輪廻の被害者 (アグナ)
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既知感

ヒロインありきでの物語を書くための練習作。
なお、暫くヒロインの影も形もない模様。


 ―――――何かねえかな面白いこと。

 

 それは思春期特有の傲慢だったのかもしれない。天才、神童、百年に一度の……ニュースで見るような人を賞賛するフレーズ。聞き飽きたリフレイン。俺はそれに嫌気を覚えていた。

 

 親類縁者そろいも揃って医者に政治家に弁護士と良家に生を受けた俺は血の定めに従うように才人として生まれた。歳に見合わぬ見識、落ち着いた物腰、丁寧な所作。大人たちは喜んだ、お前は将来大成する人間だと。

 

 ―――――何かねえかなやばいこと。

 

 賞賛されることには飽きた。同じことしか言わない大人には飽きた。自分に何をされてもヘコヘコする友人モドキたちにも飽きていた。同じことが連続する毎日は生きている人生と言うより決められたことを決められたままに繰り返す機会のようだ。こんなもの、人生とは言わない。

 

 繰り返し繰り返しループループ。同じ展開、同じオチ、同じ態度、同じ日々。呆れを通り越して笑ってしまう。決められたルートを決められた手順で決められた方法で進んでいるだけ。こんなもの、百度繰り返したRPGの方がまだマシだろう。

 

 ―――――何かねえかな楽しいこと。

 

 夜の街を子供の身の上で放浪するのはそんな日々が打破されることを祈っての行動。待っているだけじゃあ何も変わらないっていうのは子供ながらに理解していたから。面白さでもヤバさでも楽しさでも、或いは悲しさだって何でも良い。このままでは不感症に、機会に堕ちると恐怖して俺は今日も夜を彷徨う。

 

 夜風に肌を晒す水商売の女、酒に飲まれ千鳥足で道を行く酔っ払い、いかにもガラが悪そうな男たち……夜の街は不気味と快楽に満ちている。日常の反転、日の落ちた夜にはこうも闇が満ちている。

 

 変わらぬ毎日を打破するのにこれほど適したものはあるまい。一歩夜に出れば子供なぞ忽ち闇に飲まれるだろう。攫われるか、玩具にされるか、或いは殺されるか。どれでも良い、いっそ死んでしまうような危機だろうとそれはそれで構わない。この毎日が崩れるならばと……。

 

 ―――ああ、そんなことを考えていたからだろう……その日、俺は真の悪夢というものを知った。

 

 

 

 

「早く金を出せやァァァアァァア!!」

 

 状況は分かりやすいまでに最悪だった。某所にある郵便局、いつもの日常を破壊するように狂乱に塗れた叫び声が響き渡る。手には黒く光る拳銃。目は血走り動きは余りに不自然。恐らくは薬でもやっているのだろう。もはや彼に正気の光はなかった。

 

 郵便局の受付向けて拳銃を振り回し、撃つぞ撃つぞと脅している。……銀行強盗。日常には存在しない異常事態に訪れた利用者は勿論のこと、受付さえもが立ちすくんで動けなくなっている。

 

「何チンタラしてんだよォ! 撃つぞォ、ほら早くしないと撃っちまうぞォォォォ!!」

 

 拳銃を振り回す男。連動して利用者として訪れた人々が悲鳴を上げる。それに触発されて男はさらに暴れる。正に悪循環、このまま行けば遠くない内に男によって殺傷される人が出ても可笑しくないかもしれない。

 

 窓口の男性職員は即急に行動を起こした。札束を強盗に差し出し、強盗の支持に従いながら金を袋に詰めていく……その刹那のことだった。

 

 きーん、と間延びする騒音。同時に一つの破裂音と鼻を差す香り……硝煙の、匂い。

 

「ボタンを押すなって言ったろうがあああああああ!!」

 

 男性職員の仕事か、恐らくは窓口から金を取り出しながら警報装置を押したのだろう。それは確かに勇気ある行動であったものの、状況が最悪だった。ただでさえ正気の失われた強盗、しかも彼は銃を携えているのだ。ならば当然、強盗が起こす行動は決まっていた。

 

 血に濡れる男性職員の胸元。致命傷である。まるで現実感のないスロー再生染みた動きで男性職員は地面に倒れた……遠くに悲鳴が聞こえる。

 

「あ、………ぁぁ」

 

 か細い悲鳴が朝田詩乃の口から漏れる。十一歳の少女にとっては余りに過激な光景はいっそ現実感を疑う光景であり、しかし鼻につく硝煙の香りがコレが現実だと叩き付けて来る。呆然と状況を見送ることしか彼女には出来ない。恐怖に身は竦み、口からは喘ぐような声が漏れる。

 

 喉が渇き、頭がガンガンする。過度なストレスに吐き気を覚える―――眩暈に倒れそうになった彼女を救ったのは容赦のない現実だった。もはやどっちが悪夢だか分からない、現実。

 

「早くしねえともう一人撃つぞォ! 撃つぞォォォ!!」

 

 銃口が向いた先、そこにいたのは一人の窓口手前で倒れる利用客だろう一人の女性―――他でもない詩乃の母親、その人である。父親の死をきっかけに母は儚い少女のようになった。心から愛した男性を目の前で失ったショックは彼女の母親の心を壊すには十分すぎる出来事だったのだろう。だからこそ、物心付いた頃から詩乃は彼女を守るガーディアンだった。儚く脆く、されど娘の自分にしっかりと愛を雪いでくれる母……。

 

 ―――私が、守らないと。

 

 その義務感は幼少期より根づいたもの。ゆえに彼女は拳銃を振るう強盗に覚える恐怖を義務感で押しつぶし、母を襲う悪意を払い除けんと心を鼓舞し、立ち上がって……。

 

「―――うるせえよ」

 

 酷く、空虚な声を聞いた。誰もが怯え、悲鳴と狂乱の声のみが響き渡る郵便局内。だからこそ響いた明確な意思のある声は目立っていた。振り向いた先、一人の男が……少年が立ち尽くしていた。

 

 歳は詩乃と同じくらいか。まだ声変わりする前の中性的な少年の声、背丈は詩乃より僅かに高く、顔立ちからして幼さが見え隠れする。だが、そんな見た目に反し、瞳には歳に見合わないいっそ異常なまでの理知的な色を宿している。

 

「騒ぐなよ……喧しい……たかが暴徒一人に……」

 

 ぶつぶつとうわ言のように呟く少年。気だるげな歩みで強盗の男に向けて恐れを抱くことも竦むことも無く近づく。利用客の一人が悲鳴を上げる。ただでさえ狂乱する強盗なのだ、子供とはいえ不用意に近づけば……。

 

「あぁぁ!?」

 

 男の不興を買うのは当然だった。銃口が母親から少年にシフトする。人一人を殺す武器を前にしかし少年の目に恐怖の色は宿らないあるのは……底の無い諦観。

 

「ダメだ。消えない。これでも俺の既知感はなくならない。ハハッ、いっそ愉快になってきやがったな。転生だかなんだかしらねえが、死んで蘇えるなら自分の身体を使えよ。人の身体に無断で入ってきやがって」

 

 小さな声で何事かを呟く。それは怒りであり、諦観であり、呆れであり、哀しみであった。それは自分の内面と話す独白のよう。母を守る都合、人の悪意や向けられる感情に人一倍感受性のある詩乃をしてその感情を形にする言葉は持ち合わせていなかった。

 

「おい、止まれ、止まれよ! 止まれって言っているのが聞こえねえのかガキィィ!!」

 

「うるせえよ」

 

 二度目の罵倒。今度のそれは空虚な響きではなく指向性による言霊だった。恐らくは先ほどまでのうわ言はこの場に居合わせる人間ではない誰かに向けていたものなのだろう。それが今度は明確に外に現す声として向けられた。だからこその差違。そしてそれは導火線に火をつけるどころか爆弾に火を翳すような暴挙であった。

 

 目前には狂乱する強盗。手には拳銃。矛先は少年。この危機的状況において最も犯してはならない選択。ならば当然、次の展開は予想するまでも無い。

 

「クソガキがアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 叫ぶ、破裂音、硝煙の香り。二度目の発砲。少年に向けて殺意の意図が込められた銃弾が放たれる。周囲で悲鳴が上がる。彼ら彼女ら、そして詩乃も、第二の被害者の出現を予期して声を上げ……。

 

既知感(みえ)てるんだよ。クソが」

 

 銃弾は、見当違いの方向へと飛んでいった。え? と呆けるような声が郵便局内に響き渡る。最悪の到来を予見した誰かの声だろう。少年に当たるはずの銃弾、それが外れたのだ。或いは幸運だと息を吐くのが正しいのだろうが、彼らが抱いたのは安堵のため息ではない。ありえない現象に対する現実に向けた疑問の声だ。

 

「かわ、した?」

 

 ゆらりと、少年が僅かに首を曲げた瞬間、彼の頬を掠めるように通り過ぎて行った銃弾。それは少年の挙動が幸運にも殺意から逃れたとも、少年が意図的に引き起こしたともいえる奇跡だった。

 

 しかし、訳も無くこの時、詩乃は確信していた。今のは、この何処か異常な少年が意図的に起こした出来事だと。物語の出来事みたいでとても信じられないことだが、彼は音速で飛ぶ銃弾を、見て、回避したのだ。

 

「ああ?」

 

 有り得ない事態に強盗もまた呆けたように声を上げる。そんな強盗を少年は特に何の感情も浮かばない表情のままに一瞥し、次の瞬間、嘲るように蔑むように。爆弾を放り込んだ。

 

「ハッ―――へたくそ。何処狙ってんだよ」

 

「あ? この……、ガキャアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 パン、パン、パンと続く銃声。利用客は勿論のこと郵便局員もまた悲鳴を殺して頭を下げ蹲る中、詩乃だけが彼を見ていた。目を離してはいけないと言うように。ことの結末を見逃してはいけないというように。ゆえに彼女だけがそれを見た。強盗が押し入ってくるという非常事態以上の異常。いっそ、奇跡とすら称せる一瞬の攻防を。

 

 尻餅をつくように下がる少年の姿勢。次の瞬間、少年は前傾姿勢のまま突撃した。少年期特有の小柄な肉体を丸め、手が地面に付くほど姿勢を下げていたのが幸いしたのか一発の銃弾が彼の頭上を髪の毛の数本を弾き飛ばしながら通り過ぎていく。二度目の不発。男は動揺と狂乱のままに引き金を引き続ける。

 

 三発目。少年の左肩目掛けて飛んでいった銃弾はしかし、命中することなく空を切る。着弾を予見したかのように彼が前傾姿勢のまま半身で躱すという曲芸染みた挙動を見せたためだ。

 

 四発目。右足の甲へと向って飛ぶ銃弾。だが、示し合わせたかのように発砲音がする寸前に、少年が右足を上げたため、銃弾は足元に落ちて終わる。疾走のタイミングがかみ合ったともいえる回避。

 

 五発目。もはや目前に控えた少年に向けて放たれた銃弾。体格差も相まって丁度少年の頭蓋辺りに直撃するコースで放たれたそれは……。

 

「それも既知感(みえ)てる」

 

 シュッと少年の右頬を擦って後方に消えていく銃弾。必殺の距離で放たれた五発目の銃弾すら、少年は凌ぎきった。

 

「おらぁあ!」

 

 荒っぽい気合と同時、少年の反撃が男の胸を突いた。未熟な十代前半の肉体とはいえ、傷付くことも恐れずに放たれた右フックは強盗の鳩尾に深々と刺さり、強盗を地面に蹲らせた。立て続けに左足を勢い良く、サッカーゴール目掛けてボールを打つサッカー選手のように強盗の頭……側頭部に向けて叩き付ける。

 

 衝撃で脳を震わされたのか、蹲り苦悶する強盗は苦悶のままに意識を沈められた。残ったのはただ一人、全力で放った右フックのせいで拳が潰れた少年だけだった。鳴り止んだ銃声にようやく利用者たちが顔を上げてくる頃、少年はふと、呟く。誰に聞かせるわけでもなく、独白のように。

 

「たくっ、デジャブが止らねぇ。これでもダメかよ。たわけ」

 

 先ほどの勇敢にして異常な行動を取った少年には似つかわしくない。泣く様な罵倒だった。

 

 ―――思い返すに。それがきっかけなのだろう。

 

 ヒーローのように現れて敵をなぎ倒した少年。まるで蹲り泣いているような少年。強さと儚さを共有する名も知らない少年に憧れ、守りたいと思った出来事。ああ、そうだ。朝田詩乃はあの日、恋に落ちてしまったのだろう。

 

 強く弱い、彼に。―――母と良く似たその少年に。



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