IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ (Granteed)
しおりを挟む

序章

『IS』

 

正式名称『インフィニット・ストラトス』

それは宇宙空間での活動を想定し、開発されたマルチフォーム・スーツ。しかし、開発者の目的からは逸れ、現在は兵器へと転用された。そのきっかけはとあるひとつの事件だった。

 

ISが発表されてから一ヶ月後、日本を射程範囲内とする世界中のミサイル基地が一斉にハッキングされ、約5000発のミサイルが日本めがけて発射された。世界に中継され日本はパニックに陥り、誰もが絶望の淵に落とされていた。その時、現れたのが白銀のISを纏った女性だった。その女性は、なんと約半数のミサイルをたった一機で撃墜したのだった。手に持っていた剣を振るい、遠くのミサイルに対しては銃器のようなものを片手に召喚し撃ち落としていた。日本中の誰もが、助かると思った時、それは起こった。ISの動きが急に鈍くなり、挙句の果てには止まってしまったのだ。今まで助かる、と思っていた分、更に日本はパニックになった。日本政府もあきらめ、避難を開始したその時“それ”はいきなり現れた。

 

当時、中継を見ていた人間は口を揃えて言う。

 

『白い鬼だった』

 

その“白い鬼”はいきなり現れ、ミサイルを撃墜し始めた。ある時は素手で、ある時は太刀を振るい、ある時は射撃武器を使って。そしてそのまま、全てのミサイルを撃墜してしまった。しかし、ミサイルを撃墜した“鬼”とISに対して世界は冷ややかな対応をした。

 

『対象の分析・及び捕獲。無理ならば撃墜』

 

日本の周辺諸国から空からは偵察機が飛び、海からは艦船がその空域に押し寄せた。どうみてもISの方は限界に近く、“鬼”の方はともかくISは捕獲出来るだろう、と各国は思っていたらしい。しかし、“鬼”はその全ての勢力を無力化した。しかも動けないISをかばいながらである。その後、各国は躍起になりさらなる部隊を投入したが、全て“鬼”が撃墜した、しかも戦闘機の搭乗者及び艦船に乗っていた船員を誰一人として殺すことなく。全てが終わった後、“鬼”はいきなり消失した。ステルスやジャマーの類では決してない、文字通り“消失”したのだった。ISの方は、“鬼”が去った後ステルスを展開し、その空域から去っていった。

 

この事件を後に人々はこう呼んだ。

 

白鬼(しろおに)』事件と……。

 

その後、ISの生みの親である篠ノ之 束博士は『あの鬼はISではない』という発表があった。しかし、約半数のミサイルを撃墜したISの戦闘能力を、世界は見過ごせるはずも無く急速にISは“宇宙空間においてのマルチフォーム・スーツ”から“世界最強の兵器”へと変わっていった。ISの普及と同時に世界は女尊男卑の世界へと移り変わった。

しかし“鬼”の正体は結局何なのか分からずに、人々の記憶に留まるだけとなった。

 

 

今、物語が動き出す

 

 

 

少年は望まぬ力を手に入れる。両親の命と引き換えに。

 

「これを……離すな……お前の……力に……」

 

「父さんしっかり!!母さんはどうしたんだよ!!」

 

 

 

望むと望まざるに関わらず少年の運命は流転する。

 

「ここがIS学園か…」

 

「ほう、お前が二人目の男のIS操縦者か」

 

 

 

その身に宿すは異形の力。少年はその力を忌み嫌っていた。

 

「あなた……その体…」

 

「俺は……化け物なんだよ……」

 

 

 

少年は真実を知るために奔走する。

 

「……いいの?聞いたらもう戻れないよ?」

 

「構いません、俺は全てを知りたいんです!!」

 

 

 

少年は決意する。守りたい者を守るために。

 

「もう逃げない……逃げたくない!!」

 

 

 

 

その力は両親から託された遺産。その身に宿し力は(クロガネ)

 

「だから…来い!ラインバレル!!」

 

 

少年の名前は紫雲 統夜

 

 

 

彼の願いが形を成す時、運命は変わるのか……

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 ~新天地~

“IS学園”

そこはISのISによるISのための特殊国立高等学校である。将来有望なIS関係の人材を育成するべく、多くの国から入学者が押し寄せる。その倍率はとても高く、藁束の中から細い針を見つけるに等しい確率である。そこではISの操縦に限らず、ISの整備・研究も行なっている。

 

さて、この学園に入るには一つの大前提があった。それすなわちは“性別が女性”という事である。ISを操縦できるのは女性のみ。必然的にIS学園に入学出来るのも、女性だけだった。

 

ISを操縦出来ることで、女性の社会的地位は大きく変わり、今や“女尊男卑”と言われる程になっている。

 

今までは“ISは女性しか動かすことが出来ない”というのが当たり前であった。そう、今までは……。

 

何と先日、日本国内にて男でありながらISを操縦できる人間が見つかったのだ。

その人物の名前は織斑 一夏。

その事実を知った日本政府は直ちに全国で男性に対するISの適正検査を実施。一人見つかったのだから、もう一人位いるはずだ、という思惑で実施されたこの検査は、結論から言えば大成功であった。もう一人、男性のIS操縦者が見つかったのである。

 

少年の名前は紫雲 統夜。二人はただちにIS学園へと編入が決まった。この物語は紫雲 統夜がIS学園に入学してくる所から始まる……。

 

 

~IS学園・校門~

 

「ここがIS学園か」

 

校門の前で立ち止まり、一人呟く少年。その手には大きめのボストンバッグが握られ、IS学園の制服を身に付けていた。その首には先端に黒色の三つ巴を象ったアクセサリーのついたネックレスが下げられている。

 

「はぁ、本当に来ちゃったのか……。姉さんが『心配ない』って言ってたけど……」

 

ため息を付きながらひとりごとを続ける少年。すると学園の校舎の方から、一人の女性が走ってきた。女性は少年の前で急停止すると、おずおずと喋り出す。

 

「あ、あなたが紫雲 統夜君ですか?」

 

「ええ、あの、貴方は?」

 

「ああ、すみません。私はこの学園で教師をしています山田 真耶(やまだ まや)と言います。い、いきなりで申し訳ないんですけど、直接教室に行きます。い、いいですか?」

 

「構いません。でも教室ってどこですか?」

 

「す、すみません!これから案内するのでついてきてもらってもいいですか?」

 

「分かりました」

 

真耶は回れ、右をして歩き出す。統夜は“謝ってばかりの人だな”と思いつつも真耶の後にしたがって歩きだした。

 

~校舎・教室~

 

統夜と真耶がしばらく歩いていると、やがて“1年1組”と表示がある教室の前で立ち止まる。教室の中からは、何かで叩いた様な音がする。

 

「あ、あの、ちょっとここで待っていてください。すぐに呼びますから」

 

真耶は統夜にそう言い残して、一人教室に入る。統夜は何がなんだかわからない状態で一人突っ立っている事しか出来なかった。

 

「はあ、何で俺がこんな所に……」

 

「(そ、それではもう一人このクラスのお友達を紹介します)」

 

統夜が不満の声を上げている所に、教室のドアが開き、真耶が顔を出して統夜を手招きする。

 

「し、紫雲君、入ってください」

 

「分かりました」

 

真耶の手招きに応じ、教室へと入っていく統夜。その教室で見た光景の感想は、

 

(冗談じゃないよ……)

 

そう、教室には女子しか居なかった。いや、一人を除いて、だが。仏頂面をしている統夜に真耶が泣きそうな声で話かける。

 

「あ、あの紫雲くん?自己紹介をして欲しいんだけど……」

 

「……分かりました」

 

渋々、と言った表情で統夜が応じる。教室を見回すと、女子が目を丸くして、統夜を見つめていた。騒がしい事があまり好きではないな統夜としては、さっさと終わらせて席に着きたいと思っていたので早めに終わらせる事に決める。

 

「紫雲 統夜です。一応男のIS操縦者です。よろしく」

 

ぽかんとしていた生徒達だったが、統夜の発言から一秒後、いきなり嬌声を上げる。

 

「「「「キャアァァァァァァー!!」」」」

 

「うわっ!?」

 

統夜は即座に両手で耳を塞ぐ。鼓膜が破れるんじゃないか、と思わせるほどの声量だった。

 

「男の子!二人目の男の子よ!!!」

 

「赤い髪!かっこいい!!」

 

「目も織斑君とは違って茶色!いいわぁ!!」

 

統夜が耳をふさいでいる間、勝手な事を並べ立てる生徒。統夜がうんざりしていると、一言でその騒ぎが静まった。

 

「静かにしろ!!」

 

バン、と教卓を出席簿で叩く音が響く。その女性は無表情のまま、統夜の方を振り返る。

 

「ほう、お前がカルヴィナの言っていた弟か。私は織斑 千冬(おりむら ちふゆ)。このクラスの担任だ」

 

「そうですか、あなたが。姉が『よろしく伝えて』と言っていました」

 

「そうか、お前の席は教室の後ろの空いている席だ。早く座れ」

 

統夜は千冬が指で示している席に大人しく座る。席に向かう最中も、視線を感じたが無視。

そのうち統夜は不安になってきた。

 

(はあ、こんな所で勉強するのか・・・)

 

 

~休み時間~

 

一時間目が終わり、休み時間に入った。統夜は授業を大人しく聞いていたが、一つの感想を抱いていた。

 

(意外と簡単だな。姉さんに教えてもらった事ばっかりだ)

 

そう、統夜は姉に引き取られてから、ずっと勉強を教えてもらっていた。何故かは分からなかったが、その中にはISの基礎知識も含まれており、授業の内容が簡単に見えてしまう。

自分の席で一人物思いにふけっていると、統夜の方に近づいてくる人影が見えた。

 

「なあ、ちょっといいか?」

 

統夜が顔を上げると、そこにはこのクラスの男子、織斑 一夏がいた。クラス、と言っても統夜とこの織斑 一夏しかいないが。

 

「あんたは確か、織斑、だっけ?」

 

「ああ、織斑 一夏だ。一夏でいいぜ。でも本当にいたんだな、俺以外の男のIS操縦者って、あと統夜って呼んでいいか?」

 

「ああ、いいよ。まあ俺も検査を受けて、引っかかっただけなんだけどな」

 

「ちょっといいか?」

 

話をしている最中にいきなり声をかけられる二人。声のした方向へ顔を向けると、そこにはポニーテールの少女がいた。一夏が女子生徒に面識があるようで声を上げる。

 

「……箒?」

 

「……廊下で話そう」

 

言うが早いか、教室のドアに向かって歩き出す女子生徒。一夏と統夜は顔を見合わせる。

 

「一夏、知り合いなのか?」

 

「ああ。小学校の時の幼馴染みなんだ」

 

「じゃあ早く行ってやれよ」

 

「ああ、ちょっと行ってくる」

 

統夜から離れてく一夏。一夏が扉の向こうに消えて、大きく息をついた。

 

(男がいて助かったな。それに良い奴、なのかな?いきなり話しかけてくるなんて)

 

統夜は再び席で思考する。統夜の中で、一夏は“良い奴”という認識になる。その内、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

 

~休み時間~

 

二時間目が終わり、統夜の席の周りには一夏、箒が集合している。統夜としては、とても迷惑な状態なのだが。

 

「統夜、紹介するよ。こいつは篠ノ之 箒。俺の幼馴染みだ」

 

「よろしくな、紫雲」

 

「ああ、よろしく」

 

「いや~、ホント良かったよ統夜が来てくれて。俺一人だったら身が持たなかったもんな。箒とも会えたし、今日はいいことばっかだぜ」

 

「ふん、しかし何年ぶりだ?こうして出会うのは」

 

「ああ、小学校の時以来だから、かれこれ7,8年かな?」

 

元々口数は多い方ではない統夜。一夏と箒の会話を眺めていると、一つの声が割り込む。

 

「ちょっと、よろしくて?」

 

「へ?」

 

一夏が間抜けな声で返事をすると、そこにいたのは金髪を伸ばし、縦ロールにした“今どき”の女性だった。

 

「・・・なんですか?」

 

統夜が不機嫌な声を出して疑問を口にする。統夜としては、普通に接したつもりだったのだが相手は不快に感じた様で、声を荒らげる。

 

「まあ、何ですのそのお返事!私に話しかけられただけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるのではないかしら?」

 

「……」

 

正直言って統夜はこの様な人間が嫌いだった。ISという力があるから偉い。その様に自分の力を勘違いしている様な人間、自分が持っている力の本質も理解していない人間。

 

「悪いな。俺、君が誰だか知らないし」

 

仏頂面をして黙っている統夜の代わりに、返答する一夏。その言葉を聞いて、女は大仰なポーズを取る。

 

「この私を知らない?このセシリア・オルコットを?イギリスの代表候補生にして入試主席のこの私を?」

 

聞いてもいないのに、自分の事をべらべらと喋り続けるセシリア。いい加減統夜はうんざりしていたが、一夏はあくまでマイペースで話し続ける。

 

「あ、ひとつ質問いいか?」

 

「何ですの?」

 

「代表候補生ってなんだ?」

 

その瞬間、クラス数名がずっこける。セシリアは金魚のように口をぱくぱくと開け閉めしていた。

 

「あ、あ、あ……」

 

「あ?」

 

「あなた、本気でおっしゃっていますの!?」

 

「おう、知らん」

 

しれっと言う一夏。横から統夜がカバーを入れる。

 

「一夏、代表候補生っていうのは、国家代表の卵って所だよ。まあ、何人もいるけどな」

 

統夜が毒混じりに一夏に教える。セシリアはそんな統夜を見下した目で見続けていた。

 

「まあ、ずいぶんと物知りですのね。そう!私はエリートなのですわ!!」

 

「それで、用件は何ですか?」

 

「ISの事で分からない事があれば、まあ泣いて頼まれたら教えて差し上げますわ。なにせ私、入試で唯一教官を倒したエリートなのですから!!」

 

「あれ?俺も倒したぞ、教官」

 

その言葉を聞いた瞬間、セシリアの顔が固まる。箒も驚いているようで、一夏に問いかけた。

 

「一夏、それは本当か?」

 

「うーん、倒したっていうか、相手が突っ込んできて、避けたら壁に激突して動かなくなったんだけど」

 

(それ、勝ったって言うのか?)

 

一夏の答えを聞き統夜が疑問に思っていると、セシリアが何故か憤慨していた。あまりの勢いに一夏も閉口している。

 

「あなた!あなたも教官を倒したっていうの!?」

 

「ちょ、ちょっと落ち着けって……」

 

「これが落ち着いていられ──(キーンコーンカーンコーン)──っ!」

 

セシリアの言葉の途中で、三時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。セシリアは捨て台詞と共に、自分の席へと戻っていく。

 

「また後で来ますわ!逃げない様に!よくって!?」

 

「全く、おかしな奴だな、なあ統夜?」

 

一夏が統夜に同意を求めるが、統夜は難しい顔をして黙りこくっていた。心配した箒が声をかけ、やっと元に戻る。

 

「紫雲、どうかしたのか?」

 

「っ!!いや、何でもないよ。それより二人も早く席に着いた方がいいんじゃないのか?」

 

その言葉を聞き、急いで席に戻る二人。しかし統夜は二人が戻ってもしかめ面をしていた。

 

(はあ、こんな所で三年間も過ごすのか・・・)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 ~力の有り様~

~IS学園・屋上~

 

三時間目、四時間目が終わり昼休み。統夜は屋上に出て、携帯電話で話をしていた。その声は沈んでおり、覇気が全くない。話している間にも、指で自分の首にかけられているネックレスを指で弄ぶ統夜。

 

「ねえ、姉さん。俺、こんな所でやっていける自信ないんだけど・・・」

 

『前にも説明したでしょう、統夜。そこにいれば当面の安全は確保される。ISの事も勉強できるし一石二鳥じゃない』

 

「でもISの事は前に姉さんに教えて貰った事がほとんどだし、俺はもうISの整備の知識まで知ってるんだ。授業が退屈で仕方ないんだよ」

 

『まあ、それはしょうがないわね。復習だと思って諦めなさい』

 

「しかもこっちには明らかに男を見下した奴までいるし。いくら女尊男卑が定着しつつあると言っても、あからさますぎる」

 

さっきから統夜は姉のカルヴィナに対して愚痴るばかりであったが、カルヴィナはやんわりと受け止め、年長者としての助言を繰り返し言い続ける。

 

『それは確かにそうだけど、いっその事統夜がその考えを正してあげればいいんじゃない?』

 

「冗談じゃない、あんなのと冷静に話せるわけがないだろ。でも男の方は良い奴みたいだ」

 

『織斑 一夏でしょ?あの千冬の弟の。ちゃんと千冬に言ってくれた?』

 

「ああ、よろしく言っておいたよ。でもちょっと怖そうな人だったかな」

 

『ふふ、それは外見だけよ。彼女の内面はとても優しい人間なのだから』

 

「そうなのか。まあ頑張ってやってみるよ」

 

『それがいいわね。それに周りが女の子ばかりなんでしょう?統夜にも彼女が出来るかもね』

 

ふふっ、という笑い声と共にカルヴィナが統夜をからかう。統夜は一瞬で顔を赤くしてしまう。せめてもの抵抗、とばかりに統夜は姉の思い人の名前を出す。

 

「そっ、そんなのどうでもいいだろ!?姉さんはアル=ヴァンさんとはどうなんだよ!?」

 

『あら、私とアル=ヴァンは問題ないわよ?むしろ・・・え?変わってくれ?いいわよ』

 

しばし、声が聞こえなくなる。頭に疑問符を浮かべている統夜だったが、その答えは次の瞬間、聞こえてくる声によってはっきりする。

 

『統夜、私とカルヴィナは全く問題ない。むしろそっちにいた時より良いくらいだ』

 

「ア、アル=ヴァンさん!?」

 

予期しない声の主に、驚愕する統夜。全く、この二人はどこまで仲がいいことやら…と統夜が考えている最中も電話越しの声は止まらない。

 

『統夜、いい加減呼び捨てでも構わないのだぞ?いや、いっそのこと“義兄(にい)さん”でもいいかもしれんな』

 

アル=ヴァンが喋る向こう側で姉の「何言っているのよ!」という声が聞こえる。いい加減いつでも惚気けるのは勘弁して欲しい。日本(こっち)にいたときでもあの二人はいつもいつも……。

 

「でも、アル=ヴァンさんはまだ俺の正式な義兄(あに)じゃありませんし」

 

『ふむ、固いな統夜。まあそこが君の良い所でもあるのだが。まあ次そちらに行く時は、私にも義妹(いもうと)が出来ているかもしれんな』

 

「ちょ、ちょっとアル=ヴァンさんまで何を言い出すんですか!!」

 

『まあ、思い人を作るのは悪い事ではない。人は守る者のために強くなることが出来る。一人だけの強さでは限界があるからな、統夜も己の強さを磨くと良い』

 

「……はい、ありがとうございます!!」

 

統夜はこの人のこういう部分がとても好きだった。姉とは違う方法で自分に道標をくれる。姉とは違う面でとても尊敬出来る人だった。

 

『それではカルヴィナに変わる。・・・と言う訳よ、統夜。頑張りなさいね』

 

「ああ、ありがとう。姉さん」

 

『これだけは覚えておきなさい。何が起こっても、私とアル=ヴァンはあなたの味方よ』

 

「うん、ありがとう。じゃあね」

 

最後に別れの言葉を口にして、携帯電話を閉じる統夜。その顔は屋上に入って来た時とは違い、晴れ晴れしていた。

 

「さて、そろそろ教室に戻るか」

 

屋上の出入口であるドアに向かう統夜。そろそろ昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る頃であった。

 

 

~放課後・SHR(ショート・ホームルーム)

 

今日一日のすべての授業が終わり、現在は放課後のSHR。教卓では、千冬が一年生に連絡事項を伝えている。

 

「ああそれと、再来週に出るクラス代表を決めておく。クラス代表者というのは一年間、対抗戦だけではなく、生徒会の開く会議や委員会への出席が主な仕事だ。まあ、クラスの顔、と言い換えてもいいかもしれん。自薦・他薦は問わない。誰か、立候補者はいないか?」

 

「はい、織斑君がいいと思います!」

 

「私もそれがいいと思います!」

 

「えっ、お、俺!?」

 

いきなり名指しされ、動揺する一夏。千冬は冷静に対処していく。

 

「ふむ、織斑か。誰か、他に立候補者はいないのか?いないのならば、無投票当選となるが・・・」

 

「ちょ、ちょっと千冬姉!俺はそんなの」

 

一夏が言いかけた所に、千冬が出席簿による手痛い一撃を加える。相当痛い様で、机に突っ伏し、悶絶する一夏。

 

「織斑先生、だこの阿呆。それに推薦された者に拒否権は無い」

 

千冬がそこまで言うと、机を手のひらで叩きながら立ち上がる人影が一つ。

 

「(バンッ!)納得できませんわ!!」

 

「ほう、どういう事だ?」

 

「その様な選出方法は認められません!!男がクラス代表だなんていい恥さらしですわ!!」

 

(・・・やっぱりあいつとは仲良く出来そうにない)

 

統夜が心の中で不満を考えていると、一夏が立ち上がり噛み付く。

 

「どういう意味だよ!!」

 

「言葉通りの意味ですが?そもそもクラス代表とは実力でなるもの、つまりそれは私ですわ!!大体、文化としても後進的なこの島国で、暮らさなければいけないこと自体が私にとっては苦痛で」

 

「イギリスだってマズイ料理で何年覇者だよ。そんなに嫌いならこなければいいじゃねえか」

 

我慢できなくなったのか、一夏が乱暴な言葉使いで反論する。売り言葉に買い言葉、正に子供の喧嘩の様で、あっという間に口争いはヒートアップする。

 

「あ、貴方!私の祖国を侮辱しますの!?」

 

「先に言ったのはどっちだよ」

 

「・・・決闘ですわ!!」

 

「おういいぜ。それで、俺はどの位ハンデを付ければいいんだ?」

 

一夏が言うと、一瞬クラスが静寂に包まれ、次の瞬間、

 

「「「アハハハハハ!!!」」」

 

爆笑の渦となった。一夏は訳が分からないといった顔で戸惑う。

 

「な、何だよ。おかしな事言ったか?」

 

「織斑君、それ本気で言ってるの?」

 

「男が女より強かったのって大昔の話だよ?」

 

「今、男と女が戦争したら一週間持たないって言われてるんだよ?」

 

やっと意味が分かった様で、一夏が少し顔を歪ませている。セシリア嘲笑と侮蔑が入り交じった視線で一夏を見ていた。その言い争いに意外な声が割り込む。

 

「一夏、そんな顔するなよ。お前の言っている事は間違っちゃいないんだから」

 

統夜が立ち上がり、クラス全員に宣言するように言い放ち、乱入者により教室が静まる。

しかしセシリアは即座に復活し、統夜にも侮蔑の視線を投げかける。

 

「あら、それはどういう意味ですの?」

 

「言った通りの意味だけど?そもそも俺からしたら、あんたらがそんな話題を面白おかしく話せる事に疑問を感じるね」

 

統夜は内心、一夏の事を“凄い奴”と認識していた。自分の言いたい事ははっきり言う性格、自分の芯を曲げようとしない所。一夏のそういう部分は、統夜が“こうありたい”と思う部分と重なっていた。統夜が言い切ると、何故か千冬が統夜に尋ねる。

 

「ほう?どういう意味か言ってみろ、紫雲」

 

「前提条件からこいつらは間違っている。ISが使えるから女は強い?そんな考えはもう通用しない。だってもう例外が目の前に二人もいるじゃないか」

 

その言葉を聞いた瞬間、クラス全員が雷に打たれたかのような顔になる。クラスメイトには構わず、統夜は続ける。

 

「そもそもこの人達の考えはどこかずれている。このIS学園に入ったから浮かれている部分もあるかもしれないが、そもそもISってどんなものだ?」

 

「……」

 

統夜の問いに、クラス全員が答えられない。そんな現状に、統夜はため息をついて答えを明かす。

 

「ISってのは、今は確かにスポーツの部類に入っているかもしれない。でも元々は兵器なんだろ?そんな物騒な物を扱っているのに、少し緊張感が足りないんじゃないのか?」

 

一夏は驚いた顔をして、セシリアは完全に言い負かされている。二人には構わず統夜は話を続けた。

 

「ISっていう大きな“力”を扱う俺たちだからこそ、その重要性を誰よりも理解しなきゃいけないんじゃないのか?“力”は使い方次第で自分も、人も傷つける。もっと考えたほうがいいだろ」

 

「し、しかし!代表候補生であり、専用機も持っている私に勝てるとでも!?」

 

「一夏、どうだ。やれるか?」

 

そこで統夜が一夏に話題を振る。一夏の顔は満面の笑みだった。

 

「ああ、男がそこまで言われて引けるか。ありがとうな、統夜」

 

「い、いや、いいって」

 

統夜は、今更自分が言っていた事に赤面する。今の言葉の一部は昔、統夜の姉であるカルヴィナに言われた事でもあった。自分が力とは何かと悩んでいた頃に、私はこう思っていると姉に諭された事を思い出す統夜。最後に千冬が意見をまとめる。

 

「決まったな。それでは、次の月曜日にオルコットと織斑によるクラス代表決定戦を行う。それでは解散!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 ~ルームメイト~

SHR(ショートホームルーム)は千冬の号令によって終わった。生徒が鞄を持ち、教室から出ていこうとする中、統夜の席に一夏が近づいていく。

 

「さっきはありがとな、統夜」

 

「いや、だからいいって。それよりいいのか、あんな約束して?」

 

「何がだ?」

 

「…お前、分かってるのか?国家代表候補生と戦うんだぞ?素人のお前に勝ち目があると思うのか?」

 

「ああ、それか。多分大丈夫だろ、それに男が一度言った事を覆せるかよ!!」

 

統夜は焚きつけた様な物言いをしたことに責任を感じて心配するが、当の一夏はニコニコと楽観的な発言をする。そんな一夏の言葉に呆れて大きくため息をつく統夜。

 

「はぁ…。一夏って凄い楽天家なんだな」

 

「あ!ちょっと統夜、待てって!!」

 

鞄とボストンバッグを持って教室から出ようとする統夜を追って自分も教室から出ようとする一夏だったが、統夜が教室の扉を開いて廊下に出ると、声がかかる。

 

「紫雲君、ちょっと待ってください!!」

 

「はい?」

 

本日二度目の“君”づけで呼ばれる統夜。声の方向に顔を向けると、そこには小走りで駆けてくる真耶がいた。いきなり廊下で立ち止まった統夜の後ろから、一夏が出てくると同時に真耶が二人の所にたどり着く。

 

「はあ、間に合いました。あ、織斑君もいるんですね。ちょうどいいです」

 

言いながら手にもっている鍵と書類のようなものを二人に手渡す。一夏は何だこれ?と言う顔をしており、それを察したのか真耶が口を開く。

 

「ええと、それは寮の鍵ですね」

 

「?寮の鍵ってなんですか??」

 

「織斑君と紫雲君には今日から寮で生活してもらいます。それはその寮の部屋の鍵ですね」

 

一夏の疑問に答える真耶。しかし一夏にはまだ腑に落ちない事があるらしく、質問を続ける。

 

「あれ、俺の部屋って決まってないんじゃ?確か一週間位は家から通えって前に言われたんですけど」

 

「ええ、その件なんですけど無理矢理部屋割りを変更しました。その、事情が少し複雑なので。それで今日から学園内の寮で生活してもらいます」

 

「え、でも俺荷物とか無いんですけ──「それなら私が持ってきてやったぞ」──千冬姉」

 

タイミング良く教室から出てきた千冬が一閃、出席簿で一夏の頭を引っぱたく。悶絶する一夏に構わず話を続ける。

 

「織斑先生と呼べ、馬鹿者が。まあ生活必需品だけだがな。ありがたく思えよ?」

 

「は、はい。織斑先生……」

 

頭を上げる一夏だが相当痛むようで頭をさすりながら返事をする。説明を続ける真耶。

 

「えーとそれでですね、詳しくはその書類に書いてあるので目を通しておいて下さい」

 

「はい。分かりました」

 

「ええと、以上です。二人とも、真っ直ぐ寮に行ってくださいね?」

 

「わ、分かりました」

 

千冬の一撃からようやく立ち直った一夏が返事をして、千冬と真耶が去っていく。後には部屋の鍵を見つめている統夜と、まだ頭をさすっている一夏が残された。

 

「ああ、痛えなあ。千冬姉も少し手加減してくれてもいいのに、なあ?」

 

「……いや、どう考えてもお前が悪いだろ」

 

「ひでえ!!」

 

同意を求める一夏だったが統夜に一蹴されてしまう。歩きながら会話を続ける二人。

 

「それにしても寮生活か。統夜、お前の家ってどの辺にあるんだ?」

 

「まあ、ここからそんなに離れてないよ。徒歩で二十分位だ……あ、そうだ」

 

何かを思い出したかのように立ち止まる統夜。疑問に思ったのか、一夏がなんの気なしに尋ねる。

 

「統夜、どうした?」

 

「悪い、一夏。ちょっと織斑先生達に確認しておきたい事があったんだ。それじゃ」

 

「ああ、じゃあな」

 

手を振って送り出す一夏。廊下を早足で歩くと、千冬と真耶が揃って廊下を歩いているのを見てその背中に声をかける。

 

「織斑先生、少しいいですか?」

 

「ん?どうした?まさかとは思うが寮の場所が分からない、などとは言い出さんだろうな」

 

冗談を交えつつも足を止める千冬と真耶。統夜にはそれが冗談かどうか判別出来ないので慌てて否定する。

 

「違いますよ。あの、生徒でも使える調理室みたいな所ってありませんか?」

 

「ほう、自炊でもする気か?」

 

「ええ、姉さんが日本勤務だった時にもいつも弁当を作ってたので、もう癖になっちゃっているんですよ。それで何処かいい場所がありますか?」

 

「へえ、紫雲君自炊できるんですか。羨ましいですねぇ、私はいつまでたっても料理の腕が上達しなくて──」

 

「そこまでにしておけ、山田先生。そうだな、寮にある調理室ならば器具一式が使えるだろう。ただし食材は基本持ち込みだが、理由を話せば食堂の方々から譲ってもらえるだろう。分かったか?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「ではな、これから頑張れよ」

 

「さようなら、紫雲君」

 

最後に別れの挨拶を言いながら、二人は再び廊下を歩き出す。綾人も二人に向かってお辞儀をして、気合を入れて廊下を歩きだした。

 

(さて、明日は何を作ろうか。日持ちするのは後日でいいから、やっぱり弁当の中身かな。まずは食堂か)

 

まるで主婦のような事を考えながら寮の自室に向かう統夜であった。

 

 

~寮・統夜の自室~

 

「これは多すぎだろ……」

 

鍵をドアに差し込みながら自分の部屋に入る統夜。その両手には溢れんばかりの食材達がビニール袋の中でひしめき合っていた。

 

(食堂の人たちもいい人達だったんだけどなあ)

 

あの後、統夜が慣れない廊下を歩いてようやく食堂に到着。厨房の奥に声をかけると、あっという間に人がわらわらと集まった。何しろ統夜は世界で二人目のIS男性操縦者なのだ。それは統夜が考えている以上に珍しい物だったらしく、体中を小突き回された上、自炊したい旨を伝えるとこれでもかと言わんばかりの食材を貰った。何でも『男の子なんだからそれぐらい食べれるだろ?』という事らしい。

 

「でもこの量はどう考えてもおかしいって」

 

部屋に冷蔵庫があったのでそこに取り敢えず冷やしておかなければならない肉、野菜をぶち込む。調味料等は部屋の使い方がまだいまいち分からないので、ベッドの隣に袋ごと置いた。

 

「それにしてもここの部屋って……俺だけなのか?」

 

統夜は綺麗な部屋を見渡す。統夜がそう思ったのは部屋の状況を見て生活感が無く、人が生活している痕跡が全く無かったからだ。

 

「まあ俺だけでもいいか、気兼ねしなくていいし」

 

そう言って二つありベッドの片方に身を投げ出す。あっという間に眠気に襲われた統夜は小さな寝息を立てながら学園生活一日目を乗り切った余韻に浸る。

 

 

 

 

 

 

「ん、ううん……」

 

統夜が再び目を覚ましたのは午後七時、夕食時だった。壁に設置された時計を見ながら体を起こす統夜。

 

「何か食べに行くか」

 

流石にいきなり夕食も作る気は統夜にも無かった。ベッドから降りて服を整える。学園指定のジャージを着込みながら、ドアを開けようとした。

 

「え?」

 

「……」

 

ドアノブに手をかけようとした統夜だが、その手はドアノブに触れる事は無かった。何故なら統夜が掴む前にドアが開き、統夜の目の前に水色の髪の毛の少女が現れたのである。

 

「あ、あの、その、き、君は……」

 

身長は160cmくらい、髪の毛は水色で少し癖っ毛であり、メガネをかけた女子生徒がそこにいた。統夜はいきなりの訪問者にしどろもどろになりながら何とか言葉を話そうとするが、当の少女は無言を貫いていた。しかしいきなり体を後方に倒す。

 

「え……えぇ~!?」

 

てっきり統夜は廊下への道を空けてくれるのかと思ったがそうではなかった。何と少女はそのまま目を閉じて後ろに倒れ、気を失ってしまったのである。

 

「ちょ、ちょっと!大丈夫!?」

 

「あれ、紫雲君?どうしたの?」

 

「なになに~?」

 

統夜が介抱するために少女の傍らに膝をつくが、統夜の声が廊下中に響き渡ってしまったらしい。ドアが開いてぞろぞろと女子生徒が出てきた。その内の一人が統夜に声をかける。

 

「あ、いや。この子がいきなり俺の部屋に来て、俺を見たら倒れちゃって」

 

「え?紫雲君、更識さんと同じ部屋なの?」

 

「え?」

 

女子生徒の言葉に虚を突かれた統夜。まさかあの生活感の無い部屋で人が住んでいたとは、統夜が考えている間にも女子生徒は聞いてもいない事をべらべらと喋り続ける。

 

「その子、更識 簪さんって言うんだけど。四組の子でその部屋にいるんだよ?」

 

「え?本当に?」

 

「うん」

 

コクリと首を上下させる女子生徒。取り敢えず教えてくれたお礼を言いながら、簪を介抱するべく抱えて部屋に戻った。統夜が寝ていたのと別のベッドに寝かせると、自分もベッドに腰を下ろして簪を見る。もはや空腹感など何処かに吹き飛んでいた。

 

(ここ、人がいたのか。でもそれにしては生活感が無さすぎる……)

 

統夜が目の前の少女について考えること数分。ベッドに横たわっていた少女がむくりと起き上がる。統夜も刺激を与えないように自己紹介した。

 

「ごめんね、俺は紫雲 統夜。一組の生徒で今日からこの部屋で生活するよう言われたんだけど……」

 

「……知ってる。さっきのは……ちょっと驚いただけ」

 

片言で統夜との会話を終えると、つけていたメガネをかけ直して机のパソコンに向かう簪。もはや統夜など眼中に無い様で極限まで集中してカタカタとキーボードを叩いている。その様子を見て、統夜はもう大丈夫そうだと当たりをつけて簪に迷惑をかけないよう、静かに部屋を出ていった。

 

 

~食堂~

 

(あの子、あんまり喋らないのかな)

 

午後七時半、統夜は食堂で一人夕食を取っていた。まだこの学園で知り合いと言える人間は一夏と箒しかいなかったし、わざわざ呼んで一緒に夕食を取るのも臆劫だった。一人で親子丼と味噌汁をゆっくりと食べていると、ふと統夜の体に影がかかる。

 

「……?」

 

「えへへ~、ねえとーやん。一緒に座ってもいい?」

 

「あ、ああ。いいよ」

 

いつの間にか統夜のすぐ近くまできていたのは、だぼだぼの制服を着た女子生徒だった。統夜を聞き慣れない名称で呼ぶ彼女は、統夜から許可を得ると笑いながら手に持ったトレーと一緒に席に座る。

 

「私、同じクラスの布仏 本音。よろしくね~」

 

袖をひらひらとはためかせながら自己紹介をする本音。統夜も自分と同じクラスだと分かると、途端に緊張が薄れた。

 

「そう、もう聞いたかもしれないけど俺は紫雲 統夜。よろしく」

 

「よろしくね~」

 

「それでさ、さっきの“とーやん”って何?」

 

鰈の煮付けを食べている本音に質問をする統夜だが、本音はあっさりと返した。

 

「とーやんはとーやんのあだ名だよ~。もしかして、嫌だった?」

 

「い、いや。別に」

 

そんな邪気の無い笑顔で言われたら、反論したい物もできなくなってしまう。統夜自身は別段気にするような性格では無かったので、これまたあっさりと了承した。夕食をのんびりと食べていた二人だが、ふと思い出したかのように統夜に話題を振った。

 

「とーやんも大変だねえ、かんちゃんと部屋が一緒なんて」

 

「え?かんちゃんって誰?」

 

「えーっと、とーやんと一緒の部屋のはずだけど、もしかしてまだ会ってない?」

 

「……もしかして更識さんの事?」

 

「そーそー」

 

間延びした声を上げながら肯定の意を示す本音。その話題を受けて統夜も気になった部分をぶつけてみることにした。

 

「なあ、布仏さんって更識さんの事よく知ってる?」

 

「うん、よく知ってるよ~」

 

「じゃあさ、あの子って部屋でちゃんと寝てたりする?」

 

その質問を受けると、本音の様子がいきなり変わる。今までのんびり、のほほんという空気を醸し出していたのだが、それらがなりを潜めてそわそわし始める本音。

 

「え~と、う~んとね。ちょっとその辺りは複雑なんだけどな~」

 

「えーっと、もし事情とかあるのなら良かったらでいいから教えて欲しい。力になれるかもしれないし」

 

「……うん、分かった。ここにいればいつかは知ることになるからね~」

 

そこから本音はゆっくりと喋り始めた。元々簪はISにおける日本の代表候補生であり、IS学園に入学するタイミングで専用機が与えられるはずだった。しかし男のIS操縦者である一夏の登場によって自身の専用機の開発が停止。ならばと自分の手で一からISを作っていて今は碌に寝てもいないらしかった。全てを聞いた統夜はやっと得心がいった、という表情で椅子に体を預ける。

 

「はぁ、そういう事か。だからあの部屋に生活感が無かったんだ」

 

「かんちゃん、たまに疲れてISの整備室で寝ちゃう時もあるんだ。その時は私が頑張って部屋まで運んであげるんだけど。最近じゃあご飯も食べてなくて、私が言ってもあんまし聞いてくれないんだよね~」

 

話しながら味噌汁をずず~と飲む本音。話を全て聞き終わった統夜は難しい顔をしていた。

 

「でもそれってさ、誰かが手伝ってあげられないかな?」

 

「何を?」

 

「その更識さん専用のISの作製」

 

統夜が名案とばかりに提案するが、本音は変わらず難しい顔をしていた。頭をゆらゆらと揺らしながら自分の意見を口にする。

 

「う~ん、それはちょっと難しいかな。かんちゃん、意地でも自分一人で完成させたいって思ってるはずだから」

 

「え?それも何か理由があるの?」

 

「……ごめんね、とーやん。ここから先はちょっと事情が複雑だから言えないんだ」

 

統夜の疑問に対して頭をぺこりと下げてごめんなさい、と謝る本音。慌てて統夜は顔を上げる様に言うと、再び考え始める。

 

「まとめると、IS関連の方は手伝えないけど、身の回りの事は手伝えるって事?」

 

「うん、そゆことだね~」

 

夕食を食べ終わった本音は湯のみに入った緑茶をずず~と啜る。本音の言葉を聞いて何やら考え込む統夜だが、不意に大声で叫ぶ。

 

「そうだ!!」

 

「な、何が?」

 

「俺が身の回りの事だけでも手伝えばいいんじゃないか。更識さんとは同室だし、自慢する訳じゃないけど家事は慣れてるしさ」

 

その言葉を聞いた本音はぽかんと統夜を見ているだけだったが、途中で言葉の意味を正確に理解した様で目を丸く見開きながらゆっくりと口を開く。

 

「……いいの?」

 

「別にいいよ。慣れてるから特に負担とかは感じないし」

 

「ありがと~」

 

統夜の言葉を聞くと、今までの暗い雰囲気が嘘の様に吹き飛び、にんまりと笑う本音。二人は食器を片付けるべく、トレーを持って席を立つ。

 

「ねえとーやん、一つ聞いていいかな?」

 

「ん?何を?」

 

「どーしてとーやんはそういう事しようって思うの?いきなりこういうこと聞いても普通、協力したいなんて言い出さないと思うんだけど」

 

「……そうだね、まずは俺自身に少しお節介が過ぎる所があるから。二つ目は……」

 

そこで統夜が一瞬黙る。本音も待てずに先を促してしまった。

 

「二つ目は?」

 

「…頑張っている人を見ると、応援したくなるんだよ。そこまで事情を聞いたら今更“はいそうですか”で終わらせる事も出来ないしね。ただそれだけ」

 

食器を二人でカウンターに載せながらぽつぽつと漏らす統夜。その答えを聞いて本音が一層笑顔になる。

 

「にへへ~、ありがとうね。とーやん」

 

「い、いいよ別に。それで、明日からどうする?」

 

二人は廊下を歩く内に明日の予定をどんどん決めていく。話し込んでいる最中にいつの間にか統夜の部屋の前についてしまった。

 

「じゃあ、明日はその手はずで」

 

「うん~、よろしくね~。ばいばい」

 

ぶんぶんとだぼだぼの袖を振って別れの挨拶をする本音。統夜も挨拶を返してやると、物凄い勢いで廊下をダッシュしてすぐにその姿が見えなくなってしまった。

 

(さてと……、明日のために色々準備しなきゃな)

 

そう考えながら統夜もドアノブに手をかけて自分の部屋に入る。ぱたんと静かな音を立てて扉が閉まり、廊下は静寂に包まれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 ~簪お世話大作戦~

「さてと、早速作るか」

 

場所は生徒用の調理室。時刻は午前七時。昨晩、しっかりと計画を立てて早々と布団に潜り込んだ統夜は早起きを敢行、そして寝ていた簪を起こさないように抜き足差し足で食材達と一緒に部屋を出た。調理室に到着した統夜は早速調理を開始。簪の嗜好は昨日の内に本音から聞いているので問題は無かった。

 

(えーと、確か肉は苦手だけど鶏肉なら食べられるって言ってたよな……)

 

考え事をしつつも、統夜の手は止まらない。部屋の冷蔵庫から持ってきた食材の内、鶏肉を取り出して下ごしらえをする。

 

(ちょっと重いかもしれないけど、唐揚げとかにしてみるか。そこにサラダとかも加えて……)

 

がさごそと部屋から持ってきたビニール袋を再びあさり、食材の中から数種類の野菜と調味料を取り出すと調理開始。鼻歌を歌いながら慣れた手つきで食材達を扱っていく。

 

 

 

~一時間後~

 

 

「出来たっと」

 

三つの弁当箱を丁寧に包みながら、統夜は自分の作品達を見つめる。時計を見れば既に午前八時を回っている。まだ若干余裕はあるとは言え、部屋に戻って学校の準備をしなければいけない時刻だった。

 

「もう行かなきゃな」

 

三つの弁当を上手く手に持ちながら、調理室を抜け出して部屋に戻る統夜。既に廊下には何人か女子生徒がいて、それらへ挨拶を返しながら部屋へと戻っていく。数分後、統夜は自室の前に到着していた。

 

「ここからだよな……」

 

目の前にそびえ立つ扉を見てごくりと唾を飲み込む統夜。何せ見つかったら即アウト。いくらなんでも一人で三つの弁当を食べるとは簪も思わないだろうし、そんな言い訳が通用するはずもない。部屋を出た時と同じくゆっくりと音を立てないようにドアを開けて、どこぞの潜入兵の様に音を立てないまま部屋に入る。

 

「zzz……」

 

部屋のベッドでは簪が小さな寝息を立てて寝ていた。昨晩も疲れていたのだろう、ちょっとやそっとの物音では起きないと思うほど熟睡していて、胸を撫で下ろす統夜。しかしグズグズしている暇は無いので急いで鞄に三つの弁当箱を入れて、制服に着替える。全ての準備を終えた時、簪はまだ寝ていた。

 

(これって、起こした方がいいよな?)

 

女性が寝ている事については姉がいたためか、いくらか耐性は出来ていたのだが簪の寝姿を見ると若干興奮してしまうのは男としての悲しい性であった。ブンブンと頭を振って邪念を振り払うと、まずは声をかける所から始める。

 

「さ、更識さん?朝だよ、起きた方がいいよ」

 

だがそんな統夜の言葉にも“我関せず”とでも言うかの如く無視を決め込む簪。いや、ただ単に寝ているだけなのだが、統夜の声ごときでは起きることはなかった。覚悟を決めてゆっくりと簪の体に手を伸ばす。

 

「さ、更識さん?」

 

ゆっくりと、不快感を与えないように簪の体を揺らす統夜。今度は効果があったようで簪から寝起きの声が漏れる。

 

「う、ううん……っ!?」

 

目を開けたかと思うと、いきなりがばっと体を統夜の方に向ける。いきなりの事に統夜も驚き、若干体を引かせる。

 

「ど、どうしたの?」

 

「あ、あなた、誰?」

 

その言葉を聞いて統夜は一瞬“何言ってんだこの子”、と思ったがただ単に寝起きで頭がはっきりしていないだけだと思って再度自己紹介をする。

 

「えっと、俺は紫雲 統夜。昨日から更識さんのルームメイトになったんだけど」

 

「……ごめんなさい、そうだった」

 

再び片言で統夜に謝る簪。どうやら昨晩の事を完全に思い出したようで徐々に目の焦点も合っていく。

 

「そろそろ支度しないと学校に間に合わないよ?」

 

「……分かってる」

 

全く分かっていなかった口調でもぞもぞと起き上がる。統夜はその行動に疑問を持たなかったが、ふと思った事を口にする。

 

「あれ?更識さんってもしかして、朝ごはん食べてない?」

 

「そんなもの…いらない。それとその苗字で呼ばないで」

 

簪はいきなり恨みがましい目で統夜を睨みつける。統夜はその目に驚きながら呼び名を変えて質問を繰り返した。

 

「えっとじゃあ、簪さんってそれで平気なの?」

 

「…大丈夫」

 

そのまま着替えようとする簪だったが、途中でぴたりと動きを止めてしまう。察しの良い統夜はすぐさま鞄を掴んで別れの言葉と共に部屋を出ていく。

 

「えっと、俺は先に行くから、簪さんも遅刻しないようにね」

 

そう言ってバタンと音を立てて部屋から出ていく。部屋から出た統夜は心の中でため息をついた。

 

(はぁ、想像以上の子だったなあ。まさか朝も満足に食べないなんて)

 

朝は食べない、夜遅くまで起きている、自己管理と言う単語など知らないかのような生活を送っている少女を見てますます統夜の主夫魂に火が点いた。

 

(まあ、嫌って言われたらやめればいいか)

 

そんな事を考えつつも、教室へ向かうために寮の廊下を歩いていく統夜。再び憂鬱な学校生活が始まるのだった。

 

 

~教室・昼休み~

 

『キーンコーンカーンコーン』

 

設備は変わっても、学校の時報というものはいつの時代も変わらない物らしい。昼休みの始まりを告げる鐘を聞きながら、統夜は昼食の準備に入ると、机に接近してくる一つの人影があった。

 

「とーやんとーやん、準備OK?」

 

「ああ、何時でもいいよ」

 

その人物は布仏 本音だった。昨晩一緒に立てた“かんちゃんお世話大作戦”(ネーミングは本音)の段取りを確認しつつ、本音は統夜に向かって敬礼する。

 

「それでは行ってきまーす」

 

にへら~と笑いつつもその動きは素早かった。いきなり駆け出すと教室のドアから出てあっという間に見えなくなってしまう。

 

(何か凄い子だな、布仏さんって…)

 

そんな事を考えつつ、統夜も行動を開始する。三つの弁当箱を鞄にしっかりと入れたまま、席を立とうとしたが、一夏に呼び止められた。

 

「統夜、一緒に飯食いに行かないか?」

 

「悪い、もう約束してるんだ」

 

統夜が断りの言葉を返すが、当の一夏は気にした様子を見せない。

 

「じゃあいいや、今度一緒に食べようぜ!!」

 

「ああ、またな」

 

端的な言葉を返すと、一夏は教室の隅に行く。その先には昨日紹介してもらった幼馴染みの子がいたので、どうやらその子と一緒に行くようだ。

 

(おっと、俺も急がなきゃな)

 

そそくさと席を立って教室の出口に向かう。目指すは校舎の屋上だった。

 

 

~IS学園・屋上~

 

「お~、とーやん登場~」

 

「……」

 

屋上に行くと、既に本音と簪がピクニック用のシートを敷いてその上に座っていた。統夜も近づきながら返事を返す。

 

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって」

 

「大丈夫!とーやんのごはんが美味しければいいからね~」

 

「…本音、説明して」

 

まだ事情が理解出来ないと言った様子の簪が小さい声で尋ねる。本音は胸を張りながら自信満々といった様子で語りだした。

 

「今日はとーやんにお昼ご飯を作ってきてもらいました~!!」

 

「……何で」

 

「かんちゃん最近ご飯も食べてないでしょ?とーやんは料理が上手だって聞いたから作ってきてもらっちゃった」

 

えへへ~と笑いながら統夜の弁当を待つ本音。昼休みが終わってすぐに本音が簪を確保して屋上へ連行。統夜も弁当箱を持って屋上へ向かい、無理矢理にでも食事を取らせる算段だった。

 

「別に、いらない…」

 

「いや、簪さんのISの制作は手伝って欲しくないみたいだからやらないけど、こういう事だったら俺も力になれるしさ」

 

「本音、喋ったの…」

 

「~~♪」

 

簪の恨めしい目も、鼻歌を歌いながら知らない振りをしている本音には通用しなかった。観念して大人しく受け入れる様ではぁっ、とため息を付きながら統夜を催促する。

 

「じゃあ早く…ちょうだい」

 

「ああ、うん」

 

催促を受けて自分の鞄から三つの弁当箱を取り出す統夜。三人に弁当と箸を配って蓋を開けると、真っ先に本音が感激の声を上げる。

 

「うわっ、凄~い。とーやん、本当に料理出来るんだねえ」

 

「布仏さん、もしかして疑ってた?」

 

「ここまでとは思わなかっただけだよ~」

 

そう言って本音は再び弁当箱の中を覗く。そこには唐揚げを初めとした色とりどりのおかず達が“早く俺たちを食べろ!”と静かに自己主張していた。簪は蓋を開けた状態で固まっていて、それを不安に思った統夜が声をかける。

 

「簪さん、何か苦手な物とか入ってた?布仏さんから鶏肉は大丈夫って聞いてたんだけど…」

 

「…凄すぎる」

 

「え?」

 

「……負けた」

 

何故か統夜の弁当を見てうつむいている簪。

 

「じゃあ、いただきまーす」

 

「…いただきます」

 

「いただきます」

 

本音は元気よく、簪は落ち込んだまま食べ始める。統夜も自分で作った料理に箸を付け始める。一口目を食べた本音から、いきなり感動の声が上がった。

 

「お、美味しい~!」

 

「…うん、美味しい」

 

簪も統夜の料理を一口食べる毎に笑顔が戻っていく。その様子を統夜は微笑ましく見つめていた。

 

「良かったよ、喜んでくれて」

 

「とーやん、凄く美味しいよ!!」

 

「……」

 

簪は何も言わずに黙々と食べているが、脇目もふらずに食べ続けている所を見ると、統夜の料理が気に入った様である。

 

「とーやん、何でここまで料理上手いの~?」

 

「俺、ここ(IS学園)に来るまでは姉さんと二人で暮らしてたんだ。だから俺が家事をやって姉さんが働く、みたいな感じで自然と役割分担が出来てね。俺もあんまり手抜きとかはしたくないからどんどんのめり込んじゃってさ。そういう事」

 

まあそれだけじゃないんだけどね、と統夜が呟くが二人には聞こえない。その話を聞いた二人はいけない事を聞いてしまった、という顔をして謝り出す。

 

「ご、ごめんねとーやん。私そんなだと思わなくって」

 

「別に気にしないで。父さん達が死んですぐの時は確かにギクシャクしてたけど、今じゃ問題なく生活してたから。でも姉さんも俺の入学と合わせてアメリカの会社に転勤になったんだけどね」

 

「へー、とーやんのおねーさんってもしかしてエリート?」

 

「んー、そうなるのか…」

 

「えっそうなの?ねえとーやん、もっと話を──」

 

「本音、他人の事情を…根掘り葉掘り聞くのは……良くない」

 

今まで一言も発さなかった簪が急に本音を止めた。本音は大人しく従うが明らかに意気消沈してしまう。

 

「あ、うん。ごめんなさい」

 

「いいよ、別に。今度話してあげるから、そんなに落ち込まないで?」

 

「うん、また今度。さあ、続きを食べよ~」

 

本音が食事を再開、簪と統夜も本音の食いっぷりを見ながら弁当箱に箸を向ける。あっという間に三つの弁当箱は空っぽとなった。

 

「ご馳走様でした~」

 

「…ご馳走様」

 

「お粗末さま。どうだった?」

 

「凄い美味しかった!!かんちゃんはどうだった?」

 

そこで本音が簪に話題を振る。簪は今まで黙々と食べていた事が恥ずかしいとでも言うように顔を伏せてしまうが、小さい声で返事をした。

 

「…お、美味しかった」

 

「うん、これだったらかんちゃんのお世話係はとーやんに決定だね~」

 

「え?」

 

簪は何を言っているのか分からない、という顔をしているが、本音の中では決定事項らしく、当たり前の様に統夜と今後の段取りを決めていく。

 

「えっと、かんちゃんはたまにISの整備室で寝ちゃう事もあるから夜遅かったら整備室に行けば大体いると思うよ?後は──」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

「どしたの?かんちゃん」

 

「本音…あなたは何を言っているの?」

 

「え~それは~かんちゃんお世話大作戦~」

 

「それは、紫雲君に……迷惑」

 

「俺は別にいいけど。でも布仏さん、いくらなんでも簪さんが了承しなきゃだめだと思うけど」

 

「え~じゃあ、かんちゃんはどう?」

 

「わ、私は…その……」

 

そこでどもってしまう簪。しかし統夜の方から助け舟が出た。

 

「俺の事は気にしないでいいから、自分の思った事を言えばいいと思うよ?」

 

「……ずるい」

 

流石にそこまで言われて、さっきのような料理を貰って、無碍に断る事など出来はしない。まさかここまで考えてやっているのだとしたら、へらへらしている様に見えて本音は相当の策士だ。簪がそんな事を考えながら黙っていると、本音がにへら~と笑いながら返事を催促してくる。

 

「ね、ね~かんちゃん。どうなの?」

 

「……分かった。これからよろしく、紫雲君」

 

「ああ、よろしく。簪さん」

 

「二人とも~そろそろ昼休み終わっちゃうよ~」

 

その声に従って三人は急いで片付ける。この日から、統夜の学園生活において一つやる事が増えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 ~姉と弟~

~食堂~

 

 

統夜が簪の身の回りの世話を始めてから三日、統夜は簪がどれだけ頑張っているか目の当たりにしていた。何しろ三日のうち二日は部屋に帰ってこないでISの整備室で寝落ちしていたのだ。その時は心を鬼にして統夜が簪を起こす事で、何とか部屋で寝てもらった。統夜が簪と始めて出会ったあの日、簪が自力で部屋に戻ってきたのは珍しいと言わざるを得ないだろう。今日は一夏と一緒に昼食を取る約束をしていたので、簪に弁当を渡して放課後部屋で渡してもらう約束をしていた。統夜が“簪さんちゃんと弁当食べてくれてるかな?”と考えていると、定食を食べていた一夏が顔を上げる。

 

「どうした統夜、何か気になることでもあるのか?」

 

「ああ、同室の女の子なんだけどな。ちょっと特殊で」

 

「へぇ~、統夜も女子と一緒なのか。俺も箒と一緒だったんだよ」

 

「えっと、篠ノ之さんだっけ?お前の幼馴染みの」

 

「そうそう、初めの日は木刀振りかざして襲ってきてさ。大変だったぜ」

 

いささか語弊がある言い方をする一夏だが、統夜はそれを言葉通りに受け取ってしまう。

 

「おいおいお前、大丈夫か?」

 

「まあ、死にはしないからなぁ」

 

(幼馴染みに殺される事ってあるのか?)

 

一夏の言葉に疑問を覚えつつも、統夜も自分の食事に手をつける。そして話題は一夏のクラス代表決定戦に移っていった。

 

「そう言えば、ISの特訓とかしてるのか?」

 

「ん?ああ、代表決定戦の事か。箒に教えてもらってるんだけど、まだだ」

 

「……それ、相当ヤバイぞ?」

 

今日は金曜日、とても代表決定戦を三日後に控えている人間の発言とは思えなかった。言い訳をする様に一夏が口を開く。

 

「箒がさ、“ISより体を鍛える方が先だ!”って言ってて。今のところ剣道の特訓しかしてない」

 

「……お前、勝つ気はあるんだよな?」

 

「おお、当たり前だ!!」

 

大きな声で宣言する一夏。その声を聞きつけたのか、いきなり統夜の背後から声が降りかかってきた。

 

「あら、今から負けた時の事でも考えているのですか?」

 

二人が声のした方向を向くと、そこには昼食のトレーを持ったセシリア・オルコットがいた。嫌味たらしく二人に言葉を浴びせ続ける。

 

「まあ、私に勝てる可能性など露程もありませんから?今謝れば許して差し上げない事もありませんわよ?」

 

ふふ、という笑い声と共に高圧的な物言いをするセシリア。一夏は真っ向から反論し、統夜は何を考えているのか、無言だった。

 

「なめんな!俺は負けねえよ!!」

 

「あら、その自信はどこから来るのですか?このイギリス代表候補生、セシリア・オルコットに対してあなたなど、三分持てば良い方ですわね」

 

「……上等だ」

 

「「?」」

 

いきなり統夜から低い声が漏れる。一夏とセシリアは今まで黙っていた統夜が喋り始めたので揃って黙ってしまった。統夜は低い声で喋り続ける。

 

「ああ、上等だよ。一夏、本気で勝つ気があるんだな?」

 

「お、おう!!」

 

「いいか、お前の考えを改めさせてやるよ。男は黙ってやられるだけじゃないって事をな」

 

いきなり統夜が荒々しい口調で喋り始めたのを見てセシリアはもちろんの事、一夏も若干雰囲気に押されてしまう。セシリアも統夜の言葉に釣られてつい乱暴な言葉で返してしまう。

 

「ま、まあ!あなた、礼儀という物を知りませんの!?」

 

「礼儀って言葉をはき違えていないか?胸に手を当てて考えてみろよ」

 

「おい統夜、お前性格変わってないか?」

 

「ふ、ふん!月曜日を楽しみにしていますわ!!!」

 

最後に捨て台詞を残してセシリアは去ってしまった。統夜の言葉に恐れをなしたのか、統夜から出る雰囲気に押されたのかは分からないが、セシリアが去って統夜がいつも通りの口調に戻る。

 

「一夏、明日の朝に渡したい物があるんだけどいいか?」

 

「あ、ああ。俺は別にいいけど……」

 

「おっと、早く食べようぜ。もう時間があんまり無いぞ」

 

「ヤベッ!!」

 

そう言って男二人は急いで昼食をかき込む。この日が初めて学園内において、統夜が本気で頭にきた日になった。

 

 

 

~放課後・自室~

 

「簪さん、いる?」

 

「(…入って構わない)」

 

統夜が確認の言葉をドアの奥にかけると、返事が帰ってきたのでドアノブを回して部屋に入る。これは簪が着替え中に統夜が部屋に入る事の無いように、と統夜が提案した物だった。

 

「…はい、これ」

 

そう言って簪が差し出してきたのは空の弁当箱だった。受け取った統夜は早速洗うために部屋から出ていこうとするが、簪に呼び止められる。

 

「…待って、聞きたい事が…ある」

 

「?いいけど」

 

くるりと踵を返して自分のベッドに腰を下ろす統夜。簪も自分同じ様に自分のベッドに腰を下ろして対面する形となる。すると統夜はある事に気づいた。

 

(あれ?もしかして簪さんが自分から俺に話しかけてくれたのってこれが初めて?)

 

「…何で、あなたは…こういう事をしてくれるの?」

 

簪は統夜が持っている弁当箱を指差す。統夜は質問に質問で返した。

 

「えっと、弁当作るとか、身の回りの世話って事?」

 

こくりと簪が頷くと、うーんと統夜が唸る。

 

(布仏さんにも聞かれたけど、そんなにおかしいことなのかな?)

 

「…教えて」

 

「まあ、そんな対した理由じゃないよ。布仏さんから簪さんの事情を聞いて、ほっとけないって思ったのと、俺自身の性格の問題。それと応援したくなるんだよ、頑張っている人を見るとね」

 

そう言っている間に統夜の脳裏に一人の人間の後ろ姿が浮かぶ。両親が死んでから女手一つで自分をここまで育ててくれた大切な人。仕事と両立するのは大変だったろうに授業参観などは欠かさず来てくれた。その人物の負担を少しでも減らせるように家事も覚えた。そんな事はしなくていいの、と最初は言っていたが俺の決意が本物だと分かると良く出来ました、と褒めてもくれた。褒められるのが嬉しくてどんどん家事を覚えた。統夜が昔の記憶に浸っていると、簪がふと言葉を漏らす。

 

「…それだけ?」

 

「うん、それだけだよ。あっ、でも簪さんの事情とかはそこまで聞いてないから。俺が聞いたのは精々ISの作製を頑張っている事だけだし、そこまで頑張る理由とかは聞いていないよ」

 

「そういえば、あなた…お姉さんがいるって言ってた」

 

「え?うん、いるけど」

 

いきなり簪が話題を変える。ついていけない統夜はいきなりの質問に戸惑うと同時に、何か今日の簪さんは良く喋るな、と考えていた。

 

「お姉さんって凄い人?」

 

「…うん、凄いよ。これだけは確信を持って言える。姉さんは凄い人だ」

 

「聞かせて欲しい、嫌じゃなければ」

 

三日前、本音の言葉を止めた人間とは思えない発言だったが統夜は特に気分を害する事もなく質問に応じる。

 

「うん、構わない。何から聞きたい?」

 

「お姉さんとの仲は…どんなの?」

 

「姉さんとの仲か。最初の方は荒れてたかな。主に俺が、だけど。姉さんも当時は手を焼いたってぼやいていたよ。今その話を聞くと身が縮こまる思いだけどね」

 

「じゃあ、やっぱり…お姉さんの事、嫌い?」

 

簪が言うと、統夜は素早く反応した。

 

「まさか!むしろ仲は良い方だと思うよ」

 

「でも、昔荒れてたって…」

 

「ああ。でも六年前。父さんたちが死んで、姉さんに引き取って貰ってから二ヶ月くらい経った時かな。姉さんが“いつまで落ち込んでいるの!!”って物凄い怒って、俺も本気で自分の思いをぶちまけて。その喧嘩からかな、お互いの気持ちが分かって段々と歩み寄って、三ヶ月もしたらもう普通の姉弟みたいに生活してた」

 

「…そう。お姉さんが凄いってそういう事?」

 

「それはちょっと違うかな。当時の俺はまだ子供だったからさ、俺を引き取った時にそれなりに周囲の人から色々言われたらしいんだよ。俺はそれを人づてに聞いたんだけど、“未婚の人間が子供を引き取るなんて”とか“未成年で子供を育てるなど聞いたことがない!”だったかな。姉さんも両親が早くに死んで身寄りが無くて、俺を引き取る時は一人だったんだ。でも姉さんはそんな外野の反応なんて気にしなかった。“この子は私が育てます”って言ってね」

 

「何で…そこまでしてくれたの?」

 

「俺も前にその質問を姉さんにした事があるんだけどさ、姉さんは笑ってこう言っていたよ。“あなたの両親には恩があるけど、それだけじゃないの。私がやりたいから、自己満足と言われようと私がやると決めた事だからやる。それだけよ”ってね」

 

そこまで話している統夜の顔は終始笑顔だった。他の人間にとっては聞いてはいけない事だったのかもしれないが、統夜にとっては自慢の姉であり、聞かれて困るような事でもなかったのである。簪はふと自分の境遇と重ねてしまった。

 

「本当に凄いお姉さん。私も……そんな風に、姉さんと……」

 

「え?何か言った?」

 

「な、何でもない。……話してくれて、ありがとう」

 

「別にお礼を言われる事じゃないよ」

 

「それでも…ありがとう」

 

そう言ってベッドから腰を上げる簪。ドアに手をかけると、統夜から声がかかる。

 

「ISの作製、頑張って」

 

「…うん」

 

簪は短く返事をして部屋から出ていく。統夜も調理室に行くため。ベッドから勢い良く立ち上がった。

 

「さて、俺も行くか」

 

明日の弁当の準備もあるため、いくつかの食材と調味料、空の弁当箱を持って部屋から出る。この日から、簪の統夜に対する何かが変わったらしく、統夜に対して簪がよく話しかける様になったのと同時に、学園内でも統夜の所に来る事が多くなった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 ~下準備~

午後九時。いつも通り明日の支度を全て終え、部屋に戻った統夜はベッドに横になる。いつもだったら簪を待つために机に座って授業の復習等をしているのだが、ベッドの上で統夜はおもむろに自分の荷物からノートパソコンを引っ張り出して起動した。指を動かしてインターネットに繋ぐと同時に、携帯電話を取り出して電話をかける。

 

「あ、姉さん?ごめん、夜遅くに。え?あ、そっちはまだ朝か。それはそうと姉さん、イギリスの“ブルーティアーズ”ってIS知ってる?……そう、じゃあ姉さんがブルー・ティアーズを見て思った事とかメールで送ってくれない?……うん、ISの操縦者としての。問題があるようだったらいいから。……あ、大丈夫なの?ありがとう。後、アル=ヴァンさんに変わって」

 

話している最中にも統夜の指は止まらない。ウインドウが休みなく表示され、統夜の目がめまぐるしく動いていく。そしてとうとう目的の物が見つかったらしく、指が急停止した。

 

「アル=ヴァンさん?おはようございます。えっと、持ってたらでいいんですけどイギリスの“ブルーティアーズ”ってISのデータを俺に送ってもらえませんか?……ええ、公開されている分は自分で取得しますので。問題が無ければ、で構わないんですが。……そうですか、ありがとうございます。今日は遅くまで起きていますので。…ええ、その時間で構いません」

 

画面の中のデータを凝視する統夜。そこの情報はイギリス政府が自国のパフォーマンスとしていくつかのISのスペックを公開しているものであった。いくつかの項目の中から“ブルーティアーズ”と書かれた物を表示させる。

 

(やっぱり、そんなに無いか)

 

やはり最新鋭のISのデータは一般人用に公開されている物では情報量が多くない。一応全てのデータを自分のパソコンに片っ端から移していく統夜。

 

「……理由ですか、ちょっと友達がそのイギリスの代表候補生と模擬戦をやるはめになりまして。あいつも頑張るって言うから少しでも力になってやりたいんですよ」

 

そこで電話の相手が変わったらしく、統夜の言葉遣いが変わる。

 

「あ、もう送ってくれたの?ありがとう。……うん、まあこっちの生活は大丈夫そうだよ。一夏もいるし、同室の子も良くしてくれるしね。……そ、そんな事しないって!!」

 

何を言われたのか、統夜の顔が真っ赤に染まる。明らかにからかわれている様子の統夜はベッドの上で騒ぎながら別れの挨拶を口にする。

 

「ああ、うん。ありがとう、姉さんも体に気をつけてね。……うん…うん、それじゃあ」

 

そこで統夜は通話を切って、携帯電話をポケットに戻す。メールソフトを起動させると早速姉から戦った時の感想が来ていた。統夜はその文字をゆっくりと読んでいく。

 

(完全な遠距離タイプか。専用装備のBT兵器はレーザータイプが四基にミサイルタイプが二機。オルコットさんは結構乗り慣れてそうだったから、狙撃とBT兵器を同時に使ってくると考えて……)

 

パソコンでデータをどんどんまとめていく。あっという間にレポート用紙三枚分位のデータが集まる。

 

(一夏の機体は分からないけど、一応遠近両方の場合の作戦を練って…)

 

再び指を動かしていく統夜。その最中に部屋の扉がノックされる。

 

「はい」

 

「(…私)」

 

「あ、うん。入って大丈夫だよ」

 

がちゃりと部屋のドアが空いて簪が入ってくる。今日は無事に帰ってきたようだ。ついでに風呂にでも入ってきたのか、髪が濡れてつやつやと光っている。

 

「……何やってるの?」

 

統夜がしている事に興味を持ったのか、統夜のベッドに近づいてくる簪。パソコンを覗き込むと顔が統夜に接近する。

 

(ちょ、簪さん!顔が近いって!!)

 

先程姉にあらぬ事を言われたからか、それとも簪が風呂上りでいい香りを放っているからか。統夜はいつも以上に簪を意識してしまう。しかしそんな統夜とは対照的に簪はパソコンの中身に夢中だった。

 

「…これ、イギリスの第三世代ISのスペックデータ?」

 

「あ、ああ。これはネット上に公開されている奴だけど」

 

「何でこんな物、持ってるの?」

 

「俺のクラスで今度、クラス代表決定戦ってのがあってさ。友達がそれでイギリスの代表候補生と戦うんだよ。少しでも力になりたいから、こうやって情報を集めているって訳」

 

「……紫雲君、分かるの?」

 

ふと簪が統夜に質問するが、統夜にはその質問の意味が分からなかった。

 

「何が?」

 

「……普通の生徒はまだ、授業では習ってない」

 

簪がふと声を漏らすと、新着メールが届いた。統夜が開くと、いくつかのデータが添付してある。それを開いたとき、簪の目が驚きに見開かれた。

 

「これ……ブルーティアーズの詳細なスペックデータ?」

 

「ああ、こっちは企業用に公開されている方。ほら、今欧州でやってる“イグニッション・プラン”もあるから、企業には正確なデータが公開されているんだよ」

 

そう言いながら統夜は慣れた手つきでパソコンを操作していく。一人で話を進めてゆく統夜に簪は全くついて行けなかった。

 

「今日は俺、遅くまで起きているから簪さんは先に寝てていいよ。作業がいつ終わるか分からないからさ」

 

ベッドの上でカタカタとキーボードを叩き続ける統夜。その指の動きは淀みが無く、熟練した技術者を思い起こさせる物だった。何か言いたそうにしていた簪だが、流石に眠気には勝てなかったのか、もぞもぞとベッドに潜り込む。

 

「お休みなさい……」

 

「お休み、簪さん」

 

数分後、規則正しい寝息が統夜の横から聞こえ始める。その寝息を聞きながら、統夜はずっとキーボードを叩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……紫雲君」

 

「簪さん、どうしたの?」

 

「どうしたの、じゃない。……もう朝」

 

「え!?嘘っ!!」

 

統夜はパソコンから手を離してカーテンを開ける。確かに簪の言うとおり、朝日が昇っていて統夜に「朝ですよ」と告げていた。慌てて時計を見ると午前八時十分、既に学校へ行く支度をしないといけない時刻だった。気が動転している統夜に簪が話かける。

 

「やばい、まだ何も準備してない!!」

 

「……紫雲君、落ち着いて」

 

「急いでやれば、いや無理だ。遅刻するのはマズいし……」

 

「紫雲君……」

 

「いや、とにかく準備だ!俺の分は間に合わなくても簪さんのだけなら──」

 

「紫雲君」

 

「うわっ!!」

 

統夜が一人で部屋をぐるぐると歩き回りながら考えていると、進路上に突然簪が立ちふさがる。まだ落ち着かない統夜を簪が宥めにかかった。

 

「今日はいいから……学校の準備を」

 

「で、でも簪さんの昼食が!」

 

「今日くらいは……いい」

 

そう言って簪は学校の準備を始める。この時間帯ではどうあがいても無理なので、統夜も簪に習って学校の準備を始めた。

 

「ごめん、簪さん」

 

「いい…そもそもお願いしているのは私。だから…あなたがそこまで気に病む必要は……無い」

 

「まあ、そう言われるとそうなんだけど……」

 

統夜もやっと落ち着いて簪と同じ様に学校に行く準備を始める。ノートパソコンを鞄に入れ、夜通しまとめたデータも忘れないようにUSBメモリに移しポケットに突っ込む。簪は先に準備を終えてドアの所で待っている。

 

「早く」

 

「ああ、今行くよ」

 

そうして二人揃って廊下に出て、教室へ向かって歩き始める。五分後、一組の教室の前についた。

 

「じゃあね、簪さん」

 

「……また後で」

 

別れの言葉を残してスタスタと自分の教室に行く簪。統夜も前側の扉から教室に入ると、一夏を探す。目的の人物は既に席に座っていた。

 

「お、統夜!」

 

「おはよう、一夏」

 

一夏も統夜に気づいた様で声をかける。統夜は挨拶を返しながら一夏の席に近づくと、おもむろに自分のポケットに手を突っ込んでUSBメモリを一夏に差し出した。

 

「ほら一夏、これ」

 

「?何だこれ」

 

物珍しそうにUSBメモリを手のひらの上で転がす一夏。もちろん一夏は中身など知らないので統夜が説明を始めた。

 

「その中にはあのオルコットさんのIS、“ブルーティアーズ”の詳細なデータが入ってる。何かの役に立つと思ってな」

 

「ええっ!統夜ってそんな事出来るのか!?」

 

「まあ、俺はデータをまとめただけだから大きな事は言えないけどな」

 

『キーンコーンカーンコーン』

 

一夏が驚きに声を上げると同時に始業のチャイムが鳴った。教室のドアがガラリと開き、千冬が出席簿片手に教室に入ってる。統夜も自分の席に座ろうと一夏の席から離れ始めた。

 

「詳しい事は後でまた話すから、それじゃ」

 

「じゃあ、一緒に昼飯食おうぜ!」

 

「ああ、分かった」

 

統夜も自分の席に着くと、千冬が出席を取り始めた。こうして統夜の退屈な授業はいつも通り始まる。

 

 

 

『キーンコーンカーンコーン』

 

「──それでは四時間目はここまで。五時間目はISの法規について講義を行うのでしっかりと教科書に目を通しておくように。それでは解散!」

 

千冬の号令が教室に鳴り響き、生徒達がざわざわと騒ぎながら席を立つ。統夜もノートをバッグにしまっていると、一夏が箒と一緒に席に近づいてくる。

 

「統夜、飯に行こうぜ」

 

「ああ、いいよ」

 

「さっさと行くぞ」

 

箒が二人を先導して教室から出ようとする。統夜もノートパソコンが入って席を立って一夏と一緒に歩き始めた。昼休みの食堂は恐ろしく混むため、三人はやや駆け足で食堂を目指す。急いだ結果か、食堂はまだそれほど混んでいなかった。

 

「今日は俺何食べようかな」

 

「なあ統夜、あの定食美味そうだな」

 

「二人とも、早く選べ」

 

箒の声を受けつつも昼食を選んで三人とも席に着く。

 

「「「いただきます」」」

 

三人とも最初の方は昼食に舌鼓を打っていたが、半分ほど食べ終えた所で一夏が声を上げた。

 

「なあ統夜、それでお前がくれたあのUSBメモリ。結局何が入ってんだ?」

 

「ああ、じゃあ説明するか」

 

箸を止めて統夜が自分の鞄からノートパソコンを取り出す。箒は“行儀が悪い”と言う目で統夜を睨みつけていたが、統夜は気にしない。ノートパソコンを起動、そして一夏からUSBメモリを受け取るとパソコンに差し込んで操作し始める。

 

「これが、一夏が戦う予定の“ブルー・ティアーズ”のスペックデータだ。こっちは一般公開されてる方、こっちは企業用に公開されてる方だな。その他にも俺の考えた戦法とか、ISの操縦者から見た感想とかも入れてある」

 

画面を指差しながら統夜が説明する。一夏は画面を食い入る様に見つめる。箒は一夏達より先に食事を食べ終えて、同じ様に画面を見つめる。

 

「……凄えな。なあ統夜、これで勝てるのか?」

 

一夏が感激しつつ声を漏らす。しかし一夏の問いに対して口を開いたのは統夜ではなく箒だった。

 

「そんな訳が無いだろう。これはあくまでも情報に過ぎない。最後に物を言うのはお前自身の実力だ。しかし紫雲、こんな事をして平気なのか?」

 

「分かってる。こんな重要なデータを持ってていいのか、って事だろ?」

 

統夜には箒の質問が分かっていたので先回りして答えた。いかに公開されていようともこのデータは企業用、そもそも統夜達の様な学生では手に入らない代物なのだ。しかもISパイロットとしての姉の意見まで入っている。一般の人間ではどうあがいても手に入らない物がこの小さなUSBの中に詰まっているのだった。

 

「篠ノ之さんの言う通り、くれた人は大丈夫って言ってたけど結構グレーゾーンなのは確かだと思う。と言うわけで一夏、USBメモリはお前に預けるけど試合が終わったら返してくれ」

 

「ああ、分かったぜ」

 

「……感謝する、紫雲。この様な事までしてくれて」

 

いきなり箒が軽く頭を下げた。統夜は箒のその姿を見て慌てだすと同時に顔を上げる様に促す。

 

「いいって!そんな事してもらうためにやった訳じゃないし、俺も一夏の力になりたいと思っただけだから!!」

 

「それでも、だ。感謝する」

 

箒はもう一度感謝の言葉を述べてやっと頭を上げた。落ち着いた統夜はノートパソコンを鞄に仕舞った後、USBメモリを一夏に再び手渡す。既に周囲には他の学生も沢山いて、いつまでも机を占拠し続けるのは悪いだろうと一夏と統夜は急いで昼食を再び食べ始める。元々そんなに量も無かったため、すぐに器は空っぽとなった。トレーを持ち上げて食器を返すと、一夏と箒が統夜と別の方向に行く。

 

「悪い統夜、これから特訓があるんだ」

 

「そうか、頑張れよ。一夏、篠ノ之さん」

 

「ああ。さあ行くぞ、一夏」

 

「ちょ、待てよ箒!引きずるなって!!」

 

一夏を箒が引きずっていく様子を手を振りながら見送る統夜。何もする事が無いので、統夜も教室に戻るために廊下を歩きだす。数分後、無事教室についた統夜は席に座ると、いきなり睡魔に襲われる。恐らく今日の徹夜が堪えているのだろう。

 

(一夏の奴、あれでどこまで行けるかな……)

 

友人の事を心配しながら統夜は目を瞑ると、あっという間に眠気が統夜の体を支配して静かに眠ってしまった。そのまま五時間目まで寝続けた結果、千冬の出席簿が振り下ろされる未来が待っているとも知らずに。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 ~想定外~

統夜が一夏にデータを渡してから三日が過ぎた。とうとう試合当日、統夜達はアリーナに向かいながら最後の確認をしている。

 

「いいか一夏、相手の機体は完全な遠距離仕様だ。お前の専用機がどんな奴でも取り敢えず最初の方は慣らしも含めて様子見した方がいいからな」

 

「ああ。箒とも特訓したし、大丈夫だぜ!」

 

「やれるだけの事はやった。後はお前にかかっている」

 

それぞれ一夏を叱咤しながら廊下を歩いていくと、意外な人物が三人の前に現れた。

 

「あれ、簪さん。どうしたの?」

 

「……」

 

「紫雲、この生徒は誰だ?」

 

「ああ、俺の同室の子で更識 簪さんって言うんだけど」

 

「あ、あの何か用かな」

 

一夏が話しかけようと一歩前に出たが簪は無視を決め込む。そのまま一夏の横を通り過ぎる様にして統夜に近づいた。

 

「紫雲君……一組の代表決定戦に……行くの?」

 

「あれ?何で簪さんが知ってるの?」

 

「本音から……聞いた。それで、行くの?」

 

「ああ、うん」

 

「私も一緒に……行っていい?」

 

いきなりの簪の願いに困惑する統夜。流石に当事者の確認を取らないといけないと思い、一夏に顔を向ける。

 

「なあ篠ノ之さん、一夏、この子も一緒にピットに行っていいかな」

 

「ああ、俺は大丈夫」

 

「私も構わないぞ」

 

「……」

 

「じゃあ行こうか」

 

二人の了解を得ると、そのまま簪も集団に加わった。時間も少し押していたので四人は迷わず目的地へと向かう。

 

 

 

 

アリーナのピットに着いてもすぐさま戦闘、とはならなかった。何でも一夏専用のISがまだ届いていないらしく、少し待っていろと千冬から告げられる。手持ち無沙汰になった四人は一夏と箒、統夜と簪でそれぞれ雑談をしていた。

 

「それにしても簪さん、何でいきなり来たいって思ったの?今日の朝までそんな事言ってなかったのに」

 

「別に……何でもない」

 

「……」

 

簪はこう言うが統夜には大体の当たりは付いていた。恐らく当たっているだろう答えを口にする。

 

「多分だけど、一夏のISに興味があるんでしょ?」

 

図星だったのだろう、簪がこちらを振り向く。その目は驚きで見開かれていた。言葉を発しない簪の代わりに統夜が話を続ける。

 

「ごめん、のほほんさんから聞いてたんだ。一夏のIS開発の煽りを受けて簪さんのIS開発が中止されたってね。その一夏のISが見たいんじゃない?」

 

「……」

 

その言葉を聞いて簪は口を閉ざしてしまう。統夜も簪が黙ってしまったために続く言葉が見つからず黙るしかなかった。そのまま十数秒、二人が黙り込んでいると今度は簪が口を開く。

 

「……何で、聞かないの?」

 

「何を?」

 

「私が一人で……ISを作っている理由」

 

「……誰にでも聞かれたくない事や話したくない事ってあると思うから」

 

その言葉には何故か妙な含みと重みがあった。統夜の回答を聞いて簪が逡巡する様子を見せる。するとゆっくりと簪が口を開く。

 

「私のは……そんな大した理由じゃない」

 

「え?」

 

「私は……あの人に──」

 

≪織斑君!織斑君!!≫

 

簪が続きを話すタイミングで山田先生の声がピット内に響く。いきなり名指しされた一夏はその場で慌てながら反応する。

 

「はっはい!何ですか!?」

 

≪来ました!織斑君専用のISです!!≫

 

真耶の声と共にピットの壁際にあるエレベーターから何かが上がってくる音が響く。その音が止むと同時に壁の扉が開いた。

 

「これが……」

 

まるで誘い込まれる様にゆっくりと一夏は扉から出てくるISに歩み寄る。統夜達も一夏に続いて後を追った。

 

「これが、一夏のISか……」

 

感慨深そうに箒が言葉を漏らす。装甲が白色に鈍く光って操縦者を待っていた。そして次の瞬間、驚くべき千冬の一言がピット内に響きわたる。

 

≪時間が無い、さっさとしろ。フォーマットとフッティングは試合中に行え≫

 

「っ!?冗談じゃない!!織斑先生、本気ですか!?」

 

いきなり統夜が激昂した口調で管制室に向かって声を荒げる。その様子に一夏はどうしたのか、と訝しむ。

 

「お、おい統夜、どうしたんだ?別に俺は──」

 

「いくらなんでも一次移行(ファーストシフト)もしないで戦うなんて無茶過ぎる!先生、せめて一夏のISが一次移行するまで待って下さい!!」

 

「落ち着け紫雲、何も命のかかった戦いではない。少し落ち着け」

 

箒が見かねて統夜を止めに入る。統夜もその言葉を聞いて落ち着き始めた。

 

「命……そうか、そうだよな。ありがとう、篠ノ之さん」

 

「でも、一次移行してない機体じゃ……危険だし、勝ち目は薄い」

 

静かに簪が正論を言う。その声は管制室にも届いていた様で再び千冬の声がピット内に響いた。

 

≪ふむ、それも確かだ。なら紫雲、貴様が時間稼ぎでもするか?≫

 

「俺が?」

 

≪そうだ。経験を積む良い機会だと捉えればいい≫

 

「俺が……戦う」

 

その言葉を聞いて統夜の頭にとある光景がフラッシュバックする。

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ」

 

統夜は必死になって逃げていた。既に目的は達した、後は帰るだけ。そう思っていた所でいきなり襲われた。

 

「何なんだよ、クソッ!!」

 

頭の中でアラートが鳴り続ける。既に周辺は包囲されていた。飛んでいた目の前を火線が通り過ぎる。

 

「っ!?」

 

下を見ると海に何隻もの船が浮かんでいた。そこから何百発という銃弾が統夜めがけて襲いかかる。統夜は空中を高速で動き回り回避を続けていた。

 

「もう、もう止めろ!!」

 

今度は船のいる方向と反対側に向かって高速で飛ぶ。何も無い所へ、自分に襲いかかってくる物が無い所へ。今の統夜の頭の中にあるのはただそれだけだった。

 

「……」

 

目の前の遥か彼方に戦闘機が回り込む。その戦闘機は何かを発射したかと思うと離脱を始めた。

 

「止めろ……」

 

戦闘機から発射されたミサイルは統夜にぐんぐんと迫ってくる。いくら懇願してもそれは動きを止めず、ただ無機質に統夜めがけて飛び続けた。

 

「止めてくれ……」

 

そして統夜とミサイルが触れ合う瞬間、統夜は叫んだ。

 

「もうやめてくれええええっ!!」

 

 

 

 

「──雲君、紫雲君」

 

「っ!?」

 

いつの間にか目の前には簪がいた。大きな瞳に心配の色を浮かべながら統夜の顔を覗き込んでいる。

 

「紫雲君……大丈夫?」

 

「あ、ああ。ありがとう、簪さん」

 

「その顔色は大丈夫という物では無いぞ。保健室に行ったらどうだ?」

 

箒も顔面蒼白の統夜を心配して声をかける。一夏は既にISに乗り込んでいて遠くから統夜を心配する視線を送っている。さすがの千冬の統夜の狼狽ぶりに驚いたのか、いつになく優しい口調で話かけた。

 

≪紫雲、体調が優れないのなら休んでいろ。織斑、早く準備しろ。他の者はこちらの管制室に来い≫

 

「織斑先生、どうしても無理ですか?」

 

その言葉を聞いて箒と簪の足が止まった。一夏も驚いた顔をして統夜を見つめている。

 

≪無理だ。対等の条件で戦わせてやりたいのは私も同じだが、何せ時間が無い。相手は既に準備も終わっている状態で反対側のピットにいるのでな。待たせる訳にもいかん≫

 

「……俺が戦えば時間稼ぎは出来るんですよね?」

 

「おい紫雲。どうしたのだ、いつもと違うぞ?」

 

出口に向かっていた箒が統夜に声をかける。簪は状況を無言で見守っていた。

 

≪ああ。一次移行の方は山田先生と私でやれば五分程度で完了するだろう≫

 

「分かりました。俺が出ます」

 

「おい統夜、いいのか?」

 

ISに乗ったまま、一夏が統夜に問いかける。顔色は少し戻っていたがまだ病人の様な顔をしている。その様な顔では心配されるのは当たり前だろう。

 

「ああ、お前は早く準備してくれ。山田先生、打鉄を一機出してください」

 

そう言って統夜は準備を始める。正直言って自分でもどうなるか分からなかったが、統夜はポジティブに考える。

 

(そうだ、ここに来る以上戦う事は日常茶飯事になる。だったら今のうちに慣らしておいた方がいい)

 

「おい統夜、本当に大丈夫か?」

 

一夏が白式に乗りながら再度質問してくる。いつの間にか簪はいなくなっていて、ピット内にいるのは統夜、一夏、箒の三人だけだった。

 

「ああ、それにこれくらいやらせてくれよ。一夏だけに戦わせるのはちょっと心苦しかったんだ」

 

空元気で応じる統夜。その胸中はこれから起こる事への不安で一杯だったが、悟られまいとわざと朗らかな声で応じる。そうやって話している間にピット内に真耶と千冬が入ってきた。

 

「紫雲、お前の試合だが五分間の制限時間をつけての試合となる。あの打鉄に乗って急いで準備しろ」

 

壁際を差しながら千冬が統夜に知らせる。統夜が千冬の指差す方向を見ると、一夏の白式が出てきた隣から訓練用のIS、“打鉄”が出てくる所だった。真耶は手に何やらいくつもの機械を持って白式に駆け寄る。

 

「管制官は更識が引き受けてくれるそうだ。さっさと支度しろ」

 

「分かりました」

 

簪が途中で消えた理由に納得がいった統夜は急いで準備を始めた。

 

 

 

 

 

数分後、ピットに残っているのは打鉄を装備した統夜だけだった。一夏と箒、先生達は白式と共にエレベーターに乗ってどこかに行ってしまっていた。一人ピット内で準備する中、簪の声が通信で入る。

 

≪チェック項目。機体、武装、エネルギー周り、オールグリーン≫

 

「ありがとね、簪さん。管制官してもらって」

 

≪別にいい。……いつも作ってもらっているお礼≫

 

恐らく昼食の弁当の事だろうと考えながら機体をカタパルトまで移動させる統夜。

 

「いいって、あれは俺が好きで作ってるんだから。そういえば簪さん、ちょっと前に何か言いかけてたけど何だったの?」

 

≪それは……後で話す。それよりもあなたの方が……心配≫

 

「俺?」

 

≪さっきのあなた……どう見てもおかしかった。まるで何かに……怯えているみたいに≫

 

今度は統夜が図星を刺される番だった。しかし正直に言う訳にもいかなかったのでぼかす様な言い方で逃げる統夜。

 

「……まあ、ちょっとね。それより準備はいい?」

 

≪うん……何時でも行ける≫

 

その言葉を聞くと、集中を始める統夜。

 

(大丈夫、今度は命の危険はほぼ無いんだ。俺も、そして相手も)

 

カタパルトに打鉄をセットして体を低く構える。一旦切れた通信から再び簪の声が耳に届いた。

 

≪機体オールグリーン、どうぞ≫

 

「行くぞ!!」

 

その言葉と共に甲高い音を立てて足元のカタパルトが稼働を始める。数秒後、統夜は戦う空間へと投げ出された。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 ~世界最強の姉~

ピットから出撃した統夜は宙を滑走しながら地上に降り立った。地上で動きながら統夜は考える。

 

(一応動けるかな……)

 

無手のまま、体を動かし続ける統夜。すると上空で何かが飛ぶ音がアリーナに響きわたる。顔を上げると、上空には青いISがいた。そのまま見つめているとふと相手から通信が入る。

 

≪あら?何故貴方がいらっしゃるのかしら?≫

 

それはセシリア・オルコットの声だった。出てきた相手が予定と違っているのでいくらか戸惑っている様だったが、統夜はそれに構うことなく言葉を返す。

 

「一夏はちょっと野暮用でね。少し遅れて来るんだよ」

 

≪全く、これだから男というものは。約束の時間も守れないのですか?≫

 

「まあそう言わないでよ。その代わりに俺が相手をするからさ」

 

そう言って統夜は目の前に右手を突き出してイメージを固める。そして右の手のひらに光が集まったかと思うと一瞬の間に統夜の右手には大振りの太刀が一本、握られていた。

 

≪あら、その様な武器で私のブルーティアーズと戦おうというのですの?≫

 

相手も統夜を見て自分の武器を構える。大きなスナイパーライフルの銃口を統夜に向けると、目の前のバイザーに“警告 敵IS 射撃体勢に移行”という文字が踊った。

 

≪しかも貴方のそのIS、打鉄ですわね?まさかこの私相手に訓練機で戦おうとは。本気ですの?≫

 

「俺は前座だからね。一夏の出番を取るつもりは無いよ」

 

そう言って太刀を両手で正眼に構える。軽口を叩きつつも心の中ではパニックの嵐だった。

 

(大丈夫、もう大丈夫。あれから何年も経ったんだ!!)

 

心の中で自分を鼓舞しながら相手と相対する。数秒後、開始のブザーが鳴った。

 

≪すぐに終わらせて差し上げますわ!!≫

 

構えたスナイパーライフルから青色のレーザーが統夜に襲いかかる。統夜は地上で動き回りながら攻撃する隙を狙っていた。

 

≪ああもう、ちょこまかと!!≫

 

いらついたように連続で発射し続けるセシリア。しばらくそのまま様子を見ていた統夜だったが、射撃が途切れた瞬間、打鉄のスラスターを吹かせると共にPICを最大限に活用、両足に力をこめるとセシリアめがけて大きく飛び上がった。

 

「うおおおおっ!!」

 

≪このっ!!≫

 

しかし隙は一瞬でありセシリアはすぐさま射撃を再開、もちろん統夜はレーザーの攻撃に晒される。

 

「こんなものっ!!」

 

驚くべき事に統夜は飛んでくるレーザーを右手に握った太刀で弾き飛ばしていた。刃の部分で弾き飛ばし、切っ先を使って弾道を逸らし、刀身自体を楯の様に扱ってレーザーを防ぐ。そしてセシリアの懐に潜り込んだ。

 

≪嘘っ!?≫

 

もちろんただ突っ立って攻撃されるようなセシリアではなかった。狙撃を中止するとそのまま後方に移動、統夜の打鉄では空中で満足な行動が出来ないと判断しての動きだった。

 

「遅い!!」

 

しかし統夜はそんなセシリアの動きも想定内だった。右手に握っていた太刀を逆手に持ち直すと大きく振りかぶり太刀を勢い良く投げつける。

 

≪え!?≫

 

まさかそんな行動に出るとは思っていなかったのだろう、頓狂な様な声を出すセシリア。しかしそのままでいる訳にもいかず、飛んできた太刀を避ける。

 

「ここだっ!!」

 

セシリアが避けた方向にスラスターを最大で吹かして一気に近づく。そしてとうとうセシリアのISに取り付いた。

 

「あなた!!」

 

「これだけ近けりゃ、その武装は使えないだろ!!」

 

空中で取っ組み合いを演じる二人。そして統夜の右手がセシリアのスナイパーライフルを掴む。

 

「うおおおっ!!」

 

「そんな、まさか!!」

 

セシリアは統夜の行動に驚愕の声を上げた。吼えると共にスナイパーライフルの砲身を握ると、ミシミシと音を立てながら砲身が歪んでいく。もう狙撃は出来ないと思える程壊れたスナイパーライフルを見ながらセシリアは取り乱す。

 

「そ、そのIS本当に訓練機ですの!?」

 

(マズイ!!)

 

「このっ!!」

 

数秒、統夜が硬直してしまう。セシリアはその隙をついて近接武器のブレードを展開、統夜を弾き飛ばすため横薙ぎにブレードを振るった。

 

「くっ!!」

 

地上に落ちる直前、スラスターで体勢を整える。統夜が敵を見上げると、セシリアは片手に握りしめたもう使い物にならないであろうスナイパーライフルを見つめて驚きの表情を浮かべていた。

 

≪な、なんなんですのそのIS。私のスターライトmkⅢが……≫

 

(……やり過ぎた)

 

統夜は後悔していた。今回の目的は一夏の為の時間稼ぎとこれから何度も起こるであろうISにおいての戦闘への慣れ、それだけだった。

 

「……一つ聞いてもいいかな」

 

≪な、何をですか?≫

 

「何で君はそこまで男を嫌う?」

 

その言葉を聞いて狼狽していたセシリアが黙る。口を開いて出てきた言葉は先程まで戸惑っていた少女の言葉とは思えない程落ち着いていた。

 

≪……貴方に関係する事ではございません。強いて言うのであれば男は弱い生き物だという事を良く知っているからですわ≫

 

「そうか、男は弱いのか」

 

そう言って統夜はセシリアの背を向ける。そのままゆっくりとピットに向かう統夜に対してセシリアが声をかける。

 

≪まだ終わってませんわよ!!≫

 

「いや、もう終わりだよ」

 

統夜がそう言った瞬間、アリーナにブザーが響き渡った。制限時間の五分に達した為、試合が終了したのである。呆気にとられているセシリアに向かって統夜が話かける。

 

「言っただろ?俺はただの時間稼ぎ。それと男が弱いって事だけどね」

 

≪何ですの?≫

 

「そんな事は無い。これだけははっきりと言える」

 

そう言ったが最後、統夜は浮かび上がってピットに戻っていた。セシリアも統夜の最後に戸惑いながら自分のピットに戻っていく。

 

 

 

 

統夜がピットに戻ると、ピット内にいるのは簪だけだった。一夏達がいない事に戸惑いながらもISから降りて簪に歩み寄る。

 

「あれ?一夏達は?」

 

「まだ……戻ってない」

 

そう言って簪は統夜の横を通り過ぎて打鉄の方へと歩いていく。打鉄のコンソールを開いて何やら操作すると共に、右腕を凝視する。

 

「か、簪さん?どうしたの?」

 

統夜の言葉には反応せず、コンソールを閉じて統夜の元へと歩いていくとまるで咎める様な目で見上げる簪。統夜は何を言われるのかと恐怖半分、緊張半分の心持ちで簪の言葉を待った。

 

「……壊れてる。無茶させすぎ」

 

「え?」

 

「右手……ライフルを握った時に壊れた」

 

「あ、ああ。ごめん、やり過ぎた」

 

統夜は内心ほっとしながら返答する。それと同時に心の中で驚愕する。

 

(まさかISを破壊出来るレベルだったなんて……)

 

その時、壁から何かが上がってくる音が響く。統夜と簪が壁に目を向けるとエレベーターが開き、中から一夏達が出てきた。

 

「統夜!大丈夫だったか?」

 

「ああ。一夏の方こそどうだった?一次移行は出来たか?」

 

その言葉を聞いて目に見えて肩を落とす一夏。説明しない一夏に変わって箒が説明を始めた。

 

「結論から言うと出来なかった。五分では余りにも短すぎたという事だったのだろう」

 

「いや、それだけではない」

 

四人が声のした方向を見ると、エレベーターの中から白式と共に千冬と真耶が出てきた。そのまま説明し続ける千冬。

 

「恐らくあの馬鹿者だろうな。戦闘しなければ一次移行出来ない様なプログラムを仕込んでいたのだろう」

 

「つまり、白式は戦闘中でしか一次移行出来ないって事ですか?」

 

「そうだ。すまなかったな、紫雲」

 

「い、いえ。いいですよ」

 

統夜と千冬が会話している間に、一夏は真耶に言われるがまま白式に再び乗り込んでいた。箒はたどたどしい一夏に対して鼓舞する言葉を送り続けている。

 

「それで、貴様らはどうする?見学でもしていくか?」

 

「あ、俺は見ていきます。簪さんはどうする?」

 

「私も……行く」

 

「そうか、ついてこい」

 

先導してピットから出ていく千冬。統夜と簪も千冬の後に続いてピットから出ていった。

 

 

 

 

試合が始まってから数分後、戦況は一夏に不利の状態がずっと続いていた。何故なら一夏の機体には近接用の武器が一つしかなく、必然的にそれだけで戦わなければならなかった。しかもセシリアの方は予備があったのか、新しいスナイパーライフルと共に何やらビット兵器で四方八方から一夏を攻撃し続けている。敵の隙をついて一夏も何度か斬りかかっているのだが、流石に一次移行も果たしていない機体では満足な性能は無いのだろう、全てセシリアに避けられていた。

 

(武装の方は統夜のデータ通り、これだったらまだ二基のミサイル型のビットがあるはず!!)

 

あちらの攻撃はほとんど一夏には当たらなかったが、肝心の一夏の攻撃もセシリアには当たらなかった。この数分間、お互い攻撃を避けて仕掛けての繰り返しである。

 

(でもこいつ、狙撃とビットの同時攻撃を何でしてこないんだ?)

 

ビットを素早く飛び回りながら考える一夏。やはり事前にデータをもらっているのが大きいのだろう、頭は妙に冷静だった。

 

(データだったら同時攻撃できるはず……ともかく直接セシリアへの攻撃は当たらない。だったら!!)

 

一夏はセシリアめがけて一気に加速する。それを見たセシリアはビットでの攻撃を中断、スナイパーライフルによる狙撃に切り替えた。

 

≪これで終わりですわ!!≫

 

連続で狙撃するセシリア。しかし一夏の狙いはセシリアではなかった。飛んでくるレーザーを避けると、いきなり飛ぶ方向を変える。狙撃していたセシリアは一瞬何をしているのか? という表情を浮かべるが直ぐに一夏の思惑に気づいて指示を下そうとするが遅かった。

 

「おらあっ!!」

 

気合一閃、一夏がビットに向けて刀を振るう。そのまま二基、三基と撃墜し始めた。最後の指示だけは間に合ったのか、一基のビットは一夏の攻撃から逃れてセシリアの元へと飛んでいく。計三基のビットを撃墜した一夏は得意満面だった。

 

(やっぱり!このビットは──)

 

≪あ、貴方!その動きは何ですの!?≫

 

疑念が確信に変わった事に気づいた一夏にセシリアからの通信が入った。

 

「いや、気づいた事がいくつかあってさ。まずお前はビットによる攻撃と狙撃、同時には出来ない」

 

≪くっ!?≫

 

図星をつかれたと言った様子のセシリアだったが、一夏はもう一つの事実を淡々と告げる。

 

「それと、ビット兵器はお前の指示がなきゃ満足には動かせない。データじゃあ動かせる仕様だったけどな」

 

≪あ、貴方!なぜそれを!?≫

 

データ上では動かせる事を言及されてセシリアが慌てふためく。一応口止めされているため一夏は言わなかったが行動でその返事を返した。

 

「くらえっ!!」

 

再びISを加速させてセシリアに斬りかかる。悔しそうな顔をしながらセシリアは逃げ続けた。元々遠距離仕様の機体は距離を詰められればそこで終わりなのだ。セシリアの近接戦闘の技量はそこまで高くはない。幸か不幸か、逃げ続けることによって試合は膠着状態になり始めていた。逃げている間もセシリアはビットで攻撃を仕掛けるが一基だけでは決定的な攻撃にはならない。ビットによる攻撃は全て避けられていた。

 

「こなくそっ!!」

 

何度目か分からない斬撃を繰り出す一夏。セシリアはそれを焦った表情をしながら避けきる。そのままセシリアは加速して一夏と距離を取った。

 

≪ここまで私を追い詰めるとは、褒めて差し上げますわ≫

 

「追い詰めるだけじゃないぜ?」

 

そう言って再び斬りかかろうとする一夏。しかしセシリアと一夏を結ぶ線上に何かが割り込んだ。

 

(これはビット!?)

 

そう、最後に残った一基のビットだった。何故かセシリアはそれを一夏と自分を結ぶ線上に動かしたのである。空中で止まったビットは射撃を繰り出す。

 

「喰らうかっ!!」

 

もちろんただの攻撃など当たる訳が無く、一夏はそのレーザーを回避して真っ二つに斬る。ビットは綺麗に縦に割れ、数瞬切り口からバチバチと火花を散らせた後盛大に爆発した。

 

「くっ!?」

 

「これで終わりですわ!!」

 

爆炎に包まれる一夏に向かってセシリアが大声を上げる。爆炎で前が見えない一夏に向かってセシリアから何かが発射される。

 

「ミサイルかよっ!!」

 

「さあ、墜ちなさい!!」

 

「くそ!!」

 

そして数瞬後、一夏に二発のミサイルが着弾した。ビットを切り裂いた時の比ではない爆発が一夏を覆い隠す。

 

「やっと、これで……」

 

「まだだ!!」

 

いきなり爆炎の中から声が上がった。慌ててセシリアが顔を向けると同時に爆炎が晴れる。そこには確かに一夏の姿があった。

 

「あ、貴方そのISは!?」

 

セシリアが指を差して問いかける。一夏のISは形が変わっていた。所々にあった凹凸は取れて機体色はより白くなっている。

 

「ま、まさか一次移行!?あなた今まで初期設定の機体で戦っていたのですか!?」

 

セシリアの言葉には耳を貸さず、一夏は右手に握り締めた刀を見つめる。そしてふと笑みをこぼした。訳が分からないセシリアとは対照的に一夏は全てを理解している様で一人で独白する。

 

「ああ、最高だ。俺は最高の姉を持ったよ」

 

「は?あ、貴方何を」

 

「そうだな、まずは勝たなきゃな。千冬姉の名前を守るため、何より!!」

 

まるで心中を吐露する様な口調で大きく声を上げると同時に一夏が持っていた刀の刀身がスライドしてエネルギーが放出される。エネルギーはそのまま収束してまるで日本刀の様な刀身を形成した。

 

「勝たないとあいつに申し訳が立たねぇ!!」

 

「くっ!!」

 

右手を後方に引きながら急加速する一夏。セシリアはいきなりの一夏の変化に驚きを隠せず対応が遅れた。そして一夏の刃がセシリアにあたる瞬間、アリーナにブザーが響くと共に勝者の名前が読み上げられる。

 

≪試合終了。勝者 セシリア・オルコット≫

 

「……何で?」

 

 

 

一夏は戸惑った顔をしながらピットに戻る。そこには既に千冬を筆頭として一夏を出迎える準備が整っていた。開口一番、一夏は千冬に問いかける。

 

「えーと、何で俺負けたの?」

 

「この馬鹿者が。特性も考えずにバリア無効化など使うからこうなる」

 

「バリア無効化?」

 

一夏がオウム返しで返す。今度は千冬の変わりに統夜が説明を始めた。

 

「自分のエネルギーを大量に消費する代わりに、相手のシールドバリアを無効化して直接攻撃出来る能力の事だ。でも織斑先生、それって先生が現役で使ってた時と同じ能力でしたよね?」

 

「ああそうだ、同じ能力が発現している理由までは分からんがな。しかし紫雲、よく知っているな」

 

「織斑先生の事に関しては姉さんから何度も愚痴を聞かされましたからね。言ってましたよ、“全力の千冬と戦って見たかったわ”って」

 

ふと服が引っ張られる感触がする。そちらに目を向けてみれば簪が統夜の顔を見上げながら服の袖を引っ張っていた。

 

「どうしたの?」

 

「紫雲君のお姉さんって……何者?」

 

「何だ貴様ら、知らなかったのか?」

 

簪の質問が届いていたのだろう、いきなり千冬が声を上げた。その場にいる全員の目が千冬に向けられる中、一夏が質問する。

 

「千冬姉、統夜の姉さんって──」

 

一夏はその言葉を全て言い切る事は出来なかった。何故なら千冬がどこからか取り出した出席簿が一夏の頭を直撃、その結果一夏はしゃがみこんで悶絶している。

 

「全く。織斑先生、だ馬鹿者。紫雲、お前もこいつらに言っていなかったのか?」

 

「まあ別に進んで喋ることでもありませんし、あまり関係も無いでしょう」

 

「ふん、あいつに似た口を叩きおって。あいつは自分の肩書きと立場を全く自覚しないからな」

 

「姉さんも織斑先生には言われたくないと思いますよ?」

 

「あ、あの織斑先生。何を言っているのですか?」

 

雑談を始めた二人に箒が割って入る。もはや事情が分からない他の四人には何の事を言っているのか分からなかった。

 

「ふむ、話が逸れたか。こいつの姉はな、あの(・・)“ホワイト・リンクス”だ」

 

至極あっさりと言ってのける千冬だったが周りの反応は凄まじい物だった。まず全員が惚けた顔をして数秒間、騒がしかったピットが静まり返る。その後、箒と真耶の叫び声が響き渡った。

 

「「えええええ!!!」」

 

「?」

 

「……」

 

一夏は意味が分からないといった顔をして、簪は叫び声こそ上げなかったが目を大きく見開き統夜を凝視している。話題の中心にいる統夜本人は居心地が悪くなったのか、頭をポリポリと掻く。

 

「みんな、そんなに驚く事か?」

 

「ままままさか紫雲、貴様の姉の名はカルヴィナ・クーランジュか!?」

 

驚きのあまり口が上手く回らない箒が統夜に詰め寄る。統夜はその勢いに押されながらもあっさりと返答した。

 

「ああ。そうだよ」

 

その答えを聞くと箒は開いた口が塞がらない、と言った様子で呆ける。箒が黙ると今度は真耶が統夜に詰め寄った。

 

「お、お願いがあります!!」

 

「な、何ですか?」

 

「サイン貰えないですか?」

 

「……」

 

山田 真耶、意外とミーハーだったらしい。唐突の願いに呆然とするだけの統夜だったが改めて気を取り直して対応した。

 

「ま、まあ今度言ってみますよ。それに今後はIS学園に顔を出したいと前に行っていたのでその時に頼んだらどうですか?」

 

そう言って真耶は満足した顔をしながら落ち着き始める。しかし事情を理解していない人間がまだいた。

 

「なあなあ箒、カルヴィナ・クーランジュって誰だ?」

 

「一夏、知らないのか!?」

 

一夏が統夜に質問する。質問された箒ははぁ、とため息をついて説明を始めた。

 

「いいか一夏、お前もモンド・グロッソは知っているだろう?」

 

「それくらい知ってるさ。ISの世界大会だろ?」

 

「そう、そしてカルヴィナ・クーランジュというのは第二回モンド・グロッソの総合部門における優勝者だ」

 

「えっ!?で、でもあの大会は……」

 

一際驚いた後、一夏は申し訳なさそうな目で横にいる千冬を見る。そこからの説明は千冬が引き継いだ。

 

「そうだ。私が決勝戦を辞退した事で不戦勝となってカルヴィナが優勝した。“ブリュンヒルデ”の称号も与えられる予定だったがカルヴィナが辞退してな。何でも“千冬と戦っていないから”だそうだ。全く我が儘な女だ」

 

「千冬ね、織斑先生も人の事言えないと思いますけ──」

 

そこで再び千冬の鉄槌が一夏に振り下ろされた。悶絶している一夏を放っておいて説明を続ける。

 

「煩い。そして“ブリュンヒルデ”の称号を辞退した結果、それまでのあいつの戦いを称えて送られた世界において唯一の称号。それが“ホワイト・リンクス(白い山猫)”という訳だ。分かったか?」

 

「わ、分かりました……」

 

涙目になりながら一夏が復活する。全てを話し終わった所で今度は一夏から統夜に話しかける。

 

「ごめんな統夜、あそこまでしてもらって負けちまうだなんて」

 

「気にするなよ。流石にISが試合直前に来るなんて誰も予想出来なかったし、そもそも国家代表候補相手にあれ程いい試合をしたんだ。誇っていいくらいだよ」

 

「さて貴様ら、話はこれで終わりだ。放課後を過ごすのは自由だからな、それでは解散」

 

パンと手を叩いて千冬が締める。統夜は一人ピットの出口へと歩いていった。不思議に思った一夏が統夜を呼び止める。

 

「おい統夜、どこ行くんだ?」

 

「悪い。ちょっと調子が悪いから先に戻ってる。じゃあな」

 

「ああ、そっか。また明日な」

 

「紫雲、体を大事にな」

 

背中に一夏と箒の言葉を受けながら、統夜はピットを出て自室への道を歩み始めた。

 

 

 

「紫雲君……」

 

「簪さんか」

 

アリーナから寮へ向かう途中、中庭の様な場所で統夜は簪に話かけられた。話しかけられたと言うより統夜を追いかける形でピットを抜け出してきたのだろう。何も言わずに統夜の隣を歩く簪。しばらく無言だった二人だがふと簪が声を漏らした。

 

「初めて知った……紫雲君のお姉さんの事」

 

「まあ、わざわざ言う必要のある事でも無かったからね」

 

「だから……だったの?」

 

「何が?」

 

「この間話してくれた……お姉さんとの事」

 

「ああ、あの話はほとんど姉さんが有名になる前だけどね」

 

「そんなお姉さんで……色々言われたりしなかった?」

 

その言葉と共に統夜の歩く速度が遅くなる。簪の言葉を聞いて質問の意味を察した統夜は一人でゆっくりと話し始めた。

 

「姉さんが有名になると、俺も色々言われたよ。何かと姉さんと比べられたり、“カルヴィナ・クーランジュの弟”っていうレッテルも貼られたりした。学校でも先生とかに言われたよ、“あなたのお姉さんはあんな人なのに”とかね」

 

「……」

 

「俺は姉さんが誇らしかったけど、周りの人間からのそんな物言いにはうんざりしてた。しかも俺は姉さんと姓が一緒じゃないからね、姉さんを妬む人から何かと酷い事を言われたりもしたよ」

 

「……それじゃあ」

 

「それでも姉さんを嫌う事や妬む事は絶対に無かった。だって姉さんがそうなったのは今までの努力の結果だったし、俺はそれを支えながらずっと傍で見てた。周りの人は簡単に羨ましいとか言うけど、そういう人はその人がしてきた努力とかは全く知らないからそんな事が言えるんだと思う」

 

そこまで聞いて簪が足を止める。統夜の話を聞いて顔を俯かせていて、不安に思った統夜は回れ右をして簪に歩み寄る。

 

「どうしたの?」

 

「……紫雲君は何でも一人で出来る人って……いると思う?」

 

「え?」

 

簪は顔を俯かせたまま統夜に疑問を投げかける。いきなりの簪の脈絡の無い質問に統夜は戸惑うが、はっきりと確信のある口調で返事をした。

 

「そんな人いないと思うよ。少なくとも俺はいないって思ってるし、そんな人見たことも無い」

 

「え?」

 

今度は簪が呆ける番だった。簪の重苦しい口調とは対照的にあっさりと言い放つ統夜。簪は顔を上げて統夜を見ると、きっぱりとした物言いで続ける。

 

「全部が得意で何でも出来る人っていないと思うし、それに姉さんだって俺が身の回りの世話とかしないと酷い物だったよ。所構わず服は脱ぎ散らかすわ、食事は全部外食で済ますわ、体調管理の文字が辞書に載ってないんじゃないかってレベルだったし。それにその……」

 

最後の方は戸惑う様な言い方になってしまったう統夜。簪はその言葉を聞いてふと笑みをこぼす。

 

「……ふふっ」

 

「簪さん?」

 

「ご、ごめんなさい。でも……そのお姉さんをお世話出来る紫雲君こそ……何でも一人で出来る人じゃないの?」

 

その言葉を聞いた瞬間、統夜の顔が様変わりする。今までのんびりとした顔をしていたのだが、一瞬で緊張、不安、苛立ちといった感情が入り混じる顔へと変化する。あまりの豹変ぶりに今度は簪が戸惑い始めた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「そんな事ありえない。だって俺は──」

 

小さく呟きながら統夜は一人で寮への歩みを再開する。簪は戸惑いながらも統夜の後をついていった。

 

 

 

二人はそのまま無言のまま、自室についた。部屋に着くなり自分のベッドに潜り込む統夜。

 

「ごめん、ちょっと寝る。お休み」

 

いつもの彼からは考えられないようなぶっきらぼうな口調で言い放ち、直ぐに寝てしまう。簪はそれを見た後、机でパソコンを起動させてISの設計図を書き始めた。

 

 

 

(私、笑ったの?)

 

カタカタとキーボードを打ちながら考える簪。しかし何度も何度も打ち間違いをして消していく。それを続ける間にとうとう諦めて十分程で作業を中断、統夜と同じ様にベッドに寝転がってしまう。仰向けの体勢で右腕を目の部分に乗せる。

 

(さっき紫雲君と話しているとき、私確かに笑った……)

 

統夜と話しているとき、簪は確かに笑っていた。

 

(いつぶりだろう。笑ったの)

 

少なくともここ最近で笑う事は無かった。自分の姉と比べられ始めてから、笑う事は確実に少なくなっていたし、本音と話している時ですら笑った記憶は無い。

 

(私、どこかおかしいのかな……)

 

そもそもあんな質問を聞いた事自体、簪にとっては異常と言えることだった。普段の自分だったらあんな質問しない。そもそも積極的に他人とは関わろうとしないのが簪の普通だった。ここ最近は統夜と話すことも多くなってその普通が崩れ始めていたのも事実だったが。それでもあんな質問はしなかった、しないはずだった。

 

(何であんな事、言ったんだろう……)

 

統夜が自分と似たような境遇だと知ったから?いつも面倒を見てくれて親しみやすかったから?

 

(違う。分からない……)

 

簪は自分が統夜に対して抱いている感情が理解できずに、思考を放棄してしまう。しかし放棄してもすぐに次の疑問が浮かび上がってきた。

 

(そもそも彼は……)

 

ベッドでうつ伏せになりながら顔だけを横に向ける。そこには布団にくるまった統夜がいた。

 

(あれは……なんだったの?)

 

簪が考えるのは先程の戦いの事だ。考えてみればおかしい事はいくつもある。

 

(あの動き、素人じゃなかった)

 

いくら世界的に有名なIS操縦者を姉に持ち、事前にISに関する知識を得ていたとしてもあの動きは普通じゃない。国家代表候補生を相手に互角以上の戦いをしていた様に簪の目には写った。その動きはその後の戦いにおいての織斑 一夏と比べれば一目瞭然である。彼は事前にいくらか特訓をしていたらしいが、統夜は特訓などしていないはずだ。

 

(しかも、あのIS……)

 

統夜がピットに戻ってきた後、簪は彼の使用していたISを見た。一般人が見ればただ単純に壊れたと判断するかもしれないが、簪の感想は違っていた。

 

(あの壊れ方は……外部からの圧力によるもの)

 

まるでISの右手の方が耐え切れずに破砕されたかの様な壊れ方だった。そんな事ありえるはずがないのに。しかし今頃はISの自動修復によって直されているだろう。後日確認しようとしても出来なかった。

 

(……もう寝よう)

 

考えても答えが出ない問いに対して、簪は眠り込む事を決め込んだ。しかし眠りにつこうとすると、統夜の質問の答えが頭に浮かび上がった。

 

『そんな事ありえない。だって俺は──』

 

(あれは……どんな意味なの?)

 

考えながら簪は眠りに落ちていった。連日のIS作製で疲れが溜まっていたのだろう、すぐに意識が途絶える。最後の瞬間、統夜の答えが最後まで心の中に浮かび上がった。

 

『──ただの臆病者だから』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 ~授業と決意とクラス代表~

クラス代表決定戦が行われた翌日の帰りのHR(ホームルーム)、とうとうクラス代表が発表される時が来た。

 

(まあ一夏は負けたし、俺が戦ったのはただの時間稼ぎだしな……)

 

机に頬杖をつきながら窓の外を眺めていると、不意に教室の前の扉が開いて真耶が飛び込んできた。

 

「はい、それではクラス代表を発表しますね」

 

(どうせオルコットさんだろ……)

 

「一年一組のクラス代表は織斑 一夏君に決まりました!あ、一繋がりでいいですねー」

 

「「……は?」」

 

真耶の声を聞いて一夏と統夜が同時に声を上げた。ぼうっとしている統夜に対して、当事者である一夏の反応は早かった。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!何で俺が!?それに俺、負けたんですよ!?」

 

「それはですね──」

 

「私が辞退したからですわ!!」

 

真耶の言葉を遮って誰かが大声を上げる。統夜の目には背後にババーンという文字を浮かび上がらせながら、勢い良く席を立つセシリア・オルコットが映っていた。教室中が静まる中、セシリアは一人声を張る。

 

「あの後私も反省いたしまして。いくら私が国家代表候補生とはいえ大人気なかったのも事実。そこで私はクラス代表を辞退しまして一夏さんに譲ったという訳ですわ!!」

 

 

「セシリア、分かってる~」

 

「やっぱり男の子がいるんだから立てないとね!」

 

女子連中は勝手なことばかり言うが当の本人からすればたまったものではないだろう。事態を見守っていた統夜だったが、焦った顔つきで一夏が統夜の方に振り向く。

 

(統夜、助けてくれ!!)

 

(無理だ。オルコットさんの言っている事は正論、しかもここまでクラスの皆に言ったらもう取り返しはつかない!)

 

(そ、そんな!!)

 

(まあ、頑張れ)

 

(まじかよおおおっ!!)

 

以上、統夜と一夏によるアイコンタクトの結果である。その間約一秒、これぞ男の友情のなせる技だろう。

 

「それでは皆さん、今日はこれでおしまいです。気をつけて帰ってくださいね~」

 

真耶が締めの言葉を発すると生徒達は鞄を手に取り、喋ったりしながら帰路に着く。

 

「統夜。俺、どうすればいいんだ……」

 

足取り重く、片手に鞄を持った一夏が統夜に近づいてくる。統夜も自分の鞄を手にとって教室の出口へと歩き始めた。

 

「ま、まあ頑張れよ。クラスの皆に負けない様にすればいいんじゃないのか?」

 

「まあそれもそうか。そうだ、これ返しとくぜ」

 

そう言って手渡されたのは一夏に預けた統夜のUSBだった。受け取った統夜は自分のポケットへとしまい込む。

 

「ホント悪いな統夜、ここまでしてもらったのに負けちまって」

 

「それはもういいって言っただろ?それにクラス代表にはなれたんだ。結果オーライだろ」

 

「そうか、よし決めたぜ!次に戦う時は絶対に勝つ!!」

 

「頑張れよ。そう言えば一ヶ月後にクラス代表のトーナメント戦があったな。そこで勝てる様に頑張ってみたらどうだ?」

 

「あれ?統夜、何でそんな事知ってんだ?」

 

「一夏、年間のスケジュールくらい目を通しておけよ……」

 

雑談をしながら寮へと向かう一夏と統夜。そして先に統夜の部屋に到着する。

 

「統夜はこれからどうすんだ?」

 

「まあ一応明日の準備と、あとは色々かな」

 

「そっか。俺、本格的に箒にISの事教えてもらう事にしたからさ。統夜も気が向いたら来てくれよ」

 

「あ、ああ。分かった」

 

「じゃあな」

 

そう言って一夏が自分の部屋に向かって再び歩き出す。統夜が鍵を開けて部屋に入り込むと、誰もいなかった。簪は恐らくいつもの通りISの作製をしているのだろう。自分の鞄をベッドの脇に置いて、統夜は身をベッドの上に投げ出した。スプリングがギシギシと音を立てて弾む。

 

(戦い、か……)

 

統夜は天井を見つめながら昨日の事を考える。確かにあの時、力を入れすぎたとはいえ戦闘自体はこなす事が出来た。ただ問題は、

 

「やっぱり……ここには来ない方が良かったのかもしれない」

 

一人呟く統夜。昨日セシリアのスナイパーライフルを握り潰した感触、それがまだ右手の平に残っていた。顔の前で何度も閉じては開き、閉じては開きを繰り返す。

 

(あれがもし、人だったら……)

 

どうなるかは想像に難くない。その考えをぶんぶんと頭を振って追い出す統夜。

 

(大丈夫だ!もうボロを出さなければいい話だろ!!)

 

できる限り戦闘には近づきたくない、しかしここにいる限り訓練という名の戦闘が毎日続く。統夜はこれからの事を考えて大きくため息をついた。

 

「はぁ……」

 

ふと自分の胸元に右手をやる。そこにあったのは先端に黒い三つ巴を象ったアクセサリーがついているネックレスだった。ベッドに横になりながら指でそのネックレスを弄ぶ。

 

「もう二度と……」

 

何かを決意するかの様に低い声で呟くと統夜は一気にベッドから体を起こす。制服のまま明日の弁当の準備をするため、部屋に備え付けられている冷蔵庫からいくつかの食材を取り出すと、部屋を出て調理室へと向かった。

 

 

 

一夏がクラス代表に決定してから約三週間が過ぎた。その間にも一夏は箒と一緒に行う特訓でゆっくりと着実に実力をつけていった。統夜はそれを眺めているだけで一切参加しなかったが。今日はグラウンドでISを使った実習を行っている。何列かに並んだ一組の面々の前に、ジャージ姿の千冬が生徒に講義していた。

 

「これからISの飛行操縦を実践してもらう。織斑、オルコットは前に出ろ」

 

千冬の言葉に従って素早く一夏とセシリアが列から外れて前に出る。セシリアは前に出て耳に手を当てるとすぐにISを展開し終えるが、一夏はセシリアのISに目を奪われていて微動だにしない。

 

「早くしろ、熟練のIS操縦者は展開に一秒とかからんぞ」

 

「は、はい!!」

 

千冬に急かされて右手のガントレットに左手を添えて目を瞑りながら集中する。約一秒後、ガントレットから光の粒子が出て一夏の体めがけて収束していく。そして光が収まると、一夏の体は白いISに包まれていた。

 

「よし、飛べ!!」

 

「はい!!」

 

千冬の言葉を受けてセシリアはすぐさま地面を蹴って空に飛翔すり。それを地上で見ているだけの一夏に千冬が怒声を浴びせかけた。

 

「織斑、貴様も早く行かんか!!」

 

「は、はい!──うわああっ!?」

 

千冬に怒鳴られて緊張した事が原因か、ただ単に飛ぶのが上手くないのか。一夏は地面スレスレを危なげに低空飛行しながら空へと飛んでいった。

 

(ただ空を飛んでいるのは綺麗なんだけどな……)

 

統夜は空を飛んでいる一夏達を見ながらそんな事を考える。人の姿を維持したまま大空を飛んでいる二人はとても美しかった。生徒全員も統夜と似たような事を考えているのか、全員が一夏とセシリアを見上げている。

 

(あれ?)

 

しかし生徒の列から飛び出す人影が統夜の目に入る。その人物は地上で空にいる二人を眺めている真耶の耳に掛かっているインカムをあっという間に奪い取ると、大声で一夏に通信を送り始めた。

 

「いい加減にしろ一夏!さっさと降りてこい!!」

 

その人物は箒だった。隣ではインカムを奪われた真耶がおろおろしている。慌てて統夜は人の列から飛び出して、箒を止めにかかった。

 

「ちょ、ちょっと篠ノ之さん。何やってるの!?」

 

「ええい、止めるな紫雲!あの女、一夏と──」

 

「紫雲の言う通りだ、馬鹿者」

 

低い声と共に箒の頭めがけて出席簿が振り下ろされる。箒はインカムを手から落としてうずくまってしまった。素早く統夜は地面に落ちる前に、インカムを右手で掴んで真耶に手渡す。

 

「山田先生、はいどうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

真耶は左手で受け取ると自分の耳に付ける。統夜と真耶の隣では、上空にいる一夏達に千冬が通信を送っていた。

 

「織斑、オルコット、急降下と完全停止をやって見せろ」

 

上空の二人が停止、そしてセシリアだけが弾丸の様に地上めがけて落下する。地上ギリギリの所で体勢を立て直したセシリアは、そのまま地面を滑るように移動ながら見事地上に着陸した。

 

「次は織斑だ、やれ」

 

空に一人残っていた一夏がセシリアと同じ様に地上めがけて飛ぶ。しかしセシリアと違い、地上ギリギリになってもスピードを落とすことは無かった。その結果、見事一夏は隕石の如く地上に突撃する。もうもうと土煙が立ち込める中、統夜は急いで一夏が落下した場所に向かった。

 

「おい一夏!大丈夫か!?」

 

「だ、大丈夫……」

 

一夏は自分で作ったクレーターの中心部に蹲っていた。ISの方は落下した時に解除されたのか、一夏は生身の状態で土まみれの顔を統夜に向けている。その様子を見てほっと一息つく統夜の横を、二人の少女が駆け抜けて行く。

 

「一夏、大丈夫か!?」

 

「一夏さん、お怪我はございませんか?」

 

「あ、ああ。大丈夫」

 

それぞれが一夏に話しかけているがその光景を見て、統夜の頭には一つの疑問が浮かんできた。

 

(オルコットさん、何かあったのか?)

 

明らかに前の態度とは違う。そのあからさまな変化に箒や一夏はもちろん、統夜も不思議に思っていた。まあ一夏はあの性格なのであまり気にしてはいないようだったが。ふと統夜がクレーターの中心に目を向けると、二人の少女が言い争いを始めている。

 

「ふん、ISを装着していれば怪我などしない。そんな心配をする必要はないだろう」

 

「あら、人を心配するのは当然の事ですわよ。篠ノ之さんは配慮が足りないのでは?」

 

「ぬぬぬ……」

 

「むむむ……」

 

とうとう一夏そっちのけで睨み合いを始めた二人。一夏は地面に座り込んだまま何をしていいのか分からず、統夜も一夏と同じ心境だったので穴の縁で見ているだけだった。

 

「何がしたいのだ、貴様らは」

 

「ふぎゃっ!!」

 

「っ!!」

 

いつの間にか千冬が箒達の隣に移動し、出席簿を二人の頭に振り下ろしていた。あまりの痛みに二人揃って頭を抱えて蹲る。

 

「全く……織斑はさっさと立ち上がれ」

 

「は、はいっ!!」

 

声自体は普通なのに、千冬の声には得体の知れない強制力があった。バネじかけのおもちゃの様に飛び上がって立ち上がる一夏。それを見届けると千冬は穴から抜け出して生徒の列の前に移動する。統夜は自分のもといた場所に戻っていたが、一夏達3人は放置状態である。

 

「さて、オルコットが見せてくれた様にISの空中機動は既存の航空機とは一線を画している。諸君もこれから操縦する事になる物だ。オルコットを手本にして励む様に」

 

「「「はい!」」」

 

(サラッと一夏は除外ですか……)

 

ちなみに一夏達はまだ穴の底にいた。流石に放置はまずいと感じたのか、真耶が穴の底に降りていく。最後とばかりに千冬が穴の底めがけて声を投げかける。

 

「織斑、穴は昼休みに塞いでおけ。それでは一旦解散、各自着替えて教室に戻るように」

 

千冬の号令に従って生徒がわらわらと移動を始める。統夜が穴に目を向けると、丁度一夏達と真耶が上がって来るところだった。

 

「おい一夏、本当に大丈夫か?」

 

「ああ、大丈夫」

 

「紫雲も意外と心配性なのだな、ISをつけていて怪我をするわけ無いだろう」

 

「あら、先程も言いましたが何事にも絶対はありませんわ。紫雲さんの心配も最もではありません事?」

 

「ふ、二人とも!急いで着替えて教室に戻った方がいいだろ、ほら一夏も行くぞ!!」

 

再び睨み合いが勃発しそうな二人を急いで統夜が諌める。千冬の制裁をくらいたくないのか、箒とセシリアは二人揃って更衣室に向かった。統夜も一夏と一緒に歩きながら男子用の更衣室へと向かう。今日もIS学園は平常運転である。

 

 

 

 

「それでは、織斑君のクラス代表就任を祝って!かんぱーい!!」

 

「「「「かんぱーい!!」」」」

 

「かんぱーい……」

 

クラスの女子が揃って元気な声でグラスを掲げる。当の本人である一夏は覇気の無い声でそれに続いた。

 

「いやーしかしうちのクラスに二人も男子が来てくれて、ほんと良かったねー」

 

先程乾杯の音頭を取った女子生徒がテーブルの食事に手をつける。日課の授業も終わった一年一組の生徒達は、一夏がクラス代表に就任した事を寮の食堂で祝っていた。貸切のため他の生徒もいない中、一夏を中心に女子達が騒いでいる。

 

(……)

 

もう一人の男子生徒である統夜は部屋の隅で椅子に座りながら、一人でジュースを飲んでいた。元々そんなに騒がしい事は好きではないため、椅子に座りながらのんびりとしていると人の輪から誰かが出てきて統夜の隣に座る。

 

「統夜、どうしたんだ?気分でも悪いのか?」

 

「いや、ただこういう雰囲気が苦手なだけだ」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

そう言いつつ、一夏もコップを傾けて喉を潤す。食堂の中心では話題の中心人物を放っておいて、女子達が騒いでいるが統夜達はマイペースで会話を続ける。

 

「それよりもお前もこんな所にいていいのか?今日はお前が主賓だろ」

 

「いや、まだ何かクラス代表になったのが納得いかなくてさ」

 

「それはこの間言っただろ?むしろお前は健闘したんだ。それに言い方が悪くなるけど、オルコットさん以外だったら一組の生徒達の実力はどんぐりの背比べだろ。だから正直言って誰が選ばれたって実力的には対して差は無い、折角選ばれたんだから頑張れよ」

 

「そっか、ありがとうな統夜」

 

「気にするなよ」

 

二人が話していると、再び人の輪の中から人が出てくる。その人物はコップ片手に統夜達のテーブルに近づいてきた。

 

「お二人共、どうかしたのですか?」

 

「いや、別に。ただ統夜と話してただけだよ」

 

その人物はセシリア・オルコットだった。一夏の隣に座る形で同じテーブルに座る。

 

「セシリアもどうしたんだ?」

 

「ちょっと空気に酔ってしまいまして。こちらで少々休憩を、と思いまして」

 

「あのー、オルコットさん。少しいいかな」

 

そこで統夜がおずおずと二人の会話に割って入る。セシリアも積極的に統夜から話しかけられるとは思っていなかったのか。少し意表を突かれたと言った表情で応じる。

 

「はい、何ですの?」

 

「まずは、ごめん」

 

「え?ど、どうなさいましたの??」

 

「クラス代表を決める時に、色々と言いすぎた。ごめん」

 

「ああ、あの時の事ですか。それは全く構いません。それよりも私も謝らなければ、と思っていた所ですので」

 

「え?」

 

今度は統夜が惚けた声を出す。統夜とセシリアに挟まれている形で座っている一夏は、会話を静かに聞いていた。

 

「私もあの時は言い過ぎましたわ。それに紫雲さんの仰る事も、もっともだったので」

 

「仰る事って……あの言葉の事?」

 

「ええ、そしてあの問いに対する私の答えをここで言わせてもらいますわ」

 

そう言ってセシリアがすぅ、と大きく息を吸う。統夜もどんな答えが帰ってくるのか、と身構える。

 

「私の力は“誇り”ですわ。この力は私が自分自身で勝ち取った物。それ故に私はこの力を私自身が納得出来る事、正しいと思える事の為に使っていきますわ」

 

それらはまだわからないですけど、と尻すぼみになりながらもはっきり言い放つセシリア統夜と一夏はセシリアの答えに聞き入っていた。

 

「……凄いね、オルコットさんは」

 

「紫雲さんもですわ。あの様な言葉は中々言えるものではありませんもの」

 

「いや、あれは人の受け売りだよ」

 

「すげぇなあ、セシリアって」

 

「そ、そうですか?」

 

「でもさ、統夜もその言葉、誰に言われたんだ?やっぱり統夜の姉さんか?」

 

「あら、紫雲さんはお姉さまがいらっしゃるんですか?」

 

「ああ違うよ、あの言葉は──」

 

「はいはーい!ちょっといいですかー!」

 

「へ?」

 

一夏がいきなりの乱入者に惚けた声を上げる。三人が座っているテーブルに近づいてきたのは、左の上腕部に“新聞部”と書かれた腕章をつけている生徒だった。首にはカメラが下げられ、右手にはボイスレコーダーを持っている。

 

「あの、あなた誰ですか?」

 

「ああ、私は新聞部で副部長の黛 薫子って言うんだけど。お三方、ちょっと質問いいかな?」

 

「俺たちなんて取材して、何するんですか?」

 

「おっと、期待のクラス代表君は分かっていないみたいだね。いきなり現れた二人の男子IS操縦者!その片方はいきなりクラス代表に!!キャッチコピーとしては十分過ぎるわ」

 

「はぁ……」

 

統夜は乗り気では無い、と言った口調で返事をする。一夏も統夜と同様、いきなりの事に戸惑っている様で視線を泳がせている。ただ一人、セシリアだけは佇まいを直し、“さあ、かかってきなさい!”とばかりに身構えていたが。

 

「じゃあまずは織斑君に質問しようかな~」

 

「は、はい。何ですか?」

 

ずい、と一夏の顔にボイスレコーダーを近づける薫子。一夏も戸惑いながら何とか応じようとする。

 

「じゃあまず質問。ズバリ、クラス代表になった感想は?」

 

「え、ええっと……さっき統夜にも言ったけど、とにかく頑張ります」

 

「つまんないなぁ~。じゃあさ、この学園でやりたい事とかは?」

 

「まだ特には無いですけど……」

 

「うっわ、つまんない。まあこの辺りは捏造しておけばいいか……」

 

(いや、ダメだろ!?)

 

薫子の漏らした言葉に対して、心の中で突っ込む統夜。薫子は一夏の回答を聞き終えると、何やらポケットから取り出した手帳に書き込んだ。それが終わると今度は統夜に質問の矛先を向けてくる。

 

「さあ、次は紫雲 統夜君に質問!君がこの学園でやりたい事は?」

 

「……俺も特には無いですかね」

 

「もう~つまんないなぁ。二人は折角女の園のIS学園に入学したんだよ?もっとこう、何かあるでしょ!?」

 

「いや、女の園って……」

 

「こう、“俺の女は絶対に守る!!”とか“仲間はやらせねぇ!!”とか」

 

(この人、漫画とか映画の見過ぎじゃないか?)

 

何やら話の内容が脱線しかけてきているが、統夜と薫子は気にせず会話を続ける。先程まで会話していた一夏と、これから会話するはずのセシリアは見事においてけぼりだった。

 

「まあ、ここで過ごす内に何か出てくるかもね。何しろ入学してまだ20日くらいしか経ってないし。それじゃあ次は……時間が無いから捏造しとくね」

 

「な、何ですのこの扱いの差は!?」

 

「……一夏、ちょっと眠いからそろそろ部屋に戻る。じゃあな」

 

「あ、ああ。じゃあな」

 

統夜のいきなりの言葉に戸惑いながらも、一夏は別れの挨拶を交わす。セシリアと薫子が騒いでいる声を背中に受けながら、統夜は一人静かに食堂から出ていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 ~蠢く影~

元々食堂は寮の中だったので自室には五分とかからずに到着した。統夜はドアノブを回すが何故か途中で引っかかる。

 

(あれ?)

 

いくら回してもガチャガチャと途中で突っかかる。疑問に感じた統夜はポケットから鍵を出して鍵を開けると、部屋にゆっくりと入り込んだ。

 

(また整備室かな?)

 

部屋の中には誰もいなかった。統夜のベッドはもちろん、もう片方のベッドにもルームメイトの姿は見当たらない。まだ四月下旬なので外は少し寒いだろう、とあたりを付けた統夜は荷物の中から自分の制服の上から私物である黒いジャケットを羽織ると、再び部屋の外に出る。目指すは何度も言った事があるIS整備室だった。

 

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

(やっぱりいた)

 

寮から抜け出して歩くこと十分、統夜はアリーナに隣接する様に建てられた整備室にいた。無駄な装飾が一切無く金属質なその部屋の中央に、一機のISが佇んでいる。その正面には長机が一つ置かれていて、机の上には三つのディスプレイと一つのキーボード。そしてキーボードを枕にしてうつ伏せの体勢で寝ている簪がいた。

 

(今日も、か……)

 

この約一ヶ月間、この光景は何度も見てきた。大体三日に一回は統夜が整備室に行って簪を起こす。統夜と一緒に帰る時もあれば、後少しで帰ると約束して統夜が先に帰る事もあった。

 

(とにかく起こさないと)

 

そう言って寝ている簪に近づいてゆっくりと肩を揺さぶる統夜。少々心苦しいが、こうでもしない限り簪は起きない事を統夜は良く知っている。

 

「簪さん。簪さん」

 

「ん……ううん……」

 

統夜に体を揺さぶられ、やっと声を発する簪。それでも起きない簪を見てふといたずら心が湧いた統夜は、簪の首筋にあるものを押し当てた。

 

「ひゃんっ!?」

 

「おはよう、簪さん」

 

統夜が押し付けた物は缶飲料だった。先程ここに来る途中に自動販売機で購入した物である。起きた簪はまず周りを見渡して自分がどこにいるかを確認し、次に統夜の手の中にある飲み物を見つけ、最後に恨みがましい目で統夜を睨みつけた。

 

「もっと……普通に起こして、欲しい」

 

「ごめんごめん。もうこんな時間だからさ、帰ろう?」

 

「あと、少しやってから……」

 

簪はディスプレイを起動させ、手元にあるキーボードを再び叩き始めた。統夜は“邪魔してはいけない”と思い壁に体を預けて様子を見ている。言葉通り、作業は数分で終了して簪は片付けを始めた。

 

「簪さん、何か手伝おうか?」

 

「いい、見てて……」

 

統夜の誘いを蹴って、簪が一人で整備室を綺麗にしていく。流石にそこまではっきりと断られては無理矢理やる訳にもいかず、統夜は手持ち無沙汰のまま壁際に立っていた。

 

(そう言えば、簪さんがISを一人で作る理由って何だろう?)

 

統夜はふと疑問に思う。前に本音に聞いた事があったがその時は教えてはもらえなかった。余程の理由があるのだろう。

 

(でも確か……)

 

統夜はこの間のクラス代表決定戦を思い出す。あの時簪は確かに何か言いかけていた。

 

(“あの人に”だったっけ?)

 

しかしこのフレーズだけでは意味が全く分からない。いくら考えても答えにたどり着きそうもない、と悟った統夜はとうとう思考を放棄した。

 

(まあ、いいか)

 

丁度簪の後片付けも終わったようで簪がこちらに近づいてくる。統夜は片方の缶飲料を手渡しながら、一緒に外へ出た。

 

「お疲れ、簪さん」

 

「……うん」

 

街頭が照らす夜道を二人で歩く。片手に握った飲み物で喉を潤しながら、他愛の無い会話を交わす。簪は元々口数が多い方ではないので統夜から話題を振る事が多いのだが、いかんせん相手は女子である。多少なりとも緊張して会話が滞ってしまうのは男子としての悲しい性だった。

 

(こういう時は一夏の性格が羨ましいなぁ……)

 

「……どうしたの?」

 

「い、いや、何でもないよ」

 

「……紫雲君のお姉さんって、どんな人?」

 

「姉さん?そうだな……一言で言うと大人、かな」

 

「大人?」

 

「うん。自分でしっかり考えて、何でもって訳じゃないけど自分の事は自分できっちり出来る。そんな姉さんは大人だと思うよ。まあでも、それなりに抜けてる所もあるんだけどね」

 

「……私にも、姉がいる」

 

その言葉を聞いた統夜は驚いた表情をする。珍しく簪が自分の事を統夜に話したのだ。少なからず驚くのも無理の無い事だろう。

 

「そうなの?会ってみたいな、簪さんのお姉さんに」

 

「……いつか会える。ここ(IS学園)にいれば」

 

そう言って簪は黙り込んでしまう。こうなったら何を言っても答えてくれない事を統夜は経験則で理解していた。

 

(でも、“いつか”ってどういう意味だ?)

 

そう考えながら統夜と簪は寮へと繋がる道を歩いていく。今日もIS学園での一日が終わろうとしていた。

 

 

 

 

一夜明けていつも通りの日々を過ごす統夜と簪。起床し、一緒に朝食を食べ、授業の準備を済ませ、着替えも終わり、統夜が簪に弁当を手渡して、部屋から出ていく。そしていつもの通りに一年一組の教室の前で簪と別れるはず……だったのだが、今日は少し様子が違った。

 

「何だあれ?」

 

「……」

 

何やら一年一組の教室のドアの前で何やらぶつぶつ言っている女子生徒がいたのだ。統夜と簪は顔を見合わせて、揃って首を捻る。しかし二人ともその女子生徒に心当たりは一切無い。勿論統夜が記憶している限り一組の生徒でも無いようなので、完全に知らない生徒である。統夜は簪を後ろに従えながら、謎の生徒に声をかける事にした。ゆっくりと近づくが、こちらが目に入っていないようで何やら必死に呟いている。

 

「……まずは“久しぶり”よね。それでその後は……何て言おうかなあ。いや、でも意外性も考えて……よし決めた!ここは一気に──」

 

「あの、ちょっと」

 

「わひゃあぁ!?」

 

驚きのあまりその女子生徒は文字通り飛び上がった。簪は不審者を見るような目でその生徒を見ている。

 

「あのさ、君誰?」

 

「ア、アンタもしかして……今の、聞いてた?」

 

(さっきの変な言葉だよな……)

 

その女子生徒は統夜の質問を無視して一方的に問いかけてくる。その質問に対する返答はイエスなのだが、女子生徒の顔色を見る限り相当恥ずかしい内容の様だ。ここは敢えて聞いてなかった振りをするのが優しさだ、と思った統夜はすかさず嘘をつく。

 

「な、何が?」

 

「……それならいいわ。それで、アンタたちは何よ?」

 

「あ、ああ。俺はこのクラスの生徒なんだけど……誰かに会いたいの?」

 

「……」

 

後ろにいる簪は先程から黙ってばかりだが、初対面の人間に気さくに話しかけろというのは無理な相談だろう。そういうのは一夏の役割である。それはともかく、統夜の質問に女子生徒は肯定の意を示した。

 

「まあ、そうなるわね」

 

「誰に会いたいの?」

 

「アンタさ、織斑 一夏って知ってる?」

 

「そりゃ知ってるよ。なんだ、一夏に会いたいの?」

 

「あ!ちょ、ちょっと待ち──」

 

統夜は少女の横を通り過ぎて教室のドアに手をかける。少女が止めるが間に合わない。そのまま一気に開いて教室内にいる一夏に、大きく呼びかけた。

 

「おーい一夏、いるか?」

 

「よお統夜。どうかしたか?」

 

「ああ、何かお前に会いたいって人がいるんだけ──イタッ!?」

 

そこで統夜はいきなり痛みを覚える。背中に何かが当たった様で後ろを振り向くと、少女が自分の鞄を構えていた。どうやら少女は構えている鞄で統夜の背中を殴りつけたらしい。簪は少女のいきなりの行動に目を見開いて驚いている。

 

「な、何を──」

 

「うるさいわよ!!ア、アンタのせいで──」

 

「あれ?もしかして、鈴か?」

 

そこで一夏が教室から出てきて謎の少女と対面する。なにやら一夏の方はこの生徒を知っている様で気さくに声をかけた。統夜はまた殴られてはかなわないと思い、簪の隣に移動する。するとちょいちょいと簪が統夜の服の袖を引っ張ったので、統夜は簪に顔を向けた。

 

「何?どうかしたの?」

 

「あの子……確か中国の代表候補生。どこかの資料で……見たことが、ある」

 

「え!?嘘だろ!?」

 

統夜は叫んで一夏達の方をもう一度見る。二人は既に談笑モードに入っていて、傍から見ればとても微笑ましいものだった。少女の方も、先程統夜に向けていた感情はどこかに霧散してしまった様で笑いながら一夏と話をしている。

 

「あ……」

 

しかしそんな時間にもいつか終わりは来るものだ。統夜がある人物の接近に気づき、慌てて一夏に声をかける。

 

「お、おい一夏!早く教室に──」

 

「貴様ら、何をしている?」

 

「うるさいわね。邪魔するんじゃないわよ!!」

 

少女が謎の人物を見ないで攻撃的な声を上げる。丁度少女の背後にその人物が立っているので、少女はその人物が誰かは分からなかった。しかし少女以外はその人物が誰なのか分かっているため、誰も反論の声を上げない。

 

「ほぉ?いつから貴様は教師に口答え出来る身分になったのだ?」

 

「教師が何よ!私は──」

 

少女の言葉が最後まで一夏達に届く事は無かった。何故なら謎の人物が手に持った出席簿を少女の頭を思いきり振り下ろしたのである。少女は痛みで涙を滲ませると共に振り返ると、ようやくその人物が誰かを理解した。

 

「ち、千冬さん……」

 

「ここでは織斑先生と呼ばんか。さて、私の記憶によれば貴様は二組だったはずだが?さっさと教室に戻れ」

 

「は、はいっ!」

 

千冬の言葉を受けた少女は脱兎の如く駆け出して千冬の横をすり抜ける。そして千冬と十分な距離を取ると、再び一夏の方を振り向いた。

 

「一夏、また後で来るからね!逃げるんじゃないわよ!!」

 

そう言い残すと再び走り去っていく少女。廊下には三人の生徒と、一人の教師が残された。

 

「さあ、お前らも早く教室に入れ。更識、お前は四組だろう。早く行け」

 

「あ、じゃあ簪さん。また後で」

 

「うん」

 

簪も統夜と別れて自分の教室に移動する。一夏と統夜も一緒になって一組の教室に入っていった。

 

「なあ一夏、さっきの子って誰なんだ?」

 

「ああ、あいつは俺の幼馴染で転入してきたみたいなんだよ。後で──」

 

「貴様ら、さっさと席に着け!HR(ホームルーム)を始めるぞ!!」

 

千冬の声に促され、統夜と一夏も急いで席に着いた。いつもの通りに千冬の出席を取る声が教室に響く中、統夜は自分の席で頬杖を突きながら考える。

 

(転入生か。なんだか騒がしくなりそうだな……)

 

 

 

 

 

 

 

IS学園から遠く離れた海の底、そこに彼らはいた。

 

「さて、それでは報告を聞こうか」

 

上座に座っている男が声を上げる。彼らは会議室にあるような大きな長机の周りに座っていた。上座の男から見て右手にいる青年が、クリップボード片手に発言する。

 

「はい。プロトタイプのアルマの生産は予定通りです。まもなく第一ロットが仕上がるかと」

 

「そうか。それは戦闘に耐えられる物かな?」

 

「ええ、あの篠ノ之 束博士が作った物と十分に渡り合えるスペックはあります。流石に今はまだ確実な勝利は保証できませんが、目的を果たすだけなら満足な性能と言えるでしょう」

 

その声を聞いて青年の反対側にいる女性が大きく椅子に体を預ける。部屋は全体的に暗く、顔はよく見えないがシルエットでかろうじて女性だと判別がついた。

 

「全く。彼女が私達を裏切ってあんな物作るから、こんな面倒な事になるのよねぇ」

 

「それよりも司令、その様な事をお聞きになるとは……そろそろですか?」

 

「戦力は十分に整い、機も待った。相変わらず人員は少ないが、もう頃合だろう」

 

「あの時彼らに邪魔されてから8年、ようやく動けるのですか……」

 

青年が感慨深い眼差しで上座の男を見る。その視線に答えるように、男は立ち上がった。

 

「ようやく動ける、とは言ってもまだまだ表に出ることはない。だが、これまでのように全く動かないということもない。当面は偵察や情報収集が主になるだろう。手始めに──」

 

男が机の上にある機械を操作すると三人の目の前にディスプレイが浮かび上がる。そこには二人の少年の経歴が顔写真付きで書かれていた。

 

「これは、この間騒がれていた……」

 

「そうだ、しかも片方はあの博士達の遺児。何かがあるのは確実だろう」

 

「でも司令。今更あの兵器に関する事を調べたって、何かの役に立つの?」

 

「そうだな。だが、軽視できないのも事実だよ。何故彼らがISを動かせたのか、この原因を解明しなければ今後我々の障害となる恐れもある。取り敢えず片方のデータだけでも採取しておきたい」

 

「そう言う事でしたら、私の方で作戦案を出しておきます」

 

「頼んだ。これで終わりにしよう。二人とも、ご苦労だった」

 

「それでは、失礼します」

 

「お疲れ様でした」

 

二人の目の前のディスプレイが消え、席を立って青年と女性が部屋から出ていく。男は立ち上がったまま、部屋の壁に設置されているモニターに近づいていった。男の正面のモニターには、数々の衛星写真や、グラフが映し出されている。男はモニターを見ながらこれからの事を考え、笑みを浮かべた。

 

「ふふ、会うのが楽しみだよ、織斑 一夏君。そして彼らの忘れ形見である君もね……」

 

そこで男は一旦言葉を切って、再び席に戻った。そして今だに消えないディスプレイの中に映っている顔写真を喜びの瞳で見つめる。その目はまるで、これから買って貰うおもちゃに心躍らせる子供の様だった。

 

「──紫雲 統夜君」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 ~出会い~

いつもの様に授業を受けて、昼休みに突入するIS学園。統夜は勉強道具をしまい込み、鞄を持って席を立つ。教室の出口へと向かう統夜に本音が近寄ってきた。

 

「ね~ね~とーやん。今日のご飯は何~?」

 

「今日は鳥そぼろとほうれん草の和物。簪さん、鳥肉は食べられるからね。野菜ばっかりじゃ飽きちゃうし」

 

「今日は食堂で食べようよ~。私の分もある?」

 

「のほほんさん、昨日自分で頼んだじゃないか。ちゃんと作ってきたよ」

 

そう言って統夜は自分の鞄を本音の目の前に掲げる。それを見た本音の目が輝き出し、統夜の服を右手でぐいぐいと引っ張り始めた。

 

「はやくはやく~」

 

「ちょ、ちょっと待って!自分で歩くから──」

 

「紫雲君」

 

教室を出ようとしていた本音と統夜に声がかかる。二人が声のした方向を見ると、廊下で簪が二人を無感情な瞳で見ていた。本音は簪を見ると統夜を引っ張ったまま、廊下に飛び出る。

 

「かんちゃんかんちゃん、一緒にご飯食べよ?」

 

「どうせいつもの通り……嫌って言っても……聞いてくれない」

 

「今日は食堂へ行くの。れっつらご~」

 

そのままむんずと簪の服の袖を左手で掴むと、統夜と簪を揃って引きずっていく。だが、統夜と簪も自発的に歩いているので本音に大した負荷はかかっていない。流石にいつまでも本音に引っ張られている訳にもいかないので途中で離してもらった。他愛の無い事を話しながら食堂への廊下を歩いていく三人。最近は簪も前に比べて良く喋るようになっていた。但し、本音と統夜に対してのみ、加えてあくまで“比較的”であり平均的に言ったらまだまだ口数は少ない方だったが。食堂に着いた三人は食券を買う事無く、そのまま席に着く。

 

「さ~、ごはんだ~」

 

のんびりと服の袖が余った両手を上に上げて喜びを表現する本音。簪は本音を横目で見ながら注意する。

 

「本音……はしたない」

 

「でもかんちゃんもとーやんのごはん、楽しみでしょ?」

 

「……」

 

図星だったのか、そっぽを向いてしまう簪。先程の本音の質問に対する答えは、その行動で十分示されていた。自分の鞄をごそごそと漁っていた統夜だったが、三つの弁当箱を取り出して簪と本音に手渡す。

 

「はい、どうぞ」

 

「いっただっきまーす!」

 

「い、いただきます……」

 

いつものように本音が元気良く弁当の中身を頬張り、簪はゆっくりと自分のペースで黙々と食べていく。やはり自分が作った料理を美味しく食べてもらうのが嬉しいのか、統夜はそんな二人を笑顔で見つめていた。度々会話を挟みながら食べていた三人に、声がかけられる。

 

「お、統夜じゃん!今日は食堂なのか?」

 

「ああ、一夏か。のほほんさんの提案でな。えっと……」

 

「何?アタシの顔に何かついてる?」

 

統夜は一夏の後ろにいる人物を見て固まってしまった。その生徒は朝に統夜を引っぱたいた女子生徒だったのである。一夏が統夜の視線に気づいて紹介した。

 

「ああ、こっちは鈴。二組のクラス代表で俺の幼馴染みだよ。それと一緒の席、いいか?」

 

「あ、ああ。いいけど」

 

元々六人は座れるようなスペースを統夜達で占拠していたのだ。一夏と鈴と呼ばれた少女が入るスペースは十分にあった。三人が詰めて空いたスペースに、一夏と鈴が並んで座る。

 

「アンタ、名前は?」

 

「ああ、俺は紫雲 統夜。こっちは布仏 本音さんと更識 簪さん」

 

統夜が手で二人を指し示す。本音は「よろしくね~」と口の中に食事を詰め込んだまま器用に挨拶し、簪も一応軽く頭を下げた。

 

「そういや鈴、お前いつの間にこっち来たんだ?それにこっちに戻って来るなら一言言ってくれよ」

 

「そんな事よりアンタ何やってんの?男でIS動かすなんて前代未聞よ?」

 

一夏と鈴は幼馴染みらしく近況について話をしていた。流石に統夜達が参加出来る内容ではないので、三人は三人で話をしているが。話しているといきなり机に箒とセシリアが群がってくる。

 

「さあ、説明してもらおうか一夏!その女は一体誰なのだ!?」

 

「私も聞きたいですわ!可及的速やかに!!」

 

「い、いや俺の幼馴染みだよ。前に言ってなかったか?」

 

「は、初耳だ!!そもそも──」

 

その言葉を皮切りに箒とセシリア、鈴が騒ぎ出した。女三人寄れば姦しいとは良く言った物で、一夏すら会話に入る事は出来なかった。「あーアンタ達の事、興味無いから」や「一夏の初めての幼馴染みは私だ、残念だったな」などという不毛な会話が食堂に響きわたる。居場所を無くした一夏は目の前のテーブルに視線を這わせると、統夜に話しかけた。

 

「なあ、統夜。この弁当って誰が作ったんだ?」

 

「ああ、俺だけど。どうかしたか?」

 

「マジか!あのさ、ちょっと質問なんだけど鳥そぼろの調味料って何使う?俺も色々試した事あるんだけど、そこまで上手くいかないだよな」

 

「一夏もこういうの作るのか?」

 

「ああ、中学の時とかはよく作ってたんだ。で、何か入れてるのか?」

 

「俺もそこまで冒険はしない主義だからなあ。精々一回自分で作ってみて上手くいったものしか基本作らないし……そうだな、最近試したやつだと醤油の比率を下げて代わりにラー油とか入れてみたぞ。本当に少しだけだけどな」

 

「うーん。でもそうすると味が少し辛めになるんじゃないか?」

 

「だからほんの少し、なんだよ。一夏はどうやって作るんだ?」

 

「俺も統夜と同じかな。基本の分量決めといてその比率を変えるだけで味は結構変わるもんだからさ。そのぐらいしかしたことないかなあ」

 

一夏と統夜が料理についての意見をぶつけ合っている中、ふと統夜が気づくと周囲が静まり返っていた。統夜と一夏が辺りを見回すと、箒を始め周りの全員が統夜と一夏を奇異の目で見ていた。思わず統夜は隣に座っている簪に質問する。

 

「えっと……どうかした?」

 

「あなた達の会話……おかしい」

 

「俺たち、何か変な事言ってたか?」

 

統夜はまるで訳が分からない、と言った顔つきで横にいる一夏を振り返る。一夏も統夜と同じような顔をしつつ、ぶんぶんと首を横に振った。

 

「いやいや、どう考えてもおかしいでしょ!世界中探したって、こんなに料理の話で盛り上がる男子高校生なんて、アンタ達くらいでしょ!?」

 

「鈴、流石に世界中は言いすぎだろ」

 

「ああ、せめて日本にスケールダウンして欲しいよな」

 

「でもとーやんもおりむーも、普通の男の子じゃないのは確かだねー。だってIS動かせちゃうんだもん」

 

本音の言葉にうんうんと頷く一同。さりげなく簪も小さく首肯していた。

 

「俺たち、そんなおかしいか?」

 

「……分からない」

 

一夏と統夜が揃って首をかしげると同時に、その光景を見ていた一同がゆっくりと笑い出す。数秒後には、一夏と統夜を除いて全員が笑っていた。今日もIS学園は平和である。

 

 

 

 

その日の授業も終わり、統夜はいつもの様に整備室にいた簪を迎えに行っていた。今日は統夜が行ってすぐに作業が終わり、特に問題もなく二人揃って寮の廊下を歩いている。

 

「簪さん、明日の弁当何かリクエストとかある?」

 

「特に無い……美味しいから、いい」

 

何の気無しに歩きながら喋っている統夜と簪。そのまま歩いていると、いきなり曲がり角で統夜が誰かとぶつかる。統夜にぶつかった相手は、地面に倒れ込んでしまった。

 

「あ、すいません──ってあれ?君、確か……」

 

「ア、アンタ……」

 

統夜と簪の目の前には、地面にへたり込んだ鈴がいた。何故か表情は崩れ、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 

(も、もしかして俺のせい!?)

 

「一夏が……一夏がぁ……」

 

「え!?ちょ、ちょっと!!」

 

何と鈴は床に座ったまま、泣き出してしまった。いきなりの展開に統夜はどうしていいのか分からず、隣にいる簪に助けを求める。

 

「とにかく……このままじゃダメ」

 

「じゃ、じゃあ俺たちの部屋に……」

 

簪もコクンと頷くと、先に一人で廊下を歩いていく。既に統夜達の部屋は目と鼻の先にあり、取り敢えずそこに行くのが最善と判断したのだろう。統夜の視界の中で簪が部屋のドアを開けて待っている。

 

「とにかく一緒に……」

 

統夜が鈴の肩を抱えて立ち上がる。昼の威勢の良さはどこに行ったのか、今は涙声を上げながらうつむいている。そのまま急いで統夜達の部屋に入ると、取り敢えず鈴を簪のベッドに座らせた。

 

「ぐすっ……」

 

「取り敢えず……何かあったのか?」

 

統夜が鈴にゆっくりと話しかける。簪も統夜の隣に座って鈴をじっと見つめていた。始めの方は統夜の質問に答える余裕が無かったのか、喋らなかったが時間が経つにつれて段々と喋ってくれる様になった。

 

「……つまり一夏と約束してたけど当の一夏は約束を忘れていたばかりか、意味を間違えて覚えていたって事?」

 

「そういう事よ。ったく、ホントあいつは……」

 

鈴から話を聞く事数分後、鈴は調子を取り戻して統夜相手に愚痴っていた。流石にまだ目の周りは赤いが、それを除けば朝と昼に見た鈴と同じである。

 

「と、言うことは鈴さんも一夏の事が好きなんだ」

 

「へっ!?べべべ別にそんな事……」

 

鈴は手を左右に振りながら否定の意思を示していたが、途中から失速して顔を俯かせてしまう。耳まで真っ赤な鈴を見て、統夜の方も恥ずかしくなった。

 

「じゃ、じゃあ落ち着いたみたいだし、そろそろ──」

 

「アンタ達、私に協力しなさい!」

 

「……はい?」

 

「……」

 

鈴がビシッと人差し指を統夜と簪に突きつけて声を張り上げる。統夜は“何言ってるんですか?”という顔をして、簪に至っては現実を直視したくないのかメガネを外して布で拭いていた。無反応な統夜達に鈴が続いて言葉を投げつける。

 

「このままじゃ私の気が済まないの!一夏を一回ボコボコにしないと腹の虫が収まらないの!」

 

「……当人だけでやってくれよ」

 

「う、うるさい!アンタ、私の泣いてる所見たんだからそれくらい手伝いなさいよ!!」

 

鈴が立ち上がって統夜に詰め寄る。鈴が言っている事は事実な為、この点については反論が出来ない統夜であった。

 

「でもさ、そんな事言ってもどうするんだ?」

 

「そうね……そうだ!来月のクラス対抗戦、そこで一夏をギャフンと言わせてやるのよ!!」

 

「そう言えば君って、二組のクラス代表だっけ?」

 

「ええ。と言うことでアンタ達、私が勝つ為に協力しなさい!!」

 

「……丁重にお断り──」

 

「却下、と言うことで」

 

鈴が右手を統夜に差し出す。統夜は目の前の手と鈴の顔を交互に見つめるだけだった。簪はメガネを戻して鈴をじっと見ている。

 

「握手よ、握手。もう一度聞いとくわ、アンタ名前は?」

 

「俺は統夜、紫雲 統夜だ」

 

そう言って統夜も右手を差し出す。そのまま互いの手を握りしめて、ゆっくりと上下に振った。

 

「そう。私は鳳 鈴音よ。鈴でいいわ。よろしくね、統夜」

 

統夜との握手を終えると、次に鈴は簪の方に手を伸ばす。簪は目の前に出された手をみてぽかんとしていた。

 

「……何?」

 

「何って……握手よ握手!ほら!!」

 

鈴は座ったままの簪の右手を取ると、半ば無理矢理に握手する。簪は珍しい物でも見たかの様に驚きの表情で鈴を見ていた。

 

「アンタは?」

 

「さ、更識 簪……」

 

「簪ね。私の事は鈴でいいわよ、“さん”とかいらないから。これからよろしく」

 

鈴は簪と手を離すと出口へ向かおうとする。最後に「また明日ね」と言い残すと、バタリと音を立ててドアが閉まり、鈴は部屋から出ていった。

 

「なんか、凄い子だったな……簪さん?」

 

簪は統夜のベッドに座ったまま、自分の右手をじっと見ていた。普段の簪もぼーっとしている時があるが、その時とは何処か表情が違う気がする。

 

「簪さん?」

 

「な、何?」

 

「そろそろ明日の準備とかした方がいいよ」

 

「う、うん……」

 

そう言って二人が明日の準備を始める。準備自体は十分程で終わって、二人はジャージに着替えて床に着く。

 

「お休み、簪さん」

 

「お休みなさい……」

 

部屋の電気が消され、真っ暗になってもぞもぞと布団を被る音だけが部屋に響く。そのまま二人揃ってゆっくりと夢の世界に入っていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 ~アンノウン襲来~

「それでアイツなんて言ったと思う?よりにも寄って“約束はちゃんと覚えていただろうが!”って言ったのよ、信じられる!?」

 

「……あのさ、鈴」

 

「何よ、統夜」

 

「俺たちの部屋に来て愚痴るの、やめてくれないか?」

 

あの鈴の友人宣言から数週間後、今日も鈴は統夜の部屋に来て統夜と簪相手に愚痴っていた。まあ愚痴るだけではなく、それなりに世間話や簪相手に女の子らしい話もしているのだが。時間は午後七時、今日も統夜達の部屋にやってきて椅子を占拠、ベッドの上にいる統夜と簪相手に愚痴っている。

 

「いいじゃない別に。迷惑?」

 

「……それで、一夏をやっつける作戦は思いついたのか?」

 

統夜が鈴に質問を投げかける。因みに統夜のスタンスは完全に鈴寄りであった。約束の内容を間違えて受け取っていたのはまだしも、流石に女の子との約束を破るどころか覚えていなかったのは全面的に一夏が悪いと思っている統夜であった。教室で一夏に質問されても“流石に今回はお前が悪い”と一貫した態度を取っていた。統夜に言われた一夏は終始首を捻っていたが。

 

「まあ、私が一夏に負ける訳ないんだけど、アンタも何か案出しなさいよ」

 

「そうだな……じゃあさ、簪さんにIS見てもらったら?」

 

その言葉を聞いて簪がピクリと反応する。ベッドの上でノートパソコンを叩いていた指が止まると同時に、二人の方を振り向く。鈴は統夜の言葉の意味が分からずに、統夜の言葉をオウム返しに繰り返す。

 

「“簪にISを見てもらう”?何よそれ」

 

「簪さんって自分で自分のIS作っているんだよ。簪さんにIS見てもらえれば、力になるんじゃないか?」

 

「ウソ!簪、アンタ自分でIS作ってるの!?」

 

椅子から身を乗り出して鈴が驚きの表情で簪を見る。ベッドの上でジャージ姿の簪は恨みがましい目で統夜を見てから、ゆっくりと鈴の質問に答えた。

 

「……うん」

 

「“うん”じゃないでしょ!アンタ凄いじゃない、自分でIS作るなんて──」

 

「そんな事……ない」

 

不意に簪が鈴の声を遮った。いつもと違う雰囲気を出しながら鈴の顔をじっと見る簪。鈴はこの数週間一緒にいて、簪のこんな顔は一回も見たことが無かった。

 

「そんな事……何の自慢にもならないの。あの人に……比べれば……」

 

「アンタ、何おかしな事言ってんの?」

 

「え?」

 

「アンタ、自分でIS作れるのよね?それって誰にでも出来る事じゃないのよ?」

 

「そ、それは……」

 

鈴は何時になく真面目な顔をして簪の顔を見つめる。統夜は二人の会話を静かに聞いていた。鈴の言葉は止まらない。

 

「そんな事はアタシにも出来ない、それがアンタには出来るの。謙遜のし過ぎはウザいだけよ」

 

「……」

 

「アタシに出来ない事がアンタには出来る。それをアタシが褒めて何かおかしい?」

 

「わ、私……」

 

簪は何か言いたそうにするが、続きの言葉が出てこない。鈴はそんな簪を数秒見つめていたかと思うと、不意に椅子から降りて部屋から出ていこうとした。

 

「簪、今度私のIS見てよね。じゃあね、二人とも」

 

そう言って鈴は部屋から出ていった。何処か気まずい雰囲気が漂う部屋の中で、統夜と簪は互いに顔を合わせる事無くベッドの上で横になっている。

 

「簪さん……そろそろ寝ようか?」

 

「……あなたも……そう思ってるの?」

 

質問に質問で返された統夜は一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに先程の鈴の言葉を言っているのだと気づく。そのまま顔を合わせずにゆっくりと口を開いた。

 

「……そうだな。少しはそう思っているよ」

 

「……私が一人でISを作っているのは……姉に勝ちたいから」

 

それから簪は訥々と語りだした。いかに自分の姉が優れているか、そんな姉を持ってしまったが故に言われ続けてきた言葉の数々。そしてそんな姉に恐れにも近い感情を抱いていることに加え、それを払拭したいが為に一人でISを作っていることを。その間、統夜は一言も発することなく簪の言葉に耳を傾けていた。

 

「……だから、さっき鈴が言ったような事は私には当てはまらない。だって私は──」

 

「それでも俺は、簪さんを凄いと思うよ」

 

「……紫雲君?」

 

「例え切欠がお姉さんへの気持ちだとしても、簪さんは自分の意思でやっている。誰にでも出来るような事じゃないのに、努力して頑張ってる。それだけで俺は凄いとも思うよ」

 

そこで統夜が体をベッドから起こして簪を見る。簪も体を起こして、統夜と見つめ合う形となった。

 

「それにさ、お姉さんと違うからってそんなに悩む事も無いと思う。人それぞれが違うのは当たり前だ。だから簪さんも自信を持っていいと思うよ、簪さんがやってる事は立派な事だからさ」

 

「紫雲君……」

 

ふと簪と見つめ合っている事に気づいたのか、慌てて視線を逸らす統夜。そしてそのまま布団の中に潜り込んでしまった。

 

「じゃ、じゃあお休み!!」

 

簪は統夜の言葉に頬を緩ませながら、自分も布団に潜って灯りを消す。体を横にしながら

初めて抱く感情を込めて、その言葉を小声で呟いていた。

 

「……ありがとう、紫雲君」

 

 

 

 

簪の告白の日から数日後、とうとう試合当日となった。既にアリーナは満席、次の試合を今か今かと待っている状態である。そんな中、統夜と簪は揃って鈴側のピットにいた。二人の目の前では鈴が専用機“甲龍”を身に纏って試合開始を待っている。

 

「さあ、一夏をボコボコにしてやるわよ!!」

 

「……まあ、一応頑張ってくれ」

 

「当たり前よ!あ、IS見てくれてありがとね、簪。まだ整備科に知り合いいないから、ほんと助かったわよ」

 

「……うん」

 

その時、ピット内に試合開始30秒前を告げるアナウンスが鳴り響いた。鈴は機体を移動させてカタパルトに乗せる。統夜と簪は少し離れた位置から声援を送った。

 

「俺たちはここのモニターで見てるから。頑張れ」

 

「お、応援してる……」

 

「ありがとね二人とも!それじゃあ、行くわよ!!」

 

鈴の掛け声と共にカタパルトが大きな音を立てて稼働した。数秒後、鈴は一気に加速してアリーナの空中へと飛翔していく。統夜と簪はそれを見届けると、ピット内の壁に設置されたモニターへと目を向けた。

 

 

試合は一方的なまでに鈴に有利な展開が続いていた。むしろ正々堂々と戦って一夏が鈴に叶う道理などあるはずもなく、終始鈴が一夏を押している。しかし、統夜と簪の目に映ったのは、モニター内で不敵な笑みを浮かべる一夏の姿だった。

 

「……あいつ、何かやる気みたいだな」

 

「どうして……分かるの?」

 

「だいぶ前にやったクラス代表決定戦の時、今のあいつの顔はあの時と同じ顔なんだ」

 

その統夜の言葉を証明するかのように、一夏が雪片片手に鈴と大きく距離を取る。そして次の瞬間、一気に一夏が加速して鈴の懐に飛び込もうと距離を詰める。いきなりのスピードに鈴は反応が遅れてしまい、回避する事も出来ない。その喉元に一夏の刃が届くと思ったその瞬間、いきなりアリーナに轟音が響き地面が揺らいだ。慌てて姿勢を整える一夏と簪だったが、その振動は一回では収まらず何度も続く。

 

「じ、地震か!?」

 

「……違う」

 

簪がモニターから視線を外さずに小さく叫ぶ。統夜も釣られてモニターに再び目を向けると、そこには土煙と共に上空に浮かび上がる鈴と一夏が地上を見下ろしている映像が映っていた。

 

(何で二人とも地面を見てるんだ?)

 

統夜の疑問に対する答えはすぐに明らかとなった。数秒後、土煙の中から計四機の人型をした“何か”がゆっくりと歩いてきたのである。

 

「あ、あれは……」

 

それはISとは似ても似つかない人型の機械だった。四機の内二機はそれぞれ両肩にミサイルの弾頭部分が覗いたランチャーを、一機は頭に角を生やしているなど細部の仕様は違うが全て同じフォルムをしている。肩、脛、腰周り、各関節部分に最低限の装甲が展開されており、それ以外の部分は何やらゴムの様な表皮で覆われた全身装甲(フルスキン)だった。背腰部には銃器がマウントされ、腰の脇に大振りの直刀を装備している。顔の大部分はフェイスマスクの様な物がついているが、唯一目の部分だけが垣間見えた。しかしその部分からは赤い一つ目が、一夏と鈴を見つめている。

 

「な、何あれ……」

 

簪もモニターを見たまま硬直していた。ピットの出口は既にシャッターが閉まり始めている。どうやら警報と共にアリーナのセキュリティレベルが上がったようだ。モニターの端に映っている生徒達も我先にと逃げ出していく。

 

『統夜、簪!聞こえる!?』

 

「あ、ああ!鈴、一体どうしたんだ!?」

 

ピット内に鈴の声が響いてきた。恐らくISの通信を直接ピットに繋いだのだろう。簪は未だにモニターを見て硬直しており、統夜が返事を返す。

 

『分かんないわよ!取り敢えずさっさと逃げなさい!こっちは私と一夏で何とかするわ!!』

 

鈴が統夜と簪に退避を促している時、モニター内に変化が起こった。今まで直立不動だった四機の内二機が、肩にある兵器をそれぞれのピットへ向けて構えたのである。直感的にマズイ、と悟った統夜は簪の手を握って走り出そうとする。

 

「簪さん!早く外に──」

 

しかし統夜の行動は間に合わなかった。モニターに映っている二機の肩から撃ち出されたミサイルは、寸分違わずピットの入口に直撃する。同時に統夜達の目の前で赤い炎が襲いかかってきた。ミサイルはピットを直撃し、警報によって閉まっていたシャッターを容易に破壊して破片もろとも統夜達に迫っていく。

 

「あ……」

 

まるで目の前の出来事がスローモーションの様に見えた簪は、全身が固まって動く事すら出来なかった。目の前に迫るはシャッターの破片やピットを構成していたコンクリートの塊、そしてうねる様に迫ってくる炎だった。

 

「簪さんっ!!」

 

しかし統夜は違った。何も出来ずに突っ立っているだけの簪を統夜が身を挺して庇う。簪は統夜に抱きしめられて、そのまま暴力の奔流に飲み込まれていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 ~アンノウンVSアンノウン~

簪は目を瞑ったまま、目の前の事態が終わるのを待った。不思議と熱さは感じず、また体に痛みも全く感じない。無限とも思える数秒は、周囲が静かになる事で終わりを告げた。しかし未だに統夜に抱きしめられている事実に戸惑い半分、恥ずかしさ半分となって慌てて離れようとする。周りを見ると煤や埃が舞い、所々では小さい炎が踊っていた。

 

「紫雲君……紫雲君!!」

 

そこでようやく自分達が陥っていた事態を把握した。余りにも現実離れしていた光景に頭が麻痺していたのだろうか、統夜が自分の身を挺して簪を守ってくれたという事実に気づく。急いで統夜の包容を抜け出した簪は目の前の人物の肩を両手で掴んで揺さぶった。

 

「紫雲君!紫雲君!!」

 

しかし統夜は全く動かない。制服の各所は焼け焦げ、体中は煤だらけ。頭からは血を流し満身創痍の状態。両手はだらりと下げられ、顔はうつむいて表情を見ることは出来なかった。只々簪の手の動きに合わせて体を前後させるだけ。その事実に簪は茫然自失となって床に崩れ落ちる。

 

(私のせいだ……)

 

あそこで立ち止まらずに急いで統夜と一緒にピットから出ていればこんな事にはならなかったかもしれない。止めようとしても心の中から自責の念がどんどん溢れ出てくる。とうとう簪の頬に一筋の涙が流れ落ちた。

 

(ごめんなさい……ごめんなさい……)

 

自責の念に押しつぶされそうになる簪。半ば廃墟と化したピット内に簪のすすり泣く声だけが反響する。しかしその時、目の前の統夜の足先がぴくりと動いた。

 

「……紫雲君?」

 

涙を流しながら顔を上げる。簪がしゃがみこんでいる位置からだと、統夜の顔がおぼろげながら見る事が出来る。そのまま注視していると、統夜の口元がわずかに動いているのが見て取れた。急いで立ち上がって統夜の肩を再び揺さぶる。

 

「紫雲君!」

 

「……簪さん、大丈夫?」

 

「そ、それより紫雲君の方が!!」

 

「……ごめん。簪さん」

 

一瞬簪は何を言っているのか分からなかった。その言葉の意味が分からない簪はとにかくピットから出ようと統夜の片手を取る。

 

「早く!先生に──」

 

「いいんだ、俺は……」

 

簪の言葉を遮って統夜がか細い声を上げる。その声には何故か悲しみの感情が込められていた。簪に引っ張られるが、統夜は全く動こうとしない。統夜の手を握ってピットから出ようとする簪だったが、統夜が動かないので不思議に思って再び統夜の顔を注視する。

 

「紫雲君、早……く……」

 

しかしその言葉は最後まで出る事は無かった。何故なら統夜の体が発光しているのである。いや、よくよく見れば統夜の体全体が発光している訳ではなく、傷口が光を放っていた。血で赤く染まった制服越しに淡い光を放っている統夜を見て、簪は思わず手を離してしまう。

 

「あなた、それ……」

 

統夜はゆっくりと顔を上げて簪の顔を真っ直ぐに見る。先程の爆発で飛んできた何かで切ったのだろうか、頬には大きな切り傷が出来て血が滲んでいた。だが、それすらも淡い光を放ちながらまるでビデオの逆再生の様に治癒していく。統夜の瞳はいつの間にかその形を変え、色さえも黒から赤に変わっていた。

 

「俺は……化物なんだよ」

 

頬の傷も、統夜が少ない言葉を発している内に綺麗さっぱり消えてしまった。頬に血が残っていなければ、先程までそこに大きな傷があったなどと気づかないレベルで治癒されていく。呆気に取られている簪をよそに、統夜はゆっくりと壁際に目をやる。そこには画面の中央部分に深い亀裂が走っているが、何とか生きているモニターがあった。画面には、正体不明の機動兵器と戦っている一夏と鈴の姿が映っている。

 

「し、紫雲君……」

 

「簪さん、早く逃げて……」

 

「で、でも……」

 

「早く……早く逃げろって言ってるだろ!!」

 

今まで聞いたことのない、激情が入り混じった声音にビクリと体を震わせる簪。統夜は何も言わずにただただ簪を見つめているだけだった。数秒後、ようやく簪が動き始める。何度も何度も統夜の方を振り返りながら、ピットから出ていった。そこで統夜は再びモニターに目をやる。

 

「一夏……鈴……」

 

映し出されている映像を見る限り、一夏と鈴は押されているようで防戦一方だった。

 

(簪さんに……見られちゃったな)

 

統夜は先程の簪の顔を思い浮かべる。涙と驚愕で染まった顔は、統夜の脳裏に焼きついていた。自分に向けられた恐怖と驚愕の視線はこれが初めてではないが決して慣れる物でもない。

 

(一夏達が……危ない)

 

統夜は立ち尽くしていたかと思うと、ふと首に手をやる。首元をごそごそと漁って何かを掴み取ると、目の前に持ってきた。手をゆっくりと開くと、そこにあったのは白と黒で彩られた三つ巴を象ったアクセサリーが先端についているネックレスだった。

 

「やるしかないのか……」

 

統夜はそのネックレスを何とも言えない表情で見つめていた。苦痛を堪えているかのように唇を噛む統夜だったが、ゆっくりネックレスを握りこんだ右手を胸元に持ってくる。

 

「……来い」

 

小さく統夜が言葉を発した次の瞬間、胸元に当てた右手から光が溢れ出して統夜を包み込む。そのまま光はピット内に広がっていき、全体を白い光で覆い尽くしていった。

 

 

 

 

 

 

 

「きゃああっ!!」

 

「鈴!くそおおおっ!!」

 

一夏が鈴に攻撃していた相手に斬りかかる。鈴を刀で切りつけていた敵機はすぐさま目標を変更して一夏の雪片を受け止めた。刀と刀がぶつかって火花が飛び散るが、一夏は白式のスラスターを全開まで吹かすと、そのまま力に任せて敵を大きく弾き飛ばす。

 

「鈴!大丈夫か!?」

 

「けほっ、何とかね……」

 

一旦距離を取った二人はすぐさま固まる。敵機も一度固まって一夏と距離を取っていた。

 

「これは……ちょっとマズいわね」

 

「鈴!俺が行くから援護を──」

 

「バカ、こんな状況でアンタが突撃してどうするのよ!まだ生徒も退避し終わってないのに……」

 

そう言ってちらりと視線を観客席に向ける鈴。その視線の先には、逃げ遅れた生徒達が溢れかえっていた。それに加えて阻害されているのか、先程からピット内の管制室にいるはずの千冬や統夜達と通信が出来ない。今はシールドが張られているが、いつ敵が生徒達を襲い出すか分からないこの状況で、突撃などは下策中の下策だった。

 

「……一夏、逃げなさい。私が時間を稼ぐから」

 

「何言ってんだよ!俺も戦う!!」

 

「ただ時間稼ぎするだけよ。勝とうと思わなければこいつら──」

 

鈴と一夏が話しているその時、敵機が動き出した。角が付いているのを残して残りの三機がそれぞれ扇状に展開していく。ミサイル持ちの二機は両脇に、一機はそのまま突撃してきて一直線に一夏めがけて加速した。

 

「一夏、避けて!!」

 

「クソッ!!」

 

何とか回避しようとするが、左右に回り込んだミサイル持ちが背部の銃器を手に取って発砲し、一夏の退路を潰す。そしてとうとう正面の敵と一夏との距離が10mを切った。

 

「一夏っ!!」

 

鈴は左右の敵の相手で手一杯だった。不意を突かれた一夏の首に敵の右手が迫り来る。その時、いきなり一夏の背後から一本の太刀が伸び、目の前の敵機の右肩を串刺しにした。

 

「え!?」

 

一夏は顔の右横すれすれを通り過ぎている武器に面食らって動けなかった。そのまま太刀は相手の右肩にねじ込まれて一気に突き出される。その結果、敵の右腕は肩から砕け散り、体もアリーナの端まで吹き飛ばされた。地面に残された右腕は、切断部分からバチバチと火花を散らせている。

 

「な、何で……」

 

鈴の呆気に取られる声が一夏の耳に届く。一夏はゆっくりと後ろを振り返る。自分を助けてくれた太刀の持ち主は、確かにそこにいた。だが、その姿を見た一夏の顔が驚愕に染まる。

 

「お、お前……」

 

それはまるで鬼だった。全長はISを装備した一夏より一回りか二回り程小さいが、大きな肩当てと全身から吹き出る圧倒的な威圧感に、むしろ一夏の方が小さい様な錯覚を感じる。額の左右から天に向かって二本の白い角が突き出ており、体は白を基調として細部に黒と赤のカラーリングが施されていた。前腕部には手甲の様な物が装備されていると同時に、下腕部には太刀の鞘が取り付けられている。そして角の間には黒く染まった三つ巴がはっきりと描かれていた。自分を助けてくれた人物を見て、一夏は思わず二、三歩後ずさりする。

 

「もしかして……白鬼!?」

 

一夏が疑問を投げかけると、白鬼と呼ばれた物は左手で保持していた太刀を鞘にしまい込む。そして一夏の顔を真っ直ぐに見た。

 

≪……一分持たせろ≫

 

「え?」

 

白鬼から聞こえてきた声は無機質な機械音声(マシンボイス)だったが、そんな事より一夏は白鬼が言った言葉の方が大事だった。鈴も一夏の所に合流してきた所で、再び同じ言葉を繰り返す白鬼。

 

≪もう一度言う。一分持たせろ≫

 

そう言い残すと、一夏と鈴の目の前でいきなり白鬼が消えた。慌てて辺りを見回すが、影も形も見当たらない。

 

「ど、どこ行ったんだ!?」

 

「一夏、前!!」

 

「っ!くそっ!!」

 

鈴の警告の声に従って前を見ると、先程白鬼に片腕を吹き飛ばされた敵が再び刃物片手に突撃してきた。今度は一夏も雪片で敵の攻撃を受け止める。

 

「こんのぉ!!」

 

鈴も青龍刀を手にして残りの三機めがけて突撃していった。そのまま戦っていると、再びアリーナに白鬼が現れる。まるでマジックの様に、先程まで何もなかった空間にいきなり現れた白鬼は、そのまま素手で一夏に斬りかかっている敵を殴りつけた。正面からその拳を受けた敵機は再び大きく吹き飛ばされる。

 

「アンタ!どこ行ってたのよ!!」

 

≪……生徒達を逃がすため、閉まっていたドアを全て破壊した≫

 

その言葉を受けて一夏と鈴が観客席に目をやると、徐々に生徒達の数が少なくなっていく。その事実に多少なりとも安心感を受ける二人だったが、白鬼はその二人を放って敵と相対した。

 

「お、おいちょっとアンタ!危ないって!!」

 

≪休んでいろ。その機体にはもう、エネルギーが無いだろう≫

 

白鬼に言われた通り、既に白式のエネルギーは底をつく直前だった。鈴と戦ってエネルギーを消耗してそのまま正体不明の敵と戦闘、むしろここまで良く持った方だ。

 

「で、でも!」

 

≪もう一度言う、休んでいろ≫

 

そう言い残すと白鬼は一人で敵に向かって歩いていった。敵はそれを確認すると、それぞれ背部に装備してあった射撃武器を手にとって、弾丸をばら撒き始める。

 

「し、白鬼!!」

 

一夏が声を上げるも、白鬼は止まらなかった。銃撃が当たっても装甲は殆ど傷つかず、多少カスリ傷が生まれてもすぐにその部分が光りだしてあっという間に元の綺麗な装甲に再生していく。そして背中にあるテールスタビライザーを展開して段々と加速していく白鬼。最後にテールスタビライザーを大きく吹かせて、一気に敵の懐に潜り込んだ。

 

「す、すげぇ……」

 

「な、何なのよアイツ……」

 

一夏達の目の前では一方的な戦闘が展開されていた。敵は手にした銃を撃ち続けるが全く有効打にならない。そして白鬼の左手が、最後方にいた角持ちの頭部を鷲掴みにしてそのまま加速を続ける。二機はアリーナの壁に激突してようやく止まった

 

≪……≫

 

白鬼は無言のまま右手を大きく引くと、そのまま目の前の敵の胸に突き立てる。手刀はまるで槍の様に深々と敵の胸に突き刺さった。胸を貫かれた敵機は目を数回点滅させて、ガクリと頭を落とす。それと同時に、一夏の耳に千冬の声が通信越しに届いた。

 

≪……りむら、織斑!聞こえるか!?≫

 

「千冬姉!何でこのタイミングで!?」

 

≪どうやら、今やられた敵が、妨害電波の発信と施設のネットワークのハッキングを行っていたようだ。すぐに我々教師部隊が向かう。お前達は退避しろ!!≫

 

「……千冬さん、教師部隊の出番は無いみたいよ」

 

鈴が視線を外さずに通信に応じる。鈴の視線の先では、白鬼がミサイル持ちを二機とも手刀で貫いて行動不能にさせる所だった。とうとう最後の一機になった敵に一歩一歩、白鬼が迫っていく。しかしその時、アリーナにいてはいけない人間の声が響き渡った。

 

「一夏ぁー!!」

 

「ッ!箒!?危ない、逃げろ!!」

 

一夏が使用していたピットの出口部分に、箒がたった一人で一夏めがけて声を張り上げていた。その言葉に、一瞬だけ白鬼と敵機も動きを止める。しかしあくまで動きを止めたのは一瞬だけだった。

 

「逃げてっ!!」

 

鈴から金切り声が上がる。何故なら最後の敵機が白鬼と距離を取り、左手に持っていた銃器を箒に向けたのである。後は引鉄を引くだけで弾丸が発射され、箒は帰らぬ人となるだろう。

 

「箒ぃーーー!!!」

 

一夏が白式のスラスラーを全開にして、ピットにいる箒めがけて飛んでいく。だが無情にも次の瞬間、敵機の銃から弾丸が射出された。

 

「あ……」

 

ISを装備した一夏の目には、弾丸の軌跡がはっきりと見えていた。そのまま行けば確実に箒に当たる、外れるなどありえない。その事を直感的に一夏は理解した。箒も目を瞑るだけで一歩も動かない。しかし、その弾丸は途中で進路を変える事となる。

 

「お、お前は……」

 

≪……早くここから退避しろ≫

 

つい先程まで敵機と切り結んでいた白鬼が、いつの間にか箒の目の前にいたのである。白鬼はその装甲を持って、銃弾が箒を襲うのを防いでいた。一夏も遅れて箒の元にたどり着く。

 

「おい箒!大丈夫か!?」

 

「あ、ああ。しかしこいつは……」

 

箒がチラリと横目で白鬼を見る。白鬼は箒と一夏に背中を向けたまま、敵機を睨みつけていた。白鬼がいるからだろうか、敵機の攻撃は一旦止んでいる。

 

「箒、早く逃げろ。ここは俺たちが何とかするから!!」

 

「……分かった。だが、ちゃんと帰ってこい!私は待っているぞ、お前が勝って帰ってくるのを!!」

 

そう言って箒は駆けていった。後に残された一夏は白鬼の横に並び立つ。

 

「なあアンタ、力を貸してくれ。あいつには……箒を撃とうとしたあいつにだけは、負けたくないんだ!!」

 

≪……構わない≫

 

そう言って一夏と白鬼が揃ってアリーナに降り立つ。着地した位置に鈴も合流すると、一夏が鈴に指示を出した。

 

「鈴、俺に向かって衝撃砲を最大出力で撃ってくれ」

 

「はあ?何言ってるのよ、そんな事したら──」

 

「いいから、やってくれ」

 

「……分かったわよ」

 

鈴が衝撃砲をチャージする体勢に入ると、白鬼と一夏が並ぶ。白鬼は二本の太刀を両手で構え、一夏は鈴の真正面に立って雪片弐式を正眼に構えた。次の瞬間、白鬼が加速して一直線に敵機めがけて飛んでいく。

 

「鈴、やれ!!」

 

「行くわよ、一夏!!」

 

鈴が最大出力で衝撃砲を撃つ。勿論鈴の正面にいる一夏に弾丸は直撃し、一夏の体が一瞬海老反りになるがぐっと堪えて体勢を立て直した。

 

「うおおおおおっ!!!」

 

一夏の目の前に展開されているモニターに次々と文字が浮かび上がっていく。最後に表示されたのは、“零落白夜 発動”の文字だった。そしてその瞬間、一夏が加速を始める。鈴と戦っていた時に使用した瞬時加速(イグニッション・ブースト)をもう一度使用し、先行していた白鬼の背中に一気に近づく。一夏の目の前では、敵機が未だに最後の抵抗とばかりに発砲を続けていたが、全て白鬼が両手に構えた太刀で弾丸を弾き飛ばしていた。

 

≪……行け≫

 

白鬼が短く言葉を発すると白式は大地を蹴って飛び上がり更にスピードを増した。敵の目には、白鬼の背後からいきなり一夏が現れた様に映るだろう。そのまま両手を大きく後ろに持ってきて、力を込める。

 

「終わり、だあああっ!!」

 

そのまま巨大なエネルギー刃を展開した雪片をすれ違いざまに全力で振り抜く。一夏は加速の勢いを殺しきれずに敵を通り過ぎて、ゆっくりと停止した。

 

「や、やった……」

 

「一夏!!」

 

余力が残っていないのか、そのまま脱力する一夏の下に鈴が飛んできた。白鬼は上空に浮かんだまま、敵機を見つめている。

 

「やったじゃない、凄かったわよ!!」

 

「あ、ああ。ありがと──」

 

その瞬間、背後から何かの稼動音が聞こえてきて一夏はそちらを振り向く。先程の一撃で胴を真っ二つにされた敵は地面に倒れ込んでいた。それはまあいい、当然だろう。しかし、残った左手には銃器が構えられていた。しかもその赤い単眼はしっかりと一夏を見据え、銃口は一夏達に向けられている。

 

「鈴、どけっ!!」

 

一夏が鈴を押しのけて射線から遠ざけようとするが、一瞬早く敵が指に力を込める。そのまま弾丸は発射される──

 

≪気を抜くな≫

 

事は無かった。上空から一瞬で降下した白鬼が、太刀を抜き放ち敵の銃に突き立てたのである。切り取られた銃身は重力に従って落下していった。敵も今の行動が最後の力だった様で、目の光を明滅させて最後には消えてしまう。静寂が支配するアリーナだったが、いきなり火花を上げていた敵の体が爆発し始めた。

 

「な、何だ何だ!?」

 

派手な爆発音を響かせながら、白鬼と一夏に倒された敵機は順番に自爆していった。最後に白鬼が太刀を突き立てている敵機が白く輝き、白鬼もろとも自爆する。

 

「し、白鬼!!」

 

一夏が叫び声を上げるが、届いたかどうかは分からない。だが、黒煙に紛れてシルエットが浮かび上がったかと思うと、ゆっくりと煙の中から白鬼が姿を現した。装甲の各所に煤がついているが、目立ったダメージは受けていない様である。

 

「本当に何者なのよ、アイツ……」

 

一夏の横で鈴が小さく呟いた。白鬼は太刀をしまうとゆっくりと一夏達に近づき始め、数メートルの距離まで来ると足を止めた。

 

≪……怪我はないか?≫

 

「は、はい!助けてくれて、ありがとうございます!!」

 

≪そうか≫

 

「……助けてくれた事には感謝するわ。それで、アンタ何者なのよ?私の記憶が正しければアンタ確か六、七年前に日本に向かって来たミサイルを撃墜して、そのまま逃げたのと同じ奴よね?」

 

≪ぜひ、我々にも聞かせてもらいたいものだな≫

 

その時、スピーカーから千冬の声がアリーナに響きわたる。白鬼はその声にも反応する事はなく、じっと一夏を見つめていた。鈴も一夏の隣に立って不信の目つきで白鬼を見る。

 

≪色々と聞かせてもらおうか。まずは貴様、名は何だ?いつまでも“白鬼”と呼ぶわけにもいかないだろう≫

 

その声を受けて、白鬼が真っ直ぐ一夏を見る。無言で睨まれた一夏は、そわそわし始めた。数秒後、唐突に白鬼がぽつりと呟く。

 

≪……ラインバレル≫

 

「ラインバレル、それがアンタの名前って訳?」

 

鈴の問いかけに無言でこくりと頷く白鬼、もといラインバレル。意外とあっさり質問に答えてもらった事に鈴と一夏は面食らった。

 

≪それでは次に聞こう、貴様の目的は何だ?≫

 

≪……≫

 

「な、なあ。あんたって一体誰なんだ?」

 

そう言って一夏がラインバレルの肩に手を置こうとした瞬間、ラインバレルが消えてしまった。まるで先程までそこにいたのは幻だ、とばかりに影も形も無く完全に消えてしまったのである。先程までラインバレルがいた場所を、目を白黒させながら何度も見る一夏と鈴。

 

「千冬姉!ラ、ラインバレルが消えた!!」

 

≪……こちらでも確認している。どうやら奴は特殊な移動法を持っている様だな。ともかく貴様らからも話を聞きたい。一旦こちらに戻れ≫

 

「……行きましょうか、一夏」

 

「あ、ああ」

 

鈴と一緒に一夏もアリーナの出口に向かう。二人が去ったアリーナには、先程まで動いていた四つの塊が残されていた。火花と黒煙を立ち上らせながら、バチバチという音がアリーナに響き続ける。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 ~告白~

太陽も傾き始め、廊下の窓から夕日が差し込む。そんな時間に統夜は一人廊下に佇んでいた。目の前にあるのは自室の扉、だが今はその扉を開いて一歩踏み出すという簡単な事さえも出来ずにいる。

 

(やっぱりいるよな……)

 

統夜は自分の右手の平を開いて見つめる。取り敢えず顔に付いていた物は拭ったが、掌にはまだ赤い自分の血が残されていた。しかも制服の各所は自分の血で染められ、既に乾き始めている。こんな光景を他の人間に見られれば弁解の仕様も無いだろう。いや、もう既にこの姿を一人の少女に見られていた。

 

(……)

 

誰も通らないから良いものの、こうして廊下に立っているだけでも相当危険なのだ。決意を固めてゆっくりとドアノブに手を掛けて、回す。特に抵抗を感じる事もなくドアノブは回って、統夜はドアを押し開いた。

 

「……うっ……ぐすっ……」

 

統夜が部屋に入ると真っ先に誰かがすすり泣く声が耳朶に響いてきた。そのまま統夜はゆっくりと部屋に踏み込んでいく。立ち止まった統夜の目に飛び込んで来たのは、並んだベッドの片方に腰掛け、顔を俯かせて泣いている少女だった。

 

「……簪さん」

 

「っ!」

 

統夜が短く少女の名前を呼ぶと、簪は弾かれた様に顔を上げる。まるで幽霊でも見るような目で統夜を見た、と思ったら素早く立ち上がって統夜の体に飛び込んだ。

 

「うぐっ!?」

 

「だ、大丈夫!?」

 

短く言葉を発した簪は統夜の体を弄る。確かに傍目から見たら、統夜の真っ赤に染められた制服はどう見ても異常だろう。しかもこの少女は統夜が傷ついた所を間近で見ている。されるがままの統夜だったが、簪の両肩を抱いてゆっくりと引き剥がした。

 

「簪さん……制服が汚れるよ」

 

「……ほ、本当に大丈夫なの?」

 

「うん」

 

肩を抱いたまま統夜はベッドに移動して、簪を座らせた。自分もベッドに座り込むが簪と視線を合わせようとはせずに、虚空を見つめた。二人とも口を噤んでいたが、ゆっくりと統夜が簪に話かける。

 

「……ごめんね、簪さん」

 

「……え?」

 

まさか第一声が謝罪の言葉だとは予想していなかったのか、簪が呆気に取られる。統夜は簪の顔を見る事無く、そのまま言葉を続ける。

 

「あんなの見せちゃって……気持ち悪かったでしょ?」

 

「あ……」

 

やっと簪は何を言っているのか理解した。しかし次に統夜の口から出てきた言葉は更に意味が分からなかった。

 

「……俺、この部屋を出て行くよ」

 

“何を言っているのか?”という顔をする簪。だが統夜は振り向かないのでその顔を見る事は無い。統夜はまるで全て決定事項だとでも言う様に、淡々と言葉を発する。

 

「いやさ、こんなのが一緒の部屋にいたら気持ち悪いでしょ?」

 

「……や」

 

「俺も簪さんに迷惑かけたくないし、俺が出ていけば丸く収まるしさ」

 

「……いや」

 

「だから、俺が──」

 

「嫌!!」

 

いきなり簪が大声を出して立ち上がる。余りの事に統夜も驚いた表情で簪の顔を真っ直ぐに見た。何故か彼女は再び泣き出し、顔を歪めて統夜を睨んでいる。

 

「何で……何でそんな事言うの?」

 

「だ、だって……あんなの見たら、誰だって……」

 

「じゃあ言ってくれれば良かった。先に言ってくれれば……」

 

簪の嗚咽混じりの声を聞きながら、統夜は再び顔を背けてしまった。簪に顔を見せない様にしながら返答を返す。

 

「言えるわけ無いだろ。こんな……化物みたいな体……」

 

「で、でも先に教えてくれていたら──」

 

「簡単に言わないでくれ!」

 

今度は統夜が怒号を上げる。簪はその声を聞いてビクリと体を震わせた。統夜がこれで声を荒げるのは二度目、ピット内での事、そして今回で二度目だった。今まで聞いた事の無い声色に簪は思わず怯んでしまう。

 

「俺がどれだけ……どれだけこの体で悩んだか知りもしないで……そんな簡単に言わないでくれ……」

 

その言葉を聞いた簪は呆然としてしまう。この目の前にいる少年は自分が思っていた程、完璧では無かったのだ。今目の前にいるのは自分の事で悩み、苦しみ、内に抱え込む事しか出来ない一人の少年だった。そこで簪は前に統夜が言った言葉を思い出す。

 

(『俺は、ただの臆病者だから』)

 

あの言葉はこの事を意味していたのかもしれない。一人考えている簪の目の前で天を仰いだ統夜が独りごちる。

 

「……俺がこの部屋にいても簪さんの迷惑になるだけだ。だから──」

 

「じゃあ……教えて」

 

「簪さん?」

 

そこで簪がぽつりと呟いた。不思議に思った統夜は簪の方を振り向いて、驚く。統夜の視線の先には、瞳に覚悟の色を湛えた一人の少女がいた。

 

「前に貴方は言った……『人それぞれが違うのは当たり前』って。だったら私と貴方が違うのは……当然の事だと思う」

 

「で、でも……それはあくまで心とか、考え方とか……」

 

「私と貴方は違う……だったら話してくれなきゃ、分からない」

 

「簪さん……」

 

「お願い……教えて」

 

簪が真摯な目で統夜を真っ直ぐに見つめる。統夜は数秒簪と視線を交えると、ふっと目を逸らした。そしてゆっくりと腰掛けていたベッドから立ち上がる。

 

「ごめん。少し考えさせて欲しい」

 

そう言ってバスルームへ歩いていく統夜。たった一人でベッドに座る簪の耳にバタンと音を立てて閉められたドアの音と、水が滴る音が響く。

 

 

 

(どうすればいい?)

 

統夜は一人シャワーを浴びながら考えていた。頭の中を占める内容は勿論先程の簪とのやり取り。壁面に左手を当てて体を支えながら思考する。

 

(こんな体の事言っても……怖がられるだけだ)

 

姉にも言えなかった自分の体の事。何でも言える姉に対しての、唯一の秘密なのだ。それほど体の問題は、統夜の中で重要な事となっている。それをたった数ヶ月一緒に過ごしただけの少女に言って、果たして平気なのだろうか?

 

(それに……)

 

首にかけられたままのネックレスを見る。水が滴り、銀色の光を反射している三つ巴が統夜の瞳に映った。

 

(仮に体の方は平気だとしても、こっちは……)

 

自分の体の事に多いに関係しているもう一つの事実について考える。何故この力を手に入れるのが自分なのか、彼らはどんな気持ちで自分にこれを託したのか。いくら聞きたいと願っても既に彼らはこの世にはいない。だがこちらの方は話す気にはどうしてもなれなかった。今の所は話す気も更々無い。

 

(俺は……)

 

シャワーから出る湯が、頭と体を伝って足元に流れていく。統夜は一人これからの事を考える。

 

 

 

(どうしよう……)

 

簪は一人ベッドに腰掛けながら考えていた。勿論考える内容は先程のやり取りである。

 

(言っちゃった……)

 

確かに先程言った言葉は全て自分の本心である。だがあそこまではっきりと言う気はなかった。しかし既に現実として言ってしまっている。

 

(……どうしてだろう?)

 

あの時、ピットの中で初めて統夜の体を見たときは確かに驚いた。血まみれの体がみるみる治癒していく様を簪は間近で見てしまった。まるで自分が好きなヒーローの様な体を持ちながら、全くヒーローらしくない少年。その点での興味が無いと言ったら嘘になるかもしれない。だがそれだけでは無いのも事実だった。

 

(私は……)

 

彼の事をもっと知りたい、この言葉は本心から来る物だった。何時からかははっきりしないが、彼の事をもっと知りたいと願う自分がいる。こんな感情を他人に抱くのは初めてなのと同時に、戸惑う事しか出来ない自分がもどかしい。

 

(何だろう、この気持ち……)

 

一人思考に耽っていた簪の耳に、キィとドアが開く音が届く。簪が顔を上げると、そこにはジャージ姿の統夜が無感情な顔で簪を見ていた。簪の顔を見ても一言も発さない統夜は静かに簪と対面になる形でベッドに座り込む。

 

「……考えたけど、これを聞いて簪さんが良い思いをする事は絶対に無い。それでも、聞きたい?」

 

まるで最終確認の様な口調で問いかける統夜。その言葉を聞いた簪は数秒躊躇うそぶりを見せたが、ゆっくりと頷く。それを見て統夜は小さくため息をついた。

 

「……俺の体は普通じゃないんだ。簪さんも見た通り、傷はすぐに治るし身体能力は普通の人間とは比べ物にならない程高い。下手したら生身でISと渡り合える程にね。」

 

「あ、あのクラス代表決定戦の時……ISの右手部分が壊れてたのは……」

 

「バレてたのか……簪さんが考えている通り、俺が力を入れ過ぎてISの方が壊れたみたいなんだ」

 

簪はその言葉を聞いて愕然とした。可能性の一つとしては考えていたが、生身でISを破壊するなど聞いた事が無い。いくらスペックが競技用に調整されていると言っても、元々ISは兵器なのだ。それを破壊すると言うことは兵器相手に生身で対抗出来るという事にほかならない。

 

「あの……目も?」

 

「……あれは体が治る時とかに自動的に変わるんだよ、ある程度自分の意思でも変えられるけどね。どんな傷でも殆ど一瞬で治って生身でISと戦う事が出来るかもしれない存在で、意気地無しの臆病者。それが俺なんだよ」

 

自虐的な口調で言い放つ統夜。その目は何処か悲しげだった。取り敢えず統夜の話を聞き終えた簪は統夜をじっと見る。まるで次の統夜の言葉を待っているかのように。

 

「……分かっただろ?こんなのと一緒にいても、簪さんが怖い思いをするだけだ。だから──」

 

「出て行かないで、いい」

 

「……え?」

 

統夜の言葉を全て聞き終えても、簪の言葉は変わらなかった。いや、先程よりもさらに強い意思が込められているようにも感じる。唖然とする統夜に簪が続けて言い放つ。

 

「……その理由は紫雲君が出ていく理由には……ならない。今までも大丈夫だった……だったら、これからも大丈夫」

 

「で、でも簪さんは……」

 

「確かに驚いたけど……あなたが変わった訳じゃない。今まで通り、生活出来る」

 

その言葉を聞くと、途端に統夜が脱力してベッドに横倒れになる。慌てて簪が顔を覗き込むと、統夜は呆然とした顔で宙を眺めていた。そのままの体勢で統夜がぽつりぽつりと声を発する。

 

「本当に……大丈夫?」

 

「……うん」

 

「もしかしたら……何かの拍子に、俺が君を傷つけるかもしれない」

 

「そんな事……貴方はしない」

 

その言葉を聞き終えると、統夜が左腕を持ち上げて顔に置いた。話題が無くなった二人だが、不意に簪が問いかける。

 

「し、紫雲君」

 

「……何?」

 

「そ、そろそろ……食堂に、行かない?」

 

「……うん、行こうか」

 

その言葉はいつも統夜が発する物だったが、今日限りは簪の番だった。誘われた統夜は体をベッドから起こして二人揃って部屋から出ていく。話している間に、空には月が浮かんでいた。誰もいなくなった部屋を静かに月明かりが照らしている。

 

 

 

 

そして簪と統夜が食堂に向かっている時、アリーナの地下には二人の女性がいた。二人がいる部屋の中央には、大きな手術台のようなものがあり、そこにはクラス代表決定戦に乱入した正体不明の四つの“元”兵器が乗せられている。部屋には白い光が満たされ、一人は手術台の近くの画面を注視し、もう一人は壁に寄りかかっていた。

 

「どうだ?山田先生」

 

壁に寄り掛かっていた千冬が真耶に声をかける。画面を見つめていた真耶は一つため息をつくと、椅子から立ち上がって脇に置いておいたレポートに目を向ける。

 

「中枢部は完全に破壊されています。あのラインバレルと名乗った機体の攻撃でもある程度破壊されていましたが、決め手は最後の自爆でしょうね。こちらに情報を渡さない為の工作だと思います」

 

「そうか……」

 

呟きながら千冬は真耶からレポートを受け取って流し読みする。真耶はそのまま立ち尽くして、ぽつりと呟く。

 

「それと、これが一番重要なのですが……」

 

「ああ、私も分かっている。あの機体はどう見てもISではない。もっと何か、別の“モノ”だ」

 

「ですが、それに加えて疑問が残るのがあのラインバレルです。この数年間一回も姿を現さなかった白鬼、もといラインバレルですがどうして今更現れたのでしょうか?」

 

疑問点を口みにする真耶。千冬はレポートを流し読みしながら、皮肉を込めた口調で言葉を紡ぐ。

 

「更に疑問点を付け加えておこう。織斑達は最初あの敵が、無人機だとは気づかなかった。だがラインバレルは最初から人が乗っていない事を知っていたかの様に攻撃を加えた。織斑達が敵を無人兵器だと認識したのは、ラインバレルが攻撃して破壊された敵の右腕を見た時だそうだ」

 

「それでは……織斑先生はあのラインバレルと正体不明の敵は、何か関係があると?」

 

「いや、この問題は何とでも理由が付く。例えば、あのラインバレルが敵機をスキャンやら何やらして、無人だと知り得たとかな。だが奴らとラインバレルが何か関係があるのは間違いあるまい」

 

そう呟いて千冬は真耶にレポートを投げ渡した。レポートをお手玉しながら受け取る真耶から視線を外して、千冬は顔を上に向ける。

 

「白鬼……お前は何者だ?」

 

 

 

 

月明かりが届かない深い深い海の底、今日も彼らはそこにいた。全開と変わらぬ部屋、変わらない座る位置。しかしその顔色は前回とは違っていた。

 

「……先の作戦、どうやら失敗に終わったようだな」

 

「も、申し訳ございません。ですが──」

 

「しょうがないわよ。誰もあんなのが出るなんて思わなかったから。貴方の責任じゃないわ」

 

青年の言葉をフォローする様に、女性が男に言葉を投げかける。男は深く椅子に体を預けると、手振りで先を促した。

 

「今回の作戦ですが、目的は織斑 一夏。彼をターゲットにした理由は、もう一人の男性操縦者である紫雲 統夜と比べて圧倒的に襲撃するチャンスが多いからです。今回はIS学園の行事中を狙って部隊を送り込みました」

 

そう言うと、三人の目の前に投影型のディスプレイが浮かび上がる。指でそれらを操作しながら、青年は話を続けた。

 

「結果として実践データ収集も兼ねて送り込んだ試作のアルマ四機、その全てが破壊されました」

 

その言葉を聞いて上座の男の眉がピクリと動く。女性は男と青年のやり取りを黙って見つめているだけだった。

 

「全滅?どういう事だ。私もアルマのスペックに目を通したが、あっさりとやられる様な機体では無かったはずだが?」

 

「その通りです。その原因は──」

 

青年が目の前のディスプレイを操作してとある映像を大きく映し出す。ほかの二人の前のディスプレイにも、同じ映像が大写しになった。

 

「これはアルマから転送されてきたデータの中にあった映像です。再生します」

 

青年が再び操作すると、映像が始まった。上空から一気に地上に降下する所から始まり、映像の中には終始一機のISが捉えられている。そして右手がその映像の端に現れ、画面がISに急接近した時、いきなりISの背後に何かが現れた。その瞬間、青年が映像を止める。

 

「これは……」

 

止められた映像の中には、二つの物体が映っていた。一つは勿論一機のIS、搭乗者は迫り来る右手を見て硬直している。白いISの後ろにいるのは、太刀を素早く抜き放っている白い鬼だった。

 

「……ラインバレル、まさか再び現れるとは。てっきりあの時が最後だと思っていたのだがな」

 

「目的は分かりませんが、奴が織斑 一夏を守っている事は事実です。実際に織斑 一夏が倒したアルマは一機のみ、他は全てラインバレルによって一分足らずで破壊されました」

 

「司令、どうするの?いくら何でも今のアルマの性能じゃ、百機集まってもあれには勝てないと思うけど」

 

「……奴が出てきた以上、正攻法では確実に負ける。だが搦手は使えるだろう。それに我々の目的はデータ採取だ。IS学園にアルマの残骸を回収されたからといって、慌てる必要はあるまい」

 

「その点は問題ありません。行動不能になったアルマ四機の自爆装置の作動を確認しました。奴らが手にできるのは僅かな機体構造のみです」

 

「それは重畳。次は私が作戦を立ててもいいかね?」

 

「そう仰るのなら。上がってくるデータは全て司令に回します」

 

「それでいい。頼んだよ」

 

そう言って男は立ち上がった。二人に挨拶をしながら部屋を出て行くと、空気が一気に弛緩する。

 

「ふぅ、これでまた忙しくなるわね。もっと簡単だと思っていたのだけれど」

 

「この程度で音を上げるのであれば、尻尾を巻いて逃げろ。別に止めもしないからな」

 

「冗談キツいわね。私だって生半可な気持ちで参加している訳じゃないわよ」

 

「ならばいい」

 

二人揃って席を立ってそのまま部屋を出ていく。

 

こうして様々な思いが交錯する中、夜は静かに深けていく。彼らを待つのは明るい希望か、暗い絶望か。それは誰にも知る由も無い。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 ~距離~

統夜が簪に己の事を話してから、一夜明けた翌日。いつも通り、統夜は起床する。ふと隣のベッドを見てみれば、簪がすやすやと寝ていた。

 

(話しても大丈夫だったな……)

 

統夜は体を起こしつつ昨夜の事を考えていた。弁当を作るために調理室へと行こうとする。身一つで部屋から抜け出し、廊下を歩きつつも思考を続ける。

 

(単に俺の考え過ぎだったのか?)

 

この身体になってからこの方、誰にも話した事は無かった。話しても拒絶されるか、怖がられるかのどちらかだと自分で決め付けていたからである。しかし現実はどうだろうか?

 

(怖がられて、無いのかな?)

 

調理室にたどり着くと、早速弁当を作り始める。調理自体は昨夜から準備していた事もあって、十分程で終わった。壁にかけられている時計を見れば、時刻は午前7時40分。

 

(そろそろ戻るかな)

 

ゆっくりと二つの弁当を包み、調理室から出ていく。今日は本音のリクエストが無いので、統夜と簪の二人分だけである。部屋に戻ると、既に簪は起きていた。

 

「おはよう、簪さん」

 

「……おはよう」

 

起きてはいるが、半分寝ているようだ。寝ぼけ眼で挨拶を返した簪は、もぞもぞとベッドから這い出て、顔を洗う為に洗面所へと行く。統夜はベッドに座って一息付くと、自分の荷物を漁ってノートパソコンを取り出した。

 

(ん?メールが来てる……)

 

メールボックスを確認すると、新着メールを示すマークが浮かんでいた。何の躊躇いも無くメールを開くと、いきなり男女のカップルが映った写真が画面に大写しになる。

 

(またかよ……)

 

はぁとため息をつきながら画面をスクロールすると、下の方に文面が乗っていた。内容はどう考えても惚気としか思えないようなものばかり。

 

(だから送ってこないでくれっていつも言ってるのに)

 

メールは姉から送られてきたものであった。写真は何処かのテーマパークで撮ったのだろう。満面の笑みを浮かべている姉の隣で男が小さく笑っている。

 

(アル=ヴァンさんはいつも通りだな)

 

そのまま文面を読んでいくと、最後の所に『統夜も早く彼女を作りなさい。夏に一回そっちに戻るから、その時に紹介してくれると嬉しいわ』と書かれていた。

 

「そ、そんなのどうでもいいだろ!」

 

思わず声に出して言ってしまう。その声を聞きつけたのか、櫛を持ったままの簪が顔だけ洗面所から出して怪訝な顔を浮かべていた。

 

「……どうかした?」

 

「い、いや!何でもない、何でもないから!!」

 

「紫雲君、変……」

 

ジトリ、という擬音が聞こえそうな視線を統夜に向けた後、顔を引っ込める簪。統夜は再び画面に顔を向けて返信用のメールを作り始める。

 

(お願いだからこれ以上こんな写真は送らないでくれ、っと……)

 

カタカタとキーボードを打つ事約五分。完成したメールを送信する。何度も同じ文面のメールを送っているのだが、一向に止める気配は無い。良くも悪くも自分の気持ちに忠実な姉が、統夜の言葉くらいで止まる事は無いと分かっていてもついつい送ってしまう。

 

(まあ、あの二人の仲が良いって事だよな)

 

てきぱきと教室に行く準備を進めると、その内簪が洗面所から出てきた。既に制服を着込んで出る準備は万端、と言った様子である。

 

「簪さん。はい、鞄」

 

「ありがとう……」

 

簪に鞄を手渡しながら、二人揃って部屋を出ていく。こうして、今日もいつもと変わらぬ一日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

のんびりと二人がいつもの教室に足を運ぶと、教室の前で立っている生徒がいた。前にも会った光景にふと既視感を覚える二人。

 

「鈴か?」

 

「簪、統夜!」

 

二人を見つけた鈴は物凄い勢いで廊下を走って来ると、二人の前で急停止した。あまりの勢いに二人は若干後ずさってしまう。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「どうした、じゃないわよ!あんたらこそ何ともないの!?」

 

「あ~、何の事?」

 

「昨日の事よ!昨日の事!!」

 

「あ……」

 

そこで統夜はやっと合点がいった。鈴は反応の遅い統夜に憤慨しながら、二人の体に目を走らせる。

 

「一応傷とかは無いみたいだけど……」

 

「大丈夫だよ。俺も簪さんも変なのが来てすぐにピットから出てたから、怪我もしてないって」

 

「ならいいんだけどね……」

 

「それよりもうすぐチャイムが鳴るんじゃないのか?」

 

「ヤバッ!じゃあ二人とも、またね!!」

 

そう言い残すと鈴は物凄い勢いで廊下を走り去ってしまった。統夜と簪は元々教室が違うので、一組の教室の前で別れる。

 

「じゃあまた、昼休みに」

 

「うん……」

 

簪も自分の教室へと歩を進める。元々そこまで距離は離れていないので、一分もしない内に四組に到着した。

 

「……」

 

「ねぇ、昨日の奴見た!?」

 

「見た見た!何アレ!?」

 

「何で白鬼がいたの!?」

 

耳にクラスメイト達の雑多な声が届いてくる。特に反応する事も無く、簪は自分の席に座って鞄から勉強道具を取り出して机に詰めていく。

 

(でも確かに、何で白鬼があそこに……)

 

無表情のまま、クラスメイト達と同じ事を考える。まだ子供の時にテレビの画面越しに見た物が再び自分達に前に現れた。その事実に簪も考える物はたくさんあった。

 

(何で……)

 

何故再び現れたのだろうか?何故今まで音沙汰が無かったのだろうか?そして何故あの時日本を守ったのだろうか?疑念は頭の中を埋め尽くしていく。

 

(……考えても、しょうがない)

 

簪は思考を止めて眼鏡に手をやる。目の前に空中投影型のディスプレイとキーボードを展開させてプログラムを書き始めた。空中を走る指は迷い無く動き、簪の瞳もめまぐるしく動いている。

 

(早く完成させなくちゃ……)

 

せめて夏休みに入る前には完成させたい自分の愛機。そのままチャイムがなるまで作業と続けていると、ふといきなり目の前がぼやける。

 

(何……)

 

一旦眼鏡を外してゴシゴシと目をこすって再び目を開けると、視界ははっきりしていた。不可解に思いながらも簪は作業を再会する。そして数分後、教師が教室に入ってきてやっと簪は手を止めた。

 

「皆さん、朝のHR(ホームルーム)を始める前にお知らせがあります」

 

教卓の前に立った教師が凛とした声でクラスに呼びかける。その一声で今までガヤガヤと騒いでいた教室はピタリと静まった。

 

「昨日の騒ぎですが、あれはとある国の実験ISが不慮の事故により暴走した結果、IS学園に紛れ込んだ物でした」

 

静まり返っていた教室が緩やかに喧騒を取り戻す。教師はパンと手を打ち鳴らして全員の注目を集めた。

 

「静かに!と言うことで昨日の騒ぎですが皆さんが過度に騒ぎ立てる必要はありません。今日以降は必要以上に騒がない事、以上です。それではこのまま一時間目を始めます」

 

教師が教卓にあるタッチパネルを操作して正面のディスプレイにいくつかの映像を映し出す。簪も机の中から必要な教材を取り出すと、正面のディスプレイを見据える。しかし、頭の中では別の事を考えていた。

 

(絶対に……嘘)

 

昨日見た正体不明の機体は明らかに織斑 一夏を標的にしていた。もしも白鬼が助けに入らなかったら今頃彼はこの学園にはいないだろう。そんな行動をしていた機体がただ暴走していた訳が無い。

 

(やっぱり……考えてもしょうがない)

 

いくら自分が考えても起きたことが変わる訳でもない。簪は先程と同じく頭を切り替えると、授業を始めた教師の声に耳を傾け始める。

 

 

 

午前中の授業の終わりを告げる鐘が鳴ると、生徒達が席を立ち始める。簪も自分の鞄から綺麗に包まれた弁当箱を取り出すと、静かに教室を出る。最近は簪が教室で食べようとすると、本音が勝手に入り込んできて屋上に連行されるのだ。いちいち連れて行かれるのも億劫なので、自分から彼女らの所に移動するのが常になっていた。

 

(でも、嫌いじゃない……)

 

本音と統夜と三人で膝を突き合わせて食べる昼食が、最近では楽しみの一つになっていた。簪は軽い足取りで廊下を進み続け、一組の前に到着する。教室の中を覗き込むと、統夜の机の所に本音がいた。今日も簪を連れてくる算段をつけているのだろう。ふと悪戯心が湧いた簪は無言のまま教室に入り込んだ。教室内はざわついていた為、簪を見咎める者は誰もいない。そのまま本音の背後まで近づくと、急に肩を叩いた。

 

「だ、誰?……ってかんちゃん!?」

 

「か、簪さん?」

 

統夜も驚いているようで、見開いた目を簪に向ける。二人を驚かせた簪は若干の満足感に浸っていた。気を取り直した本音が人目もはばからず簪に抱きつく。

 

「かんちゃんどうしたの?自分から来るなんて~」

 

「毎回本音が連れて行くから……自分で来た方が早い」

 

「簪さん。顔が赤いけど、どうかした?」

 

「え?」

 

ふと統夜から質問を投げかけられて簪は自分の頬を触る。本音は簪に抱きつきながら自分の頬を簪の頬に擦り付ける。

 

「う~ん。確かにちょっと熱いかな~」

 

「別に……大丈夫」

 

統夜は何か言いたそうに口を開きかけるが、結局何も言わずに口を閉じた。本音は統夜と簪を交互に見ていたが、よっぽどお腹が減ったのか、二人を急かし始めた。

 

「さあ、行こ~行こ~」

 

統夜も微笑みながら、自分と本音の分の弁当箱を持って立ち上がる。本音はいつものように簪の手を両手で握ってぐいぐいとい引っ張り始めた。

 

「いい……自分で歩ける」

 

右手に持った弁当箱を取り落とさないようにしながら、簪は本音の手を振り払う。本音はニコニコと笑いながら今度は簪の背中を押し始めた。そのまま三人揃って階段を登り、廊下を歩いて屋上に辿り着く。屋上に備え付けられている円テーブルに弁当箱を置きながら、それぞれ椅子に腰掛ける。

 

「いただきます」

 

「いっただっきまーす!」

 

「いただきます……」

 

食事を始める三人。本音は思うがままに統夜の弁当を貪り、簪は本音を注意し、統夜は二人を微笑ましく見つめていた。だがそれぞれの弁当の中身が半分程までに減った頃、簪の視界が再びぶれる。

 

(あれ……何で……)

 

「簪さん。どうかした?」

 

「かんちゃん。ちょっと顔色悪いよ。大丈夫?」

 

「簪さん!!」

 

慌てて統夜が椅子から立ち上がった時には手遅れだった。箸と弁当箱を持ったまま簪は椅子から崩れ落ち、地面に体を横たえる。

 

(もったいない……美味しいのに……)

 

簪はぼやけた視界に映る地面に中身をぶちまけた弁当箱を見ながらそんな事を考える。それを最後に簪の意識は途切れた。

 

 

 

 

「……ん」

 

簪が目を開けると、白い天井が見えた。体を起こして周りを見てみれば、そこはいつも生活している寮の自室だった。横に目を向ければ統夜が椅子に座って、うつらうつらと船を漕いでいる。少し悪いと思ったが、ベッドから抜け出して統夜の体を揺さぶった。

 

「……簪さん?目、覚めた?」

 

「うん……私、どうなったの?」

 

「ああ、ちょっと待ってて。今、夕飯持ってくるから」

 

(夕飯?)

 

統夜の言葉に疑問を感じて窓の外を見てみれば、既に太陽は沈み、月が室内を微かに照らしていた。統夜が出て行って一人になった簪は自分の体の状態を確認する。

 

(少し……熱い?)

 

額に手をやってみれば少し熱を感じる。今朝は全く感じなかったが、今は妙に体が気だるかった。ベッドに体を横たえて待っていると、統夜がお盆を抱えて部屋に入ってきた。

 

「お待たせ。持ってきたよ」

 

統夜が自分のベッドに腰掛けて盆の上に乗っていた土鍋を開けると、中にはお粥がもられていた。統夜は一緒に持ってきた小皿にお粥をよそって蓮華と共に簪に手渡す。

 

「保健室にいた先生に言われたよ、風邪だってさ」

 

「あ、ありがとう……」

 

統夜から小皿を受け取る簪。小皿から立ち上る湯気と匂いは簪の空腹を掻き立てた。統夜はベッドに腰掛けたまま言葉を続ける。

 

「先生曰く“疲れが溜まっている”だってさ」

 

「……」

 

心辺りがありすぎる。最近は自分のIS製作の方も休みなく続けていたし、先日は鈴のISも見て、昨日は統夜から衝撃の事実を明かされたのだ。疲れで体が参ってしまってもおかしくない。

 

「……簪さん、もう少し周りを頼ってもいいんじゃない?」

 

「え?」

 

「俺も昨日の今日でそんなに人の事は言えないけどさ……いくら何でも技術的な事じゃ、一人でやるのには限界があると思うよ」

 

「……」

 

それは簪も薄々感じていた事だった。アイデアにせよ、知識にせよ、技術にせよ、一人の人間で生み出せるのには限りがある。現実問題として、既に開発の糸口は未だに上手く掴めずにいた。

 

「……まあ、俺がとやかく言う事でもないけど」

 

統夜は別の机に置いてあった洗面器から濡れタオルを取り出して十分に水気を切る。十分に絞れたと判断すると、簪の両肩を掴んで寝かせ、額にタオルを乗せた。

 

(冷たい……)

 

「氷のう取ってくるから、それで我慢してて」

 

そう言い残して統夜は部屋から出て行ってしまった。簪は額に乗せられたタオルの位置を片手で調節しながら、先程統夜の言った言葉について考える。

 

(確かに……彼の申し出は……)

 

正直言って渡りに船かもしれない。統夜の戦闘技術は明らかに一般生徒と一線を画しているし、前に見た彼のノートパソコンに映っていた図面から考えて統夜にはある程度のISに関する知識もあるはずだ。自分一人では煮詰まっている今の状況も、彼と一緒に考えれば打破出来るかもしれない。

 

(でも……本当にそれでいいの?)

 

自分が目標としている更識 楯無、彼女は自分一人でISを作り上げた。そんな彼女に追いつく為には“一人で彼女と同じ事をする”と言うのが大前提だと簪は考えている。

 

『そんな人いないと思うよ。少なくとも俺はいないって思ってるし、そんな人見たことも無い』

 

統夜の言葉を頭の中で反芻する。確かにあの言葉は妙な説得力があったし、ある意味では簪もその通りだと思う。だが自分のIS開発は自分自身で決着を付けなければ、姉と向き合えない気もする。

 

(私は、どうしたいの……?)

 

統夜に手を借りるのは容易い。頼まれもせずに自分の世話をする様な人間だ、申し出をすれば二つ返事で承諾してくれるだろう。だがしかし、そうなった場合今度は簪自身の目的の一部が達成出来なくなってしまう。あのISはただ完成すれば良いというものでも無いのだ。

 

(私は……)

 

 

 

 

統夜が洗面器と氷のうを抱えて戻ってきたとき、簪はまだ起きていた。氷のうを乾いたタオルで包みながら、簪に手渡す。

 

「はい、簪さん」

 

「ごめん……なさい」

 

いきなり謝罪の言葉を言われた統夜は目が点になっていた。頭がはっきりしていないのか、そのままうわ言の様に簪はつぶやき続ける。

 

「私……何度も迷惑、かけてる……」

 

「なんだ、そんな事か。気にしないでよ。俺が好きでやってる事だしさ」

 

「何であなたは……そんなに優しいの?」

 

「俺が?」

 

「あなたは……優しすぎる。怖いくらいに……何で?」

 

「……参ったな、そんな風に見られてたのか」

 

自分のベッドに座って頭を掻く統夜。簪はそれ以降全く言葉を発さず、ただ統夜の言葉を待っていた。

 

「……簪さんが思ってる程、綺麗な理由じゃないよ。俺のはただ単に、自己満足だ」

 

「自己、満足……?」

 

「そっ、ただ単に自己満足。俺がこうしたいと思うから、人に何かしてあげたいと思うから。こっちはこんな簡単に考えられるのに、体の方はダメだけどね……」

 

「……じゃあ、私もそうする」

 

「簪さん?」

 

「私が、そうしたいって思ったから……」

 

簪はベッドから何とか這い出すと、ベッドの端に腰掛けた。慌てて統夜が簪の肩を掴んで再び寝かせようとするが、簪は統夜の手を力なく振り払うとそのまま統夜の両手を握り締める。

 

「お願いします……私のISを作るのを手伝ってください」

 

「……分かった、俺で良ければ力になるよ」

 

統夜は言葉を返すと、簪をベッドに寝かせる。簪の顔は変わらず上気しているが、それが風邪の為か、気恥かしさから来るものかどうかは統夜に知る術は無かった。

 

「ありがとう……」

 

「べ、別に俺がした事だから……じゃ、じゃあお休み!!」

 

統夜は素早く自分の布団に潜り込み、毛布を被って横になってしまった。頭を占めるのは先程の簪の表情。

 

(ヤバイ……か、可愛い……)

 

僅かに上気した頬、目尻に涙を溜めながら微かに笑っている表情、暖かい両手で握られた手にはまだ感触が残っている。

 

(……明日から頑張るか)

 

統夜は決意を新たにして眠りに着く。こうしてまた一歩、統夜と簪の距離が縮まった夜だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 ~邂逅~

五月の下旬、統夜がIS学園に入学してから約二ヶ月が経過した。こんな日でも簪はISの作製する手を休めない。統夜も手伝うと言った手前、何もせずに簪が頑張っているのを見るだけというのも気分が悪いので積極的に手伝っていた。今日も整備室で骨組みだけの状態である専用ISを前に、簪がキーボードを叩いている。その隣で椅子に座りながら、統夜は既に完成した武装の図面を見ていた。

 

「簪さん。ここなんだけど、近接武器は普通に作ればいいとして、流石に荷電粒子砲とミサイル兵器は何かのデータを元に作らなきゃダメなんじゃない?」

 

「うん……だから、それは後回し。取り敢えず機体と近接用の武装が……最優先」

 

統夜へ返事をしている間も簪の指はその動きを止めない。まるで脳と指が独立して動いているかのようだ。実際には脳で考えて指を動かしているのだからそんな事はありえないが、そんな事を連想させる程、今の簪は凄い。

 

「まあ、しょうがないか。分かった」

 

そして統夜が再び図面を見る。そのまま十分程無言を貫いていたが、疲れが溜まった統夜は席を立って背を伸ばすと、ポキポキと背骨が鳴った。時計を見れば既に午後七時を回っている。

 

「簪さん。今日はここまでにして、食堂に行かない?」

 

「うん……行く」

 

統夜の提案に従って簪も手を休めて首を回す。統夜は目の前に散りばめられた図面の数々をファイルにしまい始め、簪もデータを保存する作業に入った。しかし始めてから一分もしないうちに、統夜はふと視線を感じる。

 

(……ん?)

 

きょろきょろと周りを見回すが、勿論整備室内には自分と簪しかいない。

 

「紫雲くん?」

 

統夜の行動に疑問を持ったのか、簪が手を止めて統夜を見る。統夜は簪に構わず整備室内に目を走らせると、一つの扉の前で視線が止まった。

 

「……」

 

統夜は図面をてきぱきとしまって、足音も立てずに歩き出す。簪はいつまでも統夜を見ている訳には行かないと考えたのか、視線を外して自分の作業に戻った。統夜は音もなく扉の前に立つ。自動で扉が開くと、その先には一人の女性がいた。

 

「どなたですか?」

 

「……何でバレちゃったかなぁ?おねーさん、そんなに分かりやすかった?」

 

はにかみながら統夜を上目遣いで見つめてくる目の前の女性。制服のリボンの色からして一個上の生徒だろう。簪と同じ水色でミディアムに伸ばした髪の毛を、背中側に垂らしている。いたずらっ子の様な表情を浮かべながら、女子生徒はどこからか扇子を取り出すと目の前で広げた。その扇子には“天晴!”と書かれている。

 

「あの、俺に何か用でも?」

 

「まあ、興味はあるわね。この学園でたった二人の男性操縦者、紫雲 統夜君?」

 

「失礼ですが、名前を教えてもらえませんか?俺、あなたの事知らないので」

 

「しょうがないわね、教えてあげましょう!私の名前は──」

 

「紫雲君、終わったから早く……」

 

生徒が大仰に扇子を振りかざし自分の名を名乗るタイミングで、統夜の後ろから簪が顔を出した。ファイルを両手で抱え込み統夜を急かそうとするが、女子生徒を見て簪の表情が固まった。

 

「あなた……」

 

「簪さん、どうしたの?知り合い?」

 

「こ、こんにちは、簪ちゃん。ISの方はどう?上手くいって──」

 

女子がそこまで発言した時、簪が動いた。無言のまま統夜の手を引っつかむと、いつもの彼女からは考えられないようなスピードで廊下を走っていく。突然の事に訳も分からず、統夜はただ引きずられて行くばかりだった。体重差など感じさせない勢いでそのまま整備室を出て、アリーナを出、寮の玄関口に到着した時やっと統夜は簪に声をかける。

 

「簪さん、簪さん!」

 

「っ!……ごめん、なさい」

 

「いや、別にいいけど……」

 

何処か気まずい空気を漂わせながら二人は食堂に直行し、そのまま夕食を取る。そして部屋に戻った後、空気を打破するため統夜から口を開いた。

 

「さっきの人って、誰?」

 

「……」

 

取り繕ってもしょうがないと考え、統夜はストレートに疑問を口にする。簪はずっと口を閉ざしていたが、やがてぽつりぽつりと口を開き始めた。

 

「……更識 楯無」

 

「“更識”?それってもしかして……」

 

「うん。私の……姉」

 

「あの人が……」

 

統夜は脳裏に先程出会った人物を思い浮かべる。一度であったら忘れることが無いであろう、特徴的な雰囲気。人を虜にしてしまう瞳に心を掻き立てる笑顔。簪はそれっきり黙り込んでしまった。統夜も話したくないのだろうと心中を察してベッドに横になる。

 

(今度話してみたいな、あの人と……)

 

考え事をしながら毛布にくるまっていると、すぐさま眠気に襲われた。こうして今日も統夜の日常は終わりを告げる。

 

 

 

 

6月に入ると、ISの授業は本格的に始まる。今まで座学中心だった物が、実際にISを使っての実践的な授業に切り替わるのだ。やっとISを操縦できる、そんな気持ちからか朝の教室はとてもざわついていた。統夜は自分の席に座りながら、机に腰掛けている一夏と会話を交わしている。

 

「なあ統夜、楽しみじゃねえか?今日のIS実習!」

 

「俺も入学試験の時に動かした時以来だもんな。その点お前はいいよな、自分の機体があるから」

 

「統夜も貰えるんじゃねえのか?」

 

「貴重なISのコアを、一度に二つも学園に回せる訳無いだろ。まあ、それはそれで構わないんだけどな。いろいろ身体検査されるのは御免だ」

 

「みなさーん、席についてくださーい!」

 

真耶が教室に入ってくると、生徒が指示に従って席についていく。日頃からいろいろと舐められているが、それと同時に親しまれているのも確かだ。その後ろから千冬も入ってきて、扉の所で腕を組みながら生徒達を注視している。

 

「え、えーと、今日はこのクラスに転校生がやってきます!」

 

「「「え……」」」

 

「しかも二人です!!」

 

「「「えええええ!!」」」

 

示し合わせた様に真耶と生徒の声が大きくなっていく。千冬は扉から顔だけ外に出している。恐らく廊下にいる二人の転校生に「入れ」とでも言っているのだろう。

 

「失礼します」

 

「……」

 

千冬の隣を通って二人の生徒が教室内に入ってきた。その片方の姿を見て、統夜は思わず声を漏らしてしまう。

 

「嘘だろ……」

 

前の席にいる一夏の背中は微動だにしていなかった、恐らく統夜と同じ事を考えているのだろう。何故なら二人のうち、一人は統夜達と同じ男子用の制服を着ていたのである。

 

「シャルル・デュノアです。フランスの代表候補生で、こちらに転校してきました。どうぞよろしくお願いします」

 

綺麗な金髪を後ろで一つにまとめている転入生からは、温和な雰囲気がにじみ出ていた。自己紹介を終えた所で教室を見渡すシャルルだが、無反応なクラスメイトに疑問を感じて小首を傾げる。

 

「?」

 

((ヤバイッ!!))

 

だがその沈黙に一夏と統夜は覚えがあった。二人は一瞬で視線を交わすと互いに頷きあって己の考えが正しい事を悟る。そして二人揃って耳を塞ぎながら机に突っ伏した瞬間、懐かしくもはた迷惑な爆音が教室に響き渡った。

 

「「「きゃああああ!!」」」

 

「うわっ!?」

 

((うるせええええっ!!))

 

「男子!三人目の男子!!」

 

「織斑君とか紫雲君とは違う守ってあげたくなる系!いいわ!!」

 

「このクラスに黒髪、赤髪、金髪と揃ったね!!」

 

統夜達と同じ現象が再び起こった。クラスの女子達は耐性でもあるのだろうか、誰ひとりとして耳を塞ぐ事も無く騒ぎ立てている。

 

「静かにしろ!」

 

パンパンと両手を打ち鳴らす千冬に従って、段々と喧騒が静まっていく教室。次に生徒達の視線が向けられたのはシャルルの隣にいる銀髪の少女だった。

 

(……?)

 

だがいくら待っても少女は微動だにせず、ただクラスメイトの顔を舐めるように見渡すだけだった。動こうとしない少女を見ていた千冬はため息混じりに、催促する。

 

「……ラウラ、挨拶をしろ」

 

「はい、教官」

 

不動だった少女は千冬の言葉に敏感に反応した。直立した状態のまま両手を後ろに回し、仏頂面のまま口を開く。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

「「「……」」」

 

「あ、あの~、それだけですか?」

 

「そうだ」

 

あっさりと返されて涙目気味になっている真耶を放置したまま再び教室内に目を走らせるラウラ。だが数秒後、一点で視線を止めたかと思うと、いきなりツカツカと音を立てながらとある机に近づいていく。

 

「な、何だ?何か用か?」

 

「……織斑 一夏だな」

 

「え?あ、ああ。そうだけど──」

 

(何だ!?)

 

一夏が言い終わらない内に、ラウラの張り手が一夏の右頬に炸裂した。ラウラは眼帯に覆われていない瞳で一夏を見つめている。端正な顔を怒りで歪め、体全身から憎悪が吹き出していた。一夏は何が何だか分からない、と言った表情でぽかんとラウラを見上げている。

 

「貴様の……貴様のせいで……」

 

「な、何しやがる!」

 

抗議の声を上げる一夏だがラウラはどこ吹く風、と言った具合で腕を組みながら無言で一夏を見下ろすばかり。一触即発の空気が漂う教室内に響き渡ったのは、千冬が手を打ち鳴らす音だった。

 

「貴様ら、次はISの模擬戦闘の為速やかに校庭に集合する様に!遅れた者は校庭を十週程走らせるぞ。それでは解散!」

 

席を立つ音で騒がしくなった教室を静かに真耶と千冬が出ていこうとする。揃って教室から出ていこうとする千冬と真耶だが、急に千冬が立ち止まって統夜と一夏に言い残す。

 

「紫雲、織斑。お前ら、デュノアの面倒を見てやれ。同じ男子だからな」

 

「あ、はい。分かりました」

 

一夏が返事を返すと、すぐにシャルルの席に近づいていった。統夜も自分の荷物をまとめてから、一夏達に近寄っていく。

 

「君が紫雲君?初めまして」

 

「ああ、よろしく」

 

「統夜、急がないと」

 

「分かってる」

 

目で会話を交わす統夜と一夏。戸惑っているデュノアを一夏が先導して、三人揃って教室の外に出た。

 

「統夜、急がないとまた捕まるぞ」

 

「ああ。今日はデュノアさんもいるからいつもより多いぞ」

 

「ね、ねえ二人とも。何言ってるの?」

 

「それは──」

 

一夏が説明を始めようとした所でゆっくりと、しかし確実に地鳴りが始まった。しかも地面が揺れるだけではなく、どこからともなく雪崩の様な音も聞こえてくる。

 

「な、なにこれ!?」

 

「統夜、来たぞ」

 

「ああ。一夏はデュノアさんを頼む」

 

「分かった」

 

一夏が短く返事をすると共に、シャルルの隣に立つ。統夜は廊下の先にある階段を見つめたまま確認の言葉を発した。

 

「一夏、準備は?」

 

「OKだ。何時でも行けるぜ」

 

「そうか。それじゃ──」

 

「「「……斑く~ん!!」」」

 

「「「……雲く~ん!!」」」

 

地鳴りの音に混じって、人の声が聞こえてきた。既に地面だけではなく、一夏達の周囲の壁すら振動を繰り返している。そして統夜の見つめていた階段から、数十人という人間が駆け下りてきた。

 

「走れえええっ!!」

 

「織斑君発見!情報にあった転校生くんも一緒よ!!」

 

「私達は紫雲君を狙うわ!先回りして!!」

 

廊下を全力でダッシュする三人の後ろには、数十人という女子生徒が押し寄せている。しかも後ろだけではなく、前の教室からもわらわらと女子生徒が溢れて来るので統夜達は何度も進路変更を余儀なくされた。

 

「な、何で皆集まっているの!?」

 

「そりゃ、この学園の中には男子は俺たちしかいないからな!!」

 

「……?」

 

「だから、珍しいってことだよ!!」

 

「あ、そ、そうか。そうだよね」

 

話している間にも、何度廊下を曲がったか分からない。このままでは遅刻してしまうと判断した統夜は、一夏の方を振り向いた。

 

「一夏!こうなったらいつもの通り、二手に分かれるぞ!お前はデュノアさんを頼む!」

 

「分かった!統夜も無事でいろよ!!」

 

「ああ!」

 

「え、ちょっと!?」

 

次の曲がり角で統夜と一夏達はそれぞれ反対側に走る。いつもは二人だけで抜け出せるのだが今日は転校生の存在もあってか、たやすく抜け出せるような包囲網ではなかった。

 

(マズイ、このままじゃ……)

 

遅刻する、そんな単語が頭をよぎりかけたとき、統夜の目の前の分かれ道からそろりそろりと一本の腕が伸びてきて、統夜を手招きした。

 

(何だあれ?)

 

「……大丈夫、私は味方よ。早くこっちに」

 

しかも廊下の向こう側から声まで聞こえてくる。統夜は後ろを振り向き、大勢の群衆を見やった後、急いで右に曲がる。周囲に視線を走らせると、ひとつの半開きになっている扉があった。

 

「こっちよ」

 

再び先程と同じ声がドアの向こう側から聞こえてきた。とにかく彼女らの追跡を振り切らないことには始まらない。そう考えた統夜は躊躇いもせずに扉を開けて部屋に飛び込んだ。

 

「こんにちは、紫雲 統夜君」

 

声の主を見ようと、顔を上げる。その視線の先にいたのは、水色の髪を綺麗に伸ばし重厚な机に両肘を突きながら笑みを浮かべている、一人の少女だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 ~一時の休息~

「私は更識 楯無よ。よろしくね」

 

「知ってますよ。簪さんから教えてもらいましたから」

 

「そう。取り敢えず座ったらどう?立ち話もなんだし」

 

「いえ、授業があるので。これで」

 

「……紫雲 恭介博士」

 

「ッ!!」

 

扉を開けかけていた統夜の手が止まった。楯無の言葉を聞いて、ぴくりとも動かない統夜の背中に、楯無は更なる言葉を浴びせる。

 

「それと紫雲 咲弥博士。あなたのご両親にして恭介博士は機械工学の、咲弥博士は生物学の権威だったわね」

 

「……それがどうかしましたか?」

 

「少しお話ししないかしら?紫雲 統夜君」

 

統夜には背中側の楯無の表情を知る事は出来ない。だがその声音から察するに、彼女の顔は笑みを浮かべているだろう。統夜はゆっくりとドアノブから手を離すと、目の前のソファに腰を落ち着けた。

 

「それで、何を話すって言うんです?」

 

「まあ、簡単な所から行きましょうか。IS学園での生活はどう?不自由してない?」

 

「不自由はしてませんね。でも言わせてもらえば、皆騒ぎ過ぎですよ。俺と一夏が歩くたびに騒ぐから、こっちとしては閉口してます」

 

「あはは、勘弁してあげて。皆男の子が珍しいのよ」

 

「まあ、多少は理解していますけど……」

 

「じゃあ次の質問。ISの事、あなたはどう思ってる?」

 

「……それ、答えなきゃダメですか?」

 

「私が個人的に知りたいのよ。どう思う?」

 

統夜の答えは決まっている。その答えはISだけに留まらず、その他の兵器にも言える事であり、統夜自身が自分を忌避している理由でもあった。

 

「……怖い、ですよ」

 

「怖い?」

 

「ええ。何で皆あんな風に楽しみながらISを動かせるんですか?一歩間違ったら人が死ぬのに」

 

「……」

 

「俺は怖いですよ。ISを動かすのは少しだけ楽しいけど、実際にそのISで何をするかって考えると……とても怖い」

 

「……そう。話してくれて、ありがとう」

 

「もういいですか?」

 

「ええ。あと、授業の方は心配しなくていいわよ。私の方から、織斑先生に伝えておくから」

 

楯無としては、この話はここで終わりのつもりだったのだが、統夜は一歩も動こうとはしなかった。楯無が口を開く前に、今度は統夜が言葉を発する。

 

「あの、質問いいですか?」

 

「ええ、いいわよ。何かしら?」

 

「何で俺の両親の名前を知っているんですか?」

 

「紫雲 恭介博士と咲弥博士の名前は、その筋じゃ有名なのよ。生徒の事を知っておくのは、生徒会長として当然でしょ?」

 

「……あと一つ、何で父さんと母さんの名前を出したんですか?」

 

「そうすれば紫雲君が話を聞いてくれると思ったからよ。気に障ったのなら謝るわ。ごめんなさいね」

 

ぺこりと頭を下げる楯無を見て、統夜は毒気を抜かれてしまった。先程まで胸の奥で燻っていた怒りの感情も、今は霧散してしまっている。謝罪一つで許すとは我ながら単純だなと思いながらも、統夜はソファに体を沈めた。

 

「さて、固い話はこれでおしまい。おしゃべりしましょうか?」

 

「でも、俺は授業が──」

 

「あら、もう一時間目は半分過ぎてるわよ?」

 

楯無に指摘されて統夜が壁に掛かっている時計を見ると、一時間目の開始から既に30分は経過していた。今から行っても半分ほどしか受けられない上、千冬のお説教は免れないだろう。目の前の人物がいくら地位が高く口利きが出来ると言っても、それだけであの千冬が許してくれるとは思わなかった。

 

「今から行くんだったら、ここでのんびりしていかない?織斑先生には私から断りを入れておいてあげられるし、ゆっくり休めるわよ?」

 

「……分かりました」

 

「人間、諦めが肝心よ。なにか飲む?紅茶か、コーヒーか」

 

「あ、紅茶でお願いします」

 

楯無が立ち上がって部屋の角に置かれているティーポットを手に取る。黙ってても居心地が悪いので、楯無の背中に声をかけた。

 

「あの、生徒会長って何をしてるんですか?」

 

「そうね、主に学園の秩序を守るってとこかしら?」

 

「よく分からないんですけど……」

 

「どこにも、血の気の多い人って言うのはいるの。それにこの学園の規則で“生徒会長は学園で一番強い人間がなるべし”っていう物があってね。それで私が生徒会長になったのよ」

 

「じゃあ、楯無さんって強いんですか?」

 

「勿論。はい、紅茶。砂糖はいる?」

 

「あ、大丈夫です」

 

統夜の目の前のテーブルにソーサーに乗ったティーカップが置かれる。楯無も自分のカップを持って統夜の対面に座った。

 

「まあ、当然とも言えるわね。学園に候補生はいても代表はいないから」

 

「あの、何の候補生ですか?」

 

「ん?国家代表」

 

「……え?」

 

あっさりと言う楯無だったが、聞いている統夜は驚愕していた。確かに知り合いにも何人か、代表候補生はいる。しかし、本物の候補生を見るのは初めてだった。

 

「知らないの?」

 

「はい。でも国家代表が学園にいるのって色々と大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫よ。ロシアの方からも私のISの稼働データを取る様に言われているしね。むしろここは都合がいいのよ」

 

そこで一息ついて楯無が優雅に紅茶を口に運ぶ。統夜も釣られて紅茶を飲み干すと、ふと思い出した。

 

(そう言えば簪さんが言ってたけど、楯無さんって一人でIS作ったんだっけ?)

 

「何か気になったことでもあった?」

 

統夜の顔を覗き込みながら楯無が疑問の声を上げる。統夜はカップをテーブルに置くと、楯無の目を真っ直ぐに見た。

 

「質問があります」

 

「何でもいいわよ?」

 

「楯無さんは、本当に一人でISを作ったんですか?」

 

意外な質問に、一瞬呆ける楯無。だが次の瞬間、はにかみながら目の前で手を振った。

 

「違う違う。全部一人じゃ無いわよ。私がやったのは精々組立だけ。基礎となったデータは前からあったやつを使ったの」

 

「それじゃあ……」

 

「簪ちゃんは私より凄いわよ。あの子は設計から一人でやって、統夜君が手伝ってあげるまで本当に一人でやっていたのだから」

 

「そうなんですか……」

 

「もうちょっと自信を持ってもいいのだけれど、そこは簪ちゃんの性格かしらね。少し引っ込み思案が過ぎるのよ」

 

「……」

 

「あら、もうこんな時間ね」

 

統夜が壁時計に目を向けると、あと五分程で一時間目が終わる所だった。統夜は立ち上がって一礼する。

 

「ありがとうございました」

 

「いいのよ。それよりも簪ちゃんと仲良くしてあげてね」

 

「分かりました。失礼します」

 

統夜は部屋を出ていきながらのんびりと考える。楯無と話した印象は、“世話焼きお姉さん”と言った所だった。

 

(少し、姉さんに似てるかな……)

 

教室について、自分の席に座る。丁度席に座ると同時にチャイムが鳴った。する事も無いので机に突っ伏して目を閉じると、すぐさま睡魔に襲われた。

 

 

 

 

結論から言うと、千冬からのお咎めは無かった。どうやら生徒会長と言うのは楯無が行っていた通りそこそこの権力を持っている様で、昼休みに入っても統夜は千冬に何も言われる事無く過ごしていた。

 

「──って事があってさ」

 

「へぇ、山田先生って強かったんだな」

 

統夜と一夏の声が屋上に響く。現在、統夜は一夏達と一緒に屋上で昼食を取っていた。本来は一夏と箒の二人きりで食事をするはずだったのだが、一夏がシャルルと統夜を誘い、それを聞きつけたセシリアがついて行くと言い出し、更に隣のクラスから鈴が駆けつけた結果、屋上でテーブルを囲みながら五人で食事をとっていると言う具合である。

 

「い、一夏。私の弁当も食べてくれ」

 

「ほら、私の酢豚も食べなさいよ」

 

「こ、こちらのサンドイッチもどうぞ!」

 

箒達三人は意中の相手に自分の弁当を食べて貰おうと必死な様である。完全に蚊帳の外なシャルルと統夜は口元を隠しながらひそひそと会話していた。

 

「ねえ紫雲君。僕たちってここにいていいの?」

 

「それは一夏に聞いてくれ。俺も分からない。それと俺の事は名前でいいよ」

 

「うん、分かったよ。統夜」

 

「それでいいよ。そう言えば自己紹介の時にも言ってたけど、シャルルってフランスの代表候補生なのか?」

 

「うん。僕もそうだし、ボーデヴィッヒさんもドイツの代表候補生だよ」

 

「そんなに代表候補生ばっかり同じクラスに集めていいのか?」

 

「まあ、学園にも何か考えがあるんじゃない?」

 

「ぐあああっ!?」

 

その時、二人の目の前で異変が起こった。今までほんわかと食事していた一夏がいきなり喉を抑えて苦しみだしたのである。

 

「おい一夏!どうした!?」

 

「そ、それ……」

 

一夏が指差しているのは綺麗なランチボックスに入った色とりどりのサンドイッチだった。しかし、一夏の意図が理解出来ない統夜は勘違いをしてしまう。

 

「何だよ。喉にでも詰まらせたのか?」

 

「ち、ちが……」

 

「紫雲さん、デュノアさん。お一ついかがですか?」

 

「あ、うん。ありがとう」

 

セシリアがランチボックスを統夜に差し出してくる。断る理由も無いので統夜とシャルルは揃って一つずつサンドイッチを手に取り、口に含んだ。

 

「「!?!?!?」」

 

だがそこで思いもよらない事態が起きた。なんと口に含まれたサンドイッチは、その味を持って統夜を攻撃し始めたのである。

 

(何だこれ!?)

 

甘さ、苦さ、辛さ、渋み、いくつもの味が一緒くたになって統夜の舌を刺激していく。涙混じりの目を隣のシャルルに向けてみれば、同じくシャルルも手で口を抑えながら涙目になっていた。

 

(そうか!これで一夏は──)

 

「あの、お気に召しませんでしたか?」

 

セシリアが怪訝な顔をして問いかけてくる。鈴と箒は事情を理解しているのか、同情の視線を統夜とシャルルに送っていた。だがセシリアを気遣った統夜は脂汗を浮かべながら何とか笑みを浮かべる。

 

「そ、そうだね。もう少し頑張ればもっと美味しくなると思うよ」

 

「ありがとうございます!料理の得意な紫雲さんにそう言っていただけて嬉しいですわ!」

 

「ははは……」

 

額からダラダラと脂汗を流しながら統夜は乾いた笑い声を上げる。統夜を襲った痛みはその日ずっと消える事は無く寝るまで苦しみ、簪から心配された程だったという。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 ~敵か味方か~

『へぇ、統夜がその子のISを作るの手伝う事になったのね?』

 

「うん。まあ、力になってあげたかったしね」

 

シャルル達が転入してから数日が経った。その間も簪のIS製作はハイスピードで進んでおり、今日の放課後にはテスト飛行を行ってみると簪の口から統夜に告げられた。現在昼休み、統夜は耳に携帯を当てて遥か彼方にいる姉へと電話をかけている。屋上には統夜以外誰もおらず、気兼ねなく話していた。

 

『勿論、その子は女の子よね?』

 

「え?うん、そうだけど……」

 

『可愛い?』

 

「な、何言ってんだよ!!」

 

『弟の恋愛事情は姉として気になるのよ。どう?』

 

「どうって言われても……」

 

正直な所、統夜自身まだよく分からないと言うのが本音だった。確かに彼女といるのは楽しい。なんとなくではあるが、最近では彼女の傍にいるのが当たり前の様に感じてきたのも確かだ。

 

『まあ、夏休みに一回そっちに戻るだろうからその時に聞かせてもらうわ。それよりも、他に何か面白い事はあった?』

 

「ああ。そう言えば転校生も二人来たな」

 

『へぇ、統夜のクラスにいきなり?やっぱり担任が千冬だからってのもあるのかしらね』

 

「しかもそのうち一人は男だったんだよ。俺や一夏と同じね。しかも女の方はドイツの、男の方はフランスの代表候補生だってさ」

 

『……ちょっと待ちなさい統夜。あなた今、なんて言った?』

 

いきなり電話口の姉の声が張り詰めた。不思議に思いながらも統夜は先程の言葉を繰り返す。

 

「え?そのうち一人は男──」

 

『違う、違うわよ。その後。“男の方はフランスの代表候補生”って言った?』

 

「あ、ああ。言ったけど……」

 

『よく考えなさい統夜。男のIS操縦者は既にあなたと千冬の弟で二人いるわ。三人目がいてもそこまで大きな話題にはならないかもしれない』

 

「それは……俺も考えたけど」

 

『でもその子はフランスの代表候補生なんでしょ?ならばフランスが自国の広告塔にするのが普通の行動よ。宣伝しないメリットなんて無いし、一般にはニュースにならなくても男性のIS操縦者はまだまだ貴重よ。マスコミがこぞって報道するに決まっているわ』

 

「それって……」

 

『でも今、そんなニュースは世界のどこにも存在しない。私も職業柄世界のIS事情に通じているけど、新しい男のIS操縦者の噂なんて耳に入ってきたことはないわ。つまり……』

 

「……」

 

『統夜、あなたと千冬の弟の一夏君は世界でも二人しかいない男のIS操縦者よ。その貴重さは計り知れない。その学園に入る前にも話した通り、あなたはそこにいる限りある程度の身の保証はされる。でもそれは裏を返せば、あなたの身は常にさらされているという事にほかならない』

 

「分かってる……それは分かってるよ」

 

『とにかく、あなたには難しいかもしれないけどある程度は警戒しておきなさい。そもそもその子が男の子だったら問題ないし、丸く収まる』

 

「……分かった。ありがとう、姉さん」

 

『それじゃあ、切るわ。またね、統夜』

 

ゆっくりと携帯を耳から話して通話を切った。柵に体を預けて青空を仰ぎ見る。

 

(……警戒、か)

 

統夜はこの間話した少年を思い浮かべる。温和という単語がぴったりで物腰柔らかなシャルルに、裏があるとはどうしても思えなかった。

 

「紫雲君?」

 

「簪さんか。どうかした?」

 

屋上の扉を開き、入り込んできたのは簪だった。そのまま統夜の隣に立って周囲の町並みを眺める。

 

「弐式のテストする場所……教えてなかったから」

 

「そう言えばそうだったな……」

 

「第四アリーナでやるから……ちゃんと来て」

 

「ああ……」

 

「……何か、あったの?」

 

簪から疑問の声が上がるが、統夜は相手の顔を見る事なく生返事を返す。

 

「何でそう思うんだ?」

 

「声に……元気が無い」

 

「そっか……」

 

二人の口が閉ざされる。そのままの状態で過ごす二人だったが、数分後ゆっくりと統夜の口が開かれた。

 

「人を疑うって、どう思う?」

 

「人を……疑う?」

 

「例えばさ、知り合いの素性が分からないとするだろ?自分の身が常に狙われてて、その知り合いが自分の身を狙う為に近づいてきたかもしれない。それを知ったら簪さんはどうする?」

 

「私だったら……」

 

「簪さんだったら?」

 

「……話してみる」

 

「話す?」

 

初めて統夜が簪の顔を見る。簪も統夜と同じ様に隣に立って空を見上げていた。

 

「人はそれぞれ違う……その間は埋めるには話すしかない」

 

「話すしか……ない」

 

「そうすれば……分かり合えるかもしれない」

 

「そう……そうだよな」

 

統夜は大きく伸びをして再び空を仰ぎ見る。統夜の表情はいつの間にか晴れ晴れとした物になっていた。

 

「ありがと、簪さん。少しだけ、すっきりしたよ」

 

統夜の言葉を聞いた簪はくすりと笑った。統夜はその笑みの意味が分からず怪訝な表情をする。

 

「何で笑うの?」

 

「これ……紫雲君が教えてくれた事だから」

 

「俺が?簪さんに?」

 

「そう……あの時、二人で話したから私はあなたの事を知った。だからあなたとの距離を埋められた……そんな気がする」

 

「……もう行こうか。そろそろ昼休み、終わっちゃうからさ」

 

「うん」

 

二人揃って屋上から出ていく。無人となった屋上に一陣の風が静かに吹いていた。

 

 

 

 

 

シャルルと話す決意を固めた統夜だったが、その日の午後は話す機会が無かった。教室内では見かけるのだが人の良い彼にいきなり“事情があるのか?”とも言えず、結局一日が終わってしまった。その後何とも言えない思いを抱えながら、統夜は簪と共に第四アリーナにいた。

 

「PICチェック……オールグリーン」

 

「簪さん、こっちは問題無いよ」

 

「分かった」

 

統夜の目の前には、打鉄弐式を身に纏った簪が浮かんでいた。目の前のディスプレイをタッチしながら物凄い勢いで目を走らせている。統夜も隣のモニターをチェックしながら、最終調整の補助をしていた。アリーナ内には統夜と簪以外誰もいなかった。普通は監視役の教師もいるのだが簪が代表候補生という身分を使い、人払いをしたのである。教師も簡単には納得しなかったのだが専用ISの開発に関する事というのを盾とした結果、監視用のカメラを起動させておく事を条件に渋々と去っていった。

 

「機体状況、オールグリーン。何時でも行ける」

 

「じゃ、離れてるね」

 

統夜がゆっくりと離れた後、簪は目を閉じて集中する。するとスラスターが徐々に動き出し、簪の体を宙に浮かせた。

 

「来て……夢現」

 

目を瞑ったまま簪が小さく呟くと輝く粒子が簪の右手に収束していく。光は長物の形を取っていき、そして弾け飛んだ時、簪の手には薙刀が握られていた。

 

「問題は……無い」

 

薙刀を両手で構えて数度振り回す。簪は満足げな表情で頷くと、夢現を解除した。

 

「じゃあ次は春雷か。ターゲット出すから、狙って」

 

統夜は持っていたデバイスを数度叩く。すると遠く離れた位置に、射撃訓練で使用する様な円形のターゲットが出現した。

 

「春雷、起動」

 

背中の二門の砲塔が音を立てて動き出し、簪の肩越しにターゲットに狙いをつけた。てすぐさま軽い発射音と共に二発の雷撃が繰り出される。

 

「……これも問題なし」

 

「簪、山嵐の方はどうする?」

 

「まだロックオンシステムの方が完成してないから、いい。次は……機動試験」

 

春雷を背部に収納し、スカート状のスラスターを展開する。空気を取り込んで青い炎を吹き出す弐式を見ている内に、開発を手伝った統夜の胸にも熱い物がこみ上げてきた。

 

「……行ってくる」

 

点火したスラスターを動かして、疾風の如き勢いで簪は飛び出した。空中でターンを繰り返すその姿は、まるで舞の様でもあり統夜の目に美しく映る。

 

(ん?この数値……)

 

統夜の手にしているデバイスには簪の装備している弐式のステータスが映し出されていた。その中の一つ、スラスターの状態を表す数値が統夜の目を引いたのである。

 

(低すぎる。こんなんじゃまともな動きが出来るはずない……まさか!?)

 

統夜が顔を上げて飛行中の簪を見ると、右側のスラスターから出る火が点いては消え、点いては消えを繰り返していた。背筋が凍る思いをしながら統夜は声を張り上げる。

 

「簪さん!今すぐ降りて!!」

 

「え?」

 

統夜の言葉に反応して顔を向ける簪。その瞬間、打鉄弐式の右側のスラスターが爆発した。

 

「きゃああっ!?」

 

左側にだけになったスラスターだけで体勢を維持出来るはずもなく、簪は加速度的な勢いで地上へと落下を始めた。本来ならばPIC制御で宙に浮くだけなら出来るのだが今の爆発の影響でプログラムが破損しているのか、落下の勢いが止まる気配は全く無い。

 

「くそっ!!」

 

統夜はデバイスを投げ捨てて走り出そうとする。だが、ふと頭に浮かんだ言葉で体が止まった。

 

(俺は何をしようとしてるんだ?)

 

勿論、目の前の簪を助けようと統夜は動こうとしている。だが今この場で簪を助けると言うことは、もう一つの事を示していた。

 

(いいのか?こんな所で……)

 

今は教師の代わりに監視カメラがこのアリーナを監視している。もし簪を助けようと思えば、自分の体の事が知られてしまう恐れもあると言う事にほかならない。あれほど他者に知られる事を恐れていた体の事情が、ほかの人間にバレる可能性が出てきてしまう。

 

(でも……)

 

統夜の脳裏に浮かぶのはつい数時間前会話した、簪の表情だった。

 

『そうすれば……分かり合えるかもしれない』

 

『これ……紫雲君が教えてくれた事だから』

 

自分に微笑んだ顔を見せてくれる少女。数ヶ月しか過ごしていないにも関わらず、自分の心の中に深く根付いているその少女が目の前で傷つこうとしている。絶対防御も全ての衝撃を防ぐ訳ではない上、あの状況では正常に作動するかすら定かではない。もし自分が動かなければ弐式は地面に激突して大破、簪も重傷を負うことは想像に難くないだろう。

 

(そんなの……絶対嫌だ!!)

 

思うより早く統夜は駆け出していた。両足にのみ神経を集中させ、アリーナの地面を蹴りつけて風よりも早く簪の元へとたどり着こうとする。

 

「簪さん!体を縮めて!!」

 

統夜は声高に叫ぶと、更に加速した。落下しつつある簪は統夜の言葉を聞きつけて、体を丸める。衝撃に備えた簪は全ての動きを放棄して、目を力いっぱい閉じた。

 

「うおおおおおっ!!」

 

統夜は弐式の落下地点へとひた走る。最後に地面を削りながら停止すると、落下しつつある簪に向かって両腕を差し出した。

 

(やってやる、やってやるさ!!)

 

今度は両足ではなく、両腕に意識を集中させる。瞳が変化し、体の中が熱くなっていくのが自分で分かった。衝撃に備えて両足を踏ん張り、簪を待ち受ける。そしてとうとう、弐式もろとも簪が統夜の腕の中へと落ちてきた。

 

「ッッッッ!!!」

 

脚が、腕が、胸が、頭が引き裂かれそうな激痛が統夜を襲う。ある程度の痛覚遮断は出来るはずなのだが痛覚が刺激されていると言う事は、それ以上のダメージが統夜の身に降りかかっているという事なのだろう。

 

(ぐあああああっ!!!)

 

叫びだしそうになるのを何とか堪える。統夜は目を閉じて体を襲う痛みを耐え続けた。一秒か、一分か、はたまた一時間か。永遠とも思える瞬間は簪の声で終わりを告げられた。

 

「──夜、統夜!しっかりして!!」

 

「か……簪さん?」

 

痛みによるショックか、統夜の視界は霞がかかっているかの様にぼやけていた。だが体を揺らされる感覚と共に、段々と視界が晴れていく。

 

「統夜!しっかりして!!」

 

統夜の目の前には涙で目を腫らしている簪がいた。周囲を見渡してみれば土煙が巻き起こり、自分の足元もクレーターが出来上がっている。簪が無事な事を確認すると、脱力して地面に倒れ込んだ。

 

「大丈夫……だよ」

 

「大丈夫じゃない!」

 

「俺は……化物だからさ」

 

自分の腕に視線を落としてみれば、血塗れの右腕がそこにあった。しかし、左手で血を拭うと、そこには傷一つ見当たらない。

 

「これ……」

 

「大丈夫……もう傷は無いから」

 

統夜が上半身を起こして立ち上がる。簪は統夜の体を支える様に腕を伸ばしかけていたが、悲しそうな表情と共に立ち上がる。

 

「さあ、戻ろうか。弐式も再調整しなきゃいけないだろうし」

 

「……うん」

 

二人は土煙の残るアリーナを後にする。だが二人は気づいていなかった。出口へと向かう二人を、アリーナ内の監視カメラの一つが追いかけている事に。

 

 

 

 

 

 

 

「紫雲君、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だって。心配いらないよ」

 

日も落ちた夜、統夜と簪は部屋にいた。機動試験の後、簪は真っ直ぐ部屋に戻る事を提案。統夜も反対する理由も無いので大人しく簪の言葉に従って部屋に戻っておとなしくしていた。今は夕食を取る前の小休止といった所である。

 

「でも……」

 

「ほら、早く弐式のプログラム書き換えちゃったほうがいいだろ。俺の事は心配いらないから」

 

「……分かった」

 

簪は机に向き直り再びキーボードを叩く作業に戻った。統夜はベッドに寝転んだまま、傷一つ無い右手を顔の前に持ってくる。

 

(良かった、助けられた……)

 

右手を握り締めながら目を瞑って考える。あの時、もし自分が走り出していなかったらどうなっていたか。その結果、簪の身に何が降りかかっていたか。

 

(……やめとこう。結局助かったんだ。考えても意味無い)

 

その時、サイドテーブルに置いてある統夜の携帯電話が震えた。こんな夜更けにいったい誰だと思いつつも、携帯電話を見てみると液晶には“織斑 一夏”と表示されていた。特に考える事も無いので、自然な動きで電話に出る。

 

「はい。もしもし」

 

『ああ、統夜。今、時間あるか?』

 

「何だよ急に。まあ、あるけど」

 

『ちょっと勉強で分からない事あってさ。シャルルは今シャワー浴びてるし、統夜に教えて欲しいんだけど』

 

「別に構わないよ。じゃあ今から行けばいいのか?」

 

『悪いな。頼む』

 

通話を切ると、ベッドから立ち上がりジャージの上着を羽織る。部屋から出ていく直前、簪に声をかけられた。

 

「どこ行くの?」

 

「ちょっと一夏の所に。教えて欲しい所があるんだってさ」

 

「ご飯までには……戻ってきて」

 

「分かった」

 

短い返事を返した統夜はそのまま部屋を出ていく。元々統夜と一夏の部屋はそこまで離れていないため、五分もかからずに到着した。ドアをノックして一夏の返事を待つ。

 

「一夏、いるか?」

 

『ああ、入ってきていいぜ』

 

了承を得た後、扉を開けて部屋の中に入る。一夏は自分のベッドに座っていた。取り敢えず統夜は部屋に置かれている椅子を手元に引き寄せて座る。

 

「サンキュな、統夜。助かるぜ」

 

「それよりもさっき疑問に思ったんだけど、いつの間にルームメイトが変わったんだ?」

 

「ああ、この間だよ。流石にいつまでも箒と一緒ってのはまずいんだってさ。今はシャルルが同じ部屋にいるよ」

 

「そうか。それで、どこを教えてほしいんだ?」

 

「ああ、ここなんだけどさ……」

 

一夏は自分の鞄から教科書を引っ張り出して統夜に見せる。幸い、開かれたページは統夜が理解している所なので簡単だった。そのまま一夏と統夜だけで勉強していると、ふと何かを思い出したかのように顔を上げる。

 

「そうだ。シャンプー、切れかけてたんだ」

 

「お前なぁ、何でこのタイミングで思い出すんだよ」

 

「いいだろ別に。それより、シャワー長くないか?シャルルの奴」

 

「人それぞれだろ。俺はいいから早くシャンプー届けに行ってやれよ」

 

「ああ、分かった」

 

立ち上がった一夏はシャワールームに向かっていく。残された統夜は何の気なしに教科書をパラパラと流し読みしていた。席を立ってから一分もしない内に一夏が部屋に戻ってきた。

 

「統夜……」

 

「戻ってきたか、一……ってどうかしたのか?」

 

一夏の顔色は先程とは一変していた。頭に手を添えながらベッドに倒れこむ一夏に、統夜が心配の眼差しを送る。

 

「おい、どうかしたのか?」

 

「……女子がいた」

 

「は?そりゃあ、この学園には俺たち以外男はいないんだから全員女に決まってるだろ」

 

「違うんだ……今、そこに女子がいた」

 

「それこそありえないだろ。今この部屋にいるのは俺とお前と、シャワー浴びてるシャルルだけだ」

 

「そうだよな……やっぱ俺の目がおかしいのかな……」

 

「変な事言ってないで、続きやろうぜ」

 

「そうだな、うん。そうしよう」

 

ベッドから飛び起きた一夏は統夜に寄って教科書を覗き込む。数分後、先程一夏が出てきた扉から、シャルルが出てきた。統夜も挨拶をしようと顔を上げるが、視線を上げた瞬間その顔が凍りつく。

 

「……シャルル、だよな?」

 

「な、何で統夜もここに……?」

 

「あ、俺が勉強教えてもらいたかったからさ……」

 

統夜の目の前にいるシャルルは昼間のとはまるで違っていた。結んでいた髪をストレートに下ろし、シャワーを浴びていたせいか頬も紅潮している。何より違っているのは胸の部分が昼間より膨らんでいる事だった。

 

「シャルル、それ……」

 

「ごめんね。統夜、一夏」

 

シャルルは顔を俯かせ、涙声で謝罪の言葉を口にした。一夏と統夜は余りの驚きにシャルルの言葉を聞くことしかできない。

 

「僕、二人に嘘ついてたんだ……」

 

彼女の口から明かされる真実が、二人の耳朶を打つ。柔らかな光に照らされるシャルルの顔には、何処か物悲しい表情が浮かんでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 ~交錯する想い~

「これで……僕の話は終わり。ごめんね、嘘ついてて」

 

シャルルの独白が終わった事で部屋の中が再び静まり返る。大人しくシャルルの話を聞いていた統夜はベッドに倒れ込んだ。

 

「そっか……そういう事だったのか」

 

自分が性別を偽ってIS学園に入学したのは父親の命令によるものである事。男装する事で広告塔となり、父親の会社を救う為に一夏と統夜の身体データ、それに白式の稼働データを持ち帰る様に言われていた事。全てを聞いた統夜はどこかすっきりしていた。

 

(結局、姉さんの考えは当たってたって事か……)

 

「まあこれでそんな事も終わりかな。二人にバレちゃったらもうここにはいられないからね」

 

「……がうだろ」

 

「一夏?どうかし──」

 

「違うだろ!!そうじゃないだろ!!」

 

話を聞いている間は全く動かなかった一夏が、不意にベッドから立ち上がってシャルルの両肩を掴んだ。呆気に取られているシャルルの顔を覗き込み、怒涛の勢いで喋りだす。

 

「親ってのは子供にとって大切なものだ!でも、だからって子供に命令していい訳がない!そうだろ!?」

 

「で、でも……」

 

「一夏の言う通りだ」

 

「と、統夜?」

 

一夏の隣でベッドに倒れ込んでいた統夜が起き上がってシャルルの目を真っ直ぐに見る。

 

「俺も一夏と同じ意見だ。自分の都合を子供に押し付ける親なんて、親じゃない」

 

「統夜……でも僕には、もう居場所は無いよ」

 

「だったらここにいればいい」

 

シャルルの肩を離して立ち上がった一夏は自分の鞄を漁って生徒手帳を取り出した。ペラペラとめくっていくと、とあるページで手を止める。

 

「IS学園特記事項第二十一。本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家、組織及び団体に帰属しない。本人の同意が無い場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」

 

「ど、どういう事?」

 

「この学園に在学中、つまり三年間限定でシャルルは誰の干渉も受け付けない。誰の指示も受けなくていいって事だ。それよりも一夏、良く特記事項なんて覚えてたな」

 

「俺は勤勉なんだよ」

 

「と、いう訳だ。三年もあればいい考えも浮かぶだろ」

 

「でも……本当にいいの?」

 

今だにシャルルは戸惑った表情のままだった。何を聞いているのか分からない一夏と統夜は揃って疑問符を浮かべる。

 

「僕がいたら、一夏と統夜に迷惑かけちゃう……僕はそんな事したくないよ」

 

「別にいいだろ。そんな事」

 

「え?」

 

「俺達が迷惑と感じなきゃ迷惑じゃない。そうだろ?統夜」

 

「……ったく、やっぱり楽天家だな。お前は」

 

「一夏……統夜……」

 

「でも今回は俺も一夏と同じだ。正直言って状況に流されるってのは好きじゃないけど、会ったばかりのシャルルといきなり別れるってのも後味悪いし」

 

「素直じゃねえなぁ」

 

「お前みたいに単純じゃないんだよ」

 

「何だとー!」

 

「や、止めろ、おいっ!!」

 

一夏が統夜に飛びかかる。ベッドの上で格闘する二人を見ながら、シャルルは自分の胸に熱い物がこみ上げてくるのを感じた。

 

「ありがとう……ありがとう、二人とも」

 

「別にいいよ、礼を言われる程の事じゃない」

 

統夜が返答したその時、部屋の扉がノックされた。統夜と一夏は揃ってシャルルを見る。

 

「おい一夏!今はマズイんじゃないのか!?」

 

「ああ。シャルル、取り敢えずベッドの中に」

 

「う、うん」

 

もぞもぞとシャルルがベッドに入ると同時に、一夏と統夜はアイコンタクトを交わし統夜はシャルルの体を隠す様にベッドの脇に立ち、統夜はゆっくりとドアを開ける。

 

「あら?紫雲さんですの?」

 

「オ、オルコットさんか。何か用かな?」

 

「ええ。一夏さんと夕食をご一緒しようかと思ったのですが……」

 

「あ、ああ!今ちょっとシャルルの気分が悪くてさ。一夏と俺で面倒見てるんだよ。な、一夏!」

 

振り返って部屋の中へと声を張り上げる統夜。一夏はどもりながらも統夜に合わせた。

 

「あ、ああ!シャルルがちょっと。な!シャルル」

 

「う、うん。ゴホッゴホッ!!」

 

(わざとらしすぎるだろ!)

 

嘘をつくのが苦手なのか、風邪を引いた真似が恐ろしく下手なシャルル。しかし純真なセシリアはあっさりと騙されてくれたようだ。心配そうな表情をしつつ、部屋の中を覗く。

 

「そうでしたの……それは大変ですわね。お大事になさって下さい」

 

「そ、それでオルコットさんはどうしてここに?」

 

「ええ。丁度良い時間なので一夏さんと夕食をご一緒しようかと」

 

「わ、分かった!行く、一緒に行く!!」

 

あたふたと部屋を出ていこうとする一夏。別れ際に統夜に言い残していくのを忘れなかった。

 

「シャルルの事、頼む」

 

「分かった」

 

「さあ一夏さん、行きましょうか」

 

廊下を二人揃って進んでいくのを見送ったあと、統夜はゆっくりとドアを閉めて部屋の中に戻る。シャルルは毛布から顔を半分だけ出して待っていた。

 

「もう大丈夫だ。オルコットさんは行ったよ」

 

「ありがとね、統夜」

 

「いいって。さっきも言ったけど、別にお礼を言われたくてあんな事言ったんじゃない」

 

「……ねえ、聞かせて統夜。」

 

「何を?」

 

「何でそんな風に考えられるの?」

 

「……」

 

「この事を黙ってたら、二人に迷惑がかかっちゃうんだよ?さっきは迷惑に感じなければいいって言ってたけど、何でそんな考え方が出来るの?」

 

シャルルの言葉を聞きながら、統夜は一夏のベッドに腰掛ける。シャルルは統夜の言葉を待ったまま、口を開こうとはしない。統夜は数秒思考した後、自分の考えを口にする。

 

「同室の子に教えてもらったんだ。“分かり合う為には、距離を埋める為には話し合う。そうすれば分かり合えるかもしれない”って」

 

「優しい子だね」

 

「俺もそう思うよ。だからかな、最初は少しだけシャルルの事警戒してたけど、今は全然気にしてない。自分でも単純だと思うけどね」

 

「ううん、僕はそう思わないよ。それにありがとね、正直に話してくれて」

 

その時、統夜のポケットで携帯電話が震えた。取り敢えず電話に出てみると聞こえてきたのは、話題に上がっていた少女の言葉だった。

 

『紫雲君、今どこ?』

 

「ああ。一夏の部屋だけど」

 

『そろそろ、夕食……』

 

「分かった。今から部屋に戻るよ」

 

携帯を再びポケットにしまうと、シャルルの方に向き直る。

 

「悪いシャルル、行ってもいいか?」

 

「うん、もう大丈夫。あと統夜、一つ聞いてもいい?」

 

「何?」

 

「その言葉を教えてくれた女の子の事、好きなの?」

 

今度は統夜が戸惑う番だった。今までの冷静さが嘘の様に慌て始める。

 

「ななな何でそう思うんだ!?」

 

「だって統夜、話してる時すっごく優しい顔してたよ?」

 

「……そう?」

 

「うん」

 

「何でシャルルにも言われるんだよ……」

 

頭を掻きながら統夜は首を傾げる。そんな顔に出やすいのかな、と思いながら部屋を出ていく。

 

「じゃあな、シャルル。また明日」

 

「うん、また明日」

 

統夜が出ていった後、シャルルはゆっくりとベッドに体を沈める。誰に聞かせるでもなく、独り言を静かに呟く。

 

「……その子とも、仲良くなれるかな」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 ~サイアクな放課後~

五月の終わり、草木も眠る丑三つ時に二人は整備室にいた。既に他の生徒は寝入っており、こんな時間まで起きていたら授業に差し支えること必至だが、幸い既に日付は変わって今日は日曜日。遅くまで起きていても問題は無いという訳だ。そして今、統夜と簪は整備室で一機のISを前に佇んでいた。

 

「出来た……」

 

「……」

 

「これで終わり、なのか?」

 

「正確には、微調整が残ってる。それに……ミサイル関係のロックオンシステムがまだ……未完成」

 

全体的に洗練と無骨さを兼ね備えたフォルムを持ったそれは、武士と言うより騎士に近かった。スカート状のスラスターは大型と小型の物を含めて全部で三つ、展開されている。背部には大型の砲台が二機装備されており、打鉄に比べて火力と機動性重視なのが見て取れる。

 

「でも……ひとまずはこれで、おしまい」

 

「やった……」

 

統夜は脱力して地面に座り込んだ。簪も手近にあった椅子に座り込む。簪の顔にははっきりとした充足感が浮かんでいる。

 

「……ありがとう」

 

「ど、どうしたの?」

 

いきなり簪が姿勢を正して統夜に頭を下げた。統夜は立ち上がって簪の肩を掴んで頭を上げさせる。

 

「あなたがいたから……こんなに早く作れた」

 

「それは勘違いだよ。簪さん一人でも、ちゃんと作れたさ」

 

「私一人だったら……こんなに早く、作れなかった。だから……ありがとう」

 

「それより、お祝いとかしようか。やっと終わったんだ」

 

「お祝い?」

 

「うん。今まで頑張ってたISが完成したんだし、それぐらいしてもバチは当たらないだろ。何か欲しい物とかある?」

 

「欲しい物……」

 

簪はじっと考え込む様な仕草を見せたが、ふと統夜の顔をまじまじと見る。

 

「どうかした?」

 

「な、何でもない……」

 

頬をほんのりと染めて顔を背ける簪だったが、ふと何かに気づいた様に再び統夜の顔を覗き込む。桜色の唇をゆっくりとなぞりながら、何かを呟いた。

 

「簪さん、何か言った?」

 

「……要らない」

 

「何を?」

 

「……名前で、呼んで」

 

「え?」

 

「“さん”は……要らない」

 

簪の言葉の意味を理解した統夜は顔を赤く染める。簪も恥ずかしそうにもじもじと体を揺らして落ち着かない。

 

「それで、いいの?」

 

「うん……」

 

「じゃ、じゃあ……簪」

 

「……それで、いい」

 

頬を更に染める簪。統夜はそんな簪を見つめてから、ふと思いつく。

 

「じゃあ、俺もいいよ」

 

「何が?」

 

「俺も名前で呼んで」

 

「……いいの?」

 

「一夏とか鈴は名前で呼んでるからね。簪さんの好きなように呼んでいいよ」

 

自分の言った言葉を言い終わってから理解した統夜。簪の顔をまともに直視出来なくなり思わず背けてしまう。

 

「……思ったけどこれ、別にお祝いでも何でも無いな」

 

「ただ……名前呼びにしただけ」

 

「やっぱり、そうだよな」

 

「……ふふふ」

 

統夜の言葉を聞いた簪が口元を抑えて笑い出す。それは統夜が初めて見た、簪の心の底からの笑みだった。

 

「……はははっ」

 

「ふふふ……」

 

二人揃って笑い続ける。二人だけの整備室に、年相応の笑い声が響き渡っていた。

 

 

 

 

簪のIS完成から一週間経った。名前呼びになった二人の間柄は鈴にいじられ、本音からはのんびりと突っ込まれた。その度に顔を赤くする二人だったが、決して名前呼びを止める事は無かった。

 

「そう言えばのほほんさんから聞いたけど、この間ボーデヴィッヒさんに襲われたんだって?」

 

「ああ。何か知らないけど、目の敵にされてるみたいでさ。ほんと、参ってるぜ」

 

「一夏はこれから特訓か?」

 

「ああ、いつも通りな。統夜も何時でも来ていいぜ」

 

「分かった。じゃあまたな」

 

いつもの通りの放課後の言葉が二人の間で交わされる。統夜は一夏に別れを告げると、ルームメイトの少女を迎えに行くために教室を出た。

 

「とーやんとーやん。かんちゃんのお迎えに行くの?」

 

「ああ、そうだよ。のほほんさんも行く?」

 

「うん。行く~」

 

本音も鞄を両手で持って統夜の後をついてきた。緩んだ笑みを浮かべながら、二人揃ってとある教室めがけて廊下を歩いていく。

 

「そーいえば、何でかんちゃんの事を名前で呼んでるの?」

 

「ああ。少し前に簪さ……簪のISが完成しただろ?その時に名前で呼ぼうって決めたんだ」

 

「仲良しだね~」

 

「……統夜」

 

四組の教室の前に二人が着いたとき、統夜が開けるより先に扉が開かれる。そして教室の中から青髪の少女が出てきた。

 

「かんちゃん、相変わらず可愛いね~」

 

「や、やめて……」

 

本音が両腕で簪を抱きしめる。口では文句を言いながらも、簪もそこまで嫌でもない様子だった。

 

「統夜……行こう?」

 

「ああ、ごめん」

 

「何処か行くの?」

 

「うん……今日は、弐式のデータ取り」

 

一段落したとは言え、打鉄弐式はまだ未完成な部分が残っている。戦闘行為は出来るがロックオンシステムが未成熟な上、稼働データも満足に取れていない。そのため、データ取りは急務だった。

 

「じゃあ、整備室に?」

 

「うん……早く行こう」

 

「そう言えば簪。眼鏡かけなくていいの?」

 

「あれは、ディスプレイだったから……もうISが完成したから、付ける必要も無い。一週間前から……外してた」

 

「とーやん、女の子の変化にはすぐ気づいてあげなきゃダメだよ?」

 

「いや、前から気づいてはいたけど眼鏡が壊れたのかなと思ってさ」

 

「統夜は……前の方がいい?」

 

「いや、今の簪もいいと思うよ」

 

「じゃあ……もう着けない」

 

にこりと笑う簪。ついこの間と比べて簪も豊かな表情を浮かべる様になっていた。三人で笑いながら談笑していると、アリーナに向かう途中で人混みに捕まった。ガヤガヤと騒ぐ生徒達でアリーナの入口が塞がり、整備室にたどり着けない。

 

「どうかしたのか?」

 

「ねぇねぇ、何かあったの?」

 

「今、第三アリーナで代表候補生同士が模擬戦やってるんだって」

 

「そうなんだ。ありがと~」

 

教えてくれた生徒も人混みに紛れて見えなくなっていく。統夜達三人はひとまず生徒達から離れた。

 

「第三アリーナって言うと……一夏達が特訓している所か?」

 

「でも……鈴とオルコットさんが模擬戦するだけでこんなに人が集まるなんて、考えにくい」

 

「じゃあ、誰と戦ってるの?」

 

「そう言えば……ラウラ・ボーデヴィッヒはドイツの代表候補生、だったはず……」

 

「それじゃ、戦ってるのは鈴達とボーデヴィッヒさんだってのか?」

 

「もしかして~、相当危ないんじゃない?」

 

「それ、詳しく聞かせて!」

 

ぽつりと呟いた本音の言葉に統夜が食いつく。豹変した統夜に戸惑いつつも、本音はいつものペースを崩すこと無く、ゆっくりと話し始めた。

 

「あの子、ドイツの軍人さんだって友達が言ってたの。それにこの間、おりむーに襲いかかった時も容赦無かったって言ってた。今戦ってるのがラウラさんだったら……」

 

「……急ごう」

 

「う、うん……」

 

端的に言葉を発した統夜が二人を促す。と言ってもアリーナの入口は既に人で塞がっている。統夜は脇道に入り込んで、一つの扉を開けた。

 

「とーやん、どこ行くの?」

 

「アリーナへ直接つながる通路だ。あそこだったら人もいないし、アリーナの中の様子も見られる」

 

三人は止まらずに走り続けた。数分後、いくつもの自動ドアを潜り抜けてとうとう三人はアリーナにたどり着いた。

 

「何だよ、あれ……」

 

「何で……」

 

統夜と簪が揃って戸惑いの声を上げる。三人の視線の先では、蹂躙劇が繰り広げられていた。

 

「何であんな事を……」

 

三人の目の前では鈴とセシリア、ラウラによる戦闘が行われていた。だがそれは戦闘と呼ぶには異常な光景だった。鈴とセシリアはラウラの展開するワイヤーブレードに捕まり、身動き一つ取れない。対するラウラは二人に拳を打ち込み続けている。やり過ぎなのは火を見るより明らかだった。

 

「止めろおおおおっ!!」

 

その時、光と共に観客席のシールドが破れ、白式を纏った一夏がアリーナに躍り出てきた。片手には雪片を握り締め、顔は憤怒の感情で覆われている。そのまま加速をかけてラウラめがけて突貫した。

 

「一夏……」

 

「あ、しゃるるんも来たよ!」

 

一夏に続いてシャルルも観客席から飛び出して来た。鈴とセシリアを担いでアリーナの端へと避難していく。だがその間にも、形勢は逆転していた。

 

「ッ!一夏!!」

 

優勢だったのは最初だけで、それ以降一夏は押されっぱなしだった。軍人のラウラとつい最近まで一般人だった一夏では、地力が圧倒的に違うのだろう。

 

「あれじゃ、絶対防御も……」

 

「……簪。弐式の装備に近接用の武器、あったよな?」

 

「う、うん。けど、何を……」

 

「出してくれ。今すぐに」

 

「で、でも統夜。ここでそんな事したら──」

 

「いいから、早く!!」

 

「っ!」

 

「とーやん、何する気なの?」

 

躊躇いながらも簪は右の中指にはめられた指輪に左手を添える。目を瞑って集中すると、簪の右手に青色の光が集まっていく。光が収束すると簪の右手は鎧に包まれ、その手には超振動薙刀“夢現”が握られていた。

 

「……はい」

 

「ねえ、何を──ってええええっ!?」

 

統夜は簪の右手から夢現をもぎ取ると、両手で構えて突貫した。背中に聞こえる本音の声を意に介する事無く、両足を動かす。

 

「はあああああっ!!!」

 

地面を蹴って弾丸の如く飛び出した統夜が向かう先にいたのは、今にも一夏に殴りかからんとするラウラだった。ふとラウラが気配に気づいて目を横に向けてみると、自分めがけて薙刀を大上段に振りかぶっている統夜が瞳に写りこんだ。

 

「何だとっ!?」

 

「一夏から、離れろっ!!」

 

夢現を振るってラウラに攻撃を加える統夜。袈裟がけに振り下ろされた一撃は、ラウラのプラズマ手刀に阻まれた。

 

「貴様、何のつもりだ!!」

 

「統夜!?危ない、下がれ!!」

 

「うおおおっ!!」

 

統夜が吠えると、薙刀が手刀を押していく。ジリジリと手刀は体に迫り、とうとう支えきれなくなったラウラは手刀を振るって統夜と距離を取った。

 

「一夏、大丈夫か!?」

 

「お、俺は平気だけど……統夜こそ平気なのかよ!?」

 

「生身の人間が、出てくるなっ!!」

 

再びラウラが手刀とワイヤーブレードを振るって統夜と一夏に迫る。統夜は再び夢現を構え直し、一夏は雪片をラウラに向けて握り締める。そして三つの影が重なり合う直前、もう一つの影が割り込んだ。

 

「そこまでだ」

 

「千冬姉!?」

 

「織斑先生!?」

 

割って入ってきたのは千冬だった。宙に浮かんでいたラウラのワイヤーブレードを手にしたIS用の大剣で全て叩き落とし、手刀を大剣の腹で受け止めている。

 

「教官!?何をなさるのです!!」

 

「私闘行為を見過ごす訳にもいかん。それに加えてアリーナのシールドまで破壊している。貴様は私の顔に泥を塗るつもりか?」

 

「……」

 

「何か言いたい事があるのなら、今月末のタッグトーナメントで言え。決着もそこでつければいいだろう」

 

「……分かりました」

 

千冬の言葉を聞いて落ち着いたのか、ラウラがISを解除する。統夜は夢現を下ろし、一夏

もISを解除した。統夜は千冬の言葉でしおらしくなったラウラを見やる。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……」

 

憎しみの感情で燃え盛る彼女の双眸は、真っ直ぐ一夏を見つめていた。

 

 

 

 

 

「次の作戦が決まったよ」

 

いつもの部屋でいつも通りの席順。だがいつもと違うのは、目の前のディスプレイに映っている映像だった。

 

「君たちの目の前にあるのが、次の作戦の概要だ。何か質問は?」

 

「司令、この作戦の意図が分からないんだけど説明してもらえるかしら?」

 

「貴様、少しは理解する努力を──」

 

「構わない。そうだな、いっその事最初から話すか」

 

上座に座った男は目の前のディスプレイに指を走らせる。すると他の二人の目の前のディスプレイも動き出した。

 

「この作戦の意図は二つある。一つはラインバレルの存在の確認。そして二つ目はアルマの可能性の模索だ」

 

「ラインバレルの存在の確認というのは分かりますが、アルマの可能性と言うのは?」

 

「無人のままのアルマでは、いつか限界が来る。人間は反射のレベルで思考が出来るが、機械はそれが出来ない。その他にも第六感や直感と言った人間の可能性がある限り、戦闘において機械は人間には勝てないのだよ」

 

「確かに、理解できますが……」

 

「先日ドイツの研究所から上がってきた報告書の中に面白い記述があった。代表候補生のISに、VTシステムを搭載したとね」

 

「ヴァルキリー・トレースシステムですか……それが?」

 

「私はこの間研究所に連絡して、もう一つシステムを搭載させた。“──”だよ」

 

その言葉を聞いた青年が腕を組んで唸る。

 

「確かに……それだったらアルマの可能性を試せますね」

 

「私は反対だわ」

 

「貴様、一体何を──」

 

「いいさ。君がダメだと思う理由を聞かせてくれ」

 

「司令の言葉は確かに正しいです。機械では人には勝てない。確かにそれは正しいでしょう。しかし、その実験の為にISを利用する必要はありません」

 

「……」

 

「私はISに頼らず、理想を成し遂げたいのです。それではいけないのですか?」

 

「……君の気持ちも分かる。だが今は我慢してくれないか?君たちで試すにはリスクが高過ぎる。アルマも大事にしたい。そうなれば取れる手段は限られてくるのだ」

 

立ち上がっていた女性がため息と共に席に着いた。男の方も悲しげな顔をしながら言葉を紡ぐ。

 

「今だけは我慢してくれないか?」

 

「……分かりました。司令がそう仰るのなら」

 

「さて、これで決まったね。そして決行する日は……」

 

男が三度ディスプレイに手を伸ばす。するとディスプレイの映像が変わり、今度は空から取った写真が映し出される。

 

「来月のタッグトーナメント、その日に動き出す。そしてそれが終われば、本格的に動き出せるだろう」

 

 

 

それぞれの思惑はまるで絡み合う糸の様に交差する。時の歩みと共に、それは段々と増していき、次第に誰もが目を背ける事が出来ない程大きくなっていく。

 

今その内の一本、白い糸の元に黒色の荒い糸が緩やかに迫ろうとしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 ~眠れぬ夜に~

「とーやん、大丈夫?」

 

「平気だよ。姉さんに鍛えられたからね」

 

ラウラと対峙したその日の夕方。統夜と簪、本音は医務室にいた。向かいのベッドでは鈴とセシリアが寝ている。

 

「でも何でボーデヴィッヒさん、二人を攻撃したんだ?」

 

「そ、それは……」

 

「諸々の事情があったのですが……」

 

統夜の疑問に曖昧な言葉で答える二人。その時、部屋にシャルルと一夏が揃って入ってきた。にこやかな笑みを浮かべながら一人ひとりに缶ジュースを渡していく。

 

「譲れない物があったんでしょ?」

 

「ま、まあそう言う事にしといて……」

 

「そうですわね……」

 

「統夜、お前も大丈夫か?生身でISの装備使うなんて」

 

一夏も片手に缶ジュースを持ちながら統夜が寝ているベッドに近づいていく。統夜の両手は幾重にも包帯が巻かれており、見るからに痛々しい。

 

「学園に来る前に姉さんに散々鍛えられてたから。あの位はな。それに織斑先生も生身で武器、使ってたろ?」

 

「千冬姉は色々と……」

 

自分の姉の事を考えて苦笑いする一夏。だが実のところ、統夜は怪我など負っている訳ではない。そもそもISの武具を持った程度で壊れる様な体ではないのだ。今包帯をしているのは周囲へのカムフラージュに過ぎない。ベッドの隣に立っていた簪が統夜の耳に口を近づけて囁く。

 

「怪我とかしてない?」

 

「問題無いよ。大丈夫」

 

他の皆に見られないように腕を動かす統夜。一夏の方にいた本音は近づいて来て、統夜のベッドに寝転がる。

 

「本音、統夜の邪魔……」

 

「眠い……」

 

「簪、俺はもう大丈夫だから先に部屋に帰ってて」

 

「分かった……本音、行こう」

 

本音の首根っこを掴んだ簪は医務室の出口へと進んでいく。ドアノブに手をかけようとしたその瞬間、簪が開けるより先に外側からドアが開かれる。

 

「うわわわわっ!?」

 

「織斑君!!」

 

「紫雲君!!」

 

「デュノア君!!」

 

簪と本音は医務室に雪崩こんできた人の波に飲み込まれた。人混みはそのまま三方に別れて進んでいく。その先にいたのは一夏、シャルル、統夜達男子学生だった。

 

「紫雲君、私と組もう!」

 

「いや、私と!!」

 

「ちょ、ちょっと待って!何の事か言ってくれ!!」

 

「「「これ!!」」」

 

一斉に統夜めがけて差し出される紙の数々。統夜はその内一枚を手に取って読み始めた。

 

「えっとなになに?“今月開催される学年別トーナメントでは、より実勢的な模擬戦を行うため、二人一組での参加を必須とする。なお、ペアができなかった場合は抽選により選ばれた生徒同士をペアとする”」

 

「そう!だから、私と組んで!!」

 

「いや!私と!!」

 

人混み越しに一夏達を見てみれば、自分と同じ状態になっているのが見えた。

 

(いや、そうは言っても……)

 

統夜からしてみれば、こんなトーナメントなど出たくないと言うのが本音だった。何を好き好んで殺し合いまがいの事をしなければならないのか。正直言って理解に苦しむが、学校行事だと言うのならしょうがない。この学園に入ってきた時から覚悟はしていたのだ。

 

「ペアかぁ……」

 

「私と!」

 

「いや、私と!!」

 

周囲の生徒達の顔を見てみる。見覚えがある一組のクラスメイトもいれば、全然見た事が無い他のクラスの生徒も混じっていた。困惑していると、ふと集団の外にいる本音と一緒にいる簪の顔が目に入る。

 

「……」

 

統夜を囲んでいる周囲の女子を見つめる寂しそうな目。そして何かを言いたそうにする口と伸ばしかけている右手が、統夜の目に映りこんだ。

 

「……決めた」

 

「だ、誰!?」

 

統夜の声を聞いて周囲の女子が色めき立つ。統夜はベッドを降りると周囲の女子を押しのけてドア口に立っている簪の元へ向かった。

 

「……簪」

 

「な、なに?」

 

目の前に統夜がいる事に驚いているようで、珍しく目が見開かれている。隣にいる本音は笑みを浮かべながら簪と統夜を交互に見ていた。統夜はゆっくりと簪に右手を差し出して言い放つ。

 

「学年別トーナメント、俺とペアを組んでくれないか?」

 

「……いいの?」

 

「何が?」

 

「私で、いいの?」

 

「勿論」

 

周囲には嬌声が響いていたが、今の二人の耳にそんな雑音が届く事は無かった。まるで二人きりの時の様に互いの目を見つめ続け、微動だにしない。簪は俯いて数秒思考する様子を見せた後、おずおずと右手を差し出して控えめに統夜の右手を握った。握手しながら頷く簪を見届けた統夜は周囲に宣言する。

 

「って訳だ。ごめん」

 

「……まあ、紫雲君の方は望み薄だったもんねー」

 

「織斑君とは違って鈍感じゃないっぽいし」

 

統夜の言葉を聞いてぞろぞろと部屋から出ていく生徒達。まるで嵐が過ぎ去ったかの様な室内で、鈴が刺々しい声を上げる。

 

「……アンタ達、いつまで手繋いでるの?」

 

「あ、ご、ごめん!」

 

慌てて統夜は手を離した。簪は大切な物を手放す時の様な名残惜しい表情を一瞬だけ浮かべるが、統夜がそれを見る事は無かった。そのまま自分のベッドに潜り込む統夜とは対照的に、簪は自分の右手を見つめて動こうとしない。

 

「……じゃ、じゃあ私達はこれで~」

 

今度は本音が固まっている簪の首根っこを掴んで部屋から出ていく。

 

「……何か強烈だったな」

 

「女の子って、凄いね……」

 

「でも統夜、アンタ意外と大胆ね」

 

鈴の言葉に反応せず、統夜は自分のベッドに入って包帯に巻かれた右手を見る。

 

(柔らかかったな……)

 

女の子らしい小さな手。初めて握ったその手はとても柔らかくて、暖かくて、心地よかった。

 

 

 

 

本音と寮の中で別れた簪は、歩きながら先程まで統夜と繋がれていた右手を目の前にかざす。

 

(大きかった……)

 

初めて握ったその手は大きくて、固くて、心地よかった。今もその手に暖かさが残っている。頬が緩むのが自分でも止められない。何の気なしに左手で右手をさする。その時、丁度曲がり角の所で声がかけられた。

 

「簪ちゃん。少しいいかしら?」

 

「……」

 

曲がり角から出てきたのは姉の楯無だった。正直言ってとても苦手だったが先日自分のISが完成した事もあり、少しは姉への気持ちも軟化していた。沈黙を肯定と受け取ったのか、簪の返事を待たずに一人で話を始めた。

 

「単刀直入に言うわ。紫雲 統夜君の事だけどあなた、彼の事何か知らない?」

 

「何って……」

 

「良く聞きなさい。あの子は不審な点が多すぎる。危険だわ」

 

「危険……」

 

簪は無意識の内に右拳を握りしめていた。姉の言葉は止まる事がない。

 

「詳しくは言えないけど、彼の事は警戒しておきなさい。同じ部屋が嫌だったら、私が──」

 

「止めて!」

 

思わず簪は姉の両肩を押して黙らせていた。倒れこそしなかったが、たった今目の当たりにした事に驚愕して目を見開く楯無。全身を震わせながら口を開く。

 

「統夜の事を全然知らないのに……そんな事、言わないで」

 

「簪ちゃん……」

 

「統夜は危なくない。統夜は、統夜は……」

 

「……また来るわ」

 

背を向けた楯無が一人で去っていく。簪は廊下で一人佇んだまま、姉の言葉の意味を考えていた。

 

『危険だわ』

 

(違う、統夜は危険なんかじゃ……)

 

頭の中では必死に否定するも、浮かんでくる考えを止める事は出来なかった。思い浮かんでくるのは先日アリーナで自分を助けてくれた統夜の姿。

 

(危険なんかじゃ……)

 

ISを装備した自分を受け止めたというのに問題無かった彼の体。血塗れに見えてもその下を見ればどこにも傷は見当たらなかった。そして自分を見つめる彼の瞳。それは彼が人間の範疇にいない事を如実に示していた。

 

(違う、違う……)

 

簪はとうとう頭を抱えて座り込んでしまった。彼女を助ける人間は今、誰もいない。

 

 

 

 

「先生、もう戻ってもいいですか?」

 

「うーん……」

 

統夜は身体検査を受けながら、話しかけていた。対面のベッドでは今だ鈴とセシリアが寝ている。現在、午後十一時。医師を兼任している教師の診察を受けながら統夜はしきりに頼み込んでいた。

 

「本当に大丈夫なの?」

 

「ええ。体調に問題はありませんし、もう大丈夫ですよ」

 

「……分かったわ。但し今週のうちに、もう一回診断を受けに来る事。それだったらいいわよ」

 

「ありがとうございます」

 

脇にかけてあった制服の上着を羽織ると、医務室から出ていく。最低限の光が灯った廊下を特に何も考えずに歩いていく。

 

(あっちの方が寝心地いいもんなぁ……)

 

統夜が医務室を抜け出した理由としては至極単純な物だった。ただ単に部屋の方が眠りやすいからである。意外と子供っぽい一面を発露した統夜は望むがままに自室へと到着した。

 

(あれ?鍵、空いてるのか)

 

てっきり既に閉まっている物と考えていて回したドアノブ。しかしそれは止まることなく扉を開け、統夜を中へと誘った。少し疑問に思いながらも統夜は部屋の中へと入る。

 

(簪、もう寝てるのか?)

 

膨らんでいるベッドを見る。寝息は聞こえてこないが、恐らく寝ているのだろうと辺りをつけた統夜は自分も寝るべくベッドに潜り込もうとした。だがその時、いきなり服を後ろから掴まれてつんのめる。

 

「うわっ!?」

 

「……統夜」

 

「簪、まだ起きてたの……ってどうかしたのか?」

 

暗闇に目が慣れ、徐々に簪の顔が見えてくる。彼女の瞳は濡れぼそり、目は赤く腫れ上がっていた。思わず目元を拭おうとした統夜を簪が服を掴む手に力をいれて半ば強引に自分のベッドへと座らせる。

 

「統夜は……危険じゃない」

 

「……何があったんだ?」

 

「……お姉ちゃんに、言われた。統夜が……危険だって」

 

「……そんな、まさか」

 

簪の言葉を聞いて愕然とする統夜。傍目から見たら一般人を演じている統夜にそんな評価を抱く理由など、一つしか見当たらない。頭の中がごちゃごちゃになっている統夜の横で簪が更に涙声を上げる。

 

「私だって、分かってる……統夜が優しいって事。でも、でも……あの時の統夜の顔が頭から離れないの」

 

「あの時の……」

 

「統夜の目が赤くなって……傷が治って……それで……」

 

簪は統夜の服を手放して両手を顔に当てて蹲ってしまう。統夜は目の前の少女を見ながら、その言葉の意味を考えていた。

 

(……そうだ、それが普通の反応なんだ)

 

過去にも向けられた事のある恐怖と忌避の視線。自分の体を理解している以上、そんな目で見られる事は統夜自身十分過ぎる程理解していた。統夜は深呼吸して落ち着くと、ゆっくりと簪の肩を持って顔を上げさせる。

 

「大丈夫だよ、簪」

 

「統夜……」

 

「寧ろその反応が普通なんだ。俺みたいな化物を見て、そんな事思わない方がおかしいんだよ」

 

「だけど──」

 

「いいんだ、俺の事は。それより楯無さんの事だけどあの人、そんなに悪い人じゃないよ」

 

「……何で、そう思うの?」

 

統夜の言葉を聞いた簪は表情を一変させた。今まで涙目で統夜を見つめていたがその名前を聞いた途端、視線が攻撃的な物に変わる。初めて見る簪のそんな表情に少し物怖じする統夜だったが、意思を固めて訥々と語り始めた。

 

「この間少し話したんだけどさ、簪の事心配してたよ」

 

「嘘。あの人がそんな事……」

 

「本当だって。それに俺の事を簪に言ったのも、簪の事を本気で心配してるからだよ。自分の妹を守ろうと必死なだけだ」

 

「……」

 

「俺が思うに、あの人は簪を守りたいだけだよ。打算とか感情じゃないんだ。ただ守りたいって思うから守る。それだけだと思うよ」

 

「……もう寝る。お休みなさい」

 

統夜の言葉を聞き終えた簪はベッドに潜り込んでしまった。統夜もため息をついて自分のベッドで毛布を被る。

 

(難しいな、姉妹って……)

 

言い表せない焦燥感が統夜を苛む。気持ちよく寝るために部屋へと戻ってきたはずなのに、その夜は気持ちよく眠る事は出来なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 ~機械仕掛けの呪い~

六月の終わりにはIS学園の一大イベント、学年別トーナメント戦が行われる。今年はより実戦的な模擬戦闘を行うため二人一組という特別ルールはあるが、そのトーナメントが持つ意味は変わることが無い。三年生にはスカウトが、二年生には一年間の成果を確認する為に企業や国の注目度は大きい。いつもは観客がまばらなアリーナも、この日ばかりは空きが無いほど混雑していた。そしてそのアリーナの更衣室には世界でたった二人しかいない男のIS操縦者が揃っている。

 

「しかし随分人が多いな……」

 

「企業や国のスカウトも多く来てるからね。二年生も腕の良い人は声がかかるし、先に目をつけておこうって考えてるんだろうね」

 

一夏とシャルルが揃って天井に設置されているモニターに目をやる。その中には大勢の観客が今か今かと待っている様子が大写しになっていた。

 

「今日はセシリアたちも出れないからな。あの二人の分まで頑張ろうぜ、シャルル」

 

「うん、分かってるよ」

 

「統夜も頑張ろうな……ってどうかしたか?」

 

「……ん?ああ、悪い。聞いてなかった」

 

「統夜、大丈夫?この間から様子がおかしいけど」

 

「ああ、大丈夫。気にしないでくれ」

 

「そう……何かあったら僕たちにも言ってね」

 

「ありがとうな、シャルル」

 

返事を返す統夜だったが声に張りは無く、誰が聞いても生返事だと思う声音だった。一夏とシャルルは顔を突き合わせて統夜に聞こえないよう、こそこそと喋る。

 

「ねえ一夏、統夜どうしちゃったの?」

 

「それが分からないんだ。一週間前くらいからよくぼーっとしてて。箒達に聞いても知らないって言うし」

 

「心配事でもあるのかな?」

 

「言ってくれりゃいいのにな」

 

「……人には言えない事だってあるよ」

 

二人はちらりと統夜に目を向ける。俯いて何かを呟く統夜はどう見ても大丈夫ではなかった。その時、ファンファーレの音と共にモニターの様子が変化する。

 

「おっ、組み合わせ発表か」

 

「統夜、見ないとダメだよ」

 

「ああ。分かってる」

 

一人離れていた統夜も一夏達に寄ってきてモニターに目をやる。ドラムロールの音と共に映像が変化していく。数秒後、モニターには対戦表がでかでかと映し出されていた。それを見て三人の目が大きく見開かれる。

 

「これって……」

 

「……偶然にしては出来過ぎな気もするな」

 

「いいじゃねえか。待つ手間が省けたぜ」

 

シャルルと一夏の隣に浮かんでいる名前、それはラウラ・ボーデヴィッヒと篠ノ之 箒のペアだった。

 

「でも一夏、ボーデヴィッヒさんは強敵だよ。恐らく今の一年生の中で一番強いと思う」

 

「大丈夫だろ。俺も特訓してきたし、シャルルもいるからな!」

 

「二人とも、頑張れよ」

 

「統夜も頑張ってね」

 

「俺の出番は相当先みたいだからな。今は二人の応援に回るぜ」

 

統夜と簪の名前は一夏達の位置とはかけ離れていた。その時、圧縮空気の音と共に更衣室の扉が開く。入ってきたのはISスーツ姿の簪だった。

 

「迎えに、来た……」

 

「ああ、行こうか」

 

「統夜、俺たちも行くぜ。また後でな!」

 

「一夏達も頑張れよ」

 

一夏とシャルルも試合の為に更衣室から出ていった。統夜と簪は二人と別の出口から出て、整備室へと向かう。試合を行う前に整備室で打鉄弐式の最後の調整を行う予定だ。幸い、統夜達の出番はまだまだ先なので時間はたっぷりある。

 

「統夜……聞いて欲しい事がある」

 

「何を?」

 

「このトーナメントが終わったら……あの人と話してみる」

 

「簪……」

 

「ISも完成した……統夜の言ってた通りだったとしたら、少しだけ……話してみたい」

 

「その方がいいよ。俺も手伝える事があったら手伝うからさ」

 

「うん……」

 

話している間に整備室の前にたどり着いた二人。二人が入ると同時に、遠くの何処かで戦いの鐘が鳴った。

 

 

 

「へぇ、シャルルのISってあんな装備があったのか」

 

「……あれは“灰色の鱗殻(グレー・スケール)”。盾殺しとも呼ばれている……第二世代最高峰の攻撃力を誇る、武器」

 

一夏達の試合は途中から一方的な展開となっていた。当初は一夏対ラウラ、シャルル対箒で競り合っていたが途中で箒が脱落。ラウラも手刀とワイヤーブレードを使って奮戦するが、流石に二対一はどうしようもなかった。ラウラの切り札であるAICも集中力を要するので二人同時には展開出来ず、不利な展開が続いている。今はシャルルがラウラを壁際に縫い付け、必殺の一撃を見舞った所だった。

 

「このまま決められるかな?」

 

「それは、分からない……油断大敵」

 

モニターの中でシャルルがラウラに連続で攻撃を加える。重い一撃が何度も何度もラウラの小さい体に突き刺さっていく。そんな中、ラウラの目が妖しく光ると、身に纏ったISに変化が起こった。

 

「……!!」

 

「な、何だあれ……」

 

ラウラのISが変化してゆく。黒い粘土の様な物に覆われてグネグネと変化していくラウラのIS。蠢きが終わった時そこにあったのは先程までの面影など全く無い、黒い全身装甲(フルスキン)の何かだった。統夜と簪が呆然とモニターを見ているといきなり画面の中の一夏が先程までISだったモノに対して突撃する。

 

「一夏、やめろっ!!」

 

統夜の制止が届くはずも無く一夏は突っ込む。しかし一瞬の内に反撃をされ、すぐに後退した。白式はエネルギーが限界だったのだろう、淡い光と共に装甲部分が消えていく。だが一夏はそれにも構わず咆哮を止めなかった。

 

≪それが……それがどうしたあぁぁぁ!!!≫

 

生身のまま突撃しようとする一夏を箒と鈴が引き止める。止まらない一夏だったが、箒が一夏の顔を張り飛ばしてようやく落ち着いた。三人で会話しているようだが、統夜達の所には届かない。

 

「あれは……」

 

「……VT(ヴァルキリー・トレース)システム。過去の大会優勝者の動きを……模倣する物。でも、条約で開発と研究が……禁止されている」

 

「じゃあ何でボーデヴィッヒさんのISにそれがあるんだ!?」

 

「落ち着いて、統夜。多分……ドイツの軍が付けた。目的は分からないけど……」

 

統夜と簪が話している時、整備室内に警報が流れる。

 

≪非常事態発令!トーナメントは中止。繰り返す、トーナメントは中止!来賓及び生徒全員は退避、教師部隊は速やかに……≫

 

「ほら、大丈夫。先生達が……何とかしてくれる」

 

「……俺たちも退避した方がいいかな」

 

「ううん、ここにいた方がいいと……思う。安全だし、何かあったら私も……行かなきゃいけないと思うから」

 

簪は今や完全な専用機を持っている日本の代表候補生である。命令が下った時には、代表候補生として対処しなければならない。その時、モニターの中で動きがあった。何と一夏は退避せず、シャルルからエネルギーをもらっていた。そして再びISを展開。しかしその装甲は右腕しかなく、武器はかろうじて展開出来ている状態だった。

 

「何やってんだ、早く逃げろよ!!」

 

展開が終わった一夏は敵と相対する。そして、雪片弐型の刀身が収束され、細い日本刀の様な形になった。そしてゆっくりと歩を進める。決着は一瞬だった。

 

「一夏……」

 

敵が振り下ろしてきた刀を雪片で弾き、そのまま返す刀で斬撃を叩き込む。見事に決まった袈裟斬りは相手の体の中心線を捉え、閉じ込められていたラウラが姿を見せた。柔らかな笑みを画面の中で浮かべる一夏を見ながら、統夜が呟く。

 

「何考えてるんだよ、あいつ。死ぬかもしれなかったんだぞ?」

 

「……私にも分からない。教師部隊に……任せれば良かったと思う」

 

「……まあ、怪我してないからいいか」

 

安堵の息を吐く統夜と簪。モニターの中の喧騒は静まり、整備室もしばし静寂に支配される。一夏達の活躍によって、見事事態は収束した──かに見えた。

 

 

 

だが悪夢は終わっていなかった。

 

本来であればそれはもう動く事が無く、操る人間が存在しない以上沈黙を保つだけだった。

 

だがしかし、表面上は全く動かなくても水面下では新たな動きの為に着々と準備が進んでいた。

 

 

 

 

Damege Level──D

 

Pilot Condition──Error

 

Energy Bypass──Connect

 

Structure Adjust──All green

 

 

 

ARMA Program──Start up

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 ~鬼哭の果てに~

「……っ!!統夜、見て!!!」

 

一夏達の背後にぽつんとあったラウラのIS、それが再び変化を始めた。何とグネグネと動き出し、装甲の形が変わっていくのである。同時に取り囲んでいた教師部隊に動揺が走った。装甲が固まった時、そこにあったモノはISとは似ても似つかない何かであった。

 

≪……≫

 

元ラウラのISだったものは今や完全にその原型が無くなっていた。顔に当たる部分は目が無く、シャッター状のもので顔が覆われている。四肢は全体的にスマートな印象があり、背部には大型のスラスターが付いている。手には直刀を持ち、両手の下腕部には銃器の様な物が装備されていた。

 

≪な、何だこいつ!!≫

 

≪一夏、今すぐ離れろ!!≫

 

一夏達も動揺し、ラウラを抱えて退避する。それに合わせて教師部隊が敵を囲んだ。そしてISだった物が動き始め、直刀を構えて教師部隊に襲い掛かり始める。騒がしくなったアリーナに再び警報が流れる。

 

≪緊急事態!教師部隊は応戦を開始せよ!≫

 

「くそっ、どうすれば!!」

 

「……私も、行く」

 

簪は滞っていた最終調整を物凄い勢いで進めていく。しかしその間にも敵は直刀と銃器を使用して教師部隊を蹴散らしていた。

 

「あれは……楯無さん?」

 

「……」

 

水色のISが一機、教師部隊に合流する。楯無は教師部隊を下がらせて槍を構えつつ突進、敵も直刀を構えて迎撃した。何合も打ち合いを続ける一機のISとひとつの何か。その様子を見ていた簪の最終調整をしていた腕がゆっくりと止まった。

 

「簪、どうしたのか?」

 

「もういい……あの人が出れば、終わったも同然」

 

事実、モニターに目を向けていれば、徐々にではあるが楯無が押していた。槍の先端が何度か敵の装甲に突き刺さり、楯無も余裕の笑みを浮かべている。しかし、いきなり戦局が大きく変わった。

 

「っ!楯無さん!!」

 

「嘘……」

 

今まで劣勢だった敵の動きが明らかに変わる。楯無が槍を突き出した時、ありえない程の機動をして背後に回り込み、銃弾を楯無に撃ち込んだ。それを皮切りに今までは近距離での戦闘が主だったのだが動きが変わり、敵はヒット&アウェイの戦い方にシフトしていた。徐々に戦局が傾き始め、余裕の笑みを浮かべていた顔も今や苦悶の表情に様変わりしていた。下がっていた教師部隊も参加し、アリーナは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 

「何だよ、なんだよ……あれ」

 

国家代表である楯無でも苦戦する敵に、第二世代のISを装備した教師が適うはずもなく一機、また一機とやられていく。幸いと言っていいのか、敵は倒れた人間には攻撃を加えなかった。しかしその間にもどんどん味方が墜ちていく。その光景を見て、簪の体が震え始めた。

 

「簪!?」

 

「もう無理……あの人が倒せない敵なんて、誰も勝てない……皆、やられちゃう。私も……」

 

ISを装備したまま、膝をつく簪。事実、この学園最強の生徒会長が止められないとなれば敵は活動を停止するまでこのIS学園を蹂躙し続けるだろう。簪は両肩を抱いて、幼子の様にブルブルと震え出す。

 

「何やってるんだよ!楯無さんがどうなってもいいのか!?」

 

統夜が叱咤混じりに声を荒らげると、いつもの簪からは想像も出来ない様な声を出す。

 

「良い訳無い!でも、でも!!」

 

その先は言わなくても理解できる。自分なんかでは足手纏いにしかならない、助けに行っても無駄だと言う事。姉が適わない敵に自分が勝てるわけが無いという事を。姉を神格化し、コンプレックスを抱いてる簪だからこそ悟ってしまう。ゆっくりと涙を零しながら簪は涙声を上げる。

 

「もうだめだよ、お姉ちゃんが……適わないなんて、もう無理だよ……」

 

ぽろぽろと流れる涙が簪の頬を伝う。その間にもモニターからは教師陣と楯無の悲痛な叫び声が聞こえてきた。その音が簪の涙を更に加速させる。統夜は簪の隣に膝をついてただ見ているだけだった。

 

(俺は……)

 

嗚咽を漏らす簪の声が痛々しく整備室に響く中、統夜は一人思考する。目の前の少女の為に何が出来るか。

 

(この子の……簪の為に……)

 

乗り気では無かったIS学園へと入学して初めて出会った女の子。勿論すぐに打ち解ける事は出来なかった。だが出会って数日の内に彼女の知り合いの力を借りて距離を縮め、一ヶ月で秘密を告白し合う仲となり、二ヶ月でいつも傍にいるほど心を交わし、三ヶ月もすれば隣にいるのが当たり前になっていた。

 

(俺が……出来る事……)

 

初めて話せた時、少し嬉しいと思った。彼女が危険に晒された時、純粋に助けたいと思った。秘密がバレた時絶望した。でも彼女は笑って受け入れてくれた。

 

(俺が……俺は……)

 

彼女も悩みを抱えていた。それについて自分の事よりほんの少しだけ、優先して考えた。いつからか、彼女の力になりたいと考え始めていた。いつの間にか、もう彼女の涙を見たくないと考えている自分がいた。

 

(そんなの……一つしかないだろ!!)

 

そのために何をするべきか。悩みの果てに出た答えを体現するべく、統夜は膝をついて簪の涙をゆっくりと拭い取る。

 

「簪、泣かないで」

 

「でも、この世界にヒーローなんて、いない……お姉ちゃんが……死んじゃう……」

 

「じゃあ、俺が簪のヒーローになるよ」

 

「え?」

 

統夜の言葉に驚き、涙で目を赤くした簪が統夜を見上げる。統夜は柔らかな微笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「臆病で意気地なしの俺でも、簪を笑顔に出来るなら……俺が簪のヒーローになるから」

 

「統夜……」

 

「だから、泣かないで」

 

統夜は胸の奥で静かに決意した。それは己の力を初めて他人の為に使う事。自分を受け入れてくれたこの少女のためならば、構わないと。初めて人前でその力を使う統夜、その目は意思の力に満ち溢れていた。首から外したネックレスを右手で握り締め、虚空へ手を突き出し叫ぶ。

 

「来い!!!」

 

統夜の体が幻想的な光に包まれ、簪は思わず目を背けた。部屋全体が光に包まれ、空気が振動する。煌く光は統夜の体を覆い、その肉体を変質させていく。そして最後に統夜の体を包み込んだ光芒が一際輝き、収束していった。

 

「統夜、それ……」

 

目を開いた簪が見たもの、それは白い装甲を纏った超金属の鬼だった。目の前にいる鬼は簪へと手を差し伸べて大声で叫ぶ。その声音はまるで自分自身を叱咤するかのようだった。

 

「さあ、一緒に行こう!!」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 ~鉄の咆哮~

「きゃあっ!!!」

 

「先生、大丈夫ですか!?」

 

楯無が声をかけるがその間にも敵が迫ってくる。直刀を突きの要領で向けてくる敵を、槍を使って受け流す。現在残っている自軍の戦力は楯無ただ一人。周囲にはISを強制解除された教師部隊の面々が気絶していた。

 

「全くもうっ、何なのよあなたは!!!」

 

愚痴りながら距離を取りつつ、ガトリングによる斉射。敵はその銃撃を空中に逃れる事で回避しながら、下腕部に装備している銃器で攻撃してきた。互いの銃弾が着弾して両者の間に赤い花火があがる。戦況は両者互角だった。

 

(く、マズイわ……)

 

しかし、徐々に楯無の方が押され始めた。何しろ相手はただ攻撃するだけで良いのだが、対照的に楯無は教師たちを守りながらの戦闘を強いられていた。周囲への被害が大きい威力の高い攻撃はどうしてもためらってしまう。

 

(……やるしかないかしらね)

 

自分が使える最大級の攻撃、“ミストルテインの槍”。しかしそれを使う事は自分にとって諸刃の剣であった。全てのナノマシンを攻撃に使用する為、その時楯無は完全に無防備となる。だが使わなければ敗北は必死、そう考えた楯無は槍を構える。敵は遠距離から射撃に徹しているため距離は十分。

 

「行くわよ……」

 

楯無の声に伴い、体中のナノマシンが右手に集まっていく。異変を察知したのか敵が勢い良く楯無に接近してくるが、一手遅かった。

 

「喰らいなさいっ!!」

 

敵が接近してきたと同時に、カウンター気味に技を放つ楯無。しかし黙ってやられるような敵ではなく、直刀を防御がない楯無の右肩に突き立てる。絶対防御を突き抜けて刀が突き刺さり、楯無の白い肌から鮮血が飛び散った。

 

「ぐっ、“ミストルテインの槍”発動!!」

 

敵の左腕に刺さっていた槍から、激しい大爆発が巻き起こる。その爆発は敵の左腕を吹き飛ばし、その余波で楯無も大きく後方に飛ばされた。

 

「やった……のかしら?」

 

地面を滑りながら吹き飛ばされる楯無。爆発の中心にいるはずの敵に目を向けると、粉塵の中で蠢く一つの影が見えた。

 

「……ふぅ、冗談じゃないわね」

 

敵は左腕を吹き飛ばされながらも、ゆっくりとした足取りで楯無に接近していた。元々左腕があった場所からは火花が飛び散り、持っていた直刀を右手に持ち替え楯無に突き立てるべく近づいてくる。

 

「これで終わりかしらね……」

 

目の前に浮かぶディスプレイに自分のISの状態が映し出されている。戦えるコンディションでないことは明らかで、体を動かす事も不可能だった。先程の爆発の影響か、体に全く力が入らない。一歩、また一歩と近づいてくる敵を見て、楯無は悟った。

 

(ああ、もうここで……私は……)

 

そして楯無の所まで到達した敵。楯無の目の前で右手に持っている直刀を天高く上げた。目を瞑ると、楯無の頭に浮かぶのは未練。

 

(最後に簪ちゃんと仲直りしたかったなあ……こんなお姉ちゃんでこめんね……)

 

そして、敵の凶刃が降りおろされた。

 

「……?」

 

しかし、いつまで経っても体に痛みは無い。体に刃が食い込む感覚も、装甲に亀裂が走る音すら無い。ただ聞こえてくるのは鉄と鉄が擦れ合う様な、甲高い耳障りな音だけである。目を瞑っていた楯無が疑問に思い目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

「あ、あなたは……」

 

そこにはいつの間にか、逆手持ちした太刀で楯無への凶刃を防いでいる鬼がいた。

 

『……無事か?』

 

ラインバレルから発せられる声は、無機質な機械音声(マシンボイス)だった。その質問に、楯無が苦悶の表情を浮かべながら答える。

 

「先生方は気絶しているだけよ。私は大丈夫……」

 

≪そうか……≫

 

「でもあなた、何で私達を助けてくれるの?」

 

≪……≫

 

ラインバレルはその質問には答えず、沈黙する。そこにもう一機、水色のISが楯無の元へ物凄いスピードで近づいた。

 

「お姉ちゃん!!」

 

「簪ちゃん……」

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!!!」

 

ISを装備した簪は姉に駆け寄った。ラインバレルが敵を抑えている間に楯無と簪は後退、ISを解除された教師部隊の面々も意識を取り戻しアリーナから退避していく。

 

「お姉ちゃん、大丈夫!?」

 

「ええ、大丈夫よ……でも待って、あいつを──」

 

「もう大丈夫、お姉ちゃん」

 

敵をラインバレルに任せきりにする訳にはいかないので再び立ち上がろうとする楯無を、簪が止める。先程の必死の形相はどこにいったのやら、今は心のそこから安心しきっている表情を浮かべていた。

 

「……簪ちゃん?」

 

「大丈夫……あの人なら、大丈夫だから……」

 

「え?」

 

楯無が呆けた声を出すが簪は取り合わず、視線はラインバレルに向いたまま固定されている。その視線の先では何かに弾かれる様に動き出した二機の機動兵器があった。

 

≪……≫

 

鍔迫り合いを止め、距離を取った敵。残っている右腕に装備された銃器を発射し、ラインバレルを狙っていく。

 

≪舐めるな≫

 

対するラインバレルは太刀を収納しつつ無言でアリーナを駆け回り、銃弾を回避。無駄な攻撃は喰らう気はないとばかりに、高速で飛び回るラインバレルに銃撃はかすりもしなかった。十秒程、無言の戦闘が続く。攻撃する側と回避する側。しかし、いきなり攻撃する側が驚くべき行動に出る。

 

「「っ!!」」

 

何と、敵はアリーナの端に逃れていた更識姉妹に銃口を向けた。楯無は回避など不可能な状態であり、簪も姉の体を支えているが故に回避行動は取れない。そのまま銃声と共にばらまかれた弾丸が二人を襲う。しかし、姉妹に銃弾は届かなかった。

 

「あ、あなた……」

 

二人の前にラインバレルが立ちはだかり、銃弾を全て受けきっていた。両腕を体の前で交差させ、防御の体勢を取るラインバレル。その装甲にいくつか小さい傷か付いているものの、すぐに修復されていく。銃撃が止むと、ラインバレルは太刀を両腕に持ち、敵に対して無機質な声を上げる。

 

≪お前……≫

 

その無機質な声にも感情が乗っているのが分かる程ラインバレルは怒っていた。加速して、敵の懐に潜り込むラインバレル。しかしそこで信じられない事が起こった。

 

≪何だと!?≫

 

敵が残された右腕を上げるとその(てのひら)から何かが展開される。その何かに触った途端、ラインバレルは完全に動きを止められてしまった。

 

「まさか、あれは……」

 

「……AIC」

 

敵はラインバレルが停止している隙を突いて、下腕部に装備している銃器から連続で銃弾を放った。一発、二発と至近距離で放つ弾丸は、少ないながらも確実にラインバレルにダメージを与えていく。

 

≪くそっ!!≫

 

ラインバレルは叫ぶと、いきなり敵の目の前から消失した。次の瞬間、簪達の目の前に出現する。息が若干荒くなっているが、そんなことに構っている状況では無かった。

 

「なんて事……あの状態でもAICが使用出来るなんて……」

 

≪……やるしかないか≫

 

楯無の呟きに続く様にラインバレルが小声で言い放つ。両手の太刀を構え直し、敵に向かって突進する。しかし再びAICの網に捕まるラインバレル、そして敵が銃口を向けた時にそれは起こった。AICに捕まっていたはずのラインバレルが消失したのである。

 

「な、何……あの動き……」

 

声を漏らす楯無、その目に敵は写ってはいるがラインバレルは写っていなかった。

 

『ウオオオオッ!!』

 

ラインバレルは現在消えては出現し、消えては出現しを繰り返していた。先程一回だけ見せた、消失してから出現する移動法。それを連続で使用し、敵を翻弄している。敵の目の前に現れたと思ったら背後に、背後にいると思ったら側面に。出現するたびに両手に持った太刀を振るい、斬撃を幾度も敵に加える。敵はラインバレルを捉えきれずに、ただただ直刀を闇雲に振り回すことしか出来なかった。そしてラインバレルが少し離れた敵の正面に出現する。既に敵はダメージにより、碌に動けもしなかった。

 

≪……終わりだ≫

 

ラインバレルが両手の太刀を構え直し、一気に接近する。敵はもう満足に動けない中、ラインバレルの太刀が閃く。一瞬の内に両手の太刀を振るったラインバレルはそのまま敵の後方へと駆け抜ける。敵は全く動かず、ただ立っているだけ。

 

≪……≫

 

ゆっくりと太刀を下腕部に付いている鞘に収納する。キンッと音をたてて太刀をしまった時、敵の四肢に一筋の線が入りその線に沿って敵の四肢が切断された。音を立てて崩れ落ちる敵を見て、楯無と簪が喜びの声を上げる。

 

「や、やった……」

 

「……終わったわね」

 

残心の姿勢を取っていたラインバレルだったが、ゆっくりと二人の元に歩み寄ろうとする。しかし三度、敵に変化が起きる。

 

「ラ、ラインバレル!!」

 

≪ッ!!≫

 

警告の色を含んだ簪の声により、敵の方を振り返るラインバレル。地面に横たわった敵は内部から白い光を放っていた。慌てて楯無が対象の状態を調べると一気に顔が青ざめる。

 

「いけない、そいつ自爆する気よ!!」

 

「に、逃げて!!」

 

≪……≫

 

簪の声には従わず、一気に敵の元に向かうラインバレル。倒れている敵の前まで行くと、ラインバレルの右手が光を放ち始めた。数瞬、敵を見ていたラインバレルだがある一点めがけて右手を振り下ろす。そして右手が輝きを増した瞬間、上空で爆発が起こった。

 

「な、何が……」

 

呆然としている姉妹。先程まで敵だったモノは輝きを無くし、地面に倒れ込んでいた。そんな中、いきなり簪に秘匿回線(プライベート・チャネル)が入る。

 

≪簪、聞こえる?聞こえたら楯無さんに気づかれない様に返事をして≫

 

いきなり統夜の声が聞こえたことで驚く簪だが、素直に従い小声で会話を続ける。

 

「う、うん。聞こえる」

 

≪楯無さんを医務室に連れていった後、寮の裏手に来て欲しい≫

 

「え?そ、それってどういう──」

 

簪が疑問に思って質問するより早くラインバレルは消失した。後に残されたのは楯無と簪のみ。呆然とする姉妹だが、楯無が口を開く。

 

「あの、その、簪ちゃん?」

 

「な、何?」

 

「お姉ちゃん、そろそろ限界なのよ。後の始末、頼んでいいかしら?」

 

「う、うんっ!!」

 

簪は笑顔で返事をする。姉に頼られた、その事実がとても嬉しくて。

 

「そう、じゃあ、後は……お願いね……」

 

そう言い残すと、楯無はゆっくりと意識を失っていった。そんな姉を見て、簪は行動を開始する。

 

「せ、先生。直ちにストレッチャーを一つ、アリーナにお願いします。それと──」

 

てきぱきと通信で指示を出す簪。その姿は傍目から見ると理想の姉に近しい姿であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 ~想いが向かう先~

(統夜……どこ?)

 

アリーナで事後処理を手伝って楯無を医務室へと搬送し、全てが終わってから統夜の言葉通り寮の裏手へと来ていた。裏手は木々が立ち込め、小さい林とでも言うべき場所なのでそう簡単に探し人は見つからない。

 

(統夜……)

 

先程から探し続けてはいるが、影も形も見当たらない。もっと奥まで行ってみようと考えた時、茂みの中からうめき声が聞こえた。

 

「統夜!?」

 

簪は早歩きで林を駆け抜け、茂みをかき分けて進んでいく。数秒後開けた場所に出ると、そこには意中の人物が木に体を預けて座り込んでいた。

 

「……簪か。ごめん、わざわざ……来て、もらっちゃって」

 

「っ!?」

 

統夜の顔を見た途端、簪の表情が一変する。制服姿で座り込んでいる統夜の顔には幾重にも黒い筋が走り、瞳の形は変わり、目は血走っている。その上息は絶え絶えで、どう見ても体に異常が起こっていた。慌てて簪は統夜に駆け寄る。

 

「統夜、大丈夫!?」

 

「だ、大丈夫じゃ……無い、かな……」

 

「は、早く部屋に……」

 

簪が統夜の肩を抱いて立ち上がらせる。統夜もよろよろと立ち上がって簪と一緒に歩き始めた。

 

「……ごめん、迷惑掛けて」

 

「いいから、早く……」

 

簪が半ば統夜を引きずる形で木々の間を駆け抜けていく。幸運にも、林を抜けて寮に入っても人影は無かった。これ幸いと二人は急いで部屋に駆け込んでいく。そしてとうとう自室へと到着した二人。統夜は倒れこむようにしてベッドに横になり、簪はその隣に座り込んだ。統夜の顔を覗き込む様に簪がベッドの隣に膝を着く。

 

「あり、がとう……簪」

 

「どうして……そうなったの?」

 

「簪も見てたと思うけど、あのいきなり消えたり現れたりしてたやつ……“オーバーライド”って言うんだけどさ……使い過ぎると、こうなるんだ。簪に来てもらって……助かったよ」

 

「統夜の体に……反動が来るの?」

 

「今回は使い過ぎただけだよ。回数を制限して使っている分には大丈夫……」

 

話している間にも、統夜の息遣いは落ち着いていく。五分後、統夜の体は粗方回復していた。流石に戦闘を行えと言われたら無理だろうが、歩いたりするのは問題無かった。

 

「えっと……楯無さん、どうだった?」

 

「まだ意識が戻らないけど……心配無いって、先生が言ってた……」

 

言葉を交わす二人だがどうにも会話が続かない。お互いに何から話せばいいのか分からずに、視線をさまよわせるばかりであった。

 

「統夜……一緒に来て欲しい」

 

「どこに?」

 

「お姉ちゃんに……会いに行く」

 

「……」

 

「お願い……」

 

「うん、分かった。俺でよければ、一緒に行くよ」

 

ゆっくりと体をずらしてベッドから降りる統夜。そして簪と揃って部屋を出ていった。

 

 

 

「……お姉ちゃん」

 

「簪ちゃん……」

 

夕日の差し込む病室で簪と楯無は対面する。楯無の容態が安定しないので待っていたら、面会は夕方になってしまった。統夜は部屋の外の廊下で待ってもらっている。

 

「疲れるでしょ。座ったらどう?」

 

「う、うん……」

 

楯無に進められるがまま、簪はベッドの横にある折りたたみ式の椅子に腰掛ける。楯無の頭や剥き出しの腕には包帯が巻かれており、左の肩には大仰な手当ての後がある。それを見て顔を歪ませた簪の視線に気づいた楯無は、自分の傷を叩いてみせた。

 

「これ?大丈夫よ、お姉ちゃんは強いからね!」

 

「お、お姉ちゃん……私……」

 

「あ、そうだ簪ちゃん」

 

楯無が発言する度に簪がビクッと体を震わせる。これから何を言われるのだろう、簪の頭はそれだけで一杯だった。

 

「……な、何?」

 

「聞いたわよ、凄かったじゃない」

 

「え……」

 

「先生から聞いたわよ。戦闘が終わってからの指示、先生方も含めた怪我人の搬送、事後処理の仕方、文句の付け様が無いわ」

 

「……」

 

「流石は、私の妹ね」

 

「あ……」

 

その言葉を聞いた途端、簪の目から涙がこぼれ落ちた。それは留まる事を知らずにぽたぽたと床に流れ落ちていく。いきなりの事に楯無も慌て始めた。

 

「か、簪ちゃん!?」

 

「……うわあああああっ!!」

 

いきなり簪が鳴き声を上げながら楯無に抱きついた。楯無の両手は何をしていいのか宙を浮かぶばかり。

 

「わ、私……そう言って欲しくて……お姉ちゃんに褒めて欲しくて!」

 

「……」

 

「お姉ちゃんに追いつきたくて……お姉ちゃんみたいになりたくて!!」

 

楯無の表情が段々と柔らかくなり、最後には微笑みを浮かべる。宙を彷徨っていた両手もいつの間にか簪の背中をさすっていた。

 

「あなたは更識 簪。ほかの誰でもないの。とってもとっても強い、私の自慢の妹よ」

 

「う……うわあああああ……」

 

嬉し泣きをする簪と、その体を両手で包む楯無。まるで今まで溜め込んでいた感情を吐き出すが如く、簪はずっと泣き続けた。

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「うん。もう……大丈夫」

 

数分後、落ち着いた簪は再び椅子に座り直した。まるで子供の様に泣いていた事が恥ずかしいのか、顔は赤く染まっている。それを見た楯無は幸せの絶頂にいた。

 

(可愛い!!)

 

ここにカメラが無いのが悔やまれる。ISも修理を含めた検査に回してしまっているので、この顔を保存する術が無い事は明白だった。

 

(しょうがない。こうなったら私の頭の中に……)

 

「お、お姉ちゃん……どうかした?」

 

じっと見つめていたからだろう、簪が小首をかしげながら問いかけてくる。慌てて居住まいを直しながら、こほんと咳払いして何とか立て直す。

 

「な、何でも無いわ。それよりも簪ちゃん、聞きたい事があるけどいい?」

 

「何?」

 

楯無は表情を締め直す。これから聞く事は妹にとっては聞かれるのが嫌な事かもしれない。もしかしたらもう一度嫌われてしまうかもしれない。しかし、生徒会長としても、姉としても目の前にいる妹の身を案じるからこその質問であった。

 

「……ラインバレルの正体は誰?」

 

 

 

 

 

(簪、遅いな……)

 

統夜は病室の外でひたすら待っていた。既に十分は経っただろうか、あまりに手持ち無沙汰なので自販機で買ったジュースで喉を潤しつつベンチに座って簪の帰りを待つ。

 

(でも、流石に……)

 

そろそろ我慢の限界だった。十分以上待っている上に、統夜と楯無は別に初対面という訳ではないのだ。見舞いもしたいし、話もしたい。空になった缶をゴミ箱に放り投げ病室の取っ手に手をかけた時、その声は聞こえてきた。

 

「──ラインバレルの正体は誰?」

 

(……何だって?)

 

声を聞いた統夜は思わず手を止める。ドアの前で立ち尽くしていると、続けて言葉が聞こえてきた。

 

「簪ちゃん、あなたは私を助けに来てくれた時こう言ったわ。“大丈夫、あの人なら……大丈夫だから……”って。“あの人”って誰?」

 

「そ、それは……」

 

「別にこれは興味本位で聞いているんじゃないの。私は生徒会長、この学園の生徒を守る義務がある。それにあなたの事も心配なのよ。ねえ、教えてくれない?」

 

取っ手を握ったまま硬直している統夜の耳に、楯無の言葉が突き刺さる。楯無の言葉は“ラインバレルは危険”と物語っていた。“守る”や“心配”といった単語が出てくるのがその証拠である。

 

(でも……)

 

それはある意味仕方のない事であった。誰だって正体不明、しかも物凄い力を持っているのであれば対象に抱く感情は恐怖しかない。

 

(だからこそ俺は……)

 

前を見据えた統夜は、一息にドアを引いて部屋に入る。目に入ってきたのは驚いた顔をする楯無と、狼狽している簪だった。

 

「あら統夜君、お見舞いに来てくれたの?」

 

流石は生徒会長と言うべきか、一瞬で表情を隠して社交辞令を交わす。

 

「ええ、具合はどうですか?」

 

「大丈夫よ。簪ちゃんったら大げさなんだから」

 

「そうですか」

 

統夜もパイプ椅子を持ってきて簪の隣に座り込む。簪の視線は統夜と楯無の間で行ったり来たりしていた。

 

「知りたいですか?」

 

「何をかしら?」

 

「ラインバレルの、正体を」

 

「……盗み聞きするなんて悪い子ね。後でお仕置きよ?」

 

「すみません。たまたま聞こえちゃったんで……それで、知りたいですか?」

 

「……その口ぶりだと簪ちゃんだけじゃなくて、あなたも知っているって事になるのかしら?」

 

「統夜……」

 

簪が椅子から立ち上がりかけながら、悲痛な声を漏らす。統夜は簪に顔を向けるとゆっくりと頷いた。それを見た簪は再び椅子に座りなおす。状況が分からない楯無は只々混乱するだけだった。

 

「目で通じ合っちゃって、羨ましいわ。おねーさんにも教えてくれない?」

 

「本気で聞きたいですか?」

 

「ええ、これは私の興味だけじゃないの。もしもラインバレルが学園の平和を脅かす存在だとしたら、私は全力でアレと戦う」

 

「……もう目の前にいますよ」

 

「え?」

 

統夜は自分で自分を指し示しながら小さく呟く。その横では、簪が自分の隣にいる少年の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 

「俺です」

 

「まさか……」

 

統夜の言葉から導き出される真実、それに気づいた楯無の表情は驚愕と疑念が入り混じった物だった。自分の考えを否定したいのか、楯無が統夜の顔を覗き込みながら乾いた笑みを浮かべる。

 

「統夜君、おねーさんをからかっちゃダメよ?」

 

「冗談だったら……いいんですけどね」

 

「……正直に言うけど、あなたがラインバレルだとは思えないわ。雰囲気が違いすぎる」

 

「じゃあ、証拠を見せましょうか」

 

統夜は自分の首元をゴソゴソと探ると、ネックレスを取り出した。その行動の意味が分からない楯無には、統夜がいきなり只のネックレスを取り出した様にしか見えない。

 

「それは何かしら?」

 

「……来い」

 

「きゃっ!?」

 

統夜が言葉を発すると、ネックレスを握りこんだ統夜の右手が輝き出す。その強い光で楯無の目が潰され、思わず顔を背けてしまった。そして光が収まった時楯無の視界に飛び込んで来た物は、異形の鎧に包まれている統夜の右腕だった。

 

「楯無さんもこれに見覚え、ありますよね?」

 

「触っても……いいかしら?」

 

「どうぞ」

 

統夜は肥大化した右腕を楯無に差し出す。楯無はベッドから身を乗り出しながら恐る恐る右手を伸ばして、無機質な統夜の腕を撫でた。

 

「……ありがとう。もういいわ」

 

「分かりました」

 

統夜が右腕に目をやると、一瞬でラインバレルの右腕は光の粒子へと変換されてネックレスに吸い込まれていった。後に残っていたのは、何の変哲もない統夜の右腕だけ。

 

「今回と前回、それと六年前のあの事件。全部あなたがやった事だったのね」

 

「はい……」

 

「……話して、欲しい」

 

「簪ちゃん?」

 

統夜の隣で簪が統夜の瞳を真っ直ぐ見つめながら自分の思いを打ち明ける。統夜は口を引き結んだまま、簪の次の言葉を待っていた。

 

「それが統夜にとって話したくない事なのは……知ってる。でも……私はあなたの事が、もっと知りたい」

 

「……」

 

「お願い、統夜……教えて」

 

統夜は簪の顔から目を離し、椅子に深く腰掛けて天井を仰ぐ。簪はどんな返事が返って来るのだろうと思いながら、只々待っていた。統夜が姿勢を戻すと、ゆっくりと閉ざしていた口を開く。

 

「……分かった」

 

「私がいない所で話した方がいいんじゃない?」

 

「いえ、構いません」

 

そして統夜は一つ大きく深呼吸すると、訥々と言葉を紡ぎ始めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 ~MEMORIES~

これを手渡されたのは俺が小学三年生の時、まだ両親が生きていた頃です

 

統夜の両親?

 

うん。楯無さんは知ってるみたいだったけど、俺の父さんと母さんは研究者だったんだ。まだ俺は子供だったから研究内容は知らなかったけどね。学校の授業参観とかには来てくれなかったけど、俺にとっては大切な家族だったよ。学校が終わると殆ど毎日、父さん達がいる研究所に直行してた。父さん達の研究チームの誰かしらが相手してくれてたから、退屈もしなかったし……ってすみません。脱線してますよね。

 

いいのよ。そのまま続けて。

 

学校から帰って父さん達の研究所に行って、仕事が終われば三人揃って家に帰る。それが俺の日常でした。でもあの時……あの夏の夜、全てが変わったんです。

 

変わった?

 

学校から帰った俺は荷物を置いて研究所に直行しました。でもあの日はいつもいる守衛さんがいなくて、入れなかったんです。休憩にでも行っているんだろうと思った俺はずっと門の外で待ってました。でも一時間経っても、二時間経っても誰も来なかったので、流石におかしいと感じたんです。それで門の隙間から研究所を見ると、火の手が上がっていました。

 

そんな……

 

とにかく父さん達に会わなきゃって考えた俺は柵の隙間から中に入ったんだ。火の粉が降ってくるのも構わずに俺は研究所に忍び込んだよ。

 

……それで、統夜はどうしたの?

 

父さん達の研究室の場所は分かってたから、一気にそこまで走ったよ。途中で何度も床に転がっている人を見たけど、俺には構っている暇は無かった……いや、考えない様にしてたって言った方が正しいかな。必死に思ってたんだ。“父さんと母さんは大丈夫、きっと大丈夫”ってね。

 

でも、統夜君のお母さんとお父さんは……

 

……俺が研究室にたどり着いた時見たのは、血塗れの父さんと母さんだった。

 

ッ!!

 

互いの手を握りながら倒れ込んでいたよ。俺は泣きながら二人に駆け寄った。母さんの方はいくら揺すっても返事すら無かった。俺はてっきり父さんも同じだと思ってたら、父さんの方は微かに息があったんだ。父さんを揺すって事情を聞こうとしたら、俺の手が掴まれて何かを手渡された。

 

もしかして、その時に?

 

ええ。父さんは俺の手にこのネックレスを握らせると、俺の両肩を掴んで俺に言ったんです。“すまない……本当にすまない、統夜”って。最後に“こいつがお前の力になる。絶対に離すな”と言って父さんは事切れました。俺は泣き続けましたよ。もうここで死んでもいいとさえ思いました。

 

どうやって、抜け出したの?

 

研究所が崩落寸前のタイミングで、当時父さん達と同じ研究チームに所属していた姉さんが俺を助けに来てくれたんです。泣き喚く俺を連れ出してくれて一緒に研究所を脱出しました。それ以降は良く覚えていません。いつの間にか家にいた俺はその後、姉さんに引き取られました。

 

そうだったの……

 

じゃあ、六年前の方は?

 

そっちも話そうか。あれは俺が姉さんに引き取られて二年位経ってからだったな。いきなり日本にミサイルが来た事、覚えてますか?

 

勿論よ。あんな衝撃的な事、そう簡単には忘れないわ。

 

あの日、俺は家で姉さんの帰りを待ってました。その頃はもう姉さんと暮らす事には何の抵抗もありませんでした。家事をして姉さんの帰りを待っていると、いきなりテレビの速報でミサイルが迫っているって知ったんです。俺は焦って姉さんの仕事場へ行こうとしました。でも、外は逃げ惑う人で一杯で、碌に進めもしなかったんです。

 

じゃあ、あなたはどこに行ったの?

 

何をどう歩いたのか、俺は家の近くにあった人気の無い廃工場にいました。穴の空いた天井から遠くの空を見上げてみれば、もうミサイルの大群で埋められていました。俺は思ったんです。“また、家族が消える”って。

 

家族……

 

俺は自分の無力を呪いました。家族さえ、大切な人さえ助けられない自分を。でもそんな時、泣き喚いている俺の頭に唐突に声が響いてきたんです。

 

声?

 

うん。今でもはっきり覚えてる。“力を望みますか?”ってね。俺は思わず顔をあげて周りを見渡したけど、勿論誰もいなかった。その間にも声は俺に話しかけ続けてきた。“力を望むのなら、私が与えましょう。ですが、選択した時からあなたは大いなる運命に飲み込まれ、茨の道を歩むでしょう。決して抜け出せない、茨の道を……それでもあなたは望みますか?”

 

それで、統夜は……

 

俺の耳に入ってきたのは、“力”って単語だけだった。それがあれば姉さんを助けられる。俺は考えもせずに答えたよ。“そんな事はどうでもいい!それで姉さんが助けられるのなら、それを早く俺にくれ!!”って。声はその瞬間、俺の頭から消えていった。その代わりに、父さんから貰ったいつも身につけてたネックレスが、光始めたんだ。

 

それが?

 

はい。慌てて胸に目を落としてみると、ネックレスが光になって俺の体に沈み込んでいきました。不思議と痛みは無くて、体に何かが満たされていく感覚だけがしたんです。でもその感覚はすぐに消えて、代わりにとてつもない痛みが体を襲いました。まるで体中の血が沸騰するみたいに。その痛みに耐え兼ねて、俺は意識を失いました。

 

でもあなたはラインバレルとなって、ミサイルを迎撃した。そうよね?

 

はい。数分も経たずに俺は目を覚ましました。痛みは引いて、俺の体には何も起きてない……様に思いました。

 

って事はつまり……

 

俺の体はその時、変わっていたんです。でもその時の俺は何も気づかなくて、怒鳴り散らしていたらまた声がしたんです。“呼んでください、私の名前を。それがあなたの力になります”。俺はそのまま頭の中に浮かんできた名前を叫んだんだ。

 

それが、ラインバレル……

 

その先は……良く覚えていません。でも結果は二人も知っての通りです。

 

 

 

 

 

 

夕暮れが差し込む医務室に沈黙が宿る。話っぱなしだった統夜は大きく息を吐きながら椅子に体を預けた。

 

「すみません。話っぱなしで少し疲れました」

 

「いいのよ。話してくれって頼んだのは私達なんだし」

 

「それが……統夜の秘密」

 

「秘密って程、大仰な物じゃないけどね」

 

楯無も統夜と同じくベッドに体を沈めた。静まり返る部屋で簪が小さく呟く。

 

「……ありがとう、統夜。話してくれて」

 

「ううん。俺も誰かに話してスッキリしたかったのかもしれない」

 

二人に全てを話した事で、幾分かすっきりした事は確かだ。事実、胸に溜まっていた何かが溶けていくように感じる。

 

「……ごめんなさい、統夜君。あなたの事、疑ったりして」

 

「な、何ですかいきなり!?」

 

目の前で楯無が頭を下げている。その行動の意味が分からない統夜は狼狽した。

 

「あなたの事を危険視していたわ。てっきり簪ちゃんに危険が及ぶと思ってね」

 

「お姉ちゃん……」

 

「……いいんですよ。簪に危険が及んでいるってのは否定できませんし」

 

「統夜、私は別に──」

 

「事実だ。構わないよ」

 

「お姉ちゃん、教えて……何で統夜の事を、危険だって思ったの?」

 

「これよ」

 

楯無はポケットから携帯電話を取り出して素早く操作をする。同時に懐からSDカードを取り出すと、携帯電話に挿入した。無言のまま、ディスプレイを二人に見せる。

 

「これって……」

 

動画が再生されている画面内には一機のISが飛び回っていた。地上では、機械片手にISを見つめている少年の姿もある。だがISが飛び立って一分もしないうちにISの一部が爆散、そのまま地上へと落下を始めた。少年は一瞬躊躇う様子を見せるが、持っていた機械を投げ捨てるとISの落下地点へと駆け出した。人とは思えないスピードを出しながら走り続ける少年は、落下地点で停止すると両手を差し出して上空を見上げる。ISはそのまま地上に落下し、粉塵を巻き起こした。そこで楯無は一旦映像を止める。

 

「俺だ……」

 

「そう、この間簪ちゃんがISのテストをやったでしょ?アリーナの監視カメラで覗いてたんだけど、その時の映像よ。統夜君はこの時、その体で落ちてきた簪ちゃんを受け止めた。違うかしら?」

 

「当たり、です……」

 

「でもお姉ちゃん、これだけで……統夜の事──」

 

「いいんだ、簪。楯無さんがそう思うのも仕方ないよ」

 

「統夜……」

 

「まあ、理由としてはこれだけじゃないんだけどね。大きな理由としてはこれよ」

 

「……楯無さん。お願いがあります」

 

「どうしたの?急に畏まっちゃって」

 

口を引き結んだ統夜はしばし楯無の顔を見つめる。そして大きく息を吸うと、思い切り頭を下げた。

 

「い、いきなりどうしたの?」

 

今度は楯無が狼狽する番だった。統夜は頭を下げたまま、楯無に頼み込む。

 

「お願いです。この事、誰にも言わないでください」

 

「統夜……」

 

「……俺、最初はここがあんまり好きじゃありませんでした。でも、今はここにいたいんです。俺はここを離れたくない。この事が知れればここにいられなくなることくらい、俺にも分かります」

 

「統夜君……」

 

「お願いします、楯無さん。何でも言う事聞きます。だから、この事は黙っててください」

 

「……お姉ちゃん、私からもお願い」

 

統夜の隣の簪も揃って頭を下げる。楯無は驚きの表情でそれを見つめていた。自分の妹がこれほどまで積極的に何かをする事など、ここ数年間無かった事である。

 

「私、統夜がいなくなるのは……嫌。だから……お願い」

 

「……全く。二人とも、私が悪い人だったらどうするの?」

 

「楯無さん……」

 

統夜は顔を上げて楯無の顔を見た。楯無は上半身だけをベッドから起こし、笑みを浮かべている。

 

「流石にそんな話聞いた後じゃ、何も出来ないわ。それに未来の義弟君に、そんな事しないわよ」

 

「ッ!?」

 

「未来の、義弟?」

 

疑問の声をあげる統夜とは対照的に、隣の簪は顔を真っ赤に染め上げていた。統夜を一瞥したあと、簪を見た楯無は何かを思いついたように指を鳴らす。

 

「そうねぇ……統夜君、さっき何でもするって言ったわよね?」

 

「え、ええ。」

 

「じゃあ今度、おねーさんの部屋に来ない?」

 

「な、何でですか!?」

 

「ゆっくりと話しましょうよ。二人きりで……」

 

楯無がその白い指で統夜の顎を撫でる。妖艶なその動きはとても魅力的で、統夜は思わず頷く所だったが、簪によって阻まれた。

 

「だ、だめ!」

 

姉の指を統夜の顎から引き剥がすと、統夜に抱きつく簪。驚きの余り目を見開く統夜の右腕に抱きつきながら、まるで威嚇する子犬の様な視線で姉を見ていた。

 

「統夜は……ダメ」

 

「か、簪?」

 

「大丈夫よ、冗談だから。簪ちゃん、逃しちゃだめよ?」

 

ウインクしながら笑う楯無を見て、やっと簪は姉にはめられたと気づいた。慌てて統夜から離れると今度は睨みつける様な視線を楯無に浴びせる。当の楯無はどこ吹く風といった様子で明後日の方向を見ていた。

 

「お姉ちゃん……騙したの?」

 

「人聞きの悪い。可愛い妹の本当の気持ち、それに気づかせてあげただけよ」

 

「楯無さん、何の事ですか?」

 

「さあ?いつか統夜君も気づくんじゃないかしら?それよりもこんな危ない物は……」

 

楯無は手にしていた携帯電話からSDカードを抜き出して指で弄んだ後、二本の指で摘んだ。そのまま思い切り力を入れると、パキンと小気味良い音がしてSDカードが真っ二つに折れる。

 

「あ……」

 

「これでおしまい。アリーナの監視カメラの方のデータの方もいじってあるから、ばれる心配は無いわよ」

 

「本当にありがとうございます……」

 

「いいのよいいのよ。それよりも、聞きたい事がたくさんあるんだけど……主に二人とも名前呼びの所とか、色々とね」

 

「あ、あはははは……」

 

統夜は笑いながら冷や汗を流していた。何故なら楯無の笑顔が自分をいじる時の姉の表情そっくりだったからである。“女の人って皆似た様なものなのかなぁ……”と思いながら統夜は楯無の質問に時には笑い混じりに、時には慌てながら答えた。隣にいる簪も統夜と同じく慌てたり笑ったりと大忙しだった。既に太陽は沈み、人工的な光に照らされる中三人は思う存分笑いあっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 ~穏やかな日に~

「統夜……行こ」

 

「もうちょっと待ってて。今弁当入れるから」

 

学年別トーナメントから一夜明けた翌日、統夜と簪は平和な部屋に戻ってきた。結局昨夜は夜遅くまで二人揃って楯無にからかわれ続け、精魂尽き果てた状態で部屋へと帰ってきた。言葉も交わすのも億劫だった二人はベッドにダイブして、朝までぐっすりと眠っていたのである。

 

「お待たせ。さあ、行こうか」

 

「うん」

 

二人揃って廊下に出る。結局学年別トーナメントはアクシデントのせいで、中止を余儀なくされた。但し、データ取りの為に一回戦だけはやるとの事だが。

 

「でもお披露目したかったよな、簪のIS」

 

「別に、構わない……これから機会は、たくさんある」

 

「かんちゃ~ん。と~や~ん」

 

寮から出たちょうどその時、背中側から声がかけられる。揃って振り向くと、転びそうな足取りでこちらに駆けてくる本音がいた。そのまま二人の隣に並ぶと、歩調を合わせて歩く。

 

「本音、おはよう」

 

「おはよ~。二人とも、昨日は大丈夫だった?結構危なかったけど~」

 

「……大丈夫だよ。俺も簪も、傷一つないから」

 

「良かった~。おりむーも大丈夫だったし、誰も怪我しないで終わって良かったよ~」

 

「ボーデヴィッヒさんも大丈夫だったの?」

 

「うん~。損傷は結構激しかったけどコアは無事だったみたいだし、本人は今日も学校に来るって昨日おりむーとしゃるるんが言ってた~」

 

「良かった。一夏の奴、大丈夫だったんだ」

 

「私もびっくりしたよ。だって生身でISに向かっていくんだもん」

 

話している間に一組の教室に到着する三人。簪と別れた二人が教室に入ると、机の上で頬杖をついている一夏を発見した。自分の席に鞄を置く前に、一夏の方へと歩み寄る。

 

「よっ、一夏」

 

「おお、統夜。昨日は大丈夫だったか?」

 

「それは俺のセリフだ。お前こそ大丈夫か?見ててヒヤヒヤしてたぞ」

 

「悪い悪い、どうしてもやらなきゃならねえ事があってな」

 

「でも、無事で何よりだ」

 

「まあ、俺だけの力じゃないんだけどな。あのラインバレルにも助けてもらったし」

 

その単語を聞いて、統夜の体がビクリと震えた。思わずネックレスに手をやる。無関心を装ってネックレスを手で弄びながら、口を開いた。

 

「ラインバレル?何だよそれ」

 

「ああ。あの六年前の事件あっただろ。その時の白鬼ってやつ、そいつの名前だよ」

 

「この間、クラス代表戦の時にも現れた奴か。あいつ、ラインバレルって言うのか?」

 

「そいつが自分で言ったんだ。俺と箒を助けてくれて、今度は皆を助けてくれた。いくら礼を言っても足りねえよ」

 

一夏の言葉で統夜の胸に熱い物がこみ上げてくる。仮面をつけた姿のことでも、友人から言われる感謝の言葉は胸に染み込んでいく。自分の名前を聞きつけたのか、どこからともなく箒も二人に近づいてきた。

 

「どうした?私の名前を呼んだ様だが」

 

「ああ。今統夜とラインバレルについて話しててな」

 

「あの白鬼か」

 

「そうだ。箒はどう思う?ラインバレルについて」

 

一夏からの疑問を振られて考え込む仕草を見せる箒。数度口を開きかけるが考えがまとまっていないのか、言葉が出てくる事は無い。だがとうとう答えが決まったのか、ゆっくりと自分の考えを述べた。

 

「私は……あいつの考えている事が理解出来ない」

 

(ッ!?)

 

「何だよそれ。お前もラインバレルに助けてもらったろ?」

 

「ああ、その点では感謝している。だが私にはどうしても奴の考えが分からない。どうしてあんなに強い力を持っているのに、それを隠しているのだ?」

 

「隠す?何のことだよ」

 

「奴は六年前から動いていた。にも関わらず、先日のクラス代表戦まで全く音沙汰が無い状態だったのだ。あんな力を持っているのだったら、もっと表舞台に出てきてもおかしくはないのではないか?」

 

「事情とかあったんじゃないのか?ほら、簡単には力を使えないとか」

 

「……確かに、色々な理由があるのかもしれない。だが奴が何を考えているのか分からない以上、警戒は必要だと私は思う。いつあの力が、私達に向けられるとも限らない」

 

その時教室のドアが開き、千冬と真耶が揃って入ってきた。箒は踵を返して自分の席に戻っていくが、統夜はさっきの体勢のまま固まっていた。

 

「統夜、どうかしたか?」

 

「……ああ、何でもない」

 

「何でもないって顔じゃないぞ?気分が悪いんだったら医務室にでも──」

 

「本当に大丈夫だから。気にしないでくれ」

 

一夏の言葉を振り切って自分の席へと戻る統夜。鞄を机に上に置き、教室の前へと目を向ける。だがその目は前に向けられていても、統夜が見ていたのは別の事だった。

 

(俺が……分からない……?)

 

先程箒に言われた言葉が頭をよぎる。統夜がラインバレルだと知らない以上、あれは彼女の本心なのだろう。気づいてしまったその事実が、統夜の心を更に掻き立てる。

 

(ただ……皆を助けようと……)

 

自分が行ってきたこと。それが正しくない事だったのだろうか?今すぐ秘密を打ち明け、彼らの目の前でラインバレルになってしまったらどうなるか。そんな子供みたいな考えが心に浮かぶが、統夜はそれをすぐさま叩き潰した。二、三度深呼吸を繰り返して頭を冷やす。

 

(……そうだ、何も皆が受け入れてくれる訳じゃない。それに悪いのは、隠してる俺なんだ)

 

思い直して前を見る統夜。いつの間にか真耶は教卓の所で生徒に向かって声を張り上げていた。

 

「え、ええと……今日はまた転校生を紹介します……」

 

真耶の言葉に触発されて騒ぎ出す生徒たち。統夜と一夏はもう慣れたもので、達観した表情を浮かべながら耳を塞いでいた。千冬の無言の圧力で周囲が静まり返った後、真耶は再び口を開く。

 

「ええと……そのですね、その転校生と言うのが──」

 

真耶の言葉が終わらないうちに、教室のドアがガラリと開けられた。そこから入ってきた生徒は迷い無く歩を進め、教卓の隣に立つ。女子用の制服にみを包んだ転校生は、はきはきとした言葉で躊躇い無く自己紹介した。

 

「シャルロット・デュノアです。よろしくお願いします」

 

「え?じゃあシャルル君は男の子じゃなくて、女の子だったってこと?」

 

「おかしいと思った!美少年じゃなくて美少女だったのね!!」

「って織斑君、まさか同室だったんだし知らなかったって事は……」

 

「ちょっと待って!確か先月あたりから男子が大浴場使い始めてたよね!?」

 

シャルル改め、シャルロットはニコニコと人あたりの良い笑顔を浮かべている。最初こそ静かだった教室だが、再びざわざわと騒がしさを取り戻していった。教卓では“ああ、また部屋割りが……”と嘆いている真耶の姿が見えるが、千冬はおろか誰も相手にしない。

 

(シャルルの奴、凄いな……)

 

統夜は自分の秘密をあっさりと明かすその勇気に感動していた。だがそんな感動も束の間、いきなり教室の前方のドアが音を立てて吹き飛ぶ。思わず両手で顔を守る統夜。指の隙間から見えたのは、紫色のISを装備して憤怒の表情を浮かべているツインテールの少女だった。

 

「一夏ぁ!説明しなさぁーい!!」

 

「り、鈴!?待て、話せば分かる!!」

 

「問答無用!!」

 

肩の衝撃砲が音を立ててチャージされていく。呆気に取られていた統夜だが、事の重大さに気づいて慌てて席を立とうとした。しかし、再び教室のドアから入ってくる人影を捉えて、浮きかけた腰が止まる。

 

「ボーデヴィッヒさん!?」

 

統夜は思わずその少女を声に出して呼んでいた。ラウラは滑らかな動きで一夏と鈴の間に割って入るとISを展開、右手を突き出してAICを起動させて一夏を衝撃砲の危険から守っていた。思わず胸を撫で下ろす統夜。助けられた側の一夏も少し戸惑っているのか、辿たどしい言葉でラウラに礼を言っている。しかし次の行動で、クラス全員の息を呑む声が教室に響いた。

 

「お、お前……何で……」

 

一夏の唇は、ラウラの唇で塞がれていた。そのままたっぷり五秒ほど口づけを交わすと教室中に響きわたる声でラウラが宣言する。

 

「日本では、気に入った相手の事を“嫁にする”と言うのが一般的な習わしだと聞いた。よってお前はこれから私の嫁だ!」

 

唖然として固まる一夏だったが、鈴から放たれる殺気で身の危険を感じたのか、慌てて教室から出て逃げようとする。しかし青い一筋の光が、一夏の進路を阻んだ。

 

「一夏さん、いったいどこに行かれるのですか?」

 

統夜が目を向けて見れば、撃ったのはスナイパーライフルとISの腕部分だけを展開したセシリアがいた。目には澱んだ光が宿り、どう見ても正気ではない。命の危険を感じ取った一夏は身を翻して、窓から逃走しようと足を動かした。しかし窓から飛び降りる直前、今度は目の前に真剣が突き立てられる。

 

「……一夏、詳しい話を聞かせてもらうぞ」

 

「ちょ、ちょっと待て箒!誤解だ!!」

 

「誤解も六回もあるか!!」

 

真剣を振りかざして一夏を追いかける箒。その後ろでは鈴とセシリアもセットになって追いかけていた。一夏は教室を見渡して統夜の顔を見つけると、慌てて統夜の背後に隠れる。

 

「おい一夏!何やってんだよ!!」

 

「統夜も説明してくれ!俺は無実だ!!」

 

「冗談じゃない!!誰が好き好んで処刑されなきゃならないんだ!!お前が──」

 

「紫雲……」

 

「は、はいっ!?」

 

統夜の前には悪鬼が四人、並んでいた。何故かシャルロットもISを展開して箒達の横に並んでいる。彼女達からは暗い何かが吹き出ており、身の危険を感じた統夜は思わず一夏を差し出した。

 

「止めてくれ統夜!友達だろ!?」

 

「逝ってこい一夏。骨は拾ってやる」

 

「字が違う!!」

 

「一夏ぁ!!」

 

「うわわわわ!?」

 

箒のひと振りが顔を掠めた後、一夏は猛スピードで教室から出ていった。四人もそれを追って教室から廊下に出ていく。しかし統夜が胸をなでおろした所で、再び勢い良く教室の扉が開いた。

 

「か、簪?」

 

入ってきたのはつい先ほど別れたばかりの簪だった。ツカツカと鋭い足音を鳴らしながら統夜に近づくと、前置きも無しに統夜の腕を掴む。

 

「……」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

問答無用で統夜の腕を引っ張って廊下まで出ると、やっと簪は手を離した。若干掴まれた腕に痛みを感じながら、統夜が問いかける。

 

「ど、どうしたんだ?今は授業の時間じゃ──」

 

「統夜……一緒に入ったの?」

 

「はあ?」

 

ハイライトの消えた目で簪が言葉を漏らす。その顔を見て、統夜はぞくりと悪寒を感じた。

 

「答えて……統夜は──」

 

ごくりと唾を飲み込む音が、体の中で嫌に大きく響く。これから一体何を言われるのか、統夜の頭はその言葉で一杯だった。そして再び、簪の口が開かれる。

 

「そ、その……デュノアさんと、お風呂入ったの?」

 

「……え?」

 

「こ、答えて……」

 

唐突に簪が普段の調子に戻り、顔を赤く染めながら統夜を見上げてきた。一瞬だけ質問の意味を考えて、正しく質問の意図を理解した統夜は簪と同じく顔を染めてぶんぶんと顔の前で手を振る。

 

「い、いやいや!そんな事してないって!!

 

「本当……?」

 

「ほ、本当だって!」

 

統夜の言葉は真実である。男装した女子と混浴するなど、とてもじゃないが自分の精神が持たない。その為男子の入浴時間のうち、統夜と一夏が入る時間、シャルロットが入る時間と、三人で時間を区分けしていたのだ。幸か不幸か、統夜はラッキースケベなど持ち合わせていないのでこの一ヶ月間、浴場でシャルロットと鉢合わせした事は一回も無かった。

 

「でも何で……デュノアさんの事、隠してたの?」

 

「それは……ごめん。シャルロットから頼まれたんだよ。誰にも言わないでくれって」

 

「……分かった。疑って……ごめんなさい」

 

「いいよ。悪いのは言わなかった俺なんだからさ」

 

「おい紫雲」

 

名前を呼ばれて振り返ってみると、教室のドアから千冬が顔を覗かせていた。

 

「話が終わったのならさっさと教室に入れ。HRを始めるぞ」

 

「あ、はい」

 

言われて教室に戻ろうとする統夜の袖を簪が掴んで引き止めた。

 

「そ、その……今日、昼休みに……お昼ご飯……」

 

「ああ、分かった」

 

「そ、それで、二人き──」

 

「のほほんさんも誘っておくからさ、また三人で食べようか」

 

統夜が言うなり、簪は意気消沈していた。今すぐ座り込んで呪詛を吐きそうな顔をして、統夜を睨んでいる。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「もう、いい……」

 

短く言葉を発すると簪は踵を返して走り去ろうとしたが、何かに引き止められた様に立ち止まった。おずおずと統夜の顔を見るが、統夜には何が何だか分からない。

 

「何かあるのか?」

 

「統夜の……ばか」

 

簪はぽつりと呟くと一目散に走り去ってしまった。完全な善意で言っている分、統夜には先ほどの簪の言葉の意味が全く分からなかった。

 

「何なんだ……?」

 

六月のとある朝。この日は少しばかりの勇気を振り絞った少女の願いが、あっさりと打ち砕かれる日だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 ~苦悩と葛藤~

夏を思わせる風が吹き始めた七月。統夜達はいつもと変わらぬ日々を過ごしていた。タッグトーナメントも終わり、前学期に残る大きなイベントは臨海学校のみ。それまでは特にやる事も無いので、生徒達は日頃の勉学に勤しむ事になる。それはこの学園でただ二人の少年達も変わらない。

 

「統夜、ありがとな。教えてくれて」

 

「気にするなよ。俺も今日やった所は再確認したかったからさ。丁度良かった」

 

勉強道具を鞄にしまい込みながら、教室で言葉を交わす二人。既に他の生徒は寮に戻ったり部活に行っている時間だ。一夏と統夜は部活に所属していないので、こうして二人揃って教室に残って勉強をしている。

 

「それよりも早く特訓に行った方がいいんじゃないのか?」

 

「ああ、今日は統夜と勉強するから遅くなるって言ってあるからな。大丈夫だ」

 

「それでも早く行ってやれよ。篠ノ之さん達、首を長くして待ってるぞ」

 

「そんなに待ってないだろ。ひとりでも特訓は出来るし」

 

「いやそうじゃなくて、皆お前を待ってる……って言っても無駄か」

 

「何だよ統夜、はっきり言えよ」

 

「いや、鈴とかシャルロットが可哀想だなって思ってな」

 

「何だそれ?」

 

疑問の声を上げながら席を立つ一夏。統夜も自分の鞄を背負って席を立った。廊下に出た所で、一夏と統夜は別々の方向に向かう。

 

「じゃあな、統夜。また明日!」

 

「ああ。またな」

 

一夏は駆け足で廊下を走り去っていった。統夜も一息ついてから寮への道を辿る。

 

(簪、楯無さんと一緒にいるのかな?)

 

姉と仲直りした簪は、今まで疎遠だった時間を埋めるかの様に楯無と日々を過ごしていた。最近では生徒会での姉の仕事もぽつぽつと手伝っているようで、今まで整備室に行っていた代わりに、生徒会室に出入りする様になっている。寮に着いた統夜は一直線に自室へと向かう。途中何度か顔見知りの生徒と挨拶を交わしながら廊下を進み、自分の部屋に到着した。

 

「ただいま」

 

何の躊躇いも無くドアを開く。だが次の瞬間、目の前の光景を見て統夜の表情が固まった。

 

「か、簪……?」

 

簪は部屋の入口でに立ち尽くしていた。その事は何も問題ない。しかし問題なのはその服装だった。

 

「お、お帰りなさい……ご飯にする?お風呂にする?それとも……」

 

統夜の目の前にいる簪の服装は、俗に言う裸エプロンだった。白いエプロンから伸びる、白い肌がとても眩しい。顔を真っ赤に染め上げながらたどたどしくセリフを言う姿はとても可愛らしくもあるが、統夜にそんな事を考える余裕は無い。

 

「その格好……何?」

 

「わ、わた……」

 

簪は最後の言葉を言えずに何度もつっかえていた。そしてとうとう顔をゆでダコより真っ赤にすると、統夜から顔を背けて固まってしまう。そして頭の中がごちゃごちゃの統夜の前にもう一人、エプロン姿の少女が現れた。

 

「まったくもう。簪ちゃん、ちゃんと言わなきゃダメでしょ?」

 

「な、何ですかその格好!?」

 

バスルームに続く扉から出てきたのは、最近統夜達の部屋に遊びに来る事が増えている楯無だった。何を考えているのかその服装は、簪と同じ白いエプロン一つである。

 

「これ?可愛いでしょ」

 

「そうじゃなくて服!早く着てくださいよ!!」

 

半ば悲鳴の様な声を出しながら統夜は自分の制服の上着を脱ぐと、慌てて簪に放った。簪は統夜の制服を受け止めると、急いで体を隠す様に上着を羽織る。楯無はその光景をにやにやしながら見ていた。

 

「あら簪ちゃん、役得ね。統夜君の服もらえるなんて」

 

「そんな事どうでもいいですから、早く服着てくださいよ!」

 

「これ、下に水着着てるから裸じゃ無いわよ?」

 

「そういう問題じゃありません!!」

 

その後、わめきたてる統夜を二人がかりで落ち着かせるのに数分かかった。椅子に座る統夜の横には、並んでベッドに座っている楯無と簪がいる。既に二人の服装は元の制服姿に戻っていた。

 

「全く、なんであんな事してたんだ?」

 

「だって、そうすれば……統夜が喜ぶって、お姉ちゃんが……」

 

「……楯無さん?」

 

「嘘は言ってないわよ。眼福だったでしょ?」

 

「ま、まあ……その……」

 

横目で簪を見ると、統夜の次の言葉を待っていた。一見無関心を装っているかのように見えるがちらちらと統夜を盗み見ており、興味があるのが丸分かりである。

 

「……可愛かったです」

 

「……」

 

簪は統夜の言葉を聞くと顔を赤く染めたまま、そっぽを向いてしまった。統夜は“マズイ事言ったかな?”と思いつつ、楯無との会話を再開する。しかし、誰にも見えない場所で簪は小さく右手を握り、ガッツポーズをしていた。頬が緩むのを抑えきれず一人で笑っていると、姉から声がかかる。慌てて居住まいを直して振り向いた。

 

「何?」

 

「それで、簪ちゃん。ISの方だけど、マルチロックオンシステムはどうするの?」

 

「それは……おいおい作る。具体的には、夏休みの最中に」

 

「そっか、分かったわ。私の話はこれでおしまい。簪ちゃん、統夜君借りていい?」

 

「何で私に……?」

 

「もう、分かってる癖に」

 

「別に……構わない」

 

「ありがと。それじゃ統夜君、一緒に来て頂戴」

 

「あ、はい」

 

二人揃って部屋を出ていく。そして数分後、二人は学園の校舎内にある生徒会室の前に来ていた。楯無の用件は生徒会室に運ぶ大きな荷物があるそうで、それを統夜に運んで欲しいとの事だった。大きなダンボールを一人で持ち上げているにも関わらず、息一つ乱さない統夜を見て楯無は感嘆の声をあげる。

 

「凄いわね。さっすが男の子」

 

「楯無さんもこれくらい持てるんじゃないんですか?」

 

「私はか弱い女の子よ?持てる訳無いじゃない」

 

(自分で言うなよ……)

 

心の中でツッコミを入れながら、楯無が開けてくれた生徒会室の中に入る。

 

「荷物は角に置いておいて。一息入れましょうか」

 

初めて統夜が来た時と同じ様に紅茶を入れ始める楯無。統夜は荷物を部屋の角に置くと、ソファに座って楯無を待った。

 

「お待たせ。さあ、どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

目の前にクッキーを乗せた皿と、紅茶が置かれる。統夜は目の前に置かれたティーカップを取ると、ゆっくりとすすった。

 

「……美味しいです」

 

「お世辞でも嬉しいわ」

 

「そんな事ないですよ。本当に美味しいです」

 

「それはそうと、統夜君。質問があるんだけど、いいかしら?」

 

発せられる真面目な気配を察して、統夜もティーカップを置いて楯無の目を真っ直ぐに見る。楯無は一口紅茶を飲んだ後、ゆっくりと口を開いた。

 

「答えたくない事だったら、答えなくて構わないわ……何故あなたはISを怖いと思うの?」

 

「それは……」

 

「と、言うよりあなたの言葉の端から感じるに“IS”と言うより“力”そのものを恐れている様に思うのだけれど。理由があるの?」

 

「……楯無さん。俺からも一つ質問いいですか?それに答えてくれたら、その質問に答えます」

 

「まあ……別に構わないわ。それで?私に聞きたい事って何かしら」

 

「あの日、俺の事を明かした日に楯無さん言ってましたよね。“まあ、理由としてはこれだけじゃないんだけどね。大きな理由としてはこれよ”って。あの映像が理由ってのは分かるんですけど、他の理由ってのは何ですか?」

 

「……いいわ、教えてあげる。あなた自身のことでもあるのだから」

 

楯無はやおら立ち上がると、生徒会長と書かれた机へと向かう。そして引き出しから大型のノートパソコンを取り出すと、再び統夜の対面へと座った。

 

「簪ちゃんの事が気になってね。少しあなたの事を調べさせてもらったの。それで真っ先に目に付いたのが、あなたの両親の事なのよ」

 

楯無が数度操作をした後、統夜にパソコンのモニターを向ける。そこには新聞の見出しが大きく映し出されていた。画面の大部分を占める写真には、黒い煙を上げる建物が映っている。

 

「この事件が、統夜君の両親が亡くなったやつでしょ?」

 

「はい……」

 

「でもこの研究所、少し……いえ、大分きな臭い所があってね。気になって調べたのよ。そしたら……」

 

楯無は統夜の方に画面を向けたまま器用にキーを叩く。すると画面が切り替わり、今度は色々な資料が大写しになった。

 

「多すぎる物資の流通、使途不明な金銭、おまけに運営企業が巧妙に偽造されていたわ。調べた結果、運営していた企業は今は存在しない……いいえ、当時も存在していなかった」

 

「それ……どういう意味ですか?」

 

「要するに、統夜君のご両親が働いていた場所はブラック過ぎるのよ」

 

「でも、俺の父さんと母さんは──」

 

「分かってるわ。もしかしたら、ご両親は知らずに働いていたって可能性もあるもの。何もお父さんとお母さんが犯罪者だと言っている訳ではないわ」

 

「……それが理由ってわけですね。話してくれてありがとうございます」

 

「いいのよ。私もいつか言おうと思ってたから。さて、じゃあ次の話に移りましょうか」

 

楯無はパソコンを元の引き出しにしまったあと、統夜の前に座る。統夜は何の気無しに首から下げられているネックレスを弄っていた。

 

「さっきの質問の答えですけど……まずは謝らなくちゃいけない事があるんです」

 

「いきなりね。何?」

 

「俺……あの時、嘘ついてたんです」

 

「あの時って……この間、私達に統夜君の秘密を話してくれた時の事?」

 

「はい。あの白鬼事件の時の事……本当ははっきり覚えてるんです」

 

「……続けて」

 

「俺はラインバレルになったあと、一直線にミサイルの所へ行きました。着くと、頭の中に流れ込んでくる使い方の通りに武器を振るって、ミサイルを撃墜し始めました。視界の端には白いISが映ってたけど、あの時の俺はそれについて考える暇も無かったんです。それで、全部撃墜し終わって帰ろうとしたとき、いきなり包囲されました」

 

「軍による捕縛作戦ね。確かあなたはISも守ったはずだけど、それがどうか──」

 

「違う、違うんですよ、楯無さん。あの時の俺は……そんな事考えてなかったんです」

 

楯無の言葉を遮って、ぽつりと呟く統夜。否定されるとは思っていなかった楯無は、怪訝な顔を浮かべる。

 

「どういう事?」

 

「守ろうとか、何かを助けようとかそういうんじゃなくて……あの時の俺は、ただ邪魔をするこいつらを壊したいって思ってたんです」

 

「……」

 

楯無は予想外の答えに呆気に取られていた。眼前にいる少し内向的な少年の口から、そんな攻撃的な言葉が出てくるとはついぞ考えもしなかったからである。そこまで話した統夜は顔に両手を当てて続きの言葉を口にするが、先程までの覇気が全くなかった。

 

「……自分を一歩引いて見ている感覚でした。暴れる自分を抑えられなくて、ただ自分の前に立つモノが邪魔だから、武器を振るってた……ISを守ったってのはただの結果なんです。あの時の俺に、そんな気は更々無かった」

 

「それが、統夜君がISを……力を恐れる理由?」

 

「今でも思い出すんです。俺に向けられる目を……戦闘機で俺を攻撃してきた人や、船に乗っていた人たちの俺に向けられる視線を。そんな目を向けられる自分が怖くて……」

 

「そうだったの……」

 

「全部終わって家に帰って正気に戻ると、急いで布団に潜って毛布を被りました。“一日経ったらさっきのは夢になってる。きっと夢だったんだ”なんて、子供みたいな事考えて。でも結局、翌朝のニュースを見て、自分がしでかした事の大きさを知って……もっと自分が怖くなりました」

 

「……もういいわ。話してくれて、ありがとね」

 

いつの間にか空になっていた二つのティーカップを取って、楯無は立ち上がった。これ以上話を聞ける様な雰囲気でない事は、誰の目にも明らかである。ティーポットから紅茶を注ぐと、統夜の前に置いた。

 

「……ごめんなさい、そんな事を思い出させてしまって」

 

「いえ、悪いのは俺なんです。自分でも女々しいと思います。今だにあの日の事を吹っ切れないなんて」

 

「……さて、難しい話はこれでおしまい!楽しいお話に入りましょうか」

 

楯無は生徒会長の席に座ると、いつもの笑みを浮かべる。統夜も不思議と説得力のある楯無の言葉に従って、何を言われるのやらと待ち構えていた。

 

「楽しい話って何ですか?」

 

「嫌な事を思い出したりした時は、パーッと遊ぶに限るわ。という訳で今度の休日、私とデートしなさい」

 

「ブーッ!?」

 

思わず口に含んでいた紅茶を吹き出してしまう統夜。楯無はそんな統夜を見てけらけら笑っていた。

 

「もう、汚いわねぇ。あとで掃除しないと」

 

「な、なな何ですかいきなり!?俺と楯無さんがデート!?」

 

「そんな大層な事じゃないのよ。ただ単に、簪ちゃんのIS完成のお祝いをあげたいから、そのプレセント選びに付き合って欲しいって事なんだけど。どうかしら?」

 

「は、はあ……そういう事でしたら構いません。俺も何かあげたいと思ってた所ですから」

 

「それじゃあ、今度の日曜日空けておいてね。集合場所は追って連絡するわ」

 

「まあ、分かりました。失礼します」

 

紅茶を飲み干した統夜はカップを残して部屋から出ていく。それを確認した楯無は再び笑みを浮かべるとぽつりと呟いた。

 

「……これで片方は準備OKっと」

 

おもむろに机の上にある受話器を取り上げる。そして頭の中に入れてある番号を押したあと、耳に押し当てた。数秒で電話はつながり、楯無の耳に声が届く。

 

「あ、もしもし簪ちゃん?今度の日曜日、お姉ちゃんとデートしない?」

 

約二名の預かり知らぬ所で、思惑は着々と進んでいた。真実を知るのは、笑みを浮かべる生徒会長のみ。ここに、恋のキューピッド役を立派に果たさんとする、一人の少女がいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 ~突然過ぎる二人きり~

週末、日曜日の良く晴れた休日。こんな日は、家族であれば団欒のひとときを過ごし、友人がいれば、遊びに繰り出すだろう。しかし現在人混みの中で人を待っている少年はそのどちらにも当てはまらない。

 

(少し早く来すぎたかな?)

 

左手首に巻かれている腕時計を見ると、時刻は午前十時十分前。約束の時刻は十時丁度なので、十分程早く来た事になる。壁に寄りかかると、周囲の人の流れを何の気無しに見つめる。

 

(まあいいか。待ってればいいし)

 

先日楯無から誘われた簪へのプレゼント探し。統夜の目的はそれだった。ここはIS学園から一番近いショッピングモール“レゾナンス”。何でも揃っていると言う謳い文句が売りの、巨大な複合施設である。楯無と統夜はここでプレゼントを探すつもりだった。

 

(簪も今日は出かける所があるって言ってたっけ)

 

朝出る時に簪も“私も行く所がある”と言っていたのを唐突に思い出した。まあのほほんさんか鈴と何処か遊びにでも行くのだろう、と考えて一つ大きくため息をつく。

 

(そう言えば、何で楯無さんはあんな事言ったんだろう?)

 

思わず自分の服装に目を向ける。いつも来ているIS学園の制服ではなく、今日は私服に着替えて外に出ていた。

 

『統夜君は絶対私服で来るのよ。制服なんて着てきたらおねーさん、怒っちゃうんだからね?』

 

(っていうか、外に来てまで制服着る馬鹿いないだろ……)

 

「……と、統夜?」

 

楯無の言葉を思い出して嘆息すると、不意に横から声がかけられた。楯無さんにしては呼び方がおかしいな、と思いつつも声の方向に振り向くと、統夜の体に電撃が走った。

 

「な、何で統夜が……?」

 

「……か、簪?」

 

いつも見ている制服姿ではないので一瞬のうちに判別がつかなかったが、何度も瞬きを繰り返すと目の前にいるのは確かにルームメイトの更識 簪だった。統夜と同じくいつもの制服ではなく、おしとやかな白いワンピースを着ている。

 

「何で簪がいるの?」

 

「と、統夜こそ……私はお姉ちゃんと一緒に、買い物に……」

 

「ちょっと待って。今“お姉ちゃん”って言った?」

 

「う、うん。言ったけど……」

 

「……もしかして、簪は楯無さんに誘われてここに来た?」

 

「うん」

 

こくりと頷く簪を見て、統夜の頭の中のピースがカチリと音を立ててはまった。思わず取り出そうとすると、それより早くポケットの中の携帯電話が震える。取り出しながら簪を見ると、ポーチから携帯電話を取り出していた。

 

「……やっぱり」

 

携帯電話を開くと一通だけメールが来ていた。送信者は既に予想がついているので目もくれず、文面を開く。それを見た統夜は思い切り脱力した。

 

「ど、どうかしたの?」

 

「簪の携帯に今メールが来ただろ?その文面当ててあげようか」

 

「えっ?」

 

「『ごめんね。生徒会の急な用事で行けなくなっちゃった。でも実はもう一人呼んであるからその子と一緒に楽しんできてね。追伸 怒らないでね?』って書いてあるんじゃないか?」

 

簪の顔を見る限り、どうやら図星らしい。種明かしのために自分の携帯電話を手渡すと、その画面に映っている物を見て簪の目が大きく見開かれた。

 

「どうせ簪にもこれと同じやつが来たんだろ?」

 

「う、うん……」

 

簪がおずおずと自分の携帯を差し出してきた。その文面を見ると一言一句同じ言葉が書いてある。しかもご丁寧に一斉送信せずに統夜と簪、個別に送っているという念の入れ具合。

 

「どういうこと?」

 

「つまり、楯無さんに遊ばれたって事だよ。あらかじめ俺と簪、二人に同じ約束を取り付けておいたんだ。それで当日自分だけ行かなければ買い物に来るのは、俺と簪二人だけになるって訳」

 

「……」

 

姉への怒りのボルテージが徐々に上がっているのか、顔を俯かせて拳をぷるぷると震わせる簪。統夜も楯無への怒りが湧き上がりつつあるが反面、少しだけ感謝していた。

 

「じゃあ、行こっか?」

 

「え?」

 

「簪のプレゼント探し。元々そのつもりで来たんだし、ここまで来ちゃったらもう行くしかないだろ」

 

「……うん」

 

簪は顔を俯かせてこくりと頷いた。自分の緊張を悟られまいとして、思わず平坦な口調になってしまったが、心の中には嵐が吹き荒れている。

 

(き、緊張する……)

 

何しろ統夜の人生において、女性と二人きりで行動するなんて事はまずなかった。姉を女として見る事は一切なかったし、中学校の時は自分の殻に閉じこもってばかりでお世辞にも友達は多かったと言えない。寧ろ当然の反応だろう。仮にこの様な状況で女性と一緒にいても緊張しないなんて奴はきっと、阿呆か相当の朴念仁に違いない。

 

「うわ、凄い人だな」

 

「……」

 

二人一緒にレゾナンスの門をくぐると、予想通り中は人で一杯だった。統夜の後ろを歩きながら簪は何故か自分の右手を閉じては開いて、閉じては開いてを繰り返している。

 

「簪の欲しい物なんだから、やっぱり簪が行き先決めて……どうかした?」

 

「えっ?」

 

「いやさ、さっきからその手……」

 

「な、何でもない。何でも……」

 

そう言いながらも簪の目は周囲を歩いているカップルに向けられていた。彼らの手は例外なく繋がれている。思わず統夜も自分の掌を見つめると、ゆっくりと簪に差し出した。

 

「……」

 

「いやさ、この人だかりだし迷ったら困るだろ?それに人が多いからはぐれるとも分からないし。本当!本当にそれだけだから──」

 

統夜の様々な言い訳は、簪が差し出された掌を握る事で止まった。唐突に握られた左手を見て、次に簪を見る。

 

「統夜……行こう?」

 

「……ああ」

 

簪の微笑みを見て落ち着いた統夜も、その手を握り返す。極々自然に、まるでそれが当たり前かのように二人は人混みの中を歩いて行った。

 

 

 

二人は二十分程レゾナンスを歩き回って見つけた、アクセサリーショップに来ていた。店舗の中には所狭しとシルバーのアクセサリーや、おとなしめなネックレスまで何でも揃っている様子である。

 

「さて、ここで見つかるといいな」

 

独白した統夜の横で簪は既に店内へと目を走らせていた。そのままゆっくりと店の中を見て回る事数分、ふと簪が立ち止まった。

 

「それ、ネックレス?」

 

簪の背中越しに見えるのは、簡素な銀色のネックレスだった。その先端には銀で縁どられ、緑と白で彩られた小さな花が付いている。

 

「気に入った?」

 

「……」

 

コクリ、と小さく頷く簪。その表情は統夜からは見えなかった。そしてまるでそれが当然かの様に、簪が手に取っている物と同じネックレスを統夜が取る。

 

「じゃ、買ってくるからちょっと待ってて」

 

当たり前の様な統夜の声音に反応するのが少しばかり遅れた簪は一瞬呆けた顔をした。しかしすぐさまいつもの無表情に戻ると、統夜の服の裾をぐいっと掴んで動きを止める。

 

「ど、どうした?」

 

「何で……?」

 

「何が?」

 

「何で……統夜が買うの?」

 

「だって、簪のプレゼントだろ?当たり前じゃないのか?」

 

「……」

 

確かに、プレゼントとはそういう物である。本人が自分自身へのプレゼントを買うなど聞いたことがない。しかし、簪に取っては統夜のあまりに自然な動きに少し待ったをかけたくなった。少しばかり自分に言ってくれてもいいではないか、そんな感情が簪の胸の中に溜まっていた。

 

「じゃ、じゃあ行ってくるから待ってて」

 

沈黙している簪を見て、納得してくれたと思ったのか一人でさっさと会計に行ってしまう統夜。

 

(……そうだ)

 

統夜の後ろ姿を見ているうちに、ふとした考えが浮かんできた。会計の方を見ると少しばかり行列が出来ており、そうそう早くに統夜が帰って来る気配は無い。そして周囲を見渡すと、一人の店員が棚を整理しているのを見つけた。

 

「すいません」

 

簪が呼ぶと店員はにこやかな笑みを浮かべながら近づいてきた。簪は意を決して口を開く。

 

「お願いが、あるんですけど……」

 

 

 

 

数分後、二人は店の外にいた。簪の手には店のロゴが入った小さな紙袋が握られている。

 

「統夜……良かったの?あんな高い物……」

 

簪は先程見たレシートを思い出す。そこには学生の身分には相応しくない値段が刻まれていた。統夜は目の前で手を振りながら答える。

 

「いいっていいって。どうせ使い道なんて無いし。それならこんな風に使ったほうが俺も嬉しいしさ」

 

「う、嬉しいの……?」

 

思わず言ってしまった言葉を簪に言及されて初めて気づいた、という顔の統夜。自分の言った言葉の意味を考えたのか、顔を真っ赤にしてしまう。

 

「……ほ、ほら!次いこう次!!」

 

統夜は自分の感情をごまかすかの様に簪の手を引っ張って歩き出す。いつの間にか簪の顔には、紛れもない笑みが浮かんでいた。

 

 

 

その後、二人はレゾナンスを堪能した。数多くの施設を周り、日頃のストレスを晴らすかの様にはしゃいでいた。

 

 

とある店では、着ぐるみを見つめている簪がいた。

 

「これ……本音のお土産に……」

 

「着ぐるみ?」

 

「本音、こういうの好きだから……」

 

「いいんじゃない?」

 

「うん……買ってく」

 

 

 

ゲームセンターでは、簪に応援されて意気込む統夜がいた。

 

「パンチングマシーン?」

 

「統夜……やってみるの?」

 

「うん、やってみようかな」

 

「が、頑張って……」

 

「……ハァッ!!」

 

「……きゅ、999点?」

 

 

 

オープンカフェでは二人仲良く座ってクレープを食べていた。

 

「はい、簪。クレープ買ってきたよ」

 

「……は、はい」

 

「え?」

 

「あ、あーん……」

 

「え?ええ!?」

 

「食べてくれない、の……?」

 

「……食べます」

 

 

 

次は簪の方から手を伸ばした。

 

「……統夜」

 

「なに?」

 

「手……繋いで、いい?」

 

「……いいよ」

 

 

 

 

こうして二人の時間は過ぎていった。ついこの間は正体不明の敵と死闘を演じたと言うのに、そんな事は微塵も顔に出さず遊び倒した。しかし門限もあるので、陽が落ちない内に二人は寮へと帰ってきた。

 

「あー、遊んだな」

 

統夜は私服のまま、自分のベッドへと飛び込む。途中から簪のプレゼント探しではなくただのデートになっていたが口に出すのが恥ずかしいのか、二人はそれについて全く話さない。

 

「あんなの……初めて……」

 

簪も自分のベッドにちょこんと腰掛ける。空気に酔っていたのか、昼間の様子とは打って変わって大人しかった。

 

「でも簪もあんな顔するんだな」

 

「っ!?」

 

統夜の言葉を聞いて簪が明らかに動揺する。統夜はその時の光景を思い出しながら言葉を続けた。

 

「珍しかったよ、簪のあんな顔。まさか──」

 

ぷるぷると震えていた簪は我慢できなかったのか、統夜の言葉が終わらない内に自分の枕を引っ掴んで叩き始めた。

 

「な!ちょ!わぷっ!?」

 

痛くはないのだが容赦無く顔を狙ってくるので上手く息が出来ない。枕を振り続ける簪だったが体力の限界が来たのか、肩で息をしながら自分の布団に潜り込んでしまった。

 

「ごめんごめん。悪かったよ」

 

「……反省してる?」

 

「してるしてる」

 

何を考えたのか、簪はベッドの脇に置いてあった自分のポーチに手を伸ばした。訝しむ統夜の横で一人ごそごそとポーチを漁る。そして目当ての物を取り出すと、統夜に差し出した。

 

「え?それって……」

 

それは昼に見かけた店のロゴが入った紙袋だった。だが、昼間に買った品物は既に簪の首元にある。統夜は取り敢えず簪から紙袋を受け取って中身を取り出してみた。

 

「これ……ブレスレット?」

 

紙袋から出てきたのは、白と黒で染められたシンプルなブレスレットだった。輪の半分を白色が、もう半分を黒色が覆っている。

 

「ありがとう、統夜」

 

簪の感謝の言葉を受けながら、取り出したブレスレットをまじまじと見つめる。

 

「それは私からのお礼」

 

「お礼?」

 

「うん。作るのを手伝ってくれた……お礼。私の、感謝の気持ち」

 

「簪……」

 

統夜は光に翳したあと、ブレスレットを右手につけた。狙ってのことなのか、それとも偶然なのか。統夜の首と手首にあるネックレスとブレスレットの色は統一され、統夜によく似合っていた。

 

「……ありがとう、簪。大事にするよ」

 

統夜は微笑みを浮かべながらはめられているブレスレットを眺めた。傷一つ無いブレスレットの上で、幻想的な銀色の光が踊っている。

 

 

なお後日、生徒会室ではアイアンクローをかましながら笑みを浮かべている統夜と、冷や汗をだらだら垂らして引きつった笑みを浮かべる楯無がいたらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 ~トオイキオク~

辺りでは轟々と炎が燃え盛っている。いつも見ていた機材も、研究員達が叩いていたパソコンも、今や鉄屑以下の存在と成り果てていた。

 

「父さん!父さん!!」

 

目の前の父を何度も呼ぶ。母は父の傍に倒れていた。いつも暖かな笑みを浮かべていたその顔には、赤い血化粧が施されている。小さな手に揺らされている父の体は血塗れで、荒い息を吐きながら父がポケットから何かを取り出した。

 

「統夜……これを……」

 

「父さん!どうしたの!?」

 

父の手が自分の右手を掴んで引き寄せた。なされるがままの自分の手に何かを握らせる。

 

「これを……離すな。お前の……力に……」

 

「父さんしっかりして!母さんは何で!?」

 

体に力が入らないのか、四肢を投げ出している父の体を揺さぶり続ける。統夜の視界の端には父の体から流れ出た血液が写っていたが、それには目もくれなかった。

 

「父さん、父さん!!」

 

揺らしている間にも溢れ出る血液は止まらない。皮肉にも周囲で燃え盛っている炎の光が反射して、血液は綺麗な赤色を生み出していた。目に入らないわけではない、認めたくなかったのだ。父が、己の大好きな父が死に瀕しているなどという事を、認めたくなかった。

 

「父さん!父さ──」

 

壊れたおもちゃの様に何度も何度も同じ言葉を繰り返す統夜の体が不意に暖かい物に包まれた。父が両手を伸ばしてゆっくりと自分を抱いたのである。

 

「す、まない、統夜……本当に、すまない……」

 

「父さん……?」

 

「託せるのは……お前だけだ。お前が決意をした時……きっと共に道を歩く者が、隣にいる……だろう。お前は……決して、一人ではない」

 

「何で……何でそんな事言うの!?」

 

既に統夜も理解していた、父が既に手遅れだと言う事を。だが信じたくなかった。父と母と、多くの人間と過ごした場所が灰になり、同時に父と母を失うということを。今まで力強く背中に回されていた腕がするりと抜け落ち、父の体は完全に崩れ落ちた。

 

「父さん?ねえ、返事してよ……父さん……」

 

父の傍らで跪く。荒かった息は既に蚊の泣くような音に変わっており、統夜は只々泣くことしか出来なかった。

 

「父さん……母さん……」

 

ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。握り拳を伝って僅かに熱を持っている床に垂れているのを見ていると、自分の心を虚無感が襲う。

 

「……」

 

もうここで死んでもいい。そんな言葉が頭をよぎった時だった。不意に体が掴まれて、宙に浮く。思わず後ろを見ると、綺麗な銀髪を乱して自分を抱き上げている女性が目に入った。

 

「──」

 

「──」

 

虫の息だった父が途切れ途切れの言葉を紡ぐ。女性は唇を噛みながら自分への怒りに打ち震えているようだった。目の前で倒れている父と母の事で頭はいっぱいで、女性と父の会話すら耳に入ってこない。

 

「──いいんだ……罪は私達にある。あれを、作り出してしまった……私達に。心苦しいが……後は……」

 

「はい。必ず……」

 

「すまない。統夜を……頼む。その子は絶対に……」

 

「父さん……?」

 

「……統夜、こんな父親を……ゆる、し……て、くれ……」

 

その言葉を最後に父の瞼は完全に閉じた。茫然自失としている自分を抱え上げたまま、女性は踵を返して部屋を出ていこうとする。

 

「待って!離して、父さんと母さんが!!」

 

「……行くわよ」

 

「嫌だ!嫌だよ!!父さん!!母さん!!」

 

「……」

 

女性は統夜を両腕で抱きかかえると、靴音を響かせながら勢い良く部屋を駆けていく。背中越しに見えた父と母の最後の姿は、何処か手を繋いで寄り添っている様にも見えた。

 

「父さん、母さん!!」

 

思わず右手を伸ばす。その手の中に光る銀色のネックレスはまるで、少年の心中を表すかのように激しく揺れていた。

 

 

 

 

 

「──はっ!?」

 

「きゃっ!?」

 

女性の驚いた声が部屋に響く。統夜は思わず自分の顔を隠す様に顔に手を当てた。そのまま息を落ち着かせるために何度も深呼吸を繰り返す。

 

「はっ、はっ……はっ……」

 

幾らか気分が落ち着いてきた所で手を外して周りを見る。そこは三ヶ月近く過ごしたIS学園の寮の中にある、自分の部屋だった。太陽が顔を出しかけているのか、窓の外には朝焼けが広がっている。ベッドに脇を見ると、寝巻き姿の簪が尻餅をついていた。その顔には焦りや不安と言った感情がありありと浮かんでいる。

 

「と、統夜……?」

 

「……ごめん。驚かせて」

 

薄い毛布から抜け出して、自分の体を確認する。どうやら夢を見ている時に相当の寝汗をかいたらしく、寝巻きとして使っているジャージがぐっしょりと濡れていた。統夜は着替えを取り出すとシャワーを浴びる為にドアを開ける。

 

「統夜……」

 

「……」

 

簪の声が背中越しに聞こえるも、取り合う事はしない。今の自分には簪に構っていられる余裕が無かった。そのままシャワー室に入ると、音を立てて閉める。まるで簪の声をかき消すかのように。

 

 

 

 

 

(最低だ、俺……)

 

統夜は弁当の用意をしながらそんな事を考えていた。シャワーから出たあと、簪は何か言いたそうにしていたが、統夜はただ一言”弁当、用意してくる”とぶっきらぼうに言い残した後部屋を出てきてしまった。そして今、酷い自己嫌悪に陥っている最中である。

 

(何であんな夢、見たんだろう……)

 

まだ父親と母親が死んでまもない頃、その当時は確かに毎日の様に見ていた夢。瞼の裏に焼け付いた景色が統夜の精神を不安定にしていた。姉がいなければ今頃どうなっていたか分からない、それほど当時は酷かった。だが、この年になって払拭出来た、はずだった。事実、最近は見た記憶がない。

 

(やっぱり……あれか?)

 

脳裏に先日、簪と楯無に全てを話した時の情景が思い浮かぶ。だがしかし、話したのは自己責任な上、簪に全く非はない。その事実が余計統夜を苛む。

 

(戻ったら、謝ろう)

 

そう心に決めながら弁当を包む。もう何度やったか分からない手順を滞りなく進め、三つの弁当を持って調理室を出た。

 

(そう言えば、そろそろ臨海学校か)

 

今月中で一番多大きな行事、それが臨海学校だった。正直言って今まで行われてきたこの学校の行事には良い思い出など一つも無いが、今回ばかりは違っている事を統夜は祈っていた。寮の廊下を歩き、もう少しで自分の部屋にたどり着く。そんな時、急に横の扉の向こう側から尋常でない音が響いてきた。

 

「な、何だ何だ!?」

 

尻餅をついてしまった統夜は廊下の壁に手を添えながら何とか立ち上がる。幸い弁当箱には何の被害も無いので一安心。そして目の前の扉の部屋番号を見てみると、思い切り見覚えがあった。

 

「もしかして……」

 

そろそろとドアを開けてみると、その先には俗に言う修羅場が広がっていた。

 

「よ、よう統夜……」

 

「お、おう……」

 

部屋の角で丸まっている制服姿の一夏と会話を交わす。朝焼けが差し込む空間には、部屋の主である一夏以外に二人の女性がいた。

 

「お、おはよう。ボーデヴィッヒさん……」

 

「紫雲か。良い朝だな」

 

一夏に次いで挨拶してきたのは、最近性格ががらりと変わったともっぱらの噂のラウラ・ボーデヴィッヒだった。先月のタッグトーナメント、それを境にラウラは変わった。以前の様な刺々しい雰囲気はどこにもなく、今は少し仏頂面が目立つ普通の女の子と言った様子である。前に話をしたときは開口一番に“前は斬りかかって済まなかった”と謝罪をされ、少しばかり戸惑った。今では転入当初が嘘の様に、普通の会話を交わせる関係となっている。

 

「し、紫雲か?」

 

統夜に背中を見せながら声を発したのは箒だった。表情は見えず、揺れているポニーテールしか見えない。どうやら箒が振り下ろしている竹刀を、ラウラがISを展開して止めているようだった。思わず部屋の中を覗き込もうとする統夜だったが、物凄い勢いで顔を真っ赤に染めたあと、部屋のドアに体ごと顔を向ける。

 

「紫雲、どうしたのだ?」

 

「な、何でボーデヴィッヒさんは裸なの!?」

 

一瞬だけ目に入ったラウラの体は一糸も纏っていなかった。思わず部屋の主である一夏を非難する。

 

「おい一夏!お前何やってんだ!!」

 

「ち、違う!誤解だ!!」

 

そこで一夏は弁明を始めた。どうやらラウラが押しかけ、朝起きたらベッドの中に全裸で潜り込まれていたらしい。しかも驚いた一夏の声を聞きつけて箒が乱入して来る始末。今は頭に血が上った箒をラウラが止めている状況だという。

 

「しかし紫雲。貴様も思うだろう、嫁の部屋に入るのはこの格好が普通だと」

 

「俺は思わないよ!!」

 

統夜の金切り声が部屋に響く。そして部屋が騒がしくなりかけた時、ドアから顔を覗かせた人物がいた。

 

「ねえ一夏、こっちにラウラ来てない?」

 

「あ、お、おはよう。シャルロット」

 

「あ、うん。おはよう、統夜……って何で統夜が一夏の部屋にいるの?」

 

顔を出したのはシャルロットだった。長い金髪を後ろで一つに束ねている。因みに呼び名の方は特に意識せずに名前で呼んでいた。シャルロットの方も統夜を名前で呼んでいるし、今更苗字で呼ぶのもなんだか余所余所しいと思ったからだ。統夜の体で部屋の中が見えないのか、しきりに首を伸ばして中を見ようとしている。

 

「ああ。ボーデヴィッヒさんならいるよ」

 

「ありがとう──って何で裸なの!?」

 

慌てて部屋の中に入ったシャルロットは、ラウラに服を着せようと急いで駆け寄った。箒は状況についていけないのか、半ば放心状態のまま竹刀片手に立ち尽くしている。

 

「ほんと、何やってんだよ」

 

思わず文句を言いながら一夏の元へと歩み寄って片手を差し出す。一夏は苦笑いを浮かべながら、統夜の手を取って立ち上がった。

 

「サンキュな、統夜」

 

「それより、そろそろ学校だぞ。準備終わってるのか?」

 

「ああ、何時でも──」

 

「一夏」

 

一夏がベッドの脇にある自分の鞄を指差した時、統夜の背中越しに幽鬼の声が聞こえた。ギギギ、という擬音を鳴らしながら二人揃って首を向ける。

 

「……」

 

二人の視線の先では箒が髪を揺らめかせながら竹刀を構えていた。逃げ出そうにも、狭い室内では逃げ場などどこにもない。更に仲介役を果たしてくれるシャルロットは気配を察したのか、いつの間にかラウラと共にいなくなっていた。

 

「じゃ、じゃあ一夏。またあとでな」

 

「ま、待ってくれ統夜!」

 

顔を見ないようにしながら箒の脇を通って部屋を出る。出るときに背中越しに聞こえてきたのは、一夏の断末魔だった。

 

『一夏!貴様一体どういうつもりだ!!』

 

『ご、誤解だ箒!俺は──』

 

『問答無用っ!!』

 

『ぎゃあああっ!!』

 

(一夏、ごめん……)

 

一抹の謝罪の気持ちを胸に抱きながら、統夜は部屋に戻るべく廊下を歩く。いつの間にか廊下には、朝日が差し込んでいる。こうして七月のIS学園は、部屋の中から響く断末魔と共に始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 ~夏と言えば海、海と言えば水着~

楽しいはずだった──

 

誰もが心を躍らせていた──

 

でも、それは俺達の想像力が足りないだけだった──

 

誰も思わなかった──

 

あんな事になるなんて──

 

 

 

 

「おい一夏、見えたぞ」

 

「おおっ!海だ海だ!」

 

窓から見える景色に感嘆の声を上げる一夏。その隣では統夜が窓の縁に肘を突きながら、海を見つめている。そんな二人の声を聞きつけたのか、座席越しに箒の声が響く。

 

「遊びに来たわけではないのだぞ、一夏」

 

「良いではありませんか箒さん。二日目はともかく、一日目は自由時間があるのですから」

 

箒の隣に座っているセシリアの声も聞こえる。背中越しにはシャルロットとラウラがはしゃいでいる声も聞こえた。

 

「本当、水が綺麗だよね。こんな綺麗な海、僕初めて見たよ」

 

「海沿いで訓練した事を思い出すな。最も、今回は訓練に来たわけではないが」

 

(臨海学校、か)

 

バスの中はクラスメイトが騒ぐ声で満ちていた。統夜は窓から顔を離し椅子に体を預けると、小さく息を吐く。夏休みの直前である七月の半ばに、IS学園一年生の面々は臨海学校に来ていた。

 

 

 

 

「おーい統夜、こっちこっち」

 

「ここか……って広すぎないか?」

 

「仕方ないだろ。俺たち以外に男がいないんだからさ」

 

一夏と統夜は揃って、あてがわれた部屋へと踏み入る。窓からはキラキラと光る海と、見るからに熱せられていそうな白い砂浜が一望出来た。取り敢えずそれぞれの荷物を部屋へと運び入れる。

 

「これで終わり、っと」

 

「一夏、自由時間って何時までだったっけ?」

 

「ええっと……五時までだな。その後は食堂で夕飯だ」

 

先に荷物を運び終えて部屋で寝転がっていた一夏がバックの中から臨海学校のしおりを取り出し、統夜の質問に答えた。部屋の大きさは二人だけにしては広すぎる物で、どうしても持て余してしまう。といっても、二人の他にここに来る人間はいないので、文句を言っても何も変わらないのが現状だった。

 

「お前どうする?俺はもうちょっと荷物の整理してるけど」

 

「俺は海に行ってくる。統夜も後で来いよ」

 

「ああ、分かった」

 

「じゃ、先行ってるぜ」

 

バスタオルと水着を荷物の中から取り出した一夏は、足早に部屋から出ていった。静かになった部屋の中で、一人統夜は荷物を畳の上に並べながら整理を続ける。

 

(……何も起きなきゃいいけど、そんな事ありえないんだろうな)

 

一人のままでいると、どうしても悪い方向へと考えてしまうのは自分の悪い癖だ。しかし、今回の予想はあながち間違いではないと、直感的に悟っているのもまた事実だった。

 

(また、あいつらが来るかもしれない……)

 

今までに二度、自分達を襲ってきた正体不明の集団。一回目と二回目の敵機のフォルムには僅かながら類似点があったし、何より敵の使っている機体が問題だった。

 

「ISじゃない何か、か」

 

統夜はこれまでの戦いから一つの結論を出していた。すなわち、敵が使っている機体はISではないと言う事である。百歩譲って、何処かの国なり企業なりが無人のISを開発したとしても、それをIS学園に送り出すメリットは全く無い。更に敵が自爆をしたというのも問題の一つだった。仮にあれらがISだとすれば、自爆などという手段は下の下である。限りあるISコアはそんな簡単に手放して良いものではない。

 

「と、するとやっぱり……」

 

声に出して自分の考えを再確認する。あれは敵である、と。自分達を害する者たちであると、頭の中で結論付ける。整理が終わった荷物を順番に鞄の中へと詰めていき、最後に音を立てながら蓋を両手で閉める。

 

「……やってやる、やってやるさ」

 

首に掛かっているネックレスに触れながら独りごちる。その時、部屋のドアがノックされた。立ち上がりながら、返事を返す。

 

「はい、どうぞ」

 

「とーやーん」

 

入ってきたのは、本音だった。いつもの制服姿ではなく、某電気ねずみの様な真っ黄色の着ぐるみを着ている。統夜が止める間もなく、部屋の隅に置かれていた敷布団目掛けてダイブしてごろごろと寝転がっている。

 

「のほほんさん、どうかした?」

 

「とーやん。海行こうよ~」

 

「海?」

 

「もう皆行ってるよ、とーやんも早く~」

 

「はいはい」

 

ズボンの裾をぐいぐいと引っ張られながら、統夜は閉めたばかりの鞄を開けて、バスタオルと水着を手にした。それを見届けた本音は立ち上がってのんびりとした足取りで部屋を出ていこうとする。

 

「じゃあ、海岸で待ってるからね~」

 

「ああ、分かった」

 

「あ、そうそう」

 

何かを思い出したかのようにドアに手をかけたところで本音が立ち止まった。そのままくるりと統夜の方へと振り返って、いつも通りの間延びした声で告げる。

 

「ちゃんと連れていくからね~」

 

「え?誰を──」

 

「じゃあね~」

 

統夜は片手を伸ばしかけて本音を呼び止めようとしたが、それより早く本音は出て行ってしまった。相変わらずのマイペースを崩さない本音を、彼女らしいと思いながらも取り出した水着に手早く着替え、その上から薄手のシャツを羽織る。バスタオルとサンダルを小さい手提げ袋に入れると、緩慢な動作で立ち上がる。

 

「さて、行くか」

 

誰に聞かせるでもなく、独りごちる。部屋から出て廊下を歩き、玄関口へと繋がる渡り廊下を歩いていく。

 

「……何でこんな所に穴があるんだ?」

 

歩いている途中で見つけた、庭にぽっかりと開いている大穴に疑問を持ちつつも、廊下を進んでいくと、玄関口が見えてきた。サンダルに履き替えて外に出ると、強い日差しが降り注ぐ砂浜が一望出来た。浜辺に向かって歩き出すと、その途中で見知った顔がいたので声をかける。

 

「シャルロット」

 

「あ、統夜」

 

綺麗な金髪を後ろで束ね、オレンジ色のビキニに身を包んでいるシャルロットは何故か道の真ん中で立ち止まっていた。歩み寄りながら疑問の声をあげようと、口を開く。

 

「お前、も……」

 

しかしながらその後に続くはずの“海に行くのか?”と言う言葉は統夜の口から出る事は無かった。

 

「……それ、誰だ?」

 

「あ、こ、これ?ちょっとね……」

 

あはは、と笑うシャルロットの横でもぞもぞと動いているのは、全身をバスタオルで雁字搦めに縛り上げた、人と思しき物体だった。

 

「し、紫雲か?」

 

「しゃ、喋った!?」

 

「実はこれ、ラウラなんだよ」

 

シャルロットが苦笑いを浮かべながら物体を指差す。確かによくよく聞いてみれば、謎の物体から発せられるくぐもった音声は、ラウラの物だった。

 

「紫雲も言ってやってくれ!こんな物は私に似合わないと!!」

 

「いや、意味が分からないんだけど……」

 

「着てきた水着を一夏に見られるのが恥ずかしいんだって。僕はそんな事ないよって言ったんだけど、どうしても言う事聞いてくれなくて……」

 

「統夜~!」

 

明後日の方向から唐突にかけられた声の主は、旅館の玄関口から出てくると一直線に統夜たちの元まで走ってきた。

 

「鈴。お前も海に行くのか?」

 

「ええ。統夜とシャルロットも行くんならさっさと行きましょ……って何それ?」

 

鈴がシャルロットの影に隠れていたラウラを発見した。尚もシャルロットの影に隠れようとするラウラを無理やり押し出しながら、説明を繰り返す。

 

「実はこれ、ラウラなんだ。水着を一夏に見せるのが恥ずかしいんだって」

 

「ふ~ん、じゃあ私たちは先行って一夏と遊んでるわ。さ、行きましょ統夜!!」

 

統夜の背中をぐいぐいと押して二人で砂浜に向かって歩を進める。統夜が首を回して後ろを振り返って見れば、シャルロットが必死の説得を続けているようだった。

 

「い、いいのか?ボーデヴィッヒさんとシャルロットを置いていって」

 

「いいのいいの。どうせラウラだって、何だかんだ言って最後にはこっち来るでしょ」

 

「そんな物なのか?」

 

「そんな物よ」

 

途中から、一人で歩き出した統夜と鈴は並んで砂浜へと足を踏み入れる。太陽は燦然と輝き、焼けるような光が浜辺に降り注いでいる。浜辺では既に多くの生徒が海で泳いだり、ビーチバレーを楽しんでいたりと様々な形で海を満喫していた。

 

「お!統夜~!鈴~!」

 

「一夏~!」

 

浅瀬で体を動かしていた一夏がこちらに手を振って二人の名前を呼ぶ。鈴も返事を返すと統夜が止める暇も無く、一夏目掛けて一目散に駆け出した。

 

「お、おい!何すんだ!」

 

「いいじゃないの。ほら、あっちに行きなさい!」

 

「おい!危ないから暴れるなって!うおおおっ!?」

 

鈴に飛び乗られた一夏が体勢を崩しかける。そんな少し危険な状況でさえも鈴は楽しんでいるようで、元気の良い笑い声を砂浜に響かせていた。

 

「とーやん~!」

 

「あ、のほほんさん」

 

先程自分が通ってきた道を駆け下りて近寄ってくるのは、自分の体躯より一回り大きい着ぐるみを来た本音だった。何かが本音の後ろの隠れているようで、立ち止まっては歩き出し、立ち止まっては歩き出しを繰り返している。

 

「連れてきたよーとーやん」

 

「だから、誰を……って簪?」

 

「と、統夜……」

 

「かんちゃんをお届けにまいりました~」

 

本音は自分の後ろの隠れるように立っていた簪を両手で捕まえると、統夜に差し出す。統夜の眼前に差し出されている簪はいつもと変わらぬ制服姿だった。

 

「ほ、本音……だから……」

 

「はい、どうぞ」

 

「きゃっ!?」

 

「うおっ!!」

 

いきなり、少しだけ勢いをつけて本音が簪を突き飛ばす。当然の結果として、簪の真正面に立っていた統夜に簪が倒れこんだ。慌てて統夜が両手を差し伸べて簪を抱きかかえる。

 

「あ……」

 

「え、あ……」

 

「判子はいらないから。じゃあとーやん、よろしくね~」

 

本音はびしっと敬礼をすると、海目掛けて一人駆け出して行ってしまった。残された二人は只々茫然とするしか出来なかったが、先に正気を取り戻した簪が蚊の泣くような声を上げる。

 

「統夜……もう大丈夫、だから……」

 

「あ、ご、ごめん!!」

 

急いで両手を簪から外す。開放された簪は顔を背けながら、統夜から二、三歩距離を取った。

 

「え、えーと……取り敢えず聞いていい?」

 

「な、何を……?」

 

「何で制服なの?」

 

「……水着、持ってくるの忘れたから」

 

顔を背けながら、ぽつりと漏らす簪。その言葉に疑問を抱きつつも納得しかけた統夜だったが、第三者の口から真実が明かされた。

 

「とーやん~!かんちゃんが制服なのはね~!」

 

二人が声のする方向を見てみれば、そこには海から顔だけ出している本音がいた。続く言葉を恐れた簪が金切り声を上げるが、本音の口が閉ざされる事は無かった。

 

「ほ、本音!!」

 

「とーやんに、水着見られるのが恥ずかしいからだって~!」

 

言うべきことを言い切った本音は再び海へと戻っていった。真実を聞いて唖然としていた統夜だったが、何とか言葉を捻り出す。

 

「えっと……本当?」

 

「……」

 

簪は統夜の問に対して、決して肯定しなかった。しかし逆に、その沈黙が本音の言葉を肯定する事となってしまっていた。

 

「「……」」

 

互いの間にしばし何とも言えない空気が流れる。向き合いながら浜辺で立ち尽くしているその姿は、何処か初々しくもあった。そしてを他の女子生徒達はそんな二人に声をかける事もせず、近寄る事もせず、ただ遠巻きに見つめるだけだった。

 

「……なんか、あそこだけ空気違くない?」

 

「あーあ、こりゃ紫雲君は更識さんで確定かなぁ?」

 

「まだよ!まだ諦めるには早いわ!!」

 

「いやもう諦めなって。あれ、ほぼ決まりでしょ」

 

IS学園一年生の臨海学校。その一日目はうだるような暑さと、眩しい海と、学生達の嬌声と共に始まった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 ~青春の一ページ~

「統夜、泳がないの……?」

 

統夜の隣に座っている簪が呟く様に問いかける。立ちっぱなしも何なので統夜が提案した結果、二人は浜辺に揃って座っていた。浅瀬では学生達が思い思いの水着を着て、満面の笑顔を浮かべている、

 

「俺?」

 

「私はいいから、行ってきてもいい……」

 

恐らくは簪なりの気遣いなのだろうが、その不器用な気遣いの仕方に思わず頬が緩んでしまう。統夜の表情を見て不満を抱いたのか、簪はあからさまにむくれた。

 

「何……?」

 

「いや、何でも無いよ」

 

「早く……行ってくれば。それとも、泳げないの?」

 

簪は膨れっ面のまま、視線を統夜の顔から外して真正面を見据える。統夜は両手を後ろについて青空を仰ぎ見ながら口を開いた。

 

「泳げないって訳じゃないさ」

 

「じゃあ……何で?」

 

「そうだな……なんとなく、かな。今はこうしている方が、心地良いんだ」

 

「心地良い?」

 

統夜の言葉をオウム返しに繰り返す簪。塩気を含んだ風が二人の頬を撫で、潮の香りが鼻腔をくすぐる。久しぶりのゆったりした時間を、統夜は存分に楽しんでいた。

 

「ほら、最近こんなのんびり出来る時間って無かったからさ」

 

「……ごめんなさい」

 

「何で簪が謝るんだ?」

 

「お姉ちゃん、統夜をいじめて楽しんでる。私も最近は少し、調子に乗りすぎた……と思う」

 

「ああ、別にそんなの気にしなくていいよ。そう言う意味で言ったんじゃないし。確かに楯無さんには結構悪戯されてるけど、本当に嫌な事とかはやってこないからさ」

 

「本当……?」

 

「嘘ついたって、何にもならないだろ」

 

浜辺に打ち寄せる波の音が二人を包み込む。両手を後ろについて空を仰ぎ見る統夜とは対象的に、簪は黙り込んで両膝を抱えてしまった。統夜は簪の顔を覗き込む様にしながら、問を口にする。

 

「簪、どうかしたのか?」

 

「……私、貴方に迷惑かけてばっかり」

 

「迷惑?」

 

「統夜、優しいから……」

 

一旦言葉を切って横目で統夜を盗み見る簪の視線は、統夜の体に注がれていた。思わず統夜も自分の胸の中心部を見る。そこには銀色のネックレスが太陽の光を浴びて、燦々と輝いていた。

 

「私のせいで……何度も傷ついた。クラス代表トーナメントの時も、この間も」

 

「それは簪のせいじゃないだろ」

 

「ううん。私が統夜と会わなければ、統夜が傷つく事は無かった。私のせいで……」

 

「……」

 

「わひゃっ!?」

 

膝を抱いていた簪の両手がビクリと震える。その瞳は驚きで見開かれ、視線は目の前にいる統夜の顔に釘付けになっていた。簪の脇に座る統夜の右手は、簪の小さな頭に乗せられている。

 

「……」

 

乗せられた右手は髪の毛を梳く様に左右に動く。初めこそ驚くばかりで口を開く事すら出来なかったが、やっとの思いで簪が言葉を捻り出す。

 

「な、何……?」

 

「何度も言うようだけど、俺が傷つくのは簪のせいじゃない。俺が自分で決めた結果だ」

 

「で、でも……」

 

「でもも何も無い。それにさ、会わなければよかったなんて言わないでくれ」

 

「え……?」

 

そこで統夜は簪の頭から右手を離した。何故か顔を簪から背けながら、言葉を続ける。

 

「俺は一夏や楯無さん、簪と会えて良かったと思ってるんだ。入学した頃と違って、今は皆がいるからIS学園にいたいって思ってるからさ」

 

「統夜……」

 

「……ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたかな」

 

背けていた顔を再び正面に向ける統夜の顔は、少しばかり朱に染まっていた。簪も頭の中で統夜の言葉を反芻しながら、正面を見据える。

 

「じゃあ私ももう一度……ちょっとだけ、調子に乗る」

 

「え──」

 

視線を簪に向けるよりも早く、統夜の右半身に軽い圧力がかかる。何が寄りかかってきたかは、目を向けるまでもなく明らかだった。

 

「か、簪?一体何──」

 

「こっち見たら……だめ」

 

「はい」

 

妙に強制力のある簪の言葉に、統夜は頷く事しかできなかった。顔を無理矢理真正面に向けながらも、意識は簪と触れ合っている右半身に集中してしまっている。

 

「これで……おあいこ。お互いに調子に乗ったから」

 

「……そうだな、これでおあいこだ」

 

「でも何で、いきなり撫でたの?」

 

「昔俺が落ち込んでた時とかふさぎこんでる時に、姉さんがやってくれたんだ。簪を見てたら、思い出してね」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「統夜って……お姉さんの事、好きなの?」

 

「ん?そりゃあそうだろ」

 

統夜の返答を聞いた簪の反応は激烈だった。先程まで統夜に頭を撫でられて上機嫌だったのだか、その返事を聞いた途端目尻に涙を浮かべ、明らかに気落ちする。

 

「ど、どうかしたのか?」

 

「何、で……?」

 

「何が?」

 

「お姉さんを好きになるなんて、変……」

 

顔を俯かせたまま、呪詛を吐くかの如く低い声が簪の口から漏れる。数秒、簪の言葉の意味が分からないと言った様子の統夜だったが、すぐさま得心がいった様で小さい笑い声を響かせる。

 

「いや。そう言う意味で言ったんじゃないよ。誰だって家族の事は好きだろ?簪だって楯無さんの事、大好きじゃないか」

 

「そうだけど……」

 

「それに姉さんにはもう好きな人がいるんだ。俺が言ってるのは家族として好きって事だよ」

 

俯かせていた顔を少しだけ上げて瞳を覗かせる。簪は戸惑いが浮かぶ瞳を統夜に向けながら、ポツリと問いかけた。

 

「じゃあ……そう言う意味じゃ、無いの?」

 

「無い無い」

 

統夜が目の前で片手を振って否定の意を示す。それを見た簪はあからさまに安堵のため息を漏らした。

 

「……良かった」

 

「何か言った?」

 

簪が地面に落とした言葉は統夜に届く事は無かった。慌てて顔を上げて何でも無いと嘘をつこうとした簪だったが、それより早く二人に声がかけられる。

 

「統夜ー!」

 

二人揃って声のする方向を向いてみれば、遥か彼方にこちら目掛けて片手を振っている一夏がいた。統夜は立ち上がって大声で返事を返す。

 

「何だー!?」

 

「ビーチバレーやろうぜー!丁度一人足りなくてさー!」

 

「ああ、分かった!今行く!!」

 

尻についた砂を両手で払いながら歩を進めようとすると、後ろで砂が擦れる音が聞こえた。後ろを振り返ってみると、簪が立ち上がって制服に付着した砂を払い落としている所だった。

 

「あれ?簪も来るのか?」

 

「うん……暇、だから」

 

「でもその格好じゃ、出来ないだろ?」

 

「統夜を、見てるだけでいい」

 

端的に意見を述べると、一人でコートに向かって歩き出す簪。統夜も彼女の背中を追うように歩き出した。

 

「でも、持ってきてるなら水着着ればいいのに」

 

「だって……恥ずかしい」

 

制服(そっち)の方が恥ずかしいだろ。折角海に来たんだから」

 

「統夜は……私の水着、見たい?」

 

簪は急に足を止めて上目遣いで統夜の顔を真っ直ぐに見る。簪が向ける期待が込められた眼差しに対して、統夜はどこまでもマイペースだった。

 

「うーん……」

 

「……」

 

返事が待ちきれないかの様にうずうずと体を揺らす。数秒程思考を重ねた統夜はゆっくりと口を開いた。

 

「そうだな、見たいかな。折角なんだし」

 

「じゃあ……考えておく」

 

「おーい統夜ー!まだかー?」

 

「悪い悪い!今行く!」

 

多少小走りになりながら、見えてきた人混みに駆け寄る。生徒たちは砂浜の一角にあるコートの周囲に座り込み、今か今かと始まる試合を待っていた。

 

「遅いわよ統夜!」

 

開口一番に非難の声を上げたのは、一夏の隣に立っている鈴だった。他にもシャルロットや、いつの間にバスタオルを脱いだのか、黒いフリルのついた水着を着たラウラもいる。ネットを挟んだ反対側にも、何人か見覚えがある生徒たちがいた。

 

「悪い。もう始まるのか?」

 

「ああ、たった今──」

 

「ほう、面白そうな事をやっているな」

 

唐突に周囲に声が響く。周囲の生徒がざわざわと騒ぎ出し、コートにいる生徒たちは揃って目を丸くさせた。

 

「こ、この声って……」

 

悲鳴にも近い声を一夏が上げた瞬間、人垣が二つに別れる。あっという間に出来上がった花道を悠然と進んできたのは、人類最強の女性だった。

 

「げえっ!ちちち千冬姉!?」

 

「織斑、何だその顔は」

 

「おおおお織斑先生。一体どうしてこんな所に!?」

 

余りの驚きに男二人は揃ってうまく舌が回っていなかった。二人の動揺を意にも介さず、ストレートに下ろした髪の毛を背中側にまとめながら歩を進める。

 

「いや何、たまには生徒との交流も必要だと思ってな。ということで、私も参加させてもらおうか」

 

「う、嘘だろっ!?」

 

「嘘もなにもあるか。すまない、空きはあるか?」

 

「は、はい!どうぞ!!」

 

慌てて相手チームの一人が場所を空ける。空白が生まれたコートに一人だけ違うオーラを発しながら千冬が入っていった。

 

「ちょ、ちょっとタンマ!!」

 

一夏がジェスチャーと言葉で示すと、五人が陣を作る。顔を突き合わせながら発する言葉には、紛れもない恐怖が乗っていた。

 

「ちょっと一夏どうするのよ!よりにもよって千冬さんが来るなんて聞いてないわよ!?」

 

「俺だって寝耳に水だ!確かに“後で行く”とは言ってたけどさ……」

 

「ねえ、織斑先生ってそんなに強いの?」

 

「いや、教官に限って弱いと言う事は考えられない。昔、レクリエーションの一環で基地内で教官を交えてバスケをしたことがあったのだが、その時の教官の強さといったら……」

 

太陽が燦々と照りつける真夏の砂浜にも関わらず、ラウラはぶるりと体を震わせた。その言葉で一同の間に沈黙が走る。

 

「ま、まあ織斑先生も生徒相手だし、本気は出さないだろ……多分」

 

「何をしている、さっさと始めるぞ」

 

千冬の有無を言わせぬ言葉で、統夜たちがコートに立つ。試合前にも関わらず、既に五人の腰は完全に引けていた。

 

「さて、行くぞ……そらっ!!」

 

綺麗なジャンプサーブから放たれたのは、遊びとは思えない程の威力を持った弾丸だった。空気以外の何かが入っているのでは、と思わせる程の質量を纏ったボールは、コートの端にいたシャルロットに一直線に向かっていく。

 

「シャルロット!」

 

「うん、任せて!」

 

しっかりと腰を落としてシャルロットが受けきったボールは見事ネット付近に上がった。その下には鈴が、脇では一夏がジャンプする体勢に入っている。

 

「一夏、行きなさい!」

 

「だりゃあっ!!」

 

渾身の力を込めて叩かれたボールは重力と相まって、勢い良く地面へと落下する。そのまま砂浜に触れるかと思われたボールは、生徒のファインプレーによって空へと打ち上げられた。

 

「こっちに上げろ!」

 

「はいっ!!」

 

「はっ!!」

 

千冬の右手によって弾かれたボールは先程のサーブとは比にならない速度で宙を駆ける。そしてその先にいたのは余りのスピードに驚愕し、反応が遅れた統夜だった。

 

「統夜!」

 

一夏の掛け声も虚しく、ボールは統夜の顔面に激突した。ビーチバレー用のボールではありえてはいけない程の威力を纏ったそれは統夜の顔を打ち付けるだけでは飽き足らず、体ごと統夜を吹き飛ばす。

 

「し、紫雲!?」

 

慌ててラウラが統夜に駆け寄る。両手で統夜の肩を揺らすが全く反応が帰ってこない。ラウラの頭に気絶という単語がよぎった瞬間、統夜の口から低い声が漏れ出した。

 

「……ってやる」

 

「ど、どうした紫雲?大丈夫か?意識はしっかりしているか?」

 

「やってやる、やってやるさ!」

 

目を見開いた統夜は一足飛びにコートへと戻る。他の三人が目を白黒とさせる中、統夜は一夏に指示を飛ばした。

 

「一夏、次は俺に上げてくれ」

 

「あ、ああ。でも大丈夫か?」

 

「いいから。頼むぞ」

 

既にネットの向こう側では、千冬がサーブの体勢に入っていた。手でボールを弄びながら、統夜たちの準備を待っている。

 

「それでは、もう一度行くぞっ!!」

 

先程と同じ威力を持ったボールがネットを超えて、統夜たちの陣地に突き刺さる。今度は誰もいない空白の場所を狙ったのか、コートギリギリの場所にボールは落ちようとしていた。

 

「させるかっ!!」

 

しかし素早い動きで統夜がボールと地面の間に入り込み、片手だけでボールを空高く打ち上げる。砂浜に足を取られる事無く体勢を立て直した統夜はすぐさまネット際に駆け寄った。

 

「統夜!」

 

「うおおおっ!!」

 

十分体をしならせて放たれた一撃は見事ボールの真芯を捉え、流星の如く千冬に向かっていく。

 

「くうっ……!!」

 

レシーブの為に突き出された腕と、勢いを保ったボールが一瞬だけ衝突する。しかしそれも一瞬だけで、すぐさま結果が生徒たちの目に映った。

 

「うそ……」

 

「織斑先生が……」

 

「……中々やるな、紫雲」

 

「お褒めに預かり、光栄ですね。織斑先生」

 

ボールは砂浜に突き刺さり、先程まで差し出されていた両腕は千冬の両脇にだらんと垂れ下がっている。一夏たちも目の前の光景を信じられないのか、統夜と千冬の顔を交互に見つめていた。

 

「悪いが手を抜く余裕は無くなった。本気で行くぞ」

 

「望む所です。本気で来てくださいよ」

 

「随分と生意気な口を叩くじゃないか」

 

「日頃から、とある先生に鍛えられていますから」

 

「ふん……嬉しい事を言ってくれる、なっ!!」

 

「こっちだっ!!」

 

「甘いぞ紫雲!!」

 

「くっ!負けるかぁっ!!」

 

「……あ、ねえ一夏見て。あれ飛行機雲だよ」

 

「あ、そうだな……」

 

「……僕たちって、いる意味あるのかな?」

 

「……それは言うな、シャルロット」

 

試合は実に十分以上も続いた。後に『修学旅行ビーチバレー 夏の陣』と語り継がれ、伝説となる光景を目撃した生徒たちは後にこう語る。

 

『ええ、凄かったです。なんか織斑先生が打ったボールが燃えながら紫雲君に向かって行ったんです』

 

『紫雲君もそんな織斑先生の動きについて行って。まるで人間じゃないみたいでした』

 

『そう言えばあの時紫雲君の目の色、何か変わってなかった?』

 

『何言ってんのよ。目の色なんて変わるわけないでしょ』

 

『そうよ。きっと必死な統夜君を見て勘違いしたのよ』

 

『そっか、そうだよね』

 

場所は変われどIS学園の生徒と教師達が繰り広げる青春の一ページは、今日も平和だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 ~変化と感謝~

(あー……気持ちよかった)

 

統夜は“男”と書かれた暖簾を潜りながら、深呼吸する。時刻は午後八時。既に夕食も済ませ、各自自由時間が与えられていた。

 

(まだ部屋に皆いるから、帰らない方がいいよな)

 

統夜と一夏も夕食を終えて自室でのんびりしていたのだが、途中から千冬や箒達が部屋に侵入してきた結果、呆気なく追い出されてしまったのである。結果、暇を持て余した統夜は宿にあった温泉で体を休めていた。

 

(一夏はもう戻っているかな……)

 

手近にあったマッサージチェアに座り込み、周囲を見渡してみるが人の気配は全く無い。大きく息を吐きながら椅子に体を預けた所で、浴衣に包まれた体の節々が悲鳴を上げた。

 

(痛っ……まだ治らないのかよ)

 

思わず右肩を左手でさする。体が悲鳴を上げている原因は、昼間のビーチバレーの大会だった。

 

(織斑先生、本当に人間かよ……?)

 

統夜がそう思うのも無理は無い。普通の状態ならともかく、僅かとは言えファクターとしての身体能力まで使っていた状態の統夜の動きに生身でついてきたのだ。普通の人間なら肉離れが起きてもおかしく無いレベルの動きをしても、千冬は軽々と追従してきた。正直あの動きには尊敬を通り越して僅かばかりの恐怖を覚えてしまった。

 

(まあ……姉さんもあの位出来るし、やっぱり鍛えている人は違うって事なんだろうな)

 

「あー、とーやんだー」

 

「のほほんさんか」

 

“女”と書かれた暖簾をくぐり抜けてきたのは、頬を赤く染めた本音だった。本音は顔を弛緩させたまま、まるで夢遊病者の様にふらふらと歩いて統夜の隣の椅子に座り込む。

 

「何か調子悪そうだけど、大丈夫か?」

 

「温泉でちょっとのぼせちゃったー」

 

手をパタパタと動かしながら、顔に風を送る本音。統夜も手近なサイドテーブルの上にあった団扇を持って、本音の顔を扇いだ。

 

「ありがと、とーやん」

 

「のほほんさん一人で温泉に入ってたの?」

 

「ううん、かんちゃんも一緒だよ。まだ入ってるけど」

 

本音は顔を少しだけ動かして視線で暖簾の奥を指し示す。

 

「ふーん。簪がね……」

 

思わず暖簾の奥の光景を想像してしまう。月明かりに照らされて幻想的な光を放つ温泉の中に、一人だけ少女が浸かっている。特徴的なスカイブルーの髪は湯に濡れて艶めかしく光を放っている。そして空に浮かぶ満月を見上げているのは一糸纏わぬ一人の少女──

 

(……って何考えてんだよ!!)

 

浮かんできた妄想を、頭を勢い良く振る事で掻き消す。しかしそんな考えを見抜かれたのか、本音は統夜に半ばしなだれかかる様に顔を覗き込んできた。

 

「……とーやん、今何考えてたの?」

 

「な、何でも無い!何も考えてないから!!」

 

「へー、私はてっきりかんちゃんの事を考えてると思ったけど、違うんだー」

 

「ぐっ……」

 

「私、えっちなのはいけないと思うなー」

 

本音が見上げている統夜の顔は、真っ赤に染まっていた。それは決して、つい先ほどまで温泉に浸かっていたせいだけではないだろう。にやにやと笑いながら統夜に乗りかかっていた本音は唐突に隣の椅子へと移動した。

 

「まーでも、私はとーやんとかんちゃんだったらいいと思うなー」

 

「な、何がいいんだ?」

 

「だってかんちゃんがあんなに笑ってるの、久しぶりだもん」

 

のぼせているせいか、それともわざと聞いていないのか、本音は統夜の言葉に耳を貸さず自分一人で話を進める。統夜は若干自分の言葉が無視された事に憤りを感じたが、それよりも本音の言葉の中のある単語が気になった。

 

「簪が笑ってるって?」

 

「うん」

 

「それぐらい普通だろ?」

 

「普通じゃないの。かんちゃんがあんな風に笑ってるの、私は久しぶりに見たよ」

 

「久しぶり?」

 

「うん。こっから、ちょっと長い話になっちゃうけど、いい?」

 

言葉の後に続いてこくり、と頷いて肯定の意思を示す統夜を見た後、本音はゆっくりと語り始めた。

 

「私、かんちゃんとはむかーしからのお付き合いなんだ」

 

「幼馴染みみたいな?」

 

「そうそう。それでね、昔はかんちゃんも良く笑ってたんだ。それこそ、今よりずっと」

 

椅子に体を預けたままの本音は昔を懐かしんでいるのか、目を閉じて頬を緩ませていた。

 

「でもね、たっちゃんさんがロシアの国家代表になった頃からかなぁ。周りの人がかんちゃんとたっちゃんさんを比べ始めたんだ」

 

「たっちゃんさんって、楯無さんの事?」

 

「うん。あ、勿論かんちゃんが日本の代表候補生なのは、かんちゃんが頑張ったからだよ」

 

「ああ、それはわかるよ」

 

一時期とはいえ統夜は簪の横で作業の傍ら、彼女の事をずっと見てきた。自分の仕事に没頭する集中力、型に捕らわれない柔軟な発想力、高い情報処理能力、そして彼女自身の持つ目標を達成しようとする強い意思。いずれも普通の人間が持ち得る物では無かった。それらを持ち得る簪が如何にして日本の代表候補生となったかは、想像に難くない。

 

「でもね、周りの大人達はそれだけじゃ納得しなかった。かんちゃんの頑張りを認めても、そこで満足しなかった。“あんな優秀な女性の妹なんだから──”“君はもっと出来る。何故ならロシアの国家代表の妹だから”……そんな言葉ばかりがかんちゃんに浴びせられたの」

 

「……分かるよ。俺も昔はそうだったから」

 

引き取られてから過ごしてきた時の中で言われ続けた言葉の数々は、賞賛よりも過度な期待や失望ばかりだった。血の繋がりなどお構いなしに降りかかってくる罵詈雑言に統夜が耐え切れたのは、ひとえに姉の存在のおかげであった。

 

「それで、かんちゃんは耐え切れなかったの。ほら、元々かんちゃんってそんなに自分の事言わないでしょ?どんどん自分の中に溜め込んじゃって、段々笑わなくなっちゃったんだ。とーやんと会うまで笑顔なんて全然見ないくらいに」

 

「でも、今は笑ってる。そうだろ?」

 

「うん。だから私、とーやんにとってもとっても感謝してるんだ」

 

本音は椅子から立ち上がると、統夜の正面に立つ。そして細い目で統夜を見つめた後、二つに結んだ髪の毛が垂れ下がった。

 

「ありがとう、とーやん。かんちゃんの支えになってくれて」

 

本音は統夜に頭を下げていた。それは統夜が止める暇もないほど素早く、そして綺麗なお辞儀だった。

 

「……俺は何もしてないよ。寧ろ俺が簪に助けられてばっかりだ」

 

本音は頭を上げて再び椅子に座る。その表情はいつも彼女が浮かべている、緩みきった笑顔だった。

 

「またまたー、最近かんちゃんからずっと聞かされてるよ。とーやんの事」

 

「簪って俺の事なんて言ってるんだ?」

 

「むふふー、それは言えません。友達は裏切っちゃダメだからね」

 

本音は余らせた浴衣の袖から指先だけを出して”×”印を作った。息を吐きながら椅子に深く腰掛ける統夜の横で本音は何を思いついたのか、懐をごそごそと探る。

 

「何か探してるのか?」

 

「うん……あ、あった!」

 

本音が何処からともなく取り出したのは、彼女の携帯電話だった。話が見えないといった表情をする統夜の横で、本音は取り出した携帯電話を両手で操る。

 

「とーやん、さっき私言ったよね。“かんちゃんも昔は笑ってた”って」

 

「ああ。それがどうかしたのか?」

 

「ふっふっふー、じゃじゃーん!!」

 

可愛らしい掛け声と共に、統夜の眼前に突き出される携帯電話の液晶画面には、数十枚の写真が映っていた。全く意味が分からない統夜は再び疑問の声を上げる。

 

「……それ、何?」

 

「見たい?」

 

「はい?」

 

「見たいか見たくないか、さあどっち?」

 

「じゃあ……見たい」

 

「これはね、かんちゃんの昔の写真だよ」

 

「簪の昔の写真?」

 

オウム返しに言葉を発する統夜の向かい側では、本音が再び指を動かして携帯電話を操作していた。そして写真を画面一杯に表示すると、統夜に差し出してくる。

 

「ほら、これが──」

 

「統夜?」

 

その時、統夜の背中越しに聞こえてきたのは小さくとも澄んだ声だった。毛の深い絨毯を踏みしめる音と共にその人物はゆっくりと統夜達に近づく。そして椅子に座っている統夜の脇に立ったのは、バスタオルで髪の毛を拭っている浴衣姿の簪だった。

 

「本音、何やってるの……?」

 

「あ、かんちゃん。これこれ」

 

統夜に差し出しかけていた手を方向転換させて、簪に向ける。簪は怪訝な顔をしながら本音から携帯電話を受け取った。

 

「……」

 

「今ね、かんちゃんの昔の写真をとーやんに見せてあげようとしてたんだー」

 

「……」

 

「懐かしいでしょー。私とかんちゃんで撮ったやつも、まだ残ってるんだよ」

 

「のほほんさん。簪、聞いてないよ」

 

「あれ?かんちゃん、どうしたの?かんちゃーん」

 

携帯電話と簪の顔の間に掌を差し込み、数度上下させる。簪は本音の携帯電話の液晶に映っている物を見た瞬間、見事に固まってしまっていた。

 

「……」

 

液晶画面を食い入る様に見つめている簪の顔色は青と赤を繰り返している。不思議に思った統夜が簪の持っている携帯電話を覗き込もうとしたその瞬間、簪が動いた。

 

「っ!!」

 

いつもの彼女からは考えられない速度で後ずさると、携帯電話と統夜の顔を交互に見つめる。そして何を考えたのやら、本音の携帯電話を両手で握り締めた。

 

「あーっ!だめだめだめー!!」

 

本音が簪にすがりつくも、簪の両手は止まらなかった。本音の携帯電話は形が歪む程の圧力を簪の両手によって加えられ、いつ真っ二つになってもおかしく無い。

 

「証拠、隠滅……」

 

「別に証拠でも何でもないよー!早く返して!!」

 

「統夜にこの写真を見せない事、これについて何も言わない事……それが条件」

 

「わ、分かった分かった!分かったから早く離してー!!」

 

本音が涙ながらに訴えると、簪は渋々と言った様子で両手の力を抜いて携帯電話を離した。本音は携帯電話を両手で優しく包み込むと、急いで懐にしまう。

 

「何か変な写真でもあったのか?」

 

「ううん。別に変なのとかはないはず、なんだけど──」

 

「本音」

 

「はひっ!?」

 

本音は簪に投げかけられた言葉に恐怖して思わずその場で飛び上がってしまう。友人に向けるものではない、と思わせる程の怒気を孕んだ視線を簪は本音に向けていた。

 

「約束、もう破るの?」

 

「そ、そんな気は滅相もありません!」

 

「別にいいんじゃないのか?昔の写真くらい」

 

「そうだよね!だからかんちゃん、ちょっとだけなら──」

 

「本音」

 

「……はい、分かりました」

 

「そ、そろそろ簪とのほほんさんも戻ったほうがいいんじゃないか?こんな所にいつまでもいると、湯冷めしちゃうからさ」

 

「うん……分かった」

 

簪は統夜の提案にあっさりと従う。先ほどまで取り乱していたのが嘘の様に冷静になった簪は、去り際に手を振った。

 

「それじゃあ……また明日」

 

「うん。また明日」

 

統夜も手を振って、一人廊下を歩く。背後から微かに聞こえる本音と簪の会話は、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 

「でもかんちゃん、昔の写真くらいとーやんに見せてあげればいいのに」

 

「そんな事、意味が……無い」

 

「そんな事ないよ。とーやんだってかんちゃんの昔の写真見たら喜んでくれるって」

 

「そ、そうなの……?」

 

「そうだよ、ほら。色々あるから自分で見てみれば?」

 

「……」

 

「あ、あれ?かんちゃん?かんちゃーん?」

 

「証拠……隠滅!」

 

「ぎにゃー!!」

 

旅館内の廊下を曲がる時に統夜の耳に届いたのは何か固い物が壊れる甲高い音と、乙女にあるまじき悲鳴だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 ~嵐の足音~

IS学園の修学旅行は二日目が本番である。のんびり出来た一日目とは違い、二日目は一般生徒は学園が保有しているISを使用して、各国の専用機持ちはそれぞれのISを使用しての各種装備の試験運用が行われる。

 

「はーい、皆さん聞いてくださーい」

 

ぱんぱんと両手を打ち鳴らして生徒たちの前方にいる真耶が声を張り上げる。修学旅行の二日目、IS学園の一年生達は旅館からそう遠くない浜辺に整列していた。

 

「のほほんさん、大丈夫?」

 

IS学園の一年生である紫雲 統夜も勿論その列の中にいた。その視線は前方にいる真耶ではなく、隣で俯いている本音に向けられている。

 

「うぅ……私の携帯電話……」

 

本音は昨日に比べて、明らかに気落ちしていた。統夜もその原因に心当たりがあるのだが、傷心の彼女の慰め方が全く分からない。

 

「げ、元気出せよ。携帯ならまた買えばいいだろ?」

 

「うん……一応データも寮のパソコンにバックアップがあるから大丈夫……」

 

「ならいいだろ。今は山田先生の──」

 

「そうだな、今は山田先生の話を聞くべき時だ。違うか?」

 

統夜の右肩にぽん、と手が乗せられる。統夜が恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこにはいつもと違う種類の笑みを浮かべた千冬がいた。

 

「お、織斑先生……」

 

「紫雲、お前に選ばせてやろう。これから五時間程海で遠泳をしてくるか、それともその口を閉じて大人しく山田先生の話を聞くか。どちらがいい?」

 

「……すいませんでした」

 

「さっさと前を向け」

 

肩を押される様に前を向かされた統夜。正面で声を張り上げている真耶にはいつものぽわぽわとした雰囲気は無く、厳格な教師としての風格が漂っていた。

 

「──以上で説明を終わります。それではこれから皆さんには各パーツの試験を行ってもらいます。各国の専用機持ちの皆さんは織斑先生の所に。他の生徒は私の周りに集まってください」

 

その言葉を皮切りに、生徒たちがざわざわと騒ぎながら移動を開始する。勿論統夜はISの専用機など持ち合わせていないので、大多数の生徒と同じく真耶の周りに集まった。しかしただ一人、箒が千冬に呼び止められて専用機持ち達の所へと歩いていく。

 

「えー、それではこれから試験を始めます。まずは──」

 

「ちーちゃ~ん!!」

 

その時、浜辺に第三者の声が響き渡った。それは男性の声でもなく、思春期の少女の声でもなく、成人した女性のそれだった。声が近づくにつれて、遠くの浜辺に土煙が上がる。

 

「……あのバカが」

 

千冬がぽつりと呟いたのを、統夜は聞き逃さなかった。生徒一同が混乱する中、声の主はこちらに近づいてくる。ため息と共に頭を振りながら千冬は生徒たちの前に躍り出た。

 

「ち~ちゃん、久しぶり~!元気だっ──ぎゃっ!?」

 

「静かにしろ。ここをどこだと思っている」

 

謎の人物は勢いを落とさずに千冬目掛けて飛びかかった。千冬は謎の人物の頭を片手で鷲掴みにすると、ギリギリと締め上げる。千冬はまるでこんな事は慣れている、とでも言わんばかりに冷静を保っていた。

 

「誰だ……あの人?」

 

「あの人って、篠ノ之 束博士じゃない?」

 

「……え?」

 

後ろにいる本音の言葉に呆気に取られる統夜。数人の生徒も気づき始めているらしく、段々とざわめきが大きくなっていく。

 

「篠ノ之 束って、ISの開発者の?」

 

「うん、その篠ノ之博士。前に写真で見た事あるから、間違いないと思うよ」

 

「あの人が……」

 

統夜は信じられなかった。今、目の前にいるのがISを開発した篠ノ之 束であると。今の時代を作り上げた立役者だと。

 

「──!!」

 

「──?──」

 

統夜たちと離れた場所で千冬と真耶、束は話していた。そして一分もしないうちに真耶が再びこちらに戻ってくる。

 

「えー、それでは気を取り直してISの試験を始めます。まずは皆さん、それぞれのコンテナの前にクラスごとに集まってください」

 

真耶の言葉に従い、生徒たちが移動を開始する。生徒たちが四つに別れたのを確認すると、真耶は懐からリモコンの様な物を取り出して数度操作した。

 

「コンテナが開きますから、気をつけてくださいね」

 

真耶の言葉通り、コンテナが甲高い金属音を立てながら開いていく。そして完全にコンテナが開ききった後に外に出てきたのは、コンテナより二回り程小さい幾つかの箱とIS学園が保有しているIS“打鉄”だった。

 

「クラス毎に割り振られたISを使用して各装備の試験を開始して下さい。ISの搭乗者は各クラスであらかじめ決めた人が務めるようお願いします」

 

真耶の言葉で、生徒たちが動き出す。統夜と本音も、自分たちの周りに置かれたコンテナに近づいた。コンテナの蓋にはどんな装備が入っているか、名前が書かれている。

 

「え~っと、これはテスラ・ライヒ研究所で開発された新型のライフルだって」

 

「マオ・インダストリーの対IS用ブレードかぁ。あそこの武器って使い勝手悪いんだよね~」

 

「こっちはアシュアリー・クロイツェル社の防護用シールドね。さて、じゃあ始めるわよ」

 

一組の生徒たちもそれぞれのコンテナの中身を確認しつつ、動き始めた。しかし傍目にはきびきびと動いている様に見えても、漂う空気は何処か浮ついている。その原因は明らかだった。

 

「……ねえ、何でこんな所に篠ノ之博士が来るのよ?」

 

「そんなの知らないわよ。大方、篠ノ之さんか織斑先生関係じゃないの?ほら、篠ノ之博士って篠ノ之さんとは姉妹だし、織斑先生と篠ノ之博士って昔からの知り合いみたいだから」

 

「私、生で見たの始めて~」

 

生徒たちはちらちらと横目で束を見ながら、ひそひそと言葉を交わす。そして統夜もそんな一人だった。

 

(篠ノ之 束、か……)

 

統夜も聞き及んでいたが、実際に見るのはこれが初めてだった。束は専用機持ち達の輪に混ざって、身振り手振りで何かを表している。そして、空高く右手を上げて大空を指し示した。

 

「とーやん、ちょっとこっち手伝って~」

 

「……」

 

「ねぇ、ちょっとこっち手伝って……ってどうかしたの?」

 

本音が横から統夜に言葉をかける。統夜の視線は遥か上空に固定されていた。そして大気が震えたかと思うと、統夜がぽつりと漏らす。

 

「……何か、来る」

 

「何かって何が──」

 

瞬間、空気を裂く音が響いたかと思うと浜辺に振動が走る。砂が舞い上がり、生徒達の視界を覆い尽くす。統夜は倒れかかっていた本音の体を片手で支えながら、落下してきた物体に目を凝らす。

 

「コンテナ、か……?」

 

空から落ちてきたのは太陽の光を浴びて黒く光る大型のコンテナであった。そして駆動音を響かせながらコンテナから出てきたのは、紅いISだった。

 

「何だ、あれ……IS?」

 

「嘘、もしかしてあれ……」

 

「のほほんさん、あのISの事何か知ってるのか?」

 

「ううん、知らない……でも、私が知ってるどのISでも無い」

 

統夜はその言葉に少しばかり違和感を覚える。目の前にいる少女は整備課を志す為に日々研鑽を積んでいる。その事についてはこれまでにも何度か本人の口から、そして簪からも聞かされた。しかし彼女は目の前のISに見覚えが無いと言う。それらが示す真実はたった一つしか無かった。

 

「あれ、新しいISだと思う。しかも篠ノ之博士が自分で作った」

 

「新型のIS……」

 

束が幾つか指示を送ると紅のISは変形し、搭乗者を向かい入れようとする。束に指示されたのか、箒がISに近づいていった。一般生徒は新たなISの登場に、心奪われていた。

 

「み、皆さん!作業を進めてくださーい!」

 

しかし、真耶の懇願によって生徒達は正気を取り戻した。ちらちらと新しいISを盗み見る者もいるが、大半の生徒達は自分の仕事に戻っていく。そんな中、統夜は一人立ち尽くしていた。

 

「綺麗だな……」

 

紅いISは今、箒を乗せて空を飛び回っていた。空を背景に紅の点が動き回るその光景は、真っ青のカンバスに紅い筆を走らせているようでもあった。見上げながら、統夜は一人考える。

 

(あれが、本当の使い方なのかな……)

 

本来、ISとは宇宙空間での活動を想定して作られた物だったはずだ。しかし時代が求めたのか人が求めたのか定かでは無いが、六年前の“白鬼事件”を機にISの存在意義は変わってしまっていた。それは開発者である篠ノ之 束が望んだ物かは、本人にしか分かりえない。

 

(あの人は、どんな思いでISを作ったんだろう)

 

ふと地上に目を向けて、篠ノ之 束を見る。彼女は白式を展開した一夏の前に浮かび上がったディスプレイを両手で叩いていた。彼女の顔を見つめているとふと、束が顔を上げた。

 

「あ……」

 

数秒、束と統夜の視線が交差する。なんとなく彼女の顔を見つめるだけの統夜に対して、束の反応は驚くべき物だった。

 

「……」

 

最初は統夜の顔を見て驚いたのか束の両目は見開かれ、口は半開きとなっていた。しかし一秒もすると口は真一文字に引き結ばれ、瞳は申し訳なさそうに震え始める。先程の調子が嘘の様に大人しくなった束は何も言わずに統夜を見つめ続けていた。そして最後にゆっくりと口を動かして統夜に向けて何かを呟く。

 

「──」

 

(何だ、あの人……?)

 

「とーやん、ちょっとこっち手伝って~!」

 

「あ、ああ!今行く」

 

本音に返事を返して再び束を見ると、彼女は先程の作業に戻っていた。現れた時と同じ笑顔を顔に貼り付け、楽しそうに一夏や千冬と談笑している。統夜も踵を返してコンテナの所に戻ろうとした。

 

「おおお織斑先生、大変です!!」

 

しかし途中で聞こえてきた声音に思わず振り返ってしまう。声の主は千冬の隣に立っていた真耶だった。取り乱している彼女の姿に後ろ髪を引かれながらも、統夜は本音達がいる所に戻っていく。

 

「とーやん、次そっちのコンテナ開けて。試験するから」

 

「分かった」

 

本音に指示されて、統夜がコンテナの脇に付いているスイッチに手をかける。統夜の指がスイッチに触れる直前、浜辺に大音声が響いた。

 

「全員、注目!!」

 

生徒達が振り返ると、声を張り上げていたのは千冬だった。その顔は何処か険しく、余裕が無いようにも見える。戸惑いの空気が生徒に伝播する中、千冬は言葉を続けた。

 

「我々IS学園の教員はこれより特殊任務へと移行する。生徒は速やかに試験用装備及びISをコンテナに戻し、旅館の自室で待機しろ。以後、我々の指示があるまで決して動くな。以上!!」

 

「え、え?どういう事?」

 

本音の戸惑う声が統夜の耳朶を打つ。混乱しているのは本音だけではない、急な命令に全生徒達が戸惑いの渦の中にいた。いつまでも動こうとしない生徒達に向けて、千冬の一喝が飛ぶ。

 

「急げ!これより許可なく部屋の外に出た者は我々が拘束する!とっとと作業を進めろ!!」

 

「「「は、はいっ!!」」」

 

千冬の怒声を引き金に、弾かれる様に動き出す生徒達。統夜も自分のクラスに割り振られたコンテナに戻って、撤収作業を始めた。

 

「と、とーやん、何が起こってるの?」

 

作業の傍ら、いつの間にか隣にいた本音が怯えた声で問いかけてくる。統夜は手を止めずに本音の問いかけに返事を返す。

 

「俺にだって分からない。でも、一つ言える事があるとすれば……」

 

「な、何?」

 

怯えた本音が更に問いを重ねる。統夜はどこまでも蒼が広がる空を見上げてぽつりと呟いた。

 

「……嵐が来る。俺たちが無事で済まないような、嵐が」

 

統夜が見上げる夏の空は雲ひとつ無く、どこまでも晴れ渡っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 ~LINE-BARREL~

もう何度目か分からないため息が口から漏れる。太陽が真上へと差し掛かる時間に、統夜は一人旅館内の割り当てられた自室で寝転がっていた。その頭に浮かぶのは勿論、現在進行形で起こっているであろうトラブルについてだった。

 

(やっぱり何か起こってるのか……)

 

つい数時間前の光景は瞼の裏に焼きついている。命令口調の千冬を見るのは初めてだったし、逆にその事実が物事の重さを物語っている事の証左でもあった。染み一つ無い天井を見上げて、シャツの内側にあるネックレスを何の気無しに触れる。

 

(ちょっと位なら、大丈夫か……?)

 

しばしネックレスに触れたまま目を閉じる。次に開けた時、統夜の両眼は真紅に染まっていた。

 

(センサー展開、探索開始……)

 

一瞬だけラインバレルのセンサーを稼働させて、旅館周囲をスキャンする。結果は統夜の視界の端に映し出された。

 

(何も無し、か)

 

旅館の周辺にはエネルギー反応は愚か、人の反応すら無かった。念のため大雑把に金属反応なども調べてみたが、旅館の中と外に置いてあるコンテナ以外の反応は無い。

 

(当たり前だよな。そんな物あったら、今頃こうしてられない訳だし)

 

統夜がセンサーを切って一眠りでもしようかと目を閉じたその瞬間、部屋の隅で携帯電話が鳴り響く。ちらりと目線をやってから、右手を伸ばして携帯を掴んだ。

 

(……あれ?誰だこの番号?)

 

携帯の液晶画面に映る番号は全く見覚えが無い物だった。そもそも友人や家族であれば電話帳に登録してある為、名前が表示されるはずである。にも関わらず、液晶に写っているのは無機質な11桁の数字だけだった。不審に思いながらも、電話に応じる。

 

「はい、もしもし?」

 

『……』

 

「どちら様ですか?もしもし?」

 

『……るな』

 

「はい?」

 

『決してラインバレルになるな。これから何が起ころうとも、だ』

 

聞こえてきた機械音声に、思わず携帯を取り落とす。落下の衝撃でスピーカーホンのスイッチが入ったのか、先程よりも大きな声で電話の主は告げた。

 

『いいか、もう一度言う。決してラインバレルになるな。その身を大事にしろ』

 

「な、何で……」

 

体が虚無感に包まれる。それと同時に絶望、焦燥、不安、戸惑い。それらが一緒くたになって統夜の頭の中で不協和音を奏でていた。

 

『……』

 

「アンタ、何でそんな事知ってるんだ!?」

 

思わず携帯電話を取り上げて、怒鳴り声を上げる。まるで体の中で荒れ狂う感情の波を外に出すかの如く、統夜は激昂した。

 

「おい!教えろよ!!アンタいったい誰なんだ、俺の事を知っているのか!?」

 

向ける矛先が存在しない感情が、統夜の口から溢れ出る。しかし電話の向こうの人物はもう用はないとばかりに、あっさりと通話を切ってしまった。

 

「クソッ!!」

 

思わず携帯を壁に向かって投げつける。人外の膂力で投げられた携帯電話は壁に当たって弾け飛んだ後、畳の上に中身をぶちまけた。

 

(まさか……俺の正体が、バレた?)

 

最悪の事態が頭を過ぎるが、すぐさまそれを否定する。もし仮に統夜の事が他の国なり政府にバレたりすれば今頃IS学園にはいられないだろうし、そもそも今まで不干渉だった理由が見当たらない。今の所自分の事を知っているのは更識姉妹だけだが、彼女達が漏らすとは全くもって考えられなかった。

 

(何なんだよ……何が起こってるんだ……)

 

先程の言葉の中にあった『何が起ころうとも』という言葉が、現在進行形で何かが起こっていることの証明でもあった。

 

「……ったく、何なんだよ!」

 

思わず地団駄を踏む。数度深呼吸を繰り返してから、統夜はネックレスを取り出した。

 

(ラインバレル、こいつは一体……)

 

ラインバレルと一緒になってから何度目か分からない疑問が頭をもたげる。だがしかし、たった一つだけだが、IS学園に入学してから分かったことがあった。

 

(ISとの、類似点)

 

秘匿回線(プライベート・チャネル)に始まり、人が外骨格を装備するという概念、程度の違いこそあれど傷を受けたら自動で修復する自己回復機能。他にも類似点や共通点は多数あった。楯無に秘密を明かした後、彼女と簪も交えて議論を重ねたがついぞ答えは得られなかった。

 

(俺は特に弄ってないから、こいつは最初からこの機能を持ってたって事になる。でも何で父さんはこんな物を俺に……あれ?)

 

ここで何かが統夜の頭を刺激した。得体の知れないもやもやとした物は統夜の胸に重くのしかかる。集中すべく、統夜は腰を落として畳の上に胡座をかいた。

 

(何かを見落としてる……後もう少しで……)

 

今まで歩んできた、ラインバレルと出会ってからの日々を振り返る。幸せな日々が壊れたあの日、姉に引き取られてからの二人の時間、そして全ての転機となったあの白鬼事件。幾年もの歳月が頭の中で走馬灯の様に浮かんでは消えていく。そしてとうとう、統夜は謎の尻尾を掴んだ。

 

(……そうだ、俺が初めてこいつを使ったのはあの白鬼事件の時だ。でも、俺はこいつを弄った事も無い。だったら最初からこいつはこの機能を持ってた事になる)

 

先程と同じ思考を繰り返す。遠回りな様に見えても筋道を立てて考えることが、最短な道だと直感的に理解した。

 

(俺がこいつを父さんから受け取ったのは、8年前のあの日だ。でも、俺がISを見たのは白鬼事件の時、あれが初めてのはず)

 

思考はどんどん加速していく。一つの足がかりから始まり幾つものピースを繋ぎ合わせ、今一つの絵が完成しようとしていた。

 

(長く見積もっても事件の一ヶ月位前には、表に出なかっただけでISは既に完成していたはず。じゃあラインバレルが完成したのはいつだ?)

 

とうとう統夜が自分の疑問のたどり着く。双眸を大きく見開きながら右手を開くと、そこにはメタリック色に輝くネックレスが統夜を見上げていた。

 

「違う……ラインバレルがISに似てるんじゃない」

 

疑問は統夜の無意識の内に口から湧き出ていた。一人しかいない和風の宿の一室に重々しく声が響き渡る。

 

「ISが……ラインバレルに似てるんだ」

 

疑問がはっきりとした瞬間、それは起こった。開かれた視界の端に映っていたセンサーが急に色を帯び、統夜に危険信号を伝える。

 

「な、何だ!?」

 

やっと今まで自分がラインバレルのセンサーを展開したままだった事に気付く。しかし瞳に映ったものを見た瞬間、統夜はセンサーを切らなくて良かったと心から思った。

 

(これ……白式か?)

 

自分がいる地点から遥か彼方、ラインバレルのセンサーでもギリギリ捉える事が出来るかどうかという地点に良く知ったISの反応があった。それだけでは何も問題は無い。しかし、それだけではないのが問題だった。

 

(何かと……戦ってる?)

 

白式の傍には二つの光点が映し出されていた。三つの反応は尋常ならざる速度で動き続ける。統夜は慌てて頭の中でラインバレルに指示を下す。

 

(探知されない様に周囲の通信を傍受しろ、急げ!!)

 

主人の無茶な要求にも、従者は素早く答えた。息を一つ吐き終える前に、頭の中に探索結果が映し出される。その内一つを脳内で選択すると、耳に幾つもの声が聞こえてきた。

 

『……──斑、何があった!!』

 

『船だ!海の上に船が──』

 

『一夏、前を見ろ!!』

 

普段の様子とは全く違う彼らの緊迫した叫び声は、そっくりそのまま統夜の耳朶を打つ。何が起こっているのか分からない統夜は耳に手を当てながら立ち尽くす事しか出来なかった。

 

『うおっ!?』

 

『作戦中止だ!織斑、篠ノ之両名は直ちに帰還しろ!!』

 

『りょ、了か──』

 

『それがそう簡単に行かせる訳にはいかねえんだよな、これが』

 

それは聞いたことも無い女性の声だった。そして千冬や一夏が声を上げるより先に、まるでその女性の声が合図だったかの様に、統夜の視界の端に映し出されているセンサーが新たな影を捉える。

 

「なっ!?」

 

それは一瞬の出来事だった。不意に三つの反応の周囲に、複数の光点が出現したのである。続いて統夜の耳に届いていた一夏達の声が掻き消え、ノイズだけが残った。何が起こっているのか皆目見当もつかない統夜だったが、たった一つの事実にだけ理解が追いつく。

 

「一夏が……危ない!」

 

思ったときにはもう動き出していた。部屋の端にある窓を目一杯開け放ち、窓の縁に足をかける。旅館の真裏に面した窓からは、雑木林しか見えなかった。

 

「はっ!!」

 

掛け声と共に、統夜は一息に窓から飛び降りる。落下の最中に枝や木々が顔と腕に切り傷を作るも、地上に着く頃にはそれら全てが綺麗さっぱり消えていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

体は全く疲れていないのに、口から吐き出されるのは荒い息だけだった。そして数十秒後、雑木林を抜けると海が一望出来る断崖絶壁の上に辿り着く。ネックレスを右手に握り締め、口を大きく開けて叫んだ。

 

「来い、ライ──」

 

『決してラインバレルになるな。これから何が起ころうとも、だ』

 

「っ!」

 

先程の言葉が頭をよぎる。自分が行けば何かまずい事が起きるのかもしれない。あの言葉はそんな警告なのかもしれない。“もしかしたら”という仮定ばかりが浮かんでくる。

 

「……それが、どうした」

 

言葉に言葉を重ねて思いを払拭する。今何よりもはっきりしているのは大切な友人が窮地に陥っている。その事実だけが統夜を突き動かしていく。

 

「ここで使わないで、何の為の力だ!!」

 

ネックレスを握り締めた右手に一層の力を込める。右手から溢れ出る粒子は統夜の周囲に滞空し、主の言葉を今か今かと待っていた。統夜は走り出して、その一言を叫んだ。

 

「来い、ラインバレル!!」

 

声を皮切りに光の粒子が動き出す。統夜の体の各所に取り付き、その肉体を変容させていく。振り出した腕はより太く、一歩を踏み出した足はより固く、体全てが戦うためだけの存在へと塗り替えられていく。そして光に包まれた統夜は断崖絶壁から体を投げ出した。

 

『行くぞ!!』

 

誰に聴かせる訳でもなく、吠える。落下の最中に既に紫雲 統夜という人間は掻き消え、その代わりに世界に現れたのは鋼鉄の鬼だった。背後のスタビライザーを展開して空を飛びながら、頭をフル回転させる。

 

(座標固定完了、各所チェック終了。機体状態、オールグリーン!!)

 

大気を切り裂きながら、全ての準備を完了させる。ここまで距離が離れていると跳んだ後に何が起こるか分からないが、迷ってる暇は無かった。

 

『跳べ、ラインバレル!!』

 

その瞬間、目の前の景色が色を失う。段々と色彩を失った空と海がぼやけていき、現実感を失っていく。だが次の瞬間、統夜の視界は色を取り戻した。

 

「っ!!」

 

無事にオーバーライドを完了したラインバレルは眼前の光景を見て両目を見開く。目の前で繰り広げられているのは惨劇、それ以外の表現方法が見つからなかった。

 

「一夏、一夏!しっかりしろっ!!」

 

空を滑る様に逃げ回っているのは紅いISを纏った篠ノ之 箒。小脇にはISスーツを着た一夏を抱え、しきりに呼びかけている。一夏らを追いかけているのは、先月IS学園を蹴撃した正体不明の機動兵器だった。飛行するためだろう、背中には飛行機の翼をそのまま取ってつけたような大型の飛行ユニットが取り付けてある。

 

『ハハハハッ!逃げろ逃げろぉ!!』

 

そしてその逃走劇を遠巻きに眺めるのは、一機の機動兵器だった。ラインバレルに背を向けているので全体のフォルムははっきりしないが、他の機動兵器と同じ飛行ユニットを装備している。ラインバレルは両手にそれぞれ太刀を握り締めると、全速力で一夏達に追いすがる。

 

『ハアアアアッ!!』

 

機体性能に物を言わせて、すぐさま機動兵器達に追いつく。抜き去りながら太刀を煌めかせると、箒達を守るように空中で静止した。箒を追いかけていた機動兵器達は何故か、ラインバレルが来た途端、二人から離れていく。

 

「ラ、ラインバレルか!?」

 

『篠ノ之さん、無事か!?』

 

「わ、私は無事だ。しかし、一夏が……」

 

『やっと来てくれたな、白鬼さんよぉ!!』

 

スピーカーと通したような大音声に振り返ると、そこには宙に浮いている機動兵器がいた。その後ろでは、まるで部下の様に綺麗に隊列を組んで並んでいる機動兵器がいる。何故かその中には一機だけ、鈍色の羽が特徴的なISがいた。

 

『お前達……何者だ?』

 

『いやー、正直言って半信半疑だったんだよな。いくら司令の言う事とはいっても、たかがガキ共を追い込んだだけでお前が来るとは予想してなかったけどよ。ズバリ、司令の読みは当たってたって訳だな』

 

『……質問に答えろ』

 

『しっかしお前もバカだよな。こんなガキ二人の為にわざわざアタシらの口の中に飛び込んで来るとはよ』

 

隊長と思しき機動兵器が独白を続ける。何処かズレのある二人の会話は、鬼が激昂する事で断ち切られた。

 

『質問に答えろ!!』

 

ラインバレルはテールスタビライザーから素早く何かを抜き放つ。取っ手がついたそれは、先端部分を真ん中から開口すると、緑色のエネルギーを蓄積し始めた。ラインバレルの正面にいる機動兵器は頭をぽりぽりと掻きながら、臆面もせずに言い放つ。

 

『ああ?何が聞きてえってんだ?』

 

『……人間が乗っているのか?』

 

『ああそうだよ。ラインバレルのファクターさん』

 

『何っ!?』

 

「ファ、クター……?」

 

ラインバレルの後ろで箒が小さく呟く。明らかに狼狽したラインバレルの隙をついて、対面の相手は言葉を浴びせ続けた。

 

『まさかいつまでも秘密のヒーロー気取れるとでも思ってたのか?秘密をいつまでも自分一人の物に出来ると考えるのは、ガキのする事だぜ』

 

『……何の為に、ここに来た?』

 

武器を持つラインバレルの腕はゆらゆらと不確かにぶれ始める。動揺している事がはっきりと分かる程、言葉は震えていた。

 

『いやー、結構苦労したんだぜ?この日の為にわざわざアメリカとイスラエルの両方にスパイ潜り込ませて、一週間前からずっとこの海域に留まって、ついさっきまで何もない海の上でクルージングと来たもんだ。この苦労が報われる位の事があってもいいと思うよな?』

 

『だから一体何の為に──』

 

『ああもう!察し悪いな!だーかーらー、お前だよお前!!』

 

大仰な仕草を見せながら、人間味あふれる言葉遣いで目の前の隊長が言い放つ。対するラインバレルは動揺の余り、銃口を下げて呆気に取られていた。

 

『な……に?』

 

『お前一人の為にこんな大掛かりな事したんだよ!つまりそこのガキ二人は餌!お前をおびき出す為の餌なんだよ!!』

 

『俺をおびき寄せるための……餌』

 

敵から目を切って、背後を振り返る。その視線の先にはどこまでも青い空をバックに、両手で一夏を抱きしめている箒が両目を大きく見開いてラインバレルを見つめていた。

 

『そう、全部お前のせいなんだよ。IS学園の生徒が危険にさらされるのも、お前のだぁーい好きな織斑 一夏が傷つくのも。全部お前のせい』

 

『俺の……せい』

 

『そうだよ。だから……大人しく喰らっとけぇ!!』

 

『っ!!』

 

意識を切り替えて振り返る。そこには先程まで腰にあった槍を大きく振りかぶっている敵がいた。思わず逃げようとするが、後ろの二人を見て、一瞬だけ踏みとどまってしまう。

 

『そぉらっ!!』

 

放たれた原始的な攻撃は一直線にラインバレル目掛けて迫っていく。ラインバレルは後ろにいる二人を一瞥した後、両手を前に突き出した。

 

『くうっ!!』

 

タイミングを揃えて両手を握り込む。金属同士が擦れ合う時の特有の音を響かせながら、槍はラインバレルの両手によって動きを止めた。

 

『まあ、一つだけだったら余裕で止められるよな。でも──』

 

『マズイっ!!』

 

『この数ならどうだい?』

 

隊長が上げた腕を振り下ろす。それを合図にISがエネルギーの弾丸を、背後にいた機動兵器達が一斉に槍を放った。思わず回避しようとするが後ろの二人が動く事がままならない以上、この場を動けば一夏と箒に全て当たってしまう。そう考えたラインバレルは空中で停止したまま、両手を大きく左右に広げた。

 

『ぐうううっ!!』

 

「ラ、ラインバレル!!」

 

ラインバレルが動きを止めても、槍の大群が動きを止めるなどと言う事はありえない。明確な殺意を持った物質は、ラインバレルに突き刺さっていく。エネルギー弾丸はラインバレルの装甲を撃ち砕き、幾つか弾かれる物もあるが返しの付いた槍は殆どがラインバレルに突き刺さった。ハリネズミの様に体から槍を生やしながら、ラインバレルはその場でたたらを踏む。

 

『おーおー、流石は化物だ。すげえ防御力だな。しかももう修復が始まってやがる』

 

隊長の言葉通りラインバレルの装甲に光が走り、傷ついた金属が修復していく。しかし、いくら装甲が回復しても、槍が体に刺さったままな以上、一定以上の回復は望むべくもない。

 

『さてと、あともう一撃ぐらい──』

 

『ウオオオオッ!!』

 

そこで初めてラインバレルが動いた。叫びながら両目を獰猛に光らせると、右手に握り締めるだけだった武具を大上段に振りかぶる。すると開いたままだった銃口にみるみるうちに光が充填されていく。

 

『おっと!こいつはやべぇ!!』

 

『ダアアアアッ!!』

 

振り下ろされる両手と同時に、武具から光の帯が噴出する。ラインバレルの全長の何十倍もの範囲を誇るその斬撃は、まるで緑色の雷光の如き一撃は一直線に敵へと向かっていった。

 

『散れ!!』

 

隊長の一声で、固まっていた機動兵器が動き出す。斬撃は敵の塊の中心を通る様に振り下ろされたが、惜しくも避けられてしまった。

 

『まだだ!!』

 

しかし、緑光の奔流は止まらなかった。更に加速を続けると、斬撃はそのまま海に叩き込まれる。一瞬だけ平静を保っていた水面だったが、海面が緑一色に染まったかと思うと、爆発音と共に海水が舞い上がった。

 

『うおっ!?』

 

敵とラインバレルとの間に、水の防壁が生まれる。ラインバレルは武器をスタビライザーに収納すると、槍が深く突き刺さるのも構わずに両手で後ろにいた一夏と箒を抱え込んだ。

 

「な、何をする!」

 

『つ、掴まれ……逃げるぞ』

 

口の部分から血ともオイルとも判別付かない液体をまき散らしながら、背部のスタビライザーの飛行ユニットを稼働させる。展開されたユニットは数秒空気を取り込むと、爆音と共に加速する。そして水の防壁を突き抜けてきたのは、隊長と機動兵器達だった。

 

『ちっ、意外と強かじゃねえか』

 

米粒程の大きさになった一夏達を見つめながら、先頭にいる敵が言葉を漏らす。隊長は雨の様に振り続ける海水が装甲を打つ音を聞きながら、右手を耳の部分に当てた。

 

『……ああ、アタシだ。奴は逃げた』

 

『──。──?』

 

『しょうがねえだろ。予想以上に奴が早く来ちまったんだからよ。それにこれで捕まえられたら儲けものって言ったのは、ほかならぬアンタじゃねえか』

 

『……──、──』

 

『はいよ、了解。それじゃあこれから戻るぜ』

 

耳に当てていた右手を離して、ラインバレル達が飛び去っていった方向を見つめる。覆われていなかったらその顔はきっと醜く歪んでいる、そう思える激情を言葉に乗せて、隊長は呟いた。

 

『もっと楽しませてくれよ……ラインバレルのファクターさん』

 

暴力的な言葉が、遥か彼方に飛び去った鬼に向けられる。十数機の金属の塊を、頭上に浮かぶ太陽が燦々と照らしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 ~三者三様~

つい昨日には学生達の笑顔が飛び交っていた砂浜では、各国の代表候補生達と千冬が空を見つめていた。国家代表達は各々のISを展開しているが、千冬は黒いスーツだけで仁王立ちのまま、身じろぎ一つしない。

 

「教官、接近してきます!」

 

「各自、陣形を維持。ラインバレルが降りてくるまで動くな」

 

指示を下す千冬の視線は大空に固定されていた。そして五つのISと一人の人間が待つ浜辺に、ラインバレル達が降り立つ。

 

『グッ!!』

 

落下の衝撃でラインバレルに抱えられていた一夏と箒が砂浜の上に投げ出される。箒は地面から起き上がると一夏を片腕に抱いたまま、ISを解除した。

 

「ラ、ラインバレル!」

 

「動くな!!」

 

「っ!!」

 

一歩を踏み出そうとした簪だったが、千冬の怒声に止められる。体中に槍を突き刺したまま、ラインバレルは地面に両手と両膝をついて動きを止める。

 

「お前達、ISを解除して織斑と篠ノ之を運べ。ラインバレルは私が請け負う」

 

淀みなく一夏に近づいていく千冬に続く様に、五人もISを解除して一夏達に殺到する。箒の腕に抱かれた一夏は無事な所が見つからない位、全身が傷ついていた。一番軽傷なのは首から上の部分くらいで、着ているISスーツには赤い円形の染みがあちこちに出来ている。

 

「一夏、しっかりしなさいよ!!」

 

鈴が言葉を投げかけても、一夏はぴくりとも動きはしなかった。学友の余りにも酷い惨状に、彼女達は息を呑むことしか出来ない。

 

「酷い、こんなのって……」

 

「とにかく今は一夏を運ぶ事が最優先だ。セシリアと鈴は箒を頼む。シャルロット、更識、私で一夏を運ぶぞ」

 

一番早く我に返ったラウラがテキパキと指示を下して、一夏達と一緒になってラインバレルから離れていく。浜辺に残されたのは傷だらけのラインバレルと、それを睨む千冬だけになった。

 

「……ようやくご対面か」

 

小さく言葉を漏らすと、両手を地面について固まっているラインバレルの下へと歩み寄る。ラインバレルは千冬が近づいてくる事すら気づいていないようで、顔を上げることすらしない。

 

「貴様、顔を上げろ」

 

片膝を砂浜について、千冬が声をかける。しかしその声すらも耳に届いていないようで、ラインバレルは顔を俯かせたまま微動だにしない。

 

「……私の質問に答えろ」

 

何を考えたのか、千冬はラインバレルの角を片方掴むと無理矢理顔を上げさせた。鉄に包まれたその顔からは、何を考えているかを推し量る事は出来ない。

 

『織斑、千冬……』

 

「何故、貴様は織斑達を助ける?」

 

『……』

 

「何故今更姿を現した?貴様はあの敵と関わりがあるのか?」

 

『……教えてくれ』

 

「……何をだ?」

 

『お、俺は……化物なのか?』

 

辛うじて言葉を捻り出すラインバレルの瞳は、頼りなく揺れていた。その声音はまるで、迷子の子供の鳴き声だった。しばし、ラインバレルの体から流れ落ちるオイルの雫が地面に当たる小さな音が、二人を包み込む。ラインバレルの目を正面から見つめた千冬は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……そうだな。寧ろそれ以外にお前を形容する言葉を、私は知らん」

 

『……そう、か』

 

千冬の一言でラインバレルの瞳が色を失ったかと思うと、再び顔を下げる。もう一度千冬が角を掴んだ手に力を込めて顔を上げさせようとしたその瞬間、ラインバレルの姿が掻き消えた。

 

「ふん、肝心な事は言わずじまいか」

 

獲物を掴み損なった手を目の前で握り締める。しばし目の前に拳をかざしていたが、唇を噛み締めるといきなり拳を砂浜に打ち付けた。

 

「……」

 

振り下ろした腕は行き場の無い感情の余りぶるぶると震え、噛み締めた唇からはどろりと血が流れ出す。そして綺麗な顔立ちからは考えられない程重苦しく、醜い感情に支配された言葉が口から漏れ出た。

 

「許さんぞ、下衆どもが……」

 

その一言を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がる。潮の匂いを含んだ海辺特有の風が千冬の頬を撫でた。

 

「もう二度と……二度と、一夏をやらせはせん……」

 

 

 

 

 

 

「しっかし、意外と簡単なミッションだったな」

 

「そうか、それは良かった。それでは報告を頼む」

 

仄暗い照明が照らす室内には、一組の男女が互いの顔を見合わせる様に座っていた。勿論、二人きりと言っても男女の情事など二人の頭にはない。両者の間にあるのはただ部下と上司という、単純な関係だけだった。

 

「つってももう報告書は出したろ?他に何が聞きてえんだ?」

 

「何、当事者の口から聞く事が一番重要だと私が考えているだけだ。文章だけだとどうしても、見落としてしまう事があるからね」

 

「アンタの下について結構長いけど、まだ私はアンタって人間がわからねえよ」

 

「別に構いはしない。さて、私もこの報告書には目を通させてもらったよ」

 

男は装飾も何もなされていない簡易なスチール製の机の引き出しを開けて、一通の封筒を取り出す。淀みない手つきで封を開けると、机の上に中身を並べた。

 

「オータム、今回の内容を聞かせてもらおう」

 

「あーはいはい、分かりましたよ。アタシは六機の迅雷を連れて海上の船にて待機。ターゲットが来たらイダテンを装備して奴らに奇襲をかけた」

 

「奇襲の結果は?」

 

「見事大成功。こっちが仕掛けた罠に気を取られてたのもあったんだろうな。織斑 一夏の方は一斉攻撃で落とせた。あ、そういや片方のISって何だ?作戦前に目を通した資料には無かったんだけどよ」

 

「君が撮ってきてくれた映像データを解析した結果、あれは世界に現存するどのISにも当てはまらなかった」

 

再び机の引き出しを開けると、中から幾つかの紙の束を取り出す。それらを封筒から取り出した資料の上に重ねるようにして、机の上に並べた。

 

「つまり、あのISは何処かの国が開発したISと言う事になる。IS学園で新型のテストなどしていれば我々の情報網に引っかかるだろう。だがしかし、今までそんな情報は伝わって来なかった、つまり──」

 

「あのISは今日が初の顔見せ、しかもどっかの国が開発したもんじゃない」

 

男の言葉を引き継いで、女性が答えを導き出す。男は少しだけ笑いながら、椅子に深く体を沈めた。

 

「察しの良い部下で助かる。さて、ここで質問だ。君から見てあのISはどう思う?」

 

「ああ、ヤバかったぜ。真正面からぶち当たったらまず勝てねぇ。見る限り、既存のISとは出力が段違いだったな」

 

女の脳裏に映し出されるのは、男を抱えたまま六機の迅雷から逃げ続けるISだった。あの紅いISはいくら追い詰めても全く捕まえる事が出来なかった。もう少しラインバレルが来るのが遅ければ自分が戦列に加わって相手をしていただろう。

 

「そう、そこなんだよ。既存のISとは桁違い、つまりあれ程のISを作り出すのは現在の技術力では不可能。そして例外はただ一人、篠ノ之 束だ」

 

「あの糞ウサギか……」

 

女性がギリッと奥歯を鳴らす。束が家族の敵だ、と言わんばかりの激情が女性の体から溢れ出した。男は辟易しながら、言葉を続ける。

 

「どうやらあのISの搭乗者は彼女の妹らしい。その筋から入手したのだろうな」

 

「ああ。そんで迅雷達にあいつを追っかけさせてたら、白鬼が来たんだ。そうそう、もしかしたらアンタの予想が当たってるぜ、司令」

 

「ほう、理由を聞かせてもらえるか?」

 

司令と呼ばれた男は女性の言葉に貪欲に反応した。目の色を変えて机の上に両手を突くと、視線で女性に“早く話せ”と訴え掛ける。

 

「感情が丸見えだったんだよ。少しばかり話しかけただけで動揺するわ、戦闘の最中に相手を意識から外すわ。職業軍人だったらそんな事ありえねえし、戦いに慣れた奴でももうちょっとマシな反応をするぜ」

 

「ふむ……」

 

男は左手を顎の部分に当てて、考え込む様な仕草を見せた。オータムは右の人差し指に、長い毛先を巻きつけて弄んでいる。しばし沈黙が流れる室内だったが、男が大きく息を吐くことで均衡は破られた。

 

「これで少しは確率が高くなった、と言うことか」

 

「ああ、そう言えばあのISと操縦者はどうすんだ?こっちで始末してもいいぜ」

 

「いや、その必要は無い。次の作戦での捨て駒に使おう」

 

「もうあのISのシステム解析は終わってるぜ?こっちの損害はゼロなんだ。あんなもん使わなくても──」

 

「すまない、我慢してくれ」

 

短い言葉と共に、男の真摯な眼差しがオータムに向けられる。オータムは頭をがしがしと掻きながら、不貞腐れた様に天を扇いだ。

 

「あーあー分かった、分かりましたよ。アンタには恩もあるし借りもある。今回はアンタの顔を立ててやるさ」

 

「ありがとう、感謝する」

 

「けっ、そんなおべっか嬉しかねえよ」

 

靴を鳴らしながら椅子から立ち上がると、背後の扉へと歩いていく。男は机の上に並べた書類を元に戻そうと紙の束を取り上げるが、女性の声でその手が止まった。

 

「そうそう司令、一つ質問なんだがよ」

 

「何だい?」

 

「次の出撃で、アタシの他に誰が行くんだ?スコールとマサキの野郎は別口の任務で居ねえし、流石にあのブリュンヒルデ(世界最強)相手にアタシと無人の迅雷だけじゃ勝ち目薄だぜ」

 

「それについては心配いらない。余っているイダテンにR335を乗せて連れていけ」

 

「ハァ?」

 

部屋から出ていこうとしていたオータムが踵を返して男に詰め寄る。驚愕しているオータムが机に手をついて身を乗り出してきても、男はどこ吹く風とばかりに書類の片付けを再開した。

 

「あれ、使い物になるのかよ。つい最近まで寝てた様な奴だぞ?」

 

「大丈夫だろう。もしも動かなかったら弾除けにでも使えばいい。そんな事は無いと思うがな」

 

「……了解。あと何かあるか?」

 

「いや、大丈夫だ。再出撃までゆっくり体を休めてくれ」

 

「それわざと言ってんのか?次まで五時間も無いってのによ」

 

汚い口調で言葉を残していくとオータムは出ていった。残された男は書類を綺麗に纏めると、封筒にしまいこんで引き出しに入れる。こめかみに片手を当てながら机に肘を突くと、虚空に向かって言葉を零す。

 

「ラインバレル……お前はその鬼神の如き力を、一体何の為に振るうのだ?」

 

 

 

 

 

 

目の前の扉を叩く手が、直前で止まる。簪はそんな簡単な動作が出来ずに、廊下に佇んでいた。

 

「……」

 

簪は一夏と箒を救護班に預けた後、急いで統夜の部屋へとやってきた。箒には外傷が無かったので問題は無いが、大変なのは一夏の方だった。ISの絶対防御を突き抜けた弾丸は、そのまま一夏に消えない傷を残した。今も一夏は救護用に割り当てられた部屋で昏睡状態に陥っている。

 

(……統夜)

 

一夏も心配だが、簪にはそれ以上に統夜の事が気になった。あの時、一夏と箒を抱えてきたラインバレルの目が、簪には妙に気になったのだ。去り際に後ろを振り返って見た、千冬に詰問されているにも関わらずまるで生気を失った何かに成り果ててしまった様なラインバレルの姿が、どうしても頭から離れなかった。

 

「……すぅ」

 

しかし、いつまでも扉の前でこうしている訳にもいかなかった。代表候補生達は次の襲撃に備えて何時でも動ける状態でいろ、との指示が教師陣から下っているからである。正直言って、今この場でこうしている事もそれなりに問題だった。意を決して息を吸うと、目の前の扉を控えめに叩く。

 

「と、統夜?」

 

こんこん、と扉を叩いて中にいるはずの生徒の名を呼ぶ。彼女の声は確かに部屋の中に届いているはず、そしてラインバレルがあの場から撤退した以上統夜もここに戻っている。ということは彼に簪の声は届いているはずだ。しかしながら、簪の呼びかけに対する返事は一向に帰ってこない。

 

(もしかして……いないの?)

 

考えにくい事だが、統夜がこの部屋の中にいない事も考えられた。もしかしたらラインバレルになったまま、旅館の警護でもしているのかもしれない。だがどうしても気になった簪は、目線を少し下に下げて銀色に光るドアノブを見つめた。

 

(確かめる、だけ……)

 

半ば祈りの様な思いを抱きながら、右手でドアノブを握りしめてゆっくりと捻る。何の抵抗も無く回ったドアノブは扉を開き、簪を部屋の中へと誘った。

 

「……統夜?」

 

そろりそろりと顔だけを覗かせて中を見る。部屋の間取りは自分が使っている部屋と大差無く、寧ろ二人しか使っていないためか妙に広く見えた。

 

「統夜、いるの?」

 

一歩足を踏み入れる。太陽が窓から差し込んでいるにも関わらず、部屋の中は何故か暗く見えた。部屋の中に入って畳を踏みしめながら顔を左右に振ると、部屋の角にうずくまっている男がいた。瞬間、意中の人物を見つけた事で簪の表情が晴れるも、すぐさま青く変色する。

 

「な、何やってるの!?」

 

必死の形相で、彼の右手首を掴む。脱力して座っていた統夜は右手で太刀の柄を握り締め、左手で刃の部分を掴んでいた。勿論左手を何かで覆っていると言う事も無く、左の掌は赤黒い血液でぬらぬらと光っている。右手を掴まれて初めて気づいた、と言った様子で統夜が顔を上げる。

 

「……簪、か」

 

「統夜!?一体何をし、て……」

 

きつい言葉を浴びせるつもりだった。彼が何をしているのか理解出来ずに、詰問するために声を荒げるつもりだった。慣れない口調で彼を弾劾するつもりだった。何故自分の体を傷つけるのか、何故あんな目をしていたのか。聞きたい事は山ほどあった。しかし、その全ては彼の瞳を見た瞬間、霧散してしまった。

 

「何が……あったの?」

 

「……傷つかないんだ。何度やっても、何度やっても、勝手に治ってく」

 

簪の握っている右手首に力が入る。簪が止める暇も無いまま、統夜は左手を躊躇なく握りこんだ。新たな刀傷が統夜の左手に刻まれ、新しい血が溢れ出す。

 

「やめて!」

 

金切り声を上げると、簪は統夜の手から太刀を奪い取る。思いのほかあっさりと手から外れた太刀を抱えて、簪は統夜と距離を取った。

 

「な、んで……?」

 

「普通だったら……治らないよな。普通だったら、こんなにはならないんだ。じゃあ……これは何なんだよ」

 

顔を俯かせたまま、統夜が左手を傾ける。鮮血は統夜の左手から零れ落ち、統夜の着ているジャージに赤い染みを作っていく。だが、いつまでも続くはずの血液の滝は、一秒もせずに止まった。

 

「それ……」

 

その光景を簪は前にも見たことがあった。皮膚が輝きを帯びて傷がまるで無かったかのように、元の色へと戻る。統夜にとってはそれが普通な事である。しかし今の統夜はその光景を、まるでおぞましい何かを見るかの様な嫌悪の目で睨みつけていた。

 

「何で一夏なんだよ……何で俺じゃないんだよ。俺だったらいくらでもいい……こうやって治るんだから」

 

泣いているかのように、言葉の合間合間に嗚咽が入る。統夜が作り出す重苦しい雰囲気に、簪は息を潜めて聞き手に徹する事しか出来なかった。

 

「でも一夏は普通の人間なんだよ……女の子の相手はからっきしだけど、気配りも出来て、いつも笑ってて。化物の俺なんかとは違う……本当にいい奴なんだよ」

 

「……」

 

「何で一夏が傷つかなきゃいけないんだよ、何で俺じゃないんだよ。何で……何で……」

 

その先の言葉が統夜の口から放たれる事は無かった。全身を脱力させて壁に寄りかかる統夜の姿は儚くも、何処か弱々しく簪の目には写った。

 

「俺のせいなんだ。一夏が傷つくのも、簪やのほほんさん達が危険に晒されるのも、みんなみんな、俺のせいなんだ……」

 

「統夜、それは……」

 

隣に跪いて、肩に手を起きながら声をかける簪。しかし彼女にはどんな言葉をかけていいか分からなかった。止まった言葉の先を、統夜が強い口調で続ける。

 

「全部俺のせいなんだろ!俺みたいな化物が一夏や簪の傍にいようとしたから、バチが当たったんだ!全部俺に降りかかるならまだいい、俺が耐えればそれですむ。俺はこんな体なんだから幾らでも耐えられるさ。でも、皆が傷つくのは耐えられない!!」

 

激情のまま統夜の口から言葉の濁流が流れ出す。その言葉の数々を否定する言葉を、簪は持ち合わせていなかった。見ている事だけしか出来ない簪の横で、統夜は更なる加速を重ねる。

 

「俺が全部悪いんだ!俺がここにいる限り、皆に迷惑がかかる!いっその事、俺なんていなくなれば──」

 

「やめてっ!!」

 

最初の声とは比較にならない大声が部屋に響く。半ば錯乱状態にあった統夜もぎょっとして、驚きの目で簪を見つめた。

 

「そんな……そんな事言わないで、統夜」

 

「でも、俺のせいで一夏や篠ノ之さんが襲われたのは事実だ……襲ってきた敵が言ってたんだ。俺を誘い出す為に一夏達を襲った、って」

 

「……それでも、統夜が消えていい理由にはならない」

 

「だったらなんだって言うんだ……俺がこんな体だっていう事実はいくら叫んでも変わらない。俺がここにいる限り、またあんな敵が襲ってくる。そうなれば、また誰かが傷つく。俺はそれが嫌なんだ」

 

「統夜……」

 

「なあ、簪。教えてくれよ……俺は、何なんだ?」

 

太陽が水平線へと近づいていく昼下がり。誰も答えを持ち合わせていない質問を、統夜は目の前の少女に投げかけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 ~原初への加速~

「巫山戯るな!こちらは生徒が一名負傷している!これ以上何を続けろと言うのだ!?」

 

壁のコンピュターやらプロジェクターが所狭しと並べられた部屋に千冬の怒号が響き渡る。本来であれば、宴会などの用途に使われるそれなりの広さを持った部屋だというのに、その怒号は端の方にいた簪の耳にも酷く響いた。

 

「……ああ、すまん。それで上の阿呆共は何と言ってきている?……ああ……そうか、分かった。ありがとう」

 

通信機を元の位置に戻して、自分を落ち着かせるかのように大きく息を吐く千冬。部屋の角に固まっていた専用機持ち達は、恐る恐る千冬に近づいた。

 

「織斑先生、何かあったんですか?」

 

「……委員会の馬鹿どもが、まだ作戦を続行しろと言ってきている」

 

「え?で、でももう僕たちは一回失敗してるし……」

 

「出来るまでやれ。委員会はそう言ってきているのですね?」

 

困惑しているシャルロットの疑問を、ラウラが解消する。ラウラはかぶりを振ると、言葉を続けた。

 

「この作戦はアメリカとイスラエル、両国にとって火種となりかねない実にデリケートな問題だ。正直言って、何故私達にこの任務が降りてくるのか最初から理解出来なかったがここまで強攻策に出るという事は、上の人間にはどうしてもあのISを確保しなければならない理由があるらしい」

 

「ボーデヴィッヒの言う通りだ。それとなく探ってみたが、情報は手に入らなかった。上の人間は最悪、お前達全員で行かせるつもりらしい」

 

「私達で、ですか?」

 

「ああ、といっても心配するな。そんな危険な事はさせられんし、させるつもりも無い。もしもの時は私が出る。先程、山田先生に言って──」

 

その時、部屋の出入り口のふすまが音を立てて開いた。入ってきたのは、ISスーツの上にジャケットを羽織っている真耶だった。生徒達にちらりと目を向けてから千冬の隣に移動して、ヒソヒソと耳打ちする。

 

「……了解しました。山田先生も準備に入ってください」

 

「分かりました」

 

いつもと全く違う雰囲気を纏いながら、真耶は入ってきた時と同じく静かに部屋から出ていった。

 

「先程の話だが、私が打鉄で出る。お前達は心配するな」

 

「で、でも今回持ってきた打鉄は試験用、です……あの福音にスペックで勝っている面は一つもありません……打鉄で相手をするなんて無茶です」

 

「問題無い、更識。私を誰だと思っている?」

 

戸惑いがちの簪の言葉を、自信たっぷりの一言で一蹴する。臆面もなく放たれた一言に続いて、千冬が止めの一言を放った。

 

「私の目が黒い内は、お前達に手出しなど一切させん。世界最強を舐めたらどうなるか、あいつらの体に直接教えてやるさ」

 

まるで獲物を狙う肉食獣の様な眼光と共に、千冬はその言葉を言い切った。専用機持ちが困惑する中、千冬はパンパンと両手を叩いて注目を集める。

 

「それでは各自、部屋で待機していろ。何かあれば、また呼びにいく」

 

拒絶にも似た口調で千冬が六人を部屋から追い出す。廊下に佇んだ彼女らは、それぞれの自室に戻るべく、足を動かした。

 

「……これから、どうなるんだろう?」

 

「さあな、少なくとももう一度のアタックはあるだろう。その役目が私達に振られるか、教官が行くのかは分からないがな」

 

「……じゃないわよ」

 

「鈴さん?一体どうしたので──」

 

「冗談じゃないわよ!!」

 

怒号と共に、鈴の拳が壁に突き刺さる。いきなりの行動に驚く五人だったが、怒り狂う鈴は機関銃の様に喋り始めた。

 

「一夏がやられてこのまま黙ってろって言うの!?アタシ達に何もするなっていうの!?」

 

「鈴、それは……」

 

「なによ!アンタ達は悔しくないの!?私は──」

 

「いい加減にしろ」

 

短く言葉を発すると、小さい影が鈴を無理矢理押さえ込む。壁に押し付けられた鈴は苦し紛れにくぐもった声を出した。

 

「ラ、ラウラ……」

 

「ここは廊下だぞ。我々には守秘義務が課せられている。誰かに聞かれでもしたら、どう責任を取るつもりだ?」

 

「……ごめん」

 

鈴の言葉の後に、拘束を解くラウラ。一変した空気の中で、口を開く者は誰もいなかった。そんな空気を打破するかの様に、ラウラが背中を見せる。

 

「済まないが、先に戻らせてもらう。行くぞ、シャルロット」

 

「う、うん」

 

同室の彼女を連れて、先に戻ろうとする彼女の背中に声をかける者は誰もいない。先程まで荒れていた鈴でさえ、ラウラに抑えつけらた首をさすりながら彼女を見つめるだけだった。

 

「それとな、鈴……先程の事だが、そう思っているのはお前だけではないぞ」

 

「え?」

 

「腸が煮えくり返るような思いをしているのはお前だけではない、という事だ」

 

煮えたぎる様な感情を込めた一言を残して、ラウラは立ち去っていった。ラウラと四人の間で戸惑っていたシャルロットも、ラウラの後を追おうとする。しかし、途中でその足を止めた。

 

「……鈴、さっきのラウラの言葉だけど僕も同じ思いだよ」

 

「シャルロットさん……?」

 

「僕だって一夏と箒がやられて悔しいし、何かしたいって思うよ」

 

「あんた……」

 

「一人で抱え込まないで僕たちにも相談してよ、できる限り力になるから。じゃあ、また後でね」

 

最後に言葉を残して、シャルロットもラウラと同じ方向に去っていった。誰が言うでもなしに、残された四人もそれぞれの部屋へと戻るため歩を進める。部屋へと戻るため廊下を歩く簪の目に一つのドアが映りこんだ。

 

(……どうしよう)

 

ドアノブへと伸ばしかけた手が、途中で止まる。つい数十分前に、部屋の中で見た彼の顔がありありと脳裏に浮かび上がる。何度も彼に助けられたのに、自分が統夜の傍にいても何もしてやれない、

 

(無理、私なんかじゃ……)

 

彼が思い悩む問題に、自分は酷く無力だった。抱え込んでるその問題は自分には大きすぎ、一緒にいても何もしてやれない。目の前の扉から目を背けるように、簪は自室へと繋がる方とは逆の方向へと走り出した。

 

「……」

 

走り出しながらポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。何度も何度も間違えながら、やっと望む相手に電話をかける事に成功した。

 

『はい、もしもし?』

 

ワンコールもしない内に、相手が電話に出る。その声を聞いた途端、膝から力が抜け落ち簪は廊下へと崩れ落ちた。

 

「……お姉ちゃん、助けて」

 

 

 

 

 

 

「父さん!父さん!!」

 

(ああ、またこの夢か)

 

業火に照らされながら、幼い自分を見下ろす。自分が父親を必死に揺すぶっている、その光景は何度も何度も見てきたものだ。ただ一つ違う点があるとすれば、こうして自分を見下ろす形でこの光景を見るのは初めて、と言う事である。

 

(結局この頃から……俺は何も変わっていないんだな)

 

始めは大好きだった父と母を、次は家族となってくれた姉を、そして高校に入って出来た友人達を危険に晒した。その結果無事だったのは姉だけで両親は死に、友人は床に臥せっている。そこにいるだけで大切になった存在が傷ついて行く、そんな自分に嫌気が差した。

 

「父さん?ねえ、返事してよ……父さん……」

 

(また、周りの人間が……)

 

なまじ異質な肉体を持つせいで、自分が傷つかない事実が統夜の心を更に掻きむしっていく。何度思っただろう、彼らの傷を引き受けたらと。何度望んだだろう、代わりに自分が傷つきたいと。自分の周囲で傷ついていく人間を見るたびに、堂々と助けたい衝動に駆られる。しかし、幼い日の記憶がそれに歯止めをかけ続けていた。

 

「父さん、母さん……」

 

(だから、俺は……)

 

目の前の少年は、父親の骸を抱いて泣きじゃくっていた。固い床に両膝を突き、ぽたぽたと流れ落ちる涙は物言わぬ父を濡らしていく。そのままの映像が数秒程続いた。

 

(……あれ?)

 

いつもと違う光景に、統夜が首をかしげる。普段だったらここで姉が自分を助ける為に姉が部屋に突入してくるはずなのに、そんな気配は全く無い。後ろを振り向こうとしたが何故か首は全く動かず、視線は正面の少年に固定されていた。

 

(何でだ……いつもだったらこれで姉さんが来て──)

 

「……お前のせいだ」

 

(え……?)

 

目の前の少年が父親から手を離してゆらりと立ち上がる。光が消失した双眼は、真っ直ぐ統夜に向けられた。頬に残っている涙の跡は黒く染まり、枝分かれを繰り返して少年の顔を彩っている。

 

「な、何で……?」

 

「……お前がいるから、父さんも母さんも死んだんだ」

 

「そ、それは違……」

 

その言葉を、統夜は否定出来なかった。心の奥底に溜まっている淀みの様な昏い感情が、頭をもたげて少年の言葉を肯定していた。一歩々々ゆっくりと統夜に近づいてくる少年は、言葉を吐き出し続ける。

 

「何が違う?一夏も傷ついた。楯無さんも、簪も、あと一歩で消えない傷を負う所だった。間に合ったのはただの結果論に過ぎない」

 

「あ……うあ……」

 

もはや統夜の口は正常な機能を成し得なかった。酸素を求める金魚の如く、口をぱくぱくと開閉する事しか出来ない。少年は統夜を指差して、止めの一言を告げた。

 

「お前のせいで、周りの人間が傷ついて行く……その手を見てみろ」

 

「俺の、手……」

 

思わず両手を顔の前に持ってくる。人のそれであるはずの両手はまるで金属で出来ているかのように、炎の光を受けてぎらぎらと鈍く輝いていた。人間の皮膚は影も形も無く、指先は全てを刺し貫けそうな程鋭く尖っている。

 

「うわぁっ!?」

 

「それがお前だ。血にまみれ、近づく者を尽く傷つけるお前の手だ……」

 

「止めろ、やめろやめろぉっ!!」

 

少年の言葉を締め出そうと両目を思い切り瞑って、自分の物ではない両手で耳を塞ぐ。しかしそれでも頭に直接響いてくるかのように、少年の言葉は統夜にはっきりと伝わってきた。

 

「自分でも分かっているはずだ……その手で誰かを抱けば、傷つくだけだと。お前の傍にいる限り、彼らは常に危険に晒されているのと同義だ」

 

「俺だって……俺だってそんな事!!」

 

「分かっている、とでも言うつもりか。だったら何故お前はすぐさま彼らの傍から離れない?」

 

少年の言っている事は全て統夜自身が心の何処かで認めていた事でもあった。しかしそれは統夜が直視したくなかったものであり、ずっと目を背けていたかったものであり、揺るぎようがない真実だった。

 

「お前自身気づいているはずだ。お前が彼らの傍にいたいと望んだから、一夏は傷ついた」

 

「……めろ」

 

「お前の様な存在がその様な事を望めば、周囲の人間が危険に晒されるのは分かりきっていたはずなのに、お前はそれを望んだ」

 

「止めてくれ……」

 

「織斑 千冬にも言われただろう。お前は化物だ。簪や一夏とは違う、ただの化物だ」

 

「止めろおおおおっ!!」

 

 

 

 

 

 

「……はっ!!」

 

脂汗が額を流れ落ちるのを感じながら、統夜は荒い息を繰り返す。沈みつつある太陽が放つオレンジ色の光が、嫌に眩しく感じた。とにかく意識を覚醒させるため、何度も頭を左右に振る。

 

(ゆ、夢か……)

 

額の脂汗を右手で拭いながら、固い壁に体を預ける。どうやら簪が帰った後、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。部屋に備え付けられた時計に目を向けてみれば、短針は5の数字を指し示している。

 

「……最悪だな」

 

統夜には、今の自分を表す言葉はそれしか思いつかなかった。体調はボロボロ、精神状態も不安定、おまけに激しい自己嫌悪に襲われている最中ときた。これ以下の状況はついぞ御目にかかれないだろう。しかも先程の夢の内容を全く否定出来ないものなのだから、更に始末が悪い。

 

「ハハッ……化物、か」

 

自虐的に小さく笑う。今まで何度かそう呼ばれた事はあっても、知っている人間に真正面から言われるのは流石に堪えた。

 

「俺はもう……戦いたく、ない……」

 

見返りを求めて戦ってきたわけではない。感謝が欲しい訳でもない。しかし、人から恐れられてまで戦う理由が、統夜には見つけられなかった。ぼんやりと目の前の虚空を眺めていると、不意に目の前の空気が揺れた。

 

「……お前はもう、要らない」

 

幻の様に現れたそれに、統夜は言葉を投げかける。統夜を悲しげに見下ろすそれは、言葉を発さぬまま統夜の眼前に立ち尽くすだけだった。

 

「何でお前、俺の傍にいるんだよ……」

 

まるで駄々をこねる子供の様に両膝を抱えて蹲る統夜へと、それは手を伸ばした。しかし、統夜の鋭い拒絶の言葉でびくりと手が震える。

 

「触るな!!」

 

『……』

 

「……お前にはもう二度と……二度とならない」

 

撥ね付ける様に言い放つ統夜の言葉に従ったかの如く、それは夕陽に溶けていくように消滅した。統夜はよろよろと立ち上がると、窓の縁までゆっくりと歩いていく。

 

「もう、お前は……いらないんだ」

 

がらりと窓を開け放つと、首にかけられていたネックレスを思い切り引きちぎる。ネックレスを握りこんだ右手を大きく振りかぶったかと思うと、開け放たれた窓から海目掛けて全力で腕を振った。

 

「これで、いいんだ」

 

海へと落ちていく銀色の輝きを見つめながら統夜が一言漏らす。窓を閉めようと手をかけたその時、聞き慣れた音が耳を打った。

 

(……ISの、風切り音か?)

 

閉めかけていた窓を再び開けて、空を眺める。その瞬間、旅館から遠く離れた海岸から一斉に幾つもの色の塊が明後日の方向めがけて飛び去っていく。

 

「あれは……鈴達か」

 

見慣れたIS達が、夕焼けに向かって飛翔していく。一瞬だけ右手がぴくりと反応したが、統夜は心の中で自分を叱咤する。

 

(何考えてるんだ!行ったらまた、誰かが傷つくだけだろ!!)

 

両頬を全力で打ち鳴らす。パシン、と小気味いい音は部屋全体に響き渡った。窓の縁に手をかけて、ISが飛び去っていった方向を見つめる。

 

(皆なら……大丈夫だ)

 

曲がりなりにも彼女達は国の看板を背負っている国家代表候補生である。自分一人がいなくても十二分に戦えるだろうと自分の中で結論を出す。数分程夕陽に照らされながら海を眺めていた統夜は、深いため息と共に窓に手をかけた。

 

(……もう戻ろう)

 

再び部屋の中へと戻るべく、掴んだ手に力を入れる。しかし、その動作は響いてきた轟音によって中断された。

 

「な、何だ!?」

 

押し寄せてくる爆発音のオンパレードに、思わず顔をしかめる。何処かで空気が爆ぜる度に統夜の顔に風が押し寄せてくる。あたふたと窓から身を乗り出して旅館の周囲を見渡すと、ISが飛び出した辺りの海岸上空で火花が上がっていた。

 

「……あれは!!」

 

海の上で荒々しい舞踏会を開いていたのは、何度も見た空色のISと無骨な武士の様に大刀を構えたISと、幾つもの物言わぬ機兵達だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 ~戦の灯火~

『……成程ね、統夜君は完全に塞ぎ込んじゃったわけか』

 

「うん……」

 

歩き疲れた簪は白い泡と青い水が打ち寄せる砂浜で立ち止まる。柔らかなオレンジ色の陽光が顔を照らす中、簪は電話口の向こうにいる姉の言葉にこくりと頷いた。

 

「どうしよう、お姉ちゃん……私、分からない」

 

『……』

 

「私じゃダメなの……私じゃ、統夜を助けてあげられない……」

 

部屋の中で見た、統夜の諦め切ったあの表情が先程から一向に離れない。まるで自分に絶望しきったような統夜の顔は、簪にとってはそれほどまでに衝撃的な物だった。

 

「教えて、お姉ちゃん。私、どうすればいいの?」

 

すがりつくような声音で姉に助けを求める。自分より完璧な姉ならば、自分より立派な姉ならば、統夜を救う答えを持っているはずだと信じて。しかし帰ってきた言葉は酷く辛辣な物だった。

 

『……ねえ簪ちゃん。私を頼ってくれるのはとっても嬉しいけど、まだ勘違いしてるわよ?』

 

「勘、違い……?」

 

『そう。厳しい事を言う様だけれど、私と統夜君は友人に過ぎないの。まだ知り合って数ヶ月もしていないのに彼の悩みは愚か、救う方法なんて分かる訳ないでしょ?』

 

「……え?」

 

『私は簪ちゃんの好きなヒーローじゃないの。失敗だってするし、悩みもする。極々普通の学生なのよ』

 

まあ極々普通とは言わないかもしれないけどね、と付け足して姉は言葉を切った。簪は握り締めた携帯を取り落としそうになりながら、震えた声で言葉を紡ぐ。

 

「……じゃあ、どうすればいいの?」

 

統夜を助けたかった。何度も何度も助けてくれた統夜に恩を返したい、何度も力になってくれた統夜の力になってやりたい。その一心で途切れかけた救いの糸に手を伸ばす。簪は拒絶の意を示した姉に言葉を投げかけ続けた。

 

「どうやったら、統夜を……助けてあげられるの?」

 

『そうねぇ……そもそもスタートラインから少し間違ってるわよ?』

 

「どういう、事……?」

 

『私が思うに、今の統夜君を助けられる人なんてこの世にいないんじゃないかしら?』

 

「な、んで……?」

 

姉のストレートな物言いに簪は動揺を禁じ得なかった。もしも姉の言葉が正しいとするならば、今自分の大切な人を救う方法は存在しない事になってしまう。簪の思いは姉の言葉によって真正面から打ち砕かれてしまった。

 

『……統夜君が悩んでいるのは自分の体の事よ。私達は普通の人間であり、統夜君は普通の人間じゃない。この違いが分かる?』

 

その事は嫌と言うほど理解していた。初めて統夜のあの姿を見た時、自分は思わず彼に恐怖心を感じてしまった程だ。今でも怖いか、と聞かれれば正直言って恐ろしいと答えてしまうかもしれない。しかし、紫雲 統夜という人間がその答えを止めていた。今更言われるまでもないという意思と先を聞かせろという要求の、二重の意味を込めて返事を返す。

 

「そんな事……分かってる」

 

『確かに違いは分かっているかもしれないけど、それが意味する事は分かってないでしょ?』

 

「……どういう、事?」

 

『今の統夜君が悩んでいるのは自分の事について。体の事、ラインバレルの事、自分がIS学園に留まっていいのかと言う事……全ての悩みの大元は統夜君自身についてなの』

 

「……だから?」

 

『ここではっきりさせなきゃいけないのは、簪ちゃんが普通の人間だと言うことよ。そう、“統夜君とは違う”と言い換えてもいいわね。とにかく、簪ちゃんと統夜君は違うのよ』

 

「……だから、それが──」

 

『じゃあ簪ちゃん、統夜君の気持ちが分かる?』

 

「え……?」

 

簪は咄嗟に答える事が出来なかった。姉の質問の意味が分からなかったからではない、当たり前過ぎる質問に虚を疲れた訳でもない。簪は本当に答えを持ち合わせていなかったのだ。沈黙の中、姉が淡々と告げる。

 

『……つまり、そういう事。簪ちゃんじゃ、統夜君の気持ちは分からない。それなのに助けるなんて事、出来る訳ないのよ。そもそも統夜君が何で悩んでいるのかすら、理解出来ないのだから』

 

「で、でも…」

 

何とか反論しようと、在り来たりな言葉を使って会話を繋ごうとする。しかしその目論見は、次の瞬間簪の頭に泡の様に浮き上がってきた記憶によってかき消された。

 

『簡単に言わないでくれ!』

 

「っ!!」

 

統夜の秘密を初めて知った時、自分は少しでも彼の事を知ろうとした。どういう形であれ自分の事を助けてくれた恩人の事を理解したかったから。

 

『俺がどれだけ……どれだけこの体で悩んだか知りもしないで……そんな簡単に言わないでくれ……』

 

悲壮感溢れ出るあの言葉は彼の姿とも相まって、今でも鮮明に頭の中に残っている。いつまでも口を開かない簪とは対照的に、姉は幾分もせずに会話を再開する。

 

『心当たりが、あるの?』

 

「……うん。最初に統夜のあれを見た時、そう言われたから」

 

『そう……もう分かったかもしれないけど、簪ちゃんじゃ統夜君の気持ちは絶対に分からない。統夜君はずっと前から自分の事について悩んできた。一朝一夕の問題じゃないし、何より問題が大きすぎる。他の人が入る余地なんて無い位に』

 

「じゃあ……私はどうしたらいいの?」

 

統夜を助ける事は出来ない、それは理解出来た。だが簪は諦めたくなかった。統夜が悩んでいるのであれば、少しでも力になってやりたい。彼の置かれている状況は理解出来た、心境も納得出来た。それでも簪は思考を止めない。

 

『……統夜君の傍に居てあげなさいな』

 

「統夜の……傍に?」

 

『そう。助けにはならないかも知れない、意味はないかもしれない。それでも、統夜君の傍にいて支えてあげなさい』

 

「私が……支えてあげる……」

 

姉の言葉をオウム返しに繰り返す。頭の中で何度も反芻しながら、その単語の意味を考えた。

 

(……私も、統夜に支えてもらった)

 

姉が嫌いだった。そのせいでIS学園に入るのも億劫だった。姉を見返す為に、自分で自分のISを作るためだけに入学したと言っても、過言ではなかった。

 

(でも……統夜と出会った)

 

初めて同世代の男子と会話した。切欠こそ本音を交えたものだったが、一ヶ月もしないうちに二人でいる事が当たり前となっていた。

 

(私を……助けてくれた)

 

彼が身を挺して助けてくれた。自分の事について言われるのを、彼は嫌がった。それでも質問した。何故なら彼の事を純粋に知りたかったから。

 

(統夜が……ラインバレルだった)

 

白鬼の正体は彼だった。驚愕の事実を知ってなお、彼の見方は変わらなかった。その頃には、いつの間にか自分の中で彼の存在が膨れ上がっていた。

 

(何時も傍に……いてくれた)

 

姉の事で悩んでいた時、IS製作で手詰まりになっていた時、彼は何時も傍にいて自分を支えてくれていた。思い返せば、彼にはたくさんの物を貰った気がする。

 

『……決心はついた?』

 

姉の声で、現実に引き戻される。決意を新たにして夕陽を眺めながら、簪は深呼吸を繰り返した。

 

「力にならなくてもいい、助けにならなくてもいい。私は……統夜を支えてあげたい」

 

『……それじゃあ、行ってあげなさい。塞ぎ込んでる統夜君の所に』

 

「うん」

 

顔を上げて一歩を踏み出す。通話の切れた携帯電話をポケットに仕舞い込み、半ば駆け足の形で砂浜を歩き出した。

 

(……あれ?)

 

砂浜を歩いて数秒もしない内に、ふと視界に入った影に目線を奪われる。見慣れた小さい人影は、一目散にこちらへと駆けてきた。

 

「やっと見つけたわよ、簪」

 

「鈴……どうかした?」

 

その影は自分と同じ制服姿の鈴だった。疲れているのか、少しばかり息が上がっている。膝に手をついて呼吸を整えてから、鈴は口を開いた。

 

「アンタの事、探してたのよ。少し話したい事があって」

 

「何……?」

 

「単刀直入に言うわ。福音、私達で倒しに行かない?」

 

一瞬、鈴の言葉が理解出来なかった。それは余りにも突飛で、いきなりで、彼女らしかったから。納得はしても、理解が出来なかった。

 

「……どういう、事?」

 

「さっきラウラが、福音がこっちに迫ってくるって教えてくれたのよ。ほら、ラウラってドイツの軍人じゃない。その筋から情報が回ってきたみたい」

 

「……」

 

「それでさ、いてもたってもいられなくなって専用機持ち達に声をかけてるの。一緒に行かないかって」

 

答えたかった、一緒に行くと。言いたかった、力になると。しかし、今はもっと大切な事があった。そして、心の中で決めた返事をゆっくりと口にする。

 

「……ごめんなさい、私は……行けない」

 

「……」

 

「今は……もっと大切な事があるから」

 

鈴は無表情のまま、簪の答えを聞いていた。そのまま数秒程経っただろうか、いきなり鈴が簪との距離を詰める。そしてゆっくりと簪の肩に鈴の右手が乗せられた。思わず体を縮こませる簪に対して、鈴は穏やかに口を開く。

 

「じゃあ一つ頼みがあるんだけど、いい?」

 

「な、何……?」

 

「……皆の事、お願いね」

 

顔を上げて鈴を見ると、彼女は真っ直ぐに簪の両目を見つめていた。どこまでも本気の言葉に応えるかのように、ゆっくりと頷いてみせる。鈴は簪の肩から手を離すと、夕陽に向かって大きく伸びをした。

 

「まあ、サクッと行ってサクッと帰ってくるわ。千冬さんのお説教も怖いし」

 

「鈴……約束して」

 

「何?」

 

「絶対に……絶対に無事に帰ってきて」

 

「勿論よ。帰ってきたら一夏の馬鹿を思いっきりひっぱたいて、起こしてやるんだから」

 

「……」

 

「じゃあ、あとお願いね」

 

「うん、任された」

 

「……行ってくるわ」

 

そう言い残すと、鈴はもと来た道へと引き返していく。背中が見えなくなるまでそれを見送っていた簪だったが、自分のやるべきことを思い出す。

 

(私も……行かなきゃ)

 

その瞬間、何処かからパチパチと拍手が聞こえてきた。周囲を見渡しても、自分以外の誰もいない。

 

「いやぁ、聞かせてもらったぜ」

 

その声と共に、岩場の影から人が飛び出して来た。いきなりの登場に少しばかり警戒するも、簪は謎の人物に問いかける。

 

「……誰ですか?」

 

「アタシが誰かなんて関係無いだろ。日本の国家代表候補生、更識 簪ちゃん」

 

「っ!?」

 

素性と名前を言い当てられて一歩後ずさる。女性は臆面も無しに簪へとゆっくりと近づいた。

 

「自分の名前と身分を何で知ってるのかって顔してんな。一つ教えてやるよ。その気になれば調べられない事なんて、この世には無いんだぜ?」

 

その女性は、場違いな濃紺のサマースーツに身を包んでいた。くっきりした目鼻とふわりとしたロングヘアーが印象的な女性は語りながら砂浜に転がっていた岩に腰を落ち着ける。そして両足を組みながら蠱惑的な物言いで簪へと語りかけ続けた。

 

「と言ってもまあ、お前の事は普通に調べられたんだけどな。有名人の候補生さん」

 

「……誰、ですか?」

 

「ああ、気にすんな。ちょいとお話をしに来ただけだ。まあ、それだけじゃねえんだけどな」

 

「……」

 

「ある所に、一匹の鬼がいました」

 

黙っている簪を他所に、女性は一人で喋り始めた。正直目の前の女性からは危なげな印象しか感じ取れなかったが、蛇に睨まれたカエルの様に何故か足が動かなかった。

 

「その鬼はあるときはミサイルを撃墜し、あるときは頼まれてもいないのに人助けを行い、そしてあるときは自分の身を挺して人を守りました」

 

「それって……」

 

「さて、ここで問題です。一体その鬼は何がしたかったのでしょうか?」

 

今すぐ逃げ出したかった。女性背を向けて旅館へと駆け出したかった。しかし、自分に向けられる女性の射抜く様な視線が簪の動きを封じていた。

 

「純粋に人を助ける為?敵を欲しがっただけ?それとも、気まぐれ?鬼の目的は誰にも分かりません」

 

女性は歌うように口ずさむと、立ち上がって緩やかに簪へと近づいていく。女性の顔に貼り付けられたその純粋な笑顔は、見る者に恐怖しか与えないだろう。

 

「こ、来ないで……」

 

「さて、お話はここで終わりだ……出てこいよ。ブリュンヒルデ」

 

「え……?」

 

唐突な人名に面食らう簪の真正面で、上空に視線を這わせる女性。すると程なくして、空から一機の打鉄が砂浜に舞い降りた。

 

「やっと来てくれたな。こっちはいつ来てくれんのかとずっと待ってたんだぜ」

 

打鉄に乗っているのは、憤怒の形相をした千冬だった。千冬が乗っている打鉄はハリネズミの様に武装していた。右肩にミサイルランチャーを、左肩にはガトリングを、右手にはIS用ブレードを、左手にはIS用のアサルトライフルを構え、それらが発する殺意の矛先は全て女性に向けられている。

 

「一つだけ、質問に答えろ」

 

「おう、何だい?」

 

「貴様は……人間か?」

 

凍りつく空気の中で、簪がゆっくりと女性から離れていく。女性はかぶりを振りながら、億劫そうに質問に答えた。

 

「決まってんだろ、アタシは人間だ。あの白鬼のファクターなんかとは違う、正真正銘の人間だよ」

 

「少しばかり聞きたい事があるのでな。同行してもらうぞ」

 

「……おっと、見てみろよブリュンヒルデ。アンタ達が大好きな生徒達の出陣だぜ」

 

その言葉に釣られて、千冬と簪の視線が空へと向けられる。そこには飛行機雲の尾を引きながら空を飛ぶ、幾つもの影が浮かんでいた。

 

「今、福音が沖合からこっちに向かっているからな。大方それの迎撃に行ったんだろ。アンタの指示かい?」

 

「……いいや、違う。それにそんな指示も出すつもりも毛頭無い」

 

「じゃああいつら、自分の判断で行ったってことか。いいねぇ、若いってのは。行動力に溢れてて、考えた事に正直で……自分のミスを後から後悔する事になるとも知らずに」

 

途端、女性の雰囲気ががらりと変わる。体全体から野獣の様な空気を飛ばしつつ、素手で千冬と相対した。千冬は相手が生身にも関わらず、全ての銃口を下ろそうとはしない。

 

「帰って来る場所がズタボロに引き裂かれてたら、あいつらはどんな顔をするんだろうな?」

 

「ああ、帰ってきたら少しばかり説教でも食らわしてやる。だが、貴様がそんな妄想をする必要は無い」

 

「はぁ?」

 

「私の前に立ったからには無傷で帰れると思っているのか?」

 

「……流石はブリュンヒルデ、言う事が一々大きい。でも、この数相手なら少しは苦戦するんじゃないか?」

 

女性が空に右手を上げて、指を弾き鳴らす。すると千冬の顔つきが少しばかり変化すると共に、穏やかだった海に漣が生まれた。

 

「この反応は……」

 

「さて、機兵隊のお出ましだ」

 

漣が生まれた海面がどんどん盛り上がっていく。そして次の瞬間、幾つもの機動兵器が水柱と共に海中から舞い上がった。全部で四つの機動兵器群は飛び上がったあと地上へと降下して、女性の後ろに静かに控える。

 

「さあ、まとめて相手してくれよ。ブリュンヒルデ(世界最強)さん?」

 

「ふん、いいだろう」

 

女性の背後にいる迅雷達が一斉に抜刀する。腰に下げていた直刀を抜き放ち、今にも千冬に襲いかかりそうな挙動を見せた。そして戦闘が始まると思われたその瞬間、今まで黙っていた簪が動く。

 

「……私も、戦います」

 

「更識、お前は旅館に戻って生徒達の警護を頼む。あの馬鹿どもがいない以上、旅館に残っている戦力は数機の打鉄しかない」

 

「……すみません、織斑先生。それは聞けません」

 

右手を目の前に掲げながら、簪は静かに答える。その指に輝くのは水晶の指輪、それは彼と自分の努力の結晶。

 

「二人でやった方が早いですし……あれが皆に手を出すなら、私は戦います」

 

口調とは裏腹に、簪の胸中は緊張と恐怖で満たされていた。誰だって、命を賭けた死闘をするとなれば怯え、逃げ出したくもなるだろう。しかし、彼女には逃げてはならない理由があった。

 

(統夜を……守る)

 

簪を支配していたのは、その思いだけだった。何度も自分を助けてくれた統夜を、今度は自分が守る。千冬はいつもの無表情でいくらか考えた後、目の前の敵に視線を戻した。

 

「……すぐに片付けるぞ」

 

「はい!」

 

「……まあいいか。獲物が一つ増えただけだ」

 

そう言って、女性は懐から白い球体を取り出した。中心に小さな黒い円がついているそれは、一見して戦闘に使う物だとは考えられない。しかし女性はそれを、自分の胸に思い切り押し当てた。

 

「行くぜぇ!!」

 

叫び声と共に、白い球体から機械的な触手が数本伸びて、女性の体を覆っていく。そして触手が発光を始めると、女性の体が宙に浮いた。

 

「うおおおおっ!!」

 

女性の体が金属に覆われていく。触手はエネルギーパイプとなり、各所の装甲が生成され、繋ぎ合わさる事でひとつの鎧となっていく。端正な顔立ちは生成された仮面で隠され、一秒にも満たない刹那の瞬間に目の前の女性は戦う存在へと変貌していた。

 

『さあ、やろうか!!』

 

二人の目の前でイダテンが両手で長槍を構える。一つしかない瞳は獲物を前にして、獰猛に光り輝いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 ~因子~

大気が爆発して、灼けた空気が統夜の顔を撫でる。既に戦闘が開始して数分、両者は互角の戦いを続けていた。

 

「あれは、簪と……織斑先生か」

 

見覚えのある二機のISが、まとわりつく敵を払うかのように武器を振り回す。常人では追いきれないような高速戦闘も、統夜の目には止まっているかのように写っていた。

 

「また、俺のせいで……」

 

自分がいなければ彼女達が、戦いに巻き込まれる事はなかったかもしれない。そんな自責の念が自分を押しつぶしそうになる。ふと目を落としてみれば、窓の縁に乗せられた自分の右拳は、強く握り締められていた。

 

(……違う。こんな所で何やってんだよ、俺は)

 

無意識に握られたその拳は、ぶるぶると小刻みに震えていた。それは自分への怒りからか、彼女達を守れない不甲斐なさからなのかは統夜自身はっきりしない。しかし、今確かな事が一つだけあった。

 

(鈴達が戦ってて、織斑先生が戦ってて、簪が戦ってるのに……)

 

一瞬だけ頭の中に出てきた言葉を、無理やりねじ伏せる。駆け出しそうになる膝を両手で抑えて、統夜は唇を噛み締めた。

 

「……分からない」

 

その言葉は統夜の口から自然に出ていた。何度も重ねた思考の果てに出てきたのは、戸惑いだった。

 

(何だよ……何なんだよ。俺は……)

 

足から力が抜けて、畳へと崩れ落ちそうになる。壁に手をかけながら何とか立ち上がると、思わず声に出して叫んだ。

 

「誰か、教えてくれよ!俺はどうすれば……どうすればいいんだ!!」

 

その時、統夜の叫びと同じタイミングで彼方の空から爆発音が響き渡る。思わず顔を上げて窓から身を乗り出すと空をバックに綺麗な爆発が上がっていた。黒煙の中から落下していくISを見て、統夜は再び叫ぶ。

 

「簪っ!!」

 

彼女と一緒に作り上げたISが、炎を纏いながら砂浜へと落下していく。ほんの一瞬だけ頭の中を躊躇いが過ぎったが、統夜はすぐさま窓から地面へと降り立った。

 

(簪、簪、簪!!)

 

うわごとの様に、何度も彼女の名前を繰り返す。IS学園で過ごした二人の思い出が、走馬灯の様に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。常軌を逸した脚力で疾走を続ける統夜は、何度も何度も地面に躓きながら頭を巡らせる。

 

(俺が、俺が戦わなかったせいで……!)

 

そしてとうとう、弐式が落下した地表へとたどり着いた。落下した影響なのか、砂浜の一箇所だけ綺麗に砂が吹き飛び、そこから引きずられた様な跡が数メートル程続いている。その先にはいたのは所どころが焼け焦げている弐式と、痛みに顔をしかめている簪だった。

 

「簪っ!!」

 

急いで駆け寄った統夜は、彼女の体を抱き上げて呼びかける。同時にISが粒子となって飛び散り、統夜の腕の中にはISスーツを身にまとった簪だけが残された。統夜の言葉に反応したのか、簪が薄く目を開ける。

 

「う……と、統夜?」

 

「簪、簪!しっかりしろ!!」

 

「……あの時と、同じ」

 

「簪……?」

 

弱々しく伸ばされた簪の手が、統夜の頬に添えられる。簪の行動の意味が分からない統夜は、声をかけ続ける事しか出来なかった。

 

「初めて統夜がラインバレルになるのを見た、あの日……あの時もこうやって、統夜が私の傍に居てくれた」

 

統夜の頬が簪の手によって優しく撫でられる。ISの絶対防御のお陰なのか、いくつかの汚れや小さな傷はあるものの、そこまで大きな怪我は簪の体に無かった。波に揺られながら、簪は統夜の顔を見上げ続ける。

 

「いつの間にか当たり前になって、気づかなかっただけで……統夜はいつも、私を支えてくれてた」

 

「お、俺は……」

 

「だから……今度は私が統夜を支える」

 

体を持ち上げた簪の両手が、統夜の背中に回される。まるで抱き合う様な形のまま、二人は言葉を交わし続けた。

 

「どんな決断を下してもいい、どんな事を思ってもいい。でも……統夜が、統夜自身を嫌いにはならないで」

 

「俺が、俺自身を……」

 

「私はいつも、統夜の傍にいるから……統夜は一人ぼっちじゃ、無いから……」

 

「何で、何でなんだよ。何で簪は、そこまで……」

 

統夜の頬に、一筋の涙が零れおちた。地面に一滴、二滴と落ちていくそれは次々と波に攫われていく。しかし攫われるより早く統夜の頬から涙は流れ落ちて、砂浜に新たな痕を刻む。

 

「だって統夜は、私の……世界でたった一人の、英雄(ヒーロー)だから」

 

英雄(ヒーロー)……」

 

統夜が簪の言葉を反芻したその瞬間、統夜から光に包まれる。二人の間を埋めるように放たれる光は、丁度統夜の胸から溢れ出していた。

 

「……綺麗」

 

その光はまるで生きているかのように二人の周囲で踊る。光の一粒一粒が喜んでいるかのように勢い良く宙を舞うと、一斉に宙へと広がった。

 

「何だ、これ……?」

 

光は徐々に統夜の首から下を覆っていく。そして、生まれた全ての光は統夜の体を覆い尽くし終えると最後に一際輝いた。

 

「う、うわああああっ!!」

 

「統夜っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『もういっちょ!!』

 

「ふっ!!」

 

イダテンが突き出した長槍と千冬の突き出したブレードの切っ先が、二人の間で激突する。夕焼けの空と同じ色の火花が二人の間で散る中、千冬は左肩のガトリングの銃口をイダテンに向ける。

 

「ちいっ!!」

 

しかし、追撃は叶わなかった。横合いから伸びてきた別の長槍を、寸での所で回避した千冬は敵の集団に向かって、ミサイルとアサルトライフルによる一斉射撃を加える。空に赤い大輪の花を咲かせながら、戦場は硝煙の匂いに包まれた。千冬は広がった黒煙を利用して、敵との距離を取る。数秒生まれた空白の時間で、千冬は上がっていた息を整えた。

 

『これだけやっても落ちねえのか。やっぱつええな、ブリュンヒルデは』

 

「……そう思うなら一人でかかってこい。その方が楽しめるぞ?」

 

煙の中から聞こえてきた言葉に、皮肉を返す。爆炎が潮風に流されて見えてきたのは、装甲を黒く焦げ付かせた敵機達だった。既に戦闘が始まって十分程が経過したが、戦況は千冬側が圧倒的に不利だった。

 

『いやあ、そうはいかねえんだよ。一応今回はこいつらのテストも兼ねてるからよ』

 

そう言って、イダテンが自分の前で盾となっている機体をぽんぽんと叩く。誰も人が乗っていないその機体は、無機質な単眼で目の前の千冬を凝視している。

 

「一応褒めてやろう。まさか、無人兵器がここまで高度な戦闘を行えるとはな」

 

『紹介してやるよ、こいつらは“迅雷”ってんだ。ま、それ以外は教えられないけどな』

 

「成程な。その迅雷とやらが、貴様らの持ち駒か」

 

『これ以上は言えねえんだ。悪く思うなよ』

 

「どうでもいい。そこから先は貴様を締め上げて直接聞くとしよう」

 

千冬は左手のライフルを腰に下げて、右手に握っていたブレードを両手で持ち直す。その動きに呼応するかの様に、迅雷達が円形へと広がり、千冬を包囲した。

 

『さっき落ちた生徒が気になるだろ?後を追わせてやるよ』

 

「……気になるというのは否定しない。ただ、それは貴様を倒してからだ」

 

既に戦場は旅館から離れた海上に移っているため、砂浜に落下した簪の安否は分からない。その気になればISのセンサーを全開にすることで知る事は出来るかもしれないが、敵を目前にしてのその行動は千冬にとって致命的な隙となり得るだろう。

 

『さて、と。続きを始めてもいいかい?』

 

「いつでも構わん。かかってこい」

 

『そうかいそうかい。それはそうと一つ聞きたいんだがよ』

 

「一体何だ」

 

『アンタの大切な弟さん、放っておいていいのかい?』

 

「……誰が放っていると言った。それに貴様が心配する事ではない」

 

『まあ、確かにアタシが気にする事じゃねえな。ただ、今現在この場で一番強い戦力であるアンタがこの場にいるという事は、その弟君を守ってるのは必然的にアンタより弱いという事になる』

 

「それがどうかしたか?」

 

『いやぁ、別に?ただ、いくら守っていると言ってもその護衛がアンタより弱かったらどうなるかな、と思ってな』

 

その言葉で、千冬の顔が僅かに歪んだ。イダテンは長槍で肩を叩きながら、軽い口調で続ける。

 

『こんな所でもたもたしてていいのか?』

 

「……そうか。それならば早く片をつけるとしよう」

 

その言葉と共に、両肩の兵器達が唸りをあげる。ガチャガチャと音を立てて殺意をばらまく準備を終えると、千冬ははっきりと言い切った。

 

「貴様達を倒して、一夏を守りに向かう……さっさと落ちてもらおうか」

 

『やれるもんならやってみなっ!!』

 

イダテンと打鉄は一瞬で距離を詰め、再び戦いの火花を散らす。イダテンは長槍を自分の手足の様に振り回し、打鉄は無駄の無い動きでガトリングとミサイルを群がる敵に当てていく。互いがぶつかり合うたびに、装甲の破片が青い海に音を立てて落ちていく。

 

『おらっ!!』

 

「はあああっ!!」

 

両者の雄叫びが、雲ひとつ無い夕焼けの空に木霊する。爆発音と金属音のオーケストラと共に、二人の戦いは加速していく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 ~その力、誰がために~

「ここは……」

 

いつの間にか統夜は鉄で作られた部屋にいた。壁一面にはモニターが点滅し、並べられたパソコンはしきりに数字の羅列を映し出している。本来部屋を照らすはずの照明は全て破壊されているため全体的に薄暗く、何処か陰湿なイメージが満ち満ちている。

 

「ここは、あなたの心の出発点」

 

その声と共に、統夜の周囲が燃え上がった。出現した炎の壁は部屋と統夜を照らし出し、明るすぎる程の光を浴びせる。パソコンは焼け爛れ、モニターはひび割れ、四方八方から熱気が体全身に襲いかかってきた。

 

「うっ……」

 

胃の腑から込み上げてくる吐き気を何とか抑えながら嗚咽を漏らす。確かに声の言う通り、統夜はこの景色に見覚えがあった。だがこの風景は二度と見る事の無い物のはずである。いや、見られない物のはずだった。

 

「聞かせてもらいます。あなたの心の叫びを」

 

辺りに響く声の主を見つけようと、視線を周囲に這わせる。機械が焼ける嫌な臭いが鼻を突く中、その声の主は現れた。

 

「俺の、心……?」

 

炎の中から足音を立てて現れたのは、鎧武者だった。感情を気取られないためか、顔には能面の様な仮面を付けている。炎は鎧を照らし、仮面の奥の目が妖しく光っている。武者は腰に下げられている太刀を抜き放ち、片方を統夜に放った。

 

「取ってください」

 

まるで夢遊病者の様な緩慢な動きで、統夜は地面に転がった太刀を取り上げた。ずっしりと手にのしかかる鉄特有の重さが、これは幻影ではないと語りかけてくる。

 

「ハアアッ!!」

 

「なっ!?」

 

統夜の眼前に鈍色の光が迫り来る。統夜は横っ飛びでそれを交わして、素早く体を起こした。周囲の炎が放つ熱気に当てられながら、統夜は喚き散らす。

 

「な、何でいきなり斬りかかってくるんだよ!!」

 

「戦ってみろ、全てはそれからだ」

 

口調をがらりと変えた武者は再度統夜に斬りかかってくる。反射的に太刀を強く握り締めて応戦しようと試みるが、どうしても躊躇いが生まれてしまい、攻撃する事が出来なかった。

 

「くそっ!!」

 

太刀を握ったまま、統夜は武者の攻撃を回避し続ける。勿論全てを回避する事など叶わずに、時間の経過と共に顔や足、腕へと幾つも赤い筋が刻まれていく。何時もならば数秒も経てば消えていく傷も、何故かこの時ばかりは統夜の体に消えない痕として残っていた。業を煮やしたのか、唐突に武者が攻撃を止めて怒号を上げる。

 

「何故、戦わない!!」

 

「お、俺は……もう戦わない。戦いたくないんだ」

 

「……」

 

「俺が戦ったら、また誰かが傷つく。そんなのは、もう──」

 

「甘えるな!!」

 

怒声と共に、速すぎる一撃が統夜に襲いかかる。避けきれない、と悟った統夜は咄嗟に片手を添えて、太刀の腹の部分で武者の攻撃を防いだ。

 

「お前が戦わなければ誰も傷つかない。そんな事、誰が言った!?」

 

「ぐっ……」

 

「降りかかってくる災厄をお前のせいだと誰が言った、誰が決めた!!」

 

二本の太刀が鍔迫り合う事で、互いの間に火花が飛び散る。統夜は武者の斬撃を受け止めるのに精一杯で、自分の口を動かそうとしない。全神経を張り詰めて武者の攻撃を受けなければ死に直結する、そう思わせる程の殺気が目の前で放たれていた。

 

「お前が戦わなくても誰かが傷つく、それはつい先程目の前で嫌というほど実感したはずだ!!」

 

「……分かってる」

 

「何がだ!目の前の事態を見ても何も決めず、何もせず!何がわかっていると言うのだ!!」

 

「分かってるんだよ……そんな事はさぁ!!!」

 

普段の彼からは考えられない、野獣の様な雄叫びを上げて眼前の武者を睨みつける。その双眸は赤く光り輝き、同時に太刀を支えている両腕に人外の力が宿る。

 

「何度も何度も!言われなくったって分かってるんだよ、そんな事!!」

 

腕力に物を言わせて、武者の太刀を一瞬だけ弾き返して隙を作る。体勢を崩したその瞬間、統夜は両膝をバネの様に使って飛び上がり体当たりを繰り出した。

 

「ぐっ!?」

 

もんどりうって武者が地面を転がる。荒い息を繰り返しながら、統夜は太刀の切っ先を下げて、叫び続けた。

 

「だったらどうしろってんだよ、戦えってのか!化物だって罵られて、友達にも怖がられて!!」

 

統夜の口調は、まるで泣いている赤子の様だった。心の中だけで叫んでいた本当の気持ちを、口に出して目の前の武者にぶつけ続ける。太刀を杖代わりにして立ち上がった武者は先程とは打って変わって、統夜の言葉に耳を傾けていた。

 

「ああ楽だろうさ。一夏達に全部話して、全部ぶちまけられたらな!でも怖いんだ、どうしようもなく!!」

 

「……」

 

「簪と楯無さんは受け入れてくれたけど、二人が少数派だってのは分かってる。多くの人は、篠ノ之さんみたいに思ってるに決まってる!!」

 

あの時聞いてしまった、嘘偽りの無い箒の言葉。初めて戦ったあの日、艦船や戦闘機に乗った軍人たちが自分に向けた怯えた目。つい先程千冬に言われた、自分を表す決定的な一言。その全てが、刺となって統夜の心を突き刺していた。

 

「アンタに何が分かるって言うんだ!!あの時、初めてラインバレルになったあの日からずっと悩んでいた俺の気持ちなんて絶対に、誰にも分からない!!」

 

早鐘を打ち続ける心臓を止める様に、右手で胸を掻き毟る。微動だにせず立ち尽くしたまま統夜の言葉を聞いていた武者は、大きく息を吐くと正眼に刃を構えた。

 

「……確かに、私はお前ではない。その意味では、私はお前の気持ちは一生分からない。だが、私はお前をずっと見てきた」

 

「俺を……見てきた?」

 

「ハッ!!」

 

太刀を振りかざして、武者が統夜めがけて吶喊する。今度こそ真正面から受け止めた統夜は、覗き込むようにして仮面の奥の瞳を見る。その瞳は自分と同じく、紅色に輝いていた。しかも、その形には見覚えがあった。だがしかし、それはこの世で自分一人しか持ち得ないものであり、存在するはずの無いものだった。

 

「アンタ、その目……」

 

「……私はこの目でお前を見続けてきた。手足で、耳で、私の全てでお前を感じてきた。あの日、あの場所から……決して抜け出せない茨の道を歩むとお前が決めた、あの瞬間からずっと感じていた。」

 

「っ!!」

 

その言葉の羅列は統夜にとって衝撃的な物だった。その言葉は自分を含めた三人しか知りえないはずである。先程から、自分しか知らない事を淡々と述べる目の前の武者に対し、統夜は驚きを隠せなかった。同時に、目の前の人物が何者なのか。その問の答えが朧げながら、頭の中に浮かび上がってくる。

 

「だから私は理解出来なくとも知っている。共有してきた時の中でお前がどのように悩み、苦しみ、決断してきたかを。そして私は断言する、その全てはお前が戦ってはならないという理由にはならない!」

 

「がっ!!」

 

統夜の太刀を避けるように打ち込んだ武者の蹴撃が、綺麗に決まる。一瞬だけ体が地面から浮き上がった隙を突いて、武者の重い斬撃が統夜を部屋の隅まで弾き飛ばした。

 

「何より私は知っている。お前は目の前で傷つく彼らを見て、黙っているような真似は出来ない」

 

「……ああ、そうだよ」

 

一夏が、楯無が、簪が傷つくのを目の当たりにしたあの時、統夜は半ば無意識の内に走り出していた。その行動の結果、彼らは無事ですんでいる。もしかしたら統夜が動かなくても彼らは無事でいたかもしれない。だが、彼らが無事に済んだのは少なからず統夜が自分の意思で動いたからでもあった。

 

「その思いを、意思を隠す必要はどこにもない。彼らに自分の事をひた隠しにしたいと願うその心も、大切なお前の一部分。しかし、それ以上にお前は彼らを救いたいと願っていた」

 

「俺が願った事……」

 

「ふっ!!」

 

独白を終えて、再び武者が太刀を振り回す。先程より勢いを増した斬撃は銀色の剣筋となり、統夜の太刀と交差する。

 

「その程度かっ!!」

 

武者の鋭い一太刀が、統夜に襲いかかる。統夜は柄を両手で握り締め、真っ向からその剣を受け止めた。烈火の用に激しい斬撃を受け止めながら、統夜はひたすら耐え続けた。

 

「くうっ……」

 

「心に決めた物は何だ!私を初めて使ったあの時の決意は偽物か!!」

 

怒号が周囲に響き渡るたびに、容赦の無い太刀筋が統夜に降りかかる。その全てをギリギリで防いでいる統夜の身に、感情の乗った言葉が染みていく。

 

「何故お前はこの場所で、私を使った!!」

 

武者の一言で、周りの景色が変わった。燃え盛る炎は一瞬で掻き消え、地面は冷たい金属から確かな感触が帰って来る土に変化する。見上げれば青い空が広がり、周囲に広がる無人の観客席が二人を見下ろしていた。

 

「IS、学園……」

 

「お前は自分の事も顧みず、彼女らを助けた!何故だ!!」

 

覇気を放ちながら迫り来る武者の言葉で統夜は正面に向きなおる。大上段に振りかぶられた太刀は、一直線に統夜の頭めがけて振り下ろされた。統夜は太刀を握る両手に更なる力を込めて、真っ向からぶつかりに行く。

 

「思い出せ!余計な感情は要らない。あなたが思ったそれこそ秘められた真実、本当の願い!!」

 

「俺の……願い……」

 

互いの刃が擦れ合い、両者の間に火花が飛び散る。白色の火花に照らされる能面は、怒っているようにも、何処か悲しんでいる様にも見えた。だが本来ならばそれを隠す為の仮面が意味を成さない程、武者の言葉の端々には感情が乗っていた。

 

「もう一度言おう!!私はお前を一番近くで見てきた。力が無い自分を責める無念、力を宿す自分を恐れる苦悩、初めて秘密を明かした決意。それらはあなたの大切な糧であり、嘘偽りではない!!」

 

「俺が、感じてきた思い……」

 

「全てを受け止め、刃に乗せろ!」

 

武者の咆哮と共に、再び風景が変わる。いつの間にか遠くの空で夕陽が輝く、どこまでも続く砂浜の上に二人は立っていた。打ち寄せる波の音と砂を踏みしめる音、そして火花が散る金物の音が二人を包み込む。

 

「見せてみろ!」

 

「ぐはっ!!」

 

腹に蹴りを入れられて、バシャバシャと水を打ちながら波打ち際を転がる。湿った砂浜に片手を突きながら、統夜は再び立ち上がった。視線の先では、武者が太刀を正眼に構えている。

 

「ここで私に見せてみろ!思いを……覚悟を!!」

 

「俺の、気持ちは……」

 

両手で太刀を握って思い起こす。そう言えばこうして武器を手にとっているとき、胸の中には誰かを守りたいという思いが確かにあった。言葉と共に何人もの顔が、統夜の脳裏に溢れ出す。

 

(姉さん……)

 

自分を守ってくれた最愛の姉。苦しかっただろうに、両親を失った自分を引き取って女手一つで育ててくれた。紆余曲折があったにせよ、あのとき力に手を伸ばした事は何一つ後悔していない。

 

(一夏……)

 

高校で初めて出来た友人。普段はぼけた事も言うし、女方面は鈍いにも程がある。だが、右も左も分からなかった入学当初、初めて声をかけてくれた大切な友人だ。彼を守ろうと思ったのは、純粋な自分の気持ちだ。

 

(簪……)

 

初めて自分の正体を明かした女性。姉にも秘密にしていた体の事を明かしても、彼女は全く対応を変えなかった。そんな彼女の時折見せる笑顔に、何度助けられたか分からない。

 

(俺は……)

 

「……決意は固まった様だな」

 

はっと顔を上げると、太刀を構えなおす武者がこちらを見つめていた。どうやらご丁寧に待っていてくれたらしい。統夜も再び太刀を握る手に力を込める。

 

「ああ……それと、アンタの正体もなんとなく分かった気がするよ」

 

「……全てはこの一瞬の為に!」

 

武者が水面を荒立たせながら、統夜に斬りかかってくる。対する統夜も、波を蹴散らしながら、武者めがけて一直線に突っ込んでいった。互いの影が夕闇に溶け、人の形を失っていく。

 

「オオオオオオッ!!」

 

「アアアアアアッ!!」

 

獣の如き咆哮が、夕暮れの砂浜に木霊する。そして閃光と化した二人が交差する。統夜は勢いを殺しきれぬまま、おぼつかない足取りで数歩足を進めた。

 

「これが……あなたの覚悟か」

 

余りの声の近さに統夜が後ろを振り向くと、武者が虚ろな瞳で統夜を見下ろしていた。慌てて太刀を構えなおすが、ふと疑問に思う。

 

「アンタ……武器は?」

 

「あちらに」

 

武者が指差す先には、刀身が真っ二つになった太刀が砂浜に突き刺さっていた。自分のやった事に驚いているのか統夜が茫然とする中、武者はおもむろに膝をついた。

 

「……その決意、しかと見させてもらいました」

 

「俺の、決意……?」

 

「その通り。言の葉だけではありません。心の中に根付いている強い意思、強い思い。その全てを」

 

「……」

 

「試す様な行動、誠に申し訳ありませんでした」

 

「俺は……あんたに認めてもらえたのか?」

 

「はい」

 

「そっか」

 

脱力した手から、音を立てて太刀が滑り落ちる。膝に込めていた力も抜けて、統夜は波打ち際に大の字に倒れ込んだ。

 

「申し訳ありませんが、現世の方が……」

 

「……外はどうなってる?」

 

「依然、織斑様が交戦を続けています」

 

「分かった」

 

統夜は立ち上がる。波打ち際で、一人の武者と、一人の少年が静かに向かい合っていた。

 

「一つ聞いていいか?」

 

「何なりと」

 

「俺は……どこまで行ける?」

 

「……主の望むままに」

 

その言葉と共に、武者の体が発光を始めた。統夜は武者から視線を外して、静かに夕日を見つめる。幻想であるにも関わらずその光は、何処か暖かかった。

 

「俺さ、本当に意気地なしで半端者なんだよ」

 

「……」

 

「簪のヒーローになるなんて豪語しちゃってさ。いざって時はこの有様だろ?自分が嫌になるよ」

 

『……』

 

「でも、そんな俺を簪は肯定してくれた。傍にいるって、一人じゃないって言ってくれた」

 

武者からの返答は全く無かった。統夜は只淡々と、自分の気持ちを夕日にぶつける。思えば初めて力を手にしたあの日あの瞬間、この時が来るのを目の前の存在はずっと待っていたのかもしれない。

 

「こんな俺でもさ……なれるかな?簪を守る、ヒーローってやつに」

 

『……私がその力となりましょう』

 

そこで初めて統夜は顔を横に向けた。そこには人などはいない。あるのは、ただ一振りの刀だけだった。統夜の脳裏に響くように、再び声が流れる。

 

『私が貴方の力となります。世界中全てが敵に回ったとしても、私は貴方の剣であり、盾であり、生涯を全うする最後の瞬間まで、貴方の力となりましょう』

 

「……」

 

その言葉はどこまでも力強かった。抑えきれない喜びが言葉の端々に滲んでいる。

 

『私の存在は貴方の為に。私の力は貴方の為に。道を突き進み、果てるその時まで私は貴方の御側にいます』

 

「……」

 

『どうぞ、御命令を』

 

統夜はゆっくりと刀に手を伸ばした。夕陽を受けて柔らかな光を放ち続けているその刀は、確かな感触を統夜の掌に伝えてくる。掌に受ける感触を実感しながら、持った刀を緩やかに目の前へと構えた。

 

「……俺は、自分の気持ちさえ満足に決められない臆病者だ。そんな俺に、お前を使う資格なんて無いのかもしれない」

 

『……』

 

「だからさ、俺に命令なんて出来ないんだ。出来るのは、ただ願う事だけなんだよ」

 

言葉を切った統夜は刀の切っ先を空に掲げた。古めかしくも無骨な刀は、夕陽を浴びて燦然と煌く。

 

「頼む。俺と一緒に、皆を守ってくれ」

 

『……御意』

 

短い返事と共に、刀が内側から輝き始めた。その光は夕日より美しく、鋼より強く、大気より優しく統夜を包み込んででいく。そして視界が全て白一色に染まった時、統夜は確かに声を聞いた。

 

『我は紫雲 統夜に仕えし鬼。我が名は──』

 

それは今まで何度も自分がそう呼び、何度も自分を助けてくれた力の名前だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 ~並び立つ白~

遠くの空で響く爆音が、生徒達を乗せたバスの窓ガラスを揺らす。旅館から少し離れた駐車場では、数台のバスと一台の救急車が止まっていた。

 

「生徒達は全員乗りましたか!?」

 

「織斑君と、紫雲君、更識さん。それに迎撃に出ている代表候補生達がまだ乗ってません!」

 

張り詰めた声が駐車場に届く。教師陣が右往左往する中には、打鉄を装備した真耶の姿もあった。それ以外にも数人、今回のテストで使用するはずだった武装を装備した打鉄を身に纏った教師がいる。

 

「……仕方ありません。私がここに残って織斑君を探します。他の先生方はバスと一緒に避難して下さい」

 

「一人で大丈夫なんですか!?」

 

「大丈夫です。これでも元日本代表候補生なので」

 

「山田先生!織斑君が来ました!!」

 

後ろを振り向くと、数人の教師に護衛されながらストレッチャーがこちらに駆けてくる。真耶は打鉄のセンサーに全神経を集中させた。

 

(機体の反応は……ありませんね)

 

いくらこちらがIS数機で守っていると言っても、敵がこちらに攻めてこない理由にはならない。現に前の戦闘では、打鉄では正体不明の敵機に手も足も出なかった。センサーをフル稼働させながら、真耶は鋼鉄に包まれた手を動かして身振りで指示を下す。

 

「織斑君を車に乗せ次第、先生方は急いでこの場を離れてください。私か織斑先生の連絡があるまで決して──」

 

気を抜いていたつもりは無かった。センサーからも目を離しはしなかった。にも関わらず、それは唐突に現れて、場をかき乱した。

 

「きゃあっ!!」

 

一夏を乗せたストレッチャーの周囲にいた教師四人が、何かに弾かれたかの様に吹き飛ばされる。次の瞬間、教師達の代わりに一夏の脇に立っていたのは人間だった。

 

「……」

 

それはISでも、先日襲ってきた正体不明の敵機でも無かった。首から下の皮膚が灰色に近い黒色の布で隙間なく保護され、首を覆う様に鋼の輪が取り付いている。顎と耳、頭頂部の三箇所を繋ぐように鋼鉄が装着され、目の部分は一枚の黒いガラスを熱して曲げたかの様な簡素なサングラスで隠されている。背丈は大人と言えるほど大きくなく、丁度真耶が受け持っている学生達の様な背格好だった。

 

「な、敵!?」

 

「バスを出してください!!」

 

背後に向けて言葉を飛ばしながら、打鉄のスラスターを点火する。地に着いていた足が浮き上がり、目の前の敵に全神経を集中させる。装備している武装の中から、自分の身長程の長さのブレードを選択して手元に呼び出した。

 

「離れなさいっ!!」

 

高圧的な物言いで、敵に接近する。人間の目では追うことすら難しい程の速度に一瞬で到達し、尾を引きながら加速を続けた勢いのまま目の前の少年にブレードを振り下ろした。

 

「……」

 

敵は、躱そうとも、逃げようともしなかった。ただ、向かってくる真耶に向かって右手を持ち上げる。そのたった一つの簡素な動作で、真耶の動きを止める事に成功していた。

 

「う、くっ……」

 

「……」

 

思えば、遠距離から射撃で蹴りをつけるべきだった。いくら目の前の敵が人間の姿形をしていようとも、その中身が自分と同じとは限らないのだから。敵の掌とブレードの刃が触れ合った結果、ISごと真耶の動きが止まる。目の前のブレードを動かそうと打鉄の両手に力を込める。だが、敵の片手に掴まれているブレードはウンともスンとも言ってはくれない。

 

「な、何でっ!?」

 

「……ふんっ!」

 

「っ!!」

 

ブレードから手を離したのは直感だった。ISを装備している自分と傍から見たら生身にしか見えない目の前の敵、本来ならばどちらが強いかは言うまでもない。しかし、極大の恐怖を感じ取った真耶は掴まれたブレードを放棄して、全力でスラスターを吹かして後ろに飛び退った。

 

「……中々いい反応だな」

 

ぽつりと目の前の敵が言葉を発する。それは少年とも、青年ともとれる男の声だった。真耶は目の前で刀身が握りつぶされたブレードを驚愕の視線で見つめながら、返事の代わりに質問を飛ばす。

 

「あなたは……誰なんですか?」

 

「その問いに答えはいらない。お前と俺の間にあるのは敵、その関係だけだ」

 

少年が踵を返して真耶に背中を向ける。その目的を悟った真耶は、反射的に銃を展開して狙いを少年に定めていた。

 

「動かないでください!!」

 

「……撃てるのか?お前が撃てば、こいつにも当たるぞ」

 

そう言って、少年はストレッチャーの上で寝ている一夏を示す。確かに、IS用の大口径の銃弾ならば、人の体など容易く粉砕して後ろにいる一夏に届いてしまう。真耶は唇を噛み締めながら、再度警告を発した。

 

「動かないでください」

 

「……無意味だな。逆に、お前達の動きを止めるとしよう」

 

気だるげに少年は片腕を上げる。何も握られていないその手は、虚空を掴むばかり。しかし少年の手の周囲がぼやけていき、光の粒子が収束していく。その光は丁度、ISの量子展開のものに酷似している。そして数秒後その手に握られている物を見た瞬間、真耶の顔は青色に染まった。

 

「お前はこいつの命とその他大勢の命、天秤にかけたらどちらを選ぶ?」

 

少年の手に握られた銃の矛先は、一直線に生徒達が乗っているバスに向けられている。バスの周囲を警護している数機のISも、少年の言葉で動けなくなってしまった。

 

「……どちらも選びません」

 

「中々興味深い言葉だ。ならば代わりに何を差し出す?」

 

「何も差し出しません……貴方を倒します!!」

 

三度、打鉄のスラスターを全力で吹かす。一秒、先程とは別のブレードを右手に展開する。二秒、ゼロだった速度がトップスピードに乗る。三秒、少年の首元に殺意を纏ったブレードが迫る。

 

「つまらないな」

 

ため息をついた少年は、銃を持ったまま右手を真耶に向かって振るう。銃床がブレードを打ち付け、刃が少年の顔を掠める。鼻が触れ合う距離にまで詰まった二人は、刹那の瞬間見つめ合った。

 

「ふっ!!」

 

「あぐっ!!」

 

少年の膝が、真耶の腹部に突き刺さる。純粋な衝撃はISの絶対防御を以てしても防ぎきれる物ではなかった。人間のそれとはかけ離れた脚力で繰り出された一撃は、真耶を大きく吹き飛ばす。地面に突っ伏しながら顔を上げた真耶は、遠くから自分を見下ろす黒衣の少年に問いかけた。

 

「あ、あなたは人間なんですか……?」

 

「……人間の線引きによる。さて、これで邪魔はいなくなったな」

 

少年は真耶から視線を外して、遠くの教師達を一瞥する。真耶が吹き飛ばされたのをみて飛びかかろうと身構えた教師達だったが、少年の手の中にある銃を見て逡巡してしまう。

 

「後は、こいつを……」

 

「や、やめなさい!!」

 

真耶の叫び声で一夏へと伸びていた少年の腕が、一瞬だけ動きを止める。ストレッチャーの上で寝ている一夏は身じろぎ一つせず、自分を守る術を何一つ持たない状態だった。真耶は何とか立ち上がろうとするも思った以上にダメージが大きいのか、体が全く言う事を聞いてくれない。

 

「織斑 一夏。お前を……」

 

緩やかに少年の片手が一夏の首に伸びていく。教師も、バスから見つめるクラスメイトも、真耶でさえも最悪の事態が脳裏に走った。

 

「っ!!」

 

しかし刹那の瞬間、少年は伸ばしていた手を素早く引っ込めて後ろに飛びすさる。そして先程まで少年が立っていた場所に上空から白い塊が落下してきた。

 

「……何故、貴様がこのタイミングで出てくる」

 

『答える必要が、あるのか?』

 

落ちてきたのは、白い鬼だった。その両手にはそれぞれ鈍色に輝く太刀を構え、眠っている一夏を守護する様に少年の前に立ち塞がっている。短い返事を返したラインバレルは地面に太刀を突き刺して空手になると、目の前の少年に飛びかかった。

 

「ふっ!」

 

『な……に?』

 

少年に飛び掛ったラインバレルから驚愕の声が漏れる。目の前の存在を抑えようと突き出された両手は、少年の両手に押さえつけられた。組み合った双腕は、ギリギリと進退を繰り返すばかりでどちらに軍杯があがる訳でもなく、完全に力比べの状態へと移行している。

 

「ラ、ラインバレル!その人は普通ではありません!!気をつけてください!!」

 

『だったら……!!』

 

ラインバレルの背中側に装着されたテールスタビライザーが音を立てて展開される。出力の上昇を示す様に徐々に大きくなっていく駆動音を響かせながら、ラインバレルは少年を空へと持ち上げた。

 

「ちっ!」

 

少年の口から、初めて狼狽の音が漏れる。ラインバレルの頭上に掲げられる形で持ち上げられた少年は、追撃が来る前に無理やり掴まれた手を振りほどいた。そのまま重力の助けを借りて威力を増した拳を、角を叩き折る勢いで振り下ろす。

 

『甘いっ!!』

 

テールスタビライザーが音を立てると、体勢を変えずにラインバレルの体がそのまま後ろに動く。振り下ろす対象を失った少年の拳は、そのまま地面へと突き下ろされた。音を立ててひび割れる地面に目をくれる事なく、ラインバレルは五指を纏めて槍のように尖らせた貫手を少年の肩口めがけて繰り出す。

 

「はっ!!」

 

少年は貫手の側面を叩いて進路を無理やり変えると同時に、地面を蹴って距離を取る。アスファルトの地面に突き刺さった手を抜きながら、ラインバレルは赤い瞳で少年をまじまじと見つめた。

 

『……何者だ?』

 

「お前の言葉をそのまま返そう……答える必要が、あるのか?」

 

『……』

 

「お前相手に生身というのも辛いのでな、使わせてもらうぞ」

 

少年は首元の輪に手を添えて、幾つかの操作を繰り返す。数秒後、少年の周囲が光るのを見たラインバレルは直感的に太刀を手元に呼び戻して突撃していた。

 

『ウオオオオッ!!』

 

二本の太刀は寸分違わず少年の両肩へと振り下ろされる。だが、その太刀は目的を果たし終える前に動きを止められた。

 

『……ハアアッ!!』

 

先程まで少年だった存在が、咆哮を上げる。鋼の鎧を身に纏い、顔面に唯一浮かぶ単眼を光らせながらイダテンは太刀を掴んだ両手に力を込めた。

 

『チッ!』

 

太刀を砕いたイダテンはそのまま回し蹴りをラインバレルに目掛けて放つ。今度はラインバレルが後ろに飛び退る番だった。敵と距離を取ったラインバレルが背後に手をやりかけて、その動きを止める。

 

『……使わないのか。それを使えば、俺をいとも容易く倒せるだろう。それとも、相手が人だから逡巡でもしているのか?』

 

『……』

 

『ならばこう言おう。お前がそれを使わなければ、俺はこいつらを殺す』

 

腰にマウントされていた二丁の銃器を片手に握り締め、それぞれの銃口をバスと地面に転がっている真耶に向けるイダテン。掴むものを見失っているラインバレルの手が僅かに揺れた。

 

『こうすれば迷いは消えるはずだ。貴様が本気で戦うか、それとも目の前のこいつらを見捨てるか。取る方は決まっているだろう?』

 

『……』

 

『戦え。所詮、俺たちの様な存在が歩む道はそれしかない』

 

『……それは間違っている』

 

『何……?』

 

ラインバレルに反論されて、イダテンの声が初めて揺れる。その言葉を理解出来ないのか、首をかしげるイダテンに対して、ラインバレルは腰から手を外して徒手空拳のまま、地面を踏みしめた。

 

『確かに俺たちは戦う事しか出来ない。この力は、それ以外に使うことは出来ないだろう。だが、俺とお前では戦いという行動は同じでも、その目的が違う』

 

『目的、だと?』

 

『そうだ。俺は誰かを傷つける為に戦う訳じゃない。大切な……俺の思いに従って戦う』

 

空を掴んでいたラインバレルの手に、背後から飛び出てきた武具が握られる。胴体が開いて現出する緑色の刀身は、光を放ってラインバレルの横顔を照らした。

 

『これ以上、貴様らに誰も傷つけさせない。俺が守ってみせる』

 

『……詭弁だな。だったらこうしよう、俺は貴様が攻撃したら撃つ。動いても撃つ。俺に倒されるその瞬間まで、身じろぎ一つ許さない』

 

『……ああ、構わない』

 

『……ふん』

 

鼻を鳴らした迅雷は両手の銃をラインバレルに向ける。握りしめている武器、エクゼキューターを展開したまま、ラインバレルはイダテンの言葉通り身じろぎ一つしなかった。

 

『一ついい事を教えてやる』

 

『何だ?』

 

『今ここで、お前を止めるのは俺じゃない』

 

『なら、聞かせてもらおう。今ここでお前以外に、誰が俺を止められると言うのだ?』

 

イダテンが大仰な手振りで周囲を指し示す。地面を転がっている真耶、武器を構える事も出来ずに遠巻きに戦闘を見つめるだけの教師陣、バスの中で戦々恐々としながら怯える生徒達。そんな状況の中唯一武器を構えているラインバレルは、自信たっぷりの口調で返した。

 

『決まってる……もう一人いるんだよ。お前を許せない奴が』

 

『何だと──っ!?』

 

ラインバレルに向けてイダテンが一歩を踏み出したその瞬間、その背後に極大の光が灯る。本能的に危機を感じ取ったイダテンは、後ろも見ずに体を出来うる限り捻った。そして一瞬の間に、イダテンの半身が白い閃光に包まれる。

 

『ぐああああっ!!』

 

純粋な熱量を伴ったその砲撃はイダテンの半身を焼き尽くす。純粋が故に防ぐ方法も存在しない至近距離から放たれたその砲撃は、主の帰還を祝福する砲火だった。空に放たれた砲撃を見た瞬間ラインバレルが突撃して、半身の焼け焦げたイダテンの懐に入る。少し前まで右手に握られていたエクゼキューターは既に収納され、その代わりにあったのは虹色の光球だった。

 

『……ちっ』

 

『吹き飛べえええっ!!!』

 

光球をイダテンの体に押し込むように右手を密着させる。同時にラインバレルの右手が輝きを増し敵の体の内部から光が溢れ出したかと思うと、まるで幻のようにイダテンの姿が掻き消えた。

 

「……え、え?」

 

状況が全く把握出来ない真耶は寝転がったまま、呆けた声を上げる事しか出来なかった。つい先程まで目の前で戦闘が行われていたなどとは信じ難い程場は静寂に包まれ、地面に刻まれた傷痕が無ければ、先程の全ては本当に幻だったのではないかと疑ってしまうほど周囲は静かだった。そんな中、ラインバレルは忘れ去られたようにぽつんと放り出されたストレッチャーに一歩ずつ近づいていく。

 

『……感謝する。おかげで奴に隙が出来た』

 

「気にすんなよ。今まで何度も助けてもらったんだ。こっちこそ感謝してるぜ」

 

つい先程までストレッチャーの上に寝ていた彼の姿はそこにはない。片手に巨大な砲身を抱え屈託のない笑顔を浮かべながら、ラインバレルに感謝の言葉をかけ続ける。

 

「ありがとな、ラインバレル」

 

「……お、おおお織斑君!?だ、大丈夫なんですか!?」

 

ISを解いた真耶が駆け足で一夏に駆け寄る。ダメージの影響か、足をもつれさせて目の前で転んでしまったが一夏がその大きな手で受け止めた。

 

「先生、大丈夫ですか?」

 

「そ、それはこっちの台詞です!け、怪我の具合は……」

 

装甲に包まれていない部分に触れて、一夏の怪我の度合いを確認していく。不思議なことにISスーツに包まれた一夏の体は、どこも負傷していなかった。確認を終えた真耶が一夏から離れると、ラインバレルの電子音声が響き渡る。

 

『問題無いなら行くぞ。まだ敵は残っている』

 

「さっきの敵はどこいったんだ?まさか戻ってくるなんて事ないよな?」

 

『限界ギリギリの距離まで飛ばした。お前が与えたダメージも相当な物だから、戻ってくる事はないだろう』

 

「そっか、なら一安心だ」

 

『お前は仲間の所へ行け。俺は織斑 千冬の援護に向かう』

 

「ああ、分かった」

 

妙にあっさりとラインバレルの言に従う一夏。その対応を不思議に思ったのか、飛び立とうとしていたラインバレルが一夏の方に振り返った。

 

『……何故だ?』

 

「ん、何がだ?」

 

『何故お前はそこまで信用出来る?正体も明かしていない俺の事を、どうして信用出来る?』

 

「そんなの決まってんだろ。アンタは二度も俺たちを助けてくれた。だから感謝もしてる、信用もしてる。何より俺が思うんだ、アンタはいい人だって」

 

『いい人、か……』

 

一夏の言葉をオウム返しに繰り返す。ラインバレルの隣に立つと、一夏もスラスターを点火させて、白い翼を掲げた。

 

「さあ、行こうぜ。あいつらが待ってる」

 

『ああ』

 

「し、白鬼さーん!!」

 

ふと、自分の事を呼ばれて声の主を探す。声の発信源はバスの方角からだった。見れば、バスの窓が幾つか開いて、そこから数名の生徒達がこちらを見つめている。その中の一人の生徒が、小さな手でメガホンを作りながら、こちらめがけて叫んでいた。

 

「お願いします!かんちゃんを、皆を助けてください!!」

 

『……』

 

それはよく見知った相手からの頼みだった。ラインバレルからすればその願いは必然であり、絶対。この力を行使する目的がその願いなのだから。しかし、彼方にいる少女はそれを知らない。力もない。だから願うしかないのだ。一人安全な場所で祈り、願い、他者に縋るしかない。

 

『……大丈夫。分かってるよ、のほほんさん』

 

「何か言ったか?ラインバレル」

 

『いや、何でも無い』

 

ほんの少しだけ、自分の心を吐露する。隣の友人に聞かれないように、ほんの少しだけ。返事の代わりにその少女を見つめ返して、大きく頷いてやる。それだけで十分だった。

 

『準備はいいか?』

 

「ああ、いつでもいいぜ!!」

 

『……行くぞ!!』

 

「おうっ!!」

 

今、夕暮れの空に二つの白が飛翔する。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話 ~黒白反転~

「はっ、はっ、はっ……」

 

『そろそろ限界か?』

 

「……そう見えるなら、貴様の目は腐っているな」

 

夕暮れに照らされた打鉄に搭乗している千冬が目の前のイダテンに悪言を吐く。既に周囲には二機以外誰もおらず、フラフラと手を揺らす千冬をイダテンが空から見下ろしていた。

 

『いやぁ、実際良くやったと思うぜ?まさか迅雷が全部落とされるとは思ってなかったわ。まだまだ改良がいるな、こいつは』

 

「……」

 

『でも、まだ戦いは終わっちゃいない。そうだろ?』

 

「……ああ、まだだ」

 

焦点の定まらない瞳をギラつかせながら、千冬が右手にブレードを展開する。最初に装備していたガトリングやミサイルポッドは弾切れになったため既に廃棄してある。身一つで目の前の敵に立ち向かおうと千冬が身構える中、イダテンは腰に装着していた銃器を取り上げた。

 

「貴様を倒せば終わりだ……やらせてもらうぞ」

 

『……クククッ、アハハハハ!』

 

千冬の言葉を聞くなり、イダテンが哄笑を上げる。腹を抱えて藻掻くイダテンを見て、千冬は片眉を釣り上げた。

 

「何がおかしい?」

 

『いやいや、アンタ勘違いしてるぜ。いつ誰がどこで、迅雷がさっきので終わりだって言ったよ?』

 

イダテンが左手を天に掲げて指を弾き鳴らす。金属音が空に響き渡った瞬間、海面が盛り上がった。

 

「……ちっ」

 

千冬が小さく舌打ちする。盛り上がった海面から幾つもの金属の塊が飛び出し、千冬を取り囲んだ。

 

『さて、第二ラウンドと洒落こもうぜ』

 

新たに出現した迅雷は全部で八機、その全てが構えた槍の矛先を千冬に向けている。両手でブレードを握り締めながら、千冬は周囲の迅雷を威嚇するかのように見回した。

 

『まあ、現時点の利点としちゃあ量産出来るとこか?材料さえあればこうやって、幾らでも作れんだから』

 

「……余裕のつもりか?それとも、冥土の土産というやつか?」

 

『ああいやいや。別にそんなつもりはねえんだ。ただ単に、こんな事言ってもアンタの利益にはならないし、役に立つ情報でもねえだろ。何しろ、分かりきってる事を言ってるだけなんだから』

 

「……そうだな」

 

『さて、名残惜しいがこの辺で終わらせておくか』

 

途端に迅雷達が包囲の和を縮める。上下左右どこにも逃げ場が無い千冬は、センサーをフル稼働させて、いつ敵が来てもいいように迎撃態勢を整えた。

 

『お前ら、やっちまえ!』

 

幾つかの事象が同時に起こった。一つ、イダテンが声をあげて迅雷達に千冬を襲うように指示を出した。二つ、千冬が周囲に視線を這わせて一層気を引き締めた。そして三つ、イダテンが千冬に襲いかかる直前、包囲網の一角が崩れて、千冬の目の前に何かが躍り出た。

 

「な……!?」

 

目の前に現れた物を見て千冬が目を丸くする。迫り来る全ての槍をその体で受け止めているその鬼は、貫かれつつも千冬に声を投げかけた。

 

『……大丈夫か?』

 

「ラインバレル……なのか?」

 

千冬が思わず疑問の声を上げてしまうのも無理は無かった。確かに目の前のラインバレルは姿形は全く変わっていない。数時間前に見た、あの海岸で蹲っていた外見のままだ。しかし残念ながらうまく形容できないが、目の前のラインバレルは確実に数時間前とは何かが変わっていた。

 

『ふんっ!!』

 

体中から生やしている槍の内一本を無理やり引き抜いて振り回す。張り付いていた迅雷達はそのたった一つの動作で下がることを余儀なくされた。目の前にいる存在を忌々しげな目で見つめるイダテンだったが、小さく舌打ちを響かせる。

 

『ちっ、あの人形野郎。失敗しやがったのか』

 

『織斑 一夏に向かった敵のことを言っているのならそうだ』

 

「一夏が襲われたのか?」

 

『ああ。だが心配はいらない。あいつは仲間を助ける為に向かった。そして俺は……』

 

血ともオイルとも判別がつかない液体をまき散らしながら、体に刺さった槍を一本ずつ引き抜いていく。重力に引かれて落下した槍は、音を立てながら海中へと沈んでいった。ラインバレルは徒手空拳のまま、イダテンに拳を向ける。

 

『貴様を倒す……そのために来た』

 

『ハッ、笑わせるぜ。周りを傷つけることしか出来ない、災厄を撒き散らすお前に何ができるってんだ?』

 

『ああ、確かに何も出来ないかもしれない……だが、立ち止まるのはもうやめたんだ』

 

覚悟の発露と共に、ラインバレルが動き出す。両肩の装甲が音を立てて開き、目の意匠が施された内部装甲が露呈する。上腕下部に取り付けられていた太刀の鞘が音を立ててパージされ、その部分の装甲が手甲に似た形に変化する。白い顔に浮かぶ紅の瞳は、より一層輝きを増して周囲を照らす勢いで光り始める。

 

『けっ、何をするのか知らねえがテメエに取れる手はもうねえ!!たった一機で何ができるってんだ!』

 

イダテンを守るように迅雷が陣形を組む。無人の盾に守られたイダテンは背負っていた槍を両手で構えた。刹那の瞬間、戦場が静止する。

 

『……フィールド固定後、カウンターナノマシン起動。目標の行動に対し6・7・2・3・5・8ごとにリアルタイムで転送』

 

「お前。一体何を……?」

 

意味不明な言葉の羅列を口走っているラインバレルに背後から声をかける千冬だったが、途中でその言葉が止まる。

 

『な、なんだこりゃあ……?』

 

イダテンも目の前の状況に困惑していた。唯一場の状態を理解しているのは、当事者であるラインバレルだけだろう。何故なら、彼の言葉から全ては変わり始めたのだから。

 

「光の……輪?」

 

丁度ラインバレルの頭上に当たる空間が輝いたかと思うと、光が分裂して幾つかの円を象った。それらはラインバレルを囲むように移動すると、互いに共鳴して輝きを増していく。同時に周囲の空気が震えだし、静寂の代わりに低い地鳴りの様な不協和音が場を支配する。

 

「何が……起こっている?」

 

『……』

 

先程からラインバレルは微動だにしなかった。その姿はまるで、来たるべき何かを待っているようにも見える。そしてとうとう、決定的な変化がラインバレルの体に訪れた。

 

『……行くぞ』

 

その言葉を皮切りに、純白の体が黒色に染まっていく。まずは爪先から、徐々に徐々に黒が白を塗りつぶしていく。まるで元々そうであったかのように、その色は目の前の鬼によく似合っていた。手が、足が、顔が。存在全てが黒く染まっていく。そして大きく息を吐いて戦闘態勢を整えたのは、黒い鬼だった。

 

『た、ただの虚仮威しだ!お前ら、やっちま──』

 

『遅い』

 

何もイダテンが目を離していたわけではなかった。千冬も片時も目を離さずにラインバレルを注視していた。しかし、その全ての視線を振り切って掻き消えたラインバレルは、一瞬後に迅雷達の前に出現した。

 

『はああ!?』

 

『フッ!』

 

徒手空拳のまま、黒鬼が戦場を蹂躙していく。群がる迅雷の手足を砕き、向かってくる攻撃を消えては現れ、消えては現れる事を繰り返し全てを回避し続け、その外見を体現するが如く鬼神の様に暴れ続ける。

 

『……ク、クソオオオッ!!』

 

業を煮やしたイダテンが、槍片手にラインバレルに突撃する。迅雷達をなぎ倒していたラインバレルは、その攻撃を真正面から受け止めた。

 

『何なんだ!テメエは何者なんだ!!』

 

『……少し前に進む事を決めた、鬼だ』

 

『巫山戯るなああっ!』

 

ラインバレルの体を蹴って距離を取ったイダテンは腰にマウントされていた銃を引っ張り出して銃口を定めようとする。しかし、先程まで目の前にいたラインバレルは影も形も見当たらなかった。

 

『こっちだ』

 

『あぐっ!?』

 

警戒の薄い真後ろから、鋭い蹴撃がイダテンに突き刺さる。頭に血を上らせながらイダテンは背後にいるはずのラインバレルめがけて大きく手を振った。しかし、先程まで確かにいたはずのラインバレルはどこにもいなかった。

 

『糞があっ!!』

 

激昂したまま、センサー類を全開にして周囲の状況を探る。しかし、自分の周囲に幾つもの反応があることでイダテンの思考が止まった。

 

『は……?』

 

いつの間にか自分の周囲には傷ついた迅雷達が浮かんでいた。いや、自分の周りにいたというより、先程の攻撃で自分がここに移動させられたというべきだろう。ラインバレルの意図を一瞬で察知したイダテンは、素早くセンサーの範囲を広げてたった一つの反応を探す。そしてそれは、すぐさま見つかった。

 

『覚えておけ』

 

離脱するためにメインスラスターを吹かそうと試みる。しかし先の攻撃で背部のメインスラスターはその機能を停止しており、この場からの離脱は不可能だった。

 

『俺はお前達と戦う。これ以上誰も傷つけさせない』

 

姿勢制御用のスラスターを吹かして何とか脱出しようとするも、周囲の迅雷が邪魔となって移動は困難だった。無理やり押しのけて脱出する時間も無い。

 

『これ以上あの子を泣かせない為に……俺は、俺はここにいる!!』

 

『クソオオッ!!』

 

真下にいるラインバレルが緑色の光に照らされる。自然界では決してありえないその光は、鬼が持つ武器からにじみ出ていた。

 

『うおおおおおっ!!』

 

エクゼキューター、執行者の名を冠するその武器は出力を更に増大させて極大の刃を発現させる。死神の鎌を連想させるそれは、溢れ出るエネルギーによって意思を持つかの如く身を震わせる。最後に黒い鬼が大気を震わす咆哮と共に、振り上げていた鎌を開放した。

 

『ぶった斬れろおおおおっ!!!』

 

『この化物がああああっ!!』

 

緑色の刀身が迅雷達を切り裂く。爆炎と煙が一帯を包み込み、センサー類が一時的にその機能を失う。エクゼキューターを背部に収納しながら、ラインバレルは頭上を見つめ続けた。

 

『……仕留めそこねたか』

 

煙の中から一機だけ、彼方に向かって飛翔する物体がある。恐らくあの隊長機だろうと当たりをつけたラインバレルだったが、決して追撃はしなかった。何故ならここでの彼の目的は迎撃であり、追撃は含まれていない。

 

「止めは刺さないのか?」

 

後ろから声をかけられて振り向くと、乱れた髪を押さえつけた千冬がいた。搭乗している打鉄は各所から火花が飛び散り、限界ギリギリの状態にいた事が見て取れる。

 

『この場を切り抜けられたのならそれでいい。それに、こちらも限界に近い』

 

黒いラインバレルの体色が、元の色を取り戻していく。先程の光景を逆再生しているかの様に、千冬の目の前でラインバレルは元の白色へと戻った。

 

「先程の姿は何だ?お前は一体……」

 

『……』

 

「……そうだな。どうせ答える気はお前にはないのだろう。私がお前の立場でもそうする」

 

『……すまない』

 

「構わん。ただ、今はお前に感謝しよう」

 

『感謝?』

 

『ああ……あいつらと共に、な』

 

そう言って千冬が水平線の太陽に目を向けると、釣られてラインバレルもそちらに目を向ける。オレンジ色の太陽を背に、色とりどりの六つのISが浮かんでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話 ~月夜の晩に~

「んふふ~、いいデータが取れた取れたっ」

 

土の地面に直接座っている女が小さく呟く。暗い空に頼らなくとも、自ら光を放っているディスプレイを眺めながら兎耳のカチューシャをつけた彼女は独り言を続けた。

 

「絢爛舞踏もいい感じに発動したし、何より収穫だったのは白式の進化だよね。まさかここまで早いとは思わなかったなぁ。やっぱり彼が傍にいたから、かな?」

 

目の前のディスプレイに次なるデータが表示された。そこには先程の戦闘の様子が一部始終映っている。それを見ながら鼻歌を歌う彼女は足をぶらぶらと遊ばせる。

 

「~♪」

 

彼女が腰掛けているのは、断崖絶壁の端だった。通常の思考を持った人間であれば十人中十人が、こんな所には座りたくないと答えるだろう。しかし彼女はそんな状況下にも関わらず普段の調子のまま、目の前の映像を食い入る様に見つめ続けた。

 

「……鉄の心臓は動き始めた。その鼓動は白と黒が交じり合う事で始まり、彼が死すまで終わりを迎える事はない」

 

歌う様に言葉を繋ぐ。誰に聴かせるでもなしに紡ぐその歌は、海の波音にかき消されていく。

 

「主とそれに仕える鬼。彼らはどんな軌跡を辿るのか……ねえ、ちーちゃんはどう思う?」

 

「……お前はいつの間に詩人に転職した?」

 

暗闇に投げかけた質問が、質問で返ってくる。暗がりから姿を現したのは、片頬に湿布を張ったスーツ姿の千冬だった。革靴が地面を削る音を響かせながら、千冬は彼女の背後に立つ。

 

「んふふ~、いいでしょ?私は何でも出来るんだ~」

 

「確かにな、束」

 

稀代の天才、篠ノ之 束は足をぶらつかせながら、褒められた子供の様にはしゃぐ。千冬はそんな代わり映えのしない友人を見下ろして、小さくため息をついた。

 

「ねえちーちゃん、結末教えてよ」

 

「福音は無事回収、一夏を含めた代表候補生達も帰還した。ただ、あいつは礼を言う前に何処かに去ってしまったがな」

 

「へぇ、良かったね。ハッピーエンドじゃん」

 

「……今回の事、お前はどこまで知っていた?」

 

「何が~?」

 

あくまで自分からははっきりとした言葉を言わない、そんな友人の事は痛い程理解していた。千冬は大きく息を吸い込んでから、具体的な事案を提示する。

 

「一夏の傷が綺麗さっぱり消えていた。重傷だったはずなのに、だ」

 

「あー、それはちーちゃんも心当たりあるでしょ?それで合ってるよ」

 

「……あの敵はどう見てもISではない。にも関わらず、あれほどの戦闘力を持つ兵器をお前は知っているのか?」

 

「う~ん、難しいねえ。知っていると言えば知っているし、知らないと言えば知らないし……」

 

「……アレは、何だ?」

 

「くふふ、それが一番、聞きたかったんでしょ?」

 

束が質問を質問で返す。千冬は口を真一文字に引き結んで束の回答を待った。数度含み笑いを漏らしてから、束は空に言葉を投げかける。

 

「……ラインバレル」

 

たった一つの単語に、千冬が反応する。束は背後を振り返る事もなく、千冬の今の胸中の思いを言い当てた。

 

「今ちーちゃんが一番知りたいのはそれでしょ?いっくんのことでもなく、正体がわからない敵のことでもなく、たったそれだけの事が知りたい」

 

「知っているのか?」

 

「……待ってあげて。私から言える事は、それだけ」

 

「待つ、だと……?」

 

「うん。あの子が話すまで待ってあげて。大丈夫、あの子は敵じゃないから。それだけは私が保証してあげる」

 

「……ふん。お前がいうのなら、そうなのだろうな」

 

その根拠は目に見える物ではない。はっきりしたものでもない。ただ目の前の相手に対する信頼、たったそれだけの事だった。

 

「あれ~?いやにあっさり信じるねぇ。どうかしたの?」

 

「私はお前を信じている。初めて私がISに乗ることになった、あの日のお前の目を見た瞬間から」

 

「あ、あの時はもう忘れてよ。恥ずかしいよ」

 

「いやいや、あの時は傑作だったぞ。なにせ普段はすましているお前が血相を変えて私の所に飛び込んで来たのだからな」

 

ククク、と意地の悪い笑みを零す千冬に対して束は頬を膨らませる。

 

「ぶ~っ、そんなちーちゃんなんて嫌いっ!」

 

「ははっ、すまんすまん……束、お前は誰の味方だ?」

 

がらりと口調を変えて、千冬が問いかける。月灯りに照らされる彼女の表情を千冬は見る事が出来ない。しかし、その言葉から彼女の心を推し量る事は出来た。

 

「……ねえちーちゃん。今の世界は楽しい?」

 

「ああ、楽し過ぎて涙が出てくる」

 

「私も楽しいよ。いっくんがいて、箒ちゃんがいて、ちーちゃんがいて。今の世界がだーい好き」

 

広げた両手を羽の様に大海原に向けて喜びを表現する友人の言葉は、何処か寂しげだった。光を当てた黒曜石の如く輝く海は、二人の眼下一杯に広がっている。

 

「でも私は未来の、これからの世界が嫌い。だから、あるべき姿に戻したい。ただ、それには準備がいる」

 

「……お前は何を考えている?」

 

「ふふふ、当ててご覧。はい、これ」

 

脈絡も無しに差し出された友人の手に握られているのは、小さな紙切れだった。

 

「確実に私に繋がる連絡先だよ。ただ、数回しか使えないからここぞという時にだけ使ってね」

 

「お前から何かを貰うのは久しぶりだな」

 

「そう?じゃあ今度ちーちゃんの誕生日にでも何か作ってあげるよ!そうだね、自宅警備用の数十メートル位のロボットとか──」

 

「いらん、邪魔だ」

 

束の提案をばっさりと切って千冬は大切そうに紙切れをポケットにしまう。会話の流れが途切れた事で、二人の間に沈黙が流れた。

 

「じゃあ、私はそろそろ行くね」

 

「次に来るときは菓子折りでも持って来い」

 

「そうだね、次に会う時は何か持ってくるよ……ちーちゃん、これだけは覚えておいて」

 

「何だ、さっさと言え」

 

「……やっぱりいいや。気をつけてね」

 

気になる言葉を残して、束がひらひらと手を振る。千冬が瞬きをしたその刹那の瞬間に、彼女は音もなく消えていた。先程まで彼女が座っていた場所に立って暗い海を見つめる。

 

「束……お前は一体、何を見ている?」

 

 

 

 

砂浜に腰を落ち着けて海を眺める彼の頬を、潮の匂いを含んだ風が撫でる。髪の毛がふわりと風に靡き、海特有の匂いが統夜の鼻をくすぐった。

 

「……嬉しかったな」

 

ぽつりと漏らすその言葉は、右手の中にいる存在に向けられた物だった。右手を開くとその中から転がり出てきたのは、月灯りを浴びて鈍く輝くネックレス。それを目の前にかざしながら統夜は呟いた。

 

「一夏にお礼を言われた時……嬉しかったんだ。この力を使って良かった、って心から思える位に」

 

呟きは波の音の中に消えていく。一点の曇りも無くなった胸中の思いを語りながら、統夜はネックレスを首にかけた。

 

「長い付き合いだけどさ、初めて言うよ……ありがとな、ラインバレル」

 

「統夜」

 

その時、背中に声がかかる。思わず統夜が振り向くと、そこには素肌を晒したルームメイトがいた。

 

「か、簪?」

 

「あの……統夜が部屋に戻ってなくて、もう遅いから戻ったほうがいいって言いに来て……」

 

両手を後ろに回して言い訳がましく言葉を並べる彼女の体は、空色の布で覆われていた。青と白のコントラストが目立つビキニは要所だけを覆い隠し、白い肌を惜しげもなく晒している。ただ、下半身は青色の薄い布で作られたパレオで隠されていた。

 

「何で水着なんだ?」

 

「そ、そんなに見ないで……」

 

「ご、ごめん!」

 

思わずまじまじと見てしまっていた統夜だが、簪に言われて慌てて顔を海の方に向ける。砂を踏みしめる音だけが響いた後、背中に新たな感触が加わる。

 

「か、簪?」

 

「こっち向いちゃ……だめ」

 

簪の体温を背中に感じながら、統夜は振り向こうとする首を何とか抑える。まさかこんな所に来るとは思っていなかった統夜は、いきなりの簪の来訪に戸惑いを隠せなかった。

 

「簪、どうしたんだ?」

 

「……お礼が言いたくて」

 

「お礼?」

 

「うん……皆を助けてくれて、ありがとう」

 

「……俺も言いたい事があるんだ」

 

大きく深呼吸をして息を整える。背中の向こう側で簪が体を強ばらせるのを感じ取りながら、統夜は訥訥と口を開いた。

 

「俺さ、IS学園から出ていくのが一番いいって思ってたんだ」

 

「そんな事……」

 

「敵が俺を狙ってくる以上、ここにいたら確実に簪達に迷惑がかかる。少し前まで、本気でそう思ってた」

 

「少し、前まで……?」

 

「でも、あいつらは俺だけじゃなく一夏も狙ってた。だったら俺がいてもいなくても、結局は簪達が危険になる」

 

「……」

 

「ここにいたら皆が危険だとか、俺が化物だからここにいちゃいけないって思ってたのは、俺の本心だけど本当にしたいことじゃなくて……皆を助けたい、そう思って俺はこいつになってたんだって。こいつ自身に言われて気づいたんだ」

 

首の辺りで光るそれは、何時でも統夜の傍に有り続けていた。外れかけた道を正してくれたのも、日々自分を守り続けてくれたのも、戦う力をくれたのも彼だった。

 

「俺は俺の力を……簪を、皆を守る為に使いたいって思ったんだ。それが俺の本当にしたい事で、力を使う理由で……ここにいる意味だから」

 

「統夜……」

 

「でも、もしかしたら……俺は間違っているのかもしれない。ここにいるせいで簪達が今よりもっと危険に──」

 

「そんな事無い!」

 

声を上げる簪を不思議に思って統夜が後ろを振り向くと、右手が簪の両手に包み込まれる。統夜が声を上げる前に、簪は両手で包み込んだ統夜の手を、自分の胸に押し当てた。顔を赤らめる統夜が言葉を紡ごうとする前に、簪が怒涛の勢いでしゃべりだす。

 

「か、簪!?い、一体何を──」

 

「そんな事無い……統夜の目の前で生きている私が、その証明」

 

「簪……」

 

「私は統夜に助けてもらった……IS学園でも、今日も助けてもらった。統夜がいなかったら、私は今ここにはいない。だから、統夜は間違ってなんかない」

 

「簪……」

 

「だから、どこにも行かないで。統夜がいなくなったら……私……」

 

「……あ、あのさ、悪いんだけど……離してくれないか?」

 

「あ……きゃああああっ!!」

 

統夜に言われて初めて気づいた簪は、素早く統夜の手を離し両手で胸の辺りを抑える。若干涙目になりつつある簪を見ていると罪悪感に駆られるが、統夜は全くもって悪く無い。興奮で息が上がっていた簪は、ゆっくりと落ち着いていく。

 

「……ごめん、なさい」

 

「お、俺も悪いからさ。すぐに手を離せばよかったのに」

 

「でも統夜……何で今更海に来たの?」

 

「少し一人になって考えたかった、っていうのが一つ……もう一つは、自分の中でけじめを付けに来たんだ」

 

「けじめ?」

 

「本当はさ……海って嫌いだったんだ。初めてラインバレルになって、初めて戦って……初めて人に怖がられた場所だから……」

 

「あ……」

 

憎しみと恐れの視線は、目を閉じると今も思い出せる。海を見ると半ば条件反射でそれを思い出してしまうのは、致し方ないだろう。しかし、統夜はそんな思いをもう抱きたくなかった。

 

「この力が怖かった。この体が嫌いだった……でも、これからはそんな事言ってられないし、俺自身そんな風には思いたくない。この力があったからこそ皆を助けることが出来たし、この体じゃなければIS学園に来られなかったかもしれない」

 

「統夜……」

 

「だからさ、俺決めたよ」

 

ぱんぱんと尻を叩きながら、背伸びをして立ち上がる。暗い水平線を眺めながら、統夜は決意を新たにするかの様にはっきりとした口調で言い放った。

 

「俺が本当にここにいていいかどうかは分からない。だから俺はここにいて、皆を守りながらその答えを探していきたい……それが、俺がここにいる意味だ」

 

「……うん。それで、いいと思う」

 

統夜のその言葉は、真正面から矛盾していた。自分がIS学園にいて良いか否か、その意味を探す為にIS学園に残って戦い続けると言っているのだから。しかしそれはまごう事無き、統夜が心の底から望んだ初めての願いだった。

 

「あとさ、もう一つ聞いてもらっていいか?」

 

「何……?」

 

「これはまあ、ほかの人に聞いてもらわないと決意が鈍るって言うか、願掛けみたいな物なんだけど……」

 

統夜は言いにくそうに、頭を掻き毟る。しかしいつまでも続く沈黙に居た堪れなくなり、閉ざされていた口を厳かに開いた。

 

「……俺さ、いつか一夏達に俺の事を話すよ」

 

「統夜……」

 

その言葉は簪にとって驚くべき物だった。入学当初の統夜は自分の事を知られる事に対して、過剰なまでの拒否反応を示していたのだから。しかし、悲壮感や虚無感など全く滲ませず、統夜は言葉を続ける。

 

「いつかは分からない。ひょっとしたら学園を卒業するギリギリまで言えないかもしれない。でも、いつまでも友達に嘘を吐き続けるのは、もう嫌なんだ」

 

「……いいの?」

 

「話してどうなるかは分からない。下手したら拒絶されるかもな。でも、俺は俺自身で、いくら言っても変わらないから。これが本当の俺だ、っていつか胸を張って言えるようになりたいんだ」

 

「……きっと、上手くいく」

 

「ありがと。聞いてくれて」

 

大きく背伸びをした後、統夜は簪の隣に座る。月に照らされた砂浜には、二人以外誰もいなかった。

 

「そういえばさ、何で簪はここが分かったんだ?」

 

「え……?」

 

「だって、俺がここにいない可能性もあっただろ?なのに水着まで着て、俺がここにいなかったらどうするつもりだったんだ?」

 

「あ……そ、それは……あの……」

 

詰問を受けて、簪の様子が明らかに変わった。何かを考えるかの様に明後日の方向に視線を這わせ、両手をもぞもぞとこすり合わせる。不審に感じた統夜は無意識の内に、きつい言葉で簪を追い詰めた。

 

「何だよ、やっぱり何かあったのか?」

 

「……変に、思わない?」

 

「聞いてからじゃないと、何とも言えない」

 

「うぅ……」

 

どんどん追い詰められて逃げ場を失った簪は、横目でちらちらと見ながら統夜の顔色を伺っている。しかし、統夜は海の彼方を見やりながら、聞く姿勢を崩さない。

 

「……お、思ったから」

 

「思った?」

 

「統夜だったら……ここにいる、って思ったから……」

 

「……そ、そうか」

 

彼女の勘の良さを褒めるべきか、自分の行動を悟っていることに驚くべきか、統夜には判別つかなかった。そのうち、横目でちらちらとこちらを見てくる簪に気づいて簪の顔を覗き込む。

 

「どうしたんだ?」

 

「……す、少しだけ遊ばない?」

 

「遊ぶ?」

 

短く言い切った簪は急に立ち上がって統夜から離れていく。統夜が止める暇も無いまま簪は海へと入ると、踵を返して振り返った。

 

「……えいっ」

 

「ぶはっ!」

 

簪が手で掬った海水が、統夜の顔を直撃する。慌てて袖で拭いながら統夜は、目の前の少女をまじまじと見つめた。

 

「そ、その……統夜、昨日もあんまり海で遊んでなかったし、だから、その……」

 

「……ははっ」

 

自然に頬が緩んで、笑い声を上げていた。目の前の彼女を嘲笑った訳ではない。只々純粋に嬉しかった。何故かその顔を見て自然に笑顔が出る程目の前の彼女は優しく、暖かく、愛おしく見えた。

 

「そうだな……それもいいな」

 

ひとしきり笑い声を上げたあと、立ち上がって靴を脱いで制服の裾を捲る。数歩踏み出して両足を海水に浸すと、ひんやりとした清涼感が足だけではなく全身を包み込んだ。

 

「そらっ!」

 

「きゃっ!」

 

情け容赦無く、簪の顔めがけて水をかける。飛び散る水滴が月灯りに照らされて、二人の間で踊り始める。夏の海にどこまでも響く笑い声を上げながら、ぱしゃぱしゃと水を打つ音が響く。

 

「お返しっ……!」

 

「うわっぷ!?このっ!!」

 

そこにいるのは鬼でも化物でもない。一喜一憂の度に心を動かし、自分の歩んで来た道を悩み、戦う事を決意した年相応の、一人の少年だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話 ~秘めたる想い~

裸足で砂を踏みしめる感覚が、足裏を刺激する。自分達以外の音は打ち寄せる波の音だけ。そんな静かな砂浜を統夜と簪はゆっくりと歩いていた。

 

「統夜……重くない?」

 

「全然。寧ろ軽いぐらいだって」

 

背中におぶっている簪に向かって返事を返す。何度も同じ質問を繰り返す簪に、もう何度目か分からない笑い声が小さく漏れた。

 

「いいから。遊びすぎた罰だとおもってなさい」

 

先程まで砂浜で二人きりの夜を楽しんでいたのは良かった。しかし、途中で簪は波に足を攫われて、足首を捻ってしまったのである。幸運なことに大事には至らなかったものの、歩いて旅館に戻るのは避けたほうが無難だった。そこで、統夜が簪を背負って帰る事を提案したのである。

 

「……分かった」

 

背負われた当初こそ、“重くない?”や“……やっぱり歩く”などと繰り返していたがその度に統夜に反論されていた。統夜に諭された結果、今度こそ大人しくなった簪が統夜の背中で体を縮こませる。

 

「なあ簪、何であんな事言ったんだ?」

 

「あんな、事……?」

 

「いや、いつもの簪にしては珍しいなと思ってさ。いきなり遊ぼうって誘ってくるなんて」

 

「あ、そ、それは……」

 

口を閉ざして何とかその疑問から逃げ出そうとするも、今いる場所が統夜の背中である以上逃げ場など今の簪にはない。

 

「統夜が、海にいい思い出が無いって言ったから……」

 

「ああ、言ったな。それがどうかしたのか?」

 

「少しでもいい思い出、一緒に作れたらって……」

 

目を閉じて、後ろにいる彼女の温もりを実感する。思えばこの体の事を吹っ切れたのも、自分の中の事とけじめを付けようと思ったのも、初めて力を使う決意をしたのも彼女が発端だった。心の中で何度したか分からない感謝の言葉をあらためて口にする。

 

「……ありがとう、簪」

 

「ううん。私こそ……統夜には色んな物を、たくさん貰ってきたから──」

 

首に巻きついている細い腕に力が込められる。耳元で囁かれたその言葉は、統夜の頭を直撃した。

 

「本当にありがとう、統夜……」

 

今まで聞いてきた中で一番甘いその言葉は、統夜の耳を通って脳をかき乱す。後ろを振り返りたい衝動に駆られたが、何とか理性で抑える。感情の暴走を切欠に、今まで意識していなかった背中に当たる柔らかな二つの感触が、統夜の意識を苛んだ。

 

「あ、あのさ簪。ちょっと悪いんだけど、もう少し体重を後ろにかけてくれないか?」

 

「……やっぱり私、重──」

 

「違う違う!!重いなんてこれっぽっちも思ってないから!!」

 

「じゃあ……何で?」

 

「そ、それとは別に俺の意識が危ういというか、精神衛生上そうしてくれた方がありがたいというか……とにかく俺がヤバい」

 

「……分かった」

 

渋々と言った様子で、簪が統夜の背中から少しだけ離れる。しかし、そんな些細な違いでも統夜にとっては大きな違いだった。理性が破壊される危機を切り抜けた統夜は、砂浜を超えて旅館へと続くあぜ道を昇る。

 

「今更だけど、こんな夜中に抜け出して大丈夫なのか?」

 

「統夜は、どうやってきたの?」

 

「窓から抜け出してきた。一夏もどっかに行ってるみたいだったから、バレる事は無いと思う」

 

「私は、普通に旅館の玄関から……」

 

「じゃあ、普通に戻れるかな」

 

旅館をぐるりと囲む塀に沿うようにして、玄関へと向かう。そして旅館の玄関に辿り着く、そのタイミングで統夜が立ち止まった。

 

「……統夜?」

 

「静かに」

 

背中の簪を一言で黙らせて、玄関へと意識を向ける統夜。玄関口が僅かに開く事で出来た隙間から、光が外に漏れている。特に変哲も無い玄関だったが、統夜の発達した超感覚は簪が気づかない程の何かを捉えていた。

 

「……やばい、話し声が聞こえる」

 

「ほ、本当?」

 

「ラインバレル、気づかれないようにセンサー展開。人数と会話の内容を確認しろ」

 

暗闇の中で、ネックレスと統夜の瞳が同時に輝く。主の命を受けた従者は求められた結果を即座に示した。

 

「……げっ、織斑先生と一夏達だ。しかも勝手に外に出てたせいで怒られてる」

 

「じゃ、じゃあ私達も?」

 

「何とか戻らなきゃいけないけど、玄関が塞がれてるからなぁ……」

 

今の状況では玄関は使えない。この旅館では玄関以外の出入り口は従業員用の物しかないため、統夜達がそこを使うことは出来ない。一見、八方塞がりの最悪の状況だった。しかし、人間という範疇を超えている統夜にとって玄関を使わずに部屋に戻る事は朝飯前だった。

 

「……よし、これで行こう」

 

「な、なにか思いついたの?」

 

簪の言葉には答えず、元来た道を戻っていく。塀に沿って戻る中、上を見上げた統夜がなにかを見つけた。

 

「……あった」

 

「あれ、何?」

 

「俺たちの部屋だ……よし、誰もいないな」

 

統夜が見上げているのは、旅館の二階から飛び出ている小さいバルコニーとでも言うべき空間だった。念には念を入れ、ラインバレルのセンサーで周囲と室内をチェックした統夜は早速行動に移る。足裏を叩いて土を落とした後、靴を履き直すと背中の簪に語りかける。

 

「ごめん、怒るんだったら後でな」

 

「……?」

 

「よっと」

 

簪が返事をする前に、統夜が行動に移る。持ち前の腕力で簪を一瞬だけ空に飛び上がらせた。重力に従って落下してきた簪を、今度は体の前面で受け止める。

 

「え、えっ?」

 

俗に言うお姫様抱っこをされた簪は呆けた声を上げるだけだった。腕の中にすっぽりと収まっている簪を確認した統夜は夜の闇の中、己の瞳を一層輝かせる。

 

「舌噛むかもしれないから、少し口閉じてて。あと、声も出さないでくれ」

 

返事を待たずに、膝を屈伸させて力を溜め込む。簪が問いかけようとするが、それより早く統夜が跳躍する。

 

「ふっ!!」

 

両足を開放して、簪と一緒に空を飛ぶ、重力に逆らって飛ぶその姿は、まるで鳥のようでもあった。

 

「~~~~っ!!」

 

勿論、飛び上がった後に待っていたのはただの落下である。声にならない叫び声を簪が上がる中、統夜は目測通りにバルコニーに無事着地した。木組みのバルコニーが統夜の体重でぎしりと小さく軋めいたが、それすらすぐさま夜の闇に消えていく。

 

「えっと、確かここの窓が……」

 

正面の一面ガラス張りの窓に手をかけて横に引く。特に抵抗も無く開いた窓から、統夜は薄暗い部屋へと侵入した。簪を畳の上に降ろしてから一息つく。

 

「はぁ、やっと着いた」

 

瞳を元の色に戻しながら、手探りで壁を撫で回す。目的の物を発見してその部分を叩くと、あっという間に暗かった部屋に光が灯った。

 

「……簪、どうしたんだ?」

 

先程から一向に動かない簪を見て声をかける。何故か彼女は畳の上に体を横たえさせて、全く動こうとはしなかった。

 

「……抜けた」

 

「なんだって?」

 

小さな声を聞き取ろうと、統夜が簪の口元に耳を寄せる。しかし、帰ってきたのは言葉ではなく、意味の分からない殴打だった。

 

「っ!?」

 

頭頂部を叩かれて思わず顔を離す。そこまで痛くはないのだが、目の前の少女からいきなり叩かれた事に対して統夜は驚きを禁じ得なかった。無意識の内に距離を取りつつ、統夜は先程の言葉を再び繰り返す。

 

「か、簪?どうかしたのか?」

 

「……腰」

 

「腰?腰がどうかしたのか?」

 

そこでやっと簪が顔を上げる。その双眸は彼女が流す涙で濡れていた。心なしか、頬も先程より赤みが差し、顔全体が小さく震えている。何を言われるのかと身構えた統夜の前で、簪がぼそぼそと呟いた。

 

「腰……抜けた」

 

「……はい?」

 

 

 

 

「……なあ簪、機嫌直してくれよ」

 

「やだ」

 

ぷい、と簪が頬を膨らませながら顔を明後日の方向に向ける。開け放たれた窓から星が瞬く空を眺めながら、統夜は頭を抱えた。

 

(どうしたもんかなぁ……)

 

とにかく水着のままでは体調が心配なため、部屋に備え付けられていたシャワーに簪を放り込み、一夏と自分用に準備されていた浴衣に着替えさせた。終始押し黙っていた簪だったが、シャワーから出てきたあとが大変だった。

 

(あそこまで怒ることないだろ……)

 

統夜のいきなりの行動に簪は大変お冠となっていた。いくら統夜が言い訳を重ねても“統夜が悪い”の一点張りで取り付く島も見せてはくれない。一応まだ腰が抜けているらしく、統夜の助けがなければ碌に動けないはずなのだが、意地を張っているのか統夜の手は一切借りなかった。

 

「……」

 

「……統夜が悪い」

 

気づかれないように後ろを向くと、簪と真正面から視線を交わしてしまった。今だにへそを曲げている簪は統夜の顔を見るたびに呪詛の言葉を吐き続けている。そしてとうとう我慢の限界に陥った統夜は苛立ち混じりに簪に食ってかかった。

 

「あーもう!何でそんなに怒ってんだよ!?」

 

「だ、だって……いきなりあんな事するから……」

 

統夜の勢いに若干押され気味になるものの、しっかりと反論をする簪。確かにいきなりやったことは自覚しているが、何故そこまで怒っているのか分からない統夜は更に言葉を重ねた。

 

「だからそれは謝っただろ。もう機嫌直してくれてもいいじゃないか」

 

「見せたく……なかった」

 

「何を……?」

 

「統夜に……見られたくなかった。あんな……私の姿」

 

「……もしかして、さっきの?」

 

そこで簪が体の向きを入れ替えて、統夜を真正面から見つめる。

 

「統夜の支えになるって決めたのに……あんな弱い所、統夜に見せちゃった……」

 

「簪……」

 

「統夜にずっと支えてもらってきたから、今度は私がって思ったのに……結局私は弱いまま……あんな恥ずかしい所、見せたくなかった」

 

(……ああ、だからか)

 

数時間前に、砂浜で言われた事が脳裏に浮かび上がる。彼女はいい加減嫌気がさしていたのだろう。頼るばかりの自分に、頼られる事の少ない自分に。実力はあるのに滅多に評価されたことのない、思いはあるのにそれを行動に移せない、そんな彼女が初めて自分から心に決めた最初の行動があれだったのだ。

 

「ふふっ……はははっ」

 

「……なんで、笑うの?」

 

「案外俺たち、似た者同士なのかもな」

 

ずっと心の中で葛藤するばかりで、前に踏み出す事を恐れていた自分。姉と比較されるばかりで、スポットライトを当てられる事が滅多になかった彼女。互いに弱みを見られる事を恐れた結果、誰よりも多く互いの弱みを見てしまっているのは皮肉な結果なのだろうか。

 

「……どういう事?」

 

「いや、何でも無いよ」

 

そんな彼女が相手だからこそ、自分はこんなにも望むのかもしれない。もっと彼女の力になりたい、もっと彼女の傍にいたいと。段々と膨れ上がっていく思いに背中を押されて、統夜は簪に近づいて、右手を彼女の頭に乗せた。

 

「……」

 

体が強ばるのを感じたが、拒否の言葉は見せない彼女を見て手を動かす。同時に、心の中に溢れる言葉をそのまま口にした。

 

「別にそんな事考えなくてもいい。簪が弱くたって、俺は何も思わない。寧ろ、そんな簪だからそばにいて欲しいって、俺は思うんだ」

 

「……本当?」

 

「ああ……簪が疑問に思うなら、はっきり言うよ」

 

それは自然な動きだった。まるでそうなることが決まっていたかのように統夜の体が動き簪の隣に収まる。簪は目を大きく見開き、隣に座った統夜をまじまじと見つめた。

 

「俺の傍にいてくれ、簪。君が望む限り、俺は君のヒーローであり続けるから」

 

「……」

 

「挫折もするし、泣き言も言うカッコつかない英雄(ヒーロー)かもしれない。でも、もう意思はぶれない。俺が心から誓った最初の……いや、二番目に大切なことだから」

 

「統夜……」

 

「こんなのでも、簪の英雄(ヒーロー)になっていいか?」

 

「うん。それと……こんなの、じゃない」

 

簪の頭が統夜にもたれかかる。頬を紅潮させたまま、簪は統夜の顔を見上げて口を動かした。

 

「私の一番のヒーローは……いつだって統夜だから……よ、よろしくお願いします?」

 

何故か疑問系で表現された簪の疑問の返事替わりに、再び頭を撫でてやる。顔を緩ませながら右手を動かし続けていた統夜だったが、ふと驚愕の事実に気づいた。

 

(……あれ?これって告白してるのと一緒じゃないか!?)

 

先程の自分の言葉を頭の中で反芻する。正気に戻った頭の中で繰り返される言葉の数々は、今になって考えると顔から火が出そうなほど恥ずかしい物ばかりだった。

 

「な、なあ簪。さっきの事だけどさ……」

 

「……なに?」

 

向けられた簪の顔は、はっきり言って異常だった。頬は類を見ない程紅潮し、目は嬉しさの余りか融けきっている。慌てて簪の正気を取り戻そうと両肩を掴んだ統夜だったが、逆に簪に肩を掴まれて畳の上に押し倒された。

 

「か、簪!?」

 

「……」

 

無言のまま簪が統夜の上に乗りかかってくる。いつもの様子はどこへ行ったのやら、今の彼女は目の前の獲物を捕らえようとしている狩人(ハンター)だった。自分の肩を押さえつける手を無理やり外そうと試みるが、力が入らない上に目の前の簪の姿に意識を奪われて行動に集中出来ない。

 

「簪!!ストップ、ストップ!!」

 

「何、が……?」

 

自分が暴れる事で、簪の着ている浴衣がはだけていく。勿論、その下には何も身につけてはいない。そのため、統夜が動くたびに肌色の面積が増えていく。同時に、目の前の簪を見て統夜の頬も紅潮していく。

 

「な、何考えてんだ!?早く離してくれよ、な?」

 

「嫌……」

 

統夜の静止を振り切って、簪がゆっくりと顔を降ろしていく。垂れた髪の毛が天幕となって部屋の光を遮断して、薄暗い空間を作り出す。二人の鼻の頭が触れ合いそうな距離で、統夜は最後の抵抗とばかりに口を動かした。

 

「ちょ、ちょっと!洒落にならないって……!」

 

「統夜は……嫌?」

 

その一言を言われて統夜が押し黙る。勿論、簪の事は特別に思っている。しかし、それとこれとは話が別だ。何より今そんなことをされたら、自分がどうなってしまうか分からない。しかし、彼女の瞳は痛い程真っ直ぐ統夜を見つめ、声色は真剣そのものだった。そして、その様な聞き方をされたら統夜に反論する術は残っていない。

 

「かん、ざし……」

 

「……私は、統夜の事──」

 

「とーやん、いる~?」

 

不意にドアを叩かれて、二人の体が跳ねる。揃って廊下に繋がる扉を見てみれば、誰かがノックを繰り返していた。しかも、その誰かとは二人の共通の友人である。いくらIS学園の一年生が多いと言っても、この旅館で統夜の事をそう呼ぶ生徒は一人しかいない。

 

「俺が出るからとにかく簪は隠れてて!!」

 

「わ、分かった!」

 

わたわたと動き出して隠れそうな場所を探す。統夜も立ち上がって扉へと近づいていく。簪は数メートル離れたところにある押入れを急いで開けると、中に飛び込んだ。

 

「あ、とーやんいたんだ。何度呼んでもしても出ないからいないかと思っちゃった」

 

「ご、ごめん。ちょっと外を眺めててさ」

 

襖の隙間から漏れてくる声は予想通り、自分の友人の物だった。光の差さない空間で一人丸まっていると、段々と頭が本調子を取り戻していく。

 

(……わわわわ私、何してたの!?)

 

先程の自分の愚行を思い出して顔から火が出そうになる。先程の行為は頭の中に嫌にはっきりと残っていた。

 

(ととと統夜に近づいて……それで……)

 

そこから先は覚えていない。というより自分の記憶から消し去りたかった。横に置いてあった布団をバシバシと叩いて、何とか浮かんできた考えを消そうと試みる。

 

「あれ?とーやん、何か部屋から変な音聞こえない?」

 

「あ、ああ!今窓開けてるから、隣の部屋で騒いでる音が届いてるのかも……そ、それよりものほほんさんこそ、どうしてここに?」

 

「かんちゃんがいないの。お風呂も旅館のロビーも見てきたんだけど、どこにもいなくって」

 

慌てて布団を叩くのをやめて、両手を頬に当てる。いつもならば冷たい両手も今ばかりは謎の高熱を発していた。そのせいで、段々と先程の行為が鮮明に浮かんでくる。

 

(で、でも……統夜もまんざらじゃなかった……のかな?)

 

目の前で慌てていた統夜を思い出す。もしかしたら、あと少しで目的を達成できたかもしれないが、通常の思考に戻った簪にとって先程の行動は恥ずかしすぎる行為だった。穴があったら入りたいとおもいつつ、現在進行形で押入れの中に隠れながら外の声に意識を傾ける。

 

「……ちょっと外を見て回ってるんじゃないのか?ほら、今日は星も綺麗だし」

 

「うーん、でも外に出ちゃダメって織斑先生が言ってたし……」

 

「少し位なら大丈夫って思ったんじゃないか?と、とにかくここに簪はいないよ」

 

なんとか取り繕うとしている統夜の声が聞こえてくる。どうやら本音は自分を探しにここまで来たらしい。少し嬉しいと思う反面、もう少しタイミングを送らせて来ても良いではないかと思うのもまた事実だった。

 

(あれ……でも隠れる必要、あるの?)

 

今来ている相手は本音である。知らない仲ではないし、何より自分と統夜の共通の友人でもある。しかもよくよく考えてみれば、自分の統夜に対する秘めた思いをも知っている彼女に対して隠れる理由がなかった。

 

(そ、それに最近……)

 

自分の事を思ってか、よく相談にも乗ってくれるし、事あるごとに統夜の話題を降って来たりもする。そんな心安い本音に対して自分が隠れる必要は何一つ無いはずであった。いや、あるはずもない。

 

(もしかしたら……本音が私の事を見直すかもしれないし……)

 

拳を握りながら意思を固める。本音と自分は本来ならば従者と主の関係であるはずである。今は親友の関係となっているが不満は無いし、その関係が心地良いのも事実だ。しかし、彼女に対していいところを見せたいと思っているのもまた事実だった。

 

(ここで私と統夜が一緒にいる所を見せれば……本音も私の事、見直すかも)

 

考え方が明後日の方向にぶっ飛びつつあるが、それを止める役割が誰もいないため簪の思考は止まらない。飛び出る前にはだけていた浴衣を元に戻すと、意を決して手探りで光が差し込んでいる所に手をかける。

 

(……今──!)

 

「簪、どうしたんだ?」

 

「へぶっ!」

 

自分が引くより早く、何者かの手によって襖が開かれる。襖を引こうとしていた簪はその力の入れどころを失い、勢い余って畳の上に伏してしまった。鼻の頭をさすりながら顔を上げてみると、そこにいたの頬の赤みが抜けた統夜だった。

 

「な、何やってんだ?」

 

「……本音は?」

 

「もう帰ったけど……」

 

「……私も帰る」

 

「そ、そうか?それじゃあ……」

 

統夜が簪の手を引っ張って体を起こしてやる。廊下へ続くドアまで二人揃って行くと、簪は無言のまま、部屋から去ろうとした。

 

「統夜……」

 

「な、何だ?」

 

「……ううん、何でも無い」

 

何かを言いかけてから、簪は踵を返して振り返る。統夜に向けられた表情は、何時ものあの笑顔だった。

 

「統夜、また明日」

 

「ああ……また明日、な」

 

ぱたんと小さい音を立てて、ドアが閉じられる。こうして長いようで短い、多くの思い出と確かな決意を残した臨海学校は、静かに終わりを告げた。

 

 

なお、臨海学校から帰った後、統夜と簪が互いに顔を見る事が出来ないと言う事例が何日か続き、散々楯無と本音に弄られ続けたのはまた別の話である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話 ~始まる夏~

「次、ターゲットを十個にして同時発射」

 

「了解……」

 

早朝のアリーナに男女の声が響く。少年の手に握られている機械には所狭しと数字が踊り、少女の両肩には巨大なミサイルポッドが鎮座している。少女は十数メートル先に展開されたターゲットを睨みつけながら、頭の中で幾つもの処理を同時並行で行うと口を開いた。

 

「……発射!」

 

瞬間、ミサイルポッドが開いて次々にミサイルが飛び出していく。弾頭が活性化されていないミサイル群は真正面に浮かんでいるターゲットに激突を続けた。1、2と少年の手に握られたカウンターが数を増していく。そして9を数えて最後のミサイルが残されたターゲットに向かう。

 

「……あ」

 

少女の抜けた声が小さく溢れる。最後のミサイルは標的を少し外れて後ろの方に飛んでいってしまった。目標を失ったミサイルはそのまま飛び続け、丁度ミサイルの後ろ数十メートル先にいたISに向かって飛ぶ。

 

「うおっ!?」

 

寸での所で白いISがミサイルに気づいて回避する。向かう先を失ったミサイルはそのまま勢いを無くして地面に衝突、地面に長い跡を残してようやく止まった。

 

「ちょっと二人ともー!気をつけなさいよねー!!」

 

「悪い鈴!」

 

「……」

 

「取り敢えず今日はこれで終わりだ。お疲れさん、簪」

 

「うん……」

 

空色のISを解除して、少女が土を踏む。少年は手に持った機械で太陽の光を遮りながら、空を見上げた。

 

「明日から、夏休みだな」

 

 

 

 

前学期の最終日、早朝にも関わらず統夜と一夏はIS学園のアリーナで特訓を行っていた。あの臨海学校で感じた事、それはまだまだ自分達は弱いという純然たる事実。それを克服するため、男二人は日夜特訓に励んでいたのである。最もその内容は一夏がISの特訓、統夜は生身での戦闘と方向性は全く違っていたが。

 

「ふぅ、やっと今日で授業も終わりか」

 

「明日から夏休みだもんな。なあ統夜、何か予定とか立ててんのか?」

 

ISスーツを脱ぎながら、一夏が隣でジャージを脱ぎ捨てている統夜に問いかける。二人だけの更衣室は何処か味気ないものの誰に気を使うこともないため、男二人で気兼ねなく話せる数少ない場所だった。

 

「正直、何にもないんだ。ここに来るのもいきなりだったしな。ここで生活するだけで手一杯だったから予定なんて無いさ」

 

「だったらさ、俺ん家来ないか?予定聞いたら、千冬姉もあんまり帰って来ないみたいでさ。暇なんだよ」

 

「ああ、いいぜ。一夏の家って何処なんだ?」

 

「後でメール送っとく……やべっ、もうこんな時間だ」

 

壁に掛けてある時計に目を向けると、既に時刻は七時半を回っていた。授業には十分間に合うのだが、これ以上もたもたしていると朝食が食べられなくなる恐れがある。二人は急いで制服に着替えると、荷物を担いで更衣室を出た。

 

「あれ?誰もいないぞ」

 

「もう全員食堂に行ってるってさ。俺たちも早く行こうぜ」

 

手に持った携帯電話に映し出されているメールの文面を読みながら、統夜が一夏を促す。アリーナを出て、寮に続く並木道を二人でひた走る。朝の風は少し火照った肌を冷やし、心地よい清涼感を与えてくれた。寮の玄関に飛び込んで靴を履き替えると、一直線に食堂へと向かう。

 

「さて、簪達は……」

 

「二人とも!こっちこっちー!!」

 

食堂の端の席に左右に降られている小さな手が二人の視界に映り込む。それを確認した後、統夜は券売機を睨みつけた。

 

「一夏、朝飯何にする?」

 

「あー、面倒いから統夜と同じやつで」

 

「了解。先に席取っといてくれ」

 

券売機の中から“朝食 和”と書かれたボタンを連続で押す。吐き出された二枚の食券を取って、統夜は奥の方に声をかけた。

 

「すみません、お願いします」

 

「おお、紫雲君。今日も大盛りにしとくかい?サービスするよ」

 

「二人分なんですけど、いいですか?」

 

「オッケーオッケー、むしろ男の子なんだからたくさん食べなきゃ」

 

「じゃあ、二人分お願いします」

 

食券をカウンター越しに手渡す。程なくして、統夜の目の前にトレーに乗った朝食が二つ置かれた。感謝の言葉を述べながら、統夜は二つの朝食をそれぞれ片手で持つと、先程手が振られていた場所へと向かう。

 

「ほら一夏、お前の分」

 

「お、サンキュな統夜」

 

「あれ?一夏達のご飯の量、多くない?」

 

四人がけの席に座っているのは鈴、シャルロット、ラウラ、簪の四人だった。隣から二人がけのテーブルを持ってきたのか、一夏がその隣に座っている。朝食を手渡した統夜は、一夏の対面に座り込んだ。

 

「ああ、食堂の人がサービスしてくれたんだ。いただきます」

 

一礼して、目の前の食事に手をつける。温かい味噌汁は朝から動いて疲弊している体に良く染みた。そのまま焼き鮭とご飯をぱくついていると、斜め横に座っているラウラがパンを食べながら統夜を見つめる。

 

「ボーデヴィッヒさん、どうかした?」

 

「紫雲、いきなりで悪いが貴様は何か格闘技でも習っていたのか?」

 

「……ああ、朝の組手の事?」

 

つい数時間前の様子を思い起こす。簪のISの武装試験をする前に、ラウラに頼み込んで格闘の訓練をしてもらったのだ。恐らくその内容の事を言っているのだろうと当たりをつけた統夜は箸を一旦置いて、脇に置いてあった水を一息に飲み干した。

 

「まあ、習っていたことに……なるのかな?」

 

「随分歯切れが悪いな。何か事情でもあるのか?」

 

「ああ、事情とかそういうのじゃないんだ。ただ、何分正式に習っていたわけじゃないから、そう言っていいのか分からなくて」

 

「え?統夜って誰かに格闘技習ってたの?」

 

ラウラとの会話にシャルロットが食いついてくる。統夜は口の中を空にして、目の前の鮭の骨を取りながら話を続けた。

 

「小学生の頃からかな。姉さんに頼んで稽古を付けてもらってたんだ。一応、ここ(IS学園)に来るまでずっとやってたんだけど、何分我流でさ」

 

「では一つ言い当ててやろう。その姉は軍に属していたな?」

 

「あ、ああ。その通りだけど……」

 

「ラウラ、アンタ凄いじゃない。何で分かるのよ?」

 

鈴の賞賛の言葉に、トーストを齧りながら胸を張るラウラ。コップに入れてあった牛乳を飲み干すと、残っていたスクランブルエッグを口に運んだ。

 

「んぐ……紫雲の動きには統一感があったからな。動きに軍の格闘技に近いものを感じただけだ。それに、攻撃の方はおざなりだったが防御の技術の方は妙に洗練されていた。誰かに教えを請うてなければ出来ない体の使い方だったからな」

 

「本当に凄いな……」

 

「統夜、そのお姉さんって軍人だったの?」

 

「ああ。前は軍人、元世界最強。それで現在は会社勤めのOL」

 

「世界最強……?」

 

「アンタ何馬鹿な事言ってんのよ。その称号って──」

 

「紫雲、嘘を付くな」

 

先程とは打って変わった調子でラウラが言葉を投げつける。和気あいあいとしていた朝食の場において、ラウラの言葉は氷の様だった。

 

「その称号は教官の物だ。この世界に置いて教官以外の誰も、その称号を持たない」

 

「いや、前に姉さんが自分の事をそう言ってただけなんだけど……」

 

「まあまあラウラ、落ち着いて。統夜、お姉さんの名前って何ていうの?」

 

場を取りなしたシャルロットが苦笑いを浮かべながら問いかける。ラウラは不満げな表情を浮かべながら、統夜の言葉を待っていた。

 

「カルヴィナだけど」

 

「カルヴィナ?……まさかね」

 

自分の考えを否定するかの様に、鈴が頭を振る。事情を知っている簪と一夏以外の三人はその名前を聞いて思い思いの反応を見せていた。シャルロットはその名前を頭の中で探っているのか、視線を明後日の方向に向けている。ラウラも顎に手を当てて、考え込む素振りを見せた。

 

「なあ統夜。もしかして鈴達、お前の姉さんの事知らないんじゃねえか?」

 

「あれ?そういや言ってなかったけ」

 

「この反応は……知らないと思う」

 

サラダを咀嚼しながら、統夜の横に座っている簪が小さく漏らす。三人とも頭を捻ってはいるが、どうやら答えにはたどり着けないようだ。

 

「……“ホワイト・リンクス”」

 

簪がぽつりと単語を漏らす。一般人なら知らない人間はいない、それこそ“ブリュンヒルデ”と同じくらいの知名度を誇っているその単語を耳にしたラウラ達三人は一様に固まってしまった。

 

「更識……今なんと言った?」

 

ホワイト・リンクス(白い山猫)……統夜のお姉さんの、称号」

 

「……確認しとくわよ統夜。ま、まさかアンタのお姉さんのフルネーム、カルヴィナ・クーランジュじゃないでしょうね?」

 

「良く分かるな、鈴。それで合ってるよ」

 

「う、そ……」

 

シャルロットが握っていたフォークを取り落とす。フォークが食器に当たって発生した澄んだ音は、静まり返った空間によく響いた。数秒間の間、誰も言葉を発さず、身じろぎ一つしない。そんな中、三人の反応を見た一夏が間の抜けた声を出す。

 

「あれ……何で皆固まってんだ?」

 

「……は、はあああっ!?」

 

鈴が机に両手を突いて身を乗り出す。眼前に迫ってきた鈴と距離を取りながら、統夜は味噌汁を胃に流し込んだ。

 

「何だよ、何でそんな驚いてんだ?」

 

「あ、アンタ本気で言ってんの!?」

 

「本気も何も、ただの事実なんだけど」

 

「統夜……証拠、見せて上げれば?」

 

「証拠、ねえ……」

 

統夜は味噌汁の器をトレーに置くと、ポケットの中をまさぐって携帯電話を取り出した。画像フォルダを開くと、目でいくつもの写真を追いながら目的の物を探す。

 

「……これならどうだ?」

 

統夜が片手に握った携帯電話を見やすいように、一同に向かって突きつける。事情を知っている一夏と簪以外の三人の視線は携帯電話に映っている写真に釘付けとなった。

 

「去年、姉さんと遊びに行った時に撮ったやつだけど……気になることでもあるのか?」

 

「で、でも統夜の苗字は紫雲で、そのカルヴィナさんはクーランジュだよね?」

 

「あー……その辺はちょっとな。血は繋がってないけど、俺と姉さんは家族だよ」

 

「……ラウラ、お前大丈夫か?」

 

統夜の言葉を聞いてから、ラウラは完全に固まってしまっていた。顔は青ざめ、瞳はぎこちなく揺れ動き、唇は戦慄いている。眼帯で隠されていない露出している瞳には涙が滲んでいた。

 

「ボーデヴィッヒさん?どうかした──」

 

「た、頼む紫雲!」

 

身を乗り出して、統夜の目の前で両手を合わせるラウラ。ラウラが近づいた分距離を取りながら、統夜は目の前の少女のいきなりの行動に困惑するばかりだった。周囲の一同もラウラのいきなりの行動にぽかんと口を開けて驚いている。

 

「今の言葉はクーランジュ教官には絶対に言わないでくれ!」

 

「く、クーランジュ教官?」

 

「先の言葉は謝罪する、というか紫雲を全面的に支持する!だ、だからクーランジュ教官には言わないでくれ、後生の頼みだ!!」

 

腕を更に伸ばして統夜の両肩を掴んでぶんぶんと揺するラウラの表情は真剣そのものだった。あまりの勢いに押されて、統夜が承諾しようとなんとか口を開く。

 

「わ、分かった、分かったから!!」

 

「ほ、本当か!?本当の本当に本当なのだな!?」

 

「分かった!!今の言葉は姉さんには言わないって!!」

 

「ほらラウラ。どうどう」

 

鈴がラウラの両手を統夜から引き剥がして、席に座らせる。乱れた服装を直しながら、統夜も席に着くと残った朝食を片付け始めた。すると同じタイミングで、食堂に電子音のチャイムが響く。

 

「おお、もうこんな時間か」

 

「さっさと食べないと、また織斑先生の雷が落ちるな」

 

目の前の一夏を筆頭に、周囲の四人も急いで残りの朝食を口に放り込んでいく。こうして慌ただしい中、最後の授業を告げる希望の鐘の第一声は鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「それでは、最後に纏めておく」

 

教壇で片手に紙の束を持った千冬が声を轟かせる。教室にいる生徒全員は、配られた書類に目を釘付けながら千冬のありがたいお言葉を待った。

 

「一つ、人様に迷惑をかけるな。二つ、休み中もIS学園の生徒という自覚を失うな。三つ、面倒を起こすな。以上だ」

 

「……あ、あの、織斑先生。それだけですか?」

 

教壇の横で、真耶が躊躇いがちに問いかける。

 

「私からは以上です。山田先生、後はお願いします」

 

言うが早いか、千冬は持っていた紙を真耶に押し付けてさっさと出て行ってしまった。紙を受け取った真耶は恐る恐ると言った様子で教壇へと立つ。教室にいる生徒全員へと目を走らせた後、真耶は持った紙で顔を隠すようにしてから書類を読み上げた。

 

「ええっと、明日から夏休みが始まります。皆さんも久しぶりにお家に帰ったり、十分に羽を休めてきてください」

 

「まやまやはどーすんの?」

 

千冬がいなくなった事で一気に弛緩した空気の中、生徒の一人から疑問の声が上がる。周囲の生徒が徐々にざわざわと声を交わす中、真耶は教壇に両手を突いて顔を俯かせながら返答を返した。

 

「先生はIS学園で仕事です。うう、今年こそゆっくり出来ると思ったのに……」

 

悲壮感たっぷりの声を響かせながら、真耶が黙り込んでしまう。何か悪い物にでも触れてしまったのか、と察知した生徒はしきりに先を促し始めた。生徒の声に導かれて、真耶は再び顔を上げる。

 

「と、とにかく先程織斑先生が言った通り、皆さんも夏休み中はくれぐれも問題を起こすことの無いように。それではまた、一ヶ月後にお会いしましょう」

 

「「「はーい!!」」」

 

女子特有のテンションの高い叫び声が教室を埋め尽くす。まるで押し込められていた感情が爆発するかの様に急に騒がしくなった教室内で、統夜は自分の机の中から勉強道具を取り出し始めた。

 

「おーい統夜、この後少し時間あるか?」

 

「ああ。後は部屋に戻って荷物を取った後、帰るだけだからな。何かあるのか?」

 

前方から近づいてきた一夏に返事をしながら、教科書やらノートやらがぎゅうぎゅうに詰まった鞄を持ち上げる。席を立って二人揃って教室を出ると、既に他の生徒達で溢れかえっていた。

 

「ちょっと皆で写真取らないか?」

 

「写真?」

 

「一学期も今日で終わるからな。節目っていうか一つの区切りっていうか、そんな感じで。どうだ?」

 

「大丈夫だ。他に来る奴は?」

 

「ああ、箒とか鈴にはもう言ってある」

 

昇降口で靴を履き替えて、二人揃って寮への道を登っていく。もう何度往復したか分からないこの道も、しばらくお別れだと思うと感慨深い何かが込み上げてくる。

 

「じゃあ俺も連れてっていいか?」

 

「誰を?」

 

「簪。お前も知ってるし、仲間外れにはしたくないしな」

 

寮の玄関をくぐり抜けて、毛深い絨毯の上を歩いていく。人三人以上が並んで通れる広い廊下も、今日ばかりは帰省する生徒が多すぎて渋滞状態となっている。

 

「ああ、全然いいぜ。準備出来たら校門の所で待っててくれ」

 

「了解。じゃ、また後でな」

 

自室のドアを開けると、熱気を孕んだ空気に出迎えられる。鞄を自分のベッドに放り投げると、統夜はベランダに出て外を眺めた。

 

「……色んな事が、あったよな」

 

米粒程の大きさの生徒達がわらわらと出てくる校舎を見つめる。四月に入学した時には、自分がこんな感情を抱いているなんて思いもしなかっただろう。しかしそんな甘い考えは、同じ男子生徒と会ったあの時から融け始めていたのかもしれない。

 

「何か、ここで初めてラインバレルになったのが遠い昔みたいだな」

 

ドーム状のアリーナを見つめながら、過去を振り返る。五月、初めてこの学園でラインバレルになったあの時から、自分の中にある運命の歯車は回り始めた。今のひと時をこんな穏やかな気持ちで過ごせるのも、過去の積み重ねがあったからにほかならない。

 

「……後悔しない、絶対に」

 

六月には、初めて自分の秘密を他者に明かした。あの時の決意は二度と忘れないし、自分の心に一生残る物だろうと確信している。何より、大切な物が出来た時でもあった。体を動かして、空に浮かんでいる太陽を眺める。空に浮かぶ太陽は、少し手を伸ばせばすぐに掴めそうだった。軽い気持ちで右手を空に伸ばして、太陽を掌で包み込む。

 

「どこまでもやってやるさ……それが、俺の決めた──」

 

「統夜」

 

「うわっ!?」

 

傍からかけられた声に驚いて、思わずたたらを踏んでしまう。手すりを掴んで体勢を整えると、すぐ目の前にいたのは青髪の美少女だった。

 

「何……やってるの?」

 

「ああ、ここに来た時の事思い出してたんだ。ここに来てもう三ヶ月近くも経つんだなって思ってさ」

 

簪の脇を通り抜けて、自分のベッドにダイブする。スプリングが軋む音も、このベッドの柔らかさも、いつの間にか体に馴染んでしまっていた。簪も腰掛けながら、愛おしい様に自分のベッドを撫でる。

 

「夢、みたい……」

 

「夢?」

 

「私も……ここに来る時には、こんな風になると思っていなかった」

 

脱力しながら、簪も統夜と同じ様にベッドに体を横たえる。ぽふんと小さい音を立てながら、ベッドは簪の小さい体を受け止めた。

 

「弐式を完成させて、お姉ちゃんと仲直りして……こんな生活が夢みたい」

 

「夢なもんか。俺はここにいて、簪もここにいる。それが現実だろ?」

 

「うん……そう、そうだよね」

 

「そう。卒業まで続く、俺たちの現実だ」

 

「……教えて欲しい事がある」

 

何かを思い出したかのように急に体を起こした簪は、部屋の端に置いていた自分の鞄の中身を漁り始めた。やがて、そこそこ分厚い本の様な物を取り出すと一番後ろのページを引きちぎって統夜に差し出す。

 

「何だこれ?」

 

「そ、その……統夜の家の住所、教えて欲しい……」

 

「俺の家の住所?」

 

意味が分からず、反射的にオウム返しで返してしまう。簪は本を持った手を後ろ手にしながら、顔を赤らめた。

 

「お中元とか……暑中見舞いとか、贈るかもしれないから……あくまで、念のため」

 

「まあ、別にいいけど」

 

ベッドの上の鞄に手を伸ばして、筆箱からボールペンを取り出す。脇にあったサイドボードの上で住所を書いたあと、簪に紙切れを返した。

 

「はい。俺の家の住所」

 

「あ、ありがとう……」

 

簪は紙を四つ折りにして大事そうに本に挟むと、鞄の中に戻す。統夜はベッドに寝転がりながら何の気なしに外へと意識を向けてみると、先程より人の声が減っていた。

 

「さて、そろそろ行くかな」

 

体を起き上がらせて、ベッドの上の鞄と脇に置いてあった大きめのボストンバッグを持ち上げる。簪も統夜に習うように、自分の荷物を手に取った。二人揃って部屋の中を見渡して、忘れ物が無いかどうかチェックした後、部屋の外に出る。

 

「これで戸締り完了っと」

 

ポケットから取り出した鍵で、部屋を施錠する。ガチャリと音を立てて回った錠を確認すると、二人で人気の少なくなった廊下を歩く。

 

「あ、そう言えば簪、まだ時間あるか?」

 

「あるけど、何……?」

 

「写真取らないか?一夏が誘ってくれてさ。簪の事聞いたら連れてきてもいいって言ってたから」

 

「……うん。もしよかったら、行きたい」

 

「大丈夫だろ。すみません、お願いします」

 

寮の窓口の所で鍵を預ける。開け放たれた玄関口から見える空は、正に夏にぴったりな快晴だった。外履きに履き替えてから、寮を出ると歓迎とばかりにきつい日差しが二人に降り注ぐ。寮の前の坂道を降りた先に見えた校門の所で、数人が塊になっていた。半ば駆け足になりながら、統夜が声を張り上げる。

 

「おーい、一夏!」

 

「統夜ー!早く来いよー!!」

 

「ああ!今行くー!!」

 

校門の所で声を張り上げている友人の姿を見て、足が更に早まる。しかし、背中越しに聞こえてくる声によって統夜の足が止まった。

 

「と、統夜、ちょっと速い……」

 

肩で息をしながら、簪が何とか統夜についていこうと駆ける。いつの間にか高揚していた気分の中、統夜のその行動は極々自然に行われた。

 

「ほいっと」

 

「あっ……」

 

簪の肩に背負われていた大きめの旅行かばんと、手に持っていた鞄を半ば無理やり受け取る。肩に担いでいた自分のボストンバックと鞄を右手に持ち替えた後、簪の分の荷物も右手で握るとそのまま肩で担ぐように背負った。

 

「行こう、簪」

 

簪は目の前に差し伸べられた手と、統夜の顔を交互に見つめる。そして臆することなく、無言のまま簪は統夜の手を取った。

 

「……」

 

簪は無言を貫いていたが、決して何も思っていたわけではなかった。その顔は嬉しさの余り満面の笑みを浮かべ、統夜の速度に合わせて簪の足も早まっていく。まるで二人三脚の様に揃って走るその姿は、入学当初に初めて出会った時からは考えられない物だった。

 

「悪い一夏!遅くなった!!」

 

「ご、ごめん、なさい……」

 

「いいからいいから!早く並んでくれ!!」

 

荷物を地面に投げ出して、簪と統夜が手を握ったまま集団の和に加わる。目の前に置かれたカメラに移ろうと、彼女らは必死になっていた。

 

「箒!もうちょっと横に!!」

 

「これでいいか?」

 

「今度はシャルロット、もうちょいしゃがんでくれ!!」

 

「わ、分かった」

 

「一夏、まだなの?」

 

「あと少し……よし、OK!!取るぞー!!」

 

一夏が三脚に乗せられたカメラから離れて、集団に加わる。統夜の横に来た一夏は片手を伸ばして、男同士で肩を組んだ。統夜も、横にいる友人に笑顔を返しながらカメラの方向に視線を向ける。

 

「ちょっと鈴さん!もう少しそちらに寄ってください!」

 

「うっさいわね!あんたこそ私より背高いんだから座りなさいよ!!」

 

「よし、それでは私は嫁の横に──」

 

「行かせないわよ!」「行かせませんわ!」

 

ぎゃあぎゃあと背後から降りかかってくる音が心地よいのは、気のせいではないだろう。こんな日常が、たった一日が、少しの時間が。自分にとって守るべき対象なのだから。

 

「一夏……」

 

「ん?何だ統夜?」

 

「やっぱいいもんだな……こういうのって」

 

「ああ、当たり前だろ!」

 

肩に回された手に、更なる力が加わる。お返しとばかりに統夜も空いている左腕を、一夏の肩に回した。

 

「おーい、そろそろだぞ!!」

 

一夏の言葉に反応する様にタイマーのかかっているカメラの点滅する間隔が、徐々に短くなっていく。点滅する間隔が狭まり、とうとう連続的に点滅を繰り返して光り続ける様に見えたその瞬間、八人の内の誰かが叫んだ。

 

「いちたすいちはー?」

 

全員の息を吸う音が揃う。計ったわけでもないのに、事前に打ち合わせしたわけでもないのに、勝手に揃ったその音の後に再び、青空に響く大声が巻き起こる。

 

「「「「「「「に―!!」」」」」」」

 

たった一度の高校一年生の夏が今、始まる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話 ~平穏など無い~

「ふぁ~あ……」

 

欠伸を噛み殺しながら、統夜は自分のベッドから体を起こす。枕元にある目覚まし時計に目を向けてみれば、時刻は既に正午を回っていた。夜更しはダメだなと思いつつ、目を覚ます為にベッドから這い出てキッチンへと向かう。

 

(夜遅くにゲームなんてやるもんじゃないな)

 

本日二度目の欠伸と共に、大きく体を伸ばしながらリビングへと入る。キッチンへと向かいたいところだがそれよりも前に、起きたらまず一番最初にやるべきことをするために、統夜はその場所へと足を運ぶ。

 

「……おはよう」

 

リビングの端に鎮座している洋風の本棚。何十冊という本が隙間なく並べられているが、一段だけ空白が生まれている。そこには、幾つもの写真立てが置かれていた。その中の一つ、黒縁の写真立ての中にある写真を見ながら、統夜は小さく呟く。

 

「父さん、母さん」

 

今日も、熱い夏の一日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

「さて、今日は何をしようかなっと……」

 

冷たい水を一気飲みして目を覚ました後、統夜は冷蔵庫の中身を見ながら独り言を漏らす。覗き込む冷蔵庫の中身は、僅かな調味料を除けばほとんど何も入っていなかった。

 

(やっぱ、姉さんが帰ってくる前に色々買っておかなきゃダメだよな)

 

ため息をつきながら、冷蔵庫の扉を音を立てて閉める。リビングの中心に置かれたそこそこ大きいテーブルの上に並べられたいくつもの出前のメニューを脇に押しやって、統夜は近くのスーパーのチラシを広げた。

 

「でも、買いに行くの面倒くさいな……」

 

夏休みが始まって既に一週間が経過していた。実家に戻った統夜がまず一番に行ったことは家中の掃除であった。何しろ、自分と姉が出て行ってから誰の手も入っていない家である。埃はそこいら中に積もっているし、生活用品は前のまま。食材に至っては統夜がIS学園に行く前に自分の手で全て処分したため、すっからかんであった。

 

(何か、作る気が湧かないんだよな)

 

しかしたったひとり、しかも自分の為に食事を作ると言うのは存外面倒な物である。食材を買ってくる気力も湧かなかったし、わざわざ自分一人の為にフライパンを振るうというのも気乗りしなかった。その為、ここ一週間は外食や出前、前に買い溜めてあったカップ麺等を食していた統夜だったが、ここいらでとうとう限界が来た。と言っても自分の限界、ではない。それはありていに言えば、姉のためだった。

 

(でもやるしかない、か)

 

昨日届いた、姉からの電子メール。そこには“数日後にそちらに戻る”と書かれていた。姉が帰ってくるとなれば、自分がだらだらと日々を過ごす訳にはいかない。そう思った統夜はチラシを纏めて机の上に置くと、自室から簡素なTシャツとチノパンを取り出して着替える。

 

「準備完了っと」

 

ベッドの脇にかけてあったバッグを取り上げてリビングに戻ると、机の上のチラシをバッグの中に詰め込む。その時、統夜の腹部から低い音が漏れた。

 

(そういや飯食ってないな……まあいいや)

 

自分の体は自分が一番理解している。たかが一食抜いた程度で参ってしまう様な弱い体ではないのだ。腹の音を無視しながら、玄関へ繋がる廊下に出ようとしたとき、リビングにチャイムが響き渡る。

 

(来客……誰だ?)

 

頭の中で最近の予定を洗うも、該当する物は出てこなかった。つい最近まで誰もいなかったこの家に、宅配が来る事はほとんど無い。そもそも、統夜の知り合いでこの家を知っているのは極々少数だ。姉の知り合いかと思いもしたが、姉のいないタイミングで訪ねてくるとはどうしても思えない。

 

(取り敢えず出てみるか)

 

バッグを持ったまま、玄関へと突撃する。覗き穴を使う事もせず、統夜は躊躇い無くドアノブを回して扉を開いた。

 

「はい、どちら様、です……か……」

 

「……」

 

一人の少女が統夜の目の前に立っていた。茶色いサンダルに包まれた足から伸びる白い太腿、僅かばかりの装飾をあしらった純白のワンピース。耳にかかっている青い髪と顔にかけられている縁なし眼鏡。そして何より印象的なのは首にかけられた白い花のネックレスだった。

 

「ひ、久しぶり」

 

両手で持った編みかごを後ろ手に隠しながらはにかむ少女、更識 簪が統夜の目の前にいた。

 

 

 

「はい、麦茶」

 

「あ、ありがとう……」

 

冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出してコップに注ぐと、簪の目の前に置いてやる。テーブルに着いた簪は、体を固くしながらも何とかそれを受け取った。統夜も自分の分を別のコップに注いで一息に飲み干す。

 

「でも簪、どうして俺の家に来たんだ?もしかして、案外簪の家が近かったとか?」

 

意外な来訪者の登場に、統夜は戸惑う事しか出来なかった。取り敢えず簪を家に上げたはいいがこれから何をしたらいいか、皆目見当がつかない。彼女一人を置いて買い物に行くわけにも行かないし、何より簪がここに来た目的が分からなかった。

 

「ううん。そんなに近くない」

 

「簪の家からここって、どの位かかるんだ?」

 

「えっと……電車で一時間位かかった」

 

「……は、はあ?」

 

この回答に統夜は思わず遠慮の無い疑問の声を上げてしまった。精々、徒歩で十数分だとか自転車で十分程度の答えを予想していたのだが、斜め上どころか真上の返事に戸惑ってしまう。

 

「あ……ぐ、偶然代表候補生の仕事でこの辺に来る事があって、そ、それでたまたま統夜の家が近かったから……」

 

しどろもどろに言い訳がましく言葉を並べ連ねる簪を見て、統夜はこれ以上糾弾する気を無くしてしまった。彼女が来て迷惑という事は欠片も無いし、統夜自身この一週間殆ど知り合いと出会わなかったので、誰かと話したいと思っていたのも事実である。ただ、少々タイミングが悪いのも事実として確かなものだった。

 

「あのさ、簪。言いにくいんだけど俺、これから出かけなきゃいけないんだ」

 

「え……?」

 

「姉さんが帰ってくるってメールが来たんだけど、食材が殆ど無くてさ。これから買い物に行こうとしてた所だったんだ」

 

「じゃあ、統夜は何食べてたの?」

 

「えっと、一応出前とか……ほら、外食とか色々あるだろ」

 

わざと言葉を濁して逃げようとする統夜だったが、簪は統夜の言葉の端に含まれた物を見逃さなかった。おもむろに立ち上がると、キッチンの方に回ってゴミ箱の中を覗き込む。そこには統夜が昨晩食べたカップ麺の空き容器が入れられていた。

 

「統夜、これ何?」

 

「それは……ほら、自分の為だけに料理作るのって面倒だろ?だから、その……」

 

今度は統夜が言い訳を繰り返す番だった。カウンター越しにジト目で睨みつけてくる簪に対して、母親にイタズラが見つかったときの子供の様な言い訳を吐き続ける。しばし統夜の言い訳を黙って聞いていた簪だったが、一つ大きなため息を吐いだ。

 

「はぁ、お姉ちゃんの言った通り……」

 

「な、何か言ったか?」

 

「何でも無い。私も行く」

 

「えっと、それって……簪も買い物についてくるって事か?」

 

「うん」

 

(……やっぱり簪、変わったな)

 

出会ってすぐのときはこんな遠慮無く接して来る事はまずなかった。何処か壁の様な物を常に感じながら接してきた過去の事を思うと、感慨深いものを感じる。しばし思想に耽っていると、頭の中に一つの疑問が浮かび上がってきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ついてくるのはいいけど、簪は何しに行くんだ?」

 

「どうせ今日の夜も、こんなのでしょ?」

 

簪が指差しているのは、ゴミ箱に入ったカップ麺の空き容器だった。年頃の男子としてはジャンクフードをこんなの呼ばわりした事に反論をしたい所だったが、簪の言っている事は正鵠を居ていた。

 

「別にいいだろ?食べた所で俺の体がどうなる訳でもないし、そんなのでへたれる程俺の体はやわじゃない」

 

「ちゃんと食べなきゃダメ……だから、私が作る」

 

母親の様な口調で簪が統夜に人差し指と共に言葉を突きつける。おまけの様に付け足されたその言葉は、簪の言い方が余りにも自然過ぎて思わず聞き逃してしまう所だった。

 

「……作る?簪が?」

 

「わ、私だって、料理くらい出来る」

 

一学期の間、ずっと統夜の料理の腕を見てきただからだろうか。若干言いにくそうに簪が告白する。確かに統夜は簪が料理をしている所を見た事が無かった。だが、見てない事と簪は料理が出来ないという事象はイコールではない。

 

「じゃあ……任せてもいいか?」

 

「任された」

 

IS学園にいたときと同じ調子で会話を交わす。場所が変わっても、少しの時間離れていても、二人の間の空気は全く変わらなかった。

 

「そろそろ行くか」

 

「うん。統夜、お昼は?」

 

「正直、抜いてもいいって考えてたんだけどな……」

 

「統夜」

 

「分かってる。ちゃんと外で食べるよ」

 

玄関から廊下に出て、扉に鍵をかける。まるでホテルの様に落ち着いた色彩の絨毯が敷き詰められた廊下を進んでいくと、曲がり角を曲がった所にあったエレベーターホールで足を止めた。

 

「驚いただろ。こんな所に住んでるなんて」

 

「うん。最初来た時、住所が間違ってるかと思った」

 

「元々姉さんの家なんだけど、引き取ってもらった時にこっちに越してきたんだ。IS学園に入るまでの六年くらい、ずっとここで暮らしてた」

 

金属音と共に、目の前のエレベーターの扉が開いた。扉の上では“20”という数字が点灯している。躊躇いもなくエレベーターに踏み込む統夜に続く様に、簪が恐る恐ると言った様子で足を踏み入れる。

 

「そんなに驚く事ないだろ。ISで空を飛んでる時より低い位置にいるんだから」

 

「それとこれとは……話が違う」

 

扉の横についている階層を示すボタンの内“1”と刻まれたボタンを押すと、エレベーターが密室となる。次に簪の体に襲ってきたのは、ジェットコースターに乗っている時に似た感覚だった。流石にそれよりはかなり弱いものの、普通の日常生活を送っている上ではまず慣れないであろう感覚に戸惑いを隠せない。

 

「こ、これ……統夜は平気なの?」

 

「もう慣れてるからな。最初こそ今の簪みたいに驚いてたけど」

 

一分も経たないうちにエレベーターは地上へと到着して、扉が開かれる。初めての感覚に思わずたたらを踏む簪だったが、それを見越して統夜が簪の体を支えた。

 

「大丈夫か?」

 

「……大丈夫じゃ、ない」

 

「……ほら」

 

「あっ」

 

簪の左手が、統夜の右手に優しく包まれた。左手で頬を掻きながら、目を合わせないように統夜はわざと視線を明後日の方向に向ける。

 

「ま、またよろけたら危ないからさ。少しの間、こうしてた方がいいだろ」

 

「……うん」

 

エレベーターホールを突っ切って、ガラス張りの自動ドアを抜ける。外に出ると、夏特有の熱風と、頭上からの日差しが二人を襲った。アスファルトからの照り返しも強く、あっという間に顔中から汗が吹き出てくる。

 

「統夜、どこ行くの?」

 

「まず生活用品からかな。姉さんが帰ってくるし、足りない物も色々とあるから。付き合わせて悪いな」

 

「ううん。構わない」

 

話しながら、マンションから段々と離れていく二人。そしてとうとう、マンションから完全に離れて声が聞こえなくなったとき、物陰から二つの人影がゆっくりと出てきた。

 

「マンションから出ていったぞ。どうする?」

 

「決まってる。後を追うわ」

 

「見慣れない子がいたが……誰だ?」

 

「多分、更識 簪とかいう日本の代表候補生でしょうね。写真にあった顔と同じだわ。いいから行くわよ」

 

統夜達が歩き去っていた方向に人影が歩を進める。高校生の彼らに取って初めての夏休み。IS学園から離れたこの地でも、波乱の幕があけようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話 ~帰還~

「ありがとうございましたー!」

 

お決まりの文句が店員の口から発せられる。荷物を分担して持ちながら、二人は薬局を後にした。涼しかった店内から、暑さの厳しい屋外へと足を踏み出すと再び汗が皮膚を覆っていく。

 

「悪いな簪、こんなに付き合わせて」

 

「だから、それはもういい」

 

時刻は午後三時。親子連れやサラリーマンが歩く中、統夜と簪は白いビニール袋を片手に持ちながら並木道を進んでいた。思いのほか多くなってしまった荷物をちらりと見ながら、統夜は空いている手で額を拭った。

 

「もうおしまい?」

 

「いや。まだ夕飯の準備と、明日以降の飯の材料かな。まあ、そっちを買う場所はもう決まってるんだけど」

 

統夜の家から一番近い駅の周辺で、優に二時間は目的の物を探し求めていた。その結果、生活用品を始めとした大体の物を揃えることに成功した統夜は、ご満悦だった。並木道を歩いていると、丁度良い所に公園が見えてきた。中央に噴水があり、その周囲に幾つかのベンチが囲むように置かれているそれらを見て、統夜が口を開く。

 

「なあ簪、ちょっと休んでいかないか?流石に疲れたろ」

 

「うん……」

 

買ったものがぱんぱんに詰め込まれたビニール袋は、簪の細腕には少し辛かったらしい。僅かに震える手からビニール袋を受け取ると、統夜は目の前のベンチに座るよう、手で促した。

 

「ふぅ……」

 

大きく息を吐きながら簪は木組みのベンチに座り込んだ。統夜も脇に二つのビニール袋を置いてから、簪の隣に座る。長いベンチは二人が座るには十分過ぎる大きさであり、少しばかり間を空けて座っていた。

 

「統夜、いつも一人でこんな事してたの?」

 

「ああ、IS学園に入る前はな。姉さんは仕事で忙しかったし、俺も中学はずっと帰宅部だったから時間は余ってたしさ。何より、姉さんに恩返し出来る方法がこれくらいしか思いつかなかったんだ」

 

「……子供の頃の統夜って、どんなだったの?」

 

余りに漠然とした簪の質問に、しばし返答が遅れる。今や遠い過去になってしまったあの時を脳裏に呼び起こして、統夜は語り始めた。

 

「そうだな……一言で言うなら暗かった、かな」

 

「暗い?」

 

「姉さんに引き取られて初めてラインバレルになった後、俺は本気で自分が怖かったんだ。いつまたあんな事が起きるかも分からなくて、いっそのことこいつを捨てようかとも思った時もあった」

 

首元にかかっているネックレスを指差す。夏の日差しが当たってキラキラと輝く銀色のネックレスが、統夜の首で揺れていた。

 

「でもやっぱり出来なかったんだ。俺の体に関わる唯一の物だったし、何よりこいつは父さんから貰った形見みたいな物だったから」

 

「……」

 

「話を戻すけど小学生の頃、勿論俺は子供でさ。姉さんに引き取られてすぐの頃は父さんたちが死んだショックで全然周りの子と話せなくて、クラスでも浮いてたんだ。それで、そのまま育ったから口数が少ないのが普通になっちゃって。それで同じクラスの奴にからかわれてたんだ」

 

「それって、いじめられてたってこと?」

 

「さあな。とにかく、クラスのガキ大将みたいな奴を筆頭に俺はずっとからかわれてた。休み時間の間に小突き回されるのは勿論の事、日常生活でもずっと目の敵みたいな扱いだったんだ。ただ、別に俺は何とも思わなかったしずっと無視してたけど、逆にそれが相手の癪に障ったんだろうな。ある日、校舎裏で囲まれたんだ」

 

統夜が空に浮かんでいる太陽に手を向ける。何かを思い出すかのように拳を作って空を仰ぎ見る統夜だったが、大きなため息と共に続きの言葉を口にした。

 

「それまでは何を言われても平気だったんだ。根暗とか、何考えてるとか分からないとか、散々な事を言われてたけど耐えてきた。ただ、その時に言われた一言だけは我慢出来なかったんだ」

 

「何を、言われたの?」

 

「……“親無し”だったかな」

 

「それ、は……」

 

小学生相手に言うには度が過ぎる単語に簪は言葉を失った。幾ら子供だからといって、言って良い事と悪い事ががある。ただ、その少年は子供故にその区別がつかなかったのだろう。その言葉を言われた統夜の心境に、簪が共感する事は出来ない。何故なら、彼女の両親は健在であり、目の前の彼の両親は他界しているのだから。

 

「それと、姉さんの事も言われたかな。前にも言ったと思うけど俺を引き取った時、姉さんはまだ15かそこらでさ。親代わりって言うより、姉代わりって感じだったんだ。別に俺はそれに何の不満も抱かなかったし、それが当たり前だと思ってた。ただ、周りの人間はそうは感じなかったんだろうな。そして父さんと母さんの事、それに姉さんの事を悪く言われた時……やっちゃいけない事を俺はしたんだ」

 

「……まさか」

 

統夜が言うやってはいけない事、数秒間の思考の末に簪が思い当たる事はたった一つしかなかった。

 

「簪の考えてる通りだと思う。言われて頭にきた俺は、思いっきりそいつに殴りかかったんだ……人間じゃない力で」

 

簪を見る統夜の瞳が、一瞬だけ色と形を変える。どこまでも深い黒色の瞳が燃えるような紅色に変化した時、簪は思わず息を飲んだ。

 

「ただ、無意識の内に力のセーブはしてた。結局、俺に殴られたそいつは肩を骨折して、一ヶ月後くらいには学校に戻ってきたらしい」

 

「らしい、って?」

 

「俺は転校したんだ、そいつを殴った三日後に。事情はともかく、クラスメイトを怪我させた俺は周囲から避けられてさ。俺自身も、自分の事が怖くなって姉さんに頼み込んだんだ。姉さんは深い事情も聞かないで俺を転校させてくれた」

 

「……」

 

「稽古をつけて欲しいって姉さんに頼んだのはその頃かな。初めてラインバレルになって暴走した自分も怖かったし、自分の体くらい自分で何とかしたいって思ったから。幸い転校した先では上手くやれたし、特に問題も無く中学校に上がれたんだ。そこからIS学園に入るまでの三年間は、一生懸命だったよ。姉さんに特訓してもらって、学校でもそれなりに上手く立ち回って、毎日があっという間に過ぎていった」

 

無意識の内だろうか、ネックレスを左手で弄りながら統夜は目の前の噴水を眺めて口を動かし続けた。

 

「こんなもんかな。父さんと母さんが死んで、姉さんに引き取られて、ファクターになって生きてきた俺の半生。特に面白くもないだろ?」

 

「ごめん、なさい。変な事……聞いて」

 

「何で簪が謝るんだよ」

 

「だって……嫌な事思い出させちゃったから」

 

「うーん、確かに父さん達が死んだ時の事はあんまり思い出したくないかな。そもそも、それ以前は記憶自体が曖昧だし」

 

「それに、その時の記憶のせいで、統夜は……」

 

思い起こすは数週間前の朝の出来事。うなされる声に起こされて隣を見てみれば、ベッドの上で統夜が苦痛に顔を歪めていた。汗を掻きながらベッドの上で心の痛みに悶えていた統夜の姿とその叫びは当分記憶から消えることはないだろう。

 

「……確かに、思い出したくないのも事実だ。でも、もう決めたんだ。後ろを振り返ってばかりじゃなくて、前に進もうって」

 

噴水の音が、しばし二人を包み込む。傾きつつある太陽は、統夜の横顔を照らしていた。無意識の内にか、ベンチに置かれていた簪の手に重ねるように統夜の掌が降りてくる。

 

「あの時言っただろ?だから、簪が気に病む事なんて無い」

 

「う、うん……ありがとう」

 

「何でお礼なんだよ」

 

首をかしげながら、統夜の頬が緩む。その手は未だに簪の手と重なっていた。二人揃って何も考えずに、緩やかに吹き出る水飛沫を見つめる。

 

「と、統夜」

 

しかしいつまでも重ねられている手に、簪の方が耐えられなかった。たどたどしい口調で何とか言葉を捻り出す。

 

「何だ?」

 

「その、手……」

 

「……あ、ああっ!」

 

簪に指摘されてやっと気づいた統夜が慌てて手を離す。座り心地が悪そうに体を揺らしている簪の横で統夜は自分の手をまじまじと見つめていた。

 

「わ、悪い簪。俺、気づかなくて……」

 

「う、ううん。別に、いいけど……」

 

「……そ、そうだ!喉渇いたろ、何か買ってくる!!」

 

唐突に叫んだかと思うと、統夜は立ち上がって何処かへと走り去ってしまう。一連の行動を見ていた簪の口から、何故か笑い声が漏れた。

 

(ふふっ、変な統夜)

 

いつもと違う一面の彼を見て、自然と微笑みが漏れていた。緩んでいる自分の頬に手を当てると、普段より暖かい。思えば、自分も彼の前では似つかわしくない行動をいつも取っていた。だが、それに違和感は無い。

 

(そう言えば、他の人の前では、統夜はどうなんだろう?)

 

IS学園にいた頃、統夜を迎えに行く度に彼の教室の中を覗いていた。教室の中で友人の一夏や鈴、ほかの代表候補生達に囲まれている彼は決してあんな表情をしない。談笑もするし、笑いもしていた。だが、今の様に取り乱す事は見た事がない。つまり、統夜が先程の様な表情をするのは自分の前だけという事になる。

 

(私だけが知ってる……統夜の、顔)

 

自分しか知らない、統夜の一面。そう考えると優越感が胸の底から込み上げてくる。同時に自分と統夜の間にある、言い表せないが確かな繋がりが感じられた。

 

「ねえ、彼女。今暇?」

 

「……?」

 

唐突に、自分に向けて声がかけられる。不思議に思って顔を上げてみればいつの間にか、自分の前には二人の男性がいた。大人と言うには若く、少年と言うには年を重ねている男二人は、簪の顔を睨めつける様に見つめている。にやにやと下品な笑いを浮かべながら、片方の男が腰に手を当てながら簪を指差した。

 

「そうそう、君だよ。ねえ、今暇かな?」

 

「ちょっと俺たちと遊ばない?」

 

「……何で、そんな無駄な事をするの?」

 

簪は本気で訳が分からなかった。何故、目の前にいる二人が言い寄ってくるのか。何故、自分などに声をかけるのか。しかし、目の前の男たちは軽い口調で軽い言葉を口にし続ける。

 

「ええ?そりゃあ、楽しい事したいからに決まってるでしょ?」

 

「君みたいな可愛い子と一緒に遊べたら、気持ちいいに決まってるって!」

 

「……?」

 

男の言葉に、軽く首をかしげる簪。しかし、彼女は自分の事を理解していなかった。その容姿が如何に整っているかを。姉と比較されがちではあるが、世間一般で言うところの美少女のカテゴリに自分が入っている事を簪は自覚していなかった。

 

「……何処かに行って」

 

精一杯の拒否の感情を込めた視線を、目の前の男二人に叩きつける。先程の言動を聞く限り、自分が話すに値しないと考えた簪は、早くこの場を去って欲しいという一抹の願いを込めて、無表情を作りこんだ。

 

「えーいいでしょ?少しくらいさぁ」

 

軽薄な口調のまま、男が自分の隣に座る。その瞬間、簪の表情が目に見えて固くなった。同時に、下げられていた手が拳へと変化する。

 

「どいて」

 

「なんて言ったの?もしかして、OKってこ──」

 

「そこから、どいて」

 

「「……」」

 

その言葉は自然と口から出ていた。同時に、心の底から沸々と怒りが湧き上がってくる。15年間の人生に置いて一番の怒りの感情を体から発しながら、簪は二人の瞳を真っ直ぐに睨み付けた。

 

「そこは統夜の座る場所。私の隣に座るのは、貴方じゃない」

 

「……ふーん、もしかして君も考えてるクチかな?」

 

「──あっ」

 

軽い驚きの声が簪の口から漏れる。隣に座った男の手が伸びたかと思うと、簪の右手首をがっちりと掴んだ。何とか振りほどこうと身をくねらせる簪だが、同年代の男と女が力比べをしても勝者は目に見えている。簪の手を捻りあげて、顔を近づける男。

 

「あのさぁ、最近多いんだよね。女ってだけで強いって思ってるの。ISだか何だか知らないけど、あんな物無かったら君達なんて俺たち男より弱いんだよ?」

 

「そうそう、こんな風に──」

 

「くうっ……!!」

 

目の前の男めがけて平手を繰り出そうとするが、事前に察知されて空いていた左手がもう一人の男に掴まれる。完全に動けなくなった簪が出来る事は、目の前の二人を嫌悪の視線で睨みつける事だけだった。

 

「優しく遊んであげようと思ってたんだけどなー。君がそんな態度取るんじゃ、穏便には行かないかな」

 

「勝手に、言わないで……!」

 

「いいから来いよっ!」

 

左手を掴んでいた男が無理やり引っ張り上げて、簪を立ち上がらせる。恐怖で身がすくんでしまった簪は、反射的に両目を瞑った。

 

「そうそう。大人しくしてれば──」

 

「少しいいか?」

 

「何だ、今取り込み中──痛てててっ!?」

 

男の叫び声と共に、釣り上げられていた体が自由になる。膝から崩れ落ちかけていた簪の体を、何者かの手が優しく受け止めた。驚きの連続の中、簪は両目を開ける。統夜が来てくれた、という考えが頭に浮かんだが、目の前にいるのは統夜とは似ても似つかない人物だった。

 

「お嬢ちゃん、大丈夫?」

 

「あ、は、はい……」

 

いつの間にか自由になった右手をさすりながら、目の前の光景を凝視する。数メートル離れている男達と自分の間に、一組の男女が仁王立ちしていた。

 

「全く、男の風上にも置けないな。女性に手を上げるのは最低の行為だぞ、少年」

 

諭すような口調で喋っているのは、長身の男性だった。しかし簪に背を向けているため、顔は全く分からない。紺色に近い黒髪を肩口より少し高い位置で切り揃えている。夏らしい薄手のシャツとチノパンという服装で、目の前の男達を注視していた。

 

「それもそうだけど、あの子も問題ありね。デートの最中に彼女を一人にするなんて。帰ったらお説教しなきゃ」

 

男性の横で軽口を叩くのは、長い銀髪を煌めかせている女性だった。夏だというのに上半身を肘まである長さのジャケットで覆っており、ホットパンツから伸びる美脚がこれまた美しい。

 

「な、何だよアンタら。俺たちは彼女と話をしてんだ」

 

「そ、そうだ。関係無い奴はさっさとどっか行ってろよ!」

 

「聞き捨てならないわね、関係無いですって?」

 

「残念ながら、大いに関係があるのでな……お引き取り願おうか」

 

「「ひっ……」」

 

(な、何、これ……)

 

男の全身から発せられる空気で、男二人が後ずさる。まるでこの場の空気全てを侵食するかの様な勢いで男の体から吹き出ている物に、簪は覚えがあった。それは、この数ヶ月の間において、戦場と呼べる場所で体験した空気だった。ISの戦闘経験がある簪ですら怯える気配に耐えられるはずもなく、目の前の男二人は尻尾を巻いて彼方へと走り去っていく。

 

「貴方、本当に大丈夫?」

 

銀髪の女性が踵を返して簪に問いかける。男性の気配に当てられた簪は返事をする事が出来なかった。呆然とベンチに座り込む簪を見て、銀髪の女性が傍らの男性に非難の声を浴びせる。

 

「ちょっと、この子も怖がってるじゃない。やり過ぎよ」

 

「む、すまない」

 

二人の目元は黒いサングラスで覆われ、視線を窺い知る事は出来ない。サングラスをかけた二人組はどこからどう見ても怪しかったが、今の簪にそれを考えている余裕はなかった。

 

「はっ……はっ……」

 

「……大丈夫、落ち着いて」

 

「あ……」

 

隣に座った女性が、その手を簪の頭に乗せる。そのまま、髪の毛を梳く様に手を左右に動かして女性は簪の頭を撫でた。男は二人の眼前に立ち尽くして、その光景をじっと見つめている。

 

「連れが怖がらせてごめんなさいね。私達は貴方の敵じゃない。だから、もう何も心配しなくていいの」

 

自分の頭を撫でるその手から伝わる暖かさは、何処か覚えがあった。何故か懐かしい感覚に包まれながら、落ち着いて息を整える。

 

「……」

 

荒かった息が、段々と静まる。頬を伝わり落ちる脂汗が夏の太陽に照らされて蒸発していく。撫でられている頭から、暖かい何かが伝わってきた。落ち着いた簪を見て微笑んだ女性は、ゆっくりと簪の隣に腰を落ち着けた。奇しくもその場所は、先程男が尻を落ち着けていた場所と同じである。

 

「ちょっと貴方に聞きたい事があるのだけれどいいかしら、更識 簪さん?」

 

「ど、どうして……私の名前を?」

 

「貴方、日本の代表候補生でしょう?それなりに自分の名前が売れてること、自覚した方がいいわ。それに、そんなに可愛らしいのだから尚の事よ」

 

「か、可愛いなんて……」

 

「まあでも私が知っているのはもっと単純な話で、貴方の事をよく聞かされてるからよ。貴方もよく知ってるあの子から」

 

「私が、知ってる……?」

 

「そうそう、紹介が遅れたわね。こっちの彼はアルよ」

 

女性が傍らに立っている男性を手で指し示す。アルと呼ばれた男はサングラスを胸ポケットにしまうと、簪に向かって軽く会釈をした。

 

「アル=ヴァン・ランクスだ。呼ぶ時はアル=ヴァンで構わない」

 

(あれ、この名前、前に何処かで……)

 

その名前に心当たりを覚えながらも、差し出された手に応じて恐る恐る右手を伸ばす。握られた手は幾つものタコや古傷でガチガチに固まっていた。

 

「それで、私は──」

 

「おいあんた達、何やってんだ!?」

 

女性が口を開きかけた時、公園に怒号が響く。三人揃って声のした方向に視線を向けると、そこには怒りで瞳をギラつかせた統夜の姿があった。こちらに駆けてくる統夜だったが、男の顔を見て足を止める。

 

「あ、あれ?アル=ヴァン、さん……?」

 

「久しいな、統夜。息災そうで何よりだ」

 

「え……え?帰ってくるのは数日後って、メールで……あれ?」

 

統夜が混乱の渦の中心にいる中で、アル=ヴァンが肩を竦めて座っている女性に視線を送る。女性は口元を歪ませてにやりと笑うと、立ち上がってサングラス越しに統夜を見つめた。

 

「俺の勘違いだったのか?でも、昨日見たメールじゃ確かに……」

 

「統夜!」

 

俯いて疑問を口にしていた統夜だったが、女性に名前を呼ばれて顔を上げる。その瞬間、統夜の顔色が目に見えて変わった。女性はその反応を一々楽しんでいる様で、驚いている統夜を見てくすくすと笑みを零す。

 

「あ……あ、ああああっ!!」

 

「全く、私が教えなかったのも悪いけど常識よ?デート中に彼女を一人にしちゃダメ」

 

「い、いや、別に二人きりのデートとか思ってなくて、簪はただのルームメイトで、たまたま手伝ってもらってるだけで……ってそうじゃなくて!何でここにいるんだよ!!」

 

「たった一人の弟よ?その可愛い弟が彼女を連れて、あろう事か私達の目の前でデートしてるのだから尾行するのが当然でしょう」

 

「済まない、統夜。私は止めたのだが……」

 

アル=ヴァンが居心地悪そうにぽりぽりと頬を掻く。統夜は目の前の光景が信じられないとでも言うように、何度も目を瞬かせた。

 

「いいじゃない、お陰で初々しい二人のデートが見られたのだから」

 

「私は見逃すべきだと言っただろう。二人きりならば、邪魔されたくないと思うのが普通だ」

 

「あ~もう!!だから何で日本にいるんだよ、姉さん!!」

 

「……ね、“姉さん”?」

 

勝手な意見が飛び交う中、簪が統夜の言葉を反復する。銀髪の女性は再び含み笑いを漏らすとサングラスを外して、座っている簪の目を真っ直ぐに見入る。

 

「それじゃあ改めて。初めまして、更識 簪さん」

 

黒いサングラスを外した事で顕になった蒼の目が、簪を見る。背中まで伸ばされた銀髪を片手で整えながら、女性は桃色の唇を動かした。

 

「私はカルヴィナ・クーランジュ、そこにいる統夜の姉よ。よろしく」

 

夕陽が公園を照らす中、織斑 千冬と並ぶ世界最強と名高い“ホワイト・リンクス(白い山猫)”がそこにいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話 ~たった一人の家族~

「はぁ!?あのメールの内容が嘘!?」

 

「その方が面白いでしょう。どうせ私が素直に数日後に戻っていたら、貴方が全部準備するんだから。家事くらい私にも手伝わせなさい」

 

キッチンでカルヴィナが包丁を振るっている。テーブルでぶつくさと文句を垂れる統夜の真正面に座っている簪は、カルヴィナをまじまじと見入っていた。

 

(この人が……統夜の、お姉さん)

 

クーランジュ家に戻ってきて30分、簪の視線はずっとカルヴィナに固定されていた。夕陽に照らされていた帰り道も、商店街で夕飯の食材を買っていた最中も、家に帰ってきてからも、話題の中心はカルヴィナだった。予定とは違えど帰ってきたのが素直に嬉しいのか、統夜の口から出る言葉も姉の事に関してばかりだった。

 

「そうだぞ統夜。前から言っている事だが、君は少し頼るという事を覚えたほうがいい」

 

カルヴィナの隣で寸胴鍋の中身を混ぜながら、アル=ヴァンがアドバイスを送る。二人が並んで料理の準備をするその光景は、何処からどう見ても夫婦のそれだった。

 

「まあ予定より早く帰ってきたのはもういいけどさ、それにしても俺と簪の後をつけてきたのはどういうことだよ……」

 

「だから何度も言ったでしょう。面白そうだったから、ただそれだけよ」

 

「……はぁ、分かったよ。俺もそっち、手伝うから」

 

立ち上がって足を踏み出しかけた統夜を、カルヴィナが空いている手で制す。隣にいるアル=ヴァンは鍋から手を離すと、着ているエプロンを脱ぎ始めた。

 

「貴方は最上階に行ってきなさい。久しぶりにアリーに揉まれてらっしゃいな」

 

「そういう事だ、統夜。腕が鈍っていないか、確かめてやろう」

 

「分かりました。じゃあ簪、一緒に──」

 

「統夜、その子をちょっと貸してくれないかしら?」

 

統夜なりの気遣いなのだろう。一緒に来る事を提案する言葉は、姉によって遮られた。まさか指名を受けると思っていなかった簪は意表を突かれて目をぱちくりとしばたかせる。男二人もカルヴィナの言葉を聞いて動きが固まった。

 

「わ、私……ですか?」

 

「ええ。アル=ヴァンの代わりをしてもらえないかしら?」

 

「……はい、私で良ければ」

 

「統夜、貴方のエプロンを貸してあげて。少し大きいかもしれないけど、その方がいいでしょう」

 

「分かった。簪、こっちに来て」

 

リビングから廊下へと繋がる扉を開けて簪を手招きする。席を立った簪は素直に統夜の後について行った。荷物も何もない廊下を進みながら、統夜が一つのドアに手をかける。

 

「じゃあ……入って」

 

「う、うん。お邪魔します」

 

カチリと音がして部屋に光が灯る。簪の目に飛び込んで来たのは、初めて見る男子の部屋だった。

 

「えっと、どこ仕舞ったっけな……」

 

統夜がクローゼットを開けて中を漁り始める。特にする事も無い簪は部屋の中をぐるりと眺めた。

 

(統夜の……部屋)

 

部屋の中に置かれているのは壁際にあるベッドと、勉強机が一つ。それと敷かれているカーペットの中心に茶色い小さな折りたたみ式のテーブルが鎮座している。机の本棚には中学校の時の物と思しき教科書類が綺麗に揃えられており、ベッドの上には寝巻きに使っているだろうジャージが脱ぎ散らかされていた。

 

「お、あったあった。簪、ちょっと付けてみてくれ」

 

伸ばされた統夜の手に握られているのは、薄い緑色の無地のエプロンだった。おずおずと受け取った簪は慣れた手つきでエプロンを身につける。統夜の思った通り、自分用のエプロンは簪には少し大きかったらしい。白いワンピースの上から、もう一つ淡緑色のワンピースを着ている様な格好になってしまった。

 

「やっぱ大きいな。俺の小さい頃のエプロンってあったっけ……」

 

再びゴソゴソとクローゼットを漁る統夜の後ろで、簪はエプロンの手触りを確かめていた。少しだけエプロンに残っている匂いを掬って顔の近くに持ってくる。簪にとってその匂いは嗅ぎ慣れた物かつ、安心出来る匂いだった。

 

「……統夜の、匂い」

 

「ん?簪、何か言ったか?」

 

「統夜。私、これでいい」

 

「いいのか?もう少し小さいやつの方がよくないか?」

 

統夜の問いに対して簪が首を左右に振る。クローゼットから頭を引き抜きながら、統夜はエプロン姿の簪をまじまじと注視する。

 

「まあ、紐で調節出来るし使えないって事は無いか。それにしても簪、姉さんに何かしたのか?」

 

「何もしてないけど……何かあるの?」

 

「いやさ、姉さんが初対面の相手にあそこまで興味を示すなんて珍しいなと思って」

 

統夜は自分の考えを口に出しながら、クローゼットの中からトレーニング用のジャージを取り出す。簪もエプロンにから伸びている紐を使って腰周りの部分を調整していた。

 

「統夜、準備はいいか?」

 

「あ、はい。今行きます」

 

聞こえてくるアル=ヴァンの言葉に返事をしながら、統夜はジャージを手に廊下へと出た。簪も統夜に続いて廊下に出ると、服を着替えたアル=ヴァンが玄関口で統夜を待っている。

 

「あ、じゃあ統夜……私はあっちに」

 

「うん。姉さんの所に行ってくれ」

 

それだけ言い残して、統夜はさっさとアル=ヴァンと外に行ってしまった。統夜達を見送った後、一人廊下に残された簪は踵を返してリビングへと戻る。

 

「ごめんなさいね、いきなり頼んじゃって。鍋の方、見てくれる?」

 

リビングに入るなり、キッチンにいるカルヴィナから声がかかる。簪は無言のまま、カルヴィナの後ろを通って鍋の前に行くと、中身を覗き込んだ。鍋の中では色とりどりの野菜が入ったシチューが煮込まれ、食欲が掻き立てられる匂いを発している。簪は鍋に突っ込まれていたお玉を手に取ると、ゆっくりとかき混ぜ始めた。

 

「……私に何か聞きたい事があるのかしら?」

 

「え?」

 

「あら、違うの?統夜と合流した時からずっと視線を感じていたから、てっきり私に聞きたい事でもあるのかと思っていたのだけれど」

 

「あ、あの……えっと……」

 

心の中を言い当てられて、咄嗟に言葉が出てこなかった。簪の隣で付け合せのサラダを作っているカルヴィナが、くすくすと上品に笑う。

 

「私の事はカルヴィナでいいわ、簪。それで、聞きたい事があるの?」

 

「……」

 

「何でも聞いていいわよ。勿論、言った事は統夜達には漏らさないわ」

 

「カルヴィナさんはどうして……私の事を知ってるって言ったんですか?」

 

取り敢えず、当たり障りの無い疑問をぶつけてみる。カルヴィナの答えは予想がついていたが、いきなり核心的な質問をするのは憚られた。

 

「あら、当たり前の事を聞くのね。まあいいわ、答えましょうか。それはね、貴方の事を統夜から聞いてたからよ。それこそ、嫌というほど」

 

「そんなに……」

 

「統夜がIS学園に入ってから、私達はメールで連絡を取り合ってたの。最も、内容は殆どあの子がIS学園で過ごした毎日の事だったけど。千冬の弟君が鈍感過ぎるとか、女子が多すぎて少し恥ずかしいだとか。メールに書かれている内容は様々だったけどその中でも一番多かった話題が、貴方の事なのよ」

 

「私の……?」

 

「一夏君やクラスメイトの話題が三割、私達の事についての話題を二割とするならば、貴方の話題は四割以上だったかしら。時にはメールの内容の八割方が貴方についてだった事もあったわ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

統夜の事を憎からず思っているのは事実だが、彼の姉から聞かされるその言葉は衝撃的だった。動揺の余り、お玉をかき混ぜる手が上手く動かない。

 

「それだけ聞かされて、貴方の事を知らないとは言えないでしょう。さて、一つ目の質問はこんな所かしら?」

 

カルヴィナが視線だけで“次の質問は?”と問いかけてくる。驚きつつも、簪は頭をフル回転させて次の質問を捻り出す。

 

「あの、何で嘘なんかついたんですか?」

 

「ああ、さっきの事?だから言ったでしょう、統夜に負担をかける訳にはいかないからよ」

 

「本当に、それだけですか……?」

 

横に立つ女性の瞳を真っ直ぐに見つめる。今目の前にいるのは歴戦の“ホワイト・リンクス”ではなく、紫雲 統夜の姉、カルヴィナ・クーランジュであると自分に言い聞かせながら。瞳に戸惑いの色を浮かべながら、カルヴィナは質問に質問をぶつけた。

 

「何でそう思うのかしら?」

 

「なんとなく……です」

 

「女の勘って訳ね。まあ言ってしまえば、理由の一つはさっきも言った通り。ただあの子を驚かせてあげたかっただけ。ただ、もう一つは、あの子を一人にしたくなかったからよ」

 

「一人にしたく、なかった?」

 

「ええ。少し長くなるから、休憩がてら話しましょうか」

 

カルヴィナは作っていたサラダを脇に置くと、食器棚の中からコップを二つ取り出す。冷蔵庫を開けて中から麦茶を取り出すと、キッチンから出ていった。

 

「貴方もいらっしゃい。火は止めておいていいわ」

 

カルヴィナの言葉に従って、鍋にかかっていた火を落としてキッチンから出た。リビングのテーブルでは、席に着いたカルヴィナが持ってきたコップに麦茶を注いでいる。カルヴィナの対面におずおずと座った簪の目の前に、麦茶がなみなみと注がれたコップが置かれた。

 

「さっきの言葉だけど、こう言い換えてもいいかもしれないわね。私が、統夜を一人にしたくなかった、と……貴方、私と統夜の関係は聞いてるかしら?」

 

「あ、はい。統夜が教えてくれて……」

 

「そう。なら知っていると思うけど統夜のご両親が亡くなった時、あの子は文字通り一人ぼっちだった」

 

「だから、カルヴィナさんが統夜を引き取ったんですよね」

 

「その通りよ。でも恐らく、私が引き取った理由までは聞いていないでしょう?」

 

「引き取った理由、ですか……?」

 

「ええ。貴方は何だと思う?」

 

カルヴィナの問いかけに、簪は思考する。目の前にいる彼女を表す言葉は、完璧という言葉以外考えつかなかった。統夜から予め聞いていたが、いざ目の当たりにすると聞かされていたイメージとはかけ離れていた。統夜やアル=ヴァンに向ける温かい笑顔、初めて会った自分に対しても柔らかい物腰で対応するその姿勢、言葉の端々に感じる統夜への愛情。数々の要素を絡めて考え抜いた答えは、自然と口から出ていた。

 

「統夜を……一人ぼっちにしたくなかったから?」

 

「40点。的外れ、という訳ではないけど正鵠を射ている訳でもないわ」

 

「じゃあ、他に理由があったんですか?」

 

「ええ。それは、私が統夜を求めたからよ」

 

「カルヴィナさんが、統夜を?」

 

カルヴィナはコップを掴むと口元に運んで喉を潤す。しばしの沈黙を保った後、カルヴィナはコップを置いて二の句を継いだ。

 

「あの頃統夜は子供だったけど、勿論私も子供だった。研究所に勤めていた私は当時14、5歳。今の統夜とそう変わらない年頃だったわ。勿論、そんな子供がたった一人で生きていける訳が無い。その頃には年不相応の経験もしてたし、社会の厳しさも理解していたつもり。でも、どうしても一人の孤独からは逃れられなかった」

 

「……」

 

「ただ、傍らにはあの子がいた。紫雲博士達から頼まれたあの子が。私を見上げるあの目を見る度に思ったの。“私よりこの子の方が辛いんだ”“こんな若くして両親を失った辛さに比べれば私の苦労なんて何の事でもない”ってね。あの子の家族になると心に決めたのもその頃よ」

 

「凄いと……思います」

 

純粋な褒め言葉が口から漏れる。自分達とそう変わらない年齢でそこまでの思考に至れるという事は、文字通り年齢不相応の経験を積んでいたのだろう。しかし、話はそこで終わりではなかった。

 

「話にはまだ続きがあるわ。先程も言ったけど統夜を引き取ったもう一つの理由、それは私がたった一人の孤独に耐えられなかったから」

 

「孤独……」

 

「要するに、当時の私は統夜を言い訳に使ってたのよ。統夜は私を聖人君子の様に言っていたかもしれないけど、真実は全く違う。私は弱かったのよ、今も昔も。誰かに支えてもらわなければ満足に生きていけない。誰かに傍にいて欲しい、一人にして欲しくない。そんな我が儘な子供の願いで統夜を引き取った」

 

「その話、統夜には……?」

 

「ああ、もうしたわよ。ただ、帰ってきたのは私に対する侮蔑じゃなくて、謝罪だったわね」

 

カルヴィナはおもむろに席を立つと、壁際にある本棚に歩み寄る。その中の一つ、一組の姉弟が映っている写真を見つめながら口を開いた。

 

「統夜を引き取って数年後、良心の呵責に耐え切れなかった私は全てをぶちまけたわ。てっきり私は罵られるかと思った。だってそうでしょう?自分勝手な気持ちで統夜を引き取って、あの子を言い訳にしていたのだから。でも帰ってきたのは、そんな物とは縁遠い、感謝の言葉だったわ」

 

「……」

 

「“姉さんがどう思ってたにせよ、俺をここまで育ててくれて、守ってくれたのは姉さんだ。そんなたった一人の家族に感謝しないわけ無いだろ?”と言われたわ。その時は思わず泣いちゃったわね。きっと後にも先にも、統夜の目の前で泣くなんてあれだけよ」

 

目の前の写真立てを手に取って愛しげに撫でるカルヴィナの目は、僅かに濡れていた。簪もそんなカルヴィナを見て居住まいを直す。数秒後、目元を拭ったカルヴィナは写真立てを元の場所に戻すと、簪の方へと振り向いた。

 

「これが、あの子を一人にしたくないと思う理由よ。あの子は私が全力で守る、この世界の全てから。その力が私にはあると自負しているし、もう二度と家族を失いたくはない……まあ、純粋に統夜に早く会いたかったって考えもあったけど」

 

「……」

 

「ごめんなさいね、重い話をしちゃって。さて、質問はこれで終わりかしら、他に何かある?」

 

表情を戻したカルヴィナを見つめながら、簪は三度考える。そして極々自然な流れでふと頭の中に浮かんできた素朴な疑問をそのまま口にしていた。

 

「あ、あの……初めて会った時なんですけど」

 

「それって、さっきの時の事よね?」

 

「はい。何で私の事、“彼女”って……?」

 

言葉が出てくると共に、目の前で言われた言葉が脳裏に浮かんで来る。“デート”や“彼女”といった単語が浮かんで来ると共に、簪の顔が徐々に朱色に染まっていく。カルヴィナは腑に落ちない顔をしていたが、やがて何かに納得したかの様に手を叩いた。

 

「……ああ。もしかして貴方達、まだ付き合ってないの?」

 

「そ、そんな!つ、付き合ってるだなんて……」

 

「てっきり私とアルは付き合ってると考えてたんだけど。あの子が家に上げて、一緒に買い物に出て、あんな雰囲気の中公園で休んでいるのを見たら、それしか思いつかないわよ」

 

「で、でも……私と統夜はまだ、付き合ってません……」

 

「あら、“まだ”って事はこれからそうなる予定があるのかしら」

 

「そ、そういう訳じゃ……」

 

口から否定の言葉が出てこない。心臓は音を立てて胸を打ちつけ、余りの興奮に手足が震えてくる。カルヴィナはそんな様子を面白がっているようで、簪を見ながら口角を釣り上げて笑っていた。

 

「わざわざ統夜から住所を聞いて、わざわざ電車で一時間もかかる距離をやってきて、わざわざ家に寄るなんて、普通の女の子に出来る芸当じゃないわ」

 

「そ、それは……」

 

「まあ、勘違いは謝るわ。ただ、これだけは教えてあげる。それは統夜に取って貴方は大切な存在だという事」

 

「どうしてそんな事が言えるんですか……?」

 

「確たる証拠はここにあるわ」

 

カルヴィナが手招きする。簪は立ち上がってカルヴィナの隣に立って目の前にある数々の写真を見つめた。

 

「ここにあるのは統夜が大切にしている写真よ。これが私に引き取られる前の統夜を撮った写真。これに映っている二人が統夜の両親の恭介さんと咲弥さんよ」

 

「この人達が……」

 

黒縁の写真立てに入れられた写真を凝視する。そこには小さな子供を抱いて椅子に座っている女性と、傍らに立っている男性の姿が映っていた。女性は穏やかな笑顔を浮かべているのに対し、男性の方は仏頂面でこちらを見つめている。

 

「こっちは統夜とアルと私、三人で撮った写真。他にも色々あるけど、ここにあるのは全部、私や統夜の大切な思い出よ。ほら、これを見て」

 

「これ……」

 

大きめの写真立てに入れられている写真を見て思わず息を呑む。横に長いその写真には、二人の少年と、六人の少女が映っていた。映っている少年少女達は例外なく、全員満面の笑みを浮かべている。その中には統夜の隣ではにかんでいる自分の姿もあった。

 

「こんな風に笑っている統夜は本当に珍しいのよ。そもそも積極的に笑う様な子じゃないし、IS学園に入る前はこんな顔滅多に見せなかった。だから周りにいるこの子達が統夜にとって特別な存在だというのは、容易に想像出来たわ」

 

「……」

 

「この写真に映っている、そして統夜の口から何度も聞かされている。その上遠路はるばる家に来た。こんなにヒントがあれば、そう考えても仕方ないでしょう」

 

「で、でも私は……」

 

「ええ、分かってるわ。貴方と統夜は付き合っていない」

 

カルヴィナにはっきりと言われて、胸の奥がちくりと痛む。真実なのに、正しい事のはずなのに、何故か大声を上げてその言葉を否定したい衝動に駆られた。簪の心境を読み取ったのか、再びカルヴィナが笑う。

 

「ふふふ、そんな顔しないの。今現在では確かにそんな関係では無いかもしれない。でも貴方がそう望むのなら、きっと全てが上手く行くわ」

 

「でも……統夜は私の事、どう思ってるか……」

 

「今からそんな弱気な事を言ってどうするの。貴方も女なら、男を振り向かせる位の事をしてみなさい」

 

「そ、そんな事……まだ、分からないのに」

 

彼からはっきりと思いを聞いたわけでもない。確かにあの夏の夜、拒絶こそされなかったが、統夜の口から返事を聞くことは叶わなかった。逡巡する簪の横で写真を眺めながらカルヴィナが口を開く。

 

「いいのよ、それで」

 

「え?」

 

「人生の少し先輩としてアドバイスよ。たくさん悩んで、たくさん迷いなさい」

 

「悩んで、迷う……」

 

「貴方はまだ若いのだから悩みもするし、迷う事もあるでしょう。でも、それは悪いことじゃない。悩み、迷った時間が長ければ長い程、その先に出した答えは堅い物となるから。少なくとも、私はそう考えている」

 

カルヴィナのその言葉には確かな重みがあった。まるで経験した事のあるかのような言葉遣いは、簪の言葉に波紋を生む。そして胸中に生まれてきたのは一種の確信だった。

 

(やっぱり、この人は……統夜のお姉さん……)

 

立ち振る舞いが似ている訳でもない。考え方も、性格も共通していない。同じ血すら流れていない。だが彼女の言葉の端々に溢れているのは統夜への思慮であり、愛情だった。一人納得する簪の横で、一通り写真を眺め終えたカルヴィナは顔を横に向ける。

 

「そろそろ続き、作っちゃいましょうか。あと一時間もすれば男二人が“腹減った”って言いながら帰ってくるわ」

 

「はい」

 

はっきりと返事を返しながら、二人揃ってキッチンへと戻る。簪はお玉を、カルヴィナは包丁をそれぞれ持つと調理を再開した。

 

「そうそう。統夜が学園でどんな生活を送っていたか、聞かせてくれないかしら?」

 

「あ、はい……何から話しましょうか?」

 

「そうね。じゃあ、主に日常生活の話をお願いするわ」

 

「それじゃあ、私が統夜と会った時の話を……」

 

一人呟くように簪の口から流れ出す小さい言葉にカルヴィナは耳を傾ける。空の色が紅から黒へと変わる夕闇の時間、キッチンの中は二人の女性の会話で満たされていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話 ~記憶、それは宝物~

午後八時。カルヴィナ家の食卓では、四人の人間が膨れた腹をさすっていた。カルヴィナと簪、統夜とアル=ヴァンが対面にテーブルについている。統夜は目の前の皿をテーブルの上に静かに置いた。

 

「はぁ、食った食った」

 

「お粗末さま。統夜、久しぶりの私の料理はどうだった?」

 

トレーニングでクタクタになった体に、久しぶりの姉の手料理は体の芯まで染みた。明らかに一人前以上の量を胃に収めた統夜が、コップの水を飲み干して感想を述べる。

 

「うん、美味かったよ」

 

「あら、嬉しい事を言ってくれるのね」

 

「で、でも……私も美味しいと思いました」

 

統夜の横に座っている簪が、その言葉に同意の意を示す。二人の言葉を受けながら、カルヴィナはテーブルの上の食器を片付けていく。その横では、アル=ヴァンも無言のまま首を縦に降っていた。

 

「うむ、やはり手料理と言うのはいいものだ。特に、自分以外の人間が作るものはな」

 

「……もしかして姉さん。あっちで料理、してなかったの?」

 

「正解だ、統夜。食事は主に外食ですますか、私が作っていた」

 

「ちょっと、アル」

 

皿をキッチンに運んでいたカルヴィナがきつい口調で声を上げる。統夜は深々とため息をつきながら目の前の男性に頭を下げた。

 

「すいません、アル=ヴァンさん。姉さんの世話を任せちゃって……」

 

「構わない。そもそも、私が彼女を選んだのだからな」

 

「統夜、余計な事を言うんじゃないの。いいのよ、私は私のままで」

 

「だって姉さん、勿体無いだろ。こんなに美味い料理作れるのに、面倒くさがって作らないなんて」

 

統夜と簪もアル=ヴァンに習って、机の上の食器をまとめる。食器類がカチャカチャ鳴る音をBGMにして、リビングの会話は続いていた。

 

「ほら、もういいからあんたは簪と一緒に自分の部屋に行ってなさい。二人きりで話したい事もあるでしょう?」

 

「そ、そんなのあるわけないだろ!」

 

「あら、そうかしら?」

 

からかっているのか、それとも本気でそう思っているのか。カルヴィナの言葉は判別がつかなかった。姉にからかわれた統夜は椅子を蹴立てて立ち上がると、横にいる簪を手で招く。

 

「簪、もう行こうか」

 

「うん」

 

統夜とは対象的に静かに椅子を引くと、簪は立ち上がって統夜に続く。リビングを抜けて廊下を歩き、再び統夜の部屋の前へと到着した。

 

「……は?」

 

「──いたっ」

 

部屋に入って電気をつけた統夜の体が固まる。統夜の後に続いて部屋に入ろうとした簪は、入口で立ち止まった統夜の背中にぶつかってしまった。

 

「統夜、どうしたの?」

 

ぶつけてしまった鼻の頭をさすりながら、簪が目の前で立ち尽くしている統夜に問いかける。しかしながら、統夜から反応が帰ってくることはない。簪は統夜の脇から、部屋の様子を覗き込んだ。

 

「本……?」

 

部屋の様子はただ一箇所だけを除いて、つい数時間前と何も変わりはない。唯一の変化は、部屋の中央にある折りたたみ式のテーブルの上に、一冊の分厚い本が置かれている点である。

 

「ったく、姉さんだな」

 

「統夜。あれ、何?」

 

「ああ、そんな大した物じゃない」

 

先に部屋へと足を踏み入れた統夜が、勉強机の所に置いてあった椅子に腰を落ち着ける。簪はテーブルの傍に腰を下ろした。視線は目の前に置かれている水色の冊子にどうしても引き寄せられてしまう。簪の視線に気づいたのか、統夜は手を振って簪を促した。

 

「見ていいよ」

 

「あ、うん」

 

恐る恐る右手を伸ばして冊子の表紙を掴む。ゆっくりと冊子を開くと、簪の目に飛びこんできたのは、数々の写真だった。

 

「これ……」

 

「家族の写真。主に姉さんが管理してるんだ」

 

開いたページの全てに、所狭しと写真が貼られている。小学生くらいの容姿をした、まだ幼い統夜がカルヴィナと並んで映っている写真もあれば、アル=ヴァンと三人で映っている写真もある。ペラペラとページを捲っていくが、例外なく統夜が映っている。相違点は共に映っている相手がカルヴィナか、アル=ヴァンか、友人と思われる少年少女かの違いだけだった。

 

「これ、統夜が子供の時の?」

 

「そうだよ、主に俺の写真ばっかだけど。会話の種があった方がいい、とか姉さんが考えて置いたんだろうな」

 

「私が見ていいの?」

 

「別に構わないさ。あの事とは違って、これは秘密って訳でもないし」

 

簪は写真一枚一枚を吟味する様に見つめる。統夜の思い出が映し出されているそれらを、簪は物珍しそうな眼差しで見つめていた。

 

「これは?」

 

簪が写真の一枚を指差して統夜に問いかける。写真をよく見ようと、統夜は椅子から離れてテーブルの傍に膝をついた。

 

「それは、俺が初めてアル=ヴァンさんと特訓した時の写真だよ。ほらここ、俺が思いっきり吹っ飛ばされてるだろ」

 

「統夜でも勝てなかったの?」

 

「今も昔も、アル=ヴァンさんと姉さんには勝てないさ。例えファクターの力を使っても、どれだけ特訓しても、あの二人には一生勝てないだろうな」

 

「そ、そんなに凄いの?」

 

「例えるなら……どんなに手を伸ばしても届かない壁って感じかな、あの二人は。強くなったと思って挑んでも、その度に手酷くやられるんだ」

 

「凄い……」

 

一言感想を漏らして、簪が再びページを捲る。

 

「こっちは?」

 

「姉さんの会社で撮ったやつ。姉さんの所属してる会社の研究チームの皆と撮ったんだ。ほら、ここに姉さんとアル=ヴァンさんがいるだろ。二人とも、同じ部署で働いてたんだ」

 

「ちっちゃい統夜」

 

「それほどでもないだろ。この写真撮ったのは小学六年生位なんだから」

 

「こっち……統夜の友達?」

 

「ああ、中学の頃の友達だ。そう言えば一鷹とカズマの奴、どうしてるかな……」

 

いつの間にか簪と統夜の距離は縮まり、額を突き合わせるような格好で写真を覗き込んでいた。気になった写真を簪が指差し、統夜が解説する。そんな会話を続けてから、数十分が経った時、簪はあることに気づいた。

 

(……あれ?)

 

ふと湧いた疑問を確認するべく、簪は冊子の一番最初のページに戻って写真を確認していく。一ページ、また一ページと冊子を捲っていく簪の行動を不思議に思ったのか、統夜が横から口を挟んだ。

 

「簪、どうかしたのか?」

 

「……」

 

統夜の問に答えず、簪はページを捲っていく。そして全てのページを捲り終えた時、ようやく簪は動きを止めた。

 

「……統夜、何で無いの?」

 

「何がだ?」

 

「その、統夜が小さい頃の写真」

 

「さっきも見ただろ?」

 

「ううん。そうじゃなくって、統夜がもっと、子供の頃の写真」

 

「っ……」

 

簪の言わんとする事を理解した統夜の表情が、途端に曇り出す。みるみるうちに表情を変える統夜を見て、触れてはならないものに触れてしまったと悟った簪は慌てて自分の言葉を撤回した。

 

「ごめんなさい。い、言いたくないのなら……」

 

「いや、別に言いたくないとかじゃないんだ……ただ、ここには無いってだけで。ちゃんとあるよ、他の場所に」

 

「そう、なの?」

 

「ああ……少し遠い所にな。この家にあるのは、リビングにあるあの一枚だけだ」

 

統夜が重苦しい口調で答えを返したその時、部屋の扉がノックされた。間髪いれずに扉が開いてカルヴィナが顔を出す。

 

「統夜、もうそろそろ九時になるわ。駅まで簪を送ってあげなさい」

 

「あ、私は別に……」

 

「反論は聞かないわよ、簪。こんな夜中に可愛い女の子を一人で出歩かせるなんて、馬鹿な事をするつもりは無いわ。統夜、変態が襲ってきたら腕の一本や二本、折ってあげなさい」

 

「はいはい。あとこれ、元の場所に戻しておいて」

 

統夜が立ち上がって写真の詰まった冊子を取り上げると、姉に差し出した。カルヴィナは統夜から冊子を受け取ると、中身を流し読みする。

 

「俺の部屋に入るのはいいけど、こんなもの置いとかないでくれよ」

 

「あら、面白い話が出来たでしょう?」

 

「……ノーコメントで」

 

「全く、もうちょっと素直になりなさいよ。簪もそう思うでしょう?」

 

流し見ていた写真集を閉じて、カルヴィナが部屋の中に声を投げかける。唐突に意見を求められた簪は考え込む仕草を見せてから、首を振った。

 

「でも、統夜は統夜のままで……いいと思います」

 

「あらら、質問する相手を間違えたかしらね」

 

「それ、どういう意味だよ?」

 

「自分で考えなさい。さて、いつまでもぐずぐずしてないで送ってあげなさい」

 

「話しかけてきたのは誰だよ……簪、準備いいか?」

 

「うん」

 

傍らに置いてあった荷物を手に取って簪が立ち上がる。統夜はベッドに投げ捨ててあった上着をTシャツの上から羽織ると、姉を押しのける様にして廊下に出た。後を追って統夜の部屋から出るが、玄関に向かおうとする簪をカルヴィナが引き止める。

 

「プレゼントよ」

 

「……?」

 

手渡されたのは小さい紙切れだった。内側に何か書いてあるらしく、黒い文字が透けて見える。簪は二つ折りの紙片を開こうとするが、カルヴィナが手で押し止めた。

 

「一人になった時に開けなさい。ちょっとしたサプライズよ」

 

 

「は、はい……」

 

カルヴィナの脇を通って、廊下に出る。廊下に統夜の姿は無く、既に外に出たようだった。自分の靴を履いて玄関口に立つと、簪はくるりと振り向いた。

 

「あ、あの……今日はありがとうございました」

 

「気にしないで。噂の可愛いルームメイトと話せて、私も楽しかったから」

 

「そ、そんな……」

 

「君は自分に自信を持った方がいい。自分を卑下しすぎると、良い事は無いぞ」

 

何時の間にかカルヴィナの背後に立っていたアル=ヴァンが、簪に言葉を送る。カルヴィナはアル=ヴァンの存在に驚きもせず、その言葉に同意の意を示した。

 

「そうそう。もう少し自覚しなさい」

 

「ど、努力します……それじゃあ、ありがとうございました」

 

「またね、簪」

 

カルヴィナとアル=ヴァンの二人に見送られて、簪は一人カルヴィナ家を後にする。廊下に出てみれば、壁に背を預けて待っていた統夜がいた。

 

「お、お待たせ」

 

「ごめんな。姉さんの長話に付き合わせて」

 

「ううん、楽しかった」

 

「そう言ってもらえると、気が楽だよ」

 

話しながら、歩を進める。エレベーターで一階に降りてマンションの外に出ると、満天の星空と真円の満月が頭上に広がっていた。

 

「今日はありがとな、簪。家まで来てくれて」

 

「私も……楽しかったから」

 

誰もいない歩道を二人で歩く。既に九時を回っているせいか昼間とは違い、夜の街は喧騒とは無縁だった。月の光と街頭に照らされながら、駅までの道を二人で歩く。

 

「でもさ、仕事でこっちに来てたんだろ。それなのにわざわざ寄ってくれたんだから、礼の一つも言わせてくれ」

 

「仕事……?」

 

「……あれ、確か代表候補生の仕事で近くに来たから、俺の家に来たんだよな?」

 

二人の間にしばし沈黙が流れる。自身が言った事のはずなのに、統夜の言葉を聞いても簪はきょとんとして統夜の顔を見上げていた。しかし数秒後、何かに気づいた様に慌て出すと、繕うように口を動かす。

 

「……あ、そ、そう。うん。仕事だった」

 

「そ、そうだよな。だから、わざわざ家に来てくれてありがとう」

 

「う、うん」

 

何故か途切れた会話は、二人が駅に着くまでそのままだった。改札を前にして、簪が統夜に向き直る。

 

「統夜……送ってくれて、ありがとう」

 

「ああ。次は、IS学園で」

 

「うん」

 

「それじゃあ、またな」

 

片手を上げた統夜は段々と離れ、夜の闇に紛れて行ってしまった。簪は大きく息を吐くと、改札に入って駅のホームへと向かう。丁度良いタイミングで到着した電車に飛び乗るとすぐさまドアが閉まり、電車は音を立てて動き出した。

 

(……あ、そうだ)

 

去る時にカルヴィナに手渡された紙の事を思い出し、ポケットに入れていたそれを引っ張り出す。綺麗に折りたたまれた紙をゆっくりと開くと、そこには数字の羅列と、たった一つの文が刻まれていた。

 

(“何か聞きたい事があったら電話しなさい”)

 

恐らくはカルヴィナの個人的な連絡先だろう。11桁の数字と端正な文字が紙に書かれていた。再び紙を折りたたんで丁寧に仕舞うと、何気なく窓ガラスに映っている自分の顔を眺める。

 

「……」

 

肩まで伸びている髪を、自分の手で梳く。窓ガラスを見ながら髪の毛を弄る内に、カルヴィナやアル=ヴァンに言われた言葉の数々が頭の中に浮かんできた。髪を梳いていた手を下ろすと、何かを握り締めるように力を込める。

 

(……頑張ろう)

 

その決意の矛先は彼女しか知らない。それは小さくとも確かな存在として、簪の心の中に芽吹いた。窓から外を眺めると先程と変わらない満月が、簪を見下ろしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話 ~青春の代名詞、合宿~

「暑い……」

 

炎天下の中、セミの鳴き声が響く歩道を一人歩く。背中に担いだ旅行用のボストンバッグが妙に重く感じられる。頭上から照りつける太陽を恨めしく思いながら、統夜はちらりと横を見た。

 

(住所、間違ってないよな?)

 

一旦足を止めるとポケットの中からついこの間新調した携帯電話を取り出して、映し出されている文面を確認する。そこに書かれている住所を確認すると、統夜は再び歩を進めた。首に下げられているネックレスも、手首に付けられているブレスレットも、炎天下にされされて熱を持ち、統夜の肌を焼いている。

 

「……ここ、だよな」

 

入口を見つけた統夜が立ち止まる。目の前にそびえ立っているのは、統夜の身長の1.5倍はあろうかという木で組まれた巨大な門だった。門に下げられている表札を見て、統夜は一人言葉を漏らす。

 

「俺、何でこんな所にいるんだろう……」

 

その表札にははっきりと“更識”と刻まれていた。

 

 

 

事の起こりは二日前の夜の事だった。久しぶりに家の中で三人がのんびり過ごしていると、自分の携帯電話が鳴ったのである。思えば、あの着信が全ての始まりだった。

 

『あ、もしもし統夜君?いきなりだけど、合宿しない?』

 

携帯電話の向こう側から聞こえてきたのは更識 楯無の声だった。一方的に喋る楯無の言葉は要領を得ず、何を話したいのか分からなかった。そんな統夜の考えが向こう側に伝わったのか、途中から話し手が変わった。

 

『統夜?私だけど……』

 

聞きなれた声に切り替わったあと、簪がゆっくりと丁寧に説明してくれた。どうやら自分の為に楯無が直々に稽古を付けてくれるという事らしい。トレーニングと言うのであれば統夜に反対する理由は無かった。ただ、その合宿を行う場所が問題だった。

 

『あ、あのね、私の家でやるってお姉ちゃんが……』

 

何も彼女の家に行くことが嫌な訳ではなかった。ただ、彼女の家に行っていいものか、自分の中で判断が出来なかった。何しろ彼女は少なからず情愛を抱いている相手である。そんな彼女の家に、ましてや年頃の少女の家に上がり込んでいいものか、統夜の懸念はそこであった。

 

『い、嫌なら断ってくれても……』

 

ただ、その気掛かりに決着をつけたのは自分自身ではなく、姉のカルヴィナだった。統夜から携帯電話を奪い取ると、まるでそれが自然であるかのように、躊躇いもなく会話を始めたのである。

 

『あ、もしもし簪?カルヴィナよ、何か用かしら?』

 

統夜の携帯電話を耳に当ててはきはきと言葉を紡ぐカルヴィナは、統夜を尻目に簪と会話を続けた。

 

『……ああ、そうなの。それで日時は?……ええ、大丈夫よ。統夜には私から言っておくから。何か疑問があれば統夜からかけさせるわ。それじゃあね』

 

携帯電話を切って携帯電話を投げ返してきた姉は、機関銃の如く喋り始めた。

 

『あんな優しい子が興味を持ってくれるなんて、奇跡に近いのよ?確かに引っ込み思案で大人し過ぎるみたいだけど、それを差し引いてもいい子なんだから。あなたには勿体無いくらいよ』

 

姉が何を言っているのか分からなかったが、自分を非難して簪を褒めている事だけは理解出来た。

 

『それにあなた、最近何処かに遊びに行ったかしら?』

 

姉たちが戻ってきて一週間、確かに家にいる事が多かった。しかし、全く外に出なかったという訳でもなかった。前に約束していた通り、一夏の家に遊びにも行ったし、久しぶりに中学校の友人達とも連絡を取って遠出もした。しかし、それだけでは姉にとっては不満だったらしい。

 

『いい?別に統夜の青春にケチをつける訳じゃないけど、もっと遊びなさい。一夏君と遊ぶのもいいし、中学の頃の友達と遊ぶのもいいわ。でもせっかくの一度きりの夏休み、もっと他にやる事があるでしょう?』

 

『確かに。私達といるのはもう十分だろう。私達の事はいいから、いい加減自分の事に集中した方がいい』

 

アル=ヴァンからの援護射撃に対しても、反論出来る材料が何もなかった。こうして憐れ本人の意思は無視したまま、簪の家での合宿が決定したのであった。

 

 

 

 

二日前の情景を思い浮かべながら、統夜は一つため息を吐く。しかし、門の前で佇んでいても何が変わるわけでもない。取り敢えず目の前の門を開けようと、手を当てて力を入れてみた。

 

「開いた……」

 

中へ一歩足を踏み入れると、統夜の目に飛び込んで来たのは綺麗な庭園だった。まるで武家屋敷の様な平屋の家屋が目の前に、両側には玉砂利が敷かれた庭が広がっている。右手に見える池では鹿威しが音を立てて動いている。

 

「……おっと」

 

何時までも目を奪われているわけにも行かず、統夜は門から玄関へと続く道を辿っていく。玄関の前に立つと、武家屋敷の様な家には場違いなインターホンが扉の横にあった。取り敢えず指で押し込むと、ごくごく一般的なチャイムが鳴る。

 

『……は、はい?』

 

「あ、簪か。俺だけど」

 

『と、統夜!すぐ逃げ──』

 

簪の言葉が終わらない内に、いきなり扉が横に引かれる。間髪入れずに統夜めがけて飛んできたのは、先が丸まった矢だった。

 

「なっ!?」

 

とっさの反射行動で後ろに飛び退ると、矢は全て先程まで統夜がいた足元に当たって勢いを失った。玄関から距離を取って待ち構えていると玄関を隔てた向こう側から、何者かがこちらに向かって歩いてくる。

 

「わざと外したとは言え、中々いい動きをするな」

 

「……ぶ、武士?」

 

「貴様か。娘を誑かした男というのは」

 

ガチャガチャと音を立てて歩いてきたのは、鎧を着込んだ人間だった。どこぞの武蔵坊弁慶よろしく、数え切れない程の武器を背負っている。武士は両手で保持した弓を脇に捨てると、背負った武器を自分と統夜の間にぶちまけた。

 

「好きな得物を取れ」

 

「ちょ、ちょっと待てよ!アンタ一体──」

 

「問答無用っ!」

 

地面にばらまかれた武器の内、木刀を拾い上げて武士は統夜に躍りかかる。背負っていたボストンバッグを盾代わりにして一撃を防いだ。

 

「こ、このっ!!」

 

左手で握り拳を作って、がら空きの腹部めがけて拳を打ち込む。ハンマーで殴られた様な衝撃が腹部に突き刺さり、武士は思わずたたらを踏んだ。生じた一瞬の隙を突いて、統夜が蹴りによる連撃を加える。

 

「ぬっ!」

 

武士は鎧に包まれた右手で、統夜の蹴撃を受け止める。武士の動きが止まった瞬間、統夜はボストンバッグを脇に捨てて後ろに飛び退った。唐突に発生した一瞬の攻防に動転しつつも、目の前の敵に罵声を浴びせる。

 

「おい!一体全体何だって言うんだ!?」

 

「シラを切るつもりか!刀奈から話は聞いたぞ、紫雲 統夜!私の娘と同室なのを良いことに、不埒な事を働いていると!!」

 

「……は?」

 

全く身に覚えの無い非難が統夜を襲う。自分の世界に入ってしまった武士は、その口調を更に加速させた。

 

「娘が言い出せないのを逆手に取り、他人に言えないあんな事やこんな事をしているなどと……許さん!!」

 

「な、何の事──」

 

「しらばっくれるつもりか!大人しく事実を認めるならまだしもこの期に及んで嘘を吐き続けるその性根、私が叩き直してやる!!」

 

木刀を構え直して、武士が再び突撃をかます。統夜は徒手空拳のまま構えを取り、迎撃の体勢を整えた。そして木刀と拳が交差する瞬間、声が響く。

 

「はい、ストップ!」

 

空気を裂くような鋭い声で、両者の動きがぴたりと止まった。統夜が視線を声のした方向に向けると、武士の体越しに三人の女性が玄関に立っているのが見えた。

 

「何のつもりだ、刀奈!この男がお前の言った奴だろう!?」

 

「落ち着いて、お父さん。全部冗談よ」

 

「何……?」

 

「楯無さん、どういう事ですか!?」

 

IS学園の生徒会長である、更識 楯無がそこにいた。片手で開いた扇子で口元を隠し、目元には笑いが浮かんでいる。扇子には“大袈裟”と書かれている。三人のうち、一人が動きの止まった統夜の下に小走りで駆けてきた。

 

「と、統夜、大丈夫?」

 

「簪、一体何がどうなってるんだ?」

 

楯無の横に立っていた女性が、武士に近づいていく。楯無や簪と同じ水色の髪を背中まで伸ばしている女性は、細い目を統夜に向けて口を動かした。

 

「紫雲君ごめんなさいね、主人が迷惑かけて。ほら、貴方はこっちに来てください」

 

「ちょっと待ってくれ、これは一体……」

 

「はいはい、ちゃんと説明するから。大人しくこっちに来て頂戴」

 

「ま、待て刀奈!一体あの男は何者──」

 

楯無と謎の女性に両脇を掴まれて、武士はずるずると引きずられて行く。残された統夜と簪は茫然自失としたまま、立ち尽くしていた。唖然としている統夜の横で簪がいち早く意識を取り戻して、脇に投げ捨てられていたボストンバッグを取ってくる。

 

「はい、統夜」

 

「あ、ありがとう簪……」

 

「えっと……いらっしゃい」

 

「え、ああ……お邪魔します」

 

炎天下の中、場違いな挨拶が二人の間で飛び交う。夏休みも残り半分となった日に、また新たな思い出が生まれようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話 ~特訓開始!~

暑い夏の平日、更識家の応接間に三人の人間がいた。純和風の部屋にいる三人の内二人はそれぞれ机を挟んで対面になるように座り、一人はお盆に乗ったコップを統夜の目の前に静かに置いた。

「粗茶ですが」

 

「あ、どうも」

 

目の前に置かれた麦茶に手を伸ばす。ひんやりと冷えた麦茶は、火照った体に良く効いた。胸の奥が冷えていく感覚を感じながら、統夜は黒塗りのテーブルを隔てて座っている簪に視線を向ける。

 

「……そ、そう言えば楯無さんは何処行ったんだ?」

 

「あ、お姉ちゃんなら……」

 

「あの子なら、主人と一緒にいますよ」

 

簪の隣に座った女性が代わりに答える。初めて見る人物を、統夜はまじまじと凝視してしまった。その視線に気づいたのか、女性がくすくすと笑いながら統夜に質問を投げかける。

 

「どうかしましたか?」

 

「あ、い、いえ。すみませんけど、貴方は……?」

 

身長は統夜と同じくらいか、少し低い程度だろう。水色という日本人にはありえない髪色なのに、それが怖い位に自然に感じられた。男の目を引くであろうメリハリのあるボディは横にいる簪と比較されて、より豊かに見える。統夜の質問を受けて、女性は艶やかな唇を動かした。

 

「あら、ごめんなさい。そう言えばまだ行ってなかったわね。私は更識 楓。この子の母親です」

 

「そ、そうだったんですか。あ、俺は──」

 

統夜が自己紹介しようとすると、女性が小さな手でそれを押し留める。我が娘を横目でちらりと盗み見てから、おっとりとした言葉遣いで言葉を紡いだ。

 

「知っていますよ、紫雲 統夜君。簪の同室の子ですよね」

 

「あ、はい」

 

「この子が全部教えてくれましたよ。まずは、最大限の謝辞を」

 

そう言うと女性は一歩下がって深々と頭を下げた。若草色の畳に額がつきそうな程深く土下座をした楓を見て、慌てて統夜が立ち上がる。

 

「な、何してるんですか!?」

 

「お礼を。この子と刀奈……楯無の仲を取り持ってくれて、ありがとうございます」

 

楓の隣に座っている簪も、母親のいきなりの行動に度肝を抜かれているようだった。目をパチクリと瞬かせて、母親を見つめている。簪と同じく統夜も驚きながら、しどろもどろに言葉を返す。

 

「そ、そんな事、俺がいなくてもどうにかなりましたよ」

 

「いえ、貴方でなければ出来ませんでした。仮定の話ではなく、現実として簪と楯無は貴方に支えられた。どうも、ありがとうございます」

 

「……俺に感謝するなら、顔を上げてください」

 

その言葉に従って、楓が顔を上げる。楓が自分を見ているのを確認すると、統夜は額を机にぶつける勢いで頭を下げた。今度は楓が慌てる番だった。

 

「ど、どうかしましたか?」

 

「礼を言うのは、俺の方なんです。俺は楯無さんと簪に、数え切れない程支えてもらった」

 

「統夜……」

 

「俺がここにいられるのも、IS学園で過ごせるのも、全部楯無さんと簪のお陰なんです。礼を言うのなら、俺の方ですよ」

 

「……顔を上げてください。お客様に頭を下げさせたとあっては、更識の名に傷が付きます」

 

楓の奨めに従って、統夜が顔を上げる。顔を上げた統夜の目に飛び込んで来たのは、先程と変わらない笑顔を浮かべている楓だった。大きく息を吸って落ち着いた楓が、真っ直ぐに統夜を見る。

 

「少しだけ分かりました、貴方の人となりが。やはり聞くだけではなく、実際にお話する方が良いですね」

 

「あの、その聞いた相手ってのは」

 

「勿論、この子です」

 

「簪は俺の事、何て言ってたんですか?」

 

統夜のその一言で、簪が慌て始める。静かに話を聞いていた簪が途端に狼狽し始めて、母親にすがりついた。そんな娘を横目で見ながら、楓は返答する。

 

「それはそれはもうベタ褒めで、欠点などない誠実な──」

 

「お、お母さん!!」

 

「あら、何か間違えた事を言ったかしら。私はただ、簪ちゃんから聞いた事をそのまま彼に伝えているだけよ?」

 

「ま、間違ってないけど……」

 

「ふふふ、後は若い二人に任せるわね」

 

楓が立ち上がって部屋から出ていこうとする。しかし立ち上がったその瞬間、楓は簪の耳に口を近づけて囁いた。

 

「簪ちゃん、頑張ってね」

 

「~っ!は、早く行って!」

 

突如立ち上がった簪に背中を押されて、楓が部屋から出ていく。そのまま母親を押しやった簪は襖を開けて楓を部屋から追い出すと、ぴしゃりと勢いよく襖を閉めた。

 

「はーっ、はーっ」

 

「だ、大丈夫か簪?」

 

「う、うん。大丈夫……」

 

元の場所へと座って統夜と相対する簪。しかし、会話が再開されようとしたその時、再び襖が開かれた。

 

「紫雲君、気兼ねしなくていいわよ。ここを自分の家だと思って過ごして頂戴」

 

「早く行って!」

 

簪の金切り声が和室に轟く。娘に罵声を浴びせられた楓は悪びれる様子も見せずに、少しだけ開いた襖から覗かせていた顔を引っ込めた。しかし、三度襖が開かれる。

 

「お待たせ~」

 

Tシャツとホットパンツというラフな格好で、楯無が部屋へと入ってくる。簪の隣に腰を落ち着けた楯無は息を切らして荒い呼吸を繰り返す簪と、困惑している統夜を交互に見つめた。

 

「どうしたの?何かあったの?」

 

「ええっと……」

 

「……ああ、お母さんね。まあ、あの人は放っておいて、本題に入りましょうか」

 

楯無は何処からともなく方眼紙を取り出すと、目一杯机の上に広げる。紙の上に書かれているのは色鮮やかな文字の数々と、数々の時刻だった。簪と統夜が揃って方眼紙を見つめる中、楯無だけが自慢げに腕を組んで鼻を鳴らす。

 

「ふふん、どうかしら?」

 

「お姉ちゃん、これ何?」

 

「これはね、統夜君のスケジュールよ」

 

「俺のスケジュール?」

 

思いもよらない言葉を、統夜がオウム返しに繰り返す。確かに、よくよく見れば時刻の横に予定と思しき文字が並んでいた。思わずその文字の羅列を声に出して読む。

 

「“ISについての講義”“格闘術の特訓”“簪ちゃんとお昼寝”“私と組手”“簪ちゃんとお昼寝”“宿題を片付ける”……」

 

「ね?いい考えでしょう?さあ、早速今日のメニューを──」

 

「帰らせてもらいます」

 

楯無の言葉をぶった切って、統夜がやおら立ち上がる。ボストンバッグを持ち上げて帰る意思を見せる統夜にすがりながら、何とか引きとめようとする楯無。

 

「な、何でよ!?私が一生懸命考えた予定表に、何か不満があるの!?」

 

「巫山戯ないでくださいよ。半分近く遊んでるじゃないですか」

 

「そ、それはトレーニングばっかりじゃ、統夜君が滅入っちゃうかな~と思って……」

 

「……一つだけ質問です。それをすれば、俺は強くなれますか?」

 

「も、勿論よ!嘘だったら針千本飲んでみせるわ!」

 

統夜はズボンを掴んでいる楯無から視線を外して、先程から座ったままの簪を見つめる。数分前から全く口を開いていない簪だったが、その表情で今の感情を精一杯表していた。しばし簪と視線を交差させて、重苦しいため息を一つ吐く。

 

「……分かりましたよ。やります」

 

「や、やってくれるのね!?」

 

「簪のヒーローになる以上、もう負けられませんからね。強くなれるんだったら、言うことなしですよ」

 

「と、統夜……」

 

伏し目がちになりながら赤面する簪を、統夜と楯無が揃って見つめる。場を仕切り直す為に楯無がごほん、と咳払いをした。慌てて統夜と簪が居住まいを正す。

 

「あー、ご馳走様。取り敢えず二人とも、いいかしら?」

 

「あ、はい」

 

「さて、ここからは真面目な話よ。二人とも、よく聞いてね」

 

「「……」」

 

いつになく真剣な声色の楯無に釣られて、二人がごくりと唾を飲む。簪の隣に座った楯無は重苦しい口調で話し始めた。

 

「この特訓の目的は、純粋な戦力強化よ。今回、臨海学校で襲ってきた敵は何とか退けたけど、これからも同じ事が出来るとは限らないわ」

 

「それは俺も思いました。あの無人機、確実に強くなってます」

 

「うん……後からデータを見直したら、明らかに機体性能が違ってた」

 

臨海学校の時に襲ってきた敵を退けられたのは、幸運と偶然の積み重ねに過ぎない。たまたま統夜がラインバレルと共に覚醒を成し、たまたま一夏の白式が進化を遂げ、たまたま紅椿の単一仕様能力(ワンオフアビリティー)が発動して事なきを得たに過ぎない。その事象に加えて千冬と簪の奮闘、各国代表候補生の活躍なども要素に加えれば、奇跡的な確率で勝利をもぎ取ったと言えるだろう。

 

「その通り。敵は確実に強くなってる、それに対抗するにはこちらも戦力を充実させるしかないわ。幸い、私達には統夜君とラインバレルという切り札(ジョーカー)がある。でも、それにおんぶにだっこで勝てるほど戦いは甘くないの」

 

「それじゃあ、一夏達にも?」

 

「ええ。夏休みが明けたら、私が稽古を付けるわ」

 

「でもお姉ちゃん、統夜はもう十分強いと思うけど……」

 

「いえ、私に言わせたらまだまだよ。それは統夜君自身が分かっているはず」

 

「分かってます。俺はまだまだ弱い」

 

「いい返事ね。それじゃあまずは──」

 

不意に立ち上がった楯無が、統夜を見下ろす。先程とは打って変わって、痛い程の威圧感を放ちながら、楯無は猛禽類にも似た獰猛な視線で真正面から見つめた。

 

「私と戦いなさい、統夜君」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話 ~約束~

更識家の敷地内にある広々とした武道場の中で、統夜と楯無が正対する。IS学園指定のジャージに身を包んだ二人は、足元に広がる畳の感触を確かめる様に足を踏み締める。二人の脇にはこれから始まる戦いを憂うように顔を曇らせた私服姿の簪もいる。

 

「さて、準備はいいかしら?」

 

「何時でもいいですよ」

 

「あ、簪ちゃんはもうちょっと離れててね。少し危ないから」

 

「うん」

 

姉に促されて、統夜に付き添うように立っていた簪が二人から離れる。五メートル程感覚を空けて、楯無は構えを取った。

 

「もう一度確認するわよ。私を一度でも倒せたら統夜君の勝ち。逆に統夜君が負けを認めない限り、勝負を続けるわ」

 

「本当にそれでいいんですか?さっきはああ言いましたけど、俺もそれなりに強いと思いますよ」

 

「ああ、いいのいいの。どうせ統夜君は、私に勝てないから」

 

「……それじゃあ、思いっきりやらせてもらいます」

 

その一言でプライドを刺激された統夜が体を引き締める。余裕の表情を保った楯無は簪に向けて手を振った。

 

「簪ちゃん、合図お願い」

 

「……は、始め!」

 

「っ!」

 

簪の合図と共に、統夜が前へ出る。ファクターとしての身体能力を使わなくても、日頃から姉達に鍛えられている統夜の肉体は、同年代の男と比べて遥かに発達している。常人ならぬ動きで一息に楯無へと近づいた統夜は右腕を楯無の襟首へと伸ばした。

 

(掴んで、投げ飛ばす!)

 

自分と同じ柄のジャージを着た楯無の襟首めがけて、右手を伸ばす。しかし、そんな危機的状況にも関わらず瞬間的に視界に入った楯無の顔には、笑みが浮かんでいた。

 

「──凄いわね」

 

そして楯無の一言が漏れた後、統夜は畳の上に転がっていた。

 

「……は?」

 

「やっぱり凄いスピードね。私なんかとは比べ物にならないくらい速いわ。でも、捉えきれないって訳じゃない」

 

畳に寝転んでいた統夜は慌てて体を起こして構える。楯無は統夜を観察するかの様に、じっと見つめていた。そこでやっと統夜は自分が投げられたのだと認識する。奥歯を噛み締めながら、再度楯無に向かって突撃する。

 

「今度は……!」

 

「それはストレート過ぎるわよ?」

 

フェイントも織り交ぜた、足元への蹴撃。意表を突いたはずの一撃すらも、楯無はあっさりと避け切った。瞬間的に生まれた隙を見逃すはずもなく、楯無は統夜の懐に入って体を動かした。

 

「ぐっ!?」

 

「鍛えていると言うだけあって、そこそこの技術は身に付いてるみたいね。でもその程度じゃ、私には勝てないわよ?」

 

一瞬の内に畳の上に転がった統夜の顔を覗き込むようにしゃがむ楯無。言い表せない敗北感を感じながら、統夜は腕を横に振った。苦し紛れの一撃ですら、楯無はあっさりと避けてしまう。距離を取った楯無を睨みつけながら、統夜はゆっくりと立ち上がった。

 

「さて、次は何を見せてくれるのかしら?」

 

「……やられっぱなしってのも癪ですからね。手加減無しで行きますよ!!」

 

気合の乗った一言と共に、統夜の瞳が赤く光る。統夜の体が動くたびに、輝く瞳は夜空に輝く流星の如く、赤い尾を引いた。先程までとは段違いのスピードを見せつけながら、楯無に向けて正拳を放つ。勿論手加減しているとは言え、たった一つしか年が離れていない少女に繰り出していい一撃ではなかった。しかし、渾身の力を込めた一撃ですら、楯無は湛えた微笑を崩す事無く難なく避ける。

 

「なっ……」

 

「遅い遅いっ♪」

 

「こ、のっ!!」

 

握られた拳が楯無に向けて放たれる。しかし肩や腕を狙って放つ拳は全て、楯無に受け流されていた。突き出す肘は掌で受け止められ、握り拳を華麗に避けられ、蹴撃を放とうとすれば先に膝を抑えられてしまう。一旦距離を置こうと攻撃を止めれば、楯無の腕が伸びてきて綺麗に投げられてしまう。

 

「よいしょ!」

 

「がはっ!!」

 

五分後、楯無に投げられた回数が二桁に達しようというタイミングで、統夜が力尽きて畳の上に崩れ落ちた。投げられた際に擦れた頬に、新たな擦り傷が生まれる。畳の外にいた簪は慌てて駆け寄って、統夜の顔を覗き見る。

 

「統夜君、これで分かったかしら?自分はまだまだって事を」

 

「そんなの、分かってますよ……」

 

相対する楯無は崩れたジャージを直しながら、統夜に近づいた。額に幾らかの汗が浮かんでいるものの、その体には傷一つ無い。対して、服に隠された統夜の皮膚には、数多くの擦り傷や打撲の跡が刻まれている。

 

「うん、統夜君は確かに自覚してる。でも、これではっきりしたでしょ?私と貴方の力の差って奴を」

 

「……」

 

反論の余地がない楯無の言葉に、統夜は只々頷く事しか出来なかった。

 

「確かに統夜君は強いわ、ラインバレルの力を抜きにしてもね。でも、それだけで今後戦っていけるとは限らない」

 

「俺は……何をすればいいんですか?」

 

顔を上げた統夜が、楯無を見上げる。真摯な眼差しで統夜を見つめ返す楯無は片手を上げて指を一本だけ立てた。

 

「一週間、私のトレーニングを受けてもらうわ。続きはIS学園でやるけどね」

 

「一週間、ですか」

 

「そう、まずは一週間。それと、もう一つ大事なことがあるわ」

 

「何ですか?」

 

「私は統夜君に、ラインバレルとしての戦い方を教えないわ」

 

「え?」

 

満身創痍の統夜が呆けた声を上げる。統夜に寄り添っている楯無は押し黙ったまま、姉の言葉を待っていた。楯無はしゃがみこむと、統夜と自分の視線の高さを合わせる。

 

「だってそうでしょう?私はラインバレルの事について一切知らないし、動かしたこともない。だったらISの戦闘について教えて欲しい、って思うかもしれないけれど統夜君が実際に戦場で動かすのはラインバレルよ。ISじゃない」

 

「じゃあ、何を特訓するんですか?」

 

「それはね、人間としての戦い方よ」

 

「人間としての……?」

 

「ねえ、何で私が統夜君に勝てたか分かる?力でも遠く及ばない、速さでも勝目が無い。そんな私が、統夜君を圧倒出来た訳って何だと思う?」

 

「……」

 

統夜は先程の戦いを頭の中で反芻する。こちらが繰り出す攻撃は全て綺麗にいなされ、逆に楯無の攻撃は一回も避けられなかった。全力を出したつもりだった。ムキになって僅かとは言え、向けてはいけない力まで出した。しかしそれでも勝てなかった。

 

「……技術、ですか?」

 

「経験、とも言うわね。ともあれ、私は統夜君にそういう物を無くして欲しくないのよ。言い換えれば、人間としての能力(ちから)、ってやつね」

 

「でも、俺は人間じゃ──」

 

「違う!」

 

大気を震わせる様な声が、道場に響く。声のした方向に目を向けてみれば、簪が何かに耐えるように唇を噛み締めながら、統夜を見つめていた。目尻を光らせながら、簪が途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 

「統夜は……統夜は、違う。私達と同じ……」

 

簪の言葉はそこで途切れてしまったが、言わんとする事は理解出来た。しかし、既に自分の体の事情を正確に把握している統夜はしどろもどろに言葉を返す。

 

「いや、その……でも、俺は……」

 

「簪ちゃんの言う通りよ」

 

「楯無さんまで何を言ってるんですか。俺の体は──」

 

「そう、確かに私達と統夜君の体は生物学的に見て、明らかに異なってる。でも、私が言っている“人間”の線引きは、そんな物に左右されないのよ?」

 

「俺が、人間……?」

 

「考えてご覧なさい、何を持って“人間”と定義するかを……ま、これは私からの宿題って事で。いつか、統夜君なりの答えを聞かせて頂戴」

 

そう言い残すと、楯無は立ち上がって道場から去っていった。残された簪は床に体を横たえた統夜を真上から覗き込む。

 

「あ、あの……統夜……」

 

「……」

 

簪の呼びかけに対しても、微動だにしない統夜。瞳を隠す様に右腕を顔に載せている統夜は、身じろぎ一つしない。簪がそろそろと手を伸ばして統夜の腕を持ち上げようとしたその時、統夜が動いた。

 

「……はは」

 

「……?」

 

「アハハハハッ!!」

 

畳の上に寝転んだまま、統夜が唐突な哄笑を上げる。簪は目の前の少年の突飛な行動におおろと戸惑うばかりだった。

 

「と、統夜……どうかしたの?」

 

「……凄いよな、楯無さんは。俺たちとそんなに変わらないのに、あんなに強いんだから」

 

「お姉ちゃんはロシアの国家代表だし、色々と訓練もしてるから……統夜が負けても、仕方ないと思う……」

 

統夜に対して慰めの言葉を投げかける。楯無に負けてショックを受けていると思った簪は、思いつく限りの言葉を挙げた。しかし、そんな簪とは対象的に、統夜の顔は珍しく清々しい表情を浮かべている。

 

「ああ、違う違う。気にしてないさ、楯無さんに負けたことは。ただ、嬉しいんだ」

 

「うれ……しい?」

 

「だってさ、今弱いって事はこれからまだまだ強くなれるかもしれないって事だろ?」

 

「そう、だけど……」

 

統夜が上半身だけを起こして、目の前で両手を握る。まるで自分の力を確認するかの様に、両手を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。掌に視線を落としながら、統夜は言葉を続けた。

 

「俺はもっともっと強くなりたい……いや、強くならなきゃいけないんだ。もう二度と、目の前で誰かを失うのは嫌だから。あの日……父さんと母さんが死んだあの日みたいな事は、もう二度とごめんだ」

 

「……約束して、統夜」

 

「何だ?」

 

簪がゆっくりと統夜の頬に右手を伸ばす。先程までそこにあった擦り傷は既に影も形も無い。数秒前に光と共に消えてなくなってしまった。統夜が統夜である異形の印を、確かめる様に優しく撫でる。

 

「……無理だけはしないで」

 

「簪……」

 

「統夜の体が丈夫なのは知ってる……でも、無理だけはしないで。こうしてるだけで、私は満足だから……」

 

「ありがとな、簪」

 

統夜の右手が、頬に添えられている簪の手と重なる。互いの手の感触を確かめ合うように、重なり合う掌は微動だにしない。二人がそのまま寄り添いあっていると、静かな道場に口笛の音が鳴り響く。

 

「あらあら、私はお邪魔虫かしら?」

 

「た、楯無さん!?」

 

道場の扉を開けて入ってきたのは、片手にそれぞれ一本ずつ竹刀を握りしめている楯無だった。楯無の登場と同時に、慌てて簪と統夜が重ねていた手を離す。楯無は苦笑しながら統夜に近づくと、片方の竹刀を放った。

 

「さあ、次は武器を使った特訓と行きましょうか。今日は寝かせないわよ?」

 

「冗談でもぞっとしない台詞ですね、それ」

 

「へえ、統夜君がそんな生意気な口きくなんて、おねーさん悲しいなぁ~……」

 

「あ、いや、今のは冗談ですよ?」

 

統夜から距離を取って、竹刀を構える楯無の瞳が獰猛にギラつく。姉の怒りを察知した簪はそそくさと統夜から離れて一足早く危険から去っていった。統夜が座り込んでいるにも関わらずじりじりと距離を縮める楯無と対照的に、統夜は後ずさりしながら何とか楯無から離れようと座ったまま体を動かす。

 

「あ、あの~……本当に冗談ですよ?」

 

「ほら、最近おねーさんの活躍の場が無かったじゃない?そろそろこの辺で私の強さを再認識してもらおうと思うのよね」

 

「た、楯無さんの強さは知ってますから!いや、ホントに冗談ですって!!」

 

聞く耳を持たない楯無はジリジリと統夜に迫っていく。後ずさる統夜だったが、背中が道場の壁に当たり、動きが止まる。逃げ場を失った統夜が正面を見ると、獲物を見つけた肉食動物がそこにいた。

 

「さあやりましょうか」

 

「と、統夜……頑張って」

 

「……くそっ!やれってんなら、やってやるさ!!」

 

その日、人とは異なる肉体に強い意思を宿らせた少年が静かな一歩を踏み出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話 ~姉妹の絆~

「ほらほら、脇が甘いわよ!!」

 

楯無の手刀が統夜の竹刀をいなす。すぐさま距離を取ろうと動くが、それより早く楯無が統夜の足を払った。

「力に頼りすぎないで!攻め方が正直過ぎるわよ!!」

 

「も、もう一丁!!」

 

畳を蹴って飛び上がった統夜が、掌底を繰り出す。楯無の顎を狙った一撃は、目標を外れて空気を切り裂く。体さばきで攻撃を避けた楯無が統夜の懐に入り込んで逆に顎への一撃を見舞う。

 

「ぐっ!!」

 

「統夜君の攻め方は馬鹿正直過ぎるのよ。一手目は躱して当然。その二手先、三手先を常に組み立てておきなさい」

 

脳を揺らされた統夜がふらふらと体を揺らして、畳に倒れこむ。楯無も胸元に手で風を送りながら、畳へと腰を下ろした。

 

「これで私の十戦十勝。気分はどうかしら?」

 

「嫌味ですか、それ……」

 

統夜もそれぞれ片手に握りしめていた竹刀を遠くへ放る。無造作に投げられた竹刀は乾いた音を立てて、壁に当たった。壁にかけられた時計にちらりと目を向けると、既に時間は午後六時になろうとしている。

 

「それにしてもやっぱり凄い身体能力ね、えーっと、なんて言ったかしら。その……統夜君の体の事」

 

「“ファクター”ですか?」

 

「そうそう、それそれ。やっぱりそれって、ラインバレルのお陰なのかしら?」

 

「はい。俺の体の中にある、ナノマシンって奴の能力みたいです」

 

「ナ、ナノマシン?」

 

「ええ……ってあれ、言ってませんでしたっけ?」

 

さも当然と言った口調で統夜が怪訝な顔をする中、楯無は目を瞑って考え込む仕草を見せる。数秒間思考に浸る楯無だったが唐突に目を見開いて統夜に質問を投げかけた。

 

「ねえ、確認だけどそのラインバレルって、本当に統夜君のお父さんから貰った物よね?」

 

「そりゃそうですよ」

 

「……あー、長くなりそうだからまた今度聞く事にするわ。今日は取り敢えずもうおしまい。考えるのも面倒になっちゃった」

 

心底億劫そうに、畳の上に大の字になって寝そべる楯無。統夜はだらしない楯無の姿を視界から外しながら、ゆっくりと立ち上がった。つい数分前まで掴まれては投げられ、掴まれては投げられる事を繰り返していたとは思えない程滑らかに体を動かす。

 

「俺も、少し疲れましたよ」

 

「あれで“少し”なの?」

 

「……訂正します。“滅茶苦茶”疲れました」

 

統夜の体が丈夫なのを良いことに楯無は約3時間、ぶっ続けで特訓を行っていた。途中で根を上げるのが普通なレベルの特訓を繰り返し続けたにも関わらず、統夜が泣き言一つ言わなかったのも、ひとえにその肉体と意思の強さがあったからに他ならない。

 

「楯無さんは疲れてないんですか?」

 

「ちょーっとだけね。ほんのちょっとだけ」

 

「国家代表の肩書きは伊達じゃないって事ですか」

 

「統夜君も若いんだから、こんなんでへばってちゃダメよ?」

 

寝転んでいた二人の耳に、道場の扉が開く音が届く。二人揃って視線を音の聞こえてきた方向に向けると、簪が半開きになった扉からこちらを見つめていた。

 

「お姉ちゃん、もう終わった?」

 

「ああ、そろそろ夕飯の時間?」

 

こくりと頷いた簪が、扉を開けて入ってくる。髪と合わせているのか、青色のエプロンを着た簪は統夜が投げ捨てた竹刀を纏めて壁際に置いた。楯無は勢いよく立ち上がると、座っている統夜に手を差し伸べる。

 

「さあ、ご飯の時間よ。一杯食べてね」

 

「それも特訓の内容ですか?」

 

差し出された手を掴んで統夜が立ち上がる。

 

「いいわね、簪ちゃんの手料理をお腹いっぱい食べる特訓と行こうかしら?」

 

「簪の料理、ですか」

 

「とってもとっても美味しいんだから。期待しててね」

 

「そ、そんな事無い……」

 

立ち上がった勢いで、統夜が道場の出口へと向かう。簪の脇を通りすぎて道場を出ようとした時、ふと楯無が一緒に来ない事に気づいた。後ろを振り向くと、何故か楯無は畳の上で立ったまま、動こうとしない。

 

「楯無さん、どうかしたんですか?」

 

「ああ、ちょっとここの後片付けがあるから。荷物を置いた部屋に戻って待ってて頂戴。私と簪ちゃんも、後で合流するわ」

 

「わ、私も……?」

 

「ごめんなさい、少し手伝って」

 

「じゃあ、俺も──」

 

「統夜君は先に戻っていて。もう疲れてるでしょ、片付けはやっておくから」

 

「分かりました。先に部屋に戻ってます」

 

統夜は怪訝な顔をしながらも反論はせず、一人で道場を出ていった。残された簪と楯無の視線が交差する。どういう訳か、楯無は先程から全く動かない。不思議に思って簪がゆっくりと立ち尽くしている楯無に近づいていく。

 

「お姉ちゃん、どうかしたの……?」

 

「……」

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!!」

 

簪が楯無の肩に手を添えようとしたその瞬間、ぐらりと楯無の体が傾く。危うく畳の上に倒れこむ直前で、簪が楯無の体を支えた。楯無の耳元で、叫ぶように姉を繰り返し呼ぶ。

 

「お姉ちゃん!!」

 

「……あー、ごめんなさい。少しぼーっとしちゃった」

 

あはは、と笑いを零す楯無の顔は、林檎の様に赤かった。抱いているその体はとても熱く、夏の陽気で温められたものでないと一瞬で分かる。簪に支えられたまま、楯無は独白した。

 

「いやー凄いわね、統夜君。もう少しやってたら、私の方が先にギブアップしてたわ」

 

「ど、どうして……?」

 

「ああ、これ?統夜君に付き合ってたら、こうなちゃった。統夜君ったら、休まないでずっと続けるんだもの」

 

楯無の手が空中でひらひらと左右に振れる。一見平気な様に見えたが、一皮剥けば姉の体は疲弊しきっていた。現に、左右に振れている手はぷるぷると震え、足には全く力が込められていない。体をゆっくりと畳の上に下ろすと、簪は楯無の横に膝をついた。

 

「嫌な言い方だけど、やっぱり統夜君と私達って違うのね。これでもかって程、思い知らされちゃった」

 

「大丈夫、なの……?」

 

「平気平気。少し休めば、すぐ動けるようになるわよ」

 

「……」

 

「ああ、簪ちゃんが気に病む必要は無いわよ。これは私がしたい事なんだから」

 

振られていた手が力なく楯無の胸元に落ちる。荒い息を繰り返し、手足の感覚が消えかけていても、楯無の言葉は止まらなかった。

 

「私自身、統夜君の助けになりたいの。それに統夜君がどこまで出来るのか、見てみたいって願望もあるしね」

 

「お姉ちゃん……」

 

「加えて、最終的に簪ちゃんをお嫁にもらうんだから、少なくとも私よりは強くなってもらわないと」

 

「そ、それは、関係無い……!」

 

若干語調を荒げて姉に反論する簪。そんな簪の様子を意に介することなく妹の膝に頭を乗せたまま、楯無はにやにやと相好を崩した。

 

「……ねえ簪ちゃん。一週間くらい前から私の化粧道具が誰かに使われてるみたいなんだけど、何か知らない?」

 

「……!」

 

楯無の言葉で、簪の背筋がぶるりと震える。夏に相応しい部屋の空気が、どろりと楯無と簪の皮膚にまとわりつく。

 

「お母さんに聞いても知らないって言うし、簪ちゃんなら何か知ってるんじゃないかと思って。どう?」

 

「そ、それは……」

 

二人の体は体温を下げるために、必死になって汗を生み出していた。しかし、簪の背中にはそれとは別の、いわゆる”冷や汗”と呼ばれる物が流れ始めていく。

 

「そう言えば丁度簪ちゃんが統夜君の家に遊びに行った頃からね。私の化粧品が無くなり始めたのは」

 

「あ、あの……」

 

「そうそう。私の本棚にある本も読んだ形跡があったのよね~。あれも化粧の仕方とか書いてある物だったから、もしかしたら犯人は同一人物かもしれないわ」

 

「……ごめんなさい」

 

がくりと簪の首が傾く。楯無は微笑みを浮かべたまま、震える右手を持ち上げてうなだれている簪の頬を撫でた。

 

「いいのよ。まあ本音を言えば、一言位言って欲しかったけど」

 

「だって……恥ずかしくって……」

 

「……ふふっ」

 

「あ……」

 

楯無の手が更に伸びて、簪の頭に置かれる。そのままわしゃわしゃと簪の髪の毛を乱すように、半ば乱暴に頭を撫でる楯無は笑顔混じりに言葉を続ける。

 

「一杯我が儘を言って、一杯お願いしていいのよ。私は簪ちゃんに頼られる事が、何より嬉しいんだから」

 

「うん……ありがとう、お姉ちゃん」

 

「……うわぁ、物凄い元気出てきた」

 

その言葉を証明するかの様に、簪の膝から頭を除けると勢い良く楯無は立ち上がった。簪が静止の言葉をかけるより早く、筋肉をほぐす為に四肢を動かしていく。一通り体を動かし終えた楯無は座り込んだままの簪に片手を差し出した。

 

「さあ、行きましょ。統夜君が待ってるわ」

 

「うん……!」

 

姉の手をしっかりと握って簪が立ち上がる。手を握ったまま、二人仲良く道場の出口へと足を動かしていく。

 

「統夜君が帰ったら、お化粧の勉強もしましょうか。それとも、統夜君がいた方がいい?」

 

「……統夜が帰ったらで、いい」

 

「ふふふ、じゃあ色々と準備しておかないとね」

 

まるで普通の姉弟の様な会話が二人の間で飛び交う。久方ぶりに握る姉の手は自分と同じ、小さな手だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話 ~微睡みの中で~

(もう、こんな時間……)

 

更識家の次女、更識 簪は枕元にある目覚まし時計を見ながらそんな事を考える。時計の短針は七の数字を指し、部屋の窓からは陽光が差し込んでいる。もぞもぞと体を動かして布団から這い出ると、服を着替える。寝間着から普段着に服を変えると、部屋の隅に置かれている姿見の前に立って全身をチェックする。

 

(……うん、大丈夫)

 

何時もならば絶対にやらないが、この時ばかりは事情が違った。家の中だから、などと言っても気を抜けない事情があるのだから。一通りチェックを終えると部屋から出て、居間へと向かう。

 

「あら、もう起きたの?もう少しゆっくり寝ててもいいのに」

 

キッチンから母の楓が顔だけ出す。味噌汁の匂いが鼻孔を刺激し、体の中で食欲が頭をもたげる。とりあえず自分もキッチンへと侵入して、冷蔵庫の中から冷えた麦茶を取り出す。

 

「お姉ちゃんは?」

 

「珍しくまだ寝てるわよ。統夜君の相手をして、疲れてるのかしらね」

 

透明なガラスのコップに麦茶を入れると、一息に飲み干す。乾いていた喉を潤すと、母の手伝いをするべくキッチンに立つ。

 

「何すればいい?」

 

「こっちは大丈夫よ。もうそろそろ朝ご飯が出来るから、統夜君と刀奈を起こしてきてくれるかしら?」

 

「うん」

 

母の言葉に素直に頷くと、居間から抜け出して先に姉の部屋へと向かう。

 

(お姉ちゃん、やっぱり疲れてるのかな……?)

 

統夜が更識家に来てから既に三日が経過していた。その間、楯無は統夜の特訓につきっきりであった。間に夏休みの宿題を片づけたり、ISについての学習などの事柄も挟んではいたが、基本的に統夜の相手は楯無が務めている。勿論、超人的な肉体を持つ統夜の相手を人間である楯無が相手したらどうなるか、その結果が今の状況だ。いつもは起こしに行かなくとも一人で起きている姉が、自分より目覚めが遅い。統夜の相手を肩代わり出来ない自分に若干の不甲斐なさを感じつつも、姉の部屋の扉を開ける。

 

「お姉ちゃん?」

 

「……あ~、もう朝なの?」

 

簪の声を聞いて目が覚めたのか、布団から出ようとする姉の姿が視界に映りこむ。枕元に置いてある時計に目を向けた楯無は、覚醒しきっていない頭を左右に振りながら布団から出た。

 

「そこに置いてある湿布取ってくれない?」

 

姉が指さすのは部屋の床に無造作に置かれている湿布の束だった。それを拾って姉に手渡すと、布団の上に腰を落ち着けて、湿布の封を切っていく。

 

「お姉ちゃん……大丈夫?」

 

「あー、平気平気。そろそろ慣れてきた頃だし」

 

一人で器用に湿布を張り終えて布団から立ち上がると、服を脱ぎ散らかしていく。クローゼットの中からホットパンツとTシャツを出して着替えると、楯無はいつもの顔を作り上げた。

 

「さてと、今日も気合入れていきますか!」

 

「もう朝ご飯出来てるから、先に行ってて」

 

「簪ちゃんはどうするの?」

 

「統夜を先に起こしてから行く」

 

「簪ちゃん簪ちゃん」

 

部屋から出る直前、姉に声をかけられて立ち止まった。

 

「何……?」

 

「寝てる男の子の唇を奪うのは、ダメだからね?」

 

数瞬、姉の言葉の意味が分からずに思考を巡らせる。そして言葉の意味の変換を終えると、簪の顔が真っ赤に染まった。音を立てて扉を閉めると、足音を響かせながら廊下を歩く。

 

(そんな事……絶対しない)

 

姉と和解してから徐々に硬さが取れてきたと自覚しつつあるが、流石にその様な行動に及ぶ事は出来ない。何よりも恥ずかしさが先行してしまい、大胆な行動が取れないのだ。しかし、今の自分に取ってはこの距離感が心地良い。

 

(このままで、いい……)

 

急ぐ必要は何処にも無い。まだ自分と統夜は高校一年生なのだ。これからたっぷりと時間はある。寧ろこの関係が壊れる事の方が怖い。己の中で完結させるうちに、目的の部屋へとたどり着く。ゆっくりと襖を開けて、中にいるはずの人物の名前を呼んだ。

 

「統夜……?」

 

ゆっくりと部屋の中に入り込む。広々とした客間の中央に一枚だけ布団が敷かれ、その上で一人の少年が寝こけていた。取り敢えず統夜がまだ寝ている事を確認すると、布団の脇に膝を突いて統夜の顔を眺める。

 

「ZZZ……」

 

無防備な顔を晒して惰眠を貪る目の前の少年が、ISをも凌駕する力をその身に宿していると誰が信じるだろうか。こうしているだけでは極々普通の男子学生にしか見えない。寝癖で少し髪の毛が撥ねているのを見て、指を伸ばす。撫でつけても再び撥ねてしまう髪に、なぜか微笑みが零れる。

 

「ふふ……」

 

伸ばした指を彼の頬に宛がう。自分とは違う少しざらついた頬、その頬を指で押す。まるで赤子にするように、何度も何度も頬を押す。

 

「ううん……」

 

「……!」

 

寝返りを打った統夜から、慌てて指を引っ込める。そこで初めてここに来た目的を思い出す。ぶんぶんと頭を振って邪念を追い出すと、統夜の体を両手で揺さぶる。

 

「と、統夜……起きて」

 

「もう、少し……」

 

何度も何度も体を揺らすも、統夜は頑なに起きようとしない。逆に毛布を目元の位置まで引っ張り上げて、布団の中に潜り込んでしまった。駄々をこねる子供の様に、目覚めを拒否し続ける。

 

「もう少しだけ……姉さん」

 

「……」

 

何故だか分からないが自分の心の中にほんの小さな苛立ちが生まれる。統夜のその寝言は何もおかしくないはずなのに、違和感などある筈も無いのに。ただ寝ぼけているだけの少年に苛立ちが沸き起こる。半ば八つ当たりの様にどの様な方法で起こしてやろうか、と考えを巡らせる。

 

「……!」

 

唐突に先程の姉の言葉が頭に浮かぶ。羞恥心もあるが、考えを実行したいと思う心のほうが強かった。高鳴りつつある胸を片手で押さえつけ、統夜の耳元に顔を近づける。

 

「は、早く起きないと……無理やり起こしちゃうよ……?」

 

何をするかは、流石に口に出すのは憚られた。最後の羞恥心が勝り、口がうまく動かない。だが勿論、そんな囁き声で統夜が起きる事は無い。布団の上ですやすやと眠る統夜の耳から一旦顔を離して、深呼吸を繰り返す。最後に目を閉じながら大きく息を吐くと、統夜の髪を掻き上げて顔を近づけていく。

 

「もうちょっと……もうちょっとで」

 

「刀奈、声が大きいわよ。あともう少し頭を下げて頂戴」

 

「お母さんこそ、娘があんな事してるのを見過ごしていいの?」

 

「あの位はいいのよ。寧ろ、積極的な簪ちゃんが見られてお母さん嬉しいわ」

 

「学校でもあれくらいの事してたわよ?」

 

「え、嘘!?教えて教えて!」

 

「それは一か月ほど前。統夜君が帰って来るのを見越して簪ちゃんは男の子の理想、裸エプロンという装備で──」

 

「……」

 

背後から聞こえてくる高い声に目を向けてみれば、朝食の準備をしているはずの母親と、食卓に向かったはずの姉が揃っていた。ほんの少しだけ開かれた襖の間から顔を突き出したまま、こちらへの興味を失ったかのように言葉を交わしている

 

「──とまあ、こんな感じで簪ちゃんは統夜君を誘惑してたって訳」

 

「私の知らない間に成長してたのね。お母さん感激!」

 

「……ね、ねえお母さん。なんか簪ちゃんが物凄い目つきで私たちを睨んでるんだけど」

 

「あ、あれ?もしかして、気づかれてる?」

 

「あ、あの~……簪ちゃん?」

 

「……いつから、いたの?」

 

「えっと、簪ちゃんが統夜君の髪の毛をいじるとこから……」

 

楓の答えを聞いた簪の反応は素早かった。一瞬で体を反転させると、統夜の頭の下にあった枕を右手で素早く引き抜く。

 

「ぐえっ!?」

 

背後から聞こえる断末魔にも似た悲鳴を意に介さず、握りしめた枕を思い切り振りかぶった。その光景を見た楯無と楓は急いで逃げの態勢に入る。その背中めがけて、勢いよく枕を投げつけた。

 

「た、退避~!!」

 

空を飛んでいく枕は目標から逸れ、襖にぶち当たった。どたどたと廊下を走る音が遠ざっていくのを聞きながら、簪は肩で息を繰り返す。ふと、聞こえてくるうめき声を聞きつけて振り向くと、横になっていた統夜が首を摩りながら体を起こしていた。

 

「痛てて、朝っぱらから何なんだ……ってあれ、簪?」

 

「お、おはよう、統夜……」

 

「あ、ああ。おはよう。でもどうして、簪が──」

 

「朝ご飯、もう出来てるから」

 

先程までの勢いは何処へ行ったのやら、端的な言葉のみを口にして簪が部屋から出ていく。

勿論、今の今まで眠っていた統夜に状況など分かる筈も無い。

 

「何だったんだ……?」

 

更識家の何処かで、二つの甲高い悲鳴が響いた気がした。

 

 

 

 

 

「ふっ、はっ!!」

 

自分の目の前で統夜が拳を振るう。その軌道は昨日自分が教えた物と寸分違わず、綺麗な軌跡を描いている。道場の空気が震えるのを感じながら、一言も発さずに統夜の動きを見守る。

 

「これでっ、ラスト!!」

 

最後の咆哮と共に統夜が拳を振り抜く。拳と共に出された右足が道場の床に打ち付けられ、大きな音が道場を支配する。一瞬で消えていく音の残滓を感じ取りながら、両手を打ち鳴らした。

 

「いやぁ、凄いわね。ここまで完璧だとホント教え甲斐があるわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

大の字に寝転んだ統夜が荒い息の合間に感謝の意を述べる。自分の後ろに控えていた簪が、水筒片手に統夜に歩み寄った。頭の中で今後の予定を組み立てながら、取り敢えず終了の旨を伝える。

 

「キリもいいから一旦休憩にしましょうか。少し休んでらっしゃい」

 

「俺はまだいけますけど」

 

「ダメよ。先生の言う事はちゃんと聞きなさい」

 

「はぁ……分かりました」

 

渋々と言った様子で立ち上がった統夜が道場を出ていく。さも当然の様に簪が付いていく辺り、将来が楽しみだと心の中で苦笑する。一人きりになった所で手始めに上を一枚脱いだ。長袖のジャージに覆われていた上腕が露呈すると、そこには何枚もの湿布が張られている。

 

(そろそろ交換しておかなきゃ)

 

道場から出て廊下を歩きながら、右腕に張られている湿布を剥がしていく。薬液特有のツンとした匂いを感じながら、剥がした湿布をまとめて握りこんだ。

 

(しかし、本当に習得が早いのよねぇ……)

 

開始から既に三日、予定していた内容は既に半分以上消化しきっていた。元々一週間近く掛けて行おうと思っていたメニューの内、七割は終わっている。そのため、新学期が始まってから手解きをしようと思っていた内容もこの夏休みの間に行うことも視野に入れた。

 

「……大丈夫かしら」

 

はっきり言って統夜の成長は著しい。確かに元々肉体は出来上がっていたし、技術の方も一定のレベルはあった。そのお陰と言えば簡単なのだが、それ以外にも何か別の要因があるようにも感じる。不気味な程の成長速度も気になるが、楯無の懸念はもっと別の所にあった。

 

「頑張りすぎて後でパンク、なんて事にならないといいけど」

 

誰もいない廊下で一人呟く。日常の彼を見ているだけでは気づかないかもしれないが、特訓の様子を見ればはっきりと分かる。彼の特訓に対する打ち込み方は半端ではない。その姿勢はがむしゃらに力のみを求めている様にも見えた。

 

「あったあった」

 

自分の部屋に入って床に置いてある湿布の山に手を伸ばす。慣れてしまった手つきで体の何か所かに貼り終えると、腕と脚を伸ばして体の調子を確かめる。

 

「うん、OK」

 

処置が完了すると机の上に手を伸ばして、一冊のノートを取る。表紙に何も書かれていない、一見何の変哲も無いそれを開く。中にはびっしりと文字が書き綴ってあった。ノートに挟んであったボールペンで、空白の部分に文を書き込んでいく。

 

(今日も特訓の経過は良好、っと……)

 

頭の中の考えを吐き出すような勢いでページが埋まっていく。一区切り書き終えて手を休める間、ページをめくって前に書かれている文を閲覧していく。そこには自分が考えた事、更識の当主としての仕事の事、簪の事、そしてIS学園で自分を取り巻く統夜を含めた全ての出来事が綴ってあった。

 

「……全く、一体何者なのかしら」

 

今現在、一番の頭痛の種であるのは正体不明の敵の集団だ。何度もIS学園を襲い、妹や統夜を傷つけ、狼藉を働き続けている彼ら。その正体は全く分からない。いや、ただ一つだけ分かっている事がある。

 

亡国企業(ファントムタスク)

 

更識の当主としての立場を使い、前代の父に頼み込んで情報を回してもらい、使える全ての情報網を使って調べ上げた、唯一の手がかりである敵の集団の名称。彼らに関する情報は余りにも少ない。実際に彼らと交戦して得られた情報ならば幾らでも存在するが、それはあくまでも敵機に関する物のみだ。核心的な物は何一つ得られていない。

 

「四月の時といい、七月の時といい……私達の楽しみを奪うのが目的なのかしら」

 

これまでの行動を鑑みるに、行事に合わせて襲撃を繰り返してきているのは明らかだ。確かにその行動は理解出来る。IS学園と言えども行事の際は人が多く動く。その為警備に穴が生まれる事も無くは無い。だが、わざわざ警備網を掻い潜ってIS学園に手勢を送り込んでおいてやっている事は、無人兵器による戦闘行為だ。何かを探る為でも、破壊する訳でもない。行っている行動に対して、目的が全く見えてこなかった。

 

(臨海学校の時はラインバレルと白式を退けたという絶好の機会にも関わらず、そのまま攻め込む事はしなかった……目的は戦いそのものだとでもいうの?)

 

戦闘という手段を用いて目的を達成する。普通ならばそれが一般的ではあるが、亡国企業の今の行動は手段と目的が同じようにも思える。それはすなわち、戦いという手段で得られる何かが目的、と言う事だ。

 

「まさか……IS相手の戦闘データとか?」

 

その時、ポケットの中に入れていた携帯電話が震えた。取り出して液晶に映っている名前を一瞥すると、すぐさま耳に当てる。

 

『刀奈、私だ』

 

電話の相手は更識 総司。自分と簪の父であり、先代の楯無だ。統夜がこの家に来た日に彼と入れ替わりで外に出て、今は情報収集に当たっていた。何か情報が得られたのか、と微かな期待を胸に抱きながら電話に応じる。

 

「あらお父さん、どうしたの?」

 

『経過報告だ。お前が欲しがっていた亡国企業の情報が、ある程度手に入ったのでな』

 

「……どうだった?」

 

『まず一つ、亡国企業は第二次大戦中に生まれた組織のようだ。長らく表舞台に出る事は無かったが、最近活動が活発化してきている』

 

「その要因は?」

 

『不明だ。ただ、活動が活発化したのが丁度ISが表舞台に出てきた頃と合致する。この事から考えて、ISと亡国企業がただならぬ関係にあるのは容易に想像がつく』

 

父の言葉を一言一句聞き逃すまいと、自然と居住まいを正す。正直言って、ここまでは特に驚きもしない情報だ。しかし、ここから先の言葉が真に重要なものであると、直感的に理解していた。

 

『二つ目にその活動範囲だ。日本だけではなく、世界を相手に手広く活動しているらしい。どうやらあの織斑 一夏の誘拐事件にも一枚噛んでいたという話だ』

 

「一夏君の?」

 

あの織斑 千冬がモンド・グロッソの決勝戦を辞退した原因を作り出したのが亡国企業だというのに、少なからず疑問を覚えた。千冬を辞退させて彼らに益があるとは思えないが情報が揃っていない以上、決めつけるのは危険だ。その頃と比べて今の目的が変わっている可能性も否定出来ない。

 

「他には何かある?」

 

父よりもたらされた情報は亡国企業の核心に迫るには足りなかったが、愚痴を言ってもしょうがない。半ば投げやりな口調で続きを促す。しかし、父の情報はここからが本題だった。

 

『あるぞ。二日前、米国にある地図に無い基地(イレイズド)という基地が襲撃された。襲撃してきたのは亡国企業だ。修学旅行で簪達を襲った迅雷とイダテンがそれぞれ確認された』

 

「それで、その基地の現在の状況は?」

 

あの敵にISだけで立ち向かうのは無理がある。いくら現代最強の兵器と言っても、その立場は失いつつあるのが現状だ。イダテンにしろ迅雷にしろ、ISよりも強力な兵器である事は既に証明されている。てっきり半壊、もしくは全壊状態に陥っているかと思ったが、父の言葉は信じられない物だった。

 

『聞いて驚くなよ。なんと損害はゼロ、人的な被害も無いらしい』

 

「……お父さん、流石に冗談きついわよ」

 

『お前もそう思うだろうな。私も、その情報を聞いたときは耳を疑った。だが一枚の写真を見て、確信したんだ。メールに添付して送ったから、見るといい』

 

父に言われるより早く、部屋の隅に鎮座しているパソコンを起動する。長いパスワードを入力してメールボックスを開いてみると、未読のメールが届いていた。はやる気持ちを抑えながらメールを開くと、一枚だけ写真が添えてある。その写真を見た瞬間、楯無の口から自然に言葉が漏れていた。

 

「なに、これ……」

 

写真には幾つかの雲と機動兵器群が写り込んでいた。中心の一機を取り囲むようにして、迅雷が浮かんでいる。楯無の目を引いたのは、その取り囲まれている一機だった。

 

『私も見た瞬間、目を疑った』

 

機体の全身は蒼一色に染め上げられていた。全身を幾重にも装甲板で覆い隠したその姿は一目でISではないと断ずる事が出来る。太刀を保持した両手を、威嚇するかのように大きく広げるその姿は、何処か人間臭い。連結された盾の様な物が背部から左右両側に伸び、それらの裏側にはそれぞれ二本の太刀が収納されていた。姿かたち全てが特徴的な機体だったが、楯無はその姿に既視感を覚えていた。

 

『それを見て、お前も思わないか?』

 

「……ええ、似ているわね。ラインバレルに」

 

前腕を覆う手甲、踵の無い足の形状、そして額から生えている一本角。写真を見た瞬間から感じていた既視感を言葉にすると、より一層似て見える。

 

『そいつが襲撃してきた部隊を退けた。敵が去るとその機体も同じように基地から撤退したらしい。まるで白鬼事件の再現だ。まあ、そいつは最後に消えたりしなかったがな』

 

「どこに行ったの?」

 

『地図に無い基地に一番近い海に飛び込んで以降、行方が掴めないそうだ』

 

「そう……」

 

もしこれがラインバレルと似た存在であるのならば、亡国企業相手に地図に無い基地をたった一機で守りきるなどという離れ業も可能だろう。心の中で一人納得していると、父が口を開く。

 

『私が掴んだ情報は今のところこんな物だ。少なくてすまない』

 

「ううん、ありがとう。たった3日でここまで探すなんて」

 

『構わん。“楯無”を引退した私に出来る事はこの位しかないからな……それと、話は変わるのだが』

 

「どうかしたの?」

 

『その……彼はどうしてる?』

 

一瞬頭の中で父の言葉の意味を考えた後、苦笑を漏らす。父の言っている彼という言葉が指し示す人物は一人しかいない。

 

「もう、そんなに気にすることなの?」

 

『あ、当たり前だ!簪が、あの子が男を連れてきたんだぞ!?どこの馬の骨ともしれない男をだぞ!!』

 

「だから私とお母さんで説明したでしょ。それにあの子はただの友達よ」

 

『し、しかしだな……』

 

父の懸念は理解出来るが、流石に早過ぎると思う。あの二人は近そうで近くない、絶妙の距離を保っていた。二人の距離が縮まる速度は正に、亀の歩みと言えるだろう。少なくとも、夏休みの間に劇的に距離が縮まる事は無いと言い切る事が出来る。

 

「まあ、“今は”っていう言葉が付いちゃうんだけどね」

 

『ど、どういう事だ?』

 

その時、部屋の扉がノックされた。振り返って後ろを見てみると、楓が扉の隙間から顔を覗かせて手招きしていた。机に手を突きながら立ち上がって、別れの言葉を口にする。

 

「それじゃあねお父さん。また何かあったら電話頂戴」

 

『ま、待て刀奈!さっきの言葉はどういう──』

 

父の言葉が終わらないうちに電話を切る。すると母が扉を開けて部屋の中に入り込んできた。口角を上げて笑っている母親に目的を尋ねようと口を開く前に、楓が自分の手を取る。

 

「どうしたの?」

 

「こっちこっち」

 

自分の手を取った楓は一言だけ言うとそのまま廊下に出る。既に時刻は夕方になっている。その証拠にガラス張りの廊下には夕日が指していた。板張りの廊下を進みながら母へと問いかける。

 

「ねえねえ、どうしたの?」

 

「面白い物、見たくない?」

 

「面白い物?」

 

廊下を進んで道場の裏手へと回る。道場の裏手は丁度小さな庭の様な造りになっていた。縁側を夕日が照らし、涼しい風が駆け抜ける。普段は静かなその空間に、今は一組の男女がいた。

 

「これよこれ♪」

 

「あらあら……」

 

小さな庭に広がる光景を見た瞬間、母と同じ笑みを楯無も浮かべる。縁側に座っている二人は楓と楯無が現れても微動だにしなかった。その原因は二人の顔を見れば一目瞭然だった。

 

「一緒に眠っちゃうなんて、二人とも可愛いじゃない」

 

楓の言葉の通り、統夜と簪はぐっすりと眠っていた。統夜は太い柱に体を預けるように、簪は統夜の体に寄り添うようにしてそれぞれ眠りこけている。恐らく、特訓の後にここに来た二人は話している間に眠ってしまったのだろう。

 

「いいわねえ、こういうの。なんか“青春!”って感じで」

 

その光景には全く違和感が無い。極々自然に二人は寄り添い、共にそこにいた。しかし本来であれば微笑ましいその光景も、少年の過去を知っている楯無にとっては複雑な物だった。

 

「……だからこそ、今を大事にしなくちゃね」

 

「うん?刀奈、どうかしたの?」

 

「ううん、何でも無い。ねえお母さん、カメラ持ってる?」

 

「うふふ、勿論よ」

 

母親が自分の前掛けのポケットから取り出したデジタルカメラを受け取ると、楯無は足音を立てないようにそろそろと移動する。ピロリン、という音と共にカメラが起動すると、画面の中に二人が写り込んだ。

 

(そう。今、この瞬間を)

 

カメラのピントを二人に合わせる。スヤスヤと寝息を立てる二人は、楯無と楓の存在に全く気付かない。そのまま、スイッチを押す人差し指に力を込める。最後に、二人に聞こえないように小さく告げた。

 

「はい、チーズ」

 

二人の返事の代わりに、シャッター音が更識家の庭に鳴り響く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話 ~終わりの始まり~

八月も半分終わり、特訓も終盤に近づいた夏の日。もはや統夜にとって慣れ親しんだ道場に、鈍い音が連続して響く。同時に、気合の乗った男の掛け声が轟いていた。

 

「はあっ!!」

 

「はい、残念!」

 

統夜が突き出した右腕をあっさりと絡め取って動きを封じる。拘束を解こうと慌てて頭部めがけて左腕で攻撃を繰り出す統夜の行動を見越していたかの如く、首を動かしただけで紙一重で回避した楯無の目が鋭く光る。

 

「ほいっと!」

 

女性特有の高い声が、道場に響き渡る。一瞬後に、統夜が投げ飛ばされた衝撃が道場全体に伝播した。受け身を取りながら態勢を整えた統夜は、戦意を欠けさせる事無く再び吶喊を敢行する。

 

「今度こそっ!!」

 

「乙女の柔肌、そう簡単に触れられると思わない方がいいわよっ!」

 

「自分で言わないでください!」

 

軽口を叩きながら、互いの腕が交差する。統夜が右腕を振れば楯無は左腕を、右足で蹴り上げれば楯無も同じく左足で迎撃する。押されっぱなしの戦況だったが、統夜には切り札があった。

 

「そろそろ例のアレ、使わないのかしら?」

 

「それじゃあご要望通り、行きますよ!!」

 

一旦距離を取った統夜の瞳が変色していく。黒曜石の様な深い黒から、ルビーの様な艶やかな紅色に。外見上の変化はそれだけだが、統夜の体の内側では確かな変化が起こっていた。

 

「さあ、かかってき──」

 

統夜が全力を出すのを確認して身構える楯無の前で、統夜は低く体を沈める。だが楯無が瞬きをしたその刹那、統夜の姿が掻き消えた。

 

「うおおおおっ!?」

 

次に統夜の声が聞こえてきたのは、楯無の背後からだった。楯無が後ろを振り向くと、そこには先ほどと変わらない統夜がいた。足元の畳は酷く削れ、い草が統夜の脚部の周囲にばら撒かれている。統夜は自分の掌を見つめた後、楯無に視線を戻して体を沈めた。

 

(やばっ!!)

 

第六感とも言うべきか、幾つもの戦いを繰り返してきた世界代表としての直感が危機を告げる。楯無は形振り構わず、全力で突撃してきた統夜の脚を払うと浮いた体に肘を撃ち込む。

 

「うぐっ!!」

 

容赦の無い一撃を貰った統夜の肺から空気が全て抜ける。体が畳の上でバウンドする数瞬の間に、楯無は統夜の左腕を全身で極めた。楯無の抑え込みは完璧で抜け出す隙は何処にも見当たらない。しかし、統夜はそこで諦めなかった。

 

「この力なら……!」

 

「え、嘘嘘!冗談でしょ!?」

 

ジリジリと、統夜の腕が内側に折れ曲がっていく。欠点が無かった楯無の絞め技が、無理矢理力技で崩されていく。そしてとうとう耐え切れなくなった楯無は自分から拘束を解いてしまった。

 

「ここだっ!!」

 

空だった右腕で楯無の肩を畳に押し付ける。間髪入れずに統夜は解放された左腕を思い切り振りかぶった。次の瞬間、拳がめり込む轟音と共に、い草が空中へと飛び散った。

 

「……」

 

「やっと、一本……取りましたよ」

 

楯無の顔のすぐ脇に振り下ろした拳を畳から引き抜きながら、統夜が勝利を宣言する。統夜は楯無から離れるために、楯無の肩を押さえつけている手を横にずらして体を支えようとするが体が全く動かなかった。いつまでも動かない統夜の下で楯無が怪訝な表情を浮かべる。

 

「統夜君、どうかしたの?」

 

「……すいません、楯無さん」

 

それだけ言うと、統夜の目から光が消える。そのまま瞼が下りると共に、統夜の体がぐらついた。両手から力が抜け、筋肉が弛緩する。重力に捕われた統夜の肉体はそのまま下にいた楯無に覆いかぶさった。

 

「ちょ、ちょっと統夜君!?」

 

「……」

 

「そういう事は簪ちゃん相手にやって欲しいんだけど!」

 

いくら大声を上げても、統夜は動こうとはしなかった。対する楯無も統夜の特訓に付き合った後であるため、全身が悲鳴を上げている真っ最中である。何とか統夜と畳の板挟みから抜け出そうとするが、力の抜けた両腕で統夜の体を押しのける事は叶わなかった。それならばと体をずらして抜け出そうとするが、それより早く道場の扉が音を立てて開けられる。

 

「二人とも。お昼ご飯が出来、た……」

 

道場の扉の前で一人佇んでいるのは簪だった。傍から見れば統夜と楯無が抱き合っている様にしか見えないその光景に驚きを禁じ得ない様で、両目はこれ以上無いほど見開かれている。そして瞬く間に、簪の目から光が消え失せた。

 

「お姉ちゃん……何、してるの?」

 

「ひいっ!?」

 

可愛い妹から放たれた一言は、その外見に似つかわしくない昏い感情を秘めた一言だった。瞳の色が掻き消えたそれは、何処か深い井戸を思わせる。統夜の体に押しつぶされつつも、楯無は何とか弁解の言葉を口にした。

 

「あ、あのね簪ちゃん。私と統夜君の間には何も無くて……勿論、統夜君は簪ちゃん一筋だから──」

 

「そんな事は聞いてない。答えて……何、してるの?」

 

楯無の言葉を遮って言葉を繰り返す簪が道場へと足を踏み入れた。足音も立てずに一歩一歩姉に近づいていく姿は、何時もの大人しい妹のそれではない。誰も簪を止める事が出来ない絶体絶命のピンチの中、救いの音色が静かに鳴った。

 

「う……」

 

楯無に覆いかぶさっていた統夜が頭を振りながら覚醒する。目を瞬かせている統夜の異変を察知したのか、がらりと雰囲気を変えた簪が慌てて統夜に駆け寄る。楯無の両脇に手を突いて何とか立ち上がった統夜はそのままごろりと道場に体を横たえた。

 

「統夜、大丈夫……?」

 

「あ、ああ。力を使ったら急に疲れて、そのまま……」

 

「た、助かった……」

 

簪と統夜の横で楯無が胸を撫で下ろす。汗だくの胸元に手で風を送りながら楯無は立ち上がると、壁の近くに置いてあったペットボトルの蓋を外して口をつける。

 

「無理しちゃダメ、って……約束した」

 

「無理はしてないさ。ただ、少し混乱してるだけだ」

 

一息で中身を半分ほど飲み干したペットボトルを再び床に置いて、その脇にあったタオルで顔を拭う。ちらりと目を向けてみれば、統夜は簪の手を借りてなんとか上体を起こしている最中だった。床に置かれていたもう一つのタオルを取り上げると、統夜に歩み寄ってそれを手渡す。

 

「ありがとうございます」

 

「ねえ統夜君、さっきの力って何?」

 

前置きも無しに単刀直入に言葉をぶつける。統夜がその力を出す事は別段珍しい事では無い。特訓を開始した時から使っていた、統夜にしか許されていない力。楯無もそれを見るのは初めてではない。ただ、その程度が問題だった。

 

「余りにも違いすぎるわ。特訓の一番最初に見たあの時と、レベルそのものが違う。さっきのが全力だとしたら、もしかして今まで手を抜いてたの?」

 

「そ、それは違いますよ。ただ、その……力が強まってるっていうか。感覚的にはよりラインバレルと一体化したって言うか。とにかく、俺自身の能力がどんどん上がってるんです」

 

統夜が道場の一角に視線を向ける。つられて楯無と簪もそちらに目を向けると、畳が異様な壊れ方をしていた。畳の中の一か所だけい草が削れ、その隣にはまるで何かを撃ち込んだかの様に陥没している。

 

「もしかしてあれ……統夜がやったの?」

 

簪の言葉に頷いた統夜が体の調子を確認しながら立ち上がる。流石と言うべきか、先程までの疲労の色はその顔から綺麗さっぱり消えていた。顎に手を当てて考え込む仕草を見せる楯無。

 

「ねえ統夜君。貴方の知ってる範囲でいいから教えてくれない?」

 

「何をですか?」

 

「全て。ラインバレルの事、ファクターの事、そして貴方自身の事を」

 

統夜は楯無の言葉を聞き終えると、息を大きく吸って顔を天に向けた。この質問がされる事を予見していたかの様に、いつか誰かに聞かれる事を分かり切っていたかのように。統夜の返答は淀みなくすらすらと流れ出る。

 

「楯無さん。それ、少し待ってもらっていいですか」

 

「少しって、いつまで?」

 

「この夏休みが終わるまで……それまでには俺も気持ちの整理、つけておきますから」

 

統夜が顔を下ろして真っ直ぐ楯無を見つめる。腰に手を当てて視線を返す楯無だったが、小さくため息をついてタオルを明後日の方向へと放った。そのまま統夜に歩み寄ると、自分の右手を差し伸べる。

 

「まあ、しょうがないわね。統夜君にも準備って物があるんだし、何よりそう簡単に話せる事じゃないだろうから」

 

「すみません。それと、少し一人にしてもらっていいですか?」

 

「本当に体は大丈夫よね?」

 

統夜の傍にしゃがみ込んでいた簪が、楯無の言葉を聞いた途端顔色を変えた。確かめるように何度も何度も統夜の体を摩っていく。簪の好きにさせながら、統夜は楯無に返事を返す。

 

「はい。別に体に異変が来てるとか、そういう事は無いですから」

 

「お姉ちゃん、先行ってて」

 

「簪ちゃん……分かったわ」

 

楯無はくるりと踵を返して一人道場から出ていく。統夜が声をかけるよりも前に楯無が出て行くと、残された二人が互いの顔を見つめた。

 

「傍にいるって、前に言った」

 

それだけ言うと簪は統夜にすり寄っていく。腰を下ろしたまま統夜の頭の下に手を入れると、そのまま持ち上げる。空いた空間に自分の膝を滑り込ませると、上げた手を下ろした。されるがままに簪の膝を枕にして横になった統夜は、全身を脱力させながら真上にある簪の顔を見上げた。

 

「心配性だな、簪は」

 

「統夜が無理ばっかり……してるせい」

 

「……さっき楯無さんに言った通りなんだ。あの日以来、俺とラインバレルが近くなってる」

 

忘れられない記憶として統夜と簪に刻まれた臨海学校。その日という単語が臨海学校を指している事は簪も理解出来た。ただ、その後の言葉が全く分からない。怪訝な顔をしていた簪の心中を読み取ったのか、統夜はタオルで顔を拭いながら口を開いた。

 

「ラインバレルが黒くなって連続で転送しながら戦闘してたの、簪は見てたか?」

 

「うん」

 

「俺はあの日までずっと、自分まるごと転送する事自体を“オーバーライド”って呼ぶんだと勘違いしてたんだ。でも、実際は違った。あの黒い姿も含めて両方を“オーバーライド”って呼ぶらしい」

 

「らしい、って……今まで知らなかったの?」

 

「近くなったって言ったろ。あの日をきっかけに、ラインバレルの中にあったけど今まで見らなかった情報とかが殆ど見られる様になってたんだ……なあ、そうだろ?」

 

誰かに語りかけるような口調と共に、統夜が目の前へと片手を伸ばす。すると柔らかな小さい光と共に、目の前の空間が揺れる。簪が瞬きした次の瞬間には、統夜の掌の上に銀色のネックレスが出現していた。

 

「さっきみたいに俺自身の力が強くなってた事も含めて俺はこう思うんだ。こいつ自身が俺を認めてくれたから新たな力を授けてくれた、ってね。だから近くなった、って言ったんだ」

 

「私ももっと強くなった方が、いいのかな……統夜と一緒に」

 

「そんなの気にしなくていいさ。戦うのは俺一人で十分だ」

 

ネックレスを首につけ終えた統夜は簪の膝から頭を離すと、そのまま体を起こす。ふらつきもせず、疲労の影すら見せない動きで立ち上がると、簪へと片手を伸ばす。

 

「いつか、IS学園の皆を守れるくらい強くなってみせる。もう誰も戦わなくても済むように。誰も傷つかずに済むように」

 

「……統夜、私は──」

 

簪が口を開きかけると同時に、道場の外から声が響いてくる。

 

「二人とも、早く来ないと食べ始めちゃうわよ?」

 

「ああ、すみません。今行きます!」

 

楯無の言葉に返事を返した統夜は、視線で自分の手を取るように簪を促した。不思議なことに簪は指し延ばされた統夜の手に少し逡巡する様子を見せた。まるで何かを言いたげな顔で見上げるが、統夜は全く気付かなかった。

 

「どうしたんだ?」

 

「……ううん。何でもない」

 

ふるふると弱く首を振った簪が統夜の手を掴む。少し力を入れただけで持ち上がった簪と統夜の体が触れ合う。隣に存在する暖かさを感じながら、統夜は再び心に誓った。

 

(そうさ、必ず守る。その為の力なんだから)

 

一人決意を硬くする統夜は気づく事は無かった。隣で彼を不安げな表情で見上げている簪に。

 

 

 

 

 

「今日の特訓は中止です!!」

 

「……はい?」

 

昼食を平らげた後に宛がわれた部屋で、簪と共に勉強している最中に飛び込んできた楯無に言われた一言。簪も寝耳に水の様で、ノートに数式を書き綴っている手が止まっている。宿題を進める手を一旦止めて、座ったまま楯無に向き直った。

 

「その心は?」

 

「やることが全部消えてしまいました!!」

 

楯無は後ろ手に持っていたスケジュール表を見せつける様にこちらに突き付けた後に、それを明後日の方向に投げ捨てる。部屋の隅でくしゃくしゃになったスケジュール表にちらりと目線を向ける。

 

「「……」」

 

「……あ、あれ、リアクション薄くない?もっとこう、何か反応してくれてもいいんじゃない?」

 

「いや、驚いてますよ。ただ、少しいきなり過ぎるだけで」

 

その言葉は真実だった。午前中に楯無相手に一本取ったとはいえ、あれは百何十回中のたったの一回だ。まだまだ楯無には適わないと確信しているし、自分自身訓練の量が足りないと感じてもいる。統夜の心を読んだのか、楯無はびしりと勢いよく統夜を指差して高らかに言い切った。

 

「それもこれも全て、統夜君のせいよ!!」

 

「お、俺ですか?」

 

「そうよ!原因は統夜君が頑張りすぎちゃったせいで、私の予定してたメニューを全部消化しちゃったからよ!」

 

「それ……単にお姉ちゃんの見通しが甘かったせいだと思う」

 

「はいそこ、黙らっしゃい!!と言う訳で、今日はもう自由行動とします!さあ統夜君、簪ちゃんを連れ歩いて何処へなりとも行きなさい!!夜の繁華街に消えていくのも良し、ロマンチックな夜景を見ながら過ごすのも良し!簪ちゃんを好きにしちゃっていいわよ!!」

 

「本人目の前にして言う事じゃないですよね、それ」

 

テンションの高い楯無とは対照的に、冷え切った目をする統夜と簪。その時、部屋の隅で充電していた統夜の携帯電話が震えた。簪と楯無に断りを入れてから、携帯を手にして部屋の外へと出ていく。

 

「もしもし」

 

『おお、統夜。今大丈夫か?』

 

「ああ、いいぞ。んで、何か用か?」

 

電話から聞こえてきたのは聞き慣れた一夏の声だった。ここ最近女性としか交流が無かったため新鮮な気持ちを感じながら、電話に応対する。

 

『えっと、統夜って今日の予定、空いてるか?』

 

「何だよいきなり。まあ、ついさっき空いたけど」

 

『そりゃ丁度良かった。この間家に来た時、夏休みの間はずっと家族の人と過ごしてるって言ってたよな?』

 

「ああ、そうだけど」

 

『それでさ、空いてるんだったら統夜の家族皆で、うちの近くでやってる夏祭りに来ないか?統夜の姉さん、外国に住んでたって言ってたからさ。そういうの新鮮で楽しいんじゃないかって思ってな』

 

「夏祭り?」

 

『箒の実家でやるんだけど結構規模も大きいから、楽しいんじゃないかと思って。さっき姉さんに話したら“カルヴィナが来るなら私も行く”とか言ってたから。どうだ?』

 

一瞬賛同しかけるが、今いる状況を思い出して言葉が止まる。行きたいのは山々ではあるが、姉もアル=ヴァンもいないこの場では色好い返事が返せなかった。

 

「あ~、悪い一夏。俺今、自分の家にいないんだ。ちょっと外に出ててるんだけどさ」

 

『ん?そうなのか』

 

「取り敢えず一旦切る。姉さんに電話してから返事するから、少し待っててくれ」

 

『おう、分かった』

 

通話を切って電話帳から姉の番号を呼び出すと、そのまま電話を掛ける。二度、三度どコールが続き十度目のコールが鳴った後、無感情な声が届いた。

 

『おかけになった電話は、電波の届かない所か、電源が──』

 

(珍しいな、姉さんが電話に出ないなんて)

 

僅かに疑問を感じた後、続けてアル=ヴァンへと電話を掛ける。しかし、帰ってきた声は先ほどと同じ不通を知らせる音声だった。多少落胆しながら一夏へと再度電話を繋ぐ。一つ目のコールが終わらないうちに繋がった相手へと、単刀直入に答えを告げた。

 

「悪い一夏。姉さんに連絡つかないんだ。俺も今外に出てるし、簡単に家に帰れる状態じゃないから悪いんだけど、その……」

 

『ああ、いいっていいって。気にすんなよ。俺もいきなり過ぎたとは思ってたからさ。また今度何かあったら電話するわ』

 

「ああ、本当に悪いな。折角誘ってくれたのに断っちまって」

 

『じゃあ、またな』

 

最後まで明るい声のまま、一夏が電話を切る。統夜は携帯電話をポケットに仕舞いながら、小さく息を吐く。

 

(少し行きたかったけど姉さんもアル=ヴァンさんもいないし、しょうがないよな)

 

「話は全て聞かせて貰ったわ!!」

 

ぴしゃりと鋭い音を立てて襖が開き、楯無が部屋から顔を覗かせる。その下には半分だけ顔を覗かせている簪も見える。

 

「今度は何ですか?」

 

「決めたわ。今日の予定は夏祭りに行く事!それも統夜君と簪ちゃんの二人きりで!!」

 

「は、はい!?」

 

「お、お姉ちゃん!?」

 

簪と統夜が揃って素っ頓狂な声を上げる。楯無は部屋の隅に放っていたスケジュール表を摘み上げる。そして統夜と簪が勉強していた机の上から太いマジックペンを取ると、今日のスケジュールの部分を塗り潰して、余白に“夏祭り!”と大きくしたためた。

 

「変更不可なので、統夜君と簪ちゃんはこの予定に従うように。以上!」

 

「お、横暴過ぎますよ!」

 

「教え子は師匠の命令に従うべし。それに統夜君だって、心の中じゃ行きたいと思ってるんじゃないの?」

 

「そ、それは……」

 

心の中を見透かされて、統夜の反論が止まる。楯無は簪の後ろに回り込んで両手を簪の首に回すと、妹の耳元で囁いた。

 

「簪ちゃんはどう?行きたくないのかしら?」

 

「わ、私は……」

 

「統夜君と二人きりで過ごす一夜……欲しくない?」

 

「統夜、私……少し行ってみたい」

 

人生経験豊富な姉には勝てず、あっさりと陥落した簪の口から本音が漏れる。

 

「ほらほら、簪ちゃんもこう言ってるんだから、連れてってあげるのが男の甲斐性って物じゃない?」

 

逃げ道を塞いだ楯無が悪魔の微笑みと共に統夜にはっきりと言葉を投げかける。何とも言えない微妙な表情をしていた統夜だったが、簪のか細い嘆願に心を動かされる。簪の真正面にどっかりと腰を下ろすと、諸手を上げて自分の意思を示した。

 

「あ~もう、分かったよ、分かりましたよ!大人しく簪と一緒に祭りに行ってきます!!」

 

「はい決まり!さぁて、そうと決まれば忙しいわよ!!」

 

楯無は簪から離れると、机の上に広がっていた教科書やノートを全て閉じて綺麗に片づけた。

 

「お母さ~ん!」

 

「呼んだかしら?」

 

「うわっ!?」

 

庭に面した入口が開き、部屋の中に楓が入ってくる。いきなり現れた彼女に驚きを禁じ得ない統夜を放って、楯無と楓が着々と予定を決めていく。

 

「簪ちゃんの浴衣って何処に仕舞ってあったっけ?」

 

「あらあら、もしかして二人でお祭りにでも行くの?」

 

「その通り!と言う訳で、急いで準備よ!!」

 

「委細承知!!」

 

楯無と楓が揃ってぐるりと首を回して簪をロックオンする。尋常ではない気配を感じた簪は思わず統夜の背中に隠れた。自分の後ろに隠れた簪を庇いながら、戸惑いがちに二人の前に立ちふさがる。

 

「な、何ですか二人とも?」

 

「ふっふっふ、さあ紫雲君。簪ちゃんを渡しなさい。悪い様にはしないから」

 

「大丈夫、統夜君には何もしないから。統夜君には、ね」

 

「二人ともそれ、完全に悪役の台詞ですよね!?」

 

じりじりと二人に詰め寄られ、統夜と簪は遂に壁際へと追いつめられてしまった。背中に簪を隠しながら最後の抵抗とばかりに統夜は徒手空拳のまま拳を作る。

 

「そ、それ以上近づいたら!」

 

「あらあら統夜君、私に勝てると思っているのかしら?」

 

「それでも、簪を守る為なら……」

 

「……ねえ紫雲君、簪ちゃんの浴衣姿見たくないかしら?」

 

「ゆ、浴衣姿?」

 

思わず背後にいる簪に顔を向けて考える。統夜の服の裾を握りしめて見上げる簪と、前にいる楯無達を交互に注視する。簪は楓の“浴衣姿”という言葉に少し心を動かされた様で、統夜の背中から顔を覗かせるが、二人の放つ気配に押されて再度引っ込んでしまう。

 

「簪ちゃんを渡してくれたら、見させてあげられるんだけどな~。」

 

「で、でも──」

 

簪を守るべく反論を重ねようとしたその時、統夜の右手が優しく握られた。振り返ってみれば、簪が小さな手で弱々しく統夜の手を握っている。

 

「統夜、私、行ってみたいから……浴衣、着る」

 

「ほ、本当にいいのか。準備するのがあんなのだぞ?」

 

「す、少し怖いけど……我慢する」

 

「「はい決定!!」」

 

楯無と楓が揃って声を上げると統夜が遮る暇も無く背後にいた簪を掻っ攫った。楯無と楓、それぞれが簪の両脇を掴んで部屋の外に連行していく。

 

「あ、あの──」

 

「今から統夜君は別行動って事で。簪ちゃんと次に会うのは夏祭りの場所って事で」

 

楯無はそれだけ言い残すと、統夜を置いて部屋から出て行ってしまった。一人になった部屋の中で小さくため息をついた後、ポケットから携帯電話を取り出して電話を掛ける。

 

「……ああ一夏、俺だ。さっきの夏祭りだけどな──」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話 ~彼女の隣は特等席~

摂氏30度を超える猛暑の夜空に白い雲が幾つも浮かんでいる。風の流れは緩やかそのもので、それに従うように雲も流れていた。白と黒しか存在しない夜空の中に、新たな白が出現する。

 

(この下が、一夏に教えて貰った場所か)

 

まるで幽霊の様に唐突に出現したラインバレルは、遥か下方にある光の塊を見つめる。機体能力の恩恵もあり、ラインバレルには地上に存在する人の一人一人がはっきりと見えていた。その時、自分のポケットに入れている携帯電話が震える。ラインバレル自体に直接電話を繋ぐと、耳に手を当てて応対した。

 

『おう統夜、もうこっちに来たか?』

 

「ああ、すぐ傍まで来てる。待ち合わせは何処だっけ?」

 

『えっと、神社の入口にあるでっかい鳥居見えるか?』

 

(鳥居、鳥居……)

 

少しだけ映像をズームアウトさせ、神社全体を俯瞰する。一夏の言葉の通り、神社の入口には赤く染め上げられた巨大な鳥居があった。その近くに、耳に携帯電話を当てた黒髪の少年の姿もある。

 

「ああ、見える」

 

『その近くに俺がいるからさ。早く来いよ、祭り自体はもう始まってるぜ』

 

「今行くよ、じゃあな」

 

手を離して通信を切ると、神社の周辺にいる人をサーチする。神社の境内や目の前の道路、加えて屋台が並んでいる歩道には人間が沢山いたが、予想通り神社の裏手やその周囲に広がる雑木林の中には人が全くいなかった。

 

(降りるより、転送した方が早いか)

 

ポイントを神社の裏手に定めてその座標を入力する。一瞬だけ目の前の映像が小さく揺れて、自分自身の感覚すら消え失せる。そして瞬きする瞬間の間にラインバレルは草木が生い茂る神社の裏手にいた。

 

「完了っと」

 

ラインバレルが光の粒子となって消えていく。そして数秒後、ラインバレルがいた場所には普段着の統夜がいた。首から下がるネックレスを確認して、待ち合わせ場所に行くべく足を前に出す。

 

(簪は後から来るって言ってたけど、ちゃんと来れるかな?)

 

神社の境内に入ると、既に屋台が乱立していた。原動機が幾つも稼働し、低い唸り声を上げている。境内へと繋がる歩道の両側には色とりどりの沢山の提灯がぶら下がり、温かい光が周囲を照らしている。人の熱気と騒がしい喧噪が当たりを支配する中、統夜はポケットに両手を突っ込んで一人鳥居へと向かった。

 

「……あ、いたいた。おーい、一夏」

 

「お、統夜!やっと来たか……って何で道路じゃなくて、神社の方から来るんだ?」

 

「す、少し迷っちまってさ」

 

片手を上げながら気軽に返事を返す。二人揃って石造りの階段に腰を下ろして互いの顔を真っ直ぐに見た。

 

「ありがとな、一夏。誘ってもらって」

 

「そんなに感謝する事でも無いだろ。ただの夏祭りだぜ。それよりも、統夜一人か?誰か連れてくるって話だけど」

 

「ああ、その子は別ルートで来るんだ。何でも“女の子の浴衣姿は宝物なのよ!”って事らしい」

 

「つまり、ここで初めて見せるって事なのか?」

 

「多分、そうだと思う」

 

指で足元を指し示す一夏の横で、苦笑いを浮かべながら頷く統夜。幅の広い階段なので、当然他の客も通る。何人かが統夜と一夏を指さしながらひそひそと会話しながら通り過ぎて行った。

 

「何だか、目立ってねえか?」

 

「そりゃお前、こんな所で男二人が駄弁ってたら注意も引くだろ」

 

「じゃあ、そろそろ行くか。祭りももう始まってるし、いつまでもこうしてられないからさ」

 

「悪い。連れが来るからさ。俺、待ってなきゃいけないんだ」

 

「そういやそうか。じゃあ俺、先に行ってるな。後でまた会おうぜ」

 

「ああ」

 

統夜を残して一夏が去っていく。残された統夜は階段に腰かけながら空を見上げた。常人には雲の一欠片すら見えない星空も、統夜の目には見え過ぎるくらいはっきりと見える。

先程まで浮かんでいた星空を眺めながら、統夜は昔を懐かしんでいた。

 

(そう言えば昔も、こうやって父さんと母さんと一緒に、祭りとかに行ったっけ)

 

傍らを通り過ぎていく、家族連れが目につく。父親と母親と手を繋いで歩く、小さな少年。無意識の内に心の中で、その姿を昔の自分の姿と重ねていた。見つめらている事に気づいたのか、少年が顔をこちらに向けてくる。小さく笑いかけながら片手を振ってやると、少年は満面の笑みを浮かべてきた。

 

「だ、だ~れだ?」

 

「冷たっ!?」

 

首筋に感じる冷気に驚きを露わにする。冷気から離れて手で首筋を抑えながら背後を振り向くと、見慣れた少女がいた。

 

「……」

 

「ま、前にやられた……お返し」

 

こちらに差し出されているのは瓶に入ったラムネだった。表面にはびっしりと水滴が張り付き、中身が冷えている事が伺える。

 

「あ、これ、さっきそこで買ってきたから……」

 

そう言って二本の内、一本をこちらに差し出してくるのは浴衣の美少女だった。薄い青色に桃色の朝顔を幾つもあしらった浴衣を、同じ桃色の帯で止めている。薄いメガネの向こうで揺れる瞳が、少女の心中を表していた。

 

「その……ど、どう?変じゃ……ない?」

 

少女を見つめている自分の視線に気づいたのか、確認を求める様に両手を広げる。返答を求められて、思わず統夜は心に浮かんできた言葉をそのまま口にしていた。

 

「綺麗だ……」

 

「えっ!?」

 

目の前の少女、簪が思わず声を上げる。数秒経ってやっと自分の言葉に気づいた統夜は慌てて立ち上がった。しかし口にした言葉は偽りない本心の為否定する事も出来ず、結局立ち上がったままフリーズしてしまう。

 

「そ、その……はい、これ」

 

再度簪が片手に握ったラムネを差し出してくる。赤面しながらそれを受け取った統夜は、簪から顔を隠すように明後日の方向に向けた。

 

「ゆ、浴衣、楯無さん達に着せて貰ったのか?」

 

「う、うん……私一人じゃ、出来なかった」

 

「……か、簪も来た事だしさ!もう行こうか!!」

 

「う、うん……!!」

 

簪が首を縦に振ると共に、ラムネを持った手から下げている巾着が揺れる。統夜が境内へとつながる歩道に目を向けると、大勢の人だかりが出来ていた。両側に並ぶ出店に目を向ける者、買った食べ物に舌鼓を打つ者、隣にいる人間と共に歩く事自体を楽しむ者。実に様々な人間達がいる。前にもこんな光景があったな、と心の中で思いつつも隣にいる簪を横目で見た。

 

「……」

 

簪も自分と同じことを考えている様で、ちらちらとこちらを見てくる。

 

「あっ……」

 

「ほ、ほら。早く行かないと。一夏も待たせてるからさ」

 

言葉と共に手を伸ばして、小さい手を握る。前に握った時と同じ、温かい体温がこちらにも伝播してくるようだった。簪は手を握られた事に驚きもせず、寧ろそれが当然だとでも言うような顔で統夜の顔を見上げる。

 

「そ、そういえば簪はどうやってここに来たんだ?」

 

「お姉ちゃんに車で送って貰った」

 

「楯無さんって車の免許持ってるのか?」

 

「“国家代表に不可能は無い!”って言ってた……」

 

人の波を掻き分ける様に進んでいく。会話の間に並ぶ出店に目を向けるが、会話に集中するばかりで目に映る光景が全く頭に入って来ない。

 

「あ」

 

隣で小さく声を漏らした簪の足が止まる。そこで止まると思っていなかった統夜は、簪の手に引っ張られて無理やり足を止められた。不思議に思って簪の視線の先にある物を見てみると、そこには一つの屋台があった。

 

「欲しいのでもあるのか?」

 

簪の手を引いて屋台の前に移動する。二人の目の前に広がっていたのは、数々のお面だった。祭りの屋台に良くある、少年少女に人気のあるキャラクターの顔を象ったお面がずらりと並んでいる。

 

「えっと……あれ」

 

簪が指さしているのは統夜も見覚えのあるキャラクターの顔だった。記憶が正しければ、自分達がまだ子供だった頃、流行っていたヒーロー物のキャラクターだったはずである。統夜は躊躇いもせずにポケットから財布を取り出しながら棚の向こう側にいる男性に声をかけた。

 

「あ、おじさん。それ一つ下さい」

 

「はいよ兄ちゃん、500円な!」

 

財布の中から五百円硬貨を取り出すと、差し出された男性の手に握らせる。

 

「ほらよ、隣にいる彼女さんに早く着けてやんな」

 

「わ、私……!?」

 

「さっきから物欲しそうに見てただろ?ほら、早く着けてやんな」

 

屋台の男性が吊るしていたお面を外してそのまま統夜に手渡してくる。統夜はそれを受け取ると歩道の脇に逸れて簪に向き直った。

 

「ちょっと動くなよ……」

 

「と、統夜?」

 

丁寧に整えられた髪が乱れないように、細心の注意を払ってお面をつけてやる。仮面が顔の正面ではなく、脇に来るように上手くつけると統夜は簪から離れた。

 

「前にのほほんさんから聞いてからな。簪はヒーロー物のアニメが好きだって」

 

「ほ、本音が言ってたの?」

 

「だから今も気づいたよ。ああ、欲しいんだなって」

 

「あ、ありがとう……」

 

顔を俯かせて耳まで真っ赤になった簪が蚊のの鳴く様な声で礼を告げる。周りの喧噪に紛れてしまう程の声量だったが、統夜の耳にははっきりと伝わった。お面の場所を確認するかの様に、頭に手を添える簪。

 

「ど、どう、かな……?」

 

「ああ、いいと思う」

 

「……そ、そろそろ行った方がいい」

 

簪が統夜の手を自分から引いて、人の波に戻っていく。それからは二人で回りの屋台を巡る時間は続いた。ある時は二人で射的に挑戦したり──

 

「あ、あんまり上手く当てられないな……それにしても、簪は上手いな。何かコツでもあるのか?」

 

「ISの射撃より簡単」

 

「あー、ラインバレルの射撃は勘でやってる部分もあるからなぁ……新学期に入ったらその辺、教えてくれよ」

 

「分かった」

 

ある時は綿飴を頬張ったり──

 

「こ、これ、少し大きすぎ……」

 

「か、簪、大丈夫か?」

 

「……と、統夜も食べて」

 

「い、いきなり口に入れないでくれ!」

 

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

ある時は金魚掬いに興じたり──

 

「あ、あれ?この、このっ!!」

 

「統夜……全然、取れてない」

 

「い、いや、きっとポイが薄すぎるんだ!そうに決まって──」

 

「言い訳しない」

 

「……はい、すみません」

 

こうしてゆっくりと確実に時間が過ぎて行った。途中から一夏と約束している事すら頭から消え失せ、統夜は二人の時間に没頭していた。一時間、二時間と時間が過ぎ、小休止とばかりに二人は境内の中にあった石段に腰かけて休んでいた。

 

「統夜って意外と……不器用?」

 

統夜の隣で簪が綿飴を舐めながらつぶやく。飾り気の無い言葉に胸を抉られながら統夜は反論を返した。

 

「べ、別にいいだろ。そんな事」

 

「……家事とかはあんなに上手いのに」

 

「そりゃ、何年もやってた事だからな。自然と体が覚えていったんだよ」

 

「じゃあやっぱり、根は不器用」

 

「ぐっ……」

 

意気消沈する統夜の横で口元を抑えてくすくすと笑う簪。十数メートル先では大きな櫓が組まれて、それを中心に人々が踊っていた。喧噪の中、二人の会話がしばし途切れる。

 

「あのさ、簪。言いたくなかったらでいいんだけどさ、教えてくれないか」

 

「何?」

 

「簪の父さんとか母さんが言っていた“刀奈”って誰の事だ?」

 

「……」

 

統夜の質問に対して、簪の口が止まる。しばしの沈黙の中、聞いてはいけない事を聞いてしまったのか、と思った統夜が口を開こうとするより一瞬早く、簪が先に呟いた。

 

「統夜は、“暗部”って言葉……知ってる?」

 

「暗部って……裏の仕事とかする、あれか?」

 

「更識家はその対暗部用暗部……裏の仕事とか請け負っているんだけど、今の当主はお姉ちゃんなの」

 

「まさか楯無さんが、その暗部の当主だってのか?」

 

「うん、それで、当主は代々“楯無”を名乗るの。それで、お姉ちゃんの本当の名前が……」

 

「“更識 刀奈”って訳か……」

 

統夜の中で幾つもの疑問が氷解していく。何故IS学園のアリーナの映像をハッキングできたのか、何故あれほどまでに強いのか、何故両親の研究所に関しての情報を手に入れられたのか。

 

「それで、今はお父さんが補佐について……お姉ちゃんが当主をやってる」

 

「なるほど、そういう事か」

 

「統夜は……驚かないの?」

 

「寧ろ、納得したって感じの方が強いな。とにかく、教えてくれてありがとう」

 

「……統夜は、何とも思わないの?」

 

「何が?」

 

「その、私の家の事聞いて……怖いとか近寄りがたい、とか……」

 

「全然」

 

先程再び買ったラムネで喉を潤しながら、二の句を継ぐ。

 

「寧ろ俺は簪にそういう事を思うよ。俺の事見て怖いとか、近寄りがたいとか思わないのかなって」

 

「それは……統夜は統夜だから、気にならない……」

 

「俺も同じだよ。IS学園で簪を見て、楯無さんを見て、家とか関係無い二人を見て、そう感じたんだ。だから今更家の事とか仕事の事とか言われても、特に見方は変わらない」

 

「……統夜」

 

簪が統夜にもたれかかる様に、体を傾ける。唐突に倒れてきたのを心配して統夜が慌てて簪の体を気遣うように両手で支えた。しかし、簪の手がそれを阻む。

 

「そのままで、いい」

 

「簪……?」

 

簪の頭が統夜の肩に乗ったまま祭りの喧噪に包まれる。周囲の目も気にしないで、二人は互いに寄り添いあった。

 

「おーい、統夜!」

 

「「っ!!」」

 

不意に名前を呼ばれて、二人の体が強張る。二人が慌てて距離を取るのと同時に、人垣を掻き分けて一夏が二人の目の前に現れた。互いに顔を赤くしている二人を訝しげに見ながら、一夏は統夜に歩み寄った。その後ろには、浴衣姿の箒もいる。

 

「いたいた。どこ行ってたんだよ、探したぞ」

 

「わ、悪い悪い。すっかり忘れてた……あれ、篠ノ之さんも一緒なのか」

 

「あ、ああ。ここは私の実家だからな」

 

「そっか、だから名前が篠ノ之神社なのか」

 

「統夜、暇なら一緒に回ろうぜ。俺もこれから箒と一緒に屋台巡りするからさ」

 

「ああ、俺は……」

 

ちらりと横目で簪を見ると、彼女は統夜を見てはいなかった。不思議に思って簪の視線を追っていくと、その先にいたのは箒だ。不思議な事に箒も簪と視線を交差させている。しばらく見つめあう女子二人だったが、やがて同時にこくりと頷いた。

 

「ほら、行くぞ一夏!先ほど、綿飴を奢ってくれると約束しただろう!」

 

「統夜、そろそろ……」

 

互いが互いのパートナーを引っ張っていく。男たちは少女達にされるがままになりながらも、何とか言葉を交わした。

 

「い、一夏、またな!」

 

「あ、ああ!」

 

統夜は簪に引きずられるがまま、神社の裏手へと連れて行かれた。少し息が上がっている簪の顔に手で風を送りながら、先程の行動の真意を問い質す。

 

「な、何だよ簪。折角一夏と話してたのに」

 

「篠ノ之さんも、私と同じ事……考えてたから」

 

「はぁ?」

 

「……そ、そう言えばそろそろ花火が上がる時間」

 

「何だよ、それが見たかったのか。でも、こんな所じゃ見難いだろ」

 

統夜が夜空を仰ぎ見る。ぽつぽつと生えている木から延びる枝が、暗い空を遮っていた。統夜のその動作に合わせる様に、遠くの空で音が爆ぜた。同時に統夜達がいる場所が、数々の葉の隙間から降り注ぐ光によって瞬間的に照らされていく。

 

「やべっ、もう始まってるのか」

 

「ご、ごめんなさい。早く移動しないと……」

 

「……こんな使い方、した事ないけどまあいいか」

 

「統夜……?」

 

「ちょっと離れてて」

 

手振りと言葉で、簪に離れる様に統夜が促す。簪は怪訝な顔をしながらもそれに従う。統夜は服の中からネックレスを引っ張り出すと、それを握り込む。その拳を緩やかに胸元へと当てた。

 

「来い」

 

統夜の全身が光に包まれる。簪が驚いている間に展開は完了し、見慣れた鋼鉄の装甲が統夜を包み込んでいた。

 

「簪、来てくれ」

 

「う、うん」

 

アイドリングの小さな音を響かせながら、ラインバレルが手を伸ばす。躊躇いがちに簪が伸ばされた手を掴むと、ラインバレルはそのまま手を引いて簪を抱き寄せた。そして簪が声を上げる前に両手で彼女を抱き上げる。

 

「はわっ……!?」

 

「目、閉じてて」

 

ラインバレルの腰部にあるスラスターが静かに展開して、ゆっくりと上昇していく。統夜に言われるがままに目を閉じた簪は、自分が今どの様な状況にいるのかすら分からなかった。顔に当たる風が勢いを無くし、同時に体が浮き上がるような上昇する感覚も消え失せる。

 

「もう開けていいぞ」

 

「……凄い」

 

二人が注視する先で、色鮮やかな大輪の花が咲いていた。消えては現れ、消えては現れていく花火達が夜景を彩っている。花火と同じ高さにいる事を今更自覚した簪は下を覗き込んで思わず身を竦めた。

 

「動くなよ、危ないぞ」

 

「こ、こんな事にラインバレルを使うなんて……」

 

「事前に人の有無は確認したし、周りの人達は花火を見てるから大丈夫だって。それにこの高度じゃ、少し大きい鳥が飛んでるくらいにしか思われないよ。それより、見なくていいのか?」

 

「う、うん……」

 

大きな音を立てて花火が瞬きを繰り返す。ラインバレルの腕に抱かれながら、簪は目の前で弾けては消えていく花火を見つめた。

 

「……なあ、簪。予約、していいか?」

 

「予約?」

 

「仮に俺がIS学園に残る事になって、来年も、そのまた来年も今みたく簪と一緒にいられたら……また、こうして一緒に花火を見ないか?」

 

「……」

 

「簪だけじゃなくて、一夏と楯無さんと篠ノ之さん達と皆で一緒に。一学期の最後の日みたいに、皆で笑いながらさ」

 

「うん……それじゃあ」

 

巾着を提げている手とは逆の手を、簪がラインバレルの目の前に持ち上げる。僅かに開いていた掌を畳み、小指だけを顔の前で立てた。

 

「ゆ、指切り……しよ?」

 

「……」

 

ラインバレルの手が動いて、左手一本で簪を抱える形となる。左腕を太ももの下に敷き、簪がそこに腰かけられる様に態勢を整えた。目の前の相手を離さないように、そこにいる事を体全体で実感する為に、ラインバレルは自分の胸に少女を抱く。その右手が小さく瞬いた後、簪の目の前には先ほどよりも小さくなった右手があった。

 

「ほら、これだったら大丈夫だろ」

 

「……ゆ~びき~りげんまん」

 

夜の空を背景に、指を絡めた簪が歌うように唱える。リズムに合わせて絡み合った二人の小指が上下に揺れた。何度も何度も煌めく花火が、簪とラインバレルの横顔を照らす。

 

「嘘ついたら──」

 

「──針千本の~ます」

 

二人の最後の言葉が重なる。まるで二人を祝福するかの様に、一際大きい花火が遠い空の向こうでその花を開かせた。

 

「「指切った」」

 

他人から見たらちっぽけな物かもしれない。しかし彼らにとっては特別な意味を持つ大切な約束が、夏の夜空で交わされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話 ~向き合う過去~

遠くの空で弾けていた花火達が夏の夜空へと消えていく。その最後の一つを見送った後、簪はラインバレルの手を叩いた。

 

「統夜、そろそろ帰らなきゃ。お姉ちゃん、きっと待ってる」

 

「え……まさか、簪を送ってからずっと待ってるのか?」

 

こくりと頷いた簪を見た途端、ラインバレルが下降を開始する。空へと伸びている枝に紛れながら地上へと着地した後、ラインバレルが光り輝いてその四肢が縮んでいった。光が収まった後に簪の隣に立っていたのは普段着の統夜だ。

 

「マジかよ……一人で帰ったと思ってた」

 

「帰りも車で乗せてってくれるって……」

 

「お土産でも買ってった方がいいな」

 

簪の手を引いて神社の裏手から出ると、既に後片付けが始まった境内が見えた。人の波が神社の方へと動き始め、両脇に並ぶ屋台はその輝きを失い、売り子達がせっせと商品を仕舞い始めている。何か良い物は無いか、と周囲に視線を這わせる。

 

「統夜、あれ」

 

引かれる手と小さな声に気づいて統夜が振り向くと、簪が細い指で境内の一角を示している。その先を見てみると、数多くの屋台の内の一つが店仕舞いをしている最中だった。どうやら手作りの木地製品を売っているらしく、目にも鮮やかな商品の数々が店の棚に並んでいる。何故簪がそれを指さしているのか、不思議に思って近づいていく。

 

「おう、お客さんかい?」

 

近づいてきた二人に気づいたのか、店の向こう側で手を動かしていた店員が顔を上げる。簪は陳列されている品物の内、青と赤のラインで装飾されている一番シンプルな色合いのけん玉を手に取った。そのまま無言で店員に差し出す。

 

「珍しいね。嬢ちゃん、こういうの好きなのかい?」

 

「私じゃない……家族へのお土産」

 

「もしかして、楯無さんへのお土産のつもりか?」

 

統夜の言葉に頷いた簪が、巾着の中から財布を取り出して代金を払う。店員の礼の言葉を背に受けながら、統夜は簪が手に握りしめているけん玉を不思議そうな目で見つめた。

 

「意外だな。楯無さんってそういうの好きなんだ」

 

「暇さえあればやってる。頭をすっきりさせるのにいいって前に言ってた」

 

神社から出ようとする二人を喧しい喧噪と人の波が包む。一夏と一緒に座っていた階段を下りて公道へと出ると、簪が当たりをきょろきょろと見渡した。目的はすぐに達せられたようで、統夜の手を引っ張って道路の端に止まっている黒塗りの車めがけて駆けていく。簪が運転席の窓を二度叩くと、音も無くガラスが降りて車の中から少女が顔を出した。

 

「お帰りなさい、二人とも。どう、楽しかった?」

 

「すいません楯無さん。行きだけじゃなく、帰りまで」

 

「いいのよいいのよ、気にしないで。私が好きでやってるんだから。ほら、乗った乗った」

 

楯無が手振りで早く車に乗るよう、二人を急かす。統夜は後部座席のドアを開けると簪を先に乗せて、車に乗り込んだ。

 

「それじゃあ、しゅっぱ~つ」

 

車内に響いた楯無の声の後、緩やかにエンジンが唸った。そのまま車は前進して、一直線に家へと繋がる道を進んでいく。窓の外を流れていく人の波を横目で一瞥しながら、統夜はミラー越しに楯無へと頭を下げた。

 

「本当ありがとうございます、楯無さん。俺、てっきり簪を送ってそのまま帰ったかと思ってました」

 

「ふふふ、そんな訳無いじゃない。そんな事より簪ちゃん、どうだった?」

 

楯無の唐突な質問に、簪の反応が一瞬遅れる。両手を膝の上で組みながら、顔を俯かせる簪はぼそりと姉の質問に答えを返した。

 

「……楽し、かった」

 

「いい思い出、作れた?」

 

姉の言葉に再び簪が頷く。姉妹の会話をすぐ隣で聞いている統夜は居心地悪そうに体を左右に揺らしていた。車内に満ちている空気を壊そうと、わざと大声を出しながら簪の巾着を指し示す。

 

「そ、そうだ!楯無さんにお土産買ってきたんですよ。な、簪!」

 

「う、うん」

 

簪が巾着の中から取り出したのは、先程買ったけん玉だ。交差点の信号で車が止まっている事を良い事に、そのまま座席越しに楯無へと手渡す。楯無は簪が手にしたものを見るや否や、その瞳を輝かせた。

 

「それ、買ってきてくれたの!?」

 

「今日のお礼」

 

「ありがと、簪ちゃん!!」

 

わざわざ座席から身を離して、後部にいる簪へと両手を伸ばして喜びを表現する楯無。ガラス越しに見えていた信号が赤から青に変わるのを見た統夜は手を伸ばして楯無を運転席へと無理矢理戻した。

 

「ほ、ほら楯無さん!前見てくださいよ、前!!」

 

「しょうがないわね。家に帰ってからたっぷりと簪ちゃんを愛でる事にするわ」

 

「しなくて……いい」

 

若干引き気味になりながら簪が容赦の無い一言を浴びせる。テンションを戻した楯無は唇を尖らせながら運転席へと戻った。アクセルを踏み込むと、再び車が動き出す。統夜は何の気なしに窓の外に目をやった。既に祭りに来ていた客は影も形も無く、静かな繁華街が窓の外に広がっている。

 

「それにしても誘ってくれた一夏君にも感謝しないとね、統夜君」

 

「ええ。ホント、感謝してます」

 

「でも男相手にはこうやって気を使えるくせに、女の子相手には鈍感なんでしょ?」

 

「まあ、それは……それも含めて、一夏ですから」

 

「でもあれは少し異常……前に鈴がぼやいてた」

 

「まさに女の敵ね。でも一夏君って確か、競争率激しいんでしょ?」

 

「えっと、確定してるだけで1,2……5人ですね。一夏に惚れてるの」

 

「あらあら、より取り見取りだこと。そう言えば統夜君はどうなの?」

 

「え゛?」

 

途端、統夜の体が凍り付く。何故か隣からの圧力が強まるのを感じながら、固い口調で返事を返す。

 

「そ、そうですね……俺はそんな事無いと思いますよ。ええ、ありませんとも」

 

「……それもそうね」

 

「何一人で納得しているんですか?」

 

「だって、冷静に考えてみれば当たり前じゃない。統夜君の隣はもう決まってるんだし」

 

「隣って……」

 

圧力を感じる方向に首を向ける。窓の外から差し込む街灯の光に照らされた簪は、先ほどから顔を俯かせたままだった。その顔を見る事を諦めて視線を前に戻す。何故か圧力が消え去っていくのを感じ取りながら、居住まいを正した。

 

「少し意地悪な聞き方だったかしら。ごめんなさいね」

 

「べ、別に……」

 

顔が赤くなっていくのが自分で分かった。それを見られまいと再び窓の外に視線をやる。熱帯夜であろう外は、先程とは打って変わってどこにでもあるような住宅街が流れていた。家屋、ビル、商店、学校、信号機。IS学園の中では見られないような景色が現れては消えていく。どこか懐かしい景色を見つめながら、車の揺れに身を任せた。

 

「統夜君。窓の外ばっかり見て、どうかした?」

 

「ああ、別に何でもないですよ。ただ、IS学園に行く前はこういう場所にずっといたんだなって思ってただけです」

 

「まあ、確かにあそこは日常っていう言葉からかけ離れてるから。そう思うのも仕方ないわよ」

 

「ええ。もしもIS学園に行かなかったら、普通の高校に行って、姉さんと一緒に暮らして、ラインバレルの事も誰にも言わないでずっと自分一人で抱え込んだまま、で……」

 

「……統夜、どうかしたの?」

 

ずっと顔を伏せていた簪が声を上げる。楯無がバックミラーに目を向けてみれば、そこには窓に張り付いている統夜の姿があった。丁度前方の信号機が赤になった所で振り向いて後部座席を見ると、唇を細かく戦慄かせながら忙しなく瞳を動かす統夜の姿があった。

 

「まさか……いやでも、やっぱり……」

 

「統夜?」

 

簪が統夜の肩に手を伸ばそうとするより前に、統夜が車のドアを開けて外に出て行ってしまった。一瞬遅れて簪も慌てて外に出て統夜の背中を追う。幸い自分達が乗っていた車以外は通っておらず、夜の交差点に飛び出した統夜はきょろきょろと周囲を見回していた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「……」

 

簪の問いに答えないまま、統夜は交差点の一角へと走り出した。その後を追っていくと、丁度ぽつんと立っていた電柱で統夜の足が止まる。若干息を荒げながら、簪は統夜に追いつくとその手を握った。

 

「統夜……?」

 

彼の手は震えていた。それだけではなく、掌には大粒の汗が浮かんでいる。その震えを止めたい一心で、両手を使って統夜の手を包み込む。そのまま統夜の前に回り込んで彼の目を真っ直ぐに見た。

 

「嘘、だろ……?」

 

その眼は簪を見てはいなかった。電柱に描かれた所在地を示すプレートを見て凍り付いている。近くに車を止めてきたのか、統夜達が車から出て一分もしないうちに楯無も息せき切ってこちらに駆け寄ってきた。

 

「ちょっとちょっと、統夜君ったらどうしたのよ?」

 

「お姉ちゃん、統夜が……」

 

「ちょっと待ってなさい、簪ちゃん……と・う・や君!!」

 

「わっ!?」

 

思い切り息を吸い込んだ楯無が統夜の耳元でその名前を叫ぶ。ともすれば騒音とも取れる声量で放たれた声は鼓膜を直撃して、一瞬で統夜を現実へと引き戻した。正気に戻った統夜の両頬をぴしぴしと軽く叩きながら、楯無がきつい声音を出す。

 

「どうしたちゃったのよ統夜君。夜で他に車が走ってなかったからいいものの、一歩間違えれば大事故よ?」

 

「あ……す、すみません。楯無さん」

 

「まぁ、理由は後で聞くとして今日は早く帰りましょ。お母さんも首を長くして──」

 

「楯無さん。少し寄って欲しい場所があるんですけどいいですか?」

 

「寄って欲しい場所?」

 

車に戻ろうとした所を、背中に声をかけられて振り向く楯無。オウム返しに統夜の言葉を繰り返して疑問を露わにするも統夜は取り合わず、目の前にいる簪に向き直った。その瞳は簪が見てきた中でも一番酷く震えている。

 

「簪」

 

「な、何?」

 

「前に言ったよな、俺の傍に居てくれるって」

 

「う、うん」

 

「……隣に、いてくれるか?」

 

統夜の言わんとした事を理解した簪は手を握ったまま体に寄り添った。簪は統夜の体に触れて初めて理解した。震えているのは何も手だけではない。統夜の体全体が、ぶるぶると震えていた。

 

「楯無さん、いいですか?」

 

「統夜君のその症状に、関係あるのね?」

 

今の統夜の状態を見抜いた楯無が確認を取る。統夜が頷くのを確認すると楯無は頭をぽりぽりと掻いた後、ポケットから車のキーを取り出して指でくるくると回す。

 

「車取って来るわね。少し待ってて頂戴」

 

そう言い残して一人車を取りに去っていく楯無を見送りながら二人は立ち尽くしていた。空いている方の手を自分の体を抱くように回している統夜の横で、簪が手を強く握る。その感覚に気づいたのか、統夜が簪に微笑みを向けた。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

まるで自分自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ統夜の横で、簪は更に強く手を握る。自分の熱を統夜に届ける様に。ここに、統夜の横にいると主張する様に。言葉ではなく行動で、感覚で簪は自分の存在を統夜に伝えていた。

 

「本当は簪の家で特訓が終わった後、一人で来るつもりだったんだ。やっぱり過去と向き合うのは、俺自身でしなくちゃいけない事だって思ってたから」

 

「過去?」

 

「でもさ、やっぱり無理だな。こんな遠い場所……少ししか覚えていない、こんな場所にいるだけでこんなに体が震えてくるんだから」

 

電柱についている街灯が統夜を照らす。その横顔は、暑い夜にも関わらず病的なまでに白かった。その時車のエンジン音が彼方から近づき、ヘッドライトの光が二人を照らす。運転席から顔だけを出した楯無が二人を手招きする。簪は統夜の手を引っ張って無理やり車に乗せると、続けて乗り込んだ。

 

「それでどっちに行けばいいの?」

 

「まずは、真っ直ぐお願いします」

 

統夜の言葉に従って、楯無がアクセルを踏み込む。外を流れていく景色は先程と全く変わらない。どこにでもあるような住宅街が流れては消えていく。月の光と少ない数の街灯に照らされている道路は暗く、碌に標識も見えない。窓の外の景色がそんな状況にも関わらず、統夜はまるで全て見えているかのように楯無に指示を送り続けた。

 

「左に曲がった後、三つ目の信号を右に。次の信号を左にお願いします」

 

「随分はっきり言うのね。もしかして統夜君、ここを知ってるの?」

 

統夜の言葉の通りに楯無がハンドルを切る。車が曲がる度に統夜の体が簪に押し付けられ、彼の震えがより強く伝わる。その震えを少しでも和らげたくて、簪は両手で統夜の手を包み込む。

 

「知ってるなんて物じゃありませんよ。今でもはっきり覚えてます……あのバス停からバスに乗って、父さん達のいた研究所に行った事。あの公園の砂場で母さんと一緒に小さな城を作って遊んだ事」

 

窓の外に流れていく景色が移り変わるにつれて、統夜の口から思い出が流れ出す。その言葉を聞いて、更識姉妹の頭にある言葉が浮かび上がった。それは何度も統夜の口から聞いた場所、全ての始まりの街である統夜の記憶に刻まれた場所である。

 

「止めてください」

 

統夜の一言で車が停車する。簪に車の外に出るよう促した統夜は二人一緒に車から出る。楯無も揃って運転席から外に出ると、周囲を見渡した。統夜は簪を伴って一軒の家屋の前で立ち止まった。

 

「楯無さん、さっきの質問に答えますよ」

 

三人が目にしているのは何処からどう見ても普通の一軒家だった。外壁は少しくすみ、不審者の侵入を阻む門は風雨に晒されて少し傷ついている。ただ不思議な事に、その家からは人の住んでいる気配が全くしない。そんな家を前にして統夜は一歩進んで門の前に立った。

 

「知ってて当然ですよ。だってこの街は俺が生まれ育った街で、ここは──」

 

少し汚れている表札を伸ばした手で拭う。そこに掘られていた文字を見て楯無と簪は揃って息を飲んだ。

 

「俺が父さんと母さんと、暮らしてた家ですから」

 

黒い表札には“紫雲”と刻まれていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 ~In the past~

「すみません、楯無さん。少し待っててください」

 

「統夜君……」

 

「あと、この後もう一つ行ってもらいたい所があるんですけど、いいですか?」

 

「……はぁ、分かったわよ。ただ、早くしてね。一人だと寂しくなっちゃうから」

 

楯無が運転席に戻っていくのを見届けると、統夜が家屋に向き合う。統夜の目の前にあるのは極々普通の一軒家だった。道路に面している小さな庭、白い壁に埋め込まれている窓、観音開きの黒い門扉。それら一つ一つが統夜の頭を刺激する。二度、三度と深呼吸を繰り返した後、統夜は門扉の裏に手を回して鍵を開けた。油が切れた機械の様な甲高い音と共に門扉が開くと、二人を向かい入れる。

 

「何時振りだろうな、ここに来るの」

 

「前にも来た事……あるの?」

 

「姉さんに引き取られてからは、一回も無い。ただ“いつでも来れるように”って、姉さんがこれだけは渡しておいてくれたんだ」

 

尻のポケットから自分の財布を取り出すとその中からどう見ても金銭に見えない何かを取り出した。装飾も何もついていない金属片を持ったまま、統夜が扉へと迫る。

 

「それ、ここの鍵?」

 

「ああ」

 

扉の鍵穴にそれを入れると、躊躇いもせずに回す。がちゃりと重い音を立てて鍵が開けられた。扉の前で固まったまま動こうとしない統夜の代わりに、簪が手を伸ばしてドアノブを掴む。そのまま扉を開けて二人揃って屋内に入った。

 

(ここが、統夜の生まれた家……)

 

当たり前の事だが、紫雲家の中は薄暗かった。だが妙な事に、生活感が無いにも関わらず床には埃一つ落ちていない。簪の顔を見て心の中の疑問を察したのか、多少落ち着きを取り戻した統夜が口を開く。

 

「姉さんがハウスキーパーに頼んでるんだ。いつ俺がここに戻ってきてもいいように。IS学園に入るまでの俺は、そんな事考えもしなかったけどな」

 

統夜が廊下の壁に設置してあるスイッチを掌で叩く。一瞬のちに、廊下全体が柔らかな光に包み込まれた。暗から明へ、一瞬で移り変わった光景に目を細めながら、簪と統夜は家の中を進んでいく。

 

「ほら、こっちだ」

 

先を進んでいた統夜が扉を開けて簪を招き入れる。記憶を頼りに統夜が部屋の中にあるスイッチを叩くと、部屋の中が光に包まれた。

 

「ここ……リビング?」

 

キッチン、食卓、テレビ、ソファと一般的な家庭にある物が全て揃っている。ただ、先程の廊下と同じく、全ての物体が生活感を持っていなかった。まるでずっと前からそのまま凍り付いていたかのような、そんな印象を受ける。

 

「簪」

 

リビングにある戸棚の前で統夜が手招きしていた。素直に簪が近寄ると、分厚い本の様な物を差し出してくる。そのまま手に取って開いてみると、全てのページに前に統夜の家で見たときと同じく何枚もの写真が張り付けてある。

 

「前に言ってたろ。これがそうだ」

 

ただ一つの相違点は、写真に写っているのが様々な人間という点だった。前にクーランジュ家で見た時は統夜とカルヴィナ、それとアル=ヴァンしか写り込んでいなかったのだが、この写真には数多くの老若男女が写っている。

 

「父さんと母さんが生きてた頃に撮った写真。言っただろ、姉さんの家にはないけど他の場所にはあるって。それがここなんだ」

 

「これが……」

 

「立ったままってのも何だしさ、座ろうか」

 

ハウスキーパーがきっちり仕事をしているのか、綺麗に掃除されているソファに二人で腰かける。簪はぴったり統夜に体を押し付けたまま目の前の本を膝に乗せた。統夜も簪の肩越しに本に目を向ける。

 

「俺が姉さんに引き取られるより前の写真だな、そいつは」

 

「……ちっちゃい統夜」

 

写真の一枚一枚に映っているのは白衣を着た男達、スーツに身を包んだ女性、小さい少年少女達と実に多種多様だった。一枚として、統夜が同じ人間と写っている写真はない。それ程までに多くの人間が写っていた。

 

「統夜のお母さんとお父さんは?」

 

「それはこっち」

 

統夜が簪の肩越しに手を伸ばしてページを捲る。丁寧な手つきでアルバムを捲る統夜の手が、とあるページで止まった。今度のページには同じ人間が写った写真が、隙間無く綺麗に並んでいる。

 

「父さんと母さんの……生きてた頃の写真だよ。ほら、ここ」

 

写真で溢れかえっているページの一カ所にだけ、空白が生まれている。まるで何かが抜き取られたかの様な空白に、簪は僅かな疑問を抱いた。

 

「ここに、あの写真が挟まってたんだ」

 

「もしかして……統夜の家にあった、お父さんとお母さんと一緒に撮った写真?」

 

「ああ。姉さんが一人でここに来てこの写真だけ抜き取って、自分の家に飾ったんだ」

 

まるで十数日前に統夜の部屋で過ごしたような時間が、統夜の実家で再び流れる。但し、今度は和気藹々と交わされる声も無ければ、笑顔も何処にも無い。懐かしさと悲しさが入り混じった視線を写真達に向けていた統夜は、おもむろに立ち上がる。

 

「簪、ちょっと来てくれないか」

 

「うん」

 

簪はテーブルの上にアルバムを置くと、何をするのかも言わずにリビングを出ていく統夜の後を追う。柔らかい光に照らされた廊下に出ると、統夜は二階へと繋がる階段を上がっていった。自分も続こうと階段に足をかけるが、その途中で目に入った文字に一瞬心を奪われる。

 

「……」

 

“とうやのへや”と平仮名で書かれたプレートが下がっている扉。漢字が使われていないその言葉を理解するのに一瞬だけ時間を要した。頭の中で変換を終えると、途端にその部屋に入ってみたい衝動に駆られる。だがしかし、今の最重要事項を思い出して踏みとどまった。思いを断ち切って、やや駆け足で階段を上っていく。二階にたどり着いてきょろきょろと廊下を見渡すと、たった一つ開いている扉があった。

 

「統夜?」

 

中を覗くと、薄暗い部屋で統夜が一人立っていた。床に引かれている絨毯の上で、両側の壁に沿うように置かれているガラス張りの巨大な本棚に手を当てている。

 

「ここ、父さんの書斎なんだ」

 

簪の為か、説明口調で統夜が言葉を発する。簪は月の光が照らす部屋におずおずと足を踏み入れた。月明かり照らされた部屋は埃こそ積もっていないものの、近年使用された形跡が全くない。人が暮らしていれば必ず残る、いわば人の残す影が全く見えなかった。

 

「家に持ち帰った仕事とか、ここで全部やってた。だから、俺の体の事とかラインバレルの事について何か情報が残ってるんじゃないかと思ったんだ」

 

統夜が部屋の中心に置かれている、一等目を引く大きな木製の机に近づく。簪もその隣に立って、統夜が開けていく引き出しの中に目を向けた。一つ目、二つ目と開けていくにつれて統夜の顔が焦りに染まっていく。

 

「くそ、何も無いな」

 

開けても開けても、引出の中には見事なまでに何も入ってなかった。流石におかしいと感じたのか、五つ目の引出しを開けた所で統夜の手が止まる。

 

「何でこんなに何も無いんだ……?」

 

「もしかして、誰かに荒らされたのかも」

 

「そんな、まさか……」

 

「ありえない話じゃないと思う」

 

簪が部屋をぐるりと見渡す。話を聞く限りでは、統夜の両親はとても優秀な人間の様であった。しかも自分達を襲ってきた敵にも関係しているともなれば、家探しの一つや二つされていても、何ら不思議な事は無い。

 

「じゃあ、ここに来たのは……無駄足って事か」

 

半ば投げやりに、最後となった引出しに手をかけて勢いよく開ける。その中を見た瞬間、諦めに染まっていた統夜の顔が強張った。簪もその中を見て驚きの声を上げる。

 

「これって……」

 

震える手で統夜が引出しに手を入れる。その中から取り出したのは何処にでもあるような、一通の茶封筒だ。切手も無ければ住所も無い、表にも裏にも何も書かれていない茶封筒を大事そうに取り上げた統夜は震える指でそれを開ける。封筒を逆さにして振ると、落ちてきたのは一枚の便箋と色褪せた写真だった。

 

「あっ」

 

統夜が取り損ねた写真はひらひらと舞いながら、大きな机へと落ちた。偶然にも写真が写った側が上となって机に落下した写真が、統夜と簪の視界にくっきりと映り込む。

 

「父さん、母さん……」

 

長らく放置されていたのだろう、写真の端は少し変色していた。しかし、写真の中央に映っている人物ははっきりと分かる。何処かの研究機関の様な、白一色の建物を背景にして、四人の人物が写真の中に居た。

 

「この人、もしかして……カルヴィナさん?」

 

統夜の両親の隣に映っているのは、若かりし頃のカルヴィナだった。統夜の父親の肩にも満たない小さい背丈と、女性というより少女らしいあどけなさが残る顔つきが目立つ。しかし今も昔も変わらない、海の様に蒼い瞳と腰まで伸びている銀髪が彼女だという事を如実に示していた。

 

「父さん達と一緒に映ってるって事はこの写真、少なくとも7年以上前に撮ったのか」

 

「でも統夜、こっちの人……誰?」

 

四人の内三人は見た瞬間分かった。統夜の両親とカルヴィナだ。しかし写真にはもう一人写っている。簪の言葉に統夜は写真をまじまじと見つめた後、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「……この人、誰だ?」

 

外見はカルヴィナとは似ても似つかない、少女と呼べる年頃の少女だ。恐らくは日本人だろう、カルヴィナとは違った特徴の髪の色と顔つきがそれを示している。烏の濡れ羽の様に艶のある黒い髪と、細いフレームのメガネの奥で小さく光る髪の毛と同じ色の瞳。それらが彼女を印象付けていた。

 

「統夜……」

 

「いや、本当に覚えてないんだ。こっちの女の人は姉さんだってすぐ分かったんだけど、こっちはいくら見ても全然分からない」

 

「……」

 

「でも、何だかこの人、見覚えあるんだ」

 

「それは当たり前じゃないの?」

 

この写真に写っているという事は、紫雲夫妻やカルヴィナと何らかの関係があると考えるのが妥当だ。ならば幼い頃の統夜が見ていても不思議ではない。統夜の記憶と言っても、それはもう遥か昔の事。見覚えがある、という程度までに記憶が風化していても何らおかしくは無い。しかし、簪の言葉を統夜はかぶりを振って否定した。

 

「覚えているって訳じゃなくって、見た気がするんだ……しかも、つい最近」

 

二人揃って少女を穴の開くほど見つめる。きりりと吊り上っているカルヴィナの物とは対照的にとろんと垂れ下がる目尻、幼い顔に似合わない女性らしい体つき。体の上から下まで見つめ続けるも、統夜の頭に答えは浮かんでこない。頭をがしがしと掻き毟りながら写真から目を切った統夜は、床に落ちた便箋を手に取る。

 

「“いつも貴方と共に”」

 

簪が書かれている言葉を口に出す。真っ白い無地の便箋に描かれていたのはとても短い一文だけだった。裏を見ても表を見ても、その一文しか書かれていない。丸みを帯びた筆跡で書かれた文字は、写真と共に統夜の目の前で存在を誇示していた。

 

「あんた、誰だよ……」

 

答えの帰ってこない問いを漏らした後、統夜は写真と便箋を封筒へと戻して懐に仕舞い込む。ぐるりと部屋を見回してから、手近な木製の棚の引出しを上から下まで全て引いていく。無言のまま家探しを続ける統夜を見て、簪も反対側に置いてあった巨大な本棚に手を付け始めた。

 

「……」

 

「……」

 

しかし探せど探せど出てくるのは、専門的な学術書か、ラインバレルとは関係無さそうな紙の束ばかりだった。十数分程、無言のまま家探しを続けていた統夜は諦めの言葉の代わりに深いため息を吐くと、机に備え付けてあった椅子を引いてそこに座った。記憶に残る父と同じ場所に腰を落ち着けながら、肘掛に両腕を乗せる。統夜が座ったのを感じて、簪も動かしていた手を止めて戸惑いがちに声をかけた。

 

「そ、その……元気出して、統夜」

 

「……ごめんな簪、無駄足踏ませて」

 

「う、ううん。無駄なんかじゃ」

 

「でも次に行く場所はきっと何かあるから。さあ、行こうか」

 

椅子に体を預けて瞼を下ろしていた統夜が立ち上がる。何処か名残惜しそうにしながらも、統夜は廊下へと繋がる扉へと足を向けた。無言のまま、簪もその後をついていく。入ってきた時とは反対に足早に外へと歩いていく二人の間には、一つの言葉も無い。

 

「楯無さん、お待たせしました」

 

紫雲家を出てすぐの場所に停まっていた車に言葉を投げかける。半開きだった運転席の窓から右手が出され、返事の代わりに左右に揺れた。統夜と簪が車に乗り込むと、楯無がエンジンに命を吹き込む。

 

「さてさて統夜君。次は何処に行けばいいのかしら?」

 

「太い道路に出たら右に曲がって、しばらくは道なりにお願いします」

 

「りょ~かい。それで、何か収穫はあった?」

 

動き出した車の中で、統夜が懐に手を入れて封筒を取り出す。しばらくして赤信号で車が停まった所で、運転席越しに楯無へと封筒を渡した。封筒の中に指を入れて中身を確認した後、楯無が封筒を統夜へと戻して車の運転に意識を戻す。

 

「……これだけ?」

 

「これだけですよ。ただ、簪にも言いましたけどこれから行く場所の方が、何かある確率が高いですから。期待してて下さい」

 

再度封筒を仕舞った統夜が、胸にあるネックレスに指をやる。数年前から同じ輝きを放ち続けているそれは、長い年月を全く感じさせない。横から視線を感じて振り向くと、簪がこちらに視線を向けていた。

 

「それ、癖なの?」

 

「癖……?」

 

簪が何もない自分の胸で何かを弄る様な仕草を取る。簪の言葉が何を指しているのか理解した統夜はラインバレルを弄りながら言葉を返す。

 

「確かに、そうかもな」

 

「さ、触ってみてもいい?」

 

弄っていた指を止めて、ネックレスの下に掌を置く。響くエンジン音にかき消されてしまいそうな程小さな音が鳴ると、ネックレスが統夜の首から落ちる。そのまま簪の手にネックレスを握らせた後、統夜は唐突に口を開いた。

 

「俺の体にあるナノマシン、“D(ドレクスラー)ソイル”って言うんです」

 

「……?」

 

いきなりの言葉に、横にいる簪は頭の上に疑問符を浮かべている。しかし、運転席にいる楯無は統夜の言いたい事を察したのか、ミラー越しに一回だけ頷いた。統夜もよこにいる簪にちらりと視線をやったあと、二の句を継ぐ。

 

「その正体は自己修復能力を持つナノマシン。俺に規格外の身体能力と治癒能力があるのは、俺の体の中にあるこいつが原因です」

 

「な~るほど。つまりラインバレルの傷がすぐに治っちゃうのも、そのナノマシンの力って訳?」

 

「はい、このDソイルが俺とラインバレルを繋いでいるんです」

 

「質問。そもそもラインバレルって何故、何処で、誰に作られたの?」

 

「その答えは、これから探しにいきましょうか」

 

答えになっていない答えを返す。しかし、統夜にはこれしか言えない。何故ならラインバレルのファクターである彼自身すら、ラインバレルについて詳しく知っている訳ではないからだ。先日の臨海学校で更に深くラインバレルと繋がったと言ってもそれは今までと比べて、という事でしかない。

 

「……そこの門の前で止めてください」

 

車を走らせて十数分。先ほどから無言を保っていた統夜が声を上げる。楯無は示された場所の近くで車を止めると、一番最初に車から出た。統夜と簪も続いて車の外へと足を踏み出す。

 

「この先です」

 

統夜が指で示しているのは、背の高い門だった。市街地には似つかわしくない灰色の門は、月明かりの下で三人の前に堂々と立っている。左右両側には侵入防止用の緑色の太い鉄柵と、それに纏わりつくように鈍色の有刺鉄線が伸びていた。鉄柵の隙間から向こう側に道は見えるが開きそうにない門を前にして、統夜は隣の簪に手を伸ばす。

 

「簪」

 

「うん」

 

簪からネックレスを受け取ると、躊躇いも無く胸に押し当てる。次の瞬間、楯無が止める暇も無く統夜の体が光に包み込まれた。

 

『……二人とも、腕に乗って下さい』

 

「ちょっと、いきなり過ぎるわよ。誰かに見られたらどうするの?」

 

『大丈夫ですよ。この時間帯、こんな所に人なんて来ませんから』

 

至極あっさりとラインバレルになった統夜が、両腕を二人に差し出す。楯無は苦い顔をしつつも、その言葉に従って腰をラインバレルの太い腕に預けた。空いている左腕に簪が座るのを確認すると、ラインバレルの背部にある飛行ユニットが小さい音を立てて展開する。

 

『掴まって下さい』

 

言葉と共にユニットから片側三枚、左右で計六枚の羽根が伸びる。ふわりと浮きあがる感覚が簪と楯無を襲い、慌てて装甲の突起部を掴んだ。間髪入れずにラインバレルが空へと浮き上がった。そして、眼下に広がる景色を一望できる高度に到達した所で上昇が止まる。

 

『見てください……あれがあの日、俺の中で全てが始まった場所です』

 

周囲を取り囲む雑木林の中心部に、まるで人里から隔離されている様な建物があった。夜空から降り注ぐ灯りに頼って目を凝らしてみれば見えてくるのは、まるで廃墟の様に所々が崩れている建造物。しかし、過去にその建物で起こった事を考えてみれば廃墟という言葉も間違いではない。

 

「あれが……」

 

「さてさて、鬼が出るか、蛇が出るか。どっちかしら?」

 

『鬼はもうここにいますけどね』

 

軽口を叩きながら眼下を見下ろす。あの日姉に抱かれて背を向けた、父と母と過ごした思い出の場所がそこにあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話 ~望まぬ再会~

森の一部分を切り取って、そこに街を埋め込んだような。自然の中には似つかわしくない巨大な人工物が建っている景色を見下ろす。高さは四階程だろうか、無事であればさぞ美しい見栄えだったであろう施設は、今やあちこちが崩壊し光の一つすら灯っていない。それは正に“息絶えている”という言葉がぴったりだった。そんな廃墟めがけて、ラインバレルがゆっくりと降下を開始する。

 

『楯無さんも、ここの事は調べたんですよね?』

 

「ええ。でも結局分からない事が多すぎて、途中で投げたわ。あの頃は統夜君の事も知らなかったし、特に重要視もしてなかったから。但し、貴方にも言った通り、疑問に思う点は幾つも見つかったけれど」

 

『取り敢えず、焼け残った区画に行……あれ?』

 

唐突に、ラインバレルが呆けた声を上げた。視線は眼下にある研究所に固定されたまま、降下が急に止まる。

 

「ちょっとちょっと統夜君、どうしたの?」

 

『少し……は?』

 

ラインバレルが呆けた声を上げている原因は、センサーから送られてくる情報だった。目の前の建造物はもう何年も前に活動を停止し、人どころか、生き物すら住み着かない廃墟である。だが、今現在の問題は地表に見えるそれよりも、その下から検出される反応だった。

 

『──っ!?』

 

少しの間動きを止めていたラインバレルは楯無と簪の体を巨大な手で掴むと、先程までとは比にならない程のスピードで降下を開始する。二人が悲鳴を上げる暇も無く、ラインバレルは建物からやや離れた地上へとたどり着いた。

 

「と、統夜君、どうかしたの!?」

 

『研究所の下から……地下から、何かが来ます』

 

二人を庇いながら仁王立ちするラインバレルは、音も無く太刀を抜き放った。その視線の先には、先程と何ら変わりない研究所が月明かりに照らされている。数秒間、何も起こらない研究所を見つめ続けていた簪は疑問の声を上げようと口を開く。しかし、異変が起きたのはその瞬間だった。

 

「統夜、何が──」

 

簪の言葉に重なる様に、研究所のあちこちから粉塵が立ち上る。続いて粉塵の中から空へと舞い上がるのは、四か月前に見た物体に酷似していた。顔の中心で紅く光る単眼。黒い皮膚の各所を白い装甲で覆い隠し、腰に提げているのは人を傷つける事を目的とした無骨な小銃。全部で五つの影は、物も言わずに研究所の上空で止まっていた。

 

亡国企業(ファントムタスク)、何故ここに……?」

 

楯無の疑問の声が上がる中、彼らは静かに行動を開始した。揃って腰の小銃を手に取って構えると、一拍置いて眼下の建物目がけて斉射を開始する。連続で起こるマズルフラッシュの度に、銃弾が牙を剥いて研究所へと襲い掛かる。かろうじて建物の体を保っていた研究所は豪雨さながらに降り注ぐ銃弾の数々を前にして、その身を削られ続けている。

 

『あいつら……!』

 

「統夜、待って!!」

 

静かな怒号と共にラインバレルの飛行ユニットが展開され、突風が吹き荒れる。簪の制止も聞かず、白き鬼は地上から飛び上がり思い出の場所を傷つけている敵へと襲い掛かった。

 

『やめろおおおっ!!』

 

一番端にいた敵機めがけて突撃したラインバレルはすれ違いざまに太刀を閃かせる。剣閃が二筋、アルマの体に刻まれた。

 

(次っ!!)

 

背後で爆発の熱を感じながら、手近のアルマに斬りかかる。そこで初めてラインバレルに気づいたのか、アルマ達が一斉にラインバレルに単眼を向けた。顔を向けた事で生まれたその隙をラインバレルが見逃す筈も無く、続けざまに二機のアルマの胴体を切り裂く。予想外な程あっさりと三機を仕留めたラインバレルはその勢いを止める事無く、更に加速をつけて残りのアルマに飛び掛かった。

 

(逃がさない!!)

 

自分を適わない敵だと判断したのか。上昇して空へと逃れようとするアルマを見て、頭をフル回転させる。一度では問題が無い事は既に経験則で学んでいる。であれば、やらない理由は何処にも無かった。

 

『跳べっ!!』

 

次の行動を声に出して叫ぶ。何度も何度も経験した感覚を通り過ぎると狙い通り、目の前の景色が変わっていた。真正面にいるのはつい数秒前、逃げの体勢に入っていたアルマが二機。それらの前で両手の太刀を順手から逆手に持ち返ると、体を大きく仰け反らせた。

 

『落ちろ!!』

 

叫びと共に二本の太刀をアルマ達に向けて投擲する。投げ槍宜しく夏空を飛翔した太刀はそれぞれ目標とした機械に突き刺さった。遅れて自分も投げ飛ばした太刀の後を追い、二機のアルマに肉薄する。両手を伸ばして太刀の柄を握りしめると、力任せに武器を振るって鋼鉄の体を引き裂いた。

 

(……何だ、こいつら。脆すぎる)

 

周囲に動く物が消えてから、地上へと落下していく機械の欠片を見下ろしながら考える。敵は合計で五体、対してこちらは自分一人。普通ならば苦戦どころか劣勢を強いられる数字だ。現に、四月にやりあった時はもう少し手こずった。

 

(楯無さんとの特訓で、力がついただけじゃない。ただ単純に──)

 

思考する頭の中に、喧しいサイレンが鳴り響く。慌てて周囲に目を向けてみるが、自分の周囲には何も無かった。しかし、レーダーにはしっかりと反応が存在する。その反応を頼りに目を凝らして夜空を見れば、確かに自分の周りにそれはあった。

 

『……水風船?』

 

暗闇に紛れて自分の周囲をふわふわと漂っているのは、手のひら大の塊だった。空を飛んでいる様子とその大きさから思わず水風船と口走ったが、マーブルや色彩に富んだ模様も無ければ、その中に入っている水すらない。重油でも詰め込んでいるのかと思うほどの深い黒で自分の体を染め上げたその物体は、ラインバレルを取り囲んでいた。

 

(何だ、これ……?)

 

いつの間にか自分の周囲に浮かんでいた物体を疑問に感じ、ラインバレルは思わず片手を伸ばす。その判断が誤っているとも分からずに。

 

『──があああああっ!?』

 

周囲に滞空していた全ての球体が、一斉に破裂する。その中から出てきたのは豪炎と衝撃、そしてラインバレルを粉々に砕かんとする悪意の塊だった。幾ら修復能力を持っていると言っても一度に耐え切れない程のダメージを負えば当然、活動に支障をきたす。一斉爆撃を防御も無しに真正面から受け止めたラインバレルは一直線に研究所へと落下していった。

 

『がっ、ぐ、うおおおっ!!』

 

落下の衝撃で天井を破壊した後、二度、三度と研究所の床を突き抜ける。空から落ちてきた鉄塊を受け止める力は、老朽化した施設には無かったらしい。何度もコンクリートをぶち抜いて落下を続けた結果、最後に一階のリノリウムの床に蜘蛛の巣の様な亀裂を走らせて、ようやく落下が停止する。

 

(い、今のは……)

 

咳き込みながら体の状態を確認していく。背部の飛行用ユニットは先程の爆発で原型を留めていない程壊れていた。何度も頭の中で指令を送るも、黒焦げになったラインバレルの尻尾には何の動きも無い。

 

(空は……もう飛べそうにないな)

 

動かない物を装備していても仕方がない。早々に諦めたラインバレルはテールスタビライザーの部分だけを解除する。黒く染まった部分が白い光へと分解されてラインバレルの周囲を舞う中、研究所の奥へと続く廊下から重い足音が響いてきた。

 

『……誰だ?』

 

両手の太刀を抜き放ち、暗闇にいる何者かに問いかける。その物体は一言も漏らさずに歩を進めると、ラインバレルから数メートル離れた位置で立ち止まった。夜空へと唯一繋がる穴から月光が降り注ぎ、それが乱入者の体を浮かび上がらせる。

 

『約一か月ぶりだな、白鬼』

 

『その声は、臨海学校の時の……』

 

『正解だ』

 

影から出てきたのは、単眼を光らせた兵器だった。今まで見てきた敵よりも巨大な、ありていに言えば太っている体は黒く塗り潰されている。加えて、首元から後方に伸びているアームの先端の左右には、握りこぶし大の厚さを持つ円状のポッドが装着されていた。敵は大きな片手を腰に当てて息を吐く。

 

『何の因果でここに来たかは知らない……が、全く。面倒な事をしてくれる』

 

『面倒な事、だと?』

 

『よりにもよってここを放棄する日に来るとは。お陰でこのヤオヨロズの実地試験が数週間前倒しだ。まあ……前向きに考えよう』

 

空手のまま目の前のヤオヨロズ、と呼ばれた機体が関節を鳴らす。人間の物とは決定的に違う、モーターの音を静かに響かせながら単眼を瞬かせた。正対するラインバレルも太刀の刃を擦り合わせて威嚇の音を鳴らす。

 

『殺すな、という命令も受けていないのでな。先程のダメージも治りきっていまい。この間よりは難易度が低そうだ』

 

『馬鹿にしているのか。武器も持っていないお前が、勝てるとでも?』

 

今までに見てきたアルマや迅雷と違って、目の前にいる敵は何も武器を装備していなかった。いつもの銃器も無ければ背中に背負う槍も無い。対してこちらはスタビライザーに収納していたエクゼキューターが使えないとはいえ、二本の太刀を構えているのだ。いざとなれば全身が凶器になりうるラインバレルを相手にしているにも関わらず、ヤオヨロズは鼻を鳴らした。

 

『一つ質問だ。最初に貴様を叩き落とした物、あれはどこから来たと思う?』

 

『……まさか』

 

『お前の想像の通りだ』

 

バクン、と音を立てて背中のポッドの上部が開く。ラインバレルの位置からはその中身を伺う事は出来なかったが、その中に収納されていた物体は音も無く二人の頭上へと舞い上がってその姿を晒した。

 

『随伴式炸裂弾“神火飛鴉(シンカヒア)”。この力、じっくり味わってもらおうか』

 

(マズイッ!)

 

『行け!!』

 

指揮者にも似た手の動きに追従して、神火飛鴉が動き出す。暗い廊下を埋め尽くす勢いでこちらに殺到する様子を見て、劣勢を悟ったラインバレルは敵に背を向けて逃げ出した。宙を駆ける事も出来ず、全速力で地を疾走する鋼鉄の背中を数々の爆弾が追いかける。

 

『逃げるだけか?』

 

『煩、いっ!!』

 

目前にまで迫った爆弾を、半身を向けて一刀の下に切り伏せる。ラインバレルの体には小さすぎる廊下を、巨大な爆炎が包み込む。

 

(もっと、広い場所に!)

 

自身を取り巻く炎の渦から脱出しながら、ラインバレルは思考を巡らす。今の場所では圧倒的に不利だ。現在、自分は射撃武器を持っていない。あるのは二本の太刀と体だけだ。オーバーライドして敵の背後を取る戦い方も出来なくはないが、敵は自らの周囲にも爆弾を展開させている。最悪、双方を巻き込んだ爆撃を敵は敢行するだろう。しかも狭い所内も問題だった。空を飛べない今のままでは空中へ転移したとしてもその後が続かないし、そもそも敵の意表を突こうにも転移可能な空間が余りにも少ない。

 

『取ったぞ』

 

頭の中で幾つもの考えを走らせるラインバレルの前に、数個の球体が回り込む。

 

『しまっ──』

 

『弾けろ』

 

『ぐうっ!!』

 

衝撃波が全身を万遍なく打ち付け、一瞬思考が乱れる。爆発に巻き込まれ左右前後の方向感覚を見失いつつも、何とか足を前に出す。

 

『転移させる隙は与えない。修復能力を上回るダメージを与えれば、貴様を倒す事は可能だ』

 

(やばい、これ以上食らったら!)

 

頭の中で身体の異常を示すアラームが鳴り響く。右足の付け根からは動く度に火花が舞い踊り、先程の爆撃のダメージで左腕は動かない。左の眼は完全に潰れ、太刀を握る手は感覚が無い。体を修復しようにも、今のままでは効率が悪いどころか碌な回復が望めない。修復しても攻撃を食らっては元の木阿弥だ。

 

(一旦、体勢を立て直して──)

 

『壊れろ』

 

機械的な音声と共に音も無く黒い球体が、空を滑るようにラインバレルの目の前へと移動する。目の前に浮かぶ神火飛鴉と同時に、周囲を取り巻く爆弾達が起爆の体勢に入る。

 

(あ──)

 

最後の瞬間ラインバレルが見た物は、自分を包み込む赤と黄色のカーテンだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十話 ~炎に包まれる思い出の中で~

『……う、上手く行った、のか?』

 

先程とは手触りの異なる床に、両手を突いて倒れ込む。頭の中に広がるセンサーの反応を確認する限り、どうやら無事に逃げ切れたらしい。半ば無意識に行ったオーバーライドだったが、どうやら上手く行ったようだ。転移先の指定はしていなかったが、それなりに距離を取れた事に一先ず安堵の息を漏らす。

 

(取り敢えず、楯無さん達に連絡を取らないと)

 

膝に手を突いて立ち上がると、首を回して周囲の確認を行う。月の灯りも届かない室内は暗闇に支配され、一メートル先も見る事が出来ない。ゆっくりと自分の置かれている状況を確認し終えると、暗視装置を起動させて部屋の様子を眺め見る。

 

(まだ研究所のな、か──)

 

黒焦げになっている電子機器、半壊状態の部屋の壁、所々に散らばる瓦礫の数々。ラインバレルを囲む要素はこの研究所では珍しくない。どれも放棄された研究所では当たり前の物であり、別段驚く物でもない。だが目に入った途端、統夜の胸の奥が大きく揺れた。

 

(そんな、そんなはずない……)

 

ドクンドクンと早鐘を打つ心臓を無理やり止める為手で胸を掻き毟るが、普段とは違う鋼鉄の指でも、胸の奥まで到達する事は出来ない。否定出来る要素を探すために必死に左右を見渡すが、どれもこれもが頭の片隅に浮かぶ可能性を肯定していた。そしてとうとう、自分が立っている床に目を向けてしまう。

 

『あ、は、うあ……!!』

 

なまじ何でも見えてしまう機械の瞳が、この時ばかりは恨めしかった。傷だらけの床に混じって見えるのは数えきれない程の埃と煤の塊、加えて赤い何かが染み込んだような、色の違う箇所。

 

『がはっ、うあ、うあああっ!!』

 

少し考えれば分かる事だった。オーバーライドはその特性上、跳ぶ先を指定しないで実行するなどと言う事は不可能。ならば無意識下で転移先を指定したと考える方が自然だ。無意識の内に統夜が選択出来る場所など数える程しかない。そして研究所の中、という条件を付け加えれば、思い当たる場所は一つだ。

 

「は、は、おぶっ!」

 

夢でも幻でも無い、まぎれも無く現実である光景の中で統夜が再び倒れ込む。頭の芯で、ガンガンと不協和音が鳴り響き、目の前の景色がぐるぐると廻っていく。極め付けは胃の腑から込み上がる酸っぱい感覚だ。

 

「えヴっ、がは、おえっ!!」

 

統夜の口から、固体と液体の入り混じった物体が飛び出す。ビシャビシャと音を立てて床に飛び散る黄色の液体は、思わず顔を背けたくなるほどの悪臭を放っている。数時間前に味わって食べていた物の無残な姿が、その中にあった。

 

「はぁ、はあ、はっ……」

 

体の中に残る力を掻き集めて、這いつくばる形で壁際へと動く。手探りで壁を探し当てた後、背中を当てて座り込むと震える手で口元を拭った。

 

(れ、れんらく、しないと)

 

乱れに乱れている頭の中で、今やらなければいけない優先事項に集中する。右のポケットから取り出した携帯電話の画面を見ると、数件の着信履歴があった。考えずに光っている画面を押して、連絡を取りたい相手に電話を繋ぐ。

 

『統夜君、私の質問に答えなさい』

 

こちらが言葉を発するより先に、楯無の鋭い声が耳朶を打つ。返事を返さずにこくりと頷くと、無言を肯定と取ったのか、楯無は一人で喋り始めた。

 

『今どこにいるの?』

 

「父さんと、母さんがいた……場所です」

 

『二つ目、統夜君の状態は?』

 

「ちょっと……やばいです。今は生身の状態ですし」

 

『三つ目、敵は何機?』

 

「一機だけです……それよりも楯無さん、早く──」

 

『分かったわ。取り敢えず統夜君はその場で待機。私と簪ちゃんがそっちに行くまで絶対に動かない事。敵が来たらひたすら逃げなさい』

 

「お、俺の事は放って置いてくれて……いいですから。早く、逃げて下さい」

 

『一分でそっちまで行くわ。壁際に寄って、じっとしてなさい』

 

無常にも切れてしまった携帯電話をポケットに戻しながら、息を整える為に深呼吸を繰り返す。他人の声を聞いて幾らか平静を取り戻した結果、先程よりも落ち着いた頭で現在置かれている状況を確認する。

 

(落ち着け。こっちの戦力は俺一人。楯無さんが来ても、生身であいつに勝てる訳がない。でも、今の俺の状態じゃ、ラインバレルで戦うのは……)

 

首元にあるネックレスの存在を感じながら、無明の闇の中で統夜は一人考える。何をすれば勝てるのか、どうすれば一人だけで敵に勝てるか。しかし残念ながら、そんな時間を敵が与えてくれる筈も無かった。

 

「ぐっ!?」

 

鼓膜が破けそうな爆音と、肌が焦げてしまうと錯覚するレベルの熱を持った風が、一度に統夜へと襲い掛かる。一瞬だけ部屋に満ちた光を頼りに、慌てて物陰へと体を滑り込ませた。瓦礫の影に隠れながら顔を覗かせると、闇の中にぽつりと人魂にも似た赤い光が浮かんでいる。

 

『隠れていないで出てこい。先程の攻撃で動けなくなるほど、柔ではない筈だ』

 

コンクリートの塊を踏み砕きながら、ヤオヨロズが部屋へと侵入してくる。ここに来て逃げ切れない事を悟ると、両目を見開いて四肢になけなしの力を込める。闇が晴れ、手足が冷たい金属に覆われ、勢い良く立ち上がる。

 

『そこにいたか』

 

膝を大きく曲げると、ラインバレルが大きく跳躍する。狙うは敵の肩にある爆弾を射出する円形のポッド。そこさえ潰せば大きなダメージを与えられる上に、誘爆で敵を行動不能まで持って行けるかもしれない。そんな微かな希望も、ラインバレルとヤオヨロズの間に停滞している神火飛鴉が目に入った瞬間、砕け散った。

 

『いい加減学習しろ』

 

『ぐっ!!』

 

ヤオヨロズが指を打ち鳴らして生まれた音を合図に、爆発が幕となってラインバレルを壁際へと押し戻す。ヤオヨロズは素早く接近すると、もんどりうって倒れるラインバレルの胸元に右足を振り下ろして、その動きを強引に止めた。

 

『幾ら性能が良くても、操り手がそれではな。何故ラインバレルがお前をファクターに選んだのか、理解に苦しむ』

 

『く、そ……!』

 

ラインバレルの馬力に任せて拳を放つがあっさりと見切られ、空いている方の足で潰された。退屈なルーチンワークでも行うような口調で、ヤオヨロズが手を動かす。

 

『さて、お前はあと何発で動きを止めてくれる?』

 

これから来るであろう衝撃に備えて、両腕で顔を庇う。しかし次の瞬間、ラインバレルとヤオヨロズを同時に襲った衝撃は、爆発とは明らかに異なる物だった。

 

『うわっ!?』

 

『ぐあっ!?』

 

一秒後に発せられた驚愕の声はラインバレルの物であり、苦悶の声を上げるのはヤオヨロズだった。ヤオヨロズが神火飛鴉を起爆させようとした瞬間、ラインバレルの背中側にあった壁が爆散し、飛んできた太い棒状の物体がヤオヨロズの右肩にあったポッドを貫いたのである。

 

「ちょ~っと待ったぁ!!」

 

戦場に乱入してきたのは、合計で三つ。一つはヤオヨロズの右肩に突き立っている蒼いランス。二つ目はこの場に似つかわしくない明るい声音。そして三つ目は破壊された壁を更に粉々にしながら部屋へと侵入してきた、装甲が極端に少ない水色のIS。

 

「あんな爆発、見つけてくれって言ってる様な物よ。居場所を教えてくれてありがとう」

 

自分で組み上げたISを駆り、目の前の獲物に標的を定めた彼女はラインバレルを庇う様にヤオヨロズの前に立ち塞がる。ポッドが爆発して飛び火した事で、部屋の各所では煌々と炎が燃え盛っている。ヤオヨロズは無言のまま肩口に刺さったランス、蒼流旋を引き抜くと、無造作に放った。

 

「あら、返してくれるの。意外と紳士なのね」

 

『……誰だ、貴様は』

 

「聞かれたからには答えましょう。ある時は優しい皆のお姉さん、ある時はIS学園最強の、とってもとっても頼りになる生徒会長。しかしその実態は──」

 

戦場と言う名のステージの中心にいる彼女は、大仰な口調と手振りで自分へと注目を集める。しかし、それは過大評価でも過小評価でも無い。その言葉が示すのは、彼女という人間そのものだ。歌うように口上を述べていた女は途中で纏う気配をがらりと変えた。

 

「対暗部用暗部“更識”当主、更識 楯無」

 

声音は変わらない。聞こえによってはふざけたままとも取れる物だ。しかし、対峙しているヤオヨロズはそうは取らなかった。残ったポッドを展開して、消えてしまった分の神火飛鴉を射出する。楯無はまるで新体操のバトンでも扱うように巨大な槍を軽々と構えた。

 

『何故、邪魔をする』

 

「理由その1、亡国企業は敵だから。理由その2、こっちの白鬼さんには何度も助けてもらってるからね。見殺しにしちゃ、寝覚めが悪いのよ。他にも理由、いるかしら?」

 

『いらん』

 

槍を構えた楯無と、神火飛鴉を纏って眼前の敵を睨むヤオヨロズの間で火花が踊る。炎のリングの中で対峙する二人は、試合の開始をただひたすら待ち続ける。今まさに崩れ落ちている壁が瓦礫となって床に落ちると共に発生した轟音、それがゴング代わりだった。

 

「はぁっ!!」

 

開口一番、楯無がランスを構えて突撃する。阻む神火飛鴉をガトリングで排除しながら、ただひたすらに機体と共に駆ける。そしてそれは敵を槍の先端に捉えても止まらない。瓦礫を崩し、壁を破壊してヤオヨロズと共に研究所を粉砕していく。

 

(俺も──)

 

楯無に続くべく、立ち上がろうと片手を床に着いた途端、力を入れた肘の関節部分がバキリと嫌な音を立てる。

 

(だめだ、修復が間に合ってない!)

 

テールスタビライザー、稼働停止。エクゼキューター、使用不能。左脚部制御ケーブル、断裂。両腕下部ブレード、破損。右掌部フィールド発生装置及びマニピュレータ、欠損。右肘関節、損傷甚大。胸部ナノセラミック装甲、破砕。腰部骨格、異常。オーバーライド、ファクターの状態により発動不可。センサー、機能低下。ナノマシン活性率、低下。視界に映し出される警告文と、頭の中で走る警告音の数々が、自分の状態を物語っていた。

 

(稼働率は3割以下、こんな体じゃあいつの相手なんて……)

 

「ラインバレル!」

 

弱気になりかけていた時、唐突な自分を呼ぶ声。それは今まで何度も聞いてきた声だった。顔を上げて確認するまでも無い。しかし、彼女の存在に対する確信と同時に胸中に浮かんできたのは、彼女がここにいるという驚愕の気持ちだった。

 

「だ、大丈夫!?」

 

先程、楯無達が空けていった横穴の縁に手をかけて、息を整えている簪がいた。ISどころか武器になるような物を何一つ持たず、つい先程までと何ら変わらない浴衣姿の彼女は、確かにそこにいた。そして、その後ろにも何かがいた。

 

「お姉ちゃんが敵を引き付けてる今の内に──」

 

『簪、逃げろ!』

 

「え?」

 

言うが早いか、左手の五指を目の前の床に全力で突き立てる。深々と刺さって固定された事を確認すると、左腕一本の力で自分の体を地面から浮かした後、左手を引いた。

 

『頭下げろ!!』

 

野獣に似た動きで跳躍したラインバレルが、もはやスクラップ同然の右腕を振り抜く。簪の頭があった場所を通過して、今にも拳を振り下ろそうとしていた存在へと鉄塊を打ち付けた。

 

『な、何だこいつ?』

 

一撃で頭部を砕かれあっさりと動かなくなった敵を組み敷いて、ソレをまじまじと見つめる。

 

「これ……ロボット?」

 

そこにある機械は、二人が見た事の無い物だった。ラインバレルともISとも、迅雷やアルマとも違う、強いて言うなら人間に似ていた。しかし腹に当たる部分がごっそりと抜け落ち、上半身と下半身を繋いでいるのはたった一本の背骨のみだ。

 

『簪、怪我は?』

 

「も、問題ない。それよりも、早く逃げないと」

 

『逃げるって……』

 

数秒、楯無の事が頭を掠める。同時に、現状の自分の体についても考えて、熱くなりかけていた心が静まっていく。今何をするのが一番楯無の為になるか、どんな行動を取るのが簪を守る事に繋がるのか。

 

『……分かった。じゃあ──』

 

『ラインバレル、聞こえる!?』

 

『楯無さん!』

 

『空から狙撃で狙われてるわ、簪ちゃん連れて逃げなさい!!』

 

通信を聞いて、内心臍を噛む。センサーがまともに働かない今の状態は、両目を塞がれているのと同義だ。だが、教えて貰いさえすれば対策は打てる。

 

(空って事は、上から来るんだろ!)

 

装甲を解いた右腕を素早く簪の腰に回すと、無事な左手を頭上に掲げて体の底からエネルギーを絞り出す。左の掌が輝きを増すのと、天井が破壊されて群青色の光線が降り注ぐのは同時だった。頭の中に響く警告音に負けないように、その言葉を全力で叫ぶ。

 

『奪い取れ、ラインバレル!!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話 ~過去と現在の交差点~

「挨拶も無しとは、マナーがなってないわねっ!」

 

叫びながら、迫りくる実弾の雨をガトリングの掃射で叩き落とす。スターブレイカーから発射されていた銃弾全てを空中で相殺すると、目の前に迫っていた敵めがけて槍の腹を叩きつけた。巨体に似合わぬ動きでするりと避けたヤオヨロズはそのまま上空へと舞い上がり、乱入者の隣に並ぶ。

 

「あの機体は……」

 

青に染まった羽と、六基のビットを従えるそのISの名前は、サイレント・ゼフィルス。イギリスの第三世代型ISであるはずのそれが、何故この場所にいて、何故ラインバレルを銃撃して、何故敵の隣にいるのか。頭の片隅で数々の疑問が渦を巻く。

 

「……って、考えても仕方ないか」

 

亡国企業の新型と、イギリスのBT兵器二号機を一人で相手しなければならないこの状況。しかし、この程度ならば問題無い。相手のデータは殆ど無い。サイレント・ゼフィルスは資料で見た限り、もう片方は先程見た遠隔操作式の爆弾についてだけだ。だが、悲観する要素は何一つ無い。この程度など、苦境の内にも入らない。“国家代表”と“IS学園 生徒会長”、そして“更識 楯無”という名前は伊達では無い。

 

「さてと、それじゃあそろそろ再開しましょう」

 

蒼流旋を片手で握り直し、もう片方の手にラスティー・ネイルを喚び出して逆手で構える。戦闘の為の仕込みはつい先程全て終わった。大きく深呼吸すると、研究所の屋上を蹴って空へと飛び出す。ガトリングの軌跡が夜空に一閃となって煌めくと、ゼフィルスとヤオヨロズが左右に分かれ、楯無を挟撃する。

 

「まずは、こっちから」

 

ゼフィルスを無視して、一直線にヤオヨロズに迫る。勢いを保ったまま、ラスティー・ネイルで刺突を繰り出す。対するヤオヨロズはこれを白刃取りで受け止めると、肩部ポッドを解放する。

 

「おっと、それは勘弁」

 

ヤオヨロズの胸元めがけて三連射、後に背後より降りかかる銃弾を回避する。普段なら多少の射撃はマントで防げる。ミステリアス・レイディが持つアクア・クリスタルから産まれる水のヴェールをもってすれば、問題は無い。しかし、今はそれを展開していない。その為、攻撃を受けてしまうと非常に不味い。

 

「でも、これでいいのよね」

 

ぼそりと呟いた。こちらのレンジの外から撃ってくるサイレント・ゼフィルスは一先ず放って置いて、目の前のヤオヨロズに意識を集中する。

 

『何を考えているのか知らないが、このまま押し切らせてもらう』

 

「気の早い男は嫌われるわよ。もう少し余裕を持って生きなさいな」

 

ヤオヨロズが神火飛鴉を出そうとポッドを開けば、すかさず楯無が距離を詰める。楯無が撮った手段は徹底的なインファイト。楯無は槍と剣で、ヤオヨロズはその一対の手足で。泥臭い拳劇が展開される。上空から狙撃手が狙うも、味方に余りに近すぎる標的に、積極的に引き金を引く事が出来なかった。

 

「爆弾さえ潰してしまえばその機体、手詰まりじゃないかしら?」

 

自分を巻き込んだ爆撃は容易に行う事は出来ないはず、そう読んだ上での行動だった。事実、ヤオヨロズは徒手空拳でこちらの剣を迎撃し始める。武器を持ったこちらが有利なはずなのに、一撃を捻じ込む隙間が全く見えない。そうして何合か打ち合った時だった。

 

『……悪くない』

 

「うん?」

 

『二体一のこの状況下、その選択は間違っていない。だが──』

 

相手が口を開いている隙を突いて、蒼流旋を相手の胸元に突き下ろす。ISの膂力と槍の重量を生かして装甲を砕いて先端を突き刺した後、四連装ガトリングを叩き込む。それで勝ち筋が見えるはずだった。

 

(誘われたっ!?)

 

少しは疑うべきだったかもしれない。つい先程まで拳を入れる隙すら見えなかった敵に、こうもあっさりと生まれた攻撃のチャンス。圧倒的に有利な二対一という場面で距離を取るそぶりすら見せず、敢えてこちらに付き合うその余裕。そして、装甲に槍を突き立ててずぶりと先端をめり込ませた瞬間に感じた手応えの無さ。危機を感じた途端になりふり構わず全力で退避するが、それより早く視界の全てを灼熱が支配した。

 

「つうっ!!」

 

絶対防御を抜けて、黄と赤と黒の爆炎が楯無の皮膚を焼く。痛みで顔をしかめるが、すぐさまそれを後悔した。続いて、背中に回された両手の感触。自分を抱いた者が誰かなど考える必要も無い。脳裏を走る焦熱の痛みを耐えつつ、視線を下に向ける。

 

「爆発……はん、応装甲……?」

 

『似たような物だ』

 

自分を抱きかかえているヤオヨロズが楯無の疑問に答える。槍が刺さったと思っていた場所はぽっかりと穴が開き、その底にもう一枚、装甲が見えている。二枚の装甲の隙間には、隙間なく神火飛鴉が敷き詰められていた。

 

「カウンター、ってわけ、ね」

 

『こちらは任せろ。エムは周囲の警戒を頼む』

 

言うが早いか、ヤオヨロズが腰に回している両腕に力を込める。先程の爆発でラスティー・ネイルは取り落してしまったし、蒼流旋は内部に仕込まれているガトリングごと完全に壊れてしまった。

 

『これで終わりだ』

 

楯無を抱いたまま、地上めがけてヤオヨロズが加速する。その勢いは留まる事を知らず、老朽化した研究所の天井をぶち抜いて部屋の床に激突する事でようやく止まった。100キロを超える鉄塊に押し潰されて、肺の空気が全て吐き出される。元天井だったコンクリートの塊をベッドに寝転がっている楯無を一瞥したヤオヨロズは、数歩離れて自ら装甲をパージした。

 

「その数はちょっと遠慮したいなぁ、なんて……」

 

装甲の下から出てきたのは、数えるのも億劫な数の神火飛鴉だ。残ったポッドを開いて更に数を増やすと、爆弾を自分の周囲に滞空させる。

 

『これが国家代表か。拍子抜けだな』

 

「最後に、言っていいかしら?」

 

『……好きにしろ』

 

「ありがとう」

 

感謝の言葉を述べて、大きく深呼吸をする。ヤオヨロズの視線はこちらを捉えて離さず、変な動きは出来そうにも無い。もとよりこちらは爆発の衝撃と、床に叩きつけられたダメージで、指一本すら動かない。何とか動く口だけを動かして、言葉を吐き出す。

 

「……感謝するわ、ここまで連れてきてくれて」

 

『何だと?』

 

「残念だけど、王手をかけたのは私の方よ」

 

『それは──』

 

どういう意味だ、という続きの言葉をヤオヨロズは口にする事が出来なかった。

 

『うぐっ!?』

 

ヤオヨロズの眼前で連続する爆発に、思わず踏鞴を踏む。そのまま二撃、三撃と続けて火炎の花が咲き誇った。楯無の脳内で送られる指示に従って、部屋に充満していたナノマシンが対象物を爆発する。見えた勝機を見逃す訳も無く、極々小規模な絨毯爆撃を繰り返す。神火飛鴉が収納されていたポッドも、装甲部分に格納されていた残りの神火飛鴉にも引火し、部屋中に爆炎が行き渡る。自爆に近い行動だったが、横たわる楯無を護る様に立つ影がいた。

 

「……ナイスタイミング」

 

『何とか回復したから良かったものの、間に合わなかったらどうするつもりだった?』

 

「そこはほら、信頼ってやつよ」

 

傷だらけの体に鞭打って、何とか動く左腕を盾にして、楯無を庇っているラインバレルの姿がそこにあった。衝撃で崩れた瓦礫の雨が止んだ所で、楯無が片手を地面に突いて上体を起こす。目を向けてみれば、ヤオヨロズも似たような状態だった。

 

『こ、これが、そのISの能力か』

 

「そう、その名も清き熱情(クリアパッション)。まあ、あなたの神火飛鴉(それ)と違って、私のは限定空間でしか使えないから、この状況まで持ってくるのに苦労したわ」

 

《成程、俺はまんまとこの部屋におびき寄せられたと言う訳か》

 

「違うわ。この研究所、その全ての部屋と廊下にナノマシンを散布済みよ。どこでも良かったの。あなたが戦うフィールドを空から陸に変えてくれさえすれば良かった。まあ、研究所の外に落とされたらやばかったんだけど、その時はその時。今はこうなっている事だし」

 

『……人形(ヒトガタ)を何体か向かわせたはずだが』

 

機械的な音を鳴らしながら、ヤオヨロズは光の弱まった単眼を楯無からラインバレルに向ける。動かない右腕を空いた左手で庇いながら、一歩一歩、ラインバレルは膝を突いているヤオヨロズに近づいていく。

 

『全て倒した、それなりに苦労はしたが』

 

「私の援護もあったでしょ~。その為の清き熱情なんだから」

 

後ろで声を上げている楯無を無視して、左手でヤオヨロズの顔を掴む。そのままギリギリと締め上げながら、左腕一本でその巨体を持ち上げた。

 

『う、ぐっ……!』

 

『殺しはしない。動けなくして、いろいろ聞かせてもらうぞ』

 

バギリ、と嫌な音がしてヤオヨロズの顔の装甲が罅割れる。もう少し力を入れようとラインバレルが握力を強めた所で、ヤオヨロズの単眼の光が完全に消え入る。そして、装甲全体に光が宿ると、金属的な光沢が全て消える。

 

「ぐあっ!!」

 

『こいつ……?』

 

ヤオヨロズの装甲が消えて、代わりに現れたのは人間だった。ラインバレルの手から抜け落ちて、肩から床に落下する。目の前の敵が消えた事で生まれた数秒の空白に、少女の声が響く。

 

「お姉ちゃん!」

 

簪が壁に空いた穴を抜けて楯無の下に駆け寄る。ISを部分解除した楯無は、大切な妹の無事を喜び、その体に両手を回す。

 

「怪我は無い?」

 

「うん、ラインバレルが守ってくれて」

 

『な、んで……?』

 

狼狽の声を聞いて、姉妹揃ってラインバレルに目を向ける。大きな音を立てて床に崩れ落ちるラインバレルの前には、先程までヤオヨロズを操縦していた人間の姿があった。背格好は大人と呼ぶには少し背丈が足りなく、子供と呼ぶには骨格がしっかりしている。そして夜空から降り注ぐ月光が彼を照らして、その顔がはっきりと見えた。

 

「あの顔……」

 

「簪ちゃん、どうかしたの?」

 

「あの顔……見たことある」

 

その顔は、人の手で作り出されたかのような無機質さだった。街角に紛れてしまえばすぐに目立たなくなるような、普遍という言葉を張り付けたらあんな風になるのではないか。そう思わせる顔だった。しかし彼の瞳、その鈍色に淀む到底人間の物とは思えない一部分だけが彼を普通という枠から除外していた。

 

「統夜の家の、アルバム……」

 

『何で、何でこんな所にいるんだよ!!』

 

突然感情的な声音を上げたラインバレルに、男が訝しむ。何とか距離を取ろうとずるずると体を移動させるも、ダメージの蓄積により腕はまともに動かず、肘から崩れ落ちた。その体が再び床に落ちる前に、ラインバレルが抱き留める。

 

「その中の写真に……子供の頃の統夜と一緒に、映ってた」

 

『今までどこに、いや、他の皆は何処にいるんだ。何で急にいなくなったんだよ!?』

 

「……ラインバレル、お前は──」

 

「そいつに触れるなぁっ!!」

 

天から大音声が木霊する。次の瞬間、ラインバレルを中心として円状にエネルギー弾が連続で撃ち込まれる。ラインバレルと楯無が揃って警戒するが、狙撃場所が分からなければ対処は難しい。牽制の銃弾は終わり、今度は実弾がラインバレルの体に撃ちこまれる。たまらずラインバレルは男を手放して楯無の所まで後退した。

 

「アール、大丈夫か!」

 

エネルギー弾で開けた穴から降下してきたのは、姿を消していたサイレント・ゼフィルスだった。男とラインバレルの間に立ち塞がり、大型レーザーライフル“星を砕く者(スターブレイカー)”を構えている。しかし、目の前に脅威が存在するというのに、ラインバレルは亡者に似た頼りない足取りで再び男に近づいた。

 

『俺、待ってたんだぞ、いつものあの場所で、皆が来るのを。お前達が消えたあの日から、ずっと!!』

 

「動くな!貴様、何を言っている!?」

 

サイレント・ゼフィルスを駆る少女、エムがスターブレイカーに取り付けられている銃剣をラインバレルの胸元に突きつける。しかし、それでも尚近づこうとするラインバレルに対して、エムは拒絶半分、困惑半分で引金を引いた。真正面から胸元に銃撃を浴びたラインバレルがもんどりうって床に転がる。

 

「これ以上近寄るな!」

 

再び立ち上がるラインバレルに、エムが悲鳴に近い怒号を浴びせる。それも仕方の無い事だろう。攻撃する意思も無い、攻撃を避けようともしない、ただ近づいてくるだけ。その様な存在に恐怖を抱くのは至極当然のことだろう。

 

『悠、お前なんだろ?何で連絡してくれなかったんだよ。俺、ずっと、ずっと待ってたんだ!!』

 

「撤退するぞ、掴まれ!!」

 

『待て!』

 

エムが男の体を鷲掴みにすると、スラスターを吹かせて浮遊する。ラインバレルがその体に手を伸ばすが一歩を踏み出した途端、左足が崩壊した。膝より上しか残っていない足で何とかバランスを取りながら手を伸ばすも、彼女らには届かない。意思とは正反対に、体から力が抜けていく。心は燃え盛っているのに体の芯から何かが抜けていくのを感じながら、空を掻き毟る。

 

(まだ、あともう少し、もう少し持ってくれ……!)

 

「忠告してやる。この施設はあと数十秒で自爆する。巻き込まれたくなければ、早々に逃げる事だ」

 

『待っ、てくれ。ゆ、う……』

 

とうとう心の炎も萎んでいく。最後の支えすら消えていく。そして、紫雲 統夜はその意識を手放した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話 ~舞台裏~

出てきた時と同じく、一人で家の戸口に立つ。放心状態のまま、何も考えずにドアノブを掴んで回す。抵抗も無いまま開いたドアを通り過ぎて、光が満ちているリビングへと足を踏み入れた。

 

「お帰りなさい、統夜……って、どうしたの?」

 

迎えてくれたのは、姉だった。何故かアル=ヴァンの姿は無く、カルヴィナの片手には携帯電話が握られている。今の今まで誰かと電話していたのか、そんな考えすら頭に浮かばずに統夜は自分の部屋へと向かった。

 

「ちょっとどうしたのよ、何かあったの?」

 

「別に……何でもない」

 

反抗期の子供の様な口調で姉の言葉を撥ね付ける。だがそこは姉であるカルヴィナだ。弟の表情から何かを読み取ったのか、眼前に立ちふさがって両手で統夜の顔を掴む。

 

「姉さん……」

 

「別にいいわ、何も言わなくても。ただ、これだけは覚えておいて。何があっても、私は貴方の味方だと言う事を」

 

「私だけじゃないわ。貴方の周りにいる人の事を考えなさい。昔とは違う。貴方の周りにいるのは私やアルだけじゃないのだから」

 

「……ごめん、姉さん。今日はもう休ませてくれ」

 

自分の部屋へと引っ込んでいく統夜の背中を、カルヴィナは見送る事しか出来なかった。統夜が自分の部屋へと入っていくのを確認すると、わざわざバルコニーに出て携帯電話を耳に当てる。

 

「……今帰ってきたわ、放心状態だけれども。それで、02はもう完成したの?」

 

『ううん。今回の01の実地試験で幾つか問題が出たから、それを先に直さなきゃ。このまま02を作ろうとしたら、そこで問題が残るままになっちゃうからね』

 

「そう。まあ、なるべく早く彼をこっちに戻して頂戴。落ち込んだ統夜をフォローするのならば、男の彼の方が似合ってるから」

 

『随分弱気だね。らしくないけど』

 

「私は女よ。時には男同士の方が話しやすい事だってあると思うわ。それと、イギリスの方はどうなったの?」

 

『ああ、そりゃボロボロのめっちゃくちゃだよ。現行兵器でアルマには太刀打ちできないし、今回襲われた場所には碌な戦力が無かったからね。もうちょっとコアの数を増やせればよかったんだけど、私も手が回らなかったから』

 

「お得意の二面作戦にまんまと引っかかったわけね。今の私達じゃ、それもしょうがないけれど。それと、あの子はどう?」

 

『ラインバレルの活動を感じたのか、この間やっと起きたよ。取り敢えずISの技術で簡易的な体を与えたけど、早くちゃんとした体を寄越せって煩くて煩くて。だから00の設計をそのまま流用して作ろうかと思ってるんだ』

 

「作ったとしても、乗り手はどうするの?私達はそれぞれ01と02に乗るし、空いている席は無いわよ」

 

『私に聞かないでよ。それよりも、体の調子はどう?手術したばっかりなんだから、激しい運動とかはダメだからね』

 

「分かってる。今の所、違和感は無いわ。」

 

『そう。機体が出来たらこっちに来てね。微調整とかしなきゃいけないから』

 

「了解。それじゃあ、また」

 

『うん。またね』

 

携帯を耳から話して通話を切った。ベランダから外を眺めれば、人が生活している証である作り物の光が煌々と灯っている。その上に浮かぶ鈍く輝く星々たちを仰ぎ見た後、部屋の中に戻った。横目で並んでいる写真達を一瞥すると、弟の部屋の前へと足を運ぶ。

 

「何としても、守って見せる。私の大切な、世界でたった一つの家族(宝物)を」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話 ~新学期~

「で、あるからして今学期もIS学園の一員として……」

 

講堂の演説台で熱弁を振るっているのは、IS学園の教頭だ。本人としては心からの言葉かもしれないが、残念ながらその熱情が届く事は無い。何しろ学生にとっては新学期の挨拶など億劫以外の何物でもなく、大半が話半分で聞いているからである。IS学園の生徒達もその例外でなく、殆どがぼんやりとした目で前を見ていた。

 

「……なあ統夜、何か随分眠そうだけど、どうかしたのか?」

 

「ああ、今日は朝から楯無さんに特訓してもらってたんだよ。お陰で眠くて眠くて……」

 

二人の男子生徒が口元を隠しながらひそひそと会話する。何百人という生徒がいるお陰で、幸運にも咎められる事は無かった。

 

「楯無さんってあれだろ、更識さんの姉さんだっけ」

 

「ああ。いい人なんだけどさ、結構悪戯好きなんだよ。この間も──」

 

とんとんと統夜の右肩が叩かれる。隣に顔を向けてみれば、二組の名前の知らない生徒がこちらを見ていた。

 

「二人とも、静かにした方がいいんじゃないかな。さっきから織斑先生が見てるよ」

 

二人揃って慌てて壁際に視線を送ると、確かに眉間に皺を寄せている千冬が、まっすぐこちらを睨みつけていた。お礼を言いながら、目線を前に向け直す。教頭の話は終わる事を知らないようで、良く回る口を動かして挨拶と言う名の念仏を送り続けていた。数分もしない内に、一夏と統夜が話を再開する。少しは反省しろと思うが、これが男子学生という生き物なのかもしれない。

 

「悪戯と言えばさ、昨日俺も似たようなことされたぜ。授業の前に、男子更衣室で」

 

「男子更衣室って、俺が出て行った後か。授業に来たのが遅れたの、もしかしてそれが原因か?」

 

「ああ、なんか不思議な人だった。結局すぐいなくなっちゃったんだけど」

 

「ふぅん。奇妙な事もあるもんだな」

 

「……それでは、私の話はこれで終わりとします。次に、生徒会の方からの連絡事項をお願いします」

 

ようやく終わった教頭の演説を切っ掛けに、二人の会話が終わる。揃って前を向くと、脇から階段を上ってゆっくりと演説台に近づく一人の女子生徒がいた。その姿を見て、後ろにいる一夏があっと声を上げる。

 

「どうした?」

 

「あの人だよ。ほら、さっき話した、悪戯してきた人」

 

「みんな、おはよう。私は更識 楯無。生徒会長をやってるわ。よろしく」

 

(新学期の朝っぱらから何やってるんですか……)

 

心の中だけでため息を吐く。自然と人を引き付けるのだろうか、先程まで話していた教頭とは大違いで、自然と全ての生徒の耳と目が楯無に引きつけられていくのが分かった。一夏も、それ以上は何も言わず、楯無の言葉に耳を傾けている。

 

「さて、単刀直入に言うわ。今月にある学園祭、今年はもっと面白くする為にとあるルールを導入したいと思います。それは──」

 

「「……はい?」」

 

一夏と統夜の声が重なる。声を潜ませる事もせず自然と出たその一言は、楯無の背後にある巨大なディスプレイに映し出された写真による物だった。

 

「題して“各部対抗男子学生争奪戦”!!」

 

「「はあああっ!?」」

 

一面に映し出されたのは数々の写真だった。一夏がISで特訓を行っている写真、統夜が自分と簪の為の弁当を作っている写真、放課後に二人だけでその日の授業の復讐をする写真。私的(プライベート)公的(パブリック)も問わず、二人の生活風景が所狭しと映し出されている。

 

「ちょ、ちょっとマジかよ!?」

 

「何考えてんだあの人……?」

 

まだ詳しい内容が発表されていないが、そのタイトルから大体の事は察する事は出来る。要は意思を無視して統夜と一夏を身売りしようというのだ。頭の片隅で流れるドナドナの音楽を聴きながら、頭を振って考え直す。

 

(ま、待て。流石に何か意味がある筈だ。何の意味も無しにこんな事する人じゃあ)

 

「みんな、男子生徒が欲しいかあっ!!」

 

「「「「「きゃあああああああっ!!」」」」」

 

(何の意味も無しに……)

 

「運動部の生徒よ、敏腕マネージャーが欲しいかあっ!!」

 

「「「「「うおおおおおおおおっ!!」」」」」

 

(する人じゃあ……)

 

「文化部の生徒よ、パーフェクトな主夫が欲しいかあっ!!」

 

「「「「「ひゃあああああああっ!!」」」」」

 

(……やるかもしれない)

 

九月四日。夏休みが明けたIS学園に、乙女達の咆哮が轟いた。

 

 

 

 

その日の放課後、紫雲 統夜はIS学園を早足で駆けていた。行く先は楯無がいると思われる生徒会室だ。

 

(幾らなんでもあれは無いだろ……!)

 

クラスの方でも放課後にHRを行ってクラスの出し物を決めると言っていたが、そっちは一夏に任せていた。正直、出し物などどうでも良いし、一夏がいれば自分達(男子学生)にとって悪い物にはならないと確信しての行動だった。角を勢いよく曲がった所で、自分より背丈の低い影と真正面からぶつかる。

 

「きゃっ!!」

 

腕に書類の束を抱えていた生徒が、尻餅をつく。宙に舞い散る白い書類に紛れて、青色の髪が見え隠れする。

 

「あ、ご、ごめん簪!!」

 

ぶつかったのは簪だった。急いであちこちに散らばった紙切れを引き寄せると、手元でまとめる。束にした書類を差し出した所で、統夜の体が強張った。

 

「統夜……?」

 

数秒固まった所で、先程よりも更に慌てて後ろを向いた。右手だけ差し出して、それ以外は簪と真逆の方向を向いている。

 

「そ、その、転んで、す、スカート……」

 

「っ!!」

 

簪が顔を真っ赤にしながらスカートの前半分を押さえつけた後、体を丸めて顔を伏せる。少しの間、互いに身じろぎ一つしなかったが、服を直した簪が先に動いた。体を強張らせている統夜の背中に近づくと、震える唇で問いかける。

 

「……み、見たの?」

 

「な、なな何を!?」

 

「だ、だから、私の……」

 

「み、見てない!白いのなんて見て……あ」

 

「……!」

 

丸く固めた簪の両手が、統夜の頭に振り下ろされる。痛みを全く伴わない拳が、統夜の頭に降り注がれた。ぽかぽかと繰り出される駄々っ子のようなパンチの応酬に、今度は統夜が体を丸める番だった。

 

「ちょ、ちょっと簪!」

 

「忘れて、忘れて、忘れてっ……!!」

 

「わ、分かった。忘れる、忘れるからストップ!!」

 

「……もう」

 

ようやく手を降ろした簪に、統夜が向き直る。書類を手渡そうとしたところで、タイトルが初めて目に入った。

 

「各部対抗男子学生争奪戦について、か」

 

「け、今朝お姉ちゃんに頼まれて。さっき、印刷してきたの。これから渡しに行く」

 

「じゃあ俺も一緒に行くよ。ちょっと楯無さんに言いたい事もあるしな」

 

渡そうとしていた書類の束を小脇に抱えて、二人が歩き出す。運動部が活動している元気の良い掛け声が、窓越しに廊下へと響いていた。

 

「やっぱり、今朝のあれ?」

 

「ああ。幾らなんでもあれはないだろ。俺にも一夏にも何も言わないで」

 

「織斑君はともかく、統夜は生徒会所属って事にしてもいいと思うのに……」

 

現在何の関係も無い一夏はいざ知らず、一学期の頃から生徒会に出入りし、たびたび業務を手伝っていた統夜を見ていた簪も、やはり思う所はあるらしい。横にいる簪に同意の意を示しながら、大げさに肩をすくめて見せる。

 

「どうせ、何言ってもいまさらだと思うけどな。やるって言った以上、覆るとは思わないから。ただ、俺が吐き出したいだけさ」

 

「それよりも統夜、クラスの方でホームルームとか無かったの?」

 

「あったけど、一夏に任せてきた。大して興味も無かったし、あいつがいれば変な出し物にはならないだろ。簪の方こそ、そういうの無かったのか?」

 

「私もあったけど、生徒会の方の仕事があったから。それに、私もそういうのにはあんまり……」

 

「だよな」

 

生徒会室に着いた所で、目の前の扉を右の中指で三度叩く。

 

「はい」

 

「虚さん。紫雲です」

 

「ああ、どうぞ。中に入って」

 

中にいる人物に許可を得て、扉を開ける。既に慣れ親しんだ部屋の中には、いつも通りの光景があった。山積みの書類の中で仕事をしている虚、自分の机に突っ伏して寝息を立てている本音、そして真正面の重厚な造りの机でふんぞり返っている楯無がいる。

 

「あら、簪様も一緒なのね」

 

「ええ、さっきばったり会いまして」

 

「……とーやんの声がする~」

 

もぞもぞと机の上で体を震わせて、眠りこけていた本音が目覚める。右の袖で口元を拭いながら、きょろきょろと寝ぼけ眼で周囲を見渡して統夜を見つけると、左手をひらひらと振った。

 

「お~、やっぱりとーやんだ」

 

「クラスの方はいいのか?」

 

「うん、こっち(生徒会)の仕事が優先~」

 

「仕事って……寝るのが仕事?」

 

「……zzz」

 

「ほ、本音。起きなきゃダメだよ」

 

簪が駆け寄って本音を揺さぶるが、返答は無い。統夜は視線を真正面に向けてツカツカと足音を大きく立てて詰め寄る。机の前に来ると、持っていた書類を目の前で足を組んで座っている生徒会長に差し出した。

 

「こういう事は事前に教えてくださいよ」

 

「だって、教えたら反対されちゃうじゃない」

 

「そりゃしますよ。と言うか何で俺達が身売りされなきゃいけないんですか」

 

「いいじゃない。苦情が来てるのは事実なんだし、ここらへんで身を固める必要があると思うけど?」

 

「……分かりましたよ」

 

この人には一生勝てない、と思いながら諦めの言葉と共に、中央に設置されているソファに腰を下ろす。同時に、目の前のティーカップが音を立てずに置かれた。横を向いてみれば、微笑みながらショートケーキを乗せた小皿を差し出している虚がいる。いつの間に、と驚きながら差し出された皿を受け取った。

 

「あ、そうだ統夜君。一つ頼まれごとしてくれない?」

 

「何時もの手伝いですか。いいですけど」

 

「お手伝いじゃないわ。ちょっと話があるから、織斑君に連絡取って欲しいんだけど」

 

「何するんですか?」

 

「それは秘密」

 

そこで言葉を切った楯無は、懐から扇子を取り出す。白い扇子には黒い筆文字で“最高機密”と書かれていた。特に断る理由も無いので、ポケットから携帯電話を出すと、電話帳から一夏の番号を選択して電話を掛ける。

 

「……あ、一夏か。今大丈夫か?……ああ、悪いな。あのさ、今朝話してた生徒会長、楯無さんがお前に話があるみたいなんだけど、今日時間あるか?……ああ、うん。生徒会室だって」

 

自分の指で床を指し示しながら“ここで”と口パクしている楯無を横目で見ながら、返答を待つ。友人の返事はすぐさま帰って来た。

 

「ああ、サンキュ……え……うちのクラスの出し物か。そう言えば何に決まったんだ?……何だよ、早く言えよ」

 

「統夜」

 

自分の名前を呼ぶ声に視線を向けてみれば、今度は簪が本音の机の隣で手招きしていた。ティーカップに注がれた紅茶を零さないようにゆっくりと立ち上がると、簪の隣まで移動する。

 

「今、本音の友達から統夜のクラスの出し物の内容が送られてきたんだけど……」

 

携帯電話の向こう側にいる一夏と同じく、妙に歯切れが悪い言葉使いで簪が本音を指し示す。机の上で寝そべっている本音は、顔を少しだけ上げながらその片手に握りしめた携帯電話をこちらに伸ばしてきた。

 

「……なんだこりゃ」

 

そこに描かれていた文字を読んで絶句する。確かにその文字は読める。書かれている内容も理解できる。しかし、脳がそれを承諾する事を拒否していた。何度かそれを読み直して、自分の目の錯覚でない事を確認した後、携帯電話に意識を向け直す。

 

「ああ、うん。のほほんさんの友達から送られてきてるよ……ああ……山田先生の所に行けばいいのか?……分かった、ありがとな。それじゃ」

 

携帯電話を切って、テーブルに置いてある手を付けた紅茶を一息に飲み干す。残ったショートケーキに少し後ろ髪を引かれつつも、統夜は生徒会室を後にしようとする。

 

「一夏はこっちに来るそうです。俺はちょっと山田先生の所に行ってきます」

 

「あら、どうかしたの?」

 

「大したことじゃないです。さっき教室で、学園祭の入場チケットが配られたらしくて。俺の分を山田先生が預かってくれてるみたいなんで、それを取りに行こうと」

 

「あ、紫雲君。職員室に行くならこれもお願いできるかしら」

 

書類が山積みになっている机に座っている虚が、A4サイズの茶封筒をこちらに差し出していた。手に取ると、中には重量を感じるほどの量の書類が入っている。

 

「一学期分の各部活動の活動報告書と予算資料よ。織斑先生に渡して欲しいのだけれど」

 

「分かりました。それじゃ、行ってきます」

 

先程より遥かに多い書類片手に統夜が生徒会室から出ていく。その様子を言葉を出さずに見守っていた簪に、目ざとい姉が口を出した。

 

「やっぱり、簪ちゃんとしては好きな子が他の部活に取られちゃうのが嫌なのかしら」

 

「べ、別にそんな事……あるけど」

 

女子生徒のみ、しかも深い仲しかいない空間で簪が本心を露わにする。すっかり虜となっている簪を温かい目で見つめながら、楯無は頬杖を突きながら深いため息を吐いた。

 

「でも統夜君って意外と人気なのよねぇ。今回の苦情の量も、織斑君と統夜君であんまり違いなかったし」

 

「ほ、ほんと?」

 

「それに関しては、詳細なでーたがこちらに~」

 

顔をむくりと持ち上げて眠気を振り切った本音が、机の引出しを開ける。中からタブレット端末を取り出すと、数度操作を行ってとあるファイルを開いた。

 

「“織斑君とは違う方向性のかっこよさ”“一学期の時は少し話しかけづらかったけど、最近はそういう事も無い”“家事が出来る男の子ってだけでポイント高い”“何だか最近よく練習してるのを見かける。何かに一生懸命な姿ってやっぱりいい”“妹を任せられる要素は揃っている。後は私を超えてくれれば言う事なし”などなど。様々な声が上がってま~す」

 

「そ、そんな……」

 

「たった二人の男子生徒と言うだけで何もしなくても視線は集まりますから。うかうかしていると簪様でも危ういかもしれませんよ?」

 

三方より責め立てられて、力無くソファに腰を落とす簪。統夜の気を引くために何をすればいいか、普段とは全く違う頭の使い方をし始めた所で、楯無が可愛い妹へ救いの手を差し伸べた。

 

「ふっふっふ。大丈夫よ」

 

「お姉ちゃん……」

 

「簪ちゃん。この私が、勝算も無くあんな企画(各部対抗男子学生争奪戦)を。簪ちゃんから統夜君を引き離すような事、すると思う?」

 

「……思わ、ない」

 

「その通り!」

 

どでかい肯定と共に椅子を蹴飛ばして立ち上がった楯無は、裏返した扇子を簪に突き付ける。そこには表と違い、“完全犯罪!”と達筆で記されている。

 

「そろそろいい時期だと思うし、と言うか見ててイライラしてきたし、いい加減くっつきなさいこの野郎とか統夜君あなたいつまで簪ちゃんを待たせるのよ少しはそっちからアプローチかけなさいとか思ってたりするし、ここいらで勝負を付けてもいいわよね?」

 

「う、うん」

 

自分より激しい感情の炎を燃やしている姉に少し辟易しながら、肯定の心を込めて首を縦に振る。楯無も“うむ!”と腕を組んで大仰に頷くと、机の上から一枚の紙を取り上げる。

 

「題して“紫雲 統夜捕獲作戦”、待ってなさい統夜君。もう逃げ隠れさせないわよ!!」

 

高笑いを生徒会室に響かせる姉を、妹が期待と尊敬の眼差しで見つめる。布仏姉妹は両脇でぱちぱちと拍手を送る。IS学園は今日も平和だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話 ~夏を越えて~

「すいません、山田先生いますか?」

 

がらりと引き戸を開けて、職員室に入る。向かい合わせになった机が三列程ならんでいる職員室は、新学期と言う事もあってか多くの職員が目まぐるしく働いていた。声をかけると同時にサッと室内に目を走らせるが、真耶の姿は何処にも見えない。

 

「おい統夜、どうした?」

 

ふと、自分を呼ぶ声に反応してみると、千冬の席の所に一夏がいた。突っ立っていても仕方がないので、取り敢えず近くに寄る。

 

「紫雲か。山田先生なら出ている、用件なら私が聞こう」

 

「あ、じゃあ俺はこれで」

 

用件が先に終わった一夏が少し頭を下げてその場を後にする。椅子に座ったままそれを見送った千冬は、一つ咳払いをすると統夜を見上げた。

 

「さて、用件は何だ?」

 

「はい。えっと、織斑先生にも用があって。これ、生徒会からの書類です」

 

「ふむ……成程、予算資料か。確かに受け取った。それで、山田先生への用は何だ?」

 

「あの、さっきのHR(ホームルーム)で学園祭のチケットが配られたって聞いて受け取りに来ました」

 

「ああ、それか」

 

立ち上がった千冬が対面にある机から、先程まで統夜が持っていた物より小さな茶封筒を取り上げる。中身を確認して頷くと、統夜の胸元に放った。

 

「学園祭には各国の軍事関係者やISに関連した企業の人間が多く来場するが、一般人の参加も勿論出来る。そいつがその為のチケットだ。基本的には一枚につき一人、生徒の二親等以内の人間であれば一枚で4人まで入場出来る」

 

「ありがとうございます……あの、一つ質問いいですか?」

 

「む、何だ?」

 

「このチケットって、基本的に生徒一人につき一枚ですよね?」

 

「そうだが……ああ、すまん。立ちっぱなしも疲れるだろう。座れ」

 

タイミング良く、隣の席にいた数学教師が席を立った。千冬が頼んで席を貸してもらうと、そこに座るよう促される。腰を落ち着けた統夜はチケットを胸ポケットに入れながら、両膝に手を置いて言葉を切り出した。

 

「それで、話の続きなんですけど」

 

「確かに、基本的には生徒一人につきチケットは一枚しか渡せない。しかし、お前がそんな単純な事を理解できない程馬鹿ではないのは分かっているつもりだ。わざわざそんな事を聞く理由は何だ?」

 

「織斑先生は姉さんの事、知ってますよね?」

 

「当たり前だ。最近は会えてはいないが」

 

「このチケットで姉さんは入場できると思うんですけど、もう一人チケットを渡したい相手がいるんです。その、姉さんの大切な人で、将来的に俺の家族になる人です」

 

「ふむ、カルヴィナの恋人と言う訳か……そう言えば、見た事があるな」

 

「ホントですか?」

 

「ああ。第二回モンドグロッソの時に見た事がある。そうか、それが理由か」

 

「はい。いつ結婚してもおかしくないんですけど俺が卒業するのを待ってるみたいで。だから、その人も招待してあげたいんです」

 

「成程な」

 

そこまで聞いて、千冬が腕を組んで目を閉じる。ギシと音を立てて背もたれに体を預ける千冬の前で、ドキドキと心臓の鼓動が加速するのを感じながら、統夜は答えを待った。

 

「追加の発行は恐らく無理だろうな」

 

「そう、ですか……」

 

「ああ。流石に血縁関係も無い人間を呼ぶ訳にはいかない。籍を入れているのならともかく、法的にはお前とその男はまだ他人だ。学園側も警備上の理由から、そうホイホイ他人を入れる訳にも行かん」

 

「……ありがとうございました。それじゃ、俺はこれで失礼します」

 

落胆の色を露わにしながら、椅子から立ち上がって一礼する。くるりと踵を返した所で統夜の丸まった背中に千冬の言葉が浴びせられた。

 

「待て待て、そう急くな。とにかく座れ」

 

身振りと言葉の両方で引きとめられて、再び席に座る。千冬は何やら考え込んでいる様子で、先程からぼそぼそと呟きながら空を仰いでいた。

 

「あの……織斑先生?」

 

「……よし、お前の事情は分かった」

 

「はあ」

 

「持って行け」

 

書類を纏めてある棚を漁っていた千冬が、とある物を取り出して統夜の手に握らせた。それはつい先程、自分の胸ポケットに入れた茶封筒と瓜二つの物である。何が何だか分からない統夜は訝しげな表情を浮かべるだけだった。

 

「確かに新しくチケットを発行する事は出来ん、既に枚数が確定しているからな。だが、学園関係者の物を譲渡する事は可能だ」

 

「それじゃ、これって……」

 

手に握っている茶封筒の口を開けて中身を見る。そこには薄っぺらい紙が一枚入っているだけだった。しかし、あまりにも軽いその紙切れは、今の統夜の気分を高揚させるには十分な代物だった。

 

「教師としてはあまり褒められた行動ではないとは思うがな」

 

「い、いいんですか?」

 

「勘違いするなよ。私のチケットをカルヴィナに渡すだけだ。余ったお前のチケットは好きにしろ」

 

「はい!ありがとうございます!!」

 

「ああ、一応言っておくがむやみやたらにこの事を吹聴するなよ。煩いのが増えるのは堪らん」

 

「分かりました。あの、本当にありがとうございます!!」

 

けたたましい音を立てて席を立った統夜が、深いお辞儀を繰り返す。照れ隠しなのか、千冬はさっさと出ていけとばかりにしきりに手を振る。大声を上げてしまった事に若干の恥ずかしさを覚えながら、統夜は職員室を後にした。

 

(よし、これで二人を呼べる!)

 

内心走り出したいのを何とか堪えながら、もう一つの封筒を胸ポケットに捻じ込む。チケットをくれた千冬に感謝し、カルヴィナとアル=ヴァンが来る学園祭に思いを馳せた所で、自分のクラスの出し物を考えてあっという間に気分が急降下する。

 

(うん……まあ、姉さんに笑われるのだけは覚悟しておこう)

 

「たあああああっ!!」

 

特に用も無いため、生徒会室に戻ろうと足を向けた所で女子特有の高い声が響いてくる。続いてガラスの割れる音や金属物が倒れる音、大勢の生徒の怒号が飛んできた。閑静な平日の放課後、ISの訓練場所でもない只の廊下に響く音としてはおかしい物ばかりである。

 

「な、何だ?」

 

慌てて音の方向へと駆けていくと、大立ち回りを演じている生徒会長と、廊下の端で目の前の光景に口をあんぐり開けっ放しで突っ立っている男子生徒と、見知った女子生徒の姿があった。たった一人の生徒会長に、複数人の女子生徒が殺気を隠そうともせずに押し寄せている。

 

「い、いやいや、本当に何だよこれ?」

 

取り敢えず目の前の光景に突っ込みを入れてみる。ISも着けずに生身で立ち回っている彼女らは、たった一人を対象としていた。だが、窓から飛んでくる矢も、振り下ろされる竹刀も、悉く急所を狙ってくる拳も、その全てを生徒会長である更識 楯無はいなし続けていた。全く危機感を感じさせないその立ち振る舞いに心を奪われる統夜だったが、急に背後から迫る影を見て意識が覚醒する。

 

(まずい!!)

 

楯無の死角から飛び掛かろうとしている女子生徒を見つけて、統夜は飛び出していた。部活動で使用するとは思えない大型の金属製スコップを手にして大上段からの一撃を繰り出しつつある生徒と楯無の間に割って入る。

 

「し、紫雲君!?」

 

「危ないじゃないですか、こんな物振り回して!!」

 

「ね、園芸部とか興味無い? 花壇を作ったり、毎日花に水をやって癒されたり──」

 

「興味ありません! 少なくとも、こんな風に襲い掛かる人と同じ部活なんて、入りたくありませんよ!!」

 

「「「うっ!!」」」

 

その一言で、楯無に襲い掛かっていた女子生徒達が一斉に動きを止めた。目の前にいる女子生徒もスコップを降ろして、数歩後ずさる。

 

「正論、正論だけどっ……!」

 

「私達が織斑君達を手に入れるにはこうするしか……」

 

ぶつぶつと呟きながら意気消沈している周囲の女子生徒の中心部で、取り敢えず事の元凶であろう楯無に声をかける。

 

「一体全体何事ですか、これ?」

 

「後で話すわ。それよりも、お助けついでに一緒に来てくれると嬉しいんだけど」

 

「生徒会の方の仕事はいいんですか?」

 

「虚達に任せてきたわ。さ、早く行きましょうか」

 

一人でさっさと行ってしまう楯無の背中を見ながら、脇に駆け寄ってきた二人の内片方に疑問を投げかける。

 

「簪、何がどうなってるんだ?」

 

「えっと──」

 

 

 

 

 

「腕試し、ねぇ」

 

場所は変わり、四人は揃って道場に来ていた。畳が一面に敷かれた部屋の中心部では、一夏と楯無が白い無地の胴着に深い紺の袴を身に着けている。統夜と簪は揃って離れた所で気の壁に背中を預けていた。

 

「うん。その、お姉ちゃんの口車に乗っちゃって……」

 

簪は全てを話してくれた。一夏が生徒会に来てから交わされた言葉の数々。楯無が一夏に言い放った“弱い”という台詞。それらを聞いて統夜は畳に腰を下ろしながら眉を歪ませた。

 

「そりゃしょうがないな。俺もそんな事言われたら、我慢出来る自信ないし」

 

強くなろうと努力している人間の目の前で、その努力を侮辱されるような言葉を吐かれたら、平静を維持できると考えられる根拠を統夜は持っていなかった。恐らくは今の一夏と同じく、楯無に突っかかっていたに違いない。そう思うと一夏を自然と応援していた。

 

「一夏」

 

「何だ?」

 

「頑張れ、負けるなよ」

 

声援を受け取った一夏は少しの間、何を言われたか分からないと言わんばかりにきょとんとした目で統夜を見ていたが、すぐさま太陽に似た眩しいほどの笑顔をぶつけてこちらにサムズアップを返す。

 

「おう、任せとけ!」

 

「あ、二人は外に出てて頂戴。二人っきりでやらせて欲しいの」

 

「別にいいじゃないですか。俺達がいても」

 

「いいからいいから。私、恥ずかしがり屋さんだから、人に見られてると緊張しちゃうのよ」

 

おちゃらけた文言を並べながら、楯無が簪に向けてウインクを飛ばす。姉の考えを理解した簪は立ち上がると統夜の脇を持って無理矢理立たせる。そのまま、統夜の意を介さずに道場の外まで引きずっていく。

 

「な、何だよ簪。俺は一夏を応援して──」

 

「統夜は、負ける所を誰かに見られたい?」

 

その言葉で、統夜の頭が冷える。今の自分でも勝てない楯無の実力、努力を続けているとはいえ、まだまだ発展途上である一夏の力。その二つを天秤に掛けたら、どちらが強いかは明白だった。それらを材料にして勝負の行方を想像する事は、実に容易い。そして、一夏の立場に自分が立った時、その光景を誰かに見られたいかと言えば、勿論答えはNOだ。

 

「……分かったよ」

 

道場の外壁に、二人でもたれかかる。内側から響いてくる音は、既に戦いが始まっている事を意味していた。聞こえてくる苦悶の声は、どう考えても女性の物ではない。つまり、試合の展開は簪と楯無が予想した通りなのだろう。

 

「そうだ、簪」

 

「何?」

 

「あの時のお礼、まだ言ってなかったな。ありがとう、家まで送ってくれて」

 

唐突な感謝にしばしの間記憶を漁る簪。そして、思い当たるあの日の出来事を思い出す。

 

「その、平気なの?」

 

「何が?」

 

「だって、あの時戦ったのは、統夜の……」

 

「悠の事、か」

 

瞼を降ろして、あの日の情景を心に浮かべる。瓦礫の中立ち尽くす自分と、月光に照らされる親友の顔。鉄の仮面越しに見た懐かしき顔は成長こそしていたものの、彼だとはっきり分かる面影があった。

 

「正直、まだ分からない」

 

「……」

 

「けど、はっきりしている事は一つある。今のあいつは……敵なんだ」

 

「そ、それは──」

 

「いいんだ。あいつにも事情があるのかもしれない。でも、臨海学校のあの日、俺が割り込まなければ一夏は悠に殺されてた。研究所の時だって、間一髪で切り抜けられただけだ。もしかしたら、簪と楯無さんが傷ついていたかもしれない」

 

「統夜……」

 

「だからさ……次、俺の前に現れた時は、無理矢理にでも捕まえてみるよ」

 

「捕まえる?」

 

「簪が前に言ってくれただろ。“話してみる”って」

 

あの夜、家に帰ってから考えていたのは悠の事だった。本音や真耶に銃を向けた事、一夏の命を狙った事、楯無の身に危害を加えた事。様々な感情が浮かんでは消え、浮かんでは消えていったが、何をしたいかを考えた時、その答えはとてもシンプルだった。

 

「話したい事も山ほどあるしさ。急に消えた事とか、数年間何処にいたんだとか、連絡の一つくらい寄越せとか。あいつの口から事情を一通り聞いて、それから考える」

 

「……うん。統夜が後悔しないようにすればいいと思う」

 

誰の目も無い静かな場所で、二人の距離が自然と縮まる。統夜の肩に簪が頭を預ければ、触れ合わせるように統夜も頭を傾けた。

 

「まあ、話す前に一発くらい殴るかもしれないけどな。グーで思いっきり」

 

「そ、そこはぱーでしてあげた方がいいと思うけど」

 

「そうだな。平手で、思いっきり殴る事にするよ」

 

「あ、あの~。二人とも、ちょっといいかな?」

 

「うおっ!?」

 

遠くの方から声をかけられて、二人が文字通り飛び上がる。慌てながら揃って視線を向ければ、こちらに近づきながら手を振っているシャルロットと、顔を赤らめてシャルロットの背中に隠れているセシリアがいた。狼狽しながら居住まいを正す二人に、申し訳無さそうな表情を向けるシャルロットが口を開く。

 

「ちょっと聞いていいかな?」

 

「な、何をだ?」

 

「あの、一夏さんがどこに行ったかご存じありませんか?クラスの出し物について織斑先生に報告に行ったきり、何処かに行ってしまったようで」

 

「今日は久しぶりに皆で一緒に特訓しようって約束してたんだけど。二人とも、何か知らない?」

 

「あ~、それは……」

 

二人揃って振り返り、先程よりも静かになった道場に目を向ける。その行動から何かを察したのか、シャルロットとセシリアが二人の体越しに扉へと視線を飛ばすのと、同乗の中から一際大きい衝撃音が響いてきたのは同時の事だった。

 

「お、おい、幾らなんでも激しすぎないか?」

 

「お姉ちゃんの事だから、大丈夫だとは思うけど」

 

「な、中で何が起こっているんですの!?」

 

混乱するセシリアとシャルロットを尻目に二人は数度アイコンタクトを交わす。そして同時に頷くと、扉に手をかけて道場へと踏み込んだ。

 

「楯無さん、一体何が──」

 

踏み込んだ統夜の視界に飛び込んできた物は畳の上に倒れ込んでいる一夏。そして一夏の傍で満足げな顔を浮かべて、両手を払っている楯無。何故か字上着を肌蹴て下着が丸見えとなっていた。そして次の瞬間、細くて小さい何かが統夜の視界を埋め尽くした。

 

「痛ててててっ!?」

 

「統夜、目、瞑って!」

 

指が直接眼球に触れる痛みで思わず悲鳴を上げる。痛みを取り除くべく、引っぺがそうと試みるが、それよりも強い力で簪の指が統夜の視界を塞いでいた。

 

「か、簪!」

 

「は、外したらお姉ちゃんが見えちゃうし!」

 

「あらあら、統夜君には見られてもいいけど?」

 

「お姉ちゃんっ!?」

 

「統夜君。決着ついたから一夏君を運んであげてくれない?この後、アリーナで少し特訓したいから」

 

「い、一夏さんっ!?」

 

「ちょ、大丈夫一夏!?」

 

「平気よ。ちょっと強くやりすぎちゃって気絶してるだけよ」

 

「お姉ちゃん、早く服着て!」

 

「簪は早く外してくれ!!」

 

その後、収集がつかないと思われた事態は一夏を探しに来た鈴とラウラが加わった事でさらなる混乱を招き、最終的に異変を察知して駆けつけた本音によって収束し、統夜の痛みはそれまで続いたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話 ~猛攻~

「なあ、ちょっと相談に乗って欲しいんだけど」

 

目の前でカレーライスをぱくついている鈴にむけてそう切り出したのは、学園祭を三日前に控えた夜の事だった。今日は珍しく楯無が一夏と特訓で遅くなるらしく、簪も本音と用事があると出て行ってしまったので久しぶりに一人の夕食を取っていた。

 

「あら、珍しいわね。アンタが私に相談なんて。明日は雨かしら」

 

「茶化すなよ。人が頼んでるのに」

 

「ごめんごめん。それで、何を相談したいの?」

 

一人で今夜の目玉メニューである鯖の味噌煮定食を食べていた所、後から来た鈴がこちらのテーブルに加わってから、数分立っての事だった。何故か統夜はきょろきょろと周囲を見回して誰もこちらに注目していない事を確認してから再び視線を鈴に向ける。

 

「あ、あのさ──」

 

「紫雲に鈴か」

 

声の方向に顔を向けてみれば、そこには箒、セシリア、ラウラ、シャルロットといつものメンバーが揃っていた。それぞれ手にお盆を持っており、自分達と同じく夕食を食べにきたらしい。

 

「あれ、一夏はどうしたの?」

 

「私達、先程学園祭の準備が終わりまして。それで、一夏さんと夕食をご一緒したかったのですが」

 

「部屋に居なかった。どうやらこんな時間も例の生徒会長と特訓をしているらしい」

 

立っているのも何なので、鈴と統夜がテーブルの端に移動してスペースを作る。四人は空いた場所に陣取ると、シャルロットが言葉を引き継いだ。

 

「それで、皆で一緒にご飯を食べようと思って来たんだ。鈴と統夜は何を話してたの?」

 

それぞれが片手に食器を持ってから、話が再開する。その場の視線は自然と今まで会話をしていた鈴と統夜に集まるのだが、不思議と口を開こうとしない統夜に代わって、鈴が返事を返す。

 

「何を話すっていうか、ついさっき統夜から相談を持ちかけられてね」

 

「あ、ああ……」

 

「相談か。一体何を悩んでいるのだ?」

 

「えっと、やっぱ話さなくちゃダメか?」

 

「何だ、歯切れが悪いな。一人でくよくよ悩んでいるよりも、吐き出した方がすっきりするぞ?」

 

横にいる箒から肘で突かれてから、統夜は二度、三度と深呼吸を繰り返す。この話題を口にすることは相当悩んだ。自分の中に仕舞って置くのが最上ではないかと何度も考えた。だが、このままでは前に進めないと、一人では答えが出ない命題だと昨晩悟った。そして十秒後、その場にいる女子全員の視線を受けながら、重苦しく口を開いた。

 

「あ、あのさ……」

 

「うんうん」

 

「……じょ、女子って何考えてるんだ?」

 

「「「「「ご馳走様でした」」」」」

 

統夜が相談内容を口にした途端、五人全員が揃って席を立った。全員一様に唇を噛みしめるような、苦虫を噛み潰すような同じ表情を浮かべている。慌てて統夜が手を伸ばして彼女らを引きとめた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、まだ一言しか言ってないだろ!?」

 

「いやぁ、流石にその先は予測できるよ、統夜」

 

「そうだな。部下から教えて貰った日本のギャグである“押すなよ、絶対押すなよ!?”というのと同程度に、先の展開が予想出来る」

 

「それに紫雲さんだけならともかく、私達は同じ相談を既に簪さんからも──」

 

「セ、セシリア!」

 

鈴から悲鳴が飛ぶと、苦笑いと共に語っていたセシリアが慌てて自分の口を塞いだ。幸い、自分の相談事が一蹴された事によるショックで統夜の耳には入らなかったようだが。周囲から冷たい反応をされて、期待が打ち砕かれた統夜は更に狼狽していく。

 

「い、いいだろ別に少し位!」

 

「……まあ、寧ろ答えが分かっている分、簡単な悩み事だな」

 

「そうね。統夜、この貸しは高いわよ?」

 

揃ってため息を吐いた後、席に座り直す。女性とが揃って”聞きたくないが話せ”と言わんばかりの視線を統夜に浴びせるも、遅い来る威圧感に萎縮してしまったのか、統夜がそれ以上口を開くことは無かった。このままでは埒が明かないと判断したセシリアが会話の口火を切るべく質問を投げかける。

 

「えっと、紫雲さん。つまるところ、紫雲さんがお知りになりたいのは何ですの?」

 

「お、俺の友達の話なんだけどさ、最近、妙にスキンシップを取ってくる子がいて。で、そいつにどうしたら良いか相談を受けたんだけど、そういうのは俺も分からないから皆に聞きたいんだけど……」

 

「「「「「……」」」」」

 

一同揃って額に手を当てて俯く。今時小学生でも吐かないような嘘を苦し紛れに話す目の前の男の頬を引っぱたいてやりたい。しかし、一度引き受けた以上最後までやり抜こうと決めた箒が顔をあげた。

 

「まず聞くが、最近というのはいつ頃からだ?」

 

「ああ、はっきりそう思ったのは二週間くらい前かな。ほら、9月の頭に、一夏と楯無さんが素手で勝負した日あっただろ。あの後からだよ」

 

友人から相談を受けたにも関わらず、なぜ箒の質問に対してそこまで詳細な回答が出来るのか。すでに化けの皮が剥がれている所ではあるが、既に察していた五人は何も触れずに会話を続ける。

 

「ああ、僕とセシリアが道場で一夏を見つけたあの日ね」

 

「そうそう。二人に会った後、気絶してた一夏を俺がアリーナまで運んで、そのままISの訓練してたあの日だよ」

 

「ちょっと待て。あの日は確か、夜に簪が我々を呼び出し──」

 

「わわわわわあああっ!?」

 

何かを思い出したのか、手を打ちながら口を開いたラウラの口を、隣に座っていたシャルロットが全速力で塞ぎにかかる。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「な、何でもないよ!」

 

「予想通りと言えば予想通りだな……」

 

「まあね。それで統夜、スキンシップって言うけど、どんな感じなの?」

 

鈴にとって二人は学園に来て始めて優しく接してくれた友人である。幾ら答えの分かっている問題だからといって無下にはしたくないし、真摯に接したい。二人が幸せになるのならば歓迎できることだし、力になりたい。そう思ってかけた言葉だった。しかし、数秒後、鈴はこの言葉をかけた事を後悔することになる。

 

「ああ、最近だとあれかな。三日前の事なんだけどさ、急に俺の代わりに昼の弁当を作ってくれたんだ。その日は昼は食堂で食べるって約束してたから弁当の用意はしてなかったんだけどさ、当日の昼になってその子が屋上に行こうって言ってさ。それでついていったらベンチの所に用意したあってさ」

 

「……」

 

「それがまた美味しくてさ。何でか分からないけど、俺の好きな料理ばっか入ってたんだ。偶然って事は考えられないし、どうやって知ったんだろうな?」

 

「そんなの知りませんわ……」

 

「あ、あとうちのクラスって学園祭での出し物でケーキとか出すだろ?料理出来るって事で俺も作る側に回って欲しいって言われたんだけど、そういうお菓子って作ったこと無くてさ。それでその子に相談したら色々と教えてくれて」

 

「……このお茶、砂糖でも入ってるのかな」

 

「例として幾つか作ってくれたのを食べてみたんだけどさ、その辺の店で食べる物より数段上だったんだよ。でもさ、本当に得意なのは和菓子らしくって、今度食べさせてもらう約束もしてるんだけど」

 

「羊羹を喉に詰まらせて悶えていろ……」

 

「それとな、その前なんだけど──」

 

「もういい、はい、おしまい!!」

 

机を叩いて統夜の話を無理やり終わらせる。唐突に中断されたことを不快に思ったのか、眉をひそめながら統夜が口を尖らせた。

 

「何だよ鈴。聞いたのはそっちだろ」

 

「それはそうだけど、誰がそこまで話せって言ったのよ!誰も死者を出せとは言ってないでしょ!」

 

そこで初めて、統夜は周りを見渡す。平日の夕食時なので、勿論統夜達以外にも食堂の利用者がいた。だがしかし、彼らは皆まともに食事を取れていなかった。少なくとも、統夜の声が聞こえる範囲にいる生徒たちは皆食器を持つ手を止めて、視線を伏せている。ひどい者は、両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。

 

「みんな、何してるんだ?」

 

「おい紫雲。頼みがある」

 

「どうかした?」

 

「少々喉が渇いた。コーヒーを持ってきてくれ。ブラックで頼む」

 

「でもボーデヴィッヒさんのそれ(夕食)、俺と同じメニューだけど」

 

ラウラが箸をつけているのは統夜と同じ鯖の味噌煮定食だ。和食のそれにコーヒーは合わないのではないか、そう思っていた統夜だが、他の四人が手を上げて”自分達にも持ってきてくれ”と意思表示をしたことで腰を上げた。統夜が席から離れて、十分距離が開いたところで一同が揃ってため息を吐く。

 

「……どうすればいいと思う?」

 

「正直なところ、あの二人なら放っておいてもくっつきそうだよ」

 

「そうだな。二人の話を聞く限り、時間の問題だと感じる」

 

ダメージから復帰したシャルロットと箒が率直な感想を述べる。隣にいるセシリアとラウラも同じように頷いていた。実は彼女らは九月の頭、ついさっき統夜が言ったその日の夜に簪から、今の統夜と同じような相談を持ちかけられていた。その時に彼女の思いをすべて聞いている以上それぞれの心の内を知っている彼女らからすれば、そう結論を出すのは当然の事だろう。ただ一人、鈴だけは腕を組みながら苦い顔をして唸っていた。

 

「……気掛かりな事でもあるのですか?」

 

「いやぁ、気掛かりって程の事でも無いんだけどね」

 

「じゃあどうしてそんな顔をしているのだ?」

 

「あの二人ってさ、結構似てると思わない?」

 

「統夜と簪が似てる……とはちょっと思えないけど」

 

「ええ、紫雲さんも良く話す方ではありませんけど」

 

「二人が似ているかと言われると、少しな」

 

「……まあ、私の考え過ぎならいいけどね。それに簪、今度の学園祭で決めるつもりでしょ」

 

「そうだな、紫雲の話を聞いている限、り……」

 

そこで先ほどの話を思い出してしまったのか、箒が口元を押さえながら視線を下げる。四人も箒の姿を見て思い出してしまったのか、同じく顔を青ざめかけている所に、統夜が戻ってきた。

 

「皆、風邪でも引いてるのか?」

 

お盆に載せて持ってきた五つのコーヒーを、それぞれの目の前に置く。

 

「……ありがとう、統夜」

 

「シャルロットも、体調が悪いなら医務室に──」

 

統夜の言葉を無視して、全員がコップを手に取る。そして、そのまま一言も喋らずにコーヒーを喉に流し込んだ。唖然とする統夜を前にして、五人は空になったコップをテーブルに置いて、元通りの色になった顔を統夜に向ける。

 

「何をしてる紫雲。座らないのか?」

 

「あ、ああ……それで、皆で何話してたんだ?」

 

「結論から言うと──」

 

五人で話した結論を鈴が口にしようとしたその時、統夜の胸元が震える。バイブ音が気になるのか、ちらちらと胸元を見ていたが、鈴がしぐさで促すと統夜は胸ポケットに入れてある携帯電話を取り出した。

 

「……まずい、時間だ」

 

「時間がどうかしたか?」

 

「ああ。今日の風呂の入浴時間なんだけどさ、8時からって事すっかり忘れてた。今、一夏が浴場に行ってるみたいなんだけどさ、俺がいないから心配になってメールしたらしい」

 

「じゃあそっち優先でいいよ。統夜の相談だけど、僕たちの間で話はまとまったから」

 

シャルロットが全員に確認を取るように視線を走らせると、全員が順番に頷いていく。

 

「ほ、本当か?」

 

「うん。だから残っているご飯、食べちゃいなよ。行かなきゃ行けないんでしょ?」

 

「ああ、うん」

 

促されて、一割ほど残っていた夕食を平らげる統夜。最後に”ご馳走様でした”と手を合わせると、お盆を持って立ち上がった。

 

「悪い皆。俺から相談しておいてなんだけど、この話はまた後日──」

 

「大丈夫ですわ。紫雲さんの相談に対する答えは、一言で済みますもの」

 

「そうなのか?」

 

「そうね。統夜、相談への答えは……」

 

「こ、答えは……?」

 

「……”機会を待て”よ」

 

「……そ、それだけか?」

 

「ええ。それだけよ」

 

もう少し具体的なアドバイスを期待していたのか、肩透かしを食らった様子で統夜が佇む。物欲しそうな顔をしつつ、他の四人にも目だけで問いかけるが、異なる意見を持つ者はいないようで一人も口を開くことは無かった。

 

「……あ、そ、それじゃ俺はこれで」

 

「じゃあね。あと、貸しは少しおまけしてあげるわ」

 

最後まで腑に落ちないといった顔で、統夜はお盆を下げてそのまま寮へと戻って行った。十分に距離が離れた所で、一同が再び大きなため息を吐く。

 

「……何でカップル間近の二人の惚気話を聞かなきゃいけないんだろうね、僕達」

 

「言うなシャルロット。これも二人の為だ」

 

「それにしても気になるのだが、紫雲は簪の思いに気がついているのか?」

 

「気づいて無かったら、あんな相談そもそもしないと思うのですが」

 

「どこかの朴念仁も、統夜の十分の一で良いから、向けられてる気持ちに気づいて欲しいんだけど……」

 

一同が三度大きなため息を吐く。その脳裏に浮かんだ男子の顔は、揃って同じだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話 ~幕間~

「たあっ!!」

 

シャルロットが操るIS、ラファール・リヴァイヴ・カスタムIIが全速力でこちらに突っ込んでくる。その右手には先日、倉持技研で完成したチェーンソータイプの近接用ブレードが握られている。まともに食らえばシールドエネルギーが2割は削られてしまうだろう。

 

「うおおおっ!!」

 

対する統夜も打鉄の標準装備である近接用ブレード"葵"を展開する。通常は1本だけ呼び出して使用するその太刀を、戦闘スタイルに合わせて2本呼び出した統夜は真正面からその突撃を受け止める。チェーンソーとクロスさせた太刀がぶつかり、断続的な火花が舞い踊る。

 

「訓練機でリヴァイブの突進を真正面から受け止めるなんてね!」

 

「楯無さんに特訓してもらってるんだ、これくらいは出来るさ!!」

 

離れたらシャルロットお得意のラピッドスイッチ(高速切替)による変則的な攻撃が飛んでくる。シャルロットの手の内を理解している統夜は、リヴァイブのパワーに押されながらもその動きについていく。

 

「流石に、近距離の動きは速い、ねっ!」

 

今の武装では統夜に決定打を与えられない。そう判断したのか力任せにチェーンソーを叩きつける。統夜が全力で防御に回った事で生まれた一瞬の隙、それをついてシャルロットが距離を取る。

 

「でも、遠距離の対応はどうかな?」

 

(来る!)

 

シャルロットの空いている左手が輝き、弾丸を装填済みのサブマシンガンがその手に握られる。しかも、サブマシンガンを呼び出してから1秒にも満たない間にチェーンソーを握っていたはずの右手は、グレネードランチャーを構えてその銃口を統夜に向けていた。

 

「それそれそれそれそれっ!」

 

「くっ、このっ!!」

 

上に、下に、右に、左に、ハイパーセンサーを駆使して弾道を感知しながら広大な空を駆け回る。炎と弾丸の雨に晒されながらも、反撃の為に葵を収納してアサルトライフル"焔備"を展開してシャルロットに狙いをつけて発砲する。

 

「そんな狙いじゃあ、僕は捕まえられないよ!」

 

言葉通り、統夜が放った弾丸は一度もシャルロットを捕らえていない。大して、最初こそ避け切れていた弾丸が段々と当たり始める。目減りしていくシールドエネルギーの残量を視界の端で確認すると、小さく舌打ちして当たらない弾丸を放つ事をやめて空中に停止した。

 

「もしかして、諦めたの?」

 

動きを止めた統夜に対して訝しむシャルロット。口を動かしながらも、空になった弾丸をリロードする手を止めようとはしない。そんな言葉に統夜は唇の端を吊り上げて小さく笑うと、戦意の塊をその両手に呼び出して真正面に浮かぶシャルロットを睨み付けた。

 

「冗談。勿論、勝つ気でいるさ」

 

「いいね。統夜のそういうとこ、僕は好きだよ」

 

「……いくぞ」

 

「うんっ!」

 

二本の葵を目の前でクロスさせながら、スラスターの推力を一方向に集中させる。迫り来る攻撃を回避する気など微塵も見えない愚直な突撃。対するシャルロットもその突撃から逃げようとすれば逃げられたろう。しかし、大切な友人の最後の攻撃を正面から迎撃する為に、リロードの終わったサブマシンガンとグレネードランチャーの銃口を統夜に向ける。

 

「くうっ!」

 

銃口から轟音と共に、生身で受ければ体が弾け飛ぶサイズの銃弾が飛翔する。シールドエネルギーが先程よりも早いスピードで減っていくが、統夜は意に介さず正面のシャルロットだけを見据えていた。彼我の距離は200m。ISのトップスピードにとっては、2秒も掛からずに抜き去る事の出来る距離だ。

 

「ウオオオオオッ!」

 

銃弾の衝撃にも構わず、猛進する統夜。確かにシールドエネルギーも減少しつつあるが、スピードの乗った一撃をシャルロットに叩き込み、近距離戦に持ち込めば勝機がある。そう考えての吶喊だった。

 

「止めてみせるよ!」

 

吼えたシャルロットは左手のグレネードランチャーを間髪入れずに4連射する。纏めて統夜の身体に命中すれば統夜のシールドエネルギーを0にする為のその弾頭は、統夜の身体に向かってくることは無く、統夜の左右上下を囲むようにその進路を取る。

 

「もう一発!!」

 

一瞬遅れて最後の一発となったグレネードを統夜へと発射した。その一発だけでは突進を止める事は出来ない。そう確信した統夜は盾代わりにクロスさせて構えていた太刀を、更に強く握り締める。

 

「これで、チェックメイトだよ!」

 

だが、シャルロットのターンはまだ終わっていなかった。右手に持っていたサブマシンガンのトリガーをで引く。今までであれば、その銃口は統夜の身体に向けられていた。しかし、ISのセンサーが捕らえたその銃弾の行き先は、統夜ではなかった。

 

「いや──」

 

全てのグレネードが統夜から1mほどの距離に近づいたところで、遅れてきた銃弾が5発全てに追突する。接触式の弾頭は、遅れて発射された金属の塊によって、強制的に目標へと当たる前に爆発した。

 

「まだだ!!」

 

爆炎が、統夜の身体を包み込まんとその花弁を開く。そのまま突っ切ればシャルロットにたどり着く前にシールドエネルギーが尽きてしまう。しかし、そこで終わる統夜ではない。

 

「斬り、裂けええええっ!」

 

「嘘っ!?」

 

交差させていた太刀を全力で振るう。眼前の炎が十文字に裂け、シャルロットの向こう側へと広がる青空が見えた。驚きで一瞬動きを止めたシャルロットを捕らえるべく、トップスピードを維持したまま、統夜が空を翔る。

 

「ここは、俺の距離だ!」

 

手を伸ばせばシャルロットに届く、そんな距離で統夜が太刀を大上段から振り下ろす。慌ててシャルロットは二つの銃火器を投げ捨てて、右手の上腕部に据え付けてあるシールドでその双撃を防いだ。

 

(よし、ここから──)

 

「ごめんね、統夜」

 

申し訳なさそうな声が聞こえてきて、思わずシャルロットの顔を見上げる。シャルロットは本当に申し訳なさそうな、同時に勝利を確信した声音で言葉を続けた。

 

「ここ、僕の距離でもあるんだ」

 

言葉が終わるのを待たずに、シャルロットの構えていた盾が爆散する。シールドに覆われていたシャルロットの武装を思い出した瞬間、統夜は内心臍をかんだ。

 

「いっけえぇぇぇぇぇ!」

 

意識の途切れる直前に統夜が見たものは、鈍色に光る鉄杭だった。

 

 

 

 

「……今回はいけると思ったんだけどな」

 

夕飯のペペロンチーノをくるくるとフォークに巻きつけて口に運ぶ。正面に座るラウラが、定食についてきたサラダを咀嚼してからフォークを統夜に突きつけた。

 

「シャルロットに不得手な距離がある訳無い。今回の失策は近距離戦に持ち込めば勝てると勘違いしたその思い込みだ」

 

「手厳しいな、ボーデヴィッヒさんは」

 

「事実を言っているだけだ。そしてもう一つ事実を挙げるとするならば、紫雲の射撃技術は確実に向上している」

 

統夜とシャルロットの模擬戦が終わったその後、途中から合流したラウラも含めた三人は夕食の為に食堂に来ていた。いつものように、訓練の反省会をしつつの夕食であったが、今日はなにやら風向きが異なっていた。

 

「何で分かるんだ?」

 

「紫雲の射撃に対してシャルロットが使用した回避マニューバ。あれはシャルロットが本気で避ける際のパターンの一つだ」

 

「そ、そうなのか?」

 

本気、という言葉に反応した統夜が思わず身を乗り出してシャルロットに詰め寄る。天と地、とまでは言わないがISの戦闘では彼女の方が2歩も3歩も先を行っている。その彼女に本気を出させた事実は統夜にとって嬉しいものだった。

 

「うん。今までの回避パターンだと、当たっちゃうって思ったから」

 

「そうか、俺の攻撃がシャルロットに……」

 

練習相手からの言葉を受けて、机の下で拳を握る。心の底からゆっくりと上がってくる一種の達成感の前では、頬が緩まないようにするのが精一杯だった。

 

「他にも、シャルロットのグレネード弾への対応も見事だった。幾ら耐熱処理が施されたブレードとはいえ、普通だったらそもそも『爆炎を切り裂く』という発想が出てこないだろう」

 

「な、なんか今日はやけに褒められるな」

 

『何か裏があるのでは』と勘繰る統夜だったが、当のラウラはその言葉に気分を悪くするのでもなく、淡々と言葉を続ける。

 

「事実を言っているだけだ。必要以上に訓練生を貶めるような趣味は持ち合わせていないのでな」

 

「僕、ラウラのこういう姿を見ると本当に特殊部隊の隊長さんなんだな、って思うよ」

 

シャルロットの言うとおりだと統夜も頷く。学校での様子や私生活を見るだけでは、外見通り小さな少女としか思わない。しかし、こうして訓練内容に的確な評価を下す彼女を見ると、住んでいた世界が違うことを実感するばかりだった。

 

「おい、聞いているのか紫雲」

 

「えっと、ごめん。何だ?」

 

「だから、何故あの時わざわざ爆炎を切った。今までの紫雲であれば、あの場面だとそのまま突っ込んで、シャルロットに斬りつけると思っていたのだがな」

 

「ああ、あの時のことか」

 

確かに、ラウラの言う通りだと自分でも思う。もともとISに乗っていてもラインバレルの姿を想定して動いているため、今までであれば多少の被害には目を瞑って突撃する戦法を多く選択していた。今回の場合でも、仮にシャルロットのグレネードによる攻撃を突っ切ってもシールドエネルギーは0になることは無かった。監督役をしていたラウラにとって、唐突な統夜の戦闘スタイルの変化に戸惑ったのだろう。

 

「僕も気になったんだ。シールド・ピアーズでカウンターは狙ってたけど、驚いて思わずガードしちゃったからね」

 

「それは──」

 

二人の質問に答えようとしたその時、統夜の右ポケットが小さく震える。ポケットから携帯電話を取り出した統夜は、届いていたメールの文面を見て小さく声を上げた。

 

「まずい、そろそろ時間だ」

 

「時間だと?」

 

「ああ、男子の入浴時間が今日だけ変わってさ。ほら、風呂掃除があるだろ」

 

「そう言えば今日のホームルームで山田先生が言ってたっけ。明日、お風呂の掃除があるから今日の入浴時間が短くなるって」

 

「その影響で、男子の入浴時間が前倒しになったって。一夏がそろそろ時間終わるぞって連絡くれたんだ」

 

「ならば早く行け。別に反省会は又の機会でも出来る。風呂に入って、今日の疲れを癒してくるんだな」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

残っていた夕食を大急ぎで掻き込むと、慌てて席を立つ。備え付けのシャワーも部屋にあるため、そこまで急ぐことは無いのかもしれないが、そこは日本人としてゆっくり風呂に浸かりたいのが心情だった。

 

「シャルロット、ボーデヴィッヒさん。今日はありがとう」

 

「ううん、お安い御用だよ。また明日ね、統夜」

 

「訓練したかったらいつでも言え。存分に鍛えてやろう」

 

こうして、IS学園の夜は更けていく。学園祭も目前に迫った10月。彼らは年相応の平和を楽しんでいた。すぐ傍に、暗雲が迫ってるとも気づかずに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話 ~強くなるために~

少々短め


 

「お帰りなさい、統夜」

 

「ああ、ただいま」

 

まだ水気の残る、乾ききっていない髪の毛をバスタオルで拭いながら、自分のベッドに腰掛ける。急いで風呂に入ってきたのは良いが、出る頃には入浴時間ギリギリで髪の毛も満足に拭けなかった。

 

「今日も特訓?」

 

「ああ。今日はシャルロットと。あと少しのところまではいけたんだけど」

 

「今、シャルロットから訓練の詳細が送られてきた」

 

バスタオルを被ったまま、簪の横に顔を並べて、ディスプレイを眺める。そこには、今日の訓練の様子が事細かに記載されていた。慣れた手つきでデータをまとめる簪に対して、統夜は頭を下げる。

 

「いつも悪いな。簪だって弐式の調整作業があるのに」

 

「ううん。私が好きでやってることだから、気にしないで……統夜?」

 

簪が視線のみこちらに向けて、ディスプレイを指している。そこには、シャルロットの放ったグレネードランチャーの爆炎を統夜が切り裂いているシーンが映っていた。

 

「これって、もしかして?」

 

「ああ、昨日簪に見せてもらったのに出てた奴。これなら俺でも出来るかなと思って、ずっと思ってたんだ」

 

「それじゃあ、今日も」

 

簪がディスプレイの電源を落として、今まで映っていた映像を全て消す。席を立った簪は自分のベッドの隣に置いてあったバッグの中を漁ると、一枚のDVDを見せてきた。

 

「今日はこれ」

 

「……なあ、見なきゃダメか?」

 

「継続は力なり。せっかく今日みたいに成果が出たんだから、続けるべきだと思う」

 

「わ、分かったよ」

 

簪からパッケージを受け取って、ベッドに再度腰掛ける。受け取ったパッケージには『煩悩変形!キバイダー』と派手な色彩でタイトルが描かれていた。

 

(戦い方のヒントを探る、って言ってもなぁ)

 

発端は二週間ほど前のことだった。統夜統夜と簪、それに楯無を含めた三人で訓練の内容を反省していたところで、楯無が発した何気ない一言が始まりだった。

 

『それにしてもラインバレルってISって言うより、やっぱりロボットみたいよね。ほら、簪ちゃんが見てるアニメみたいなやつ』

 

楯無の言葉を聞いて少し考えこむ様な素振りを見せた簪だが、その場では特にそれ以上の反応を見せなかった。統夜も適当な反応を返して、その日は何事も無く終わった。しかし三日後、簪宛てに実家から大きなダンボールが届いたかと思うと、その中身をこちらに差し出してきたのだ。

 

『一緒に見よう?』

 

簪が差し出してきたのはロボットアニメのDVDだった。その後も、ダンボールの中から出るわ出るわ、中身は全てアニメのDVDだった。なんでも母親にお願いして簪が昔見ていたロボットアニメのDVDを全て送ってもらったとの事。その時点では簪の意図は見えてこなかったが、その後30分かけて延々と説明された。端的に言うと以下の通り。

 

『統夜のラインバレルはお姉ちゃんが言ってた通り、どちらかというとISよりロボットに近い』

 

『ラインバレルの戦闘スタイルにしても私達が使うISより、こういったロボットの方が参考になることが多いと思う』

 

『だから、一緒に見よう?』

 

見事な三段論法とキラキラした笑顔で迫られて断れるほどの鋼の意志を、統夜は持ち合わせてはいなかった。その日からほぼ毎晩、統夜は簪と一緒にロボットアニメを見ているのだった。

 

「えっと、今日は……」

 

アニメのみならず、先週の休みの日には簪と一緒にゲームセンターで『バーニングIS』という体験型ゲームもやっていた。バッグを漁る簪を端目に捉えながら、何の気なしにパッケージの裏面を見る。裏面には『驚異の108式変形!』『超究極戦隊軍団キバイダー』と表面と同じく派手な文字で描かれている。

 

「まあ、この間のゲームよりはこっちのほうが効果ありそうだな」

 

ちなみに、先日簪と一緒に鑑賞したロボットアニメのタイトルは『機動侍ゴウバイン』である。今日の訓練で繰り出した『炎を切り裂く』という芸当も、そのアニメの中で必殺技として出てきた『ゴウバインスラッシュ』を参考にしたものだ。劇中ではエグゼキューターの様なエネルギー兵器のビームを切り裂いていたが、爆炎を切り裂く程度ならば自分にも出来ると考え、実行に移したのが今日の訓練だった。

 

「お待たせ」

 

バッグから顔を上げた簪が、統夜の隣に座る。この体勢がロボットアニメを鑑賞するときのいつもの二人だったが、今日はなにやら様子が違った。

 

「あれ、何だそれ?」

 

何時もであれば、簪が取り出したDVDを部屋に設置されているプレイヤーに入れて、鑑賞会の始まりだった。しかし今日は、バッグから取り出したであろうポータブルDVDプレイヤーをその手に持っていた。右手を差し出す簪に、その意を察した統夜がパッケージを手渡す。受け取った簪は中から取り出したDVDを部屋に設置されたプレイヤーには入れず、手に持ったポータブルプレイヤーの方にいれた。

 

「あっちのプレイヤー、昨日から故障してるから」

 

「そっか。それじゃあ寮監さんに言って修理して貰わないと──」

 

「統夜、そこ、空けて」

 

不自然な片言で簪が示しているのは、統夜の足だった。言葉の意味が把握できないまま、簪の手の動きに合わせて、両足を広げる。十分な間隔が確保できたことを確認すると、簪は立ち上がってベッドにより深く腰掛けるよう促した。

 

「ちょ、ちょっと何やってるんだ!?」

 

「いい、から」

 

「いや、良くはないって!!」

 

「こっちのプレイヤーじゃ、並んで見れない。二人一緒に見るには、こうする必要がある」

 

「だ、だけど──」

 

重なる統夜の抗議の言葉も、今の簪には届かない。統夜の足の間、開けた空間に無理やり捻じ込むようにして、小さな身体を滑り込ませる。

 

「か、簪、ちょっと近──」

 

「いいから。早く見る」

 

既にアニメは始まっており、小さなプレイヤーの画面にはオープニングが流れている。しかし、簪に促されても、統夜は全くアニメに集中できなかった。

 

(な、何で簪はこんなに近くて平気なんだよ……!)

 

統夜も年頃の男子高校生である。しかも、鈴達に相談したように最近妙に距離が近くなっている相手からこんな事をされれば、意識するなという方が無理な話だ。統夜の腕にすっぽりと収まってしまいそうな程小さく、本気で抱きしめれば壊れてしまいそうな身体がすぐ傍にある。妙に良い匂いが鼻腔をくすぐり、思わず姿勢を正す。

 

「……」

 

慌てふためく統夜と正反対に、膝にプレイヤーを置いてアニメを鑑賞している簪。その視線は真っ直ぐプレイヤーの画面に向けられ、一瞬たりともぶれることはなかった。

 

(……ん?)

 

そこで、統夜は気づく。確かに、簪の身体は動いていない。自分と比べれば動揺は全く見られないし、

視線もアニメに集中している。しかし、本当に全く動かないのだ。

 

「お~い」

 

試しに、プレイヤーと簪の間に手を差し込んでも、全くもって反応しない。音を立てずに立ち上がり、簪の正面に回る。そこで初めて、アニメに視線を向けて俯き気味の簪の表情が見えた。しきりに口を動かして、何かぶつぶつと呟いている。

 

「……大丈夫、大丈夫、これくらいは大丈夫」

 

耳を近づけて、簪の呟きを聞く。統夜の顔が近づいても気づかないばかりか、よくよく見ると簪の手は硬く握られ、耳まで真っ赤に染まっている。挙句の果てには、統夜の位置から見えなかっただけで、

力いっぱい両目を瞑っていた。

 

「……ぷっ」

 

思わず噴き出す統夜。自分だけでなく、簪も自分と同じかそれ以上に緊張していることが分かると、妙に安心できた。そんな妙に愛おしい彼女の肩に、両手を回す。

 

「と、統夜!?」

 

「寒いだろ、ほら」

 

「……うん。ありがとう」

 

先程までの緊張はどこへやら。簪も統夜の手を取って背中を預ける。簪の背中と統夜の胸板が零距離となって、互いの体温が伝わっていく。

 

「統夜の身体、温かい」

 

「そりゃ、風呂入ってきたばっかりだからな」

 

「ううん。そうじゃないよ」

 

「変な奴」

 

顔は見えないが、今、この瞬間だけは互いがどんな顔をしているのか、容易に想像できていた。そして互いに同じ表情をしていることも、時折漏れる小さな笑い声で理解できた。

 

「ははっ」

 

「ふふっ」

 

学園祭を翌日に控えた、木枯らしが吹き始めている10月の出来事だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話 ~学園祭~

「つ、疲れた……」

 

「お疲れ様、とーやん。はいこれ」

 

ありがとう、と礼を返してミネラルウォーターが入ったペットボトルを本音から受け取る。季節は既に秋に入っていたが、今日は最近でも珍しい見事な快晴だった。普段よりも何倍もいる人間の熱気も手伝って、校内の温度は外よりも2~3度は高く感じる。

 

「ごめんね、おりむーが帰ってこなくてシフト以上の担当こなしてもらって」

 

「いいよ別に。後で一夏に俺の分のシフトこなしてもらえば」

 

「あはは、そうだね」

 

「悪い、遅れた!!」

 

噂をすれば何とやら、統夜と同じく燕尾服姿の一夏が厨房に飛び込んできた。半分近く残っていたミネラルウォーターを全て飲み干すと、首元のネクタイを片手で緩める。

 

「一夏」

 

「悪い、統夜!」

 

「いいけどさ、代わりに──」

 

「分かってる。後でシフト代わるから!」

 

燕尾服のシワを伸ばして、一夏が一息つく。臨戦態勢に入った一夏を見届けてから、統夜は空になったペットボトルを握り潰して手近のゴミ箱に放った。

 

「相川さん。一夏も帰って来たし、休憩行ってきていいかな」

 

「オッケーオッケー!行ってらっしゃい!!」

 

厨房のリーダー担当、相川清香が紅茶を淹れながら顔を向けずに返事を返す。ブローチ型のマイクを外して椅子から立ち上がると、開け放っている窓から丁度良く秋風が舞い込んできた。

 

「学園祭の始まり、か」

 

「とーやん、早く休んでこなくていいの?」

 

「おっと、そうだった」

 

どの出し物に行こうかと思案しつつ、庭を眺める。左右に色とりどりの出店が並び、生徒やその家族が笑い声を上げている。その光景に心が温かくなる統夜だったが、校門のすぐ傍に出来ている人混みを見て思わず目をこする。

 

「紫雲君は休憩いかないの?」

 

「……鷹月さん、ちょっと聞きたいんだけど」

 

近くに寄ってきたクラスメイトに声を掛ける。一点を見つめて固まっている統夜を不思議に思ったのか、箒のルームメイトである鷹月静寐が統夜の後ろから首を伸ばして校庭を見る。

 

「なに?」

 

「あそこ、校庭の傍の人だかり」

 

「ああ、あそこ? 妙に人が集まってるけど」

 

「人だかりの中央にいる女の人なんだけどさ」

 

「あれ? あの銀髪の女の人、何処かで見た様な?」

 

「やっぱそうだよな……」

 

静寐は遠くの景色がぼんやりとしか見えていないが、統夜はその姿をはっきりと捉えていた。学園生徒たちに囲まれて、一際背の高い銀髪の美しい女性が立ち往生しているのを。

 

「あっ、あの人ってモンド・グロッソの総合優勝者の記録にあった──」

 

静寐の言葉を聞き終える前に、統夜は駆け出していた。廊下を行き交う多くの生徒たちとぶつからないようにしながら、最速で校門へとひた走る。そして校門までの道のりを半分ほど行き、廊下の角を曲がったところで一人の女子生徒と鉢合わせする。

 

「統夜? ど、どうしたの?」

 

急いでいる統夜を訝しんだのか、生徒が声を掛けてくる。思わず無視して横を通り過ぎようとするが、生徒の姿を見て自然と足が止まった。

 

「簪……だよな?」

 

「う、うん。もしかして、この格好、変?」

 

一見、彼女の服は白装束かと思う程、白一色だった。しかし、裾に近づくほど青に染まっている。髪と同じく空に近い青色の帯で長襦袢を留め、足元は足袋と背の低い草履で覆っている。眼鏡と髪飾りを外し、更に服装が変わっているのでがらりと印象が変わっていた。

 

「あ、ああ。変じゃない、と思うけど」

 

「そ、そう?」

 

簪に釣られるように、統夜の口調も片言に近くなる。統夜の言葉に気を良くしたのか、簪ははにかみながら両手を広げてその場でくるりと一回転した。

 

「それで、どうしたの? 急いでたみたいだけど」

 

「えっと、なぜか校門にいて、それで人も沢山いて……ああ、後で説明する!」

 

身振り手振りで説明しようと試みるが、途中から面倒になったのか頭を2度3度と掻いて、くるりと踵を返す。

 

「悪い、後でちゃんと説明するから!」

 

「と、統夜待っ──」

 

簪の言葉を待たずに、再び駆け出す統夜。草履を履いた簪では統夜に追いつけるはずも無く、あっという間に声が遠ざかっていく。簪を置いていくことに若干の心苦しさを覚えながらも、残り半分の道程を走破する。外履きに履き替えることもせず、室内用の革靴のまま校庭に躍り出た統夜は人だかりの外周に辿り着くと、大声で叫んだ。

 

「ね、姉さん!!」

 

統夜の声はそのまま人混みを掻き分け、モーゼの如く人の海を割り、統夜と女性を結ぶ空間を作り出す。人の輪の中心にいた女性は、聞き慣れた声に顔を向けた。

 

「あら、統夜。そんなに慌ててどうしたの?」

 

「それはこっちの台詞だろ。何だよこの人たち!?」

 

「わ、私のせいじゃないわよ。アリーが入場の受付するのを待ってたら、こうなって……」

 

姉にしては珍しく、申し訳なさそうに頬を掻いて釈明していた。統夜とカルヴィナの関係を全く知らない群集は、気取り無く会話する二人を取り巻いてざわめいている。

 

「紫雲君って、カルヴィナ様の弟なの?」

 

「そんな訳ないでしょ。苗字違うし、そもそも似てないし」

 

「でも今、姉さんって紫雲君が……」

 

息を整えた統夜が顔を上げてカルヴィナに近づいていく。近づくにつれて、二人の一挙手一投足を見守る群衆は自然と静まり返っていた。そして、あと数歩といった距離まで二人が近づいたところで、カルヴィナが手を口元に当てる。

 

「……ふふっ、ふふふふ!!」

 

「姉さん?」

 

唐突に口と腹部を押さえて、カルヴィナが笑い出す。普段あまり笑わない姉が、ここまで大きく笑い声を上げるなど滅多にないと知っている統夜は、驚きと困惑の入り混じった顔をする。

 

「と、統夜!そ、その格好、どうしたのよ!?」

 

片手で腹部を押さえながら、空いた手で統夜の服装を指差す。笑い過ぎているせいで、統夜を指している指もぷるぷると震えていた。衆人環視の中で、自分の服装を指摘された統夜が恥ずかしさで顔を赤く染める。

 

「う、煩いな! 俺のクラスの出し物で、この格好しなきゃいけないんだよ!!」

 

統夜自身、《この格好|燕尾服》をするのには大分抵抗があった。しかし、クラスの出し物として決まったこと、一夏一人にこの格好をさせるのは不公平であること、その他理由を併せてクラスメイト達に懇願されれば、幾ら統夜でも断りきるのは不可能だった。だが、着ることを納得することで、着ることによる恥ずかしさが消える訳ではない。そのため、学園祭に来るカルヴィナに対して、ひたすら自分のクラスの出し物は伏せていたのだった。

 

「そんな服着なきゃいけない出し物って何なのよ?」

 

「……仕喫茶」

 

「ちょっと、聞こえないんだけど?」

 

「御奉仕喫茶、だよ!」

 

やけくそ気味に、大声で言い放つ統夜。カルヴィナは最初こそぽかんとした顔をしていただが、次第に先程より大きい声で笑い出す。

 

「ご、御奉仕喫茶って! ちょ、ちょっと笑わせないでよ!」

 

「……っ!」

 

数秒間、姉の笑い声を棒立ちのまま受ける統夜。周囲の人々は場の光景についていけず、ただただ見守るだけだった。

 

「ふふふっ……ふぅ、1年分は笑った気がするわ」

 

「ああ、そうかよ」

 

「そうそう。統夜、貴方──」

 

「随分と騒がしいな」

 

直後、観衆の外側からぴしゃりと声が響く。統夜とカルヴィナが揃って顔を向けると、取り囲ん

でいる見物人を掻き分けて黒髪の美女が進み出てくる。

 

「お、織斑先生」

 

「……」

 

歩み寄る千冬に対してカルヴィナは口を真一文字に引き結んだまま、千冬の言葉を待っていた。

 

「おやおや、一線を退いて今やのんびりと暮らしている元世界最強じゃないか。戦いから距離を置いて過ごす気持ちを是非お聞きしたいな」

 

「あらあら。そういう貴方は決勝戦を前にして逃げ出した臆病者でしょう。貴方の所に私の大切な弟を預けているのが不安で仕方ないわ」

 

(な、なんだ……?)

 

喧嘩腰で言葉をぶつけ合う二人の間で、統夜は訳も分からず両者の顔を見比べる。互いに険悪な顔で相手をねめつけるその姿は、どう見ても仲の良い大人の物ではなかった。

 

(だ、だって姉さんは織斑先生のことを知り合いだって言ってて、織斑先生も姉さんのことを知ってて)

 

カルヴィナから千冬の事は何度も聞かされた。千冬もカルヴィナを慮って、学園祭のチケットを融通してくれた。そんな二人だからこそ、統夜は良い仲であると思っていた。しかし、それは全て勘違いで、実は間違っていたのかもしれない。目の前で繰り広げられている光景が全てを物語っている。

 

「言ってくれるじゃないか。今ここで、あの時の試合をやり直しても私は一向に構わないんだがな」

 

「決着がついている過去をほじくり帰す気はさらさら無いわ。あの試合は私の勝ちで、貴方の負け。その事実は揺ぎ無いのよ」

 

腰に手を当てて勝ち誇るカルヴィナに、更に千冬が歩み寄る。互いの顔が触れ合おうという距離でようやく立ち止まった千冬は、正面から相手の両目を睨みつけた。

 

「「……」」

 

口を結んで黙る二人と反対に、周囲の観客がざわざわと騒ぎ始める。今ここで一戦交えようかという両者の気迫が周りを覆い、当初の浮ついた空気はなりを潜めていた。

 

「あ、あの、二人とも……」

 

「「……フ、フフフフフッ!」」

 

一触触発の状態をなんとかしようと果敢に声を掛けた統夜だったが、同じタイミングで二人が顔を伏せて笑い出す。全く持って理由が分からない観衆と統夜は、ただただ見守ることしかできなかった。

 

「──全く、数年振りだというのに相変わらずだな。貴様は」

 

「それはこっちの台詞よ。統夜から聞いていたけど、貴方は教師になっても全然変わってないのね。そんなんじゃ生徒に好かれないわよ?」

 

「余計なお世話だ」

 

顔を上げた二人は互いに笑いあうと、両手を大きく広げて相手を抱きしめた。抱きしめあう二人を見て、周囲はようやく理解した。今までのは盛大な茶番だと。親友にしか分からない、世界で唯一つの挨拶の仕方なのだと。

 

「自分の身分を考えろ。正門から入ってくれば、騒ぎになるのは目に見えているだろう」

 

「貴方に連絡取って迎えに来てもらうのも悪いでしょう。今の私、一応一般人よ」

 

「馬鹿を言え。友人を迎えるに悪いも何もあるか……ん、何だ貴様ら。見世物ではないぞ、散れ散れ」

 

先程の空気はどこへやら、仲の良い有人同士の会話へと興じる二人。そこでようやく周囲の様子に気づいたのか、ぱんぱんと手を叩いた千冬が観客を散らせる。名残惜しくちらちらと視線を向けながら去る生徒もいたが、流石に真正面から言う勇気も無く大人しく散っていった。

 

「すまないカリン、遅くなった」

 

「お帰りなさい、アリー。紹介するわ、千冬。こちらアル=ヴァン・ランクスよ」

 

「アル=ヴァンランクスだ。呼ぶ時はアル=ヴァンで構わない」

 

「織斑千冬だ。宜しく頼む」

 

アル=ヴァンが伸ばした手を、千冬が握る。握った手から何かを感じ取ったのか、小さく微笑んだ千冬はアル=ヴァンの瞳を覗き込んだ。

 

「成る程。流石、カルヴィナの相方を務める男だけのことはある」

 

「御冗談を。私など、カルヴィナや貴方の足元にも及ばない」

 

「ISならともかく、生身でなら分からないだろう。いつか手合わせ願いたいものだ。さて、立ち話も何だろう、二人ともついて来い」

 

「それじゃ統夜、また後でね」

 

千冬とカルヴィナ、アル=ヴァンの三人が去った後、残された統夜は呆然と立ち尽くしていた。抜け殻の状態となっている統夜に近づく小さい影が、その背中に声を掛ける。

 

「え、ええっと統夜、何かあったの?」

 

「……簪、俺決めたよ」

 

「う、うん」

 

「次、姉さんと織斑先生に会ったら、絶対文句言う」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。