が黒風を纏い翼をはためかせて飛び上がり、蓮へと鉤爪のついた前足を振り上げる。

それに対して、蓮はすかさず右手を掲げた。

 

「《神鳴》っ‼︎」

『グぁあっ⁉︎』

 

攻撃が当たる寸前に、一際巨大な青い雷撃が黒雲から放たれ、鷲獅子を打ち据える。

鷲獅子は体を焼かれる痛みに悶絶しながら、そのまま落ちていった。それを見下ろした蓮は、直後、ぐらりと傾く。

 

「くっ、再生をっ」

 

蓮は急いで彼らから距離を取り損傷部位を再生させようとした時、頭上に影がかかる。それは、地面から爆発で跳躍した人狼だった。人狼は燃え滾る巨大な黒炎を右腕に纏って大きく振りかぶっていた。

 

『ドうシタぁ‼︎‼︎動きガトロいぞぉ‼︎‼︎』

「しまっ」

『遅ぇヨッ‼︎《燼滅の魔拳(イグニス・フィスト)》ッッ‼︎‼︎』

 

蓮は治療を中断し、両腕をクロスし防御の構えを取る。防御は間一髪間に合ったものの、人狼の炎拳は蓮の両腕の防御に触れた瞬間、勢いよく爆ぜて蓮の防御をガラスを砕くかのように容易く殴り砕き、胸部に叩き込んだ。

 

「ガッ、フッ……」

 

バキバキと嫌な音が響き、蓮は血を吐きながらゴムボールのように容易く殴り飛ばされる。

瓦礫の山に勢いよく落ちていき、蓮は地面を削りながら瓦礫の山をいくつも貫き、300m程の距離を削って一際大きな瓦礫の山を削るように半ばまで登ってようやく止まった。

 

「ゴッ、ガッぁ」

 

蓮は大量の血反吐を何度も吐く。両腕はあらぬ方向に曲がり半ばちぎれかけている。胸部は大きく風穴が空いたままであり青い紋様が浮かぶ白い皮膚が血と火傷で赤黒く、そして別の箇所では毒が蝕んだことで紫に変色していた。

血が大量に溢れ、雨で濡れた地面にじわりと赤が広がる。

 

「ぐっ、ガッ《青華……輪廻》ッッ」

 

蓮は一呼吸の内に全ての負傷を癒やし、体内を蝕む毒を解毒し、眼球を再生してすぐに立ち上がると、瓦礫の山の上に飛び上がって冷や汗を滲ませ険しい表情を浮かべる。

 

(………強い)

 

戦闘が始まって数十分。一時間も経っていないのに、蓮達が戦闘を繰り広げている周辺は建物が悉く崩れており、災害が通り過ぎた後だと思うほどの被害が生まれている。

 

そして、『臥龍転生』による『龍神』化を使った蓮ですらも彼らの猛攻には苦戦し、幾度となく致命傷を喰らっては再生して戦うの繰り返しだ。『龍神』の再生能力がなければ、この数十分で3回は死んでいただろう。

 

(擬似的な覚醒超過でも、ここまで強いのか……)

 

擬似的な覚醒超過を経たヘルドバンの囚人七名。『魔』の怪物へとその姿を変えた彼らは、擬似的である為《魔人》がもつ『引力』こそ有していないものの、その他の力は軒並み《魔人》と何ら遜色がない。

しかも、肉体が『魔』のソレへと変質したことで、魔力の塊になり肉体の強度は霊装とほぼ同等。身体能力も差異はあれど、総じて高く人間の魔力強化では到底敵わないほどだ。蓮でさえも、苦戦は免れない。《臥龍転生》による龍鱗の鎧の強度も霊装よりやや劣る程度。全力の魔力障壁を合わせたとしても、覚醒超過個体の肉体の強度には劣る。しかし、鎧があるからこそ、この程度の傷で済んでいるのも事実だ。

 

それに、ベースとなっているのがA、Bランククラスの犯罪者だ。元の能力値が全員高い。加えて、全員があのヘルドバンに収容されるほどの凶悪な経歴を持つ者達だ。誰もが数多くの人を殺してあり、より早く、残虐に人を殺す方法を知っている。

更に加えると、彼らが有している能力は一つではない。

 

(……全員が俺と同じ自然と概念系の複数持ち。だが、先天的じゃない。()()()()()()()()()()()()()()‼︎)

 

蓮は霊眼で彼らを視て、その事実に気づいたのだ。彼らは全員が蓮と同じく二つの異能を有していた。

しかし、彼らは元から複数持ちではない。

蓮が視た二種類の魔力。片方はそれぞれが元来持っている魔力であり、そして、彼らの魂を飲み込んでいるもう一つの禍々しい黒紫の魔力。それが彼らを怪物へと変えてもう一つの異能を与えているのだと蓮は看破したのだ。

つまり、彼らは1人の《魔人》によって二つの異能を有している怪物にされたのだ。

 

(さしずめ、《擬似魔人(デミ・デスペラード)》、と言ったところか……)

 

蓮は適当に彼らの存在をそう呼称する。

 

(間違いなく、『災害』級の存在だな……)

 

そして、己の中で彼らの危険度レベルを大幅に上げた。当時よりもはるかに強大な強さを得てしまった彼らを尚更野放しにしておけるわけがない。

放置すれば、どれだけの被害が及ぶか判ったものじゃない。

 

(こいつらは、今ここで何としてでも殺すべきだ)

 

理由がどうであれ、今ここで、何としてでも殺さなくてはいけない程に、彼らは蓮に『脅威』だと認識されたのだ。

その間に、蓮の周囲を怪物達は取り囲む。怪物達は蓮を見上げると、歪んだ笑みを浮かべた。

 

『ハッハハハハ‼︎‼︎テメェは強ぇナ‼︎‼︎こんナにモ愉シい戦いガ出来るトはなぁっ‼︎‼︎』

『ふふッ、えェそうネ。トッても気分ガいいワぁ。貴方ホど強いなら、モッと気持チ良くなれソウ』

『あア‼︎体ノ調子が良い‼︎‼︎いくラデも暴れラレそウダっ‼︎‼︎』

『クククッ、こノ餓鬼ヲアのお方のトコにモッて行けバ、皆殺シにできルっ‼︎‼︎』

 

怪物達は各々が狂気に、愉悦に歪んだ笑い声を上げる。

彼らは全員が大量殺人の経歴を持っており、何より血を好み、殺戮と闘争に至福の喜びを感じる生粋の殺戮者達だ。

ゆえに、全力で戦えるのが心底楽しいし、それが他を凌駕できるほどの強大な力を得たのなら尚更なことだ。

だからこそ、今ここで蓮が敗北して仕舞えば、手始めにこの国の民が惨殺されるだろう。この国に自分と共に来たカナタもまた彼らの殺戮の対象だ。負けられるわけがない。

 

(絶対にそんなことにはさせない。俺が守り抜く)

 

決意を強く秘めて蓮は拳を握りしめる。

ここの国民達は誰一人として殺させない。全員、自分が守り抜くとそう強く、決意した。

 

(しかし、このレベルが、後100人以上もいるのか……)

 

蓮は単純計算してこれだけの嗜好と力を持つものたちがまだ135人もおり、ソレらが全て『魔女』の手中にあり、蓮を狙っているのだとしたら、それらは全て蓮が相手しなくては行けない。

そう仮定した未来を想像して、思わず笑いが込み上げてくる。

 

(全く、『黒狗』が可愛く見えてくるな……)

 

蓮はクスリと口の端を僅かに吊り上げて笑う。

あの時、本気ではなかったものの殺し合った中国屈指の暗殺者集団『黒狗』。今目の前にいる怪物達と比べて仕舞えば、彼らは『人間』の範疇にとどまっていたから、目の前の悍ましい怪物達と比較すれば可愛いものだ。

突然、笑い出した蓮に半人半蛇の女が眉を顰める。

 

『貴様、何ヲ笑っテいる?ツイに頭イカれたか?』

「いや何、昔を思い出しただけだ。貴様達には何の関係もない」

 

蓮は肩をすくめながら飄々と答えると、「それに」と呟きながら身を屈める。

 

「貴様達と同じように、俺はとうの昔にイカれてるさ」

 

そう自嘲気味に呟いた直後、全身から魔力を迸らせながら風雷を纏って再び空へと飛び立つ。

瞬く間に空へと飛び上がった蓮は、右手を天に翳すと短く告げる。

 

「破壊しつくせ」

 

一呼吸のうちに黒雲に同時展開されたのは7つの伐刀絶技。青い落雷《神鳴》、炎の魔弾《爆焔紅玉》、水の爆弾《蒼爆水雷》、雨水の弾丸《暴嵐穿雨》、青雷を凝縮した雷球《雷電碧玉(らいでんへきぎょく)》。暴風を圧縮した砲弾《颶風黒玉(ぐふうこくぎょく)》、氷塊の弾丸《氷天撃星(アイス・ミーティア)》。それらが計数百個、黒雲に魔法陣と共に展開され、怪物達へとまっすぐ落ちていったのだ。

しかも、広域に分散させるのではなく、狭い範囲に狙いを絞っての超高密度爆撃。

それらはまさしく流星の如く降り注ぎ、怪物達を瞬く間に飲み込むと首都に凄まじい轟音と衝撃をもたらす。

だが………

 

 

「……やはり、これも耐えるか」

 

 

蓮は忌々しげに呟く。

眼下に満ちる黒煙。ソレらが内側から魔力の放出によって払われ、中から姿を見せたのは体の幾らかが欠損してはいたものの、半ば再生しかけている怪物達の姿だった。

肉体が霊装と同程度に強化されている上に、再生能力がある以上生半可な伐刀絶技では大した痛手も与えられないと言うことだろう。

………とはいえ、霊装並みの強度を持つ肉体に欠損レベルの傷を与えられる蓮の伐刀絶技の破壊力も異常なのだが。

 

「元の性能に加えて、身体機能の超向上。再生能力の付与。複数異能の所持。あぁまったく、本当に厄介なものを作ってくれたな」

 

蓮は苛立ちや怒りを隠さずに、そう吐き捨てる。何が目的かは分からないが、こんな怪物どもを生み出した存在に蓮は殺意すら覚えた。

 

『くクッ、ドうシタぁ?モう攻撃ハオわリか?』

 

ゆっくりと降下していく蓮を蜥蜴人は見上げながら、そう挑発する。その挑発に蓮は笑って返す。

 

「まさか。これで終わりなわけがないだろ?」

 

直後、蓮は一気に加速して降下。

両の鉤爪に風雷を掛け合わせる。炎は風の補助を受けて更に熱量と破壊力を増し、水は雷が覆うことで切れ味を増している。

蓮は風炎と水雷の鉤爪を大きさ、鋭さを増しながら怪物達に襲いかかった。

 

『ハッハァ、君も懲リないナ⁉︎馬鹿ノ一つ覚えだ‼︎』

 

人馬がそう高らかに哄笑を上げながら、全身に赤雷を纏って一気に加速して飛び降りる蓮めがけて槍を投擲した。雷を纏った槍は、()()()()()をして蓮との距離を一気に縮める。

 

「誰が馬鹿の一つ覚えだって?」

 

蓮は好戦的に呟くと迫る雷槍を前に軽く息を吸うと、ガパと口を開き、

 

「《蒼龍の息吹》———ッッ‼︎‼︎」

 

青の閃光を解き放つ。

龍神の息吹は雷槍を容易く飲み込むとそのまま人馬達に迫る。しかし、半人半蛇が右手をかざして血色に光る盾を展開し、素早く対応した。

 

『無駄ダ』

 

直後、盾は閃光を容易く跳ね返した。『反射』の概念が付与された魔力の盾だ。

半人半蛇は反射使いだ。水の能力は後付けに過ぎない。そして、跳ね返った人を塵にできるほどの青の閃光は蓮本人に牙を剥く。

接触までコンマ1秒もかからず、蓮は自身の破壊に呑まれるだろう。

 

『己ノ破壊を喰らッテろ』

 

半人半蛇がそう告げた直後、呑まれると思われた蓮の姿が突如かき消えた。

 

『ナにっ⁉︎』

 

消えた蓮に半人半蛇は動揺を隠せなかった。

なぜあれを回避できた⁉︎奴はどこに消えた⁉︎

そう動揺し、蓮の姿を探す半人半蛇の女に人狼が素早く答えろ。

 

『避けロッ‼︎上ダッ‼︎‼︎』

『上っ⁉︎ッッ⁉︎⁉︎』

 

半人半蛇は素早く頭上を見上げて気づく。

頭上には膝から先が吹き飛び、血を滴らせながらも、風炎纏う鉤爪を剣のように伸ばしてこちらに向けて降下している姿があった。

どうやら、回避は間に合わずに両脚が消し飛んだようだ。しかし、眼光は決して死んでいなかった。

 

「まずは貴様からだっ‼︎‼︎」

『チィっ‼︎‼︎』

 

迫る蓮に舌打ちをする半人半蛇は血色の水を右手に纏わせて貫手で対抗する。だが、蓮の方が早く確実に間に合わない。

そう思ったときだった。

 

『キィィァァァ—————————ッッ‼︎‼︎‼︎』

 

横合いから翼人鳥が口を大きく開けると、耳をつんざくほどの悲鳴のような甲高い叫び声が響き、衝撃波の竜巻が蓮に襲いかかる。

これはただ、彼女が大声をあげただけだ。だが、その大声が超音波の砲撃そのものであり、直撃したものの脳を揺らして聴覚を狂わせるのだ。

 

「ぐぅあぁっ⁉︎⁉︎」

 

蓮はその直撃を喰らい苦悶の声をあげて悶えてしまう。そして、完全に無防備になった隙をついて、蜥蜴人が飛び上がり巨大な鋼の棍棒を蓮に向けて振るった。

 

「ガッ⁉︎」

 

蓮は防御すらできずに一撃を喰らってしまい、右腕や肩、腰の骨が砕かれる音を聞きながら再び殴り飛ばされる。地面を転がる蓮に黒炎の魔弾、赤雷の槍、黒風の刃が無数に襲いかかった。

 

「……っ、《雲霞招雷(うんかしょうらい)》ッッ《青嵐風碧》ッッ《氷華の城壁》ッッ‼︎」

 

蓮は地面を転がりながら、無事な左手で地面に触れて、雷電と暴風の防御障壁と氷華の城壁を生み出す。三重に展開された防壁は、雷の障壁は突破されたものの、風と氷の防壁で見事耐えぬきなんとか追撃を防いだ。

その間に、蓮は治癒と両足の再生を行い、両脚で地面を削り溝を作りながら止まる。

 

「ッッ」

 

そして、止まるや否や、地面を粉砕するほど踏み込んで空に飛び上がると壁の上に立ち眼下を見下ろす。

案の定こちらへと地面を駆けてくる、あるいは空を飛んでくる怪物達を目にして蓮は手を組み合わせ唱える。

 

「壱に《雪華繚乱》。弐に《焔華万紅》。参に《雷華斉放(らいかせいほう)》。肆に《風華柳緑(ふうかりょうよく)》。四季折々を彩る花々よ、ここに集え」

 

矢継ぎ早に紡がれ展開されていくのは、六枚花弁の氷華、五枚花弁の焔華、四枚花弁の水色の雷華、三枚花弁の白い風華。

四色四種の大小様々な花々が蓮の後方に次々と咲き誇ったのだ。

 

「夜天に舞い踊り、万彩(ばんさい)の華を咲かせろ‼︎《天輪(てんりん)彩連大花火(さいれんおおはなび)》ッッ‼︎‼︎」

 

直後、放たれたのは《双輪・乱れ花吹雪》を超える四属性の花々の大嵐。それらが、夜空に上り大輪の花火を咲かせるが如く尾を引きながら怪物達へと襲いかかる。

 

『シゃラくせェ‼︎‼︎さッきと同ジだロウガァッ‼︎‼︎』

 

人狼は嘲笑を上げながら、他の怪物達も引き連れて花嵐へと突っ込む。

先程と同じ絨毯爆撃だと判断した彼らは、再生能力や防御力にものをいわせれば突破できると判断して、全員が蓮へと真っ直ぐに駆ける。

花嵐が次々と直撃しては、怪物達の体に傷を刻むものの、それはすぐに再生され大した痛手にもなっていなかった。しかも、各々の能力で防御されていき、段々と傷をつけることができなくなっていた。

ソレに対して、蓮は———静かに笑った。

 

「ああ、判ってるさ。貴様達からすればこんなの目眩し程度だってな。だが、()()()になるならいい」

 

蓮はとんと壁から飛び降りると壁を駆け下りながら花嵐を突破しようとしている怪物達にあえて突っ込む。

その最中、蓮は腰の《蒼月》を抜き放つと、形態を変化させた。

 

「《蒼月》」

 

変化させる形態は槍。

《蒼月》が青光の粒子へと変わると、次の瞬間には白銀の刃を持つ紺碧の槍が姿を表す。

蓮は槍と変化した《蒼月》をクルクルと回しながら、着地すると大地を駆け抜け一言呪いを唱えた。

 

「———《(さとり)》」

 

直後、魔力で構築した青黒い龍角が青いプラズマを放つ。そして、そのまま蓮は《蒼月》の刃に水と雷を纏わせると、怪物達へと突っ込んだ。

 

『ハッ、何度来よウガ同じこトダ‼︎‼︎無駄なンダヨっ‼︎‼︎』

 

蜥蜴人は無駄な特攻だと吐き捨てると、花嵐に晒されながらも鋼の剣山を生み出して蓮へと差し向ける。一本一本が鋭く、蓮であっても貫かれることは間違いないだろう。

それに加えて、巨大な鋼の鏃も虚空に次々と形成されていき、不規則な軌道を描きながら蓮へと襲いかかる。

 

「無駄かどうかは、やってみないとわからないだろ?」

 

しかし、蓮は迫る攻撃を前に止まることなく、むしろ風雷の加速を行いながら、水雷宿る槍を振るっていき、流水の如く滑らかかつ精密な動作で、自身に襲いかかる剣山や鏃を次々と斬り捨てていく。そして、途中で気づいた。

 

(この鏃、追尾してくるのか?)

 

剣山は砕かれればそこで終わりではあったものの鏃は弾いても地面に落ちることなく、再び蓮へと襲いかかったのだ。

 

(だったら、こうだな)

 

蓮はただ弾くだけではダメだと判断して、《天輪・彩連大花火》の花嵐のいく割かを操作する。

花嵐は4色の光の帯を造ると蓮へと襲いかかる鏃を全て包み込んのだ。

そして、花嵐が霧散すればそこには鏃はなく、なにも残っていない。完全に切り刻まれ消滅したのだ。

 

『なニっ⁉︎』

 

蜥蜴人は驚愕の声をあげる。

あの鏃には与えられた異能である概念干渉系『追尾』の能力を付与していた。敵に当たらない限りは、いつまでも追い続けるというものだ。

だが、これには対処法が存在している。

それは、向かう物質の威力と、同威力の衝撃を正面からぶつけるようにして相殺して動作を停止させることだ。

しかし、そんなこと蓮には分からないはずだ。

だと言うのに、蓮は花嵐を操作することで鏃を受け止めなおかつ威力を相殺して完全に消滅させたのだ。

 

『くソっ‼︎‼︎』

 

蜥蜴人は苛立ちに叫ぶと更に弾幕を増やした。

鏃だけでなく、無数の巨大な鉄球にも『追尾』の能力を付与して、鋼の剣山の密度も増やした。しかしだ。

 

「ゼェアアァァッッ‼︎‼︎」

 

蓮は決して止まらなかった。

どれだけの弾幕に晒されようとも、どれだけ攻撃が追いかけてこようとも、その悉くを蓮は花嵐と槍捌きで全て切り捨てていった。

花嵐を纏い、青く輝く槍を振るうその光景は、ある種の舞踊にも見えた。

蜘蛛人はこちらへと襲いかかる花嵐を糸で迎撃しながらも、舞とすら錯覚するほどの見事な動きを見て感心の声をあげる。

 

『へェ、槍の腕モ中々のもノネ。ネぇ、アのままジャいくラ続けテも当たラナイわヨ?』

『知っタこトカ‼︎‼︎なラ、更に攻撃ヲ重ねレば終イだッ‼︎‼︎』

『あマリお勧めデきないワ。重ねテモ通用しナイのハ見て分かルでしョウ?』

『だカラ、どうシたっ‼︎‼︎』

 

攻撃が一つも蓮に当たらずに斬り捨てられていることが苛立っているのか、蜥蜴人はそう吐き捨てると蜘蛛人の静止も聞かずに、肉体を鋼に変化させて蓮へと突貫する。同時に、人狼や鷲獅子も援護するべく飛び出す。

蜥蜴人は鋼化した拳を振りかぶり、人狼、鷲獅子は左右に回り込んでそれぞれ黒炎と黒風を纏った。

三方向からの同時攻撃、それが鋼の猛攻を斬り払い続けている蓮へと襲いかかる。鋼の猛攻の迎撃に集中している蓮はこれには対応できずに、攻撃を喰らうはずだ。

 

(遠距離じゃネぇ俺らの直接ノ三重攻撃‼︎いくラお前デも防げネェだロ‼︎とっトとクタばれッ‼︎‼︎)

 

そう確信して蜥蜴人が腕を変形して鋼の大剣を振りかぶろうとした瞬間、蜥蜴人と目があった蓮が笑みを浮かべた。

 

「———《月龍神楽(げつりゅうかぐら)》」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

瞬間、蜥蜴人の鳩尾に雷纏う石突が突き刺さり、鷲獅子の顎に水纏う穂先の斬り上げが、人狼の顔面に風纏う蹴りが、刹那の間に炸裂した。

 

『ガッ⁉︎』

『グッ⁉︎』

『なッ⁉︎』

 

しかも、それらは完璧なタイミングあり、彼らは正確無比なカウンターをモロに食らって、呆気なく吹っ飛ぶ。

ある程度吹っ飛ばされた彼らは、驚愕に満ちた表情を浮かべ戸惑う。

 

『な、何ダ?何が起コっタ?』

『今ノを、全テ反応しタだと⁉︎』

『ぐっ、テメぇ、何ヲしやガッタぁ⁉︎』

「何をしたと言われてもな、ただ迎撃した。それだけだが?」

 

槍を構えながら、蓮は肩をすくめて笑みを浮かべながらそう答えた。その声音には明らかな余裕があった。

 

『フふフ、驚いタワぁ。貴方、まさカあの『比翼ノ剣』を使エるなんテねぇ』

 

蜘蛛人が純粋な驚きを含んだ声音でそう呟いた。ソレには、その場にいた全員が驚愕した。

 

『比翼ノ剣でスッて⁉︎』

『あノ神速ノ剣、まさカ使えルト言うノっ⁉︎』

『じゃア今ノは、『比翼ノ剣』にヨル神速のカウンターとデも言うノカっ⁉︎』

 

この場にいる全員が、『比翼』のエーデルワイスを知っているし、その強さも目の当たりにしている。

その強さを目の当たりにしたからこそ、噂ではなく確かな真実としてソレを認識している。

 

比翼の剣技。それは普通のものでない。

 

通常の人間の筋肉の連動ではソレは使いこなせず、0から100への極限の静動を生み出すために、連動する筋肉を瞬時に全て同時に動かして、刹那の中に全筋肉の力を瞬時に集約する必要がある。

 

そして、更に言えば、ソレを成すためには通常の脳の伝達信号では足りず、より短くより情報密度の高い『戦闘用の信号』を用いなければならない。

 

その戦闘用の信号を用いた上で繰り出される比翼の剣技はまさしく神速。

踏み込み、斬撃、挙動の一切が一切の無音になり、自らの行動により生じたエネルギーを完全に制御して、一切の無駄なく行動のみに消費することで、速度、攻撃力共に限りなく100%に近いポテンシャルを発揮することができるのだ。

 

『そノ速度はマさシク、比翼のソレ。

本当ニ凄いワネ。まサカ、貴方のヨウな子ガ比翼の剣を完全に使エル上に既に己のモノに昇華シテいるんダモの。槍技デ比翼ノ神速を使ったカウンターを見舞っタのね』

 

蜘蛛人は感心する。

蓮は会得している《比翼の剣技》を既に己の武術へと昇華させていたのだ。

彼は、その《比翼の理》を双剣だけでなく、格闘や槍技にも応用することで、双剣に限らずに蓮が扱う武器全てで《比翼の剣技》を扱えるようにしていた。

そして、今回蓮は《比翼の剣技》を槍技に応用して彼らを迎撃したのだ。

 

その気づきは正しい。

 

蓮の《月龍神楽》は《騎士槍技》と《比翼の剣技》を元に作られたものだ。

そして、《騎士槍技》は守護を理念としており、攻めよりも守りに重きを置いている武術。故に、いかに多くの敵の攻撃を捌くかが肝であり、今のように多対一の状況こそ最も光る槍技でもある。

そして、《比翼の剣》を使える蓮がソレを織り交ぜて使えば、瞬時に反撃可能な防御結界となり間合いに入れば瞬時に迎撃できる。

 

守護の極みである《騎士槍技》と速度の極みである《比翼の剣技》をベースに蓮が今まで身につけてきた体術や武術、魔術。数人の師匠から学んだ全てと、ありとあらゆる戦場経験の全てを互い稀なる才気を以って織り交ぜ完成させた蓮本来の戦闘スタイル《月龍神楽》

蓮が持つ全てを結集させて完成させた神速にして変幻自在の攻防一体の伐刀絶技だ。

 

そして、今の一連の動きは確かに《月龍神楽》を使った動きではあった。しかし、今の戦いのカラクリはそこにはない。

 

『でモ、ソレだケじゃナイわネ。貴方、ドウして彼ラの動キに反応デきたノかしラ?今のハマルで、速いトいウヨり、分かッテいたヨウナ動きダッタわ。もしかシタラ、ソのプラズマを放っテる角が関係してイるノカしら?』

「さぁなんだろうな?」

 

別にカラクリがあることも理解していた蜘蛛人は顎に細い指を当てながら妖しく笑ってそう尋ねる。

蓮は槍をクルクルと回しながら、笑みを浮かべそうはぐらかした。だが、蜘蛛人の横に人馬が進み出てきて彼のカラクリの正体をすぐに看破する。

 

『……君は、私達ノ生体電流を読ンだ。その角ハサシずめアンテナかな?』

「正解。よく判ったな」

 

蓮は素直にその気づきを認めた。

そう、人馬の言う通り蓮は蜥蜴人達の生体電流を読んで動きを先読みして対処したのだ。

 

伐刀絶技《覚》。

 

刀華の《閃理眼(リバースサイト)》と同系統の、電気で相手の生体電流を読んで敵の動きを先読みする絶技であり、蓮の場合は龍角がアンテナの代わりを担っている。そして、刀華との違いといえば、龍角のアンテナで広域受信を行い同時に最大30人まで動きの先読みができることだ。多対一の戦闘ではそれは大きなアドバンテージとなる。

ただし、当然その分脳への負担は凄まじく、蓮といえども長時間の使用は脳神経が痛むほどだ。蓮はそのデメリットを理解していながらも、治癒で脳神経の損傷を強引に癒すことで長時間の使用を可能としている。

 

『複数の脳波ヲ読んダだト⁉︎』

『馬鹿なッ‼︎ありエナイっ‼︎‼︎』

『でスガ、目の前デソレを彼ハやっテノケまシタ。でしタら、可能なのダトいうこトデしょウ』

『『ッッ』』

 

人狼と半人半蛇は同時に複数人の思考を読める存在は知らなかったので、否定するものの空を飛んでいる翼人鳥がそう正論を告げることで、黙った。

そして、思考を読まれる事が発覚したことで、不用意に動くことができないと判断した彼らは、蓮を睨んだまま動かない。だが、人馬だけは違った。

 

『君ノ技の精度は見事ナモのだ。だが、私にそノ技は効カないゾっ‼︎』

 

人馬はそう叫びながら、蓮へと赤雷纏う槍を向け、人外の膂力を活かして大地を蹄で蹴って襲いかかる。

彼は雷使いだ。生体電流を読むということは、彼にとっても戦法の一つであり、雷を使うが故にその対処法も心得ている。彼が今行っているのは、生体電流のジャミング。生体電流を読み取って動きを読むというのなら、ジャミングして間違った動きを読ませればいい。

だから、彼は、二重のフェイントを織り交ぜる。

本命は雷槍の突きだが、それをカバーするために大量の落雷や雷の矢での絨毯攻撃に加えて、背後に周りこむという脳波をわざと読ませる。

そうすれば、蓮は絨毯攻撃に加えて、背後に意識を向けなければ行けず対処は出来ないはずだ。

更に、人馬は『魔女』に与えられた『加速』の異能を用いて、全ての動作を加速させる。一気に速度を増した全ての攻撃が一斉に蓮に襲いかかった。

 

「ソレは大変だ。なら、()()()()()()()

 

しかし、蓮は特段慌てるわけでもなく酷く落ち着いた様子で戯けると平然とそう言いのけた。

 

「———《覚・天識(てんしき)》」

 

そう呪いを唱えれば、今度は蓮の瞳からもプラズマが迸り、青い稲光の尾を引くようになったのだ。そして、蓮は赤雷の絨毯攻撃を掻い潜ると、逆に人馬に接近しながら紺碧の槍を籠手へと変えて、青雷を纏わせた左手で加速した赤雷槍の突きをいなした。

 

『なっ⁉︎』

「《爆蓮華》」

 

蓮の右手に炎が宿る。

突きをいなしてガラ空きになった人馬の腹部に拳は叩きつけられ、紅蓮の炎を解き放ち、勢いよく爆ぜた。

 

『グァぁ⁉︎』

 

人馬は腹部を焼かれる痛みに血を吐き、吹き飛んで瓦礫の山に激突する。

瓦礫の山に激突した人馬は、焼けた腹部を再生しながら困惑と驚愕に満ちた表情を浮かべる。

 

『グッ、な、なぜ、私ノ動きに反応デキたっ⁉︎』

「言ったはずだ。精度を上げると」

 

蓮は人馬の問いかけにそう答える。

伐刀絶技《覚・天識》。《覚》の完全上位互換であり、電波による脳波の先読みだけでなく、空気や水分の僅かな揺らぎを角のアンテナで感知し、人体に精通しているからこそ、体内の水分の動きでどのように動くかを本人よりも早く予知する。加えて、霊眼による魔力の可視化で体内、体外の魔力の軌道や流れを視ることで文字通り、相手が取ろうとしている予備動作の全てを識るのだ。

故に、人馬のフェイントも看破できたのだ。

 

「せっかく雷のジャミングもしたと言うのに、無駄だったな」

『ッッ‼︎‼︎』

「それに、そろそろお前達の能力もわかってきたぞ。勿論、与えられた異能もな」

『なっ⁉︎』

 

蓮はそう告げた後、絶句する彼らを一様に見渡すと、《蒼月》を双剣形態に戻して構えて腰を低く落とす。

 

「次は、俺からいかせてもらう」

『ッッ⁉︎』

 

刹那、地面を蹴り砕き蓮は一筋の閃光となって彼らへと迫る。蓮は《蒼月》を振るう。

 

「《四刃乱舞(しじんらんぶ)(らん)》」

 

両腕を目にもとまらぬ速度で振るい、水の《流水刃》、炎の《烈火刃》、風の《斬風刃》、雷の《迅雷刃》の四種類の刃を無数に解き放つ。

刃はまさしく嵐の様に四方八方から彼らに襲いかかった。

宙を真っ直ぐ突き進んだり、弧を描いて進む斬撃の雨に、怪物達は各々が対応する。

 

『ハッ!今更こんナモン痛くモ痒クもネェっ‼︎‼︎』

『あらアラ、どウしたノかシラ?こんなモノじゃ、私達ハ倒せナイワヨっ?』

 

蜥蜴人や蜘蛛人の嘲笑が響く。

彼らは、肉体を鋼化したり糸と毒を巧みに利用することで蓮の斬撃を防いでいたのだ。

 

「……ッッ」

 

蓮は僅かに顔を顰める。

《四刃乱舞・嵐》は対軍に特化している広域殲滅型の伐刀絶技だ。相手の数が多く、戦争の様に多くの人間が一塊になっているときに、敵の悉くを切り裂き殲滅する強力無比な伐刀絶技。

魔力量次第では、戦艦すら切り裂けるほどの刃を放つこともできる。

だが、彼らは擬似的とは言え『覚醒超過個体』だ。肉体を霊装と同じ魔力の塊へと変えた彼らには、戦艦を容易く斬り裂けるほどの斬撃を持ってしても、浅い裂傷を刻む程度。

現に蜥蜴人や蜘蛛人以外にも各々が魔力防御の鎧を重ねがけしており、斬撃があまり通ってはいなかったのだ。

 

しかし、そんなことは蓮も重々承知のこと。だから、技を重ねる。

《蒼月》の刃を重ねると蓮は鋒を天に突き出し唱える。

 

「重ねて、喰い滅ぼせ。《四龍八津牙(しりゅうやつが)天喰(あまじき)

 

現れたのは、蒼の蛟龍《蛟龍牙》、紅の焔龍《焔龍牙》、青白の雷龍《雷龍牙》、白の風龍《風龍牙》が八体ずつの水、火、雷、風の四属性四種32頭の龍達だ。

《蒼月》の鋒に展開された魔法陣より現れた、32頭の龍達はギロリと怪物達を捉えると主人の命に従い顎門を開き牙を剥き出しにしながら雄叫びをあげて襲いかかる。

 

『『『『『『グオォォォォォォォォォォォォォォォォォ——————ッッ‼︎‼︎‼︎』』』』』』

『『『ッッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』

 

流石にこれには彼らもギョッと青ざめて防御に徹した。全員が蓮への攻撃をやめて、各々の能力で迎撃する。

並外れた強度を持つはずの龍達は悉くが彼らに食い散らかされ倒れていく。だが、

 

『クソっ、キリがネェっ‼︎』

『ドれダケ再生スルんだっ⁉︎』

 

苛立ちと驚愕の声が聞こえてくる。

彼らの言葉の通り、龍達はどれだけ倒されようとも、倒れる端から術者からの魔力供給によりすぐに復活して襲いかかるのだ。

だからこそ、彼らは蓮への攻撃ができずに龍達の迎撃に徹し続けなければいけなかった。

そして、それこそが蓮の狙いでもある。

 

「ッッ」

 

龍達の迎撃に徹することで、自分への注意が一瞬外れるわずかな隙をついて、蓮は龍達の体内に潜りそれらを介して高速で移動する。

そして、蓮は《蒼月》を両腰に提げると左手で右剣の柄に、右手で左剣の柄に手をかけると()()()()()()の構えをとる。

右剣からは紺碧の水が、左剣からは青白い雷が、それぞれ溢れる。

雷龍の腹から迎撃している人狼の目の前に飛び出る。突如目の前に現れた蓮に人狼は目を剥いた。

 

『て、メェっ⁉︎』

 

驚愕する人狼に、蓮は水と雷の二振りの伝家の宝刀を抜き放った。

 

「二刀居合———《叢雨》《千鳥》」

 

二刀が煌めき、水と雷の二振りが放たれる。

青く閃く流水の刃《叢雨》と青白く迸る迅雷の刃《千鳥》。二つの居合斬りが鞘から解き放たれ、クロスするように弧を描き、人狼の胸部に巨大な傷を刻むと同時に両腕をも切り飛ばした。

 

『チィッ‼︎』

 

切り口から大量の鮮血を溢した人狼は大きく舌打ちすると、一瞬で黒炎の両腕を形成して蓮に振りかぶろうとした。しかし、蓮はその時にはすでに蛟龍の背に乗って距離をとっており、蜘蛛人に襲いかかっていた。

代わりに、雷龍と風龍が二頭ずつ牙を剥いて襲いかかる。

 

『ウザっテぇナァッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

人狼は自分の肉体に噛み付き引きちぎらんとする龍達に苛立ちの声をあげると、大出力の炎を放って自身に近寄ってきた龍達をまとめて消し飛ばした。

流石に消しとばされては再生できないのか、龍達は炎に呑まれそのまま霧散した。

人狼は深く息をつき両腕を再生させると、向こうで蜘蛛人と戦う蓮の姿を捉えて殺気に赤い瞳をギラつかせる。

 

『ブッ殺しテヤル』

 

殺意に満ちた言葉を吐き捨てると、雄叫びをあげて蓮に再度襲いかかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

攻防を繰り返し時折傷を負っては再生しながら戦い続ける中、蓮は表面上では余裕そうに捌いているものの内心では焦っていた。

 

(参ったな。このままじゃジリ貧だ)

 

《四龍八津牙・天喰》は既に全滅しており、蓮は水槍、炎刃、落雷、竜巻など多種多様な伐刀絶技で分断させて、確実に一対一の状況に持ち込んで戦っていた。

《覚・天識》があるからこそ、全員の思考を読めて対応できているのだ。

 

今のところ、戦いの流れはほぼ互角。時間がかかる治癒はなく、どれも強力な再生力のおかげで一呼吸で済ませれるようになっている。強いて言えば、《覚・天識》を使用し続けることによる脳神経の損傷が一番リスクが大きいが、それは龍神の再生力と治癒の同時使用で強引に回復させているため、その点でも、問題はあまりない。

だが、それは彼らも同様で、どれだけ傷を負っても高い再生力ですぐに傷を再生してしまう。これを防ぐには、再生に時間がかかるほどの攻撃を与えるしかない。

 

(……このままだと、魔力の回復が間に合わなくなる)

 

問題は継戦能力だ。

正直に言うと、魔力の回復が間に合わないのだ。絶えず強力な伐刀絶技を使用しているし、《臥龍転生》も長時間使用している。今でこそ、なんとか魔力の回復スピードが間に合っているから戦えているが、じきに間に合わなくなる。今のこの互角の状況を維持できなく成るのも時間の問題なのだ。

それに加えて、人狼達は擬似的な《覚醒超過》のおかげで魔力量が爆発的に上昇しており、全員が蓮の魔力量を凌駕しているのだ。このままでは、魔力量の差で押し切られてしまう。

時間。魔力量。数的不利。いくつもの要素が重なることで蓮は実質的に追い詰められつつあったのだ。

だから、なんとしてでもこのジリ貧の状況から脱したかった。

それを可能にする手段は———二つある。

 

(二つ、どうにかする方法はある。だが……)

 

一つは『覚醒超過』。これは余程なことがない限りは使ってはいけなし、既に2回使っている蓮は人に戻れなくなる可能性が高く、リスクが大きすぎる為に除外。

……ならば、もう一つ。こちらも限りなくグレーゾーンに入ってはいるが、ソレでも黒ではない。使用した後は極度の疲労を起こすものの、それでも『覚醒超過』と比べれば、リスクは大幅に軽減されるし、この怪物達にも互角以上に渡り合えるだろう。

だが、ソレを使おうにも問題がある。

 

(避難が完了していない時点では、巻き込みかねない)

 

その伐刀絶技は強力無比ではあるが、周囲を巻き込んでしまうほどの危険な代物。少なくとも、南地区から市民が完全に避難していない限りは使ってはいけないものだ。

 

(くそっ、避難はまだ終わらないのかっ⁉︎)

 

勿論、蓮とて避難に手間がかかるのは分かっているし、こんな急な戦闘の為時間がかかるのは承知している。

だが、これほどの敵を前に縛りがある状態で戦っているのは、どうしても歯痒かったのだ。

そうして、戦い続けていた時、ふと蓮は思った。

 

(そういえば、あの魔力……どこかで、見たことが……)

 

蓮は霊眼で彼らを見たときに、魔女のものと思われる黒紫色の魔力に既視感があったのだ。

あれだけ悍ましくて、不気味な魔力。とてもではないが、普通の存在ではない。過去に戦ったものたちでもあそこまでの魔力は見たことがない。

だとしたら一体誰の……

 

「——————」

 

そこまで考えたとき、蓮は自分の心臓が一度強くドクン、と脈動し、胸が早鐘を打ったのを自分でも感じた。

 

(俺は……この、魔力を、知っている………)

 

なぜ気づかなかった?

 

なぜ今になってようやく気づいた⁉︎

 

黒紫の魔力光。それは、少ないが存在している。過去に蓮も何度か見ている。

しかし、多くのパターンを見たが、いずれも該当しなかった。

 

(……あの時、見た……あの、魔力だ……)

 

だが、今回視た魔力のパターンは………あの独特な魔力の波長はっ、あの時のものだっ‼︎‼︎

 

その時、蓮の脳裏に昔のある光景が過ぎる。

 

 

暗い夜の下、燃え盛る紅蓮の炎と凍てつく白銀の氷。その紅白の氷炎世界と黒紫の瘴気領域がぶつかり、紅白と黒紫の4色に染まる大地。

 

その中で、地面に倒れ伏すのは赤い鬼と青い戦乙女。自分の目の前で2人は、涙を流す自分に力無く笑っていた。

 

倒れ伏す2人と自分を見下ろしていたのは『黒』。

 

この世のどれよりも黒く、どこまでも悍ましく、なによりも不気味な、禍々しい暗黒。

 

それは、絶望。それは、闇。それは、混沌。

 

一度見れば恐怖に呑まれ、一度触れれば全てが消え去り、一度知れば立ち上がることすらできない、と思ってしまうほどの濃密な狂気をソレは纏っていた。

 

闇を纏うソレは、背中に漆黒の三対六枚の堕ちた天使の翼を、長い黒髪をかき分ける様に頭部から生える捻れた一対の紫黒の悪魔の大角を有していた。

 

瞳は凶兆を象徴するような妖しい魔性の赤紫。

黒を基調とし紫の装飾が施されたドレス甲冑を纏い、紫の刃を持つ黒紫の大鎌を手に持っていた。

 

月を背に自分達を見下ろす黒い堕天使は、口元を歪ませて妖しく笑っていた。

 

 

 

「—————————ぁ」

 

 

 

蓮はその光景を思い出し、動きが止まる。

 

「———そうか、そういうことか」

 

忘れるはずがない。

なぜなら、これは己の始まりの光景。己が力を望んだ切欠の出来事だ。

ソレを思い出すたびに、胸中には瞋恚の炎が荒れ狂っていた。殺してやりたいと、心の底から憎み続けていた。

《魔人》に至った後、連盟本部の要請で世界を飛び回ったこともあり、各地で蓮は自分なりにその仇の正体をずっと追っていた。

だが、いくら探しても痕跡は見つからず、日々苛立ちが募るばかりだった。しかし、遂にだ。遂に、自分はその手がかりを得ることができた。

 

「———やっと、見つけた」

 

漸く全てが繋がった。

ヘルドバン監獄を襲撃し蓮を狙う魔女。

黒狗との激闘時に見ていた視線の持ち主。

両親を殺した憎き堕天使の女。

全て同一人物だったのだ。つまり、かの魔女は、蓮の怨敵は少し前から理由はどうであれ蓮を狙っているということに他ならない。

 

「———ハッ」

 

蓮は小さく笑みを浮かべた。

全身に駆け巡るのは歓喜。この12年、探しても探しても見つからなかった手がかりが、漸く目の前に現れてくれたのだと言う歓喜だ。

待ち望んだ目的の手掛かりを見つけたことに、蓮は1人静かに歓喜に打ち震えていたのだ。

 

そして、突然動きを止めた蓮に怪物達ははじめこそ困惑の視線を向けていたものの、何もしないと判断したのか、蜥蜴人が鋼の鉤爪を構えて蓮に迫る。しかし、

 

「おい」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

直後、蓮へと襲いかかった蜥蜴人は右腕を包むように展開された巨大な紅炎の龍腕に叩きつけられるように掴まれた。

 

『ぐっ、ガァっ』

 

鋼化した肉体が炎熱に焼かれ赤熱化し、同時にミシミシと嫌な音がする。

蓮が操る超高熱の炎が蜥蜴人の鋼の肉体を焼き溶かすと同時に、焼き潰そうとしているのだ。

肉を焼かれ、骨を握り潰されていく激痛に蜥蜴人は血を吐き出しながら呻き声を上げた。

蓮は蜥蜴人を持ち上げると、握る力を強めながらゾッとするほどに冷たい声音で尋ねる。

 

「貴様達を怪物に変えた《魔女》について、知ってることを全て答えろ」

『ガハッ、ぁっ、グ、ガァっ』

 

更に吐血した蜥蜴人は激痛に呻きながらも、勝気な笑みを浮かべると、

 

『誰、が…答エるカヨっ‼︎‼︎』

 

そう告げて、頭部の角を伸ばして蓮を貫かんとする。蓮はソレに対して冷酷な表情を浮かべたまま淡々と告げた。

 

「そうか。なら、死ね」

『グぅあァァァッッ⁉︎⁉︎⁉︎』

 

鋼角が伸びた瞬間に、蓮は《黄泉陰火》を発動し蜥蜴人を焼き溶かそうとする。本来なら一瞬で灰にできるはずなのだが、『覚醒超過』を経たことで魔力防御力が向上しているからなのか、焼けてはいるもののまだ完全に溶け死ぬまではいかない。

そして、仲間が焼き殺されようとしているのにソレを黙って見ているほど彼らは薄情ではなかった。

 

『コノ野郎ッッ‼︎』

『そイツを放セッ‼︎』

『オノれッ‼︎』

 

人狼、人馬、半人半蛇がそれぞれ蓮へと蜥蜴人を解放させようと襲いかかる。

黒炎を、赤雷を、血色の水の攻撃を蓮に直接叩き込もうと肉薄する。蓮はそれを一瞥すると短く唱える。

 

「《破天轟雷》《炎陽》」

 

左腕から大出力の青白い雷撃が放たれ、蜥蜴人を離した左腕の炎を炎の塊へと変化させて圧倒的に熱量を増して煌々と燃え盛る太陽を生み出す。

彼らの攻撃は、爆ぜるように放たれた雷炎の奔流に飲まれ、彼ら自身も呆気なく吹き飛ばされた。蓮に襲いかかった3人は吹き飛んだ先で、体を焼く痛みや雷撃による麻痺で地面に転がり悶えている。

 

『…………ゥ…………アぁ…………』

 

そして、解放された蜥蜴人は溶けかけた肢体を元の肉体に戻して、全身の大部分が焼け爛れ、今もなお白煙をあげており、激痛に苦しんでいた。

 

「手を離してしまったか。後もう少しで焼滅させれたというのに……柄にもなく昂っていたな」

 

蓮は蜥蜴人を思わず離してしまった事を少し悔やみつつそう呟くと「まぁいい」と言って、クレーターの中心で仁王立ちすると激痛に悶える蜥蜴人達を睥睨する。

 

「『魔女』については全員に聞けばいい話だ。全員瀕死になるまで追い詰めてから、聞くとしよう。殺すのは、その後だ」

 

そうして次こそ情報を聞き出すべく叩き潰そうと身をかがめたその時だ。突如、声が響いた。

 

『蓮さんッッ‼︎‼︎』

 

拡声器を使ったであろう聞き馴れた声音に蓮は思わず動きを止めて見上げる。

 

「ッッ?カナタ?」

 

声の方向を見ても、建物や瓦礫の山、そして遠く離れたせいでどこにいるかはわからない。

だが、拡声器を使って在らん限りの声で呼ぶ彼女の声は確かに聞こえたのだ。

思わぬ介入に、一体何事かと蓮を含めた全員が動きを止めて、戦闘が一時中断される。その後もカナタの声は聞こえてきた。

 

『救出と避難は完了しましたっ‼︎国民の皆様は私達が全力で守りますッ‼︎ですから、遠慮はいりませんッ‼︎思う存分戦って、勝ってくださいッッ‼︎‼︎』

「———ッッ」

 

聞こえてきたのは待ち望んだ避難完了の報告。

南地区から完全に市民が避難できた事を知らせるための報告だったのだ。

つまり、蓮は縛りがなくなったということになる。漸く思う存分戦えるということだ。

 

「クハハッ」

 

ソレを把握した蓮は犬歯をむき出しにして獰猛に笑い、縦に割れた金碧の龍眼を人狼達に向けた。

 

『ッッ‼︎‼︎』

 

瞬間、蓮の周囲を取り囲んでいた怪物達全員が一斉に距離をとって身構える。

 

『………っっ‼︎‼︎』

 

慌てて距離をとった彼らの顔には冷や汗が伝っており、荒い呼吸を繰り返していたのだ。

彼らは一様に感じ取ってしまっていた。

蓮が解き放った狂気とも取れる絶大的な覇気を。そして、彼の背後に顎門を開き牙を剥く龍の幻影を彼らは見てしまったのだ。

ゆえに、本能が彼らに下がる事を強制させたのだ。アレは戦ってはいけない敵だと本能が訴えていたのだ。

蓮は距離をとった彼らを一瞥すると、カナタがいると思われる北方へと視線を向ける。

 

「カナタ、礼を言う」

 

そして、笑みを浮かべて短く礼を言うと、大地を勢いよく蹴って地面を爆砕して空へと飛び上がる。

中空へと飛び上がり、浮遊する蓮は一度眼下のヴァーミリオンの首都を見下ろす。龍神の強化された視力は、北方地区周辺に避難して自分を見上げるヴァーミリオン皇国の国民達の姿をはっきりと捉えた。誰もが困惑の表情で自分を、黒く染まった空を見上げている。

そして、その中には、最前線で障壁を張っている騎士達の姿もいてカナタもそこにいた。

カナタは彼らとは違い困惑もなく信頼し切った表情を浮かべている。蓮が勝つことを信じてくれているのだろう。

 

「………」

 

蓮は視線を移し改めて人狼達を見下ろす。彼らもまた一様に困惑した表情で自分を見上げている。そこには焦燥、驚愕、困惑、様々な感情があった。

それらを一瞥すると右掌に三つ巴の魔法陣を浮かべ、そっと己の胸の紋様に重ねて静かに唱えた。

 

 

()()()()。神降ろしはここに成る。———《龍神纏鎧(りゅうじんてんがい)》」

 

 

ドクン、と蓮の全身に浮かぶ紋様が強く脈動し、鼓動のように紋様が激しく明滅する。

それに呼応するかのように、魔力もまた際限なく高まり続けていた。

そうして彼は、自身が持つ()()()()()()()()()()()()()()()の切り札を解き放つ。

 

 

「———《天威霊明(てんいれいめい)》ッッ‼︎‼︎」

 

 

最後の一言を叫び、解き放たれたのは、紺碧と白銀が入り混じる極光の柱。それは、低い位置で立ち込めていた黒雲を穿ち、大地を、大空を、大海をも震わせた。

 

その猛り狂う魔力の奔流の中で、蓮の胸部にある三つ巴の紋様が一際強く輝くと、そこから青白い燐光が大量に放出されはじめた。そして、燐光と魔力の奔流が蓮の肉体を覆い始める。それらが蓮の肉体を完全に覆い隠すとある形を成していく。

 

『な、ナンだアリャあ』

『……卵、ナノか?』

『冗談じゃナイっ、ナンだ、コノ魔力の上昇はッ‼︎』

 

成した形は魔力で形成された繭にも似た卵型の魔力結晶体。

人狼達はその卵に困惑の声をあげて、更にその内側から感じる際限なく高まり続ける魔力に驚愕の声を隠せないでいた。

同時に感じるのは、本能的な危機感。

あの卵を開けさせてはいけないと、中にいる彼にこれ以上何もさせてはいけないと本能がけたたましく警鐘を鳴らしていたのだ。

 

『アレはダメだっ‼︎早く堕トせッ‼︎‼︎』

『分かっテル‼︎‼︎』

 

誰もがその危機感は感じており、彼らは本能に従ってそれぞれ遠距離砲撃を放ってあの卵を堕とさんとする。

防ぐものもないため、砲撃は例外なく卵に直撃する。黒い爆煙が卵を飲み込み、姿を隠した。

そして、爆煙が晴れた先にあったのは———傷ひとつついていない卵だった。

 

『き、傷一つツかネェだトっ⁉︎』

『馬鹿なッ⁉︎』

 

その後も怪物達は何度も遠距離砲撃を放つものの、卵には傷ひとつつかない。

やがて、魔力の卵の頂点にピシリと小さな亀裂が入ると糸が解れるように頂点から崩れていき、完全に崩れると中にいる蓮の姿が露わになっていく。

 

「——————」

 

白銀の長髪。純白の肌とそこに浮かぶ水色の紋様。魔力で形成された龍角や背中の突起、そして腰から伸びる尻尾などのその容姿自体の変化は変わりはない。だが、身に纏う格好が変化していた。

 

『な、ナンだ。アノ、姿は……っ』

『霊装が、変化、シタのカ?』

 

露わになった姿に人狼達は戸惑いの声をあげる。

蓮が身に纏っているのはボロボロのスーツではなく純白を基調とし青の意匠が施された羽織と袴だけの和装だ。

神の羽衣を連想させる一切の穢れなき純白の羽織にも似た服には青色の勾玉の刺繍が無数に刻まれている。袴も同様であり、足首まである純白の袴の裾にも青勾玉の紋様が刻まれている。

 

両足、胴体、腕を覆うのは白銀の装飾が施された紺碧色の鎧。

首から腰に。肩は覆われず、二の腕から指先に。そして、膝から指先まで、蓮の体型に合わせて密着する様に覆われている鎧には肌に浮かぶ紋様と同じものが浮かんでおり、淡く明滅している。

 

深海を思わせる藍色の装甲は大海の輝きを秘めており、装甲はまるで龍の鱗が無数に重なったようにも見え、先端の指部分に至っては鋭利に尖り水色に輝く鉤爪があり、ソレはまさしく龍の肉体を鎧の形に変化した様に見える。

 

淡い青光を纏い中空に翼もなしに佇むその姿はあまりにも神秘的であり、神々しいの一言に尽きた。

 

 

その姿、その佇まい、そのオーラは、まさしく———

 

 

『……『DEUS(デウス)』……?』

 

 

翼人鳥が思わずそう呟く。

DEUSとはすなわち『神』だ。

何をと思うかもしれないが、奇しくも彼女以外の全員も同じ事を思っていた。

黒き荒天に君臨し中空に佇むその姿はまさに、神が降臨してきた様に彼らには見えてしまったのだ。

 

「——————」

 

蓮はスッと瞳を開くと金碧の龍眼を彼らに向けて見下ろす。

 

『『『『——————ッッ⁉︎⁉︎』』』』

 

その眼差しに人狼達は息が詰まる様な感覚を覚えた。

彼らが感じたのは圧倒的なまでの威圧。

『神威』と形容すべきほどの絶対的かつ圧倒的な威圧感に、彼らの本能が悉く気圧されたのだ。

次いで、体が硬直し自分の意思でピクリとも動かなくなった。先程とは比較にもならない圧倒的な威圧感に本能が屈した証拠だ。

神話世界の頂に君臨する絶対強者である龍神。

その神威に彼らの獣の本能が無意識下に恐怖して動けなくなっていたのだ。

 

(な、ナンだ⁉︎体ガ動かネェ⁉︎)

(威圧に呑まレタとイウのかっ⁉︎⁉︎)

(なんナンダっ、コいツはっ‼︎)

(震えガ、止まラないっ)

(コレでハ、アのお方と同ジジャナイですカッ)

(コレほどナのカっ、本物の魔人トイうのはっ‼︎)

(サッキとは……比じャナイワネっ)

 

彼らは一様に恐怖に体を震わし、冷や汗を流している。震える瞳や肉体、上がった呼吸、流れる冷や汗。

彼らの様子一つとっても蓮に対して恐怖を覚えているのは明白。

そして、彼が放つ神威は種類こそ違えど、自分達を怪物に変えた『魔女』が放っていた《魔人》としての圧倒的存在感に似ており、彼女同様に刃向かってはいけないとすら思わせていたのだ。

彼らが恐れ見上げる中、蓮はゆっくりと降下する、怪物達をその冷徹な眼光ではっきりと捉えながら、口を開くとスゥッと息を吸って言った。

 

『畏れよ』

『ッッ⁉︎⁉︎⁉︎』

 

その言葉が紡がれた瞬間、ズンッと空気が更に重くなったのを彼らは感じた。

蓮が言葉に神威を乗せたのだ。圧倒的な存在が放つ神威纏う言葉は、まさしく言霊となって彼らを抑えつける。

 

『我は神。生きとし生ける命を呑み込む災禍の化身。

我は龍。生きとし生ける者達の頂に君臨せし者。

境界を越え魔に堕ちし獣でなければ、輝ける強き意思を持つ人でもない。ましてや真に至れていない貴様ら紛い物の獣程度が、我を殺せるなどと思い上がるな。分を弁えろ。畜生共が』

 

神威纏うソレは、先程とは打って変わっての不遜かつ荘厳な口調は、まさしく神のソレだ。

 

『悔い改めろ。神に牙を剥いた罪禍、その身を以て味わえ。

———なればこそ、我自ら貴様らを滅ぼそう。抗えぬモノが世に在る事を此処に知れ』

 

ふわりと着地した蓮は両腕を広げながら、荘厳な口調でそう告げた。

 

 

 

今ここに、荒ぶる神が解き放たれた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

世界に邪悪をもたらす最悪の狂劇。

 

 

魔女の悪意に満ちた悍ましく、愛しき狂乱の宴(オルギア)

 

 

人知れず、幕を上げていた狂乱の宴(オルギア)が、いよいよ本格的に始動してしまったのだ。

 

底知れぬ悪意と常軌を逸した怪物達を以て英雄を追い詰める、本格的な幕上げだ。

 

破壊と殺戮。

 

蹂躙と混沌。

 

凄惨なる惨禍。

 

悪意によって作られた狂騒が、静かにだが確実に闇の中で蠢いていた死の宴が、遂に表に現れたのだ。

 

 

『見せてもらうわよ。貴方という『英雄の可能性』を。だから、私を飽きさせないよう精々足掻いてね?

ああ楽しみだわ。早く貴方を喰べたくてしょうがない。一体、どんな味がするのかしらね?』

 

 

魔女は嗤う。彼の最果てがどうなるかを想像して。

 

 

そして、彼女自身が彼を喰らう未来がくる日を待ち望んで。

 

 

 

破滅はまだ始まったばかりだ。

 

 

 





次回:蓮、ブチ切れて大暴れします。

蓮の後半部分の神威を纏った雰囲気は、FGOの伊吹童子イメージしてます。曼荼羅の時の感じですね。

そして、書いていくたびに蓮の強さが更新されていって、一体どこまで強くなるんでしょうかね。
今更ながらに、蓮、原作のパワーバランスぶっ壊してんなぁと思ってるところです。


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37話 災いの(カミ)


お待たせしましたァッ‼︎‼︎

今回は蓮が暴れるまくる、それだけしか言えませんっ‼︎‼︎

というわけで、どうぞっ‼︎‼︎


 

 

 

時は少し遡り、場所はヴァーミリオン皇国首都フレアヴェルグ東方地区。そこでは、『青薔薇の騎士団』団長であるグラキエスが声を張り上げて騎士団員達に指示を出していた。

 

「避難を急げ‼︎一刻も早く彼が満足に戦えるようにするんだ‼︎」

 

龍神と怪物達の咆哮が響く中、騎士団員達は慌ただしく動き回り半分が皇国陸軍の者達と協力し魔術で作った荷台に市民達を乗せては北方地区へと起こる避難活動を行なっていた。

グラキエス自身も優れた水の能力を使って氷の馬車を次々と造形しては市民達を乗せて、避難場所である北方地区に移していく。

そんな中、グラキエスは黒く染まった空を仰ぎ見た。

 

「しかし、凄まじいな……これが、彼の力なのか……」

 

グラキエスは冷や汗を流しながら、純粋な驚愕混じりにそう呟いた。

フレアヴェルグの上空に広がるはずだった夜空は禍々しい黒雲に呑み込まれ、そこからは幾度となく鳴り響き落ちる青い雷と吹き荒れる暴風、降り注ぐ豪雨。

大嵐が突如出現し、首都を飲み込んだのだ。

いや、首都だけではない。市民を一箇所に集めるために郊外の村々にも向かった騎士達の報告ではこの黒雲の範囲は、ヴァーミリオン皇国全土をたやすく飲み込み、その隣国クレーデルラントまで広がりつつあったのだ。

 

まさしく災害。

 

これほどの災害がたった一人の少年の手で引き起こされているというのだから、驚愕以外の何者でもない。しかも、それが自分の妹とその夫が残した子供なのだから尚更。

そして、彼は魔術を応用して千里眼のようなものを使って蓮の戦いの様子を避難活動を続けながら途中からだがずっと見ていた。

 

《魔人》の負の極点である《覚醒超過》を経たであろう怪物7体の凄まじい猛攻に蓮は幾度となく致命傷を負い死にかけながらも、驚くべきことにたった一人で抑え込んでいる。

髪は白く、瞳は金に、大和が《鬼》の力を解放した時と同じような外見の変化と共に、水や氷の他に、炎、風、雷などの複数の属性を使いこなして彼は一時間経っても尚、何度も立ち上がり戦い続けているのだ。

その激闘は今も続いており、無数の怪物の咆哮、地震と見紛う振動、連続する爆発音。それらが、ずっと響いていたのだ。

 

(ヤマト君の時もそうだったが、《魔人》の戦いというのは……あそこまで次元が違うというのか……)

 

グラキエスは次元の違う戦いに思わず生唾を飲み込んだ。彼を含め、エーギル、シリウス、アストレア、ダンダリオンなどの《魔人》の存在を知っている者達はカナタの口から蓮が日本有数の《魔人》だということを聞かされているし、詳細は知らずとも規格外の能力を持っているということも知っている。

 

18年前の大和の激闘も見ていたことから、《魔人》がここまで規格外で異次元な強さであることも知っていた。

今日、グラキエスはソレの意味を改めて理解した。《魔人》がいるだけで戦争のパワーバランスが崩壊するという事実を。

その上で、彼はもう一つの事実にも気づいていた。それは、

 

(私達の避難が完了していないせいで、彼が全力を出せていないっ)

 

彼もまた、この国に二人しかいないBランク騎士だからこそ、その事実に気づいた。

蓮が避難を気にして、周囲に被害を出さないようにしながら加減して戦っているということに。

これだけの災害を引き起こせるのだから、彼が本気を出せば南地区はあっという間に廃墟と化すだろう。そして、東、西地区にもその被害は及ぶかもしれない。

そんなことはさせない為に、彼は《覚醒超過》を経たであろう怪物7体という、もはや一国の軍事力すら超えているだろう強大な戦力相手に制限を課した状態で戦うという不利な状況に陥っているのだ。

 

(………歯痒いな。祖国の危機だというのに、君一人に戦わせてしまうなんて……騎士団団長として情けないっ)

 

グラキエスは悔しさに拳を強く握りしめる。

魔術で見える視界には、蓮が四肢を砕かれたり、体を貫かれたり、風穴を開けられたり、と致命傷を何度も負ってはその度に再生して戦い続ける姿があった。

本音を言うならば、今すぐにでも彼を守りに行きたい。自分が彼の盾となって彼がこれ以上、傷を負わないようにしたい。

かつて(サフィア)義弟(大和)を失ったように、大事な()すらも失ってしまうのではないかと言う恐怖が過っていた。

 

だが、それは叶わない。

あの戦いは初めから自分が参加できるレベルではないと言うことを理解してしまっているから。

だから、グラキエスはその悔しさを堪えて自分がやるべきことに専念する。

市民を早く避難させて、彼に満足に戦ってもらえるようにするために。

そうして、自分が担当している地区に残る最後の市民を数名馬車に乗せて送った時、騎士団の装いをした者達が近づいてくる。

先頭にいるのは、第一部隊隊長のアルテリアだ。彼女は、グラキエスに近づき報告する。

 

「お父様!第一部隊の担当地区避難を完了しました‼︎」

「ああ、わかった。なら、アルテリアは部隊を率いて障壁の形成の為に配置についてくれ」

「はい、分かりました」

 

そうしてアルテリアが矢継ぎ早に部下達に指示を出して障壁を張るために配置につかせる。

ある程度指示を出し終えた時、アルテリアはふと立ち止まり、グラキエスの方に振り向いた。

 

「……どうした?アルテリア」

「…………」

 

アルテリアはしばらく悲痛な表情を浮かべ沈黙していたものの、やがて絞り出すようにグラキエスに尋ねる。

 

「その、お父様……私達は、何もできないんですか?」

 

その問いかけに、グラキエスは表情に影を落とす。そして、少しの沈黙ののちに、グラキエスは深い悔しさが滲む声で応えた。

 

「………ああ、そうだな。私達では彼の力にはなれない。私達は………弱いからな」

「ッッでもっ、彼はあんなに傷だらけにっ……せめて、回復でもっ「アルテリア」ッッ」

 

グラキエスと同じように彼の戦闘を魔術で見ていたのだろう。分かっていながらもせめて回復をと蓮の援護に向かいたいと言おうとした彼女にグラキエスは一度名を呼ぶと、肩に手を置いて優しく言う。

 

「お前の気持ちはわかる。私も彼の援護に行きたい。だが、私達では足手纏いになるだけだ。それは、一番やってはいけないことだ。

私達では彼の直接的な援護はできない。だから、私達は早く避難を終わらせて彼が満足に戦えるようにしなくてはいけない。それこそが、私達ができる援護だ。辛い気持ちはわかるが、今は耐えるんだ」

「……っっ」

 

グラキエスの言葉に、アルテリアは唇をかみしめて悔しさや悲しみを堪えるように顔を俯かせる。しかし少ししたのち、すぐに顔を上げるとそこにはもう悲痛な表情はなく、表情が引き締められていた。

 

「………ごめんなさい。お父様。少し取り乱しました。すぐに配置に向かいます」

「ああ、私もすぐに向かう。気をつけろよ」

「はいっ」

 

アルテリアは父の言葉に力強く頷くと、自分もまた障壁形成のために持ち場に向かう。

走り去る彼女の背を見送ったグラキエスもまた、すぐに他の地区の救援に向かうために駆け出す。駆け出しながら、蓮のいる方向に一度視線を向けると小さく呟いた。

 

 

「レンくん頼む、どうか勝ってくれ。君とはまだまだ話したいことがあるんだ」

 

 

自分では彼と共に戦うことはできない。

だから、彼が満足に戦える為に一刻も早く避難を終わらせる。

それだけが、自分が彼の為にできる援護なのだから。

 

 

だから、どうか無事に勝って生きて帰ってきてほしいと彼は、一人の叔父として願った。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『悔い改めろ。神に牙を剥いた罪禍、その身を以て味わえ。

———なればこそ、我自ら貴様らを滅ぼそう。抗えぬモノが世に在る事を此処に知れ』

 

 

大地に降り立った蓮はそう宣告する。

先程とは異なる格好、口調、そして神威と形容すべき圧倒的な威圧。ソレらを前に人狼達は全員がその場から動くことすら叶わなかった。

誰もが冷や汗を流しながら、身体を震わせていた。

 

恐怖。

 

彼らの胸中を占めるのはたった一つの感情。

生物が本来有する本能的な死の恐怖が、目の前の『神』と敵対してはいけないと魂が警告していた。

だが、同時に自分達の主人である《魔女》が目の前の『神』を殺せと命令した時の威圧も想起され、討伐か屈服。その二つの狭間で揺らいでいたのだ。

 

『ナ、なんナンだヨ、テメェっ、その姿はっッ‼︎‼︎』

『アリえナイっ、ありエないっ、魔力がマダ高まり続けテいるノカっ⁉︎』

『神………そう云ったノカ?奴はっ⁉︎』

『あれガ本物の魔人ノ力とデモいうノデスかっ⁉︎⁉︎』

『アンナ化け物が存在しテいいノカヨっ⁉︎』

 

やっとの思いで絞り出した怪物達の悲鳴じみた声音に、青の輝きを纏った『龍神』———新宮寺蓮は、口の端を吊り上げて不気味に笑う。

 

『……ふ、ふふ、嗚呼、煩わしい。騒ぐな。

口を閉じろ。瞼は開けたままにせよ。

言葉を紡ぐことは許さぬ。

空を見上げるように、我を仰げ。

地に頭を垂れるように、我に傅くといい。

………ああ、ふふ、いずれも同時にはできぬよな。ならば』

 

蓮は何かを思いついたのか、そう楽しそうに話すと、一拍置いたのちに静かに呟いた。

 

 

 

『ひれ伏せ』

 

 

 

たった一言。されどその一言が放たれた瞬間、

 

『『…っっ⁉︎⁉︎』』

 

怪物達は皆、ズンッと不可視の重圧に体を押しつぶされ、両膝をついて頭を垂れてしまった。

 

(こレハ……重力っ⁉︎)

(いヤ、重力じゃナイっ)

(嘘っ、まサカ重圧ダケでここマデっ⁉︎)

(魔人の引力ト神の圧ガ合わさッタモノかっ‼︎)

 

初めこそ、寧音の伐刀絶技《地縛陣》のように自分達の周囲の重力が数十倍に高められ、重力に耐えられずに膝をついたものだと思った。

だが、これは重力ではない。

これは、重圧だ。

《魔人》が有する因果を結ぶ引力と《龍神》が有する存在の強大さを示す神威が合わさったことで、物理的な重圧になったのだ。

蓮は両膝を突き、自分を畏れるように見上げる怪物達を視界に収める。

 

『それでよい。

貴様達のような紛い物の獣は、無様に地に這いつくばる姿がよく似合う。———さて、獣達よ』

 

蓮はそう呟くと緩やかな足取りで踏み出して、無様に膝をつく彼らに近づいていくと、凄絶なる殺気に満ちた眼光を彼らに向けながら、怒気を放つ。

 

『———我は、怒っている。

神である我を殺さんとしたこと。

この地で斯様な狼藉を働いたこと。

貴様達の行動は、我を怒らせるに十分であった。

故に、我は生け贄を欲する。我が怒りを鎮める為の命を。贄は貴様達だ。貴様達の七つの命を喰らうてやることにしよう』

 

蓮は冷酷な声音でそう言葉を紡ぎながら怪物達を一人一人目線を移していき、やがて翼人鳥の女に視線が止まる。

そして、目を細め、口の端を吊り上げて不気味な弧を描くように嗤う。

 

 

『———そうさな、まずは貴様にしよう』

 

 

そう宣告した直後、グシャリと音が聞こえた。

 

 

『……………ハ…………?』

 

 

誰かのそんな声が小さく響いた。

声の方向に顔ごと視線を向ければ、そこには一瞬前まで10mは離れた場所にいたはずの蓮がそこにいて、仰向けに倒れてる翼人鳥の上に立っており、右拳を地面に振り下ろしていた。

その拳には大量の血が付着しており、拳がある場所には………潰れた頭らしき物があった。

 

『『『『ッッッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』』

 

今度こそ彼らの身体は動いてくれた。

人狼達は目の前で起きた事象を視認し、理解すると同時に膝をついた姿勢から瞬時に動いて蓮から距離を取る。

距離を一瞬で詰められ、仲間を瞬殺されたことに彼らは明らかな動揺を浮かべていた。

 

(ヤバイヤバイヤバイッ‼︎嘘だロっ⁉︎)

(仲間ガ一瞬で殺さレタっ⁉︎)

(さッキまで互角だッタはずだろっ⁉︎)

 

先程までは互角だった。

雷と風で加速した動きにも自分達は対応できた。だというのに、今、自分達は彼の速度に反応することすらできなかった。

明らかに先ほどとは桁違いな強さになっている。それも、自分達が束になっても一蹴されてしまうような圧倒的な力だ。

 

『…………』

 

蓮は彼らの動揺する表情を一瞥すらせずに、血の滴る右腕を引き抜くと、今度は左胸へと突き立てる。

グチャ、グジュと生々しい音を立てながら、指が数度動き何かを掴むと肉をちぎりながら中で掴んだソレを取り出した。

取り出されたのは、血が滴る赤黒い心臓だ。

蓮は脈動を止めたソレに視線を向けると、徐に口を開きあろうことか心臓に歯を立てた。

 

『『なっ⁉︎』』

 

心臓を食べるという紛うことなき獣の行動に怪物達が慄く中、蓮は心臓を喰い千切って咀嚼し口腔に広がった血肉の味に僅かに表情を歪めた。

 

『……うぅむ、不味いなぁ。干渉されたからなのだろうか……美味な女の血の中に、不味い毒が混じっておる。……本来なら甘露なのだろうが、コレは喰えんなぁ』

 

そう翼人鳥の血肉の味を評価すると、右腕から紅から蒼へと変色した炎を解き放ち、右手にある心臓ごと翼人鳥の遺体を瞬く間に焼き尽くした。そして、改めて彼らへと向き直ると顔から血を垂らしたまま静かに呟く。

 

『うむ、今は言葉を紡ぐことを許そう。

我が問いに応えよ。何故貴様達は抗うのだ?今のを見て、既に我には勝てぬと魂で理解しているはずだろうに。何故未だ我に抗う?』

 

圧倒的実力差を理解しながらもそれでも抵抗を止めようとしない怪物達に、蓮はそんな疑問を投げかけた。

 

『『『…………』』』

 

だが、それには誰も応えない。

否、応えられないのだ。誰もが蓮がー『龍神』が放つ神威に呑まれ、怯えるばかりなのだから。

それを理解した蓮は、口の端を吊り上げて嗤った。

 

『………ふふ、フフフ、ハハハハ。

ああ、そうかそうか、貴様達には応える余裕もないのだな。今は必死に我が威に抗っているというところか。ならば、応えられぬのも致し方ないこと』

 

一人得心した蓮はそう嗤った。

その先程とはあまりにも異なる様子に、誰もが動揺や困惑の色を見せていた。

 

『貴方は……誰っ?……さっキとは様子ガ、変わリスギてるっ』

 

声を震わせ、冷や汗を流しながらもそんな問いを絞り出した蜘蛛人の女に、蓮は僅かに瞠目する。

 

『ほぉ、我が威によく耐えたな。

確かそこの犬も我に問うていたな。この姿はなんなのかと…………うん、よい、そちらも応えてやろうか。しばしの戯れもよかろう』

 

蓮は特に眉ひとつ動かすことなく平然と頷くと彼らの疑問にわざわざ応える。

 

『誰何を問われても何も変わらぬ。

我は『新宮寺蓮』であり、同時に『龍神』でもある。

この力は、我が『龍神』としての神威を全て解放したもの。獣に堕ちず、人の身でありながら『龍神』の力を十全に扱えるようにするための技。そして、この姿は『龍神』の力を扱うのに最も適した姿である』

 

伐刀絶技《龍神纏鎧・天威霊明》

 

それは蓮が持つ最強にして最高の伐刀絶技。

文字通りの切り札であり、完成したのは沖縄防衛戦後のこと、今から2年前、破軍学園に入学する三ヶ月前の話だ。

 

あの日、《覚醒超過》を使用し龍人と化すことで白虎を打ち倒し、戦争を終わらせた彼は戦闘中、『龍神』に意識を支配されていた時()()()()()()()()()()を垣間見ており、今のままでは《龍神》の力の全てを十分に扱えきれていないことを痛感した。

《覚醒超過》を使えば、《龍神》の力の全てを引き出せることは把握できた。だが、《龍神》の力を全て使う度に《覚醒超過》を使用するのはあまりにもリスクが高すぎる。早々に自分の体は完全な怪物に成り果ててしまう。

だから、蓮は膨大な力を秘める《龍神》の力を人間の状態のままでこれまで以上に引き出せるように鍛錬し、その末に一つの伐刀絶技を編み出したのだ。

それこそが、《龍神纏鎧・天威霊明》。

《覚醒超過》に頼らずとも誰かを守れるようにと作り上げた彼の覚悟の証だ。

 

《蒼月》を四肢と胴体を覆う鎧と羽衣の形へと変化させ、《覚・天識》を常時発動、莫大な魔力による身体能力の過剰強化、超高密度の魔力障壁が常時発動されており、自動再生もある。

 

『『龍神』の神威は只人には強すぎるのでな、我は日頃は神威を抑えているのだ。大部分の力を制限していたようにな』

 

強大すぎる力が故に、放たれる威圧ですら周囲に影響を及ぼしてしまうほど。常人ならば威圧に呑まれ恐怖し意識を失うこともあるだろう。

だからこそ、蓮は普段《魔人》や《龍神》の力を制限しているのと同じように、『龍神』が持つ神威も抑えているのだ。

《臥龍転生》も『龍神』の力を解放してはいるが、神威の全ては解放してはいない。精々66割強と云ったところだろう。6割であるためあれでも全開ではないが、それ以上はよほどのことがない限りは解放しない。

なぜなら、神威を全て解放するということは、今の蓮の口調の変化にもあるように、精神を()()()()()()()()()()()ことを意味するのだから。

 

『神威を解放したこの力は我の精神を変質させる。今の我は『人』と『神』の二つの精神が混ざり合ってはいるが、『神』の側面が大きく出ている状態だ。

肉体が『魔』に堕ちぬ代わりに、『人』の精神を一時的に『魔』の領域に堕とすというわけだ。…………そうさな、貴様達にもわかりやすくいうならば、我は神降しを行うことで我が身に『龍神』を憑依させ精神を同一化させた、とでも云っておこうか』

 

彼のいう通り、この形態は神懸りや神降ろしの類であり、同時に精神のみに作用する擬似的な《覚醒超過》でもあった。

本来の《覚醒超過》は人間性を代償に自己を肥大化させて、獣の魂に肉体の形を合わせて変化させるもの。

しかし、《龍神纒鎧・天威霊明》はそうではなく、日本における神道にもある神霊をその身に降ろして憑依させて内に宿す『神降しの儀』と同じように一時的に『人間の精神』と『龍神の精神』を同一化させたのだ。

 

今の蓮は肉体構造こそ人のソレに留まっているものの、中身、つまり精神構造はほぼほぼ『神』のソレであり、彼の根幹をなすものは変わらずとも思考や口調は完全に『神』のソレへと自らの意志で変質させたのだ。

とはいえ、この変化は一時的なものだ。

この形態を使用している時のみ、精神構造が置き換わる。膨大な魔力と《魔人》の意志の力、そして、新宮寺蓮としての強固な意志の強さがそれを可能にしていたのだ。

 

『『『…………ッッ‼︎』』』

 

それを理解してしまった怪物達は、全員が揃って冷や汗を浮かべ苦虫を噛み潰したような表情になる。そんな彼らの様子を見て、蓮は面白そうに嗤った。

 

『ふ、ふふ、さて、話はここらで終わりとしよう。久方ぶりの全力なのだ。怒ってはいるものの、昂ってもいるのでな。

貴様達を喰らうことには変わらぬが、精々獣らしく醜く足掻いてみせよ』

 

そう告げるや否や、蓮は左手を彼らへと突き出し、掌にサッカーボールサイズの青白い雷の球体を生み出す。

 

『———《青電雷渦(せいでんらいか)》』

『『ッッ』』

 

直後、距離をとっていた彼らの身体が、ぐんと蓮の方へ引き寄せられたのだ。

伐刀絶技《青電雷渦》。電磁波を操作して磁力を生み出し敵を雷の球体の元に引き寄せる伐刀絶技だ。

 

『逃がしはせぬ。

もっとも、もう貴様達は逃げも隠れることもできぬがな』

 

もはや蓮の前から逃げることすら叶わなくなってしまったのだ。磁力に気づき、各々が必死に踏ん張るのだが、磁力が強すぎるのか、踏ん張ってもズズズッッとだんだん距離は縮み始めていた。蓮はそれを一瞥すると、次の一手を放つ。

 

『まずは場を変えるとしよう。これ以上、この地を壊したくないのでな』

 

徐にそう呟くと両手の指を組み合わせて静かに呪いを唱える。

 

『———《水禍(すいか)大洪瀑(だいこうばく)》』

 

呪いが一つ唱えられれば、蓮の背後に巨大な藍色の魔法陣が出現しそこから高さ20m、横幅30mの津波が如き青黒い激流が解き放たれる。

大地を揺らし、轟音を鳴らすソレはまさしく洪水のように怪物達に迫り、彼らが回避する間もなく瞬時に展開した防御ごと呑み込む。

だが、これで終わりではない。

 

『このまま、連れてゆく』

 

組んだ手を解き、右の人差し指をクイッと動かす。すると、激流は蛇のように動き方角を皇都の外側へと変えた。

そして、南地区の端、皇都の最外縁部まで、建物を一切巻き込まずに流れた激流は皇都の端まで辿り着くと渦を巻くように動き、黒天めがけて巨大な水柱となって噴き上がったのだ。

呑み込まれた怪物達は、当然その動きに巻き込まれ天高く噴き上げられる。

 

『まだ終わらぬぞ?』

 

激流に乗って移動した蓮は天高く打ち上げられ、未だ激流に囚われ続けている怪物達を見上げながら、左掌に翡翠色に輝く勾玉を浮かべる。

 

『———《仙界(せんかい)天霊大樹(てんれいたいじゅ)》』

 

翡翠の勾玉が鮮やかな輝きを放ち、地面に落ちた直後、無数の青々とした枝葉を次々と生やしていった。

『青龍』が有する『木』属性の植物を操る力だ。

 

枝葉は瞬く間に質量を増して巨木の幹へと変化して大地にしっかりと根付くと、無数の幹を蛇のように絡み付かせながら天に向けて伸ばしていき、間欠泉のように噴き上がり続ける激流の柱を幹で捕らえると、そこからは枝葉を傘のように大きく四方八方に広げた。

ヴァーミリオンの市民達が驚愕と恐怖の表情でソレを見上げる中、大樹は成長を続けていき、ヴァーミリオンの皇城の高さを超えて数分もしないうちに高さにして約400m。幹の太さは直径50m。空に広がる枝葉の範囲は、半径———300mの巨大樹へと成長した。

 

そして、ヴァーミリオンの大地に聳え立つ巨大樹の大樹冠。外見では巨大な三角形のように見えるソレも、内部は無数の幹と枝葉によって半径250m程の巨大な窪みのようなものが形成されており、伸びる幹の壁が外界からの視覚的な干渉を拒絶している。

その樹冠の中心に、怪物達は水浸しの姿で倒れていた。

 

『ゴホッ、ゴホッ……ぐ、グソっ、何が起きヤガッたんダッ⁉︎』

『ここハ……何処、ダ?何処に、流さレタ?』

『樹木の……壁?……近くニ森は……イや、これホドの大樹ノ壁ハ……』

『間違いナク、彼ノ力……どこマデも規格外ネ』

 

蓮によって激流に揉まれ続けていた彼らは、大樹が生まれるまでの過程を知らなかった。

だから、初めは見たことのない場所に戸惑うものの、状況的に見て蓮以外にあり得ないと判断できたのだ。

そして、水を払い立ち上がった彼らに、頭上から声がかかる。

 

『ようこそ。我が領域へ』

 

樹冠の中心にふわりと着地した蓮はそう言って、更に続ける。

 

『ここは我が創り出した巨大樹木の樹冠の中だ。そして、貴様達の墓場でもある』

 

蓮はそう告げると、全身から青い魔力を迸らせる。青白く迸るソレはまるで炎のようで、しかし水のようでもあり、されど雷のようでもあり、あるいは風のようでもあった。大気を震わせるほどに超高密度な魔力が蓮の全身から放出されていた。

そして、迸る魔力が蓮の腰部に集い、元々あった魔力で編まれた龍の尾を覆うと長さ、太さを格段に増して八つに枝分かれする。

枝分かれたそれは、牙を成し、顎門を成し、眼を成す。

蛇にも似たソレは、間違いなく龍の首だ。

一本一本が蓮の身長を超えるほどの長さで、太さもそれなりにある揺らめく八つの首は、さながら神話に存在する洪水の化身にして、水を司る八頭八尾の龍神———『八岐大蛇』のようだった。

 

『抗うことを許そう。

命のある限り、神威に抗ってみせよ。

さすれば、生き延びることができるやも知れぬぞ?』

 

八つの首を腰から生やした蓮は、龍眼の輝きを一層強くしながら呟くと、一歩、また一歩と静かに歩き始める。

 

『『『ッッ‼︎』』』

 

迫る蓮に腹を括ったのか、あるいは逃げることを諦めたのか、怪物達は一様に戦闘態勢を取りすぐに動いた。

 

人狼と人馬が黒炎と赤雷を宿しながら飛び出して蓮を左右から挟み撃ちにしようとし、蜥蜴人、鷲獅子が飛び上がり頭上から無数の鋼槍や風刃を、半人半蛇、蜘蛛人が遠距離の攻撃を、それぞれ放つ。

阿吽の呼吸で放たれたソレらは、抵抗のそぶりも見せない蓮へと真っ直ぐに襲い掛かり、

 

『よいよい。

そうでなければ、つまらぬ』

 

そして、呆気なく一蹴された。

濃密な魔力で形成された八つ首の薙ぎ払いが、神の嗤いと共に振るわれ攻撃の悉くを弾いたからだ。

次いで、彼ら自身にも首が襲い掛かる。轟ッと唸りを上げて迫った八首は、接近していた者達を悉く防御ごと叩き落とした。

 

『なっ、ンダトっ⁉︎』

『クソっ‼︎』

『ガッ⁉︎』

『早、スギるっ⁉︎』

 

凄まじい速度で振るわれたソレらに体を打ち据えられて、無様に樹木の床を転がる。そんな彼らに、更なる追撃がかけられる。

蛇龍の八首が彼らを喰らわんと襲い掛かったのだ。彼らはすぐに立ち上がると、何度も牙を突き立てる八首を必死に避ける。だが、鷲獅子は遂に避けきれずに両翼を噛まれた。

 

『次は、貴様だな』

『がっ、ギッ、ァァアァぁぁっ⁉︎』

 

捉えた蓮は両翼を二首を操作して一思いに捻り千切る。

嫌な音を立てて両翼は鷲獅子の肉体から引きちぎられて、ドシャと床に落ちる。

 

『……ぁっ?』

 

そして、激痛に絶叫する鷲獅子はそのまま八首に集られ、抵抗する間も無く生々しい音を立てながら喰いつくされる。

隙間から血を大量に噴き出しながら、鷲獅子の肉体は八首に喰われ消滅する。八首と味覚をつなげてでもいたのか舌なめずりした蓮は、弧を描くように不気味に嗤う。

 

『さぁ踊れ、抗え。

我の首をとりにきたのだろう?ならば、これで終わりなはずがなかろう。

もっとだ。もっと、我に命の輝きを見せてみよ』

 

そう告げ、蓮は右腕を天に掲げる。

刹那、樹冠の上空にある黒雲が青い閃光を幾度となく光らせて、無数の雷を落とす。

 

『———《神鳴ノ調(かみなりのしらべ)》』

 

凄まじい雷鳴が無数に轟き、乱打される太鼓の如き轟音を奏で、落雷が豪雨のように無数に落ち続ける。

ソレらは、彼らが展開していた防御魔術や魔力障壁を嘲笑うかのように容易く砕き、全員を雷で焼いた。

 

『がああぁぁぁっっ⁉︎⁉︎』

『くぅゥゥゥぅッッ⁉︎⁉︎』

『〜〜〜〜〜〜ッッ⁉︎⁉︎』

『ぐぅおオオォっっ⁉︎⁉︎』

『ぐっ、ゥア、雷使いノ私ニもダメージをっ⁉︎』

 

他の者は言わずもがな、元々雷使いで耐性のある人馬ですら龍神の雷に呑まれ肉体を焼かれた。壮絶な雷撃に肉体を焼かれた彼らは、全身から白煙をあげながら、膝をつく。

蓮はその様子を見て、笑みを浮かべる。

 

『……ふ、ふふ、あぁ儚い。脆い。

獣とはいえ、所詮は造られた紛い物。この程度ですら膝をついてしまうのか。本物に比べれば弱いなぁ』

 

拍子抜けであることを一切隠さない嘲笑に人狼達は反論すらできない。なぜなら、蓮が言ったことは否定のしようがない事実だったのだから。

そして、荒い息をつく人狼は目の前に影が落ちるのを見た。ゆっくりと、顔を上げれば、そこには蓮がおり人狼を見下ろしていた。

 

『さて、貴様達を獣に変えた『魔女』のこと。教えてもらうぞ』

 

そう言って、蓮は人狼の頭にプラズマ迸る手を伸ばす。雷撃のダメージで体がまだ麻痺してうまく動かない彼は、困惑の声を上げることしかできなかった。

 

『な、何をスル気ダッ』

 

その問いかけに対して、蓮は嗤いながら答える。

 

『なに、少し貴様の記憶を覗かせてもらおうと思ってな。我も簡単に話すとは思ってはおらぬ。なら、記憶を見た方が早いと思ったのだ』

『ま、マサカっ、やっ、ヤメろっ、ヤメロォっ‼︎‼︎』

 

蓮がやろうとしたことを理解したのか、顔を青ざめて明らかな狼狽を見せる人狼。

余程あのお方の存在が恐ろしいのか、彼の声音には今までにないほどの恐怖に満ちていた。

だが、ソレには構わずに蓮は人狼の顔面を掴み、告げた。

 

『神命を下す。『魔女のことを想起せよ』』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

《覚・天識》と《魔人》としての引力、《神》としての神威が乗った言葉。三つを合わせることで、対象の記憶に干渉する。

蓮は言葉にすることで人狼にはっきりとその時の記憶を思い出させながら、その記憶を覗き見る。

直後、蓮の脳に情報が流れ込んで来た。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

まず、見えたのは月明かりが照らすとある山の山頂の景色だ。

場所は、蓮も知らないどこかの山奥だ。

 

そこに彼女はいた。

 

月明かりを背に、黒い蛇が無数に蠢き山を作り、その中でも一際大きい大蛇に腰を下ろし足を組んで、自分達を、人狼達を見下ろしていた。

彼女の整った顔立ちと堕天使の姿は蓮の記憶の中にもあるあの魔女のソレと変わりなく、間違いなくこの存在が、蓮の仇敵であることがわかる。そして、『魔女』は妖しく笑いながら、口を開いた。

 

『ふふ、さて、早速だけど貴方達にはやってもらいたいことがあるの』

 

そう言って彼女が懐から出したのは、蒼髪碧眼の青年ーつまり自分が映る写真だった。

 

『彼をー新宮寺蓮という青年を、私の元に連れてきてほしいの。勿論、彼が拒否したら殺して死体を持ってきても構わないわ』

『……御意。……デス、が一体、ナンの目的デ……?』

 

人狼の視線が声の方向に動く。

そこには片膝をついた翼人鳥の女がいて、そんな疑問を彼女に投げかけていたのだ。

しかし、問いかけられた魔女は、一瞬沈黙すると、静かに口を開いて言った。

 

『———誰が口を開いていいと言ったのかしら?』

 

そして、放たれるのは壮絶なまでの威圧感。

人狼の記憶を通して恐怖が伝わってくるほどに、彼女は壮絶な威圧を放ったのだ。

 

『〜〜〜っっ、も、もうし訳アリマせんっ‼︎‼︎』

 

直接威圧に当てられた彼女は、顔を青ざめて目の端に涙を浮かべながら、震える声で慌てて頭を下げる。

その様子に、魔女は威圧を収めると、くすくすと可笑しそうに笑った。

 

『ふふ、冗談よ。

でも、ナンの目的、ねぇ。強いて言えば、私の目的を果たすために彼は、彼の力は必要なのよ。あの力があれば、私の願いはより盤石なものになるわ』

 

心待ちにしているかのような表情でそう応える彼女。何の目的かはわからないが、彼女の様子から見てもきっとその願いとやらは碌でもないものだが、世界を巻き込みかねないほどのかなり凶悪なものだろうと見ていた蓮はそう思わざるを得なかった。

だが、これではっきりとした。

『魔女』は確かな目的で蓮の『龍神』の力を狙っていることを。

そして、魔女は大蛇の頭の上で立ち上がると六枚の翼を広げて空へと飛び上がると、月を見上げ狂気に満ちた恍惚とした笑みを浮かべる。

 

 

 

『さあ、始めるわよ。

宴を。私達、獣達による獣達のためだけの、最高で、最悪な、愛しき狂乱の宴(オルギア)を』

 

 

 

笑みを浮かべるその姿は、あまりにも禍々しかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『く、くふふ、ふふふ、ハハハハハハハハハハっっ』

 

 

記憶を見終えた蓮は人狼から手を離すと、肩を揺らしながら声を上げて笑い、歓喜の表情を浮かべる。

 

『見つけた‼︎ようやく見つけたぞっ‼︎

ああ、長かった。12年、ずっと探し求めていた‼︎今まで見つからなかったというのに、やっと、やっとその痕跡を、奴の手がかりを得ることができたっ‼︎‼︎』

 

ようやく回復し始め、立ち上がりつつあった人狼達を他所に、蓮はただ一人歓喜に打ち震え叫ぶ。

 

『ハハッ、ははははははっ‼︎愉快っ‼︎愉快だっ‼︎

これほどまでに愉快なことが今まであったか⁉︎否、否、否‼︎ありはせぬ!ここまで心が躍ったことはなかったぞ‼︎‼︎

あぁ、今からでも待ち遠しい‼︎貴様を喰い殺す日が楽しみだ‼︎‼︎』

 

狂喜するその姿は、あまりにも怖気を感じるものであり、親しいもの達が今の彼を見れば困惑することだろう。

それほどまでに、蓮の狂気は恐ろしかった。

そして、人狼達が唖然とする中、蓮は両腕を大きく広げながら空を見上げる。

 

『いいだろうっ‼︎来るがいいっ‼︎

見ているのだろうっ‼︎貴様が我を狙うのなら、我もまた貴様の首を求めようっ‼︎‼︎我は逃げも隠れもせぬっ‼︎貴様が来るというのなら、我も正面から受けて立ち、貴様を喰らってやるっ‼︎‼︎‼︎』

 

蓮の見立てでは、魔女はこの戦いをどこからか何らかの魔術を使って見ているはずだ。

だからこそ、宣戦布告した。

見ているのなら、いつか必ず近いうちに相見えることになると確信していたから。

それから狂ったように肩を震わして嗤い続ける蓮を前に、麻痺から回復しつつあった人狼達は動くことができなかった。

なぜなら、今不用意に動いて仕舞えば彼がどう動くか分からなかったからであり、彼の狂気に純粋な畏れを抱いてしまったからだ。

そして、しばらく嗤い続けてやがて落ち着いた蓮は、一息つくと心底嬉しそうな表情を浮かべる。

 

『感謝するぞ、犬。貴様のおかげで、我は奴の手がかりを得られた』

『……ヒッ……ァ…』

 

向けられた蓮の瞳に、人狼は短い悲鳴をあげた。今更ながらに、彼は後悔していたのだ。自分は、これほどの怪物を殺そうとしていたのかを。こんな奴に関わるんじゃなかったと。

そして、完全に恐怖に飲まれ震えることしか出来なくなった人狼に、蓮は再び手をかざす。

 

『特別だ。苦痛なく殺してやろう』

『———ッッ⁉︎』

 

死を理解して眼を見開いた人狼に、蓮は静かに告げる。

 

『《黄泉陰火》』

 

放たれたのは万物を焼き滅ぼす一切焼却の悪魔の焔。炎使いであるはずの人狼はその炎に抗うことすらできずに、苦痛を感じる間も無く一瞬で焼かれ灰になってボロボロと崩れ落ちた。

 

『さて、次は貴様達だな』

『『『『ッッ⁉︎⁉︎』』』』

 

人狼を殺し、他のメンバーに視線を向けた蓮に、残された四名は体をビクリと震わせる。

全員がまさしく蛇に睨まれた蛙の如く、体を震わせその場から動けなくなっていたのだ。

しかし、

 

『ぁ、あぁ、アァァァァぁぁぁぁぁッッ⁉︎⁉︎⁉︎』

『おイっ⁉︎』

 

その重圧に耐えきれなかったのか、半人半蛇の女は大粒の汗を流し、瞳を揺らしており、蓮が歩き出したと同時に、悲鳴を上げて背を向けて逃げようとしたのだ。

だが、神の前でそんなことをすれば、

 

『無駄なことを』

 

真っ先に喰われてしまうだろう。

蛇の下半身をくねらせて遁走する半人半蛇の女に、蓮はそう告げると六つの頭を消しかける。

六つの龍首は顎門を開くと凄まじい速度で逃げ去る半人半蛇へと首を伸ばして、程なくして牙を突き立てた。

 

『ッッ⁉︎や、ヤメろっ‼︎い、嫌ダっ‼︎私ハっ、まダ死にタクなっ、あっ、ァァぁぁァぁぁぁアァァァァッッ⁉︎⁉︎……ぃぁっ⁉︎』

 

噛みつかれ逃れることができなくなった半人半蛇は、せめてもの抵抗をしていたものの霊体である為に効かず、対抗虚しく次第に肉が喰い千切られていき、絶叫が響く。

やがて、ブチィと生々しい音を立てて首が千切られ、そのまま喰いつくされた。

半人半蛇を喰いつくした蓮は、ふと視界に影がかかった為に顔を上げた。見れば、蜥蜴人と人馬が目前にまで迫っていた。

 

『この、バケモノがァァッッ‼︎‼︎』

『死ネぇっ‼︎‼︎』

 

蜥蜴人は両手を合わして見上げるほどの巨大な鋼大剣を作り振り下ろし、人馬も赤雷滾る巨大な雷槍を突き出していた。

しかし、それらは残っていた二つの龍首に呆気なく受け止められる。顎門を開き噛み付いて受け止めたのだ。そして、龍首は首を振るって2人を放り出した。

 

驚愕する2人のうち、まず蜥蜴人に狙いを定めて蓮は一瞬で距離を詰める。

突如として眼前に現れた蓮に蜥蜴人は眼を見開く中、蓮は彼の胸にそっと手を添えた。

 

『灰塵に帰せ。《焔獄焼嵐》』

『ッッ‼︎…がァァァァァァアアアぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎』

 

直後、蜥蜴人を飲み込んだのは青き獄焔の大竜巻。

直径数十m、高さ200mのソレは鋼の肉体を持つ蜥蜴人を超高熱で焼き尽くしていき、十数秒の後に、完全に焼滅する。

次いで、蓮は人馬へとグリンと首を動かして振り向いた。

 

『ッッ⁉︎』

 

金碧の眼光がこちらをはっきりと捉えたことに人馬は青ざめた表情を浮かべ咄嗟に動こうとするも、もう遅かった。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️——————ッッ‼︎‼︎‼︎』

 

咆哮炸裂。

ガパッと開いた口からは壮絶な龍神の咆哮と青白い閃光。火、水、風、雷の蓮が有する属性全てを混ぜた純粋な破滅の息吹『龍神の息吹』だ。

それは、容易く人馬を飲み込み消滅させ、ソレでは終わらず樹木の壁にも容易く大穴を開けて黒雲を貫きながら射程百数km先の大気をも貫いた。

 

『残るは、貴様だけだな。蜘蛛』

 

口から青い燐光の残滓を吐き出した蓮は最後に残された蜘蛛人に振り向きながらそう告げる。

 

『ッッ』

 

蜘蛛人は息を呑むと両腕を構えて五指の先、蜘蛛の腹部から糸を吐き出しながら戦闘の意思を見せた。

 

『ほぉ、これだけの差を見せられながらまだ生き足掻くか。まぁよい。抗うのは許したからな。好きに抗うといいさ。死が少し遅くなるだけのことだからな』

 

そう言って八つの龍首を自身の背後に戻す。

青白い霊体に赤い鮮血を滲ませる龍は、主人と同じく金碧の眼光を蜘蛛人に向けながら低い唸り声をあげている。

ソレらを前にし、蜘蛛人は泣き喚くわけでも、震えるわけでもなく、真剣な表情を浮かべながら静かに告げた。

 

『いイエ、もう準備ハ済まセタワ』

『?…っ、これはっ』

 

一瞬怪訝としたが蓮は彼女の言っていることにすぐ気がつく。《霊眼》を常時発動している蓮にははっきりと視えていたのだ。

自身の周囲に張り巡らされている無数の糸を。

直後、それらの糸が一斉に動き、蓮の体と龍首を全て縛りつけた。

更に、糸が縛り付けた瞬間、蓮の全身が金縛りにあったかのように動かなくなり、毒液が滲む糸の束縛を無防備に受けることになった。

概念干渉系《拘束》。

元々持っていた『毒』のほかに与えられた異能は、蓮の体を忽ちその場に縛りつけた。

 

『《毒糸槍牙(デモンファング)》《黒毒の死蜘蛛(カースド・スパイダー)》』

 

蓮が拘束された一瞬で展開されるのは、毒糸を束ねた槍と毒で構成された大蜘蛛。それらが一呼吸のうちに数百形成されていき、一斉に蓮に襲い掛かる。

蓮を拘束し、なおかつこれだけの数の伐刀絶技の一呼吸で展開できる展開速度。どうやら、彼女は元の素養に関しては今回のメンバーの中では随一なようだ。

毒纏う糸槍と、毒を牙から滴らす大蜘蛛の群れが動かないで蓮に襲い掛かろうとする。だが、

 

『《海鮫血牙》』

 

その悉くが一瞬で展開された無数の青鮫によって喰い散らかされた。

 

『〜〜〜っっ、コレでも届かナイのね…っ』

 

渾身の一撃があっさりと一蹴されたことに、蜘蛛人は冷や汗を滲ませながら悔しげに呟く。

半ば予想していたが、これでもやはり傷ひとつつけられないのかと、格の違いを痛感した。

蓮は糸を容易く焼き尽くしながら、自身に向けて足を進める。

 

『我が身を一時でも止めたその手腕は見事。

しかし、この程度の糸の拘束、容易く振り払える』

 

そう呟きながら一歩一歩足をすすめる蓮に、蜘蛛人は更なる抵抗をしようと動こうとする。だが、

 

『動くな』

 

蓮の鋭い眼光が自身を捉え一言紡がれた瞬間、彼女の体は金縛りにあったかのように動けなくなったのだ。一瞬驚いた蜘蛛人だったが、どう足掻いてもこの神威の拘束からは逃れないことを理解し、死を悟ると力無く笑った。

 

『ふっフフ、もう無理ネコレは。指一本も動かセナイわ』

『我が神威を前によくぞここまで抗った。

『災いの(カミ)』を相手にして、僅かとはいえ戦いが成立したのだからな。胸を張るとよい』

『あラ、褒めテくレルのかしら?』

『然り。貴様達はよく戦ったよ。さて、もう終わりにしようか』

 

動けない蜘蛛人に近づいた蓮は、左掌に悍ましい赤黒い三つ巴の魔法陣を浮かべると、彼女の腹部に左手をかざして静かに紡いだ。

 

 

 

『———(のろ)い、(おか)し、()かせ。《神呪(しんしゅ)酒呑黒禍(しゅてんこっか)》』

 

 

 

すると、左手からは悍ましく、禍々しい、赤黒い霧にも似た魔力が溢れ、彼女の腹部にも同じ紋様が刻まれていき、その魔法陣からは黒い蛇の模様の痣が生まれ彼女の全身へとまるで蛇が体に巻きつくかのように広がっていく。

 

『な、何?コレ……ッッ⁉︎ガフッ‼︎』

 

全身に広がる蛇痣に戸惑いの声をあげる蜘蛛人は、突然喉奥から込み上げるものを堪えきれずに吐き出す。

吐き出されたのは、赤い鮮血だった。

 

『がっ、ぁっ、アァグゥッ、ハァッ、ハァッ』

 

ついで、肉体に広がる鈍い痛みに彼女は床に崩れ落ちて震える全身を腕で抱き締めた。だが、一向に収まらずむしろ増していく痛みに彼女は困惑の声をあげる。

 

『コレは…毒っ?貴方、私ニ何をっ⁉︎』

 

肉体は痣が浮かんだ場所から壊死でもしているかのように染まっていき、亀裂を生じさせていく。己の急変に戸惑う彼女を見下ろしながら蓮は答える。

 

『それは毒ではない。毒とは似て異なるもの———『呪詛』だ』

『呪詛、デスって…?』

『そう。我が『龍神』の力はあらゆる豊穣と災禍を体現する力だ。このような呪詛も我は扱える。貴様、『八岐大蛇』は知っているか?』

『……タシか…東洋の、蛇神……だっタカシら?』

 

激痛に呻きながらもなんとか答えた彼女に蓮は、そのとおりだと頷く。

 

『その通りだ。『八岐大蛇』は伊吹大明神とも呼ばれ、洪水の化身にして水を司る龍神、あるいは蛇神であった。また、荒ぶる神としての側面を持つ存在だ。荒ぶる神とはすなわち、災いをもたらす神のこと。

八岐大蛇は水を司ると同時に、荒ぶる神であるが故に呪を扱える龍神の最たる例だったのだ。

日本には古来より八岐大蛇や夜刀神(やとのかみ)を始めとした龍や大蛇などの蛇龍伝承には呪詛を用いる存在の記述が多く残されていた』

 

蓮が呪詛の力を会得したのは、《天威霊明》を完成させた直後のことだ。

『青龍』の『木』属性の力を解放した後、もしかしたら、『龍神』の力はまだまだ先があるのではないかと思った蓮は、更に龍に関わる伝承や文献を読むようになった。

その過程で、蛇の伝承も調べるようになり、蛇龍の神話や伝承などを読み漁った結果、呪詛についての記述があったのだ。

《天威霊明》の開発も進めていくと同時に、それらの記述を読み《龍神》の深淵に触れて、《天威霊明》の完成とほぼ同時に、ついに、会得したのだ。

 

生きとし生けるものを蝕み絶やす猛毒の如き神話の呪詛を齎すまさしく災いの力を。

 

『2年前に目覚めたが故に、『人』のままでは未だ荒削りで実戦で使うには怪しい部分があるが、『神』の意識が出ている状態ならば問題なく扱えるのでな。呪詛の力は、この形態になった時のみに使うようにしているのだ』

 

《天威霊明》の最大のメリット。

それは、蓮という『人間』の意識では未だ扱えきれていない力を、『神』の意識へと変えることで万全に扱えるようにすることだ。

『神』の意識に切り替えることで、抑えていた『龍神』の本能を解放したのである。

『神』となることで、より苛烈に、より圧倒的に、より合理的に敵を殲滅できるようになったのだ。

 

そして、蓮は通常の状態では『呪詛』の力を万全に扱うことはまだできていない。

この『呪詛』の力、生半可な意識では扱いきれず、制御に失敗すれば誰彼構わずに影響を与えかねないほどに強力かつ危険な代物なのだ。目覚めてまだ2年というのもあるが、蓮はこの『呪詛』の力は、安定するまでは《天威霊明》を使用したときにのみ使うようにしているのだ。最も、大会などでは安定しても危険すぎて使えるわけがないので、自動的に敵殲滅のみに用途は絞られるが。

 

『なん、テ……反則的、ナ、力、なの……』

 

蓮が語った力の真相に痣がほぼ全身に広がり、体の端がほぼ崩れ始めた蜘蛛人は息も絶え絶えでそう呻いた。

蓮はそれに口角を吊り上げて嗤って返した。

 

『言ったはずだ。我は災いの(カミ)だと。神が理不尽であるのは、古来より不変なのだぞ?

………さて、そろそろ貴様も死ぬだろう。

神である我が貴様の死を見届けよう。安らかに眠るといい』

 

嗤いながらそう返した蓮に、もはや言葉を発することすらできなくなった蜘蛛人は、光が消えつつある瞳を動かして彼を見上げる。

純白の髪と装い、金碧の龍眼に青い紋様と装甲。背後に佇む八つの龍首。

雷鳴轟き、風雨が吹き付ける黒雲を背に立ち、それでもなお悠然と佇むその姿に、死に瀕している彼女は魅せられた。

 

(…………あア、なんテ恐ろシイ……そしテ、なンテ美しイノカシら……)

 

その力、その気迫は、龍神が放つ神威は魂すら震えるほどに恐ろしいものだった。

まさしく災禍の具現。人ではない獣であっても抗えぬと思わせるほどに超然とした存在。

だというのに、そう恐怖を抱く反面、彼の孤高の姿は、呪いに蝕まれ霞みつつあった視界であってもとても美しく映っていた。

何者にも穢されぬ強き意志をその身に秘める姿は、とても気高く、誇り高かった。

 

 

(…………あア、アレが……『神』ナノ、ね。……フフっ、最期ニ、いいモノを……見れ、タ……ワ……)

 

 

監獄に囚われ続け、魔女の手先として悍ましい獣へと造り替えられた蜘蛛人の女は、最後に、死の間際に美しく輝けるモノを見れたことに、口の端を小さく上げて声を出さずに満足げに笑うと、その身を完全に崩壊させた。

 

 

『……………』

 

 

蜘蛛人の肉体が崩壊して消え去る様を、最後まで見守った蓮は、小さく息を吐くと指をパチンと鳴らす。

すると、蓮が立つ樹木の床が轟音を上げて揺れ始めたのだ。否、床だけではない。《仙界・天霊大樹》そのものが翡翠の燐光を帯びながら轟音を上げて揺れているのだ。

巨大であるが故に、軽い地震を周囲に引き起こしてしまい一体何事かとヴァーミリオン皇国の国民達が慌てふためく中、大樹がその形を崩していった。

 

崩れるというよりは、元に戻りつつあると言ったほうがいいだろう。

まるで逆再生するかの如く絡みついていた無数の幹が解れていき、それぞれ青々とした枝葉へと戻っていく。

そして、数分の後にあれだけの大きさを誇っていた大樹はその姿を完全に消しており、初めに枝葉が生えた地面に落ちている翡翠色の拳大の勾玉へと戻っていたのだ。

同時に、空を覆っていた禍々しき黒雲も次第に薄れていき、やがて満月が照らす美しき蒼闇色の夜天へと変わりヴァーミリオンの大地に静寂が戻る。

そして、それらを見てカナタや国民達が戦いが終わったと思って安堵する中、蓮は地面に降り立ち翡翠の勾玉を拾い上げ回収した後、《天威霊明》を発動したまま静かに息をつく。

 

(奴等は、強かった。この形態にならねば、危うかったほどに)

 

蓮は自分を狙わんと襲い掛かってきた獣達のことをそう評価する。

《天威霊明》を使用してからは圧倒できたものの、それまでの戦闘では蓮は追い詰められていた。《臥龍転生》を使っていたのにあそこまで追い詰められたのは、あの沖縄防衛戦での《白虎》との戦い以来だ。

 

(これからも、このような襲撃は何度も起こるだろう)

 

何せ、魔女の目的は自分の力なのだから。

魔女が蓮の力を狙っている以上、これからもこういった擬似的な『覚醒超過個体』を使った襲撃は続くはずだ。

だから、これで凌げたというわけではないのだ。自分が敗北するまでこれは続くと見たほうがいい。あるいは、自分が魔女との決着をつければ終わる。

 

(これから世界は間違いなく荒れる。何をしても、もう止めることはできぬはずだ。我の手でも止めることは叶わぬだろう)

 

自意識過剰かもしれない。

だが、自分を狙って起きたこの騒動を切欠に世界は自分の手ではどうにもできないほどに荒れると、半ば確信していた。

しかし、そこまで考えて蓮は思考をやめた。

 

(………今は休むもう。我もだいぶ消耗してしまった。対策を考えるのは、その後だ)

 

《天威霊明》を実戦で使ったのは今日が初めてだ。魔力体力の消耗が《臥龍転生》のソレよりも大幅に大きいからだ。

だから、警戒をしつつ早くカナタ達の元に戻って一先ず少しだけ休息を取ろう。

そう思って蓮は足を動かしてカナタ達の元へ向かおうとする。

 

 

 

だが、安堵するにはまだ早かった。

 

 

 

なぜなら、戦いはまだ終わってはいないのだから。

 

 

『——————』

 

 

静寂が満ちる中、蓮は足を止める。

彼の本能が何かの接近を知らせる最大級の警鐘を鳴らしていたのだ。

そして、その本能に従い蓮が顔を上げた次の瞬間。

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

新たな『怪物』の雄叫びが上がった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

彼は再戦を望んでいた。

 

18年前。彼はこの地で一人の英雄と戦った。

 

業火が燃え盛り、雷鳴が轟き、血と肉が飛び散る紅蓮と漆黒の戦場で、自分は一人の英雄と確かに意志をかわし、戦った。

 

炎に照らされ、揺れ靡く白銀の髪。一対の緋金の双眸。額には燃え盛る紅蓮の焔角が二本。紅蓮と黄金に燃え滾る火炎を、その紅金の野太刀に宿し自分と死闘を繰り広げた一人の英雄と。

 

自身と同じ『魔』に堕ちた者であり、恐怖を象徴するはずの『鬼』でありながら、その在り方はとても誇らしく、気高く、眩しい『正義の英雄』と。

 

あの時の光景は今でもはっきりと覚えている。

あれほど心が躍ったのはなかった。

負けてしまったが、次こそは勝つと再戦を願った。

しかし、その願い虚しく、獄中で彼の死を知ってしまった。もう二度とあの心躍る戦いはできないのかと絶望し、外の世界に何の希望も見出せなくなってしまっていた。

そんな絶望の日々を過ごしていくうちに、やがてかつての仲間であった《魔女》が自分を外に出すために現れた。

初めこそ、彼女の提案を断ったものの、彼の息子がいるという話を聞き、戦いたいと思った。

彼の息子であり、彼や彼の妻達と並ぶほどの英雄の資質を持つのならば、きっとあの時の続きができると思ったからだ。

 

そして、その考えは間違っていなかった。

遠くの丘から見ていた自分は確かにソレを見た。

 

『——————』

 

崩れた廃墟、数体の怪物達、ソレらを相手に戦う———青き少年。

 

彼の魔力は『青』だ。あの英雄の『赤』とは色が違う。だが、そんな些細なことはどうでもいい。色は違えど秘めた魔力の輝きは彼と同じだったのだ。

 

彼は眼が映したその光景に、心が歓喜に打ち震えたのを感じた。

 

あぁ———嗚呼‼︎

 

やっと見つけた‼︎やっと出会えた‼︎‼︎

もう会えないと思っていた‼︎もう二度と相見えることなど出来ないと思っていたというのに、また相見えることができた‼︎

 

そして、18年前の情景が彼の脳裏によぎり、『彼』と彼の姿が重なった。

 

自分はあの少年に、猛き炎の英雄を重ねていたのだ。そして、少年の姿は、彼とあまりにも似ていた。

 

あれだ、あれなのだ‼︎あれこそ自分が再戦を求めてやまなかったモノだ‼︎

 

彼はとうとうソレを見つけた。

 

あれこそが、彼こそが自分の願いを叶えてくれるもう一人の英雄。

 

再戦を‼︎再戦を‼︎‼︎再戦を‼︎‼︎‼︎

 

その願いを果たすために自分はここにいるのだ‼︎

 

猛る肉体、昂る心、かつて味わった高揚が、彼の心身を突き動かす。

迸る歓喜と、それ以上の戦意に満ち溢れた彼は、ついに雄叫びを放った。

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

あらゆるしがらみ全てを打ち砕く大咆哮が、ヴァーミリオンの夜天に打ち上がった。

 

 





まだヴァーミリオン編は続きますっ!!
原作なかなか進まず本当にごめんなさいっ‼︎‼︎

……さて、反省はこれぐらいにして、蓮くんまさかのカニバリズムに目覚めてしまった件について。というよりかは、神の意識が肉を喰らうのに抵抗がないからとも言えますね。
それと、呪詛の力ですが、まぁ完全に独自解釈ですww
日本の龍って正邪問わずたくさん存在していて、伝承などを見ても邪悪に属する系統の龍はマジでやばいんです(汗)。

そして、ヴァーミリオン皇国編いよいよクライマックスに入ります‼︎


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38話 好敵手

4ヶ月ぶりの投稿、お待たせしましたァッっ‼︎‼︎

アマツの作品の方がUSJ終わって一区切りついたので、ぼちぼち他の二つの作品の投稿も再開ということで、まずはこちらから投稿させていただきましたっ‼︎

では、早速最新話をどうぞっ‼︎



  

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

夜天の皇都に、弩級の大咆哮が轟く。

大気を、大地すら恐怖させるそれは、怪物の雄叫び。

その雄叫びが轟いた時、王都中の人間が反応した。

ある者はその雄叫びに本能的な恐怖を喚起させられ、膝を折る。

ある者はその雄叫びに得体の知れない何かを感じ、体を硬直させる。

ある者はその雄叫びに人知を超えた存在だと理解して、諦める。

 

「——————」

 

そして、ただ一人、蓮だけは金碧の龍眼で確かにソレを見た。

 

夜天の下、月を背にこちらへと落ちてくるソレは夜闇よりも深い純然たる『漆黒』。

『漆黒』であるが故に何色にも染まらず、何者をも薙ぎ払う『怪物』。

 

(……っ、奴はっ)

 

刹那の間に、蓮はその襲撃者の姿を視界に収めて眉を顰める。

なぜなら、それは人の姿をしていなかったからだ。

遠くからでもわかる程の巨大な身の丈に、漆黒の体皮に筋骨隆々の体躯。首の上には()()()()と禍々しい紅の双角と双眸。

 

その威容から連想されるのは、神話の中に存在する猛牛の怪物『ミノタウロス』。

 

神話世界のれっきとした怪物の一体。

その『怪物』が深い闇と錯覚するような漆黒の雷迸らせる魔力を纏い、凶兆を呼ぶ黒き流星が如く爆進する。

たた真っ直ぐ、こちらへと、蓮を、蓮だけを狙って。

 

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ‼︎‼︎‼︎』

 

瞳が映す紅き眼光を宿す猛牛の怪物を前に蓮はすぐさま対応する。

 

『———ッッ‼︎』

 

自身と怪物の間に余剰魔力で無数の分厚い擬似霊装の盾を一瞬で数十枚造形して重ね巨大な防壁を構築する。

 

だが、その全てが()()()()()()()

 

『なっ』

 

防壁が強烈なショルダータックルで瞬く間に打ち砕かれた事に蓮は一瞬目を見開く。そして、その一瞬の間に更に急迫した怪物は両刃斧を振り下ろす。

蓮は黒雷纏う斧刃を前に、両手に双剣を生み出して交差させながら後方へと飛んだ。

直後、瓦礫を爆砕し大気を薙ぎ払う黒雷の斧刃が蓮の交差された水炎纏う双剣にぶつかる。

 

『グッ』

 

二つの武器がぶつかった瞬間、蓮の全身に未曾有の衝撃が伝わり、蓮の体は風を切る矢と化して決河の勢いで背後の瓦礫の山に激突し貫通。それを何度も繰り返しながら後方へと怪物によって吹き飛ばされた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「なんじゃ……何が起こったぁ⁉︎」

 

決着がついたと思われた矢先に、突如新たな怪物の方向が轟き、どこからともなく飛来した黒い何かが蓮へと襲いかかり彼を吹き飛ばしたのだ。

膨大な砂煙が一直線状に発生し、舞い上がった破片が雨の如く降り落ちている。

一瞬に起きた出来事に、城から双眼鏡を使って様子を見ていたシリウスはテラスに乗り出すと堪らずそう叫んだ。

アストレアや兵士達も戸惑う中、ただ一人、ダンダリオンだけはその瞬間をはっきりと確認していた。

 

「……今のは……黒い猛牛っ‼︎シリウスっ‼︎奴です‼︎連盟から伝えられた例の脱獄者《牛魔の怪物(ミノタウロス)》が現れました‼︎」

「なんじゃと⁉︎なんでこの国に来おったんじゃ⁉︎」

 

そんな疑問を叫ぶシリウス。だが、それに応えれる者は当然ここにはいなかった。

シリウスはそれを半ばわかっていたのか、すぐに視線を砂煙の方へと戻しながら口早に叫ぶ。

 

「連盟本部に救援要請と日本に緊急連絡を急げ‼︎」

「はいっ‼︎」

 

ダンダリオンが素早く頷き、皇宮を後にする。

他の兵士達もダンダリオンの指示に慌ただしく動く中、シリウスは冷や汗を滲ませながらテラスの手すりに手をかけながらじっと砂煙の方を見ていた。

そんな彼に、アストレアが不安げな表情を浮かべながら近寄る。

 

「パパ……彼は大丈夫なんですか?」

「分からん。信じることしかワシらには出来ることはない。レンが、ワシらの家族が勝ってくれることを、信じることしか……」

 

こうなってしまった以上、シリウス達に出来ることは何一つない。

ただ、彼の勝利を祈るだけだ。

祈ることしかできない事にシリウスは苛立ちや悔しさのままに毒づいた。

 

「クソッタレ、ここまで悔しいのはあの日以来じゃ。また、ワシらは何もできんのかっ⁉︎」

「パパ……」

 

それは、18年前の時と同じだった。

 

あの時もそうだ。大和に守られるだけで後ろで見ていることしかできなかった。

 

まただ。また自分達は国の危機に何もできない。特に自分はこの国を背負う王なのに、自分より二回りも若い子供に国の命運を託してしまう事が何よりも悔しかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『ぐっ、ごほっ』

 

無数の瓦礫をぶち抜いて数百m程吹き飛ばされた蓮は、全身に響く痺れるような鈍痛に思わず咳き込みながら、構えを解く。

 

(………この形態でなければ、上半身が消し飛んでた……)

 

未だに全身に伝わる痺れに僅かに戦慄する。

あの黒雷纏う斧刃の一撃。

《天威霊明》としての防御力と障壁、水炎の双剣で受け止めれたからこそ、痺れが残る程度に抑えれていたものの、《天威霊明》を解いていたら、あの一撃を受けた時点で上半身が消し飛んでいたと思わざるを得ないほどの凄まじい絶壊の一撃だった。

 

(……ここは………皇都の外の丘陵、か)

 

月の光を浴びながら蓮は身を起こして立ち上がる。周囲を見渡せば、廃墟ではなく緑の草や花々が覆う丘の上だった。

避難している北方地区に飛ばされなかったのは、不幸中の幸いだった。

そこへ、ドンッ!と低い音が響く。

 

『!』

 

何かが着地する音に、蓮は振り向く。

小さなクレーターを作って着地して現れたのは、蓮を吹き飛ばしたあの猛牛の怪物。

見上げるほどの身の丈に漆黒の皮膚に覆われた筋骨隆々の体躯。

片手に巨大な両刃斧を、腕と腰に鎧を装備する姿に、蓮は瞳を細める。

間違いない。彼こそが黒乃からの報告にあったヘルドバン監獄の最深部《タルタロス》に幽閉されていた魔人。《牛魔の怪物(ミノタウロス)》アリオス・ダウロス。

 

なぜ彼がここにいるのか。目的はなんなのか。

様々な思考をめぐらしながら、蓮は彼の様子を伺う。

 

『……?』

 

そこで蓮は気がついた。

あれほど凄烈な咆哮を、壮絶な一撃を放ったとは思えないほどの静けさ。低い足音を鳴らし歩み寄り、彼は蓮と一定の距離を保って立ち止まると、先程の荒々しさから一転し、じっとこちらを凝視した。

蓮もまた、その変わりように警戒を顕にしながら身構える。

 

『『…………』』

 

月明かりが一人と一匹を照らす。

丘の上、雲がなく満月が照らす月夜を背負う怪物は、2mを優に超える視点から蓮を見下ろし、蓮もまた見上げ続ける。

先程とは一転して、静寂が訪れる。戦場とは思えぬほどの酷く静謐な空気が。

そして、静寂に耐えかねた蓮が口を開こうとした瞬間、

 

『———名前を』

 

アリオスが、ゆっくりと口を開いた。

 

『我が最強の好敵手ー猛き炎の英雄『ヤマト』の息子よ。『英雄の子』よ。どうか名前を、聞かせてほしい』

『ッッ‼︎』

 

彼の口から紡がれた名前に蓮は僅かに驚くも、彼がそれを知っている理由にすぐに思い当たる。

彼の脱獄には蓮の力を狙う魔女が大きく関わっている、両親を殺した彼女ならば蓮の出生のことを知っていてもおかしくはないのだ。

 

『………貴様、《魔女》から聞いたのか?』

 

殺気と怒気が滲む低い声音にアリオスは静かに頷く。

 

『そうだ。ヤマトの力を受け継ぐ子がいると聞いた。だから、自分はその子供を、君のことを知りたかった』

 

紡がれる言葉、その口振りは例えるならば『武人』のそれだ。

静かな語調、低い声音でアリオスは独白するように言葉を紡ぎ続ける。

 

『自分はあの時、ヤマトに敗北した。

血と肉が飛ぶ殺し合いの中で、確かに意志を交わした最強の好敵手だった。

一度敗北し、自分は再戦を誓った。だが、その誓いを果たす前に彼は死んでしまった。

自分はそれを知った時、深く、深く絶望した。もう彼はいないのだと、自分を駆り立てる存在がいないのだと』

『…………』

 

アリオスの独白を蓮は静かに聞いていた。

なぜなら、アリオスの言葉、それはかつて大和が言っていたことと似ていたから。

 

(………親父も、似たようなことを話していた……)

 

かつて大和は蓮にこんなことを話していた。

 

『俺にはサフィア以外にももう一人好敵手がいるんだ。今はもう牢獄にぶち込まれたから、二度と外に出ることは叶わないだろう。

だから、俺とアイツが戦うことはもうないはずだ。だけど、ああもしも叶うなら———』

 

大和は膝に座る幼い蓮の頭を撫でて、夜空に浮かぶ月を見上げると子供のように無邪気な笑顔を浮かべながら言った。

 

『もう一度戦いてぇな。アイツとの戦いはサフィアと同じくらいに楽しかったから』

 

そう言った大和の顔はとても印象的だった。

彼とて一人の武人だった。最愛の家族と共に生きるのも幸せだが、それと同じぐらいに命を賭した攻防、互いの全てをぶつけ合う死闘も繰り広げたいとも思っていた。

 

(………まさか、貴様がそうだったとはな……)

 

それを思い出し、蓮は全てを理解した。

彼こそが、大和が言っていたもう一人の好敵手なのだということに。そして、アリオスも大和と同じことを思っていたのだ。

蓮が一つの答えに辿り着く中、アリオスはなおも言葉を続ける。

 

『だが、そんな時魔女から君の事を聞いた。

ヤマトの後継がいると。そして、君を見て理解した。君こそが、自分の願いを叶えてくれるもう一人の英雄なのだと。ヤマトの正当な後継者なのだと』

 

昔を懐かしむように独白を続けたアリオスは、蓮へとその黄金の瞳を向けながら真剣な声音で告げる。

 

『だから、再戦の代理を。再戦を果たすために、自分はここに立っている』

 

己の存在理由を彼は告げた。

胸に秘めた想いを、強烈な『自己(エゴ)』の願望を。

新たなる宿敵と戦うためにここにやって来たと。

 

『自分の名は、アリオス・ダウロス。どうか、名前を聞かせてほしい』

 

まさしく武人のように名乗りを上げてアリオスは再度彼に尋ねる。

蓮はその呼びかけに静かに、されど確かな声音で答えた。

 

『蓮。桜木・I(インディゴ)・蓮だ』

 

蓮は本名を。新宮寺の姓ではない、正真正銘の本名で返した。

ここで本名を名乗らなければ彼に失礼だと蓮は思ってしまったのだ。

 

『レン、レンか』

 

アリオスは呟かれた名前を、身に刻むように深く受け止めると、両刃斧を持ち上げて、厚い胸板の位置で構える。

 

『レン、どうか』

 

監獄より脱した怪物は———新たな好敵手は願った。

 

 

『再戦を』

 

 

月光に照らされる丘陵に意志の声が響き渡る。

蓮は再戦の代理人を求めてやって来たこの武人の求めに、応じなければと、いや、逃げてはならないと感じた。

今ここで、彼の挑戦を受けて立つべきだと魂が叫んでいた。

 

『……………』

 

蓮はもう少し戦うことになりそうだ、と密かに思いながら静かに双剣を構えた。

身体を半身にして左剣を前に構え、右剣を顔の横で水平にして鋒を前に向ける独特な構えを取り、黒き怪物を見据える。

父の代わりに再戦を受け入れ闘争に臨む青年の姿に——アリオスは喜びを隠さずににぃっと口唇を、限界まで引き裂いて笑った。

歓喜の凶笑を浮かべる怪物は、自分達を見下ろす月夜を仰ぎ叫ぶ。

 

『オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

天地を震わせる咆哮が打ち上がる。

戦いの始まりを告げる号砲が今、解き放たれた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「こっちからだ‼︎」

 

轟く号砲に斥候として出向いたグラキエスはそう声を張り上げる。

避難を完了し、騎士団員達に障壁を形成させて防壁を作らせたグラキエスは、蓮の身に何があったのかを知るべく、氷で造形した馬に乗って皇都の外側へと向かっていた。彼の背後には同じ氷の馬に乗るアルテリアと()()()()()()()()()()()()()カナタもいる。

 

最初は、危険であるためグラキエス一人で向かおうとしたものの、二人の懇願によって同行を許したのだ。勿論、決して戦闘行為はしないように言ってある。

先ほどよりも圧倒的な魔力を放つ存在と戦っているのだから、グラキエス含め自分達が介入したところで相手にすらならないからだ。

二つの強大な魔力を感じる方向に馬を走らせていた時、自分達の数十m先にある瓦礫の山が突如爆ぜた。

 

「「「⁉︎⁉︎」」」

 

発生する爆発音と舞い散る瓦礫の破片。濛々と立ち上がる砂煙を破って現れたのは、白髪の青年と漆黒の怪物。

 

『ハァアアアアアッ‼︎』

『フゥウウウウウッ‼︎』

 

青雷と白風を纏う蓮と黒雷纏うアリオスが壮絶な接近戦を演じていた。

剛腕を振るって繰り出される黒雷纏う両刃斧の一撃に、蓮は水と炎纏う双剣で迎え撃ち、右の炎剣《紅刀・咲耶姫》で逸らしつつ大きく回避する。

しかし、風圧と雷の余波ですら蓮の肉体にダメージを与えており、皮膚からは血を滴らせていた。

 

先程の《擬似覚醒超過個体》の攻撃では傷ひとつつかなかったが、彼が今相手しているのは正真正銘本物の《覚醒超過》を経た怪物。

大和と死闘を繰り広げた世界最強に名を連ねる怪物の一撃は、余波ですら並大抵の敵は蹂躙できる程であり、《天威霊明》を纏う蓮でも出血は免れなかった。

蓮は再生を繰り返しながら、自身の素早さを利用してアリオスの懐に潜り込んで斬撃を刻む。

腹部から血が噴き出すも、アリオスは平然と笑みを浮かべながら、いともたやすく迎撃する。

 

「馬鹿なっ、なぜ奴がまたここに…っ⁉︎」

「蓮さんっ‼︎」

 

斧が薙がれ唸る大気と、二人の踏み込みによって舞い上がる砂利と破片。幾度となく響く剣戟の音。怪物達の咆哮。

力と速度の異次元の戦いを繰り広げる青年と怪物を前に、グラキエス達は驚愕するばかりで………何もできなかった。

グラキエスは悔しさを堪えるかのように強く手を握り締めると、すぐさま馬の向きを反転させながらカナタ達に告げる。

 

「急いでこの場を離れるぞ‼︎‼︎ここは邪魔になる‼︎」

「はいっ‼︎」

 

グラキエスの指示に、二人の戦いに圧倒されていても状況を正しく理解していたカナタはすぐに頷き馬を反転させる。だが、アルテリアは動くことすらできなかった。

それは、

 

『ヴゥオオオオオオオオオオ‼︎‼︎』

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️‼︎‼︎』

 

二頭の怪物が放つ雄叫びに気圧されてしまったからだ。

怪物達の凄絶な咆哮。それは原始的恐怖を喚起させて敵を硬直させ追い込む威嚇の声だ。

アルテリアは《魔人》の存在を知らない。

当然、《覚醒超過》を経た怪物達の存在など知るわけがなく、初めて目の当たりにする異形の存在に彼女の魂が恐怖に呑まれたのだ。

 

「ッッ⁉︎アルテリアさんっ‼︎」

 

咄嗟に気づいたカナタが、馬を戻らせて彼女の手を取る。硬直していたアルテリアはハッとしてカナタへと目の焦点を合わせると震える声で呟いた。

 

「っ……ぁ、あ、か、カナタさん…?」

 

指すら動かせず涙を溜めていた彼女は蒼白の表情をカナタに向けた。恐怖に呑まれかけているアルテリアにカナタは蓮達の攻防の展開に注意しつつ少し厳しい口調で告げる。

 

「アルテリアさん、恐ろしい気持ちはわかります。ですが、今ここで動けなくなって仕舞えば、貴女はいとも容易く戦いに巻き込まれて死んでしまいます。蓮さんはそんなことを望んでいません。だから、恐怖に呑まれる暇があるのなら、早く動きなさい‼︎」

 

最後にそう強く叱るとアルテリアの手を引きながら強引に馬を引っ張ってその場から離脱させる。カナタは馬を走らせながら、険しい面持ちのグラキエスに尋ねる。

 

「グラキエスさん、貴方はあの怪物を知っているんですか?」

「ああ、当然だ。忘れるわけがない。……奴は《牛魔の怪物》。18年前、ヤマトくんと互角の戦いを繰り広げ、その末に彼に敗北した《解放軍》の伐刀者だ」

「大和さんとっ⁉︎」

 

カナタは目を見開く。《牛魔の怪物》という二つ名に覚えがあったのだ。あの焔の英雄桜木大和と互角の戦いを繰り広げた世界最強の一角の怪物。蓮や黒乃から話だけは聞いていたが、あの強さを見て納得せざるを得なかった。

しかし、彼は大和に敗れて行こう牢獄に幽閉されなどと日の光を拝むことができないと言われていたはずだ。なのに、今この場にいる。それはつまり、脱獄したということに他ならない。

 

「それが、何故ここにっ…?」

「分からない。だが、ヤマトくん曰く、彼は強敵と戦いたいだけの戦闘狂だと聞いている。だから、もしかしたら……」

「ッッ‼︎まさか、蓮さんに目をつけたっ?」

 

カナタはグラキエスの推測に一つの結論に辿り着いた。

つまり、今この場で最も強い蓮に目をつけて、戦いにきたのではないだろうか。周囲の状況、自分の立場、あらゆる全てを無視してただ彼と戦うためだけに。

しかも、彼のあの姿ー最も近いのは牛頭人体の神話の怪物『ミノタウロス』と称すべき姿は、ソレはつまり《覚醒超過》を経た魔人ということだ。彼一人だけで先の七人の怪物達を纏めたソレよりも濃密な覇気を纏う圧倒的な存在感に、カナタは《覚醒超過》の圧力を久々に感じて表情を青ざめさせた。

 

「クソっ、奴が来た以上人々をもっと後退させなければっ‼︎」

 

グラキエスは手綱を握る手に力がこもる。

彼の表情は悔しさに満ちていた。二度目の敵の襲来を前にしても、自分達では何もできない。

弱いから。弱いから、国の危機だというのに蓮に任せることしかできない自分が憎らしかった。

だから、せめて、せめて、せめてっ

 

 

「頼むっ‼︎勝ってくれ‼︎‼︎どうか負けないでくれっ‼︎‼︎‼︎」

 

 

声援だけでも送らせてくれ。

せめてもの思いでグラキエスは悔しさが滲む表情で振り向きながら、遠く離れた場所で激闘を繰り広げる蓮に向けてあらん限りに叫んだ。

 

こんなことしかできない自分を許してくれ。弱いから、自分は声援を送ることしかできない。だから、どうか、どうか勝ってくれ。負けないでくれと。

 

(———敗けないで)

 

そんな想いが込められた叫びを隣で聞き、カナタも目の端に涙を滲ませながら祈る。

彼らの想いが届いたかは分からない。だが、まるでソレに応えるかのように直後、龍の咆哮が轟いた。

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️———ッッ‼︎‼︎』

 

 

 

それはまるで、任せろと言ってるようにも聞こえていて、青い燐光を纏って怪物に果敢に立ち向かう彼の英姿に、グラキエス達は『英雄』の姿を見た。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

怪物の大咆哮が上がり、号砲が轟いた直後、開幕一手のお互いの振り下ろしをぶつけ、力負けして吹き飛ばされた時点で蓮は選択肢から生半可な威力の広範囲殲滅魔術を除外した。

 

それは、生半可な広範囲攻撃では大したダメージを与えられないことを理解していたからだ。

 

《覚醒超過》を経たことで肉体が超高密度の魔力の塊へとーつまりは霊装へと変化しており、身体能力が魔力の補助を受けることで爆発的に上昇する。さらには、魔力の肉体へとなったことで間接的な攻撃はほぼ効かなくなっている。

その鎧を抜くには、継続ダメージなど意味はなく、それ以上の魔力を込めた一撃を直接叩き込むほか無い。

だからこそ、蓮は広範囲殲滅魔術は使わずに、小細工なしの近接魔術に自然と選択肢が絞られてしまうのだ。

しかもだ。彼自身の治癒力も凄まじく高い。いくら魔力の鎧を突破し傷を刻もうとも、彼は雷によって肉体を魔力分解しあっという間に治癒してしまうのだ。実際、先ほどまで蓮が刻んだ傷も既に跡形もなく修復されている。

蓮は数多の戦術を頭で構築しながら、破棄して構築し直すのを繰り返しつつ迎撃し続ける。

 

(………強いっ……!)

 

アリオスの強さに蓮は歯噛みする。

流石は大和と死闘を繰り広げれた存在。

迫る両刃斧の破壊力は勿論のこと、黒雷の威力自体も凄まじく、最も恐ろしいのが洗練された鋭い『技と駆け引き』だ。

彼は超一流の武人だ。そして魔力の制御も凄まじく高い。全ての能力が超高水準にありながら、その上でパワーに特化している存在だった。かつてないほどの強敵に蓮は焦燥にも似た感情を浮かべていた。

 

膂力はあちらのほうが圧倒的に上。

速度は風と雷の二重加速と過剰なまでの身体機能超強化によって、雷の加速と異形の身体能力を有するアリオスになんとか追いついているところ。

現状では身体能力は全てアリオスに劣っており、技術すらもほぼほぼ互角ときた。

 

この強さに飢えた猛牛は、純粋に強いっ‼︎

本物の神話の怪物と同じ姿をした者。否っ、彼が既に人の姿では無い時点で彼こそ紛うことなき現代に蘇りし神話の怪物そのものだっ‼︎‼︎

 

蓮はそんなことを思いながら、地面スレスレを駆けて斧の一撃を回避すると背後に回り込み再び双剣で斬撃を放つ。数回背中に斬撃を刻み、血飛沫を上げさせたものの、アリオスを怯ませるには至らず、こんなものでは止まらないぞと言わんばかりに、頭部の紅い双角が背後の蓮に振るわれる。

 

『ヴウゥンッ‼︎』

『っっ、ぐぅっ⁉︎』

 

双剣を振り抜いた状態だった蓮は右脚を振り上げて脛の脚甲で受け止めるも、受け流すことはできず脛がビキリと嫌な音を立てる。

つんざかんばかりの金属音と火花を散らしながら、蓮の体が錐揉みし空中に投げ出される。

 

『オォッ‼︎」

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

蓮が咄嗟に風を操作して空中で姿勢を立て直したかと思えば、すかさず追撃し飛び上がったアリオスの黒雷迸る鉄拳が襲い掛かる。

 

『ぐぁッ⁉︎』

 

間一髪剣を逆手に持って交差させて間に合わせた二重の防御。その上から叩きつけられた途轍もない衝撃は、蓮の両前腕骨を籠手越しに砕いた。双眸を見開いて驚愕しながら、蓮は後方へと殴り飛ばされる。

 

『………ッッ‼︎‼︎』

 

地面を数度跳ねながら大きく殴り飛ばされた蓮は、数度跳ねたのち両脚を突き立てて百数mの道を削りながらなんとか踏みとどまると、一瞬で腕を治し、石畳を踏み砕いて前方へと飛び出す。

 

『オオオォォォッッ‼︎』

 

蓮に追撃をかけようと駆け出していたアリオスは砂埃の中から飛び出す彼に、勢いよく踏み込みながら両刃斧を横薙ぎに振るう。

 

蓮はそれを左の水剣《蒼刀・湍津姫》で受け止めつつ、その勢いを利用して身を回転させると、横顔に雷炎纏う回し蹴りを見舞う。

檄音を伴った雷炎の一撃は確かに、アリオスの右頬に炸裂した。

だが、それまでであり、首をへし折れる程の蹴りの一撃をアリオスは耐え凌いでみせると、すぐさま蓮の左足を掴んだ。

 

『ッッ‼︎』

 

まずいと悟った蓮は直後自身の脚を自切した。

その直後、その危機は正しく蓮の脚が生々しい音を立てて握りつぶされる。

太腿の中程部分を魔力分解した蓮はアリオスの肩を蹴りながら背後へと跳躍すると、左足を生やしながら砲身の如く右手を突き出す。

 

『《爆焔紅玉》《雷電碧玉》《颶風黒玉》‼︎‼︎』

 

火、雷、風の三種の魔弾が一呼吸の間に連射される。

その数、実に15。

超至近距離での連続砲撃がアリオスに炸裂する。

 

『グゥオォッ⁉︎』

 

アリオスは全身に打ち付けられる砲撃に初めて蹌踉めく。自らもまた爆風で距離をとった蓮はすぐさま猛牛めがけ疾駆した。

怯んでいた猛牛は疾駆する好敵手の姿に笑みを浮かべて歓喜する。

 

『はああああああああああああッッ‼︎』

『オオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

靡く頭髪が純白の軌跡を生み、二つの青い残光を引きながら蓮はアリオスに斬りかかり、アリオスは漆黒の雷光となって蓮を迎え撃つ。

黒雷纏う圧倒的剛撃に対するは、蒼炎と蒼水纏いし高速の斬撃。膨大な火花を散らし、檄音を鳴り響かせながら超至近距離で斬り結ぶ。

 

『フゥゥゥ‼︎』

 

アリオスはかつての『決戦』の続きが出来ていることに、歓喜に身を震わせて鼻息が荒くなっていた。

事実、アリオスの胸中は歓喜に満ち溢れていた。

 

かつて死闘を繰り広げ自分を打ち倒した英雄大和の息子。彼との戦いは、まさしく大和との決戦を彷彿とさせており、叶わないと願っていた再戦ができていることが何よりも嬉しかったのだ。

 

『ヴゥヴゥォォォォォォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

 

だからこそアリオスは歓喜に満ち溢れた咆哮をあげながら、目の前の好敵手に打ち勝たんと黒雷を一層昂らせた両刃斧を振う。

 

ガギィィンと両刃斧の振り下ろしが蓮が頭上で交差した水炎纏う双剣に受け止められる。

 

『〜〜〜ッッ‼︎‼︎』

 

しかし、あまりの重量と破壊力に蓮の片膝がドゴンと地面に沈む。そして、それでもなお蓮は押されつつありもう片足も膝をつこうとしていた。

そして、ギギギと火花を散らしながらアリオスは蓮を両断せんと更に力を込めるが、そこで瞠目する。

なぜなら、受け止める蓮が薄く開いた口から青白い輝きを溢れさせていたのだから。

 

『◾️◾️◾️◾️——————ッッ‼︎‼︎』

 

直後、咆哮を伴って龍神の息吹が放たれる。

ゼロ距離からの超遠距離破壊砲撃がアリオスに襲いかかった。

 

『オオォォォ⁉︎⁉︎』

 

しかし、見事というべきか。アリオスは咄嗟に両刃斧を戻して斧の腹で息吹を受け止めたのだ。

だが、威力が強すぎたせいか受け止めたアリオスの巨体が後ろへと吹き飛ばされる。

途中踏ん張ろうと両足を地につけるものの、それでも勢いは殺しきれず凄まじい勢いでアリオスの巨体が蓮から大きく離れていく。

蓮はすかさず後退させられたアリオスに次の一手を打つ。地面に右の焔剣を突き立てると吼えた。

 

『———《災火(さいか)大焼浪(だいしょうろう)》ッ‼︎‼︎』

 

地面に浮かんだ魔法陣からマグマの如く噴き出した青色に燃え盛る劫火が炎の津波へとなって後退したアリオスへと流れる。

 

『オオォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

 

迫る炎の濁流にアリオスは口を裂き白い巨歯を見せつけながら叫ぶと、両刃斧を横薙ぎに振り払う。

すると、放たれた黒雷と迫る蒼焔が激突して巨大な爆発を巻き起こした。

 

『『ッッ‼︎‼︎』』

 

青と黒の爆煙を立ち込める中、蓮とアリオスはほぼ同時に踏み込んで爆煙の中へと飛び込む。

爆煙の中で、お互いの距離を詰めて目前に捉えた彼らは勢い良く武器を振り下ろした。

激突の衝撃に、爆煙は中から払われ鍔迫り合いをする二人の姿が露わになった。

 

そして幾度となく火花を散らしながら、二人は壮絶な斬り合いを再開する。

一撃一撃ぶつかる度に、檄音が鳴り響き周囲に衝撃波が伝わり地面に小さな亀裂を生んでいく。

だが、その壮絶な斬り合いが続く中、蓮がポツリと小さくつぶやく。

 

 

『———《黒曜(こくよう)地鉄剣殻(ちてつけんかく)》』

 

 

彼らの足元に黄褐色の魔法陣が浮かび上がり、アリオス目がけて()()()()()()()()が襲い掛かった。

 

『ッッ‼︎』

 

恐ろしい殺傷力を秘めていた剣群を前に、アリオスは素早く反応して飛び退くと、腹部に浮かんだ数個の傷を撫でながら、わずかな驚きを浮かべる。

 

『……岩石と金属の剣。……まさか、レン、君はそれすらも扱えるのか』

『然り。我は、火、水、木の他に金、土の属性も扱える。我が龍の力は東洋の神話の概念を内包しており、神であると同時に自然の化身であり、豊穣と災禍を象徴する存在だ』

 

蓮はアリオスの問いかけを肯定して、そう答えると、己の龍神の力の深淵を語る。

 

『中国の五行思想において、五つの方角を守護せし五頭の聖獣の中で龍は『青龍』のみであり、『麒麟』の代わりに『黄龍』が存在する。それが一般的な五神だ。

………だが、龍とは特別な存在でな。

一般的に広く知られる、他の三頭の聖獣、『朱雀』『玄武』『白虎』の代わりに、その色を冠する龍も存在しているのだ。『赤龍』『黒龍』『白龍』と言うふうにな。それらを全て合わせることで、五神は全て龍で統一した五龍という別称に変わるのだ』

『………つまり、君は『龍神』の概念を深く理解し使いこなした結果、日本の神話に存在する概念だけでなく、中国由来の五行の概念すらも扱えるようになったと言うわけだ』

『そう、その通りだ。理解が早くて助かる』

 

蓮は正解だとパチパチと拍手をして彼の理解の速さを称賛する。

彼が今言った通り、蓮は五行の属性全てを扱える。火や水、木だけでなく岩石や砂を操る大地の力ー土属性とあらゆる金属を操る、金属性も彼は有していたのだ。

今の攻撃も、土と金の合わせ技である。

だが、この2属性に関しては人間の状態では未だ十全には扱いきれていない。『呪詛』の力同様、使えるようになったのは破軍入学直前だからだ。それでも、『呪詛』よりも使う機会はあるので、練度はソレなりにあるつもりだ。

そして、これが意味するのは、蓮の『龍神』の力とは、中国連邦が有する『四神』の力を全て束ねているとも意味しており、単体でこれほどの力を有しているのは殆どいないという事だ。

そして、蓮は己の異能を語った後、アリオスの異能についての気づきを口にした。

 

『それに、貴様もただの雷使いではなかろう?』

『……やはりか。ヤマトの子だ。もしかしたらと思っていたが、どうやら君も彼と同じ眼を持っているようだな』

『貴様の異能波長は概念干渉系だ。すなわち、雷は副産物という事。………貴様の力の本質は………『破壊』、そうだろう?』

『……………』

 

蓮の指摘にアリオスは黙り込むも、やがて口の端を吊り上げて笑うと、

 

『………フッ、正解だ』

 

隠すこともなく肯定した。

《牛魔の怪物》アリオス・ダウロス。彼の異能は自然干渉系《雷》ではない。

彼の本質は《破壊》。凡ゆるもの全てを『破壊』するシンプルかつ極めて強力な異能だ。

『雷』はその副次的なものだ。古来神話において雷とは、神の裁きなどに喩えられるほどであり、神の裁きは一切合切を破壊することや、自然現象である雷も落ちればそこにあるものを破壊することから、雷の能力が副次的に宿っていたのだろう。アリオスは今までその副次的な力を主にして戦っていたに過ぎなかったのだ。

だが、こうして蓮に看破された以上はもう使わない理由はない。

それに、そろそろお互いに()()()()()()()()()()()()。ウォーミングアップはこれで終わり。それは蓮も同感であった。

 

『フッ———《龍首(りゅうしゅ)八岐顎門(やまたのあぎと)》』

 

蓮は小さく笑うと尻尾に魔力が収束させると、八つの龍首を生み出した。金碧の眼光を携える青白い霊体のソレは蓮の背後で鎌首をもたげて唸り声を上げる。

そして、双剣と龍首を構えた蓮にアリオスは獰猛に笑うと、黒雷の迸りを一層強くしながら告げる。

 

『さぁ、続きだ。もっと、もっと、思う存分にこの命果てるまで殺し合おうっ‼︎』

『いいだろう。どちらかが果てるまで、戦い続けようっ‼︎‼︎』

 

その宣告に蓮は獰猛に笑い、アリオスに襲いかかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

それからも激闘は続く。

 

場所を再び皇都から、皇都郊外、北海の近辺へと彼らは移した。

 

破壊の力を宿す黒雷と厄災を司る龍神の力が、夜の闇の中に光り輝き、激しく爆ぜては明滅していく。同時に、大地は砕け、大気は震えていき、激戦区から離れたヴァーミリオン皇国にいても凄まじい激闘が今もなお繰り広げられていることがわかる。

 

しかも、蓮が土、金の二属性も解放したことにより戦いはさらに激化していた。

大地は捲れ上がり蠢き、鋼鉄の刃や槍が地面から生えたかと思えば、今度は巨大な木の蔓が伸びては地面を何度も打ち据えている。

天空は相変わらず黒く染まっていて雷鳴を幾度も轟かせ、風雨が叩きつける。空中を青く猛る炎と黒く迸る雷が彩れば幾度も大爆発を巻き起こしていた。

世界中のありとあらゆる自然災害がここに収束されたかのような惨状に、ヴァーミリオン皇国の国民達は絶句し、その中にいるテレビクルーが撮影していることで全世界に放送されており、テレビの前の者達も唖然としていることだろう。

 

だが、そんなことこの災害をもたらした元凶である二人の怪物には関係なく、彼らは目の前の敵を撃滅せんと咆哮をあげて戦い続けていた。

 

(なんだ………この感情は………)

 

アリオスと激闘を繰り広げる中、蓮は途中から湧き上がってきていた謎の感情に疑問を浮かべる。

 

胸の内から湧き上がる得体知れない感覚。

それは、アリオスと戦い始めてから芽生え始めており、初めこそ小さな種火だったソレが、今や大きく燃え盛る烈火へと変化していた。

 

その烈火は、不思議と悪い気はせず、むしろ心地良く、胸の内から充足感が湧き上がっていた。

 

戦いの動きは決して止めず、冴えたままだがその内では謎の感覚に混乱していた。しかし、その感覚についに蓮は気づいた。

 

(……ああ、そうか……これが、そうなのか……)

 

蓮はその感情の正体に漸く思い至った。

それは伐刀者だけじゃなく、アスリートの多くが感じるもの。

自分と対等な実力を持つ者が目の前に現れた時、彼らの多くが己の心に高揚感が生まれる。

それは愉悦へと、歓喜へと昇華されていく。

蓮には今まで縁がなかったもの。今まで、彼にとってはソレは生きるか死ぬかのものであり、何があっても勝たなければいけず、負けて仕舞えば全て奪われると考えていたからだ。

そう、つまりは、今蓮の胸中に湧き上がった感情とは、すなわち、

 

(これが………戦いを楽しむと、勝ちたいということなのかっ‼︎‼︎)

 

戦いを楽しむ。目の前の相手に勝ちたい。

多くの者が感じていたソレを蓮は、漸く感じたのだ。

今まで蓮はソレを感じたことがなかった。なぜなら、一対一で自分の力に比肩する相手がいなかったから、そう言う状況ではなかったからだ。

正直、蓮には戦いの充足感は今までなかった。誰もが弱かったから。1割程度の力でも勝ててしまう程度の存在しか周りにはいなかったから。

わざわざ《魔人》の力も《龍神》の力も、殆どの力を封印して初めて戦いが成立するほどに自分が強くなってしまったから………只々退屈だった。

 

過去で危機的状況に陥ったのは三度。一度目は、《覚醒》した時。二度目は、沖縄防衛戦の時。三度目は、《黒狗》との戦いの時だ。

ソレらは全て、相手側が殺す気で戦いに来ており、負ければ全てが終わってしまう戦いであり、力は拮抗していても勝ちたいという気持ちは微塵も湧かなかったのだ。

 

だが、彼は、アリオスは違った。

 

アリオスだけは、初めから殺すとかではなく、ただ勝つためだけに来た。

父との約束の再戦を求めて、18年の歳月が経った今、自分に勝負を挑んできたのだ。

 

自分と拮抗、あるいは上回る強さを持つ彼が、殺すつもりではなく勝つためだけに自分に戦いを挑んでいる。

 

その意志が、その覚悟が、蓮に生涯初めての戦いの愉悦を感じさせたのだ。

 

自分の全てを使い尽くしてでも勝てないかもしれない圧倒的なまでの強敵。

彼と繰り広げる闘争は、楽しい。

自分が思ったようにいかないことが、面白い。

 

自分にできる事を、自分の力、可能性、何もかも全てをぶつけて戦うことは……………充足感が満ちて溢れてしまうほどに楽しかった。

 

 

人は、そういった存在を———『好敵手(ライバル)』と呼ぶのだろう。

 

 

『クハハッ』

 

その事を自覚した瞬間、気づけば蓮は口を三日月に歪めて笑い声を上げていた。

 

『ハハッ、ハハハハハっ‼︎ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

壮絶な切り合いが続く中、蓮の哄笑が高らかに響く。

それは、先ほどの狂気に満ちた悍ましいソレとは違い、どこか無邪気さを感じさせる愉悦に満ちた哄笑だった。

獰猛に弧を描いて笑う口から止まらない哄笑を前に、アリオスは両刃斧を振るいながら尋ねた。

 

『楽しいか?レン』

『ああ‼︎楽しいな‼︎ここまで心躍る戦いがあったとは知らなかった‼︎‼︎そうだな、貴様がそう思うように、我も貴様に勝ちたくなった‼︎‼︎』

 

彼の感情の猛りに呼応するかのように、蓮の双剣が輝きを増し青い燐光を一層激しく散らす。

 

 

『『『『—————————ッッッ‼︎‼︎』』』』

 

 

彼の背に顕現した八つ首の竜達も蓮の猛りに応えるように歓喜の雄叫びを上げて、ブレスを放ち、噛みつこうと首を伸ばす。

 

『ハッハハハッ‼︎やはり素晴らしいなっ‼︎‼︎いいぞぉぉッ‼︎‼︎』

 

アリオスもまた歓喜の笑みを浮かべながら、両刃斧だけでなく全身に破壊の黒雷を纏わせながら迎え撃った。

直後、二人を飲み込むほどの大爆発が起きて黒と青の爆煙を周囲へと放つが、その爆煙はすぐさま内部からの衝撃でかき消され、中から激しく斬り結ぶ二人の姿が現れる。

青と黒の閃光をほとばしらせながら、凄まじい速度で切り結びお互いの身体に傷をつけ続ける中、蓮は叫ぶ。

 

『《昇天動地(しょうてんどうち)》ッ‼︎‼︎』

『ッッ⁉︎』

 

突如、アリオスの足元の地面がひび割れると彼の足場だけが凄まじい勢いで上昇したのだ。

反応が遅れたアリオスは下から伸びた岩柱に叩きつけられながら空へとかちあげられていく。

 

『グッ、オォッ‼︎』

 

直後、アリオスが岩柱を容易く破壊し空を舞いながら蓮へとまっすぐ突っ込んでくるが、蓮はそれに構わずに魔術を放つ。

 

巨大な木の枝で敵を貫く木の槍《天貫樹槍》。

魔力強化され強度と切れ味を増した葉を苦無のように飛ばす《刻葉刃(こくようじん)》。

鋼の剣で相手を貫く、《鋼刃惨牙(こうじんざんが)》。その他にも、数百の魔法陣が一瞬で構築され、数多の属性で作られた刃槍や魔弾など多種多様の魔術がアリオスを全方位から襲いかかった。

だが、それは、

 

 

『ヴゥゥオォォォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

 

 

彼を中心に解放された黒雷の結界によって全てが粉々に粉砕された。

破壊の雷を結界のように球状に展開することで全方位からの攻撃を破壊する攻防一体型結界魔術《壊雷(ディフェン)断崩界(カタストロフ)》だ。

破壊の力を防壁のように展開することで、触れな攻撃全てを破壊する。それはどれだけの威力を誇っていようともだ。レンの今の多重魔術は軍隊を容易く殲滅できるほどだったが、それでも彼には届かなかったようだ。

 

だが、()()()()()

 

『——————ッッ‼︎⁉︎』

 

大地へと落ちていくアリオスは黒雷の結界を解除した瞬間、大きく目を見開いた。

なぜなら、彼の眼前には既に青白く渦を巻く光の竜巻が迫っていたからだ。

それは、火、水、風の三属性を束ねた巨大竜巻+火、水、風、氷、雷、岩、鋼の刃や礫+迸る雷という蓮が持ちうる五属性全てを織り交ぜた破壊の光嵐、その名はー

 

『《天壊暴嵐(てんかいぼうらん)》ッッ‼︎‼︎』

『オオォォォォォッ⁉︎⁉︎』

 

黒雷の防壁を纏うよりもコンマ数秒早く、蓮の破壊の光嵐がアリオスを飲み込み蹂躙した。

先程結界に阻まれた魔術は全てこの一撃を放つための囮だ。

破壊されることなど想定内。ならば、破壊される一瞬の時間に、高火力の魔術を発動し結界が解かれた瞬間にぶつかるように放てばいいというわけだ。

現に、その企みは成功した。その直後予想通りに光嵐が突如膨れ上がり内側から破られたのだ。現れたアリオスは全身に裂創などが刻まれ血を流していたのだ。《天壊暴嵐》の破壊力は僅か一瞬とはいえ、彼の身体に大量の傷を刻むことができたのだ。

そして、すぐさま修復を始めたアリオスは地面をドスンと踏み鳴らしながら着地するも、その瞬間には既に蓮が距離を詰めていた。アリオスは眼前に迫る蓮に何度目かになる歓喜に身を震わせすかさず迎え撃つ。

 

『オオォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

『ヴオォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

 

再び水炎と雷が、双剣と両刃斧が膨大な火花を散らし、壮絶な殺し合いを繰り広げる。

 

その様は、凄まじく、筆舌に値するほどの戦いでもあり、目の当たりにする者がいれば心を掴むものかもしれない。あるいは、これが永久に続いてほしいと願う者もいるだろう。

 

青年と怪物が青と黒の残光を散らしながら互いの命を削りあい闘争を繰り広げるその光景は——————さながら英雄譚の一幕のようであった。

 

だが、殺し合いとは必ず決着がつくものだ。

どれほどの強者達であろうと、必ず優劣は決まる。それはこの戦いも例外ではない。

そして、熾烈を極めた激闘、この戦いでも均衡がついに崩れた。

 

崩れたのは——————蓮だ。

 

『ヴゥゥオォォ‼︎‼︎』

『グゥっ⁉︎』

 

両刃斧と双剣が数千を優に超える渾身の激突を経た直後、蓮の双剣にビシリと亀裂が入ったのだ。

更に両腕の籠手にも亀裂が生まれた。蓮は突然のことに目を見開き、激痛に顔を歪める。

 

何故突然こうなったのか。否、突然ではない。ついに、限界を迎えてしまったのだ。

 

そもそも、相手が悪かった。

 

ただでさえ、《擬似覚醒超過個体》7体と激戦を繰り広げ、《天威霊明》を使うことで精神面だけ変異させるという瀬戸際の状態がずっと続いていたのだ。肉体的にも、精神的にも限界がきつつあったのだ。

そして、あらゆる全てを破壊する『破壊』の力。それは、あまりにも凶悪であり今までは膨大な魔力を纏わせることでなんとか耐え凌いではいた。だが、相手は人ならざる怪物となる現象《覚醒超過》を経ているのだ。魔力の総量が根本的に違うし、魔に成り果てたバケモノに人の身が抗えるわけがないのだ。

《覚醒超過》なしにここまで彼と渡り合えたこと自体が奇跡であった。蓮が人間の姿のまま戦い続けてしまっていたからこそ、こうなってしまった。

 

そして、蓮が崩れた後戦況は一気に傾く。

 

『オオォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

『グ、ゥアっ⁉︎』

 

激痛に蹌踉めく蓮の腹部に容赦ない厳のような剛拳でのアッパーカットが突き刺さる。

破壊の雷纏うそれは、蓮の胴体を覆っていた鎧を粉々に砕き、さらには内臓や骨すらも破壊し尽くして空へと勢いよく打ち上げた。

 

蓮は全身から血を噴き出しながら空を勢い良く昇っていく。今までで一番強力な一撃をモロに受けてしまい硬直し無様に宙を舞う蓮に、現実はどこまでも非情だった。

 

『——————』

 

空高く打ち上げられ、誰よりも高い位置にいるはずの蓮の視界で黒い雷が空へと昇ったのを見た。

その先を追って見上げれば、蓮の頭上ではあらんかぎりの黒雷を纏わせた両刃斧を大きく振り上げたアリオスの姿があった。

 

アリオスが、《牛魔の怪物》が、自らの必殺の一撃を放とうとしていたのだ。

迸る黒雷は密度、光度を上昇させていき漆黒の中でなお昏く輝く暗黒の雷へと昇華。そして、形作られるは大地を破壊してしまうのではないかと錯覚してしまうほどのあまりにも巨大すぎる黒雷の両刃斧、アリオスはそれを———

 

 

『——————《雷霆の神撃(ケラウノス)》』

 

 

宙に打ち上げられた蓮めがけて振り下ろした。

振るわれるは雷神が振るいし武具の名にして、雷を意味する絶技。

ギリシャ神話における最高神の怒りそのものだとも言われているその一撃は、《牛魔の怪物》の必殺にして破滅そのものだ。

 

それは巨大な黒雷の斧刃となって、硬直したままの無防備な蓮に無慈悲に襲い掛かった。

 

 

 

『————————————』

 

 

 

そして、防御が間に合わなかった蓮を、全てを破壊し尽くす黒雷の奔流が呑み込み———

 

 

 

直後、蓮の意識が暗転した。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

夜闇を暗黒に染め上げるほどの凄まじい破壊の一撃は、蓮を呑みこむだけにとどまらずその下の大地すらも打ち砕いた。

蓮を飲み込んだ黒雷はそのまま大地に着弾すると、巨大な大爆発を起こして着弾箇所の周囲を一切合切破壊し尽くし巨大なクレーターを生み出した。

その衝撃は、かつてないほどの大轟音を伴い、ヴァーミリオン皇国どころか周辺国にまで轟き、地震と錯覚するほどの激震が周辺国すら揺るがす。

一番近くにいたヴァーミリオン皇国の民達はそのあまりの振動の大きさに殆どが立たずに尻餅をつくほどだ。

 

そんな彼らの中で、固唾を飲んで蓮の勝利を祈っていたカナタが悲痛に表情を歪める。

 

「あぁ……そん、なっ……蓮、さんっ……」

 

カナタは両膝を突いて崩れ落ちると、瞳から涙を流し始める。彼女自身も優れた伐刀者であるが故に分かってしまった。

 

———蓮が、敗北してしまったということに。

 

そして、この敗北は試合での敗北とは意味が違う。ここでの敗北とは、それすなわち死を意味している。

しかも、見た限りでは《牛魔の怪物》は人であることをやめて魔に成り果てたバケモノの姿をした。人並みでは到底耐えられないほどの、人ならざる魂の力を全て行使するほどの存在だ。

 

幼き頃蓮が暴走した時の蹂躙や、沖縄防衛線での凄まじい激闘の痕が残る惨状。それ二つを目にしているカナタだからこそ、あれほどの破壊を齎す者たちの本気の殺し合いがどちらかが死ぬまで終わらないことを理解していた。

そして、今、蓮が黒雷に飲み込まれ大地へと堕ちていくのを見てしまったというわけだ。

その直後だった。ソレは突如鳴り響いた。

 

「「「「ッッッッ‼︎⁉︎」」」」

 

カナタのドレスのポケットに入っていた端末。そこから突然、けたたましい警報音が鳴り響いたのだ。破壊の余波に座り込んでいた者達が一斉に彼方の方へと何事かと振り向いた。

 

もしや、何かの災害警報なのか、それとも避難警報でも鳴り響いているのか、そんな疑問が彼らの中に浮かび上がる。それは、グラキエス、アルテリアも同じだった。熟練の伐刀者である彼らすらも突如鳴り響いた警報音に疑念を隠せていなかった。

 

その警報音が何を意味しているのかはこの場にいる殆どの者が知らない。

唯一、意味を知るカナタを除いて。

 

「———そん、…なっ……まさかっ……⁉︎」

 

意味を知るカナタは涙を流しながらも限界まで目を見開いて驚愕すると、勢いよく顔を上げて叫んだ。

 

 

「蓮さんっ、ソレは駄目ェッッ‼︎‼︎待ってェェッッ‼︎‼︎」

 

 

カナタが悲痛な叫び声をあげる。

これから起きることが何かを知っていて、止めようと叫んだのだ。ここからでは、声が届くわけがない。そう分かっていても、彼女は叫ばずにはいられなかったのだ。

 

だって、これから起きてしまうことは、それほどまでに……危険なことだったから。

 

周囲の被害もそうだが、特に彼自身が危ない。

 

「か、カナタ、さん?…‥今のは、……」

 

その制止の叫びが分からずアルテリアは泣き崩れ嗚咽を漏らすカナタに恐る恐る声をかけようとする。

だが、その言葉は最後まで言い切れなかった。なぜなら、

 

「「——————ッッ‼︎⁉︎」」

 

ゾワ、と彼らの心臓を鷲掴みにするかのような強烈で悍ましい悪寒がアルテリアやグラキエスを襲ったからだ。

あまりにも禍々しすぎる気配に二人は、顔を青ざめ息を詰まらせながら、その気配が感じた方角———蓮達がいる場所へと弾かれたように振り向いた。

その直後、

 

 

『——————』

 

 

青白い光の柱が夜空を貫いた。

 

 

 

 

——————厄災が、顕現する。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『—————— 』

 

 

気づけば、蓮は別の空間にいた。

そこは深い深い海の底だ。光も届かぬ青と黒が入り混じる薄暗い深海の世界。

 

周囲を泳いでいるのは、小さな魚の群れや海月、などの海洋生物。

上を見れば、光は見えぬが鯨や鯱、鮫などが泳いでいるのがわかる。

それらは例外なく青く輝いており、青い燐光を引きながら自由気ままに泳いでいた。

 

蓮はその深海の世界で、しめ縄が結ばれている大岩の上に片膝を立てて座っていた。

 

『…………ここか』

 

彼は、この世界を知っている。

当然だ。ここは、所謂精神世界と呼ばれるもの。蓮自身の心が、魂が映し出す彼だけの世界だ。

ここに、初めて入ったのは、《魔人》に至り、《覚醒超過》を使用した時だ。

あの時、蓮は扉を開いた。『獣』へと至るための禁断の扉を。この領域は、その扉の奥にあるものだった。

 

そして、その綿津見の世界にはどういうわけか神社があった。

 

海底に不規則に立ち並ぶのは青い炎に似た光を宿す無数の灯籠。

海底に突き刺さるように建てられているのは赤ではなく、青色に彩られた巨大な鳥居。

更に鳥居の奥にあったのは青い屋根に黒い木で構成された社。

まさに海底に沈んだ神社と例えるべき場所。

 

 

———…………。

 

 

そんな神聖かつ幻想的な神社には———一頭の龍が佇んでいた。

 

 

全長がわからないほどの巨大かつ長大な大蛇を思わせる巨体を持ち、青黒い藍色の龍鱗に水色に輝く鉤爪、青黒く輝く龍角、深海にあってもなお淡く光る後頭部から尾まで生えた純白の鬣。胴体に比べればあまりにも小さいが、大型トラックすら握りつぶせそうなほどの鉤爪のある四肢。大きく裂けた顎門から覗く鋭い牙。そして、黒目に金碧の龍眼を有する龍神。

深き海の底に佇む社で蜷局を巻いている一頭の龍が蓮をじっと無言で見つめていたのだ。

 

蓮もまたその龍を正面から見据えると静かに口を開く。

 

『………蒼月か』

 

『蒼月』

それは蓮の魂の武装ー霊装の名称だ。だが、同時に自身の内に宿る『龍神』の名でもあった。

『蒼月』は口を開き、蓮と全く同じ声音で言葉を紡いだ。

 

———足りぬ。彼奴を凌駕するには、今のままでは足りぬ。先の紛い物とは訳が違う。

『ああ、そうだろうな。見ればわかる』

 

蓮は紡がれた言葉を肯定する。

そんなこと分かっている。

本物の《覚醒超過》を相手に、《天威霊明》でも勝ち目が薄いと言うことぐらいは。

彼は、《牛魔の怪物》は強い。

大和と、父である《紅蓮の炎神》とほぼ互角に渡り合ったという世界最強の怪物の一体。父に敗北したとはいえ、その実力は疑いようのないものだ。

それに、大和はあの時、彼に打ち勝つために《覚醒超過》を使用したらしい。

だがその直後、暴走しかけてしまい、黒乃曰く、『サフィアが止めてくれなければ、ヨーロッパの一角は焼け野原になっていたかもしれなかった』そうだ。

それだけの危険な力を行使しなければ、勝てなかった敵なのだ。

だから、『龍神』の言葉に肯定せざるを得なかった。

そして、肯定した蓮に『蒼月』は静かに問いかける。

 

———ならば、どうすべきか。……貴様()なら、分かっているだろう?

『………………ああ』

 

蓮は長い沈黙の後、静かに頷いた。

《牛魔の怪物》を超える方法、《天威霊明》では勝てないと分かった以上、そんなもの一つしかない。

 

《覚醒超過》だ。

 

魂や精神だけじゃ足りない。

肉体すらも『魔』へと変えなければ、あの怪物には勝てない。そう理解してした。

 

『………はぁ、まだまだだな。俺は』

 

その事実を理解するとともに蓮はため息をつくと力なく笑った。

これまでずっと己を鍛え続けてきた。

《龍神》という強大な力や類稀な才能を持ちながらも、決して驕ることはなくずっと、ずっと鍛錬し続けてきた。その過程で、魂は人ではなくなった。人ではない力を得て強くなった。

 

そして、苦労して編み出した《天威霊明》。

これは、《覚醒超過》を使った敵でも勝てるようにする為にと作り上げたはずの技だった。

だが、結果は見ての通り。《天威霊明》では、《覚醒超過》を経た《牛魔の怪物》には勝てなかった。

そうあれと願って作り上げたはずなのに、結果がこれでは己がまだ弱いと思わざるをえなかった。

 

だから、蓮は現実を受け入れ腹を括った。

 

今のままでは勝てないから、《覚醒超過》を使うことを。

 

そうしなければ、守れないと分かっているから。

 

今ここで敗北すれば、自分は連れ去られ、間違いなく己の《龍神》の力を利用されるかもしれない。そうなって仕舞えば、日本にいる家族や友、ヴァーミリオン皇国の人達も例外なく、世界全体が未曾有の災害に巻き込まれるかもしれない。

月影に視せられたあの最悪の未来すらも超えるほどの災禍が齎される。

《龍神》の力は、それだけのことを可能にしてしまうのだ。

 

世界を滅ぼす厄災。それこそが、《龍神》と呼ばれる存在なのだ。

 

だからこそ、そんな未来にさせない為に、今ここで蓮は何としてでも勝たなければいけない。

 

 

———家族や友を守る為に。

 

 

力を使わず、守れなくて後悔して苦しむぐらいなら、力を使って守ってから苦しんだ方がまだマシだ。

 

しかし、それ以上に蓮の胸中には大きな想いがあった。

 

 

 

それは———『勝ちたい』。

 

 

 

そんな子供じみた想いだった。

 

初めてだった。誰かに勝ちたいと純粋に思ったのは。

 

自分がこの後どうなっても構わない。ただ再戦をしたい為に、自分に挑んできた初めての好敵手に勝ちたいと思ってしまったのだ。

 

今のままでは勝てない。なら、《覚醒超過》を使った全力で戦わなくては失礼というものだ。

 

だって、彼はーアリオスは自分が生涯初めて巡り会えた、自分の全てを賭けるに値する好敵手なのだからっ‼︎

 

だから、もう躊躇わない。

 

俺が『蓮』で在る為に、『蓮』という人間性を捨てる。

 

俺は、皆を守る為に、そして、あの気高き好敵手(怪物)に勝つ為に、『怪物』になろう。

 

既にこの魂は、『怪物』になっているのだから。

 

 

『悪いな。母さん、寧音さん、カナタ……親父、お母さん』

 

 

蓮は、彼女達に密かに詫びると、一度深く息をついて、

 

 

 

『—————————《覚醒超過》』

 

 

 

遂に、その禁忌の言葉を、口にしてしまった。

 

刹那、ドクンッと力強い脈動が海の世界に響き渡り、蓮の正面にいた『蒼月』が瞳の眼光の輝きを一際強くさせながら、牙を剥き出しにして嗤った。

 

 

 

———その言葉を待っていたっ‼︎‼︎‼︎‼︎

 

 

 

そして、『蒼月』は顎門を開き、盛大に吼えた。

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️———————————————ッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

そして、深海の世界に青黒い光が満ちた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

アリオスの一撃によって作り出されたクレーターの中心で蓮は倒れ完全に沈黙しており、アリオスは地面に降り立った後彼の様子を見ようと蓮へと近づこうと足を進める。しかし、

 

『ッッ⁉︎』

 

10m程の距離のところまで歩いた時、ソレは突然起きた。

クレーターの中心で倒れ沈黙する蓮。彼の総身から突如紺碧と白銀が入り混じる極光が空へと放たれたのだ。

極光は夜空を青白く照らす。

ゴゴゴと大空だけでなく、大地、大海すらも震える中、蓮は光を放ちながらゆっくりと立ち上がった。

立ち上がり、顔を上げた蓮。彼の瞳は変わらず黄金と紺碧に染まった龍の瞳だ。だが、白眼が…………身の毛もよだつような悍ましい漆黒に染まっていた。

 

『——————』

『ッッ⁉︎』

 

そして、天地を揺るがす轟音のせいで聞き取れはしなかったものの、アリオスは口の動きから確かにソレを理解した。

 

蓮が、空を見上げながら静かに『覚醒超過』と呟いたのを。

 

その言葉に呼応するかのように、()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは、まるで光も届かぬ深海の闇を具現化したかのような凶兆を象徴する色だった。

そして、禍々しき蒼黒へと変化した輝きは、際限なく彩度を増していき、大地を、大海を、大空を、世界そのものを塗り替えていく。

 

その光の柱の中で佇む蓮の眼前に双剣型の霊装《蒼月》が現れると、虚空に浮かぶその二つが静かに重なり、一振りの大太刀へと変化した。

 

蓮の身長を超えるほどの長さを持つソレは、蓮に向けてその鋒を向けるとゆっくりと胸の三つ巴の紋様に突き刺さり、胸の中に沈んでいく。

完全に《蒼月》が蓮の体内に溶け込むと同時に、ドクンという強い脈動が一度響き、蓮の肉体が()()()()()()

 

ビキビキ、バキバキと蓮の肉体が異音を奏でながら、『天威霊明』発動に伴い身に纏っていた霊装の鎧と()()()()()()

皮膚は全てが肌色から、硬質に煌めく藍色の鱗へと変化し、魔力で編まれた角、突起、背鰭、尻尾が虚空に溶けるように消えるもののその直後に、確かな実体を持つ本物が生えてくる。

 

次いで、背鰭から尾鰭に沿うように髪と同じ白銀の鬣が生えて揺らめく。

 

次いで、蓮の鱗に覆われた耳が伸びて鋭く尖る。

 

次いで、蓮の口が耳元まで裂け、鋭く変化した牙を覗かせる。

 

『グゥっっ、グゥルルルルル……‼︎』

 

獣じみた、否、まさしく獣の唸り声を上げながら蓮は両腕をついて四つん這いになると、その異形へと変化しつつある肉体を肥大化させていく。

 

『フッ』

 

アリオスは眼前の光景に獰猛かつ好戦的な笑みを浮かべる。

蓮から感じる禍々しい気迫、莫大な魔力、変化しつつある肉体。見えるもの、感じるもの全てがアリオスの心を奮い上がらせた。

これから本当の戦いが始まるのだ。

今までのは前座に過ぎない。片方が《覚醒超過》を使用していれば、もう片方もまた《覚醒超過》を使わなければ戦いにならない。

先程の紛い物達とは話が違うのだ。

《魔人》同士の殺し合いは、《覚醒超過》があってはじめて真価を発揮するのだから。

 

そして、断言できる。

 

《覚醒超過》を経た蓮の強さは、自分と死闘を繰り広げた末に打ち勝った、大和をも上回るほどの強さを有していると。

 

ならば、尚更昂らずにはいられない。

 

彼ほどの英雄とかつてないほどの死闘を繰り広げられるのだから、どうして滾らないでいられようか!

 

『さあ、見せてくれッッ‼︎‼︎レンの真の姿を‼︎‼︎そして、決着をつけよう‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

アリオスは両刃斧を地面に突き刺すと両腕を大きく広げて歓喜の声を上げる。

遠くから見守るヴァーミリオン皇国の国民達もその光に各々の感情を抱く中、

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️———————————————ッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

柱の中から、凄絶なる人外の咆哮が轟く。

世界を震わせる轟きは、龍神の咆哮。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()正真正銘の怪物の咆哮だ。

柱が内側から弾かれるように霧散し、光に呑まれていた視界が晴れ、中にいた蓮の姿が露わになる。

ヴァーミリオン皇国の大地に佇む影は——— もはや、人ではなかった。

 

『ほぉ……』

 

アリオスは今の蓮の姿に思わず感嘆の声を漏らす。

今の蓮の姿は、人外の異形だ。

身体は二回りは大きくなり、アリオスの巨体とほぼ同サイズ。

全身の皮膚は妖しい光沢を放つ藍色の龍鱗へと変わり、首は太くなり伸長している。

首の長さも含めれば、もはやアリオスの巨体すら上回っており、4mは超えている。頭部もまた大きく変化し、まさしく龍のソレへと成る。

頭部から伸びるのは地獄の如き青い業火を凝縮したかのような確かな実体を持った大小四本の青黒い龍角が生え、口は大きく裂け中からは鋭い牙が覗き、禍々しき龍眼がギョロリと動く。

四肢もまた丸太のように太く頑強なソレへと怒張し、爪の本数も変わり、青黒く輝く鉤爪が腕には四本、足には三本伸びており、腰からはぞろりと尾鰭がついた尾が伸びている。

後頭部から、尻尾へとかけて三角形の背鰭が生え並び背中には、背鰭の両側に沿うかのように鋭い突起が無数に生え、青白く輝いている。

藍色の龍鱗とは相反するような美しい純白の鬣は後頭部から尾の先まで生えており風に靡かれ揺れている。

 

それは、まさしく人型の龍神。ーーー人を捨て、獣の魂に全てを委ねたからこその変異。

 

『ソレがレンの魂の本来の姿、《覚醒超過》を経た姿か』

 

《覚醒超過》。

《魔人》がいつか迎える成れの果て。自己に呑まれ、人間性を対価に力の塊と化す忌まわしき人外へと堕ちる事象の事。

『人』と『魔』の境界を越え、『魔』の世界へと己の全てを淘汰した、いわば一つの極点。

《魔人》の中でも、限られた者しか到達できない、人を捨て獣に成り果てることを選んだ狂者だけがたどり着ける破滅の極限。

 

 

蓮は、その資格を有してしまっていた。

 

 

それに、蓮はこの形態に二度も変質している。

一度目は、生死の瀬戸際に立たされ、憎悪により転じた完全な暴走状態だった。

二度目は、極限状態に追い込まれ、苦肉の策として理性を蝕まれながら使用した。

二度も経験していれば、嫌でもその発動のトリガーは分かってしまう。そして、今回のこの状況。これは、蓮が想定する最悪の一つだ。故に、《覚醒超過》を使ったのだ。

異形へと変わり果てた蓮は獣のように低く唸り声を上げると、ひどく落ち着いた声音で言葉を紡いだ。

 

『……これだけ戦いを楽しんでいたと言うのに、全てをかけてでも貴様に勝ちたいと思っていたのに、我は後一歩のところで踏みとどまっていたようだ。

人間のまま、勝ちたいと思っていた。でなければ、大切な者達が悲しむとわかっていたから。

だが、ソレを優先して戦いをおざなりにしていては意味がない。やっと出会えた好敵手を前に、何を躊躇していたのか。あらゆるしがらみを無視して、全てを賭して貴様に勝つためにはこの姿にならなければいけなかった。そうしなければ、貴様には勝とうにも勝てない』

 

蓮の嘘偽りのない想いが込められた言葉をアリオスは黙って聞く。そして、蓮は闘志に満ちた眼光をアリオスに向けた。

 

『この姿になるのももう三度目だ。もう次に完全な人の姿に戻れるのかも怪しい。だが、我はソレを後悔していない。

たとえ、まともな人間に戻れずとも、ただ、我は貴様に勝ちたい。勝つ為にこの姿になった。

だからこそ、これまで使わないまま戦っていたことへの謝罪を。そして喜べ、今から見せるのは、正真正銘我の、『龍神』の力の全てだ』

 

そう告げると蓮は右手を開き、そこに青黒い光の粒子を収束させる。

そうして現れたのは、藍色に染まった刀身に水色の紋様がある3mを上回る大きさの大太刀だ。龍人と化した己の巨躯に見合うサイズの武装を具現化したのだ。

蓮は大太刀の鋒をアリオスに向けると、告げる。

 

『《牛魔の怪物》アリオス・ダウロス。

我が生涯最初の好敵手よ。改めて我が父との再戦の申し出を受け入れよう。

我が全霊を以て、今ここで貴様という好敵手に勝つ‼︎‼︎』

 

凄まじい闘気がアリオスに叩きつけられる。ビリビリと空気をも振るわせるソレを全身で受けたアリオスは、口の端を限界まで引き裂きにぃっ、と笑った。

 

もはやこれ以上言葉は要らなかった。

 

『『………』』

 

二頭の怪物はお互いを視界に収め、歓喜に満ちた獰猛な獣の笑みを浮かべる。

そして、龍神()は大太刀を。猛牛(アリオス)は両刃斧を。それぞれ構えて地面を踏みしめる。

やがて、両者が同時にズンッと一歩前に踏み込むと同時に、

 

 

 

『『オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ—————————ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』』

 

 

 

静寂をぶち破り天を震わせる超弩級の大咆哮を上げ、二頭の怪物は決着をつける為に地面を砕きながら突貫した。

 

 

更なる激戦を告げる二度目の号砲が今、解き放たれ、天地を揺るがす激震が響いた。

 

 




蓮よかったね‼︎初めてライバルに巡り会えたねっ‼︎(すっとぼけ)

はい、というわけで蓮君の《覚醒超過》満を辞して解禁しましたっ‼︎

イラストは描けないから文字でしか説明できないけど、多分、相当禍々しい事になってると思います。

そして、次回はお互い《覚醒超過》を使っての全身全霊の戦いになるわけなんですが………地図書き換えは確定として、ヴァーミリオン皇国大丈夫かな?まじで怪獣映画並みの惨劇になりそう。

………多分、ヴァーミリオン皇国編は次回含めて2、3話で終わる予定です。ソレが終わればいよいよ、原作主人公一輝の出番がある、はずっ‼︎‼︎



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39話 怪物激突


お待たせしましたァァ!!
記念すべき40話目の投稿です。ヴァーミリオン皇国編クライマックス突入です‼︎
禁忌の力《覚醒超過》を遂に使ってしまった蓮。
家族や大切な者達の言葉を振り切り、好敵手に勝ちたいが為に獣に落ちた蓮は、果たして人に戻ることができるのか。怪物に堕ちた者同士の激闘は、一体どれだけの被害をもたらすのか。そして、蓮とアリオスの死闘はどのような結末を迎えるのか。

是非お確かめください‼︎




 

 

 

 

時は蓮が《覚醒超過》を発動しようとした直前のこと。

ヴァーミリオン皇国より少し離れたヨーロッパのある地方の上空を一機の大型の輸送機が凄まじい速度で飛行していた。

 

「あとどれぐらいだっ⁉︎」

「あと30分ほどで着きますっ‼︎‼︎」

「もっと急げないのかっ⁉︎⁉︎」

「無理ですっ‼︎これ以上は機体が能力の付与に耐えられませんっ‼︎‼︎」

「くっ」

 

黒乃が険しい面持ちで操縦者にそう叫ぶも、返された操縦者の言葉に歯噛みする。

この大型輸送機は日本から来たものだ。

理由は一つ。蓮の救援の為である。

数時間前、カナタよりヴァーミリオン皇国襲撃の知らせを聞いた黒乃は、すぐさま独立魔戦大隊や月影に連絡して救援の為に動いたのだ。

大隊の隊員数名と共に輸送機に乗り込んだ黒乃は、自身の能力を使い輸送機の速度を加速させることで本来の数倍の速度で移動しているもののの、それでもまだ着かないことに黒乃は焦れったそうにしていた。

 

それもそのはず。今回ばかりは黒乃も危機感を覚えるほどの事態だったからだ。

《覚醒超過》を経たと思われる怪物達7体を倒したかと思えば、その直後に今世界を騒がせた最悪の脱獄囚《牛魔の怪物》が彼を襲撃し、蓮が応戦中と報告されたのだ。なぜこうも立て続けに厄介ごとが起きるのだと、彼女は驚愕を隠せなかった。

しかも、その様子はテレビでリアルタイムで放送されており、火、水、風、雷、だけでなく植物や大地、金属が蠢きまさしく災害の如き激闘を繰り広げているのが分かったからだ。

 

蓮がかなりギリギリの極限状態で戦っていることは明らかで、何か一つきっかけがあれば彼は《覚醒超過》を使いかねない。

 

彼に二度と《覚醒超過》を使わせたくない黒乃はその最悪の事態を引き起こさせない為に、増援として今ヴァーミリオン皇国に向かっていたのだ。

 

今現在蓮とアリオスが激闘を繰り広げているのは、リアルタイムでの衛星観測で把握している。だからこそ、一刻も早く現場に着き戦闘に介入することで蓮に《覚醒超過》を使わないようにし、共に戦おうと彼女は考えていた。

 

(頼むっ‼︎どんな状況であっても……ソレだけは使わないでくれっ‼︎)

 

たとえ使わざるを得ない状況であっても、どうにかして自分が来るまで生き延びてくれるならば、どうにでもなる。

 

だからどうか……自ら怪物に堕ちようとしないでくれ。

 

そう黒乃が必死に願ってはいたが………不幸なことに、その願いは裏切られることになる。

 

 

『『『『ッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』』

 

 

視線の先で夜空よりも尚昏い雷光の濁流が大地へと落雷の如く落ちた直後、黒乃の懐から鳴り響くけたたましい警報音。

だが、その音の意味をこの場にいる黒乃や独立魔戦大隊の隊員である彼らは理解していた。

 

即ち、蓮が《覚醒超過》を使用したということだ。

 

黒乃が慌てて端末を取り出して、画面を見ると顔を青ざめながら忌々しく吐き捨てる。

 

「あぁくそっ‼︎なんてことだっ‼︎」

 

黒乃が睨む画面にはあるメーターが表示されており、それが凄まじい速度で上昇していた。

彼に取り付けられた装置には魔力量を観測する機能がある。アリオスの必殺の一撃からも辛うじて全壊を免れたソレが観測した魔力量。それが蓮が人の状態で使用できる魔力の最大量を記録した上で、そのラインを超えた瞬間、つまり蓮が獣の魂の魔力を引き出し《覚醒超過》を使用したということを意味しているのだ。

 

黒乃は自分達が向かう先、蓮が激闘を繰り広げているヴァーミリオン皇国の方向へと視線を向けると、悲痛と怒りが混ざり合った表情を浮かべギリッと歯を噛み締める。

 

「……大馬鹿者がっ」

 

そう忌々しく吐き捨てた彼女の視線の先では、極太の青白い光が立ち上がり、夜空を貫いた。

そして、遠くからでもはっきりと視認できるほどの極光の柱は、白銀の輝きを漆黒へと反転させ、凶兆を齎す禍々しい蒼黒の闇へと変化させて世界を染め上げていく中、

 

 

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️———————————————ッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

 

 

天地を揺るがす堕ちた龍神の咆哮が聞こえた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

『『オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ—————————ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』』

 

 

 

 

天を揺るがす超弩級の大咆哮を上げ、二頭の怪物は地面を踏み砕き捲れ上がらせながら突貫する。

蓮は大太刀に蒼黒の魔力を、アリオスも漆黒の魔力を大気が歪むほどの密度で纏わせながらお互いを両断せんと振りかぶり—激突した瞬間、轟音を鳴らし大地が割れた。

青と黒が入り混じる魔力の迸りが大気を駆け抜け、衝撃を解き放つ。二人を中心に地面は大きくひび割れるだけにとどまらず岩盤を引き剥がし捲れ上がらせていった。

たった一撃でこれほどの衝撃をもたらした破壊の中心にいる怪物達は全く動じずに、足を踏ん張り更に真っ向から攻撃を放つ。

 

『ヴゥオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️——————ッッ‼︎‼︎』

 

青と黒が火花を散らし無数の軌跡を生み出しながら壮絶な斬撃の応酬を繰り広げる。

一撃一撃ぶつかるごとに轟音を鳴らし、周囲を破壊しながらも怪物達はそれでも尚お互いに一歩も引くことはなく、凄まじい斬り合いを続けた。

蒼黒の大太刀と漆黒の両刃斧が凄まじい速度で、幾度となく火花を散らしながらぶつかり合う。

アリオスが破壊の力を宿す黒雷を纏うのに対して、蓮は炎熱、雷光、暴風、流水、氷結を融合させた純粋なる厄災の力で迎え撃つ。

そして、都合数百。周囲の地面が根こそぎ捲れ上がり、元の形など見る影も無くなった頃、両者はお互いの武器をぶつけて鍔迫り合いをする。お互いを両断せんと振るわれたソレらがギギギと競り合う中、勝ったのは……

 

『グゥオォォッ‼︎‼︎』

『グゥッ⁉︎』

 

蓮だった。

完全に押し切った蓮は、両刃斧を上にかちあげながら、尻尾をアリオスの片足に巻き付けてバランスを崩す。

一瞬、踏み込んで耐えようとしたものの筋肉の塊であり、魔力放出により膨大な膂力を秘めた龍の尻尾の前に踏ん張りが足らずに、引っ張られてしまい、そのまま地面に叩きつけられてしまう。

 

『ガアァァァァァァ‼︎‼︎』

『ッッ⁉︎』

 

叩きつけられたアリオスに、蓮は雄叫びを上げながら拳を振りかぶる。そこには蒼黒の魔力が宿っており、炎の如く激しく燃え盛っていた。

蓮はそれを勢いよく振り下ろす。しかし、それは間一髪でガードに間に合わせたアリオスの両刃斧に防がれるものの、受け止めたアリオスの身体に未曾有の衝撃がのしかかり、突き抜けた衝撃が地面に半径数百mを超えるほどの範囲で巨大な罅割れを生んだ。

しかも、それだけでは終わらない。

 

『———《煉獄》』

 

金碧の龍眼が強く輝き、蓮の全身から蒼く燃え盛る禍々しい獄炎が解き放たれる。

それは、アリオスを呑み込むだけに足らず、周囲にも解き放たれ、あろうことか全てを焼き尽くし地盤をも溶かしてマグマの海へと変えた。

 

『グッ、オオォォォォォォォッッ⁉︎⁉︎』

『グゥオッ⁉︎』

 

アリオスはマグマに肉体を焼かれる痛みに苦悶の声をあげながら、黒雷を全力で周囲に解き放った。赤く燃え滾るマグマの海の中心で解き放たれた黒雷はマグマだけでなく、蓮すらも引き剥がす。

蓮は破壊の黒雷に肉体を傷つけられ、小さな亀裂を生みながら、吹き飛ばされマグマの海に堕ちる。アリオスは吹き飛んだ勢いを利用して、まだ無事な岩盤の上に降りた。

 

『カハッ、クハハハッッ‼︎』

 

蓮を引き剥がし距離を取ろうとしたアリオスにマグマの海に堕ちた蓮は牙を剥き出しにして嗤うと、全身をくねらせながら、マグマの海を脅威的な速度で泳ぎアリオスへと迫る。

 

『逃すとでも思ったか?』

『いいや、逃げる気はない』

 

アリオスはそう返して、迫る蓮に両刃斧を構えると、瞬時に滾らせた黒雷を一気に振り抜く。

 

『ハッハハァ‼︎‼︎』

 

巨大な黒雷の刃を前に、蓮は獰猛に笑うと、蒼黒の雷と青白い炎を全身に纏わせながらソレに突っ込む。

直後、破壊の黒雷の刃と、雷炎纏う龍が激突して巨大な爆発を引き起こし、マグマの海を揺らす。海面が揺らぎ、アリオスがバランスをとりながら衝突地点を見ればそこには蓮の姿はなかった。

 

『………潜ったか』

 

あれで倒れるわけがないと分かりきっている為、アリオスは蓮が激突の後、マグマの海に潜り様子を窺っていると理解する。

だから、気配を研ぎ澄ましながら待ち構えるアリオスは、瞬間、その場を飛び退く。

 

『来るかっ‼︎』

『◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

直後、岩盤を砕きながらマグマの海から飛び出した蓮は、大きく開いた顎門をバクンッと閉じる。

蓮は、岩盤という障害物を利用し海から飛び出して噛み付いて、マグマの海に引き摺り込もうとしたが、容易く避けられ失敗したことに歓喜の笑みを浮かべる。

 

『ハハハハッッ、そうだよなぁっ‼︎貴様なら避けると思っていたぞぉ‼︎‼︎』

 

避けられたのに、むしろその事実に歓喜する蓮に、アリオスも獰猛に笑う。

 

『なら、こうすることもわかっているだろうなっ‼︎‼︎』

 

アリオスは首だけ出した蓮の首に、両刃斧を振り下ろす。下からの奇襲を逃した蓮は、今無防備だ。なら、そこを狙う。だが、彼の言葉通り、その攻撃は、

 

『無論、分からぬわけがなかろう?』

 

蓮がマグマの海から突き出した大太刀によって防がれる。だが、アリオスもその一撃を受け止められたことに笑みを浮かべていた。

お互いがお互いの手を読んで、読んだ手を防いだ事に、好敵手として認めているからこそ、まだ終わらないと言外に告げており、この戦いがまだまだ続けれることが嬉しかったのだ。

 

『ハハハハハハ‼︎‼︎それでいい‼︎それでこそ戦い甲斐があるというものだ‼︎‼︎』

『まだまだ終わらせるわけがなかろう?こんなにも胸が躍るのだ。もっと戦いあおうぞ‼︎‼︎どちらかの命果てるその時までっ‼︎‼︎』

『そうだなっ‼︎もっとだ、もっともっと殺し合おう‼︎‼︎』

『ああっ‼︎‼︎』

 

好敵手との戦いにお互いが歓喜の声を上げながら、再び斬り結ぶ。

アリオスの足元にあった岩盤は、一撃目の激突で砕け散っているが、蓮はともかく、アリオスもマグマの海に沈んでいなかった。それは足元に魔力障壁を張ることで即席の足場を作っていたからだ。

そして、マグマの海にしっかりと立った両者は、再び壮絶な斬撃の応酬を続けるが、蓮は更なる一手を繰り出す。

 

『———《氷焔地獄(インフェルノ)》‼︎‼︎』

 

発動していた《煉獄》に《ニブルヘイム》を発動し融合させることで、灼滅の熱気と絶凍の冷気が入り混じる紅白の地獄を生み出す。

マグマの海は所々凍りつき、マグマの海に氷塊が浮かぶという異常な光景が広がった。

熱気と冷気が絶えずアリオスを襲い蝕むが、アリオスは全身に濃密な魔力の鎧を纏うことでそれを耐え凌ぐ。

しかし、それだけでは終わらなかった。

 

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

周囲から突如何かが鎌首をもたげて現れる。

その何かは、金碧の龍眼を持ち、今度は青黒い霊体を持つ龍だ。地獄の海より現れた龍は顎門を開くと、一斉にアリオスへと襲いかかる。

 

『ッッ、オオオォォッ‼︎‼︎』

 

アリオスは障壁の足場を踏み砕き、その反動で距離をとってマグマの海から脱し地面に降りると龍達の対処をする。

黒雷を纏わせた両刃斧を横薙ぎに振り払い、黒雷の奔流を解き放つことで迎え撃てば、龍達はその黒雷に呑まれ、すぐにその身を霧散させた。しかし、その一瞬で、蓮はアリオスの懐に迫る。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️———ッッ‼︎‼︎』

 

蓮は顎門を大きく開き、牙を剥き出しにし肉薄する。当然、噛みつかれるわけにはいかないアリオスが両刃斧を振るった。

対する蓮は、あろうことか両刃斧に噛み付くことでその攻撃を受け止めた。

 

『なんだとっ⁉︎』

 

アリオスは噛みついて受け止めた事に眼を見開き驚愕する。

いくら《覚醒超過》により肉体が霊装と同化し、超高密度の魔力体へと変質したとはいえ、霊装の攻撃、しかも破壊の黒雷を宿す攻撃を、自身の顔面で、牙で噛みついて受け止めようなど誰が思うだろうか。

そして、破壊の力が全く効いていないわけではない。破壊の効果は確かに発動しており、蓮の顔面に亀裂が生まれるものの、すぐにそれは異常な再生スピードで治癒される。

 

アリオスにとっては予想外であっても、蓮にとっては牙での攻撃は手段の一つにすぎない。だから、蓮は両刃斧を決して離さんと噛み締めながら、炎と水を纏う鉤爪を振り上げ、アリオスの胸部に斬撃を刻む。

 

『グウゥッ⁉︎』

 

鮮血が噴き出し、決して浅くはない傷にアリオスが苦悶の声を上げて蹌踉めく。

蓮は蹌踉めくアリオスに追撃を仕掛けた。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

噛みついていた両刃斧をアリオスの手から奪った蓮は、それを横に投げ捨てて大太刀も手放すと四つん這いになり四足で駆けながら鉤爪と噛みつきでアリオスを襲う。

 

『グゥオォッ‼︎‼︎ガアァァァッッ‼︎‼︎』

『ヴゥオオオオオオッッ‼︎‼︎』

 

鉤爪と噛みつきに、アリオスは拳で応戦する。

四つん這いでまさしく獣の如く襲いかかる蓮とアリオスはもつれあうと、ゼロ距離でお互いを攻撃する。

炎、水、風、雷を纏う蓮の鉤爪や噛みつきがアリオスの肉体に傷をつけて血を滲ませ、黒雷纏うアリオスの拳が蓮の肉体に打撃を与えて肉体を殴り潰さんとする。

獣の戦いが如く絡みつき、お互いを殺さんとするのがしばらく続いた後、不意にアリオスが蓮の噛みつきを躱して、蓮の首に腕を回してヘッドロックをした。

 

『ヴゥオオオオオオオオッッ‼︎‼︎』

 

締め落とそうという魂胆か。首を握りつぶさんばかりに両腕に血管を浮かばせ、筋肉を隆起させたアリオスは地面を踏みしめながら雄叫びをあげてあらんかぎりの力を込める。

しかし、蓮もタダでやられるわけなく、鉤爪を彼の肉体に突き立てながらなんとか首を引き抜こうと力の限り暴れまくる。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッ‼︎‼︎』

 

角を彼の腕や胸に突き立てながら、長い首を振り回しアリオスの巨体を持ち上げては何度も地面に叩きつけながら、アリオスを引き剥がさんと暴れ回る。そして、首にしがみつきながらも、地面に叩きつけられ続けるアリオスは、何度目かの叩きつけの直後、体の向きを反転させて持ち変えると蓮の首を両腕でしっかりと握り、地面を足で確かに掴み踏ん張って、

 

『オオォォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

『グゥオォォッッ⁉︎⁉︎』

 

力の限り蓮の巨体をぶん回したのだ。

蓮の四肢が地面から引っこ抜かれ、空気を唸らせながら巨体が振り回され、やがて大きく投げ飛ばされる。地面を何度も跳ねる蓮はすぐに鉤爪を突き立てて、地面を削りながら立ち止まるも、顔を上げた瞬間、彼の顔面にアリオスのドロップキックが炸裂した。

 

『ゴォアァ⁉︎⁉︎』

 

雷の加速を以て放たれたドロップキックは蓮の顔面にめり込むと、彼の巨体を勢いよく蹴り飛ばした。

破壊の力によって顔面の鱗を半ば砕かれた蓮は、再び地面を転がるも、今度は即座に反撃する。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️‼︎‼︎‼︎』

 

転がりながらも、口から青白い息吹を追撃を仕掛けるアリオスへと放ったのだ。

アリオスは両刃斧を盾にしてそれを間一髪でそれを防ぐ。だが、威力が強すぎたのか、踏ん張りが効かず後方へ押されていたのだ。

 

『グッ』

 

歯噛みしつつも抑えきれずに更に後ろへと下げられるアリオス。そんな時、突如、彼の足元の地面がボコっと盛り上がった。

 

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

足元を崩され大きく蹌踉めいたアリオスは、踏ん張りが効かなくなり、息吹の勢いに体が完全に浮かび大きく後方へと飛ばされる。

 

『グッ、オオォォォォォ‼︎‼︎』

 

そして、なんとか息吹の射線からも弾かれたアリオスが蓮へと距離を詰めようとした時、既に目の前に蓮がいた。

 

『オオォォォォォォォッッ‼︎‼︎』

『グゥウゥっ‼︎』

 

そのまま、蓮は巨体を活かした全身でのタックルを彼に見舞う。凄まじい轟音を鳴らしながら激突したアリオスの身体は再び勢いよく吹き飛んでしまう。

それを蓮は雷と風を纏い、足元を炎で爆砕しながら魔力を放出した四重加速で追撃する。

しかし、その速度は加速も生ぬるい超加速。まさしく瞬間移動にも等しく、蓮は一瞬でアリオスとの距離を詰めたのだ。

その速度に、アリオスは驚愕に眼を見開いた。

 

(幾らなんでも速過ぎるぞっ⁉︎なんだあの馬鹿げた加速はっ‼︎‼︎)

 

アリオスは迫る大太刀を受け止め、切り結びながら思考する。

いくら《覚醒超過》を経て莫大な魔力の恩恵を得られた事で、上限なしの魔力強化を行えるようになったとはいえ、この上がり幅は異常だ。

自分と彼の間には300mの距離が空いていたはず、それを一瞬で詰めた。

あまりにも異常すぎる速度。というよりかは、魔力放出の強化具合が常軌を逸しているのだ。それは膨大な魔力を有しているからこそ叶うもの。

だが、あの加速に一体どれだけの魔力を注いだというのか。

それほどの莫大な魔力を注いだのに、蓮は魔力切れの様子は見せず、それどころか魔力の総量が《覚醒超過》を経た直後から際限なく上昇しているのだ。その総量は、もはや並みの伐刀者の数百倍なんて話ではない。数千、いや、数万倍にも膨れ上がっているのだ。

そして、もう一つのことにも気づく。

 

(体が……大きくなってる、だと?)

 

首の長さを含めればアリオスの巨体すらも超える巨体だった蓮の肉体が、更なる肥大化を遂げていたのだ。

5mあった身体は、ひと回り大きくなり7m程になっている。自身の2倍以上の体格へと変化したその姿に、アリオスは蓮の《覚醒超過》がまだ不完全であることを理解した。

不完全であること。つまり、蓮の魂の形はこんなモノではなく、戦いの最中でも肉体が完全に適応しようと変化し続けているのだ。

 

本来の姿?否否否。これはまだ本来の姿ではない。こんなものまだ序の口。

 

神をその身に宿す者の真の姿が、人の形に留まっているわけがないのだ。

 

(一体、一体どれだけの魔力が君には宿っているんだ⁉︎)

 

詳しくはわからない。だが、これだけは断言できる。

今の蓮の内に宿る魔力の総量は、同じく《覚醒超過》を経たアリオスの魔力量を既に大きく上回っている。更に言えば、《覚醒超過》を経た大和の魔力量すらも彼は凌駕していたのだ。

しかも、これでもまだ発展途上なのだから、限界がどれほどのものか、完全な未知だった。

だが、そんな恐るべき未知なる存在にアリオスは牙を剥いて笑った。

 

『素晴らしいッ。これこそ、そうだ‼︎‼︎これこそ、自分が求めた好敵手に相応しいッッ‼︎‼︎』

 

驚愕と同時に彼の中には歓喜も存在していたのだ。

確かに蓮の魔力量が自分を凌駕しているのには純粋に驚いた。だが、それ以上に自身が認めた好敵手が、自分の予想以上の強さを有し、今もなお成長を続けているという事実に、彼の心は歓喜に打ち震えていた。

これなのだ。これこそが、自分が追い求めていた者。

己の全てを注いでも勝てないかもしれない相手。

自分よりも更に上の資質を宿す強者。

その者と命をかけた殺し合いをできるということに、彼は実力の差なんてどうでもよくて、今はこの相手に自分の全力を注ぎたいと思っていた。

 

『もっとだ‼︎‼︎もっと自分にその強さを見せてくれッッ‼︎‼︎レンッッ‼︎‼︎』

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️——————ッッ‼︎‼︎‼︎』

 

歓喜と闘志に満ちた咆哮が上がり、両者は再び真っ向からの斬り合いをする。

蓮は今度は大太刀ではなく、二つの鉤爪で応戦し、アリオスも両刃斧で応える。斬撃と斬撃の応酬が繰り広げられる中、アリオスと蓮はお互いの魂をぶつけ合う。

 

大気が軋み、大地が砕ける。

 

異形に成り果てた二人の怪物の戦いは、自分達以外の介入を許さないほどに凄まじく、近づけば誰彼構わず殺しかねないほどに危険すぎるもの。

 

彼らの戦いには、同じく限界を超えて人ならざる魂を獲得した《魔人》であっても、介入することは難しいだろう。

 

それこそ、彼らと同じ神話の怪物へと身を堕とした者しか介入できないほどの、圧倒的災害が如き闘争だった。

 

 

 

 

彼らは止まらない。

 

 

 

 

目の前の好敵手を打ち砕くその時まで。

 

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

蓮が《覚醒超過》を使用し、怪物に堕ちる前。

蓮とアリオスの激闘は遠く離れた日本でも知られていた。

 

それは、ヴァーミリオン皇国のテレビ局が必死に撮影したものであり、中継による生放送が全世界のテレビ局で取り上げられていたのだ。

 

『見てくださいっ!これが、今のヴァーミリオン皇国の様子ですっ!事件が発生した夕方からまだ半日も経っていないこの状況は、まさしく悪夢としかいいようがありませんっ』

 

現地アナウンサーの切羽詰まった声が、テレビ越しに聞こえてくる。

時間的には日本では朝の時間帯だが、見ていた者達の眠気を吹き飛ばすには十分すぎるほどの凄惨な光景が広がっていた。

破軍学園でも同じであり、レオと秋彦の自室でその悲惨な光景を中継で見ていたレオ達は、誰もが絶句していた。

 

「な、なんだよ、こりゃぁ……‼︎」

「こんなの、あり得るのかいっ⁉︎」

「………ッッ」

「こんなことって………」

「……………」

 

レオ、秋彦が驚愕の声をあげ、那月と陽香があまりにも凄惨な光景に口に手を当てている。凪は険しい面持ちで画面をじっと見ていた。

それほどまでに彼らが感じた衝撃は大きかった。しかも、それだけではない。

 

「おい、マリカッ、蓮にはまだ繋がんねぇのかよっ⁉︎」

「さっきからやってるわよっ‼︎でも、全然繋がらないッ‼︎」

 

レオの怒声に答えたのはマリカだ。

彼女は苛立ち混じりにレオに一喝すると、歯噛みしながら端末を睨む。その液晶画面には『新宮寺蓮』の名が表示されており、ずっと電話で呼び続けているが、いくら経っても電話に出ないのだ。

彼女達は蓮が一輝の一件で、ヴァーミリオン皇国にいることを知っている。だからこそ、あの場にいるはずの彼の身を案じ、電話で確認を取ろうとしていたのだ。だが、いくらかけても電話に出ない。それどころか、次第に電波が悪くなってきたのだ。

 

それもそのはず、今中継で繰り広げられている災害の如き激闘を引き起こしている一人が他ならぬ蓮であり、電話に出る余裕などあるわけがないのだ。

だが、それを知る術を持たない彼女は、必死に電話を続けていたのだ。

 

「駄目っ蓮くんが電話に出ないわっ。それどころか、電波が悪くなって繋がりにくくなっている」

 

マリカは苛立ちを隠さず歯噛みしながらそう呟く。なぜ、彼女達がレオ達の部屋にいるかというと、レオが彼女達を叩き起こしたからだ。

 

その日だけ偶然普段の時間よりも早起きしていたレオは、何気なく開いた端末に映ったウェブニュースでヴァーミリオン皇国で起きている事件を知り、SNSで見た動画に完全に目が覚めて、秋彦を叩き起こし次にマリカ達も叩き起こしたのだ。

最初こそ眠気に鬱陶しげにしていたものの、全員が事態を知れば、一気に目が覚めて、部屋着に着替えた彼女達がレオ達の部屋に集まりテレビをつけて現状を知ったのだ。

その時、凪が小さく呟いた。

 

「…………この状況、似てる」

「……凪……?」

 

凪の呟きに、陽香だけでなく全員が反応した。

 

「どういうこと?何が似てるのよ」

「………前に、山梨との県境で起きた突然の異常現象と似てる」

「結局原因が分からなかったアレのことか?それのどこがどう似てんだ?」

 

結局あの事件は、原因が分からずに伐刀者達の戦闘ということで終わった。それとあの惨劇が似てると言った彼女の真意が分からなかったのだ。

だが、直後の彼女の言葉に全員が理解した。

 

「………突然の天候の急変。青い落雷。青白い魔力砲撃。植物の魔術。ソレはあの時の状況とよく似ている。しかも、見た限り同じ伐刀者の仕業だと、思う」

『『『ッッッ‼︎‼︎』』』

「あの黒い雷とか大地が蠢いたり、金属の剣が生えたりするのは初めて見たけど、ソレ以外はほとんど同じ。だから、複数の伐刀者じゃなくて、たった一人の伐刀者の力によるものだと思う」

 

そう凪が言った時、陽香は彼女の言わんとしていることに気づき、恐る恐る尋ねる。

 

「……ねぇ、凪。もしかして、その同一の伐刀者って、蓮さんだと思ってる?」

「……………」

 

陽香の問いかけに凪がこくりと小さく頷く。

それに真っ先に異論を唱えたのは那月だ。

 

「待ってください。確かに今のヴァーミリオン皇国で蓮さんが戦っているのは確かです。でも、蓮さんは水使いです。

天候を操ったり、雷を落としたり、植物を操れるはすがありませんっ。もしも蓮さんが戦っていたとしても、相手が複数の伐刀者ではないんですか?」

 

皆が知っての通り、表向きに知られている蓮の能力は水だ。その派生で氷を操れるぐらいのはずだ。だが、そんな彼女の疑問に凪は答えずに陽香に視線を向ける。

 

「……陽香。《天光眼》でこの映像を見てみて。そうしたら分かると思う」

「え?う、うん。分かった。でも、映像越しにはまだやったことないからできるか分からないよ?」

「それでも、試してみて」

 

陽香は小さく頷くと、自身の瞳を黄金に輝かせて、映像越しにあの激闘の魔力軌跡を《天光眼》で見る。

じっと真剣に見つめていた陽香は、しばらく観察を続けた後、驚愕に目を見開くと表情を青ざめさせる。

 

「嘘っ、そんな事って……でも、あの魔力はっ…」

「……陽香、どうだった?」

 

予想通りだったのか平然としている凪の問いかけに、陽香は声を震わせながら答えた。

 

「………今、映像に写ってる魔力は二種類しかなかった。黒雷に宿る魔力は、見たことがないから多分敵の魔力。そして、もう一つは………蓮さんの魔力だった」

「二人分の魔力しか写ってなかったの?他には?誰もいなかった?」

「……ううん、今も見てるけど、ずっと変わってない。青い雷、青い炎、植物、岩石、金属の剣、黒い雷以外の全てが蓮さんの魔力を帯びていた。ソレはつまり……」

「……蓮くんは水使いじゃなかった、ということね」

「ええ」

 

沈黙が彼らの間に降りる。

光使いであり、《天光眼》によって他人の伐刀絶技に宿る魔力の色を識別できる彼女がそう言ったのだ。疑う余地などない。

だが、蓮が水使いでなければ、一体何の能力なのだろうか。

水や氷だけでなく、炎、風、雷、土、岩、金属、植物。自然干渉系の能力を複数行使できる能力とは、一体何なのだろうか。

そして、ソレを今まで隠し続けてきた理由も分からなかった。

考え込むマリカ達に陽香が震える声で続けた。

 

「……でも、あの魔力が本当に蓮さんのものかは断言はできない」

「……?それは、どういう……ッッ、陽香?」

 

これには凪も予想外だったのか、疑問の表情を浮かべて、陽香に問おうとして気づく。

陽香が何か恐ろしいものを見たかのように顔面が蒼白になっており、小刻みに体が震えているのを。そして、凪が陽香の様子に驚く中、陽香がへたりと座り込んだのだ。

 

「陽香っ」

「大丈夫ですかっ?」

 

凪と那月が慌てて彼女に寄り添う。

二人が支える中、陽香は無理やり笑みを使って二人に礼をいう。

 

「あ、ありがとう二人とも…」

「陽香、陽香は何を見たの?」

「……………」

 

恐る恐る尋ねた凪の問いかけに、陽香は沈黙の後震える声で答えた。

 

「………私が見た二つの魔力。……アレは、()()()()じゃないっ」

「どういう、こと?」

「あんなにも禍々しくて悍ましい魔力は、今まで見たことがなかったっ。

前に見た蓮さんの魔力はあんなにも綺麗だったのに、今はもうその面影が全くなかったのっ。

波長が同じだったから、かろうじて蓮さんのだってわかったけど…あんな魔力、人間が持てるような魔力じゃないっ、アレはもう化け物の領域よっ」

 

陽香は優秀な光使いであるが故に、映像越しでも《魔人》が有する絶大かつ歪で恐ろしい魔力を感じ取ってしまったのだ。

蓮の魔力も同じ。彼女が彼に惚れるきっかけとなった彼の魔力は、無駄のない精緻で美しい洗練されたものだったはずなのに、今は禍々しくて身も凍えるような恐ろしさを感じる悍ましい魔力へと変わり果てていた。

そんな《魔人》が持つ歪な魔力を感じ取ってしまった陽香は、その片方が愛する蓮のものであっても、化け物だと思ってしまったのだ。

 

恐怖に体を震わせる陽香を、何とか落ち着かせようと凪と那月が手を尽くす中、マリカは再び映像へと視線を戻して、冷や汗が滲む表情を浮かべて小さく呟いた。

 

 

「蓮くん。‥‥貴方は、何者なの?」

 

 

▼△▼△▼△

 

 

同時刻、ステラの部屋でもステラが同じようなやりとりをしていた。

彼女の表情は焦燥や驚愕に満ちていた。

当然だ。彼女はヴァーミリオン皇国の第二皇女。自分の国があんなことになっているのだから、心配しないわけがない。

そして、こちらは電話が繋がっている。相手は、ステラの母、アストレアだ。

 

「待って、お母様。じゃあ、今戦ってるのはレン先輩だけなの⁉︎」

 

ステラはアストレアより齎された情報に目を見開く。

あの災害が如き激闘。複数の能力による魔術が飛び交う異常事態で、一体どれほどの数と強さの伐刀者たちが激しい集団戦を繰り広げているのだと思えば、聞けば現在戦っている伐刀者はたったの二人というではないか。

 

あの所在地が公開されていない幻の監獄の最奥に囚われ、最近監獄を破壊して脱獄した脱獄囚が、7体の正体不明の怪物達との激闘を制した蓮に襲いかかり今交戦中らしい。

 

ステラは《魔人》の存在を知らないし、第二皇女とはいえ、当時まだ生まれていなかった彼女は、《牛魔の怪物》と呼ばれた伐刀者がどんな存在かも知らない。

先程電話でアストレアから《魔人》などの秘匿情報を省いた簡単な説明を受けて、蓮がソレほど凶悪な伐刀者と戦っていると知ったのだ。

そんなステラの驚愕に電話の向こうでアストレアが答える。

 

『えぇ、そうなの。レンくんが戦ってるおかげで私達の方は町が滅茶苦茶になっただけで、誰一人死者は出ていないんだけど……』

「?どうしたの?お母様」

 

何か言い淀むアストレアにステラがそう尋ねるも、返ってきたのははぐらかす言葉だった。

 

『ううん、何でもないわ。とにかく、連盟本部にも救援要請は出したし、クロノさんもコチラに向かってくれてるっていうから、今のところ私達は大丈夫よ』

「本当に、皆大丈夫なの?」

 

ステラが心底心配そうな声音をあげる。

現場にいない彼女は、映像や動画でしかヴァーミリオン皇国の状況を把握できず、直接自分の家族である国民達が無事な姿も見れていない。

尋ねるステラにアストレアが安心させるように言った。

 

『今は戦闘区域からもっと離れるためにエーギルさん達の誘導で避難してるけど、きっと大丈夫よ。レンくんならきっと何とかしてくれるわ。………とはいえ、私達が彼の為に何もできないのは悔しいけどね…』

「……うん…」

 

ステラもその気持ちは分かる。

自分達の国が襲われているのに、自分はその場にはおらず遠い異国の地で見ることができないし、アストレア達も異次元すぎる戦いの前に軍での支援行動ができずただ避難して見ていることしかできないというのが歯痒いのだろう。

その気持ちは痛いほど伝わった。

 

『ステラちゃん私も避難指示を出さないといけないから、そろそろ切るわね。私達のことは大丈夫だから、心配しないで。ただでさえ、ステラちゃんは今イッキくんのことで大変なんだから』

「だ、確かにそうだけど、でもっ、私の故郷の危機なのに…肝心の私がその場にいなくて見ていることしかできないなんて……私は、第二皇女なのに……」

 

故郷の存亡の危機に、故郷を守る為に日本に来たステラは何もできない悔しさに思わずそう呟いた。

 

『…‥ステラちゃん。何もできなくて悔しいのは私達も同じよ。皆同じなの。15年前の時はヤマト君に守られて、今度はレン君に守られてる。私達は家族なのに、たった一人に背負わせてしまっていることは、とても辛いわ。

……でも、ステラちゃん。残酷なようだけど、私達では彼の力にはなれないわ。だって私達は「弱いから、でしょ?」……ええ、その通りよ』

 

諭すように優しくいうアストレアにそう答えたステラ。彼女だって言われなくてもわかっている。あの戦いのレベルは、蓮と同じAランクであり、ヴァーミリオン皇国屈指の実力者である自分でも介入することが出来ないほどのものだと。そして、唇を噛み悔しそうにするステラに、アストレアは優しく言う。

 

『……だからお願い。どうか祈ってあげて。

彼の勝利を。そして、私達の家族が無事に帰ってきてくれることを』

 

自分達が何もできないのは悔しい。かといって、戦いに介入できるわけもないので、唯一できることがあるとすれば、ソレはただ彼の勝利を祈ることだけだった。

 

「………うん、分かったわ。それと、レン先輩がこっちに戻ってきたら、ちゃんとお礼しないと…」

『えぇ、勿論、そのつもりよ』

「……じゃあ、お母様も本当に気をつけてね?」

『ええ、しっかり皆で生きるから、ステラちゃんも安心して報告を待っててね』

 

そう言って、電話が切れた。恐らく、これからしばらくは電話に出ることは難しいだろう。アストレアはこれからシリウスに代わり、全体の指揮をとるはずだ。

これ以上の電話は彼女の指揮の妨げになるだろう。電話口からでも声が漏れるぐらい慌ただしかったのだ。アストレアは無理にでもステラとの電話を繋いでくれたのだ。

端末を閉じて机の上に置いたステラは、もう一度テレビの画面を見つめ、目の端に涙を浮かべると、指を組んで祈るように呟く。

 

 

「レン先輩。お願い……勝ってください。どうか、私の大切な家族を守ってください。そして、無事に帰ってきてください」

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

 

尻尾の薙ぎ払いと、口に咥えた大太刀を首の振りを利用した薙ぎ払い。二つの薙ぎ払いの同時攻撃を、アリオスは受け止めた両刃斧と脇腹にうけて、後ろへと大きく弾き飛ばされる。

蓮は一気に畳みかけようと飛び出して襲い掛かるが、アリオスも受けには回らない。

吹き飛ぶ体を電磁力で強引に立て直して、五指で地面を掴み、前へと駆け出す。

強引な立て直しをしたアリオスは、黒雷迸る剛拳を構えて、対する蓮も蒼黒の雷電と蒼白の火炎旋風を纏わせた崩拳で迎え撃つ。

 

二つの拳がぶつかり、崩壊した大地に激震が走り、衝撃波によって砕け散り岩塊が吹き飛んだ。

爆心地の中心。漆黒色と蒼黒白色の二つの拳が競り合うも、蓮が競り勝ち押し込むようにアリオスを更に後方へと殴り飛ばしたのだ。

 

アリオスは再び吹き飛ぶも、今度は両刃斧に膨大な黒雷を纏わせて勢いよく振り抜く。

 

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

黒雷の濁流が追撃する蓮を迎え撃ち大爆発を引き起こし砂塵を巻き上げる。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

しかし、黒い砂塵の中に浮かぶ青い光が一瞬輝いた直後、砂塵を突き破り蓮が飛び出てくる。

彼の鱗は所々砕けていたものの、それはもうほぼ癒えていた。龍神が有する不死性による莫大な自己再生能力。

それが、蓮のあらゆる負傷を瞬時に癒してしまうのだ。

そして、砂塵を突き破り、地面を踏み砕きながら爆進する蓮はアリオスへと右手を翳して一言。

 

『刺し殺せ』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

直後、アリオスの両脇の地面が盛り上がり、下からさながら牙のように無数の鉄針と氷棘を備えた氷鉄の顎門が姿を現したのだ。

それは、アリオスを覆い隠せるほど巨大であり、顎門より伸びた植物の荊がアリオスの肉体に棘を突き立て固定しながら絡みついて彼の肉体を縛りつけると、顎門が閉じていく。

 

伐刀絶技《荊血龍の顎門(ローゼン・メイデン)》。

 

形状はまさしく、拷問器具の一つとして知られるアイアンメイデンに酷似しており、荊の蔓で対象を拘束し、氷棘と鉄針で相手を串刺しにする凶悪な伐刀絶技だ。

ソレは瞬時に閉じてアリオスを串刺しにせんとする。アリオスの肉体に針や棘を突き立てて血を滲ませる。しかし、

 

『グッウゥォォォォッッ‼︎』

 

アリオスが雄叫びをあげて内側から《荊血姫の抱擁》を完全に消し飛ばしたのだ。

拘束を脱したアリオスは、突如目の前に顎門を限界まで開き喰らい付こうとする蓮目掛け、拳を振り上げる。

 

『グゥゴォアァ⁉︎』

 

アッパーカットは蓮の顎を確かに捉えて、顎をかちあげた。《覚醒超過》による圧倒的な膂力と破壊の黒雷が宿っているのだ。流石の蓮も、それにはたまらず怯み、首が大きく後方に逸れて数歩蹌踉めく。

僅か一瞬にできた無防備をアリオスが見逃すはずもなく、すぐさま蓮の首を掴むと一本背負のように蓮の身体を前方の地面に叩きつけたのだ。

 

『ガハアァッ⁉︎』

 

地面から足が引き抜かれ、大きく弧を描いた蓮は、腹部を勢いよく地面に打ちつけられた勢いに堪らず声を上げる。

一瞬の隙に、アリオスは蓮の首を踏みつけると、彼の顔面めがけて拳の連打を見舞う。

 

『ヴゥオオオオオオオオォォォォォォォッッ‼︎‼︎‼︎』

『グゥッ!ガァッ‼︎ゴォアァっ⁉︎』

 

《覚醒超過》を経て、肉体が霊装と同化した状態の尋常ならざる強度と破壊の力が宿る拳。

その残像から見えるほどの乱打が全て蓮の頭部に降り注ぎ、蓮の鱗に亀裂が広がり、魔力が混ざったことで変色した青黒い血が隙間から噴き出す。

このままではいずれ蓮の頭部が完全に崩壊することだろう。

だが、無防備に蓮がその末路を迎えるわけがない。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ』

『グゥオッ⁉︎』

 

蓮が唸り声を上げた瞬間、アリオスの首に後方より伸ばされた蓮の尻尾が巻きつき強く締め付ける。

圧倒的膂力で首を絞められたアリオスは、堪らず乱打を止め、尻尾を引き剥がそうと尻尾を掴む。

アリオスの踏み付けが緩んだ一瞬を見逃さずに、蓮は足を押し退けながら立ち上がると、体勢を崩すアリオスを、全身を振り回すことで遠心力を増加させた尻尾を勢いよく振り抜いた。

アリオスの巨体がピンボールの如く地面を何度も跳ねながら勢いよく吹き飛んでいく。

 

『グゥッ、流石に、やるなッッ……』

 

アリオスを投げ飛ばした蓮は、蹌踉めきながら立ち上がると、外れかけた顎を押さえながら再生を行いつつ感心する。

流石は《牛魔の怪物》。自身の肉体強度が上がったのも嬉しいが、それでも自身の肉体を砕かんとするアリオスの強さに、大したものだと感心していた。

 

『カハハッ‼︎』

 

再生を終えた蓮の視線の先、体勢を立て直しこちらへと再び突貫するアリオスの姿を認めて、蓮は歓喜の声をあげて自身も突貫する。

 

二匹の異形は何度目かわからぬ激突を遂げようとする、アリオスは両刃斧を振り下ろし、蓮は顎門を大きく開いて距離を詰める。

そして、再び壮絶なぶつかり合いが繰り広げられ、不意にソレは起きた。

 

『———』

 

アリオスは蓮がぐらりと蹌踉めいた隙を見逃さずに、両刃斧を振り下ろす。通常ならば、それに何らかのアクションをとるはずなのだが、蓮はどういうわけか防御態勢を取ることはなく、破壊の黒雷纏う両刃斧はそのまま蓮の首を斬り飛ばしたのだ。

 

『な、にっ?』

 

あまりにも呆気なく首を切り落とせた事に、アリオスは戦いの最中にあるにも関わらずに呆けて動きが止まってしまう。

首を断ち切られれば、どんな生物であろうと生存は不可能。それは《覚醒超過》を経た自分達人外の怪物であっても同じだ。

ただし、己の肉体を魔力分解する事で、その攻撃をやり過ごすことはできる。

だが、アリオスの破壊の力はその魔力分解すらも無効化することができてしまう。緻密に編まれた蘇生の術式や、魔力の流れを阻害するからだ。蓮とてそれは分かっているはず。だというのに、あっさりと首を切り落とされた。

だからこそ、アリオスは一瞬とはいえ、驚愕に呆けてしまったのだ。

 

その一瞬が、仇となった。

 

なぜなら、彼の目の前にいるのは———死を超越した紛う事なき不死身の怪物だ。

 

『………』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

宙を舞う蓮の首。その眼球がギョロリと動き、アリオスに向けられるとニィッと笑みを浮かべたのだ。

それはまさしく、してやったりという笑み。

刹那、アリオスは気づく。自分は嵌められたと。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

首だけとなった蓮が牙を剥き出しにして、アリオスへと襲いかかる。それを迎撃しようとしたアリオスだったが、視界の隅に映った蒼黒の刃に、咄嗟に防御体制をとった。

 

『くっ、今のはフェイントかっ‼︎』

 

受け止めたのは蓮の蒼黒の大太刀。

見れば、首がない蓮の肉体は動いており、アリオスへと攻撃を仕掛けたのだ。

いや、よく眼を凝らせば、首元の断面からは青い魔力の糸が伸びており、宙を舞う首に繋がっていたのだ。

故に、アリオスは蓮が自分にわざと首を斬らせて、不意打ちをしようとしていたのに気づく。だが、本命は大太刀じゃない。

 

『くっ』

『捕らえたぞ』

 

蓮は大太刀の一撃を受け止めたアリオスの左肩に牙を立てて噛み付く。そして、噛み付いた瞬間、蓮は体内に一気に魔力を流し込んだのだ。

すると、アリオスの左肩を起点に、頑強なはずの皮膚と筋肉を突き破って、氷と鋼の刃が生えた。

 

『オオオァァァアアッッ⁉︎⁉︎⁉︎』

 

アリオスが肉体を内側から食い破られる痛みに堪らず苦悶の声を上げて、動きを止めてしまう。

 

(やられたっ‼︎)

 

アリオスは己の失策を呪った。

彼が常軌を逸した再生能力を有してることなど分かりきっていたはずだ。そして、生物の常識にも当てはまらない力を有していることも同様。

神の力を宿す彼が、首を刎ねられた程度で死ぬわけがないのだ。なのに、あの一瞬呆けて傷を負った。その事にアリオスは自分が見誤ったことを責めたのだ。

そして、激痛に悶えた一瞬で、首と胴体の断面から魔力の糸を伸ばして結びつけて、肉体を瞬時に繋げた蓮は左肩に牙を立てたまま踏ん張ると、首だけでなく全身を勢いよく振り回してアリオスの巨体を投げ飛ばした。

 

『ラアァッ‼︎‼︎』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

全身の筋肉を連動させて投げ飛ばされたアリオスは、宙を軽々と舞う。まるで木の葉のように舞う彼は、肉体を雷に分解して氷と鋼の刃を取り除きながら、蓮へと反撃しようと身構えるが、そこで気づく。

 

『——————』

 

見下ろす視線の先、氷焔の地獄で仁王立ちする蓮は、全身から蒼黒の魔力を噴火の如く勢いよく噴き出し、背中の突起や背鰭、龍眼を、周囲を照らすほどに青白く光り輝かせながら、口に青白と蒼黒が入り混じる禍々しい魔力を集束させていたのだ。

大気や大地をビリビリと震わせながら、蓮は顎門に魔力を集束させていく。

集束される魔力は、並みの伐刀者の魔力数十人分を優に超えるほどの膨大すぎる量であり、それが顎門に集束され、圧縮されていく。

内包するエネルギー量があまりにも強く多すぎるためか、蓮の全身が所々ひび割れを起こし内側から蒼黒の光が溢れ出したのだ。

だが、蓮は己の肉体が自壊しかけているにもかかわらず、自らの魂を滾り迸らせて、解き放つ。

 

 

その構えから放たれる技は、ただ一つ。

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️—————————ッッッ‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

息吹だ。

 

 

蓮が持つ属性全てを束ねた全力全開の息吹に属性はなく、ただありとあらゆる生命の存在を許さず消し滅ぼす神の裁きが如き破滅の極光。

 

 

 

伐刀絶技《龍神の息吹・天撃(てんげき)

 

 

 

全てを破滅させ、灰燼に帰す蓮が持つ最強最悪の伐刀絶技の一つにして、莫大過ぎる魔力を使える《覚醒超過》形態のみで放てる、禁断の絶技。

凄烈な咆哮を伴って放たれた、青、白、黒の三色が入り混じる極太の息吹が、大気を唸らせながら彼へと襲いかかる。

視界が3色の光に塗り潰されていく中、アリオスは全身に破壊の黒雷を纏わせ、両刃斧を掲げて防御の構えをとる。

その直後、破滅の息吹が彼を呑み込んだ。

息吹はアリオスを飲み込むだけにとどまらず、その背後の夜空をも貫き、天へと勢いよく昇っていく。

 

もしも、衛星からリアルタイムで宇宙の様子を撮影できていたら、きっと地球から宇宙へと伸びる極光を見れたことだろう。

射程距離は数千kmをも超えていたのだ。

そして、その極光に呑まれたアリオスは、

 

 

『グッ、オオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎』

 

 

今日一番の苦悶の絶叫をあげていた。

触れたものを悉く『破壊』する黒雷の鎧。受けた攻撃を打ち砕くはずのそれは、蓮の破滅の極光を完全に打ち消すことは叶わず、絶え間なく襲いかかる莫大な魔力の奔流に肉体を焼かれていた。

黒い毛皮が焼け爛れ、チリチリと焦げていき赤黒い血が滲んでいき、更に肉体が傷ついていく。それが10秒、20秒、30秒と続き、一分が経過した頃、漸く息吹は途切れる。

 

『ウ……オォ……ァァ……』

 

息吹が途切れ現れたアリオスの姿は全身が焼け焦げ肉が剥き出しになってる部分が多く、白煙を上げる姿はまさしく満身創痍とも言える。

アリオスは肉体を修復しながら、大地へと落ちていく。着地する頃には回復してるだろうが、完全回復するのを蓮が許すわけなかった。

 

『クハッ、ハハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハッッ‼︎‼︎』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

彼の耳に龍神の歓喜の笑いが届く。

次の瞬間には、自分の目の前に青黒い巨躯の龍人ー蓮がアリオスの頭上におり、片腕に魔力を集わせて振り抜こうとしていた。

そして、蓮は青白と蒼黒の三色が宿る魔拳を、アリオスの胸部に叩きつけて勢いよく振り抜いた。

 

『グゥオォォッッ⁉︎⁉︎』

 

アリオスの胸部からは筋肉が潰れて骨が砕ける音が響き、口からは大量の血が吐き出され、ゴムボールのように凄まじい勢いでアリオスがある方角に殴り飛ばされる。

 

この時、蓮は決定的な間違いを犯した。

 

いや、やってはならないことをしたのだ。

人々を守る騎士として最大の禁忌を。彼は犯そうとしていた。

 

今まで、彼はある方角には決して攻撃が向かないように、あるいは放たないように意識しながら戦い続けていた。それは、《擬似覚醒超過個体》との戦いでも、アリオスとの戦いでも崩すことはなかった。

だが、《覚醒超過》を経てからは目の前の好敵手に勝ちたいという欲求に呑まれ、それに意識を割く余裕がなくなっていたのだ。

 

 

 

そう、アリオスを殴り飛ばした先は———蓮が守ろうとしていた者達がいる場所。

 

 

 

カナタやヴァーミリオン皇国の国民達がいる場所だった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

皇都フレアヴェルグ北方地区。

全ての国民の避難が終わり、戦いの余波が民達に及ばないように騎士団の団員達が超大規模な魔力障壁を張り防衛する中、カナタは一人泣き崩れていた。

 

「蓮、さんっ…」

 

両膝をついて座り込みとめどなく涙を流しているカナタの視線の先ー南の方角では今もなお激しい衝撃と咆哮が幾度となく響いており、夜空が青と黒に激しく明滅していることから、激闘がまだ終わっていないことを示していた。

 

だが、それがいいかと思えば良いわけがない。

 

二度目の号砲が轟いた直後、これまでをも凌駕する衝撃がここまで突き抜けてきたのだ。

数kmは離れているはずなのに、それでもなお届く激突の余波は、国民達を震え上がらせるには十分であり、ここにいては危険だと危惧させるには十分すぎた。

 

シリウスは城をも揺るがすほどの衝撃波の連続に、すぐさま国民を王都の外に、更に激戦区から遠ざけようと避難を指示した。

騎士団が障壁維持に全力を尽くす中、陸軍が主導で避難誘導を行い、学生騎士も動員しての避難活動が現在行われていた。今もカナタから少し離れた後方で最後列の市民達が指示に従い移動している。

そしてこの避難活動は、ヴァーミリオン皇国だけではない。

 

ヴァーミリオン皇国の周辺諸国。半径数百kmに存在する全ての国家に、イギリスにある魔道騎士連盟本部の長《白髭公》が国民の避難と、魔道騎士達への障壁維持の緊急指示を出したのだ。

 

 

『《魔人》新宮寺蓮が《覚醒超過》を使用』

 

 

黒乃より連盟本部に齎された情報に、元々ヴァーミリオンで《牛魔の怪物》襲撃の報告を受けて動いていたのもあって、迅速に各国の軍と魔導騎士達が動いたのだ。

そして、カナタも本当ならば学生騎士として避難誘導や障壁維持に尽力しないといけない立場だ。

だが、彼女は今まともにソレをできる精神状態になかった。

 

「蓮さんっ……もぉ、やめてっ……やめてくださいっ……止まって……」

 

彼女は何度も蓮へと懇願するように呟く。

だが、消え入るようなか細い声が今もなお激闘を繰り広げる蓮の耳に届くわけもなく、彼女の言葉を拒絶するかのように咆哮と衝撃が幾度も届いてくる。

 

「カナタさん……」

 

隣で障壁維持をしているアルテリアは、そんな彼女に寄り添っている。今の彼女を一人にしておくことなんてできなかったからだ。

グラキエスはそんな二人の前に立ち、ありったけの魔力を注ぎ高さ30m、横300mの超大規模な氷の城壁を築きながら、嫌な汗が止まらなかった。

 

(仮にレンくんが《牛魔の怪物》に勝ったとして………どうやったら、彼は止まるんだ?)

 

グラキエスは遠見の魔術で蓮とアリオスの異形の戦いをこの目で見ていたのだ。

ゆえに、その戦いの激しさに、変わり果てた蓮の姿に、どうやったら彼を元に戻すことができるのか、まるで分からなかった。

 

かつて大和が《覚醒超過》を使い《牛魔の怪物》を倒した時、力が抑えきれずに暴走しかけた大和を他ならぬサフィアが止めた。

愛する存在のおかげで、間一髪で人の世へと引き戻せた。

だが、今のあの蓮の様子ではそれすらもできないのではないかと思ってしまったのだ。

周囲への被害を気にせずに、己の本気を出して目の前の怪物を殺さんと雄叫びを上げる、異形と化した蓮は、ソレほどまでに危険だった。

 

 

「カナタッッ‼︎‼︎‼︎」

 

 

一体どうすればいい?と必死に思考するグラキエス達の頭上から一人の声が聞こえる。

それは、焦燥に満ちた一人の女性の声音であり、聞き覚えのある声にグラキエス達が揃って顔を上げた直後、彼らの横に一人の麗人が降りてきた。

 

「クロノくん……」

 

降りてきたのは黒乃だ。

彼女は、嵐が酷くてこれ以上輸送機が進まないと分かると、輸送機を飛び出して空中を固定しながら全速力でここまで駆け抜けてきたのだ。

荒い息を整えている黒乃はグラキエス達に近づく。

 

「グラキエスさん、状況は全て知っています」

「そうか、それなら話が早い。クロノくん、彼はどうやったら止められるか教えてもらえないか?」

「…………分からないというのが現状です。

3年前に使った際は、私やネネの呼びかけで止まることはできました。ですが、もうソレすらも通じない段階にあることも視野に入れるべきです」

 

会ってすぐに手短にそう聞かされたグラキエスは苦虫を噛み潰したかのような表情を呻く。

 

「そう、か……なぁ、クロノくん。……最悪の可能性もあり得てしまうのか?」

「………………」

 

グラキエスの言葉に黒乃は長い沈黙を浮かべると、静かに頷いた。

『最悪の可能性』。それはつまり、『捕縛、拘束ではなく、討伐を目標に動く』ということ。

ソレを黒乃が確かに認めた。

 

「………はい、あり得るでしょう」

「………そうか」

「…‥現在、本部の方で《黒騎士》を筆頭にAランクのみでの突入部隊を編成しています。

私の判断次第で彼女達がこちらに突入して戦うことになります」

 

最悪の可能性——言葉にしなかったものの、それが蓮の討伐だということは明らか。

だから、黒乃はカナタに聞こえないように小声で今連盟本部が行っていることを伝えた。

連盟有数の《魔人》である『黒騎士』を筆頭に、Aランクのみで突入部隊を編成しているということは、《覚醒超過》を経た蓮がそれだけ危険な存在になり得ているということだ。

捕縛ではなく、討伐を優先するぐらいだからだ。

本部がそれだけ本気で対処に努めていることを知ったグラキエスは、生唾を呑み込んだ。

そして、簡単に情報を交換した黒乃は、次いでカナタへと視線を向けて近づく。

近づいてきた黒乃に、カナタは縋り付くように泣きながら、謝罪した。

 

「黒乃さん、ごめんなさいっ……私が、ついていながらっ、蓮さんを止めることが、できませんでしたっ」

「いや、いいんだ。お前は悪くない」

「でもっ、私がもっとしっかりしていればっ…あんなことにはっ……」

「自分を責めるな。お前は何も悪くないんだ」

 

自分を責めるカナタに黒乃は優しく言う。

彼女に非などあるわけがない。そもそも、戦いに介入すらできず、近くにいることもできていなかった。だから、異形に堕ちる蓮を止めることは元より不可能だったのだ。

だが、そう言う問題ではない。

 

蓮を引き止めることができなかったことが、堪らなく悲しかったのだ。

 

その彼女の心情を黒乃も理解しているからこそ、そう慰めることしかできなかった。

 

その時だ。障壁の先ー蓮が激闘を繰り広げている方角から、蒼黒白色の極光が天を貫いたのを見た。

 

『『『『ッッッッ⁉︎⁉︎』』』』

 

極光が見えたのと同時に響く龍の咆哮に黒乃達は揃って目を見開き、障壁を維持している騎士達に至っては、その余りの強大さに慄いてしまっている。

 

「なっ、まさか……《天撃》を、使ったのか?」

「何ですかっ…あの威力はっ……あれを、レンくんがっ⁉︎」

「………そう、なのだろうな」

 

技の正体を知る黒乃が悲痛と驚愕の声でそう呟き、アルテリアとグラキエスが戦慄の声を上げた。

その後光の柱が消えた直後、グラキエスは氷壁の向こうから何かがこちらに向かってまっすぐに向かってくるのを見た。

 

「何か来るぞッッ‼︎‼︎全員備えろォォォッッ‼︎‼︎」

 

グラキエスがそう叫び身構えた直後、張られた大規模障壁と巨大氷壁がパリンとガラス細工のように砕かれる音が響き、何かが二つの壁を貫き勢いよくカナタ達の近くの地面へと落ちたのだ。

ドガァァンとミサイルの着弾を思わせる轟音と衝撃が広がり、着弾地点を濛々と砂煙が立ち込めて覆い隠す。

 

『グゥッ……ゴホッ……』

 

黒乃や騎士達が警戒心を剥き出しにして霊装を構えて砂煙を睨み、まだ後方にいる国民達が困惑の表情で砂煙に視線を向ける中、砂煙の中で巨大な影が動いて苦悶に満ちた声が聞こえる。そして、煙が晴れてその姿が見えた。

煙の中にいたのはアリオスだ。何かに殴り飛ばされたのか、胸部が凹み口からは大量の血が吐き出され、魔力が混ざり合った赤黒い血が地面を濡らす。

 

『ガフッ、ハ、ハハハッ……重い、一撃だなっ……』

 

アリオスは口からこぼれる血を乱暴に拭うと、強力な一撃に感心の声を上げながら身を起こした。

 

「《牛魔の怪物》っ。ここまで飛ばされたのかっ⁉︎」

 

黒乃は遠くで蓮と激闘を繰り広げているはずのアリオスがここにいる事に、すぐさま蓮によって吹っ飛ばされたのだと理解する。

 

(待てっ、奴がここに飛ばされたということは…っ⁉︎)

 

アリオスがこちらに吹っ飛ばされたということは、つまり———

 

「まずいっ、全員逃っ」

 

いち早く状況を理解した黒乃が青ざめながら、周りにいる全員に逃げろと叫ぼうとした瞬間、

 

 

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 

 

龍の悍ましい雄叫びが轟然と闇夜を震わせた。

 

黒乃の悲鳴じみた警告などその雄叫びに容易くかき消されてしまい、直後、別の何かが落ちてくる。

先程よりも激しい着弾音が響き、地面を揺らし周囲にいた者達をまともに立たせなくさせるほど。

 

『グゥルルルゥッ‼︎』

 

腕を地面につきながら、騎士達や国民達が見たのは、四つん這いで佇む一匹の青黒い怪物の姿だった。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ⁉︎」

「きゃ、きゃああああああああああああああ⁉︎」

 

市民達の中から甲高い悲鳴が響く。

青黒い血を滴らせる異形の怪物ー牙を剥き出しにして悍ましい咆哮をあげた蓮の姿に、混乱と恐怖が生まれ一気に伝播する。数多の市民達が我先に波となって蓮から逃れようとする。

 

「な、なんだアレはっ⁉︎」

「ボサッとするな‼︎すぐに囲めっ‼︎」

「くそっ、なんだよあのバケモン共はっ‼︎」

 

周囲にいた魔道騎士達は悪態をついたり、驚愕したりしながらも、市民を庇うように迅速に動くと蓮を囲み、攻撃しようとする。

だが、

 

「駄目だッッ‼︎‼︎全員戦うなっ‼︎すぐに下がれぇっ‼︎‼︎」

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️‼︎‼︎‼︎』

 

黒乃の警告と蓮の咆哮はほぼ同時に解き放たれた。警告は再び咆哮に塗りつぶされてしまい、彼らに咆哮が叩きつけられた。

 

「ひっっ⁉︎」

 

身の毛もよだつような恐ろしい雄叫びたった一つで、彼らの戦意は悉くねじ伏せられた。

蓮に襲い掛かろうとしていた騎士達が例外なく、原始的恐怖を喚起させられ、腰を抜かし、膝を折り、致命的なまでに硬直した。

悍ましい怪物の宣告。資格のない者が我の前に立ち邪魔をするな。まるでそう告げられているようで、蓮はー闘争に身を堕とした龍は、その黒く染まった金碧の龍眼を彼らへと向けた。

 

「——————ぁ」

 

人ならざる堕ちた龍神の瞳に睨まれ女性騎士は小さな声を上げて自分の死を悟ると、霊装を手から落とした。

目の前の怪物の逆鱗に触れた。闘争の邪魔をしてしまった。

自分がやってはならないことをやったのだと、魂が理解して生きることを諦めてしまったのだ。

 

「逃げろぉッッ‼︎‼︎」

「よせぇぇぇっっ‼︎‼︎」

「蓮さんっやめてぇぇ‼︎」

 

グラキエスと黒乃、カナタの叫びが響く中、蓮が指も動かせず涙を溜めている女性騎士を斬り裂かんと右腕が振り上げられた時、

 

『ヴゥオオオオオオオオ‼︎‼︎⁉︎』

 

真横からアリオスが斬りかかる。

その叫びは、お前の相手は自分だと伝えているようだった。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️‼︎‼︎』

 

蓮は獰猛な笑みを形作ると、騎士達を無視し大太刀で応戦する。刹那、大太刀と両刃斧の衝突による衝撃波に戦意を喪失した騎士達は全員が例外なく吹き飛ばされた。

 

「いかんっ‼︎」

 

あまりの衝撃に全身から血を噴き出しながら宙を舞う騎士達を、グラキエスが迅速な動きで水流を生み出して受け止めて水の球体で包み込むと、中で治癒をしながら逃げ惑う国民達を背に立ち素早く指示を出す。

 

「全員退避しろっ‼︎‼︎市民の避難を最優先にしてこの場を全力で離脱だっ‼︎‼︎」

『りょ、了解っ‼︎‼︎』

 

グラキエスが鬼気迫る表情で、まだ無事な騎士達に叫ぶように命令する。

騎士達はグラキエスの焦燥に満ちた様子に驚きながらも、視線の先で激闘を繰り広げ衝撃波を周囲に無遠慮に放つ怪物達の姿を見やるとすぐに市民達を守り離脱しようと指示に従い迅速に動く。

時を止めて負傷者を受け止めて他の騎士達に渡した黒乃は、それを見送ると蓮達に視線を戻す。

 

「…….もう、理性がないのかっ」

 

誰かを巻き込む戦いを決してしてこなかった蓮が動けない騎士達を殺そうとしただけでなく、躊躇なく余波で吹き飛ばした事にも黒乃は青褪める。

黒乃が危惧していた最悪の可能性が起きてしまった。しかも、今回は《覚醒超過》発動の上、既に理性を手放しているという最悪に最悪が重なった事態になってしまっていた。

 

「蓮っ‼︎頼むっ、止まってくれ‼︎‼︎」

『◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

思わず叫んだ黒乃の懇願も虚しく、蓮は止まらずにアリオスと殺し合う。多少市民達から距離は離れたが、ただ戦いの過程でそうなっただけで、気休めにもならないほどの移動だ。

 

視線の先では氷壁の残骸を砕きながら、取っ組み合いお互いの肉体に傷を与えていく二匹の怪物達の姿がある。

それを見て彼女は理解してしまっていた。

 

(駄目だっ。今割って入ったところで、殺されるだけだっ)

 

あの戦いに介入することはできない。

お互い《覚醒超過》を使った者同士の激闘。災厄と破壊がぶつかり合う光景に、扉の手前まで行ったとはいえ《魔人》ではない黒乃の実力では止めることができないと優れた実力から理解してしまった。

おそらく、寧音でも止めることは難しいだろう。アレは、もうそう言う次元の戦いではないのだから。

しかし、そんなことを考えることすらできない者が一人。

 

「蓮さん、いやっ、お願い止まってっ……」

「駄目だっ、行くなカナタ‼︎」

 

カナタが呆然とした様子で涙を流しながら、蓮の元へと駆け出そうとしていたのだ。

それを黒乃が肩を掴んで止めた。

 

「で、でも蓮さんが、蓮さんがっ。誰かが止めないとっ、あのままではっ」

「そんなことは分かっているっ」

「なら行かせてくださいっ。私があの人を止めないとっ」

「それが無理な事ぐらいわかっているだろうっ‼︎‼︎」

 

黒乃は嫌々と首を振りながら手を振り解かんとするカナタの胸ぐらを掴み怒鳴りつけた。

 

「今の蓮を止められるものはここにいない。私やお前の姿を見ても、私達の声を聞いても、あの子は止まらなかった。

…………もう、あの子は蓮じゃない。ただ目の前の敵を殺すために暴れ回るだけの獣に成り果ててしまった。

あの場にお前が飛び込んだところで、瞬殺されるだけだぞ。それぐらいわからないほど馬鹿ではないだろう‼︎‼︎カナタッッ‼︎‼︎」

 

黒乃は呆然とするカナタを突き飛ばすと、霊装の双銃を構えて、蓮達の方へと振り向きながら声を張り上げる。

 

「アルテリアっ‼︎縛ってでもいいからカナタを連れていけっ‼︎‼︎」

「は、はいっ‼︎‼︎」

「嫌っ、離してくださいっ‼︎私がっ、蓮さんを止めないとっ‼︎‼︎お願い離してぇぇっ‼︎‼︎」

 

それでも尚行こうとするカナタをアルテリアが無理やり引っ張っていく。普段ならば抜け出せたかもしれないが、精神が不安定になっている今のカナタはアルテリアの拘束を振り切ることはできずに、そのまま後方へと連れて行かれた。

一人佇む黒乃に、負傷者達を後方へと移し終えたグラキエスが近づく。

 

「私ではたいした力にはなれないが、障壁の維持ぐらいは果たして見せよう」

「感謝します」

「いやなに、これぐらいはさせてくれ。一応、私はこの国の騎士団長なんだ」

「……はい」

 

黒乃とグラキエスは霊装を構えて前方に巨大な魔力障壁と2回目の巨大氷壁を築き上げながら、蓮達の戦い行く末を見定める。

 

蓮とアリオスの闘争は続いており、激震を響かせている。

 

『グゥオォッ⁉︎』

 

全身の筋肉を使った砲丸のようなタックルに蓮の体は倒れ、素早く馬乗りになったアリオスが両刃斧を叩きつけようとして、蓮がアリオスの腕に尻尾を絡めて振り下ろしを妨害しアリオスの喉目がけ、首を伸ばして噛み付く。

 

『グウゥ⁉︎こ、のっ』

 

首から血を噴き出すアリオスが、なんとか抜け出そうと蓮の顎門を掴み広げようとする。

 

『グルルゥ、◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

だが、驚異的な咬合力を秘めた蓮の顎門を開かせることはできず、蓮が首をふるってアリオスの身体を何度も地面に叩きつけると、首を大きく振るいそのまま彼の巨体を投げ飛ばしたのだ。

 

しかも、その方角はー先ほどまで自分達が激闘を繰り広げていた郊外の方向。

つまり、市民達とは正反対の向きだ。

偶然にも、怪物達の方から距離をとってくれたことで、市民達が安全に離脱できる確率が高まった事にグラキエスは密かに安堵する。

しかし、その直後に氷壁の奥から聞こえてくる咆哮にまだ戦いは終わっていないのだと顔を引き締める。

 

そして、咆哮が響く闇夜の暗雲を見上げた黒乃は、悲痛な表情を浮かべると、静かに懐の端末を取り出し、どこかに電話する。

一度のコールオンの後、出てきた電話の向こうの存在に連絡を取った。

 

「アイリス。私だ。………あぁ、蓮のことだが……もう、理性がない完全な暴走状態に陥っていることを確認した。

決着が着き次第、直ぐに突入してくれ。私も突入する。当初の作戦通り、()()()()()()()()()()()()()()

 

電話の相手は、今回の蓮の討伐部隊に参加する事になったフランスのAランク騎士。現世界ランキング4位にして、連盟が保有する《魔人》の一人。《黒騎士》アイリス・アスカリッドだった。

アイリスは、電話の向こうで討伐を決意した黒乃に、緊張が滲む声音で静かに尋ねる。

 

『———いいの?そしたら、貴方はどのみち大事な息子さんを……』

「そんなことは分かっている。だが、それでもやるしかない。あの子にこれ以上苦しんでほしくないから……」

『………わかった。なら、私は貴方の指示に従う』

「ああ、すまない。合図を出したらすぐに突入してくれ」

『ええ』

 

そうして電話が切れて、ツーツーと虚しい音を流すだけになる。黒乃は端末を持つ手を下ろすと、顔を俯かせ唇や手を震わせながら、小さく呟いた。

 

 

「……………………大和、サフィア、すまない」

 

 

そう謝罪する彼女の頬を、一筋の涙が落ちていった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『クハハッ、カハハハッ、ハハハハハハハハハハハハハッッ‼︎‼︎オオォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ‼︎‼︎』

 

 

龍の哄笑と雄叫びが戦場に響き渡る。

 

楽しい。

 

愉しい。

 

気持ち良い。

 

心地いい。

 

好敵手と戦えるということが。

 

自分の全力を出せるということが。

 

力を行使するたびに、脳髄が弾けるような強烈な多幸感が全身を突き抜けて、凄まじい高揚感が広がる。

 

今までずっと胸の内で燻っていた渇きが満たされていくのを感じる。

 

これまで巡り合うことのなかった、自分の全力と対等に渡り合えれる存在が現れたことに、蓮の心は歓喜に打ち震える。

 

もっと戦いたい。

 

もっと殺し合いたい。

 

アァ、あぁ、嗚呼。

 

どうか終わらないでくれ。

 

まだ死なないでくれ。

 

俺は、まだ自分の全力を出しきれていない。

 

お前は、まだこんなものじゃないだろう。

 

もっと殺し合いたい。まだ、これほどまでに胸が躍る決闘を終わらせたくない。

 

もっともっともっともっともっともっともっとモっとモっとモっとモっとモっとモっとモっとモッとモッとモッとモッとモッとモッとモッとモットモットモットモットモットモットモット!!!!!!!!

 

 

モット!!最高の好敵手(アリオス・ダウロス)と戦いたいッッ‼︎‼︎

 

 

『モットダァッッ‼︎‼︎‼︎モット‼︎‼︎モット心ユクマデ戦オウッッ‼︎‼︎アリオスゥゥゥゥゥッッ‼︎‼︎‼︎』

 

蓮は歓喜に牙を限界まで剥きながら、アリオスへと大太刀を叩きつける。

アリオスがそれを正面から受け止めて、轟音と衝撃を周囲に散らす。

先程よりも破壊力が増した一撃に、受け止めるアリオスもまた限界まで歯を剥き出しにして笑みを浮かべ体を前へと進めた。

 

『『——————————————————————————————ッッ‼︎‼︎』』

 

決戦が繰り広げられる。

互いの瞳に互いの姿のみを映したまま咆哮を上げる。

 

拳が互いの顔面に、胸部に、腹部にめり込み、刃が互いの鱗を、毛皮を切り裂き血を噴き出させる。

 

龍神の齎す厄災が猛牛の身を打ち破らんと滾り狂い、猛牛が振るう破壊が龍神の身を撃砕せんと幾度と迸る。

 

青の龍角と紅の双角がぶつかり、青と赤の残光が走り抜ける。

 

誇りや矜持などはなく、あるのはただ勝ちたいと言う意志と再戦を求める意地の衝突のみ。

 

鏡合わせのように攻撃には攻撃を返して、さらに加速していく。

 

二匹の異形がお互いの魂をぶつけ、真っ向からぶつかり合う姿は、異なる神話体系が故に神話でも語られなかった異国の怪物同士の激闘であり、見るものによっては恐怖などを抱かせることだろう。

 

だが、もしも、闘争に己の全てを捧げた者達が見たのなら、誰もがこう言うはずだ。

 

『子供達が無邪気に遊んでいるようだ』と。

 

お互いが、お互いを好敵手と認め、ただ勝ちたいが為に己を異形に堕とした。

自分の魂の持てる力の全てをぶつけたくて、彼らは異形へと堕ちることを躊躇わなかった。

嗚呼、確かにそれは子供のような無邪気さなのだろう。勝ちたいと言う純粋な想い一つで、彼らはここまで戦っているのだから。

 

『◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッ‼︎‼︎』

 

蓮の蹴り上げがアリオスの鳩尾に突き刺さる。

間一髪、両腕を交差させて受け止めるものの、受け止めきれずアリオスの巨体は持ち上がり空へと打ち上げられる。

空へと打ち上げられ落ちてくるアリオス目掛け蓮は両腕を大きく広げながら魔術を発動した。

 

 

『《水禍・大洪瀑》』

『ヴゥオッ⁉︎』

 

 

蓮の背後より現れた藍色の魔法陣から噴き出すのは蒼黒の津波。過去のどの津波よりも巨大なソレが、間欠泉のように噴き上げながらアリオスを呑み込み大地へと叩き落とし激しく渦を巻く。

 

 

『《災火・大焼浪》』

『オオォォッッ⁉︎』

 

 

次いで天空に出現した魔法陣から劫火の津波が降り注ぎ、青白く燃え盛る炎の津波が大地をマグマの海へと変えんと蒼黒の激流と共に猛威を振るう。

 

 

『《地災(じさい)大震壊(だいしんかい)》』

『ゴオォォォォッッ⁉︎⁉︎』

 

 

大地が悲鳴をあげるが如く轟音をあげて、大きく崩壊し捲れ上がると隙間からマグマを噴き出させる。砕けた大地が剣と槍を形作り天へと伸びて、岩塊が四方八方へと解き放たれる。

水と炎の濁流に呑まれているアリオスはそれらの直撃を無防備に受けてしまう。

 

 

『《禍天(かてん)大嵐裁(だいらんさい)》』

『オオォォォォォォォォォォッッ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎』

 

 

黒雲に覆われた大空が唸り声を上げて、青い稲光を弾かせると、雷光の瀑布が大地を砕かんばかりに降り注ぎ、全てを吹き飛ばさんとする台風をも凌駕する暴風雨が、刃となって、槌となって、魔弾と化して大地へと降り注いだ。

 

水炎の濁流に呑まれ、大地の崩壊に巻き込まれ、天空の裁きをもその身で余すことなく受けてしまったアリオスは、全身から血を噴き出し、口からも大量の血を吐き出しながら、激痛に身を悶える。

 

だが、これで終わりではなかった。

 

 

『———《神禍(しんか)》』

(ッッ⁉︎まだ、あるのかっ⁉︎)

 

 

いつの間に空へと飛び上がった蓮は、厄災の奔流に呑まれ翻弄されているアリオスを見下ろしながら、両手を合わせ一言唱える。

そう、これで終わりではない。

 

《水禍・大洪瀑》

《災火・大焼浪》

《地災・大震壊》

《禍天・大嵐裁》

 

蓮は四つの厄災を一つに統合させる。

天地神明。森羅万象。遍く大自然を破壊せし四つの厄災を一つの、大いなる災禍へと昇華させる。

それは、己以外の万物の生存を許さぬ神の裁き。神が築き上げる、神だけが自在に力を行使することができる災禍の世界。

天空を呑み込み、大地を破壊し、大海を唸らせ、世界を慄かせる厄災の龍神が齎す破滅の裁き。

 

 

 

『———《大災界(だいさいがい)》』

『—————————⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎』

 

 

 

世界から音と光が消えた。

 

 

具現するは世界を崩壊させる大厄災。

 

 

あらゆる天災を一つに集束し、解き放つその絶技は、世界を破滅に導く禁忌の技。

 

 

全ての生命の存在を許さない、龍神が齎す神域の具現だ。

 

 

青、白、黒。

 

 

世界はその3色に呑まれ、夜空がその3色で染め上げられ、凄まじい衝撃波が大地を、大気を駆け抜け、傷を刻む。

各国が張った障壁は、その多くが意味を成さずにガラスを砕くかのように粉々に砕け散り、周辺諸国へとその絶技の凄まじさを知らしめた。

 

爆心地に最も近くにいた、黒乃達は障壁が破られた瞬間、全力の魔力防御を全員が瞬時に張ることで耐え凌いだものの、もしも魔力防御がなければ伐刀者といえど失神は免れなかっただろう。

 

そして、世界に色が戻り、音も戻った頃、蓮は地面にゆっくりと降り立ち前方を見る。

その視線の先、大地が悉く捲れ上がり崩壊し、一際巨大なクレーターが生まれており、その中心に白煙を上げる黒い巨体が倒れていた。

 

『オォ……アァ…………』

 

アリオスは息も絶え絶えに呻き声を上げる。

彼の姿は酷いものだった。全身が魔力の奔流に体を焼かれ、大部分の毛皮が焼け焦げており中から肉が姿を表している。

左腕は肩から千切れ飛んでおり、腹部には岩の破片が無数に突き刺さって血が止めどなく噴き出している。

顔面は、右眼が潰れており、左角も半ばから折れていた。

瀕死。今のアリオスの状態はその一言に尽きた。

 

瀕死になるほどの壮絶な深手を刻まれたアリオスに対し、蓮は傷一つなかった。

いや、正確には全身には両刃斧に切り裂かれた裂傷や、剛拳の殴打痕。破壊の力による亀裂などアリオスに引けを取らない傷が刻まれていたのだ。しかし、その全てを蓮は治癒してしまいなかった事にしていた。

龍神の圧倒的な再生能力が、彼を死から遠ざけるばかりだった。

 

そして、満身創痍の体で荒い息を繰り返していたアリオスは、自らの肉体を雷に変えて再構成することで傷を完全に癒す。

それを蓮は邪魔しなかった。

そして、蓮の妨害もなく全身の再構成を終えて呼吸を整えると、静かに笑う。

猛々しい闘志が秘められたその笑みに、真意を察して笑みを浮かべた。

 

もうこれ以上語り合う為の言葉は不要だった。

 

 

『『………………』』

 

 

蓮が大太刀を正面に掲げるように構え、アリオスが両刃斧を背に担ぐように持ち上げる。

 

 

これまで、壮絶な決戦を繰り広げていた両者は共に理解していた。

 

 

次の一撃。それで決着がつくと。

 

 

故に、取る構えは———必殺だ。

 

 

アリオスが両刃斧に残った全魔力を注ぎ込み、黒雷を迸らせる。

形作られるは、漆黒を超えた暗黒で束ねられた天地を破壊する神の裁きが如き巨大な黒雷の両刃斧。

放たれるのは、一度蓮を破った破滅の一撃。伐刀絶技《雷霆の神撃(ケラウノス)》だ。

 

()()()()。我が力の全てをここに、束ねよう』

 

対する蓮も己の必殺を放つ為の呪いを唱える。

藍色に染まる大太刀が夜闇を鮮やかに照らすほどの青い輝きを放つ。

 

『燃え狂う劫火。清らかなる流水。吹き荒れし暴風。典麗なる雷電。今ここに一つとなれ』

 

詠唱と共に大太刀の周囲に、それぞれ紅炎、蒼水、白風、青雷を纏った四本の刀が現れる。

 

燃え滾る劫火の太刀《紅刀・咲耶姫》

玲瓏なる流水の太刀《蒼刀・湍津姫》

吹き荒ぶ暴風の太刀《風刀(ふうとう)志那都姫(しなつひめ)

轟き迸る雷電の太刀《雷刀(らいとう)霹靂姫(はたたひめ)

 

その四色四本の剣が大太刀を囲むように浮かびながら、大太刀に吸い込まれていき、完全に溶け込む。

それだけじゃない。《龍神》が持つ神威の力も、蓮の《魔人》の引力の力も、自分が持ちうる『神』と『魔』の力の全てを一つに収束させていった。

 

白き神威と黒き魔性の相反せし力が青き魂の輝きに宿り、混ざり合い、一振りの剣へと昇華する。

 

『我が全て。この一刀に捧げる』

 

そうして完成したのは、天を貫くほどの青い輝きを帯びた黒白の剣だ。

 

神々しく美しい純白。

 

禍々しく悍ましい純黒。

 

相反する2色が混ざり合い相克を為さずに一つに混ざり合い、それを包み込むように鮮やかな青の輝きが満ちる。

 

光と闇を内包せし青き月が、今ここに具現した。

 

そして、全てを照らさんと輝く青き月光に相対するは、全てを破壊せんと昂る黒の破光。

 

『『———』』

 

迸る黒き破光が龍の瞳を焼き、舞い散る青の月光が猛牛の瞳を照らす。

混ざり合うのは互いの視線。溶け合うのは戦意と闘志。無限に続く一瞬。

肉体が震え、心が吼えて、意志が燃え盛り、魂が昂る。

 

蓮の金碧の瞳と、アリオスの真紅の瞳がぶつかり合う。

 

決着の時は来た。

 

二人は同時に、足を前に踏み出し。

 

『『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ‼︎‼︎‼︎』』

 

二匹の怪物は天地を揺るがす雄叫びをあげて地面を爆砕して、お互い好敵手へと突貫した。

閃光と化した二人は、互いの間合いを一瞬で零にして、

 

 

『———斬リ祓エ‼︎《神刀(しんとう)都牟刈ノ太刀(つむがりのたち)》‼︎‼︎』

『———神罰ヲ下セ‼︎《雷霆の神撃(ケラウノス)》‼︎‼︎』

 

 

己が必殺の一撃を解き放った。

蒼黒白の大太刀と暗黒の両刃斧が、大気を切り裂き唸りながら激突する。

 

直後、二つの極光が爆ぜて、世界を蒼黒白と暗黒に染め上げる。

力と力の激突による余波が容赦なく周囲へと解き放たれた。

 

半径数百mにも及ぶクレーターを形成するほどの衝撃を解き放ち、大地が捲れ剥がれ粉々にし、雲を吹き飛ばし星空を露わにする。

 

蒼黒白と暗黒が火花を散らし、互いを撃滅せんとせめぎ合い拮抗する。

 

 

 

 

 

長い拮抗の末、遂に———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——————』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青き月光が黒の破光を打ち破った。

 

 

 

 

 






と言うわけで、遂に決着がつくのかぁ⁉︎ってところで終わりましたね。

それと、結構前にですが、蓮が龍神の力を使った時にモンハンのモンスターに例えられたことがあったのですが……イヴェルカーナやネロミェール、ディスフィロアなど彼の特徴を捉えたモンスターに例えてくれたのですが……今回の激闘を見る限りだと、蓮はもはやアルバトリオンですね。エスカトン・ジャッジメントみたいなのも使ってるし。

我ながらとんでもない能力を生み出してしまったなぁと書きながら戦々恐々としてました。

そして、このペースだとあと1か2話ほどでヴァーミリオンは終わらせることができそうですね。そろそろ、マジで原作に戻らないと……




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40話 禁忌の代償


皆さんお久しぶりです‼︎
今回はアリオスとの激闘後の話です。タイトルからもわかる通りシリアス強めな話です。

そして、次回でヴァーミリオン皇国編は終わらせます!漸く原作へと戻れますよ。(⌒-⌒; )




 

 

 

 

青き月光が黒き破光を打ち破ると、一筋の閃光となって大地を突き進んだ。

そして、瞬く間に大地を駆け抜けて北海まで到達すると、北海の中程まで突き進んだ後急に向きを変えて天空へと方向を変えたのだ。

天へと方向を変えた青き月光は、まさしく光の塔となり地球から宇宙へと伸びる。それは、ヨーロッパ周辺国の人達からも視認できるほどに巨大で眩いものだった。

その光の塔が、10秒、30秒と登り続けやがて1分ほど経った頃に次第に細くなり遂に消失。

 

夜闇を照らし、宇宙へと放たれたその光の柱が消失し、多くの人間が何が起きたんだと何度目かわからぬ驚愕と動揺に包まれる中、その光の柱が放たれた場所ーヴァーミリオン皇国北海に面している平原だった場所。それは、もはや見る影もなかった。かつては美しかった緑と青の平原は、焦げた茶色の地面が剥き出しとなり、あちこちに亀裂が生まれ、土煙が立ち上りクレーターができているという惨状へと変わり果てていた。

 

『…………』

 

戦争の跡。そう言っても差し支えないほどの破壊が齎された大地。その一際巨大なクレーターの中心に佇む龍人へと堕ちた蓮は大太刀を振り下ろした体勢から立ち上がると、大太刀を粒子へと変えて仕舞い、ズシン、ズシンと重い足音を響かせながら前へと歩いていく。

彼の視線の先には、黒い影が、全身から白煙を上げ血を流しながら大の字で倒れ伏すアリオスがいた。蓮は、彼のそばまで歩き見下ろすと口を開く。

 

『我ノ、勝チダナ』

『ああ、見事、だ』

 

口の端から血をこぼし、途切れ途切れの声でアリオスも蓮の勝利を讃えた。

 

『貴様ハ我ガ最高ノ好敵手ダッタ。貴様ト戦エタコト、貴様ト高メ合エタコトヲ我ハ誇リニ思ウ』

『は、はは、嬉しい、な。かつて、ヤマトも…同じことを、言って、くれた……』

『デアロウナ。コレホドマデニ純粋ニ強サダケヲ求メタ者ヲ我ハ知ラヌ。戦イヲ楽シメタノモ、貴様ガ初メテダ。ダカラ、我ハ感謝シテイル。貴様ト戦エタコト、闘争ノ愉悦ヲ貴様ガ教エテクレタコトヲ』

『そう、か……』

 

蓮の嘘偽りない真っ直ぐな言葉にアリオスは小さく笑みを浮かべると、彼に視線を向けながら静かに問うた。

 

『………レンは、後悔しているのか?《覚醒超過》を使ったことを』

『ナゼソウ思ウ?』

 

思わぬ疑問に蓮は首を傾げる。

 

『しがらみを無視してと言っただろう。レンは、自分とは違い多くの物を抱えているはずだ。いくら自分との戦いに全てを賭けてくれたとはいえ、きっと《覚醒超過》を望まぬ者をいただろう』

 

自分との決着をつける為に全てを擲って《覚醒超過》を使用し戦ってくれた。そのことは確かに嬉しい。だが、犯罪者である自分と違い蓮には大和達と同様に大切な人達がいるはずだ。

彼が《覚醒超過》を使わないことを望まない者ばかりのはず。彼女達は今のこの現状を悲しむことだろう。

だが、例えそうだとしても蓮は、

 

『ソウダロウナ。ダガ、我ハコノ結果ニ不満ハナイ』

 

この結果を後悔していなかった。

静かな口調でそう答えた蓮は、アリオスを見下ろしながら小さく笑みを浮かべる。

 

『事実、母サンヤ寧音サンハコノ選択ヲヨクハ思ワナイダロウ。カナタハ泣カセテシマウダロウナ。人間体ニ戻ッテハイナイガソレデモ何トナク分カル。我ハモウマトモナ人間ノ姿ニハ戻レナイコトヲ』

 

《覚醒超過》を解除しなくても分かる。自分はもうまともな人間の姿に戻れないことを。

そうなれば、人の世界で生きていくことは難しいかもしれない。いずれ、追いやられることになるだろう。だが、それでも構わない。

それらのリスクなど全て承知の上なのだから。

 

『ダトシテモ、我ハソレヲ全テ承知ノ上デ《覚醒超過》ヲ望ンダ。今更、後悔ナドスルワケガナイ。ソレニダ、我ガコノ力ヲ望ンダノハ、彼女達ヲ守ル為デモアル。『人間』デハ守レナイカラ、我ハ『怪物』ニナルコトヲ選ンダ』

 

元を辿れば、蓮が《覚醒超過》を望んだ理由はアリオスに勝つ以外にも黒乃達を守る為でもあった。怪物にならなければ、守れないと分かっているからこそ怪物になることを選んだのだ。

 

『彼女達ヲ守レルノナラ、我ハ怪物デイイ』

 

全ては彼女達が平穏に生きれる為に。

自身の存在がどうなろうと構わず、ただ大切な人達が平和に生きれればソレでいいのだ。

その自身の全てを賭して大切な者達を守り抜こうとする在り方に、アリオスは大和(英雄)の姿を見た。

 

『…………!』

 

瞠目したアリオスは、静かに笑う。

 

『やはり、だな。……レン、お前は、英雄だ。そのあり方はとても気高く、とても誇らしい。大和と同じ英雄だ』

『ソレハ違ウ』

 

蓮はアリオスの言葉をきっぱりと否定する。失笑を浮かべた蓮は、自身を嘲るように嗤った。

 

『我ハ本物ノ『英雄』デハナイ。復讐ヲ望ミ『英雄』ニ成リ損ネタ醜イ『怪物』ダ。我ハ両親ノヨウニハ決シテナレナイ』

『…………』

 

そう自身のあり方を断言した蓮をアリオスが、少し悲しさの混ざる眼差しを向ける。そして、しばしの沈黙の後、アリオスは話題を変えた。

最後に彼に伝えるべきことがあったからだ。

 

『レン………最期に、伝えるべきことがある』

『ナンダ?』

『ヤマトとサフィアを、殺した存在、についてだ』

『ッッ⁉︎』

 

蓮は大きく目を見開く。

大和とサフィアを殺した存在ーすなわち、今回の事件の首謀者であろう《魔女》の情報を聞けると思っていなかったからだ。

 

『……魔女ニツイテ、何カ知ッテイルノカ……?』

 

思いがけない幸運に蓮の声は若干震える。

仇の正体を知れるという歓喜と、ようやく手が届いたという憤怒の感情がないまぜになっていた。

 

『………ああ、知っている。恐らく、レンが知りたいことを全て』

『………話シテクレ。アノ魔女ノ事ヲ、ドンナ奴ナノカヲ』

『……そのつもりだ。彼女の名は、ローゼン・ヴァイオレット。……《極夜の魔女(リリス)》の二つ名を持つ、自分が知る中で恐らくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。戦うなら気をつけろ。奴は、《暴君》や《白髭公》、《超人》よりも強い』

『ナッ』

 

嘘でも誇張でもなく本心から蓮の仇ー《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレットをそう評したことに蓮は僅かに驚愕する。

アリオスの様子から見てもそれが事実であることは確かで、あの大和とサフィアを二人同時に相手取り勝ったのだ。世界最強クラスの実力はあることはわかっていた。

だが、ソレがまさか今世界を三分している組織の長達よりも強いとは思わなかった。

間違いなく、世界で一番強く危険な存在だ。戦うならば死を覚悟しなければいけないほどの相手だ。

 

しかし、だからこそ。

 

『………ッッッ』

 

蓮は、嗤った。

目を大きく開き、牙を剥き出しにして、彼は獰猛に、凶悪に、凄絶に嗤った。

顔が龍のソレであるからこそ、それはなお悍ましいものに写り、見るものの多くが慄き後退りしてしまうほどの狂気がそこには宿っていた。

 

今の彼の心には恐怖などはない。あるのは、ただただ歓喜のみだ。

12年の時が経ってようやく仇の存在を、名を知れた。その歓喜はこれまで以上に大きいものであった。その歓喜を示すかのように蓮は、顔を押さえて指の隙間から殺気にギラつく瞳を覗かせながら、肩を震わせる。

 

『《極夜の魔女》……ローゼン・ヴァイオレット。ソウカ、ソレガ奴ノ名カ。アァ、ソウカ……ククッ、ハハッ、ハハハッ』

 

魔女の名を反芻した後、堪えきれず漏れ出たのは笑い声。

当然だ。今まで痕跡を一つも見つけられなかったのに、今日になってから立て続けに情報を得ることができたのだ。嬉しくないわけがなかったのだ。蓮は笑いを止めると、殺気に瞳をぎらつかせながらアリオスに更なる情報を要求する。

 

『……アリオス、他ニ知ッテルコトハ?貴様ガ知ル情報全テヲ話セ。我ハ、ドウシテモ奴ヲ殺シタイ。ソノ為ニハモット情報ガ必要ダ』

『……………無論ダ』

 

アリオスは蓮の要求に素直に頷くと、自分が知りうる限りの情報を提供していく。

 

『………レン自身もあの擬似的な魔人達ー奴曰く《魔霊獣(シェディムス)》と戦って気付いたはずだ。奴は、伐刀者を取り込み作り替えることができる。それは奴の能力によるものだ』

『……ソレハ分カッテル。ダガ、他者ヲ取リ込ミ擬似的ナ魔人ヘト作リ変エ、シカモ能力モ付与サセル能力ナド我ハ知ラナイ。ナンナノダ?奴ノ能力ハ』

『『蝕み』ソレが奴の力の本質だ』

 

アリオスはまず能力の正体だけを話すと、次にその詳細も話し始める。

 

『奴はあらゆるものを全て蝕み取り込み己の糧に変える。そこに区別などなく、自然も、人も、そして伐刀者の異能すらも取り込むことができる。

奴は、命を蝕めば蝕むほど強くなり、取り込んだ伐刀者の数だけ有する異能の数が増える』

『ナルホド、ソウイウコトカ……』

 

あまりにも凶悪な能力に蓮は納得する。

異能を取りこんで複製することで、《擬似魔人》の彼らに与えていたのだろう。霊眼で見た魔力の色合いからしても恐らくはそのはずだ。

 

『気をつけろ、レン。奴の保有する異能の数は100や200では収まらない。千はあるだろう。

《千の魔法を操る者》《巨悪を齎す悪魔》《叛逆者》《混沌の魔神》。これまで数多くの二つ名で呼ばれているが、その全てが誇張ではない。そう呼ばれるに値する悪虐を齎してきたからこその名なのだ』

『……ソレハ、トンデモナイナ』

『奴が現れた地は何も残らない。凡ゆるものが蝕まれて喰われ、障気に侵された大地が広がるのみ。絶対の死を齎し永遠の闇夜を齎す魔女。故に、『極夜の魔女(リリス)』と呼ばれている。ソレが奴の代表的な二つ名だ』

『………ナルホドナ。ワカッタ。情報提供ヲ感謝スル』

 

蓮はアリオスの言葉を大袈裟とは思わない。

幼い頃に見た魔女。黒紫の瘴気領域の中に佇む闇の中で嗤う彼女の悍ましさを、禍々しさを見たからこそ、アリオスの例えが誇張ではなく見たままを表現したと共感できた。

その後、アリオスは更に衝撃的なことを口にした。

 

『それに、奴は()()()()()()()()本物の怪物だ。常軌を逸した強さを有している』

『数百年ダト?ソレハ本当ナノカ?』

 

蓮は耳を疑い思わず問い返した。

ただでさえ、千の異能を有している時点で驚きだと言うのに、次に数百年生きているなど驚愕の連続だった。

だが、それは事実なのだ。

 

『事実だ。あの第二次世界大戦以前から裏社会で名は知られており、《解放軍》の記録では少なくとも200年前から存在していることは確かだ。

ソレに奴は《覚醒超過》によって完全に人間とは異なる存在になっている。人間の寿命はもはや意味を成さないのだろう。あるいは、喰らった者の寿命を奪っているのかもしれないな』

『……ダガ、ソレデハオカシイ。我ガコレマデ見テキタ伐刀者ノ記録ヲ見テモ奴ノ存在ハ一ツモナカッタンダゾ』

 

蓮はこれまで多くの記録を読んで彼女の痕跡を探していた。だが、期待する情報は何一つなく、日々苛立ちが募るばかりだった。

だが、アリオスの言うことが本当ならば何かしらの記録には残っていいはずの危険な存在だ。なのになかった。それはどう言うことなのか。答えは簡単。

 

『恐らくは秘匿したのだろう』

 

秘匿されていたからだ。

 

『前に聞いたことがある。奴は有史始まって以来の最凶最悪の怪物。危険すぎるからこそ、連盟や同盟はごく一部の者にしか情報を公開していないとな』

『………我々魔人ノ存在ト同ジトイウコトカ。イヤ、ソレ以上ノ危険性ヲ秘メテルカラカ。………アア、ソウカ、母サン達メ、我ニハ知ラレナイヨウニシテイタナ?』

 

世界有数の《魔人》である自分はその情報を知らなかったが、恐らくはこれまで黒乃や寧音、南郷らが情報を隠していたからだろう。だから、自分はこれまで知ることができなかった。

その事実を理解し蓮は思わず僅かばかりの怒りが滲む声で嗤ってしまう。

 

『奴は12年前ヤマト達に深傷を負わされてから、ずっと潜んでいたが何らかの目的をもって最近動き始めている。自分を脱獄させたのもその理由の一つだ。そして、その目的の一つに、レン。お前が入っている。奴はお前の能力を欲している』

『…………アア、ソレハモウ知ッテイル』

 

蓮に襲撃を仕掛けた《擬似魔人》の一人、人狼の記憶を読んだからこそ蓮は魔女が自分を狙っていることに驚きはしなかった。

何故とも聞く気はない。

神の力『龍神』。自然を司り全ての厄災を操ることができる、世界を崩壊させることが可能な危険すぎる暴力の一つ。

それが数多くの異能を蝕み取り込んできた彼女にとって興味を引くことなど明らかだったから。

 

『…………レン、奴はレンの異能を奪って世界に混沌を齎そうとしている。理由は定かではないが、過去奴が起こした事件はそのどれもが凄惨なものばかりだ。だから、きっと次も碌でもないことは確かだろう』

『………ソウカ』

 

人狼の記憶の中で魔女が言っていた『狂乱の宴(オルギア)』。

ギリシャ神話の中でカルト宗教の悍ましい儀式の名でもあるソレを使ったと言うことは、本当に碌でもないことをするのだろう。

全てを話し切ったアリオスは限界が近いのだろう。呼吸が次第に細くなり、瞳から光が薄れつつあった。

そして、アリオスは息も絶え絶えに最期の言葉を残そうとする。

 

『一人の好敵手として、レンの悲願が、叶うことを…願ってる』

 

願うは好敵手の悲願成就。そんな激励の言葉に、蓮は静かに笑いアリオスをまっすぐに見つめ返す。

 

『必ズ果タスサ。ソノ為に我ハ獣ニナッタノダカラナ』

『……ああ、必ず…勝て…レン自身が、選んだ……道……なの、だか……ら……』

 

最後にアリオスはそう言い残して遂に事切れた。

カクンと顔は横に倒れ、生命の鼓動が完全に止まり、瞳からは光が消える。

蓮と死闘を繰り広げた魔人《牛魔の怪物》アリオス・ダウロスが死んだ瞬間だった。

 

『………………逝ッタカ、アリオス……………』

 

好敵手の死を惜しんだ蓮は事切れたアリオスの傍に両膝をついてしばらく無言で彼を見下ろすと、やがて、

 

 

 

 

『—————————』

 

 

 

 

——————静かに、顎門を開いた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

青の極光が収まりしばらくした頃、黒乃は破壊し尽くされたヴァーミリオン皇国の大地を駆け抜けていた。

 

「はぁ………はぁ……」

 

伐刀絶技《時間倍速》による時間を加速させた高速移動で大地を駆け抜ける彼女の表情は焦燥に満ちていた。

それもそのはず。蓮のことが心配で仕方がなかったからだ。

先程青と黒の二つの極光がぶつかり青の極光が競り勝ち大地を突き進み北海の中程で柱となって打ち上げられソレが治まった瞬間、黒乃は直感的に蓮の勝利で戦いが終わったことを理解してすぐさま飛び出した。

 

(……速くっ、もっと疾くっ‼︎‼︎あの子の所へ行かなければっ‼︎‼︎)

 

戦いが終わっても安心なんてできるわけがない。

蓮が暴走している以上、抑えきれない力で衝動のままに周囲を更に破壊し尽くす可能性だってあるからだ。

そうなる前に、自分が彼の元へ辿り着いて止める。そう決意を強くして疾走する黒乃の視線の端に四つの影が見えた。

 

「……あれは………」

 

黒乃は彼らの存在に気づきそちらへと方向を変える。あちらも黒乃の存在に気づいたのか反転してこちらへと向かってくる。

遠くから向かってきたのは四人の騎士。

 

一人は、巨大な戦斧を手にしている黒い甲冑に全身を包む騎士。

一人は、青白色の剣と同色の盾を手にし、白銀の甲冑に身を包み、ティアラのような兜を被る長い金髪を靡かせる麗人。

一人は、自分の身の丈よりも大きい盾を背中に背負っている淡紫の鎧に身を包んだ紫髪の女性。

一人は、白いボルサリーノ帽にジャケットを羽織り、紺碧の槍を携える長身痩躯の中年の紳士。

 

その四人が一目散にこちらへと向かってきた。黒乃はそのうちの一人の名を呼ぶ。

 

「アイリス‼︎」

「《世界時計》。合流できてよかった」

 

蓮とアリオスが戦ってる最中に連絡を取っていた《黒騎士》アイリス・アスカリッドと軽く言葉を交わすと後ろの3人にも声をかける。

 

「3人とも今回は作戦招集に応じてくれて感謝する」

 

彼女の感謝に3人は各々返す。

 

「構いませんわ。今回は事態が事態ですしね」

「ええ、こればかりは流石に見過ごせません」

「私も正義の味方として当然のことをしたまでさ」

 

今回蓮の討伐作戦に選ばれたのは黒乃含めて5名のAランク騎士。

 

一人は蓮の母にして『時間』という希少な能力を有する元世界ランキング3位《世界時計》新宮寺黒乃。

 

世界ランキング3位、使用者の肉体を無限に回復し続ける《不屈》の概念を操る女性騎士。フランス所属《黒騎士》アイリス・アスカリッド。

 

KOKには参加していないためランキングこそないが、《白髭公》に次ぐ実力を有し、連盟本部の実行部隊を率いる隊長であり、『英国の鉄壁』とも称されるほどの高潔かつ優秀な騎士であり有数の《魔人》でもあるイギリス所属《聖騎士(パラディン)》アリシア・リーゼブルク。

 

こちらもその能力の特性からKOKには出場しておらずランキングはないが、能力の特性から『連盟最高の盾』とも呼ばれ防御においては並び立つものがいないとも言われている、ギリシャの盾。ギリシャ所属《守護者(イージス)》リージュ・クレアライト。

 

世界ランキング2位、現存する水使いの中でも蓮の次に実力のある有数の水使い。一国の存亡すら左右する力をもっていると言われるイタリア所属の騎士《カンピオーネ》カルロ・ベルトーニ。

 

錚々たる面々だ。一人一人が一騎当千の実力を有しており、彼らだけでも戦争を起こせるかもしれないという程の戦力がここに集まっていたのだ。

そして、カルロはとある方向に視線を向けながら黒乃に尋ねる。

 

「さて、《世界時計》。《魔人》の事は道中アリシア殿に聞かせてもらったが、《七星剣王》の状況は今どうなってると推測できるんだ?君の意見を聞かせて欲しい」

 

カルロとリージュは《魔人》の事を知らないが、緊急事態であるため《白髭公》が情報の開示を許可した為、この道中《魔人》であるアイリスとアリシアの二人に説明は受けている。

だが、いかんせん蓮がどのような状態にあるかが不明だ。だから、母であり状況を誰よりも把握しているであろう黒乃に尋ねたのだ。

 

「ああ、私の推測だがまずい状況だ。恐らくだが、蓮は理性がない状態にある。心の中を破壊衝動と殺戮本能が支配して溢れる衝動のままに暴れ尽くす事だろう。

今は魔力の感じからして何故か落ち着いているように感じるが、それでもいつ暴れ出すかわからない。ゆえに迅速な対処が必要だ」

「………しかし、戦闘を遠目から見ていましたが、正直言ってアレを討伐できるとは思えないのですが……」

 

リージャは恐る恐るとそう意見する。

彼女には正直言ってアレほど凄まじい激闘を繰り広げた蓮を止める事はできないのではないかと思ってしまったのだ。

確かにその気持ちはわかる。だが……

 

「確かにリージュの言う通りだ。ソレでもやらなければならない。アレを放置しては世界にさらなる被害が出る。ヨーロッパ全土が焦土になるのも時間の問題だ」

「……むぅ、それほどか」

 

カルロもソレには思わず顎を撫でながら唸る。

一国を丸ごと洗い流せるほどの水量を操る禁技を有する彼にとっても、黒乃の話は驚愕だったのだ。

そして、黒乃は蓮がいると思しき方向へ体を向けると、真剣な表情を浮かべながら告げる。

 

「警告しておくが。今の蓮を人間と同じように殺せると思うな。今のあの子は完全に人の枠から逸脱している。人と同じ殺し方は通用しない。全身全霊我々の全てを賭さなければ勝てない相手だ」

「「っっ‼︎」」

 

黒乃の真剣な言葉にカルロとリージュが息を呑むも直後には、すぐに表情を引き締めた。

黒乃の視線の先から感じる強大かつ禍々しい、膨大な魔力が彼女の言葉が誇張ではない事を知らせていたからだ。

 

「行くぞ‼︎」

 

黒乃の合図と共に全員が弾かれたように駆け出す。ソレに加えて、黒乃が全員に《時間倍速》をかけているのだろう。黒乃含め全員が魔力放出との併用による加速で凄まじい速度で疾走していた。

そうして走る事2分。彼女達は遂に中心地と思われる場所に近づく。

地面が捲れ上がり、捲れ上がった地面が砕け転がっており、片面は何かに切り裂かれたかのような巨大な亀裂が生まれている。その様はこの凄惨な大地の中でも特に悲惨であり、強大な力が激突したことの証左だった。

そうしてクレーターに近づこうとした彼女達の耳にソレは聞こえた。

 

「?なんの音だ?」

 

グチャグチュ、バキッ、ボキッ、ジュルルッ、ゴクッ、グチャ。

 

足を止めた黒乃は異音に眉を顰める。

聞こえてきたのは奇妙で異質な音。

何かを潰したり、砕いたりするような音だったり、液体を啜るような音、喉を鳴らしたような異音まで聞こえる。

 

『『『ッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』

 

黒乃達は最初こそなんの音かと眉をひそめたものの、次第にそれらの音の正体に気づくと表情を青褪めさせた。

 

「ま、まさかっ」

 

黒乃は震える声をあげ愕然とした表情を浮かべる。

その音は誰もが聞き覚えがあった。あまりにも下品で汚らしいマナーが欠片もないものだが、ソレは自分達がよく知る音。ヒトだけでなく全ての生物が日常的に発する音の一つ。

 

 

そう、それは、

 

 

 

——————咀嚼音だ。

 

 

 

「ッッ‼︎」

 

ゾワリ、と凄まじい悪寒が彼女の背筋を走り抜け、彼女は血相を変えると他の者達を置き去り駆け出した。そうして走り抜けた先、一際巨大なクレーターの端へと辿り着いた黒乃は確かにソレを見た。

 

「……蓮……?」

 

彼女は震える瞳でソレを見て、哀しみの声で思わず彼の名を呼ぶ。彼女の視線の先には《覚醒超過》を経て異形と化した蓮がいる。しかし、彼の今の姿は先ほど見たソレとも大きく変わっていた。

 

まずサイズが違う。

 

3、4mほどだった体躯はその数倍。10m後半、いや20mを優に超えて30mをも超えていた。

シルエットも変化しており、長い首や尾があるもののあくまで人の形を保っていたはずだが、もはや人の形すら維持していなくて、丸太のような太さの四肢のはずなのに、長く伸びた胴体に比べればそれは短くて、四つん這いの獣を連想させる姿だ。

 

 

その姿は、まさしく龍だった。

 

 

彼はなんとか人の形を保っていた姿から、遂に人から外れた獣の姿へと変わってしまっていたのだ。

 

三度目の覚醒超過。アリオスとの激闘で力を使いすぎたからか、彼の魂の影響は肉体にまで及び、彼を人外たらしめていた。

しかし、彼女が愕然としたのはそれだけではない。彼女を愕然とさせた最大の理由。それは、今蓮が行っている所業だ。

 

彼はその頑強な前脚で足元にある黒い何かを抑えながら、一心不乱に首を動かし続けていた。

黒い何かから赤黒い何かを引きちぎっては飲み込み、赤黒い液体を長い舌で舐め取っている。

そこまで見ればもうわかってしまった。今蓮がやっている悍ましい所業に。

 

彼は———アリオスの死体を貪り喰っていた。

 

弱肉強食の世界に住む獣だからこそ、強者であり勝者であるからこそ、打ち倒した者を喰らうと言わんばかりに彼はアリオスの肉体に牙を突き立てては、肉を引きちぎり食み、骨を噛み砕き、臓物を取り出し呑み、血を啜っていたのだ。

赤黒い血の色に肉体を濡らしながら、血肉を貪る蓮の姿はあまりにも悍ましかった。

 

「うっ……れ、蓮…‥お前……」

 

黒乃は込み上げる吐き気を堪えて青褪めた表情を向ける。目を背けたい気持ちでいっぱいだったが、目を逸らしてはならないと自分に言い聞かせる。

 

『…………グゥル、ガァルルッ‼︎‼︎‼︎』

 

唸り声を上げながら一心不乱に血肉を貪り喰らう蓮の様子を黒乃が悲しげに眺めている時、少し遅れてアイリス達もその場に到着してその悍ましい光景を見るや、顔を顰める。

 

「こ、これはっ……」

「なんと禍々しい……」

「………っ」

「なんてことっ……」

 

誰もがこの惨状に顔を顰め、現実を否定しようと声を上げる。だが、悲しいことにこれは現実だ。

人ならざる獣が獣の血肉を貪り喰らう悍ましい光景はどうしようもなく現実であった。

そして、アイリスがふと気づき呟く。

 

「まさかっ……魔力を、取りこんでいるの…?」

 

蓮の背中に生える突起物が青く輝いており、血肉を喰らうたびにその輝きは増し青黒いプラズマが迸っていた。彼から感じられる魔力も喰らうごとに増幅していたのだ。

事実、アイリスのいう通り、蓮は今アリオスの血肉を喰らうことで彼の力を、魔力を己の身に取り込み力へと変換している。

他者の血肉を喰らうことで魔力を取り込むことが出来るのかは定かではないが、こうして目の前で彼が血肉を喰らい肉体を肥大化させている光景は、その仮説を裏付ける証拠になり得ていた。

龍神の特性か、あるいは魔人の特性なのか。それは分からない。だが、明らかに蓮が纏う魔力が急激に高まっているのだ。肉体も魔力の増大に合わせ肥大化し、今や過去現在に存在しているすべての生物よりも巨大化し、その巨躯は50mをも超えていたのだ。

黒乃達が絶句する中、蓮は血肉を残らず喰らい、最後に頭部を咥えると首の方から残った肉を全て丸呑みにしてしまう。

 

『…………アグッ、ゴグッ』

 

喉を鳴らしながら残った肉を徐々に丸呑みしていった蓮は完全に呑み込むと今度は足元の血溜まりを啜る。……やがて、完全に血を啜り終えてアリオスの遺体を余すことなく喰らい尽くした蓮は、空を見上げて牙を剥き出しにすると、遠吠えをあげる。

 

『オオオオォォォォォォォォォォォォォォ』

 

夜天に静かに響く遠吠えは、己の勝利を、存在を世界に見せ付ける為のものか。はたまた、全霊を賭して戦った好敵手への敬意を捧げる為のものか。

真意は定かではないが、その遠吠えからは確かな重みを感じ取ることが出来た。

 

『………グゥルルル』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

遠吠えを上げ続けていた蓮は、徐に口を閉じて頭を下ろすと、黒乃達の方へと振り向き、黒く濁る金碧の龍眼を向ける。自身の巨体のせいでクレーターの底にいても首を上に伸ばせば黒乃達を見下ろせるほどの高さになる為、彼は黒乃らを見下ろしながら口を開く。

 

『我ヲ、殺シニ来タノカ』

『『『『ッッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』』

 

確かな理性が残っている口調に黒乃達は揃って目を見開く。なぜなら、黒乃の話ではもはや完全に理性がない暴走状態にあるはずなのだ。

だというのに、確かな理性を残し話しかけてきた。だから、黒乃はまだ対話が可能だと判断し銃を下ろすと彼に問いかける。

 

「確かに私達はお前を討伐しにきた。だが、それは完全に暴走した場合だ。もしも、お前にまだ理性が残っているのなら今すぐに《覚醒超過》を解除してくれ。そうすれば、私達は戦わなくて済む」

『…………』

 

黒乃にそう言われた蓮は無言で彼女を見下ろすと、徐にズシンと足音を鳴らしながら首を伸ばして彼女へと近づく。

蓮の動きにすかさずアイリス達が霊装を構えるも、黒乃が声を張り上げてソレを止める。

 

「全員動くな!」

『ッッ‼︎』

 

アイリス達が黒乃の指示に咎めるような視線を向けるが、黒乃は蓮から一切視線を逸らさない。

蓮もまた彼らの視線を無視し黒乃にズイと首を伸ばし手を伸ばせば届く距離にまで近づくと、小さく唸り声を上げた。

 

『グゥルルルル』

『…っっ⁉︎』

 

蓮が唸り声を発すると同時に放った獣の威圧感にアイリス達は息を呑む。

人間を止め完全に獣へと堕ちた魔人の気迫。それは、まさしく獣そのもの。しかも、蓮はただの獣ではなく神話の世界に存在する神ー龍神の力を宿している。放つ威圧感も獣のソレではあるものの、密度、覇気、共に桁違いであり、唸り声を上げて威圧感を放っているだけなのに、歴戦の猛者であるはずの彼らに対応を間違えれば喰われる、という危機感を抱かせた。

そして、しばらく蓮が黒乃を見下ろしていたが、やがて顔を離すと口を開き、

 

 

『……イイダロウ』

「っっ」

 

 

あっさりと黒乃の要求を受け入れる。

要求がすんなりと通ったことに黒乃が声を出さずとも大きく目を見開き驚愕を顕にする中、蓮は黒乃から顔を離しながらその驚愕に答える。

 

『…………アリオストノ決着ハツイタ。コレ以上戦ウ理由モナイ。……連戦ダッタカラナ、ソロソロ休マナケレバト思ッテイタトコロダ。ソレニ………』

 

蓮は首を曲げてある方向へと視線を向けて、目を細め誰かを睨むように眼光を鋭くさせると、静かな怒りが滲む声音で呟いた。

 

『今回モ奴ハ手出シハシテコナイハズダ。ソノ時ガ来レバ奴ノ方カラ出向イテクル。ナラバ、我ハソレニ備エテイレバイイ』

「奴?備えるだと?どういうことだ?」

『……………』

 

不穏な言葉にすかさず黒乃が問いかけるも、蓮はその疑問には答えずに自身の体を淡く発光させる。

青白い輝きに包まれた蓮は、ピキパキと異音を立てながらその巨躯をあっという間に小さくする。

十数秒の時間をかけて龍の巨体が小さくなり形を変えて、人の形へと変わった時、光が消えて中から人間態の蓮が姿を表す。

白い装束を着た彼は、ふわりと黒乃の前に降りる。そして、顔を上げて彼女と目を合わせた時、黒乃は絶句した。

 

「蓮、お前…それは…っ」

 

黒乃が蓮を見て驚愕に声を振るわせる中、蓮は有無を言わせない口調で静かに呟く。

 

『詳シイ話ハ我ガ目覚メテカラダ。ソレマデハ少シ、休マセテ、モラ…ウ』

「っっ、蓮っ‼︎」

 

そう言った瞬間、蓮は目を閉じてフッと体を前に倒れる。黒乃がすかさず受け止めて彼の顔を見た時、蓮は既に瞳を閉じて穏やかに寝息を立てていた。

 

「……蓮、よく頑張った。……本当にっ……」

 

黒乃は表情を悲痛に歪めながらも、確かな安堵を口にして蓮の髪を撫でて強く抱きしめた。

そんな二人の様子を見ていたアリシアは周囲の惨状を見渡しながら小さく呟いた。

 

 

「………これほどなのか、《覚醒超過》を経た者の力とは」

 

 

自分も彼と同じ《魔人》ではあるものの、《覚醒超過》は経験していない。ただ、そう言った領域があることを知っていただけ。

 

だからこそ、驚愕と戦慄を隠せなかった。

 

齢17にして世界を崩壊させることが可能な力を有している蓮の《魔人》としての格の違いを。

 

その時、ちょうど激闘の終了を告げるかのように地平線から陽光が顔を出したのだ。

蓮が眠ったからか黒雲は空から消え失せて、漆黒の夜空は青白い朝焼けの空へと変わりつつあった。伸びる陽光が蓮達を照らす。

 

 

それは、長いようで短かった戦いが終わったことを示す為のものでもあった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

平和な夕暮れ時から始まった獣達の死闘は終わった。

 

被害区域はヴァーミリオン皇国皇都が七割壊滅し、周辺地域は半径およそ50kmの範囲が甚大な被害が出ていた。

土地や建物の被害は甚大だったものの、これだけの大災害が如き破壊がもたらされたにも関わらず死者は0だった。負傷者は多数出ていたものの、全員が命に別状はなく、一人の死者も出なかったのだ。

 

擬似的とはいえ《覚醒超過》を経たヘルドバン監獄の囚人七名との戦闘とその直後に世界的に見てもトップレベルの《魔人》にして、かつて《紅蓮の炎神》大和と死闘を繰り広げた《牛魔の怪物》との死闘。

 

小国を滅ぼすことすら可能な強大な戦力との連戦を、彼はたった一人で制した。しかも、一人の死者も出さずにだ。

 

 

《七星剣王》新宮寺蓮は見事国民を守り抜いた。

 

 

土地や建物に甚大な被害が出たのは事実だが、それでも一番大事な人命は一つの被害も出さなかった。

 

その功績はかつての英雄達《紅蓮の炎神》や《紺碧の戦乙女》の二人と並びたてる程であり、ヴァーミリオン皇国の国民達は、いや、蓮が《牛魔の怪物》を撃破したことを知った者達は多くが彼を称賛し、北欧地方の伝承に伝わる大英雄の名を称号として名づけ呼んだ。

 

 

 

———『紺碧の大英雄(ジークフリート)』と。

 

 

 

この日、《七星剣王》新宮寺蓮は名実共に英雄となった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「あら、眠ってしまったのね」

 

 

ヴァーミリオン皇国から300km離れた山脈地帯の山頂。

そこで『魔女』は彼が力尽き眠ってしまったことを把握し残念そうに呟く。

 

「残念。せっかくこっちに来てくれると思ったのに」

 

岩の上に腰掛け脚を組んでいた彼女は、そう呟くとくすくすと笑う。

彼女としては、計画が狂うがソレでも彼がー新宮寺蓮がこちらに来てくれれば、戦ってもいいと思っていたのだ。

だが、来なかった。それだけ消耗しきっていたということなのだろう。あの連戦は蓮を以ってしてもそれだけのものだったのだ。

 

「あの最初の七体は彼には勝てないとわかっていたけれど、まさかアリオスにも勝ってしまうなんて。もう実力的にはヤマトやサフィアと同等。いえ、もう超えてると言ってもいいかしらね」

 

彼女は蓮の実力をそう評価し称賛すると、口を三日月に歪めて妖しく笑うと満足そうに頷く。

 

「ふふ、ふふふ、今回は貴方がどれだけの可能性を秘めているのか見させてもらうつもりだったけど、ええ、ええ。予想以上の収穫だわ」

 

彼女は今回の目的が予想以上の成果で達成できたことに喜ぶ。

彼女の目的は蓮の秘める『英雄の可能性』がどれだけのものかを確認することだった。そして、それは想像以上のものだった。

彼は、既に自分が殺した大和やサフィアの実力を超えていると判断できた。

 

そう。彼女が殺したのだ。蓮の両親を。殺したからこそ、彼らの実力はよく把握している。その上で、蓮は二人を超えていると判断できたのだ。

 

彼女こそ《極夜の魔女(リリス)》ローゼン・ヴァイオレット。

 

《擬似覚醒超過個体》の七体や、アリオスを差し向けた張本人であり、蓮が探し求めていた不倶戴天の仇であった。

彼女は蓮の実力に表情を綻ばせて妖しい笑みを浮かべながら笑うと、その後恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「ああ、嗚呼っ、いい!いいわ!とても素晴らしいわ‼︎あの姿!人であることをやめて完全な獣へと堕ちたその姿‼︎とても禍々しくて、とても美しいわ‼︎‼︎」

 

人ならざる魔人が《覚醒超過》を使ったとしても、それは人の形を逸脱しない。

悪魔や鬼。神話の世界や伝承でその存在を知られている人の形をとった怪物達。自分が生み出した怪物達も人の面影を残している。そのはずだった。

 

蓮は違った。

 

アリオスを喰らいながら変化していたあの姿。

龍人ではなく完全な龍の形態へと変異した蓮の姿。

人の面影など欠片もなく完全に人から逸脱した姿。人だけでなく魔人をも凌駕する可能性を彼は秘めていたのだ。

龍となった蓮の姿を思い出し、彼女は内側から湧き上がる高揚感に震える体を抱きしめると、まるで恋をする乙女のように頬を赤らめて妖しく笑う。

 

「嗚呼っ、早く貴方に会いたいわ‼︎あんなに小さくて可愛らしかった貴方が、私への復讐心で強大な獣になるなんて、とっても素晴らしい話じゃない‼︎‼︎」

 

彼女は先ほど蓮がこちらに視線を向けて殺意を込めて睨んできたことを思い出す。

彼は、自分の居場所に気づいていた。

気づいていて自分を睨み殺気を届かせてきたのだ。『今は向かわないが次相見えればその時は必ず殺す』そう言わんばかりの凄まじいほどの怨嗟がこもった眼差しを。

 

「〜〜〜〜ッッ、あぁ、ゾクゾクする。久々に感じたわ。あれだけの濃密な殺気。あの若さであれだけの殺気を放てるなんてっ」

 

その殺意に、敵意に彼女の心はゾクゾクと快楽に震えて歓喜一色に満ちていた。

世界を崩壊させられるほどの凄まじい力を秘めた少年が魔人になった原動力が自身への復讐心なのだから。

 

「あの時貴方を殺さなくて正解だったわ‼︎‼︎見逃してあげたから、あそこまで貴方は実ってくれた‼︎‼︎そう、それこそ、私の命に届きうるかもしれない程の世界有数の強者の領域に‼︎‼︎」

 

12年前のあの日。彼女は蓮を見逃した。

死んだ二人の遺体に縋りつき泣き叫ぶまだまだ、小さく弱々しい何もできない子供であった蓮を、彼女はあえて殺さなかった。

あの時は殺す価値もないと気まぐれで見逃したが、まさか12年の時を経て《魔人》へと覚醒し、さらには自身にも迫るかもしれないほどの世界有数の強者へと育った。

 

「私が殺した英雄の子が、国をも護れる輝かしい英雄となった‼︎‼︎だけど、同時に禍々しくも美しい魔性の怪物にもなった‼︎‼︎英雄の皮を被った怪物‼︎‼︎守護者にして復讐者‼︎‼︎ソレが貴方なのね‼︎‼︎しかも、その強さの源が私への憎しみだなんて‼︎‼︎嬉しくてしょうがないわ‼︎‼︎」

 

彼女は12年ぶりに胸が高鳴り、高揚感や歓喜、多幸感が自身の心から快楽となって溢れ出す。

快楽に表情を蕩けさせ、瞳を潤わせる姿はあまりにも扇情的で、色気を感じさせる艶やかさだったが、それ以上に彼女からは身の毛もよだつような狂気が絶えず発せられていた。

 

「んんっ、んあぁっ、はぁぁ……っ、ふ、ふふっ、いけないわ。これじゃまるで恋する乙女ね」

 

恍惚に浸り悦楽の吐息をこぼし快楽に震えながら自分の体を抱きしめていた彼女は、ふと気づきそう呟くとくすくすと苦笑する。

 

 

 

 

「…………やはり、貴女の狙いはレンなのですね」

 

 

 

 

そんな時、突如、ローゼンに声がかけられる。

響いた典雅な声音に彼女が振り向けば、ザッザッと地面を踏みしめながら歩く女性がいた。

戦乙女の如き白眼の甲冑を身につけ、両手に白銀の双剣を手にし携える女性の名はエーデルワイス。《比翼》の二つ名を持つ世界最強の剣士である。

彼女は白銀の怜悧な瞳を鋭くしローゼンを睨むも、ローゼンは笑みを浮かべながら平然と口を開く。

 

「…………あら、誰かと思えば《比翼》じゃない。こんなところで会うとは思わなかったわ」

「ええ、そうですね」

 

軽くそう言葉を交わすと、ローゼンは赤紫の瞳を細めるとエーデルワイスに問う。

 

「それで、私に何の用?随分と殺気を向けてきてるけど」

「………単刀直入に聞きます」

 

エーデルワイスは手短にそう呟くと、視線を鋭くし凄まじい殺気を放ちながら彼女に尋ねた。

 

「《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレット。貴女は、レンを利用して何を企んでいるのですか?」

「……………」

 

詮索なしのいきなり本題に踏み込んだ問いかけに、ローゼンは無言になる。エーデルワイスも無言になり、しばらく静寂の時間が過ぎ過ぎたから風が彼女らの髪を揺らし、木の葉を揺らし鳴らした後、ようやくローゼンは口を開く。

しかし、それはー

 

 

 

 

「それを貴女に話すと思ってるの?」

 

 

 

 

エーデルワイスが望んだ言葉ではなかった。

当然だ。ローゼンとエーデルワイスは敵対している者同士。出会ったら確実に殺し合いをするわけではないが、敵対する以上情報は明け渡さないのが普通だ。

そして、彼女の返しにエーデルワイスは分かりきっていたかのように頷く。

 

「………ええ、そうでしょうね。ですから、私は貴女に警告をしにきたのです」

「警告?もしかして、彼に手を出したら許さないとでも、言うつもりかしら?」

「その通りです」

 

ローゼンの言葉を肯定すると、エーデルワイスは左剣の鋒を向けながら静かに、だが確かな怒りが滲む声音ではっきりと告げた。

 

「あの子に何かするのであれば、私は貴女を決して許しません」

 

その言葉が放たれると共に瞳の奥で静かに燃え盛る炎に、ローゼンは妖しく口の端を歪めると肩を大きく振るわせて腹を抑えながら笑った。

 

「ふっ、ぷふっ、あははっ、あははははははははははははっっ」

 

腹の底から出た笑いは思いの外大きく響き、彼女の笑い声が朝焼けの山に響く中、エーデルワイスは一瞬たりとも視線を逸らさずに彼女を睨み続ける。

一頻り笑って落ち着いたのか、ローゼンは笑いを止めると目の端に浮かんだ涙を拭う。

 

「あははっ、ごめんなさいね。随分と貴女が面白いことを言っていたからつい笑っちゃったわ」

「別にふざけてなどいません。これは私の本心の言葉です」

「えぇそうね。貴女が真剣に言ってるのは分かってるわ。でも、()()が言うようになったじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを忘れたのかしら?」

 

その言葉と共にゾワリと放たれたのは濃密な悪意と害意を孕んだ黒紫の障気。彼女の周囲に広がった闇は、瞬く間に木々を呑み込み一瞬で溶かす。

ジュッと短い音を立てて障気に呑まれた木々が溶けて食われる。大気は毒気を帯び、周囲の空間は黒紫に歪んだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()彼女を前に、エーデルワイスは眉ひとつ動かさずに平然と返す。

 

「………無論、忘れてるわけがありません。

確かに、17年前、私は貴女に手も足も出ずに負けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

エーデルワイスは自分が彼女の足元に及ばなかった過去を素直に認める。

今でこそ世界最強の剣士と呼ばれ、あらゆる組織から恐れられ、個人で国家に比肩し国家すら脅かすほどの圧倒的な怪物。

だが、初めから彼女は強かったわけではない。

15年前。彼女の《比翼》の伝説が始まるより以前、17年前にエーデルワイスはローゼンと偶然にも邂逅し戦ったが、その際に一度彼女に()()()()()()()()()()

 

文字通り手も足も出なかったのだ。自分が積み重ねてきた師より受け継いだ剣技が彼女の纏う障気には何一つ通じなかった。

しかも、その上殺されることもなく興味がないと言わんばかりに見逃された。それは度し難いほどの屈辱であり、苦い経験でもあった。

 

「ですが、今は違う。少なくとも、昔のように簡単に負けたりはしません」

 

そう告げると共にローゼンの暗黒の闇に対抗するように白銀の魔力光を解き放つ。

彼女の体から迸るのは光の暴風。木々が揺らぎ、大気が軋むほどの莫大な魔力の高鳴り。暗黒の闇に対抗する白銀の光に、笑みを浮かべていたローゼンは、感心するように目を僅かに大きく開いた。

 

「…………へぇ、言葉だけじゃないのね。確かに貴女は強くなったわ。以前のように無様に地に這いつくばることはもうなさそう。《世界最強の剣士》と謳われるだけの事はあるわね」

「………………」

 

エーデルワイスへの認識を訂正したローゼンは楽しそうに笑う。大気を震わせる殺気すらも彼女にとっては心地よい微風にすぎない。

そんな狂気を纏い、愉悦に嗤う彼女の姿はあまりにも悍ましかった。その彼女の悍ましさにエーデルワイスは端正な顔に不快感を、嫌悪感を一層滲ませる。

 

「………これまで貴女は数多くの動乱を巻き起こしてきた。己の欲望のままに、己の狂気が突き動かすままに、そんな貴女は今度はレンを利用して世界を巻き込むほどの動乱を引き起こそうとしている。…………《極夜の魔女》。貴女は、どれほどの混沌をこの世界に齎すつもりですか?」

「ふふっ、ソレを知ったところで貴女に何ができるの?」

「……私にできることの全てを以て抗いましょう」

 

そう言って、エーデルワイスは左右の剣を翼のように広げて、構える。

彼女の臨戦体勢。本気だ。今ここでエーデルワイスは、ローゼンに本気で抗おうとしていたのだ。

だが、そんな彼女の臨戦体勢に対しローゼンは、霊装である鎌を展開し構えることもなく、岩から降りて六枚の闇色の翼を大きく広げるとエーデルワイスに背を向ける。

 

「やめときなさい。今ここで私と貴女が戦えば、余計な邪魔が入ることになるわ。それは、貴女も望んでいないでしょう?」

「…………」

 

彼女の言う通りだ。ローゼンとエーデルワイス。共に世界最強クラスである化け物達が激突したとなれば、《連盟》も《同盟》も確実に動くことになる。そうなれば、《白髭公》や《超人》が出張ってくる可能性も高い。そんな邪魔はエーデルワイスとて望んでいない。だから、彼女は剣をスッと下ろし構えを解いた。

 

「今日の所は、警告に来ただけです。私も、ここは引き下がりましょう」

「随分と物分かりが良くなったわね。歳をとったからかしら?」

「貴女に言われたくはありませんね」

 

ローゼンにそう返したエーデルワイスも彼女に背を向ける。

 

「…………《極夜の魔女》。貴女は、何を思って世界に混沌を齎そうとしているのですか?貴女を動かす狂気の源は、何ですか?」

「…………………」

 

エーデルワイスの問いかけに、彼女は返すこともなくバサリと翼をはためかせてその場から飛び去った。

エーデルワイスは、振り向きその場に残った数枚の暗闇色の羽を見下ろし、悲壮を漂わせながら呟く。

 

「…………きっと、二人の激突は避けられないのでしょうね」

 

もはや、確信すらしていた。

蓮とローゼン。どうあがいても二人の激突は避けられないことに。

かたや復讐の対象であるがゆえに、片や狂宴を齎す為の道具であるがゆえに。お互い邂逅を果たせば殺し合う事は確実だ。

そうなれば周囲への被害は計り知れないだろう。

 

英雄と魔女。

 

復讐に堕ちた怪物と狂気に歪んだ化物。

 

厄災と破滅。

 

共に世界を滅ぼすことが可能な力を有している二人の激突は、有史始まって以来の壮絶な死闘になることだろう。

その戦いに介入するのは至難の業なはずだ。

 

「…………私もソレ相応の覚悟をしたほうがいいでしょう」

 

エーデルワイスは彼の師匠として、また力を持つ者の責務としてその時が来たら果たすべき事を考え決心を固めると、自分もその場を後にした。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

『……………………』

 

 

 

深く、昏い深海の社。

その段木に腰掛けていた蓮は、ゆっくりと瞳を開ける。白目が黒く濁ったままで、かつ金碧に染まったままの瞳が写したのは、自分を覗き込むように顔を近づけている龍。自身と共にある魂の半身ー龍神『蒼月』だ。

『蒼月』を視界に収めた蓮は、口の端を吊り上げて嗤う。

 

『………今回も随分と暴れたな。それほどにアリオスとの戦いは楽しかったか?』

———分かりきった事を。我と貴様は、一心同体。ならば、我が感じた愉悦は貴様も感じたろうに。それに、貴様が心の奥底で望んだ激闘を、奴は叶えてくれた。愉しかったに決まっておろうよ。

『……だろうな』

 

蓮はわかりきっていた返答にそう答える。

蓮と蒼月は魂で繋がっている。繋がっているからこそ、思考や思いを共有しており、蒼月が感じた愉悦は蓮もまた感じ取っていた。

蒼月もまた蓮の心の奥底に潜む願望を当然理解しており、アリオスとの戦いが蓮にとって満足いく戦いだった事を指摘したのだ。

肩をすくめて笑った蓮に、蒼月は静かな眼差しを向けると今度は彼の方から口を開く。

 

———しかし、良かったのか?

『?何がだ』

———魔女の元へと向かわなかったことだ。アリオスを喰らい補給をしたのなら、魔女と戦うのに不足はなかった。場所も把握していた。だが、貴様は止めた。母の前だったからか?

『……………』

 

蒼月の問いに蓮は無言になる。

確かに彼の言うことも正しい。アリオスを喰らい補給を終えたあの時の蓮の状態ならば、黒乃達の包囲を突破し魔女に戦いを挑んでも問題はなかったはずだ。居場所も気づいていた為、探し回る必要もない。だが、蓮はソレをしなかった。黒乃の言うことに素直に従い《覚醒超過》を解除した。

だが、その真意は黒乃がいたからじゃない。

もっと独りよがりな醜い欲望だ。

 

『……ハッ、違う。そんなものじゃない』

 

その真意を問う蒼月に蓮は不敵に笑い否定する。

 

『まだその時じゃないからな。いずれ奴は俺の前に姿を表す。なら、その時に万全の状態でいられるよう備えておいた方がいいってだけの話だ』

———確かに、な。貴様の言う通りだな。

 

蒼月は納得を示す。

相手が世界最凶と謳われる怪物である以上、備えは万全にしておくに越した事はない。

だが、最たる理由はソレでもない。

 

『それにだ』

———?

 

そう呟くと、蓮は顎に手を当てて口の端をニィッと吊り上げて狂気の宿る酷薄な笑みを浮かべると、

 

 

『獲物は待てば待つほど喰った時美味く感じる。同じ事だ。12年ずっと待ったんだ。今怒りに駆られて復讐を果たしにいくのも興醒めだ。万全の状態で奴を打ち倒し、喰らった方が………きっと美味いに違いないからな』

 

 

1番の理由はそれだ。

黒乃がいたからではない。

万全に備えなければいけなからではない。

あの時、復讐に向かえばつまらない、そう感じたからだ。

確実に殺せる機会を探り、ソレに備えて復讐を果たせれば、達成できた時の高揚感は何よりも大きいはずだから。

牙を剥き出しに凶悪に嗤いながらそう言った蓮に、蒼月もまた牙を剥き出しにして嗤った。

 

———く、くく、くくく、なるほど。確かに貴様の言う通りだ。そうした方が奴を喰らった時の歓喜は大きいものになるだろう。

『だろ?だから、焦る必要もない。どうせ奴は俺の前に現れるからな。今は備えていればいい。そして、力を温存すると共にもっとお前との()()()()()()()。ソレが今の俺のすべき事だ』

———そうだな。それが賢明か。

 

蒼月はそう返すと、体を動かし蓮が座る拝殿の前で蜷局を巻きながら海底に寝転がる。

 

———ならば、貴様はそろそろ起きるがいい。既にあの日から2日経過している。さぞや、母も心配している事だろう。

『だろうな。特に今の俺の有様を見てればな』

 

苦笑いを浮かべながら自分の腕を見下ろして蓮は儚げに笑った。

彼は自分の体に起きた変化を今この時点で既に把握していた。

 

 

三度目の《覚醒超過》。その代償を。

 

 

この激闘で蓮は確かに勝利を収めた。

 

 

だが、勝つために払った代償は余りにも大きかったのだ。

 

 

———何事にも対価はいる。それは仕方のなかった事だ。ああする他に貴様に選択肢はなかった。それだけの話だ。

『そうだな。なら、そろそろ起きようか』

 

蓮は蒼月にそう返すと、目を閉じて意識を沈める。精神世界で意識を沈めていき、閉じた視界の中に光が満ちていくのを感じる。

 

 

 

そうして、蓮は現実世界へと意識を浮上させていった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「……………っ」

 

 

 

意識を取り戻した蓮は、ゆっくりと瞼を開ける。

視界に満ちるのはLEDの照明と真っ白な天井。天井を見上げながら光の輝きに目を細めた蓮は、ゆっくりと体を起こし、周りを確認した。

その時、ちょうどカナタと目があった。

 

「………蓮、さん?」

「………カナタ」

 

部屋に戻ってきた瞬間だったのだろう。ちょうど扉の前に立っていた彼女は、手に持っていたタオルを落としすと、スカイブルーの瞳を揺らしながら口を手で隠した姿勢で数秒固まり、大粒の涙を流しながら蓮へと駆け寄る。

 

「蓮さんっ、良かったっ。目を覚まされたんですねっ。ああっ、本当によかったっ」

「…………」

 

駆け足で蓮のそばに駆け寄ると彼の左手を握り自分の眼前に寄せながら、感極まった声で蓮の目覚めを喜んだ。

その時、蓮は漸く自分の視界に自分の左腕が映ったことでソレに気づきわずかに目を細める。

 

「———っ、腕が…」

 

自分の左腕が、左手の指先から肘までが、肌色の皮膚ではなく()()()()に覆われ、指先が並の刃物を超えた切れ味を有するであろう鋭利な鉤爪に変化していたことに。鱗に覆われた左前腕部には《臥龍転生》発動時の青い紋様が浮かんでおり、淡い輝きを放っていた。

 

(………あぁそうか。これが代償か)

 

蓮は自身の腕が人ならざるものへと変わっていたことに特に驚きはしなかった。

こうなる事はわかっていたからだ。自分がもうまともな人間の形に戻る事は叶わないと言う事を。

だが、カナタは違った。

 

「……っっ、その、蓮さん……」

 

蓮が自分の腕を見て気づいた様子に、悲痛な様子を浮かべてどうにか慰めようと何かを言おうとして何も言葉が浮かばずに言葉を詰まらせていたが、蓮がそんな彼女に淡々と言った。

 

「……《覚醒超過》の代償だろう。何らかの影響は出ると思っていたから、別にこの結果に驚きはしない」

「……え?」

 

蓮の言葉にカナタが目を見開き愕然とするが、ソレに構わずに蓮は左手を彼女の手からやんわりと外すと、自身の眼前に氷の鏡を創り出し自分の外見を見た。

 

「………なるほど。どうも全身に違和感があると思っていたが、ここまで変わっていたか」

 

目が覚めたとき鏡に映る変化した外見に蓮は納得を示す。蓮が今着ている病衣は膝まである短パンのみ。上半身は露わになっており、自身の変化がはっきりとわかったのだ。

左腕は肘までだったが、右腕は既に肩まで変化している。鱗に覆われ、鉤爪が伸び、紋様が浮かんでいる。二の腕も変質しているからか左腕と違いそこには小さな突起のようなものがあり、肩にも小さな突起は生えていた。

右胸部も鱗に覆われており、鱗への変質は腰にまで及んでいた。背中にも氷鏡を作る事で背中側も見れば、右側の肩から肩甲骨にかけて鱗に覆われていた。

 

脚を見れば右脚は膝から先が左腕と同様の変質が起きており、藍色の鱗と青い鉤爪、青の紋様があった。唯一、左脚は大きな変化はなかった。

しかも、全体的に肌は僅かに白くなっていた。

 

胸部には肌や鱗関係なく紋様が浮かんでおり、淡い青に輝いている。

 

そして、頭部だが頭部も変質していた。

右眼は黒目と金碧の龍眼のままであり右顔面の大部分が鱗に覆われている。口から覗く歯も八重歯が牙のように鋭くなっており、吸血鬼の牙を連想させる。他の歯も心なしか牙のように少し尖っていた。

耳も尖ってはいないものの藍色の鱗に覆われている。

淡い水色の髪は、一房だけがメッシュのように龍神の力を発動した際の純白色へと変わっていたのだ。

 

もはや、検査するまでもない。

蓮の肉体は明らかに異常をきたしており、《覚醒超過》を解除したにも関わらず半異形の状態になっていたのだ。

《覚醒超過》の代償による肉体の変質は彼の予想以上に大きく、三度目ですら肉体の外見に影響が出ており、実に三割が変貌を遂げていた。……いや、内側の変化も含めれば四割近く変質していることになる。

 

「違和感はまだ多少あるか。これがどう変化するかはこれからの生活をしない限りわからないが、ある程度は魔術で隠蔽できる。

外見もワンサイズ大きい服を着れば誤魔化せるか。背中の突起もサラシでも巻いておけばまぁイイだろう。問題は髪と顔面だが……まぁこれも魔術で隠せばなんとかなるな。今のところ大した支障はない」

「……蓮、さん…?」

 

蓮は両手を握ったり開いたりして状態を確かめながら、冷静に日常生活における対処法を分析し考案していく。

その様子にカナタは戸惑いを隠せなかった。

 

(……どう、して……貴方は、そんなに、平気なんですか?)

 

わからない。

どうして蓮は平然としていられるんだ?

自分の体の半分が人間のものじゃなくなって、元に戻れなくなっていると言うのに、どうして彼は取り乱しすらしないのだろうか?

そんな困惑は疑問となって溢れる。

 

「れ、蓮さん…どうして、平気でいられるんですか?」

「…………」

 

カナタにそう問われた蓮は呟くのをやめて静かな眼差しを彼女に向ける。その瞳はあまりにも静かで、同時に冷たかった。カナタはその眼差しに僅かに寒気を感じながらも涙を流しながら続ける。

 

「……もう、貴方の体の一部は人間のものじゃなくなってるんですよ!?なのに、どうして、そこまで平気でいられるのですかっ!?それじゃあまるで、こうなる事を…ご自分が元に戻れない事を、最初から分かっていたみたいじゃないですか!?」

「…………カナタ、俺は…」

 

涙交じりの問いかけに蓮が口を開き答えようとしたとき、ガラリと病室の扉が開かれる。

 

「………入るぞ」

 

入ってきたのは黒のスーツ姿の麗人。新宮寺黒乃だ。黒乃はベッドの上の蓮と涙を流すカナタを見ると、険しい面持ちのまま静かに口を開く。

 

「…………起きたのか。蓮」

「………ああ、迷惑かけたな」

「今更だ。それで、体の調子はどうだ?」

「見ての通りだ。とはいえ、多少の違和感はあるがな……」

「………そうか」

 

そう答えながらカツカツとヒールを鳴らし蓮へと近づいた彼女はカナタの横に立つと、

 

「蓮、歯を食いしばれ」

「?ッッ⁉︎」

 

言葉は出てこなかった。

何故なら、蓮が問うよりも先に黒乃が蓮の右頬を問答無用で殴り飛ばしたからだ。

魔力強化でもしていたのだろう。左頬にバギィっと拳がめり込むと蓮の身体は容易くベッドから剥がされ、窓下の壁に叩きつけられた。

 

「黒乃さんっ⁉︎」

「……………」

 

カナタが声を上げる中、蓮は殴られた衝撃で口の中を切ったのか、口の中に広がる血の味に僅かに眉を顰めながら身を起こそうとした時、自分の目の前には黒乃が既に立っており、

 

「…………」

「グッ⁉︎」

 

今度は左頬を殴られた。

蓮の身体は横へと大きく弾かれ、次は床へと叩きつけられる。

頭を揺らす衝撃に蓮が顔を顰めながらもう一度起きようとした時、黒乃に腕を引き上げられ上半身を起こされ壁に叩きつけられる。

そうして漸く見えた彼女の瞳には涙が滲んでおり、顔は憤怒と悲哀の二色に彩られていた。黒乃は唇を震わせながら、込み上げる何かを堪えるかのように叫ぶ。

 

「……何故だっ。どうしてっ、お前は《覚醒超過》を使ったんだっ⁉︎あれほど使うなと言ったはずだっ‼︎‼︎次使えばまともに戻れるか分からないことなどわかっていただろうっ‼︎‼︎なのに、お前は使った。その結果がこれだ‼︎‼︎どうしてだっ、私達の言葉はどうでも良かったのかっ⁉︎私達ではお前を引き止めるほどの価値はないとでも言いたいのかっ⁉︎答えろっ‼︎蓮っ‼︎‼︎」

「………………」

 

黒乃の涙交じりの怒声に蓮はしばらく彼女を真っ直ぐに見つめ、やがて数秒経った後、蓮は漸く口を開いた。

 

「…………言い訳に過ぎないが、ああする他なかった。あの場では俺が《覚醒超過》を使うことが最善だった。だから、使った。それだけの話だ」

 

蓮が淡々と事実を述べるも、ソレでは当然納得しない黒乃は再び声を荒げる。

 

「だからといって‼︎私や連盟からの救援まで耐え抜く事はできなかったのか⁉︎お前ならばどうにかできただろっ⁉︎それなら「それは所詮理想論にすぎない話だ」…っ、れ、蓮っ?」

 

黒乃の言葉に被せるように言い切った蓮に、黒乃は初めて困惑した。それはカナタ同様彼女も気づいたからだ。

 

蓮の様子が今までとどこか違うことに。

 

蓮は黒乃の手を優しくどけて立ち上がるとベッドに戻るとシーツの上で足を伸ばし、ベッド脇の棚に置いてあった果実の詰め合わせの籠に手を伸ばして、中から林檎を一つとって一口齧って飲み込んでから口を開いた。

 

「結局のところ、救援が来るまでどうとかは理想論だ。母さんや連盟からの救援が向かっていたのは本当なんだろう。だが、救援がくるまでアリオスの相手を人間のままし続ける事は不可能だった。

奴は既に《覚醒超過》の状態だったからな。俺が崩れるのも時間の問題だった。そして、俺は奴に一度敗れて、奴に勝つ為に《覚醒超過》を使って奴を打倒した。これが結果であり、唯一の事実だ」

「「……っ」」

 

淡々と告げられた言葉に黒乃やカナタが息を呑む。明らかに蓮の纏う空気が冷たいものへと変わっていたのだ。戦闘中のようなピリつくような威圧を纏っており、相対するだけで背筋が凍るような感覚を覚えるこの感じは、人間というよりは、獣のソレに近かった。

蓮が纏う獣の威圧に黒乃達が息を呑む中、蓮は続ける。

 

「ソレにさっきも言ったろ。あの時、アリオスとの戦いで《覚醒超過》を使うのが最善だと」

「………自ら化け物に堕ちることが、最善だったとでもいうのか?」

 

呻くように絞り出された問いかけに蓮はわざとらしく首を横に振り否定する。

 

「いいや、そうじゃない。アリオスに一度敗れた時点で、俺には《覚醒超過》を使う以外の選択肢は残っていなかった。でなければ、最悪の事態になっていた」

「最悪の事態、だと?」

 

黒乃が思わず聞き返すが、蓮はソレには答えずに視線を鋭くした。

 

「ソレを話す前に、俺も母さんに聞きたいことがある」

「………何をだ?」

 

何をいうのか冷や汗を流しつつ待つ黒乃を蓮は鋭い視線を向けながら、蓮ははっきりと言った。

 

 

「《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレット」

「っっっ⁉︎⁉︎⁉︎」

「??」

 

 

本来蓮が知らないはずの名前が、他ならぬ蓮の口から出てきたことに黒乃は目をこれでもかと見開きあからさまに驚愕する。

正体を知らないカナタは首を傾げていた。

 

「な、何故お前が、その名をっ」

「アリオスが教えてくれたんだよ。死ぬ間際に奴の情報をくれた」

「っっ、《牛魔の怪物》めっ、余計な事をっ‼︎」

 

狼狽えていた黒乃は情報提供者であるアリオスによくもやってくれたなと恨みごとを吐き捨てる。自分達は彼を復讐の権化にさせまいとずっと秘密にしてきたというのに、アリオスがソレを全て台無しにした。なんて事をしてくれたのだと、黒乃が恨むのは当然だった。

その時、カナタがおずおずと蓮に尋ねる。

 

「あの、蓮さん、その《極夜の魔女》とは?」

「親父達を殺した奴だ」

「つっ」

 

カナタは簡単にだが正体を知り戦慄する。

蓮が12年追い求めた両親の仇。もしも彼が仇を知ればどうなってしまうかは黒乃達から聞かされていた。そして、彼に明かさない理由も聞いていた。

だからこそ、蓮が遂に仇の正体を知ってしまったことに戦慄すると共に一つの可能性に思い至る。

彼の雰囲気が変わった理由の一つは、仇を知ったからなのだと。

そして、カナタが戦慄する中、蓮は狼狽える黒乃に再び視線を戻すと嘆息する。

 

「………その様子だと俺に話す気はなかったみたいだな。どうしてだ?俺が奴を探していたのは知っていただろう?俺の願いを知っておきながら、ソレでも情報を明かさなかったのはどうしてなんだ?」

「……………そ、それは……」

「あぁ別に責める気もないし、隠す理由もなんとなく分かる。俺を復讐の権化にしたくないとかそんな理由だろう?………ただまぁ、今思えばソレも無駄な話だったがな」

「なに?」

 

どういう事だと眉を顰めた黒乃に蓮は淡々と事実を告げた。

 

「魔女の狙いは俺だ。俺の異能を奪う事、それが奴の目的。そして、今回の二つの事件もそれが原因で起きた」

「なにっ⁉︎」

「なっ」

 

黒乃がこれでもかと目を見開き、カナタが口を抑えて驚愕する。魔女が動き始めた以上なんらかの目的があるとは思っていたが、まさか蓮の異能を狙っているとは思わなかったからだ。

 

「今回の事件は俺を狙って引き起こされたものだ。それは———」

 

そして蓮は今回の事件の全貌を話す。

魔女により肉体を改造され、擬似的な《覚醒超過》状態にされたヘルドバンの囚人七名が自分を魔女の元へと連れていく為に襲撃を仕掛けた事を。

魔女の手引きで脱獄したアリオスは、蓮との戦いを望んでおり、脱獄の手引きをする代わりに蓮と戦い勝てば蓮を自分の元へ連れてくるという契約を交わしていた事を。

最後のアリオスとの会話以外での顛末を全て話したのだ。

 

「………っ」

「……っっ」

 

話を聞いた黒乃は怒りを堪えるように拳を強く握りしめ、顔を激情に歪ませて歯をギリッと鳴らす。カナタは悲しみを抑えきれなかったのか、口を手で押さえながら涙を流していた。

 

「既に奴は俺の力を喰らう為に動いている。前回は俺の存在を確認する為。今回は俺の実力を見定める為にヘルドバンの囚人七名とアリオスを差し向けてきて、俺の様子を観察していた」

「……そうだったのか……いや、待て。お前、今前回と言ったか?それはいつの話だ?」

 

黒乃は聞き逃さずにすかさず問いかけた。

今回の件はともかく、以前にも魔女が関わっていた事件があった事は黒乃は知らないからだ。

そんな疑問に蓮は答える。

 

「黒狗との戦いの時だ。奴は俺の戦いを数百km離れた場所から見ていたようだ」

「「っっ⁉︎⁉︎」」

 

蓮から聞かされていなかった二人は何度目かわからぬ驚愕をし、黒乃が声を張り上げて蓮を咎める。

 

「何故それを話さなかったんだ⁉︎あの時話してくれたら何か手を打てたはずだろうっ⁉︎」

「誰かが見ている事は分かっていたが確証はなかったから話さなかった。今回一件で漸く確信に至ったんだ。だが、それ以前に……」

 

そこで一旦止めると、蓮は黒乃に向けていた視線を鋭くし、冷徹なものへと変えるとはっきりと言った。

 

「俺が話したところで母さん達に何か出来たのか?あの魔女からどうにか俺を守る方法が。母さんと寧音さん、二人が俺の代わりに戦う以外で何かあったのか?」

「っっ、それはっ」

「母さん達も分かってるはずだ。親父とお袋を同時に相手取って勝った奴は強い。それこそ、《白髭公》《暴君》《超人》三大勢力の長達や《比翼》のエーデよりもだ。母さんや寧音さんでは彼女には勝てない。二人揃っても勝てる可能性はゼロだ。獣になれない寧音さんと《魔人》ですらない母さんでは力不足。勝てる可能性があるのは………俺だけだ」

 

魔女に対抗できるのは自分のみ。黒乃や寧音では力量不足だ。蓮は突き放すような物言いで言い放つ。

龍神の力を体現する異能を持つ自分だけが彼女に太刀打ちできる可能性を秘めている。

蓮は自身の変わり果てた左手に視線を落とすと、強く握る。

 

「俺だけが魔女に対抗できる。俺ならば奴の命にこの牙を届かせることができる。だから、もっと強くならなくちゃいけない。今のままじゃダメだ。足りない。まだ俺は龍神の力の全てを解放できていない。だから、もっと、引き出す。奴に勝つ為に」

 

双眸を禍々しい蒼黒に爛々と輝かせながら蓮は静かな憤怒と殺意を込めて宣言する。

《覚醒超過》は絶大なまでの力を得る代わりに人間とは全く異なる存在に変質する諸刃の剣。

激流のような怒りや破壊衝動が心を埋め尽くし、己を自己に塗れた欲望の獣へと変える力。

 

それは、人でいたいならば決して使ってはならない禁忌の力。

普通ならば、恐怖し躊躇うことだろう。特に、獣へと変わり果てた者達を知っている者ならば尚更。

 

それがどうした?

 

《覚醒超過》が危険すぎる禁忌の力?あぁ確かにそうだ。だが、そんなこと知ったことではない。

化け物になることなど上等だ。

あれは己の魂の力。つまり、己の一部なんだから何を恐れることがあるのだ。

己の力になり、糧になるのならばそれが身を滅ぼす呪いであっても受け入れ喰らいつくし取り込もう。

 

この憤怒、この殺意、この衝動は己自身のもの。

 

誰かに穢されるなど、邪魔されるなどあってはならない己だけの意志にして決意の根源なのだ。

 

扱い切れないのならば扱い切れるようにしよう。

 

扱い切れるほどに我が身を堕とそう。

 

既にこの魂は獣と同一と化した。

 

ならば、その本能も受け入れよう。

 

なぜならば、それもまた自分なのだから。

 

「っっ」

「蓮、さん……?」

 

己の身の危険を顧みずに、嬉々として獣へと堕ちようとする蓮の狂気の片鱗に黒乃は動揺を隠せず、カナタは呆然とする。

ヴァーミリオンへ発つ前とはまるきり違う。彼が纏う狂気が、瞋恚の炎が、大きく膨れ上がっていた。

 

(………蓮を、ヴァーミリオンに行かせたのは間違いだった……)

 

黒乃は今回蓮をヴァーミリオン皇国に行かせた選択を後悔する。

蓮を行かせるべきではなかった。行かせたからこそ、こうなってしまった。自分がすぐに助けに向かえない場所に送り出してしまったから、こうなった。

 

蓮が魔女に狙われていた以上、きっとどこにいてもアリオスらと戦うことは避けられなかった。

だが、彼が日本にいたならば黒乃や寧音もいるし、《闘神》の南郷までいる。

戦力は十分で、蓮と共に戦うことだってできた。きっと一人で追い込まれて《覚醒超過》を使う事態にもならなかった。

 

(…………私の考えが甘かったっ)

 

己の甘さを呪う他なかった。

《魔女》の情報が出てきた時点で、蓮を一人にさせるべきではなかった。自分の手が届く範囲内にいさせるべきだったのだ。

 

「…………お前の言い分はわかった。だが、お前が一人で戦うことは許可できないっ」

「…………」

 

黒乃は蓮の言い分を理解した上で、蓮の言葉を拒絶した。彼女は拳が震えるほど強く握り締め、涙を流しながら。

それに対して、蓮は肯定も否定もせず冷ややかな表情を向ける。

 

「だがっ、例えそうだとしても、お前がこれ以上堕ちるのを黙って見ていることはできないっ‼︎

これからお前は何があっても、日本から出るなっ‼︎何かあったとしても、必ず私か寧音が同行するっ‼︎お前はこれから決して一人で行動するな‼︎‼︎」

「……………」

 

瞳から涙を流しながらそう言い放った黒乃を蓮はしばらく冷めた眼差しで見つめると、瞳を逸らしながら嘆息をする。

 

「…………はぁ、好きにしろ」

「…‥あぁそうさせてもらう。蓮、私は今一度報告の為に席を外す。戻ってくるまでこの部屋から出るな」

 

蓮の返事を待たずに黒乃は足早にツカツカと踵を鳴らしながら扉へと歩いていく。そんな彼女が扉に手をかけた瞬間、蓮が口を開いた。

 

「最後に言っておくが、どうしたところで俺と奴が激突するのは避けられないことだ。だから、その時が来たら、俺は好きに動かせてもらうぞ」

「……………」

 

蓮の発言に黒乃は返事をせずにそのまま扉を開いて外へと出ていってしまった。

ツカツカとヒールを鳴らす音が遠ざかり、再び病室に静寂が戻る。

 

「……………」

「……………」

 

静寂が部屋を満たす中、蓮とカナタはお互い一言も発さない。蓮は黙々と林檎を齧っており、カナタは椅子に座って顔を俯かせている。

髪が垂れているせいで彼女の表情は窺えない。だが、纏う空気は明らかに悲壮そのものであり、また膝の上で握られた手に涙が滴り落ちてることから、彼女が悲しみに打ちひしがれていることがわかる。

蓮もそれを感じ取ったのだろう。食事の手を止めて彼女へと視線を向けると彼女の名を呼んだ

 

「………カナタ。お前も少しは休め。その様子だとろくに寝てないんだろ?」

 

蓮は彼女に休むよう促す。蓮の指摘通り、カナタは蓮の看病でまともに睡眠をとっていない。その疲労の色を感じ取った蓮は自分はもう大丈夫だと休むように言ったのだ。

そんな彼の言葉に、カナタはか細い声で答える。

 

「………私は大丈夫ですわ。それよりも、答えてください」

「何をだ?」

「………貴方は、魔女と相見えたら《覚醒超過》を使うつもりなのですか?」

「なるべく使わないようにはするが、恐らくは使うことになるだろう。それほどまでに奴は強いからな」

「………貴方が《覚醒超過》を使う以外に方法はないのですか?」

「ないな。俺以外に奴に太刀打ちできる存在はいないだろうからな」

「………なぜ、そこまでして一人で戦おうとするのですか。私達はそんなに頼りないですか?」

「………………」

 

彼女の問いかけに押し黙る蓮にカナタは顔を俯かせたまま問い続ける。

 

「蓮さん、私達はそんなに頼りないですか?私達が弱いから、貴方の邪魔になってるんですか?」

「カナタ、それは違う。俺は「なら、なんでお一人になろうとしているんですかっっっ‼︎‼︎‼︎」っっ」

 

カナタの言葉を否定しようとした蓮の言葉をすぐさま否定し叫んだ彼女に、蓮は思わず目を見開き言葉が止まる。

彼女が怒りに声を荒げることなど今まで見たことがなかったからだ。

叫んだ彼女はガバッと顔を上げる。彼女の瞳は悲しみに揺れていて、ボロボロと目尻からは止めどなく大粒の涙が絶え間なく溢れていた。

 

「確かに貴方がお二人の仇をとりたい気持ちはわかりますっ‼︎そして、もしもその時が来たら貴方は迷わず一人で戦おうとすることもっ‼︎

ですがっ、それを選んだら貴方は私達の手の届かないどこか遠くに行ってしまいそうな気がしてずっと不安なんですっ‼︎‼︎」

 

蓮と再会してから見るようになった、蓮が異形になりつつ炎に呑まれて消える悪夢。

今の蓮の姿は、あの夢の中で見た姿に近づいており、あの悪夢が現実のものになると告げているようで彼女はずっと怖かった。

 

「魔女が貴方を狙っている以上、戦いが避けられないことは承知していますっ。ですが、それでも私は貴方には戦ってほしくないっ。もうこれ以上貴方に苦しんでほしくないっ‼︎それは、私だけじゃなく貴方を愛する人が、慕う人皆が思ってることですっ‼︎‼︎」

「……カナタ」

「でも、貴方はそんなこと構わずにどこまでも一人で進んでしまうっ‼︎自分のことなんて顧みずにっ‼︎目的の為ならば貴方は自分のことなんて二の次になってしまうっ‼︎いやっ‼︎‼︎そんなのは嫌ですっ‼︎

そんな身体になってまで、私は、貴方に戦ってほしくないっ‼︎今回はまだ人の形を保てています。でもっ、次《覚醒超過》を使って人の形すら取れなくなったら……っっ‼︎‼︎私の心配は、どうでもいいのですかっ‼︎」

 

タガが外れたように抱え込んでいた想いの丈や不安や恐怖を、悲痛な声音として吐露した彼女は、蓮の異形の右腕を躊躇なく掴むと縋るように言う。

 

「貴方に幸せに生きてほしいと願う私の想いは………どうでもいいというのですかっ……‼︎」

「…………」

「お願いですっ。一人で戦おうとしないで、私達を頼って…っ。復讐を選ばないでくださいっ。今ならまだ、なんとかなるはずなんですっ。きっと。……私達がどうにかしますっ。だから、貴方はもう……休んでくださいっ」

 

どうか思いとどまってほしいと縋るカナタを蓮は見つめ返すと、その表情に悲しみの色を浮かべ、

 

「…………すまない。それは、できない」

 

謝罪の言葉を口にし、直後に彼女の懇願を否定した。彼女の顔は一層悲痛に歪み唇が小刻みに震える。

 

「っっどう、してっ」

「………さっきも言ったが、魔女に対抗できるのは俺しかいない。復讐のことを無しにしても、奴を野放しにはできないんだ。

奴が俺を狙ってくれるのなら好都合。俺が奴と戦い勝てば復讐を果たすだけでなく、お前達を守ることに繋がる。

カナタ、これは俺にしかできないことだ。俺だけが、奴に勝てる可能性を持っている。だから、俺が戦うんだよ」

「…………………」

 

目を見開き絶句するカナタに蓮は少し気まずそうにすると、彼女の手に自分の手を重ねよう左手を伸ばして、それをやめて左手を引っ込めると、目を逸らし窓の外へと視線を向けながら言った。

 

 

「好きに恨んでくれて構わない。嫌いになってくれて構わない。だが、俺はどうあってもこの考えを曲げるつもりはない」

 

 

何をしても自分の意志は変わらないと無慈悲に告げた蓮に、カナタは大きく目を見開くと顔を俯かせながら小さく呟く。

 

「貴方のことを、嫌いになれるわけが、ないじゃないですか」

 

そう呟くきスッと立ち上がると蓮に背を向ける。そして、扉の付近で落としたままのタオルを拾い上げながらドアノブに手をかけると振り向かないまま、

 

「…………タオルを落としてしまったので、代わりのものを持ってきます」

 

そう言って病室を出た。

部屋を出た彼女は、しばらく廊下を歩いていたが徐に立ち止まると壁にもたれかかりずるずると崩れ落ちる。

 

「うっ、ぅくっ……ひぐっ………うぅっ……うぁあぁあ……」

 

膝をつくと背を丸めて、肩を震わせ、頭を抱えて嗚咽を漏らす

 

「なんでっ……あの人ばかりが……こんな目にっ………どうしてっ……」

 

どうして、彼ばかりが傷つかないといけない?

 

どうして、彼ばかりが苦しむ必要がある?

 

どうして、彼ばかりがあんな目にあわないといけない?

 

カナタは想い人ばかりが傷つく現状を恨んだ。そして、現状だけでなく己の無力さにも。

 

もう彼に戦ってほしくない。

 

もうこれ以上化け物になってほしくない。

 

そう願っていても、自分の声は、自分の想いは、彼の心を動かさなかった。

 

自分に見せてくれたあの優しい微笑みが消え、代わりに冷徹な殺意が宿った冷たい表情。

 

それらがどうしようもなく辛くて、悲しくて、苦しかった。

 

「ごめんなさいっ………ごめんなさいっ………」

 

愛する人が破滅へと進んでいるのに、それを止められない自分の無力さに、不甲斐なさに、彼女は己を責めた。

これまで何度も彼を引き戻せる機会はあったはずなのに、何もしてこなかった。いや、大和とサフィアの葬式の時に自分がもっと彼に寄り添っていれば、こんなことにはならなかった。

そう自分を責めずにはいられなかったのだ。

 

 

 

そして、彼女はぐちゃぐちゃになった感情の整理がつかないまま、しばらくその場で泣き続けた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「…………また、泣かせてしまったか」

 

カナタが去った後の病室、ベッドの上で蓮は扉の方へと視線を向けながら、呆れ混じりにそう呟く。また彼女を泣かせたことに対する罪悪感が彼の心に広がった。

 

「…………」

 

正直なところ、もう彼女の涙は見たく無かった。

彼女の涙を見るだけで、蓮の心は酷く痛んだから。それほどまでに蓮にとってカナタという存在は大きなものになっていたのだ。

 

だが、どうしようもなかった。魔女との戦いだけはどう手を尽くしても避けられないものなのだ。

そして、その戦いでは自分以外の誰もが彼女に太刀打ちできないことも分かっている。

元世界3位の黒乃や現世界3位の寧音が組んだとしても。ましてや、世界最強の剣士と謳われるエーデルワイスであってもだ。

 

自分以外では彼女には勝てない。だから、自分が戦う。それだけに過ぎない。

 

魔女と自分が戦うことは、大和とサフィアが死んだあの日に既に決まっていた事。

あの日、魔女に見逃された時からこうなることはもはや必然だったのだ。

 

 

「…………もう……止まれないんだよ」

 

 

蓮は、この世界が今や大きなうねりに呑まれていることを感じ取っていた。そして、誰にも止めることができないことも。

 

これから、世界は荒れる。

 

アリオス曰く、魔女の狂乱の宴(オルギア)は既に始まっているのだ。

 

自分がその宴の最大の目的として狙われている以上、隠れて逃げ延びることなどできない。

それに、復讐の対象が自分を狙っていると分かった以上、逃げる気など毛頭ない。

自身が辿る道の最果てが破滅であることは分かっている。だが、その破滅は蓮にとって悲願の成就でもある。だから、もう彼は止まることができない。止まらない。止まる気がない。

 

「………ふっ、ククッ、ははっ、あぁ気分がいいなぁ……やっとだよ。……やっと見つけた……」

 

堪えきれないように思わず笑みが溢れて、蓮の口が三日月の弧を描き凶悪に歪み喜悦が漏れる。

これまでずっと闇の中を彷徨っていた道にようやく光明が、出口が見えたのだ。

ならば、その光へと進む他ないだろう。

その光が、破滅を齎すものであっても、暗闇から抜け出すにはソコへ向かうしかない。

 

光明(破滅)逃してはなら(受け入れるしか)ないのだ。

 

「……………これはもう、邪魔になるな」

 

蓮は自身の首から下げられる形見のネックレスを見下ろすとそう悲しげに呟いた。

《覚醒超過》発動の際に魔力干渉で魔力分解して体内に擬似霊装として保管しておいたソレは、無事に元に戻ったらしい。

この桜のネックレスは家族の形見であると同時に自分が騎士としての誇りを、彼らの愛を忘れないために身につけていたものだ。

 

このネックレスには多くの思い出が詰まっている。愛情や喜び、蓮の心を元気付けてきたものだ。

 

 

だが、今となってはそれはもう———自身を引き止める足枷(未練)にしかならない。

 

 

 

 

 

だから———

 

 

 

 

 

「———全てが終わったらまた付けるよ。それまでは、外させてくれ」

 

そう言って蓮は桜のネックレスを首から外すと、そばの棚に置いた。

 

 

 

この日、蓮は…………己の原点(家族の形見)を自らの意思で手放した。

 

 

 





蓮以上にやべー能力と狂気持った敵の正体を漸く出すことができました。数百年生きてると言われてまさかと思う方もいるでしょうけど、そもそも《覚醒超過》事態が人間とは異なる存在に変質する現象な以上、肉体構造も変わると思うんです。肉体構造が変われば人間の寿命なんて適用されませんし、長寿でもおかしくないだろうなということで、数百年寿命の設定にさせていただきました。


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