一人で鏖殺できるかな (トラロック)
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§001 ナーベラル・ガンマがんばる!

 

 見渡す限りの平原に放り出された一人の女性。

 歳の頃は十代後半か二〇歳ほど。

 背中に掛かるほどの艶やかな黒髪を一つに束ね、瞳は漆黒。容貌は白磁のごとき白さ。全身からはオリエンタルな雰囲気を匂わせる。しかし、武装しているので身体がどの程度整っているのかはうかがい知れない。足元も僅かしか見えない有様だ。

 スカート部分が膨らんだ奇妙な武装を身にまとうのは『ナーベラル・ガンマ』という。

 『戦闘メイド』である彼女は建物や生物の気配のする場所を求めて歩き出す。

 自分はどうしてここに居るのか分からなかったが目的は――どうしてか――覚えている。

 この地にて一人で活動する(すべ)を得ること――である。しかし、問題があり思考を鈍らせる原因でもあった。

 

(……いくつか記憶を抹消されている……? これは由々しき問題だわ)

 

 当てもない旅が始まろうとしている。それは何となく理解した。

 ――これから自分は何処へ行き、そして、最終的には――目的地を決めなければならない。

 帰還すべき地の記憶は無い。ならば前に進むしかない。

 

(必要な能力の記憶はあるようね。それと必要なアイテム……。自分より強い者が現れた場合はどうすればいいのかしら)

 

 己のステータスは把握できている。自分以上に強いモンスターなどが現れたらどう対処すべきなのか。

 その辺りの技術は残念ながら記憶に無い。

 無いので自分で見つけるしかない。

 

(手近な集落を見つけるところから始めましょう)

 

 自分は戦闘メイド『六連星(プレアデス)』のナーベラル・ガンマ。今はそれだけ分かればいい。

 

        

 

 まず集落と言ってもそれらしい場所は見当たらない。

 ならばとナーベラルは『飛行(フライ)』の魔法を使う。

 一定時間宙に浮き、ある程度進む事が出来る魔法だ。

 手順を踏んだ後で効果が発揮した。それが確認出来ただけでまずは一安心だ。

 

(……第一段階はクリア。……次は……)

 

 より遠くを見渡して辺りを把握していく。すると遠くに集落らしき囲いが見えた。

 粗末な作りで近代的とは言えない。けれども今は無いよりマシだ。

 魔法の効果時間いっぱいまで使い、現場に向かう。

 

(あら煙?)

 

 目的地からはいくつか黒い煙が発生していた。

 何かの燻製でも作っているのか。

 それと賑やかな音が聞こえる。音というか生物の声だ。

 地面に着地した後、集落に入ると多くの下等生物たちが走り回っていた。――実に不快な光景だ。そして、とても耳障りの悪い騒音を撒き散らしていた。

 彼らの悲鳴ならば問題は無いのだが――数が多いとやはり煩わしく感じる。

 

「一人残らず殺せ!」

 

 自分の耳でも相手の声が理解出来た。つまりそれなりの知性を持つモンスターという認識をナーベラルは持った。

 叫び声と命令するだけなので特に興味を抱かせる単語は無い。ならば聞くだけ不快だ。

 喧騒の中を全く気にせず進むナーベラル。

 周りで何が起きているのか理解出来ていない、というよりは理解する価値が無いとでもいった様子だ。

 下等生物同士で争っている程度の認識しか持っていないが、実にうるさい。

 

「た、助けて……」

「触るな下等生物(ハマダラカ)

 

 救いの声はナーベラルには届かない。

 何処の世界に下等生物を助ける理由があるというのだ。

 あわれ、小さな女の子を抱えた短く切りそろえられた金髪の少女は軽くいなされ、地面に転がされる。

 相手に触れられた事に苛立つナーベラルは短剣をどこからともなく取り出し、それを無造作に少女達に向けて投げつける。

 

「ぎゃっ!」

「うぐっ」

 

 勢いが強かったのか、抱きかかえた女の子ごと短剣は貫通し、あえなく絶命する少女たち。

 使った短剣はいつの間にか消えていた。

 

        

 

 軽く埃を払うような仕草で何ごとも無かったかのように振舞うナーベラルは現場を後にした。

 その後、全身鎧(フルプレート)に身を包む一団が剣を突きつけてきたので『雷撃(ライトニング)』をお見舞いする。

 金属製の武具を装備しているせいでダメージが倍化され、中身は簡単に黒焦げになる。よって動かなくなったものは絶命していると思われる。というか確認したいとは思わなかった。

 

「……次から次へと下等生物(シロアリ)のごとく湧いて出る」

 

 ここは何なのか、と(いきどお)る。

 助けを求める者と襲い掛かってくる者達を撃退していると開けた場所にたどり着く。

 この集落の住民と思われる者達が一箇所に集められ、武装した――人間のような――生き物達に監視されていたようだ。

 

「……人間という下等生物にソックリね、そういえば。という事は……」

 

 下等生物が住まう世界ということか、とナーベラルは気づく。

 自分が何の為にこの地に居るのか、それはまだ分からないが、薄汚い下等生物はただただ邪魔だ。

 それ故にナーベラルはさっさと結論を導き出す。

 

遅延爆発火球(ディレイ・ブラスト・ファイアボール)

 

 直径五〇センチメートルほどの大きな火の玉を作り出し、それを無造作に下等生物の居る場所に投げつける。

 

「うわ~!」

「魔法!?」

 

 蜘蛛の子を散らすように武装した者達は逃げ惑う。しかし、一箇所に集められた者達は咄嗟には行動できなかった。

 

        

 

 投げられた火の球は途中で地面に落ちて転がりつつ人々のところに向かっていった。

 この魔法は一度設定すると規定時間が来るまで爆発しない性質がある。そして、それを知らない者は不発だと侮る。もちろん、対火装備の手袋か何かで持ち上げて投げ返すことは出来る。

 大きな火の玉を投げ返せるのは魔法に熟知している者くらいだ。それと、勇気ある者。

 

「あら、随分と散ってしまったわね。まあいいわ」

 

 ナーベラルは魔法のことなどもう忘れたかのように別方向に歩き出す。

 そして、この地域について聞き出さなければならない事に気付いた時は手遅れとなった。

 振り向いた瞬間に先ほどの魔法が大爆発を起こし、集められた下等生物の大半が吹き飛んでしまった。

 威力が高かったせいか、殆ど火達磨と化して口が聞けそうな生き物の姿は無い。口を聞きたいとも思わないが背に腹は代えられない。

 別の下等生物を捕まえるしかない。

 

        

 

 その後、しばらく歩いてみたものの先ほどの魔法が影響したのか、下等生物が見当たらなくなった。

 居ないならそれはそれで構わない。

 時間的制約があるわけではない。

 ただ、ずっとこのままというわけにもいかないのは何となく理解している。

 

 自分は何の為にここに居るのか。

 

 それが分からないと何だか不安だ。

 何らかの命令を受けていた筈だし、この力は勝手に備わったわけではない。

 戦闘メイドとしての目的を見つけなければ自分という存在意義が危ぶまれる。

 

        

 

 物思いに耽っていると数頭の馬を引き連れた下等生物の新手が現れた。

 だから、ナーベラルはつい条件反射的に魔法を準備した。

 

魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)

 

 ナーベラルの両手から白い稲光状の電撃があたかも魔法名にある通り、(ドラゴン)のごとく蠢き、標的に向かって飛び出した。

 二匹の白き(ドラゴン)はまずそれぞれの下等生物と馬を焼き、更に手近な次の標的を襲い始める。

 

「ぐあぁ!」

「退避っ!」

「さ、下がれ~!」

 

 使った本人は軽く額に手をあて、己の失態を嘆く。

 本来ならば言葉を交わす価値など無いに等しい下等生物から色々と情報を得なければならない。それを自ら放棄する事は更なる手間隙がかかる。

 

「ついうっかり……。これでは自分で解明するしかなくなるじゃない」

 

 自分は探索系がとても苦手だ。それと情報収集も。

 戦闘は得意だが、それ以外は苦手なものが多い。

 

        

 

 生き残りが剣を携えてナーベラルの近くまで殺到する。

 警戒されたことに対し、当たり前だと自覚しているナーベラルは気を取り直す事にした。今更やってしまった事は覆せない。

 

「……初めまして」

 

 金属製のスカートをつまむ仕草をする。しかし、残念ながら布製ではないので仕草だけしかできない。

 丁寧にお辞儀しつつ礼儀作法に則った挨拶を――下等生物に対してとはいえ――交わす。

 

「こ、この村を襲ったのはお前かっ!」

「さて、何のことでしょうか。私が来た時には下等生物(トラペゾイデウスドクロゴキブリ)しかおりませんでしたよ」

 

 嘘は言っていない。

 人間という下等生物しか居らず、村という枠組みかもしれないがそれがどうなろうとナーベラルには興味が無い。

 そもそも無価値の存在に何かしらの目的を持って襲う行為になる筈がない。

 道端に居る虫を踏み潰すのに理由が要るのか。

 

「我々はリ・エスティーゼ王国より参った戦士団だ。治安維持の為に各農村を回っていたのだが、どうして我々を襲った?」

「……迫り来る下等生物(ザウテルシバンムシ)とつい混同してしまって……。私には村だのそこかしこに居る下等生物(ドングリキクイムシ)との区別がつきませんでしたので……」

 

 細かな虫一匹一匹の姿、様子、名前など覚えているわけがない。――漠然とした種類程度は分かる。

 等しく下等な存在に対し、事細かな配慮をしなければならないと思うと実に不快である。そうナーベラルは思っている。

 

        

 

 馬上から責め立ててくる下等生物との対話もそろそろ(わずら)わしくなってきた。

 いい加減にこちらからも質問を出さなければ蹴散らす準備がある。

 

「それよりもこちらからの質問に答えていただきたい」

 

 質問したい気持ちがあるのは事実だが、まず何を聞けばいいのか準備してこなかった事を思い出し、軽く舌打ちする。

 

「ここは……どこですか? 誰か答えられる者は居りますでしょうか?」

 

 相手方がリ・エスティーゼ王国と言った事は覚えている。けれども、ここがその王国とやらである確証は無い。

 仮に合っていたとしても王国の何処かまで分かったわけではない。物凄く辺鄙な場所であるとも言えるし、他の国に(またが)って彼らがやってきたともいえる。

 出来れば分かり易い地図が欲しいところだ。

 

「隊長っ! 村人が……、虐殺されています!」

「なんと!」

 

 質問を無視されたナーベラルはまたも舌打ちする。

 自分はそれ程短気ではないと思うのだが相手が下等生物だと思うと怒りが湧きやすいらしい。

 

「急ぎの用件ゆえ手短に……。ここはリ・エスティーゼ王国領だ。では、失礼する」

 

 隊長と思われるものが立ち去り、一部の団員がナーベラルを警戒する。

 目を離すとまた魔法を放つかもしれないので。

 戦士の自分達が魔法を扱う者をどうにかできるとは思えない。先ほどの強烈な魔法で仲間が一気に五人近くも殺された。

 本来ならばすぐに捕縛すべきなのだが、それが出来る実力者が残念ながら居ない。

 

        

 

 馬で取り囲んだところでナーベラルには一切通用しない。けれども事態などを把握する上でしばらく様子見に専念する事にした。

 彼らが何者なのか知る必要がある。

 先ほどの武装した者達と武具の様子が違っていたので。だが、それも数分までの事だ。

 事態を把握すれば周りの下等生物共に付き合う必要は無くなる。

 

「……ん」

 

 ただ、魔法ばかり使うのは癪で、MP(マジックポイント)の回復をしなければならない。もちろんMPの残量はまだまだ余裕があるけれど。

 

集団人間種束縛(マス・ホールド・パーソン)

 

 周りに居た人間達の動きが止まる。しかし、馬には通用しなかった。

 行動不能に陥った人間を振り落とす事になった。馬にしてみれば主人が急に動作を止めるとは思わなかったようでその場をウロウロし始める。

 この魔法の欠点は相手と会話が出来なくなる。

 口を聞きたいとは思わないので装備品の中を探ってみる。正直、相手に触りたいわけではなく、必要な事だから諦めている。

 

        

 

 結局のところ拘束した者達は目ぼしいものを持っていなかった。

 地図でもあれば、と期待したのだがMPの無駄遣いで終わって本当に苛々する。

 相手をするのも面倒になったので立ち去る事にした。

 もはや現場に有益な情報は無いとみて間違いない。

 去り際に『火球(ファイアボール)』を撃ち込んで下等生物を始末しておく。それと念のために辺りに『雷霧(ライトニング・フォッグ)』を放っておく。

 雷属性を備えた霧が辺りに立ち込める。これで死体の確認に手間取り時間稼ぎが出来る。その間に近くにある森へ向かう。

 いちいち下等生物の相手は精神的に疲れを覚えるので。

 

        

 

 歩きつつもナーベラルは次の策を講じなければならない事に苦慮していた。

 この地域のことや自分がこれからどこへ向かい、何をすべきなのか。

 漠然とした命令を遵守するのは不安で仕方がない。もう少し明確な情報が欲しい。

 

「……次から次へと難題が振ってくること……」

 

 明確な目的が無い旅というのはとても煩わしい。けれども自分には解決すべき解答を見つける能力があるとは思えない。

 果てに何も無かった場合はどうするのか。それもまた考えなければならない。

 

「そこのお方」

 

 ふいに声をかけられた。突発的に手を相手に向けたが魔法はなんとか押し留めた。

 またうっかり失態を犯すわけには行かない。自分の無能さをひけらかすようなものだと思ったので。

 一つため息をついて手を下げるナーベラル。

 

「ありがとうございます」

 

 ナーベラルの行動に感心したのか、それとも何をするか理解した上での発言か。

 どちらにしても相手は先ほどの下等生物と一緒だ。また言葉を交わさなければならないと思うと――下品な表現ではあるが――反吐が出る。

 

「何用ですか? 私は今、とても機嫌が悪いのですが……」

「お手間は取らせません」

 

 そこでナーベラルはようやくにして相手に顔を向ける。

 地に膝を付く姿勢で数人が控えていた。

 自らが下等な存在であると主張しているように。

 だが、そうであっても彼らに対して何ら特別な気持ちは湧かない。それどころか視界に入れることすら煩わしい。

 

        

 

 先頭に居る全身鎧(フルプレート)姿の騎士風の人間以外は頭まで隠した武装の一団が控えているのみ。

 その先頭に居る者が代表者のようだ。

 自ら率先して跪く相手だ。それなりの情報と引き換えにするのであれば会話くらいは安いもの。

 

「その魔法の御技を是非とも我が『スレイン法国』の為にご教授願えませんでしょうか」

「……すれいん……。とんと知らない名前ですね。……その国が私を必要とするのですか?」

「我が国は信仰系を中心とする国家でありますれば……。高位の位階魔法であれば実のところ系統は問いません」

 

 位階魔法と言ったか、この下等生物。

 自分が使う魔法のある程度の情報を持っているとみて間違いない。

 正直に言えば位階魔法であることすらおぼろげなもので、何故自分はこの能力を使えるのか分からない。

 それらも含めて彼らに色々と教えてもらうことも有意義ではないか。それが下等生物であっても。

 恥は一時(いっとき)

 必要な情報の為ならば多少の些事は耐え忍ぶ。

 

        

 

 信仰系の魔法を扱う国。

 自分は系統で言えば魔力系を得意としている、事になっている。けれども実のところ全ての系統を扱える。

 それはナーベラル・ガンマの()()が持つ特殊技術(スキル)の恩恵があるからだ。

 

 その特殊技術(スキル)の名は『物真似(ミミックリィ)』という。

 

 もちろん術者レベルに依存するので高位の位階魔法を扱うのが極端に難しくなる。それどころか究極の魔法と呼ばれる『超位魔法』を使う権利を自分は有していない。それは感覚的に理解している。

 おそらくどう足掻いても使用する事は出来ない。

 そんな自分を欲する彼らの目的を調べる事は益になるのか。ならなければ駆逐するだけだ。だがしかし、物事の流れに乗ることも悪くないかもしれない。

 ナーベラルが了承の意を見せると彼らはとても喜んだ。けれども利用する気でいるはずなので自分の()()()()()を伝えてみる。真偽はともかく、それでもまだ今の気持ちが変わらなければ良しと判断しよう。

 

「……人を食らう化け物でなければ何の問題もございません」

 

 それはつまり彼らの敵は人を食らう化け物一択か。

 飲食不要のアイテムは持っている。持っていなくても下等生物(人間)を食べたいなどと思いはしないが、何やら色々と込み入った事情がありそうだ。

 それでもナーベラルにとっては些事に変わりがない。

 

        

 

 彼らの招きに応じる事にしたナーベラル。

 とにもかくにも必要なのは情報だ。それさえ手に入れば下等生物の手などいつでも払いのけられる。

 そう思ったのも束の間、ある疑問が生じた。

 

 自分の生き方はそもそも()()決めたのか。

 

 今のままでいい筈がない。いずれは敵に囲まれてしまう。誰かの庇護下に入るべきだ。

 それに相応しい組織など存在するのか。

 そもそも自分は()()()()()()()()()()()()()()のではないのか。

 戦闘メイドという役割を誰に頂いたものなのかも知らなければならない。

 長い旅になりそうだ。そうナーベラルは感じた。

 いや、それこそが()()()()()()()()()()かもしれない。

 

『記録はここで終わる』

 

 



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§003 マーレ・ベロ・フィオーレがんばる!

 

 暖かな日差しを受けて目覚めた時は見知らぬ土地と風景が広がっていた。

 大地があり、草木が(けぶ)る。

 大気は澄んでいて一呼吸すれば身体に安らぎを与えてくれる。そして、それを確認した時に意識がより鮮明になった。

 

「……ここ、何処なんだろう……」

 

 小柄な体型の子供。褐色の肌に短い金髪。左右色違いの瞳を持ち、種族を象徴するような特徴的な耳は横に伸ばされたように長く、およそ10センチメートルといったところだ。

 見た目は華奢で緑色の外套と白いスカートを身につけており、両腕の袖からは鱗に覆われた内着が覗いていた。

 服装は白いスーツ。白いハイソックス。白い手袋。革のブーツ。

 手には自身の身長程もある黒い杖が握られていた。それは決して手放してはいけないものだと本能的に刷り込まれているようで、絶対に誰にも渡してはいけないものだという思考が脳裏にあった。

 見た目は女の子だが性別の上では男の子。そして、種族は『闇妖精(ダークエルフ)』である。

 

「……ま、周りには……誰も居ない。ぼくは……、ど、何処へ行けばいいんだろう……」

 

 そもそもどうやって自分はここに来たのか。誰かに連れてこられたのか。

 分からない事が山積みだ。

 

        

 

 まず移動する前に自分の持ち物や能力を把握する作業に務める。何ごとも確認作業は大事だ。それは()()()の命令であったようにさえ思えるもの。そして、それを自分は守らなければならない気持ちを抱く。

 まず自分は森祭司(ドルイド)系の魔法が得意である、と声に出して確認していく。

 少しでも不安を払拭する為だ。

 

「……そ、その前に……、ぼくはマーレ・ベロ・フィオーレ。それ以外の事は……、あんまり、分かんないや……」

 

 アイテムの出し入れ方法は()()()知っていた。身体に染み付いた習慣のようなもの。それ以外は曖昧だった。

 

「……じゃ、じゃあまず……。偵察、からかな」

 

 一つ息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 

「ふ~、は~。……よし……。じゃあ……迅速飛行(スウィフト・フライ)

 

 少し勢いの付いた飛行魔法を唱え、辺りを旋回する。

 自分が居た位置から色んな方向に顔を向け、だいたいの地理を把握していく。

 人造的な道路は無く、生物の気配も希薄。

 通り歩く者の影も見当たらない。

 

「……ふぁ……、思ったより広大な世界みたい……」

 

 平原と森と小高い丘が延々と続く。

 遺跡らしきものは見当たらないので、更に上空に上がってみた。

 身体に当たる風は気持ちよく、魔法も特に問題なく機能している。

 辺りを照らす太陽があることから時間が経てば陽が暮れて夜になる。それは一見すると当たり前のように感じるが、それらの常識とこの世界の常識が一致している保証は無い。

 

        

 

 自分はどうしてこの世界に居るのか。そして、どうして魔法を自在に扱えるのか。

 つい先日までの記憶が抜け落ちたように思い出せない。

 まるで今日、突然自分が生まれた。そんな気分に思える。実際にそんな事がありえるわけがない、とも思えるのだが否定する材料が乏しい。

 能力を持って生まれる事はあっても言葉や魔法の使い方は()()から教わったはずだ。そうでなければ自分の行動に納得がいかない。

 

「……ぼく一人だけの世界だったら……、やだな……」

 

 性格的に自分は誰かに依存するタイプのような気がする。だからこそ近くに大切な存在が居た筈だと思うのだが、全く何も思い出せない。

 それを旅の目的にしてもいい気がした。

 

「……自分探しの旅か……」

 

 それと自分の服は誰に与えられたものなのか。突然身につけて生まれたわけではあるまい、と。

 服の形をしているが自分の皮膚である、という結果ではないと確認してから安心した。

 

「……頑張って生き物のいる集落とか探さなきゃ」

 

 地面に降りて木陰でMP(マジックポイント)の回復に努める。

 日課のような気分になって動いたけれど、それもまた誰かから教わった技術のような気がした。

 自分の行動は全て自分で気が付いたものではない、という意味に取れる。

 その誰かとは具体的には何も思い出せないのがもどかしいところだ。

 

        

 

 飲食不要の『維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)』を装備し、少しだけ仮眠を取る事にした。

 アイテムの効果や使用方法も自分は既に知っている。そこも疑問点の一つだ。

 周りへの警戒を怠らないように防御魔法を展開する。

 

生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)甲羅防御殻(トータス・シェル)全属性防御(プロテクション・オール・エナジー)

 

 まずモンスターの侵入を防ぐ為に周りに結界を張る。次に念のために自身の防御力をあげる。更に様々な属性攻撃から身を守る。

 低位のモンスターならばこれだけで一眠りできるほどの体制だが、この辺りに現れるモンスターの質は不明。最悪、自分の防御を突破してくる可能性もある。

 

「……あんまり探知系の魔法持ってないみたい……。どうしよう」

 

 地面に埋まったり、森の中に潜んだりするのは最後の手段にしたい。身体が汚れそうなので。

 まず最初は軽い警戒程度にとどめて様子を見る事にする。

 

        

 

 精神を集中し、回復に努めれば意外と時間は過ぎていく。

 陽が傾けば夕暮れ時を表す赤みがかった空へと変貌し、次第に群青色の夜になっていく。

 寒さはあまり感じない。取り立てて眠気を妨げるほどの温度は無く、静かに眠れそうだ。

 野宿するよりかは何処かの建物の中がいいのだが贅沢は言っていられない。

 

植物巨大化(プラント・グロース)

 

 寝床を守るように新たな森と植物を繁茂(はんも)させる。通常であればこの辺りの処置で事足りる。

 森林の臭いに包まれつつマーレは仮眠に入る。

 そして、そのまま朝まで何ごとも無くぐっすりと眠れる、筈だった。

 

「……あっ、指輪を装備したままだった……」

(道理で……、眠くならないわけだ……)

 

 周りに神経を集中させていてど忘れしてしまった事を朝方になって気付いた。

 この指輪は飲食の他に睡眠も不要としてしまう。

 もちろん、強く眠る意思を持てば眠れるけれど、そこまでの強い意思は持てなかった。

 

        

 

 朝になってしまったものは仕方が無い。

 顔でも洗おうかと思うのだが川や湖などの水源が近くにあるようには見えなかった。

 杖で地面に大き目の穴を掘り、そこに『水創造(クリエイト・ウォーター)』の魔法を使う。

 身体ごと水洗いできるほどの量は出せないが今は顔だけで我慢しておく。

 

「……ふう……」

 

 上半身だけ装備品を外して顔を洗う。

 水気を取るのに外套を使うわけにはいかないので、魔法によって乾かすことにする。

 

火炎球(フレイミング・スフィア)

 

 用途別に自分の意思が働き、それぞれ適切な魔法が浮かぶようになっている。

 本来ならば一つ一つ調べなければならないところのはずなのに昔から知っている気分にさせる。

 記憶を無くす前は誰かから魔法の手ほどきを受けたのではないかと思った。

 

        

 

 本来ならば朝食を摂るところだが草や木の実、または動物などを捕らえたくても近くには見当たらない。

 アイテムの恩恵があるので緊急性は無いけれど、このままでいいとは思っていない。

 

「……よし」

 

 軽く頬を叩き、飛行魔法で空を飛ぶ。

 今のところ空に敵性体の姿は無く、大自然が広がっているばかりだ。

 人工的な場所があれば安心できる材料になるかもしれないのだが。

 

「……ぜ、全然人工物が見当たらない……。誰も、居ない世界、なのかな……」

 

 杖を強く握り締め、不安を募らせるマーレ。

 今にも泣きそうな顔を覗かせるもギリギリのところで精神は保たれている。

 辺りを調査する事に一切の妥協は入らない。疑問に思った事は逐一メモしていく。

 

 そもそも誰かに会いたい気持ちが湧かない。

 

 自分が今居る現状は確かに不安で寂しく不可解な事が多いけれど、何らかの命令によって事態が進んでいる気がしていた。

 過去を思い出せない事は悲しいけれど、現場に留まっていても進展しない事は分かっている。だから、前に進んでいる。

 不安一杯の子供であれば現場に留まり、泣いたり助けを求める為に叫び続けているところだ。

 

「……んー。ぼくって、意外と行動派、なのかな?」

 

 こうして一人で作業していると安心感が湧く。

 それは()()()()()()()()()()()()()行為に似てはいないだろうか。

 この行動こそ意味がある、とでもいうように。

 だが、その原因の大元は今もって思い出せない。

 記憶に蓋を乗せられている様な気もしない。完全に消えているのか、それとも元々そんな記憶は無いのか。いや、無い筈は無い。

 身体に染み付いた行動記憶は残っているのだから、それはあり得ない。

 

        

 

 調査を終えて三日目の朝を迎える。今度はちゃんと睡眠を取った。

 自然が延々と続く広大な世界。

 移動速度が遅いのも原因の一つ。

 取り立てて急ぐ理由が無いので辺りを調査しながらだから仕方が無い。

 

「……近隣の植物に毒性は……無し、と……。広葉樹が多く分布……。み、水場は無し」

 

 晴れ渡る日しか知らないが雨季が存在するのか気になった。

 晴れた天気だけでは植物は育たない。

 四季という概念がなければ生態系は今のように形成するのかも疑問に残る。

 マーレは森祭司(ドルイド)系の職業(クラス)に特化している。だから、自然の知識はかなり持っている。ただ、職業(クラス)を持っているだけで都合よく知識を得られるわけではない、と本人は思っている。

 勝手に自動的に脳内にあらゆる知識が詰め込まれる筈が無いのだ。それなのにたくさんの予備知識が既に備わっている。それを疑わないわけにはいかない。

 

「……日々の記憶以外は残っている……」

 

 完全に記憶を消去すれば自分は痴呆と化す。それが起こっていないのは限定された記憶のみが意図的に消されているという意味にならないか。

 マーレは調査と平行して自問自答を繰り返す。

 その思索に意味があるのかは考えずに。

 

        

 

 魔法の効力が消えて地面に降り立つマーレ。

 徒歩より移動速度が速い魔法とはいえ連続使用は後々の不安の要因となるのでしばらく控える事にする。

 その後は草木を眺めつつ歩き続ける。だが、徒歩ではやはり時間がかかる。

 単に自分の速力が遅いせいで近隣の集落にたどり着けないのではないかと思い始めた。

 

「……疲労、無効のようだから、延々と走る事は可能みたいだけど……」

 

 突然何かにぶつかるのではないか、という考えが浮かぶ。しかし、その何かを見つけるのが目下の目的だ。

 多少の些事は目を瞑らなければ時間ばかりかかってしまう。

 シモベなどを召喚して数で調査するのが効率的か。問題があるとすれば敵と認識されて襲われる事態だ。それはどうしても避けたい。それと調査に戻ってくる保証が無い事態も想定しなければならない。

 

 何を調査し、何が有益かは後で考える事にする。

 

 第一目標は生物の確認。次は集落などの文明的な存在。

 それ以外での戦闘行為を禁じる。あくまで野生の獣として振舞えば危険度は下がるとマーレは考え、召喚魔法を使う事に決めた。

 まずは自分の身の安全を確保する為に近くの雑木林に入る。

 何も悪い事をしていないのに隠れる必要があるのか、という言葉が浮かんだ。

 安全確認する時は周りを警戒しなければならない、という強迫観念が働いてしまっただけだが理由が浮かばないのは疑問だ。

 そこも消えている記憶に関係するかもしれない。

 

自然生物召喚(サモン・ネイチャーズ・アライ)

 

 第七位階の魔法に留め、低位のモンスターを大量に召喚する。

 この魔法で召喚されたモンスターは殺されても消えるだけなので毛ほどにも心は痛まない。

 マーレは(ラット)小馬(ポニー)(ヴァイパー)(ウルフ)(イーグル)を複数辺りに解き放った。後は待つだけだ。

 ただ待っているだけでは暇なのでマーレは調査を再開する。

 

        

 

 日暮れごろに(イーグル)が戻り、術者に報告するのだが相手は動物なので言葉が通じない。

 もちろんそんな事は百も承知である。

 

動物達と会話(スピーク・ウィズ・アニマルズ)

 

 端的な意見しか聞けないが動物達と話ができる魔法である。

 それによって聞き出した内容は集落の位置とだいたいの距離。より詳細な情報はさすがに得られない。

 人間社会を語れるのは高度な知性を持つモンスターくらいだ。

 行く方向は決まった。それだけで気持ちがかなり楽になる。

 残りの動物達には現界いっぱいまで行動してもらってマーレは歩き出した。

 

        

 

 途中で仮眠を取って、次に陽が暮れる前に目的地を発見する。

 既に人工的に作られた獣道は発見出来ていたのだが、通りを歩く人型生物には一切出会わなかった。

 人口が相当少ないか、外に出る文化が無いのか。

 道があるので出不精というのは考えられない。

 

「……あ、煙……。ご飯時だからかな?」

 

 家々の屋根から黒い煙が昇っているのが見えた。中には家自体が燃えているものもあったけれど。

 とにかく集落なので文句は言えない。

 やっと見つけた、という安心感はあるものの現地の生物と口を聞くのは勇気が居る。

 何度か自分に気合を入れ、歩き出した。

 

        

 

 門のような大きな建造物は無く、粗末な木の柵が申し訳程度で村を守っていた。しかし、その柵もいくつか倒されていて侵入が容易くなっていた。

 門番が居ないので一応、お辞儀してからマーレは入った。

 

「殺せ!」

「逃げる奴は容赦するな!」

 

 遠くから怒号が聞こえる。

 それは自分の耳でも聞き取れる内容だった。

 翻訳の魔法などを使わなくていい事に安心しつつ、とにかく誰か居ないか探し回る。

 声は聞こえるのだが生物の影が見当たらない。いや、居るには居る。

 地面に倒れている死体達なら。

 

「……こ、こんちには」

 

 小声で言っても聞いてくれる者は居ない。もちろん生きている者は。

 誰か生きている者が居ないか探すのだが死体ばかりが転がっている有様だ。

 遠くではまだ叫び声のようなものが聞こえる。

 

「……死体は、人間のようだね……。耳の長い、森妖精(エルフ)は……、居ない……」

 

 殆どが刃物による刺殺と斬殺。

 何かしらの敵がこの集落に居て、今も人間を襲っている。それは理解したのだが、多くの死体を見ても特に怖いとは思わなかった。

 転がして検分しても吐き気は起きない。という事を自己分析するマーレ。

 こういう風景に見慣れているのかもしれない。

 

        

 

 折角見つけた集落なのに情報が得られないのは面白くない。

 大人しいマーレでも腹が立つ気持ちはある。

 一体何者が自分の目的の邪魔をしているのかと憤りつつ辺りを調査していく。

 すると金属が擦れ合う音が聞こえ、次に悲鳴が聞こえた。

 敵はまだ近くに居る。そう思った。

 もちろん()()()が自分にとっての敵なのか分からないけれど、相手の情報を得るのは大事だ。

 

「うわぁぁ!」

 

 近くから物凄い叫び声が聞こえた。すぐさま駆け出すマーレ。しかしすぐに立ち止まる。

 地面に居たままだと地中からの攻撃にさらされるし、飛び出しを狙ってくる場合もある。

 それらを素早く思索した後で慎重に周りを見回してから空へと飛び出す。

 

雲歩行(クラウドウォーカー)

 

 足元に小さな雲が発生し、それに足を乗せる。

 水蒸気ではなく魔法によるものだからか、質量を持った足場として機能している。それに乗り、上空を移動するマーレ。

 ある程度の高さに来た時、辺りを一望する。

 たくさんの人型の生物、人間と思われるものが武装した人間に追い立てられ、武器で攻撃を受けている。それとは別の場所では異様な物体が武装した人間を襲っていた。

 遠目でも分かる異常事態。

 

「オオオァァァアアア!」

 

 咆哮を上げるのは邪悪な不死者(アンデッド)モンスター。

 一メートル以上もある大きなタワーシールドを持ち、武器は波打つ刃が特徴的なフランベルジュと呼ばれる大剣。およそ生者とは言いがたい顔は痩せこけ、肉がほとんど腐り落ちた骸骨同然のもの。

 その華奢な身体を鋭い棘が突き出た黒き全身鎧(フルプレート)で覆い、大きな角を生やした兜をかぶり、ボロボロの漆黒のマントで着飾っていた。

 身長は並みの人間を上回り、マーレの二倍、または三倍近くは確実にありそうだ。

 

        

 

 襲い襲われている光景に対し、マーレはどれを優先すべきか考える。

 攻撃する側もされる側も同じ人間。どちらを優先すべきなのかと自問する。

 答えは生きている人間だ。不死者(アンデッド)のモンスターは言葉が通じない。

 そう結論を出したマーレは今も武器を奮い続ける雑魚(アンデッド)モンスター目掛けて突進した。

 空から蹴りの一撃を見舞う。

 

「オオァァ!」

 

 動きの鈍いモンスターなのは見ていて分かった。そんなモンスターに逃げ惑う人間達はきっと()()()()()存在だ。

 杖を強く握り締め、相対するマーレに対し、武装した人間達は撤退命令を出していた。

 ざっと辺りを見て、先ほど攻撃を受けた人間が動死体(ゾンビ)のように動き出した事から、このモンスターに殺された人間達が従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって蘇ったのだと思った。

 

「……ぼ、ぼくが相手だ……」

 

 行動とは裏腹に言葉はとても頼りない。けれども強い意志を秘めた瞳は弱者のものではなかった。

 どうしてかマーレには相手の強さがだいたい把握できた。

 このモンスターに負ける要素は(ゼロ)。皆無であると。

 足取りは非常に頼りないのだが、モンスターから見ればどう映っているのか。

 尋常ではない小柄なモンスターが襲ってくる。それに対して自分は命令によって襲ってくる敵を攻撃しなければならない。そこに例外は一片も無く、また追加の命令もまた無い。

 だから、杖を構えた子供であろうと敵として対処しなければならない。

 

        

 

 波打つ大剣(フランベルジュ)を振りかざしたモンスターの攻撃を小柄な体格であるマーレは杖ではなく、白い手袋に包まれた手で掴んだ。――それもいとも簡単に見える動作で。

 大事な武器で受け止めるのは気が引けた。ただ単にそういう理由しかなかった。

 

「!?」

 

 驚愕する不死者(アンデッド)モンスター。

 もし顔に肉が張り付いていれば驚きの表情が拝めたに違いない。

 小さな身体の人間が大きな武器を片手で受け止めたのだから。しかも掴まれたまま微動だにしない。いや、出来なかった。

 人間を凌駕する膂力を持っている筈のモンスターの力を持ってしてもマーレの何気ない力に抗えない。

 死を恐れることの無い筈のモンスターが一歩後ずさった。

 

「……あまり、高い位階魔法、じゃあ、勿体ないか……。えっと……」

 

 杖を一旦、手放して服のポケットに手を入れる。そこには魔法に必要な小物が随時収められている。そして、取り出したのは小さな木の実だ。

 対するモンスターはすぐにタワーシールドをぶつけるなり体当たりなりして距離を離すべきだった。しかし、それが出来ないわけではない。

 一連の動作の中でモンスターの動きはマーレよりも遅く、まだ次の動作に移れていないだけ。つまりそれだけマーレの行動は早い。

 モンスターが一回行動する間、マーレなら三回以上は動作を完了している。もちろん、装備品の恩恵や魔法による強化(バフ)も加わればもっと多くの行動回数を叩き出す。

 実力の差が不可解な現象を引き起こしている。

 

火の実(ファイア・シーズ)

 

 魔法を唱えた後で小さな木の実を一つ、モンスターに投げつける。

 小石程度の小さな木の実を払いのけられるほどモンスターは器用ではない。たとえ危険だと察知してもどうすることも出来ない筈だ。それと身体が骸骨となっているので留まる事は無い、かもしれない。

 木の実が地面に落ちる前にマーレが合言葉を呟けばどうなるか。

 

 不死者(アンデッド)モンスターの体内で爆発が起きる。

 

 体格差があるので爆風には巻き込まれない。仮に巻き込まれても装備品の恩恵によりノーダメージだ。――念のためにもう一個投げておく。

 見た目は貧相でも高レベル術者のマーレが扱えば立派な爆弾と化す。その威力は決して見掛け倒しではない。

 先ほど手放した杖は倒れずに留まっていたので、それを取る。そして、マーレも一歩下がる。

 不死者(アンデッド)モンスターに有効的な火属性なのでダメージはあったはずだ。それでも尚、倒れないのはHP(ヒットポイント)が多いか、特殊技術(スキル)の恩恵により致命傷への耐性を持っているか、だ。

 

「……え、えい……」

 

 おそらく後者だと予想し、道端の小石を拾って思い切り投げつける。

 小さなマーレの投石などたかが知れる、と侮ってはいけない。

 彼の筋力は片手で人間を潰すことが出来るほどに高い。それ故にその投石もまた脅威の攻撃となる。

 実際には大きな石を一つでもぶつければいい、という程度の認識しかマーレには無かった。

 身動きが取れなかったモンスターは咄嗟にタワーシールドで身を守ろうとした。しかし、強力な投擲の影響か、いとも簡単に盾はひしゃげてしまった。――たかが小石一つで。

 当然、その影響でモンスターもダメージを受けたようで、HPが無くなり黒い(もや)となって消滅した。

 少し手間をかけた事にマーレは幾分、不機嫌になったがうるさい敵が一つ減った事に満足する事にした。

 その後で周りを改めて見回すと死体しか見当たらない。後は動いている動死体(ゾンビ)くらいだった。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を片付けた後で他に生存者が居ないか探す事にした。

 

        

 

 状況はさっぱり理解出来ないマーレは各家々を回り、生存者が居ないか確認していった。しかし、見つかるのは死体ばかり。

 先ほどのモンスターが殆ど駆逐してしまったのであれば残念な事だ。

 武装した人間の新手は今のところ見つからない。それどころか騒音が止んでいた。

 人の声が聞こえない、ともいえる。

 全滅したとは思えない。何人か、逃げ延びたところを見ているのだから。それとも新手のモンスターに殺されたか、なのだが。

 不穏な気配は感じないし、地響きも無い。

 

「……また外から確認するしか……」

 

 集落はここだけではない筈だ。

 たまたま発見した場所だが、誰も居なければ次を探すだけ。

 少なくとも集落の存在は確認出来た。それだけでも収穫があったと思っておく。

 

「……ね、念のために……。勿体ないけど……先見(フォアサイト)

 

 第十位階のとっておきを使う事にした。時間制限はあるが危機的状況があれば瞬時に警告が自身に伝えられる。これは頻繁には使いたくない奥の手の一つでもある。

 三件ほど回った後、馬の足音に気付いた。だが、警告は来ない。

 そろそろ魔法の効果も終わる頃なので慎重に行動する。

 

        

 

 集落に新たに現われた馬は人を乗せていた。それも複数。

 武装している人間ではあるが先ほどまで居た者達とは格好が違う。

 マーレは部外者だがのこのこ出て行って挨拶すべきか、それとも物陰に潜んでやり過ごすかの選択に迫られる。

 別に集落を襲ったわけではないので近くまで来たら助けを請う演技をして様子を窺うことにする。

 武装から戦士の一団と推定しておくが、まったく身に覚えのない者達だった。

 自分の知らない人間がたくさん居るのは不思議な気分だ。

 

「村人共々虐殺されています」

「生存者数名っ!」

「また村の襲撃とは……。敵は……バハルス帝国の鎧を身につけているとはいえ、欺瞞の線もある。気をつけろ」

 

 それぞれ言葉が交わされるがマーレは全て理解出来た。

 全く異質の言語であれば会話は出来そうにない。先ほどの不死者(アンデッド)モンスターのように。

 あのモンスターが何なのか、知っている気分にはなったのだが思い出せなかった。だが、それでも自分はあのモンスターの事をよく知っている気がした。

 骸骨(スケルトン)系はたくさん居るから、その中のどれかだとは思うのだが。

 この知識は()()与えられたものなのか。

 訳が分からないまま戦い続けるのは勘弁してほしいとマーレは思い、嫌気が差す。

 

        

 

 新手のモンスターや脅威は一向に感じない。

 それでも迂闊に姿を見せる事は危ないかもしれない。この集落を襲った存在だと言われてしまうおそれがある。

 かといって隠れ続けるのも有効とは思えない。

 一人で色々と考えなければならないことに不安を覚える。こういう時、助けてくれる仲間とか居ればいいのに、と。しかし、今は自分ひとりだけだ。

 

 最初から仲間など居ない。

 

 それでも『仲間』という言葉はどうして浮かんだのか。

 記憶を無くす前は仲間が居たのか。

 分からない事だらけだ。

 マーレは一人寂しく孤独に(さいな)まれる。

 

「……生きて、行く上で仲間は、必要かな?」

 

 そう自分に問いかければ必要だと答える。それはきっと願望だ。

 一人より二人がいい。召喚魔法によってシモベを使役する方が便利な時もある。

 今の状況を打破しない限り何も改善されない。

 

 だが、マーレには方法も手段も分からない。

 

 全てが手探りだ。

 何が正しくて何が間違っているか指摘する存在が居ない。

 自分の行動が本当に正しいのか、誰か教えてほしい。言葉に出して言いたい気持ちが強くなってくる。

 けれども心の葛藤に救いの手は誰も差し伸べてはくれない。

 

        

 

 生存者が居るのであれば少し強引な手を使い捕縛して情報を聞き出すべきかと思ったところ、()()()()()()()が小さく聞こえてきた。おそらく対象が少し遠くに居るせいだ。

 聞き耳を立てて話の内容に精神を集中させる。

 

「はじめまして、王国戦士長殿。私はアインズ・ウール・ゴウン。この村を救いに来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)です」

 

 聞き取れた内容を自分でも小さく復唱する。

 ()()()()()()()()()単語の連続だった。

 言語は確かに聞き取れているし、理解も出来る。

 人名だと思われる部分は聞きなれない単語の為に敵なのか味方なのかの判断がつかない。なので会話が終わるまで待つ事にする。

 

(……王国、戦士。……アインズ、マジックキャスター……。魔法を使う、人のことかな……)

 

 挨拶から始まって集落の現状をこと細かく説明するものだと思ったが別方向から異常事態を告げる報告が入る。

 新手の敵が現われた、と聞こえた。

 マーレにとって敵と味方の判断は何も出来ない。かといってのこのこ飛び出して応援を呼ぶのは不審の元だ。なにせ、ケガもなく人間以外の闇妖精(ダークエルフ)は自分だけだ。

 それにこの世界の事を全く知らない。

 

        

 

 悶々と思索していても仕方が無いのは分かっている。このまま騒動が治まるまで身を隠していた方が安全かもしれない。けれども、その後はどうすればいいのか。

 別の集落に行くべきか。仮にそれを選択する場合は現場が落ち着くまでは身動きが取れない。

 待てない事は無いけれど身を潜める建物に放火されるのは御免被りたい。

 そうしている間に馬が駆ける音と振動が伝わってきた。それらは集落の外側に向かっていた。

 

「………」

 

 何も悪い事はしていない。けれども隠れ続けるのは正しいことなのか。

 それよりも誰が味方なのか敵なのか全く分からないのがもどかしい。

 知り合いは恐らく居ない。であれば全て敵だと認識してもいい。だが、と自問自答を繰り返すマーレ。

 行動したいけれど無闇な選択は身を滅ぼす。それは()()から教わった処世術のような気がした。

 慎重に現場を見極めろ、と声無き助言が脳裏に閃く。

 物事の成否は自分で決めるしかない。それは分かっているのだが、勇気が今ひとつ足りないのが現在の状況だ。

 分かり易いモンスターならいざ知らず。知性ある人間達相手は何かと不味い雰囲気がある。選択を間違えれば国そのものに追われる事になる可能性があるからだ。

 そんな事を自分は誰かから教わってきた。だからこそ、慎重に今行動しようとしている。この行動原理はおそらく自分が編み出したものではない。

 

        

 

 馬の足音が遠ざかった後、自分の真上に突然、気配が生まれた。

 正確には建物の直上だと思われる。

 気配的には自分の居場所がバレた、と思う。だが、すぐには動かない。そして、魔法も恐らく使ってはいけない。

 ただ静かに息を潜める。

 

「………」

 

 先ほどのモンスターとは違う重圧を上から感じる。並みの力ではない。

 自分と同等か、それ以上だ。

 額から汗が流れ落ちる。それほど自分は緊張していた。

 

「そこに隠れている事は分かっている。出て来い」

 

 重厚な声は先ほどアインズと名乗った者の声に間違いない。

 魔法的な隠蔽はしていないから見つかっても仕方がない。迂闊な魔法的防御ではかえって目立つと考えたからだ。

 そう考えたのも束の間、自分の真横をなぎ払う一撃が襲ってきた。そう、上から()()()()、横からだ。

 

「!?」

 

 悲鳴を上げそうになるのを必至に(こら)え、体勢を低くしながらやり過ごす。

 たった一撃で覆いは吹き飛び、晴れ渡る空が一面に現われる。そして、その上空に人影があるのをマーレは見た。

 黒いローブで全身を覆う何者か。その人物こそアインズ・ウール・ゴウンだと思った。では、横の攻撃は誰がやったのか。

 

「みーつけーたぁー」

 

 恐ろしい声色で瓦礫を払いのけるのは漆黒の全身鎧(フルプレート)をまとう悪魔。

 兜の側頭部から銀色の角が二本前方に向かって生えていて、同じく漆黒の大きな戦斧であるバルディッシュを片手で振り回していた。

 先ほどの不死者(アンデッド)モンスターよりも凶悪で凶暴で強そうだった。

 間違いなく各上のモンスターだ。

 

「……あら? 貴方は……」

 

 邪悪なオーラを振り撒いていた漆黒の悪魔が急に圧を弱めた。その隙を逃さず、マーレは瓦礫から飛び出して距離を取る。

 二体一では分が悪い。咄嗟のこととはいえ力関係を察知したマーレは先ほどから冷や汗をかいていた。

 これほど()()()()と感じた事は無い。少し泣きそうになるほどだ。

 

()()()()()()()()()()()が何故この村に?」

「だ、黙れ。ち、近付くな」

 

 杖を構えて後ずさるマーレ。しかし、目の前の悪魔は小首を傾げつつも近付いてきた。

 手には巨大な戦斧(バルディッシュ)が握られている。先ほどの一撃が手加減であれば本気では避けられるか分からない。そういう本能的な危機感を身体は感じ取ったようで、戦うなと先ほどから警告してくる。

 魔法的な恩恵ではない。

 純然たる生命体としての本能からだ。

 

        

 

 上空に居たローブ姿の人物が地面に降り立つ。その表情は派手な仮面で塞がっていた。

 アインズと呼ばれている人物が手を前に出した。それに反応してマーレは身構える。

 

「待て待て。落ち着くのだ。何もしないから」

「う、うるさい。何だ、お前は。何……、何だ、お前……」

 

 言葉が上手く出て来ない。というよりは呼吸が上手く出来ない。

 言い知れない不穏なオーラがマーレを包み込む。

 目の前の人物達は格が違う。それも自分の経験に無いほど邪悪で強大なものだ。

 

「ア、アインズ様に向かって、お前とはなんですっ! マーレ!」

「ぼ、ぼくは名乗ってないぞ。名乗って……。だ、何だ……」

 

 前に進めない。敵ならば迎撃しなければならないのに。

 身体は今すぐ逃げろ、と言い続けている。

 こういう場合の対処方法が混乱する頭では適切に出て来ない。

 

「待て、アルベド。様子がおかしい。……それに子供に対して大声を出すな。怯えているじゃないか」

「申し訳ありません。……しかし、マーレの態度は看過できるものでは……」

「……確かにおかしいのは私でも分かる。……演技しているようにも見えるのだが……。先ほど別れたばかりでもう裏切りとか……。普通に考えてありえない。これが冗談で済ませられるとまさか思っているわけではあるまい」

 

 落ち着いた口調でアインズと名乗る者は話続けた。

 この声にも態度にもマーレは全く記憶に無い。

 何をしてくるか分からない敵だ、というのは理解している。

 優しく声をかけるものが味方だとは限らない。けれども自分は相手に対して味方だと主張出来るものもまた無い。

 だから現在取れる選択は敗走のみだ。だが、それも足が震えてうまくいきそうにない。

 

        

 

 後退していくマーレを追い詰めるアルベドという黒い鎧の悪魔と黒いローブ姿のアインズ。それに対するはひ弱な子供一人。

 どう考えても追い詰めている方が悪党である。

 

「……話をしようか。私達はここに座っていよう。それでいいか?」

「は、話? ぼくは何も、知らない。何も、お、教えられない」

 

 服装と武装からアインズは自分達の知るマーレと寸分違わずの存在である事は理解した。しかし、今もって不可解なのは態度だ。

 いや、様子と言った方が適切か。

 何故、怯えるのか、と疑問に思う。こちらは誠心誠意の譲歩をしているというのに。

 アルベドの迫力のせいかな、と。

 

「まず自己紹介をしよう。私は……アインズ」

「知らない人に名乗りたくないです」

「……懸命な答えだが……、こちらも悠長に待っているほど暇ではない。お前はマーレ・ベロ・フィオーレ……、という名前だろう?」

 

 的確にフルネームを言い当ててきた。確かに自分からは名乗っていない。それはつまり記憶を無くす前の自分の事を知る人物という意味ではないか、とまでは脳裏に閃いた。自分でも驚くほどの速さで。――何故、言い当てたと疑問がいっぱいになって、自分はいつ名乗ったかを懸命に探して混乱するところを冷静な判断力が働いた。

 名前を知っているからといって味方である保証は無く、敵だとも言える。

 

「……ち、違う……全く違うもん」

「なに!?」

 

 アインズが少し仰け反るように驚いた。

 

「マーレにしか見えないのだが……。ま、まあいい。それで……、アインズという名前に心当たりは無いのか、お前には」

「あ、あるわけ、ないだろ」

 

 一定距離まで離れた後、マーレは座り込んだ。けれども武器を構えるのは忘れない。

 自分の魔法で現場から離脱できそうなものを選んでおく。しかし、それが有効的に働くかは賭けになるかもしれない。

 

「このアルベドにも覚えが無いのか?」

 

 と、手を差し出した相手は黒い鎧の悪魔だ。

 全く持って見覚えが無い。

 首を振りつつ知らない、と小さく答える。

 

「そうか。なら伝言(メッセージ)

 

 アインズが魔法を使ったが、攻撃魔法では無いと分かり少し安心するマーレ。

 ある程度の仕草で攻撃か支援かは()()()に理解していた。

 そもそも誰に教わったのか。思い出せないけれど、彼らは知っていそうだ。

 敵か味方か判断できない相手というのはとても怖い。

 相手側もマーレが味方でないと分かれば敵対行動に出るはずだ。その時が勝負のつけ時だと判断する。

 せめて敗走の手段だけは残さなければ彼らに何をされるか分かったものではない。

 

        

 

 一分ほどのやりとりの間、マーレは戦略を立てる時間に費やしてしまったのでアインズの会話は全く耳に入れていなかった。

 会話を終えたアインズはただ大きくため息のようなものをつく。

 それは失望なのか。何か残念な事でもあったのか。

 とにかく、元気を無くしている事は感じ取れた。

 

「……お前、二重の影(ドッペルゲンガー)じゃあないだろうな? 仮にそうだとして……、いつ姿を盗み取ったのか。ありえない事態だが、目の前に居るのだから疑いようがない」

「……アインズ様?」

 

 アルベドが疑問を口にするがアインズは手で制し、会話を続ける。

 

「マーレよ。あえてこの名前で尋ねるが……。モモンガという名前も知らないか?」

「もも、ももんが? ……聞いた事、無い……。知らない単語ばかり、です……」

 

 そう答えると仮面に手を乗せるアインズ。かなりがっかりしたような様子だ。

 う~ん、と唸っている。

 もちろんマーレはアインズもアルベドもモモンガという名前とそれに関連する名称には全くと言っていいほどに覚えが無い。

 断言してもいいくらいはっきりと知らないといえる。

 

「……その前に仕事か……。出来ればそこで大人しくしていてほしいのだが……。待っててくれれば色々と話をしたい。それと会わせてみたい者も居る。お前には損の無い話だと思うのだが……」

 

 相手が何か要求してくる場合は一番大切なものを差し出せ、と言ってみる。これは脳内に浮かんだ言葉だ。

 それは自分の言葉なのか、別の誰かの言葉なのかは分からない。

 音の無い言葉だけが浮かんだに過ぎない。

 

「……お、お前の大事な……アイテムをわ、渡して、ください……」

 

 迫力ある言葉は自分には()()言えそうにない。

 急に口調を変える事は出来ないようだ。というよりはそういう練習をしていないだけだが。

 

「……むっ。……小癪な事を……。誰が教えた、そんな事を……」

「む~! マーレっ! もう我慢できません! 介錯のご許可を!」

「ま、まま、待て! アルベド! 落ち着くのだ。相手は子供だ。大人として短気を起こしては……。ほら、怯えているじゃないか。我々は敵ではないぞ」

 

 戦斧(バルディッシュ)を振りかぶるアルベドを何とか押し留めて、名残惜しいアインズが優しく声をかける。けれどもマーレは恐ろしい力を持つ二人に対して味方だとはどうしても思えなかった。

 

        

 

 深く追求されぬままアインズとアルベドは転移魔法によってか、現場から消え去った。その代わりに傷付いた人間達が現れた。

 見たところ相手と入れ替わる魔法――またはそれに類する魔法のアイテムの効果だと思われる。

 これだけの規模の転移を可能にする相手が敵であるならば立派に強敵である。

 少なくとも第五位階を超えている。

 

「……ど、どうしよう……」

 

 逃げた場合は追いかけてきそうだし、逃げるあてなどマーレには無い。

 けれどもあの二人には捕まりたくない気持ちが強かった。

 戦って勝てるかは不明だが、現段階では挑むのは得策ではないと危機感が信号のように教えてくる。

 

 手を出しては駄目だ。

 

 杖を強く握り締めてマーレは立ち上がる。

 他に怪しい影が無いかざっとだが、視認した後でケガ人達の様子をうかがう。

 どれも重傷だが生きている。

 一人ひとりに治癒魔法をかけていてはMPが底を着くし、逃げる為の策が無くなってしまう。

 見た感じで危なそうな相手を数人だけ選び、回復魔法を掛けておく。その後は彼らから距離を取る。

 そして、思い切りマーレは逃走を選んだ。

 逃げ切れるとは思えないけれど、とにかく今は現場に居たくない。

 本能の赴くままに泣き叫びたい気持ちを抑えて。

 初めて味わった恐怖を拭い去る為に。

 

「……うっ、ぐ……」

 

 自然と涙がこぼれた。

 一人で手探りの調査をして、初めて怖いと思った。

 ただ純粋に。

 強者に怯えるマーレ。そこだけ見れば普通の子供と変わらない。

 己の潜在的な能力を(かんが)みなければ誰が見ても叱られて泣いている子供にしか見えない。

 

        

 

 陽が暮れるまで飛行魔法で逃走を続け、時には森の中を突き進み、出来るだけ足跡を残さないことに注意した。

 追っ手の気配は無く、不可視化したモンスターの追跡も感じない。

 それでも逃げおおせたとは思えない。

 彼らが探知魔法を得意としていればいずれは見つかる可能性がある。

 それでも今はただ無心に逃げたかった。離れたかった。

 アインズとかいう化け物どもから。

 そうして深夜、真っ暗闇の中でもマーレは進んだ。

 闇を見通す特殊技術(スキル)のお陰で夜間でも何の支障も無く進む事が出来た。けれども自分が居る現在位置が全く分からない。

 魔法を使い続ければいずれはMPが尽きてしまう。なので、どうしても適度に休息しなければならない。

 

「………」

 

 疲労しない指輪の効果のお陰が無ければ長距離移動など不可能だ。

 いくつの平原と林と森を抜けただろうか。

 それ程の速度は出ない飛行魔法なので星を一周する事はまずありえないし、考えられない。

 時間的にも一〇〇キロメートルを超えていれば御の字というところだ。

 考えなしの移動によってたどり着いた先には森と荒野が見えた。しかし、実際は夜間なので――普通の人間であれば――風景を見渡す事は出来ない。だが、マーレの視界には真昼のように映っている

 更に先には大きな集落が見えた。

 防壁に囲まれていて、貧相な村よりも広大で立派な造りだった。

 

(……ど、どうしよう……)

 

 集落を探す事が一つの目的であった。けれども今は得体の知れない化け物のせいで安易に何処にも行けない状況に陥っていた。

 

 ここにアインズという化け物が住んでいたら。

 

 という考えが過ぎった為だ。

 他の集落を探したところで同じ考えが浮かぶだけ。ならば周辺の調査を綿密にしてから判断するべきだ。

 自分に出来ることなどたかが知れる。

 妙な化け物さえ居なければいい。

 今は情報より安住の地が今の自分には必要だ。それからの事は後で考えよう。

 

        

 

 朝方まで周りを警戒しながらマーレは辺りを調査し始めた。

 森に半分以上埋まっている集落を『都市』と呼称することにする。

 緑豊かな土地に恵まれているようで潜伏は容易だった。水源も発見する事が出来た。

 必至に逃げてきたせいで顔面蒼白のマーレ。髪の毛などは乱れていないが気分は最悪である。

 服にも汚れが無いのは装備品に付与された移動阻害対策の特殊技術(スキル)の恩恵のようだ。

 便利な装備品の数々も誰が用意してくれたのか、今更な事が脳裏に過ぎる。

 

(逃げちゃった、けど……。これから、どうしよう……)

 

 いつまでも逃走し続ける事はおそらく出来ない。いずれはアインズ達と合間見える気がする。

 明らかに自分の名前を知っている相手だ。

 では、自分の事を素直に教えてもらえばいいのか。

 それが敵の罠である可能性はとても高い。

 優しい言葉はとても危険だ。何故だか、そう思えて仕方が無い。

 

        

 

 陽が真上に差し掛かった時間帯になるも眠気は起きない。

 もしアイテムを外せば睡魔に襲われているところだ。

 しかし、アイテムの恩恵があっても精神的な疲労は簡単には癒されない。それどころか気分は今も荒んだまま。

 恐怖が一向に拭いきれない。

 それはきっと出会ってしまったからだ。

 

「……へー、本当に居た……」

 

 不意に声が聞こえ、咄嗟に杖を構えるマーレ。

 探知系は得意分野ではなかったために何者かに見つかってしまったのかもしれない。しかし、なぜだが相手の姿がぼやけていてよく見えなかった。

 

「?」

 

 目蓋を軽く擦る。

 とても目がかゆい。いや、ずっと目蓋を閉じずに恐怖に打ち震えていた為に乾ききっていた。

 一度でも閉じれば、次に目蓋を開けると一瞬で恐怖が現われる。そんな恐怖に囚われていた。

 それほど自分を恐れさせた相手がアインズ・ウール・ゴウン。そして、アルベドという黒い悪魔。

 

「目が見えないの?」

 

 閉じたくても自分の意思が働かない。身体が恐怖を拭いきれない為だ。

 それでも懸命に気配を読もうと必至になる。

 自分の身体の異常に早く気付くべきだった。今更言い訳しても遅いけれど。

 

「大丈夫。攻撃したりしない。落ち着いて。周りには私達しか居ないわ」

 

 耳で聞く分には物腰の柔らかい声だ。

 既に近くまで近付かれている。

 

「あなた一人? 一人よね、他の気配が無いもの」

「……ここは、どこですか?」

 

 凶悪なオーラは感じない。けれども武器は手放せない。

 地面に落ちている葉を踏む音が静かに聞こえる。それは相手と自分が踏む音。第三者のものは聞こえない。

 風が吹くと(こずえ)が揺れる音が聞こえてきた。

 

「ここはスレイン法国の神都よ。旅人さん」

「……す、すれいん……」

「死人みたいな顔だけど……。あなた不死者(アンデッド)じゃないでしょうね? うちの国は信仰系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が大勢居るんだから」

 

 人を小莫迦にするようでいてマーレに優しく声をかけているとも聞こえる。

 決して声高にせず、一定の音量で話かける。

 その声には何の魔法的加護は感じない。ただの声だ。それを聞いているだけなのにマーレの凝り固まっていた恐怖の壁に亀裂が生じ始める。

 

        

 

 ただの普通の声だ。だからこそ、マーレによく届いている。

 マーレの質問に相手は出来る限りの事を答えた。

 知らない事は知らないとはっきり言う。

 いつしかマーレの杖は少しずつ垂れ下がっていき、最終的には地面に先端がついた。

 

「落ち着いた?」

「……わ、分かりません」

「こんなところより建物に移動しましょう。ここはとても危険よ」

「……はい」

 

 相手が近付くとマーレの警戒は一気に高り、杖を構え始めた。しかし、それをものともせずに相手は杖の一撃を掻い潜り、マーレの背中に自分の背中を合わせる。

 

「聞きそびれていたんだけど……。あなたは何処から来たの?」

「……わかりません……。自分がどうしてここに居るのか、それを探そうと……、してました……」

「自分探しか~。でも、どうしてそんなに怯えているの? 怖いモンスターに遭っちゃった?」

「……そう、かも、しれません……。とても怖かった、です……」

 

 杖を構えつつマーレは質問に答えた。

 相手の動きが背中越しに伝わってくる。そこに敵意は全く感じられない。

 風で首筋に感じるのは相手の髪の毛だ。

 

「スレイン法国は人類の守護者を自称する国よ。その中なら()()()安全かもしれない。少なくとも一泊くらいは眠れるほどに……」

 

 朗らかに笑うように言う相手。

 性別的な区分けはマーレには出来ないけれど、聞いているだけで安心させられるのは確かだ。

 この人はきっと味方になれるかもしれない。

 けれども決して心まで許してはいけない相手だ。

 

        

 

 ほんの数分だけ二人の間に沈黙が下りた。その間、二人はまったく動かない。

 動けないわけではない。

 ただ、動きたくなかった。特にマーレ側が。

 緊張の糸はだいぶ(ほぐ)れた。けれども問題が解消したわけではない。

 これからの身の振り方が残っている。

 相手の意見はとても魅力的だが、それを素直に鵜呑みには出来ない。けれども否定する材料は残念ながら今のマーレは持ち合わせていない。

 ならば意を決して敵地に突入することも手段として取る事も必要かもしれない。

 必要なのは一歩前に進む勇気だけだ。

 

「……あ、あなたの国は……強固、ですか?」

「防りが強いかってこと?」

 

 相手の疑問に頷きで答える。

 

「そうね~。少なくとも中に居る人達はそう思っているわ。自信満々に……。つい数時間前まで爆発事故とか起きて大変だったらしいけどね。まあ、大したことは無いと思うけれど……。それでもやっぱり気になる?」

 

 物騒な単語が出てきたが他の選択肢を考える余裕はマーレには無い。

 

「……ぼくの身の安全を保証して、くれる、なら……。ぼくはあなたたちの……味方になります……」

「……個人の安全は……今はちょっと心許ないわよ。それでもいい?」

「……ほ、ほんの数日だけでもいい、です……。……ぼくは、色々と知りたい事が、あるので……」

「そっか……。まあでも……」

 

 相手は振り返り、マーレの背中を抱き締める。

 

「私個人が全力で守る事は約束できるわ。……なにせ私は暇だから……」

 

 マーレの長い耳に息を吹きかけつつ笑う人物。

 

「では、形式ばった挨拶だけど……。スレイン法国へようこそ、旅人さん。我が国は貴方の来訪を心より歓迎いたします。……そして、この私、漆黒聖典番外席次『絶死絶命』が貴方様の身の安全を……、全力でお守りいたします。……あっ、絶死絶命って呼ばれるのは好きじゃないんで……。それは……仲間内での呼び名だから……」

 

 と、人差し指を唇に当てる仕草をする。

 マーレには見えていない事は分かっていたが、クセのようなものとして振舞った。

 

「……よろしく、おねがいします」

 

 そう言った後、番外席次と名乗った人物はマーレの耳を甘噛みする。

 いやらしく嘗め回す事はなく、ただただ普通の行為のみだ。それに対しマーレは一切抗議の声は上げなかった。気にする程の事でもない、というように平静を装っている。いや、そういう気分にすら今はなれないだけともいえる。

 

「……そういえば、あなた、お名前は? 呼び合う時、貴方ってだけじゃあ味気ないんだけど……」

「あっ……、そう……ですね……。ぼ、ぼくはマーレ……と言います」

「ふ~ん。初めて聞く名前ね。マーレ、マーレ……。偽名でも良いけど……。挨拶してくれたんだから返礼しないと礼儀に反するわね……」

 

 番外席次はマーレから一歩下がり、丁寧にお辞儀する。ただし、その様子を今のマーレは全く見る事が出来ない。

 相手の姿、表情、そして仕草。その全てが(もや)の中だ。

 

「お初にお目にかかります。私は『アンティリーネ・ヘラン・フーシェ』……。でも、国では番外席次と呼んでくださいませ。……これ、実は内緒にしている名前なので……。後でちゃんとした呼び名を考えましょう、一緒に……ね?」

「……はい。……ば、ばんがいせきじさん」

「よろしい。合格です」

 

 にっこりと微笑む番外席次。

 敵意を失ったマーレの手を引き、二人はしばしの休息の地であるスレイン法国の神都へ歩き出す。

 二人の姿を傍から見た住民は仲の良い姉弟(きょうだい)のように見えたという。

 マーレの旅は一旦、ここで終わりを告げる。

 

『記録はここで終わる』

 

 



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