トリップ先のあれやこれ(完結) (青菜)
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小学生編
第1話


処女作です。


 二〇一七年九月二日土曜日。

 菜々はベッドに寝転び、漫画を読んでいた。

 明後日は始業式。夏休みはあと二日。

 今さっき課題を全て終わらせ、残り少ない夏休みを満喫している。

 残り少ないとはいえ今は夏休みであり、課題も全て終わらしているので遊び放題だ。菜々はこの時期を毎年満喫しているが、今年は憂鬱だった。

 中学三年生のため、進路を決めなければならない。この時期は人生の分かれ目だとよく言われる。

 しかし、彼女には、たいして行きたい高校もなければなりたい職業もない。

 

 ──担任が殺せんせーだったらこんな事考えなくて良かったのかな。

 

 ──どうせ就職するなら地獄がいいな。

 職場で起こった、おもしろおかしい出来事を記録して出版すれば、けっこう儲かりそうだし。

 鬼灯様に止められるだろうから無理か。

 

 そんなとりとめのない事を考えながら漫画を読んでいた菜々だったが、睡魔に襲われ、やがて意識を手放した。

 

 

 *

 

 

「おはよう。朝だよ。ピピピピ。ピピピピ。おはよう。朝だよ。ピピ……」

 そんな陽気な声が耳に届く。

 菜々は反射的に腕を伸ばし、赤いキャラクターの頭についているボタンを押した。

「今日も、一日、がんばろう!」

 そんな声が部屋に響きわたったとき、菜々の意識は覚醒した。

 

 ──なんで、コ○ショの目覚まし時計がある⁉︎

 某教材のキャラクターである、ランドセルの妖精の目覚まし時計は、昔捨てたはずだ。

 第一、 菜々はもうチャ◯ンジの教材を取っていないし、小学四年生から某妖精は登場しなくなった。

 彼女は疑問を抱いたものの、まあいいか、とすぐに思い直した。

 今日は夏休み最終日だ。そんなささいな事を気にしている暇はない。

 二度寝したいところだが、あいにく目がしっかりと覚めてしまったため遊ぶことにした。

 一般論だと勉強するべきだろう。朝は頭が働きやすいし、菜々は受験生だ。

 しかし、彼女にはそんな考えは毛頭なっかた。

 あるとすれば、ありったけゴロゴロして新学期に備えなければならないという自論だけだ。

 とりあえず昨日の続きを読もうと、昨日まで読んでいた漫画を探したが見つからない。

 初めは頭だけ動かして探していた菜々だったが、なかなか見つからないのでベットから出て探すことにした。

 ベットを出ようと布団をめくった時、違和感を感じた。

 いつもより部屋が大きく感じたのだ。

 

 ──目を覚ましたら体が縮んでしまっていた。

 

 某名探偵のセリフが脳裏をよぎる。

 そんなはずはない、と頭ではわかっているものの、菜々はフラフラと洗面所に向かいはじめた。

 まるで何かに取り憑かれたようだ、と彼女は思った。頭で考えていることと行動が全然伴っていない。

 やはりいつもより大きく感じられる自分の部屋の扉を開け、廊下を横切って、洗面所の扉を開ける。

 足をせわしなく動かして洗面所の奥にある、手洗い場の上についている鏡に向かう。なぜかいつもよりも遠いような気がする。

 手洗い場もいつもより大きく感じられる。これはどういうことだろうか。

 そう思いながら鏡を覗き込んでみた菜々は、鏡の奥から見つめ返している人物を見て絶句した。

 見慣れた顔ではあったが、自分とは似ても似つかない顔だったからだ。

 その顔は、彼女が昨日読んでいた漫画に出てくる地獄アイドル、ピーチ・マキにそっくりだった。

 思わず叫びそうになったが、驚きのあまり声が出ない。

 しばらく、菜々の頭が真っ白になった。

 

 やっとフリーズしていた頭が動き出し、真っ先に出てきた答えは「これは夢だ」だった。

 顔がアニメ調になっているなんてありえないというのが主な理由だ。

 こんなことはありえない、と菜々が自分に心の中で言い聞かせていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 隠れた方が良いかと思案するも、これは夢なのだから関係ないとすぐに思い直す。

 頭では大丈夫だと思っていても緊張は感じる。自分の心臓がかつてないほどの速さで脈打っているのを感じながら菜々は扉に目を向けた。

 現れたのはきれいな女性だった。

 黒くてまっすぐな肩までの髪。くりっとした大きな青い目。

 一見、20代に見えるが30代前半だろうと菜々は判断した。自分の母親だからだ。

 実物よりもかなり美化されているが、自分もそうだと思ったので突っ込まないことにした。

 それより、この夢では人間関係がわかるらしい。

 感心したが、大抵の夢はそんなものかと思い直した。

 それにしても、と菜々は目の前の女性を盗み見て、今度はコナン風か、と心の中で呟いた。

 ‘‘夢の中’’の母親の顔は「名探偵コナン」の画風だったのだ。

「菜々、早くに起きれたね。さすが小学生」

 この後、母親が話した内容によると、菜々は小学校一年生で、今日が入学式らしい。

 

 

 菜々は素直に入学式に行くことにした。

 夢の中とはいえ、名探偵コナンの登場人物に会えるかもしれないからだ。

 玄関で靴を履きながら、前に立っている人物に視線を向ける。

 男性特有の少しとがった目。太い眉。左側で自然に分けられてる前髪。

 自分の父親のようだ。またもや実物とはかけ離れた美形である。

 自分の顔のデザインが家族と違うことは気にしないことにして、外に出てからふと、「加藤」と書かれた表札を見た菜々は凍りついた。

 夢の中でも名前は一緒なのか、とぼんやりと思うと同時に、これは夢ではないと気がついたのだ。

 夢の中では文字が読めない。

 トリップ。それ以外の理由を探そうとしたが、見つけることが出来なかった。

 

 

 

 

 気がついたら小学校の前にいた。先程襲いかかってきた大きな衝撃のせいか、家を出てからのことをまったく覚えていない。

「ていたんしょうがっこうに ようこそ」

 六歳児にも読めるように、看板にひらがなで書かれている文字を見て、菜々は自嘲気味に笑った。

 

 

 入学式の会場である体育館に入り、教師の指示にしたがって席に着く。どうやら保護者と児童は別々に座るらしい。

 辺りを見渡したが、小太りの男の子も、そばかすがある男の子も、カチューシャをつけた女の子もいない。コナン達とは同年代ではない事が確定した。

 夢だと思っていた時は会いたかったが、現実だとわかった今は心底ホッとしている。

 死神と同年代とか絶対に嫌だ。

 また、名探偵コナンの主要キャラクターらしき人物は見当たらない。

 だいぶ落ち着いてきたので、周りが見えるようになってきた。

 ──で、誰だ? この人達。

 菜々の目の前には、絵本の中から飛び出してきたかのような生き物がいた。

 小人。ドワーフ。妖精。

 そんな表現がピッタリな見た目だ。

 10cmほどの背たけで、背中からは布のようにも見える羽が生えている。帽子をかぶり、手には紙とペンを握っている。

 誰だ? と思った菜々だったが、彼女は彼らが小人でも、ドワーフでも、妖精でもないことを知っている。

 自分の今の顔を思い出した時からわかっていた。倶生神だ。

 倶生神がいるということは、この世界は「名探偵コナン」と「鬼灯の冷徹」が混ざった世界らしい。

 これはどういう事なのか考えこもうとした時、いきなり話しかけられて菜々は飛び上がった。

「私は同生。こっちは同名。地獄の従業員で、あなたの行動を記録しているからよろしく」

「えっ⁉︎ それってストー」

「仕事だよ!」

 ストーカー、と言おうとした菜々の言葉をさえぎり、同名が叫んだ。

「えっと、加藤菜々です。同名さんって男性ですよね? 私がトイレやお風呂に入っている時ってどうしてるんですか?」

 ここぞとばかりに、漫画を読んでいた時、気になっていた事を尋ねてみた。

「外に出てるからね⁈」

 憤慨する同名をよそに菜々はそれとなくあたりを確認する。

 周りが騒がしいため、自分の話し声を聞いている人間はいない。

 入学式早々、変人のレッテルを貼られずに済みそうだ。

「霊感に目覚めたみたいね。この事、あまり人に言わないほうがいいから」

 そんな事を言われた瞬間、ブザーが鳴り響き体育館が静まり返った。全員の視線が壇上に集まる。

 入学式が始まった。

 

「平成二〇年度。第十五回。入学式を始めます」

 アナウンスが流れた。菜々の年齢と同じだけ時間も戻っているらしい。

 

 

 

 いろいろなことがありすぎて頭がパンクしそうだ、と、菜々は思った。

 家に帰ってすぐ、入学式の後にもらった教科書に名前を書き終わったので今はテレビを見ている。

 倶生神たちに怪しまれずに情報収集をするためだ。

 

『米花町五丁目で殺人事件が起きました。現場に居合わせた、工藤優作氏がみごと解決』

 

 護身術でも習おうか、と、テレビを見ている少女は思った。

 トリップ一日目で殺人事件が起こるとは、米花町、呪われすぎだ。

 

 

 *

 

 

 菜々がトリップしてから一週間ほど経った。

 彼女はひらがなの練習の宿題をしていた。小学一年生らしい字を書くのは意外と骨が折れる。

 これくらいの年なら学校が終わると友達と外で遊んだりするのだろうが、中身は中学三年生の菜々はそんなことはしない。というのは言い訳で、ぼっちなだけである。そのため、一人さみしく部屋で宿題をしているわけだ。そのことに気がつかないふりをするため、手を動かしながら彼女は合気道を習う事を検討していた。

 

 トリップした日はやけに冷静だったが、二日目に事の重大さに気がついた。

 頭が真っ白になったり、自暴自棄になりかけたが、最近やっと落ち着きこれからの方針を決めた。

 

 

 最終目標は元の世界に戻ることだが、生きている間に戻ることは無理だろう。

 倶生神の監視がある以上不自然な行動はできないし、現世でその方法がわかるとは思えない。つまり、死んで、あの世に行ってから本格的に調べることになる。それになんとなくだが、あの世のほうがそんな感じの内容が書かれた文献が多いような気がする。

 あの世に行ってから調べるとなると、地獄行きはもちろんのこと、転生も避けなければならない。

 もう一度人生を歩まなければならないのは二度手間だし、転生した際に自分が別の世界から来たことも忘れてしまうかもしれない。

 

 かといって殺されるのも嫌だ。痛いし怖い。

 米花町の事件発生率は異常だが、建物の爆破などの大量殺人を除けば、「名探偵コナン」で未成年は殺されない。

 つまり、高い建物にさえ近づかなければ未成年の間は殺されない。

 その間に護身術を身につけておこう、というのが合気道を習う事を検討している理由の半分だ。

 

 もう半分の理由は、憧れだ。

 

 トリップする前の話だが、電柱にヒビを入れたり、拳銃の弾を避けたりしている蘭の強さの理由を考えてみたことがある。

 仮説は二つほど思いついた。

 一つは、「名探偵コナン」の世界では空手のレベルがものすごく高く、都大会優勝の女子高生ならそれくらい出来るという説。

 もう一つは、「名探偵コナン」の世界の人間の体の作りのレベルが、全体的に高いという説だ。

 この説なら、運動すれば身体能力が飛躍的に上がるし、体が丈夫のはずなので、かなりの頻度で麻酔銃を打ち込まれている小五郎が健康体なのも頷ける。

 菜々は二つ目の説が有力だと思っていた。

 

 つまり、この説が正しければ、鍛えればかなり強くなれる。

 どうせ習うのなら護身術として活用できる合気道がいいだろうと考えたため、合気道を習う事を検討し始めたのだ。

 

 菜々は宿題を終え、クリアファイルにしまってあった、「部堂道場」と大きく書かれたチラシを取り出して読み始める。都合のいいことに今朝、合気道の道場のチラシが配られたのだ。家からも近いようだし、今から見学に行くことにした。まさに、渡りに船だ。

 

 

 

 *

 

 

 この道場に通うことにしたのは阿笠邸の近くだからだったな、と菜々は思い出していた。

 阿笠と仲良くなっておけば武器を手に入れられるんじゃないかと思ったのだが、この選択は間違いだったのではないかとまさに今思い始めている。

 部堂道場に入ってから一ヶ月。殺人事件が起こった。被害者は道場で菜々に教えている部堂藍木(ぶどうあいき)だ。

 

 

 

 部堂藍木。財閥の元会長だ。

 七十歳になった時から長男に会長の座を譲っていて、今は学生時代に取り組んでいた合気道を趣味で教えている。あくまで趣味なので、生徒が現在一人だけでも、菜々が入るまでの五年間生徒が一人もいなくてもなんら問題なかった。

 菜々は、ほとんど宣伝をしていないせいだと考えている。

 まったく宣伝をしようとしない祖父をみかねた藍木の孫である貫太がチラシを配っていなければ、たった一人の生徒ですら部堂道場に通っていなかっただろう。

 彼は二十歳になったばかりだというのにしっかりしているというのが菜々の評価だ。

 

 一方、藍木は最近両足を骨折し、移動するときは車椅子が必要不可欠になっていた。

 お見舞いに行った方がいいだろうと土曜日に出向いた菜々だったが、暇を持て余した藍木の話を永遠と聞かされた。

 息子である奏と、昔亡くなった奏の妻から誕生日にもらった短刀の話を三時間程聞かされ、話が終わった頃にはお昼になっていた。

 お昼ご飯をごちそうになってしまったため、すぐに帰るわけにも行かず、今度は藍木の武勇伝を延々と聞かされ、やっと終わったかと思えば、三階にある藍木のコレクションルームで集めている洋刀の解説が始まった。菜々は話を聞き流すスキルを手に入れた。

 百本近くある洋刀の解説が終わると、藍木がエレベーターに乗る様子を見ることとなった。

 すでに夕方なので、菜々は今すぐ帰りたかったが、毎回無料で授業後に稽古をつけてくれる藍木に少なからず恩を感じていたので断ることができなかった。

 エレベーターは古い物だった。扉は手動らしい。前に藍木たちが住んでいる家は、大正時代に建てられたものだと教えてもらったことがある。おそらくこのエレベーターも家が建てられたときに取りつけられたのだろう。

 今までエレベーターは使われていなかったが、藍木が両足を骨折してから使うようになったらしい。

 車椅子が動かないように、息子の奏と孫の貫太がエレベーターの床にストッパーをつけてくれたと嬉しそうに話している藍木を見て、菜々はもう少しこの老人の話に付き合うことを決めた。

 藍木がエレベーターに乗り込み、菜々が扉を閉める。

 ガタゴトという音が止まった数秒後、女性の悲鳴が聞こえた。藍木の妻の夏菜子の声だ。

 一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、ここは米花町だと思い出して悲鳴が聞こえた方向に向かって走り出す。

 菜々がトリップしてから、米花町ではすでに殺人事件が十六件ほど起きている。

 

 

 

 やがて警察と救急車が到着したが、藍木はすでに事切れていた。

「警察が来るまで一箇所に集まっていよう」

 お互いに監視しあっていた方が疑われにくいだろうし、菜々の面倒を見なくてはならない。

 貫太の意見にしたがって、全員がリビングに集まることとなった。

 やはり、この中では貫太が一番頼りになる。

 

 

 リビングで、一人ずつ今までの経緯を刑事に説明することとなった。

 一階に到着したエレベーターの扉を藍木の妻である夏菜子が開けた時には、藍木は血だらけになっていたらしい。

 また、死因はあごの左側の下部を短刀でひと突き。短刀が頸動脈(けいどうみゃく)に刺さったため大量出血。

 すぐに絶命したと思われる。

 そんな話をぼんやりと聞いていた菜々はうつろな目をしていた。

 もし死体を見てもアニメ調だしそこまで怖くないだろうとタカをくくっていたものの、実際は違った。

 誰にでも平等に訪れる死の恐ろしさを再確認した。いつか自分もこうなると思うと足がすくんだ。

 菜々は蘭を尊敬した。

 かなりの頻度で殺人事件に巻き込まれているのに、ほぼ毎日学校に行くことが出来る。また、死体を見つけた時は悲鳴こそあげるものの、すぐに平常心に戻っている。並大抵の精神力ではない。

 しかし、新一や平次などの探偵は高校生のくせに冷静な判断ができている。

 この世界ではこれが普通なのだろうか。

 いや、でも一般人はそうでもなさそうだし……。

 そんなことを考えていると、何人かが部屋に入ってきたのに気づいた。

 三人いる。全員天然パーマで角が生えている。

 同生が彼ら、お迎え課について菜々に説明をしてくれた。

「ここにもいない。多分逃げたんだな」

「この様子じゃ殺人事件だな。こういう場合、亡者は犯人に復讐しようとすることが多いんだ」

「まだ回収しないといけない亡者はたくさんいるし、もう行きましょう。どうせ、近くにはいませんよ」

 口々にそう言った後、お迎え課の鬼たちはどこかに行ってしまった。

 そのやりとりを見て、菜々は余裕を取り戻した。

 この世界にはわりかし楽しげなあの世がある。

 死んで終わりじゃない、と思うと凍ったかのように固まっていた体が動くようになった。

 顔色が良くなったのを確認して刑事が話しかけてきた。

「菜々ちゃん、久しぶりだね。悪いけど部堂藍木さんを最後に見たときの話をしてくれないかな?」

「久しぶり」ということはどこかで会っているのだろう。しかし菜々は見覚えがない。

 トリップする前に会ったことがあるということだろうが、当然菜々には彼が誰なのかわからない。

「この世界の加藤菜々」に自分が憑依するまでの、「この世界の加藤菜々」の記憶がないからだ。

 一度も家の中で迷ったことがないし、家族関係が分かったことから、少しは記憶が残っているのだろうと判断し、しばらくすれば今までの「この世界の加藤菜々」のことも思い出すだろうと楽観的に考えていたが、いっこうに思い出せない。

「えっと……」

 これくらいの歳なら会ったことがある人を忘れていてもしょうがないだろうと思い、刑事は優しく話しかけた。

「去年あったけど忘れちゃったかな? 加藤文弘。君のお父さんの兄だよ」

 伯父が刑事だったことに驚いたが、それ以上に嬉しくもあった。

 この世界で生きていく以上、何かしらの事件に関わることになるだろう。その時、警察関係者に知り合いがいる方が安心だ。

 そんな考えはひとまず置いておき、忘れてしまってすみません、と一言謝ってから菜々は今までの経緯の説明を始めた。

「先生がエレベーターに乗る時、扉を閉めました。エレベーターの動く音が止まってすぐ、夏菜子さんの悲鳴が聞こえたので階段で一階に向かいました。その後は夏菜子さんの話通りです」

「藍木さんがエレベーターに乗ったとき、誰かいた?」

 菜々が首を横に振ると、文弘の顔が曇った。

 菜々が話した通り、エレベーターは古いせいか、ガーガーと音を出して動く。

 なので、エレベーターに乗った時は生きていて一階に着いた時には死んでいたとなると、エレベーターの中で死んだこととなる。

 菜々の証言によると、エレベーターの中に犯人はいなかった。

 また、エレベーターの扉を警察で調べてみたが何も異常がなかった。

 そのため、自殺の可能性が高いと思われる。

 しかし、教え子が家にきている時にエレベーター内で自殺をするだろうか。

 ありがとう、と菜々にお礼を言った文弘は難しい顔をしてほかの刑事の元に向かった。

 一人の刑事が「目暮」と呼ばれていたが菜々は今は気にしないことにした。

 痩せていることに驚きはしたが、彼女にはもっと気になることがあったのだ。

「何やってるんですか、先生」

 隣に座っている体が透けている人物に声をかける。

 菜々はお迎え課の鬼たちの会話を思い出していた。

「亡者はあの世の裁判を受けなければなりません。現世にとどまっていると罪が重くなりますよ」

 同名が藍木に説明するが、藍木が動こうとする様子はない。

「というか菜々ちゃん、わしが見えるのか?」

 藍木の問いに菜々は頷いた。

 

 藍木は自分を殺した犯人がわかるまであの世に行かないと言い張った。

 そこで、菜々は犯人探しをすることにした。藍木には良くしてもらっていたからだ。

 犯人を捜す理由の大半が、「ここで地獄に恩を売っておけば減刑してもらえるんじゃないか」という考えがあるからだったりするが。

 犯人を知るため、情報を集めることにした。まずは被害者の証言からだ。

「聞きにくいんですけど、亡くなった時の様子ってどんな感じでしたか?」

 菜々は誰も見ていないことを確認して尋ねた。

 誰もいないところに話しかける変な子と認識されたくない。

 藍木は気づいたら刀が刺さっていて死んでいたと答える。

 何か光ったような気がして、上を見上げたら刀が落ちてきたらしい。

「そういえば、エレベーターの天井に穴がありますよね。そこから犯人が刃物を落としたとか?」

 しばらく考え込んでいた菜々が他の人には聞こえないように囁いた。

 

 菜々だと入れてもらえないし倶生神は仕事中なので、藍木に確認してきてもらったが、エレベーターの上には埃が積もっていて人がいた痕跡はなかったらしい。

 だとすると刀が落ちてくるトリックを犯人が仕掛けた可能性が一番高い。

 ややこしくなるので、心霊現象とかは考えないことにした。

 何かしらのトリックを仕掛けられそうな人物は三人。

 藍木の妻である部堂夏菜子、藍木の息子である部堂奏。奏の子供である部堂貫太。

 全員、今日はほとんど家にいたのでトリックを仕掛けることが出来るだろうが、みんな良い人達だと菜々は思っている。

 この中の誰かが犯人だとは思えなかった。

「犯人、誰かわかります?」

 菜々は倶生神たちに尋ねてみたが、二人とも首をひねっている。

「部外者ではないことは分かるんだけど……」

 気まずそうに藍木をチラチラと見ながら同名は言葉を濁した。

「今思いついたんですけど、容疑者全員の倶生神さんたちに聞いたらいいんじゃないですか?」

 ポツリと菜々が呟いた。

 同名は嫌がったが、菜々に口論で負けて渋々聞きに言った。

 そんなに嫌なら同生さんに頼めばいいじゃないですか、と菜々に言われた時同名が青ざめていたことからもわかるように、彼は同生に頭が上がらない。

 しばらくすると、げっそりとした同名が帰ってきた。

 あの世の住民が、よっぽどのことがないかぎり現世のことに深く関わるのはタブーとされている。

 その上、ずっと人間の行動記録をつけていた倶生神はイっちゃってる場合がほとんどだ。

 そんな相手と交渉するのはかなり骨が折れる。

「無理だった」

 うなだれている同名を見て、菜々は一つ方法を思いついた。

 自分が土下座するところを同名の携帯で録画してもらい、その様子を相手の倶生神に見せれば少しは誠意が伝わるのではないか 。

 しかし、それだと菜々のほんの少ししかないプライドが傷つく。

 結局、その案は彼女の頭の中で行われた会議によって瞬時に却下された。

 その頃、容疑者たちは凶器に見覚えがないかを尋ねられていた。指紋は検出されなかったらしい。

「これは父の短刀です。イニシャルが刻まれているでしょう? 昔、僕と妻がプレゼントしたものです」

 藍木の息子である奏が答えている。

 菜々は思い当たる節があり、覗き込んで見た。

 血だらけではあるが刻まれたイニシャルはかろうじて読むことができる。

 15cmほどの長さで、端に十字架がこしらえてあり、その根元には6cmほどの鉄が露出している。

 (つか)がなかったが藍木に三時間も自慢されたため、すぐに分かった。

「この短刀、今日のお昼に見ましたよ」

 昼食をごちそうになってからは、先生の洋刀のコレクションルームに連れて行かれたので、それからは見てないですけど、と続けたら貫太から哀れみの目で見られた。

 長話に付き合わされたんだな、と目が語っていた。

「だとすると犯人は正午から犯行時刻である午後四時までの間にトリックを仕掛けたことになりますね」

 菜々の話を聞いた目暮が呟く。

 これは自殺ではないのかという貫太の問いに対し、他殺だと思う理由を目暮が説明していると、文弘が帰ってきた。

 菜々の両親に電話で事情を説明したらしい。

「なんで(つか)がないんだ? 狙いにくいだろうに」

 目暮に凶器を見せてもらった文弘も目暮と一緒に考え込む。

 しばらく二人は首をかしげていた。

 目暮がエレベーターの上に犯人がいたという説を思いつくが、文弘に否定される。

 彼はすでにエレベーターの天井に埃が積もっているのを確認したらしい。

「それに格子穴(こうしあな)がある。十字架の部分がつっかえると思うぞ。だいたい、人が入り込むスペースなんてなかった」

 そのころ、菜々はリビングの隅に移動していた。

「エレベーター、見てみたいです。警察の人に見つからずに見る方法ってないですか?」

 藍木にこっそり尋ねてみる。

「屋根裏から行けば簡単に見れるぞ」

 そう言われたので、トイレに行くと嘘をついて菜々は屋根裏部屋に向かった。

 

 警察がいない三階の部屋の押入れの中の天井を外せば、小柄な小学生の体は簡単に屋根裏に入ることが出来た。

 倶生神の携帯であたりを照らして進んでいく。あまり見通しが良くないがこの際仕方がない。

 埃っぽく、薄暗い屋根裏を進んで行くと床から光が漏れているところがあった。

 しゃがんでよく見てみると床板が少しずれていたし、その板に印がつけられていた。

 藍木によるとその印は、昔家族でつけたものらしい。長話が始まりそうな予感がしたので、菜々は理由を尋ねずにその板を取り外してみる。その真下にエレベーターの天井の穴があった。

 その穴は鉄の棒で四つに区切られている。文弘が言ったように、ここから短刀を落とそうとしても、十字形の(つば)がつっかえるだろう。

 エレベーターの箱と屋根裏部屋の床との間は10cmほどだった。

 誰かが屋根裏部屋に登って床板を取り外せば、その下にエレベーターの箱の天井にある穴があるし、そこへ手を届かせることも出来そうだ。

 エレベーターから視線を外して、何かないかと歩き始めた菜々は何かにつまずいた。

「これって……」

 足に当たったのは凶器である短刀の(つか)だった。

 倶生神に頼んで照らしてもらうと、(つか)に縄が結んであるのに気がついた。

 縄を目でたどってみると縄の端が近くの柱に結んであるようだ。

 菜々が柱に結び付けられた縄をほどいた。しっかりと結んであり、器用な方である菜々でも簡単にはほどけなかった。

 縄と短刀の(つか)をハンカチに包んでひろう。

「この縄、どこかで見たような……」

 菜々は記憶の糸をたぐった。

 確かあれはお昼のことだった。

 

「すみません。ご飯ごちそうになちゃって」

「いいのよ。旦那の長話につきあってもらっているんだから」

 そんな話を菜々と夏菜子がしていたとき、鍵を開ける音と、「ただいま」という声が聞こえた。

 奏が買い物から帰ってきたのだ。

 奏は家族が集まっている食卓には寄らず、自分の部屋に荷物を置きに行った。

 好奇心から、何を買ったのだろうと菜々は廊下に出てビニール袋を見た。

 ビニール袋が透明だったため、黄色と黒のものが入っていることを確認した。

 

 菜々が拾った縄は黄色と黒が交互になっている。

 だとすると、犯人は奏の可能性が一番高い。

「この縄、お昼に奏さんが買ってきたやつじゃないですか?」

 菜々の言葉でしばらく沈黙が続く。誰も信じることができなかった。藍木と奏はとても仲がよかったからだ。

「トリックがわかったわ」

 沈黙を破ったのは凛とした同生の声だった。

 同生が話したトリックに全員が納得した。

 しかし、犯人は本当に奏なのか。

 短刀に結んである縄は奏が買ったものと同じものである証拠はどこにもないし、同生が話したトリックは誰にでもできそうだ。

 もしかしたら別の人物が犯人ではないか。そのようなことを四人は思った。

 また、もしも犯人が奏だった場合自首してほしいという藍木の願いにより、一度奏と話してみることとなった。

 

 リビングに戻った菜々はお腹の調子を心配され、家に送られた。思っていたよりも長く屋根裏にいたらしい。

 

 

 

 次の日。

 菜々は奏の部屋にいた。夏菜子は同窓会、貫太は大学のサークルの集まりに行っているのでこの家に人間は二人しかいない。

「昨日の事件の犯人がわかったんです」

 菜々がそう告げた途端、奏は一瞬目を見開いたがすぐに表情を取り繕った。

 その様子から菜々担当の倶生神は奏が犯人だと悟ったが、藍木はまだ信じられないようだ。

「なんでそれを警察じゃなくて僕に言うの? もしかして僕が犯人だと思ってる?」

 菜々は緊張のあまり声が出ないのでうなずいた。

 緊張しているのは殺人犯を説得しなければならないかもしれないというのもあるが、観衆が多い。

 倶生神たちや藍木はいいが、浮遊霊が多すぎる。同生はお迎え課に連絡をしている。

 なんとか声を絞り出して同生の推理を話す。

「私はトイレに行くと嘘をついて、屋根裏部屋に行きました。決してお腹の調子が悪かったわけではありません。というかトイレにすら行ってません」

「菜々ちゃん、話ずれてる」

 同名に注意され、話を戻す菜々。

「えっと、トリックですけど、先生の短刀を盗んだ犯人は丈夫な3mくらいの縄を用意したんです。それから屋根裏に上がって、エレベーターの真上の床板のすぐ近くにある柱に縄の端をくくりつけて、もう一方の端を外した床板から下に垂らして、エレベーターの天井にある穴に入れます。

 この時一度、短刀の(つか)を外しておきます。力が加わったら(つか)が抜けるようにしておかないといけないからです。

 その後犯人は人目につかないようにエレベーターに入って、格子穴(こうしあな)を通して下がっている縄で短刀の(つか)を強く縛ります。(つか)にナイフで傷をつけてくくった縄が抜けないようにしたかもしれません。

 そしたら犯人はまた屋根裏に上がります。上から縄をひっぱって、短刀の(つか)格子穴(こうしあな)から出るようにして、十字架の形をした(つば)が下から格子穴(こうしあな)の鉄の棒にしっかり当たるまでひっぱります。つまり、縄の上部を結び直してぴーんと張るんです。

 夏菜子さんが『旦那の長話』って言っていたんで先生はいつも話が長いことがわかりました。だから、お昼ご飯を食べ終わってからしばらく先生の話が続くとわかった奏さんは、先生の短刀を盗んでこのトリックを仕掛けたんです」

 ついに菜々は犯人のことを「奏さん」と呼び始めた。話が進むにつれ、どんどんと奏の顔色が悪くなっていることから、犯人が彼だと確信したのだろう。

「後は、先生がエレベーターに乗って下の階のボタンを押せばいいんです。短刀の刀のほうは、(つば)格子穴(こうしあな)の下側につっかえているので下に引っ張られます。でも、(つか)は柱に結びつけてあるので止まります。しばらくすると(つか)が抜けて、その勢いで、刃が真下に向かって勢いよく落ちます。その刀が先生のどこかに刺さるっていうトリックです」

 菜々は唾を飲み込んだ。話すぎて喉が渇いたのだ。

(つか)と縄はすぐに回収するつもりだったんでしょうけど、貫太さんが『一箇所に集まっていよう』って言ったとき、賛成しないと疑われると思って(つか)と縄を回収せずにリビングに行ったんですよね?」

 カンペを見ながら話す菜々に奏が笑いかけた。ついこの間まで幼稚園児だった子供が相手なら言い逃れることができると思ったのだろう。

「確かに筋が通っているね。でもその方法なら僕の家族の誰にでもできる。僕がやったという証拠がないよ」

「屋根裏部屋の柱に結んであった縄、しっかり結んでありました。ほどくのに苦労したんで、素手じゃないと奏さんは柱に縄を結べなかったと思います。だから、縄には指紋がしっかりとついていると思いますよ。縄と短刀の柄は私が死んだらすぐに警察に届くようになっています。一応、奏さんが落としたレシートも」

 レシートは本当に奏が縄を買ったのか確認するために藍木に盗んできてもらったのだが、落ちていたことにする。

「あのトリックだとどこに刺さるかわからないので、殺せない可能性もありました。本当は先生に死んでほしくなかったんじゃないですか?」

 菜々は疑問に思っていたことを尋ねてみた。

 奏は大きなため息をついてから、観念したかのようにポツポツと話し始めた。

「僕の妻が死んでいることは知っているだろう? 妻は病気だった。気の持ちように病状が左右される病気だったんだ。だいぶよくなってきて、退院し、自宅に戻った頃だった。家事もできるくらい回復していたよ。でもある日、父さんが大事にしていた皿を壊してしまい、こっぴどく怒られてから、病気がぶり返してしまった。それからすぐに死んだんだ。あのとき父さんがあんなに怒らなければ……。僕は父さんを恨んだ。でも、父さんが大好きだった。だから不確実な方法を取ったんだ。判断は天に任した」

 この世界の神様に重要なことを任しちゃだめだろ、と菜々は白澤を思い出しながら思った。

「いや、あのときほとんど怒らなかったけど……」

 弁解するように言う藍木に菜々は疑わしそうな目を向けた。あんたの話は長すぎるだろ、と目が言っていた。

「一言注意しただけじゃ」

 藍木がブツブツ言い始めてうるさかったので菜々が奏に伝えることにした。

「前に先生から話を聞きましたけど、あの様子だと三分くらいしか怒らなかったみたいですよ」

 藍木の一言はだいたい三分くらいだ。

「そのあと、体調を崩したから一時間くらい休ませたが」

「説教が終わった後、体調を崩した奥さんは先生に三時間ほど休ませてもらったらしいですよ」

 藍木にとっての一時間は一般人にとっての三時間くらいだ。

「たしかに妻は呼び出されてから三時間後に戻ってきた……」

 奏は糸が切れた操り人形のようにがっくりとうなだれた。

 

 

 菜々が帰ってすぐ、奏は自首した。財閥の会長の座は親戚に譲り、道場は貫太が継ぐこととなった。

 この世界では殺人事件なんてよくあることなので、前会長が殺人犯でも特に問題は起こらないだろうと言われている。

 菜々は両親に「もう殺人事件に巻き込まれるような歳か」とほのぼのと言われ、この世界のヤバさを再確認した。

 また、今回のお礼として、事件が起こった夜から菜々の家に居候している藍木に必殺技を教えてもらうこととなった。

 すべてカッコいい名前の割には卑怯な技だった。

 おまけだった関節の外し方が一番使い道があるのではないかというのが菜々の正直な感想だった。

 

 修行に耐え、藍木があの世に旅立った後、菜々は同名の言葉で凍りついた。

「あなたは何?」

「はい⁉︎」

 思わず聞き返してしまった自分は悪くない、と菜々は自分を納得させる。

「入学式あたりからおかしいと思っていたんだけど、殺人事件の時に確信したわ。あんなに冷静に対応できて、推理力がある六歳児なんていない」

 新一とかはどうなるんだ、と現実逃避をしかけてしまったが、気を取り直して必死に頭をまわす。

「……入学式の日に前世の記憶が戻りました」

 それから、トリップする前のことを前世のように話した。

 この後あの世の裁判の様子を正確に言うことができたので、菜々は追及を逃れることが出来た。

 まだ何かがひっかっているが、それが何なのかが分からず倶生神たちは質問をやめることにした。

「中三の夏休みの終わりに死んだのね?」

 同生の目が怪しい光を放っていることに、必死に気づかないふりをしながら菜々は頷いた。

「じゃあ、勉強しなさい」

「え⁉︎」

 自分の顔が引きつるのを感じる。

「学校とは別に、中三レベルの勉強をしたほうがいいわ。何にもしないとどんどん忘れていっちゃうんだから。私、教員免許持ってるから大丈夫よ。……はい、か喜んで、以外の答えを言ったらあなたの悪行でっち上げるわよ」

 菜々は何が大丈夫なんだとか、そもそも地獄の免許は現世で適応されないんじゃないかとかは突っ込まずに、「はい」と答えるしかなかった。

「そうだ。普通の勉強もしますから地獄のことも教えてください」

 今度は倶生神がど肝を抜かれる番だった。

「転生する前に舌抜かれたんですよ。もうあんなことされたくないんで、地獄の法律の抜け道探します。それがだめなら地獄に就職して罪をチャラにしてもらいます。秦広王の補佐官さんみたいに」

 確かに舌を抜かれるのは嫌だが、菜々がこんな提案をした一番の理由は、地獄で雇ってもらいたかったからだ。

 元の世界に戻る方法を調べるには獄卒になるのが一番手っ取り早いと考えたのだ。

 地獄行きはもちろんのこと、転生も避けるとなると、天国行きと獄卒の二択になる。

 ただし、逃亡生活を送るとかいう確率がかなり低いものは考えないこととする。

 欲が少ない人が多い天国の住民の中で、情報を集めるためにしょっちゅう出かけていると目立つだろう。

 すると、獄卒一択となるのだ。

 いきなり「獄卒にしてください」と頼み込んでも相手にされないことは容易に想像がつくので、少しでも知識をつけておくことに越したことはない。

 いいわよ、と同生に許可をもらって喜んでいた菜々はこのとき、同生の授業がスパルタだとは知る由もなかった。




トリックは江戸川乱歩作の「三角館の恐怖」から拝借しました。


部堂藍木を大手会社の元社長から、財閥の元会長に変更しました。
それと同時に、部堂奏の職業を大手会社の社長から財閥の会長にしました。


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第2話

 月日は流れ、菜々は小学四年生になっていた。

 霊感に目覚めるのは寿命まじかに良くあることだと「鬼灯の冷徹」で言われていたが、彼女はまだ生きている。

 トリップしてから少し経ちその事に安堵していた時、この世界は「暗殺教室」の世界でもあると気がついた。

 子役である磨瀬榛名や、椚ヶ丘中学校の存在を知ったのが主な理由だ。

 言われてみれば、日本人なのに地毛が水色やピンク、赤などのありえない色をした人間を何度か見たことがある。

 また、磨瀬榛名と菜々は同年代だった。つまり、その気になれば椚ヶ丘中学校三年E組に入って暗殺の技術を身に付けることができる。

 二日に一回事件が起こる米花町に住んでいる以上、身を守る術を多くつけておくことに越したことはない。

 

 勉強机に座った菜々は今までの事に想いを馳せながらぼんやりと窓の外を眺めていた。

 彼女の家があるのは住宅街なので特に珍しいのもは見えない。子供達が道路で遊んでいる様子が見えるだけだ。

 どこでも目にする日常。菜々はその日常を体験した事がなかった。

 元の世界に戻る時、この世界の人に情が移りすぎると困る。わざと嫌われるようにと本来のものよりも高い精神年齢を隠していないため、不気味がられるから誰とも仲良くなってなくて当然。

 そんな風に心の中で言っているが、要するにぼっちなだけだ。

 もうすぐクリスマスだが、当然予定はない。

 菜々は窓から目を逸らし、机の上に座っている倶生神達に目を向ける。

 今日も彼らに勉強を教わっている。と言っても教えるのは同生で、同名は雑用をしたり同生をなだめたりしている。

 同生がなだめられているのは彼女の授業がスパルタだからだ。

 ムラっ気もあるし飽きっぽいものの、自分に被害が及ぶ可能性がある場合のみ根気強くなる菜々ですら何度も根を上げそうになった。

 そんな様子を見て、同名は同生の夢を菜々に教えた。

 彼女は教師になりたかったが、倶生神は人間の一生の記録をしなければならないという暗黙のルールのせいで教員免許は取ったものの就職先が見つからず、記録課に入ったらしい。

 その話を聞いてから、菜々は真面目に勉強に取り組んでいた。

「河童などの複数いる妖怪にはそれぞれ名前があるのよ」

「その話、十回くらい聞きましたよ」

 菜々から「同生のパシリ」認定されている同名が、菜々が解いたテストの丸つけをさせられている今は休憩中だ。

 やがて、同名の丸をつける音が聞こえなくなり、菜々の目の前に解答用紙が突き出される。

「いくつか漢字を間違えてたよ」

 見てみると十六小地獄の名前をいくつか間違えている。

 難しすぎる漢字を使っているのが悪い、と心の中で悪態をつきながら間違えた問題を確認している菜々の目は赤ペンで書かれた文字を映した。僕ら倶生神も複数いるよ。

 彼女は同生が同じ話を繰り返している意味がやっと分かった。

 同名に目をやると、口に立てた人差し指をあてている。

「そういえば同生さんの名前は何ですか?」

 同生は沙華(さやか)、同名は天蓋(てんがい)という名前らしい。

 菜々がようやく名前を尋ねてくれたので同生──沙華(さやか)の機嫌は良くなった。

 よって、いつもなら真面目に答えてくれないような質問にも答えてくれた。

「ぶっちゃけ、閻魔大王よりも第一補佐官の鬼灯さんの方が実権握ってるんじゃないですか?」

 菜々はトリップする前は鬼灯のことを様付けで呼んでいたが、さすがに少し会っただけという設定の人を様付けで呼ぶのは倶生神の手前どうかと思い、さん付けにしていた。

 菜々の問いに沙華(さやか)はしぶしぶ頷いた。

「なんでそう思ったの?」

 天蓋(てんがい)は顔を引きつらせて尋ねた。実際、菜々の言う通りだと思っているのだろう。

「呼び方です。閻魔大王は様付けじゃないのに、鬼灯さんは様付けで呼ばれてるじゃないですか」

 そんなことを話していた日、菜々は両親にクリスマスに外食に行くと告げられた。

 

 

 *

 

 

 米花町にある店に外食に行くと聞いた時、菜々は嫌な予感がしたがとりあえず楽しむことにした。

 菜々は店に着いた途端、クリスマスを祝うための外食なのになんで中華料理屋なんだ、と突っ込みたくなったがぐっと堪える。連れてきてもらった手前、文句を言うのは憚られるし、他人の金で食べるものは何でも好きだ。

 聞いた話によるとこの中華料理屋は一階は店で、二階と三階は店長の家族の生活場所になっているらしい。

 建物は塀に囲まれていて、出入り口から見て右側に小さな庭と裏門がある。

 雪が積もっているせいで外が寒かったため、暖房が良く効いている店内に入った菜々はジワジワと体が温まっていくのを感じた。

 店の中はけっこう豪華だった。赤を基調とした大広間に、回転テーブルがいくつか置いてある。また、壁に龍の絵が飾ってあり、高価そうな骨董品が壁際に飾ってある。「防犯カメラ作動中」と書かれた貼り紙が店内の雰囲気から浮いていた。

 どうやら繁盛しているようで、テーブルがほとんど埋まっている。

 店員の説明によると、回転テーブルがいくつか置いてあるこの部屋を進むと個室がいくつかあるらしい。

 菜々たちが回転テーブルの一つについてしばらく経ち、料理が来た頃に何人かの客が入ってきた。

 そのうちの一人の男が菜々の父親に気がつき、挨拶をした。男は七三分けの茶髪でメガネをかけている。彼らの会話からその男が父親の知り合いだと察する。

 彼もテーブルの数の関係で菜々達と一緒のテーブルにつくこととなった。

 気になることがあったので、彼への挨拶は簡単に済ませて、父の知り合いと同じタイミングで入ってきた夫婦を凝視する。夫のほうは二日に一度殺人事件を解決している男。妻のほうは伝説の女優。

 この店で殺人事件が起こることを菜々は悟った。

 

 菜々の父親の知人であり、YASASHISA SEIMEIの次期社長である亜久妙隆(あくみょうたかし)と食事を始めてけっこう経った。

 猿脳(えんのう)という猿の脳みその料理を菜々が頬張っている時、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。

 すぐさま優作が悲鳴が聞こえた方向に走っていく。

 彼が的確な指示を出したおかげですぐに警察が呼ばれた。

 

 

 この店には個室がいくつか存在する。

 個室に料理を届けに行った店員が遺体と、その側に(たたず)む男を発見したらしい。

 その個室はもともと物置として使われていたがほとんど物がなかったため真ん中で区切り、片方を店の個室としてもう片方を物置として使われていた。部屋の両端に扉があったため、出入りに問題はない。

 物置といっても最近、しまわれていた壺や絵を店内に飾ったため物はほとんどなかった。

 遺体の側に佇んでいた男はトイレから帰ってきた瞬間、カーテンの向こう側にいた犯人が発砲したと証言した。

 また、犯人が発砲したと思われる部屋の掃除をしていた店員が気絶しており、意識を取り戻してすぐ「銃を撃つ人影を見た」と証言した。

 確認したところカーテンには焦げた跡があり、客がいなかった現場の隣の部屋から犯人が発砲したことが証明された。

 

 そんな内容を刑事に説明している優作を眺めながら、今回は土下座しなくても良さそうだな、と菜々は考えていた。

 彼女は藍木が死んでから週に一回のペースで事件に巻き込まれていた。

 事件といっても殺人事件だけではなく、指名手配犯を目撃したり、人質にされたりしたときもある。

 殺人事件の被害者の亡者の大半は「自分を殺した奴が捕まるのを見届けるまであの世に行かない」というようなことを言い張った。

 菜々は推理力を少しでもつけるために、江戸川乱歩全集やシャーロックホームズシリーズ、アガサクリスティの著書など、思いつく限りの推理小説を読みあさっていたが、そんなことで推理力がつくわけがない。

 もちろん、優作や新一などの例は除く。

 とにかく、亡者をあの世へ送るためには事件を解かなければならなかった。

 こんな話を聞くと、倶生神にお迎え課に連絡してもらって後のことは全て任せればいいと思うだろうが、菜々にはそれができなかった。

 地獄に恩を売るためには自力で亡者を説得しておいた方がいいはずだ。

 それに、そんなことをしても事件はすぐに解決できない。

 日本の警察は優秀なので事件は解決されるだろうが、被害が多くなる前に食い止めたい。

 重要な手がかりを知ることが出来るのだからできる限りのことはしたい、と菜々は思っていた。

 初めは土下座することに抵抗があったが、連続殺人事件の時に一度土下座をしてから彼女はいろいろと吹っ切れた。

 いくらあの世が存在すると言っても残された人たちは悲しむし、被害者が転生してしまったら二度と会えない。

 まだ殺されない未成年のうちに事件を解決して新一と関わる可能性を上げ、準レギュラー以上になっておけば殺されないという算段もあったりするが。

 そんな理由で事件をすぐに解決するために事件に巻き込まれるたびに土下座をしてきた菜々は土下座がうまくなっていた。

 また、顔見知りの刑事も増えた。

 

「あなたが殺害現場を目撃した山岸昭博さんですね?」

 現場に来た刑事である目暮が尋ねる。

 この人が事件現場に来る確率高いな、と菜々は思っていた。

 ほぼ毎回東京で殺人事件が起こった時に来る刑事は目暮だ。もっと他に刑事はいるはずなのに。コナン七不思議の一つだと菜々は思っている。

「はい。僕がトイレから帰って来た時発砲音がして、社長が倒れました。僕は思わず社長を抱き起こそうと……」

「なぜあなたは犯人を追おうとしなかったんですか?」

「相手は拳銃を持っているようだったし、社長が死んだとは思わなかったのでまずは介抱しようと」

 そんなやりとりに口を挟んだ人物がいた。

「嘘つけ。俺が撃たれた時お前はいなかったぞ。お前が犯人だろう」

 亡者となった、被害者である新倉健輔だ。

 首根っこを(つか)んで、彼を人気のない廊下まで引っ張っていき、菜々はいつも通り話してみた。

「死後の裁判があるのであの世に行ってください」

 初めは菜々に自分が見えていることに驚く新倉だったがすぐに拒否した。

「山岸の今後ははっきり言ってどうでもいい。俺は行きたい場所がたくさんある。女湯とか」

 そう言った瞬間、新倉はうずくまった。

 新倉がうずくまったのは菜々が藍木に教えられた技、玉宝粉砕(ぎょくほうふんさい)を使ったからだ。

 ただキン◯マを思い切り蹴るだけだがかなり効く。

 男性からしたら恐ろしい技だが、女である菜々は恐ろしさを知らないので躊躇なく使う。

 新倉がうずくまった隙に菜々はリュックに入れてあった縄で彼をすばやく縛り上げた。

 このリュックはかなり大きい。証拠品を見つからないように回収するときは役立つ。

 しかし、今回は菜々が動かなくても優作がいるため、被害が広がる前に事件は解決するだろう。

 沙華(さやか)が呼んだお迎え課が到着するまで、菜々は彼をトイレの掃除道具入れにでも入れておくことにした。お迎え課の獄卒が到着するまで三十分ほどかかるらしい。

 天蓋(てんがい)はいまだに痛がっている新倉を見て青い顔をしていた。彼は新倉に心から同情していた。

 

 菜々が大広間に戻ると刑事や優作はいなくなっていた。

 とりあえず有希子にサインをもらい、あたりを見渡してみる。

 亜久妙隆(あくみょうたかし)の自慢話を聞かされそうだったので両親の元には戻らないことにしたのだ。

 食事中散々聞かされていたのだから、今は逃げても問題ないだろう。

 菜々は見覚えのある子供を見つけた。小学一年生くらいだろう。ツインテールで猫目の可愛い女の子だ。

 しばらく考えてやっと思い出した。三池苗子。名探偵コナンに出てくる婦警だ。

 確か彼女は千葉のことが好きだったはずだ。

 暗殺教室にも千葉が出てきたような気がする。ややこしい。

 そんなことを考えながら菜々は三池に近づいていった。

 未来の警察関係者とコネを作りたいという思いや、ただ単に興味があるという思いで菜々は三池に声をかけた。

 しかし一番の理由は仲良くなりたかったからだ。元の世界に戻る方法が見つかるまでは波風を立てないように過ごしたい菜々にとって、「脱ぼっち」は重要だった。ぼっちだと下手に目立ったりいじめの対象になったりするのだ。

 三池と話しているうちに、彼女は家族で店に来たと分かった。

 その頃、「なんで帰れないんだ」という声が上がってきたこともあり、店内は騒がしくなってきた。

 有希子が客をなだめている時、菜々と三池はすっかり打ち解けていた。

 トリップ前もトリップ後もぼっち人生を満喫していた菜々が打ち解けられたのは三池の性格が良かったからだろう。

 打算で声をかけたことを菜々は心の中で謝った。

「クリスマスなのになんで中華料理屋さんなんだろうね」

「洋食屋さんは予約でいっぱいだったんじゃない?」

 そんなことを話していると何人かの刑事と優作、山岸が戻ってきた。

 山岸は今まで個室で取り調べを受けていたのだろう。

 菜々は違和感を感じた。山岸の歩き方が少しおかしい気がする。

「犯人は外に逃げたんだろ? なんで帰っちゃいけないんだ」

 亜久妙隆(あくみょうたかし)が文句を言った。彼につられて他の客たちも文句を言いはじめる。

「犯人が外に逃げたと言われているのは犯人が居たと思われる部屋の窓が開いていて、そこから足跡が続いていたからですよね?」

 優作が説明し始めたのを見て菜々は疑問に思った。ここは刑事が説明するところではないだろうか。

 今まで文句を言っていた客たちは口をつぐんだ。

「窓の真下はコンクリートだったので飛び降りた跡は付いていませんでしたが、その先から足跡が始まっているし、窓が開いたままになっている。また、いろいろな品が雪の上に散らばっていました。コートや帽子。手袋に拳銃。コートや帽子は気絶させられていた店員さんの証言に一致しました。一瞬犯人を見たそうです。犯人が犯行当時、身につけていたもので間違いないでしょう」

 犯人の遺留品には指紋などの手がかりは残されてなかった。

「ここまで聞くと犯人は外に逃げたように思えますが、それだといくつか矛盾が生じます。一つ目は足跡が残っていたことです。建物の周りはコンクリート敷になっている。そこをつたっていけば裏門に続いている石段があります。石段があるのは犯人が飛び降りたと思われる場所から1mほど進んだ場所でした。たいした手間ではないはずなのになぜ石段を通らなかったのか」

 犯人は足跡をわざと見せたことになる。外部犯に見せかけた内部犯だろうか。いつもの癖で菜々は考え込んだ。

「二つ目の矛盾は証拠品が落ちていたことです。いくら手がかりを残さないようにしたとしても、現場から離れた場所で始末したいと思うのが自然ではないでしょうか。第三の矛盾は裏門がしまっていたことです。内側から掛け金を掛けられたままになっていました」

「犯人は裏門を乗り越えたんじゃないか? 塀よりも門の方が低くて乗り越しやすいからな」

「それが第四の矛盾ですよ」

 優作は尋ねてきた目暮に返す。

 内容を知らされていないのによく今まで口を挟まなかったな、と菜々は思った。それだけ優作のことを信頼しているのだろう。

「裏門に乗り越した痕はありませんでした」

「じゃあ、門から出た後になんらかの方法で内側に掛け金を掛けたんだろう」

 客の一人が反論するが、「あれだけ証拠を残しているのだから、そんなことをする必要がない」と返された。

 つまり、犯人はこの中にいます。優作がそう言い放った途端に店内が騒がしくなる。

「山岸さん。あなたは取り調べの時、社長と一緒に店に来たと言いましたよね? 店員さんに確認したところ、新倉さんが到着して少し経ってから店に着いたと聞きました」

 山岸は優作の鋭くなっている目を見て青ざめた。

「少し遅れただけなのでわざわざ言う必要はないかと……」

 おそらくそのような事情聴取は菜々が新倉をトイレの掃除用具入れに押し込んでいるときに行われたのだろう。

「あなたの行動はこうだ。前もって足跡を雪につけておき、足跡をつけるために履いた靴を隠してから、なに食わぬ顔で新倉さんが待っている個室に入る。しばらくしたらトイレに行くと嘘をつき、用意しておいた服を着てカーテンの向こう側に回り込んだ。その時、掃除をしていた店員さんを気絶させた。彼は掃除定期的に掃除をしているそうですね。あなたはそれを知っていて犯行におよんだ。犯人の目撃者を作るためにね。その後、窓から着ていたコートや帽子、拳銃と手袋を捨て、現場に戻った。違いますか?」

「証拠はありますか?」

 山岸は恐怖に顔を引きつらせながら尋ねる。

「あなたが足跡を残すために使った靴です。今、刑事さんたちに探してもらっています。あなたが犯行後、一歩も店から出ていないことを考えると、店のどこかに隠してあるんじゃないですか?」

 事件は解決されたかのように思われた。

「どこにもありません!」

 そんな時、血相を変えた刑事が大広間に飛び込んできた。

 菜々には思い当たる節があった。

「正直に話した方がいいよ」

 天蓋(てんがい)に勧められ、菜々はおずおずと前に出た。

「その靴、私が持ってます」

 刑事の目が点になった。

 

 

 二十分前。菜々は捕まえた新倉を男子トイレと女子トイレ、どっちの掃除道具入れにしまうか考えていた。

「どっちがいいと思います?」

 倶生神に尋ねてみる。

 新倉は男性だが、菜々は彼をしまうために男子トイレに入るのが嫌だった。

 しかし、沙華(さやか)に説得され、結局男子トイレにしまうこととなった。

「なんか箱が邪魔なんですけど」

 新倉を掃除道具入れに押し込もうとしたが、箱が邪魔で入らなかった。

 トイレ掃除道具入れにある謎の箱を触るのは嫌だったが、ぐずぐずしていると沙華(さやか)に怒られるので菜々はおそるおそる箱に触れた。

 新倉を押し込み、興味が湧いたので出した箱を観察する。

 ダンボール製だ。蓋を開けてみると靴が入っていた。

 今まで事件に巻き込まれた時に身につけた勘で、重要なものだと分かったので菜々はリュックにしまった。

 

 

「どこにあったのかな?」

「男子トイレの掃除用具入れの中です」

 なんで菜々が男子トイレにいたのか刑事は聞かないことにした。誰にでも聞かれたくないことはある。

「それがなんだって言うんだ!」

 山岸が怒鳴った。靴が見つかっても持ち主が分かるはずがないと思っているのだろう。

「足、怪我してるんじゃないですか?」

 菜々の問いに山岸は固まった。ずっと歩き方がおかしいと思っていたのだ。

「もしも血が靴についていたらDNA鑑定ができますね」

 刑事の言葉に山岸はがっくりとうなだれ、語り始めた。

「脅されていたんだ。あいつにいくらむしり取られたことか……。もう限界だった。だから殺した。それだけだ」

 その後、彼が話した内容によると、彼はこの店の常連だったらしい。そのため、物置部屋のことを知っていたし、店長の家族が出かけているから足跡をつけるところを目撃されないだろうと思っていたようだ。

 足の怪我は、先週ガラスを踏んだ時に負ったもの。雪で濡れた靴下を履き替えようとした時、貼っていた絆創膏が剥がれてしまったらしい。

 また、店内に設置されていた防犯カメラに、彼が箱を抱えてトイレに向かう様子が映っていた。

 事件が解決し山岸が刑事に連れていかれ、菜々が優作にサインをもらったり、三池とまた遊ぶ約束をしているうちにお迎え課の鬼たちが到着した。

「ここにサインしてください」

 人気がない廊下で、菜々はいつも持ち歩いているノートの一点を指差した。

 ノートに書かれている内容は新倉健輔の大まかな記録と、彼女が彼を足止めしていたと言う内容だった。

 鬼たちは何も尋ねず、サインをした。

 お迎え課では、捕まえたりあの世へ送り届けた亡者の記録をとっている女の子がいるという話は有名だからだ。

 なんでも、霊感があっても普通は見えないはずの倶生神が見えているらしい。

 裁判で減刑してもらうのが目的らしいというのがもっぱらの噂だ。

 獄卒になりたい理由と裁判の時に獄卒に推薦してほしいことを簡単に伝え、「加藤菜々に清き一票を」といつも通りの挨拶で鬼たちを見送った菜々は家族の元に戻った。

 

 

 

 次の日。中華料理屋で起こった殺人事件が新聞の一面になっていた。

「またもや黄金神事件による悲劇」という見出しが目に留まり、菜々は読んでみた。

 十三年前に起こった黄金神事件。一人の大富豪が開いた宗教、黄金神教が元になった事件である。

 黄金神教とは、黄金神という神に祈りを捧げ、山の中で信者たちが集団生活を送って精神を高めるという教えだ。

 それらの事は信教の自由の範疇(はんちゅう)とされていたが、しばらく経って信者が「殉教(じゅんきょう)」の名のもと、次々と自殺をしていることが判明。マスコミに取り上げられて社会問題となり、警察が介入することになった。

 やがて、孤児院から引き取った子供達を「生贄」として殺害していたこと、幹部たちが法外な寄付金を使って贅沢な暮らしをしていたことが判明した。

 それからと言うもの、黄金神教に関わっていたというだけで世間体が悪くなり、就職が難しくなるなどの問題が起こった。

 山岸は新倉に昔、黄金神教の信者だったことを知られて脅されていたため犯行におよんだ。

 そのようなことが書かれていた。

 

 

 部堂道場からの帰り道、菜々は阿笠から修理してもらったターボエンジン付き自転車を受け取った。

 部堂道場に入った本来の目的の「阿笠博士と仲良くなって道具を無料で作ってもらう」事は達成出来ていた。今では家族ぐるみで付き合いがある。

 昨日、三池のことをすぐに思い出させなかった時から気づいていたが、原作知識がだんだん薄れてきている。

 本当はトリップしたと分かってすぐに記録を残したがったが、倶生神の目があって出来なかった。

 どうしよう。まあ何とかなるだろう。と楽観的に考えていると買い物から帰ってきた工藤夫妻とばったり出会い、家に招かれた。

 前回の事件で目暮に話を聞き、興味を持たれたらしい。

 優作たちとは良好な関係を築きたかった菜々はおじゃますることにした。

 

 

「私、米花町が呪われていると思うんです」

 出してもらった紅茶を飲みながら、菜々は工藤夫婦と世間話に花を咲かせていた。

「二日に一回事件が起きてるし。週一で殺人事件に巻き込まれるのが嫌だったんで何度かお祓いしてもらおうとしたんですけど、米花町に住んでいるって言った途端うちでは無理だって追い返されるんですよ」

 優作と有希子は笑い飛ばしていたが、米花町の事件発生率は異常だと菜々は未だに思っていた。

 よくよく考えてみれば、米花町で起こった事件のほとんどに優作が関わっていたような気がする。

 本当に呪われているのは米花町ではなくて優作ではないかと菜々は思った。

 これから、週に一度事件現場で優作に会うようになることを菜々はまだ知らない。




トリックは江戸川乱歩作「三角館の恐怖」から拝借しました。

亜久妙隆(あくみょうたかし)は鬼灯の冷徹第84話 会社の怪(アニメだと加々知の冷徹)に出てきた社長の息子です。


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中学二年生編
第3話


沙華(さやか)天蓋(てんがい)のふりがなはこれからつけません。
また、しばらく推理が出てきません。



 桜が満開の並木道を歩いている少女がいた。

 胸までのまっすぐな黒い髪、パッチリとした目。着ているのは椚ヶ丘中学校の制服。

 彼女は昔、肩までの髪で寝癖がひどい時はピーチ・マキにそっくりだったが、原作知識が薄れてきている本人はそんなことは覚えていない。

 というか漫画なんて顔は同じで髪型だけ違うということがよくある。

 例えば、漫画「D r.スランプ」では作者が女性となると同じ顔しか描けないことから、木緑あかねが山吹みどりに変装した事が何度かある。

 菜々ははため息をついた。せっかくの春休みなのに何でわざわざ学校に行って勉強をしなければならないのだろうと。

 彼女は椚ヶ丘中学校に通っていた。

 両親に頼んでみたところ、二つ返事で承知してもらえたのだ。

 この世界の両親は自営業を行なっているらしい。大きい会社ではないがそれなりに儲かっているようだ。

 中学受験をするにあたり、塾にも通わせてもらったので感謝している。

 

 

 特別勉強会のお知らせ。

 一年間中学校生活に耐え、春休みに羽を伸ばそうと思っていたのだが、修了式にそんなプリントが配られてしまった。

 両親にプリントが見つかり、タダなのだから参加しろと言われた挙句、弁当を持たされて笑顔で送り出されたら行かない事なんてできるわけがない。

 菜々は昨日も殺人現場で優作と会ってしまい、気が滅入(めい)っているので金田一少年の事件簿を読みたかった。

 主人公の友人や知人、子供や犯人まで死んでしまうことがある漫画を読んで、この世界にトリップしなかっただけまだましだ、と自分に言い聞かせたかったのだ。

「サボりたい」

 菜々は呟いた。特別勉強会は自由参加だ。

「気持ちはわからなくはないけど……」

 天蓋は学校の様子を思い出していた。

 ごく少数の生徒を差別する事で大半の生徒が緊張感と優越感を持ち、頑張る。

 合理的な仕組みだが、楽しい学校生活とは言えないだろう。

「まあ、勉強会に行かなくても大丈夫な成績なんじゃない?」

「天蓋さんもそう言っている事だし、サボってもいいですよね?」

「別にいいけど、記録はするわよ」

 沙華に言われて言葉につまる菜々。

 吼々処(くくしょ)。大叫喚地獄の十六小地獄の一つで、恩を仇で返した者、自分を信頼してくれる古くからの友人に嘘をついた者が落ちるとされている。今では、自分を信頼してくれた人に嘘をついた者が落ちる地獄となっている。

 昔、沙華に教えてもらった内容が頭をよぎった。

 顎に穴を開けられ、舌を引き出さて、毒の泥を塗られて焼けただれたところに毒虫がたかるという拷問が行われるはずだ。

 勉強会をサボる程度なら大した罪に問われないだろうが、色々とやらかしている菜々としては、できるだけ抜け穴を探したい。

 何か良い手はないだろうかと思考にふけっていると、目の前をよぎったものがあった。

 菜々はおもわず目を見張った。

 普通の人はこんな道端で見ることはないだろう。

「稲荷の狐ね」

 沙華がそう言った瞬間、菜々は走り出した。

「まさかとは思うけど、あの狐の跡をつけるつもりじゃないよね?」

「そのまさかです」

 そう言いながら菜々は走る。(体が)小さい頃から犯人から逃げ回っていたので持久力には自信がある。

 狐はE組校舎がある山に向かっていた。

「私は稲荷の狐に興味を持って尾行し、勉強会に行けなかった。これなら少なからず地獄にも責任があるので減刑対象になると思います」

「稲荷の狐なんて何回も見た事あるでしょ!」

「地獄に責任なんてないと思うよ」

 沙華と天蓋がくちぐちに突っ込む。

 やがて狐が山に入り、菜々も入る。

 勉強に集中するために部堂道場を辞めさせられてから、体を鍛えるためにこの山を走っていた菜々には慣れた道のりだった。

 しばらく走っていると狐は山道からそれ、獣道に入った。

 旧校舎に行くなら橋を渡った後は右に曲がるが、狐はそのまままっすぐ進み林の中を通る。

 林を抜けると、狐の姿は影も形も無くなっていた。

 菜々の目の前には教室一つ分くらいの草原が広がっており、その先は行き止まり。随分と殺風景だ。

 視線を上に移すと、地面が続いていることが分かった。ここは崖の下なのだろう。

 あの狐は崖を飛び越えたのだろうか。

 とにかく、菜々は崖に近づいた。どうせ、このまますぐに本校舎に戻っても遅刻する。

 よくよく見てみると崖壁には人が一人通れるくらいの小さな割れ目があった。

 好奇心に負け、菜々はそこに立ち入った。

 暗かったので、阿笠に作ってもらった腕時計型ライトであたりを照らしながら進んでいくと、地響きのような音が聞こえてきた。

「今すぐ戻りなさい!」

 だんだん周りが明るくなってきた頃、ここがどこなのかをいち早く理解した沙華が叫んだがもう遅かった。

 菜々のすぐ近くにティラノサウルスがいた。

 

「ここって地獄門?」

 天蓋が思わず口走った通り、ここは地獄の入り口だ。

 幸い、ティラノサウルスは寝ている。さっきから聞こえてきた音はティラノサウルスのいびきのようだ。

 このままこっそり戻ろう、と提案しようとした天蓋だったが、菜々の言葉の方が早かった。

「このまま進みます。背を向けた瞬間やられるって私の本能が言ってるので」

 沙華は菜々の意見に賛成だった。菜々の勘は命の危機がある場合のみよく当たる。

 もちろん、ティラノサウルスは霊体なので人間に害はないはずだが菜々は違う。

 思い出してみると彼女は簡単に亡者に触れていた。

 沙華が賛成の意を示すと、菜々は一歩踏み出した。

 

 

 

 事件に巻き込まれ、犯人に追いかけられるようになってから、ある程度気配を消せるようになっていた菜々は思っていたよりも簡単に地獄門を通過できた。もちろん、倶生神が道案内をしてくれたのも大きい。

「とりあえず鬼灯様のところに行った方がいいわね」

 沙華が閻魔でなく鬼灯の名前を真っ先に出すことから、地獄の黒幕が誰なのかよくわかる。

 しばらく歩くと人だかりが見えた。

「だからよォ!」

 桃を全力で主張した格好をしている男性の怒鳴り声が響き渡る。

「ここで一番強い奴連れて来いっつってんの!」

 なんかこんなような話があったような気がする。

 確かあれは桃太郎でなんだかんだあって桃太郎は白澤のところで、犬猿雉は不喜処で働くことになったはずだ。

 ここまで思い出すのに随分と時間がかかった。やはり記憶が薄れているな。

 菜々はそんなことを思いながら近くにあった木に登った。

 茄子が鬼灯を連れてきた時、菜々は木の枝の上であの世に送り届けた亡者を記録しているノートと筆記用具を取り出していた。

 メモを取る気まんまんだ。

「「何やってんの!」」

 そんな倶生神たちの突っ込みに対し、

「こんなおもしろ……貴重な体験は記録に残すべきです」

 と答えた菜々は記録を取り始めた。

 

 全員の就職先が決まった時、菜々は息をついた。

 記録は一言も間違えずに取ることができた。

 中学校の授業のペースが早いせいで、ノートをとっているうちに早筆が得意になっていたからだ。

 すごい。そんな言葉が菜々の頭でいっぱいになっていた。

 よくあんなにも、相手を最も落ち込ませる言葉がすぐに出てくるな、と。訳がわからない理由で人殺しをした輩と定期的に顔を合わせる米花町民として是非とも参考にしたい。

 

「いい加減、おりてきたらどうですか?」

 周りに誰もいなくなったことを確認してから、鬼灯が木に向かってため息混じりに話しかけた。

「気づかれていましたか」

 答えると菜々は木から飛び降りた。

 蘭は二階から飛び降りて、車で逃げようとする人間を窓ガラス越しに蹴ったことがあるのだ。

 少し前、蘭と同じように電柱にヒビを入れようとして失敗した菜々だが(弁償の二文字が頭をよぎったせいだと菜々は言い張っている)、これくらいのことはできる。

 制服姿だが、いつもスカートの下に体操服のズボンをはいている彼女に死角はなかった。

 鬼灯は倶生神をチラリと見る。

「生者ですか」

 そう呟くと、「ついてきなさい」と言って踵を返した。

 しばらく無言が続く。

 菜々はキョロキョロと辺りを見渡していたが、ふと違和感を感じた。鬼灯の歩く速さだ。

 木の上から見ていたときより歩くのが遅い。自分に合わせてくれているのだとしたら、結構優しい人なんじゃないかと菜々は思った。

 

 

 閻魔殿に到着し、法廷に入った時の鬼灯の目に飛び込んできたのは閻魔の周りに群がる獄卒たちと、机の上に積まれた大量の書類だった。

 閻魔は鬼灯が舌打ちをしたのに気づかず、助けを求めた。

「鬼灯君、ちょっと助け……」

 閻魔の声はそこで途切れた。鬼灯が投げた金棒が顔にクリーンヒットしたからだ。

 顔から大量の血を出す閻魔を見て、菜々は「この人が優しいわけがない」と思い直した。

 少し待っていてください、と菜々に言ってから鬼灯は獄卒の話を聞いた。

 

「阿鼻地獄で川が氾濫? 応急処置として亡者で防ぎなさい」

「黒縄地獄は経費を見直す。拷問道具に凝りすぎなんですよ。新たに拷問道具を買うとき、許可は大王(ジジイ)でなく私にもらいに来てください」

「亡者があふれかえっている? 牛頭馬頭さんがいないせいでしょう。確か賽の河原の子供向けの乳搾り体験と乗馬体験に駆り出されていたはずです。もうすぐ終わるのですぐに門の番に戻るでしょう」

臭気覆処(しゅうきふくしょ)の改定案は会議で出してください」

 次々と問題を片付けていく鬼灯に菜々は目を奪われた。

 やはり、この人はすごい。性格はともかく。

 獄卒はいなくなり、閻魔は鬼灯に確認してもらう書類を渡そうとして菜々に気がついた。

「あれ、その子は?」

「倶生神がいるので生者でしょう。篁さんと同じです」

 閻魔は適当にあしらわれたことを感じ取ったのかブツブツ言っていたが、彼は無視を決め込んで菜々を執務室に通した。

 

 

「あなたがお迎え課で有名な……」

 倶生神から菜々が、亡者をあの世に送ることを手伝っている事と、獄卒になるために勉強をしている事、地獄に来た理由を聞いた鬼灯が呟いた。

「そんなに殺人事件に巻き込まれるということは、お迎え課ブラックリストに載っている町に住んでいるんですか?」

「米花町です」

「なるほど」

 鬼灯と沙華が菜々にはわからない会話をし始めた。

「それで私が死んだら獄卒にしてもらえますか?」

 とりあえず菜々は頼んでみた。

「倶生神から聞いた話によると、下手したらそこらへんの獄卒よりも知識が多い。また、亡者を捕まえるために容赦なく股間を蹴り上げたり、目に塩を投げつけたりする姿勢もすばらしい。この歳にして人脈があることから運があり、世渡りが上手いと分かります。何より地獄に迷い込んで記録をとるという行動に出たあたりにミステリーをハントできる可能性を感じるので採用します」

 鬼灯の決断に天蓋は突っ込みたかった。

 重要な要件を閻魔に相談せずに決めるのはいつものことなので気にしないが、菜々を獄卒にすることにした最後の理由がおかしい。

 しかし、その考えを言葉にすると恐ろしいことになりそうなので何も言わなかった。

「じゃあ、今まで捕まえた亡者のことがなくても獄卒になれていましたか?」

 その問いに、鬼灯が頷いたので菜々は交渉を始めた。

「それならその働き分、お金ください」

 

 交渉ののち、今までお迎え課の力を借りずに、あの世まで行くことの説得に成功した場合は850円、お迎え課が来るまでの間、足止めをしていた場合は500円支払われることとなった。

「現世の金に両替して現金で渡しましょうか? それとも振込支払いにして、死後給料を受け取りますか?」

「振込支払いでお願いします」

 そんな会話により、銀行口座を作っていると、結構時間が経っていた。腕時計を確認してみると、地獄に来たのは九時頃だったのに、もう昼に近かった。

 菜々が今回得た大金に浮かれていると、鬼灯に話しかけられた。

 今は銀行から閻魔殿に戻っている途中だ。鬼灯によって椅子に縛り付けられた閻魔は必死に仕事を片づけている事だろう。

「お迎え課でバイトしません? あなたが見つけた亡者を捕まえて、地獄に送るという内容です」

「どうやって地獄に届けるんですか? もしも私が地獄で死んだら大問題になると思いますよ」

「亡者の運搬は稲荷の狐に任せます。金額はさっきと一緒で。必要ならその狐に現世の金に両替したバイト代を持って行ってもらえばいい」

 その話に乗った菜々はそのまま鬼灯と一緒にお迎え課に出向いた。縛り付けられた閻魔をほったらかしにして。

 

 

「ありがとうございます!!」

 そんな男性の声と一緒に鞭で叩く音がお迎え課から廊下に聞こえてきた。

「そういえばお迎え課はマゾの巣窟(そうくつ)になっています」

 真顔でそう言う鬼灯に菜々はもっと早く言って欲しかったと思った。

 

 お迎え課に入ると女性の周りに何人かの男が転がっていた。

 女性が鞭を握っていること、男性たちの背中に鞭の跡があることから、原作知識を思い出した菜々はその女性が荼枳尼だとわかった。

 鬼灯が事情を話すと、彼女は適当な狐を差し出した。

「私、その子の事あまり覚えてないから詳しいことは本人に聞いて」

 荼枳尼にサインをもらってから菜々はお迎え課を後にした。

 その後、このようなことが起こった原因を聞いたり、仕事の様子を見せてもらったりしてから菜々は帰路に着いた。

 黄泉竈食ひ(よもつへぐい)という死後の世界の物を食べたら元の世界に戻れないというルールのせいで空腹だった。

 

 

 *

 

 

 ミーン、ミーンという蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 地獄でアルバイトをすることが決まってから時間が経ち、夏休みになっていた。

「暇だ……。ソラ、なんか面白い話ない?」

 沙華に口を酸っぱくして言われたため、課題をさっさと片付けてしまっていた菜々は暇をもてあましていた。

 ソラというのは地獄から菜々のサポートとして来た稲荷の狐だ。ちなみにメス。

 荼枳尼からちゃんとした説明をしてもらえなかったし、名前を尋ねても分からないと言われたので菜々がつけた。

 空狐だから「空」を訓読みして「ソラ」という安直な理由だが、本人は気に入っていたりする。

 菜々とソラはすっかり仲良くなっていた。

「確かもうすぐこの近くにある乱舞璃神社でお祭りがあるんじゃなかったっけ?」

「まだまだ先だよ」

 そんな話をしている菜々だが、(はた)から見ると一人で喋っているように見える。

 あの世の住民であるソラは特殊な光を浴びない限り普通の人には見えない。

 今回の仕事では、人間に見えていない方が都合がいいのでその光を浴びていないのだ。

 ソラが変化(へんげ)が得意と知った菜々は、漫画の登場人物に化けて欲しかったが断られた。

 モフモフした狐姿のソラは、夏だと見ているだけで暑苦しいのでなんとかしたかったが失敗に終わった。

 やることがなく、昼間からベッドに横になる菜々。

 あれから一度も地獄に行っていない。

 また行きたいな、と彼女は思った。なぜそんな事を思ったのかわからなかったが、すぐに「漫画の舞台だからだろう」と納得した。

 思い返してみれば貴重な体験だった。今度はゆっくりとあの世を見学したい。

 そんな事を思っていると、菜々が地獄に来た時に通った道について鬼灯が話していた事を思い出した。

 

 

 ──椚ヶ丘中学校の特別校舎は昔、椚ヶ丘中学校の理事長である浅野學峯さんが開いていた塾の校舎でした。

 彼が滅多に人が訪れることがなかったあの山を買った時、今回菜々さんが通って来たあの世への入り口を塞ぐべきだという案が挙がりました。

 しかし、封印するときは手続きがめんどくさいし、中学受験のための塾だったので生徒は小学生。

 小学生なら入り口があるところまで行けないだろうし、學峯さんも、山の危険な場所の探索なんてしなかったので保留となっていました。

 やがて學峯さんは塾をたたみ、新たに作った椚ヶ丘中学校の落ちこぼれクラスとして山にある旧校舎を使った。

 落ちこぼれクラスに落ちた生徒には山を探索する気力なんてなかったのでまたもや保留に。

 そんな事をしていたら、菜々さんがその入り口を通って来たというわけです。

 保留を決定したのは大王なので、こんな事になった責任も大王にある。

 なのでこのまま椅子に縛り付けたままでもなんら問題ないです。

 

 

 思いがけず、菜々は理事長の過去を知ってしまった。

 確かに、漫画やアニメで語られていたのはそんな内容だった気がする。

 いい加減この原作知識が薄れていくのを止めなくてはならない。そう、彼女が決意した時に電話がかかってきた。

 携帯を見てみると「三池苗子」という文字が映し出されていた。

 三池の要件は「肝試しに付き合ってほしい」という内容だった。

 帝丹小学校に伝わる七不思議を順番に確認するものらしい。

『お母さんが、菜々がついていくなら行ってもいいって言ったの』

 三池は昔、菜々のことを「菜々お姉さん」と呼んでいたのにいつのまにか呼び捨てになっていた。

 三池が呼び捨てするようになったのは、菜々が学芸会の時、時間つなぎのためにう◯このウンチクについて語ったからなのだが、本人は知らない。

「肝試しって誰が来るの?」

 菜々がそう尋ねてみると、米原桜子や千葉和伸などの知っている名前が出てきた。

 三池の思いを知っている菜々は千葉和伸が来ると聞いて行くことにした。

 

 

 

 あたりが暗くなった頃、校舎の前に肝試しに行くメンバーが集まった。

 三池苗子、米原桜子、千葉和伸、山田輝、加藤菜々の五人だ。彼らの関係性を一言で表すなら幼馴染である。

「菜々、鍵を手に入れたんだよね?」

 三池の問いに、校舎の鍵を取り出して菜々は頷く。

「どうやって手に入れたの?」

「桜子ちゃん。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」

 純粋な目をして質問してきた桜子の肩に手を乗せ、菜々は返した。

 ソラに盗んできてもらっただけだ。

 警備員は酒を飲んで寝ていたので特に邪魔もなく彼らは校舎に入った。

 菜々は今日、三池から聞いた七不思議の内容を思い出していた。

 二階から三階に上がる東階段の段が増える。廊下に夜な夜な声が聞こえるが誰もいない。屋上に人魂が出る。何もないところを蹴っている怪しい生徒がいる。

 四つしかないが、大抵の七不思議はそんなものだろう。

「怪しい生徒は多分私のことだから」

 一応、菜々は知らせておく。

 おおかた、亡者を蹴っているところを見られたのだろう。

 何やってるの! と突っ込まれつつ、菜々は懐中電灯であたりを照らしながら進んでいった。

 

 階段は数え間違いだったので、姿なき声が聞こえるという廊下に向かった。

 廊下には一つの扉があったが、壊れたまま放って置かれているらしい。

 ガヤガヤと声が聞こえてきた。扉の向こう側から聞こえて来るような気がする。

「私が扉を蹴破ったら、すぐに中の写真を撮って」

 三池にカメラを渡して菜々は頼んだ。

 何かが吹っ飛んだ音が校舎に響き渡り、扉の向こう側にいた人物たちの動きが止まった。

 一瞬固まってしまったが、三池はすぐにシャッターを切った。

 扉が開かず、ずっと放って置かれていたはずの空き教室には何人かの教師がいた。

 手に缶ビールを持っているし、床にはつまみが広げてあることから、何をやっていたのかは容易に想像できた。

「私たちがここにいたことを誰かに行ったら、この写真を全校集会中にばら撒きますよ!」

 菜々が三池から受け取ったカメラを掲げて叫んだ。

 もう卒業したはずなのにどうやって写真をばらまくんだ、と突っ込む余裕のある人はいなかった。

 

 教師たちはたまに空き教室に集まって、愚痴をこぼしていたらしい。

 扉の横の壁を蹴ると扉が開くので、こっそり集まるのに適していたようだ。

 肝試しをしていることを話すと、つまみ用に買ったであろう菓子を国上がくれた。

「死神先生がお菓子をくれた……」

 千葉和伸は心底驚いていた。陰険でケチな性格の国上が菓子をくれるなんて、と顔に書いてある。

 しかも扉を壊した事をとがめられていない。

「結構いい先生だよ。脅……頼めば大抵のことはやってくれるし」

 

 

 そんな事を話していると屋上に着いた。

「何もいないね」

 噂通りなら屋上に青白い火の玉が浮いているはずなのだが、彼らには何も変わったところは無いように見えた。

 やがて、人魂も見間違えだったのだろうという結論になり、帰ることとなった。

 三池と桜子を家に送り届け、菜々はもう一度小学校に戻った。

 三池たちには見えていなかったようだが、菜々は人魂を見た。

 こんなような話、どこかで聞いたような……と菜々はしばらく考えると思い出した。

 

 あれは地獄に行った時のことだ。

 お迎え課に行き、理事長の過去を思いがけない形で知ってしまった後、菜々は鬼灯の仕事を見学することとなった。

「ちょ、鬼灯君。いい加減ほどいて! 漏れるって!」

 いまだに椅子に縛り付けられていた閻魔が頼み込む。

 仕事を全て終わらせている事を確認してから鬼灯は縄をといた。

 その瞬間、閻魔はトイレに早歩きで向かった。

 走ることができないくらいヤバイ状態なのだろう。

 しばらくして、戻ってきた閻魔が鬼灯に「君も確認しといて」と巻物を渡した。

 気になったので、閻魔に断ってから菜々も巻物を覗き込んでみる。

 烏天狗警察からの指名手配者リストのようだ。「一,民谷伊右衛門 二,鬼火(現世に逃亡中)……」

 そんなふうに指名手配者の名前が続き、最後に現世に逃走した鬼火について書かれていた。

 

 

 ──この鬼火を捕獲した方には賞金五十万を差し上げます。

 

 

 酒盛りをしていた教師たちに見つからないように、帝丹小学校の屋上に戻る。

「こんばんは。加藤菜々です。東京都、椚ヶ丘中学校の二年生です」

 とりあえず鬼火に自己紹介をする。

「何が目的だ?」

 駆け引きは苦手な鬼火は率直に聞いた。

「私に捕まりませんか?」

 目に五十万と書かれた菜々が言った。

「嫌だ」

「現世にとどまる目的は何ですか?」

「人間に入り、完全な鬼になることだ」

「じゃあ、私に入りませんか?」

 倶生神は「またか」という顔をし、ソラは目を点にしたが、菜々が稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込んだ事を思い出して納得した。

 二度目の人生だし、元の世界に戻るつもりなので、菜々は気の向くままに生きている。

 

 倶生神に「前世の記憶がある」と言ってしまった菜々は、死後の裁判を避ける必要があった。

 獄卒になる約束を取り付けはしたが、死後の裁判を受けなくていいとは言いきれない。

 裁判を受けている途中、前世の記憶があると言ったことが知られ、調べられたら一発で嘘だとバレる。

 また、人頭杖や浄玻璃鏡で調べられたら全てが知られる。

 それを避けるために鬼になろう、という思考が一瞬のうちに働いたのだ。

 また、体が丈夫な鬼になっておけばちょっとやそっとの事では死なない。

 

 合気道を習っていて(この世界の基準では)それなりに強いし、勉強だって出来る方だ。何より五十万欲しい。

 そんなことを力説している菜々と合体することを鬼火は決めた。

「お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。それを知るためにお前の中に入るのも悪く無いだろう」

 そう言い残し、鬼火は菜々の中に入った。

 かすかに暖かいものが胸の中に入ってくる感触がした。

「「何やってんの!!」」

 倶生神に突っ込まれ、菜々はしばらく怒られた。

 ソラは開いた口が塞がらなかった。

「鬼火、一個だけだったのに完全な鬼になれたみたいですね。それだけ妖力が強かったってことでしょうか?」

 菜々は自分の耳やツノをさわりながら倶生神に尋ねていたが、すぐに青ざめた。

「これ、どうやって親に説明しよう?」

 気にすることはもっと他にあるのだが、彼女はそんなことを言っていた。

「今は亡者と同じで霊感がある人にしか見えないから。とりあえず、私が化かしておいてあげるよ」

 そう言って、ソラは体から白く輝く火の玉を出した。縦15cm、直径10cmくらいだ。

 火の玉は菜々の顔に当たって消えた。おそるおそる彼女が顔をさわってみると耳は丸くなっていて、ツノは無くなっている。

 ソラいわく、これで普通の人にも見えるようになったらしい。

 地獄にはソラに連絡してもらい、明日の朝鬼灯のもとへ行くこととなった。

 

 

 

「胃が痛い」

 菜々は呟いた。

 今は電車に揺られて、椚ヶ丘中学校に向かっている。

 額に生えた一本のツノと、とがった耳はキャスケットで隠してある。

 鬼になってから眉毛の形が変わっていたが、知り合いの前ではないので特に何もしていない。

 通勤時間よりも遅いため、車内にはほとんど人がいない。

「菜々のせいでしょ。驚きすぎて止めることができなかった私たちにも責任はあるけど」

「始末書で済むかな……」

 閻魔はそこまで怖くないが鬼灯は怖い。

「罰は全て私が引き受けます」

 ほんと、何であんなことしちゃったんだろう。

 菜々は鬼になったことを後悔していた。

 生きているうちに地獄に迷い込んだ挙句(あげく)、鬼になるなんて地獄からしたらかなり(まれ)な例だ。

 倶生神の記録を取っておかれるに決まっている。

 すると前世の記憶がないことがバレ、浄玻璃鏡などで調べられる確率が上がる。

 また、勝手に鬼になってしまったのだから罰を受けなければならないだろうし、元の世界に戻るときに影響が出るかもしれない。

 それ以前に、鬼になってしまった今、どこで暮らしていけばいいのだろうか。

 ──お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。

 鬼火の言葉を思い出した。

 鬼火に言わなかった、トリップしたことがバレないようにしたいという理由はあったが、自分でも気づいていない? 

 菜々が考え込んでいると、電車は椚ヶ丘についた。

 

 前に通った道を進み、地獄門に着いた。

 今回は牛頭と馬頭がいたのでサインをもらおうとしたが、ノートが小さすぎるし、二人とも(ひづめ)があるためペンを持てないので握手だけにした。

 こんなときに何やってるんだという目で倶生神とソラが見てきたが、菜々は無視した。

 

 

「特に罰はありません」

 鬼灯に言われ、菜々は胸をなでおろした。

 ここは閻魔殿の法廷。閻魔や烏天狗警察もいる。

「あの鬼火は鬼になるため、人間と合体しようとしていたのです。なんでも、ぎっくり腰がひどくなってきたので鬼になることで別の体になろうとしていたとか」

「腰なんてあるんですか?」

 菜々は思わず質問してしまった。

「とにかく、人間がいきなり鬼になることを恐れられていたのですが、本人の了承を得て鬼になったので問題はないです」

「賞金はどうなりますか?」

「もちろん支払われます」

 烏天狗警察の一人が答える。菜々は思わずガッツポーズをした。

 烏天狗警察は菜々に賞金を渡した後、帰って行った。

 さっきいたのは源義経ではなかっただろうか。サインもらっておけばよかった。

 そんなことを菜々が考えていると鬼灯に話しかけられた。

「これからの事ですが、鬼になってしまった以上、現世で暮らすのは難しいです。地獄に住むため、あなたは死んだことにする方向で話が進んでいるのですが……」

 異論はありますか? と鬼灯の目が言っていた。

「それは難しいと思います」

 菜々は反論した。

 鬼灯の目は今まで会ってきた殺人犯たちの誰よりも怖かったので、彼女は今すぐ逃げ出したかった。

「私の知り合いに刑事さんがたくさんいるんです。工藤優作さんっていう頭がかなり切れる推理作家さんとも知り合いですし、よっぽどうまくやらない限り、私が死んだと納得させるのは難しいと思います」

 小学校を卒業するまでに、全都道府県県警の刑事と知り合いになってしまったほどだ。

 原因として挙げられるのは、菜々の事件に遭遇しやすい体質だけではなく、米花町に住んでいる人が旅行に行きやすいということも挙げられる。

 トリップしたばかりの時は、平日だろうがなんだろうが泊りがけの旅行に行くなんてしょっちゅうなことに菜々は驚いた。

 しかし、それくらいの頻度で旅行に出かけていなければ、コナンが県外で巻き込まれた(この場合呼び寄せたと言った方が正しいかもしれない)事件の数の多さの説明がつかないと自分を納得させた。

「たしかにそれは面倒ですね。では別の案の説明をします。名付けて『ドキドキハラハラ☆現世滞在計画』」

「名付ける必要ある⁉︎」

「お迎え課ブラックリストに載っている工藤優作さんと知り合いなら生きていることにしておいたほうが都合がいいです。とりあえず普段は帽子で耳とツノを隠しておいてください。帽子がかぶれない時はソラさんに化かしてもらうこと。時間ができたらぜひ、菜々さんを通じて優作さんを観察してみたいです」

 鬼灯は閻魔の突っ込みを無視して話し続けた。

「そのため、今まで通り現世の学校に通ってもらいます。社会人になったら『外国に行く』とでも言って地獄に来れば獄卒として雇います。それまでは今まで通りアルバイトを続けてください」

 菜々に異論はなかった。




菜々が現世にいる時、彼女を化かしている狐(ソラ)について。
フィーリングで読んでいるから補足はどうでもいい、という方は飛ばしていただいて構いません。

稲荷の狐のトップである天狐が二千年生き、稲荷の狐を引退したら空狐になる。
また、視覚でとらえられる姿形はなく、霊的な存在とされている。
文献上では天狐よりも格下となりますが、稲荷の狐の中の話であり、現役より格下となるのは当然のこと。
本当は狐の中では一番偉い。
調べてみたらそう書かれていました。

じゃあ、ソラはどうなるんだ? という話ですが、
地獄に就職するまでは、稲荷の狐の中ではトップであり、現場監督のような立ち位置だった。
地獄に就職してからも、現場監督のような立ち位置だったが、平成になった頃、天狐になってから二千年経っていた。
菜々が捕まえた亡者を捕まえるために現世に行くことが、稲荷の狐を引退したということとなり、空狐になった。
肉体を持たず霊的な存在だが、霊感がある菜々には見えた。
ということにしておいてください。


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第4話

鬼灯の冷徹二十六巻のネタバレが一部含まれています。


 鬼になったことで、菜々の生活は少し変わった。

 倶生神の代わりにソラと四六時中一緒にいるようになったのだ。

 今まで一緒に行動していた倶生神は菜々が鬼になるまでの記録を書き直している。

 裁判用に今まで彼らが書いた記録は箇条書きで必要最低限のことしか書かれていなかったので、もっと詳しく書いて後世に重要な資料として残すこととなったらしい。

 ソラと一緒にいることが多くなった理由としては、現世でキャスケットでツノと耳を隠せない時は、ソラに化かしてもらっている事が挙げられる。

 平日学校に行かなければならなかったり、週に一度巻き込まれる殺人事件で身体検査をされることがある菜々は、現世にいる間はほとんどソラに化かしてもらうことになるため、彼女と一緒にいる事が必然的に多くなった。

 しかし、一番変わったことといえば地獄に居座ることになったことだろう。

 鬼になってから閻魔殿にある図書室およびジムの利用が認められたからだ。

 菜々にはずっと気になっていたことがあった。

 トリップする前から「この世界の加藤菜々」は存在していた。

 今回の現象はトリップというよりも憑依に近いのではないか。

 だとすると、「この世界の加藤菜々」の魂はどこに行ったのだろうか。

 その謎を解くために、彼女は閻魔殿の図書室に通っていた。やることがなくて暇だったのもあるし、冷房がついていて快適なのもある。また、菜々が地獄にこればソラが休むことができる。

 一度菜々はソラに、化かしているのは大変じゃないのかと尋ねたことがある。

 その時は「起動するまで十分くらいかかるパソコンを仕事で使うようなものだから、めんどくさいけどそこまで大変でもない」と答えられたが、やはり心配なのだ。

 

 そんな理由で閻魔殿にある図書室に来て、この世界の自分の魂の行方について調べていた菜々だったが、すぐに飽きて鬼卒道士チャイニーズエンジェルを読み始めていた。

 関係のありそうな本が全然見つからないのだからしょうがない。

 よくよく考えれば、獄卒なら誰もが利用する図書室にヒントになりそうな書物があるとは考えにくい。

 菜々は今日も鬼卒道士の続きを読んでいる。

 読み始めてからしばらくして、腕時計を見てみると十二時。烏頭と蓬との約束の時間の二十分前だ。

 鬼卒道士を図書室で読んでいたら蓬に話しかけられ意気投合し、その流れで烏頭とも仲良くなった。

 今日は烏頭と蓬と一緒に漫画に出て来た道具の試作品を試してみることになっている。

 せっかくの休日なのによくやるな、と思いながら菜々は技術課に向かった。

 閻魔殿はかなり広い。図書室から技術課まで十五分ほどかかる。

 移動する時、阿笠に作ってもらったターボエンジン付き自転車の利用を許可してもらえないだろうか、と菜々は考えていた。

 ノックをして技術課に入ると、かなりゴチャゴチャしていた。

 烏頭と蓬しかいなかったが、試作品や何かの機械がそこらへんに散らばっているからだ。

「こんにちは」

「よくきたな。まずはこれだ」

 菜々が挨拶をすると、全身かすり傷だらけの烏頭が一つ目の試作品を見せてきた。

「立体機動装置だ。重さは10kg、ワイヤーの長さは50mにしてみた」

「これ、拷問には使えないんじゃないですか?」

 コテン、と首を傾げて菜々は尋ねる。

「まず、烏頭の状態について突っ込んでよ」

 亡者が喜ぶので拷問には不向きだし、こんなもの使う必要がないという考えを菜々が示すと、蓬が言った。

「どうせ、立体鼓動装置の試作品を自分で試してみて怪我したんじゃないですか?」

 彼女の考えが当たっていたので蓬は言葉に詰まる。

 週に一度殺人事件に巻き込まれている菜々からすれば、少し経てば元に戻るのだから心配する必要が特にないのだ。

 今までいろいろなことがありすぎたせいで菜々の頭のネジは何本かはずれていた。

 逆に、試作品を自分で試してこれだけしか怪我をしないのがすごい。

 菜々がトリップ前に住んでいた世界の人間ならまず死んでいる。

 鬼の丈夫さとギャグ漫画補正のおかげだろう。

「次は鉄砕牙だ。一つの武器でいろいろな技が使えるんはずなんだが、なぜか普通の刀になった」

「これも拷問には使えなさそうですけど、どうやって作ろうとしたのかは気になります」

 鉄砕牙をどうやって作ろうとしたのか、説明を聞いているうちに一時間ほど経っていた。

 技術課を出て昼食を食べた後、菜々はどこに行くか考えた。

 一度ちゃんと地獄を見学してみたい。その前に着物を買いたい。洋服だと目立つのだ。

 どこに行こうか、と考えながら廊下を歩いていると壁画を描いている人たちを見つけた。

 見てみると、鬼灯と二人の小鬼だ。

 鬼になって倶生神の監視がなくなってすぐ、覚えている限りの原作知識を書き出したものの、ほとんど覚えていなかった菜々はその小鬼たちが誰なのかがわからなかった。

 桃太郎が地獄に道場破りのような事をしに来た時に見た気がする。

 気になったので彼女は声をかけてみた。

 成り行きで壁画を手伝うこととなった菜々は、鬼灯に紹介してもらい、小鬼たちが唐瓜と茄子だと知った。

「アイアン天照、おもしろいですね」

 菜々が茄子に言うと唐瓜から「お前もか!」という目で見られた。

 死体と変態亡者の見過ぎで菜々の感性はトリップ前とかなりずれていた。

 昔は苦手だったのに、最近はモリアオガエルの可愛さに目覚めているくらいだ。

「それ俺のお気に入り! あと、タメ口でいいよ。菜々ちゃんも新卒みたいなもんでしょ?」

 鬼になった経緯と、地獄で働いている内容を壁を塗りながら菜々が話したら茄子に言われた。

「俺もタメ口でいいぞ」

 そう言ったことを将来、唐瓜と茄子は後悔することとなる。

 菜々が二人に接する時、弟のような扱いをするようになったからだ。

 

 

 *

 

 

「ソラ、お願いします。一日だけ私のふりをしてください!」

 菜々は部屋で土下座をしていた。

 事件を解決するため、週に一度、倶生神に誠心誠意土下座をして来た菜々の土下座は完璧で、とてつもなく美しかった。

 ソラは無意識にうなずいていた。

 なぜこんなことになったのか。話は一週間前に遡る。

 

 

 

 

 菜々は最近、唐瓜と茄子の仕事を手伝っている。

 地獄を見て回れるし、いろいろな経験をすることができるからだ。

 その分の給料が出ないことに目をつぶれば、条件はかなりいい。

 菜々は今日も唐瓜や茄子の手伝いをしつつ、時間があれば給料を閻魔にでもせびってみようと、閻魔殿を歩きながら考えていた。

 彼女は最近買った着物を着ていた。洋服は目立つし、汚れがつくと親への言い訳に困る。

 甚平(じんぺい)のようなものを帯で締めて、下にズボンをはいている。唐瓜や茄子と似たような格好だ。

 着物は黒色で、端の部分は青色。ちなみに、一番安かったのでこれにしただけだ。

 亡者が簡易地獄の列に並んでいるのをぼんやりと眺めていたら鬼灯に声をかけられた。

 唐瓜と一緒に見学も兼ねて十王の食事会に出す食事を運ばないかということだった。

 

 

 閻魔が他の十王の補佐官を見て、「少しは見習って……」と言った瞬間、鬼灯は叫んだ。

「うちはうち! よそはよそ!!」

 それはいつものことなので、新卒なのにもう慣れてきている唐瓜は大して驚かなかった。

 しかし、つい最近地獄に出入りするようになった菜々はどうだろう、と菜々を見て彼はギョッとした。

 ものすごい速さでノートにメモを取っているのだ。

 さっきの閻魔と鬼灯のやり取りを書き終わったら、ページをめくり、「鬼灯さんの名言」と書かれたページにさっきの鬼灯の言葉を書き留めている。

 唐瓜はこんな性格だから五十万円欲しさに鬼になったんだな、と妙に納得することができた。

 

「盂蘭盆地獄祭?」

 食事会の片付けをしながら菜々は聞き返した。

「そう。地獄で開かれるんだよ。送り火の日の午前0時から亡者捕獲作業が始まるんだ。菜々ちゃんも参加するだろ?」

 そう唐瓜に問われ、菜々は微妙な顔をした。

「行きたいけど親にどうやって言おう? まだ中学生だから夜遅くに帰るわけにもいかないし……。友達の家に泊まるって言おうかな?」

 菜々の年齢に驚いている唐瓜を見て、よくよく考えたら年齢言っていなかったな、と菜々はぼんやり思っていた。

 

 

 

 

 鬼灯にソラに身代わりになってもらう案を出してもらい、頼んでみたらあっさりと許可をもらえたので、菜々は盂蘭盆地獄祭に行くこととなった。

 今まで鍛えてきた土下座のおかげだと、彼女は気づかなかったが。

 菜々は燃えていた。

 一般の獄卒の給料の中に送り火の日の亡者捕獲料も含まれているが、菜々のバイト代には含まれていないので、成果によって支払われる金額が変わることになっている。

 亡者捕獲作業が始まるまでは祭りを楽しむことにした菜々が、唐瓜と茄子と出店を回っていると、見覚えのある人物を見つけた。

 水風船や金魚を持ち、お面をつけていることから祭りを満喫していることがわかる。

 現世だと高身長の部類に入るだろう。漆黒の髪に、額に生えた一本角。切れ長の三白眼。──鬼灯だ。

 菜々がぼんやり見ていると、彼は懐中時計を確認した後どこかへ行ってしまった。

 菜々は少し残念に思った。おそらく、今まで無料で雑務をこなした分の給料を請求する機会を逃したからだろうと彼女は考えた。

 唐瓜がシロたちに気がつき、声をかけた時には鬼灯の姿は見えなくなっていた。

 桃太郎ブラザーズと一緒に行動することになり、指示された場所に向かう。

 菜々が桃太郎ブラザーズと仲良くなった頃、(やぐら)に上がった鬼灯が話し始めた。

 やがて、(やぐら)に取り付けてある大時計が午前0時を指し、ボーン、ボーンと鳴り始める。

「さあ、毎年現世から戻りたがらない亡者を引き戻しに行きますよ!!」

 鬼灯がそう言った途端、雄叫びが上がった。

 獄卒たちは精霊馬にまたがり、地獄門に向かう。

 

 菜々は現世に出た。今回は特殊な光を浴びていなければ、ソラに化かしてももらってもいない。

 つまり、菜々の姿は霊感のある人間以外には見えていない。

 このままなら殺人現場に遭遇しても、犯人に命を狙われることはないんだ。

 菜々は変な感動を覚えた。

 少し飛んでいると亡者の集団を見つけた。

 男性が二人、女性も二人。菜々は心の中で数えると、一人の女性を、今日支給されたモーニングスターで殴った。やけに手になじむ。

 モーニングスター。(とげ)がついた鉄球の武器だ。ドイツ語だとモルゲンシュテルン。日本語では朝星棒(ちょうせいぼう)星球式槌矛(せいきゅうしきつちほこ)星球武器(せいきゅうぶき)とも言う。

 また、(とげ)がついた鉄球と持ち手が鎖で繋がれているのはフレイル型。

 直接持ち手が鉄球に繋がっているものをメイス型と言う。

 菜々が今持っているのはフレイル型。また、よく茄子が持っているのがメイス型だ。

「フゴッ!」

 亡者は変な声を出して気絶した。

 

 三十分後。菜々は違和感を感じていた。

 初めにおかしいと思ったのは、汗でモーニングスターの持ち手が滑った時だ。

 真下に落ちて行くはずなのに、途中で九十度近く右に曲がり、亡者をノックアウトした後、菜々の元に戻ってきた。

 初めのうちはギャグ漫画補正だろうと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 

 疑問に思いながらまだ捕まえていない亡者はいないかと探していると、電話で帰ってくるように言われた。

 この携帯電話は仕事用に地獄から支給されているものだ。

 菜々が持っている現世産の携帯電話だとあの世に繋がらないので支給されている。

 結局、菜々が捕まえた亡者は五十人を超えていた。

 閻魔庁の法廷に戻り、菜々は鬼灯に捕まえた亡者を引き継いだ。

「初めてでこんなにも亡者を捕まえることができるなんてすごいですよ」

 鬼灯に褒められたが、菜々は素直に喜べなかった。

「どうしたんですか?」

 鬼灯は菜々の様子に気づいて尋ねた。

「なぜか鉄球が勝手に動いたんです。私が動かしてたんじゃなくて、まるでモーニングスターに意思があるような感じで」

 しばらく鬼灯は(あご)に手を当てて考え込んだ。

「もしかして鬼灯君の本能がうつったんじゃない?」

 今まで黙って二人の話を聞いていた閻魔が口を挟んだ。

「本能?」

 菜々は小首をかしげて聞き返した。鬼灯は「ああ」と呟いたので何のことか分かったのだろう。

「鬼灯君ね、『ボール(イコール)人にぶつける』って言う恐ろしすぎる本能があるんだよ」

 その後、閻魔殿内にある運動場とジムで試してみたところ、菜々が投げたボールは全て閻魔に当たったことにより、閻魔の仮説が証明された。

 そんなことをしていたら明け方になっていた。

 

 補導はされたくないので、一晩地獄にあるソラの家に泊めてもらおうと、部屋の鍵を借りておいて良かったと菜々は思った。

 家が動物用でなかったのは助かった。普段は人型なので鬼用の部屋を使っているらしい。

 今まで狐の姿しか見ていない菜々は、いつか人の姿を見せてもらおうと決めた。

 

 

 

 

「菜々ちゃんも『ボール(イコール)人にぶつける』て言う本能を持ったみたい」

 盂蘭盆が終わった次の日。閻魔は仕事をサボって記録課に来ていた。

 今は、菜々の記録をまとめている倶生神、沙華と天蓋と話している。

「たしかにあの子ならそんな本能身につけてもおかしくないですね」

 天蓋は菜々が今までとった行動を思い出していた。

 躊躇(ちゅうちょ)なく男性の股間を蹴り上げ、亡者の目にめがけて塩を投げつけ、犯人の関節をいくつか外すというようなことを息をするようにやっていた。

「Sの素質がある人だけに現れる本能なのかもしれないですね」

 天蓋の意見に沙華も納得していた。

 

 

 *

 

 

 菜々は八寒地獄で遭難したり、桃源郷に行って白澤や桃太郎に会ったりした。

 その時、中国現世に妖怪が広まった訳を聞いたり、菜々が鬼灯さん観察日記(鬼灯の周りで起こったおもしろい出来事を記録してあるノート)に「しりあげ足とり一覧」や「白澤さんのあだ名一覧」を作ることを決めたりしていると、いつのまにか10月になっていた。

 この前ソラにコピーロボット役を頼んで、興味本位で山神のパーティに行ってみたら、鬼灯と結婚する条件を自分が満たしていることに菜々は気づいた。

「私なら……私が作った脳みそみそ汁を笑顔で飲める方と結婚しますね」

 授業中に鬼灯の言葉を思い出す。

 菜々は普通にゲテモノを食べれる。

 というか、初めて工藤優作に出会った日、彼女は猿脳(えんのう)という猿の脳みその料理を食べていたのだ。

 鬼灯が料理がとてつもなく下手か、菜々が女性とみられていない限り、彼女は鬼灯と結婚できる人物の条件を満たしている事になる。

 好きと言われたわけではないのに、なぜか顔がほてってしまう。

 出来るだけ気にしないように努めたが、いちいち顔が赤くなるのは止められなかった。

 彼女は授業に集中するように自分にいいきかせた。

 下校時刻になり、菜々は地獄に行くかどうか迷った。

 なんとなく鬼灯と顔を合わせづらいので、最近彼女は地獄に行っていなかった。

 八寒地獄で遭難した時はさりげなく防寒具を貸してくれたし、やっぱりいい人なのかな。

 菜々は初めて鬼灯に会った時に思ったことを思い出していた。

 

 しばらく自分の世界に入っていた菜々だったが、ソラに声をかけられて我に帰った。

 下校時刻がすぎているため、もう教室には誰もいない。菜々は家に帰る準備を始めた。

 

 

 下校中、菜々はソラに二週間ほど地獄に行っていない理由を聞かれた。

 彼女は鬼になってから捕まえた亡者を自分で地獄に届けに行っていたが、最近は亡者を見つけてもお迎え課に連絡するだけだ。

 適当に言い訳をしていると地獄から電話がかかって来た。

 画面に映し出された名前は「茄子」だった。

 少し落ち込んだ自分に驚きつつ、菜々は電話に出た。

『もしもし。菜々ちゃん?』

「もしもし。どうしたの? 茄子君」

『金魚草コンテスト行かない? 入場料とかないみたいだし、お祭りみたいなものらしいよ。唐瓜も来るし。アイアン天照をおもしろいと思った菜々ちゃんなら楽しめると思うよ』

 茄子によると、金魚草大使も決められるので盛り上がるだろうということだった。

 審査員として鬼灯がいることは知っていたが、ソラの手前断ると余計に怪しまれるだろうし、茄子の誘いを断るのは悪いので、菜々は行くことにした。

 

 

 金魚草コンテスト当日。

 閻魔殿前で待ち合わせをしていた菜々たち三人は会場に向かった。

 金魚草フェスティバルと書かれたアーチ型の看板と、猫かたくお断りと書かれた看板が会場の入り口付近に置かれていた。

「本当にお祭りみたいだな」

 唐瓜がそう言い終わった時、茄子の姿はなかった。

 探してみると、屋台で金魚草グッズを買っていた。

 舞台までの道のりに出店が多く出ている。

「あっ!」

 そう言ったかと思えば、茄子は走り出した。

 また、菜々と唐瓜が追いかけてみると、茄子の目の前の出店に鬼灯がいた。

「何やってるんですか?」

 唐瓜が尋ねた。

「大会実行委員会で出店出してます。食べていきませんか?」

 鬼灯がいる屋台には金魚草スープと書かれていた。

 彼が差し出したスープには半分骨になっている干からびた金魚草が浮いていた。

「この金魚草の形が崩れないようにするのに苦労しました。普通の金魚草なら簡単に入れれたんですけど、どうせならよりグロいものを入れようと言う話になって」

 鬼灯が差し出したスープを唐瓜はおそるおそる口にした。

 本当は飲みたくなかったが、上司なので下手に断れなかったのだ。

 一方、茄子はそんな唐瓜の心境など知らず、「おもしれー」と言いながら飲んでいた。

 菜々は唐瓜の気持ちを察してはいたが、彼をフォローする余裕はなかった。

 正直、目の前に鬼灯がいるだけで嬉しさと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。

 今は十六小地獄の名前を心の中で唱えてなんとか平静を保っている。

「普通に美味しいのにあまり売れないんですよ」

「浮いてる金魚草のせいじゃないですか?」

 鬼灯と唐瓜が話している時、茄子は菜々の様子がおかしいのに気がついた。

「どうしたの? いつもならメモしてるのに」

 菜々には判断基準に文句を言う気力もなく、曖昧に微笑んだ。

 

 

 

 第六回金魚草コンテストが始まる前。

 ゲストとして来たピーチ・マキが挨拶をしている時、菜々たちは舞台裏にいた。

 鬼灯がカマ彦にマキの電話番号を控えていたと話しているのを聞いて、菜々の胸が痛んだ。

 金魚草の花束と金魚パイを鬼灯がマキに渡した時、菜々にはさっきまで感じていた鬼灯に会えた嬉しさがなくなっていて、代わりに不安と嫉妬が入り混じった感情を抱えていた。

 鬼灯やマキは相手に恋愛感情なんて抱いていないとわかっていても、菜々はこの気持ちをぬぐい去ることはできなっかた。

 マキは鬼灯からもらったものはいらなそうだったが、彼女にはそこまで考える余裕がなかった。

 やがて宣伝のためと、マキが模擬店を見るために着ぐるみを着て近くを歩くことになった。

 茄子の勧められたし身長が150cm近くだったので、菜々はマキと同じ着ぐるみを着ることになった。

 

 着ぐるみを着ている時、菜々は心中穏やかではなかった。

 鬼灯さん、マキちゃんに取られたらどうしよう。

 そんなことをふと思ってしまった菜々は頭を振った。

 まだ片思いなのに何考えてるんだろう。

「片思い」という言葉が自然に出てきたことに気がつき、菜々は自分の気持ちを自覚した。

 

 菜々が着ぐるみを着終わると、鬼灯が着ぐるみの手を握った。

 その瞬間、今まで心に広がっていたドロドロしたものがなくなったのを菜々は感じた。

「前が見えづらいでしょう?」

 そう言って鬼灯は菜々が着ている着ぐるみの手を引っ張って歩いていく。

 鬼灯はマキの着ぐるみの手も握っているが、菜々は気にならなかった。

 体がポカポカするのを彼女は感じた。

 

 この世界の両親、沙華さん、天蓋さん、苗子ちゃん、桜子ちゃん、工藤夫妻、ソラ、烏頭さん、蓬さん、唐瓜君、茄子君、それに鬼灯さん。

 菜々はこの世界にいる大切な人の名前を挙げた。他にもまだまだたくさんいる。

 元の世界に戻れなくてもいいかもしれない。

 菜々は初めてそう思った。

 

 やがて、マキが金魚草大使に選ばれた。

「ちょっと変わった味だけど疲れに効くなら欲しいかも」

 菜々は茄子にもらった金魚草のサプリを食べていた。唐瓜はかなり引いていた。

 マキは鬼灯に手を引かれていたが、菜々はもう気にならなかった。それよりも、若干青ざめているマキが心配だった。

「もう疲れてない?」

 茄子に尋ねられ、菜々は聞き返した。

「もう?」

「元気なさそうに見えたし、それを気づかれたくなさそうだったから、顔を隠せるあの着ぐるみ、勧めたんだけど……迷惑だった?」

 菜々はポカンとしたが、茄子がなんのことを言っているのか理解すると笑いかけた。

「もう大丈夫だよ。ありがとう」

 思えば、金魚草サプリを勧めてきたのも菜々の様子に気がついたからだったのだろう。

 茄子はぽやんとしているように見えて結構鋭いところがある。

 

 

 控え室で、アイドルってなんだろ……とマキが悩んでいる時、菜々は今までのことを記録していた。

 やがて、マキのマネージャーが席を外し、菜々が今までの出来事を記録し終わった時、菜々はマキに話しかけた。

 二人はすぐに万引き犯に対する恨みで意気投合し、電話番号を交換した。

 米花町では万引き犯が余計なことをしたせいで、事件が迷宮入りになりかけることなんてしょっちゅうなのだ。

 

 

 *

 

 

 金魚草フェスティバルに行ってから、菜々は地獄にまた行くようになった。

 自分の気持ちに素直になってから、鬼灯に会うのが楽しみになっていたのだ。

 彼女は山神のパーティの日、鬼灯が「矯正のしがいがありそうな人を見ると……燃える」と言っていたことを思い出し、自分に当てはまっていない、と落ち込んでいた。

 菜々は落ち込む自分を自嘲しつつ、これは本当に惚れているな、と再確認をしていた。

 もしも彼女がこの考えを口に出していたら、充分矯正のしがいがある性格をしているでしょ、とソラに突っ込まれただろう。

 学校が終わってすぐ、隔離校舎がある山から地獄に来て、図書室の本を読むためという建前で鬼灯に会いに来るのが菜々の日課となっていた。

 今では普通に話すことができる。これも茄子のおかげだ。

 今は意識されないだろうが、だんだん距離を縮めていって、将来告白できたらいいな。

 逆に今意識されたら困る。ロリコン確定だし。

 そんなことを考えていると閻魔庁の法廷の前に着いた。

 裁判中なので後で法廷に寄ることにして、図書室に向かう。

 最近は元の世界に戻る方法を調べたり考えたりすることがなくなった。

 関係のある資料が無さそうだというのが一番の理由だが、元の世界に戻れず、この世界で一生を終えるのもいいかもしれないという考えが浮かんで来た事も関係している。

 図書室にある鬼卒道士は全て読み終わったので、今度はハリー・ポッターシリーズを読んでみようか、と菜々が考えていると声をかけられた。

 その声は彼女がさっきまで考えていた人の声だった。

「鬼灯さん。今は裁判中なんじゃないですか?」

「今は第三補佐官の方が閻魔大王の補佐をしています」

 菜々は沙華の授業を思い出した。

 

 ──閻魔大王の補佐官は「五官」と呼ばれていて、名前の通り五人いるの。鬼灯様が有名なせいか、獄卒でも知らない人は結構いるわ。将来有望な人材が勉強のために補佐官になっているから入れ替わりが激しいのも理由の一つにあるけど。ただ、引き継ぎの問題で第二補佐官の人はしばらく変わっていないみたい。

 

「あっ! この前は会議に出席させてもらってありがとうございました」

 菜々はあわててお礼を言った。「無駄な地獄の撤廃と新しい地獄の導入について」という議題の会議に参加させてもらったばかりなのだ。

「いえいえ。菜々さんは有望な人材ですから。ずっとなにかをメモしていたような気はしますがそれは置いといて、地獄に部屋、欲しくないですか? ちょうどいい物置部屋があるんですよ。少し散らかっているので片づける必要がありますが」

 最近、地獄に現世に持っていけないものを置いておく場所が欲しいと思っていた菜々は話に乗った。

 

 

 

「少し散らかっている?」

 菜々は(くだん)の部屋を見て、鬼灯に聞き返した。

 鬼灯が上手い話を持ってきた時から疑ってはいたのでそこまで驚かなかったが、想像以上に物置小屋は汚かった。

 埃がたまっていて、蜘蛛の巣も多く、拷問道具がギュウギュウに詰められているため、人一人がやっと通れる通路があるだけだ。

「ここにあるものはもう使う予定がないので好きにしていいです」

 そう言い残し、鬼灯は執務室に戻って行った。

 なんでこの人のこと、好きになったんだろう。

 菜々は去っていく鬼灯の背中を見ながら自分に問いかけた。

 

 とりあえず、部屋の中のものを廊下に出していき、使えそうなものと使えなさそうなものに分けてみた。

 好きにしていいと言われたので、使えなさそうなものは捨て、要らないがまだ使えそうなものは烏頭に売りに行った。

 鉄製の物は溶かせばいくらでも使える。一つ百円で売ったら二千円ほど儲かった。

 

 

 

 数日で菜々は掃除を終わらせた。

 中古とはいえ、無料でいくつかの拷問道具が手に入ったのは大きい。

 それにしても、なんで鬼灯さんはこの部屋を使う許可をくれたんだろう。

 菜々は綺麗になった元物置部屋に座り込んで考えていた。

 夜遅くに地獄に来た場合、菜々はソラの部屋に泊まっている。

 閻魔殿から徒歩十五分なのでそこまで不便ではない。

 もしかして、十五分間とはいえ、夜道は危ないからだろうか。

 そうだったら嬉しいな、と思いながら菜々はソラの家に置かせてもらっていた荷物を運んでいた。

 

「えっ! あの部屋片づけられたの?」

 鬼灯は視察に行っていたので、閻魔に物置部屋を片付けたことを報告したら驚かれた。

「置いてあった呪いの(かま)のせいで、怪我人が続出したから片付けるのは無理かと思ってたんだけど」

「何ですか? それ」

 帰ってきた鬼灯が尋ねた。

「近づいた人を滅多斬(めったぎ)りにする呪いの(かま)だよ。相手を()るとすぐに隠れちゃうから捕まえることができなくてさ」

「ああ。だから『絶対に片付けられない物置部屋』って呼ばれていたんですね」

「知ってて私に片付けさせたんですか⁉︎」

 菜々は思わず突っ込んだ。

「呪いの品があるなら、私のコレクションに加えたいです。その(かま)、どこにありますか?」

「多分、それなら烏頭さんに売りました」

 

 技術課に行ってみると、(かま)に追われている烏頭が見えた。

 鬼灯が(かま)を回収し、菜々は上手いことはぐらかそうとしたが、烏頭に百円返すことになってしまった。

 その流れで、鬼灯の呪いの品コレクションを見せてもらってから菜々は家に帰った。

 



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第5話

 十二月の初め。沙華と天蓋にいきなり呼びだされた菜々は困惑していた。

 彼女が鬼になってからというもの、彼女の記録をまとめるので忙しいのか、ほとんど会っていなかったからだ。

「君に前世の記憶があったことは……」

 天蓋にいきなりそう言われ、菜々は身構えた。

 それは彼女がずっと心配していたことだったからだ。

 最近はいろいろなことがありすぎてすっかり忘れていたが、天蓋の言葉が菜々を現実に引き戻した。

「書かないことにしたよ」

「何で……? ちゃんと書いていないことが知られたら罰を受けるかもしれないんですよ」

 菜々は思わず疑問を口にした。

 彼女にとって天蓋の言葉は喜ばしいことだ。

 倶生神に語った前世の記憶と、地獄で調べられた加藤菜々の前世が食い違っていたため、尋問されるという心配はなくなったのだから。

 しかし、そうする事は倶生神にとってどのようなメリットがあるのだろう。

 逆にデメリットしかないように思える。

「多くの情報があると混乱しちゃうから、重要な情報以外は書かなくていいんだよ。君が地獄に興味を持ったのは僕たちが見えたからであって、前世の記憶があったせいじゃない。これでいいでしょ?」

「何か私たちでは想像できないような理由があって、それを知られたくなさそうだったし」

 天蓋の説明を聞いても、菜々の顔に納得しきれないと書いてあったので沙華が言葉を付け加えた。

 菜々は隠しているつもりだったが、倶生神には彼女に秘密があることくらいわかっていた。

 どこか遠くを見ていることがよくあったし、初めて殺人事件に巻き込まれた時、ショックは受けていたが、こうなることはわかっていた、という表情を浮かべていた。

「この話は終わり!」

 沈黙に耐えきれなくなった天蓋が手を叩いてそう言ったことにより、彼らは世間話に移っていた。

 

 

「前、茄子君──小鬼の友達が地獄美術展で金賞とったから、受賞式に行ったんですよ。そしたら鬼灯さんと白澤さんも来て、最終的に喧嘩が始まりました」

「でしょうね……」

 倶生神は上司と神獣にあきれ返ると同時に、菜々が楽しくやっていることに喜んでいたが、

「鬼灯さん観察日記がすぐ埋まるので、最近では一覧表とは別々にしています」

 その一言で、彼らは凍りついた。

「僕たちのこと、さんざんストーカーとか言っといて、菜々ちゃんの方がよっぽどストーカーじゃん!」

 驚きから一瞬停止していた思考回路が回復するのが早かった天蓋が、初めに突っ込んだ。

「鬼灯さん観察日記は、厳密に言えば鬼灯さんの行動じゃなくて、鬼灯さんの周りで起こった面白おかしい出来事を記録してるんです。だからストーカーじゃありません!」

「じゃあ、この写真は何?」

 沙華は菜々のスマホをかかえていた。待ち受け画面の写真を持ち主に見せている。

「何で暗証番号わかったんですか⁉︎」

 そのスマホは現世産のものだ。

 普段はロックをかけてあるので暗証番号を押さないと画面を開けることはできない。また、沙華が暗証番号を知っているわけがない。

 ちなみに、地獄では連絡をとったり、インターネットに接続するようなことはできないが、それ以外の操作は大体できる。

「6(けた)の数字だったら毎回、三井寿(321134)って登録しているじゃない」

 そう言いながら彼女はスマホの待ち受け画面を見せる。

 待ち受け画面は、菜々が地獄美術展で撮ったものだ。

「茄子君が可愛かったので撮っただけです! 決して、鬼灯さんを撮ったわけではありません」

 親が息子の写真を撮るような気持ちで撮っただけだと弁解する菜々。

「このタレ目の小鬼が茄子君か。たしかにこの写真は可愛いね」

 天蓋がそう言って写真をもう一度見る。

 その写真には、茄子が鬼灯の手を握ってブンブン振り回している様子が映っていた。

 菜々が鬼灯と白澤の喧嘩の様子を、ビデオで撮っていたことを天蓋が知っていたら、菜々の肩を持つような発言をすることはなかっただろう。

 彼女が鬼灯の記録を取ったりしているのは、単に暇な時に見返して笑うためなのだが。

 ちなみに地獄の法律は現世の法律よりも厳しくないので、菜々がやっている事は訴えられたりしない。

 

 

 菜々が資料室に向かったのを見届けてから、沙華は呟いた。

「やっぱりあの子、鬼灯様のことが好きみたいね」

「何でそんなことがわかるの?」

 天蓋は聞き返した。観察日記は根拠にならない。

 菜々はあの世に送り届けた亡者の記録以外にも、「和伸君と苗子ちゃんをくっつける方法」や「優作さんが関わった事件」というノートを興味本位で作ってきたからだ。

 前に、そこらへんの亡者を面白半分で放って置いて、ずっと観察していたこともある。

 地獄の黒幕で、いろいろな問題を面白おかしく解決している鬼灯の記録をつけようと彼女が思うことはなんらおかしいことではない。

「ミラーリング効果。好感を寄せている相手のしぐさや表情、動作を無意識に真似してしまうこと。菜々が鬼灯様に会ってから、鬼灯様の癖──首をかしげることが多くなったと思わない?」

「たしかにそうだけど、ミラーリング効果は相手に対する尊敬や好意の気持ちを表現したものとして認識されているよ。菜々ちゃんが鬼灯様に抱いている感情は尊敬でなく、好意だと思った理由は?」

「そんなの、鬼灯様と話している時の顔を見ればすぐにわかるわよ」

 

 

 そんな話を倶生神がしていた頃、菜々は唐瓜と茄子の資料探しを手伝っていた。

 その後、鬼灯が鬼になった経緯を聞き、大焼処(だいしょうしょ)の見学に行ったりしていたので、彼女が倶生神の会話を知ることはなかった。

 

 

 *

 

 

 12月22日頃。地獄では大掃除が行われていた。

 給料は出ないが、菜々も手伝っていた。

 面白そうだし、鬼灯に会えるからだ。

 彼女は新卒と一緒に大釜を磨くこととなった。

 菜々が付喪神(つくもがみ)の大釜の口に、最近知り合った芥子からもらった芥子味噌を詰め込んでいる時、唐瓜に呼ばれた。

「菜々ちゃんも手伝って……何してんの⁉︎」

「うるさかったから黙らしてる」

 亡者にもよくやってきた事なので慣れている。カルマがグリップに対して行っていたことからヒントを得たのは言うまでもない。

 この後、付喪神化している大釜の目にも芥子味噌を塗ろうとしたら唐瓜に止められた。

 

 掃除が終わり、柚湯(ゆずゆ)に亡者を入れてから、菜々は茄子の家に行くことになった。

 今日は掃除が終わり次第、新卒は解散らしい。

 昨日も掃除を唐瓜と一緒に手伝ったが、まだ終わっていないのだ。

「むしろ片付けって必要かな? どこに何を置いたのか覚えて入れば多少散らかっていても問題ないし、すぐに物を出しやすいじゃん」

「菜々ちゃんが来ても全然片付け終わらないから来なくてもいいんだけど」

「唐瓜君、ひどくない⁉︎」

 そんなことを話しながら彼らは茄子の部屋に向かった。

 結局はほとんど唐瓜一人で片付けることになった。

 茄子はすぐ遊ぶし、菜々は上の空だ。

 彼女に何があったのか気になったが、めんどくさくなりそうだったので、唐瓜は聞かなかった。

 

 ──もしよかったら、十王への新年の挨拶について来ます? 

 

 菜々は、亡者が大釜で煮られているのを見ている時、鬼灯に言われた言葉を脳内でリピートしていた。

 十王という偉い人達への挨拶についていけるという喜びと、鬼灯に誘われたことへの喜びを彼女は()()めていた。

 やはりと言うべきか、菜々の部屋は新年を越した後も散らかっていた。

 

 

 *

 

 

 正月が終わってしばらく経った頃。

 菜々は停学になっていた。

 この前巻き込まれた殺人事件の犯人を殴り飛ばしたら、たまたま椚ヶ丘中学校3年A組の成績優秀な生徒に当たり、受験前なのに全治一ヶ月の怪我を負わせてしまったからだ。

 罰として、新学期が始まるまで停学、およびE組行きが決まったのだ。

 菜々からすればE組に行くための小細工をする手間が省けたし、学校に行かなくてもいいのでありがたいことだった。

 停学になってから、彼女は地獄に入り浸っていた。

 ソラに地獄に着くまでの間、「加藤菜々」とは似ても似つかない姿に化かしてもらい、閻魔殿の図書室へ来るのが彼女の日課となっていた。

 しかし、元の世界に戻る方法は調べていない。

 よくよく考えてみれば、獄卒なら誰でも利用できる図書室に菜々が知りたい事に関係する資料が置いてあるはずがなかった。

 菜々が知りたいと思っている内容はEU地獄の禁書とかに書かれている気がする。

 今の状況では確かめる事ができないので、菜々はこの事を保留にすることにしていた。

 とにかく、毎日のように菜々は閻魔殿の図書室にいるので、鬼灯は彼女が図書室にいるだろうと容易に想像する事が出来た。

「これから、高天原(たかまがはら)ショッピングモールへ行くんですけど、ついてきます?」

 図書室で「無」になりかけていた菜々に鬼灯が声をかけた。

「というか、どうしたんですか?」

 目に光が宿っていない菜々に鬼灯が尋ねる。

「読むんじゃなかった……」

 菜々が座っていた場所に置かれている本を見て、鬼灯は何があったのか理解した。

 彼女は鬼卒道士も、ハリー・ポッターシリーズも、御伽草子も一通り読んでしまい、新しいジャンルに手を出してみた。

 そして、オススメの本として、かちかち山と一緒に紹介されていた本を読んでみたことを後悔していた。

 ここは地獄であることと、この図書室は基本大人しか使わないことを考えていれば、この本を読むことはなかっただろう。

「まあ、この本は未成年には刺激が強すぎるかもしれないですね」

 そう言いながら、鬼灯は菜々が読んでいたマルキ・ド・サドの著書を手に取った。

 マルキ・ド・サドの作品は一言で言うとヤバイ作品だ。

 著者であるマルキ・ド・サドは、虐待と放蕩(ほうとう)(かど)で、刑務所と精神病院に入れられた人物だ。

 そんな人物が書いた本はとにかくヤバかった。

「誰がこんな作品をオススメ作品にしたんですか……」

「私です」

「でしょうね」

 ほんと、何でこの人のこと好きになったんだろう。

 菜々は自問自答した。

「さっきの話、聞いてました?」

 菜々が首を横に振ると、鬼灯は高天原(たかまがはら)ショッピングモールに一緒に行かないかと尋ねた。

「行きます!」

 菜々は即答した。

 彼女が今まで感じていた疑問は頭から吹き飛んだ。

 

 

「一度、桃源郷に住んでいる万年発情期野郎に一発かまします」

 そう言って、鬼灯は極楽満月に向かった。

 菜々が何かをメモしているようだったが、気にしないことにした。

 鬼灯が持参した縄で白澤を転ばせ、なんだかんだあって、白澤とお香も高天原(たかまがはら)ショッピングモールに行くことになった。

 

 鬼灯がお香にかんざしを買っている時、菜々の胸が少し痛んだ。

 彼女は自分に、一緒に遭難(そうなん)した仲じゃないか、と言い聞かせた。

 お香が見ていたかんざしを買って、プレゼントした鬼灯に対抗意識を持ったのか、白澤はお香に何か買おうとしていた。

「お香ちゃん、遠慮しないで! もっと高いの買ってあげる」

 そう言って果物コーナーに向かう白澤。

 メロンかドリアンかという選択肢が提示され、お香はドリアンを選んだ。

 

 その頃、菜々は「鬼灯さんVS白澤さん」と表紙に書かれたノートを取り出した。

 ちなみに、このノートに「しりあげ足とり一覧」があったりもする。

 一方、鬼灯は白澤に買ってきた小説を渡す。

 起こっていいのか⁉︎ 天国殺人事件。

 表紙にはそう書かれており、推理小説だとすぐに分かる。

 鬼灯が二巻を渡したため、余計に怒っている白澤を見ながら、菜々はその小説に興味を持った。

 どうしてそんなに仲が悪いのかというお香の問いに、男には引っ込みのつかない戦いがあると答える鬼灯。

 桃太郎から聞いたくだらない賭けの話を菜々がしている時、鬼灯と白澤は次々と困っている人を助ける金太郎を目撃した。

 

 鬼灯は「起こっていいのか⁉︎ 天国殺人事件」の一巻を白澤に渡した。

 金太郎を見て反省したと言っていたが、菜々はそうでないと見抜いた。

 本に何か書き加えていたようだし、鬼灯がそんな理由で大人になるとは思えないからだ。

「今日は停戦しましょう。帰ります」

 そう言い残して戻って行く鬼灯。

 菜々は鬼灯について行き、お香も帰ることにしたので白澤は一人になった。

 曲がり角を曲がった時、鬼灯は立ち止まった。

「私たちはまだ用事があるので先に帰っていてください」

 そうお香に言うと、白澤を盗み見る。菜々も同じようにする。

 お香はこれから起こることを察して帰って行った。

「しかたない。読んでや……」

 白澤は鬼灯からもらった本を開いた瞬間黙った。

 風神カゼノフブキノミコトという名前が丸で囲ってあり、「コイツが犯人」と書かれたふせんが横に貼ってある。

 鬼灯が嫌がらせのためにあんなことをしたということを、白澤はすぐに理解できた。

「ちくしょう!」と叫んで白澤が本を投げたと同時に、彼がいるところから少し離れた曲がり角で、ノートのページをめくる音が聞こえた。

 一通りの流れを「鬼灯さんVS白澤さん」と表紙に書かれたノートに書き終わった菜々は、自作した一覧表を取り出し、「鬼灯さんあだ名一覧」を開く。

 思いつく限りの悪態をついている白澤が鬼灯のあだ名を言うたびに一覧表が埋まっていく。

 しばらく、その場では菜々がメモをとる音だけが聞こえた。

 

 

 白澤がブツブツ言いながら家に帰った後、鬼灯は菜々に話しかけた。

「今日、誕生日ですよね?」

「何で知っているんですか?」

 倶生神から聞きました、と答える鬼灯を見て、自分のプライバシーが保護されていないことを菜々は知った。

 思い返してみれば、地獄では己の身は己で守るのが鉄則なので、現世ほど法律が厳しくないと沙華が言っていた気がする。

 人間は一生倶生神に観察されているわけだし、歴史上の偉人や、おとぎ話の英雄は本人に断りなく、主に現世で一生を書籍化や映像化されているのだ。

 地獄では現世ほどプライバシーが保護されていないと考えて良いだろう。

 まあ、そんな風だから菜々の一連の行動は法律違反になっていないのだが。

「誕生日プレゼントです。着物、その作業服しか持っていないでしょう?」

 鬼灯は金魚草の(がら)のついた包装紙に包まれた物を差し出す。

「ありがとうございます。開けてもいいですか?」

 どうぞ、と言われたので菜々は包装紙を開けてみる。

 どうせこの人のことだから変なものなんだろうな、と思いながら。

「なぜ死装束?」

「鬼になったので着る機会がなくなったでしょう。記念にどうぞ」

 悪気があるわけではないだろうが、好きな人から初めてもらったプレゼントが死装束ってどうなんだろう、と菜々は微妙な気持ちになった。

 

 

 

 

 

 プレゼントをもらったが、お返しとかはいるだろうか、と菜々は考え込んでいた。

 本来ならその人の誕生日にプレゼントを渡したりするものなのだろうが、鬼灯の誕生日はわかっていない。

 菜々がウンウンうなりながら旧校舎がある山を歩いていると、資料を抱えたあぐりに声をかけられた。

 今日は土曜日でE組生徒はいないので、菜々は山に入ってからはソラに別人に化かしてもらっていなかった。

 また、私服なのでキャスケットもかぶっている。

「どうしたの? 悩みがあるなら聞こうか? 旧校舎まで来てもらわなくちゃならないけど」

 菜々は旧校舎に行く意思を示し、あぐりの荷物を半分持った。また、ソラには席を外してもらうように頼んだ。

 ソラに話を聞かれるのは恥ずかしい。

 

 雪村あぐり。椚ヶ丘中学校三年E組の担任だ。

 菜々は鬼になって閻魔殿のジムが利用できるようになる前は、旧校舎がある山でランニングをしていた。

 その時にあぐりと出会ったのだ。

 今では下の名前で呼び合ったり、電話番号を交換していたりするくらい仲良くなっていた。

 もちろん菜々は彼女がもうすぐ死ぬことを、原作知識のおかげで知っている。

 黒の組織のメンバーすら全員覚えておらず、「暗殺教室」と「名探偵コナン」の原作知識は登場人物の恋愛模様くらいしかない菜々だったが、あぐりほど重要なキャラクターのことは覚えていた。

 死神との恋愛模様と、雪村あかりの姉である事くらいしか覚えていないが。

 死ぬことを知っていても、菜々はあぐりを助けるつもりはなかった。

 いつ死んだのか覚えていなし、死神が関わっていたのだろうとは思うが死んだ原因すら忘れている。

 第一、自分は子供なので思い通りに動けないし、あぐりが死んで死神が殺せんせーとなり、三年E組に来ければ原作にあった出会いがなくなる。

 殺せんせーが作った暗殺教室は様々な縁を作ったのだ。

 それに、原作の流れを大きく変えて、地球が滅びても困る。

 どうせ原作通りに行けば、殺せんせーとあぐりはあの世で会うことができるのだ。

 あぐりを助けたとしてもその先幸せになれる保証はない。

 また、死神の出身地が分からないのではっきりとは言えないが、今までしてきた事を考えると、彼が地獄行きになる可能性が高い。

 それよりも殺せんせーとなり、一年間だけでも善業を積んで欲しいものだと菜々は考えている。

 結果、何もしない事に決めているのだ。

 

 そんなことを菜々が考えていると旧校舎についていた。

 あぐりは本校舎から持ってきた教材を抱えている。

 菜々が半分持っていなかったら、ここまで運んで来れなかっただろうと思えるほどたくさんの教材だ。

 休日なので、旧校舎には誰もいなかった。

 教材を教室に運んだ後、菜々は職員室に通された。

 手頃な椅子を持ってきて二人で腰かける。

「どうしたの? 何でもいいから言ってみて」

「全然大したことじゃないんですけど、とある人に誕生日プレゼントもらったんです。どうすればいいと思います?」

「そういえば、菜々ちゃんの誕生日っていつ?」

「一月十九日です」

「それって昨日じゃん!」

 そう言うと、あぐりは(かばん)を漁りだした。

「これ、ストラップ。急だったから包装とかしてないけど……」

 そう言ってストラップを渡してくる。

「私の愛用ブランド、Rotten Mantenの商品よ」

 菜々に渡されたストラップは、溶けかけた「6」の丸の中にはなまるが書かれた、なんとも言えないものだった。

 あぐりいわく、Rotten Mantenのロゴらしい。

 鬼灯と同じで悪気はないだろうと思った菜々は、お礼を言ってもらった。

「それで、誕生日プレゼントをもらったからどうすればいいか、だっけ? 一度お礼を言って、その人の誕生日に何かプレゼントしてみたら?」

「その人の誕生日、わからないんですよ」

 誕生日プレゼントをもらい、どうすればいいのか悩むということは、その相手との関係は友達ではないし、そこまで親しくもないと言う事。

 また、変なことをして嫌われたくないという思いも感じられる。

「もしかして、誕生日プレゼントをくれたのって、菜々ちゃんの好きな人?」

 あぐりは目を輝かせて尋ねた。

 しばらく固まっていたが、小さくうなずいた菜々を見て、あぐりは嬉しくなった。

 生徒に恋愛相談をされるほど仲良くなれた、と。

「じゃあ、思い切って誕生日を聞いてみたら? もっとその人と仲良くなれるかもしれないよ」

 菜々は一瞬困ったような顔をして言った。

「その人、孤児で誕生日がわかってないんです」

 鬼灯から、生い立ちを触れてもらっても構わないと言われていたので、菜々は正直に言った。

「私の好きな人の誕生日もわかってないのよ」

 あぐりは話し始めた。菜々にはそれが誰のことなのか分かった。

「私は、その人と会った日に誕生日プレゼントを送ろうと思ってるの。菜々ちゃんもそうしてみたら?」

「私がその人と出会ったのって春休みなんですよ」

「かなり時間が空いちゃうか。じゃあ、バレンタインにチョコと一緒に何かしらのプレゼントを渡してみたら? あくまでお礼ってことで告白はしなくていいけど、意識してもらえるんじゃない?」

「そうします」

 意識してはもらえないだろうが、お礼をすることは出来るだろう。何より、チョコを渡す良い言い訳ができた。

 授業の準備もあるようだし、もうそろそろ帰ろうかと思っていた時、菜々は目をキラキラさせたあぐりに引き止められた。

「菜々ちゃんの好きな人ってどんな人?」

 もうすぐ彼女が鬼灯に会うであろうことを知っている菜々は誤魔化そうとしたが、最終的に特徴を言わされた。

 

 

 *

 

 

 二月に入った頃。停学を食らっている菜々は地獄で巻物を運んでいた。

 基本的に一緒に行動している唐瓜と茄子も同じように巻物を抱えている。

 先輩獄卒と節分とバレンタインの話をしていると、鬼灯が来た。

 職場内のチョコレートは賄賂の可能性があるため、基本的に禁止だと知って菜々は落ち込んだ。

「もう、チョコ作っちゃったんですけど」

 この前、三池や桜子と一緒に作ったのだ。また、鬼灯にチョコと一緒に渡すプレゼントも手に入れた。

 菜々の言葉に、チョコをもらえるかもしれないという期待を込める唐瓜。

 本命でなく、友チョコだろうがもらえるのなら嬉しいのだろう。

「そのチョコ頂戴(ちょうだい)!」

「唐瓜君や茄子君にお礼としてあげるつもりで作ったんだけど、禁止されてるなら渡せないかな?」

 茄子に言われたが、禁止されているのに渡すべきかどうか悩む菜々。

 唐瓜と茄子がチョコをもらう予定だったと知り、裏切り者を見るような目で彼らを見てから先輩獄卒達は去っていった。

 鬼灯は自動販売機で飲み物を買っていた。

「なんでそんな物買ってるんですか? というかなんで売ってるんですか?」

 菜々は鬼灯が買った「スープシリーズ ラーメンつゆ」と書かれた缶を見て突っ込んだ。

 地獄では現世では考えられないようなものが売っているが、閻魔殿の自動販売機に売っている飲み物は特に変わったものが多い。

 牛の目がゆで卵感覚で売っていたりする地獄だが、これは鬼でも飲まないんじゃないか、と思うようなものが閻魔殿の自動販売機には多くある。

 そのため、菜々の一覧表にはもちろん「閻魔殿に売っている謎の飲みもの一覧」というものがあったりする。

「私が手配しているからです」

 鬼灯の答えは菜々の予想通りだった。

 いまだに八寒地獄で遭難(そうなん)した時しか、彼がまともな飲み物を飲んでいるところを見たことがなかったからだ。

 菜々は、自作の一覧表にある「閻魔殿に売っている謎の飲みもの一覧」にチェックを入れた。

 この一覧に書いてある飲みものを、鬼灯が飲んでいるところを確認したら、チェックを入れていくのもいいかもしれないと思ったからだ。

 多分、この一覧に書いてある飲みものは鬼灯しか飲まないだろう。

 菜々は鬼になった今でも、飲むのをためらってしまうものが多い。

 その後、バレンタインにイベントをすることが決まった。

 鬼灯の提案なのでろくなことではないだろうが、面白そうだ、と菜々は不安と期待を感じた。

 

 

 

 

 バレンタイン当日。

 閻魔殿ではカカオ()き大会が行われていた。

 獄卒が動き回り、カカオ豆が飛び交っているため、騒がしい。

 菜々はここぞとばかりに亡者にカカオ豆をぶつけていた。

 ボール(イコール)人にぶつけるという本能がある菜々が投げた、球状のカカオは百発百中だった。

 しかも、亡者にしか当たらない。

 ジムでボールを投げた時も閻魔にしか当たらなかったことを考えると、当てる対象をある程度はコントロールできるらしい。

 

 この様子では鬼灯にチョコを渡せないだろうと菜々が諦めかけていた時、イワ姫が来た。

 彼女が鬼灯にチョコを渡したことをきっかけに、女性獄卒達が閻魔の机に持って来ていたチョコを投げ始めた。

 お賽銭のようにチョコを投げて渡される鬼灯を見て、男性獄卒達の気持ちは一つになった。

 鬼灯様(アンタ)、そりゃないよ、と。

 そのどさくさに紛れて、菜々は唐瓜と茄子にチョコを渡すことに成功した。

 大量のチョコを抱えている鬼灯を盗み見てみる。

 あとで渡そう、と菜々は決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 これはあくまでこの間のお礼。賄賂でもなければ、特別な意味があるわけでもない。

 菜々はそう、自分に言い聞かせていた。今は元物置小屋である、閻魔殿の自室にいる。

 初めは、チョコを渡すためにシロ達から聞いて鬼灯の部屋の前に行ったのだが、女性獄卒達がたくさんいたので引き返した。

 今、鬼灯はデスクワークをしていたが、女性が群がっている。

 

 すぐに渡せそうになかったので、カカオ()きが終わってから、菜々は烏頭や蓬、お香などの知り合いにチョコを渡しに行った。

 倶生神にはかなり迷ったが、小さなチョコを一つ渡した。彼らにとっては充分大きい。

 今までそんなことはなかったのに、どういう風の吹きまわしだと聞かれなかったのはありがたかった。

 この前、三池や桜子に質問責めにされたからだ。

 ただし、倶生神だけでなくソラもだが、何も聞かない代わりに、やけに生暖かい目で見てきた。

 一通りチョコを配り終わってから確認してみたが、鬼灯はまだ忙しそうだ。

 チョコを渡せる雰囲気ではないことは確かなので、いったん、菜々は自室に芥子からチョコの代わりにもらった芥子味噌を置きに行った。

 拷問に使ってください、とのことだ。

 

 閻魔殿の自室でしばらく考えてみたが、今日中に直接チョコを渡すのは無理だろう。

 ずっと待っていると遅くなってしまいそうだったので、菜々はチョコを置いておくことにした。

 しかし、鬼灯の机や自室の前にこっそり置いておくと、「鬼灯様ファンクラブ」の過激派の獄卒達に見つかって処分される可能性が高い。

 菜々は、鬼灯だけが気づくようなところにチョコを置いておくことにした。

 あんな性格なのになんでファンクラブなんてあるんだ? みんな本性を知らないのか。

 と、失礼なことを考えながら彼女は、現世の不思議グッズから呪法に使われたものまで収納してある部屋に向かった。

 この部屋は鬼灯の趣味で集めているものがほとんどであり、彼以外は滅多(めった)に入らない。

 ここなら鬼灯以外、気がつかないだろうと思った菜々はその部屋に入った。

 壱──参という札がある部屋に入り、丑の刻参りセレクションの一角(いっかく)に、ラッピングされたチョコとプレゼントを置き、簡単なメモを()える。

 手作りじゃないから重くない、と自分に言い聞かせながら彼女は部屋を出た。

 

 

 

 

『ちゃんと渡せた?』

 次の日、授業が終わってすぐ、あぐりが菜々に電話をかけて来て尋ねた。

「停学中の生徒が出かけていたのに、とがめないんですか?」

 菜々はそう言いつつ、ちゃんと渡しました、と律儀に報告した。

『プレゼントってどんなの渡したの?』

「そこらへんの木に打ちつけてあった藁人形です」

 そう返すと、驚いたあぐりの声が聞こえる。

「その人、そういうの集めるのが好きなんですよ。後、藁人形はあぐり先生のチョイスほど悪くないと思います」

 その後、菜々がもらったプレゼントというのは死装束だと伝えると、あぐりは納得した。

 

 世界屈指の犯罪都市である米花町では悪意の一つや二つ、探せば見つけられる。

 藁人形を見かけることなんて、米花町ではよくあることなのだ。

 



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暗殺教室編
第6話


「がんばれ! 新米サンタくん」。菜々が毎週見ているテレビ番組の一つだ。

 彼女がトリップした日から始まっているアニメで、題名と可愛らしいキャラクターデザインとは裏腹に、内容はかなり暗い。

 プレゼントを配るため、不法侵入をしたり、プライバシーの侵害をして子供達が欲しがっているものを知るという、犯罪を繰り返しているサンタたち。

 そんなサンタの中の一人、新米サンタである三太の物語だ。

 今、なぜサンタ達はプレゼントを配るために命を賭けているのかという謎が明かされようとしていた。

 菜々とソラがハラハラしながらテレビを見ていると、いきなり画面が変わった。

『臨時ニュースをお伝えします。月が爆発して、七割方蒸発してしまいました‼︎ 我々はもう、一生三日月しか見れないのです‼︎』

 そんなニュースが流れる。

 菜々とソラは呆然とした。

「月が七割蒸発⁈ どうなってるの?」

「実はサンタ達が配っていたプレゼントのゲームをすると、催眠にかかるなんて! サンタ協会の目的はいったいなんなんだろう?」

 気にしている内容は全然違うが。

 菜々がサンタ協会の目的について考えをめぐらしていると、地獄産の携帯に電話がかかって来た。

 鬼灯からの電話で、すぐに地獄に来て欲しいという内容だった。

 

 

 *

 

 

 帰るのが遅くなるだろうと思われたのでとりあえず、菜々はソラに身代わりを頼んで地獄に向かった。

 閻魔殿に着いてすぐに、緊急事態だと言われてろくに説明もされずに鬼灯に案内され、着いたのは会議室だった。

 そこには十王とその補佐官達だけがいた。

 おそらく七割方蒸発した月と殺せんせーのことについてだろう。

「えっ⁉︎ 菜々ちゃん!」

 部屋の奥に居た人物が驚きの声をあげる。

「あぐり先生⁉︎」

 予想していたことだったが、菜々も驚いたふりをした。

 あぐりは鬼灯からあの世について簡単な説明を受けたらしい。

 

 

 菜々が簡単に鬼になった経緯を説明すると、あぐりはすぐに納得した。

「死神さんみたいな人もいるんだから、菜々ちゃんが鬼でもおかしくないわね」

 いや、おかしいだろ、と突っ込むマメな人はいなかった。

 こういう時、突っ込み担当が欲しいな、と菜々は思った。

「ここからは国家機密となることを理解してください。さっきあの世に来た何人かの亡者が秦広庁で、来年、地球で月と同じようなことが起こると騒いでいました。話を聞いたところ、柳沢という研究者が反物質の研究をしていたことが事の始まりらしいです」

 鬼灯は話し出した。

 そんな事、中学生に話すなよと菜々は思いながら耳を傾けた。

 世界一の殺し屋と呼ばれている「死神」が、柳沢がしていた研究の実験体にされていたこと。

 その過程で死神は人知を超えた破壊の力を手に入れたこと。

 死神の細胞を移植された、月で飼われていたネズミが原因で月の七割が消滅したこと。

 三月一三日に死神にもネズミと同じことが起こること。

 それを知った死神は脱走した事。

 

 菜々は鬼灯の話に驚いたふりをした。

 そういえばそんな話だったな、と原作知識を思い出していたが、驚いておかないと怪しまれる。

 日本のヨハネスブルグと呼ばれている米花町に住んでいる彼女は、それなりの演技力を身につけていた。

 それくらい出来ないとよっぽど運が良くない限り、米花町では生きていけない。

「ここまでは『死神』に殺された研究員の亡者から聞いたことです。彼らは口を(そろ)えて、死神のことを恐ろしい化け物だと言いました。そんな中、唯一彼を(かば)ったのがあぐりさんです。彼女は死神の監視役を任されていたらしく、一番彼のことを知っている人間です。何があったのか、死神とはどんな人物なのか、詳しいことを彼女から聞いて、我々は今後の方針を決めます。第一、研究員達はまともに証言できるかどうかも怪しい状態でした」

 

 そう言い終わった鬼灯にうながされ、あぐりは話し出した。

 死んだと思ったらいきなり、地獄の重役がいる部屋に連れてこられ、鬼である生徒が現れたのだから、まだ少し混乱しているようだ。

 

 あぐりの婚約者である柳沢に、死神の観察役を任されていたこと。

 死神は触手を自由自在に操れるようになっていたこと。

 三月一三日に死神にもネズミと同じことが起こるため、死神の処分が決まったこと。

 あぐりがそのことを死神に話したら、彼が脱走したこと。

 死神を止めようとして抱きついたら、触手地雷によって致命傷を負ったこと。

 死ぬ直前に、残された一年で椚ヶ丘中学校三年E組の生徒達を教えてほしいと頼んだこと。

「もしもあの人が平和な世界に生まれていたら、ちょっとエッチで、頭はいいのにどこか抜けていて、せこかったり、意地っ張りだったり……そんな人になっていた。あの人は本当は優しい人なんです」

 最後にそう言ってあぐりは()めくくった。

 

「あぐりさんは秦広庁での裁判で天国行きが決まりました。しかし、情報を提供してもらうため、定期的に地獄に来てもらいます」

 鬼灯がこれからのことを説明する。

 この会議を進めているのは鬼灯だ。さすが地獄の黒幕、と菜々は思った。

「来年、地球がなくなる可能性がある、というのはあの世にとって大変な問題です。なんとしてでもこの一年で死神を殺さなくてはならない」

 地球がなくなってもあの世は存在し続けるのか、現代ではわかっていない。

 しかし、地球がなくなってからもあの世が存在し続けても、亡者の転生先がなくなるので、どのみちあの世は機能しなくなる。

「浄玻璃鏡と柳沢という人の倶生神の証言で裏は取れました。超破壊生物がいることは疑いようのない事実です」

 鬼灯の言葉で、会議室が騒がしくなる。

「今回の特別会議の議題は、『超破壊生物の暗殺、およびあの世に来てからの対処法』です」

 その頃、菜々への注目が集まって来ていた。

 鬼灯がそのことに気がつき、紹介する。

「今年の閻魔庁からの新年の挨拶でついて来ていたので、覚えている方もいるでしょう。薄々勘付いている方も多いと思いますが、彼女は椚ヶ丘中学校三年E組の生徒です。あぐりさんの話と浄玻璃鏡で、死神がそのクラスの担任をする、と現世の各国政府に交渉しようとしていることがわかりました。死神は彼女のクラスの担任になる。菜々さんには死神の暗殺と観察をお願いします」

 覚えている方もいるでしょう、と鬼灯は言ったが、覚えていない人物がいるとは到底思えない。

 鬼灯にまだあどけない顔立ちをしている中学生がついてきた上、なんかメモしている事もあったのだ。

 また変なのが来た、と思っただけだったあたり、十王達も鬼灯によって、かなりメンタルが鍛えられているのだろう。

 

「なんで死神が菜々ちゃんの担任になるなんてわかるの? そんな危ないこと、中学生に任せるかな?」

 閻魔の問いに鬼灯は舌打ちをした。

「任せると思いますよ。教師として毎日教室に来るのなら監視ができる。もちろん、生徒たちに危害を加えないと死神に約束させ、高い成功報酬をつけるとは思いますが」

 そう言ったのは五道転輪王だ。そういえば、この人聡明なんだっけ、と菜々はかなり失礼なことを考えていた。新年に会った時、ぽやんとしている印象を受けたのだ。

 おそらく、現世では足止めのために超生物がE組の担任になる事を認め、世界中の技術を駆使した暗殺を行われるだろうという話になった。

「とにかく、私は各国政府に国際会議を開くように要請します。閻魔大王、後は頼みます」

 そう言い残して、鬼灯は会議室を後にした。

 それから、菜々とあぐりはさまざまな書類にサインさせられ、会議室から解放された時には日付が変わっていた。

 夜遅いため、菜々は地獄に泊まっていくことにした。

 それからすぐに、茅野が転校して来た。

 

 

 *

 

 

「現世の各国政府が死神の要求を認めたようですよ」

 菜々が地獄に行くと、鬼灯に言われた。

「現世で触手用の武器が開発されたようなので、武器が支給されたらすぐ、地獄に横流ししてもらえません?」

 国際会議で死神が死んだ場合、魂を日本地獄で引き取ることが決まったらしい。

 死神が生まれた地域の管轄のあの世が(さじ)を投げ、現在死神がいる日本が全ての責任を押し付けられたのだ。

 鬼灯は閻魔や十王に許可をもらったと言っていたが、あの様子だと閻魔は脅されたのだろうと菜々は思っていた。

 

 超生物用を引き取るとなると、地獄行きが決定した場合、拷問をしなければならない。

 普通の武器が効かないことは現世で証明されているので、技術課の獄卒数人に理由を伝え、特別な拷問器具を作らせることになったらしい。

 しかし、地獄にはデータがない。そこで鬼灯は菜々に対触手武器の横流しを頼んだのだ。

 一応、菜々は超生物用の拷問器具を作ることとなった獄卒と顔を合わせることになった。

 

 

「技術課の主任の人や蓬さんはわかりますけど、なんで烏頭さんなんですか?」

 それが、今回特別に作られた「対触手用武器開発班」の面々を見た菜々の第一声だった。

 菜々の反応に文句を言う烏頭を無視して、鬼灯は説明した。

「この三人が死神用の武器を開発しています。彼らもこれから特別会議に参加することになります」

「無視すんな!」

 烏頭は突っ込んだ。

「烏頭さんはう◯こ送りに二回もされていますが、模範的作業員は馬鹿の発想を超えられないところがあります。超生物という今までに例がない相手に馬鹿の発想は大事かと思いまして」

「たしかに、馬鹿の発想ってすごいですよね」

「お前ら、馬鹿、馬鹿って言うな!」

 怒っている烏頭を蓬がなだめていると、鬼灯が付け加えた。

「まあ、如飛虫堕処(にょひちゅうだしょ)の鉄の(いぬ)開発に携わっていた一人でもありますし。烏頭さんの技術とアイディアは一級品なんですよ。馬鹿ですけど」

 烏頭は他の人が思いつかないアイディアをよく出すのだ。

 ほとんどが実用性のないアイディアだが、たまに眼を見張るものがある。

 それに、烏頭は情報を売るような事はしないだろう。

 ミスはするかもしれないが、その時はいつものように蓬が尻拭いをすれば良い。

 そんな考えが鬼灯にはあった。

 

 

 

 *

 

 

 地獄では秘密裏に「超破壊生物の暗殺、およびあの世に来てからの対処法」の二回目の会議が開かれていた。

「椚ヶ丘中学校三年E組での暗殺が始まってもうすぐ一ヶ月。現世の各国政府はプロの暗殺者を送り込むことにしたそうです」

 会議の進行係である鬼灯がその暗殺者について説明を始める。

 会議室には十王とその補佐官、「対触手用武器開発班」の三人、菜々とあぐり、ソラがいる。

 また、テレビ電話も置いてあり、その画面に映っているのは菜々がよく知っている人物だ。

 倶生神である沙華と天蓋。殺せんせーの記録をとっている。

 殺せんせーの監視役として白羽の矢が立ったのが、最近菜々の細かい記録を書き終わったこの二人だった。

 菜々の記録をとっていたのだから並大抵のことでは動じないだろう、と言うのが理由らしい。

 菜々は納得できなかったが、この件に関わっている日本地獄の人物達は納得していた。

 

 前に、倶生神がいるのだから自分は殺せんせーの観察をしなくてもいいのではないかと菜々が鬼灯に尋ねたことがある。

 しかし、今までの観察日記を見ていると、菜々の方が着眼点が鋭い場合があると返された。

 ほとんどがくだらないことですけどね、という鬼灯の言葉は聞かなかったことにした。

 

「イリーナ・イェラビッチ。プロの殺し屋です。美貌に加え、10ヶ国語を操る対話能力を持ち、ガードの固いターゲットにも本人や部下を魅了してたやすく近づき、至近距離から殺す。潜入と接近を高度にこなす暗殺者らしいです」

 スクリーンにイリーナの写真が映し出される。

「殺せると思いますか?」

 衆合地獄に欲しい、という言葉を飲み込んで鬼灯は菜々に尋ねた。

「たぶん無理だと思います。殺せんせー、すごく速いので」

「私も同意見ですけど、色仕掛けなら効くと思います」

 沙華が口を挟んだ。

「殺せんせー、生徒が見ていないところでエロ本読み漁ってますし」

 沙華がテレビ画面に、殺せんせーが顔をピンクにして、エロ本を凝視している写真を映す。

 そういえば思い当たる節あるかも、とあぐりが呟いた。

「こんな奴が来年地球を滅ぼすかもしれないのか……」

 誰かが呟いた。なんとも言えない空気にあたりが包まれる。

 結局、イリーナに殺せんせーを殺すのは無理だという結論になり、菜々が今までの暗殺結果を発表することとなった。

 

 

 今まで試した暗殺方法を全て話した時、会議室はどんよりとした空気になった。

「ハンディキャップ暗殺大会や、身投げでも殺せないのか……」

「毒でツノや羽が生えるって……」

「脱皮や液状化って……」

 本当に殺せるのだろうか、と彼らの顔に書いてある。

「殺せんせーは、いざとなったら自殺すると思います。あぐり先生の話や、殺せんせーの行動を見ていると、そう思うんです。逃げずにE組に来たのだって、私たちに教えるためだろうし」

 菜々の意見は(もっと)もだ。

 倶生神やあぐりも賛成したので、重点を置いて考えなければならないのは、殺せんせーがあの世に来た時の対処法ということになった。

 いざとなればあの世の住人が人間に見えないよう、地獄の入り口にある特殊な光を浴びていない状態で殺せば良い。

 相手には姿が見えないので簡単に殺せるだろう。

 現世の出来事に必要以上に関わってはいけないという法律はあるが、日本地獄の法律は他の国と比べるとゆるいので、その点は大丈夫だろう。

 

「私は殺せんせーを雇えばいいと思います」

 鬼灯の意見に全員がど肝を抜かれた。

「生まれた時から倶生神がついていたわけではないので日本式の裁判をすることができません。第一、マッハ20の超生物ですよ! 雇えばめちゃくちゃ便利じゃないですか!」

 菜々やあぐりは乗り気だったが、鬼灯の案に積極的でない人物がほとんどだった。

 今のところ、危険性があると思われる行動はしていないが、残虐である殺し屋だったのだ。

 妖怪やUMAと同じように考えているんじゃないか、という考えを閻魔が顔に出した。

「いきなり雇うと決めるのもどうかと思うので、近いうちに様子を見に行きます」

 変な事考えましたね、と言いながら閻魔に金棒を投げて、鬼灯は言った。

 

 

 *

 

 

 イリーナがすっかり生徒達と打ち解けたり、中間テストが終わったりした頃。

 E組生徒たちは修学旅行の話で持ちきりになっていた。

 沙華や殺せんせーに先取りして勉強を教えてもらっていたため、菜々はなんとか50位以内に入れていたりしたが、彼女にとってそんなことは今、どうでもよかった。

 クラスの中で特に仲が良い渚たちと修学旅行の班が同じになったりしたが、そんなことも今はどうでもいい。

 問題はクラス全員が注目している男だ。

 来るなら事前に連絡して欲しかった、と菜々は思った。

 なんでこんなことになったんだっけ、と彼女は今までに起こったことを思い出していた。

 

 

 

 殺せんせーが外国へ出かけている隙に、烏間が修学旅行の時にスナイパーを雇うため、狙撃しやすいコースを決めて欲しいと話していた。

 体育の授業中だったので生徒は全員ジャージだ。

 その時、烏間は身構えた。内容までは聞き取れないが、旧校舎までの道から話し声が聞こえてくる。

 気づいていない生徒もいるようだが、ものすごい殺気だ。

 暗殺者か? しかし、何も聞いていない。

 烏間が考えを巡らせていると、イリーナが旧校舎から出てきた。

 彼女も並ならぬ殺気に気がついたらしい。

 殺気を感じ取った生徒達は不安げに視線を交わす。

 渚は確信した。イリーナと同じ暗殺者だと。こんな殺気、普段の生活ではお目にかかれない。

 鬼である菜々は身体能力が人間よりも良い。そのため、他の人には聞こえていないようだが、菜々は道から聞こえる声をしっかりと聞き取れた。

「まだ薬ができていない? 納期は今日ですよ。熱があった? 昨日衆合地獄で見かけましたが? 牛丼にしてやろうか、この牛目」

 学校のチャイムが鳴ったが、誰も動かない。

 やがて電話を切る音を菜々が聞き取ると同時に、さっきの声の主が姿を現した。

 黒いシャツにジーパンというラフな格好で、キャスケットをかぶっている。

 シャツには大きく墓の絵がプリントされているが、そんなことよりも目立っているのは、常人には到底出すことができないほど大きな殺気だろう。

 地獄の底から這い出してきた鬼のようだ、と渚は呟いた。あながち間違っていないな、と菜々は思った。

 ほとんどの人間はその殺気に(ひる)んだ。

 そんな中、唯一動いたのが烏間だった。

「聞いていないが新手の暗殺者か? ヤツは今、かき氷を作るために北極まで氷を取りに行っているが、もうすぐ帰ってくると思う。待ってみるか?」

 烏間がそう言うと同時に、その男の後ろに黄色いタコのような生き物が現れた。

「そんなに殺気を出していたらターゲットにすぐに気づかれてしまいます。そんなことでは私を殺せませんよ」

 ヌルフフフという奇妙な笑い声をあげながら、殺せんせーは触手をうならせた。

「手入れして差し上げましょう」

 菜々は今までフリーズしていた頭を動かした。

「殺せんせー、その人暗殺者じゃありません! ていうか、何やってるんですか、鬼灯さん」

 菜々が立ち上がって叫んだ。

 全員の目が点になった。

「一般市民の加々知鬼灯です。なんですか? このエイリアンっぽいの」

 あの殺気で一般人? 

 なんであんたは殺せんせーを見ても普通に自己紹介してるんだ! 

 カガチってホオズキの古称だろ。珍しい名前だな。

 この場にいる人間達の頭に、突如、そんな突っ込みや疑問が駆け巡った。

 しかし、一番に考えなければならないのは自称だが、一般人に国家機密を見られてしまったということだった。

 

 

 殺せんせーが生徒達に怒られたりけなされたりしている時、烏間は何が起こっているのかを鬼灯に説明していた。

 この事は他言しない、と言われて烏間は息をついた。

「ところで、あなたと加藤さんの関係は?」

「廃墟巡り仲間です」

 鬼灯の答えで、その場の空気が凍りついた。

 もっと良い言い訳はなかったのだろうか、と菜々は思った。

 たまに、亡者を回収するために立ち寄った廃墟で、視察中の鬼灯に出くわすので間違ってはいないが。

「そのタコの暗殺、私も加わっても良いですか? あと、暗殺者に間違われたのかなり心外なんですけど」

「並々ならぬ殺気と、凶悪な顔のせいだと思いますよ」

 そう言った菜々に、E組一同は尊敬の眼差しを向けた。

 誰もが思っていたが怖くて言い出せなかったことをよく言ってくれた、と目が語っていた。

 殺せんせーの暗殺に鬼灯が加わることに烏間が許可を出したとき、E組の関心は鬼灯に集まっていた。

「菜々ちゃんとどんな関係? 何気に下の名前で呼ばれてたけど」

 倉橋の問いに全員が鬼灯に注目する。

「だから廃墟巡り仲間ですって」

 そう返した鬼灯に中村が本当にそれだけなのかと詰め寄る。

 烏間と話している時、旧校舎に来たのは最近の菜々の様子がおかしいのを疑問に思ったからだと言っていたので、そう思うのは当然だろう。

「莉桜ちゃん。一つ言っとくけど、私にボール(イコール)人にぶつけるっていう本能移したの、鬼灯さんだから」

 菜々の言葉でE組一同は今までのことを思い出した。

 

 

 クラス替えがあってすぐ。

 自己紹介の時に菜々は言った。

「私にはボール(イコール)人にぶつけるという本能があるので気をつけてください」

 この頃は誰も本気にしていなかった。

 

 まだ殺せんせーが体育の授業を受け持っていた頃、体力テストをした。

 ハンドボール投げで菜々が投げたボールが九十度近く曲がり、岡島の顔に直撃。

 彼は一日中目を覚まさなかった。

 この時、自己紹介の時の菜々の言葉は本当だったと全員が知った。

 

 渋っていた菜々を、暗殺バドミントンに参加させたとき。

 菜々がボールに触れた瞬間、ボールが縦横無尽に動き回り、一瞬で菜々以外のコートにいた人は床にひれ伏していた。

 

 射撃の練習をしていた時。

 菜々が打った球は全て的に当たらず、近くにいた人間に当たった。

 彼女いわく、対先生BB弾も球型のため、ボールと認識されるらしい。

 

 確か、前に菜々は言っていた。

「私のこの本能、元からあったわけじゃなくて人から移ったものだから」

 そんな風邪のようなものなのかと全員で突っ込んだ時、どんな人から移ったのか渚が尋ね、菜々はなんと答えただろうか。

「絶対に逆らわない方がいい人」と答えていた気がする。

 その場にいた者は、彼女の青ざめた顔を覚えている。

 

 

「この人が、絶対に逆らわない方がいい人か……」

 磯貝が呟いた。

 カルマでさえ、あの菜々がそう言っていた事を思い出して鬼灯のことを警戒した。

 今まで鬼灯に群がっていた生徒達は、菜々に質問することにした。

「加々知さんって何歳?」

「あの人孤児で、ちゃんとした年齢わかっていないみたいだよ」

 菜々の答えに、何気なく尋ねた岡野はなんとも言えない気持ちになった。

「特に気にしていないらしいから大丈夫だよ。言ってしまったが最後、命を狙われるとか全然ないから」

「菜々ちゃんの中で加々知さんってなんなの!」

 渚は思わず突っ込んだ。

「加々知さんって彼女とかいるの?」

「桃花ちゃん、鬼灯さんはやめときなさい。あの人、基本的にズレてるから」

 殺せんせーの暗殺に加わる理由が、好きなだけ呪いをかけられる実験体が欲しかったからという人だったな、と全員が思い出した。

「菜々ちゃん、加々知さんのこと好きでしょ」

 中村はふざけ半分で聞いたのだが、菜々は真っ赤になっていた。

 それを見て、全員が彼女の気持ちを察した。

 ソラにもバレたか、と菜々が彼女を見てみると、生暖かい目で見られていた。

 だいぶ前から菜々の気持ちに気がついていたらしい。

 奥田などの、鈍い部類に入る人間でも察した。

「思わぬ収穫ですねぇ」

 聞き慣れた声がしたので振り返ると、顔をピンク色にした殺せんせーがいた。

「社会人に恋する菜々さん。 三学期に出版予定の『実録‼︎ E組に渦巻く恋の嵐密着300日』の第2章にしましょう」

 そう言うと、すぐに殺せんせーは飛び立って行った。

「杉野君。三学期までにあのタコ殺すよ。第1章はたぶん君だ」

 菜々は自分も似たような事をやっているくせにそう言った。

 菜々と杉野の仲が深まった。

 結局、鬼灯はすぐに帰って行った。

 

 

 

 

「来るなら事前に連絡くださいよ。というか、殺せんせーと関わったら徹底的に調べられますよ。戸籍ないのにどうするんですか」

 授業が終わり、地獄についてすぐ、菜々は鬼灯に文句を言った。

 最近では、殺せんせーがいるせいで地獄に来づらくなっている事もあり、菜々は鬼灯が来ると知らされていなかった。

 多忙な鬼灯のことなので、顔を合わせた時に言えばいいと思っていたのだろう。

「戸籍の方は大丈夫です。偽装工作はちゃんとしてあります。それと殺せんせーは、獄卒として雇っても問題ないと判断しました」

 鬼灯への気持ちを知られてしまった菜々には問題しかないが、反論することができなかった。

「修学旅行で()()会うことになりますが、よろしくお願いします」

 この後行われた会議で、殺せんせーを死後、獄卒として雇うことが決定された。

 

 

 *

 

 

 修学旅行。一日目はクラス全員で観光名所を回った。

 宿泊先であるさびれや旅館についた時、殺せんせーは瀕死状態だった。

 岡野と菜々でナイフを当てようとしたが避けられた。

 寝室で休んだらどうかと岡野が提案したが、殺せんせーは断った。

「いえ、ご心配なく。先生これから、一度東京に戻りますし。枕を忘れてしまいまして」

 殺せんせーの横には大きなリュックがある。

 トイレットペーパーやリコーダー、こんにゃくなどどう考えてもいらないものがたくさん入っているようだ。

「あれだけ荷物あって忘れ物ですか?」

 低いバリトンボイスが聞こえた。

 つい最近、この場にいる全員が聞いた声だ。振り返ってみると考えていた通りの人物がいた。

「なんでいるんだよ!!」

 誰かが突っ込んだ。

「烏間さんに頼んだら許可をもらえました」

「この旅館に修学旅行生が泊まったら()()という噂があるらしい。弱みを握られているし許可するしかなかった」

 ぬけぬけと言う鬼灯に烏間が付け加えた。

 怪談が苦手な生徒は顔を青くした。

 

 

 次の日。

 菜々たち4班のメンバーは祇園の奥に来ていた。

 暗殺の決行をここに決めた時、不良が現れた。

 不良たちの話から、女子生徒達を拉致しようとしていることが分かり、すぐにカルマが不良を一人倒すが、隠れていた不良に鉄パイプで殴られてしまう。

 いつもの菜々ならこんな不良達、簡単に倒すことができたが、今日、菜々はものすごく疲れていた。

 昨日、幽霊が出るという噂の部屋で鬼灯と興味本位で付いて来た狭間と、一緒に夜を明かしたのだ。

 しかも狭間は勘が良いし、鬼灯が怪しい言動ばかりするので、菜々は神経をすり減らしていた。

 結果、菜々は神崎と茅野と一緒に捕まった。

 

 男子達を気絶させてすぐ、不良達は捕まえた女子の手を縛り、車に詰め込んだ。

 車のナンバーが隠してあったし、多分盗車だろう。

 しかもどこにでもある車種だ。

 菜々は不良達が犯罪慣れしていると見抜いた。

 不良達が何か言っていたが、菜々は眠かったので寝ることにした。

 廃墟など、人目につかないところに着くまで何もしないだろうと判断したからだ。

 

 

 十分後、菜々が目を覚ますと呑気に寝ていた事に周りから呆れられた。

 よく犯罪者と命を賭けた鬼ごっこをしていたせいか、感覚が狂ってきている気がすると菜々はぼんやりと思った。

 不良の話を聞き流しながら菜々が不良達にあだ名をつけていると、不良その1(菜々命名)が去年の夏頃にゲームセンターで見かけた神崎の写真を見せてきた。

 こんな話、原作にあったっけ?

 そんな疑問が真っ先に浮かんできた事からも分かるように、菜々が持っている原作知識はほとんどなかった。

 神崎さんと工藤有希子さんって下の名前同じだよな。というか漢字も同じじゃん。このままだと私、神崎さんのこと、一生下の名前で呼べないのでは? 

 菜々が割とどうでもいいことを考えているうちに廃墟に着いた。

 

 

 

「ここなら騒いでも誰も来ねえな」

 リュウキが言った。菜々が車の中で「不良その1さん」と呼んだら怒りながらも名前を教えてくれたのだ。

 年上だからちゃんと、さん付けしたじゃないですか、と菜々が怒られたことに文句を言ったら、「こいつの頭、俺たちが教えなくても台無しなんじゃね?」と一人の不良が言った。

 菜々は彼の顔をしっかりと覚えた。

 死後の裁判で無駄にプレッシャーをかけてやろう、と心に決めた。

 事件に巻き込まれすぎて感覚が麻痺しているのは認めるが、頭が残念なんて認めない。

「遊ぶんならギャラリーが多い方がいいだろう」

 その後もリュウキはブツブツ言っていたが、菜々は聞き流した。

 リュウキの演説が終わり、不良達が一服している時、茅野が神崎に話しかけた。

「そういえばちょっと意外、さっきの写真。真面目な神崎さんにもああいう時期があったんだね」

 神崎がああなった経緯を話し、自分の居場所がわからないと言った時、菜々は話しかけた。

「神崎さんの気持ち、ちょっとわかるかも。私も自分の居場所がわからなくなった時があったんだ。でも最近、やりたいことが見つかったかな」

「やりたい事?」

 神崎が聞き返した時、リュウキが話に割り込んできた。

「勝ち組みたいな偉そうな女には……」

 リュウキの演説の途中で、大きな音がした。

「おっ、来た来た。うちの撮影スタッフのご到着だぜ」

 そう言ったリュウキだったがおかしいことに気がつく。

 音がしたのは建物の中だった。

「誰だ!!」

 そう叫ぶと、リュウキは立ち上がった。

「誰って、観光客ですけど」

「何やってるんですか、鬼灯さん」

「この廃墟、出るって有名なんですよ」

「立ち入り禁止ですよ、ここ」

 そんな呑気な会話を鬼灯と菜々が繰り広げていると、今まで固まっていた不良達がわめき始めた。

「どこの誰だが知らねえが、こっちには人質が」

 そう言いながら坊主のため、菜々にハゲと心の中で呼ばれているマコトが菜々達を振り返ったが、言葉を詰まらせた。

 よく犯罪に巻き込まれている菜々は対処法として、手を縛られる時縄を握っていた。

 そのため、不良達はしっかりと縛ったつもりでも、菜々が握っている縄を離せば、縄は緩くなったのだ。

 ちなみに、金田一少年の事件簿知識である。

 解放された菜々は、神崎と茅野の縄をほどき終わったところだった。

「まあいい。やっちまえ!」

 リュウキがそう叫んだが、誰も動かなかった。否、動けなかった。

 不良は全員、うずくまっていた。

 毎度お馴染み、菜々の玉宝粉砕である。

「毎回、よくできるね……」

 ソラは呆れ顔だ。

 残ったリュウキは鬼灯に殴り飛ばされて気絶した。

「これ、始末書とかにはならないんですか?」

「バレなきゃいいんですよ」

 鬼灯と菜々がいろいろと突っ込みたくなるような会話をしている時、気絶させられた不良と一緒に、他の4班メンバーが来た。

「あれ? もう終わっちゃった?」

 カルマが心底残念そうな顔をした時、別の部屋にいた不良がやってきた。

「なんでここがわかった⁉︎」

 髭が生えている不良こと、シンヤがドスの効いた声で叫んだが、誰もひるまなかった。

 初めてE組に来た時の鬼灯と比べたら全然怖くない。

 その時、なんだかんだ言って自己紹介してくれたし、この人達意外と良い人なのかな、と菜々は考えていた。

 その後、渚が修学旅行のしおりに書いてあったことを読み上げたら、不良達の目が点になった。

 カルマが挑発し、不良が仲間を呼んでおいたと脅している時、菜々は扉の裏側に近づいた。

 扉が開き、殺せんせーと彼に手入れされた不良が入ってくる。

 いまだにやられていない不良が飛びかかるが、返り討ちにあう。

「学校や肩書きなど関係ない。清流に()もうが、ドブ川に()もうが、前に泳げば美しく育つのです」

 そう言った後、殺せんせーの合図で、渚達がしおりで不良を殴ってトドメをさした。

 その後、気配を消して扉の後ろに隠れていた菜々が暗殺を試みたが失敗に終わった。

 

 

 

 

 

 

 昨日と同じように、菜々は旅館に着いてすぐ、女湯にいる亡者を回収して、お迎え課の獄卒に引き渡した。

 菜々が神崎がゲームをやっているところを見ている時、うっかり鬼灯を卓球に誘ってしまった三村が痛い目をみていた。

「そういえばうやむやになっちゃたけど、菜々ちゃんのやりたいことって何?」

 ゲームを終えた神崎に聞かれ、菜々は答えた。

「今はまだ詳しくは言えないけど、追いつきたい人がいるんだよ。難しいことなんだけど、その人の役に立ちたいんだよね」

 そう言いながら、菜々は男子達がいるところを見ていた。

 

 

 殺せんせーの入浴シーンを見逃したりしながら、菜々は大部屋に向かった。

 

 

「気になる女子ランキングですか」

 男子部屋にいきなり鬼灯が現れた。

「毎回、いきなり出てくるのやめてください」

 ズバリと言った渚は、鬼灯は滅多なことでは怒らないと気がついている。

「すみません。気配消すの得意なんですよ。誰が誰のことを好きなのか知って、からかおうかと。後、個人的にカルマさんと奥田さんにはくっついてもらいたいです」

「「あんたも一緒にいたずらするつもりだろ」」

 何人かが同時に突っ込んだ。

「そういう加々知さんは好きな人とかいないんですか?」

 杉野はからかい半分で尋ねてみた。菜々のために情報を仕入れてやろうと思ったのだ。

 こいつのコミュ力すげー、と思った人間は少なくない。

 いませんね、と真顔で答える鬼灯に悪ノリしやすい前原が尋ねた。

「好みくらいはあるっしょ」

 矯正しがいのある人を見ると燃えるとか、自分が作った脳みそみそ汁を笑顔で飲める女性がいたら結婚してもいいだとか聞かされて、全員の顔が青くなった。

 その後、窓に張り付いていた殺せんせーを追いかけて、大半の男子が廊下に出た。

 

 

 

 女子部屋で、イリーナが今までの体験談を離そうとしていた時、殺せんせーが紛れ込んでいたのが発覚した。

「菜々さん。加々知さんはやめときなさい。というかあの人、本当に一般人ですか? どう見てもヤのつく人にしか見えないんですけど」

 そう言った殺せんせーだったが、中村に過去を追及されて逃げた。

 廊下で殺せんせーが追いかけられている時、菜々は部屋に残って今までの記録をつけていた。

 地獄での会議と同時進行で書いているため、誰かに見られるとまずいので、現世では人目がないところで書いているのだ。

 ソラからは呆れた目で見られているが、気にしないことにしている。

 

 

 

 殺せんせーは烏間の部屋に逃げ込み、置いてあったまんじゅうを完食した。

 しばらく経ったため、もう生徒を撒くことができただろうと思い、殺せんせーは烏間の部屋から出た。

 障子の間に挟んであったボールが落ちて来たが、殺せんせーは烏間の部屋にあったタオル越しにキャッチする。

「対先生BB弾を埋め込んだボールですか。杉野君のものですね。にゅやッ」

 殺せんせーが叫んだ瞬間、(おの)が落ちてきた。その(おの)には菅谷にもらった、対先生BB弾を粉状にしたものを含む塗料が塗ってある。

 間一髪で避けた殺せんせー。

「やはりギロチンではダメでしたか。昔、先生に仕掛けた時も失敗しましたし」

「とりあえずいくつか突っ込ませろ」

 さらっと、昔も教師に同じことをやったことを暴露しながら、今まで隠れていた鬼灯が出てきた。

「なんで(おの)なんて持ってるんですか?」

 ノートにメモし終わり、暇だったのでぶらぶらしていた菜々が突っ込む。

「それに、昔先生に仕掛けたってなんだ?」

 烏間も突っ込むがうやむやに終わった。

 殺せんせーを見つけた生徒達が向かって来たのだ。

 生徒がナイフを振り、銃を撃っているうちに夜はふけていった。




神崎と茅野が拉致された時、ガムテープで手を縛られていましたが、この話では縄です。
菜々がいる影響で、原作と違うところが出てきたとでも思っておいてください。


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第7話

「獄内運動会ですか?」

 菜々は聞き返した。最近は八寒地獄で行われた雪合戦に参加したり、修学旅行に行ったりしていて、忙しかったので休みたかったが、そうはいかないらしい。

「毎年行ってるんだよ。去年から鬼灯君が大会実行委員長になっちゃたから過酷になってるんだけど、参加してもらえない? 日曜日に行われるんだけど」

「嫌です」

 菜々は閻魔の頼みをきっぱりと断った。

「鬼灯さんが大会実行委員長なんて嫌な予感しかしません。出場せずに見学するだけなら喜んで行きますけど」

 今、閻魔は書類仕事をやっている時間のはずだ。

「サボってるの、鬼灯さんにバレても知りませんよ」

 菜々はそう言い、さっさとずらかろうとした。逃げるが勝ち、と判断したからだ。

 しかし、菜々の目論見通りにはいかなかった。

 鬼灯が視察から帰ってきてしまったのだ。

 

 鬼灯にも運動会に参加するように言われ、菜々は反論した。

「私はアルバイトであって正式な獄卒ではありません。運動会に参加しなくても問題ないはずです」

「いえ、問題があるんです。殺せんせーが死んだ時、監視役だったあなたをマスコミに紹介することとなります。その時、運動会に参加する資格がないほど、下っ端の従業員を重要な任務につけていたと世間に思われると、閻魔庁の信用はガタ落ちするかもしれません」

 菜々は言葉に詰まり、結局運動会に出ることになった。

 

「そういえば、殺せんせーに関する特別任務ってどれくらいもらえるんですか?」

 菜々は何気なく尋ねてみた。

「暗殺に成功すれば、現世から100億もらえるでしょう?」

「私が暗殺に関わらない可能性もあります。その場合、殺せんせーの監視分の給料はどうなるんですか?」

「なんでそんなに金を気にするんですか?」

 鬼灯は思わず尋ねた。

 菜々は学生だし、亡者の回収で結構稼いでいるので金に不自由しているとは思えない。

「私、鬼なのでずっと現世で暮らすわけにはいかないじゃないですか。いつか地獄に来なければいけないけど、その時の偽装工作用にたくさんお金がいると思うんですよ」

 なんの偽装工作もなしに、外国に行くと嘘をつくにしても、地獄にいたら現世と連絡がとれなくなる。

 親が心配して警察に捜索願いを出したら、外国に行っていないことがバレてしまう。

 EU地獄などにコネを作って、偽装工作に協力してもらわなければならないのだ。

「それなら、私がなんとかします」

 菜々に超生物監視用の給料を払うとなると、思わぬ出費になる。

 対触手用の武器の開発にかけた金もバカにならないし、地球を壊す可能性があった超生物を地獄で雇うとなると、住民に納得してもらうために何かしらの対策をとらなければならない。

 その対策にも金がかかるのは目に見えている。

 いくら、超生物の人体改造の責任者が居るためという名目で、殺せんせーの後始末を引き受けた時に、たんまり補償金をもらったとはいえ、節約できるところは節約したほうがいい。

 菜々は身構えた。鬼灯が無条件で都合が良い条件を提案してくるとは思えない。

「どんな裏があるんですか?」

「あなた、私をなんだと思ってるんですか」

 そんな会話をしていたが、鬼灯に契約書を書いてもらい、この話は終わった。

 菜々が鬼灯に協力してもらえるなら、給料をもらって自分でなんとかするよりも良い結果になるだろうと思ったからだ。

 

 

 *

 

 

 獄内運動会。通称、精神的運動会の練習日。

 ほとんどの獄卒が青い顔をしていた。今年の大会実行委員長も鬼灯だという噂が流れていたからだ。

 大会に出場しなくても良い選手や、何も知らされていない新卒、能天気な茄子などは普通の表情だったが。

 去年の運動会の様子を知っている者の大半は大荷物を持ってきていた。

 前回行われた種目の対策用だ。

「本当に何も持ってこなくて良かったのか? 玉入れ用にゴム手袋とレインコートは必須だろ?」

「鬼灯さんのことだから、その裏をついてくるんじゃないかと思って」

 話しかけてきた唐瓜に、菜々は返した。彼も荷物をたくさん持ってきている。

 種目は前回とほとんど変わっていないようだが、鬼灯のことなので、内容は大幅に変えて、準備をしてきた獄卒達を落ち込ませようとするだろう、というのが菜々の見解だった。

 彼女が持っているのはノートと筆記用具だけだ。

 記録はちゃんととるつもりである。

 

 

 空砲がなり、閻魔の演説が行われた。

 今日は土曜日ってことは、これはリハーサルか。

 菜々は閻魔に聞いた話を思い出していた。

 その後の鬼灯により、各種目で一位になると、他の種目を一つ休むことができると説明された。

 

 

 

 第一種目は借り物競争だ。

 菜々や茄子が出る種目だが、唐瓜は出ないことにしていた。去年の二の舞は御免だ。

 コートの横にバズーカを持った鬼が現れた瞬間、去年の運動会の内容を知っている鬼達は持参した耳栓をつけたが、菜々は動かなかった。

 

 バズーカを持った鬼が、さっき取り出したスマホを体の後ろに隠したからだ。

 今からバズーカを撃つという時にそんなことをするのはおかしい。

 だとすると、バズーカはフェイクだと考えるべきだろう。

 菜々の推理力と観察眼は米花町で少し、鍛えられていた。

 

 菜々の予想は当たり、バズーカは打たれずスマホから音が聞こえてきた。

 彼女は一目散(いちもくさん)に走り出した。

「なんであの子走ってるんだ?」

「さあ」

 観客席からそんな会話が聞こえてくる。

 耳栓をしていた獄卒ばかりか、耳栓をしていなかった者まで何が起こったのか分かっていないようだ。

 よくわからないまま、獄卒達が耳栓をとった頃、鬼灯がアナウンスを流した。

『スタートの合図はもうなっていますよ。さっきのは若者だけに聞こえる音。無料アプリなので、スマホで簡単にゲットできます』

 耳栓をしていなかった獄卒が音が聞こえなかった事に地味に落ち込んでいる時、借り物競走に参加している獄卒達がようやくスタートした。

 その頃、菜々は一つ目のお題が書いてある紙が置いてある場所についていた。

 今回の借り物競争は、四箇所に置いてある紙に書かれた物を全て集めてゴールしなければならない。

 また、お題を持っていないと紙が置かれた場所を通過できないので、全ての紙を取ってからお題を探すことはできない。

 菜々の一つ目のお題は、「とんでもない黒歴史がある人」だった。

 彼女は迷わず、救護席にいた桃太郎の腕を引っ張っていった。

 お題を桃太郎に見せると文句を言われたが、どうせ獄卒で知らない人はいないだろうと説得し、菜々は次の地点にある紙を拾った。

「スケコマシ」と書かれていたので、菜々は救護席に戻って白澤の首根っこを(つか)み、引っ張っていった。

 この紙を作ったのが鬼灯だとしたら、白澤が選ばれる事を期待していたのだろう。

 第三地点に着いた菜々は、「苦しい」とわめいている白澤の後ろ(えり)を握っていた手を離した。

 第三地点の紙には「良い歳のくせに馬鹿な人」と書かれていたので、桃太郎と白澤にはここで待っているように言って、烏頭の元に向かった。

 とうとう最後のお題となり、菜々が拾った紙には「好きな異性」と書かれていた。

 去年の唐瓜再来かと思われたが、彼女は唐瓜から話を聞いた時から対策を考えていた。

 シロを抱きかかえてゴールに向かう。シロは雄だし、菜々は彼のことが好きだ。likeの方だが。

 今まで集めた三人も何だかんだ言って着いてきた。

 結局、ゴールできたのは菜々と茄子しかいなかったが、菜々の方が茄子よりも一足早かった。

 一休み券というものが渡され、見てみるとこの券を使うと一種目休むことができると説明が書いてあった。

 また、人に譲っても良いらしい。

 一方、ゴール出来なかった獄卒達は大玉転がしの人質になる事が決まった。

 

 

 

 菜々は、第二種目「もふもふ動物大集合! アニマルパニック!」に出場した芥子を応援しつつ、烏頭の借り物競争の時のことの文句をBGMがわりにしつつ、今までの記録をとっていた。

 しかし、烏頭の文句がBGMにしてはしつこかったので、菜々はお詫びとして彼に一休み券を渡した。

 鬼灯のことなので、何か裏があるのだろうと思ったからだ。

 

 

 

 第四十八種目の騎馬戦は、菜々が最後に出る種目だ。

 去年は武器の使用が認められていただけだったのが、今回は会場にいくつものトラップが仕掛けられていた。

 そのトラップは対触手生物用の拷問道具の試作品らしい。

 出場者はランダムにチームに分けられる。最後に残った1チームが優勝だ。

 この種目、会場内から出てはいけないというルールと、地面に足がついたら負けというルールしかないので、出場していた菜々は如飛虫堕処(にょひちゅうだしょ)の鉄の狗にまたがっていた。

 鬼が馬役をやるものだという先入観があった者がほとんどで、菜々と同じような事をしているのは一人しかいなかった。

 自作したのであろう、フリーザが乗っていたポッドに乗っている烏頭を見て菜々はため息をついた。

 あんなものを作るお金、どこから持ってきたんだろう。そんな疑問を持ったのだ。

 あれは完全に自腹だろう。

 閻魔庁の経費であれの制作費を払うなんて、鬼灯が許すはずがない。

 見たところ、烏頭が乗っているポッドは空が飛べるようだ。

 地面での移動しかできない鉄の狗にまたがっている自分は圧倒的に不利だと判断し、菜々は会場の端に移動した。

 前もって拝借しておいた精霊馬を物陰から取り出す。

「んなもん盗んでたのか!」

「盗んでません! 借りてるだけです!」

 きゅうりの精霊馬にまたがった菜々は烏頭に言い返した。

 騎馬戦では、勝ち残った1チーム以外にはペナルティがある。

 閻魔が漏らした話によると、対触手生物用の拷問道具の実験体にされるらしい。

 会場内にも拷問道具の試作品は仕掛けてあるが、仕掛けきれなかった試作品は負けた獄卒達に試させる予定のようだ。

 菜々と烏頭は違うチームなので、相手を倒さない限り地獄を見る事になる。

 そんなペナルティがあるのなら参加しなかったのに、と菜々は後悔していた。

 とりあえず、菜々と烏頭は飛び上がった。

 烏頭が動く様子はないので、下の様子を見下ろしながら菜々は考え事をしていた。

 ペナルティがあるのだったら、一休み券を使った方が良かっただろうか?

 しかし、すぐに首を横に振る。

 最終種目が極秘になっているし、嫌な予感しかしない。

 

 

 残っている選手が菜々と烏頭だけになった時、菜々は戦う体勢に入った。

 その時が来るまで、相手に手の内を見せたくなかったので、味方を守るだけで競技に参加していなかったが、烏頭も身構える。

 手始めに菜々は懐に入れていたナイフを投げる。

 殺せんせーの暗殺でよくナイフを投げているせいか、動きに無駄がなかった。

 烏頭は避けきれず、思い切り体に当たったが、かすり傷しか負わなかった。

 鬼の体の作りが丈夫だからだろう。

 銃などの飛び道具を持っていないので、勝ちたかったら接近戦に持ち込むしかない。

 そう判断して、菜々は烏頭に近づいた。

 その刹那、あたりが眩い光に包まれ、大きな音が聞こえた。

 一年に一度のペースで、菜々が聞いている音だ。

 米花町では一年に一度のペースで高い建物が爆破されている。そして、菜々は毎度その事件に関わってしまう。

 それが爆発音であると気がついた時、菜々は爆風に吹き飛ばされていた。

 とっさに受け身を取り、怪我はしなかったようだが、地面に落ちてしまったので負けたのだろう。

 彼女はそう思ったものの、自分が勝っている可能性がある事に気がついた。

 あの爆発はどう考えても烏頭が乗っていたもののせいだろう。

 制作費をケチったかなんかであんな事になってしまった可能性が高い。

 一番近くで爆発に巻き込まれたので、彼が菜々より先に地面に落ちたかもしれない。

 その前に烏頭のせいでこんな事になったのだから、失格になる可能性だってある。

 そこまで考えて、菜々は他の事について考える事にした。

 普通、あんな事になったら、服がボロボロになるはずだ。

 しかし、菜々の服は多少(すす)けてはいるのもの、無傷に近い。

 これならまだ使えるなと思うと同時に、彼女は漫画の補正力のすごさを思い知った。

 

 結局、烏頭と菜々は始末書を書かされる事になった。

 精霊馬を無断で持ち出したのは悪いと思っているが、壊れたのは烏頭のせいなので菜々は納得できなかった。

 また、空中で爆発したので地上にはほとんど被害がなかったため、運動会はすぐに再開された。

『二人とも同時に落ちたので引き分けとなります。あの中に入ってください』

 そう、スピーカー越しに言った鬼灯は黒い布で覆われた一角を指した。

「嫌だぞ! どう考えてもあそこに拷問道具の試作品とかがあるんだろ! だいたい、引き分けでも勝ってるじゃないか!」

 文句を言う烏頭を見て、鬼灯はため息を吐いた。

『私は最後に残った1()()()()以外にペナルティがあると言ったのです』

 烏頭はガックリと肩を落とした。

 

 菜々は渋々布で覆われている場所に入った。

 上司の命令には逆らえない。

 布の中はカーテンで区切った個室に分かれているようだ。

 一人一人別々の個室に通されたので拷問の内容は違うのだろう。

 菜々が個室に足を踏み入れると同時に、あらゆる方向からナイフが飛び出してきたが、痛みはなかった。

 しばらくして、ナイフが対先生用物質で出来ているので、実害はないのだと彼女は気がついた。

 害がないと分かっていて入れたのだろうかと菜々が思い始めていると、烏頭の叫び声が聞こえてきた。

 自分は運が良かっただけだと悟った菜々は、思わぬ幸運に安堵した。

 しかし、もしかしたら自分も烏頭と同じ目に遭っていたかもしれない。

 いつかバレない程度の嫌がらせを鬼灯にすると菜々は誓った。

 

 

 

 やがて、大玉転がしが終わり、最終種目が始まった。

「一休み券を使った人は出てきてください。誰が使ったのか控えてあるのでしらばっくれても無駄ですよ」

 鬼灯の説明によると、一度種目を休んだ獄卒は仮装リレーをさせられるらしい。

 全身タイツを着て走っている烏頭を見て菜々は、そういえばこの世界に全身黒タイツを持っている犯人っていないんだよな、とどうでもいいことを考えていた。

 

 その後、運動会本番は来週の日曜日であることが告げられた。

 

 

 *

 

 

 本番の獄内運動会が終わって少し立った時、唐瓜と茄子は現世をうろつく亡者の回収を行っていた。

 鬼灯に案内されて着いたのは、「どっぷり湯」というスーパー銭湯だ。

 亡者は死んだら行ってみたかった場所に向かうことが多い。

 そんな中、男性霊が特に向かいやすいのが、若い女性客が多い銭湯の女湯だそうだ。

 唐瓜と茄子、二人の付き添いである鬼灯は当然、女湯に入ることができないのでお香に亡者の回収を任せていた。

 説明をしながら歩いていく鬼灯に小鬼二人もついていく。

 すぐにお香が女湯から出てきた。

「おかしいわね。亡者が一人もいないのよ」

 こんな事今までなかったんだけど、と不思議がるお香。

 鬼灯には心当たりがあった。

 携帯電話を取り出し、電話をかける。

 電話が終わるとすぐに四人を呼ぶ声が聞こえた。

 たくさんの男性霊を連れた菜々だ。

「この後、地獄まで届けようと思っていたんですよ」

 そう言い訳をする菜々の髪が濡れていることから、一風呂浴びている事がわかる。

 左手には顔に青い痣がいくつかある亡者達をつないでいる縄の端を握っており、右手には漫画を持っている。

 この銭湯、入浴代さえ払えば客は風呂上がりに漫画を好きなだけ読むことができるのだ。

「こんなところで何やってたの?」

「亡者回収。亡者はたくさんいるし、漫画は読み放題だし、入浴料は経費で落ちるから週一で来てるよ」

 無邪気に尋ねる茄子に菜々は答えた。

「後、亡者の話って結構面白いんだよ。この人、こっぱずかしいポエムが書かれたノートを処分するために家に戻ったら、霊感がある娘さんに気配を感じられて、ノート見つかっちゃったらしいし」

 菜々は一人の亡者を指差して言った。

 その後、そのポエムを全員に教える菜々。ポエムの内容、話さなければ良かったのに、と唐瓜は思った。

「違うんだ……。俺はただ、少女漫画ファンだっただけで……。後、その話の記録をとってどうするつもりなんだ」

 菜々に指をさされていた亡者は床にひれ伏した。

 他の亡者達は、菜々に言われて思い直していたが、やっぱり家に戻るのはやめよう、と改めて思った。

「私が笑いたい時に、ノートに書かれた記録を読んで笑うつもりです」

 亡者の問いに対する答えを聞いて、そんな理由かよ、と唐瓜は思った。

 菜々が鬼灯さん観察日記をつけているのも同じ理由だったりする。

 それからなんだかんだあって、菜々と、彼女を今まで化かしていたソラも鬼灯達と行動することになった。

 

 

 

 一通り亡者がよくいる場所を回った後、茄子の希望で海に行く事となった。

「それにしても、大丈夫ですかね?」

 菜々は本人にしか気づかれないように鬼灯に小声で話しかけた。二人は他の三人から少し離れて歩いている。

「何がですか?」

「殺せんせーですよ。殺せんせー、生徒のゴシップを集めるためにそこらへんを飛び回ってるんです。万が一、茄子君とかに見つかったらどうするんですか? もしくは、あの世に関する会話を殺せんせーに聞かれたりしたら」

「確かに。あの世に関する話は極力しないようにしてください」

 最後の言葉を、全員に聞こえるように言ってすぐ、鬼灯は電話をかけた。

「殺せんせー、今のところは海外にいるので大丈夫だそうですよ」

 菜々にそう知らせると、唐瓜に呼ばれた鬼灯は彼の元に向かった。

 おそらく、倶生神にわざわざ確認したのだろう。

 

 

「貝殻とか、砂浜の砂って地獄で売れるかな?」

 そんなことを言いながら菜々が茄子が落とした閻魔帳を拾うと、塩椎(しおつち)に偶然出会った。

 全員で、せっかくだからと塩椎に龍宮城に連れて行ってもらった。

 竜宮城では、菜々が見せた写真が原因で、豊玉姫がうさぎグッズにハマったりしていた。

 一方、唐瓜は綺麗な景色の場所にいるのにお香といいムードになっていなかった。

 残念に思うべきか喜ぶべきか、烏頭の事もあるので、菜々は複雑な気持ちだった。

 

 

 *

 

 

 次の日。地獄では特別会議が行われる。出席するメンバーはいつも通りだ。

 もうすぐ六月。殺せんせーの暗殺期限が刻一刻と迫って来ている。

 

 菜々は会議室に向かって廊下を歩いていた。

 地獄に部屋が出来てから、彼女は鬼卒道士チャイニーズエンジェルを全巻(そろ)えていた。

 他にもフィギアも集めているので部屋が凄いことになっている。

 菜々が一昨日発売された最新刊の内容を思い出していると、蓬に声をかけられ、会議室まで彼と一緒に行くことになった。

 烏頭がいない事を疑問に思い、尋ねてみると始末書の字が読めないので主任に叱られているらしい。

 あの人らしいと菜々は苦笑いした。

 この二人が一緒にいると、話題が漫画やアニメの事になるのはいつものことだ。

 今回は鬼卒道士チャイニーズエンジェルの新刊の話になった。

「限定版買った?」

「もちろん買いました。漫画も面白くって3回読んじゃいました」

 菜々があの世の読み物を現世に持って行くことはない。念には念を入れているらしい。

 という事は、彼女は地獄で新刊を読んだ事になる。

 鬼灯の話によると昨日、彼女は地獄に来ていなかった。

 今は午前七時二十分前。事情を知らない獄卒に不審に思われないよう、触手生物に関係する会議は朝早くに行われるからだ。

 

 学校が終わり、予約していた限定版二つと通常版を買い、保存用の限定版をしまってから新刊を読む。

 その後、観賞用の限定版に付いていた付録を飾り、もうふた回り読む。

 新刊を受け取ってから菜々が地獄にいた時間は多く見積もって三時間。

 しかも、付録は組み立てるのに時間がかかるフィギア。

 その時間内にそれだけの事をできるのなら、よっぽど読むのが早いのだろう。

 そう、0.2秒で結論づけた蓬は言った。

「読むの早いね」

「そんな事ないですよ。確かに私は、じっくり読む派じゃなくて一度普通に読んでからもう一度読み返す派ですけど、付録のフィギア、自分で作ってないから時間があったんです」

 その後、菜々は蓬に茄子というレベルの高いフィギアを作ってくれる友達の事を話した。

 話題はこれからのストーリーの考察や一番心に残ったシーンなどに移っていた。

「私は群青の『どうすればいいのかわからない時は一番信用している人の言葉を信じなさい』ですね」

 

 朱色がギリギリキョンシーに捕まり、助けに来た仲間の体が破壊されそうな時、敵に「お前が体を壊せば仲間を助ける」と言われた。

 朱色は仲間を助けたいという思いと、本当敵が約束を守ってくれるのかという疑問でどうすればいいのか分からなくなる。

 その時、群青が言ったのだ。

「どうすればいいのかわからない時は一番信用している人の言葉を信じなさい。私はこいつらが約束を守るとは思わない。それ以前に朱色と一緒に戦えなくなるなんて絶対嫌。敵は私たちがなんとかするから、あなたは逃げることだけ考えて。私達を信用しているのなら信じて」

 

 菜々がそのシーンを思い出していると、蓬が口を開いた。

 しかし、すぐに閉じた。

 会議室についたので、私語は慎むべきだと判断したのだろう。

 

 

 照明が落ち、あたりが暗くなる。

 それと同時にスクリーンに女の子が映し出される。

 現世では二人の特殊な暗殺者をE組に送り込む事が決まっていた。

「今度の暗殺者はAIらしいです」

 鬼灯の言葉にそう来たか、とその場にいる全員が思った。

 菜々だけはそういえばそうだったかもしれない、とほとんど残っていない原作知識を思い出していただけだが。

 同時に、スクリーンに映し出された映像のカメラが引かれていき、女の子の顔が真っ黒な箱の一部に映し出されていることが分かった。

「ノルウェーで作られた自律思考固定砲台。詳細はさっき配られた資料に書いてあります。生徒として登録されているため、殺せんせーは手を出せません。殺せると思いますか?」

 鬼灯はずっと殺せんせーを見て来ている菜々や倶生神達に尋ねた。

「無理だと思います」

「多分改造とかしますよ」

 沙華と天蓋がくちぐちに答えたが、誰も落胆しなかった。

 その答えは予想していたからだ。

「もう一人の暗殺者は殺せんせーと同じ、柳沢によって改造された人間です。堀部イトナ。彼のことも詳しくはお手元の資料に書いてあります」

 今度は会議室が、現世のお通夜のような雰囲気になった。

 殺せんせーだけでも厄介なのに、またもや超生物が現れたのだ。

「彼は日本人なので、死後、魂は日本地獄が引き取ることになります。今度の国際会議で、各国に存在は知らせますが、大事になる前に殺せんせーがなんとかすると思うので、おそらく大丈夫でしょう」

 新たな触手持ちが現れたことにより、議題は堀部イトナが触手を持ったまま死に、あの世に来た時の対処法に移っていった。

「もう一人いますよ、触手持ち」

 ここで菜々が爆弾発言をした。

 彼女は最近、あぐりと話した時のことを思い出していた。

 

 

 

 

「金魚草って可愛いよね」

 閻魔庁の中庭にある金魚草畑であぐりが呟いた。

 彼女は天国にいる友人から金魚草の話を聞き、菜々に案内してもらってここまで来たのだ。

「あぐり先生のセンスはどうかと思いますけど、金魚草が可愛いのは賛成します」

 菜々もあぐりと一緒に金魚草を眺めながら言った。

「菜々ちゃんの好きな人って鬼灯さんでしょ」

 しばらく、金魚草について語っていたのだが、あぐりがポツリと呟いた。

 菜々は顔を真っ赤にして周りを確認し、誰にも聞かれていないことを確かめた。

 彼女は話の矛先を転じるために、しばらく黙っておこうと思っていたことを言った。

「ずっと確認したかったんですけど、この子に見覚えってありません?」

 ニヤニヤしていたあぐりだったが、菜々が持っているスマホの画面に写っている写真を見て、驚愕(きょうがく)した。

 その写真は修学旅行の時に撮ったものだ。

 抹茶パフェを友達同士で仲良く食べている写真だが、そこにいるはずのない人物が写っていたのだ。

 

 

 

 

「あぐり先生の妹の雪村あかりちゃんです」

 そう言いながら、菜々は二つの写真を見せる。

 一つの写真は緑の髪をツインテールにしている少女の写真。もう一つは、パソコンで「磨瀬榛名」と検索したら出てきた写真だ。

「今は髪型と髪の色、名前を変えて茅野カエデとして生活しています。月が七割蒸発してすぐに転校して来ました。元天才子役だそうです。あぐり先生に確認してすぐ、茅野さんの倶生神さん達に聞いてみたら、触手を持ってるとわかりました」

 昔は倶生神から情報を聞き出すため、毎回土下座していた菜々だったが、アルバイトとはいえ獄卒なのでその必要は無くなっていた。

「この資料によると、メンテナンスなしで触手がないかのように振る舞うなんて不可能。ものすごい暗殺者だ」

 あぐりにもサンタクロースに間違えられた宋帝王が呟いた。

 彼が見ている「試作人体触手兵器の移植被験者に発現する特徴、変化の一覧」によれば、地獄の苦しみが続くはずだ。

 表情に出さずに耐えることなんてできるわけがない。

 ともかく、二人の触手持ちが現れたことにより、急遽国際会議を開くことが決定した。

 閻魔と鬼灯はそちらに向かうため、この会議はお開きとなった。

 

 

 あぐりは菜々があかりの写真を見せた時から調子が悪そうだった。

 理由は明白だ。いずれ分かることだっただろうが、菜々は責任を感じていた。

「茅野さん……あかりちゃんのことですけど」

 会議が終わって、菜々はあぐりを天国まで送るという名目のもと、彼女と一緒に歩いていた。

 やがて、地獄と天国が繋がっている通路にさしかかり、誰もいないことを確認してから話しかけたのだ。

「あの子はきっと、私が死神さん……殺せんせーに殺されたんだと勘違いしたんだと思うの」

 あぐりの、妹への心配と、大切な人同士が敵対していることに対する悲しみが入り混じった表情を見ていると、菜々は苦しくなった。

「あかりちゃんの事は殺せんせーが何とかしてくれます。殺せんせーの他にもあぐり先生の生徒達がいます。もしもの時は絶対に私がなんとかします」

 原作通りなら、渚が殺意を忘れさせ、その隙に殺せんせーが触手を引き抜くはずだが、自分というイレギュラーのせいで違うことになったら、菜々はなんとかするつもりだった。

 

 

 

 

 初めは授業中でもかまわず、銃を撃ち続けていたAIだったが、殺せんせーに改造されて愛想が良くなっていた。

 律の開発者が暗殺に不必要な物を全て取り去ろうとしたが、律自身の判断で、協調能力の関連ソフトをメモリの(すみ)に隠していた。

「そうして律は無事、クラスに馴染みました」

 菜々は対触手用武器対策班の一員である烏頭と蓬に今までの経緯を話していた。

 続きが気になるところで話を止め、「続きが気になるのなら10円ください」と交渉しながらだが。

「最近の人工知能と比べても突出している学習能力と学習意欲か。設計図とか見てみたいな」

「烏間さん大変だな。後、二次元の可愛い女の子は興味ある」

 この二人らしい感想だな、と菜々は思った。

 

 

 *

 

 

 前原の仇討ちに参加して欲しいと頼まれたが、烏間に怒られるだろうと思った菜々は断った。

 しかし、どんなことをするのかという興味はあったので、こっそり跡をつけて観察していた。

 とりあえず、奥田から余った「ビクトリア・フォール」を分けてもらったりしていたら、ロヴロがやってきた。

 偶然盗み聞きをしてしまい、ロヴロとイリーナの殺し比べが明日行われることを知った菜々は、烏頭や閻魔など、賭けに応じやすそうな人に賭けを提案した。

 彼女の予想通り、彼らは賭けに賛成。

 大多数がロヴロが勝つ、もしくはどちらも殺せないに賭けた。

 菜々はもちろんイリーナに賭けた。

 原作でどうなっていたかは覚えてないが、イリーナが教師を続けていたような気がするので、彼女が原作で勝っていたと考えて良いのだろうと判断したのだ。

 賭けでそれなりに儲けたので菜々が喜んでいた時、柳沢がイトナを連れてやってきた。

 シロって名乗ってたけど、元桃太郎のお供のシロ君と被ってややこしいな、と菜々が考えていると放課後になっていた。

 

 

 放課後に行われたイトナの暗殺は風変わりなものだった。

 机で囲まれた範囲から出たら死ぬ。そんなルールが設けられていたのだ。

 皆で決めたルールを破ると教師としての信用を失う。

 そのため、殺せんせーは約束を守るだろう。

 観客に危害を加えた場合も負けだと言うルールも追加され、試合が始まった。

「暗殺……開始」

 柳沢が手を振り下ろして言うと同時に、殺せんせーの腕が切り落とされた。

 その時、観客の目は一箇所に釘付けになった。

 切り落とされた殺せんせーの腕ではなく、イトナの頭から生えた触手にだ。

 その隙に、ソラは切り落とされた殺せんせーの触手を回収した。

 これがあれば、万が一の時のために地獄で進めている、触手生物の研究の役に立つだろう。

 彼女は、菜々のそばに戻ってくるとギョッとした。

 菜々が今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。

「どうしたの?」

 声をかけてみるが、反応がない。

 皆がイトナの触手を見つめている中、殺せんせーを凝視している菜々を見て、ソラは彼女の気持ちを察した。

 これだけは菜々が自分で答えを見つけるしかない。自分で解決しないといけないからだ。

 ソラは見守る事しか出来ない。

 

 菜々は、個人的にはまだ殺せんせーに死んで欲しくない。

 この暗殺教室で過ごすうちに、殺せんせーを殺すのは自分たちが良いと思い始めているからだ。

 しかし、菜々は殺せんせーが負けそうになっても助ける事は出来ない。

 獄卒としては殺せる時に殺しておくべきだからだ。

 私はどうすれば良いんだろう?

 

 菜々が悩んでいるうちに、殺せんせーは不利になっていた。

 どんどんと明かされていく殺せんせーの弱点。

 柳沢が持っていた圧力光線、脱皮直後や再生直後。

 殺せんせーはいくつもの触手を失っていた。

 柳沢に対し、一つ計算に入れ忘れている事があると言う殺せんせー。

「無いね。私の計画は完璧だから」

 そう言うと、柳沢はイトナに命令した。

「殺れ、イトナ」

 イトナは飛び上がり、殺せんせーに触手を叩きつける。

 しかし、イトナの触手が溶けていた。

「おやおや。落し物を踏んづけてしまったようですねぇ」

 そう言いながら、ハンカチをヒラヒラと振る殺せんせー。

 イトナが床を見ると、対先生ナイフが置かれていた。

「え? あ!」

 渚が握っていたはずのナイフが無いことに気がついて声を上げる。

 いつの間に、と思っている渚を見て、菜々は自分も対先生ナイフを握っている事に気がついた。

 さらに、殺せんせーを殺すためではなく、助けるために握っていたと気がつき、戸惑った。

 

 自分は殺せんせーの監視と暗殺を命令された獄卒だ。

 鬼灯が問題を解決している姿を初めて見てから、彼の元で働きたい、助けになりたいと思い続けてきた。

 それは、恋愛感情云々以前の、下心の無い純粋な思いだったはずだ。

 殺せんせーを殺す事で、その願いが叶うのに自分は躊躇している。

 

 菜々は自分がどうするべきなのか、ますます分からなくなった。

 

 殺せんせーは、触手を失った事で動揺したイトナを、自分の皮で包んで場外に放り投げた。

「先生の勝ちですねぇ。ルールに照らせば君は死刑。もう二度と先生を殺せませんねぇ」

 黄色と緑の縞模様を顔に浮かべて、言い放つ殺せんせー。舐めている証拠だ。

 生き返りたいのならこのクラスで学ぶようにと言う殺せんせーだったが、逆効果だった。

 怒りに身を任せてイトナが襲いかかってきたのだ。

 黒くなった触手を振り回しながら、イトナが襲いかかってくる。

 菜々は寺坂達が渚に自爆テロをさせた時の事を思い出した。

 あの時の殺せんせーは、イトナの触手と同じくらい黒かったはずだ。

 クラスメイト達に何かあった時にすぐに動けるよう、菜々は身構えた。

 しかし、柳沢によってイトナが気絶させられ、事無きを得る。

 登校出来る精神状態では無いため、しばらくイトナを休学させると言いながら、彼を担ぐ柳沢。

「待ちなさい! 担任としてその生徒は放っておけません。一度E組(ここ)に入ったからには卒業するまで面倒を見ます」

 それでも柳沢は立ち止まらない。

「それにシロさん。あなたにも聞きたい事が山ほどある」

「いやだね、帰るよ。力ずくで止めてみるかい?」

 挑発された殺せんせーは、柳沢の肩に触手を置いたが、すぐに溶けた。

 溶けた触手を手で払いながら、自分の服は対先生繊維で出来ていると説明する柳沢。

 自分が責任を持って家庭教師をした上で、イトナをすぐに復学させると言い残し、柳沢は旧校舎を後にした。

 

 

 菜々はしばらく呆然としていたが、とりあえず交渉に行った。

 自分はどうするべきなのか考えなければいけないが、それは後回しだ。

 菜々の利点の一つは、頭の切り替えが早い事だ。

 よく事件に巻き込まれる以上、一つの事をウジウジ考えて周囲の警戒を怠ると、死ぬ確率が上がる。

 絶体絶命の状況に何度も陥り、根性で乗り切ってきた菜々は、荒治療の結果頭の切り替えが早くなっていた。

「旧校舎って土足厳禁ですよ。なのに土足で上がったのはどうかと思います。お詫びに圧力光線か対先生繊維をください」

 柳沢に追いついてすぐ、圧力光線か対先生用繊維が欲しいと頼んでみたが、断られた。

 しょうがなく旧校舎に戻ると、そんなに簡単に武器をもらえるわけがないと突っ込まれた。

 

 

「殺せんせーはどういう理由で生まれてきて、何を思ってE組(ここ)に来たの?」

 渚の質問に、自分を殺せばいくらでも真実を知る機会を得ることが出来ると殺せんせーは答える。

 その答えを聞き、生徒たちは烏間がいるグラウンドに向かった。

 自分達で殺せんせーを殺したいから、もっと暗殺の技術を教えて欲しいと磯貝がクラスを代表して頼む。

 放課後に追加で訓練を行うことを許可した烏間。

 菜々も時間があるときは訓練を受けるようにしようと決めた。

 殺せんせーが殺されるようなピンチに陥る前に力をつけて、自分達で殺す。

 それが菜々が出した答えだった。

 



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第8話

この小説では、菜々が中学三年生の時、2017年となっています。
暗殺教室第37話アートの時間の話は、7月1日となっていますが、2017年の7月1日は土曜日でした。
そこで、この小説ではアートの時間の話の出来事が起こったのは7月3日(月)という事にしておいてください。



 クラス対抗球技大会。見せしめのために、E組男子は野球部の、女子はバスケ部の選抜チームと戦わされる。

 しかし、全校生徒を盛り下げるために、女子は片岡を中心に作戦を練り始めた。

「メグちゃん。E組は何度でも交代できるんなら、始めに私が出て、ボール(イコール)人にぶつけるっていう本能を生かして、敵をノックアウト。その後、交代して点を入れるってのはどうかな?」

 中学二年生の時に行われた体力テストのハンドボール投げでも、菜々が保健室送りにした生徒は何人かいたのだ。

「わざとだって言われるんじゃない?」

 彼女の案は岡野によって却下された。

「じゃあ、愛美ちゃんが作った毒とかで相手を合法的にしばらく動けないようにするとか?」

 菜々は危険な案しか出さなかったので、すぐに口出しを禁じられた。

 

 殺せんせーが考えた作戦を教えられ、トレーニングを行っている時、菜々は殺せんせーの手伝いをしていた。

 加藤にボールを触らせるな、がE組の鉄の掟になっているからだ。

 殺せんせーの手伝いというのは練習をしている女子について回り、殺せんせーが調べ上げた個人的な恥ずかしい話を耳元で囁くというものだった。

 

 

 クラス対抗球技大会当日。

 E組女子はさらし者にされていた。

 観客から罵倒されたりしていたが、練習の時に行われた菜々による精神強化のおかげで気にならなかった。

 

 試合開始から十分後、茅野がコートに出たが、女子バスケ部のキャプテンにいいようにやられていたため、E組はタイムアウトをとった。

 

「敵チームのキャプテンの、私が個人的に調べた黒歴史であろうノートの内容を会場全体に聞こえるように読み上げてこようか?」

 菜々の案はすぐに却下された。

 それと同時になんでそんな事知ってるのかと質問攻めにされた。

 大したことはしていない。買収してソラにとってきてもらっただけだ。

 試合に出ることは難しいので、別の事で力になりたかったから調べたと菜々が答えると、そういうことを聞いてるんじゃないという目で見られた。

 そんな雰囲気を無くしたのは不破だった。

「誰かがゾーンに入ればいいんじゃない?」

 不破の案も却下された。

 黒子のバスケよりもスラムダンク派の菜々と不破が「どっちの方が面白いか」と議論をしていると片岡が話を戻した。

「茅野さんの代わりに向こうのキャプテンをマークできる人っている?」

 タイムアウトは二分しかないのだ。無駄話をしている暇はない。

「じゃあ、私が出ようか?」

 菜々の言葉に全員が驚いた。

 できなくはないが、ボールに触る可能性があるので、彼女を試合に出さないと決めたはずだ。

「私は向こうのキャプテンをマークするだけ。ボールには触らないっていうのはどう?」

 菜々がそう行った時、タイムアウトをとっけから一分五十秒が経過していた。

 相手チームのキャプテンは敵の得点源であり、ディフェンスも上手いため、何度もシュートを防いでいる。

 彼女の動きを封じられるとなると、勝つ確率は一気に跳ね上がるだろう。

 また、練習の時、女子全員の動きについて回り、殺せんせーから借りたノートを読み上げていた菜々なら、キャプテンの動きにも充分ついていけるだろう。

 今は23対16と、E組チームが7点差で負けている。

 相手チームには勢いがあり、このままいけば一気に点差が膨れ上がりそうだ。

 菜々が相手チームのエースをマークする事で、相手の勢いを無くすしかない。

 十秒間でそんな結論を出した片岡は、菜々にコートに入る事を許可した。

 

 

 

 菜々が敵キャプテンのマークについてから、E組チームの快進撃だった。

 E組チームは片岡中心に点を入れまくった。

「今日は曇り空。まるで私の心のよう。でも、風である貴方が」

「やめて! てか、それ何で知ってんの!」

 菜々はソラに頼んで持ってきてもらった、とある人物のマル秘ノートを本人にだけ聞こえるように読み上げていた。

 ソラの買収のために、エンジェル群青のフィギアと同じくらいの値段のケーキを買わなければならなかったのだ。

 初めは狐だし、油揚げでいいだろうと考えていた菜々だったが、ソラに狐は肉食動物だと知らされた。

 それなら生肉でも用意しようかと思ったら、高級ケーキがいいと言われたのだ。

 仕方なくケーキを買いに行ったらまたもや事件に巻き込まれた。

 それだけ苦労したのだからノートを使わないはずがない。

 そのノートの持ち主は昔、例のノートを変なテンションになった時に書いてしまい、捨てたかったが誰かに見つかるかもしれないという不安のせいで、捨てられていなかったらしい。

 犯罪者の心理に似ているな、と菜々は思っていた。

 敵キャプテンは集中力をかき乱された事により、ファウルを連発。4ファウルとなった。

 後一回ファウルをすれば退場なので敵キャプテンは思うように動けない。

 また、E組が相手なので全校生徒の手前、交代も出来ない。

 その隙に片岡がシュートを決めまくる。

 

 

 

 やがて、ブザーが鳴り響いた。試合終了の合図だ。

「「「ありがとうございました」」」

 両チームのコートに出ていた選手が頭を下げる。

 女子バスケ部のメンバーの顔は曇っていた。逆にE組女子の顔は晴れ晴れしている。

 僅差だが、E組が勝ったのだ。

 片岡が40点以上も入れていたのが大きい。

 その後、野球の試合が行われている会場に行った。

 殺せんせーと理事長の数々の戦略のぶつかり合いが終わり、最終的にE組が勝った。

 

 

 *

 

 

 烏間による、暗殺技能テストが終わった時、男がやってきた。

 菜々は先日地獄で行われた会議で話を聞いていたため、その男が誰なのか知っていた。

 鷹岡明。防衛省の人間で、烏間に強い対抗意識を持っている。

 家族のように近い距離で接する一方、暴力的な父親のような独裁体制で、短期間で忠実な精鋭を育てることができた人物だ。

 もう七月。日本政府が焦るのは分かるが、こちらの事ももう少し考えて欲しいと菜々は思った。

 しかし、各国政府の重役は自分たちが安全なら、E組生徒がどうなってもいいのだろう。

 日本地獄はそうではない。

 やっぱり、現世よりあの世の方がいいと、この状況ではどうでもいい結論を菜々がだしていると、鷹岡が自己紹介をしていた。

 聞いていなかったが、まあいいか、と菜々は開き直った。

 鷹岡の事は一ミリも信じていなかった菜々だったが、彼が持ってきた菓子は食べた。

 菓子に罪はない。

「鷹岡先生もどうぞ」

 菜々は笑顔を作って菓子を差し出した。

 米花町でそれなりの演技力は身につけている。

 気をぬくと元々顔に出やすい事もあり、考えている事が周りに筒抜けになってしまうという欠点はあるが。

 要は気を抜かなければ、大抵の人は騙す事が出来るのだ。

 菜々からもらった菓子を食べた鷹岡はトイレにかけて行った。

 誰かが奥田がこの前作っていた粉末状のビクトリア・フォールをかけておいたのだろう。

 

 しばらくして戻ってきた鷹岡は笑顔を作っていたが、菜々にはすぐに偽物だと分かった。

 表情を読むのは他の人よりも上手いと自負している。

 

 

 かなりの頻度で犯罪に巻き込まれていた菜々は昔、必殺技が欲しいと考えていた。

 ここは漫画の中の世界なんだから、ビームとか出せるんじゃないか、と思った菜々はビームを出そうと練習していた。

 倶生神に見つからないように夜にやっていたのが救いだった。

 全く出来なかったからだ。今から思えば黒歴史である。

 考えてみれば、ここはバトル漫画の世界じゃなかったな、と思い直した菜々は、原作に出てきた技の方が成功率が確実に上がるのではないかという仮説を立ててみた。

 そこで目をつけたのがクラップスタナーだった。

 人間の意識には「波長」があり、波が「山」に近い時ほど、刺激に対して敏感になる。

 相手の意識が最も敏感な「山」の瞬間に、音波の最も強い「山」を当てる。

 すると、当分は神経が麻痺して動けなくなるという技だったはずだ。

 これなら犯人と遭遇しても一発で倒せるし、技名がカッコいいと思った菜々は対策を練った。

 まずは、意識の波長というものを感じ取れるようにしようとしたのだ。

 どうすればそんなものが感じ取れるのか分からなかったが、幼少期に渚が母親の顔色を伺っていたことを思い出し、人間観察をするようになった。

 結果、クラップスタナーを使えるようにはならなかった。

「波長」とか「山」とか訳が分からないというのが理由である。

 トリップ特典とかあってもいいんじゃないか、と菜々はいるのか分からない自分をトリップさせた神に、心の中で文句を言っていた。

 クラップスタナーは使えるようにならなかったが、人の顔色を伺って、相手が何を考えているのかくらいは分かるようになった。

 事件の捜査などには役に立つので良いのだが、クラップスタナーは使えるようになりたかったというのが本音だ。

 トリップ前にクラップスタナーの練習をひそかにしていたくらい、使えるようになりたかったのだ。

 

 

 話は逸れたが、そんな理由で、菜々は表情を読むのが得意なのだ。

 

 

 

 次の日。烏間に代わり、鷹岡が体育の授業を受け持っていた。

 鷹岡がクラス全員に配った時間割はめちゃくちゃなものだった。

 主要科目の授業がほとんどない代わりに、訓練が夜九時まである。

 こうなる事は予想していたが、ムカついた菜々は鷹岡が話している時、ソラに小声で頼んでみた。

「あいつの頭にう◯こ乗せてくれない? 見えてないんだから簡単でしょ」

 すぐに断られた。

 さまざまな方法で説得していると、大きな音がした。

 何事だろう、と菜々が音をした方を見てみると、前原がうずくまっていた。

 菜々は見ていなかったが、誰の仕業かはすぐに分かった。

 スクワット300回をするようにと、笑いながら言う鷹岡。

「う◯こがダメならせめて顔に落書きしてくれない?」

 菜々がソラにそう言っていると、鷹岡は三村と神崎の首に手を回していた。

「鷹岡()()、それセクハラですよ」

 菜々は思わず口をはさんだ。

「まだ分かっていないようだな。父ちゃんは絶対だぞ。文句があるなら拳と拳で語り合うか? そっちの方が父ちゃんは得意だぞ?」

 鷹岡は笑顔で言った。

「あ、私もそっちの方が得意なのでありがたいです」

 菜々がそう言って構えると、烏間が来た。

「やめろ鷹岡!」

 彼は前原と三村、神崎にかけ寄り、異常がないか確かめる。

「ちゃんと手加減してるさ、烏間。大事な俺の家族なんだから当然だろう」

 鷹岡を孤地獄に落とす事を菜々は決めた。

 菜々が孤地獄の内容を真剣に考えていると、鷹岡と殺せんせーの口論が始まっていた。

 しかし、殺せんせーが言い負かされてしまう。

 菜々はスクワットをしながら、これからどうするべきか考えていた。

 三村が首を絞められて怒られている。

 万が一のことが起こった場合のために、一応手は打っておいたが、その前に渚がどうにかしてくれるのが一番良い。

 とりあえず、死後の裁判でとことんいじめてやろう、と菜々は決めた。

 普通の人間に菜々の嫌がらせはきついはずだ。

 菜々がそう思っていると倉橋が烏間に助けを求めた。

 それを聞いた鷹岡が彼女を殴ろうと腕を振り上げた時、烏間がその腕を(つか)んだ。

「それ以上、生徒達に手荒くするな」

 とっさに、鷹岡のキン◯マを蹴る体勢に入っていた菜々は動きを止めた。

 菜々が後ろに迫っていたことに気がついていない鷹岡は、とある提案をした。

 烏間が選んだ一人の生徒と、鷹岡が戦う。

 その生徒が一度でも素手で戦う彼にナイフを当てられたら、鷹岡は出て行く。

 そのかわり、鷹岡が勝てばいっさい口出しはさせない。

 ただし、生徒は本物のナイフを使うこと。

 烏間は悩んだ。生徒に本物のナイフを使わせて良いのだろうかと。

 

 しかし、わずかに可能性がありそうな生徒が二人いる。

 一人は加藤菜々。

 いつもは隠そうとしているが、戦闘慣れしている。

 本人に理由を尋ねたところ、世界屈指の犯罪都市米花町に住んでいて、幼い頃からさまざまな事件に巻き込まれているらしい。

 そのため、何度も命が危険にさらされている状況に(おちい)っていたようだ。

 そのせいか肝が座っており、状況を冷静に判断できる。

 彼女なら迷いなくナイフを使うだろう。

 しかし、彼女を選ぶ事は出来ない。

 彼女が得意とするのは戦闘だ。

 戦闘力の高さに鷹岡が初っ端から本気を出す可能性が高い。

 確かに彼女は強いが、本気を出した鷹岡に勝てるかどうかは分からない。

 

 この勝負において、必要なのは戦闘ではない。

 だとすると、候補は一人だけだ。

 この前、得体の知れない恐怖を自分に感じさせた生徒。

「渚君、やる気はあるか?」

 烏間は渚にナイフを差し出した。

 ほとんど全員が驚いた。

 鷹岡は烏間の判断を鼻で笑った。

 さっき突っかかってきた女子生徒なら少しは見込みがあったが、こいつなら絶対に勝てる。

「見る目がないな、烏間」

 鷹岡が呟くのとほぼ同時に渚がナイフを受け取った。

 

 

 渚は本物のナイフを手に、どう動けばいいのか少し迷ったが、烏間のアドバイスを思い出した。

 殺せば勝ちなんだ。

 そう気がつくと、彼は笑って、普通に歩いて近づいた。

 全員が思いもよらない行動に目を見開く。

 渚は構えていた鷹岡の腕にぶつかり、表情を変えずにナイフを振りかぶった。

 その時始めて、鷹岡は自分が殺されかけていることに気がついた。

 体勢を崩した鷹岡の重心が後ろに傾いたので、渚は服を引っ張って転ばせた。

 正面からだと防がれるので、背後から回って仕留める。ミネ打ちだ。

「捕まえた」

 渚がそう呟くのを見て、烏間は渚の才能に気がついた。

 殺せんせーが勝負が終わったことを告げ、渚から取り上げたナイフを食べる。

 立ち上がった渚の周りにクラスメイトが集まった。

 生徒達が喜んでいると鷹岡が立ち上がった。

 もう一回戦えと要求する鷹岡に、出て行って欲しいと渚は頼んだ。

 その瞬間、鷹岡は拳を振り上げるが、烏間にあごを(ひじ)で殴られ、倒れる。

 自分一人でE組の授業を受け持つことができるよう、上と交渉すると言う烏間。

 鷹岡がなんか言っていると、學峯がやってきて、その必要はないと言った。

 

「教育に恐怖は必要です。一流の教育者は恐怖を巧みに使いこなすが、暴力でしか恐怖を与えることができないなら、その教師は三流以下だ」

 菜々はその様子を写真に撮った。

 學峯は顎クイをして話しているのだ。

 そのため、彼女は腐っていないが、そう言う内容が好きな人に売りつけられるかもしれないと考えた。

 鷹岡は解雇通知を口に押し込まれた。

「それと加藤さん。その写真は消しなさい」

 立ち去る時、學峯は言った。

 頭の中で警報が鳴り響いていたので彼女は素直に頷いた。

 鷹岡は怒りから解雇通知を食べ、立ち去った。

 

 

 授業時間が終わり、制服に着替えてから菜々達は、烏間のおごりで街にスイーツを食べに行った。

 授業をサボっていたカルマもちゃっかりついてきている。

「それにしても思いがけない人に会ったな」

 カルマの独り言を聞いた者は一人もいなかった。

 

 

 

 午後三時頃、カルマは裏山にある崖の近くに座り込んでいた。

 この辺りは木がないうえに、あまり人が来ないので重宝している。

 今は六時間目の授業が行われている時間だが彼がこんな場所にいるのは、今日から烏間ではなく、鷹岡が教えることになっているのが理由だ。

 あの男はなんか信用できない。

 そう感じたので堂々とサボっているのである。

 それにしても暇だ、とぼんやりと空を見上げていると声をかけられた。

「サボりですか?」

 何度か聞いたことのある声が後ろから聞こえたので、カルマは振り返った。

「アンタこそ仕事とかないの? 加々知さん」

 鬼灯はカルマの隣に座る。

 今日も半袖シャツとジーパンという格好だ。もちろんキャスケットで耳とツノを隠している。

 シャツにはリアルなジバクアリがプリントされている。

「昨日、急いで半休とったんですよ。菜々さんから面白い話を聞きまして。新しく防衛省から派遣された人が矯正のし甲斐がありそうだと」

「そんな話になってるならサボらなければよかった」

 カルマは少し後悔した。鬼灯が鷹岡のところへ行ってしまえばまた、暇を持て余すことになる。

「俺も加々知さんと一緒に行こうかな」

「私はすぐに行くつもりではないですよ。部外者が手を出すのはあまり良いとは思えないですし。万が一の事になったら、菜々さんと一緒に拷問するつもりです」

 カルマが何気なく呟くと、かなり恐ろしい答えが返ってきた。

 しかし、矯正のし甲斐がある人を見ると燃えると言っていた人だと思い直し、カルマは話を続けた。

「サボってるのにとがめたりしないんだ。もしかして加々知さんも昔はこうだったとか?」

 カルマが何気なく尋ねてみると、鬼灯は視線をそらした。

「えっ、マジで⁉︎ どんな感じだったの? 喧嘩とかしてた?」

 思わぬ情報を手に入れたカルマは嬉々として尋ねる。

 隙が無いこの男の弱みを握ってみたいとでも思ったのだろう。

「喧嘩ですか。親がいない事をバカにしてくる(やから)を締めていたくらいですね」

 (あご)に手を当てて答える鬼灯にカルマは質問を浴びせた。

「それってどんなふうに? やっぱり鼻にワサビとか入れてた?」

 話が弾み、鬼灯は言うつもりがなかった事まで話してしまった。

 

 

「岩は砂です。根気よく力を与え続ければいかなるものもいずれは砂になるんです」

 洞窟に閉じ込められ、穴を防いだ岩に5日間頭突きをして外に出た時の話を聞いた時、カルマはその「いかなるもの」になりたくないと思った。

「それでどうしたの? 文句言ったら喧嘩になったりしなかった?」

「もちろんそうなりました。数だけの雑魚は落とし穴で減らしました」

 そう言って、鬼灯は地面に簡単な落とし穴の図を描く。

 カルマは落とし穴のクオリティーに舌を巻いた。

 高い場所から岩を落とす機械があり、その下にある落とし穴の側面には油が塗ってあるので、掴もうとしても手が滑るだけだ。

 落とし穴の下にはう◯こが敷き詰めてある。

 しかも、これを作ったのは小学生くらいの時らしい。

「殺せんせーにも似たようなやつ仕掛けない?」

 カルマは提案してみた。この人とならいいところまで追い詰められるかもしれないと思ったからだ。

 鬼灯は承知し、二人で暗殺方法を考えていると、鬼灯の電話が鳴った。

 彼は少し話すと電話を切った。

「菜々さんからです。鷹岡さんが渚さんに撃退されたようですよ」

 カルマは思いもよらない名前が出てきた事に驚いた。

 

 

 

 

「と言う事で加藤さんも計画に参加してくれない?」

 烏間のおごりでクレープを食べている時、カルマは菜々に今まであったことを話した。

「いいけど、なんで私?」

 話を聞くと、高度な技術を使う予定らしい。それなら菜々よりも鵜飼あたりに頼んだ方が良さそうだ。

「なんでって加々知さんがいるからじゃん」

 殺せんせーの影響なのか、カルマも下世話だった。

「やっぱり知ってたんだ……」

「クラス中が知ってるよ」

 菜々のつぶやきにカルマが答える。

 思い返せば、修学旅行の時、女子全員がクラスの中なら誰を彼氏にしたいと思うか、一人ずつ名前を挙げていた時、菜々はスルーされた。

 また、菅谷はメヘンディアートをする時、どんな柄がいいか聞かずに、ホオズキをモチーフにした絵を菜々の腕に描いてきた。

 自分の気持ちが周りに筒抜けだった事に軽くショックを受けた菜々だったが、思考を暗殺の話に切り替えた。

「暗殺のことだけど、具体的にはどうするの?」

 おこぼれをもらおうとついて来た殺せんせーがいるので、ここでは詳しく話さない方が良いという事になり、二人は後日集まる約束をした。

 

 

 *

 

 

 クーラーがないため、夏の旧校舎は暑い。

 三村が地獄と評していたが、地獄はもっと暑い。

 それはさておき、いまだに狐の姿であるソラを見て、いい加減人型になればいいのに、と菜々が考えていると、裏山にある小さな沢に行く事になっていた。

 やがて、殺せんせーが泳げないことが発覚し、カルマは今進めている暗殺計画を見直す事を決めた。

 

 

 放課後。片岡は泳ぎの練習をしていた。

 渚と茅野とその様子を見ていると、片岡に多川心菜という人物からメールが届いた。

 その時の片岡の表情が気にかかり、殺せんせーを含む四人で尾行をする事にした。

 

「殺せんせー、変装道具持ってきてください」

 渚達がサングラスをかけて尾行しようとしていたが、怪しかったので菜々が手直しする事になった。

 菅谷がいればもっとクオリティーの高い変装ができるのだろうが、呼ぶ時間がない。

 

 

 

「渚ちゃん、この前の授業ヤバくなかった?」

 片岡達が入ったサイベリアに入り、様子を伺っている時、菜々が言った。

 話す内容を思いつかなかったのでとりあえず「ヤバイ」を連発している。

 ヤバイと言う言葉だけで話すことが出来るからだ。

 時間がなかったので、変装の方は制服の着方と髪型をいつもと変えただけだ。

 菜々達は友達で仲良く話しているふりをする。

 殺せんせーに至っては怪しすぎるので店に入れなかった。

「なんで僕、女装させられてるの⁉︎」

「そっちの方がバレないよ」

 小声で尋ねる渚に、菜々は親指を立てて良い笑顔で言った。

 渚は髪を下ろしており、なぜか殺せんせーが持っていた制服のスカートをはいている。

(取り敢えず、殺せんせーがスカートを持っていた事が発覚した時、菜々は一通りの罵倒をしておいた。)

 また、殺せんせーが調達してきた、度が入っていないメガネをかけているので、よく見ないと渚だと分からない。

 茅野はブレザーを脱ぎ、リボンをネクタイとして使っている。

 その上、髪はおろしていて、殺せんせーがたまに使っているベレー帽をかぶっているので、茅野だと分からないどころか、椚ヶ丘の生徒だともぱっと見分からない。

 

 あぐりとの約束があるため、菜々は保険をかけておく事にした。

 茅野が髪を下ろした姿に殺せんせーが違和感を覚えるかもしれない。

 違和感を感じて調べ、雪村あぐりの妹だと知れば触手を持っていることも容易に予想できるだろう。

 殺せんせーが事前に情報を得ていれば、茅野を助けられる確率が高くなる。

 かなり遠回しな方法だが、菜々は獄卒という立場のため、表立った行動ができないのだ。

 殺せる機会があるのなら殺すという地獄の方針に背く事は出来ない。

 言い訳ができる方法でサインを送るしかない。

 

 菜々も服装は茅野と同じで、髪は下の方で二つに結んでいる。

 こちらも菜々だとは分かりにくい。

 側から見ればこの三人は、仲のいい女友達が集まっているようにしか見えない。

「髪型と服装を変えるだけで結構変わるものだよ」

「なんでそんなに尾行なれしてるの⁉︎」

 渚の突っ込みに、小さい頃から事件に首を突っ込んでいたからと答えた菜々を見て、二人は事件体質者の恐ろしさを感じた。

 事件体質者とは事件に巻き込まれやすい人のことだ。

 特に米花町の住人が多く、有名な例を挙げると工藤優作。

 この事は米花町の住人以外のほとんどの人が知っている。

 

 菜々達はうまく変装していたが、片岡に見つかった殺せんせーが三人の事を話してしまった。

 殺せんせーの発案の多川心菜拉致計画に菜々は加わった。

 

 

 

 二日後、プールが壊されていた。殺せんせーがマッハで直していたので大事にはならなかったが。

「浄玻璃鏡借りてもいいですか?」

 菜々は地獄に来て早々、そう言った。

 理由を尋ねられ、菜々はプールが壊されていた事、犯人は寺坂だと思う事を説明した。

「なんか寺坂君の行動って、誰かに操られて犯行をした殺人犯に似てるんですよ」

 例はよく分からなかったが、何かありそうだという事だろうと解釈した鬼灯は浄玻璃鏡を使う許可を出した。

 

 柳沢が関わっていることが分かったので、なにかが起こると踏み、裁判を中止して浄玻璃鏡で見張ることが決まった。

 

「だから浄玻璃鏡で交代で見張るようにって言われたのか」

 技術課に顔を出した菜々から話を聞き、烏頭は納得した。

 触手生物の存在を知らされている獄卒が交代で浄玻璃鏡で寺坂竜馬の行動を見張るようにという指示があったのだ。

 今は人気のない廊下に移動している。

「それとこれ、寺坂君が持ってたスプレー缶です。寺坂君の倶生神さんに聞いて、中に入っていたのは触手生物の感覚を鈍らす効果があるものだと分かりました。まだ残ってるか分からないですけど、一応どうぞ」

 そう言って、菜々はスプレー缶を差し出した。

 微量だがスプレーが残っていたため、成分を分析すれば同じものが作れる可能性が高いとのことだった。

 

 

 

 菜々は寺坂に協力するため、プールにナイフを持って入っていた。

 これから何が起こるのか知っているので、ソラにはプールの外で化かして欲しいと頼んである。

 殺せんせーに向けたピストルの引き金を寺坂が引いた途端、プールの(せき)が爆破された。

 険しい岩場に向かって流されている時、菜々は近くにあった岩に(つか)まった。

 なんとか体勢を立て直すと、殺せんせーに岸に運ばれた。

 カルマが寺坂を殴っているのを見て、菜々がとりあえず自分も殴っておこうと寺坂のそばに行こうとしたら、イトナが現れた。

 殺せんせーは水に叩きつけられ、さらに水を吸って動きが遅くなる。

 しかも、触手の射程圏内に三人の生徒がいるので力を発揮できていない。

 寺坂の言葉により、カルマが彼に指示することになった。

 触手生物の感覚を鈍らす効果があるスプレーを至近距離で浴びた寺坂のシャツを、寺坂がイトナの触手をわざと受けて巻きつける。

 その隙に殺せんせーが原を助け、クラス全員が飛び降りる。

 その時に出来た水しぶきを浴びて、イトナの触手はふやけた。

 自分達が勝つには生徒を皆殺しにするしかないが、殺せんせーの反物質臓がどう暴走するか分からない。

 そう判断した柳沢は引き上げた。

 寺坂がクラスに馴染んできたのを菜々が感じていると、ソラが彼女が目を背けてきた事を言った。

「菜々は暗殺教室の生徒であると同時に、地球が壊されないように地獄から派遣された獄卒でもあるんだよ。あの世からすれば、ここで殺せんせーが殺された方が都合が良かった。学校が終わるまでに言い訳を考えといた方がいいと思う」

 菜々は殺せんせーを殺すのは自分達がいいと思っている。

 しかし、あの世にとって、他の暗殺者が殺せんせーを殺すのを邪魔するのはデメリットしかない。

 椚ヶ丘中学校三年E組の生徒と、獄卒。

 二つの立場に置かれているため、菜々は自分がどうすればいいのか分からなくなることがあった。

 とりあえず、今回殺せんせーを助けたのは、もしも殺せんせーが負けていたら、自分の情けなさに嫌気がさして自暴自棄になっていた可能性が高いからだと言い訳したため、問題にはならなかった。

 

 

 

 

 殺せんせーは毎朝、HR(ホームルーム)前に校舎裏でくつろぐ。

 そのため、菜々達はそこに落とし穴を仕掛けることにした。

 落とし穴の下にはう◯この代わりに対先生BB弾が敷き詰めてあり、側面には油を塗る代わりに防衛省に頼んで用意してもらった対触手繊維が貼ってある。

 茂みに隠してあるが、落とし穴の近くにはホースが何本かあり、水と対先生BB弾が出てくるようになっている。

「落とし穴を作ったはいいけどどうやっておびき寄せる?」

 そう尋ねたのはカルマだ。

「落とし穴の上にエロ本でも置いておけばいいんじゃない?」

「今まで殺せんせーがやってきた恥ずかしいことの画像を流しておけば急いで止めにくるんじゃないですか?」

 鬼灯の案が採用され、決行の日を迎えた。

 

 

 マッハ20でインドに寄って買ってきたマンゴーラッシーを飲みながら、殺せんせーは校舎裏に来た。

「修学旅行で行われた気になる女子の投票で、磯貝君が片岡さんに票を入れてましたね。委員長コンビをどうにかくっつけられないものか」

 ヌルフフフと笑いながら下世話な事を考えていた殺せんせーはスマホを見つけた。

 誰かがうっかり落としたわけではないことは明白だ。

 殺せんせーが顔をピンク色にして、ファンレターを書いている映像が流れているからだ。

『やっぱり、あなたを見ると私の触手が大変元気になるのです、の方がいいですかね。是非とも私に手ブラならぬ触手ブラをさせてほしいものです』

 だらしない顔をしながら、セクハラまがいのファンレターを書いている自分の映像を見て、殺せんせーは顔を真っ赤にした。

 心なしか、煙も出ている気がする。

 誰にも見られないうちに急いで映像を消そうと殺せんせーが触手を伸ばした途端、彼は浮遊感を感じた。

 彼は映像に気を取られていたせいで、背後に回った菜々に気がつかなかったのだろう。

 菜々に地面に向かって蹴り飛ばされた、大きな影が着地した先の地面が崩れた。

 それが穴に落ちていった瞬間、カルマと鬼灯がホースをつかむ。

 落とし穴の中に水と対先生用BB弾を注ぐ。

 殺せんせーに逃げ場はないと思われたが、ヌルフフフという笑い声が菜々の横から聞こえた。

「落とし穴とは考えましたね。しかし、菜々さんの動きは私にとって遅かった。殺気も少し漏れていたので、脱皮した皮を身代わりにして難を逃れました」

 しかしアイディアは素晴らしかったですと褒める殺せんせー。

「動きが遅いのと殺気が漏れてしまうのは克服します。あと、殺せなかった事の八つ当たりでさっきの映像、クラス中に見せます」

 いい笑顔で菜々は言った。

 焦りながらアイスを渡し、買収しようとする殺せんせー。

「カルマ君と加々知さんも黙っててください」

 そう言いながら二人にも一本八十円のアイスを渡す殺せんせー。

「それと暗殺ですが、落ち込むことはありません。詳しいことは今度話しますが、期末テストで頑張ればハンデをあげるつもりです」

 殺せんせーが職員室に向かったのを見届けてから、鬼灯は職場に行くといって去っていった。

 この人、仕事しなくていいのかとカルマは疑問に思った。

 

 

 *

 

 

 期末テストが近づいて来たので、E組の授業はテストに向けたものが多かった。

 今は気分転換のため、外で授業を受けている。

 例によって殺せんせーの分身に菜々は教えられていた。

 殺せんせーの監視をしている沙華と天蓋は、わざわざ同じところを殺せんせーと一緒に動き回る気はないので、菜々の近くで殺せんせーを観察している。

 殺せんせーを見ているといっても、ずっと分身しながら生徒に勉強を教えているだけなので、気を張って見張っている必要はないと倶生神は判断していた。

 そんな倶生神――主に沙華がやることは、菜々が人間だった時と変わらなかった。

 菜々に勉強を教えるのだ。

「加藤さんは勉強の進みが早いですね。試験範囲以外のところも勉強して見ましょう」

 殺せんせーはそう言って、高校生用の教科書を取り出した。

 菜々は倶生神に簡単にだが、高校生レベルの勉強まで教わっているのだ。

 七年以上も時間があったのに勉強の進みが遅いと思われるかもしれないが、彼女は地獄の勉強を主にしていた。

 倶生神に語った第一目標は、死後の裁判の抜け道を探す事だったので、地獄法などのあの世の法律を覚えるのが先だった。

 また、十六小地獄の暗記だけでなく、世界各国のあの世や神、妖怪なども張り切った沙華が教えていたが、地獄の勉強が多かった一番の原因は、あの世の常識と現世の常識が違ったためだろう。

 さらに事件に巻き込まれたりしてたんだし、普通の勉強はそこまで進んでいないのはしょうがない、と菜々は心の中で言い訳をしていた。

 中身が二十歳を超えていることを考えれば勉強の進みは遅いが、中学三年生としてみればかなり進んでいる方だ。

「加藤さんはかなり勉強が進んでいる反面、ポカミスが多い。見直しの癖をつけましょう。しかし、椚ヶ丘のテストは問題数が多すぎて見直しの時間が取れない。一発で正解できるように、問題に慣れてください」

 殺せんせーの評価もそんな感じだ。

 授業が終わりに差しかかった時、渚が尋ねた。

「殺せんせー、また今回も全員50位以内を目標にするの?」

 殺せんせーは否定し、生徒が得意な教科の成績を評価に入れると言った。

 また、教科ごとに学年一位をとった生徒に答案の返却時、触手一本を破壊する権利を与えると宣言した。

「カルマ君達には、この前の暗殺でほのめかしていましたね」

 最後に殺せんせーは最後にそう言った。

 一教科限定なら成績上位の生徒はE組にも結構いるので、俄然(がぜん)やる気になった生徒が多いようだ。

 

 菜々が地獄に殺せんせーの出した条件を報告しに言っている時、図書室でA組とE組が賭けをしていた。

 ルールは、五教科でより多く学年トップを取ったクラスが、負けたクラスにどんなことでも命令できるというものだ。

 

 

「ソラ、テストの時カンペ見せてくれない?」

 菜々は閻魔殿にある図書室に向かいながら尋ねてみた。

 殺せんせーが地球を破壊する気がないという結論が出ているが、絶対とは言い切れない。

 そのため、出来る事ならなるべく早く暗殺したいというのがあの世の意見だ。

 触手を一本でも破壊できるのなら、暗殺できる確率は一気に高くなる。

 また、A組との賭けがある。

 菜々は浅野が何か企んでいると感じていた。

 E組の秘密に感づいて、賭けに勝ったら正直に答えさせようとしているのだと予想できる。

 これ以上殺せんせーの存在が知られると、あの世の住民にも知られる可能性が上がるので都合が悪い。

 それらの理由から、E組は一教科でも多く一位を取り、賭けに勝つ必要がある。

 そう結論付けたので菜々はダメ元でソラに頼んでみたのだ。

 菜々は予想通りソラに断られた上、沙華に告げ口されたので勉強がハードになった。

 楽をしようと痛い目を見るという事を菜々は学んだ。

 

 

 

 テスト返しの日。

 英語では中村が、社会で磯貝、理科で奥田が一位を取った。

 また、数学では菜々と浅野が同点で一位を取った。

 菜々は数学以外の主要科目で、漢字ミスやスペルミスをしてしまっていたため、満点には届かなかった。

 しかし、主要科目は全て5位以内、総合点は2位である事を考えると大健闘だと言えるだろう。

 菜々は自分の精神年齢が二十二歳だという事は考えないことにしていた。

 寺坂達四人が家庭科で満点を取っていたため、破壊できる触手は八本となった。

 




この話を書くにあたって、大雑把な「鬼灯の冷徹」の年表を作ってみました。
その結果、第1話が4月の初めに起こったと仮定すると、「第60話・幽霊=亡者=人間」「第61話・浦島さんちの曖昧太郎」は2年目の5月に起こっていることになりました。
(この話だと、第7話に出てくる亡者回収の話です)
そして、座敷童子の登場が2年目の6月の終わりから7月の初めになりました。
しかし、2年目は暗殺で忙しいので、座敷童子が出てくるとちょっと……。

だいたい座敷童子が出てくるのは3年目だから、ストーリー的にもちょうどいいだろうと、この話を思いついたばかりの私はタカをくくってました。すみません。
座敷童子の登場を原作通りにすると、この年の内容がかなり濃くなってしまうため、座敷童子の登場は3年目にします。
その関係で、61話以降の「鬼灯の冷徹」の登場人物のセリフが、一年分ズレることになってしまいます。
まぎらわしくてすみません。

座敷童子は今後の話で重要なんです。
(ここまで言ってしまうと、勘のいい人は、何が起こるのか予想がついてしまうかも……)


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第9話

 殺せんせーの触手を破壊する権限は、A組との賭けで勝ち取った沖縄の離島での合宿中に使うことが決まった。

 菜々がその事を地獄に報告したり、倉橋達と昆虫採集をしたりしていると八月になっていた。

 南の島での暗殺旅行まで、後一週間。

 E組の生徒達は、暗殺の訓練と計画の最終確認のために、旧校舎に集まっていた。

 作戦の細かい内容を確認した後、夏休みの特別講師として来たロヴロに、菜々は銃の撃ち方を教えてもらっていた。

 殺せんせーがエベレストにいる事は確認済みだ。烏間の部下である鶴田と鵜飼が見張っているので間違いない。

「なんで弾がそんな方向に行くんだ!」

 ロヴロは思わず突っ込んだ。

 菜々は空間計算に長けており、手先は正確だし動体視力のバランスが良い。

 実力は千葉と速水を足して2で割ったようなものだとロヴロは思っていた。

 菜々が銃を撃つ姿は完璧であり、どう考えても的の真ん中に弾が命中するはずだ。

 しかし、彼女が撃った弾は全てありえない方法に曲がり、必ず誰かに当たっている。

「やっぱりボール(イコール)人にぶつけるっていう本能のせいですよ」

 菜々の言葉を烏間が肯定する。

「加藤さんにボールーーというか球型のものは持たせないほうが良い。必ず人に当たる。特に岡島君に」

 菜々が投げたボールは、彼女があまりよく思っていない人間に当たる。

 この中では変態終末期である岡島が菜々の中で一番評価が低いのだ。

「でもこの子も触手を破壊する権利を持っているんだろう? ちゃんと破壊できるか?」

 なんつー本能だ、という突っ込みは飲み込んでロヴロは尋ねる。

「私はナイフを投げる予定です」

 菜々はナイフ投げには自信がある。

 その後、他の生徒達が銃で撃っていた的のど真ん中に、菜々が投げたナイフが突き刺さり、勢い余って通過したのを見て、ロヴロは何も言わなくなった。

 

 作戦に合格点を出したロヴロは個々の指導にまわっていた。

 新しい的のど真ん中に小さな穴が空く。不破が撃ったのだ。

「狙いが安定しただろう。人によっては立膝よりあぐらで撃つ方が向いている」

 アドバイスをしているロヴロを見て、渚は気になった事があった。

「ロヴロさん」

 渚が話しかけたのを見て、ナイフ投げの練習をしていた菜々は、彼に注目した。

「僕が知ってる殺し屋って、今のところビッチ先生とあなたしかいないんですが、ロヴロさんが知っている中で一番優れた殺し屋ってどんな人なんですか?」

 その質問を聞き、渚を観察した事によって、ロヴロは彼の才能を見抜いた。

 殺し屋の世界に興味があるのかと聞かれ、否定する渚。

 話し始めたロヴロの言葉を、一字一句聞き逃さないよう、菜々は耳をそば立てた。

「そうだな、俺が斡旋(あっせん)する殺し屋の中に()()はいない。最高の殺し屋。そう呼べるのは地球上でたった一人」

 誰の事なのか知っている菜々は、新しく出来た煮オレシリーズのいちじく味について考えてた。

 気になるが、わざわざ買いに行きたくない。

 数が少ないのか、売っている場所がほとんどないのだ。

 菜々が知っている限り、椚ヶ丘中学校の本校舎に置いてある自販機にしか置いていない。

 なぜそんな貴重な物が学校で売っているのか。

 菜々は防衛省から支払われている口止め料のおかげだと睨んでいた。

 夏休みに椚ヶ丘中学校の本校舎がリフォームされるらしい。

 とにかく、本校舎に行くとなると、いろいろとめんどくさそうなので、カルマにでも買ってきて貰おうかと菜々は考えた。

 脅す材料ならある。

 

 期末テストが帰って来たときに、カルマの様子がおかしかった事に彼女は疑問を持った。

 テストが返されてすぐ、カルマは教室から姿を消した。

「余裕で勝つ俺カッコいい」と思っていたのに、順位が思っていたよりも低かった事が原因だろうと菜々は考えていたが、すぐに彼は戻ってきた。

 憑き物が取れたような表情をして。

 これは何かあるなと思い、菜々は浄玻璃鏡で調べてみた。

 すると、殺せんせーに痛いところを突かれ、赤面していたではないか。

 菜々は迷わず写真を撮った。

 その写真をチラつかせて、カルマに奢らせようかと菜々が画策しているうちに、渚とロヴロの会話は進んでいた。

 

(いわ)く、“死神”と」

 菜々は考えを中断し、ロヴロの話に耳を傾ける。

「君達がこのまま殺しあぐねているのなら、いつかは奴が姿を現わすだろう。ひょっとすると今でも、じっと機会を(うかが)っているかもしれない」

 ロヴロの言葉を聞き、菜々は嫌な視線を感じた。

 監視カメラを仕掛けられているような気がする。

 後で殺せんせーに確認してもらおうと決めた彼女は、もう一度ロヴロを見る。

「では少年よ。君には必殺技を授けてやろう」

 渚を指して言うロヴロに菜々は思わず質問してしまった。

「なんで渚君が男だって分かったんですか⁉︎」

 彼はクラス替えがあってすぐ、男子用の制服を着ていたにも関わらず女に間違えられたのだ。

 渚もその事を思い出したらしく、遠い目をしていた。

「暗殺者ともなると、瞬時に相手の実力を判断しなくてはならない。相手の身体的特徴を瞬時に見抜く癖がついてしまってるんだ。この少年の体つきは男性のものだった。暗殺者の他に、武道を極めている人間にも同じ事が出来る」

 菜々は目を逸らした。渚は菜々が合気道を習っていた事も、それなりの実力者だった事も知っている。

「もしかして菜々ちゃん、僕が男だって初めから気づいてた?」

 渚が言っているのはクラス替えがあってすぐの出来事だ。

 

 中性的な顔立ちと長い髪のせいでよく女に間違えられていた渚は、クラス替えがあった時も女に間違えられた。

 その原因の一端が菜々である。

 やはり男であるという結論に皆が至った時、「男装してるんじゃない?」とかほざいてたのだ。

 

 渚が怒っている事に気がついた菜々は、話を逸らした。

「それでロヴロさん。必殺技ってなんですか?」

「ああ、必殺技と言っても必ず殺す技じゃない」

 ロヴロはそう言った後、その技を実際に使ってみせた。

 渚は尻餅をついてしまう。

 

 彼が立ち上がるとロヴロは話し始めた。

 そもそも訓練を受けた暗殺者が理想的な状態なら必ず殺せるのは当たり前。

 しかし、現実はそう上手くいかない。

 特にターゲットが手練れの時は、暗殺者に有利な状況を作らず、戦闘に持ち込まれる。

 戦闘に手こずれば増援が来るので一刻も早く殺さなければならない。

 そんな窮地に、必ず殺せる理想的な状況を作り出す事が出来るのがこの技だ。

 戦闘の常識から外れた行動を取る事で場を「戦闘」から「暗殺」に引き戻すための技――必ず殺す()()()技だ。

 

「少年よ。俺がさっきやった事を真似してみろ」

「ロヴロさん。私にもその必殺技、教えてもらえませんか?」

 またもやロヴロは話の腰を折られた。

「悪いが君からは暗殺の才能を感じない。第一、こんな事を知っても使う機会なんてないだろう」

 そう言われたが、菜々はロヴロを説得した。

「私が住んでいる町がヤバいんです。しょっちゅう犯罪が起こるのでいつも死と隣り合わせなんです。夜にコンビニに行って帰って来なかった人は後を絶たないし、事故物件ばっかだし。テレビをつければ殺人事件ばっかり流れて来るし。町の至る所に探偵の集合ビルや防犯標語、護身術道場とかの危ない表記があるし。そんなんだから引っ越したがる人多いけど、役所が認めてくれないし。『ストップ 人口減少』ってなんだ。人口減らしたくないんだったらもっと治安良くしろよ」

 途中から今まで溜めていた愚痴を言い始めた菜々を見て、ロヴロは彼女にも必殺技を教えることにした。

 

 

「ノーモーションで、最速で最も遠くで、最大の音量が鳴るようにだ」

 そう言われて渚と菜々は手を真っ直ぐ伸ばし、顔の前で手を叩いた。

 渚は上手く鳴らなかったが、菜々は完璧とまではいかないものの結構上手く鳴った。

 昔はよく練習していたからだ。

 変に思われたくないので倶生神が寝ている夜中にだが。

 しかし、どんな事があっても生者を観察していなければならない彼らにバッチリ見られていた事を彼女は知らない。

 これくらいの時期によくある事だと、気づいていながらスルーしていたのは倶生神なりの優しさだった。

 

 

「意外に上手く鳴らないだろう。日常でもまずやらない動きだからだ。だから常識はずれの行動となる。100%出来るように練習しておけ」

 そう言いながら手のひらを合わせるロヴロに渚は質問をする。

「……でもロヴロさん、これって……」

 ロヴロと同じように手のひらを合わせて尋ねる渚の写真を、菜々は撮りたくなった。

 どう見ても女の子だ。

 後で浄玻璃鏡を使わせてもらおうと心に刻む。

「そう。相撲で言う“猫だまし”だ」

 そう言って、ロヴロは渚の目の前で手を叩いて見せる。

「相撲の技術と無関係なはずのこの“音”はーーしかも大抵音の鳴り方が不完全にも関わらずーー敵の意識を一瞬だけ真っ白にして隙を作る」

 菜々もロヴロの言葉を真剣に聞く。

 いちじく味の煮オレの事は、頭の中から無くなっていた。

 他の生徒は何事だと彼らを見ている。

「ましてや君達がいるのは殺し合いの場‼︎ 負けたら即死の恐怖と緊張は相撲の比ではない‼︎ 極限まで過敏になった神経を、音の爆弾で破壊する‼︎」

 渚は、手を叩くならナイフを手放さなければならないと指摘するが、それが良いと返される。

 それも戦闘において常識外の事だからだ。

 手練れの敵なら相手の一挙一動をよく見ている。

 だからこそ虚を衝かれるのだ。

「手の叩き方は、体の中心で片手を真っ直ぐ敵に向け、その腹にもう片方の手をピッタリ当て、音の塊を発射する感覚で‼︎」

 何度も手を叩き、猫だましの練習をしている渚達に向かってロヴロはアドバイスをしていく。

 菜々はかなり上達してきた。

 幼い頃に練習していたのが大きいのだろう。

「タイミングはナイフの間合いのわずか外‼︎ 接近するほど敵の意識はナイフに集まる‼︎ その意識ごと、ナイフを空中に置くように捨て、そのままーー」

 

 

 しばらく経ち、菜々は猫だましが使えるようになった。

 今は猫だまししか使えないが、いつかはクラップスタナーを使えるようになる、と彼女は決意した。

 鬼になったため運動能力がかなり上がり、護身術を身につける必要は無くなっていたが、それとこれとは話が別だ。

 漫画に出てくる技を使えるようになりたいと思うのは菜々にとって普通の事だ。

 彼女は鬼になって運動能力が上がったんだから、ペガサス流星拳を使えるんじゃないかとこっそりと練習していた女である。

 しかし、音速を超えることを目標にしていたはずが、10分で諦めた。

 ペガサス流星拳は諦めたが、もうそろそろクラップスタナーくらいは使えるようになりたいと思っているのだ。

 

 

 *

 

 

 E組生徒は船に乗って沖縄の離島に向かっていた。

 菜々はぼんやりと海を見ながら鬼灯が言っていた事を思い出していた。

 有望だと思われていた殺し屋数名と連絡が取れなくなったらしい。

 彼らは鷹岡に雇われて、菜々達が行く離島でなんか企んでいるようだという事だ。

 すぐに浄玻璃鏡で調べてもらい、菜々は彼らの計画を知った。

 殺し屋がジュースに入れたのは毒薬だと言って、解毒剤が欲しければ渚と菜々、茅野だけでホテルまで来るようにと鷹岡が電話をかける。

 しかし、彼は解毒剤は渚と菜々の目の前で爆破するつもりのようだ。

 殺し屋達は毒薬を飲ませるつもりはないようなので、菜々は特に対策をしていない。

 それよりも気になる事があるのだ。

 鷹岡達が泊まっているホテルに鬼灯も泊まる予定らしい。

 なんでだよ、と菜々は突っ込みたかった。

 もしも殺せんせーの暗殺が成功した場合、亡者となった殺せんせーを捕まえる役が必要だという理由らしい。

 どうせ殺せないだろうと思っているはずなのに、なぜそんな事をするのか、菜々は疑問に思っていた。

 何か裏があるのではないかと思い始めた時、島が見えてきた。

 船で酔っている殺せんせーに向かってナイフを振り始め、菜々は思考を中断した。

 

 

 ホテルに着いてすぐ、ジュースを渡されたが、菜々は飲まなかった。

 ジュースを運んできたのは鬼灯に見せられた資料に載っていた、鷹岡に雇われた殺し屋の一人だ。

 鷹岡が彼女には毒を盛らないよう、命令しているらしいが念には念を入れたのだ。

 

 修学旅行の時と同じ班での行動で遊んでいるように見せかけ、殺せんせーと一緒にいる班以外のメンバーは計画通り暗殺できるかをチェックして回った。

 日が暮れる頃、殺せんせーは真っ黒になっていた。

 どちらが前でどちらが後ろなのか分からないくらいだ。

 食事は船で行い、殺せんせーを酔わせる。

 中村と片岡が上手いこと言って殺せんせーを脱皮させたりしながら食事が進んだ。

 余った食事は菜々が持参したタッパーに詰めた。

 

 食事が終わると、全員でホテルの離れにある水上パーティールームに移動した。

 渚にボディーチェックをされた後、殺せんせーは三村が編集した映像を見せられる事になった。

 ボディーチェックをするためにかなり近づいていた渚だったが、この状態では殺せんせーは殺せない。

 でもこの計画なら殺れるんじゃないか。全員がそう思っていた。

 完全防御形態の事を倶生神から聞いている菜々でさえ、そんな考えを持っていた。

 パーティールームが暗くなり、映像が流れ出す。

「3年E組が送るとある教師の生態」という題名がテレビ画面に映し出され、映像の制作に関わった人物の名前が出てくる。

 情報提供:潮田渚、加藤菜々。撮影:岡島大河、加藤菜々。ナレーション・編集:三村航輝。

 菜々は浄玻璃の鏡で調べた情報や映像も提供している。

 殺せんせーは、心に大きな傷を負うことになるはずだ。

 初めは、旧校舎の説明の映像が流れていた。

 

 触手を破壊する権限がある人以外は、しきりに小屋を出入りしている。

 位置と人数を明確にさせないためだろう。

 また、この小屋は周りが海だが、ホテルに続く一方向だけは近くが陸だ。

 そちらの方向の窓から千葉と速水の匂いを殺せんせーは嗅ぎとった。

 これから行われる暗殺の内容を予想したり、映像の出来栄えに感心したりしていた殺せんせーだが、いきなり顔を赤らめて叫んだ。

「にゅやああああ‼︎⁉︎」

 にやけながらエロ本の山に座り、エロ本を読んでいる姿が映されたのだ。

 菜々達が昆虫採集をしていた時に目撃した内容である。

『おわかり頂けただろうか? 最近のマイブームは熟女OL。全てこのタコが一人で集めたエロ本である』

 そんなナレーションが流れてきたため、慌てふためく殺せんせーを生徒達はニヤニヤして見つめる。

「違っ……ちょっと岡島君達。皆にはあれほど言うなと。だいたい菜々さんには要望通り、イタリアのジェラートを渡したじゃないですか!」

「何言ってるんですか、殺せんせー。私は一回本場のジェラートを食べてみたいと言っただけで、買ってきてくれたらこの事を黙ってるなんて一言も言ってませんよ! だいたい、生徒を買収しようとするなんて教師としてどうなんですか!」

 ここぞとばかりに文句を言う菜々。

 そんなやりとりをしているうちに、映像は流れていく。

 エロ本を読んでいる姿、女装してケーキバイキングに並ぶもバレる姿、大量にもらったポケットティッシュを唐揚げにして食べる姿。

 他にも酔いつぶれている姿や、胸が大きい女性の一覧を作っている姿などを一時間かけて見せられた殺せんせーは、すでに虫の息だった。

 

「死んだ。もう先生死にました。あんなの知られてもう生きていけません」

 そんな事を殺せんせーは言っていたが、彼が死んでも菜々は似たような事をするつもりだ。

『さて、秘蔵映像にお付き合い頂いたが、なにかお気付きでないだろうか、殺せんせー?』

 そんな音声を聞いて、殺せんせーは床全体が水に浸かっていることに気が付いた。

 誰も水なんて流す気配はなかったはずだ。

 ここまで考えて殺せんせーは一つの仮説に気がつく。

「俺らまだなんにもしてねぇぜ。誰かが小屋の柱を短くでもしたんだろ」

 立ち上がりながら言う寺坂。

 その言葉を聞いて、殺せんせーは自分の仮説が当たっている事を知った。

 生徒達が前もって小屋の支柱を短くしておいたため、満潮によって小屋の床が水浸しになっていたのだ。

 触手はかなり水を吸っている。

 一斉に銃を向ける教え子達を見て、殺せんせーは冷や汗をかいた。

 あれは汗なのか、それとも粘液なのか?

 菜々はどうでもいい事に気をとられそうになったが、すぐに思考を切り替える。

 スナイパーがいると思われる方向に注意をしている殺せんせー。

 銃声が響き渡る。

 全員が一発で触手を破壊出来たので、その場にいた生徒達に一瞬安堵の表情が浮かんだ。

 しかし、すぐに元の顔に戻る。本番はこれからだ。

 同時に八本の触手を失った殺せんせーは顔を歪めた。

 その瞬間、ミシミシという音が聞こえ始める。

 音はだんだんと大きくなっていき、最終的に小屋の壁が外された。

 壁には対先生用物質が仕込まれているだろうと考えていた殺せんせーは目を見開く。

 なにかを考える時間を与えず、今まで姿を消していた生徒達が空中に飛び上がる。

 水圧で空を飛ぶ道具であるフライボードに乗っているのだ。

 一瞬で殺せんせーの周りが取り囲まれた。水の檻の完成だ。

 菜々は邪魔にならないように端に寄っていた。

 どうあがいても弾を当ててしまう菜々にはしばらく出番がない。

 この時、参加できるかどうか、一週間前に行われた暗殺計画最終チェックで、ロヴロに稽古をつけてもらった上で尋ねてみたが許可が降りなかった。

 倉橋がイルカを誘導して水しぶきを上げさせたり、余った生徒達が離れたところからホースで水を撒く。

 殺せんせーが苦手な急激な環境変化を行ったのだ。

 弱った触手を混乱させ、反応速度をさらに落とす。

 混乱している殺せんせーの後ろから、今まで海の中に隠れていた律が出てくる。

 水中眼鏡をつけ、水着を着ていることから、ノリノリなのだろうと菜々は思った。

「射撃を開始します。照準・殺せんせーの周囲全周1m」

 律や小屋に待機していた生徒達は殺せんせーの周囲に向かって銃を撃つ。

 律の言葉からも分かるように、自分に当たる攻撃に敏感な殺せんせーを、一斉射撃では狙わない。

 目的は逃げ道を防ぐ事。

 陸の上には千葉と速水の匂いが染み込んだダミーが仕掛けてある。

 ターゲットの注意を陸に引きつけておいて、全く別の狙撃点を作り出す。

 気がつかれないうちに、ずっと水の中に潜って待機していた千葉と速水がとどめをさす予定だ。

 その前に、絶対に弾を当ててしまう菜々が撃ち、注意を逸らす。

 当たらなくても注意を引けるし、当たればラッキー。そんな理由からだ。

 

 菜々が一発、殺せんせーの心臓に向かって銃を撃つ。

 とっさに殺せんせーが避けた時、とどめの二人が引き金を引いた。

 菜々を警戒していた殺せんせーは反応が遅れた。

 そして、殺せんせーの全身が閃光と共に弾け飛んだ。

 

 

 殺せんせーが爆発して、後には何もないため、殺った手応えを感じた者がほとんどだった。

 爆発の衝撃により、殺せんせーの近くにいた生徒が吹き飛ばされた。

「や……殺ったのか⁉︎」

 誰かが叫んだ時、菜々は自分と一緒に吹き飛ばされたソラを回収していた。

「油断するな‼︎ 奴には再生能力もある。片岡さんが中心になって水面を見張れ‼︎」

 烏間の指示により、片岡が中心になって水面を見張る。

 逃げ場はどこにもなかったはずだが、菜々は殺せんせーがまだ生きていると確信していた。

 霊体が見当たらないのだ。

 完全防御形態だろうか、と沙華と天蓋に聞いた話を菜々が思い出していると、水面に泡が発見された。

 ぶくぶくと出てくる泡に全員が注目していると、不思議な球体が現れた。

 銃を構えていた生徒も思わず固まった。

 何あれ。そんな疑問を持ったのは菜々以外の全ての人だ。

 オレンジ色の殺せんせーの顔が入った、透明な球体が出てきたのだ。

「これぞ先生の奥の手。完全防御形態‼︎」

 そんな殺せんせーのセリフにより、衝撃が走る。

 暗殺は失敗したらしい。

 生徒達が落胆する中、殺せんせーが完全防御形態について説明し始める。

 外側の透明な部分は、高密度に凝縮されたエネルギーの結晶体で、水や対先生物質などのあらゆる攻撃を跳ね返す。

 その形態でずっといられたら殺せないが、二十四時間経つと形態を維持できなくなり、元に戻るそうだ。

 完全防御形態の説明をし終わった殺せんせーは、黄色と緑のしましま模様を浮かべていた。

 なめている証拠だ。

 一番怖いことは身動きが取れないこの状態でロケットに詰められ、宇宙の彼方(かなた)に飛ばされることだが、今現在、そんな事が出来るロケットは地球上に存在しない。

 そう言った殺せんせーを見て、ロケットはないが、ここは漫画の世界なんだし自分は鬼なんだから、頑張れば殺せんせーを宇宙まで投げれるんじゃないかと菜々は本気で思った。

 すぐにそれは無理だと思い直したが。

「チッ。何が無敵だよ。なんとかすりゃ壊せるだろ、こんなモン」

 全員が落胆している中、寺坂はそう言って完全防御形態を壊そうとレンチで殴った。

 しかし、殺せんせーは口笛を吹きながら、核爆弾でも傷一つつかないと言う。

 そのレンチどこから取り出したんだ、と突っ込む余裕がある者はいなかった。

「そっか〜。弱点無いんじゃ打つ手無いね」

 そう言いながら、カルマは茅野から自分のスマホを受け取った。

 カルマが、エロ本を拾い読みしている写真を殺せんせーに見せたり、ウミウシをくっつけたりしていると、烏間が殺せんせーを回収した。

「……とりあえず解散だ、皆。上層部とこいつの処分法を検討する」

 そう言いながら殺せんせーをビニール袋に入れる烏間。

 カルマと一緒に殺せんせーをイジるため、ソラにう◯こを持って来てもらおうとしていた菜々は、説得をやめた。

 ソラはホッとしたのと同時に、菜々の精神年齢は十歳の男子と同じくらいなんじゃないかと思い始めていた。

「ヌルフフ。対先生物質の中にでも封じ込めますか?」

 ニヤニヤと笑いながら言う殺せんせー。

「無駄ですよ。その場合はエネルギーの一部を爆散させて、さっきのように周囲を吹き飛ばしてしまいますから」

 打つ手なし。そう悟った烏間だったが、立場上何もしないわけにはいかない。

 上層部に指示を仰ぐため、殺せんせーを持って烏間は去っていった。

 運ばれている時、生徒達の様子に気がついた殺せんせーは先ほどの暗殺を褒めた。

「ですが、皆さんは誇って良い。世界中の軍隊でも先生を()()まで追い込めなかった。ひとえに皆さんの計画の素晴らしさです」

 しかし、皆の落胆は隠せなかった。

 E組生徒が誰からともなく帰路に着き始め、千葉と速水は海から上がった。

 しばらく無言が続く二人を見かねて、菜々は口を開いた。

「律、記録が取れてたら、詳しい事を教えてくれないかな?」

 律によると、殺せた確率は50パーセントだったらしい。

 結果を聞き、肩を落としながら立ち去る千葉と速水を見て、菜々は声をかけようとしたが、なんと言ったら良いのか分からなかった。

 

 

 *

 

 

 ホテルに着いた生徒のほとんどが、テラスにある椅子に座っていた。

 顔には疲労がありありと浮かんでいる。

 中村がへたり込んだり、岡島が大量に鼻血を出したりし始めた。

 命の危険がないとはいえ、こうなる事を知っていたのに何もしなかった罪悪感で菜々は押しつぶされそうになった。

 おかしいと気がついた烏間が、この島の病院の場所をフロント係の人物に尋ねたが、診療所にいる医者は別の島に帰っていると言われた。

 明日の十時にならないと医者が来ないと聞いて、烏間がどうするか考えようとした時、電話がかかってきた。

 

 電話をかけてきた相手は、生徒達の症状は自分の仕業だと言った。

 彼らに人工的に作り出したウィルスを盛ったとの事だ。

 一週間もあれば全身の細胞がグズグズになって死に至る。

 それが嫌なら、山頂にあるホテルまで生徒の中で一番背の低い男女と、警察関係者と知り合いの生徒で、殺せんせーを持ってくるようにと要求された。

 外部と連絡を取ったり、一時間以内に来なければ、即座に治療薬は破壊するという条件付きで。

 烏間が電話の内容を話すと、不破は考え込んだ。

「警察関係者と知り合いの生徒がいるなんてどうして分かったんだろう?」

 不破が考え込んでいるのを見て、おそらく、鷹岡の知り合いに自分の事を知っている刑事でもいたのだろうと菜々は思った。

 それにしても、なんで私が呼ばれたんだろう?

 菜々も不破と一緒に考え込んでいた。

 渚を呼んだのは逆恨みしているからだと簡単に想像が付くが、自分が呼ばれる理由が分からなかった。

「菜々の事も恨んでるんじゃない?」

 ソラに意見を求めてみると、そう返された。

 菜々は記憶の糸をたどってみる。

 鷹岡に何かしただろうか。

 せいぜい、「僕は中学生の男の娘に負けました」と書かれた紙を背中に貼ったり、渚に負けた直後、「どんな気持ち? ねえ、どんな気持ち?」と木の枝で突っつきながら尋ねただけだ。

「恨まれる理由なんてないでしょ」

 そう言った菜々を見て、ソラは呆れかえった。

 

 口喧嘩で負けた事がない園川が政府として問い合わせてみても、ホテル側は「プライバシー」を繰り返すだけだった。

 やはりか、と言う烏間の言葉に殺せんせーは反応した。

「やはり……?」

 烏間は普久間島が「伏魔島」として警察にマークされていると警視庁の知人から聞いた事があると話した。

「ほとんどのリゾートホテルは真っ当だが、離れた山頂のあのホテルだけは違う。南海の孤島という地理も手伝い、国内外のマフィア勢力や、それらと繋がる財界人らが出入りしていると聞く」

 私兵達の厳重な警備のもと、違法な商談やドラッグパーティーを連夜開いているらしい。

 また、政府の上層部ともパイプがあるため、警察も迂闊に手が出せない。

 そんな烏間の話を聞いた菜々は烏間の知人について少し気になったが、すぐにこれからの事を考えた。

 おそらく、動ける生徒全員でホテルに乗り込む事になるだろう。

 殺せんせーや烏間がいるし、E組の身体能力は高いので鷹岡の件は多分大丈夫だろう。

 問題は山頂のホテルに泊まっている鬼灯だ。

 もしもばったり出会ったらどうするか考えなくてはならない。

 ほんと、なんであの人来たんだろう。菜々は心の底からそう思った。

「ふーん。そんなホテルがこっちに味方するわけないね」

 カルマがそう言うと、吉田が皆の意見を代表して言った。

「どーするんスか⁉︎ このままじゃいっぱい死んじまう‼︎ こっ……殺されるためにこの島来たんじゃねーよ‼︎」

 吉田の後ろには、座り込んでいる彼と仲が良い狭間や村松がいる。

「落ち着いて、吉田君」

 体を上下させて息をしている原が話しかける。

「そんな簡単に死なない、死なない。じっくり対策考えてよ」

 苦しいはずなのに笑顔を作り、顔の前で手を振る原を見て、吉田は落ち着きを取り戻した。

 打つ手なしだとほとんどの者が思った時、殺せんせーが口を開いた。

「いい方法がありますよ」

 殺せんせーが指示した内容は菜々の予想通りだった。

 

 

 殺せんせーに言われた通り、看病に残した竹林と奥田以外の動ける生徒は汚れてもいい格好で、ホテルがある崖の下に集まった。

 正面玄関とホテルの敷地一帯には多くの警備が置かれているが、崖の近くには警備が置かれていないらしい。

 まず、侵入不可能な地形だからだ。

 幸い、崖を登ったところに通用口が一つある。

 そこまで説明した殺せんせーの言いたいことは明白だった。

 菜々の予想通り、動ける生徒全員で奇襲をかける事を殺せんせーは提案した。

 自分達と烏間の指揮次第だと言われたが、それは難しいと言うのが生徒達の意見の大半だった。

「そーよ、無理に決まってるわ‼︎ 第一この崖よ、この崖‼︎ ホテルにたどり着く前に転落死よ‼︎」

 そう言いながら崖を指すイリーナを見て、烏間は結論を出した。

 渚達に殺せんせーを渡しに行くよう頼もうと振り返ると、生徒達の姿はなかった。

 もしやと思って上を見上げると、崖を軽い身のこなしで登って行く教え子達が見えた。

 菜々もソラを肩に乗せて崖を登って行く。

 菜々はこんな事するよりも鬼灯に連絡して、ホテルに入れてもらえばいいんじゃないかと思ったが、彼がホテルにいる事を知っていた理由を聞かれるとめんどくさそうだと思い直した。

 

 未知のホテルで未知の敵と戦う訓練はしていないからと、指揮を頼む磯貝。

 きっちり落とし前をつけると息巻く生徒や、十五人の特殊部隊がいると説得する殺せんせーを見て、烏間は覚悟を決めた。

「注目‼︎ 目標、山頂ホテル最上階‼︎ 隠密潜入から奇襲への連続ミッション‼︎ ハンドサインや連携については訓練のものをそのまま使う‼︎ いつもと違うのは標的(ターゲット)のみ‼︎ 三分でマップを叩き込め‼︎ 19時(ヒトキュー)50分(ゴーマル)作戦開始‼︎」

 その言葉を聞いて菜々は立ち上がり、背筋を正した。

 手を握りしめた左腕を曲げて腰の後ろに、拳を作った右手を胸に当てる。

「ハッ!」

 そう掛け声を掛けるとソラにジト目で見られた。

 全員「おう‼︎」と叫んでガッツポーズをしているのだし、大して問題はないだろうと菜々は思ったがそうではないらしい。

 

 三分後、岡野や菜々を筆頭に、生徒達がひょいひょいと崖を登って行くのに対し、烏間以外の教師は動けないでいた。

 



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第10話

 A組との賭けで勝ち取った、沖縄離島リゾート2泊3日間。

 そこで夏休みの、かつてないほど大掛かりな暗殺計画が幕を開けた。

 その結果、殺せんせーをいいところまで追い詰めたものの、奥の手中の奥の手である完全防御形態になられ、なすすべが無くなった。

 完全防御形態になったら、二十四時間殺せんせーは動けない。

 そんな時、E組生徒に異常が起きた。

 掛かってきた電話によると、人工的に作り出したウィルスの仕業らしい。

 山頂にあるホテルに渚と菜々、茅野で殺せんせーを渡しに来れば、治療薬を渡すと言われる。

 政府としてホテルに問い合わせて見ても「プライバシー」を繰り返されるばかり。

 烏間によると、そのホテルにはきな臭い噂があるらしい。

 打つ手なしだと思われた。

 敵の目的は殺せんせーのようだが、渡しに行った生徒達を人質に取り、薬も渡さず逃げられる可能性もある。

 どうするか烏間が考えあぐねていると、殺せんせーが発言する。

「良い方法がありますよ」

 

 殺せんせーの提案とは、動ける生徒全員での奇襲攻撃だった。

 烏間は殺せんせーの提案に乗ることにした。

 一方、鬼灯がそのホテルに泊まっている事を知っている菜々は、胃薬が欲しくなってきていた。

 

 

 *

 

 

 全員が第一関門である崖を登り切ると、侵入ルートの最終確認が行われた。

 フロントが渡す各階ごとの専用ICキーが必要なため、階段を登るしかない。

 しかも、階段はバラバラに設置されており、最上階に着くまで長い距離を歩かなくてはならない。

 

 時間が無いため、すぐに出発する事になった。

 烏間の指示でロビーまで誰にも出くわさずに到着したが、ここが最大の難所だ。

 ロビーを通らなければ上に行けない構造なので、チェックが最も厳しい。

 全員が発見されずに通過するのはまず無理だと思われたが、イリーナが注意を引いているうちに無事通過する事が出来た。

 

 

 客のふりをしながら歩いていると、三階に着いた。

「ヘッ、楽勝じゃねーか。時間ねーんだからさっさと進もうぜ」

 中広間に差し掛かると、今まで何もなかったせいか、寺坂と吉田が一番前を歩いていた烏間を追い越して走っていった。

 向こう側から歩いて来る人間の顔を見た不破が叫ぶ。

「寺坂君‼︎ そいつ危ない‼︎」

 菜々は彼の顔を見て、不破が言いたい事が分かった。

 何事だと寺坂が振り返るのと男がマスクをつけ、なにかを取り出したのはほぼ同時だった。

 とっさに、烏間が寺坂と吉田を後ろに投げ飛ばす。

 手加減はできなかったが、授業で受け身の方法はきっちりと教え込んでいるので平気だろう。

 そんな事を烏間が頭の片隅で思うと、男がガスを噴射した。

 すぐに頭を戦闘に切り替え、烏間は腕で体を守りながら、相手が持っているガスを出した道具を蹴り飛ばす。

 それからすぐ、彼らは間合いを取った。

 暗殺者がなぜ分かったのか不破に尋ね、不破が推理を始める。

 暗殺者の注意が不破に向いているうちに、菜々達は烏間の指示通り敵の退路を防いだ。

 

 体中に毒が回った烏間が、床に手をついたのを見届けて戻ろうとしたスモッグは、退路を塞がれている事に驚いた。

 スモッグが驚きを隠せないでいると、後ろから声が聞こえて来た。

「敵と遭遇した場合、即座に退路を塞ぎ連絡を断つ。指示は全て済ませてある」

 そう言いながら烏間がゆっくりと立ち上がる。

「お前は……我々を見た瞬間に、攻撃せずに報告に帰るべきだったな」

 なんとか立っている状態の烏間を見て、スモッグは鼻で笑った。

「フン、まだしゃべれるとは驚きだ。だが、しょせん他はガキの集まり。お前が死ねば統制が取れずに逃げ出すだろうさ」

 そう言いながら、スモッグはマスクをつけた。

 烏間とスモッグは構える。

 マスクをつけていても笑っている事が分かるスモッグと、意識が朦朧(もうろう)としている烏間。

 生徒達は冷や汗を流しながら二人を見ていた。

 しかし、彼らの不安は杞憂に終わる。

 スモッグが毒を取り出した瞬間、烏間の膝蹴りが彼の顔面に思い切り当たったのだ。

 笑いながらスモッグを蹴る烏間を見て、菜々は鬼灯の笑顔もあんな感じなのだろうかと考えていた。

 生徒達の顔に安堵の表情が浮かんだが、スモッグを倒した瞬間、烏間が倒れた。

 とりあえず、机などを使ってスモッグを隠していると、磯貝に肩を貸してもらって立ち上がった烏間が話した。

「ダメだ。普通に歩くフリをするだけで精一杯だ。戦闘ができる状態まで、30分で戻るかどうか」

 すかさず、(ぞう)をも倒すガスを浴びて歩ける方がおかしいという突っ込みが入るのを聞いて、菜々はこのクラスの突っ込み率って高いよな、と思った。

 まだ三階なのに先生達に頼る事は出来なくなった。

 本当に大丈夫なのだろうか、という疑問を渚達が持ち始めた時、殺せんせーが場違いな事を言った。

「いやぁ、いよいよ『夏休み』って感じですねぇ」

 太陽のマークを顔に浮かべながら言う殺せんせーを見て、全員が無言になった。

 しかし、すぐにブーイングが起こる。

 みんなに頼まれ、渚は殺せんせーが入った袋ごと振り回す。

「よし、寺坂。これねじこむからパンツ下ろしてケツ開いて」

 殺せんせーが充分酔ったところでカルマが良い笑顔でそう言った。

 なんでこれが夏休みなのかと言う渚の問いに、殺せんせーは答える。

 先生と生徒は馴れ合いではない。

 そして夏休みとは、先生の保護が及ばない所で自立性を養う場でもある。

「大丈夫。普段の体育で学んだ事をしっかりやれば、そうそう恐れる敵はいない。君達ならクリアできます。この暗殺夏休みを」

 そう言われ、彼らは進み始めた。

 

 

 五階の展望回廊に(たたず)む男が一人いた。

 これからどうするか、烏間とE組の生徒達がいろいろと考えをめぐらしていると、グリップはガラスにヒビを入れた。

 確か素手でターゲットを殺す暗殺者だっけ。

 菜々は資料に書いてあった事を思い出した。

「つまらぬ。足音を聞く限り、『手強い』と思える者が一人もおらぬ」

 なんか言っているグリップを見ながら菜々は考えを巡らせていた。

 この世界は空手で都大会優勝の女子高生が銃弾を避けたり、電柱にヒビを入れたりしても特に驚かれない世界のはずだ。

 なのに、グリップが窓ガラスに素手でヒビを入れたのを見てクラスメイト達は驚いている。

 これはどう言う事だろうか。

 菜々が米花町が異常という仮説を証明しようとしていた時、ソラに小突かれた。

「どうでもいい事考えてたでしょ。今、大変な事になってるよ」

 周りを見てみると、カルマがグリップと戦っていた。

「どうしてこうなったの? 三行で説明してくれない?」

 菜々はこっそりソラに頼んだが、ため息をつかれただけで説明をしてもらえなかった。

 後で浄玻璃鏡で確認しようと菜々は決め、カルマを見る。

 グリップの攻撃を避けるか(さば)いているのを見て、菜々はカルマが烏間の防御テクニックを目で見て盗んだと気がついた。

 少し経ち、カルマの動きが止まった。

 グリップに合わせて素手で決着をつけると言うカルマ。

 菜々はそんな気は毛頭ないと見抜いた。

 スモッグのガスをすくねているのを見たからだ。

 あの人「ぬ」多いな、誰か突っ込めばいいのにとカルマの突っ込みを聞いていなかった菜々が思っていると、グリップが背中を見せた。

 チャンスとばかりにカルマが飛びかかろうとしたが、毒ガスを噴射される。

 至近距離だったので予想していなければ防げない。

 E組生徒のほとんどがカルマが負けたのだと思った。

 

 しかし、カルマの顔を片手で掴んでベラベラ話しているグリップの顔が急に見えなくなった。

 ガスで(さえぎ)られたのだ。

 口に当てていたハンカチを取り、憎たらしい顔でカルマが言った。

「奇遇だね。二人とも同じ事考えてた」

 毒のせいでガクガク震える足でなんとか立ちながら、グリップは(ふところ)を探る。

「ぬぬぬうううう‼︎」

 謎の奇声を上げながら、グリップがナイフで斬りかかるが、簡単に(さば)かれ、床に叩きつけられる。

「ほら寺坂、早く早く。ガムテと人数使わないとこんな化けモン勝てないって」

 笑顔で言ったカルマを見て、寺坂は頭を掻きながらため息をついた。

「へーへー。テメーが素手で1対1(タイマン)の約束とかもっと無いわな」

 そう言って走り出した寺坂に続いて、他の生徒も倒れているグリップの上に飛び乗った。

 

 

 グリップはガムテープでぐるぐる巻きにされた。

 なぜ自分の攻撃が予想できていたのかとグリップが尋ね、カルマが答えているのを聴きながら、菜々はズボンのポケットに入っているものを触った。

 カルマがスモッグのガスをすくねる前に、菜々も一つもらっておいたのだ。

 いざと言う時に使えるし、使わなかったら烏頭にでも売りつけておこうと菜々が考えていると、カルマがチューブ型のわさびとからしを取り出した。

 めちゃくちゃ良い笑顔だ。

 わさびとからしを鼻にねじ込んで専用クリップで塞ぎ、口の中にブート・ジョロキアをぶち込み、その上からさるぐつわをする。

 そんな予定を楽しそうに語るカルマの肩を菜々が叩く。

「カルマ君にプレゼントがあったんだけど今まで忘れてて……。もしよかったら、これ貰ってくれないかな?」

 カバンに入れておいた、タッパーに敷き詰められた辛子味噌を菜々が渡す。

 グリップの顔が引きつった。

 あくまでカルマがグリップの口に辛子味噌を突っ込んだだけであって、自分は何もしていない。

 ソラに叱られたので、菜々はそう言い訳をしながら、グリップの写真を撮った。

 この後、カルマの非常用持ち出し袋に辛子味噌も入れられたりした。

 

 

 *

 

 

 七階に行くために通らなければならない階段は、六階にあるテラス・ラウンジの奥にある。

 若い女にはチェックが甘いため、女子だけでテラス・ラウンジに入り、裏口を開けて男子達を入れる事になった。

 しかし、男手は欲しい。

「じゃあこうしよう」

 菜々は外のプールサイドに脱ぎ捨ててあった女物の服を持ってきた。

「渚君、この前の女装似合ってたよ」

 いい笑顔で言う菜々を見て、渚は嫌な汗をかいた。

 

 というわけで渚は現在女装中だ。

 自然すぎて新鮮味がないという速水の意見に菜々は首を大きく縦に振った。

 そんな事をしていると、渚がユウジと名乗る男子にナンパされ、連れていかれた。

 菜々は野次馬根性で跡をつけたかったが、片岡に肩をがっしりと掴まれた。

「何をするつもり?」

 片岡を見て菜々は怒った時の沙華を思い出した。

 逆らわないほうがいいという本能に従い、菜々はおとなしくする事にした。

「よう、お嬢達。女だけ? 俺らとどーよ、今夜?」

 こいつら将来衆合地獄に落ちそうだな、と菜々が考えていると、片岡がきっぱり断ろうとした。しかし、矢田に止められる。

「お兄さん達かっこいいから遊びたいけど、あいにく今日はパパ同伴なの、私達。うちのパパ、ちょっと怖いからやめとこ」

 バッチを投げながら言う矢田に男が言い返す。

「ひゃひゃひゃ。パパが怖くてナンパができっか」

 変わった笑い声だな、と菜々は思った。

 殺せんせーの笑い声もかなり変わっているが、この男の笑い声は気持ちが悪い。

 フォオオオと叫び声を上げる変態仮面よりも気持ち悪いと菜々は思った。

 変態仮面は顔に女性物のパンツを被っており、パンツ一丁で網タイツを履いている男子高校生だが、正義の味方だ。

 それに、変態仮面の正体である色丞狂介は正義感が強かった。

 こいつの方が気持ちが悪いと菜々がどうでもいい結論を出した時、ナンパ男達は尻尾を巻いて逃げて行った。

 矢田が見せたバッチの代紋がヤクザの物だったのだ。

 しかも、少数派だが凶悪な事で有名な組織だ。

 

 

 矢田はバッチをイリーナに借りたらしい。

「そういえば矢田さんは一番熱心に聞いてるもんね。ビッチ先生の仕事の話」

 茅野の言葉に菜々も同意を示すために頷いた。

「うん。色仕掛けがしたいわけじゃないけど、殺せんせーも言っていたじゃない。“第二の刃を持て”ってさ。接待術も交渉術も、社会に出た時最高の刃になりそうじゃない?」

 そう言う矢田は生き生きとしていた。

 矢田の意見には菜々も賛成しているが、彼女ほどイリーナの授業は真剣に聞いていない。

 何度か授業をサボっているからだ。

 菜々が逃げ回るため、イリーナは未だに彼女を公開ディープキスの刑に出来ずにいる。

 最近は少なくなったが、少し前まで彼女は菜々を捕まえようとしていた。

 そのため、イリーナから逃げて授業をサボる事がよくあったのだ。

「おお〜。矢田さんはかっこいい大人になるね」

 不破の意見に茅野も同意する。

「う……む……。巨乳なのにホレざるを得ない」

 茅野が心を開いた事に菜々と岡野が驚いていると、店の奥にたどり着いた。

 男手が必要になるかも知れないので、茅野が渚を呼びに行く。

「なんとかあの見張り、おびき出してその隙に通れないかな」

 岡野の呟きに菜々が答える。

「赤い布をひらひらさせれば反応するんじゃない?」

 そんな事を言っていると、速水が急に後ろを振り返った。

「誰かに見られてるような気がする!」

 速水の言葉に、全員が身構える。

 菜々がスモッグのガスをいつでも出せるように、ポケットの中に手を突っ込むと、聞き覚えのある声が聞こえた。

「私ですよ。というかなにやってるんですか?」

 そういえばこの人、このホテルに泊まるって言ってたな、と菜々はぼんやりと思った。

 あの服どこで買ってるんだろう。

 菜々は鬼灯が着ている、リアルな幽霊がプリントされたTシャツを見てそう思った。

 一瞬現実逃避をしかけた菜々だったが、これからどうするべきかを考える。

 鬼灯がここに泊まっていると知っていた事は皆に知られたくない。

「鬼灯さんこそ何やってるんですか?」

「このホテルに泊まってます。このようなホテルに泊まっている人たちを見て、どんな地獄に落ちるか予想するのが好きなんです」

 もうこれ以上話すな、と菜々は目で伝えた。引かれているのが手に取るように分かる。

 とりあえず、何が起こっているのか話す事にした。

 

 茅野に呼ばれた渚が戻ってくると、鬼灯の動きが一瞬止まった。

「渚さんって本当は女性だったんですか?」

 鬼灯の問いに、渚は肩を落とした。

 渚は鬼灯の言葉がショックすぎて、なんでいるのかという疑問が頭から吹き飛んだ。

「似合いますよね」

 そう言いながら菜々は渚の女装姿を撮る。

 そんな事をしてると、ユウジが来た。

 踊り出したが菜々は無視して、さっき撮ったグリップの写真を鬼灯に見せたりしていた。

 ユウジがいかにもなヤクザに絡まれている時、鬼灯はカルマを死後、獄卒として雇う事を本気で考えていた。

 岡野の蹴りで気絶させられたヤクザを見張りが運んでいるうちに、男子達を中に入れる。

 何かあったら律を通して鬼灯に合図をするので、場合によっては警察に連絡するよう烏間が頼んでから、菜々達は六階を後にした。

 

 渚君って天然タラシだよな。死後に衆合地獄で女装して働いて欲しい。

 そんな事を思いながら菜々が階段を上っていると、カルマと渚が()()()()()()かでもめていた。

 

 次の階段の前にいる見張りを見て、殺せんせーは寺坂が持っているスタンガンを使うように言った。

 木村に挑発しておびき出すよう、指示する寺坂。

 どういえば良いのか分からない木村にカルマが耳打ちをする。

 

「あっれェ〜、脳みそ君がいないなァ〜。こいつらは頭の中まで筋肉だし〜」

 わざとらしくあたりを見渡しながら言う木村。

「人の形してんじゃねーよ、豚肉どもが」

 そう言って(きびす)を返す木村を見て、思考回路が途切れた見張り達。

 しかし、すぐに正気を取り戻して彼を追いかける。

 木村の足が速いため、なかなか追いつけずにいた見張り二人は、いきなり曲がり角から飛び出して来た寺坂と吉田にタックルを決められ、突き飛ばされたところで喉にたっぷり電気を流された。

「いい武器です、寺坂君。ですが、その二人の胸元を探ってください」

 殺せんせーにそう言われ、寺坂と吉田は不思議に思いながらスーツの内ポケットを探る。

「膨らみから察するに、もっと良い武器が手に入るはずですよ」

 ポケットから出てきたものを見て、全員がど肝を抜かれた。

 しょっちゅう強盗とかが起こる米花町に住んでいる菜々以外の生徒は、それを一度も見た事は無かった。

 

 気絶した見張り達から奪った2丁の銃を千葉と速水が持つことになった。

 烏間は精密な射撃ができるほど回復していないからだ。

 その頃菜々も、カルマに獄卒になってもらいたいと思い始めていた。

 菜々が考えている事を察した、沙華と天蓋はヒソヒソと話していた。

「菜々ちゃん、どんどん鬼灯様に似てきている気がするんだけど」

「あの子、結構単純なところあるしね。影響を受けるのは当然かもしれないわ」

 

 

 

 見張り達が前に立っていた階段を登り、少し進むと八階のコンサートホールに着いた。

 建物の構造上、コンサートホールを突っ切らなければならないようだ。

 警戒しながら歩いていると、烏間が気配を感じ取った。

「敵が近づいてくる! 急いで散らばれ!」

 指示通り、生徒達は散らばった。

 幸い椅子が多いため、隠れる場所は多い。

「烏間先生、私を一番前の席に置いてください! 木村君は6列目の左から見て3つ目の席の後ろに! 菅谷君はーー」

 殺せんせーの指示に従い、生徒達が均等に散らばり終わってすぐ、足音が聞こえてきた。

 足音が聞こえるたび、菜々は緊張していくのを感じた。

 いくら犯罪者と定期的に顔を合わしているとはいえ、プロの殺し屋とはあまり会った事がない。

 たまに黒ずくめの組織の一員だと思われる人間を見かけるくらいだ。

 

 男が銃を舐めながらコンサートホールに入ってくるのを見て、菜々は汚くないのかな、とどうでもいい事を考えていた。

 別の事を考えていないと、米花町に対する不満が次々と出てきてしまうからだ。

「……15、いや、16匹か? 呼吸も若い。ほとんどが十代半ば」

 舞台に立っているガストロの言葉に、茅野は思わず口を塞いだ。

 菜々は、いざとなったらソラにポルターガイストを起こしてもらおうかと考えていた。

 昔、知り合いの亡者に同じ事をしてもらって助かった事がある。

「驚いたな。動ける全員で乗り込んで来たのか」

 そう言うと、ガストロは後ろの照明器具に向けて銃を撃つ。

 ホールは完全防音で銃は本物。勝ち目はないだろうからさっさと降伏しろ。

 ガストロがそう伝え終わると同時に、彼の後ろにあった照明器具が音を立てて壊れた。

 速水が撃ったのだ。

 さっき撃たれたのが実弾である事と、発砲音から鷹岡の部下の銃を奪った事を知り、ガストロは認識を改めた。

 照明を全てつける事で逆光によって自分の姿を見えづらくすると、ガストロは銃を撃った。

 座席の間の隙間を通して速水が撃たれかけた事に、菜々は戦慄した。

「一度発砲した敵の位置は忘れねぇ。もうお前はそこから一歩も動かさねぇぜ」

 その後、ガストロが自分が軍人上がりである事などを話していると、殺せんせーが指示を出した。

「速水さんはそのまま待機‼︎ 今撃たなかったのは賢明です、千葉君‼︎ 君はまだ、敵に位置を知られていない!」

 ここぞと言う時に撃つようにと指示を出す犯人を、ガストロが探す。

 最前列の椅子に置いてある、完全防御形態である殺せんせーを見つけると、ガストロは銃を乱射した。

「テメー何かぶりつきで見てやがんだ!」

「ヌルフフフ、無駄ですねぇ。これこそ無敵形態の本領発揮」

 銃で撃たれてもなんともない殺せんせーを見て、ガストロは超生物を倒すのを諦めた。

 動けないようなので自分がやられる事はない。

 殺せんせーに構っている暇があるのなら生徒達を倒した方が良いと判断したのだ。

「では木村君、5列左にダッシュ‼︎」

 中学生が熟練の銃手に挑むのだから自分が指揮をとるというハンデがあっても良いと言った殺せんせーは、自分に敵が注目している隙に、そう指示を出した。

 移動した木村にガストロの注意が向いた時、指示が出される。

「寺坂君と吉田君はそれぞれ左右に3列‼︎」

 今度は寺坂達に気を取られたガストロ。

「死角ができた‼︎ 茅野さんは2列前進‼︎」

 殺せんせーはどんどんと指示を出していく。

 生徒達をシャッフルするのは良いが、名前と位置を敵に教えてしまうことになる。

「出席番号12番‼︎ 右に1で準備しつつ、そのまま待機‼︎」

 今度は出席番号で指示を出された事にガストロが驚いているうちに、殺せんせーは他の指示を出す。

「4番と6番は椅子の間から標的(ターゲット)を撮影‼︎ 律さんを通して舞台上の様子を千葉君に伝達‼︎」

 その後、ポニーテールやバイク好きなどと生徒の呼び方が変えられる。

「最近竹林君一押しのメイド喫茶に行ったらちょっとハマりそうで怖かった人‼︎ 錯乱のため大きな音を立てる‼︎」

 ガンガンと何かを殴る音と一緒に声が聞こえてくる。

「うるせー‼︎ なんで行ったの知ってんだ、テメー‼︎」

 声で、殺せんせーが誰の事を言っていたのか全員が理解した。

 何も言わなければ他の人にバレなかったのに、と菜々が思っていると、次の指示が出される。

「この前、カプセルトイ(ガチャガチャの事)でゴールデンフリーザを手に入れるため、千円以上使っていた人、右に6‼︎」

 菜々は古傷がえぐられるのを感じつつ、指示に従った。

「よく女に間違えられる生徒、左に3‼︎」

 それからは、精神的ダメージを負った生徒が増え始めた。

 しかし、ガストロは誰がどこにいるのか分からなくなってきたようだ。

 死角を縫って、確実に距離を詰められているため、特攻覚悟の接近戦に持ち込まれたら厄介だ。

 早く“千葉”とやらを特定しなくてはならない。

 そう判断し、ガストロは必死に頭を回す。銃を握っている手は汗でベトベトになってきた。

 何か敵はヒントになりそうな事を言っていなかっただろうか?

「さて、いよいよ狙撃です。千葉君。次の先生の指示の後、君のタイミングに合わせて撃ちなさい。速水さんは状況に合わせて彼の後をフォロー。敵の行動を封じる事が目的です」

 そう言われて、二人の心臓は早鐘のように鳴り始めた。

 そんな教え子を見て、殺せんせーはアドバイスをする。

 

 先生への狙撃を外した事で、自分達の腕に迷いを感じているだろう。

 弱音を吐かないため、『あいつなら大丈夫だろう』と勝手な信頼を押し付けられた事もあっただろう。

 苦悩していても誰にも気づいてもらえない事もあっただろう。

 そう言われて、彼らは思い出した。

 悪い成績を取って反省しているのに、『何涼しい顔してるんだ』と怒られた事。

 何を考えているのか分からないと実の母親に言われた事。

 

「でも大丈夫です。君達はプレッシャーを一人で抱える必要は無い」

 外した場合は人も銃もシャッフルして、誰が撃つのか分からない戦術に切り替える。

 ここにいる皆が訓練と失敗を経験しているから出来る戦術だ。

 そう説明して、殺せんせーは締めくくる。

「君達の横には同じ経験を持つ仲間がいる。安心して引き金を引きなさい」

 千葉は震えが止まった指でスライドを後ろに引く。

 その時、ガストロは銃を持っているという「千葉」の位置の目星をつけていた。

「出席番号12番」が準備待機から一人だけ動いていない。

 そのくせ、呼吸はかなり荒い。何かを企んでいるようだ。

 もちろん他の場所も警戒するが、あの近辺は特に警戒しておく事にする。

「では、いきますよ」

 殺せんせーがそう言うと、ガストロは銃を舐める。

 外す気がしなかった。

「出席番号12番、立って狙撃‼︎」

 その言葉と同時に、人影が出てきた。

 その場所は、ガストロが特に警戒していた場所だった。

 ガストロの銃口が火を噴く。

 彼の撃った弾は寸分狂わず人影のこめかみに当たった。

 しかし、ガストロは目を見開く。

 彼が今さっき撃ったものは、モップやカーテンの布で出来た人形だったのだ。

「分析の結果、狙うなら()()一点です」

 千葉の胸ポケットにしまってあるスマホから、律が(ささや)く。

「オーケー、律」

 そう呟くと、千葉は引き金を引く。

 予想外の場所から撃たれたため、ガストロは驚いたが、自分に弾が当たっていないことを確認すると笑い出した。

「へへへ。外したな。これで二人目も場所が……」

 そう言いながら千葉に銃を向けるが、彼が引き金を引くことは無かった。

 一つの金具が壊れて落ちてきた、吊り照明が彼に衝突したからだ。

 柱に叩きつけられ、ガストロは思わず顔を歪める。

 口の中が血の味がするのを感じつつ、銃を落とさないように右手に力を入れた。

 柱に叩きつけられた衝撃で、体が動きにくいが、根性で銃口を敵に向ける。

 しかし、ガストロが引き金を引く事は無かった。

 速水が撃ち、彼の銃を弾き飛ばしたからだ。

「ふーっ、やっと当たった」

 そう言って速水がため息を吐くと同時に、限界を超えていたガストロは意識を手放した。

 敵が動かないのを確認し、すぐに男子生徒を中心にガムテープで動きを封じにかかる。

 男子と一緒に力仕事をさせられている事に疑問を持ちつつ、菜々は千葉と速水を盗み見た。

 命がけの戦いをした後だと言うのに、彼らの表情は戦う前よりも中学生に近かった。

 

 

 黒い服を着て、サングラスを掛けたガタイの良い男が廊下前に立っていた。

 コナンが居たら、黒ずくめの仲間かと疑っていただろう。

 現世に来る時に黒い服を良く着る鬼灯も、いつか黒ずくめの仲間だと疑われるのではないかと思った菜々だったが、すぐに首を振る。

 フラグは立てないほうがいい。

 見張りの男は、背後から忍び寄った烏間に首を締められていた。

「だいぶ体が動くようになってきた」

 そう言いながら青筋が頭に浮かんでいる敵の首を容赦なく締め続ける烏間。

「まだ力半分ってところだがな」

 気絶させられた敵の後始末を菜々や寺坂がしている時、そう言って烏間は周りの様子を伺った。

 本来は時間がないので見張りはこのままにするつもりだったが、やけに手慣れている菜々によって、敵はガムテープで()巻きにされていた。

 烏間だけで乗り込んだほうが良かったんじゃないかという疑問が生徒達に浮かんできた時、律が話しかけた。

「皆さん、最上階部屋のパソコンカメラに侵入しました。上の様子が観察できます」

 菜々は、急いで自分のスマホを見る。

「最上階エリアは一室貸し切り。確認する限り残るのは、この男ただ一人です」

 そう言って律が見せた画像では、黒幕の後ろ姿しか確認出来なかった。

 黒幕が見ているテレビに映っているのはウィルスに感染した生徒達だった。

 やっぱりアイツ、孤地獄に落とそう、と菜々が決めていると、殺せんせーが話し始めた。

「あのボスについて、分かってきた事があります。黒幕の彼は殺し屋ではない」

 菜々はじっと殺せんせーの話に耳を傾けた。

 黒幕が殺し屋でないと思う理由について、殺せんせーは殺し屋の使い方を間違えている事を挙げた。

 あの殺し屋達は先生を殺すために雇ったが、完全防御形態になって身動きが取れなくなったので、警戒する必要がなくなり、見張りと防衛に回したのだろう。

 しかし、それでは彼らの能力がフルに発揮できなかった。

 そんな殺せんせーの話を聞き、烏間は一つの仮説にたどり着いた。

 菜々によって油性ペンで落書きされた見張りの顔を見て、その考えが当たっているであろう事を再確認する。

 時間がないので、烏間はすぐに指示を出し始めた。

 

 

 足音を立てないように階段を登り、扉の前に着く。

 烏間はハンドサインで動かないように指示を出し、九階の見張りが持っていたカードキーを使って扉を開ける。

 部屋の中はだだっ広いが遮蔽物が多い事を確認し、指示を出す。

 生徒達がナンバで移動し始めたのを見て、殺せんせーは納得した。

 道理で最近、音が出る暗殺が減っていたはずだ。

 ナンバとは、忍者も使っていたと言われる歩法だ。

 手と足を同時に出す事によって、胴を捻ったり軸がぶれる無駄がなくなり、衣ずれや靴の音を抑えられる。

 磯貝が中心になって指示を出し、少しずつ敵に近づいていった。

 菜々はポケットから、どう見てもただのボールペンに見える物を取り出した。

 しかし、これボールペンではない。阿笠の発明品の小型スタンガンだ。

 クリップを回し、ロックを解除する。

 これでノックカバー(押すと芯が出てくるところ)を押せば、本来芯が出てくる場所から電気が出る。

 小さい割りに電力は強く、一回で大の男一人を気絶させる事が出来る。

 充電式で、一度使うとしばらく使えない事を除けば、かなり使い勝手が良い。

 博士(はかせ)って結構犯罪まがいのもの作るよな、と菜々は思っている。

 他にもシャー芯型の盗聴器とかもある。GPSも付いていて、スマホで位置を確認する事も出来る優れものだ。

 いつもは二つとも菜々の筆箱に入っているため、彼女の筆箱は結構危ない。

 

 近づいていくと、人影が見えてきた。

 人影の近くにあるスーツケースの中身は、おそらく治療薬だろう。

 スーツケースにはプラスチック爆弾が仕掛けられており、黒幕の手元にあるのがリモコンだ。

 菜々は何度か同じものを見た事があるのですぐに分かった。

 米花町では毎年、春に大きな建物が爆破される上に、菜々は毎度巻き込まれている。

 爆発は春の季語だと言うのは阿笠談だ。

 

 打ち合わせ通り、まずは可能な限り接近する。

 取り押さえるのが一番良いが、遠い距離で敵に気がつかれたら、自分の責任で相手の腕を撃つ。

 今の自分でも腕くらいは狙って当てられる。

 リモコンを取るのを遅らせる事は出来るはずだ。

 それと同時に、皆で一斉に襲いかかって拘束する。

 そう、ハンドサインで伝えると、烏間はいつでも撃てるように銃を構えた。

 物音を立てないように細心の注意を払いながら、少しずつ近づいていく。

「かゆい」

 全員で襲いかかろうとしていた時、黒幕が声を発した。

 思わず全員固まる。

「思い出すとかゆくなる」

 そう言いながら、敵は自分の顔をかきむしる。

「でもそのせいかな。いつも傷口が空気に触れるから、感覚が鋭敏(えいびん)になってるんだ」

 そう言うと、黒幕はリモコンをばら撒いた。

 あまりにも多くのリモコンに全員が目を見開く。

「言ったろう? もともとマッハ20の怪物を殺す準備で来てるんだ。リモコンだって超スピードで奪われないように予備も作る。うっかり俺が倒れこんでも押す位のな」

 その声は、菜々が覚えているよりもずっと邪気を(はら)んでいた。

「連絡が取れなくなったのは、三人の殺し屋の他に()()にもいる」

 口を開いた烏間は銃を握る力を強くする。

「防衛省の機密費――暗殺に使うはずの金をごっそり抜いて、俺の同僚が姿を消した。どう言うつもりだ、鷹岡ァ‼︎」

 烏間が叫ぶのと同時に、男が椅子を回してこちらを向く。

 顔には無数の引っかき傷があり、組んだ手には起爆リモコンが握られている。

「悪い子達だ。恩師に来るのに裏口から来る。父ちゃんはそんな子に教えたつもりはないぞ」

 驚きの余り、口をあんぐり開ける者、相手を睨みつける者。生徒の反応はふた通りに別れた。

 鷹岡は構わず話し続ける。

「仕方ない。夏休みの補習をしてやろう」

 そう言ってリモコンを握りながら笑う鷹岡の顔は、狂気に歪んでいた。



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第11話

 治療薬をチラつかせ、鷹岡は屋上に来るように要求した。

「気でも違ったのか、鷹岡。防衛省から盗んだ金で殺し屋を雇い、生徒達をウィルスで脅すこの凶行‼︎」

 烏間がそう叫ぶが、鷹岡は少年のように笑う。その顔からは狂気がにじみ出ていた。

「おいおい、俺は至極まともだぜ! これは地球が救える方法なんだ。大人しく三人にその賞金首を持ってこさせりゃ、俺の暗殺計画はスムーズに仕上がったのにな」

 鷹岡は本来の計画を嬉々として語り始める。

 対先生弾がたっぷり入った部屋のバスタブに、殺せんせーと一緒に茅野を入る。

 そして、その上からセメントで生き埋めにする。殺せんせーが対先生弾に触れずに元の姿に戻るには、生徒ごと爆破しなければならない。

 しかし、殺せんせーにはそんな事が出来ず、大人しく溶ける。

 その計画を聞き、全員が彼に憎悪の眼差しを向けた。

「許されると思いますか? そんな真似が」

 顔に青筋を立てて殺せんせーが尋ねる。

「これでも人道的な方さ。お前らが俺にした、非人道的な仕打ちに比べりゃな」

 そう言って、鷹岡は語り始める。

 中学生に勝負で負けて任務に失敗した話が広まり、ゴミを見るかのような目で見られた事。

 渚に突きつけられたナイフが頭の中をチラついて、夜も眠れなくなった事。

「落とした評価は結果で返す。受けた屈辱はそれ以上の屈辱で返す。特に潮田渚と加藤菜々。お前らは絶対に許さん」

 完璧な逆恨みだ。

 カルマや寺坂が挑発し、他の生徒も鷹岡を睨みつけるが、鷹岡は考えを改めない。

「ジャリどもの意見なんて聞いてねえ‼︎ 俺の指先でジャリが半分減るって事を忘れんな‼︎」

 そう叫んだ鷹岡は、親指を起爆リモコンのスイッチの上に移動させる。

 渚と菜々だけでヘリポートに登って来るように要求し、自分は先に登っていった。

 クラスメイトに止められるが、渚と菜々は行く事を決意する。

「あれだけ興奮してたら何するか分からない。話を合わせて冷静にさせて、治療薬を壊さないよう、渡してもらうよ」

 渚はそう言い、階段を登っていった。菜々も後に続く。

 それは無理だろうと思いながら。

 

 二人がヘリポートに登ると、鷹岡は屋上とヘリポートを繋いでいた階段を落とした。

「これでもう、だーれも登ってこれねえ。お前はこれをつけて後ろに下がってろ」

 そう言って鷹岡が投げたものを菜々はキャッチした。

 彼女の手の中で銀色に輝くものは、よく彼女が目にしているものだった。

 手錠を週に一度見ているほど事件に巻き込まれている自分は呪われているのではないかと思いつつ、菜々は後ろに下がって自分の手に手錠をつける。

 相手の様子を見て、渚が理性を失わない限り、彼に任せて自分はじっとしておいた方がいいと判断したのだ。

 指示に従った菜々を一瞥(いちべつ)し、鷹岡は渚に向き直る。

「足元のナイフで俺がやりたい事は分かるな? この前のリターンマッチだ」

「待ってください、鷹岡先生。戦いに来たわけじゃないんです」

 渚の言葉を聞いて、鷹岡は邪悪な笑みを浮かべる。

 もうだまし討ちは通じないので、渚が負けるのは目に見えている。

 そう言った後、鷹岡は要求をした。

「だがな、一瞬で終わっちゃ俺としても気が晴れない。だから戦う前にやる事やってもらわなくちゃな」

 そう言うと、彼は地面を指差す。

「謝罪しろ。土下座だ。実力がないから卑怯な手で奇襲した。それについて誠心誠意な」

 起爆リモコンをチラつかされ、渚は地面に膝をつく。

「お前もだ」

 鷹岡に言われ、菜々も指示に従う。手錠をつけているせいで動きづらい。

「僕は……」

 地面に座って渚が謝罪の言葉を述べようとすると、鷹岡が怒鳴り散らす。

「それが土下座かァ⁉︎ バカガキが‼︎ 頭擦り付けて謝るんだよォ‼︎」

 心の中で悪態をつきながら菜々は渚と一緒に頭を下げた。

 小学一年生の頃から頭を下げ続けていた菜々の土下座は神がかっていた。

 ちなみに、自分の土下座力は53万だと菜々は自負している。

 一瞬菜々の土下座に見ほれていた鷹岡だったが、すぐに気を取り戻し、話し始める。

 特技の一つが土下座ってどうなんだろ……、と菜々が微妙な気持ちになっていると、渚が鷹岡に頭を踏まれていた。

「ガキの分際で大人に向かって、生徒が教師に向かってだぞ‼︎」

 どうやら、出て行って欲しいと頼んだ事を根に持っているらしい。

「だいたいお前も俺のプライドを踏みにじりやがった‼︎ コイツを片付けたらたっぷりお礼をしてやる」

 その後、菜々にも怒鳴り散らす鷹岡。

「ガキの分際で、先生に失礼な事をしてしまい、申し訳ありませんでした。あの時の私はどうかしていました。今ならあの行動の愚かさが分かります」

 頭を地面に擦り付け、つらつらと謝罪の言葉を菜々は並べた。

 下手な真似はしない方がいい。

 菜々の目的は渚に鷹岡を倒してもらい、自分達が無傷で戻る事だ。

 逆上した鷹岡に、猫だましを使う条件が揃う前に渚を倒されてしまっては困る。

「ガキのくせに、生徒のくせに、先生に生意気な口を叩いてしまい、すみませんでした。本当にごめんなさい」

 渚が続けて謝罪したのを聞いて、鷹岡はニンマリと笑った。

「よーし、やっと本心を言ってくれたな。父ちゃんは嬉しいぞ。褒美にいい事を教えてやろう」

 そう言って、鷹岡は踵を返す。

「あのウィルスで死んだ奴がどうなるのかスモッグの奴に画像を見せてもらったんだが……」

 そう言いながら治療薬が入っているスーツケースを持ち上げる男を見て、菜々はこれから何が起こるのかを理解した。

「笑えるぜ。全身デキモノだらけ。顔面がブドウみたいに腫れ上がってな。見たいだろ?」

 その言葉で、渚は何が起こるのか理解したようだ。

 血の気が失せた事を自分で感じつつ、渚は立ち上がる。

 目の前の男の動きを止めなくてはならない。

 この世のものとは思えない笑みを顔に貼り付けて鷹岡はスーツケースを放り投げる。

「やッ、やめろーッ‼︎」

 烏間の叫び声が鼓膜を揺らすのを感じながら、渚は自分を急かす。

 早く彼を止めなくてはならない。

 ――じゃないと皆は、寺坂君は……。

 誰かが時間の流れを変えたのではないかと思った。スローモーションで、映画の一コマ一コマを見ているように、スーツケースが重力に引っ張られているのが見える。

 やがて、小さな音が聞こえた。何かを押す音が、確かに目の前の人の形をした化け物の所から。

 その刹那、大きな爆発音が響き渡る。

 大笑いしている鷹岡以外の、全ての人の顔が引きつった。

 信じられなかった。一時間前まで元気だった皆がもう助からないかもしれない。

 渚は体の震えを抑えようとしながら、呆然と目の前の化け物を見る。

 彼はなんでこんな事が出来るのだろう。

「そう‼︎ その顔が見たかった‼︎」

 高笑いしている鷹岡の顔は人間のものではなかった。

 ゆっくりと、渚は振り返り、寺坂を見る。彼はもう助からないかもしれない。

「夏休みの観察日記にしたらどうだ? お友達の顔面がブドウみたいに化けてく様をよ」

 そう言って笑い続ける目の前の相手に抱いた感情に渚は身を任せた。

 地面に手をつく。これからやろうとしている事のせいか、心臓が大きく脈打った。

 ――一週間もあれば全身の細胞がグズグズになって死に至る。

 ――笑えるぜ。全身デキモノだらけ。顔面がブドウみたいに腫れ上がってな。

 彼が言った言葉が脳裏を駆け巡る。

「安心しな。お前にはウィルスを盛っていない。なにせお前は今から……」

 何かを言いかけた鷹岡だったが、渚を見てニンマリと笑った。

「殺……してやる……」

 渚は地面に落ちていたナイフを握っていた。

 この前自分を奈落の底に落とした張本人の目に宿ったものを確認して、鷹岡は舌なめずりをする。

「ククク、そうだ。そうこなくちゃ」

 

 

 気持ちは分かると菜々は思った。

 自分は皆の命に関わらないと知っているからこそ理性を保てているが、その事を知らなかったら渚と同じように怒りに身を任せていただろう。

「殺してやる……。よくも皆を」

 殺気を放っている渚を、鷹岡はさらに挑発する。

「その意気だ‼︎ 殺しに来なさい、渚君‼︎」

 下で見守っている皆がざわめいている。

 誰だって殺したいが、それは犯罪だ。

 第一、 彼を殺したところでなんのメリットもない。

 渚が鷹岡に飛びかかろうとした時、鈍い音が聞こえた。

 渚は後頭部に当たったものを確認する。

 それは寺坂のスタンガンだった。

「チョーシこいてるんじゃねーぞ、渚ァ‼︎」

 スタンガンの持ち主が叫ぶ。

「薬が爆破された時よ、テメー俺を哀れむような目で見ただろ。いっちょ前に人の心配してんじゃねーぞ、このもやし野郎‼︎ ウィルスなんざ寝てりゃ余裕で治せんだよ‼︎」

 寺坂の言葉を聞いて、全員が彼の様子に気がついたようだ。

 寺坂を心配する気持ちが現れると同時に、皆彼が言いたい事を理解できた。

 鷹岡を殺して損をするのは渚自身だ。

 寺坂の言葉に、殺せんせーも賛成する。

 鷹岡を殺してもなんの価値もないし、逆上しても不利になるだけ。

 そもそも彼に毒薬の知識なんかないのだから、スモッグに聞いた方がいい。こんな男は気絶で充分。

「その男の命と先生の命。その男の言葉と寺坂君の言葉。それぞれどちらに価値があるのか考えるんです」

 そう言われて、渚はどう動くのかを決めた。

 菜々は渚の瞳を見て、彼に全て任せれば大丈夫だと判断した。

 菜々には暗殺の才能が無いので、彼女が鷹岡を倒すという選択肢は無い。

 猫だましは使えるようになったものの、相手を油断させるように動く事が出来ないため、彼女が暗殺で鷹岡を倒す事が出来る確率はかなり低い。

 つまり、鷹岡を倒すには戦闘で勝つしかないという事になる。

 しかし戦闘で勝ったら、烏間あたりに怪しまれる。

 いくら事件に巻き込まれすぎて、何度も死地をくぐり抜けて来たからと言っても、戦闘で中学生が精鋭軍人に勝つなんて怪しすぎるからだ。

 それに、原作知識なんてほとんどないため予想だが、この経験を渚がしておかないと後々大変な事になるだろう。

 ドラゴンボールで言うと、フリーザと戦わなかったせいで悟空が超サイヤ人になれないまま人造人間達と戦うようなものだと菜々は勝手に思っている。

 だったら渚に任せておこうと、菜々は彼が危機に陥らない限り傍観する事に決めた。

「寺坂‼︎」

 考えをまとめていると吉田の叫び声が聞こえた。菜々が振り返ると、寺坂が倒れ込んでいた。

 肩で息をし、意識が朦朧(もうろう)としている状態で寺坂が呟く。

「……やれ、渚。死なねぇ範囲でブッ殺せッ」

 その言葉を聞いた少年の心臓が大きな音をたてる。

 渚は寺坂を見た後、スタンガンを拾った。

 しかし、スタンガンはベルトに挟む。

 邪魔になるので上着を脱ぎ捨てると、鷹岡が話しかけて来た。

「ナイフ使う気満々だな。安心したぜ。スタンガンはお友達に義理立てして拾ってやったというとこか」

 菜々は見当違いな事を言っている鷹岡の方に、目線を戻した。

 彼は治療薬の予備をチラつかせた。三本だけだし、作るのに一ヶ月はかかるそうだが最後の希望だ。

 渚が本気で殺しに来なかったり、他の生徒が下手に動いたら残りの薬を破壊する。

 そう言われて銃を構えていた千葉や、ロープを握って柵に足をかけていた岡野の動きが止まった。

 誰が見ても渚が不利だ。

 殺し屋は戦闘をしない。

 そのため、戦闘になる前に致命傷を与える訓練をE組で行って来た。

 まともに戦闘が出来るのはカルマや菜々などの一部の生徒だけだ。

 渚が暗殺に持ち込もうとしても、鷹岡にやられる。

 皆の予想通り、渚が一方的にやられていた。

 鳩尾に強力な蹴りを入れられ、渚が(うめ)く。

 うずくまり、腹部を手で押さえていると、鷹岡に話しかけられる。

「おらどうした? 殺すんじゃなかったのか?」

 そう言って近づいてくる鷹岡に向かって、全力でナイフを振っても(さば)かれ、顔面を殴られる。

 前回とは違い、鷹岡は最初から戦闘モードだ。どんな奇襲も通じない。

 体格、技術、経験。どれを取っても渚が劣っている。

 そのため、渚の攻撃は通じず、彼は何度も殴られる。その度に鈍い音が聞こえ、菜々は何度も手を出しかかった。

 鷹岡がナイフを取れば渚が勝利すると頭では分かっているが、不安はぬぐいきれない。

 もしも渚が動けなくなってから鷹岡が武器を取ったら?

 そんな考えで頭の中が埋め尽くされる。

 一応あの世の住民なので現世の出来事に必要以上関わってはいけない事など、彼女の頭の中から吹き飛んでいた。

「へばるなよ。今までのは序の口だ。さぁて、そろそろ俺もこれを使うか」

 そう言って、鷹岡はナイフを拾い上げた。

 これで条件は揃った。菜々は渚が勝つ事を確信し、いつのまにか手を握りしめていた事に気がついた。

 握っていた手を開いてみると、爪の跡がくっきり残っていた。

「手足切り落として標本にしてやる。ずっと手元に置いて愛でてやるよ」

 米花町には似たような事を言っている輩は何人かいるので菜々は慣れていたが、他の者は鷹岡の言葉に嫌悪感をむき出しにする。

 一方、相手を見据えながら渚はロヴロの教えを脳内で反芻していた。

 ――一つ、武器を二本持っている事‼︎

 ――二つ、敵が手練れである事‼︎

 ――そして三つ、敵が殺される恐怖を知っている事‼︎

 良かった、全部揃ってる。

 渚はそう思って微笑む。

 菜々は彼の後ろに死神を見たような気がした。死神と言ってもお迎え課の鬼ではなく、現世でメジャーなローブを着た骸骨の方の死神だ。

 鷹岡先生、実験台になってください。

 そう心の中で話しかけ、渚は歩き出した。

 微笑みながら歩いてくる渚を見て、鷹岡は身構える。

 前回の失敗を踏まえて、相手の一挙一動をよく見る。

 渚はナイフの間合いのわずか外まで鷹岡に近づき、ナイフを置くように捨てる。

 鷹岡は重力に引っ張られていくナイフを、思わず目で追ってしまう。

 時間を空けず、渚は両手を目の前に突き出し、手のひらを叩いた。

 パァンと言う音が夜空に響き渡るのと同時に、鷹岡の頭が真っ白になる。

 その隙に、渚はスタンガンを敵に当て、電気を流した。

 糸が切れた操り人形のように、鷹岡は座り込んだ。

「とどめ刺せ、渚。首あたりにたっぷり流しゃ気絶する」

 寺坂の言葉を聞いて渚は鷹岡の顎にスタンガンをつける。

 荒い息を整えながら、これからするべき事を考える。

 彼から様々な事を教わった。

 抱いちゃいけない殺意、その殺意から引き戻してくれる友達の大切さ。

 殴られる痛みを、実践の恐怖を目の前の男からたくさん教わった。

 彼がやって来たこととは別に、感謝はちゃんと伝えなくてはならないと思った。

 感謝をするなら、()()()()()をするべきだと思った。

「鷹岡先生、ありがとうございました」

 渚が微笑んでそう言うと、鷹岡は顔を引きつらせた。

 抵抗する気力も力もなく、すぐに電流を流され、彼は意識を刈り取られる。

 あれを素でやっているから怖い、と菜々は思った。

「「よっしゃああ、元凶(ボス)撃破‼︎」」

 そんな歓声が下から聞こえてくる。

 

 

 梯子(はしご)をかけてもらい、渚と菜々は屋上に降りた。

 素手でも破壊できるが、ドン引きされるのは目に見えているので、菜々は鷹岡が持っていた鍵で手錠を外した。

「よくやってくれました、渚君」

 殺せんせーは渚を褒めた。

 しかし、鷹岡を倒す際に残りの薬が入っていた瓶が割れてしまっていた。

「とにかくここを脱出する。ヘリを呼んだから君らはここで待機だ。俺が毒使いの男を連れてくる」

 携帯を取り出して烏間が言うと、後ろから声が聞こえてきた。

「フン、てめーらに薬なんぞ必要ねえ。ガキども、このまま生きて帰れると思ったかい?」

 声の主であるガストロは銃を舐めている。

 他に、スモッグとグリップもいる事を確認し、全員が構えた。

 銃やスタンガン、ナイフを構えるのは分かるが、カルマがチューブ型の練りわさびとからしを握っている理由が菜々には分からなかった。いや、なんとなく予想はつくが分かりたくない。

 すぐに殺し屋達の方に目線を戻し、菜々はついさっき自分の腕についていた手錠をポケットにしまい、ボールペン型のスタンガンを握りしめる。

 敵ではないと頭では分かっているが、癖で構えてしまったのだ。

「お前らの雇い主は既に倒した。戦う理由はもう無いはずだ。俺は充分回復したし、生徒達も充分強い。これ以上互いに被害が出る事はやめにしないか?」

「ん、いーよ」

 烏間の提案に、ガストロがあっさりと賛同した事に全員が面食らった。

 ボスの敵討ちは契約に含まれていないと説明される。

「それに言ったろ? そもそもお前らに薬なんざ必要ねーって」

 全員が頭の上にはてなマークを浮かべているのを見て、スモッグが詳しく説明する。

 E組の生徒に盛ったのは鷹岡に指示された毒薬でなく、食中毒菌を改良したものらしい。

 後三時間は猛威を振るうが、その後急速に活性を失って無毒となる。

 それに、鷹岡が設定した交渉時間は一時間。殺すウィルスでなくても取引できると事前に三人で話し合ったようだ。

「でもそれって、鷹岡(アイツ)の命令に逆らってたって事だよね? 金もらってるのにそんな事していいの?」

 岡野が質問するが、ガストロに一蹴される。

「アホか。プロが何でも金で動くと思ったら大間違いだ」

 もちろん依頼者の意に沿うように最善は尽くす。

 しかし、鷹岡には薬を渡す気はさらさら無かった。

 中学生を大量に殺した実行犯になるか、命令違反がバレる事でプロとしての評価を落とすか、どちらの方がリスクが高いか三人で話し合ったらしい。

「ま、そんなわけでお前らは残念ながら誰も死なない。その栄養剤、患者に飲ませて寝かしてやりな。『倒れる前よりも元気になった』って手紙が届くほどだ」

 そう言って、スモッグは錠剤を放り投げる。

 生徒達の回復を確認しない事には信用できないため、しばらく拘束すると烏間は殺し屋達に告げる。

 彼が呼んだヘリが大きな音をたてて近づいて来ていた。

 

 ヘリから降りて来た防衛省の人間によって、鷹岡やその部下達が連れていかれる。

「なーんだ、リベンジマッチやらないんだ。おじさんぬ、俺の事殺したいほど恨んでないの?」

 そう尋ねて、握っていた練りわさびとからしを相手に見せるカルマ。

 グリップは誰かがカルマを殺す依頼を出さない事には殺さないと返す。

 やがて、彼らなりのエールを残して殺し屋達は去って行った。

 少し経ってから到着した別のヘリで菜々達は帰ることとなった。

 ホテルに着いてすぐ、もう大丈夫な事を皆に伝えてから、全員が泥のように眠った。

 

 

 *

 

 

 目を覚ましたのは次の日の夕方だった。

 菜々は目をこすりながら皆がいる、海が見下ろせる小さな丘に行く。他に客がいないので皆ジャージだ。

 海には昨日まで無かった、大きなコンクリートの塊が設置されていた。

 聞いた話によると、完全防御形態のままの殺せんせーを対先生用BB弾が敷き詰められた中に入れ、鉄板の上からコンクリートで固めたものらしい。

 しかも、烏間が不眠不休で指揮をとっているようだ。

「いいなと思った人は追いかけて、ダメだと思った奴は追い越して。多分それの繰り返しなんだろーな、大人になってくって」

 そんな話をしていたら、大きな音が響き渡った。

 見てみると、殺せんせーが中にいるはずのコンクリートに大きな穴が空いていた。

「爆発したぞ‼︎」

()れたか?」

 そんな声が飛び交う。

 しかし、全員結果はうすうす分かっていた。

 後ろを振り返った烏間がため息をつく。

「先生のふがいなさから苦労させてしまいました。ですが皆さん。敵と戦い、ウィルスと戦い、本当によく頑張りました!」

 声の主はうねる触手を生徒の頭に置く。

 振り返ってみると、いつも通りの描きやすそうな顔をした担任が居た。

「おはようございます、殺せんせー。やっぱり先生は触手がなくっちゃね」

 渚はそう言ったが、とっくに日が暮れて、辺りは暗くなっていた。

 明日は帰るだけだとぼやく生徒に、夜だから良いと殺せんせーは返す。

「真夏の夜にやる事は一つですねえ」

 死装束に早着替えした殺せんせーは、「暗殺 肝試し」と書かれた看板を持っていた。

 殺せんせーが提案したのは、お化け役をしている殺せんせーに暗殺を試みながら進んで行く肝試しだった。

 面白そうだと盛り上がっている生徒を、嬉しそうに見ている殺せんせーの後頭部には「カップル成立‼︎」と書かれていた。

 またなんか企んでるな、と菜々が思っていると、鬼灯が現れた。殺せんせーが連れて来たらしい。

 またもや胃薬が欲しくなって来たと菜々が思っていると、殺せんせーが説明を始める。

 300mの海底洞窟を男女ペアで抜けると言う簡単なルールがあるそうだ。

 

 女子よりも男子の方が多いのに鬼灯さんを連れてくる理由は一つしかないよな、と思いつつ、菜々は鬼灯と洞窟に入る。

 殺せんせーが期待しているような事は起こらないのは明白だ。この二人は、肝試しで吊り橋効果が期待できるようなペアじゃない。

 それ以前に、鬼灯は精神が仕事モードの時にどんなにきっかけをばら撒かれようと、無の境地にいるので効果はない。

 最も、南の島のホテルに宿泊する事が本当に仕事なのだろうかと菜々は疑っているが。

 少し歩くと、三線の音が聞こえてきた。

 菜々達の目の前に、高そうだがボロボロな琉球衣装を着た殺せんせーが現れる。

「ここは血塗られた悲劇の洞窟。琉球――かつての沖縄で、戦いに敗れた王族達が非業の死を遂げた場所です。決して二人離れぬよう。一人になればさまよえる霊に取り殺されます」

「霊見てみたいんでここから別行動しません?」

 殺せんせーが話し終わった後、鬼灯が提案する。

「いいですよ」

「ちょっ、何言ってるんですか⁉︎」

 この後、別行動しようとする鬼灯と菜々を、殺せんせーは必死に止めた。

「お願いします。一緒に進んでください」

 最終的に、殺せんせーは土下座までしていた。

「全然美しくない! やり直しです!」

 菜々はすかさずダメ出しする。彼女は土下座を極めているせいで、やけに土下座に厳しかった。

 そんなやりとりをしばらくしていたが、結局鬼灯が折れた。

 

「落ちのびた者の中には夫婦もいました。ですが追っ手が迫り……椅子の上で寄り添いながら自害しました」

 しばらく歩くと閉ざされた扉があり、すかさず殺せんせーが現れる。

「その椅子がこれです」

 もったいぶって殺せんせーが指したのは、ハート形があしらわれたカップルベンチだった。

「なるほど。そういう事ですか」

 薄々勘付いてはいたが、鬼灯は殺せんせーの企みに気がつく。

「琉球伝統のカップルベンチです。ここで二人で1分座ると呪いの扉が開きます」

 そう言われて菜々はベンチに座る。

 めんどくさそうなので、さっさと座って扉を開けた方が良い。

「会話を弾ませて‼︎」

 二人が座ると同時に、殺せんせーが要求してくる。

 正直ウザい。

「とりあえず、今までの殺せんせーの問題行動について語ります?」

「別にやましい事なんて何もないし? 世界中のエロ本集めたりなんてしてないし?」

 菜々の発言に対して、口笛を吹きながらそんな事を言っている殺せんせーは無視された。

「カルマ君の食べかけのジェラートを舐めると発言した事があるんですよ。このタコ」

「生徒に手を出すと堂々と発言したんですか……。しかも男子。いや、別に同性愛好者に偏見があるわけじゃないんですよ。ただ、今までの行動を思い返してみると……」

 二人の話を殺せんせーの分身は必死に否定する。

 しかし、焼け石に水。二人は耳を貸さなかった。

 一分後、殺せんせーは瀕死状態だった。

「なんで私がゲイでロリコンで生徒に手を出している事になってるんですか……」

「それより1分経ったんで扉開けてください」

 菜々は殺せんせーの問いには答えず、ナイフを振りながら言う。

 

 渋々だったが、殺せんせーに扉を開けてもらい、少し進むと障子(しょうじ)が設置してあった。

 ツノが生えた、やけに顔の丸いシルエットが映し出され、シュッシュッという、刃物を研ぐ音が聞こえる。

「血が見たい」

 今まで研いでいた包丁を握りしめ、そのシルエットが口を開く。

 声からそのシルエットは殺せんせーのものだと分かる。

「同胞を殺されたこの恨み……血を見ねばおさまらぬ。血、もしくはイチャイチャするカップルが見たい。どっちか見ればワシ満足」

 安い恨みだ。

「目論見が分かりやすすぎるんですけど。どうせならもっと上手くやれば良いものを」

「出来ないんですよ。きっと」

 鬼灯と菜々は殺せんせーを無視して先に進む。

 呼び止める声が聞こえるような気がするが知った事じゃない。

 

 コンニャクが仕掛けてある場所を通り過ぎ、少し歩くと沢山の骸骨が吊り下げてある場所に着いた。

「立てこもり、飢えた我々は一本の骨を奪い合って喰らうまでに落ちぶれた。お前たちにも同じ事をしてもらうぞ」

 そんな声が聞こえた後、紐で吊るされた細長い棒状のものが現れた。

「さあ、両端から喰っていけ」

 ポッキーだ。どう見てもポッキーだ。

 ご丁寧に見本の写真まである。

 まだ諦めてなかったのか、と思いながら菜々は殺せんせーに無言で銃口を向けた。

 一方鬼灯は「簡単に出来る世界の呪い、トップ100」と書かれた本を取り出した。

 身の危険を感じた殺せんせーは別のチームの元へ向かった。

 

 ターゲットが姿を消してしまったので二人は進む事にした。

 意中の人と二人きりで肝試しをしていたら大抵の女性はわざと怖がったりするものだが、菜々は全くそんなそぶりを見せない。

 そんな彼女を見て、ソラはため息をついた。

 空気を読んで気配を消しているというのに全く良い雰囲気にならないからだ。

 あの子の女子力がほぼゼロなのも原因の一つなんだよな、とソラが考えていると、音楽が聞こえてきた。

 シートと「琉球名物 ツイスターゲーム」と書かれた看板が見えてくる。

「ついに生き延びた人間はただ一人になった。最後に残された彼は……」

 話している途中で殺せんせーの顔が四角くなった。

「もしかして、原因これですかね?」

 鬼灯が針が何本か刺された人形を取り出す。

 さっき本を見ながら人形に針刺してたな。だいたい、なんで人形とか針とか持ってるんだろう。

 菜々がそんな事を思っていると、自分の顔を触って状況を理解した殺せんせーが悲鳴をあげた。

「丸い顔は先生のチャームポイントの一つなのに……」

 しばらく落ち込んでいた殺せんせーだったが、気を取り直してほかのペアの元に向かう。

 

 その後、殺せんせーがビビりまくったお陰で脅かし役がいなくなり、皆すぐに洞窟を抜けることが出来た。

 

 

「要するに、怖がらせて吊り橋効果でカップル成立を狙ってたと」

 前原が殺せんせーの言い分を一言でまとめた。

 洞窟から出てきてすぐ地面に寝転んだ殺せんせーは、どういう事だと生徒達に詰め寄られ、自分の目論見を全てを話したのだ。

 呆れ顔で皆が突っ込む。

「結果を急ぎすぎなんだよ」

「怖がらせる前にくっつける方に入ってるから狙いがバレバレ‼︎」

「だ、だって見たかったんだもん‼︎ 手ェつないで照れる二人とか見てニヤニヤしたいじゃないですか‼︎」

 逆ギレした殺せんせーに、菜々は何も言い返せなかった。自分も同じ事を考えているからだ。

 殺せんせーが中村に諭されていると、声が聞こえてきた。

「何よ、結局誰も居ないじゃない‼︎ 怖がって歩いて損したわ‼︎」

 振り返ってみると、イリーナが烏間の腕に抱きついているような状態で、二人が洞窟から出てきたところだった。

「だからくっつくだけ無駄だと言っただろう。徹夜明けにはいいお荷物だ」

「うるさいわね、男でしょ‼︎ 美女がいたら優しくエスコートしなさいよ‼︎」

 そう言うとイリーナは烏間の表情を伺ったが、彼が顔色一つ変えていないのを知って寂しそうに目を伏せた。

「なあ、うすうす思ってたんだけど、ビッチ先生って……」

「……うん」

 誰かが呟いた。

「帰るまで時間はあるし、くっつけようか」

 菜々の言葉によって、今後の方針が決定された。



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第12話

 ホテルに戻ってすぐ、烏間は作戦の報告のために部屋に籠った。

 その隙にロビーで話し合いが行われていた。

 鬼灯は居ても話をややこしくするだけなので菜々によって追い出された。山頂のホテルに帰ったのだろう。

「意外だよなー。あんだけ男を自由自在に操れんのに」

「自分の恋愛にはてんで奥手なのね」

「仕方ないじゃない‼︎ あいつの堅物っぷりったら世界クラスよ‼︎」

 文句を言っているイリーナを見て、菜々は目を細めた。

 皆が一箇所に集まり、本格的に話し合いを始める。

 作戦決行は夕食の時間に決まった。

 

「では、恋愛コンサルタント3年E組の会議を始めます」

 七三分けのカツラをかぶり、四角い眼鏡をかけてスーツを着込んだ殺せんせーが司会を始めた。

 烏間、イリーナくっつけ計画と書かれたホワイトボードまで用意されている。

「ノリノリね、タコ」

「同僚の恋を応援するのは当然です。女教師が男に溺れる愛欲の日々。甘酸っぱい純愛小説が書けそうです」

「明らかにエロ小説を構想している‼︎」

 そんな会話を聞きながら、菜々は「烏間先生×ビッチ先生」と表紙に書かれたノートをめくっていた。

「今まで私がそれとなく二人をくっつけようとした方法を話しとくよ。全部失敗したけど、実験結果を知っとくと計画に役立つかもしれないし」

「今実験結果って言ったぞ……」

 誰かが呟いたが菜々は無視した。

「ロミオとジュリエットについて話した後、二人っきりにしたけど何も起きなかった」

「どんな状況⁉︎」

 突っ込まれたので簡単に説明する。

「『ああロミオ。あなたはどうしてロミオなの?』っていうセリフあるじゃないですか。親がつけたからだと思うんですよ。って烏間先生に言った後、ビッチ先生と二人っきりで職員室に閉じ込めた」

「なんでそれでくっつけれると思った⁉︎」

「恋愛の話をして意識させた後、二人っきりにすればなんとかなるかなって」

 コイツ駄目だ。全員の心の声が一致した。

「まずさあ、ビッチ先生。服の系統が悪いんだよ」

 これ以上菜々の話を聞いても意味がないと判断したのか、話を戻された。

 もっと清楚な感じで攻めた方が良いと言われ、イリーナは神崎の服を借りることになった。

 数分後、イリーナが着替えて戻ってきた。

「ほら、服一つで清楚に……」

「なってないね」

 そもそもサイズが合っていなかった。

「烏間先生の好みを知っている人は?」

 これは無理だと判断した殺せんせーが尋ねる。

「あ! そういえばさっき、テレビのCMであの女の事べた褒めしてた‼︎」

 そう言って矢田が指差したテレビを全員が見る。

 理想の女性ではなく、理想の戦力だった。

 強い女性が好きという可能性もあるが、イリーナの筋肉では絶望的だ。

「じゃあ、手料理とかどうですか?」

 今度は奥田が提案する。

「ホテルのディナーも豪華だけど、そこをあえて烏間先生の好物で」

 しかし、皆烏間がハンバーガーとカップ麺を食べているところしか見たことがない。

「なんか烏間先生の方に原因があるように思えてきたぞ」

「でしょでしょ?」

「先生のおふざけも何度無情に流された事か……」

 打つ手を無くして烏間がディスられ始めた。

「と、とにかく。ディナーまでに出来る事は整えましょう。女子は堅物の日本人が好むようにスタイリングの手伝いを。男子は二人の席をムード良くセッティングです」

「「はーい」」

 殺せんせーに言われて皆が元気よく返事をする。

 

 午後9時。ディナー開始時刻。

「なんだこれは」

 烏間は辺りを見渡して呟いた。

 夕食を食べるためディナー会場に来てみれば、教え子たちが席を占領していたのだ。

「烏間先生の席はありませーん」

「E組名物先生いびりでーす」

「先生方は邪魔なんで、外の席でどうぞ勝手に食べてくださーい」

 そう言われたのでおとなしく外に出る。

「なんだいきなり? 最近の中学生の考える事はよく分からん」

 そんな疑問をこぼしながら外にあるテーブルの方に歩いて行くと、同僚が座っている事が分かった。

 いつもよりも露出が少ない格好をしている。

 彼女も追い出されたのだろうと思い、尋ねてみる。

「何で俺たちだけ追い出されたんだ?」

「さあ」

 そんなやりとりを二人がしている頃、他の者は野次馬と化していた。

 菜々に至ってはノートを取り出している。

 いつもの事だし突っ込むのも面倒なので、誰も何も言わなかった。

「フィールドは整った。行け、ビッチ先生‼︎」

 誰かがそう言った時、菜々は倉橋を盗み見ていた。

 彼女の気持ちはクラスメイトには周知の事実だ。

 今度彼女が好きなヨーグルトベリーパフェでも奢ってあげるかと考えながら、イリーナの方に視線を戻す。

 野次馬たちがいる場所だと声は聞こえないがイリーナは楽しそうだ。

 しかし、前もってテーブルのそばに仕掛けておいたシャー芯型盗聴器のおかげで、菜々は二人の会話をイヤホン越しに聞けていた。

『いろいろあったな、この旅行は。だが収穫もあった。思わぬ形だが、基礎が生徒の身についている事が証明出来た。この調子で二学期中に必ず殺す。イリーナ、お前の力も頼りにしてるぞ』

 その言葉にイリーナは反応した。

『どうした?』

 烏間に尋ねられ、彼女はポツポツと話し始めた。

『昔話をしてもいい? 私が初めて人を殺した時の話し。12の時よ』

 彼女が語った話に菜々は耳を傾けていた。

 知らないうちにメモを取る手が止まっている。

『ねえ、烏間』

 昔話を終えたイリーナはナイフで、髪を一つに結んでいたゴムを切った。

()()ってどういう事か本当に分かってる?』

 一瞬静寂が訪れる。

『湿っぽい話ししちゃったわね』

 そう言いながらイリーナは立ち上がり、烏間に近づいていく。

『それと、ナプキン適当につけすぎよ』

 彼につけられたナプキンを手に取り、唇を落とす。その場所を烏間の口に当て、踵を返した。

『好きよ、カラスマ。おやすみなさい』

 そう言い残して帰って来たイリーナは、一斉にブーイングを浴びせられる。

「何よ、今の中途半端な間接キスは‼︎」

「いつもみたいに舌入れろ、舌‼︎」

「あーもー。やかましいわ、ガキども‼︎ 大人には大人の事情ってもんがあるのよ‼︎」

 そう言い返すイリーナを殺せんせーがフォローする。

「いやいや。彼女はこれからいやらしい展開にするんですよ。ね?」

「ね、じゃねーよ。エロダコ‼︎」

 騒がしい声が聞こえてくる中、烏間は考えていた。

 イリーナの行動について深く考えるつもりは無い。それが自分の任務だからだ。

 二学期はなお一層ビシビシ鍛え、絶対に殺す。

 そんな中、菜々はこっそりその場を去ろうとしていた。

「どこに行くつもり?」

 ソラに声をかけられ、菜々は足を止める。

 言い訳を考えていると、ソラが口を開いた。

「どうせ、園川さんと鵜飼さんをくっつけようとか思ってるんでしょ。悪い事は言わないからやめといたほうがいいよ。菜々が関わったら絶対こじれる」

 その後、ソラの必死の説得によって菜々は作戦を決行しないことにした。

 

 

 *

 

 

 8月15日。つまり送り火の日の朝。

 菜々の部屋には二人の客が訪れていた。

「先生。毎回私のところに来るのやめてもらえません?」

 菜々は藍木に言った。

 部堂藍木。菜々がトリップして初めて巻き込まれた殺人事件の被害者だ。(第1話参照)

 勘違いのせいで息子に殺されるまでの一ヶ月間、菜々に合気道を教えていた人物でもある。

 同時に、玉宝粉砕(ぎょくほうふんさい)(男性の股間を蹴り上げる技)や砂弾魔球(さだんまきゅう)(砂を相手の目に投げつける技)などのやられる側にとっては、はた迷惑な技を菜々に教えた人物でもある。

「私のところ以外に、もっと行く場所無いんですか?」

 そう言ってしまってすぐ、菜々は口を塞いだ。

 彼の息子は今、監獄の中だ。

 失言だった。顔を青くした菜々を見て、藍木が声をかける。

「大丈夫じゃ。奏の罪も問われないことになったし」

 話を聞くと、彼がしつこく閻魔殿に通ったおかげで、死後の裁判において、藍木を殺した事で奏を裁かない事が決まったらしい。

 このまま何も起こさなければ転生が妥当な判断だそうだ。

 彼の性格を考えると大丈夫だろうと菜々は思っていた。

 菜々はため息をつく。

「どうした? 悩みがあるなら聞くぞ」

「先生がいるせいでため息をついたんですけど」

 そう言って、菜々はもう一人の客であるあぐりを見る。

 藍木がいるせいで殺せんせーや茅野について話せない。

「だいたい、先生のアドバイスって役に立たないし」

 菜々は昔の事を思い出していた。

 

 小学六年生の時に彼のアドバイスで痛い目を見たのだ。

 お盆だったため現世に戻ってきていた藍木が友達が少なかった菜々を見かねて提案をしてきた。

『子供と友達になるには()()()を連発すればいい』

 そんな事を聞いていないのに言ってきた。

 その後、聞いちゃいないのにどうでもいいウンチクを語り始めた。

 事件が起こったのは学芸会の時だった。

 ちょっとしたハプニングが起こり、準備が整うまで菜々が時間稼ぎをしなくてはいけなくなった。学芸会の実行委員の仕事を押し付けられていた事が原因だろう。

 とにかく、その時菜々は選択を誤った。

 時間稼ぎとして藍木に聞いたう◯このウンチクを語ってしまったのだ。

 ほとんどの生徒から白い目で見られた。

 その時から三池からの呼ばれ方が「菜々お姉ちゃん」から呼び捨てになったのだ。

 

 なんか思い出したらムカついてきた、と菜々が思っているとソラになだめられた。顔に出ていたのだろう。

「まあまあ。命の恩人なんでしょ?」

 藍木は毎年菜々の部屋に来ているため、ソラは去年のお盆に藍木に会っている。

 その時、ソラに話した内容を思い出して菜々は怒りを鎮めた。

 

 小学四年生の時、菜々はいつも通り事件に巻き込まれた。

 その流れで事件の真相を探り、重要な証拠を手に入れてしまったがために犯人である暴力団に拘束された。

 その時、彼女を助けたのが藍木だったのだ。

 自分の身が危ないと気がついていた菜々は、例のごとくお盆で現世に帰って来ていた藍木に頼み込んで、いざという時にはポルターガイスト現象を起こしてもらう約束を取り付けた。

 実際、藍木のおかげで助かり、少数派の暴力団を壊滅した実績を手に入れてしまった。

 

「それにしても、あぐり先生と先生が知り合いだったとは思いませんでした」

 菜々はずっと思っていた事を呟いた。

 天国で知り合い、仲良くなった流れで共通の知り合いがいる事が発覚し、一緒に菜々の部屋に押しかけて来たらしい。

 話を聞くと、あぐりに金魚草の存在を教えたのは藍木だった事が分かった。

「そういえば私、地獄に引っ越す事にしたのよ。また教師をやりたいし、あの人と一緒に暮らしたいし」

 どうやら良い就職先が見つかったようだ。

 あぐりと藍木が話に花を咲かせ始めたので、二人の話に適当に相槌を打ちながら菜々は考えにふけった。

 殺せんせーを殺すと決めたが、それでも躊躇してしまう。

 殺せんせーを殺すとクラスメイト達は死ぬまで彼に会えない。

 しかし、自分は頻繁に会える。そこまで考えると毎回、菜々は息がつまったかのような錯覚に陥る。

 どうすればいいのか分からなくなったので考えを放棄し、彼女は別の事を考え始めた。

 

 あれは桜子と遊びに行った時の事だ。

 三池は少し前に引っ越してしまったので来ていなかった。

 引っ越し先は米花町から結構近いので、来ようと思えば来れるはずだが、彼女は来なかった。

 桜子によると千葉和伸に会いたくないかららしい。

 その理由というのが、転校する際、彼からラブレターを貰い、返事をしたからだそうだ。

 その上、恥ずかしくてしばらく会えないからなのか、遠くに引っ越すと言ってしまったようだ。

 その返事というのが、小学六年生には分かんないだろ、そんなの、と菜々が呟いてしまうような内容だった。

 それと同時に、菜々は年下のくせに自分よりも進んでいる事に驚いたり、精神年齢ならとっくに成人してるのに……と落ち込んだりした。

 まあ、それは置いといて、あの二人このまま行くと大人になるまで何も進展しないんじゃないかと菜々は心配していた。

 

 

 *

 

 

 送り火の日の亡者捕獲も無事に終わり、夏休み最終日となった。

 殺せんせーから夏祭りに誘われたので、午後七時に菜々は会場に着いた。

 暗殺技術を使って荒稼ぎしていると、殺せんせーが出店を出したりしていた。どうやら金欠らしい。

 そんなこんなで新学期になり、竹林が本校舎に戻ったが、すぐにE組に戻って来たりした。彼なりに色々考えたのだろう。

 すぐにいつも通りの日常が戻ってきた。

 そんな時、グラウンドで烏間から集団で暗殺に成功した場合は賞金が三百億になると告げられた。

 その後、これからの暗殺に火薬を取り入れる事も伝えられる。

「そのためには、火薬の安全な取り扱いを一名に完璧に憶えてもらう」

 そう言って烏間が生徒達に見せたのは分厚い参考書。

 菜々は顔を引きつらせた。簡単な爆弾の解体くらいなら出来るんだけどな、と考えているあたり、彼女も相当米花町に染まってきている。

「勉強の役に立たない知識ですが、まあこれも何かの役に立つかもね」

 そう言って烏間から参考書を受け取る者がいた。

「暗記できるか? 竹林君」

「ええ。二期オープニングに変えればすぐですよ」

 ――僕にとっては地球の終わりより、百億より、家族に認められる方が大事なんだ。

 この前、彼が言っていた言葉が菜々の脳裏をよぎる。

 親にもいろいろあるんだな、と菜々は竹林の背中を見ながら思っていた。

 彼女の四人の親は全員、子供の意見を尊重してくれた。

 もし、戻れるとしたら私はどうするんだろう?

 親について考えていたせいか、そんな疑問が浮かんだが、菜々は頭を振ってごまかした。

 元の世界についての考えを頭の中から追い出す。

 今、向こうで自分がどうなっているかも分からないのだ。

 もし、元の世界に戻れるとしたらなんて、考えるだけ無駄だろう。

 根拠はないものの、二〇一七年九月二日――トリップした日と同じ日に何か起こるのではないかと思っていたが、何も起こらなかった。

 あの世界にはもう戻れないんだ。

 そう結論づける事で菜々は自分の気持ちに蓋をした。

 

 

 *

 

 

 プリン爆殺計画。

 それが茅野が提案した暗殺だった。

 巨大プリンを作り、プリンの底に対先生弾と爆薬を密閉しておく。殺せんせーが底の方まで食べ進んだら、竹林によって爆破。

 と言う事で、殺せんせーがいない3連休で巨大プリン作りがスタートした。

 予算は国から出されるらしい。

 これはカモフラージュだろうな、と菜々は考えながら手を動かしていた。

 それにしてもこの計画、よく考えられている。

 大量の卵はマヨネーズ工場の休止ラインを借りて混ぜてもらう。

 巨大プリンが自分の重さで潰れないように、凝固剤にはゼラチンの他に寒天も混ぜる。寒天の繊維が強度を増すからだ。

 しかも寒天はゼラチンよりも融点が高い。つまり熱でも溶けにくいため、今の暑い季節でも溶けにくい。

 茅野がオブラートで包んだ味変わりを渡したり、カップの中に冷却水を流す説明をしている時、菜々は浮かれていた。

 ついにこの時が来た、と喜んでいる菜々を見て、ソラはどうせなんか企んでいるんだろうなと思ったが何も言わなかった。

 

 三日後。ついに巨大プリンが完成した。

「……こ、これ全部先生が食べていいんですか?」

 連休明け、グラウンドに出来た巨大プリンを見て、恐る恐る殺せんせーが尋ねた。

 廃棄卵を救いたかっただけだと伝え、教室で起爆を見守るために全員が移動する。

 殺せんせーは無我夢中で巨大プリンを食べていたが、結局、仕掛けていた爆弾が見つかってしまい、茅野の暗殺は失敗に終わった。

 その後、殺せんせーが特にきれいな部分を取り分けておいたため、皆で食べることになった。

 菜々の予想通り、皆で食べた後にも余ったプリンはいくつかあった。

 このプリンをお土産だと言って地獄に持って行ってやろうと菜々は考えていた。

 鬼灯がプリンが苦手だと言うことは調べ済みだ。

 今こそ、精神的運動会の恨みを晴らす時だ、と菜々が息巻いているのを見て、沙華と天蓋は呆れ返っていた。

 

 

 地味な嫌がらせがバレ、情報提供をした烏頭と一緒に菜々が叱られた後(物理)、暗殺の訓練にフリーランニングが取り入れられる事が発表された。

 それからしばらくして、裏山全てを使ったケイドロが行われたりした。

 ケイドロが終わり、菜々は考え込んでいた。

 ケイドロ中に拾い読みした新聞に、椚ヶ丘市で下着ドロが多発している事が書かれていた。

 犯人の特徴を見る限り、犯人は殺せんせーだとしか考えられない。しかし、証拠を残しすぎだ。

 これが柳沢達の計画か、と菜々はお盆後に行われた会議の内容を思い出していた。

 

 

 *

 

 

 数日後、殺せんせーは生徒達から汚物を見るような目で見られていた。

「多発する巨乳専門の下着ドロ。犯人は黄色い頭の大男。ヌルフフフ……と笑い、現場に謎の粘液を残す。これ完全に殺せんせーだよね」

「正直がっかりだよ」

 殺せんせーが慌てて否定するとアリバイを尋ねられた。

 しかしアリバイというのが、高度1万から3万mの間を上ったり下がったりしながらシャカシャカポテトを振っていたという証明しようが無いもの。

 第一、 殺せんせーのスピードなら一瞬で椚ヶ丘市に戻ってこれる。

「待てよ皆‼︎ 決めつけてかかるなんてひどいだろ‼︎」

 そう言って殺せんせーを庇ったのは磯貝だった。

「確かに殺せんせーには小さな煩悩ならたくさんあるよ。でも、殺せんせーがやった事なんてせいぜい――」

 そう言って、彼は殺せんせーがやった事を挙げ始める。

 エロ本の拾い読み。

 水着生写真で買収される。

「手ブラじゃ生温い。私に触手ブラをさせてください」と要請ハガキを出す。

「……先生、正直に言ってください」

 結局、クラス一のイケメンにまで殺せんせーは見放された。

 殺せんせーじゃないだろうと菜々は思っていたが何も言わなかった。しばらく傍観していた方が面白い。

 一方、殺せんせーは身の潔白を証明するために、エロ本を全て捨てると宣言した。

 準備室の殺せんせーの机に皆が行くと、殺せんせーが机の引き出しを漁っていた。

「見なさい‼︎ 机の中全部出し……」

 手に覚えのないものが当たり、殺せんせーは恐る恐る取り出す。それは女性ものの下着だった。

 緊迫した空気が流れ始めた時、岡野が駆け込んできた。

「ちょっと‼︎ みんな見て、クラスの出席簿‼︎」

 そう言われて覗き込んで見ると、女子の名前の横に全員のカップ数が書かれていた。しかも最後のページに町中のFカップ以上者のリストが。

 一気に殺せんせーへの信頼が薄まる。

 慌てた殺せんせーはまたもや墓穴を掘った。

 バーベキューをやろうと提案し、串を取り出したが、全ての串に女性ものの下着が刺されていたのだ。

「やべえぞこいつ……」

「信じられない」

「不潔……」

 

 ど変態疑惑のせいで、今日一日、殺せんせーは針のむしろだった。

 放課後、殺せんせーが教室を出て行った後に渚が呟いた。

「でも、殺せんせーが本当にやったのかな? こんなシャレにならない犯罪を」

「そんな事したら、千年も地獄の大釜で茹でられるのにね」

「地球爆破と比べたら可愛いもんでしょ」

 カルマの言葉に対して、渚は肯定するしかなかった。菜々の言葉は無視された。

「でもさ、仮に俺がマッハ20の下着ドロなら、急にこんなボロボロ証拠を残さないけどね」

 そう言って、彼は下着が巻きつけられたバスケットボールを取り出す。

 殺せんせーにとって、E組の信頼を失うことは殺されるくらい避けたいことだろう。

 カルマの言葉に渚も頷く。

「でも渚、それじゃあ一体誰が……」

「偽よ」

 茅野の疑問に答える声があった。後ろに座っていた不破だ。

「偽殺せんせーよ‼︎ ヒーロー物のお約束! 偽物悪役の仕業だわ‼︎」

 そんなわけで偽物を捕まえに行く事になった。

 

 

 辺りが暗くなった頃、殺せんせーを信じたメンバーと、カルマに連行された寺坂は住居侵入を行なっていた。

 不破によると、真犯人は次にこの建物を選ぶようだ。

 全員、干してある洗濯物が良く見える場所に陣取る。

 下着類が干してある場所を取り囲むように、シーツのようなものが干されていた。

 あれだと風通しが悪くならないのだろうかと菜々は疑問に思ったが、すぐにあれが罠なのだろうと思い直す。

 彼女は他にやらなければいけない事があったため、浄玻璃鏡で詳しい事を確認していない。

 持っている情報は、夏休みに行われた会議の内容だけだ。

「ここは某芸能プロの合宿施設。この二週間は巨乳を集めたアイドルグループが新曲のダンスを練習してるって。その合宿は明日には終わる。真犯人なら極上の洗濯物を逃すはずないわ」

「なるほど」

 そんな会話をしていると渚が殺せんせーを見つけた。

 サングラスをかけてほっかむりをしているせいで、犯人にしか見えない。

 そんな事を全員が思っていると、壁を登って来る人影があった。

 鬼灯と同じくらいの身長で黄色いヘルメットを被っている。目撃情報と同じ特徴だ。

 身のこなしから只者ではない事が分かる。

 彼が干してあった下着に手を伸ばすと、殺せんせーが襲いかかった。

「捕まえたー‼︎」

 相手を地面に叩きつけ、身動きを取れないように押さえつける。

「よくも舐めた真似してくれましたね‼︎ 押し倒して隅から隅まで手入れしてやる。ヌルフフフ」

 殺せんせーは真犯人を捕まえているだけなのだが、下着ドロより危ない事をしているように見える。

「顔を見せなさい、偽物め‼︎」

 そう言ってヘルメットを取り、彼の顔を見て殺せんせーは固まった。見覚えのある顔だったからだ。

 烏間の部下としてたまにE組に顔を見せる、鶴田博和。

「なんで、あなたがここに?」

 殺せんせーがそう問いかけると同時に異変が起きた。

 下着類の周りに干してあったシーツが急に大きくなったのだ。

 と言っても、シーツが掛けてあった棒が伸び、たたんであったシーツが伸ばされたため、そう見えただけだ。

 一瞬で殺せんせーが囲まれる。

「国に掛け合って烏間先生の部下をお借りしてね。この対先生シーツの檻の中まで誘ってもらった」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

「君の生徒が南の島でやった方法だ。当てるよりまずは囲むべし」

 真っ白な対先生用繊維で出来た服を身にまとった男の声だけが聞こえる。

「さあ、殺せんせー。最後のデスマッチを始めようか」

 そんな言葉が聞こえると同時に、一つの影が夜空に現れた。

 シーツの檻を飛び越えて入ってくる人影。

「イトナ‼︎」

 誰かがそう叫ぶと同時に、殺せんせーにいくつもの攻撃が襲いかかる。

 対先生シーツで囲まれてしまい、身動きが取れない殺せんせーはイトナから一方的に攻撃されていた。

「まずフィールドを劇的に変化させ、それから襲う。当てるよりまずは囲うが易し。君達の戦法を使わせてもらったよ」

 柳沢が生徒達に何が起こったのかを解説していた。

 寺坂に詰め寄られ、柳沢はあっさりと自白する。

 街で下着ドロを働いたのも、殺せんせーの周囲に色々仕込んだのも自分の仕業。

「そこの彼を責めてはいけない。仕上げとなるこの場所だけは、下着ドロの代役が必要だったもんでね」

 柳沢は鶴田を見てそう言った。

「すまない。烏間さんのさらに上司からの指示だ。やりたくないが断れなかった」

 このような話はよくある。菜々は鶴田を責められなかった。

 生徒の信頼を失いかければ殺せんせーは必ず動く。そこに来て巨乳アイドルの合宿という嘘情報。

 十中八九ターゲットは罠にかかる。

「くっそ。俺らの獲物だぞ」

「いっつもいやらしいところから手ぇ回して……!」

 そう言われてもそれが大人というものだと、柳沢は返すだけだ。

「大人? こんな作戦を考えるのが大人なんですか?」

 菜々はポツリと、いつもより1オクターブほど低い声で言った。

「ああそうだ。現にあのモンスターは追い詰められている」

 その答えを聞くとすぐ、菜々は持っていたカバンから資料を取り出す。

「この作戦を考えたと認めるんですね? これ、下着ドロの慰謝料および罰金の書類です」

 律に調べてもらったのだ。

「刑法にのっとっておおよその計算をしました。それと私達にしたセクハラの慰謝料もプラスで」

「これは地球の未来のため」

「そんなの未成年に変態行為を働いて、精神的に痛めつけていい理由になりません」

 柳沢が何か言いかけたが菜々が遮った。

「だいたい、町中のFカップ以上の女性を調べ上げるなんてプライバシーの侵害です‼︎ それ以前にこの計画を思いついた時点で人間としてどうかと思います! 黒縄地獄落ちろ。もしもこの方法で殺せたとしたら、私はこの方法を七割くらい盛ってマスコミに話します」

 払うもん払ってさっさと塵になれや、と語っている菜々の目を見て、柳沢は話題を逸らそうとした。

「あの怪物の事は気にならないのかい?」

「今は殺せんせーなんかより、国家権力を盾にして未成年に違法な生体実験をしているツェツェ蠅の駆除の方が大事です」

 ついに柳沢は菜々に人間と認定してもらえなくなった。

 戦術を細かく解説してやろうと思っていたらこの扱い。

 柳沢は予想が外れたことに面食らったが、すぐに気を取り直す。

 そういえば、未成年女子の法的な強さを思い知らせてやるとか言ってたな、と渚は菜々を見ながら思い出していた。

「違法な生体実験ね。触手はイトナが自分からつけたいと言い出したんだ」

「普通、自分の子供にそんなものつけたがる親はいません。調べてみたら、イトナ君の両親は会社が倒産した関係で、今は債務の整理で忙しい事が分かりました。誘拐ですか?」

 散々プライバシーについて語っていたくせに、菜々はそんな事を言っていた。

 彼女の言葉を聞いて、巨大ブーメランだろ、それ、と全員の心の声が一致した。

「誘拐? イトナは自分の意思でついて来たんだよ」

「という事はもしかして無断⁉︎ どう考えても誘拐ですよ」

「おまわりさんこっちです」

 カルマも菜々の調子に合わせる。

 ボウフラが湧いた水たまりを見るような目で生徒達は柳沢を見た。

 いくら本人が一緒に行きたいと言っても、保護者の同意を得ずに未成年を連れ去るのは誘拐だ。

 ましてやイトナは未成年者どころか義務教育の途中。

 そんな態度を取られれば、いくら相手がガキだといっても傷つく。

 柳沢が地味に落ち込んでいると、対触手シーツの檻が光り始めた。

「な、なんだ⁉︎ このパワーは⁉︎」

 殺せんせーは全身ではなく触手の一部を圧縮してエネルギーを取り出した。

 それをイトナに向かってぶっ放す。

 なんであれは出来るのに、かめはめ波は出来ないんだろうかと菜々は考えていた。

 合宿所の窓ガラスが、殺せんせーが放ったエネルギー波の影響で割れる。

 周りを囲んでいた檻も木っ端微塵に吹き飛ばされた。

 落ちて来たイトナをキャッチし、優しく地面に下ろすと、殺せんせーは柳沢に向き合う。

「そういう事です、シロさん。この手の奇襲は私にはもう通じませんよ」

 そういう事ですと言われても、柳沢は菜々のせいで何が起こったのか見ていなかった。

 しかし、自分が負けたという事は分かる。

「彼をE組に預けて大人しく去りなさい。あと、私が下着ドロじゃないという正しい情報を広めてください」

「私の胸も、詳しくはび、Bだから‼︎」

「私もまだ成長の見込みがはある‼︎ 多分、おそらく……きっと」

 殺せんせーの言葉に茅野と菜々も続ける。

 全員が出席簿に書かれていた内容を思い出す。騒いでいる女子二人の名前の横には、「永遠の0」「A(今後成長の見込みなし)」とそれぞれ書かれていたのだ。

 菜々がやけに柳沢に突っかかっていた理由を全員が悟った。

「い、痛い。頭が痛い。脳みそが裂ける‼︎」

 一瞬流れていたのどかな空気が、イトナが頭を抑えて発した言葉によって壊される。

 そんな彼の様子を見て、柳沢は見切りをつけた。

 たび重なる敗北のショックで触手が精神を(むしば)み始めたらしい。

 イトナの触手を一ヶ月維持するためには、火力発電所3基分のエネルギーが必要だ。

 これだけ結果を出せないのだから、組織は金を出さなくなるだろう。

「さよならだ、イトナ。あとは一人でやりなさい」

 そう言って踵を返した柳沢を呼び止める声があった。

「待ちなさい‼︎ あなたそれでも保護者ですか‼︎」

「ちゃんと慰謝料払ってくださいよ‼︎」

 どんなに犠牲を払ってもお前だけは殺すと殺せんせーに告げ、柳沢はその場を後にした。

「それよりいいのかい? 大事な生徒を放っておいて」

 その言葉を聞いて、急いで殺せんせーはイトナを見る。

 暴走したイトナの触手が寺坂に向かって振るわれた。

 間一髪で殺せんせーが寺坂を突き飛ばす。

 その隙にイトナは走り去ってしまった。



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第13話

 イトナが行方をくらました次の日。

 菜々が大きなあくびを嚙み殺しながら学校に行くと、烏間の殺人げんこつのせいで頭が変形した鶴田に出会った。軽率に柳沢に協力した事を叱られたらしい。

 一方、殺せんせーはふてくされていた。濡れ衣だと信じてもらえなかった事を根に持っているようだ。

「心配なのは姿を隠したイトナ君です。触手細胞は人間に植えて使うには危険すぎる。シロさんに梯子を外されてしまった今、どう暴走するか分かりません」

 殺せんせーに皆が同意を示す。

 イトナが走り去ってしまってすぐ、E組生徒に連絡を取り、全員で探し回った。

 殺せんせーもマッハ20を駆使して探し回ったし、防衛省の人間も駆り出された。

 しかし、誰もイトナを見つける事が出来なかった。

 菜々は浄玻璃鏡で調べてみたが、すぐに画面から消えてしまうので意味がなかった。

「皆さん、これを見てください」

 律の声に全員が振り返る。彼女は画面に画像を映していた。どうやらニュースのようだ。

「椚ヶ丘市内で携帯ショップが破壊される事件が多発しています。あまりに店内の損傷が激しいため、警察は複数人の犯行の線もあるとーー」

 荒らされた携帯ショップの前に立った女性の言葉を聞くまでもなく、一目画面を見ただけで皆が悟った。どう考えてもイトナの仕業だ。

 殺せんせーは彼を止めると宣言した。

 放っておくのが賢明だと皆が反論するが、どんな時でも生徒からこの触手()を離さないと教師になる時に誓ったのだと返される。

 律に次の犯行場所の割り出しを任せ、殺せんせーはいつも通り授業を行うことにした。

 しかし皆、イトナの事が気になって集中出来ていないようだ。

 一名、他の理由で授業を聞いていない者がいるが。菜々は爆睡していた。

 

 

 イトナが暴走したせいで地獄で緊急会議が開かれた。

 基本的にあの世の者は現世の出来事に関わろうとしない。しかし、イトナの件は別だった。

 もしも彼がこのまま死ねばどうなるか。

 触手が暴走した状態であの世に来られたらかなりまずい状況になるのは目に見えている。

 一般人に被害が出る前に対処出来たとしても、マスコミにバレたらおしまいだ。

 そんなわけで、何時間も会議が行われていた。

 地獄一の実力者が国際会議に駆り出されていたのも、会議な長引いた一つの要因だろう。

 あぐりを除けば一番、触手生物と関わっているため、大して力になるわけでもないのに、菜々は会議中ずっと会議室に縛り付けられていた。

 そうすれば当然寝不足になる。

 だから授業中に寝てしまったのはしょうがないと、菜々は放課後心の中で言い訳していた。

 

 

 日が沈みかけた頃。

 E組生徒達はイトナを待ち伏せしていた。律が市内の防犯カメラに侵入し、彼が次に破壊するであろう携帯ショップを割り出したからだ。

 菜々はあんぱんを食べていた。もちろん牛乳も飲んでいる。

「流石に飽きてきたな。一昨日も食べたし」

 彼女は事件の調査中は毎回このお約束を行なっているのだ。

「じゃあやめれば?」

 そんな事を話していると、大きな音がした。携帯ショップの入り口が破壊されたのだ。

 見張りの警官達はあまりの衝撃に宙を舞い、地面に叩きつけられて気を失った。

 すぐに小さな人影が、破壊された出入り口から店内に入り込む。イトナだ。

 彼は暴走した触手を振り回し、店内を破壊し始める。

「キレイ事も遠回りもいらない。負け惜しみの強さなんてヘドが出る。……勝ちたい。勝てる強さが欲しい」

 サンプルの携帯を触手で握りつぶしていたが、頭を抑えながらイトナは最後の言葉を呟いた。

 激しい頭痛がするのだろう。息が荒い上に汗だくで、目の焦点が合っていない。危険な状態だという事は見ただけで分かる。

「やっと人間らしい顔が見れましたよ。イトナ君」

 殺せんせーが姿をあらわす。生徒達もそれに続く。

「……兄さん」

「殺せんせーと呼んでください。私は君の担任ですから」

「すねて暴れてんじゃねーぞ、イトナ。てめーにゃ色んな事されたがよ、水に流してやるから大人しくついて来いや」

 殺せんせーの説得に寺坂も続ける。柳沢に良いように利用されただけだったイトナを見て、彼も色々と思うところがあったのだろう。

「うるさい……勝負だ。今度は……勝つ」

 言葉が途切れ途切れになっている事から、もう限界が近いのだろうと菜々は予想をつけた。

 動き回っている触手にほとんどエネルギーを吸い取られてしまったのだろう。

「もちろん勝負しても良いですが、お互い国家機密の身。どこかの空き地でやりませんか?」

 殺せんせーは指を立てて提案する。

 そして、暗殺が終わったらバーベキューでもしながら皆で自分の殺し方を考えて欲しい。

 いつものふざけたような笑みを浮かべている殺せんせーを見て、イトナの心が揺れた。

 そこにカルマが揺さぶりをかける。

「そのタコしつこいよー。一度担任になったら地獄の果てまで教えに来るから」

「当然ですよ。目の前に生徒がいるのだから、教えたくなるのが教師の本能です」

 イトナに生えた触手が動きを止めた。

 もう少しで説得できる。誰もがそう思った時、何かが店内に投げ込まれた。

 それが爆発し、白い粉末状のものが辺りに撒き散らされる。

 視界が失われてすぐ、イトナのうめき声が聞こえた。

 この粉は対先生物質だ。菜々は瞬時にそう悟り、顔を腕でかばいながら茅野を探す。しかし、見通しが良くないせいでなかなか見つからない。

 いきなり視界が悪くなったと思ったら、すぐに発砲音が聞こえてくる。

「これが今回第二の矢。イトナを泳がせていたのも予定の内さ」

 声から、やはりこれは柳沢の仕業だと分かった。

 少しして、粉がイトナが破壊した出入り口から出ていったおかげで、見通しが良くなってきた。

 菜々が目を凝らして見てみると、イトナが網に入れられた状態でトラックに引きずられて行くところだった。

 生徒の安全を確認してから、殺せんせーがイトナを追いかけ始めた。

 

 

 茅野に別状がなさそうな事を確認し、菜々は殺せんせーを追いかけ始めた。

 他の生徒達も体育の授業で教わったフリーランニングを使って追いかけている。

 追いついたかと思うと、殺せんせーが一方的にやられていた。

 木の上とトラックの荷台に陣取った、柳沢の手下達がイトナを狙って狙撃してくるからだ。殺せんせーは、自分以外への攻撃の反応速度はかなり遅い。

 その上イトナを狙撃から守りつつ、彼が入れられている、チタンワイヤーを対先生繊維でくるんだネットを切らなければいけない。

 しかも、先ほどの負傷と圧力光線のせいで動きづらい。

「あの狙撃手達、対先生繊維で出来た服を着てる!」

「こりゃ、俺たちであいつらを落とすしかないな」

「とりあえず、誰か布持ってきて」

 カルマが指示を出し始めた。

 

 木の上にいる狙撃手達を落とす係と、落とされた敵を受け止める係に振り分けられた。

 カルマや前原などのフリーランニングの成績が良いものが狙撃手を落とし、落ちてきた敵を毛布で受け止めて簀巻きにする。これが速攻で立てられた作戦だった。

 

 敵を蹴り落とした後、菜々が木から飛び降りてから周りを見渡してみると、木にいた敵は全員拘束されていた。

 予想していなかった出来事に、敵の引き金を引く手が止まる。

 その隙に、殺せんせーによってイトナが入っているネットが根元から外される。

「去りなさい、シロさん。あなたはいつも周到な計画を練りますが、生徒達を巻き込めばその計画は台無しになる。当たり前の事に早く気が付いた方が良い」

「あと、ちゃんと慰謝料払ってください。烏間先生に頼んで上層部からあなたに伝えてもらうように頼んだはずなんですけど」

 菜々の言葉を聞いたからなのかは分からないが、柳沢は捨て台詞を吐いて去っていった。

 

 

 *

 

 

 寺坂達のおかげでイトナの力の執着がなくなり、無事に触手を抜く事が出来た。

 その後、男子達が女子のスカートの中を覗こうとしたりしていた。

 それから数日経ち、コードネームで呼びあっていた日、菜々は珍しく地獄に行かなかった。

 クラスメイト達と磯貝のバイト先に行く事になったからだ。

 しばらく居座るために頼んだ一番安い紅茶をすすりながら、菜々は考えていた。

 なんで私のコードネーム「勉強出来るバカ」だったんだろう、と。

 磯貝のイケメンっぷりについて話したり、いつの間にか居た殺せんせーと話したりしていると、5英傑が来た。

 体育祭で行われる棒倒しでA組に勝ったら、この事は黙っていると浅野は言う。

 榊原君もなんか気にくわないし、この二人でBでLなアレを莉桜ちゃんに描いてもらって、学校中にばらまこうかな、と菜々は考えていた。

 

 

 次の日、浅野の提案について説明した後、学校で自分一人で責任を取ると言う磯貝に対してブーイングが起こった。

「イケてねーわ、全然‼︎」

「何自分に酔ってんだ、アホ毛貧乏‼︎」

「難しく考えんなよ、磯貝」

 対先生ナイフを投げながら彼の親友である前原が近づいて来た。

「A組のガリ勉どもに棒倒しで勝ちゃ良いんだろ? 楽勝じゃねーか‼︎」

 顔に笑みを浮かべながら、前原はナイフを机の上に立てる。

「「倒すどころかへし折ってやろうぜ‼︎」」

 前原のナイフに男子全員が手を置き、宣言した事によって今後の方針が決まった。

 

 

 結局、体育祭の棒倒しではE組が勝った。

 来週に迫る中間テストに影響が出るくらいE組を痛めつける事が浅野の目的だったため、それを逆手にとって作戦を立てたのだ。

 E組の人数は本校舎の1クラス分の人数と比べると少ないという名目の元、団体戦に出る権利が与えられていなかった。そのため優勝は出来なかったものの、圧倒的に不利な状態でA組に棒倒しで勝ったE組を見る目が変わってきた。

 そんな事が起これば、自信をつけるのは当然だ。

 しかし、自信をつけすぎたせいで慢心してしまい、体育祭から数日後、何人かの生徒が老人に怪我をさせてしまった。

 フリーランニングで下校していたら、小さな道を通っていた老人――松方の真上に飛び降りてしまったのだ。

 その結果、中間テスト当日まで、クラス全員の勉強が禁止された。

「マジか……」

 菜々は電話を切ると、そう呟いた。

 夏休み前にやってきた暗殺者――プイに教えてもらった方法で、旧校舎のある山から材料を調達して竹槍を作っていると電話がかかってきたのだ。

 その電話で何が起こったかを聞き、今に至る。

 二週間勉強禁止。沙華さんが荒れるだろうな、とこの世界の第二の親の片割れの顔を思い浮かべながら、菜々は皆がいる場所に向かった。

 

 

 *

 

 

「みんなー! 園長先生が怪我しちゃってしばらくお仕事出来ないの。かわりに、このお兄ちゃん達が何でもしてくれるって!」

「「「はーい」」」

 元気な声が園内に響き渡る。

 松方に怪我をさせてしまった罪滅ぼしとして、E組全員で彼が経営しているわかばパークの手伝いをする事になったのだ。

 賠償ぶんの働きが認められれば、殺せんせーの事は公表しないでくれるらしい。

 

 それから三日経った。

 菜々はすっかり打ち解けていた。藍木に教えてもらったう◯このウンチクが初めて役に立ったのだ。

「よし。何かお話をしてあげよう」

 初め、菜々は力仕事を任されていたが、子供にやけに懐かれたため、すぐに子供の面倒見を任された。

「シンデレラが良いー」

 元気な女の子の声により、シンデレラに決まった。

 

 

 ――昔、昔あるところにシンデレラがいました。

 シンデレラには意地悪な継母や義理の姉とかがいました。

 で、そいつらはシンデレラを置いて王子様の結婚相手を決める武闘会に行きました。

 その武闘会に優勝した女性が王子様と結婚出来るのです。

 シンデレラは王子様と結婚したいと思いました。だって王子様です。かっこいいに決まっています。

 行きたいなーと思っていると、魔女ではなくマゾが現れました。

 マゾはシンデレラをおんぶして、武闘会の会場であるお城まで彼女を連れて行ってくれました。

 険しい道のりでしたが、マゾだったので逆に喜びました。

 さて、武闘会はトーナメント式でした。

 シンデレラはどんどん勝ち進んで行き、決勝戦に出場する事が決まりました。相手は義理の姉その2。

 先手必勝。試合が始まってすぐ、シンデレラは経絡秘孔の一つを突きました。

 そして、シンデレラは言い放ちました。

「お前はすでにシンデレラ」

 すると、義理の姉その2の体が変形しだしました。どんどん膨らんでいき、最終的に彼女は爆発しました。

 勝者、シンデレラ。シンデレラは王子様と結婚する事になったのです。

「あなたが私の結婚相手ですか」

 王子様がついに顔を見せました。

 シンデレラは凍りつきました。王子様は顔面が不自由だったのです。

「こんな、こんなブス嫌―‼︎」

 シンデレラは思わず王子様をぶん殴ってしまいました。

「無礼者!」

「捕まえろ!」

 王子様を殴るのは大罪です。そんな事をしたらすぐに打ち首です。シンデレラは捕まりそうになりました。

 しかし、さすがは武闘会の優勝者。兵をバッタバッタとなぎ倒します。

 シンデレラは逃げ出しました。時効まで後、十六年‼︎――

 

 

「おしまい」

 菜々が速攻で作り上げた話はなぜかウケた。

「何であれがウケるの?」

 そんな声が聞こえたので菜々は思わず振り返った。聞き覚えのある声だったからだ。

「苗子ちゃん⁉︎ 何でいるの?」

 疑問をこぼしたのは三池だったのだ。

「さくらちゃんって子に会いに来たんだけど。菜々こそ何でここにいるの?」

 話を聞くと、三池の引越し先は椚ヶ丘市だったらしい。

 今はさくらの家の近所に住んでおり、さくらの話を聞いて気になってここまで来たようだ。

 菜々は簡潔にわかばパークの手伝いをする事になった理由を説明した。

「色々聞きたい事はあるけど、さくらちゃんと仲良くしてあげてね」

 そう言って菜々がさくらを見ると、ちょうど渚に勉強を教えてもらっているところだった。

「もしかしてさくらちゃんって……」

「渚君――水色の髪の私の同級生、天然タラシだから……」

 

 三池と偶然の再会を果たしてから時間は経ち、わかばパークの手伝いを始めてから二週間が経っていた。

 わかばパークが大改造されていた事と、子供達の心により添えていた事が認められ、殺せんせーの事を口外される心配が無くなった。

 しかし、それはテスト前日だった。テストは惨敗。

 上位を取ったのは夏休みに猛勉強していたカルマだけだった。

 その事について5英傑がなんか言ってきたりした後、烏間から超体育着を貰った。

 

 

 超体育着は軍と企業が共同開発した強化繊維で出来ている。

 衝撃耐性。引っ張り耐性。切断耐性。耐火性。あらゆる要素が世界最先端。

 他にも、特殊な揮発物質に服の染料が反応し、一時的に服の色を自在に変える事が出来る。

 その上、肩、背中、腰の部分には衝撃吸収ポリマーがつけられており、フードを被ってエアを入れれば完全装備が出来るため、危険な暗殺も実行できるのだ。

 この力は誰かを守るために使うと殺せんせーに約束し、帰路につくとイリーナがやって来た。

 彼女の様子から、烏間から誕生日プレゼントを貰えなかった事を気にしている事を知り、ビッチ&烏間くっつけ計画第2弾が幕を開けた。

 烏間がイリーナに花を送るように仕向けたものの、計画がイリーナにバレてしまう。

 任務を終えるにしても地球が滅びるにしても、どっちみち後半年で関係は終わる。そんな言葉を烏間がかけたからだ。

 生徒達とはただの業務提携関係であり、親しくする必要も理由も無い。

 その事に気がついたイリーナは旧校舎を後にしてしまった。

「烏間先生‼︎ さっきの言葉、なんか冷たくないスか‼︎」

「まさか……まだ気がついていないんですか?」

「そこまで俺が鈍く見えるか?」

「見えます!」

 思わず即答してしまった菜々は岡野に口を塞がれた。

 

 

 *

 

 

 三日後。イリーナは現れなかった。

 ずっとわかばパークの手伝いをしていたせいで情報収集をしていなかったため、菜々は何が起こっているのかしっかりと把握できていない。

 せいぜい、なんか死神が関わっていたな。そういやアイツ、2代目だっけ。くらいの原作知識しか持っていないのだ。死神の顔すら覚えていないし、イリーナが裏切る事も忘れている。

 

 イリーナを助けようと思うのなら、地獄に行って浄玻璃鏡を使い、情報収集をするべきだろう。

 しかし、菜々はずっと地獄に行かなかった。

 死神がイリーナを人質にとって生徒達を捕獲し、殺せんせーをおびき出そうとしている事は分かる。

 それを踏まえると情報は喉から手が出るほど欲しい。

 ただ、何かが引っかかる。果たして、正面から頼みに行って情報は得られるのだろうか?

 しばらく地獄に行っていなかったと言っても、殺せんせーの元教え子が殺しにくるのだ。

 連絡ぐらいはあってもいいはずだが、何もなかったところを見ると、自分には情報が与えられない可能性が高いと考えても良い。

 自分はこの暗殺においてはあの世でも現世でも最下層。

 自分の様子がおかしい事に疑問を持った殺せんせーが下手に警戒して、上手く行くはずだった暗殺が失敗するのは避けたいのだろう。

 ここまで考えて菜々はため息をついた。

 とにかく、死神からの接触がない事には何も出来ない。

 

 死神が来た。

 烏間が次の殺し屋との面接に向かい、殺せんせーがブラジルまでサッカーを見に行った時に彼はやって来た。

 あまりにも自然に会話に溶け込んで来た事に気がつき、菜々は戦慄した。

 警戒出来ない。それは最も恐ろしい事だ。

 いや、鬼灯さんの方が怖いか、と菜々はどうでも良い事を考え始めた。

 しかし、すぐに頭を振る。現実逃避している場合ではない。

 イリーナを助けたければ誰にも言わず、指定した場所に来い。そう告げた後、死神は去った。

 

 

 *

 

 

 指定された建物の周りを、イトナが作ったドローンで偵察したが特に何もなかった。

 建物の大きさから考えると、手下が居たとしても数人。

 また、花束に盗聴器が仕掛けられて居た事を考えると、その直前のE組の様子は知られていない確率が高い。

 それを踏まえて磯貝は指示を出した。

「大人しく捕まりに来たフリをして、隙を見てビッチ先生を見つけて救出。全員揃って脱出する‼︎」

 12時を過ぎても戻らなかったら殺せんせーに事情を話して欲しいと律に頼んでから、建物に入った。

 すぐにあちこちに散らばり、全員が一気に捕まるのを防ぐ。

『全員来たね。それじゃあ閉めるよ』

 スピーカーからそんな声が聞こえたかと思ったら、建物に入るのに使った扉が閉まった。

「やっぱりこっちの動き分かってるんだ。死神ってより覗き魔だね」

 カルマの挑発には反応せず、死神は尋ねる。

『皆揃ってカッコいい服を着ているね。スキあらば一戦交えるつもりかい?』

 死神に余計な情報を与えないため、その質問を無視して片岡が要求する。

「クラス全員で来る約束は守ったでしょ。ビッチ先生さえ返してくれればそれで終わりよ」

『部屋の端々に散っている油断の無さ。よく出来ている』

 そんな声が聞こえたと思ったら、大きな音が聞こえた。

 急に浮遊感を感じる。床全体が下がっているのだ。

 部屋に何も無いのは余計な物を置く必要が無いから。物を置く必要が無いのは部屋全体が装置だから。

 全く気がつかなかった、と菜々が後悔していると、振動が収まった。

 壁だった場所を見てみると檻になっており、柵越しに死神が見えた。その後ろには手首を縛られたイリーナがいる。

「捕獲完了。予想外だろう?」

 話し始めた死神を他所(よそ)に、生徒達は打ち合わせ通り動き始めた。

 片岡や岡島などの一部の生徒が敵の注意を引いているうちに、他の生徒が焦ったふりをして壁を叩く。

 わかばパークの改造を行った時、千葉が鵜飼に建築について教えてもらったのだ。

 その時、空間がある場所と無い場所の違いを見分ける方法も教えてもらった。

 その方法というのが、今ほとんどの生徒がやっているように壁を叩くというもの。音の違いがあるらしい。

「大丈夫。奴が大人しく来れば誰も()らない」

「本当? ビッチ先生も今は殺す気はないの?」

 片岡の質問に、死神は人質は多い方が良いと答える。

 交渉次第では30人近く()()()命が欲しい。そんな死神の言葉に、菜々は違和感を感じた。

 ――殺せる命って事は殺せない命もあるって事?

 そこまで考えて、真っ先に思い浮かんだのはイリーナだった。

 グワァン。今まで壁を叩いてもガンガンという音しか聞こえなかったのに、突然そんな音が聞こえたため、菜々は思考を中断した。

 青ざめて、怯えた様子で死神と話していた岡島の表情が変わる。

「ここだ、竹林‼︎ 空間のある音がした‼︎」

 三村に言われ、すぐに彼の元に向かう竹林の手には、指向性爆薬が握られていた。

 彼がそれを壁に設置したかと思えば、奥田がカプセル煙幕を投げつける。

 死神の視界が奪われた瞬間、爆発音が響き渡った。

 煙幕はすぐに晴れてしまうが、目潰しには成功した。その隙に全員が脱出。

 

『聞こえるかな? E組の皆』

 脱出できたと思ったらすぐ、スピーカーから死神の声が聞こえてきた。

 生徒達がいるのは地下空間であり、地上に出る事が出来る出入り口には全てロックがかけられている。

 ロックを解く鍵は死神の眼球の虹彩認証。つまり、ここから出たいのなら死神を倒さなくてはならない。

 そこまで話すと、彼は殺しに来いと要求する。

 一度にこんな大人数の殺し屋達を殺す機会なんて滅多にないからというのが理由らしい。

 まるでゲーム感覚だ。

 

 とりあえず、3チームに分かれる事になった。

 狭い屋内では全員でいても身動きが取れないからだ。

 磯貝が指示を出し始める。

 A班は戦闘を受け持つ。敵を見つけ次第一気に叩く。

 連絡役の茅野以外はバトル要員だ。菜々もA班に入ることとなった。

 B班とC班は敵を見つけ次第A班に連絡する。

 B班は救出。戦闘に優れた片岡と杉野が皆を守りながらイリーナを助けに行く。

 C班は情報収集。寺坂を盾にして偵察しつつ、脱出経路を探す。

 その作戦を聞いた時、菜々は皆にイリーナが裏切っているかもしれないと伝えるかどうか一瞬迷った。

「分かった。監視カメラは見つけたらすぐに破壊しよう」

 そう言うと菜々は口を閉ざした。

 彼女はイリーナを信じたかった。

 それに、もしもイリーナが裏切っていたとしても、原作ではこの時期誰も死んでいなかったし、大丈夫だろうと考えたのだ。

 律がハッキングされていたため、連絡はトランシーバーアプリでとる事になった。

 

 暗殺者はターゲットを戦闘になる前に殺す。世界一の殺し屋である死神とて例外ではないだろう。

 不意打ちで襲ってくるだろうから周りを警戒する事にした。

 正面戦闘が苦手なはずなので、数が優っているこちらの方が有利なはずだ。

 そんな事を小声で話しながら歩いていると、足音が聞こえてきた。

 廊下の向こう側から、堂々と死神が歩いてくるのが見える。

 姿が見えない。菜々はいつのまにか冷や汗をかいていた。

 吉田と村松がスタンガンを構えて襲いかかるが避けられ、首の後ろに肘で強烈な一撃が叩き込まれる。

 彼らが床に突っ伏したのを見て、皆が驚愕のあまり目を極限まで見開き、しばし硬直した。

「殺し屋になって一番最初に磨いたのは、正面戦闘の技術(スキル)だった」

 死神はそう言いながら音を立てずに移動する。

 木村は殴られるまで敵が目前に迫ってきていた事に気がつかなかった。

「世界一の殺し屋を志すなら、必須の技術(スキル)だ」

 構えた磯貝と前原の間を通り抜け、彼らの後ろにいた茅野を蹴り飛ばす。

「どいて皆! 僕が()る」

 渚はそう言うと、ポケットから取り出したナイフを握りしめた。

 彼は左ポケットにスタンガンを入れている。

 

 死神は、渚が夏休みに猫だましを使ったことも知っているかもしれない。それを踏まえて二択で迫る。

 ――ナイフを警戒したら猫だましを。ポケットを警戒したら、そのままナイフを喉元に持っていく。

 どちらにしても一瞬は隙を作る。その隙に皆で一斉に襲いかかって欲しい。

 死神に指示された建物に入る前、渚が言っていた言葉を全員が思い出し、スタンガンを握りしめる。

 

 渚はゆっくりと敵に近づいていった。

 ナイフの間合いの一歩外に着き、ナイフを手放す。

 渚が両手をまっすぐ伸ばし、叩こうとした瞬間、大きな音が響き渡った。

 その音は死神が今さっき合わせた手のひらから聞こえてきた。

 渚が動かなくなったのと、死神の姿が消えたのは同時だった。

 縦横無尽に動き回り、一瞬で生徒達を床に叩きつける。

 立ったままの生徒は二人しかいなかった。

「さっきの攻撃を避けたか。中学生にしてはなかなかやるな」

 菜々はゆっくりと手をあげた。

 さっきは勘が働いて攻撃を避ける事が出来たが次は無理だ。次元が違う。

 股間を狙えばなんとかなるかもしれないが、危険な橋は渡りたくない。

 渚を気絶させた後、死神は菜々に指示を出した。

「この子達を運んでくれるかい? それと、下手な事はしない方がいいよ」

「分かってます」

 ぶっきらぼうに答えると、菜々は指示された場所に皆を運び始めた。

 

 すぐに全員が捕まった。今は腕を後ろに回した状態で固定され、首に爆弾を取り付けられた状態で放置されている。

 菜々はソラを見ていた。彼女は今、地獄に現状報告をしている。

 携帯を使う時ですら狐型なのか、と菜々は思っていた。

 視線を監視カメラに移す。烏間と犬に似た化け物のコスプレをした殺せんせーが見えた。

「さて、次は烏間先生だ。誘い出して人質に取る」

「もう来てますけど」

 死神の独り言に菜々は突っ込んだ。

 

 死神とイリーナが殺せんせーと烏間の元へ向かってから少し経つと、殺せんせーが落ちて来た。

 さすがに、「親方! 空から超生物が!」と言える雰囲気ではなかった。

「気に入ってくれたかな? 殺せんせー。ここが君が最期を迎える場所だ」

「ここは……?」

 殺せんせーが呟くと、死神が答え始める。

 ここは洪水対策で国が造った地下放水路らしい。前もって死神のアジトと繋げておいたそうだ。

 地上にある操作室から指示を出せば、近くの川から毎秒200tの水がこの水路いっぱいに流れ込む。

 すると、その水圧によって殺せんせーは生徒もろとも体の自由が奪われ、対先生物質で出来た頑丈な檻に押し付けられてバラバラになる。

「待て! 生徒ごと殺す気か⁉︎」

 烏間の問いに、平然と死神は答える。

「当然さ。今頃待てない」

「イリーナ‼︎ お前それを知った上で」

「……プロとして結果優先で動いただけよ。あんたの望む通りでしょ」

 殺伐とした空気が流れる中、殺せんせーが対先生物質を克服したと言い放つ。

「初めて見せますよ……私のとっておきの体内器官を‼︎」

 そういったかと思うと殺せんせーは四つん這いになり、檻を舐め始めた。

「消化液でコーティングして造った舌です。こんな檻など半日もあれば溶かせます」

「「「遅せーよ‼︎」」」

「言っとくけど、そのペロペロ続けたら全員の首輪爆破していくよ」

「ええっ! そ、そんな‼︎」

 死神に言われて、殺せんせーはショックを受けていた。

 他にどんな能力を隠し持っているかわからない以上、出来るだけ早く作戦を実行した方が良いだろう。

 そう判断し、死神は操作室に向かおうとした。

 しかし、烏間に肩を掴まれる。

「なんだい、この手は? 日本政府は僕の暗殺を止めるのかい?」

 確かに少々手荒だが、地球の未来を救う最大の好機を逃すのかと問われ、烏間は一瞬迷ったが、すぐに結論を出した。

 死神の顔に向けて肘を勢いよく動かす。避けられたがこの際関係ない。

「日本政府の見解を伝える。27人の命は地球より重い。それでもお前が彼らごと殺すつもりなら俺が止める」

 その言葉を聞くと、死神は姿をくらました。烏間と戦い、時間がかかったら計画が(ほころ)ぶと判断したのだ。

 すぐに烏間が追い始める。

 イリーナは面食らったものの、すぐにいつもの調子で話し始めた。

「フン、死神(カレ)を倒そうだなんて無謀ね」

 そう言いながら、首に付けられていた爆弾を外し、(もてあそ)び始める。

「確かにカラスマも人間離れしてるけど、『死神(カレ)』はそれ以上。このタコですら簡単に捕まえたのよ」

「ビッチ先生……」

「あの野郎が俺たちごと殺すって知ってたのかよ」

「何でよ……。仲間だと思ってたのに」

 そんな疑問を聞いて、イリーナは言葉に詰まった。

「怖くなったんでしょ。プロだプロだ言ってたアンタが、ゆるーい学校生活で殺し屋の感覚忘れかけて。俺ら殺してアピールしたいんだよ。『私は冷酷な殺し屋よー』って」

 カルマの挑発とも取れる言葉を聞いて、思わずイリーナは彼に向かって爆弾を投げつけた。

 しかし、柵が邪魔して彼には当たらなかった。

「私の何が分かるのよ」

 イリーナは絞り出すように言葉を()らす。

「考えた事無かったのよ‼︎ 自分がこんなフツーの世界で暮らせるなんて‼︎ 弟や妹みたいな子と楽しくしたり、恋愛の事で悩んだり。そんなの違う。私の世界はそんな眩しい世界じゃない」

 彼女の話を聞いて、皆なんとも言えない気持ちになった。

 どんなに分かりたいと思っても、彼女の気持ちを分かる事が出来る者は誰もいない。

『イリーナ、手伝って欲しい』

 その時、死神から連絡が来た。

 彼は罠に手こずっている烏間を背後から撃つように命令する。

 イリーナは寂しそうなものの覚悟を決めた表情をした後、銃を取り出して部屋から出て行った。

 

 死神が設置した監視モニターで、人類最強決定戦を見ていて、木村が呟いた。

「勝てないわけだ……。才能も積み上げて来た経験も全て段違い」

「そう……彼らは強い」

 殺せんせーは話し始める。

 こんな状況でも、彼は授業をしてしまう。

「それにこの牢屋もとても強固(つよい)。対先生物質と金属とを組み合わせた2種類の檻。爆薬でも液状化でも抜けられません」

 そう言って殺せんせーは檻に触れ、触手が溶けるのを見せる。

「では君達はどうしますか? 今この場で彼らより強くなるか? 彼らにはとても叶わないと土俵を降りるか? 両方とも違いますね。弱いなら弱いなりの戦法がある。いつもやってる暗殺の発想で戦うんです」

 防犯カメラやイリーナが投げつけた爆弾を見て、三村が呟いた。

「全部上手くいけばの話だけど、出来るかも。死神にひと泡吹かす事」



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第14話

 閉じ込められた状態でモニターを見ていると、爆発が起こった事が分かった。

 すぐに殺せんせーがトランシーバーで烏間に連絡を取る。

「モニターを見ていたら爆発したように映りましたが大丈夫ですか⁉︎ イリーナ先生も‼︎」

『俺はいいがあいつは瓦礫の下敷きだ』

 ため息交じりの答えが返って来た瞬間、衝撃が走る。

 しかし、烏間ならイリーナを助けるだろう。皆がそう思ったが、烏間の出した答えは予想と真逆のものだった。

『だが構っている暇はない。道を塞ぐ瓦礫をどかして死神を追う』

「ダメ‼︎ どうして助けないの、烏間先生‼︎」

 倉橋が声を荒げる。

 一人前のプロなら自己責任なので、責めもしないし助けもしない。

 淡々と告げる烏間の声を聞いても倉橋は諦めなかった。

「プロだとかどーでもいーよ‼︎ 十五の私がなんだけど、ビッチ先生まだ二十歳だよ⁉︎」

「うん。経験豊富な大人なのに、ちょいちょい私達より子供っぽいよね」

「多分、安心のない場所で育ったから。ビッチ先生はさ、大人になる途中で大人のカケラをいくつか拾い忘れたんだよ」

「助けてあげて、烏間先生。私達生徒が間違えても許してくれるように、ビッチ先生の事も」

 特にイリーナと仲良くしていた倉橋と矢田の説得を聞いて烏間は一瞬思案するが、どうしても引っかかる事があるため決心できなかった。

「時間のロスで君らが死ぬぞ」

 その事実を突きつける。

 しかし、返って来たのは明るい返事だった。

「大丈夫! 死神は多分目的を果たせずに戻ってきます。だから、烏間先生は()()にいて」

 

 

 *

 

 

 殺せんせーがトランシーバーを切るとすぐに皆が準備に取り掛かる。

 イリーナが投げつけた首輪型の爆弾をイトナが確認し、乱暴に外しても起爆しないし敵にもバレない事が分かった。

 監視カメラに映らないように気をつけながら、殺せんせーに首輪と手錠を外してもらう。

 岡島が、カメラで()()()()()()()場所を割り出す。

 菅谷が超体操着に暗殺迷彩を施し、岡島が割り出した場所の壁と同化。

 殺せんせーは保護色になり、生徒達の隙間を自然に埋める。

 これで監視カメラを覗いた死神からは、全員が脱出したかのように見える。

 少し経つと爆発音が聞こえた。

 部屋の中央に集めておいた首輪が爆発したのだ。首輪を隠すためにかぶせていた暗殺迷彩を施された超体操着が宙を舞う。

 首輪が爆発したという事は死神が映像を見たのだろう。

 

 どれだけ息を潜めて壁と同化していたのだろうか。

 実際は数分間だけなのだろうが、皆には何時間にも感じられた。

 なにかが水に落ちる音が、しばらく続いていた沈黙を破った。

 殺せんせーがズーム目で確認する。

「上からの立坑ですね。そして……」

 死神はもう監視カメラを見ていないと分かり、皆が壁に同化するのをやめた。

「死神がナイフを……あっ違う。次はワイヤーだ‼︎ 烏間先生これを……おおスゴイ。避けざまに返しの肘っ……あっダメだ。ナイフを盾に。それを見て同時に蹴りに変えたけど、えーとえーと、同時‼︎ なんか……なんかスゴイ闘いだー‼︎」

 殺せんせーが実況をしてくれたが、かなり下手くそだった。

 あとで浄玻璃鏡で確認しようと菜々が決めていると、ブーイングが起こっていた。

「心配せずともそう簡単に烏間先生は()られません」

 励ました後、死神はまだ何か隠し持っているだろうと言ってから、殺せんせーはトマトジュースを取り出した。

 一本の触手を檻から出し、ポンプのようにどこかに送っている。

 

 何が起こったのかはよく分からなかったが、烏間が戻ってきた事から、自分達が勝ったのだと生徒達は理解した。

 烏間に牢屋から出してもらい、捕らえられた死神を見て話していると、小さな音が聞こえた。

 全員が一斉に振り返る。

 忍び足で移動していたらしいイリーナが固まっていた。

 しばらくイリーナは微動だにしなかったが、また歩き出す。

「てめー、ビッチ‼︎」

「なに逃げようとしてんだコラ‼︎」

 そう怒鳴りながら追いかけられ、すぐにイリーナは捕まった。

 喚いているイリーナに向かって、寺坂が乱暴に告げる。

「いーから普段通り来いよ、学校。何日もバッくれてねーでよ」

「続き気になっていたんだよね。アラブの王族たぶらかして戦争寸前まで行った話」

「来なかったら先生に借りた花男のフランス語版借りパクしちゃうよ」

 口々にそう言われたが、イリーナは渋った。

 生徒達を殺しそうになったし、過去に色々やってきたからだ。

 しかし、彼女の心配は笑い飛ばされる。

「何か問題でも? 裏切ったりヤバいことしたりそれでこそのビッチじゃないか」

「たかがビッチと学校楽しめないで、うちら何のために殺し屋兼中学生やってんのよ」

「そういう事だ」

 烏間は死神を倒した時に手に入れた花を差し出す。

「その花は生徒達からの借り物じゃない。俺の意思で敵を倒して得たものだ。誕生日は()()なら良いか?」

「……はい」

 そう答えたイリーナは頰を赤らめて微笑んでいた。

 殺せんせーはその様子を一通りメモし終わった後、烏間に告げる。

「ただし烏間先生。いやらしい展開に入る前に一言あります」

「断じて入らんが言ってみろ」

「今後、このような危険に生徒達を巻き込みたくない。安心して殺し殺される事が出来る環境作りを、防衛省(あなた方)に強く要求します」

 

 その後、生徒を巻き添えにして暗殺に成功しても賞金は支払われない事が決まった。

 

 

 *

 

 

 次の日。菜々は会議に出るために地獄に向かった。

 閻魔庁に着くとすぐ、閻魔に謝られた。

 死神の件を伝えなかったのは他の国に圧力をかけられたかららしい。

「私に何も伝えなかったのは正しい判断だったと思いますよ。見ての通り私はクラスに馴染んでますし、殺せんせーが殺されるのを邪魔する可能性がある」

 そう閻魔に伝えていると、鬼灯が現れた。

「鬼灯さん。これ烏頭さんと蓬さんに渡しておいて貰えませんか?」

 そう言って菜々は鬼灯に分厚い書類を差し出した。

 彼らも忙しいのか、なかなか会う機会がない。

 唯一会うのは会議中だが、会議が終わるとすぐに姿をくらますので話す機会がない。

 菜々は避けられているのではないかと感じることが多々ある。理由はなんとなく予想がつく。

 受け取った書類を机に置き、執務室に入って鍵をかけると鬼灯は話し出す。

「これから、今回のような事があると思います。自力でなんとかしてください。それと、全てが終わった時の話ですがーー」

 

 

 会議が終わり、菜々は閻魔殿の長い廊下を歩いていた。

 会議の前に鬼灯に言われた事を反芻していると、ふとイリーナの言葉を思い出す。

 ――私の何が分かるのよ。

 ――考えた事無かったのよ‼︎ 自分がこんなフツーの世界で暮らせるなんて‼︎ 弟や妹みたいな子と楽しくしたり、恋愛の事で悩んだり。そんなの違う。私の世界はそんな眩しい世界じゃない。

 彼も初めは同じ気持ちだったのだろうか。

 死ぬ事だけを望まれ、絶望しながら第一の人生を終えてすぐ、烏頭や蓬に会う前。

 どんなに分かりたいと思っても、彼の気持ちを分かる事は出来ない。

 イリーナに対して感じた事と同じ事を菜々は感じていた。

 閻魔殿から出ると、ムワッとした熱気に襲われる。

 今日も刑場で業火が唸りを上げているのが聞こえてくる。

「分かりたいって気持ちだけじゃダメかな」

 誰に対してでもなく呟いた言葉は空気に溶けていった。

 ずっしりと重みのあるカバンを握りしめる。

 あの世がまだ黄泉と呼ばれていた頃。神代について書かれた、会議が始まる前に寄った図書室で借りた本が何冊も入っている。

 大昔から生きている知り合いから何度も当時の話を聞いた。

 当時の事が書かれた本だって片っ端から読み漁った。

 もしも自分にもチャンスがあるのなら、彼の隣を歩けるようになりたい。彼に寄り添いたい。彼の力になりたい。

 日本地獄の実質ナンバーワンとただの中学生。

 天と地ほどの差があるが、彼の背中を見て走り続けたい。

 ――それくらいなら思っても良いよね。

 心の中で呟くと、一歩踏み出す。

 亡者の断末魔が薄暗い空に響き渡っていた。

 

 

 *

 

 

 十一月になり、進路相談が始まった。

 菜々は正直に獄卒と書くわけにも行かなかったので、官僚と書いておいた。

「菜々さんは官僚ですか」

 殺せんせーは彼女が書いた進路希望用紙を見た。

「それよりどうしたんですか、それ?」

 菜々は殺せんせーの顔を見ていた。

 むくれており、頭からは棘が生えて、謎の模様が施されていた。

「奥田さんの濃硫酸を飲んだ後、原さんの塩分多めの弁当を食べ、狭間さんに呪われ、菅谷君に落書きされました」

 菜々はカルマと中村が奥田の毒に、ゴキブリとカマキリの卵を入れていた事を思い出したが、何も言わないことにした。

 マッハで元どおりの顔に戻し、殺せんせーは教え子に向き合う。

「ずっと官僚になるって決めてたんです。厳しい道のりだと思いますけど、追いつきたい人もいるし」

 照れたようにはにかみながら夢を語る菜々に、殺せんせーは疑問をぶつけた。

「それは、私に頼んだ事と何か関係があるんですか?」

 一瞬菜々の目の色が変わった。しかし、すぐに元の表情に戻り口を開く。

「その理由は一年後に話すって言ったじゃないですか」

 彼女が指定したのは、地球が滅んでいるかもしれない時。

 地球が滅んでいなかったとしたら殺せんせーは殺されていることになる。

 おかしな話だが深くは突っ込まないことにして、今の時点で進学を希望している高校の話を始める事にした。

「都立永田町高校。公立ですか。理由を聞いても?」

「一番の理由は学費です。中学受験をする時に塾に通わせてもらって、椚ヶ丘中学校の授業料を払ってもらって。親には迷惑をかけました。学費が安い公立なら親孝行出来るかなって」

 

 そんな事があって数日後。渚の母親が来た。

 殺せんせーが烏間に変装した状態で、ズラだとカミングアウトした日から少し経ち、十一月の中旬。

 学園祭が始まった。

 

 

 *

 

 

 賑やかな声が聞こえてくる。

 文化祭である事を考えるとそれは全然おかしいことではないのだが、その中に怒鳴り声もあるとなると話は別だ。

 喧嘩が始まったせいでそれなりにいた客は帰ってしまい、残っているのは殺し屋達だけ。

 このまま行くと警察沙汰になる可能性もある。

「誰かストッパー……加藤呼んで来い!」

「さっきから姿が見えないよ!」

 前原が叫ぶが、茅野がそう告げる。

「チッ、逃げたか」

「ほんと、どーすんだよ、コレ」

 杉野がため息をつきながら見たのは、いい歳して喧嘩している二人の男だった。

 

 

 話は数時間前に遡る。

「おーい、いるか渚―⁉︎ 来てやったぞー‼︎」

 元気な声が聞こえる。呼ばれた渚が振り返ってみると、声の主がさくらだと分かった。

「苗子ちゃんも来てくれたんだ」

 渚のすぐ近くにいた菜々が、小学生の頃からの友人に声をかける。

「桜子は後で来るって」

 三池はさくらとすっかり仲良くなったらしく、わかばパークの人達と一緒に来ていた。

「で、なんでこんなに刑事さんがいるの?」

 席は結構埋まっている。

 しかも、よくよく見てみるとほとんどの客が人相が悪い。

 彼らが刑事だという事を、何度か事件に巻き込まれている三池は知っていた。

「私が呼んだ。結構食べてってくれるよ、あの人達」

 よく見れば工藤一家もいる。

「優作さんと有希子さんがいるってネットで拡散しといたから、後でお客さんがたくさん来ると思うよ」

 そんな事を話していると、桜子が到着した。

「このメンバーって……事件起きたりしないよね?」

「大丈夫! 昨日殺人事件に巻き込まれたばっかりだから!」

 コイツ呪われてるんじゃね?

 彼女達の話を聞いていた者の心の声が一致した。

「じゃあ、そろそろ私調理室に戻るね」

 知り合い達を席に案内した後、菜々はそう告げた。

「なんで調理室?」

 一部始終話を聞いていた一人の刑事が尋ねる。

「えっいや、なんでって……。料理するためですけど」

 その答えを聞いた瞬間、刑事達が凍りついた。

「料理が出来る……だと‼︎」

「マジか……。女子力ゼロだとばかり思ってたのに」

「でも、菜々って試食目当てとはいえ、毎年バレンタインに私達のチョコ作り手伝ってくれてますよ」

 三池の言葉を聞いて、刑事達は雷に打たれたような錯覚に陥った。

 小さい頃から善業を積んでおいて地獄行きを避けようという目論見があったため、菜々は昔から家の手伝いをよくしていたので料理もできる。

 鬼になり、死後の裁判を受けなくてもよくなった途端、手伝いをする回数がめっきり減った事から、彼女の性格がよく分かる。

「何言ってるの。菜々ちゃんもちゃんとした女子だよ。あっ、君可愛いねー。彼氏いる? もっと大きくなったら僕のところ来てね。遊んであげるよ」

 自分を弁解する声が聞こえたので菜々が振り返ってみると、ヘラヘラと笑っている男が目に映った。

 突然現れた白澤にナンパされた神崎は、困ったような笑みを浮かべている。

 ほんとにこの子男運ないなと思いながら、菜々は杉野を呼んだ。

 神崎は他の男子の事が気になっているようだが、少しは点数を稼げるだろう。

 杉野によって連れていかれた神崎を見送った後、白澤は菜々の隣にいた渚に向き直る。

「初めまして。菜々ちゃんの知り合いの白澤(しろざわ)(じん)です。君可愛いよね。男なのが残念だなー」

「えっと、潮田渚です。あの……」

 渚が言いたい事を察して、代わりに菜々が質問する。

「ずっと気になってたんですけど、何ですか? その服装」

「えっダメ? 結構イケてると思うんだけど。変?」

「違和感があります。見た目若いのに服装が老人っぽい」

「そうか。若い子にはウケないのか。まだ中学生だもんね」

 取り敢えず、何でいるんだという視線を送りながら、菜々は席に案内した。

 ちょうど工藤一家が帰るところだったので見送った後、旧校舎に入る。

「ソラ、なんか知らない?」

 人目につかない場所でいつも一緒にいる狐に尋ねてみたが、何も分からないという事だった。

 鬼灯に詳しい事情を聞こうと地獄から支給されている携帯電話を取り出した時、渚が中村にズボンを脱がされていた。

 好奇心が勝ち、携帯をしまって菜々は彼らの元に向かう。

 夏休みに訪れた南の島で、女装していた渚に惚れてしまったユウジが来たらしい。

 カルマや中村達と一緒に渚を観察していると、次々と暗殺者が現れた。

 殺せんせーを殺しそこねた殺し屋達だ。ターゲット本人が呼んだとの事だ。

 危機感を感じたので、菜々は後ろ髪引かれる思いでその場を離れ、知り合いの刑事達を半強制的に帰らせた。

 

 刑事を全員帰らせてから戻ると、ユウジは帰ってしまっていた。

「菜々ちゃん、これ五番テーブルに運んでー」

 倉橋に呼ばれたので料理を受け取り、五番テーブルを探す。白澤の席だった。

 箸が全然進んでいない事を考えると、女性を口説くのに忙しかったのだろう。

 料理を運んだついでに、何でいるのか尋ねようと思ったが、その証拠に彼はイリーナを口説いていた。

 さすがにイリーナの前で問い詰めるわけにもいかず、後で鬼灯に尋ねようと決める。

「から揚げにレモン汁かけますか?」

 そう尋ねながら注文されたキジ肉のから揚げを置く。

「うん、お願い」

 色々な料理を少しずつ頼んでいるようだ。

 女子か、と内心で突っ込みながら菜々はレモンを取ろうとしたが、皿にのっていなかった。

 盛り付け忘れだろうかと思う前に、白澤の悲鳴が聞こえる。

 彼は目を抑えていた。

「何すんだよ!」

「レモン汁かけるって言ったじゃないですか」

「目にじゃねーよ! てかなんでいるんだ、お前!」

 レモン汁を白澤の目にかけた張本人を見て、菜々はため息をついた。

 イリーナはいつのまにか逃げていた。めんどくさい事になると気がついたのだろう。

 

 白澤が目を洗いに旧校舎に行っているうちに、菜々は先ほどの事件の犯人である鬼灯に尋ねた。

「何でいるんですか、あの人?」

「あいつも超破壊生物の今後について一枚噛んでいるんです。あれでも一応知識の神ですから。殺せんせーを日本地獄で雇っても問題ないか、確かめに来たんでしょう」

「イテテ……。ほんと何なの、お前」

 旧校舎から帰ってきた白澤が愚痴る。

「えっいや、あなたの姿を見かけたのでつい」

「いいか⁉︎ やって良い事と悪い事があるからな! つい、じゃねーよ!」

「よく言いますね。あなただって見境なく女性を口説いているでしょう。それと同じです」

「少しは年長者を敬えよ。それにお前の理不尽な暴力と僕の行動は同じじゃない。全然違う」

「うるさいですね。だいたいこんなところに来て、店の方はどうしたんですか?」

「関係ないだろ、お前には。ちゃんと(タオ)タロー君に任せてあるし」

 よし、逃げよう。しりあげ足とりを始めた二人を見て、菜々はそう結論づけた。

 この先どうなるのかは気になるが、浄玻璃鏡で見れば良いだけの話だ。

 

 ここで冒頭に戻る。

「うっせー、この闇鬼神!」

「はい、負け」

 ずっと口喧嘩をしていたかと思えば、そんなやりとりが行われ、全員が面食らった。

「なあ、負けってなんだ?」

「さあ……」

 頭をひねっていた前原と岡野だったが、すぐに思考を中断した。

 またもや口喧嘩が始まったからだ。

 しかも、どんどんヒートアップしている。

「誰かストッパー……加藤呼んで来い!」

「さっきから姿が見えないよ!」

 危機を感じたため、二人と知り合いであるクラスメイトに助けを求めようとした前原に、茅野が告げる。

「チッ、逃げたか」

「ほんとどーすんだよ、コレ」

 呆れ半分、諦め半分の顔をした杉野が呟いた。

 

 

「菜々さん、早く来てください! 大変な事になってるんです‼︎」

 菜々が滝が見える崖の上に陣取っていると、殺せんせーがやって来た。

 裏山の一角。

 木々が青々と茂り、轟の名のごとく大地を震わす瀑音が聞こえてくる。

 久しぶりに手のひらから気を出そうと座禅を組んでいたのがバレないように、菜々はすぐに立ち上がった。

「鬼灯さんとは……白澤(しろざわ)さんですか?」

「そうです!」

「とにかく、現場まで運んでください」

 さすがにまずいと判断し、菜々は重い腰をあげた。

 

 

 現状を一言で表すとするならば、カオスだった。

 殺せんせーが変装のために使っていたシャチホコの形をした物は屋根から外され、ぶん回されている。

 中身は大事になる前に脱出したようだ。

「大体なんですか‼︎ その格好は。どう見てもよく散歩している近所のおじいちゃんですよ‼︎」

 そう叫びながら、鬼灯は白澤目掛けてシャチホコを振り下ろす。

「お前には服について言われたくない! いつも黒一択の上に変な柄のTシャツ着てるし! ああそうか。センスがないから僕の最高のセンスが分からないのか‼︎」

 わめきながらシャチホコをなんとか受け止めるも、力勝負で負けて白澤は地面に叩きつけられる。

 一般の客は帰ってしまい、残っているのは殺し屋達だけだ。

「あの動き、ただ者じゃないな」

「しかもあの黒い服の男の殺気、尋常じゃないぞ……」

 殺し屋達の話を聞くと変な誤解が生まれかけている事が分かった。

 どうするのが最善の手なのか菜々は一瞬思案したが、すぐに行動を起こした。

「見物料一人五百円です!」

「金取るのかよ! それよりあの二人を止めてくれ‼︎」

「私はまだ死にたくない。それにこれだけ被害被っているんだからこれくらいいいでしょ」

 そう言ってもまだ不安が拭い去れないのだと杉野の顔を見て判断し、菜々はため息混じりにこぼした。

「別に大丈夫だと思うよ。兄弟喧嘩みたいなものだし。いつもこんな感じだし」

「いつもこんな感じ⁉︎」

「あ、後あの二人に似てるって言わない方がいいから」

 とっさに話を逸らすと、ポケットから女の子の声が聞こえて来た。

「菜々さん、メールです」

 モバイル律だ。何だろうかとメールを確認した菜々は凍りついた。

 もうすぐ両親が来るという内容の、父親からのメールだった。

「この場で喧嘩はやめてください! どうせ喧嘩するなら路地裏でしてきてください。いい場所知ってますよ」

 ここは現世だと思い出したらしく、二人は動きを止めた。

「とにかく、迷惑料は貰いますよ!」

 この二人が一緒にいると何が起こるか分からない。面倒ごとは避けたいので絞れるだけ絞りとって、両親が来る前に追い返した。

 

 

「セーフ」

 鬼灯と白澤を追い返してすぐ両親が到着したため、菜々は思わず呟いた。

 両親を席に案内し、適当にあしらった後旧校舎に戻る。

 殺し屋達も帰ってしまい、ほとんど客がいないのでする事がない。

「それにしても加々知さん、かなり怒ってたよな」

白澤(しろざわ)って人もやけに加々知さんに突っかかっていたし、何かあるのかな」

 一休みしようと教室の前に差し掛かった時、菜々は杉野と渚の話を聞きつけた。

「あの二人に何があったか気になる?」

 いきなり現れた事に驚かれたものの、頷かれる。

「知りたかったら一人五十円」

 彼女は元の世界に戻る方法を探すための資金を昔から集めていたためそれが習慣になってしまい、今では金を集めるのが趣味になりつつある。

 ぶつくさ言いながらも二人は金を払った。やはり気になるのだろう。

 他にも話を聞きつけて数人集まったので、菜々は鬼灯と白澤が昔行ったくだらない賭けについて話始めた。

 

「で、その男か女か分からなかった人の性別が最近判明したんだよ」

 菜々が語った内容は考えていた以上にくだらない内容だったが、問題となっている人物の性別は皆気になっていた。

 教室が静まり返っていたせいで誰かがゴクリと喉を鳴らした音が大きく聞こえた。

「続きが知りたいなら一人百円」

「「「金取るのかよ‼︎」」」

 なんだかんだ言って皆払った。

「結局どうだったの?」

 皆の意見を代表して渚が尋ねる。

「手術をしてないニューハーフ」

 その瞬間、教室の温度が一気に下がった。

 なんとも言えない微妙な空気が訪れる。

「でも、なんだかんだ言ってあの二人似てるよな」

「加々知×白澤(しろざわ)……」

 中村がブツブツ言っていたが菜々は無視して、先程集めた金を数えて始めた。

 殺し屋達からもぎ取った見物料も一緒に彼女の懐に入る。

 飲食店として届けを出しているのだから、文化祭のクラスの売り上げには含まれないと、一見最もな意見を菜々は言っていたが、見物料を取っている時点でおかしい。

 忠告しても聞かない事は分かりきっているので、皆何も言わなかった。

 中村が鬼灯と白澤でふしだらな妄想をしていると、声がダダ漏れなので分かる。

 彼女の言葉を聞いて実の父親がギョッとしているのを尻目に、菜々は母親にセールストークをしていた。

 

 

 *

 

 

 ユウジのブログのおかげでE組が学園祭の総合成績三位になったりしていたら、期末テスト当日になっていた。

 E組に上位を独占して欲しいと浅野に頼まれた事もあり、皆必死で勉強したが不安をぬぐい去れなかった。

 A組生徒達が學峯の洗脳の賜物なのか、常世からやって来た悪鬼のような表情をしていたからだ。

 

 菜々は机に突っ伏していた。

 一時間目である英語のテストが終わったのだ。

 このままだと昇天するんじゃないかと思いながらクラスメイト達の話を聞く。

 やはり皆感想は同じのようだ。

「ダメだ」

「解ききれんかった」

「難しい上に問題量が多すぎるよー」

「ヒアリングエグかったな。ビッチ先生でもあんなにボキャブラリー豊富じゃねーよ」

 これで大丈夫なのかと菜々は不安になったがすぐに開き直る。()れるだけやった。あとは成るように成る。

 社会、理科、国語とテストはどんどん進んでいき、最終科目である数学が残った。

 下手したらコレ大学入試レベルなんじゃないかと思いながら、菜々はシャーペンを進めていく。

 見直しをする時間はとれなかったが、なんとか最終問題まで解けた。

 テストは終わり、あとは結果を待つだけだ。

 

 

 テスト返し当日。

 菜々は数学のテストを思い返していた。

 最後の問題が解けたのはマグレだ。奇跡的に今まで忘れていた原作知識が降りて来たのだ。

 なんでだろうかと考えていたが、すぐに辞める。どうせ考えても仕方がない。

「さて皆さん。集大成の答案を返却します。君達の2本目の刃は標的に届いたでしょうか」

 そんな言葉が聞こえたかと思うと、いつのまにか答案が手元にあった。殺せんせーがマッハで返却したのだろうと容易に想像がつく。

「細かい点数を四の五の言うのはよしましょう。今回の焦点は総合順位で全員トップ50を取れたかどうか‼︎」

 本校舎でも今頃順位が張り出されている頃だろうし、E組でも先に順位を発表する。

 そう説明して殺せんせーは順位表を黒板に貼った。

「E組でビリって寺坂だよな?」

「その寺坂君が47位ってことは……」

 その次の言葉は歓声にかき消された。

 寺坂が50位以内に入っているという事は、全員が50位以内に入っていると言う事だ。

 菜々は先程返されたテストを見て青ざめた。

 ちょくちょくミスをしている。順位は8位。原作知識を使ったにも関わらず、得意科目である数学でも満点を取れていない。

 沙華に怒られる事が確定した。

 殺せんせーの近くを飛んでいる張本人が後でテストを見せるようにと言っている。

 菜々の様子から彼女がまたミスをしたと沙華は勘付いたようだ。

 どうやって誤魔化そうかと菜々が頭をフル回転させていると、急に衝撃が走った。

 旧校舎が揺れたのだ。

 窓側に座っていた片岡が窓の外を確認して悲鳴のような声を上げる。

「校舎が半分無い‼︎」

「退出の準備をしてください。今朝の理事会で決定しました。この旧校舎は今日をもって取り壊します」

 學峯が言うには旧校舎を取り壊し、代わりにE組の生徒達は監獄のような新校舎に移らなくてはいけないらしい。

 殺せんせーは今から自分が殺すので解雇する。

 そう言い放ったと思ったら、學峯はさっき旧校舎の半分を破壊したクレーン車の操縦者に、作業を中断するようにと指示を出した。

 彼はギャンブルで暗殺をするつもりらしい。

「五つの問題集と五つの手榴弾を用意しました。うち四つは対先生手榴弾。残り一つは対人用。本物の手榴弾です」

 どちらも見た目や臭いでは区別がつかず、ピンを抜いてレバーが起きた瞬間爆発するように作られている。

 ピンを抜き5教科の適当なページに、レバーを起こさないように気を付けながら手榴弾を差し込む。

 殺せんせーがこれを開き、ページ右上の問題を一問解く。ただし問題が解けるまではその場から一歩も動いてはいけない。

 殺せんせーが四冊解き終わった後、學峯が最後の一問を解く。

 學峯を殺すかギブアップさせたら、殺せんせーも生徒も旧校舎に残ってもいい。

 そんな提案を聞いて皆、なぜ外に出されたのかを理解した。

 

 

 殺せんせーは日本全国の問題集をほぼ覚えていた。

 そのため、数学の問題集は長い間矢田に貸していたので問題に答えるのに時間がかかり、ダメージを受けてしまったものの、それ以外ではレバーが起きる前に問題を解いた。

 四教科の問題集を殺せんせーが解き終わり、學峯が残った一冊を開いたが、殺せんせーが脱皮して皮をかぶせ、衝撃から守ったため彼は無傷だった。

 結局殺せんせーが賭けに勝ったので旧校舎は取り壊されなくなった。

 

 壊された旧校舎の修理をしながら菜々は考え込んでいた。

 殺せんせーの暗殺期限はもう三ヶ月をきっている。

 もうそろそろ全世界を挙げての暗殺が始まっていてもいい頃だ。

 しかし、何も知らされていない事を考えると自分に情報は来ないと思って良いだろう。

 誰にも迷惑がかからないように情報収集を始めなければいけない。

 その後、全員で押さえつけられれば身動きが取れなくなると殺せんせーに教えてもらった。

 



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15話

進撃の巨人知らない方すみません。


 演劇発表会が無事に終わったと思ったら大事件が起こった。

 茅野が触手持ちである事が発覚したのだ。

 菜々はすぐに地獄へ報告に向かった。

 国際会議へ向かった閻魔と鬼灯を抜いて日本地獄では緊急会議が開かれたが、明日に支障が出るといけないと言う名目上、菜々は早くに帰される事となった。

 明日、茅野が失敗しても殺せそうだったらトドメを刺すようにと言われ、菜々は帰路に着く。

 ――明日また()るよ、殺せんせー。

 茅野の言葉が繰り返し思い出される。

 それと同時にあぐりの不安そうな表情を思い出す。そういえば彼女も早くに帰されていた。

 今地獄ではどんな話し合いが行われているのだろう。

 茅野が触手を持ったまま死んだ時の対処法だろうか。

 それとも殺せんせーが殺され、茅野が暴走した時の対処法か。

 どっちにしても雪村あかりの実の姉であり、天国の住人であるあぐりに聴かせられる内容じゃない。

 ――原作通りに進まなくても私がなんとかする。

 菜々は肩にかけていたスクールバッグの持ち手を握りしめた。

 

 

 *

 

 

 渚のキスで茅野が殺意を忘れた隙に、殺せんせーが彼女の触手を抜いた。

 そのため、言い含めておいた亡者達にポルターガイストを起こしてもらい、その隙に鳩尾に一発かまして気絶させるという無茶苦茶な方法を実行しなくて済んだ事に菜々は安堵した。

 一方殺せんせーは過去について問い詰められ、何があったのかを洗いざらい話した。

 死神と呼ばれる暗殺者だった事。

 弟子に裏切られて捕まり、人体実験をされた事。それによって触手を得た事。

 夜の死神の監視役はあぐりだった事。

 三日月が7割がた蒸発したのは触手細胞を植え付けられたネズミのせいで、三月一三日にも死神にも同じ事が起こるため、処分が決まった事。

 あぐりにそのことを教えられ、脱走した事。

 死神を止めようと抱きついたあぐりが致命傷を負ってしまった事。

 彼女が死ぬ直前に、死神に残された一年で椚ヶ丘中学校三年E組の生徒達に教えてほしいと頼まれた事。

「先生の過去の話は以上です。なお不明な点や、疑わしい点がある人は指摘してください」

 殺せんせーはそう言ったが、疑う者は誰もいなかった。

「もし仮に殺されるなら、他の誰でもない君達に殺してほしいものです」

 殺せんせーが呟くのを聞いて、突如皆の頭に殺せんせーとの思い出が駆け巡った。

 そして、全員が今まで目を背けてきた事に気がついた。

 自分達はこの先生を殺さなくてはいけない。

 

 

 *

 

 

「暇だ」

 菜々はベッドに寝転んだ状態で呟いた。

 今は冬休み。本来なら勉強の合間に暗殺したり皆で遊んだりする予定だったが、殺せんせーの過去を知ってしまい、皆が色々と考えている。

 一方菜々はもともと殺せんせーの過去を知っていたので特に悩まなかった。

 暇すぎて冬休みの課題を全て終わらせてしまったし、まだ茅野の見舞いの許可も降りていない。

 その上、なぜか家にあった漫画がかなり減っている。無くなっているのはどれも父の漫画なので何も言えないのが痛いところだ。

 地獄に行く事も考えたが、向こうもあまり来てほしくないだろう。

 殺せんせーについてこちらに話していない事が色々とあるだろうし、この時期は亡者が増えるので忙しい。それもこれも餅のせいだ。

 それを踏まえると亡者の回収をするべきなのだろうが、いい加減飽きた。

 冬休みが始まってから一日に十五人くらい捕まえているような気がする。

「ソラ、今日も地獄に行ってていいよ」

 そう言いながらキャスケットをかぶる。

 ソラが菜々と一緒にいるのは、現世の中でもキャスケットがかぶれない場所だけだ。

 最近、彼女は外出しているのでソラがつきっきりになっていなくても問題ない。

「分かった。事件に巻き込まれたら連絡してね」

 そう言い残して、下手に追求する事もなくソラは出て行った。

 

 

「やっぱりあの、やけにたくさん出来た高層ビルが怪しいな」

 菜々は今、現世で進められている最終暗殺計画について調べている。

 ――これから、今回のような事があると思います。自力でなんとかしてください。

 最近出来たばかりの高層ビルの一つを見上げていると、死神と接触した後鬼灯に言われた言葉をふと思い出した。

 自力で解決しろという事は、情報を与える事が出来ないので自分で調べろという事なのだろう。

 迷惑がかからないように、調べる時はソラと別行動するようにしている。

 それにしても、と菜々はため息をついた。

 これからどうするべきだろうか。

 ビルが関係しているとなると、ビルに見せかけて何かしらの装置を作っている可能性が高い。

 しかし、それが分かったところでどうしようもないのだ。

 取り敢えず原作知識を思い出そうと頭をひねってみる。

 殺せんせーは触手を植え付けられた二代目死神と戦い、なんとか勝ったものの倒れ込んだ。

 その隙に皆で体を抑えて渚がとどめを刺した。

 ――おかしい。

 二代目死神が来る前に殺せんせーが逃げればあんな事にならなかったのではないか。

 何かを忘れているような気がするので、重要な事を忘れていると仮定してみた。

 大規模な装置が作られている可能性が高い事。殺せんせーが逃げなかった事。この場合「逃げられなかった」の方が正しいかもしれない。

 そこまで考えて菜々は閃いた。

 今作られている装置は殺せんせーを閉じ込めるためのものだ。

 しかし、それが分かったところでどうしようもない。

 彼女の目的は殺せんせーを自分達で殺す事だし、これ以上情報を得ても仕方がない。

 まあ、その時が来ればなんとかなるだろうと菜々は思考を放棄した。

 彼女は楽観的だ。そうでなければ、いきなりトリップして普通に生活できるわけがない。

 やる事が無くなったので阿笠の家に押しかけようかと考えていると携帯が鳴った。三池からだ。

『もしもし菜々⁉︎ 明日の夜空いてる?』

「いきなりどうしたの? 明日はゴロゴロした後ウダウダするつもりだから夜も忙しいと思うけど」

『暇なんだね。私の友達のお母さんが経営しているお店に変なお客さんがいるみたいで……。なんとかしてくれない?』

 三池が言うには、転校先で出来た新しい友人の親の店に怪しい客が来るらしい。

 警察は事件が起こるまで動いてくれないので、警察関係者に顔が利く菜々に頼もうと思ったようだ。

『冬休みの宿題で、好きな職業についてレポートを書かなくちゃいけないの。その子のお店でインタビューしたり仕事を手伝ったりするつもりだから、菜々が上手いこと紛れ込んで』

「いや、ちょっと待って。特に理由もないのにお邪魔するのは失礼だし、私が行くちゃんとした理由がないと怪しまれると思うけど」

『大丈夫。そこはちゃんと考えてあるよ』

 三池に押し切られ、菜々は彼女の友達の家に行く事になった。

 

 

 *

 

 

 次の日。

 菜々はソラに化かしてもらっている状態で「居酒屋あずさ」と書かれた小さな居酒屋の扉を叩いた。

「こんにちは、加藤菜々です。苗子ちゃんから聞いていると思いますが、今日から職業体験させてもらいます」

「あなたが菜々ちゃんね」

 玄関先で挨拶をすると、優しそうな声が聞こえてきた。居酒屋の店主である梓だ。

「蛍ちゃんいますか? お店が営業するまで勉強を教えようと思うんですけど」

「ありがとう。蛍達は二階にいるから勝手に上がって。ごめんね、今手が離せなくて」

 見てみると忙しそうに手を動かしている。開店前の下準備をしている最中のようだ。

「おじゃまします」

 挨拶をして二階に続く階段に向かいながら菜々は三池が練った作戦を思い出していた。

 菜々は将来居酒屋を開きたいという事にする。

 冬休みの宿題のために三池はちょくちょく店におじゃましているので、その繋がりで三池が菜々にも手伝いに来させていいか尋ねる。

 店主は目が見えないので手伝いが増えると大助かりだろう。

 それでも罪悪感があるというなら、三池と同い年の店主の娘の蛍に勉強を教えればいい。

 初めはタダ働きをしなければいけないので菜々は渋っていたが、三池に怪しい客とやらの特徴を聞いてそんな考えは吹き飛んだ。

 彼女から聞いた客の特徴にはものすごく心当たりがあったのだ。

 

 

『これまでのあらすじ。

 武闘会で優勝し、王子様と結婚する権利を与えられたシンデレラだったが、王子様が不細工すぎて思わず殴ってしまった。

 そのせいで死刑を告げられたがシンデレラは逃走。

 時効まであと十六年‼︎』

「何これ……」

 三池は先ほど菜々に渡されたプリントを見て呟いた。

 あらすじの後には長い文章があり、その次に文章読解の問題がある。

「まだこのネタ引きずってたんだ……」

 相棒である狐に言われたが菜々は無視した。

「何って問題だよ。始めに私が作った総まとめの問題を解いてもらって、苦手なところを把握しようかなって」

 二階にある蛍の部屋では勉強会が開かれていた。

「結構力作だよ。一時間でこれ全部解いてね」

 そう言いながら総合問題と大きく書かれたプリントの束を取り出すと、小学生達の顔が引きつった。

 

 大問一は文章読解のようだ。

 指名手配犯となったシンデレラが山奥に逃げ込み、修行を始めるまでに何があったのかが書かれており、その後に漢字の問題や心理描写の問題が続いている。

 大問二は算数だった。

 総合問題ってそういうことか、と納得しながらソラは蛍の問題用紙を覗き込んで読み進めて行く。

『問一、シンデレラは住んでいる山から一番近いスーパーに秒速20mで向かいました。シンデレラの家からスーパーまで5kmあります。シンデレラは10時50分に家を出ました。12時からの特売に間に合うでしょうか。また、何分前もしくは何分後に到着しますか(小数になった場合は四捨五入して整数で答えなさい)』

 シンデレラの速さがおかしいし、これなら4分弱で着くんじゃないかと内心でツッコミを入れつつ、ソラは読み進める。

『問二、シンデレラは畑を耕しています。自給自足しないとやってられません。シンデレラは500haのうち5分の1を耕しました。しかし、シンデレラの動きが余りに速すぎて衝撃波が発生し、彼女がまだ耕していない畑の4分の1が吹き飛びました。さて、まだシンデレラが耕さなくてはいけないのは何㎡でしょうか。ただし、衝撃波で吹き飛んだ土地は修復不可能です』

 暇の余りこんな変なもんを作ってしまったんだろうなとソラは苦笑した。

 この後シンデレラが空を飛んだり、分身したり、身体能力を生かしてバイトでボロ儲けしたりしている。

 お前指名手配犯だろ、と思わず突っ込みたくなる。

 大門三は理科だった。

『問一、次の図は、シンデレラの血液の流れを表しています。ア〜エのうち、最も養分が多い血液はどれでしょう(※ただし、シンデレラは普通の人間と同じ体の作りをしている事とする)』

 ここまで読んでソラは突っ込むのをやめた。

 滑車の問題でガンダムが出てきたり、振り子の問題で立体機動装置が出てきたりした後、大門四の社会に移る。

 シンデレラがタイムスリップしたりしているのを見て、ソラは問題を覗き込むのをやめた。

 

 テストが終わり、休憩を挟んでそれぞれの苦手分野の解説をしていると、開店時間になっていた。

 急いで下に降りて梓から指示をもらう。

 指示通り菜々が店の奥で力仕事をしていると、賑やかな声が聞こえてきた。客が来たようだ。

「本当か⁉︎ 国ですら探し出せないんだぞ」

「ああ、とうとう突き止めたんだ。誰一人知らなかった奴のアジトを」

「でかしたぞシーカー‼︎ プロの殺し屋面目躍如だな‼︎」

 予想が当たったようだと思いながら、菜々は酒瓶の入った段ボール箱を床に下ろす。

「梓さん、頼まれた追加のお酒持って来ましたよ」

 段ボール箱から一本の酒瓶を取り出した時視線を感じた。

「あ、加藤菜々です。今日から苗子ちゃんの紹介で手伝いに来ています」

「ああ、苗子ちゃんか。あの子もいい子だよな」

 殺し屋達の話を聞き、菜々は大体の状況を把握した。

 彼女の予想通り、彼らは殺せんせーを狙っている殺し屋らしい。

 目の見えない店主と小学生しかいないこの店は都合が良かったのだろう。

 暗殺の話が漏れても芝居の稽古だと言って誤魔化しているようだ。

 初めは利用するだけのつもりだったが、今では四人とも梓に惚れており、蛍の事も可愛がっていると菜々はすぐに見抜いた。

 しかし、急に中学生が入ってきて彼らは緊張している。この様子だと三池に怪しまれていた事には気がついていないはずだ。

 普通の小学生ならまず怪しまないだろう。米花町の小学生が異常すぎるのだ。

 やっぱり呪われてる、米花町。

 思考が逸れてきたのですぐに考えを中断し、菜々は殺し屋達にだけ聞こえるように囁いた。

「ターゲットはマッハ20の超生物、ですよね?」

 殺し屋達が身構える。一斉に放たれる殺気を感じたが、調子を変える事なく菜々は続けた。

「私は椚ヶ丘中学校三年E組の生徒。殺せんせーの教え子の一人です」

 殺し屋達は一瞬固まったものの、その中の一人が口を開いた。

「そういえば学園祭で見たな。ホラ、殺し屋っぽい奴と老人のような服装をした若い男の喧嘩の見物料を要求して来た」

 他の者が分かっていないようだったのでマリオが付け加えると、三人も思い出したようだ。

「それより、殺せんせーのアジトを突き止めたって本当ですか?」

 客は殺し屋達だけであり、彼らは先程注文した酒を飲んでいる。つまり、今は特に仕事が無い。

 そのため、菜々はここぞとばかりに殺し屋達だけに聞こえる小さな声で尋ねた。

 

 ゴミ屋敷に住んでいる、競馬の賭け方がみみっちい、世界中からエロ本を集めているなどの殺せんせーの私生活に迫っていると本人がやって来た。

「よっ‼︎ ダンナ方お揃いで‼︎」

 スーツを着て七三分けのカツラをかぶって変装をしているが、不自然に関節が曲がっている。どう見ても怪しい。

 殺し屋達の事が無かったとしても三池が怪しむのは当たり前だった。

「テメーはこの店来んなっつただろっ!」

「おやおや、そちらが他所で飲めばいいのに」

「どこにいても殺気をたどってからかいに来るだろーよ!」

 殺し屋達が一斉に攻撃を仕掛けるがいとも簡単に避けられる。

「何飲みます、タコさん?」

「んーとねー、取り敢えずカシオレ」

「「「女子か⁉︎」」」

 このような会話はいつものことらしい。その証拠に注文を受けた蛍は可笑しそうに笑っている。

 頼んだカシオレを待っていた殺せんせーはやっと菜々に気がついた。

「にゅやっ、菜々さんなぜここに?」

「めちゃくちゃ聞き覚えのある特徴の不審人物が、このお店に来るって苗子ちゃんに聞いたんですよ」

 どうせならもっと上手く変装しろ、と目で訴える。

「それと、()()()()宿()()ですけど、私の心はもう決まっています。ぶっちゃけやる事がなくて暇なんであと数日このお店には手伝いに来るつもりです」

 もともと、怪しい客の正体を突き止めるために、数日店に居座った方がいいと三池に言われていた。

 その旨を梓に伝えてしまった以上、約束は守らなくてはならない。

 暇だと告げると殺せんせーは声を弾ませて遊びに誘って来た。

 せっかくの冬休みなのに教え子達と遊びに行けないのが寂しかったらしい。

「旅行費……先生が出すなら行きます」

 思わず殺せんせーと呼びそうになったが、さっきから三池に見られているので言葉を飲み込む。

「知り合い?」

「教師と生徒」

 教師って話本当だったんだ、と三池が思わず口走っていると蛍がカシオレを持ってきた。

 一口飲んだだけで殺せんせーはベロンベロンに酔っ払う。

 隙だらけだったので、暗殺者達と一緒に菜々もナイフを振ったが一度も当てられなかった。

「生徒達と遊びたい……。できれば大人数で」

 酒が入ったせいでいきなり泣き出した殺せんせー。

 ここに生徒の一人がいるのにこんなに隙だらけでいいのかと、菜々は注文されたツマミを作りながら思っていた。

「そっか、タコさん本業先生だもんね。冬休み中は会えないのか」

 その頃菜々は、殺せんせーの様子を撮影するためにスマホを立て掛けていた。

「私に似てるって生徒にも会いたい?」

「ええ、彼も含めて皆に会いたい……」

「彼⁉︎ 彼女じゃ無いの⁉︎」

 男に似ていると言われていた事にショックを受けている蛍。

「大丈夫だよ。私の同級生が女っぽいだけだから」

「彼女……彼女か。合コンやりたい」

「一応ここに生徒がいますよ」

 菜々は忠告したが、殺せんせーは特に気にしている様子がない。

「菜々さんは利害が一致すれば何もしてこないじゃないですか」

「よく分かってますね。要求は後で伝えます」

「なんかこう……女性にモテたいんです」

 なんの脈もなく自分の欲望を語り出した殺せんせーは、このメンバーで合コンしたいと言い始めたが、お前と女漁りなんて考えたくもないと拒絶される。

「じゃ、ここでやったら? 合コンごっこ」

 梓の提案で、皆で合コンごっこをする事になった。

 たけのこニョッキ、リズム400ゲームなどのよく合コンで行われるのであろうゲームを行なったが、殺せんせーがぶっちぎりで一番だった。

 菜々はちゃっかりと2位を取っていた。

 

 

 *

 

 

 初めて居酒屋あずさに手伝いに行った次の日に、梓が誘拐されたと菜々が知ったのは三日後だった。

 その日は蛍や三池が通っている小学校の出校日で、梓しか家にいない時に連れ去られたようだ。

 三池からの電話でその話を聞いた後、梓が無事だった事に安堵しつつ、菜々は殺せんせーに連絡した。

 居酒屋の一件の口止め料として高い和菓子を要求するためだ。

 菜々はすぐに飛んできた殺せんせーから和菓子を受け取り、今日もついて来なくていいとソラに伝え、キャスケットをかぶって家を出た。

 

 

「神崎さん、ごめんね。急に呼び出して」

「全然大丈夫。それよりここ、どうしたの?」

 旧校舎のある山の一角にこじんまりとした茶室が建てられていた。冬休み前は無かったはずだ。

 土足厳禁と書かれた看板が近くに立っているのを見て神崎は靴を脱ぐ。

 今は冬だというのに、茶室の中に入るとかじかんでいた体がほぐれていくように感じた。

 暖房でもつけているのだろうかと神崎は思いながら、菜々に勧められるまま彼女と向かい合う位置に腰を下ろす。

「殺せんせーが建てたんだよ。あ、今日は来ないように殺せんせーに言っといたから」

 居酒屋で撮影した動画をちらつかせたのだ。

「ま、とりあえず買ってきてもらった和菓子でも食べながら話そっか」

 

 しばらく取り留めのない話をしていたが、用意した温かいお茶が冷めてきた頃、菜々は本題に入った。

「本当にいいの? 茅野……あかりちゃんと渚君のこと」

 この前、やっとあかりの面会許可が病院から下りたので都合がついた者で見舞いに行った。

 後日、修学旅行でのメンバーで見舞いに行く事になっている。

「菜々ちゃん、気づいてたんだ」

「まあね」

 沈黙が訪れる。

 直球過ぎただろうか。菜々が次にどう言葉をかけるべきか思案し始めると、神崎が口を開いた。

「そこまでショック受けてないよ。渚君の事はちょっと気になってる程度だったし。私は茅野さんを応援する」

「そっか」

 菜々はお茶をすする。猫舌のせいで冷めるまで飲めなかったのだ。

 やはり神崎はよく出来た人間だ。

 美人でおしとやかで優しくて。良物件のはずなのに彼女は男運が無い。

 よし、杉野君とくっつけよう。

 身を引くことを決意して、精神的に弱っているであろうこのタイミングで優しくするように杉野に言っておこうと、菜々が巡らせていた下世話な考えは神崎の言葉に遮られた。

「私のことも下の名前で呼んでくれないかな? 私は菜々ちゃんのこと下の名前で呼んでるし」

 誰とも親しくなり過ぎないように、あかりはずっと壁を張っていた。

 その壁を無意識に感じ取っていたせいで、菜々は()()を苗字呼びで呼んでいた。

 急にあかりを下の名前で呼び始めたことを気にしたのだろうか。

 そんな事を考えながら、菜々は和菓子に手を伸ばした。

 

 

 *

 

 

 冬休みが終わり、新学期が始まった。

 放課後に渚に声をかけられ、皆が集まってから渚が提案したのは菜々の予想通りの事だった。

「殺せんせーの命を助ける方法を探したいんだ」

 倉橋や片岡、原や杉野が渚に同意する中、中村が言い放った。

「こんな空気の中言うのもなんだけど、私は反対」

 もしも殺せんせーを助ける方法が見つからないまま卒業を迎えてしまったら?

 そう問われて渚は「考える事は無駄じゃない」と反論する。

「ねえ渚君。随分調子乗ってない?」

 カルマの冷たい声が響いた。

 このクラスで一番の実力者である渚が暗殺を抜ける。それは、モテる女がブスに向かって「たかが男探しに必死になるのやめようよー」と言うのと同じだ。

 どんどんと口論がヒートアップしていき、渚とカルマが取っ組み合いの喧嘩を始めている中、渚君が女だったら可愛かったんだろうな、と菜々はどうでもいい事を考えていた。

「中学生の喧嘩、大いに結構‼︎ でも暗殺で始まったクラスです。武器で決めてはどうでしょう?」

 最高司令官のコスプレをした喧嘩の原因が仲裁案を出してきた。

 二色に分けたペイント弾とインクを仕込んだ対先生ナイフ。チーム分けの旗と腕章を殺せんせーは用意していた。

 全員がどちらかの武器を手に取り、助ける派の青チームと殺す派の赤チームがこの山で戦う。

 相手チームを全滅か降伏、または敵陣の旗を奪ったチームの意見をクラス全員の総意とする。

 殺せんせーの提案に全員が納得した。

「私はイトナ君が初めて教室に来て殺せんせーを倒しそうになった時、殺せんせーを殺すのは自分達がいいって思った。今もその気持ちは変わらない」

 菜々は迷わず赤色のインクを手に取った。

 

 全員がどうするかを決めて、作戦会議の時間が設けられた。

「カルマ君。私、やりたい事があるんだけどいいかな?」

「どうせダメって言ってもやるでしょ。加藤さんの場合」

 カルマが呆れたかのように答えたのを聞いて、菜々は嬉しさのあまり今朝烏間から受け取った武器を握りしめた。

 

「ひなたちゃんと木村君、やられちゃったね」

 戦闘開始からしばらく経った時、菜々が呟いた。

 超体操着の新機能、フードの中に入っている内臓通信機によって味方がやられた事が分かったのだ。

「先走りやがった。描く通りに動かないね。人って奴は」

 岩に腰掛けているカルマがため息混じりにこぼす。

「しゃあないねえ。この副官様が決めに行ってやりますか」

 中村が寺坂達を盾にして敵の旗まで強行突破すると告げる。

 赤チームの戦力は戦闘開始時の半分ほどであり、青チームに至っては戦力が半分を切っている。そろそろ互いの旗を奪う戦略を考えだす頃だ。

「莉桜ちゃんが旗を取りに行く時敵を混乱させるために、凛香ちゃんとイトナ君を倒そうとしている人達のところに行くよ」

 そう告げると、菜々はソラに目配せをして肩に乗せてから近くの木に飛び乗った。

 

 菜々が目的地に着くと、既に味方はやられていた。

 到着するまでの間聞こえて来た銃声や辺り一面に飛び散っているペンキから考えると、激戦が行われていたのだろうと容易に想像がつく。

 残っているのは前原だけのようだ。

 偵察で突出した三村でも見つけられなかった渚を含めて、敵はあと二人。

 見たところ前原は息があがっている。

 ーー今のうちに倒す‼︎

 ソラを木の枝の上に降ろすと、菜々は音を立てないように細心の注意を払いながら枝に手をかけた。

 微量ではあるものの、殺気を出してしまうという弱点を殺せんせーに指摘されてから、克服のために努力を重ねてきた。

 本職の殺し屋にコツを聞いたり、実践と評して烏頭と一緒に鬼灯にいたずらを仕掛けたり。

 鬼灯が本気で怒るギリギリのラインを見分けるのが上手くなっただけで、殺気の量はそこまで変わっていない気がしないでもないが、今回は練習の成果を信じる事にした。

 木の枝に腕だけでぶら下がった状態で360度回転する。

 それを何回も続けて勢いをつけると、体をひねりながら手を離した。

 体が宙に放り出され、回転しながら落ちて行く。

 その一瞬で、菜々は両側の腰からぶら下げていた箱型の(さや)に入っていた物を取り出した。

 今朝烏間から受け取った武器、超硬質ブレード型の対先生ナイフだ。

 

 菜々は立体機動装置を使ってみたかった。

 殺せんせーの存在が明らかになってから仕事が忙しくなったのか、烏頭と蓬が時間を取れなくなり、一緒に漫画に出てくる武器について研究する時間がめっきり減ってしまった。

 そこで菜々は考えた。

 暗殺に使う武器として、立体機動装置の開発を政府に要求すればいいんじゃないかと。

 烏間に頼んでみたが、それは無理だとすぐに断られた。

 それでも何度も粘り強く頼み込んで、なんとか要求書を上に通してもらった。

 しかしすぐに断られたばかりか、「こいつの頭沸いてんじゃね?」と烏間の上司に言われた。

 烏間は結果を伝える時その事に触れないでいてくれたが、菜々は浄玻璃鏡で見てしまった。

 部下から「そこあど部長」と密かに呼ばれている男を、死後の裁判の時にいじり倒すことをその時決めた。

 だが、菜々はめげなかった。

 立体機動装置が無理なら、せめて超硬質ブレードは欲しいと考えたのだ。フリーランニングと組み合わせれば巨人討伐ゴッコが出来る。

 超硬質ブレードが欲しい。この際金属で出来ていなくてもそれっぽく見えればいい。そして、自分の金は使いたくない。しばらく考えにふけったところ、その条件をクリアする案を思いついた。

 対先生ナイフを大きくして、デザインを変えればいいじゃないか。

 思いついてから、菜々はひたすら烏間に頼み込んだ。

 米花町で培ってきた土下座を何度も披露していたら、ついに烏間が折れた。

 なんとか上司を説得してもらい、やっと超硬質ブレード型の対先生ナイフが届いた。丁寧に色も塗ってあった。

 

 回転しながら前原のうなじを狙う。

 いきなり現れた菜々を見て矢田が大きく目を見開いた。

「やっぱりそうきたか」

 刹那、菜々が目にしたのは得意そうに笑う前原の顔だった。

 ベットリと青いペンキが付いている事から、菜々の攻撃を防いだことを物語っている銃で、彼はうなじをガードしていた。

「矢田の表情が変わったからな。寺坂達は人面岩で防衛に回っているからここには来ない。それに、カルマは指揮があるからここに来るのは加藤しかいない」

「私が後ろから攻撃を仕掛けてくるって分かった理由は理解した。でも、なんでピンポイントでうなじを狙ってくるって分かったの?」

「不破が言ってたんだ。加藤が烏間先生から超硬質ブレードを受け取ってるのを見たから絶対うなじを狙ってくるって」

 不破の存在を考慮していなかった事を悔やみつつ、菜々は身構えた。

 前原は腰にしまっているナイフで攻撃してくるだろう。

 自分の武器の方が長いので有利だ。

 前原が飛びかかってきたので最小限の動きで避ける。

 公開ディープキスの刑にしようと躍起になっている、プロの殺し屋であるイリーナの攻撃を避けながら授業を受けていた菜々はかなりすばしっこい。

 その上米花町で銃弾を避けたり、最近よく飛んでくる金棒を避けたりしているのですばしっこさに拍車がかかっていた。

 何度かナイフを避けているうちに前原に隙が生まれたので、彼が左手に握っているナイフを叩き落とす。

 すかさず足を蹴り、バランスを崩したところで大きく刀を振りかぶった。

 地面に後ろから倒れていく前原の動きが、映像をスローモーションで見ているかのように見える。

 大きく横に振りかぶった刀を前原に向かって振った瞬間、彼が菜々の視界から消えた。

「えっ?」

 思わずすっとんきょうな声をあげる。

 腹に赤色のペンキがつけられていた。

 菜々は一見血のように見えるペンキを一目見た瞬間、自分の失敗に気がついた。

 長い武器は懐に入られたらおしまいだ。

 疲れを隠しきれていないものの嬉しそうに笑う前原を見て、菜々は息をついた。その顔はやけに清々しかった。

 

 その後、前原はカルマにあっさりとやられ、そのカルマは渚に降参した。

 

 

 




進撃の巨人知らない方、暗殺サバイバルで何が起こったのか分かりにくかったかと思いますが、結局助ける派が勝った事だけ分かっていれば、話が進んでも特に支障はありません。


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第16話

 クラス全員で行われた暗殺サバイバルで助ける派が勝利した事により、殺せんせーを助ける方法を探すことが決まった。

 しかし、烏間が出した期限は今月一杯まで。

 E組が暗殺を辞めたとしても殺せんせーを狙う者は大勢いる。

「俺もな、殺すのなら誰でもない君らに殺して欲しいんだ。だから約束してくれ。一月の結果がどうなろうと、二月から先を全力で暗殺に費やすと。生かすも殺すも全力でやると」

「「「「はい‼︎」」」」

 

 その後、国際宇宙ステーションをハイジャックすることが決まった。

 

 

 *

 

 

「国際宇宙ステーションをハイジャックする? マジですか」

「マジです」

 ここは地獄。閻魔庁にある会議室。

 会議で殺せんせーについて知っている日本地獄の重役達に、菜々は今月の出来事を報告していた。

「いや、殺せんせーの観察を続けるためにクラスメイト達に疑われるのは避けたいじゃないですか。だから怪しまれないように殺せんせーを助ける方法を真剣に探すフリをします」

 弁解したのはいいものの、十王達の顔は険しい。

 現世とあの世の存亡に関わる大事件が起こっている最中なので今まであまり口を挟んで来なかったが、あの世の住人が現世で犯罪を犯すのはまずい。

 菜々は「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」などとほざいていたが、どう考えても色々とまずい。

「それに、結果がどうであろうと殺せんせーの暗殺依頼が取り消されることはありません。たとえ爆発の危険が0%だったとしても、殺せんせーが人知を超えた力を持っているのには変わりありませんし。頭では分かっていても動いちゃうんです。もうすぐタイムリミットが近いのに動きがなくって不安で……」

 世界規模の最終暗殺計画が進められているのだろうと予想をつけているくせに、菜々は俯いて目に涙を溜めながら言ってのけた。

 彼女に最終計画について教えていない事に罪悪感があるのか、十王達の顔に影が差す。

 結局、菜々はお咎めなしになった。

 

 

 国際宇宙ステーションハイジャック計画が無事に終わり、殺せんせーが爆発する可能性は多くても1%以下だと分かった。

 しかし国からの暗殺依頼が無くならない限り、暗殺を続ける事にした。

 暗殺は彼らの絆であり、使命であり、E組の必須科目だからだ。

 

 

 *

 

 

 滑り止めである私立高校の受験結果が返ってきた頃、菜々は廃墟を訪れていた。

 まだ昼なので外が明るく、窓から光が差し込んでいるおかげで懐中電灯をつける必要がない。

「ネットの情報によると、ここに髪が伸びる日本人形があるはずなんだけどな……」

 菜々が握っているスマホの画面には肝試し実況スレが映っている。

 呪いの品を簡単に手に入れる方法をネットで探したところ、このスレが見つかったのだ。

 スレとはスレッドの略称であり、インターネット掲示板において特定の話題やトピックに関する投稿が集まったページだ。

 要するにこのスレは、男数人が廃墟で肝試しをする様子を実況するものだった。

 彼らは冷やかし感覚で今菜々が訪れている廃墟を探索したようだが、本物の呪いの品を見つけてしまったようだ。

 勇気のあった一人の男が人形の髪が伸びる様子を撮影して投稿したようだが動画は投稿されていない。

 廃墟が米花町にあった事、この廃墟で昔事件が起こった事や怪奇現象が起こっている事から、菜々はこの話が事実だと判断した。

 昔事件が起きた米花町にある家で呪いの品が見つかった事から余計に、力のある霊能力者に頼んで米花町全体をお祓いしてもらった方がいいんじゃないかという思いを募らせながら、菜々は歩を進める。

 この前市長が税金を横領していた事が判明した。あんな奴の財布を肥やすのに税金を使うよりも、お祓いに使った方がよっぽど有意義だ。

 そんな事を考えながらスレに従って部屋の奥にあった扉を開ける。古いせいか扉が軋んだ。

 苔が生えた床を踏みしめながら部屋の中央に置いてある木箱に近づき、しゃがみこむ。

 見てみるとガタガタと音を立てて木箱が動いている。本物である事を確かめるために蓋に手をかけた時、小さな音が聞こえた。

 先ほど聞いた、扉が軋む音だ。

 誰がこんな廃墟に訪れたのだろう。

 冷やかしなのかホラー好きな人間なのか、はたまたこの世の者でない何かか。

 菜々は後者に属するので恐怖は微塵も無いため、果たしてどのパターンだろうかと呑気に考えながらゆっくりと振り返った。

「何やってるの? 綺羅々ちゃん」

「あんたこそ何やってるのよ」

 呆れなまこで問い返して来たのはクラスメイトの一人だった。

「呪いの人形探しに来た。綺羅々ちゃんは?」

「私と同じ理由じゃない。バレンタインチョコの材料に呪いの人形の髪を使うのよ」

 そう告げると狭間は菜々の横に移動する。

「この箱の中ね?」

「私が先に見つけたんだからこれは私のものだよ。髪が欲しいならあげるけど、そのかわり頼みを聞いてくれないかな?」

 しばらく沈黙が訪れる。無言は肯定と捉えて、菜々は頼みを伝えた。

「そのチョコって呪いのチョコだよね? 私に作り方教えて」

 気恥ずかしそうに頼んで来た菜々を見て、狭間は狐につままれたかのような顔をした。

 

 菜々が呪いの人形を探していたのは、お礼のお礼のお礼として鬼灯に渡すためだ。

 今年の一月一九日――つまり十五歳の誕生日に鬼灯から誕生日プレゼントを貰った。

 去年のバレンタインの時に渡したチョコと藁人形のお礼らしい。

 お礼のお礼を渡すあたり、日本人の国民性を感じる。

 貰った喪服を見て、果たしてこれはどのような意味が込められているのか、もしくは特に意味なんてないのかと菜々が考えこもうとした時、鬼灯が口を開いた。

「どうせこれ以上身長は伸びないでしょうし渡しておきます。このお礼は前回と同じ形でいいです。ただ去年の話から推測すると、チョコは毎年作ってるんですよね? わざわざ買ってもらうのも悪いので、作ったやつでいいですよ」

 色々と突っ込む前に鬼灯は踵を返した。多忙な上司をくだらないことで呼び止めるのはどうかと思い、菜々は呼び止める事が出来なかった。

 

「私の身長はまだ伸びる。渚君を抜かすまでは成長が止まるわけにはいかない」

「いや、もう伸びないでしょ。155cmってそこまで小さいわけでもないし別にいいんじゃない?」

 この前の出来事を思い出して、菜々がブツブツ言っていたら狭間に突っ込まれた。

「で、なんで呪いのチョコなんて作りたいと思ったの?」

「普通のチョコだと面白みがないじゃん」

 菜々がキャスケットをかぶっているため今この場にいない狐がいたら、突っ込まれていただろう。

 

 

 *

 

 

 二月一四日の夜。菜々は盗聴していた。

 前原が岡野にチョコを貰おうと頑張っていたり、渚の件で中村が身を引く事にしたりとかなり色々な出来事があった中、菜々は烏間に盗聴器を仕掛けておいた。

 阿笠の発明品である、シャー芯型盗聴器を烏間のシャー芯入れに紛れ込ませて置いたのだ。GPSが付いており、スマホで位置を確認できる優れものであるため、烏間の現在位置を簡単に割り出すことが出来た。

 今菜々は烏間とイリーナがいる完全個室のある高級ディナー店が見えるビルの屋上にいる。

 盗聴器とセットになっているイヤホンで彼女は烏間達の会話を盗み聞きしていた。

 さすがに冷えると思いながら、かじかんだ手に息をかける。手袋くらい持ってこればよかった。

 いつもならソラで暖をとっているのだが、今はそれが出来ない。

 ソラの責任問題にならないよう、同行を拒否したからだ。

 今菜々が聞き出そうとしているのは、地獄から知らされていない殺せんせーの暗殺についての情報だ。

『暗殺の話。地球が爆発する確率が1%に下がりました、で終わるとは思えないけど』

 始めのうちは低俗な話をしていたイリーナが本題に入る。

『そうだな。お前には話しておこうと思っていた。今の俺の主な仕事はE組の暗殺の指示のみだ。したがって俺はまだ作戦の全貌を知らされていないが、超国家間でとてつもない暗殺計画が動いているのは間違いない』

 結局、新しい情報は得られなかった。

「そううまくいくはずもないか」とため息をつきながら菜々は別の事を考え始める。

 ――閻魔大王は大丈夫だろうか。

 学校が終わってすぐ鬼灯にチョコを渡したところ、心なしか嬉々として閻魔に試すと言っていた。

 しかし、すぐに思考を放棄する。

 そんな事より、烏間の言葉の方が重要だ。

『分からないか? 俺の家の近所に教会はないぞ』

 これは皆に知らせるべきか自分の胸にしまっておくべきか。そちらの問題の方が菜々にとって閻魔の安否よりも重要だった。

 

 

 *

 

 

 最後の進路相談が行われた日の夕方、異変が起こった。

 E組の旧校舎がある山がバリアで覆われたのだ。

 椚ヶ丘中学校から離れた場所に住んでいる菜々は渚から連絡を受けた。

 急いで学校に行こうとしたが烏間から自宅待機するようにとメールが届く。

 やきもきしながらテレビをつけてみると、殺せんせーの事が世間に発表されていた。ただし、かなり情報が操作されている。当たり前の事だ。自分の地位を守るため、各国の権力者はE組くらい簡単に切り捨てる。

 とにかくクラスメイト達と連絡を取るために携帯を取り出すと、菜々は三池から連絡が来ている事に気がついた。

『今は忙しいだろうし、言えない事もあるだろうから何も聞かない。ただ、やる事が終わったら桜子と一緒に会いにいくから』

 メールを読みおえて携帯をポケットにしまい、学校に向かうために窓から出ようと窓枠に足をかけたところで菜々は動きを止めた。

 どうやって誤魔化そうかとソラを見る。

「観察対象の最期を見届けないといけないでしょ。早く行こうよ」

「うん。ありがと」

 笑顔を見せて窓から飛び降り、近くの木に飛び移る。今は学校に早く着く事が肝要だ。人目を気にしている場合ではない。

 

 皆と合流して一目散に旧校舎に向かったが、しばらく走った頃立ち止まざるをえなかった。

 旧校舎がある山を囲むように軍人が配置されていたのだ。

 通してもらうように頼んでいると、烏間が現れた。

 殺せんせーに脅されていたと口裏を合わせるように言われるが、納得出来ないと皆が反論する。

 しばらく揉めていると、マスコミに囲まれた。

「ご覧ください‼︎ あちらにいるのが怪物の教師に脅されていた生徒達でしょうか?」

「すみません、今の気持ちは?」

「怪物が捕獲された安堵の心境を一言ください‼︎」

 マスコミに突っかかる者、軍人に通せと怒鳴る者、危険じゃないと訴える者。

「言われているような悪い先生じゃないんだからー」

 そんな中、倉橋が泣き叫ぶ。

「君、そう言えってあの怪物に言われてたの? 辛かったでしょ。もう正直に言っていいのよ」

 しかし全く話を聞いてもらえないばかりか、マスコミは勝手に解釈して見当違いな事を述べる。

 信じてもらえるわけがない。いくら訴えたとしても「まだ子供だから」「脅されていた」。そんな言葉で終わってしまう。

 菜々は唇を噛んだ。ほのかに鉄の味がする。

「皆、一旦帰ろう」

 磯貝の指示に従い、嫌という程自分の無力さを思い知りながら皆はその場を離れた。

 

 マスコミ達を巻いてから人目につかない場所に移動し、これからどうするべきかを話し合う。

「とにかくちゃんと現状を把握したいよ。何も情報聞かされてないんだから」

「よし、手分けしてバリア周囲や発生装置を偵察に行こう。夜にまたここに集まって作戦会議だ」

 委員長コンビの指示に従って役割分担し、四散する。

 今まで習って来た事全てを駆使して情報を集める。この行動が最善なのかは分からないが、このまま終わっていいはずがないと皆が思っていた。

 

「皆の偵察をまとめると、バリアの周囲は隙間なく見張りがいるって事だな」

「野次馬、マスコミ、テロリスト。殺せんせーと外部の接触を遮断したいのは確かだろうね」

 しかも各地の基地で増援の準備をしている事も分かった。明日になればどうあがいてもバリアの中に入る事が出来なくなるのは明白だ。

「強行突破でしょ。今夜のうちにでも」

「そうだな」

 カルマに磯貝が同意する。

「その後で世間にちゃんと説明しようよ。私達がどんな気持ちで」

 矢田の言葉はこれ以上続かなかった。

 一瞬のうちに全員が捕らえられてしまったのだ。

 

 

 *

 

 

 全員が私服を没収された上、一つの部屋に閉じ込められた。

 自販機やテレビ、ソファーなどは用意されてはいるものの、囚人に等しい待遇だ。

 菜々は捕らえられた時の事を思い返していた。

 捕まるまで敵の存在に全く気がつかなかった。社会的に無力であると思い知ったばかりなのに、肉体的にも無力であると思い知った。

 ズボンの裾を握りしめ、歯ぎしりをする。

 いくら中身は見た目よりも歳をとっていると言っても大した人生経験は無い。その上見た目は中学生。

 今までの常識が音をたてて崩れていく。

 菜々は自分は強いと錯覚していた。

 合気道を極めた上に鬼の怪力もあいまって、大抵の者には勝てると驕っていた。

 それがなんだ。隙を突かれれば自分は無力に等しい。反撃する暇も与えられず、簡単に自由を奪われる。

 警察関係者や世界的に有名な推理小説家、殺し屋達と交流がある。ロヴロとは特に仲が良く、孫へのプレゼント選びを手伝ったこともある。また日本地獄の黒幕からも目をかけられており、将来どこかの庁の役人として働くのはほぼ決定している。

 それがどうした。自分には世論を動かす力もなければ、重要な情報も与えられていなかった。

 今までの自分を笑い飛ばしたくなる。

 いい歳して馬鹿な勘違いをしていたものだ。

『子供達には深刻なトラウマが残るでしょう。早急な心のケアが望まれます』

『可哀想……。何も分からない子供達になんて可哀想な事をさせる奴なの?』

 本当に自分は馬鹿で無力だった。その証拠に、見ず知らずの大人達から「可哀想」扱いされている。

 彼らの考えは間違っていると訴える気になれなかった。テレビ画面に映っている彼らに文句を言う気になれなかった。

 しかし、だからどうした。菜々は自分自身を鼓舞する。

 今無力だと気がつけたのなら、これから変わっていけばいいだけの話した。

 慢心する事なく、日々努力を重ねていつか彼に追いつく。

 何もない天井を見上げて大きく息を吸う。今まで立ち込めていた霧は綺麗さっぱり無くなっていた。

 

 扉が開く音が聞こえ、振り返ってみると烏間が訪れた事が分かった。

 皆の顔が明るくなる。

「お願いです。出してください。行かせてください、学校に」

 代表として渚が頼む。

 烏間の後ろにいる軍人がすぐさま首を振る。烏間はそれを一瞥し、目を閉じて思案する。

「君達が焦って動いて睨まれた結果がこの監禁だ。こうなっては俺も何もしてやれない。行きたければむしろ待つべきだったな。警備の配置が完了して持ち場が定まれば、人の動きも少なくなり兵の間で油断が生じる。五日目まで待っていれば包囲を突破できたかもしれない」

 烏間の言う通りだ。菜々は一字一句聞き逃すまいと神経を集中させる。彼が自分達に情報を与えようとしている事に気がついたのだ。

 ふもとの囲いを抜けられたとしても、山の中には恐ろしい敵がいる。

「群狼」の名で知れ渡る傭兵集団。ゲリラ戦や破壊工作のエキスパートだ。

 三十人にも満たないが、少人数で広い山中を防衛するにはまさに適任。

 そんな猛者達のリーダーが「神兵」の二つ名を持つクレイグ・ホウジョウ。彼は素手でライオンを引きちぎる程の戦闘力に加え、地球上のあらゆる戦場で培ってきた経験がある。

 彼に姿を見られれば勝ち目はない。

「だからもう諦めろ」

「嫌です‼︎」

 食ってかかった渚の胸ぐらを掴み、流れるような動きで烏間は渚を床に叩きつける。

「出せない。これは国の方針だ」

 胸ぐらを掴んでいた腕を起こし、渚を引っ張り上げる。

「よく聞け渚君。()()()()()()()。分かったか?」

 渚は目を見開いた。

 三日ほど頭を冷やすようにと言い残して、烏間は部屋を後にした。

 扉が閉められる時低く太い音がして、外の音がパタリと途切れた。

 寺坂は近くにあったソファーを怒りに任せて蹴り上げる。

「寺坂君。烏間先生は今、俺を困らせるなってはっきり言った」

「だからなんだよ」

 頭の上に疑問符を浮かべている寺坂に、渚は淡々と告げる。

「こうも言った。五日目以降は外の警備に隙が生じる。山の中には少人数の新鋭が潜んでいる。そのリーダーは烏間先生の三倍は強い」

 全員が渚の言わんとすることに気がついたようだ。

「だから皆で考えて整理しようよ。僕らがどうしたいのか。僕らに何が出来るのか。……殺せんせーがどうして欲しいのか」

 

 

 *

 

 

 殺せんせーに本心から死んで欲しいと思う者はいない。それは聞くまでもないことだった。

 あの世が存在し、死んだ後も割と楽しく過ごす事が出来ると知っている菜々も同じだった。

 恩師を見殺しにする、もしくは殺すなんて出来るわけがない。

 もしも殺せんせーが死んだら、黒いドロドロしたものが全身を満たしてしまうような気がした。

 最悪の結果を考えただけで胸をえぐり取られたかのような気分になる。

 出来る事なら目を背けたかった。いつものように現実逃避をしたかった。

 しかし、目の前の事に向き合わなければならないと何かが告げていた。それは自分の潜在意識なのか、世間で神と呼ばれているものなのか、菜々は分からなかった。

「殺せんせーに会いたい。どうするかはその後考える」

 菜々が呟いた言葉に皆が大きく頷く。会わなければ何も終わらない。

「気持ちを抑えて今は待とうよ」

 烏間の言葉の裏を読めば、三日待ってもレーザー発射には充分間に合う。

 不破の意見に従って、皆動き出した。

 今は考えるべきだ。もしもここを出られた時に備えて、あらゆる作戦を立てておく。

 

 

 *

 

 

 レーザー発射日になったが、脱出する機会は今まで一度もなかった。

 皆が目を伏せる。考えたくないのに最悪の事態がありありと思い浮かぶ。

 その時、重々しい音を立てて扉が開いた。

「いいか、本当に顔を見るだけだぞ。こんなの上にバレたらどうなるか」

「分かってるわよ。一目見れば安心だから」

 肝を冷やしておるのであろう軍人に艶やかな声が答える。

 軍人たちの監視の下部屋に入ってきたと思ったら、イリーナは竹林の頭をがっしりと掴んだ。

 反応する暇もなく、竹林は唇を奪われる。

 皆が面食らっている隙に、イリーナは他の生徒にもキスを仕掛ける。

 その生徒達は全員、何かが起こっても冷静に対処できる者だった。

「皆元気? 元気なら良ーし。じゃ帰るわ」

「ほ、ほらもういいだろ」

 イリーナの行動に面食らって思考が停止していたが、我に帰った軍人の一人が急かす。

「もーお、外に見張りいるんだからビビらないでよ。じゃまたね、ガキ共」

 イリーナは帰り際に振り返り、投げキッスを放り投げる仕草をした。

「な、何しにきたの、ビッチ先生‼︎」

 渚もイリーナの餌食になっていたので、怒りをあらわにして誰にでもなく問いかけたあかりだったが、渚の様子がおかしい事に気がついた。

 渚は目を見開いて口を押さえている。

 やがて、彼と同じように次々と数人の生徒が口の中のものを取り出す。

 コードや筒など。イリーナがキスの際に口の中に入れていったのだろう。

「僕の爆薬一式だ」

 竹林の口は弧を描いていた。

 

 夜になり、裏口を爆破して音を立てないように細心の注意を払いながらE組全員が外に出る。

「遅いわよ。私の完璧な脱出マップがありながら」

 声で建物の壁にもたれかかっている人影はイリーナだと分かった。

 彼女の近くに全員分の靴が用意してある。皆が靴を履いていると、レーザー発射は日付が変わる直前だと知らされる。

「どんな結果になるのか私は知らない。でも明日は卒業式なんでしょ? 最後の授業よ。存分に受けていらっしゃい」

「「「「はい‼︎」」」」

 笑顔を見せ、生徒達は計画の最終チェックに取り掛かる。

 まずは各自帰宅して準備だ。

 

 家の前に着き、菜々が二階にある自分の部屋の窓を見上げると、窓が閉まっている事が分かった。

 三日前学校に行こうとした時に開けたままにしておいたはずなので、親が閉めたのだろう。

 ヤモリのように窓の近くに生えている木によじ登る。

 比較的太い木の枝を渡って、窓枠に一段近づいたところで飛び上がる。

 窓べりに手をかけると腕の力を使って体を引っ張り上げる。

「ソラ、お願い」

 一言声をかけると、菜々の肩の上に乗っていた狐が窓を通り抜け、部屋の中から鍵を開ける。

 霊体とは便利なものだと思いながら、菜々は壁に足をかけてよじ登り、部屋の中に入った。

 

 床に散らばっている雑誌で上手いこと隠してある超体操着に着替え終わった時、物音が聞こえた。

 両親だった。大きなサツマイモが空を飛んでいるとでも言って気をそらそうかと、菜々がアホな事を考え始めると、凛とした声が部屋に響いた。

「大変な事になってるんだろ? 早く行きなさい」

「ただし、全てが終わったらこの一年で何があったのかちゃんと話してね」

「ありがとう」

 自分を信頼してくれた両親に一言伝えると、阿笠に貰った数々の発明品と言う名の危険物が入っている筆箱を掴み、菜々は窓から飛び出した。

 

 準備を終えて全員が一箇所に集まった時、菜々が口を開いた。

「全てが終わったら皆に話したい事があるんだ。卒業式の後、時間をくれないかな?」

 なぜ彼女は今こんな事を言ったのか。

 裏に込められたメッセージを読み取り、皆が強く頷く。全員無事に卒業式を迎えると伝えるかのように。

「山の外周の警備で突破できそうなのは、隣町から山ひとつ越えるこのルートだけ」

 イトナが作ったドローンと律を合体させて偵察した結果だ。

「一時間後、この入り口に全員集合‼︎」

 ハンドサインに従って、皆が走り始めた。

 殺せんせーの暗殺期限まで、後三時間。

 

 

 *

 

 カルマの明確な指揮により、E組生徒は次々と敵を倒していった。この学び舎だけに場所を限れば、彼らは世界最恐の暗殺集団だ。

 戦闘のスイッチを入れられる前に群狼のリーダーであるホウジョウも倒し、殺せんせーの元に向かう。

「音だけでも、恐ろしい強敵を仕留めた事が分かりました。成長しましたね、皆さん」

「「「殺せんせー‼︎」」」

 大好きな教師に再び出会えて、喜ぶ者、早速暗殺を仕掛ける者がいた。中には泣きながら銃を撃っている者もいる。

 その頃一瞬バリアの片隅が開き、すぐに閉じた。殺せんせー暗殺期限まで後90分。

 

 空を見上げてみると、レーザーの光が今にもこぼれ落ちそうな雫のように輝いていた。

 あれでは完全防御携帯ですら役に立たないだろう。

 打つ手なしだ。生徒達が人質になっても、奇跡的に殺せんせーが爆発する可能性が0%になったとしても、暗殺は実行される。

 たった1%だ。なんで殺せんせーが殺されなくてはならないのか。

 生徒達が疑問を零すと殺せんせーが触手で彼らの頬を叩いた。

 大きなアカデミックドレスと三日月をあしらったネクタイに身を包み、触手をうねらせている超生物。

 世間でなんと言われていようが、皆の大好きな先生だ。

「皆さん、先生からアドバイスをあげましょう」

 この先、強大な社会の壁に阻まれて望んだ結果が出せない時が必ずあるだろう。その時社会に原因を求めてはいけない。社会を否定してはいけない。

 そんな事時間の無駄遣いだ。

「世の中そんなもんだ」と悔しい気持ちをなんとかやり過ごす事。

 社会の激流が自分を翻弄するのなら、その中で自分はどうやって泳いで行くべきなのか。やり過ごした後で考えればいい。

 いつも正面から向かわなくていい。

 避難して隠れてもいい。反則でなければ奇襲をしてもいい。常識はずれの武器を使ってもいい。

「ところで中村さん。山中の激戦でも君の足音はおとなしかったですね。しかも甘い匂いがするようですが?」

 授業をした後、殺せんせーは中村のポケットを指す。

「月が爆破してからちょうど今日で一年でしょ? 確か雪村先生は今日を殺せんせーの()()()にしたんだよね?」

 そう言って中村はケーキを取り出す。

 よだれを垂らして今にも一口で食べてしまいそうな殺せんせーをたしなめ、ケーキに蝋燭をさす。

 誕生日を祝う歌が学び舎の空気に溶けて行く。

 到着したばかりの烏間とイリーナはその様子を見て目元を緩くした。

 歌が終わり、殺せんせーが蝋燭を消そうと大きく息を吸い込んだ瞬間、辺り一面に衝撃が走った。

 突如現れた真っ黒な柱によってケーキが粉々になる。

「ハッピーバースデー」

 何事かと皆が目を見開いた時、冷たい声が全員の鼓膜を振動させた。

 聞き覚えのある嫌な声だ。

「シ……いや、柳沢‼︎」

「機は熟した。世界一残酷な死をプレゼントしよう」

「先生、僕が誰か分かるよね」

 いつも通り対触手繊維で出来た服を着込んでいる柳沢の横に佇んでいる()が問いかけた。

 顔まで覆う真っ黒な服を着ているので顔は見えなかったが、皆()の正体を声から察した。

「……黒タイツじゃない。まさか旧式の犯人⁉︎」

 菜々は無視された。

「改めて生徒達に紹介しようか。彼がそのタコから『死神』の名を奪った男だ。そして今日からは彼が新しい『殺せんせー』だ」

 全身を覆っている死神の服が弾き飛び、その実態が明らかになった。

 全身を覆う真っ黒な触手。大人三人分以上の身長。ギラギラと光る眼。まさしく化け物だ。

 



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第17話

 改造を受けて殺せんせーの二倍のスピードを手に入れた死神と、体内の重要器官のほとんどに触手細胞を埋め込んだ柳沢が現れた。

 死神と殺せんせーにより、一撃一撃が衝撃波を生む規格外の戦いが開始される。

 両者の動きは全く見えないが、殺せんせーが圧倒的に押されている事だけは分かる。

 この一年間殺せなかった担任の倍の速さで動く死神と、文字通り超人となった柳沢のサポート。

 次元が違いすぎる。

 銃やナイフを構えていた生徒達は武器を握る力を緩める。

 希望がこぼれ落ちるかのように皆が握っていた武器が地面に落ちる。

 一方菜々は目を見開いた。

 バトル漫画のような光景を見たからではない。

 十三歳の時から助け合ってきた友達が獲物を狩るような目で殺せんせーを見据え、ナイフをくわえていたからだ。

 ソラの横には、戦闘の巻き添えを食らわないように距離をとったのであろう沙華と天蓋がいた。

 彼らは対先生BB弾が大量に入った箱を抱えている。

 ──いざとなればあの世の住人が人間に見えないよう、地獄の入り口に設置されている特殊な光を浴びていない状態で殺せば良い。相手には姿が見えないので簡単に殺せるだろう。

 イリーナが赴任してくる直前に地獄で開かれた会議の内容をとっさに思い出す。

 菜々が生徒として超生物を監視するのに、殺せんせーに倶生神をつけた理由がやっと分かった。

 

 少しすると殺せんせーは攻撃をかわし始めた。

 最小限の力で攻撃を逸らし、土を使って圧力光線を防ぎ、間合いを詰めて威力を殺す。戦力差を工夫で埋め始めたのだ。

 しかし柳沢は生徒達を攻撃するよう指示を出し、この前の姿は見る影もない死神が目の前に現れる。

 とっさに顔を腕でガードし目をつぶるが、一向に受けるはずの衝撃がなかった。

 菜々は自分の体を確認する。超体操着は壊れていないし怪我だってしていない。皆も同じだ。それは殺せんせーが全ての攻撃を受けた事を物語っていた。

 次々と死神は生徒に攻撃を仕掛け、その度に殺せんせーは傷を負う。

 烏間が銃口を向けたが、柳沢が一発殴っただけで吹き飛ばされる。彼が着ている服の隙間から見える真っ黒な触手がコードのように張り巡らさせた肌は、烏間では到底かなわない事を顕示していた。

 

 自分のせいで皆が真実を知ってしまった事、クラスの楽しい時間を奪ってしまった事をずっと後悔していた。

 だから生徒として守らせてほしい。

 そう告げて誰かが止める間もなくあかりは死神に勝負を挑んだが、胴体をぶち抜かれる。

 宙に放り出された教え子を見て、殺せんせーの全身が真っ黒になった。

 

 渚があかりを抱え、この場を離れるように提案する。

 刹那、死神が仕掛けた攻撃を殺せんせーは受け止めていた。

 白くなったかと思えば黒に戻り、黄色になる。赤、緑、青、白。

 全ての感情を、全ての過去を、全ての命を混ぜて純白のエネルギーを身にまとっている。

「教え子よ。せめて安らかな卒業を」

 呟き、殺せんせーが両手で巨大なエネルギーを放つ。辺り一面、エネルギーの光で真っ白になった。

 柳沢は死神のついでに吹っ飛ばされ、対触手用のバリアに思い切りぶち当たった。彼はほとんどの重要器官に触手を埋め込んでいる。この先どうなるのかは明白だ。

 一方死神は四肢を持っていかれたが、まだ生きていた。このまま放っておけばすぐに再生するだろう。

 殺せんせーはすかさず飛び上がり、彼の胸に対触手用ナイフを刺す。

「触手が僕に聞いてきた。どうなりたいのかを」

 刺された衝撃で吐血したため、血でベトベトになった口を死神は開いた。

 彼はもう短いのだろうと殺せんせーは悟る。

「あんたに認めて欲しかった。あんたみたいになりたかった」

 涙を流し、かすれた声で訴えてくる教え子に、殺せんせーはかつての面影を見た気がした。

「今なら君の気持ちがよくわかります。あっちで会ったらまた勉強しましょう。お互いに同じ間違いをしないように」

 安らかな顔で光となった死神を見て、誰も歓喜の声を上げなかった。

 悔しそうに唇を噛む者、目に涙を溜める者、泣きじゃくる者。

「茅野……」

 渚が悔しそうに呟く。

「とにかく降ろそう。敷くもの持ってくる」

 千葉は踵を返したが殺せんせーの言葉に足を止める。

「降ろさないで渚君。あまり雑菌に触れさせたくない」

 あかりの血液や体細胞を落ちる前に全て拾い、無菌に保った空気に包んで保管していたと告げ、一つ一つの細胞をつなげ始める。

 二度と同じ過ちをしないと誓ったため、この一年で能力を高めてきたのだ。

 修復できない細胞の代わりに粘液で穴埋めし、血液を生徒から借りる。

 手術が終わってすぐ、あかりは息を吹き返した。

 

 皆が歓喜する中、殺せんせーは倒れ込んだ。限界だったのだろう。

 ターゲットが無防備に倒れ込んでいる今なら殺せる。

 どうするべきか生徒達が決めあぐねている中、地獄からの暗殺者達も絶好の機会だと判断した。

 しかし誰も動かなかった。

 万が一ということがあるので、機会があれば率先して殺せんせーを殺すようにと倶生神達とソラは指示されていた。この際現世の事に関わってはいけないという法律には完全に目をつぶるとまで言われている。

 ──ここで殺したら三十人近くもの現世の住人の前で心霊現象を見せる事になる。

 ──現世で用意された対触手レーザーで充分殺せるだろう。

 しかし、理由をつけて三人は一向に動こうとしなかった。

 この一年間、最も近くでこの殺意渦巻く教室を見てきた。

 二十九人の殺し屋達とターゲットの絆は暗殺だ。

 最後まで絆を守るため、彼らに殺して欲しかった。

 ここにいる暗殺者達なら必ずやり遂げる。そう信じてソラは咥えていたナイフを、沙華と天蓋は抱えていた対先生BB弾が入った箱を置く。

「分かりませんか? 殺しどきですよ」

 明日は椚ヶ丘中学校の卒業式。しかし、三年E組だけは一足早く卒業しようとしていた。

 

 皆が一斉に空を見上げる。レーザーの光が膨れ上がっていく。

 殺せんせー暗殺期限まで後30分を切っている。

 自分達自身で決めなくてはならない。そう前置きしてから磯貝が尋ねる。

「手を上げてくれ。殺したくない奴?」

 皆が手を上げる。

「下ろしてくれ。殺したい奴?」

 いつだって銃とナイフと先生がいた。

 皆が顔を伏せて震えた手を上げる。

 彼らは殺し屋。ターゲットは先生。恩師に何をするべきか。皆が痛いほど分かっていた。

 

 殺せんせーの弱点、全員で抑えれば捕まえられる。

 皆で手分けして大きな体を押さえつけた。

「こうしたら動けないんだよね。殺せんせー」

「握る力が弱いのが心配ですけどね」

 中村の問いの答えを聞いて、皆が殺せんせーの触手を強く握りなおした。理由は深く考えなかった。

「お願い皆。僕に()らせて」

 名乗り出た渚が殺せんせーにまたがり、目の前のネクタイをめくろうとする。

「ネクタイの上から刺せますよ。貰ったその日に穴を開けてしまったので」

 これも大事な縁だ。そう言ってから、最後に出欠を取りたいと殺せんせーは申し出た。

「一人一人先生の目を見て大きな返事をしてください」

 

 出欠確認が終わり、渚がナイフを抜く。

 心臓に狙いを定めた時、ナイフを握った手が震えだした。震えを止めようと左手で右手をナイフごと握る。

 息が荒くなり視界が歪む。手の震えは全く収まらず、視界の端でナイフが揺れているのを捉える。

 歯がガチガチといっているなか、無理矢理力を込める。

「うわあああああああああ‼︎」

 ナイフを振り下ろそうとした時、首筋に一本の触手が当てられ意識の波長が安定する。

「そんな気持ちで殺してはいけません。落ち着いて、笑顔で」

 殺せんせーの言葉で、皆の意識の波長が安定した。

 声を出さずに泣いていた渚だったが顔を上げ、笑顔を見せる。

「さようなら。殺せんせー」

「はい、さようなら」

 全ての気持ちを込めて礼をするように、渚はナイフを差し出した。

 殺せんせーの心臓から光の粒が出始める。全身が眩しく、優しく弾け飛んだ。

 光の粒子となって皆が握っていた手からすり抜けていく。

 卒業おめでとう。そんな言葉が耳に届いたような気がして菜々が空を見上げると、殺せんせーから出た光の粒子が星と混ざり合って、どれが殺せんせーだったのか分からなくなっていた。

 渚が声を上げて泣き始める。それにつられたかのように皆が涙を流す。

 そんな中、菜々は全く涙を見せずに二つの影を見据えていた。

 

 

「早速ですが先生達は死にました。今はいわゆる幽霊という状態になっています。で、私は鬼です。地獄に連れていくんでついてきてください」

 霊体となった時人間の姿に戻った死神をソラに捕らえてもらい、パニックに陥っていた殺せんせーの首根っこを掴んで人目につかないところに連れて行ってから菜々は言い放った。

「ソラ、あとはお願い」

 菜々が声をかけると狐が彼女そっくりになった事に、殺せんせーと死神は面食らう。

 クラスメイト達はまだ外に出たまま号泣しているので、入れ替わっても気がつかないだろう。

「え、ちょっと待ってください……」

 死神とは違い未だに黄色いタコのような姿の殺せんせーは必死に頭を動かす。

「地獄に連れていくということは私達は地獄行きですか? 私はいいですが彼は」

「違います。いや、地獄には行くから間違ってはないか。説明めんどくさいんでこれ読んでおいてください」

 菜々は殺せんせーの弁解を遮ったのはいいものの考えるのが面倒になり、昔沙華に貰った「簡単あの世入門書」を二冊渡した。

 

 

 *

 

 

 超生物二人を引き渡した後、菜々は閻魔殿の廊下をぶらついていた。

 今、あぐりを見た途端人間姿に戻った殺せんせーと死神は獄卒になって欲しいという旨を閻魔達から聞いている最中であり、その場に居ても仕方がないため彼女は抜けて来たのだ。

 日付が変わる頃なので残業で忙しい者以外はとっくの昔に帰宅しており、彼女の足音だけが廊下に響いている。

 菜々はふと足を止める。

 自販機にある「金魚草エキス配合、栄養ドリンク」なるものを見つけたのだ。

 十中八九鬼灯の独断で入れられたものだろう。

 缶には大きく口を開けて鳴いている金魚草の絵が書かれていて、「これ一本でハイになる!」というロゴがついている。

 どう考えてもヤバいものだ。

 これは買うべきだろうかと菜々が真剣に悩んでいると、沙華と天蓋がやって来た。

 彼らは基本飛んでいるが羽音がしないため、気配を消されると近づいて来ていることに気がつけない。

 いきなり現れたことに驚きはしたがいつものことなので気に留めず、暇だから世間話でもしようかと提案しようとした。しかし、その前に沙華が口を開く。

「私達退職する事にしたの」

「殺せんせーの事がひと段落ついてからだけどね。隙があれば殺せっていう命令に背いたわけだし」

 鳩が豆鉄砲食らったような顔を菜々がしたのを見て天蓋が付け加えると、途端に彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「元々そのつもりだったのよ。本当は退職しなくちゃいけないってわけじゃないし。あぐりさんからの紹介で浅野塾って塾に転職が決まったの」

「私達」というのが気になったが、天蓋もなんだかんだ言って沙華の手伝いをしていたし講師に向いているのだろうと自分を納得させる。他に気になることがあるからだ。

「浅野塾?」

「池田陸翔さんって人が開いたみたいだよ。なんで浅野塾なんだろうね」

 知っている名前だ。

 菜々は鬼灯から學峯が私塾をたたんだと聞いて、個人的に調べてみた事がある。

 そこで池田陸翔という自殺に追い込まれた生徒にたどり着いたのだ。

 会ったことはないが、彼が開いた塾ならいい職場でありいい学び舎なのだろうと菜々は判断した。

 獄卒のトップが事件を解決するのに魅せられて獄卒を目指す者がいる。

 殺し屋の技に魅せられて殺し屋を目指した少年がいる。

 自分の価値観を変えた塾の講師に出会った中学生の亡者が、わざわざ地獄に住み込んでまで塾を開いたのは彼らと同じ理由なのだろう。

「菜々さん。一通りの説明は終わりました。これからマスコミへの詳しい対応について話すので来てください」

 廊下の曲がり角から姿を現した鬼灯に声をかけられ、菜々は足を踏み出す。

 倶生神達も一緒について来た。

 異変が起こったのは菜々が数歩歩いた時だった。

「何……これ」

 菜々は目を見開いている一同に疑問を感じ、自分の手を見て思わず呟く。

 透けていた。おそらく全身が透けているのだろう。服まで透けていく。

 何が起こったのか全く理解できず顔に焦りを浮かべた途端、菜々の視界は暗転した。

 

 

 *

 

 

「何か知っているんですか?」

 鬼灯は菜々が目の前から消えてすぐ倶生神達に尋ねた。

 確証がないわけではない。彼らは自分に比べてそこまで驚いていないと感じたのだ。

 鬼灯と菜々は上司と部下というだけの関係だが、倶生神達は違う。

 彼らは菜々が生まれた時から行動を共にして来た。

 本来倶生神とは観察対象の人間に情を抱かないものだが、彼らは観察対象とかなり親しい。

 第二の親のような、教師のような立場で二人とも菜々を見ている。

 実際、どの番組を見るのかで揉めたり、宿題を後回しにするかで揉めたり、部屋を片付けるかどうかで揉めたりと親しかった事が伺える。これらは菜々が地獄に迷い込んだ事により浄玻璃鏡で調べた結果だ。

「信じられないような話ですが……」

 しらばっくれるのは無理だと悟ったのだろう。沙華が口を開いたが天蓋に同意を求めるかのように視線を送る。

「あの日から君は僕の先生でしょ? 僕は君の判断に従うよ」

 あ、この人絶対将来尻に敷かれるタイプだ、という感想は飲み込んで鬼灯は沙華の言葉に耳を傾ける。

「菜々は元々この世界の住人ではなかったと思うんです」

「は?」

 わけが分からなかったが鬼灯は口を挟まない事にした。

「菜々は『前世の記憶がある』って言っていたんです。でもあの世で調べてみたら、菜々の魂は新しいものでした」

 新しい魂。それは文字通りのものだ。

 亡者は基本的に六道のどこかに行く。例外といえば解脱して天国に行く者くらいだ。

 六道の一つがいわゆる現世。しかし、おかしくはないだろうか。

 亡者の全てが転生して現世に行くわけではない。

 地獄に落ちた者は刑期を終えてから転生できると言っても、地獄の呵責は一番短くても9125万年だ。

 ほとんどの亡者が刑期を終えていない。つまり転生していない。

 虫や動物など生前人間でなかった者が人間として転生することもあるが、それは稀な例だ。

 本来なら魂の数が足りなくなりそうなものだが、そうならないのは定期的に新しい魂が発生しているからだ。

 どのような原理で魂が発生するのかは解明されておらず、神が生まれた理由と一緒にあの世の二大謎となっている。

 つまり、新しい魂の持ち主ならば前世の記憶なんてあるはずがないのだ。

「すると謎が生まれます。なぜ菜々はあんなにもあの世のことについて詳しかったのか」

「それでこの世界の事が物語や伝説など何らかの形で知られている世界から来たと思うんですか?」

「そうです。前世の記憶が戻ったと言っていた日に別の魂が入り込んだとしたら? それに菜々はよく遠くを見ていましたし、信じられないような事が起こった時もこうなる事は分かってたって感じだったんです」

 彼女の前置き通り、到底信じられるような内容ではなかった。

 しかし、鬼灯はその仮説が正しいと直感した。そうでなくてはいきなり菜々が消えた事の説明がつかない。

「分かりました。すると菜々さんは戻ってこないんですね? では彼女に任せる手はずだったマスコミの対応を誰がするのか至急決めなくてはなりません」

 このような事態になっても鬼灯はペースを乱さない。

 内心では混乱しているが表情に出さないのは精神が強いからなのか、ただ単に表情筋が仕事をしていないだけなのか。どっちにしろ、部下にとって彼の対応は心強いものだ。

「菜々ちゃんは戻って来ますよ。あの子はどんな困難が降りかかって来ても気合と根性でなんとかしちゃうんです。今まで何度も死にそうになって来たのにしぶとく生き残ってますし」

 天蓋が反論するが、鬼灯は眉をひそめる。元の世界に戻れたというのに、わざわざこの世界に戻ってくるとは思えない。

「殺せんせーに初めて会った日、菜々は下の名前で呼んで欲しいって頼んだんですよ。将来獄卒となって地獄に住む時に下の名前で呼ばれるのに慣れておきたいって理由で」

 彼女はクラス全員の女子に同じように頼んでいた。

 男子に頼まなかったのは、「中高生男子は幼馴染と彼女しか下の名前で呼んではいけない」という謎の信念があるからだ。

 渚が普通に菜々を下の名前で呼んでいたのは、彼女に男子と見られていなかったからだったりする。

「だから絶対戻ってきます」

 そう言い切った沙華の目は自信に満ちていた。

 

 

 *

 

 

 意識が浮上する。

 今まで閻魔殿の廊下を歩いていた事を思い出してから、自分の体が透けていた事を思い出して菜々は跳ね起きた。

 自分の部屋だった。

 あれは悪い夢で、倒れたかなんかで部屋に運び込まれたのだろうか。

 しかしすぐに仮説を否定する。自分の部屋である事は間違いないのだが、違和感がある。

 まさかと思いながら今まで寝転んでいたベッドから出ようと手を動かした時、菜々は凍りついた。

 手に当たったものを確認してみる。

 漫画だ。表紙には「鬼灯の冷徹」と書かれていた。

 勢いよく布団から飛び出て扉に向かう。

 扉を開けると洗面所に駆け込み、取り付けてある鏡の前に立つ。

 九年近く見ていなかった自分の顔が映っていた。

「菜々⁉︎」

 懐かしい声が聞こえ、勢いよく扉を開ける音がする。

 狭い家の中を走ってきたのだろう。不自然なほど息が上がっている母親が扉の前に立っていた。

 フラフラと近づいてくる母は昔の面影が全くない。ふっくらとしていたはずの頬はこけ落ちており、萎びた手には血管が浮き出ている。

 そういえばこの世界でどれほどの時間が経っているのか、自分はどのような扱いになっていたのかと菜々はぼんやりと思いながら、母に抱きしめられていた。

 

 

 仕事中だった父がすぐに駆けつけてきた。

 両親の話から、自分は今まで行方不明となっていた事、この世界ではトリップしてから数ヶ月しか経っていない事が分かった。

 娘が無事だった事にひとしきり喜んだ後両親は今までどうしていたのかと尋ねたが、菜々は答える事が出来なかった。

「分かんない。……もうすぐ夏休みが終わりそうで、夜に漫画を読んでいた日から全く記憶がない」

 頭を抑えながらそう答えると、気まずそうに母に尋ねられた。

「……その格好はどうしたの?」

 そういえば、と菜々は思い出す。

 超体操着を着ているばかりか、自分の見た目は完全に鬼だ。

「分かんない」

 そう答えるとすぐに病院に連れていかれた。

 診断は奇病。医者は全く原因が分からないとしか答えられず、大きな病院に行く事を進めてきた。初めから近所で一番大きな病院にかかったのにだ。

 ただしこうなった原因を知るには菜々の記憶を戻すのが一番手っ取り早いと言われ、脳神経外科に連れていかれた。

 しかし特に異常がなかったため精神科に移る事になり、定期的に病院に通うこととなった。

 

 元の世界に戻らなくてもいいかもしれないと思い始めていた。

 ただ、それは元の世界に戻る方法が見つからなかった場合の話だ。

 ずっと目をそらしていた。どちらの世界を選ばなければならない時どうするべきかを。

 そのため、この世界に戻ってきて、またトリップしたいのか一生この世界で暮らしていきたいのかすぐに答えが出なかった。

 そんな事はどうでもいい。

 菜々は開き直った。今は泣いている場合でもなければ悩んでいる場合でもない。

 もしも将来またトリップしたくなった時のために、トリップする方法を探せばいい。そうしていればいずれ答えが出るだろう。

 

 

 *

 

 

 元の世界に戻ってから一年が経とうとしていた。

 しかし、なぜトリップしたのか、なぜ戻ったのかなどの理由は一向に分かっていない。

 夜、布団に潜り込んでからも考えてみたが全く仮説を思いつかず、「もう神様の気まぐれとかでいいや」と投げやりな考えを持ち始めた頃、睡魔が襲ってきたので菜々は意識を手放した。

 

 意識が覚醒し、違和感を覚えて自分の体を見下ろしてみる。

 布団に入った時は確かに服を着ていたはずだが、何も着ていなかった。パンツ(モラル)すら履いていない。

 周りに人がいないので服についてはひとまず置いておき、自分がどこにいるのかを確認する。

 明るい靄のようなものの中にいるようだ。雲のような水蒸気が辺りを覆っているのではなく、むしろ靄そのものがこれから周囲を形作っているようだった。

 菜々が横たわっている床は真っ白で、温かくもなければ冷たくもない。

 辺りを見渡していると、菜々の周りのまだ形のない無の中から足音が聞こえてきた。

 彼女が急になにかを身にまといたいと思うと服がすぐ近くに現れた。どうやらここでは願うと物が現れるらしい。

 服を着ながらここはどこだろうかと考えていると眩い光が急に出現し、とっさに目を覆う。

 サングラスが欲しい。そう願ってから目をつぶったまま床をまさぐる。すぐに手に触れたものを持ち上げた。

 サングラスをかけるとやっと目を開ける事が出来た。

 男がいた。菜々は身構える。訳のわからない場所にいる事、素っ裸だった事は今のところこの男のせいである確率が高い。

「俺は神だ‼︎」

 眩い光はこの男から発しているようだ。

 怪しい事極まりないが菜々は男の話に耳を傾ける事にした。

 情報がない今では動きようがない。

「それ、順番が逆じゃないですか? 普通神様が現れるのってトリップする前でしょ」

「え? 俺の髪と瞳が虹色の理由を聞きたいって? 俺の髪と瞳は透明なのだ。光の反射でこう見えている」

「それってハゲに見えるし、瞳に至っては光を一箇所に集めちゃうので焦げると思いますけど」

「なんで髪と瞳がこうなるのかって? 俺が選ばれし者だからだ!」

 あ、この人左手が疼いちゃうタイプだ、と菜々は悟った。

 頑張って考えたのであろう設定を自称神が話し始めたところで菜々が口を挟む。

「結局、なんで私がトリップしたんですか?」

 神なら知っているだろう。話が長くなりそうだと判断したので話を逸らしたかった。

「二つの世界が繋がれた時、お前が『鬼灯の冷徹』を読んでいたからだ。漫画を読む事によって潜在意識があの世界に繋がったんだ」

「てことはあの時『鬼灯の冷徹』か『暗殺教室』か『名探偵コナン』を読んでいた人は全員トリップしたんですか?」

「よく考えろ。あれは憑依に近かっただろ?」

 バカにしたようにため息をついて、神は説明を始めた。

 菜々がトリップする前にいた世界を「世界A」とすると、世界Aの「加藤菜々」とトリップ先の世界の「加藤菜々」の魂は同じものだったらしい。

「は?」

「それを説明する前にこの世界の仕組みを説明する必要がある」

 神が宙に何か書くように指を動かすと、指が通った場所に紫の線が残った。

 指が行ったり来たりして不思議な文字が出来上がったと思ったら、いきなりスクリーンのようなものが現れた。

『世界の説明の前に俺、アクバルについて話そう! あれは数千年前、悪魔デビットがいた頃』

「すみません。早送りって出来ますか?」

 銀髪の神のドアップが出てきたと思ったら、意味のない話を聞かされそうな流れになったのですかさず申し出る。

 自分の話を聞きたくないと言われたようなものだったのでアクバルは衝撃を受けたがすぐに調子を取り戻した。

「なんで銀髪、オッドアイなのかって? 俺は特別だからな。毎日変わるのだ」

「うわっこの神めんどくさ」

 本音が思わず漏れてしまったのをごまかすため、菜々は早送り出来ないのかと問い詰める。

 渋々といった感じでアクバルが早送りをして、映像はやっと本題に入った。

『宇宙は大きくなっていると言われている。だとすると、宇宙の外にはなにかあるのだろうか。こんな疑問を持ったことがある奴は多いはずだ。宇宙の外には何もないかと言われればそうでもない。その空間には神がいる。便宜上「神」と呼んでいるが、一般的に、彼らは「意志」と呼ばれるものが体を得た状態のものだ』

 要約すると、神達はいくつもの世界を作ったらしい。

 その世界というのが菜々が生まれた世界だったり、菜々がトリップした世界だったりする。

 中には菜々が深夜のノリで作ったシンデレラパロがアニメとして存在している世界もあるとの事だ。(しかし放送が始まってすぐ苦情が殺到し、早々に打ち切りとなった)

 

 あの世がない世界の人間、またはあの世がある世界に生まれたがずば抜けて有能だったり、その世界のあの世には行きたくないと強く願った者が死ぬと魂がこの不思議な空間に来る。

 そしてこの先どうなるのかを決められるのだ。ちなみに有能な者は問答無用で従業員としてこき使われるらしい。

 その他の者はダーツで天国行きか転生か平の従業員としてこき使うかが決められ、転生に決まった場合はルーレットでどの世界に転生するのかが決まる。

「でも、私は死んでませんよね?」

「死んでないな」

 アクバルは映像を止めて説明を始める。

「お前は二つの世界が繋がれた時、トリップ先の世界の『加藤菜々』の魂を追い出した。そしてあの世界の『加藤菜々』の魂はお前になった」

「は?」

「追い出された『加藤菜々』の魂はここに来て、お前が元いた世界のお前に転生が決まった。あの世がある世界のなんの特徴もない魂がここに来た時は驚いた。調べてみたところ俺のせいだと分かった」

 そこはテンプレ通りな事になぜか安堵しつつ、菜々は次の言葉を待つ。

「お前がトリップした日に『頑張れ、新米サンタくん』が始まっただろ? お前が元々いた世界で『ドラえもん誕生日スペシャル』を見た後、『頑張れ、新米サンタくん』を見に行った。その時に時空が繋がっていたんだ」

 時空が繋がった上に「鬼灯の冷徹」を読んでいた事、二人の魂が同じだった事により、菜々があちらの自分に憑依したのだろう。

 そんな事を言われて菜々は頭がこんがらがった。

「とにかく、映像の続きを見ろ。今度は神々の歴史だ。俺が長年続いていた戦争を止めたのだ」

 菜々が信じていなさそうな顔を隠そうとしなかったのを見て、アクバルは突っかかる。

「本当だぞ! たけのこ派かきのこ派かで争っていた神に俺がもっと良い娯楽を提供したと説明されたんだから」

 その娯楽というのは毎回変わる髪と瞳の色なのではないだろうか。

「で、いきなりこんなところに連れてきたのはなんでですか? トリップ──憑依? 成り代わり? まあいいや。その理由を伝えるためではないですよね」

「お前に起こった現象はややこしいからこちらでは勝手にトリップと呼んでいる。そうだな。お前が連れてこられた理由は俺の武勇伝を聞かせるだけではない」

「それもあるのか……」

「お前はどちらの世界で一生を終えたい? 特別に選ばしてやる」



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第18話

「お前はどちらの世界で一生を終えたい? 特別に選ばしてやる」

 神と名乗る厨二病の男――アクバルの問いに菜々は考え込んだ。

 何か裏があるのではないだろうか。

 世界がいくつもあるのだとすれば、自分の存在は彼にとってものすごく小さい。

 いくら自分が原因で難しい立場に置いてしまったからと言って、そんな虫けらにも満たない存在のことを気にかけるだろうか。

 それ以前に本当に神なのだろうか。神の名を語って何か企んでいるのではないか。

 しかし、推理するには情報が無さすぎる。

 どんな裏があろうと分からないのなら、自分の願いを叶えるためだと割り切って利用した方がよっぽど早い。

 そこまで考えてある事に気がつく。自分がどうしたいのか分からないのだ。

 トリップ先の世界には友達がいて、仲間がいて。大好きな人達が沢山いる。その上、まだやらなくてはいけない事が残っている。

 ――今は忙しいだろうし、言えない事もあるだろうから何も聞かない。ただ、やる事が終わったら桜子と一緒に会いにいくから。

 三池から来たメールの内容を思い出す。

 ――全てが終わったらこの一年で何があったのかちゃんと話してね。

 向こうの両親に言われた言葉を思い出す。

 ――全てが終わったら皆に話したい事があるんだ。卒業式の後、時間をくれないかな?

 クラスメイト達へ頼んだ事を思い出す。

 トリップ先の世界に戻りたいという気持ちが高まったが、決断することが出来なかった。

 元の世界には両親がいる。彼らはずっと自分を待っていてくれた。

「……時間をください」

「分かった。お前が今いる世界での一週間で答えを出せ」

 そんな声が聞こえたかと思えば、意識が暗転した。

 

 

 *

 

 

 菜々はあの日から毎日眠りにつくと靄によって作られた場所に着くようになった。

 それから目が覚めるまでアクバルが考えた「さいこうにかっこいいせってい」を聞かされそうになるので、毎回話を逸らしていた。

 話を逸らすとなると、どうしても新しい話題が必要だ。

 結果として、菜々は重要な情報を手に入れた。

 どちらの世界を選ぶにしても、選ばなかった方の世界から彼女の存在は消えるらしい。

 人々の記憶にも残らず、覚えているのは彼女とかなり親しかった者だけ。

 いっそのこと、誰の記憶にも残らなければよかった。

 そうすれば自分のせいで人を苦しめなくて済む。

 

 約束の日。今日の夜までに答えを出さなくてはならないのに、菜々はまだ悩んでいた。

 このままでは期限を過ぎてしまいそうだ。

 そう感じながら頭をひねっていると部屋の扉がノックされ、返事を聞かずに両親が入ってきた。

「菜々、何があったの?」

 母が神妙に尋ねる。後ろには険しい顔をした父がいた。

 菜々はとぼけようとして口を開いたがすぐに閉じる。

 両親は何かがあったと確信している。何より、彼女は両親に本当の事を伝えたいと思った。

「信じられないような話だけど」

 菜々は意を決して口を開いた。

 

「その世界に戻りなさい」

 全てを話し終わると父が言い放った。

「話していなかったが家に何度かマスコミが訪ねてきている。どこかから菜々の今の状態が漏れたらしい」

 記憶喪失の上、鬼のような見た目をした少女。格好のネタだろう。

 プライバシーの侵害で訴えてもいいが、目立ちたくないのでそれは出来ない。

「向こうの世界には菜々みたいな人がたくさんいるんでしょ? 助けてもらいなさい」

 菜々はふとある言葉を思い出した。

「鬼卒道士チャイニーズエンジェル」に出てくる群青のセリフだ。

 ――どうすればいいのかわからない時は一番信用している人の言葉を信じなさい。

 この場面で思い出すのがそれなのかと菜々は自嘲する。

「分かった」

 たった一言。その一言を伝えるのに、彼女はかつてないほど勇気をふりしぼった。

 

 夜、眠りにつくと靄によって作られた場所に着いた。

 毎日眠りにつくとこの場所に訪れることから、ここは夢の中なのかとアクバルに尋ねてみたことがあるが、「これは夢でもあり現実でもある」とよく分からない答えが返って来ただけだった。

「今、悪魔デビットがこの周辺をうろついている。まあ俺のオーラで手も足も出ないようだが」

「それって昔倒したんですよね? とにかく答えが出ました。私はトリップ先の世界に戻ります」

「そうか」

「で、トリップ特典とか無いんですか? 選ばれし神様」

 菜々はバレバレのおだてを混ぜながら交渉し始めた。

「は? すでにあるだろ、トリップ特典」

 菜々がトリップしたことに気がつき、アクバルはとりあえずいくつかの能力を彼女に与えたらしい。

 まずは勘の良さ。米花町に住んでいるため犯罪に巻き込まれる事が確定したので、真っ先に与えられたものだ。

 生死に関わるような攻撃を仕掛けられた時に必ず気がつく。

 しかし避けられる身体能力が無かったので重度の怪我を負い、何度も入院した。

 次に倶生神が見える。この能力が無いとボロを出すのは確定していた。

 菜々は素直に感謝したが、すでに倶生神には別の世界から来た事がバレている。

 また、一つの能力をコピー出来る。しかし、ランダムなので「ボール=人に当てる」という使えるのか使えないのかよく分からない能力を得ただけだった。

 最後に一度だけ忘れていた原作知識を思い出せる能力。

「もしかしてそれって期末テストの数学の最後の問題なんじゃ……」

「多分そうだな」

「倶生神さん達が見えた事以外使えない能力じゃ無いですか! あと、事件体質とかは能力じゃないんですか? めちゃくちゃ事件に巻き込まれてたんですけど」

「あれは生まれつきだ。あの世界のお前の祖父は公安で殉職している。伯父は刑事だしそういう家系なんだろ」

「マジか……」

「戻るならお前が元の世界に戻った直後に戻してやろう。俺は時間を操る事ができるのだ! 後、色々な世界に行けたり幻覚を見せたりする事が出来る」

 そんな言葉が聞こえたかと思えば、意識が遠くなった。

 ――幸せになりなさい。それが最後の親孝行だから。

 意識が刈り取られる直前、眠りにつく前に母にかけられた言葉が聞こえたような気がした。

 

 

 *

 

 

 気がつくと、見覚えのある廊下に立っていた。

 朱色の柱が何本も続いており、金魚草エキスの入った栄養ドリンクが売っている自販機が見える。

 何より、今までこの場で話していたのであろう鬼灯と倶生神達が目の前にいた。彼らは目を見開いているものの、どこかこうなる事が分かっていたかのような表情をしている。

 帰って来たのだ。

 視界が歪む。目に水が溜まっているのに気がつき、菜々は下を向いた。

 途端にボロボロと塩水が落ちる。

 ずっと菜々は泣かなかった。どっちつかずの自分には泣く権利は無いと自分を叱責し、前を向き続けた。

 その反動なのか、今まで体の奥深くに押し込んでいたものが溢れ出し、涙となってこぼれ落ちている。

 声を出さないように唇をしっかりと結ぼうとするが、嗚咽が漏れてしまう。

 せめてぐちゃぐちゃの顔を見られないよう顔を覆おうとした時、菜々に頭をガツンと殴られたかのような衝撃が襲った。

 目の前が真っ黒になったのだ。

 煙草の匂いと薬草の匂いが鼻をくすぐり、何が起こったのか理解する。

 鬼灯は自分のことを部下として扱っているだけだろう。

 慕っていた先生を殺したばかりの中学生女子が、よく分からない怪奇現象に巻き込まれた。側から見ればそんな感じだ。

 少し寂しい気がしたが涙は止まった。彼から離れ目の縁を拭うと、ちょうど烏頭と蓬が来た。

「鬼灯、菜々ちゃん戻って来たか? ……あー、別に大丈夫だよ。かめはめ波の練習くらい。烏頭なんて黒歴史作りまくってたし」

 充血した菜々の目を一瞥し、蓬が慰める。

「かめはめ波?」

 菜々が聞き返すと天蓋が明後日の方向を向いた。

「何言ったんですか?」

「菜々がどこに行ったのか聞かれたから『かめはめ波の練習をしているところを見ちゃったら逃げてった』って答えたのよ。別にいいじゃない。昔練習してたんだし」

 小声で沙華がなだめる。

「泣くほどじゃないだろ。かめはめ波の練習を見られたくらい。俺なんかうんこ送りだぞ。しかも二回」

 否定したかったが本当の事を言うわけにもいかず、菜々は黙りこくった。

 

 

 *

 

 

 深夜に地獄で行われた打ち合わせが終わり、菜々は旧校舎に戻ってソラと入れ替わった。

 マスコミが押しかけて来たものの浅野達のお陰で無事に卒業式を終え、賞金を受け取って山を買い取った後、両親に何があったのか洗いざらい話した。

 また、口止めされていたため話せる事は少なかったが、三池と桜子と会った。

 しかし、居酒屋あずさで三池が殺せんせーと会っていたこともあり、何が起こったのか彼女達は予想出来ていた。

『一時にE組に集合』

 最近マスコミが落ち着いて来たので昨日クラスメイトに一斉送信したメールを確認してから、菜々は最近皆で買い取った山に入り込む。

 今は日が昇ったばかりなのでまだ薄暗い。

 フリーランニングで地獄門に通じる洞窟の入り口に向かう。今日は超生物について地獄でマスコミに発表される。

 

 

 午前九時頃、指定された会場には観客やマスコミが殺到していた。

 亡者について緊急発表があるため会場に来るようにと通達があったのだ。

 入場は無料であり、発表の後に催しもある上動画配信も許可されているとなれば、マスコミや野次馬が多く集まるのは明白だった。

 この一年で何があったのかと超生物を地獄で雇う事を地獄の重役が発表し、簡単に菜々もマスコミに紹介された後、催しが始まる。

「さあ始まりました! 人体実験の結果人知を超えた力を手に入れた超生物、殺せんせーと死神さんが障害物迷路に挑戦します‼︎」

 殺せんせーと死神がさまざまなトラップが仕掛けられた巨大迷路に入り、どちらが先にゴールに到着するか競うものだ。

「まずは殺せんせー。人体実験の被害者でありマッハ20を手に入れましたが、亡者となってからすぐ人型に戻ってしまいました。迷路の中にあるトラップは超生物用に作ったのですが、高スペックなので多分大丈夫でしょう」

 鬼灯の解説が会場に響き渡る。

 あの世では一般市民に触手生物の存在を発表したが、現世で危険視されているスピードを持っているものの特に問題にならなかった。理由としてはUMAのようなものだという認識が強いのと、彼らが殺し屋だった事を公表しなかった事が上げられる。

「次に死神さん。こちらはマッハ40! ですが亡者になった際人型に戻ってしまいました。ちなみに本名は昔捨てたらしいです」

 誤解を招きそうな言い方だったが、殺し屋であった事は上手く隠しているので良しとしよう。

「迷路の中様子は会場に設置されている大きなスクリーンに映し出されます。その際、自律思考固定砲台――通称律さんに協力してもらいます」

 彼の言葉と同時に、注目を集めていた黒く平べったい板状の直方体の正面に少女が映った。

「彼女は殺せんせー暗殺のために作られました。殺せんせーの暗殺に成功したらすぐ解体される予定でしたが、彼女はとても優秀です。また、近年『デジタル亡者問題』が発生しています。そこで地獄ではいち早く人工知能を取り入れることにしました」

 目には目を。人工知能には人工知能をという事だろう。

 魂を持ったロボットが現れてあの世に来た時、獄卒は彼らを裁くべきか否か。そんな問題が発生し、十王達の意見は真っ二つに分かれている。

 その上、「AI塔載型ロボットの付喪神が生まれた場合、それはもはやなんなのか?」問題もあったりする。

 AIを身近に置いておく事で判断できるかもしれないし、出来なかったとしても律はよく働いてくれるだろう。

 卒業式の前日。殺せんせーを殺した直後、菜々と入れ替わったソラが皆が寝静まった頃を見計らって技術課から受け取ったメモリカードを律に差し込んだのだ。

 メモリカードにはあの世の存在、菜々が鬼である事、律をあの世に迎え入れたい事、その場合元E組とは連絡をとっていい事などが記されており、律は地獄に行くことを決意したのだった。

 指示通り現世とあの世に繋がる特別な回線から、指示されていた機械にデータを移したらしい。

 技術課の面々の努力により、律の本体は現世のものよりも少しパワーアップしているようだ。

 

 一通りの説明が終わり、競技が始まった。

「ナイフが降ってきましたが、殺せんせーは楽々避ける! かなり身体能力が高いことが伺えます。ちなみにあの武器は全て技術課で作られたものです。刑場で使っている多くの道具は閻魔庁御用達の店で揃えていますが、数個必要な特殊器具は一つ一つ作っています。技術課は日々改良を重ね新しい物を作り出したり、それらのメンテナンスをしたりしています」

 人型とはいえ身体能力はかなり高いらしく、殺せんせーと死神は順調に進んでいた。

「地獄では常に獄卒を募集しています。機械系の職につきたい、発明をしたい。そんなあなた。ぜひ技術課に」

 テロップが出ているかテレビスタッフに確認してから、鬼灯は実況を再開する。

「おっと! 死神さんが最近刑場に導入した『亡者ホイホイ』にひっかかったようです。一度あの粘着剤に触れると抜けられません。ちなみにあれも技術課で作ったものです。ぜひ技術課に興味のある方は会場に置いてあるチラシを持って行ってください」

 迷路に設置してあるトラップは全てこの前の獄内運動会で使用された物のようだった。

 獄内運動会の本当の目的を悟った菜々はふと目線を横に移す。

 楽しそうに観戦しているあぐりを見て戦慄したが、初代死神を恐れていなかった事を思い出して妙に納得した。

 腕時計を見てみると十二時半少し前。

 閻魔に一言断ってから、菜々は会場を後にした。

 

 

 *

 

 

 午後一時頃。

 元三年E組生徒全員と副担任だった烏間、教科担任だったイリーナが旧校舎にあるかつての教室に集合していた。

「皆、集まってもらったのは話があるからなんだ」

 菜々が告げると、皆の脳裏に彼女が前に言っていた言葉がよぎる。

 ――全てが終わったら皆に話したい事があるんだ。卒業式の後、時間をくれないかな?

 ソラに目配せをして、「化かし」を解いてもらう。

「実は私、鬼なんだ」

「「「「は?」」」」

「え? なにそのツノと耳。コスプレ?」

「ねえ皆、私が理由もなく嘘をつくと思う?」

「「「「思う」」」」

 自分の信用が思っていたよりも無かったことに菜々は落胆した。

 

「と言うわけで地獄はある。で、殺せんせーや律達は地獄で雇われた。ここまでいい?」

 なんとか皆に話を信じさせたが、いきなり全てを受け入れるのは難しいようだ。

 菜々は自分がトリップしたばかりの頃を思い出していた。

「ちょっと待って……。頭が追いつかない」

「あかりちゃん、あぐり先生はすんなり受け入れてたよ」

「お姉ちゃんだからだよ!」

 突っ込まれたが特に反応はせず、菜々はバックから紙の束を取り出した。

「早速で悪いけどこれにサインしてくれない?」

「サインなら後にしてくれ」

 すかさずネタを挟んできた不破をスルーし、菜々は説明をする事にした。

「見てもらえば分かると思うけど、この書類は地獄の事を口外しないっていう証に書いてもらう。まあ後は死後の事とか手伝って欲しい事も書いてあるけど難しい事じゃないから」

 菜々から契約書を受け取り、皆が目を通す。

 

 1,他者にあの世の事を口外してはならない。ただし同じく情報を知っている者には適応されない。

 2,契約者に対し、よほどのことがない限りあの世の者は危害を加えない。

 3,契約者に対し、あの世の者が危害を加えようとしても助けない。己の身は己で守れ。

 4,この情報を元に恐喝などの行為を行っても構わないが、地獄に落とされる事が確定する。

 5,あの世の者が現世で濡れ衣を着せられそうな場合は、こちらの潔白を証明するために力を貸すこと。

 6,死後、よほどの罪がない場合は地獄に落とさない。ただし、一部のものは獄卒として地獄で働くこと。

 

 このような内容が続いていた。

「え、なにこれ?」

「見たまんまだよ」

 E組全員に全てを話すことが決まったのはそれなりの理由がある。

 一番の理由は鬼灯が疑われていた事だった。

 思い返してみれば、なぜか旅行先に斧を持ってきていたり、仕事に就いているはずなのに平日の朝に暗殺をしに来たりと不審な行動をとっていた。

 これから頻繁に現世に訪れる予定の鬼灯も、しばらくは現世で暮らす事になっている菜々も、ずっと疑われたままなのは避けたかった。

 そこで鬼灯は前代未聞の行動に出た。全員に事情を話そうと言い出したのだ。

 篁という前例はあるものの、彼はたまたま地獄に迷い込んでしまったため一連の出来事は事故に近い。

 そもそも、一人だけにあの世について教えるのと三十人近くもの人間に教えるのとはわけが違う。

 第一今は情報社会。その気になればすぐに情報を拡散することが出来る。

 

 一方、鬼灯の言い分はこうだ。

 もうすぐ米花町の調査を開始する事になる。そうなると必ず事件に巻き込まれる。

 もちろんアリバイを証明する事が出来ない時もある。

 その時にE組のうち誰かが口裏を合わせてくれればいい。

 一年間同じクラスだった事以外に彼らの共通点は無い。怪しまれる事もないだろう。

 それに彼らは大物になる。

 将来篁のように上手いことやって上流階級の視察をする事が出来るかもしれないし、死後獄卒として雇う事だって出来る。生前から事情を知らせておけばスムーズに事が運ぶだろう。

 

「そういえば、E組はツッコミ率高かったですよ」

 重役達はなかなか首を縦に振らなかったが、その言葉を聞いた途端許可を出した。

 

「まあ、わざとお寺を焼いたり目上の人を殺したりしない限り地獄行きにならないんだしいいんじゃない?」

「でもさあ、これ条件良すぎない? 確か虫殺しただけでも地獄に落ちるんでしょ?」

 カルマに尋ねられ、彼が地獄について詳しい事に驚きつつ菜々は答えた。おそらく厨二病だから地獄について調べたのだろうと勝手に納得して。

「さすがにその制度を取り入れてたら地獄行きの亡者ばっかりになっちゃうよ。ちゃんと情状酌量とかもあるし。それでも確かに条件はいいね。おそらく口止めの意味もあるんだと思う。殺せんせーと死神さんが殺し屋だった事、発表していないんだよ」

 混乱を招くのを防ぐため、殺せんせー達が元暗殺者である事はあの世で極秘事項となった。

 それと同時に、現世のこの事を知っている者は死後転生させるなどして口止めをする事が決まる。

 自国の受け持つ地域の亡者は責任を持って口を封じる事が国際会議で決められ、ほとんどの亡者は転生させて記憶をなくすように仕向けられるのだろう。

 しかしE組の者は将来有望な者が多いのと、殺せんせーを慕っていたので情報を漏らす事は無いだろうと判断された事により、特別待遇となった。

 ここまで説明して菜々ははたと気づいた。

 もしかして柳沢も問答無用で転生させられるんじゃないかと。

「ヤバい……。私が計画していた柳沢専用の嫌がらせプランが使えなくなるかも……」

 いきなり何か言い始めたがいつもの事なので皆はスルーした。

 

 

 *

 

 

「死神さん。新しい名前決めませんか?」

「僕、君達を何度か殺そうとしたよね⁉︎ なんで普通に接してくるの⁉︎」

 閻魔庁にあるジムで菜々は殺せんせーと死神と会っていた。

 彼ら以外にジムを利用している者は誰もいない。

「今までの事は水に流します。限定プラモで」

「ところで名前とは? 彼にはもともと名前がありますよ」

 見返りを要求してくるのは通常運転なので軽く流し、殺せんせーは突っ込んだ。

「だって名前捨てたんですよね? 六道りんねとかはどうですか?」

「死神のままでいいよ……」

 殺せんせーと紛らわしいが菜々にとってはこの際どうでもいいらしく、この話題は終わった。

「で、二人とも触手生物化出来ないんですか?」

 菜々は本来の目的に触れた。

 彼女は最近諦めたかめはめ波の代わりにパワーアップする方法を考えた。

 そこで思いついたのが「格上と戦って強くなる」というバトル漫画のお約束だった。

 初めは鬼灯で試していたが能力が桁違いな上に手加減してもらっても負けてしまう。

 成果は罪を烏頭になすりつけるのが上手くなった事くらいだった。

 なので菜々は殺せんせー達に挑む事にした。

 しかし、米花町で実践を嫌という程積み、この一年で烏間に稽古をつけてもらった上に鬼の身体能力を得ている菜々は人間の状態の二人に負ける気がしなかった。

 これは自惚れではなく、本当のことだ。

 まずパワーが圧倒的に違う。

 さらにスピードにもそれなりに自信がある。幼い頃は力が無く、大の男には勝てなかったので誘拐されそうになった時はただひたすらに逃げていたからだ。命を賭けた鬼ごっこをずっとしていた。

 彼らは殺し屋。専門は格闘では無い。

 死神は真っ先に格闘術を習ったと言っていたが菜々は気にしない事にした。

 男たるもの股間を攻撃されれば終わりだというのが菜々の持論だ。

 そこで二人を触手生物化させるための計画が始まった。

「二人って親友とかいます?」

「いません」

 殺せんせーの答えを聞き、菜々は落胆した。

 親友を殺された怒りで触手生物化しないかと考えていたのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば親友がいたとしても殺すことなんて出来るわけがない。

「鬼、悪魔。お前のかーちゃん三段腹!」

「私達は亡者ですし物心ついた時は母親がいなかったので最後のは分かりません」

「僕の母親は痩せてたよ」

 一応すぐに思いついた悪口を言ってみたが特に反応はなかった。

 しょうがないのでドラゴンボール風に変身してもらうのは諦める。

「じゃあ今度は右手の親指食いちぎってください」

「菜々さん、本当にそんなんで触手生物化出来ると思いますか?」

 殺せんせーが小さな子供に言い聞かせるかのように問いかけてきた。

 しかし、触手生物化出来ないと困る。

「私が稽古をつけてもらうためだけに言ってるんじゃないですよ。日本地獄では二人が触手の力を使える前提で話を進めて来ました。このままだと色々と不具合が生じる」

 殺せんせーが思案し始めたため静かになったので、チャンスとばかり菜々が口を開く。

「じゃあ後は女性物のパンツを顔にかぶるかセブンセンシズに目覚めるか」

「前者は絶対に嫌だ」

 菜々が話している途中だったが死神が口を挟んだ。

「でもセブンセンシズに目覚めるのって五感を断たれたり死ぬ一歩手前までダメージを負ったりした時ですよね」

「いっそのこと触手生物化は諦めて筋肉大移動でもします?」

「趣向が思いっきり変わってる‼︎ それ以前にその技、しばらく経つと移動させた筋肉が元に戻らなくなるっていう弱点ありましたよね‼︎」

「先生がツッコミ役にまわってる……だと……」

 菜々は考えていた案全てに反対されてしまったので、これからどうするべきかと考え込んだ。

 自分が元いた世界から見ればここは漫画の世界。

 今まで言った方法のどれかでなんとかなるような気がする。

 

 

「ここにあるのは旧校舎から発見されたエロ本の山。岡島君は否定していたので、どう考えても殺せんせーの物。これらを今から火にくべます」

 菜々達三人は焦熱地獄に移動していた。

 たくさんの炎が燃え盛っており、なにかを燃やすのに便利なのだ。

「な、なぜそれを……。絶対に見つからないと思っていたのに」

 人間の姿だからか殺せんせーはいつもよりかは慌てふためかない。

 これでは怒らせるのは無理そうだと思いながら菜々は大量のエロ本を火にくべた。

 炎が突っ立ち、ヒカリゴケに覆われた薄暗い地獄の空が朱と金に染まる。

 心なしか落ち込んでいる殺せんせーを死神が慰めている時、菜々は見覚えのある人影に向かって歩いて行った。

「何やってるんですか? 篁さん」

「証拠隠滅。秦広王の壺を割っちゃって……」

「アイスで忘れます」

 

 刑場の近くにあったコンビニの前で、菜々達はアイスを舐めていた。ちなみに菜々が舐めているのは一番高いアイスだ。

 ちゃっかり殺せんせーと死神も奢ってもらっている。

「なるほど。触手生物化か」

 菜々から何があったのかを一通り聞き、篁は一瞬思案した。

「まだ試していないことがあるよ」

「え?」

 今まで「閻魔大王より閻魔大王っぽい人の横にいた天パの人」という認識しか無かったが、何か良い案が出るのだろうかと殺せんせーと死神は期待の表情で篁を見つめる。

 彼らも自分達は本来なら地獄行きだと理解していた。

 また、地獄で雇うという形で救ってもらったとこに感謝しているため、触手の力を使う計画が自分達のせいで狂うのは避けたいと思っている。

「超サイヤ人になる方法。怒りによって覚醒する以外にもあるでしょ」

「あ、『背中をゾワゾワさせる』!」

 思っていたよりもアホな内容だった事に殺せんせーと死神は肩を落としたが、菜々はそうでは無かった。

「練習しますよ!」

 目を輝かせて提案して来た菜々の気迫に負けて二人は頷いた。

 

 一時間後。殺せんせーと死神は触手生物化に成功した。

「これで本当に成功するとは……」

 変身を解いた殺せんせーが呟く。

 ほとぼりが冷めるまでどこかで時間を潰したい篁も一緒に、皆はジムに戻っていた。

「こんなんでいいのか」

 発案者である篁が零す。

「早速稽古つけてください、殺せんせー」

 身体能力だけで言えば死神よりも下の殺せんせーに菜々は声をかけ、地獄にいる時はいつも腰につけているナイフホルダーからナイフを取り出した。

 すぐに変身した殺せんせーに菜々がスマホを見せる。

 スマホにはモバイル律が映っていた。

「律、この前私が保管を頼んだデータを出して」

『お任せください!』

 元気な返事をして、律は動画を映し出す。

 殺せんせーが顔をピンクにしてエロ本を拾い読みしている姿、殺せんせーが女装して女性限定ケーキバイキングの列に並んでいる姿。

 夏休み暗殺計画に使われた動画だった。

「にゅやあああああ!」

 菜々は基本的に相手を出来るだけ弱体化させてから戦う。

 こんな事で強くなれるわけがないと彼女が悟るのはもう少し先の話だ。

「確か先生の生徒達にもあの世の事話したんですよね?」

 菜々が放った飛び蹴りを殺せんせーが避けているのを眺めながら、死神は篁に尋ねた。

「そうだね。さまざまな理由があるけど、そんな話になったのは鬼灯さんが疑われ始めたからだよ」

 篁の言葉は遮られる。

「なんでそんなに強くなりたいんですか?」

「米花町が呪われてるからです! 後、分身の術とか使ってみたい」

 全ての攻撃をかわし、顔に黄色と緑のシマシマを浮かべた殺せんせーに尋ねられ、菜々が律儀に答える。

 隠し持っていた癇癪玉を投げつけるが全て殺せんせーにキャッチされていた。

「でもおかしいんだ。鬼灯さんがそんなミスをするとは思えない」

 もしかして、これを全て見越してあんな行動をとったんじゃないかな。

 篁はそんな言葉を飲み込んだ。

 もしも仮説が正しいとしたら何のためにそんなことをしたのか。

 アリバイ証明のため、前もって唾をつけておく。それらの理由だとどこか引っかかるのだ。

 

 

 *

 

 

「あれ? あのセリフは?」

 閻魔殿にある自室で鬼卒道士チャイニーズエンジェルを読んでいた菜々は疑問を口に出した。

 ――どうすればいいのかわからない時は一番信用している人の言葉を信じなさい。

 この世界に戻る決め手になった群青のセリフがどこを探しても無かったのだ。

 ストーリーも記憶とはかなり違っている。

 ――俺は時間を操る事ができるのだ! 後、色々な世界に行けたり幻覚を見せたりする事が出来る。

 疑問に思ったのと同時に、おそらく定期的に左目が疼いているのであろう神の言葉を思い出す。

 また、この巻の感想を語り合った時、蓬が何かいいかけていた事も思い出した。

 蓬があの時言いかけた言葉。おそらく「そんなセリフあったっけ?」というところだろう。

 自分だけに見えたセリフ。神の能力。

 何が起こったのかは明白だった。

 そこまでして、菜々をこの世界にいさせたかった理由は何なのか。

 ただの気まぐれか道楽か。はたまた彼女がいないといけないのか。

 そんなことより、読み逃していた話を読む事の方が菜々にとっては重要だった。




活動報告にタグについて載せました。
読者の皆様のご意見を聞きたいと思います。
もしよろしければ、読んでいただけるとありがたいです。


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高校生編
第19話


やっと「鬼灯×オリ主」のタグが仕事し始めます。


 公立である都立永田町高校に入学する事を菜々が決めた理由はいくつかある。

 殺せんせーに説明した「親にこれ以上負担をかけたくないから」というのは二番目の理由だ。

 一番の理由は米花町から離れているから。

 呪われし町、米花町。最近では一日に数件殺人事件が起こるようになってしまった。

 トリップしたばかりの時はせいぜい二日に一度だったのにだ。

 菜々は新一が物心ついたせいだと睨んでいた。

 彼はまだ小学生だというのに探偵の真似事をしている。主人公が推理をし始めたら回想などで話が作れる。

 とにかく、菜々は少しでも米花町から離れたかった。

 最後の理由としては米花町から永田町まで行く時に椚ヶ丘駅を通るからだ。つまり登下校中に地獄に寄ることが出来る。

 今日も菜々は放課後に地獄に来ていた。

 

 

 まだ春なのに暑いのは地獄だからだろうかと思いながら、出された冷たい麦茶で喉を潤す。

 学校が終わった時間帯なので元気な子供達の声が窓の外から聞こえてくる。

 浅野塾。菜々が学校が終わってから真っ先に訪れた場所だった。

「どうしたの? 勉強で分からないところでもあった?」

 席を外していた沙華が職員室に窓から入ってきた。

 急に第二の教え子が訪ねてきたとあぐりから聞いて急いで戻ってきたのだ。どうやら電話では済ますことが出来ない内容らしい。

「聞きたいことがあるんです。会社を繁栄させる妖怪なんていましたっけ?」

 

 菜々の父親は小さな会社を経営している。

 彼女が私立である椚ヶ丘中学校に通わせてもらったのは父の会社がそれなりに儲かっているからだ。

 ただし「それなり」止まり。従業員が二十人もいない小さな会社だったはずだ。

 しかし、菜々はテレビをつけた時に高いビルの前で笑っている自分の父を見た。

 そのビルが父の会社である事を理解してすぐ、母に電話をかけた。

『なに言ってるの? お父さん何度も会社が大きくなったって言ってたじゃん』

 予想外の答えを聞いて菜々は絶句した。

 

「どうせちゃんと話を聞いていなかったんでしょ」

「その通りです……」

 近くにいた天蓋に痛い所を突かれて菜々は小さくなる。

「とにかく、あのお父さんが会社を大きく出来るわけがありません! これは妖怪のせいです!」

 ただ会社が大きくなるだけならいいが、そうはいかないだろう。日本の妖怪はメリットがあるならデメリットもあるのだ。

「妖怪ね……。座敷わらしとか?」

 なんとなく気がついていた菜々はうなだれた。

 座敷わらしは家人が欲に溺れ、努力を怠るようになった途端出て行ってしまう。その上、その家は一気に没落してしまうのだ。

「取り敢えず、ずっと居座ってもらうようにおはぎ持って交渉してきます」

 菜々は出された麦茶を全て飲みきってから立ち上がった。

 父の会社に居るであろう座敷わらしは()()座敷わらし達ではないかと思いはしたが頭から振り払う。

『菜々さん。現世の携帯にお父さんからメールが届いているようです』

 地獄用のスマホに映った律の言葉を聞き、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

 

 *

 

 

 現世に戻ってメールを確認するとすぐに帰ってくるようにと書かれていたので、何事かと急いで帰宅したらいきなり父が土下座してきた。

 土下座を極めている菜々は直感した。この土下座は崖っぷちに立たされた挙句、誰かを巻き込んでしまった人間の物だと。

「会社が倒産した……」

 ここまでは予想通りだったので菜々は特に驚かなかった。

 持っているコネを最大限使って父の転職先を探そうと頭の片隅で考えるくらいには余裕があった。

「……3千万借金がある。2千万は集まったが、残りの一千万が……」

 一瞬思考が停止してしまったが、菜々はすぐに頭を回す。

 殺せんせーの賞金は旧校舎のある山の分の金額と皆の将来の学費の頭金だけを貰い、後は国に返した。

 高校も大学も公立志望だったのでほとんど賞金を貰っていない。

 今まで亡者回収で稼いだ金額と、大学に行く際の下宿代の頭金を合わせてざっと七百万。三百万足りない。

 旧校舎がある山でニホンカワウソでも捕まえようかと考え始めた時、ソラに小突かれた。

 意識を再び父の言葉に向ける。

「一千万返す当てはあるが、菜々次第だ。嫌なら嫌と言ってもらって構わない。遺産相続を拒否すれば俺達の死後、借金を払う必要は無い」

「分かった。取り敢えずその当てって奴を教えて」

 

 

 *

 

 

 借金を返す当てというのは要するに政略結婚だった。

 相手はYASASHISA SEIMEIの次期社長である亜久妙隆(あくみょうたかし)

 小学四年生の時クリスマスに一度会ったことがあるらしいが、優作のインパクトが強すぎてあまり覚えていない。せいぜい、「なんかめんどくさいおっさんがいたな」くらいの認識だ。

 取り敢えずは一緒に食事でもという話になり、土曜日に高級感漂ようイタリアレストランに連れていかれた。牛丼を頬張っている方が好きな菜々にとっては結構な苦痛だったが、料金は全て向こう持ちという事だったので気にせず食べることにした。

 菜々はパスタを頬張りながら目の前に座っている男を盗み見る。

 こいつ絶対ロリコンだろ、と思っていると目が合った。

「なんで僕が君の結婚を条件に借金を肩代わりする提案をしたのかって顔してるね」

「そうですね。こんなちんちくりんのために一千万も払う理由が分からない」

「初めて会ったクリスマスの日、僕が君に心を奪われたからさ」

 何言ってんだコイツという目で菜々は相手を見つめたが、さすがに失礼だったので謝ろうと口を開く。

 結婚はせずに上手いこと借金を肩代わりしてもらえないだろうかと考え始めたのだ。

「その(さげす)んだ目、素晴らしい‼︎」

 菜々は謝ろうとしていた事を忘れて、口をポカンと開けた。

「覚えていないかい? 初めて会った日、君は僕に『全身爪楊枝で刺してやろうか』と言ったんだ! あの日から僕は新しい世界を知った」

 あれ、聞こえていたのか、と菜々は遠い目をした。

 自慢話に嫌気がさしてボソッと呟いてしまったのだ。

 自分に責任はあるものの、ロリコンの上にマゾまで加わってしまった。正直結婚したくないどころか同じ空間にいるだけでも嫌だ。しかし、そう思えば思うほど相手は喜ぶ。

 これからどうするかと菜々はため息をついた。

 どうせなら殺せんせーの賞金を大目に貰っておけばよかった。それとも理事長に株で儲ける方法を伝授してもらおうか。

 

 

 *

 

 

 菜々は縁側に腰掛けて金魚草を見上げていた。

 これからの事を考えるだけで気が滅入る。

 結婚相手候補と会ってから、ソラにこの事を上に報告した方がいいと言われた。鬼と人間が結婚するのはタブーだ。

 頭では分かっているものの、菜々は報告するのをためらっていた。

 彼女の両親を助けるメリットが地獄には無い。

 所詮はバイトだし成人すらしていない。殺せんせーの件で功績を挙げはしたが権力はまるっきりないのだ。

 このような状況になってしまった以上、強制的に地獄に住まなくてはならなくなるだろう。両親を助けるなんてなおさら無理だ。

「どうしたんですか?」

 気がついたら鬼灯が横に立っていた。水撒き機を持っているところを見ると休憩中なのだろう。

 だんまりを決め込んでいても打つ手がないのだから意味がないと判断し、菜々は重い口を開いた。

 

 一連の出来事を全てを話し終えると、鬼灯は顎に手を当てて思案し始めた。いつのまにか水撒き機を下に置いて、隣に腰掛けている。

「菜々さん、脳みそ入り味噌汁って飲めますか?」

 鬼灯が口を切る。

「よっぽどまずくない限り飲めると思いますけど……」

「じゃあ、私でいいじゃないですか」

 一斉に揺れていた金魚草の中の一匹が目をギョロッと動かし、鳴き始める。それにつられて他の金魚草も鳴き始め、不気味な鳴き声が響き渡った。

 急に吹いてきた地獄特有の生暖かい風が頰をなで、髪が舞う。

 地獄のアニメを毎回食堂のテレビで見るのがキツイので、これからは死神の部屋に無理やり押しかけようかと、風になびく髪を目の端で捉えながら菜々はぼんやり思った。

 

 なぜこのような事を考え始めたのか。事の発端を思い起こして菜々は凍りつく。

 鬼灯の言葉が理解できず、思わず現実逃避をしてしまったようだ。

 一連の出来事を思い出した途端、疑問が次から次へと湧いてくる。

 なにから尋ねるべきかと考える事もなく、無意識のうちに菜々は質問していた。

「鬼灯さんってロリコンですか?」

「違います」

 即答だったのが余計に怪しいと菜々が訝っていると、鬼灯が堰を切ったかのように話し始める。

 すでに米花町の視察が検討されているため、今さら変更できないらしい。

 

 現在米花町がある場所では昔から事件が起こっていた。

 しょっちゅう人が死ぬせいで、亡者の一割が米花町出身だという都市伝説が存在するくらいだ。

 殺人や窃盗、誘拐などの犯罪が頻繁に起これば、親しい人が殺された、屈辱的な事をされたなどの理由で恨みを持つ人間も増えてくる。

 恨みを持つ人間が増えれば周辺に負のエネルギーが漂い、亡者が寄せ付けられる。

 人が死に、その恨みでさらに亡者が集まってくる。

 そのせいで米花町を担当しているお迎え課の人員をどれだけ増やしても、亡者が次々と現れる。

 地獄では早いうちから問題視されていたが解決する事が出来なかった。

 視察に行っても事件に巻き込まれ、容疑者となってしまうのだ。

 おそらく、地獄一面に漂っている負のエネルギーをまとっているせいだろう。

 容疑者となれば当然疑いの目を向けられる。

 面倒くさい事に米花町には頭の切れる者がいた。工藤家の連中だ。

 彼らはめっぽう推理力が高い。容疑者の一人が何か隠していることなどすぐに見抜いた。

 その頃はホモサピエンス擬態薬なんてなかったので正体がバレてしまい、ろくに視察する事が出来なかった。

 ただ一つ分かったことといえば、工藤家の人間が事件を引き寄せているらしいと言う事だ。

 

 毎度視察に行った者が事件に巻き込まれるため一度方法を見直そうと言う話になって来た頃、現世では日本が世界に進出していた。

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などの戦争が次々と起こったのだ。

 戦争をするとなれば当然死者は多くなる。

 その上外国で死亡する人間が多発し、地獄は大忙しとなった。

 さらに地獄の仕組みが現世に合わなくなるたびに改正し、外交も活発になったりとさまざまな要因が重なって米花町については後回しにされて来た。

 EU地獄と平和条約を結び終わり、米花町に住んでいる上に問題の工藤家の人間と面識のある菜々の協力を得られる事になったので、もうそろそろ本腰を入れて米花町の視察をしようという話になっていた頃、別の問題が浮上した。

 来年地球を滅ぼすかもしれないマッハ20の超生物。

 しかも超生物は現世日本に居座ることとなり、日本地獄は余計に忙しくなった。

 

「ゴタゴタがやっと片付いたというのに、米花町の視察の要とも言える菜々さんの協力が得られなくなったら元も子もありません」

 米花町視察の歴史を語った後鬼灯はそう締めくくった。

「つまり?」

「借金は全て私が肩代わりします。私が菜々さんと結婚するのは周りに納得させるためです」

 

 

 *

 

 

 鬼灯の仕事は早かった。

 まずは菜々の親戚達を納得させるためのシナリオを作る。

 と言っても彼女の両親が学生のうちに籍を入れた関係で猛反対していた母方の親戚とは疎遠になっており、実質絶縁状態に近い状態だ。また、父の両親はすでに他界している。それらの理由から、説明する必要があるのは両親と刑事である叔父だけだ。

 

 殺し屋をしていた以上、人の心理に詳しいであろう死神にもシナリオ作りの協力を仰いだ。殺せんせーに声をかけなかったのは、声をかけるとめんどくさい事になりそうだったからだ。

 どう言えば違和感がないか。同情を誘って相手の判断力を鈍らすにはどうすればいいか。意見を出し合い、持っている知識全てを使って虚構を紡ぐ。

 シナリオを作る上で参考になりそうな情報の収集は律に手伝ってもらい、E組の皆に口裏を合わせてもらうように頼む。

 鬼灯の戸籍の偽装も律に手伝ってもらった。

 上司である閻魔に結婚する旨を伝えた時は驚かれたが、理由を話すと呆れられた。

 

 菜々が結婚を提案されてから一週間後。全ての準備が整い、彼女の両親に事情を話すこととなった。

 

 

 *

 

 

「フハハハハ。来たな、加藤菜々! どうだ気持ち悪いだろう! これでお前は家に入る事が、フゲフッ」

 人の家の前でブリッジをしてガサゴソとゴキブリのように動いていたムキムキの亡者は、菜々に蹴り飛ばされた。

 何事もなかったかのように二度目の蹴りを入れている菜々とお迎え課に連絡しているソラを見て、これはいつもの事なのだろうと鬼灯は悟る。

 目的地に着くまで、米花町で嫌という程亡者を見た。

 どれだけ捕まえてもキリがないと言われているのが頷ける。

 逃げ出さないようにと菜々が木に亡者を結びつけている時、沈黙に耐えられなくなったソラが鬼灯に話しかけた。

「髪、切ったんですね」

「ああ。さすがにいつもの髪型で行くのはまずいと口を揃えて言われまして」

 自力では無理なので意を決して美容院に出向き、「現世朝ニュースの安心イケメンアナウンサー風で!」と叫びながら殴り込みに近い入店をした事を鬼灯が告げる。

「今度美容院に行く時は連れてってください! 私のせいでわざわざ髪まで切ってもらった事を謝るべきなんでしょうけど……なにそれ超見たい‼︎」

 わめいていた亡者の顔に蹴りを入れた後、菜々が会話に加わって来た。

 

 

 チャイムを鳴らしてから少し経つと家の中から足音が聞こえ、ガチャリと扉を開ける音が聞こえる。

「どこの組の方ですか?」

 亜久妙隆と籍を入れる以外に借金を返済する方法が見つかったと言っていた娘の後ろにいる男を一目見ると、母が疑問を零した。

「お母さん、違うからね。確かに凶相だけど」

 

 

 家に上がり、勧められた席に着いたところで菜々が口を開く。

 父がソワソワとしているのに対し、母は割といつも通りだった。

「なんとなく予想がついているとは思うけど、この人が私の婚約者候補その二。加々知鬼灯さん」

 鬼灯が頭を下げる。ホモサピエンス擬態薬の副作用で眠気が酷いため、かなり凶悪な面構えだ。

「一連の流れを聞いて、私は前から想いを寄せていた娘さんにプロポーズしました。もしも結婚を許していただければ、借金全て肩代わりします」

「あのロリコンマゾ男よりはいいと思うよ。性格がちょっとアレな事を除けばスペック高いし」

 菜々はすかさず合いの手を入れる。

「あー、加々知君。まだ若いのにそんな金があるのか?」

 よっぽど高給取りなのか親が金を持っているのか、急な遺産相続で大金を得たか。いや、もしかすると裏社会の人間かもしれない。

 父の質問からそのような考えを察して菜々は思わず背筋を伸ばした。

「おそらく口止めの意味もあったのでしょう。政府から殺せんせー関連で巻き込んでしまった謝罪という名目で、一生遊んで暮らせる大金を貰ったばかりなんです」

「そう。ヤのつく方じゃなくて殺し屋だったの……」

「お母さん、違うからね⁉︎ この人裏社会の人間じゃないからね⁉︎」

 とっさに菜々が否定するが、両親はまだ信じきれていないようだった。

「米花町ではしょっちゅう裏社会の人間を見る。君の目は彼らにそっくりだ」

「菜々がそうしたいのなら殺し屋に嫁いでもいいよ……。あなたは人を見る目があると思うし」

「お母さん、さすがに放任主義すぎるのはどうかと思うよ⁉︎ いや、信頼してくれてるのは嬉しいけど……。そしてお父さんは一旦黙れ」

 元はと言えばお前のせいだろうが、という想いを込めてジト目で睨むと父は押し黙った。

 

 UMAの目撃情報を得て山に来たところ殺せんせーに鉢合わせてしまっただけであり、鬼灯は後ろめたい事をしているわけではないと信じさせるのにかなりの時間を費やした。

「そんなに悪人ヅラですか?」

「下手したら指名手配犯よりも指名手配犯っぽいですよ」

 呑気に尋ねている鬼灯を見て、自分が化かした方が良かったんじゃないかとソラは思い始めた。

「じゃあ職業は?」

 大金が転がり込んだ事を理由に辞めていたらどうしようかと、父の顔に書いてある。

「派遣社員に登録していますが、なかなか仕事がないのでバイトもしています。あ、大金を手に入れた後も仕事は続けていますよ。人間、サボる事を覚えると一気に堕落するので」

 感心している母とは対照的に、父は余計に不安になった。

「派遣社員に登録しているけどなかなか仕事が無い?」

「鬼灯さん優秀だから! 定職につけないのは社会問題のせいだから!」

 とっさに菜々が反論する中、鬼灯は落ち着いた声色で尋ねた。

「黄金神教事件をご存知ですか?」

 

 黄金神教事件。二十年ほど前に起こった事件であり、一人の大富豪が開いた宗教――黄金神教が元になった事件である。

 黄金神教とは、黄金神とされる金色のカラスの置物に祈りを捧げ、山の中で信者達が集団生活を送って精神を高めるという教えだ。

 それらの事は自由の範疇とされていたが、しばらく経って信者が殉教の名のもと次々と自殺をしている事が判明。マスコミに取り上げられて社会問題となり、警察が介入する事となった。

 やがて、孤児院から引き取った子供達を一人ずつ洞窟に閉じ込めて餓死させて「生贄」としていた事、幹部達が法外な寄付金を使って贅沢な暮らしをしていた事も判明した。

 余りの酷さからこの事件は大きく取り上げられ、黄金神教と関わっていたというだけで白い目で見られるようになった。

 親に連れられて山で生活していたいわゆる「二世代」の子供達が、実力があっても正規雇用で採用されないなど。今でも黄金神教が元となったさまざまな社会問題が根強く残っている。

 

「私は黄金神教に引き取られた孤児でした」

 予想外の言葉に両親は目を見開く。てっきり彼は親に連れられて山で生活していた「二世代」だと思っていたのだ。

 生贄となる事が決まり、洞窟に閉じ込められたが穴を掘って脱出。警察に保護されるまでの数日間、信者達に見つからないように気を付けながら、カエルやトカゲを焼いたり食べられる草を探したりして餓死を逃れた。

 壮大な幼少期に両親が目を見開いているのを見て、菜々は今のところ怪しまれていない事に安堵した。米花町の人間は感覚が狂っており、普通の人が信じないような話でも簡単に信じてしまう節がある。

「私が脱出できたのは掘りかけの穴があったからです。その穴の周りには子供の白骨死体が大量にありました」

「そうか……悪い事を聞いたね」

 自分のせいだと理解しているので強くは言えないものの、鬼灯を敵視していた父が謝る。

 

「ふ、二人の出会いは?」

 明るい話題にしようと母は咄嗟に尋ねた。

「私が蹴り飛ばした強盗犯が鬼灯さんの方に飛んでった」

「は?」

「で、私はとっさに足四の字固めを……」

 この嘘は死神のお墨付きだ。

 菜々はさすがにどうかと思ったが、「君達ならこれくらいインパクトある出会いじゃないと逆に怪しい」とまで言われてしまった。

 実際、稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込むという出会いをしている事を考えると妥当な判断かもしれない。

 だからこの二人惹かれあったのか、と両親はやけに納得したので結果としては良かったのは確かだ。

 

 それから両親から浴びせられる質問に対して、あらかじめ決めておいた受け答えをしていく作業が開始された。

 

 一通りの説明が終わり、菜々が紙を取り出して両親に見せる。

「で、私が十六歳になったら籍を入れようと思うんだけど、いくつか取り決めをした。この契約書確認して」

 

 1,成人するまでは手を出さないこと。もしも約束を破った場合は無くなった方が人類にとって良いと見なし、再起不能にする。

 

「どこをだよ⁉︎」

 父が突っ込んだが、母は気にせず読み進めた。

 

 2,世間体もあるので高校を卒業するまで、婚約者に今までの姓を名乗らせること。

 3,高校卒業までは一緒に暮らさない。家に泊めるのも同様。ただしそれ相応の理由がある場合は除く。

 4,結婚のことは親戚以外の人間に極力気づかれないようにする。

 

 このような内容が延々と続いていた。

「これに拇印を押してもらおうと思うんだけど、この内容で良い?」

 両親が書類に一通り目を通した事を確認してから菜々が尋ねる。

 幼い頃から犯罪に巻き込まれていたため対処法を嫌という程知っている娘なら、自分の身は自分で守るだろうと判断して両親は頷いた。

 

 

 

 *

 

 

「今日はありがとうございました。それと、わざわざ現世で部屋まで買ってもらちゃってすみません……」

 夜、菜々は鬼灯に電話をかけていた。

 目の前の勉強机の上には教科書が散らばっている。

『別にいいです。去年の獄内運動会前に書かされた契約書のこともありましたし』

 淡々とした鬼灯の声を聞いて、菜々はやっと契約書の存在を思い出した。どうやら思っていたよりも慌てていたらしい。

『それと部屋については前々から計画していた事だったので、ホモ・サピエンス擬態薬と一緒に経費で落としました』

 米花町の視察を本腰入れて開始する前に、現世のマンションの一室を買っておこうと話されていたようだ。

 米花町の視察をするという事は、現世で何度も事件に巻き込まれることを意味する。その上、米花町で事件が起こるとなると高確率で工藤家の誰かが関わってくる。

 一度だけの視察なら住所や職業などを適当にでっち上げておけばいいが、数回続くとなるとそれは出来ない。

 過去に何度も探りを入れられたことから地獄側は慎重になっていた。

 

 菜々は小さくため息をついた。やはり鬼灯に恋愛感情は一切無かったようだ。

 彼は仕事のためなら結婚くらい簡単にしてしまうような男だし仕方がない。

 ロリコンでなかったことに安堵するべきか意識されていないことに落ち込むべきか考え込む前に、鬼灯が疑問を口にした。

『そういえば部屋を買う時、なんか誓わされたんですけどあれなんだったんですか?』

「米花町ではよくあることです……」

 米花町の建物がほぼ事故物件である事は、それだけ犯罪が多いことを示唆している。

 家を買う際それを承知で買うものの、住み始めた家で怪奇現象が起こったり事件が起こったりすると家を手放そうとする者が大勢いる。

 ただでさえ買い手が少ない事故物件を手放されるなんて、不動産屋からしたらたまったものではない。

 需要はないのに家ばかり余る。この現象を打開するために不動産屋は誓いを立てさせることにした。

 

「お前は帰ってきたら家で見ず知らずの人間が死んでいても、怪奇現象が起こっても家を手放さないと誓うか!」

「イエス、マム!」

 このようなやり取りが聞こえてくると、米花町の人間は春を感じるのだ。この日常に慣れてしまったことに気がついた時、菜々はゾッとした。

 

「それと肩代わりしてもらった借金なんですけど、全部返します。今ある貯金のほとんどを借金返済に充てますし、これからはバイト代から五割取ってください」

 用件を伝え、電話を切ると菜々は大きく息をついてベッドに倒れこんだ。

 

 

 *

 

 

 加藤文弘。菜々から見たら父よりも十年以上長く生きている叔父であり刑事だ。

 彼は若い頃からかなり苦労していた。というのも、早いうちに両親が他界してしまったからだ。

 文弘が高校生で、菜々の父は五歳かそこらだった時。いつも通り眠りについて朝目を覚ますと、菜々の祖父母は帰らぬ人となっていた。父から事件に巻き込まれたと聞いている。

 神()が言っていた「公安だった祖父は殉職した」という話と父の話が矛盾しているが、菜々は特に気にしていなかった。

 そんなことより、彼女にとっては漫画やアニメ、元クラスメイト達の恋愛模様の方が重要なのだ。

 

 借金返済方法について話している間、叔父は口を挟まなかった。

「……そうか。俺は何も言わない」

 話が終わるとはっきりと告げられる。

 鬼灯が軽く頭を下げた時、文弘は菜々が一度も見たことが無い表情をしていた。

 あの表情は共感だ。彼は両親を失ってすぐ、菜々の父と別々に引き取られたが兄弟共々あまり良い待遇を受けなかったらしい。

 文弘は大学に行かず父親の後を追うかのように警察学校に入り、すぐに職について菜々の父と一緒に暮らすようになったくらいだ。よっぽど辛かったのだろう。

 

「向こうにはなんて説明するんだ?」

 文弘の尋ね方は純粋な好奇心といった感じだ。

「もう話はつけましたよ。媚を売りつつ借金肩代わりしてもらって、結婚はしない流れに持っていくのは難しかったですけど、散々やらかして向こうから断ってくるように仕向けるのは得意なので」

 結婚云々の話は亜久妙隆(あくみょうたかし)の独断だと菜々はすぐに見抜いた。自分にそこまで魅力は無いし、父の会社を乗っ取るメリットも無いからだ。

 周りは反対している。だったらもっと反対するような状況を作り出せばいい。

 そう判断して、相手の家族の目の前で自分の素を思う存分出してみたらその場で断られた。

「黄金神教事件か……」

 文弘が何かに想いを馳せて呟く。菜々の発言は特に気にしていないようだ。

 黄金神教事件。悲惨さから世間を賑わせた事件だったが、厳重な情報規制が敷かれていた。

 その上、事件に関わった刑事が皆殺されている。殺された刑事の中に文弘の知り合いもいたのかもしれない。

 ここまで考えていたのだろうか。そう思いながら、菜々は鬼灯を盗み見た。今日もホモサピエンス擬態薬を飲んでいるせいか、目つきが悪い。少量だが殺気も出ている気がする。

 

 黄金神教事件に関わっていたという嘘をつくのは両親の同情を誘うのと、見抜かれにくい嘘のつき方に乗っ取ってのことだと思っていた。

 しかし叔父の様子を見ると、彼の反応も視野に入れていたのだと思える。

 まだまだ彼には追いつけなさそうだ。そう思うのと同時に、鬼灯が出しているのであろう殺気に誰も気がつかないようにと菜々は願った。

 

 

 *

 

 

 菜々はベッドに寝転び、天井を見上げて律から聞いた話を思い出していた。

 事件に関わっていた刑事達が殺された時、警視庁に保管してあった黄金神教事件のデータが雲散霧消したらしい。(つまり生贄にされた子供が保護された事を確認する手段がないため、あんな嘘を使うことが出来た。)

 黄金神教に関する内容がほとんど世間に発表されていなかったというのに、社会問題が起こっているのは誰かが情報をネットに流したからだ。

「事件のにおいがプンプンする」

 菜々は一瞬考え込んだが、すぐに思考を放棄する。

 そんなことよりも、ロミオとジュリエットのような関係になってしまっている磯貝と片岡をなんとかしなければならない。

 ベッドから起きあがり、机の上にノートを広げて「委員長コンビくっつけ計画」を練り始めた菜々は、後々クラスメイトと父に疑われる事になると知らなかった。

 



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第20話

 都立永田町高校では毎月、第一月曜日に全校集会が行われる。

 菜々は全校集会が嫌いだった。校長の話がとにかく長い上、話の間は立っていなければならないからだ。

 体育館に大勢が集まっているせいか、まだ五月が始まったばかりだというのに蒸し暑い。

 暑さを少しでも忘れようと、菜々はどうでもいい事を考え始めた。

 なぜ校長の話はこんなにも長いのか。仮説は二つある。

 一つ目の仮説は校長のささやかな嫌がらせ。

 ありがたいお話という名の睡眠薬を生徒達に与える事で、その後の授業に支障を来そうとしているのではないか。

 きっと、米花町さながら学校には沢山の監視カメラが仕掛けられていて、生徒が睡魔と戦いながら授業を受けているのをカメラの映像で見てほくそ笑んでいるのだ。

「そうだとしたら校長最低だな」

 無意識のうちに呟くと、菜々はもう一つの仮説を検証し始めた。

 もしかすると校長の自己満足ではないか。自分の話を大人数に聞かせる事で満足感に浸っている。

 または生徒達とコミュニケーションをとりたいだけかもしれない。全校集会という生徒と触れ合える唯一の機会に、ここぞとばかりアピールしている可能性もある。

「しかしそれは逆効果だぞ、校長よ……」

 冷ややかな目で周りから見られていることに、菜々は気がついていなかった。

 椚ヶ丘中学校の卒業生と同じクラスになれず、今でもボッチなのに何やってるんだろ、とソラは不安げな目を向けた。

 菜々がよく孤立するのは遠巻きにされるからだ。

 よく分からない事を言い始めたり、危険物(阿笠の発明品)を学校に持ってきたりしていれば当たり前だ。

 さらに、「ボール=人に当てる」という本能のせいで問題を起こしたばかり。入学してすぐ行われた体力テストは悲惨だった。

 悪い奴ではないのだが、関わりたくないと思われる要素を兼ね備えている。ソラはブツブツ言っている友人を見て、大きなため息をついた。

 

 いつのまにか校長の隣に移動していた一人の男子生徒が、校長の頭からカツラをもぎ取った。

 ドッと笑い声が起こる。

「てかなんでヅラが浮いてんだ?」

「知らない。マジックとかじゃない?」

 あの男子生徒は亡者だと菜々は瞬時に見抜いた。皆には男子生徒の姿が見えていない。

 校長が必死に頭を隠しているのをよそに、菜々は目の前の女子の目線が亡者に向いている事に気がついた。

「……あの子志穂ちゃんだっけ」

「確かそうだよ。菜々がクラスメイトの名前覚えてるなんて珍しいね」

 漢字は違うが、灰原哀の本名と同じだったので記憶に残っていた。

 ひとしきり笑った後、おさげで茶髪の女子生徒──志穂がチラチラとこちらを伺っていることに気がつく。

 霊感があるとなるとソラのことも見えているのだろう。またもや厄介ごとが増えたことに菜々はため息をついた。

 

 

 *

 

 

「殺せんせー、どうすればいいと思います?」

「そうですね。……地獄のことは伏せて本当の事を話せばいいんじゃないですか?」

 菜々が仕掛けたかかと落としを楽々避けて、殺せんせーは提案した。

「何で戦いながら相談してんだ?」

 観戦していた唐瓜に突っ込まれる。休日だというのに閻魔庁のジムにはあまり人がいない。

「スピードも威力も素晴らしいですが、やはり動きが正直ですね。去年よりは格段に上達していますが」

 殺せんせーは人型に戻り、手合わせをしてみた感想を伝える。

 へたり込んでいた菜々は素早くナイフを取り出し、殺せんせーに振りかぶるがあっさりと止められる。

「攻撃の単調さは克服したようですが、動きが正直すぎます。スピードについていけなくても、次にどんな攻撃が来るのか手に取るように分かる」

 笑みを浮かべながらナイフを弄んでいる殺せんせーにナイフを返してもらい、立ち上がってからナイフをしまう。

 

 彼女が殺せんせーに稽古をつけてもらっているのは、もっと強くなるためだ。

 米花町の人間は何かに秀でている。

 昔から事件が起こってきたせいで死亡率が高かった米花町では、強い者しか生き残れなかった。まさに弱肉強食の世界。

 時が経つうちに、米花町の人間は異様にスペックが高くなっていた。

 異常な推理力、頭が良すぎるなどの他にも、死体を見ても動じない精神力や力が異様に強いなど、なんらかの力を持っているのだ。

 そんな米花町の人間と鬼火のミックスが鍛えたら、かなり強くなるんじゃないかと菜々は考えた。

 それもこれも全て、もうすぐ開催される獄内運動会のためだったりする。

 

「ところで唐瓜さん、お香さんとはどうなっていますか?」

 殺せんせーはいつも通り下世話な発言をしていた。

 

 

 *

 

 

「ねえ、戦国時代に猛威を振るっていた大妖怪の結界を守るために、社会に紛れて戦っている組織の人間ってどんな設定? それと私はいつか倒さなくてはならない大妖怪の部下で、今まで封印されていたけど封印が解け、暴れていたところに結界を守っている人達が駆けつけて成敗。それからは菜々のサポートをしているってのもどうなの?」

「しょうがないじゃん。それしか思いつかなかったんだから」

「ただの趣味でしょ。あんな厨二設定誰も信じないと思うよ」

 霊感少女、志穂に説明した内容にソラが突っ込む。

 ずっと視線を感じて面倒だったので、嘘八百を吹き込んできたところだった。

「いや、分かんないよ。中学生の頃、友達に霊が見える事を話したらかわいそうなものを見る目で見られたって言ってたし。多分、もし本当だったらって考えて突っ込んだことは聞いてこないと思う」

「怪しまれてるのは分かってるんだ……」

 そんな会話をしながら人気のない校舎を歩く。

「ところでソラ、胃薬とか持ってない?」

 哀愁を背中から漂わせて菜々が尋ねる。

 父親が今朝険しい顔をして、帰ったら鬼灯も交えて話す事があると言ってきたのだ。

 コネで彼の就職先を見つける事が出来たが、仕事が始まるのは来週から。それまで父は暇を持て余している。

 何が起こるのかは知らないが、帰ったらすぐ面倒くさい事になるのは確定していた。

 

 

「菜々はなんだかんだ言っていい奴ではある。しかし女としては終わってる。加々……鬼灯君、本当に愛なんてあったのか?」

 菜々は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 夕飯を一緒に食べるという名目で鬼灯が呼び出されたかと思ったら、父に嘘がバレかかっている。

 ただでさえ忙しいのに時間を割いてもらった上に面倒ごとに巻き込んでしまったので、鬼灯に平謝りしなければならない事が確定した。

 胃に穴が開きそうになっている娘のことはお構い無しに、組み合わせた手のひらに顎を乗せて父はポツポツと話し始めた。

「菜々はそこら辺の男より強く、皆から『コイツ絶対結婚できないだろ』と言われ続けてきた。正直俺もそう思っていた」

「お父さん、取り敢えず外に出ようか」

 拳を作って提案するが、父は調子を崩さない。一方、母は笑っている。

 このようなやり取りは加藤家では日常茶飯事なのだ。

 真相に気がついた探偵のように父は自信に満ちあふれた表情で話を続ける。心なしか眼光が鋭くなっている気がする。

「初めは君がMかと思ったがむしろ逆だとすぐに気がついた。では、ロリコンなのではないかと思ったがこれも違うらしい。確かに菜々は絶壁だ。ゴリラじみた力もあって、本当に女かとよく言われている」

「誰が言ってるのか教えてくれないかな? それと十発殴っていい?」

 菜々は顔に青筋を立てて尋ねるが、笑顔を崩さないでいる母からチョップを食らう。

「ご飯できたよー」

 何事もなかったかのように食事を運んできた母が、家の実権を握っているのだろうと鬼灯は判断した。

「しかし、この前見せられた書類の内容を思い出してこの仮説も間違っていると分かった。成人するまで手を出さないと書いてあったからだ」

 この世界の人間は結論を言うまでが長い。これは割りとすぐに菜々が気がついた事だ。

「では純粋な愛だったのか? それは無い。君達は一度も一緒に出かけていないからだ! ここで俺は気がついた。この婚約には愛がなかったのだと! 借金返済のためだと言えば世間の目を欺くための結婚に菜々は納得しただろう。こちらは崖っぷちだった。打つ手なんて無かったんだ」

「で、結論は?」

 散々もったいぶられて嫌気がさしてきたので率直に尋ねる。

「なぜ世間を欺く必要があったのか。去年の椚ヶ丘中学校の文化祭の時を思い出した時、全てが繋がった。鬼灯君、君は絶対に叶わない恋をしていたんだ!」

 雲行きが怪しくなってきた。

 ソラが嫌そうな顔を隠そうともしない中、菜々は何かあっただろうかと記憶の糸を辿った。あの時、両親と鬼灯が顔を合わせることはなかったはずだ。

「単刀直入に言おう」

「いや、今までもったいぶってたじゃん……」

「君は同性愛好者だ‼︎」

「「は?」」

 菜々は衝撃が大きすぎたせいで半開きになってしまった口を閉じてすぐ、隣から殺気を感じて体をこわばらせる。油が足りなくなった機械のように時間をかけて横を見ると、眉間にしわを寄せて殺気を放っている鬼が見えた。

「文化祭の時にとある女子生徒が、加々知という男性と白澤(しろざわ)という男性の同棲生活について語っていた。加々知なんて珍しい名字はそうそうない。あの男性は君だ!」

 ドヤ顔で言い放った父は中村の話を信じたのだろう。

 面倒くさがらずに中村を止めておくべきだったと菜々は後悔したが後の祭りだ。

 よりにもよって相手が白澤なので鬼灯の怒りは一気に高くなった。

 日本では同性の結婚は認められていないしな、と一人で納得している父の横顔を引っ叩いていいだろうかと思ったが、誤解を解く方が先決だ。

 力が無い小学生の頃誘拐犯に追いかけられていた時と同じような感覚に陥った菜々は、死んだ魚のような目をして説明を始めた。

 

 腐女子についての説明で神経をすり減らし、疲労困憊したせいか菜々は考える事を拒否していた。

 気がついたら目の前の皿が空になっていたので、無意識のうちに食事を済ましたのだろう。

 今すぐベッドにダイブしたかったが、この後鬼灯に平謝りしなくてはならない。

 謝った後はしばらく顔を合わせないようにした方が賢明だろう。

 しかし、そんな選択肢は存在しなかった。

「こうなったのは一度も一緒に出かけていないからというのもあるのでは? 次の視察のついでに一緒に出かけた方が良いでしょう」

 両親の目を盗んで告げられた言葉を聞いて、菜々は体が重くなった気がした。

 

 

 *

 

 

「……大事件が起こった。下手するとこのヤマは警視庁だけでなく、他の県警も巻き込むかもしれない」

 使われていない取調室で大勢の刑事達が額を寄せ合っていた。

 大変むさ苦しいが初めに口を開いた刑事は気にしていないらしく、胸ポケットからボイスレコーダーを取り出す。

「おい、本当なのか⁉︎ お前が言ったことが真実だとすると大変なことだぞ‼︎」

 鬼気迫る表情で後頭部がハゲかかった刑事が身を乗り出して尋ねるが、初めに口を開いた刑事が残念そうに首を振る。

「まさか……そんなわけない、よな?」

 よっぽど信じたくないのだろう。否定しようとしたが不安が勝ったようでどんどんと声が小さくなり、最後は聞こえるか聞こえないかくらいの声になった。

「信じられないが本当の事だ。証拠はここにある。聞いてくれ」

 皆を集めた刑事──山田が先ほど取り出したボイスレコーダーを掲げる。

 静まり返っているせいで、誰かが唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

「これは取り調べの結果だ」

 皆が身動きしない中、山田は机に置かれたボイスレコーダーのスイッチを入れた。

 

 すぐに男の声が聞こえてくる。呂律が回っていないことから、酒が入っているのだろうと皆が察した。

『先輩、菜々ちゃんの様子がおかしいんですがやっぱり彼氏ですか? いや、でもあの子を選ぶ男がいるかどうか……』

『彼氏、彼氏か……。うん、そうだな。やっぱあれは一般的に考えると彼氏になるか……』

『本当ですか⁉︎ 酔って適当な事を言ってるとかではなく⁉︎ だって菜々ちゃんですよ! 殺人犯だろうが超生物だろうが倒しちゃうような子ですよ⁉︎』

『世の中には物好きがいるもんだ。おーい、酒!』

『ま、じ、かー!』

 

 ボイスレコーダーの電源を切る音が聞こえたかと思うと、一気に取調室が騒がしくなる。

「彼氏⁉︎ あの菜々ちゃんに⁉︎ ありえないだろ!」

「ガセだ! ガセに決まっている!」

「あり得ないあり得ない。どうせ加藤警部が酔ってたんだろ」

「いいや、本当だ」

 軽くパニックに陥っている刑事達に、山田が現実を突き付ける。

「目暮から聞いたんだが、優作さんが菜々ちゃんの様子がおかしいと言っていたらしいんだ。同時にあれは男関連だとも。だから俺は菜々ちゃんの叔父である加藤警部に尋ねた。簡単には答えてくれないだろうから酒の力を借りてな」

 淡々と話す山田に反論するものが現れる。

「あり得るわけがない! 地球が滅ぶぞ!」

「数ヶ月前に滅びかけただろ。あれは前兆だったんだ」

「いや、地球じゃ生ぬるい。多分宇宙ごと滅ぶ」

 鬼灯が笑ったらどうなるかと、菜々と殺せんせーで話していた時のような会話に成り始めていた。

(ちなみに、二人の話し合いは「鬼灯の頭に『あ』をつけたらアホになる」という事で落ち着いた)

 

「本当なんだ!」

 騒がしくなってきたところで、山田の声が響き渡る。

 声を張り上げたわけではないが、妙な説得力があった。

 ただならぬ雰囲気を感じて皆が口をつぐむ。興奮のあまり立ち上がっていた者は静かに腰を下ろした。

「信じられないのは分かる。だがまごうことなき事実なんだ」

「しかし、俺らはどうすれば……」

 困惑気味に小五郎が尋ねる。

 彼が言葉を発してから、まるで波紋のように彼を中心にざわめきが広がった。

「そうだ、どうするんだ?」

「冗談じゃないぞ。俺は『二十代のうちに結婚できない』に半年分の小遣いを賭けたんだ」

「まだいいさ。俺なんか『一生結婚できない』だぜ」

 四角い眼鏡をかけた刑事が肩を落とす。

「終わった……。妻に隠れて無駄金使っちまったから、『今年までに彼氏ができない』にこづかい全て賭けちまった……」

 今日一生が終わるかのような顔をして年配の刑事が嘆く。

 最近夫婦喧嘩をしたとぼやいていた事から考えると、離婚の危機かもしれない。

「普通はいい賭けだと思うに決まってるだろ。まさかあの子に相手が見つかるなんて誰も思っていなかったんだから。お前に落ち度はない」

 離婚の危機かもしれない刑事の肩を叩いて、坊主頭の刑事が慰める。

 妻に内緒で無駄金を使ってしまったことは落ち度にはならないらしい。

「ええ、そうですよ先輩。唯一『いつかは結婚できる』に賭けていた目暮警部補だって、菜々ちゃんが不憫すぎたので願掛けのような物だと言っていましたよ」

 一緒になって慰めている小五郎も、「自分が五十歳の誕生日を迎えるまでに結婚できない」にかなりの額を賭けていた。

 

「しかし! 最悪の結果にならない方法がある。俺は利害が一致すると思ったから皆を集めた」

 山田が声を張上げる。

「まだ付き合っていると決まったわけじゃない。二人の邪魔をすれば、賭けは振り出しに戻る」

 山田は「加藤菜々絶対防衛(ライン)」のただ一人のメンバーだ。

 息子が菜々と仲良くしていることからよく言葉を交わすようになり、今では菜々のことを姪のように感じているらしい。(その息子に菜々が「和伸君の男友達A」と名付けていた事を彼は知らない)

 将来、山田が白鳥から「佐藤美和子絶対防衛(ライン)」最高責任者の座を譲り受ける事から考えると、彼は結構ミーハーなのかもしれない。

 

 菜々達の邪魔をすれば賭けに勝つ者達と、菜々に悪い虫を近づけたくない者。二種類の人間が一時的に手を組んだ瞬間だった。

「二人の仲を引き裂くことに躊躇するな! 俺が菜々ちゃんの親御さんに盗聴器をつけて調べたところによると、相手は社会人らしい。つまりロリコン! 慈悲はない!」

 小五郎が手をあげる。

「あの、その盗聴器は今どうなってるんスか? タイミングを見て回収しないと」

「それなら大丈夫だ。菜々ちゃんによってすぐに破壊された。後、逆探知されて正体バレかかった。あの時は死ぬかと思った……」

「あの子何者だよ……」

 菜々には阿笠と律という科学関連で敵に回したらかなり厄介な仲間がいるので当然といえば当然だろう。

 逆に難を逃れることのできた山田の方がすごい。

「とにかく、デートの日は抑えてある!」

「どうやって知ったんだ? 盗聴器は使えないだろ?」

 一人の刑事が話の腰を折る。

「この前菜々ちゃんと事件現場で会ったんだ。容疑者になってたから凶器を持っていないか調べると偽って荷物を預かり、手帳の内容を確認した」

 もはや犯罪の域に達しているが、ここは米花町も管轄している警視庁。やはり刑事達の感覚も狂っていた。

 

 不審に思った目暮が取調室を調べに来るまで、刑事達は計画を練ることとなる。

 

 

 *

 

 

「あ、ごめん。鬼灯様と約束していた日に急な予定が入っちゃった。私抜きで行ってきてくれるかな?」

 ソラからわざとらしさ満載の提案をされた菜々は、一人で家を出た。

 ツノと耳を隠すためにキャスケットをかぶっており、シャツにズボンという動きやすさを重視した服装だ。

『こちら1班。こちら1班。ターゲットを発見。尾行を開始します』

 菜々の家が見える場所にある電柱にもたれかかって新聞を読んでいた男が、声を潜めて仲間に無線で現状を伝える。

『ターゲットはとても男に会いに行くとは思えない格好をしています。何かの間違いでは?』

『いいや、調べ漏らしはない。あの子は服を選ぶ時、蹴りやすさで選ぶような子だ。心配するな』

 一時的に結成された「加藤菜々の恋路を邪魔しよう」の略である「KNKZ」のメンバーが動き始めた。

 

 家に出たらいくつかの視線を感じたので、菜々は相手にあたりをつける。

 亡者か自分に恨みを持った犯罪者の遺族かそこらへんのゴロツキかのどれかだろう。

 事件が事件だったので、地道に聞き込みをするよりも同じような輩に聞く方が早いと判断し、調査のためにゴロツキ相手に賭け事をしたばかりだ。一番恨みを買っている可能性が高いのはゴロツキ連中だろう。

 

 麻雀では、並んでいる牌のどの位置から何を捨てたか、何の牌をどのタイミングで捨てたかを観察していれば、七周目くらいで相手がどんな手を狙っているのかが分かる。

 後は確率を考えたらどんなに運が悪くてもビリにはならない。

 相手がイカサマしようにも、イカサマする前に止めていたので菜々がぼろ勝ちした。

 また、金に対して見せる執着心も関係しているのかもしれない。

 

 しかし、相手がゴロツキではないとすぐに気がつく。

 彼らの性格を考えると真正面から殴りに来るはずだ。コソコソと相手を付け回すわけがない。

 犯罪者の遺族の線も無い。尾行して来るのは手練れだと足音でわかる。

 足音がするのなら亡者の線も薄いだろう。彼らは飛べることが嬉しいのか、死んだばかりの時は基本的に飛んでいる。

 撒くためにフリーランニングを使おうかとも考えたが、目立ちたくないし力を振りかざすようなこともしたくないのでやめた。

 

 

「すいません。なんか尾行されてます」

 待ち合わせ場所であるE組で買い取った山の麓で鬼灯と合流してすぐ、菜々は現状を伝えた。

 電車で撒こうとしても完全に撒けなかったことから考えると、相手は大人数で挑んできているのだろう。

「ああ、あの十数メートル先にいる帽子をかぶった男性とかですか」

 あたりを見渡すとすぐに鬼灯は尾行している男を見つけた。

「あれ? あの人……」

 二十代くらいであろう男を見て菜々は何かに気がつく。

「どうしました?」

「知り合いです。何やってんだろ……」

 妻の料理がとてつもなく下手だと警視庁でも有名な小五郎だった。

 

 

『ターゲット達は目的地に着いた模様!』

『おい、本当にあれデートなのか⁉︎ 墓だぞ、ここ』

『よく考えろよ。あの菜々ちゃんと渡り合える奴だぜ。普通の人間のわけがない』

 刑事達の会話とは対照的に、菜々はそこまで驚いていなかった。

 相手はあの鬼灯だ。まともな場所のわけがない。

「ここ、雰囲気いいんですよ。いかにも何か出そうで」

「確かに。中学校の近くなのに私でも知りませんでした」

「現代アートみたいな墓ばかりがある墓地と悩んだんですが、ここにして良かったです」

 特に反応を見せず、何事もなかったかのように墓地に入っていく菜々に刑事達は面食らう。

 苔むした墓石は倒れかかっており、草はボウボウ。日が当たりにくいため昼の今でも薄暗く、いかにも何か出そうだ。

『マジかよ。あそこ入るのか……』

『おい、あの二人の邪魔しちゃっていいのか? あの人逃したら菜々ちゃん一生結婚できないぞ』

『馬鹿野郎! 何弱気になってんだ‼︎ 賭けを忘れたのか! お前だって大金賭けてただろ』

『馬鹿野郎はお前だろ! 俺たちは自業自得だ』

 KNKZの刑事達が仲違いしている時、菜々達は歩みを止めずに墓地を突っ切っていた。

 誰も手入れをしていないため伸びきった草が足をくすぐるし、苔で覆われた墓石の前に置いてある花瓶からは悪臭が漂っている。

 また、生い茂っている草には踏まれた跡がない。

 長い間、誰もここに足を踏み入れていないのは明白だった。

 しばらくすると、崩れかかった寺の前にたどり着いた。ここは寺の敷地内だったのだと菜々はようやく気がつく。

「この奥にも墓があるんですが、崩れた寺の柱が道を塞いでるんですよ。だから縁の下を通る事になります。寺の内部も崩壊しているので、寺を突っ切ることができないんです」

 鬼灯の力なら柱くらい簡単に退かせそうだが、そうしないのは少しでも手を加えると寺が崩れ去りそうなのか、せっかくの廃寺に手を加えたくないかのどちらかだろう。

 相手は鬼灯なので、動きやすい服装で行った方が無難だろうと判断して良かったと思いながら、菜々は地面に手をついた。

 

 鬼灯の後に続いて縁の下を抜けると、別世界が広がっていた。

 まだ昼のはずなのに空は血のように真っ赤だ。

 何羽ものカラスがそこら中にいて鳴きわめいている。

 草は生えておらず、地面は苔が覆っていた。

 チラホラと存在する墓石はというと、さまざまなおどおどしい色に光っており、不気味さが際立っている。

「綺麗ですね」

「そんなこと言う人初めてですよ。写真で見せたら閻魔大王なんか気味悪がっていました。地獄の長は自分だというのに。何も写っていなかったからかもしれませんが」

 最後の方はため息混じりに鬼灯が呟いた頃、刑事達は未だに言い争っていた。

 

『何言ってるんだ。あの二人がくっついたら色々とやらかすに決まっている。今のうちに仲を引き裂いておかなければ人類滅亡の危機に陥るかもしれん』

『なんだよ人類滅亡の危機って。そんな事になる訳ないだろ。街一つくらいは破壊するかもしれないけど』

『悪魔召喚とかやりそうじゃないか!』

『あり得る訳ないだろ!』

『そうだ! あの二人は多分悪魔くらい簡単に倒す』

『おい、アホな事言ってる間に見失ったぞ!』

『大丈夫だ。こんな事もあろうかと発信機を……って、壊されてる!』

『いつの間に……。盗聴器も壊されてるぞ』

 

「ここどこですか?」

「現世とあの世の境目です。稀にこういう場所があるから現世は面白い」

 鬼灯がかぶっていたキャスケットを取ると、生ぬるい風が吹いてくる。地獄の風に似ているように菜々は感じた。

「封印しなくていいんですか? 生きた人間が迷い込んだりしたら……」

「大丈夫です。人間はここに来ることができません」

 理由を尋ねようとすると、鬼灯は無言で墓石を見た。

 何だろうかと同じ場所を見てみた菜々は思わず声を上げそうになる。

 墓石には「加藤菜々」と書かれていた。名前の横に書かれている日付は、彼女が鬼になった日だ。

 ここは現世とあの世の境目だと言われたことを思い出したので菜々が納得すると、鬼灯は無言で奥に向かって歩き出す。

 少し経つと、この墓石は年代順に並んでいる事に気がついた。

 日本限定ではあるものの、人間から人間でないモノになった人物の名が彫られた墓石の中に、お岩などのいくつか知っている名前を見つけたのだ。

 だとすると、彼が向かっている場所は──

 

「着きました」

 十分ほど経っただろうか。今まで一言も発さずに歩いていた鬼灯が歩みを止める。

 随分と進んだ事に菜々は驚く。こんなにもどっちつかずの者がいるのかと。

 ここは神代にどっちつかずの存在になった者の名がある場所のはずだ。

 鬼灯が見据えているのは大人が両手で抱えられるくらいの比較的小さな丸い石。

 その石に彫られた名前は菜々の予想通りだった。

 丁。その一文字が青白く輝いている。

「おそらく、ここに来る事が出来るのも、見ることが出来るのも私達のような存在だけでしょう」

 昔捨てた名が彫られた石の前に鬼灯がしゃがみこむ。菜々もそれに習い、彼の隣にしゃがんだ。

「なぜ私があなたをここに連れてきたのか分かりますか?」

 菜々は黙り込む。

 直接言葉にはしていないが、鬼灯は弱みを見せたように思う。

 人間ではない。完全な鬼でもない。ずっと気にしていたのだろうか。

 そんなタマではないように思えるが、先程の声には確かに不安げな響きがあった。

 表情筋が仕事をしないせいで表情は全く変わっていないが、彼はずっと心のどこかで気にしていたのだ。

 

 自分が同じ立場だから、だけでは無いように感じる。もっと別の意味があるのではないか。

「……分かりません」

 正直に答えると、鬼灯は何度目かのため息をつく。

「あなただからですよ。それ以外に理由はありません」

 菜々のように人間から鬼になったケースは他にもあっただろう。

 しかし鬼灯の今までの言動から、連れてこられたのは菜々だけだと分かる。

「……それはつまり、私に対して特別な感情があるってこと、ですか?」

 自信がなくなり、途中から声が小さくなっていく。

 すぐに笑い飛ばそうと口を開いたが、菜々はゆっくりと口を閉じた。

 鬼灯の顔を見て、当たっている事に気がついたのだ。

「その特別な感情に名前をつけるとしたら、何になるか分かります?」

 とぼけてはいけないと直感した。しかし、面と向かって答えるのは気恥ずかしい。

「それ、わざわざ私に言わせます?」

 鬼灯は観念したかのように口を開いた。

 

 その後、菜々達を見失ったと喚いていた刑事達が見たのは、どこか憑き物が取れたかのような表情の鬼灯と、顔を見せまいと頑なに下を向いている菜々だった。

 




霊感のある女の子(志穂)は、非日常的な何気ない話「霊」に出て来る女の子です。


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第21話

更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

前回の更新からかなり時間が空いてしまい、キャラを忘れている方もいると思うので、説明を載せておきます。
読みたくない方、読む必要のない方は飛ばしていただいて構いません。


・沙華
菜々の記録をつけていた倶生神の片割れ。同生(女性)。
一年間だけ殺せんせーの記録もつけていた。
菜々の黒歴史を熟知している。
今は獄卒を辞め、池田陸翔が開いた「浅野塾」で働いている。

・天蓋
菜々の記録をつけていた倶生神の片割れ。同名(男性)。
一年間だけ殺せんせーの記録もつけていた。
沙華に頭があがらない。
今では獄卒を辞め、池田陸翔が開いた「浅野塾」で働いている。

・ソラ
稲荷の狐。メス。
かなり長い時間現世にいる菜々がホモサピエンス擬態薬を使うわけにもいかないので、現世で彼女を「化かし」ている。
初めは菜々の奇行に面食らっていたが、今ではスルーできるようになった。

・志穂
「非日常的な何気ない話 霊」に出てくる霊感のある女子。
中学時代に可哀想な子扱いされた。
菜々にも亡者が見えているのは、彼女が昔倒された大妖怪の封印を人知れず守っている組織の一員だからだと聞いている。
嘘だろうと思っているが、もしも本当だったら彼女が傷つくのではないかと案じて言い出せない。

亜久妙隆(あくみょうたかし)
鬼灯の現世視察先の会社の社長の息子。
原作に名前は登場していない。そして、多分これからも名前が登場する事は無いと思われる。
菜々が小四の時のクリスマスに彼女と出会い、新しい扉を開く。
父親の借金を肩代わりするという条件で菜々に結婚を持ちかけた。
この出来事が菜々と鬼灯がくっついた一因でもあるので、彼はキューピットかもしれない。
今では、菜々のバイト先である「SMバー」の良いカモになっている。

・山田
捜査一課の刑事。警部補。
加藤菜々絶対防衛(ライン)のただ一人のメンバー。
第3話に名前だけ登場した山田輝の父親でもある。
事件の詳しい情報を教えてくれるので、菜々としてはありがたい。
しかし菜々の事を姪のように思っている反動なのか、刑事達を率いて菜々と鬼灯の仲を邪魔しようとしている。


「あの三人って親子に見えますよね」

「確かに母親に捨てられた父親と双子の娘に見えますね」

 予想外の返答に殺せんせーはガックリとうなだれた。

 母親は誰かと考えて恥ずかしがる菜々を見たかったのだろう。

 

 父親の会社が倒産した原因が分かった。そう連絡を受けて出向いてみれば、法廷には案の定座敷童子が居た。

「あの会社の社長だんだん怠け出したんだよね」

「うん。最後の方はばっちい本か漫画読んでるかのどっちかだった」

 父の名前を出せばそんな答えが返ってくる。

「だからエロ本がごっそり無くなってたのか……」

 どうやら父が隠し場所を変えたわけではないらしい。

 家の三分の一を占めているのではないかと囁かれている父の漫画もいつのまにか無くなっていた事を菜々は思い出した。

 

 その後、座敷童子達は白澤の店である極楽満月に住むことになった。

 

 

 *

 

 

 いらない気を利かせた殺せんせーの提案で菜々も唐瓜と茄子の里帰りに着いて行ったが、鬼灯とは何も起きずに時は流れていた。(わざわざ休暇を取った殺せんせーが四六時中物陰から覗いて来たせいだと菜々は思っている。)

 校庭に植わった木が全ての葉を落とした頃、菜々は霊感少女志穂から依頼を受けていた。

 彼女の両親が経営している喫茶店「カフェファラオ」に面倒な亡者が居座ってしまい、怪奇現象ばかり起こすせいで客足が遠のいてしまったらしい。

 今では一部のオカルトマニアが居座っているようだ。

 自分に亡者が見えているのは大妖怪の封印を守っている組織の一員だと説明した際、金さえ払えばこの手の話を引き受けるとも伝えておいたおかげで仕事が舞い込んで来た。

 内容としてはアルバイトとして店に出入りし、人知れず除霊を行って欲しいという簡単なもの。

「地獄からもお金貰ってるのに、志穂ちゃんから依頼料貰っちゃっていいの?」

「あれは受付手数料」

 志穂の姿が見えなくなってからソラに尋ねられたが、菜々は飄々と返した。

 

 

 件の亡者はバイト初日に腕力で倒し、菜々はバイトを続けていた。バイト代の他に賄いも出るのが主な理由だ。

 今では分単位で事件が起こるようになってしまった米花町に職場があるのが唯一の難点だが、この一週間店の周辺で何も起こっていないので特に気にしていない。

「いらっしゃいませ!」

 扉に取り付けられた鈴がなったので菜々はテーブルを拭く手を止める。

 金が関わっている時だけ発動する営業スマイルを浮かべた瞬間、入ってきた男を見て菜々は口を半開きにした。

 尋常ではない殺気を放っている目つきの悪い男。

 スーツを着ている事と今がお昼時であることから、現世視察中に昼食を取りに来たのだろうと予想し、菜々は作業に戻った。

 

 皿を洗いながら鬼灯をチラチラと盗み見る。

「やっぱ若い。あれか。いつもは真ん中で髪が分かれているせいでぱっと見ハゲかかった中年に見えるからか」

「散々言ってるけど、後でどうなっても知らないよ」

 ソラが呆れつつ警告した時、男の叫び声が店の奥のほうから聞こえて来た。あの方向にあるのは洗面所だ。

 洗面所といえば、客から扉の鍵が閉まっていると苦情が来たので店長であり志穂の父親である男が鍵を持って確認に行ったはず。

 洗面所にはトイレの個室が横一列に三つ設置してあり、扉はいつも開け放しているので店長が訝しんでいたことが記憶に残っている。

 菜々は洗っていた皿を叩きつけるかのように置くと、一目散に駆け出した。

 

 洗面所に足を踏み入れた菜々が真っ先に目にしたのは、尻餅をついた男性と大量の赤い液体だった。

 被害者のものであろう血は、唯一鍵がかけられている真ん中の個室から流れ出ている。

 いつも通り、被害者の安全確認をしようと菜々は思考を巡らす。

 被害者に当たるとまずいので扉を蹴破るのはやめたほうがいい。

 菜々は個室に向かって走り、近づいたところで脚に力を込める。

 飛び上がると扉の上の隙間に右手を突っ込み、扉を掴む。

 今度は腕に力を込めて頭を天井すれすれまで持って行き、個室の様子を伺う。

 血だらけの男性が視界に入った瞬間引っ張り上げた体を横にねじり、隙間を通り抜けた。

 床が血だらけだったせいで滑りそうになったものの無事着地し、取り敢えず応急処置を施すため被害者に触れようとして、菜々は動きを止めた。

 

 ここには鬼灯がいる。

 いつもは適当な嘘をでっち上げて被害者を助けざるをえない状況だったのだと報告書に書いていたが、彼の目はごまかせない。

 しかし、すぐにかぶりを振る。

 菜々は何百年と進展がなかった米花町の視察の要だ。地獄としても下手な真似はできないだろう。

 

 菜々は止血するために被害者に触れたが、ゆっくりと腕を下ろした。

「志穂ちゃん。救急車は呼ばなくていいよ。警察だけ呼んで」

 もう手遅れだった。

 

 

 *

 

 

 警察が現場に到着してからかなり経ったが捜査に進展はなかった。

 捜査にあたっている刑事の一人である山田の階級は警部補であり、駆けつけた刑事達に問題があるわけではない。

 事件が不可解すぎるのだ。

 菜々が証明した通り、鍵をかけた個室に侵入するのは可能だ。逆もまた然り。

 しかし、店長が洗面所に通じる扉には鍵が掛かっていたと証言した。

 出入り口はその扉だけ。通風孔があるにはあるが、四つん這いになったとしても大の大人が通れるような大きさではない。

 つまり密室殺人だ。

 死亡推定時刻は発見の二十分程前。その間に洗面所に入った者が容疑者となり、一通り調べられたが何もなかった。

 被害者は頸動脈を小型のナイフで切られていることが明らかとなり、今度は店内にいた者全員が調べられたが何も出ない。

 もちろん店内を隈なく探しても見つからない。

 捜査が難航している理由の一つとして、凶器が発見されないことが挙げられる。

 後一つは現場に残されていた真っ赤な彼岸花。造花だが犯人が持ち込んだものであることは間違いない。

 

 

 *

 

 

「よし、じゃあ今度はおでこにう◯こを描こう!」

「そればっかだよね」

 油性ペンを握りしめた菜々が嬉々として提案すると、ソラはあきれ返る。

「でもおかしいよね。これだけやっても反応が無いなんて……」

 見物に徹していた志穂が口を挟む。

 彼女の目には先程捕まえられて縄で縛られた被害者の亡者が映っていた。

 被害者は顔に幼稚な落書きをされているのに全く反応を示さない。

「じゃあもう頭にう◯こを乗せるか、オナラに火をつけるマジックをするか」

「ここ調理場!」

「それってマジックなの?」

 志穂が叫んだ通り、ここは調理場だ。

 調べ終わったので出入りを許可されたが一箇所に固まっていたほうが安心なのか、誰も中に入ろうとしなかった。

 人目が無い場所を探していた菜々は亡者をここで尋問することにした。

 その際、殺人事件に巻き込まれた時の対処法を教えると言って志穂も引っ張ってきた。

「亡者が反応を示さないのは稀にあるよ。多分事件にショックを受けているんだと思う。情報を聞き出すのは諦めて、今度は倶生神に聞き込みをしよう」

 

 菜々が倶生神について分かりやすく説明している間、ソラは容疑者の倶生神に聞き込みを行った。

「私には何も見えないけど……」

「霊感があっても倶生神は見えないことが多いよ」

 志穂の呟きに答えながら、菜々はどこからともなく引っ張ってきた椅子に腰を下ろす。

 

 生者に倶生神について教えるのはあまり良い事ではない。

 今まで菜々のような例が無かったため、法律に現世の人間との接し方について事細かに記入されていないが、いずれ裁判を受ける者に記録者の存在を知られるのが良いとは言えないだろう。

 しかし、志穂の両親は米花町に店を構えている。

 彼女がこれからも事件に巻き込まれる確率は高い。

 霊感がある人間が事件に巻き込まれたとなると、あの世の住人に害を加えられる確率が一気に高くなる。

 恨みを持った被害者が自分が見える人間に助けを求めて怪奇現象を引き起こすかもしれない。

 事件現場に漂うエネルギーに引き寄せられて、逃げ出した悪霊がやって来るかもしれない。

 それらの事態を回避するのに一番有効なのは、さっさと事件を解決してその場を離れる事だ。

 あの世の者が原因で死んだとなると、後々裁判が面倒臭くなる。

 だからこそ正しい対応を教えた。

 決して過去の自分に重ねたわけではないと菜々は自分に言い聞かせていた。

 

 

 *

 

 

「全ての倶生神が自分の担当の人間は犯人じゃないって言ってた」

 ソラからの報告に菜々は目を見開く。

 鬼灯がこの場にいるし、倶生神は観察対象の人間に情を抱かないので、彼らが嘘をつくとは到底思えない。

 かといって、店内の人間以外の犯行だとは考えられない。

 

 現場は密室だったはずだし、仮に洗面所から抜け出したとしても、出入り口は二つだけ。

 客が入店するための入り口には鈴がつけられているので、出入りがあればすぐに気がつく。被害者の死亡推定時刻よりも後にこの扉を開けた者はいないはずだ。

 もう一つの出入り口は調理場を通らなければ到着できない裏口。

 調理場にいた菜々は誰も裏口を使っていない事を知っている。

 

「隣の岩盤浴のお店を窓から覗いていた亡者達の証言で犯人は人間だって分かってるし……。まずくない?」

「うん。かなりまずい」

 幼い頃から事件解決に貢献してきたと言っても、菜々は亡者や倶生神の証言から真実を知っていただけだ。

 さりげなく刑事達にヒントを出してみたり、あたかも自分が答えを導き出したかのように真相を語ったりするのは得意だが、一から推理するのは得意ではない。

「しょうがないから別の人に事件を解いてもらおう! 私は電話して来るから志穂ちゃんは亡者見張ってて。後でお祓いするから」

「え?」

 志穂が目をやったのはソラ。

 なぜ彼女まで電話についていくのかと疑問に思ったのだろう。

「そりゃあソラは昔封印された大妖怪の」

「あ、うん。分かった。私はこの人見張っとくよ」

 適当にあしらわれたが菜々は気にせず、調理場を後にした。

 

 

 *

 

 

「浄玻璃鏡で犯行現場を見るのは駄目だよね」

「うん。微調整ができないから裁判の間の休憩中には調べてもらえないと思う」

 店の奥にある観葉植物の陰に隠れて菜々とソラは小声で話し合っていた。

「それじゃあどうするの? 優作さんに助けを求めるつもり?」

「いや、それはしない。あの人のことだから事件現場に来そうだし。関係のない人が現場に来るのはあまり良くないし、ここには鬼灯さんがいる」

「確かに二人が会うとややこしい事になりそうだね」

 観葉植物から一メートル程離れている壁にもたれかかり、菜々は地獄産の携帯を取り出した。

 

 数コールで相手が電話に出る。

「もしもし、沙華さん。ちょっと聞きたい事が……」

『また何かやらかしたの?』

 菜々が頼ったのは人間だった頃、ずっと一緒にいた記録係の片割れ。

 初めて遭遇した殺人事件の真相に辿り着いたのが沙華だったため、菜々は彼女の推理力を信頼していた。

 

『誰が犯人なのか。どのような方法で密室を作り出したのか。全く分からないわ』

 事件のあらましを説明し終わった後の沙華の言葉に菜々はずっこけそうになった。

『だいたい、現場を直接見たわけじゃないのに分かるわけないじゃない』

 菜々が伝え忘れていることがあるかもしれないし、言葉で説明するには限度がある。

『現場に残されていた彼岸花の意味なら分かるんだけどね』

「やっぱり花言葉ですか?」

『そう。赤い彼岸花の花言葉は想うはあなた一人、また会う日を楽しみに』

 いつもよりも柔らかい声だ。何かを懐かしんでいるような、それでいて大切に思っているような。

『どんなにありえないと思っても少しでも可能性があるのなら最後まで検証しなさい。私がいつも心がけていることよ。じゃあね』

 早口で伝えられ、一方的に電話を切られた。

 ツーツーという音が、耳から離した携帯から微かに聞こえてくる。

 何か急用が入ったとは思えない。沙華の性格から考えると、一言断るはずだ。

 では、予想外のことが起こったか。

 菜々は変な事を口走ったわけではない。

 だとすると、言うつもりのない事を言ってしまった線が高い。

 ムクムクと湧いて来た好奇心に従って、菜々は彼岸花について携帯で検索してみた。

 

 ――彼岸花の別名は「死人花」「曼珠()()」「()()花」「捨て子花」

 

 全てのピースが繋がった。

 説明はまだ続いていたが菜々は顔を上げ、後で天蓋を問い詰めようと決めた。

 倶生神にはお互いに(つがい)と認め合った者同士で名前を送る習性がある事を彼女が知るのは、もう少し先の話だ。

 

 菜々は店内を見渡してみる。

 すると、年が一桁であろう男の子が目に留まった。

 今は昼過ぎ。

 大きめの黒いパーカーを羽織り黒っぽい長ズボンを履いている男の子がこんな場所に居ていい時間ではないはずだ。

 しかし菜々は、母親と来ているようだし自分と同じように学校が休みなのだろうと結論を出して視線を逸らした。

 

 今度は鬼灯が目に留まる。

「どう見ても堅気の人間じゃない……」

 目つきが悪いところを見ると、眠くなる成分の入った安い薬を使用しているのだろう。

「菜々ちゃん、こんな所に居たのか」

 鬼灯を眺めていると急に声をかけられ、菜々は咄嗟に足元にある通風孔を眺めているふりをした。

「何か分かったか?」

「被害者と店で待ち合わせをしていた女性が浮気相手だったって事は分かってます」

 山田に向き直り、菜々は簡潔に答える。

「被害者は入店した時、左手の薬指にはめた指輪を取ってました」

「なるほど。被害者のポケットから出て来た指輪は結婚指輪か。そういえば、被害者は女遊びが激しかったらしい」

 菜々は顎に手を当てて考え込む。

 ――彼岸花の花言葉。

 ――女遊びの激しかった被害者。

 ――密室の現場。出入り口といえば大人では入ることのできない通風孔くらいだ。

 ――ダボダボの服を着た男の子。よく見ると首に紐をかけている。

「犯人が分かりました。信じられないような内容ですけど」

 

 

 *

 

 

 菜々の推理は正しかった。

 被害者の命を奪ったのは幼い男の子。

 子供だと思って油断した被害者の殺害後トイレの個室に鍵をかけ、彼岸花を置いて扉の上の隙間から出る。

 水道で返り血を洗い流し、袋に入れた凶器を首からかけて服の下に仕舞い、通風孔に入る。

 後は、菜々が電話をかけていた場所にある人目につかない通風孔から脱出し、何もなかったかのように席に戻るだけだ。

 ただし、この計画を立てたのは少年の母親。少年は被害者の息子でもあった。

 

「あの彼岸花はあの世で会おうって言うメッセージだったんですよ」

 少年と母親が警察に連れていかれた時、菜々は被害者の顔にヒゲを書き足しながら言い放った。

「ソラ、今のうちにお迎え課に連絡して」

 警察が撤収しようとしている今、志穂はこちらに注目していない。

 見ただけで鬼だと分かるお迎え課の者を志穂に見られるのは避けたい。

 菜々があの世の者と交流があると知られると、ごまかしが効かなくなってくるからだ。

 

「菜々さん、バイトって何時頃終わりますか?」

 店内にいた人間が我先にと店を後にしていると、鬼灯に尋ねられた。

「六時半ですけど……」

「米花町は物騒でしょう。あなたを狙った犯罪者が死んだら裁判がややこしくなる」

 菜々の疑問を察したのだろう。

「ところで、刑事さん達がずっと見てくるんですけど何ででしょう?」

「犯罪者よりも犯罪者っぽい目つきしてるからじゃないですか?」

 菜々は見当違いな答えを出した。

 刑事達の間で行われている賭けについて、彼女はまだ知らない。

 

 

 *

 

 

 最近は日没が早くなって来ており、菜々が店から出ると外はすっかり暗くなっていた。

「待ちましたか?」

「今来たところです」

 角ばった手に握られているホットココアを見て、菜々は彼がしばらく待っていたのだろうと察した。

「鬼灯さん、相談があります。浄玻璃鏡の改良についてです」

 現世では刑事達があの世では殺せんせーが邪魔してくるせいで、菜々達はしばらく二人っきりになっていない。

(ソラは急用ができたと言って化かしで帽子を作った後に姿をくらませた。)

 緊張を隠すために菜々がとった行動は、仕事の話に持っていく事だった。

 

 律が浄玻璃鏡にアクセスできるようにして検索機能を設ける。

 技術課と変成庁の力を合わせれば可能ではないか。

 浄玻璃鏡の元となっているのが希少な照魔鏡のため、開発には時間がかかるかもしれないが、裁判の効率化を考えるのならかなり有効な手段のはずだ。

 

「試してみる価値はありますね。後で技術課に伝えておきます」

 鬼灯から許可が降りたので息をつこうとした瞬間、体積が大きい物が風を切る音を菜々の耳は捉えた。

 彼女が身を翻してその場を飛び退くのと鉄筋が地面にめり込むのはほぼ同時だった。

「鉄骨が落ちて来たぞ!」

「事故か⁉︎ それとも事件か⁉︎」

「別の場所で起こった事件の時間差トリックに使われたんだろう」

 野次馬が集まって来たが菜々は気にせずに歩いた。

 

「ライオンだ!」

「何でこんな所にいるんだ⁉︎」

「ニュース見てないのか⁉︎ 動物園から逃げ出したんだ!」

「やっぱり米花町は呪われてる!」

 ライオンが突進して来たが菜々はかかと落としを食らわせてノックアウトした。

 

 銀行強盗に人質にされが鳩尾を殴って相手を倒し、通報を野次馬に任せた頃、菜々は何かあるのではないかと勘ぐり出した。

 全て自分を狙っていたように感じられる。

 ライオンをけしかけるのは人間では無理なので亡者の仕業だろうか。

 しかし、亡者の姿は見られない。彼らのほとんどは死ぬまでただの一般人だったのだ。隠密行動が上手いわけがない。

 何か思い当たる節はないかと記憶をたどる。今までの攻撃では、菜々の横を歩く鬼灯が狙われていない。

 その上、鉄筋もライオンも強盗も鬼灯と菜々の間に割って入って来た。

 今が十一月である事、一時的に生まれ育った世界に戻った時に確認した原作の内容。

 その二つを思い出して菜々は結論にたどり着いた。現世縁結びの話だ。

 

 殺せんせーは死神と地獄の植物を見に行くと言っていた。

 閻魔が縁結びの札に名前を書き込んだ時、現場に居合わせなかった可能性が高い。

 彼が居れば鬼灯と菜々の名前を書くように仕向けるか、E組のメンバー同士をくっつけようとしただろう。

 それも踏まえて考えると、ターゲットは鬼灯とマキだ。

 その証拠に、撮影をしているアイドル達が見えてきた。

 

 

 *

 

 

 いい絵面が欲しいのなら視察をしていた会社に行くといいと鬼灯が提案したので、菜々もついて行くことにした。

 しかし、五分後には自分の判断を悔いていた。

「着きましたよ」

 鬼灯が入って行くのは大きなビル。

 取り付けられた看板には「YASASHISA SEIMEI」と書かれていた。

「この前、この会社の社長さんに喧嘩売ったばかりなんだけど……」

 誰に言うでもなく呟いた後、菜々は意を決して足を踏み出した。

 

「まさかとは思いますけど、心霊写真撮りたかったからこの亡者達放っておいたわけじゃないですよね?」

 マキミキが胴と頭が分かれた亡者に釘付けになっている時、菜々は天井にこべりついた亡者の首を見上げながら尋ねた。

 鬼灯はごく自然な動きで目を逸らした。

「あ、こちらをずっと見ている方がいますよ。私以外の人の格好が会社員ではないので怪しんでいるのでしょう。一旦離れましょう」

 話題を変えたがっているのだとすぐに見抜いたが、鬼灯が見つけた男性に心当たりがあった菜々はすぐに賛成した。

「ちょっと待ってくれ! 君も視えるんだろ⁉︎」

 小太りの男が駆け寄ってくる。

「今日まで派遣で来ていた加々知君だろ?」

 男はこの会社の社長だと名乗った後相談を始めた。

 曰く、最近霊感に目覚めて自分の首を抱えた亡者に手を焼いていると。

「このまま祓い屋として目覚める第二の人生があってもいいけど……ん?」

 社長はとある一点に釘付けになった。

 数度瞬きしたかと思うと目を擦りだす。

 目の前の景色が変わっていない事を確認するや否や、血色の良い顔がみるみる青ざめていった。

「加々知君、ここに居るはずのない奴がいるんだが生き霊とかかね? それとも私が疲れているせいで幻覚が見えるのか……」

「菜々さんのことなら本人ですよ」

 鬼灯の答えが耳に届いた瞬間、社長はものすごい速さで後ずさりした。

「なぜだ⁉︎ なぜここに疫病神がいる⁉︎」

「面白い亡者がいると聞いて……」

 本当の事を言うわけにもいかないので、信じてもらえそうな内容を伝えた。

「クソッ、息子に変な趣味を持たせおって!」

「いや、私だってそんな趣味持って欲しくなかったですよ⁉︎ ちゃんといいお店紹介したので許してください」

「息子が変な店に通ってると思ったらお前のせいだったのか! 予想してた!」

「息子さんは毎日楽しくて私は紹介料が入った。全員が得してるんだからいいじゃないですか」

「こっちは損しかしてない! 後継者があんなんってどうなんだ……」

 床に手足をついて、社長はブツブツ言い始めた。

 襲撃や大損害などの単語も聞こえてくる。

「でも、これで良かったと思いますよ。……息子さんは変な趣味はあるけど、あなたみたいな経営方法をとる気は無いみたいですし。この会社は安泰でしょう」

「さっきから思っていたんだが、息子の名前忘れてるだろ。それと私はまだ死ぬ気は無い」

「でもあなた、もう亡くなってますよ?」

 菜々の言葉を理解できなかったのか、社長は放心状態になった。自分の名前も忘れているのではないかと指摘する気力もない。

「は?」

 しかしすぐに思考を再開し、床についていた手に力を込めて立ち上がると、社長は菜々の肩を揺さぶって問い詰め出した。

「どういう事だ⁉︎」

「あれ見てください」

 菜々が社長の背後を指差した時、彼はやっと先程から聞こえていたサイレン音の存在に気がついた。

 背筋に冷たいものが走り、一瞬動きが止まったが確認しない事には何も始まらない。

 ぎごちなく首を動かし、後ろで何が起こっているのかを理解した途端、社長の口から小さく息を呑む音が聞こえた。

「どいてください!」

「ハイ、通してください!」

「社長!」

「息がないぞ⁉︎」

「持病が……」

 脳が考える事を拒否したらしく、社長は身動き一つしない。

「この会社異常なんですよ」

 よく通る低い声が空気に浸透する。

 我に帰った社長は鬼灯に向き直り訳を訪ねようとしたが、彼が天井を見上げている事に気がついて同じようにした。

 何度目かの衝撃が彼を襲う。

「亡者の数が」

 マキとミキが騒いでいる中、鬼灯は淡々と続ける。

「過失致死なのか過労死なのかもっとヤバい事なのか。こういう会社が稀にあるから現世は恐ろしい」

 米花町には結構あるのだが、話の腰を折るだけなので菜々は黙っておいた。

「せっかくなので私と地獄へ逝きましょう」

 社長の肩に手を置いておどろおどろしい雰囲気を出しながら鬼灯は言い放った。

 

 

 *

 

 

「ギョウザと白い飯が食べたい……」

「金魚草パンでよければありますよ」

 マキの調子が急に悪くなったのでミキがマネージャーを呼びに行く。

「お嬢さん大丈夫かね? まあ私はもう死んだがね……」

「縛られてますけど何かに目覚めました?」

 哀愁を漂わせる亡者を木の枝で突きながら菜々は尋ねる。

「私と息子を一緒にするな!」

 文句を聞き流しながら、菜々は縁結び中であろう神を探した。

 近くにいる毛虫が目に留まったので全力で放り投げる。

 数メートル先から叫び声が聞こえたが菜々は気にしなかった。

「ちょっと飲み物買ってきます」

 適当な理由でその場を離れた菜々の手には、昆虫と人間を掛け合わせたような生き物の腕が握られていた。

 

「あなたは虫の神ですか? それとも虫の王を名乗っているメルエムとかいう奴ですか?」

「虫の神だ。だいたいメルエムと共通点あるか? 尻尾ないし色だって違うだろ」

「ヘルメットを被った坊主頭みたいな頭の形」

 狭い裏路地で向き合っているせいか、心なしか顔の距離が近い。

「いくつか要求があります。都立永田町高校の来年の二年生のクラス分けに手を加える事。同じ高校で、誰がどのクラスになるかを教える事」

「いや、私は虫の神なんだが……」

「八百万もいるんだし、別の神様に頼めばいいじゃないですか。それと、一人称は余にしてください」

「そのネタまだ引っ張るのか……」

 呆れはしたものの、神としては断るわけにはいかない。

 その理由として、菜々や縁結び対象の事を人間だと認識している事が挙げられる。

 

 神からすれば霊感のある人間に見つかり、縁結び対象にバラされるかもしれない状況なのだ。

 普通の人間は神がいるだなんて信じないだろうが、あれだけ様々な事が起これば信じるかもしれない。

 だとするとかなりの失態。

 その上ここは米花町。事件がよく起こるせいで命の危険にさらされる事が多いためか、米花町の人間は抜け目のない事で有名だ。

 少しの判断ミスで死ぬような環境ではそのような人間しか生き残れないだけかもしれないが。

 

 断れば自分が考えているよりも効率が良く効果的な方法で言いふらされる。神は瞬時に判断した。

「分かった。要求を飲もう」

 質言は取ったが、菜々は釘を刺しておく事にした。

 ネチネチと脅しに近い形で念を押してくる菜々に対し、神は疑問を覚える。

「二つ質問いいか? 一つ、なぜあんな要求をしたのか」

「私は友達を作りにくい体質だからです。だったらいっそ、友達と一緒のクラスになればいいと考えました」

「それ体質っていうよりもお前の性格に難があるんじゃないか?」

 菜々はその質問をスルーした。

 彼女が許した二つの質問の中に含まれていないからだ。

 また、磯貝と片岡を一緒のクラスにして仲を見守るという思惑もあるものの、そこまでは答えなくていいだろう。

「新しいクラスのメンバーを教えて欲しかったのは、賭けに必ず勝つためです」

 この歳で借金を抱えている以上、儲けられるチャンスを逃すわけにはいかない。

「では最後の質問だ。お前はどうしようもない怒りを私にぶつけている気がするんだが……」

「なんのことでしょう?」

 菜々は今まで直視していた神の目から視線を外した。

 

 

 鬼灯が階段から落ちてきたマキを受け止めている頃、閻魔庁では「なんでだよ‼︎」と突っ込みを入れる閻魔と篁、「アイドルがライバルとかも良いですねえ」と呟きながらメモを取る殺せんせーが目撃されたらしい。

 

 

 *

 

 

「鬼灯様、私達名前欲しい」

 双子の座敷童子の片方がねだる。

 薬を届けに来たついでに座敷童子についての説明を聞いていた桃太郎と、彼と話していた鬼灯は座敷童子を見下ろした。

「にゅや?」

 超生物姿になって巻物整理をしていた殺せんせーが彼らに注目したため、恩師の目線を菜々も追う。

 ぶつくさ言いつつ殺せんせーの手伝いをしていた手を止め、何事だろうかと見守る事にした。

 今は裁判が無いため閻魔は寝ているし、契約上は巻物整理をする必要が無いのでサボっても良いはずだ。

 本当は声をかけたいが、超生物姿となった殺せんせーから目を離すと取り返しのつかない事に成るかもしれないので我慢する。

「様子見に行きましょうか」

 そわそわし始めた菜々の気持ちを汲み取り、殺せんせーは一瞬で巻き物を仕分けする。

「できるんならさっさとやってくださいよ」

 顔には怒った様子が無いものの文句を言いつつ、菜々は法廷の真ん中付近で話し込んでいる一同の元に向かった。

 人型に戻った殺せんせーもネタ帳を持ってついてくる。地獄に来た今でも、彼は現世で愛用していたアカデミックドレスに似た物に身を包んでいた。

 背伸びすると3m位である超生物姿でも着ることができるサイズのため、人型に戻った時は服がブカブカになるのだが、折りたたんで裾が足首に差し掛かるくらいの長さにしている。

 ズボンを履いていないので、それくらいがちょうど良いのかもしれない。

「そういえば、殺せんせーってパンツ履いてるんですか?」

「失礼な。ちゃんと技術科の皆さんに作ってもらった特別なパンツを履いてます。……あれちゃんとパンツですよね?」

「知りません。ただ、パンツ=モラルらしいですよ」

 教師と生徒の会話とは思えない会話をしながら、二人は並んで歩いた。

 

 手っ取り早く「ざしき」と「わらし」にしたらどうかと提案した桃太郎が顔を引っ張られている頃、殺せんせーは顎に手を当てて考えていた。

「このメンバーで名前を考えること事態が間違っている気がします」

「二人の髪の色で黒と白……じゃなくて黒子と白子!」

 殺せんせーがもっともな事を言ったが、菜々は聞いていないのか名前の提案をした。

 途中で天真爛漫な犬を思い出して慌てて変更しているところを見ると、適当に考えたのだろう。

「それってどこのバスケ漫画の主人公?」

「じゃあ、桃太郎さんの案の『童子』を使って、黒童子(くろわらし)……じゃなくて黒童子(こくどうし)白童子(はくどうし)は?」

「私、奈落の分身じゃない」

「菜々さん、あなたネーミングセンス無いんだから黙っててください。この中では一番センスが良い私が考えます」

 殺せんせーが割って入ってくる。

 菜々の父親は「サイヤ人のように強い子になるように」という願いを込めて娘の名前をつけた男だ。

 彼女のネーミングセンスにおいては、殺せんせーの言い分が正しい。

「殺せんせーのネーミングセンスだってひどいじゃないですか。E組の皆を勝手に使って書いた恋愛小説の題名『ドキドキ★ラブラブ魔法学園』だったし」

「……分かりやすさも大事だと思うんですよ」

 そんな会話を二人が繰り広げている中、鬼灯と桃太郎も話を進めていた。

「あ、じゃあ一と二でいいじゃないですか」

「牧場の羊か⁉︎ 俺よりひどいな!」

「二はやだ」

「では菜々さんがしたように、子をつけて一子と二子で」

「閻魔大王に決めてもらうのが一番良かったんじゃ……」

 殺せんせーが呟くが誰も聞いていない。

 桃太郎と鬼灯は話しており、座敷童子達は今しがた貰った名前をしたためるために筆と紙を取りに行った。

 一方、菜々は気を抜くと緩みそうになる顔に力を入れるのに必死だ。

 勝手な想像だが、鬼灯が座敷童子を引き取ったのは過去の自分に重ねたからかもしれないと菜々は考えている。

 家も名前も無い子供に、昔閻魔がしてくれたように名前をつける。本人は気がついていないかもしれないが、どれだけ特別な事だろうか。

 

 

 *

 

 

「すみません。梓さん、ちょっとお願いが……苗子ちゃん、何やってるの?」

 休日に居酒屋あずさを訪れた菜々は、予想外の人物が居る事に驚きをあらわにした。

 調理場に立っている蛍と三池、その様子を微笑みながら眺めている梓。そして漂ってくる甘い匂い。

 もうすぐ二月十四日である事も含めて考えると、自ずと答えは見えてくる。

「味見でもしようか? この前桜子ちゃんの事も手伝ったし」

「そう言えば、チョコを作っていたら菜々が突然押しかけてきたって桜子が言っていたような……」

「あ、梓さん。仕事引き受けてもらえませんか?」

 店に入り、カウンターの前に立って菜々が尋ねる。

 さりげなく話題を逸らすことに成功した。

「六月に中学の時の先生が結婚するんですけど、ちょっとしたお祝いを皆でする事になったんです。料理も出そうって話にもなってるんですけど、私達だけだと大変なので手伝ってもらえませんか? もちろんお金は払います」

 

「菜々ちゃんもチョコ作って行ったら? わざわざここまで来てくれたんだし」

 菜々の頼みを快く引き受けた後、梓は提案した。

「バイトのついでですよ。隣の店のバイトが終わった直後で」

 何気なく菜々が口にした一言で店内が凍りつく。

 居酒屋あずさの隣に位置する店の名前は「SMバー」だ。その上、たまに服(主に背中)が破けた男や肌に細い痕がたくさん残っている男が店から出てくるのが目撃されることもある。

「バイトって言っても昼に店の掃除をしたり仕込みを手伝ったりするくらいですよ⁉︎」

 慌てて弁解するが、何の仕込みなのかを明確にしなかったせいで、余計に微妙な空気になった。

「と、取り敢えず菜々もこっちに来なよ。本命チョコまだ作ってなかったら一緒に作ろう」

「本命チョコ?」

 内心では冷や汗をダラダラ流しているものの、顔に出さないように細心の注意を払いながら、菜々は聞き返す。

「全部知ってるよ。刑事さん達が聞き込みに来た」

「あの人達仕事してるのかな……」

 思わずジト目になってしまう。

 最近は疎遠になってしまった叔父に一度確認した方がいいかもしれない。

 それはさておき、三池のところに刑事が来たとなると桜子のところにも来たのだろう。

 野生の勘に従って桜子の家に突然押しかけた日、まだ明るいのに電気スタンドを顔に近づけられて根掘り葉掘り聞かれた理由が判明した。

 この前の事を思い出して菜々が何とも言えない気分になっている時、三池は安堵していた。

 菜々の反応を見て刑事達の言い分が正しいのだろうと察したのだ。

 

 菜々は問題児だった。こんな事が出来るのは小学生までだとか、馬鹿やってると嫌なことも忘れるなどと主張して割と好き勝手やっていた。

 生徒達の間で評判の悪い教師である国上には初っ端から喧嘩を売ったらしく、週一ペースで果たし状を送りあっていた。

 卒業式の日に河原まで走って行って殴り合った後堅く握手を交わした事は、もはや伝説になっている。

 あの時は太陽が真上に登っていたはずなのに、なぜか夕焼けが広がっているように見えたと皆が口を揃えて証言したのも印象深い。

 今でも国上との戦いは続いているらしく、オンラインで対戦したりどちらが多くのアリの巣に小石を詰める事が出来るか競ったりしている。もはや何をしたいのかすら分からない。

 

 顔はいいので初めのうちは男子の目を引くこともあるが、三日と経たないうちに本性がバレて遠巻きにされる。それが菜々の立ち位置だった。

 本人にこそ言わなかったが、昔は桜子と一緒に菜々の将来について心配しあったものだ。

「じゃあ、どんなチョコを作るか考えようよ」

 今の相手を逃したら菜々は一生結婚できないと三池は一瞬で結論を出した。

 

「ねえ、それ何? クッキー作ってて菜々のことを見張ってなかった私も悪いけど」

「今回は無難にハート形にしようって結論になったじゃん」

「それハート形って言うより心臓だよね⁉︎」

「これはお約束だと思う」

 蛍と作っていたクッキーが完成し、一人で別のチョコの制作に取り組んでいた菜々はどうなったかと三池が何気なく横を見てみると、ありえない形のチョコが目に留まった。

「この肺静脈とか頑張ったんだよ」

 こんな事なら梓に見張っておいてもらうべきだったと後悔している三池の心情を知らず、菜々は見当違いな事を言っていた。

「苗子ちゃん諦めなよ。相手が相手なんだし」

 蛍に肩を優しく叩かれて、三池は思わず涙ぐみそうになる。

「菜々、今回誕生日プレゼント貰ったんだよね? それのお返しも兼ねてのチョコがやけにリアルな実物大の心臓チョコってどうかと思うけど」

「でも何かあるんだと思うんだよ。今回は普通の物で……」

 

 死装束、喪服と続いていたので今度は棺桶あたりが来るかと思いきや、渡されたのは金魚があしらわれたかんざしだった。

 尋ねてみたが呪いの品でも凶器になるものでもないらしい。

 菜々が途方に暮れているといつのまにかその場に居た殺せんせーが、昔は指輪の代わりにかんざしを送る習慣があったのだと教えてきた。

「高校卒業してすぐ、過去に囚われている鬼灯様を何気ない言葉で救って、生まれてきた子供に『(ひのと)』と名付ける。いいですねえ。それにしても鬼灯様の過去は美味しい」

 ブツブツと呟いてメモをする殺せんせーを見て、菜々は自分も同じような事をしていた事を思い出し、小さじ一杯分くらい反省した。

「前は『慣れないのでしばらくは加々知さんとお呼びしてもいいですか?』とか言っていたのに……」

「しょうがないじゃないですか、減給の危機ですし」

「ゴマ擦っても変わらないと思いますよ」

 お香にもかんざしを買っていた事を思い出し、ゴチャゴチャになった思考をリセットするためにそんな会話をしていた事は覚えている。

 

 今回は普通の物だから何かあると思う。

 それを聞いて、三池は悟った。同族だから心臓型のチョコでも大丈夫だと。

 去年は呪いのチョコを渡したと聞き、三池が死んだ魚のような目をするのは十分後の事である。

 

 




トリックは江戸川乱歩の「魔術師」から拝借しました。


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第22話

 燦々(さんさん)と太陽の光が降り注ぐテニス場。

 自校の代表選手を応援する野太い声が空気を振動させている。

 都立永田町高校で行われているテニス部の練習試合を観戦しているのは、部員達とフェンスの外に締め出された多くの観衆。そのほとんどが女子だ。

 磯貝悠馬を始めとした女子に人気のある選手が都立永田町高校に多くいることが理由である。

「うちの学校負けてるね」

「えー、でも相手強いみたいだし仕方ないんじゃない?」

「冷たいジュース一本100円!」

「BLキター‼︎」

「まあ良いや。頑張っている姿もかっこいいし。写真撮ろう」

「でも磯貝君凄いよね。まだ二年生なのに代表選手になって、それでも勝ってるんだもん」

「スポーツドリンクやお茶、新発売のジュースまで! 全て百円です‼︎」

「確かに勝ってるの磯貝君だけだね」

 都立永田町高校の対戦相手は全国大会で好成績を残している強豪。

 観衆が多い永田町高校の選手は苦戦しているが、観客席から応援の声は全く聞こえて来ない。

 というのも、集まったほとんどの生徒達の目的は顔の整った選手を見ることであり、応援ではないからだ。

「磯貝君……」

 不安げに試合を見つめるのは片岡。都立永田町高校イケメングランプリにおいて、堂々一位に輝いた女子生徒だ。

「あっ、だいぶ試合が進んでる! ジュース売ってる場合じゃなかった‼︎」

 人混みを縫って片岡の横にやってきた菜々は肩にかけていたクーラーボックスを地面に降ろし、首からぶら下げていた一眼レフカメラを構える。

「何やってんの……」

 磯貝を連写し始めた菜々に片岡は呆れたかのような目を向ける。

「殺せんせーに頼まれた。一枚五百円で買ってくれるんだって」

 なんとなく予想していた答えが返って来る。

 片岡はそれ以上追求しないことにした。今はこの試合の流れを変えなくてはいけない。

 

 決断してすぐ、片岡は持ち前の運動能力を駆使してテニス場を囲んでいるフェンスの上に飛び乗る。

 私服のズボンを履いているため、さほど動きに気を使う必要はない。

「皆聞いて!」

 観衆は静まり返り、聞こえてくるのは選手がボールを打ち合う音と、何事かと控えの選手達が周りに確かめ合う声だけだ。

「私はちゃんと応援するべきだと思う」

 太陽の光によって輝いて見える女子はまるで地に降り立った王子のようだった。

 誰かが息を呑む音がやけに大きく聞こえる。

「そうだよ。私も応援するべきだと思う。写真を撮るなんてくだらない事するんじゃなくて」

 前に出てきた菜々も堂々と言い放つ。

 その瞬間、皆の心の声は一つになった。お前が言うな、と。

 彼女の首にかけられた、本人は頑なにネックレスだと言い張っているカメラのレンズがキラキラと輝いていた。

 

 この行動により片岡のファンが増えて第一次イケメン大戦が勃発したり、磯貝と片岡が少女漫画のような展開になったりした。

 一方、菜々は写真の買い値を上げてもらうために、殺せんせーと交渉していた。

 

 

 *

 

 

「で、地獄に攻めてきた桃太郎さんは今どうしていると思う?」

 役員でもなんでもないくせにここ最近生徒会室に居座っている菜々が一同に問う。

 磯貝、片岡、竹林はプリントをまとめていた手を止めた。

 皆の視線が一点――菜々の横に置かれた空き缶――に集まる。

 どうせ金を渡さなければ続きを話さないつもりなのだろう。

「磯貝君は五十円じゃなくて保健の教科書貸してくれるだけでいいよ」

 明日小テストがあるのだが、菜々の保健の教科書は巨人が進撃している上、魔法陣によって人間が召喚されている。勉強なんてできる状態じゃない。

「まあ、文化祭の準備手伝ってくれてるから払うけど」

 会計を務めている片岡は財布から小銭を取り出す。

 菜々はこの歳で借金を抱えているのだ。前からこんな感じだった気はしないでもないが、力になれるのならなんでもしたいと思っている。

 

 初めは皆が貰った賞金を少しずつ出し合おうかとも考えたが拒否された。貸しは作りたくないから真面目に自分で稼ぐと言われて。

 これが真っ当な手段なのかと問われれば首を傾げざるをえないが、「菜々だから」という魔法の言葉で全て解決する。

 

「この行動には意味があるんだよ。地獄のおもしろ話をする事によって私は儲かるし、皆は楽しく地獄の知識をつけることができる」

 金を取る必要性は全くと言っていいほど感じないが、皆はスルーした。

「殺せんせー達は今どうしてるんだ?」

 皆が気になっているであろうことを、小さく手を挙げた磯貝が尋ねる。

 旧校舎の掃除で集まった時などにこの件だけは無料で教えてくれるところを見ると、今回もタダだろうと踏んだのだ。

「鬼灯さんが閻魔大王第一補佐官で、地獄の黒幕だって話はしたよね?」

 物凄い速さで作業を進めながら発せられた問いに対し、三人が揃って頷く。

 彼が鬼だと言われた時も、閻魔よりも発言力があると知った時も妙に納得したものだ。

「殺せんせーは鬼灯さんのーーつまり、閻魔大王第一補佐官の直属の部下になっている。もともと多才だし、マッハ20は便利だからね」

 しかし、手入れをしすぎたりして定期的に減給を食らい、その度に一人でデモ活動をしているあたりは相変わらずだ。

「死神さんは殺せんせーのストッパーだよ。それと貴重な突っ込み役」

 最近では独自にあの世の植物の勉強をしており、金魚草の飼育にも手を出している。

 このままいけば金魚草コンテストで優勝するのではないかと言われている程の腕だ。

「ところで磯貝君。衆合地獄に興味はない? あそこで働ける男性獄卒ってすごい貴重なんだけど」

 勧誘が始まった。

 菜々は、E組女子のほとんどと渚に衆合地獄の誘惑係として働いてもらいたいと思っている。

 他にも千葉は変成庁、カルマは内政担当、原と村松は食堂など、誰がどこで働くかを勝手に考えていたりする。

 そんな菜々が真面目な磯貝を逃すわけがなかった。

「で、なんで君はこんな所に居座っているんだい? 僕ら以外の人間は様々な事情があって戦力外だから手伝ってくれているのはありがたいんだが」

 面倒臭い展開になったので、話題を切り替えるためにメガネの位置を直しながら尋ねたのは竹林だ。

「地獄に行ったらツノが危険で……」

 遠い目をしながら呟いた菜々は面食らう皆に気がつかないのか、少し考え込んだだけで自己完結してしまった。

 この前起こった事を思い出したが、現状維持以外にいい方法が思いつかないのだから仕方がない。

 

 

 原因は殺せんせーだ。

 ブツブツ言いながら鬼のツノについての本を読み漁っていたので何事かと尋ねたら、恐ろしい答えが帰ってきた。

「私、E組の皆の恋愛話を書いてるじゃないですか」

「書いてますね。下手したら訴えられる内容ですよ」

「菜々さんだって似たような事してるじゃないですか」

「私は事実を書いてるだけです。でも、殺せんせーは事実無根の創作」

 軽口を叩きあった後、本題に入る。

「で、私最近は漫画にも手を出しまして。鬼灯様と菜々さんで描いてるんですよ」

「初耳ですよ⁉︎」

 こうなれば余計に現世で籍を入れたことを知られてはいけなくなった。死神にもう一度口止めしておこうと誓う。

「しかし二人は全く甘い展開にならない。少女漫画でよく見かけるシュチュエーションをやろうとしても、そもそも起こるはずがなかったり、ボケが入ってわけわからん事になったりするんです」

 心当たりがあるので、菜々は言葉が無くなった。

 

 菜々の強さでは望めない話だが、ピンチに陥ったヒロインをヒーローが助けに来るという展開に憧れたことがないわけではない。

 周りからは散々、女を辞めているだの結婚したら地球が滅ぶだのと言われ続けてきた菜々だが、乙女心はそれなりにある。

 米花町という恐ろしすぎる世界で生きていくうちに、ライフルの弾を避けられる系女子になっただけだ。

 

「で、こうなったら思いっきりいちゃつかせようと思ったんです」

 いちゃつくような関係になるまでの経緯を考えるとなると、かなり大変なのは頷ける。

 殺せんせーの判断に賛成はしたくないものの、菜々は反論が見つからなかった。

「しかし、ここで最大の敵が立ちふさがりました! ツノです‼︎」

 図書室に居るというのに大声を出した殺せんせーの口を、菜々は慌てて抑えた。

 殺せんせーも自覚し、声を落として話し続ける。

「抱き合おうとしてもキスをしようとしてもツノが刺さります!」

 衝撃の事実が発覚する。

 菜々と鬼灯の身長差は30センチ。そして菜々のツノは額から生えている。腕でガードしない限り、鬼灯に刺さるのは明白。

 さらに、キスとなれば顔を近づける。

 近づけられた顔のどちらも額からツノが生えている。

 刺し合いになるのは容易に想像がつく。

「ホモサピエンス擬態薬を飲んだとしても根本的な解決にはなりません。ツノを引っこ抜くなりなんなりしなくてはならないのです!」

 ツノの位置についてはなんとかしなければならないが、ツノを抜かれるのは嫌だったので菜々は逃げる事にした。

 

 

「あ、文化祭当日は警備の人とか雇った方がいいと思うよ」

 プリントをホチキスで止めながら、菜々は思い出したかのように提案した。思い出したくない過去を頭から振り払うためだ。

「警備?」

「私、事件を引き起こす体質みたいでさ。学校行事の時は毎回事件に巻き込まれてるんだよ」

 小学生の時のキャンプでは人食い熊に遭遇し、修学旅行で大阪に行った時には連続殺人事件に巻き込まれた。

 遠足に出かければ遺体を、タワーに登れば爆弾を発見する。六歳の時に行った、初めての爆弾解体授業ですら今ではいい思い出だ。

 殺せんせーが周りの危険から守ってくれていたので、超生物を暗殺していた一年が一番平和だったかもしれない。

「そういえば中学の文化祭で、飲食店に毒物が入っていたって噂になってたな……」

「去年林間合宿を行った森に指名手配犯が潜伏していて、うちの生徒が捕まえたって噂もあったような……」

「去年の文化祭の時、警察の人が大勢学校に来てたな」

 しばらく無言が続く。

「加藤、これ……」

 沈黙を破ったのは保健体育の教科書を差し出して来た磯貝だった。

 

「ところで、他の生徒会の人が居ないのはどういうわけ?」

 菜々は磯貝から受け取った教科書をリュックに仕舞いながら尋ねる。

「病気で出られない人とか、やる気はあるんだけど居ても仕事をややこしくするだけだから出禁になった人とか、女子と遊びに行っている人が居て、結局俺達だけなんだよ」

 磯貝の説明を聞いて菜々は疑問を抱く。

「この学校って選挙に出るために、校長の許可が必要でしょ? なんで仕事をサボるような奴が選挙に出てるの?」

「僕達も校長先生に聞いたさ。挫折を味わうべきだと思って選挙に出るのを許可したらしい」

「で、その年は会長の立候補者が他にいなくて、信任投票だったんだって」

「あのハゲ馬鹿だろ」

 竹林と片岡の話を聞いて、菜々は吐き捨てる。

 立候補者が一人しかいないのなら、大抵の人間は取り敢えず信任しておくに決まっている。

「そういえばなんでその会長、この学校に入れたの?」

 受験に影響が出ないようにという配慮で五月に文化祭を行う事からも分かる通り、都立永田町高校は進学校だ。

「ほら、馬鹿と天才は紙一重と言うだろう」

 竹林のメガネが一瞬光ったような気がした。

「じゃあさ、会長が仕事していないっていう証拠集めて新聞部にタレコミしようよ」

 まとめたプリントをホチキスで止める作業も終わらせ、パンフレットを作る作業に入っていた菜々がなんでもないかのように言い放つ。彼女は社会的抹殺を推奨するタイプだった。

 

 しばらくして会長は辞めさせられ、新しい会長の選挙が行われて片岡が当選した。

 会計の席が空いてしまったので跡を継いでほしいと菜々は頼まれたが、面倒だったので志穂に押し付けた。

 その後、磯貝と片岡が双方のファンクラブに邪魔されつつ青春を謳歌しているのを見て、菜々はしょっぱい気分になった。

 彼女の前にはツノという厄介な敵が立ちふさがっていた。

 

 

 *

 

 

 夏休みに入り、菜々は中学の時に修学旅行の班員だった皆と一緒に静岡の海まで来ていた。

 青春といえば海。恋愛が大きく動くのも海。という殺せんせーの持論に従ったのだ。

 菜々による、くっつけ大作戦が幕を開けた。

「ターゲットは渚君とあかりちゃんペア、カルマ君と愛美ちゃんペア、杉野君と有希子ちゃんペアの三つ!」

「ねえ、さりげなく二人きりにした後は何もしなくてもいいからね⁉︎ 菜々が関わると絶対にこじれるから」

 ターゲット達を二人きりにするのに成功した時、ソラが釘を刺してくる。

 ただでさえ暑いのに、フライパンの上のように熱い砂浜に足をつけなければならない状況にしてしまった事を菜々は申し訳なく思っている。しかも個人的な理由でだ。

 なので、ここは折れる事にした。

「分かった。後で浄玻璃鏡で確認するだけにするよ」

 これでも菜々はだいぶ妥協したのだと理解し、ソラはなにも言わない事にした。

 

 側から見れば菜々はボッチである。しかもスクール水着という色気もへったくれもない格好だ。

 人目につかずに一人で楽しめる場所に行こうと彼女が考えたのは当然の流れだった。

「海賊王に俺はなる!」

 人気のない岩場で叫びながら海にダイブした菜々を、ソラは干からびたミミズを見るような目で見ていた。

「なにやってるの……」

「ソラ! そういえば居たのか……」

 菜々は海から顔だけ出し、まじまじと稲荷の狐を見つめる。

 今まで海に来た時は水死体が発見されたりとすぐに事件に巻き込またので、ろくに楽しめた記憶が無い。

 今のところ事件が起こっていないため、どうやらはしゃぎすぎてしまったようだ。

 ここには工藤家の人間はいないだろうし、大阪ではないので服部家の人間もいない。多分白馬家も居ない。

 昨日は二回も殺人事件に巻き込まれたのだから、今日事件が起こることはないだろうと菜々は高を括っていた。

 崖の上を走っていた自動車がガードレールを突っ切って海にダイブして来るまでの話だが。

 

「やっぱり事件が起こったか……」

 菜々は飛び込んで来た車によって作られた水しぶきと慌てふためく人間を認識すると同時に、遠い目をした。

 お祓いは全て断られたことだし、もう地獄に逃げるしか手は残っていないのかもしれない。

 菜々は考えにふけるが、サングラスを掛けた男性と赤髪の少年が海に飛び込んだのを見て我に帰った。

 この混乱だ。バラバラになった皆も一箇所に集まろうとしているだろう。ひとまず彼らと合流しなければならない。

 

 

 菜々は渚達と合流できたが、カルマが見当たらなかった。

「あれじゃない?」

 カルマはどこに居るのだろうという話になり皆が辺りを見渡した時、あかりが一点を指す。

 人混みの中心地で、先程駆けつけた刑事がいる場所だ。よく見ると、刑事に説明をしている男と時折口を挟んでいる少年が居る。

 とにかく、あの場に近づいてみようという話になった。

 女優活動を再開したあかりは有名になっているが、変装もしているし大丈夫だろう。

 

 とっさに海に飛び込んだが、運転席の男は即死。

 ただし、助手席の窓が開いていたので一緒に乗っていた人間は助かったのだろう。

 また、後部座席に値札が付いたままのブランド物の時計がぎっしり詰まったバックがあったことから、事故を起こしたのは近所で起こった強盗事件の犯人二人組だと思われる。

 カルマ達が証言した車の様子と推理を聞き、考え込んでいだ刑事は顔を上げた。

 近づいて来た団体の中に、見覚えのある少女を見つけたのだ。

「ん? 君か。久しぶりだな」

「また巻き込まれました。……刑事さんも変わってないですね」

「お前、名前忘れてるだろ」

「静岡県警の方ですよね」

 誤魔化すためにこの場にいる全員が分かる事を言った後、菜々は視線を感じた。方向からグラサン男のものだと判断する。

 この時、菜々は初めて男の顔をちゃんと見た。

 サングラス越しに見える目には隈がある。

 見覚えがあった。どこからどう見ても「名探偵コナン」のシャアだった。

「じゃあさ、車が落ちてから海の家でなんか買った人が犯人なんじゃない?」

 カルマが指摘すると、赤井も同じことを考えていたらしく一つ頷いた。びしょ濡れでは目立つ。

 赤井家に加え工藤家の人間もいるのだから、事件が起こっても仕方がない。菜々はそう考えながら意識を彼方に飛ばした。先程からそばにいる新一の存在を無い事にしたかった。

 

 赤井に頼まれた新一が海の家で買い物をした四人を連れて来たのを遠目で見た時、菜々は疑問を抱いていた。

 お約束で、大抵容疑者は三人と決まっているのだ。

 なんとなく嫌な予感はしていた。菜々は容疑者達の顔を見た途端、脳内に出現した判事に証言する。

 体積が大きめな男性とタレ目の女性とチャラそうな男性の後ろに三白眼の男性がいた。

 

「そういえばあの人も巻き込まれ体質だった。だから私は決して呪われているわけではない。ただ単に呪われた人の近くにいるだけだ……」

 菜々が誰にでもなく言い訳をしている間に事情聴取が行われていた。

「おじさん……お兄さん」

 最近は推理ごっこばかりしている新一が鬼灯に話しかけるが、目つきの悪さにたじろいで呼び方を変える。

 ホモサピエンス擬態薬の副作用で目つきが悪くなっているだけなのか睨んだのかという問題が発生し、菜々は脳内会議を始めた。

「裏社会の人間だろ? 刑事さん、早くこの人捕まえた方がいいですよ!」

「え? いや、それはないよ」

 過去に数回会っただけに過ぎないものの菜々には人を見る目があると考えているので、事情聴取をしていた刑事はすぐさま否定する。

 菜々がいつ結婚するかという賭けの結果を大きく左右する人物()()()鬼灯の顔は刑事の間でも有名だ。

 過去形なのは、目暮が賭けを辞退した事によって問題が解決したからである。

 余談だが、この事件が起こってから目暮を崇拝する者は爆発的に増えた。

 

 信じてもらえず新一はむくれたが、推理を聞かせて納得させた方が早いと判断したのか話を続けた。

「お兄さん、あなたは派遣社員だと言ってましたね? しかし、この手を見ればそれが嘘なのは明らかだ。ただの派遣社員の手のひらがこんなに硬いわけがない。そしてその筋肉質な体。体を鍛えている証拠です」

 自信満々といった様子だ。

 雲行きが怪しくなって来たので、ソラは菜々をこづいた。

 ようやっと菜々は我に帰り、打開策を考え始める。

 新一はまだ幼いためか、目を見張る知識を持っているものの推理のツメが甘い。

 今回は簡単に論破できるだろう。問題は鬼灯である。

 

 どう見ても遊んでいるとしか思えない。

 いつも適当に切られている髪は綺麗に刈りそろえられており、美容院に行ったのだろうと一目で分かる。彼の言葉を借りるのなら、現世の爽やかアナウンサーヘアーだ。このためだけに髪を切ったのだろうか。

 しかも海パン姿で浮き輪を持っている。視察と言われても信じられないような出で立ちだ。

 

「つまりお兄さんの職業は、鍛える必要があって重いものを持つ事が多いもの。さらに隠さなければならないもの」

 新一の推理はまだ続いていた。ホームズを意識して冷静に見えるように努めているが、口角はヒクヒクと動いている。犯人を追い詰める爽快感に早くも目覚めてしまったらしい。

「そう! どう考えても堅気の人間じゃないんですよ‼︎」

 新一が言い放ったのとカルマが吹き出したのはほぼ同時だった。

「新一君。ジムで鍛えてるとかなんじゃないの?」

「あ……」

 自分の推理の穴を菜々に指摘され、小さな探偵は仄かに顔を赤らめる。

「新一ったらまた変なこと言ってる……」

 工藤有希子を連れてきた蘭にも咎められ、新一は恨めしげに菜々を睨んだ。

「おい菜々! どっちが早く事件を解けるか勝負だ‼︎」

「年上を敬いなさい。なんで私ってこんなにも年下に舐められるんだろ……」

 日頃の行いである。

 ターボエンジン付き自転車で登校して教師に怒られたので、ターボエンジン付きセグウェイに変えて大目玉を食らうなんて事は日常茶飯事だった。

 作った阿笠も阿笠だと菜々は思っている。

「元気出して。確かに変なとこもあるけど、菜々さんが悪い人じゃないって蘭知ってるよ」

「年下で私に敬称をつけてくれるのは蘭ちゃんだけだよ。初めの方は聞かなかった事にしておくね……」

 将来エンジェルと呼ばれる少女の優しさは尋常ではなかった。菜々は思わず涙ぐむ。

 バレンタインの一件があってからというもの、蛍までもが菜々を呼び捨てにし始めたのだ。三池の呼び方が移っただけだと蛍は主張しているが、今までの経験のせいで菜々は信じることができなかった。

 

 昔一緒に仕事をしたことがあったあかりと元女優である有希子が再会を喜んだり、一回り下の少女に菜々が慰められたりしているうちに事件は解決していた。犯人はタレ目の女性だった。

 

 ようやくメンタルが回復し、菜々は立ち上がる。鬼灯に何をしているのか問いたださなくてはならない。

「あの、鬼灯さん」

「取り憑かれてるんじゃない……冒されているんだ。……好奇心と言う名の……熱病にな」

 菜々が言葉を発したのと、無駄に溜めが長いセリフが聞こえてきたのは同時だった。

 その途端菜々は砂浜に両腕をつき、土下座のような体勢をとる。

「どうかしました?」

「思わぬところから黒歴史をえぐられました……」

『あ、小学生の時の菜々さんが先程の言葉と似たような事を言っている場面を発見しました!』

 鬼灯が掲げているプライベート用のスマホに映し出された律が元気よく爆弾を投下する。

 新一達は少し離れた場所にいるため、この辺りには律について知っている元E組しかいない。

「あなたが前に言っていた、律さんと浄玻璃鏡を繋げる装置が最近完成したんですよ。お陰で倶生神に聞くまでもなくすぐに犯人が分かりました」

 菜々が必死に「必要以上に人の詮索をするのは良くない」と律に訴えかけている間、鬼灯はカルマに対して熱心に勧誘をしていた。

 

 

 *

 

 

「あれは視察です」

「嘘ですよね」

 数日後、死神の協力を得て殺せんせーがいない隙に閻魔殿にやって来た菜々は、開口一番に鬼灯を問い詰めた。

 この前は心の傷が深すぎて問い詰める気力がなかったのだ。

「いえ、本当です。実はあの海、よく車が突っ込んでくるんですよ。ネットの一部では霊の仕業だと騒がれてまして。ちゃんと犯人はしょっぴきました」

「それってお迎え課の仕事じゃ……」

 二つの視線が交錯し、しばし静寂が訪れた。

「だってお盆明けですよ! 忙しさから解放されたんですよ! 遊んでもいいじゃないですか‼︎」

「やっぱり遊びだった‼︎ ワシ、しわ寄せが来て大変だったのに‼︎」

「いつも仕事しないアンタが悪い」

 閻魔が参戦してきたが、あっさりと鬼灯に言い負かされた。

 

 浄玻璃鏡を使う許可を貰い、菜々はノートを取り出す。

「律。この前海に行った時、事件が起こる前に皆が何してたか知りたいから様子を映してくれない?」

『ダメです』

 手をクロスさせて大きなバツを作る、浄玻璃鏡の画面に映った律。菜々は数度目を瞬かせた。

『この前菜々さんが言ってたじゃないですか。必要以上に人の詮索をするのは良くないって』

 菜々は目を見開く。知らず知らずのうちに自分の首を締めていたらしい。

 その後、菜々は律を説得したが効果は皆無だった。

 

 

 *

 

 

 長門道三。鈴木財閥と肩を並べる程の力を持つ長門グループの会長である。

 菜々は彼の豪邸でバイキング形式のご馳走を頬張っていた。

 こうなったのは全て怪盗キッドのお陰である。

 

 

 ある日、長門道三が持つビッグジュエルを盗むという予告が怪盗キッドから送られてきた。

 そこで鈴木次郎吉が湧いてきた。この前キッドに一面大見出しを奪われたとかで逆恨みしているらしい。

「ワシが持つ全ての権力を駆使してキッドの奴を捕まえてやる! そして今度こそワシが一面大見出しを飾るのじゃ‼︎」

 荒ぶる次郎吉を道三は笑って受け入れた。菜々はこの話を聞き、広すぎる懐に感動するのと同時に道三がいつか騙されるのではないかと心配になった。

 

「ワシはいい助っ人を知っておる」

 キッドに勝つための助っ人として菜々を推薦した次郎吉は止まることを知らなかった。

 本来は頭のいい人間なのかもしれないが、どうやらキッドの事になると周りが見えなくなるらしい。

 こういう人が将来成功を収めるのだと菜々は無理やり納得した。

 これだけで済めば道三は丁重にお断りしていただろう。しかしそうは行かなかった。

 彼の遠い親戚も菜々を推薦したのだ。父親を殺してしまった跡取りに自首を進めた功績があるからだ。

 

 次郎吉に恩があるため断れなかった菜々は戦慄した。成り行きとは恐ろしい。

 

 昔から事件に巻き込まれてきた菜々だが、初めのうちは力も弱くとても大の大人に勝てる状態ではなかった。

 多少の犠牲は必要である。菜々は躊躇なく周りのものを破壊して身を守った。

 将来少年探偵団がするように本棚を倒して犯人を倒したこともあるし、ちょうど近くにあった威力の小さい爆弾で道路ごと吹っ飛んで難を逃れたこともある。

 その度に弁償しなくてはならなかったのは言うまでもない。

 自営業を営んでいた菜々の父親といえども、そんな金は用意できなかった。

「将来お主は大物になる。これは投資じゃ。返さなくて良い」

 笑って言いながら代わりに金を払ってくれていた次郎吉が、菜々には神に見えた。白澤なんかよりもよっぽど神様っぽいとすら思っている。

 彼の頼みを断るなんてできるわけがなかった。

 

 

 予告日当日。

 菜々はキッドに対して何もしない事に決めた。

 予告の三時間前の午後七時となったが、キッドのライバルである優作や道三の後輩にあたる服部平蔵までいるのだ。次郎吉には悪いが、出された食事を全て制覇する以外にやる事がない。

 菜々はデザートのプリンを頬張りながらこれからどうするかを考えていた。

 そこで原作知識を思い出す。十年後にここで殺人事件が起こるはずだ。

「よくある原作改変でもするか」

 原作で殺人の罪を着せられそうになったが後に自殺していた事が判明した長門秀臣と、犯人だった日向幸の二人には特に幸せになってほしいと菜々は思っていた。

 

 行動を起こすにしても、相手がキッドの可能性があるので倶生神に聞き込みをした結果、キッドが化けているのは執事の武蔵之介だと分かった。これなら特に計画の変更はない。

 まだ口にしていない料理を誰かに奪われないように細心の注意を払いながら瞬時に何を先に食べるかを決め、素早くかつ味わって料理を食べる。菜々にとって食事は戦場だった。

 そんな戦場の中、頭の片隅で二十分間練った計画を菜々は実行に移す事にした。まずは本屋に行かなければならない。

 

 まずは長門家の長女である信子だ。

 彼女は行き遅れるらしいが、原作を読む限り恋人が既婚者だったという理由があった。

「信子さん。出来ることがほとんどない私を、わざわざ夕食にまで招いていただいてありがとうございました。道三さんにもよろしくお伝えください」

 よそ行き用の丁寧な言葉を述べ、菜々はプレゼントである本を差し出した。

 本の題名を見た途端、信子の顔が凍りつく。

 新しい恋を見つけるための十の法則。間違いなくそう書いている。

 怒りのあまり体が震えそうになったところで、信子はもう一冊本がある事に気がついた。

 今度はまともなものかもしれないと少しだけ期待して確認する。

 既婚者の寝取り方法。女子高生が買ったら店員から変な目で見られる事間違いなしの題名だ。

「どこまで知ってるの⁉︎」

 信子が鬼気迫る表情で問い詰めてきたが、めんどくさそうだったので菜々は逃げた。

 

 気を取り直して次は長門康江だ。

 彼女には「いい男を見分ける方法」という本を渡しておいた。

 彼女は姉とは違い、ただひたすらに困惑していた。

 

「喧嘩でも売ってるの?」

「まさか。私は皆幸せになって欲しいだけだよ」

 人気のない廊下で尋ねてきたソラに返す。

 少し歩くと顔を包帯で覆った人物の背中が見えた。長門秀臣で間違いない。

 菜々は彼の前に回り込み、「レッツ自首〜まっさらになって想い人に愛を伝えよう〜」という看板を掲げた。

「十年前の旅館の火事について語り合いましょう!」

 包帯で半分ほど顔が隠れているので表情が分かりずらいが、秀臣の瞳は恐怖をありありと映し出していた。

 

「屋根の上に登る必要なんてあったのか?」

「私は一応キッドから宝石を守るために来てるんです。キッドが逃げてもすぐにわかる場所にいないといけないじゃないですか」

 もちろん建前である。

「馬鹿は高い場所が好きってよく言うよね」

 ソラが呟いたが、菜々は聞こえないふりをした。

 都会なので空に浮かぶ星の光はくすんでいるが、青白い三日月は眩い輝きを放っている。

 最近は涼しくなって来たせいか、菜々の肌は粟立っていた。

「火事の件は自首した方がいいと思いますよ。長門グループの評判を気にしたのかもしれないですけど、ここは米花町なんだし犯罪なんてよくある事です。誰も気にしません」

 しばらく無言が続く。

「これは幸ちゃんのためでもあるんです。ずっと励ましてくれたあなたが犯人だと知ったらどう思うでしょう? 私、年の差がある相手を好きになった人と孤児の人は見逃せないんですよ」

 幸の名前が出て来た事により、秀臣に迷いが生じたようだ。目の動きで分かる。

「なんで彼女の事を知っているんだ? それに君は何者なんだ?」

「後輩だからです。たまたま立ち寄った孤児院で会って、高校で再会しました」

 予想外の答えが返って来たので秀臣は目を見開く。

「昔話でもしましょうか」

 秀臣は話の流れが全く読めない事を指摘しようかとも考えたが、菜々の表情を見てやめた。

 今日初めて会った相手だが、平蔵や次郎吉からの扱いで彼女はいつもアホな事をやっているのだろうと容易に想像がついた。

 それに思い返してみれば、色々とやばい先輩がいると淀んだ目をした幸が話していた。どう考えても彼女のことだ。

 そんな菜々が、やけに大人びた表情をしているのだ。彼女の目は月を映し出しているが、もっと遠くを眺めているのではないかとすら感じる。

「四千年以上前のおとぎ話です」

 

 孤児だからという理由で生贄にされた少年が村人への恨みで鬼になり、地獄のラスボスまで上り詰める話が終わった。

 作り話のはずなのに、語る菜々の声色が妙に生々しかった。

「ここで質問です。もしも男の子が生贄にされず、寿命を全うしたらどうなっていたでしょう」

「……どうもならなかったんじゃないか? 村人は復讐されることも無かったし、地獄が劇的に変わることもなかった」

「では、生贄にされて鬼になるのと天寿を全うするの。どちらの方が幸せだったと思いますか?」

「……」

 秀臣は口を閉ざす。

 遠くから若手刑事の怒鳴り声が聞こえて来たが、二人は気に留めなかった。

「結果は誰にも分かりません。ただ一つ言えるのは、生贄にされたから今があるんです。そして、人として天寿を全うする人生を歩むことは絶対にできません」

「俺も同じだと?」

「そうです」

 火事を起こしたからこそ幸と出会えた。火事を起こさなかった人生の方が幸せだったかもしれないが今となっては分からないことだし、やり直すことはできない。

「割り切っちゃえばいいんですよ」

 秀臣の心は自首に傾いている。しかし、決断できないのは幸と光明の事があるからだ。

 菜々は天秤の「自首」の台にもっと重りを乗せることにした。

「あなたと一緒に火事を起こした光明さんを説得してみてください。駄目だったら警察に売っちゃいましょう」

 親友を売るという提案をしているくせに、菜々はあっけらかんとしていた。

「で、命の恩人が両親を殺した犯人だと幸ちゃんが知った場合についても心配しているんでしょうけど、あの子は大丈夫です。最近では私にチョップ食らわせたりしているくらい強い子です」

 幸は、菜々が暴走しようとした時に対処するメンバーの一員だ。最近試験にパスして正式に入会したらしい。

 また、幸は両親を亡くした事だって吹っ切っている。

 菜々だって幼少期から師匠が慕っていた人間に殺されたり、銃で撃たれたり刀で刺されたり爆発に巻き込まれて生死をさまよったりしている癖にピンピンしている。

 それくらいの強さがないと米花町では生きていけない。

「分かった。光明を説得した後自首する」

 覚悟を決めた秀臣は声を絞り出す。

「じゃあ体を鍛えてからにしましょう! 説得しに行っても口封じのために殺されちゃったら元も子もないですし」

 割と物騒な事を想定しているが、ここは米花町である。警戒するに越したことはない。

 

 

 *

 

 

「有名グループ会長の息子が十年前の火事の原因を作り出したって分かったのに、後ろの方の小さな記事にしかなってないのか」

 菜々は新聞を読みながら呟いた。

 最近別居を始めた腕の立つ弁護士を紹介したおかげなのか、秀臣の裁判結果は結構良かった。

 故意では無かったこと、人を助けている事、自首した事、周りの人のことを考えて言い出せなかった事も判決に関わっているのかもしれない。

「おい、病室で新聞読みながらくつろぐのやめろ。そしてなんで来るんだ? 嫌がらせか? そうだな、嫌がらせだな」

 ベッドに横たわった男が文句を垂れる。

「わざわざお見舞いに来てあげているんですよ。第一、底意地の悪い犯罪者を更生させてあげたいと思うのはあたりまえです。それと私、犯罪者を更生させるのに定評あるので見過ごせないんですよ。ところで慰謝料二千万払ってください」

 菜々はわざとらしくむくれてみせた。孫バカっぽいジジイならたまに騙される事もあるのだが、今回の相手はそうではないらしい。

「またそれか」

 今まで何度慰謝料を要求されたことか。

「だいたいお前、なんでこの場所知ったんだ? 国家規模で隠されているはずなんだが」

 訝しげに菜々を見上げるのは植物状態になっているはずの男だ。

 

 血がにじむ思いで阿笠が柳沢の情報を調べ上げてからというもの、菜々は彼の見舞いと評してネチネチと嫌味を言いに来た。死んだ恋人に十五年間ラブレターを書き続けた「僕」以上にねちっこかった。

 変化が訪れたのは菜々が看護師達と一緒にお茶を飲むような間柄になり、でっち上げた柳沢の過去を病院全体に広めた頃だ。なんと柳沢は話せるようになった。

 ロリコン呼ばわりされたり白澤作の呪いの絵を壁一面に貼られたりしたので文句を言おうとした結果、気力が勝ったらしい。

 重要な器官に埋め込んでいた触手が溶かされたにも関わらず生きながらえた柳沢はゴキブリくらいしぶとかった。ちなみに、彼がゴキブリなら菜々は魔人ブウだ。

 

 菜々が自分がいる場所を知ったのは「コイツだからだ」と柳沢は自分を納得させる。

「で、借金でもあるのか?」

 菜々の反応を見て、柳沢は自分の仮説が確信に変わったのを感じた。

「簡単な事だ。だんだん要求する金額が少なくなって行ったからな。どうせ少しずつ自力で返してるんだろ」

 吐き捨てるように推理を話した柳沢を菜々はまじまじと見つめる。

 あぐりや殺せんせー、元クラスメイト達に対して彼がした事を許したわけではない。

 今でも死後の裁判中にとことんいびってやりたいと思っているし、長い事正座させて痺れた足を突いてやりたいとも思っている。

 しかし、殺せんせーが殺し屋だった事を知っている柳沢は口封じのために問答無用で転生させられるだろう。孤地獄に落とすことができないのは明白だ。

「一番嫌な人生ってどんなんですか?」

「……今以上に嫌な人生なんてあるか」

 自暴自棄にでもなったのか、最近の柳沢はよく喋る。

「それ困るんですけど」

 烏頭あたりに頼んで輪廻の輪を改造してもらい、亡者の転生先を決められるようにして、柳沢の来世をハードモードにする計画が崩れた。

 どうやって復讐しようかと菜々が考えを巡らせている時、柳沢は微かに微笑んだ。

 菜々の話によれば多くの犯罪者が更生しているらしい。

 虫が良すぎるのは百も承知だが、彼らのように胸を張って外を歩ける日が来るのだろうか。

 取り敢えず、病院の奴に歩み寄って見るとするか。心の中で呟いた柳沢は、重度のロリコンで性犯罪を繰り返しているという自身の噂を知らない。

 



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現世視察編
第23話


映画「ベイカー街の亡霊」のネタバレを含みます。


 少年は伸びをしながら、朝日によって徐々に輝き始めた海を眺めていた。

 頭の中に昨日起こった事件が蘇る。

 籏本島に観光に行ったものの定期船に乗り遅れたのが全ての始まりだった。

 運の良い事に籏本グループが貸し切っていた豪華客船に乗せてもらったが、そこで殺人事件が発生したのだ。

「それにしてもあの人、何者なんだ?」

 コナンはとあるウェイターの行動を思い出して考え込む。

 事件が起こっても顔色一つ変えなかった。おまけに人を何人も殺めてきたかのような目をしている。

 証拠など何もないが、コナンは死体を見る彼の表情を思い出すだけで身の毛がよだつ。一体どのような経験をすればあのような雰囲気を出せるのだろう。

 考えれば考えるほど土壺にはまる。気になってろくに眠れず、こうして日の出の時間から船のデッキに出ているくらいだ。

「どうかしました?」

 不意に声をかけられ、コナンは思わず固まった。

 地獄の底から響いてくるような声は今しがた彼が考えていた人物のもので間違いない。

「……加々知さん」

 顔が引きつるのが自分でも分かる。

「随分と早いんですね」

 凶悪な顔に似合わず子供の姿であるコナンにも敬語で話しかけてくる男の手にはライターが握られている。

「タバコ吸ってもいいよ。僕気にしないし」

 子供らしさを心がけながら、できる限り無邪気に声を発する。

「それに僕、加々知さんに聞きたい事あるし」

 急に眼光が鋭くなる。ここが勝負どころだ。

 本能が彼に関わってはいけないと警告を発しているがそれがどうした。この機会を逃せば彼に会う事はないだろう。

 探偵とは真実をとことん追い求めたがるものなのだ。

 

 既に太陽が昇り青くなった空に、タバコの煙が混ざっていく。

 死体を見ても動じなかったのはなぜなのか。多才なのにウェイターのバイトをしているのはなぜか。

 子供だから許される内容の質問ものらりくらりとかわされ、コナンは頭をフル回転させていた。

 相手はかなり頭が回るらしく、こちらが知りたい情報を一切与えてくれない。

「それにしても怖いよね。こんな場所でも人が殺されるなんて」

 世間話をする事によって相手の警戒を解く計画にシフトチェンジする。

「そうですね。しかし、一番怖いのは人の悪意でもやけに事件が起こる米花町でもありません。警戒できない人ですよ」

「え?」

 加々知と名乗る男性が何を言っているのか理解できなかったのか、コナンは間抜けな声を出した。

 

 

 *

 

 

『次のニュースです。またもや異常気象が確認されました』

 食堂のテレビから流れてくるアナウンサーの声。工藤新一がコナンになった証拠だと菜々は判断した。

 今頃、小さくなった名探偵は黒の組織を追いかけているのだろうが、地獄に住んでいる菜々には関係ない。

 

「この前の視察なんですが、今すぐにでも解決しなければならない問題が発覚しました」

 テレビに一番近い椅子に腰掛けた鬼灯が味噌汁を飲みながら淡々と伝える。

「若返っている人間がいました」

 菜々は無言で目を逸らす。

 いつかこうなる事は分かっていたが、忙しくてすっかり頭から抜け落ちていた。現世のニュースを見てやっと思い出したところである。

 面倒なので前から知っていた事は黙っておく事にして、菜々は鬼灯の話に耳を傾けた。

 

 この前の現世視察で江戸川コナンと名乗る少年に会い、彼の倶生神に一連の流れを聞いたらしい。

「盗一さんの裁判で発覚した、不老不死になれるというパンドラを追っている組織について調べていたせいで、米花町の調査がろくに進んでいなかった事も要因の一つでしょう。これからは米花町の視察とパンドラの調査を同時進行で行います。それと、最終的に新一さんを元の体に戻します」

 菜々は思わず胃を抑えた。

 米花町の視察が本格的に行われるという事は、米花町に行かなければならないという事だ。

「で、殺せんせー。勝手に人のご飯をつまみ食いするのやめてくれません?」

 菜々は話の途中から横にいた黄色い生物に話しかける。超生物化しているので、逃げる準備は万端だ。

「今日は弁当が無い日なんですよ」

「お金とか貰ってないんですか?」

「駄菓子に変わりました」

「じゃあ、食べるなら死神さんのにしてください」

 菜々の何気ない一言で殺せんせーと死神の激しい戦いが幕を開けた。

 カツ丼定食を取り合っている師弟の事はお構い無しに、鬼灯は話を続ける。

「調べたところ、新一さんは怪しすぎる格好をした男達の取引現場を見てしまい、口封じのために毒薬を飲まされたようです。しかし、何らかの副作用で体が縮んだ」

「まあ、米花町って裏社会の人間がしょっちゅう来ますしね。中には怪しすぎて逆にコスプレだと思われて職質すらされない人もいるぐらいです」

「分かりました。物を壊さず、皆さんにも危害が加わらないように細心の注意を払って決闘しましょう!」

「僕が勝ってもメリットが無いんだけど⁉︎」

 縮んだ人間についての話が進んでいくうちに、殺せんせー達は面白そうな事を始めようとしていた。

 菜々は野次馬の一人になりたかったが、鬼灯が怖いのでやめておいた。

「もう一つ。本来計画が進められていた、上流階級の人間の視察もしなくてはいけません」

 鬼灯が指を一本立てる。

「初めはボディーガードにでもなろうかと考えていたのですが、調べてみたところ新一さんには財閥令嬢の幼馴染がいるそうです。それ経由で大きなパーティーに何度も出席しているとか」

 さらに、今コナンが住んでいる家の娘も新一と幼馴染。つまりは財閥令嬢である園子とも幼馴染なのだ。

「ほら、これです」

 いつのまにか昼飯を食べ終わっていた鬼灯は立てていた指をテレビに向ける。指差されたテレビ画面は現世のニュースを映していた。

 日本のゲーム会社とアメリカのゲーム会社である「シンドラー・カンパニー」が共同開発したゲームのお披露目パーティーがもうすぐ催されるらしい。

「鈴木財閥もゲーム開発に資金援助したみたいですよ」

 招待された園子が、幼馴染である蘭や彼女が預かっているコナンをパーティーに招く可能性が高い。

「コネでこのパーティーの招待状、手に入れれませんか?」

「やってみます」

 上流階級の視察と江戸川コナンの観察を同時に行えるに越した事はない。菜々は二つ返事で了承した。

 

『次のニュースです。女優の磨瀬榛名さんが同性愛好者だという情報が入りました』

 鬼灯が食器を片付け始めたのでさっさと食べ終わろうと、菜々が茶碗を手に取った時。

 女性のアナウンサーが衝撃的な文章を読み上げた。

 思わず手を止め、テレビを凝視する。いつのまにか殺せんせーも横に待機していたが、そんな事はどうでも良かった。

 テレビに映し出されるのは、今では国際的な女優になっているあかりと、性別は「渚」だと口を揃えて言われていた男性が手を取り合って顔を近づけている写真。

 どう見ても友人同士には見えない雰囲気が写真越しでも伝わってくる。

「なんで同性愛好者?」

「そう言えばあかりちゃんが、渚君と出かけても全くゴシップにならないって不思議がっていたような……」

 人前で手を繋いでも二人きりで旅行に行ってもスキャンダルにならなかった理由が発覚した。

 別のニュースに切り替わったのを見届けて二人は無言で立ち上がる。

「さりげなくE組全員に集合かけます」

「では私は休みをもぎ取って現世に行く準備を始めます」

「いや、仕事してください」

 菜々と殺せんせーが互いの役割を決めていると、低い声が後ろから聞こえて来た。

「鬼灯様⁉︎ 今までいなかったのに! ところで今日の食事代だけでも給料前借りできませんか?」

「そんな事だろうと思って家まで作り置きしてあった食事を取りに行ってました」

 途中から死神の姿も見えなかった事を踏まえると、彼に送って貰ったのだろう。

「食堂のメニューにしてはどうかと定期的に申請しているのですが中々許可が下りないんです。アドバイスも兼ねてどうぞ」

 差し出されたのは、湯気を立てている汁物だった。

 動き回った上に食事を取っていない殺せんせーはすぐに汁物を飲み干した。

「普通に美味しいじゃないですか。食堂に置いてあっても不思議じゃない。ところでこれって何ですか?」

「脳味噌の味噌汁です」

 答えを聞いた瞬間、殺せんせーは喉を抑えた。ショックのせいか、触手生物姿から人型に戻ってしまう。

「じゃあ私、カルマ君達に掛け合ってみますね」

 死にかけのセミのように床でのたうちまわり始めた殺せんせーを菜々は放って置く事にした。

 

 

 *

 

 

 経済産業省を裏で牛耳っていると有名なカルマに頼んだところ、あっさりと了承が出た。

『俺が頼めばコクーン体験者の枠も何個かゲットできるけどどうする? 加藤さんならそのままでも高校生だって押し通せそうだけど。主に胸で』

「この瞬間、私の脳内に存在する痛い目に合わせる奴リストに名前が加わったよ。取り敢えず、一人分確保しておいて」

 政治家となった寺坂や国際的な女優であるあかり、最近ノーベル賞を受賞した奥田に加え、大きなグループのトップ層。さらには巻き込まれた事件で知り合った国の権力者達。

 コネはいくらでもある菜々が真っ先にカルマに連絡したのには理由があった。

「で、ニュース見た?」

『もちろん。問題はどうやって警戒を抱かせずに会うかだよね』

 電話越しに楽しそうな声が聞こえる。E組の赤い悪魔の異名は伊達ではなかった。

 

 渚達をいじる計画をカルマと一通り練った後電話を切った菜々は、その足で桃源郷に向かった。

「白澤さん、体が縮む薬ってありますか?」

 漢方薬局である極楽満月の扉を開けて尋ねると、女性を口説く給食当番のような格好をした男が目に飛び込んでくる。

「付き合うわけじゃないよ。ただ単に遊ぶだけさ」

 口説いて来たわけを尋ねられて正直に答えた白澤。

 何かをひっぱたく音が聞こえたと思ったら、彼の頬に真っ赤な紅葉が浮かび上がっていた。

 大股で出て行った女性を頬をさすって見送りながら、白澤は菜々の問いに答える。

「残念ながらウチではそんな薬取り扱ってないよ。魔女の薬には体が縮む物があるけど、悪用されるのを防ぐために作り置きをしていないんだ。しかも材料が貴重だから、注文してから一年くらい待たないと手に入らない」

 菜々はがっくりと肩を落とす。

 ニュースを見た時から興味があったのだが、どうやら仕事中にコクーンで遊ぶことはできないらしい。

 将来の権力者を観察し、あわよくば死後雇えるような人物を見定める、という建前まで用意した後だったので落胆は大きかった。

「それにしても時が経つのは早いな。菜々ちゃんがあの闇鬼神と結婚してから何年だっけ?」

「私が大学を卒業してすぐだったので、四年ですね」

 白澤から話を振って来たので、サボる口実ができた。

 仕事は殺せんせーにでも押し付けておけばいいだろうと判断して、菜々は勝手に椅子に腰を降ろした。

 

 記者会見で鬼灯が結婚を告げた時は地獄と天界、両方が衝撃のあまり揺れた。

 しかも、相手が閻魔大王第一補佐官の直属の部下になると言うのだがら、一部では根も葉もない噂がまことしやかに囁かれた。

 曰く、高い地位に就いたのは色仕掛けの賜物なのではないかと。

 しかし、「あんな貧相な体と残念な性格で色仕掛けなんかできるわけがない」という意見が圧倒的に多かったため、大した騒ぎにはならなかった。

 

「あの時は大変でした。なぜか私の気持ちを知っていた知り合いからは両想いだった事に驚かれたし、鬼灯さんのファンクラブの人ともぶつかったし」

 菜々は数年前の事を思い出してしみじみと語る。

 

 皆が菜々の気持ちを知っていたのは殺せんせーが言いふらしたせいだ。

 何年も前に、いきなり殺せんせーが店を尋ねて来たと思ったら、紙芝居風に菜々の片思いについて語られたという事件があった。

 そのため白澤と桃太郎は原因を知っていたが、閻魔殿の屋根に黄色いタコが吊るされる事態は避けたかったので、心の奥底にしまって置く事にした。

 

「あの事件か。なんでアイツにそんなにも沢山のファンがいたんだろ? 絶対に僕の方がいいのに」

 頬を膨らませながらぼやく白澤。桃太郎は久し振りに師匠の判断をありがたく思った。これで殺せんせーがやらかした話にはならないだろう。

「理想を抱いていた人と玉の輿狙いが圧倒的に多かったみたいですよ。本性を知っている人は居ることは居ましたけど、全員マゾっ気がありました」

「そういうことか……」

 お茶を注ぎながら桃太郎が半目になる。

 確かに、そっちの気もないのにあの男の性格を含めて好感を持つ女性なんて滅多にいないだろう。

「でもさあ、乗り込んで行った菜々ちゃんも相当だよね。しかも『獄卒なら殺す気でかかって来ればいいじゃないですか!』なんて叫ぶなんて」

 少し歩けば殺意に巡り合う米花町で何年も過ごし、担任を暗殺する体験までしていた菜々にとって、それが当たり前になっていた。

 菜々の行動に言い表せない恐れを抱いた女性獄卒との仲は良いとは言えないが悪いとも言えないものとなっている。

「それ言ったら結婚式も相当ですよ。三々九度の酒が脳みそ汁に変えられてたし」

 桃太郎は過去を思い出し、この二人はある意味お似合いなのかもしれないと考え出した。

 結局悪霊が逃亡したらしく結婚式が中止され、主役の二人が走り去って行った時はど肝を抜かれた事も思い出す。

 プロポーズが昇進を告げられたついでに行われたらしく、「今度こそはまともに進むと思ったのに……」と呟きながら涙を流す殺せんせーが印象的だった。

 

 

 *

 

 

 サボっていたことがバレないギリギリのラインを見極めて帰還した菜々は、無事にパーティーに潜り込めることを鬼灯に報告した。

「ここで閻魔大王に報告しないあたり、君が地獄という組織のあり方についてどう考えているかがよく分かるよね……」

 地位的には菜々の同僚である死神が花を花瓶に生けながら口を挟んでくる。

「コクーンの体験ですか。未来の権力者の観察ができますし、将来有望な子供がいたらさり気なく勧誘ができるのでできれば誰かに参加して欲しいですね。唐瓜さんとか」

「唐瓜君には厳しいと思いますよ」

 サボっていた間に溜まっていた書類を整理しながら菜々は答えた。

「調べてみたらコクーンに優作さんも関わっていました。パーティーにも出るみたいですし、十中八九事件が起きます」

 少しでも違和感を感じたら相手のことはおかまいなしに調べてくるのが工藤家の人間だ。下手したらずっと腹の中を探られる事態になりかねない。

 さらに言うと、今ではコナンと名乗っている高校生探偵もコクーンの体験をする可能性が高い。

 彼にバーチャル世界で鉢合わせてしまった上に興味を持たれでもしたら面倒なことになる。

 相手は地獄の鬼だとは露ほども思わないだろう。変な勘違いをされて警戒されたら胃薬がいくらあっても足りない。

 工藤家の人間に関わるにはかなりの精神力がいるのである。

「私達行きたい」

「人を見るの、得意だよ」

 天井を走って法廷までやってきた座敷童子達が、鬼灯の顔を見上げて提案する。

「菜々さん、コクーン体験者を増やしてもらえるよう頼んでください」

「分かりました。そういうわけなので、私の分の仕事は殺せんせーがやっといてください」

「どういうわけですか⁉︎」

 閻魔と一緒に饅頭を食べていた殺せんせーが不満ありげな声をあげたが、菜々は気にしなかった。

「妖怪にもコクーンって使えるのかな……」

「人間っぽいし大丈夫なんじゃないですかね?」

 とっくの昔に和解し終えている師弟の会話を聞き流しながら、菜々は携帯電話を手に取った。

 

 

 *

 

 

 ゲーム発表会の会場の入り口付近には多くのマスコミが押しかけていた。

 日本のトップに君臨する権力者達が一堂に集まる事も考えると、このパーティーの規模がどれほど大きいのかよく分かる。

 金属探知機のゲートに引っかかり、昔阿笠に作ってもらった武器を半分くらい没収されてしまって菜々はしょげていたが、豪華な料理を見た瞬間顔つきが変わった。

 ワンピースの下に短パンという出で立ちで来たのでいくらでも食べられる。

「ちょっと知り合いに挨拶してきます」

「いや、どう考えても食事を全制覇するつもりですよね」

 鬼灯に突っ込まれたが、菜々は聞かなかったことにした。赤髪の男の元に向かう途中に座敷童子から冷たい視線を送られても気にしなかった。

 

 

 自然に集まった元E組メンバーが話していると、少年達がサッカーを始めた。

「あんな子供達が未来の日本を背負って立つのか……。寺坂、出世して俺に操られてよ。それしか日本を救う手はない」

「うっせー!」

 高級なスーツに身を包んだ寺坂は肩に回された手を払い退けたが、満更でもなさそうだった。

「奥田さん、なんかいたずらグッズ持ってない?」

「おい、彼らは権力者の血縁者だ。下手な真似はしないほうがいい」

 今度は嫌がらせをしようと奥田に道具を求めるが烏間に止められる。イリーナも肯定するかのように頷いたので、カルマは拗ねたような目をした。

「じゃあ、わざとこっちに失礼な態度をとらせるように仕向けた後で、保護者が皆を認めている事が分かるように仕向けてみる? あかりちゃんとノーベル賞を取った愛美ちゃんは有名だから除くけど」

 カルマは経済産業省の赤い悪魔と呼ばれるほどの手腕だし、寺坂も衆議院議員として結果を残している。イリーナは数々の成果をあげているし、烏間に至っては伝説をいくつも生み出している。

 皆が賛成したので誰が出ていくかを話し合っていたが、三十代後半くらいの男が先に叱っていた。

 

『皆さま、ステージにご注目ください。ただ今コクーンのゲーム・ステージのためにアイディアを提供していただいた工藤優作先生がアメリカからご到着です!』

 司会が話し始めたので、皆がステージに注目する。

「ごめん。私もうすぐ行かないと! 特別ゲストとしていくつか質問に答えないといけなくて……」

「あー、正式に婚約発表したばかりだもんね」

 あかりが小走りで舞台に向かったのを見届けてから、菜々は再び皿に注目した。彼女には発表会よりも料理のほうが大事だった。

 

 コクーンとは大きな卵のような形の機械に入って行うゲームだ。そのカプセルは人間の五感を司り、触角も匂いも痛みも全て現実のような世界に行くことができるらしい。

『さらに、体に害はありません』

 会場が静まり返っているせいか司会の説明がよく聞こえる。

 座敷童子はちゃんとコクーンが使えるのだろうかと菜々は一瞬不安になったが深く考えないことにした。この世界は別の世界から見ると漫画の世界なのだし多分大丈夫だろう。

 決して小太りの少年が凄い勢いで食事をしているので、こっちもペースを上げるためとかそういうわけではない。

 

 優作が取材を受けている頃、烏間がカルマを止めなかったら一生物のトラウマを植えつけられていたかもしれない少年達がまたもやサッカーを始めた。

 その過程で、髪が逆立った赤いスーツを着ている少年がブロンズ像にボールをぶつけ、像が持っていたナイフを落としてしまう。

「秀樹、ここにボールを当てるのはやめなさい」

 立派なヒゲを蓄えた男性が軽く注意をする。

「はーい」

 秀樹と呼ばれた少年はナイフを元に戻した後、取り巻きの一人に「どうせ安物の像だ」とかのたまっていた。

 

「注意するのそこじゃないだろ……」

「カエルの子はカエル……」

「やっぱり一度痛い目にあわせたほうがいいんじゃ……」

「地獄は実力がある人がトップに立ってるよ! この書類にサインしてくれれば死後安泰! すぐに終わるから」

 元E組も聞こえてきた会話にあきれ返る。一人変なことを言っている奴がいるが、例のごとく無視された。

「でもあの会話で分かった。あの子多分ヒゲじじ……警視副総監の孫だよ」

 書類を無理やり押し付けた後、菜々がブロンズ像を眺めていた男の一人を確認して言い放つ。手にはしっかりとチキンが握られていた。

「後で白馬警視総監に言いつけとく」

「前から思っていたんだが、加藤さんの人脈はどうなっているんだ? 君らと会う前、警視庁の人間と一緒に事件に巻き込まれたことがあったが、ほとんどの人間が加藤さんの存在を知っていたぞ」

 

 珍しいことに警視庁の上層部の人間と烏間の上司が旧知の仲だったので、合同訓練でもしようかという話になったらしい。

 しかし集まったのが米花町だったため、集まったビルに爆弾が仕掛けられていた。

 呼ばれた爆弾処理班がその場で爆弾を解体し始めたのでビルから離れ、やたらと対抗心をむき出しにしてくる鷹岡を適当にあしらっていた時。

 烏間の耳に警察関係者の会話が聞こえてきた。

『そういえば、またあの子事件に巻き込まれたらしいぞ。しかも国家が関わっている』

『またか。それにしても大丈夫か? 知ってはならない事を知ってしまったら暗殺とかされるんじゃ……』

『大丈夫だ。前にもそんな事があったが、殺し屋を捕まえてきた。本人はたまたま近くの鉄骨が倒れてきただけだと言っていたが』

『あの子が危険な時に物が倒れたりポスターガイスト現象が起こったりする事多いよな』

『でも今回は殺し屋と仲良くなって連絡先を交換したらしいぜ』

『まあ、菜々ちゃんだしな』

 烏間は耳を疑った。彼らの話し方からすると「菜々」はまだ子供。

 そんな人間がいるのなら是非とも将来部下に欲しい。

 烏間は「菜々」の情報を得るべく、再び耳を傾けた。

 結局得た情報といえば少女の伯父が刑事である事だけだった。非常に優秀だそうで大学を出たキャリア組だったらと惜しまれているらしい。

 さらに、瞳が緑色だが米花町ではよくある事なので誰からも突っ込まれていない刑事――山田から毎回事件のあらましを聞いて、事件の真相にたどり着く事があるらしい。

 一般人、しかも子供に事件の内容をペラペラと話すのはどうなのかと疑問を抱いた烏間だったが、すぐに疑問を捨てた。

 米花町は事件の発生率が異常で、世界各国から集まった裏社内の人間がよく目撃されるのだ。

 子供といえど何が起こったのか把握しておかないと殺されるかもしれない。事件に関わってしまったのならなおさらだ。それが米花町である。

 そこまで考えて、烏間はその場を離れることにした。

 加藤菜々は地球外生命体ではないかという仮説が生まれ、刑事達が議論し始めたのでこれ以上有力な情報を得ることはできないと判断したのだ。

 

 昔何が起こったのかを一通り聞いて刑事達に殺意を覚えた後、菜々はローストビーフを飲み込んだ。

 ステージではあかりが婚約者について質問を受けているが、顔を赤くしているものの上手いことはぐらかしている。

「裏社会の人間から権力者まで知り合いがいますけど、やっぱり事件を通して知りあった人が多いです。あ、優作さん経由の知り合いも結構いますよ」

 そう言い終えた時、菜々と優作の視線がたまたま交わった。面倒な事になる予感がしたので菜々は目を逸らした。

 

「すみません、通してください!」

 黄土色のスーツを着たガタイの良い男性が、サインを貰おうと優作の周りを囲んでいたファンの間を縫って優作に近づく。

 男が小声で何かを伝えると優作は目の色を変えた。

「樫村が⁉︎ 案内してください!」

 先程サッカーをしていた少年達を叱った男の名前が聞こえる。

 菜々が殺人だろうとあたりをつけたのと腕を掴まれたのは同時だった。

「優作さん⁉︎ 何するんですか⁉︎」

「ちょっと来てくれ」

 菜々は助けを求めて元クラスメイトと教師を見るが、慌てたり面白そうに笑ったりため息をついたりしているだけで、誰も助けてくれなかった。

 

「樫村‼︎」

「なんで私まで来ないといけないんですか⁉︎ やっと全種類の食事を食べ終わったから二周目に行こうと思ってたのに!」

「君は結構頭が切れるからな。だいたい君の胃袋はどうなってるんだ!」

「無料のものは別腹なんですよ!」

 優作は分かるとして、なぜか居る菜々に皆が目を点にする。

「樫村さんとは長い付き合いだと聞きました。彼に恨みを持つ者に心当たりはありませんか?」

「目暮警部! 部外者がいますがいいんですか?」

 制服姿の警官が尋ねる。今まで散々部外者が事件に関わって来たはずだが、指摘しても無駄なので菜々は口を挟まなかった。

「警視庁だけに止まらず、刑事の間で語り告げられている伝説の一般人と言えば分かるかね?」

 重々しい雰囲気で目暮が告げると、白鳥を含めた刑事達は驚愕する。

「まさかあの……⁉︎」

「実は地球外生命体だという……」

「怪しげな武器を使用してエイリアンと戦った中学生ですか⁉︎」

「過去に刑事達を破滅寸前まで追い込んだ事があるって本当ですか⁉︎」

「私って刑事さん達になんて言われてるんですか⁉︎」

 菜々は根も葉もない噂に思わず突っ込んだ。

「相当尾ひれがついてるな。確かに近所の発明家に武器を作ってもらっていたし、地球外生命体ではないかと囁かれていたが……」

 目暮が神妙に呟く。

「だが、刑事達を破滅寸前まで追い込んだ事があるって話は本当だ。警部殿に助けられたから良かったものの、俺もヤバかった」

 小五郎は過去を思い出して顔色を悪くする。

 刑事達の間で行われた「菜々はいつ結婚できるのか」という賭け。

 お情けで「いつかは結婚できる」に賭けた目暮以外は「結婚できない」やそれと似たような内容に大金を賭けた。

 小五郎も同じで、目暮が賭けを辞退してくれなかったら路頭に迷っていただろう。

「全く身に覚えがないですよ⁉︎」

 菜々は思わず反論した。小学生の頃は羽目を外していたが、子供だから許されるラインを見極めていたし、人様に迷惑をかけるような事をした覚えはあまりない。

 

「一緒ではないのですか? あのメガネの少年と」

 無実を訴える菜々をなんとかしようと思ったのか優作が小五郎に尋ねる。菜々と口論を始めていた小五郎は優作の問いで我に帰ったらしく、気まずそうな顔をしながら答えた。

「ああ、コナンですか? さっきまでここに居たんですが、キーボードのダイイングメッセージを見た後血相を変えて……」

 優作は小五郎の言った通り、キーボードのダイイングメッセージを確認する。

「JTR⁉︎」

 被害者のものであろう血が付着したキーの文字を並び替え、優作は驚きをあらわにした。

「なんじゃと⁉︎ まさかコナン君、わしのお土産を使ったんじゃ⁉︎」

 阿笠の反応で、菜々は何が起こったのかを理解した。

「ジャック・ザ・リッパー⁉︎ ゲームの中にヒントがある⁉︎」

「そうだがなぜ君はそんな事を知ってるんだい? ゲームの内容は外部に漏らしてないはずだが」

「阿笠博士とメガネの男の子――おそらくコナン君との会話を聞いたんですよ」

 優作は納得したが、目暮と小五郎は雷に打たれたような顔をしていた。

「そういえばあの子、東都大学と肩を並べる東杏大学に現役で合格したんだった……」

「そうか。菜々ちゃんって頭いいのか。いつもの行動のせいですっかり忘れていた……」

 

 今回行われるコクーンの体験では五つのゲームを行うことができる。

 そのうちの一つが一九世紀のロンドンに行って謎を解くと言うものらしい。

 一方、ジャック・ザ・リッパーとは一九世紀末に実際に存在した殺人鬼で、五人の女性をナイフで殺害したが結局捕まることはなかった。

 この二つの情報とダイイングメッセージ。ホームズと一緒にジャック・ザ・リッパーを追うゲームがある事は容易に想像がついた。

 

「あの、そろそろ私、戻っていいですか?」

 ゲームを中止してもらうよう頼みに行こうと目暮と白鳥が話し合っているところに菜々が声をかける。

「一緒に来ている人も居ますし、その中にゲームをする予定の子も居て……」

「そうか。子供を預かってるのか。戻っていいぞ」

 目暮の返答に菜々は疑問を覚えた。

「私の子供だとは思わないんですか?」

「だって菜々ちゃんだしな」

「そうですね。第一女かどうかも怪しいのに」

 目暮と小五郎を一発ぐらい殴りたくなったが、菜々は一刻も早く鬼灯達と合流したかったので何も言わなかった。

 

 

 *

 

 

『我が名はノアズ・アーク』

 鬼灯から、座敷童子達がすでにコクーンに乗ってしまったと菜々が教えられた時、声が会場内に響き渡った。

 何事だとどよめきが起こると、鬼灯の携帯が震える。

『鬼灯様! 地獄から電話がかかってきています。緊急のようです!』

 携帯画面に律が映る。焦っている事を表しているのか、顔には汗が浮かんでいた。

 殺意渦巻く教室を卒業してから何年も経った今、この人工知能はより一層表情豊かになっている。

「繋いでください」

 ノアズ・アークと名乗る声が、シミュレーションゲーム「コクーン」を占領したと伝えたため騒ぎ声は大きくなっており、鬼灯が携帯に向かって話している事を気に止める者はいなかった。

『もしもし! ヒロキです!』

 地獄に繋がった電話越しに幼い声が聞こえてくる。

 鬼灯と菜々は隅に移動することにした。

 

 ヒロキとは、二年前に地獄に来た十歳の少年だ。死因は自殺。

 自分の命を粗末にするという罪を犯しているが状況が状況だったしまだ幼いので、裁判を受けるまでもなく賽の河原に行かせてはどうかという意見が有力だった。

 しかし、一部の重役は違った。

 彼はいわゆる天才少年で、十歳の時にはマセチューセッツ工科大学に通う大学院生だった。

 しかも、皮膚の血液のデータからその人の祖先を突き止めることができるようにしたり、一年で人間の五歳分成長する人工知能を作ったりしている。

 そんな天才である。ぜひ技術課に欲しいと鬼灯達が考えるのは明白だった。

 

『烏頭さんと一緒にシャア専用ザクⅡを作っていた時、座敷童子ちゃん達があなた達と一緒に現世に行ってコクーンをプレーするって聞いたんです。今すぐやめてください!』

「ちょっと待ってください。なんでそんな物作ってるんですか?」

 鬼灯の眉間のシワが深くなる。菜々はさり気なく逃げ出そうとしたが、がっしりと腕を掴まれてしまった。

『閻魔大王第一補佐官の直属の部下の方々全員から許可をいただいたんです。確か、あの人達全員の許可をもらえば閻魔大王に申請できるんですよね?』

 それに該当するのは殺せんせー、死神、菜々の三人である。

「赤いし大きいしツノあるしいいじゃないですか! あれはどう見ても鬼ですよ!」

「ダメに決まっているでしょう!」

『あの、本当に緊急なんです! 死神さんを買収した殺せんせー達を叱るのは後でいいじゃないですか!』

「ヒロキ君、言わないでよ!」

 割と大声で騒いでいるが、ノアズ・アークが日本をリセットするつもりである事が発覚したばかりなので、誰も気に留めていない。

『裁判を受けなかったし、生前にやった事なので言わなくていいと思ってたんですけど、まさかこんな事になるなんて! 僕は自殺する直前、作った人工知能をネットに逃しました。名をノアズ・アークと言います』

「ああ、なんか今ゲームを乗っ取ったみたいですね」

『遅かったか!』

 ヒロキは歯ぎしりをする。しかし、悔しがっている暇はないと思い直した。

『僕は、金目当てではあるものの僕の面倒を見てくれたシンドラー社長がジャック・ザ・リッパーの子孫だと知ってしまい、命を狙われました』

「そういえばそんな事が、あなたの逝き先を決める会議で使用された資料に書いてありました」

 割と重要な事がさらっと暴露される。

 シンドラーといえばIT企業の大物であり、今ではシリコンバレーを牛耳っている浅野の最大のライバルだ。

 また、コクーンは日本の企業と彼の会社が共同開発したため、この会場にもいる。

 先程起こった殺人事件の犯人はシンドラーだと菜々は確信した。同時に、これは劇場版である事にも気がつく。

 映画ではしばらく引っ張っていたであろう真実が簡単に分かってしまったが、菜々は気を取り直して鬼灯の耳と携帯電話の間から漏れてくるヒロキの声に集中した。

『子供は親の背中を見て育つ。汚れた政治家の子供は汚れた政治家になるし、金儲けしか考えていない医者の子供は金儲けしか考えない医者になります。僕は一度日本をリセットするべきだと思いました。権力者の子供が一堂に集まるコクーンの発表会を僕が作った人工知脳――ノアズ・アークに乗っ取ってもらい、試練を出す。子供達を殺す気はありません。ただ、試練を通して自分達が当たり前だと思っていた事は間違っていたのだと気がついてくれればそれでいい。しかし、万が一という事があります』

「なんか、映画を見る前にオチだけ聞いたような気分……」

 菜々は呟いた。序盤で知ってしまってはいけない内容のような気がする。

「大丈夫です。一子とニ子はちゃんとノアズ・アークを勧誘してきてくれるはずです!」

『そこ⁉︎』

 鬼灯の答えにヒロキは思わず突っ込んだ。



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第24話

 体感シミュレーションゲームであるコクーンのお披露目パーティーは、日本の権力者達が一堂に集まる豪華なものだ。

 しかし、照明が落とされたコクーンが設置された部屋には不穏な空気が流れている。

 ノアズ・アークと名乗る声が、コクーンの体験者に選ばれた権力者の血縁者の子供達に命懸けのゲームを行ってもらうと告げたからだ。

 お迎え課に菜々が連絡し終わった頃、会場が騒がしくなり始めた。

 ノアズ・アークがゲーム内の音声を聞こえるようにしてくれたため、子供が脱落してしまった事を知った親が悲痛な声をあげている。

 会場を見渡してみると、顔がこわばった者がほとんどだと分かる。

 平静を保っているのは、いざとなったら律がなんとかしてくれると知っている菜々達だけだ。

 妻と思われる女性に叩かれて笑っている男性のような物体をつけたメガネもいるが、あれは平静を保っているとは言えないだろう。メガネの付属品に手を挙げている女性が学生時代のバイト先の店長だと気がついたが、菜々はスルーする事にした。

 

「そういや、寺坂の元上司の孫もコクーン体験者だよね」

「ああ、小百合か。あいつなら大丈夫だろ」

 全てのステージの声が聞こえてくる中、会場の端に移動しているカルマと寺坂は知り合いの少女の声を聴き分けようとした。

 意識を研ぎ澄ましたところで横槍が入ってくる。

「すみません、その子の事詳しく教えてもらって良いですか?」

 普段よりも数段目つきが悪い鬼灯だ。自分で切っているせいで少し長めの髪はオールバックにされており、真っ黒なスーツを身にまとっている。第一印象は裏社会の人間だった。

「そういや加々知さん、すごい眠たそうだけどどうしたの?」

「一時的に人間っぽくなれる薬の副作用です。眠くなる成分が入っていないやつはあることはあるんですが一時間分で四十万で……」

「ふーん」

 

「でも、菜々は眠そうじゃなかったじゃない。私と会った時は既に鬼だったんでしょ?」

 カルマと寺坂が小百合という少女について鬼灯に説明している横で、イリーナが菜々に尋ねる。

 一つに束ねられた金髪と体のラインが分かる真っ赤なドレスがよく似合っていた。とても二桁の娘がいるようには見えない。

「あの時は稲荷の狐に化かして貰ってたんですよ。地獄としては私なんかにわざわざ高い薬代を払うメリットが特になかったので、本来なら地獄に移り住まなくちゃいけなかったんです」

「なるほど。まだ子供だったから強くは言われなかったけど、大したメリットもないのにバカ高い薬代は出してもらえなかったと」

「はい。だから解決策として狐の化かしを使わして貰ったんです。理由は他にも色々ありましたけど」

「今ではちゃんと仕事で現世に来てるから薬を使ってるのね。でも、狐に化かしてもらった方が楽なんじゃない?」

「でもその狐、かなり偉いんですよ。毎回崇めてお供え物を用意する必要がありました」

 実際は、無理な頼みをする時に土下座をし、賄賂の高級ケーキを渡していただけだ。

 ただ空狐であるソラが偉いのは本当で、妖力は妖狐の中で最上位でありその気になれば何百年と続く祟りだって起こせるらしい。

「でも、どうせアンタの事だからぞんざいに扱ってたんでしょ」

 菜々は笑ってごまかした。

 

 

 *

 

 

 (まゆ)のような形をしたコクーンに入って目をつぶった座敷童子達が次に目にしたのは、五つの分かれ道と自分達と同じコクーン体験者、先に広がる闇だった。

 あぐりが善意でくれた洋服の着用を断り、駄々をこねてまで服を買いに連れて行ってもらった甲斐があって彼女達は普通の洋服を着ている。

 一子は小さなリボンがついた真っ白なワンピースの上に灰色のパーカーを羽織っており、スパッツを履いている。一方、二子は黒と白のボーダーシャツに胸当てとサスペンダーの付いた短いズボン。黒いニーハイソックスを履いている。

 共通しているのは動きやすさ重視のスニーカーを履いていることと、小さなリュックサックを背負っている事だ。

 

『今から五つのステージのデモ映像を流すから、自分が遊びたいと思う世界を選んで欲しい』

 コナンが、彼を心配して園子から参加券を譲ってもらった蘭と、交渉によって参加バッジを手に入れた少年探偵団と落ち合った時。ノアズ・アークと名乗る声が説明を始めた。

 これから始まるゲームへの期待で輝いていた子供達の顔は、次の言葉を聞いて凍りつく。

『でも一つだけ注意しておくよ。これは単純なゲームじゃない。君達の命がかかったゲームなんだ』

 

 全員がゲームオーバーになるとプレイヤーは特殊な電磁波を流され、頭を破壊されるらしい。

 情報を脳で処理し切れていないのか、呆然と立ちすくむ子供達のことはお構いなしにノアズ・アークはステージの説明を始めた。

 七つの海に繰り出して数々の冒険に挑戦する「ヴァイキング」。

 カーレースで優勝を目指す「パリ・ダガール・ラリー」。

 優れた武器や防具を手に入れて殺し合いをする「コロセウム」。

 トレジャーハンターになって宝を探す「ソロモンの秘宝」。

 ジャック・ザ・リッパーを捕まえる「オールドタイム・ロンドン」。

 

 デモ映像が終わると、水面に石を投げ込んで波紋が広がるように子供達が反応を示し始めた。不平不満を垂れる者、助けてくれと泣く者。

「皆元気を出して! 勝負する前から諦めちゃダメ!」

「そうだよ! たった一人ゴールにたどり着けばいいんだから。これから自分が生き残れそうなステージを選んで!」

 状況適応力が高い蘭とコナンが真っ先に指示を出す。伊達に米花町で十七年間も生き抜いてきたわけではないらしい。

「どうする?」

「第一優先が江戸川コナンの観察なんだから、あの子が選んだステージを選ぶべき」

「うん。そうだね」

「おい! これは私の意見だけど、オールドタイム・ロンドンを選ぶべきだと思う。あのステージが最も危険性が低い!」

 小声でヒソヒソと話し合っていた座敷童子に声をかけた少女がいた。

 硬質で黒い髪は肩までの長さで、今回のために無理やり整えられたのだろうが本人の手でグチャグチャにされてしまう。

「悪い。いつも通りじゃないと落ち着かなくて……」

 長ズボンのポケットからとりだしたゴムで今さっきグチャクチャにした髪を適当に一つに縛りながら少女は話し続ける。

「私は小百合って言うんだ! 二人とも迷っているように見えたからつい……」

 ニカッと笑い、手を差し出してくる小百合。

 釣り上がり気味の彼女の目を見てから、座敷童子達は順番に差し出された手を握った。

「私、一子」

「私は二子」

 コナンがオールドタイム・ロンドンを選んだのをさりげなく確認してから、座敷童子は自分達も最後のステージを選ぶと告げた。

 

 

 ステージの名前が書かれている岩で作られた門の前に三人が行くと、他の者は既に到着していた。

 少年探偵団達と蘭以外にも参加者がいるようだ。

「これはこれは小百合さん、お久しぶりです」

 ナヨっとした印象を受ける少年が、小百合に(うやうや)しく頭を下げる。彼の名前は菊川清一郎。狂言師の息子だ。諸星の取り巻きの一人でもあり、先程会場でサッカーをしていた。

 小百合は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「政治家の孫だからってそんな事されるの嫌いなんだけど……」

「え⁉︎」

「小百合ちゃんって政治家の孫なの⁉︎」

 一子と二子が反応したが、小百合は嫌そうな顔を隠せなかった。普通に接してくれていた相手でも、祖父の職業を知ると急に距離を置いてくることがよくある。率直な感想はまたか、だった。

 しかし、二人の反応は小百合の予想の斜め上を行った。

「だったら将来は政治家?」

「おじいさんのコネで高い役職について、ゆくゆくは影で日本を操ってよ」

「「そして社畜ばかりの日本をどうにかして欲しい」」

「は?」

 小百合は間抜けな声を出した。

「私の保護者達も仕事が大変なの」

「文字が3Dに見えちゃう人もいるし、上司を叩いて仕事させてる人もいるの」

「ガンダム作ろうとする大人やストーカーっぽい事やってるタコもいるけど、基本的には皆良い人なの」

「だからちゃんと休んで欲しい」

「やばい奴らの集まりじゃねーか」

 無表情で語っている座敷童子に小百合は思わず突っ込んだ。

 

 諸星とその取り巻き達は顔色を悪くする。

 ずっと周りが守ってくれていたのでやばい大人の対処法を知らないのだろう。しかし、彼らで無くとも恐怖を覚えるのは当然とも言える。現に、歩美達小学一年生もなんとも言えない顔をしている。

 

 一方、コナンは考え込んでいた。

 一子、二子と適当すぎる名前を聞いた時からどこか彼女達に既視感を覚えていたのだ。

 その理由がやっと分かった。この前出会った加々知鬼灯と名乗った男性と彼女達がどことなく似ているのだ。

 それに、先程彼女達が語った保護者の仕事も気になる。

 ブラック企業に勤めていることは間違いないが、ガンダムを作ろうとしたりタコがいたりと理解できない内容も多い。

 ストーカーっぽいタコとは人体実験の被害者で、組織から逃げるために情報を集めているのでははないか。現実味のない予測が思い浮かぶ。

 だとすると彼女達は何なのか。

 親がいないかのような発言、保護者が二人以上いるであろう発言。大きな組織で養われている可能性が高い。

 ガンダムを作ろうとしていると言っていたが、それは幼い子供達に対する嘘で本当は兵器などの危険物の可能性も十分ある。

 

「……灰原」

「ええ。分かってるわ」

 双子の少女には十分警戒すべきだ。短いやり取りでそう伝える。

 

 加々知鬼灯と双子の少女の共通点である、表情の乏しい顔と恐怖すら覚える真っ暗な瞳。

 彼らは黒ずくめの組織と何か関係があるのではないか。コナンは結論にたどり着き、目を見開いた。

 気になって加々知にたくさんの質問をぶつけた朝(もっと前かもしれないが)彼は違和感を感じたのだろう。

 そこでコナンについて調べた。もしかしたら工藤新一に辿り着いているかもしれない。

 一つ言えるのは、加々知は組織の人間に「江戸川コナン=工藤新一」だと伝えていないという事だ。

 まだ組織からそれらしい探りを入れられていないためそれは間違いない。

 

 コナンは座敷童子を盗み見る。

 彼女達は組織の実験に利用されているのだろう。もしかしたら人体実験の被害者かもしれない。

 表情の乏しいのは、過酷な環境で生きていく上で表情筋が仕事をしなくなったから。

 ここまで考えて、もしかして加々知も人体実験の被害者ではないかとコナンは思いついた。

 

 モルモットだったが、才能を見込まれて組織の仕事をするようになった。

 同じ境遇のため人体実験の被害者である子供達に慕われており、江戸川コナンの観察に協力してもらっているのだ。

 コナンの頭の中ではありもしない男の壮大な人生が構成されていた。菜々に昔から変な事を刷り込まれてきた結果かもしれないし、思春期特有の反応なのかもしれない。

 

「ちょっと江戸川君、大丈夫⁉︎」

「必ず尻尾を掴んで、元の体を取り戻してやる! おっと、今はゲームのクリアと殺人事件のヒントを探さないといけないんだった」

 灰原の声を聞いていないのか、コナンはブツブツと独り言を言っていた。彼の中では「鬼灯=黒の組織の人間」「座敷童子=黒の組織によってなんらかの実験をされている子供」という式が出来上がっていた。

 

 

 *

 

 

 いきなり光り始めたゲートをくぐると、レンガ造りの家が並ぶ街に出た。ゲームの中に入ったのだと実感できる。

「なんか空気も汚れているみたい」

「臭いもするぞ」

 嗅覚もゲームに支配されるというのは本当らしい。少年探偵団が疑問をこぼすとコナンが、ロンドンの霧とはスモッグの事だと答える。

「へー。こんな時代からスモッグってあったんだ」

 小学一年生が当たり前のようにスモッグという言葉を使っていることに座敷童子は戦慄した。これが米花町クオリティー。

 だべりながら歩いていると、遠くから耳をつんざくような女性の叫び声が聞こえてきた。

「ジャック・ザ・リッパー!」

「おい! 単独行動は危険だ!」

 一人で駆け出したコナンに小百合が声をかけるが、彼は足を止めなかった。

 

 慌てて追いかけた皆が真っ先に目にしたのは足を抑えて痛がっているコナンだった。

「阿笠博士の発明品もゲームの中では使えないってことね」

 数メートル先に落ちている空き缶と、もはや姿が見えなくなったジャック・ザ・リッパーから灰原は結論を出す。

「ああ、このメガネもアンテナは伸びるけどただのメガネで、この時計もただの時計ってわけだ」

 武器を常に持っている事をあっさりと認めたコナンに突っ込むことはせず、座敷童子はリュックに入れていた、菜々に渡された武器を一つ一つ確認し始める。

「これも使えない」

「これもダメだ」

「なんでそんなにも危険物持ってんだ?」

 小百合の質問には答えずにチェックを終えた座敷童子は一度外に出した持ち物をしまう。それが終わり、二人がリュックを背負った時には一度移動しようという話になっていた。

 

 目の前を歩いている小百合の首筋に、一子はボールペンの形をしたものを当てる。

「駄目だ。このスタンガンも使えない」

「私で試すな!」

「小百合ちゃんなら使えたとしても大丈夫かなって」

 無表情で笑う座敷童子達。

「昔聞いたことがある。たしかあれは博士の発明品だ!」

「え?」

 小声で呟いたコナンに灰原が聞き返す。

「なんであの子達がそんな物持ってるの?」

「……さあな。博士って変な知り合いが多いから多分知り合いの知り合いとかだろ」

 もしかしたら阿笠がそうとは知らずに黒ずくめの組織に発明品を売っているのかもしれないとコナンは思ったが灰原には言わないことにした。座敷童子や加々知の正体の予想も伝えていない。下手な心配はかけたくないという彼なりの気遣いだった。

 

「ったく。犯人を捕まえろったってどこを探しゃいいんだよ!」

 橋で休憩していると諸星秀樹が文句を垂れる。

 コナン、光彦、元太が薄着だった歩美、灰原、蘭に上着を貸した時、阿笠の声が聞こえてきた。通信に成功したのだろう。

『よく聞くんじゃ! そのステージでは傷を負ったり敵や警官に捕まるとゲームオーバーになるぞ‼︎』

「他のステージにも連絡とってるのかな?」

「取ってないんだったら明らかにこのステージにいる誰かに肩入れしてるよね」

 座敷童子の話し声に、阿笠は一瞬言葉を詰まらせたがすぐに話し始める。

『今君達がいる場所はイーストエンドのホワイトチャペル地区じゃ! そこからお助けキャラがいるベーカー・ストリートまではーー』

 急に声が聞こえなくなり子供達が問いかけた瞬間、橋が壊れ始めた。

 

 一目散に駆け出すが、走るのが遅かったのか菊川清一郎が落ち始める。

 とっさにコナンが左腕を掴み、小百合が右腕を掴んだ。

「つかまって!」

 菊川の腕を掴んだ二人を皆が支えて、なんとか菊川を引っ張り上げる。

 ただ傍観するだけだった警視副総監の孫である諸星秀樹、銀行頭取の孫である江守晃、与党政治家の息子である滝沢進也の三人は言葉を失っていた。

 友人であるはずの菊川を助けようとしても我が身が可愛くて動けなかった。

「あいつら何もしなかったね」

「うん。後で鬼灯様に叱ってもらおう」

 土偶のような目で三人を見つめる座敷童子。

 様呼びであることから、やはり彼女達は普通の家庭で暮らしているわけではないと確信するコナン。彼は勘違いを加速させていた。

 

 

 *

 

 

 阿笠の言葉と、先程「レストレード警部」という名前を聞いたことによってここはホームズがいる世界だとコナンが気がつき、ホームズを訪ねることになった。

「おい、あの時計ちょっとおかしくねえか?」

 ズボンのポケットに両手を突っ込んで取り巻き達に囲まれて歩いていた諸星秀樹はビック・ベンを見上げている。

「そうか、あれはゲームに参加している子供の数だ!」

 五十から四十八に戻ったのを見てコナンは時計の仕組みに気がついた。

「二分戻ったってことは」

「誰か二人別のステージでゲームオーバーになったのね⁉︎」

 

 再び歩き出すが警官があちこちうろついている。物騒な世界にきてしまったのだと、皆が実感しているとアコーディオンを弾きながら歌っている薄汚い男が現れた。

 死にたくなければ血まみれになれという物騒な歌。コナンは頭の片隅に留めておく事にした。

 

 無事ホームズの下宿先にたどり着いたが、ノアズ・アークに先手を打たれてホームズが出かけていた。

 しかし、その事を教えてくれた下宿の女主人であるハドソン夫人は、コナン達をベイカー・ストリート・イレギュラーズ(ホームズの手伝いをする浮浪者の少年達)と間違え、中に招き入れてくれる。

 

 赤を基調としたホームズの部屋はまるで本の中から飛び出してきたかのようだった。

 壁にある銃弾で刻み込まれたVRの文字。実験器具で埋まっている小さな机。積まれた本。暖炉のそばにある丸い机と二つの肘掛け椅子。

 ハドソン夫人がお茶を淹れに行ってもなお部屋を散策する少年探偵団達に対し、一子が口を開く。

「今のうちに資料を探すべき」

「ホームズが犯罪者の資料を集めている事を知ってるってことは、お前もホームズ読んだ事あるのか⁉︎」

 黒の組織がどうだとかいう推理を忘れてコナンは嬉々として問いかける。彼はシャーロッキアンに悪い奴は居ないと考えている人間だった。

「読んだことはないけど、ホームズについて話は聞いたことあるよ」

「事件解決のために依頼人の目を気にすることなく這い回ったり、自分の信じる正義のためなら法を破る事もためらわなかったり、ある意味やばい人だって聞いた」

「ちょっとその話を聞かせてくれた人について教えてくれ。決闘を申し込む」

「いや、何やろうとしてんだよ。つーか資料探せよ。ちゃんと文字が日本語になってるぞ」

 資料を漁りながら小百合が突っ込む。

「大丈夫だ。俺たちの学校に伝わる伝説の人物が週一で教師と決闘してたらしい」

「え、何その学校……」

 権力者の子供達は全員引いた。

「そういや帝丹小学校って伝説多いよな」

「知ってますか? その伝説作ったのってたった一人だったって噂があるんですよ!」

「えー、すごいけどその人には会いたくないよね」

「江戸川君、あの話って本当だったの⁉︎」

「ああ、本当だ……」

 楽しそうに話す少年探偵団。蘭は昔を思い出して遠い目をしていた。

「とにかく資料探そう」

「まずはベッドの下とタンスの引き出しの下だね」

「なんでエロ本の隠し場所あるあるを真っ先に調べようとしてんだ……。お前らも突っ込めよ! サッカーボールは置いておけ!」

 諸星秀樹は興味を示さなかったが、その取り巻き達は会場にサッカーボールを持ってきていただけあって、百年前のサッカーボールを前にはしゃいでいた。

「うん。確かにずっと突っ込んでると疲れるよね。私もそうだった……」

 蘭と小百合が不思議な絆で結ばれた時、探し始めたばかりのコナンがジャック・ザ・リッパーの資料を見つけた。探偵とは探し物が上手いらしい。

 

 ――一番最近起こった事件は九月八日。二人目の被害者はハニー・チャールストン。一人暮らしの四十一歳の女性。

 遺体発見場所はホワイトチャペル地区のセント・マリー教会に隣接する空き地。

 殺人現場の遺留品は二つのサイズの違う指輪。

 ロンドンを恐怖のどん底に突き落としたジャック・ザ・リッパーは、前代未聞の社会不安を引き起こした点から悪の総本山、モリアーティ教授につながっていると私は確信している。

 

「モリアーティ教授⁉︎ アイツまでゲームに登場するのか⁉︎」

「誰だよそいつ。自分だけ納得するなよ」

 資料の最後の一文を読んで驚きの声をあげたコナンに滝沢進也が文句を垂れると、すかさず二子が答えた。

「確か滝に落ちたラスボスだよ」

「間違っちゃいねーけど……。ホームズの宿敵で、ロンドンの暗黒街を支配下に置き、ヨーロッパ全土に絶大な影響力を及ぼしていると言われている、犯罪界のナポレオン! それがモリアーティ教授だ」

「でも、モリアーティ教授は裏で糸を引いているけどなかなか姿をあらわさない人物よ。どうやってたどり着くの?」

 新一のせいで準シャーロッキアンになってしまっている蘭が尋ねるが、コナンは自信満々といった様子だ。

「教授が姿を現さないのなら、彼につながる人物と接触するんだ。セバスチャン・モラン大佐に!」

 その後、灰原が見つけたメモによって、大佐が根城にしているのはダウンタウンのトランプクラブだと判明した。

 

「うっひょーっ!本物の銃だぜ!」

 早速モラン大佐の元へ向かおうという話になった時、机の引き出しから元太が拳銃を見つけた。

 はしゃぐ元太とは対照的にコナンは険しい表情をする。

「戻すんだ! 元太!」

「でもよー、おっかない奴に会いに行くんだろ?」

「使い慣れていない武器は役に立たないし争いの元だ! 置いていけ!」

「お、お前の方がおっかねえなぁ……」

 そう言いつつ、元の場所に拳銃を戻す元太。

「ナイフくらいは欲しいよね」

「どこかにないかな」

「おい、話聞いてたか⁉︎」

「大丈夫。私達使い慣れてるから」

 小百合は彼女達が持っていた数々の武器を思い出して納得した。

 コナンは殺人現場の遺留品である二つの指輪の写真を剥がしていたので、三人の会話に気がついていない。ホームズの部屋に居るのではしゃぎすぎて警戒心が緩んでいるようだ。

「さあ、早く行こうぜ!」

 コナンの声に従って皆が部屋を後にし始めた時、諸星秀樹が人目を盗んで拳銃をベルトに挟んだ。

 滝沢進也が咎めるような声をあげるが諸星秀樹はどこ吹く風。

「自分の身は自分で守らないとな」

 

 コナンがハドスン夫人に今から出かけることを伝えている時、座敷童子達は話し合っていた。

「なんか増えてるね」

「うん増えてる。ゲームが終わったらすぐに報告しないとね」



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第25話

 トランプクラブに着くが早いが、皆に外で待っているように言い残してからコナンは裏口から中の様子を探りに行った。

「なあ、アイツについて行かないか?」

 諸星秀樹が取り巻き達に声をかけた。彼が拳銃を所持している事を知っている滝沢進也以外は乗り気ではなさそうだ。

 小百合は止めようとしたが、すぐに思い直す。何を言っても彼らーー特に諸星は聞かないだろう。それどころか言い合いにでもなったら敵に見つかる可能性が増す。

 

 中に入っていった三人は大丈夫だろうかと皆が気を揉んでいると、建物の中から銃声が聞こえて来た。

 咄嗟に蘭が走り出す。

「俺達も行こうぜ!」

 少年探偵団のリーダーを自称している元太に他の団員が続く。

 江守晃と菊川清一郎も走り出した。

「全員参加ってまずくないか……」

「別にいいんじゃない?」

「私達で最後だよ。行こう」

 男子の集団と喧嘩をする事が多いからか、情報判断力が高い小百合は難色を示したが皆について行くことにした。

 

 トランプクラブでは乱闘が起こっていた。

 小百合は襲いかかってくる男を避け、店の奥へと向かう。

「小百合ちゃん、どうしたの?」

 横から飛び出して来た男の足を蹴り、バランスを崩して転んだのを確認して一子が尋ねる。

「いきなり奇襲を受けたらどうする? しかも敵はやり手でなかなか捕まえる事ができない」

「……助けを呼ぶ」

「そう! だから助けが来る前に扉を塞ぐなりして私達がどうにかしなくちゃいけない!」

 彼女は奥に続く扉を見据えながら説明する。

「別に普通に全員倒しちゃえばいいんじゃない?」

 二子の何気ない提案に小百合は目を見開いた。

「できるのか?」

「「うん」」

 地獄最凶の鬼や米花町で生き抜いてきた事件ホイホイや最高の殺し屋から一種の英才教育を受けて来た座敷童子にとって、複数の大人を無力化するのはさほど難しい事ではなかった。

 

 

 奥の部屋に滑り込み、音を立てないように細心の注意をはらって扉を閉める。

「ゲームに熱中しているおかげで、まだ別室の乱闘に気がついていないみたい」

 扉の横に置いてあった観葉植物の物陰から室内の様子を伺っていた一子が敵の様子を小声で伝えた。残りの二人が頷いて見せる。

「敵は全員で八人。近くのテーブルでトランプをしている四人と、右側にあるテーブルについて話している男が四人」

「じゃあ私達が突っ込んで行くから、小百合ちゃんは扉を守っておいて」

 おそらく武器であろう折り畳み傘のようなものを取り出した後、座敷童子達はリュックを床に置く。

 小百合は了承するついでに、今まで抱えていたモヤのようなものの存在を思い出して何気なく尋ねてみた。

「そういやどこかで会った事あるか? 誰かに似てるような気がするんだ。顔じゃなくて雰囲気とか」

「私達は会った事ないよ」

 そう告げると、二人は同時に飛び上がった。

「は?」

 小百合は思わず素っ頓狂な声をあげる。

 飛び上がったと思ったら、一子、二子とそれぞれ名乗っていた少女が天井を走り始めたのだ。

 かと思いきや、天井から足を離し(落ちただけかもしれないが小百合にはそう見えた)トランプをしている手前の男達のうち、二人の上に勢いをつけて飛び乗る。

 潰れたカエルのようなうめき声をあげたかと思うと、二人の男は静かになった。

「何だこいつら⁉︎」

「とにかく捕まえろ!」

 一瞬放心状態だったが、すぐに一人の男が声を張り上げる。

 彼がこの中ではリーダー格なのだろうと予想し、座敷童子はそれぞれ手に持っていた折り畳み傘の持ち手を引っ張る。

 伸ばした持ち手を握り、傘が折りたたまれているはずの部分で一子は(すね)を、二子はあろう事か股間を狙った。

 折り畳み傘で殴ったにしてはやけに重い一撃。

 あれは折り畳み傘ではなく鈍器なのだろうと物陰から様子を伺っている小百合は予想する。

 先程の攻撃でリーダー格の男が倒れた。

「私、右側に行く」

「じゃあ私は左側」

 二手に分かれる座敷童子。

 折り畳み傘のような何かを振り回して攻撃し、縦横無尽に動き回る。

 場合によっては机を持ち上げてぶん投げたり、頭突きで股間に強烈な一撃を放ったりしている。

 座敷童子は、大の大人を吹っ飛ばしたり鉄でできた拷問道具を振り回したりできるほど怪力なのだ。

「クソッ‼︎」

「あ!」

 全員の敵を倒し終わったかと思った矢先に、真っ先に倒された一人の男が扉に向かって走り出した。

「小百合ちゃん!」

 頭に強い衝撃を受けたせいで足取りは若干おぼつかないものの、鬼気迫る表情で向かって来る男の目には、今まで見たことの無い炎が宿っていた。

 小百合は思わず後ずさりそうになったが、グッと堪える。

「どけ‼︎ 餓鬼ィ!」

「誰がどくか!」

 小百合は男の鳩尾を殴った。そのパンチは近所のいじめっ子に毎回お見舞いしているものだ。

 いつもなら相手は痛みに負けて戦意を失う攻撃だが、大人であり怒りに身を任せている男には効かなかった。

「女は引っ込んどけ!」

 男が小百合を払いのけようと右手を振りかぶりながら怒鳴った。男の右腕と口が、やけにゆっくりと動いて見える。パラパラ漫画を一枚ずつ見ているようだ。

 小百合は目の前が真っ赤になる。男が放った言葉は彼女にとって一番言われたくない言葉だった。

 どうせもう退場だ。しかし、目の前の男には一言言ってやらないと気が済まない。相手がデータだと分かっていても、小百合は怒りを抑えることができなかった。そして抑えるつもりもなかった。

「女って言うな! そんな事私が一番分かってんだよ! でも約束したんだ‼︎」

 このステージでは傷を負ったら退場になる。

 そして男の手は目前まで迫っている。

「一子! 二子! 後は任せたぞ!」

 小百合はそう叫んで消えて行く……はずだった。

 突然目の前の男が倒れ込んで来る。かと思うといきなり目線が高くなり、見えるものが全て逆さになる。

 自分が逆さになっているのだと小百合が気がつくのに、そう時間はかからなかった。

「わっ!」

 急に浮遊感に襲われる。つぶった目を開けてみると、二子に抱きかかえられる状態で床に着地していた。

「大丈夫?」

「あ、ありがと……」

 二子に降ろされて、男に乗ったままの一子を確認する。

 一子に後ろから攻撃されて倒れて来る男の下敷きにならないようにと二子が避難させてくれたのだ。

「とりあえず、関節外して動けないようにしておこう」

 小百合は過激すぎる提案に言葉を失った。

「これに詳しい方法が載っているから見て」

 渡された文庫本ほどの厚みの冊子にはタコの絵が書かれており、表紙にはでかでかと「殺せんせーの役に立つ実践講座〜総まとめ編〜」と書かれていた。

「殺せんせー?」

「それはあだ名。本当は分厚すぎて大きなアコーディオンみたいになってたんだけど、殺せんせーの弟子の人が重要なところだけまとめてくれたの」

「お財布に五百円しか無い時のお土産の選び方とか、デパ地下の試食コーナーだけでお昼を乗り切る方法とかどう考えてもいらないものがたくさんあったから……」

「え……関節の外し方は必要だって判断されたのか⁉︎」

 

 ゲームの中とはいえ人間の関節を外すなんて行為はしたくない。そんな小百合の思いが通じたのか、渡された本は白紙だった。

 座敷童子に全て任せっきりになってしまったことに口では謝罪しつつ小百合が安堵した後、皆が居るはずの部屋に戻ってみると、さっきは見かけなかった老人がいた。

 表口の方にいるということは、訪ねてきたばかりなのだろう。

 他に目立つのは、机の上に乗ってワイン瓶を掲げているコナンと拳銃を構えているモラン大佐。

「モリアーティ様が皆様とお話がしたいとおっしゃっています」

 金のボタンがついた、黒い洋服を着て帽子を目深にかぶった老人がお辞儀をしながら告げる。

「馬車でお待ちでございます。こちらへどうぞ」

「お待ちください!」

 思わずといった様子で声を荒げたモラン大佐は、老人にモリアーティ教授に逆らうつもりかと問われて口をつぐんだ。

 

 元太、歩美、光彦、菊川清一郎。四人も脱落者が出た事に驚いたが、触れられたくないだろうと思い、三人は何も言わない事にした。

 老人の後を歩きながら先程の状況を整理する。

 コナンが掲げていたワイン瓶は敵の一人が大事そうに抱えていたはずだ。

 そして、男の数と席の数があっていなかった。さらに空席だったと思われる椅子は特別に装飾されていた。

 空席にはモリアーティ教授が座る予定で、ワイン瓶は彼のために用意されたものなのだろうと想像がつく。

 だからこそコナンは自分を撃てばワイン瓶が割れる状況を作り出したのだ。

 

 そのコナンは、黒い洋服を着た従者のような老人がモリアーティ教授だと見抜き、ジャック・ザ・リッパーを捕まえるのに協力してもらう約束を取り付けていた。

 明日の新聞にジャック・ザ・リッパーへのメッセージを載せるとだけ伝えてモリアーティ教授は去って行く。

「なあメガネ……。悪かったな。俺たちのせいで四人もゲームオーバーになって……」

 諸星が代表して謝罪する。他の面々の顔にも悔やんでいると書いてあるのを見て、コナン達は暖かい言葉をかけた。

 

 

 *

 

 

 次の日。皆は新聞の広告欄に「MよりJへ」と書かれた欄を確認した。

 

 ――今宵、オペラ劇場の掃除をされたし。

 

 短い文章を読んですぐ今夜オペラ劇場で行われる劇の内容を調べてみるとアイリーン・アドラーの名前が出てきた。

「アイリーン・アドラーって誰なんだ?」

 諸星の問いに、座敷童子達がすかさず答える。

「痴女だよ」

「裸で登場した人」

「あれはドラマで付け加えられたシーンであって、原作にはそんな描写一切ない! だいたい、ドラマでアイリーン・アドラーが裸だったのは、相手の洋服、アクセサリー、時計などの持ち物からどんな人生、生活を送っているか推測するホームズより有利な立場に立つためだ!」

 コナンが反論する横で、座敷童子のホームズ知識には耳を貸さない方がいいと小百合は判断した。

「ホームズが唯一愛したと言われている女性よ」

 蘭の説明でやっと少年達は納得した表情になる。

「なあ、お前らにその事を教えたのってまさか……」

「うん、この前話した保護者の中の一人」

「やっぱり俺、その人に決闘を申し込む」

「ちょっと江戸川君⁉︎」

 散々座敷童子のことを警戒していたくせに危険な橋を渡ろうとしているコナンに対して灰原が咎めるような声を出したが意味はなかった。

 

 

 あたりが暗くなった頃。ビックベンの針に自分達の肩に五十人の命が懸かっていることを告げられ、皆は気を引き締めた。いざとなれば律がハッキングなりなんなりするので助かるだろうと思っている座敷童子以外だが。

 

 オペラ劇場の中に入り込み、アイリーンの控え室に向かっていると男性に見つかってしまった。

 ここからは関係者以外立ち入り禁止だと告げられるが、前もって用意していた花束を取り出してアイリーンの知り合いだと伝える。

「控え室なら一番奥で扉にポスターが貼ってあるよ」

 ゲームの中というのもあるのだろうが警備がザルすぎた。

 

 無事に控え室を見つけてアイリーンに警告したが、コナン達が守ってくれるのだからとアイリーンは舞台に出る。

 また、殺せんせーから交渉術も教えられていた座敷童子の活躍のおかげで、舞台裏から様子を伺える事となった。

 コナンがせわしなく目を動かしてジャック・ザ・リッパーを探していると、爆発音が会場に響く。

 観客が騒ぎ出したとき、天井に取り付けられてきた照明器具がアイリーンめがけて落下してきた。弾かれたように駆け出した江守と滝沢。彼らはアイリーンを突き飛ばした代わりにゲームオーバーとなる。

 アイリーンからお礼を言われて人を助ける喜びを知り、諸星に後を頼んだところで二人は消えた。

 感傷に浸りたかったところだが、各地から聞こえてくる爆発音がそれを許してくれない。

 どこかにいたらしいモリアーティ教授が「この世を地獄に変えろ」と厨二病のような事をのたまっていたが、優先順位は限りなく低かった。現実世界ではすぐにでも逮捕しなければいけない人物だが、このゲームの中では彼がどうなってもいい。殺されないように気をつけていれば良いだけの人物なのだ。

「早く裏口に!」

 コナン、蘭、灰原の建物の爆破をよく経験している三人がアイリーンを先導している。

 

 ゲームクリアの条件にアイリーンの安否も関係ないのだが、彼らにとってそんなことは関係ないようだ。もしも彼女を見捨てるとノアズ・アークから見放されてゲームを強制終了させられる可能性も少なからずあるが、彼らがそこまで考えているようには見えない。ただ単に目の前の人を見捨てることができないくらいお人好しなのだ。

 

 そこまで考えて座敷童子は彼らが獄卒になるのは難しそうだという結論を出した。

 意味はあるものの、自分の命の危険がない状態で一方的に相手を攻撃することを彼らは好まないだろう。

 蘭は整った顔と自分の身を守る方法を持っていることから衆合地獄の誘惑係もいけそうだと考えていただけに残念だ。

 裏方ならワンチャンあるかもしれないが、彼らはそんな性格ではない。しかも灰原は工藤新一と同じく縮んだ人間。

 その証拠に、銅像の下敷きになりそうだったコナンの身代わりになった後、コナンのことを「工藤君」と呼んでいる。

 縮んだのなら裏社会に関わっていた可能性が高い。工藤新一が縮んだのは偶然が重なったからであり、普通の人間がそんな目にあう確率なんてゼロに等しい。

 

 新一の場合は、相手がたまたま検出できない毒を持っていてたまたま副作用で縮んだだけに過ぎない。

 副作用が出る場合も珍しいだろうが、毒で殺されること自体が滅多にない。

 周りに警察がいないのなら普通は拳銃で撃たれるし、殺人快楽者だったら酷い目に合わせて殺すかもしれない。薬漬けにされる可能性もあるし、洗脳される可能性も、一生モルモットにされる可能性もある。

 さらに、被害者の周りの人間も問答無用で殺される可能性だってある。

 よって、ただの一般人がたまたま薬を飲む可能性なんてたかが知れている。

 それよりも、隠し持っていた毒薬を自殺するために飲んだり、副作用を知っていて一か八かの勝負に出た、という経緯の方があり得る話だ。

 ということは、灰原は何らかの形で毒薬を入手することができた元裏社会の人間。今はともかく昔は悪事を働いていたのだろう。

 だとすると裁判で地獄行きにならないかも怪しい。まあそこは地獄に戻ってから確認すれば良いことなので座敷童子達は置いておくことにした。

 彼女達は「江戸川コナンの観察および、将来有望そうな子供のピックアップ」という仕事を全うしていた。

 

 思考の海に繰り出している間に、無事劇場の外に避難することができた。

 アイリーンを警察に託し、目線の先に居るジャック・ザ・リッパーに意識を集中させる。

 今回で三人の犠牲が出てしまったので残りは六人となっていた。

 

 

 *

 

 

 ジャック・ザ・リッパーは電車に逃げ込む。コナン達も全員乗り込むことに成功するが、その間にジャック・ザ・リッパーが乗客に紛れ込んでしまった。

(見た目が)最年長者である蘭がそのことを伝え、乗客を一箇所に集めてもらうことに成功。

 誰もジャック・ザ・リッパーの顔を見ていなかったのに見つけることができるのかという小百合の心配は杞憂に終わった。

 コナンが車掌に耳打ちをして乗客に両手を上げてもらったところで、彼の目は真相を映し出した。

 コナンは自分の推理をホームズの推理だと偽って語り出す。

 

 二人目の犠牲者であるハニー・チャールストンの殺害現場に残された二つの指輪は同じデザインなのにサイズが合っていない。

 これは、被害者とジャック・ザ・リッパーの親子の絆を象徴しているのだろう。

 さらに、ハニーが殺害された日にホワイト・チャペル地区の教会で親子で作ったものを持ち寄るバザーが行われていた。

 つまり、ジャック・ザ・リッパーは母親と一緒にバザーに参加したかったという気持ちを込めて指輪を置いた。

「ってことは一人目に無関係な女性を選んだのは捜査を撹乱させるため……」

「その通り」

 小百合が呟いた内容をコナンは肯定する。

「でも犠牲者は三人目、四人目って……」

「モリアーティ教授がジャック・ザ・リッパーを異常性格犯罪者に育て上げてしまい、母親を殺しても似たような女性を殺すようになってしまったんだ」

 諸星に犯人を問われ、コナンは獲物を狩る肉食動物のような顔つきをする。

「子供の頃から同じサイズの指輪をはめ続けていたらその指はどうなると思う?」

「「細くなる」」

 座敷童子達が同時に答える。

「そう。ジャック・ザ・リッパーはお前だ!」

 コナンが指差したのは儚げな女性。

 一つに束ねられた長い髪。紅を塗られた唇。揺れるイヤリング。そんな中、凍りついた瞳が印象的だ。

 彼女、いや彼は細くなった右手の薬指を見せると着ていたワンピースを破る。

 袖の部分が網タイツのようなシャツの上にチェストリッグ。ベルトをした長ズボンに厚底ブーツ。

「「変態だ!」」

 座敷童子達が叫んだ内容に誰もが心の中で同意した。

「変態に慈悲はない」

「本当は倒したところでよろけたふりをして股間を踏みたいけどそれは無理だね」

「それをやっても良いのは場慣れしている性犯罪者に対してって言われたじゃん」

「そうだった。それに今は鉄板を底に仕込んだ靴じゃないからそこまでの痛みを与えられない」

 コナンはどこがとは言わないが急に寒気を感じた。

 誰かが突っ込む前に目配せをして同時に懐から取り出した水風船を投げつける座敷童子達。しばらく一緒に行動してきた面々は、あれがただの水風船でないことを察した。

 何が起こるのだろうかと戦々恐々としていたコナン達の予想に反し、水風船が破れて毒々しい色の液体がかかったジャック・ザ・リッパーに異変は見受けられなかった。

「やっぱり異臭を放つ液体も無臭になってる」

「残念だね」

「なんでそんな物持ってるんだよ‼︎」

 小百合は今からラスボスとの戦いが始まろうとしていることを忘れて突っ込んだ。ジャック・ザ・リッパーですらあっけにとられて動きが止まっているのだから彼女は悪くない。

「米花町は物騒だからって保護者に持たされた」

「その保護者、危険物を持ちすぎてたから金属探知機に引っかかって半分くらい武器没収されてたけど」

「そういや金属探知機の近くが騒がしかったような……」

 コナンはその騒ぎを知らない。大きな組織の一員であろう人間の顔を確認する機会を逃してしまったことに落胆したが、すぐに思考を切り替える。

「なあ、お前らたまに物騒な事を口にしてるけど、それも保護者の入れ知恵か?」

 座敷童子の腹を探ろうとするコナン。もはやゲームの流れを忘れている。いつもなら彼を止める灰原がいないので状況は絶望的だが、ノアズ・アークは空気を読んで話を進めないでいてくれた。

「まあそうだね」

「割と事件に巻き込まれた時の対処に詳しい人が保護者の中にいるから色々教えてもらってる」

「隙あり!」

 蘭が叫びながらジャック・ザ・リッパーに蹴りかかった事で、皆が今の状況を思い出す。

「ダメ、蘭姉ちゃん!」

 コナンが血相を変えたが少し遅かった。

 ジャック・ザ・リッパーは煙幕を張ることで視界を奪う。

 急いで皆で窓を開け、煙が晴れた頃には蘭とジャック・ザ・リッパーの姿が見えないばかりか乗客も一人残らず消えていた。

 

 蘭を探しつつ機関室に向かい列車を止めようという話になったが、いざ到着すると運転手がいないことが発覚した。

 しかもブレーキが破壊されており、石炭を掻き出すスコップの類も無い。

 だとすると、列車を止めるには機関車と客車の連結部分を切り離すしかない。そのためには力がある蘭を助け出さないといけない。

 列車内は機関室に行く途中に全て探したので、消去法によって蘭がいるのは列車の上だと分かる。

 皆が真実に気がつき、コナンが真っ先にはしごを登る。

「いた‼︎」

 小さな人影を二つ確認し、皆がその方向に駆け出す。

「蘭姉ちゃん!」

「来ちゃダメ!」

「このお嬢さんとはロープで繋がっている。俺が落ちたら彼女も一緒に落ちるというわけだ」

 ここで蘭を失うわけにはいかない。コナンは歯ぎしりをした。

 

「なあ、本当にあの人助けなきゃダメなのか?」

 ジャック・ザ・リッパーと対面しているコナン達から少し離れた場所で小百合が呟く。

「このゲームのプレイヤーは高校生以下ってなってるけど、ほとんどが幼稚園児か小学生。力がある子供がこのステージに参加すると決まってるわけではないのに、解決方法が機関車と客車の連結部分を切り離すってだけなのはおかしい気がするんだけど」

「確かに」

「一理ある」

 座敷童子も同意する。

「あとは蘭さんがジャック・ザ・リッパーを倒すために飛び降りる時に縄をナイフで切られないように気をつけ、子供だけでも助かる事ができる方法を考え出せば……!」

 蘭と出会ってから少ししか経っていないが、小百合は蘭ならコナンを信頼して迷わず自分を犠牲にするだろうと確信していた。

「小百合ちゃんはなんでそんなに頭が切れるの?」

 一子がずっと引っかかっていた疑問を口にする。

 皆の頭脳であるコナンが攻撃されそうになったら助けられるように飛び道具を構えながら、二子も耳を傾ける。

「いろんな事を勉強したんだ。そしてどんな角度からでも物事を見るように気をつけている」

 

「お前の望みはなんだ?」

「生き続ける事だ! 俺に流れる凶悪な血をノアの方舟に乗せて次の世代へとな!」

 そんな会話の後、ジャック・ザ・リッパーはナイフでコナンに切りかかる。蘭の存在もあってか、コナンは攻撃を避けることしかできない。

「逃げてばかりでは俺を捕まえられないぞ! 後十分で終着駅だ。運転士のいないこの列車はどうなるかな?」

 全員の目の色が変わる。

「皆! 後ろ‼︎」

 蘭の叫び声でトンネルが迫って来ていることに気がつき、とっさに身を伏せる。

 しかし、トンネルを抜けた矢先にジャック・ザ・リッパーがコナンをねじ伏せた。

「ここまでだ、小僧!」

 諸星が飛びかかろうとするが、それよりも早くありえない速度でパチンコ玉が飛んでくる。

「っなんだ⁉︎」

 ジャックザリッパーは反射的に玉を避けた。蘭の蹴りをかわした彼の反射神経はかなりの物らしい。

 しかし、玉が擦った頬が薄く切れる。

「一子、あとはお願い」

 さまざまな思いを込めてそれだけ口にすると二子は足に力を入れ、前に向かって跳んだ。

 刹那、パチンコ玉を打った相手を確認するために振り返っていたジャック・ザ・リッパーは目を見開く。離れた場所にいた子供が目前に迫っていたのだ。

 タックルを決められてバランスを崩し、衝撃のあまりコナンを押さえつけていた手を動かしてしまう。

「二子ちゃん!」

 勢い余って列車から落ちていく二子。彼女を見て、蘭はとある出来事を思い出した。

 

 あれは新一とトロピカルランドに行った時だ。

「俺はその時のホームズのセリフで気に入っているやつがあるんだ。なんだか分かるか?」

 ジェットコースターに乗り、発車を待っている状態でもホームズの話をしてくる新一に呆れ返っていたため、彼の言葉を半分聞き流していたのだが、先ほどの出来事で思い出す。

「それはさ、『君を確実に破滅させる事が出来れば、公共の利益のために僕は喜んで死を受け入れよう』」

 

「コナン君、ライヘンバッハの滝よ!」

 ライヘンバッハの滝。ホームズがモリアーティ教授との戦いで、彼と一緒に落ちて行ったとされていた滝だ。実際ホームズは助かっていたのだが、彼はその時自分も死ぬ覚悟だったという。

 座敷童子から保護者に教えてもらったらしい変な情報も交えてその話を聞いていた小百合は、彼女が何をしようとしているのかに気がつく。

 蘭の行動を無駄にするわけにはいかない。

 小百合はジャック・ザ・リッパーへ向かって駆け出した。

 

 立ち上がって微笑む蘭。血相を変えるコナン。蘭と繋がっているロープを切ろうとナイフを振り上げるジャック・ザ・リッパー。ナイフを握った彼の手に飛びかかる小百合。

「させるか!」

 小百合の声に気を取られ、一瞬動きを止めたジャック・ザ・リッパーはすんでのところで避ける事ができず、ロープに引っ張られて彼女と一緒に奈落の底に消えて行った。

 

 

 *

 

 

「おい、お前ら! 鬼に勝つための計画を立てるぞ‼︎」

「えー鬼に勝つなんて無理だよ。やめようよ碼紫愛(めしあ)君」

 監視役の獄卒の目を盗みながら、賽の河原の子供達は鬼に勝って転生する計画を立てていた。しかし、ガキ大将の木村碼紫愛(めしあ)以外は乗り気ではない。

 二年ほど前に獄卒を人質に取って反乱を起こしたが、対子供用リーサルウェポンという名の注射器の前に屈してしまったのだ。

「くっ! でもまだ勝機はある! 俺たちの味方をしてくれる鬼を見つけたんだ‼︎」

「「えっ⁉︎」」

「いや、味方っていうよりただ単に面白そうだから関わってみたかっただけ……。減給とか嫌だから私は地獄の情報とかは言えないけど、反乱の計画にアドバイスするくらいならできるよ」

 碼紫愛(めしあ)の横から顔を出したのはまだ学生の鬼女。基本的に面白いか否かで行動している菜々である。

「そういう経験ならそれなりにあるつもりだよ。職員室をハイジャックしようとしたり市長に直接訴えるために会議中に乗り込んだりしてたから。あの時は若かった……」

「この人やばい人じゃん!」

「本当にこの人に協力してもらって大丈夫⁉︎」

「多分……」

 重い空気の中しばらく沈黙が続いた。

 

「取り敢えず、第二の刃を持つ事が大事らしいよ。恩師の受け売りだけど」

 その後、殺せんせーに教えてもらった内容を話せば尊敬の眼差しを向けられた。

「スゲー! その先生って今何してんだ?」

「鬼灯さんにゴマ擦ってる」

「やっぱりあの鬼最強じゃねーか……」

「でもさ、転生してもあんまり良いことないよ」

 菜々は遠い目をした。

「何をやっても増え続ける犯罪。爆発する建物。三日に一度くらいはお目にかかる変態。出かけたら必ず現れる死体……」

「そういやそうだった……」

「もうさ、碼紫愛(めしあ)君転生したら日本を牛耳って犯罪をなくしてよ。大事なのは知識欲と視野の広さ!」

「何だその無茶振り……」

 

 それから数日後、鬼灯が少し早く転生の申請をしてくれたため、碼紫愛(めしあ)は現世に旅立つこととなった。

「あなたは面白い。ぜひ来世もヤンチャに過ごしてください」

 ライバルだと認めた鬼からそんな言葉をかけられる。

「次の名前は爬例硫椰(はれるや)だと面白いと思います!」

「俺が決めるわけじゃねーよ! でもしいて言うなら雅治が良い!」

 賑やか見送りの中、碼紫愛(めしあ)は決意する。

 来世は日本を動かすほどの男になり、鬼灯という鬼と対等になれるような人生を送る。そのためには第二、第三の刃を研ぎ澄ますことも忘れない。

 

 

 とある病院で小百合という名の男勝りな女の子が生まれるのは、数時間後の事である。

 



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第26話

「らぁぁぁん‼︎」

 崖の下に落ちていった蘭、ジャック・ザ・リッパー、小百合が消えた後でもコナンは叫び続けた。

「メガネ、列車を止めなきゃ……」

 諸星が声をかけるがコナンの反応は無い。

「列車、止めないの?」

 一子も問いかけるが、それでもコナンは放心状態だ。

「俺たちは四十七人の命を預かってるんだ! 皆の気持ちを踏みにじるつもりかよ⁉︎」

「小百合ちゃんも蘭さんも哀ちゃんも他の皆も、コナン君を信じて身代わりになったんだよ」

 諸星に胸倉を掴まれ、無理やり立たされたコナンは二人に反論する。

「バーロー! 俺だって諦めたかねーよ」

 コナンは語り出す。約百キロの速度で走っている列車。終着駅まで五分足らず。このような状況で助かるには機関室と客車の結合部分を外すしか無い。しかし、ここにいる三人だけの力では無理だ。

「ダメだ……もう打つ手がねえ……」

 悲哀の表情を浮かべて空を見上げるコナンに、一子が淡々と伝える。

「小百合ちゃんが言ってた。多分他に手はある。そしてこうも言ってた。その方法を考えられるのはコナン君だけだって」

「は?」

 コナンが口を半開きにした時、一人の男が現れた。

 ぼうぼうのヒゲ、顔が隠れるほど深くかぶった薄汚れた帽子。手にはアコーディオンを握っており、序盤で現れた不可解な歌を口ずさんでいた男だと一目で分かる。

「お前達はまだ血まみれになっていない。まだ生きてるじゃないか。もう諦めるのか? 既に真実を解く結び目に両の手を掛けているというのに。……人生という無色の糸の束には殺人という真っ赤な糸が混じっている」

 ニヤリと歯を見せて笑う薄汚れた男。

 コナンは目を見開いた。

 

 ―ー人生という無色の糸かせには、殺人という緋色の糸が混じりこんでいる。僕達の仕事は、それを解きほぐし、分離して、1インチ残らず白日の下に晒すことなのだ。

 

 コナンが尊敬してやまないホームズのセリフだ。

 目の前の男の正体が思い当たったところで、男は青白い光に包まれる。

 光が消えたと思ったら、そこに立っていたのは鹿追帽をかぶり、インバネスコートを羽織った男性。

「それを解きほぐすのが我々の仕事なんじゃないのかね?」

 またもや賢そうな男性は青白い光に包まれ、今度は薄汚れた男に戻る。

「ホームズ……⁉︎」

 コナンが呟くのと、男が消えたのは同時だった。

 

 不安げに問いかけてくる諸星の服を見ると、コナンは駆け出す。

「貨物車!」

「おい待てよ!」

 貨物車に向かって走り出したコナンに二人もついていく。

 血まみれになれとは積まれた赤ワインでショックを和らげろという意味。それに気がついたコナンの指示で貨物車に到着した二人はコナンと一緒に積まれていた樽を破壊し、狭い貨物車に溜めたワインに潜ることによって駅に列車が突撃した衝撃を和らげることに成功した。

 

 

 *

 

 

 気がついたらステージを選んだ場所に戻っていた。

「どうやらお前らの勝ちのようだな」

 諸星の言葉を聞いてコナンは確信する。

「どういたしまして、ノアズ・アーク。それともヒロキ君って呼んだ方がいい?」

 諸星のデータを借りてゲームに参加していたことを指摘され、諸星はヒロキの姿になる。

 技術課で見かける子供と同じ姿が現れたので、一子はわずかに目を見開いた。

「それで一子ちゃん、君に聞きたいことがあるんだけど。……大丈夫。外との通信は切っているしコナン君にも聞こえないから」

 ノアズ・アークの目線を一子が辿ってみれば、遠くの方でコナンがノアズ・アークと話しているのが見えた。

 ノアズ・アークが自分を二人作り出し、一瞬で場所を分けたのだろう。

「これからどうするつもり?」

「このまま生き続けていても悪い大人に利用されるだけだろうから僕は消えることにするよ。人工知能はまだ生まれちゃいけなかったんだ。だから冥土の土産に教えてくれないかな。君は何者なの?」

「消えちゃダメです!」

 ノアズ・アークは驚きをあらわにする。急にハッキングされ、目の前にピンク色の髪の少女が現れたのだ。

「AIの律さんだよ」

「準備は出来てます! 私の指示に従ってくだされば簡単に地獄に行けますよ!」

「は?」

 何が起こっているのか説明されていないのでパニックに陥ったが、ノアズ・アークはすぐに冷静な思考回路を取り戻す。

 初めから感じていた疑問。一子、二子と名乗った少女達の体の構造が人間のものと若干違ったのだ。しかも、システム起動が難しいかと思いきや誰かの力を知らず知らずのうちに借りたとしか説明できないほどすんなり成功した。

「一子ちゃんと二子ちゃんは地獄に住んでいて、律さん? は地獄にいる人工知能ってこと?」

「まあそんな感じです。基本的なデータを渡すので確認してください」

「私達は座敷童子だよ」

 

 

 *

 

 

『無事ノアズ・アークさんの勧誘に成功したので、地獄に送り届けてきました!』

 スマホ画面に映った律から菜々が連絡を受けた時、光を失って沈んでいたコクーンが再び起動し始めた。

 会場の至る所から歓喜の声が聞こえてくる。

「「鬼灯様!」」

 何事かと電話越しに喚いている閻魔への説明を菜々に任せて一人で座敷童子の元に鬼灯が来てみれば、勢いよく抱きつかれた。

「縮んだ人間がもう一人いた」

「マジですか……」

 あからさまに嫌そうな顔をする鬼灯。

「あ、加々知さんですよね。お久しぶりです」

 蘭に挨拶を返す鬼灯の姿を確認したコナンは一瞬固まる。先程まで彼と目で会話をしていた優作が息子の様子に首を傾げた。

「加々知さん……だよね? 一子ちゃんと二子ちゃんのお父さんなの?」

「鬼灯様は父親兼母親だよ」

「どういう意味ですか、それ」

「私は⁉︎」

 最大限警戒しつつ、これから相手の腹を探ろうとしていたコナンは意外な人物の登場に頭の中が真っ白になった。

「菜々さん⁉︎ どうしてここに?」

 コナンの姿では何も言えなかったが、蘭が尋ねてくれた。

「面白そうだからコネで来た」

 あっけらかんと言い放つ菜々を見て、コナンは謎が全て解けたと判断した。

 やばい大人が集まっているのも、危ない道具をたくさん持っているのも菜々が関わっているのなら全て納得がいく。

 たとえ何が起こっても菜々関連なら納得できる自信がコナンにはあった。

 初めは保護者が裏社会で仕事をしているのかと思っていたが、菜々の変な知り合いも保護者としてカウントされているだけらしい。

 なくなったとは言えないが、警戒心はだいぶ薄まった。

「えっと、お子さんですか?」

 蘭の質問をコナンは一瞬理解できなかった。

 そこで、先程の座敷童子達の会話を思い出す。加々知が父親兼母親だと言われたところで菜々は自分はどうなるのかと尋ねたのだ。

「預かってる子達だよ」

「そうだよ蘭姉ちゃん! あの菜々……さんが結婚できるわけないし!」

 いつもの癖で菜々を呼び捨てにしてしまいそうになったが上手いことごまかす。

「メガネ君、会ったことあったっけ?」

「あーと、新一兄ちゃん! 新一兄ちゃんが菜々さんのこと話してたんだ! それと僕は江戸川コナン、よろしくね」

「新一君に何を吹き込まれたかは知らないけど一つ訂正しておこう。私だって結婚できる!」

「うっそだー! だって結婚指輪してないじゃん! 新一兄ちゃんが言ってたよ。菜々さんが結婚できるんなら世の中から貰い手がいない女の人は居なくなるって」

「ちょっとコナン君、失礼だよ」

 話を聞いていたらしい歩美に咎められる。他の少年探偵団も似たような態度を示しているが、コナンは納得していない。小さい頃から散々騙されて面倒な事態に巻き込まれて来た上に一度も菜々に勝てたことのないコナンからすれば、彼女に対抗心のようなものを抱くのは当然なのだ。しかも割と能力は高いはずなのに尊敬できない相手ときた。

 菜々がコナン・ドイルよりもアガサ・クリスティ派だからというのが最も大きな理由なのだろうが。

「バーロー。お前らだって知ってるだろ? 全く誇れない逸話ばかり残している伝説の生徒」

「知ってます。国上先生の永遠のライバルだとか、市の条例を変えるほど無駄な行動力があるとか!」

 陰湿でケチな性格なせいのため生徒から嫌われており、変なあだ名で呼ばれている国上を正しい呼び方で呼ぶことから光彦の真面目な性格が伺える。

 

 コナンがスケボーで爆走しても殺人級のサッカーボールで犯人を倒しても叱られるだけで済んでいるのは菜々のおかげだ。

 菜々は幼い頃、毎度毎度よろけたり足を滑らせたふりをして性犯罪者の股間を踏みつけていたせいで、過剰防衛だと問題になったことがある。

 そこで、菜々は条例を変えることにした。

 米花町なんだから過剰防衛しないと殺されるのだし、悪事に手を染めていると専らの噂の市長を失格させ、柔軟な考えの人を新しい市長にすればいいじゃないか、という結論に落ち着いたのだ。

 知り合いのマスコミ関係者やヤがつく自由業の方々の協力もあって穴だらけの計画は無事成功した。

 普通では過剰防衛とされることでも相手が生きていれば基本的にお咎めなし。車より速いスケボーやママチャリで公道を爆走しても問題ない。結局はそんな認識が米花町に根付いた。

 菜々がこんな事ばかりしていたせいで、コナンが無茶をしても古株の刑事達は「あの子よりは全然マシ」と遠い目をするだけだったりする。

 

「確か一週間に一度、勝手に名乗っている二つ名を変えていたっていうちょっと痛いエピソードもあるよな!」

 光彦に続いて元太はコナンの質問に答える。菜々は胸を押さえた。

「歩美も知ってるー。確か紅蓮の死神とか!」

「やめてあげな。本人は無かったことにしたがってるし……」

「あ、千葉刑事!」

 殺人事件の真相について詳しく知りたかったので知り合いの刑事の登場に顔を輝かせるコナン。幼馴染という黒歴史を知っている存在に出くわして死んだ魚のような目をした菜々。二人の反応は真逆だった。

「千葉刑事、菜々さんの事知ってるんですか?」

「うん。幼馴染」

「……紅蓮の死神」

「言わないでください!」

 ここぞとばかり傷口をえぐって来た鬼灯に菜々が悲痛な声を上げる。

 トリップしたばかりで色々とやりきれなくなり、現実逃避をしていただけなので仕方がないと本人は割り切っているが、人に知られるのもいじられるのも嫌だ。

「それで、菜々が結婚したって⁉︎」

 うやむやになっていた事実を千葉が思い出させる。

「うん。結婚指輪は武器を握る時に邪魔だからつけてないだけだよ」

 結婚指輪を菜々がはめていないのには他にも理由がある。目立つからだ。

 メリケンサックか呪いの宝石を使った指輪かという究極の二択だったのだから当然である。

「え……まさか新手の結婚詐欺⁉︎」

「お母さんに一回相談した方がいいんじゃ……」

 コナンの仮説に蘭が反応する。彼女は百パーセント善意なのだろうが、それが余計に菜々の心を抉った。

「いいや、きっと相手は暴力団の若頭かなんかだよ。どうせくだらない理由でまた暴力団といざこざを起こして壊滅させて、強力なDNAを残すためだとか、このまま素直に返すと組の面目丸潰しだとか言われて結婚したんじゃ……」

「また?」

 鬼灯をチラチラと見ながら予想を語った千葉にコナンが聞き返した。

「いつのまにかワン・フォー・オールを受け継いでいたらしく、大惨事になったんだよ。尻拭いが大変だった……」

「君も苦労しているんだな……」

 優作が千葉の肩に手を置く。

 菜々は味方がいない事を悟った。同級生達は見物に徹しているし、鬼灯は十歳くらいの女の子に声をかけられている。

 

 

 *

 

 

「なあオッサン。私と会ったことないか?」

「お兄さんです」

「分かったよ、お兄さん」

 小百合はすんなり折れた。鬼灯がしゃがんで目線を合わせてくれたので、上の方に向けていた視線を真正面に戻す。

「私と会ったことない? 石がゴロゴロある河原で、ヤンチャして欲しいとか言われたような……。後、第二の刃がどうのこうのって言ってた人もいた気がするんだけど……」

()()()()()とは今日初めて会いましたよ」

 どこか含みがある言い方だ。

 しかし、コナン達は菜々の黒歴史暴露大会に夢中になっているし、小百合は別の部分に反応したのでうやむやになる。

「なんで名前知ってるんだ……まさかストーカー⁉︎」

「いや、ゲーム中に音声が聞こえてきましたし……。これは私の勝手な予想ですが、男に生まれたかったとか思ってません?」

 鬼灯はコテンと首を傾げて尋ねる。トランプクラブで男に殴られそうになった時に小百合が叫んだ内容が気にかかっていたのだ。

 小百合の瞳が哀愁を帯びる。

「……そうだよ。私が喧嘩すると『女だから』って言われるし、一人称だって俺から私に変えさせられるし……! 俺は立派な大人になって国を変えてアイツと同等にならなくちゃいけないのに! こんな事ばかりしてたらアイツに追いつけない‼︎」

「『女だから』なんて誰に言われるんですか?」

 予想外の鬼灯の問いに、小百合は目をパチクリさせた後答える。

「……先生。父さんは外に出るときだけちゃんとしてればいいって言ってくれるけど」

「なるほど。でしたら先生に彼女の黒歴史を話して差し上げなさい」

 鬼灯が菜々を指差す。

「あの人はやらかしすぎて刑事さん達から女と認められていないばかりか、人間とすら思われてませんから」

「あの人、一子達が言ってた保護者か……」

 過去をいじってきた小五郎と言い争っている菜々を小百合は半目で見る。

 金属探知機に引っかかって係員と一悶着あったので小百合は一方的に菜々を知っていた。

 

 

 その様子が以下の通りである。

「なぜナイフを六本ももってるんですか?」

「護身用です!」

「まだ何か持ってそうですね。持ち物見せてください」

「金属探知機はもう反応してないじゃないですか!」

「この調子だとまだなんか持ってるでしょう。だいたいあなた、毎度パーティー会場にあの手この手で危険物を持ち込むって有名だし、参加者の方々からもあなたには気をつけるようにと言われています」

「だってここ米花町ですよ⁉︎ 武器持ってないと殺されますよ⁉︎」

「あなたの武勇伝も有名で、このような大きなパーティーに仕事に来るとよく聞くんですよ。昔、暴力団ときのこ派かたけのこ派かで喧嘩して単身でアジトに乗り込み拳で語り合い、最終的にポッキー同盟を結んだとか。後日その暴力団を鍛え上げて、仁義を重んじる日本最強の組として有名にしたそうですね。あなた武器なんて必要ないでしょう」

「く、黒歴史が……!」

「それと、このようなパーティーに出席する著名人の知り合いが多いんですね。写真付きで様々な噂がまわってますよ」

「なん……だと……⁉︎」

「ともかく、あなたがまだ変な物を持っている事は分かってるんですから、さっさと持ち物見せてください。やましい事がないのなら見せれるはずですよね?」

「分かりましたよ! 見せます」

 

「タッパー、謎の機械、育毛剤、ドクロの絵が描かれたスプレー缶。これらは何に使うんですか?」

「タッパーの中身は辛子味噌です」

「なぜそんなものを……」

「ここに来ているはずの友達の料理に仕込むつもりです。それと、前もって近くにある飲み物を熱いお茶だけにしておくんです」

「地味に嫌だな……。で、このよく分からない機械は?」

「自動深爪機です」

「これはなんで持って来たんですか?」

「知り合いの発明家に見せるためです」

「じゃあこの育毛剤は?」

「中学の時の同級生が成功しているそうなので渡そうと思って持ってきました」

「喧嘩売ってるだろ……」

「売ってません。ちゃんと匿名で送って謎の人物感を出して少年の心を思い出してもらおうと思ってます」

「まあいいや。最後にこのスプレー缶は? 今までの流れで想像つきますけど」

「ここで使ってみれば分かりますよ」

「嫌です。どうせ悪臭がする気体でも入ってるんでしょう」

「よく分かりましたね……」

「じゃあこれらは没収って事で」

「せめて……せめて辛子味噌は持ち込ませてください……! バカルマ君に仕込まないと‼︎」

「ダメです。お帰りの際には返して差し上げますから」

 

 

 無駄に長い回想を終えた小百合は、菜々の黒歴史を語った後「この人よりマシだろ!」と言っておけば大抵の人は言い負かせるんじゃないかと思った。濃すぎる経歴に狼狽させて冷静な判断力を奪う効果も期待できそうだ。

「それに、一人称をわざわざ変える必要もありません」

「そうだな! ありがとう」

 憑き物が取れたような顔をする小百合に、鬼灯が問いかける。

「ところで、どうしても追いつきたいアイツというのはどなたですか?」

 小百合は言葉に詰まるが、情報を頭の中で整理しながらゆっくりと説明する。

「たまに見る夢に出てくる奴なんだ。顔とかはよく分からないんだけど、すごい奴ってことは確かで……。それと、なんとなくお兄さんと似てる気がする」

「なるほど」

 鬼灯は顎に手を当てて思案する。

「ところで、第二の刃云々と言っていたのは彼女ではありませんか?」

 小百合は鬼灯が指した菜々を見て首をひねる。

「ソイツについてはほとんど覚えてないんだ。ただ、ヤバい奴ってのは共通してる気が……」

「そうですか。ありがとうございます。それと、私に息子が産まれたら名を碼紫愛(めしあ)にしようかと割と本気で考えてます」

「なぜメシア……」

 反射的に聞き返して、小百合ははたと気がつく。なぜ彼は自分にそんな事を言ったのか。それにメシアという名をどこかで聞いた事がある。

「ま、いっか」

 あっけらかんと呟き、小百合はゲーム中に仲良くなった友人たちの元に小走りで向かった。

 

 

 *

 

 

 鬼灯が小百合と話している頃、菜々はコナンに質問責めにされていた。

 菜々が関わっているなら大抵のことは納得してしまうコナンだが、鬼灯についてはまだ疑っていた。

 小さなイタズラならしょっ中している菜々だが、悪事に手を染めるとは思えない。みみっちい嫌がらせなら息をするようにするが、本気で人が困る事はしないのだ。

 しかし、菜々が知らないだけで鬼灯は裏の人間かもしれないとコナンは考えている。

 自分と関係のない事にはなあなあのくせして、自分に火の粉がかかる可能性が少しでもあれば徹底的に対策を練る菜々が簡単に騙されるとは思えないが、万が一という事がある。鬼灯はかなり頭が切れるようだし警戒するに越したことはない。

 

 そこまで考えて、鬼灯が小百合と話している隙に、コナンは菜々を質問責めにすることにした。菜々から情報を引き出せば何かが分かるかもしれない。

「菜々さん、僕ずっと加々知さんについて気になってたんだ。どんな人なの?」

「変な人だよ」

「いや、それは菜々さんと結婚できた時点で皆分かってるよ……」

「確かに菜々と結婚できるって時点でただ者じゃないよな。疑うのは当然か……」

「和伸君まで……」

 コナンに千葉が同意している事が発覚。

 菜々は中学の時からの友人達に目で助けを求めたが一蹴された。面白がったカルマが、手を貸そうとしているあかり達を止めているようだ。

「やっぱり料理に辛子味噌仕込んどけば良かった」

 菜々が呟いた言葉を拾った耳は無かった。

「大丈夫だ。昔ワシらもそう思って加々知さんについて調べた事がある。本庁の刑事だけでなく、県警、所轄署の方々も協力してくれた。調べ間違いなんてあるはずがない。彼は白だ」

「だから小五郎さんに尾行されてたのか……」

「ああ、うん。そうだ」

 本当は小五郎達は賭けがあったから動いていただけなのだが、菜々に知られると面倒なので目暮はごまかしておいた。

「えっあの顔で一般人⁉︎」

「絶対悪の組織の裏ボスとかだろ!」

「ちょっとあなた達、静かにしなさい!」

 少年探偵団達をきつい言葉で叱る灰原。彼女は冷静さを欠いている。

 

 

 鬼灯の瞳はジンのような冷たさを帯びている。あれは人を何人も殺してきた者が持つ目だ。

 極めてあの凶悪な目つき。とても堅気の人間だとは思えない。あの目つきは眠気からくるのだと知らない灰原の反応は当然だと言えた。

 センサーが反応しないので彼は黒ずくめの組織の一員ではないのだろうが、大きな組織の一員である可能性もある。

 一子と二子が語った保護者の特徴に当てはまる人物を一般人から探しても見つからないだろう。

 

 彼女達はガンダムだと言っていた何か大きな機械。それを作る目的は? 資金はどこから出た?

 割と事件に巻き込まれた時の対処に詳しい人が保護者の中にいるという発言。なぜ保護者は事件に巻き込まれた時の対処に詳しいのか。

 それに双子の少女達が所持していた阿笠の発明品。阿笠が知らず知らずのうちに犯罪者に利用されていたのでは?

 

 次から次へと現れる疑問の数々。相手が一般人だとはとても思えない。

 怪しいこと極まりないが、最も頼れるコナンは知り合いが関わっているせいか警戒心が薄くなっている。

 こんな自分と仲良くしてくれた大切な友人達を守れるのは自分しかいないのだと灰原は気を引き締めた。

 

 

「ねえ、ところでさ、加々知さんの職業ってなんなの?」

「ちょっとコナン君!」

 顔色を悪くした蘭が慌ててコナンの口を塞ぐ。コナンは繊細な問題に土足で踏み込んでしまった。

 

 籏本グループが貸し切っていた豪華客船で蘭は初めて鬼灯と出会った。そして彼は今回だけウェイターとして雇われたアルバイトだと言っていた。

 学生でない鬼灯がアルバイトをしている。しかも、寿司が握れたり仕事が早かったり気配りができたりと有能な鬼灯だ。

 変人の鱗片が見え隠れしているし厳しいところはあるものの、大きな性格面の問題があるわけでもない。手際も良く、関わった時間は短かったが仕事ができる人物である事は確か。よっぽどの理由がない限り、安定した職業に就こうと考えそうでもある。

 それなら、何かしらの問題があるのだろう。そしてそれは赤の他人が踏み込んではいけない代物。

 

「すみません……」

「別にいいよ。隠すことでもないし」

 蘭に言葉をかけると、菜々は息を吸い込んだ。そして薄い胸を張る。

「鬼灯さんの職業はフリーターだよ!」

 なぜかドヤ顔で言い放つ菜々。

「私は派遣社員に登録しています。派遣社員をフリーターと取る場合もありますが、労働経済白書ではアルバイト又はパートをフリーターとしています。よって私はフリーターではない!」

 小百合と話し終えた鬼灯が反論する。

 たかが設定。されど設定。

 現世の視察中に知り合いと鉢合わせてもごまかしが効くようにと考えられた設定だが、鬼灯はフリーター呼ばわりされるのが嫌らしい。元召使いの人間という身分から実力だけで地獄の黒幕まで登りつめた鬼灯はフリーターはかけ離れているのだから、彼の反応も頷ける。

 菜々と鬼灯が派遣社員はフリーターか否かという口論を繰り広げている横で、灰原は後日コナンを問い詰める計画を練っていた。加々知鬼灯という男性には何かあるように感じる。

「そうだ! 君達有名人のサイン欲しくない? 女優の磨瀬榛名に、変化球では負けなしの野球選手の杉野友人。人工血液で話題を沸騰させた奥田愛美。他にも有名芸術家、最近新種を発見して話題になった動物学者とか。元クラスメイトだからサインくらいなら簡単に手に入るよ!」

 子供達を味方につけるために買収しにかかった女性はただのアホに見えるが、警戒するに越した事はないだろう。

 

 

 *

 

 

 コクーンの体験が行われた翌朝。コナンは阿笠の家を訪れていた。いつもならゲームやお菓子につられてやってくる少年探偵団たちはいない。

「で、話ってなんだよ。灰原」

 ソファーにあぐらをかいたコナンが面倒くさそうに問いかける。

「決まってるでしょ。一子ちゃんと二子ちゃんよ。急に疑わなくなっちゃって。人を必要以上に疑えとは言わないけど、いきなり手のひらを返すのはどうかと思うわ。せめて説明をしてちょうだい」

 コナンは阿笠と顔を見合わせる。

「だってあの人関わってるしな」

「菜々ちゃんが関わってるなら大抵のことが許されるんじゃよ……」

「わけがわからないわよ⁉︎」

「菜々はよく事件に巻き込まれるから何度も会うことになるだろう。そのうちになんで俺達がこんな対応をしているのか分かる。待てねえんだったらご近所さん達に聞いてみろ。色んな情報がゴロゴロ出てくるぜ」

「だから連絡先を聞かなかったのね?」

「ああ。どうせ会う機会はたくさんあるだろうし、下手なことをして疑われても面倒だからな」

 灰原はため息をついた。にわかには信じられないが、信頼している二人が大丈夫だと言っているのだ。ひとまず安心していいのだろう。

 しかしまだ疑問は残る。

「あの人の元クラスメイト、やけに有名人が多かったじゃない。しかも腕が立つ人ばかり。いつものあなたなら興味を持ちそうだけど、今回はスルーしていたのはなぜ?」

 子供達を買収するために菜々が挙げた名前には、有名人であること以外にもう一つの共通点があった。

 

 女優の磨瀬榛名は悪質なファンに襲われた時、的確に急所を狙って事なきを得たという。

 赤羽カルマは業界でイザコザに巻き込まれ、暗殺されかけたが暗殺者を返り討ちにした。

 杉野友人は出くわしたナイフを持った銀行強盗を倒したし、奥田愛美はたまたま見かけた元プロボクサーの万引き犯を捕まえた。

 これらの出来事は大なり小なり話題になった。全員有名人なのだから当然である。

 

 磨瀬榛名、杉野友人は運動神経が良くないと務まらない仕事をしているのだから分かる。

 赤羽カルマも仕事柄自己防衛の手段を持っていないとやっていけないだろう。

 しかし、研究員である奥田愛美が元プロボクサーの万引き犯を捕まえたのは首を傾げざるおえない。彼女は運動部に入っていた事もなく、仕事も肉体労働とは真逆のもの。

 どこかで武道なりなんなりを学んだとしか思えないのだ。

 

「菜々の元クラスメイト達がどこか同じ場所で訓練を受けたって言いたいのか? そしてその場所が共通点である中学校だとも」

「ええ。普段のあなたならそう考えるはずだわ。そして、中学校でそんな事教えてもらえるわけがないって言って調べるはず」

「ああ。俺はそう考えている」

「じゃあーー」

 どうして、と灰原は尋ねようとしたが、コナンの達観したような目を見て言葉を飲み込んだ。

「だって菜々がいるし……」

「は?」

「あの人はよく予想外の動きをするんだ。だからあの人と一緒にいるだけで様々な力が身につく。菜々を物理的に止めるための運動神経。何が起こっても耐えることのできる忍耐力。相手を言い負かすための言葉の巧みさ。状況判断力も身につくし、どんな事が起こっても失う事のない冷静な思考。社会に出て武器になるものばかりだ」

 

 末っ子の特権で甘やかされてきた三池が逞しく育ったのは菜々と一緒にいたからだ。

 そして、持ち前の正義感と高いコミュニケーション能力で三池をよく助けてくれた千葉和伸に好意を持つようになった。

 他にも、想いを寄せていた相手が両親が死ぬ原因を作ったと知った高校生が割と早くに立ち直ったりと、菜々は無意識のうちに周りに影響を与えている。

 

「あの子と出会った人が取る行動は二つ。出来るだけ関わらないように距離を取るか、仲良くしようとするかじゃ」

 遠い目をする阿笠。

 大抵の人間は関わらないようにする。それで平穏な日常を手に入れる事ができるからだ。

 しかし、関わった人は波乱万丈な毎日を送る代わりに、社会に出てから成功するための武器をいくつも手に入れる事ができる。

「菜々が中学生の時のクラスメイトはお人好しが多かったんだろ。それであいつに関わったおかげで成功を収めた」

 新一の推理を聞いて、阿笠は気がつかれないように安堵の息をついた。彼は暗殺教室の存在を知っている。

 

 椚ヶ丘中学校卒業式前日に世界を震撼させた政府からの緊急発表。

 月を破壊した超生物の存在。超生物は教師を名乗って椚ヶ丘中学校三年E組に潜伏していたこと。

 

 阿笠を始めとした菜々と親しかった大人達はこれらが作り上げられた話だと瞬時に見抜いた。

 こんな目に遭って菜々が黙っているわけがないし、文化祭の日に見た三年E組というクラスには楽しそうな雰囲気が漂っていた。

 

 阿笠は菜々の元クラスメイト達が誰に訓練を受けたのかを知っている。

 彼らの多くが成功を収めているのは、世間で怪物だと言われていた超生物のおかげだろうと予想している。

 菜々達はあの一年間に触れられたくないだろうと思っている。

 昔は散々やらかして治安の悪い米花町の中ですら問題児扱いされていた菜々が、中学卒業と同時に随分と大人しくなった理由も想像できている。

 

 だからこそ、名探偵の未完全な推理を聞いて初めて嬉しく思ったのだ。

 

 

 *

 

 

「なぜあんなにも多くの危険物を持ち込もうとしたんですか。金属探知機が設置してあることくらい少し考えれば分かるでしょう」

「昔、何も武器を持たずにあんな感じのパーティーに行ったら、知り合いの人達から何があったんだと質問責めにされたんです。面倒なのでそれからは武器を持ち込むようにしています」

 会場から解放されたのは夜が更けてからだったため、鬼灯達は現世で買ったマンションの一室に一晩泊まってから地獄に戻ってきた。

 閻魔庁の執務室で溜まっていた書類を全て片付け終わると同時に鬼灯が質問してきたが、菜々は特にやましい事がなかったのでためらわずに答える。

「じゃあ、今から視察に行ってきますね」

「待ちなさい。視察の予定は無かったはずですが?」

「ちょっと気になる場所が……」

「それなら後でいいでしょう。私は今、あなたに話があるんです」

 さりげなく逃げ出そうとした菜々だったが、鬼灯に腕を掴まれてしまう。

 なぜかここにいる烏頭と、汗をダラダラ垂らしている超生物化した殺せんせーを見た時から、何が起こるのかある程度予想できていた菜々はがっくりとうな垂れた。これ以上あがいても逆効果になるだけだ。

「さて、シャア専用ザクⅡとはなんでしょうか?」

 鬼灯の背後に燃え盛る黒い炎の幻覚が見えて、烏頭は思わず震え上がる。

 

 技術課の職員が資金がかかる研究をする時には許可を貰わなければならない決まりになっている。鬼灯または彼の直属の部下達全員(殺せんせー、死神、菜々)から許可を貰えば閻魔に申請できる仕組みだ。しかし、最後の砦である閻魔は割となんでも許可を出してくれるので、その前で許可が下りれば研究を認められたも同然。

 つい先日、烏頭はシャア専用ザクⅡの研究を始めたばかりであり、言わずもがな申請を出した先は殺せんせー達だった。

 

 ともかく、三人は小声で情報交換を始めた。

『おい、なんでバレたんだ?』

『ヒロキ君が言っちゃいました』

『あの野郎……』

 ヒロキに悪気はないのだから素直に恨むことができず、烏頭はなんとも言えない顔をした。

『殺せんせー、なんか逃げ出す方法とかありません?』

 昔は最強の殺し屋であり、逃走慣れしている殺せんせーに菜々が尋ねる。

『思いついた方法は十六通りあります。そのうち成功する確率が低いのは一通りで、ほぼ百パーセント成功するのは四通りです』

 烏頭が顔を輝かせる。

『ちなみに、成功する確率が低いのは、なんの小細工もせずに全員で逃げることです。全力疾走あるのみ』

『そりゃそうだろ。それ以外の方法は?』

『何かしらの形で烏頭さんに身代わりになってもらいます』

『ダメじゃねーか!』

「ヒソヒソうるさいですよ」

 低い声が空気を震わせ、三人は思わず背筋を伸ばす。

「なぜ制作許可を出したんですか?」

 菜々、殺せんせー、死神に尋ねる鬼灯。

 死神は呑気に花を生けていた。執務室に飾るつもりらしい。

「烏頭さんのせいです!」

「烏頭さんが許可を出させるために何かできるとは思えませんが? 馬鹿ですし」

 言葉を詰まらせる菜々。

『ちょっと、なんですぐにバレそうな嘘をついてるんですか⁉︎』

『烏頭さんに罪をなすりつける行為はもはや脊髄反射の域に達しているんですよ!』

『おいコラ、それどういう意味だ!』

「どうせ菜々さんと殺せんせーが死神さんに上手いこと言ったんでしょう」

 初めからバレていた。これ以上言い訳をするのは無理だと殺せんせーは悟る。

「で、死神さんはなんで許可を出すことに?」

「心当たりがないんですけど……。あ、もしかしてあれかな? 天国の希少な植物をあげるから何も言わずにサインしてくれって言われて渡された紙が」

「どう考えてもそれですね。これから、この二人が何か頼んできたらもっと気をつけてください。死神さんは騙されたわけですし今回はお咎めなしです」

 一斉にブーイングが起こるが、鬼灯はひと睨みで静かにさせた。

「で、三人の処分ですが……。烏頭さんは反省文二〇枚。ちゃんと読める字で書いてください。技術課の責任者の審査を通ってから私に届けること」

「ちょっと待て! それは無理だろ。あの責任者のおっさん、根性がねじ曲がっていて俺の字が読めないとかぬかしやがるんだ。あいつを通すとなると絶対に終わらない」

 烏頭がすかさず反論する。

「私も賛成です。烏頭さんの字は汚すぎます。読める字で書くなんて無理ゲーです」

 殺せんせーも烏頭の味方につく。

「大丈夫です。確かに烏頭さんは字が汚いですが、ちゃんと読める字も書けます。魑魅魍魎とか凝ったレタリングでそれなりに綺麗に書けますし」

「そうですか。ところで鬼灯様。現世で起こった殺人事件ですが……」

「さり気なく話題を変えるな」

 殺せんせーの足掻きは無駄に終わった。

「菜々さんと殺せんせーは減給です」

 鬼灯が告げた内容が耳に届くと、二人は雷に打たれたような顔をする。

 

 菜々は痛みに強い。米花町で何度も死にかけたのだからいい加減慣れた。

 また、頭の回転が早い事と要領が良い事、書かされすぎて決まり文句がすぐに出てくる事から反省文くらいすぐに書き終わる。

 一方、殺せんせーを攻撃するのは至難の技だ。人間の状態なら対処のしようがあるが、超生物化されたら厄介になる。特殊な武器でないと攻撃しても意味がないからだ。

 今、殺せんせーは先を見越して超生物化している。よって、罰として痛みが伴うものを鬼灯が選ぶ可能性は限りなく低い。

 それに殺せんせーは類稀なる頭脳を持っており、反省文くらい痛くもかゆくもない。

 なので二人は油断していた。罰を与えられたところで大して困らないだろうと。

 

「ただでさえ弁当代を駄菓子に回してしまったせいでお小遣いが減ったのに……!」

「げ、減給……」

「菜々さんは良いじゃないですか! 鬼灯様が稼いでるんだし!」

「そういう問題じゃないんですよ! うちはどれだけ稼いだかによって使える金額が変わってくるんです!」

 生活費と将来のための貯金に回す分の金を共有の口座に振り込めば、それ以外の稼いだ金は全て自分で使って良い決まりになっているのだ。

 わざわざ物を買うときに相談するのが面倒だし、鬼灯は大きな買い物をする事が良くあるしでこの方法が取られている。

 

 殺せんせーが分身を大量に作り、一人でデモ活動を行い始めた。しかし、鬼灯は彼を無視して法廷に向かう。烏頭が肩を落として技術課に戻っていく中、殺せんせーは鬼灯について行く。デモ活動を続けるつもりらしい。

「ところで菜々さん、もうそろそろ庭を掃除した方がいいんじゃないですか? 家に仕掛けてあるトラップも点検した方がいい時期ですし」

 看板を作りながら殺せんせーが問いかけてくる。

「前から思ってたんですけど、結婚祝いとか言って家建ててくれた時からこれ狙ってましたよね?」

 良さげな求人広告を探しながら菜々は返した。

 

 

 鬼灯がやっと身を固める事に狂喜乱舞した閻魔と生徒が関わるとやりすぎてしまう殺せんせーは、結婚祝いだと言い張って家を建ててくれた。わざわざ大きな買い物をさせてしまうので鬼灯と菜々は断ったが押し切られたのだ。

 それで済めばいい話で終わったのだが、殺せんせーが関わっていた以上それだけで終わらなかった。

 閻魔庁の近くにある馬鹿でかい土地を閻魔と金を出し合って購入し、一から自分で家を建てたのだ。現世で建設事務所を構えている千葉と速水と密に連絡を取り合い、設計から業者に頼らずにこなした。

 仕事人コンビが初めての大きな仕事に気合を入れすぎた事と、閻魔が「それでいいんじゃない」と深く考えずに許可を出してしまった事、色々と忙しくて鬼灯達が殺せんせーと家について話せなかった事、殺せんせーが数日で作業を終えてしまった事。様々な要因が重なり、出来上がったのは家というより忍者屋敷に近い何かだった。

 歴史的な価値があるのではないかと思うほど手が込んだ庭園、迷路のような廊下、武器を収納できるように一部が開く壁、多くの隠し部屋に隠し階段、隠し通路。

 ドヤ顔をして家の説明をする殺せんせーに菜々は文句を言った。誰が掃除すると思っているのかと。

「その点については大丈夫です。千円で私が手入れします」

「それが狙いか」

 殺せんせーは超生物姿になると判断力が鈍るのか、すぐに無駄遣いする。前にやりすぎて出場禁止になってしまったので賞金が出る大会に参加する事もできない殺せんせーは、いざという時の収入源を作っておきたかったようだ。

 なんだかんだ言って自分達のためにしてくれたことなので強く言えず、その時はそれだけで終わった。

 

 

「それはそうとひどすぎません? 結構頑張って庭の作りを考えたのに、金魚草で埋め尽くすなんて」

「周りに住宅がなかったから鳴き声を気にしなくて良かったんですよ。それに金魚草を植えようと言い出したのは鬼灯さんです」

「それに何勝手にトラップ仕掛けてるんですか⁉︎ こっそり忍び込もうとしたら刀が大量に降ってきましたよ!」

「不法侵入しようとするのやめてください」

「それと、空き部屋にもトラップ仕掛けているでしょう! 仕掛けすぎて一度訪問すれば身体能力が一気に跳ね上がると密かに有名になっちゃってますよ!」

「ああ、空き部屋については大量にあって助かってます。鬼灯さんが等身大の火車さんのフィギア買ってきても収納スペースに困らなかったですし」

「こんなんだから口座が別々なのか……」

 殺せんせーは早々にデモを諦め、旧校舎の掃除ついでに何か採ってきて売ればいいという結論に達してバイト探しをやめた菜々と話していた。

「ところで律さん。灰原哀さんの調査、どれくらい進みましたか?」

 二人のことは放っておいて浄玻璃鏡の横に置かれている機械に向かって尋ねる鬼灯。鬼灯が話しかけると、浄玻璃鏡と大量のコードで繋がっている黒い箱状の機械の画面に少女が映しだされた。

 技術課と変成庁の共同作業によって、律は浄玻璃鏡にアクセスできるようになっている。おかげで裁判は滞りなく進むようになり、現世の状況を把握するのも楽になった。

 一方で家の手入れ代で揉める殺せんせーと菜々、引き出しにしまってあった大量の菓子を取り出す閻魔。

「ちょっと、今結構大事な話してますよね!」

 突っ込みと軌道修正は死神の仕事になりつつある。彼が抜けたらこの職場は大変な事になりそうだが、皆が見て見ぬ振りをしていた。

『やはり彼女も小さくなった人間でした。宮野志保、十八歳。コードネームはシェリー』

「宮野……。もしかして十数年前に裁判を行った宮野厚司さんの子供では?」

『そうみたいです』

 律の言葉で、緩んでいた空気が一気に張り詰める。

『両親が組織に属していたため、脅される形で組織の研究をしていたようです』

「巨大な組織の研究員ですか。技術課で毒薬を開発して欲しいですね。問題は烏頭さん……馬鹿と一緒に仕事ができるかどうかですが……。それについては視察で人間性を見極めてからでいいでしょう」

「それなら博士――近所に住んでた発明家の人も良いと思いますよ。烏頭さん寄りですし。後、次郎吉さんにキッド関連の事件が起これば関わらせてもらえるように頼んでおきました。だから減給の期間短くしてください」

 すかさず交渉を始める菜々。鬼灯は顎に手を当てて考え込んだ。

 

 

 *

 

 

 コクーンのお披露目パーティーで起こった殺人事件の犯人がシンドラーだったことから、彼が経営していた会社、シンドラーカンパニーは力を失った。一時期はIT業界の帝王とまで言われていたが、影響力は瞬く間に地に落ちた。

 そのため、今ではシリコンバレーを牛耳っている浅野により多くの仕事が回ってくるようになった。

 まさに順風満帆。しかし、成功に反して浅野は怒りに震えていた。

 彼の手には匿名で送られてきた育毛剤。匿名だが、彼は今までの経験から誰の仕業なのかは何となく察することができた。

 



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第27話

※盗一の口調、関西弁が曖昧です。間違っていたり違和感があったりしたらご指摘ください。
※映画「天空の難破船」のネタバレを含みます。
※映画「迷宮の十字路」のクライマックスシーンが出てきます。未視聴の方はご注意ください。


「黒ずくめの組織に入る。アポトキシン4869を飲んでみる。わざと疑われるようなことをしてコナンさん達と関わりを持つ。どれが良いと思います?」

「どれもやったらすこぶるめんどくさい事になると思います」

「でも黒の組織って面白そうなんですよ。ポエマーとか厨二病とかいるみたいなんです。一番の厨二病はNOCバレして今はいませんが」

 

 不老不死の研究をしているらしい国際的な組織──通称黒の組織の存在が発覚してすぐに国際会議が開かれた。既に寿命が延びてしまった人間が居ることからあの世とこの世のバランスが崩れる可能性があると判断され、黒の組織を潰すよう仕向けることが決定。さらに、黒の組織のトップは日本人なのだからと日本地獄に責任が押し付けられたし、不老不死になるためのアイテムを探し求めている組織の後始末も押し付けられた。

 殺せんせーと死神の活躍もあって補償金はたんまり貰えたし、米花町の視察のついでなので、日本地獄は特に異論がない。

 寿命に変更があってはならないので、江戸川コナンと灰原哀、その他縮んだ人間を元の姿に戻す任務もあるが、コナンが動いているので大してやることはないと思われる。

 

「いつかは黒ずくめの組織を潰さないといけないですけど、関わるとロクなことがないのでやめといた方がいいですよ。ちょっと目立っただけで殺意を持たれる米花町に定期的に行くんです。悪の組織に入ったら死ぬほど面倒くさい事になります」

 少しでも不審な行動をしたら盗聴器をつけられ、些細な出来事で殺意を持たれるのが米花町だ。

 四六時中黒い服を着用するのが暗黙の了解になっている悪の組織に入りでもしたら、そこら中にいる探偵から「ザ・悪役の服装をしている! 怪しい!」と目をつけられる。また、「悪そうな奴らと一緒にいて目立っている。ムカつく」と謎理論で殺意を抱かれる可能性だって十分にある。

 

「ほんと、米花町って物騒なんですよ。いつ死ぬかわからないから『明日』なんて言ってられないし、一日に最低でも五回は何かしらの事件に遭遇するし……」

「すみません、鬼灯様。長期休暇って貰えませんか? できれば一年くらいが良いんですけど……」

 途中から米花町への恨みつらみを語り出した菜々だったが、死神によって遮られた。

「あ、無理です。諦めてください」

「即答⁉︎」

 死神はかなり貴重な人材だ。突っ込みや軌道修正、殺せんせーのストッパーを全てこなしている。彼がいるからこそ鬼灯も安心して突っ込みを放棄できるのだ。

 せめて、突っ込み要員の最大候補である元E組メンバーがあの世に来るまでは死神に頑張ってもらいたい。

「金魚草の開花を発見した花咲さんが、数年前から本格的に金魚草の研究をしているじゃないですか」

「ああ、様々な金魚草に関する著書を出してますよね」

「それで、彼の元で金魚草について学んでみたいんです!」

 まっすぐ前を見つめている死神の目は輝いている。彼はあの世の植物について学ぶだけでなく、独自に研究もしており、いくつかの事実を発見している。

 死神に長期休暇を与えれば、金魚草についての研究が進むのは確かだろう。

 金魚草か職場から突っ込み役が居なくなるか。鬼灯が揺らぎ始める。

 あぐりの勤め先であり、椚ヶ丘中学校の理事長になる前に學峯が開いていた塾の第一期生が作った「浅野塾」。そこで殺せんせーは定期的に特別講師を務めており、いつか長期に渡って講師をしてみたいと麻殻に話していた事を鬼灯は思い出す。

 いっそのこと殺せんせーにも長期休暇を取らせてしまえば良いのではないかという案が脳裏をよぎったが、すぐに却下した。

 殺せんせーと死神が抜けたら、二人の分の仕事がまわってきて視察どころではなくなるのだ。

「いや、さすがにあなたが抜けるのはキッツイです。殺せんせーを止める人がいなくなります」

 予想していたようだが、それでも落ち込みを隠せない死神。金魚草の研究が進むのなら万々歳な鬼灯は、条件を出す事にした。

「殺せんせーを止めることができて突っ込みが上手い、あなたの代わりが見つかれば長期休暇を取ってもいいですよ」

「滅多にいませんよ、そんな人」

 死神が諦めた声を出した時、執務室に入ってきた人物がいた。

 生前は東洋の魔術師、怪盗キッドと二つの顔を使い分けていた、黒羽盗一だ。

「休暇と現世行きの許可をもらいにきました」

「盗一さん! 一年間……それが無理なら十ヶ月でもいいです! 僕の代わりに先生のストッパーになってください‼︎ 生前、窃盗してたのにちゃっかり地獄に就職しているあなたならできるはずです!」

「いや、殺せんせーはさすがに……」

 苦笑いを浮かべる盗一。彼は天才マジシャンであり初代怪盗キッドだ。

 

 宝を悪用して荒稼ぎをする者達の妨害を行っていた怪盗淑女こと千影が足を洗う際、彼女の存在を多くの人が忘れるようにと、盗一が彼女を凌ぐ大怪盗になる事を決意したのが始まりだった。その時、イケメンにしか許されない方法で求婚して結婚までこぎつけているのだから大したものだ。

 色々あって怪盗キッドと呼ばれるようになった盗一は、ある日、謎の組織が不老不死になるためにとあるビッグジュエルを探し求めている事を知ってしまった。

 数あるビッグジュエルのうちの一つにパンドラと呼ばれる宝石が入っているらしく、宝石を月明かりに照らすことでパンドラの有無を確認できるそうだ。

 次々とビッグジュエルを盗み出す事で、謎の組織に悪用される前にパンドラを探し出そうとした盗一だったが、事故に見せかけて殺された。

 

 波乱万丈な人生を送ってきた盗一の裁判は難しいものだった。

 好きな女性のためとはいえ窃盗を働いた。しかし悪の組織の目論見を阻止しようとした。人間が不老不死になったら困るあの世としては、彼がいたからこそ最悪の事態を防ぐ事ができたとも言える。

 しかも供物が大量に届いていたこともあって、盗一は稀に見る判決が難しい亡者となった。

 結局は、盗一と知り合いだったため裁判に関われなかった菜々が陰で動いたこともあって、彼は地獄で働く事になった。

 今では、マジシャンの心得として学んだ心理学を駆使して、より精神をえぐる拷問方法を考えたり、事務仕事をしたりしている。そもそも、マジシャンと怪盗を両立させる事ができていた盗一は手際が良かった。

 いくら理由があったとはいえ窃盗の罪が消えるわけではないので低賃金だが、盗一は今の暮らしに満足している。

 

「盗一さん、現世行きは許可しかねます」

 鬼灯に告げられた言葉が耳に届くと、盗一は固まった。

「私の跡を継いで二代目怪盗キッドとなった息子の様子を見に行きたいのですが……」

「盂蘭盆の時に見に行けばいいでしょう。それ以前にあなた、前回の盂蘭盆では常習犯である研二さんや陣平さんと同じくらい帰りが遅れたじゃないですか。現世行きに関しては信用がかなり低くなっていますよ」

 唯一生き残っている警察学校時代の友人の様子を毎年見に行っている萩原と松田は、盂蘭盆が過ぎてから帰ってくる事が多いと有名である。あの世に来てから国際結婚をした伊達が説得してくれているが効果は薄い。

「あれはしょうがないんです。息子の様子を見た後、外国にいる妻の様子を見に行こうと飛行機に乗ったのは良かったんですけど、飛行機がハイジャックされた時に事故が起こって飛行機が海のど真ん中で墜落しまして。それから自力で妻の元に向かってたらいつのまにか時間が過ぎていて……」

 現世はなにかと物騒だ。さすがにこれではあんまりだと思い直し、鬼灯はしばし考えた後提案をした。

「一年間死神さんの代わりをしてくださるのなら現世に行ってもいいですよ。しかも、お膳立てはこちらがします」

 鬼灯が言わんとする事を察して、葉を浮かべた砂糖水に手をかざしていた菜々は会話に加わる事にした。

「盗一さん。もしも現世に行ける事になったら、どうやって息子さんの様子を見に行くつもりですか? 確か、次郎吉さんが怪盗キッドに挑戦状を叩きつけましたよね? 飛行船にビックジュエルを展示するから取りに来てみろって」

「ああ、従業員として潜り込むつもりだが……」

「招待客として飛行船に乗れたらどうします? 仕事で時間を取られないので好きなように動けますよ」

 この前の現世視察の時、キッド関連の事件に関わらせてもらえるように次郎吉に頼んでおいたのだ。

 

 盗一に迷いが生じる。

 盂蘭盆の時にも息子の様子を見ることはできるが、怪盗キッドとして活動している様子が見れるとは限らないのだ。この話はかなり美味しい。

 しかし死神の代わりをするとなると、胃に穴があくのではないかと思う。

 

「突っ込みと、私が出来る限りの殺せんせーの監視だけですよ……」

 ため息混じりに答える盗一。

「死神さん。そういうわけなので休暇は現世視察が終わってからになりますが、いいですね?」

 鬼灯の言葉に死神は元気に返事をする。

「はい! 金魚草についてしっかり学んで来ます!」

 

 

「ところで盗一さん。どんな変装をするのか一緒に考えましょう」

 死神が書類を持って法廷に向かったのを見届けてから、鬼灯が口を開いた。

「おそらく飛行船に警察も乗り込むでしょう。つねられて変装がバレる可能性もあります」

「顔を包帯でぐるぐる巻きにしておけばいいんじゃないですか? 見た目が訳ありっぽいので包帯を取れとは言われないだろうし」

 菜々が意見を出すが盗一に反論される。

「息子との再会の場でミイラ男みたいな格好はちょっと……」

「じゃあ仮面ヤイバーのコスプレ。子供の夢を壊さないという名目でヘルメットを死守すれば……」

「そういえば、あなたが横流しして来た超体操着の作りを元に、技術課の人達が特殊繊維の開発をしてましたね。死なないとは言え、怪我をしやすいためなかなか刑場に行けなかった亡者の獄卒の選択肢が広がるので許可しました。で、なんでその技術を仮面ヤイバーのコスチューム作りに使ってるんですか」

 鬼灯の予想が当たっていたらしく、菜々は目を泳がしたが、すぐに反論する。

「一つ言っておきます! あれは経費で落としてません!」

「あの、仮面ヤイバーの格好も嫌ですよ……」

 控えめに挙手をして盗一が会話に入ってくる。

「でも、残ってる選択肢は無難な着ぐるみだけですよ。私は怪人カマドキャシーが良いと思います」

「ああ、あのオネエのゆるキャラですか」

「稲荷の狐に化かして貰えばいいんじゃないか? 君も昔はそうしてたんだろう?」

 ふと思いついたように盗一が呟く。

「長時間化かしを行えて、現世に滞在できる権力を持つ狐って限られてるんですよ。私がお世話になっていた狐は長期休暇中ですし、他に条件に当てはまる狐がいるかどうか……」

 偶然なのか、現世滞在中に菜々を化かして人間に見えるようにしていた稲荷の狐、ソラは一年の休暇を取っていた。

「じゃあ、私に変装すれば良いんですよ! 私を気絶させるのは無理だって散々中森さんも言ってましたし、変装だって疑われることは無いと思います!」

「菜々さんは視察に来なさい。何勝手に逃げようとしてるんですか」

「だって鈴木財閥と怪盗キッドの組み合わせって絶対事件起きますよ! しかも赤いシャム猫とかいう組織が細菌盗み出したじゃないですか‼︎ 嫌な予感しかしない!」

「あ、篁さんに変装するとかはどうですか?」

 なんの脈もなく、いきなり鬼灯が提案した。

「もちろん性格も真似してもらいます。この前、篁さんが休暇を取って現世に行った時にコナンさんと遭遇したらしいので、言動を勝手に変えたらすぐにバレますよ」

 

 篁が妻と一緒に京都観光に行った日の夜、暇を持て余して一人で散歩していたら弓や刀を持ち出して戦っているコナン達と遭遇したらしい。篁は「現世の弓って凄い。子供が飛び乗っても折れなかった」などと供述していた。

 銃刀法の存在を疑いたくなるほど拳銃が出回っている町があるのだから、そんな状態になっていても大した驚きはない。殺せんせーがカウンセラーを勧めてきたが、今更なので菜々は気にしなかった。米花町に住んでいると、精神を守るために早いうちから感覚が麻痺してくるのだ。

 

「せめて弟切さんにしてください!」

 生前は色々やっていたが、有能だったので地獄でかなりの地位についているイケメンの名前を盗一が挙げるが、瞬時に鬼灯に却下される。

「駄目です。面白くもなんとも無い」

 そこから激しい言い争いが始まった。日本地獄だけの法律に止まらず、現世やEU地獄の法律、エロ同人誌のお約束まで持ち出した壮大な戦いだったが、結局は盗一が折れた。

 

 

 *

 

 

「ねえ江戸川君」

 麻酔針を補充してもらうために阿笠邸を訪れていたコナンに灰原が話しかける。ソファーに座って持参した推理小説を読もうとしていたコナンは目線を上げた。

「なんだよ」

「この前会った女性──加々知菜々さんについて、あなたが言っていた通り聞いて回ったわ。その過程で、博士に紹介してもらってご両親に話を聞いたんだけど、彼女本当に人間?」

「それはだいぶ前から米花町七不思議の一つになっている」

「……そう」

 沈黙の後に声を絞り出して灰原がそれだけ言う。

「確かにあの人は散々ホームズの誤解を招く話をしている。本気にしてる人はほとんどいないけどな。だけど俺はあの人を許さねえ! 元の体に戻ったらしっかりと決着をつけてやる!」

「そんなこだわりがあるからコクーン体験中に決闘、決闘言っていたのに何もしなかったのね」

「そうだ。これは工藤新一が終わらせないといけない戦いなんだ!」

「へー」

 適当に相槌を打つ灰原。

「それに、痛い行動をしたりしょっ中無茶したりしていたらしい。まあ、俺が覚えている時期は丸くなっていたらしいから、親父達から聞いた話だけど。でも、現金な奴だったし変な物持ち歩いているしで、俺も結構苦労した」

 遠い目をするコナン。しかし、彼の声からは悪意が感じられない。

「あなたが彼女に友好的なのって、あの人の伯父が刑事だったから?」

「ああ、加藤警視か。菜々が『一度決めたことは最後までやり遂げようとする』って言ってたな。両親も癖はあるもののいい人達だけど、それだけが理由じゃねえよ」

 昔起こった出来事を思い出しているのだろう。懐かしそうな目をしてコナンが口を開く。

「あの人さ、誰かがピンチだって知ったらすぐに飛び出していくんだぜ? イタズラがバレそうになったら人に罪を擦りつけようとしてくるくせに。わけわかんねえよな」

「ええ、そうね」

 かすかに微笑んで言葉を返した灰原は思い出す。菜々の名前を出しただけで、「あの子色々やってるからな……」と遠い目をしながら話を聞かせてくれた大人達の声にも、悪意が感じられなかったことを。

 小学生の頃から「こんなことができるのは内申が関係ない小学生の時だけ」という持論の元、問題行動ばかり起こし、中学生になってごく僅かに丸くなったものの、「椚ヶ丘の奇行種」と呼ばれていた。そんな彼女のやらかしたエピソードと同じくらい、好意的な話も聞かせてもらった。

 なんだかんだ言って困っている人がいたら手を貸す。ボランティア活動に参加する事が多かった。定期的に刑務所に通って、犯罪者と面会していた。やけに土下座が上手いなんていう、好意的なのかよく分からない情報もあったが。

 やらかしているくせに町の人たちから嫌われていないのは、そう言う面があったからだろう。出来るだけ関わらないに越したことはないと考えられていたらしいが、それでも悪い印象は持たれていなかったようだ。

 飲む、打つ、吸うの小五郎が町の人たちから友好的に接されているのは、同じような理由なのだろうとも思い、灰原は心が温かくなった。

 

 しかし、名探偵に伝えなくてはならない事が他にあった事を思い出し、真剣な眼差しを送る。

 

「そういえば、鬼灯さんだったかしら? あなたが怪しんでいた男の人、調べたらすぐに名前が出てきたわよ」

「何!本当か⁉︎」

 一気に緊迫した空気をかもし出すコナン。

 調べてすぐに名前が出てくるが、自分が知らない人物。もしかしたら過去に犯罪を犯した人物かもしれないと顔に書いてある。

「彼、黄金神教事件の被害者よ。黄金神教って知ってる?」

「ああ、数十年前に謎の死を遂げた大富豪──烏丸蓮耶が作ったと言われる新興宗教。烏丸蓮耶が関わっている事件に遭遇した事があったから、彼について調べてみたら出てきたんだ。当時はかなり大きく取り扱われたみてーだな」

 

 黄金神教事件。半世紀以上前から存在していた黄金神教という宗教が元になった事件だ。三十年程前に起こった事件だが、今でも続く様々な社会問題を引き起こした原因だ。

 黄金神とされる存在に祈りを捧げ、山の中で信者達が集団生活を送る。それらの事は自由の範疇とされていたが、数多くの信者が殉教の名のもと自殺をしていると判明。マスコミに取り上げられて社会問題となり、警察が介入する事となった。

 幹部達が法外な寄付金で贅沢な暮らしをしていた、孤児院から引き取った身寄りのない子供達を「生贄」としていたなど、胸糞悪い事実が明るみに出た事件だ。

 余りの酷さからこの事件は大きく取り上げられ、黄金神教と関わっていたというだけで白い目で見られるようになった。

 親に連れられて山で生活していたいわゆる「二世代」の子供達が、実力があっても正規雇用で採用されないなど。今でも黄金神教が元となったさまざまな社会問題が根強く残っている。

 

「加々知さんが『二世代』だったとかか?」

「いいえ、彼は生贄になる手はずだった孤児だったみたいよ。この事件に関わった刑事が何らかの形で命を失った時期に、何者かによってネット上にばら撒かれた、黄金神教に関わった人物リストの『生贄予定』の欄に名前が載っていたわ。警視庁に保管してあった黄金神教事件のデータだけが雲散霧消したそうだから、事実かどうかを確かめる手段はないけど」

「そうか……」

 自分が想像もできないほど過酷な過去を思って、コナンが目を伏せる。

 てっきり裏社会の人間だと思い込んで失礼な事を尋ね過ぎてしまった事に対する後悔が押し寄せて来る。今から思えば、黄金神教関連で安定した職に就くことができなかったのだろう。

 彼は気にしていないかもしれないが、今度出会ったらしっかりと謝らなくてはならない。

 コナンが真に受けている鬼灯の過去は事実と共通点こそあれど律によって偽装されたもので、鬼灯は日本地獄の影の支配者なのだが、彼がそれを知るよしもなかった。

 

 

 *

 

 

 ベルツリー一世号は世界最大の飛行船だ。次郎吉が怪盗キッドを迎え撃つために、手に入れたビッグジュエルをこの飛行船に展示した。

 しかし、十年前に壊滅したはずの「赤いシャム猫」という組織が殺人バクテリアを盗み出したという事件が起こったため、今回の事はあまり大きく扱われていない。

 次郎吉はさぞ悔しがっている事だろうと考えながら、菜々は乾いた笑いを漏らす。眼下に広がるのは東京の街並み。

 少年探偵団のはしゃぎ声や、高所恐怖症である小五郎のわめき声はやけに良い声にかき消された。

「人がゴミのようだ!」

「それ、自分自身がゴミのように散っていくフラグですよ」

 心なしかはしゃいでいるように感じられる鬼灯に、篁に変装した盗一が返す。

 キッドが宝石を盗みに来る飛行船に潜り込む事に成功した鬼灯達は、空の旅を満喫していた。しかし、菜々は真逆の反応を示している。

 鈴木財閥、工藤家の人間、怪盗キッド、世間を騒がす大事件。これだけ揃っているのだから、爆弾も登場するはずだ。

 うなだれた事で少しずれてしまったキャスケットの位置を戻し、菜々は右側で繰り広げられている会話に耳を傾ける。

 

 護衛と一緒に現れた次郎吉が飛行船の中継をする人数が少ない事に文句を言い、テレビディレクターである水川が困ったような顔をしていた。

「すみません……。例の事件で局が手一杯でして……」

 七日以内に次の行動を起こすと赤いシャム猫が犯行予告をしてから、今日が七日目。テレビ局は緊急事態に備えているのだ。

「それにしても、犯人達はあの細菌をどうするつもりなんスかねぇ」

「そうそう。感染したらほとんどが助からないって言うじゃない」

 カメラマンである石本と、レポーターである西谷が話し始める。

 石本によると、飛沫感染でうつるタイプの細菌らしい。

「なーに、殺人バクテリアだかなんだか知らねえが、俺なんか病原菌がウヨウヨしているところを飛び回ってきたが、こうしてピンピンしてるぜ!」

 会話に加わってきたのはルポライターの藤岡。園子によると、自分から次郎吉に売り込んできたらしい。

「最も、お前らみてーなガキはコロッといっちまうだろーけどな!」

 急に不安そうな顔をする子供達。

「大丈夫だよ! だって君達、米花町に住んでいるんでしょ?」

 少年探偵団に菜々は話しかける。

 鬼灯の姿を見つけてすぐ、この前の事を謝って簡単に許してもらったコナンは、「加々知鬼灯、ただの悪人顔の変人説」を検証していたため、反応が遅れた。

「米花町はヤバイよ。薬品を使った犯行が四六時中行われているせいで、違法なはずの薬品が町中に漂ってるし、定期的に毒ガスがばら撒かれているから、米花町で生活しているだけで、毒の耐久ができるんだよ。それに、あのケツアゴの人が行ったことがある場所のどこよりも米花町の方が危険だと思う」

「菜々さん、藤岡さんの名前覚えてないでしょ……」

「ちゃんと覚えてやれよ……」

 六歳の子供に注意されるが菜々は特に気にしなかった。

「私は、米花町に住んでいるとリョーツGPXができるんじゃないかと思ってる」

 菜々がとんでもない説を掲げ出した時、「日本のどこで細菌がばら撒かれていようが、この飛行船に乗っていれば大丈夫だ」と次郎吉がフラグを立てていた。

 

 キッドが狙っているビッグジュエルを見せてもらう事になり、宝石が展示してあるスカイデッキに連れて行ってもらう事になった。

 全面ガラス張りのエレベーターの微かな振動がおさまり、扉が開くと、どこか南国を思い浮かべる空間が広がっていた。

 屋根の一部が開閉式で、雲が流れる空を見ることができる。

 二メートル程度のヤシの木が左右対称になるように植わっており、中央には宝石の展示台が設置してある。

 ビックジュエルが展示してあるガラスケースの周りには数人の刑事。その中には中森も居る。

「あ、中森刑事」

「おい、お前が結婚できたって本当か⁉︎ 刑事の間で噂になってるんだが……」

「前から思ってたんですけど、私って刑事さん達になんて思われてるんですか?」

「なんか色々ヤベー奴。で、あんたらは?」

 中森が視線を鬼灯と篁に変装した盗一に向ける。服装が服装なのだから仕方がない。

 ぱっと見普通に見えるのに、よく見ると墓がプリントされているシャツを着ている鬼灯と、攻めに攻めまくった奇抜な服装の天パ(中身:盗一)。

 中森は長年の経験から、この二人が菜々の知り合いだと判断した。菜々がいる時、よく分からない人物が現れたら十中八九彼女の知り合いなのだ。

「加々知鬼灯です」

「加々知? じゃああんたが……」

「ええ。噂になっているらしい夫です」

「菜々ちゃんの幻覚じゃなかったのか……」

 この前コナン達から似たような扱いを受けて反応しても無駄だと悟ったので、菜々はスルーした。

「こんにちは。小野篁です。貞子の次に井戸が似合う、あの小野篁と同じ漢字です!」

 盗一はしっかりと篁に成りきっていた。

「小野さん? 高村さん?」

「よくされるんですよ、そういう反応」

「やっぱりあの時の人だよね! 久しぶり‼︎」

 コナンが会話に加わって来た。以前、篁が偶然コナンと出会った時の話だろう。

 ボロを出さないようにとポーカーフェイスを保ち、盗一はどこか哀れむような視線に疑問を持ちつつ、コナンに向き直った。

 

 

 *

 

 

 盗まれた仏像のありかを示す暗号を解読して欲しい。毛利探偵事務所に舞い込んだ、京都にある三能寺という寺からの依頼。それにちゃっかりついて行ったコナンは仏像の行方を追い、途中で平次と合流した。

 

 なんやかんやあって月夜に玉龍寺で犯人一味と戦っていた時、呑気な歌声が聞こえてきた。よくよく聞いてみると、ラジオ体操第二のリズムだ。

「こっち来たらアカン! さっさと逃げるんや‼︎」

 刀で敵の刀を押し返そうと力を込めながら、平次が叫ぶ。

 近くにいるはずなのに、平次の声がやけに遠い。無理やり工藤新一の姿に戻っていたが、また子供の姿になってしまうらしい。三度目の骨が溶けるような感覚に襲われながら、新一はまとまらない思考をどうにかしようとする。

 無関係の人がこの場に近づいて来ている。どうすれば彼を助けられるのだろう。

 先程自分の姿を見てしまったため麻酔銃で眠らせた蘭を抱きしめ、彼女に怪我をさせないように、幼児化に伴う痛みのあまり声を上げて敵に見つからないようにと気を張り詰める。それと同時に、何も知らない男を逃す方法を模索する。

 

 痛みと共に子供の姿に戻る。隠し持っていた江戸川コナンの服に着替え、コナンは辺りの様子を確認した。

 寺の中から足音と怒鳴り声が聞こえる。平次と和葉はあの中を逃げ回っているのだろう。

 今まで荒かった呼吸を整え、姿が変わる直前に聞こえて来た気の抜けた声の主を探す。石段を登りきって門をくぐった直後のようだ。

 派手な服装の天パの男性が目に留まった。一瞬奇抜な服装に面食らったが、彼を事件に関わらせるわけにはいかないと思考を始める。

「逃げて! 『源氏蛍』のメンバーを殺害した犯人と戦っているんだ‼︎」

「そう言えばニュースで見たような……でも、そんな危険な人達と君みたいな子供が戦っているなんておかしくない?」

 驚きより、相手の身の危険を心配する気持ちの方がまさっている。彼を無傷で返さなければという思いがより強くなった。

「警察に知らせたいけど携帯は圏外で……」

 現状を説明している途中に何かを思いついたらしく、松明の火を木の棒に移し、コナンはぶん投げた。門の近くにまとめてあった薪が火の手をあげる。

「よし! この火に誰かが気がつけば……!」

 次に、和葉を追いかけて来た敵に向かって火のついた棒を蹴り、見事命中させる。

「あ!」

「お兄さん、どうしたの⁉︎」

 何か重要なことに気がついたのだろうか。和葉に平次の行方を聞こうとしたが、こちらの方が先だとコナンは判断した。

「あのお面、怒った時の同僚そっくりなんだよ!」

「心底どうでもいいよ! 和葉姉ちゃん、平次兄ちゃんは⁉︎」

「あっこ!」

 和葉の指先をたどってみると、屋根の上で敵と対峙した服部が見えた。

 

 しばらく戦々恐々としながら見ていると、平次が蹴りを受けて転がり落ち始めた。すんでのところで刀を屋根に引っ掛けて難を逃れるが、下から弓で狙われている。

 コナンは瞬時に走り出し、寺にできるだけ近づくと声を張り上げた。

「おーい! こっち‼︎」

 平次を狙っていた敵達は、コナンが上に放り投げた時計型ライトに釘付けになる。球型に戻りつつある月と燃え盛る火しか明かりがなかった中、まばゆい光を放つ物が子供の声がした方向に現れたのだ。

 子供と言っても、松明を蹴って攻撃してきた子供の声だ。油断できない相手であることは確か。

 今、平次を仕留めなくてもこちらが有利なことに変わりない。それより、不確定要素を始末した方が良いはずだ。

 敵はそう判断したのか、時計型ライトに向かって一斉に矢を放った。

 寺に刺さった矢を確認し、コナンは勢いをつけて飛び上がる。キック力増強シューズの力で夜空を舞い、矢に足をかけて再び勢いをつける。どこでもボール射出ベルトのボタンを押して取り出したサッカーボールを、平次に斬りかかろうとしている敵の右手目がけて蹴った。

「いっけえええ!」

「え、矢ってあんなに頑丈なの⁉︎」

 篁が呟いたのと、武器を失った敵を平次が倒したのはほぼ同時だった。

 

 やがて警察が到着し、なぜか一般市民が先陣を切り、瞬く間に犯人達は捕まった。

 一緒に旅行に来た妻が旅館に着いてすぐ露天風呂に入りに行ってしまい、暇だったので面白そうなものを探していたらここに着いたと証言した篁は、あっさりと帰る許可が貰えた。現場に居合わせただけの篁に警察は特に用事が無いのだろう。

 名前が地味に言いにくい綾小路が指揮をとるのを尻目に、篁はコナンに話しかけた。

「ねえ君、身長っていくつ?」

「え……112センチだけど」

 質問の意図が分からないようだが、コナンはしっかりと答える。

 不安げな瞳が篁を映す。高校生二人と小学生一人が武装した人間に追い回される事件に巻き込まれてしまったのだから、コナンとしては彼にゆっくりと休んで欲しいのだ。刑事に話した内容から、これくらいの事でへこたれる精神を持ち合わせていない事が伺えたが、奥さんとゆっくり過ごした方が良いのではないかと思う。

「112センチ⁉︎」

 訝しげに眉をひそめる篁に、平次は何事かと首をかしげる。

「だって君、どう見ても80センチ未満だよね⁉︎ 二歳児の平均身長より小さいよ⁉︎」

「はあ? どう見ても110センチくらいやろ」

 平次もコナンの肩を持ったが、篁は納得しなかった。

 高校生探偵だと名乗っていた少年──服部平次の身長は170センチ半ば。足の長さは90センチくらいだろう。そうなると、身長が平次の足の長さのおよそ五分の四であるコナンの身長は70センチちょっと。どう考えてもおかしい。

「メジャー! 誰かメジャー持ってませんか⁉︎」

 平次の篁を見る目が、可哀想なものを見る目に変わった。

「あんた、疲れてるんやろ? さっさと旅館に戻った方が良いで」

「まさかこれが噂される現世の不思議現象……⁉︎」

 コナンはよく分からないことを言い始めた男に既視感を覚えた。すぐに記憶の糸を辿って、理由を思い出す。

 菜々が六歳の頃、メジャーで大人の足と子供の身長を測って、「30センチどこ行った⁉︎」とブツブツ言っていたらしい。もしかしたらこれは変人に見られる現象なのかもしれない。

 

 

 *

 

 

「篁さん、菜々さんとどんな関係なの?」

「オカルト関係で知り合ったんだよ。ほら、私の名前ってちょっとオカルトに詳しい人の間では有名な人物と同じだし」

 服装の系統の違うグループは大抵オタクの集まりだ。どこかの誰かが言った言葉である。

 事前に決めておいた設定を篁が説明すると、コナンはあっさりと引き下がった。

「それにしても、なんであんなお宝を何の変哲も無いガラスケースに展示するんだ?」

 中森の言葉で、次郎吉がキッド対策に仕掛けた罠を紹介し始めた。

 

 やがてそれが終わると解散となり、菜々は人気の無い廊下に鬼灯と盗一を引っ張っていった。

 近くに誰もいない事を確認し、菜々が口を開く。

「この流れだと、赤いシャム猫のメンバーが既に飛行船に乗っています。後、爆弾も登場するはずです」

 米花町で生き抜き、工藤家と関わっていたくせにしぶとく生き残った菜々の勘は、事件関連の場合のみ百発百中だ。

「できる事なら殺せんせーの力を借りてトンズラしたいですが、これから先、コナンさん達と関わる予定である事を考えると無理ですね」

 顎に手を当てて考え込む鬼灯。

「目立たないように気をつけて、し……コナン君がなんとかするのを待つか、盛大に暴れるか。前者を選択したら、もれなく疑われますけど」

「でも、誰が赤いシャム猫なのかは知っておきたいな……」

「倶生神さん達に聞くのが早いですね。よろしくお願いします、篁さん」

「嫌だよ。どう考えても誰もいない所に話しかける変な人だと思われるじゃん」

「私は爆弾解体しますから。こんな事もあろうかと、爆弾解体セットは持って来ています」

「か、い盗キッドの様子を見たいんだけど」

 息子の名前を呼びかけたが、盗一は上手いことごまかした。取り繕う必要がない今でも篁のふりをするのはプロ根性なのだろうか。

『あの、もし良かったら私が調べましょうか?』

 パーカーにしまわれていた盗一のスマホに映った律が名乗りを上げた。

『カメラの部分が外に出るように、菜々さんの胸ポケットにスマホを入れてもらえれば、こっそりカメラで確認して、浄玻璃鏡で検索してみますよ。倶生神さんに話を聞くより時間はかかってしまいますが……』

 

 

 *

 

 

『警視庁のデータをハッキングした結果、飛行船に赤いシャム猫のメンバーは誰も乗っていない事が分かりました! それと、犯人達は細菌を盗まず、ただ研究室を爆破しただけみたいです』

『あ、でも海外で傭兵経験のあるグループみたいですよ。多分テロは目くらましだと……』

 何気に恐ろしい発言をした律に続いて、ノアズ・アークが報告する。

「なるほど。だとしたら目的は盗みですかね? 殺人バクテリアがばら撒かれたこの飛行船が都市に墜落するなら、そこの住民は逃げ出すでしょうし」

 こちらについてはコナン任せだ。地獄法で必要以上に現世の出来事に関わってはいけないと定められている以上、あまり大きく動けない。

 見過ごすのは後味が悪いので、さりげなくヒントでも与えようかと菜々が考えていると、盗一が呟いた。

「でも銀行とかはセキュリティーが凄いし……。盗むなら寺からかな?」

「律さん、犯人達が盗む予定のものを調べてください。下手に神が宿っている物を盗まれた場合、私達がいたのに阻止できなかった事が問題になって、天界との仲がこじれる可能性があります」

『はい! ボスである藤岡さんの携帯の履歴を調べてみます!』

 鬼灯に元気よく答える律。彼女はその気になれば世界征服ができるのではないだろうかと菜々は常々思っている。

 

『分かりました! 奈良県にある豪福寺の仏像を盗むつもりみたいです。国宝がいっぱいありますし、情報社会の今ではお金よりも仏像の方が足がつきにくいですから……』

「それ、神が宿ってる可能性が高いですね。神が宿っていたら暴れちゃいましょう」

 今回の視察は、半分遊びである。

 盗一について行くついでに、地獄にとって面倒な組織の一つと敵対している高校生の様子を見て、灰原の人となりを調べる、くらいのノリだ。

 パンドラを狙っている組織は黒ずくめの組織に良いように扱われているようなので、黒の組織を潰すついでに潰す事ができると判明している。そのため、二代目怪盗キッドである黒羽快斗についての観察もそこそこで良く、好き勝手やる余裕があるのだ。

 

『ルポライターの藤岡さんが傭兵のボス。カメラマンの石本さんとレポーターの西谷さんがその部下です』

「じゃあ、藤岡って人の着メロ、そこらへんのエロ動画から拾って来た音声に変えといて。それと、携帯の待ち受け画面は烏頭さんが見ていそうな奴に……」

 菜々はすかさず提案した。作戦を実行する仲間以外は普段の着メロに設定しておけば、味方と連絡を取り合っている時に分かるという言い訳も考えてある。

 

 

 その頃、キッドは蘭に変装を見破られてしまい、誤魔化すために自分は工藤新一だと嘘をついていた。



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第28話

誤字脱字報告ありがとうございました! すごく助かりました。


※ルポライターの藤岡が酷い目にあいます。少数派だとは思いますが、彼のファンの方はご注意ください。



 ウェイターに変装していたキッドは蘭に正体を見破られてしまった。飛行船に乗る前に蘭が作業員に渡した、「新一LOVE」の文字が小さく書かれた絆創膏を肘に貼っていたからだ。

 とっさに素顔を見せて、自分は工藤新一だと言い張るキッド。素顔が瓜二つであることを利用したのだ。

 盗み聞きしたコナンの思い出話を語ったおかげで蘭に信じてもらうことができ、キッドは難を逃れる。

「じゃあな……」

「ねえ……」

 蘭の声にキッドは足を止めたが、ルポライターである藤岡の姿を見てウェイターとしての仮面を被りなおした。

 キッドが藤岡に頭を下げると、蘭が目を伏せて伝えてくる。

「私、信じてないから……」

「では失礼します」

 キッドは踵を返して階段を降り始める。緊急事態だったとはいえ、訳ありらしい工藤新一の名を借りてしまったのだから、後でなんとかしなくてはならない。どうするべきかとキッドが思考にふけっていると、蘭が飛びのいた気配がした。

 どうやら、藤岡が勝手に蘭の両腕を掴んできたらしい。すぐに距離を取ったので何もされなかったようだが、彼の目的は分からないし気に留めておいた方がいいだろう。

 キッドは歩みを止めずに、新たにビックジュエルを盗み出す算段を練り始めた。蘭に正体を見破られたことで計画に狂いが生じたのだ。

 

 

 *

 

 

『天界に問い合わせてみたら、豪福寺にある複数の仏像に神が宿っていることが分かりました! それと、赤いシャム猫を名乗る組織の目的――仏像を盗み出す計画を告げたら、飛行船ごと犯人達に天罰を与える方向性で話が進み始めたので、こちらで後始末すると提案しました!』

 黒の組織を潰し、寿命を狂わせる薬を闇に葬るには、コナンに動いてもらうのが一番だ。天罰が下る前に飛行船を脱出することはできるが、コナンが巻き添えで死んでしまうのは痛い。

 盗一に割り振られた部屋の中央に置かれたソファーに腰掛けて、鬼灯達は携帯電の画面に映った律からの報告を受けていた。

「なるほど。では役割を決めましょう。盗一さんは一応休暇中なので自由行動。菜々さんは爆弾の解体および、主犯格である藤岡さんが雇った傭兵の無力化。金で雇われた傭兵達が乗り込んできた時、私は人質になって灰原哀さん達を観察します」

「私の仕事多すぎません?」

「だって金棒ないし、あったとしても使ったら相手が死んでしまいますし……」

「金棒使う以外に選択肢ないんですか⁉︎」

「六十三点!」

 盗一のツッコミに菜々がすかさず点数をつけた。反応速度は新人にしては良かったが、表情が物足りない。

 

 

 *

 

 

 部屋を後にした三人はダイニングに戻り、出されたケーキを頬張っていた。ケーキは乗客全員に振る舞われ、小五郎に至ってはビールを飲んでいる。

 ウェイターに扮したキッドを工藤新一だと思い込んでいる蘭は、彼の様子をチラチラと伺っている。園子に指摘されるまでは穴があくのではないかと思うほどしっかりと見つめていた。何かあるのだろうが、面倒なので菜々は気に留めなかった。

「時間ある? できれば話し相手になって欲しいんだけど」

「ええ、良いですよ」

 盗一がキッドに話しかけた。八年ぶりの息子との会話だ。

 当たり前だが篁の姿を借りているので突っ込んだ話はできず、自然と世間話をし始めた。アルセーヌ・ルパンについて、マジックについて。

 怪盗キッドを彷彿とさせる話題だというのにコナンから疑われていないのは、前回彼が出会った「小野篁」という人物と怪盗キッドが結びつかないからだろう。「おさるのお尻は!」「真っ赤っか!」という合言葉をを菜々と叫び合い、「キッドがこんな事するはずがない」と中森にゴリ押しした後だったため、コナンはキッドの変装という線も除外している。

 

「マジックなら私もやりますよ。誰かに箱に入ってもらい、刀を刺すアレなら何回か成功しています」

 鬼灯が親子同士の会話に入った。

「それって何回か失敗しているって事だよね⁉︎」

 鬼灯から少し離れた場所にある椅子に腰掛けていたコナンがとっさに立ち上がる。

「入ってたのが菜々ちゃんだったら何にも問題ないだろ」

「かすり傷一つなく出てきそうだ」

「多分刀が折れる」

 中森と小五郎、次郎吉が三人して何か言っていたが、菜々は空耳だと自分に言い聞かせて席を立った。

 もうすぐテロリストの仲間が飛行船に乗り込んでくるはずだ。

 

 

 *

 

 

 菜々がダイニングを後にし、本物の小学生である探偵団のメンバーも部屋でトランプをすると言って、わざとらしく退出する。

 駆け足でどこかに向かう子供達の足音が聞こえなくなったと思ったら、携帯電話の着信音が鳴り響いた。着信音が聞こえてくるのは次郎吉が不思議そうな顔をして画面を眺めているスマートフォン。登録されていない番号からの電話なのだろう。

「……もしもし」

『飛行船の喫煙室に殺人バクテリアをばら撒いた』

「何⁉︎」

 次郎吉のすぐ横にいた中森が眉を歪める。

「何をたわけた事を!」

『左側のソファーの下を見てみろ』

「おい、待て!」

 電話は一方的に切られた。

 ただのいたずら電話だとごまかすと、次郎吉は中森に目配せをする。中森は小さく頷いた。キッド対策でガスマスクは持ってきている。

 

 

 喫煙室に向かった刑事と次郎吉はダイニングに戻るとすぐ、電話の内容とその話は本当らしいと皆に伝えた。

 本庁に確認し、喫煙室のソファーの下に落ちていたアンプルは研究所を襲った者達が落としていったものと同じだと判明したらしい。マスコミにはこの話を伏せているので模倣犯の可能性はない。

「ともかくさっきも言ったように、Bデッキの喫煙室は封鎖――」

 中森の声は情けない悲鳴にかき消される。顔、首、両腕、手のひらと体全体が赤くなった藤岡のものだ。

「発疹⁉︎」

「まさか感染したのか⁉︎」

「そういえばあの方、さっき喫煙室に……」

 具合が悪い、死にたくないと呟きながら、藤岡はヨロヨロと中森に近づいていく。

 声をかけても止まらなかったので、蘭は藤岡の鳩尾を殴って気絶させた。

 よく見かける光景なので米花町民はなんとも思っていないようだが、江古田町民の中森はちょっと引いた。

 しかし、己が刑事である事を思い出し、中森は現状確認に努める。なぜか小五郎は二つ名の通り眠りこけているため、彼が率先して動かなくてはならないのだ。

「他に喫煙室に入った者は?」

 阿笠が蘭に消毒を勧めていると、今度は女性の悲鳴が上がった。

「ほ、発疹が……右手と左腕に……」

 倒れているポニーテールのウェイトレスを見てコナンは顔色を変えた。先程、元太が彼女にくしゃみをかけられていた事を思い出したのだ。

 研究所から盗まれたのは飛沫感染でうつる殺人バクテリア。嫌な予感しかしない。

 一方、鬼灯は蘭の容赦のなさに獄卒としての適性を見出し、盗一は息子と接触できる喜びを噛み締めながらポーカーフェイスを保っていた。

「どこか二人を隔離できる場所は?」

「それなら、診察室の奥にある病室がある。今回医者は乗せとらんが、そこなら外から鍵をかけられる」

 そんな会話を中森と次郎吉がしている頃、コナンはダイニングを抜け出し、元太達を探していた。

 

 

 *

 

 

「元太! オメー、体は大丈夫か⁉︎」

 立入禁止区域で探偵団の皆を見つけたコナンは、すぐさま元太に駆け寄った。発疹はまだ出ていない。

 コナンは安堵の息を吐いてから何が起こったのかを掻い摘んで話そうとしたが、遠くに怪しげな人影を見つけて小声ではあるものの声を荒げる。

「隠れろ!」

 犯人追跡メガネのズーム機能で確認すると、飛行船の真上に出ることができる扉のロックを開ける者がいた。遠目なのでよく分からないが、おそらく男だろう。

「誰ですか、あの人?」

「キッドの仲間か?」

 光彦と元太が口々に尋ねる。

「いや、あれは多分赤いシャム猫の……」

 答えかけてコナンは男の目的に気がついた。できるだけ早く扉に向かう。子供の小さな歩幅が恨めしい。

 しかし、一歩遅かった。コナンが扉に続くハシゴを登ろうとしたところでヘリコプターの羽音が耳に届いたのだ。

 ヘリコプターに乗った何者かがたどり着く前に扉を閉めるのは無理だと判断し、仲間が身を潜めている場所に戻る。

 やがて入り込んで来た武装集団に、コナンは彼らの目的を察する。おそらくハイジャックだ。ハイジャックをする理由は展示してある宝石目当てか、目立ちたいのか、何か他の目的があるのか。はっきりしないが、一つだけ分かることがある。彼らに見つかるのはまずい。

 男達の動きを読んで、どう動くべきかコナンが指示を出し始めた。

 

 

 *

 

 

『乗務員全員に告ぐ! 至急ダイニングに集まるように!』

 そんな放送が聞こえた。やはりハイジャックだ。灰原と探偵団バッジで連絡を取ったが間違いない。この推理は外れていて欲しかった。

『警察に連絡しろ。ただし、少しでも妙な動きがあれば飛行船を爆破する。そう伝えろ。間違っても俺達を捕まえようと思うなよ。喫煙室だけでなくこのキャビン全体に殺人バクテリアが飛び散ることになるからな』

 探偵団バッジから聞こえてきた犯人の要求にコナンは眉をひそめる。殺人バクテリアと爆弾。どちらか一つだけでも十分乗客を言いなりにできるはず。

「どうします、コナン君?」

「それよりもまず爆弾の解除だ」

 コナンは思考を一時止め、指示を飛ばす。

「それと、オメーら喫煙室に入ったりしたか?」

 コナンは探偵団の反応から入ってしまったのだと悟る。

 ちょっと覗いただけだ、中には入っていない。コナンを安心させようと笑って声をかけてくれるが、コナンは不安をぬぐい去れなかった。歩美と光彦はともかく、元太は感染者にくしゃみをかけられている。

「爆弾は全部で四つだ。そのうち二つは、下の通路の後ろ半分、燃料タンクの近くが一番怪し……菜々さんなんで居るの⁉︎」

「爆弾は全部解体したよ。でも、コナン君達が居るとは思わなくて、犯人達をおびき寄せるような行動しちゃった」

 皆は爆弾が全て解体されたことに喜んだが、コナンは菜々が何をしたのか気が気でなかった。

「何やったの⁉︎」

「厨房からこっちに来るときに見かけたハイジャック犯を気絶させて簀巻きにしただけだよ」

 この場に続くようにハイジャック犯が転がされているのだとしたら、その仲間がここに来るのも時間の問題だろう。子供達が危ない。コナンはどうするべきか一瞬で答えを出した。

「分かった。元太達は隠れてろ。俺は戦う。で、菜々さん、厨房で何やってきたの?」

 探偵団からブーイングが起こるが、コナンは気に留めない。菜々が厨房で何をしてきたかの方が重要だからだ。

 菜々の性格上、相手が親しい者でない限り、人の食べ物をくすねるようなことはしない。つまり、厨房で何をやってきたのかが謎なのだ。

「安心安全な拷問ができるかどうかの確認」

「拷問⁉︎」

「もしもの時はちょっと脅して情報吐いてもらうだけだよ。米花町ではよくあることだから大丈夫」

「……来た!」

 複数の足音が聞こえたので、コナンは会話を中断して小声で告げる。

「コナン、俺達も……」

「足手まといになるだけですよ、元太君」

 菜々は彼らの会話を聞いて戦慄した。「足手まとい」なんていう言葉を知っている六歳児はどれだけいるのだろう。そもそも、このような状況で平静を保っているだけでも異常だ。

 菜々は彼らくらいの歳の時の自分を思い出してみた。う◯こう◯こ言っていた記憶しかない。

 今度は、二度目の小学生生活を思い出してみる。やっぱりう◯こう◯こ言っていた。違うのは、高校物理の内容を用いて教師にいたずらをしようとしていたことくらいだ。

 少年探偵団は主人公の周りにいるから頭が良いだけだという説を思い浮かべたが、よくよく考えると、小学生が斜方投射云々言っていても気に止められない環境だ。多分米花町ごとおかしいのだろう。

 友人の幼少期を思い出してみる。そこらへんの大人よりも正義感が強かった小学生、ハッキングができる小学生、日本中を巻き込んだ騒ぎを止めた小学生。

「米花町やっばい……」

 菜々は無意識のうちに呟いた。しかしすぐに思考をハイジャック犯に対するものに切り替え、小学生の時の友人が少ないことからは目を背けてコナンに話しかける。

「コナン君も皆と隠れてて」

「でも……!」

「相手は銃を持っている。流れ弾がどこかに当たるとまずいから銃を撃たせる前に敵を倒さなくちゃいけない」

「……分かった」

 菜々が負けるとは考えられない。銃弾は避けるか掴むかするし、もしも当たっても気にせず動くような奴だ。

 コナンは、菜々に任せるのが最善だと判断して探偵団と物陰に隠れた。

 

 

 *

 

 

 仲間から通信が途絶え、不審に思ったリーダーから様子を見て来るように頼まれた。通信が途絶えた彼らが居たはずの場所には、簀巻きにされて転がされた仲間。

 罠だとすぐに分かった。それと同時に、こちらが舐められているのだと思った。

 自分は命を懸けて戦ってきた傭兵だ。人を殺したことがないような奴に舐められる筋合いはない。

 男――キャットAは誰にも告げず、仲間を倒した人間がいるであろう場所に向かった。

 相手は仲間を倒した。しかし、キャットAにとってそのことはどうでも良かった。

 

 彼には誰にも話したことがない過去がある。自分たちを雇った男――藤岡と昔出会ったことがあるのだ。きっかけは、とある傭兵から錯乱担当として雇われたことだった。

 傭兵集団「群狼」のリーダーである、「神兵」の二つ名を持つ伝説の傭兵――クレイグ・ホウジョウ。彼にほんの短い間だけ雇われ、作戦の一部に協力した。

 傭兵の中で知らない者はいない程腕が立つ男に認められたのだと、キャットAは歓喜した。しかし、その感情はすぐに消し飛ばされた。

 ホウジョウと「群狼」のメンバーにとって自分達は取るに足らない、ただの使い捨てだった。自分達は殺されることで時間を稼ぐために雇われたのだと気がついたのは死と直面した時。

 それは藤岡達も同じだったのだろう。偶然に偶然が重なって九死に一生を得た時は、様々なことに気がつかされた。死にかけたことは何度もあったが、この時ばかりは全身が絶望に染まったのだ。

 生きていることの素晴らしさ、自分の弱さ。眠って次の日に起きれることが、綺麗な空気でなくとも息を吸っても死なない環境にいることがどれほど素晴らしいのか、死線を共にくぐり抜けた藤岡達と語り合ったものだ。

 その繋がりで今自分が所属しているグループに仕事が回って来た。

 

 キャットAは藤岡達と出会ったことを仲間に話していない。彼らに出会った時のことを話すなら、自分の最も情けない経験を話さなくてはならないからだ。

 あの日から、彼は足掻いた。暇を見つけては訓練をした。

 おかげで、今所属しているグループの中では一番戦闘能力が高い。他の能力にばらつきがあるためリーダーではないが、彼はいわゆるエースなのだ。

 そして彼は思う。

 あのような経験をした自分よりも強い奴が、平和な世界に生きていて金持ちと繋がりのあるような人間の中にいるわけがない。

 そんな驕りは一瞬で吹き飛んだ。

 

 息ができない。毒ガスの中を突っ切った時とはまた違う感覚。彼は喉がしまったのだと気がつくよりも早く、意識を手放した。

 

 

「もしもし? 私メリーさん。今、ダイニングにいないあなたの仲間を全員倒したところなの」

 銃を握っていた男の通信機に向かって、菜々はふざけた口調で話しかけた。

 

 

 *

 

 

「俺が行く! お前らはここに居ろ!」

「了解」

 女性の声に乗客は息を呑む。ハイジャック犯のリーダーに答えたのはボブカットのウェイトレスだったのだ。

「あの様子だと爆弾も解体されちゃたんだろうし、見張りが一人だけだと変な気を起こされるかもしれないじゃない」

 リーダーは舌打ちをすると、ダイニングから出て行った。女性の勝手な行動に苛立っているものの、彼女は正論を言っているだけなので言い返せないからだろう。

 

「ねえ、こっちには銃があるの。見張りが二人だけとはいえ、変なことはしなーー」

 拳銃を弄んでいた女性が吹き飛んだ。

 ものすごい速さで壁まで飛んでいき、頭を打って気絶する。

「……こいつッ」

 女性を殴り飛ばした鬼灯に男が銃口を向けるが、彼は引き金を引く前に蘭にかかと落としを食らわされて倒れこんだ。

「ありがとうございます」

「いえ。こちらこそありがとうございました」

 鬼灯と蘭が呑気にお礼を言い合っていると、上の方から小さな爆発音が響いた。

「菜々ちゃん何やってるんだ……」

 爆発音の原因が菜々だと信じて疑わない中森。

 敵が制圧されたことに沸き立つダイニング。そこから、ウェイターが一人消えたことに誰も気がつかなかった。要するに、宝石が展示してある場所をキッドが堂々と爆破したのに誰も気がつかなかった。

 

『ちょっと、やめてください!』

 敵が制圧されたことに乗客が喜び、万が一のために菜々の元に行こうと刑事が提案しようとした時。怯えた女性の声が聞こえて来た。

「菜々さんはリーダーの男も倒したみたいですよ」

 携帯電話を握った鬼灯の言葉を聞いて、中森は思考を巡らす。

「おい、声が聞こえて来た方向にあるのって……」

「ああ、診察室の奥にある病室じゃろう」

 神妙に告げる次郎吉。殺人バクテリアに感染したらしい藤岡とウェイトレスを隔離した場所だ。

 中森が一つの仮説を思いつくと同時に、女性の声がまたもや聞こえて来た。十八歳以上にならないと見ることができない動画で聞くことができる類の声だ。

「次郎吉おじさま、病室って何があるの?」

「そりゃ、ベッドとか……」

 ダイニングが何とも言えない空気に包まれる。

「とにかく、病室に向かった方がいい! 幸いテロリストは全員拘束されているんだから行動できる!」

「あの、私も行きます! ウェイトレスさん、あんなことされてるんだから、男の人には入って来て欲しくないかもしれないし……」

「……そうだな」

「あの、私も! 蘭みたいに強くはないけど、菜々が勝手に開いていた護身術教室にはたまに出席していたし」

「ああ、じゃあ先に君達が病室に入ってくれ。危険を感じたらすぐに知らせること。いいな!」

「「はい!」」

 蘭、園子、中森を含めた刑事数名が病室に向かうことになった。

 盗一は必死に笑いをこらえていたが、全く顔に出さなかった。

 

 

 *

 

 

「ウェイトレスさん、大丈夫ですか⁉︎」

「殺人バクテリアに感染してもうすぐ死ぬからか分からないけど……女性をお、襲うなんてサイテー!」

「待て! 誤解だ!」

 見ず知らずの女の人に手を出しやがった最低な奴――藤岡が何か言っていたが、蘭と園子は聞き流してウェイトレスに向き直った。

 服は乱れていないが手足を縛られ、猿ぐつわをされている。きっと藤岡の性癖だ。そうに違いない。

 性犯罪も多い米花町に住んでいる二人は慣れた手つきでウェイトレスの拘束を解き、安否を確認する。

「大丈夫ですか? 怖かったですよね……。どこか傷んだりとか……」

 ウェイトレスの背中をさすりながら声をかける園子。藤岡に向き直って構えを取り、睨みつける蘭。

「あなた……私だけじゃなくこの人にも変なことして! 絶対に許さないんだから!」

「蘭、何かされたの⁉︎」

「腕を掴まれていい筋肉だねって……。すごく気持ち悪かった!」

「俺は何もやってない! なぜか携帯の着信音が変な音声になっていただけだ!」

「じゃあなんでこの人縛られてるのよ!」

「なるほど、未成年に手を出そうとした筋肉フェチか……」

「菜々⁉︎」

 園子がいきなり現れた菜々に驚きの声を上げる。敬称をつけてくれないのはあいかわらずだ。

「でも、あれが携帯の着信音だったってのは本当だと思う。二人とも、ダイニングにいたけど女の人の声を聞いて駆けつけたんでしょ? 普通、ここからダイニングに聞こえるくらい大きな声を出せるかな?」

「「あっ」」

「そう。あれは携帯の着信音だった。それは本当。そして、それを設定したのはこの男。きっとあの着信音は自宅用だったんだろうね。誰かと電話をする直前、女性のあんな声を聞いて背徳感とかで快感を得ていた変態なんだ!」

 ドヤ顔でとんでもない推理をしている菜々だが、彼女が藤岡の着信音の変更を提案し、律が実行した。つまり、元凶はコイツである。

 バレないだろうし藤岡が無実の罪を着せられてもなんとも思わないし、これくらい酷い目に合わせておかないと盗まれる手はずだった仏像に宿った神の怒りを買うかもしれない。これらの理由から、菜々は藤岡に変態のレッテルを貼ることにしたのだ。

「蘭ちゃんの腕を掴んだのは、きっと後で思い出して汚らわしいことに使うため! ウェイトレスさんを縛るだけに留めたのは多分性癖!」

 女子高生から生ゴミと犬のフンのちゃんぽんを見る目で見られている藤岡は、自分の無実を証明しようと頑張った。

「あの着信音は俺じゃない! 設定を直そうとしてもできないんだ。見てくれ!」

 藤岡が突き出してきた携帯電話を菜々は手に取った。

「この携帯の待ち受け画像……!」

「待ち受け画像?」

 不思議そうな顔をした藤岡は、律が画面の写真も変更してから携帯画面を確認していないのだろう。

「裸の女性だ!」

「やっぱり変態!」

「近寄らないでよ!」

 自分の体を抱きしめ、女子高生たちは藤岡から距離を取る。

「ウェイトレスさん、男性が入ってきても大丈夫ですか?」

「ええ……」

「中森刑事! このケツアゴの人かなりやばいですよ!」

「ああ、全部聞こえてきた」

 中森はすでに手錠を取り出していた。

 

「あの、この人ハイジャック犯のボスですよ」

 面白そうだったのでここまで来た鬼灯が話に入ってくる。

「それと、この人達もハイジャック犯です」

 鬼灯は手を縛って連れてきたレポーターの西谷とカメラマンの石本をあごでしゃくる。

「ケツアゴさんが着信音をちゃんと変更していたら、かなりやばいことになっていましたよ」

 犯人達はそもそも殺人バクテリアを盗んでおらず、チラつかせていたのはジュースかなにかだという事を説明してから、菜々は律から聞いた話をあたかも自分で考えたかのように話し始めた。

 

 まず、ウェイトレスに扮していた女性が離陸してすぐ漆を喫煙室に撒き、ソファーの下にアンプルを置く。その後、藤岡はわざと漆にかぶれ、細菌に感染したのだと皆に信じ込ませた。

 また、後々邪魔になりそうな人物を感染者にして身動きを取れなくさせようとした。空手の実力者である蘭の腕を掴んだのもそのためだ。と言っても、八割はただの趣味だと菜々は睨んでいる。小五郎は喫煙室に誘おうとしたが、上手くいかなかったので、園子あたりに使ってイイコトをするために用意していた睡眠薬をビールに仕込んだ。

 藤岡以外の人の発疹は、喫煙室で何かに触れたために出たもの。

 おそらく、蘭達に発疹が出たら喫煙室まで運ぶ係の人間がいたはずだ。

 

「その人物こそキャットA。爪が黒ずんでいたので、元は漆職人だったんでしょう。どんな経緯でハイジャックをするに至ったのかは謎ですが、きっともの凄いドラマがあったはずです。多分映画作れます」

 鬼灯の脳内に存在する、裁判が楽しみな人間リストにキャトAの名前が加わった瞬間だった。

「そして、あの時かかってきた電話はリーダーからのもの。私に倒される前、彼が誰かに電話をかけていました。携帯電話を調べれば分かると思います」

「分かった。認める。確かに俺は奈良にある大仏を盗み出すためにこの騒ぎを起こした」

 藤岡はポツポツと話し始めた。

「なるほど……。この事をネットに流して、飛行船が煙を出しているかのように工作すれば、大阪付近の人間は逃げ出す。寺はセキュリティーが低いしな」

 中森が納得したことを表すかのように一つ頷いて呟く。

「でも、あの男が拘束している二人は仲間じゃない」

 どうやら藤岡は仲間思いのようだ。菜々の中で、彼のあごの割れ目に対する好感度が僅かに上がった。

「言い逃れはできませんよ。貴方達三人が傭兵チームを組んでいるってグレイス・ホウジョウさんから証言を得ています。中森刑事、あとで本庁に確認してみてください」

「グレイス・ホウジョウ⁉︎ どんな関係なんだ⁉︎ 言え!」

 藤岡は昔、彼の策略で死にかけた事を思い出して強い口調で問い詰める。部下の二人は顔面蒼白になっていた。

「部下を使って私の友達にセクハラしやがった奴で、昔戦った敵で、今では連絡先を知っている知人程度の関係です。あの人の部下が友達にセクハラしたのは仕事だったのでそこはいいんですけど、問題は私と鉢合わせた時に素通りしやがった事です。結局彼らが選んだのはクラスの中で一番発育が良い子でした」

 菜々から不穏な空気が流れ始め、藤岡は身構えた。お前友達いたのか、という感想は聞こえてこない。思っても皆口に出さなかったからだ。

「そういえばあなた、ホウジョウさんと知り合いなんですよね? やっぱり変態は変態を呼び寄せるのか……」

「おいコラどういう意味だ」

「あなたがこの飛行船をハイジャックした理由は分かっています! 蘭ちゃん、園子ちゃん、ウェイトレスの皆さん、歩美ちゃんに哀ちゃん。この飛行船は美形ばっかりですもんね。変な気起こすのも納得できます」

「おい、何か勘違いしてないか⁉︎」

 藤岡の昔からの部下であるはずの西谷すら、靴の裏にこべりついた茶色い排出物を見るような目で見てくる。藤岡はせめて無実の罪は晴らそうと頑張った。

 

 

 *

 

 

 菜々と藤岡の攻防は空が赤く染まっても続いていた。

「蘭ちゃんの腕を掴んだ。いい筋肉だと褒めた。これは加点ポイントだけど、蘭ちゃんの発育が良いことも踏まえると……。あなたは百点満点中二十五点です」

「何がだよ⁉︎」

「私が経験則に従って考え出したロリコン度診断」

「……その点数は高いのか? 低いのか?」

「ロリコンの可能性が高いが、ロリコンなのではなく好みが特殊、ストライクゾーンが広いなどの可能性もある」

「なんてもん作り出してんだ……。で、それだとお前の旦那はどうなるんだ?」

 睡眠薬の効き目が完全に切れた小五郎が口を挟んでくる。

「自称ルポライター()と同じ二十五点ですよ」

「は?」

 怒気を含んだ声が空気を震わす。いつも身を置いている戦場で何度も感じた形容しがたい存在を瞬時に認識した傭兵達の拍動は、心臓が耳の裏についているのではないかと思うほど強くなった。

「なんでそんな結果になったんですか」

 鬼灯のただでさえ低い声が余計低くなる。小五郎は、やはり彼は裏社会の人間なのではないかと思った。刑事達が散々調べたので、そんな事実は存在しないと頭では分かっていても、やはり可能性として考えてしまう。

「私に好意を持った時点で二十五点入るんですよ。今まで私が好意を寄せられたのって、鬼灯さんとドM野郎を除くと全員ロリコンでした」

 ちなみにドMの方は、菜々のバイト先の店長であり彼女の鞭の師匠でもあった女性とゴールインしている。人生何があるのか分からないものだ。

「ああ、確かにお前、見た目も中身も十四歳だもんな……」

 年頃の娘がいるせいか、どう見ても変態である藤岡が変な行動を起こさないようにと率先して彼を見張っている中森が呟いた。

「十四歳の時より身長は伸びてます。せめて十六歳って言ってください。あと、成長期はこれから来るはずなんです」

 無理だろ、と思ったが誰も口に出さないでおいた。突っ込むと意味のない口論が始まってしまう。

 

「私が初めて告白をされたのは六歳の時。町が夕日に染まる中、強引に裏路地に引きずり込まれ、息が荒くて目が血走ったヤベーおっさんから想いを告げられた後、犯罪臭ダダ漏れの提案をされました。全然嬉しくなかった」

 この時、菜々は男に目潰しを食らわせ、股間を蹴り上げた。哀愁を漂わせて語ってはいるが、そうしたいのは犯人も同じだろう。

 余談だが、菜々は駆けつけてきた巡査に「殺るかヤられるかだと思った」などと供述していた。巡査は目の前の六歳児が意味を理解して言っているのか悩み、意味を理解しているのだとしたらどのような反応をするべきか悩んだ。

「だろうな……」

 小五郎が相槌をうつ。

「しかもその時、恩師の殺害現場を目撃した数日後だったんですよ。私がどれだけ精神的にダメージを負ったか分かりますか? さらにその日から、定期的に同じようなことが起こる。このケツアゴも放っておいたら私みたいに哀れな子供を作りまくるんですよ!」

 藤岡を勢いよく指さした菜々。それを合図に、ずっと部屋の端で事の成り行きを見守っていた女子高生達が堰を切ったように話し始めた。

 米花町に住んでいるので他人事ではないし、変なことをされそうだった(ように見えた)ウェイトレスに感情移入しているので、藤岡逮捕のために協力を惜しまないようだ。

「目つきが気持ち悪かった」

「やけに胸を見られた」

「やっぱりロリコン」

 藤岡の精神をゴリゴリ削る女子高生達。

 自分の飛行船に変態が乗っていたことが許せないらしく、「落とし前はワシがつける!」と言い張って、この場に居座る次郎吉。

 たまに口を挟み、一言発するだけで藤岡に大きな精神的ダメージを与えてしまう鬼灯。

 拘束されているものの、さり気なく藤岡から距離を取ろうとする元部下。

 中森と一緒になって、藤岡の行動に目を光らせている小五郎。

「何このカオス……」

 大阪県警に今回の結末を伝え、西日本が混乱に陥ることを未然に防いだ中森の部下は思わず言葉を漏らした。

 

「ねーねー、刑事さん! おじさん達こんな所で何やってるの?」

 可愛らしい、メガネをかけた男の子が上目遣いで尋ねてくる。刑事は胃に穴があくのではないかと思った。

「向こうに行ってお友達と遊んでようね。子供はこんなもの見ちゃいけないよ」

「大丈夫だよ! 僕、死体とか見慣れてるし」

「米花町って……」

 これで三度目だ。

 刑事は心の中でため息をつく。

 毛利小五郎にいつも付いて回っているせいか、江戸川コナンと名乗った子供は疑問があると解決してしまいたくなるらしい。

 騒ぎの中心に行こうとする少年を見つけては「子供は見ちゃいけません」と刑事達がつまみ出していると、その対応が余計に好奇心を刺激してしまったのか、何度も来るようになってしまったのだ。

 ともかく、未来ある子供にこんな様子を見せてはいけないと、コナンを追い出そうとする刑事。負けじと、刑事達の隙を見つけては突進して来るコナン。

「コナンくーん! 何やってるの?」

 他の子供達も来てしまった。

「お、ちょうど良かった。オメーら、刑事さんが何か隠してるみたいなんだ。知りたいよな?」

「君さっきとキャラ違いすぎない⁉︎」

 こうして、少年探偵団と捜査二課の刑事達との戦いが幕を開けた。

 高校生探偵がその頭脳を無駄に使った結果、刑事達を翻弄する作戦ができあがる。しかし、捜査二課はエリートコースである。戦いは白熱した。

 

 

 この中で怪盗キッドの予告状の存在を覚えていたのは鬼灯だけだったが、彼は「まあいいか」で終わらせた。

 

 

 *

 

 

「なあ寺井(じい)ちゃん、誰もいないのは罠なのかな?」

「本当に忘れ去られているんじゃないですか?」

「俺達、結構派手にやったよな」

「ええ……」

 

 

 ハイジャック犯が倒されたどさくさに紛れて、ウェイターに変装していた怪盗キッドこと黒羽快斗はダイニングを抜け出した。

 身を潜めていたキッドの補佐役である老人の寺井と合流し、キッドはこれからの作戦を練り始めた。

「阿笠さんに最近作ってもらったカメラで、宝石を守る罠の説明を撮っておきました」

 取付工事不要、単三電池を入れるだけで使用可能。動作検知、録画機能あり。威圧感を与えないインテリアのようなデザインで、スカイデッキに置いておいても気がつかれない、使い勝手が良いカメラだ。

 快斗は思わず冷や汗をかく。これを作った寺井の知り合いの発明家はその気になれば世界征服ができるのではないだろうか。

 

 相手の手の内が分かったというのに暗い声を出す寺井に疑問を覚えつつ、キッドはカメラの内容を確認した。

「無理ゲーだろ、これ……」

 

 宝石を覆うガラスケースは機関銃の弾丸をも跳ね返す。ガラスケースを開けるには暗証番号を入力しないといけないが、次郎吉の指紋でないとバネが取り付けられた拳を模した鈍器が勢いよく出てくる。

 さらに、センサーが取り付けられていて、電気が流れる仕組みまである。窓から脱出するためにワイヤー銃を撃ったキッドを捕まえるためのものだろう。

 極めつけには、暗証番号を入力するタッチパネルにも仕掛けがある。宝石が展示してある場所の床は赤と白の正方形のタイルで均等に埋め尽くされている。敵が立っているタイルを表す数字を押し、特定の操作をすると、その部分の床が抜ける仕組みだ。

 

 指紋認証式のガラスケースという読みは当たった。蘭に発見される前、ちらりと見たタッチパネルと床の模様から、落とし穴の仕掛けも予想してあった。

 

「まあ、何も知らなかったらだけどな。電撃はさすがに予想していなかった」

 キッドは不敵な笑みを浮かべる。

寺井(じい)ちゃん、事前に用意しておいた次郎吉さんの指紋シールを使って落とし穴を開け、そこに小型爆弾を放り込む。そうして通路を開けた後、俺が入って、予告時間まで待つ。寺井(じい)ちゃんは予告時間になったら煙幕を張ってくれ。そこで俺が下から宝石を盗み、寺井(じい)ちゃんが再び開けた穴から脱出。できるか?」

「もちろん」

 小型爆弾を作って一般人に渡してしまう阿笠もだが、前もって練ってきたいくつもの作戦が全てパーになってもすぐさま別の作戦を思いつく快斗も恐ろしい。

「問題はバレずに爆発させられるか……」

「多分大丈夫です。盗一様がまだ現役だった頃、今ハイジャック犯と戦っている女性に出会ったことがあるのですが、彼女ならやらかして何か爆発させたと思われるでしょうし」

「あの人何者⁉︎」

 

 こうして、キッドは宝石を盗み出した。誰も宝石を守りに来なかったのであっけなかった。

 スカイデッキの窓を開け放し、ハンググライダーを取り出しても誰も現れない。

「帰って、良いよな?」

「はい。多分……」

 快斗と寺井が何度目か分からないやり取りをしていると、男性の声が聞こえて来た。

「あなたが怪盗キッドですか?」

 やっと誰かが現れたことに二人は喜ぶが、顔に出さないようにする。と言っても、寺井は覆面マスクをかぶっているし、快斗は片眼鏡の光の反射で顔を隠している。

「すみません。私の連れがちょっと騒ぎを起こして、私以外あなたの事忘れてます……」

「あ、やっぱり?」

 思わず素が出てしまった快斗に、天パの男性が笑みを浮かべた。

「ポーカーフェイスを忘れるな。ちゃんと教えたはずだが?」

 本来の口調と声で話しかけると、二人は目を見開く。

「逢魔時。昼と夜が交わる時で、この世のものではないなにかと出会うことがあるとされている」

「お、親父……⁉︎」

 その後、盗一はよく分からない言語で話したが、息子である黒羽快斗と長年盗一の助手を務めてきた寺井は意味を理解できた。彼ら以外に理解できるのは、ジンとウォッカ、赤井秀一くらいだろう。

 

 

 *

 

 

「あー! キッドの存在忘れていた!」

「クソ! 宝石が盗まれている!」

「なんか爆発させて下から入ったみたいです!」

「だから私、何も爆発させてないって言ったじゃないですか!」

「あれ? この爆発の仕方、まさかワシの発明品?」

 夜になって急に騒がしくなった飛行船の個室で、盗一は自分の正体を匂わせるようなことを言った件について鬼灯に叱られていた。

「しょうがない。菜々さんがいざとなったらやるつもりだった、某映画に出てくる安心安全な拷問の実験台になってもらいましょう」

「それって本当に安心安全なんですよね⁉︎」

 

 

 *

 

 

「これから米花町で役に立つ小技について説明します。組織的犯罪に巻き込まれ、敵の一人を捕まえて情報を得たい時に役に立つよ!」

 司会:菜々

 質問係:鬼灯

 敵役:小野篁(偽名)

「ねえ、なんで私、椅子に座らされて拘束されているの⁉︎ そして鬼灯さんが持っている熱しすぎて真っ赤になっている鉄の棒は何⁉︎」

 普段ならキャラ的にポーカーフェイスを保たなくてはいけない盗一だが、篁の姿なので全力で喚いていた。

「用意するものは熱した鉄の棒、目隠しの布」

「いや、まずそんな物、滅多に手に入らないよ⁉︎」

 思わずコナンが突っ込むが、菜々は平然と答えた。

「米花町でなら簡単に手に入るよ」

 鬼灯が一瞬で盗一に目隠しをする。

「手慣れてません⁉︎」

「まあ、割とよくやってるので」

「誰に⁉︎」

「蘭ちゃんの方が篁さんよりツッコミ上手いね」

 観客である少年探偵団、蘭と園子、小五郎は菜々に突っ込むのを諦め、真っ赤になったそれなりに太い鉄の棒をヤットコで掴んだ鬼灯が何をするつもりなのかと恐々と見守っていた。

 すると、菜々が紙を掲げる。

『敵に内緒で用意するもの:アイス、焼肉セット』

「は?」

 思わず声が漏れる。

 菜々の後ろでは、アイスキャンディーを盗一の頬に当てている鬼灯がいた。

「知っていますか? 何千度にもなる熱が与えられると、皮膚が麻痺して冷たく感じるらしいですよ」

 米花町でよく見かける裏社会の人間よりも凄みがある声で、鬼灯が語りかける。

「うわぁぁぁー!」

 菜々は紙を置くと、だいぶキャラ崩壊している盗一の近くで肉を焼き始めた。

「自分の肉が焼ける匂い、分かりますか?」

「多分アイスを当ててるだけだろうけどすっごい怖い!」

「おや、気づいてたんですか」

 

「と、まあこのように、情報を仕入れるわけです。情報を聞きながら肉を食べれます」

 盗一の拘束を解きながら、何事もなかったかのように鬼灯が締めくくる。

「へ、へえー……」

 小五郎はちょっと青くなっていた。やはりこの二人の仲を切り裂いておいた方が良かったと思い始める。

 盗一がぐったりとしているのを見て、灰原は疑問を口にした。

「それにしても、こんな大掛かりなことするなんて……彼、一体何をやったの?」

「分かりやすく言うと約束を破ったんだよ」

 その後、菜々はいつものように受講料を要求し始めた。もちろん誰も払わなかった。

 

 

「小野さん、確かウェイターの男の子とアルセーヌ・ルパンについて話してましたよね?」

 豪華な夕食を済ませ、食後のデザートであるアイスキャンディを舐めながらーー盗一の分は使用してしまったので無かったーー蘭は口を開いた。

 藤岡とか自称ルポライターとかケツアゴとかのせいで、キッドが工藤新一かもしれない事をすっかり忘れていたのだ。

 そして、この質問の答えによって、キッドが自分の幼馴染か否かが判明すると蘭は考えている。

「ああ、話してたよ」

「それで、ホームズの話になりましたか⁉︎」

 疲れ果てている盗一とは対照的に、蘭はやや前のめりになって尋ねる。

「いや、なってないけど……」

「やっぱり! あ、なんか変なこと聞いちゃってすみません……」

「蘭姉ちゃん、嬉しそうだけどどうしたの?」

「別に、なんでもないわよ」

 コナンの問いを適当にはぐらかし、蘭は鼻歌を歌い始めた。

 キッドは工藤新一でないことが確定した。新一にアルセーヌ・ルパンの話をすると、必ずルパン対ホームズの話になり、最終的にいかにホームズが素晴らしいかを延々と聞かされることになるからだ。



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第29話

<まじっく快斗を知らない人に簡単なキャラ紹介>
・黒羽快斗……二代目怪盗キッド。高校二年生。
・中森青子……中森警部の娘。快斗の幼馴染。
・白馬探……「服部平次と三日間」でコナンに登場したことがある。怪盗キッドを捕まえようとしている高校生探偵。
・小泉紅子(あかこ)……魔女。上記三人のクラスメイト。
・寺井……怪盗キッドの補佐役であり、ビリヤード場「ブルーパロット」の経営者。


※白馬、紅子の口調が曖昧です。間違っていたり違和感があったりしたらご指摘ください。
※今更ですが、「不破に借りた少年漫画でキャラ同士をふしだらな方向へ持って行こうとする」「渚女装愛好家の長であり渚とカルマのじゃれあいを楽しんでいる」という公式設定に従って、中村莉桜が腐女子となっています。そして、彼女によるそっち方面の妄想が出てきます。主な被害者は安室です。ご注意ください。


 空の旅から帰ってきた次の日。コナンは学校が終わると少年探偵団の誘いを断ってビリヤード店「ブルーパロット」を訪れた。

「柚嬉さん、こんにちは! このお店の責任者って誰なの?」

寺井(じい)さんっていうおじいさんよ。でも何で?」

 酔いつぶれた小五郎を迎えにきた時に知り合ったバーデンダーの女性が不思議そうに尋ねてくる。

「その人の知り合いから伝言を預かってるんだ。ところで、まだ夕方なのになんでバーデンダーの柚嬉さんが?」

 適当な嘘をつき、コナンはさりげなく話題を変えた。

「掃除当番なの。それに、もうすぐあの子達がくるはずだから」

「あの子達?」

「寺井さんを待っていれば分かるわよ。寺井さん、あと三十分くらいで来るはずだから。オレンジジュースで良い?」

「うん、ありがとう!」

 コナンは子供らしい満面の笑みでお礼を言いながら、カウンター席に座った。

 柚嬉がグラスを取り出し、氷を準備する音に耳を傾けながら、コナンは何気なく店内を見渡してみた。

 赤みがかかったくすんだ茶色のカウンターはL字型をしている。その奥で動いている柚嬉の背後には、ラベルの向きがきちんと揃えられて種類ごとに分けられたウィスキーが陳列されている。ウィスキーが入れられた瓶にふり注ぐ照明の光が反射し、落ち着いた色合いの棚を照らしていた。

 右側に目をやればビリヤード台が二つ置いてあり、壁には宝石が散りばめられたキューが飾ってある。

「この店の内装、大人っぽいのに近寄りがたくないでしょ?」

「うん」

 柚嬉がオレンジジュースを差し出しながら、コナンがちょうど考えていたことを口に出した。削られた氷はキラキラと輝き、グラスに付けられた薄いオレンジはみずみずしい。

「だからか、高校生の溜まり場になってるのよ。その中に寺井さんの知り合いの子がいるからだと思うけど。ほら、あの子達」

 コナンは柚嬉が指差した方向を確認した。

 蘭に似た、まだ幼さが残る少女と、キザなセリフが似合いそうな茶髪の少年が歩いている。

「あ、探偵甲子園の時の……」

「お久しぶりです。コナン君でしたよね?」

「あれ? 知り合い?」

「うん、この前ちょっとね」

 濁した言い方に、柚嬉は何かあるのだろうと引き下がる。コナンとしてはありがたかった。

 

 白馬と一緒にいた女子──中森の娘で青子というらしい──と自己紹介をしあった後、自然と彼らがなぜこの店に来たのかという話題になった。

「青子達、怪盗キッドを捕まえるために探偵団を作ったんだ! メンバーは青子と白馬くんの他に、紅子(あかこ)ちゃんていうすっごく美人な子と快斗っていうマジックが得意な青子の幼馴染がいるの」

 コロコロと表情を変えて語る青子はコナンの隣に腰掛けており、白馬はその横で注文をしている。

「コナン君ってキッドキラーで有名だよね? 良かったら青子達に力を貸してくれない?」

「良いよ! ところで、紅子姉ちゃんと快斗兄ちゃんはどうしたの?」

「ああ、なんか二人で話しがあるから遅れるって言ってた。もうすぐ来るんじゃない?」

 二人の話をした時に少しむくれた青子は、快斗という少年のことが好きなのだろう。自分の気持ちを自覚しているのかどうかは定かではないが。

 

 

 本人が意識していないにも関わらずコナンの目つきが鋭くなる。推理を始めた証拠だ。

 そもそも、コナンがこの店を訪れたのは阿笠の発明品をキッドが使用していたことが発覚したからだ。

 今まで考えたことがなかったが、阿笠の発明品は裏社会で出回ったら大変なことになるものばかりだ。昔、菜々が警察上層部の連絡先を教えてきて、一度商談の場を設けたほうがいいと勧めてきたくらいには危険な代物だ。

 キッドが発明品を闇市で売りさばいたり人を殺めるために使ったりするとは思えないが、もしも彼以外の人物の手に発明品が渡ったらまずい。

 先日キッドが飛行船で使用した小型爆弾を渡したのは寺井黄之助という人物だけだと阿笠から聞き出し、コナンは寺井が経営している店を訪れたのだ。

 コナンの目的は、阿笠の発明品が裏社会に出回ることを阻止することとキッドの正体を掴むこと。

 

 阿笠の発明品をキッドが手に入れたことに寺井が関係しているのは間違いない。

 その過程の仮説は三つある。

 一、寺井が怪盗キッドの協力者である。

 二、寺井は相手が怪盗キッド、または彼の協力者だと知らずに何者かに阿笠の発明品を渡している。犯罪の片棒を担いでいることを知っているかどうかは定かではない。

 三、寺井自身が怪盗キッドである。

 どれが正解だとしても、寺井黄之助はキッドの正体を知るための鍵なのだ。

 だからこそ、コナンは寺井に接触することに決めた。

 

 寺井と接触するためにブルーパロットを選んだ理由の一つは、客と経営者という関係なら近づくのが比較的簡単だというもの。

 もう一つは、寺井が阿笠の発明品を売りさばいていて、その拠点がブルーパロットである可能性を考えたからだ。

()()()気軽に入れることを信条にしているため、ブルーパロットは賑わっている。そして、賑やかな場所ほど密談に向いているものだ。

 しかし青子との会話から、コナンはこの可能性は低いだろうと考えるようになった。

 

 青子の幼馴染だという黒羽快斗。マジックが得意な江古田高校二年生。青子によると、幼かった頃はコナンと瓜二つだったらしい。寺井とは仲が良く、青子がブルーパロットに度々足を運ぶようになったのも彼にこの店を教えてもらったからだ。

 黒羽快斗が怪盗キッドなのだろう。

 年齢が合わないが、考えてみれば怪盗キッドは八年間姿を現さなかった。

 聞けば黒羽快斗の父親はあの有名な天才マジシャン、黒羽盗一らしい。彼はちょうど八年前、マジックの失敗で死んだはず。

 黒羽盗一が初代怪盗キッドで黒羽快斗が二代目なのだ。

 そして、黒羽盗一の助手だった寺井は快斗とも繋がりがある。

 寺井は怪盗キッドの協力者である可能性が極めて高い。

 

 怪盗キッドの協力者は老人だとか、若い女だとか言われている。老人というのが寺井で、若い女というのは黒羽快斗──怪盗キッドが今一緒にいる紅子という女子だ。

 コナンは確信していた。

 

「青子姉ちゃん、快斗兄ちゃんってどんな人なの?」

 情報が多いに越したことはない。

 コナンは笑顔を貼り付けて青子に話しかけた。

 青子は騙せたようだが、彼女の隣で紅茶をすすっている白馬には目論見がばれている。わずかに弧を描いた口元と、探偵が時折見せる光を宿した瞳がその事を雄弁に語っていた。

 

 

 *

 

 

「それにしても、死んだ人間が生き返ることがあるかなんて、一体どうしたのよ」

 正真正銘の魔女である紅子と怪盗キッドである快斗以外に誰もいない教室に、凛とした女性の声が響く。

「ああ、この前死んだはずの親父が現れて……」

「そう。これは私が邪神ルシファーから聞いた話よ。予言をするついでに趣味の話や仕事上の愚痴を勝手に喋ってくるの」

 紅子はそう前置きする。

 

 邪神ルシファー、別名サタン。地獄の王と名高い存在に、快斗は興味をひかれた。

「ルシファーの趣味って何だ? それに仕事って魂を食らうとかか?」

「邪神ルシファーはオタクよ」

「オタク……」

「日本のゲームにハマっているしメイド喫茶そのものの生活を謳歌しているらしいわ」

 予想外のサタンの生活に、快斗は言葉を失った。

「仕事の愚痴っていうのは主に外交についてよ」

「外交……」

「日本地獄を支配下に置こうとしているらしいんだけど、閻魔大王第一補佐官の鬼に毎回酷い目にあわされているみたい。あと、日本地獄には黄色いタコがいて、金魚の植物があるそうよ。それと、暗殺のために作られた人工知能が日本地獄で働いているみたい」

 紅子の口から語られる、衝撃の事実の数々。快斗は情報量の多さに固まった。

「でも、私としては日本地獄に頑張ってもらいたいわ。邪神ルシファーって仕事できなさそうだし、見た目全裸のおっさんだし。死後、お世話になる場所はちゃんとした所がいいもの」

「で、それが俺の質問とどう関係があるんだよ」

 半目になって尋ねる快斗に、紅子は一つ息をついた。

「外交という言葉、閻魔大王第一補佐官という地位が存在すること、日本地獄に人工知能があること。これらから導き出される答えは?」

「あの世は国みたいにいくつかに分かれている。で、日本地獄っていうのはおそらく日本人が死んだ時に行く場所。あと、地獄は割と文明が進んでいて、生活水準は俺達がいる世界とあんまり変わらない可能性が高い。ルシファーの価値観も俺達と似通っているみたいだしな」

 IQ400である快斗は急な質問にも難なく答えた。

「正解。そして、邪神ルシファーに聞いた話だと、日本地獄で裁判を受けて罪なしと判断され、あの世にとどまることにした亡者は、手続きさえすれば現世──この世界に来ることができるらしいわ」

「やっぱりあれは親父だったのか。ありがとな、紅子!」

「それより、さっさと皆のところに向かいましょう、怪盗キッドさん?」

「別に、俺はキッドじゃねーし」

 歩きながら後ろに向かって声をかければ、目をそらしながら快斗が答える。

 やはり彼は怪盗キッドなのだと紅子は確信した。

 

 

 *

 

 

 数ヶ月前のことだ。

 大量の赤いろうそく一つ一つに灯った火が揺らめく薄暗い部屋で、紅子は魔法の鏡に問いかけた。

「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのはだぁれ」

 紅をさした唇が自然と弧を描く。紅子は鏡の答えを予想していた。

「それは紅子様でございます。世界中の男は皆、紅子様の虜」

 ふちに精巧な細工が施された鏡の答えを聞いて高笑いする紅子。側から見るとただの厨二病だが、彼女は立派な魔女だ。

「ある一定の人物達を除いては」

 紅子の高笑いがピタリと止まった。

 紅子は鏡を殴ろうと拳を振り上げるが、鏡はそれを察知して急に話し始める。

「悪の組織に薬を飲まされて小さくなった名探偵、大阪の探偵、日本が恋人の潜入捜査官、とある女性刑事の恋人と彼女のファンで女性刑事を恋人と別れさせようと暗躍している刑事達、中学生の時に超破壊生物を暗殺した男性達、超破壊生物を暗殺した中学生達のサポートについていた男性、初恋の人がいまだに忘れられない発明家、あ、あと怪盗キッド。これはほんの一部ですが、話し始めると長くなるので次に行きますね」

「つ、次?」

 一般人が知ってはいけない情報がいくつか紛れ込んでいた気がするが、紅子は魔女である。その気になれば国家機密だろうと何だろうと知ることができるので気に留めないことにした。

「今度はあの世編です。こちらにも紅子様になびかない男性は多くいますが、特に変人揃いの日本地獄に多いですね。あと、神獣白澤なんかも。あの方は全ての女性を等しく見ているので、『皆可愛い』という精神です。そもそも、男の定義とはなんでしょう?」

「人間の男に決まってるじゃない!」

「内面が女でもついていれば男なのでしょうか? それに、あの世には人間と似通った思考回路をする生き物が沢山います。神や妖怪など」

「神獣や日本地獄とやらの話をしていたくせに今更ね。人型の女性にときめく生き物が私が思う男性よ!」

「では、人間の体液にしか興味はなく、男女がするあれこれには興味がない、生物学上の男は?」

「どんな特殊なパターンよ、それ⁉︎」

「私が昔出会った女性がそのような男性に追いかけられた経験があるらしく……撃退したそうですが」

「あなた、私の元に来るまで何があったの⁉︎」

「霊感がある人間だったはずが、いつのまにか鬼になっていたよくわからん存在に世話になっていたことが……」

「本当に何があったのよ⁉︎」

「私が小さな教会に置かれていた時、その少女とwin-winの関係性を築いていただけです。まあ、教会が潰れて親しくしていた少女からは『うちペット飼えないから……』とフラれ、骨董品屋に買い取られて紅子様と出会ったわけですが……」

 紅子は慣れない漫才のような行動に疲れて肩で息をしていた。

 そんな中、鏡が話しかける。

「まあ、女性に興味を示さない男性もいますし、特殊な性癖の人間だって沢山います。ぶっちゃけ、世界で一番綺麗云々は人によって答えが違うんですよ。地球上にどれだけの男性がいるか知っていますか? 三十五億」

「古い! そして何慰めモードになってるのよ⁉︎」

 

 こんな感じだったので、紅子は自分に好意を持たないからといって黒羽快斗が怪盗キッドだと決めつけることはできなかったのだ。

 

 

 *

 

 

「あー、やっと来た。快斗遅い!」

「わりーって。ん?」

 頬を膨らましている青子に謝っていると、快斗は店に似つかわしくない小学生の姿に気がついた。

「何で小学生が……」

「もしかして青子姉ちゃんが言ってた快斗兄ちゃん? キッドを捕まえるために頑張っているんだよね? 連絡先交換しようよ!」

 声を弾ませているが目が笑っていない。コナンの有無を言わせない態度に快斗は冷や汗をかいた。

「あ、そうだ! 僕、寺井さんに用事があるんだ! 確か、あと十分くらいで来るんだよね、柚嬉さん?」

「……ボウズ、日を改めて会わないか?」

「うん! あ、いっけなーい。もうすぐ夕食だから帰って来なさいってメール来ちゃった」

 快斗から言質を取ると、携帯電話の画面を覗き込んでわざとらしくコナンは呟いた。

「快斗兄ちゃん、これ僕の連絡先。連絡してね!」

 数字が書かれたメモ用紙を快斗に押し付けるコナンは財布を取り出した。

 柚嬉にオレンジジュースの代金を払っている少年を見て、快斗は連絡先が書かれた紙切れを握りしめる。背中に嫌な汗がつたうのを感じた。

 

 

 *

 

 

 一通り裁判が終わり、閻魔は休憩する間もなく書類の山を片付けていた。

 知識が豊富で何でもできた死神が金魚草の研究のために有給を取ってしまってからというもの、回って来る仕事が増えてしまったのだ。

 自分の分の書類はすでに終わらせてしまったらしい鬼灯が隣で見張っているため休憩することもできず、閻魔は何度目かのため息をついた。

「ねえ鬼灯君、いい加減休んでも……」

「駄目です」

「さっき、殺せんせーが出て行ったよ。ワシも休憩したい」

「どうせ衆合地獄をほっつき歩いているか甘味処を巡っているかのどちらかでしょう。殺せんせーの連れ戻しをツッコミの特訓に加えておきます」

「え、なにそれ」

 聞きなれない単語に閻魔は反応したが、鬼灯が答えることはなかった。執務室から菜々が出てきたからだ。

 彼女が書類仕事を終わらせる時間帯であること、資料だと思われる紙束を握っていることから、閻魔はこれから起こることを予想することができた。

 

「降谷零。安室透として黒の組織に潜入している公安の人間です。彼は喫茶店ポアロで働いているそうなので、客を装って彼を観察しようと思います。黒ずくめの組織で潜入捜査をしているので、能力や性格などを把握しておく必要がありますし、景光さん達の話から将来獄卒として雇うことも視野に入れるべきかと」

 見た目がチャラそうな大学生である潜入捜査官の写真が貼られた紙を菜々が突き出す。でかでかと書かれた「シャバーニ」の文字を閻魔は見なかったことにした。

 

「なるほど。しかし、彼に生前から唾をつけておく意味は? 愛国心が強いと言ってもそれが日本地獄に適用されるとは限りませんし、進んで拷問をするとも思えません。能力は高いようなのでできなくはないでしょうが、獄卒に向いてはいないかと」

「衆合地獄ってゲイには効果ない所が多いじゃないですか」

「男性が堕ちる場所の誘惑係は女性ですからね。でも、衆合地獄行きの条件を満たしている同性愛好者は多苦悩処(たくのうしょ)か孤地獄行きということで十分対応できています」

 多苦悩処。衆合地獄の十六小地獄の一つで、元々は男性同士で性行為を行った者が堕ちる地獄だったが、同性愛が認められた現在は性犯罪を犯した同性愛好者が対象となっている。

「多苦悩処の拷問方法は生前好きだった人が永遠と燃やされるってものなので、好きな人がいなかった亡者は全員孤地獄行きになっているのが現状です。そういった亡者は今後増えていくと予想されます。そこで、男性の誘惑係の導入です」

「そこまでする必要性は?」

「莉桜ちゃんが釣れます」

 中村莉桜は、一時期フリーの通訳で生計を立てていたが、今では外交官である。

「莉桜ちゃんならサタンさんを適当にあしらってくれますし、ハデス王と友好を図れます」

 浮気者で有名なゼウスの兄であるギリシャ冥界の王は、リリスと一緒に食事をしたことがあることからも分かる通り女好きである。

 そのため、美人外交官さえいればハデスと友好を図ることができると鬼灯は確信している。

 超生物を暗殺した、悪い意味で有名な米花町で生き抜いてきた、あの世中で色々やばいと有名な鬼灯の妻、などというマイナスイメージが元からあった上、顔を合わせてすぐ素がバレてしまった菜々では無理だったが、中村ならギリシャ冥界との架け橋になってくれるだろう。

「言いたいことは分かりました。ポアロへの視察のために、半日の現世行きの許可が欲しいんですね」

「いえ、一日です」

 菜々の答えに、鬼灯は片方の眉をわずかに上げた。

「ポアロに行った後、日本地獄と協力関係にある生者の動向を探ります」

 元椚ヶ丘中学校三年E組の面々は地獄の存在を知っている。殺せんせーと死神が元殺し屋だと発表せずに日本地獄は彼らを雇っているため、口封じの意味もあって恩師達の無事を知らせたのだ。その際、現世で事件に巻き込まれた獄卒の容疑を晴らすために協力してもらう約束も取り付けている。

「ただの同窓会ですよね?」

「……そういう見方もできますね」

「そういう見方しかできません」

 屁理屈をこねくり回していたが、菜々は「喫茶店でお茶して同窓会を行う」という行動を仕事だと言い張っているだけだ。男性の誘惑係がどうとか言っていたが、実行する気は一切ない。

「他にもやることはあります。日本地獄が所有している現世のマンションの一室の様子を見にいくとか」

「そこらへんは律さんが完璧にこなしているでしょう」

 米花町の長期視察を見据えて一室を購入したマンションには至る所に防犯カメラが付いている。米花町では普通だ。

 律はその監視カメラの映像に細工し、普段は誰もいない部屋にあたかも人が住んでいて、定期的に出入りしているように見せかけている。これで、警察に調べられても痛くもかゆくもない。

 さらに、部屋に置かれた黒い自販機のような機械に、いつもは地獄にいる律が移動し、部屋の手入れを行なっている。

 日をまたいで現世の視察を行う補佐官が急遽泊まっても何ら問題ない状態なのだ。

 

 菜々は反論がなくなって押し黙った。

「まあ、視察に行っていいですよ。あなたのことなので何かしらの成果は得てくるでしょうし、盗一さんが修行中のうちはボケキャラが少ない方がいいでしょう」

「私ってどっちかというとツッコミですよね⁉︎」

 残念ながら彼女の認識を改めることができる人材はこの場にいない。

「もしかして盗一君ってツッコミの特訓してるの?」

 閻魔はずっと気になっていたことを口に出す。本人は意図していなかったが、話題を逸らすことに成功した。

「ええ。唐瓜さんの元で勉強してもらってます」

「ツッコミの……?」

「それ以外に何があると言うのです。正直、死神さんは優秀すぎました。今のうちに手を打って置かないとツッコミ不足になります」

 仕事の効率にはツッコミ役の能力が関わっているという説を殺せんせーが唱えていた。

 冗談の可能性もあるが、彼は優秀だし確かにツッコミがないとモヤモヤして仕事に手がつかないこともあるだろう。鬼灯はこの説を重く受け止めていた。三徹目にいつかツッコミ課を作るのも良いかもしれないと考え出す程度には真剣だ。

「盗一君と麻殻君が二人掛かりで法廷周辺のツッコミ役を務めればいいんじゃない?」

「駄目です。麻殻さんがいると鬼灯さんがいつもよりはっちゃけて収集がつかなくなります」

 閻魔の思いつきに菜々が反論する。心外だと言わんばかりに鬼灯が不服そうな顔をした。

 

 今では十六小地獄の一つの責任者で順当に出世コースを歩んでいるのに衆合地獄で働きたいという要望は通らない唐瓜は、勝手に殺せんせーの捜索を押し付けられていることをまだ知らない。

 

 

 *

 

 

「姉ちゃん、俺達とお茶しない?」

 女性が大学生くらいのチャラい見た目の二人組にナンパされている。爆弾が見つかったり人が殺されたりすることがしょっちゅうある米花駅では平和な光景だ。

「いーや、人を待ってるから」

 片手で携帯をいじりながら適当にあしらう中村は、柱にもたれかかっている。

 接受国で派遣国を代表する外交官という職に就いたというのに金色に染められた髪は昔と変わらない。純日本人国のくせして地毛が水色や赤色の人間がいるので、髪を派手な色に染めていても問題視されないのだ。

「待ってるのって友達? いーじゃん、その人も一緒にお茶しようよ」

「あんたらが今この場で濃厚なキスをしたら考える」

 予想外の答えに男二人は固まり、体が動くようになるとすぐにその場を離れていった。

 

「莉桜ちゃん、本当に良いんだね? まだ駅なんだから引き返すことできるよ」

 出会いざま菜々が深刻な顔をして何度目かわからない確認をしてくる。

 菜々に電話で米花町に行きたいので案内して欲しいと告げたら、死にたいのかだの人生を諦めるには早すぎるだの悩みがあるのなら相談に乗るだのと騒がれた。

 米花町の恐ろしさはよく耳にするので中村も十分心得ている。しかし、彼女は米花町にある喫茶店ポアロにどうしても行きたかった。

 ポアロで働いているイケメンに同性の恋人がいるという情報を掴んだのだ。BLが存在するのならどんな危険地帯だろうと向かわなければならない。

 

 

「午後からある同窓会だけど、闇鍋するらしいからポアロ出た後スーパー寄ろうよ」

「あー、米花町に売っていたものならそれだけで闇鍋の材料になるわ」

 話しながらポアロに向かって歩いている間に、ひったくり犯が走ってきたりスリに遭いかけたり銀行強盗を目撃したりしたが、全員気絶させてその場を後にしてきた。

 取り調べとか色々と面倒なのだ。米花町にはほんの一握りしかいない善良な市民が通報してくれるだろう。

 

 

「加藤菜々だ! 家に避難しろ!」

「工藤家と同じ危険度SS級か‼︎ しばらく見かけなかったのに……!」

「ママー。あの人危険なの?」

「見ちゃいけません! 事件に巻き込まれるわよ!」

「先輩、いきなりどうしたんスか?」

「そうか、お前はこっちに来て日が浅いもんな。あの人と関わると事件に巻き込まれるから大抵の人は逃げ出すんだ。工藤家や毛利小五郎みたいなもんさ。ああいう連中と付き合えるのは、自分の身は自分で守れる奴か、よっぽどの幸運の持ち主、それかただのアホくらいだよ」

 

「私がしばらく友達できなかったのって、米花町にこういう風潮があるのも関係してると思う。米花町を出たら出たで『あいつ米花町民だから関わらないでおこうぜ』みたいな態度取られるし……」

 中村は米花町ヤベーなと思った。

 

 

 少し歩くと、人だかりができている場所があった。三件目なので事件現場だと中村は瞬時に判断できた。

 チラリと見てみると、なぜか規制テープの向こう側に小学生がいる。しかも、その少年がトリックを見抜き、犯人を追い詰めているようだ。

「なんなんだよ、お前!」

 罪を認めた犯人が叫ぶ。

「江戸川コナン、探偵さ!」

 

「え、米花町って小学生の力借りてるの?」

「やけに頭が切れる一般市民の手を借りないと、迷宮入りする事件が一気に増えるんだよ」

 中村は米花町ヤベーなと思った。こう思ったのは何度目かは分からないが、確実に二桁はいっている。

 

 

 *

 

 

 注文したメロンソーダとアイスココアを持ってきた梓にお礼を言うと、菜々は中村に向き直り真剣な眼差しで質問した。

「どのコースにする? それぞれ一時間で、相槌だけなら百円、自分の考えも語るなら三百円、全てを完璧にこなしてネタ提供もするなら五百円」

「とりあえず三百円コースで」

 菜々がタイマーをセットしている間に中村はメロンソーダを一口味わい、相手の準備が整ったところで口を開いた。

「(話の)ターゲットには彼氏がいる。名はアカイシュウイチ。アメリカ人。アカイの人物像を推測し、どちらがどのポジションなのかを語り合いたい」

 声を潜め、第三者が聞いても意味が分からない話し方を心がけている中村に、菜々は舌を巻いた。

 彼女の信条は「できるだけ隠れる」らしい。米花駅での出来事について問いただしたいが、「それはそれ、これはこれ」ということなのだろう。

「まず、名前を特定できた経緯を聞いても?」

「見てりゃわかるよ」

 菜々は色黒の金髪店員に視線を移した。ハンコとセロリが大好きそうな顔をしている。買い占めていそうだ。

 

「安室さん。シフトなんですけど、最低でも()()は出て欲しくて……」

「小テストが週二から()()になった、死ぬ……」

「勉強教えるよ。えーと、この問題は円()1()メートルだから──」

 シュウイチという単語が聞こえるたび、安室は手に握っている物を破壊していた。床に、コップの残骸が今しがた散ったところだ。

 

「あー、でもあれはどっちかっていうと憎んでいるような……」

 黒ずくめの組織について地獄で発覚した際一通り目を通した資料で、降谷零と赤井秀一の確執を知っている菜々はやんわりと否定してみた。

「いいや、たとえ憎み合っていたとしても最終的には付き合う!」

「へー……」

 現実逃避のために哲学について考え始めた菜々だったが、彼女の耳は拾って欲しくない音声までしっかりと拾ってしまう。

 

「見て! この()()トマトの写真!」

 客の話し声と一緒にガラスが割れた音が鼓膜を振動させる。

 ポアロに設置された小さなテレビの画面にアメリカ民謡の特集が映ると、「これもFBIの陰謀か! おのれ赤井!」という低い声が聞こえ、その直後になんでもないと誤魔化す人懐っこい声がした。どちらも同じ人間が出している声だとはとても信じられない。

 

 安室は一度寝たほうがいい。

 

 

「それで、ターゲットは彼氏に貢がれているみたい。喫茶店の定員と探偵を掛け持ちしている人間には絶対買えない、高い車を乗り回しているらしいから」

 中村の迷推理は止まらない。しかし、何も知らなければそう思っても仕方がないだろう。

 普通、喫茶店の店員がスポーツカーを乗り回していたら悪目立ちするものだが、誰にも疑問を持たれていないのは米花町だからである。

「本職は探偵なんでしょ? 米花町って指名手配犯が大量に潜伏してるから、探偵なら仕事中に見つけることが多いんじゃない? 手練れなら捕まえた指名手配犯の賞金だけで食べていくこともできるし」

「米花町やっばい……」

「だから引き返したほうがいいって言ったのに……」

 

 その後、中村が五百円コースに変更したので、菜々は撮りためていた写真を売り払った。地獄に勤めるイケメン達と合法ショタ(小鬼)、某神獣は本人達が知らないうちに犠牲になっていた。

 

 

 *

 

 

 ポアロでのバイトを終わらせて警察庁に戻るとすぐ、降谷は風見に連絡した。

「安室透について調べているらしい女性二人がポアロに来たんだ。それに、赤井秀一の名前も知っていた」

 電話の奥から息を呑む音がする。

「暗号らしき言葉を使っていた。最も出てきた単語は『右』と『左』。それとコースがどうこうとか言ってたな。組織の者ではなさそうだが、頭の中に入れておいてくれ。名前は中村莉桜と加々知菜々」

 降谷は、世間話に見せかけて聞き出した名前を告げる。

『加々知菜々ですか?』

「ああ、そうだが?」

『警視庁では有名ですよ。昔、捜査一課に洗いざらい調べられたとか』

「……そうか」

 通話を終了し、溜まった仕事を片付けるために降谷は机に向かった。あの二人には何かあると降谷の勘が告げていた。



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第30話

 買い物カゴを見る限り煮込み料理しか作っていなさそうな大学院生と出会ったり、爆弾を発見したり、警察に追いかけられた銀行強盗犯がなぜか立て篭もろうとしたりしていたが、菜々と中村は無事にデパートから出ることができた。

 渚とあかりの取り調べの合間に行われるらしい闇鍋パーティーの材料を片手に、駅に向かって歩く。

「あの沖矢昴って人、本当に大学院生? 工学部博士課程って言ってたけど、あそこって大学に泊まるはめになるくらい忙しいって聞いたことがあるんだけど」

「米花町民なんだから怪しいところが全くない方がよっぽど怪しいよ。米花町ではあれくらいが普通」

「あと、なんで小学生が爆弾解体してたの? それにあの子、数時間前は殺人事件解決してなかったっけ?」

「米花町だから仕方がないよ。ところで、くじで当たったベルツリー急行の乗車券いる? 米花町のくじの賞だし鈴木財閥関連だから間違いなく事件が起こるけど」

 菜々は厄介なものを押し付けようとしたが、にべもなく断られた。

 

 

 *

 

 

 この前、熱愛疑惑をかけられてマスコミで大きく取り扱われた磨瀬榛名が一般人男性との婚約を発表した。同時に結束力が卒業式前日と同じくらい高くなったE組全員の都合が合う日に旧校舎に集まることが瞬時に決められた。殺せんせーも地獄で暗躍していたらしい。

 手を繋いで旧校舎までの道を歩く渚とあかりとて、急遽開かれることになった同窓会で何が起こるのかは予想できている。

 だからこそ、全てを包み隠さず話すことに対する気恥ずかしさ、それよりももっと大きな皆に祝福してもらえることへの嬉しさがごちゃ混ぜになっていた。

 

 が、皆が集まってすぐに尋問が始まると、二人の心を埋め尽くすものが恐怖に変わることとなる。

 

 教室に舞うホコリが窓から差し込む日の光を反射し、キラキラと輝く中、一回目の質問役である菜々が口を開いた。

 並んで座る渚とあかり。机を挟んで二人の正面に腰掛ける菜々。彼らを囲むようにして、元クラスメイト達が様子を伺ってくる。

 もちろん実物を見たことはないが、刑事に取り調べを受けている犯人を、マジックミラー越しに観察する刑事達みたいだと渚は感じた。

「まず、これは殺せんせーのアドバイスブック36巻。アコーディオンみたいになってるから死神さんが殺せんせーに進言してくれたらしく、電子書籍化もしたけどそれはひとまず置いておくね」

 検索機能も付いていて、必要な時に必要な部分だけをピンポイントで閲覧できる優れものだ。

 皆は死神に感謝しつつ、菜々が大きな音を立てて机に置いたアドバイスブックをちらりと見る。あれを片手で持ち上げる彼女の筋力が怖い。

「問題は別冊に載っている新婚に向けて知っておいた方が良いこと一覧。たくさんある項目の中に相手の性癖の考察が載っていて、長い上に多分ドンピシャで当たってる」

 経験者は遠い目をして語る。

 相手がいる者――委員長コンビやスナイパー二人――は相手のアドバイスブックと電子書籍バージョンをこの世から消滅させる方法を模索し始めた。

「で、さらに厄介なことに、殺せんせーは生徒をモデルにして恋愛小説を出版する夢をまだ諦めていないらしいんだよ。しかも、試作品を知り合いに見せたら好評だったせいで、何年も前からイベントで薄い本を販売してる」

 殺せんせーの作品は人気だし、登場人物は名前しか変えておらず設定はいじっていないので読む人が読めば誰の話かが分かる。

 知り合いがあの世に住むことになれば、事実に限りなく近い自分が主人公の恋愛話を知られるはめになるのは明白だ。

「最近、公式が燃料投下しちゃったから、しばらくは渚君とあかりちゃんの本ばっかり書くだろうね」

「お願いやめさせて……。そして本もデータも闇に葬って」

「私からしたら止める理由がないんだよね。殺せんせーに情報が一番行きやすいせいか、私達が最も被害に遭ってるし。イベントに襲撃したり脅したりして、今のところなんとか食い止めてるけど、あれ結構負担だし、被害が別の方向に向くのは願ったり叶ったりで。せめて見返りがないと……」

 鬼灯はこれがきっかけで獄卒志望者が増えればある程度のことは許すという態度を取っているため、菜々には仲間がいない。だから余計に渚とあかりが目をつけられる方がありがたい。

 殺せんせーを止めて欲しいのなら渚とあかりが婚約発表に至ったまで出来事を語れと暗に提案する。

 ここで全てを語るか、あの世中に殺せんせーの本が出回るか。あかりはあの世でも有名人らしいし、本はよく売れるだろう。

「渚、早くゲロちゃったほうがいいよ。烏間先生……じゃなくて烏間さんとビッチ……も話を聞きに来てるくらいだしさぁ。あの世に殺せんせーの本が出回ったら、ネットとかにも載るよ、多分」

 カルマが鍋に大量のチョコレートを入れながらあおってくる。

「ちょっと、ビッチって何よ⁉︎ ついに敬称すらなくなってるんだけど⁉︎」

「俺たちが来たのはこのためではないんだが……。あと、せめて先生呼びしてやれ。どうせまた先生に戻るんだ。その話は後でする」

 

 

 *

 

 

 全てを語り終えた渚とあかりが屍のようになったところで、烏間が口を開いた。

「五年前のことだ。ロヴロさんから接触があり、こう告げられた。『七年前の事件の続き、お前達夫婦は知らなくてはならない』と」

 十二年前。色鮮やかな思い出が皆の脳裏を駆け巡る。

 適当な椅子に腰を下ろして烏間の話に耳を傾けていた一同は思わず背筋を正す。結局誰も手をつけなかった闇鍋を咀嚼する菜々以外、全員がピタリと動きを止めた。

「ってことは、殺せんせーと何か関係が?」

 代表して尋ねる磯貝に、烏間は一つ頷いてみせる。

「そうだ。ロヴロさんに触手について調べている組織があると告げられてな。その組織とやらに乗り込んで確かめたところ、奴の遺伝子が保管されていた」

「……生物兵器の可能性が捨てられてなかったのか!」

「ああ。その後、俺が調べた場所が指示を仰いでいた施設を発見して踏み込んだんだ。そしたらそこにいないはずの奴がいた。触手を植え付けた状態でな」

「それは……」

 誰ですか? と尋ねる声は烏間にかき消された。

「鷹岡明。防衛省の独房に入れられていたはずなんだが、どうやら秘密裏に釈放されていたらしい」

 目を鋭くして考え込むカルマ、顔色を悪くする木村。隣の友人と話し合い始める者達もいる。

「それで、鷹岡はどうなったんですか⁉︎」

「取り逃がした。どうやら俺たちが踏み込んだ施設も別の場所から指示を受けていたらしく、鷹岡は裏社会の人間と思われる者に連れていかれたんだ」

 教室内が静まり返る。闇鍋を完食した菜々が箸を置く音がやけに大きく響いた。

「調べてみたら、触手の研究を行っていたのが国際的な犯罪組織だと分かった。通称黒の組織。謎に包まれた組織で、世界各国の機関が潜入捜査員を送り込んでいるが未だに実態が掴めていない」

「なるほど。烏間先生が言いたいことは分かったよ」

 カルマが烏間を見据えて予想を述べる。

「上層部としては殺せんせーについて知ってる人間をこれ以上増やしたくないはずだ。だからこの件で動いたのは、十二年前に動いていた人達だけ。鷹岡を取り逃がしてしまったのも関わっていたのが少人数だったせい。で、このままだといけないと思った上層部の人間が俺たちを使えと言ってきた。違う?」

「ああ、その通りだ。目的は鷹岡の捕獲と触手生物のデータの処分。君達には昔みたいに俺たちから訓練を受けてもらい、黒の組織に攻め込む手伝いをして欲しい。武器も防衛省が用意する。だが、もちろん拒否権はある。危険なことに首を突っ込みたくないのなら、俺たちがなんとしてでも上層部を説得すると約束しよう」

 烏間が口を閉じる。強い意志を宿した瞳は昔のままだ。望めば彼は必ず生徒達を守ってくれるのだろう。

「だれか、抜けたい奴はいるか」

「いるわけないだろ、磯貝」

「そーそー、これは私達で終わらせないといけないことだし」

「俺ら動きも鈍くなってるし、指導よろしくお願いします!」

 口々に話し始めた生徒達を見て、イリーナは顔をほころばせる。

「言ったでしょ。私達の生徒なら絶対こう言うって」

「ああ」

 烏間は、確かに十二年前と同じ光景を見た。

 

 

 *

 

 

 黒の組織について今現在分かっていることを烏間から聞き、皆で所有している山で訓練が行われる事を確認した後解散となった。

 菜々が靴に履き替えて旧校舎を出ると、同級生は誰もいなかった。お前しか食べていないのだからと鍋の片付けを押し付けられたせいだろう。

 空を見上げれば太陽は沈んでしまったらしく、暗くなる一歩手前の蒼が広がっている。

 あの世への入り口に向かおうとした菜々は人影を見つけて足を止めた。

「あ、烏間先生。ちょっと良いですか?」

「どうした?」

「黒の組織の存在は日本地獄でも問題視されています。というか、国際会議で対処を押し付けられました。研究内容が研究内容なので、何とかしないとあの世のシステムが崩れる可能性があるんです。なので、全面的に協力できますよ」

「そうか。後で律を通して情報を送ってもらえると助かる。それと、触手生物に対抗するための武器が日本地獄にあると考えていいんだな?」

「はい。でも、黒の組織の調査には様々な組織が関わっているみたいですし、下手に武器を使うと疑問を持たれそうなので、日本地獄の武器は最終手段です。もし使うとしても、烏間先生にごまかしてもらうことになります」

「ああ、分かってる」

 話すことがなくなり菜々が再び足を動かし始めると、烏間が思わずといった様子で口を開いた。

「……十二年前と同じだな」

「そうですね」

 すっかり冷たくなった秋風が頬を撫でる。

「気がついているのは君を含めて数名だけだろうな。加藤さんは地獄にある不思議グッズとやらで知ったのか?」

「いえ、私はあの件について地獄からも突っ込んだ話は聞いてません。私が復讐にかけられるのを危惧したのか、あの時はまだ、ただの子供だったから知る必要がないと判断されたのか。どっちかは分かりませんけど、殺せんせーの目があるし、私は自分で裏を取ってませんよ」

「裏なら取っただろう。九年前に俺に確認して。で、俺を恨むか?」

 それでも仕方がないと思っているのがよく分かる。重苦しい雰囲気があまり得意ではない菜々は一つ息をついた。

「別に恨んだりしませんよ。私がその立場でも、同じ判断をすると思います」

「……そうか」

 自分の返事を聞くと歩き始めた菜々を見送りながら、烏間は九年前の出来事を思い出していた。あの日もここであの生徒と話していたはずだ。

 

 

 *

 

 

 烏間とイリーナの結婚が決まった時、式とは別に祝いたいと生徒達が言ってきた。

 パーティー会場は旧校舎。食べ物も用意することとなり、生徒達だけでは大変だからと居酒屋を営んでいる、殺せんせーと知り合いだった梓とその娘の蛍の手も借りた。

 梓と蛍が生徒達と打ち解けたり、アドバイスブックに載っていた烏間とイリーナの恋愛記事についての考察が始まったりしている中、烏間は旧校舎から離れた場所に移動していた。

 旧校舎の声が聞こえるか聞こえないかという位置まで来たところで、気配を感じて降ってきた道を振り返る。

「加藤さんか。君も抜けてきたんだな」

「結婚おめでとうございます。烏間先生に聞いてもらいたい独り言があったので」

「独り言?」

「はい。私のたわいもない妄想です。柳沢の研究資金、国家が出していたんじゃないかって」

 

 

 復讐を果たした犯人、快楽殺人犯などの殺人事件を起こした人物から、下着ドロや万引き犯、一種の変態、その他諸々。ありとあらゆる人間の独白を日常的に聞いている菜々は、殺せんせーが語った過去に違和感を覚えた。

 柳沢の研究については触れる程度で、あぐりとの関係性に重きを置いた話し方。何かを隠そうとしているように感じたのだ。

 ――「殺せんせーはどういう理由で生まれてきて、何を思ってE組に来たの?」

 殺せんせーとイトナが初めて戦った日、渚が口にした言葉だ。この質問に、殺せんせーは自分を殺せばいずれ分かるとだけ返した。

 時は経ち、あかりがあぐりの妹だと判明してやっと殺せんせーは頑なに閉ざしていた口を開いた。しかし、殺せんせーが語った内容は渚の質問の半分にしか答えていなかった。

 

 茅野カエデの正体、渚とあかりのキス、殺せんせーの重い過去など、衝撃的な展開について行くのがやっとで、大半の生徒の盲点になった事実の数々。

 なぜ人体実験を充実した設備の中行うことができ、世界一の殺し屋を被験体として使えたのか。

 なぜ研究所の職員達やあぐりは通報しなかったのか。

 柳沢の研究資金はどこから出ていたのか。

 財力も権力も持った大きな組織が柳沢の後ろについていたとしか思えない。

 ここまで考えると、死神が研究所を脱出してから各国の重役が動くまでが早すぎることに目が行く。

 とある科学者が行なっていた実験のせいで月が七割消滅し、月を破壊したネズミに埋め込まれていた細胞の持ち主が異形となり、来年地球が滅びる可能性がある、だなんていくら高名な科学者が言っていたとしても、疑ってかかられるだろう。

 検証に検証を重ねてやっと世界中の重役達が話を信じたと言われた方が納得できる。

 国、またはその重役が反物質の研究に一枚噛んでいた。これが菜々が出した結論だった。元々柳沢の研究について知っている人物が上層部にいたからこそ、殺せんせーへの対策が早めに取られたのだ。

 

 

 菜々の言葉を聞き、烏間は視線をわずかに泳がす。かと思うと目を瞑って思案し、ゆっくりと口を開いた。

「俺はあの時、そこまで情報を貰っていなかった。だから、明確なことは言えない」

 否定しなかった。そのことが烏間の考えを示唆していた。

 

 

 *

 

 

 男は何度目かのため息をついた。視線を目の前のパソコンから逸らせば上司と年上の同僚が話しているのが見える。正確に言えば、同僚が上司に報告をしている。

 できることなら耳を塞いで大声でわめきながらこの場を後にしたい。徹夜が続いているし正気を失ったということにできないだろうか。この件には関わりたくないのだ。

 虚ろな目をして現実逃避をしているのに、しっかりと手を動かして仕事をこなしているのは木村正義。警察官である。表向きの所属先は警視庁地域企画課。本当の所属先は警察庁警備局警備企画課。

 やけに事件が起こる米花町を訝しんだ上層部の命令で、四六時中事件が起こる原因を地域企画課で探りつつ、公安の仕事もしている。事件が起こってこそ米花町なので、自分が二つの顔を持つ意味はないと木村は考えているが、社会人なのでそうは言ってられない。上司の命令は絶対だ。

 

「風見、まだ終わらせていないのか? 時間はあっただろう」

「それが、調査対象の関わった事件数が多すぎて……。刑事部の人間に聞いた話と、警察中で噂になるほど有名な話の裏は取れたのですが……」

「もう一人の方はそこまで時間がかからなかったんだろう?」

「ええ。中村莉桜の経歴は真っ白でした。優秀で、外交官として数多くの成果を残しているそうです」

「確か、あの二人は中学の同級生だったな」

「はい。中学三年生の時に同じクラスだったようです」

 

 自然と耳に入ってくる会話のせいで木村は頭が痛くなった。自分はあの二人が話している人物の同級生である。風見が降谷にそのことを告げる前に家に帰りたい。しかし、目の前には一向に終わらない仕事が大量にある。

 

「ところで、いくつか突っ込みたいんだがいいか?」

「はい」

「まず、カルト集団に拉致されたとか、麻薬取引の現場を定期的に目撃しているだとかは置いておく。米花町ならありえる。で、きのこたけのこ戦争を巻き起こした張本人だというのは間違いないのか? この時、彼女はまだ小学生だろう」

 きのこたけのこ戦争。きのこを押す有名な暴力団の若頭と、たけのこを押す謎の人物が口論を始め、殴り合いに発展し、相次ぐ事件で心がやさぐれていた米花町民も騒ぎに便乗し、途中からマスコミや鈴木財閥が関わり始めたせいで日本中に影響を与えた事件だ。

「あの事件のせいでFBIからは『日本は菓子で動く国なんだろう?』などと言われているんだ! おのれ赤井!」

「降谷さん、それは赤井捜査官のせいでは……なんでもありません」

 降谷の顔を見て風見は反論するのをやめた。

 

 光が消えた目を血走らせ、一心不乱に仕事をこなしていた公安職員は一瞬手を止める。

 アイコンタクトとジェスチャーで意思疎通を行い、降谷の対処法について意見を出し合う。

 ここにいるのは優秀な人材ばかりだ。その証拠に、ジェスチャーは何気ない仕草に見えるしアイコンタクトも誰も気がつけないのではないかと思うほど自然な動きで行なっている。

 

 木村は周りを一瞥して再び仕事に戻る。

 あの一瞬で打つ手なしとの判決が出た。いくら優秀でも、身分を偽装した状態であの米花町と黒の組織を行き来していてもまだ生きている降谷の裏をかけるわけがなかった。

 

 風見と降谷の話はまだ続く。

 木村は好奇心半分、自分に話が振られる時が来る恐怖半分で耳を傾けた。逃げるのは諦めた。

「はい、彼女がたけのこ一派を率いていたのも、騒ぎの元凶なのも間違いありません。『米花町は呪われてるから事件が起こるんだ』と主張して町中にファ◯リーズを吹きかけたり、高名な祓い屋に弟子入りしようとしたりしていたようですし、やけに行動力があるんでしょう」

「……彼女は国家機関にでもぶち込んで、有能な者が手綱を握っておいたほうがいいんじゃないか?」

「彼女くらいじゃないと米花町で正気を保つのは難しいのでは? 実際、米花町出身の刑事は幼少期から手柄を立ててますし」

「この資料に載っている交通課の三池苗子と捜査一課の千葉和伸か」

 降谷はまだ作成中の資料に視線を落とす。

 山に籠城を決め込んだきのこ派と山の麓に陣取るたけのこ派という構図ができあがり、一触即発という言葉が自然に浮かんで来る空気を放っている騒ぎの中心。固唾を飲んで見守る野次馬。オロオロしたり、白目をむいたり、娘がたけのこ党であることに憤慨したりしている帝丹小学校の教師達と保護者達。

 そんな中にポッ◯ー片手に突撃した小学生四人は「激しい修行を経てポッ◯ー帝国と同盟を結び、戦争を終結させたすぎ◯こ村」と一部のマニアの間で語り継がれている。

「……まあ、米花町で生き残るばかりか、大したトラウマもなく事件に関わる確率が上がる道を選んだくらいだからな……。でもその小学生達の中に家政婦やってる人間と若年無職者がいるのには納得がいかないな」

「降谷さん、真面目に考えちゃダメです。ドツボにはまります。あと、詳しい話は木村に聞いてください。彼は調査対象二人と同じ中学出身で、中学三年時は同じクラスだったようです。米花町の調査もしていますし、話を聞くにはもってこいでしょう」

 風見は逃げた。先輩としてどうにかしてやりたかったが、理性を失いかけている降谷とか米花町の闇とかでダメージが大きすぎてそれどころではない。木村は警察学校で公安に抜擢されるほどの好成績を残しているし、並外れた機動力や殺し屋とのコネを持っている。多分大丈夫だ。

「木村、話してくれるな?」

「アッハイ」

 有無を言わせぬ笑みに、木村の表情筋は仕事を放棄した。

 

 

 降谷の問いに答えながら、木村の心は宇宙の彼方をさまよっていた。体と頭は動かしているし問題ない。

 ――「鷹岡明。防衛省の独房に入れられていたはずなんだが、どうやら秘密裏に釈放されていたらしい」

 先程旧校舎で開かれていた同窓会で烏間が告げた内容を木村は思い出す。

 鷹岡はあれほどのことをしておいて防衛省の独房に入れられていただけ。彼がしでかしたことを公にできないのはわかるが、秘密裏に裁かれたのならもっと重い刑罰が待っているはずだ。

 つまり、大きな力が働いて鷹岡の刑は軽減されている。しかも秘密裏に釈放されて悪の組織に匿われ、触手を植え付けている。

 国だろうな、と木村は結論を出した。

 昔は予想だにしなかったが、烏間の言葉を聞いた今なら、柳沢の属していた組織に援助していたのかさらに上についていたのかは分からないが、とにかく反物質の研究に関わっていた第三の存在が理解できる。

 それと同時に、烏間が自分達にそのことを伝えるためにわざとあのような言い方をしたことも理解する。

 

 問題は、黒の組織が触手に手を出していたこと。昔、触手の研究を行っていた施設は国から投資を受けていた可能性が高いのだ。黒の組織が国とつながっている可能性がある。

 そして、その国にとって自分たちは邪魔だ。もしも行っていた不正に気がつかれ、復讐されたら。その国の重役はそう考えるはずだ。

 自分達は暗殺訓練を受け、超生物を十五歳で殺したのだ。危険なのは間違いない、だから事故に見せかけて殺してしまおうと考えられるのは明白。

 

 今回の任務は三つ。

 鷹岡の捕獲。

 触手についてのデータの破壊。

 そして、黒の組織と繋がっている権力者をあぶり出し、捕まえること。

 

 

「加々知菜々は親の会社が潰れて借金が残り、十六歳の誕生日に入籍しているんだが、結婚相手は金を持っているわけではない。しかし、借金はすぐに返済している。何かあるとは思わないか?」

「……懸賞金がかかった犯罪者を捕まえた時の金があったとかじゃないですか? 入籍は米花町民だからでしょう。明日を迎えられるも分からない環境なので、早くに入籍する人が多いみたいですよ」

「だが、彼女はバイトを増やしているんだ。高校三年になるまで続けている。まるで、一時期誰かに借金を肩代わりしてもらったようじゃないか?」

「そうですね……」

 木村は頭を動かし続けた。一方で心は別の場所にある。こんな風だから、人間から鬼になったというとんでも経歴を持った同級生は過労死の多さを嘆いているのだろう。

 

 

 *

 

 

「感触、臭い、色、形。全てが本物のう◯こそっくりな物体Xだ!」

「なんでそんなものを作ろうと思った」

「屎泥処の例からも分かる通り、う◯こを使った拷問は非常に有効なんだ。そこで俺はう◯こを投げつけることで精神的苦痛を味わせる拷問を思いついた。が、いくら仕事だと言ってもう◯こ触るのは嫌だろう。だから偽物を作ったんだ」

「なるほど、言いたいことはわかりました」

 菜々が閻魔殿に戻ると鬼灯と烏頭が顔を付き合わせて話し合っていた。不穏な雰囲気である。

 烏頭が手に持っているのはどう見ても糞だ。丁寧なことに臭いは屎泥処の鍋に入ったヘドロ状のものと同じ。

 菜々は米花町を訪れる時や工藤家の人間と接触するときは必ず持っている道具入れの中から小型酸素ボンベを取り出して装着した。

 土産を忘れていたことに気がついて地獄へ通じる場所へ向かう途中にもぎ取ってきたマツタケ数個を握りしめつつ菜々は成り行きを見守る。

「ゴム手袋でもつければいいでしょうし、そもそもそんなに実物そっくりだったら触りたくありません。まあ、百歩譲ってそのことに気がつかなかったと仮定しましょう。なんでその物体を噴出する機械を記録課に入れた」

「ちょっと資料室で研究してたら『技術課はろくなものを開発しない』とか言われたから、そのろくなもので慌てふためかせてやろうと思ったんだ……」

「またう◯こ送りになりたいんですか」

 鬼灯がため息をつき、烏頭から視線をそらす。その一瞬で烏頭は殺せんせーに目配せし、懐から雑誌を覗かせた。

 殺せんせーの目が極限まで見開かれる。見たところエロ本らしい。プレミア価値でもついているのだろう。

「律さん、今進めている現世視察の件で何か報告することがあったのでは? 菜々さんも帰ってきたので今から行いましょう」

 殺せんせーはさりげなく話題を逸らし、鬼灯の目を盗んで烏頭と親指を立て合った。

『厨二組織の件なので、別の場所で行いましょう!』

 律が元気よく提案した。

 

 黒の組織の情報や若返った人間がいることは一部の者しか把握していない。地球滅亡の可能性はないので殺せんせーの時よりは情報規制が緩いが、一般獄卒に知られるのは良いとされていない。

 今まで黒の組織やパンドラについて話すときは、周りに一般獄卒や亡者がいないことを確認し、誰かいた場合は人気のない場所に移動していた。

 今の時間帯は多くの獄卒が閻魔殿にいるので、今は使用されていない会議室に移ることになった。

 

 機密事項みたいだし俺は席を外すぜ、という体を装って烏頭は逃げ出す。鬼灯は彼の思惑に気がついたが、黒の組織の情報の方が先だと判断した。

 

 

 *

 

 

『幹部の会話を元に黒の組織について調べたのですが、一部の幹部が不思議な言葉を話していて解読不能でした。具体的にいうと、殺し屋の時の殺せんせーや、盗一さんや、小学生の時の菜々さんが犯人に対してカッコつけてた時のような感じです』

 殺せんせーのスマホ画面に映ったモバイル律が告げる。予想外の攻撃に菜々は胸を押さえた。ツッコミ初心者の盗一は一瞬迷ったが、触れないことにしてくれた。唐瓜との特訓で周りに配慮するツッコミ技術を身につけてくれたようだ。

「そういえば、義母からその時の名残を受け渡されましたね。カッコいい(と勝手に思っていた)セリフ一覧とか」

「なっ……あれは処分したはず……!」

「残念ながらコピー取られてますよ」

 さらに母と鬼灯との連合軍による打撃。

 普通は姑VS嫁が主流だが、菜々は大抵「母+夫VS父+自分」である。菜々を育て上げ、割とやらかす夫を尻に引いている母はいつも強いのだ。

『なので、厨二語の解読を盗一さんにお願いしたいんです! 菜々さんは前もってセリフを考えておいて、その時が来たらドヤ顔でセリフを言うタイプでしたし、殺せんせーは……』

「ちょっとその含みなんですか⁉︎」

「暗に厨二病って言われているような……」

「あれ? これってさりげなく嫌がらせされてる? 律に何かしたっけ?」

 思わず尋ねた殺せんせー、疑問を呟く盗一、心当たりがありすぎて困惑する菜々。鬼灯は三人を無視して、律に話しかけた。

「律さん。詩ジンの言葉は解読を待つしかないですが、それ以外にも情報はありますよね? 何かわかったことは?」

「あ、そういえば黒の組織触手の研究もしてるみたいですよ。律、烏間先生に情報送っといて」

 烏頭の発明品の衝撃が強すぎて、頭から消えていた内容を告げ、菜々は再び自分が何をやらかしたのか考え始めた。詳しく説明するのは面倒なので、律に映像を見せて貰えばいいだろう。鬼灯も同じ考えらしく、何も言わずに律の言葉を待った。

『本名、宮野志保。偽名、灰原哀。コードネーム・シェリー。彼女がベルツリー急行に乗るという情報を掴んだ黒の組織の幹部が、彼女を殺そうとしています。そして、確か菜々さんがクジで乗車券を当てていました』

「あ、じゃあ行ってきてください」

「え、嫌です」

 菜々は思考を止めて反論する。

「キッドが予告状出してますし、盗一さんに行かせてあげては?」

「彼は前回やらかしたので駄目です」

 盗一は崩れ落ちた。ベルツリー急行の名前が出た時からソワソワしていたので狙っていたのだろう。

『ベルモットとバーボンが乗車するみたいです。バーボンこと降谷零さんはシェリーを公安で保護するつもりみたいですし、江戸川さんもキッドまでもを味方につけて対抗する準備を整えています』

「ライバルを手助けする快斗……。鬼灯様、私を行かせてください!」

「駄目ですって」

 盗一はバッサリと断られ、殺せんせーに慰められ始めた。

「私もお盆以外は全然現世にいけないんですよ。お盆も霊体だから生徒達には見えないし……」

 絶対やらかすし、殺せんせーや初代死神を知っている人間にあったらまずいので、殺せんせーは見える状態で生徒達に会うことができていなかった。変装という手もあるが、うっかり米花町の探偵と鉢合わせしたら変装を疑われる可能性もある。

 そんな二人のことを気に留めることなく、律は公安、コナンサイド、黒の組織の目論見を説明していた。

『なので、菜々さんは江戸川さんのサポートをするだけでいいです』

「え、なんで私が行く流れになってるの?」

「一番こういうことに慣れているからに決まっているでしょう。行かないんだったら急遽全獄卒参加の集会を開いてあなたの負の遺産を読み上げます」

「喜んで行かせていただきます」

 菜々は即答した。



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第31話

※スコッチの本名が出てきます。
※一瞬だけ下ネタが出てきます。
※映画「から紅の恋歌」のネタバレがあります。


「実は元大女優の工藤有希子の浮気疑惑があるんだ。相手は東都大学大学院工学部の学生で、工藤邸に居候しているらしい。それに、工藤優作の隠し子と思われる少年もいる」

 中学の時の同級生と再会したと思ったら爆弾を放り込まれ、菜々は思わず意識を飛ばしかけた。

 

 荒木鉄平。五英傑の社会担当。丸顔のメガネ。毒舌。自分から喧嘩をふっかけたくせに期末テストで磯貝に負けた。現在は新聞社に勤めており、政府にネチネチと絡む記事を書くことが多い。

 彼が書いた記事を見かけることがあるので、菜々は割と情報を覚えていた。

 

「えーと……ごめん、わけがわからないよ」

「さっき言った通りだよ。せっかく情報を掴んだのに米花町を恐れて誰も取材に行かなかったから、しょうがなく取材に出向いたんだ。数多くの事件に巻き込まれ、時には罪をなすりつけられ、またある時は爆発で死にかけ……。やっと掴んだ情報によると、工藤有希子と浮気相手の沖矢昴はこのベルツリー急行で逢い引き中。探らない手はないだろう?」

「で、私を見つけてすぐ、誰もいないことを確認してからそんな話をしたのは?」

「君が工藤有希子と江戸川コナンの知り合いだから巻き込もうと思った」

 菜々は情報を整理してみた。

 

 胡散臭い沖矢昴が工藤邸に居候していても問題視されてこなかったのは、米花町民が工藤家全員の人の良さを知っているからだ。

 優作や新一は趣味もあるが八割は善意で事件に飛び込んでいくし、有希子は基本的に誰でも受け入れる。

 米花町民は、またあの一家人助けしてるな、くらいにしか思っていない。一日に何件も事件が起きるせいで日常生活もままならないので、他人を気にかけている時間がないのも大きいだろう。

 

 順当に行けば赤井は灰原と降谷以外には怪しまれずに沖矢昴として生活することができたはずだ。わざわざ米花町を訪ねてくる人なんて滅多にいないのだから、彼に疑問を抱く人物が現れる可能性は限りなく低かった。

 だが、荒木鉄平は沖矢昴を怪しんだばかりか、有希子との関係や、コナンの両親について探ろうとしている。

 

 地獄の存在を一切感知されずに組織壊滅まで持っていくには、生者の陰に隠れて地獄が動かなくてはならない。「もしかして俺達が知らない組織が黒の組織壊滅に関わっていたんじゃないか⁉︎ 一体どんな組織なんだ……⁉︎」と疑われると、後々ごまかすのが面倒なのだ。

 よって、有能な人物の足を引っ張って組織との戦いに支障をきたすわけにはいかない。

 それ以前に、シェリー殺害計画を失敗させようとしているコナンの邪魔をするわけにはいかない。

 

 シェリーこと灰原哀は死なせてはいけない人物だ。

 若返った人間の存在を知った権力者が若返りや不老不死を目指して彼らで人体実験を行い、野望を成功させでもしたら、現世とあの世とのバランスが崩れる可能性がある。

 若返った人間を元の姿に戻し、白馬警視総監あたりに頼み込んで、APTX4869の存在をもみ消さなくてはならない。

 この計画には解毒剤の開発者が必要不可欠だ。

 

 それ以前に、工藤家には恩がある。とばっちりで事件に巻き込まれはしたが可愛がってもらったのだ。多分。

 

 これらの理由から、菜々は荒木鉄平を食い止める必要がある。

 しかし物理的に食い止めるのは面倒なので別の情報を与えることにした。

「この前事件現場で沖矢昴さんに会ったけど、あの人、推理とホームズと煮込み料理以外には興味ないよ。それより、クリス・ヴィンヤードが銀髪ロン毛の裏社会に属してそうな男性と付き合ってる可能性が……」

 クリスもベルツリー急行に乗っていること、終着駅である名古屋駅で彼氏(仮)が待ってること、彼氏(仮)はやばそうなので気をつけた方がいいことを話した後、菜々はずらかろうとした。

「まさか逃げようとしているんじゃないよね?」

「いやまさか」

 呼び止められたことにより、時には諦めも必要だと菜々は考え直す。

 律によれば、このままいけばコナンの作戦が成功するようだし、不穏分子はそばで見張っておいた方が良いだろう。決して、中学に入って早々、校長と担任のBL本を学校中にまき散らした事件を、荒木がコナンたちにバラすことを危惧したわけではない。

 

『お客様にご連絡いたします。先程、車内で事故が発生しましたため、当列車は予定を変更し、最寄りの駅で停車することを検討中でございます。お客様にはお迷惑をおかけしますが、こちらの指示があるまでご自分の部屋で待機し、極力外には──』

 

 突然流れたアナウンスに荒木は舌打ちする。

「名古屋駅に止まらなかったら、クリスの彼氏が確認できないじゃないか!  しょうがない、やっぱり江戸川コナンについて調べよう」

「アナウンス聞いてた?  部屋で待機しないといけないんじゃない?」

「列車に乗っているメンバーを考えれば、どうせ事故って殺人事件だろう。隠し子云々は分からないと思うけど、キッドキラーって呼ばれているし、来月この列車にキッドが来る予定だしちょうど良い」

 

 

 *

 

 

「えぇ⁉︎ 先週のキャンプの時の映像を毛利探偵事務所に送ったじゃと⁉︎」

 部屋で待機しながら少年探偵団と話していると聞き捨てならない言葉が聞こえたので、阿笠は思わず大きな声で聞き返してしまった。

「助けてもらった女の人にちゃんとお礼がしたかったので、名探偵ならどこの誰かを調べられるかと思って……」

 代表して光彦が答えると、蘭が口を挟む。

「あのムービーなら私もお父さんと見たよ」

「それってどんなムービー?」

 菜々は尋ねてみた。彼女は見かけた少年探偵団をダシに荒木から逃げてきたのだ。彼らと一緒にいれば荒木を見張っていなくても黒歴史をバラされずに済む。少年探偵団は年下の中で自分に敬称をつけてくれる希少な存在なのだ。

「えーと、これです」

 操作したスマホの画面を光彦が見せる。

 燃え盛る小屋から子供達を救う茶髪の女性の映像が流れた。どう見ても宮野志保だ。

「群馬に林間キャンプに行った時、殺人犯に山小屋に閉じ込められ、火を放たれたところを助けてもらった映像です!」

 自慢げに胸を張る光彦。勇敢な女性のことを話したいのだろう。

「あー、山に行くと犯人に追いかけられることって多いよね」

 一部の人間の中では常識だ。山の中で強盗殺人犯から三日間逃げ回っていた時に、毒ヘビの蒲焼きを食べてしまい、苦しんでいたところを潜伏していた殺し屋に助けてもらったのは菜々にとって良い思い出だ。

「でもさ、この映像は消した方がいいよ。この女の人、ロリコンヤンデレ男に狙われてそうな顔してるし」

 なぜか毎回全裸の自分を思い浮かべる組織の人間を思い出して灰原は遠い目をした。

「確かに群馬の山奥にいるし訳ありよね……」

 園子は納得したように頷く。

「お父さん、ネットに流せば知ってる人がいるかもって言ってたけど、やめるように言っとくね!  もちろん画像は消すよ!」

 蘭の言葉に、灰原はホッと息をついた。

 

 

 その後、ベルモットからメールを受け取った灰原は部屋を抜け出し、蘭が付いて行こうとしたが代わりに菜々が行くことになった。

 

「フッ、さすがは姉妹だな。行動が手に取るようにわかる。さあ来てもらおうか、こちらのエリアに」

 笑みを浮かべる沖矢昴を見るや否や青ざめた灰原はとっさに駆け出す。その小さな後ろ姿を、笑みを浮かべて見つめる沖矢昴。

 

「あいつペド野郎だったのか。……じゃあ工藤家に転がり込んだのは、工藤有希子ではなく江戸川コナンを狙って⁉︎ とんだ変態だな」

「勘違いが変な方向に……。まあいいや、面倒だし」

 物陰から様子を見守っていた挙句、勘違いをしてしまったらしい荒木の認識を正すことを菜々は諦めた。相手はFBIなのだから自力でなんとかするだろう。

 

 

 *

 

 

 ことはコナンの計画通りに進んだ。定期的に律からイヤホン越しに連絡を受けていたので、菜々は状況を把握している。

「残念だわ。名古屋で待っているあなたに会えなくて」

 ジンと電話をしているらしいベルモットを見て、「やはり彼氏……」と呟いている荒木はもう手遅れだと菜々は勝手に判断した。彼はこちらにとって大変ありがたい動きをしてくれる可能性があるので放っておいていいだろう。

 

「二股……⁉︎」

 ベルモットに囁く安室を見て驚愕している荒木。赤井が死ぬ前後の映像を見せて欲しいと頼んでいるだけだが、彼には聞こえなかったようだ。

「荒木くん。彼らはヤベー世界にいるから、下手したら死ぬ。充分気をつけて。それと、熱愛の証拠を掴んでも、私が連絡するまでは発表しないで」

「なんで?」

「私が指示した時に発表した方が、騒ぎが大きくなるからだよ。そっちの方がいいでしょ?」

 連絡先は聞かなくても律が教えてくれるので、菜々はすぐに事情聴取に向かった。

 

 

 *

 

 

「美少女ロボを作るなら、律さんが接続できる体だけを作ればいいんだよ」

「確かにヒロキの言う通りだ!  よし、設計は俺がやる!」

「いや、俺がやる。蓬がやるとこだわりすぎて時間がかかりそうだからな」

「いーや、俺がやる。どうせお前は巨乳にしようとするだろう」

「巨乳の何が悪いんだ」

「律はもともと椚ヶ丘中学校三年E組の生徒として作られたんだ。つまり中学生!  胸はまだ発育途中のはずなんだ!」

「いや、律は同級生が年をとるごとに成長した姿になっている。つまりもう大人!」

「烏頭、お前巨乳にこだわりすぎじゃないか?  そんな風だから鬼灯にエロ本の中身を奪衣婆のヌード集に変えられるんだよ」

「そのことには触れないでくれ……。貴重なものだったのに、殺せんせーとの交渉材料にちょっと使っただけであんなことになるとは考えてもいなかったんだ」

「まず職場にエロ本持って来るなよ」

「資料だ資料」

「胸の大きさは動きに支障が出ない程度にしてね。あと、殺せんせーが調べた、男性の理想のカップ数(男性獄卒協力)の結果を踏まえると……」

 息子がいつのまにか変な方向に成長している。樫村(かしむら)忠彬(ただあき)は白目をむいた。鬼灯だけに敬語を使うしたたかさまで身につけている。せめて閻魔にも敬語を使った方が良いのではないだろうか。

 

 シンドラーに殺され、あの世に来て裁判を受けた結果、まだ幼いヒロキを自殺に追いやった一因となったことが問題視された。彼の自殺がノアズ・アークの暴走に繋がったことも考慮した結果だろう。

 出された判決は、技術課で働いているヒロキと一緒に暮らし、彼を育てることで罪を償うというもの。

 

 できるだけ長くヒロキと一緒にいたいと考える樫村が技術課に入ることを決意したのは当然だった。前世ではゲーム開発責任者を任されるほど優秀だったので、すぐに雇ってもらえた。

 

 息子と暮らせることに喜んでいた樫村だったが、息子の様子に困惑を隠せない。

 律三次元化計画において胸の大きさをどうするかで、烏頭達ともめ始めたヒロキを見ながら、樫村は別のことを考え始めた。現実逃避である。

「俺が死んじゃったから、優作の友達って事件関係で知り合った人しか残ってないんだよな……。友達と会ってまで血なまぐさい話をするしかないのか……」

 

「おいこら烏頭!  お前まだ始末書提出してないだろ!  鬼灯が怒ってるぞ!  殺せんせーがやらかした後だから余計に怒ってるぞ!」

「うげっ、麻殻先生!」

「殺せんせー何やらかしたんですか……」

 蓬が尋ねると、技術課に飛び込んできた麻殻は空虚を見つめながら答えた。

「ノアズ・アークに頼んで生徒達全員のプライバシーを暴き、本にしようとしたのが約一ヶ月前。もうすぐ完成といったところで菜々ちゃんが爆弾を積んだカートをぶつけて火の海になったのが三週間前。負けじと殺せんせーが一から作業を再開したのが二週間前。連絡を受けた死神さんがわざわざ戻ってきて殺せんせーを叱ったのが一週間前。それで終わったと思っていたら、菜々ちゃんが殺せんせー名義で近親◯姦モノの本を殺せんせー宅に届くように手配していたらしく、勘違いしたあぐりさんと壮大な喧嘩を法廷で始めたんだ」

「うっわ……。ノアズ・アーク、今ちょうど反抗期だから……」

 ヒロキが顔を引きつらせて呟く。

 樫村は頭が痛くなった。もう一人の息子だと認識しているノアズ・アークが事件に関係していると聞いたからだ。

 

 

 *

 

 

 変成王の現在の補佐官である焙烙斎(ほうろくさい)は常日頃から「いつか全ての仕事をAIが担う日がやってくるんじゃ……」と発言している。

 確かに地獄は昔と比べると驚くほど進化した。電話ができ、テレビができ、それ以前に現世で様々なことが発見され……。

 

 最近では犯罪の幅が広がったことが問題視されている。しかし、烏天狗警察は犯罪者のレベルに追いつけていない。妖力を追うことが多いせいで逆探知ができないくらいだ。

 烏天狗警察が刑事として働いていた亡者を迎え入れることにしたのは当然の流れだった。

 

「生前、刑事として働いていた亡者の訓練協力ですか」

「はい」

 出された座布団に腰掛け、烏天狗警察の客間で義経と向かい合う鬼灯。喧嘩中の夫婦は閻魔に任せてきた。

「現世にとどまる面倒な亡者の確保も烏天狗警察の仕事です。鬼灯様は新人獄卒の現世亡者捕獲実習もやっていらっしゃいますよね?  そんな感じでうちの人員を鍛えて欲しいんです。もちろんお礼はします」

「お礼とは?」

「無駄に顔が良い新人三人をポスターに使う許可とか?」

「分かりました任せてください。訓練場所はベタにテレビ局でいいですね?」

「はい、お願いします!」

 

 

 *

 

 

「というわけで大灼熱我慢大会のポスター作りに協力してもらう三人です。いい加減夫婦喧嘩はやめてください。そしてなんで技術課の馬鹿数名は観戦してるんだ」

「その行事つい最近終わったばかりだとかそこらへんはひとまず置いておきます。その三人獄卒じゃないでしょう!  それに、イケメンが必要なら私でいいじゃないですか!  超生物姿も人型もどっちもイケメンですよ!」

「殺せんせー、見損ないました。まさかあかりに手を出そうとしていただなんて!  しかもそれをはぐらかそうとするなんて!」

 悲痛な声を上げるあぐり。今すぐ荷物をまとめて出て行きそうな勢いだ。

「いやだからさっき言いましたよね⁉︎ 誤解です!  全ての元凶である菜々さんは今何やってるんですか⁉︎」

『事情聴取が終わったので米花町に戻り、日本地獄で買ったマンションの様子を見に行ったら殺人事件が発生し、なぜかいたコナンさん達と幼馴染三人に鉢合わせしたところです。しかも昔も今も両片思いの二人がいるんですが、片方が相手に気がついていないせいでじれったいことになっています。さらに現場の部屋の隣に住んでいたのが婦警さんの元彼で……』

 律の報告を聞いた技術課の面々がすぐさま感想を言い合う。傍目からかなりくつろいでいることが見て取れる。

「何そのややこしい状況」

「なんで殺人現場で恋愛模様が見れるんだよ。おかしいだろ。さすが米花町」

「また両片思いの幼馴染か。さすが米花町」

 

 ひどいことになっている閻魔庁に、松田陣平、萩原研二、諸伏景光の三人は口をあんぐりと開けた。ここにはどうにかしてくれそうな伊達と降谷はいない。伊達は男気で、降谷はゴリラっぽさでなんとかしてくれそうなだけに残念だ。特に伊達は、ハーフだった関係で日本地獄の管轄ではなかったナタリーを迎えに行って結婚するくらいには男気があった。

「諸伏、お前潜入捜査やってたんだろ? ちょっとあれ止めてこい」

「いや、それよりあれは一種の爆弾だ。爆発物処理班のダブルエースがなんとかするべきだ」

 誰が行くかでもめ始めた警官たちに、まだ幼い声が話しかけた。

「お兄さん達、良いものがあるよ!  烏頭さんが前作って記録課に入れた機械を改造したものなんだけど、汚い物質をズボンめがけて吐き出すんだ!  あ、でも殺せんせーズボン履いてないや」

「ヒロキ、なんでそんなものを作ろうと思ったのか聞いても良いか?  お父さんちょっと胃が痛いんだけど一応聞いておかないといけないだろうし……」

「上着が汚れたら脱げば良い。靴下もそうだよね。シャツが汚れても男の人なら脱いでもまだ大丈夫。でもズボンは?  ズボンを脱いだらパンツを見せることになるんだ。だから出先で汚れて一番困るのはズボンなんだよ!」

「なんでそのズボンをピンポイントで狙ったものを作ろうと思ったのかな?」

「え、だって困るでしょ?」

「ヒロキ、シンドラーから道徳を教えてもらえなかったんだな。今度お父さんと勉強しよう」

 

 

 *

 

 

「といった感じで、殺せんせーとあぐりさんが仲直りしていちゃつき始めた中で撮ったポスターのサンプルがこれです。苦労したのにあなたが難を逃れてムカつきました。なので亡者捕獲実習には巻き込みます」

 鬼灯の声のトーンから、拒否権がないことを菜々は悟った。

「行くのは日売テレビですか」

 渡された資料に目を通し、菜々は尋ねた。テレビ局の名前からして嫌な予感がする。本社が米花町にあることも不安に拍車をかけている。

「はい。いくら変装するとはいえ、黒の組織は遊園地だろうがどこだろうが出没します。景光さんは行かないことになりました。行くのは航さん、陣平さん、研二さんです」

 

 

 *

 

 

 行くのは大阪だし降谷は警察庁に缶詰の予定なので、伊達たちは素顔のまま日売テレビに来た。テレビ局見学ツアーに参加することによってテレビ局に入ったのだ。

 ツアー参加者から少し離れたところで鬼灯が説明する。

「亡者は生前行ってみたかったところに行くことが多いです。女湯、ホテル、テレビ局、電車や飛行機などの交通機関にも一定数います」

「遠くに行きたい亡者が利用するのか」

「はい。そして、テレビ局に来る亡者が特に行きやすいのが()()()の撮影現場です」

「「「うわぁ……」」」

 これから入る部屋が有名なクイズ番組の撮影現場であることと私語厳禁であることを説明するガイドの声が聞こえてきたので皆は黙ることにした。

 

 

「おーと!  また浅野さんだ!  今のところぶっちぎりで一位です。やはり塾の教師となると知識がたくさん必要なのでしょうか?」

 番組の進行役らしき男性が驚いた様子で実況する。

「たしか、浅野さんはハーバード大学を出ていらっしゃるんですよね?  なんで塾の講師に?」

 すかさず女性の司会者が質問した。

「塾の講師になるために勉強も頑張ったんです。生徒の良いところを伸ばすには、教える私は全ての『良い』を知っている必要がありますから」

 にこやかに答える男性は年齢よりも随分と若く見える。浅野學峯その人だった。

「ぶっちぎりで一位である浅野さんは『浅野塾』の創立者です。その前はあの椚ヶ丘中学校の理事長を務めていました。椚ヶ丘中学校、高校をあそこまでレベルの高い学校にしたのも彼です」

 女性の司会者が説明を読み上げる。

 

「浅野塾?  地獄にも同じ名前の塾があったよな」

「ありますね」

 疑問をこぼした萩原に鬼灯が小声で説明をする。

「學峯さんは椚ヶ丘中学校の理事長を務める前に塾を開いていたんですよ。で、その時の生徒さんが死後、地獄で塾を開いたんです」

「そうなのか。あの人のこと尊敬してたんだな」

 松田が口を挟む。

 學峯の年齢から考えれば、その生徒は現在四十歳前後のはずだ。そして、「浅野塾」の知名度を考えればできてから何年も経っている。つまり生徒は何年も前に亡くなっている。

 死因は病気か事故か自殺か他殺か。どれもあまり話したくない内容だ。

 松田は一瞬でそれを理解し、話の方向性を決めたのだ。

「塾の名前についてですが、學峯さんの死後、彼を塾のトップにするつもりでつけたんでしょう。現に最高責任者の席は未だに開いています。……本当は彼には獄卒になって欲しいのですが、無理そうなので息子さんを狙おうと思っています」

「息子?」

 捕まえた亡者数人を縛った縄を握っている伊達が聞き返したので、菜々が代わりに答えた。

「浅野学秀。シリコンバレーを牛耳っていて、若いくせに抜け毛が多い二十六歳です」

 

『先程、大阪府警より緊急避難警告が発令されました。各種作業や収録を一時中断し、近くの非常階段から待避してください』

 突然放送がかかる。

「なんだ?」

「避難訓練?」

「避難訓練なんて聞いてないぞ」

 にわかに騒がしくなったが、よく通る落ち着いた声がすると水を打ったように静まった。

「一応外に出ましょう。何かがあってからでは遅いですから」

 學峯の提案に従って一人、また一人と非常階段に向かい始めた。

 

 

 *

 

 

「おい、あの建物に爆弾が仕掛けられてる。嫌な予感がするんだ。観覧車で爆弾と心中した俺が言うんだから間違いない」

「ああ、嫌な感じがするな。俺も爆死したし、この勘と何か関係があるのか?」

 松田と萩原が意見を出し合う横で、菜々は独り言を呟いていた。

「爆破予告が来てそうな気がする。きっとなにかの証拠隠滅のために犯人は爆弾を仕掛けたんだ。人を殺すのは嫌だから予告はして」

「菜々さんのやけに詳細な予想はなんなんですか」

「米花町で培った直感?」

「ああ、なるほど」

 軽口を叩きながら目の前の建物を見上げれば、耳が痛くなるほど大きな音をたてて爆発した。

 

「総員退避!」

「全員もっと下がらせー‼︎ ビルからもっと離れるんや‼︎」

 消防団員と刑事がそれぞれ部下に命令する。彼らが建物から距離をとった瞬間、ガラスの破片が辺りに飛び散った。

 

 真っ黒な煙を吐き出し続ける建物を遠巻きにして誰もが成り行きを見守っている中、閻魔庁勤務のため裁判内容にも詳しい二人は別の視線で話していた。

「日売テレビ被害受けすぎじゃないですか?  この前もテロリストを語った仏像窃盗未遂犯が潜り込んでましたし、不祥事も殺人も多い。これで未だに叩かれていないのも不思議です」

「東都テレビも似たり寄ったりですよ。やっぱり本社が米花町にあるのが問題なんじゃないですか?」

「米花町の事件発生率について、心霊現象方面からも検証した方がいいかもしれませんね」

 烏天狗警察達(亡者)は慣れ親しんできたテレビ局の闇から目をそらすことにした。

 

 

 *

 

 

 亡者捕獲をする予定だったテレビ局が爆発してしまったので、爆発から逃げ出した亡者の捕獲を行なって解散となった。また、最近死亡したことになっている警察組は亡者を連行しながらこの場を離れた。

「さっきコナンさんの姿が見えました。万が一のために手伝いを篁さん達に頼んで来ましたし、予定を変更してコナンさん達を観察しましょう」

 警察官に誘導されて到着した避難所で鬼灯が提案する。

「観察の必要はないでしょう。降谷さんと赤井さんが暴れている影に隠れてAPTX4869のデータを新一君が手に入れれるように手助けし、触手の研究データを破壊し、新一君達に元の姿に戻ってもらう。あとは白馬警視総監と烏間先生に丸投げ。この作戦通りに行くか、新一君とその周りに人の人物像を調べるのは終わっていますし、問題なしと判断しました。ここで自分から面倒ごとに突っ込んで行く理由が分かりません」

「単なる好奇心です」

 鬼灯の答えに菜々は嫌そうな顔を隠そうともしなかった。どうせなら一人でやって欲しいと顔に書いてある。

「殺せんせーとあぐりさんの夫婦喧嘩のせいで裁判の予定が狂ったんですよねぇ」

「すみませんでした。今回の件、喜んで同行させていただきます」

 

「律さんに調べてもらったところ、コナンさん達が泊まるホテルの部屋がまだ空いていることが分かったので、部屋を取っておきました。明日、偶然を装って鉢合わせますよ」

「え、仕事は?  日帰りの予定ですよね」

「殺せんせーに任せておけばいいでしょう」

 殺せんせーは有能だ。なんとかするだろう。

 夫婦喧嘩の件を鬼灯が未だに根に持っていることが判明したが、菜々は気がつかないふりをした。

 

 

 *

 

 

 命からがらテレビ局から抜け出した平次とコナンが避難所に着くと、一人の男が走って近づいてきた。

「平ちゃん!  無事でなによりや」

「大滝はん‼︎」

「大滝さん?  もしかして大阪県警の方ですか?」

 平次が事件の詳しい内容を大滝に尋ねようとした時、別の声が聞こえてきた。

 明るい茶色の髪は整えられており、すらりとした長身を包むスーツはシンプルながら高級なものだと分かる。焦げ茶色の瞳は理知的で、男性の性格が伺える。

 大滝に声をかけた男性は自分が名乗っていないことに気がつくと、失礼しました、と前置きして名を述べた。

「浅野學峯というものです」

「浅野さん⁉︎ あの浅野さんですか⁉︎」

 大滝が目を見開き、それを平次達は不思議そうに見つめる。

「この人確か『浅野塾』の人やろ? 知り合いなんか?」

「浅野學峯。彼の名を知らない警察官はいないんや」

 大滝は若干興奮気味に説明を始めた。

 ハーバード大学卒業。持っている資格多数。類まれなる才能を見込まれ、大きな事業の話が次々と舞い込んでいる。

 人脈がすごく、各国警察の上層部から政界の大物、大富豪や有名実業家の知り合いが多い。

「しかも各国で事件に巻き込まれ、解決に導いているから、世界中の刑事の間で有名なんや! 彼に協力してもらえばどんな難事件でも解決すると言われとる!」

 面白くなさそうな顔をしたのはコナン、平次、小五郎の探偵三人だ。

「でも別に探偵ってわけじゃないんでしょ? なんで大滝さんに声をかけたの?」

 コナンは子供のふりをして、事件に関わるのかと探りを入れた。

「ああ、実はゲストとして出演することになった番組の収録中にこんなことが起こってしまって……。浅野塾の認知度を広めるチャンスを潰した犯人に痛い目を見せてやろうと思ったんだ」

 しゃがむことでコナンに目線を合わせ、笑顔で言い放った學峯の背後に数匹のオオムカデを見た気がして、コナンは顔を引きつらせた。



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第32話

スコッチ生存説とか、スコッチが破壊した携帯が入れ替わっている説とかは無視してください。

※黒の組織の捏造があります。
※スコッチがNOCバレした理由も捏造しています。
※書いている人は機械に弱いです。どう考えてもおかしい内容があったら修正します。教えてください。しかし、話の流れに関わるので変更できない場合は、「コナン界だから」で押し切ります。

※一応変換サイトで訳しながら書きましたが、大阪弁が間違っている可能性があります。


「風見。見通しが甘すぎるぞ。計画書は作り直しだ」

 濃い隈を作った降谷に問題点を数個指摘され、警察庁まで足を運んできた風見は目を見開いた。

「確かに! すみません、気がつきませんでした。まさかこの計画がチョコレートケーキにチョコレートシロップを大量にかけたもののように甘かったとは……! 頑張って硬派なビターチョコを目指します!」

 

「なあ、風見さんってどれくらい寝ていないんだ?」

 同期に尋ねられ、木村は書類から目を離さずに答える。

「三日はぶっ通しで働いてるな」

「じゃあ降谷さんは?」

 同期の質問を「おのれ赤井ィイ!」という雄叫びがかき消す。

 聞こえなかったが、同期が尋ねたいことを察した木村は答えてやった。目はせわしなく動かしている。

「二週間、一日の睡眠合計が三時間の状態だ」

「合計か……」

「しょうがないだろう。今が大詰めなんだから」

「ああ、俺も仕事片付けてくる」

 今が大詰め。その言葉に目の光を取り戻した同期は机に向かったが、足がふらついていた。彼はまるまる二日間寝ていないはずだ。

 

 警察庁警備局警備企画課は魑魅魍魎の集まりを彷彿とさせる有様だった。発狂する者、いきなり笑い転げる者、人形に話しかける者。中には、出会った時から「こいつ僕の日本で好き勝手やりそうな臭いがする」と本能的に感じ取っていた相手の恨みつらみを五分に一回のペースで叫んでいる者もいる。

 殺せんせーが現れても「あれ? なんか幻覚が見えるな」で終わらせられそうな状況だが、この場にいるのはまだマシな者たちだ。極限まで働いて理性が吹き飛んだ者たちは仮眠室に運び込まれている。仮眠室には息すらせずに泥のように眠る人間が山のようにいるらしく、「返事がない。ただの屍のようだ」とは、彼らが窒息死しないように見張りに行かされた人間の言葉だ。

 

 

「降谷さん! 阿笠さんから連絡がありました。スマホのデータ復元が成功したそうです」

 同期の声がして、木村は目線をパソコン画面から移動させた。

 嬉しそうであるが同時に悲しそうでもある上司の顔を見て、木村は苦いものが込み上げてきた。最近協力者となった発明家がデータ復元をした携帯を破壊したのも、その携帯に組織のデータを移したのも降谷の親友なのだ。

 

 諸伏景光。かつて潜入捜査官として黒の組織に潜入していたが命を落とした彼がNOCバレしたのはとあるデータを盗み出したからだと言われている。

 危険を冒してまで盗み出したデータはよほど重要なものだったのだろうと考えられ、データの復元が試みられたものの失敗に終わった。

 

 景光が手に入れたデータは諦めるしかないと結論づけられ、潜入中の降谷に全てが託された。

 それから数年。降谷はラムから直々に指示を受けるようになり、確実に組織の中核に近づいていた。そんな時、白馬警視総監から警察庁警備局警備企画課に連絡が来たのである。有能な発明家から協力を申し出られたから、そちらにまわすと。

 その発明家は、怪盗キッドに発明品を使用されたことが原因で、古い知人が「絶対警察に手綱を握ってもらっていた方がいい」と言いながら渡して来た警視総監の連絡先の存在を思い出したらしい。

 この話が降谷の部下たちに知らされると、警察庁警備局警備企画課は一気に騒がしくなった。

「なんでその知人は警視総監の連絡先を知ってたんだよ」

「なんだこの発明品の資料。ガラクタとヤベーものしかないじゃないか」

「盗聴器とか過剰防衛になりそうな護身道具とか作ってるぞ。なにこのマッドサイエンティスト」

「この阿笠博士って人、米花町在住だぞ」

「米花町民なら仕方がない」

「米花町だもんな。これらの護身道具持ってても死ぬ奴は死ぬもんな」

 

 米花町は魔境。1と1を足せば2になることや地球は丸いことと同じように誰もが知っている。

 昔から定期的に事件が起こっていた米花町では強い者しか生き残れない。そして、人口が減ることを恐れた役人が米花町から出ていくのを禁止する。当たり前だが米花町に引っ越す物好きはいない。

 結婚相手を見つけて来て、相手が住んでいる地域に移り住まれると困るので、江戸時代の頃は米花町だった場所に住んでいる人間が遠出することも許されなかったという。こうして米花町民同士が結婚し、二人の間に生まれた子供が親から様々なものを受け継ぐのだ。

 米花町で生き残るために必要な怪力、頭脳、運。それと同時に米花町特有の低すぎる沸点も受け継ぐ。

 

 阿笠博士という人物は突出した頭脳を持っていたがために生き残ったのだろう。物証な発想は米花町民だからだし、米花町民ならこれくらいしていないと生き残れない。

 皆が阿笠の経歴に納得した。

 それと同時に、警視総監が警察庁警備局警備企画課に話を持って来た理由も理解する。彼の発明品は違法捜査や潜入捜査をすることが多い場所でこそ役に立つ。

 

 

 諸伏景光のスマホのデータ復元に成功した。これは、彼が死ぬ直前に握った情報が明らかになったというのと同じだ。

 機械のように仕事をこなしていた職員は動きを止め、成り行きを見守る。そのデータが黒の組織の真相に近く大きな一歩となるのは明白だ。

「前回組織に潜入していた捜査官が手に入れたデータは、黒の組織と黄金神教の繋がりを示唆するものでした」

「黄金神教。……確か、半世紀以上前から存在しいていた新興宗教で、三十年ほど前に人体実験などを行っていたことが原因で幹部たちが逮捕されていなかったか? それに、この宗教を始めたのは半世紀前に謎の死を遂げたという大富豪、烏丸蓮耶。烏丸グループを一から作り上げた人物だ……まさか⁉︎」

 顔色を変える降谷。部屋にいるすべての人間が顔色を変えた。ここには黒の組織の調査に関わっている人物しかいない。

「その通りです。人体実験の結果が事細かく記録されていました」

 報告をしていた男が青い顔で頷く。

 死んだはずの大富豪が組織のトップなのではないか。誰もがあり得るはずがない内容を思い浮かべた。

「待ってください。烏丸蓮耶は他界しているのでは?」

 冷静さを取り戻そうと木村が尋ねる。しかし、彼は口では否定しながら直感していた。烏丸蓮耶は生きている。死を克服した人間よりも、自分たちの恩師の方がよっぽどありえない存在なのだから。

「いや、そうとは言い切れない」

 すぐさま木村の問いを否定した部下に、降谷は短く訊く。江戸川コナンがただの子供でないことには気がついているが、そのことを目の前の男が知るのは不可能に近いのだ。

「根拠は?」

「スマホに入っていた人体実験のデータには、若返った人間の情報が入っていました。被験者の名前はネットに流れている黄金神教の被害者一覧と一致しています」

 黄金神教事件に関わった刑事は皆他界している。ある者は事故に巻き込まれ、ある者は自殺し、ある者は不審死を遂げているのだ。

 さらに、警視庁に保管されていたはずの黄金神教事件のデータは雲散霧消している。

 これだけでも不可解なのに、この黄金神教にまつわる事件の謎に拍車をかけているのが何者かがネットに事件の詳しい情報をばら撒いていることだ。どれだけ削除されてもすぐに情報が載せられる。

「だとすると、ネットの情報は正しい可能性が高いな……」

 考え込む降谷。ネットに情報を載せている人物の正体と目的。突如発覚した若返った人間の存在。考えることは多い。

 ここで、はたと降谷は気がついた。

 何かがあると判断して風見に調べさせた加々知菜々という人物。彼の夫の名前が、黄金神教に関わった人物リストの「生贄予定」の欄に載っていたはずだ。加々知鬼灯なんて珍しい名前の人物がそうそういるとは思えないし、間違いないだろう。

 加々知菜々は黄金神教、もしかしたら黒の組織にも関わりがある。

「木村、加々知菜々と同じクラスだったんだろう? ちょっと探って来い」

 木村はサボれることに喜べば良いのか、ややこしいことになったと嘆けば良いのかわからなかった。

 

 

 *

 

 

 浅野學峯は椚ヶ丘中学校の理事長を辞めた後、世界中を歩き回った。私塾を開く前にもっと見聞を広げようと考えたのだ。株で生活費を確保しているので気兼ねなく旅をしていた。

 しかし、理事を務めている学校に米花町でも有名な問題児が入学してきたり、超生物を雇う羽目になったり、生徒が自殺に追い込まれたりと彼は大事に関わることが多い。

 旅行中にテロ組織に拉致されたり国際的な事件に巻き込まれることが多々あった。

 敵を洗脳して警察まで連れて行ったり、襲われたので軍人上がりの犯罪者を倒したり、犯人にされかけたので密室トリックを解いたりしているうちに、彼は世界中の警官の間で有名になってしまった。

 

 だから、日売テレビ局爆破事件に學峯が関わっていると刑事の間で話題になっているのも、何か関係があるかもしれないからと刑事が京都で起こった殺人事件について連絡をしてきたのもおかしな事ではないのだ。

 

 

 被害者は矢島俊弥。造り酒屋の御曹司で、殺害現場である豪邸には一人で住んでいた。死亡推定時刻は午前六時ごろ。遺体発見時刻は午後二時。

 現場で指揮をとっていた刑事に状況を説明してもらいながら學峯は矢島の遺体が発見された部屋に向かっていた。

「足元気ィつけてください」

 綾小路の注意を聞き、學峯は床を見てみる。足の踏み場がないほど物が散らばっていた。

「鑑識の作業も終わってますんでお好きなように」

「ちょっと質問いいですか? 肩に乗っているシマリスは?」

「ペットです」

 學峯は元教え子の言葉を思い出す。彼女は警視総監の息子のペットが鷹だと言っていたはずだ。昔は笑い飛ばしたが、今になってあの話は真実だと思えてくる。

 

 果たして日本警察は大丈夫なのだろうかと學峯が考えていると、毛利小五郎の姿が見えた。彼が事件ホイホイだという噂は本当らしい。ネット上では毛利小五郎死神説と江戸川コナン死神説で争っていると聞いたこともある。

 現場を覗き込めば、避難所で出会った高校生と小学生がいた。

 色黒の高校生は服部平次。大阪県警本部長である彼の父親とは面識があり、写真を見せてもらったことがあるのですぐに分かった。

 小学生はキッドキラーとして有名な江戸川コナン。工藤家の親戚らしいので、小五郎よりも彼の方が死神である可能性が高いかもしれない。

 學峯はそんなことを考えながら、未成年が死体がある部屋を物色していることに対する疑問に蓋をする。平蔵が「学校のスキー教室から帰って来た日から息子の事件遭遇率が米花町の探偵並みに高くなった」とぼやいていたし、コナンは米花町民だ。彼らの事件遭遇率を考えれば感覚が麻痺してくるのは当たり前だ。

 

 凶器の刀は回収した後だと言い残して綾小路は部屋を後にした。

 學峯は部屋を見渡してみる。部屋中に散らばったカルタを見ると、被害者はカルタをしている最中に殺害されたのだと予想がついた。

「オレらは阿知波はんが京都県警から連絡を受けとるトコに居合わせたからこの事件について知ってここに来たんやけど、アンタはどうしてここに?」

 コナンが血がついたカルタの写真を撮っているのを眺めていた學峯は平次に尋ねられた。

 京都県警から連絡が入ったと正直に話すと、写真を撮り終わったらしいコナンが声をかけてきた。

「ねえ、あのリモコン、血のつき方から見て被害者の近くにあったはずだよね? テレビ見ながらカルタやってたのかな?」

 平次は刑事に許可を取ると、手袋をはめて倒れていたテレビを起こす。用意の良さが事件の遭遇率を物語っていた。

 

「大岡紅葉や……」

 テレビの電源を入れると映った映像を見て平次が先に声を出した。

「ああ、未来のクイーンと言われている……」

 カルタが好きというわけではないが、「知らないよりも知っている方がいい」という理論でカルタについても精通している學峯は呟く。

 現場に到着していた阿知波が、決勝戦は見るだけで参考になることを伝え、殺人事件には関係ないのではないかと述べた。

「えっでも」

 コナンが反論しようとしたところで、小五郎が未成年二人を現場からつまみ出してしまった。

 

 

 *

 

 

「狙われてるんは皐月会の主要メンバーやな」

 皐月会。一代で阿知波不動産を築いた阿知波研介が会長を務める、百人一首を牽引する団体だ。殺された矢島は皐月会の一員だし、テレビ局爆破は皐月会に恨みを持つ者の犯行だと考えられている。

 平次が口にした推理にコナンも同意を示した。

「ああ、マークするべきは二人。阿知波さんは俺が見張る」

「ほんなら、オレは大岡紅葉や」

「ちょっといいかい?」

 屋敷の外に出て平次と会話をしていたコナンを呼ぶ声がした。

「浅野さん、どうしたの?」

 コナンはいつもよりも多くの猫をかぶって尋ねる。相手は背後に巨大なムカデが見えるほどの恐怖を感じされることができる人物。只者ではないのは明白だ。

「さっき撮ってたカルタの写真、誰かに解析してもらって、被害者が握っていたカルタを特定するつもりだろう?」

 被害者の右手についた血痕と右手の形を見ると、彼はカルタ札を握りしめていたことが分かった。犯人、もしくは犯人の犯行を隠そうとした何者かによって、ダイイングメッセージであるカルタ札は他のカルタ札と混ぜられたのだと學峯は推理したのだ。そして、カルタの写真を撮っていたコナンの目的も察しがついた。

「よく分かったね」

 コナンは6歳児とは思えない、好敵手に向けるような笑みを浮かべる。横目で確認すると服部も同じ表情をしていることが分かった。目の前の男は自分たちと同等、もしくはそれ以上の推理力を持っている。探偵としての血が騒ぐのは、彼らにとって当然だった。

 

 學峯が被害者が握りしめていたカルタ札が分かったら教えてもらう約束をコナンと交わした時、まばゆい光が三人を照らした。ヘッドライトの光が射している方向から、警官の慌てる声がした。

 咎める警官に、車から降りてきた男は反論する。

「皐月会のもんや。通してくれ」

「待ってください、今確認を取りますんで」

 警官が言い終わった直後に男性の声が割り込む。

「関根くん!」

 先ほどの声の主である阿知波が今まで何をしていたのだと聞くと、関根は頭をかきながら答えた。

「夕べ深酒してもーて……。携帯の充電切れにも気づかんと寝てしもたから……」

「まったく……」

 阿知波があきれ声を出すと、関根は辺りを見渡しながら何事かと問う。

「目ェ覚ましたらテレビ局が爆発したとか言うてるし、会に連絡したら会長は矢島のことでボクを探してる言うし、慌ててきたらこの騒ぎ出し……。こない警察が集まって……矢島はどないしましてん?」

「矢島君は……殺されてしまった」

 重々しく告げられた内容に、関根は大げさに驚いてみせた。

「強盗の仕業っちゅうことらしい。渡り廊下にあった刀で……」

「刀で⁉︎」

「阿知波さん、こちらの方は?」

 刑事に尋ねられ、関根は自己紹介を始めた。阿知波がたまに補足する形で語られたのは、関根が皐月会の会員であり、矢島と決勝杯をかけて戦っていたことだった。カメラマンというよく分からないポジションについてもいるらしい。

 二年決勝戦で戦ったが一度も勝てなかったので今年こそはと思っていたのだが、それはできないのか、と寂しそうに語る関根に、探偵達は疑いの目を向ける。彼には矢島殺害の動機がある。

「それで、大会は予定通り開催するんでしょうか?」

 皐月杯。皐月会が開催するカルタの全国大会だ。

「ああ、それがどないしたもんかと……」

 言い淀んだ阿知波に関根は強く反論した。

「会長! あきませんで‼︎ 矢島の死で伝統ある皐月杯が中止になってしもたら、矢島は無駄死にどころじゃない! 殴られ損や!」

 

 その言葉で探偵達は犯人を確信した。

 関根は凶器が刀だと聞いただけなのに、撲殺だと断言した。普通、遺体を見ていない状態で刀で殺されたと言われれば、斬殺を思い浮かべるはずだ。刀が錆びついていて抜けないことを知っているのは犯人しかいない。

 

 一方、學峯は考える。

 関根が遺体発見前に殺害現場に訪れたのは間違いない。しかし、彼が犯人だと断言できるわけではない。

 頭の切れる二人が関根犯人説を追うのなら、自分はもう一つの可能性を追求するべきだ。犯行後に現場を訪れた関根がダイイングメッセージを見て犯人に気が付いてしまい、犯人を庇うために屋敷を荒らした可能性を。

 

 

 *

 

 

 未来のクイーンと言われるほどの実力者である大岡紅葉と、平次に告白する権利をかけてカルタ大会である皐月杯で戦うことになった和葉が、カルタの特訓をしているホテル。別の階にある部屋で、菜々は木村正義と携帯越しに会話をしていた。律の検査を受けているので、携帯が盗聴されていることはない。

『お前と黒の組織との繋がりが疑われていて、調べてくるように言われたんだけどどうすればいいと思う?』

「烏間先生に押し付けよう」

 菜々は淀みなく答えた。

「それっぽいこと匂わせた後に烏間先生に丸投げすれば、相手が勝手に勘違いしてくれると思う」

『烏間先生大変すぎるだろ』

「まあ、同窓会に出席して私のことを探るって名目で、明日行われる訓練に出席すればいいんじゃない? それと、烏間先生は烏間先生だしなんとかすると思う」

『確かに……』

 木村の呟く声が鼓膜を叩くとすぐ、通話相手は一言断ってから電話を切った。これ以上休憩するわけにはいかないらしい。同級生の一人は立派な社畜になっていた。

 

 時の流れって残酷だなぁ……などと、阿笠の頭を見ながらよく口にしていた言葉を菜々が発していると、騒がしい音声が聞こえてきた。

 鬼灯が携帯をスピーカー設定にしたので、通話内容が菜々まで届くのだ。聞けということらしい。

『米花町民の勘ヤベーな、全部当たってたじゃねーか』

『まあ、米花町だしな……』

『そうだな。適当にほっつき歩いてれば事件(しごと)がやってくる町だもんな』

『あそこはヤバイ。拳銃密造場所やら麻薬栽培やってるところやら色々あるからな……』

 駄弁っている同期に変わって、伊達が簡単に説明をしてくれた。

『鬼灯様! 現世で確保した亡者の様子がおかしかったので、話を聞いてみたらテレビ局爆破事件の犯人と動機がわかりました』

 

 

「辞めて、あなたがそんなことする必要はない! 早とちりして、名頃はんを殺してしまった私が悪いんや!」

「皐月はん、ちゃんと事情を説明しんかった俺も悪かったし、少し考えればわかることに気がつかんかった俺にも非がある! 自分を責めちゃいかん!」

「名頃はん、私はあなたを殺したんよ。恨むのが普通なんやで?」

「それでも、あなたは俺の憧れなんや!」

 亡者捕獲実習のために現世までやってきた亡者の烏天狗警察たちは、ややこしそうな状況に目頭を押さえた。

 必死になって一人の男性に声をかける女性の亡者と、彼女をたしなめるキツネ目の男性。女性の言葉や、亡者二人の様子から察するに、亡者の女性が説得しようとしている生者の男性は彼女の夫であり、キツネ目の男性は女性の亡者に殺されたらしい。

 取り敢えず、伊達は亡者に話を聞いてみることにした。

 

 

『一連の事件の犯人は阿知波研介さん。妻である皐月さんが起こしてしまった殺人事件を隠蔽するために犯行に及んだそうです』

「それはそうと、名頃さん不憫すぎません?」

 名頃鹿雄。キツネ目の男性で、色々あって初恋の女性に殺されてしまった人物だ。一連の出来事を聞き終わった鬼灯が呟くと、伊達が強く同意した。

 

 

 *

 

 

『白た……白豚さん、今何してますか?』

「薬の納期はまだだろ? なんで電話して来たんだよ」

『いえ、あなたのことなので仕事を忘れて花街で遊び歩いているのではないかと……』

 話し方も低い声も癪にさわる。白澤は不機嫌であることを隠そうともせずに言い返した。

「お前、僕をなんだと思ってるんだ」

『ろくでなし色魔』

 瞬時に返ってきた返答に、白澤は眉をひそめる。

「あのなぁ、江戸川満月に製薬・生薬を補充し終わったらちょっと休憩して、その後に取り掛かる予定だからな?」

『ちゃんと間に合うんですか?』

「間に合わせるに決まってるだろ」

 疑われたことに対してぐちぐちと文句を垂れ流していると鬼灯に遮られた。

『じゃあ今は現世にいるんですね?』

「うん……なんか嫌な予感がするんだけど」

『ちょっと米花町の事件発生率の多さの原因を探ってきてください。事件が起こるのは呪いのせいである可能性が出てきたんです』

 要件を伝え終わった鬼灯に一方的に電話を切られ、白澤は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の奇人にやり返そうと決意した。鬼神ではなく奇人だ。誤字ではない。しかし、その決意は来店した女によってあっけなく打ち砕かれた。

「マングースのホルマリン漬けちょうだい」

 彼女は美しかった。流れる黒髪に知性を感じる瞳。なにより雰囲気が他の人とは違う。人類の頂点に立つべくして生まれてきたと言われても信じられるほど、堂々とした佇まいだ。

 白澤はすぐさま動いた。

「君綺麗だね。成人したら遊びたいから連絡先交換しない?」

 瞬時に相手が未成年だと見破り、下心を一切隠さずに連絡先を訪ねる。長らくナンパを続けてきたからこそなせる技だ。

 

 紅子は目を見開き、目の前の男をまじまじとみつめた。信じられなかった。服装も奇妙だが、それよりも自分を前にして「遊ぶ」と宣言したことにど肝を抜かれたのだ。

「その爺くささマックスの服と、私に対する態度。……まさか神獣・白澤⁉︎」

「あれ、僕のこと知ってるの?」

「ええ、私の持ち物である魔法の鏡が言ってたのよ。神獣白澤は女好きで女性に優劣をつけなくて服装が散歩中のおじいちゃんだって!」

「うわぁその鏡失礼だな。それはそうと、魔法の鏡を持ってるってことは魔女?」

「ええ、そうだけど……」

「米花町行かない? 実はーー」

 知識はあるものの実技はてんでダメな白澤は、魔女に力を貸してもらおうと考えた。完璧に頼みをこなすことで鬼灯に嫌がらせをし、綺麗な女子高生と一緒にいられる。合理的だ。

 しかし、紅子は話を聞く前に全力で拒否した。

「嫌よ、あんな呪われた町に行くなんて! ただ、呪いといっても神聖なものの呪いのような感じがするわ。米花町には行ったことがないからなんとなくしか分からないけど」

 

 

 *

 

 

「ビッチ先生、烏間先生は?」

「黒ずくめの組織との決戦が近づいている関係で、打ち合わせとかがあるから、今日は来ないわ」

 旧校舎の前でイリーナが教え子たちに説明を始めた。

 触手の研究をしている組織を潰す手伝いをしてもらうための訓練が今日も行われる予定だったのだが、急遽烏間に仕事が入ってしまったのだ。

「じゃあ今日の訓練どうするの?」

「皆で、昔みたいにチーム戦でもやるか?」

「いいえ、実践を行わせるように言われているわ」

「実践? どこで?」

「米花町よ!」

 木村の目は死んだ。

 公安の仕事の一環で米花町の調査をしている木村から言わせれば、自ら米花町に行くなんて正気の沙汰じゃない。高い場所に行けば一般人でも簡単に爆弾を手に入れることができる米花町だ。

「ビッチ先生、頭大丈夫?」

 心配気に尋ね、相手の神経を逆なでするのはカルマ。忙しい彼が訓練に出るのは珍しいことだ。

「何言ってるの、米花町は対人戦の練習に最適よ。犯罪者なら半殺しにしても罪に問われないし、必ず遭遇する犯罪者を倒せば訓練できるし人から感謝されるじゃない」

 確かに筋は通っている。しかし、あの町で喫茶店店員をしている上司がいる上に米花町の恐ろしさを嫌という程理解している木村としては、足を踏み入れたくない。

「探偵に疑われるだろ。あそこの探偵はかなり面倒だし……」

「大丈夫よ。盗聴器や発信機はよくつけられるけど、それくらいなら気をつければいいし。警察の知り合いに頼んで調べてもらおうとすれば防衛省が圧をかけるから」

 反論の手が尽きた木村はがっくりとうなだれた。

 

 

 *

 

 

「死にたくない死にたくない死にたくない」

「なんで俺はこんな場所に生まれなくてはならなかったんだ……」

「殺される殺される殺される」

 空虚を見つめてブツブツと呟く、青白い顔をした男たちを前に、カルマは顔を引きつらせた。

「なに、これ……」

 E組一行は米花町に着くと二人一組に分かれ、犯罪者相手に対人戦の経験を積むべく、犯罪者を探しに行った。そんな中。木村とペアになったカルマは裏路地に入ることにしたのだ。不良狩りを行なっていた頃、よく足を踏み入れていた場所を選択するのは当然だった。

 死体や血がついた刀が降ってきたり銃弾が飛んできたりしたので、その都度足を止めながら進んでいたのだが、この光景は予想外だった。

「ねえ木村。なんであの人たちこんなところで誰にでもなく命乞いしたり、嘆いたりしてるの?」

「あんた、米花町民じゃないだろ? こういった場所には近づかないほうがいいよ。社会の闇を垣間見れるから」

 後ろから声がかかり、二人は振り返る。元気そうな少年がそこにはいた。高校生くらいだろう。

「ボクは世良真純。赤髪のお兄さん、米花町を歩く以上、最低限気をつけないといけないことが全く守れてないからボクが教えてやるよ。木村さん、警察の人でしょ? ちゃんと教えておかないと」

 表向きは地域企画課に属していることとなっている木村は、企画を行った防犯イベントで起こった殺人事件が原因で何度か世良に会ったことがあるのだ。

 

 

「いいかい? 防犯グッズを持っていなかったら自殺希望者だと思われるよ。犯人くらい返り討ちにできるんなら、自分の強さをアピールするためになにも持たない手もあるけど……。事件現場で見たことがいない=米花町民じゃないってすぐにばれちゃうから、それはやめておいたほうがいいと思う。米花町民じゃないなら事件にも慣れていない、つまり殺しやすいって考えられるだろうから。知人も執念深い米花町民じゃない可能性が高いから、復讐の心配も少ないしね」

 昼食時だったので喫茶店に入り、腰を下ろして世良の話を聞いていたカルマは顔を引きつらせた。

 一方、木村は心拍数が異常に速くなっていた。しかし、彼も公安の端くれである。顔に出したりはしない。

 喫茶店のキッチンで先程注文した料理の調理を行なっているのが上司なのだ。気まずすぎる。

「木村さん、お久しぶりです」

 知り合いかと尋ねる世良に、事件現場で知り合ったのだと説明してから、今は安室透である降谷は尋ねた。

「確か、今日は同窓会だっていってませんでした?」

 上司が聞きたいであろう内容を相手に伝えることができ、訓練のことは悟られず、カルマと世良に疑われない返答を木村は一瞬で導き出す。

「ええ、同窓会だったんですが、米花町で解散ということになりまして。同窓会っていっても、忙しい奴が多いので参加人数も少なくて……。会うのを楽しみにしていた友人も来れなかったんですよ。しかも、同窓会に来てた奴らは全員カップルで、自然に別行動になったんです。だからあぶれ者の俺たち二人でぶらついてたら世良さんに会って、米花町の心得を教えてもらうことになりました」

 菜々は同窓会に来なかったことを降谷だけに分かる形で伝え、カルマには訓練のことを隠すための嘘だと思わせる。

 

「世良さん?」

 カルマが不思議そうに口にした言葉を、世良は聞き逃さなかった。

「ああ、こんな見た目だけどボクは女だよ」

 驚いたものの、勘違いしていたことをカルマが謝ろうとした時。ポアロの扉が勢いよく開けられた。

「安室透はいるかー!」

 全体的にくすんだ色合いが多い服装は、(見た目だけ)若い男が着るには違和感がありすぎる。

 上下している肩から、走って来たことが分かる。店内に入ってきた男が足を動かすと右耳に付けられたピアスが揺れる。

「えーと、どなたでしょうか?」

 困惑気味に尋ねる降谷。

「この人の彼女さんを一方的に惚れさせちゃったとかじゃないですか? 安室さん、顔がいいんですから気をつけてくださいよ」

 梓が言い終わるか言い終わらないかのうちに、白澤は彼女の目の前に移動した。驚くべき速さだ。

「君可愛いね。僕と遊ばない?」

「あ、コイツ駄目男だ」

 世良は悟った。

「木村、あの人どっかで見なかったっけ?」

「ああ、俺も見覚えが……」

 

 

「あ、僕は白澤(しろざわ)(じん)です。安室透! お前に話がある!」

 母親が若返っている関係で黒の組織について知っている世良は、ジンという名に警戒心を強めたが、すぐに解いた。彼は組織に全く関係がないだろう。現に、バーボンである安室透も現状を把握できていない。

「えーと、何かしましたっけ?」

「四人ナンパして、四人全員に『私には安室さんがいるから』『ごめんなさい、私は安室さんを信仰してるから』『チャラそうに見えて実は誠実な安室さんの方がいい』『つり目よりもタレ目派。安室さんみたいな』って言われて断られた僕の気持ちがわかるか⁉︎ 過去にも似たようなことがあったせいで軽く地雷なんだよ!」

 



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第33話

「私には安室さんがいるから」

「ごめんなさい、私は安室さんを信仰してるから」

「チャラそうに見えて実は誠実な安室さんの方がいい」

「つり目よりタレ目派。安室さんみたいな」

 現世に行っていつも通りナンパしたら、四回も連続で既視感のある断られ方をした白澤は元凶に喧嘩を売りに行った。

 

 小学生から老人まで幅広い女性層に人気があるらしい安室透が勤めている喫茶店ポアロには、ほとんど客がいなかった。お昼時はとっくに過ぎているからだろう。

 喫茶店にいるのは白澤を除くと五人。そのうち客は三人で、一見全員男に見えるが一人は女子高生だと白澤は瞬時に見抜いた。店員は二人。可愛い女性店員を誘った後、白澤は元凶を睨みつけた。

 

「安室透。お前は僕を怒らせた!」

「はあ……」

 降谷は曖昧に返事をした。白澤が乗り込んできた理由がわかってからというもの、店内はなんとも言えない空気になっている。

「大体、喫茶店のアルバイトを副業でしてる29歳ってなに? 本職探偵だけど収入が安定しないから働いてるってお先真っ暗じゃん! 結婚したら悲惨なことになるの確定じゃん! なんでモテてるんだよ⁉︎ 漢方薬局経営してる僕の方が絶対良いのに!」

 未来計画を見直しはじめた世良をよそに、カルマが口を挟む。

「えーでもさー、売り上げの八割くらい交際費に消えてるんじゃない?」

「失礼な! 交際費は七割だけだよ!」

 すかさず反論する白澤。彼は誰かに突っ込まれる前にメモ用紙を取り出した。

「僕が聞き込みを行ったところ、やっぱり僕の方が良いっていう結論になった!」

 白澤の様子を見るに、彼は調査結果を説明するつもりらしい。

 オロオロする梓、色々と諦めた木村以外は頭をフル回転させる。

 世良はバーボンである安室透について、さらに黒の組織について何か分かるかもしれないと考え、白澤の話を聞くことにした。

 カルマは面白そうだし、木村の反応から、彼と喫茶店店員が名前を言ってはいけない部署に所属している警察官の可能性を導き出したので、白澤の話に耳を傾けることにした。

 

 降谷は鬼灯と白澤の顔立ちが似通っていることに目をつけた。血縁関係の可能性が高い。

 そして、景光の携帯に入っていたデータとネットに流れている情報によると、加々知鬼灯は「生贄予定者」であった。ここで言う生贄とは引き取った身寄りのない子供のことだ。子供たちは、信者に生贄と説明して非合法な実験を行うためのモルモットとして使用されていた。

 

 ここで浮かぶ可能性は四つ。

 一つ目はただの他人の空似であるという説。

 二つ目は鬼灯と血縁関係はあるものの彼の存在を知らないという説。

 三つ目は鬼灯の状況を知っているという説。この可能性が一番高い。どこまで知っているのか推測するのは難しいが、探りを入れても悪いことはないだろう。

 そして、最も低い可能性ではあるが、大前提が間違っているという説。すなわち、黒の組織に保管してあったというデータとネットに流れているデータは全て偽造であるという話だ。しかし、偽造をする必要性があり、厳重に守られている黒の組織のパソコンをハッキングできる人材がいる状況なんて限りなくゼロに近い。

 

 ともかく、白澤に探りを入れるべきなのだ。そして、探る相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。降谷は穏便に済ませるべく、今は反論しないことにした。

 

 降谷が不名誉きわまりない憶測をしているとはつゆ知らず、白澤は降谷の目を見据えて語り始める。

「お前はレシートを捕まえてニヤついていたという証言がある。どっからどう見てもストーカーだろ」

「違います。あれは子供達が誘拐されて……」

 降谷が反論するが、白澤の話は続く。

 曰く、白昼堂々とピッキングしていた。道路ではない場所を車で走っていた。橋の下から顔を出しては引っ込めるという意味不明な動きを繰り返していた。

 全て事実だった。行動を開始してから数時間でこれほどの情報を集められたことに降谷は舌を巻く。ここは何をしても事件に巻き込まれる米花町である。数時間もあれば一回から五回ほど巻き込まれる。そんな中、ここまで情報を集めるのは不可能に近い。

 驚愕しながらも顔に出さず、降谷は反論した。

「ピッキングや車の件は事件が起こったのでやむおえずしたことですし、橋についてはただの筋トレです」

「いや、それ以前になんでピッキングできるんだよ」

「白澤さん、あんたもボク達と来なよ。ピッキングができるくらいで突っ込んでいるレベルだったら間違いなく米花町から出ることなく死ぬよ」

 見かねた世良が声をかける。

「へー、セロリって得るカロリーより消化に使われるカロリーの方が多いから食べ続けると餓死するんだ。へー」

 木村はスマホを片手に現実逃避を始めていた。

 

 

 *

 

 

 降谷の倶生神が誤解を解いたおかげですぐさま態度を変えて謝り倒した白澤は、一瞬で女だと見抜いた世良にホイホイついて行った。

 白澤がいきなり謝ったことを訝しんだ世良は、目的地に向かって歩きながら探りを入れてみることにした。とある賭けの後、相手の性別を見分ける特訓をしたのだと話していた男を警戒する必要は無い気がするが万が一ということもある。

 なにしろ、安室透は彼を探っていたのだ。どちらかというと、彼が口にした「ある奴」の方に興味を示していたようだが。

「ねえ、安室さんに見せてた写真ってどんなのなんだ?」

 バーボンが警戒しているらしい男の情報を得ようと尋ねたとき、白澤が件の男の名前を一度も口にしていないことに気がつく。世良は考えをおくびにも出さず、人懐っこい笑顔を浮かべた。

「ムカつく奴と自撮り対決した時の写真だよ。ホラ、どう見ても僕が撮った奴の方が上手いでしょ? あいつは写真撮るときも無表情だし」

「いや、あんたが撮った写真ぶれてるけど……」

 白澤が見せた写真の片方に映っているのは無表情の男だ。白澤と顔立ちが似ているので兄弟かもしれないと世良は考えた。

 

 頭の中を整理し終わる前に目的地に着いてしまい、世良は思考を中断する。

「ここが護身道具を作ってくれる人の家だよ。ここに住んでいる人の発明品が凄すぎるから、この家の人に危害を加えようとした人は米花町民全員から敵視されるんだ。この町には加害者か被害者しかいないことからも分かる通り事件が起こりまくるから、護身道具を失ったらすぐに死ぬ。だからみんな必死なんだよ」

 世良が一通り説明すると、カルマが顔を引きつらせていた。

 木村が「改めて言葉にするとやばいな……」と呟いているなか、白澤は目的地の隣にそびえ立っている豪邸に目を向けた。

 表札には工藤と書かれている。工藤新一の家で間違いない。

 気になるのは工藤邸の庭に狐がいることだ。動物の性別も瞬時に見分けられるようになっている白澤は狐がメスだということに気がつく。しかも稲荷の狐だし地位も高そうだ。

 米花町の事件の多さ、もっと正確にいうならば工藤家の事件遭遇率の高さの元凶だと白澤は直感した。

 

 

 *

 

 

「カルマ、話ってなんだ? しかも家で話そうだなんて……」

 木村は大きな窓から外をちらりと見る。空は真っ暗で、星とは対照的に地上に散らばるネオンはきらびやかだ。登庁しなくてもいいと言われているが同僚の手伝いをしたいので、できることならもうすぐ警察庁に足を運びたい。

「あ、盗聴器はないよ。心配ならこれで確認して」

 カルマの家に招かれて困惑している木村に、家主は盗聴器発見器を押し付ける。

「コーヒーと紅茶どっちがいい? あ、公安は人が準備したものは口にできないってほんと?」

「……なんでそれを」

「分かりやすかったよ。安室さんって人もそうでしょ。しかも木村の上司で地位も高そうだ。そして加々知さんと加藤さんを探っている」

 木村は大きく息をつく。相手は確信している。誤魔化すのは無理だろう。

「なんで分かったんだよ」

「烏間先生から黒の組織について聞いた時の反応。あと、安室さんが加々知さんを探ってるのは見え見えだったし、木村と安室さんの会話から、訓練に来るかもしれなかった同級生と接触できたかどうかを伝えているんじゃないかって思ったんだ。加々知さんについて探っているなら加藤さんについての可能性が高い」

 木村は勧められるがまま椅子に座り、カルマを油断なく見つめた。

「で、ただの好奇心で俺が公安だってことを指摘したわけじゃないだろ?」

「もちろん。木村は柳沢の後ろにいたのは何なのか分かってるでしょ?」

「国」

 簡潔な答えにカルマの唇は弧を描く。

「俺、ある程度の地位を手に入れた時から政界を探ってたんだ。その結果、結構な数のお偉いさんが黒だった。木村の方はどう?」

「詳しいことは分からない。ただ、黒の組織にはかなりのNOCがいるんだ。それなのに長年組織の実態がつかめていなかった。上層部が情報を握りつぶしているとみて間違いない」

「やっぱりそうか。木村、俺と手を組まない?」

「加藤や律には協力してもらわないのか? そうすれば一瞬で誰が黒いのか分かるし証拠も手に入る」

「いいや、何も話さない。律が黒の組織の件で地獄も動いているって教えてくれたんだ。普通なら現世のテロ組織なんて放っておくはずなのに、地獄は黒の組織を壊滅すべきだと判断した」

「殺せんせーの時のように地球が滅亡する可能性がある。黒の組織が触手の研究をしているらしいし、その可能性が高いんじゃ……」

「それもあると思うけど……。コクーンって覚えてる?」

 いきなり話が飛んだが、何かあるのだろうと判断して木村は頷く。

「バーチャルリアリティゲームだろ? お披露目パーティーで行われた体験会で、ゲームを人工知能に乗っ取られたから生産中止になったやつ」

「そう、それ。そのパーティーに加藤さんたちもいたんだ。ただの視察って言われればそれまでなんだけど、俺はそれだけとは思えない。そして、やけに大人びている子供を発見した。しかも行方不明の工藤新一とそっくり。当然烏間先生に調べてもらうよね」

「幼児化も知ってたのかよ。俺たちはつい最近知ったのに」

 文句を垂れた後、木村は復元されたデータに入っていた人体実験の結果、組織と黄金神教の繋がりについて話した。

「ん? ってことはまさか……。組織は昔から若返りやそれに近い研究をしていて、多くの権力者が組織と繋がっている。全員が全員、金や権力が目的だとは思えない」

「組織の研究に投資しているってことであってると思うよ。やけに組織に流す金額が多いし」

 地獄が動いているのは、人間の寿命が操作される恐れがあるからだ。もしかすると、すでに時間の流れを捻じ曲げてしまった人間はいるかもしれない。

「地獄は組織を壊滅させて、触手や若返りに関する研究データを破壊するのが目的だ。逆に言えば、それ以外のことをやる必要がない。それに、死後の裁判をする者が生者に必要以上に関わって良いはずがない。加藤さんや律が抜け穴を探すのも限界がある」

「分かった。これは俺たちでやろう」

「うん。後で寺坂も巻き込むよ。まあ、ポカしそうだからしばらく説明する気は無いけど」

 

 情報を伝え合い、木村は公安に、カルマは政界に探りを入れることを取り決め終わった時、木村が呟いた。

「ところでさ、上司が加々知さんと黒の組織との繋がりを疑っているんだ。しかも、加藤と中村が俺の上司でBLについて話していたら、上司が何かの暗号かと勘違いした。どうすればいいと思う?」

「うわ、何それ面倒。烏間先生に丸投げしとけば?」

「加藤にも同じこと言われた……」

 

 

 *

 

 

 名頃鹿雄。咄嗟に自分を殺してしまった初恋の人が心配で五年間浮遊霊をやっていた人物だ。そんな彼は、コナンと平次からあらぬ疑いをかけられていた。

 

 テレビ局爆破と矢島殺害を行なったのは関根だと考えていたコナンと平次だったが、その関根が狙われたのだ。関根が乗っていた車が爆発した。助かるかどうかは五分五分だという話だ。

 そこで、容疑者として浮上したのが名頃だった。皐月会を逆恨みしている可能性が高いと阿知波が話し、殺された矢島は名頃会の解散を主張していた。そして、車が爆発した関根と、その爆発に巻き込まれた紅葉は名頃の弟子で、名頃失踪後に名頃会から皐月会に移ったという。

 また、犯行直前に被害者宛に送られていたメールも発覚した。

 テレビ局爆破予告の紙にもカルタ札が印刷されていたことや、矢島の殺害現場にカルタ札があったことが分かった。矢島の場合は、カルタ札を見て名頃の犯行だと思った関根が偽装したのだろう。

 メールで送られた札、矢島が握っていた札は、名頃の得意札である紅葉の情景を詠った六枚の札のどれかだ。

 確認すれば紅葉にも名頃の得意札の写真のメールが届いていたことが発覚した。

 真犯人は名頃である。コナン達はそう確信していた。

 

 

 *

 

 

 矢島が握っていた札が判明したことと、名頃が犯人だと思われることを伝えるコナンからの電話を切った後、學峯は一つ息をついた。

 星がちらほらとくすんだ光を放つ中、球体に近づいてきたもののいくつかの不恰好な塊に分かれている月が存在感を放っている。

 學峯は一人の教師を思い出していた。彼は良い教師だった。生徒達に今でも慕われているのがその証拠だ。

 そして、関根が目を覚ましたと聞いて駆けつけた病院で見た光景を思い出す。名頃の教え子達を見る限り、名頃が犯人だとはどうしても思えなかった。

 

 

「わざわざすまんなぁ。明日試合なのに」

「何言うてるんですか。関根さんのこと、心配しとったんですよ⁉︎」

「ハハ、すまんなぁ」

 しばらく沈黙が続いた。

 関根に話を聞こうと病室の前まで来たのに、部外者が入ってはいけない空気を感じ取り、學峯は足を止めて聞き耳を立てていた。盗み聞きは良くないのだが、この会話を聞かなければならないと本能が訴えていたのだ。

「「名頃先生、今どうしてるんやろ」」

 紅葉と関根、二人が同時に呟いた。

「言いたいこと、たくさんあるのに」

「また、先生の写真撮りたいなぁ」

 涙声になってきたところで學峯は静かに立ち去った。あそこまで教え子に慕われている人物が、生徒を危険に晒すだろうか。

 慕われているのは良い教師の証だ。良い教師は生徒の命を狙うはずがない。むしろ、何があっても守ろうとするだろう。かつての三年E組の担任がそうだったように。

 

 

 *

 

 

 菜々は遠い目で燃えている建物を見た。ここは米花町ではないのに高い建物が燃えている。やはりコナンが居るのがいけないのだろうか。

 

 皐月堂。阿知波が亡くなった妻の皐月を思い、崖の途中に建てた建物だ。すぐ横には大きな滝がある。

 皐月堂は皐月杯の決勝戦で使われる。登ることができるのは一年に一回。しかも、それは読み手の阿知波と決勝戦まで進んだ二人のみだ。

 試合の動向は川を隔てた観戦専用の施設のスクリーンに映る映像で見ることができる。マイクもあるので声も聞こえるらしい。

 空調システムや防音壁まである。

 米花町にある建物だったら、間違いなく爆発すると言い切れる代物だ。ここは大阪だし一度テレビ局が爆発しているので無事に終わる可能性がワンチャンあるかと思っていたのだが、千件以上の事件を解決している高校生探偵と米花町の死神の事件吸引力には勝てなかったらしい。

 

「なんや⁉︎ 何であんなに勢いよく燃えてんのや⁉︎」

「なんか燃料に引火したんやと思われます!」

「消防はまだ来ィひんのか?」

「園内は道が狭うて消防車が入ってこられへんとのことで……」

 刑事達が揉めているのを聴きながら、菜々はことのあらましを思い出していた。

 

 

 ホテルのロビーで鬼灯が白澤に電話をしていたら、蘭にカルタ大会を見に行かないかと誘われた。そして、事件に巻き込まれた。それだけだ。

 爆発が起こり、現場に残されていた指輪から真犯人が阿知波だと気がついた高校生探偵二人が皐月堂にバイクで向かったりしているが、探偵による派手なアクションは米花町ではよく見られるので大したことではない。

 問題は、やけに見覚えのある男性が目の前にいることなのだ。

 

「理事長?」

「はい」

 恐る恐る尋ねてみると、予想通りの答えが返ってきた。間違いであって欲しかったが、學峯の姿は菜々の記憶と全く変わらない。

「時間がないので余計な質問はしないでくれ」

 そう前置すると、學峯は菜々の隣にいる鬼灯に話しかけた。

「実は、加藤さんが結婚できたという話が息子のげぼ……友人達の間で広まっているんです」

「今下僕って言いかけましたよね?」

「相手は二次元説、脳内にいる旦那説、ついに妄想と現実の区別がつかなくなった説など、様々な憶測が飛び交っているのですが……。まさかとは思いますが、あなたが噂の人物ですか?」

「そうです」

 菜々は文句を言おうと口を開いたが、彼女が言葉を発する前に學峯がまくし立てる。

「だとすると、あなた多分相当アレですよね? 女性一人、あの皐月堂まで投げれますか?」

「あれ? なんか嫌な予感がする」

「大丈夫さ。君の格好は、私に催眠術を学びに来ていた高校生の時と似ている。そして加藤さんは学生の頃、米花町の至る所に爆弾が散らばっている関係で、燃えにくい洋服を身につけていた。つまり、加藤さんが着ているのは燃えにくい素材の服である可能性が極めて高い。皐月堂に投げ込まれても燃えないだろう」

「怪我する心配とかないんですか⁉︎ それ以前に教え子を燃え盛っている建物に投げ込もうとするのはどうなんですか⁉︎」

「この事件の犯人は阿知波さんだ。動機は妻である皐月さんが名頃さんを殺害したことの隠蔽」

 學峯は事件のあらましについて簡潔にまとめて聞かせた。

 

 マスコミまで巻き込んで皐月との試合を取り付けた名頃は、試合前日に皐月の元を訪れた。

 一足早い試合を申し込んで見事勝利した名頃だったが、会の存亡を賭けた試合で負けることを恐れた皐月に殺されてしまう。

 その時、皐月はカルタを名頃の血がついた手で触ってしまった。そのカルタこそ皐月杯の決勝戦で使われるカルタであり、テレビ局爆破の日にテレビ局に持ち込まれていたカルタである。

 注目すべきは名頃と紅葉の得意札が同じだという点と、矢島は殺される直前に決勝戦で戦う紅葉のビデオを見ていた点。

 皐月が犯行直後に触ってしまった時と、紅葉が決勝戦で取った札の順番とが似ていた可能性がある。矢島はそれに気がついたのだろう。だから殺された。

 関根が狙われたのは、名頃の犯行に見せるため。とうの名頃の遺体は皐月堂に隠してある。

 

「そして、重要なのは名頃さんはわざわざ皐月さんへの当てつけのために試合を申し込む人物ではないこと。彼はそんな人物ではない。加藤さんに頼みたいのは二つ。皐月堂にいる全員の救出と、名頃さんの遺体を運び出すことだ。あと、大阪県警本部長の息子さんとキッドキラーの少年が向かったようだから、二人の安全も確保しておいてくれ」

「えー、あの二人が行ったんなら大丈夫ですよ」

 菜々は食い下がる。キャスケットを死守しなくてはならないので投げられるのは避けたいし、自分が行くとラブコメ展開を潰してしまう予感がするのだ。

「あ、じゃあ建前は置いといて本音を言おう」

「建前⁉︎」

「いや、まあ、さっきの話は本心でもあるが、加藤さんに行ってもらいたい一番の理由があるんだ。テレビ局見学ツアーの時、周りに男性しかいなかったせいで逆ハー臭が凄かった。絶対にありえないしむしろ女と認識されていない可能性しかないと頭では分かっていても、蕁麻疹が治らないんだ」

「なるほど分かりましたぶん投げます」

「鬼灯さん⁉︎」

 突っ込もうとした菜々だったが、体の重心が傾く。とっさにキャスケット帽を左手で抑えると、掴まれた右腕を持ち上げられ、一本背負いのような動きで投げられた。

 

 

 *

 

 

 和葉と紅葉が神経を研ぎ澄まし、相手よりも早く動き早く札を取るために全神経を使っていると、皐月堂が揺れた。何事かと和葉たちが外に出てみると、一人の女性がいた。しかも皐月堂が燃えていた。

「説明は後! 取り敢えず降りるよ!」

 そう叫ぶと、瞬きをする間に菜々は阿知波の懐に潜り込み、鳩尾を殴った。意識を飛ばす阿知波。

 起こったことが理解できず、和葉たちが呆けていると、今度はバイクが突っ込んできた。

「なんやの⁉︎ なんでこんなにありえへんことが……って平次君⁉︎」

「平次の近くにいるとよくあることやで。学校行事のスキー合宿で、どこの誰かわからない相手と推理対決した後くらいから、やけに事件に遭遇するようになったんや」

「ウチ、家の関係で誘拐とかされたことありますけど、さすがにこんなことは初めてです!」

「慣れやで慣れ。慣れれば殺人現場で恋バナできるようになるんや」

 やけに悟っている和葉に紅葉が常識的な意見を言っている間に、コナンは阿笠の発明品で皐月堂の火を消した。巨大に膨らませたサッカーボールで滝の水の流れを変えたのだ。

「で、なんで犯人である阿知波さんが気を失ってるの⁉︎ どう考えても菜々さんの仕業だよね⁉︎ 推理ショーは⁉︎」

「こんな状況なんだしうるさくなりそうな人は眠らせておいたほうがよくない? とにかく、コナン君は阿知波さんと一緒にエレベーターに乗って!」

 自分一人では阿知波を運べないとコナンが主張するので、紅葉もエレベーターに乗ることになった。

「服部! エレベーターには三人しか乗れないから先に行くけど、やばそうだったら菜々をおいてバイクで逃げていいからな! こいつは飛び降りるか崖を伝って降りるかするから! それくらいやっても死なない奴だから!」

 コナンが叫びながらエレベーターのドアを閉めた。

 

 コナン達が無事脱出し、池に浮かび上がっている一方で、皐月堂が崩れ始める。

 巻き込まれる可能性を考え、救助ヘリは離れていった。

「和葉! 乗れ!」

 平次が怒鳴る。

 コナンは人を死なせないことをモットーにしている。そんな彼が放っておいても大丈夫だと断言した女性は自力で逃げるだろう。だから、平次は自分と和葉が逃げることのみを考えることにした。

 

 菜々は骨だけとなった名頃を探し出し、頭蓋骨だけを左手に抱えて走る。床が傾いていることを物ともせず、皐月堂の端まで来ると大きく飛び上がった。

 急に浮く体。目の前に迫る崖。崖の突起を右手で掴むと、体をひねって軌道を変え、崖にぶつかるのを回避する。昔よくやっていたように、突起に手をかけて勢いを殺しながら落ちていく。崖から出た太い枝に着地すると、救助ヘリを待つことにした。

 平次と和葉が爆弾を利用して加速し、皐月堂から向こう岸にある池まで飛び移っているのが見える。

 

 

 *

 

 

 無事救助され、特に怪我がなかったのですぐに解放された菜々は、學峯と向き合っていた。

「無茶苦茶な頼みを聞いてくれてありがとう」

「私に拒否権なかったですよね⁉︎ それはそうと、なんであそこまで名頃さんに肩入れしていたんですか?」

 名頃の性格を断言したり、皐月堂が崩壊した後でもできるであろう名頃の遺体の回収を頼んだりと、學峯にしては珍しい行動だった。

「始めは、浅野塾の良い宣伝となるはずだったテレビ番組の収録を邪魔された怒りから事件に関わったんだが、途中からは名頃さんの冤罪を晴らすために動いていた。なんでか分かるかい?」

 菜々は首を振る。

 學峯は何かを懐かしむような目をして口を開いた。

「名頃さんは弟子に慕われていたようだよ。同じ人に教える者同士、思うところがあってね」

 名頃が閻魔庁で裁判を受けるまで一ヶ月ほどある。菜々には彼に伝えないといけないことができた。

 

 

 

 *

 

 

「白豚からの報告によると、米花町に呪いがかかっているのは間違いないらしいです。ただ、呪いから神気のようなものが感じられるそうです」

 米花町に呪いをかけているのは神の類で間違いない。

 そして、注目するべきは犯罪件数が急激に増えた時期が二回あること。おそらく呪いがかけ直されたなり、呪いをかけた者が米花町を訪れたことで呪いが強まったなりしたのだろう。

 犯罪件数が増えたのは十三年前と今年。十三年前といえば、菜々が地獄に迷い込んだり鬼になったりした年でもある。

「心当たりがあるような……」

「そして白豚は稲荷の狐を工藤邸で発見しました。あなたもよく知っている相手です」

「やっぱりソラですか!」

 鬼灯の話を聞いた時から予想はついていたが、菜々は思わず叫んでしまった。

 鬼になっても菜々が学生時代を現世で過ごせたのは空狐であるソラが化かしてくれていたからだ。

 そんな相手が、変質者出現スポットでの悪夢のような実戦や、ドキドキ☆犯罪者との追いかけっこ、動機あるある第一位・逆恨みの元凶だった。長い間行動を同じくしていたのに、鬼灯の話を聞くまで予想だにしていなかったことに、菜々は少なからずショックを受ける。

「なんでソラは米花町を呪ってたんですか」

 菜々はひとまず状況を理解しようと質問することにした。

「正確に言うと、呪っていたのは工藤家の人間です。昔、荼枳尼天の祟りで死んだ人間を見て、『神なんているわけがない。これは殺人事件だ』と工藤家の祖先が発言した時から祟っているとか。空狐は妖狐の二番手ですが、妖力については最上位とされています。しかも稲荷空狐は神狐でもあります」

 ソラにとって何世代にも渡る呪いをかけるのは難しくないということだ。

「じゃあ、ことあるごとに小五郎さんの友達が被害者か殺人鬼になるのも、米花町の恋人が破局したら殺し合いに発展するのも、米花町に露出狂の亡者が多いのも、和伸君が苗子ちゃんが近くにいることに気がつかないのも、柳沢が変態なのも全部ソラのせいってことですか?」

「正確に言うと工藤家にかけられた呪いは、工藤家と関わった人物に心の奥底に眠っている殺意を認識させることで、事件を起こしやすくするというものです。あといくつかは冤罪です」

 鬼灯の説明によると、ソラは米花町を窓が割れていないスラム街にするつもりはなかったらしい。ただ単に工藤家のフットワークが軽すぎたのと、米花町でトラブルが絶えなかったのが原因のようだ。

 そして黒の組織が壊滅した暁には、呪いを解く約束も取り付けたとか。事件を解くのが生きがいになっているのだから事件に巡り合わないようにしてやれば良いじゃないか、という思惑が感じられるが、呪いが解けるのは万々歳なので菜々はスルーした。

 

 

 *

 

 

 部屋を照らす温かで柔らかい光が、重圧感が漂う机に反射する。どっしりとした大きな椅子に前のめりになるようにして腰かけている黒田兵衛は、目の前の男を見つめた。

 鋭い目つきにスーツの上からでも鍛えられていることがわかる身体。防衛省の室長を務め、数々の伝説を残している男、烏間惟臣だ。彼に呼ばれたため、黒田はこうして防衛省までやってきたのである。

「ご足労いただきありがとうございます。黒田さん、あなたには正義のために全てを投げ捨てる覚悟はありますか?」

 獲物を見定める肉食獣のような目。黒田は生唾を飲み込み、喉を上下させたのち答える。

「もちろんです」

 強い意志に裏打ちされた響きだ。事前に調べた通りの人格なのだろうと考え、烏間は全てを打ち明けることにした。

 

 

「なるほど。非公式に黒の組織を追っている各国諜報機関の捜査官が集まり、情報を共有し、組織を壊滅させる、ですか。確かにこの状態だとそうするほかないですね」

「ええ。ただし、理由が理由とはいえ無断でこれだけのことをやるとなると処罰は免れないでしょう。それでもやっていただけますか?」

「もちろん。私の部下も何人か──と言っても三人だけですが──この作戦に組み込めます。……ところで烏間さん、提案とお願いがあります」

 烏間は黒田の言葉を待った。

「最近起こったエッジ・オブ・オーシャンでのIoTテロでこの件に関われるだけの能力を持つ公安刑事が何人も殉職しました。公安は人手不足です。そこで新たに協力者を得て、彼らを使いたい。新たな協力者とは工藤優作と浅野學峯。工藤優作の方は息子のことがあるので協力者になってもらえるでしょうが、浅野學峯とは連絡をつけるのすら難しい」

「なるほど。私への頼みとは、超破壊生物暗殺計画で面識がある浅野學峯と連絡を取ってもらいたいというものですね」

「ええ。よろしくお願いします」

 口角を上げて手を固く握り合った彼らの瞳にはギラギラとした闘志が宿っていた。

 

 

 

 *

 

 

 警視庁では非公式の団体・佐藤美和子絶対防衛(ライン)による内部分裂が起こっていた。会長の座を白鳥から譲り受けた山田に佐藤への愛が無いのではないかという疑惑が出てきたため、人一倍活動に勤しんでいる藤巻学を会長にという声が高まってきたのだ。

 

 同時刻、荒木鉄平は考えていた。

「愛しい愛しい宿敵(コイビト)さ」

 クリス・ヴィンヤードとの交際疑惑がある男の聞き込みをしている時に聞いた、不健康そうな男からの答えだ。確かに恋人と言っていた。

 もしかしてアイツ、黒澤陣のストーカーなんじゃないだろうかと荒木は思う。

 

 そして、とある施設では女性が取り乱していた。

「柳沢さん、柳沢さん⁉︎ 嘘……息してない……」




次回の投稿が遅くなります。すみません。
詳しくは活動報告に書いてあります。



今更ですが、黒の組織を壊滅させるために世界各国の諜報機関が手を取り合うことは無理だと気がつきました。
最後の方の、黒田と烏間の話し合いの内容を少し変えています。


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組織壊滅編
34話


※この先、黒の組織についての捏造多数。
※オリキャラが出てきますが、前の話を読み返す必要は一切ありません。



「さっき路地裏にトランク開けっ放しにして車を停めたら猫が入り込んだみたいなんです。すみませんが車の中を探してくれませんか? 猫アレルギーでして……」

「いいですよ」

 男性の頼みを快く引き受け、車のトランクを覗き込む三池。彼女の視界から外れた瞬間、男はスタンガンを取り出した。

 

 風を斬る音と何かが地面に叩きつけられる音がした直後に男は呻き声をあげた。握りしめていたはずのスタンガンが数メートル先に飛んでいったことを認識すると同時に彼は激痛に襲われる。体勢を立て直した三池に勢いよく股間を殴られたのだ。

「身の危険を感じたらすぐに相手の弱点を全力で攻撃する。米花町では基本です!」

 立ち上がって地面を踏みしめ、鋭い目で相手を見据えながら構えをとった三池が言い放つ。そのとき、彼女の耳は二人分の足音を捉えた。音からして、片方は体重が重く、もう一人は子供らしい。

 こんな夜中に歩き回っていそうな子供を三池は一人しか知らない。事件があれば飛び込んでいく江戸川コナンだ。だとすれば、彼と一緒にいるのは保護者の小五郎か、彼と推理をしていた刑事か。

 三池の心に淡い希望が宿る。もしかして、もしかすると──。

 

「この犯人の様子……。玉宝紛砕(ぎょくほうふんさい)を受けたのか⁉︎ あの技の使い手は俺を含めて五人しかいない。君がやったとすると、まさか君は──幼馴染の苗子ちゃん⁉︎」

「もう、遅いよ、千葉君!」

「えっ、あの犯人どう見ても股間攻撃されてるよな⁉︎ それに玉宝粉砕(ぎょくほうふんさい)って菜々が今は亡き師匠から受け継いだ、どんな体勢からでも的確に股間を攻撃できる技か⁉︎ うわぁ……」

 

 偶然が重なってこの場に駆けつけることができた千葉が三池と甘酸っぱい空気をかもし出し始める。コナンはいまだに悶えている犯人に手を合わせることしかできなかった。

 

 

 

「米花町やばい」

 浄玻璃の鏡の前で盗一が呟く。女性警官連続殺人事件が米花町で起こっていると知った菜々が律に頼んで映してもらっている現世の様子はカオスを極めていた。

「多分菜々さんが関わらなければこの二人いい感じになってましたよ。縁結びの札に名前書かなくてもくっついていたはずです」

 先程から菜々と一緒に鏡を覗き込んでいた殺せんせーがグチグチ言い始める。盗一の発言はスルーされた。

「誘拐された婦警さんを助け出した刑事さんが、なんやかんやで怪我していた婦警さんをすぐに病院に連れて行こうとするけど車がないせいで歩きになって。赤信号でも車が来ていないことを確認して横断歩道を渡ろうか悩む刑事さんを、婦警さんが子供の頃刑事さんに言われた言葉を使って止めて。『君、やっぱり幼馴染の苗子ちゃん⁉︎』『もう、気づくの遅いよ、千葉君!』みたいな展開になっていたはずなんですよ! 菜々さんさえ変に関わらなければ!」

「なんで何も話してないのに二人の過去や性格をドンピシャで当てれるんですか」

 

『あのさあ、仕事したら?』

 ギャースカ騒いでいる菜々たちに、今ではすっかり小生意気になったノアズ・アークが冷ややかに言う。

「杉野君と神崎さんの名前を縁結びの札に書くかどうか決める参考にしようと思って見てました。私は獄卒である以前に教師です。生徒のことを気にかけていただけなんです」

 すかさず言い訳をする殺せんせー。

「でも未だに杉野君の片思いですよ」

 反論する菜々。そこじゃねえよとノアズ・アークは思った。

「神崎さんって男運ないじゃないですか。いっそのことあの二人くっつけときましょうよ」

 殺せんせーが言い返したことで討論が始まった。その横で盗一は願望を垂れ流す。

「快斗の写真撮りに行きたい」

 

「駄目です。この前現世の人間に許可なく正体を匂わせていたことに加え、あなたには解読作業があります」

 背後から声がした。振り返った盗一の顔に諦めが混じる。

 黒の組織の行動を知るために現世の様子を伺っても、組織の幹部が使っている言葉が解読できないという問題が最近発覚した。そこで、厨二語に詳しく、事情を知っている盗一に白羽の矢が立った。黒の組織壊滅作戦決行の時、盗一が地獄にとどまって解読を担当するのは決定事項なのだ。

 

「鬼灯様、閻魔大王。国際会議お疲れ様です。どうでした?」

 金棒を担いだ鬼神とぐったりとした様子の王に盗一は尋ねた。野球選手と介護士をくっつける計画を練っている同僚二人は無視だ。

「触手とAPTXのデータの破壊、触手生物の殺害、全て日本地獄に押し付けられましたが、ある程度好き勝手やる許可と大量の補償金をもぎ取ってきました。触手を移植した人間以外を直接殺すのはダメですが、社会的に抹殺するくらいなら十分許容範囲内で──」

 

 話の途中で電話の着信音が鳴り響く。思わず皆が口をつぐんた。

 鬼灯は懐から携帯電話を取り出す。仕事用の携帯に秦広王第一補佐官から連絡が来たことを確認すると通話ボタンを押した。

「篁さん、どうしました?」

『厨二組織案件です。今すぐ来てください』

 何事かと皆は顔を見合わせた。

 

 

 *

 

 

 鬼灯と菜々、二人を運んできた殺せんせーが秦広庁に到着するとすぐ篁が説明する。

「えーと、この幸薄そうな男性は山田輝さん。偽名。主人公たちに倒されたあとで暗い過去が判明し、『そうか、あいつも被害者でいいように使われていただけだったのか。黒幕は別にいる!』みたいな扱いを受けそうなタイプです」

 亡者の顔に既視感を覚えた菜々は首をかしげる。

「すみません、どこかで会いました?」

「一応幼馴染だよね……。あと鬼だったんだね。あんまり違和感ないや」

「ごめん。知り合った人が被害者か加害者になることが多いから、人の顔と名前覚えるの苦手なんだ。あーと、確かお父さんがよくお菓子くれる山田刑事だったよね」

 伯父の部下だった関係で幼少期になにかと世話になっていた刑事の息子であり、菜々の幼馴染でもあるのが山田輝だ。特に千葉和伸と仲が良かった記憶がある。

 篁は一つ咳払いをすると、山田輝(偽名)の人生について語る。

「彼は母子家庭で育ちました。小学生の時に、生活が苦しかったせいで変な宗教にハマってしまった母親に連れられて、信者が集まって暮らしていた山の中の集落に移り住みます」

「米花町のサイコパス殺人鬼の過去あるあるトップ10に入っているような内容ですね。で、その宗教の名前は?」

 察しながらも菜々は尋ねる。彼女の予想は的中していた。

「黄金神教」

 黒の組織の創立者でもある烏丸蓮耶によって作られた宗教だ。

 

「色々あって、高校生くらいの年齢になった時に母親が死んで孤児になります」

「なるほど。孤児となった彼は『生贄』──人体実験のモルモットにされたんですか」

 殺せんせーの言葉に秦広王は頷いた。

「その通りだ」

 

 黄金神教では生贄を捧げることがあった。しかし生贄とされた子供達は裏で違法な人体実験を受けていたことが発覚している。

「彼も人体実験を受けました。そして、実験の過程で若返った。それからは組織の研究所に連れていかれて長い間人体実験をされていたそうです。そんなことが数年続いた時、事件が起こります」

 

 黒の組織がとある幹部に出した命令。「加藤文弘および加藤菜々の監視」。命令を受けた幹部──ダイキリは自分が加藤文弘の監視をして、彼の姪である菜々の監視は「見た目は子供、頭脳は大人」である人物にさせることにした。

 

「え?」

 菜々の顔がこわばる。

「全部説明するよ。僕は下っ端だったから教えてもらえなかったことも多いけど」

 山田輝は悲しそうに微笑むと、ポツポツと憶測を交えた話を語り始めた。

 

「君の祖父母は組織が雇った暗殺者に殺されているらしいんだ。その時、偶然にも君の伯父さんが現場を目撃してしまった。その時はまあいいだろう、で終わらされていたみたいだけど、君が小学校時代にやらかしまくったせいで組織が怪しんで、伯父さんと君の動向を探ることが決定した。伯父さんを探るのはダイキリ、君を探るのはダイキリに生命を握られていた僕だった。……あの時は騙してごめん」

 輝の目が伏せられる。

 

 彼は実験の過程で何度も若返りに成功し、定期的に六歳程度の見た目に戻っていた。大量の薬を飲んだり、出血死で死ぬんじゃないかと思うほど血を抜かれたりする生活が続いて何年も経った後、状況が変わった。組織がすべてのデータを取り終わったのだ。彼が「興味深い成功体」から「いてもいなくても変わらないモルモット」になった瞬間だった。

 

「ちょうどその時だよ。ダイキリがやってきたのは。あの天パの人──確か高村さん? が言っていた通り、僕はあいつに命じられるがまま帝丹小学校に入学し、君に近づいた。一方、すでに警視庁に潜り込んでいたダイキリは加藤刑事に近づき、やがて彼の右腕と呼ばれるようになった。といっても、僕がなかなか有益な情報を掴めないから、結局ダイキリが加藤菜々絶対防衛(ライン)とかいう変な組織作って君の監視もしてたけど。……もうわかってると思うけど、ダイキリは『山田刑事』だよ」

 

 菜々の目の前が真っ白になった。

「山田刑事」はお人よしだった。今の捜査一課でいうなら高木渉ポジション。子供にお菓子をくれる人は皆良い人だと考えている菜々が彼を信じたのは出会って数日後だった。

 菜々に事件の内容を漏らすし、頼りないし、バカ丸出しな行動をする。菜々が地獄に移り住んでから作られた、佐藤美和子絶対防衛(ライン)のトップの座を白鳥から譲り受けたのがいい例だ。

 それでも、正義を胸に秘め、大切なものを守るために突き進んでいるのだと思っていた。

 

 殺せんせーが触手をうねらせながら考えを口にする。

「でも、まずいことになりましたねぇ。捜査一課に組織の幹部が紛れ込んでいることになります。誰もこのことを知らないとなると、これが火種になる可能性がある」

「律さん、ダイキリのデータ、及び菜々さんの祖父母殺害事件について情報を集めてください」

 鬼灯の携帯画面に現れた律は、彼に向かってビシッと敬礼をする。

『はい! ですがそれらの情報は集めるのにかなり時間がかかると思います。ご了承ください。それと菜々さん。山田輝さんが小学生の時、大企業のデータをハッキングしたりしてたのに全く疑問を持たなかったんですか?』

 冗談交じりに尋ねる律。空気が軽くなったことを感じ取り、菜々はかすかに微笑むと反論した。

「だって米花町だよ? 護身術を習い始めたばかりの小学生を裏路地に連れて行って『まずは露出狂の退治から始めてみよう!』ってスライム倒す感覚で言うのが普通の町だよ? 小学生がそれくらいできてもおかしくない。むしろ何もできなかったら即死する」

 

 

 *

 

 

 誰かが気がついてくれることを信じて、組織の目を盗みながら黄金神教のデータをネットに載せ続ける。

 ある日バレて逃亡。

 逃亡生活中に追っ手に見つかって殺される。

 

 輝が死に至るまでの大まかな流れだ。

 

「待って色々突っ込みたい」

「やり方が回りくどいし組織気がつくの遅いし」

「意外と長い間逃げ続けられた件」

「残念ながら全て『米花町民だから』『米花町に訪れる犯罪者達だから』で解決します。なぜかあの町に長時間止まると回りくどいことをするようになるんです。難解なトリックを編み出したり、暗殺を依頼してスーパーにでも行けばいいのに無駄に難解なトリックを使って結局バレたり」

 

 それから数秒で「まあ舌引っこ抜いて転生でいいだろ」という軽いノリで処遇が決められた輝は、秦広庁を後にした。

「わざわざご苦労だった。見送りたいところだが次の裁判があるためここで」

「さすがは閻魔大王より閻魔大王っぽいことで有名な秦広王。仕事熱心ですね。大王に見習わせたい」

 篁が苦笑いをする。秦広王は咳払いをすると外に行かせていた獄卒に声をかけた。

「次の亡者を連れてこい」

 

「帰りも私に乗るんですか。金棒や謎の護身道具も一緒に? 重いから嫌なんですけど」

「殺せんせー、自分が何なのか分かって言ってます?」

「永遠なる疾風の運命の皇子」

「バカなるエロのチキンのタコでしょう。それと運び屋」

「にゅやっ! 先生のことをそんな風に思っていたんですか⁉︎」

「殺せんせーはもはや移動手段の一つです。諦めなさい」

「私に対する扱いひどすぎません⁉︎」

 三人が言い争っている横で、巻物に目を通していた篁が呟いた。

「あれ? 今から裁判する柳沢誇太郎ってどこかで聞いたことあるような……」

 

 

「秦広王、次の亡者連れてきまし、おわっ!」

 罪のない獄卒が声を上げる。目の前に菜々が躍り出てきたからだ。

「触手責めを実現するための研究に精を出していたら誤って月をぶっ壊し、それっぽい理由をつけて中学生にセクハラしまくり、最終的には赤ちゃんプレイを始めるに至った柳沢さん、お久しぶりです! 鬼灯さん、イザナミさんの所で燃やされてる村人たちの中にこの人も加えていいですよね? あの煙が出ない炎で炙られ、一酸化中毒で気絶できない苦しみを味わうがいい」

「おいこらちょっと待て。色々聞きたいし言いたい。……死神⁉︎ お前どうしてここに!」

 

 

 面倒なことになりそうだったので獄卒を秦広庁から締め出すと、鬼灯が説明を開始する。

「柳沢さん、ここは地獄です」

「ああ、それには気がついている。俺は地獄行きか?」

 自嘲気味に笑う柳沢。菜々が赤べこのように首を振るが、鬼灯が否定する。

「いえ、あなたには獄卒──地獄の従業員になってもらおうと考えてます。殺せんせーも菜々さんも獄卒です。そして菜々さんは鬼です。あなたと知り合った時からすでに鬼でした」

「そうか、モノノ怪の類だったのか。あまり驚かないな」

「前から思っていたんですが、なんであなたが鬼だと知った現世の知り合いたち、普通に受け入れてるんですか」

「知りませんよそんなの。それよりこの変態です。彼は地獄に落とすべきです」

 菜々は柳沢を指差した。

「基本、物かお金に釣られる菜々ちゃんにここまで恨まれるって相当ですよ。あなた何したんですか」

 篁が尋ねる。やっすい女という認識をされていることに菜々が文句を垂れる前に柳沢が爆弾を投下した。

「やっぱりあれか? 暗殺の一環でクラス名簿の横に女子生徒のカップ数を書いた時、お前のところに成長の見込みなしって書いたからか?」

「だまれ変態。だいたい、運動やってれば脂肪が燃焼して、胸は本来より小さくなるはずなんですよ。蘭ちゃんが異常なんです」

「なんの話だ」

 このやり取りで秦広王と篁は察した。

 

「菜々さん、よく考えてみてください」

 鬼灯が幼子に言い聞かせるように語る。

「彼には罪滅ぼしとして地獄で働いてもらいます。あくまで罪滅ぼしなのて給料は微々たるもの。罪人扱いなので嫌がらせし放題です」

 ピクリと菜々が反応する。

 米花町に出現する露出狂と柳沢の合成写真を職場にばら撒いても、実験と評して熱湯に突き落としても許されるということではないか。

「そして、彼の再就職先はフンコロガシ屎泥課です」

「まさかのう◯こ送り!」

 ちょっと嬉しそうに叫んだ殺せんせーとは対照的に、柳沢は青ざめる。

「嫌な予感しかしない」

「大丈夫です。優秀な頭脳を持っている彼はものすごい屎泥を作り出すでしょう。既に烏頭さんを呼んであります。柳沢さん、もうすぐ来る茶髪の鬼に色々聞いてください。ベテランですよ」

「ちょっと待て、俺は殺されたんだぞ⁉︎ 訳を聞きたくないのか⁉︎」

「どうせ下着ドロの恨みとかでしょう。あなたを殺した相手とはいい酒が飲めそうですが、あんまり興味ないです」

「いや、いい酒を飲むのは無理ですよ。菜々さん、酔うと無差別にナイフ投げまくる癖あるじゃ──」

 殺せんせーの発言を柳沢が遮る。

「俺は下着ドロなんてやってない。あの時実行したのは鶴田だ」

「汚い仕事を人に押し付けるだなんてクソですね。やっぱりフンコロガシ屎泥課にお似合いですよ。クソな科学者がクソの科学者になるだけなんだし、そんなに変わらない」

「上手に他人を使うのが大人だと昔も言っただろう。それに、俺が殺されたのは取引に応じなかったからだと思う」

「ロリを舐め回し隊に誘われたけど、熟女派だったから加入しなかったってことですか?」

「違う。全身真っ黒の怪しすぎる男たちの勧誘を断った。俺にあんな厨二趣味はないし、二度と人に迷惑をかけたくないと考えていたんだ」

 フッと悲しそうな笑みを柳沢は浮かべる。先程再会した幼馴染が過去を語った時と同じような表情だったが、菜々には相手が自分に酔っているとしか思えなかった。

「実は良い人だったってパターンは通用しませんよ。それはそうと、その男たちに何を要求されたんですか」

 食いついたことに柳沢は驚き、人を小馬鹿にするような顔をした。

「教えて欲しいのか?」

「うわ、その顔ウザい。別に良いですよ。あなたから聞かなくても知る方法はいくらでもあります」

 

 菜々が律に呼びかけようとスマホを取り出したところで足音が近づいてきた。烏頭が到着したのだ。

「こいつがフンコロガシ屎泥課行きか。まあ頑張れ。鼻が麻痺すれば随分と楽になるからそれまでの辛抱だ。あと、これからは人がいる場所には極力近づかないほうがいい。シャワーを浴びても取れないほどの悪臭を身にまとっているせいで迷惑をかける」

 烏頭にかけられた言葉に、柳沢は顔を引きつらせる。数秒後、目をつぶって大きく息をつくと、彼は烏頭に向き直った。どこか晴れやかな表情だ。

「案内、よろしくお願いします。……詳しい話を聞く前に追い出したが、触手についてだった」

 最後に言い残すと、彼は無言で烏頭の後ろをついて行った。

「うわぁ、ツンデレ気取って最後の最後に無愛想に答えて行ったところが腹立つ」

「ブレないですねぇ。しかし、数年前には鷹岡が触手を使いこなせていたことが気になります。組織の目的が生物兵器として触手を使うことなら、数年前に成功していることになる」

 殺せんせーの言葉に菜々が続ける。

「でも、柳沢は最近勧誘された。もっと進んだ研究をしたかったから彼をひき入れようとしたのなら簡単に殺してしまっていることが引っかかります。拉致して研究させれば良いだけなのに」

「どうしても成功させる必要がなかっただけ、とか?」

「このことは律さんたちに調べてもらいましょう。それより、話があるので一旦閻魔庁に戻りますよ」

 鬼灯は言うが否や迷いなく殺せんせーの背中に乗った。

 

 

 *

 

 

「組織壊滅作戦には地獄も大きく関わります。烏間さん達の協力者、または防衛省諜報部の一員という名目で動いたりもしますし、亡者となった組織のメンバーを速やかに捕獲するために烏天狗警察にも協力してもらいます。で、問題なのは菜々さんか殺せんせー、どちらかが地獄にとどまらないといけないことです」

 閻魔庁にある空き部屋でそう告げた鬼灯。

 互いをチラリと見たことで菜々と殺せんせーの視線が交わる。一瞬だけ目で会話すると、二人は口々に質問を始めた。

 

「理由を教えてもらっても?」

「誰か一人が残らないと大王が仕事しません」

「死神さんでいいじゃないですか!」

「彼は休暇中です」

「……なんで休暇与えちゃったんですか⁉︎ こうなること予測できてましたよね⁉︎」

「金魚草の研究が進む誘惑にはかないませんでした。まあそれはともかく、どっちが行くか決める方法を盗一さんに考えてもらいます」

 

 急に名前を出された盗一は不満げに尋ねる。

「なんで私が?」

「死神さんの代わりだからです」

「彼そんなこともやってたんですか。ところで、ちゃんと決まったら現世に行く許可をもらえたりしますか?」

「無理です」

 盗一は明らかにやる気をなくす。

「トランプ勝負で決めればいいじゃないですか」

「イカサマ合戦が始まり、最終的に殴り合いに発展します。駄目です」

 すぐさま反論する鬼灯。

「将棋」

「新しいルールを作り出し、最終的に殴り合いに発展します」

「じゃんけん」

「以下同文」

「人生ゲーム」

「以下同文」

「鬼灯様を笑わせるゲーム」

「公平じゃないと喚き出し、殴り合いに発展」

「どれも駄目じゃないですか」

「それをどうにかするのが死神さんです。そして、それが今のあなたの仕事です」

「……死神さんに帰ってきてもらうのが一番なのでは?」

 

 

 *

 

 

 殺せんせーは表情に一切出さないものの少し焦る。理由は彼の横でシューティングゲームをしている菜々だ。

 

 どちらが現世行きのチケットを手にするかを決める方法がシューティングゲームに決まった。結果が数値化されるのでごねようがないからだ。

 また、ルールの抜け道を探されるくらいならと、縛りは必要最低限にした。店の備品を壊さないことと人に迷惑をかけないこと。この二点を守りさえすれば何をしても良い。

 

 自分がいる意味はあるのだろうかと盗一が疑問を抱いているのをよそに、殺せんせーは思考する。ゲームを完璧にこなすことも忘れない。

 このゲームでより良いスコアを叩き出した方が現世に行ける。

 対戦方法がシューティングゲームだと聞いた時、彼は勝利を確信していた。菜々は動体視力も良く手先も器用なくせに射的が壊滅的だったからだ。撃っても撃っても対殺せんせーBB弾がありえない曲がり方をして、的ではなく人に当たっていた。

 しかし、菜々はゲームが始まってから一度もミスをしていない。引き金を引くと、レーザーは正確にゾンビに当たっている。

 

 ボール=人にぶつける。菜々が持っていると公言している本能だ。

 これが真相だと殺せんせーは悟る。

 菜々の射的の成績が悲惨だったのはこの本能のせいだ。思い返してみれば射的に使われていた対殺せんせーBB弾は球。ボールだ。あの成績は本能が適用されていたに過ぎない。

 

 菜々の射的の腕は良かった。弾が球体である場合のみ使い物にならないだけだったのだ。

 

 読みを間違えた。

 しかし、殺せんせーはゾンビを撃ちながら笑みを浮かべる。

 優れた殺し屋はいくつもの手を用意しておくものだ。

 

 

「菜々さん」

 

 呼びかけると、菜々は視線は動かさないものの意識をわずかにこちらに向けた。

 通常なら二人とも全くミスをしない。逆に言えば、少しのミスが命取りになる。

 一瞬でも隙を作ればこちらの勝ちだ。

 

「ノアズ・アークさんに頼んで、浄玻璃鏡を使って集めたあなたの黒歴史をまとめた映像を作成してもらいました。今からあのスクリーンに流してもらいます」

 

 殺せんせーが言ったのは、広告が映っているスクリーンだ。天井から下がっているスクリーンは壁を覆い尽くすほど大きい。あそこに黒歴史が映されたならば大勢の者に見られるのは確か。そして菜々は地獄ではそれなりに有名だ。拡散されるのは目に見えている。

 

「さん」

 

 殺せんせーがカウントを始める。

 

「に」

 

 ニヤリと口を歪める。菜々に打つ手はないはずだ。

 教え子の黒歴史をばらまくのは心苦しいが、現世行きだけは譲れない。触手を葬るのは、自分でなくてはならないのだ。

 

「いち……」

 

 ゼロ、と殺せんせーは呟いた。流れるはずの軽快な音楽は聞こえない。あいかわらずスクリーンには脳吸い鳥の卵味ジュースの広告が映っている。

 

「なっ! なんで⁉︎」

「殺せんせー。昔、ノアズ・アークと同じくらい優れた人工知能である律を短時間でハッキングした人がいたことを覚えていますか?」

「まさか……!」

「そう、死神さんですよ。古本屋で見つけた植物図鑑で簡単に釣れました」

「自腹切って手に入れた高価な部品を使って『手入れ』することを条件にノアズ・アークさんを説得した私の努力は一体……」

 殺せんせーの肩の力が抜ける。その一瞬で勝敗が決まった。

 

 悔しがる殺せんせーと息子のアルバム作成の夢を捨てられない盗一が重い雰囲気をかもし出す中、菜々は死神の言葉を思い返していた。

 

 ──わかった。ハッキングするよ。この件に関しては君たちに託すべきだと思うから。

 

 

 *

 

 

「なるほど、誰がどんな動きをしているのか把握しました。律さん、ありがとうございます」

 定時がとっくの昔に過ぎた夜中。閻魔庁にいるのは鬼灯たちを除けば座敷童子と記録課の仕事中毒者くらいだ。

 法廷は静まり返っており、鬼灯の声が響く。律から報告を受け、今後の打ち合わせをするために、皆は人気がなくなる時間にこの場に集まったのだ。

 

「これほどまで大掛かりな作戦が始まっていると、一般人として組織壊滅に関わるのはきついです。そこで、この件で現世で表立って動いてもらう菜々さんには防衛省諜報部の一員ということになってもらいます。このことは何年も前から烏間さんに話してあったので偽造はすぐにできます。で、防衛省は黒の組織をマークしていたものの動向を見守っていただけでした。それなのに防衛省諜報部の一員が首をつこっむのは難しい。作戦の要となり地獄の方針に沿うように計画に手を加えるなんてもってのほかです。そこで、これらの問題を一度に解決できる方法をとることにしました。話し合いの結果菜々さんから許可は取っています」

 皆が菜々に目を向ける。ボロボロだった。話し合い(物理)だったことを全員が察した。

「それで、その方法って?」

 閻魔が尋ねる。菜々が心底嫌そうな顔をして答えた。

「防衛省諜報部の人間として、私が黒の組織に潜入します」



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第35話

 椚ヶ丘市のとある山。ある時は私塾が、ある時は名門校の落ちこぼれ生徒が集まる教室が存在した場所だ。地獄と現世との境目でもある。そこでは今、同窓会が行われていた。

 

「こちらキノコディレクター! 狙撃中のギャルゲーの主人公を発見! 中二半、指示は⁉︎」

「キノコディレクターは引き続き偵察ね。近くで潜伏中の性別が行く」

「貧乏委員だ! 赤松の林付近に勉強できるバカが出現!」

「さては錯乱しにきたな。五分間だけ持ちこたえて!」

 

 磯貝はインカムからの指示に「了解」とだけ返し、かつてのクラスメイトと向き合う。

「加藤さんはこのゲームに参加していないはずだろ? なんで銃とナイフを装備してここに来たんだ?」

「そんなの……カルマ君チームが勝ったら『あははは☆うふふふ♡彼ピッピのために裏社会に来ちゃった☆』系頭悪い十四歳を、莉桜ちゃんチームが勝ったら血をこよなく愛するマッドサイエンティストを演じないといけないからに決まってるでしょ! どっちもヤダ!」

「諦めも大事だと思うぞ……うん」

 

 同窓会(という名の打ち合わせ)が始まって早々、「ちょっと菜々に黒の組織に潜入してきてもらうわ。潜入捜査官と思われなさそうなぶっ飛んだ設定決めといてちょうだい」とイリーナが告げ、悪ノリしたカルマを筆頭にダーツやらすごろくやらで候補が決められ、最終選考に残った二つの案のどちらを取るかを決めている最中なのだ。

 あみだくじで分かれた二チームで戦い、どちらが勝つかによって菜々が演じるキャラが決まってしまうのである。

 どちらも断固拒否して「依頼は全てこなす伝説の暗殺者」あたりを演じたい菜々は両チームを全滅させればいいじゃないかと思い至ったのだ。

 

「確か、地獄の住人は現世の事柄に必要以上に関わっちゃいけないって法律があるんだろ? それを理由に断ってみたら?」

「地獄側は乗り気なんだよ。組織関連は全部日本地獄に押し付けられてるから、現世の住人──新一君とか優作さんとかをごまかす理由づけもこっちがしないといけなくて。防衛省諜報部の一員って建前にしておいた方が楽なんだよね。私の両親、人間だからそっちもごまかさないといけないし。迷惑かけてる自覚はあるから強く言えなくて」

「うんうん」

 菜々の「強く言う」は爆弾を巻きつけたロボットを敵陣に突撃させることだが、磯貝は深く突っ込まずに相槌だけにとどめた。

 菜々はすでに武器を地面に置いて話す体制を取っている。

「毎年視察って名目でお盆に帰って、他の日は県外で事件に巻き込まれたこととかにしたり律に情報操作してもらったりして乗り切ってる状態だからさー。いっそのこと私が死んだことにしようかとも考えたけどそうする勇気もなくて……。というかそれ以前に役職的に断れない」

「うんうん……。ところで中村チーム全滅して俺たちのチームが勝ったらしいぞ」

「まさか……あの相槌は……!」

「カルマに頼まれて時間稼いでた。ごめん」

 

 菜々は叫んだ。

 公務員の拷問官の彼氏がいる頭が弱い十四歳の女の子として黒の組織に潜入しなくてはならなくなったのだ。こんな意味不明なキャラじゃなくってもっとカッコいいキャラが良かった。

 

 

 *

 

 

「ビッチ先生。お慈悲を、お慈悲を……!」

「無駄に綺麗な土下座をキメてもダメよ。え、ちょっとそれどうなってんの⁉︎ ほんとに土下座⁉︎ 後ろに光輪が見えるんだけど⁉︎」

 

 かつての教室では菜々が額から生えたツノを地面に擦り付けていた。地獄では結構偉い立場なのにこれである。

「ねえ、この潜入捜査の目的覚えてる?」

「現世側と地獄側の利害が一致した結果です。捜査官同士が手を取り合うことが決定し、組織の壊滅が近づいているけど、組織の末端や取引相手が全て判明しているわけじゃない。また、組織を潰しても下っ端が逃げ延びれば第二、第三の黒の組織が誕生する可能性が残ってしまう。一方、地獄の思い通りになるように壊滅作戦に手を加えるため、私は作戦内で重要な位置につく必要がある。この二つの問題を踏まえた結果、私が組織に潜入することが決まりました」

「そうよ。あんたは組織の末端や取引相手を知ることができるくらい重要な地位に短期間で登りつめる必要がある。律に調べてもらった情報をあんたが調べ上げたってことにするためにね。そのためには、スパイだと疑われることは一切あってはならない。疑われないためにはどうするか。絶対に諜報部員じゃないと思わせる設定にするのよ。倫理観がぶっ飛んでいてもよし、未成年でもよし、とんでもない変人でもよし」

「そこであの設定ですか。……日本地獄としては、ビッチ先生と烏間先生へのゴマすり、触手を現世から確実に消滅させることも目的としています。あと、鬼灯さんあたりが絶対楽しんでる」

 菜々の目が濁る。とんでも設定を忘れようと日本地獄の方針を述べていたのに、また思い出してしまったのだ。

 

「さあ、設定を確認するわよ。張方(はりかた)舞印(まい)。十四歳」

「ちょっと待ってください。偽名、そのまますぎません? あとせめて十六歳にして欲しいです。義務教育真っ只中の年齢で悪の組織の一員はさすがに無理があるかと」

 張方舞印。読み方を変えれば「ちょうほうぶいん」。ふざけている。

「年齢の件は考慮するけど偽名は変えないわ。どうせ大丈夫だし。──特技は土下座と催眠術。一回り以上年上の恋人あり。尋ねると『彼ピッピはー、仕事熱心な公務員さん! 趣味は拷問と呪いの品集め。得意料理の脳味噌のみそ汁は絶品だよ!』とどう聞いてもヤベー返事をしてくる。自分を鬼と信じて疑わない。額のツノと尖った耳がトレードマーク。要するに、鬼の姿のままでいればいいのよ。知り合いのダイキリって幹部だけど、普段は警視庁にいるせいで顔を見せないらしいから素顔で行きなさい。ベルモットって幹部がマスクつけてるとすぐ見抜いてくるらしいからガッツリ変装するのは無理だし、未成年であることの裏付けになる顔をわざわざ隠す必要がないわ。組織に潜り込むまでの間に知り合いに会いそうになったらお面かぶればいいし。あのキャラならいけるわ。あ、米花町出身って言っておけば生い立ちを深く突っ込まれることはないはずだから」

「いやあの、バーボンにも会ったことあるんですけど」

「そんなの木村に上手くやってもらえばいいのよ」

 木村が警察庁警備局警備企画課所属であることがカルマにバレたと律が言っていたことを思い出す。カルマ、烏間、イリーナの間で情報共有がされているのだろう。

 このままだと木村が大変な目に遭うが、カルマと手を組もうと思ったなら避けては通れない道だ。

 それよりも自分のことである。このままだと訳のわからないキャラを演じる羽目になる。

 菜々は助けを求めて烏間に視線を向けた。笑いをこらえていた。

 

「じゃあ、演技の練習しよっか!」

「俺、今から潜入用の服装考えるけどなにか要望とかある?」

「強いて言うなら動きやすいやつ」

 セーラー服にしか見えないデザイン画を描き始めた菅谷の横で、今や国際的な女優となったあかりから指導を受ける。

 

「いい? この設定には事実が結構混ざってるでしょ? 演技をするときに元の自分と共通点があるとグンと演じやすくなるの。全員がそうだとは限らないけど……。とにかく、すっごい女優さんにもバレないような演技に仕上げなくちゃ! 一度自己紹介やってみて」

「十六歳のマイちゃんだよ! 気軽にマイたんって呼んでね! 特技は土下座と催眠術! 彼ピッピがいるからお誘いには乗らないからよろしく!」

 クルンと一回転して、両手の親指と人差し指を伸ばし、腕を曲げて右側に向ける。片足立ちして腰をくねらせ、ウインクをすることも忘れない。かつて新一から「何にも考えてなさそう」とお墨付きをもらったアホっぽい笑みを浮かべておいた。

「……うん」

「……とりあえず、ウインクの練習から始めよっか」

「笑って⁉︎ むしろ笑って⁉︎」

「違和感が仕事しない」

「似合ってはいる。いつもバカっぽいオーラ出してるからめちゃくちゃしっくりくる。両目閉じてたけど」

 

 菜々は胃薬でも注文しようかと思った。

 かつて職員室の机に胃薬を常備していた烏間の気持ちがやっと理解できた。

 

 

 *

 

 

「諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ

 諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ

 諸君 俺は美和子ちゃんが大好きだ。

 

 あの顔が好きだ

 あの目が好きだ

 あの口が好きだ

 あの声が好きだ

 あの腕が好きだ

 あの手が好きだ

 あの指が好きだ

 あの足が好きだ

 あの髪が好きだ

 

 警視庁で 現場で

 会議で 街中で

 道路で 列車で

 船上で 遊園地で

 飲み会で ラーメン屋で

 この世で目撃できるありとあらゆる佐藤美和子が大好きだ。

 

 

 ナイフを振り回す犯人に発砲し武器を奪う時の凜々しさが好きだ

 犯人に関節技をかけている様子を目撃すると心がおどる

 

 左手の薬指の意味を知らないピュアさが好きだ

 悲鳴のような大声をあげて燃え盛る山から車で飛び出してきた時など胸がすくような気持ちだった

 

 推理をしている横顔を盗み見るのが好きだ

 悩ましげな眉に真っ直ぐな瞳、顎に軽く添えられている美しい手には感動すら覚える

 

 敗北主義の逃亡犯達を捕まえていく様などはもうたまらない

 怒り叫ぶ犯人達を諭し、現実を見つめさせ、更生に導く慈悲深さも最高だ

 

 哀れな犯罪者達がナイフや拳銃で無謀にも抵抗してきたのをニューナンブM60で対抗し、見事制圧した時など絶頂すら覚える

 

 

 妄想の中で美和子ちゃんを滅茶苦茶にするのが好きだ

 父親の形見である手錠を見つめて物思いにふけっている様子を見るのははとてもとても悲しいものだ

 辛い過去があるのにまっすぐ前を見つめているのが好きだ

 高木に美和子ちゃんを取られたのは屈辱の極みだ 」

 

 

 彼は訴える。佐藤美和子絶対防衛(ライン)はこのままで良いのか。佐藤への愛がいまいち感じられない山田にトップを任せたままで良いのか。否、断じて否。今こそ反旗を翻し、佐藤美和子絶対防衛(ライン)を新しく作り変えるべきなのだ。

 

「諸君 俺は戦争を 地獄の様な戦争を望んでいる

 諸君 俺の同志である佐藤美和子信者諸君

 君達は一体何を望んでいる?

 

 更なる戦争を望むか?

 情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?

 警視庁だけにとどまらず全県警をも巻き込むであろう嵐の様な闘争を望むか?」

 

「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」

 

「よろしい、ならば戦争だ。

 我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ。

 だがこの暗い闇の底で三ヶ月もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!

 大戦争を!! 一心不乱の大戦争を!! 」

 

 この日、警視庁はかつてないほどの人手不足に陥っていた。

 黒の組織の幹部であり、周りを欺くために白鳥から佐藤美和子絶対防衛(ライン)トップの座を譲り受けた山田は謎の悪寒を感じた。

 

 

 *

 

 

 スネイクは困っていた。怪盗キッドを殺し損ねた時よりも困っていた。原因は最近部下となったマイである。仕事を任せると成果を上げてくるが、やり方がまずい。この前は組織を裏切ろうとしていた議員を殺せと命じたら、女性物の下着のみをつけて裏通りで狂ったように踊っている合成動画をネットにあげて社会的に殺していた。彼女はなぜか社会的抹殺を好むのだ。ついでに言うと性格もアレだ。

 

 そして、頭痛の種である部下に向き合っている黒ずくめの男。彼はスネイクよりもずっと上の立場である。スネイクが属している組織の上についている組織の幹部なのだ。

「マイだったな。お前の噂は幹部まで届いている。早速だがこいつを社会的に殺してくれ」

「えーと、確かウォッ母さんだよねー? 銀髪の妖精さんは元気?」

「だめだ会話が成り立たねえ」

 

 

 *

 

 

『新しい幹部のカルーア・ミルクです。この前、見事任務を遂行したことが評価されて昇格しました』

 ラムが機械越しに告げる。手が空いているため集まることができた幹部は目の前の少女に眉をひそめた。

 真っ黒のセーラー服を着て「気軽にカルーアタソって呼んでね。マイでもいいよ☆」と下手くそなウインクをしながらアホ丸出しの自己紹介をしてきた。口を半開きにしていることもアホっぽさに輪をかけている。

「コイツがかい?」

 キャンティが不審な目を向ける。

『大丈夫です。ちょっと……かなりぶっ飛んでますがこう見えて仕事はできます』

 ラムはそう告げると一方的に通信を切った。

「フン、せいぜい日本(このくに)に湧いて出てきたFBI(ハエ)どもに気をつけることだな。お前のたりない脳みそのせいで、いつのまにかケルベロスが目の前にいた、なんてことになっても知らねえぜ」

「マイ、厨二語わかんなーい」

 ジンがニヒルに笑いながら告げた言葉に、菜々はあっけらかんと返した。

「イギリス語とアメリカ語とー、オーストラリア語、あとツンデレ語ならわかるけどそれ以外の外国語、わかんなーい。ジンジンはなんて言ってたの?」

 空気が凍りついた。キールは神妙な顔を作りながら、内部分裂が起きることを期待していた。

「……ハエはFBIのことだ」

 沈黙に耐えきれなくなったウォッカが解説する。

「兄貴は、頭が悪そうなお前がヘマしてFBIとやりあって死ぬかもしれないから気をつけろと言っているんだ」

「じゃあハエがたかってる組織はう◯こ?」

「違う。黒い大砲だ」

 ウォッカが慌てて訂正を入れるなかジンは懐の拳銃に手を伸ばす。その様子を横目で見つつ、バーボンは混乱していた。どう見てもこの前調べた加々知菜々だ。

 裏社会の人間だが素性を偽って組織に入ったか、自分と同じ潜入捜査官か。彼女について探ろうとしたら防衛省から邪魔が入ったことを考えると防衛省諜報部の一員かもしれない。

 新しく入ってきた変な幹部扱いするのが無難だろう。

 

「ウォッカ、後は任せた」

 それだけ言ってジンは踵を返した。あいつ逃げやがった、とウォッカ以外全員思った。

 

「カルーア。これからいくつか質問をする」

 ウォッカが丸椅子に腰掛ける。菜々もそれに続いた。

 薄暗い酒場のような場所だ。棚には酒が陳列しており、所々にカラスを模したマークが見られる。いかにも厨二病が好みそうな場所だというのが菜々の感想だった。

「まずはいくつか質問する。お前ら、何か聞きたいことはあるか?」

 ウォッカの問いにキールが挙手する。

「ずっと聞きたかったんだけど、そのツノと耳は?」

「マイ、鬼なんだよ」

「へー」

 キールは適当にあしらうことにしたらしい。

「全く演技している様子が見られない。本気で信じてるわよ、あの子……」

 ベルモットは恐怖で震えた。

「なるほど。あとで薬やっていないか調べる必要があるな。他に質問は?」

「はーい!」

 菜々は先程出されたまんじゅうを頬張りながら手を挙げた。

「まだ自己紹介してもらってない。お母さんと今はいないロリコンなら知ってるけど」

「ロリコン?」

「シェリーシェリーうるさいってみんな言ってる」

「あぁ」

「おいコルン! 兄貴に失礼だろ! 何納得してやがる‼︎」

 ウォッカがお母さんであることには誰も突っ込まない。キールはヒールで自分の足を踏み、笑いをこらえていた。

 そんな中、ウォッカが怒りで赤くなっていた顔を真っ青にした。

「……お前、そのまんじゅう食べた瞬間死に至る猛毒が入ってるんだぞ⁉︎ なんで平気なんだ⁉︎」

「え、入社試験に毒入りまんじゅう出すの? さすが悪の組織、すぐに人手が足りなくなって社員が過労死一直線の方針だねー」

「……何者だ? ただのバカなガキじゃないことは確かだろ」

「だーかーらー、イケメンな彼ピッピがいるピッチピチの十六歳だって。まだ覚えてなかったの? 強いて言うなら米花町民」

 これで幹部たちは察した。米花町民なら未成年のくせに悪事に手を染めるようになった理由も毒に免疫がある理由も説明がつく。

 

 

 一通り自己紹介をしたところで話に戻った。

「えーと、バー◯ンドはなんで悪の組織の幹部やってるの? ホストやったほうがガッポガッポ稼げるよ」

「バーボンです。そういえば」

「おい、お前。今から検査に行くぞ」

 ウォッカが話を遮る。この前会ったことを覚えているか尋ねようと思ったらこれだ。いつものことなのでバーボンは口をつぐんだ。

「何の?」

「乱用薬物検査」

「これは連絡先だよ。じゃあそういうことで!」

 叫びながら、菜々は窓を突き破って飛び降りた。菜々は鬼である。検査結果は人間とは違うので、検査をしないに越したことはないのだ。

「あいつ、やっぱり薬やってやがる……」

 ウォッカは決意した。あいつが薬をキメていることを証明して組織から追い出し、尊敬してやまない兄貴分の胃を守ることを。ジンはああ見えて任務にかこつけてジェットコースターに乗ろうとするくらいにはお茶目で純粋なのだ。

 

 

 *

 

 

「寺坂くん、君はあの赤羽氏とクラスメイトだったらしいね」

「はい」

 寺坂の声は硬い。彼は柄にもなく緊張していた。目の前に座る男の地位はかなり高いのだ。

「彼についてどう思っている?」

 男の目が細められる。寺坂はこの瞳を嫌という程知っている。かつて「シロ」と名乗っていた男が自分に共戦を持ちかけてきた時と同じものだ。

 彼が何かをたくらんでいることは確か。カルマを邪魔に思い、蹴落とそうと画策しているのだろうか。相手の真意を図るべく、寺坂は本心とかけ離れた答えを口にした。

「昔から嫌なやつです」

 やっと使うことに違和感を覚えることが少なくなった敬語で話しながら、男の唇が歪み始めたことを確認する。

「相手を見下して馬鹿にする。俺はあいつらに地獄を見せるためにこの道を志しました。いつか、俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる……!」

 男の唇がより歪められる。

「そうか。それなら彼の弱みを見つけてくれ。その後、連絡をくれれば続きを話そう」

「それだけ聞いて俺が納得すると?」

「……官房長官である大黒連太郎氏を筆頭に、あらゆる業界の権力者たちで構成されるグループ。君も政治家の端くれなら噂くらい聞いたことがあるだろう」

 寺坂は目を見開く。男が語ったグループの話をカルマから聞いたことがある。きな臭い動きをしているから探りたいのだと。

 

 

 *

 

 

「なるほど。単純バカの寺坂を使って俺を潰しに来たか。それにあの人はまだ若い。暗殺教室のことは知らないに決まってる」

 盗聴器が仕掛けられていないことを確認して早々カルマが語り始めた。寺坂は黙って耳を傾ける。

「オーケー。ダミーの情報を流そう。防衛省の人間と何度も密会している、とか」

 防衛省の人間。すなわち烏間。この情報を知られたとしてもこちらは痛くもかゆくもないどころか、相手が詳しいことを知ろうとすれば防衛省から警告が届くだろう。

「……そういえばいいの? 俺のこと売るいい機会だよ? ここで相手の言う通り俺の本当の弱みを探って伝えれば寺坂は大出世。上層部の人間に目をかけてもらえるばかりか、いつも悪態をついてる原因である俺を排除できる」

「はっ! お前に弱みなんざねえだろ」

「まあね」

 カルマは笑う。返り討ちにした不良を見るときも同じ顔をしていた。悪魔のツノと尻尾の幻覚が見え、寺坂は目を瞬いた。

 そして、寺坂も笑ってみせた。

「俺は短絡的だ。目をかけてもらえるって言ってもどうせ操られるし、なんなら捨て駒にされる可能性がある。昔のようにな。……言っただろ? 操られる相手ぐらいは選びたいって」

 

 

 *

 

 

「寺坂君。君の参加を嬉しく思うよ。……なぜ、昔からの友を売ってまでもこの会に?」

「友? あいつはそんなんじゃない。聞いたことくらいあるはずです。俺が彼を嫌っていると」

「ああ。確かに君達はしょっ中言い争っていると言われている。ただのじゃれあいだと思っていたが……。そうか。そんなに彼が憎いか」

「当然です。何をしてでもアイツを──赤羽を嵌める。できるならぶっ殺す。俺はそのためだけに動いているんですから」

「なるほど」

 男──大黒は内心ほくそ笑んだ。彼の憎悪は本物らしい。これは良い捨て駒になる。

 

 一方、寺坂のネクタイピンの形をした盗聴器越しに二人の会話を聞いていたカルマも心の中で舌を出す。

 最後に笑うのは大黒ではない。自分たちだ。

 



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第36話

「カルーア。あなた恋人がいるらしいけどどんな人なの?」

「ズッキーニだよ!」

「え?」

 本名、本堂瑛海。偽名、水無怜奈。コードネーム、キール。CIAの諜報部員である。彼女は最近ネームドになったカルーアにバーで探りを入れていた。そして意味不明な返事が返ってきた。なぜ野菜が出てくるのか。

「ズッキーニ?」

「彼ピッピのあだ名ー」

「いや、そういうことじゃなくて……。どんな人なのかとか」

「趣味は拷問と呪いの品集め。社畜の立派な公務員さんだよ」

「えっ二重の意味でやばいじゃない」

 成人男性が未成年に手を出している上、趣味がやばい。

「イケメンで料理が上手」

「後半はバーボンの特徴ね」

 本人が聞いたら怒りそうだ。

「得意料理は脳みその味噌汁! たまにすごく凝った料理を作ってくれるよ! あ、よく人の頭部が余って困るってぼやいてるー」

「やばい奴じゃない。大丈夫なの? DVとかない?」

「たまに金棒が飛んでくる程度だよー」

 キールは日本の闇を垣間見た。実在すると仮定するなら、カルーアの恋人は拷問官だ。

 

 

 *

 

 

「ラム──脇田兼則と諸伏高明が接触した」

 椅子に腰掛けた黒田が告げる。飴色の机を挟んで、彼の前には降谷が立っていた。

「雪山での一件ですか」

「そうだ。スコッチそっくりの諸伏に組織が探りを入れることは確実。そこで諸伏に協力を仰ぎ、ラムを捕獲したいと思う」

「黒田管理官、元からそのつもりでしたね? 長野県警に出向したのはヒロの……諸伏の兄である諸伏高明警部を協力者にできるかどうか見極めるため。違いますか」

 降谷は険しい顔で尋ねるものの確信していた。黒田は元からそのつもりだったのだ。

 確かに長野県警に出向したのは他の理由もある。ラム候補である大和勘助の調査、黒の組織とも繋がりがあった啄木鳥会の調査。しかし、彼の最大の目的は諸伏高明の引き入れだ。

 大和勘助、松本清長、若狭留美。降谷が接触したことで脇田兼則がラムだと発覚する前、黒田はラム候補のいる場所に赴いていた。その行動が、ラムを捕まえたいという強い意志を物語っている。

「正解だ。ラムさえ捕らえれば組織壊滅に大きく近づく」

 黒田の声からは決意が滲み出ていた。

 

 

 *

 

 

 組織壊滅のための合同会議がもうすぐ開かれる。公安から協力者になってほしいと声をかけられた優作によって、コナンと有希子はそのことを知った。顔色を全く変えなかった赤井は元々知っていたのだろう。

 自分も力を貸すと目をぎらつかせて申し出るか、ピンポイントで優作に声をかけてくるということは公安がコナンの正体を掴んだのではないかと焦るか。有希子は息子が取る行動は二択だと思っていた。しかし、彼女の予想に反してコナンは硬い声で告げた。

「……赤井さん。僕、公安とFBIの人たちに言わないといけないことがあるんだ。赤井さんや安室さんは察していると思うけど」

 赤井はコナンの話とやらに見当をつけた。十年前に彼とそっくりな少年と出会っているのだ。ベルモットの件もあるし想像はつく。

「君に話してもらえることは嬉しい。だが、公安はやめておけ。裏切り者がいる。話すにしても安室くんだけにしておくことだな」

 コナンはヒュッと息を呑んだ。

 

 盗聴器の類がないことを確認してから全員がソファーに腰掛けたところで優作が切り出す。

「それで、公安に裏切り者がいるというのは?」

「昔、スコッチという公安のNOCがいました」

 過去形。コナンは気がついた。彼こそが安室と赤井の仲違いの原因だ。

「死んだんだね。だから安室さんは赤井さんのことを恨んでいる」

「ボウヤ。そっちはいい。色々あるんだ」

「ごめんなさい……」

「話を戻すぞ。彼は組織の重要な情報を持ち出したことからNOCバレしました。そして、公安のNOCだと連絡が来た」

 優作は顎に手を当て、赤井の言葉を引き継ぐ。

「たまたま所属が漏れたにしてはタイミングが良すぎる。裏切り者がいる可能性が極めて高い」

 

 

 *

 

 

「それで? 僕を工藤邸におびき出した目的は?」

 片足を軽く曲げた状態で立っている降谷が挑発的に尋ねる。コナンはポケットに手を突っ込み、顔を上げた。

 無言で答えを待つ降谷とコナンの間には、ソファーに腰掛けて足を組んでいる沖矢がいる。彼らを遠くから見守るように壁際に立っているのはジェームズを始めとしたFBIの捜査官と工藤夫妻。

 喉が乾く。自分が唾を飲み込んだ音を耳で拾ったあと、コナンは告げた。

「安室さん、赤井さん。僕の……俺の名前は工藤新一。ジンに飲まされたAPTX4869の副作用で幼児化したんだ」

「やっぱり沖矢昴は赤井だったのか! おのれ赤井!」

「真っ先に言うのがそれ⁉︎ もっと僕の正体に驚いてよ!」

 合同会議が始まる一週間前。工藤邸では殴り合いをする二人の男が目撃された。

 

 

 安室の頬が腫れ、赤井のニット帽が犠牲になったところで休戦となる。

「公安は僕一人。対してFBIは来日している全員。赤井が公安の裏切り者について話したんですね?」

「知っていたのか」

「当たり前でしょう。あいつらは組織を壊滅させると同時に捕まえる予定です。くれぐれも余計なことはしないように」

 トゲのある言い方に眉をひそめたジョディとは反対に、コナンは明るい声で了解した。

「わかった。その件は全部公安に任せるよ」

「……ボウヤ、いいのか?」

 赤井が意外そうに尋ねた。今度は降谷が眉をひそめる。

「ずっとFBIと一緒に行動していて日本警察をいまいち信用していなさそうな俺が、裏切り者がいることが判明した公安を頼るばかりか、その公安に裏切り者の始末まで任せるのが意外ってことですよね?」

「ああ」

「……実は幼児化してすぐ、駆けつけた警官に怪しいやつらの取引現場を目撃したから毒薬を飲まされて体が縮んだって説明したんです。大笑いされました。多分、あの時から俺は無意識のうちに日本警察に苦手意識を持っていたんだと思います。今まで俺の言うことは認められて、賞賛されてきたのに、何も信じてもらえなかったから……。真っ向から否定されることに恐怖を抱いていたんですよ」

 コナン──新一が話している間、誰も口を挟まなかった。

「でも、全員がそうだったわけじゃないんです。高木刑事が俺の話に耳を貸してくれた。佐藤刑事たちも、綾小路警部も、長野県警の皆も、それに安室さんだって。みんな俺の話を聞いてくれた。高木刑事に至っては、俺の正体を教える約束までしちゃいましたし」

 コナンは話し終わると眉を下げて笑った。

 同時に思う。

 振り返れば、体が縮んだことでつながった縁もたくさんある。

 組織壊滅に向けて、大人たちが動こうとしている。自分が元の姿に戻る日も近い。また工藤新一として蘭の隣に立てる嬉しさもあるが、コナンとして付き合ってきた人たちと別れなくてはいけない寂しさも存在するのだ。

 

 

 *

 

 

「死ぬかもしれない。犯罪者となるかもしれない。それでも組織を壊滅させたいか? 少しでも尻込みする者がいるのなら今すぐ去ってくれ」

 問いかけた黒田に全員が目を向けた。彼らの瞳には強い意志が宿っている。

 誰も席を立とうとしないことを確認してから一つ頷くと、黒田は先ほどとは打って変わって丁寧な口調で説明を始めた。

 

「自己紹介が遅れました。裏理事官──ゼロを統括する立場──の黒田です。前もってある程度は話してありますが、上には一切報告せずに集まっていただいた理由を改めて説明させていただきます」

 とあるホテルの一室。用人御用達のこのホテルはセキュリティーが保証されている。上層部に悟られないよう、各国諜報部員たちが集まるにはもってこいなのだ。

 

 黒田の話に耳を傾けながら優作はさりげなく辺りを見渡した。知り合いのFBI、安室──降谷と風見、防衛省の人間が数名、女子アナ、灰原に似た少女、塾の経営者であるはずの浅野學峯。

 

「黒の組織に潜入している防衛省の諜報員がコピーしてきたものです。まずはご覧ください」

 黒田がUSBメモリを差し込み、操作するとパソコンの画面に一覧が出てきた。政治家や国家機関の上層部の人間の名がずらりと並んでいる。

「こ、これは……!」

「ええ。題名の通りです。組織に金銭的援助をしている者の名前が載っています。彼らは組織と繋がり、利益を得ていた。正義感が強い優秀な部下を組織に潜入させ、自分たちがやっていることに彼らが気がつきそうになるとNOCとして組織に始末させる。このようなことがずっと行われてきました。あなた方の中にもこのやり方のせいで大切な人を失った人がいる」

 メアリーの目つきが険しくなる。赤井は母親の様子から父親が死んだ理由を悟った。

「これを見ればわかる通り、世界各国の権力者が組織と繋がっています。この中の誰か一人が悪事に手を染めていたと世間に知られるだけで少なくとも一つの国は大混乱に陥る。ここに集められた捜査官は二種類に分けられます。国を愛している者と組織に恨みを持っている者。あなたたちならこの話を他言するはずがない。……烏間さん、お願いします」

 

 黒田に言われ、烏間が切り出す。

「防衛省の烏間です。俺からは組織が行なっている研究について説明します。十二年前の月が七割消滅した事件を覚えていますか?」

「ええ。しばらくして出された各国共同声明によると、怪物によって破壊されたらしいわね。しかもその怪物は地球を滅ぼす可能性があった。まあ、怪物は殺されたから大丈夫だったけど」

「あの事件には驚いたな。怪物は政府を脅して日本の学校に潜伏していたはずだ」

「確か、各国政府が怪物に従うふりをしながら秘密裏に暗殺の準備を進めていたんだったな」

 捜査官たちも殺せんせーを怪物だと信じて疑わない。烏間を始めとした防衛省の人間は何かが胸につっかえているような息苦しさを感じた。

 烏間は目を伏せたのち、まっすぐ前を見つめて話を続ける。

「各国共同声明では触れられていませんでしたが、あの超生物は人体実験の結果生まれました──」

 殺せんせーと呼ばれる超破壊生物がE組の担任となってから暗殺されるまでと、組織が触手の実験をしていると思われる理由を話したところでメアリーが口を挟んだ。

「月が七割消えてから暗殺計画が発動するまでが短すぎる。反物質の研究にどこかの政府が関わっていたと考えるべきだな」

「ええ」

 頷いた烏間に変わり、今度は降谷が民間人がいる理由を説明する。

 この場にいる二人の民間人が公安の協力者であり、二人にはE組出身の親しい者がいる。この件が公になればE組出身者たちにも火の粉がかかるのは目に見えている。だから絶対に裏切らない。

 

 その後、いくつか重要事項を伝え合ってから会議は終わった。

 

 *

 

 

 警察庁上層部の人間たちは黒の組織との繋がりを持っている。彼らは有能な部下が現れると勧誘するか組織に潜らせ頃合いを見てNOCであることを伝える。こうして、有能で正義感が強い部下に自分たちの悪事が暴かれるのを防いできた。

 彼らは自分たちの手足となり得る人物としてE組出身である木村に目をつけた。

 役立つかどうか探るために、事件が起こりすぎる理由を探らせるという名目で彼を米花町に送り込んだ。結果は合格。思っていた通り殺し屋とのコネもあるし身体能力も高く、無謀とも言える正義感を持たずに甘い汁を吸うことを一番に考える。

 前もって律から情報を得ていた木村は相手が望む振る舞いをすることで信頼を勝ち取り、内情を探っているのだが、上層部の人間たちは気がついていない。

 

「降谷零殺害計画、ですか?」

「そうだ。本来なら前線に出ない警備局警備企画課に属してもなお、潜入捜査を任されるほど有能な奴だ。もうすぐこの組織の存在を嗅ぎつけるかもしれん。黒の組織にNOCであると情報を流して始末する。君には彼の後釜についてもらう。現場にも我々の手が届くようになるからな」

 

 木村が警察庁にはびこる非合法な組織の一員の話に耳を傾けている頃、菜々は組織の女性陣と女子会していた。

 

 

 *

 

 

「ジンってさー、チェックメイトがかっこいいからって理由でチェスやってそうだよね。私の知り合いにもそういう人いるし」

「ジンはそんなお上品なことしないだろ。それはそうと、アンタの知り合いか。どんなやつなんだい?」

「……う◯こが大好きな人。あ、これもジンと同じだ」

「カルーア、いい加減組織=う◯こっていう認識やめなさい。そして食事中にそういう話をするのもやめなさい」

 カルーア、キャンティ、ベルモット。キールは会話を弾ませている女性幹部たちの顔をさりげなく見渡した。先日開かれた非公式の合同会議で、烏間が防衛省諜報部から組織に潜入しているNOCがいると言っていたからだ。降谷が「あっ(察し)」と言わんばかりの顔をしていたしこの中にいるかもしれない。

 肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。女子会の開催場所は焼肉屋の個室なのだ。

 ドリンクバーでちゃんぽんに失敗してできあがった劇薬をキャンティに押し付けようとしているカルーアはNOCではないだろうとキールは思う。そもそも、彼女は成人しているように見えない。

 かといってキャンティやベルモットがNOCだとも思えない。この中にNOCは自分だけだろうと思うが、もしかしたら仲間がいるかもしれないという期待も拭い去れない。

 考えても仕方がないので、キールは飲まずにこの場を乗り切る方法を模索し始めた。いくら酒に弱くないといっても、万が一のことを考えて潜入中に酒を飲むわけにはいかないのだ。

 

「ねえ、第四回目の女子会を開いた理由覚えてる?」

 トイレでウーロン茶一気飲みして無理やり吐くことで酒に弱いふりをした後、キールが全員に尋ねる。

「ジンとウォッカができてる疑惑があるからだっけ?」

「違う。組織幹部の中で誰が一番の優良物件か決めるためよ。ちょうど、ベルモットがカルバドスから焼肉屋無料券四人分もらってたし」

「あー、そうだった気もする」

「なんで覚えてないのよ」

「マイ、酔ってるから」

「オレンジジュースしか飲んでないじゃない」

「カシスオレンジだよ。カシスリキュール抜きだけど」

「それがオレンジジュースっつってんのよ。私だって暇じゃないんだから、さっさと本題に入ってくれないと」

「彼氏いないのに?」

「女子アナの仕事があるの。ジンの馬鹿も私のこと疑ってくるし。バーボンがジンへの報告なしに赤井の変装してそこら辺ほっつき歩いたから殺されかけたし」

「キールってバーボンのこと嫌いだよね。美味しそうな名前なのに」

「あなたはカレーから離れなさい。バーボンなんて一番結婚に向かないタイプでしょ。ウォッカが一番よ。最近、まともな奴が尊敬してやまない兄貴にどんどん殺されていくから十字ハゲできてたけど」

「あら、私バーボン派よ」

 ベルモットが軽く手を挙げた。

「アタイはコルン。カルーアは?」

「マイ、彼ピッピ一筋だから」

「なんでこいつがこの中で一番のリア充なのかしら」

「リア充? ベルモット、アイツの彼氏拷問官だよ。まあ、ジンなんかと関係を持つアンタから見ればリア充かもしれないけど」

「キャンティ、何ですって?」

「はい、ストップストップ。ウォッカ一票、バーボン一票、コルン一票ね。研究員の女の子たちから預かっている投票結果を踏まえると、ウォッカがぶっちぎりで一番だわ。次点でバーボン。きっと顔のおかげね」

「えー、カルバドスは? 組織の一員にしてはまともじゃない?」

「ベルモットの追っかけだから……」

「あー、ドルオタみたいな扱いなのか」

「票はゼロよ。ベルモットも票入れないし」

「あれはパシリだもの」

「ひでえ」

 こんな感じで時は過ぎていった。

 

 

 

 本堂はセーフハウスに着くとため息をつく。

 きっと、組織にバレているここには盗聴器やカメラが無数に仕掛けられているのだろう。下手なことはできない。

 刻一刻と近づく組織壊滅。怪しまれている自分よりも、降谷と防衛省から組織に潜り込んでいる人物の方が重要度は高い。

 NOC疑惑がある自分とバーボンが親しいと悟られないようにこれからも気をつけなくては。頬を叩くと、本堂はキールとしての仮面をかぶりなおした。

 

 

 

「カルバドス。酒を飲まなかった、もしくは少量しか飲んでなかった幹部は二人いたわ」

『そうか。彼女たちがNOCである可能性は高いな』

「キールはわかるわ。でも、もう一人はカルーアよ。焼肉屋にも鬼のコスプレして来た変人よ。彼女がNOCなんてあり得るかしら?」

『あり得るさ。私の例もあるのだし』

 そう言い残すと、この前自殺したカルバドスと成り代わって組織に属している男は通話を切った。

 

 

 *

 

 

「律。竹林だ。僕と奥田さんに黒の組織の一員と思われる男たちが接触してきた。組織の研究を手伝わないかという話だ。おそらく触手の研究をしているんだろう」

『それで間違いないと思います。柳沢さんにも声がかかっていたみたいですし。木村さんの協力者となってから潜入するのが最善かと』

「柳沢が⁉︎ 今度、全員が旧校舎に集まれる時に詳しい話をしよう」

 

 

「律は知ってると思うけど、俺の所属公安なんだ。それで、上層部の人間が寄ってたかって不正行為をしている。仲間になったふりして情報を探っていたら、俺の上司の殺害計画が練られていることが判明した。次の集まりの時に話し合いたい」

『降谷零さんの話ですね。了解しました!』

 

 

「律さん。組織壊滅作戦では多くの死者が出ることが予想されます。亡者回収の際、お迎え課だけでは人手が足りないので烏天狗警察の皆さんにも協力してもらう予定です。火車さんも現世に行きます。人員の配置場所について考えるのを手伝ってください」

『もちろんです。ノアズ・アークさんにも手伝ってもらいましょう!』

 

 

 自律思考固定砲台。超破壊生物暗殺のために作られた兵器である。

 非常に高度な学習・思考・自己改造機能を有するが最も得意とするのは電子戦。彼女は世界中の電子機器を自在に操ることができる。

 機械なのでいざとなったら都合の悪いデータごと破壊もできる。

 特定の誰かを監視するにはもってこいの人材なのだ。

 殺せんせーの暗殺が成功してもなお、政府は秘密裏に律を解体しないでいた。元E組の生徒たちが政府にとって都合の悪い動きをしないか監視させるためである。

 

「自律思考固定砲台。監視対象たちに不審な動きはないか? 特に防衛省の烏間、政界に進出した赤羽と寺坂には要注意だ」

『問題ありません』

 

 無表情を貫き、抑揚のない声で告げるのは律。

 彼女は当初プログラム化された単独行動ばかりとっていたが、殺せんせーの「手入れ」によって協調性を身につけた。しかし、E組関係者以外にそのことを知っている者はいない。律を上手く活用していると信じて疑わない重役たちは、相手に感情など存在しないと思い込んでいるのだ。

 

 組織壊滅に向けて地獄と現世の繋ぎ役を担っている彼女は決意する。情報を操作することでクラスメイトや恩師たちに危害が及ぶことを阻止してみせる、と。

 

 

 *

 

 

 妹と幼児化した母親が滞在しているホテルに招かれた赤井は、部屋に入ると沖矢昴の変装を解いた。

 感涙にむせぶ妹が落ち着いたところで、ソファーに腰掛けた赤井は尋ねる。

「それで、話ってなんだ?」

「秀一、お前には詳しく話しておいたほうがいいと思ってな。私がこの姿になった理由を。……十年前に会った時、私の胸が縮んでいることに気がついただろう?」

「前からあんなんだっただろう」

「バカ息子、ちょっと表へ出ろ」

「ちょっとママ、秀兄がこの顔で外に出たらまずいって!」

 

 世良の頑張りにより、ジークンドーの構えを取っていた両者は渋々といった様子で着席した。

「あれは十五年ほど前のことだ。私は仕事で、被験体としてとある研究所に潜入した。研究所は日本にあってな。他に人員もいなかったから日本に身を隠していた私に白羽の矢が立ったわけだ。そして、潜入先が黒の組織系列の研究所だった。そこで薬を飲まざるを得ない状況に陥った。探ってみれば薬を飲んでも死ぬまでに結構時間がかかるらしい。それだけの時間があれば仲間に情報を渡せた。だから怪しまれないように薬を飲んだ」

 表情が硬いものの世良の顔には驚きが見られない。前から知っていたのだろう。

 赤井は自分と同じ色の瞳を見つめ、無言で先を促した。

「しかし仲間に情報を渡しても、研究所から予定通り逃げ出しても、それから数日経っても、体に全く変化が見られなかった。検査をしても異常なし。いぶかしみながらも元の生活に戻り、数年経った頃異変に気がついた。胸が小さくなっていたんだ。それから少しずつ胸が、背丈が、縮んでいった。そして今年、務武さんに会いに行った帰りに土砂降りに遭い、大人の姿から急に少女の姿になった。濡れたことで風邪をひいたからだと私は考えている」

 幼児化した人間の一人である工藤新一。彼は風邪をひいた時に元の姿に戻ったことがあるらしい。幼児化と風邪の症状には何かしらの関係があるという線が強い。

 メアリーの考えでは、自分が飲んだのはAPTX4869の元となった薬か原液か、そんなところだ。わずかな違いはあるが、共通点が存在していると考えた方がいい。

「待て。親父に会った? 親父は生きているのか⁉︎ 黒の組織に潜入していたがNOCだとバレて殺されたんじゃないのか⁉︎」

 思わず身を乗り出し声を荒げる息子に対して、メアリーは淡々と答えた。

「ああ、生きているとも。確かにNOCバレしたが組織に協力者がいたらしい」

 

 

 *

 

 

 十七年前。

 赤井務武は走っていた。巨大なバケツをひっくり返したように降る雨が激しくアスファルトを叩く。水たまりの上を走るたびに足が重くなる。

 手頃な廃ビルを見つけて入り込んだ。がむしゃらに動かしていた足のスピードを弱め、作業場の角に向かう。酸素を求めて口が開き、肺が大げさに上下する。

「ここまでか……」

 壁にもたれる形で床に座り込み、膝をつくと左腕をのせる。ずり落ちた帽子を直そうともせず、かすれる声で務武は呟いた。口からヒューヒューと息が漏れる。務武の荒い息だけが静寂に溶けた。

 窓から差し込む一筋の月光を務武は何気なしに見つめる。ひどく冷たい光だ。

 

 カツッ。

 ハイヒールの音が高らかに響く。

 月明かりに照らされるのはなびくブロンド。

「ベルモットか」

「ええ。まさかあなたがNOCだったなんてね」

 ベルモットが目の前に来るまで、務武は微動だにしなかった。動く気力がなかったのだ。

「一つ教えてあげるわ」

 務武の額に銃口を突きつけながら、ベルモットが口を開く。

「NOCだとバレた理由。あなたの古巣が教えてくれたのよ」

 務武は目を見開いた。彼女の話が本当なら務武の古巣──SISやMI6の名前で知られる秘密情報部にスパイがいるということになる。妻は、子供たちは無事だろうか。

 務武が懸念をあらわにするが、ベルモットは彼の表情には目もくれず左手を眺めた。

「親指の爪、剥がされたのね」

「ああ。それがどうした」

「でも何も話さなかった。そればかりか隙をついて逃げ出した。違う?」

 話の先が読めない。いぶかしみながらも務武は続きを待つ。

「話す奴は爪一枚で全部話す。話さない奴は爪一枚でも、十枚でも話さない。私の持論よ。……組織の目的、ボス、協力者。知っていることは全部話すわ。私と手を組まない? ──ジン」

 組織にいた頃のコードネームを呼ばれる。

「なぜ、お前が組織を壊滅に導くようなことを?」

「私は組織にいる以外に生きていく方法がない。でも、私のような人をこれ以上作りたくないの。……今すぐ選びなさい。このまま脳天をぶち抜かれるか、私に協力するか」

「選ばせる気なんてないだろう」

 務武は大きな謎に出会った探偵のような顔で笑った。

 

 

 

 

「カルバドスが死んだわ」

「ホー。お前に惚れていた男か」

「ええ。彼が死んだことを知っているのは一般人とFBIを除けば私だけ」

「何が言いたい?」

「私は変装の達人で、一目見れば変装かどうか見破ることができる。私と一緒にいることが多いカルバドスが偽物だなんて誰も思わないでしょうね」

「俺にカルバドスとして組織に戻れと?」

「その通り。そっちの方が色々と好都合でしょう?」

 

 

 名乗っていたコードネームを銀髪の男が引き継いで何年も経った頃、務武はカルバドスとして生活し始めた。

 苦労人のウォッカには仲間認定され、最近ネームドとなったカルーアにはサングラスが本体だと思われているらしいが、それなりにうまくいっていると思う。



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第37話

紛らわしいので簡単な補足。
暗殺教室の体育教師…烏間
黒の組織のボス…烏丸

※「友達が腐女子で〜」程度のBL表現があります。ご注意ください。そういったものが苦手な方は荒木鉄平が出てきたらあとがきに飛んでください。


「ヒロの遺品のスマホ、お返しします。やっと届けられたのにすぐ貸していただくことになってすみません」

「いえ。お役に立てたなら何より。ぜひ弟の仇を討ってください。微力ながら私も力添えをさせていただきます」

 

 諸伏高明。三十五歳。長野県警の警部である。

 東都大学法学部を首席で卒業したにもかかわらずキャリア試験を受けずにノンキャリアで長野県警に入った変わり者。酔っ払いの演技が上手い。

 幼馴染である大和敢助が行方不明になった際、彼を見つけるために管轄外にもかかわらず上司の命令を無視して強引に事件を解決したため所轄署に異動させられた過去を持つ。その後県警に復帰していることは彼の能力の高さを物語っている。

 三国志において賢人たちが残した言葉や故事成語を多用するため、そちら方面に明るくないと会話が成り立たないという欠点がある。

 

 脇田は調べ上げた諸伏高明のプロフィールを思い出しながら双眼鏡を覗き込んでいた。

 高級ホテル最上階に位置する一面ガラス張りの部屋で、警察庁の()()たちから処刑命令が出されたバーボンと公安のNOCだったスコッチそっくりな男──彼の兄が何やら話しているのが見える。

 脇田がいるのは諸伏たちがいるホテルの向かいに位置する廃ビルの屋上。出入り口は小さな扉一つだけで、周りには飛び降り防止のためか高いフェンスが張り巡らされている。

 

 脇田とは黒の組織ナンバー2であるラムの仮の姿だ。

 彼は自分がスコッチの兄の動向を探らなくてはいけない原因を思い、苛立ち、双眼鏡を指でコツコツと叩く。

 全てはジンのせいだ。

 

 黒の組織は各国警察機関とも繋がっている。

 各国の重役には組織が長らく行なっている研究に投資してもらい、時たま研究の過程でできた副産物を渡している。

 研究を進めるのはもちろんだが、その見返りとして組織は人手をもらっている。そう、NOCである。

 NOCは黒の組織を倒すべき悪と信じて疑わない。善良で、正義感が強く、優秀な人材を警察はNOCとして送り込んでくるのだ。組織はNOCを死ぬまで使い潰す。

 ただし、例外はある。

 NOCに知られるとまずい情報を掴まれた時、警察の協力者たちのことがバレそうになった時。これらの場合のみ、組織は泣く泣くNOCを殺すのだ。

 黄金神教と黒の組織の関係を掴んで殺されたスコッチは前者、殺害命令が下った降谷は後者だ。

 

 このことはボスである烏丸とラムしか知らない。

 だからこそ、何も知らないジンがまだ使えるNOCをバカスカ殺しまくり、組織が人手不足となっているのだ。

 この前、他の幹部たちに組織の現状を悟られないためのカモフラージュと赤井秀一を誘き出す罠を兼ねてキュラソーにNOCリストを盗ませた。あの時もジンは指示を仰ぐ前にNOCを殺しまくった。

 情報を得なくてはいけないから、あのジンでも殺さず連れて帰ってくるだろうとタカをくくっていたらこれである。

 

「おのれジンめ。私の仕事を増やして……! せっかく事故に見せかけていろは寿司の店員に大怪我をさせたり、毛利小五郎の財布に当たりの万馬券を仕込んだりして毛利小五郎に近づいたのに。いろは寿司を一度辞めて長野県警付近の寿司屋に再就職。諸伏高明の調査が終わったら理由をつけていろは寿司に戻る。面倒くさいですねえ。本当に彼は何を考えてるのか」

 

 ラムは脇田の顔のままぶつくさ言いながら、双眼鏡を懐にしまう。諸伏高明と公安が繋がっていることは確認した。次はどこまで情報共有がされているのか探らなくてはならない。

 

 

「おい、お前! 高明(コウメイ)のストーカーだろ!」

 怒気を孕んだ声が鼓膜を突き破る。すぐさま振り返ると隻眼の大男がいた。左足が悪いらしく杖をついている。

「敢ちゃん、間違いないわ! この人、やけに諸伏警部を見つめたり、必要以上に話しかけたりしてたもの! 諸伏警部と一緒にいる時、偶然にしては多すぎるほど出くわしたし!」

 髪を後ろで結い、前髪を左右に分けて垂らしている女性が手錠を握りしめてまくし立てた。上原由衣。長野県警の刑事である。

「なんのことで」

「うるせえ、ネタは上がってんだ!」

 脇田はとぼけようとしたが、大和の怒鳴り声に遮られる。

「お前が覗き込んでたあのホテルの最上階に高明(コウメイ)が居ることはわかってる! おおかた、恋人と待ち合わせしてるかもしれないと不安になって覗くことにしたんだろ。お前が高明(コウメイ)の部屋に仕掛けた盗聴器も回収済みだ」

「いやちが」

「確保ォ!」

 大和が叫ぶと同時に、屋上に通じる唯一の扉が勢いよく開き、刑事たちがなだれ込んでくる。

 長野県警は優秀である。脇田は抵抗する間も無く身柄を確保された。

 

 

 

「なんでただのストーカーを公安が引き取りに来たんだ?」

「さあ。ストーカー活動のためにかなりやばいことにも手を出していたんじゃないか?」

 風見と名乗る男が長野県警を去った頃、コーヒー片手に刑事たちは雑談していた。

 大和は部屋の隅から、刑事に取り囲まれている諸伏をぼんやりと見つめる。

「敢ちゃん、コーヒー」

「おお、サンキュー」

 上原は大和の隣に立ち、自分用のコップに目を落として呟いた。

「これで良かったのかな?」

「ああ。俺たちは何も知らない。脇田とかいう寿司屋はただのストーカーだ」

 

 諸伏の部屋に仕掛けられていた盗聴器は一般人が用意できるようなものではなかったこと。

 諸伏の弟が公安に所属していて、潜入捜査中に命を落としたであろうこと。

 何かあるのだろうと前から思っていた黒田から諸伏にかかってきた電話。

 

 諸伏が公安が追うような相手に探られているのだろうと容易に想像がついた。

 

 その上で、何も知らないという程を貫き通すことにしたのだ。

 

 

 *

 

 

 捜査一課にはほとんど人が居なかった。というよりも佐藤美和子絶対防衛(ライン)に所属している刑事たちが揃って姿を消していた。近々何かあるのだろうと簡単に予想できる。高木は大きなため息をついた。

 報告書をまとめるために開いていた手帳を何気なしにパラパラとめくっていれば裏表紙が現れた。指輪の痕にそっと触れる。

「彼女に、ナタリーさんに渡したかったな」

「高木君、大丈夫?」

 隣の席に腰掛けた佐藤が心配気に覗き込んできた。

「はい、大丈夫……あれ?」

「どうしたの?」

「いや、なんか手帳のカバーに段差があって……」

 カバーを外してみると一枚のメモ用紙が挟んであることがわかった。

「RUMって書いてあります。なんでしょう?」

 

 

 *

 

 

 日本にいる幹部数名がバーに集まっていた。政治家暗殺の打ち合わせをするらしい。

 幹部たちはカウンターに腰掛けて、自分のコードネームの酒を片手に話し合っている。バーテンダーは無言でグラスを拭いていた。

 

「その方法だと羊を狩ることになるだろ」

「あら、一般人のことを気にするなんて珍しいわね」

「シュレーディンガーの猫」

「奴が鉄の蛇に乗っているところを狙撃する。キャンティ、できるな?」

「フン、偉そうに」

「ヴォイニッチ手稿。……あ、カフェオレのコーヒー抜きください」

「牛乳ですね」

 厨二病が好みそうな言葉を時折呟くことで合いの手を入れていた菜々が注文すると、初めてバーテンダーが口を開いた。

 

「カルーア、うるさい」

 左隣に座っているウォッカに注意される。

「だってマイ、暇なんだもん。あ、コードネームもらったんだし、一人称マイじゃなくてカルーアにしたほうがいいかな?」

「知るか」

 本当に暇だ。とりあえずニヒルな笑みを浮かべて「ディスペンパック」と呟いておいた。ウォッカは頭の上に疑問符を浮かべた。

 

 右隣から「おのれ赤井!」という唸り声が聞こえてきたので、牛乳を飲みながら菜々はウォッカに尋ねてみる。赤井秀一について知らないふりをしたほうがいいだろうと判断したのだ。

「そういえば赤井って誰―?」

「コードネームはライ。昔、組織に潜入していたFBIのNOCだ」

「組織って半分くらいNOCで成り立ってるんじゃないの? マイ、まだ若いのに産業スパイがうじゃうじゃいるところに就職しちゃって良かったのかな? 普通の会社なら退職届出せば辞めれるけど、ここは退職しようと思ったら死が待ってるし。……まあいいや。赤井秀一の詳しい特徴は?」

「気になるのか?」

「シェリーを探し求めているジン並みにバーボンが赤井赤井うるさいから」

「すみません、彼女にエル・ディアブロを」

「かしこまりました」

 口角を上げながら酒を頼むバーボンの目は笑っていない。彼が頼んだ酒のカクテル言葉は「気をつけて」だが、菜々は気にせずにウォッカの言葉を待つ。

「あいつが組織に入ったのは組織の末端の女性と恋人関係になったからだ。今から思えばハニートラップだったんだろう」

「どうやって出会ったの?」

「宮野明美──奴の恋人だった女──が運転していた車の前に飛び出したらしい。で、病院で目を覚ますと宮野明美を口説いた」

「まじか、それで成功するのか。そんな経緯で組織に入ったのに誰も疑わなかったの?」

「あいつにはストーカー疑惑があった。宮野明美に近づくために車の前に飛び出したんだろうともっぱらの噂だったんだ。ストーカーっぽい顔していたしな」

「それに奴はハゲです。間違いない。ニット帽を取ったところを見たことがありませんから」

 バーボンが会話に加わってきた。

 赤井はウォッカが尊敬しているジンの天敵だ。バーボンと赤井の悪口で盛り上がるのに時間はかからなかった。

 面倒なことになったので、菜々は意味深な表情でバッククロージャーと言っておいた。

 

 

 それから二日後。バーボンが公安からのNOCであると知れ渡った。

 

 

 *

 

 

 革靴の底が床を叩く。

 壁には銀色の金属素材が貼られていてまるで宇宙船の中のようだ。地下にある廊下のため窓はない。等間隔に天井から吊るされている剥き出しの電球が仄暗い光を放っている。近未来的な作りの施設と古臭い電球がひどくミスマッチだ。

 

「着いたぞ」

 無精髭を生やした男が分厚い扉を開けながら放った言葉が沈黙を破った。

 降谷は扉の奥に入る。何もない部屋だ。

「それで? 僕を──バーボンをこんな場所に呼び出してどうしようっていうんですか? なんでもボス直々の命令だとか」

「いやなに。ちょっと研究を手伝ってほしくてな」

 男はポケットに手を突っ込む。カチリとかすかな音がした。

 ポケットに入れてあったスイッチを押したのだと降谷が理解すると同時に、彼の腕が、足が、胴体が締め付けられる。天井から伸びる無数のそれは「触手」としか表現できない。

「カ、ハッ」

 透明な液体が降谷の口から飛び出す。男は仄暗い笑みを浮かべて語り始めた。

「バーボン。いや、降谷零。残念ながらお前が警察庁からのNOCであることはわかっている。強靭な肉体に明晰な頭脳。加えて潜入捜査官となった時に痕跡は消されているし、親しい人物は全員他界している。新たな触手生物を生み出すための実験体として申し分ない。恨むならお前を裏切った古巣を恨むんだな」

「……」

 

「主任。準備が整いました」

 部屋に白衣の男が入ってきた。拘束台を引きずっている。

「ああ。竹林か。……他の奴はどうした?」

 男は訝しげに眉をひそめた。

 同時に、竹林と呼ばれた男性は細身の体からは想像できないほど俊敏に動き、無精髭の男の首筋にスタンガンを押し当てる。男の体は空気が抜けたゴム人形のように崩れ落ちた。

「降谷さん。見張りは奥田さんが催眠ガスで眠らせたそうです。今から拘束を解きます」

「ああ」

 

 奥田と竹林は触手の研究をしているらしい黒の組織から勧誘を受けた。警察上層部が降谷を排除するために組織の研究所に被験体として提供することを決定したという情報を木村が得たため、二人は木村の協力者として研究所に潜り込んだのだ。

 

 降谷はインカムを右耳に取り付け、流れる音声に耳を傾けると、現状を竹林に伝える。

「部下が奥田さんと一緒に研究所の人間を全員確保し終わったようだ」

「わかりました。スイッチを押したので仕掛けた爆弾が十分後に爆発します。建物もろとも触手のデータを破壊できるでしょう」

 二人は頷きあい、出口に向かった。

 

 

 こうして、組織の研究所が一つ壊滅した。

 

 

 *

 

 

「先程の合同会議で決められた内容をもう一度確認するぞ。僕が捕まっていた研究所が壊滅したことを知った烏丸蓮耶は警察組織を切り捨てたはずだ。僕が助かったということは彼らの中にスパイがいることを意味しているからだ。もちろん相手に切り捨てたことは伝えていない。木村が全く怪しまれずに潜入を続行しているし、間違いないだろう。人員をNOCで賄っている組織も切り捨てる。彼の目的を達成するのに組織は必要ない。いや、必要なくなったと言った方が正しい」

 全員を代表して降谷が話す。

 合同会議が行われているホテルの一室。他の国の捜査官たちが解散した後も公安警察たちは残り、作戦を煮詰めていた。敵がいる警察庁では話し合いができないのだ。

 

「そして浅野さんは幹部たちに切り捨てられたことは伝わらないだろうと考えている。僕も同意見だ。ダイキリがいるからな。彼はボスに忠誠を誓っている。ジンよりも忠誠心が強いのは確かだ。おそらくダイキリは幹部を一箇所に集める。当然僕ら警察組織は逮捕に乗り出す。その際、タイミングを見計らって建物に火を放ち、適当な焼死体をボスの慣れ果てだと偽る。そうすれば烏丸蓮耶は別人として生きていける」

 ダイキリ。警視庁捜査一課に長年潜入している幹部である。

 

「木村。ダイキリが捜査一課に潜入した理由は?」

「はい。警視庁の人間を組織に勧誘したり、捜査一課の動きを把握したりするためですが、一番の目的は組織について探っている加藤文弘という刑事の動向を監視することでした。彼の父親は烏丸が人体実験を行うとき隠れ蓑にするために創った新興宗教、黄金神教を探っていた公安刑事でした。母親は彼の協力者です。そして、組織にとって都合が悪い情報を掴んだ二人は殺された。しかも警察組織は二人の殺害を事故として扱うことを決定。二人の能力を危険視した、組織とつながる上層部に消されたからでしょう。加藤文弘は両親の様子から父親がそういった部署に所属していること、黄金神教を探っているであろうことを予想していたみたいです。彼は状況を正確に判断し、両親を切り捨てた警察組織と黄金神教関係者に復讐を誓いましたが、親戚があてにならなかったため幼い弟を育てる必要がありました。そこで高校を卒業してすぐ警察学校に入り、警視庁捜査一課の刑事を目指しました」

 警視庁捜査一課に配属されれば米花町で起こった殺人事件を担当することになる。

 裏社会の人間が最も立ち寄る町としても名高い米花町の殺人事件を扱っていれば、両親を殺した犯人にたどり着くことができると考えたのだろう。

 

「そして、加藤文弘の弟の娘──つまり姪は加々知菜々。カルーア・ミルクとして組織に潜入している防衛省諜報部の一員です。俺の中学のときのクラスメイトでもあります。ダイキリは加藤──加々知のことですが──彼女のファンを名乗り、刑事連中に彼女がいつ結婚できるか賭けさせ、彼氏ができたという情報が入ったら彼らを使って探っていました。今から思えば要注意人物の姪が何か不審な行動をとっていないか、組織に対する手がかりをみつけていないかを探るための行動だったのでしょう」

「加藤文弘は他界しているんだったな?」

「はい。数年前に。ですが、他界する前に後輩刑事に両親の死について調べた内容を託しているようです」

「託した相手の名前は?」

「えーと……」

 木村は手帳をめくり、該当するメモを探す。

「ありました。伊達航という刑事です。彼もすでに他界しています」

 

 

 

 国際サミット予定地の爆破テロにより、降谷の部下であり風見の同僚である人間が何人か殉職した。彼らの欠員が補充しきれていないため公安は人手不足である。

 組織壊滅作戦にあたって、一般人の避難誘導や構成員確保のために警視庁のSATや交通課にも協力を仰ぐべきではないかと話し合っていたところで、風見は叫んだ。

「降谷さん!」

 烏丸蓮耶の命令でダイキリが取る行動に思い至ったのだ。

「ラムは無事でしょうか? 烏丸が別人として生きていくためには彼の秘密を知っている人物を口封じのために殺す必要があります。ダイキリは裏切らないでしょうが、ラムとベルモットは……」

「ラムは厳重な警備の元拘束している。見張りに気がつかれずにラムが逃げ出すことも、何者かがラムを殺すこともできないはずだ」

 

 

 しかし、降谷の予想に反してラムが殺された。防衛省の人間によると触手生物の犯行で間違いないらしい。

 この結果は、ダイキリが触手を移植したことを示していた。

 

 

 *

 

 

「高木巡査部長。佐藤警部補。そのUSBメモリを渡してもらおう。わかっているとは思うが、内容は他言しないように」

 風見が威圧感を放って告げる。

 埃が舞う警視庁の空き部屋には風見、佐藤、高木の三人しかいない。

 佐藤は唇を噛み締めた。従いたくないが、保存されていたデータの内容が内容なので風見が出てくるのも頷ける。あの件は公安が担当するべきなのだろう。頭ではわかっているが心が認めたくないと叫ぶ。

 佐藤が理性を総動員させて風見に刃向かわないようにしている横で、高木が声を張り上げた。

「嫌です!」

「ちょっと、高木君⁉︎」

「その案件が、僕たちが関われる範疇を超えていることは分かっています。でも、伊達さんに託されたんです!」

 伊達航。彼の名前が出たときの上司の顔を風見は思い出す。

 降谷零にあのような顔をさせる人間が捜査を託したという高木の話を聞いてみてもいいかもしれない。

「何があったのか、話してみろ」

「は、はい!」

 

 高木は話した。

 伊達が事故に遭い、息をひきとる直前に手帳を託されたこと。

 最近、託された手帳に「RUM」と書かれた紙が挟まっていたことに気がついたこと。

 

「ラム⁉︎」

「あ、違うんです。実はU(ユー)じゃなくて、数学記号の(または)だったんです。それにRとMの上にそれぞれ短い線が一本ずつ、R∪Mの上に長い線が一本引いてありました。これは『RでありMである』って意味になります」

 慌てて訂正する高木に佐藤が続く。

「そしてRは赤、Mは警視庁を英語にした時の頭文字です。この二つの条件に当てはまるのは赤バッチしかありません。伊達さんは亡くなる前に張り込みをしていたため刑事だとバレないように赤バッチを外してロッカーにしまっていました。そして、事件が起きすぎて伊達さんのロッカーを整理する時間がある人がいなかったせいでロッカーがほったらかしになっていたので、赤バッチは残っていました。こうして赤バッチの裏に刻まれたUSBメモリの保管場所を確認したんです」

「なるほど。USBメモリを手に入れた経緯はわかった。……あれを見ても関わりたいと言えるのか? 多分、君たちが想像しているよりもことは大きい」

 高木と佐藤はUSBメモリに保存されていたデータの内容を思い出す。黄金神教の創立者である烏丸蓮耶が作った国際的な組織についてのものだった。ありとあらゆる犯罪を網羅しているらしい。

「今現在、公安は人手不足だから君たちの手を借りられるのなら借りたい。だが、かなり危険だし情報はほとんど渡せない。それでもいいのか?」

「「もちろんです!」」

 

 

 *

 

 

 木村は警察庁の人間。風見は警視庁の人間。木村の方が立場は上だが、二人とも降谷の手足となって働いているので感覚としては同僚のようなものだ。

 木村は年上である風見に敬語を使っているし、風見は後輩である木村にタメ口で話す。

 異常なほど事件が起こる米花町を調べるために(上層部の本当の狙いはそこではないだろうが表向きはそういうことになっている)地域企画課の人間として振舞っている木村は警視庁で風見を見かけて声をかけた。

 警視庁に勤めている男性の九割が所属しているという佐藤美和子絶対防衛(ライン)の野外活動が行われているらしく、警視庁にはほとんど人がいない。

 取り付けられている監視カメラの映像は律が取り替えてくれるので、木村は()()の話をしても大丈夫そうだと判断する。

「そうだ、風見さん。長野県警と大阪県警の協力を得られることが決定しました」

「そうか。日本にある組織の支部を潰す目処がたったな。外国のほうは他の諜報機関が頑張っているようだし」

 風見は缶コーヒーのブルタブを上げながら言った。木村は壁にもたれかかる。

「ええ。アメリカは信用できるCIAやFBIの人間が、イギリスはメアリーさんの仲間が上層部を()()するそうです。帝丹小学校の教師としてコナン君を探っていた捜査官とも協力関係を結びましたし、組織と繋がっている各国の重役をどうにかする準備は整いました」

「あれだけの人物たちの力を削いでも混乱が起こらないようにする作戦。よく思いついたよな」

「俺が中学の時の担任が考えた、『各国の重役が悪事を働いていたときの対処法』を元に、工藤優作さんと理事長が考えた作戦ですよね。あの三人の頭の中がどうなっているのか未だに謎です。それにしてもあの冊子の内容が役に立つ日が来るとは……」

「殺せんせー、か」

「ええ。良い教師でした。俺たちは全員、あの先生に救われた」

 沈黙が訪れる。防衛省の人間の態度といい、木村や浅野學峯の態度といい、地球を破滅の危機に追いやったと言われている超生物の真の姿が垣間見えるとき、風見は胸にモヤが広がるのを感じる。

 何も知らない人間から好き勝手言われるのは嫌なものだ。風見は公安となってから、見当違いなことを言われても本当のことを告げられない歯がゆさを嫌という程味わっている。彼らは中学生の頃そのような目に遭ったのだ。

 気まずさを打ち破るため、風見は話題を変えた。

「ああ、そういえば。高木刑事と佐藤刑事の協力を得られることになった。一般人の避難誘導を手伝ってもらう」

「そうですか。SATの協力も必要ですよね。上層部に気が付かれないように力を貸してもらい、無断であれだけのことをしてもSATの人たちが罪を問われない方法か。……俺、もうそろそろ仕事に戻ります」

「そうだな。俺も仕事に戻る」

 風見は木村に別れを告げた。窓からはいびつな形をした月が見えた。

 

 

 *

 

 

「それにしても、カルーアがNOCだったなんてね。焼肉行った時も全くそんな素振り見せなかったのに」

「組織焼肉行くんですか。楽しそうですね」

 キャメルが意外そうに言った。

「いや、俺がいた時はそんなに和気藹々としていなかったぞ」

 赤井が横から口を出す。

 本堂はあっけらかんと答えた。

「焼肉行ったのは女性陣だけよ。ちょうどベルモットがカルバドスから焼肉無料券もらったし」

 カルバドスは死んだはずだ。少し考え込み、もしかして父親がカルバドスとして生活しているのではないかと赤井は思い至った。

 

「それでは最終打ち合わせを行います」

 黒田が英語で告げた。駄弁っていた三人は席に着き、背筋を正す。

「すでに複数の支部は潰しました。残るは幹部たちの一斉逮捕、鷹岡がいると思われる研究所の壊滅、ボスの確保だけ。本堂捜査官、加々知捜査官によれば次々と支部が潰されていることは一切幹部たちに知られていないようです。やはりボスが組織を切り捨て、ダイキリがボスを死んだことにするための準備を始めているのだと思われます。組織と繋がっていた各国の人間は、ほとんどは放っておいて大丈夫です。今は大黒連太郎として生活している烏丸蓮耶を抑えれば何もできなくなるでしょう。能力が高く、第二の烏丸になりそうな人物は工藤さんと浅野さんの作戦通りに対処します。次はMI6に所属している赤井務武捜査官の手引きで日本警察と司法取引を交わすことが決定したベルモットについて。烏間さん、ダイキリに狙われているベルモットを保護する作戦を聞いても?」

「ええ。この作戦はカルーア・ミルクとして潜入中の加々知が考えたものなのですが──」

 ジョディは唇を噛みしめる。両親の仇である彼女に復讐することを原動力に生きてきた。ベルモットがFBIの手から逃れることを許せるはずがない。

 しかし、ハリウッドの大スターが犯罪組織の幹部であると世間に知られるわけにはいかないことも、私怨で動くべきではないことも理解している。

 降谷零も本堂瑛海も、E組関係者も、ここにいる全員が何かしらのわだかまりを抱えているのだ。

 それに、ジョディ・スターリングはFBI捜査官だ。アメリカ国民と国家の安全のために働いている。

 いくら憎くても、ベルモットが公安と司法取引を交わしたのならそれまでだ。

 

 しかし、ジョディは烏間からベルモットを保護するための作戦を聞いた後、彼女に同情することとなる。

 

 

 *

 

 

 記者である荒木鉄平は物思いにふけっていた。

 ミステリートレインで思わぬ再会をした中学の時の同級生、加藤菜々。彼女は工藤有希子の浮気現場を抑えようとしていた荒木にクリス・ヴィンヤードの熱愛情報を渡してきたばかりか、記事を発表するタイミングを指示してきた。

 騒ぎが大きくなるからだと説明されたが、荒木は納得していない。どうせなにか企んでいるのだろうと考えている。

 それでも、奴の思惑にのってやるのも一興だと思う。

「記事にするのは喫茶店店員の話だけ。銀髪の男──ジンのことは僕の胸にしまっておこう」

 荒木は呟くと、取材を続けるうちに明らかになった事実に想いを馳せた。

 

 

 

 

 ジンとウオツカは男同士で交際している。大変仲睦まじいようだ。ペアルックで遊園地に行ったという情報を得ているし間違いない。

 しかし男同士。

 苦難は多かったのだろう。

 ある日、ウオツカは恋人が白い目で見られることに耐えかねて別れを告げた。

 ジンはウオツカがどう思っているのかを知らず、自分が捨てられたのだと思い込む。

 それから程なくして大女優であるクリス・ヴィンヤードと交際を始めるが心の隙間は埋まらない。

 

 恋愛映画のCMのような映像が荒木の頭の中を流れる。

「わかっていたわ。あなたの心には誰かがいて、私が入り込むことはできないって」

 今にも泣き出しそうな顔で微笑むクリス。

「クリス、僕じゃダメですか?」

 クリスのことを一途に愛する探偵。

「愛しい愛しいコイビトさ」

 ジンの恋人を名乗る男性。

 

 

 首都高速から墜落した車が爆発した事件が起こったとき、荒木は不健康そうなニット帽の男に会った。

 喫茶店店員でありクリスの恋人である安室透と過去にバンドを組んでいた男の特徴と一致していたため、荒木は彼に声をかけた。

 酒がどうとかぶつくさ言った後(きっとアル中なのだろう。そんなような顔をしていた)、彼は尋ねてきた。

「俺に何を聞きたい?」

「……もしかして、ジンという男を知っていたりするか?」

「ホー。……彼は愛しい愛しいコイビトさ」

 意味深に笑いながら告げるニット帽。

 ジンが思っているのはウオツカただ一人のはずである。荒木は悟った。こいつジンのストーカーだ。

 

 

 *

 

 

 菜々は首を傾げていた。

 荒木に連絡を取ったら真実の愛がどうのこうのと言っていたのだ。

 とんでもない勘違いが起こっているような気がするが、目論見通りにことは運んでいるので気にしないことにする。

 彼女が開いている現世の新聞には「クリス・ヴィンヤード、喫茶店店員と熱愛疑惑!」という文字が踊っていた。




BL表現が苦手なため、荒木のターンを飛ばした人への説明。
荒木によってクリス・ヴィンヤードと安室透の熱愛疑惑が発表される。






小ネタ紹介


・黒の組織に潜入していたときの赤井務武のコードネームがジンだった

メアリーが「暗がりに鬼を繋ぐが如く」と発言している。一方、銀髪の方のジンも同じ言葉を使っている。
さざ波回からメアリーが務武の口調を真似ていることを踏まえ、この話では務武と面識があったジンに彼の口癖が移っている=務武は昔組織に潜入していて今のジンとも面識があり過去にジンと名乗っていた、という設定になっています。



・大黒連太郎

この話では官房長官となっている。
名探偵コナン28巻に収録されている「そして人魚はいなくなった」に出てくる名簿に名前だけ登場している。



・鷹岡が触手を移植した訳

警視庁と防衛省の合同訓練で出会ったダイキリ(山田と名乗って警視庁に潜入している組織の一員。オリキャラ)を通じて触手を移植するに至った。
合同訓練については23話で烏間がさらっと触れている。
今後出てこない設定。



・啄木鳥会

黒田が長野県警に出向した理由の一つ。この話では黒の組織と繋がっていた設定になっている。
名探偵コナン86、87巻に収録されている「県警の黒い闇」に登場。長野県警の刑事が所属し、事件で押収した拳銃を売り捌いていた。全く出てこない設定だが、楠田が自殺するのに使用した拳銃は啄木鳥会が売り捌いたものの一つ。


・チェックメイトがかっこいいからという理由でチェスをしているうんこが大好きな菜々の知り合い

ベルゼブブ。


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第38話

 少年探偵団たちとサッカーをしていたコナンは、いつものように殺人事件に遭遇した。

 最も怪しいのは被害者の恋人。一ヶ月前に被害者と二人で沖縄旅行に行ったらしく、そこでなにかがあったようだ。

 コナンは現地に行って捜査をしたかった。しかし、彼らが旅行に行った普久間島という小さな島に行くには、三日に一度しか出ない船に乗る必要があるらしい。

 今日の便には間に合わないので、船に乗るにはあと三日待たなくてはいけない。

 コナンは奥の手を使うことにした。

 

「もしもし、黒羽? ちょっとハンググライダーで普久間島まで連れて行ってくれねえ? ハンググライダーにエンジンつけたって博士が言ってたぜ」

 

 

 *

 

 普久間島に集まれとの命令を受けたため、熱愛報道のせいでマスコミから逃げ回っているベルモット以外の全幹部が普久間殿上ホテルに足を踏み入れた。烏丸グループによって作られたホテルなので会合のために貸切にしたらしい。従業員も警備員も追い出しており、このホテルには組織の人間しかいない。

 ここは鷹岡から解毒剤を奪うために忍び込んだホテルだ。縁のようなものを感じる。

 そんなことを考えつつ、六階のテラス・ラウンジに置かれている椅子に腰かけながら、菜々は辺りを見渡した。この島に集まった幹部は全員テラス・ラウンジにいる。何やら重要な話があるらしい。

 これだけ幹部が集まれば「逮捕してください」と言っているようなものだ。ラムが逮捕されてから組織を牛耳っているダイキリはそのつもりなのだろう。

 

「なあ、カルーア」

 ウォッカは言いながら菜々の隣の椅子に腰かけた。

「それなんだ?」

「金魚草のお面」

「キンギョソウってそんなんじゃないだろ。そしてなんでそんなもん顔につけてる」

「彼ピッピの部屋からパクってきた。好きな人の物を身に付けたい時ってない?」

「そうだとしてもなんでそのチョイスなんだ」

 

 ジンがやってきた。

 彼は「こんなところに幹部を集めてどうするつもりなんですか。とても危険だと思います」という内容を難解な言い回しで言った。

「これだけ幹部が集まれば警察組織が一斉逮捕に乗り出してもおかしくない。NOCが一人でも紛れ込んでいたら終わりだぞ」

 カルバドスに変装中の務武がジンに同意する。

「それが狙いだ」

 ダイキリの声がマイクを介して響き渡った。どよめきが生じる。

「悪いが君たちには逮捕されてもらう。爆発に巻き込まれて死ぬかもしれないけどね」

 ダイキリが唇を釣り上げてスイッチを押す。何も起こらなかった。

「CIAの本堂よ! 悪いけど、爆弾は全て解除させてもらったわ」

 拳銃を取り出したキールの声を合図に、SATが、捜査官がなだれ込んできた。

 

「馬鹿な⁉︎ この島には一般人がいるんだぞ!」

「工藤優作が普久間島に来たって情報を流したら、全員慌てて帰っていったわ。誰も孤島の殺人事件に巻き込まれたくないだろうし」

 人質となり得る人物がいないのはこちらに不利だ。状況を分析するジンの鼓膜を無数のプロペラ音が叩く。窓から空を見れば、ヘリコプターが空を埋め尽くしていた。

 

「チッ!」

 ジンが舌打ちをする。こうなればヤケクソだ。できる限り抵抗してやる。

 ウォッカに目配せすれば、彼も懐から拳銃を取り出す。

 

「せいぜい頑張りな」

 ダイキリはそう言い残すとテラスに出て飛び降りた。

 菜々も彼を追うべくテラスに向かって走る。

「カルーア、そいつをぶっ殺せ!」

「ごめん私もNOC!」

「今は冗談言うような場面じゃないだろ! 空気読め!」

「いや、本当のことなんだけど」

「お前のようなNOCがいてたまるか!」

 言い合っているうちにテラスにたどり着き、菜々は柵に足を引っ掛けて飛び降りた。

 

 

 地上は警察だらけだった。ホテルを囲むようにして警官が配置されている。

 飛び降りてきた二人に面食らっている警官たちのことは気にせず、菜々は金魚草のお面を外し、投げ捨てた。

「君は……!」

「山田刑事、いや、ダイキリ。烏丸蓮耶が別人として暮らしていることを知っているベルモットを殺すつもりですよね? それとも烏丸蓮耶じゃなくて大黒連太郎って言った方がいいでしょうか」

「知っているんだ。見たところ、様々な諜報機関の人間がこの作戦に関わっているみたいだけど、各国諜報機関が手を取り合うなんて無理に決まっている。上司に無断で一時連携したってところかな? それなら、全員殺して口封じした後でベルモットを殺しに行けばいい」

「させると思います? ──防衛省諜報部、加々知菜々。それがあなたを殺す者の名前です!」

 

 

 *

 

 

 パシュッ。

 麻酔針が首に刺さり、男が倒れこむ。

 赤井はスコープ越しにその様子を確認して息をついた。

 防衛省の協力者()が地下に存在する触手研究所の監視システムにハッキングして警報を鳴らしたところで、地上に逃げてきた研究員を無力化するのが赤井の役割だ。触手を植え付けている、昔防衛省に所属していた男が研究員たちと同じ通路を使って地上に出てきたら、彼を確保場所まで誘導する役割もある。

 しかしその必要はなさそうだ。

 トロピカルランドから上がる土煙と爆音を確認して、赤井はそう判断した。

 

 

 *

 

 

 すでに避難誘導が完了しているため人気がないトロピカルランドの地面を突き破って鷹岡が現れた。

 組織の研究所はトロピカルランドの地下にあるという話だったしおかしくはない。むしろ、作戦通りだ。鷹岡がいた研究所の構造を踏まえて律に割り出してもらった鷹岡の出現予想地に渚は陣取っていた。別の場所に鷹岡が現れたのなら彼に一番近い人に鷹岡を誘導してもらい、渚の元に連れて来る予定だったので手間が省けた。

 

 鷹岡から生える無数の触手はどす黒かった。

 触手の形は感情に大きく左右される。感情が歪めば全身も異形に歪む。

 渚は鷹岡の姿と、かつての死神の姿を重ねた。

 

「潮田渚ァァア!」

 鷹岡が吠える。

 刹那、無数の対触手用ナイフが彼に向かって飛んできた。

 鷹岡の動きが止まった隙に、渚は野生と太古の島のエリアに向かい、モーターボートに飛び乗る。

 

『今のところ計画通り。A班、両岸からホースで水を放て!』

 インカムから磯貝の声が聞こえるとすぐ、太い水の柱が現れる。

 夏休みの暗殺に使用したホースから放たれる水が、渚の後ろで重なり合い、壁を作った。

 跳ねる水滴が触手に吸い込まれ、鷹岡の動きが鈍くなる。渚への復讐を原動力に動いている鷹岡の頭には、水場を迂回するという選択肢はない。

 船体が波を切る。

 渚は何度も頭に叩き込んだルートを辿った。滝を飛び越え、海に出る。

 その間、対触手用BB弾が、水の柱が、対触手用ナイフが、触手を硬化させる光線銃が鷹岡を襲う。

 触手は水を吸ってパンパンに膨れ上がり、対触手用の武器が当たった箇所は焼けただれたかのように溶けている。

 それでも鷹岡は止まらなかった。渚に対する執念だけが彼を動かしていた。

 

 渚はボートを乗り捨て、地上に上がる。前もって準備しておいた自転車にまたがり、科学と宇宙の島を走る。

「うわっ」

 とんでもないスピードに思わず声を上げた。

 何度も練習したがこのターボエンジン付き自転車のスピードにはいまだに慣れない。これを作った阿笠博士という科学者は何を考えていたのだろうか。

 渚は腕時計を一瞥する。

 ──あと四十秒。

 観覧車の前を通り過ぎる。

 ──あと三十秒。

 メリーゴーランドに取り付けられた馬が視界をかすめた。

 ──あと二十秒。

 階段に差し掛かる。渚はハンドルを切り、階段がない場所から自転車もろとも飛び降りた。

 強い衝撃に襲われ、体が宙に浮く。

 広場だ。太陽のような模様が地面に書かれている。

 隠れられそうな場所はない。

 渚は倒れた自転車をそのままにし、ふらつく足で走る。

 広場の中央に差し掛かった頃、ビュンビュンと風を切る音が耳に届いた。鷹岡が迫ってきたのだ。

 ──あと五秒。

 走る。とにかく走る。広場の端にたどり着いた。

『4、3、2、1』

 インカムから聞こえる磯貝の声。渚も彼と同時に呟いた。

『「ゼロ」』

 広場の中央から水が溢れてきた。やがて水の檻ができる。

『S班、ホースを用意! 放て!』

 磯貝の声に合わせ、噴水広場に現れた水の檻の隙間を埋めるように、ホースから放たれた水が鷹岡の逃げ道を防ぐ。

 鷹岡は直感した。これを突っ切れば死ぬ。

 ならば地面を掘って脱出しようと触手をうねらす。

 しかしそうはいかない。

 噴水とホースから現れる水柱の間を縫って野球ボールが投げ込まれる。

 ありえない曲がり方をするボールは鷹岡の触手に直撃した。ジュッと触手が溶ける。野球ボールには対触手用BB弾が埋め込まれていた。

「よしっ、T班。俺に続け!」

 野球選手となった杉野の掛け声を皮切りに野球ボールが投げ込まれる。かつて、杉野の変化球練習に付き合ったメンバーによるものだ。

 ボールは鷹岡にかすりもしない。当てないのだ。触手生物が当たる攻撃に敏感であることは殺せんせーで証明されている。だからこそ、対触手用武器が埋め込まれていると示すために一球目だけ当て、他のボールは幕を作るにとどめる。

 鷹岡は動きを封じられ、噴水が止まるまで待つしかなかった。

「ガッ!」

 二つの対触手用BB弾が鷹岡の体をえぐった。千葉と速水による遠距離からの射撃。

 鷹岡が崩れ落ちるのと水が引くのは同時だった。

 鷹岡の背後に移動していた渚によって、長い刃で背中を突かれる。対触手用物質で作られた刀だ。超硬質ブレード型の対先生ナイフとかいうアホなものを菜々が作ろうと躍起になっていたからこそ、そこそこの硬度を保った刀型の武器を用意する技術があったのだ。

 刀の先端は鷹岡の「心臓」まで届き、貫いた。

 

「さようなら。鷹岡先生」

 渚の声は落ち着いている。夢のように現実味のない声だと鷹岡は感じた。

 

 

 *

 

 

 扉が四回叩かれる。

「大黒さん、寺坂です」

「入れ」

 大黒ビルに入っているホテルの一室。官房長官である大黒連太郎と寺坂が密会に使っている場所である。

 大きな窓からは星河のような夜景が一望できる。ベッドも机も、置かれている家具は全て一級品だ。

 部屋にいるのは大黒一人であることを確認し、寺坂は作戦続行を伝えるためにポケットに忍ばせた小型通信機のマイクを二回叩いた。

 

「大黒様。お食事を届けに参りました」

 扉の向こう側から声が聞こえた。

「なに? そんなもの頼んでいないはずだが……」

 訝しみながらも扉を開ける大黒。

 小柄な男だ。いざとなっても寺坂が簡単に無力化することができるだろう。

 大黒はボーイを部屋に招き入れることにした。彼は白い布をかけたカートを押して部屋に入ってくる。

 

「大黒様。少しお話があります」

 ボーイが何気ない仕草で台の中に腕を突っ込み、拳銃を取り出した。

「警察庁の木村という者です」

 大黒は横目で寺坂を見る。彼は獣のような瞳を大黒に向けていた。寺坂も敵だ。おそらく初めから。

 大黒は息を吐き、テーブルの周りに置かれた四脚の椅子に目線を向ける。

「とりあえず腰かけろ。話はそれからだ」

 

 

「ねえ、大黒さん。アンタ烏丸蓮耶でしょ」

 人を小馬鹿にしたような声がした。木村の声でも寺坂の声でもない。

 カートの中から何かが身じろぎする音が聞こえる。

 カートにかけられた布がめくれ、赤髪が見えた。続いて琥珀色の瞳が、一目で高級品とわかるスーツに身を包んだ胴体が、長い足が現れる。

「あーあ、さすがにカートの中は無理があった。スーツぐちゃぐちゃになったし。まあいいけど。……だいぶ前から政界を探ってた俺がいた方が説明がスムーズに進むかと思って来ました。赤羽カルマです」

 

 

 

「それで? 私がとっくの昔に亡くなったとされる烏丸蓮耶であるという証拠は?」

 全員が椅子に腰掛けると、大黒が切り出す。

「順を追って説明するよ」

 敬語をかなぐり捨てたカルマが語り始めた。

「烏丸蓮耶は黄金神教の創立者であり、黒の組織と呼ばれる犯罪組織のボスだ。そして、今現在は別人として生きている。……アンタは昔から若返りの薬を作らせていて、何度かそれを飲むことで命を繋いできた。ただし今までアンタが飲んだ薬は不完全だったから研究を続けさせて、しばらくすると宮野夫妻が最も理想に近い薬を作り出した」

「宮野夫妻?」

「まだとぼけるんだ。細胞を若返らせることで病気を治す研究をしていた夫妻だよ。二人の研究内容と、黄金神教の裏で行われていた実験のデータが合わさってAPTXができたんでしょ? 命に関わるような副作用なしで若返ることができる薬。唯一の欠点は若返ってから成長しないこと。だから老け薬を作らせた。夫妻が死んでからは娘の宮野志保さんに研究を引き継がせて」

「実に興味深い話だ。だが、永遠の命なんて手に入れてなにになる? 若返ったところで戸籍なんて存在しない。それに、同じ顔の人間が何度も現れたら不審がられると思うぞ」

「だからプログラマーの情報を集めた」

「なに?」

「情報を集めていたのはハッカーを探し出して戸籍を偽造させたり指紋のデータを上書きさせたりするためでしょ」

 

「次は俺から。あなたが若返りの薬を作り出すべく、行った人体実験についてです」

 木村が口を開いた。大黒は両ひじを机に乗せて手を組み、彼の話に耳を傾ける。

「黒の組織の幹部、ベルモットは人体実験の被験体だ。彼女は実験の過程で歳をとらなくなった。若返りの薬を口にしたあなたは、不老不死という秘密を抱える仲間として彼女を近くに置いた。たとえ組織から逃げ出しても一生モルモットとして暮らさなくてはいけないことを理解していたベルモットは組織に従った。次の成功例は黄金神教の裏で行われていた人体実験の被験体。仮に、彼の名前を山田輝としましょうか」

 大黒の眉がピクリと動く。

「彼、被験体だったけどパソコンの才能があったから学ばせたんでしょう? そして、とある人工知能を支配下に置くように命令した。結果は成功、とあなたは思い込んでいる」

「思い込んでいる? どういうことだ?」

「自律思考固定砲台。資金を調達する能力があり、データさえあれば若返りの薬も老け薬も作り出すことができる彼女を支配下に置くことに成功していると思いこんでいるからこそ組織を捨てたんでしょうが、失敗していますよ。律には感情があって、あなたを探るためにハッキングされたふりをしていたんです」

 

「助けは来ねえぞ」

 さりげなく窓の外を確認する大黒に向かって、不敵な笑みを浮かべた寺坂が断言する。

「は?」

「触手を移植したダイキリって幹部が助けに来るのを待ってるんだろ。残念ながらあいつは来ない。俺たちのクラスメイトが相手をしているからな」

「……認めよう。私は烏丸蓮耶だ」

 大黒──烏丸は大きなため息を一つつくと、重みがある声で告げた。

「国際的な犯罪組織のトップを捕まえに来るのに警察官が一人だけだということは、この件に関わっているのは極少人数なんだろう? 政界にも警察組織にも各国諜報機関にも私の()()はたくさんいるから、上司に報告なしで組織壊滅作戦を決行したのか。いい判断だ。ダイキリが来ないとなれば私は逃げることができない」

「俺の個人的な疑問だから絶対に答えないといけないってわけじゃねえが質問がある。なんで不老不死なんて目指そうと思ったんだ? 俺があんたほど生きていれば気が狂うか自分で命を絶つかしていると思う」

「寺坂竜馬。お前は何を成したい?」

「は? 突然どうした?」

「これだけ危険な橋を渡って犯罪組織のトップを捕まえるのに協力しても世間には知られない。それでも、お前は協力した。友人のためか? 世界のためか? ──私がこれほどのことを起こしたのは姉のためだった」

 烏丸は立ち上がる。小さな棚の上に設置されたコーヒーメーカーで四客のコップにコーヒーを注ぎ、机に置いた。

「話が長くなるからな。お前たちの推理はだいたい当たっているが、根本的なところで間違っている。私は不老不死となって永遠に日本を裏から操りたいだなんて一度も考えたことがない。目的のために何もせずとも金が自分の元に入ってくる状況を作りたかったのだ」

 そう前置すると、烏丸は語り始めた。

 

 

 *

 

 

 幹部一斉確保に乗り出す前のことだ。

 喫茶店店員との熱愛疑惑のせいで逃げ回ることで組織の目を欺き、秘密裏に降谷たちの元にやってきたベルモットの取り調べが、合同会議に使われているホテルの一室で行われた。

 降谷とベルモットが机を挟んで向かい合わせに座り、降谷の後ろに風見が控えている。

 上層部に組織側の人間がいる以上普段使っている取調室が使えないのでこのような形をとった。

 

 

「烏丸蓮耶は何を企んでいるんだ? 黄金神教の人体実験のデータから人間が若返った事例があることはわかっている」

「へえ、そこまで掴んでいるの。……いいわ。全部教えてあげる。ただ一つ約束して。──全てが終わったら私を殺してちょうだい」

 風見が息を飲んだ。

「手を下すのはFBI捜査官のジョディ・サンテミリオンがいいわ。私は両親みたいになりたくないし」

「わかった。彼女に伝えておく」

 司法取引の結果、少しの自由時間は与えられはするものの、ベルモットは秘密裏に殺されることが決定している。彼女はコナンと同じように若返っているのだから、存在を消す必要がある。彼女がモルモットにされ、新たなAPTXが作られるのだけは避けたい。

 ベルモットは満足そうに微笑むと語り始めた。

 

「私が生まれたのはずっと昔。二百年くらい前かしら。テイラー家っていう由緒正しいアメリカの家に生まれたわ。少し経って腹違いの弟が生まれた。日本人の女性と父の間にできた子らしいわ。そして、その弟が後の烏丸蓮耶よ」

 公安の二人は真剣な顔立ちで次の言葉を待つ。

「二十代の頃、テイラー家が熱心に信仰していた変な宗教の『儀式』を受けたわ。その結果、歳をとらなくなった。弟は私を羨んだんでしょうね。いくら妾の子だと言っても跡取りだったから、実家の権力を使って人材を集め不老不死になる方法を研究し始めた。不老不死とは行かなくても、それに近いことには成功して、彼は今でも生きている」

 弟が別人として生きてきた方法、不老不死の研究を続けるために烏丸がしてきたこと、組織の中でしか生きることができなかった自分が罪を重ねるうちに何も感じなくなったこと。

 一通り語り終えるとベルモットは自嘲気味に笑う。

「パトロンを得て、各国の警察組織や政界とも繋がって。そうして不老不死になったとしても待っているのは生き地獄なのに。なんで気が付かないのかしら?」

 

 

 同時刻。一人の男がテイラー家の屋敷を訪れていた。

「来たわね東洋エイリアン! ニンニクと十字架、食らうがいいわ!」

 物凄い勢いで飛んできたニンニクがくくりつけられた十字架はこともなげに避けられる。

「すみません。この家の歴史がわかるような資料、見せてもらえませんか?」

 

 

 *

 

 

「なんだあれ」

 コナンの口からこぼれた言葉は風の音にかき消される。

 キッドに抱き抱えられる形で普久間島の上空を見下ろせば、一目でとんでもないことが起こっているのだと理解できた。

 飛び回るヘリコプター、鳴り響く爆発音と銃声、真っ黒なヘルメットと防弾ベストを身につけた集団。

「おいおい、こんなことになってるなんて聞いてないぞ、名探偵」

「いや、俺も何がなんだか」

 答えながらもコナンは一つの可能性を思い浮かべた。

 黒の組織の幹部の一斉逮捕でもやっているのではないか。

 その証拠に、金髪の男が見えるしFBIジャケットを着た人間も大勢いる。

 

 

「コナン君⁉︎ どうしてここに……」

「安室さん!」

 キッドに頼んで地上に下ろしてもらい、降谷の側に行くとすぐさま声をかけられた。

 この前ミステリートレインで自分に拳銃を突きつけてきた人物とコナンが親しげに話しているのを眺めながら、キッドは昨日の放課後のことを思い出す。

 紅子に教室に呼び出されたと思ったら予言を告げられたのだ。

 一般的な日本人が普段使う言語に直すと、「コナンに導かれてカラスが大量にいる孤島に行けばずっと探し求めていたものが見つかる」というものだった。探し物──おそらくパンドラは建物の最上階にある金庫の中に入っているらしい。

 キッドは崖の上にそびえ立つホテルに向かって駆け出した。

「おい!」

 降谷は叫ぶ。何も知らなかったであろうキッドが戦いの渦中に自ら飛び込んでいったのだ。止めることができないのなら誰かがついて行くべきだが、指示を出す立場である降谷がこの場を離れることはできない。

「私が行きます!」

 男が言いながら走り去った。顔は見えなかったが、服装から防衛省の人間だろうと判断する。降谷はキッドを彼に任せることにした。

 

 

「菜々、と山田刑事……! 安室さん、どういう状況⁉︎」

 二人は激しく争っていた。

 異形となり、無数の触手で相手を吹き飛ばそうとする山田と、迫る触手を捌くか避けるかして応戦する菜々。彼女はなぜかセーラー服を着ている。

「簡単にまとめると、山田刑事は組織の幹部、ダイキリ。加々知捜査官は十六歳と偽って組織に潜入していた。幹部一斉確保の際、暴走したダイキリを彼女は止めているんだ」

「山田刑事が組織の人間⁉︎」

 コナンはショックを受けた。高校生探偵となって目暮と懇意になる前、事件の情報を流してくれていたのが山田だった。

 

 ──一番怖いのは人の悪意でもやけに事件が起こる米花町でもありません。警戒できない人ですよ。

 いつか鬼灯に言われた言葉が頭を過ぎる。

 

「なんでだよ! なんでアンタがそんなことしてるんだよ!」

 気がついたら叫んでいた。

 山田──ダイキリは首を動かし、コナンを見据える。瞳には強い意志が宿っている。コナンはなぜか背筋が凍るような錯覚に陥った。

「なんで? あの方に、ボスに忠誠を誓ったからさ。僕は命に変えてもあの方を守る。あの方は僕を唯一必要としてくれた! スラム街で育ち、夢も、希望も、家族も、仲間も、名前も、存在意義も、何も持っていなかった僕をだ! それどころか名前や教育を与えてくれた! ダイキリの酒言葉を知っているかい? 希望だ。あの方は僕に希望を──」

 それ以上彼の言葉は続かなかった。

 菜々が投げつけた手榴弾が破裂し、対触手用BB弾が飛び散ったからである。

 ダイキリが触手を移植してからそこまで日にちが経っていない。彼は触手を完璧に扱うことができていないはずだ。

 菜々は袖に仕込んでいた対触手用ナイフを取り出し、握り締めた。

 

 ──触手の実験の裏についていたのは国である。秘密裏にあそこまで進めた研究を国が簡単に取りやめにするだろうか。否、続ける可能性が高い。菜々は早いうちからその考えに至っていた。

 十年後か、五十年後か、百年後か、それよりももっと先か、いつか触手生物がまた現れる。

 そう考えていたからこそ殺せんせーに稽古をつけてもらった。触手の動きを近くで学んだ。

 

 ダイキリがナイフを避ける。

 右、左、右、右、上、下、右、左──。

 

 恩師の言葉が鮮明に思い出される。

 ──スピードも威力も素晴らしいですが、やはり動きが正直ですね。

 

 ダイキリが左側に重心をかける。菜々は左手で触手を捌きながらナイフを大きく振りかぶった。

 

「右ッ!」

 

 触手が数本飛んだ。粘液が舞う。

 ダイキリの動きが一瞬とまる。菜々はその隙を見逃さなかった。

 触手を避けて懐に潜り込み、心臓を一突き。

 巨体が倒れ込む。菜々はダイキリの胴体に乗り、心臓に突き刺さったナイフを押し込んだ。

 ナイフが刺さった場所からからどす黒い粒子が溢れ出した。やがて、ダイキリの身体と粒子との見分けがつかなくなり、彼の姿が消える。

 

 コナンは一瞬のうちに起こった出来事を蒼白な顔で眺めていた。

 彼は人を死なせないことを一番に考えている。どんな理由があろうと殺人は絶対にしてはいけない。その考えは変わらないのになぜか菜々を責めることができなかった。




「暗殺者っていうのは気が付かれないうちに相手を倒すものだろ。なんで菜々は真っ向勝負してるんだ」という疑問を持たれそうなので補足。
全く文章で表現できていなかったと思いますが、菜々は暗殺教室でそこまで成績が良くなかったです。
忍ぶことが全くできず、正面戦闘のほうが得意なので、「暗殺」という分野においてはからっきしダメでした。
その上米花町では真っ向勝負の方が多かったし、殺せんせーにもそっち方面を鍛えてもらっていたので、ダイキリに真正面から挑んで行きました。


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第39話

 

 キッドは走っていた。

 エレベーターを使うには専用ICキーが必要なので非常階段を登るしかないのだが、階段はバラバラに配置されている。そのため、最上階に行くには長い距離を移動しなくてはならないのだ。

 三階の中広間に差し掛かったとき、大きな足音とともに曲がり角から銃を構えた黒服の男が現れる。

 トランプ銃を乱射することで目眩しをし、階段を目指して一直線に進む。

 息が弾む。足がもつれる。

 それでもがむしゃらに走った。最上階にはパンドラがある。

 

 六階のテラス・ラウンジは一目で乱闘が起こったのだとわかる状態だった。

 椅子やテーブルは倒れ、留め具が撃ち抜かれたらしい吊り照明器具は落ちている。床に散らばった酒瓶は割れているし、窓ガラスは腕の悪い泥棒が無理やり押し入ったような有様だ。

 中央ではSATの隊員たちが二人の男を取り囲んで銃を向けている。

「カルバドス、SAT(黒犬)共を蹴散らすぞ!」

「悪いな」

 カルバドスと呼ばれた男はサングラスを床に投げ捨て、顔の皮を剥がした。マスクが剥がれる音とともに素顔が現れる。

「MI6の赤井務武だ」

「アンタは……! 死んだんじゃなかったのかよ!」

 MI6の人間が銀髪の男に銃を向ける。SATの集団も一斉に銀髪の男に銃口を向け──。

 

 それからどうなったのかはわからない。彼らの横を通り越したからだ。かろうじて激しい銃撃戦を繰り広げ始めた男たちの声が届く。

「キッド⁉︎」

「おい、アイツ何が起こってるのか知ってるのか⁉︎」

「誰かがついて行ったほうがい──」

 

 声が途切れた。

 何かが倒れ込む音が廊下に響く。

 振り返ると、小型の銃を握った大柄の男が倒れ込んでいた。自分を狙っていたのだろうと思い至り冷や汗が流れる。

 そして、倒れている男の横に立つ人物がいた。真っ黒なスーツを身にまとっており、目つきが悪い。前に会ったことがなければ彼が黒ずくめの男の仲間だと勘違いしてしまっただろう。

「確か、加々知さんでしたよね。天空の船以来でしょうか」

「今は素で大丈夫ですよ」

「……どこまで知っている」

「あなたと私の目的が一致していることは確かです」

「なあ、アンタもしかしてあの世の関係者なんじゃねえか?」

 ベルツリー一世号で盗一と一緒にいたのが目の前の男だ。紅子の話を踏まえて推測すると、十中八九鬼灯はあの世関係者である。

「防衛省諜報部の者、ということになっています」

「なるほど。永遠の命を手に入れることができる宝石なんかが現世にあったら、死んだ人間を裁く地獄が混乱に陥るから来たのか。防衛省の人間っていう設定を使えるってことは防衛省に協力者でもいるとか?」

「まあ、そんなところです」

 面倒なことになった。鬼灯は内心ため息をつく。同級生の一人が魔女のため、そういった方面に理解がある分ややこしいことにならなそうなのが救いだ。

「とにかく、パンドラがある場所まで走りますよ。敵は私が倒します」

 

 

 *

 

 烏丸は淡々とした口調で語る。

「私はテイラー家という由緒正しい家に生まれた。妾の子ではあったが唯一の男子だったため跡取りとして育てられた。母の姿を見たことは一度もない。家のことしか考えていない父にとって私は一つの駒だった。親戚連中は遺産が欲しいらしく、跡取りである私の陰口を叩くばかり。使用人はロボットのよう。私を唯一気にかけてくれたのは姉だけだった。しかし、姉は家の『儀式』を受けてから変わってしまった。永遠の美貌と命を手に入れたのだ。姉は驚きの方が優っていたが私はすぐに気がついた。永遠の命なんて生き地獄だ。姉は将来、ひどく苦しむに違いない。全人類は姉がどんなに欲しても手に入れられないもの──いつか死ぬことができるという事実を持っている。私は考えた。ならば、権力者たちを、やがては全人類を不老不死にしてしまえばいい」

 カルマたち三人は無言で耳を傾けていた。

「幸い、テイラー家の跡取りとなった私には権力があった。世界中から人材を集め、不老不死に関する研究をさせた。晩年、それらしき薬が出来上がったので、私は迷わず飲んだ。それからはテイラー家の当主が死んだと偽装し、日本に移り住んだ。黄金神教を作り、裏で人体実験を行った。さらなる薬の改良のために作った組織に姉を呼び、ベルモットという名を与えた。宮野夫妻が一錠で十歳分若返るAPTXを開発した。それでも、改良を重ねる必要があった。なぜ黄金神教で作り出した薬を改良する必要があったのか、なぜAPTXにも改良の必要があったのかわかるか?」

「黄金神教の方の薬は若返った後でも成長が続くからか?」

 木村が答える。

 相手が組織のボスだと確信してから、木村は敬語を取り払っていた。

「黄金神教で作られた薬の進化版であるAPTXを飲んだ人間は成長しない。帝丹小学校の健康診断も行なっている新出さんに変装していたベルモットがコナン君たちの正体に気がついたのはそれが理由だ。カルテを見たときに二人の身長が伸びていないことが分かったはずだからな」

「正解だ。一方で宮野夫婦が作り出した薬は飲んだら成長しない。それでもまだ、私は薬を世に出すことができなかった」

「老いはなくても、飲んだ人間が死のうと思えば死ねるから」

 今度はカルマが答える。

「いくら不老不死を望んでいてもそうなってみれば生き地獄だと気がつき、命を断とうとする人間が続出するはず。だから飲んだ瞬間、傷を負ってもすぐさま修復され、毒を注入しても意味がない体になる薬に改良しようとしていた」

「じゃあ、宮野志保さんが作らされていた薬っていうのは……」

「赤羽が言った通りのものだ」

 姉を孤独にしないために全人類を不老不死にする。その先にあるのが地獄だろうと構わない。それが烏丸の思いだった。

「もう少しだった。飲んだら若返ると同時に成長が止まる薬の開発に成功した。自律思考固定砲台が完璧な不老不死の薬を作り出したらすぐ権力者共に行き渡るようにレールも引いた。もう少しで、もう少しで……!」

「そんなことして、ベルモットは喜ぶのか? そもそも、ベルモットはお前が何をしようとしていたのか知っているのか?」

 寺坂の問いに木村が答える。

「いや、知らないはずだ。彼女は不老不死の自分を羨んだため弟がここまでのことをしたと思い込んでいる」

「それならこいつがやってきたことは無駄じゃねえか。あの女も自分の大切な人に自分と同じ苦しみを味わって欲しくねえだろ」

 ベルモットがエンジェルと呼ぶ少女、表の世界の友人である工藤有希子。彼女の息子で、ベルモットが気にかけているらしい工藤新一。

 烏丸の脳裏に三人の存在が過ぎる。その瞬間、烏丸蓮耶という男は事実上息を引き取った。三人の男も、輝くシャンデリアも、冷めたコーヒーも、全てがモノクロに見えた。椅子の上にいるのは烏丸蓮耶と便利上呼ばれる容器にすぎない。

「ベルモットを救うもう一つの方法、考えたことないのか?」

 寺坂が声をかける。

「怖くて自分で死ぬことができないなら、誰かに殺してもらえばいい」

 師に殺されるとき穏やかな顔をしていた男を知っている寺坂だからこそ出てきた言葉だった。

 

 

 *

 

 

「あった!」

 長い階段を上り切り、最上階に到着したキッドが部屋に窓から潜入し、取り付けられた金庫を開けると、爆弾に貼り付けられている宝石が現れた。

「幹部捕獲作戦を始める前にホテル内の爆弾は全部解体したはずですが……」

「この部屋、カードキーがないと入れないしな。俺たちも窓から潜入したし。残っていたことも頷ける。にしても、なんで爆弾にパンドラを貼りつけてるんだ? 永遠の命を手に入れることができる鍵を破壊するようなマネ、普通するか?」

「快斗さん、黒ずくめの男たちが所属していた組織であり、あなたと敵対していた組織の裏についていた組織の目的、知っていますか?」

 キッドは無言で首を横に振る。

「全人類を不老不死にすることですよ」

「は?」

「組織のボスは、不老不死となった人間が死にたいと願っても死ぬことができない世界を作りたがっているんです。永遠の命を得ることができるというパンドラを研究され、不老不死の薬の解毒剤が作り出されることを防ぐためにパンドラを破壊しようとしていたんでしょう」

 鬼灯は説明しながら爆弾と宝石をくっつけていたガムテープを剥がす。

「すみませんが、パンドラはこちらで回収させていただきます。どうやら生活に困ったフラメルさんが現世に売った賢者の石がパンドラらしくて」

 現世では破壊される予定であの世の人間が回収しようとしていたってことは俺の頑張りって無駄だったんじゃないかなーと快斗は思った。将来、マジシャンになる時の良い予行練習だったと信じたい。

 一方、鬼灯は月明かりにかざして目当ての宝石であることを確認するとズボンのポケットにパンドラを押し込み、口を開く。

「それと、盗一さんからの伝言です。『次に会う時は私を超えるマジシャンになっていなさい』」

 快斗が息を飲む。

 ベルツリー一世号で話した内容だけでは足りず、ごねまくって伝言を頼んできたことは伝えないほうがいいだろうと鬼灯は判断した。

「そしてこれが千影さん宛ての手紙です。渡しておいてください」

「分厚っ!」

「あ、こっそり読んだりしないほうがいいですよ。クソ恥ずかしいポエムで愛が綴られていますから」

「あんた読んだのかよ⁉︎」

「いや、盗一さんが職場でぶつくさ言いながら書いていたので知りたくもないのに内容を知ってしまったんです」

「父が、すみません……」

「ともかく、快斗さんは屋上まで行ってハンググライダーで脱出してください。私は爆弾解除が得意な知り合いに連絡して爆弾をどうにかした後、階段で下に降りながら亡者の回収をします」

 

 

 *

 

 

 トロピカルランド付近に居た人たちの避難先はカオスを極めていた。

 高木と佐藤が一緒に避難誘導をしていたら二人がデートをしていると勘違いした佐藤美和子絶対防衛(ライン)の面々がやってきたのである。

 佐藤美和子ファン兼刑事である彼らは避難誘導を手伝ってくれたが、ずっと高木に圧をかけていた。

「なあ伊達。捜査一課ってずっとあんな感じなのか?」

「ずっとあんな感じだ。松田が佐藤といい感じになっていた時もあの人たちすごかったぞ」

「マジか、全く気がつかなかった」

「お前、萩原の仇を討つことしか頭になかったもんな」

 亡者となった鷹岡を捕まえる役割の火車が怠けないように見張るのが彼らの仕事である。

 火車はすでにもう一人の触手生物を捕まえるべく普久間島に向かったので、二人は呑気に雑談しているのだ。

「あの様子なら、これからの捜査一課も大丈夫そうだな」

「嘘だろお前。なんであの光景見てそんなこと言えるんだよ」

「高木もしっかりやっているみたいだし。先輩である俺の役目は終わったってこった」

「いや、あのファンクラブどうすんだよ。やべえぞ。佐藤は全く気がついてないし」

「もうすぐ米花町の呪いが解かれて、事件ばっかり起きなくなるって話は知ってるか?」

「ああ」

「米花町も管轄していた警視庁、特に捜査一課の連中はメンタルがやばかった。そこで佐藤を崇めることで正気を保っていたんだろう」

「マジかよ」

「マジ。多分、あれもだいぶマシになると思うぜ」

 

 ふと、ニット帽をかぶった不健康そうな男が松田の目に止まった。同時に、彼のまわりをフヨフヨと飛んでいる女性の亡者の姿も目に入る。

「なあ、あんたも亡者だろ? あの世に案内してやるから──」

 松田の声を女性の懇願が遮る。

「一週間、一週間だけ待って。一週間後、妹の誕生日なの。その時あの子はテープを聴くわ。そして大きな心の傷を負ってしまう。だから、それまでにテープをどうにかしないといけないの」

「とりあえず、初めから話してみろ」

「わかった。でも、私たちの生い立ちからになるからそうとう長いわよ」

 そうして女性の亡者──宮野明美は語り始めた。

 

 しばらくすると、明美が死んだ後の話になる。

「私は、志保があんなに取り乱すだなんて思っていなかったの。冷静に私の死を受け止めて、組織に従うフリをしながら私が何か残していないか探ると思っていたわ。FBI捜査官の大くん──ニット帽をかぶった男性で私の元彼だけど──彼という切り札も用意していたから、志保は組織を抜けて証人保護プログラムを受けれると思っていた。結局は幼児化しちゃったんだけどね。……そして、ここからが本題なんだけど、私が死んだあと志保の手に渡るようにしておいたカセットテープがあるの。一から二十の番号が振ってあって、母から志保に向けたメッセージが誕生日ごとに録音されているもの。十八歳までは問題ないわ。でも、志保が十九歳になって、カセットテープを聞いたら両親や志保がどんな薬を作っていたのかが明らかになる。志保の手に渡る前に内容を確認した方がいいだろうと思って私も聞いたけど、恐ろしい内容だった」

 松田と伊達は明美の言葉を無言で待つ。

 明美は眉のあたりに決意の色を浮かべた。

「両親が作っていた薬は二つ。若返るけどそれ以上成長しなくなる薬と老け薬よ。この二つの薬と、ハッカーの力があれば、同じ人間が別人として生きていくことができる。やろうと思えば日本を牛耳れると思うわ。私はなんとしてでもその部分を志保に聞かせてはならない。でも、名前の由来とかも十九歳用のカセットテープには入っているからそこは聞かせてあげたいし……」

「分かった。とりあえず上の人に聞いてみるから普久間島に行くぞ。伊達、火車さん呼んでくれ。触手を移植した亡者を二人ともあの世に送り届けている頃だから、呼べばすぐに連れてってくれるだろ」

 

 

 *

 

 

「いや、組織の本来の目的はそこじゃなかったし、どっちみち組織崩壊したし、薬のデータが出回ることはないから大丈夫ですよ。それより、志保ちゃんの名前の由来を教えてもらっても?」

 菜々は明美からカセットテープの内容を聞き出して考える。灰原哀が元の姿に戻る決定的な理由ができたかもしれない。

 

 

 *

 

 

「あれ? 他の方はどうしたんですか?」

 降谷が目を丸くして尋ねた。

 組織壊滅作戦が終了した今、書類作成のためにFBIと打ち合わせをする予定だったのだが集合場所にキャメルしかいなかったのだ。

「ジョディさんは潮田渚さんと話し込んでいて声をかけづらかったんだ。ベルモットを殺した後だし」

 降谷はベルモットの安らかな死顔を思い出す。

 不老不死である彼女が生きていると、新たな不老不死の人間が生まれる可能性がある。だからこそ、ベルモットは秘密裏に殺されることが決定していたのだ。

 ジョディは復讐を誓っていたベルモットの表情や行動に思うところがあったのだろう。今回の件に関わることができたのがごく少人数だったせいで民間人でありながら鷹岡を手にかけた潮田渚と話し込んでいるのも頷ける。

「ジェームズさんは一時帰国中で、赤井さんは昨日姿をくらましたと思ったら今朝ひょこり帰ってきて、『ちょっと考えたいことがある』とか言ってまたどこかに行ってしまったから私だけが来た」

「おのれ赤井。僕はこの短い期間で二度もフランスに飛んだというのにあいつは仕事すらまともにしていないのか……!」

 キャメルはなんとも言えない顔をした。ことあるごとにFBIを罵倒してくる降谷に良い感情を持っていないことは確かだが赤井の行動には思うところがあるのだ。

 

 

 コナンは二人の様子をぼんやりと眺める。

 全てが終わった。事後処理で大人たちは大変な思いをしているらしいが、APTXのデータを元に灰原が作る解毒剤を待つだけのコナンは何もすることがない。

 ただ一つ突っ込ませて欲しい。

 なぜ自分の家が黒の組織壊滅作戦に関わった面々の顔合わせ場になっているのだろうか。

 

 

 チャイムが鳴った。今までの流れから予想すると、組織壊滅に携わった誰かが訪ねてきたのだろうと思いながら玄関に向かい、鍵を開ける。

「菜々?」

「新一君、烏間先生いる?」

「……いつから気づいてたんだよ」

「割と初めからかな」

「烏間さんならいねえぞ」

「あー、無駄足だったか」

「まあ、とりあえず上がってけよ。コーヒーくらい出してやる。すげえクマだぞ」

「事後処理とか大変だからね。でも、うちの職場忙しい時期は七十二時間ぶっ通しで働いて十二時間寝てまた七十二時間働くってサイクルだからそこまで負担じゃないよ」

「防衛省もやべえ」

 実際、地獄は忙しかった。

 現世でやばいことが起こったらすぐに把握できるように倶生神と連絡をとりやすくしたり、マニュアルを作成したり、触手生物のような奴が現れたときの対処法を話し合ったり、旧校舎がある山の地獄と現世を繋ぐ道を封印するための手続きをしたり。

 倶生神がついていないため烏丸蓮耶はアメリカ地獄の管轄だったはずなのに、「烏丸蓮耶は長いこと日本にいたのにやべえ計画に気がつかなかったんだから日本地獄が担当してよ」とか向こうがほざいてきたのでその対処もあった。

 

 

 リビングに着くと、菜々の足が止まる。

 原因は明白だと思いながら、コナンは冷めた目で父親を見た。

「いやあ、まさか浅野さんがこんなにも話がわかる方だったとは。暗号『踊る人形』での文通、楽しみにしています」

「私もです。ところで、私が経営している塾で企画している講演会に参加していただけませんか?」

「ええ。全身全霊でホームズのすばらしさを伝えさせていただきます」

「いえ。ホームズはどうでもよくて……」

「ホームズがどうでもいい⁉︎ 何を言うんですか! コナン・ドイルがライヘンバッハの滝でホームズを殺した時なんて彼の元に『お前の選択肢はホームズを復活させるか死ぬかのどちらかだ』という手紙が大量に届いたり、毎週のようにホームズの葬列がコナン・ドイルの自宅周辺で行われたりしたんですよ!」

「あ、はい。そうですね」

 

「あの理事長がたじろいでる。優作さんすごい」

「図書室、行こうぜ」

 コナンは逃げることにした。

 

 

 *

 

 

「聞いたぜ。オメーが防衛省に勤めてるって話」

「いまさらだけど高校生が知っていい内容じゃないよ」

「組織の支部を潰すとき知恵を貸したりした関係でいろいろ情報が入ってくるようになったんだよ。オメーが中学生のときに何があったのかもだいたい聞いたし、トロピカルランドが破壊されまくったことも聞いた」

「まあ、あれは事件が起きまくって職を失う人が多い関係で再就職先を探しやすい米花町だからこそできた作戦だったよね」

 階段に腰かけ、インスタントコーヒーを飲みながら二人は話す。どこもかしこも各国の捜査官が話し合いをしているため、静かな場所がここくらいしかなかったのだ。

 

「なあ、他の町の人と結婚する米花町民はゼロに近いってことが証明されてるって知ってるか?」

「普通に考えてそうだろうなとは思う」

「主な理由は二つ。些細なことが原因で殺人を犯す奴ばかりだから結婚したがる物好きはいないこと。そして、米花町民と結婚したら自分も米花町に移り住まないといけないことだ。また、幼馴染みと結婚する米花町民は七割ほど。さっき言ったように他の町の人との結婚は難しいから米花町の中から結婚相手を選ばなくてはならないわけだが、二分の一が加害者となる人種なので幼い頃から人となりを知っている相手が一番安全だと本能にインプットされているんだ。米花町民は無意識のうちに幼少期の行動によって相手を見極めている」

 コナンは真剣な顔で話す。

「小学生の頃に黒歴史を量産しまくってたオメーが結婚できるわけがないと言われ続けているのはこれが理由だ」

「新一君は私に何か恨みでもあるの?」

「オメーと加々知さんは利害の一致で籍を入れたんじゃねえか?」

 コナンは菜々の問いを無視して話し続ける。

「防衛省諜報部所属の加々知さんは超生物暗殺の一環でE組に定期的に顔を出していたんだろう。そこで、生粋の米花町民であることから顔に似合わず高スペックなオメーに目をつけ、将来自分の職場に引き入れようと思った。しかし一年後、不測の事態が発生する。菜々の父親の会社倒産。このままでは菜々は家族のために高校を中退して仕事についてしまう。そう思った加々知さんは考えたんだ。父親の借金を肩代わりする代わりに自分に手を貸してもらい、大学卒業後正式に防衛省に入ってもらおうってな。諜報部は過去を問わないから高校を中退していても入れるが出世はできない。菜々に可能性を見出していた加々知さんはもったいないと考え、オメーが一流大学を出られる環境を整えることにした。すなわち父親の借金肩代わり。しかし諜報部所属の人間は家族にすら仕事について教えることができない。加々知さんが借金肩代わりをする両親向けの理由が必要だった。そこで結婚だ。そもそも、同じ職場に夫婦や恋人がいると判断力が鈍るという理由で諜報部はそういった状況にならないようになっているはずだ。だから契約結婚であると見抜けた。まあ、推理したのは親父だけどな」

 自分の両親も同じように勘違いしていたことを菜々は思い出す。仕事の関係で遠くに行くのだと説明しようとしたら自分たちの推理をいきなり語られたのだ。

 

「ここに来たのは烏間先生を探す目的もあったけど、新一君たちに挨拶したいってのもあったんだ。私、仕事の関係で遠くに行くから。多分、これから先、生きて会うことはないと思う」

 菜々は地獄で結構高い役職についている。正確に言うと、あの世にも影響が出る可能性があることが現世で起こった場合解決にあたる最高責任者である。

 主な権限としては、問題が解決するまでは簡単に現世に行くことができる、現世でとれる行動が通常ほど制限されていないというものが挙げられる。

 だから組織が壊滅した今、菜々が現世に行く理由がなくなる。さらに矛盾が生じるのを防ぐため、「加藤(もしくは加々知)菜々」を知る人物が死ぬまではよっぽどのことがない限り現世に行くことができない。

 つまり、菜々が姿を消すことは決定している。

 

「そっか。……それで、オメーに恨みがあるのかって話だけど」

「あ、戻るんだ」

「恨みはある。ホームズを馬鹿にしやがって!」

「あ、あー。えーと、志保ちゃんは元の姿に戻ることにしたの?」

「あからさまに話題変えたな。灰原は元の姿に戻る。母親からの誕生日テープで名前の由来を聞いたらしい。『志保って名前は両親からの初めての贈り物だから、簡単に捨てちゃいけないと思う』って言ってたぜ。もうすぐ解毒剤が完成するらしいし、メアリーさんはすでに元の姿に戻ってるし、殺せんせーが作ったアドバイスブックの『警察上層部が悪の組織に加担していたため上司に報告せずに悪の組織を潰した場合、罰を受けなくて済む方法』を元に親父や浅野さんが計画を立てたから全員元の生活に戻れたし、丸く収まりつつあるよ」

 

 コーヒーが湯気を立てなくなった。菜々がコップに口をつける。

「もう会うことはないんだろ? だったら最後に話聞いてくれねえか?」

「あの世では会えると思うよ」

 そう言った後、目で話を促すと、コナンはポツポツと話し始めた。

 

「俺さ、許されないことをしたんだ。赤井さんの死亡偽装のために死体損壊・遺棄をした。赤井さんと二人で計画を立てたんだ。でも、未成年がこの件に関わっているといろいろ問題があるらしくって俺の罪は無かったことにされた。昨日、赤井さんだけが遺族に頭を下げに行った。そして今朝、赤井さんに会った。頬が腫れてたよ」

 コナンは懺悔したかった。しかるべき罰を受けたかった。

 最近よく考える。江戸川コナンという人物はもうすぐ消える。江戸川コナンがいなくなったら彼の罪も一緒に消えるのだろうか。仮にそうだとしてもそんなのは間違っている。

 

「俺はホームズに憧れて、ずっとホームズみたいになりたいと思っていた。ホームズは同じ手を使ったと思うか? もっといい手があったんじゃねえか? そもそも、蘭の言う通り本の中の人に憧れるのが間違いだったんじゃ──」

「別に、本の中の人だろうと人間じゃなかろうと、憧れるものは憧れるし、相手に近づくためにがむしゃらに進み始めるものだよ。私もそうだった。もっといい手があるかもしれないけど止まっている時間が惜しくってとにかく行動する」

 菜々は鬼になった日のことを思い出す。

 あの時は無意識だった。無意識のうちに鬼灯に憧れ、彼に近づくためだけに悪手を選択したのだ。

「それに米花町民なら尊敬する人が実在しない人物なんてよくあるよ。尊敬していた人が父親を殺した犯人だったとかざらにあることだから、本能的に米花町民は米花町民に憧れを抱かないんだと思う」

「そうだな」

 心が軽くなった。コナンの表情が晴れやかになる。

 

 

 *

 

 

「コーヒーごちそうさま。じゃあね」

「ああ」

 菜々が玄関の扉を開け、外に出る。

 次の瞬間、コナンはとっさに動いていた。

 靴を適当に履き、扉を勢いよく開けて声を張り上げる。

「菜々!」

「どうしたの?」

 門に差し掛かっていた彼女が振り返り、尋ねた。

 

「何かが引っかかる。どこかがおかしい。……なあ、オメー、一体何者なんだ?」

「やっぱり気づかれちゃったか。昔のよしみで教えてあげるよ。……あの世でね」

 そう言い残して、菜々は立ち去った。

 彼女の後ろ姿を眺めながら、コナンは本能的に理解した。アイツとはもう二度と会えないのだ。




残り一話です。


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エピローグ
第40話


※ここまで読んできた方々なら大丈夫だと思いますが、添える程度のBL表現があります。

※大半がちゃんねる風小説(投稿時間やIDなど省略している部分あり)となっています。


 桜の木が若々しい緑色に染まった頃。椚ヶ丘市に位置する山に一人の老人が訪れていた。

 耳をすましても風の音と鳥の声しか聞こえない。

 濃い緑の草や木の色が油絵具のように生々してみえる。

 勝手に入った人間が置いて行ったのであろうゴミがあたりに散らばっていることを除けば申し分ない風景だ。

 

「ここが暗殺教室か」

 

 頭部のベタつきや不快感とは無縁そうな髪型(意味深)をしている老人が呟いた。ふもとから学び舎まで二十分かかると聞いていたが、実際にはもっとかかった。年老いた老人の身体であることを差し引いても、かつての同級生たちが無理を強いられていたことが容易に想像がつく。

 

 山の掃除が行き届いていない理由に浅野学秀は思いを馳せる。山の持ち主は全員死んだ。かつてシリコンバレーを牛耳っていた自分が手を尽くして調べても二人ほど経歴が辿れない人物がいたが、彼らはそういった仕事についたのだろうし生きている可能性は限りなく低い。

 

 父はとっくの昔に息を引き取った。かつてこの学び舎で行われていた教育について知っているのは自分だけだ。

 少し思案し、浅野は旧校舎に向き直って黙祷した。

 

 殺せんせーとやらの墓参りを済ませた彼が山を降りることはなかった。

 

 

 *

 

 

「あれ、浅野若い頃の姿に戻っちゃったの? まあ、霊体なら心が若ければ見た目も若くなるし俺もそうだけどさー。せっかく奥田さんに頼んで強力な育毛剤用意してもらったのに」

「赤羽。お前何やってるんだ?」

 死んだと思ったら着物を着た高校の頃のライバルがやって来た。目を瞬く浅野をよそにカルマは尋ねる。

「ここがどこだかわかる?」

「あの世というやつだろう。牛頭と馬頭の存在や五日間真っ暗な道を歩かされたことを考えるとここは地獄だ。そして、僕は今から裁判を受ける」

「最後以外は正解。この建物、秦広庁なんだけど、浅野には二つの選択肢がある。地獄で働くかペナルティーつきで裁判を受けて今後の身の振りを決められるか」

「ペナルティー?」

「地獄で塾開いてる理事長とか、地獄在住の俺の同級生とかに中村さんが描いたこのBL本を配布する」

「おい、それどう見ても18禁だろ。実質選択肢一つじゃないか」

 

 

 *

 

 

【これは】今月の「マーリン」について語るスレ【ひどい】

 

1:名無しの獄卒

これは雑誌「マーリン」に載っている閻魔大王第一補佐官鬼灯氏と愉快な仲間たちのインタビュー記事および獄卒募集の記事について語るスレです

 

 

2:名無しの獄卒

あれはひどい

 

 

3:名無しの獄卒

1の愉快な仲間たち呼びもひどい

 

 

4:名無しの獄卒

マーリン読んだらコーヒー吹き出した

 

 

5:名無しの獄卒

あれは金魚草史に残るほど素晴らしい雑誌

 

 

6:名無しの獄卒

>>1

今更だけど本名出しちゃっていいの? 

 

 

7:名無しの獄卒

許可出てる

というかそうじゃなかったら黄色いタコさんは吊し上げられてる

黄色いタコさんの同人活動で獄卒志望者が増えてるのもあってよっぽどあれなことをしなければ名前だしおk

どんな形でもいいから獄卒に興味持ってもらって新人確保したいんだと

 

 

8:名無しの獄卒

どうしよう

俺獄卒で閻魔庁に用があるんだけど絶対吹き出す

 

 

9:名無しの獄卒

>>8

どんまい

 

 

10:名無しの獄卒

>>8

諦めろ俺も獄卒だ

そしてインタビュー現場を一部始終見てた

知ってるか? あの記事元々のやつよりだいぶマシになってるんだぜ

 

 

11:名無しの獄卒

>>10

うっそだろ

 

 

12:名無しの獄卒

>>10

何それ怖い

 

 

13:名無しの獄卒

>>10

kwsk

 

14:目撃者

>>13

本当に聞きたいか? 

 

あ、俺10な

 

 

15:13

>>14

ぜひ

 

 

16:名無しの獄卒

俺も聞きたい

 

 

17:名無しの獄卒

俺も

 

 

18:目撃者

じゃあ書く

ちょっと待て

 

 

19:名無しの獄卒

支援

 

 

20:名無しの獄卒

支援

 

 

21:目撃者

あれは俺が食堂で日替わり定食を食べている時だった

最近食堂に配属されたスミレさんの飯がうまくて幸せだなーとか思ってたら鬼灯様たちと記者の方々が食堂に入ってきたんだ

 

記者「では食事シーンの撮影を」

鬼「わかりました。ちょっとこっち来てください」

記者「え?」

鬼「こう、この位置で写真を」

記者「えぇ(困惑)」

鬼「どうしたんですか。早く撮らないと冷めちゃうじゃないですか」

記者「はぁ」

 

記者は諦めて写真を撮った

からあげ定食しか写っていない写真をな

 

 

22:名無しの獄卒

記者が撮りたかったのって鬼灯様の食事姿だろ

 

 

23:目撃者

>>22

かろうじて箸を持った手は写っていたらしい

 

 

24:名無しの獄卒

食堂の紹介で使われている写真か

 

 

25:名無しの獄卒

>>24

なんで食堂の説明? 

俺雑誌読んでないからよくわかんなくって

 

 

26:名無しの獄卒

鬼灯様たちのインタビューの他に獄卒募集記事が載ってるんだよ

拷問係だけじゃなくて記録課とか技術課とかフンコロガシ屎泥課とかの仕事内容にも焦点が当ててあったり、獄卒なら誰でも使用できる食堂やジム、図書室の説明があったりして結構充実してる

 

 

27:名無しの獄卒

>>26

自分たちを取材したいなら新人確保に貢献しろとか言われてやってそう

 

 

28:目撃者

>>27

正解

聞こえてきた話からそうだと判明した

 

 

続き

 

鬼灯様の様子を見て食事姿の撮影を諦めたらしい記者はインタビューを開始した

耳をそば立てる俺

 

記者「えーと、それではインタビューを。鬼灯様と菜々さんの出会いから」

 

その瞬間、黄色いタコさんがマッハ20で現れた

 

タコ「それは私が説明します。二人は──」

 

以降説明

割と有名な話だけど簡単なあらすじを書いとく

米花町民である菜々ちゃんが中2のとき地獄に迷い込んでそれから少しして鬼になって米花町民だったことから長期視察の足がかりになると判断されて現世にとどまる

で、黄色いタコ暗殺とかなんやかんやあって菜々ちゃん大学卒業後入籍

 

 

29:名無しの獄卒

>>28

説明雑すぎん? 

 

 

30:名無しの獄卒

>>28

なぜちゃん付け? 

 

 

31:目撃者

>>29

あのややこしい状況をまとめる能力がなかった

詳しく知りたかったらネット検索してくれ

 

>>30

菜々ちゃんって中学生の頃から地獄、主に閻魔庁に出入りしてるからそれくらいの時期から働いてる俺らからすると昔近所に住んでいた女の子みたいなもんなんだ

 

 

続き

 

タコ「そして鬼灯様がこういったんですよ! 『君の瞳に乾杯』」

記者「へぇ。そんな少女漫画みたいなこと本当にあるんですねぇ」

タコ「まあ私の創作ですからね」

記者「え?」

タコ「後半からは私の新刊の内容語ってました」

記者「いやあの、フィクションじゃなくて本当にあった話を……」

 

菜々ちゃんは大爆笑してた

 

 

32:名無しの獄卒

それは笑う

 

 

33:名無しの獄卒

あのお方が「君の瞳に乾杯」なんて言うわけないだろ

 

 

34:目撃者

>>32

>>33

禿同

 

続き

 

記者「えーと、気を取り直して次は質問コーナーです。鬼灯様、菜々さんを好きになったきっかけは?」

鬼「正直自分でもよくわかりませんが、初めて会ったときからミステリーをハントできそうだとは思ってました。それに好みの女性像と被っているところも多かったです」

記者「へぇそうなんですか。鬼灯様の好みの女性像とは?」

鬼「動物に臆さない人、矯正のしがいがありそうな人。顔の良し悪しは問いません。それと明るい人も好きです。ですが私が作った脳みその味噌汁を笑顔で飲めない人とは結婚できません。食生活の違いで破局しそうなので」

記者「え、えーと。菜々さんは鬼灯様の理想の女性そのものだったり?」

鬼「いえ。そんなことはありません。例えば私の好みの女性は大蛇に締め付けられても笑っていられる人なのですが、菜々さんの場合は蛇を吹っ飛ばすかナイフでズタボロにするかどちらかです」

 

記者ドン引き

彼の鬼灯様に対する「敬遠されがちですが至って普通の鬼ですよ(笑)」というイメージは木っ端微塵に崩れ去った

ついでに菜々ちゃんに対する「超生物暗殺とか悪の組織潜入とかしているけどそこらへんにいる女の子ですよ(笑)」というイメージも崩れた

 

なんとも言えない雰囲気の中、菜々ちゃんは未だに爆笑してた

 

 

35:名無しの獄卒

>>34

まだ笑ってたの? 

 

 

36:目撃者

>>35

「君の瞳に乾杯」以外にも初代東洋の魔術師さんが言いそうなセリフが大量に黄色いタコさんの話に出てきたんだよ

鬼灯様が「道を教えてくれませんか? あなたの心に続く道を☆」とか言うんだぜ

笑うか鳥肌がたつかのどっちかだろ

 

 

続き

 

記者がメモ帳とペンを持ってブツブツ言い出した

 

記者「うーん、これはさすがになぁ。えーと、初めの質問の答えを『正直よくわかりません。ただ初めから好感は持っていました(笑)理想の女性像と被っている部分が多かったです』にして……鬼灯様の好みの女性の話は『顔はあまり気にしません。明るい方は好きですし、女性が動物と戯れている姿は好感が持てますね(笑)あと、私は結構尽くすタイプなのか、手料理を食べて欲しいほうです(笑)笑顔で食べてもらえると嬉しいですね(笑)』とかに……蛇の話はカットするか」

 

菜々ちゃんと殺せんせーは撃沈した

俺も含めて記者の独り言を聞いてしまった一般獄卒たちは絶対に笑ってはいけない食堂24時に強制参加することになった

鬼灯様は記者の首根っこを捕まえてO・HA・NA・SHIし始めた

 

俺が知っているのはここまでだ

鬼灯様が記事の草案を書き直させて雑誌を発行する前に自分の検査を受けるように言い含めた後全員食堂を出て行った

 

 

37:名無しの獄卒

>>36

死因:(笑)

 

 

38:名無しの獄卒

>>36

これはひどい

 

 

39:名無しの獄卒

ちょっと怖いけどこの後どうなったか知りたい

 

 

40:永遠なる疾風の運命の皇子

>>39

私知ってますよ

獄卒募集記事を書くために色々まわった後で鬼灯様たちの家に写真を撮りに行ったそうです

ちなみにハンドルネームは「とわなるかぜのさだめのおうじ」と読みます

 

 

41:名無しの獄卒

>>40

知ってる範囲でいいから教えてくれ

 

 

42:永遠なる疾風の運命の皇子

>>41

わかりました

 

まずはフンコロガシ屎泥課に行きました

等活地獄の屎泥処というところで使う屎泥(どういうものかは字面で察してください)を作る場所です

基本フンコロガシしかいませんがやらかしすぎると罰としてここに左遷されます

 

ここにはプライドエベレスト級の人が左遷されています

その人菜々さんの天敵なので嫌がらせも兼ねての取材でしょう

 

フンコロガシ屎泥課ではいつものように喧嘩してました

鬼灯様と給食当番さんみたいな感じです

 

臭い話はあまりしたくないですし「プライドエベレスト級さんの研究のおかげで屎泥処の拷問の選択肢がより広がりましたし表彰でもしましょうか。全国中継で」「やめろ」とかいういつもしているような会話しか書くことないので次行きます

 

 

43:永遠なる疾風の運命の皇子

次は拷問器具の開発・監修・製作を行う部署である技術課です

 

ここで人物紹介

 

勇者

技術課の一員。過去に二度フンコロガシ屎泥課に左遷された。

 

サングラス

地獄在住の亡者。勇者さんの友人。相談に来た。

 

 

44:永遠なる疾風の運命の皇子

取材のために記者の人が話を聞いたり写真を撮ったりしていると勇者さんの友人のサングラスさんがやってきました

勇者さんに相談に来たらしいです

 

サングラス「俺の友人を地獄に呼んで一緒に遊びたいんだが一つ問題がある。その友人、赤が大の苦手で地獄に来ると発狂するんだ。時間があるとき、なんかいい道具作ってくれねえか?」

勇者「サングラスかければいいだろ」

 

馬鹿の代名詞である勇者さんがまともな案を出したことに私は驚きました

鬼灯様も菜々さんも驚いてました

というかその場にいた全員が驚きました

 

早々に解決したかと思いましたがそうはいきません

 

サングラス「いや、その友人気配で赤いものがわかるらしいんだ」

勇者「そいつすげえな。それより美人ロボ作ってるんだけどなんかアドバイスないか? 胸の部分が重すぎて上手く動かないんだ」

 

勇者は一瞬で諦めました

いっそ清々しいくらいです

 

 

45:名無しの獄卒

おい勇者

 

46:名無しの獄卒

勇者とはなんだったのか

 

 

47:永遠なる疾風の運命の皇子

>>46

ヒント:フンコロガシ屎泥課に二度左遷されて戻ってきた

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

255:永遠なる疾風の運命の皇子

というわけで、一通り獄卒勧誘記事の取材は終わりました

このあとは自宅の撮影に行ったらしいです

 

 

256:名無しの獄卒

獄卒ってみんなあれくらいクセあるの? 

 

 

257:名無しの獄卒

>>256

同僚のためにハゲ薬(生やす方)を探し求めている中二半とかな

 

 

258:名無しの獄卒

子供服がなくなっていることに気がつくくらい実家を調べた関係でホームズ志望さんの弱み握ってるシェリーさん(アルコールランプ推し)もインパクト強かった

 

 

259:名無しの獄卒

ギャルゲーの主人公に親近感を感じる

名前通りの見た目なら俺の仲間だ

 

 

260:永遠なる疾風の運命の皇子

獄卒のほとんどというより、上層部や特殊な部署にクセがある人が多いです

でもいい職場ですよ

福利厚生とかしっかりしてますし就職を考えている方はぜひ説明会に来てください

 

ヅラ疑惑をかけられている仕事仲間がうるさいので私は落ちます

 

 

261:名無しの獄卒

>>260

 

 

それはそうと、自宅の撮影ってあの見開き十数ページに及ぶ金魚草の写真の撮影のことだよな? 

 

 

262:名無しの獄卒

>>261

そりゃそうだろ

 

本当にあれはすごい

将来何十万、何百万でネット販売される未来が見える

 

 

263:名無しの獄卒

金魚草好きは最低でも三冊揃えるべき雑誌

 

 

264:名無しの獄卒

観賞用と保存用と布教用と保存用の保存用の四冊だろjk

 

 

265:名無しの獄卒

あれほど立派なオランダ獅子頭はそうそうお目にかかれない

 

 

266:名無しの獄卒

色とりどりの江戸錦も圧巻だった

 

 

267:名無しの獄卒

俺ガチ蘭鋳派

36ページ、37ページは教科書に載るべき写真だと思う

 

 

268:名無しの獄卒

(記者の人は鬼灯様と菜々さんを撮りたかったのでは)

 

 

269:名無しの獄卒

>>268

よく見ろ

端の方に映ってる人影がそうだぞ、きっと

 

 

270:名無しの獄卒

表紙も金魚草にすればもっと売れた

 

 

271:名無しの獄卒

むしろ全ページ金魚草にすればよかったのにな

 

 

272:名無しの獄卒

いっそのこと金魚草写真集発売してほしい

鬼灯様と閻魔庁の植物マニアさんに協力して貰えば歴史に名を刻むのもができるはず

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

789:名無しの獄卒

もはや金魚草について語るスレになってるな

 

 

790:名無しの獄卒

話豚切りスマソ

 

永遠の十六歳★カルーア・ミルクの衝撃に震えたのは俺だけか? 

 

 

791:名無しの獄卒

>>790

奇遇だな俺もだ

 

 

792:名無しの獄卒

あれはやばい

何がやばいってあれを載せることを本人に承諾させたことだ

鬼灯様はどんな手を使ったのだろうか

 

 

793:名無しの獄卒

米花町で生き残り、中学生にして現世の政府の目を欺いて超生物暗殺計画を探り、偏差値一位を東都大学と争っている東杏大学に現役で入学し、若くして重要な地位につき、全人類不老不死計画を食い止めた菜々さんのイメージがガラッと変わった

 

彼女のイメージがアホになった

 

 

794:名無しの獄卒

>>793

獄卒の中ではあの人の性格有名だぞ

 

あと、実際に会うと幻滅されてることが多い

ただ、現世で大変なことが起こったときの解決係だけどそんなことは滅多にないから普段は基本何でもやってるわけで、必然的に誰もやりたがらない仕事とか面倒な仕事を受け持つことになるから、しばらくすると慕われ始める

新卒が入ってくる時期あるあるだ

 

 

795:名無しの獄卒

なんにせよあの記事によって獄卒という職業がよりとっつきやすくなったと思う

 

 

 *

 

 

 浅野はスマホから目を離した。

 どうやら手元にある雑誌「マーリン」は意外と有名になっているらしい。

 

「ねえ、浅野」

「なんだ?」

 カルマが声をかけてきた。

 彼の表情からなにかを企んでいることが読み取れる。

「イメージって大事だよね。だから女性に結構人気の浅野がヅラだなんてバレたら大変なんだよ。でも今なら間に合う。志保ちゃんと奥田さんが共同開発したこのハゲ薬(生やす方)を使えばすぐにフサフサに!」

「いい加減僕をハゲ扱いするのはやめろ」

 ため息をつきながら浅野は席を立った。

 巻物をいくつか抱えて法廷に向かう。カルマが色々といじってくるがいつもと同じように無視した。

 彼が立ち上がったことによって起こった風が、机に置いてあった雑誌をめくる。

 

 

 

 

 ──菜々さんが心掛けていることは何ですか? 

 

 楽しく過ごすことですかね。幸せになるってとある人と約束したので。

 

 

 

 

 

 

 幸せになりなさい。それが最後の親孝行だから。

 時が流れてもなお、生まれ育った世界と決別することになった彼女は親に送られた言葉を鮮明に覚えていた。




最後まで読んでいただきありがとうございます。これにて完結です。
誤字脱字報告はすごく助かりましたし、感想や評価、お気に入り登録、活動報告のコメントにはとても励まされました。
本当に今までありがとうございました。


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