女体化した親友に俺が恋をしてしまった話 (風呂敷マウント)
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第零話 まるで女の子のようで――

この小説を読む際はこの回から読むのを推奨します。この回を飛ばして一話目を読むと、ほぼ確実に話がこんがらがるかと。


 今日も何気ない朝が来た。いつも通りに朝食を食べ、いつも通りに料理を作ってくれた彼女へごちそうさまの挨拶をして食後のコーヒーを啜るといういつもの光景がそこにはあった。一昨日も昨日も朝はこんな感じだった。何てことはない日常だが、何気ないこの光景が俺はとても大切な物なんだ。こんな風に考える事が出来ているのも全て、今しがた食器を片づけ終えた彼女のお蔭だ。

 

「どうしたの? 私の方をじっと見て」

「ん? 今日も一夏は家事を頑張ってるなって思ってさ」

 

 コーヒーが入ったマグカップをテーブルに置きながら俺がそう言うと、彼女――織斑一夏(おりむらいちか)はこてんと首を傾けた。相変わらずこういう仕草で俺を萌え殺しにしてくるのは変わらないな。可愛い。超可愛い。

 俺は一夏が大好きだ。本当に大好きだ。面倒見が良くて気遣いが出来るところも、家事が万能なところも。変なところで負けず嫌いで、変なところで抜けているところも少し短気なところも。俺の前では少しばかりポンコツになるところも。長く艶のある青みがかっている黒髪も、年齢不相応に大きなおっぱいや柔らかそうな尻も。程よく筋肉が付いた弾力がありそうな太腿とかもそうだ。

 一夏の何もかも――良いところも悪いところを全部ひっくるめて大好きだ。愛してると言っても過言ではない。……まあ、実際に何回も一夏には愛してるって言ってるんだけどね。

 

「そうかな? これくらい普通だと思うけど」

「いやいや、毎日こういう風に出来るのはお前くらいだよ」

 

 一夏はよく理解できていないのか難しい顔をしはじめた。確かに一夏にとってはこれが普通だから、こういう反応も仕方ない気もするが。俺も料理とかはそこそこ出来る方だが、料理をするのが面倒な時はやりたくねえなって正直に思ってしまう。その点で言えば一夏はそういった弱音を吐かないで家事を続けているんだから、やっぱこいつは凄いよ。俺なんかと比べたら月とスッポンだよほんと。たまには家事したくないよって甘えてくれてもいいのに。

 

和行(かずゆき)。また自分のこと卑下したでしょ? それ、和行の悪い癖だよ」

「……あの。うちの母さんじゃないんだからさ、心読まないでくれる?」

「読まなくても分かるよ。だって私は和行の――なんだから」

 

 そう言いながら一夏は誰もが見惚れそうな穏やかな笑みを俺に向けてくる。……ああ、そうだ。お前は俺の――なんだ。誰よりも俺の事を考えてくれている人間なんて、この世で一夏くらいだろう。同じくらいに一夏の事を誰よりも考えているのは俺くらいだ。

 俺は一夏との間に芽生えている暖かさを知ってしまった。片手では数えきれない程の温もりを感じているんだ。この家事万能清楚系美少女の魅了から永遠に抜け出せないだろう。まあ抜け出す気なんて更々ないけどさ。

 

「そうだよな……」

 

 一夏は誰から見ても家庭的な超絶ハイスペック美少女に映るだろうが、こいつは最初からこういう女だったわけではない。家庭的な面は元から持ち合わせていたが、根本的に世の中にごまんといる他の女性と唯一違うところがある。

 一夏が他の女性たちと違うところ。それは一夏が元男性――つまり、男から女の子に性別が変化しているという点だ。嘘のように聞こえるだろうが紛れもない事実だ。まさかあのイケメンがこんな美少女になるなんて想像すらしてなかったな……。そんなことを考えつつコーヒーを一口飲んでいると、俺はある事が気になったので一夏に問いかける。

 

「なぁ一夏」

「んー?」

「俺の傍から居なくならないよな?」

 

 そろそろ一夏とそういう関係になって一年くらい経つ。俺の一夏への想いは変わらないし、一夏からの俺への想いも変わらないと思っている。……でも、ちゃんと言葉にしてくれないと不安で心が一杯になる。俺は席から立つと一夏へと近寄り、彼女の左手を右手で優しく握った。

 この手を放したくないと思いながら、一夏のしなやかな指を空いている方の手でゆっくりと擦る。家事をしててこの艶やかを保っているとかどうなってんだこいつ。しっかし、こうしていると一夏の事を誰にも渡したくない気持ちがより強まっていくのが強まっていくのが実感できる。

 

「和行?」

「ごめん。ちょっと怖くなって……」

「大丈夫だよ。私は和行の傍から消えたりしないから」

「本当か?」

「当たり前でしょ。和行以外男なんて私には無理だし」

 

 くすっと笑う彼女だったが、その瞳から光が消えかけていた。もう見慣れた光景だ。何も言う事はない。俺も目から光が消える事があるからな。俺達の間ではこれが普通だ。もう一年以上続けてきているんだ。何で目からハイライトが消えてるんだとか指摘することなんて無い。

 

「変なこと聞いてごめん」

「ううん。気にしてないから」

「……ありがと」

 

 ああ、やっぱり俺には一夏が居ないと駄目みたい。彼女は俺の日常になくてはならない存在だと自分に言い聞かせる度合いが強まっているのが何よりの証拠だ。

 

「あ、あの和行」

「ん? どうした?」

「そろそろ手を放してほしいんだけど……」

「俺はもっとこうしていたいけど?」

 

 俺はそう言って一夏の手と自分の手を絡ませていく。恋人繋ぎの形になったのを認識したのか、一夏は表情を一変させて慌てふためいている。全く。いつもは自分からガツガツ来る癖に、こっちから攻めるとこうなるんだから超可愛い。

 

「わ、私だってもっとしていたいけど、学校に遅れちゃうよ?」

「……それもそうか」

 

 俺は一夏の言い分に納得してその手を放した。学校の事すっかり忘れてたわ。俺は残っていたコーヒーを飲み終えると、マグカップをキッチンのボウルに入れた。洗い物は帰ってきてからすればいいからこれでいい。何処か名残惜しそうにしている一夏と一緒に身支度を済ませると、家の戸締りを終えた俺達は玄関へと向かい各々靴を履いた。

 

「行くか」

「うん」

 

 俺と一夏は玄関を出て鍵を掛けると、いつも通りに一夏と手を繋ぎながら歩き出した。新たに通う学校へと向かう道すがら、俺にはいま目の前に広がる光景があの日の光景と重なって見えていた。

 

 ――あの日も、丁度こんな風に桜が咲いてたな。

 

 桜の木の枝が風に揺られ、花びらが空中へと投げ出されたのを眺めながら一夏が女性になってしまった日のことを思い出す。一夏が女性に性別が変わってしまった事件。それは二年前の春頃に起こった。天災と呼ばれた一人の女性科学者――篠ノ之束の手によって引き起こされたんだ。

 

◇◇◇

 

 圧し掛かるような眠気をまだ感じながらも、俺――織斑一夏は自然と上半身を起こしていた。長年の習慣の所為だと思う。自宅には俺以外の人間は居ない。一応姉は居るが、全く家に帰ってこないので普段は俺一人で生活しているようなものだ。自分で何とかしないと食事すらままならないが大変だと思った事もないし、千冬姉が帰ってこないのを寂しいと感じたこともない。

 前者に関しては昔からやってきている所為か最早習慣になっているからな。後者に関してはよく友達が遊びに来るのが多いのと、隣の家には親友である和行が住んでいるからだ。それにあいつとは、あいつの母親が病院に入院してから一緒に飯を食う時間も多くなってるし。

 気の置けない間柄の人間がいるってこんなにありがたいことなんだなって、あいつのお蔭で身に染みて感じたよ。さて、少し体が怠いけど、そろそろベッドから出ないとな。

 

「あれ?」

 

 視界に映った自分の腕に違和感を覚えた。体に気怠さがあるのは日頃の疲れが出ているとして百歩譲るとしよう。だが、これはなんだ。俺の腕って、こんなに細かったっけ? てか、脚の方もなんかいつもより細いような……。

 

「声が高い?」

 

 俺は自分の喉に手を当てる。男特有の突出した喉仏が出ているはずの自分の喉にそんなものはない。突っかかりもなく喉を撫でることが出来た。それどころか、声まで自分の物じゃないような高さになっている。その声はまるで女の子のようで――。

 

「女の、子?」

 

 俺は即座に自分の胸元へと視線を落とした。そこには寝る前の自分には存在しなかったはずのふくらみがあった。恐る恐る両手を胸に宛がうと、両手に男を陥落させるのに十分な柔さが伝わってきた。もみもみ、と何回か自分に付いてしまっている大きく膨らんだ胸を触っていると妙な感覚が頭から足の爪先に至るまで駆け巡った。

 や、やばっ……! なんだこれ!? まるで思考が削り取られていくみたいだ。だ、駄目だ。これ以上は駄目だ!

 

「んっ……!」

 

 服越しとはいえ今まで感じたことのない感触と、自分の喉から弾きだされた声に思わず手を放してしまう。な、なんだよ今の声。本当に俺が出した声なのか? つーか、胸があるっていう事はもしかすると……。

 

「まさか……」

 

 とてつもなく嫌な予感がしたので、今度は股間の方へと手を伸ばすと、

 

「――ない」

 

 あるはずの物がなかった。男性には付いている筈のアレが、俺の股間から消えているのだ。何度触ってみても昨晩まであったはずのソレが存在しない。

 

「……嘘だろ?」

 

 は、えっ、ちょっと待てよおい。これってもしかして、この前の放課後に和行が弾や数馬に熱弁していたそういう本に出てくるあの現象か? 朝起きたら女の子になっているとかいう――。いやいや、そんな訳あるか。あれはフィクションだぞ。現実で起きる訳がないだろ。

 そう自分に言い聞かせてはみるのだが、生まれた頃から存在していたかのようにいつの間にか体にくっ付いていた自己主張の激しい胸と、この俺の物とは似ても似つかない細い手足が今起きていることは現実だと訴えてきているようだった。

 

「そ、そうだ! 姿見!」

 

 焦燥感に似たものを抱いた俺はベッドから床へと足を下ろすが、脚の動きがぎこちなかった。まるで別の人間の体を初めて動かしたような感覚に戸惑ってしまう。下手をしたらこけてしまうかもしれないと判断した俺は、胸の中に湧きあがる焦りをギリギリのところで抑えつつ、一歩一歩と少しずつ歩を進めていく。

 椅子を杖代わりにしたりしながら姿見の前に辿り着くと、震える腕を伸ばして掛けてある布を取り外す。姿見に映った自分の姿を見て言葉を失ってしまった。何故なら、そこには認めたくない現実が映し出されていたから。

 

「マジ、かよ……」

 

 いつも制服等の乱れを確認する為に使っている姿見には、何処か千冬姉に似ている容姿をした少女が映っていた。腰まで伸びている濡烏の髪が似合う綺麗な少女が。見た目だけで言えばかなりの清楚系美少女だ。目元が垂れ気味になっているが、それがこの容姿の可憐さを更に後押ししている気がする。和行辺りなら目で追いかけ続けるレベルの容姿だと思う。

 だが、ちょっと待って欲しい。俺は姿見の前に立っている。それにも関わらず姿見に映っているのは、俺が良く知っている自分の姿ではなくこの美少女ということだ。つまり、これが今の俺の容姿ということになる訳で――。

 

「はは……」

 

 開いた口が塞がらないという言葉がぴったりな状況に俺は頭を抱えてしまった。マジで和行が話していた本の内容通りの状況になってるじゃねえか……。

 …………一体何がどうなってるんだ? 俺の性別が変わってしまった原因は何処かにあるんだろうけど、今の俺の頭じゃ原因に思いつくことが出来ない。自分の姿が変わった事にどう対処すればいいのかっていう考えで一杯一杯だ。冗談抜きで何が原因で女の子になってるんだ?

 

「本当に――」

 

 細くなった右手の指で髪に触れてみる。掌から伝わってくる髪の質感は絹の様に滑らかで、ずっと撫でていたくなる程だ。腕の力を抜いた途端、髪の毛は俺の右手から踊り出て、宙を舞った。舞うのを堪能した毛先は他の毛先たちに倣って、腰の位置で綺麗に整列する。姿見越しにその光景を見た俺は、昨日までの自分の髪と今の自分の髪では完全に髪質が変わっているのを認めざるを得なくなった。

 続いて頬に指で触れてみる。本当にこれが自分の肌なのかと疑ってしまう程のハリと艶が俺の肌には満ち溢れていた。引っかかりなど存在しない感触が自分の指から伝わってくる。降り積もった雪のような色合いの肌を眺めつつ、俺は咄嗟に口を開いていた。

 

「――俺、なのか……?」

 

 本当にこれが今の自分の姿なのか。そんな疑問が湧いてきた俺は、まだ動かし慣れていない左手の指で姿見を触ってみる。素人目では偽装などされていないようだ。どうすればいいのか考えが纏まらなくなった俺はそのまま姿見の前に立ち尽くしてしまった。幼馴染である鈴と隣の家に住んでいる和行が遊びに来る日であることを忘れて。

 訪問者を告げる呼び鈴が鳴ったことに俺の体は身を震わせた。恐らく鈴が来たのだろう。和行は買い物をしてから家に来るって昨日言ってたからな。今日は家に居ると鈴と和行に言ってしまったせいで、居留守を使う事もできない。はっきり言おう――ヤバい。色々な意味でヤバい。

 

「――おーい! 一夏! 居るんでしょ!」

 

 俺の名前を呼ぶ鈴の声が聞こえた。どうすればいい? 本当にどうすればいいんだ。応対するのにこの姿じゃ……。でもこのままで居る訳にもいかないだろ。

 ……腹を括るしかないのか。心臓が嫌なくらいに脈打つのを感じつつ、まだ馴染んでいない足をゆっくりと動かして一階へと降りていく。震える手で玄関の鍵を外して扉を開けた。同時に俺の幼馴染である凰鈴音(ファンリンイン)のこちらの存在を訝しむような顔が飛び込んできた。

 

「――あんた、誰?」

「……」

 

 やっぱりだ。……そうだよな。今の俺はこんな姿だ。分かる訳ないよな。

 

「……鈴、俺だよ」

「はぁ?」

「俺は一夏だ!」

 

 俺の意を決した発言に鈴は首を傾げた。不審者を見るような目が強まっている。

 

「何言ってんのあんた。……まさか、一夏が連れ込んだ女?」

「何だよそれ! ああ、もう! 信じられないかもしれないけど、俺が一夏なんだよ!」

 

 俺が連れ込んだ女ってなんだそりゃ。意味が分からん。つうかこれ、絶対に信じてないわ。埒が明かないと判断した俺は鈴を急いで家にあげると、彼女への説得する為に腐心する事になった。会話の末、何とか鈴に俺が本物の一夏だと信じて貰う事が出来たので、俺は思わず胸を撫で下ろした。俺と鈴と和行の三人しか知らない話題を何回も出して正解だったな。

 

「ほ、本当に一夏なのね?」

「ああ。俺だよ」

「な、なんでこんなことに……」

「俺が聞きてえよ……」

 

 リビングにて何とか鈴の説得に成功した俺だったが、二人揃って気分はブルーになっていた。俺の場合、元からブルーだった更にブルーになったのは言うまでもない。

 

「これ、和行にも知らせておいた方が良いわよね?」

「ああ……。頼んでもいいか?」

「あ、あたしにま、任せなさい」

 

 本当に大丈夫なのかと俺が見守る中、鈴はスマートフォンを取り出して電話をかけ始める。和行への電話が繋がったのか、鈴は大きく口を開いて和行に告げた。

 

「和行!? おおお、落ち着いて、ききき聞いて!」

 

 ……おい、鈴。まずお前が落ち着け。なんで俺よりテンパってるんだよ。そんな鈴を横目にソファーに座ると、現実逃避するかのように天井を見つめ続けるしかなかった。




もう少し話に入りやすいようにした方が良いかなと思ったのでこの話を書き上げました。今回の話に合わせて、一話目と二話目に修正を加えてます。


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第一話 女の子になってしまった一夏君(1/2)

この回を読む前に第零話目を読むことを推奨します。


 あさおんという言葉を知っている人がこの世にどれだけ居るだろうか。朝に目が覚めたら、何故か女の子になってしまっていたという現象のことを。そんな現象なんて普通起こる訳ないのだが、実際に起きてしまうのが世の中だ。そんな世の中嫌だわ。ていうか、そもそも三次元じゃあり得ないし、仮にそんな事をしたりするのなんてほんの一握りの存在くらいにしか出来ないから。

 いや待て。それならそのほんの一握りの存在に土下座でもして、その手の技術を発展させるというのはどうだろうか。あれこれ理由を付けて、家事力が高い男を女性にして彼女にしようとするパターンを構築できるのでは? そういうのが好みな人には大変良い世界になることでしょう。

 

「はあ……」

 

 ……こんなアホなこと考えてる場合じゃないな。俺の親友である織斑一夏と女友達である凰鈴音、そして俺はある事件に巻き込まれた。俺達からすれば一大事であったのだが、そんな俺たちとは対照的に騒動を起こした張本人は今回の騒動をただのイタズラのようにしか感じていないだろう。正直に言って、始末に負えない。一夏が大変な事になっているというのに。本当にどうしてこんなことになったのだろうか。

 いやまあ、原因は分かっている。この場に居ないあのウサミミだろう。それ以外に一夏がこんな目に遭っていることへの説明など出来ない。というか、あの人以外にこんな現実離れした現象を起こす事など不可能だ。あの人は完全に人類という枠組みを超えてしまっているのだから。

 ソファーに座りながら淹れたてのコーヒーに砂糖とミルクをブチ込んでいく一夏の姉である織斑千冬(おりむらちふゆ)さんを眺めながら俺はこの場に居る皆に悟られないように溜息を吐いた。

 

「――で、誰から話す?」

「あたしはパス」

「俺もパスで。自分から女性物の下着が欲しいっていうとかただの変態だし」

 

 俺の問いかけに鈴と一夏はそう返してきた。あのさ、鈴は千冬さんの事が苦手なのを知ってるからまだいいとしよう。一夏、気持ちは分かるが今のお前は女だ。誰が何と言おうが外見は女だ。心は男のままだとしてもな。……まあ仕方ないか。まだ女になって一日も経っていないんだ。いきなり自分のことを女と自覚しろと言っても無理だろうさ。

 一夏は嫌だと言っているし、鈴も拒否している。となれば、必然的に俺が千冬さんに先程俺達で考えた話題を切り出すしかない訳で。正直言って、親友の姉に女の子になった親友の服とか下着やらの話を切り出すのってかなり勇気いるんだけど。いやでも、こればっかりは腹を括るしかないな。

 俺は自分なら言えると自分に言い聞かせながら、千冬さんに話しかけた。その内側で篠ノ之束への怒りを迸りさせつつ、なんでこんな状況になってしまったのかという自問自答を行うことにした。

 

 ――束姉さん。もし今度会ったら、そのウサミミを捥ぎ取って粉砕するので覚悟して置いてください。

 

◇◇◇

 

 桜が花を咲かせている四月のある日。中学二年になって間もない時期だった。学校が休みであることを利用して、俺と鈴は一夏の家で遊ぶことになっていた。三人で飲むためのジュースやお茶、今日の一夏の家で夕飯をごちそうになることになっていたため一夏の行く前に買い物に出ていた。夕飯の食材の買い物をして終えてスーパーを出た時、先に一夏の家に遊びに行っていたはずの鈴から携帯へと電話が掛かってきた。

 邪魔にならないように店の入り口から脇に避けて携帯をズボンのポケットから取り出して電話に出たのだが、

 

『和行!? おおお、落ち着いて、ききき聞いて!』

「お、おい、鈴? お前の方が落ち着け。めっちゃ吃ってるぞ」

『あ、あのね! い、一夏が……』

「一夏が、どうかしたのか?」

 

 鈴がここまで慌てるなんて、一夏の身に何かあったのだろうか。漠然とだが嫌な予感がしたので今すぐに家に行くと告げて電話を切ってズボンのポケットに戻すと、買い物袋を両手に持って一夏の家へと急いだ。早歩きを駆使したお蔭か家の近くに着いたので、一度息を整えるために腕にしていた腕時計を見てみる。どうやら時間はそう掛からなかったようだ。体感ではそれなりの時間が掛かったように感じたのだが。

 

「とりあえず押すか」

 

 何とか一夏の家まで辿り着くことが出来たので胃を決して玄関の呼び出しボタンを押すとインターホンから聞こえてきた『今行きます』という声と共に、家の中からドタドタと誰かが走るような音がした。一夏であるならばこのような音を立てないであろうことから、恐らくこの音を立てているのは彼女しかいない。

 

「和行! 遅い!」

「仕方ないだろ! 買い物してたんだから……」

 

 やはり鈴であった。とりあえず入ってと言われたので鈴に言われるまま一夏の家へと入っていく。靴を脱いでからスリッパを履き、先にリビングへと走っていた鈴の後を追うと、そこには一人の美少女がソファーに座っていた。

 

「――えっ?」

 

 ――知らない子だった。彼女を見た途端、俺の口から小さく声が漏れていた。腰の辺りまで伸びている綺麗な黒髪と、垂れ目気味ながらも意思がはっきりと伝わってくる瞳。整った顔立ちに自己主張が激しい女性特有の膨らみが目に飛び込んでくる。彼女はどこを取っても俺の好みに合致していたのだ。彼女を見ていると胸がドキドキしてくる。どこか息苦しい感じがする。彼女が居るせいでなんか妙に変なテンションになりかけてたが同時に、俺の頭に嫌な考えが浮かんでくる。

 もし、この子も一夏狙いだとしたら? という考えが。一夏ははっきり言ってモテる。尋常じゃないくらいにモテる。同じ学校じゃない生徒にまでフラグ立てやがります。小学校低学年の頃から一緒な俺が言うんだから保証します。女性だけならまだしも、男にもモテるから意味が解らん。しかもあり得ないくらい鈍感だから始末に負えないわ。俺ですら「あ、この子好意持ってるな」ってのがなんとなく分かるのにお前は何故分からんのだ。

 何故か一夏の愚痴になってしまった。でも、こんな美少女を拝めただけでラッキーかもといい方向に解釈しようとしたが、あるものに気付いたせいで俺のテンションは急に下り坂となり、冷静の域にまで行ってしまった。

 俺がテンションがまともになっている原因。それはソファーに座っている黒髪美少女が着ている服だ。あれは確か一夏の服だったはず。何故今まで会った事もない彼女が一夏の洋服を着ているのか理解できない。どういうことだと頭を捻っているとソファーに座っていた少女から声が掛かる。

 

「あ、和行。よく来たな……」

「はい?」

 

 元気のない可愛らしい声が耳に届いた。俺は少女の言葉に思わず再び頭を捻ってしまう。何故この子は一夏の家で我が家に来た人を迎えるような態度を取っているのだろうか。一夏に何かがあったと思い急いで帰ってきたのに肝心の一夏が見当たらない。

 昨日聞いた話では今の時間帯なら一夏はリビングで掃除やら台所でお菓子類を作っている予定だった。必然的にリビングか台所に居るはずだが、隣接している台所を除いても人っ子一人居ない。どういうことだという視線を鈴に投げかけると、鈴は困ったような表情を浮かべながら説明をしてくれた。

 

「和行、焦らずに聞いて」

「ああ」

「あ、あの子が一夏よ」

「……」

 

 ――何を言っているんだ、このチャイナ娘は。と思わず心の中で毒を吐いた。あの子が一夏な訳ないだろうという感情を込めてジト目で鈴を見る。

 いやいや、ないない。この子が一夏? 目線の先に居る俺好みの美少女が一夏? ありえないでしょ。どうせ鈴と何処かに隠れている一夏が俺を騙すためにやっている違いない。うん、多分そうだ、うん。

 

「おいおい、エイプリルフールは先週終わったぞ。もう次のエプリルフールやろうとか気が早いんじゃないの?」

「し、信じられないのは分かるけどあの子は一夏よ。あたしも未だに信じられないけど……うう、頭痛い……」

 

 俺にそう告げてきた鈴の顔を見る。ああ、これはこいつが真剣になっているときの表情だ。え、てことはマジで? マジであの子が一夏なの? いやいや、ちょっと待てや。なんでそんな、俺が持ってるエロ漫画だか薄い本だかみたいな状況になってるのよ。おかしいでしょ、え、マジで意味わかんないだが。

 ――どうしてこうなった。思わず口からそんな言葉がこぼれそうになる。目の前の光景から現実逃避したい気分に駆られてしまう程に困惑しているが、もっと困惑しているであろう一夏と俺の隣で先程から何かを悟ったかのような表情を浮かべている鈴を眺めていた所為で却って落ち着いた気分になってきている。

 いい加減腕が疲れてきたので、とりあえずリビングのテーブルに両手に持っていた買い物袋を置くことにした。飲物が入っている袋から五百mlペットボトル入りの飲物を三つ取り出すと鈴と一夏にそれぞれ手渡していく。

 

「本当に一夏なんだな?」

「ああ、そうだよ」

 

 目の前の一夏(?)はそう言う。何処かまだ信じきれてない俺は、とりあえず一夏は本人だと再度確認するために質問をぶつけていく。その結果は見事正解だった。どれも一夏本人でなければ知り得ないことばかりだったからだ。ここでようやく、俺はこの子が一夏本人だと確信することが出来た。

 

「それで一夏。なんでお前女の子になってんの? 今まで振られた女子の恨みでも募ったか」

「振られた女子の恨みってなんだよそれ」

 

 駄目だこりゃと思ったので一夏の鈍感さへの苛立ちを紛らわせるためにペットボトルの蓋を開け、自分の分の飲物を飲むことにした。こいつは何故こうもの女子に告白されながらそれに気づけないのだろうか。

 女の子――それも可愛い子や美人な子から付き合ってくださいと言われて何故買い物に付き合うという思考回路になるのか全く理解できなかった。というか、この朴念仁の思考回路だけは理解したくない。女性関連と姉を慕いすぎている点を除けばかなり良い奴なんだがなあ……。疲れた頭にミルクティーの糖分が染みていくの感じながら話を続けていく。

 

「はあ、まあいい。で、他に心当たりはないか? 一服盛られた~とか」

「一服盛られたって……。そんな漫画やアニメじゃないんだからそんなこと起きるわけないじゃない」

 

 俺から受け取ったソーダを飲んでいた鈴が懐疑的な口調でそう言ってくる。まあ、そうだよな。あり得ないよな、一服盛られるとか――。おい、一夏。なんでそんなに目を泳がせている?

 

「……」

「お、おい、一夏。なんだその顔。まさか」

「ああ、そのまさかだ。多分あれかもしれない。というか、アレ以外考えられない」

 

 一夏によると、どうやら俺たちの知り合いで世界中から指名手配されている天才――否、天災科学者である篠ノ之束が一昨日の夜に一夏の家を訪ねてきたらしい。指名手配されている理由はIS関連としか聞いた記憶がないので詳しいことは分からない。一夏と遊んでいた俺が夕飯の支度をしようと家に帰ったタイミングで家の玄関を鳴らしたらしく、扉を開けた途端ぐいぐい来られたので思わず家に上げてしまったらしい。

 女の子になる前の一夏よ、何故彼女を家に上げてしまったのだお前は。誰がどう見てもあのウサミミおっぱいが元凶じゃないか。会う度に俺に胸を押し付けるのをやめろと何回も注意したことがあるあの人が。つうか、俺はなんであの人に気に入られてるんだろうか。よく分からんわ。

 

「あのさ、あたしの記憶違いじゃなければ篠ノ之博士って確か全世界から指名手配を喰らってるはずよね?」

「あの人は隙間さえあればどこでも湧くから……」

「一夏、束姉さんをゴキブリみたいに言うのやめない? 神出鬼没なのは認めるけど」

 

 鈴の疑問に素直に答えた一夏の言葉に思わずツッコミを入れてしまった。一応あの人も女性なんだから幾らなんでもゴキブリ扱いは不味いでしょ。

 一応述べておくが、俺は束さんのことを束姉さんと呼んでいるが別に束さんの血縁者とかではない。昔にそう呼んでとお願いされただけだ。あれは強要に近いけど……。なお一夏も同じように呼ぶようお願いされていたが、運悪く一夏のターンになった際、近くに千冬さんが現れた所為で一夏が束姉さん呼びすることはなかった。

 あの時はマジで千冬さん怖かったわ。いきなり無言で何の予備動作もなく束姉さんにアームロック掛けるとかどうやったんだろうか。

 

「でさ、束さんに栄養ドリンクだかをプレゼントされたんだよ」

「疑いもせずに飲んだのか?」

「その、臭いと見た目と味は変じゃなかったし……」

「はぁ!? あんた馬鹿じゃないの!?」

「だって、一応栄養ドリンクの効果もあって体の調子がよかったし。大丈夫だと思って二日連続で飲んだんだけど。それで今朝起きて見たらこうなってて……はあ」

 

 大丈夫じゃなかったから男の体から女の体に変化してるんだろうがおい。やべえ……頭痛い……。鈴も呆れてるのか深い溜息吐いているし。味が変じゃなかったということは一夏に違和感を与えずに性転換させるための何かを混ぜていたのだろう。あの人ならやりかねない。ていうか、やらないとおかしい。てか実際やらかしてる。ヤバい、軽く白目剥きそうになってきた。誰か助けてくれ。俺の手に負えない。

 

「なあ、これからどうすればいいんだこれ?」

「とりあえず千冬さんに連絡した方がいいな。お前の姉なんだからちゃんと状況報告した方がいい」

「そうね。あとでいきなり知るよりも今知ってた方がダメージが少ないかもしれないわね。あたしみたいに」

「だよなあ……」

 

 そりゃあ思い人である一夏がいきなり女の子になっていたらショックを受けるのが当たり前だろう。鈴が気の毒すぎて何を言えばいいのかもわからなくなってきた。もし学校にこのことが知れたら鈴と同じように一夏に思いを寄せていた女子たちから魂が抜けることは必然だろう。

 てか、鈴よ。お前さん、もしかして混乱しすぎて一周回って冷静になってないか。だってこいつ、さっきから声のトーンが落ち着きすぎてるもん。まあ、俺も似たようなもんだけどさ。多分一夏も同じかも知れんが。

 話を戻すが千冬さんに連絡するにしても問題がある。今の一夏が千冬さんに仮に電話を掛けたとしよう。今の一夏は男の時の一夏と声が完全に違っている為、俺が一夏だと言っても効果が薄いというかイタズラ電話と片づけられる可能性もある。なので、

 

「俺が代わりに連絡するわ。今の一夏だとイタズラ扱いされてまともに取り合ってくれないかもしれないし」

「頼めるか?」

 

 任せときなさいと一夏に向かって言う。千冬さんに「お前は嘘が吐くことが下手な奴だな」と言わしめたことがある実績がある俺だぞ。冗談は言うことあるけど。まあ、なんとかなるって。ならなかったらその時はその時に考えよう。

 携帯を動かし、電話帳機能から千冬さんに教えてもらっていた電話番号へと電話を掛けるのだった。

 

 ――頼むから電話に出てくださいよ。千冬さん。




基本的に軽いノリというか明るい雰囲気で進んでいきます。


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第二話 女の子になってしまった一夏君(2/2)

 一夏の姉である千冬さんに電話を掛けると、何回か呼出音が鳴った。少し遅れて聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。千冬さんだ。よし、落ち着け。今の俺には女の子になってしまった一夏に代わって、今すぐに千冬さんに伝えなければならないことがあるんだから。

 

『私だ』

「あの千冬さん、いまお時間大丈夫でしょうか?」

『ああ、丁度いま休憩に入ったところだ。何か用か?』

 

 よし、言うなら今しかない。千冬さんがもしかしたら俺に底冷えする声を掛けてくるかもしれないが、もうこうなったら腹を括ってやる。

 

「千冬さん、落ち着いて聞いてほしいことがあります。これは冗談でもイタズラでもない本当のことなのでちゃんと聞いてください」

『話してみろ』

「一夏が女の子になりました。原因はあなたの友人であるウサミミアリスです」

『……』

 

 千冬さんの声が聞こえなくなり無言が続く。それが五秒だったか、五分だったか分からない。俺にはこれがラジオかテレビだったらこの無言は放送事故だろうなーとか思いながら千冬さんが次にどんな言葉を発するのかただ待つことしかできなかった。

 

『今すぐ向かう。和行、今どこにいる?』

「千冬さんと一夏の家です。一夏や鈴も一緒です」

『わかった』

 

 そんな短い会話を最後に千冬さんとの電話は切れる。携帯をしまうとリビングに戻り、千冬さんが家に帰ってくることを二人に伝えた。その間、俺達は話し合いを行うことにした。三人寄れば文殊の知恵になるかは分からないが、今の一夏をどうするかくらいの案は浮かんでくるだろうと踏んだからだ。

 

「次の問題は一夏の服装とかだな」

「服?」

「お前、女物の衣服類なんて持って無いだろ?」

「おい和行。お前、まさか……」

「ああ、一夏にはしばらくの間女の子の服とか下着を着て貰う」

「はぁ!? 女の子の服装とか嫌だぞ俺!?」

 

 俺が意を決して宣言した途端、やはりというべきか一夏は俺に対して抗議の視線をぶつけてくるが俺はそれに臆せずに話を続ける。

 

「俺だってこういうことはしたくないけど、すぐに一夏が元に戻る訳でもないだろ」

「うっ……それは」

「それにだ。男物ばかりだと色々と問題が起こるだろからな。ある程度は対策しないとまずいだろ」

「頭ではなんとなく解るんだが……はぁ」

 

 俺の言葉に反論も出来なかったのか、一夏は乱暴に自分の頭を掻いてから溜息を吐いていた。いきなり女の子になって精神的に辛い状態になっているだろうが、こればかりはちゃんと言っておかなければならない。これに関しては誰かが言わないと駄目だろうから、俺がその役回りを引き受けた訳だ。

 先程から一切話していない鈴だが、俺が一夏に言った話を切り出す前に鈴に少しだけ耳打ちした際に「分かった」と簡潔に述べたので余計な口を挟まないようにしてくれているのだろう。そう考えたいた時だった。鈴が俺の方を見て口を開いた。

 

「しっかし、なんであんたはそんなに冷静なのよ」

「そうだよな。和行、さっきから対して動揺してないし」

「……動揺しまくって却って冷静になってるだけだ。こちとら、さっきから頭痛が酷いんだぞ」

 

 俺が一夏に鈴にそう返すと家の玄関が開く音がしたので玄関に向かう。するとそこには、いつもクールな顔をしているはずなのに今は完全にそのイメージが飛んでしまっている千冬さんが居た。時期は既に四月。寒さも和らいでいるがそこまで汗を掻くような季節でもないのに千冬さんの額には汗が滲んでいる。

 それほど急いできたのだろうかと考えていると千冬さんが俺の肩に両手を置いて未だに信じられないと言わんばかりの表情で尋ねてきた。すいません、少し腕の力を抜いてくれませんか? 肩がめっちゃ痛いです。これ肩に罅入ってないよね? 大丈夫だよね?

 

「本当なんだな? 一夏が女になったというのは」

「は、はい。いまリビングに居ます」

 

 俺の言葉を聞いた千冬さんは「そうか……」と呟き、俺の肩から両手を放すと靴を脱いでリビングに向かっていく。千冬さんの後を付いてリビングに戻ると俺の言葉が本当だったということが分かったのか、一夏を見ながら少しばかり茫然としているようだった。何か飲物をと思い、一夏に断りをいれて千冬さんのためにコーヒーを用意することにした。

 お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れ終わったので好みで砂糖を入れられるように砂糖が入った容器を一緒に手に持って千冬さんの前に置く。

 

「どうぞ、コーヒーです。砂糖とミルクもどうぞ」

「ああ、すまない」

 

 いつもと違い厳格そうな雰囲気を漂わせていない千冬さんがそこに居た。まあ、こうなるよな。本人は口には出さないが大事に思っていた唯一の肉親である弟の一夏君が、妹になったのだから。とりあえず、俺達が考えた今後の対策案を千冬さんに伝えることにしようか。これなら千冬さんも頷いて協力してくれるはず――多分。いや、きっと。弟のピンチなんだ。一夏と鈴の二人とこそこそと話を終えると、俺が代表して千冬さんに先程決めたことを話すことになった。

 

「千冬さん。一夏や鈴とも話したんですが、犯人であるあの人を多分捕まえることは不可能でしょうし、解決策を見つけるにしてもしばらくはこのままの生活になると思うんですよ」

「そうなるだろうな」

「なので、一夏にその……女性服や女性物の下着を着させたり、女性の体の特徴に付いてのあれこれを教えた方がいいって考えが纏まりまして」

「なるほど。女性物の服や下着か」

 

 俺と鈴の言葉を聞いて千冬さんはコーヒーのカップをソーサーに戻して顎に手を当てている。これが俺たちが精一杯考えたことだ。戻れる方法がない以上は元に戻る方法が見つかるまで一夏にはこのまま女性として過ごしてもらうのが最善だろう。出来れば今日中に最低でも衣服類と下着だけは用意すべきと進言も忘れずにしておいた。

 何故なら今の一夏はノーブラなのだ。繰り返す、ノーブラなのだ。そう、ノーブラなのだ。大事な事なので三回言いました。一応下の方は男物のトランクスを穿いているが非常によろしくない。主に思春期男子の妄想や女の子に対する欲望へのダイレクトアタック的な意味で。

 俺が一夏に女性物の下着を着せようとしたのもこれが原因だ。あれはヤバい。一夏は男だと頭では解ってはいるんだが……。

 

「それじゃあ頼みましたよ」

「ああ、任せろ」

「鈴も頼むぞ」

「ま、任せなさい」

 

 そういう訳なので千冬さんと鈴にはそっち方面のことを担当してもらうことになった。俺は一夏の精神面のサポートを請け負うよ。昔からの親友だし、精神的には一夏も男だから、その方が良いだろうから。話がとんとん拍子で進むのは楽でいいんだが、なんか束さんの手の平の上で転がされているような感じもしてかなり怖いという感覚もある。

 あとはそうだな。千冬さんを待っている間に一夏に頼まれたんだよな、頭を下げられて。あの二人はアレだから俺の方がいいって。なんでだよ、一応あいつらもお前の友達だろうが。弾と数馬とかにも一応手助けしてもらおうと考えてたのに、俺の考えをへし折るのはやめろ。

 

「では行ってくるぞ。鈴音、そっちは持ったな?」

「は、はい。持ちました千冬さん」

「あ、あの、二人とも? なんで俺の両腕を掴んでるんだ?」

 

 なんでって、お前が逃げないようにする為だろ一夏。織斑宅の戸締りを終え、玄関が締まったのを確認した俺は千冬さんと鈴に千冬さんの私服を着させられてどこぞの宇宙人よろしく連れて行かれる一夏を織斑家の玄関前で見送る。

 

「少し休むか……」

 

 休憩を入れるために一旦自宅に帰ることにした。肉体は全然疲れてないけど精神的にめっちゃ疲れたのよ。その後、一夏や千冬さんとの買い物を終えた鈴が呼びに来るまで勉強をして気を紛らわしていたのはどうでもいい話だろう。

 自宅に鍵を掛け、再び織斑家へと足を踏み入れた俺の目にあるものが飛び込んでくる。それは女性物の服を来た一夏だった。

 

「へっ……?」

 

 思わず喉が鳴りかけ、何故か妙に胸が騒がしくなる。なんと言えばいいものか、今の一夏の魅力を引き立たせるようなその装いに言葉が出なかった。誰がこれを選んだのかと鈴に聞いたら、店の店員さんが見繕ってくれたとのこと。ナイスです、鈴と千冬さんが服を買いに行った服屋の店員さん。一夏の可愛さが引き立たされていて――あれ? 俺、なんで一夏が可愛らしく着飾っていることにこんなに喜んでいるんだ? なんだかよく分からない感覚に陥ってるような。いや、気にしないようにしよう。気持ちを切り替えれば大丈夫だ。

 ちなみに鈴によれば服の他にも一夏の下着のサイズ測りを始め、一夏の下着と化粧品類の選定とかも全部買い物に行ったショッピングモールのそれぞれの店舗の店員さんに任せたらしい。

 

「と、とりあえず。一夏、今の気分をどうぞ」

「滅茶苦茶恥ずかしい……。な、なあ、千冬姉。胸の回りに違和感があるんだけど。あとスカートの所為か足がスースーする……」

「大丈夫だ、直に慣れる。それとだ、今後は女言葉も使えるようにしておけ。別に私は今の口調でも構わんが……使えないと今後困ることが出てくるだろうからな」

「あ、ああ、分かった――じゃなくて。うん、分かっ……たよ。千冬姉」

 

 胸の回りの違和感はおそらく男では一生着けることはないであろうブラジャーの所為なんだろうな。それと女性物の服を着ていることの羞恥もあるみたいだな。そりゃあね、昨日まで男物の服ばかり着ていたのに、女物の服を着ることになったからな。一夏の反応も頷けるというか。ふと、不穏な雰囲気を感じたので鈴の方を見てみる。

 

「ぐるるるる……」

 

 ……鈴。なんで一夏の胸を親の仇みたいに睨んでるんだ? いや、理由は分かってるけどさ。やめてあげなさいよ。ほら、鈴の視線に気づいた一夏が困惑してるじゃん。確かにあの胸は驚異的だが一夏だって好き好んであんなデカくなったわけじゃないのは鈴も理解してるだろ? まあ理解してても納得できないんだろうけど。

 

「最初見た時はショックのあまり大して気にしてなかったけど、なんなのよあの胸。喧嘩? 喧嘩売ってるの? なら買うわよ?」

「鈴、落ち着け。やめろ、やめるんだ」

 

 そう、小さいことを気にしている鈴がかなり大きい一夏ちゃんの胸を妬んでいるのだ。ちなみに鈴に貧乳は禁句になっている。クラス中、下手すれば学校中の人間がその認識を共有しているだろう。もし彼女に貧乳と言ってしまったらこちらがハイクを詠む羽目になる。

 二十歳にも満たない若さで爆発四散したくないので言わないのが吉だ。つうか、鈴はまだ中学二年なんだからこれからな気もするんだがな。俺に落ち着けと言われたからか、鈴はわかってると何回も呟きつつも一夏の方を睨むのをやめた。

 

「……なんだか、腹減ってきた」

 

 時計を見るともう晩御飯の時間へと差し掛かっていた。さて、ここで問題があります。うちの家と織斑家は結構仲が良い方なので、お互いの家で毎日交互に晩御飯を食べ合うという事が普通になってるんだよね。

 うちの母さんはぶっ倒れた影響が長引いたせいかまだ入院中だし、親父はもうこの世に居ないし、千冬さんは片づけ以外の家事がてんで駄目な上に家に居ない日が多い。そういう事情もあるので平日は一夏と一緒に晩御飯を食べて、休日や祝日は昼食も食べることが以前よりも多くなっていた。

 今日は本来一夏が飯を作ってくれる日であったのだが、肝心の一夏が女の子になって精神的に弱っている状態だ。精神面の問題を考慮して少し休ませた方がいいだろ。いきなり女の子になってあいつの内面はボロボロだろうから。

 

「ふむ……」

 

 俺はお世辞にも上手いと言えない一夏以下の腕前であり、鈴も料理は出来るが今日の鈴は客人だ。わざわざ厨房に立たせるなんてできない。千冬さんに関しては完全に論外だ。包丁で食材ごとまな板を両断したり、フランベもしてないのに豚肉を焼いてたフライパンから火を出して豚肉を炭に錬成するような人に任せるなんてできないわ。というか、下手したら肉とか魚を焼く前にこの家の方が焼けるぞ。……ほんとうにどうしようこれ。

 しゃーない、俺が作りますか。そう考えを巡らせつつキッチンへ向かおうとしたときだった。俺よりも先にキッチンへと向かう影が一つ。千冬さんにしては身長が低く、でも鈴よりも身長が高いとなれば、今の織斑家の中でその特徴が当てはまる人物は一人しかいない。

 

「一夏?」

「ん? ああ、気にするな、俺が料理するよ」

「いや少し休んだ方がいいんじゃないのかお前」

「何もしてない方が反って体に悪いから」

 

 一夏だった。しかも自分から進んで料理すると言い出したのだ。俺からしたらまだメンタル面も荒れてる部分が残ってるだろうから休んでいてほしかったんだが。でもなあ、一夏って一度言い出すと首を縦に振ることなんてないからなあ。よし、ならここは俺と分担作業させることにしようそうしよう。

 

「一緒にやるのは駄目か?」

「え? まあ別にいいけど?」

「なら決まりだな」

 

 そう言ったのを皮切りに一夏と共同で料理を作るのを進めることになった。四人分だからなあ、いつもは俺と一夏の分だけ作ってたが今日は千冬さんと鈴も居る。多めに作るんだから手があった方がいいだろう。そんなことを考えていると、

 

「その、ありがとうな」

「え?」

「心配してくれてさ。ありがとう和行」

 

 …………ヤバい。これマジでヤバい。どれくらいヤバいかっていうと、前に家庭科の授業で一夏が作った料理を食べた女子生徒達と一部の男子生徒が至福の笑みを浮かべながら失神しまくった所為で授業が進まなくなった時よりヤバい。そのイケメンスマイルならぬ美少女スマイルやめて。俺、顔赤くなってないよね? 耳まで赤くなってないよね?

 ああ、なんか一夏に惚れてる(ほうき)、鈴、女子生徒や男子生徒の気持ちが分かるわこれ。マジで心に光差し込んで心が澄み切っていくような感覚になってきた。ああもうなんか、これ自分好みの美少女の外見になった一夏にこれ言われると俺もう駄目な気がしてきた。

 

「ち、千冬さん。和行、大丈夫なんですかあれ……?」

「ん、ん……」

 

 何やら後ろの方で鈴が俺の名前を出しているがなんだろうか? 千冬さんはなんか返事に困った声を出しているし。俺は大丈夫だよ鈴。俺はいつも通りだから。ただちょっとハッピーな気分になってるだけで。いつもより俺の料理する手際が良くなっている気がするが普通です。え? それはもういつも通りじゃない? そうですか。

 てか、駄目だろ。冷静に考えろ俺。一夏が元に戻らなかったら箒や鈴の恋心はどうなる。報われないままとか流石に可哀想すぎるだろ。一夏は男、一夏は男、一夏は男。ふう、少しだけ落ち着いた。

 

「ん? どうかしたか?」

「いや何でもない。気にするな、親友だろ」

 

 そう言って俺は料理を作る作業に集中することにした。よくわからんが女の子になった一夏と話してると調子狂うわ、なんなんだろう。てかこいつ、自分がイケメンスマイルならぬ美少女スマイルしていた事に気付いてない? 無自覚であれとか怖すぎる。今までの女を落としていくスタイルから、男を落としていくスタイルに変更しそうなレベルなんだけど。

 

「怖すぎるわ」

「え?」

「なんでもない」

 

 まあ、そんなこんなで何とか料理を作り終えて食事も終えたわけなんだけどさ……食事の席が俺の隣が一夏、正面に千冬さんと鈴が座ることになったのには少しだけ納得がいかなかった。ここはさ、鈴を一夏の隣に置くべきだったと思うのよ。だって女の子になってるっていっても、一応鈴の想い人なんだぞ一夏は。もし次があるなら俺は千冬さんの隣の方がいいです。

 で、その千冬さんはいま家にはいない。鈴を家に送るために外に出ている。最初、俺が鈴を送ろうとしたのだが、千冬さんが「いいから家に居ろ」と仰ったので大人しく家に居ることにしました。

 まあ、あの人なら大丈夫だろう。生身の身体能力がおかしいし、並の変質者なら瞬殺できると思うわ。そりゃあISを用いた競技大会である第一回モンド・グロッソで圧倒的な実力で優勝してブリュンヒルデとか呼ばれる訳だよ。まあ、千冬さん本人はブリュンヒルデって称号が嫌いみたいだけどな。

 理由は隣で俺と一緒にテレビを見ている一夏だ。例の誘拐事件で一夏を連れ去られたことが相当精神的にきていたらしくあの事件以降、自分のことをブリュンヒルデと呼ばれるのを嫌がるようになったみたいだ。第一回モンド・グロッソ優勝者にして第二回モンド・グロッソ連覇という目前で優勝筆頭候補に挙がっていた千冬さんが棄権したことはかなり話題になってたよ。世間一般には誘拐事件とか完全に伏せられていて詳細は知らされていないが、少なくとも千冬さんの肉親が絡んでいるという噂だけは伝播しており中には悪く言う奴もいたがとんだ見当違いだ。

 というかあの事件で一番辛い思いをしたのは一夏だろうしな。口には出さないが自分の所為で憧れの姉の連勝を止めちまった負い目があるっぽいし。怪我人に塩を塗り込むような噂を垂れ流す輩は早々にこの世から消えて欲しい。……あの時、一夏が攫われるのを止められなかった俺も結構辛かったよ。一夏が居ないと思ったら、誘拐現場に出くわしたんだぞ。声を出すことも出来ずにただ見ていただけだった。一夏は気にしていないと言っていたけど、俺は……。

 ……このことを考えるのはやめよう。気分が暗くなるだけだ。そうだ、一夏に聞かなきゃいけないことがあったんだ。俺はゆっくりと一夏の方を向き、口を開く。

 

「一夏」

「なんだ?」

「もしもだけどさ、男に戻れないってなったら――お前、どうする?」

 

 これは大事なことだ。束姉さんのことだから一夏を元に戻す薬くらい作れるだろうし、今回のは恐らく性質の悪いイタズラだろうから。でも、万が一戻れないことが分かった場合、一夏はどうするのだろうか。もしかしたら今はまだそんなことを考える余裕はないのかもしれない。それでも俺は一夏の答えが聞きたかった。



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第三話 女の子になっても

 和行とテレビを見ている最中に、男に戻れなかった場合の話を振られた俺は「ああ、やっぱりその話題が来たか」と思ってしまった。ある程度は予想してたさ。千冬姉にも買ってきた女性物の服を着させられている時に一応言われたしな。でも、女性である千冬姉に言われるのと、和行に言われるのとじゃ言葉の重みが違うというかなんというか……。

 千冬姉の場合は単純に家族としてこっちを心配している感じだったけど、和行の場合はそんなものじゃなかった。長年連れ添ってきた――これは誤解を呼びそうな言い方だからやめよう。単純に昔から親友だと思ってる和行から言われると一体どう答えればいいのか分からなくなってくる。

 

「どうって言われても……」

 

 俺はまだ、今朝目覚めたらいきなり女性になってたショックからまだ立ち直れてない。千冬姉や鈴、和行のお蔭で今はギリギリなんとかなってるけど結構キツいんだからなこれ。元々体にくっ付いていたものがなくなって、別のものがくっ付いていると知ったときの混乱っぷりは多分この世で俺以外誰も経験してないだろうし。

 それにだ。中身は男なのに、自分の姉に生理用品やらブラジャーの付け方やらなんやらの説明されるなんて思ってなかったからかなり辛い。体が女の子になったことより、千冬姉にそういう知識を教えられたことの方がよっぽどキツかったほんと。ていうか、一気に話されても覚えられないよ、千冬姉。その時の千冬姉の顔からして千冬姉も動揺してたんだろうけどさ。

 その他にも和行よりも先に来ていた鈴に不審者を見るような目で見られるわ何やらで辛かった。懇切丁寧に説明したらなんとか矛を収めてくれたけど。あー、てかどうしよう和行への答え。どう答えるかも考えてなかったし、どうしようか。

 

「すまん。いきなりこんなことを訊かれても困るよな」

 

 俺の沈黙を俺が言いたくないという意思表示だと誤解したのか、和行がそんな風に声を掛けてきた。そんな申し訳なさそうな顔されるとこっちの方が困るんだが。

 

「いや、その、お前に言われるまでそのことをすっかり忘れてた……」

 

 俺は面目なさそうに後頭部を右手で掻くのに合わせてすっかり長くなってしまった髪の毛が少し揺れる。和行が俺の揺れている髪をじっと見てるのが手に取るように分かった。ああ、そういえば和行って黒髪の女の子が好きだったっけ? そのことをよく弾や数馬に弄られて、その度にキレ芸を披露してたような……。

 うーん、最初は煩わしかったから買い物帰りにカットしてもらうかと思ったんだけど千冬姉に止められたんだよなあ。物凄い迫真の表情で「髪を切るのはやめろ」と凄んでくるから本当に怖かった。近くに居た鈴も涙目になってたし。あんな顔した千冬姉なんて殆ど見たことないぞ。

 

「お前……」

 

 俺の言葉を聞いた所為か、和行の目がこちらを心配するような目からジト目に変わり、俺を非難するかのような視線をぶつけてくる。いや、そのなんだ、すまん。

 てか、お前さ、ちょくちょく俺の髪見たりしてるのバレバレだからな? 本人はバレてないつもりなんだろうけど。これが良く女性が言う「お前が見ているのは分かってるぞ」ってやつなんだろうか。今日一日だけで、視線に敏感になっている気がする。やはり体が女性になってるからかな? よくわかんないな。

 よく考えもしないで束さん特製の性転換ドリンクを飲んだ俺も悪いけど、束さんもなんで俺を性転換させるような真似をしたんだろ。いや、それよりも今は和行の視線だな。物凄く視線が痛いのとチラチラと髪の毛を見てくるのがアレだから、さっさと会話に集中させないと。

 

「まあそれはその時に考えるよ」

「そうか……」

 

 無難な言葉で答えることにしておいた。和行が短く返事をすると同時にこっちをチラチラ見ることもしなくなった。だが、そこで会話が一時的に止まり、テレビから流れてくる音声だけが二人きりのリビングに響いている。それから少しの間、和行とただテレビを見ていたのだが和行はそれ以降一向に喋ろうとしなかった。

 ……キ、キツい……。無言に耐えられないぞこれ。内心視線が鬱陶しいって思ってすまん、頼むから少しだけでもいいからこっちを見てくれ。いつもなら和行と馬鹿話とかをしてるはずなのになんか今日は何処か違う。さっきのようにチラチラ見てくれてたりした方がまだ会話の糸口があったぞ。和行が俺の方を何回も見てきていることを責めるような感じにはなっちまうけど。

 はあ、諦めるか。和行が声を掛けてくれるのを諦めた俺は、和行と同じようにテレビに視線を向ける。テレビから流れ来る音を聴いていると、ふと頭の中にある考えが浮かんできた。

 千冬姉や鈴、和行は俺が女の子になったことを本当のところをどう思っているんだろう。内心気持ち悪いと思ったりしてないだろうか。そう考えた途端、もの凄く不安な気分に陥った。だって、中身は男のままなのに外見は女の子なんだぞ? チグハグすぎておかしいだろこれ。こんな気分になるのはやっぱり精神的に疲れているからなんだろうか。

 

「――なあ一夏」

「ん、どうした?」

 

 さっき話した辺りから俺と会話するのをやめていた和行が再び声を掛けてくる。和行の俺を見る目は真剣だ。先程みたいにちょっといやらしさが混じったような視線じゃなかった。

 

「お前が女の子になっていても、俺はお前の味方だからな?」

 

 意を決して言ったのだろうか、それとも沈黙に耐え切れなくてそう言ったのだろうか分からなかったが、俺はその言葉に思わず胸を打たれた。千冬姉や鈴とは違う言葉。それにどこか温かみを感じた俺はいつの間にか目から涙を流していた。千冬姉や鈴も本当は俺のことをちゃんと心配していてくれることは分かってたんだ。

 でも、和行のように直接言葉にして言われていないから――嬉しい。うん、ちょっと精神的に弱っていたみたいだな俺。でも、もう大丈夫かも。和行の言葉で少しだけ救われた気がしたから。

 

「お、おい!? な、なんで泣くの? 俺、何かやっちゃった!? と、とりあえず俺の新しいハンカチで涙拭けよ。あ、あとはメディイイイイイック! メディイイイイイック! 主にメンタルケア的なメディイイイック来てえええええ!」

 

 俺が泣いていることに驚いたのか和行がハンカチを差し出してきた。それになんか錯乱しているのか衛生兵を呼んでるし。なんだかあの必死な顔を見ていると面白くて笑いがこみ上げてくる。貸してもらったハンカチで涙を拭きながら笑っていると、

 

「一夏ああああああああ! お前、ついに涙を流しながら笑顔を浮かべるようになっちまったんだな……そんなに女体化したのが辛かったんだな。すまない、お前が女の子の服を着ているのを見て少しだけ可愛いなとか思ったり、チラっとお前の黒髪を眺めたりして本当にすまないと思ってる……!」

 

 なんか勘違いされた挙句、顔面蒼白一歩手前な顔でとんでもないことをぶっちゃけられたんだけど! 髪の毛を見てたのは気付いていたけど俺の事可愛いとか思ってたとかお前。俺は一応男だぞ? 昨日まで男だったんぞ俺? 可愛いとか言われても嬉しくないぞ。てか、そういうのは俺みたいなのじゃなくてちゃんとした女の子に言ってやれよ、そういう言葉は。お前なら頑張れば良い彼女作れるから。

 まあなんだ。和行、一つだけ言わせてくれ。

 

「俺の感動返せ!」

「なんで!?」

 

 なんでじゃないだろ馬鹿。自分の胸に聞け。せっかく和行の言葉に感動してたのになんか台無しにされた気分だ。でも、さっきよりは気分は楽になったかも。千冬姉や鈴と話してた時と違って、和行と話していると結構落ち着くんだよな。やっぱ同性だからなんだろうか?

 ……話は変わるが、女性と言えば――重い。凄く肩が凝りそうだなこれ。俺がどこのことを指して言ってるのかってのは内緒だ。和行はこっちの方には必死になって目線を合わせないように頑張ってたな。……ちょっと面白かったかも。視線を下に向けてちょうどそこにある二つのものを見ていると隣の和行からまた声が掛かった。

 

「あ、そうだ。一夏、俺で女言葉の練習してみないか?」

「え、いいのか?」

「お安いご用です」

 

 唐突に和行がそう提案してきた。うーん、なら手伝ってもらうか。本当は慣れたくないけど、これから生きるのに必要になるかもしれないし。

 

「じゃあ試しに女言葉で俺に話しかけてみて」

「な、なあ和行」

「はいダメ―」

 

 え? 駄目なの? あ、全然女言葉使えてなかったのか。……気づいてなかった。その後も何回か和行に女性語使おうとしたのだが、何故か全然上手くいかず和行に駄目だしを喰らって軽くふてくされそうになるが、何度目かの再挑戦でようやく和行に女言葉で話しかけることが出来た。

 

「ね、ねえ。和行」

「オーケーだ。……リテイク数が十五回なのは見なかったことにしてやる」

 

 あ、あれ? そんなにやり直していたのか? 全然気づいていなかった。というか和行、いちいち数字を数えていたのかよ。

 

「たった数時間で完璧に女言葉が使えるようになると思ってないから大丈夫だ。これから頑張っていこうぜ?」

「う、うん」

 

 なんで和行はこんなにやる気なのだろうか、練習相手になってくれるのは純粋にありがたいけどさ。ん? いま玄関の開く音がしたな。千冬姉が帰ってきたのだろうか、俺はそう思いながら玄関の方へと向かう。そこには予想通りというべきか千冬姉が鈴を送って帰ってきたところだった。どこか疲労感が漂ってくる姉の顔に罪悪感が沸き上がってくる。俺の所為で精神的に疲れてるんだろうな。なんだか申し訳なくなってきた。

 

「お帰り千冬姉」

「ああ、ただいま」

「その大丈夫? なんか疲れているように見えるけど」

「いや、大丈夫だ。お前の所為じゃないさ」

 

 うっ、心を読まれた。千冬姉が大丈夫っていうなら大丈夫なんだろうけど、やっぱ心配だなあ。玄関で俺たちが話している声が聞こえたのかリビングから和行が顔を出してきた。

 

「千冬さん帰ってきたのか?」

「ああ」

「じゃあ俺は帰るわ。そろそろ時間だし」

 

 時計を見るといつも和行がうちに来た際に家へ帰る時間になっていた。流石に家に帰ろうとするのを止めるわけにはいかないんで和行が家に帰るのを見送ることにした。おやすみなさいと言って帰っていこうとする和行だったけど、途中で玄関を出るのをやめて「忘れてた」と言ってこちらに顔を向けてくる。

 何か言いたいことがあるんだろうか。よくわからないけど、和行が忘れてたっていうくらいだから俺たちに何か大事な用事を伝えるのを忘れていたんだと思うけど。

 

「母さんが見舞いに来てくれってせがんでたんで今度行ってやってください」

「……そういえばしばらく行っていなかったな。八千代さんの退院日はいつなんだ?」

「来月か再来月ですね。七月までには退院できるってお医者さんが言ってました」

「そうか。それはよかった」

 

 千冬姉、嬉しそうだな。五反田家の蓮さんや厳さんや鈴の両親も結構良くしてくれるけど、千冬姉や俺からしたら和行のお母さんである八千代さんの方が付き合いが長いからなあ。でも八千代さんってさ、どっちかというとお姉さんって感じがしてあんまお母さんっぽくないんだよ。

 その所為か千冬姉もどっちかというと仲の良い姉のような感じで接してるしなあ。まあ、八千代さんが退院できるのは良い話だ。俺にとっても八千代さんはもう一人の姉のようなものだし。また八千代さんの作った料理を勉強させてほしいなあ。

 

「じゃあ伝えましたからね? 今度こそおやすみなさい」

 

 そう言って和行は自宅へと帰っていく。こんな夜に一人で家に帰るなんて本来なら心配するところだが、和行の家ならすぐ隣だし変な事に巻き込まれるなんてことあるわけが――ん? 携帯の着信音、誰のだ? 音がする方を見ると千冬姉が無言で携帯を取り出して画面を見ていた。誰かからメールでも来たのだろうか。って、あれ? 千冬姉がまた出かけようとしてる。どこに行く気なんだ?

 

「千冬姉、どこに行くんだ?」

「心配するな。ちょっとイタズラウサギを懲らしめに行くだけだ」

 

 あの、千冬姉? 俺、その言葉の所為でものすごく心配になったんだけど。主に束さんの事が。

 いやだって、イタズラウサギってあの人しかいないじゃん。俺の返事を聞くこともせず千冬姉はそのまま玄関を出ていく。大丈夫かな~と姉の身を一応心配しながらリビングに戻ると和行の家の方からどこかで聞いたことがある女性の声のようなものが聞こえた気がしたが気のせいだと思うことにした。さて、歯を磨いて寝ようかな。精神的にかなり疲れたしもう起きていたくないんだよ。

 

◇◇◇

 

 自宅に帰って玄関を開けたらリビングの方に不法侵入者的なウサミミが居たので千冬さんに通報しました。通報は義務です。メールで連絡して二分以内にたどり着いた千冬さんの見事なテクニックでウサミミ――束姉さんを締め上げることに成功。ついでにうちの家の玄関の鍵をピッキングした際に使用したと思われる道具は既に取り上げてある。

 なお取り上げた際に「私の華麗なピッキングを見せる為の道具があ~」とか意味不明なことを言っていたが、束姉さんのネタ発言やら意味不明な発言は今に始まったことじゃないので気にしないようにしておこう。てか束姉さん、普通に犯罪だからねそれ? そこんところ把握してます?

 ぶうたれている束姉さんに一夏に戻る方法をド直球で聞いたのだがふざけた回答をしたのでいま束姉さんは正座させられています。当の本人はかなり不満そうな顔をしているけど、こっちが真面目に話を聞こうとしているのにふざけたことをすると正座させられるって古事記にもそう書かれているからね、しょうがないね。え、書いてない? そうですか。

 

「はぁ……」

 

 砂糖とクリームが入ったコーヒーに口に付ける俺と、普段はブラックコーヒーは胃に悪いからダメだと言ってくる一夏がこの場に居ないからか堂々とブラックコーヒーを飲んでいる千冬さんに睨まれている束さんという図が形成されている。さて、問いかけにちゃんと答えてくれるかどうか。

 

「さあ、束さん、もう一度だけ訊きます。嘘偽りなく答えてください。一夏に女の子から男に戻る可能性は残されているんですか?」

「え、戻る可能性? 簡単に性転換できるような性転換薬を使ったから戻れるよ?」

 

 あっけらかんと答えやがったよ。ならさっきはふざけたんですかねえ。怒られたいの? ドMなんですかあなたは。

 

「ただね、その戻すための薬はまだ作れてないからしばらくの間はいっくん――いや、今はいっちゃんだね。いっちゃんにはそのままで居てもらうしかないけど」

「そんなに時間が掛かるのか?」

「私ってそこまで薬とかの方面に詳しいわけじゃないからねえ。ちょっと時間掛かるんだよ。それにもう少し女体化して困惑するいっちゃんを見ていたいんだよね。そのためにあの薬を私が作った栄養ドリンクに混ぜたんだし」

 

 ……は? 今なんて言った? まさかこの人、一夏が困る顔を見るためだけにあんなことしたの? 馬鹿なの? 阿呆なの? 天才と馬鹿は紙一重っていうけどあの言葉って本当だったんだなあ。つまりは束姉さんの思いつきでこういう変な事態が起きたって事でしょ。

 ……あの千冬さん、怖いです。めっちゃ怒ってますオーラ出てるんですけど。別にそういうオーラ出すなとは言いませんけど俺を巻き込むのはやめてください。ちびりそうです。こりゃあ次の瞬間には――

 

「ちょっ!? ちーちゃんギブブブブブ!?」

 

 千冬さんのチョークスリーパーが束姉さんの喉にキマっていた。どうやって俺の隣から束姉さんの背後に移動したんだ。瞬間移動の超能力でも持っているんだろうかあの人は。俺も束姉さんを一発ぶん殴りたい気分になっていたが、先に千冬さんが手を出していたのでそんな気分は既になくなっていた。あ、ちなみに束姉さんを助けたりはしないよ。束姉さんが必死に助けてくれと言わんばかりの目線を向けてきているけど、束姉さんが訳の分からないことをやらかしてくれた所為でこっちは精神的に疲れまくったんだから天罰だと思って受け入れやがってください。

 ……やばい。もうなんか眠たくなってきたわ。一夏を女の子にした理由があまりにアホらしすぎて気が抜けたというか。一気にコーヒーを流し込んだ俺はおもむろに立ち上がりながらコーヒーカップを台所のボウルに入れて水を張りながら千冬さんの方を見る。

 

「千冬さん、俺なんか疲れたんで自分の部屋に戻りますわ。後の事は任せます。あ、うちの合鍵は持ってますよね?」

「ああ、持っている」

「じゃあ後の戸締りお願いしますね。それと殺るなら証拠は残さないようにお願いします。コーヒーカップはボウルの中に置いておいてください。明日洗うので」

「わかった、お前は早く寝ろ。……これは鈴音にも言ったことだが、和行、お前にも迷惑掛けたな」

 

 束姉さんを締め上げながら申し訳なさそうな顔でこちらに謝ってくる千冬さんという何ともチグハグな状態がそこにあったが、俺はちょっとしたイタズラ心を込めながら千冬さんに言葉を返した。

 

「別にこれくらい一夏の恋愛フラグ乱立、ラッキースケベ騒ぎに比べればなんてことないですよ」

「……愚弟が世話を掛ける」

 

 俺がマジな目をして言った所為か千冬さんがそう返してきた。まあ、もう慣れましたけどね。小学二年の頃から付き合いを計算するとかれこれ七年近くあいつと親友やってる訳ですし。一夏のあれは一生治らないと思う。恋愛でもすれば多少は改善されるかもしれないが、それまで行かないから困っているという前提条件が滅茶苦茶な状態になっているからね。

 ……駄目だ。このことを考えるのはやめよう、なんか頭痛くなってきた。俺は水道を止めると、千冬さんのおやすみという言葉を背に俺はおやすみなさいと言い残してそのまま階段を上がり、自室がある二階へと向かう。途中で束姉さんがこっちを引き止めるような声を出していた気がするが無視することにした。自室のドアを開けて扉に鍵を掛け、タンスから寝巻を取り出して私服からパジャマに着替え、明日の着るようの着替えを取り出した。

 ふと、俺の視界にあるものが映った。机の上に見慣れないものが置いてあったのだ。ベッド近くのハンガーに掛けてから俺は机に近寄った。掌サイズな機械で作られているウサギのぬいぐるみのようなものが置かれており、その隣にメモようなものがぬいぐるみの下敷きになる形で配置されている。いつの間にこんなものを設置したのだろうか。何となく気になったのでぬいぐるみを退けて、ぬいぐるみの下にあったメモを手に取って読んでみる。

 

「もしかずくんの身に何かあった時のためにこのミニぬいぐるみを送ります。防犯ブザー代わりに持っていてください。束姉さんより。――ねえ?」

 

 なんだかこれが本当に防犯ブザー代わりになるのかという疑問と胡散臭さの方が先行してきたが、まあ別に持っていてもいいだろうと考えを纏める。とりあえず明日着るための服の上に重ねておくことにした。そしてそのままベッドに寝転がると歯を磨くのを忘れていたことに気付いたのだが、既に睡魔の所為で体を動かすのが億劫になったので俺はそのまま就寝したのだった。



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第四話 黒髪ポニーテール

ちょっとだけシリアス。


 私は束の首を締め上げながら自室へ向かう和行を見送った。一夏が女になったせいであいつにも迷惑を掛けてしまったな。あいつなりに一夏の事を心配していたからな。私が締め上げている親友があまりにもアレな所為で、あいつらの仲が羨ましくなる時がある。

 和行が「あれ取って」と言うと、一夏が和行が欲しがったものを必ず手渡すといったことが何度もあった。何回お前らは夫婦かと言いたくなったか。……女になった一夏と和行であの光景を繰り広げることになったらますます夫婦にしか見えないだろうな。

 

「ちー、ちゃん……束さん、息が……」

 

 何か聞こえたが無視しよう。和行から一夏が女になったと聞かされた時は言葉が出なかった。何の冗談だと思ったが、和行がそのようなつまらない事を言わないことはよくわかっている。だが、やはり実物を見るまで信じられずにいた。正直、最初はショックを受けたものだが、一夏のことを考えてくれた鈴音と和行の提案を受け入れ、一夏のために色々と用意することになった。性別が変わってもあいつは私の大切な家族だ。絶対に邪険にしない。

 私と鈴音で色々と一夏のためにやることになったがその際鈴音が泣きそうになりながら一夏の服を選んだりしていたが、あれは鈴音に限らず一夏に惚れてた女なら少なからず戸惑いはするだろう。自分が恋した相手が女になるなど拷問以外のなにものでもないだろうからな。流石の私も、あいつに生理用品やらブラジャーの付けた方を教える際は心が荒れそうになった。

 ふと腕を叩かれた。私の腕を叩いたであろう馬鹿の方へと目を向けると束がまだ私のチョークスリーパーに抗っているようだった。

 む? なんだこいつ、まだ気絶していなかったのか。気絶させて日本政府辺りにでも突きだそうと思ったのだが、相変わらず無駄にタフだな。一夏を女に変えた理由がふざけたものであった怒りはまだ消えていないがこのまま続けて天に召されても面倒なのでそろそろ解放しよう。私が首から腕を放すと束は息を整えてからこちらへと抗議の意思を示してきた。

 

「酷いよちーちゃん! 束さんのことを亡き者にする気!?」

「そうだが?」

 

 わざとらしくガーンなどと口にしているが、こいつが簡単に死ぬタマじゃないのは分かり切っている。伊達にこいつの親友をやっているわけではない。一夏に倣うなら生命力がゴキブリ並と言えばいいのだろうか。もっともそんな呼び方をすれば即座に束本人や和行に訂正させられるのが目に見えているので口には出さないが。

 まったく和行の奴め、こんな馬鹿に懐柔されおって。束が一夏と和行に姉さん呼びをさせようとした時に無理矢理にでも和行の方も止めればよかったのだろうか。いや、過ぎたことを気にしても仕方ないか。

 

「それで束、本当の理由を話してもらおうか?」

「理由?」

「一夏を女にした本当の理由だ」

 

 とぼけたふりをしているが一夏や和行はともかく、そんなのが私に通じると思っているのか?

 こいつは突拍子もなく馬鹿なことをしているように見えるが、その裏で色々な考えを張り巡らせてから騒ぎを起こすタイプだ。一夏を女にした理由に一夏が困惑している顔を見るというのは嘘ではなかろう。だが、本当のことを言っていないのも事実だ。

 

「さっすが、私のちーちゃんだね! ……実はさ、いっちゃんのことを前に誘拐したような奴等がまた現れたみたいでね。ここまで言えば、ちーちゃんなら分かるでしょ?」

「っ!」

 

 ふざけた調子から真面目な雰囲気と口調で話はじめた束の言葉に私は思わず顔を歪ませる。こいつはこういうときはふざけたことは言わないため束の言っていることは真実だと分かる。

 何故だ、どうして一夏を狙う? また私たちを苦しめるつもりなのか……。

 

「たださあ、今回はいっちゃんだけじゃないみたいなんだよね。ターゲットが」

「なんだと……」

「かずくんもターゲットなんだよね」

 

 思わず歯噛みした。一夏だけじゃなく和行もだと!? 私だけを狙うならまだ耐えられた。だが、妹の一夏や家族同然である和行を何故狙う。

 敵とも言うべき存在の意図が解らず苦い顔をする私の顔を見ながら束は「私の予測だけど」と前置きしながら話し始めた。まるで私の心を読んだかのようで気持ち悪かったが今はそのことで口を挟む事はしない。大人しく束の推論を聴こう。

 

「いっちゃんの誘拐をするのは単純に前に失敗した誘拐の雪辱を晴らす為、かずくんを狙うのはちーちゃんやいっちゃんに揺さぶりを掛ける為じゃないかな? 連中、時期はわからないけど確実にやってくると思うよ」

 

 私は淡々と紡がれた束の言葉を無言で聞くしかなかった。ふざけている、あまりにもふざけている。今の私には一夏や和行を守るための強さやそれを押し通すための力はないし、立場上そんなことは許されないのだ。何もできない自分に腹が立つ。自分への苛立ちが募るが冷静に感情を抑えながら束に尋ねた。

 

「お前が一夏を女にしたのは――」

「いっちゃんが狙われないためのカモフラージュだね。あと私の趣味。外見の方はすでに済んだからあとは戸籍やら関係書類やらをちょちょいと弄れば終わりって感じかな」

 

 またこいつはそんなバレたら不味いことを平然とやるつもりなのか。いや、こいつのことだからバレるなんてまずありえないな。だが、何故こうもこいつは大胆に犯罪行為をしていると告白出来るのだ。束の神経は昔から理解できん……。

 それを知ってなお、こいつの話に付き合って即座に政府に突きださない私もこいつの片棒を担いでいるようなものか。あの頃から変わっていない……いや、変わることが出来ていないということか。

 

「ただ、かずくんには悪いけど性転換とかでのカモフラージュなんてしないけどね」

「では和行はどうする気なんだ?」

「別の対抗策をかずくんの部屋に置いてきたから大丈夫。すぐに目が付くところに置いておいたし」

「別の対抗策? なんだそれは」

 

 私がそう尋ねても束は「ちーちゃんには秘密だよ」としか返してこなかった。危険なものでなければいいがこいつのことだ。何か裏で企んでいるのかもしれない。……警戒しておくとするか。一夏と和行を狙っている組織……。()()に助けを乞う。彼女ならば二人を護衛してくれるだろう。勿論内密にだが。

 

「ねえ、ちーちゃん。この世界は続いていくと思う?」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ」

 

 唐突な質問に私は頭を働かせる。この世界が続いていくと思うか、か……。さあ、どうなんだろうな。私にはそんなことをあれこれ考える頭などない。この世界は八年前に急激に変化した。ISが現れたせいだ。ISの巨大な戦闘力の前では既存の戦車や戦闘機など鉄くずと呼ばれてしまうほどだ。ISに乗れるのは女性だけ。今まで一度の例外も出ていない。その所為か、世の中は女尊男卑の風潮に支配されてしまっている。ISに乗れる女ならともかくISに乗れない癖に威張り散らしている奴等が居るからだ。そいつらの所為で男を虐げてもいいという風潮が助長されてしまった。

 元々ISが作られた本来の目的は宇宙開発のためだった。束は少なくとも私にそう言った。束の言葉に倣うならば今のISの在り方は本来の道から外れてしまっている。アラスカ条約でISの兵器利用は禁じられており、もっぱらISはスポーツとして用いられているがあんなものは建前だろう。軍用のISを作っている国もあるくらいだ。アラスカ条約など既に有名無実化している。

 私には各国の首脳陣や軍部の考えていることなど判らない。どうなるのかは誰にも予想できない。……もっとも、こんな世界にしてしまったのは私と束だ。白騎士事件などという阿呆なことを起こさなければこんなことにはならなかったかもしれない。

 

「ちーちゃん、またこの世界を変えてみたいと思わない?」

「馬鹿を言え。また世界を変えるだと? そんなことしたら再び起こる急激な変化で今度こそ世界が終わるぞ。……それにだ、お前は一体どうやって世界を変えるつもりだ」

 

 私はもうそんなことに付き合うつもりはない。一夏の成長を見届けなければいけないのに、そんなことに手を貸す余裕もない。それに私はもう職を持つことを迫られている身だ。束のように自由気ままに動けるような女ではない。大体、今の世界は歪なようでいて安定してきている。そこを下手に突けば安定どころか世界が崩壊する可能性だってあるのだ。

 全くもって馬鹿らしい。たった二人の人間に世界という名の怪物を変えることなど無理だというのはお互い身に染みただろうに。束はそんな私の考えを知っているのか知らないのか、いつも含みのある笑みを絶やさずに言葉を紡いだ。

 

「それは私にも分からないんだよね、今のところは」

 

 私を見つめる束の目はこの世界を見ていない。そう直感した。何処か遠くの世界を見つめているという錯覚が起こりそうだった。束、お前は何を知っている? 何を考えているんだ? 困惑する私を他所に束は歩き出して私の隣を通り過ぎていく。

 

「ちーちゃん、また明日ね」

 

 束が私の後ろでそう呟くのが聞こえる。私は咄嗟に振り返り、束に更に問いかけようとするが既に束の姿はそこになかった。最初から束など居なかったように誰の気配も感じない。

 

「束、お前は……」

 

 その先の言葉が口から出ることはなかった。私は底知れぬ不安を抱えながら、和行に言われた通りコーヒーカップを水の張ったボウルの中に入れ、和行の家の戸締りをしてから自宅に戻ることにした。だが、その前に私のツテを使ってある人達に助力を乞うことにする。いつも使用しているのとは別の携帯を操作し、ある人物への連絡を取る。数秒の呼び出し音の後、その人物は私の電話に出てくれた。

 

「夜分遅くに失礼する。頼みたいことがある」

『――要件を訊きましょうか、織斑さん。いえ、織斑先生?』

 

 おどけたように私を先生と呼ぶが、彼女にまだ先生ではないぞと釘を刺すことを忘れない。お前はあの学校にまだ入学してないし、私もあくまで務める予定があるだけで本当にあの学園で働くとは決まっていないのだから。私は小さな頭痛に苛まれながら電話の相手に説明する。すると彼女は二つ返事で受け入れてくれた。

 これで保険は出来たが……私の心に巣食った不安を完全に拭い去ることは出来なかった。

 

◇◇◇

 

 意識が浮上していく感覚に俺は目を開いた。視線を動かし、時計を見ると時間はまだ朝の四時だった。喉がカラカラなことに気付いた俺はそのまま二階を自室を出ると一階へと向かう。一階のリビングに人の影はない。束姉さんと千冬さんは既に帰ったのだろう。リビングにあるコップを収納している棚からコップを取り出して、台所の蛇口を捻ると水道水を注いで飲み干した。そして洗面所へ向かい歯磨きと洗顔を済ませる。

 

「あー怠い」

 

 顔に保湿するためのローションを塗りながら考えを巡らす。昨日は土曜日で、今日は日曜日だったはずだ。あまり気分が優れていないのでこのまま寝ていようかとも考えたが、俺の意思に反するかのように体は寝ることを拒絶している。

 ゲームでもやって気分転換しようかと考えたが、その前に腹がご飯を求めていることに気付いた。昨日冷凍していたご飯でも温めておにぎりにして朝食にする為に洗面所から台所へと足を運ぶ。大した苦労もせず、おにぎりを二個握り終えた俺はインスタントのお味噌汁と冷蔵庫に入っていた残りものであるポテトサラダで朝食を食べることにした。おにぎりの中身はシャケのフレークがあったのでそれを少々入れている。いただきますと小さく喋りながら手を付けていく。

 

「うん、美味い」

 

 ポテトサラダ、おにぎり、味噌汁の順に朝食を食べていく。味噌汁は俺はインスタントのものでも別に問題ない。あまり手間を掛けた料理をしたくないときはインスタントばかり使ってるし。一夏は毎朝ちゃんと味噌汁を作るみたいだけど。あいつの家事スキルは主夫レベルだからなあ。俺みたいな中途半端な料理スキルを身に着けている奴とは天と地の差があるわ。あいつは昔からアレやってたからな、年季が違う。

 

「ごちそうさま」

 

 ちゃんと噛んで食したつもりだが、十分もしないうちに完食してしまった。やはり一人で食べるとこんなものだな。一夏たちと一緒に食べているとついついお喋りしてしまうからか、気が付かないうちに結構時間が経っていたりしているのだ。

 

「流石に今からは不味いよな……」

 

 時計を見ながら俺はそう呟く。一夏の家に行こうと思ったのだが、流石に時間帯が早すぎる。やはりゲームでもして少し暇つぶししているしかないか。食器やコーヒーカップを洗ってからやろうと心に決め、食器洗いを始めることにした。

 食器洗いはすぐに終わった。まあ洗うのが少なかったからね、こうなるよ。台所からリビングに戻ってソファーに座るとそのままテレビゲームを始める。どうやって次のボスを倒そうか考えていた時だった。ふと時計を見ると先程ゲームを始めた時より三時間も経っていたのだ。そろそろ一夏の家に言ってもいいだろうかと考え、ゲームを一時中断して玄関で靴を履くと家に鍵を掛けて一夏の家に向かう。

 幾らすぐ隣とは言え、自宅の鍵を開けっ放しにして出かける度胸なんて俺にはない。いつもの調子で玄関のチャイムを鳴らすとインターホン越しに可愛らしい声で「はーい」と聞こえた。間違いない、これは一夏の声だ。

 

「一夏。俺だ」

『和行。どうしたんだ?』

「いやちょっと心配して様子を見に来ただけだ」

 

 そう言うと一夏はちょっと待ってろと言い、少ししてから玄関を開けてくれた。

 

「おはよう」

「あ、ああ。おはよう」

 

 昨日とは別の服を着た一夏がそこに居た。長い髪を後頭部で纏めて垂らした状態――所謂ポニーテールになっており、服装も違うからか昨日とは違う雰囲気に反射的に胸が高鳴った。昨日の落ち込んでいた一夏と違って、今日のいつも通りの態度な一夏に少し安堵する俺だったが、俺の心臓はそんな心情をなど知ったことじゃないと言わんばかりに鼓動を速めている。

 なんだこいつ、反則すぎるだろこいつ。元男の癖になんでこんなに可愛いんだよ。ふざけんな、可愛すぎるだろちくしょう。これはあれだ、直視してはいけない、見てはいけない。破壊力が高すぎるわ。しかもこいつエプロンしてるし、なに料理中だったの? 邪魔してごめんね! そのポニーテールも料理するのにまとめたんだろうね!

 

「あ、そうだ。和行って朝ごはんまだか?」

「え? なんで?」

「なんでって、せっかく着たんだから朝食を食べてほしかったんだけど……もしかしてもう食べたのか?」

 

 ……一夏よ。その首を傾げるような仕草はやめなされ。お前多分それ無意識でやってるんだろうけど俺のメンタルごりごりと削ってきてるからな。男だと頭では解っているんだが、今のお前の外見は女なんだぞ? その純真な瞳で俺を見るのもやめてくれ。そんなことされたら俺――

 

「いや、まだだ」

 

 ――断り切れなかったよ。だってお前、これ無理だから。絶対に抗うなんて出来ねえよ。可愛いは最強ってはっきり解るわ。

 

「なら食べてけよ。俺も千冬姉もまだ食べてないから」

 

 平静を装った俺の言葉に、満面の笑みで一夏の口からそんな言葉が飛び出す。その笑顔に俺はただ「う、うん」と頷くことしかできなかった。一夏はいつも通りに接しているだけなんだろうけど、はあ……ほんと調子狂うわ……。束姉さん、今度会ったらそのウサミミ捥ぎ取りますから覚悟しておいてください。

 

「やあ、呼んだ?」

「え?」

「お、おい。和行、後ろ!」

 

 呼んでないですと叫びたくなる衝動に駆られたが、俺はなんとか踏みとどまりつつ後ろを振り返った。そこには束姉さんが居た。いつものあの格好をした束姉さんは獲物を見つけたと言わんばかりの目をしながら、俺に抱き付こうとしてくる。

 

「かずくううううううううん!」

 

 この人を止められるだけの力なんてない俺は、このままこの人に抱き付かれてしまうのかと諦めた表情を浮かべたのだが――

 

「ぶがっ!?」

「――大丈夫か。和行」

 

 いつの間にか俺の目の前に現れて、束姉さんにアイアンクローを喰らわせた千冬さんが俺の眼前に居た。何この人。下手な男より格好いいんですけど。

 

「いっちゃんの黒髪ポニーテール最高うううう!」

 

 千冬さんのアイアンクローを喰らい続けて沈黙する寸前に束姉さんはそんな言葉を発したのだった。一夏はそんな束姉さんをゴミを見るような目で見ていました。まあ、そうなるよね。自分を女体化させた張本人が目の前に居るんだから。……この状況、どうすればいいの?



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第五話 夏菜子ちゃん爆誕

感想で指摘を受けたので修正を入れました。主に一夏の学校内での扱いのところとか。前から自分でもこれで本当にいいのかと疑問に思っていたので丁度いい機会だと思って変更しました。これから学校では一夏は夏菜子と呼ばれます。



 あたしは今目の前で起きていることから現実逃避するかのように一夏のことを考えていた。あたしが一夏に出会ったのは小学五年の時だった。最初はいけ好かない男だと思ってたけど困っていたところを助けてくれてからかしらね、あいつ一直線になってしまったのは。同じクラスの女子たちも気になる男子の話で大抵一夏のことを話していたし、それだけあいつが女の子にフラグ立てまくってたということになるんだけど。

 たまに和行のことを話している子も居たけど当の本人は自分は全くモテないと公言しているのよね。なんか一夏の鈍感(悪いところ)が和行に少しだけど伝染しているんじゃないかと心配になったわ。まあ、そんなこんなでかれこれ三年以上一夏にホの字なあたしだったんだけど……つい先日、ある事件が起きた。

 一夏が、女の子になってしまった。な、何を言っているのかわからないと思うけどあたしが一番分からなかったわ。時間より早く一夏の家に着いてしまったからいつも通りの調子で声を掛けたのよ。そしたらね、玄関が開いたそこに知らない女の子が居たのよ。その所為であたしパニックになっちゃって一夏が連れ込んだ女扱いもして、酷いこと言ってしまったのは反省してるわ。

 あたしだけじゃどうにもできないと思い、買い物に行ってたらしい和行に電話を掛けたら早めに駆けつけてくれて本当に助かったわ。あの空間に一夏とあたしだけじゃ多分精神的に持たなかったから。篠ノ之束博士が犯人じゃないかという話になって二人ともなんだかあり得るっていう顔してたけど、篠ノ之博士ってそんなにフリーダムなのかしら。

 

「か、和行、助けて! 皆ちょっと怖いよ!?」

「夏菜子、絶対俺の後ろから出るんじゃねえぞ。隠れてろ」

 

 ……何か二人の声が聞こえたけど無視しておくわ。あの後、和行が千冬さんを呼んで千冬さんと一夏の服を買いに行く羽目になったけどなんで女になった想い人の服や下着を選ぶとか何この拷問。千冬さんが慰めてくれたけど辛すぎる。心が張り裂けそう……。もう精神的にかなり来たから、あとは店員さんにぶん投げたけどあたしたちじゃ多分まともなの選べなかっただろうから反って良かったかもしれないわねあれ。

 でも一夏を着せ替え人形にしたかったかも。そういう風に考えたりしないと頭変になりそうなのよ、仕方ないでしょ。てか、一夏。その胸なんなの? 胸がないあたしへの当てつけなの? ホント最初は一夏が女になったことに気が動転して気が付いてなかったけど千冬さんより大きいんじゃないのあれ。巨乳は敵よ、敵。

 でも、料理は美味しかったわ。やっぱり女になっても腕は変わらないわね。あれならいい女になれるんじゃない? やばい。ちょっと泣きたくなってきた。女のブライドがズタズタにされる予感しかない。男の時点で家事方面で女の精神をへし折ってきたのに女に変わった途端に完璧な嫁っぽい存在になるって……もうやだ。

 てか、なんであたしの回りの男どもはこうも料理が得意なのよ。あ、弾と数馬は例外ね。和行は自分は料理上手くないとか言ってるけど、比べてる基準が一夏な時点でおかしいのよ。一夏と比べちゃダメよ、自信持ちなさいよあんた。

 そういえば、料理してた時に和行が一夏に言葉を掛けられて顔が赤くなってたけど、あんたはこっち側に着ちゃ駄目よ。ちゃんと一夏を元に戻すことに尽力してちょうだい。

 

「だーかーらー! その子を俺に紹介してくれ! 頼む、この通りだ。ジャパニーズ土下座するから」

「私も同意見よ! その可憐な人を私に紹介して!」

「うるせえ! お前らやめろ、夏菜子が嫌がってるじゃねえか。あれから五日だぞ。よく飽きないな!」

「文句あんのかオォン!?」

「大ありだ! おい弾、数馬! お前ら塩持って来いはよ!」

「数馬。お前、塩持ってるか?」

「ねぇよそんなもん」

 

 もう現実逃避はやめておきましょうか。現実逃避してたのに悲しくなってきたし、このカオスな状況が変わるわけでもないし。

 困惑している一夏――西邑(にしむら)夏菜子(かなこ)とそんな夏菜子を守ろうとするかの如く夏菜子を自分の後ろに匿いながら弾と数馬に塩を要求する和行。そんな和行の要求を他人事のように聞いている弾と数馬、夏菜子と和行を囲い込むクラスメイトという異様な光景が広がっている所為か頭が痛い。

 ……なんなのよこのクラスは! 誰かあいつらを鎮めて頼むから!

 

◇◇◇

 

 鈴が何やら天を仰ぎみるような仕草をした後に祈るようなポースをしていたが、まさか祈りが届いたというのだろうか。うちのクラスの良心である担任の峯崎先生がクラスに来て俺たちを囲っていた馬鹿どもの手から俺と一夏を救ってくれたのだ、昼休みに入ったばかりなのに。ありがたや、ありがたや。

 

「きっつ……」

「ははは……」

 

 疲れた俺が自分の机に突っ伏しているのを、隣の席に座っている女生徒用の制服にちゃんと身を通した一夏が苦笑いをしながらこちらを見ている。一夏の笑顔が可愛いなあと現実逃避気味に思いながら、なんであのカオスな光景が繰り広げられることになったのかを整理していくことにした。

 きっかけはあの日の翌日。女の子になった一夏をそのまま通わせるのは流石に無理との判断がなされた。まあ、そうなるよね。まんまだと色々面倒が起きそうだしな。千冬さんとアイアンクローから復帰した束姉さんの協力で別人として通うことになった。

 一応、他の学校に転校する案もあったが、俺や鈴達の傍を離れたくないという一夏の希望によってこうするしかなかったんだ。流石に一夏が女であることを真っ先に把握していた鈴は西邑夏菜子――織斑一夏の存在を知っているし、一夏と俺の悪友である弾と数馬には話してあるけどね。あいつらはダチの為なら男気を発揮する奴等だから、フォローとかもちゃんと入れてくれるだろうから信頼できる。

 あとは親交のある弾の実家である五反田家と鈴の両親だな。学校とかには偉い人たちとクラス担任である峯崎先生にしか一夏が女になったことは知らされていないみたいだけどな。

 ……なお五反田家に説明に行った際にちょっとだけいざこざがあったが、それは横に置いておく。学校に対しては千冬さんが裏でなんとか説明だのをしてくれたみたいだが、自分の学校の生徒がいきなり性転換されたら色々な疲れも溜まるだろう。だって一夏というか夏菜子のことを紹介する際に峯崎先生がめっちゃ疲れたような顔してたし。

 一夏が性転換してから学校の上の方にこの事が伝わるまで二日も経ってなかったので、多分ウサミミおっぱいアリスも何かやったに違いない。でなきゃ幾ら千冬さんが居るとはいえ、ほんの一日程度で学校とかへの情報の周知とか上手くいくようには思えない。偽の戸籍とかそれに付随する関係書類の改竄もしたと聞いた時は流石に頭痛がしたけど。あの人からしたら改竄なんて朝飯前だから気にしたら負けだ。

 最初皆は一夏が海外の学校――具体的な場所を言うならアメリカの学校に行ったことになっているのに驚いていたり、そんな突飛な事情になっていることに困惑してた。こんな中途半端な時期に新しい生徒が来るのかと疑問に思う輩も出てきそうだったので、少し病弱なせいで転入するのが遅れたという設定にした。これなら誤魔化しやすいからね。

 そこまでは良かったんだが、徐々にさきほど夏菜子と俺を囲んでいたような奴等が現れるようになったのだ。こいつら、本能レベルで一夏を好きになってないかこれ。性別どころか名前も変わってるのに一夏に近づいてくるとか怖すぎるんだけど。しかもこれが五日ほど続いているし。

 それと、女の子になっても唐変木なところが変わっていない一夏にはある意味感心させられました。今日の午前中にまた告白を受けてたんだけど、女の子になっても付き合ってと言われて買い物と脳内変換できるのはお前くらいだよ一夏。

 ちなみに西邑夏菜子こと一夏は織斑家の親戚兼俺の幼馴染という扱いになっている。身寄りなんて本当にいるのか状態の織斑家の親戚にするより、うちの親戚にした方が無理がない感じでいけるんじゃねと思っていたが、今の一夏の顔が若干千冬さんに似ていることもあってか「うちの親戚にしたらボロが出る可能性高くならねえかこれ?」と俺と束姉さんにより判断され、最終的には織斑家の親戚で通すことにしたのだ。幼馴染云々は俺が織斑家と仲が良い事を知ってる人は多いので、その辺りを利用させて貰った感じだ。そこに関しては嘘言ってないし。

 こんな美少女が幼馴染とかなんだこのギャルゲ設定。お蔭で俺が野郎どもから血の涙と共に嫉妬の視線を向けられてるんだぞ。この設定考えたの誰だよ。あ、俺だったわ。ついでに一夏がアメリカの学校に行った設定にしたのも俺だったわ。頭疲れてんな俺。

 一応、夏菜子の正体を知っている人間だけが周囲に居る時は一夏と呼んでいいとなってるけど、その他の場面では夏菜子と呼ぶよう徹底することになってる。やるなら徹底的にやらないといけないからね、仕方ないね。

 

「なんかもう色々と疲れた……帰っていい?」

「駄目だよ。午後も授業あるんだからちゃんと受けないと」

 

 そう言いながら俺と同じタイミングで鞄から弁当を取り出して、弁当を広げている一夏は今では完璧な女言葉で喋るようになりました。鈴と俺が一緒になって教え込んでいたからな。その際鈴がめっちゃ泣いてたのは見なかったことにしている。つうか、一週間も経ってない内に女言葉を使いこなすとかやっぱこいつのポテンシャルおかしいわ。俺なら絶対無理だって。

 

「わかってるって。言ってみただけだ。あ、その卵焼きくれ」

「いいよ。じゃあ和行の卵焼きと交換ね」

「え、いいのか? 俺の卵焼きはやめといた方が……」

「いいの。ほら早く」

 

 一夏がそう言うなら仕方ないな。俺が卵焼きが入った容器を一夏が箸で一個だけ卵焼きを取り、一夏も同じように卵焼きが入った容器を差し出してきたので俺も一個だけ卵焼きを貰った。俺は貰った卵焼きを早速口に放り込む。

 うん、やっぱ一夏の卵焼きは美味いな。今日のは出汁巻き卵か。出汁の味がしっかり出ているし、五臓六腑に染みわたっていく感覚がする。ちょっと大げさか。

 対して俺の卵焼きはどうか。見た目は悪くないし、味もそこまで悪い訳ではない。一夏と比べたら味が劣るかもしれないがそこそこは上手くできている自信はある。とある欠点を除けば、だが。

 

「うん、やっぱり甘すぎるね、和行の卵焼き」

「だからやめておけって言ったろ……」

「でも不味くないし、大丈夫だよ?」

 

 俺が焼いた卵焼きの欠点、それは甘すぎることだった。俺は卵焼きは甘い方が好きなので砂糖を入れて焼くのだが、何故かは知らんがそんなに砂糖を入れ過ぎた覚えもないのに意味が解らないくらい甘いのだ。

 もしかしたら自分が気づいていないだけで、本当は砂糖の分量を間違えてるかもしれないと考えた俺は一度だけ鈴や一夏に見て貰いながら卵焼きを焼いたことがあったのだが、砂糖の量を間違えてもいないのに物凄く甘くなっていたことでもう完全に甘さに関しては諦めてしまっている。他の料理はまともに出来るのにどうしてこうなった。

 

「本当に甘いわね、和行の卵焼き。呪われてんじゃないの?」

「幾ら甘いものが好きな俺でもこれは――って鈴! お前、俺の卵焼き勝手に食うなよ!」

 

 鈴が勝手に人の卵焼きを食べていたでござる。鈴本人は別に減るもんじゃないからいいでしょとか言っているが、俺の卵焼きが現在進行形で減ってるのにそれを言いますか。いや、別に食うなとは言わん。たださ、断りを入れてくれないか? そうすれば俺も怒らないから。てかなんだよ呪いって、意味わからんぞ。

 あれ? そういえば、母さんの卵焼きも確かめっちゃ甘かったような……。よし、考えないことにしよう。俺は心の中でそう纏めながら自分の弁当箱から焼肉のタレで焼いた一口サイズに切ってある豚肉を箸で取り、口に放り込んだ。うん、美味い。

 ところで、さっきから昼時に俺と一夏が飯を食べているのを見ている連中はなんなんですかね? なんか血の涙的なものを流しているのも居るし。俺はいつも通り一夏とおかず交換しただけなんだが……。ああ、そういうことか。一夏というか夏菜子はとてつもない美少女なんだ。その上、夏菜子とおかず交換して食べていたらそりゃ嫉妬されるか。

 ……やべえ。俺、めっちゃ恥ずかしいことしてるじゃねえか。自覚しなきゃよかった……。落ち着け、こういうときはお茶を飲んで落ち着くんだ。

 

「どうしたの和行?」

「いや、なんでもねえよ」

 

 一夏が小首をかしげている。超可愛い。やめて、お前がそういう仕草をする度に俺の心の防壁がドリルとパイルバンカーで破壊されていくような感覚がするんだよ。俺は平静を装いながら、弁当を食べることに集中することにした。正直身が持たないです。

 それから時間が経ち、放課後になったので帰路についていた。部活には所属していないので学校には長居せずに帰宅するのがほぼパターン化している。鈴と弾は今日は実家の手伝いがあるから先に帰ると言い、数馬も今日は用事があるとかでそそくさと帰ってしまった。そういうわけで残された俺と一夏は二人で一緒に帰ることになったわけだが、

 

「雨、降ってきたな」

「だね……」

 

 学校を出た辺りから雲行きが怪しいと感じていたが、まさか本当に降り出してくるとは……。雨が降ってくることに気づいた俺たちは学校近くの公園に備え付けらえているトイレの出入り口に二人で避難した。ここなら屋根っぽいのもあるお蔭でずぶ濡れにならないで済む。

 降り注ぐ雨が地面に叩き付けられている所為か、雨が降ったときに臭うあの臭いが俺の鼻孔を刺激してくる。うーん、学校を出る前なら職員室で傘を借りれたかもしれないけど……どうしようかこれ。

 

「出る前に空模様の確認しておけばよかったね。どうする? 学校に戻る?」

「この雨の中で戻れるわけないだろ」

「そうだよね……」

 

 あ、そういえば……確か鞄の中に折り畳み傘が――あった。俺は鞄から折り畳み傘を取り出しながら一夏の方を見る。一夏はどうやら今日は折り畳み傘を持っていないようだ。

 俺のように鞄を探ろうともしていないし、困ったなあとでも言いたげな表情を浮かべて雨が降ってきている外を眺めているだけだ。

 

「ほら、一夏。折り畳み傘貸すよ」

「え? でも、それじゃ和行は?」

「俺の事はいいから、ほれ」

 

 一夏の雨に濡れるところを見るのがなんとなく嫌になった俺は、一夏に無理やり俺が手に持っていた傘を手渡した。一夏が風邪を引くなんてことになったら何故か自分を許せなくなりそうだったという自分でも理解できない感情が俺の中で渦巻いている。

 一夏が男の頃だったら一緒にずぶ濡れになる前に帰ろうぜとか言い出していたはずなのに。一夏が女になったというの意識がある所為なのだろうか、俺は一夏が女の子になる前と変わらない調子で接しようとしているのにところどころで何処かいつもの自分と違う行動を取る自分に違和感を覚えてしまう。一夏が女の子として登校し始めてからだ。一日経つ毎に自分の考えと、自分の行動とのズレが激しくなってきている。

 今日も一夏が告白されてたっていう話を聞いたけど、前までなら「また告白されてるよ、一夏の奴」といつもの事と思うところだったのだが……今日はそうも言っていられなかった。何故か今日は一夏が告白されてたことにムカムカして、授業中に手に持ってたまだ使い始めたばかりの鉛筆をへし折りそうになったし。

 まあ……一夏はどういう意図で告白されたのか理解できなくて、告白した側は玉砕してたけどね。いつもなら玉砕した側に同情するところだが、今日は少しだけ玉砕した側をあざ笑うというか、他人の不幸を喜ぶ気持ちが出てきてしまった。どうしたんだ俺……。

 

「私が使ったら和行が風邪を引いちゃうよ……」

「お前が風邪を引くよりマシだ」

 

 そんなこと考えながらも俺は一夏に折り畳み傘を押し付けようとしていた。のだが、俺の折り畳み傘を使うのに抵抗があるのか食い下がってくる一夏に対して俺は言い切る。一夏が納得がいかないような顔をしていたが、何かを思いついたかようにコロコロと表情を変えた。

 

「じゃあ、せめて一緒に傘に入ろう」

「はっ? お前それって……」

 

 一夏、それがどういう意味を指しているのか解っているのか? それ、俺と相合傘しようって言ってるんだぞお前。でもなあ、折り畳み傘は一人分のスペースを確保するのが精一杯だからなあ……。しゃーない、俺が濡れることで一夏が濡れるのを少しでも抑えるようにしますか。

 俺は傘を一夏から受け取ると傘を開く。そして、一夏があまり濡れないように傘の位置を調整して一夏に入ってもらうことになった。右側に一夏、左側に俺といった具合で公園のトイレの入り口から歩き出した。非常に近い位置に一夏が居るというか、ほぼ密着するような形で歩いているお蔭でさっきから胸が高鳴りっぱなしになっている。

 歩きづらいけど、なんだか今の状態を心地よく感じてきているんだよね。一夏が傍に居てくれると安心するっていうか。それに凄く良い匂いがするし。一夏は香水でも付けているのだろうか? 余計な考えを振り払い、そこらへんの話題を一夏に振らないようにしながら歩いていると一夏がふいに声を掛けてきた。

 

「和行。その、ありがとう」

「気にすんな。俺がやりたくてやっただけだから」

 

 微笑みながらお礼を言ってくる一夏に俺は急に気恥ずかしさを覚えた。一夏の笑みを見ているとなんだかこう嬉しいというか、俺にだけその笑顔を見せて欲しいというか……独占欲のようなものが湧いてくる。男から女に変わってしまった一夏だが、どうやら変わったのは一夏だけじゃなく俺もみたいだ。以前ならこんな感情が湧くことなんてなかった。全て一夏がどこぞのウサミミおっぱいアリスの所為で女に変貌させられてからだ。俺がこんなことを考えるようになったのは。一夏の変化が俺の心にも何等かの影響を及ぼしたのかもしれない。

 あの人が俺の家に不法侵入してた際に聞かされた話は、翌日の束姉さんの出現によって一夏も知る事になった。一夏も最初は束姉さんに対して呆れるというか怒りに似た感情を覚えてたらしいが、元に戻れる可能性があるならと我慢することに決めたらしい。

 ……俺は、これからどうしたらいいんだろう。一夏の女性として見せる笑顔や仕草などを見続けた俺は、一夏に男に戻ってほしくないと考えるようになってしまっていた。一夏には絶対に口が裂けても言えないことを考えたのだ。

 もしかして俺は一夏のことを――。そこまで考えて頭を振った。いや、そんな馬鹿な……。もし俺が抱いているこの感情がそうなのだとしても一夏が男に戻ったら果たされない想いを抱えることになる。男の一夏が好きだった鈴やその他の女子達、一部の男子達のように。一夏に恋していた人たちはそんな感じになっている。

 

「――ゆき、和行!」

「ん? どうした一夏」

「大丈夫? ちょっとぼうっとしてたよ?」

「なんでもないよ。今日の晩御飯をどうするか考えてたんだ」

 

 一夏がこちらを案じるような表情で俺の顔を覗き込んできたので適当にごまかすことにした。鈴や男であった頃一夏の好きになった者達ような気持ちになりたくない、味わいたくないという自分の卑しい部分を彼女に見られないようにするように。

 そんな感情を隠しながら夕食を何にするかを話し合い、今晩は織斑家の冷凍庫に残っていた鱈を使った鱈のフライに決まった。俺、鱈好きだから嬉しいわ。

 その後、無事家には付いたのだが俺はかなり濡れている。特に左半身が顕著という事態になっていたため即座に家に入り、服を着替えることにした。制服は明日まで乾くかなあ? うーん、大丈夫なんだろうかこれ。うちの制服は一応洗濯機や洗えるし、乾燥機を使ってもタイプだから大丈夫だとは思うんだが。ちなみに一夏は右肩以外は濡れておらず無事だった。

 いつもの夕食の時間帯になったので外を見てみると既に雨は止んでいた。通り雨だったのだろう。雨の中歩いている最中に頭の中を巡りまわった考えが再び湧き上がってくるが、頭を振るいあのことを考えないように意識を切り替える。

 そんなこんなでいつもの通り、一夏の家で一緒にご飯を食べて再び家に戻ってきたのだが俺はその時、自分の体に起きている異変に気付けていなかった。体が妙に怠いな、くらいにしか考えていなかったが、その違和感の正体を俺は翌日知ることになる。




今後、一人称で描写するのは一夏と主人公だけに絞っていきたいと思います。他の人物の描写をする場合は三人称的なものでやります。


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第六話 美少女に看病された件(1/2)

 ……風邪を引きました。ええ、先日の一夏との相合傘で体が濡れた所為か風邪を引きました。なんで狙いすましたかのようなタイミングで風邪引くんだって自分にツッコミを入れたいくらいに風邪引いてます。大事なことなんで三回言いました。これが昨日の違和感の正体だったというね。どうりで寝る前とかに喉が変だと思ったんだよ。

 もうこれは仕方ないでしょ、俺ってば急に気温が下がったりすると体調がおかしくなりやすいんだから。てか、いま体が物凄く怠いです。幸い頭痛はしないし、熱は低いのだが咳と鼻水と腹部を腹痛が止まらなくて辛い。突然だけど(さいわ)いと(つら)いって字だけだと混乱しちゃうよなこれ。ちゃんとルビとか振られてないと文章読むときに頭がこんがらがるよね。

 ……いきなり何言ってんだ俺。本当は熱もっとあるんじゃねえのかこれ。体温測るのに使ったデジタル体温計壊れてんじゃないの?

 

「あー……怠い」

 

 さっき無理やり体を動かして作った雑炊を腹に詰め込んで、この前風邪を引いた際に買って残っていた市販の風邪薬の残りを飲んだけど一応病院に行って診断してもらった方がいいかな? 学校に電話して今日は休むという旨を伝えておいてよかったよ。皆に風邪を移したくないし、特に一夏には。もし俺の所為で一夏が風邪になったら俺は自分で自分を殴るよ。

 なんだ? 玄関の呼び鈴が鳴ってる? 誰だよ、人が風邪で物凄く気分悪くて軽くイラついているっていう時に。新聞とかの勧誘なら間に合ってるぞ、帰れ。

 あれ? 玄関の鍵が開いた音がしたぞ。……あ、そういえば一夏にまだ今日休むって連絡してなかったわ。時間帯的にもいつもなら一夏と登校している時間だし。となると、必然的に俺が来ないことを訝しんで織斑姉妹に預けている合鍵を使って家に上がり込んでくるわけで――

 

「和行~まだ寝てるのー?」

 

 一夏の声が聞こえた。おそらく階段辺りだろうか。ヤバい。どれくらいヤバいかっていうと、用を足したくてトイレに入ったらトイレットペーパーがなかった時くらいヤバい。なんでこう狙いすましたかのようタイミングで来ることが多いんだよお前は。男の頃からホントこういうところは変わってない。

 一夏に風邪を移すわけにはいかん。幾ら俺がマスクを付けているとはいえ、この部屋に入らせないようにしないと。一瞬でそこまで考えた俺の行動は速かった。一夏が俺の部屋に来る前に内側から鍵を掛ける。お前本当に病人かと言われそうな速度を出したわ俺。これで一先ずは一夏が勝手に扉を開けることを防ぐことは出来た。あとは説得して一夏を学校へ行かせるだけだ。

 

「和行?」

「あー、なんだ一夏」

「なんか声がおかしいけど、何かあったの?」

 

 声の距離からして俺の部屋の前まで来ているだろう一夏が心配そうな声を上げた。

 

「すまん。風邪引いたから今日は休むわ俺」

「休むって……。まさか昨日の――」

「おい、間違ってもお前の所為じゃないし誰が悪い訳でもないからな。謝ろうとするなよ」

「でも……」

 

 俺が風邪を引いた原因に気付いた一夏がドア越しに謝りそうな勢いだったので、謝罪させないようにする。だって実際、一夏は悪くねえし。俺が勝手にやったことですし。

 あ、やべ、一気に喋ったから喉がカラッカラ。あかん、咳も出た。あー、鼻水が出てきてるのもあってかティッシュ無くなるわ。あとで新しいのを出しておかないとな。ちらっと部屋にある時計を見る。そろそろ出ないと学校に遅刻する時間になりかけていた。このまま一夏と話を続ける訳にはいかないし、学校に行くよう促すか。

 

「一夏。そろそろ学校に行かないと遅れるぞ」

「和行はどうするの?」

「とりあえず学校には休むって言ってあるから病院に行って薬とか貰ってくるわ。あとは寝て安静にしてると思う」

「……そう。じゃあ学校が終わったらまた来るね」

 

 来なくていいから、うつしたくないし。俺は扉越しの一夏に向けてそう言ったが聞いたのか聞いていないのか、一夏の足音は階段、一階へと遠退いていき、最後には玄関が締まる音が聞こえた。どうせあいつのことだ。来るなって言っても来るんだろうな。こういう時だけ世話焼きにも困ったものだなと実感させられる。

 さて、スポーツドリンクでも飲んでさっさと病院に行くか。帰りに栄養剤とかも買ってきておこう。思い立った俺は重い体を動かし、スポーツドリンクを飲んでから服を着替えた。戸締りをして財布を持つと病院に向かうために家を出るのであった。

 

◇◇◇

 

 俺はふと目を覚ました。ベッドから体を起こしてカーテンを開ける。少しだけ換気をしようと思い窓を開けたのだが、窓から差し込む太陽の光は既に弱まっていた。

 診察に行った病院を出てから栄養剤やらなんやらを購入。無事家に帰宅してちゃんと手洗いうがいを終え、ゼリーとかを食って処方された薬を飲んでから栄養剤を飲み、その後ベッドに倒れ込んだのは覚えている。あれから何時間寝ていたのだろう。

 

「午後五時か」

 

 時計を見た俺は小さく声を出していた。帰ってきたのが大体午前九時から十時の間なので、約八時間から七時間は寝ていたことになるのか。体を少しだけ動かしてみる。体に圧し掛かっていた重さはかなり薄れており、銃剣突撃されたような腹痛も大分収まっていた。

 自分で言っておいてなんだけど、銃剣で刺されるような痛みって普通に死ぬんじゃないか? てか銃のフレームとか大丈夫なんだろうか。

 

「うっへぇ、汗掻いてたのかよ」

 

 くだらない事を考えながら自分が着ていたシャツを見てみた。どうやら寝ている間に汗も掻いていたみたいなので着替えたかったが、その前に尿意を覚えたので先にトイレに行っておこうと俺は床に置いていたスリッパを履き、一階へと降りていこうとしたのだがその途中である匂いが漂ってくるのに気付く。

 マスク越しに漂ってくる食欲をそそられる美味そうな匂いに釣られ、俺は匂いがする方向――台所へと向かっていた。するとそこには、

 

「あ、和行。起きたんだ? ……気分はどう?」

「ああ、さっきまで寝てた。お蔭で大分楽になったよ」

 

 私服の上にエプロンを装着したポニーテール姿の一夏が居ました。ほんとこの時の一夏は可愛いです。前にポニーテールにしていた時に聞いたところによると、幼馴染である箒がしていたのを真似してみたらしっくりきたんで料理の時はこの姿で居ることにしたそうだ。

 それよりも一夏には聞かないといかないことがある。あの格好からして料理をしているんだろうけど、一体何を作っているのだろうか。せめて雑炊系ならありがたいんだけど。

 

「ところでさ、一夏。何してんの?」

「うん? 料理だけど」

「すまん、聞き方が悪かった。何を作ってるんだ?」

「雑炊だよ。和行ってあまりおかゆ好きじゃないでしょ?」

 

 短く「ああ」と俺は返事をする。一夏の言う通り、俺はあまりおかゆが好きではない。味は別に嫌いではないが、食感があまり好きではないのだ。だから今朝も雑炊作ってを腹にブチ込んだんだし。流石幼馴染だな。俺が好みな物と嫌いな物をしっかり把握してやがる。

 ……これ、俺のために雑炊を作ってるんだよな。なんだろ、物凄く嬉しい……。一夏が俺のことだけを考えてくれているようで。って、何考えてるんだ俺。

 

「もうすぐ出来るから待っててね」

「ああ、わかった」

 

 一夏の言葉を聞いた俺はふと頭に浮かんだ考えを振り払うように返事をする。今のうちに歯を磨いたり、トイレに行ったりしておくか。

 

 もの数分でトイレや歯磨きを終えた俺はテーブルに座って一夏が雑炊を作ってくれている様子を眺めていた。今の一夏は生き生きとしている。料理しているときのあいつはいつもそうだが、女の子になってからだろうかそういった部分がよりはっきりと一夏の顔や仕草から感じ取るようになったのは。

 なあ、一夏。君は俺の事をどう思っているんだ? 俺はお前が男の頃だったのようにお前を見ることが出来なくなった。男の頃のように接しているつもりだが、正直自信がないんだ。一夏が女になってそこまで日が経ってないのに俺はすんなりとお前が女の子であることを受けいれている。まるで、ずっと昔から一夏が女の子だったように錯覚させれることが多々あった。

 以前と同じようでいて違う光景。一夏が男から女になった。その事に対して元に戻った方がいいと考えているはずなのに、まるで一夏が女になったのは正解だと言われているような言葉にするのが難しい奇妙な感情が心を満たそうとしてる。俺の心が、女の一夏が消えるのは嫌だと叫んでいるかのようだった。

 一夏、君は俺のこと前のように見てくれているか? それとも――

 

「和行、出来たよ」

 

 一夏の声が俺を思考の海から引き戻してくれた。どうも昨日の帰りに相合傘をした時から俺の調子が狂っているような気がする。いや、一夏が女の子になってから調子が狂うことは多々あったけど、こうも一夏のことを意識したのは始めてだ。

 やはり、俺は一夏の事を……。駄目だ。今はこの事を考えるのはやめておこう。一夏に気付かれないように深呼吸をして気持ちを切り替えておこう。丁度腹の虫も腹が減ったと騒いでいるし。

 一夏の手によって水分補給のための水と雑炊が盛り付けられたどんぶりが俺の近くに置かれるが、雑炊を食べるためのれんげは俺の目の前には置かれていなかった。れんげは今だに一夏の手元にある。俺はそれがないと食べられないじゃないかと言わんばかりの視線を一夏に向けるが、当の一夏はそんな視線など気にしてないかのようにご飯を食べるためにマスクを外していた俺の隣へと座った。

 …………あの、あの、一夏ちゃん? 何を考えてらっしゃるのですか? あの、どんぶりを俺の手元から持っていかないで。俺が食べるのがなくな――待て。この状況、もしや……。俺は一夏がれんげで雑炊を掬ったの見たわずか数秒で一夏が何をしようとしているのか気付いてしまった。

 ――こいつ、俺に『あーん』する気だ。恋人同士の人間とかがするあの『あーん』をだ。彼女や彼氏がいない者がやってはいけない行動(?)を一夏は平然と行おうとしている。

 

「はい、和行。あーん」

「あの、い、一夏? な、なにしてるんだ?」

「え? まだ体とか怠そうだったから私が食べさせようと思って」

 

 俺は心の中で叫んだ。んな恥ずかしいことできるかあああああああああ!

 あーんっておま、あーんってお前……。俺たち付き合ってもいないんだぞ!? や、やめろ、俺の体! 一夏の無自覚な甘言に惑わされるな。ここであーんをされたら戻れなくなるぞ! 色々な意味で!

 だが、俺の意思に反して口は開きご飯を求めていた。空腹に耐えきれなかった俺の体は一夏が近づけてくるれんげを迷いなく受け入れ――雑炊を食べた。

 

「美味しい?」

「う、うん……美味しい」

 

 ――もう考えるのはやめた。もう何を考えても一夏の誘いには抗えないと判断したからだ。一夏の料理はやっぱり美味い。この味付けも完全に食べさせたものを虜にするのに十分な威力を発揮している。その後もあーんされまくった俺はお腹いっぱいになったが、心と思考回路がショート寸前だった。一夏の笑顔とあーんのダブルパンチ攻撃に俺の精神のライフゲージは赤になってるよ。なんでだ、どうしてこうなった。俺、何かやらかしたっけ? ほんと何でだよおい。あれか? 内心で一夏のことを可愛いとか思った罰でも当たったのか?

 いや、それ置いておこう。一夏のお蔭でお腹も膨れたし、薬も飲み終えたんで一夏を家に帰してさっさとまた寝ようとしたんだが……何故か一夏が俺の部屋にタオルを持って入ってきていた。片方の手にはぬるま湯のようなのが入っているバケツがあり、俺はこれから起こる出来事を察して白目になった。

 くっそ、「家に帰るね」っていうあいさつにでもしに来たのかと思ってドアを開けたらこれだよ! 俺の体をタオルで拭く気マンマンじゃねえかこいつ!

 

「あの一夏。一応確認するけどそれって……」

「うん。和行の体を拭こうと思って」

 

 なあああああああああああ!? マジでやる気かよ!? 待って。さっきからメンタルに大ダメージを受けてるせいか、心の中で悲鳴をあげるくらいしかできないんですけど。いや冗談抜きで本当になんでこいつ俺の体を拭こうとしているの?

 てかさ、ちょっと待って。おかしくない? 幾ら面倒見がいいからって普通こんなことしませんよね? 精々料理を作るくらいまでならまだ分かるけど流石にこれは……。

 

「あ、あの? それだけは遠慮させてもらえませんかね?」

「駄目だよ。和行はまだお風呂入れないんだし、汗も掻いたんでしょ?」

 

 うん、確かに汗は掻いたよ。でもね、それとこれとは話が違うんだ。野郎だった一夏にやられるなら、まあそっちの方向を想像する人が居ても百歩譲って許すとしよう。馬鹿話でもすればただの野郎同士のじゃれ合いになるし。

 だがな、今の一夏は女の子だ。そう、女の子だ。俺好みの容姿になってしまった女の子だ。流石に恥ずかしいって。女の子に自分の肌とかを見られるの。そんなに肌綺麗じゃないし、むしろ背中とか多分汚いだろうし。そもそもだ。母さんならともかく同い年の女の子に体を拭いて貰うとか精神的に耐えきるのが難しいです。

 

「ほら、早く上着とズボン脱いで」

「わ、わかったよ」

 

 はい、また抗えませんでした。さっき言った通り、もう一夏に抵抗するのは無駄な気がします。俺の本能がそう言ってる。一夏がすることを受け入れろと。言われた通り上着とズボンを脱ぐと一夏は俺の背中を始め、股間とか尻とかを除いた部分を丁寧に拭いていった。その際、終始心臓が早鐘を打っていたのは言うまでもないだろう。一夏は男と心に言い聞かせようとしても体がそれを拒否していたんだから。

 てかさ、一夏が体をよく拭こうとしようとしてるのか知らんけど、めっちゃ寄ってくる所為でかなりの頻度で一夏のたたわなおっぱいが俺の背中とか腕とかに当たってるんだけど。無自覚なんだろうけどさ、お前のその胸は思春期男子には毒なんだよ。ヤバいんだよ。

 てかなんだその乳は、お前の姉である千冬さんよりもデカいんじゃねえか? 中学二年でこれとか色々な意味で怖すぎるんだが。高校生とかになったらどうなるんですかねえ……。でも高校生になるまでの間に一夏が男に戻る可能性もあるから、今は我慢だな。思わずあのおっぱいに手を伸ばしそうになってしまうが耐えろ俺。相手の許可なく触ったら完全に通報案件だからな。解ってるな俺? YESおっぱいNOタッチだ。この精神を違えてはならない。いいね?

 一夏は男。一夏は男。一夏は男……。そう自分に言い聞かせる。服とブラジャー越しでもわかる一夏のおっぱいの柔らかさに下半身がヤバいことになりそうだった。何とか湧きあがる衝動を抑えているうちに体を拭き終わったのだが、疲労している俺とは対照的に一夏は実に満足そうな顔をしていた。俺は物凄く辛かったです。なんでそんな満足げな顔をしてるんだよお前……。分からん、女の子の考えていることは分からん。一夏は元男だけど。



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第七話 美少女に看病された件(2/2)

 一夏が一階でタオルの片づけをしている間に俺は下着やシャツ、パジャマの着替えを終わらせる。流石に一夏が居る前で着替えとか無理です。一応女の子ですよ彼女は。元男とはいえ、今は立派な女の子なんですよ。そこらへんの意識だけはしっかりと守っていきたい。守らないと大変な事態にもなりかねないからな。下手な事をして一夏との関係を反故にしたくない。鈍感なところや千冬さんの事を慕いすぎている点が未だに頭痛の種だが、それ以外の部分はかなり気に入っているし。

 一夏の奴は目の前で着替えても別に気にしないって言うだろうけど、俺が気にするんで。男の前で女の子が着替えとかしないでしょ? それと同じで俺も女の子の前で着替えなんてしたくないんだよ。小さい溜息を吐きつつ、まだ残っていたスポーツドリンクを口に運び、喉を潤してからマスクを掛け直す。はあ、なんでこんなに気疲れしなければいけないのか。料理を作ってくれたり、体拭いてくれるのは嬉しいんだけどさ。うーん、上手く言葉にできないわ。

 

「あ、ちゃんと着替えたんだね。えらいえらい」

 

 体を拭くのに使ったタオルを片づけ終えたのか、一夏が再びに部屋に入ってきて俺に笑顔を向けてくる。……やっぱ一夏の笑顔って可愛いよな。なんかもう女の子になった一夏の表情を見ていると似たような感想しか出てこなくなっていた。案外俺って語彙力あるように思えてそんなにないのかもしれない。これで元男とか信じられないわ。ぶっちゃけ信じたくないけど。束姉さんに薬盛られて女の子になってましたとか、束姉さんならやりかねないと理解している俺や一夏ならともかく他の人間は信じないだろう。

 そんな一夏の笑顔を脳裏に焼き付けながら俺は一夏へ先程から感じていた疑問をぶつけることにした。一夏ならちゃんと答えてくれるだろうという信頼があるからだ。

 

「なあ、一夏。なんで俺に対してこんなに良くしてくれるんだ? お前が面倒見がいいのは知ってるけど限度があるだろ?」

 

 俺の疑問に一夏は困ったように頬を掻いてから息を吸い、意を決したかのように話し始めた。

 

「風邪を引かせたことへの罪悪感と……嬉しかったからかな?」

「嬉しかった?」

「ほら、私が女の子になった日に和行が言ってくれたじゃない? 『俺はお前の味方』だって」

 

 ああ、確かに言ったな。別に俺は何かを考えてあの言葉を口にした訳じゃない。あれは自然と俺の口から零れた言葉だった。自分でもびっくりしたんだからな。俺の口からあんな言葉が飛び出るなんて。あんな言葉が無くても俺は一夏の味方でいるつもりだったけどな。親友――いや、何故かこの言葉には違和感が出てきているな。前までなら躊躇せずに言葉にしたんだが。親友じゃなかったら友人。いや、これも違う何かが違うんだよな。大切な人……うん、これで良いでしょ。

 一夏は俺の大切な人なんだから、一夏の味方をするのは当たり前だよ。味方をしないなんて選択肢は最初から存在しない。

 

「その後も和行は私のために色々としてくれたし、言葉遣いの特訓とかなんか言い寄ってくるクラスメイトから私を守ったり……。和行からしたら小さい事かもしれないけど、私の為にしてくれているのが嬉しくて」

 

 俺は余計なことは言わず、黙って一夏の言葉を聞いていた。

 ……お前、そんなこと考えていたのか。俺自身はそんなに大したことはしてない、ただ一夏の近くいただけだと思っていた。だって、俺自身は女の子になった経験もなければ女の子の大変さなんて話に聞いたくらいの知識しかない。実際にはどう大変なのかなんて分からない。だから、一夏の精神状態なんて勝手な推測を立てるくらいしかできなかった。だって、俺は一夏じゃないんだから。一夏の苦労や心境が分かるなんて口が裂けても言えなかった。いや、言うのを許さなかった。他ならない俺自身が。こうして口にされない限り、相手の本心なんて他人には理解できないのだから。

 うん、自分でも中学生らしくない台詞だってのは理解している。でも、俺はこういう風にしか考えられないんだよ。小学生の頃からさ。母さんにそう教えられたからっていうのが一番影響出ているんだろうけど。

 

「そうだったのか……」

「うん」

 

 一夏の話を徐々に自分の中に染みこませていった俺は心の中で思わず微笑んだ。俺はこいつの支えになってやれてたんだな。嬉しいような、こそばゆいような……。こんな俺でも誰かの役に立てたんだな。その相手が一夏ということもあってか尚更嬉しくなってくる。

 

「まだ六日くらいしか経ってないけど、それでも今こうして過ごしている時間は大変だけど楽しいかもって私は思っているんだ」

「楽しい、か」

「うん。特に和行と居るとね。だからその恩返しも兼ねて、かな?」

 

 そう言って俺に笑顔を向けてくる一夏に内心ドキドキしっぱなしだった。思わず頬が熱くなるのを感じる。……大変だけど、楽しいか。女の子になって最初は大変だったけど、今は楽しいと思えているのか。一夏がそう心から思っているのは昔から付き合いのある俺だからわかる。こいつは本当にそう思えているんだなって。でも順応性高すぎじゃないかお前。でもまあ、そこにツッコミを入れるのは無粋か。

 俺も一夏と居ると楽しいと思ってる。昔からやっていたいつもの何気ない行動とかも新鮮に感じられて、一分一秒を愛おしく思うよ。

 

「ありがとうね、和行」

 

 ――彼女が、一夏が見せたその笑顔はとても美しかった。これがトドメというか、きっかけだったのかもしれない。この時から一夏の事をより強く意識し始めたのだから。一夏の事を考えると心が躍り、胸が締め付けられるこの感覚。そんな状態に俺は安心感を覚えることが出来た。こういう感情をならずっと感じていたいと。

 その後。一夏の笑顔を脳内フォルダに永久保存した俺は、やることを終えた一夏が帰ったし再び寝ようとしていたところだったんですが……一つ問題が起きました。

 帰ったはずの一夏がパジャマとかの着替えやら歯ブラシやらを持って俺の家にまた戻ってきたんだ。な、何を言ってるのかわからないと思うが一番混乱しているのは俺だ。もう意味わからん。ちなみに一夏は自宅で風呂に入った後らしい。その所為なのか一夏からシャンプーやらなんやらの匂いがしてるから俺の頭がハッピーになってます。

 ……冗談抜きでなんで戻ってきたのこの子。なんで当たり前の顔をして俺の部屋の床に一階の客間にあった布団敷いてるの? そんなに風邪をうつされたいの? お願い答えてください、何にもできませんけど。あ、学校のプリントとか宿題持ってきてくれてありがとね。でも質問にはちゃんと答えてくださいお願いします。

 俺からの問いかけに、彼女から反ってきた言葉はこうだった。

 

「和行の風邪が治るまでここに居るよ」

 

 ……え、なんですと。ごめん、俺の耳が逝かれたのかな。俺の風邪が治るまで俺の家に居るだって? え、聞き間違いじゃないの? あの、ちょっと。今の君は女の子なんだよ? そして俺は男なんだよ。流石にまずいと思うんだけど。だって男子中学生なんて性欲の強い猿みたいなものなんだぞ。自分好みの女の子が居たらえっちいことになるかもしれない。体験はしてみたいけど、俺の理性が駄目だと叫んでいる。当たり前だよな。俺達はまだ中学生だ。そういうのはまだ早い。一夏、君はそこんところ理解してます?

 ……いやまあ、性欲があるのかもわからないレベルだったからなこいつは。あまり理解していない可能性もある。頭をフル回転させていたお蔭でなんとか言葉を絞り出すことが出来た。

 

「……なんで?」

「和行のことが心配だし、それに明日と明後日は休みだからね。しっかり看病してあげる」

 

 一夏の言葉を聞いて俺は今日が何曜日なのか思い出した。そういえばそうだな。今日って金曜日だったな。俺だけ三連休みたいなことになってるし。でもなあ、幾らなんでも女の子と一つ屋根の下ってのは不味い気がするんだけど。さっきも同じこと言った気がするけど。だって一夏、美少女だしめっちゃ可愛いし美少女だし。あ、二回同じこと言っちゃった。うん、絶対寝れないわこれ。同じ部屋で寝るとか一夏ちゃん大胆すぎー! ……はあ、なんか余計に風邪が悪化しそうだわ。気を紛らわすためにマスクを取ってスポーツドリンクを口に含んだ俺の視界にある物が見えた。

 一夏はいきなり立ち上がり、狙ったかのようなタイミングで俺の目の前で服を脱ごうとし始めていたのだ。既に一夏の肉付きの良い腹と綺麗なくびれが見えてしまっている。あ、一夏の体めっちゃ綺麗だなと考えている内に状況を理解し始めた俺は、

 

「っ!?!?」

 

 その姿に思わず目を剥き、飲んでいたスポーツドリンクが気管に入りそうになった所為で噎せてしまう。

 馬鹿野郎! 付き合ってもいない男の前で着替えようとするんじゃねえ! いや、付き合っていたとしても絶対にやるな! と叫びたいのだが噎せているのでそんな言葉が俺の口から出るはずもなく、俺が噎せているのを心配したのか一夏が脱ぐのを中断して慌てた表情を浮かべながら近づいてくる。

 

「か、和行、大丈夫!?」

「お、お前! なんで俺が居るのに目の前で着替えようとするんだよ!?」

「え……あっ」

 

 噎せるのが止まり、ようやく吐き出すことが出来た俺の言葉に一夏は今思い出したかのような顔をしていた。こ、こいつ……女の子になってもどこか抜けているところは変わらないのかよ。いや、なんとなく分かってたけどさ。もう少しでブラジャーが見えるところだったんだぞ、気を付けろよ本当にもう……。

 

「う、後ろ向いててね?」

「わ、わかったよ……」

 

 急に気恥ずかしくなったのか小さな声で俺にそう頼んでくる一夏。俺は元よりそのつもりだったのでマスクを着け直しながら大人しく後ろを振り返る。すると、俺の後方から布が擦れる音が聞こえ始めた。一夏が私服を脱いでパジャマに着替えているだけなのだが、それだけなのに先程から心臓が煩い。早く終わってくれと祈っていると、一夏からこっちを見ていいよという声が掛かったので一夏の方を向いた。

 そこには所々にフリルがあしらわれた白色のパジャマを着た一夏が居た。一夏の黒髪が映える色彩に俺は思わず目を奪われていた。

 

「ど、どうかな? これ千冬姉が選んでくれたんだけど」

「凄く似合ってるぞ一夏」

 

 世辞ではなく本当に似合っていると感じた。ああ、やべえ。ホント可愛い。お持ち帰りしたいくらい可愛い。あ、既にここは俺のお家でしたね。

 千冬さん、一夏のパジャマを選んでくれてグッチョブです。今度美味い飯を奢らせてください。それと、今度で良いので一週間だけ一夏と同棲する許可をください。お願いします。

 そんな俺の考えなんて知らない一夏は俺の言葉にご機嫌になったのか、明るい顔をして布団に横になろうとしたのだが、

 

「あっ!」

「ちょ、一夏!?」

 

 足を躓かせた一夏がこちらへと倒れ込んできた。なんか嫌な予感がすると思ったらこれかよ! 俺は一夏を受け止めるために敢えて避けなかった。だってもし俺が避けて一夏が俺の後ろにある壁とかに顔面をぶつけたら大変だし。

 そんなことを考えている間に一夏の体が俺へとぶつかってきた。俺の体は慣性に従い、ベッドに寝そべる形になった。そこまで痛くなかったが、女の子とはいえやはり一人の人間の体を受けとめた所為かそれなりの衝撃が来た。体調が悪い時にやるもんじゃねえなこれ。衝撃が体に響いたわ。

 

「い、一夏。あの、さ――」

 

 一夏に早く退いてくれと言おうとしたのだが……出来なかった。だって、俺の目の前に一夏の顔があったから。一夏が上の方になり、俺が下になっている他に一夏が両手で俺の両手の手首を掴む様な格好になっている。傍から見れば、完全に一夏が俺を押し倒しているような状況になっていた。

 ――俺は動けなかった。お互いの額が接触してしまうほどに近い距離。交差する視線。俺の胸に乗っている一夏の年齢不相応に発達している胸。聞こえる一夏の鼓動。そして、マスク越しに一夏から仄かに香ってくる言葉で表現するのが難しい安心するような匂いが俺の思考と体の自由を奪っていたのだから。もう少しこうしていたいという欲求と早くこの状況から抜け出さなきゃという理性の声が俺の中で拮抗していた。

 どれくらいそうしていたのか判らなかったが事の次第に気付いたのか、一夏の顔がみるみる紅潮していき、彼女は後ろに飛ぶように体を起こして俺から離れていく。

 うん、俺も多分あんな感じに顔が赤くなっていると思う。マスクで隠れちゃってるけどさ、なんか顔全体と耳から火が出るんじゃないかってくらいめっちゃ熱いし。俺は今起きたことが信じられず他人事のように頭を働かせていると、耳まで赤くなっている一夏が一呼吸を置いてから俺に謝ってきた。

 

「そ、その……ご、ごめんね?」

「い、いや、平気だ。その、一夏の方こそ大丈夫か?」

「う、うん。そ、それより早く寝よう? ね!」

 

 早口で捲し立てる一夏に俺は咄嗟に頷いてしまう。一夏は俺の方をチラチラと見ながら敷いていた布団の中へと潜り込んだ。……一夏のラッキースケベが俺に移ったのかという疑心と、もう少し一夏と密着状態になっていたかったという名残惜しさを胸にしまう。手元にあるリモコンで部屋の電気を消すと掛け布団を体に掛けて目を閉じたのだが中々寝れず、気が付くと一夏に話しかけていた。

 

「一夏。起きてるか?」

「うん。起きてるよ」

「その、ありがとな。お前が看病に来てくれて本当に嬉しかった」

「当たり前でしょ。親友なんだから」

 

 そうか、と俺は呟くとそのまま会話を終了させた。一夏はさっき俺と居ると楽しい、ありがとうと言ったよね?

 一夏、お礼を言うのは君じゃなくて俺の方なんだ。実を言うと俺、少しだけ退屈してしまっていたんだ。この、代わり映えしない日常に。一夏や弾や数馬と馬鹿騒ぎして鈴に成敗されたり、一夏と一緒に料理したりゲームしたりするのは楽しかったけどさ。退屈してると言っても危険なことや危ないことは流石に勘弁だが、こういうのなら悪くはないと思う。まあ、肝心の一夏からしたらたまったものじゃないだろうが。

 でも俺はそのお蔭で、新しい自分を見つけられたような気がする。女の子の一夏と過ごしたのはまだほんの数日だけどそれでも感じられるものはあったから。だから、俺は一夏に感謝の言葉を捧げたいんだ。でも直接口にするのは憚られるので、心の中で君に送るよ。

 ――ありがとう、一夏。



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第八話 自覚する心としない心(1/2)

 現在、俺と一夏は休みであるのを利用してとある病院に来ている。理由はうちの母さんのお見舞いだ。一夏が彼の看病をすると宣言したあの日に俺が行ったのもこの病院でした。

 俺の風邪に関しては一夏が泊まりに来ていた土日は一歩も外に出ず、自宅で一夏の手料理を食べつつ療養していたので月曜日にはすっかり良くなっていた。

 朝昼晩と一夏が飯を作ってくれるという一夏の事を好きな人が聞いたら発狂しそうなことをしてもらった俺が変なテンションになりかけたのは不可抗力として許されるべきだと思うの。そして一夏は風邪を引かないという何という好都合展開が起きました。あいつには風邪への耐性でも備わっているのだろうか。でも、なんかその内引きそうな気がしないでもない。

 ちなみに一夏が泊まっていた間、男の頃の一夏がやらかしそうなToloveる――じゃなかった、トラブルはなかったです。ラッキースケベなんて起こりませんでした。ただでさえ女の子になった今の一夏と居ると落ち着かない状態になるのにラッキースケベなんて起こったら身が持ちません。そもそも、俺は一夏じゃないからそんなスケベな事態なんて起こしようもないですし。

 ……体を拭いてもらっている時に一夏の大きな胸が当たったり、一夏の腹とくびれを見たのと一夏が倒れ込んできたのはラッキースケベにカウントしてないぞ。あれは事故みたいなものだからノーカンだ、いいね?

 それとなんだが、どこで知ったのかは不明だけど、月曜日の朝に鈴から俺の家に一夏が一人で行ったという話をとてつもない勢いで問い詰められた時は物凄く怖かったです。だって目がマジなんだもん。変なことしてないでしょうねとか言われたけどなにもしてねえよ。一夏を受け止めるために押し倒されたように見える状況になったのは流石に口にしなかったけど。多分言ったら俺が鈴に八つ裂きにされる。弾と数馬に宥められてようやく落ちついたようだったが、あの二人が居てくれなかったらヤバかったわ。

 一夏? 一夏は俺たちが会話をしている時はひたすらそっぽを向いていましたよ。まさかお前か。俺の家に行くことを鈴に言った奴は。俺は気になったので一夏を問い詰めると正直に白状したよ。

 

「じ、実はね、最初は鈴も私と一緒に来る予定だったんだ。でも、鈴はエビチリとかを和行に持っていこうとしてて、病人に刺激物は駄目だからって説得して追い返したの」

 

 ありがとう一夏。お前はやっぱ良い彼女or彼氏になれるわ。俺の体を純粋に心配してくれてたんだな、嬉しいよ。あ、そうだ。唐突だが鈴よ、あとでお前の弁当のおかずを全部俺が作った激甘卵焼きにすり替えてやるよ。どうだ嬉しいだろう。え、嬉しくない? 強情だなあ~。てかさ、なんでエビチリを俺に家に持ってこようとしたんだこのチャイナ娘は。

 

「なんでって……和行なら風邪の時でも大丈夫だと思ったからよ。それにあんたエビチリ好きでしょ」

 

 鈴、お前は俺をなんだと思ってるんだ? 確かにエビチリは好きだけど流石にそれは……いや、もうこの事に触れるのはよそう。なんか鈴の俺に対する扱いが弾並に酷くなってる気がするがこの際忘れよう。

 ちなみに俺たちの話を盗み聞きしていたクラスメイト達が血の涙を流したり、「やっぱ幼馴染じゃないとダメなのか!?」とか言い出し始めているのが多数いたけどスルーさせてもらう。一々相手にしてられないからね。だって俺が無理矢理連れ込んだとかならともかく一夏が自分の意思でやったことですし。

 

「来たな」

「来ちゃったね」

 

 一夏が言うには千冬さんも来たがっていたけど、仕事のスケジュールの都合で来るのが無理になったらしいので俺と一夏の二人だけで来ることになった。鈴とかも仲が良いから来たがってたけど、何やら最近家庭内で何かいざこざがあったらしくあまり外出できないらしい。鈴、お前は泣いていい。

 母さんには一夏が女の子になったことや偽名で学校に通ってることは千冬さんの許可を取って既に伝えてある。先週うちに母さんからの電話が掛かってきた時に教えました。流石に最初は信じられなかったみたいだけど、ちゃんと懇切丁寧に説明したら母さんは信じてくれた。女の子になった一夏に会うのが楽しみらしいが……どうなることか。

 

「えっと、何階だったっけ?」

「三階だ」

 

 受付を済ませ、母さんが居る三階の病室へと向かいながら何気なく一夏の今日の私服に視線を這わせる。最近はスカートを穿くのにも抵抗がなくなってきたのか私服ではスカートを着用する事が増えた。前はズボンとか穿いてることが多かったな。まあ、制服でもスカートを穿いているし慣れたんだろうな、多分。一夏は生足よりも足にニーソックスだのタイツだのストッキングとかを穿いていることが多い。

 一夏曰く生足はなんか慣れないから、らしい。夏場は流石に蒸れるだろうから生足にするかもしれないとのことだが。まあ、俺は生足よりもニーソックスにタイツやストッキングの方が好きだから別にいい問題な――いや、こんなことを言っても誰も得しないな、うん。

 それよりもだ、さっきから浮かないような顔をしている一夏のことが気になる。うちの母さんと会うのに戸惑ってるのかな。前とは違って今は女の子だし。エレベーターに乗り、三階で降りたところで俺は一夏に声を掛けた。

 

「一夏。母さんに会うの緊張してるのか?」

「う、うん」

 

 俺が尋ねると一夏は小さく頷いた。まあ、そうなるだろうな。幾ら一夏のことを教えておいたとはいえ受けれてもらえるか不安なのだろう。

 

「大丈夫だ。母さんがお前が考えているような事を言う人じゃないのはお前も分かってるだろ?」

「そ、そうだけど……」

 

 いつもと違い、どこか自信なさげな一夏の顔を見ていたからかわからないがどこか放っておけない気持ちになった。俺はいつの間にか一夏の手を取り、母さんが入室している病室へと歩き出していた。一夏の方に視線を向けると、俺の行動に戸惑っているようだが俺の手を振り払うことなくしっかりと握り返してきてくれた。

 それにしても、一夏の手すっごく柔らけえ……それにすべすべしてるしずっと触っていたいかも。はっ! いかんいかん! 煩悩退散煩悩退散! でも触っていたいのは事実だし……うぅ、母さんの病室前に行ったら手を離さないとなあ。下手に手を繋いだまま入ったら母さんに勘違いされるかもしれん。そうなったら一夏も嫌がるかもしれないだろうし。

 と、そんなこと考えているうちに母さんの病室が近づいてきたな。そろそろいいだろうと思い、一夏の手を放すと気を入れ直して、俺は病室のドアを数回ノックした。すると中からどうぞという声が聞こえたので、遠慮なくドアを開けて中に入ってドアを閉めた。

 

「よく来たわね、和行」

 

 九条(くじょう)八千代(やちよ)。俺の母さんが微笑みながら俺たちを出迎えてくれた。親父が死んでから俺を女手一つで俺を育ててくれた人だ。本人曰く軽く無茶をした影響でぶっ倒れたらしく、今は入院中の身だ。たまに冗談を言って俺をおちょくってくることもあるが基本的には良い人だ。病室の中には母さん一人しかいない。他に人は居ないので気楽に話すことができるのはありがたい。

 

「会うのは三週間ぶりかな?」

「そうね。先週電話はしたけどこうして会うのはね。あら? そちらのお嬢さんは?」

 

 一夏の存在に気付いたのか、母さんが一夏の方へと視線を向けはじめる。当の一夏はやはり緊張しているのか中々言い出せないようだ。

 

「あ、あの。その……えっと、お、お久しぶりです。八千代さん」

「……もしかして一夏君?」

「は、はい」

「あらあら! 女の子になったとは聞いてたけどこんなに可愛い子になってたのね」

 

 実は母さんには今日一夏が来るとは言っていなかった。言わない方がこうなんか驚かしがいがあるじゃん? それでだが、可愛いと言われた一夏はどう返したらいいのか解らないのか俺の方を向いている。やめなさい、俺に縋るような目で俺を見つめるのはやめるのです。これ以上そんな目をされると俺、一夏の事を女としか認識できなくなってしまうぞ。お前はそれでいいのか!

 俺がそんなことを考えているうちに母さんは一夏を呼び寄せ、自分の近くの椅子に座るように言っていた。一夏もそれに従い、椅子に座る。すると母さんは一夏の髪の毛を手に取り自然な形で触りだし始めた。一夏は突然のことにまたもや俺に助けを求めるような視線を送ってくるが俺はそれどころではなかった。

 ――母さんに嫉妬していることに気付いてしまったのだから。焦燥感にも似たどうしようにもない気持ちに支配された俺は一旦冷静になろうと、少しだけ目を伏せる。その、なんだ。ここまでくるとさ……もう目を背けるのやめようかなって思えてくるわ。

 

「シャンプーとか何か特別なの使ったり、ちゃんと手入れとかしているの?」

「い、いえ。シャンプーは今まで通りのを使ってますし、手入れも特には……」

「それなのにこの艶を保ってるの? 凄いわね、一夏ちゃん。……そうだ」

 

 一夏の髪の毛いいなあ。俺も触りたいなあ。と考えているとふと母さんと目が合った。あの目は……一夏と話があるのか? 母さんの言いたいことがなんとなく分かったので小さく頷いておく。すると、母さんは一夏の髪の毛を撫でるのをやめておもむろに財布を取り出した。そして中から千円札を二枚出して俺の方へと向けてくる。

 

「和行、これで売店から何か飲物とか食べ物を買ってきて。お釣りはそのままあげるから」

「ああ。一夏は何か飲みたいのとかある?」

「私はお茶でいいよ」

「私は紅茶ね」

 

 はいはい、わかったよと返しながら俺は母さんからお金を受け取り、一旦病室から出ていく。売店でコーヒーでも買って飲もうかなと考えながら売店がある一階へと階段を使って降りていくことにした。

 

◇◇◇

 

 和行が売店へ買い物をしに出て行ってしまった。必然的に俺は八千代さんと一緒の部屋に取り残されたことになる。

 ……どうしよう。何を話したらいいのか全然わからない。どうしたらいいのか考えあぐねていると八千代さんがニコニコしながらこちらを見てきた。なんだろう、嫌な予感がする。経験則から言って、八千代さんがこういう顔をするときは大抵こちらが困惑してしまうような話題を出してくるはずだ。

 

「ねえ、一夏ちゃん?」

「は、はい。なんですか?」

「和行のこと、好き?」

 

 へ? 和行のこと? まあ、そりゃあ好きですけど。あいつ、基本的に良い奴だし俺の味方で居てくれるって言ってくれたし。あいつが近くに居てくれたお蔭で俺が女の子の体になってもやってこれた訳ですから。それに今の俺の肯定してくれたし。

 俺がそう答えると八千代さんは「女の子になってもそういうところは変わらないのね」と口にして呆れたような疲れたのような表情をしていた。少し前にも和行に似たような顔をされたことがあったけどなんなんだ? 俺、何か間違ったこと言ったのか?

 

「違うのよ、一夏ちゃん。私が聞いてるのはそういう意味じゃなくて――もういいわ、話題を変えるわね? 彼氏を作る気はある?」

 

 ……え? か、彼氏?

 

「あの、八千代さん。私、男ですよ?」

「今は女の子でしょ。和行は男に戻れる可能性があるって話してたけどもしそれが駄目だった場合、一夏ちゃんはどうする?」

 

 先程までの温和な表情とは違っていつになく真剣な目で俺を見てくる八千代さんに俺はどう答えるべきか悩んだ。

 もし戻らなかった場合か……以前和行にも尋ねられた時は本当にそこらへんのことは良く考えていなかった。あまりにも突飛なことでこれは夢なんじゃないかって思っていたから。でも、和行に元に戻る可能性があるって話を聞いて以来戻れるなら戻りたいと考えるようになっていたからか、そんなことは忘れてしまっていた。もし束さんが嘘を付いていたとしたら俺は一生女性のままになる……。そうしたら、俺は女性じゃなくて男を好きになる必要が出てくるんだろうな。でも、正直男を好きになれるのかわからない。だって元は男だったわけだし俺。そう簡単に気持ちの切り替えできるか自信がない。

 でも、和行ならそういう関係になってもあまり抵抗はないかなあ。他の男は絶対に嫌だけど。それに和行と一緒なら自分は別に女のままでも別にいいかなって思えるし。

 

「わかりません。でも、和行なら大丈夫かも」

「理由は?」

「いえ、理由はないですよ。ただ和行の傍に居ると毎日が楽しいし、胸がドキドキしたり、声を聴いていると落ち着いたりできるんで他の男よりはいいかなって」

「……自覚はしてないってことね」

 

 八千代さんが遠い目をしながら何か呟いていたがどうしたのだろうか。俺、また変な事言った?

 

「一夏ちゃん。ちゃんと自分の気持ちに気付いてね」

「え? は、はい」

 

 俺は八千代さんが言っている意味が解らず、とりあえず返事だけはちゃんとすることにした。自分の気持ちって、俺は正直に自分の気持ちを自覚しているつもりなんだけど……。うーん、よくわからん。俺が頭を悩ませていると八千代さんは「そういえば……」と思い出したかのように言葉を溢していた。

 

「ねえ一夏ちゃん。よければ最近の和行の様子を教えてくれない? あの子ったら、こっちの心配ばかりして自分のことをちっとも話さないのよ。ねえ、お願い?」

 

 八千代さんが両手を合わせて頼み込んできた。おい、和行。自分が学校とかでどうやって過ごしているのかくらいは八千代さんに伝えろよ、全く……。

 八千代さんの願いを無碍にするわけにもいかないので、俺は和行がここ最近どうやって過ごしているのか。特に俺が女の子になって今に至る辺りを重点的に話すことにした。なんだろう、自分でも不思議だけど和行のことを話していると妙に饒舌になっている気がする。八千代さんも軽く引いているくらいだし。

 和行が自分のために女の言葉の特訓をしてくれたこと。学校で変なクラスメイトから守ってくれたこと。いつも俺のことを何かと気に掛けてくれていること。そして、和行が風邪を引いたことも話した。

 

「え? 和行ってば風邪を引いたの?」

「ええ。その、私が学校を出る前に空の様子をちゃんと見ていればもしかしたら風邪なんて引かなかったかもしれないんですけど……」

「それは一夏ちゃんの所為じゃないわよ。……和行にも同じことを言われた?」

 

 俺は無言で頷き、肯定した。やっぱこういうところは和行に似ているなあ。もちろん相合傘をしたことも話しておく。……今思うとあれって物凄く恥ずかしかったな。でも、近くに和行が居て良い匂いがしたしあれはあれで良かったかも――って、俺何言ってるんだろ? 疲れてるのか?

 あれ、八千代さんが驚いた顔をした後に何かにやにやし始めたぞ。……また嫌な予感がしてきた。

 

「ふーん、あの和行が相合傘をするとはねえ……これはひょっとすると相思相愛になるのかな?」

 

 また八千代さんがよくわからないことを言っている。うーん、本当になんなんだろう。なんかこう、言葉にできないもやもや感がするんだけど。

 

「で、その後はどうなったの?」

「私が看病しました。泊まり込みで料理を作ってあげたり、辛そうだったから食べさせてあげたり、体を拭いてあげたりしました」

「――え? それ本当?」

「は、はい。本当です」

 

 すると今度は「さっさとくっ付いちゃえばいいのに……」とか言い始めた。……本当になんなんだろう。心のモヤモヤが取れないんですけど。頭を悩ませていると部屋のドアが数回ノックされて和行の声が聞こえた。やっと帰ってきてくれたという安堵が俺の心に広がっていく。

 あ、流石に俺が躓いて和行を押し倒したような形になったあの事故のことは言ってないから。俺もあれを口にするのは恥ずかしいし……。あの時は本当に心臓が破裂するんじゃないかっていうくらい胸がバクバクしてたんだからさ……。

 

「じゃあ、お喋りはここまでね? あ、和行にはこのことは内緒よ?」

「わ、わかりました」

 

 八千代さんはウィンクしながら俺にそう言ってきたので、俺は了解の返事をした。……この人本当に子持ちかよ。前から思ってたけど仕草の一つ一つが完全に二十代とかのそれだぞおい。俺がそんなことを考えていると和行が部屋の中に入ってきて、俺にペットボトルのお茶を手渡してくれた。八千代さんと話してたから喉も乾いたしありがたいぜ。




オリキャラは今のところ主人公のママンだけです。


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第九話 自覚する心としない心(2/2)

 売店から母さんの病室に帰ってきた俺は半目を作りつつ母さんの方を見る。母さんは一夏と何を話していたのだろうか。色々考えられるがうちの母さんのことだ、どうせ俺の事に違いない。俺が学校とかでのことを全然話さないから一夏に根ほり葉ほり聞いていたんだろう。なんだろうな、あまり言う気になれなかったんだよなぜか。自分でもよくわからないけど。

 

「聞いたわよ和行」

 

 うん? なに、母さん。何を言ってるんだ?

 

「一夏ちゃんの為に相合傘をしてたって」

 

 ……おいまさか、一夏は話したのか。あのことを。一夏が濡れないようにと俺がやったことを。俺が看病されて、タオルで体を拭かれたりあーんされたりと言った事を話したのか?

 あああああああああああ! 一番知られたくない人に知られてしまったあああああああ!? なんでだよ一夏。お前なんで馬鹿正直に話しちゃうの? この先母さんにそのネタで弄られることになるであろう俺の身にもなってくれよ。

 あ、でも。この話しぶりだと、俺が一夏に押し倒された形になったあれは話してないのか。あー良か――いや良くねえわ。あれを話さなくても俺が母さんに弄られるのは確定事項になっちまったんだからな! うごごごごご……。うわああああああん! 俺を殺せ、今すぐ殺せ! くっそ、まるでアイサツ前にアンブッシュを決められた気分だ。

 

「あらあら、悶え苦しんでいるわね。ふふふ」

「だ、大丈夫? 和行?」

 

 大丈夫じゃねえよ! あの母さんの顔を見ろ! ドSな感情が滲み出てやがるぞおい。もうやだ、心が疲れた、死にたい。せめて最後に一夏の髪かおっぱいを触りたかったよ。

 いや、すまん。流石におっぱい触りたいは駄目な発言だわ。せめて手をにぎにぎさせてください。それか膝枕で俺を看取ってください。お願いします、何にもできませんけど。憂鬱な気分になってきた俺は光を失った目で一夏の方を見る。一夏は本気でこっちを心配しているのか優しく声を掛けてくれている。

 ああ~生き返る~。やっぱ一夏は女神だわ。男だけど。母さんにぽろっと話したことは不問にしよう。料理も美味いし、気遣いも出来るし、面倒見もいいし、なんだこの完璧な嫁は。ああ、俺の親友か。よし、生き返ったことだし今のうちに母さんに釘を刺しておくことを忘れないようにせねば。

 

「あ、そうだ。もしそのネタで俺の事を弄るつもりなら、母さんとはしばらく口利かないから」

「っ!? ちょ、和行。それって冗談よね? 冗談だと言って!?」

 

 母さんが珍しく慌てふためいていた。俺が口を利かなくなるのだけは母さんは本当に困るらしい。なので俺が冗談で言っているのだと解っていてもこういう反応を取ってくるのだ。数少ない俺が母さんに対抗できる手段である。ふっふっふ、やられているばかりの俺ではないのだよ、母さん。

 そんなことを考えながら俺達は談笑したり、母さんが好きな作家の新作小説を手渡して喜んで貰ったりと過ごしていたのだが、そろそろ帰って夕飯の支度をしないといけない時間になってきたので母さんにまた来ることを告げて病室を去ろうとしたところで母さんから待ったの声が掛かった。

 

「あっ、和行。ちょっと待って」

「ん? どうしたんだ?」

「和行と最後に話しておきたいことがあるから、一夏ちゃんにはちょっと待っててもらってほしいんだけど」

 

 俺に話しておきたいこと? うーん、なんだろう。一夏に待っててもらえるかと尋ねると了承してくれたので一夏には病室の外にある長椅子に座って待ってもらうことにした。母さんがベッド近くの椅子を指して座ってと言ってきたので俺は大人しく椅子へと腰かけた。すると、母さんが突拍子もなくあることを切り出してきた。

 

「ねえ、和行。一夏ちゃんのこと好き?」

「ブッ!?」

 

 思わず吹き出してしまった。な、何を言ってるんだ母さん。俺はそんなこと一言も口に出してないし、態度に出した覚えは……あっ……。出してたわ、え、まさかアレでバレたの?

 

「言わなくても分かるわ。だって私が一夏ちゃんの髪を触った時、嫉妬したような目で見てたし」

 

 マ、マジでバレてらぁ……。ちくしょう、母さんにはこの事だけは隠し通そうと思ったのにやっぱ無理だったか。

 はあ。そうだよ。もう白状します、隠すこともしません。そうだよ、俺は一夏のことが好きだよ。毎日手料理作ってほしいし、毎日イチャラブしまくりたいくらい大好きだよ。

 でもさ、本当に好きかはまだ分からないんだよ。なんていうか、確証っていうかさ、本当に好きなんだっていうのを認識できていないから。

 

「本当に好きか判らないって顔しているわね」

「あの……俺の心読まないでくれる?」

「読まなくても分かるわよ。息子のことくらい」

 

 俺の抗議に母さんは妙な説得力がある言葉を返してきた。そうだ、いつも母さんは俺が悩んでいたり困ったりしていると俺の事をちゃんと見ているかのように話してくれるんだ。それに助けられたこともあったし、鬱陶しいと思うこともあった。それでもちゃんと、俺の事を見ててくれたのは母さんだけだった。親父は俺が物心が付いた時には既に他界していたし。一夏と千冬さんも俺のことを見ていてくれたけど言い方は冷たくなるが、俺の肉親ではないから今回は除かせてもらう。

 だからかな、母さんには自分の考えていることを簡単に曝け出すことが出来るのは。本来なら母親に恋愛相談とか恥ずかしくて爆発四散レベルなのに、俺はこうも普通に母さんと会話出来ているし。

 

「女の子になった一夏を始めて見た時にさ、なんというか……好きになっちゃったんだ」

「一目惚れしたのね」

「うん。でもさ、その時は目の前にいるのが一夏って知らなくて鈴に教えてもらってから何だか自分の中でも良くわかないことになって。だから、自分の気持ちに蓋をしようとしたんだけど……無理だった」

 

 そうだ。俺は軽く目を背けていたけど、俺は確実にあの時一夏に惚れてしまっていたんだ。最初は一夏は男なんだし、女の子になって心もまだ不安定な一夏を好きになるのは間違いなんじゃないかってそう自分に心の中で言い聞かせていたよ。でも、一夏と過ごしているうちに俺は一夏の事が気になることが増えていってから意識が変わり始めた。

 あいつの何気ない仕草や行動、特に笑顔が好きになっていた。だってそんな一夏の姿が美しいと感じたから。可愛いと感じたから。あいつの事が頭から離れなくなったんだから。心の中で一夏に対して可愛いとか口走っていたのはその影響です。……一夏が女の子に変わってまだ一か月も経っていないのにこんな気持ちになるのはどうなのだろうか? 

 

「なあ、母さん。まだ一夏が女の子になってそんなに日が経ってないのにこんな風に考えるのっておかしいのかな?」

「別におかしくはないわよ。それだけ一夏ちゃんがあなたをメロメロにさせているって証拠だし」

 

 め、メロメロって……。随分古い表現使いますね、うちの母親は。そっか……これが別に好きになるのに時間は関係ないってやつなのかな。だけど、やはり踏ん切りが付かないことがある。

 理由は二つ。一つ目は一夏は女になっても鈍感が冴え渡っており、もう完全に不治の病状態なので告白しても「良いよ。買い物くらい付き合うよ」とか言われて俺の心が粉々になる可能性が高い。そうなったら俺は立ち直れないと思う。それにだ、万が一にでも一夏に勘違いさせない告白をしたとしても肝心の一夏がどう思うか分からない。もし拒絶とかされたらそっちもそっちで辛い思いをする羽目になるかもしれないから。

 二つ目はやはり一夏が男に戻る可能性が残されていること。もし告白する前に一夏が男に戻ってしまったら、俺の女である一夏への思いが届かない可能性がある。これもこれで心が抉られることになるに違いない。

 なんだかんだと理由を述べたが、要するに俺は自分が傷つくのが嫌で告白する勇気がないただのチキン野郎なのだ。……自分で言ってて悲しくなってきた。沈んだ気持ちになり俯いていた俺の頭に優しく手が置かれる。視線を向けると俺の頭に手を乗せたのは母さんだったのが一目で分かった。ゆっくりと俺の頭を撫ではじめた母さんがいつもの穏やかな目で俺を見つめ、諭すような口ぶりで話しかけてくる。

 

「大丈夫よ。ちゃんと自分の想いを伝えれば一夏ちゃんは分かってくれるわ」

「そう、かな……? だってあの一夏だよ? 母さんだって知ってるでしょ、あいつの鈍感っぷり」

「知ってるけど大丈夫だと思うわよ」

 

 なんで断言できるんだよと俺が言うと母さんは俺を撫でていた手を自分の顎へと持っていき、少しだけ考える素振りを見せてから俺に言葉を返してきた。

 

「うーん、女の勘かな?」

「……」

 

 俺の目はいま母さんを胡散臭いものを見る目になっていることだろう。現になんじゃそりゃと言いたい気分になっているし。……何かを隠しているような気もするが、母さんの勘は割とシャレにならないレベルで当たることが結構あったので信じておきますかと母さんに向かって呟く。母さんは俺の言葉に反応してにこやかな表情を浮かべた。

 

「でも、まだ告白しないよ俺。この気持ちが本当なんだってはっきりするまでは」

「はあ……お父さんに似てるわね。そんな慎重というか優柔不断なところまで似なくていいのに」

「うるさいよ」

 

 慎重で何が悪いと意思表示するように俺は勢い立ち上がり、病室のドアへと向かう。一夏を待たせているだろうから早く行かないと。俺は頭の中でそう考えを巡らせながらドアに手を掛けて出てこうとするが、その前に俺は一旦ドアから手を放し、母さんの方を向くことにした。

 

「母さん、また来てもいいかな?」

「いいわよ、あなたは私の家族なんだから。あ、次も一夏ちゃんと一緒に来てね?」

 

 はいはいと短く返事をして俺は今度こそ病室のドアに手を掛けて病室を出た。ドアを閉めて、一夏が座っている長椅子の方へと近づく。俺が部屋から出てきたことに気付いた一夏がゆっくりと俺の方へとやってくる。うん、やっぱり可愛い。

 エレベーターに乗って一階へのボタンを押した俺はこんな美少女と毎日必ず晩御飯を囲っている俺ってかなりの幸せ者だよなあと自分と一夏の関係を考えていると、一夏が声を掛けてきた。やっぱり俺が母さんと話していたことが気になるのだろうか。

 

「ねえ、和行。八千代さんと何を話してたの?」

「二人で今度一夏に浴衣とかメイド服とか色んな服を着せようかって話をしていただけだ」

「え!? 着せ替え人形にされる予定なの私!?」

 

 俺が珍しく言った冗談に慌てている一夏の顔を見ながら、俺は改めて思った。やっぱり俺は一夏が好きだ。こいつと居るとその想いが強くなっていく。一夏が慌てているのを尻目に俺は笑いを堪えつつ自分が言った冗談に考えを巡らせる。一夏に浴衣とメイド服か……凄く良いかも。特にメイド服は多分見たら鼻血が出るかもしれんけど、今の一夏なら絶対着こなせるだろうし。

 あ、言っておくけどメイド服と言っても俺はヴィクトリアンメイドかクラシカルのメイド服しか認めないからな。ショートっていうかミニスカとかは申し訳ないがNGだ。和服メイドはギリギリ大丈夫だけど。そのあたりでは俺と弾と数馬は相いれない。弾は水着メイドとミニスカが好きで、数馬の奴はホラー作品に出てきそうなメイド服とスチームパンク作品に出てくるメイド服が好きとか前に言ってた。

 多分俺たちがメイド服で言い争いをしたらISを使った第三次大戦が起こる前に、俺たちによる第三次大戦が勃発して世界が滅ぶ。そんな確信があるぞ。……ちょっと待って、メイド服で世界滅ぶとか流石にアホ過ぎないか? いや、そんなので滅ぶ世界なら滅んで当然か。そう納得しましょう。女になる前の一夏の好みは知らん。あいつは俺たちの会話を困ったように外から見ていただけだし。

 あとはそうだな。巫女服とか競泳水着とか旧型のスクール水着とかブルマとか、胴着とかビキニとか着物とかぴっちりスーツとかも似合いそうだよな一夏は。ほら、おっぱい……じゃないや、スタイル良いしさ。男の頃はイケメンだった上に体格も同年の男子に比べたら良い方だったからどんな服でも着こなしてたし、美少女になった一夏なら絶対に似合うと思うの。

 てか、母さんなら俺が直接提案しなくても率先してやるかもしれない。昔は箒を着せ替え人形に、倒れて入院する前は鈴を着せ替え人形にしてたし……。だからかな、一夏が隣でめっちゃ焦っているのは。まあアレはちょっと擁護できないからな、うん。駄目だこりゃって何回思った事か。一夏、もしお前が母さんの着せ替え人形にさせられても俺はお前を見捨てないぞ。未だにパニくってる一夏を放置しておくのもアレなので、俺はイタズラ成功といった感じの表情を作りながら一夏の方を見る。

 

「冗談だよ。引っかかったな一夏」

「え、冗談? 和行が冗談を言うなんて……ね、ねえ! やっぱり何かあったんじゃないの!?」

「何にもねえよ。何もな」

 

 俺の後を付いてくる一夏にそう返しながら俺たちは一階に着いていたエレベーターから降りて病院を出た。外は既に夕日が出ていた。夜が近づいてきているというのにまだ地面や空を照り付ける太陽の光を浴びながら俺は心の中で呟く。

 ――夕日に照らされた一夏も綺麗だな。夕日の光に照らされて隣を歩く一夏の横顔を眺めながら、俺は心からそう思うのだった。



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第十話 無自覚な思い

 なんでだ……。朝から物凄くイライラが止まらない。俺はいま机に向かいながら、視線の先で和行が他の女子と話しているのを眺めている。なんでだろう、和行が俺や鈴以外の女子と話しているだけで何故か解らないけどムカムカしてくる。

 和行は俺が女の子になった日からずっと俺の事を気に掛けてくれていた。正直、最初はあいつに拒絶されるかもって不安だった、気味悪がられるかもって。でも和行はそんな反応は見せなかったし、俺の事を受け入れてくれた。その時からかもな、俺が以前よりも精神的にあいつに頼っているのは。俺はあいつを頼りにしてきたし、あいつも俺を頼りにしていたと思う。俺と和行はお互いに頼って頼られての関係だった。今は俺が頼る事の方が増えているけど。

 昔の話になるが、俺と和行はそこまで仲が良い訳じゃなかった。箒もそうだった。あいつとも最初の頃は馬が合わず、喧嘩することが多かった。多分、あの日からだ。俺たちが仲良くなったのは。小学二年の頃、今は何処かへと転校してしまった幼馴染である篠ノ之箒のことを「男女」と呼んでいた奴等が居た。本人たちはからかっているつもりだったんだろうけど、俺から見ればからかいで済むレベルじゃないだろと思っていた。女の子相手に寄って集ってさ。その時のクラスメイトの中にも箒に突っかかってた連中のことを煙たがってたのが多く居たし、俺も連中が嫌いだった。俺は箒に難癖付けている奴等が許せなくて思わずカッとなって殴りかかろうとしたけど、和行が止めてくれたんだ。何故か俺と喧嘩することが多かったにも拘わらず。

 なんで止めるんだよって和行に食って掛かったが、和行も握り拳を作っていたのを俺は見逃さなかった。和行だってあいつらを殴りたかっただろうに……だけど、あいつは耐えていた。あいつは俺に諭すように言ってくれたよ。

 

「こいつらはお前が手を出す価値のない人間だ。この拳は大事なものを守るために取っておけ」

 

 当時はよく解らないことを言う奴だなって面食らったのと和行も本当は怒髪天を衝いているのに気付いたから怒りも鎮火したけど、今考えても小学二年生とかが言う台詞じゃない気がするんだが。八千代さんの教育の賜物なのだろうか。

 箒をイジメていた奴等は俺達の行動に白けたのかその場から消えていて、俺達は何にもされなかった。後日に例の連中が誰も登校してこなかったのには驚いた。和行は何か知ってるような顔をしていたのでこっそり聞いてみたら、連中が学校に来なかったのは箒の姉である束さんが何かやらかした所為らしい。何したんだよ束さんと思った俺は悪くないだろう。

 なんか話がズレた気がする。まあ、そういうのがあってからだな。あいつとよく遊んで親友とも呼べる仲になったのは。あの頃は俺も千冬姉も荒れていた時期だったけど和行と八千代さん、箒や束さんたちが居てくれたお蔭で落ち着いていったな。

 あいつが傍に居るのが当たり前になっていた。千冬姉も和行の事をもう一人の弟のように扱っていたし、和行も千冬姉のことを姉のように慕っていた。和行は自分は一人っ子だからって言って嬉しがっていたな。その割には千冬姉のことを姉呼ばわりしないけど、俺に遠慮してるんだろうな多分。

 ……俺たちを支えてくれた大事な人達、その中でもっともな大事な二人。それが和行と八千代さんなんだから。あの二人――特に和行に会えたことを自慢に思う。こいつが俺の親友だって声を上げたいくらいに。

 

「はぁ……」

 

 だけど、今の俺にそんなことを言えるんだろうか。体は女だけど、心は男だ。……最近はそう思っても、心も女の方へ傾いてきている気がする。以前は気にならなかった女子達が話している話題が気になってその輪に加わったり、可愛い下着が欲しいと思ったり、昔は興味がなかったアクセサリーとかが欲しくなったりしている。

 自分が自分でなくなっていくような感覚に苛まれることなんてしょっちゅうだ。もし体が男に戻れても、心が戻らないんじゃないかって不安に押しつぶされそうになる。でも、こんなことを誰かに言える訳もない。それこそ和行にも。和行に相談したら多分真剣に俺の事を考えてくれる。

 だからかな、却ってこの事だけはあいつに頼りたくないって思ってしまうんだ。和行が酷い事を言わないって解っている。だけど、俺は怖いんだ。心の中ではどう思ってるかなんて他人に何て解らないんだから。和行の事を親友と言っておいて、そんなことを考えている自分に嫌悪感を抱いてしまう。今、和行と他の女の子が話しているのにイライラしている事に対してもだ。何でこんなにイライラしないといけないんだ。和行が俺以外の女の子と話していようと別に良いだろうに。

 

「――こ、夏菜子!」

「へっ?」

「へっ? じゃないだろ。大丈夫か? 辛そうな顔してたけど……」

 

 さっきまで女の子と会話していたはずの和行が私の前に居た。こっちの事を純粋に心配しているのか、和行の瞳が俺の目を見つめていた。

 ――私を見ないで。俺は思わずそんな言葉を呟きそうになっていた。驚いた俺は必死に呑み込んでその言葉が喉から上に出てこないようにする。なんでこんな風に思うのだろうか。自分でも判らない感情に何度飲み込まれそうになったことか。

 駄目だ、和行には知られたくない。俺は思考回路を総動員してそう結論付けていつも通りの会話を心がけるようにする。

 

「だ、大丈夫だよ。ちょっと夕飯の献立を考えてただけだから」

「……まだ昼なのにか?」

 

 ……不味い、墓穴を掘った。何かを隠しているんじゃないかという和行の目線が一瞬俺に注がれるが、和行は即座にその視線を止めて俺の方を優しげな視線で見てきた。なんだろ、やっぱり和行にこの視線を向けられると嬉しくなるっていうか、胸の辺りが暖かくなるっていうか……変な気分になってくる。嫌ではないけどなんだか不思議な感じだなあ。

 俺がそんなことを考えていると、和行から再び声が掛かった。

 

「夏菜子。何か悩んでるなら俺に言ってみろよ。力になれるかもしれないし」

「……和行ってほんと昔からそんな感じだよね」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 和行の言葉に思わず笑みをこぼす俺が居た。こうやって和行と話しているとたまに自分の考えていることが馬鹿らしく感じてくる。和行と話していると心地いい。ずっと和行と駄弁っていたい気分だ。お蔭であのモヤモヤした感情も薄れている。なんでもないよと告げると和行は短く「そうか」とだけ呟いた。和行は自分の席に座ってから私の方を再度見てくる。

 

「そうだ。夏菜子、今度のゴールデンウィークなんだけど三人で遊びに行かないか?」

「三人?」

 

 俺は唐突な誘いに思わず首をひねる。三人って俺と和行ともう一人で行くってことか? 最近二人きり出かけることが多かったから別に良いけどさ。和行の口ぶりからして、三人目はもう決まってるのか?

 

「俺と鈴と夏菜子でだ。ほら、最近鈴の奴も元気ないし、お前もなんか考え込むことが多いしさ」

 

 和行は頭を掻きながら恥ずかしそうにしている。慣れないことするからそうなるんだよ。お前、そうやって俺たちを誘うこと殆どなかっただろ。何処かに遊びに行くって時も俺や鈴とかが誘って連れまわしたりしてたのが大半だったからな。

 そもそも和行はどっちかというとインドア派だし、外で積極的に遊ぶっていうタイプじゃないからな。だから、よく家でゲームとかしたりアニメ見たりしてるんだし。最近はあまりゲームとかはしないで、その分の時間を勉強に充ててるみたいだけど。和行も気分転換したかったのか?

 

「ふふ……」

「何がおかしいんだよ」

「だって和行がそんなこと言うの珍しいから」

 

 俺の指摘に和行が露骨に顔を逸らした。多分いまの和行の顔は赤くなっているに違いない。顔逸らさないでちゃんとこっちを見ろよ、ほら。

 

「っ! お、おい! 夏菜子!?」

「やっぱり顔が真っ赤になってるじゃん」

 

 両手を使って和行の顔をこっちに向けてやる。なんだか、和行の奴が物凄く慌ててるな。そんな焦ることか?

 そういえば、和行が今のと似たような反応を頻繁にするようになったのって和行の家に看病しに行ってからだよな。

 ……やべえ、余計な事を思い出した。頭に浮かんできているのは、俺が和行を押し倒すような形になったあの事故のことだ。あれは俺と和行の秘密になっている。あんなのホイホイ喋る訳にもいかないし、そもそも喋るつもりもないからな。実際八千代さんにもあの事だけは話さなかったし。

 たまにだがあの時の事に関して自分でも不思議に思う時がある。あの時、自分でも分からないけどあのまま和行の上になったままでもいいかも思っちゃったんだけど……なんでだろうか?

 

「あ、あの、あの……夏菜子」

「なに? どうしたの?」

「ま、周り見て……」

 

 和行の言葉に従い、俺は周りを見回してみる。そこには俺たちの方を食い入るように見るクラスメイト達がいた。弾や数馬はなんか驚いている顔しているし、なんか血の涙を流しているのも居るけど。鈴は早々に昼ご飯を食べてどっかに行ってしまったのでこの場にいない。皆なんでそんな顔してる……あっ。

 俺はそこでようやく気付いた。自分が恥ずかしい行動をしていることに。顔が熱くなるのを感じ、思わず和行の顔から両手を放してしまう。和行の顔から外れた両手を自分の両頬へと持っていき、自分を落ち着かせていく。

 な、何なんだ! 前ならふざけ合い程度で済んでたのに、なんでこんなに恥ずかしいんだ!? 和行の顔から手を放してもなお熱くなっていく自分の顔にもうどうにかなりそうだった。

 

「夏菜子――っ!」

「どうしたの……?」

「い、いや。体の調子が悪いならさ、保健室に行った方がいいんじゃないかって思ってさ。……なんだこのくっそ可愛い生き物。抱きしめたくなるじゃねえか」

 

 なんか俺には聞こえない声で言っているけど、嫌な気分がしないのはなんでだ。とりあえず、別に体の調子が悪い訳でもないぞ。生理とかはこの前終わったからな。生理の事は千冬姉と電話で話した八千代さんにしか伝えてない。鈴に話すのはちょっと抵抗あるし、弾や数馬に話すはもっと駄目だった。和行にも黙っていることにしたよ。和行からすればこんな話をされても混乱するだけだろうし、心構えはしていたけど実際に起こった所為で俺も混乱してたからな。

 あれすごく大変だったぞ。女性ってあれと毎月向き合ってるんだよなあ、尊敬するわ。……自分で言っててなんだか馬鹿らしくなってきた。俺も今は女性なのに。幾らなんでも心の中とはいえ、こんなことを盛大にぶっちゃける女子なんて俺以外に居ないだろ。……居ないよね?

 

「た、体調は大丈夫だよ」

「そ、そうか。じゃあさっさと飯食べちまおうぜ。時間ないし」

「そ、そうだね」

 

 和行に促されるように昼ご飯を食べることにした。俺も話題の切り替えをしたかったし丁度いいかな。今日も和行は手作り弁当か。俺も同じようなものだけどさ。ちなみに俺達が弁当を食べ始めた途端に弾と数馬がこっちを見ていたクラスメイトに「散った散った」と言ってくれたお蔭で、既に俺たちを見ている視線はなくなっていた。あとでお礼しとかないと。

 話は変わるけど、和行はよく自分の料理を俺以下だって卑下するけどさ、あれやめて欲しいんだよな。だって俺、和行の作った料理好きだし。なんていうかさ、上手く説明できないけど温かみがある感じがしてさ。好きな作者が自分の作品を卑下しているところなんてを見たくないのと同じで、和行のあの言葉を聞いたらこっちが嫌な気分になるんだよ。そうだ、今日は和行の晩御飯作ってもらおう。

 

「ねえ、和行」

「なんだ?」

「今日の夕飯は和行の料理食べたいんだけどさ、駄目?」

「良いのか?」

 

 怪訝な顔をしている和行の言葉に俺は迷うことなく頷く。だって和行の料理食べたいんだよ。それになんか最近俺の方が作る回数増えてるからちょっと和行にも料理して貰わないとな。

 

「うん、和行の料理が食べたいの。お願い」

「……あ、ああ。良いぞ、任せろ。ヤバい、夏菜子じゃなくて一夏のお願いヤバい」

 

 また和行が何か言ってるけど、無事料理を作る承諾も取れたしオッケーかな。和行の意識がなんか別の世界に行ってる気がしないでもないけど。でも、和行の料理は本当に楽しみだな。なんの料理を作るんだろう。和行が作る晩御飯に期待を寄せながら、俺は昼食を食べる箸を進めることにした。

 それから時間が経ち、放課後になった。今日は夕飯を作る食材を買うべく、二人でスーパーに寄ってから家に帰ることに決めている。あと家に置いてあった食材がなくなってきたのもあって、それらの買い出しも含めて。

 正直、女になってから男の時より筋力が下がった感じがするので、男である和行が居るのは荷物を持つ時に非常に助かる。女の子になった後に初めてスーパーに行った時だったか。最初は荷物とかを持つ力が下がっていたとしても俺が全部荷物を持つって言ってたんだけど、和行のやつが首を縦に振らなかったので買い物をする際の荷物が多い時だけは手伝ってもらうよう譲歩したのだ。持つべき者は頼りになる親友だな、うん。

 歩いているうちにスーパーに着いた俺達はカートに買い物かごを乗せて店内へと入っていく。店内を歩いている最中、俺は和行に今日の夕飯のメニューを訊いてみることにした。

 

「今日は何にするの?」

「うーん、エビチリと麻婆豆腐かな。丁度辛い物が食べたかったからさ」

 

 エビチリと麻婆豆腐か。和行が作るならそれでもいいかな。俺も辛い物とか最近食べてなかったから丁度いいし。俺は和行の提案を二つ返事で了承した。今日の晩御飯を作るのは和行なんだからここは和行の意見を尊重すべきだろうし。和行は「おまけで焼売も付けようか」と笑いながら言っていたのだが、即座に俺の方へと目配せしてから悩んでるような仕草をし始める。この短時間で表情を変えるとか忙しい奴だなあ。

 

「和行、どうかした?」

「いやなんだ……今の一夏って女の子じゃん? この手のメニューをドンと出すのはやっぱ駄目かなって。ほら、体重とか体型的とか考えるとさ」

「ううん、別に気にしないよ? 私、全然体型とか体重変わらないっぽいし」

「え、マジで?」

 

 ああ、マジだよ。和行が嘘だろおいとでも言いたげな表情をしているが本当の事だ。何回か体重だのウエストだのを測ってみたんだけどさ、あまり変化なかったんだよ。女の子になった影響なのかと考えたりもしたが、答えが出る訳でもないので深く考えないようしている。それに今の体重なら多少増えたくらいで別に健康的に問題があるって訳でもないし。太りすぎとか体重がありすぎるのは駄目だと思うが、これならまだ健康的な体重やウエストの範囲内というか体型には差なんて左程ないからな。

 そこまで言い切った俺だったが、和行が何故か微妙な表情を浮かべ始めていた。あ、あれ? どうしたんだ?

 

「お前……それ他の女子の前で言わない方がいいぞ。多分目の敵にされる」

「え、あ、うん。分かった」

 

 和行の忠告を素直に受け取ることにした。体型とか体重で悩んでいる女性は多いからな。うちのクラスにもそういう女子多いし。実際に女の子の輪に入って聞いていた俺はそれを一番理解している。口は災いの元だしな、うん。

 

「で、あの話はどうする?」

「あの話?」

「ほら、鈴と俺と一夏で遊園地行く話だよ」

 

 魚介類のコーナーでエビチリに使う剥き海老が入った袋とエビチリの素をカゴに入れながら和行が俺に尋ねてきた。断る理由もないし、俺も一緒に行くよ。それに和行と鈴だけじゃちょっと不安だしなあ。

 あの二人を放っておくのは抵抗があるっていうか。和行と鈴は基本的に仲が良いけど、たまに二人揃ってアホなことをやらかしたり、よく分からない言い争いをしたりしてるから心配なんだよ。

 

「私も行くよ」

「本当か?」

「嘘吐いてもしょうがないでしょ。それで、遊園地ってどこの遊園地に行くの?」

「小学二年の頃に箒とかと一緒に行ったあの遊園地だよ」

 

 ああ、あそこか。あそこなら場所は覚えている。しっかし、随分懐かしいな。もう何年も行ってないぞあの遊園地。

 

「楽しみだね」

「そうだな……っと、次はひき肉だな。行くぞ、一夏」

「うん」

 

 カートを押す和行に俺は付いていく。昔、和行と初めて一緒に買い物に来た時はどこかぎこちない感じで買い物をしていた和行が今はこんな風に自分を引っ張るまでになってるとは。いやはや、時の流れは速いもんだな。俺は感慨深げな感想を抱きつつ、和行との買い物を続けるのだった。

 昔と同じようで居て違う光景。違和感すらないこの光景に、俺は最初から自分は女だったのかもしれないと一瞬だけ錯覚してしまった。俺はまだ男に戻れるなら戻りたいと考えている。二度と戻れないという事とかが判明しない限りはこの考えを変えるつもりはない。でも、今この時だけは男じゃなくて女のままでもいいかなと思えてくる。隣をカートを押しながら歩いている和行の顔がとても生き生きとしているのが妙に嬉しくて。俺と二人きりの時に見せるその表情が眩しいと感じたから。

 

「一夏、俺の顔に何か付いてるか?」

「ううん、何も付いてないよ」

「じゃあなんで見てくるんだよ」

「良いじゃん別に」

 

 だから、せめてこの瞬間だけはその考えを心の中に仕舞っておこう。俺はそう考えを纏めながら、俺が顔を見つめていることに困惑している和行の横顔を眺め続ける事にした。和行が「そんなに見るな」と顔を赤くしながら抗議してきたが俺はそんなやり取りの中である楽しみを見つけてしまった。

 ……なんだか、和行を弄るの面白いかも。



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第十一話 ジェットコースターとか嫌だよ(1/2)

 暦はすでに五月。休みを心待ちにしていた学生たちからすれば嬉しい時期であろうゴールデンウィークに突入している。既に一夏が女の子になってから一か月も経っていたなんてね。時間の流れは早いよな。なんか去年とかよりも月日が過ぎるのが早い感じがするんだけど……気のせいなんだろうか。

 さて、今日も毎度お馴染みなパターンで一夏とお出かけしてる訳なんだが、一つだけいつもと違う点がある。唐突だが、俺はいつも一夏とこういう風に出かけるのをデートだと思ってるんだよ。一夏がどう思ってるかは言わなくて分かってもらえるだろうけど、個人的にはデートだと思ってるんだよ。大事なことなので二回言いました。一夏と歩いてるとそんな気分になってくるんだよ。たまに妬ましげな視線を道行く人達から向けられたりするが。

 だけどね、今日はそんなデート(仮)的な雰囲気すらも作れないのさ。だって――

 

「一夏、和行、あれ乗るわよ!」

「え、あれってジェットコースター? あ、あのね、鈴? 私たちはともかく和行は……」

「大丈夫よ。和行ならあれに乗った程度じゃ死なないわ」

 

 鈴が居るからだ。今日は例の約束通り遊園地に来ている。ここ最近、鈴に元気がない時が多かったので俺が気分転換にでもと思って誘ったのだ。ほんと悩んでいるような表情をすることが多くなったしなあ、鈴のやつ一体何があったんだろうか。それと一夏もだ。なんだか最近様子が変というか……やはり疲れているんだろうか。女の子ならではの悩みもあるみたいだしさ。

 俺もちょっと勉強疲れというか、気分転換したくなったのでこうやって遊ぶことにしたんだ。あまりこういった誘いを俺からしたことがなかったせいか、先に鈴に話した際には「変なもの食ったんじゃないの?」と目を細められ、一夏にもこんなことするタイプじゃないのにねって感じで笑われたけどな。超恥ずかしかった。特に一夏の場合、両手を顔に添えられたせいでめっちゃドキドキしたし。一夏の手、柔らかかったなあ。なんだか俺って一夏の手に触れたり、触れられたりすると毎回こんなこと言ってる気がする。もっと語彙力を発揮したいんだが、一夏の手の前にはそんな思考なんて消し飛ぶんだよ。ああ、柔らかかった。

 あ、ここは学校じゃないので基本的に一夏の事は夏菜子と呼ばず、普通に一夏と呼ぶようにしている。近くには夏菜子の正体を知っている俺達しかおらず、学校のクラスメイトとかはいないから一夏って呼んでも問題ないだろと判断したんだ。実際鈴もさっきから一夏って呼んでるし。まあ、流石にクラスメイトとかを本当に見かけたら夏菜子って呼ぶけどな。

 ちなみに今回来た遊園地はいつも一夏とかと出歩く場所とは違い、比較的遠目というか近所と言えないような距離にある場所だったので引率者として鈴の両親に来て貰っている。俺たちのことを離れた位置で見守ってくれています。うちの母さんはまだ入院中だし、千冬さんは例の如く仕事でスケジュールが合わなかったんだよ。それで今日は鈴の実家でやっている食堂が休業日との話を聞いていたので、俺たち三人で頼み込んで来て貰った訳だ。本当にありがとうございます。

 それとだ、鈴。お前はやっぱ俺の事を何かの超生命体だとでも思い込んでる気がしてならんだが? 俺はジェットコースターなんて絶対乗らないぞ。一夏が上目遣いで頼んできた場合は別だけどね。一夏には抗えないからね、仕方ないね。何事も戒めと賛美と許容の精神よ。まあ、それだけじゃ限界があるのも確かだけど。

 

「はぁ……」

 

 俺はジェットコースターが嫌いだ。くだらないことを考えて現実逃避するくらいに嫌いだ。理由というか原因は小学生二年生の頃にある。まだ男だった一夏や幼馴染の箒となんか俺達に付いてきたウサミミおっぱいアリス、そして俺の母さんとで一緒にこの遊園地に来たことがあったんだ。ちなみに千冬さんは俺達が遊びに来ていた時、篠ノ之家が開いていた篠ノ之道場で剣道の練習をしていた。一夏曰く、千冬さんは「お前達だけで遊んで来い。私にはああいう場所は似合わんからな」と言って一緒に来るのを遠慮したらしい。

 話が逸れたが、まあなんだ。その時にジェットコースターに乗ったんだけどガチで気持ち悪くなったんだよ。それ以来無理になったっていうか……。あと某国が作ったジェットコースター事故を回避した人たちが悲惨な目に遭うという映画の予告編をうっかり見てしまい怖くなって軽くトラウマになったのも原因っちゃ原因かな?

 

「おい鈴。俺はジェットコースター乗らないぞ」

「は? なんでよ?」

 

 このままだと俺が色々と不味い事態になるので鈴に意思表示をしておくのを忘れない。鈴は俺の発言に不服そうな顔をしているが、一夏は俺がジェットコースターに乗れない理由を知っているからか先程から鈴の言動に当惑しているみたいだ。一夏可愛い。

 

「なによ、あんたまさかジェットコースターが怖いっていうんじゃないでしょうね?」

「ああそうだ」

「……」

 

 間を置かずに俺が言い放ったせいか鈴が固まっている。仕方ないじゃん、トラウマだったり過去の体験の所為で無理なものはどうしても無理なんだよ。ついでに言うと俺はコーヒーカップも無理だ。理由は過去に箒たちと来たあの時の出来事が原因だ。俺と一夏、束姉さんと箒という組み合わせでそれぞれのコーヒーカップに乗ったんだよ。そこまでは良かったんだが、一夏のやつが調子に乗って回転させまくったせいで凄まじい嘔吐感に襲われてガチで吐きかけたことがあったからだ。

 回しまくっていた張本人である一夏もグロッキーになってたし、あの体験だけはもう二度としたくないです。一日で二度も吐きかける経験するとか嫌すぎる。当然だけど俺達の惨状を見た箒は呆れてました。まあ、そうなるよね。あと一緒に居た束姉さんは口を開けて笑ってました。ウサミミもぐぞ。

 俺が昔の事を思い出している間に鈴が復活したのか、一夏と二人だけでジェットコースターに乗りに行ってしまった。俺は完全に置いてけぼりである。軽くしょぼくれながら少しの間近くのベンチで待っていると一夏と鈴はジェットコースターから降りてきて俺の方へと寄ってきた。

 

「ああ楽しかったわ! あんたも乗ればよかったのに」

 

 ふふん、と言いたげな視線をこちらに向けてくる鈴に軽くイラっとした。こいつが一夏の隣に座ってたのがチラッとだが発進前に見えていたので先を越されたような気分に陥る。くっそ、俺がジェットコースターさえ苦手でなければ今頃一夏の隣に居ただろうに。今この瞬間ほど過去にタイムスリップしたいと考えたことはない……!

 あれ? 一夏の髪型乱れてるな。どう見てもジェットコースターの所為だよな……どれ直してやるか。

 

「一夏、ここに座って。髪型直してあげるから」

「うん、わかった」

 

 俺は一夏をベンチに座らせると上着の内側から取り出した櫛で一夏の髪型を直してやる。なんで俺がこんなものを持ち歩いてるかは企業秘密だ。知らない方がいい。別に一夏の髪に触れる口実を作るために持ち歩いているとか、一夏と触れ合う機会を増やすにはどうしたらいいのかと母さんに電話で相談して唆されたからとかそんなんじゃないから。

 あっ、言っちゃった……俺の馬鹿……。そうですよ、俺は基本的に表面上は一夏に興味があるなんておくびにも出さないけど、内心は一夏の事しか考えてないむっつりスケベな変態ですよ。そんな俺だが、今のところは俺が一夏のことを好きなことは母さんを除いてバレてない。というか言う必要もなかっただけなんだけどね。友達に限定するなら、鈴や弾や数馬にはそのうち俺が一夏の事を好きなのがバレると思うけどね。鈴に知られた場合のことを考えるとあまりバレてほしくないです。多分俺が酷い目に遭う。千冬さんは最近会ってないから知らん。ほんとあの人なんの仕事してるのよ。稼ぎは良いみたいだけど、なんかヤバい仕事とかしてるんじゃないだろうな。心配だ。

 ……はい、余計な事を考えているうちに一夏の髪型のセットが終わりました。うん、やっぱ一夏は可愛い、超可愛い。母さんの着せ替え人形にされる予定があるだけある。

 

「ほい、終わったよ一夏」

「ありがとう和行。ほんとこういうの上手だね」

「礼を言われるほどじゃないよ。母さんに仕込まれただけだし」

「……冗談だよね?」

 

 自分の髪の毛を持参していた手鏡で確認して微笑んでた一夏が、一変して嘘だろと言わんばかりの表情を作って俺に向けてきている。……すまんな、一夏。残念ながら冗談ではなくガチなんだよ。俺だって冗談って言いたかったさ。

 なんか知らんのだが、ある日急に母さんが俺に女の子のこういう髪型のセットの仕方を教えてきたのだ。小学二年の頃から小学五年の間だったはずだが、一夏が女の子になるまでその事を忘却の彼方にしまい込んでいたので覚えた正確な時期は曖昧だ。一夏の髪型を整え始めたのもごく最近だし。まあそのお蔭で俺は一夏の髪の毛を合法的(?)に触れるんだが。まったくどこでこんな技術を学んだんだあの人は。美容師ではなかったはずだし、母さん七不思議の一つだよほんと。俺の技術なんてプロとかに比べば殆ど素人のそれだけど、一夏が喜んでくれているから別にいいか。

 俺の答えを待っているであろう一夏に本当だよと教えると一夏は頬を引きつらせていた。まあ、そうなるよね。母さんのことをよく知っている一夏ならそういう反応すると思ったよ。

 

「ん? どうした鈴?」

「べ、別に……」

 

 先程から鈴が嫉妬と困惑の二つの感情を混ぜたような目でこちらを見ていたが俺が声をかけた途端そっぽを向いてしまう。俺は敢えてそこには触れないようにしながら次はどこに行くのだろうと疑問に思った。出来れば俺も乗れるアトラクションとかにして欲しいものだが。

 

「で、次はどこに行くんだ?」

「えっと……どこに行こうか?」

「あれはどう?」

 

 俺が気になって口にした言葉に一夏と鈴が反応したのだが、俺は鈴が指を差した場所を見て軽く固まった。鈴が指を差した場所、それは幽霊屋敷だったからだ。恐怖を体験するために備え付けられた娯楽施設。この遊園地は幽霊屋敷関連に特に力を入れており、昔ここに来た時は知らなかったのだが怖いと評判らしい。この場にいる三人の中では一番ビビりなはずの鈴がこんな提案をしたことに俺は脳味噌をフル回転させる。

 鈴、お前何が目的だ……。まさかお前、きゃーこわーいとか言って一夏に抱き付くのが目的か!? ぐぬぬぬぬ! 俺だって一夏に抱き付きたいが、俺がやるとおまわりさんこいつです状態になること請け合いだ。鈴なら同性なのでそこらへんは問題がなくなるが……やばい、泣きたくなってきた。

 

「え、幽霊屋敷って……。鈴、チキンなのに大丈夫なの?」

「一言余計よ!」

 

 一夏にチキンと言われたことに憤慨した鈴が先に幽霊屋敷へと向かっていってしまった。俺と一夏は思わず顔を見合わせる。鈴を一人にしておくわけにもいかないので、鈴の両親に先に行っていますと告げてから鈴の後を追うことにした。意外と早く鈴に追いつくことが出来た俺たちは三人して幽霊屋敷に入ることになった。鈴は若干及び腰だったけど。

 

「わあ……」

 

 腰が引けている鈴を押し込む形で幽霊屋敷に入ったんだが、内部はかなり良い感じになっていたので思わず声が漏れてしまった。なんでも荒廃した屋敷の中を探索しながら出口を目指すタイプのやつらしいので荒廃した廃墟をよく研究しているのが伝わってくる。廃墟は良い文明。いや、よくはねえか。

 で、案の定なのだが、鈴のやつはさっそくビクついてるのか一夏の傍を離れようとしていなかった。き、貴公……やはりそれが目的か。てかさ、一夏もなんか雰囲気に当てられたのかちょっと怖がってね? まあこんなんホラー耐性ない人は怖いだろうけどさ。俺は大丈夫だ。こんなことを言うと鈴とかには強がりだと言われかねないから口には出さないが、そこまで怖くないのよ。昔さ、この幽霊屋敷に来た時もそうだったんだけどさ、母さんに「怖くないの?」って聞かれたんだけど本当に怖くなかったんだよ。その時の母さん曰く「やっぱりあの人の子供ねえ」らしいので多分親父譲りなんだと思う。親父の心臓とか精神構造とかどうなってたんだよ。そっちの方が別の意味で怖いわ。

 なんか話が逸れたような気もするが、とにかく俺はそこまで怖く感じていないということなのです。まあ、流石にうわって脅かしてくるようなのにはビビるだろうけどね。恐怖するのと音とかにビビるのとでは感覚が全く違うと思うんだよ俺は。

 というか、俺はこういう幽霊系とかよりも現実の人間の方が怖いって思ってるタイプだからあまりそういうのに頓着がないだけとも言えるんだけどね。

 

「おい、行くぞ」

「は? はあ? あんたこの状況で何言ってんのよ」

 

 それはこっちの台詞だ鈴。これは出口まで進むアトラクションなんだから、こんな入口近くで立ち止まっていても意味ないだろが。仕方ないので了承を得ずに右手で一夏の左手を、左手で鈴の右腕を掴むと無理矢理内部を進んでいく。いつもなら一夏の手の柔らかさへの感想を垂れ流しているところだが、今日は鈴も居るのでやめておくわ。なんかうん、こいつが居るとなんか調子が狂うというかペースを保つことができないというか。

 途中二人が物凄い悲鳴を上げたりしてたんだが……。その、なんだ。一夏の場合は百歩譲らなくても物凄く可愛い悲鳴に聞こえるのに、鈴には悪いが鈴の場合は完全にマジな悲鳴だから耳が痛くなったんで冗談抜きでうるさいって叫ぶところだったわ。軽く耳にダメージを負いながらも最初の目的地まで着いた。俺はようやく二人を手を放して二人の方を見る。そこまで驚かしがあったわけでもないのにこの二人ビビリすぎじゃね?

 

「お前ら、そんなに怖いのか?」

「あったりまえじゃない! あんたはなんで平気なのよ!?」

「別に大して怖くないし」

「……あんたの事がたまに凄いのか凄くないのか判らなくなる時があるわ」

 

 鈴、それって褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。……まあ、いいや。とりあえずこの場所でえっと、何するんだっけ。ああ、そうだ。あのアンティーク調のクローゼットの中を調べてから進むんだったな。

 なんか幽霊的なものが飛び出してくる予感しかしないんだけど……あ、鈴、開けてみる? え、嫌だ? あ、はい。そうですか。じゃあ一夏は? え、怖いけど別に開けてもいい? うん、一夏にそんなことさせられないから俺が開けるね。幼馴染二人がビクついているので仕方なしに俺がクローゼットを開けることになった。こういうのはね、ゆっくり開けると余計怖くなるだろうからここは一気に開けた方がいいな。よし、せーの。

 

「ぎゃあああああ!?」

「鈴!? ま、待って!?」

 

 え、俺がクローゼットの扉を開けただけなのにその音にビビったのか、鈴が次の目的地がある方へ逃げて行ったんですが……。ついでに一夏も鈴の後を追いかけて行ってしまった。

 あの、待って。流石に一夏にまで置いて行かれると心細いんですけど。俺はゆっくりとクローゼットの中を確認するとすぐに扉を閉めて二人の後を追った。ちなみにクローゼットの中には幽霊的なものが顔を出すような仕組みになっていた。でも一夏とか鈴の方が心配だったので気に留めてもいなかったわ。ごめんなさい、脅かし役のスタッフさん。



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第十二話 ジェットコースターとか嫌だよ(2/2)

 その後、すぐに一夏と鈴には追い着くことができた。のだが、まだ続く驚かし要素に鈴が物凄い悲鳴を上げるわ、一夏が怖がって俺の腕にぴったりくっ付いて来たりした所為かメロンが当たったりしました。やっぱり柔らけえな。あとメロンが当たってハッピーな気分になっているところを鈴にガチで嫉妬した目でガン見されたりと、ある意味別の恐怖を味わったりしました。正直言って幽霊屋敷よりも鈴の方が怖い。なんだかそのうち、一夏が好きな者同士で血で血を洗う戦いが起きそうな予感がしたんだけど気のせいだと思いたい。ていうか気のせいであってくれ。俺は一夏と両想いになってイチャラブしまくるまでは死にたくないんで。一夏と両想いになってイチャラブしまくるまで死にたくないんだ。大事なことなので二回言いました。

 めっちゃ怖い。俺めっちゃ怖い。俺はそんなのに巻き込まれたくないです。でも一夏は誰にも渡したくありません。俺はイチャラブ純愛ものが好きなんです。寝取られとかドロドロしたのとか無理なんです。需要はあると思うのでジャンルそのものを否定するつもりはないので必要以上にあれこれと言う気はないけど、そういう趣味を押し付けてくるのだけはNGだ。

 この前クラスメイトの中に俺に寝取られものを勧めてきた奴が居たけど、思わず千冬さん仕込みの右ストレートが飛び出すところだったが何とか我慢して「俺は寝取られが嫌いだ。いいね?」とコトダマを吐いて、勧めてきた奴を追い返したよ。勧めてきた奴も「アッハイ」と言ってたから恐らく分かってくれたはずだ。

 俺が阿呆なことを考えているうちに幽霊屋敷も最後の方まで進み、そこからまた一夏と鈴が悲鳴を上げて逃げているのを俺が追いかけるという展開になり、出口から出てもこのアトラクションがいまいち怖いのか怖くないのかわからない状態になっていた。

 俺はそこまで怖くなかったんだが、もう少し中の作りとか見てみたかったよ。一夏と鈴を追いかけるので必死になっちゃったし。

 

「二人とも大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわよ……」

 

 一人だけ駄目そうなのが居た。なんかもう潰れる寸前のカエルみたいな鈴が居た。鈴、お前慣れないことするからそうなるんだよ。大体一夏の傍に居られるようなアトラクションなんてもっと他にあるだろうに。

 時計を見るとそろそろ昼時だったので俺たちは昼食を挟んだ後、またアトラクションめぐりをすることになった。メリーゴーランドに乗った時は一夏と鈴は馬車に乗って、俺は一人でお馬さんに乗る羽目になったのでかなり精神的にきたよ。近くに居た子供に「あのお兄ちゃん一人でお馬さん乗ってる。変なのー」と指されて笑われました。一夏は俺のことを心配してくれたけど、鈴はなんか俺を指差して笑っていた子供が増えたのかと思えるくらいに白い歯を見せてやがった。ちくしょう……。もうメリーゴーランドなんて絶対乗らねえからな。一夏にお願いされたら乗ると思うけど。

 帰る時間も迫ったきたので何故か最後に観覧車に乗ることになりました。こういうのって普通恋人と二人きりで来たカップルが乗るべきだよね? 野郎と美少女二人ってなんかいまいち絵面的に噛み合わないような気がするんだけど。だってさ、二人とも超美少女なんだぞ。俺みたいな普通の人間じゃ釣り合わんだろ。

 ……こんなことを口に出そうものなら、千冬さん仕込みのパンチ使える時点でお前は普通じゃないってツッコミが鈴辺りから飛んできそうだが、触れない方向で頼む。だって俺、武道の才能なんて殆どなかったですし。使えることが出来たのは千冬さんが教えてくれたガチの殴り合いで使えそうなのを二、三個くらいだぞ? 基本的に自衛以外じゃ役に立たねえよこれ。才能がないなんて言わずにやってみないかと束姉さんと箒の父親である柳韻さんに言われたこともあったけど、俺には一夏と箒みたいに一緒に剣道なんて柄じゃなかったから断ったよ。俺、本来はインドア派なんで。

 ――でもまあ、

 

「良い眺めだな」

「うん、そうだね」

「はあ、幽霊屋敷なんて入るもんじゃなかったわ。きゃーこわーい作戦に利用しようとした罰が当たったのね。ふふふ……」

 

 俺と一夏は観覧車から見える光景を見て同じ気持ちになってきたが、鈴だけは別だった。こいつまだそんなこと言ってるのか。さっきも似たような事を一人でぶつぶつ言ってたような。口から軽く魂が抜け出てるように見えるのは俺だけだよね? 俺がそんなことを考えていると鈴は改まったような顔をして俺の方を見てきた。

 

「その、ありがとね。和行」

「え?」

「あんたがあたしの為に今日遊んでくれたことよ」

「なんだ。気付いていたのか?」

 

 俺がそう口にすると、鈴はあったりまえでしょと自信満々に言ってのけた。

 

「あんたや一夏と何年一緒に居ると思ってるのよ。分かるわよ、それくらい」

 

 鈴の顔はいつもの表情に戻っている。俺たちが知っている鈴の笑顔だ。鈴や鈴の両親に何があったのかは知らない。この遊園地に来てから鈴の両親はあまりお互いに会話もしていないようだった。こちらが話しかけると笑顔などを向けてくるが、何処か作り物のように見えてしまっていた。

 でも、今の鈴の笑顔は本物だ。心から笑えているという証左に思えた。それが見れただけでも俺がやったことは無駄ではなかったと俺は心から安堵する。

 やがて、俺たちを乗せた観覧車は下へと戻る。時間を見ると遊園地から帰る時間となっていたので鈴の両親と合流して地元へと帰ることになった。地元の駅へと戻り、俺たちは別れてそれぞれの家のある方へと帰ろうとしたのだが、鈴から俺だけ呼び出しを喰らったので一夏を俺の視界に入る位置で待たせて鈴と話をすることにする。どうやら鈴も両親を待たせているみたいだ。

 

「なんか用か。鈴」

「……あたしが一夏が好きになった理由、覚えてる?」

「ああ、覚えてるさ」

 

 目を伏せながら鈴は唐突に俺に問いかけてきたので、俺は頷きながら言葉を返した。鈴が一夏を好きになった理由はもちろん覚えている。

 小学五年の始め頃にうち学校へと鈴が転入してきた。まだ日本に来て日が浅かった鈴は、まだ日本語もよく喋れなかったのもあって内心かなり心細かったのと慣れない土地の所為で気が立っていたらしい。鈴の隣の席だった一夏が親切心から何とかしようと話しかけてたりしていたのだが、最初は鈴に一夏は警戒されていた。無論一夏と一緒に話しかけた俺も警戒されました。その所為で最初の数週間は仲が悪かったよ。

 だがそこは我らが一夏だ。持ち前のコミュ力とイケメン力と優しさという三連コンボで鈴の心を鷲掴みにしてしまった。それ以来鈴は一夏に惚れているのだ。一夏に惚れたのもあってか、一夏の親友である俺に相談というか、アドバイス的なことを尋ねたりしてきたりしたので鈴が惚れた理由も知ってるというね。でもね、こっちのことも考えて欲しいんだ。めっちゃ嬉しそうな顔で一夏のことを惚気られたら、追い返すのもアレだし一夏への惚気話を聞いてるこっちは精神的にキツかったんだよ。この子に小学生の頃に惚気混じりに聞かされた話によると一夏の奴に「毎日お味噌汁を食べてくれる?」的なことまで約束したそうだ。

 なお、一夏本人がその約束の意味をちゃんと把握してるかは不明な模様。だって異性としての付き合ってを買い物に付き合ってと脳内変換する一夏ですし。まあ、あれは伝える側にも問題ある気がするけど。告白してた子たちはストレートにあなたが好きですって言えば鈍感な一夏にも伝わるのに、恥ずかしがって皆できてなかったみたいです。鈴もその一人だ。

 ちなみにアドバイスうんぬんは基本的に一夏へ惚れた子たちが俺の方に話を聞きに来る度にやってたので、別に鈴が特別ってわけでもない。正直一夏に惚れた女の子の中に俺好みの子も居たりしたが、もう一夏に惚れてる時点で諦めるしかなかったよ、うん。

 なんか話が逸れた気がする。俺の覚えているという言葉に「そう」と短く呟くと、自分の心情を吐き出すように俺の目を見つめながら静かに語りだした。

 

「あたしね、正直に言うと一夏が女になって絶望したわ。もし神様が居るならぶん殴りたい気分だったし、一夏を女にした篠ノ之博士を叩き潰したかったわ」

 

 でもね、と鈴は続けた。

 

「一夏と過ごす内に解ったの。女の子になってもあいつは変わらなかった。心というか精神というか、そういうのが男の時と変わっていなかった。あたしが惚れた一夏と魂が同じだったんだ」

「鈴……」

 

 鈴になんて声を掛けたらいいのか判断が付かない俺はただ彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。そりゃあ、鈴はかなり内心荒れているだろうなと思っていたよ。でも、俺は鈴に直接本音をぶつけられてはいなかった。俺にここまで本音をぶちまけるということは、鈴も女の子になった一夏との生活の中で考えというか意識などが変わっていったのだろう。女の子になった一夏に恋をした俺のように。

 

「だからね、あたし決めたの」

「何を?」

「一夏が女だろうと関係ない。一夏を落とすってね」

「……はぁ!?」

 

 俺は思わず驚愕の声を上げてしまった。あの、すいません鈴さん。今あなたなんと仰いましたか? え、それってあの所謂百合ってやつになるよね? あ、でも一夏は精神的というか心は男だから問題ない――いや待って、色々待って。鈴の開き直りが凄すぎるとか色々と言いたいことがあるけどちょっと待って。なんでこの子、俺に百合(?)になります宣言してるのよ。なんでだよほんと。頭痛い。ついでに胃も痛い。

 

「なに? ビックリしたの?」

「ビックリというかなんというか。その……お前、変な方向にアクセル振り切れてないか?」

「あたしのアクセルは正常よ」

 

 鈴がドヤ顔で「大丈夫よ、問題ないわ」とか言い始めたんだけどさ、お前それ完璧な死亡フラグだぞ。分かってんのかおい。……ちょっと鈴よ、お前まさかとは思うけど俺にその恋の応援しろとか言わないよね? ね?

 

「それでなんだけど。和行、いつものようにあたしの恋の応援をしてくれない?」

 

 あ、想像通りのことを言われました。もうこれは確定ですね。こいつは俺にそういうことをやらせようとしています。鈴は知らないから仕方ないけどさ、恋のライバルに当たる相手に自分の恋の応援させようとするってどうなのよ。俺だって一夏に恋しているのに、鈴の恋の応援をしろとか結構精神的にキツいんですけど。ていうか、いつものように応援ってどういうことだよ。もしかしてあれか? 俺が鈴の相談とかをよく聞いてたから俺が鈴の応援をしていると勘違いされたか? ゲロ吐くぞこら。

 あれ、俺なんか悪い事した? ねえ、俺なんかしたっけ? なんか涙が出そうだよ。ついでに胃痛と頭痛がさっきより強くなっている気がする。

 

「やっぱり駄目、かな?」

「……少し考えさせてくれ」

 

 本当は誰がやるかって拒否したかったけど駄目でした。これが俺の精一杯です。俺は自分の恋心を進んで言い触らすつもりもないけど、もし拒否している過程でうっかり口を滑らせ俺が一夏のことを好きだという事をもし鈴が知ったらどうなるかわからない。

 案外短気な鈴が知ったら鈴の四肢から無言の腹パンからの「あんたは一夏の伴侶に相応しくない」のコンボやら、特撮ヒーローが使うようなキックが飛んでくるかもしれない。そうなったら俺のライフゲージが全損してゲームオーバーになる可能性がある。一夏とイチャラブしてないのに死ぬわけにはいかないんだよ。

 

「そう。あたしも無理強いする気はないから気長に待つわ」

 

 俺の返事に百合に走った鈴は静かに首を動かして一人で納得したような表情を浮かべていた。この表情だけ見れば美少女というかすげえ様になっていると思うのだが、前後の会話がアレな事になっているので畏怖の念しか浮かんでこなかった。怖いです。

 

「今日はもういいわ。早く一夏の方に行きなさい」

「あ、へ?」

「ほら、いいから。呼びつけて悪かったわね」

 

 俺の考えなど知らない鈴はそれじゃと言い残して両親の下へと歩いて行った。俺は鈴との会話からまだ回復できなかったが、このまま居ても仕方ないと考えた俺は一夏の下へと戻っていくのだった。

 そういえば、さっき鈴が俺に言ってたことなんだけど、一夏が女でも手に入れてやるって……あれ? 鈴って一夏がまだ男に戻れる可能性があること――あ、知らせてなかったわ。……今度教えよう。

 

◇◇◇

 

 和行と鈴と行った遊園地は楽しかった……昔に戻ったみたいで。三人で遊んでいる時だけは普段感じている気持ちが収まり、肩に重石が圧し掛かったような感覚はなくなっていた。俺は最近自分でもよく分からない感情に襲われることが多くなっている。それが起こるのは決まって学校で和行が他の女の子と話している時だった。和行が鈴と話している時は別に何とも思わないんだけど、別の女の子と話しているのを見るとなんだか心がざわついてイライラするんだ。何が原因でこんな風に考えるになったんだろうか。

 こんな自分が嫌で何処かに遊びに行きたかった、少しの間だけでも自分のこの感情を忘れていたかった。だから、和行の三人で遊びに行こうという提案に乗ったんだ。単純に鈴と和行が何かやらかさないかって心配だったのもあるけど。でもそんな楽しい時間も終わって、また胸の中にしまっていた感情が溢れだしてくる。抗いたくなるが、抗えば抗うだけもっと辛くなってくるのは分かっていた。俺は鈴と会話している和行にゆっくりと視線を向ける。何を話しているのかここからは聞こえないが、和行が鈴の言葉に驚いているのだけは分かる。何を話しているんだろうか。

 和行の姿を見ていると自分でも理解できない思いが湧き上がってくる。和行の傍にずっと居たい。和行に褒められたい。和行に自分の手料理を食べてもらいたい。和行と手を繋ぎたい。なにより、和行の笑顔を自分だけが見ていたい。……あいつの事ばかり考えてしまう自分に俺は手で顔を覆った。今の俺はどんな顔をしているんだろう。和行には見せられない嫌な顔をしているだろうか。和行にこんな気持ちを知られたらどうなるんだろう。和行は俺の味方だと言ってくれていたが、今はあいつのその言葉が信じられなくなっている。こんなことを考えているともし知られたらどうなるんだろう。嫌われるだろうか、それとも拒絶されるだろうか……。後ろ向きな考えばかりが頭の中を支配している。俺らしくないと分かっていてもネガティブな考えを止めることは出来なかった。

 親友だと思っていた和行のことを以前と同じ目で見られなくなってきている。今の自分がどうなっているのかわからなくなってきた。俺はどうして和行のことをこんなに思っているのか分からない。

 鈴と和行の話し合いが終わったのか和行が俺の下に戻ってくるのが見えた。駄目だ、今の俺の顔を見られないようにしないと。和行に変な心配を掛けたくないと考えた俺はすぐに表情を作って和行を笑顔で出迎えた。

 

「ねえ、鈴と何を話してたの?」

「ん? ああ、今度千冬さんに格闘技でも習うかって話してたんだよ。そうすれば鈴も自信が付いて幽霊とか怖くなくなるだろうって」

 

 ――嘘だ。自分でも信じられないくらい冷たい言葉を口に出しそうになるのを堪えた。本当に和行は嘘を吐くのが下手だ。今の俺には分かる、和行が嘘を吐いていることくらい。八千代さんのお見舞いに行った帰りに吐かれた冗談と今の和行の言葉は何かが違うと俺は直感する。何を隠しているのかは解らないけど俺には嘘を吐かないで欲しい。俺にはちゃんと本当の事を言ってくれ。だけど、そんな暖かくない言葉を和行に吐きたくない俺は我慢するしかなかった。

 

「どうした? 大丈夫か一夏。具合でも悪いのか?」

「ううん、なんか久しぶりに遊園地とか行ったから疲れたかも」

 

 和行が如何にも心配していますと主張している表情で俺の顔を覗き込んでいた。心から来る和行の言葉と声が嬉しかった。ああ、俺も人の事を言えないな。だって、いま俺の心配をしてくれる和行に嘘を吐いたから。和行に今の俺の心を知られたくないから。

 

「そうか。でも辛かったら言うんだぞ? おんぶでもして家に連れて行くから」

「うん。それと今日はありがとね。私や鈴のために」

「いいって。気にすんなよ」

 

 でも、今だけは。二人きりの時間だけは、俺と和行以外の人間はいない。他の女の子なんていない、二人きりなんだ。和行の優しい声も何気ない仕草も全部俺にだけ向けられている。この時間があるから俺はまだ自分の感情に完全に振り回されずに居られる。ありがとう、和行。



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第十三話 メイドと化した一夏ちゃん(1/2)

 遊園地に行った帰りに鈴に恋の手伝いをしろと言われてから時が進んで六月になった。俺は自宅にあるリビングのテーブルに向かいながら、ゴールデンウィーク明けにあった出来事をふと思い出していた。ゴールデンウィーク明けの学校で鈴と遭遇した際、すっかり伝えるのを忘れていた一夏が男に戻る可能性がある事を教えたら鈴に、

 

「なんでそういうことを真っ先にあたしに教えないのよ! この馬鹿!」

 

 と、鈴に怒りを孕んだ声を叩きつけられた挙句、物凄く素早い動きで腹パンされました。良い腹パンだ、だが無意味だな。鈴が腹パンしてきた際、近くに一夏も居た上に俺に腹パンをした光景をばっちり見ていたんで鈴が注意を喰らっていたからね。注意してた時の一夏の目が冗談抜きで千冬さんを彷彿とさせる鋭さであった所為で鈴はすっかり縮こまって俺に謝ってきたけどな。鈴のやつ、千冬さんが苦手みたいだから千冬さんみたいな視線をぶつけてきた一夏に恐怖心を抱いたのかもしれない。

 まあ、俺は別に鈴の腹パンはそこまで気にしてなかったけどね、鈴も一応加減してくれたのかそこまで痛くなかったから。てか、そもそも教えていなかった俺が悪いんだし。あ、例の恋の応援については断っておきました。お前にだけ肩入れしたら、他の一夏に惚れてる奴に俺が殺られると説明したら鈴も理解を示してくれました。まあ、こいつは話をすればちゃんと分かってくれる奴だからな。その点は心配してませんでした。

 それよりも俺は一夏の態度の方が気になるんだよな。以前なら何やってるんだよと鈴と三人して笑いあってたんだがなあ。鈴も最近の一夏に違和感があったみたいで俺に休み時間とかにこっそりと話しかけてきたし。幼馴染兼友達である鈴は、一夏とかにはできない相談とか話は俺に持ち込んでくるのでその時はあまり深くは考えてなかったんだが、

 

「ねえ、最近の夏菜子ってどこか変じゃない?」

「変ってどこら辺が?」

 

 俺の言葉に鈴が頭を悩ませるように口を開いた。

 

「うーん。なんかさ、和行があたし以外の女の子と話している時あるじゃない? そういう時に限って凄い目付きで和行と話している女の子を見てるし」

「……お前も気付いていたか」

「やっぱりあんたも気付いていたの?」

 

 俺は鈴の問いに首を縦に振った。やはり鈴も気付いていたかというどこか安心感に近いものを俺は覚えてしまう。鈴が言うには弾や数馬も気付いているとのこと。幼馴染と悪友たちはちゃんと一夏の事を見ているんだな。鈴が「まさか、一夏に限ってそんなこと……」とか呟いていたが何の事を指して鈴はあんなこと呟いたんだろうか。

 まあ、それは横に置いておくとしてだ。一夏の様子がおかしいってことは俺たちのグループ全員が知ってるっていうことになるな。俺は最初、一夏の視線は気のせいだと思うようにしていたのだが流石にこう何回も嫉妬を混ぜ込んだ視線を受けると嫌でも気付いてしまう。一夏のやつ、本当にどうしたんだろうか。

 それはまた考えるとしてだ。一つ喜ばしいことがあるんだけど……いや、その前に学校でのことをもう一つだけ話しておこうか。

 近隣の学校と同様のタイミングでうちの学校でも衣替えが行われ、男女共々夏服に変わったのは良いのですが――いや、ちっとも良くないわ。良くない理由としては一夏の夏服だ。女の子になる前の一夏なら別に夏服でもキマってんなこいつくらいの感想しか湧かなかったんだけどさ、女の子の一夏だと物凄くヤバいことになってるんですよ。

 何がヤバいかって? そりゃあその、あの……女性特有のメロンが、ですよ。一夏のメロンというかおっぱいはどう見ても中学生とは思えないサイズなんだよ。一夏は着痩せするタイプなのか、それとも収縮色である紺が基調の冬服のお蔭なのか学校では胸があまり目立たなかったんだよ。

 ところが、白を基調とした夏服の所為で自己主張が激しいことになっててさ……一夏に惚れていない奴等の視線までもが一夏の胸に向けられてるんだよ。

 くそったれ! 一夏をそういう目で見ていいのは俺だけだ! ……じゃなかった。お前らのその視線とか全部一夏にバレてんぞ、今すぐやめろ。先日、野郎共と一部の淑女の視線に困っている一夏が俺のところに相談しにきたんだよ。自重しろお前ら。

 

「ねえ、和行。なんか皆が私の胸を見ているような気がするんだけど……」

「夏菜子。そういう時は見ている奴の方を見てやれ、大抵の奴は視線を逸らすから」

 

 そうアドバイスするのが精一杯だった。俺だってじっくり見たいけど、表面上はそういうのに興味がないのを装っている手前出来るわけもない。もし、なんらかのボロが出て一夏に俺がそういう目で見ているってことを知ったら多分俺に対して冷たくなるかもしれないので絶対にする訳がない。一夏に冷たくされたら多分俺この世から消える。それも一瞬で塵も残さずに。

 話はちょっと変わるが、以前の母さんとの面会で言った通り一夏への告白はまだしていないし、まだする気もない。確かに一夏のことは好きだけど、ただ単に俺って一夏の外見が好きなだけじゃないのかって疑心暗鬼になってるんだよ。

 まあ、そりゃあ一夏の容姿も好きだよ? 可愛いしさあ。でもその事を考えていると、俺って一夏の内面を良く見てないんじゃないのかって思うようになっててさ……なんだ俺、これじゃただの面倒くさい奴じゃねえか。あいつの内面なんてこれ以上知る必要もないくらい知ってるのに。うーん、せめて一夏が俺のことをどう思ってるのかさえ判ればなあ。まあ、そんなの判ったら苦労しないっていうね。

 

「はあ……」

「なに辛気臭い顔してるのよ。もっとにこやかな顔してなさいよ」

「別にどんな顔してたっていいでしょ、母さん」

 

 思考の世界にダイブしていた俺だったが、母さんの言葉によって引き戻されてしまった。母さんが俺の目線の先にいるけどここは病室ではなく自宅だ。ちなみに一夏は休日を利用して自分の家の掃除をするっていま頑張ってます。あとでアレだ。最近うちの学校の女子達の間で美味いと評判になってるパフェでもご馳走してやろう。めっちゃ高いらしいけど一夏の為なら問題ない。

 先程言っていた喜ばしい事とは母さんのことだ。母さんが退院したんだ。以前面会に行ってからその後も何回か一夏を連れて行っていた。その度に理屈は分からないけど母さんが元気になっていきそれで今はこの自宅に戻ってきて、親子二人の生活を再開しているわけだ。まあ元々七月までには退院できるって言われてたけどさ、なんか当初よりも元気がありすぎて逆に困惑する羽目になっている。そんな母さんは本日のデザートにする為のケーキをスポンジから作り始め、ワンホール分のケーキを作ろうとしている。もうすぐ完成するそうだ。俺は携帯ゲーム機でゲームをしつつ、コーラを飲みながら母さんが作業しているところを見ている。

 母さんが帰ってきてからは家事などは任せっぱなしとなっている。俺がやろうとすると「いいから私にやらせなさい」と五月蠅いのだ。最初はそれでも抵抗して俺もやろうとしたのだが、母さんに根負けして今はこの状況になっている。幾ら元気になったと言ってもまだ仕事に復帰できるレベルではないらしいので、母さんはこうやって家事をして気分を落ち着けているみたいだ。

 そういえば、千冬さんばかり職業不定みたいな感じで言ってたことがあったけど、俺も母さんが何の仕事をしてるか知らないんだよね。前に聞いた時は研究職とか言ってた気がする。まあ、母さんの職業はある程度予想付いているけど。千冬さんがたまに帰ってきたときに母さんとIS関連の話題で妙に噛み合った会話をしていたから、研究職ってそういうことなんだろう。それでぶっ倒れたっていうのが未だに理解できないけど。もしかしてぶっ倒れたっていうの嘘なんじゃ……。そういえば、「なんか爆発に巻き込まれた。てへぺろ」とか言ってた気が……。いや、これ以上その事を考えても良い事ないな、うん。爆発に巻き込まれたのが本当なら母さんの耐久力って人外じゃね? とか言いたいことが色々とあったがやめておこう。

 そんな感じで考えを纏めていると、俺が勉強の息抜きにやっていたゲームのデータをセーブをし終えたタイミングで母さんが話しかけてきた。

 

「ねえ和行? 最近の一夏ちゃんはどう?」

「それ、聞きます……?」

「うん聞いちゃう」

 

 作業の腕は止めずにこちらに声を投げかけてくる母さん。俺はコーラを啜りつつ少しだけ頭を悩ませながら、最近の一夏の事を母さんに話すことにした。一夏が女子のグループに持前のコミュ力ですんなりと溶け込んだ事とか、一夏というか夏菜子の事を紹介しろと言ってくる男子が多くて鬱陶しかった事とかをだ。

 俺は最初、元は男である一夏が女子のグループに溶け込めるのかという不安を抱いていた。あいつ外見が物凄く良いし、弾や数馬と俺を除いたクラスの男子からも結構ちやほやとかされてるからな。陰口を言われたりしないかと俺と弾と数馬と鈴の四人は一夏の心配していたのだがそれは杞憂に終わった。

 俺よりも断然高いコミュ力により女子達との仲は良好も良好。それどころか、女子の中には一夏というか夏菜子の事をお姉さまと慕い始めたり、恋をするのが出てくる始末だ。流石だ一夏。女になってもきっちり男の時と大差ないことをやってのけてるぜ。なんでお前は女の子になってまで女の子を落とすのか。俺、少し怖くなってきたぞ。あと心折れそう。

 

「モテモテね。一夏ちゃん」

「一夏に恋をしている身としてはかなり複雑だわ」

「頑張りなさい。一夏ちゃんをなんとしても手に入れるのよ」

「なんで母さんそんなに乗り気なの?」

 

 軽くネガティブな感情が湧きだしてきたので話題を切り替えていくことにした。夏菜子の事を紹介しろと奴等が居たのだが、俺は紹介する事をなんてせずに全部突っぱねていた。だってあいつら、夏菜子に告白する気マンマンだったし。惚れている女を他の男に紹介するとか寝取られ属性持ちじゃない限りやらないだろ。俺は寝取られが嫌いなんで。イライラしながらも、その手の手合いを追い払うの繰り返しているうちに夏菜子に告白した奴の末路が段々と学校中に広まるようになってきたので俺に取り入ろうとする輩とかは減ってきている。まあ、俺に取り入ったところで夏菜子というか一夏に告白したら玉砕するのが目に見えているのでやらないってなってるだけだと思うけどね。

 

「くっくっく……ざまあねえな」

「……たまにだけど、あなたの将来が心配になることがあるわ」

 

 母さんが何か言っているけど何の事かな? 俺は極めて正常ですよ。まあ、そんなこんなでいつもと大差ない感じだったよ。ある一点を除けば。

 やはりというか、一夏の態度が気になって仕方ない。先生に頼まれた要件とかを話している時も構わずにそういった眼で見てくるんで正直困ってるんだよね。この前遊園地に行った時は鈴以外の女の子なんて近くにいなかったから前と同じ一夏だったけどさ。いや、駅で鈴と話し合ってから合流した一夏はおかしかったか。笑顔がぎこちないっていうかなんていうかさ。

 

「一夏がさ、俺が鈴以外女の子と話していると睨んでくることが多いんだけど……あれって嫉妬なのかな?」

「多分ね。で、一夏ちゃんはその事に……」

「気付くわけないでしょ」

「うん、知ってたわ」

 

 俺と母さんの会話が物凄くスピーディーに進んでいく。流石親子というべきかなのかよくわからないが会話しやすいのは事実だし。で、話の続きだけど。最近やたらと俺と居ようとすることもあるのよ。他の女の子が俺に近づかないようにしているように見えるというかさ。一夏と居られる時間が増えるは良いけどさ、なんかこう……ね?

 

「嬉しいくせにそんなこと言うの?」

「あの、心読まな――いやもういいです」

 

 もう母さんがこっちの心を読んでくるのを注意するのは諦めました。一々指摘してたら疲れるっていうか現在進行形で疲れてるし。

 

「しっかし、なんで一夏はあんな嫉妬したような視線を向けてくるんだ?」

「……和行に一夏ちゃんの鈍感が移ったのかしら」

 

 なんか母さんが俺の言葉を聞いた途端に物凄く失礼な言葉を吐いていた。なんだと、俺の何処が鈍感なんだよ。母さん、こっち向いて説明してよ。ねえ、ちょっと。説明しなさいよ貴女。

 俺の言葉を聞いていないふりをしている母さんは唐突に別の話題を吹っかけてきた。おいこら母さん、ちゃんと俺の話を聞きなさいってば。

 

「そうだ、今日は一夏ちゃんも呼んでお夕飯にしましょうか?」

「俺は別に問題ないけどさ。その様子だとまた一夏と二人きりで会話するんでしょ? ご飯食べた後にでも」

「そうね。一夏ちゃんはあなたが居ると多分何も話さないと思うから」

 

 どういう会話が行われることになるのかは気になるが、女の会話を立ち聞きしたりする趣味はないので二人の話し合いが始まったら大人しく二階に行くとしよう。

 母さんとのそんな会話を終わってから時間が経ち、夕飯時になっていた。母さんが帰ってきてからはあまり一夏の家で食べることも少なくなったのだが、たまに出かけた帰りに母さんが外で食べてくることがあったりすることがちょくちょくあったんでそういう時は一夏の家で飯を食べてます。俺が夕飯を食べに行くと一夏がめっちゃ喜ぶんでその顔を見たいっていうのもあるけどね。

 でだ、さっき一夏の家に行って今日の夕飯の事を直接教えたらなんか妙に距離感が近くて良い匂いがしました。なんか俺、結構一夏の匂いの事を心の中で話していることが多いけどもしかして俺って匂いフェチ? まあ、別にいいんだけどね。俺がこういう感想抱くのって一夏に対してだけだし。

 織斑家に居た一夏を連れて、一緒に自分の家に帰ってきた俺は母さんが料理の盛り付けをしている間、母さんにテーブルで待っているように言われた。んだけど、何を思ったのか母さんは一夏を俺の隣に座らせてきたのだ。あの、すいません……あなた絶対解ってやってますよね母さん。俺の隣に意図的に一夏を座らせるとかそうとしか思えん。

 

「すまないな一夏。最近お前と夕飯食べる機会が減って」

「ううん、気にしてないから大丈夫だよ」

 

 一夏はそう言うが心なしか残念そうな表情を浮かべているように見えた。俺としても一夏と食べる機会が減って少し寂しいんだよな。かと言って母さんが作ってくれた夕飯をほっぽって、一夏の家に行くのも飯を作ってくれた母さんに申し訳ないし。はあ、いっそ一夏と一緒暮らせればなあ……。

 って、何言ってんだよ俺。確かに一夏とは一緒になれるならなりたいけど、千冬さんとかへの説明のあれこれとか母さんへの負担やら、その他のあれこれを考えるとそんなの夢物語な気がしてきた。

 

「私は一夏ちゃんがうちで暮らしても問題ないけどね。娘が増えるようなものだし。千冬ちゃんへの許可とかは取っておいた方がいいだろうけど。それか和行が一夏ちゃんの家で過ごすとかね」

 

 ……俺はもう何も言わんぞ。頭痛くなってきた。もうやだこの母さん、マジでエスパーというかサイコメトリーとかテレパスの超能力でも持ってるんじゃないの?

 

「え、え、八千代さんは何を言ってるの?」

「……お前と俺を一つ屋根の下で暮らさせようと画策してるだけだよ」

 

 俺の呟きが良くわからなかったのか、一夏は和行は何を言っているんだとでも言いたげな顔をしている。可愛い。

 それから少ししてから俺たちは母さんの手料理を食べることになった。今日のメニューはサラダと鶏の照り焼きだ。分かってはいたが母さんの料理は美味い。だが一夏の料理を食べ続けた所為か一夏の料理の方が美味しく感じてしまう。すまんな母さん、やはり俺の胃袋は一夏に掴まれてしまっているみたいだよ。




なんか足んねぇよなぁ(主にテンポの良さ)


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第十四話 メイドと化した一夏ちゃん(2/2)

 和行の家で夕飯を頂いてから食後のケーキを食べつつお茶を飲んでいた時だった。やはり八千代さんの作るご飯とデザートは美味いなと思っていると先にケーキを食べ終わった和行がいきなり立ち上がり、二階へと昇って行ってしまった。ん? どうしたんだ? 八千代さんは溜息を吐いているし。

 

「やっぱりあの子もあの人と同じね。自然な感じで出て行けばいいのに」

「えっと……」

「ごめんね、一夏ちゃん。食後にね一夏ちゃんと話がしたいって私が言ってたからね、和行には席を外してもらったの」

 

 は、はあ……。だから和行は二階に行ったのか。急に立たれたから俺の傍に居るのが嫌なのかと思った。

 

「別に和行は一夏ちゃんのことを嫌ってないわよ。むしろ――これを言ったら和行に怒られるわね」

 

 八千代さんがなんか一人で納得し始めているが、俺にはちんぷんかんぷんだった。何だかよくわからない。あと俺の心を読まないでください。

 

「ねえ一夏ちゃん」

「なんですか?」

「一夏ちゃんが最近悩んでるって和行に聞いたんだけど本当?」

「……ええ」

 

 俺は否定する事なく頷いた。悩んでいる事は事実だからな。

 

「なんだか最近、和行が鈴以外の女の子と話しているのを見ているとムカムカしてくるようになって」

「ムカムカね」

「その所為で和行と話している子を睨んじゃうし。私、どうしちゃったんでしょう」

「……大丈夫よ、一夏ちゃん」

 

 八千代さんは俺の隣に来ると俺の手に自分の手を重ねてきた。――暖かい。俺は母親の手の温もりなんて知らないけど、俺の母親がいたらこんな感じなんだろうか。

 

「その気持ちはね、悪いものじゃないから」

「え、でも……私、ついつい睨んでしまって」

「うん。確かにそれはあまり良いとは言えないけど、それは仕方ないことなのよ」

 

 う、うーん……そうなのか? でもなあ、ただ話しているだけの相手を睨み付けるなんて俺は普通じゃないと思うんだけど。あと俺が和行のことをずっと考えていることも。あいつの事を考えてない時がないんじゃないかっていうくらいに頭から離れない。和行のことを考える度に胸が締め付けられるような感覚がするしさ。そのくせあいつと二人きりで居る時は安心するんだよな。

 

「これならあと一押しね」

「え?」

「なんでもないわ。その気持ちの正体は自分で気付けないと駄目よ」

「自分で……ですか?」

「ええ。じゃないと一夏ちゃんの為にならないもの」

 

 ……自分で気付かないと駄目、か。この調子だと八千代さんに聞いても絶対教えてくれないだろうな。なんなんだろうか、俺のこの感情は。俺が女の子になったのと何か関係があるんだろうか。

 小さく息を吐いてから八千代さんの方を見てみると、ここからが本番と言わんばかりの顔で俺を見ていた。え、どうしたんですか八千代さん。そんなにニヤニヤして。

 

「ねえ、一夏ちゃん。私からお願いがあるんだけど聞かない?」

 

 こっちの顔を見ながら唐突にそう口にした八千代さんの言葉に首を傾げながらも俺は話を聞くことにした。なんだろ……何処となく嫌な予感がする。

 

「お願いってなんですか?」

「和行にご奉仕してほしいのよ。私と一緒に」

「……はい?」

 

 突拍子もない話と俺は思わず淡白な疑問符を口に出してしまう。なんなんだ、いきなり。八千代さんと一緒に和行にご奉仕ってどういうことなんですか……。とりあえず内容は気になるのでそれ以上余計な口を挟まずに八千代さんに続きを話すように促す。

 

「最近和行がね、私に構ってくれないのよ。勉強しなきゃと言ってね」

「はあ」

「だからね、一夏ちゃんに和行が私達に構うように仕向けるのを手伝ってほしいって思ってね」

 

 ……ごめんなさい。何を言ってるのか全然分からない。俺には八千代さんが言っている内容が一字一句理解できなかった。あの、八千代さん。それってただ単に和行が勉強ばかりして構ってくれないから腹いせとして和行にちょっかいを掛けようってことですよね。俺にはそういう風にしか聞こえなかったんですけど。え、間違いじゃないんですか? 何考えてるんですかあなた……。

 というか、すっかり忘れてた。今の八千代さんの発言を聞くまで。八千代さんが和行の事を目に入れても痛くないくらいに愛している事を。和行曰く構ってちゃんであるとも。

 前に小学六年生辺りまで八千代さんが一人で風呂に入っている和行の所に突撃して一緒に風呂に入ろうとしていたりしてたって。浴室突入の件は和行が「もし次やったら母さんと二度と口を利かない」と言ってやめさせたらしいが。あと八千代さんに構わずにゲームやってる時に絡んで来たりもしたらしく流石にその時は本気で怒ったそうだけど。あいつ、ゲームやってるの邪魔されると怒るからなあ。こればっかりは八千代さんが悪い。最近は怒らないように努力はしているみたいだけどさ。

 

「あの、それで私に何をしろと言うんですか?」

「そうね。私と一夏ちゃんがメイド服を着て、和行をご主人様と呼ぶの」

「え?」

「そうすれば和行も私に構ってくれると思うの。あの子メイド服大好きだし」

「あの」

 

 ……なんだ、この暴論に暴論を重ねたような酷い話は。なんか八千代さんの目が完全に正気を失っている気がするんだが。え、ていうかメイド服を着て和行をご主人様って呼ばなきゃいけないのか? いや、あいつがメイド服を好きなのは知ってるけど、俺なんかがメイド服を着ていいのか? 喜ぶんだろうか。

 

「お願い一夏ちゃん。私のためと思って、ね?」

 

 八千代さんがイタズラっぽい笑みで俺にそう告げてきた。俺はその言葉を聞いた瞬間、断り切れないと判断した俺は目を伏せながら八千代さんに返事をする。

 

「はあ、わかりましたよ……」

「一夏ちゃんが協力してくれるなら百人力ね」

 

 なんか上手く八千代さんに乗せられた気がする。ついでに女性物の服を着ることに抵抗がなくなってきている自分が軽く怖くなってきた。……それで、メイド服って具体的にはどんなのを着るんですか? 和行はヴィクトリアンメイドとかクラシカルメイドだか和服メイド以外はメイド服とは認めないって前に言ってたぞ。

 そんなことを考えているといつの間にか席を立っていた八千代さんが手招きをしていたので、八千代さんの後に付いていくことにした。八千代さんがある部屋の前で急に止まると、部屋のドアを開けて入っていく。ここって確か八千代さんの部屋じゃなかったか。なんでこんなところに入る必要があるんだと頭を働かせつつ、俺は部屋の中に入っていく。

 

「はい。という訳で、一夏ちゃんにはこれを着て和行の世話をして貰います」

「え!? これ、ですか?」

「サイズはぴったりだからそこらへんは心配しないでね」

 

 予め用意してあったかのように鎮座しているそれの名前を俺は知っていた。何故八千代さんがこんなものを持っているのかとか、なんで俺のサイズを知っているのかとか色々とツッコみたい気持ちになったが、俺の口から飛び出した言葉は別のものだった。

 

「これ、和行が好きなやつだ」

 

 そう。目の前にあったのは和行が好きなあのメイド服だったのだから。

 

◇◇◇

 

 母さんが一夏との話が終わったから降りて来いって言われたんで一階に向かっている。あと見せたい物があるとも言っていたな。なんか嫌な予感的なものがぷんぷんするんだけど、行かないと母さんがぐずるからなあ。構ってちゃんめ。一夏の可愛い顔を拝むのがメインだから母さんのことはサブにしよう、そうしよう。リビングの扉前まで来た俺は一応ドアを数回ノックして入っていいかの確認を取る。

 

「母さん、入ってもいい?」

「いいわよ~」

「ちょ! や、八千代さん!? まだ心の準備が!」

 

 なんか一夏が慌てているようだけど、俺は一夏の声を聴く前にドアノブを捻って扉を開けてしまっていた。

 

「――え?」

 

 俺の視線の先に天使が居た。全てを光で包み込む慈愛の天使が。体の前方を覆う白色のエプロン。一夏の頭部に着けられたメイドキャップ。脛まで降ろされている黒色のスカート。シンプルながら実に艶やかなそれは俺の本能を呼び覚ますかのような完璧なデザインであった。

 

「一夏、お前……それって」

「……メイド服です。ご、ご主人様」

 

 そう、メイド服だった。しかも俺が大好きなクラシカルメイド服。それをあの一夏が着用しているという奇跡にも等しい光景がそこにはあった。俺は一夏の方から一旦視線を外して母さんの方を見る。母さんの顔から推察するに、あの素晴らしいメイド服を用意したのは母さんだろう。

 てか待って。なんで母さんもメイド服着てるの? しかもヴィクトリアンメイド服だし。なんか無駄に似合ってるし。あなた本当に俺の母親なんですか? 時々不安になるよ。この人本当に俺の母親なのかって。いや、いい。今は考えないようにしよう。いつの間に用意したのだとか、何故一夏に着させたのかとかこの際どうでもいい。

 

「母さん」

「何でしょうか、ご主人様」

 

 俺が顔を伏せながらメイド服姿の母さんに近づいている所為か、一夏の奴は俺が一夏の事を助けようとしていると考えているに違いない。今の装いから解放してくれると。ちらっと見えた一夏の表情からそう判断する。すまんな一夏。今の俺は母さんの味方なんだ。

 

「俺が死んだら、俺の口座の金を全部一夏の口座に振り込んでおいて」

 

 俺はそう呟きながら、少しの間気絶したのだった。赤面している一夏ちゃんのクラシカルメイド服姿が尊かったんだ、仕方ないね。母さんは少し自重してくれ、頼むから。でもグッチョブ。

 その後、意識を取り戻した俺は楚々とした振る舞いを見せる一夏に手厚い奉仕を受けていた。リビングの椅子に座らされた俺の前には一夏が用意した紅茶と母さんが買い置きしていたクッキーが置かれている。更には一夏が俺の肩をマッサージしてくれているという状況だ。あ、一夏のマッサージ気持ちいい。あの千冬さんが影でベタ褒めしているだけある。褒めるなら直接褒めてあげればいいのにツンデレなんですか?

 ん? なんだ一夏。あ、マッサージ終わった? ありがとね。

 

「美味い」

 

 うん、一夏の淹れてくれた紅茶は美味い。イギリスだかの知り合いから母さんが貰った茶葉を使ったらしいのだが、一夏は紅茶の淹れ方も上手だな。クッキーはまあ、これ美味い店のやつだから美味くて当然だよな、うん。

 あの……一夏ちゃん? なんで立ったままクッキーを手に取って俺の方へと向けてくるの? あれ、物凄いデジャブ。具体的に言うと前に風邪を引いたときに一夏に雑炊を作ってもらったあの時と同じだ。

 

「は、はい。クッキーあーん」

「へ?」

「あーん」

 

 ああ、これ大人しくあーんされないといけないパターンだ。母さんが同じ部屋に居るのに。せめて前みたいに二人っきりなら別に問題ないんだが……。仕方ない。腹を括ろう。

 

「ご、ご主人様。美味しいですか?」

「う、うん」

 

 大人しくあーんされました。味なんて分かんねえよ馬鹿。一夏のバカ。男心を乱してくるなよ可愛すぎるから。母さんのにやけ顔を見るに、母さんがやれって言ったなこれ。くっそめっちゃ恥ずかしい。一夏も恥ずかしいならやった後に顔赤くするんじゃねえよもう。

 ……いかんいかん。えっと、なんだこの状況。ってか、なんで一夏は俺のことをご主人様って呼んだの? そういうプレイなのか。それとも母さんがそう言えば俺が喜ぶとでも吹き込んだのだろうか。うん、物凄く嬉しいんだ。今すぐ一夏に抱き付きたいくらいには。母さんのご主人様呼びはどうでもいい。だってあっちは完全に俺をからかうために呼んでるの丸わかりだもの。でもね、聞くことはちゃんと聞いておかないとさ。ソーサーに紅茶が入ったカップを置きながら俺は尋ねる。

 

「で、一夏」

「な、なんですか。ご主人様」

「なんで俺のことをご主人様って呼ぶの?」

「それは……八千代さんがそう言えばご主人様が喜ぶって」

 

 うん。一夏にご主人様って呼ばれるのは嬉しいけど、律儀にご主人様って言わなくてもいいからね。母さんの遊びに付き合う必要はないぞ。一夏も「七時半に空手の稽古があるの! 付き合えないわ」って言って断ればよかったのに。あ、そうなったら母さんに「今日は休め」って言われて結局母さんの遊びに付き合う羽目になるな。駄目だ、また混乱しているのかネタ的な発言しかできなくなってきた。よし、一夏を弄って精神を保とう。

 

「一夏。もう一回ご主人様って呼んで」

「ご、ご主人様」

「もう一回」

「ご主人様……」

「もう一回」

「ご、ご主人様……」

 

 ……ヤバい。超可愛い。茹蛸みたいに赤くなってる一夏可愛い。結婚して。今すぐ俺と結婚して。今の日本の法律じゃ男は十八歳未満、女は十六歳未満じゃ結婚できないとか知ったことではない。結婚してください。子供は二人くらいがいいです。……すいません、調子に乗りました。思考をまともな方向に切り替えておきます。

 ところで母さんがさっきから部屋の隅でにやにやしてるだが。まさかこのためだけに一夏を今日の夕飯に呼んだって事はないよな? でも母さんなら一夏との話を終えてからやりそうだし、一応話を聞いてからこういうことをしようと考えたのかな。というか、俺にべったりな筈の母さんが俺と一夏をくっつけさせようとしていることにはちょっと違和感があるんだよなあ。なに考えてるんだろ? まあいいや、今は母さんのことは忘れよう。

 

「それにしても本当に似合ってるな。一夏のメイド服姿」

「そ、そうかな?」

 

 俺に褒められたことがそんなに照れたのか俺から顔をずらした。赤くなっている一夏ホント大好き。元男なのが信じられないくらいに可愛い。思わずエプロンとメイド服を押し上げている一夏の自己主張が激しい双丘に視線が向きそうになるが、頑張ってそちらには目を向けないようにしながら俺は考えを巡らせる。

 容姿端麗で家事は上手だし、気遣いができて面倒見も良いとか何度考えても完璧だわ。あれ? そういえば男の時でも恋愛関係を除けば大体こんな感じだったような。あと変なとこで負けず嫌いで、変なとこで抜けているのさえなければ。うん、これは今関係ないな。ていうか、女の子になるだけでここまでの破壊力になるとかTS恐ろしい……。

 

「ところで母さんはなんでメイド服持ってたの?」

「これ? 昔お父さんの為に買ったやつだったんけどね、お父さんも亡くなったから着るのもご無沙汰で。あ、一夏ちゃんのは新しく買ったやつだから安心してね」

「あ、うん。もういいです」

 

 これ以上母さんの話を聞きたくなかった俺は強制的に会話を終わらせる。おいこら親父。あんたか、あんたが母さんがメイド服を持ってた原因か。てか安心ってなんだよ。意味わからんぞ母さん。

 

「一夏。お前は立ってないで座れよ、ほら」

「あ、うん。わかった」

「じゃあ私も」

「申し訳ないが母さんはNG」

 

 一夏を座らせようとしたのに合わせて母さんも座ろうとしていたがやめさせた。一夏は休んでもいいけど母さんは駄目だ。母さんが不服そうな顔しているが、かまってちゃんに一夏を巻き込んだ罰だと思ってくれ。全くもう。

 それでなんだが、一夏のメイド服姿は目の保養になりすぎている件について。いつまでも見ていたいが、一夏も慣れない服じゃ辛いだろうからそろそろ脱いでも良いと思う。

 

「一夏。そろそろ着替えてもいいんだぞ」

「ううん、もう少しこのままでいるよ」

 

 ……なん、だと? ごめん、満面の笑みでメイド服のままで居ると一夏に言われて心が揺れ動かない人間がいるだろうか。いや、いない。やばい、なんなんだ、この尊さと可愛さと清廉さが滲み出たメイドは。専属メイドとしてうちで過ごして貰いたい。

 ……いやいやいや、落ち着け俺。なんで一夏はメイド服を脱がないんだ。それがさっきから引っかかってるんだけど。

 

「なんで着替えないの?」

「……和行はこれ嫌なの?」

 

 駄目だ。もう無理。可愛すぎる。なんでそんなモジモジとした仕草をするんだよ。恥ずかしいなら言わなければいいのに。全く一夏は最高だぜ!

 

「そんなことはないけど」

「ならいいじゃん」

「でもさ、慣れない格好なのに大丈夫なのか?」

「うん。もう慣れてきたから」

 

 ええ……。一夏ちゃん、適応力高すぎませんかねえ……。そういえば、最近は女性物の服を着るのに抵抗もなくなってる感じがするとか言ってたし、仮に男に戻った際とか大丈夫なんですかねこれ。俺は戻ってほしくないけど。

 男に戻るで思い出したけど、束姉さんはまだ薬の開発終わらないのだろうか。あの人は自分は薬の方面には詳しくないとか言ってたけどさ、いつも簡単に色んな物を作っちまうあの人がここまで連絡を寄越さないとかなんか企んでるんじゃないかと疑うレベルなんだけど。一夏を女の子にした理由が理由だし、余計そう感じるわ。

 でも、

 

「八千代さん!? なんでそんなに写真を取るんですか!? ていうか、いつの間にカメラ用意したんですか!」

「はぁはぁ……良いわ! 一夏ちゃんのメイド服姿さいいいいいっこうに良いわ!」

 

 なんだかんだで楽しそうな一夏を見ていると今こんな事を考えるのは無粋のような気がしてきたよ。あ、テンション上がってる母さんや。一夏の写真、あとで俺に頂戴ね。家宝にするから。




僕はね、一夏ちゃんのメイド服姿とあーんが書きたかったんだ。


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第十五話 水着っていいよね(1/2)

いちかわいいをいちかわいいをもっと……


 時期は七月上旬。段々蒸し暑くなってきているんで気が滅入る。寒いのも嫌だけど、暑すぎるのも嫌なんだよ。自重しろや地球と日本の四季。……愚痴はこれくらいにしておこう。それでだが、いま俺は自宅前にて一夏が準備を終えるのを待っている。まあ、女の子の支度なんだし終わるまでちゃんと待つくらいの気概はある。程なくして一夏が織斑家の玄関を開けて出てきた。鍵を閉めると俺の下へぱたぱたと走ってきた。

 

「お待たせ和行」

「いいや、全然待ってないよ」

 

 嘘です。実は十分以上待ってました。ごめんねと両手を顔の前で合わせて謝ってくる一夏が可愛すぎる。やっぱ天使だわ。あ、そうだ。ちゃんと確認取っておかないと。

 

「家の鍵ちゃんと閉めたか?」

「何回か確認したから大丈夫だよ」

 

 なんか同棲している恋人とか夫婦みたいな会話だなと他人事のように思いつつ、俺は一夏と一緒に歩き出した。

 今日は休日を利用して俺が予約していたゲームの受け取りに付き合うついでに、ある物を買うために一夏と一緒に買い物に行こうということになったんだけどさ……これってデートなんじゃないかと思うんですよ俺は。今は女の子になっている一夏と俺って絵面な時点でそうとしか思えないんだけど、こいつは普通に俺の買い物に付き合っているだけだと思い込んでるんですよ。

 ……駄目だ。何か別のことでも考えて気を紛らわそう。どうでもいい情報になるが、俺も一夏もバイトはしていない。一夏は女の子になる前は頑張ってバイトをしていたんだが、女体化してから辞めたそうだ。今時中学生を雇ってくれるバイト先は少ないのにと嘆いていたが仕方ないだろうさ。

 一夏はその時に溜めていたお金や千冬さんからのお小遣いもあって色んなものを買ったり、皆で遊んだりする金は持っていた。最近は俺とばかり居ることが多いけども。なんで一夏が中学生にしては多めの金を持っているのかというと、以前一夏がこれを生活費に充ててくれってバイトで稼いだお金を渡した際に千冬さんが、

 

「それはお前が稼いだ金だ。お前の為に使え」

 

 とか言って一夏に突き返したとか。千冬さんの言葉と態度がイケメンすぎて泣ける。俺には一夏と違ってそういうバイトをした経験はないが、母さんが毎月俺の通帳の口座に金を入れて寄越すのよ。学生に与えるにはちょい多いくらいの金額を。これのお蔭で一夏達とも遊べているから文句を言う筋合いなどないが、母さんに頼りきりな感じがして少し複雑だ。母さんは「あなたが気にすることじゃないわ」とか言ってたけど。うーん、俺って母さんに対してたまに辛辣なことを言ったりするけど、やっぱ母さんのことが好きだからなあ。……不味い。弾や数馬にマザコンとか言われたのを思い出してしまった。しょうがないだろ、俺の肉親は母さんしか残ってないんだから。なんだかんだ言っても大事なのよ。

 ふと、隣に居る一夏の方へと目を向けた。一夏はいつものように私服ではトップスには胸の辺りがゆったりするようなのを着て、ボトムスにはスカートを穿くことが多い。今日も今日とてスカートだし、それもひらひらのレース付きのやつ。めっちゃ可愛い。あと一夏の生足が眩しいです。ヤバい、一夏はタイツやニーソの方が良いと思ってたけど生足も良いな。特に太ももの辺りがいい感じだわ。

 

「一夏」

「なに?」

「今日も似合ってるぞ私服」

「や、やだなあもう。そういうのは私じゃなくて、ちゃんとした女の子に言ってあげなよ。好きな女の子とかにさ」

 

 俺が好きなのはお前なんだよ! だから褒めてんだよゴラアアアアアア! と、大声を上げたかったがぐっと堪えた。自分で自分を褒めたい気分です。一夏の事を本気で意識し始めてからこれと似たような会話が何回あった事か。……枕も結構濡らしましたはい。

 

「あれ? 一夏と和行か?」

 

 俺が軽く涙目になっていると後ろの方から聞き覚えのある声が聞こえた。振り向いてみるとそこにはなんと弾が居た。それと弾の近くに居るのは蘭ちゃんか?

 あ、俺たちの方に弾が近づいてきたぞ。うーん、どうしよう。俺としては一夏とのデート(仮)を邪魔されたくはないんだけど……。会話しないのも不味いだろうし世間話でもしようか。

 

「お前らもお出かけか?」

「よう弾。ほら、俺が昨日学校で言ってたゲームの受け取りにな。それと蘭ちゃん、久しぶりだね」

「は、はい。その、一夏さん、和行さん。この前はお見苦しいところをお見せしてしまってすいませんでした」

「ううん、私は気にしてないから謝らなくていいよ」

「俺も一夏と同意見だよ、蘭ちゃん」

 

 俺や一夏と会話しているのは弾の妹である五反田蘭ちゃん。学校は聖マリアンヌ女学院という有名私立女子校の中等部に通っている優等生である。彼女にも一応一夏が女の子になった事と偽名を使って今の学校に通っている事は話してある。

 その際、蘭ちゃんはわんわん泣いてたけどね。一応戻れる可能性もあるとは言っておいたけど、やはり惚れていた一夏が女になったのは耐えられなかったのだろう。母親である蓮さんは泣いてる蘭ちゃんのことも心配だったみたいだが、一夏の事を気遣う余裕も見せてくれていたな。あの日は鈴の家にも説明しに行かなきゃいけなかったので、泣いたままの蘭ちゃんは蓮さんに任せることになったのだがあの時大泣きしたことを気にしていたみたいなので俺たちは気にしてないとはっきりと言った。

 

「弾たちは何か用事でもあったの?」

「俺たちか? 食堂で使う食材の買い出しだ」

「どうせ弾は荷物持ちだろ?」

「うっ! お前、そんな直球で言わなくてもいいだろ……」

 

 俺の言葉に弾はそう抗議してくるが、五反田家内のヒエラルキーでは弾はかなり下の方なのは自覚があるのかあまり強くは言い出せないようだった。まあ、二人の爺さんである厳さんは孫娘である蘭ちゃんにはかなり甘いけど弾には厳しいからなあ。そういうのを近くで見ているとなんとなくだけど弾の扱いが雑になってしまうのよ、すまんな。

 

「ほら、お兄。早く行こう、一夏さんと和行さんの買い物を邪魔しちゃ悪いし」

「ああ、そうだな。またな、一夏、和行」

 

 そう言って一夏と俺から遠ざかっていく二人だったが、途中で弾が何か余計なことを言ったのか蘭ちゃんの肘打ちを脇腹に食らっていた。うわあ、痛そう。なんか悶えてるし。まあアレであの二人は中は良い方なんだよな。弾の扱いが雑なだけで。弾も余計な事とか言わなければ普通にイケメンだし、友達のためなら真剣になれる奴なんだがなあ。どうしてこうなった。

 

「さて、俺たちも行こうか」

「うん。そうだね」

 

 俺と一夏も用事を済ませるために足を動かすことにした。歩いて数分ほどして目的の建物が見えてきた。そこにはあったのは多くの人が行き交う駅前のショッピングモールだ。レゾナンスって名前なんだがいまいちここが駅前だと言われてもピンと来ないんだよなあ。駅舎や地下街を丸ごと飲み込んで一つの建物になっているのでここはかなりデカい。迷子になってもおかしくないくらいだし。以前、一夏が鈴や千冬さんに連れられて下着やらを買ったのもここらしい。

 

「うっ……」

 

 軽く人の波に酔ってきたわ。このショッピングモール内のゲームコーナーで予約したので早く済ませてしまおうと考え、一夏と一緒に中へと入りゲームを受け取って近くの休憩所で受け取ったゲームを鞄に入れていると一夏が声を掛けてきた。

 

「和行、いこ?」

 

 一夏の言葉に頷くと俺たちは今いる店舗を出て、服や水着などを売っている売り場へと向かう。ゲームを受け取った後、俺達は女性物の水着と男性物の水着を買いに行く予定になっていたからな。

 

「全くうちの母さんもいきなりだよな」

「まあ、八千代さんらしいと言えばらしいかな」

 

 何故だか知らないのだが、今朝になって母さんが夏休み中に一日だけ知り合いの室内プールを貸切にして遊べるように調整していると言ってきたのだ。夏休みの宿題をある程度終わらせるという条件があるけど。週明けにでも弾と数馬と鈴と蘭ちゃんにも声を掛けるつもりだ。六人くらいまでなら問題ないらしいし。

 室内プールで泳ぐのなら別に学校の水着を使う必要ないよね? という結論に至ったので一夏とこうして買い物に来たわけだ。母さんから水着を買う分の代金は寄越されているから金に関して心配することはない。一夏の分も母さんから貰ってある。一夏は自分で出すと最初断ってたのだが、母さんの迫真の表情と怒涛の勢いに負けて頷いてしまったらしい。何が母さんをあそこまで駆り立てるのか俺にはわからないよ。

 俺も最初、貯金内で一夏に水着を買ってプレゼントしようとしたんだがなあ。それは誕生日まで取っておけと母さんに止められたよ。もしかしなくてもこれ、俺が一夏の誕生日に何かプレゼントしなきゃいけないフラグ? まあフラグ関係なく何か買うつもりでいたからいいんだけどさ。

 なおその際、母さんが千冬さんに水着選びの事をいつの間にか電話で教えてたみたいで、あの人から俺の下にいきなり電話が掛かってきて、

 

『一夏の水着選びは任せたぞ。逃げるなよ。いいな?』

 

 とか言われましたよ。後ろからナイフで脅されてる感じがしました。思わず「アッハイ」と返した俺は悪くない。まあ、元々逃げるつもりとか無かったから別に良いんだけどね。

 ちなみにだが、一夏は学校のプールの授業には参加していない。一夏本人は体を動かす事とかは得意な方なんだが、元が男な所為かスク水姿や自分の肌を夏菜子と一夏が同一人物だと知っている俺や鈴達以外の人間に見せるのはまだ抵抗があるらしい。そういう精神的な事情もあるし、一応病弱設定もあるのでそれを有効活用しつつ一夏はプールでは見学することが多かった。

 

「でもプールかあ。水には潜りたくないなあ」

「まだ潜れないの?」

「何で水の中に潜る必要があるんですか?」

「それを私に聞かれても……」

 

 潜れないものは潜れないんだよ。だから学校のプールの授業でもあまり潜水しないようにしてる訳で。……唐突だが、うちの学校のスク水はセパレートタイプのやつなので、男のロマンが詰まったワンピースタイプではない。なんかこうパトスが沸き上がらないというか。神話になるほどの力も発揮できなさそうな感じなので、はっきり言って俺の好みではない。数馬は新型スク水もイケるのでそこらへんは問題ないらしい。あいつのことをたまに尊敬したくなるよほんと。俺が考えたことがフラグになったのか、聞き慣れた声が俺の耳に聞こえてきた。

 

「ん? 和行と一夏か?」

「あ、数馬」

「おう数馬。お前も買い物か何かか?」

 

 噂をすればなんとやら。そこには御手洗数馬が居た。今日は悪友どもと会う日なのかと心の中で独り言を吐く。数馬は一夏が女の子になった事に別段驚いたりはせず、「二次元ではよくあることだし」の一言で済ませたからある意味凄いわ。そんな数馬の右手には音楽関係の機材的なものがあった。俺には良くわかないが数馬は楽器とかに興味があるのは知っていた。

 

「これを買いにな」

「そうか。もう帰るのか?」

「ああ。他にも用事があるからな」

 

 俺と一夏にじゃあなと言ってきたので俺も同じような言葉を投げかける。少しばかり数馬の背が遠のいていくのを眺めてから、俺は一夏を連れてさっさと水着を買いに行くことにした。歩いているうちにレゾナンスの二階にある水着などを取り扱っている店に着いた。他にも夏用のアイテムが取り揃えられているが今回の優先はあくまでも水着だ。どうせ他のアイテムとかは後で母さんが買って俺達に渡すだろうから。先に一夏の水着を買うべく女性用水着の売り場に足を踏み入れたのだが、物凄く居心地が悪いです。

 

「一夏。俺はここで待ってるから好きなの選んで来いよ」

「え、私は和行に水着を選んでもらおうと思ってたんだけど」

 

 俺の言葉に一夏はそんな返事をしてきた。あの、俺が選んでいいんですか? あの俺のセンスじゃ一夏に合うものとか選べるか不安なんですが。

 

「俺でいいのか?」

「うん、和行が選んで」

 

 正直抵抗があるんですけどいいんですかね。うーん。まあ、一夏の頼みを無碍にする訳にもいかないし、俺が選ぶか。……こんなんで女性用水着を漁ることになるとは思わなかったよ。いま俺は物凄い羞恥と戦っています。一夏が傍に居なかったらこれ変態確定だろ。時代が時代だし、変なのに絡まれたらかなり面倒なことになるのは確定的に明らかでしょ。

 ちょっと待った。幾ら良いデザインがあっても一夏のサイズに合わなかったら意味ないんじゃないかこれ。でもなあ、幾ら元男とはいえ一夏は女の子だぞ。自分のスリーサイズなんて言いたくないだろう。というか、聞いたら多分ビンタされると思う。

 

「んー」

「どうしたの?」

「良いデザインのがあってもサイズが合ってなかったらと思ってさ」

「あー、なら適当に選んでみてよ」

「人の話聞いてたか?」

「聞いてるよ」

 

 ……ああ、合わなかったらその時はその時っていうスタンスなんですね。男の時に二人で服を買いに来た時もこんな感じだったな。一夏の水着を一夏と一緒に見て回り始めてから二十分くらい経っただろうか。一夏に似合う水着を選ぶのに四苦八苦していた俺はヤケクソ気味に近くにあったホルターネックビキニを手に取った。上下セットで色は黒色。ワイヤーなし。スカート付きとなっている。これなら出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる一夏に似合うと思うの。いや、絶対似合う。

 海に行くのなら布面積が多くなる水着を選んだが、今回は室内プールなんで問題ないはずだ。どうせプールに行くのは一夏が女の子になったのを知っているのばっかだし。

 

「はいこれ」

「試着するからちょっと待っててね」

 

 手を差し出してきた一夏の手に水着を手渡した。一夏はボックス型の試着室へと入っていき、俺は試着室近くで待つことになった。何度目の試着だろうかと考えながら一夏の着替えが終わるまでの間、変なのに絡まれませんようにと祈りながら待っていると試着室の中に居る一夏が俺の名前を呼びはじめた。

 

「和行」

「どうした?」

「似合ってるか見てもらいたいんだけど」

「ああ、いいけど」

 

 俺の言葉を合図に一夏が試着室のカーテンを開けてこちらにその姿を晒した。たわわに実った形の良い果実をしっかりと布の中に納め、引き締まっているウエスト。すらりと伸びている脚線美は男を魅了するには十分な威力を秘めている。思わず唾をのみ込んでしまった俺は悪くないだろう。

 

 

「ど、どうかな?」

「あ、ああ。似合ってるぞ一夏」

「そ、そう? ならこれにする。和行が選んでくれたんだし」

「サイズは大丈夫なのか?」

「うん、これなら問題ないよ」

 

 一夏が大丈夫っていうなら別にいいか。俺は再度一夏が着替えるのを待つことになった。数分後、着替え終わった一夏が出てきたのでレジで会計を済ませる。購入した一夏の水着の値段に関しては見なかったことにした。そうだ、俺は何も見ていない。水着の値段が一万五千円超えてたのとかそんなの絶対見ていないからな。

 次は俺の水着を選ぶために男性用水着売り場に向かったのだが、一夏も何故か俺の後に付いてきてしまった。あれ、おかしいな。俺は入口近くで待っているように言ったはずなんだが。

 

「あのさ」

「何?」

「何じゃなくてさ、ここ男性用……」

「私も男なんだけど?」

 

 いや、今のお前女だろと言いたかったが一夏にジト目で見られたのでそのまま一夏の追従を許すことにしました。だってさあ、一夏から「私も付いて行っていいよね?」的な有無を言わせないオーラが出てるんだもん。仕方ないね。

 

「これでいいか」

「それでいいの?」

「野郎の買い物なんてこんなもんだろ?」

「……あ、うん。そうだったね」

 

 ……こいつ。自分で男だとか言っておきながら、いまナチュラルに自分が男だったことを忘れてたろ。……今は気にしないようにしよう。さっきからこっちを射殺さんばかりに見ている野郎共視線がキツいからさっさと買って帰りたいんだよ。俺は一夏を伴って紺色のサーフパンツの購入を済ませると、急ぎ足で水着売り場から出るのだった。

 

「和行」

「ん?」

「今日はありがとね。水着選んでくれて」

「気にするな」

 

 レゾナンス内を歩いていると、一夏が俺の顔を見ながら笑顔でお礼を述べてきた。……もうこれ完全に女の笑顔じゃないですか。正直言ってかなり気疲れしたけど一夏のこの顔が見れたからいいかな。




次回も水着回です。


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第十六話 水着っていいよね(2/2)

僕はね、一夏ちゃんの水着姿を書きたかったんだ(前にも似たようなこと言った)


 一夏と水着を買いに行ったあの日から時は過ぎ、七月中旬に入って既に夏休み開始から一週間経っている。そう、あの夏休みだ。最初のうち天国のような気分になるが、あとで宿題のことを思い出したりで憂鬱になるあの夏休みだ。まあ、俺が宿題で憂鬱になることはないんだけどね。既に夏休みの宿題は殆ど終わらせているから。これは一夏も同様だ。一緒にやったからちゃんとお互いに確認してるし。ちなみに勉強している時の一夏は物凄く綺麗でした。根が真面目な方だから雰囲気に合ってるっていうのかな。真面目な顔で勉強している姿はとても眩しかったです。内心ふざけて気を紛らわせたりする事が多い俺とは大違いだと思う。

 というかさ、こんな短期間で宿題を処理したの初めてだよ俺。プールに行くためってのもあるけど、面倒が嫌いなんでさっさと片付けたかっただけなんだよね。鈴と弾、数馬と蘭ちゃんの四人もある程度宿題は終わらせてあるのは一昨日辺りに確認済みだ。じゃないとこの場に――室内プールに居るわけがないし。

 

「弾、貸切プールって最高だな」

「数馬。お前もそう思うか」

「全くうちの母さんはどうやってこんな場所借りたんだか」

 

 しかも俺達六人で貸切状態というね。なんか物凄い贅沢している気分だ。一体何やったらこんな室内プールとか借りられるんだよ。だってこのプールって貸出とかやってないみたいなんだよ。なんか母さんの謎がもう一つ増えた気がする。

 そんなプールに居るので、当然のことながら俺達は水着を着ている。先にプールで暴れた弾と数馬と俺の男三人組は水分を摂りながら、鈴と遊んでいる一夏と蘭ちゃんを眺めていた。鈴と蘭ちゃんと一夏はビキニタイプの水着を着ているのだが、一夏のスタイルの良さが顕著に出てしまっているという鈴と蘭ちゃん泣かせな光景が広がっていた。……なんだこれ。もしかしなくても俺の所為? 俺の所為なの? 俺があの一夏の水着を選んじゃったからなの?

 

「鈴さん……」

「蘭、あんたの言いたいことは分かるわ」

「え?」

「ここは共同戦線よ! 一夏を倒すわ!」

「ちょ、鈴さん!?」

「え、え? 鈴、どうしたの? 目が怖いんだけど!」

 

 鈴が一夏の歳不相応の大きさな胸を睨んだ途端、蘭ちゃんを巻き込んだ共同戦線を勝手に作っていた。一夏に対して母さんが用意してくれたプールに浮かんでるボールで攻撃を行うみたいだ。おい鈴。お前、一夏のこと好きなんじゃないのかよ。それとこれとは別って感じですか、そうですか。ていうか、あのボールって投げて遊ぶのとかに使うやつだったっけ? そんなことを考えながら、俺は水着姿の一夏達に視線を向ける。

 俺が選んだスカート付きの黒色のホルターネックビキニを着ている一夏はもうなんか「君、本当に中学生?」って聞きたくなるほどオーラを振りまいていた。色気がヤバい。主に俺に対してめっちゃ笑顔向けてくるし。あんなのが元男とか信じられなくなってきた。

 オレンジ色のフレアビキニを着ている鈴はなんかもう下手に慰めるとロケットパンチが飛んでくるんだろうなこれって思うレベルであった。蘭ちゃんは水色のボーイレッグを着ている。こちらも指摘したら手が飛んでくる可能性が高い。言わぬが花だ。

 ところでだ。弾と数馬よ。水着姿の女子が居たらテンション上げ上げになると思ったんだが、冷静だなお前ら。

 

「女子が居るのになんでそんなにテンション普通なの?」

「そりゃあ一夏と鈴と蘭だし」

「右に同じ」

 

 弾の発言に数馬が乗っかったことで俺は思い出した。ああ、そうでした。こいつら、一夏を女としては見れないらしいんだよ。やっぱり男である一夏と過ごした時間がある所為でついそっちの感覚で接してしまうからなんだとか。鈴に関しては弾も数馬も妹みたいなものにしか見えないらしい。鈴ェ……。

 蘭ちゃんも可愛いと思うけど、まあ弾は自分の妹に発情するタイプじゃないからな。数馬も蘭ちゃんは鈴と同じで妹みたいなものらしいし。

 

「そういえば和行さ」

「ん?」

「なんで一夏の事好きなんだ?」

 

 弾の口から飛び出た言葉に俺はフリーズした。やべ、スポーツドリンクを飲み込んだ後で良かった。あとちょっとタイミングがズレてたら、俺が風邪を引いて一夏に看病してもらった時みたいに噎せることになってたぞ。

 ……てかさ、ちょっと待って。あのちょっと待って。あの、なんで弾が俺が一夏の事好きだって知ってるの? あれ、数馬も弾の言葉に頷いているし……もしかして数馬、お前もか。俺、お前ら二人に一夏が好きだなんて言った覚えないぞ。あれ、言ってないよね?

 

「あ、あれ? 和行が固まったぞ」

「そりゃあ唐突に聞いたらそうなるっしょ」

 

 困惑している弾と数馬がなんか言っているが俺は今それどころではない。この二人にはいつかバレるとは思っていたが、こんなに早くバレるとは思わなかった。もうバレたのはしょうがないけど一体どこで気付いたの。そこだけ教えて。

 

「い、いつ気付いた?」

「学校でのお前の態度で」

「一夏と居ると物凄く嬉しそうな顔してるんだぞお前。気付いていなかったのか?」

 

 数馬と弾の言葉に俺は打ちのめされた。ば、馬鹿な。顔には出していなかったはずなのに何故バレた。はっ! 貴様まさかレベルファイブのテレパス――じゃねえな。弾と数馬の言動を鑑みるに、普通に俺の顔に出ていたってことだろうなこれ。てことは、まさかとは思うが弾や数馬以外にも気付いているクラスメイトが居るってことはないよね。俺が訪ねると二人から返ってきた言葉は実にあっさりしていた。

 

「俺達はお前と付き合いが長いから気付いただけだからな」

「あと気付いているのは数名の女子くらいじゃないか?」

 

 え、あ、そうなの?

 

「……あのさ。二人は俺が一夏が好きな事をどう思ってる?」

「いいんじゃないか。前から夫婦かって言いたくなるような事してたし、お似合いだと思うぞ」

「一夏が女になったせいで余計違和感ないしな」

 

 二人に意を決して聞いたが、数馬と弾から反ってきた言葉は俺が想像していたものとは違っていた。あいつは元男だぞとか言われると思っていたんだが。否定するつもりはないって言葉は嬉しい。……でも、なんか隠している気がしたので俺は二人に問いかけてみる。

 

「なんで否定するつもりがないのか本音をどうぞ」

「一夏を弟と呼ぶことがなくなりそうで嬉しいから」

「モテモテイケメンが一人この世から消えたんでライバルが減った気分だから」

「うわぁ……」

 

 俺は二人の偽りのない本音に思わずドン引きした。弾の言い分はなんか前にも聞いた気がするが弾の妹である蘭ちゃんも落としてたからな一夏の奴は。数馬はもう完全に一夏への妬みだなこりゃあ。まあそりゃあね、一夏のモテっぷりはもう神に愛されてるレベルだったからな。一般人の俺達では抗うことも無力化することも出来ない領域に行っちゃってるんだよねあれ。やばい、頭が痛くなってきた。

 

「でもよ。お前の恋を否定する気がないのは事実だぜ?」

「……なんでよ」

「はあ? お前、ダチの幸せ祈るのに理由なんて要らないだろ。なあ、数馬?」

「そこで俺に振る!? まあ、確かにな。俺も友達の辛そうな顔なんて見たくないしな」

 

 ……弾、数馬。お前等とダチになれて良かったわ。なんだよこのイケメン二人は。お前等がモテないのか不思議なくらいだよ。あ、一夏の所為ですね。あいつに全部女の子持ってかれたんだ。おのれ歩く恋愛フラグ製造機。女になってもフラグ建設能力が消えないとかおかしいだろ。チートやチーターや。そんな俺の心を折りたいか。俺がそんなふざけていることを考えていると、また弾から声が掛かった。

 

「で、一夏に告白はしたか?」

「してねえよ」

「ヘタレ」

「キスくらいしろ。もしくは押し倒せ」

「おいこらてめえら」

 

 ……なんなのこいつら。俺の感動返せよこの野郎。数馬、てめえ誰がヘタレだこら。あとでお前の飲んでるコーラにあのシュワシュワってなる固形物入れてやるからなゴラ。

 そして弾よ、お前はアホなのか。押し倒したらアウトだろうが、俺の理性的にも一夏からの好感度的にも。てかお前ら、告白したら一夏というか夏菜子に告白した奴等みたいに心が複雑骨折してもう治らないってなったらどうする気だよ。あいつらの顛末くらいお前らも知ってるだろうが、一夏関係者なんだし。

 

「告白した後の末路を考えたら無理です」

「いや、イケると思うぜ俺は」

「うん。俺も弾と同意見」

 

 お前らは俺に死ねと言ってるんですか? そうですか。あとで蘭ちゃんに弾が街中で綺麗なお姉さんを見かけて鼻の下を伸ばしてたことをチクってやろう。まあ、実際にそんなことするわけないけど。ただ言ってみたかっただけですはい。

 

「俺に死ねと申すか」

「そうじゃなくてさ……この鈍感め」

「変なところで鈍感だよな和行って。一夏の鈍感でも感染したか?」

 

 酷い言われようである。まさにボロクソだ。あの、こいつらの口ぶりからして一夏が俺に好意を抱いているように聞こえるんだけどさあり得ないでしょ。

 ……そうだ、あり得ない。あの嫉妬の目線とかが例えそうだとしても一夏自身の口から本音を聞くまで認めないからな。俺が頑な態度で弾と数馬に「一夏が俺に好意を持つとかあり得ないだろ」と言い放ったのだが、当の弾と数馬は深い溜息を吐いていた。な、なんだよその反応。

 

「お前、変なとこで面倒くさいよな。なあ数馬」

「ああそうだな弾。和行ってマジで変なとこで面倒だよな。一夏とお似合いだよ」

 

 ぶっ飛ばされたいんですかお前たちは。お似合いの部分は褒め言葉として受け取ってこう。とりあえず一つだけ言わせてくれ。

 

「喧嘩売ってる?」

「いや売ってないから」

「てかさ、なんか話ずれてきてないか?」

 

 数馬の指摘に俺と弾は「あっ……」という表情を浮かべた。うん、えっと……ああ、一夏を好きになった理由ね。うーん、この際だ。隠しても仕方ないし正直に言うか。

 

「一夏を好きになった理由だっけ?」

「ああ」

「……一目惚れ」

「はい?」

「だから一目惚れしたの。女の子になった一夏を初めて見た時に」

 

 俺の言葉に弾と数馬がぽかんとした表情をしている。するとどうだろうか、次の瞬間には二人して笑いを堪えはじめたではないか。いや、笑われる覚悟はあったけどさ、そんなに笑うことか?

 

「ひ、一目惚れって……あ、あの和行が一目惚れって……!」

「あ、あり得ねえ! い、イメージからかけ離れてやがる……!」

「お前ら……!」

 

 おいこらどういう意味だそれ。一夏達に聞こえないように声量を抑えながらも俺は二人の方を睨む。俺の憤怒の炎が見えたのか、二人はすぐに笑いを堪えるのをやめて本当に済まさそうな顔をしてきた。こいつら、俺の事をおちょくって遊ぶことがあるからなあ。全くもう。

 

「はぁ……」

 

 ふと、プールで蘭と鈴からの猛攻から逃げ切って逆転勝利したと思われる一夏と目が合った。すると一夏は俺に大きく手を振ってくれたので、俺も一夏に手を振り返す。一夏が楽しそうで何よりです。髪型がフィッシュボーンになっているから一夏の美しさがかなり際立っている。あの髪型セットしたの俺なんですけどね! ……すいませんちょっとドヤ顔したかったんだ。許してください、何にも出来ませんけど。

 あ、まだ鈴のやつ諦めてないぞ。蘭ちゃんに宥められてるし。何やってんだよあいつ。……でもまあ、こういう風に馬鹿騒ぎ出来るって良いよな。今度はちゃんと海とかで遊びたいな。

 

◇◇◇

 

 ふう、今日は楽しかったな。和行に選んでもらった水着で鈴と蘭と遊んだよ。若干二人の俺を見る目が怖かったけどな。やたらと胸の方を見てたけど、やっぱりあの二人って小さいの気にしているのか? まあ、口には出さないけどな。下手に喋ったら鈴とかが怒りそうだし。藪蛇を突くような真似はしない。……前の俺だったら平然とやってただろうけど、女になってからそういうの殆どしなくなったし。

 

「じゃあ俺達は帰るからな」

「おう。気を付けて帰れよ」

 

 私服に着替え終えた弾達が手を振ったのに合わせて和行がそんな言葉を掛けた。弾と数馬と鈴と蘭には先に帰ってもらうことになった。俺と和行はまだ残る予定になっている。使ったボールプールとかの後片付け等もあるが、今日は八千代さんが迎えに来るとのことなので八千代さんが来るのを待っている。のだが、それはあくまでも建前みたいなもの。八千代さんがわざわざそういうセッティングにしたんだから。

 八千代さんが「これを着れば和行はもっと一夏ちゃんを褒めてくれるわよ」って俺に渡してきたものがあるんだけど……あの人、なんであんなもの持っているんだろう。確かに和行に服装を褒めてもらいたいと思うけど、あれは正直恥ずかしい。でも、もうここまで来たんだから腹を括るしかないか。

 

「和行。プールサイドで待ってて」

「え? ああ分かった」

 

 和行をプールサイドで待たせると俺は更衣室へと向かい、今着ている水着から別の水着へと着替える準備に入る。前に着たメイド服の時もそうだったけど、八千代さんが何故俺のサイズを知っているのかという疑問は横に置いておくことしよう。なんか気にしたら負けな気がするんだよ。心の中でそう言い書かせつつ、俺は和行が選んでくれた水着を脱いでから八千代さんから渡された水着に着替える。

 

「和行……」

 

 まだ和行が他の女子と話しているとイライラすることがある。流石に和行も気付いているだろうからなるべく控えようとは心掛けているんだが、中々上手くいかない。

 以前、箒と剣道で試合して箒に負けたくないと思ったあの感情と似たものが湧いてくるんだ。和行には「お前って変なところで負けず嫌いだよな」と言われたことがあったけど、これもあの時に似た感情なら俺は誰に負けたくないって思ってるんだろうか。

 

「って、和行のところに行かなきゃ」

 

 こんなことを考えている場合じゃないと思考を中断して頭の後ろで髪を纏める。すっかり手慣れた手付きで髪型をシニヨンにセットすると俺は羞恥で顔が赤くなるのを抑えながら和行の下に向かった。

 

「か、和行」

「一夏、何してた……え……」

 

 和行が俺の今の姿を見て固まっていた。そりゃあそうだろう。俺が今着ているのはスクール水着なのだから。しかも学校が採用している新型スクール水着じゃない。昔主流だった旧型スクール水着だったんだから。メイド服と同じで和行もこれが好きらしいから八千代さんにこれを着れば和行が喜ぶと教えられたんだ。

 

「お前それ……」

「に、似合わないかな?」

「何言ってんだよ。めっちゃ似合ってるって!」

 

 心から嬉しそうな表情を浮かべている和行を見た俺も嬉しくなってきた。和行が喜んでくれている。そう思うだけで俺の心がじんわりと暖かくなってくる。和行が笑顔だと俺も笑顔になれる。和行は、俺が笑顔をどう思っているんだろうか。俺はそんなことが気になって和行に聞いてみることにした。

 

「ねえ、和行」

「なに?」

「和行はさ、私が笑顔でいるとさどんな気持ちになる?」

 

 和行はうーんと少しだけ悩む仕草をしてから俺の質問に答えてくれた。

 

「嬉しいかな。一夏が楽しいと思えているんだなって感じるから」

「そうなんだ……」

「それに一夏の笑顔って綺麗で可愛いしさ」

「……え?」

「あ、いや! 今の忘れてくれ」

 

 うっかりしてたとばかりに口に手をやり和行が「しまった……」と呟いている。え、和行はいまなんて言った? 俺が、綺麗? 俺が可愛い……?

 ――不味い。和行に可愛いって言われたのを認識した途端、心臓がドクンってなった。心臓が痛いくらいに高鳴っている。息も少しし辛くなってきた。クラスメイトの女子とか男子にも可愛いと言われたことがあったけど、和行の言葉はクラスメイトのとは全然違った。前までは嫌だったはずなのに、クラスメイトに言われても何にも感じなかったのに、和行の言葉を聞いているとなんだか胸が苦しくなるけど……とても嬉しい。この前水着を買いに行った時に私服を褒められた時も似たようなこと考えてたし。和行にもっと可愛いって言ってほしいと心が叫んでいるが、何とか抑え込んで和行に礼を述べることにした。

 

「そ、その。ありがと」

「え?」

「可愛いって言ってくれて」

「え、あ、うん。どうしたしまして?」

 

 俺のお礼の意味が解らないのか和行が首を傾けている。なんだろ、和行のこの反応も最近可愛いと思い始めてきていた。和行の笑顔を自分だけの物にしたくなってきている。

 ……俺はどうしたいんだろう。本当に俺は男に戻りたいと願っているのだろうか。それすら分からない感覚に陥っている。この気持ちはなんなんだろうか。もう少しで答えが掴めそうなのに掴めないもどかしさに唇を噛んでしまいそうだ。八千代さんの言う通り、俺はもう少しで何かに近づけそうなのか? この暖かい気持ちはなんなのか、もうすぐ分かるのだろうか。

 

「和行、泳ごう? あっちまで競争ね!」

「え、ちょ! 俺あまり泳げないのに!」

 

 でも今だけは、その事を忘れて和行と一緒に遊んでいたかった。



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第十七話 浴衣を着た一夏ちゃん

先日活動報告にも書きましたが、評価などを頂いたことに感謝の気持ちと少しばかりの恐怖を覚えていますがこれからもいちかわいいしていきたい所存です。


 プールで和行たちと遊んだあの日から時間は進んで、時期は七月下旬になっていた。外では茹だるような暑さが続いていたが、夕方辺りからは気温も下がり比較的過ごしやすくなっている。今日は珍しく千冬姉が帰ってきている。千冬姉が言うには今日は急に暇になり、何もすることがなかったので家に帰ってきたらしい。そんな千冬姉を伴い、俺はいま和行の家に着ている。晩御飯に誘われたのもあるが、今日はもっと大事な用事があるからだ。

 そういえば、和行の家に入って中で待っていた八千代さんと千冬姉が何か喋っていたけどなんだったんだ? 千冬姉は珍しく吃驚したと言わんばかりの表情を張り付けて八千代さんと話し込んでいたし。俺と和行の仲がどうとか聞こえたけど、俺と和行の仲は悪くないぞ。むしろ以前より良好な感じだし。たまに和行の反応がおかしく感じて笑っちまう時があるけど。学校とかで俺が和行の傍に寄ったときとか。いつもの落ち着いた表情から慌てた顔になるから俺のツボに入ってるんだよな。

 まあその事は今はいいか。今はこっちのことに集中しよう。

 

「はい、これで着付けオッケーよ」

「八千代さん。こんなことまで出来たんですね……」

「全くだ。私も驚いている」

 

 今日の大事な用事。それは俺の浴衣の着付けだ。一階の和室で八千代さんに青色の浴衣を着せて貰っていたのだ。ついでに髪のセットもして貰った。和行と夏祭りに遊びに行くことになっている。俺は私服でも良かったんだが、女の子なんだからこれくらいは着ないとねと八千代さんに言われたからだ。この前のプールの帰りに和行に誘われたんだよな。一緒に夏祭りに行こうって。普段の俺なら皆で行こうって誘うところだったが、今回だけは和行と二人で行きたいと思ったので鈴とかには声を掛けていない。

 だけど先日、鈴が電話で今日の夏祭りに一緒に行こうって誘ってきたんだよなぁ。和行と最初に約束してたのもあってその日は用事があるって断った。その際、鈴がなんか悔しそうな声を出していたけどそんなに俺と夏祭り行きたかったのか? うーん、来年は誘ってやるか。

 

「一夏。その格好で誰とデートに行くつもりだ?」

「デートじゃないよ千冬姉」

 

 外では絶対見せないであろうからかうような笑みを浮かべる千冬姉に俺はそう返した。何言ってんだよ千冬姉。和行と夏祭りに行くだけだからなんだからさ。これはデートじゃないだろ。

 ――って、あれ? なんか千冬姉と八千代さんが微妙な顔し始めたぞ。

 

「……八千代さん。やはり一夏は女になっても?」

「ええ、残念なことにね」

「はぁ……」

「ねえ、千冬ちゃん。私に提案があるんだけど」

「訊きましょう」

 

 今度は八千代さんと千冬姉が二人して溜息を吐きだし始めていた。な、なんなんだ二人して。と思ったら、なんか即座に二人して相談し始めてるし。この場所に居たくなかったので和行の下に向かうことにした。和行を待たせてるんだから早く行った方がいいに決まってるからな。俺がリビングに行くと、和行が神妙な面持ちで虫除けスプレーを自分の体に振りかけていた。ああ、こいつ虫大っ嫌いだったな。小学三年生ごろまでは大丈夫だったらしいけど、小学四年生辺りになってから何故かてんで駄目になったらしい。それでよく一緒に家とかで遊んでいる時に部屋に入ってきた虫を俺が追い払ったりしてたっけ。

 って、そんなこと考えている場合じゃないな。

 

「和行、お待たせ」

「……っ! べ、別にそんなに待ってないぞ」

「どうしたの? 顔赤いよ?」

 

 俺が和行に近づくと、和行はますます俺から顔を逸らした。なんで顔逸らすんだよ。

 

「ねえ、なんで顔そらすの?」

「い、一夏が」

「私が?」

「凄く綺麗だから……」

 

 和行の言葉に俺の胸は高鳴った。ああ、和行に綺麗って言われるのが嬉しく感じる。さっきから心臓がうるさいくらいに騒いでいる。あれから何回かこんな感じの会話があったけど、その度に和行のやつが狼狽し始めるんだよな。まったく変な奴だな。……俺も似たようなものだからあまり強く和行のこと言えないけどさ。

 

「あ、ありがとう和行」

「う、うん。どういたしまして……ってそろそろ行かないと不味くねこれ?」

 

 和行が時計の方を見ていたので、俺もそれに釣られて時計を見る。確かにこれはそろそろ出た方がいいかもしれないな。

 

「あら、あなた達まだ居たの? 早く行かないと混むわよ」

「分かってるよ。一夏、先に玄関に行っててくれないか? 俺は母さんとちょっと話すことがあるから」

 

 リビングにやってきた八千代さんが早く夏祭りへ行くように促すが、和行は俺へ先に玄関に言ってるように言い残してリビングに留まった。和行の言う通り、俺が下駄を履いていると和行の声が玄関まで響いてくるのが聞こえた。な、何があったんだ、和行。

 

「母さんグッチョブ!」

「お礼は一夏ちゃんと和行の子供の顔でいいわよ」

「ちょっと母さん!? 俺の年齢分かってる!?」

 

 な、なんだ? 何の話をしてるんだ、八千代さんと和行は。俺と和行の子供の顔って一体なんの話だ? 和行は俺達はまだ中学生だと抗議しているけど。俺が二人の会話を疑問に思っていると今度は千冬姉と和行の声が聞こえてきた。

 

「ふむ、それは私も見てみたいな」

「え!? あの千冬さん……ええっと、冗談ですよね?」

「本気だが?」

「えぇ……」

 

 千冬姉も和行に対して訳が分からない発言しているのが聞こえた。和行もそれにドン引きしているみたいだし……。あの千冬姉の声、本気だ。長年千冬姉と姉妹をやってきたから分かるけど、あれは冗談を言うときの声音じゃないぞ。なんなんだろうほんと……。

 そんなことを考えていると、何やら疲れたような顔をしている和行がリビングから玄関の方へと向かってきた。だ、大丈夫か和行? お前、その調子でお祭り行くつもりか? 千冬姉と八千代さんの言っている意味は解らないけど和行が疲れるようなことを言ったのは確実っぽいし、休んだ方がいいんじゃ……。

 

「だ、大丈夫? 疲れてるみたいだけど」

「大丈夫だ。それより早く行こう。こんな家に居る方が余計疲れる」

 

 和行は素早く自分の靴を履くと俺の手を掴んでゆっくりと歩き出した。あの、和行。俺、別に普通に歩けるから大丈夫だぞ? 履き慣れてない下駄を履いているから少し歩きにくいけどさ。

 

「な、なんで手を握るの?」

「俺と離れてナンパとかされたら不味いだろ。だから放さないようにって思って……。嫌だったか?」

「ううん。ありがとう、和行」

 

 和行の言葉を聞いた俺は和行の手を強く握った。ナンパは嫌だ。以前に和行と買い物を行ったりしている時に和行がトイレに行って俺が一人になっている間に俺をナンパしようと声を掛けようとしてきたっていうのが何回かあった。だけど、その度に狙いすましたかのようなタイミングで鈴が通りかかったり、和行が物凄い勢いで戻ってきたりしてナンパは殆ど失敗になってたけど。

 和行の場合は「一夏のピンチを探知したんでアクセルフォームになって戻ってきた」とかちょっと意味の解らない事を言ってたけど、全速力で走ってきただけだと思う。だってその証拠に俺の目の前で物凄く息切れしてめっちゃ咳き込んでたし。鈴の場合は「たまたま近くを通りかかった」とか言ってたけど何処か嘘臭かった。昔の俺だったらそうかって済ませてたけど、俺の女の勘が告げてたんだよなぁ。鈴は嘘を吐いているって。

 そんなことを考えている間に夏祭りの会場に着たのだが、会場は人でごった返していた。うわぁ……これは和行が手を繋いでくれたのは正解だったかもな。手を繋がないで歩いていたらはぐれてたかもしれない。あれ? 心なしか和行の手を握る力強くなってないか? 俺が迷子にならないように気遣ってくれているのか。やっぱ和行のこういうところ好きだな。

 

「離れるなよ」

「う、うん」

 

 和行の力強い言葉に俺は頷くことしかできなかった。昔は俺の後に付いてくることが多かったのに、今は俺の前を歩いている。俺はそんな和行の姿に少しだけ笑いが込み上げてくると同時に疑問に思った。今までは意識していなかったが、和行が俺や鈴とか特定以外の人間と話すのが増えたのは中学に入学した時くらいからだった気がするんだよな。あいつに何かあったんだろうか。和行が他の女子達と話しているとイライラするのもアレが原因だし、和行がそういった行動を取るようになった要因が知りたい。

 

「なあ」

「なに?」

「綿あめ食べるか?」

「え? あ、うん。食べるよ」

 

 俺の言葉に頷いた和行は俺と一緒に綿あめを売っている出店の前まで行き、綿あめを二人分買ってくれた。俺は自分の分は自分で金を出すって言ったけど、和行が奢らせろと言うので渋々引き下がった。なんか和行のやつ、最近こういう風に俺に奢る頻度増えてるなぁ。あとで何かお返しとかした方がいいかもな。和行に手渡された買った綿あめの片方を俺が受け取ると、渡した和行は辺りを見回していた。

 

「座って食べるか」

「だね」

 

 和行の言葉に同意する。和行に聞きたいこともあるし、腰を落ち着けたいと思ってたんだ。俺達は丁度空いているベンチを見つけたのでそこに座ることにした。綿あめを食べている和行の横顔を見ながら俺は和行に尋ねた。

 

「ねえ、和行」

「ん?」

「訊きたいことがあるんだけどさ……」

「なに?」

「和行はなんで中学に入ってから他のクラスメイトとかと積極的に話すようになったの? 小学生の頃はそんなでもなかったよね?」

 

 ……聞いたら駄目だったんだろうか。和行は綿あめを食べる手を止めてどう答えるべきか悩んでいるみたいだし。無理して言わなくてもいいとフォローを入れようとしたのだが、その前に和行が俺の質問に答え始めた。少しだけ困ったような笑みを浮かべながら。その顔を俺は少しだけ可愛いと思ってしまった。……またこれか。なんなんだろうこれ。

 

「……その、笑わないで聞いてくれよ」

「うん」

「……俺さ、男の頃のお前に憧れてたんだよ」

 

 え? 俺に憧れてた? なんでだよ。俺に憧れる要素なんて殆どないだろ。

 

「なんで憧れてたんだって思ってる?」

「え? なんで?」

「幼馴染なんだからお前の癖なんてお見通しだよ」

 

 なんだか言い返すことができなかった。確かに俺は和行に「お前って考えてることが顔に出やすいよな」って言われたことがあったけど。女子になってから少しは治ったかと思ったんだけどなあ……。

 

「俺さ、小学二年の頃に泣き虫なのと他の人間と上手く喋れない所為でお前と喧嘩してたじゃん」

「そういうのもあったね」

 

 和行が昔を懐かしむように口にした言葉に俺も昔の事を思い出していた。和行と仲良くなる前は和行と良く喧嘩していたが、その理由が和行の泣き虫なところと他のクラスメイトと話すたびにオドオドするところだった。今はあまりそういった姿を見せなくなったが、当時の俺は和行のそういう部分が癪に障って弱虫と言って喧嘩を吹っかけたことが何回かあった。その度に和行は抵抗してきたけど俺が言い合いとかも含めて勝つことが多かった。

 例の箒がからかわれてた件で俺が和行の言動に驚いたのは小学二年生の癖に訳の分からないことを言う奴と思ったのもあるが、一番の要因は和行が泣き虫で弱虫だと思っていたのにあんな行動を取ったからだ。喧嘩では俺に負けてばかりだったのに、あいつの心の方が強かった。だから俺は、あの時から和行と喧嘩するのを止めた。和行は泣き虫だけど、弱虫ではないって確信したから。

 

「俺、そんな自分が嫌だったんだ。一夏が気さくに他のクラスメイトに話しかけたり、泣くことなんてしないで堂々としているのを見て、俺も一夏みたいに成れたらなって思ってさ」

「……」

「本格的に変わろうと決心したのが小学校卒業する間際だったからさ、中学と同時に心機一転して変わってみようと思ったんだ。新しい自分に」

「そうなんだ……」

「でもな、あくまでも真似しかできなかったよ。当たり前だよな。俺は一夏じゃないんだから」

 

 自嘲気味に和行は笑う。俺はなんて和行に返したら良いのか分からず、何も言わないことで話の続きを促した。

 

「俺は九条和行であって、織斑一夏でも西邑夏菜子でもないんだ。自分以外の誰にも成れないんだから。昔と違ってすぐに泣いたりもしないし、他人と話すのも苦にならなくなったからこれで良いかなって」

 

 恥ずかしそうに言う和行の言葉が俺の中に吸い込まれていく。俺は思わず心の中で呟いた。

 ……他の女子にムカついてた自分が馬鹿みたいだ。和行がああなったのは自分の影響なのに何をやってるんだろう。はあ、なんか勝手にムカついて空回りしてただけじゃないかこれじゃ。これで話しかける女の子に対してのあのムカムカが少しは収まるんだろうか。……なんだか少しだけ和行に八つ当たりしたくなってきた。

 

「いって! な、何するんだよ!?」

「……和行の馬鹿」

 

 綿あめ持っていない右手で和行の左腕を抓ってやった。許せ、和行。俺の行動に和行は意味わからんと言わんばかりの顔しているが分からなくていい。でも、

 

「ありがとう……」

「え?」

「なんでもないよ。ほら、早く綿あめ食べて次に行こう?」

 

 和行のお蔭で少しだけ心のモヤモヤが晴れた気がする。先程から訝しんだ顔をしている和行は俺の言葉に促されたのか綿あめを食べ終え、俺もそれに続いて綿あめを全部食べた。

 

「和行、口汚れてるよ?」

「えっ? えっと、ハンカチハンカチ……」

 

 俺の指摘に和行はハンカチをズボンのポケットから取り出そうとするが、俺がハンカチを取り出すのが早かった。和行の顔をこちらに向けて強引に綿あめによる汚れを拭き取っていく。よし、綺麗になった。ん? 和行の顔が真っ赤だけどこの年になって綿あめで口元を汚したのが恥ずかしいのか?

 

「お、お前……なんで。自分で拭けたのに……」

「私が拭きたいと思ったから。それにほら、汚れたままだと折角の和行の良い顔が台無しになっちゃうし」

「っ! そ、そうか……。ありがとう」

 

 和行が顔を背けて「一夏に良い顔って言われた……」って嬉しそうにぶつぶつ言っているけど、なんだ……恥ずかしいのか? 俺は本当の事を言っただけなのに。そんなことを考えていると和行は急に起ちあがり俺の手を取ってきた。こちらを見る和行の目は早く行こうと促しているように見えた。俺はハンカチをしまいつつ立ち上がり、和行に付いていくことにした。

 その後も和行に手を引かれて歩いて他の屋台とかを練り歩いたのだが、和行が俺の手を放すことはなかった。俺はそれが嬉しくて、思わず和行の手を握り返していた。和行の温もりが感じられるこの瞬間を手放したくなかったのかもしれない。

 

「そろそろだな」

「え?」

「花火だよ」

「ああ。そうだったね」

 

 確かに時間的にはそろそろかもしれない。俺達は花火が見える場所へと歩いていき、再び腰を落ち着けると花火が上がるのを待つことになった。そして、その時が来た。次々と花火が打ち上げられて空に大きな花を咲かせている光景がそこにはあった。なんてことはない光景かもしれないが、俺にはそれが何処か幻想的で儚い光景に思えた。

 なんでこんな風に思うんだろう。昔ならこんな風には考えなかったのに。花火から視線を外して和行の方を見ると俺の心臓がとくんと高鳴った。何処か和行のその表情が今にも消えそうな儚いものに思えたから。そんな和行の顔を独占していたいといった考えが回り始めたが、花火の音が続くのに釣られた俺は視線を一旦和行から外して再び花火の方へと目を向ける。

 

「綺麗だね」

「ああ、そうだな」

 

 短いやりとり。この光景への思いを端的に表すにはそれだけで十分だった。

 

「花火も綺麗だけどさ、俺は一夏の方が一番――」

 

 和行が何か言ったようだが、直後に一段と大きな花火が上がったため全然聞こえなかった。いま、和行なんて言ったんだ?

 

「和行、いまなんて?」

「忘れろ」

「え? でも……」

「俺は何も言ってない。頼む、忘れてくれ」

 

 なんなんだ……。気恥ずかしそうにしている和行の態度に少しだけモヤっとしたが俺は和行と花火を見続けることにした。それから十数分後。花火が終わったので俺達はそろそろ帰ろうと歩き出した。今度は俺の方から和行の手を握る。和行が少しだけ驚いているようだったけど俺は気にせずに和行に言葉を投げかけた。

 

「和行、放さないでね」

「離すわけがないだろ」

 

 そう言って温和な表情を見せてくる和行に少しばかりドキっとした。あ、あれ? 和行ってこんなに格好良かったか? まずい。また顔が熱くなってきた。和行の顔をまともに見ることができない。自分の顔が火照っているのが手に取るように分かった。また心臓が早鐘を打っている。あのプールで感じた事と同じ考えが俺の頭の中を駆け巡っていた。

 いや、あの時以上かもしれない。和行のことを独占したい気持ちが強まっているのが自分でもわかる。でも、俺は自分が何故こんな事を考えてしまうのか、その理由だけはあれこれと頭の中をこねくりまわしても分からなかった。答えが掴めそうなのに掴めない事に段々ムカムカしてきた俺は、こんな感情を抱かせる元凶である和行の手をこちらに引き寄せてからすぐに腕へと抱き付いてやった。

 

「なっ! ちょ!?」

「家に帰るまでこうさせて」

 

 さっきのとは違う俺なりの八つ当たりだ。和行の顔が段々赤くなっていってるが構うもんか。このまま抱き付いててやる。こうしているとなんだか心地が良いし。

 

「あの、一夏……。胸、当たってるんだけど」

 

 和行の抗議が聞こえるけど俺は無視した。こういうのを当ててんのよって言うんだっけ? 前にそんな感じの単語を以前和行と弾と数馬と馬鹿話をした際に聞いた気がする。俺はそのまま宣言通りに家まで和行の腕に抱き付いて帰ったのだが、当の和行はしばらくの間八千代さんや千冬姉が話しかけてもフリーズしたままだった。や、やりすぎたのか……?



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第十八話 同居はダメでしょ

 一夏と夏祭りに行ったあの日から時は過ぎ、お盆も終わって暦は八月下旬へと向かっている。俺は台所で三人分の昼食を作る為に忙しなく動いているラブリーマイエンジェル一夏たんを現実逃避気味に眺めていた。今日も黒髪ポニーテールが美しいです。ポニーテールの間から見えるうなじ最高だな。

 それはそうと浴衣姿の一夏は最高でしたね。そのまま一夏を口説いてお持ち帰りしたいくらいだったよ。まあそんな度胸なんて俺にはないし、やらないけど。あとはそうだな。綿あめ食べている時にハンカチで口元を拭かれて超恥ずかしかったけど、良い顔とか言われた時は思わず嬉しくなったよ。あんなこと言ってくれた異性なんて一夏が初めてだし。その後を花火を見た時に非常に臭い台詞を吐いてしまったけど、花火の音が掻き消してくれたお蔭で助かったよ。一夏になんて言ったのか聞かれたけど答えなかった。だってあんな雰囲気じゃなかったら一夏と面と向かって言うとか無理だし。

 まあ、綿あめ食べている時に何故か二の腕を抓られたり、帰る際に腕に抱き付かれたりしましたけど。正直、なんで一夏があんな行動に出たのか俺には分からないです。俺が何か一夏の癇に障ることでも言ったのかもしれないが、そうなってくると二の腕を抓られるのはともかく腕に抱き付かれたことへの説明が出来ない気がする。一夏も女の子だからなあ。乙女心は複雑ってやつなのだろうか。あ、一夏のおっぱいはやわらかいって抱き付かれたときにはっきり分かりました。あれは冗談抜きでヤバすぎる。俺、家に帰ってから少しの間フリーズして千冬さんや母さんの声なんて聞こえてなかったもん。

 ……さて、本題に入るか。このまま無言のままでいては俺の向かい側に座っている千冬さんは俺の反応に納得しないだろう。俺は意を決して千冬さんに尋ねる。俺の耳が腐っていないことを確認するために。いや、だってさ……千冬さんが俺になんて言ったと思う?

 

「ち、千冬さん。あの、今なんと仰りましたか?」

「今日の夕方から一夏をお前の家に住まわせると言ったんだ」

「……」

 

 はい、聞き間違いではありませんでした。俺の耳も正常です。何かの夢か幻かと思って手の甲を抓ってみたけど痛かったし、何処かに妄想具現化能力者が居て俺にリアルブートした妄想でも見せてるのかとも思ったけどそんなことはなかったぜ。

 あの、すいません。本気で疑問なんですが、約一か月振りに織斑家に帰ってきたと思ったらこの発言って……千冬さん、あなた何を考えているんですか? 一夏の昼飯をうちで食べないかって言葉にホイホイされて家に来たらこの人が居たんだ。それで千冬さんの向かい側に座らされたと思ったこれだよ。ほんと千冬さんに何があったんだ。変なものでも食べたのだろうか。

 

「どうして?」

「お前と一夏を付き合わせるためだ」

「えぇ……」

 

 ぶっちゃけやがったよこの人。飲物を口に含んでなくて良かったよ。もし口の中に飲物入ってたら噴き出した勢いで千冬さんの方に飛んでたかもしれない。なんでこうなるんだよ、あなたブラコン――じゃなかった。シスコンでしょ。一夏を俺みたいなのとくっつけようとするとかあり得ないでしょ。うちの母さんが俺と一夏をくっ付けようとしているレベルであり得ないわ。

 というか、メイド服を一夏に着せたあの日に母さんが言ってたのってフラグだったのか。わーい! 白目剥きたくなってきた……。これ、同居したら俺の理性との危険な戦いになるんじゃないっすかね?

 

「お前が一夏を好いているのはお前たちが夏祭りの日に八千代さんから聞いている」

「何となく知ってました」

「それで八千代さんと話し合ってな。どこの馬の骨だか判らない奴に一夏をやるくらいなら、お前と一夏をさっさとくっ付けた方がいいと結論が出た」

 

 うん、ちょっと待ってください。どうしてそうなったんですか? 意味が解らないです。ていうか、一夏の恋人をそんな理由で決めていいんですか? そもそも千冬さんなら俺とくっ付けるどころか、一夏が欲しいなら私を超えてみせろと挑戦状を叩き付けてくると思ったんですが……。

 詳細な説明を要求したいところだが、千冬さんがその事は聞くなと言わんばかりの視線をぶつけてきている。あの、やめてください。そんな目で見ないでください。凄く怖いです。助けて力天使イチカエル。俺に千冬さんと会話を続ける勇気を授けてくれ。

 

「色々ツッコミたいことはあるんですが……その、一夏に同居の事は話したんですか?」

「二つ返事で同居してもいいと言っていたぞ」

「嘘でしょ……」

 

 おいこら一夏。もう少し警戒心持てよ。あのプールの時も殆ど警戒心なかったじゃんか。お前がスク水姿で出てきた時マジでヤバかったんだからな。あの状態で一夏がこけて俺の方に倒れ込んだりしていたら、今頃取り返しのつかない事態になってたかもしれない。俺だって男なんだぞ? 思春期の男なんだぞ? そしてお前はそんな思春期男子の毒になる体の持ち主なんだぞ。それで俺は一夏に好意を持っているんだぞ? 間違いが起きたら……ああ、だから俺と一夏を一緒に住まわせようとしたんですね。そういうことですか、分かりたくありません。

 なんなんだ、母さんと千冬さんは。なんでこんな同居話とかを提案して簡単に実行しようとしてるんだよ。まともなのは俺だけ――いや、俺もまともじゃねえな。心の中では結構ふざけたことばかり言っていたりするし。基本的に我儘なところあるし、ちょっと怒りっぽいし、後ろ向き思考になりやすいし。ダメダメじゃねえか俺。

 てか、今朝目が覚めて体を起こしたら、自室の机の上に男性用の避妊具的な物のセット的な物があったのもこの同居話の所為か。母さんめ、なんでご丁寧に「一夏ちゃんに優しくね?」とか書いたメモまで置いていくんだよ。つうか、いつの間に買ったんだよあんなもの。

 

「不満か?」

「いえ、そうではないんですが……。幾らなんでも男と女が一つ屋根の下ってのは不味くないですか?」

「お前の言い分も一理あるが、私としてはこんな時代とはいえ女である一夏が一人で家に居る方が心配なんでな。一夏にもそう言って了承を取った」

「えっ? ということは一夏は……」

「ああ。一夏はお前と同棲する本当の理由を知らない」

 

 う、うわぁ……。俺が反論できないような尤もらしい理由と共にとんでもない発言しやがったよこの人。まあ確かにそれは俺も考えてましたよ。幾ら俺や母さんが隣の家に住んでるとはいえ、一夏ひとりで織斑家に寝泊まりしていた訳だし。ヤバい、これ断れないわほんと。……仕方ない、か。一夏の事が心配だしな、仕方ない。べ、別に拒むのを諦めたとかそういうのじゃないんだからね! 一夏の為なんだからね! ……うん、俺のツンデレ口調とかキツイな。これ以上はやめとこう。気持ち悪すぎる。

 閑話休題。一夏が俺の家に来る前に母さんが机の上に置いていたあれは隠しておこう。あれが見つかったら冗談抜きで不味いことになる。一夏に完全にその気でいると思われて軽蔑されるよ。むしろ軽蔑されない方がおかしいと思う。そのついでに俺の部屋に隠してあるそういう本も今よりも見つかりづらい場所に移動しておこう。元は男だった一夏ならその手の本にも理解は示してくれるだろうが、やはり女の子にあの手の本を見られるというのは精神的なダメージを負うだろうから自衛のためだ。

 

「二人ともご飯できたよ~」

「この話はまたあとだな」

「そうですね……」

 

 一夏にご飯が出来たと呼ばれてしまったので、俺と千冬さんの会話はここで一旦打ち切られることとなった。というか、後でまた話そうって言われてもこれ以上千冬さんと何を話せばいいんですかねぇ……。一夏と俺の風呂の入る順番とかですか? トイレの便座を下して座って小便をするか、便座を上げて立ったまま小便するかとかですか? 立ったままされると掃除するの面倒って思う人いるからね。それとも一夏の寝床を何処にするかとかですか? あ、寝床に関しては超重要だな。何かあっては大変だから別々の部屋にしないとね。だってほら、正直言って一夏に風邪の看病されたあの時ならいざ知らず、今の一夏はあの時よりもなんか女の子的な仕草が増えているというか物凄く魅力的なんだよ。それに俺もあの時と違って自分の恋心を認めているしさ。

 

「千冬姉、和行と何を話してたの?」

「例の同居話を教えてただけだ」

「そうなんだ。あ、千冬姉。コーヒーにはちゃんとミルクとか砂糖を入れないと駄目だよ。ブラックは胃に悪いから」

「……分かっている」

 

 一夏が用意したコーヒーをブラックのまま飲もうとしていた千冬さんだったが、一夏に止められた所為かミルクを入れながら若干拗ねたような返事をしていた。千冬さんはブラックコ―ヒー好きだからなあ。まだ若い癖に健康に五月蠅い一夏にあーだこーだと言われるようになったせいで砂糖とか少しは入れるようになったらしいが。一夏が見てないところでは思いっきりブラック飲んでるけど。

 ちなみに俺は千冬さんと真逆でブラックコーヒーが嫌いだ。前に好奇心に負けて一回だけブラックで飲んだことがあったんだけど、飲んで少ししてから胃がキリキリしだして大変だった。不快感が半端じゃなかったわ。捨てるのが勿体ないと思って全部飲み干したがあれ以来俺はブラックは一度も飲んでいない。ブラックコーヒーを日常的に飲める人は変態だと思う。あれ? この理論でいくと千冬さんは変態ということになるんだが……。うん、これ以上考えないことにしよう。忘れよう。はい、忘れた。

 

「はい。和行、千冬姉。オムライスだよ」

「ありがと」

「うむ」

「あっ、そうだ。和行、何かケチャップで文字とか書いてあげよっか?」

 

 一夏のその言葉を聞いた俺は両手を眼前に持っていこうとした状態のまま固まってしまった。千冬さんも俺と似たようなポーズで固まっている。あの、一夏ちゃん? 君は何を言っているのかわかってるのか? ケチャップで文字? それって完全に恋人にするアレ的なあれですよね。もしくは新婚夫婦とかメイド喫茶のあれ。俺と千冬さんの目が合う。俺達は言葉で会話せずに視線だけで会話を行うことにした。

 

 ――これ、どういうことですか?

 ――私が知るか。

 ――ですよね。

 

 秘密裏に行われた会話は無事に終了した。まさかこんなこと視線を合わせての意思疎通をすることになるとは思いませんでした。

 

「別に書かなくていいぞ?」

「え、そう? 和行はオムライスにケチャップで文字を書かれると喜ぶって教えられたのに」

「……誰にだ?」

「数馬」

 

 おいこら数馬あああああああああ! 一夏に変な事を教えてんだ!? 俺にそんな趣味ねえよ! あ、でも一夏にケチャップでハートマークとかLOVEとか書いてほしいかも。

 いや、駄目だろ。落ち着け俺。俺と一夏が二人きりの時ならまだしも今は千冬さんが近くにいるんだぞ。んなことできるか。恥ずかし過ぎて顔から火が出るわ。てか、一夏よ。お前もお前でそんな冗談を真に受けるなよ。完璧に数馬に騙されてるじゃねえか。よし、あとで数馬に鈴の実家の中華料理屋が出している殺人的な辛さを誇るあの激辛麻婆豆腐を奢ることにしよう。あいつ辛いもの好きだし、大丈夫でしょ。

 

「……妹に先を越されすぎな気がしてきたな。そろそろ私も相手を見つけるべきか」

 

 何処か遠い目をしながらミルクを入れたコーヒーを啜る千冬さんは様になっていたが、哀愁を帯びた雰囲気を漂わせていた。千冬さんに見合う男性とかこの世界に居るんですかねという疑問を押し込んだ俺は、千冬さんには触れないように一夏が作ってくれたオムライスを食べることにした。

 

「いただきます」

 

 スプーンでオムライスを掬い取って口に押し込む。うん、やっぱり一夏の料理は美味い。この卵の焼き加減、ライスの炒め加減が何とも言えない絶妙なハーモニーを醸し出している。箸じゃなくてスプーンが進むよ。

 それから時間が経ち、夕方近くになったので俺は一夏の服やらなんやらが入った服やら学校の制服やらをうちに移動させる手伝いをしていた。流石に一夏の箪笥を漁って服とか下着をバックに入れるなんてことを俺はしてない。一夏の洋服やらが入ったバック等を俺の家のリビングに運んだりしただけだ。服の詰め込みとかは昼食を食べた後に一夏が準備していたし。

 あ、それとうちの母さんが置いていった例の物とそういう本は既に隠し終わりました。あとは一夏が余計なことをして掘り当てないことを天に祈るだけだ。……フラグじゃないからね?

 

「至らない点もありますが、よろしくお願いします」

「ハイ、コチラコソヨロシク」

 

 九条家の客間にて一夏が正座をしながらそんな挨拶をしてきた所為か、俺の口から出た言葉は片言になっていた。学校の先生以外には使わない珍しい一夏の敬語が俺に対して向けられるとは思ってなかったんだよ。今の一夏の敬語はなんかこう、グッとくる。

 てかさ、これ完全に嫁入り前の挨拶だよね? ……もしかして俺、もうすでに一夏を嫁に貰うルートを確定させちゃってます? あ、確定させられてますね。母さんと千冬さんに。そこに考えが回らないとか完全に疲れてますね俺。てか、まだ俺と一夏は付き合ってもいないのに同居とか……。それどころか好意を伝えてすらいないからな。ヘタレって言われも文句言えねえやこれ。

 

「それで、私は何処で寝ればいいのかな?」

「二階の部屋の片づけが終わるまでは客間を使ってくれ」

「……和行の部屋じゃないんだ」

 

 え? なんでそんな残念そうな顔してるの? ……いや、まさかな。俺と本当に同じ部屋で寝たいって思ってる訳ないよな。うーん、一応ちゃんと言っておくか。

 

「俺と一緒の部屋とか駄目に決まってるだろ」

「どうして?」

「いや、どうしてってお前……」

「私は和行となら一緒の部屋で寝てもいいんだけどなあ」

 

 ……おい。お前、本当に無防備すぎるだろ。あのさ、今の一夏の台詞の所為で俺の心臓がめっちゃバクバグ煩く鳴ってるんだけど。やばい、一夏やばい。俺だったから良かったけど、今の発言は一歩間違えたらアウトな発言だぞ一夏。特に他の男相手だと。俺はなるべく平然とした顔で一夏と会話をすることに注力することにした。そうしないと色々と不味いから。

 

「と、とにかく駄目なものは駄目だ」

「うーん……分かったよ」

 

 俺の言葉に一夏は渋々といった感じで諦めたくれた。なんで一夏は俺に対してはこう無防備なんだよ。他の男子の前で案外警戒心持ってるのに。少し頬を膨らませてこちらを見ている一夏は大変可愛かったがそれはそれ、これはこれだ。もしかして俺って男として見られていないのかと少しだけ疑心を抱いてしまった。うーん……どうして俺に対する警戒心が殆どないんだ? あまり深く考えるのはやめとくか。どうせ俺の頭じゃ答えなんて導き出せそうにもないし。

 

「あとは風呂の入る順番なんだが、一夏が先に入ってくれて構わないぞ」

「え? いいの? ここは和行と八千代さんの家なのに」

「いいんだよ。一夏には一番風呂に入ってほしいし」

 

 これは俺の本音だ。一瞬、先に入った一夏が入った風呂の残り湯とか良いよなって邪な考えが浮かんだけど、すぐにそんな考えを蹴り飛ばしたよ。俺はそこまで変態じゃないし。仮に変態だとしても変態という名の紳士だし。あれ? これって結局変態じゃねえか。駄目だな俺。

 

「俺からはこれだけだ。これからよろしくな、一夏」

「うん、よろしく。ところで、今日は八千代さんは居ないの?」

「ああ。今日は仕事仲間の人たちと食事に出かけたから帰ってくるのは深夜になるってさ」

 

 今朝から出かけて深夜に帰ってくるであろう我が母は、うちの学校の二学期が始まったら仕事に復帰するらしい。それで今日はその復帰祝いに仕事仲間の友人達とぱーっと遊んだりしたり、飲んでくるとか言っていた。まだ完全に復帰してないのに気が早すぎるように感じるのは俺だけですか?

 そういうことなので、今日は出前でも取って食べろと母さんがお金を置いていったので今日はそれでピザとかを頼むつもりだ。鈴の実家の料理でもいいかも。一夏が料理しようとするだろうけど、たまには休んでほしいからな。ありがたく使わせてもらうよ。

 

「さて、出前でも頼むか」

「夕飯なら私が作るよ?」

「気持ちはありがたいけどさ、たまには休めよ。俺は疲れた顔をしながら料理するお前より、笑顔で料理を作るお前を見ていたいんだよ」

「え……。わ、分かった」

 

 意外なことに一夏の方が簡単に折れてくれた。あれ? 前までなら良いから私が作るともっと粘っていたと思ったんだけどな。やっぱり一夏もそれなりに疲れていたのかな。

 

「その……さんきゅーね、和行。私のこと心配してくれて」

「当たり前だろ。幼馴染なんだから」

「…………和行の馬鹿」

 

 あっれ~……。なんか一夏が目を吊り上げてそっぽを向き始めたぞ……。あのあの、ちょっと待って。俺なんか間違ったこと言ったか? だってお前の事が異性として好きだから心配してるとかこんな空気で言う訳にもいかんし……。もしかしたら、本格的に一夏の鈍感とかそういうのが俺に移ったのかもしれない。こんなの一夏の役割だったはずなのに、どうしてこうなった。




活動報告にも載せておきましたがここにも書いておきます。この小説の本編では主人公と一夏ちゃんはIS学園には行きません。本編の二人には藍越学園に行ってもらいます。前に活動報告に載せた設定変更の影響でこうなりました。


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第十九話 綺麗だと思った

評価、感想、お気に入り登録ありがとうございます。特に感想は執筆の燃料になりやすいので嬉しいです。今回の話も感想のお蔭で執筆速度にブースト掛かったので思ったより早く出来ました。


 まだ暑さが続く九月上旬。夏休みが終わり、二学期が始まろうとしている。今日は始業式ということで学校は午前中だけだ。正直校長などの無駄に長ったらしい話を聞くのは眠くなるだろうが、午前中で学校が終わるという対価に比べれば大したことはない。一夏との同居は順調だ。前に俺の家に泊まり込んで馬鹿騒ぎした時の延長だと思えば……いや、無理だったよ。だってあの時と違って、今の一夏は女の子だから色々と気を使わないといけないんだよ。

 ベッドに横になっていた俺はふと何者かの気配を感じた。安心感が漂ってくるこの感じは彼女だろうな。

 

「和行。朝だよ。起きて」

「んん……」

 

 一夏が掛け布団越しに両手で俺を触っているのが手に取るように分かる。そろそろ出ないといけないと頭では解っているんだが、いまいち体が言う事を聞いてくれない。ああ、もっと一夏のこの声を聞いていたい。落ち着くんだよなあ一夏のこの声。その所為で却って眠たくなってきているし。ん? なんだ? 一夏が声を掛けてくるのを辞めたと思ったらなんか俺の左耳に一夏の吐息が当たっているような……。やめて。お願いだからそれやめて。変な扉開きそうだから。

 

「か、和行。お、起きないと……キ、キスしちゃうよ?」

 

 一夏のその言葉で瞼を勢い良く開き、掛け布団を上半身から剥ぐように退かしながらベッドから起こした。俺は即座にベッド脇に居る一夏の方へと視線を向ける。学校の夏服の上にエプロンを着ている一夏は黒髪をポニーテールに纏めていた。恐らく朝食を作ってから俺を起こしに来たのだろう。ったく、なんで頬を赤くしてるんだよ。まあ、キスすると耳元で言われた俺の方がめっちゃ恥ずかしい思いしてるんですけどね。あ、でも起きなければよかったかも。一夏にキスされたかった。って、何言ってんだ俺。まだ寝ぼけてんのか? 思考を切り替えるため、眠気を噛み殺しながら一夏に朝の挨拶をする。

 

「おはよう。一夏」

「お、おはよう、和行。ほら、早く着替えて朝ごはん食べよ?」

「わかった。先に下に行っててくれ」

「う、うん。二度寝しちゃ駄目だよ?」

 

 俺は一夏が扉を開閉して部屋から出ていくのを見送ってから布団に隠れている自分の下半身を見た。うん、男性特有のあの現象が起きてました。一夏にはバレてなかったみたいだが本当に心臓に悪い。まあ元男の一夏なら知っているだろうけど、今の一夏は女の子なんだからこんなものを見せる訳にはいかない。ていうかあんなことがあったせいで静まってきているし、さっさと着替えよう。

 すぐに着替え終えた俺は、鞄を持って一階へと降りた。続いて洗面所へと向かい洗顔と歯磨きを済ませる。ついでに寝癖が付いていた髪も整えておく。そのままリビングに向かうとリビングのテーブルに朝食が用意されてあった。今朝の食事は食パンのトーストとベーコンと目玉焼き、そして昨日の残りものであるサラダといった洋食になっている。今日は軽めのようだ。ま、昨日は夜に晩御飯としてとんかつを食べたからな。俺はどちらかというと朝は和食派なのだが、俺よりも早く起きて一夏が用意してくれた食事なのだから文句を言う気はない。和食でも洋食でも一夏の料理が美味いことに変わりないし、むしろ俺の為に用意してくれるなんてありがたいくらいだ。

 

「いただきます」

「はいどうぞ」

 

 一夏の優しげな微笑みを受けながら俺は朝食を食べ進めていく。うん、美味しい。なんていうかさ、一夏の思いが籠っているのかもっと食べていたくなるなこれは。いつもは一夏と会話を弾ませつつ料理を食べるのだが、一夏の笑みの所為で出来ずにいた。あれは卑怯だろ。てかさ、一夏が段々と女の子っぽくなってて正直反応に困る。どうすればいいんだよこれ。こいつ、本当に男に戻る気があるのか?

 そんなことを考えているうちに食事を終えた俺は一夏に向かってごちそうさまの挨拶をする。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした。ごめんね、今朝はこんなのしか用意できなくて」

「そんなことないよ。俺の為に用意してくれてありがとな」

「ふふふ。もう、和行ったら」

 

 やっぱり一夏の笑顔が完全に女性のそれになってる件について。なんかよく分からないけど、一夏の顔の周囲にめっちゃキラキラしてるエフェクトが見えたけど多分幻覚だと思う。もしくは束姉さんの所為。てかヤバい。俺、一夏に惚れ直した。これは非常に危険ですよ。この子の笑顔が完全体から究極体に進化しているよ。

 というか、なんださっきの会話は。自分で言っておいてあれだけど俺と一夏って付き合ってたっけ? あ、でも男の頃もこんな感じの会話していたような。……今考えるとおかしいな俺達。やっぱ一夏ってそっちの気があったのだろうか。でもあいつ、一応は女の子に興味あったっぽいから多分あれだな。昔からやってた所為で感覚狂ってるだけだな。そういう事にしておこう。

 一夏が俺と自分の分の食器を台所へと持っていくのを見届けると、俺は食後のミルク入りコーヒーを飲みながら自分の鞄の中身を再確認することにした。忘れ物はないな。今日持っていくのはちゃんと入っている。夏休みの宿題も完璧だ。一夏と一緒に八月の上旬に全て終わらせておいたから八月中は気が楽でした。テレビを付けて今日の天気やらを確認していた俺はテレビの電源を切る。時間も丁度良い頃だし、そろそろ出ないといけないからな。

 

「一夏。夏休みの宿題とかちゃんと鞄に入れたか?」

「うん。昨日のうちに入れておいたよ」

「……本当か?」

 

 俺が疑いの視線を向けたのを不服に思ったのか、一夏は自分の鞄を俺に力強く手渡してきた。お前、その細腕の何処にそんな力があるんだよ。ビビったじゃねえか。ああ、千冬さんの妹だもんなあ。そりゃあ尋常じゃない身体能力を発揮するのも頷けるわ。そんな風に考えを纏めながら一夏の鞄を開けると、中にはちゃんと夏休みの宿題が収められていた。こいつ、変なとこで抜けているから忘れてないか心配だったけど杞憂だったか。

 

「あ、ちゃんと入ってる」

「だから言ったでしょ……」

「ごめんごめん。一夏が宿題を忘れて先生に怒られないか心配だったからさ」

「全くもう」

 

 一夏に鞄を閉めて返した俺だが、当の一夏はまだ不服そうな顔をしていた。うーん、この一夏の反応ってさ、完全に女だよね? だって野郎の時は絶対こんな態度取らなかったし。仕方ない、埋め合わせ的なことでもしておくか。そうだ。今日は俺が料理を作ることにしよう。なんか昨日の夜に一夏が俺の料理食べたいとか言ってたし。俺の料理ってそんなに美味いのかな? 俺が料理して出したものを一夏が物凄く美味しそうに食べてくれるから嬉しいっちゃ嬉しいんだけどさ。

 

「一夏」

「なに?」

「今日の夕飯は俺が作るよ」

「……なら許す」

 

 一夏は俺の言葉を聞いた途端、顔を穏やかなものに変えた。とてもさっきまで不機嫌だったとは思えないほどの素早い切り替えだった。なんとなく本気で怒っていないのは分かってたけどね。一夏は考えていることが顔に出やすいし。

 それも最近怪しくなってきているけどな。意図的にこういったことをするようになってきているんだよ。一夏が女の子になってから、なんだか日を重ねる毎に考えを隠すのが段々上手くなってきている気がする。一夏の特徴が一つ消えるのを嘆くべきなのか、喜ぶべきなのか……。でも、あまり顔に出すのはよくないし、後で苦労することになるかも知れないからこれでいいのかもね。

 って、考え込んでいる場合じゃないな。早く家から出よう。俺は一夏に先に出ているように促す。家の戸締りを確認してから家を出てから玄関に鍵を掛ける。学校への通学路である商店街の中を歩いている途中、一夏がこちらの事を見てきたかと思うと俺の名前を呼んでいた。

 

「和行」

「どうした?」

「学ランのボタン外れてる」

 

 マジか。あーどうすっかな。何処かの店の窓とかを見ながら直すか。そんなことを考えていた俺の視界に一夏が一旦鞄を地面に置いて、ゆっくりと俺の首元へと手を伸ばしてくるのが見えた。すると一夏は俺のボタンを締め直していた。その事を理解するのに少しばかり時間が掛かったが、一夏に何をされたのか段々と解ってきた俺は羞恥の感情を隠すこともせずに顔に出した。

 あの、こんな往来でこんなことをしてなんでこの子は平気な顔出来るんですかね。生暖かい視線が俺達に集中しているのが分からないのか。見ろよ、知り合いの古本屋のおばちゃんもこっちの事を微笑ましい目で見ているし。ああもう! これなら嫉妬の目線くれた方がまだマシだわ!

 

「はい。終わったよ」

「あ、ありがとう」

「どうかしたの? 顔が赤いけど」

「な、なんでもねえよ」

 

 一夏は本当に気にしていないみたいです。ホントこういう時は鈍感ってのは便利だな。俺は恥ずかしさで死にそうだよ……。はあ、なんで朝からこんなに疲れなきゃいけないんだ。もういいや、早く学校に行こう。一夏が地面に置いてた鞄を再び手に持って歩き出しているし。

 その後、学校に着いた俺と一夏は一学期と同じ要領で教室に入り、弾や鈴や数馬と会話してから体育館に向かうことになった。体育館では特に大したイベントもなく話の趣旨が見えにくい校長の話を眠気に耐えながら聞くということがあっただけだ。夏休みの課題の提出、ホームルーム、教室の掃除などなどを終わらせて俺達は帰ることになったのだが鈴は家の手伝いがあるとかで先に帰り、弾と数馬は二人でカラオケに行く約束をしていたらしく鈴と同じように先に学校から足早に消えていった。

 ……あの二人、嘘吐いたな。何で解ったかって、去り際に弾と数馬が「一緒に一夏と帰れよ」とか耳打ちしてきたから。全くもうあの二人は。今日は一夏と一緒にスーパーで買いものでもして帰るか。今日の晩御飯に使うのも買わないといけないし。

 

「夏菜子。帰りにスーパーに寄るつもりなんだけどさ、エコバック持ってる?」

「うん。鞄の中にあるよ」

 

 流石は元主夫だな。レジ袋代を一々払うの面倒だから俺もエコバック持ってるけどね。一夏と同じように鞄の中に入れてる。たかが数円だろうとそれが数回、数十回と積み重なれば結構な額になる。財布の紐を締めるところは締めておかないとな。

 教室を出て昇降口で上履きから靴に履きかえた俺達はスーパーへと向かい、必要なものを買った。今日はパスタにするつもりだったのでソースとかを。家に帰ってきた俺は一緒に帰ってきた一夏から荷物を預かり、先にシャワーへと向かわせた。一夏も女の子だから汗臭いのとか嫌だろうからな。俺は一夏が浴び終わるまで我慢できるから別に問題ない。

 ……あれ? ちょっと待って。確かボディーソープが切れてなかったか? 一夏に換えを渡すべく、脱衣所へと向かう。数回ノックしてまだ脱衣所に一夏が戻ってないことを確認して扉を開けたのだが、俺が扉を開けたタイミングで浴室側のドアも開くのが見えた。あ、これヤバい。

 

「あっ……」

「……か、和行?」

 

 ――綺麗だ。目に飛び込んできた一夏の裸を見てしまった俺がまず先に抱いた感想はそれだった。染みひとつない紅潮した白磁の肌は男を誘惑するのに十分な艶がある。濡れた黒髪は一夏の肌に張り付き、彼女の色気を更に増幅させている。

 こうして見ると一夏の体は男から完全に女性の体になっているんだなと再認識してしまう。思わず喉が鳴りそうになるほどの光景だったが何とか耐えた。幸いなことに一夏は自分の体の前方にタオル持ってきているので大事な部分等は俺に見えていなかった。その点に関しては助かったとも言えるが、助かっていないとも言える。だって、俺が女の子の裸を見たことには変わりないのだから。今の自分の状況を理解した俺は咄嗟にドアを閉めて一夏に謝った。

 

「ご、ごめん!」

「う、ううん! こっちこそごめんね! その、なんで和行がここに居るの?」

「ボ、ボディーソープが切れてたはずだから換えを渡そうと思って」

「あー、私もそのために出てきたんだよねえ……」

 

 ああ、そうだったんですか。いやマジですいませんでした。もうネタ発言すら出来ないレベルだわこれ。なんだこれ。どうみても一夏のラッキースケベが完全に俺に乗り移ってんじゃねえか。なんで俺がラッキースケベ発動させなきゃいけないんだよおい。

 ヤバい、あとで一夏にちゃんと謝らないと駄目でしょこれ。切腹する覚悟でいるよ俺。てか俺の下半身がさっきから不味いことになりかけてるんだけど。バレたらこれ一夏に嫌われるよ絶対。嫌だ、一夏に嫌われたくない。いやちょっと待て。その前に一夏の裸見てるじゃねえか。その時点で十分アウトだろ。馬鹿か俺。うう……とりあえず一夏に早くボディーソープを回収して浴室に戻るように言っておこう。

 

「い、一夏。お叱りとかは後で受けるから、早く換えを持って浴室に戻った方がいいぞ。風邪引いちゃうだろうし」

「あ、うん。ありがとね」

 

 いつもの感じの言葉を述べたのを聞いたの俺は少しだけ一夏の態度を訝しんでしまった。いやあの、なんで自分の裸を男である俺に見られたのに悲鳴の一つすらあげないの? 本当に驚いた時は甲高い声をあげる余裕もないと聞いたことはあるけど、それにしたってあの反応はちょっと変じゃないか? 一夏の態度について思考を巡らせていると浴室の方のドアが開閉する音がした。換えのボディーソープを見つけた一夏が浴室へと戻ったのだろう。

 肩の力が抜けたのか、俺の口から小さな溜息が漏れた。事故みたいな形とはいえやってしまったものは仕方ない。ここは日本人の真骨頂である土下座をするしかないだろう。そう思い立った俺はリビングにて一夏がやってくるのを待つことにした。そして、時は来た。一夏が私服に着替えて俺が居るリビングに戻ってきたのだ。

 

「和行~。上がったから入っていいよ。和行も汗掻いたで――って、何してるの!?」

「ジャパニーズ土下座です」

 

 そう。俺は一夏がリビングに来たタイミングで土下座をしていた。多分生きてきた十数年の中で一番綺麗な土下座をしていると思う。俺ってあまり土下座なんてしたことないけどね。ていうか、日常生活で土下座する機会なんてないよね。現在進行形で土下座してる俺が言ってもアレだけど。

 

「もしかして、さっきのこと気にしているの?」

「当たり前だろ。女の子の裸を見たんだからケジメやセプクするつもりです」

「あ、あのね和行? 私、怒ってないから別にそこまでしなくていいよ?」

 

 ……はっ? 嘘ですよね? だって俺は君の裸を見たんですよ。男に自分の裸を見られるのとか嫌なんじゃないんですか?

 

「え? え?」

「だってあれは事故だったんだから気にしても仕方ないでしょ。……それとも、本当はわざとやったとか?」

 

 少しだけ睨むような視線を向けてくる一夏に対して俺は思いっきり首を横に振る。あれのタイミングでわざととか予知能力とかで予め予知してないと無理だろ。一夏の裸を見てみたいとは思うが、それは一夏の了承を取ってからとかそういうのでだ。覗いたりラッキースケベで見たいとは思わない。一夏は俺を睨むのを辞めると、いつもの優しげな目で俺を見ている。

 

「ならいいじゃない。最初にボディソープが切れてるかどうかの確認をしなかった私も悪いんだしさ」

「でも……」

「私が気にしてないって言ってるんだからそれでいいでしょう」

 

 俺がどう答えるべきか考えあぐねていると一夏は「それに」と言葉を付け足してきた。

 

「私の裸なんて見られたものじゃなかったでしょ?」

「そんなことないぞ。物凄く綺麗だと思ったよ」

「ふぇ?」

 

 ふぇって随分可愛い声を出しますね一夏ちゃん。って俺は何を言ってんだ。綺麗だと思ったとかこれ完全に変態じゃねえか。馬鹿だろ。一夏から蹴りやビンタが飛んできても知らないぞ。……あれ? なんか一夏の顔がいつぞやのように真っ赤っかになってるんだが。え、なにその反応。くっそ可愛いんですけど。お持ち帰りしていいですか? あ、ここ既に家ですね。アホですね俺。

 

「……和行のエッチ……」

「うぐっ!? す、すまん……」

「でも、ありがとう」

「え、なんでお礼?」

「……っもう! ほら、今の事は忘れて早くシャワー浴びてきて!」

 

 お礼を言う要素の判らない俺に何故か一夏がぷりぷりと怒り出しました。……意味が分からないです。俺がリビングを出ていく時の一夏の顔が何故かニヤニヤとした表情に早変わりしていました。ますます分からないです。

 その後、シャワーを浴び終わった俺は一夏手作りの昼食を食べた。当然だけど美味しかったです。それから談笑などをして夕飯時になったのを見計らい、パスタを一夏に振る舞いました。一夏のあの態度とかが気になってはいるけど、俺の料理を美味しそうに食べる一夏の笑顔に疑念とかは全部吹き飛んでいた。一夏の笑顔は反則だよ。




伝説のいちかわいいの人が復活した影響でガクブルしてます。私はあの人のいちかわいいが至高だと思っていますし、まさか連載時期が被るだなんて思いもしてなかったので……。嬉しさ半分、困惑半分って感じになってます。


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第二十話 誕生日おめでとう

この小説はいちかわいい(大前提)と黒髪美少女とおっぱいへの愛で出来ています(暴露)
あ、今回はいつもより文字数多めです。


 俺が一夏ちゃんの裸を見てしまうというラッキースケベしてしまったあの日から時間が経ち、暦は九月二十七日になっていた。時刻は丁度夕方。今日の俺はテンションが高めだ。織斑家で母さん譲りの技術で一夏の為に丹精込めて作ったケーキや色んな食事を作り終えた俺だが、自分でもウザいと思うくらいにテンションが上がっている。今すぐにでも焼肉ポーズしながら「夜は焼肉っしょ!」とか言い出しそうなくらいには。

 ていうかさ、俺ってばこんなに料理作ったの初めてなんだけど。具体的に言うと目の前のテーブル一杯に並ぶくらい。なんかね、一夏の為と言い聞かせて料理していたら物凄いパワーが出てきたんだ。気が付いたらいつの間にこうなってたよ、てへぺろ。うん、キモイな。これ以上はやめておこう。

 何故俺のテンションが高いかと聞かれれば今日が一夏の誕生日だからだ。一夏が女の子になってから初めての誕生日なのでハッピーバースデー! と、どこぞの会長みたいな声量を出してみたいのだが俺じゃ無理だと悟りましたはい。ってか、あんな声を出したら近所迷惑になるだろうから尚更無理だわ。

 あ、一夏はいま織斑家に居ません。一夏の誕生日を祝うために休暇を強引に捥ぎ取ってきたらしい母さんと昼間から一緒に出掛けている。母さんの奢りで下着やら服やらを買いに行ったよ。こりゃあ今頃、母さんの着せ替え人形にさせられてるな。すまないな一夏。暴走状態に入った母さんは俺には止めらないんだよ。まあ母さんなら服選びのセンスは確かだし、どこぞの家事が全くできない人やチャイナ娘のように店員さんに丸投げなんてしないだろう。その点ではあの人は信頼できる。

 

「ふう。あとはあいつらが来れば……」

 

 今日は休みだから鈴達も一夏の家でやる誕生パーティに来るとか言っていた。一夏は最初のうちは別に誕生パーティとかやらなくていいとか言ってたんだけど、俺や母さんが一夏の意見を却下してゴリ押しする形でパーティを開くことになった。まあ、パーティと言ってもそんな大それたものじゃなくて皆で料理やジュースを飲み食いして、一夏に各々が用意したプレゼントを渡すってだけなんだけどね。

 参加メンバーは俺と母さん。弾と数馬、鈴と蘭ちゃん。そして主役である一夏の七人だけだ。千冬さんは電話でパーティのことを教えた際に「私が居ては皆が楽しめないだろ」と言って参加を辞退してました。全くそんなことを気にしなくてもいいのに。別に妹である一夏の誕生日に千冬さんが居ても文句言いませんって。鈴は縮こまるかもしれないけど。玄関の呼び鈴が鳴ってるのに気付いた俺は作業の手を止めて玄関へと向かうことにした。

 

「よう、和行」

「おう。来たかお前ら」

「当たり前よ。一夏の誕生日なんだから来ない訳にはいかないでしょ」

「まあ鈴の言う通りだな」

 

 玄関を開けたそこには時間通りに来た数馬と鈴と弾が居た。……ってあれ? 予定では蘭ちゃんも来るって聞いてたんだけど、蘭ちゃんは何処だ?

 

「あれ? 今日は蘭ちゃん来てないの?」

「蘭のやつは生徒会の仕事が入ったとかで今日は学校に行っててさ、帰るのが丁度誕生パーティの終了間際らしいから今回は諦めるってよ」

 

 うーん、それなら仕方ないな。このまま玄関前で話し込むのは駄目だと思った俺は三人を家の中へと招き入れる。勝手知ったる他人の家といった感じで皆はそれぞれ自分の好きな場所に腰を下ろしていた。一夏が性転換する前はこいつらも頻繁に家に遊びに来てたしな。一夏が女の子になってからは頻度減ったけど。それでも鈴は今でも遊びに来るから油断ならないんだが。一夏と同居してるのをバレないようにするのに結構気を使ってるよ。

 弾と数馬に関しては露骨に回数が減ってたな。やっぱり女の子の家というのに躊躇いを覚えたんだろう。でもあいつらは俺と一夏がくっ付けばいいと思っているから、ただ単に俺と一夏が居る時間を増やしてやろうと考えてるだけな気がする。

 

「それで、肝心の一夏はどこにいるのよ?」

「一夏は母さんと服とか買いに行ってるよ」

「え!? まさか、八千代さんも今日のパーティに来るの?」

「そうだよ」

 

 (便乗)とは言わなかった。言う空気でもないし。……あの、心なしか以前遊園地に行ったときのように鈴の口から魂が出ているような……。あーあ、こりゃ着せ替え人形にさせられまくったトラウマが蘇ったんだろうな。可愛そうに。顔の前で手を振っても全然反応しないんだけど、本当に大丈夫かこれ?

 反応すらしない鈴を放っておくことにした俺は、弾と数馬にお茶を出した。一応鈴の前にもお茶を置いておく。多分あの調子じゃ飲まないだろうけど。そのまま弾や数馬と野郎同士の馬鹿話を繰り広げながら待っていると玄関の方から扉が開く音がした。お客さんならインターホン鳴らすだろうし、一夏と母さんが帰ってきたのかな。

 

「ただいま~。帰ったわよ」

「うう……酷い目にあった」

 

 なんか妙に肌艶が良い母さんと何処かやつれている一夏がリビングに現れた。なんというか、うん。予想通りというか……母さんに着せ替え人形にされたのは確定っぽいっすねこれ。とりあえず一夏を労おう。話はそれからだ。

 

「大丈夫か? ほれ、お茶だ」

「あ、ありがとう……」

「その様子だとあれをやられたのか……」

「八千代さんったら酷いんだよ! 私を着せ替え人形みたいにしてさ! 箒や鈴の気持ちがよく分かったよ……」

 

 うん。俺は実際に母さんのアレの被害にあった訳じゃないから気持ちが分かるなんてとても言えないが、母さんの着せ替え人形にさせられた箒や鈴や一夏を見ているとかなり精神的に来ているというのは俺にもよく分かる。全く……。今日は一夏の誕生日を祝う日だってのに主役を疲れさせるとかどういう了見なんだ、母さんめ。

 俺は母さんの方を千冬さん直伝の鋭い眼光で睨むと、母さんは露骨に俺から目を反らした。おいこら、いいからこっち向けよ。ほら、怒らないから正直に謝罪して。怒るから。……今は一夏の誕生パーティの方が重要だな。なんとかやつれた状態から復活した一夏が俺達の方を見つめているんだからさ、母さんの事は後だ後。

 

「えっと、その。私、こういうパーティとかあまりしたことないし、何を言えばいいのか分からないんだけど……その……。きょ、今日は来てくれてありがとう皆!」

「もっと捻りを加えろ」

「挨拶が普通すぎる」

「及第点にすら届かないわね」

「一夏。良い挨拶だったよ」

「和行以外のコメントが辛辣なんだけど!?」

 

 弾、数馬、鈴、俺の順でコメントを述べたのだが……何故か俺以外のコメントがめっちゃ辛かった。思わず一夏がツッコミを入れるレベルで。どうしたんだよお前ら、一夏に奇を衒うことを期待するんじゃねえよ。下手にギャグとか言われるよりは普通のコメントの方がマシだと思うんだが。

 俺は咳払いをしてから、皆を代表をして一夏に声を掛ける。この言葉を言わないとパーティが始まらないからな。

 

「一夏、誕生日おめでとう」

「うん! ありがとう!」

 

 俺のその言葉を皮切りにパーティが始まった。あーだこーだと馬鹿を言いあいながらジュースを飲んでいる弾達が居るという光景がそこにはあった。まあ、なんというか。俺達らしいというべきか。一夏が女の子になってから色々と変化があったけどさっきの一夏や弾たちとのやりとりは全然変わらない。懐かしいという思いが沸き上がってくる。一夏が女の子になって早いもので五カ月を過ぎたのか。時の流れは早いな。

 ん? 一夏が呼んでるな。俺は考えていたことを頭の片隅に追いやると、ジンジャーエールで喉を潤しつつ一夏の下へと向かった。

 

「ねえ、このケーキって和行が作ってくれたの?」

「ああ。母さんに作り方を教わって作ったんだ」

「これ凄く美味しいよ。和行、さんきゅーね」

 

 ああ、この感じだ。一夏の笑顔に浄化されるこの感覚。実に心地良い。正直俺なんかのケーキよりもそこらへんの美味いケーキ屋から買ってきたケーキの方が美味いと思うのだが、そんなことを実際に口にするほど俺は阿呆ではない。一夏が喜んでくれているのだからそれでいい。一夏の笑顔に勝るものはないのだから。

 

「ハァハァ……鈴ちゃん。あとでうちに来ない? 可愛い服いっぱいあるわよ」

「い、嫌ですよ! 近づかないでください!」

 

 うちの母さんと鈴がなんかやっているが無視しておこう。そうするのが一番平和だ。俺がそう心に決めていると数馬が俺の方へと声を掛けてきた。どうかしたのか?

 

「なあ和行」

「どうした数馬」

「テーブルに並んでる料理作ったの誰?」

「俺だけど?」

 

 数馬の問いかけに答えた俺の発言に数馬、弾、母さんから一時的に解放されたのであろう鈴が固まった。え、なに? 俺がこんなに料理を作れたのがそんなに意外だったの? あの、お願いだから反応してくれないか。気まずいから。

 

「なあ。和行の料理スキル上がってないか? 俺はてっきり八千代さんが作ったものだと思ってた」

「あたしもそれ思った。なんなのよ、一夏といい和行といい……女のプライドをどんだけへし折れば済むのよ!?」

「俺達の友人の料理スキルが高すぎる件」

 

 おいお前ら。コソコソ話しているつもりなんだろうが、俺には丸聞こえだからな。すると、三人は人間の挙動とは思えない動きをしながら一気に俺が作った料理にがっつき始めた。……うん。一夏の分を確保しておいてよかったわ。ていうか、母さんもさりげなく混ざってんじゃねえよ。あんたは俺の料理なんて食い慣れてるだろうが。

 四人の行動から目を反らすようにして、ちらりと俺は一夏の方を見る。俺の目に映っている彼女の笑顔は心の底からから楽しいと思えているからこそ出せるものだろう。

 俺がまだ残っているジンジャーエールを飲んでいるうちに、弾達は一夏を呼んでプレゼントを手渡し始めていた。あの、すいません。俺にも声を掛けてもらえませんかね?

 

「よっし、じゃあ一夏にプレゼントを渡すぞ」

 

 うん、俺のことなんて誰も気にしてないね。弾の音頭でもう完全にプレゼントタイムに移行しているからね、仕方ないね。鈴たちが各々選んだプレゼントを渡していくのを俺は眺めることにした。鈴たちが選んだものは殆どが一夏との欲しがっていた物や、それとなく探りを入れたりして選んだ物だ。うん、一夏の笑顔はホント可愛い。独り占めしたいと考えながらプレゼントをくれた数馬達にお礼を述べてる一夏を見つめていた俺に鈴が声を掛けてきた。ん? どうしたんだ?

 

「あんた、プレゼントは? まさか用意してないとか言わないわよね?」

「いやプレゼントは買ってあるよ。ただ――」

「ただ?」

「皆が見ている前で一夏にプレゼントを渡すとか恥ずかしすぎて無理」

 

 俺が頬を掻きながら口にした言葉に鈴は口を開けつつこちらを呆れたような目で見ていた。やめて、その目やめてくれ。ヘタレとかチキンとか言われた方がまだマシだわ。その後も、俺は鈴の視線に晒され、俺がプレゼントをこの場に持ってきていない理由を鈴の手によって弾と数馬に告げ口され、野郎二人に弄られるという展開が待ってました。ちくしょう……。仕方ないだろ、本当に恥ずかしいんだから。許せよそれくらい。

 鈴に言った通り一夏に対するプレゼントはあるんだ。貯金を切り崩して買ったやつが。あとで渡すつもりだから隠してあるけど。ついでに言うと一緒に買う予定だった花は諦めた。だってあれ、花言葉的に遠回しに告白しているようなもんだから恥ずかしすぎて死ねるんだよ。

 最初は白いカーネーションを渡そうと思ったけど、五月頃の母の日に母さんへ赤いカーネーションをプレゼントしたのを思い出して論外になった。花言葉が違うにしても、想い人へ渡す花と母さんへ渡した花が同じなのはちょっと困る。赤のナデシコやブーゲンビリアやキキョウは渡すの恥ずかしいし、ひまわりは出回り時期を過ぎてる感がある。バラの束を渡すとか完全にキザな奴だろ。ていうか、そもそも花を贈るとか俺のキャラじゃないし。はあ……やっぱ俺ってヘタレなのかな。

 

◇◇◇

 

 今日は楽しかった。鈴達が帰り、パーティで使った食器やらの後片付けをしている和行の背中を見ながら俺は心からそう思った。こういうパーティみたいなことなんてあまりしたことなかったし、別にやらなくていいと言ったんだが、今年は和行と八千代さんのごり押しでパーティをやることになった。

 でもそのお蔭でなんというか、今までの誕生日の中で一番記憶に焼き付きそうだ。馬鹿話をしながら料理を食べて、飲んで……ああ、本当に楽しかった。俺が女の子になったあの日から今日まで色々とあったな。遊園地に行ったり、プールに行ったり、夏祭りに行ったり。思い起こした記憶の中にいつも和行が居ることに思わず笑みを溢す。そうだ、和行はいつも俺の傍にいてくれた。女の子になったあの日から俺の傍に居てくれたんだ。それとだ、プールに行ったあの日から、気が付けば和行の事ばかり考えるようになっていた。一人の事を一日に何回も考えるなんて、なんでそんなことをしているのか自分でも良く理解できないんだよな。悪い感じはしないから別に良いんだけどさ。

 

「一夏。皿ってこっちで良かったよな?」

「うん。そこにしまっておいて」

 

 和行の背中がかなり頼もしく感じる。なんか、和行の一挙手一投足が前よりも格好良く見えて困るんだが。ていうかあいつ、自覚はしてないみたいだけど案外女の子達の間で噂になってたりするんだよな。

 噂をしている女の子達曰く「あれ? もしかして九条君って結構格好良くない? でも気付いているのは私だけだよね?」みたいな感じで。その話を聞く度に和行の事を誇らしく思うと同時に和行が女の子と話している時に感じるあのモヤモヤって感情もするんだけどな。って、あれ? 和行のやつ、もう片付け終えたのか。早いな。

 

「ふう。やっと終わった」

「お疲れ様。はい、コーヒー。ミルク多めで入れておいたよ」

「おっ、サンキュー」

 

 俺から受け取ったコーヒーを飲む和行の顔を見ながら、俺はふと考えた。さっきのプレゼントの事だ。和行は皆の前で俺に渡すのを恥ずかしがってたみたいだけど何を渡すつもりだったんだろうか。和行のことだから、ちゃんと俺の事を考えて選んでくれていると思うから変なのとかは渡してこないだろうけどさ。ああいう態度を見るとやっぱり気になっちまうんだよなぁ。

 

「ん? どうかしたか?」

「和行が私に渡そうとしたプレゼントが何なのか気になって」

「……ああ。母さんも家に戻っているし、渡すなら今の方がいいかもな」

 

 コーヒーが入ったカップをテーブルに置くと、和行は足を動かし始める。リビングの棚をがそごそと漁って長方形の箱のような物と小さい紙の袋のようなものを取り出すのが見えた。あれが和行が俺にプレゼントしたかったやつなのか。つうか、なんで隠してたんだよ。それって隠すようなものなのか? もうちょっと堂々と俺に渡せばいいのに。

 

「は、はいこれ。一夏へのプレゼント」

「ありがとう。開けてもいい?」

「うん。いいよ」

 

 俺の下に来てプレゼントを手渡してくれた和行に尋ねた俺は箱をゆっくりと開けた。そこに入っていたのは一つのネックレスだった。それも女性用の。もう一つの方も開けてみる。もう一つの方はヘアピンだった。白色の可愛いやつが数本台紙に収まっている。俺は和行からのプレゼントに思わず目を丸くする。本当に驚いた。まさか和行がこういうプレゼントを俺に渡してくるなんて思ってもみなかったよ。

 和行からのプレゼントを貰ったんだと認識した俺の胸がカッと熱くなる。その熱が段々と体中に広がっていく感覚が手に取るように分かった。それと同時に胸の息苦しさも感じてしまう。でも、不思議とその感覚が嫌ではなかった。むしろ嬉しいくらいだ。もっと感じていたいくらいに。

 

「これ、どこで?」

「レゾナンスのアクセサリー売り場で買った。その……なんだ。最初はさ、一夏に花も一緒に贈ろうと考えたんだけどさ、俺のキャラに合わないって思ってこっちだけにしたんだ」

 

 花? 和行が花? なんだそれ! ヤバい、笑い堪えるので精一杯だ。想像してみたけど、和行が花を贈るとか本当に似合わねえな。

 

「な、なんだよ……」

「和行が花とか本当に合わないなって思って」

「……ふん」

 

 あ、和行が拗ねた。自分でもよく分からないけど、この和行の姿も可愛いと思ってしまった。

 

「ねえ和行。なんか凄く良い出来が良いけど、これ幾らくらいしたの?」

「――円」

「え? ごめん、もう少し大きな声で言って」

「……四万円だ。ヘアピンも合わせれば四万超えてるけどな。お蔭で貯金が半分なくなったよ」

 

 え? はあああああ!? よ、四万!? それに貯金が半分消えたって……。確か和行の奴、タブレット端末だか新しいパソコンだかを買うためにお金溜めてたんじゃなかったっけ? 俺なんかへのプレゼントの為にお金使うとか……。俺に対する思いという点では鈴達からプレゼントと和行に貰ったプレゼントに大差なんてないはずなのに、何処か違って見える和行からのプレゼントに俺は思わず狼狽してしまう。

 

「え、え? そんなにするのこれ!? う、受け取れないよ!」

「いいんだよ。お前の事を思って買ったんだから素直に受け取れ」

 

 思わずネックレスを突き返そうとした俺だったが、和行の力強い言葉でそんな気も一瞬で失せてしまう。和行にそう言われたら受け取るしかねえだろこれ。俺はネックレスが入った箱とヘアピンの入った袋に入る力を思わず強めていた。

 和行にお前を思って買ったと言われた所為だ。その所為でさっきから熱くなっていた俺の体が更に熱を帯びた感じがした。頬まで赤く染まっているのが理解できた。心臓も痛いくらいに脈を打っている。

 ……和行。ありがとう。

 

「……ねえ」

「ん?」

「これ、私に着けてくれない?」

「え、俺が?」

 

 俺が着けていいのかと和行が聞いてくるが俺は首を縦に振ってそれを肯定した。だって俺、和行に付けて欲しいんだよ。ほら、早く。

 

「じゃ、じゃあ行くぞ」

 

 俺から箱を受け取って、ネックレスを手に取った和行が俺の首へ手を回した。付け方は八千代さんから教わったそうだから大丈夫だと思うけど……なんだこれ、ヤバいぞ。和行が俺のすぐ傍に居るからか、心臓がさっきよりもバクバクしてるんだよ。冗談抜きで心臓が破裂するんじゃないかこれ。……ちょっと怖くなってきた。

 

「はい。終わったよ」

 

 そう言って俺から和行が離れていった所為で心臓は落ち着いたがちょっとだけ寂しいと思ってしまった。俺は和行に付けて貰った首から垂れるネックレスを右手で触る。これ、似合ってるのか? ちょうどいいや、目の前に和行が居るし和行に聞いてみよう。

 

「ねえ、和行。似合ってるかな?」

「凄く似合ってるぞ」

「あ、ありがと……」

 

 ――和行に褒められた。ただそれだけなのに物凄く幸せだ。和行が俺の為にプレゼントしてくれたこのネックレス、絶対大事にするよ。あとこのヘアピンも。明日にでも付けて和行に感想を聞いてみるか。和行に褒めてもらいたいし。

 ネックレスを見つめながら、ふと考えてしまった。男に戻っても和行とは以前のような関係には戻れないんじゃないかと。そりゃあ、一日でも早く男に戻りたいと思ってたさ。少なくともあのプールの日までは。あの日を境に、俺が女の子から男に戻ったら和行はどんな顔をするんだろうという疑問が浮かんでくることが多くなってきた。女の子になってから和行の俺に対して向けてくれている態度が、和行の優しさとか気遣いとかが消えてしまうんじゃないかと不安になる。それはだけは絶対に嫌だ。我儘だと言われようと和行のあの優しい眼差しとかを独占していたいんだ。

 もし、和行との関係が崩れてしまうなら……俺は――男に戻れなくてもいい。




一夏ちゃんのおっぱいの大きさは箒より小さめになってます。
大きい順に名前を出すと、山田先生>箒>一夏ちゃん>その他の原作ヒロインって感じです。


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第二十一話 夢なんてないけど

 一夏の誕生日から時間が経ち、時期は十月になった。夏服から冬服へと制服の衣替えを行ったので、一夏の我儘なおっぱいは再び冬服の中で鳴りを潜めることになった。俺的にも一夏的にもこれで良かったと思ってるよ。一夏もいい加減野郎と淑女共の視線が鬱陶しくなってきてたのか、顔を顰めることが増えてたから。俺に視線の事を相談してきた際に「女の子の気持ちがよく分かった」とか言ってたけど……あの、一応君も今は女の子ですよね? 女の子のような仕草ばかりするようになってきたのに、なんでお前はそういうところの意識が抜けてるんだ。可愛いからいいけどさ。

 つうか、一夏をエロい目で見ていいのは俺だけなんだから本当にそういうの止めてほしいわ。あのおっぱいを眺めていいのも俺だけなんで。一夏のおっぱい揉み揉み。一夏の胸に顔を埋めながら、一夏の匂いをくんかくんかしたいです。彼氏でもないのに彼氏面すんなってツッコミが入りそうなのでこの辺でやめておこう。あと今夜だけは変態発言も自重しておこう。

 

「はいお茶。少し休憩して」

「ん、ありがと」

 

 俺は右手に持っていた鉛筆を机の上に置くと、一夏から手渡されたお茶を飲みつつここ最近あったことを思い返していくことにした。

 あの日から俺は弾や数馬に料理関連の話題で弄られることが増えました。鈴には親の仇を見るような目で見られています。俺、鈴に何かやらかしたっけ……? 俺が料理出来るのって母さんが俺にこんな時代だから男でも料理できないとって理由で教え込まれたんだし。本格的に料理し始めたのは母さんが入院してからだけど。あと一夏の料理を見たり、一夏の事を思って作ってたりしたら俺の腕も上がってたという感じなんだよ。まあ、料理が出来るお蔭で料理関連の話題で一夏と会話できる回数増えるから別に良いんだけどね。

 それとなんだけど、あの日から一夏と俺の距離感がめっちゃ近いんだよな。一夏が一方的に俺の方に寄ってきているだけなんだけどさ。そのですね、一夏のシャンプーの匂いとか付けている香水か何かの匂いがですね、俺の鼻をハッピー状態にしまくるんで困ってるんですよ。

 嬉しいっちゃ嬉しいんだけどさ、なんであんなに距離感が近いのだろうか。あの距離感は男を勘違いさせるやつだよ。駄目だよ、勘違いする男もアレだけどそういうのを気軽にやっちゃ。

 

「ん? どうしたの?」

「またそれやってるのかと思っただけ」

「えー、別に良いじゃん。和行が折角くれたプレゼントなんだから」

 

 一夏は俺がプレゼントしたネックレスを触りながら俺に言葉を返してきた。ちなみにだが、一夏はネックレスを学校に着けてきてはいない。うちの校則で一夏にプレゼントしたようなアクセサリー類は学校に着けてきたら駄目ってことになってるんだよ。こればっかりは一夏がどう頑張ろうが無理だ。俺がネックレスと一緒にプレゼントしたヘアピンは付けてきてるけど。

 

「和行からのプレゼント……えへへ」

 

 学校では付けることができない分、今みたいに家では肌身離さずにいるんだけどね。毎日首から垂れさがっているネックレスを物凄く嬉しそうに触ったり、眺めたりしている。そんな一夏を見てしまったこっちが恥ずかしくなるという事が結構な頻度で起きています。俺からのプレゼントがそんなに嬉しかったのか? 俺には一夏からの好感度を稼いだ覚えがないんだけど……。まあいいか。本人が幸せそうにしているんだから余計な事をわざわざ言う必要はないだろうし。

 さて、そろそろ休憩終わるか。

 

「あ、和行。そこの英文の綴り間違ってるよ」

「え、マジで?」

「マジで」

 

 俺と一夏は勉強を再開していた。これだけ聞けば宿題でもやっているのだと考えるだろうが、実際は違う。その、高校受験の勉強をしているんですよ。特に苦手な科目を重点的に。絶対に落ちたくないんで今年の春頃から勉強してたんだよ。お蔭でゲームやらの趣味の時間が減ったけどな。ははは、……これでもし受からなかったら全力で泣くぞ。中学二年の今と、中学三年の来年。二年間勉強して落ちたとなれば心が折れるのは確実だ。母さんや一夏は慰めてくれるだろうが却ってそれが俺の心を傷つけることになるだろう。万が一を考えて第二志望校を決めておいた方がいいかもしれん。

 え、予備校? そんなところに行く余裕はうちにはないです。ついでに言うと織斑家にも予備校に行く余裕ないらしい。まあ、一夏の場合は行く必要もないんだけどさ。……後ろ向きなことばかり考えても仕方ないか。とにかくやれるだけやろう。今回は一夏に倣って前向き思考で行くぞ。それでだ、一夏も俺と同じく藍越学園を進路に決めているのでこうして一緒に勉強しているんだ。そう、勉強してるんだがなぁ……。

 

「あ、和行。その数式間違ってるよ」

「え、マジで?」

「マジで。って、さっきも同じ会話しなかった?」

「気の所為だろ」

 

 あの、正直君が俺の勉強に付き合う必要ないんじゃないっすかねこれ。英語をやり終えて、今は数学をやっていた俺は一夏の指摘に思わず心の中で溢してしまった。だってこいつさ、女の子になってから勉強とかもなんか凄い出来てるんだよ。俺よりも理解してるんだよ。男だった頃の一夏の成績と、女の子になった今の成績を見比べれば一目瞭然だった。一夏が予備校に行く必要もないって言ったのも成績が良くなってるのが原因です。まるで意味が分からんぞ。

 もしかしてあれか? 女の子になってチートにでも覚醒したのか? 一夏が持ってるチートは恐らく成長型チートだ。最初はパッとしないけど、徐々に強くなるあれ。だってそうとしか思えないもん。勉強が凄い出来てると言ったけど、最初はそうでもなかったんだよ。でもなんか途中からそういう方向にシフトしていってね……このままだと手が付けられないレベルになる気がしてきた。

 俺の幼馴染がチート持ちだった件。なんかラノベやネット小説のタイトルでありそうだなこういうの。

 

「なぁ一夏」

「なに~?」

「なんで俺の勉強に付き合ってるんだ? お前の学力なら俺に付き合う意味ないだろ」

「和行の顔を見ていたいから。じゃ、駄目かな?」

「駄目です」

 

 その飛びっきりの優しげな笑みと言葉は嬉しいけど、ちゃんとした理由を教えてください。

 

「和行の応援がしたいの。和行が私にしてくれているお礼も兼ねて」

「俺、なんかしたっけ?」

「和行が私の傍に居てくれるから」

「え? それだけ?」

「うん、それだけ。でもね、それだけでも私は物凄く嬉しいの」

 

 ……ヤバい。物凄く嬉しいけど恥ずかしいこの感情をどうすればいいんですか? 俺はそんな風に思っているのに、対する一夏は平然としているというこの状況よ。なんでこいつはこういう台詞をサラっと口にすることが出来るんだ? 男の時もそうだったが、女の子になっても本当にこういうところは変わらないな。まあ、人間なんてそう簡単に変われるもんじゃないけどさ。ここまで清々しいくらいに言われると反応に困る。

 一夏にこういうこと言われると嬉しいけどさ。……ああ、ヤバい。一夏の所為で心臓がめっちゃ五月蠅いことになってる。なんてことしてくれるんだ。これじゃ勉強に集中できないだろうが。

 

「どうしたの? 顔赤いよ?」

「……何でもないよ」

 

 お前の所為だと言う訳にいかないので俺は只管に右手を動かして問題を解くことに集中した。時折一夏の指摘が入り、答えを修正したりもしたがまあ概ね良くできたと思う。俺にしてはって言葉が最初の方に来るが。とりあえず今日の分の問題を解き終えた俺は思い切り背筋を伸ばした。さっきからずっと似たような体勢だったから自然とこうなるんだよ。

 

「お疲れ様」

「ありがと。って言っても、殆ど一夏が手伝ってくれたお蔭だから出来た事だしなあ」

「そんなことないよ。和行が頑張ってるから出来てるんだよ」

「そうかな?」

「そうだよ。私はその手伝いをしただけ」

 

 またこいつはこういう台詞をぽんぽん吐く。慣れればいいんだろうが、一夏がこの手の言葉を女子に掛けるのを見ている側だった俺からすれば、その破壊力を直に味わっている状態だから慣れるなんてまだ無理です。女子達はこの威力の前に、一夏の事を好きになってしまったのか。俺ならこいつに落とされた女の子達の気持ちが分かります。すでに一夏に惚れているけど、また惚れ直しそうになったもん。こいつなんなの? 異性に対するチャームを確定で発動させるスキルでも持ってるの? 行動阻害には持ってこいだな。

 

「はいこれ、頑張ってる和行へ」

「これっていちごのショートケーキ?」

「うん。私、お菓子作りはまだ苦手だから買ってきたものだけどね」

 

 ああ、そうだったな。こいつ、普通に料理方面は和、洋、中なんでも出来るんだが、如何せんまだお菓子作りだけは苦手らしい。苦手って言ってもそこらの女子に比べたらかなり出来る方なんだが、一夏の基準ではまだまだ自分は未熟と判断しているみたいだ。母さんが居ると必ずお菓子作りを教わりに行くんだよな。てか、放課後に先に帰っててと言われたのってこれを買うためだったのか。

 

「あ、美味しい」

「うん、聞いてた通り」

「これ何処で買ったの?」

「千冬姉に教えてもらった店で買ったんだよ」

 

 皿の上に置かれていたケーキをフォークで食べた俺の口からそんな言葉が漏れた。一夏も美味しそうにケーキを少しずつ食している。うん、一夏は可愛い。というか、ケーキを食べている瞬間すら一種の絵になるっておかしいでしょ。なんだこの美少女。やっぱ一夏は色々とおかしいわ。でも、可愛いから許されてる感がある。

 

「へぇ。千冬さんもやっぱこういうの好きなんだな」

「まあ、正確には千冬姉が現役時代の後輩だった――山田さんだったかな? その人に教えてもらった店を私に教えたって感じなんだけどね」

「おいこら千冬さん」

 

 なんでだよ。俺の感心を返してください。……でもまあ、こうして美味しいケーキを食べられたからいいか。あとその店を教えてくれた山田さん。ありがとうございます。

 

「話は変わるけど、和行はどの科に行くの?」

「前にも言ったけど普通科だ。そういう一夏は?」

「私も普通科だよ」

 

 工業科だの他の学科もあるが、俺にはそういう技術なんてないので普通科で十分だ。一夏も工業科とかには行かないらしいので必然的に二人して普通科を選んだわけだ。なんで一夏はこんなことを俺に訊いてきたんだろ。俺の口から言わなくても一夏なら知ってるだろうに。

 

「なんでそんなこと聞くんだ?」

「確認しておきたかったから。離れたくないし」

「はい?」

「……なんでもないよ。ほら、早く食べないと私がそのケーキ食べちゃうよ?」

 

 誤魔化されてしまった。なんで離れたくないなんて言ったんだ? ……あまり考えないようにしておくか。そうだ。ケーキを食べながら話題を反らしておくとしよう。丁度一夏に聞いておきたいことがあったし。

 

「あのさ一夏」

「どうしたの?」

「お前って夢とか持ってるか?」

「なに? 藪から棒に」

「ほら、今日の放課後に弾と数馬が夢がどうとか言ってたじゃん」

「……ああ。そういえば言ってたね」

 

 思い出してみれば、俺は一夏から夢とかそういう話を聞いたことがなかった。少しだけ気になったんだ。一夏がどんな夢を持っているのか。

 

「私の夢か。夢はないけど近いのはあるよ」

「もしかして、あれか?」

「うん。誰かを守りたいってずっと思ってる」

 

 ああ、そうだったな。こいつは千冬さんに憧れていたな。前に聞いたことがある。一夏は千冬さんが自分にしてくれたことを――自分を守ってくれたことを、誰かを守ることをやってみたいと思っているんだこいつは。憧れている気持ちは理解できなくはないが、千冬さんが一夏にそれを望んでいるかと聞かれれば多分ノーだろう。家族である一夏を守りたいから守っただけだろうし。まあ、俺の推測でしかないんだけどさ。

 なんて返そうか頭を悩ませていると、一夏が続きを話し始めていた。

 

「でもね、最近は誰かじゃなくて特定の人を守りたいと思っててさ」

「特定の人? 誰だ?」

「……内緒」

「教えてくれないのか?」

「女の子の秘密を探ろうとするなんて最低だよ」

「へ?」

「和行ってそういう人だったんだ。ふーん」

 

 ぐっほぉ……! 一夏、今の言葉は俺に効いたぞ。どれくらい効いたのかという具体例を挙げるなら、箪笥の角に足の小指を十回ぶつけるくらいのダメージが俺を襲った。滅茶苦茶痛いです。その蔑むような目はやめてください。何故か背中がゾクゾクしてくるんで。俺が悪かったです。てか、お前その女の子発言って無意識で言ったの? それとも意識して言ったの? どっちなのか教えてくれ。

 俺が軽く快感に悶えながら思考を巡らせていると、表情が一転していつもの柔らかな笑みを浮かべている一夏がそこがいた。

 

「ごめんごめん。冗談だよ」

「え、冗談?」

「うん。だって和行の反応が可愛いから」

 

 冗談抜きで調子が狂う。一夏の言葉からしてわざと言ったのが確定的に明らかになったのは良いんだが、そのなんだ。俺の事を可愛いとか言ったよな、一夏のやつ。俺の聞き間違いじゃないよね? 男相手に可愛いとかやめてくれよ。一夏にそういう風に言われるのは別に嫌じゃないけどさ、男に可愛いっていうのはなんか違うと思うんだ。ていうかお前、昔ならそんなこと絶対に言わなかっただろ。

 

「お、男相手に可愛いとか言うのやめろよ……」

「あー照れてる」

「照れてない」

「嘘。絶対照れてるよ」

「照れてないって言ってるだろ!」

 

 羞恥によって語気を強めてしまった。一夏が怯えてないかと彼女の方を見てみるが、当の本人は大して気にしていないようだった。現にニコニコした表情をやめてないし。な、なんなんだ。一夏のやつ、なんかこの前の誕生パーティ辺りから俺に対する態度が変わってる気がするぞ。

 

「もうそんなに声上げなくてもいいでしょ。はい、私のケーキ半分あげるから機嫌直して?」

「俺は子供か!? 要らんわ!」

「私も和行もまだ子供でしょ?」

 

 ぐぬぬぬぬ! 確かにそうだ。俺と一夏はまだ中学二年の子供だ。でもな一夏……俺はその事に当惑してるんじゃないんだよ。お前が俺に渡そうとしたそのケーキ。一夏は俺と同じようにフォークを使って食べていた。そう、一夏の口に出入りしていたフォークでだ。そのフォークが触れたケーキなんて食べたら俺と一夏の間接キスみたいなことになるだろうが! お前、その事理解してます? あ、してないねその顔は。

 

「おい一夏」

「ん? やっぱりケーキ欲しくなった?」

「そうじゃない。そのケーキを俺に寄越すってことは、俺とお前が間接キスをすることになるんだぞ。解ってるのか?」

「……えっ?」

 

 俺の言葉にしばしの間呆けたような顔をした一夏だったが、次第に俺の言葉の意味を理解したのか一夏の綺麗な顔に含羞の色が浮かんだ。この短時間で表情変わりすぎだろ。……俺も人のこと言えない気がするけど。

 さっきまでの余裕は何処へ行ったのか。一夏は「わた、私、わ、わた……!」と壊れたラジオみたいに同じ発言を繰り返していた。お、おい。大丈夫なのかこれ。幾らなんでも焦りすぎだろ。まるで誰かに恋をしている乙女みたいな反応しやがって。

 ……待て。いま俺は何を考えた? 誰かに恋をしている乙女? 一夏が恋する乙女? 相手はまさか……。いやいや、あり得ない。あの一夏だぞ。一夏がそんな風に自分から思うはずがない。多分あれだ。間接キスという言葉を聞いて過剰に羞恥心を刺激されているだけだ。きっとそうだ。

 

「そ、そうだ。和行には夢はないの?」

「俺? ……うん、ないな」

「えっ。そんなあっさり?」

「ないもんはないんだよ」

 

 復活した一夏が俺に問いかけてきたが、淡々と答える俺に対して目を丸くしてた。まあ、無いというよりあったという方が正解なのだが。俺は宇宙に行きたかった。でも、ある日賢者タイムになったというか、「ああ、俺の頭と体じゃ無理だな」と感じて行くのを諦めたのだ。

 空の向こうの宇宙(うみ)。その先にあるものを見てみたかったし、今も見てみたいと思うが所詮は捨て去った夢だ。気にしすぎると呪いにしかならない。

 

「俺には夢なんてないけどさ、一夏の夢や友達の夢を応援することは出来るから。それでいいかなって」

「……なんでそういうこと普通に言えるかな……。恥ずかしいじゃない」

 

 一夏は気恥ずかしそうにしている。お前が言うなと言いたくなったが、俺が口を開く前に意を決したかのように俺の右手を両手で掴んできた。あの、待って。語尾にハートマークが付きそうになったけど待って。一夏の手が柔らかくて温かいとか感想が浮かんでくるけどちょっと待って。なんでこの子、俺の手を掴んでるんだよ。

 

「和行」

「な、なに?」

「もし夢が出来たら、私にも応援させてね」

「え、ああ。うん」

 

 俺は一夏の言葉にそう呟くしかなかった。……はぁ、なんでお前がそんな寂しそうな顔をするんだよ。俺が悪いことしたみたいじゃんか。今度何か美味いものでも奢ってやるか。




次回からちょっと強引にストーリー進めます。主に一夏ちゃんの心境関連。ご都合主義のタグ付けてるから大丈夫でしょう。


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第二十二話 自覚する思い(1/4)

今回から四話連続で一夏ちゃん視点になります。真面目回です。


 和行と一緒にいちごのショートケーキを食べたあの日から一週間が経った。いま俺は学校で昼食の弁当を食べ終えたところだ。一緒に弁当を食べていた和行はちょっとお手洗いに行くと言って今は教室にいない。ふと、食べかけのケーキを和行にあげようとしたことを思い出した俺は心の中で小さく息を吐く。普通に考えて間接キスになるのくらい分かるのに、和行に自分のケーキをあげようとしていたとか幾らなんでもアホすぎる。でも俺、なんであんなに慌てたんだろ?

 理解できない自分の行動に疑問を抱きつつ、机の中から次の授業で使う予定の教科書を取り出していた俺の耳にクラスメイトの会話が聞こえた。ん? あの二人って確か、前に和行の事を気になっているとか言ってた子達だよな。どうしたんだ?

 

「え、九条君に好きな人がいるの!?」

「しっ! もう少し声抑えて!」

 

 え? 和行に好きな人? へー、あいつにもそんな人が出来たのか。うんうん、あいつは自己評価が低いけど料理は上手いし、なんだかんだで優しい上に頼りになるからな。あいつは将来嫁さんを大事にする良い夫になるぞ。男のままでも魅力的だと思うけど、あいつが女の子だったらもっとモテてるだろうな。和行がそんな感じの女の子だったら、俺なら多分ほっとかないと思う。そんな和行に好かれてるなんてその女の子も幸せ者だな。

 ……女の子だよな? 相手は男じゃないよな? 普通に女の子が好きだって前に言ってたから、女の子だとは思うんだが。相手がどっちでも俺は祝福はするつもりだぞ。愛の形は人それぞれだし。

 

「九条君の好きな人って誰なの?」

「そういう噂が出てるだけで詳細までは……」

「年上か年下かもわからないの?」

「この学校の子ってだけしか」

 

 ……………物凄くイライラした。平静を装ってみたけど駄目だ。和行に好きな子が出来た? なんだその噂、笑えないぞ。あいつ、そんなこと一言も話してなかった。ふざけるな……そんなの聞いてない。

 何故か和行に好きな人が出来たなんて認めたくないと思った俺は、自分で自分の感情をコントロール出来なくなりそうな感覚に顔を歪めそうになる。口が勝手に動き、和行は俺だけのモノだと叫びたくなる衝動が襲ってきたがなんとか必死に抑え込んだ。なんなんだ、これ。和行と会話している女子を見た時にムカムカしてしまうあの感覚よりも、かなりどす黒い感情が沸き上がってきているような……。そもそもなんで和行は俺のモノって思っちまったんだ? おかしいだろ、こんなの。

 

「私、九条君狙ってたんだけどなぁ」

「そういえば、なんであんた九条君好きなの?」

「押し倒したら可愛い声上げそうだから」

「うわぁ……」

 

 かなり引いた声をクラスメイトがあげたタイミングでトイレに行っていた和行が教室に戻ってきた。会話していたクラスメイト達は何事もなかったかのように自分の席へと戻っていく。俺も和行に気付かれないようにいま抱いている感情を誤魔化すことにした。なんだか女の子として過ごす内にこういうテクニックに磨きが掛かってきた気がする。良い事なのか悪い事なのか分からないのが微妙なところだが。

 

「夏菜子。次の教科なんだっけ?」

「国語だよ」

「ありがと」

 

 俺にお礼を言ってくる和行に俺は思わず嬉しくなった。和行の優しげな声と視線が俺に向けられている。それだけで午後も頑張れそうだ。やっぱりあれは噂なんだ。和行に好きな子なんて居るわけない。もし好きな子が出来たんなら、俺や弾達に好きな子が出来たって相談に来るはずだ。そんな相談なんて今まで受けた事ないから間違いない。和行がこの噂を知ったらどんな反応をするのだろうかと裏で考えながら、授業を受けることにした。

 気が付いた時には時間は既に放課後になっていた。授業中、ずっと和行に好きな人がいるという噂のことを考えていた気がする。掃除とホームルームも終わったので、俺は鞄を手に持つと先に昇降口へと向かう。和行と一緒に帰る約束していたのだが、先生の手伝いをすることになった所為で少し遅れるので待っていてくれと言われた。大人しく昇降口辺りで待っておくか。俺は上履きからローファーに履き替えると昇降口のガラス張りのドアから外へと出ると灰色の空が目に付いた。雨が降りそうだなこれ。

 

「雨、降るのかな?」

「おーい夏菜子」

 

 あ、弾。数馬も。鈴は……ああ、今日も家の手伝いがあるとかで足早に帰ってたな。あいつ、鈴の実家がやっている中華料理屋の看板娘だからな。鈴の両親もあいつが居ないと困るんだろう。

 

「和行を待ってるのか?」

「うん」

「じゃあ、俺たち先に帰るわ。和行と仲良くな」

「喧嘩とかするんじゃないぞ」

 

 そう言って去っていく弾と数馬にまたねと手を振りながら声を掛けた俺は、先程の弾と数馬の発言に首を傾げた。和行と仲良くなって……俺と和行は仲良いだろ。喧嘩なんて小学生の時以来殆どしてないぞ。それくらい見てればわかるだろうに。変な奴等だな。

 弾達が帰ってから数分。俺はまだかまだかと和行を待っていた。鉛色の空を見つめている俺には、和行の事を待っている時間の一分一秒が一時間にも二時間に思えてしまった。自分でも理解できないくらいに心がざわついている。和行は先生の手伝いをとっくに終わらせて、件の好きな子と会うために俺を待たせているのではないかという邪推に近い考えが浮かんでくるが即座に否定した。先生の手伝いが手間取っているだけなんだ。そうに決まっていると心に言い聞かせる。

 あれはあくまで噂なんだから。そうだ、噂なんだ。そもそも和行の性格上、俺に対してそんなことをする訳がない。あり得ない。

 

「なんなの、これ……」

 

 分からない。何もかも分からない。和行の事を思うと胸がドキドキしたり、何故か安心したり、苦しくなったり。なんで俺は和行の事をこんなに考えてるんだ? 和行が好きになった女の子と一緒に居ようが別に問題ないはずだ。俺には関係ないはずなんだ。

 なのに、なんでこんなに俺の事だけを見ていてほしいと思うのだろうか。自分だけに優しくしてほしいと感じてしまうのだろうか。そもそも元男である俺が、男である和行の事ばかり考えていること自体よく分からん。眉根を寄せて今にでも泣き出しそうな空を八つ当たり気味に睨み付ける。

 ふと、ある考えが浮かんできた。和行が好きな女の子がもし女尊男卑に染まっている女の子だったらどうしよう。和行には人を見る目があるからそういう手合いを避けるのは容易なはずだが、万が一ということもある。和行はああ見えて繊細な奴だ。中学生になってから仮面を被り始めたからそうは見えないだけで。付き合いの長い俺だから分かるっていうのもあるけど。あと箒と鈴なら分かると思う。そんな和行が女尊男卑の女の子と付き合うことになって、あいつの心が荒むような事が起きて和行の優しさとかが消えてしまったら――俺は絶対にその女を許さない。地の果てまで追いかけて、トイレに隠れていても見つけ出してそれ相応の報いを受けさせてやる。

 不穏なことを考えてしまった俺はその考えを振り払うように空を睨むのをやめる。昇降口のドアの方を向いてみるが和行はまだ来ない。早く来てほしいと心の中で懇願していた俺だったが、即座にそんな考えを投げ出してしまった。ドアのガラスに映った自分の顔を見てしまったから。

 

「……酷い顔」

 

 ――和行にこんな顔見せたくない。憤怒に染まった自分の顔を見た俺は咄嗟にそう思ってしまった。俺、和行が女の子と話しているのを見てイライラしていた時もこんな感じの顔をしていたのかな……。気が付いた時には、俺の脚は勝手に動いていた。校門を出て和行の家へ向かうように通学路を歩いていると、頭に冷たい液体が落ちてくるのを感じた。

 

「雨、か」

 

 見上げると空が泣き出しはじめたのが俺の瞳に映った。鞄の中に折り畳み傘がある事を思い出した俺だったが鞄を開く気力も湧かず、そのまま雨に打たれながら歩いていると後ろの方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 ああ、この声は和行か。その場で後ろを振り返ると傘を差しながら走ってくる和行が視界に入った。なんでそんなに焦っている顔をしているんだよ。いつもみたいに冷静そうな表情をしていればいいのにさ。こんな顔を見られたくないから早く帰って、いつも通りの――和行が可愛いって言ってくれた笑顔で出迎えようと思ったのに……これじゃ台無しだ。息を切らしながら俺の下まで来た和行は目を剥きながら口を動かし始めた。

 

「お前! 何してんだよ!?」

「なにって?」

「傘も差さないで雨の中を歩くとか馬鹿かお前!」

 

 馬鹿とはなんだ馬鹿とは。俺に対して滅多に使ってこない和行の罵倒に俺は思わずムっとしてしまう。

 

「別にいいでしょ」

「よくねえよ」

「和行には関係ないでしょ」

「関係ある。……一夏を見つけるまで、お前がまた誘拐されたかもって思ってたんだぞ」

「あっ……」

 

 傘を握る力を強めている和行の顔を見た俺は小さく声を漏らしていた。和行の顔を見た途端、和行に対する苛立ちが俺の中から掻き消えていた。だって、あの和行が悲しそうな、今すぐにでも泣き出しそうな顔で俺の方を見ていたから。……こんな雰囲気の和行、久しぶりに見たぞ。反則だろ、その顔は。

 

「頼むから心配させるなよ。俺の傍から勝手に居なくならないでくれ」

 

 ――ああ、そうだった。和行は千冬姉が参加していた第二回モンド・グロッソの試合を見に行くために一緒に行ったドイツで俺の誘拐されるところを見ていたんだった。千冬姉に救助された俺に和行は「助けることができなくてごめん」って謝ってきたけど、俺は気にしていなかった。和行があの誘拐に巻き込まなくて本当に良かったと安堵していたくらいだったし。

 ……馬鹿だな、俺。本当に和行の言う通りだよ。あいつだってあの日の誘拐で傷ついたはずなのに、心配させるような真似をして……親友失格だな。

 

「ほら、早く傘の中に入れ」

「う、うん」

 

 俺は和行に抱き寄せられる形で和行が手にしていた傘の中に入った。前に和行と相合傘をした時とは違い、俺は左側で和行は右側だった。これは多分職員室で貸し出している傘だな。和行の家にはこんな柄の傘なんてないはずだし。それにしても、和行の傍は本当に暖かいな。……いや、ちょっと待て。なんでこんなに和行の体温が温かく感じるんだ? もしかしてこれって、俺の体が冷たいだけなんじゃないか?

 

「へくちっ!」

「へくちってお前……」

「な、なに?」

「なんでもねえよ。ほら」

 

 和行は俺の了承を取らずに左手で俺の右手を優しく握ってきた。暖かいな。和行の温もりが直接伝わってきて、安心する。この感じ、好きだなあ。……ああ、ちゃんと謝らないと。今回は完全に俺が悪いんだから。和行と一緒に帰るって約束してたのに破っちまったし。

 

「その……ごめんね、和行」

「……許す」

 

 俺の思いが伝わったのか案外簡単に和行は許してくれた。言い方は悪くなるが、昔ならネチネチと俺を弄るような発言をしてきたはずなのに。どうしたんだろうか?

 

「なんで簡単に許すのかって顔しているな」

「う、うん」

「お前が一夏だからだよ」

「どういうこと?」

「分からないなら分からなくていい」

 

 すると今度は和行はいつもの暖かい笑みで俺の方を見てきた。あ、あれ? 和行ってこんなに格好良かったっけ?

 ……………不味い。今、物凄く胸が高鳴ったぞ。お、俺、どうしたんだ。前よりもなんか和行の事を意識しているような。今までのどの瞬間よりも和行から目が離せない。和行の顔にこのまま俺の顔を近づけたどうなるんだろうと漠然と考えてしまうが、和行の声が俺を現実に引き戻してくれた。

 

「一夏。大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ」

「そうか。さあ帰るぞ」

 

 和行と手を繋いだまま九条家に帰宅した俺は問答無用で風呂に入らされることになった。うん、自分でも馬鹿なことをしたと思うよ。髪も服もずぶ濡れだったし。濡れた制服は和行が洗濯ネットに入れて洗濯してくれている。うちの制服は乾燥機を使っても、洗濯機で洗っても大丈夫な制服なので問題ない。

 はぁ……。俺の所為で和行に要らない迷惑掛けたし、あとで和行にもう一度謝っておかないとな。和行、本当に良い奴だよな。あれで自分はモテないとか言ってるんだから本当におかしい。自己評価が低いのも考えものだな。もしかして、和行は良い人どまりって感じなのだろうか。それはそれでなんかムカつくぞ。

 うん、この事は頭の片隅に追いやることにしよう。十分に温まったと判断した俺は湯船から上がる。脱衣所で体に付いている水滴をバスタオルで軽く拭き取る。保湿用のクリームを塗り終えると貸して貰っている自室から予め持ってきていた下着をテキパキと着用して、私服に着替え、ドライヤーで髪をちゃんと乾かした。下着とかを取りに行く時に貸してくれた和行のTシャツ良い匂いしたなぁ。ずっと嗅いでいたかった。

 それはそうと、俺はもっと可愛いデザインの下着が欲しいんだよな。この胸の所為で俺好みの可愛いデザインを見かけないんだよ。……今、違和感もなく可愛い下着が欲しいと思ってしまったんだが。ちょっと頭抱えてもいいよなこれ。俺が軽く沈んだ気分に陥っていると廊下から和行の声が聞こえた。

 

「一夏~上がったか?」

「うん。着替えも終わったよ」

「なら早くこっちに来いよ。ココア用意してあるから」

 

 お、気が利くな。やっぱこういうところが和行の魅力だよな。リビングに向かいソファーに座りながら俺は和行が用意してくれたココアを飲んだ。温かいな。ホットココアなんだから温かいのは当たり前なんだが、そ、その……か、和行の優しさが詰まっているような気がしたんだ。……な、何言ってるんだ俺。めっちゃ恥ずかしいぞこれ。

 

「さて、晩飯作るか」

「あれ? 今日の当番は私だったよね?」

「今日は俺がやるよ。一夏は大人しくしてろ」

「わ、わかった」

 

 有無を言わせない和行の態度に俺は頷くことにしかできなかった。和行が料理し終えるまで間にココアを飲み終えた俺は和行が洗濯してくれた制服を眺めていた。うん、ちゃんとセーラー服はハンガーに掛けて形整えてあるし、スカートもちゃんとやってくれてるな。料理している和行に話を聞くと、襟とか袖口等の前処理もやってくれたみたいで本当にありがたい。和行はよく俺のことを家事力お化けみたいに言ってくるけど、和行も人のこと言えない気がするぞ。

 そんな風に考えてからテレビを見て時間を潰していると、和行がご飯が出来たと声を掛けたきた。和行の声に釣られた俺はテーブルの方へと足を運ぶ。今日の晩御飯は豚の生姜焼き、里芋の煮っころがし、葱と人参の味噌汁か。どれも美味そうだ。椅子に座った俺は和行に向かっていただきますの挨拶をすることにした。

 

「いただきます」

「はい、召し上がれ」

 

 和行の返事を聞きつつ、箸を動かして和行が作ってくれた食事を食べていく。和行もいただきますと言い、自分の分のご飯を食べ始めていた。まずは味噌汁から。ふう、温まる。葱と人参の味と味噌の味が絶妙に合っているのも良い。次は里芋の煮っころがし。こっちも素材の味を活かした味付けだ。調味料とかで味を濃いめにしてないのもあって俺好みだと感じた。

 最後に豚の生姜焼きだ。生姜の味がしっかり効いていい感じだな。しかも肉が柔らかくて食べやすい。詳しく聞いてみると、生姜焼きは前に見た事があったとあるレシピを思い出して作ったらしい。なんか、ここ数か月で急に腕を上げてきている気がするなあ。

 

「どうかな?」

「すっごく美味しいよ」

「そ、そうか? ありがとう」

 

 ……聞いてみるか。千冬姉だったら行儀が悪いって注意してくるだろうけど、俺は食事中に喋ることに関しては和行と同じでそこまで厳しくないから大丈夫だ。食事中のコミュニケーションって結構大事だと思うんだよ。まあ、流石に口に物を含んだままは俺も行儀が悪いと考えているからちゃんと飲み込んだりしてから話すけどな。

 

「ねえ。和行ってどうしてこんなに料理が上手くなったの?」

「あー、笑わないでくれよ?」

 

 そう前置きしてから、和行は俺に向かって語り始めた。

 

「その、前に一夏が俺の料理を美味しいって言ってくれたじゃん?」

「うん。言ったね」

「だからかな。もっと上手になって一夏を喜ばせたいって考えるようになってさ。気が付いたら……」

「上手くなってた?」

「そんな感じ」

 

 ……俺の為? 俺の為に和行は料理が上手くなったのか? 和行が俺の為にやってくれたという事実に頬が緩む。物凄く嬉しい。でも、そんな思いと同時にあの噂がまた俺の頭に浮かんできてしまう。

 

「ねえ、和行」

「もう一つ聞いてもいいかな?」

「なんだ?」

「和行に好きな人が居るって噂が学校で流れてるみたいなんだけど、本当なの?」

「え、なにその噂」

 

 鳩が豆鉄砲でも食らったかのような表情を浮かべた和行は左手でこめかみを二、三回揉んでから口を動かし始めた。なんか予想と違って落ち着いているな。混乱しすぎて冷静になっているだけかもしれないけど。

 

「……いないよ」

「本当? 本当にいないの?」

「ああ。いないよ」

 

 和行の言葉に俺はこれ以上ない安心感を覚える。和行に好きな人がいないと聞いて、途端にそう感じたんだ。いないならそれでいいか。……何か隠しているような気もするけど、今は和行の言葉を信じる。そうだ、和行の言葉なら信じられる。他人の言葉なんかよりも。

 

「ったく。誰だよ、その噂を流したの」

「ごめん。私にも分からない」

「まあいいさ。ほら、早くご飯食べようぜ。冷めるぞ」

 

 和行に促された俺はまだ残っているご飯をしっかりと噛んで食べていく。全て平らげた俺は和行にごちそうさまを言うのを忘れない。和行も俺とほぼ同じタイミングでご飯を食べ終えていた。

 

「ごちそうさま」

「はいよ。一夏はそのままにしてて良いぞ。片付けも俺がやるから」

 

 和行の言葉に甘えて俺はそのままリビングでゆっくりすることにした。台所で後片付けをするために忙しなく動いている和行の姿が、俺には格好良く見えて仕方なかった。こんなこと言ったら絶対本人は「俺は格好良くないよ」とか反論してくるだろうけど。……そんなことないと思うんだけどな。



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第二十三話 自覚する思い(2/4)

四話連続一夏ちゃん視点中は普段より文字数多めになってます(今更)


 雨に打たれた翌日。時間は朝の七時半に差し掛かろうとしていた。パジャマ姿のままマスクを着けている和行がベッド近くにある椅子に座りながら、ベッドに横たわっている俺を見ている。和行の右手にはデジタル体温計が握られていた。温度が表示される部分を眺めた和行は小さく溜息を溢すと、目を眇めながら俺の方へと視線を投げかけてくる。

 

「あの、三十七度を超えてるんだけど……。一夏の平熱って何度だっけ?」

「三十五度だよ。ってことは、やっぱり……」

「風邪だな」

 

 和行の言葉を聞きながら俺は咳き込んでしまった。やっぱりな。俺は風邪を引いたようだ。額には冷却ジェルシートを張り、マスクを着けて飛沫が飛ばないようにしている。額のこれはともかくマスクの方は正直言って息苦しい。俺、冬でもあまりマスクとかしないし。和行は良くマスクを使ってるけど。俺が風邪を引いた原因はやっぱり昨日のアレしかないだろう。和行が追い付いてくるまで傘も差さずに雨に濡れたまま歩いていた所為だ。

 うーん、咳が少し酷いかな。頭痛と熱はそこまで辛くはないが、意識というか頭が少しだけぼうっとする。ついでに言うと若干体も怠い。それでも症状が軽く済んでいるのはやはり普段から健康に気を使っているからだろうか。和行が俺の部屋に居るのはいつも和行よりも早く起きている俺が起きてこないから心配して様子を見に来たらしい。それで計っていたデジタル体温計を和行に手渡して温度を見てもらった次第なんだが、自分でも馬鹿らしい風邪の引き方だと思う。

 それよりもだ。俺って風邪引いたことなんて殆どなかったからこんな状態になってどうすればいいのか分からないんだが。和行にはベッドで安静にしているように言われたけど、家事とかをしてないと気分が落ち着かないんだよなぁ。……もどかしい。

 

「朝ご飯、食べるか?」

「ううん。食欲ないし、作ってたら和行が遅れちゃうから要らないよ」

 

 時計へと視線を移してみれば既に家を出ないといけない時間になっていた。俺に構っていないで早く着替えて学校に行ってこい。遅刻するぞ。

 

「じゃあ行ってくるぞ」

「行ってらっしゃい」

「ちゃんとそこにある水とスポーツドリンクを飲めよ」

「うん。分かった」

「あとティッシュ箱はそこに置いてあるからな」

「分かったから早く学校に行って?」

 

 なんか異様に俺のことを心配している和行にさっさと学校に行くことを促す。さっきから俺の方をちらちらと見てくるんだよ。どんだけ俺の事が心配なんだ。学校へ行くように促さないと和行のやつ、絶対学校を休んでまで俺の看病をしようとするぞ。渋々といった感じで部屋を出ていく和行の背中を見送る。和行の部屋の扉が開閉する音が二回聞こえ、次に和行が階段を下りていく音を聞いた俺は小さく息を吐いた。

 ホント、なんで俺が風邪なんて引いてるんだろう。和行との約束を破った罰なんだろうか。

 

「……寂しい」

 

 枕に預けている頭を少しだけ動かして部屋の中を見回した俺は思わず呟いてしまった。いつもと変わりない部屋なはずなのに何処か違う光景に俺は戸惑いを覚える。風邪の影響で上手く働かない頭を使い、考えた。何故寂しいと思ってしまうのかを。

 至極簡単な答えだった。和行が傍に居ないからだ。いつもなら近くに居るはずの和行はいま学校に向かっている。和行の姿が見えない。それだけなのにこんなに心細くなるなんて……。確かにあいつの傍に居ると心が温まるし、なんだか嬉しくなれるから出来れば離れたくなかったし。ずっとあいつの傍に居たいよ。

 

「和行」

 

 和行が昨日洗濯して乾かしてくれた制服を見つめながら、気が付けば和行の名を口に出していた。途端に胸が熱くなり、風邪とは違う熱が胸の辺りに留まっているのを感じる。風邪の熱とは違い、和行の事を考えていると感じるこの熱は不快ではなかった。

 

「和行、早く帰ってきて……」

 

 睡魔に襲われた俺はそのまま目を閉じてしまった。ふと、俺は光を感じて目を開ける。体を襲っていた怠さや喉の違和感がないことを不思議に思いながら体を起こしてみた。額に感じる冷たさも、着けていたマスクもなくなっていた。

 

「えっ?」

 

 そこは俺が和行の家で借りている部屋ではなく、織斑家の自室だった。

 は? なんで俺、自宅に戻ってきているんだ? 和行が戻ってきて俺をこっちに運んだとも思えないし、そもそも運ぶ理由すらない。てかちょっと待て。今の俺の声、おかしくなかったか? いつもの俺の声と違うような。変声期を終えた男の声だった気がする。訝しみながらベッドから出ると自分の目線が妙に高いように感じた。丁度女の子に変わる前の自分の目線と同じだった。

 ……まさか。俺は部屋のドアを開け放つと一階の洗面所へと向かう。洗面所の鏡を見た俺は自分の姿に驚愕した。

 

「も、戻ってる?」

 

 そう、俺の姿が元に戻っていたのだ。男の姿に。本来の性別に。女性特有の胸もなくなり、身長も元の大きさに戻っている。鏡で自分の姿を見つめ続ける俺は、女の子の姿でなくなった事に心にぽっかり穴が開いた気分に陥っていた。失くしてはいけないものを失くしてしまった気がしたんだ。

 嬉しいはずなのに嬉しくない。相反する感情が鬩ぎ合っている。なんで俺が男に戻っているのか。どうして俺が自分の家に戻ってきているのか。様々な疑問が浮かんでくる。だが、どの疑問よりも優先すべきことがあった。それだけが俺の頭の中を支配していたのだから。

 

「和行、ちゃんと起きてるかな」

 

 何故かその考えだけが俺を突き動かしていた。和行の家に行こうと玄関で靴を履き、玄関のドアを開ける。左を向けば和行がある。早く和行に会わないといけない。起きてきた和行に朝ご飯を作って、和行の笑顔を見たいと俺は切望した。だが、俺のそんな思いは簡単に打ち砕かれた。だって、八千代さんや和行が住んでいる家があるはず土地が()()()になっていたのだから。その事を理解した俺は一瞬だけ呼吸の仕方を忘れてしまった。立ち眩みを覚えた所為か体が崩れそうになるのに耐えながら頭を働かせる。

 どうして二人の家が消えているんだ? ……まさか、今まで見ていたのは夢だったのか? いや、そんなはずない。だってあの二人はちゃんと俺と……。なんだこれ、なんなんだよ。思考がぐちゃぐちゃになる。もう何がなんなのか、本当に和行と八千代さんが存在していたのかすら分からなくなっている。自分の記憶が壊されるような感覚に恐怖心を覚えた俺はいつの間にか自宅へと戻っていた。階段を駆け上がって自室へと逃げ込むと、ドアに鍵を閉めて部屋に閉じ籠った。

 

「和行、和行……!」

 

 毛布を頭から被り、唇から漏れた声は動揺を隠し切れずに震えていた。夢なら覚めてほしいという考えばかりが心や頭を支配して他の事など考えられなかった。俺は目を瞑りながら和行の名前を狂ったかのように和行の呼び続ける以外、俺は何もできなくなっていたから。永遠とも思える時間の最中、ふと何かに引っ張られるような感覚と共に俺は目を開けた。

 

「あ、あれ?」

 

 今度はまだ気怠さが残り、喉にも違和感がある状態で目が覚めた。頭痛もするし、発熱も感じる。少しだけ体を起こし、視線を下に向けた。そこには俺が女性であることを示す胸がちゃんと付いていた。ついでに股間の方も触ってみるがアレは付いていなかった。声も既に聴き慣れた女性の声に戻っている。部屋も俺が貸して貰っているあの部屋だった。

 ……夢、だったのか。脱力した手足をそのままベッドに広げてしまう。夢の中とはいえ、男に戻れたのに俺には嬉しいなんて欠片ほども思わなかった。ああ、やっぱり男に戻りたくなくなっているんだな。和行と女の子として一緒に居るのが楽しいと思えてるからなのかもしれないが。そんな和行がいないだけで、あんな身も凍るような孤独感に苛まれるなんて……俺の中での和行の存在がそれだけ大きいってことなんだろうか? 悪夢を見た胸糞悪さに苦虫を噛み潰した顔をしてから、そんな悪夢から解放された事に胸を撫で下ろしながら大きく息を吐いた時だった。

 

「ただいまー」

 

 ……あれ? なんかいま和行の声が聞こえたような。時計を見てみたらまだ八時半を過ぎたばかりだ。まさか学校を早退してきたのか? 俺がまだ夢から覚めたばかりでぼうっとする頭を動かしていると、和行と思われる足音が部屋の前まで来ているのが分かった。ドアノブが捻られ、ドアが開かれたそこには私服を着た和行が立っていた。

 ――和行がそこにいる。そう認識した瞬間、俺は自分の体の不調など忘れてしまったかのように動き出していた。体に掛かっていた掛布団を引き剥がすと、ベッドから飛び出して和行に抱き付いていた。俺は以前よりも十センチほど小さくなっていることもあってか、俺の頭は和行の胸元に丁度収まった。冷却ジェルシートを貼った額が和行の鎖骨に当たっている。……ああ、和行はちゃんとここに居る。和行の匂いも、体温もここにあるんだ。こっちが現実だ。だって、和行が生きているんだから。

 

「い、一夏!? お前、何して!」

「怖い夢を見たの……」

「……」

 

 和行はそれ以上何も言わず、俺を引き剥がそうとはしなかった。それどころか俺の事を優しく抱きしめ返してくれていた。和行とこうしているとドキドキしているのと同時に本当に落ち着いてくる。和行とずっとこうしていたい気分だ。

 どれくらいそうしていただろうか。俺はようやく気分が落ち着いてきたので、和行の背中を優しく叩く。俺の意図が伝わったのか、和行は俺を抱きしめていた腕を放してくれた。和行から離れてお礼を言おうと、和行の顔を見つめる。

 

「ありがとうね。和行」

「お、お安いご用です」

 

 ああ、和行が居てくれる。こうして俺と向かい合ってくれている。それが何よりも嬉しい。和行とこうやって会話できるのが本当に心地良い。

 

「な、なあ。そのさ、一夏が見た夢のこと教えてくれないか?」

「え? えっと……」

「嫌なら別に言わなくていいからな」

「そ、そうじゃないよ。話すから」

 

 とりあえず俺は自分のベッドへと腰かけ、和行を椅子に座らせた。一呼吸置いてから俺は話した。夢の中で和行が居なくて、和行が住んでいる家すら存在していなくて怖くなった事を。夢の中とはいえ、男に戻っても嬉しくなかったことは話さなかったけどな。俺の話を聞いていた和行は静かに立ち上がると、俺の前に来て立ち膝になった。俺に視線を合わせてくれているのだろう。

 

「……本当に怖かったんだな」

「うん。和行や八千代さんが消えたと思ったら物凄く不安になって辛かった」

「ありがと。一夏」

 

 え、なんでお礼を言うんだ?

 

「え?」

「だって、俺達が消えて取り乱すなんて、それだけ俺と母さんを大切に思ってくれているってことだろ?」

「……当たり前でしょ。八千代さんは千冬姉と同じくらい大事だし、和行はそれ以上に大切だと思ってるんだから」

「そ、そうか」

 

 俺の言葉に和行は気恥ずかしそうに顔を逸らした。そうだ、俺は和行のことを本当に大切に思っている。だって和行は昔からの付き合いだし、和行が居てくれなかったら女の子になったあの日から今までこうやって過ごしてくることができなかったと思うし。

 俺がそんなことを考えていると顔を逸らしていた和行は頭を横に振り、立ち膝の状態をやめて俺に手を差し出してきていた。

 

「ほ、ほら。出かけるぞ」

「何処に?」

「病院だよ病院。ちゃんと見て貰っておいた方がいいだろ?」

 

 あーそうだよな。一応は診察受けておいた方がいいよな。俺は和行の手を取って立ち上がると部屋の外で和行を待たせることにした。着替えくらいならまだ自分だけで出来るし、和行も俺の下着姿なんて見たくないだろうからな。和行なら綺麗って言ってくれるだろうけど、そんなの風邪を引いている時に期待するものじゃない。

 俺は私服に着替え終えるとその事を和行に教えて一緒に一階へと降りて、家を出た。その道すがら、俺は和行に気になっていたことを尋ねる。

 

「ねえ、和行」

「どうした?」

「まだこの時間帯なのにどうして帰ってきたの?」

「……お前、今日が何の日か忘れたのか?」

 

 え、今日? 今日って何の日だったっけ? 思い出せないんだが……。俺は分からないという意思表示をする為に頭を横に振る。それを見た和行は少しだけ呆れたようにしながら今日が何の日か教えてくれた。

 

「今日はうちの開校記念日だろうが。だから今日は休み」

「へ? ……あっ」

「本当に忘れてたのか……」

「じゃ、じゃあ和行が家を出て行ったのは?」

「ATMでお金を下すのと、お粥とか雑炊を作る為の買い物に出ただけだよ」

 

 ……そういえば、帰ってきた和行の服って私服だったな。風邪の所為で本当に頭回らなくなってるなこれ。俺が自分のアホさ加減に呆れていると、俺の左を歩いていた和行が唐突に自分の右手で俺の左手を握ってきた。俺は拒否しないで和行が手を握るのを受け入れた。和行に握ってもらっていると不安とかがなくなるし、何より安心できるから。

 

「俺から離れるなよ」

「離れないよ」

 

 俺は和行の手を強く握り返す。この手を放したくないと考えながら病院へと向かう歩を進めていく。病院に辿り着いた俺は診察してもらい、薬を処方されることになった。今日行った病院は以前まで八千代さんが入院していたあの病院だ。ついでに言うと千冬姉の伝手で女の子になってしまった悪影響が出てないか等の定期的な俺の身体検査などをしてくれている病院でもある。なのでかなり信頼出来る。薬を受け取り、和行と一緒に自宅へと戻った俺は再度寝巻に着替えると和行がキッチンでお粥を作ってくれているのを自室で待つことになった。今の時間は十時半。朝ご飯としては遅め、昼ご飯としては早めな時間だ。

 和行がお粥と雑炊のどっちがいいかと尋ねてきたのでお粥を選んだ。雑炊じゃなくてお粥を選んだのは和行と違って俺はお粥が好きだからだ。さてと、まだ和行が料理を終えるまで時間があるな。

 

「これでも読んでようかな」

 

 俺の手にあるのは少女漫画だ。これなら寝転がりながらでも読めるからいいと思う。和行に寝ていろと叱られるかもしれないがこればかりは目を瞑ってほしい。本当はこのまま横になっていた方が良いのは分かっているが、あの悪夢の所為で寝るのにまだ抵抗があるんだよ。

 俺が今手に持っているこの少女漫画は俺の私物じゃない。俺の事を慕ってくれているクラスメイトの女の子がオススメだとか言ってシリーズもののやつをとりあえず五巻ほど俺に貸してきたんだよ。元男だからこういうの読んだことないし、女の子の今でも少女漫画より少年漫画の方が好きなんだよな。でも借りてしまった手前、そのまま読まないってのもなんだか癪なので読んでみることにしたのだ。

 ……ふむふむ。さっき借りていた本の一巻目を読み終えて二巻目を見てるんだが、主人公に物凄く共感出来ている。うん、その気持ち分かるぞ。大切な人の事を考えているとそんな気持ちになるよな。他の女の子と話しているのが気に喰わなかったり、その人と話していると胸がドキドキしたり、苦しくなったり、その人の事ばかり考えたりな。まるで和行を考えている時の俺みたいだな。

 

「へっ?」

 

 …………ちょっと待て。この主人公、自分の気持ちを恋だと言ってるんだが。

 え、え? は? いやいや、待て待て。色々と待て。頼むから待ってくれ。うん、少し落ち着こうか。俺は和行にこの漫画の主人公と似たような感情を抱いている。それでこの漫画の主人公はその気持ちを恋だと断言した。これはそのままそっくり俺が和行に感じていることに当てはまるんじゃないか? いや違うだろ。幾らなんでも考えを飛躍させすぎだ。俺が和行のことが好きなのは親友としてだ。そんな異性とかそんなのじゃない……はずだ。そうだよ、だって俺は男なんだ。そして和行は男だ。

 同性愛を否定する気はないけど、俺の場合は絶対にそういうのはあり得ない。和行とは昔から一緒で、あいつとなら男女の関係になっても別に良いかもと思ったりしたこともあったけどこればっかりは違うぞ。俺と和行は親友同士だと自分に言い聞かせて和行への恋愛感情を否定しようとしたのだが、今まで自分がしてきた行動を振り返った俺は――否定するのを諦めてしまった。

 だって、俺が女の子になってからしてきた行動に親友に対して行うことではないのが多数含まれているのに気付いてしまったから。和行に抱き付いたのだってそうだし、和行が照れたりしているのを可愛いと思ったりするなんて、どう見ても親友に対してする行動や感情ではない。完全に異性に対する態度なのだから。

 

「あっ……」

 

 今までズレていた歯車が噛み合うような感覚がした。和行と他の女の子が話しているのが気に喰わなかったのは、もしかして嫉妬していたからなのか? 他の女子に負けたくないと思ったのは和行を取られたくないって思ったからなのか? 和行の笑顔や優しい顔を独占したいと考えたり、離れたくないと思ったり、和行に可愛いとか綺麗だと言われて褒められたいと思っていたのは和行に恋していたから? 和行に好きな子が出来たっていう噂に自分でも分からないくらいに苛立ったのもそれが原因なんだろうか。

 

「そういうこと、なんだね」

 

 ――ああ、そうか。俺、和行に恋しているのか。なんというか腑に落ちたというか、全てがフィットしたような感覚がした。今までの自分の行動もそれで説明が付く。……ああ、まずい。自覚した途端にすっごい恥ずかしい気持ちが心から噴きあがってきている。顔から火が出そうだ。今まで気付けるタイミングなんて腐るほどあったのに今まで気付かないで、借りた漫画を読んで自分の気持ちに気付くとか馬鹿すぎるだろ俺……。

 ていうか、俺って恋をするのなんて初めてなんだけど。男の時はその感覚がよく分からなかったし。可愛い子だなって思う子は居てもそれ以上の感情っていうのがよく分からなくてさ。

 そっか、……これが恋なんだ。

 

「和行」

 

 今までと同じように和行の名前を口にしたが、何処か違う感じがした。和行への愛おしさ等が混ぜ合わされた声だった。こんな声を出せるんだと心の中で驚いてしまう。

 和行の名前を呼ぶだけ。それだけの行為だったのに俺の心は躍っていた。自分が体調不良の身だということを忘れそうなくらいに。読んでいた本にしおりを挟んでから俺は天井を見つめる。

 こ、これからどうしよう……。恋心を自覚した所為か、これまで通り和行と接することができる自信なんてない。色々と考えが頭の中を駆け巡るが、とりあえず和行にはバレないようにしたいという考えが一番強く頭に浮かんでいた。俺は和行の事がす、好きだけど、和行が俺の事を恋愛対象と見ることができるかなんて分からないからな。何せ俺は元男だ。そんな俺よりも最初から女の子である子の方が俺なんかよりもずっと良いと思う。もし俺の思いがバレて和行に拒否されたら正気を保てないと思う。

 

「一夏。入っても大丈夫か?」

 

 物思いに耽っていた俺の意識を引き上げるような和行の声が聞こえた。お粥を作り終えたんだろうか。とりあえず、今まで考えていたことは頭の片隅に追いやることにしよう。

 

「うん。いいよ」

 

 俺は――私は和行を部屋に招き入れることにした。




一夏ちゃんのおっぱい。


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第二十四話 自覚する思い(3/4)

 料理を運んできてくれた和行を部屋に招き入れたわ、わた……私は上半身を起こして和行の姿を眺めていた。和行はベッド近くの椅子に座り、テーブルの上に置かれているお盆の上の小さな土鍋かられんげでお粥を掬ってくれている。和行の事を見つめながら心の中で新しい一人称の練習していたのだが、やはりまだ慣れない。女の子になっても心中では俺で通してきたせいか、私って呼び方に少しだけ違和感がある。俺という一人称がもうしっくり来なくなってるから早く慣れたいけど、焦っても仕方ないよね。じっくりと慣れていくことにするよ。時間はまだまだあるんだし。

 まさか和行にこんな感情を抱くようになるなんて想像もしてなかったけど、これで良いんだ。私の心がさっきから強く訴えてきているんだから。誰かを好きになるのは悪い事じゃないって。

 

「一夏、これくらいで大丈夫か?」

「うん。大丈夫だよ」

 

 私の口の大きさを考慮してか、一度に食べる量を少なめにしてくれているのを見た私は反射的に笑みを溢しそうになる。こういうところは本当に和行らしい。ん? 和行が私の方にれんげを向けてきてるんだけど、何をする気なんだろ。

 

「はい、あーん」

「え? あの、自分で食べられるから……」

「俺の看病をした時にあーんしてきたのは何処の誰だったっけ?」

 

 悪戯っぽい笑みを向けてくる和行の表情に思わずドキっとしてしまった。か、和行って、こんな表情も出来るんだ――じゃ、じゃなくて! や、やばいってそれ! ただでさえ熱があるのに更に熱が上がりそう……。恥ずかしさで心と頭が一杯だし、もうこれ羞恥心で死んじゃうよ。

 と、というかこれってさ、もうあーんを受けなきゃいけない状態だよね? ううう、腹を括るよ。括ればいいんでしょ!?

 

「あ、あーん」

 

 マスクを取ってから、和行からのあーんを受けいれた。

 

「味とか大丈夫か? 少し味を薄めにしたんだけど」

「う、うん。大丈夫だよ」

 

 正直、味なんて分からなかった。和行にあーんされている恥ずかしさで味覚がまともに味を感じ取ってなかったんだと思う。でも正直に恥ずかしいと言うわけにはいかないから大丈夫と返すしかなかった。

 その後、和行は再び私にれんげで食べさせてくるという行動に出たので、先程と同じような気持ちを抱いたのだがそこはなんとか乗り切ることができた。前に私が看病をした時の和行もこんな気持ちだったのかな。なんというか、気軽にやるべきじゃないねこれ。私、こんなことを和行にやってたんだ。……少し反省しました。

 

「ご、ごちそうさま」

「うん。じゃあ、これ片づけてくるから大人しく寝てろよ」

 

 そう言い残して和行は部屋から出て行こうとしている。そういえば、和行ってなんでお粥作れたんだろ。

 

「待って」

「どした?」

「和行ってお粥苦手だよね? なんでお粥作れたの?」

「そりゃあお前、食べるのが苦手なのと作ることができないのは別問題だし」

 

 確かに和行の言う通りだね。食べるのが駄目なのと、調理するのとでは別問題だよね。でもね、私が聞きたいのはそういうことじゃない。料理をしたということは味見も当然するはず。そうなるとお粥が苦手な和行が味見をしたのかという疑問が必然的に湧いてくるわけで。

 

「味見とかは?」

「したよ」

「え!?」

「そんなに驚くことか? 料理を作って出すんだから味見くらいするさ」

 

 いやいや、お粥が苦手な和行が本当に味見したって……とてもじゃないけど信じられない。お粥が良いって言ったのは私だけど、正直和行が味見までするとは思ってなかった。だって和行は嫌なことは出来るだけ避けていくタイプだし。

 私がそんな風に考えを巡らせていると和行は言葉の続きを話し始めていた。

 

「それにだ。一夏に出すお粥なんだから不味いものなんて出せないし、多少の味見は我慢するよ」

 

 そっか。そうなんだね。気持ちいいぐらいに言い切った和行のその言葉で心嬉しい気持ちになった。私の為に頑張って作ってくれたんだね。

 ……全くもう。和行はずるいよ。そうやって私の心を掻き乱してさ。嬉しすぎて心の制御が難しくなっているけど、これだけはちゃんと言っておかないと。私は和行の目を見つめて、ゆっくりと口を開いた。難しいことを言う訳じゃない。私の所為で苦手な食べ物の味見をさせてごめんと謝る訳でもない。ただ、この一言を和行に捧げたいだけなんだから。

 

「ありがとう。和行」

「お、おう」

 

 あ、顔逸らした。もしかして照れたの? もう和行ってば可愛いんだから。ドアを開け、お盆を持ち上げてそそくさと部屋を出て行った和行を見送りつつ私はそんなことを考えてしまった。脳内フィルターでも働いているのか和行のことが昨日よりも物凄く格好良く見えたり、私の言葉に照れたりしているのがより一層可愛く思えてしまう。

 和行が用意してくれた水で処方された風邪薬を飲むと、マスクを着け直して起こしていた上半身を再びベットに横たわらせた。お腹が膨れて眠くなったのか、そのまま睡魔に体を委ねながら私は瞼を閉じていた。

 

「んっ……」

 

 再び私は目を覚ました。最初は視界がぼんやりとした感じだったが、徐々に視界に広がる光景が鮮明になる。今度は悪夢は見ずに済んだ。本当に良かった。これでまた悪夢を見てたら本格的に和行に泣きつくところだったよ。上半身を起こしてみると時計が夕方の五時を指してくれていた。喉が渇いたなぁ……。水飲みたい。人の気配を感じてそちらに視線を向けると、そこには部屋の窓を網戸にしている和行が居た。空気の入れ替えでもしてくれてたのかな? もしかして、悪夢を見なかったのも和行が居てくれたから? ……そうだと嬉しいな。

 

「和行」

 

 私の声で起きたことに気付いたのか、和行は私の傍まで来ると考えを読んだかのようにコップに水を注いでくれた。もう、それくらい今の私でも出来るのに。

 

「ほい」

「ありがと」

 

 私はマスクを外すと、素直にコップを受け取って喉を潤していく。私の考えを見抜いたかのように先回りしてやってくれるなんて、私と和行は夫婦みたいって呼ばれただけあるね。昔は弾達の冗談くらいにしか思ってなかったけど、和行の事を完全に意識するようになった今は自分達の行動がどれだけ夫婦染みていたか理解できる。うん、あれは正直おかしいと思う。男同士でアレだもん。

 コップの水を半分近くまで飲んだ私に和行が声を掛けてきてくれた。

 

「気分はどうだ?」

「少しはマシになったかも」

「そうか。あ、寒いならすぐに窓閉めるぞ?」

「まだ開けてて大丈夫だよ」

 

 そうか、と短く呟いた和行は椅子に腰掛けた。うん、こうして見ると和行の横顔も結構良いよね。なんかこうグっとくる。カメラで和行の顔を撮りたいけど、今やったら和行に風邪引いてるくせに何やってるって怒られるだろうから我慢我慢。でもなんだろ、恋心を自覚した所為か前よりも和行のことを考える回数が増えている気がする。ついでに和行を褒める回数も増えてる。

 

「まさか、こうやって俺が一夏の看病をする日が来るとはなぁ」

「そうだね」

 

 私も看病されるなんて夢にも思わなかったよ。だって私、あまり風邪とか引かなかったし。前に風邪を引いたのって小学生三年辺りだった気がする。あの時は八千代さんがたまたま休みでわざわざ家に来て看病してくれたけど。お見舞いに来てくれた和行に「健康オタクの癖に風邪引いてんじゃねえよ」と言われて、思わず睨んでしまったことはこの際忘れてあげる。ついでに和行と一緒にお見舞いに来てくれた箒に「根性が足りん」と言われた記憶もあるけど、それも忘れるよ。

 

「そうだ。一夏、今日の夜は何がいい? またお粥?」

「うん。それでお願い」

 

 優しげな視線を私に向かって投げかけてくる和行に私の心臓がまたドクドク言い始めた。うん、なんだろ。やっぱり脳内恋愛フィルターでも動きだしているのかな? 和行の言動が全て私の心を刺激してくる感じがした。私のことを異性として好きだと言わんばかりの気遣いが溢れているように見えたし。……私の気のせいだよね? 和行が私のことを好きなわけないよね?

 けど、もし和行が私の事が好きだったら――やばい、鼻血出そう。和行に真剣な目で告白されたり、お姫様だっこされたり、和行に押し倒される想像したら物凄く興奮してしまった。少し頭と体がふらっとしたけど問題ない。私は健康だから。体は風邪を引いてるけど、心は健康だから。あ、でもお姫様だっこって実際にされると怖い上に男性への負担も結構あるって話を聞いた記憶があるんだけど。体を起こして、男性の首の後ろへと腕を回したりとかしてちゃんと密着すれば女性を抱える男性への負担は和らぐらしいけど。うーん。お姫様だっこされてみたいけど、和行が良いって言ってくれるかどうかが肝だと思う。押し倒されるのは恋人になった後なら別に問題ないかな?

 そんなことを何回か考えている内に夕飯の時間になったのか、和行は部屋の窓を閉めてから一階へと向かっていった。それからしばらく待っていると、和行がまたお粥を作って私の下へと運んできてくれた。体感ではさっきお粥を食べたばかりなんだけど、お腹が腹を減ったと騒いでいるので大人しくお粥をいただくよ。

 

「はい、あーん」

「ええ……また……」

 

 また? またあーんされないといけないの私? なんか和行が心からやりたいって気持ちが伝わってくるというか、かなり楽しそうだからやめてと言えないんだけどこれ……。ええい! 私も男だ! 今は女だけどそれはそれ。何度でも掛かって来なさい!

 ……キツかった。思ったよりあーんはキツイと分かりました。さっき食べた時と同じで味なんて分からなかったし、もう私の心はボロボロだよ。もし今度、私からあーんする機会があったら和行に目一杯あーんしてあげるよ。和行もまた私と同じ気持ちになればいいんだ、ふん。

 

「ごちそうさま」

「はいよ。そうだ、風邪が治ったらさ」

「うん?」

「お前の好物を沢山作ってやるからな。だから早く直せよ」

「あ、ありがと」

 

 その言葉に頷きながら私は和行の顔を見続ける。ほんと、良い旦那さんになれるよね和行は。そんな事を考えながら私が和行の顔を見続けていたことに訝しんだのか、和行は眉根を寄せながら口を開き始めた。

 

「な、なんだよ。そんなに俺を見つめて」

「和行なら良い旦那さんになれるだろうなって思って」

「……世辞を言っても何も出ないぞ」

「お世辞じゃないよ。和行って気が利くし、優しいし、頼りになるし、いつも物事を色んな角度から見ている感じがするし。それに」

「それに?」

「カッコいいし」

 

 ……あ、あれ? 私、なんか間違ったこと言ったかな? 和行が顔を俯かせて、肩をぷるぷると震わせてるんだけど。和行の良いところをとりあえず何個かピックアップしてみたんだけど。だ、駄目だったのかな?

 

「一夏! お前、寝てろ。今のお前は風邪でおかしくなってる!」

「え? 私、おかしくないよ?」

「いいから寝てろ。いいな!」

 

 がばっと顔を上げた和行を見て、全てを察した。だって和行の顔がトマトみたいに赤くなってるんだもん。和行ってば、女の子から褒められるのにあまり慣れてないから照れてるんだ。やっぱり可愛い。凄く可愛い。本当に可愛い。こういうのって母性本能って言うのかな? 恥ずかしがってる和行を見ていると胸がきゅんってなるあの感覚がして、愛おしいって感情が私の心底から湧きあがってくるんだよね。もし和行が女の子だったら今の表情だけで男を落とせると思うよ。イチコロってやつだね。

 私がそんなことを考えている内に、和行は食器などをお盆に置いて足早に私の部屋から出て行ってしまった。昼間よりも動きが早かった気がする。和行が出ていったのを確認した私は再びベッドに横たわる。うん、やっぱり私は和行のことが好きだ。あーんされている間も和行のことを何回も考えてたし。はあ、体調が悪くなかったら和行に抱き付いたり、服の洗濯とか色々なお世話してたのになぁ……。

 うん、早く風邪を治そう。和行の為に家事をしている時が一番楽しいし、それが出来ないのは精神的に辛い。それに和行にご飯を食べて貰うのが半ば生きがいになってるんだもん。和行に拒否されない限り、私は和行の為に家事をしたりするのを辞めないからね。

 

「和行……」

 

 うん。私、和行の名前を呟いただけで嬉しくなってる。和行のことを考えているだけで風邪が治りそうだ。もしかしたら処方箋要らずかもしれない。あ、そうだ。まだ今日歯磨きしてなかったよね。あとトイレも。寝る前に歯磨きしないと。ベッドから抜け出し、床に置いてあるスリッパを履いて一階へと降りていく。トイレと歯磨きを済ませた私は二階へと戻ろうとしたところで和行とばったりと鉢合わせた。

 

「もしかしてお風呂上り?」

「そうだよ」

 

 そうか、お風呂上りなんだ。和行の肌が紅潮しているのも頷ける。髪も一応ドライヤーで乾かしたんだろうけど、所々濡れている部分が残っていた。普段ならちゃんとドライヤー掛けないとって言っているところだが、今の私にそんなことを言う余裕なんてなかった。私の時と違って和行はパジャマ着ているけど、お風呂上りの異性ってこんなに色気を醸し出しているんだ……。和行も前に私の裸を見てしまった時も同じようなことを思ってくれてたのかな? それなら凄く嬉しいな。

 本当なら裸を見られたことに対して怒るべきなんだろうけど、あの時は完全に事故だったし。それに今はほら、好きな人相手だから別に問題ないと思えてるから、あの時の事を思い出しても何てことないよ。あっ、そうだ。和行に頼んでみよう。もしかしたら断られるかもしれないけどダメ元で。

 

「ねえ、和行。お願いがあるの」

「お願い?」

「私の体をタオルで拭いてくれる?」

「……は?」

 

 何言ってんだこいつみたいな目で和行が私のことを見てきている。なんか片手で頭を押さえてるし。うん、まあそういう態度取られるとは予想してたけど、実際にされると心が痛いよ。でもね、言ってなかったけど私も結構汗掻いてたんだよね。だからせめて背中とお腹だけでも拭いてほしい。それに和行になら別に見られても問題ないし。むしろ嬉しいくらいだもん。

 

「俺は男。お前は女。体拭くの駄目。オッケー?」

「お願い。背中とお腹だけでもいいから」

「駄目なもんは駄目だ」

「和行。お願い……!」

 

 和行と私の身長差の所為か、必然的に和行のことを少しだけ見上げる形になってしまった。所謂、女性の武器である上目遣いが発動していると思う。現に和行が狼狽えているし。和行が私の体を拭いてくれたら、風邪が治った日の晩御飯を和行が好きな鶏の塩唐揚げにしてあげるんだけどなぁ……? 拭いてくれないかな?

 

「わ、分かった。ただし背中と腹だけだ。いいな?」

「うん。それでいいよ」

 

 ……上目遣い、結構使えるかも。今度から和行に何かお願いする度にやってみようかな。

 ――なんてね。流石に頻繁にはやらないよ。あまりやると同性に嫌われるとか聞いたことあるし。大事なことをお願いするときはやるかもしれないけど。まあ、別に同性に嫌われてもいいだけどね。私は和行が傍に居てくれれば、他人にどう思われようがどうでもいいし。

 そんなこんなで和行を説得し終えた私は先に二階へと向かい、和行がバケツにお湯を入れて部屋にくるのを待っていた。がちゃ、と部屋のドアが開く音が聞こえた。今日だけで何回この音を聞いただろうかと思考を巡らせつつ、ドアの方へと視線を向けると、

 

「えっと、和行? その首に垂れ下ってるのは何?」

「目隠しですが何か?」

 

 体を拭くタオルが掛けられているバケツと目隠しと思われる布を首の後ろから垂れ流している和行が居た。……もしかして、私の裸を見ないようにするため? もう、そんなの気にしなくてもいいのに。別に和行相手なら気にしないって。私がそんなことを心中で思っても和行に届くわけないので、ちゃんと言葉にして和行に伝えるようにしよう。

 

「ねえ和行。別に目隠ししなくても大丈夫だよ?」

「な、なんでだよ」

「私、和行になら見られても平気だから」

「……だ、駄目だ。絶対に俺は目隠しを付けるからな」

「あ、うん。和行がそうしたいならそれでいいよ」

 

 これはあれだね。何を言っても絶対首を縦に振らないね。和行って私の事をえっちな目で見ていることが多いから、こういうのに飛びついてくると思ったんだけどなぁ。意外とウブというかべきか、強情というべきか。これ以上余計なことは言わないようにしよう。今は和行に背中を拭いて貰うのが最優先だし。

 和行が目隠ししたのを確認した私はパジャマの上着とブラを外して和行に背を向けた。これなら和行も見ずに済むだろうし、お腹も後ろから拭ける筈だし。ぬるま湯に浸されたタオルが私の背中をゆっくりと拭いているのが分かる。優しいタオルの動かし方に思わず微笑んでしまう。私の肌が傷つかないように気を使ってるのかな?

 私がそんなことを考えているうちに背中を拭き終わった和行が、今度はお腹の方を和行は拭いてくれた。

 ……なんだか和行に体を拭かれている内に変な気分になってきたよ。これ、ちょっとまずいかも。なんか和行を押し倒したくなってきた。このまま振り返って食べちゃいたい。和行は押し倒したらどんな反応するんだろ。和行の事を狙っていたクラスメイトの子が言ってたとおり可愛い声を出すのかな? 押し倒したことに怒ったりするのかな? それとも羞恥で涙を流したりするのかな?

 ――って、何考えてるの私。そんなことしたら取り返しのつかない事態になるってば。落ち着かないと。

 

「は、はい。終わったよ」

「あ、うん。ありがとね」

 

 ふ、ふう……。少しだけ名残惜しいけど取り返しのつかない事態にならなくて良かったよ。ちゃんとブラを着けて、パジャマの上着を着ると和行に目隠しを取っていいと告げる。和行が目隠しを取ったのを確認すると、私は和行の顔を見つめながらお礼を述べた。

 

「さんきゅーね和行」

「お、おう」

 

 また顔を紅潮させている和行を愛おしく感じてしまった。私も自分の顔が熱くなっているのを認識しながらある事を考える。

 ――和行のことが欲しい。うん、絶対に欲しい。和行と一緒に居たいよ。もう元の性別がどうとかどうでもいい。和行を独占していたい。自分だけのモノにしたい。彼氏にしたい。旦那さんにしたい。そんな気持ちばかりが私の心を支配し始めていた。そんな私の想い人である和行は「ちゃんと寝ろよ」と言い残して、そそくさと部屋を出ていってしまった。なんで逃げるように出ていくのかな。もう少し居てくれてもいいのに。

 ふと、時計を見てみると既に時刻は夜の九時になるところだった。ちょっと寝るには少し早い気がするけど、こんな体調だし寝た方がいいよね。早く寝て早く起きて、それで体調が回復していたら和行に私の料理を食べて貰おう。そうしよう。ベッドに横たわり、掛布団を体の上に被せた私の頭にある考えが浮かんだ。もちろん和行関連だ。

 そういえば、もし私と和行が結婚したら名字とかはどうするんだろう? 和行は一人っ子の長男で、私は長男じゃなくて今は次女だからやっぱり私が嫁入りすることになるのかな?

 

「九条一夏、かあ……」

 

 自分の名字が和行と同じ名字になるのを想像して気分が高揚してしまった私はすぐに寝ることができず、十一時過ぎるまで寝られなかったよ。……今度から少し自重します。




先日、読者の方に感想で尋ねられたんでここにも一応載せておきます。現時点での一夏ちゃんのお餅のサイズはEカップです。アンダーバストとかトップバストとかは考えるのが面倒くさくなったので、記憶に零落白夜しておきました(意味不明)


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第二十五話 自覚する思い(4/4)

 意識が浮上していく感覚に私はゆっくりと瞼を開く。体を起こして時計を見てみると時刻は午前六時を指していた。昨夜まで私に圧し掛かっていた体の不調も嘘のように消えている。喉の違和感もないし、頭痛と熱もなくなっていた。

 和行への愛の力で治ったのかな? うん、そういうことにしておこう。その方が気分良いし。さて、和行の寝顔を見に行かないとね。私はベッドから出るとスリッパを履いてドアを開けると、和行の部屋の前まで歩いていく。ゆっくりと部屋のドアを開けると和行はまだベッドの上で横になっていた。まだ起きるには早い時間だし仕方ないかな。和行の傍にゆっくりと近づいて和行の顔を覗き込んでみる。

 

「もう。可愛い寝顔しちゃって」

 

 本当に和行の寝顔は可愛い。これは襲われてもしょうがないと思うよ。私の本能を物凄い勢いで刺激してくるんだもん。思わずうっとりとした溜息が出てしまいそうだった。今まではあまり意識していなかったけど、恋心を自覚するだけでこんなにも違うものに見えるなんて思いもしなかった。

 ……これ、キスしちゃっても大丈夫だよね? 口は流石に駄目だと思うから、ほっぺかおでこにする。だって、口にしたら気付かれちゃうだろうし。うん、やっぱりほっぺかおでこにキスするしかないね。ほっぺとおでこならバレないだろうし。こ、これはあれだよ。看病してくれたお礼と和行に他の女の子からアプローチされない為のマーキングとかそういうのであって、いやらしい感情は殆どないからね。あ、それならほっぺとかじゃなくて首筋にした方がいいのかな。こう、キスマークが付くように。それなら他の女の子も寄ってこないと思うし。

 

「って、何考えてるの私……」

 

 私、馬鹿なの? なんでこんな脳内お花畑状態になってるの? でもでも、この隙だらけの和行を逃すなんて悪手だよ。和行にキスできるこの絶好のチャンスをふいにする訳にはいかない。よし、とりあえずほっぺかおでこにキスさえしてしまえば私の勝ち!

 そう自分に言い聞かせて和行のほっぺたにキスしようとしたのだが、

 

「一夏、何してんの?」

「あれ?」

 

 和行がいつの間にか起きていた。しかも私の方を怪しいものを見るような目で見てきている。ああ、なんて間の悪い……。私の馬鹿! もう少し早く行動していれば和行が起きない内にキスできたかもしれないのに。はあ、なんだか憂鬱になってきた。辛い。

 

「か、和行の寝顔を見ていただけだよ」

「……そうか。それで、風邪は治ったのか?」

「うん。和行が看病してくれたお蔭だよ」

 

 誤魔化すためにとびっきりの笑顔を和行に向けると、和行は嬉しさと恥ずかしさが入り混じったような表情をしていた。もう和行の反応でお腹が一杯だよ。やっぱり和行が欲しい。こういう反応をずっと見ていたい。

 私はそう考えながら今日の朝食を作る為に一階へと向かおうとしたのだが、和行が私の行動を止めてくる。なに、どうしたの?

 

「今日は俺が朝食を作るよ」

「え、でも」

「いいから。今日は俺に任せておけ」

「う、うん」

 

 はっきり言ってヤバい。胸を張って言い切った和行にきゅんときちゃった。まずい、もう惚れ直しそう。和行に抱き付きたい衝動をなんとか抑えて一階へと向かう和行の背中を見送る。……和行の部屋の中に私一人だけ。これは和行のベッドというか枕というか掛布団とか全部の匂いを嗅ぐ絶好のチャンスなのでは? よし、なら早速嗅ごう。和行が戻って来ないうちに。

 

「ふわぁ……良い匂い……」

 

 和行の枕とかの匂いをこっそりと嗅いだ。なにこれ、物凄く興奮してくるんだけど。鼻を通り抜けて、脳というか体の奥が直接刺激されるようなこの匂い――堪らない。今までは良い匂いがするなぁ程度にしか思ってなかったのに、和行の事が好きだと自覚した途端こんな感じになってしまっている。駄目だよこれ……。自分を抑えられなくなりそうだよ。うん、そろそろ匂いを嗅ぐのやめよう。これ以上は流石にまずいから。

 

「ほ、ほんとに危なかった……」

 

 男の頃は「お前、性欲とかないだろ」とか和行や弾や数馬にボロクソに言われたことがあったけど、ちゃんと性欲くらいあるよ。ほんと失礼しちゃう。確かに男の頃はあまりそういうのを表に出さなかったけどさ。だけど、男から女の子になった影響なのか男の頃よりも性欲が強くなってきたんだよね。それでその……一人で一日に何回もそういうことをしてました。和行のことを考えたりしたりすると余計そんな感じになったんだもん、しょうがないじゃん。流石に和行の家に住むようになってからは回数とか減らしてるけどね。和行にバレて、えっちな女の子だと思われたくないし。

 今までは和行の事を考えながらあんなことすることに対して罪悪感に塗れていたけど、和行の事を好きなのを自覚した今では罪悪感なんてないよ。好きな人のことを考えながらしちゃうのは悪いことじゃないはずだから。自分でも都合の良いこと言ってると思うけど、こんなこと誰かに相談できるわけないもん。こんな感じで自分で自分を納得させるのが精一杯だよ。

 

「み、身支度した方がいいよね」

 

 余計な事を頭の中から追い出し、私は身支度を整えて学校へと行く準備をすることにした。和行の部屋から出て一階で洗顔やら歯磨きをした私は二階の自室に戻り、学校の制服に身を通してからドレッサーの前で軽めの化粧を施す。うちの学校では濃いめのメイクは校則で禁じられているので、これくらいの化粧しかできない。別に不満とかはないから別にいいんだけどね。ちゃんとメイクが出来ているのを確認した私はドレッサーから離れると、部屋の隅に置いてある姿見で自分の姿を確認する。

 

「私ってやっぱり美少女なのかな?」

 

 前に弾と数馬が私を見て溢した発言を思い出してしまった。今まで自覚はなかったけど、確かにこうしてみれば私の容姿は整っている方だと思う。ここら辺は千冬姉譲りなのかな? 元が良いから薄めの化粧だけでも十分って、前に化粧品店の店員さんに言われたことがあったし。それに千冬姉もあまり濃い化粧とかしてないから余計そう感じてしまう。まあ、千冬姉の場合はあまり化粧とかに頓着してないだけかもしれないけど。

 この容姿なら和行の恋人やお嫁さんとして申し分ないよね。クラスメイトの女の子曰く私ってスタイルというか体のバランスも良い方みたいだし。……この胸だけはちょっとアレだけど。これの所為で可愛いデザインの下着があまりないわ、鈴には睨まれるわ、和行以外の男子や一部の女子からの視線が鬱陶しいの三重苦なんだよね。でも和行はおっぱいが大きい方が好きみたいだし、和行におっぱいを見られるのは嫌じゃないからある程度我慢できてるけど。……これ以上自分の容姿を肯定するのナルシストみたいだからこの辺でやめておこう。

 鞄を手にして部屋を出ると、再び一階に降りる。リビングに向かうと台所に居た和行が私の下まで来ると、

 

「お前、今日は休め」

 

 いきなりそう告げてきた。

 

「え、なんで?」

「無理に動いて風邪がぶり返したら大変だろ。だから今日は大事を取って休め」

「でも……」

 

 私を心配して言ってくれているのは分かるんだけど、何故か私にはお前と一緒に居たくないから家にいろと言われているように聞こえてしまった。私はずっと和行の傍に居たいのに。和行のお世話とかしていたいのに。和行の傍に私が居ちゃ駄目なの?

 

「お前のことが心配なんだ。分かってくれ」

「は、はい……」

 

 ああ、私の事を思って言ってくれてたんだ。うん、家で大人しくしています。自分でも簡単に言うこと聞きすぎでしょと思うけど、お前が心配なんだと直に言われたら言う事を聞かないなんて出来る訳ないじゃない。

 

「あとはそうだな。もうすぐ母さんが朝帰りしてくるはずなんだ」

「朝帰りって……」

「それでさ、母さんが今日は一日家に居るとか言ってたんだよ」

「ああ。八千代さんに私のことを押し付ける気なんだ」

「身も蓋もない言い方やめろ」

 

 八千代さんかあ。私が女の子になってから初めて八千代さんのお見舞いに行ったあの時に、八千代さんから掛けられた「自分に素直になって」という言葉の意味がようやく理解できたから。この思いを八千代さんに伝えないと。和行を私にくださいって。

 

「まあ、とにかく朝ご飯食べちまえよ」

「うん。ありがとう」

 

 お言葉に甘えて和行が作ってくれた朝食を食べることにした。いただきますの挨拶をして箸を手に取る。今朝は和食だ。納豆に卵焼き、鮭にたくあんに豆腐とわかめのお味噌汁だ。和行は朝は和食派だからね。でも、なんでこんなに美味しそうに見えるんだろう。一昨日の夕食と変わらないように見えるのに。まあいいや。早く食べてしまおう。冷めたら勿体無いし。

 

「ただいま~」

「お帰り。母さん」

「お帰りなさい、八千代さん」

 

 和行と一緒に朝食を食べ始めてすぐのタイミングで八千代さんが帰宅してきた。本当に朝帰りしてきたよこの人……。

 

「母さんも食べる?」

「うん。食べる食べる」

「じゃあ座っててくれ」

 

 ご飯を食べる手を止めて八千代さんの分の料理を用意し始めた。和行はこの事を見越して多めに作ってたみたい。うん、やっぱり和行は気が利くね。お嫁さん――じゃなかった、旦那さんに欲しい。男の子にお嫁さんは駄目だよね。

 あ、そうだ。八千代さんにも風邪を引いたことを教えておかないと。和行が八千代さんの分の料理を持ってきタイミングで私は昨日まで風邪を引いていたことを話した。和行の今日は大事を取って休ませるという援護付きで。うん、私の想像通り驚いてた。昔、私が風邪を引いたときのことを話し始めて恥ずかしかったよ。なんで余計な事思い出すんですか、もう。

 

「じゃあ俺は学校に行ってくるから」

「はいはい。気を付けて行ってらっしゃい」

「和行、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 

 ご飯を食べ終え、弁当を鞄に入れるなどの支度を終えて学校に向かう和行を八千代さんと一緒に見送った。学校へは既に私が休むというのは連絡済みなので問題ない。休むと言っても体調の方は良い方なのでベッドで寝るまでもないのだが、何もしないでぼうっとしているのは嫌なので食器の片づけでもしようかなと考えた時だった。八千代さんに話があると言われたので大人しくリビングのソファーにお互い向かい合う形で座る。

 

「一夏ちゃん、何か良い事でもあった?」

「え? どうしてですか?」

「いつもより生き生きしてるように見えるから」

 

 まあ、八千代さんにはバレちゃうよね。隠しても仕方ないだろうし、正直に八千代さんに話すことにした。

 

「私、和行のこと好きになっちゃったみたいです」

「それは異性として?」

「はい。異性としてです」

「和行とお付き合いする気ある?」

「はい。あります! 和行を私にください!」

 

 私は意を決してそう告げた。和行に溺愛に近いレベルで接している八千代さんの言葉を待つことしかできなかった。私は元の性別関係なく和行と恋人――もしくはそれ以上の関係になりたいと真剣に考えているが、八千代さんが私の事を本当はどう思っているのか分からないからね。私よりも最初から女の子になっている子の方がふさわしいと尤もな言葉を突き付けてくるかもしれない。

 だが、八千代さんから返ってきた言葉は私の予想を外れていた。

 

「いいわよ。はぁ……良かったわ。これで和行にも彼女が出来るわね」

「あ、あれ?」

 

 てっきり駄目だと言われるかと思っていたのに案外あっさりとした反応だった。あの、すいません。私、八千代さんに反対されると踏んでたんですけど。

 

「反対されると思ってた?」

「ええ、まあ」

「ほら、あの子ってばあまりにも女っ気がないでしょ? だから、ね」

「そ、そうでしたね……」

 

 うん。確かに和行には女っ気がないですね。あったらあったらで私が困るから無い方がいいんだけどね。なんだかあっさりとし過ぎてて腑に落ちない。これだけは尋ねておかないと私の気が済まない。

 

「あの、一つ聞きたいんですけど」

「なに?」

「八千代さんって和行のこと溺愛してましたよね?」

「うん、してるわよ」

「彼女が出来たりするのに抵抗はないんですか?」

「ない――って言えば嘘になるけど、あの子と一夏ちゃんが幸せになってくれる方が私は嬉しいから。……涙を呑んで我慢するわ」

「は、はぁ」

 

 私が困惑気味に頷くと八千代さんから「和行はあげるけど、ちゃんと告白してから付き合いなさいね」と続けざまに言われた。え、あのちょっと。それって私が和行に告白しないと駄目ってことですか? ……あの、ちょっと待って。は、恥ずかしいんですけどそれ。和行に面と向かって告白とかちゃんと出来るかな? うん、ちゃんと覚悟が出来てから言おう。昨日の今日で告白できる勇気は私にはないから。散々脳内で旦那に欲しいだのと言っておいてなんだけど、脳内で考えるのと実際に行動に起こすことは別問題だし。

 何はともあれ、これで八千代さんという関門は突破したことになる。あとの問題は千冬姉かな? 千冬姉なら「妹が欲しければ私を乗り越えていけ」とか和行に対して言い出すだろうし。というか、言い出さないとおかしい。普通は男親とかがそういう発言をするんだろうけど、うちの場合は千冬姉が家長なので必然的にそうなってしまう。

 もしそうなって和行と一緒になることができなかったら私、千冬姉と縁を切るかも。千冬姉よりも今は和行の方が大事だもん。和行と一緒になれないなら――ふふふ、邪魔する輩には消えて貰わないとね。それが例え千冬姉でも。国であっても、世界であっても。私がそんな物騒なことを考えているといつもの柔らかな笑みでこちらを見てきていた。あ、これ、また心を読まれたかも。

 

「千冬ちゃんのことなら大丈夫よ」

「なんでそう言い切れるんですか?」

「私が根回ししておいたから」

 

 ん? どういうこと? え、八千代さんは何を言ってるの?

 

「……はい? い、いつそんな事したんですか?」

「一夏ちゃんと和行を同居させる話を千冬ちゃんに持ちかけた時にね、他の悪い男に一夏ちゃんを渡すくらいなら和行の方がいいと小一時間教えたのよ」

 

 ええっと、すいません。理解が追い付かないんですけど。え、あの千冬姉を説得したんですか? 嘘でしょ……。でも八千代さんが嘘を吐くと思えないし。

 

「それに、あの同居話は元々は和行と一夏ちゃんをくっ付けるために考えた話だったからね」

「え? 私は私の身の安全を考慮してって千冬姉に聞いてたんですけど」

「あー、やっぱり千冬ちゃんはそう言ったのね」

 

 え、あれって嘘だったの? 本当は私と和行をくっ付けるための同居って……頭が痛い。あの、未成年の二人をくっ付けるためにわざわざ同居させるとか何を考えてるんですか? はあ、八千代さん達の掌の上で転がされてたんだね私と和行は。……なんかイライラしてきた。最初から知らされてても困っただろうけど、それはそれ。これはこれだ。

 うん、とりあえず八千代さんに尋ねておきたいことがある。和行が同居の本当の理由を知っているかどうかだ。これで和行が八千代さんや千冬姉と同じく折檻対象に入るかどうかが決まる。もし折檻対象に入る事になったら和行には優しくするつもりだよ。もしかしなくても、私の恋人になるかもしれないんだから体や精神とかに負担を掛けたくないから。

 

「八千代さん。和行はその事を知ってますか?」

「うん知ってるわよ」

「本当ですか?」

「本当よ。和行は男女の同居はダメって言ってたんだけど、一夏ちゃんの事を考えて同居を受け入れたんだから」

 

 ああ、やっぱり和行は和行だ。私の事をちゃんと考えてくれていたんだ。嬉しい、大好き。こう胸の辺りがぽかぽかしてくる。よし、和行への折檻はなし。はい決定。

 

「乙女の顔になっているわよ、一夏ちゃん」

「ッ! か、和行のことを考えるとこうなっちゃうんです! 気にしないでください!」

「完全に女の子の反応よね。これ」

 

 八千代さんが何か言っているけど私の頭には入ってこなかった。だって、気を抜いていると和行の事ばかり考えちゃうんだもん。現に頭の中が和行のことで埋め尽くされてるし。ああ、早く和行帰ってこないかなあ。あ、そうだ。忘れない内にあれをやっておかないと。やること? もちろん、八千代さんの折檻だよ。

 その後、私は昼食を八千代さんと食べたりして和行が帰ってくるのを待っていた。そして、その時は来た。そう和行の帰宅時間が迫っていた。

 

「ただいま」

 

 あ、和行が帰ってきた。私は椅子から立ち上がると和行を迎えるために玄関へと向かう。

 

「おかえり」

「おう、ただいま。って、その服、お前持ってたっけ?」

「これ? 私の誕生日に八千代さんが私に買ってくれた服だよ」

 

 私が今着ている服が気になったのか、和行を見てきている。あの後、制服から私服へと着替えようとしたんだけど、新しく買ったこれの存在を思い出したので着る事にしたのだ。ちょっとスカートが短めなのが難点だけど。スカートから見える黒色のタイツと私の胸元に、和行の視線が段々と集中しだしているのが手に取るように分かった。

 もう、和行ってばえっちなんだから……。軽く見ているつもりなんだろうけど、ガン見の範疇に入ってるよそれ。和行はやっぱりおっぱいと黒タイツが好きと脳内メモに書き記しておき、和行に感想を尋ねることにした。

 

「ど、どうかな?」

「似合ってるよ」

「あ、ありがとう……」

 

 えへへ、和行に褒められた。それだけで胸がかなり熱くなった。和行、大好き。結婚して。今すぐにでも和行に抱き付いてキスしたい衝動に駆られるが、そこはまだ正常に動いている理性でぐっと堪えることにする。

 

「そういえば、母さんは?」

「八千代さんならリビングにいるよ」

 

 靴を脱いで家に上がった和行にそう教えた。和行はスリッパを履いてリビングへと向かっていったので、私もそれに続く。が、和行は入口近くで固まっていた。ああ、中の八千代さんの様子を見ちゃったんだね。今の八千代さんがどうなっているのかというと、痺れたカエルのように足をひくひくとさせている。まあ、昼食時とトイレに行くとき以外はずっと正座させててさっき解放したばかりだからね。

 

「お前、母さんに何をした?」

「それ以上は乙女の秘密だから聞いちゃ駄目だよ?」

「アッハイ」

 

 有無を言わせぬオーラを纏いながら和行に言葉を返したら、和行からは気のない返事をしてきた。

 

「そ、そうだ。これ、今日の分のプリント」

「ありがと」

「鈴達も心配してたから、明日学校に行ったら声を掛けてやれよ」

「うん。わかってるよ」

 

 そう言い残して二階の自室へと向かう和行の背中を見送りながら、私は思わず頬を緩めてしまった。やっぱり和行のことが格好良く見えて仕方ない。にやにやが止まらない。

 

「和行の背中、格好良かったなぁ……」

「これは重症ね」

 

 いつの間に復活していた八千代さんがそんなことを呟いていたけど、私には何の事か分からなかった。仮に私の脳内恋愛フィルターの所為で和行の事がかなり格好良く見えているのだとしても、和行の格好良さは揺るがないと思う。確かに和行はイケメンって感じじゃないけど、それでもカッコいい部分はカッコいいんだよ。そうだ、八千代さんにあの話をしてみよう。

 

「八千代さん、お話があります」

「なになに? 面白い話?」

「ええ。飛びっきり楽しい話ですよ」

 

 目論見を話し終えたこの時の私と八千代さんは完全に共犯者のような顔をしていたと思う。だって、この時は二人の意見が一致してしまっていたから。和行を着せ替え人形にするという一つの考えが。




うちの一夏ちゃんから肉食系の臭いが漂っているのは、この一連の話を書く前に息抜き感覚で伝説のあの人の活動報告を見返してしまったからです。あと私の趣味。


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第二十六話 一人にしないようにするよ

まだ真面目さが抜けてない……。まあ、前回とかも言うほど真面目じゃなかったんですが。


 翌日。俺は制服を身に纏った一夏と一緒に学校へと向かうことになった。風邪でダウンしていた一夏からすれば二日ぶりの学校になる。今朝の朝食は一夏が担当してくれたんだが、昨日の夕食と同じく風邪で休む前よりも料理が美味しくなっている気がした。まさかあいつ、休んでいる間も経験を積むことが出来るチート体質だったのか? 流石にないよな? ……ないよね?

 一夏と共に歩き慣れた通学路を進みながら俺は隣の一夏をちらりを見る。そこには俺の左腕に自身の豊満な胸を押し付けるようにして抱き付いてる一夏が居た。家を出た時からこの状態な所為で歩き辛い……。

 

「あのさ、一夏」

「なに?」

「……なんでもない」

 

 屈託のない笑顔でこちらを見ている所為か一夏に注意する気が引っ込んでしまう。なんか知らんけど昨日辺りからまた俺への態度が変わったんだよなあ。一夏は元々優しい奴なんだけど、俺に対しては優しさに加えてなんていうか過保護が追加されている気がする。

 昨日の家に帰って私服に着替えた後、ちょっとコンビニに行こうとしたんだが何故か一夏が物凄く心配してきたんだよ。すぐ近所だからそんなに心配する必要ないって言ったのに俺に付いてきたし。それまでは気をつけての一言で済んでいたのにあいつに何があったのか。

 それに加えて今のようにやたらと俺の腕や背中に抱き付くことが増えた。昨日の晩だけで五回も抱き付かれたぞ。正直言って思春期男子に女の子が抱き付くとか流石に不味いと思うの。このままではなんとか制御できている俺の理性がいつ飛ぶか分からない。

 

「えへへ」

 

 とても嬉しそうにしている一夏を横目に見ながら俺はこうなった原因を探る為、ここ数日のことを思い返し始めた。少ししてそれっぽいのにたどり着いた。そう、一夏の看病だ。一夏を病院に連れて行ったりしたあれだ。風邪を引いた一夏を看病した際に俺の苦手なお粥作って味見する羽目になったりしたが、一夏のためと思えば耐えられた。体を拭いた際のことは思い出さないようにしてる。思い出したら俺の中の何かが駄目になりそうな気がするんだよ。

 そうだ、俺は看病しただけなんだ。一夏の態度が変わった原因なんてこれくらいしか思いつかないし、それ以上に何か特別なことをした覚えもない。看病されただけで一夏の態度がこうも変わるのだろうか。でも、どこか吹っ切れたような感じがして好ましく思えるのも事実なんだよなあ。

 

「……」

「どうかしたの?」

「なんでもない」

 

 だからってこれはなあ……。一夏が俺に密着している所為で、セーラー服の上からでもその柔らかさが伝わってくるというこのヤバさよ。駄目だ、こんな朝から一夏の禁断の果実を自分の体で味わうとかアウトすぎる。

 俺は仮に変態だとしても変態という名の紳士なので、一夏でえっちな妄想とかするのは最近控えめにしているんです。いや、抱き付かれるのは嬉しいんだよ? 俺も思春期の男だから。でもね、ここって通学路なんだよ。俺達だけが歩いているわけじゃないんだよ。だからね、こちらを見ている奴等から声が徐々に上がる訳で――。

 

「な、なんだあれは」

「西邑ちゃんが九条にくっ付いている、だと……?」

「ばんなそかな!?」

「やっぱり幼馴染じゃないと駄目なのか!?」

 

 ほら、うちのクラスメイトの男共がなんかこの世の地獄を見たような反応してるじゃねえか。いや、それだけじゃない。

 

「うそでしょ! 西邑さんが九条君に抱き付いてる……!?」

「ウゾダドンドコドーン!」

「ゴルゴムの仕業か!?」

「絶望が私のゴールだ」

「美香ああああああ!?」

「大丈夫!? 傷は深いわよ!」

 

 うん、叫んでいる女子の台詞がネタに塗れてますね。って、あの女子達って確か特撮オタだったような……。月曜日の朝にはよくお喋りしてるよ。あの子たちとは気が合うからね。

 でも、なんなんでしょうね。なんか一人が地面へと倒れてるし。でもあれ、本当に倒れた訳じゃないと思うから大丈夫でしょ、うん。うちのクラスメイトはなんでこう濃い奴ばっかなんだろうか。ていうか、流石に視線が鬱陶しいから早く一夏を引き剥がさないと。よし、今度はちゃんと言うぞ。

 

「おい、夏菜子。頼むから離れてくれ」

「なんで?」

「周りを見ろ」

「私は気にしないよ?」

「俺が気にするんだよ」

 

 ああ、駄目だこりゃ。一夏は本当に周囲の反応を気にしていないようだ。……これじゃ話が進まないな。仕方ない。アホみたいに恥ずかしいけどこれをやるしかないか。俺は一夏の耳元に口を寄せると一夏の耳元で囁いてやった。

 

「一夏。家でなら好きなだけ引っ付いていいから、登下校する間は自重してくれ」

「――っ!? そ、そうだね。ごめんね、和行」

 

 俺のその言葉を聞いて、やっと一夏は俺から離れてくれた。流石に勘弁してくれよ。なんで朝からこんなに疲れないといけないんだよ。一夏と正式に付き合っているなら別にこんなことを考えたりしないけどさ、俺と一夏はまだ付き合っても居ないんだぞ。よく脳内で一夏への変態思考を駆け巡らせたりしているが、頭の中で考えるのと実際の出来事をごっちゃにするわけない。

 胸を撫で下ろしながら再び足を動かして学校へと辿り付き、教室へと入った俺は椅子に座ると自分の机へと突っ伏した。一夏は俺がなんで机に体を預けているのかよく分かってないようで首を傾げている。普段なら可愛いと思う仕草だが今はそんな感情を湧かせる余裕すらない。色々な感情を混ぜた深い溜息を吐いているといつの間にか登校してきていた弾が俺の方へと寄ってきていた。

 

「おい、大丈夫か?」

「これが大丈夫に見えるなら眼科に行け」

「あ、駄目だなこりゃあ」

 

 流石は弾だ。中一の入学式で仲良くなってからよく連るんでいるだけある。今の俺の状態を察してくれたらしい。まあ、俺が辛辣なことを言う時は大抵精神的に余裕がないときか、呆れた感情を抱いている時だけだしな。弾に肩を人差し指で突かれた俺は、一夏にトイレに行ってくると言い残して弾と一緒に教室を出た。トイレ近くで周囲に俺達以外が居ないことを確認してから、今朝起きた事と一夏の態度の変化を弾に打ち明けて相談に乗ってもらうことになった。

 

「風邪で休む前まではそうでもなかったんだけどなあ」

「俺からしたらあいつが風邪を引いたことの方が驚きなんだが」

 

 一夏って殆ど風邪なんて引かないからね。その事を知っている人間は驚くと思うよ。でもなあ、一夏も人間だからなあ。元男で今は女という奇妙な体験をしているが、人間であることは変わりない。俺からしたら風邪の一つくらい引いてもおかしくないと思うんだ。え、一夏の姉である千冬さん? あの新人類と俺達を一緒にしてはいけない。

 

「どうすればいいと思う?」

「どうするもなにも、あいつに知られた場合の対処法を考える方が先決だと思うぞ」

「あいつ? 鈴か?」

「他に誰が居るんだよ」

 

 ですよね。うん、少しだけ現実逃避してた。あいつに知られたら何されるんだろ。俺が腹パンとかされるだけならまだいい。もし一夏にその場面を見られたらどうなるかっていうのが問題な。多分あいつ、俺が腹パンされるを見たら前に腹パンされた時より怒るんじゃないかな? 確証はないけど、そんな予感がしてならない。鈴が泣くような事態にならなければいいんだけど。

 

「すまん。これ以上は何も言えないわ。判断材料が少なすぎるしよ」

「そうだよなあ。ありがとな、弾」

 

 相談に乗ってくれた弾に礼を言って一緒に教室へと帰ることにした。教室に戻ると、先程まで居なかった鈴と数馬が居た。

 

「おはようさん」

「ああ、おはよう和行」

 

 俺と数馬が挨拶を交わしていると鈴が自慢のツインテールを揺らしながら俺の下へとやってくる。なんだろ、そこはかとなく嫌な予感がする。

 

「和行。昼休みにツラ貸しなさい」

「えっ?」

「夏菜子に抱き付かれていたことでちょっと話があるから」

 

 あの、鈴が青筋立てているように見えるのは目の錯覚か何かですかね? なんか身の危険が迫っているように感じるんだが。助けを乞うべく弾の方を向くと顔を逸らされた。こいつ、ほんと鈴の前では形無しだよな。蘭ちゃんとかの前でも似た感じだし、やっぱ年下系の女の子には頭上がらないのか? ついでに数馬の方にも視線を向けるがこっちも俺から目を反らしやがった。ちくしょう……。

 鈴にどう言葉を返そうか考えあぐねていると始業のチャイムが鳴ったので、返事をする間もなく俺達は席に着くことになった。

 そして昼休み。俺は問答無用で鈴に引っ張られ、二人きりで話すことになった。俺が居ない間は弾と数馬が一夏の話し相手になってくれている。連行してきた俺に、鈴は今朝の起きた事の詳細を尋ねてきた。鈴は俺が一夏に抱き付かれていたということしか知らないだろうから当然の反応だと思う。

 

「はぁ? 一夏の態度が変わった?」

「ああ。昨日辺りからな」

 

 今朝起きた出来事の発端となったことを鈴に告げた。昨日、鈴や弾に数馬の三人がお見舞いに来たがっていたけど、弾の「俺達で押しかけたら、幾らあいつでも体調悪化するんじゃないか?」という言葉によって、お見舞いの件はなしになったのだ。三人の中で一夏のことを一番心配していたのは鈴だ。一夏が女の子になっても恋心を寄せている鈴が一夏を心配するのは当然のことだ。ツンデレめいたことを言って素直になれないのがアレだが。そんなんだから一夏が勘違いしまくるんだよ。もっと自分に素直になりなさい。時代は素直な女の子ですよ。

 いや、今はその事はどうでもいい。……今なら言える。昨日、こいつが見舞いに来なくて正解だった。多分昨日来ていたら混乱して頭痛が痛いとか単語の誤用が酷い状態になっていただろうし。

 

「心当たりとかないわけ?」

「あいつの看病したことくらいだよ」

 

 ホント、これ以外に態度が変わった原因が分からない。あ、ちょっと待って。

 

「いや、もう二つくらいあるかも」

「なによそれ」

「いやな、あいつが悪夢を見たとか言ってて俺があいつを落ち着けたんだよ。あと、あいつが俺に隠れて少女漫画を読んでた。ほら、最近クラスの女子達が話題にしているあれ」

 

 流石に夢の内容や俺に一夏が抱き付いてきたことは話さなかった。話す必要もないし、話したら話したで話が拗れるだろうから。少女漫画の件は最初は無視していたんだ。一夏の部屋に入ったときに視界にチラッと映ったけど、一夏も何もすることがなくて読んでたんだろうな程度にしか思ってなかったから。一見すると関係がないこの二つが、一夏のあの態度に繋がっているように思えて仕方なかった。

 

「今の一夏、本当に女の子みたいなんだよなぁ……」

「女の子?」

 

 俺が頭を悩ませながら呟いた言葉に、真向いにいる鈴が反応を示した。すると鈴は何かを悟ったかのような表情を張り付け始めた。こいつがこんな顔をするなんて珍しいな。一夏の態度が変わった原因が分かったのかな? こいつの第六感は凄まじいの一言だからな。

 

「鈴?」

「なんでもないわ」

「何か分かったんなら教えて欲しいんだけど」

「……あんたは知らない方がいいわ」

 

 わざと突き放すかのような言動した鈴の顔を見た俺はそれ以上何も言えなかった。だって、鈴が物凄く悲しそうな表情をしていたから。なんでそんな表情をするんだよ。心配になってくるだろうが。鈴の奴、何に気付いたんだ?

 

「ほら、早く戻るわよ。ご飯食べる時間がなくなるし」

「……分かったよ」

 

 どうも釈然としない気持ちを胸に抱えながら、俺は鈴と並んで教室へと戻ることにした。教室に戻った俺が、クラスメイトから今朝の事で質問攻めを受けて更に精神的に疲労したのは言うまでもないだろう。

 

◇◇◇

 

 自宅に帰ってきた私は私服に着替え、その上にエプロンを装着してから晩御飯を作っていた。髪型はもちろんポニーテールだ。最初は料理している際に髪を纏めようとして試しにやってみたらしっくりきたからやってたけど、今は和行が私のうなじをちらちら見てくるのが可愛いからやっている。今日も和行の為に腕によりをかけるよ。和行が私が作ったご飯を美味しそうに食べているのを見るのがかなりの幸せなんだもん。昨日はお肉食べたし、今日は野菜中心にしようかな。

 そういえば、和行が今朝言ってたのって嘘じゃないよね? 家でなら何回でも和行に抱き付いていいんだよね? よし、あとで抱き付こう。今朝のあれは私も気が早すぎたと思ってるし、正直言って反省してる。後悔はしてないけど。耳元で囁かれた時、体というか背筋がゾクゾクとして思わず和行をそういうホテルに連れ込んでしまおうかと考えたけど、なんとか自重できたよ。

 

「一夏」

「クリーミングパウダーの換えならそこの戸棚に入ってるよ」

「ありがと」

 

 名前を呼ばれただけで和行が何が欲しいのか分かってしまった私は、和行が求めているものがある場所を教えておく。さっきコーヒーに淹れるクリーミングパウダーが切れかけていたのは見えていたからね。和行が使ったタイミングで全部なくなると思ったし、それにこれくらいのことを男だった頃からやっているから造作もない。今だけは本当に夫婦みたいなやり取りとかしていて良かったと思ってるよ。

 夫婦と言えば和行って結婚についてどう思ってるんだろ。何人くらい子供が欲しいんだろ? 私は二人くらいが良いかも。大丈夫、今の私なら子供作れるし。診察で私の体に子宮や卵巣等の子供を宿すのに必要な物があるのは確認済みだし、既に何回も生理がきてるから。

 でも、和行に子供を作る気があるのかちょっと不安があるんだよね。男だった時に将来子供が出来たらどうするって聞いたことがあったけど、和行は「小さい子の扱いは分からんから無理」って言ってたし。よし、聞いてみよう。

 

「和行」

「なんだ?」

「もし将来、誰かと結婚することになったらどうする?」

「ッ!?」

 

 ブフォ! とでも擬音が付きそうな勢いで和行が補充したクリーミングパウダーを多めに入れたコーヒーで噎せ始めた。あ、口に含んだタイミングで話しかけちゃったよ。と、というか、そんなに驚くようなことだったかな今の話題。私は洗い終えたばかりの野菜をまな板の上に置いたままにして、和行の下へ向かい背中を摩る。

 

「お、お前!? いきなり何言ってんだよ!?」

「ちょっと気になったの。それに仮の話だよ、仮の」

「……結婚かぁ」

 

 和行は私の方を見つめてきた。その真剣な眼差しに心が跳ね上がりそうになるが、和行がこういう目をする時は大事なことを話すときだ。余計なことを考えずに私は同じように和行の方を見返す。一呼吸を置いてから和行は口を開き始めた。

 

「相手を一人にしないようにするよ。出来るだけな」

「相手を?」

「ほら、うちの母さんって親父に先立たれただろ? その時の母さんの悲しい顔を今でも思い出すことがあるんだよ」

 

 沈痛な面持ちで和行は私にそう語った。……こんな和行の顔なんて見たくないし、させたくないのに。ごめんね、私の所為で。

 

「その所為かな。絶対に早い内に死にたくないって思うようになったのは。それにたまに思うんだ。今でも親父が生きていたらどうなったのかなあって」

 

 そうだったね……。八千代さん、和行のお父さんを早くに亡くしてるんだ。……親を亡くす気持ちか。私には分からないかも。だって、私が物心付いた頃には親なんていなかったから。事故で死んだのか蒸発したのかは定かではないけど、私の傍に居たのは実姉である千冬姉だけだったし。

 そんな私が――親の死に目に会ったことのない私が、親を失う気持ちが分かるなんて口にしてはいけない。言っちゃいけないんだ。

 

「だからさ、せめて死ぬ時は一緒か近いタイミングがいいなってさ」

「そうなんだ……」

「勿論、死ぬまでに沢山楽しい思い出とかを積み重ねるのが大前提だけどな」

 

 ――ああ。やっぱり和行は和行だ。誰かのことを思う事が出来る男の子だ。

 

「賢しらぶって色々言ったが、所詮は中学生の浅知恵だ。実際にはどうなるかなんて俺には分からないからあまり気にしてくれるな。それにこれは俺の我儘だから」

「我儘?」

「相手が悲しむのを見たくないっていう俺の独り善がりだから、そこまで立派な考えでもないんだよ」

 

 私にはそんな風には見えなかった。確かに和行の我儘なのかもしれない。でも、そのお蔭で私みたいに安堵する人も居るんだよ? やっぱり和行を好きになったのは間違いじゃなかった。だって私は和行のこういう部分が大好きなんだもん。我儘とか言いつつ、誰かのことを思っている和行が。勿論、他にも和行の好きな部分は一杯あるけどね。同時に悪いところがあるのを把握しているけど私は和行の事を受け入れるつもりだよ。

 お互いに一緒に治せるところは一緒に治す。そんな関係になりたいなあ。……そんなことをしないで、和行を目一杯甘やかすのも悪くないかもだけど。

 

「そこも和行の良いところだよね」

「え?」

「なんでもないよ。もう一つ聞きたいんだけど、いい?」

「いいけど。今度はなんだ?」

「結婚した人との赤ちゃんが出来たらどうする?」

 

 今度は先程の悲しげな表情から一転して、和行の顔は呆けた顔になっていた。もう無防備な顔しちゃって。今すぐ私の部屋に連れ込んで食べちゃいたいくらいだよ。

 

「あ、赤ちゃんってお前!」

「だって結婚したら作るかもしれないでしょ? もしかして、前に私が聞いた時みたいな事をまだ考えてる?」

 

 子供を作らない夫婦もいるだろうけどその事はこの際横に置いておくよ。さてと、和行はどう返してくるのかな? まあ、私としては別に前の考えのままでもいいと思うけどね。徐々に慣らしていけばいいんだし。

 和行は私の言葉に昔のことを思い出したのかのような顔をしてから、私に言葉を返してきた。

 

「す、好きな人と出来た子供なら別に大丈夫だと思う」

「そうなの?」

「うん。多分」

 

 あれ? 私が想像してた反応と違うんだけど。なんでこうまんざらでもない感じなんだろ。やっぱり和行も成長してるってことなのかな? ま、まあ、これで和行からの答えは聞けたしそろそろこの話も終わりにしないとね。

 

「ごめんね、変な話に付き合わせちゃって。今すぐご飯作るから待っててね」

「あ、ああ」

 

 私は話を切り上げると台所に戻って夕飯の準備を再開する。和行の為に美味しい料理を作るという気合いを込めながら。……そうだ。今の内に子供の名前を考えておかなきゃ。女の子と男の子の名前を両方とも。とっても大事なことだからね。和行との子供ならきっとカッコいい子や可愛い子が生まれてくると思う。そんな予感がするんだ。



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第二十七話 馬子にも衣装って知ってる?

 一夏が俺の腕に抱き付いて登校しかけたあの日から数日後。俺は今、一夏や母さんからの一緒に私服を買いに行こうというお誘いという名の強制連行によりレゾナンス内にある男性服売り場に来ています。

 ……どうしてこうなった。いや、原因というか切っ掛けは分かっているんだ。一夏がうちの母さんに向かって「和行にカッコいい服とかを着させたらいいんじゃね?」的なことを囁いたらしいんだよ。それの所為でうちの母さんもなんかテンション上げてる訳で……。

 それで休日を悪用――もとい利用されて俺の服選びやらなんやらをする羽目になっているんです。俺は家で勉強するか、一夏と一緒に家庭用ゲーム機でパーティゲームでもしていたかったのに。野郎の服の何処にそんなテンション上げる要素があるんだよホント。男の服だぞ? 女の子とかなら未だしも男の服だぞ? 訳わからんわ。一夏に泣き縋ろうにも母さんを唆したのも一夏だから真っ黒すぎてどこに目を向ければいいんだよ。これもうわかんねぇな。

 

「これも、これも、これも和行に似合うはず。いや絶対に似合う!」

「テンション高いわね。一夏ちゃん」

「和行和行和行和行――」

「一夏ちゃん、どうどう」

 

 なんか意味が分からないくらいにテンションを上げている一夏を母さんが宥めていた。あいつ、なんでそんなにテンション上げてるんだか。てか一夏なんだけどさ、結婚がどうのって話をしてきた後から俺の事を甘やかす時はとてつもない勢いで甘やかそうとしたり、料理をしただけでまるで何かの大会で金賞を取ったり、優勝したみたいな扱いで褒めてくる回数が増えたんだけど。正直言って心臓に悪いです。カッコいいとか言わないでくれ、冗談抜きで照れるから。風邪を引いてた時に俺の事をめっちゃ褒めてたけどさ、あれマジで危なかったんだからな。あまりの恥ずかしさで心臓が爆発するかと思ったわ。

 これなら抱き付きとかだけの方がまだマシだった気がする。本当にこれ以上は不味い。なんか一夏に駄目にされてしまう予感がする。

 

「八千代さん。これなんてどうですか? 和行に似合いますよね! ね!」

「いいわ。実にいいわ! 流石ね、一夏ちゃん」

「和行の為ならこれくらい造作もないです」

「今の一夏ちゃん、物凄く輝いて見えるわ」

 

 もうやだこの二人。俺、家に帰りたい。どこぞのスクールアイドルじゃないけど切実にお家帰りたいです。ほら、周囲の男達がうちの母さんと俺の女神である一夏が女性という事と二人の気迫に気圧されてなんか縮こまってるもの。そこの二人、頼むから自重しやがれください。

 さっきからこの調子な所為で頭痛が痛いです。もう言葉の誤用なんか知ったことか。はあ、ヤケ酒ならぬヤケ炭酸飲料をやりたい気分だよ。

 

「和行。次はこれ着てみて」

「はいはい……」

 

 一夏に手渡された服を手にしながら、俺はボックス型の試着室へと戻る。冗談抜きでさっさと試着済ませて帰りたいのだが、あの二人がそうは問屋が卸さないと言わんばかりに俺の退路をがんせきふうじしてきやがるから逃げられない。とても辛い。

 あの二人が野郎の服売り場に居るのもいただけない。一夏はあの通り最強美少女だし、母さんはまだ三十代な上に美人だからな。悪い男とかに声を掛けられないか心配だ。母さんはぽっくり逝っちまった親父一筋らしいから大丈夫だとは思うけど、息子としてはかなり不安だ。その内、俺の為とか言って再婚する可能性も否定できない。もし仮に俺と年齢が近い二十代とかの男を父親とか呼ぶ羽目になったら、織斑家に一夏と共に逃げ込んで一夏の胸で泣いている自信ある。

 一夏がもし声を掛けられたら、その時点で声を掛けてきた男にガン飛ばしてから一夏の手を無理矢理掴んで一緒に逃げます。一夏がチャラいというかそういう感じの男と居るのを想像したくないし、何より一夏にそんな男なんて似合わない。あいつのことだからそんな男に付いていく事や付き合うことなんてないだろうけどさ。

 

「ほい。着たぞ」

 

 そんなこと考えている内に着替え終えた俺は母さんと一夏に押し付けられた服を見せつけた。ネイビーの普段着用テーラードジャケット、Tシャツ、黒スキニーパンツ。靴は外出する際に履いてきていたスニーカーといった出で立ちだ。さあ、笑うなら笑え。笑われる覚悟は出来ているぞ。俺にこんな格好なんて似合わねえんだよ。そこら辺の安い服で十分なんだよ俺には。

 

「ふわぁ……カッコいい」

「うん。良いわね。これも買いで」

 

 ……あ、あれ? 俺が想像していた反応と二人の反応が違うんですけど? 母さんはうんうんとなんか頷いていて、一夏の方は俺の方をうっとりとした顔で見てきているし。あの、やめて。その顔、冗談抜きでエロいからやめて。一夏の事をお持ち帰りしたくなったからマジでやめて。

 ていうかさ、今朝もそんな感じの顔してなかったか? 頼むからその表情はアウトだから自重してくれ。お前のその顔を俺以外の男に見られたくないんだよ。一夏のこういう表情見ていると俺の独占欲が高まっていくからホント辛い。自分でも頭おかしいんじゃないかってくらいに。

 

「じゃあ着替えていいわよ」

「はい……」

 

 母さんの言われた通り、俺はまた試着室の中に戻る。……ちょっと待って。今日家を出る時に着ていた服に着替えてるんだけどさ、試着していた服の値段見ただけで吹き出しそうになったんだけど。気に留めていなかったけどこんな値段するのかよ。まさか、さっき試着した服も同じような値段なんじゃ……俺、こんな値段の服要らないよ? 安い服で良いよ。なんか怖くなってきた。

 そんなことを考えながら試着を終えて試着室から出た俺は、やっぱりこんな服要らないと母さんに伝えたのだが、

 

「駄目よ」

「なんでさ」

 

 母さんから帰ってきた言葉は俺の要求の却下するものだった。えぇ……マジで駄目なの? そんなー。ダレカタスケテー。はははワロス。泣きたい。冗談抜きで俺にこんな服に合わないから。この手の服を着ても、どうせ弾や数馬や鈴に笑われるだけだと思うし。うん、絶対笑うよあいつらは。

 

「じゃあ、私は会計に行ってくるから」

「もう好きにしてくれ……」

 

 有頂天になっている母さんの言葉に投げやり気味に返しながら俺は盛大にため息を吐いた。溜息吐かない方がおかしいでしょこれ……。母さんの着せ替え人形にさせられていた箒、鈴、一夏の気持ちがよく分かりました。明日から一夏にはかなり優しくすることにします。鈴は今度会ったときにでも優しくします。箒は現在住んでいる場所が分からないので無理です。

 そうだ、一夏には後で今日の仕返し――じゃなくて、お礼としてお姫様抱っこしてあげよう。そうしよう。

 

「和行、どうしたの?」

「俺に似合わないってあれ……」

「大丈夫だよ。ばっちり似合ってたし」

「あの、馬子にも衣装って知ってる?」

「和行」

 

 真面目な顔で俺を見てくる一夏に少しだけ困惑した。なんでお前がそんな顔するんだよ。俺なんかにこんなオサレな服なんて似合わないんだよ。俺がそんなことを心の中で吐きだしていると、おもむろに一夏は俺の左手を両手で握ってきた。

 

「い、一夏!?」

「あまり自分の事を卑下しないで。私、自分の事を馬鹿にしている和行の言葉なんて聞きたくないよ」

「……でも」

「分かってる。和行がそういう人だって。だからね、これから自分に自信を付けていこ? 私も手伝うから」

「う、うん。分かったよ」

 

 一夏のその言葉に俺は頷くしかなかった。な、なんなんだ。一夏のやつ、俺に対して献身的すぎるぞ。まだ頭が一夏の態度の変化を受け入れようとしていないんだよ。でも正直さ、こんなこと言われて嫌だなんて言える訳ないでしょ。無理だよこれ。身長差の影響で俺の事を見上げる形になってるから若干上目遣いなんだよ。一夏に背中を拭いてと頼まれたときもこんな感じだった所為で断れなかったし。

 上目遣い抜きにしても、俺ってなんだかんだで一夏に甘いっていうか弱いよね。一夏に対してはかなり優しくしてしまうし。これって惚れてしまった弱みなんだろうか。

 いや、それよりも一夏に言っておかなければいけないことがある。さっきから野郎共の嫉妬に満ちた突き刺さるような視線が辛いんだよ。早く手を放してくれないと俺の胃に穴が開く。

 

「一夏」

「なに?」

「あの、いい加減手を放してくれないか?」

「え? なんで?」

「周りを見てみろ」

 

 俺が一夏にそう促すと、一夏は周囲を見渡し始めた。ようやく一夏も自分達がどんな目で見られているのか気付いたのか俺から手を放してくれた。顔でも赤くしてるのかと俺は思ったのだが、俺の予想に反して一夏は顔を羞恥に染めたりしていない余裕がある表情をしていた。

 

「そっか。和行ってば恥ずかしかったんだね」

 

 ……本当にあの日から一夏に何があったんだ? わからん。冗談抜きで一夏が何を考えているのか分からなくなってきた。鈴はどうして一夏がこういう態度を取るのか理解できてたっぽいけど、その事に関して口を割る気はないみたいだし。

 俺が一夏の態度に疑問符を浮かべ続けていると、母さんが会計を終えたのか俺達の下へと戻ってきた。俺は母さんから買い物袋を大人しく受け取った。もう諦めたからね、仕方ないね。買うものは買ったし、そろそろ昼食時なのでレゾナンス内かレゾナンス近くの店で食事をする為に動き出そうとしたのだが、その前に一夏はお手洗いに行きたかったらしいので俺は母さんと一緒にトイレの近くで待つことにした。

 なんていうか、女の子になっても一夏はどんな時でも自分の言いたい事は物怖じしないでちゃんと言う方だよね。トイレに行きたいとか誤魔化すと思ったんだけど。そこがあいつの良いところでもあり、駄目なところでもあるんだが。まあ、最近は空気を読まずに発言する事は殆どなくなったけどさ。

 あ、そうだ。今のうちに母さんに相談してみるか。

 

「母さん。相談があるんだけど」

「なに~?」

「一夏の態度がさ、俺が一夏を看病した日から変わっている気がするんだよ」

「確かに一夏ちゃんは和行に甘くなったりしているわね」

「なんで俺への態度が急に変わったのかな……」

 

 恐らくだけど、母さんは一夏の俺に対する態度が変わった理由を知っているだろう。何故だかそう直感する事ができた。それに多分一夏と母さんはその理由を俺に隠す為になんらかの話し合いをしたに違いない。だから母さんに疑問に正直に答えてもらうことなんて期待していない。せめてヒントだけでも欲しいんだ。

 

「疑問に思うのは当然よね」

「当たり前だろ。あんな事されたら気になるに決まってる」

「一夏ちゃんに甘やかされたりするのは嫌?」

「嫌じゃないけど……なんかこう、しっくりこないというか」

 

 一夏が俺に向けてくる感情や言葉はむしろ心地よいものだ。好きな女の子に褒められたり、優しくされているんだから尚更だ。でも、だからこそ気になってしまうんだ。なんで一夏は俺に先程のような言葉を掛けてくるんだろうって。

 

「そうね。理由はその内分かるんじゃないかしら」

「根拠は?」

「女の勘」

 

 またかと口に出しそうになるが、ぐっと飲み込んでおくことにする。でも今はそれだけでいいか。無理に聞き出すなんて俺の趣味じゃないからな。

 そうやって自分を納得させていると一夏がお手洗いから戻ってきたので、俺達は昼食を食べるために再び足を動かすことになった。母さんの提案により、レゾナンス近くにあるファミレスで食事をすることになった。ここにはよく鈴や弾や数馬、俺と一夏で駄弁るのと腹を満たすのを両立するためによく来ているので、変に気を張らずに食事することが出来ると思う。

 禁煙席に案内された俺達はそれぞれ座りたい場所に座る。一夏は窓側、その隣に俺。俺達の向かい側に母さんが座った。まあ、こうなるよね。俺は一夏と一緒に座りたかったし、母さんは自ら進んで反対側に座っているし。母さんはメニューを手に取ると、それを俺達の方に見せる為にテーブルに広げた。

 

「一夏はなに食べる?」

「カルボナーラ。和行は?」

「カツ丼定食だ。母さんは?」

「私はカキフライ定食にするわ」

 

 なんか綺麗に割れたな。俺と母さんは和食なのに一夏はイタリアンだし。あれ、なんだか一夏が口を尖らせ始めたんだが……。一体どうしたんだ?

 

「私、やっぱりカツ丼定食にする」

「これ、カルボナーラよりカロリーあるぞ? いいのか?」

「いいの。……和行とお揃いだから気にしないもん」

 

 え、俺とお揃いなのが良いの? ……嬉しいんだけど、なんだこの複雑な気持ちは。一夏のやつ、前は自分の好きなものを頼んでいたのに、最近ではこうやって俺と同じ料理や飲み物を飲みたがることが多い。

 この前、二人してきゅうり味の炭酸飲料を飲んだ時は酷い有様になったな。俺がスーパーのワゴンに投げ売りされてた謎の復興販売されたばかりのきゅうり味の炭酸飲料を買ってきて、冒険気分で飲もうとしたところに一夏も便乗したんだよ。俺は止めておけと再三止めたんだが、一夏の奴がどうしても首を縦に振らなかったので俺の方が折れたんだ。その所為で二人してグロッキー状態になってたよ。勿論残すようなことはせず、俺が責任を持って全部飲み干しました。

 俺がそんなことを考えている内に母さんがお冷を持ってきた店員さんに向かって三人分の注文を終えていた。料理のついでにドリンクバーも頼んでくれていたらしく、俺は三人分の飲物を持ってくる為に席を立った。俺が通路側に座っているんだし、俺が行った方が良いでしょ。

 

「母さんはなに飲む?」

「ウーロン茶」

「一夏は?」

「和行と同じ物」

 

 俺は「はいよ」と呟くとそのままドリンクバーに向かい、ウーロン茶とメロンソーダを二つコップに淹れる。鈴達に罰ゲームで複数のドリンクを運ばされた時のテクニックを駆使して、三人分の飲み物を無事テーブルへと持っていくことに成功した。あの経験がこんなところで役立つだなんてと阿呆な事を考えていると一夏が俺の袖を引っ張ってきた。俺は反射的に一夏の方へと顔を向ける。

 

「なに?」

「なんでもないよ。和行の顔を真正面から見たかっただけだから」

 

 ……あの、なんで他のお客さんも居るファミレス内でそんな小恥ずかしい事を言えるんですか君は。体と顔が熱くなってきたぞおい。母さんも俺達のことを暖かい目で見てきているし。……一夏の馬鹿。

 心の中で軽く拗ねてると頼んでいた料理が運ばれてきたので、俺は気持ちを切り替えて昼食をいただくことにした。ここは全部支払ってくれると言った母さんに向かって挨拶をすべきだろう。

 

「いただきます」

 

 そう口にしてから俺はカツ丼定食を食べ始めた。やっぱりここのカツ丼は美味い。肉の柔らかさと卵の閉じ加減がかなり良いんだよ。ほんと箸が進む。でもやっぱり俺は一夏の作るトンカツやカツ丼の方が好きかな。一夏の思いが籠っている感じがして大好きだ。

 

「和行。ほっぺにお米付いてるよ?」

「え、マジか」

 

 一夏の指摘に俺は紙ナプキンを取ろうとしたのだが、その前に一夏が俺の頬に手を伸ばしていた。……あの、なんか今年の夏祭りの光景がデジャブったんですけど。これ、次の瞬間には一夏に頬に付いている米を取られるんじゃないでしょうか。いや、取られるよねこれ。あのイケメン力を美少女力へと変換した一夏ならやってのけるだろう。

 

「はい。取れたよ」

「あ、ありがと。一夏」

 

 はい、予想通りでした。一夏が俺の頬に付いている米粒を取りました。そしてあろうことか、一夏はその米粒を自分の口元へ運んだ。白魚のような指に付いた米粒を口に含み、少し咀嚼してから一夏は米粒を飲み込んだようだ。

 ……ごめん。理解が追い付かない。え、え? いま一夏は何をした? 俺の頬に付いていた米粒を食べたよね? な、なんでそんなことできるんだよこいつ。ちょ、待って。冗談抜きで恥ずかしくなってきた。

 

「和行のほっぺたに付いてたお米……お米……えへへ」

 

 当の一夏はそんなことを考えていないのか、物凄く嬉しそうにしながらそんなことを呟いていた。クッソ恥ずかしいぞこれ! 一夏の奴、何を考えてるんだ!? 母さんはどんな反応をしているのだろうかと母さんの方を見てみると、

 

「私もあの人とこういうことやってたわね。懐かしいわ~」

 

 何故か過去のことを振り返ってました。てか、母さんの口ぶりからして親父と母さんも今の俺と一夏のようなシチュになったことがあるのかよ……。そんな事実知りたくなかった。

 その後、俺は何も喋らずにもくもくとカツ丼を食べ終えたよ。俺に遅れて一夏や母さんもご飯を完食した。昼食を終えた俺達はお腹を休ませてからファミレスを出て帰路に着くことになったのだが、母さんは支払いを終えると今日買った服が入った服を持って先に帰宅しました。そんな母さんに置いてけぼりを喰らった俺と一夏は、まだ照り付けている太陽の日を背に二人並んで歩いている。

 今日はなんだか一夏に困惑させられっぱなしだった気がする。特にファミレスでのアレが。だけど、

 

「和行。また買い物に行こうね?」

「ああ、そうだな」

 

 隣を歩く一夏の笑顔に、俺の些細な疑問なんて頭の中から完全に吹き飛んでしまった。……うん。やっぱり俺、一夏には甘いみたいだ。




うちの一夏ちゃんは軽くぶっ飛んでるので、草食系というか貞淑というかまともな一夏ちゃんが見たい人は気を付けてください(今更)


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第二十八話 俺の知ってるテニスと違うんだが

 時期は十一月中旬。既に秋を通り越して、冬に近づいている。俺は一夏と一緒に休日を利用して、母さんの伝手で用意された運動施設に来ていた。母さんがわざわざ用意したとあってか、利用しているのは俺と一夏だけだ。あとは施設を管理している職員たちが居るくらいだな。明らかに俺達二人の為だけに貸出するような施設じゃない気がするがもうツッコむのは諦めた。

 

「和行。ちゃんと準備運動してよ?」

「分かってるよ」

 

 俺はそう返しながら準備運動を始める。実はこの施設を利用するのは今回が初めてではない。以前にもこの施設を利用したことがあるんだよね。一夏が女の子になって学校に通うに当たって転入の時期を誤魔化すために病弱設定を追加してしまったんだが、その弊害で一夏は体育の授業で少し運動する時にしか体を動かすことが出来なくなってしまった。

 一夏のストレス発散とか思う存分体を動かしたいという一夏の願いに応えるべく、母さんがゴニョニョ――じゃなくて、ごにょごにょして使えるようにしたとのこと。ごにょごにょと言っても脅したとかそういうのじゃなくて、自身の権限をフル活用しただけらしいのだが。さて、そんなことを考えている間に準備運動も終わったので一夏のことに集中しよう。俺達はこれからテニスをやることになっている。

 この際だからはっきり言うけど、俺としては一夏にはあまり激しい運動してほしくないんだよなあ。幾ら検査して体に問題ないと判断されてるとはいえ、一夏の体が心配なんだよ。あと一夏のクーパー靭帯へのダメージとかを考えるとどうもね。あの貴重な釣鐘型おっぱいというかロケットおっぱいにダメージが入るとか駄目だよ。こうやって運動する時だけはちゃんとスポーツブラを着用して、胸を固定しているらしいので大丈夫だとは思うんだが。

 

「どうしたの和行」

「その、なんだ。一夏のその服、似合ってるぞ」

「ふぇ!? あ、ありがと……」

 

 俺の褒め言葉に一夏が驚いてから俺にお礼を言ってきた。うん、可愛い。天使だわ。いま一夏が身に着けているのはテニスウェアだ。スカートから伸びる脚が実に艶めかしいです。あの程よく脂肪と筋肉が付いていそうな太腿なんて最高だ。頬擦りしたい。ヤバい、このままだと一夏の太腿をガン見しまくって一夏に怒られるかもしれない。我慢だ我慢。ちなみに一夏が着ているテニスウェアは一夏の私物ではなく、うちの母さんが用意した物らしい。なんでテニスウェアなんて持ってるんだよ母さん。

 そんな一夏とラケットを握りながら対峙している俺はうちの学校のジャージだ。俺にテニスウェアなんて要らねえんだよ。ジャージで十分だ。先行は一夏、後攻は俺といった感じでテニスを始めることになったのだが、

 

「えっ?」

 

 ……あの、すいません。俺の目がおかしいのか、一夏の背後からオーラ的なものが出ているのが見えるんですけど。幻覚でしょうか? あと心なしか一夏が分身してませんかあれ?

 

「……は?」

 

 あ、駄目だこれ。俺じゃ一夏の相手なんて務まらないわ。こっちに向かってきていたはずのボールが一瞬消滅してから、俺の背後に着地した時点で察しました。

 

 ――こいつ、まともなテニスする気ねえ。

 

 その後も、最早テニスじゃなくてテニヌ染みた一夏のとんでもない攻撃よりどんどんポイント取られました。俺が攻撃する番になったが、さっきの一夏の所為で最早まともに試合することができなくなったのでボロ負けしました。だってボールを打ち返そうとしても、ボールを受け止めたラケットごと俺の体が後方に吹き飛ぶからほぼ勝てない状態だったし。どうしてこうなるの? なんであいつテニヌ出来るの?

 

「お前、なんであんなテニスが出来るんだ?」

「え? 何処かおかしかった? 千冬姉もあんな感じでテニスしてたらしいけど」

「俺の知ってるテニスと違うんだが」

 

 俺の率直な疑問に対して、一夏が曇りのない顔で答えたせいで頭を抱えそうになる。織斑姉妹が人外過ぎる件について。どういうことなの……。いやね、千冬さんならまあテニヌとかできそうだなとか冗談半分で考えたことあったけどさ、一夏までテニヌをやってくるとは思わなかったよ。織斑の血がそうさせているのだろうか。

 

「暑い……」

 

 運動した影響で体が熱くなってきたので上着のチャックを開けることにした。スボンの中に入れていたTシャツを出していると何かを嗅ぐような仕草をした一夏の顔が急に赤く染まり、目元を緩み始めた。え、どうかしたのか? 何処かぼうっとした顔してるし。

 

「一夏、大丈夫か?」

「ひゃ!? な、なに!?」

「いや、なんかぼうっとしてたからさ。スポドリ飲むか? 飲むなら持ってくるけど」

「あ、うん。ありがと、飲むよ」

 

 俺は荷物を置いている男性用の更衣室へと向かう。二人分のタオルと常温で置いておいたスポーツドリンクを手にして戻ると一夏の分を彼女に手渡した。

 

「ほい。常温のやつだ」

「ありがと」

 

 こいつ、十代の癖に健康に五月蠅いから運動して熱くなっている体に冷たいスポーツドリンクは駄目だって言って聞かないんだよ。だからこうやって温めのやつを持ってきておいた訳で。

 あ、そうだ。今のうちに一夏にあの事を聞いておくか。汗をゆっくりと拭きとって、今はスポーツドリンクを少しずつ飲んでいる一夏に俺は問いかけた。

 

「一夏」

「なに?」

「お前、クリスマスは予定空いてるか?」

「空いてるよ。それがどうしたの?」

「そのなんだ、今年は皆でクリスマスパーティでもやらないか? 誕生パーティの時みたいに」

 

 俺の言葉に一夏は目をぱちくりとさせていた。あらやだ可愛い。お持ち帰りしたい。いや、今はそんなこと考えている場合じゃないな、うん。

 

「パーティ、かあ。うん、良いよ」

「ホントか?」

「うん。だってあの誕生日のパーティ楽しかったし」

 

 見惚れてしまう笑顔を俺に向けてくる一夏は本当に嬉しそうだった。俺と一緒に居ると嬉々とした表情をすることが多いが最近はより一層楽しそうにしているというか。

 

「プレゼントは何が欲しい?」

「……うーん。パーティで和行が料理作ってくれればそれでいいよ」

「え? そんなので良いのかよ?」

「うん」

 

 全く……。相変わらずこういった事には欲がないというかなんというか。今までの誕生日とかクリスマスでも他の皆が用意してくれたプレゼント受け取ることばかりで、年頃の野郎が欲しそうな物を欲しがったりしなかったからな。でもなあ、俺の料理が良いって言ってくれるのは嬉しいけどそれだけでは俺の気持ちが収まらない。また一夏に内緒でプレゼントを買うか。

 

「そういう和行はなにが欲しいの?」

「俺?」

 

 プレゼント、プレゼントねえ……。俺は一夏に貰える物ならなんでも嬉しいけど、ゲームとかタブレットとかライトノベルとか趣味関連の物はその内自分で買おうと考えてるから、クリスマスプレゼントとして欲しいものなんてないな。……あれ? これじゃ俺も一夏と大差ねえじゃん。

 現実逃避気味に一夏を少しだけ見つめてみる。そうだな。このまま何も要らないって言うのも癪だし、いま頭の中に浮かんだこの考えを一夏にぶつけてみるか。

 

「俺はパーティで一夏の料理が食べたいな」

「え、私の料理?」

「駄目か?」

「ううん、和行がそれでいいなら頑張って作るよ」

 

 一夏は口元に笑みを浮かべて俺を見てきた。一夏のその笑顔をずっと見ていたいと考えてしまった。だってこれ、完全に女神のそれですよ。

 

「似たもの同士だね、私達」

「そうだな」

 

 一夏と会話をしながら俺も笑みを溢す。やはり、俺と一夏はこういうところは意外と波長が合うのかもしれない。いや、他の所でも結構波長が合っているような気がしないでもない。好きなケーキとか好きなアイスとか。……食べ物ばっかだな。

 

「どうしたの和行?」

「ん? もし一夏と付き合ったらどうなるのかなって想像してた」

 

 こちらを覗き込んでくる一夏に対して誤魔化すように冗談を口にしたのだが、

 

「え、え。私と付き合う? え、ちょ、ちょっと待って!? わ、私と和行が……」

 

 なんか俺が想像してた反応と違うでござる。俺はてっきり、真顔で「そういう冗談やめてよ」とか言われると思ってたんだが……。なんだこれ、可愛すぎるだろ。これじゃまるっきり乙女の反応じゃないか。

 ……こいつ、本当に男に戻る気があるんだろうか。男に戻る為に色々我慢すると言って、女性特有の苦労とかその他諸々を耐え抜いていた一夏は何処かに消えてしまったと直感してしまった。今ここにいる一夏はもう男に戻る事なんて考えてないんじゃないかと勘ぐってしまうほどだ。もしそうであるなら、一体何が一夏をそう思わせるに至ったんだろうか。

 

「他の女の子に興味が向かないように私が色々と処理しないと駄目だよね。うん、大丈夫。受け止める覚悟はとっくにできてるし」

 

 一夏の危ない発言はスルーして、俺は頭を働かせ続ける。

 ――理由なんて分かり切ってるだろ。馬鹿か俺は。俺はまだ受け入れられないだけなんだ。気付かないように目を瞑ってただけだ。俺、一夏に対して好感度を稼いだというか好かれるようなことをした覚えないんだけどなあ……。自分がやりたいって思うことを一夏にしてきただけだし。何が切っ掛けだったのやら。

 

「ね、ねえ。和行は私とそ、そういう関係になりたいの?」

「……すまん。今のは冗談だ」

 

 本当ならイエスと言いたいところだったが、持ち前のクラススキルであるチキン精神が発動してしまった。お蔭で一夏の言葉を否定する形になったよ。俺、マジで馬鹿なんじゃないの? これ一夏のやつ怒るだろ絶対。ていうか、なんでこんな冗談言ったんだよ俺。

 

「――冗談? 和行って冗談でそう言うこと言う人なんだ。ふーん……」

 

 真正面に居る一夏は顔を伏せていた。冷たい声音を喉から吐きだしながら、俺の方へと近づいてきている。多分、顔を憤怒の色に染め上げているんだろうな。ほら、言わんこっちゃない。このある意味危機的な状況の中、俺の中に浮かんでいる考えは一つだけだった。

 

 ――話題の選択、ミスった。

 

「和行」

「はい」

「正座」

「はい」

 

 一夏に言われるがまま、俺は一夏の前に正座をする。そのまま俺は帰宅する時間になるまで一夏にお説教されました。説教の途中で「あのさぁ……」とか「悔い改めて」とか言われた所為でお尻の穴がきゅっとなったが気にしない方向で。俺はホモじゃないから。

 いや待て、元男の一夏のことが好きな俺はやはりホモなんじゃないか? でも、今の一夏は正真正銘の女の子だから問題ないよね? ホモはレズ。レズはホモ。ホモはノンケ。ノンケはホモ。レズはノンケ。ノンケはレズだ。仮にホモだとしてもノンケという名のホモだから何も問題ない。今の一夏は女の子で俺は男だ。つまりホモではなくてノンケ。Q.E.D.ですね。なんかホモだのレズだのノンケだの言いすぎた所為で混乱してきた。

 よし、別の事を考えよう。一夏のおっぱいの事を考えるんだ。押し付けられた感覚だけで語るのならば、一夏のおっぱいは柔らかくて張りもある俺好みのおっぱいだ。残念なところがあるとすれば、服とブラジャーという障壁二つ越しにしかその柔らかさを知らないということだ。障壁なしであの感覚を味わったら多分鼻血を出す間もなく気を失うわ。

 

「いま変なこと考えてなかった?」

「何の事だ?」

 

 一夏にバレかけたので何とか誤魔化しておく。俺達は自宅に向かって帰宅している途中だ。帰宅するにあたって、一夏はシャワーを浴びてからテニスウェアから私服に着替え終えている。ブラもスポーツブラから普段使っているブラに変えているはずだ。俺もジャージじゃなくていつもの服装になっているし。もちろんシャワーは俺も浴びたよ。汗臭い男が隣を歩くとか流石の一夏も嫌がるだろうし。

 まあ、そのことは今はいいや。俺の左を歩く一夏なんだが、

 

「その、一夏。本当にごめん」

「ふん」

 

 ご覧のとおり、まだぷりぷりと怒っています。確かにあんな冗談を言った俺も悪かったけどさ、ここまで不機嫌になられるとどうすればいいのか分からん。何とか一夏の機嫌を直さなければ。

 

「一夏、お願いだから機嫌直してくれよ。俺、なんでもするからさ」

「……今、なんでもするって言った?」

 

 あれぇ? なんでこんな臭い会話になってるんだろ。だが、一夏に何でもすると言った手前引くわけにはいかない。あ、でも、なんでもするとは言ったけど限度があるからね? そこら辺は分かっていただきたい。さて、一夏は俺にどんな要求をしてくるんだろうか。

 

「じゃあ、私と手を繋いで」

「へ?」

 

 なんだ、そんなことか。ならお安いご用だ。俺は左手で一夏の右手を優しく握る。だが、一夏の顔はムスっとしたままだった。あれ? なんかミスった?

 

「ごめんね。言い方間違えた。――恋人繋ぎして」

 

 一夏のその言葉を理解するのに数秒ほど掛かってしまった。あの、えっと。俺達って付き合ってないですよね? なのに俺と一夏が恋人繋ぎしていいのか? いや、一夏がしてくれって言ってるんだから恋人繋ぎしていいんだろうけど。あの、ものすっごく恥ずかしいんだけど……。でも、やらないと一夏が拗ねままだしなぁ。やるよ、やってやるよ。

 腹を括った俺は一夏と恋人繋ぎをした。あ、なんか前より一夏の手が柔らかすぎてヤバいかもこれ。

 

◇◇◇

 

 私の右手に和行の左手の温もりが覆いかぶさった。和行のごつごつとした男性特有の手に私は安心感を抱いてしまう。和行とこうしていると本当に落ち着く。はぁ……もう、和行の馬鹿。冗談であんなこと言うなんて最低だよ。今まであんな冗談を言う人じゃなかったのに。少しだけ本気にしちゃった私の気持ちを返してほしいよ。一体何が和行を変えたんだか……。

 まあいいか。和行とこうして恋人繋ぎをすることが出来てるんだから。付き合ってもいない状態で恋人繋ぎするのは嫌って言う女性はいるみたいけど私はそんなこと気にしない。だって、相手は和行だし。何より言い出したのは私だから。

 

「和行」

「なんだ?」

「許してあげる。さ、帰ろ?」

「あ、ああ」

 

 お互いに手を繋げたまま、私達は家へ帰る為に足を動かし始めた。……本当は何となく分かってるんだ。和行がちょっとだけ変わった理由。あれって――いや、駄目だ。これ以上はやめておこう。

 それよりも和行の格好いいところを考えよう。勉強を頑張っている和行って結構様になってるんだよね。あれかなりカッコいいよ。頑張る男の子って良いよね。あ、やばい。涎が出そう。こういう事ばかり考えているのを弾や数馬に知られたら和行マンセーとか言われそうだけどこればかりは許してほしい。だって和行の事が好きなんだもん。

 ……でも、ちょっとだけ怖くなってきてもいる。和行への恋心を自覚してから、男だった頃の記憶が以前にも増して私の脳裏を駆け巡ることが増えたから。お前は女ではなく男だと私の本能が告げてきているようだった。気にし過ぎなのかもしれないが、私は漠然とした不安を抱えるようになっていた。

 私はもう男に戻りたくない。鈴達が私が男に戻るのを望んでいたとしても、私は絶対に拒否するよ。私は女として和行と添い遂げてみせるって心に決めたんだから。

 

「ねえ、和行」

「ん?」

「今夜は何が良い?」

「シチューかカレーライスが食べたいな」

「あ、ごめん。カレーのルー切らしてた」

「じゃあシチューでいいよ」

「うん、わかった」

 

 気を紛らわせるために和行と今夜の晩御飯をどうかするかの会話を交わす。そんな最中でも考えてしまう。幾ら覚悟を持っていても、何れ私は男に戻るんじゃないかって。女の子の状態から男に戻ったら、私のこの恋心はどうなるのって。……怖いよ。本当に怖い。

 不意に私の右手を握っている和行の手の力が強まったように感じた。あれ、もしかして私、また顔に出してたかな? 和行の方を見てみるといつになく優しげな顔で見てるもん。やめて、胸が今きゅんときたからその顔やめて。

 

「大丈夫だ」

「え?」

「お前が何を不安に思っているのか分からないけど、俺はお前の傍に居るよ」

「和行……」

「悩みがあるなら相談に乗るぞ?」

「ううん、大丈夫。これは私が解決しなきゃいけない問題だから」

「……そうか」

 

 ……もう、和行は本当にずるいよ。なんで私が掛けて貰いたいって思った言葉を的確なタイミングで言ってくるの? また私を惚れ直させようとするとか本当は狙ってやってるんじゃないのって口を尖らせたくなったけど、ここは抑えて和行へのお礼だけを述べることにした。

 

「ありがと、和行」

「おう」

 

 この何気ないやり取りも、和行のお蔭で特別のものになっている。和行に恋をして変わったんだっていう実感が私の中に根を張っているようだ。

 ――大好きだよ、和行。これからもずっと。この想いは絶対に変わらないって予感がする。私達の子供に孫が出来たとしてもね。

 ……そうだ。あとで和行のアレのサイズを確認しておかなきゃ。ゴムを装着する時にサイズ合わないと駄目だろうし。私は着けなくてもいいんだけど、えっちする際に和行ならちゃんと着けないとって言いそうだから。それに学生の身で妊娠は流石に不味いかもしれないし。私は今すぐにでも和行との赤ちゃん欲しいんだけどなぁ。




まだ理性を残している一夏ちゃんに違和感がある(何言ってんだこいつ)


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第二十九話 メリークリスマス(1/2)

今回で合計文字数が二十万字を超えました。


 季節は十二月下旬。学校は既に冬休みに入っていた。夏休みと同じで宿題は早々に片づけておきました。成績がまた良くなった一夏が手伝ってくれたお蔭でスムーズに終わったよ。いつもの三人は未だに苦戦している科目があるみたいだけど、まあ頑張れ。すまんな、今の俺には一夏と一緒に居る時間の方が大切なんだよ。イチカニウムを毎分摂取しないと死ぬ体になってるんだよ俺は。まあ、冗談だけど。イチカニウムというか一夏が傍に居てくれないと駄目になっているのは本当だが。

 ちなみに俺の成績だけど、一夏がサポートしてくれたお蔭で前に比べたら大分良くなった。成績表を配っていた峯崎先生にも驚かれたけど一番ビックリしたのは俺自身だ。冬休みに入る前に行われた期末試験の成績も良かったし、この調子なら中学三年生である間も勉強を怠らなければ藍越も必ず受かるんじゃないかな? 備えるだけは備えて後は楽観的に行こう。

 なんだか、最近俺は似たようなことを考えるようになった。前までなら悲観的なことは悲観的に捉えたままだったが、女の子の一夏と過ごすうちになんだか内面まで変わってきたような気がする。これって恋の力なんだろうか。

 

「さて、帰るか」

 

 時間を確認すると時間はまだ午前十時だった。食材の不足分の買い出しを終えた俺は身を貫く寒さの中、自宅に帰る為に足を動かし始める。今日は十二月二十四日。そうクリスマスイブだ。世の中ではメリークルシミマスだの、リア充死ねだのと罵る人が出てくる日だ。俺にはそんな戯言を言っている暇などない。パーティの準備で忙しいんだよ。んなことふざけたことを言ってる暇があったらチキン焼くわ。

 クリスマスケーキは既に一夏が作ってる頃だろうし、あとは料理を作るだけかな。それで時間が来たら皆でパーティをするだけだ。今回は一夏の誕生日パーティに来ていたメンバーに加えて、蘭ちゃんも来るらしいので多めに作らないとな。まあ、俺と一夏で作るんだから大丈夫だろう。

 そんなことを考えている内に織斑宅へと着いていた。俺はチャイムを鳴らすこともせずに玄関の扉を開けて中へと入っていく。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

 いつも料理する時のスタイルであるポニーテールにエプロン姿の一夏が俺を出迎えてくれた。なんか新婚の夫を出迎えてくれた妻みたいだな。――って、なに阿呆なこと考えてるんだ俺は。

 

「ほい。これで足りるか?」

「うん大丈夫だよ。寒かったよね? ココア淹れるね」

「おう、ありがとな」

 

 俺から袋を受け取った一夏はリビングへと先に向かう。俺も靴を脱ぎ、スリッパを履いてから彼女の後に続いた。勝手知ったる他人の家といった感じで俺は遠慮もせずに一旦、洗面台へ向かい手洗いうがいをしてからリビングへと入った。リビングに入った途端、温かい空気が俺の体を包み込んでくる。今日は寒い方だからなあ。いつもより暖かめに暖房を動かしているんだろうな。

 ジャンパーを脱いでいると、一夏が台所の方でミルクを温めているのが見えた。それから少しして電磁調理器がアナウンスを流してミルクが温まったことを一夏に知らせると、そのミルクで一夏はココアを淹れて俺の下へと持ってきてくれた。あまり熱くならないように温めてくれていたらしく、息を吹きかけて冷ますといったことをせずにそのまま飲むことができた。

 

「はあ……温まるぅ」

「やっぱり寒かったんだね」

「昨日よりはマシだったけどな」

「皆、大丈夫かな?」

「あいつらなら大丈夫だろ。それで、俺が出来ることってある?」

「んー……ないかも」

 

 えぇ……。体の力が緩慢して椅子から転げ落ちるかと思ったぞ。

 

「ほら、まだ料理を作る時間じゃないから」

「確かにそうだけど……」

 

 壁に掛けられている時計をチラッと見てみる。現在の時間は十時半。パーティ開始は十三時で、今から作ったら冷たい料理が出来るだろう。だから手間のかかる料理以外は十二時から作ることなっていた。

 だが、台所の方に視線を合わせるとどうやら手間のかかる料理はこいつが一人で処理というか下準備してしまったっぽい。あの、俺の仕事はないんですか? 本当にないの? 俺、このまま一夏が作業しているのをただ黙って見ているの嫌だよ? 俺にも手伝わせて。

 

「なんかこう、手とか動かしてないと落ち着かないんだけど」

「いいから休んでて。朝から和行には買い物に行かせちゃったし、昨日もクリスマスツリーを飾るのを手伝ってくれたんだから」

 

 ……これは俺が折れるしかないか。わかったよ。大人しくしてるよ。俺がわかったと一夏に告げると、一夏は台所の方へと戻っていった。まだマグカップに残っているココアを飲みつつ、俺は先程一夏が話していたクリスマスツリーの方を眺める。これは織斑家にあったクリスマスツリーではない。うちにあったやつを一夏の家に持ち込んで俺と一夏が組み立てたのだ。

 そういえば、千冬さんって今日家に帰ってくるのかな? 聞いておくか。

 

「一夏。千冬さんって今日帰ってくるのか?」

「今日は帰ってこれないって。大晦日前日には帰ってくるって言ってたけど」

「またか……」

「まただよ……」

 

 俺と一夏は二人して呆れてしまった。去年もこんな感じだったぞ。あの人、ワーカーホリックとかじゃないよね? 一夏の為に汗水たらして働いてるだけだよね? ちゃんと年末とかには帰ってくるだけまだマシなんだろうけどさ。

 

「なあ一夏」

「うん?」

「お前、千冬さんが家に居なくて寂しいとか思った事ないのか?」

 

 こいつ、昔からあまり寂しいとか言わなかったからな。千冬さんが高校を卒業する前は家にいることが多かったけど、卒業してからは家に居たりする時間がめっきり減ったし。表面上は気にしてない素振りをしてたけど、本当は心の中でどう思ってるのか気になったので尋ねてみたんだが、

 

「ないよ」

「本当か?」

「うん。だって八千代さんや鈴達が居てくれたし。でも、一番の理由は――」

「理由は?」

「和行が居たから、かな?」

 

 ……やばい。なんでお前、そんな曇りない笑顔で俺の事見てくるんだよ。くっそ恥ずかしい……。

 

「和行が私の傍に居てくれたから寂しくなかったんだって改めて思ったの。さんきゅーね、和行」

「あ、ああ」

 

 混乱しかけている俺にはどう返したらいいのか分からず、曖昧な返事しかできなかった。この手の言葉を掛けられて何も思わないわけないだろ。嬉しすぎるわ。好きな女の子に傍に居てくれてありがとうとか言われたら変なテンションになるっての。思わず破顔しそうになった俺は残っているココアを自分の頭に浮かんでいる考えごと一気に飲み干した。危ない危ない。お見せできない顔を晒すところだった。

 その後、一夏と他愛無い話をしている内に料理を始める時間が近づいてきたので俺も台所に立つことにした。自宅から持ってきたエプロンを着け、石鹸で手を洗ったついでにアルコール消毒をしてから一夏と一緒に料理を作り始めた。こうやって織斑家で一夏と一緒に料理を作ったのって、一夏が女の子になった時以来な気がする。一夏が俺の家に住み始めてからは殆どこっちで料理しなくなったからな。

 

「なんかこうしているとあの日を思い出すね」

「あの日?」

「ほら、私が女の子になっちゃったあの日だよ」

「ふふっ……」

「何がおかしいの?」

「いや、俺も同じことを考えてたからさ」

 

 一夏も俺と同じことを考えているとは思わなかった。どういうわけか、最近こういうことが増えている気がする。一夏が考えていたことを俺も考えていて、俺が考えていることを一夏が考えているんだ。正直に言って気が合うってレベルじゃない気がする。

 

「そ、そうなんだ。わ、私達やっぱり気が合うね」

 

 うん。取り繕うとしていても若干頬が緩んでるから隠しきれてないよ、一夏ちゃん。そんなに俺と同じことを考えてるのが嬉しいのか。やっぱり一夏って俺に好意抱いてるよなこれ。その、なんだ。すっげえ嬉しいだけど。嬉しすぎて頭がどうにかなりそう。

 俺に抱き付いて来たり、世話を焼こうとしてきたのが気付いた切っ掛けだったけど、一夏の好意を認めるようになった決定的な原因はやっぱあれかな。前に夜中に起きてトイレに行ったことがあったんだけどさ、一夏の部屋の近くを通ると一夏が寝言で「和行。大好きだよ」って言ってるのが聞こえたんだよ。昼間とかの騒々しさが鳴りを潜める真夜中じゃなければ聞こえないくらいの声量だったんだけどね。最初は気のせいだと思ったんだが、それ以降も夜中に似たような寝言を口にしてたんで、認めざるを得なかったんだよ。

 ……一夏の「ゴムなんて要らないよ」とか「和行の赤ちゃん欲しいよぉ」って寝言だけは聞かなかったことにしてる。あの、ちょっと気が早過ぎない? 俺は高校を卒業するまでは子供を作る気なんてないぞ。そもそも学生の身で子持ちとか駄目だと思うの。てか、一昨日も夜中に起きてトイレに行ったら一夏が同じような寝言呟いてたんだけどさ……あいつ、もしかして寝てる時は俺の事しか考えてないのか? 一夏にその事を確かめるつもりはない。下手したら一夏が爆発しかねん。

 

「ああ、俺達は気が合うな」

 

 頭の中に巡らせていた考えを頭の片隅に吹き飛ばしながら、一夏に適当に返すことにした。気の利いた言葉が思いつかないんだよ。許せ。

 料理をする手を止めずに作業を続けていると、一夏が小さく言葉を漏らした。

 

「なんだか、こうやってると共同作業しているみたい」

「お前、今なんて……」

「っ!? な、なんでもない! なんでもないよ!」

 

 一夏、誤魔化しても意味ないぞ。お前の今の呟き、俺の耳がばっちり捉えていたからな? はあ……。なんだかこいつ、墓穴を掘る事が増えたというかポンコツになっている気がする。元からうっかりした発言をする多々あったんだが、最近ではそういうのも表に出さなくなった代わりに俺関連でこんな風になっているんだよ。良い事なんだか悪い事なんだか……。そんなこんなで料理を続けていると大抵の料理が出来上がり、時間もそろそろ良い頃合いになっていた。

 クリスマスに必要なピザもあいつとパーティしている最中に出来上がるだろう。ピザが無いとクリスマスとは言えないと俺は思うんだ。あとチキンもないとね。ていうか俺ってば、基本的にクリスマスのことを周囲の人間に文句を言われることなく、ピザとチキンが食べられる日としか認識してないし。

 俺がそんな風に考えていると不意に玄関のチャイムが鳴った。お、あいつら来たのか。一夏に料理の仕上げは任せ、俺は玄関に行って鈴達を出迎えることにした。

 

「よっ。来たぜ」

「おう。よく来たな」

 

 弾の挨拶に俺はいつもの感じで言葉を返した。俺の目の前にはいつもの顔触れに加えて蘭ちゃんの姿があった。

 

「とりあえず入れよ。寒かっただろ」

 

 俺の言葉に反応して、皆が織斑家に入ってくる。リビングに戻った俺はいそいそとしている一夏と一緒に皆の分の飲み物を淹れて、リビングに入ってきた皆に飲物を手渡した。あったかいものどうぞといった感じで。

 

「にしても……」

「なんだよ、その目は」

「お前のエプロン姿っていつ見ても慣れないなって」

 

 ん? ああ。まあ、そうだよな。俺がこいつらにエプロン姿を見せるのって大抵は家庭科の授業で料理したりする時くらいだからな。その度に弾と数馬に弄られてるけど。

 

「やっぱ変か?」

「ああ。もう違和感バリバリ――ってえ!」

 

 蘭ちゃんが放った肘打ちが弾の脇腹に吸い込まれた件。飲物だけは零れないようにちゃんと死守している辺り、こいつ殴られ慣れてやがる。怖い、軽く弾の事が怖くなってきたぞ。お前、どんだけ蘭ちゃんに肘打ちとかされてるんだよ。余計なこと口走りすぎじゃないのか……。

 ヤバい。なんか痛みに悶えてる弾を見てたら、俺の脇腹まで痛くなってきたんだが。

 

「お兄! 失礼なこと言わない! すいません和行さん。うちの馬鹿兄が」

「ううん。大丈夫だよ、これくらいならいつもの事だし」

 

 これくらいなら、いつもの弾との軽口の範疇に入ってるからね。ていうか、これだとどっちが年上なのかわかんねえな。もう弾が弟で、蘭ちゃんが姉でいいんじゃない? 俺がそんなふざけたことを考えていると、その光景を見ていた鈴と数馬が呆れたような顔でぽろりと言葉を漏らしていた。

 

「何やってるのよあいつ……」

「なんか実家のような安心感がある」

 

 なんか思い思いの言葉を口にしていたでござる。特に数馬の言葉には全面的に同意出来るわ、うん。

 

「ねえ、和行。そろそろ時間じゃない?」

 

 一夏のその言葉に俺はパーティを始める音頭を取り、クリスマスパーティが始まった。

 

「一夏。少し休めよ。折角のパーティなんだし」

「え? でもまだピザとか並び終えてないし……」

「それは俺がやっておくから。ほら」

「うん、分かった。ありがとね和行」

「おう」

 

 俺は一夏の言葉を受け取りながら、一夏の代わりに彼女が焼いてくれたピザ等を並べることにした。その際、一夏は物凄く嬉しそうな表情をしていた。うん、やっぱ一夏は可愛いよ。ふと、誰かの視線を感じたのでそちらに顔を向ける。そこには蘭ちゃんが信じられないものを見たと言わんばかりの顔をしていた。

 ……まさか。蘭ちゃん、気付いたのか? そりゃあ気付くよな。一夏の顔が完全に恋する乙女になってるんだから。蘭ちゃんだけじゃなくて、多分鈴も気付いている。なんとなくだけど。一夏の俺への態度が急変した日に、鈴が言葉を濁していたのって一夏が俺を好きになっていることに気付いてたからなんだと思う。この二人、一夏の事が好きなんだよな……。

 考えていなかった訳じゃない。俺と一夏がもし付き合う事になったら、一夏に恋してた人達は必然的に失恋した状態になる。いやまあ、一夏が女の子になってる時点でバイとかじゃない限り大抵の子は失恋したも同然なんだけどさ。赤の他人なら別に気にするまでもなかったけど、身内とか知り合いとかに失恋した子が出るとなるとこうモヤモヤとした気分になってきてしまう。

 だからと言って、俺は身を引く気はないけどな。俺、もう一夏のことしか考えられないし。一夏以外の女の子と付き合うとかあり得ないというか想像もしたくない。一夏は俺だけのモノだ。一人っ子の我儘パワー舐めんじゃねえぞ。

 ……いかんいかん。折角のクリスマスパーティなのにこんな気分になるとか駄目だろ。仕方ない気持ちを切り変えるか。ところでさ、さっきからなんで料理に手を付けないの皆? 他人の家だからって遠慮してるの?

 

 ――そうだ。おいチキン食わねぇか。

 

「おい弾くぅん」

「な、なんだ?」

「俺が丹精込めて焼いたチキンだ。まずお前が毒――食べてくれ」

「おい待て。毒味って言いかけたよな今」

「気のせいだ」

 

 俺が焼いたチキンを皿に取って弾に向かってずいっと差し出す。弾はそれを受け取り、仕方ないと言わんばかりの顔でチキンに齧り付いた。こいつはこれでもあの美味い五反田食堂の息子だ。こいつに味見とかを任せても問題ないだろう。

 いやね? 俺と一夏だと、どうもお互いの料理を毎度の如く美味いとか言わなくてさ、ちょっと自分の料理の腕が上がっているのか自信がなくなったから客観的に味を見てくれる第三者が必要だったんだ。まあ、ぶっちゃければそこに弾が居たから弾を試食役に任命したってだけなんだが。

 

「あ、美味い」

「ホントか?」

「ああ、ほんとだ」

 

 うん、上手くできてたか。よかったよかった。

 

「おい。皆も食べていいぞ」

 

 俺のその言葉を合図に皆は料理を食べ始めた。ほんとにさ、なんで料理を食べるのを遠慮してたんだ? 今日は無礼講だぞ。そんなことを考えた俺は皆に疑問をぶつけたのだが、

 

「だって、な?」

「なんていうか料理が眩しすぎて目が焼けるというか」

「正直言って、これホントに手料理なの?」

「わ、私の手料理が霞んで見えます……」

 

 弾、数馬、鈴、蘭ちゃんの順に言葉が返ってきた。え……俺達の料理、そんなにアレなの? 俺からしたらいつもよりちょっと気合入れただけなんだが……。俺と一夏の感覚がおかしいのか?

 ま、まあいいか。俺は料理を食べている皆を横目に丁度焼き上がったピザをテーブルに持っていくとその近くで鈴と蘭ちゃんはお互いに慰め合っていた。なんだか、前の一夏の誕生パーティであった俺の料理のことでしてた弾達の会話よりも反応に困る光景なんだけど。

 美味そうに料理を食っている弾と数馬は放っておくとして、そこの二人のフォローは……うん、しない方が良いよね。下手に今の鈴と蘭ちゃんを刺激したらこっちに怒声が飛んでくるかもしれないし。

 

「鈴さん。私、二重の意味で心が折れそうです……!」

「蘭、気をしっかり保つのよ! ここで折れたら一生立ち上がれないわ。踏ん張るのよ、蘭!」

 

 なんか台詞だけ聞けばバトル物の漫画やラノベのシーンを彷彿とさせるのだが、……俺からはこれ以上何とも言えないわ。昔は一夏だけが料理で女の子の心を折っていく事が多かったが、俺までこちらが側に回ることになるとは読めなかった。このリハクの目を以てしてもな。

 

「みんなどうしたんだろ?」

「和行とお前の料理に皆打ちひしがれているだけだ」

 

 一夏の疑問に数馬がそう答えていた。お前、今日はなんか俺の気持ちの代弁者みたいなことやってんな。でもまあ、この締まらない空気も俺達らしいといえば俺達らしいのかな?



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第三十話 メリークリスマス(2/2)

 和行に休むように言われた私はソファーに座り、料理を運び終えて弾達と談笑している和行を眺めながら緑茶を飲んでいた。手前のテーブルには和行が私の為によそってくれた料理が置かれている。そう、私の為に。大事な事なんで二回言ったよ。

 和行ってやっぱりカッコいいよね。男の頃、よく和行たちに「お前ってイケメンだよな」とか言われたことがあったけど、そんな自覚なんて殆どなかった。むしろ弾とかの方がイケメンに見えてたから。それに今の和行は多分男だった私よりも格好いいと思う。私からすれば物凄いイケメンに見えるんだもん。

 なんなの? 私に対する魅了スキルでも持っているの? 反則すぎるよ。はぁ……和行カッコいい。彼氏になってください。

 

「ピザうめえ! キンキンにチーズが自己主張してきやがる!」

「和行って本当にピザ好きだよな」

「当たり前だ。ピザはこの世に生まれた史上最強の料理だぞ。好きにならない方がおかしい。このチーズとトマトの組み合わせはもうこれベストマッチと言わざるを得ない。それにだ! バジルソースを掛けた時の――」

「……すまん。俺、お前のそのノリだけはついていけそうにないわ」

 

 ピザを食べている和行の顔と熱弁している姿が生き生きしてて可愛い。弾と数馬は和行の表情と正反対の疲れた表情をしているけど。クリスマスイブ効果でもあるのか、和行の事を褒めちぎりたい気分になってる。皆が居なかったら和行を襲ってたかも。

 私は軽く危ないことを考えつつ、和行が焼いてくれたチキンをフォークで一口食べる。うん、和行の料理はやっぱり美味しい。いつもより気合が入っているのもあるんだろうけど、料理の腕を着実に上げてるからだと思う。それに私が食べやすいように肉を小さくカットしてくれたし。格好良くて、家事も出来て、気が利いて、優しいってもうこれ最強でしょ。自慢の旦那さんだよ。

 そんな風に和行の事を脳内で褒めちぎっていると、蘭が私に近寄ってきた。なんだか、今まで意識してなかったけどこうして蘭を見てみると蘭ってかなりの美少女だよね。

 

「一夏さん。お久しぶりです」

「うん。久しぶりだね、蘭」

 

 あのプール以来だよね。蘭とこうして顔を合わせるの。メールとか電話では結構お話してたけど。今時の女の子の流行とかの話とか聞かせて貰ったりしていたから。……どうしたんだろ? なんだか悩んでいる顔をしているような……。

 

「蘭、どうかした?」

「えっ?」

「なんか考え事でもしてた?」

「っ! い、いえ! なんでもないですよ! こういうパーティとかあまり参加したことないので、少し緊張してしまって」

 

 私の言葉に慌てたのか、蘭はそう返してきた。うーん、今は同じ女の子なんだし相談に乗ってあげられると思ったんだけどなあ。蘭が自分でなんでもないって言ってるんだからあまり踏み込むのも駄目だよね。男の時なら、そんなのお構いなしでズカズカと聞き出そうとしていたかも。でも、今はそんな真似をなんてしないよ。誰にだって言いたくないことの一つや二つあるだろうし。私にも言いたくないことあるから。

 例えば和行のトランクスの匂いを洗濯する前にいつも嗅いでいたり、たまに和行が先にお風呂入る時があるんだけど、和行の残り湯で興奮しまくったりしている。……うん、私って控えめに言わなくても変態だね。でも変態でもいいんだ。和行の事が好きだから。

 

「あの、一夏さん」

「うん?」

「その……男性に戻る為の薬って出来たんですか?」

 

 先程の表情と打って変わって真面目な表情で尋ねてきた。男性に戻る薬かぁ。……今まで忘れてたよ。だって、束さんは全然私達に連絡を寄越さないし、私はもう男に戻りたくないって思ってるから戻る方法なんて記憶の彼方にすっ飛ばしてた。

 はっきり言って束さんが口にしていた言葉なんて一ミリも信用していない。誰が私の事を強制的に女の子にした人の言葉を信じるなんて無理でしょ。でもあの人には感謝にも似た感情を抱いてもいる。だって、女の子にならなければ和行のことを好きになることなんてなかっただろうから。何とも複雑な気分だ。

 と、今は蘭の質問に答えるのが先決だね。でも、正直に男に戻る気はないと言う訳にはいかないし……よし、無難な言葉を選ぶことにしよう。

 

「それがまだみたいなの」

「そ、そうですか……。女の子にされて大変なのに、辛いですよね……」

「その、ありがとね。私の心配をしてくれて」

「い、いえ! お兄のお友達ですし、これくらい当然ですよ」

 

 なんだか本心を隠している気がしないでもないけど、さっきも言った通り下手に踏み込むことはしないよ。

 

「……私の想いはもう届かないんですね」

「蘭?」

「す、すいません。私、お兄が何かやらかしてないか見てきてます!」

 

 私に頭を下げて蘭は弾の下へと向かっていった。……蘭、なんであんなことを呟いたんだろ。私の想いってどういう意味? ……駄目だ。頭を悩ませても答えが出そうにないや。私は蘭が口にした言葉を頭の片隅に追いやり、和行の料理に再び手を付けることにした。手元にある料理を食べ進めていると、今度は鈴が私のところにやってきた。

 

「鈴」

「……隣、座ってもいい?」

「うん。いいよ」

 

 鈴は私の返事を聞くと、ドサっと勢いよく私の傍に座った。

 

「ちょっと鈴」

「なに?」

「そんな風に座ったらパンツ見えるよ?」

「なあ!?」

 

 私の指摘に鈴は素っ頓狂な声を上げた。当然のことを指摘しただけなんだけどおかしかったのかな? だってそんな勢いで座ったらスカートが捲れるに決まってるもん。だから注意したんだけど。幸いなことに和行は弾達と話すのに夢中になってて鈴の方には視線は向いてなかったけど。もし仮に和行の目に鈴のパンツが飛び込んでたら、ちょっと正気でいられなかったかも。

 和行が見ていい女の子の下着は私の下着だけだよ。和行が望むならいつでもパンツとかブラを見せるつもりだから。……早く和行と堂々とそういうことを出来る関係になりたいよ。

 

「あ、あんたねえ! 男なんだから女の子に向かってパ、パンツとか平気で口にするんじゃないわよ! 少しは言葉を濁しなさいよ!」

「あの、鈴? 私、いま女の子だから」

「……そうだったわね」

 

 羞恥に染まった表情から一転、鈴は先程の蘭と似たような悲しみに包まれた表情に早変わりした。……鈴といい蘭といい、どうしたんだろ。

 

「ねえ一夏」

「なに?」

「あんた、今楽しい?」

「うん。楽しいよ」

「女の子の苦労で嫌になったとかないの?」

「ないって言ったら嘘になるかな」

 

 正直言えば女の子特有の苦労の所為で女の子で居ることが嫌になったことはある。生理とか化粧とか色々なことでね。ほら、私って男として過ごしてきたのに途中から女の子になった訳だし。最初から女の子だったらそういうのにもあまり抵抗がなかったかもしれないけど。

 

「でもね、皆や和行が傍に居てくれたから私は乗り越えられたよ。だから」

「楽しいと思えてるってわけ?」

「うん。特に和行には感謝してるんだ」

「あいつに?」

 

 私は鈴の言葉を首肯する。辛いと感じる度に和行が近くに居てくれたから、和行が私に寄り添ってくれていたからここまでやってこれたんだ。和行が居てくれなかったら途中で潰れて自暴自棄になっていたと思う。ヤケクソな考えと衝動的な感情に突き動かされて女のままでいいと叫んでいただろう。それだけ和行の存在は私の中で大きいんだ。

 でも、今はあの頃と違う。私は自分の意思で女の子として和行の傍に居ることに決めたんだ。女の子である織斑一夏として和行に恋しているんだから。この思いは多分、死ぬまで変わらないと思う。ううん、死んでも変わらないかも。私がそんな確信めいたことを脳内で思い描いていると、鈴は何かを悟ったかのような表情を浮かべていた。

 

「……そうか。やっぱりそうなのね」

「鈴、どうかしたの?」

「なんでもないわ。じゃ、あたし弾達を弄りに行ってくるわ」

 

 私はそう言い残して弾達の下へ行く鈴を見送るしかなかった。本当に二人ともどうしたんだろ? 何かを悟ったみたいだけど……。うーん、分からない。喉元まで答えのようなものが出そうになっているんだけど、引っかかっているのか言葉にできない。私、二人に何か悪い事でもしたのかな……。

 って、クリスマスイブなのにこんな悩むような顔している場合じゃないよね。気持ちを切り替えるために和行の傍に行こう。そうしよう。

 その後、私達は料理を食べつつパーティを楽しんだ。和行と数馬と弾が馬鹿をやって、それに鈴と蘭が呆れて、それを私が眺めているっていう光景が広がったりしていたけどこの空気が私には凄く心地良かった。皆と馬鹿話とかが出来るこの空間が。

 プレゼント交換も面白かった。交換した際に弾が選んだ不味そうなフレーバーの炭酸飲料を数馬が手にしてしまうという事態があった。和行の下にあれが行かなくて本当に良かったよ。蘭が用意したのは調理器具でそれは私の下にきた。これ、私が欲しかったやつなんだよね。蘭に感謝しなくちゃ。

 鈴が用意したのは中国武術の指南書らしい。なんでそんなもの用意してきたの……。しかも弾がそれを手に入れちゃったし。和行が選んだのは文芸小説でそれは蘭が手に入れてた。蘭ならあの手の本とかすらすら読めるイメージがある。実際に蘭がその手の本を読んでるの見た事あるし。私には無理かも。

 和行の手元に残ったのは数馬が選んだクラシック音楽のCDらしい。数馬にしては無難なものを選んできた気がする。なんかこうエキセントリックなものを選ぶと思ってたから。ちなみに私が選んだのは料理本だった。それを手に入れた鈴が何故か涙を流しながら私の方を見てきてたけど。なんていうか皆が思い思いのプレゼントを用意してて面白かった。

 

「一夏」

「どうしたの?」

「片づけが終わったらさ、渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの?」

「うん」

 

 皆が帰り、パーティ後の後片付けを二人でしている最中に和行がそんなことを言ってきた。もしかしなくても、交換用とは違う私へのプレゼントとか?

 嬉しい。変なくらいにテンション上がりそう。プレゼントを渡された後に良い雰囲気になってえっちな事をする雰囲気になったりしないよね? わ、私、覚悟は出来てるよ。和行の欲望をいつでも受け止めるよ。むしろ好きな人の欲望を受けとめない方がおかしいでしょ。でも和行ってむっつりスケベっぽいし、結構激しいことしてくるかもしれない。

 

「……どうかしたか?」

「えっ!? ううん、なんでもないよ」

 

 和行が怪しいものを見るような目で私のことを見てくるが何とか誤魔化せた……と思う。なんとか片づけを終えて、和行と一緒に九条家へと帰ってきた私は和行の「リビングで待ってて」という言葉に従い、リビングのソファーに座りながら待っていた。深呼吸を二、三回行う。

 凄く緊張してきてた。落ち着け、落ち着くんだ私。前はネックレスをくれた時はそこまで気を張っていなかったのに、今は和行のことを好きになっているからなのかな?

 

「おまたせ、一夏」

 

 和行の声を聴いた私は反射的にソファーから立ち上がり、声がした方へと視線を這わせた。そこには私にだけ向けてくれる笑みを浮かべた和行が立っていた。うん、やっぱり和行の笑顔は私の心を癒してくれるね。大好きだよ和行。早く中学生を卒業して十六歳になりたい。そうすれば結婚できるだろうし。あ、でも和行は十八歳にならないと駄目だよね? ……今まで生きてきて一番法律に対して腹が立ったんだけど。

 

「はい一夏。これ俺からのクリスマスプレゼント」

「ありがと。開けてもいい?」

「ああ。いいぞ」

 

 早い段階で和行と結婚できないことへの苛立ちを意識の彼方に蹴り飛ばすと、和行からプレゼントを受け取った私はプレゼントの袋を開けた。中にはシュシュとリボンが複数入っているのが見える。どうして和行はこれを私に?

 

「これって――」

「一夏っていつもヘアゴムでポニーテールにしてるだろ? だからその、シュシュとかリボンとかで結ってみてほしいなって思ってさ」

「……」

 

 ……凄い嬉しい。和行ってやっぱり私の事を見ててくれてるんだね。大好きだよ。好き。好き。大好き。和行大好き。嬉しすぎて涙が出そうだけど何とか踏ん張ることができた。

 

「その、やっぱりネックレスとかの方が良かったかな?」

「ううん。そんなことないよ。さんきゅーね、和行」

 

 私は今できる笑顔を見せながら和行にお礼を言った。

 

「あ、ああ。一夏の笑顔見れて嬉しいよ」

 

 にこやかな笑顔を私に向けながら紡がれた和行のその言葉に、私は体の芯から全身へと熱が駆け巡るのを感じた。お蔭で心臓が高鳴っていて胸が苦しい。

 え、え。な、なんなの! 和行が私の心をさっきから掻き乱してくるんだけど!? やばいやばい。顔が緩んじゃうよ。和行が、和行が! 和行に嬉しいって言われた! 駄目だよこれ。和行の顔、まともに見れないよ。わ、私、和行を押し倒したくなってきちゃった。それで和行とキスができれば……! って、何を考えるの私! そうだ、気持ちを切り替えよう! 私も和行に交換用とは別にプレゼントを買ったんだ。それを渡そう!

 

「か、和行」

「なに?」

「私もねプレゼントを買ったんだ。ちょっと待っててくれる?」

「え、うん。いいけど」

 

 私は和行から貰ったプレゼントを手に持ちながら二階の自室へと向かい、和行から貰ったプレゼントを机の上に置く。そして机の上にあった別の袋を手に持ち、一階へと戻る。和行が喜んでくれるといいんだけど。

 

「これ、受け取ってくれる?」

「ありがと一夏。開けてもいいか?」

「いいよ」

 

 和行は私に了承を取るなり袋を開けて、中にある箱を取り出す。続いてその箱の蓋を開けた和行はきょとんとした顔になった。可愛い。和行のあの顔可愛い。スマホで今の和行の顔を撮りまくりたい。プリントアウトして部屋中に飾りたい。

 あ、でも私のスマホってこっそり撮った和行の寝顔とか、了承を得て撮りまくった横顔とかの影響で容量がギリギリなんだった。クラウドストレージやパソコンにバックアップを取ってシステムに影響が出ない容量を維持しているけど、このままじゃちょっとキツイかも……。今度千冬姉に相談して内蔵ストレージが大きいスマホに変えようかな。

 いや、これは今関係ないよね。今は和行の目線の先にある物の方に意識を向けるべきだよね。

 

「これって財布?」

「うん。この前、いつも使ってる財布が古くなってきたって言ってたでしょ?」

 

 私がそういうと箱をテーブルの上に置き、中に入っていた二つ折りの財布を大事そうに抱えながら私に目一杯の笑顔を向けてきた。

 

「ありがと、一夏。大事に使わせてもらうよ」

 

 和行の笑顔と言葉が暖かい。私、和行の事を好きになって本当によかった。和行とこうして一緒に居る時間全てが輝いて見えるから。ああ、本当に嬉しい。和行をこの世界に生んでくれてありがとうって八千代さんにお礼を言いたいよ。

 ふと気が付くと和行が私ではなく、窓の外を眺めていた。外に何かあるのかな? 私は和行が見ている方へと視線を向けるとそこには――

 

「――雪?」

 

 雪が降っていた。私と和行は窓に近寄って一緒に窓の外を見る。今日の天気予報では降る予定はなかったはずだけど……。でも、雪が降ってきているお蔭でホワイトクリスマスになった訳だよね? なんかこう、神秘的なものを感じる。和行と一緒に居るから余計そう思えてきているのかな?

 

「なんか」

「うん?」

「雪なんて見慣れてるのに、新鮮に思えるな」

「私も同じこと思ってた」

 

 うん、やっぱりそうだ。和行と一緒に居るから見慣れた光景ですら新鮮な光景に思えているんだ。和行も私と同じことを考えているらしい。ほんと男同士だった頃から私と和行は気が合うところは合うよね。私と和行ってどっちかというと真逆の人種なのにね。和行はインドア派であまり外に出たがらなかったけど、私は外に出て遊ぶのに躊躇いはなかったから。

 でも、中学生になってから和行はそうでもない。私と一緒に何処かに出かけるのを楽しみにしている節さえあるからね。それに対して少しばかりの寂しさを覚えてしまったのは内緒だ。……まあ、和行が変わった原因は私なんだけどね。今の和行も大好きだけど、あのおどおどした和行も大好きだから。

 和行の横顔を眺めながら、ふと考えてしまった。どうして私と和行は出会ったんだろうか……。こんな広い世界で和行と知り合ったのはどうしてなんだろうか? 仮に和行と会う事がなかったら、私はどんな人生を送っていたんだろうか。

 

「一夏」

 

 答えが返ってくる訳でもない考えを抱いていた私に和行が声掛けてきた。どうかしたのかな?

 

「なに?」

「メリークリスマス」

 

 和行の口から紡がれた言葉に私は不意を突かれてしまった。和行の言葉の影響で考えが吹き飛んだ気がした。こんなことを気にしている自分が馬鹿みたいに思えてくる。そうだよ。私と和行が昔から同じ時間を過ごしてきた理由なんて、そんなに深く考える必要なんてないんだ。

 もし、和行と出会った事に理由があるとしたら――

 

「メリークリスマス。和行」

 

 ――きっと、()()だったのかもね。




実はこのクリスマス回って一話で纏まるはずだったんですよ。でも、なんか書いている内に地の文やらが増えて二つになりました。


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第三十一話 明けましておめでとう

 クリスマスパーティから一週間経ち、いよいよこの日が来てしまったという実感に俺は達成感を込めた息を小さく吐いた。一年が終わる日である大晦日が来たんだ。織斑家と九条家の大掃除は一昨日で終わっている。流石に二つの家を一週間近くで大掃除するのは骨が折れたが、そこは家事力にステ振りしまくっている一夏と大分家事力がマシになってきてる俺が頑張ったよ。

 それと餅つきだな。俺と一夏で餅を作り上げました。これなら正月の間は持つと思う。あとついでに年末だからと休んでた母さんも扱き使いました。その際、母さんが涙目になってたけど気にしないことにした。

 大掃除してたお蔭で体のあちこちが悲鳴をあげたが一夏の満面の笑みを見ればそんな痛みなどすぐに忘れることが出来たよ。俺は今年も一年無事に過ごせたという安堵に満たされていた。……いや、今年は波乱すぎる出来事が多めだったな。特に一夏が女の子になってしまった事とか。あれからもう八か月経つのか。短いようで長い時間だったな。

 

「和行。お揚げいれる?」

「頼むわ」

 

 さて、その一夏だけど今は台所で年越し蕎麦ならぬ年越しうどんを作ってくれています。いやね、俺って蕎麦が苦手なのよ。食べられない訳じゃないんだけどさ、どうもあの口当たりと匂いが駄目みたいで。その事を理解してくれている一夏が「うどんにしようか?」と言ってくれたので、彼女の言葉に甘えたんだ。他人の家で出されたら、文句も言わずに食べるんだけどな俺。

 そういえば、一夏は髪型をまたポニーテールにしてるんだけど、クリスマスに俺がプレゼントしたリボンを使って髪を結ってるんだよね。やっぱり一夏に似合うなあのリボンの色。売り場に居た女性達の突き刺さる視線に耐えながら一夏に似合うのを選んだ甲斐があったよ。

 

「年越しか。一年が過ぎるのは早いものだな」

「そうですね。ところで千冬さん。その缶ビールって何本目ですか?」

「五本過ぎたあたりからは数えてない」

 

 うちのソファーに座りながら喉を鳴らしてビールを飲んでいる千冬さんがそこに居た。休みだから俺達の家に来たらしいんだけどさ……本当に何本目なんですかそれ。テレビから流れてくる映像と手元にあるイカのスルメやらチーカマやら一夏が用意した漬物やらを肴にしてさっきからこの調子なんだけど。

 ちょっとさあ、幾らなんでも辛党過ぎるだろこの人……。そろそろ一夏からお叱りの言葉が飛んできても不思議ではない。怒られても俺は一切擁護しませんからね?

 

「母さんもそれ何本目だよ」

「いいじゃない。大晦日くらい人目を気にせずパーっとやりたいのよ。ねえ、千冬ちゃん?」

「ええ、そうですね。普段から働きづめですし」

「はぁ……」

 

 俺は母さんと千冬さんの言葉に深い溜息を吐いた。母さんもハイボールだのチューハイだのを飲んでいる所為か、もう千冬さん側の人間になってしまっている。酔っ払い一歩手前だこれじゃ。目の前にいる呑兵衛二人に注意する気も失せた俺は一夏の顔を見て癒されるべくキッチンの方へと向かう。酒臭いあんな場所に居たくないです。

 

「和行、大丈夫?」

 

 キッチン近くまで来た俺に一夏が優しく声を掛けてきてくれた。うん、やっぱり一夏ちゃんは天使だわ。一夏ちゃんは俺の嫁。

 

「もう俺の言葉なんて聞きやしないわあれ」

「これ作り終わったら私が注意しておくよ……」

 

 ありがと、一夏。あとで頭をなでなでしてあげるからな。一夏の髪ってかなりの艶があって触り心地が良いからホント好きだわ。前は何も手入れしていないとか言ってたけど、夏頃からちゃんと髪の毛の手入れをしていたのを俺は知っている。一夏は隠せていると思っているようだけどね。

 あとはそうだな。最近、一夏は色々な髪型を自分で出来るようになってきたな。以前はポニーテールとか簡単なのしかやらなかったけど、最近ではその他の髪型も出来るようになってきたみたい。その事を知った俺はもう一夏の髪型を整えることが出来ないのかと落胆した気持ちになったけど、一夏は頻繁に俺に髪型をセットさせようとしてくるので心配は杞憂になったよ。

 

「ねえ」

「ん?」

「和行はさ、男の私の事どう思ってた?」

 

 は? いきなりどうしたんだ? 唐突な問いかけに俺は思わず首を傾げた。こいつ、なんでそんなことを聞いてきたんだ?

 

「なんだよ藪から棒に」

「年末だから色々思い返しててちょっと気になったの。嫌いとか思ってなかった?」

 

 一夏にそう訊かれた俺は自分の考えを纏めてから口を開いた。

 

「好きだよ」

「えっ!? ……和行って、もしかしてそういう人だった?」

「違うわ!」

 

 俺はホモじゃないです。なんかあのテニヌをやったとき帰り道にも似たようなこと考えた気がする。好きってのはそういう意味のやつじゃない。

 

「親友として好きって意味だよ」

「そ、そうなんだ」

「それにだ。お前は俺が変わるきっかけをくれた恩人だ。嫌う訳ないだろ」

 

 そうだ。嫌う訳がない。そりゃあね、ここはちゃんと直しておけよって言いたくなる部分はあったけどさ。こいつにもちゃんと長所があるんだから。

 

「……じゃあ、私のこと鬱陶しいとか思ったりしなかった? 私、男の頃からかなりお節介なことしてたでしょ?」

「例えば?」

「小学生の頃、家の中で遊んでいたかった和行のことを連れまわしたり……」

 

 ……お前、自覚はあったのか。まあ確かに少しだけそう感じたこともあったけどさ――それだけだ。心から一夏の事を鬱陶しいと思ってた訳じゃない。むしろ有難かったくらいだ。小学生の頃の俺ってたまに外で遊びたいと思う事はあっても中々行動に起こせない部分があったからな。

 

「まあ少しだけな」

「……」

「その、ありがとな」

「え?」

 

 どうしてお礼を言われたのかよく分かってない一夏は呆けた顔をしている。可愛い。やばい、抱き付いてそのまま頬擦りしたいくらい可愛い。

 

「俺、一夏達が外に連れ出してくれたのが嬉しかったんだ。だからさ……ありがと、一夏」

「――っ! う、うん!」

 

 俺は一夏に向かってそう告げると元気良く返事をしてくれた。どう反応してくるのだろうかと身構えていたのだがどうやら大丈夫なようだ。仮に覇気のない声を出されてたら自分で自分を殴るところだった。

 

「待っててね! 今すぐ美味しいうどん作るから」

「ああ。楽しみしてる」

 

 年越しうどんを作るのを再開した一夏の背中を俺はリビングの椅子に座って見つめることにした。俺の視線は自然と一夏の青みを帯びた黒髪とうなじへと吸い寄せられていた。一夏の黒髪ってホント綺麗だよな。一夏の髪の毛って枝毛とか殆どないんだぜ? やばいでしょ。多分これ女性からしたらかなりの嫉妬対象になると思う。いやもう、本当に一夏が俺の好みすぎて辛い。尊さがある。一夏のうなじも綺麗だしさ。心なしか夏祭りの時よりも色気が増している気がする。

 

「――全く……。お前はそうやって一夏の事をいつも口説いているのか?」

「千冬さん?」

 

 あれだけ飲んでいたはずなのにまだまだ元気な千冬さんがいつの間にか俺の傍に立っていた。全く気配とかがしなかったんですけど、あなたはニンジャか何かですか……。

 そういえば、うちの母さんは――あ、駄目っすねあれ。完全に酔っぱらってますわ。てか、口説いているってどういうことですか。俺は一夏の事を口説いた覚えはないですよ。

 

「そんなことをした覚えないんですが……」

「やれやれ。一夏の鈍感がお前に移ったか」

「失敬な事を言わないでください」

 

 弾や数馬もそうだけどさ、人の事を鈍感呼ばわりするのやめて欲しいんですけど。一夏のように誰がどう見ても鈍感な奴ならいざ知らず、俺は鈍感ではない。多分。

 ……今ならチャンスかもな。千冬さんからこうやって話しかけられることなんて少ないからな。この機会に俺と一夏がくっ付くことに本当に異論がないのか尋ねておこう。だって千冬さんはあまり口にはしないけど、一夏のことを大切に思ってるんだ。悪く言うならブラコンだ。今はシスコンだけど。そんな人が俺みたいなのと一夏が付き合うとか真っ向から反対するはずなんだ。もしかしたら母さんと話し合いをした時、実際にそういうやり取りがあったのかもしれないけど。

 

「千冬さん」

「なんだ?」

「本音を話してください。本当は俺と一夏が付き合うことになるのに反対じゃないんですか?」

「……反対してないと言えば嘘になるな」

 

 千冬さんは一夏に聞こえない声量でそう話してくれた。やっぱり。うん、そんな事だとは思っていたんだ。この人の事だから無条件に一夏と俺がくっ付くことを認めるなんてありえないと考えていたから。

 

「だが、これで良いのかもしれん」

「え?」

「私なんかよりも、お前の方があいつを幸せにしてやれるだろう」

「そんなこと……」

 

 千冬さんにそんな言葉を掛けられた俺は心に衝撃を受けた。あの千冬さんがこんな事を口にするなんて……。いや、冗談抜きでどういう心境の変化があったんだよ。千冬さんが俺にこんな言葉を掛けてくるとか、母さんは千冬さんに何を言ったんだ? そして千冬さんは一体今なにを考えて、俺と一夏を一緒にしようとしてるんだ?

 ……幸せ、か。俺にそんなことが出来るんだろうか。一夏と付き合って、あいつを幸せに。俺、自信ないよ。俺は一夏と一緒になりたいと考えているけど、あいつは超絶美少女で俺の取り柄なんてそこそこ家事ができるくらいだぞ。一夏と比べたら提灯に釣り鐘もいいところだ。

 

「それに、お前ならあいつの正体を知っても受け入れてくれるだろうからな」

「千冬さん?」

「……こっちの話だ。気にするな」

 

 千冬さんが口にした言葉が気になるが、本人が気にするなと言っているんだから言及するのは止めておいた方が良いな。

 

「俺が一夏を幸せに、か」

「不安か?」

「はい。俺みたいなのに、本当にそんなことが出来るのかなって」

「……相変わらずだな。お前のその自虐する癖は」

 

 なんか呆れたような視線を向けられてる件。あの、えっと。どう反応すればいいのでしょうかこれは。まさか千冬さんにこんな風に見られるなんて想像してなかったので困る。だってさ、一夏にこれから治していこうって言われたけどそう簡単に治るもんじゃないんですよこれ。

 

「まあいい。もうそれが治ることに関しては期待していない」

「酷いことを言われてる気がするんですが」

「気にするな」

 

 いやいや、気にしますって。目の前で想い人の姉にディスられたとか普通なら泣くぞ。俺はこの人と付き合いが長いから耐えてるだけで。

 

「そうだ。これだけは言っておかねばならないな」

「え?」

「もし一夏の事を捨てたりしたら――貴様を地の果てまでも追ってやるからな」

 

 あの、地獄の底から響くような声が千冬さんの喉から這い出てきているんですけど。ちょちょ、ちょっと待って。え、え? なんで俺、この人にこんな風に睨まれないといけないの? ア、アイエエエ……。ぷるぷる。俺、悪い事してないよ。て、ていうか、仮に話として言わせてもらうけど一夏と付き合っているのに一夏の事を捨てるとか絶対しないからね。責任取って最後まで一緒にいるからね。

 いやもうさっきから怖いんだけどさ、ここで引いたら男が廃るというか俺の中の何かが駄目になる気がするので毅然とした態度でこの言葉を千冬さんに送らせてもらおう。

 

「俺がそんな事する訳ないじゃないですか」

「知っている。言ってみただけだ」

 

 ニヤっと頬を吊り上げる千冬さんを見て俺は心の中で叫んだ。俺をからかうのも程々にしてください! あなたの場合、冗談が冗談に聞こえないんだからホントやめて。マジでやめてください。

 

「二人とも何の話をしているの?」

「ただの世間話だ」

 

 いつの間にか俺の傍に寄ってきていた一夏が千冬さんに尋ねるも、千冬さんはものの見事に話を誤魔化した。そして、千冬さんは俺の肩に手を置いてから母さんの下へと戻っていくのを俺は見送った。ほんとさあ、何であの人って行動がいちいちイケメンなの? 生まれた性別間違ってない?

 ていうかさ、一夏よ。お前も千冬さんみたいにさ、音もなく俺の近くに立つのやめてくれない? お前もニンジャかよ。何なのこの姉妹。くノ一? くノ一なの? で、一夏はさっきからなんで俺の方を見つめているんですかね。そんなに見ないでくれる? 照れるから。

 

「どうかしたか?」

「その、年越しうどんが出来たから最初に和行に食べて欲しくて」

「お、出来たのか」

 

 俺は返事をすると同時に一夏は俺の目の前に年越しうどんが入ったどんぶりと箸、そしてコップに入った水を置いてくれた。両手を眼前で合わせた俺はいつもの言葉を口にする。

 

「いただきます」

「召し上がれ」

 

 なんか語尾にハートマークが付いてそうなくらいに弾んだ声を一夏が出していた。クッソ可愛い。これで元男っていうんだから信じられないわ。世の中何があるか分かったもんじゃないな。

 箸を右手で取り、うどんを箸で掴んで口に入れた俺はその美味しさに思わず声を出しそうになった。汁と麺の絡み具合もそうだが、俺好みの固さでうどんを煮てくれたのにも感激だ。一夏のことをめっちゃ褒めちぎりたい気分だよ。お揚げや肉も良い具合に仕上がっているお蔭か難なく食べ進めることができている。

 

「どうかな?」

「美味しいよ。やっぱり一夏は料理上手だな」

「そ、そんなことないよ。私は当たり前のことをしてるだけだから」

 

 来年もこの調子で行くつもりなんだろうか。その当たり前は他人から見れば物凄いことなんだぞ? 実際、俺は一夏の家事力とかを尊敬してるんだから。そんなことを考えながら、俺は一夏と会話する為に一旦止めていた手を再び動かしていく。すると、ものの数分で一夏が用意してくれた年越しうどんを食べてしまった。

 母さんと千冬さんに年越しうどんを渡し終えたのか、こちらに戻ってくる一夏が見えたので彼女の方を向いて俺は挨拶をする。これを言わないとか一夏に失礼だからな。

 

「ごちそうさま。一夏」

「うん。お粗末さまでした」

 

 そんなことないのになあと思いつつ、コップに入った水を飲んでいると一夏が自分の分の年越しうどんを持って俺の隣に座った。あの、なんでわざわざ俺の隣に来るの? まあいいけどさ。一夏だし。

 いただきますと挨拶をしてうどんを食べ始めた一夏を俺は横目に見る。……こいつ、料理を食べる姿まで可愛いとかどういうことなんだよ。やっぱ俺に対する魅了スキルとか持ってるだろ。

 

「私の方をジロジロ見てどうしたの?」

「一夏が何かを食べてる姿が可愛くて……」

「ほぇ?」

 

 俺の視線に気づいた一夏にそう答えたのだが、一夏が素っ頓狂な声をあげていた。可愛い。やっぱり一夏は可愛い。尊いです。うん、俺のこの気持ちは間違いじゃないんだなっていま確信したよ。

 俺はやっぱり一夏に恋をしてるんだ。一夏の行動が全て愛おしく見える。たまにそれはないだろってツッコミを入れたくなる部分も多々あるが、そういうのもひっくるめて一夏のことが好きだ。正直に言って、自分でも女の子に対してこういう風に熱烈な感情を抱くなんて思いもしなかった。良いなとか思った子は全員男の頃の一夏に惚れてしまっていた訳ですし。その所為で女気がなかったんだよね。でも、今はそんな過去のことは忘れることにしよう。だって、今は一夏に恋してるんだからそういう事を考えても仕方ないし。

 

「か、和行に可愛いって言われた……えへへ」

「麺、伸びるぞ」

 

 顔を綻ばせてた一夏に俺は小さく告げる。そんな俺の言葉にハッとしたのか、一夏は急いでうどんを食べる作業に戻っていた。そんな一夏を眺めていると一夏もうどんを食べ終えたらしく、両手を揃えてご馳走様と呟いていた。

 その後、俺と一夏は俺の自室で二人してテレビを見ていた。俺はゲームをする際はディスプレイを使ってやる派なので、別に自室にテレビなんて要らなかったんだけど母さんが問答無用で設置しやがったのでこうして使わせてもらっている。一夏が剥いてくれた蜜柑を食べながら時計を見た俺は反射的に口を開いてしまった。

 

「あ」

「どうしたの?」

「時間」

 

 俺の言葉に釣られて、一夏は俺と同じところへと視線を向け始める。俺の視線の先には時計があるのだが、その時計が既に十二時を過ぎたことを示していた。つまり――新年になったということだ。

 なら、この言葉を一夏に贈るしかないだろう。新年度なんだからこの挨拶は欠かせないよな。

 

「明けましておめでとう。一夏」

「明けましておめでとう。和行」

 

 俺と一夏はお互いに顔を見合わせてから言うべきことを伝え合う。お互いの名前を呼ぶ以外は一字一句同じ言葉を発したことに俺達は苦笑する。でも、嫌じゃない。相手が一夏だからこそ、こういう風に思えるのかもな。

 

「じゃあ歯磨きして早めに寝るか」

「そうだね。初詣に行くもんね」

 

 ああ。楽しみだな、一夏との初詣。野郎の頃なんて正月は家でテレビを見ながら一緒に蜜柑食って駄弁るか、餅食うか、ゲームして遊んでたくらいだからな。女の子になって一夏との初詣か。良い意味で印象に残る日になりそうだな。さて、神社での願い事はどうするかなぁ。……うん、これしかないよな。

 ――俺が願う事は唯一つ。一夏の願い事が叶いますように。




活動報告の方にも載せましたがこちらにも書いておきます。取扱説明書の必須タグの項目と、FAQの判断が難しい場合の必須タグについての項目を参考に熟考した結果、本作のボーイズラブタグとガールズラブタグを外しました。

ボーイズラブタグを外したのは一夏と主人公がお互いを好きになったのが、一夏が女の子になってからなので精神的BLタグで十分だと判断したからです。

ガールズラブタグを外したのは、鈴が一夏ちゃんにまだ恋をしているので入れておいたのですが、見返してみたら女の子同士での恋愛描写が皆無だったので付けている意味ないなと思ったからです。

付けた方がいいという意見が増えたり、運営から付けろというお達しが来ない限りはこの二つのタグは外したままにしていきます。


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第三十二話 生まれ変わっても

 朝早く起きた私は和行と一緒に近所の神社へと初詣に来ていた。千冬姉と八千代さんは家に居る。二人が私達に気を使ってくれた――と言いたいところなんだけど、実際は違う。八千代さんが二日酔いで辛そうにしてたから千冬姉がその面倒を見ているんだよね。八千代さんよりも飲んでたはずなのに、ピンピンしてるってどういうことなの千冬姉……。

 

「一夏」

「なに?」

「そ、その。今のお前、物凄く綺麗だぞ」

「そう? ありがとう」

 

 和行はいつも通り私服姿だけど私は違う。初詣ということもあり、八千代さんにアイボリーの振袖を着させられたんだよね。……気持ち悪そうな顔をしながら、着付けをしてくる八千代さんなんて見たくなかったよ。

 それはそうと、私は和行に逸れないようにと何時ぞやのように恋人繋ぎをして貰っている。ああ、本当に落ち着く。和行とずっとこうしていたいくらい。途中で寒くないかと和行に聞かれたけど、ちゃんと防寒用の下着は着けてるし羽織も着ているから大丈夫って答えておいた。本当に何でも持ってるね、八千代さんって。

 それにしても、和行って私の事を褒めることが多いよね。悪い気はしないっていうか、むしろ良い気分になるから別にいいんだけどね。私も変わったなあ。女の子に成りたての頃は可愛いとか綺麗とか言われるとかなり抵抗感があったのに、今ではもう平然と受け入れてる。頻繁に言ってくる相手が和行だからってのもあるんだろうけど。

 

「居過ぎだろ……」

 

 そんなことを思量していた私の横で、和行がしかめっ面で人混みを睨みながらそう呟いた。そういえば、和行って人混みとか結構苦手だったような。……今まで忘れてたよ。去年の夏祭りでも少しだけ人混みに嫌そうな顔してたし、今日も無理させちゃったかな?

 

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。一夏が傍に居るし」

 

 そ、そこで私の名前出すぅ!? わ、私が居てくれるから大丈夫とか、そんな優しげな顔で言われたらきゅんってきちゃうよ。もう駄目。和行の言動一つ一つが私を堕とそうとする凶器に思えてくる。こ、これって和行が私の事を頼りにしてくれているのかな? 恥ずかしいけど物凄く嬉しいよ。も、もう少し体を寄せても大丈夫かな? 和行が嫌って言ったら距離取るけど。

 

「っ!?」

 

 和行が驚いたような顔をしていた。顔を赤らめて、恥ずかしそうに私から顔を反らしてるし。振袖越しとはいえ、私のおっぱいが和行に当たってるもんね。そういう反応するよね。すっごく可愛い。エッチなことばかり考えていそうなのに、実際にこういうことをされると初心な反応する和行が可愛すぎてお持ち帰りしたいよ。……和行に直で私のおっぱい触らせたりしたらどうなるんだろ? 鼻血とか出しちゃうのかな?

 

「あの、一夏……」

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 

 ふふふ、そうやって言い出せないところも私的には和行が可愛いと思ってしまうポイントの一つなんだよね。もう本当に可愛い。和行が私よりも年下だったら目一杯可愛がって「お姉ちゃん大好き!」って言ってくる子になるように仕向けられるのに。小学生の和行、いいかも。小さい和行と一緒の布団で寝たり、ご飯を食べさせてあげたり、服を着させてあげたり――。や、やばい、興奮してきた……。鼻血が出そうだよ! お、落ち着かないと!

 

「……なんか一夏から邪な視線を感じる」

「何か言った?」

「なにも。ほら早く行くぞ」

「ま、待ってよ」

 

 先に行く和行に手を引かれながら、私は和行についていくことになった。参拝の仕方をすっかり忘れてしまっていたので和行に尋ねてみると和行は快く教えてくれた。鳥居をくぐる時の作法や歩道の歩き方を教えられながら、私と和行は手水舎まで来た。そこで手水のやり方も教えて貰って手水も済んだんだけど、なんで和行は覚えてるんだろ?

 

「よく参拝の方法を覚えてたね」

「昔読んだ本に書いてあったのを忘れてなかっただけだ」

「何年前のやつ?」

「確か六年前だったかな?」

 

 え、六年も前に読んだ本の内容を覚えてるの? 私なら昔読んだ本の内容なんて覚えてられないかも。

 

「俺にはそれくらいしか取り柄ないからな」

 

 和行は私の顔を見ながらそう言い切った。私、また顔に考えが出てた? むぅ……。和行にはもっと良いところがあるのに、なんでこう言う事しか言えないのかな。仕方ない。じっくりとねっとりと和行がこの手の発言をしないようにちゃんと調教――じゃなかった。教育することにするよ。

 

「……ごめん」

「え?」

「また自虐しちまった。一夏と約束したのにな」

「え、ううん。気にしてないから」

 

 申し訳なさそうに謝ってくる和行に私はそう返した。な、なんだか私が悪い事したみたいな気分になってきたよ……。うう、この和行の反則過ぎるよぉ。私の母性本能が刺激されまくってて、今すぐ和行に膝枕しながら甘やかして頭ナデナデしてあげたい。

 

「参拝、しようか?」

「うん」

 

 二人の間に流れている空気を裂くような和行の言葉に私は素直に頷いた。和行と一緒に賽銭箱へと賽銭を静かに入れてからお互いに鈴を鳴らした。和行と同じタイミングで二礼二拍手一拝を行いながら、私は願い事を心の中に思い浮かべた。

 

 ――生まれ変わっても、和行とずっと一緒に居られますように。

 

 うん、これで十分だよ。和行に告白とかするのは自分の力でやり遂げてみせるって心に決めているからね。和行の方も拝むのを終えたのか私の方を見てきている。やっぱり和行はカッコいい。人目が無かったら褒め言葉を今すぐにでも言いたいのに。参拝中にスマホを出して撮影する訳にもいかないし、うう……ここは諦めよう。

 私と和行は再び恋人繋ぎをしながらこの場を離れて、私達はおみくじが売られている場所まで歩いていくことになった。その最中、和行は私に思い出したかのような表情をしてからあることを尋ねてきた。

 

「なあ、一夏は何をお願いしたんだ?」

「私?」

 

 ……ごめん。幾ら和行でもこれは言えないよ。だ、だって、物凄く恥ずかしいもん。それに私って、こういうのをベラベラと口にするタイプじゃないから。

 

「うーん。教えてあげない」

「お前ならそう言うと思ったよ」

 

 私が教えると言わないと最初から想定していたのか、和行はあっさりと引いてしまった。むむむ、却って何だか納得いかない気分になってきたんだけど。

 

「そういう和行はどうなの?」

「俺は一夏の願い事が叶いますようにってお願いしたよ」

 

 ふぇ!? 私の願い事って生まれ変わってもずっと一緒――つまり、その、来世でも和行と付き合って結婚するってことなんだけど。まだ今の人生で和行と付き合ってもいないのに気が早いかもしれないお願いなんだけど……。や、やばい。想像しただけで鼻血が出てきそうだよ!

 

「駄目だったか?」

「ううん! その、ありがとね。私の事を考えてくれて」

「当たり前だろ。お前は俺の大切な人なんだから」

 

 大切な人、か。もう私のことは親友とは言わないんだね。そうだよね……。私が和行のことを好きなように、和行も私のことが好きなんだから当然だよね。

 和行の想いに気付いたのは私が恋心を自覚した辺りだった。私の容姿を褒めてきたり、優しい言葉を掛けてきたりとか行動の一つ一つに私への好意が詰まっているのがバレバレだったもん。昔の和行なら絶対あんな態度取らなかったからすぐに分かったよ。

 はっきり言って物凄く嬉しかった。和行と両想いだってのが分かって、一人で部屋に居る時に涙が出そうになったから。でも、和行は私の何処が好きになったんだろ? そこだけが良く分からない。うーん、私の容姿って線もあるけど本当はどうなんだろうか。もし付き合う事になったら聞いてみようかな。

 

「一夏」

「な、なに?」

「ほら、おみくじ引こうぜ?」

 

 気が付いたら私達はおみくじ売場まで来ていた。私は和行のそんな言葉に従い、一緒におみくじを引いたのだが、

 

「どうだった?」

「大吉だ」

「えっ? 私も大吉なんだけど……」

「えぇ……」

 

 私の返答を聞いた和行が困惑してる。どう反応すればいいのか分からないみたい。……どうしてこうなるのかな。和行と同じ運勢なのは嬉しいけど、なんかこう納得いかないんだけど。私、こういうのってどっちが大吉とかを引いて、もう片方が凶とかを引くイメージを持ってたから。

 

「それで、なんて書いてあるの?」

「えっと、――喜べ少年。君の望みはようやく叶う。的なことが書いてある」

 

 ……ん? それってこの前、和行がやってたゲームに出てきた台詞だよね? うーん、文面通りに受け取るなら和行の願いが叶うってことなのかな? でも、さっき和行は私の願いが叶うようにお願いしたって言ってたような。もしかして、それとは別に叶えたい願いがあるのかな?

 

「そういう一夏は何て書いてあった?」

「んー、私も大体同じようなものかな」

 

 嘘を吐く必要もないので正直に答えた。なんだろう。もうこれ、気が合うとかいうレベルじゃない気がする。なんかこう、ウサミミを生やした誰かが裏で何かやらかした気配すらしてきた。でもいいや。悪い気分になってないからね。むしろかなり良い気分になってる。

 なんだか和行とこうして会話しているのが恥ずかしくなってきたので、少し周囲を見渡してみるとこの神社は何処か見覚えがあるように思えた。……あれ? 私の記憶が間違ってなければこの神社って――

 

「ねえ、和行」

「ん?」

「ここって篠ノ之神社だよね?」

 

 そう。ここは篠ノ之神社だ。私と和行の幼馴染でもある箒の生家だ。なんで今まで気付かなかったんだろ? 近所の神社って時点で気づく要素マシマシだったのに。和行との初詣で浮かれてたのかな? 和行は多分気付いてたよね? 私や箒の後にくっ付いて何度もこの神社の剣道場に来たことがあるし。

 

「え?」

「え?」

 

 ……なんか私の言葉を聞いた途端に周囲を見渡し始めたんだけど。あ、あれ? もしかして、和行も気付いてなかったの?

 

「ほ、ほんとだ」

 

 本当に気付いていなかったみたい。私も気付いていなかったから人のこと言えないけど、和行ってばちょっとうっかりしてない?

 

「なんか俺、浮かれてたみたい」

「え?」

「その、一夏と一緒に初詣に行くって考えたらそうなってたというか」

 

 和行がしょんぼりした顔をしてる。物凄く可愛い。お持ち帰りしたい。なんでこんなに可愛いの? 溜息が出ちゃうよ。食べちゃいたい。

 

「大丈夫だよ和行。私も似たようなものだから」

 

 私は和行を美味しくいただきたい衝動をなんとか抑えながら、和行を励ますことにした。こんな顔をしている和行って珍しいね。昔はよくこんな顔してたんだけどね。中学に入った辺りからめっきり見せなくなってたから。ふふふ、ちょっと得した気分かも。

 篠ノ之神社で思い出したけど、箒っていま何処に住んでいるんだろ? 連絡先とかもまだ携帯とかを持つ前だったから知らないんだよね。

 

「ねえ、箒って今どうしていると思う?」

「それは俺にも分からん」

 

 そ、即答してきたよ……。まあ、そうだよね。和行は神様じゃないんだから分からないのは当たり前だ。

 

「ただ、一つだけ言えることがある」

「言えること?」

「体と心は健康じゃないってこと」

 

 和行のその言葉を聞いた私は何も言えなくなった。……そうだ。箒だって望んで転居していった訳じゃないんだから。あの日の箒の悲しみに満ち溢れた顔が蘇ってきた。箒は私達と離れたくなかったはずだ。もし、私が和行と離れてしまうことになったら同じような表情を滲ませるだろう。

 

「箒とまた会えるかな?」

「会えるさ。絶対な」

 

 和行の言葉に私は思わず「そうだね」と呟いた。和行がそう言うのなら信じよう。――っと、そろそろ家に帰る時間だし、早く動かないと駄目だよね。左の手首に着けていた腕時計で時間を確認した私は和行の右腕に抱き付くことにした。和行にこうしていると心が落ち着くんだよね。和行の赤くなっている顔を見ていたいっていうのもあるけど。

 

「お、おい。一夏」

「なに?」

「だ、抱き付くのはやめてくれないか? その、恋人繋ぎなら幾らでもしてあげるからさ」

「和行がそう言うなら」

 

 私は抱き付くのをやめると和行の左手に自分の右手を絡ませた。うん、こっちもこっちで安心できるね。そうだ。和行は何のお餅を食べたいんだろ。餡子は昨日寝る前に冷凍庫から出しておいたのを使えばいいし、お雑煮のつゆとかきなこも用意してあるよ。あと海苔も。

 

「ねえ。お餅は何が良い?」

「納豆餅と餡子餅が食べたい」

「餡子はともかく、お餅に納豆って合うの?」

「美味いぞ。騙されたと思って食ってみろよ」

 

 和行が美味しいって言うなら食べてみよう。和行の言葉なら信じられるし。そんな会話を交わしながら、私達は家へと帰るべく足を動かし続ける。今年はどんな年になるのかまだ分からないけど。良い年になればいいなあ。

 

◇◇◇

 

 ――これは夢だ。ベッドに横たわりながら俺は実感する事が出来た。

 

「和行、起きて」

「んっ……」

 

 俺を起こそうとする一夏の声が聞こえた。俺は体を起こして一夏の方を見てみる。……ああ、うん。やっぱりこれは夢だわ。誰が何と言おうと夢だよ。だって、一夏は中学生のはずなんだ。なのに、目の前にいる一夏は明らかに中学生のそれではない。

 まるで()()()()のように成長した姿になっているんだから。それと明らかに中学生の一夏よりおっぱいが大きい。大人になると一夏の胸もこんなに大人になるのか。……夢の中とはいえ何言ってんだ俺。でもさ、このおっぱいはヤバいよ。中学生の一夏のおっぱいよりも自己主張が激しいんだよ。目のやり場に困るわ。

 

「ご飯は出来てるから顔と歯を磨いてきてね」

「ああ」

 

 俺の返事を聞くと一夏は俺が寝ていた部屋から出て行った。ベッドから出て自分の体を触ってみる。うん、明らかに元の俺の体じゃないねこれ。意味がわからないけど、とりあえず着替えだけはしておかないとな。ここは一階の部屋だな。ってことは、洗面所はすぐそこだ。俺は部屋を出て洗面所で洗顔と歯磨きを済ませると、再び部屋に戻ってスーツに着替えてからリビングへと向かう。リビングのドアを開くと、一夏がゆっくりと俺の方へと寄ってきた。

 

「ネクタイ曲がってるよ」

「え? あっ」

「直してあげるからもっと寄って?」

 

 俺は一夏の言葉に従い、彼女の近くへと寄る。な、なんだか新婚さんみたいだなこれ。

 

「はい。終わったよ」

「あ、ありがとな」

 

 ん? 新婚? ……ちょっと待て。一夏の左手の薬指に指輪的なものが見えるんだが。俺の左手の薬指にも一夏がしているのと同じ指輪があるんだけど。

 

「これくらいの事でお礼なんて要らないよ。私達、夫婦でしょ」

 

 …………えっ。ファ!? あのあの、ちょっと待って。これってつまりそういう夢ですか?

 え? なに? 俺ってば一夏と結婚して新婚生活を送る夢を見てるってことですか? 俺の欲望どうなってんだ……。ま、まあ? 確かに一夏と夫婦になる想像をしたことはあったよ。ほら、一応母さんと千冬さんに一夏を嫁に貰うルート確定させられてるからな。

 

「さ、早くご飯食べて?」

 

 一夏の言葉に促され、席に付くことになった。俺は用意されていたご飯を食べていく。夢の中とはいえやはり一夏の料理は美味しい。手を休める事なくご飯を食べ終えた俺は食後のコーヒーを飲んでから鞄を手に持ち、玄関まで向かう。俺の後を付いてきた一夏は靴を履き終えた俺に朝一番の笑みを向けてきた。……やばい。一夏に惚れ直しそう。一夏の笑顔はやっぱりいいよね。綺麗だし可愛いし。

 

「行ってらっしゃい、あなた。この子の為にも頑張ってね」

 

 俺に行ってらっしゃいの挨拶をしてくれた一夏は自分のお腹を愛おしそうに撫でていた。聖母のようなその顔付きに俺は思わず見惚れそうになる。

 ……ちょっと待て。この子ってどういうこと? あ、あれ? 心なしか一夏のお腹が膨らんでいるような。つうか、いま一夏が着ている服ってもしかしなくてもマタニティウェアじゃね? ま、まさか――赤ちゃんなの? 一夏のお腹の中に俺と一夏の赤ちゃんがいるんですか?

 うっそだろおおおおおおおお!? この夢の俺、そこまでやっちゃったの!? アイエエエ!? アカチャン!? アカチャンナンデ!?

 

「体は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。安定期に入ったお蔭でつわりとかも落ち着いたから」

「そ、そうか」

「なんか、昨日も同じこと教えてた気がするんだけど」

「そういえばそうだったな。でもさ、お前の体が心配なんだよ。俺の嫁なんだし」

「和行……」

 

 なんか、俺の誤魔化すように吐いた言葉に一夏が目をとろんとさせているんだけど……。今の一夏の雰囲気と合わさって物凄く艶っぽく見えてしまう。如何にも大人の女って感じがする。い、いかん。落ち着け。落ち着くんだ俺。

 

「じゃあ、行ってくるからな。何かあったら連絡するんだぞ?」

「分かってるよ。ほら、早くしないと遅れちゃうよ」

 

 なんとか平静を取り戻すことが出来た俺は、一夏に視線を送ってからくるりと玄関の方を向く。そして玄関の扉を開けた俺は――

 

「……目が覚めてよかった」

 

 現実に戻ってきた。体を触ってみたところ、いつもの俺の体で安心した。俺は目を細めながら、枕元に置いておいたスマートフォンを右手で操作して今日の日にちを確認する。ディスプレイには今日の日時が表示されていた。一月二日、午前六時。それが意味する事と言えば、

 

「初夢だったのか」

 

 初夢で一夏と結婚した後の夢を見るとかもう訳わからん。……一夏には内緒にしておかないと。



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第三十三話 あたし、ここに泊まるから

今回と次の話では試験的に三人称を使っています。少しばかりお付き合いください。


 三学期が始まって二週間目の土曜日。凰鈴音は寒空の下、九条家へと向かうべくその歩を進めていた。一週間分の着替えや制服をボストンバックに、学業で使う教科書等をスクールバックに詰めて家を飛び出すように出てきた彼女は深く溜息を吐く。雪が積もっている歩道を歩きながら鈴音は自分が何故一夏の家へと向かっているのか思い起こすことにした。

 切っ掛けは両親だ。去年の五月頃から両親の雰囲気が険悪になることが増えていたが、ここ最近は特に酷くなっている。二人は鈴音が居るところでは喧嘩をしないが、鈴音が二人の前から居なくなるとすぐに口喧嘩を始めることが多かった。二人が何を理由に喧嘩なんて真似をしているのか鈴には分からなかった。本人たちは鈴音が気付いていないと思っていたのだろう。だが、子供はそこまで馬鹿ではない。むしろそういった感情の機微に敏感だ。

 両親のその様子に鈴音は心を痛めた。二人はもう仲良くできないのだろうか、自分にはどうする事も出来ないのだろうかと。結果は――散々だった。一夏と居る時間を削ってまで行った鈴音の努力も空しく、両親の仲は完全に冷え切っている。そんな二人の様子に嫌気が差してしまった鈴音は一週間だけでも実家から離れようと、着替えを用意して幼馴染の家へと転がり込むことにしたのだ。一応、書き置きで一夏の家に泊まりに行くと書いておいた為、両親が極端に騒ぎ出すようなことはないだろう。

 

「一夏……」

 

 鈴音は想い人の名前を口にする。それだけで少しだけ心が軽くなった気がした。天災の所為で女の子にされてしまったが鈴音の恋心はまだ変わっていない。一夏のことが好きだと心底から叫ぶことができる。少しでも想い人の近くに居たかった。だからこうして、家まで来たのだが――

 

「……出ない」

 

 インターホンを押しても、応答がなかった。一回、また一回と鳴らすが一向に家の主は出てこない。試しに一夏の家のインターホンを押すがこちらも反応がなかった。冷気を纏った風が鈴音の体を貫く。その寒さに思わず身悶えした鈴音はくしゃみをしそうになるが何とか耐える。鈴音はインターホンから離れて、何故一夏が家から出てこないのかと理由を探ることにした。そして、思い出した。

 

「今日、検査の日だったっけ」

 

 そう、今日は一夏の身体検査の日だったのだ。男性の体から女性の体になってしまった一夏の体に異常がないかを調べる為に定期的に診察を行っているとの事だが、その日が今日であることを鈴音はすっかり忘れてしまっていた。だが、和行が出ないのが妙だ。買い物にでも出てるのだろうか。

 鈴音は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。溜息を吐きながら和行の家の塀に鈴音は寄り掛かる。あんな書き置きをしておいて、今更家に戻るのも癪だしもうこのまま一夏が帰ってくるまでここに居ようかなと考えていた時だった。

 

「鈴、そこで何してるんだ?」

 

 自分の愛称を呼ぶ声がした方を向くと、そこには和行が立っていた。やはり外出でもしていたのだろうか。彼の右手にはコンビニのレジ袋がぶら下がっている。

 

「ちょっと一夏に用があって。あんた、何処かに出かけてたの?」

「歯医者に行った帰りにコンビニに寄ってた」

「そう。ねえ、あんたの家に入ってもいい?」

「え? まあいいけど」

「……ところで、八千代さんは居ないわよね?」

「昨日、一週間は戻って来れないって言ってたから居ないぞ」

 

 了承を取った鈴音は和行の家にお邪魔する事にした。玄関で口からスリッパに履き替え、リビングへと鈴音は向かう。最近はあまり来ることもなくなった和行の家だが、以前と変わらない光景に鈴音は心の中で安堵する。何故だか落ち着く感覚がしたのだ。家に八千代がいないというのもあるのだろうが。

 

「ココアでも飲むか」

「ん、ありがと」

 

 和行がココアを入れてくれている間、鈴音は和行の背中を見つめる事にした。最初は気に喰わなかった和行とこうして今はこんな会話が出来るようになっている自分に鈴音は苦笑する。

 和行の最初の印象は「なんだかビクビクした男」と感じだった。想い人である一夏と比べると余計そう思えてしまった。だが、そんな性格でも一夏と上手くやっていけてたのを見るに二人は合うところは合うから出来ていたのだろうなとある種の感心をさせられた記憶がある。

 考えを巡らせているとココアを淹れ終えた和行が鈴音の下へとココアが入ったマグカップを二つ運んできた。和行に差し出された片方のマグカップを受け取ると和行は鈴音に話しかけ始める。

 

「どうしてうちの近くに居たんだ? 今日は身体検査でアイツが居ないのはお前も知ってただろ?」

「それは……」

 

 自分の向かい側に座りながらそう尋ねてくる和行に鈴音は言葉を詰まらせた。どうすればいいのだろうか? 和行に正直話すべきなのだろうかと頭を悩ませる。だが、和行のことだ。下手に誤魔化してもこちらが嘘を吐いているのを見抜いてくるだろう。ならば、ここはどうして近くまで来たのかくらいは素直に話すべきだろう。家を出てきた本当の理由は一夏が帰ってきてからでも遅くはない。

 

「家出してきたのよ」

「ブッ!?」

 

 自分の分のココアを飲んでいた和行が噎せ始めた。なにやっているんだかと呆れつつも飲み物を口に含んでいるタイミングで話しかけた鈴音にも負い目がある為、席から立ち上がって和行の背中を擦るのを忘れなかった。噎せるのが落ち着いたのか、いつになく真剣な表情を作りながら和行は問うてきた。

 

「マジか?」

「マジよ。書き置きには一夏の家に泊まりに行くって書いておいたけど」

「どうしてだ?」

「……それは一夏が帰ってきて教えるわ」

 

 目を眇めながら、鈴音はココアを啜る。

 ――暖かい。そんな言葉が反射的に口から溢れそうになった。何の変哲もないココアのはずなのにどうしてこう暖かく感じるのか。鈴音は分からなかった。思わず涙が出そうになるのを堪えながら、鈴音は和行にある事を尋ねることにした。本人たちは上手く隠せているつもりなのだろうが、自分の目はごまかせないぞと言わんばかりの表情を浮かべながら。

 

「ところでさ」

「ん?」

「あんたたちっていつから同居してる訳?」

「……何の話だ?」

 

 和行の返答に鈴音は確信めいたものを得た。二人が同居しているのは本当なのだと。織斑家ではなく九条家に来た理由もこれだった。一夏が和行と同棲していると直感が訴えていたのだから。

 

「和行。誤魔化せているつもりなのかもしれないけど、あんたってバレると不味い話を振られた時に溜めが入ってから話す癖があるわよね?」

「あっ……」

「あんた、今その癖出してたわよ」

 

 鈴音の言葉に嘘だろと言わんばかりに和行は頭を抱えだした。何故だろうか。今の和行の行動がとてもおかしく思えてしまう。いつもは冷静そうな態度を保っているのに、すぐにボロが出る癖は相変わらず治っていないようだ。

 

「い、いつ気付いた?」

「二学期が始まって一週間経った辺りから怪しいと思ってたわよ」

「そうなのか……。てか、何で笑ってんだよ」

「相変わらずだなあって思っただけよ」

 

 そんな鈴音の態度が気に障ったのか、和行は目を細めて鈴音の方を見る。自分を見ている和行に対して鈴音はそんな言葉を掛けた。

 

「はぁ……。そうだよ。一夏は俺と一緒に住んでるよ」

「提案したの誰よ? まさかあんたじゃないでしょうね?」

「んな訳ないだろ。むしろ俺は反対しようとしてたんだぞ」

 

 でしょうね、と鈴音は心の中で独りごちる。和行の性格は大体把握している。確かに和行ならば止める側であろう。となれば、そんな和行が同居を許したということは――

 

「千冬さんと八千代さんの所為ね」

「うん。その通りだ」

 

 何処か遠い目をしながら鈴音の言葉を肯定する和行。なるほど、と鈴音は納得してしまった。幾ら和行でも千冬と八千代の二人にごり押しされれば首を縦に振らざるを得ないだろう。

 

「しっかし、あんたってそんなに流されやすい性格だったっけ?」

「仕方ないだろ。女になった一夏の身の安全どうのって話を持ち出されたらさ……」

 

 全く以て和行らしいと鈴音はある種の尊敬の念を覚えた。普段は自分のことを自分勝手な男だとか言う割には、こいつは相変わらず誰かの為とか言われると自分の意見を放棄するのだなと鈴音はため息を吐いた。

 だが、それでいいのかもしれない。全く変わっていないところに少しばかり安心感を覚えたから。男だった一夏が女の子に変わり、両親の仲も変化した。そんな中で目の前に居る幼馴染はあまり変わっていなかったことに。

 

「ところでさ」

「うん?」

「あんた、一夏に変なことしてないでしょうね?」

「変な事ってなんだよ?」

「そ、それは……」

 

 少しばかり言い淀んでしまう。が、このまま何も言わなければ和行は納得しないだろうと考え、意を決して頭に浮かんでいた言葉を口に出した。

 

「そ、その。一夏の着替えを覗いたりだとか、一夏がトイレをしている最中に突入したりだとか!」

「お前は俺を何だと思ってんだ!?」

「むっつりスケベな幼馴染」

「はっきりと言いやがったこいつ!」

 

 心外だと言わんばかりの形相で鈴音を睨む和行だが、当の鈴音は何処吹く風といった感じで流している。

 

「俺はそんなことしてないからな!」

「あーはいはいそうね」

「棒読みやめろ!」

 

 そんな風に鈴音が和行を弄っていると玄関の扉が開く音が二人の耳に届いた。今日は八千代が帰ってこないと和行に聞いた。なら、この家の玄関を開けた人間は彼女であろうことは想像に難くない。

 

「和行~帰ったよ。って、この靴って……」

 

 聞き慣れた一夏の声がした。少ししてからリビングの部屋のドアが開き、そこに一夏が立っているのが鈴音の視界に飛び込んできた。リビングの前に立っている一夏はどうして鈴音がここにいるのだろうとでも言いたげな顔をしている。さて、一夏も来た事だし、そろそろ自分が家出した理由を話そうと鈴音は心に決めるのだった。

 

◇◇◇

 

 ……胃が痛いです。いますぐ胃薬が欲しい。そのね、歯医者の帰りにコンビニに寄って帰ってきたら、家の近くに鈴が居たんだ。一夏が帰ってくるまで家に居させろと言い出したのには正直どう反応すれば迷ったが、このまま寒い空気に支配されている外に放り出しておくのもアレだったので家に招いたはいいのだが……。

 その、鈴に俺と一夏が同居してるのがバレた。というか、去年の九月頃には勘付いていたらしい。変な事してないでしょうねと聞かれたが一夏に誓って俺はそんなことはしてない。一夏の裸をハプニングで見てしまったりもしたが、あれは事故ということで両者間で既に決着が付いている。

 

「……」

 

 帰ってきて鈴に同居を勘付かれていたことを知った一夏は俺の隣に座り、さっきから無言を貫いている。心なしか一夏が少しばかり頬を膨らませているような……。ていうか、どうすんだよこの空気。どうすればいいんだよ。鈴はなんか神妙な面持ちで俺が淹れたココアを飲んでるし、一夏はココアには手を付けずにずっと俯いてる。もうやだ、本来だったら一夏との談笑タイムが繰り広げられていたはずなのに。

 

「私と和行の愛の巣に入ってくるなんて、無粋すぎるよ鈴……」

 

 俺の隣で一夏がそんな風に呟いたのが聞こえた。ようやく口を開いたと思ったら、お前そんなことを考えていたのかよ。愛の巣云々は置いておくとして、一夏は俺の家に居る時が一番落ち着くって言ってたからな。それを邪魔されたように感じているのかもしれない。

 一夏はこの調子だし、俺が話を進める役になるしかないなこれ。一夏が帰ってきたことだし、鈴も家でしてきた理由を話してくれるだろう。

 

「一夏も帰ってきたことだし、そろそろ話してくれないか? 鈴、なんで家出してきたんだ?」

「え? 鈴、家出してきたの!?」

「そうらしいんだよ」

 

 一夏が俺の言葉に反応してきたので、そう返した。さて、一体どんな理由で家から出てきたんだか。……鈴の雰囲気からして、なんか嫌な予感がするがこのまま聞かないって訳にもいかない。こいつ、かなり思いつめた顔をしているし、幼馴染がこんな顔をしているところなんて見たくないからな。

 

「その、ね。私の両親、離婚しそうなんだ」

「えっ……」

「……」

 

 ……物凄くヘビーな話題でした。なんでこういう時だけ俺の嫌な予感が当たるだか。……離婚か。なんとなくおじさんとおばさんの仲がおかしくなっているのは去年のゴールデンウィーク辺りから薄々感じていた。だが、俺はその事に関して首を突っ込むつもりはなかった。だって、あくまでこれは鈴の家の問題であって、うちの問題ではないからだ。俺があれこれ言っていい話ではないと考えていたから。

 

「あたし、もうどうしたらいいのか分かんないや……」

「……鈴」

 

 彼女の今にも泣きだしそうな表情に俺は鈴の名前を呼ぶことしかできなかった。何も思いつかなかったんだ。鈴に対して何をすればいいのか。気の利いた言葉も出てこずに頭を悩ませている俺はちらりと横を見てみる。一夏がどういう顔をしているのか確認する為に。だが、そこには一夏は居なかった。

 何処に行ったのかと視線を這わせてみると一夏は鈴の近くに居た。いつの間に移動したのかと困惑していると、一夏は鈴を抱き寄せ始めた。

 

「いち、か?」

「鈴。胸を貸してあげるから思いっきり泣いていいよ」

「――ッ!?」

 

 一夏の言葉が起爆剤となったのか、鈴は一夏に抱き付くと今までの表情を崩して声を殺して泣き始めた。……やはり、相当心に来ていたんだろうな。俺には両親が離婚しそうになる辛さなんて分からない。だって、うちの片親は病気でぽっくりあの世に行ってしまったから。

 それにしても一夏の行動が母性に溢れすぎじゃない? こういう時の一夏の行動力って本当に凄いと思うよ、うん。俺はそっと二人の近くに近づき、鈴の近くにハンカチを置いておくことにした。俺に出来るのはこれくらいだろうから。それから数分後、一通り涙を流し終えたのか、一夏に「もう大丈夫」と告げる鈴の姿があった。

 

「全く、なんなのよあの胸は……。それに和行も、なに格好つけてハンカチを置いて行ってるのよ」

「おい」

「でも、ありがと。お蔭で少しだけすっきりしたわ」

 

 一夏の胸のデカさと俺の気遣いを皮肉ってから鈴は俺達に礼を言ってきた。俺は鈴から返されたハンカチを受け取る。気分は落ち着いたようだけど、これからどうするんだろうか。というか、今までスルーしてたけどあのボストンバックの中身ってまさか……。家でしてきてたって言ってたし、多分着替えでも入っているのかな?

 

「それでこれからどうするんだ? すぐに家に戻るつもりはないんだろ?」

「当たり前よ」

 

 俺の言葉にそう返してきた鈴は何かを思いついたかのような表情を浮かべている。……なんだろ。さっきのとは別の嫌な予感がしてきた。

 

「決めた」

「は?」

「あたし、ここに泊まるから」

「……えっ」

 

 俺と一夏は顔を見合わせる。それはつまり、俺の家に泊まるということだよね?

 ……ヤバい。頭が痛くなってきた。鈴が泊まるとなると、いつもの一夏とのキャッキャウフフな空間を展開できない可能性が非常に高い。

 

「何日くらい泊まるつもりだ?」

「一週間くらい」

「制服は?」

「ボストンバックの中に適当に詰めておいた」

「馬鹿野郎! 皺になるだろうが! 今すぐ出せ!」

「ツッコむところそこなの!?」

 

 俺の発言に一夏がツッコミを入れてきた。あまり一夏が俺にツッコミを入れるなんて中々ないからちょっと新鮮かも。この事は横に置いておこう、うん。

 ここで鈴を追い返すのも後味悪いし、一夏と話し合い一週間だけならと鈴が家に泊まるのを許可した。でだ、俺のさっきの制服が皺になる云々はマジ中のガチなのでさっさと鈴に鞄から制服を出すことを要求する。一週間泊まると言っても間には学校がある平日も混ざってるから、そのために制服を持ってきたんだろうけど……。

 うん、案の定皺が付いてますね。鈴から制服を受け取った俺の中の主夫魂が「アイロン掛けして、どうぞ」と叫んでいる。よし、さっさと皺取りをしよう。そうしよう。

 それから時間が経ち、皺取りを終えた俺は息を吐いた。さて、これをリビングにでも掛けておくか。俺はそう思い立ち、リビングへと向かうと鈴が何処かへと電話を掛けている姿が見えた。一夏は台所で飲物を淹れているみたいだ。

 

「うん。じゃあ、またあとでね」

 

 鈴は通話を終えたのか、携帯をしまうと俺の方へと寄ってきた。

 

「皺取り終わったの?」

「おう。ほらよ」

「うっわぁ……本当に皺がなくなってるし……。なんであたしの幼馴染どもはこう女子力が高いのよ!」

 

 うがぁと今すぐにでも叫び声を上げそうなくらいに頭を抱え始めている鈴を横目に、俺は以前一夏の制服を乾かしたのと同じ要領で鈴の制服を室内干し用の竿に掛けた。

 

「それで寝床の話なんだが、一夏の部屋で寝泊まりしてくれ」

「え? なんでよ?」

「一階の客間にお前ひとりだけとか駄目だと思っただけだ」

 

 素直にせめてこの寝泊まりしている間は一夏の傍に居させてやる為と言おうと思ったのだが、直接言うのが恥ずかしかったのでそう口に出したのだが、

 

「……あんたって本当に面倒くさいわね」

 

 鈴にはバレていたようだ。面倒臭くて悪かったな……。あ、でも、一夏に手を出したらその時点で俺は阿修羅と化すんでそこのところは理解しておいてくれ。



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第三十四話 あたしのことを覚えててくれる?

鈴が泊まっていた一週間の描写は省略してます。一週間の様子を事細かに書くと想定してた話数より増えそうだったので。まあ、ぶっちゃけると書くのが面倒だっただけなんですけど。


 九条家に泊まると鈴が宣言してから一週間後。明日で鈴がこの家に泊まって一週間が経とうとしている。つまり、今日で鈴との生活も終わりだ。私は最初、九条家に鈴が来た事に少しだけ和行とのイチャイチャラブラブタイムを邪魔されたことに拗ねてたけど、鈴の心情を知った所為か泊まるのを許していた。幼馴染を見捨てるほど私は非情じゃないし、鈴の辛そうな顔を見ていたら……ね?

 でも辛かった。本当に辛かった。冗談抜きで大変だった。いつもなら出来ている和行への抱き付きを抑えなきゃいけなかったからストレスが溜まったし、鈴の方も私と和行の距離感に何故か戸惑ってたから。口元に付いていたお米とかを取ってあげるのがそんなに駄目だったのかな? 付き合ってもいないのにそんなことするなとか言ってたけど、別に普通だよね? 少なくとも私と和行の間ではそこまで気にするようなことじゃないのに。あとは私の部屋で寝泊まりすることになった最初の晩に、私の部屋を見て「これじゃ完全に女の子じゃない……」とか呟いて、その場に四つん這いになってたけど一体どうしたんだろ?

 あ、鈴が泊まる事が決まった晩にちゃんと食事当番とかは決めたりもしたよ。鈴が居てくれたお蔭でなんだか食卓に彩りが増えた。基本的に和食か洋食が多めになるから、中華料理とかあまりしないし。鈴が作った回鍋肉とエビチリ美味しかったよ。なんだかこうしてるからか、小学生の時に戻った気分になってる。

 

「はい、和行。お茶」

「お、ありがと」

「一夏。あんた、和行を甘やかし過ぎよ」

「鈴の分もあるよ」

「いただくわ」

 

 リビングのテーブルを使い、宿題を終えた二人に私はお茶を持っていく。いつものように私からお茶を受け取る和行と、自分の分もあると知った途端に嬉々としてお茶を受け取る鈴。なんだかこの二人の温度差に苦笑いしてしまいそうだった。

 ……こうしてみると、鈴ってかなりの美少女だよね。思い返すと私の回りに居る幼馴染とか知り合いの女の子ってかなり容姿のレベルが高い気がする。箒とかも小学生ではかなり整ってた方だと思うし、クラスとか学校でよく話す子も大体そんな感じだから。何なんだろ、私は美少女を寄せ集める磁石かなにかなのだろうか。

 あ、ちなみだけど、私は昨日帰ってきてすぐに宿題を終わらせたから大丈夫。やり残しておいて料理に集中出来なくて味が落ちたら和行に申し訳ないからね。

 

「そうだ。今日の料理は何がいい?」

「魚でいいよ」

「あたしも魚でいいわ」

 

 うん、じゃあ今晩は魚で決定だね。昨日は和行がお肉を使った料理を作ってくれたし。

 

「しっかし、あんた達って本当に料理スキル高いわよね? 料理人でも目指してるの?」

「そんな気は更々ないんだがなぁ……」

「私も和行と同意見かな」

 

 男の頃にも似たようなことを和行に言われたことがあったけど、私はそんな料理人とかになるつもりはない。私の料理は和行や近しい人にだけ振る舞うつもりだから。なんというか、自分がそういう職に就いているイメージが湧かないんだよね。

 

「なんかもう掛ける言葉も見つからないわ……」

 

 諦めたような表情を浮かべている鈴に私と和行は顔を合わせて首を傾げる。当然のことを言っただけなのに何故そんな表情をされないといけないのか。納得がいかないんだけど。居心地が悪くなった私は逃げるようにキッチンへと向かい、料理を作ることにした。

 テキパキといつものように料理を終えた私は二人の下へと料理を持っていく。

 

「はい。どうぞ」

「いただきます」

「いただきます」

 

 二人は手を合わせて、いただきますの挨拶をした。いま鈴が使っている箸は余っていた新品のがあったのでそれを使って貰っている。うん、二人が美味しそうに料理を食べているのを見ていたらなんだか嬉しくなってきちゃった。さて、私もご飯食べないと。私が自分の分を持って椅子に座ったタイミングであることを思い出した。

 ……来月、和行の誕生日があるじゃん。何たる不覚だろうか。今まで想い人の誕生日を忘れてしまっていたなんて。少し凹んでいるけど、和行に何か誕生日に欲しい物がないか聞いておかないと。もし誕生日に欲しいものが私とか言われたら色々な意味で大サービスするつもりだよ。和行って結構照れ屋だからそういうこと言わないのは重々承知しているけど、私の乙女心的には言ってほしいというか。

 

「ねえ和行」

「ん?」

「来月って和行の誕生日でしょ?」

「そういえばそうだったわね」

「でさ、何か欲しいものとかある?」

 

 私の言葉に鈴も反応を示していた。鈴も和行の誕生日を忘れてたのかな? まあ、そのことは今はいいや。それよりも何故か和行からの反応が返ってこないんだけど。え、どうしたの? なんで和行は私を見つめたまま口を閉じてるの?

 

「――てた」

「え?」

「来月に自分が誕生日があるの、忘れてた」

 

 私と鈴の視線が合った。うん、多分あの目は同じことを考えている目だね。和行に呆れている目だ。

 

「自分の誕生日を忘れる人がいる?」

「ばっかじゃないの?」

 

 私達の発言にダメージを受けたのか、和行は顔を俯かせ始めた。私だって自分の誕生日を覚えてたのに、なんで和行は自分の誕生日を忘れたのかな。……まあ、さっきまで和行の誕生日を忘れてた私がこんなこと言うと説得力ないけどさ。そんなことを考えていると、和行は左手に持っていた茶碗と右手に握っていた箸を置いてから顔をあげた。

 

「いや、すまん。本当は覚えてた」

「じゃあなんで嘘吐いたの?」

「バレンタインデーと俺の誕生日が被っていることに現実逃避してたんだよ……」

「あー……。あんたの誕生日ってバレンタインデーだったわね」

 

 そうだった。鈴の言う通りだ。何の因果か和行の誕生日は二月十四日――バレンタインデーなんだった。和行本人はバレンタインと自分の誕生日が重なっていることに複雑な気持ちを抱いているらしい。まあ、気持ちは分かなくもないかな。クリスマスとか何かのイベントの日が自分の誕生日だったら、私も何とも言えない気持ちになるだろうし。

 

「何でバレンタインなんだよ。せめて一日ずれてれば良かったのに……」

 

 和行は深い溜息を吐くと再び茶碗と箸を手に取ってご飯を食べ進め始めた。

 

「覚えやすい誕生日で良いじゃないのよ」

「良いわけあるか! 小学生の頃、母さんに誕生日プレゼントと一緒にバレンタインチョコをアホみたいに送られた俺の身にもなってみろ!」

「それっていつの話?」

「小五の時だ……」

 

 忌々しいと言わんばかりの表情を作る和行に私は心から同情した。ああ、だから小学五年のバレンタインデーの翌日にあんな憂鬱そうな表情をしてたんだ。あの八千代さんのことだ。多分和行がツッコむのを諦めざるを得ないほどの量のチョコレートを贈ったんだろう。あの時、鼻血が出てきたせいで辛そうにしてたのもその影響なのかも。

 私がその立場だったら……うん、和行よりも感情的な行動を取ってたかもしれない。昔の私ってばあまり頭で考えずに行動することが多かったから。最近はそういうことをしないようにしているけど。

 

「……その、えっと。なんかごめん」

「げ、元気出して?」

「ちくしょう……。あとで母さんが苦手な筍を大量に食わせてやる」

 

 鈴と私の慰めの言葉に反応した和行が八千代さんへの恨み節を吐いた。和行、気持ちはわかるけどやめてあげなよ。……なんか八千代さんが泣く姿が容易に想像できてしまった。絶対子供みたいにわんわん涙を流すと思う。

 あの人、普段は大人な態度を取ってるくせに和行に冷たくされると一気に子供になるから。何とも言えない空気が私達三人の間に流れた。これ以上何にも会話する事がなくなった私達は晩御飯を食べ進めるくらいしかできなかった。なんでこうなるの……。

 料理を食べ終わり、ごちそうさまの挨拶を和行と鈴から受け取った私は食器やらを片づけた。今日で本当に鈴のお泊りも終わりなんだね。なんだか寂しいなぁ。最初こそは戸惑ったけど三人で当番を決めて料理を作ったり、鈴と一緒に和行を弄ったりするのが何だか楽しく思えた。和行と一緒に居る時とは違う空間がこの一週間の間、この家に漂っていたから。

 ここ一週間の出来事を振り返りながら私は食器の片づけを終えた。それから順番にお風呂に入り、自室に入ってこの前買った料理本を読み進めていると私の部屋で布団に寝転がりながらスマートフォンを弄っていた鈴がその手を止めて、脈絡もなしに話題を振ってきた。

 

「一夏」

「なに?」

「もしさ、あたしがあんた達の傍から居なくなっても……あたしのことを覚えててくれる?」

 

 その言葉に私は本にしおりを挟んでから鈴の方を見た。……なんでそんな顔をするの。いつもの勝気でなんだかんだで誰かを気遣うことの出来る鈴はそこにはいない。私の目線の先には、ただ不安に怯える一人の少女が居るだけだった。こんな鈴、見たことないや……。

 そんなの――私の答えなんて決まってるじゃない。

 

「忘れないよ。だって、鈴は私の大切な幼馴染なんだから」

「……そっか。うん、一夏がそう言うならそれでいいかな」

 

 諦念さを滲ませた表情を浮かべる鈴は私にそう返してきた。……そんな顔されたら、これ以上何も言えないじゃない。

 

「鈴」

「ありがとね一夏」

 

 辛うじて鈴の事を呼ぶと、鈴は私にお礼述べてきた。のだが、なんだか眠そうだ。なんだろ、こうしてみると妹みたいに見えて可愛いかも。妹か……前は弟で、今は自分が妹だから、自分の下にもう一人姉弟がいるっていうのがあまり想像できなかったけど、鈴みたいな子なら妹に欲しいかも。

 

「眠い……」

「私が見ててあげるからちゃんと寝てね」

「あんたはあたしの姉か」

「子守唄でも歌ってあげようか?」

「あんたは母親か!?」

 

 眠たげな表情から憤怒に満ちた顔へと変化させていた。なんだか鈴を弄るのも面白いかも。和行といい鈴といい、なんでこう私の幼馴染は弄りがいがあるのだろうか。

 そんなことを考えている内に鈴は布団の中へと潜り、さっさと寝てしまった。もう、こういうところだけは相変わらずなんだから。

 

「おやすみなさい、鈴」

 

 ――良い夢を見てね。よし、私も早く寝よう。明日からは和行に抱き付き放題になるからね。ああ、待ちきれないよ。……明日は和行に耳舐めでもしちゃおうかな?

 

◇◇◇

 

 ついにこの日が来てしまった。鈴音はその事に対して反射的に溜息を漏らす。スクールバックに教科書類を、ボストンバックに再び着替え等を詰めながら、鈴音はここ一週間の出来事を回想する。

 一夏や和行に両親が離婚するかもしれないという話をした際に、一夏の行動で思わず泣いてしまったがそのお蔭で心が楽になった。女性になってからの一夏は母性に溢れすぎなのではないだろうか。あの胸だけは未だに敵視せざるを得ない。ついでに述べるのならば、和行のあの行動に嬉しさを覚えたのと同時にお節介だと見做してしまったのだがと鈴音は心の中で溜息を吐いた。

 最初は和行の家に泊まると言った時は反対されるだろうと身構えていたのだが、あっさりと泊まるのを認められたのには拍子抜けした。それは電話に出た鈴音の母も同じだ。和行の名前を出した途端、泊まってきなさいなどと言い出して思わず頭が痛くなったのは秘密だ。年頃の娘が同年代の男の家に泊まることになったら、普通ならば反対するのが筋であろう。簡単に泊まってきなさいと言われたのは鈴音が和行ではなく一夏に気があることを知っているからというのもあるのだろうが。

 

「まあ、変な心配はしてなかったけどね」

 

 そう思えるのは部屋は一夏と一緒だったというのもあるが、和行の女の子の好みを把握していたからだ。和行の好みは黒髪巨乳の女の子らしい。付け加えるなら家庭的で、女性だからといって偉そうに男性の事を下に見るような事をしない子がタイプとのことだ。今の一夏が正に和行の理想像に当て嵌っている気がするが、その事は横に置いておくことにした。

 無論、好み云々は本人から直接聞いた訳ではない。弾や数馬から又聞きした情報と学校で和行の行動から推察したのだ。和行が学校で黒髪の女の子を目で追うのを何回も見たことがあったのだから。

 

「――これでよしっと」

 

 思案しながら荷造りを終えた鈴音はボストンバックとスクールバックを持ち、一夏の部屋から一階へと一段一段、確実に降りていく。その間も鈴音は思考をするのをやめなかった。

 実は一夏や和行に隠していたことが一つだけあった。それは今年の終業式を終えて春休みに突入したら、本国に帰るかもしれないということだ。どうしてもその事を自分の口からその事を言うのは憚られた。だが、いつかはバレてしまうだろう。なら、ここで言うしかない。

 

「鈴、本当に大丈夫か?」

「大丈夫よ。あんたに心配される程やわじゃないわ」

「ひっでぇ……」

 

 リビングに入った途端に掛けられた和行の言葉に鈴音はぶっきら棒に返した。つい反射的に出た言葉だったが、両者間ではこれくらいは軽口の範疇に入っているので険悪な雰囲気になることはない。一夏もそんな二人の会話を聞いて、いつも通りの光景だと言わんばかりに苦笑している。

 

「でもまあ、ありがとね。あんたには世話になったし」

「なんだよそれ。まるでどっかに引っ越すみたいな言い方だな」

「……」

「鈴?」

「その通りよ」

 

 鈴音は和行の発言を肯定した。昨日まで隠していたことを二人に打ち明けるために、一旦荷物を自分の足元へと降ろしてからその双眸で二人を射抜く。

 

「多分だけど、春休みに入ったら中国に帰ることになると思う」

 

 意を決して口にしたその言葉はずしりと鈴音の心に圧し掛かっていた。本当は一夏や和行達から離れたくなんかない。弾や数馬が馬鹿やっているのを制裁したり、もっと一夏の傍で一夏の事を見ていたかった。和行を弄り倒していたかった。でも、そんな思いは叶わないというのを理解してしまっている。これは変えられないのだ。もう自分ひとりではどうしようもないのだから。

 

「そうか……」

「……鈴」

 

 二人は掛ける言葉が見つからないのか、そんな言葉しか話さなかった。自分も今の和行と一夏の立場だったら似たような反応を取るだろうなと鈴音は考える。何も言葉が出てこないかもしれない。だから、二人の反応に鈴音は何も言わなかった。そんな和行と一夏に向かって鈴音は言葉を続ける。

 

「二人にお願いがあるんだ」

「お願い?」

「……あたしの事を忘れないで」

 

 昨日の夜に一夏にも放った言葉だが、和行にも伝えておかなければならなかった。だからこうして口を開いたのだ。

 

「それとなんだけど」

「なんだ?」

「ずっとあたしの友達でいてくれる?」

 

 続けざまに嘆願するように思いを吐きだす。これからこの国を去るまでの期間は短いが、それでも一夏や和行の傍に居たい。この思いだけは絶対に二人に言っておかなければと口にした。帰国後、どんな生活を送っていくのかは予想は付かない。だから、せめてこの二人と一緒に過ごした日々は間違いじゃなかったと――二人と出会った事や一夏に恋したことは間違いじゃなかったと思いたかったのだ。

 

「当たり前だろ」

「私達、ずっと友達だよ」

「……ありがとう」

 

 それだけで――和行と一夏の言葉に救われた気がした。鈴音はそう心の中で納得しながらボストンバックとスクールバックを再び持ち上げると玄関の方へと歩き出した。

 

「送っていこうか?」

「いいわよ。自分ひとりで帰れるから」

 

 和行の気遣いを即座に拒否する。自宅に帰るくらい一人で出来るのだから。玄関で靴を履くと自分の事を見送りに来た二人へと振り返った。

 

「じゃあまた学校で」

「うん。また学校でね」

 

 一夏と和行の温かさに満ちた言葉に鈴音は微笑むと、荷物を持つ力を強めながら前を向いて歩き出した。玄関を開けて外に出ると冷たい空気が体を襲ってくる。だが、そんなものに鈴音が臆することはなかった。こんな風よりも自分の心を刺すような痛みの方が辛いのだから。自宅への道のりを歩きながら鈴音は暗い表情を張り付けた。

 皆から離れることになってしまったこともそうだが、自分の恋心が一夏にもう届かないところに行ってしまっていることに心が傷んだ。胸が苦しくて、今すぐにも叫び出したいくらいだ。強引に一夏に迫るという選択肢もあったのだろうが、鈴音にはそれが出来なかった。それを実行したら想いは叶うだろうが、自分の中の何かが終わってしまう気がしたから。

 ――自分が居ない間、和行に一夏を預けるだけだ。そうだ、預けるだけなんだ。まだ諦めた訳じゃない、と自分に言い聞かせながら鈴音はその足を止めない。和行の家から遠ざかる為に、自分の家へと帰るために。その両目から涙を流して、頬を濡らしながら。

 

「……和行。絶対に一夏を悲しませるんじゃないわよ」

 

 もし仮に一夏を泣かせるようなことをしたら、二重の意味で和行のタマを取りにいくことにしよう。そうしよう。鈴音は軽く開き直りながら心中でそう決断したのであった。一夏といつも一緒に居るあいつに対してこれくらいは許されるだろうと。

 鈴音がそんな決心を固めたのと同時刻、不意に何かに自分の股間を狙われている予感がした思春期の少年が自身の股間を両手で押さえた所為で同居人の少女に心配されるという一幕があったそうだが因果関係は不明である。




前回の三人称→一人称、今回の一人称→三人称と言った具合で途中で三人称を使ってみた結論が出ました。

オール一人称の方が執筆が早い。あと書くのが楽。


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第三十五話 ――キス、しちゃった

前回、前々回とちょっとシリアス気味だったのでイチャラブをブチ込んでおきます。


 まだまだ寒さが続く二月中旬。鈴のお泊り事件から一か月の時間が経った。俺は今日も一夏と一緒にスーパーに寄っていた。今晩の料理に使う物やら、その他諸々を買うためだ。その最中、俺は最近の鈴の様子を振り返る。鈴の奴だが、ここ最近は俺達二人が会話している間はあまりその輪に入ってくることがなくなった。前までなら容赦なく入ってくることもあったのに。あのお泊りの最中に何があったというのか。なんとなくだが、俺と一夏に気を使っているような気がしないでもないが詳細は不明だ。その事を問いただすつもりもないし。

 ……正直に言って、未だに鈴が俺達に告げた言葉に現実感が湧かない。鈴の両親が離婚して、鈴は中国に帰るかもしれないことに。俺達がどう騒ごうがもう変えられないのは分かっている。だから、俺と一夏は鈴との約束を守ることにした。鈴が帰ってもあいつが俺達の幼馴染で友達だったことには変わりない。絶対にな。

 

「ねえ和行」

「どうした?」

「家に帰ったら渡したい物があるんだけど」

「渡したい物?」

 

 俺の隣でカートを押している一夏が俺にそんな風に声を掛けてきたので思考を切り替える。渡したい物ってなんだ? ん? 今日って確か――バレンタインデーじゃねえか。あれ? ってことは俺の誕生日?

 ……ヤバい。今日一日中、必死に頭を動かして忘れようとした事実が俺に襲い掛かってきた。ちくしょう、母さんに大量のチョコを送り付けられたトラウマが再発しそうになったぞ。

 うーん、バレンタインに女の子が渡したい物っていったらあれしかないだろうな。俺への誕生日プレゼントって線もあるだろうけどさ。

 

「まさかと思うが、チョコか?」

「……なんでそこで言っちゃうかな? そういうのは女の子がプレゼントするまで聞かないよね普通」

 

 一夏は口を尖らせて俺に不満をぶつけてくる。一夏の拗ねている顔も大変可愛かったが、同時にお前にだけは言われたくねえよと思ってしまった。だってこいつ、まだ男だった去年のバレンタインの時もプレゼントをくれた女子に似たようなことを口走ってたんだぞ。マジでお前が言うなって言いたいわ。

 ちなみにうちの学校には一応チョコとかを持ってきてもいいが、プレゼントをするのなら放課後にというルールみたいなのがある。授業と授業の間の休憩時間では渡し切れない人もいるだろうからな。そこら辺の配慮があるのかもしれん。アクセサリー類とかには厳しいけど何故かそこら辺は緩いんだよね、うちの学校。まあ、生徒側がバレンタイン関連で今のところ問題を起こしてないから目溢しされてるだけだと思うけど。

 

「だって、今日はバレンタインだぞ? そんな日に渡したい物があるって言われたらチョコ以外思いつかないだろ」

「うぐっ!」

 

 図星と言わんばかりの表情を作った一夏は即座に表情を変え、俺を睨んでくる。でもそんな一夏の睨み顔はあまり怖くなかった。男の頃ならビビったかもしれないけど、今の一夏は全然怖くない。本気で怒っている訳じゃないのが丸わかりっていうのもあるけどさ。でも俺を睨んでるこの一夏も可愛いと思うの。

 

「和行にチョコあげるのやめようかな」

「えっ……」

 

 一夏が放った一言に俺は軽く絶望しそうになった。やめてくれ。冗談だとしてもやめてくれ。ごめん、一夏。マジで土下座とかするんでチョコください。一夏が俺の為に用意してくれたチョコが欲しいんです。謝ります。謝りますから! 俺にチョコをください。お願いします。脚とか舐めるんで!

 ……うん。ちゃんと謝ろう。

 

「その……ごめん、一夏」

「分かればよろしい」

 

 私、怒っていますといった顔をしていた一夏はそこには居らず、いつもの俺に対して暖かな笑みを向けてくる一夏が居た。やばい。俺、一夏に手玉に取られてるわこれ。一夏の掌の上で遊ばれてたわ。マジで何なのこの黒髪巨乳は。そんなイタズラ成功みたいな顔されたらドキっとするだろうが。お前は何回俺を惚れ直させれば気が済むんだ。一夏にこういう態度取られるのも悪くないと思っている自分が居るんだが、俺ってMッ気があるというか受け体質なのか?

 

「それで今晩は何が良い?」

「鶏の唐揚げが良い」

「塩?」

「うん、塩」

「塩唐揚げの元、売ってるかな?」

「なかったら味は一夏に任せるよ」

 

 一夏とこうした会話をするのは何回目だろうか。男になる前からこういう会話を何回もしたことがあったが、一夏が女の子になってからは極端にその回数が増えた気がする。もう数えるのも億劫だ。元々家庭的な部分があった一夏が女の子になったことで男の理想像とも言える女の子になった所為か、そのなんだ……こういう会話がめっちゃ似合うようになったよね。

 そんな一夏と一緒に登下校したり、料理を作って貰えてる俺はかなりの幸せ者だろう。いやまあ、一夏が俺に恋慕してくれている時点で幸せ者どころじゃないんだけどさ。

 

「和行、ケーキは?」

「いちごのやつがいい」

「じゃ、帰りにいちごのやつ買うね」

 

 スーパーからの帰り道に洋菓子店があるからそこで買うつもりなんだろうなと考えを巡らせていると、一夏に制服の袖を小さく引っ張られたので一夏の方へと顔を向ける。

 

「どうした?」

「急に和行の顔を正面から見たくなったの」

 

 だあああああああ! こいつはなんでこうもそんな台詞を吐けるんだよ! 人の目があるのにさ! もうやだこの子。これが一夏を好きになった代償なのだろうか。二人きりの時なら別にこういう台詞を言われても大して気にしないが、この子はもう少し周りの目を考えるべきだと思うの。

 そんなこんなで俺のメンタルが削られるという事態に見舞われたがスーパーでの買い物は無事に終わった。ケーキも購入して家に帰ってきた俺達は手洗いうがいを済ませて一緒に宿題を片づけた。一夏のお蔭で早い段階で宿題から解放されたことに安堵を覚える。

 キッチンに居る一夏が料理を作り終えるのを待ちながら、俺はリビングのテーブルに向かいつつスマートフォンを弄っていた。

 

「あ、三人からのメールが来てる」

 

 今日は平日だから一夏の時のようなパーティを開くことが出来なかったので、弾達は後で俺にメールを送ると言っていた。だからこうしてスマホを動かしていた訳で。

 えっと、弾からのメールはっと、『誕生日おめでとう。今日こそ一夏が欲しいって言っちまえ』か。……弾よ。あまりこういうこと言いたくないんだけどさ、君ってそういう部分があるからモテないんじゃないの? 本当はそう思ったままの事を文章にして送ってやりたいところだったが、ここは無難に『ありがとよ。あとそれはNGで』と返しておいた。

 さて、お次は数馬だな。なになに、『誕生日おめっとさん。今日中に一夏が欲しいって告白しろ』か。おいこら、お前も弾と同類かおい。返事は『ありがとさん。それ弾にも言われたんだけどお前ら示し合せでもした?』と書いておいた。

 最後は鈴だな。ふむふむ、『誕生日おめでと。今日、バレンタインの義理チョコ渡すの忘れてたわ。明日渡すから』か。……なんだろ、他の二人と比べると鈴のメールがまとも過ぎるんだけど。ちくしょう、目から汗が止まらねえ。よし、『ありがとな。早めのお返しにお前が好きなデザート奢ってやるよ』でいいだろ。

 

「ふう……」

「どうかしたの?」

 

 俺がメールの返信を終えて小さく息を吐いていると、キッチンの方から一夏が俺に声を掛けてきた。今日も黒髪ポニテがお綺麗ですね。

 

「弾達にメールを返しただけだよ」

「そうなんだ。それで弾達からは何てメール来てたの?」

「そ、それは……」

 

 一夏の問いに言葉が詰まってしまった。鈴のメールはともかく、弾と数馬のメールは一夏に見せるべきではないと思うのよ。

 

「なんか怪しい。えっちな画像でも数馬や弾から送られた?」

「違うわ馬鹿!」

「……物凄く怪しい」

 

 疑わしい視線を投げかけてきた一夏は俺が強い言葉で否定したのを懐疑的に見たのか、料理をする手を止めてキッチンから俺の下へと近寄ってくる。すいません、ごめんなさい。怖いです。いちかちゃんこわい。

 

「見せなさい」

「え、でも」

「見せなさい」

「……はい」

 

 一夏の圧力に屈した俺はメールボックスを画面に表示したまま、一夏にスマートフォンを手渡す。ちくしょう。こうなるのなら早めにスマホにロック掛けておけば良かったかもしれん。俺から受け取ったスマートフォンを操作して弾と数馬のメールを見たのだろうか、不機嫌そうだった一夏の顔付きが呆けたような顔色に変わった。

 

「えっと、その。ご、ごめんね。メール見せろって言っちゃって……」

「俺の方こそごめん。一夏に馬鹿って言っちゃったし……」

「ううん、気にしてないから大丈夫だよ」

 

 俺にスマートフォンを返しながら俺に謝ってくる一夏に、俺も謝罪の言葉を述べた。反射的とは言え、一夏に馬鹿と言ってしまった所為で胸が痛い。一夏は気にしてないと言ってくれたが、やはり心がズキズキする。

 

「全く、弾も数馬もなんでこういうメールを送ってくるのかな……」

「同意するよ」

 

 一夏の呟きに俺はそう反応を返した。気まずい雰囲気になった所為か、一夏は俺の下からキッチンへと戻っていく。俺はテーブルの上にあるリモコンを操作してテレビを付けるとそのままテレビのニュースをBGM代わりにスマートフォンでネットサーフィンをすることにした。

 それからしばらくして、料理を作り終えた一夏が皿に料理を盛って俺の下へとやってくる。ヤバい、なんていうかいつもより一夏の料理が美味しそうに見えて仕方ない。お腹も減ったし、早く料理を食べるとしよう。

 

「いただきます」

「召し上がれ」

 

 微笑む一夏の視界に収めながら俺は箸を動かしていく。まずはサラダから――美味しい。野菜の味が活かされて良い感じだ。次は唐揚げだな。うん、こっちも美味しい。衣のサクサク加減が最高に良い。一夏の料理を食べていると語彙力が無くなるわ。本当に美味しい。そうやってご飯も食べ進めているとあっという間にご飯がなくなっていた。

 一夏の手料理で腹が膨れたことにご満悦な俺はごちそうさまの挨拶をしながら、ふと一夏の方を見てみる。そこには俺と対照的に何処か沈んだ顔をしている一夏が居た。同じタイミングで一夏も食べ終えたみたいだけど……お腹でも痛いのか?

 

「一夏? どうかしたか?」

「その、ごめんね」

 

 えっ、なんで一夏に謝られなきゃならないんだ? まさか、さっきのスマホの事をまだ気にしてるとか? あれはむしろ俺の方が謝るべきだと思うんだが。

 

「さっきの事なら別に良いって」

「ううん、そうじゃなくて。和行の誕生日が、私の誕生日より料理とかも質素になっちゃった気がして何だか申し訳なくて」

 

 ああ、そういうことね。しょんぼりした顔で絞り出すように自分の思いを吐きだしてくれた一夏だが、俺はそんな事なんて気にしていなかった。今日が一夏の時のように休日ではなく、平日な所為でこうなる事は分かり切っていたし俺の誕生日なんてそんなに大げさに祝ってもらう必要なんてないって考えていたからな。

 

「俺は別に気にしないぞ?」

「でも!」

「俺はさ、こうやって一夏に料理を作ってもらったり、鈴達にメールとかで誕生日を祝ってもらえるだけで十分なんだよ」

「和行……」

 

 そもそも一夏の誕生日のアレは俺がちょいと暴走したというか燥ぎ過ぎた所為でああなったのであって、同じことをしろと一夏に求める気は更々ない。

 

「それに、俺としては一夏とこうやって二人きりの方が良かったから」

「え? 今、なんて」

「な、なんでもない。忘れろ」

「でも今」

「忘れろ」

「……はい」

 

 思わず本音を漏らしてしまった俺の言葉に反応してきた一夏だったが、俺の迫真の表情で言及するのを防ぐことが出来た。あ、危なかった……。なんだか、一夏って俺のちょっとした褒め言葉にすぐに反応して何かいやらしい事を考えている節があるからな。たまに何か俺の貞操が危ないんじゃないかっていうくらいの視線が一夏から飛んでくる事があるし……。ちゃんと防御しておかないとな。

 

「まあ、とにかくだ。別に豪華なだけが誕生日の祝い方じゃないだろって話だ。大事なのは気持ちなんだからさ」

「……そうだよね」

 

 俺の言葉に一夏は目を見開いた後、納得したような声音を出した。そして、俺に向かっていつも笑顔を見てせてきた。ああ、癒される。

 

「もう、和行ったら本当に中学生? 普通の中学生ならそんなこと言わないよ?」

「……自覚はしてる」

「ふーん。自覚はしてるんだ」

 

 にやにやと笑う一夏に俺は瞬時に顔を逸らしてしまう。だってさ、一夏が可愛すぎて眩しいんだもん。目が焼けるわ。ああ、可愛い。本当に一夏は可愛い。こうやって俺をわざとらしく弄ってくるところが愛おしくてたまらない。

 

「でも、そんなところも私は好きだなあ」

「えっ? いま、お前」

「ん? 私、何か変なこと言った?」

 

 じ、自覚ねえのかよ。お、お前、いま俺の事を好きって言ったんだぞ? それ、他の男だと絶対勘違いされるやつだぞ。なんでそう言うことを平気で言えるんだよ。……いや、ごめん。一瞬だけ一夏に好きと言われて告白されたのかと思った。だってさ、こいつ俺の事が好きなんだよ? それで俺は一夏の事が好きなんだぞ? そんな相手に好きとか言われて何とも思わない訳ないじゃん。

 

「和行、食器洗うからプレゼントは少し待っててね」

「う、うん」

 

 思い出したかのようにそう呟く一夏は特に気にしてないようだった。ドキドキしてたのは俺だけかよ……。俺は一夏が食器を洗い終えるまで彼女の言う通り、大人しく待つことにした。一夏のプレゼントってチョコレートだけなのか? なんだかあの一夏の顔を見ているとやっぱり他にも何かあるんじゃないかって思えてくるんだけど。

 それから時間が経ち、食器を洗い終えた一夏は二階の自室へと行きにプレゼントと思われる物を持ってきた。二階に行く前にキッチンで用意していたチョコレートと思しき物が入っている箱と一緒にプレゼントを手渡してきた。

 

「はい、和行。誕生日プレゼントだよ」

「ありがとう。開けてもいいか?」

「うん」

 

 一夏の了承を取ってプレゼントを見てみると、そこには俺が予約し損ねたゲームの限定版が入っていた。これ、ネットでは予約が殺到して即在庫が切れて、ゲームの販売店でも予約が瞬殺したやつなんだけど……。一夏にその事を話した時は同情してくれてたんだけど、一夏はどうやってこれを手に入れたんだ?

 

「一夏、これ何処で……?」

「レゾンナス内にゲーム販売店があるでしょ」

「うん、あるな」

「あそこに何故か一個だけ残ってたから買ったの。プレゼント用にって梱包してもらって」

 

 えぇ……。俺が行った時、そんな在庫なかったんですけど。それを手に入れるとかこいつ幸運値Aとかじゃないだろうな……。もしくは背後でウサミミを生やしたおっぱいアリスが暗躍していた可能性がある。千冬さんに通報しなきゃ。

 

「ありがとな一夏。大切に遊ぶよ」

「どういたしまして」

 

 また一夏の笑顔が炸裂したでござる。この子、一日で何回俺をドキドキさせれば気が済むんですかねぇ……。もうこれ以上はダメよ。本当に。

 そんなことを考えながら、今度はバレンタインチョコが入ってると思われる箱をゆっくりと開けた。……うん、見事に入ってましたね。ハート形のやつが。しかも大きい。あの、一夏ちゃん。もう君、俺への好意を隠す気ないよねこれ。ご丁寧に箱の上蓋に「和行へ」ってメッセージカード付けるとか完全にそうとしか思えないんだが。

 

「これって」

「手作りだよ」

「ですよね」

 

 うん、知ってた。昨日だったか。俺が二階に行ったりとかしている時に一階で何かやってるのには気付いてたからね。俺はバレンタインが近づいているという事実から目を背けるためにあまり触れないようにしてたけど。

 それにしても手作りかあ。そこまでしなくてもいいのになあ。作るの大変だっただろうに。けど、その分だけ一夏の想いが籠ったチョコレートだ。美味しくいただくとしよう。あ、そういえば、一夏って弾達に義理チョコとか渡したのかな?

 

「一夏」

「なに?」

「弾達にはチョコとかあげたか?」

「ううん、あげてない」

「マジで?」

「うん。あげようと思ったんだけど、先週あたりに要らないって言われたんだよね」

 

 ……あいつら、余計な気を回したな。全くそういうところだけは本当に気が利くと言うかなんというか。これ、実質的に俺が一夏からのチョコレートを独占してる状態じゃねえか。

 俺が「そうか」と納得の意思を示す為に口を開こうとしたのだが、先に一夏が口を開いていた。

 

「か、和行。あのね、もう一つだけプレゼントがあるんだ」

 

 えっ、まだ何かあるのか? ……あの、なんで俺の傍に近づいてくるの? ちょっと、一夏ちゃん? 俺の右に立って一体何を――

 

「んっ」

 

 俺の右頬に温かく柔らかい、湿っている何かが触れた。一夏の鼻息が俺の顔に掛かっているのが手に取るように分かった。そして、少ししてから一夏が傍から離れていく。

 一夏の方へとぎぎぎと首を動かしながら視線を向ける。そこには自分の頬を染めて、「やっちゃった」と言わんばかりの目をこちらに向けてくる一夏の姿があった。いや、あの、今のってまさか……。えっと、一夏のえっと、その、えっと……。

 

「――キス、しちゃった」

 

 俺はその一夏の一言で、一夏にされたことを認めざるを得なくなった。俺、一夏に右頬へとキスされたみたいです……。これが、プレゼントって……一夏にキスされたとか嘘だろ……! 待って、自覚したら物凄く恥ずかしくなってきたんだけど! 頭の処理が追い付かないいいいい! あの一夏が自分からキスするとか明日には空からISとか振ってくるんじゃないだろうな!? ああ駄目だ。恥ずかしすぎて死ねるわこれ!

 

「なんなんだよ……!」

 

 俺は恥ずかしさを誤魔化すために一夏が用意してくれたバレンタインチョコに齧り付く。ぱきんと小気味の良い音と共に口へと侵入してきたチョコはかなり甘いように感じた。




家庭的な黒髪巨乳美少女の幼馴染からの本命チョコが欲しい人生だった……。おっぱい。


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第三十六話 ――怖かった

真面目なようでふざけているようでイチャついてる、いつもより文字数多め回。あ、そういえば本小説のUAが十万を超えました。ありがとうございます。


 季節は三月上旬。あと少しすれば春休みという時期に差し掛かっていた。俺の誕生日が過ぎ、鈴とのお別れの時期が近づいている。

 自宅のソファーに座っている俺の気分は重く沈んでいた。それどころか、俺の隣にいる一夏や母さんまでもが俺と同じように暗い雰囲気を放っている。なんでこんな嫌な雰囲気になっているのかという理由を簡潔かつ説明するとしたらこれしかないな。

 さっきまで俺――誘拐されてました。いきなりのことで俺もまだ頭の整理が追い付いていないんだが、マジで誘拐されてたんだよ。

 

「ねえ、和行。本当に大丈夫だったの?」

「大丈夫だって。こうして無事でここにいるんだから、な?」

「分かってる。分かってるけど……」

 

 一夏がさっきから似たようなことばかり聞いてきてるけど仕方ないか。こいつ、俺が居なくなって凄く心配してたって母さんから聞いたから。一夏は放課後にクラスメイトの女の子たちとお喋りしてたお蔭で、帰るタイミングがズレたからか先に帰っていた俺の誘拐現場に合わずに済んだ。本当に良かった。一夏が巻き込まれなくて。

 それでだ。なんか目が覚めたら俺だけがコンテナっぽい物の中に入れられてたんだけど、外から監視する為なのか分からないけど窓みたいなのが付いてそこから外を覗いてみたら一機だけISが居ました。誘拐犯がなんでそんなものを持ってるんだよと思ったけど、そのお蔭で連中が唯の誘拐犯でないのは明白になった。

 正直怖かった。誘拐されたこともそうだけど、ISが居たのが一番怖かった要因だ。あんなのでビビらない人間なんて千冬さんくらいだろう。

 

「和行。あなた、お風呂に入ってきなさい」

「え?」

「汗、掻いたでしょ。お風呂はもう沸いているから」

「う、うん。ありがと、母さん」

 

 母さんの言葉に思考を中断させられた俺は母さんの言葉に従い、着替えを用意してから風呂に入ることにした。確かに汗を掻いたからな。あんな目にあって汗の一つも掻かないとか人間なんてやはり千冬さんくらいだろう。

 

「ふう……」

 

 俺は脱衣所で服を脱いで浴室へと入った。洗髪やら体を洗うのを済ませてから、母さんが沸かしておいてくれたお湯に浸かる。それだけで俺は少しだけ心が落ち着いてきたように感じていた。浴室の天井を見つめながら、俺は再び今日の出来事を思い出すことにした。

 なんかね、水色の髪をした多分俺よりも一歳年上くらいの人がISを纏って現れて、ISや誘拐犯を鎮圧と拘束をしてから俺をコンテナから出してくれたのよ。その人の言葉を信じるならば、千冬さんに影ながら護衛を頼まれてたらしいんだけど。

 それだけなら良かったんだけど、誘拐犯が俺が誘拐された証拠を残さないようにと考えたのか俺の鞄を俺と一緒にコンテナにブチ込んでいたのだが、その鞄には以前束姉さんがくれた例の人形が入れっぱなしになっていたのだ。水色の髪の人と一緒に逃げようとしたら伏兵的なものが現れたんだが、鞄から変な音が鳴ったので解放された腕で鞄を開けて人形を取ったら空からISが降ってきたんだ。水色の髪の人とそのISが視線を合わせた途端、

 

『誘拐犯死すべし、慈悲はない!』

 

 等と同時に言い出した時は変な声が出そうになった。目を合わせた間に何の意見の一致があったのかは知らないが、お前らどこのニンジャだよ、と。伏兵的なものが持ち出した二台目のISとの戦闘があったけど謎のISと水色の髪の人が操るISがほぼ圧倒してた所為で誘拐犯のISは一分も持たずに解除させれてた。誘拐犯よりこっちの方が怖いって思ったわ。

 吐かれたコトダマとは裏腹に伏兵を含めて死人ゼロで誘拐犯がまたもや捕縛されてたんだが、謎のISは水色の髪の人が止める間もなく飛び去っていったよ。……あれを作ったのって誰がどう考えても束姉さんだよね? ISの腕のところに兎のマークがあったし。

 それで俺は残った水色の髪の人に安全なところまでISで運んでもらったんだが、せめて名前だけでもと名前を尋ねたんだけどさ――

 

『謂れはなくても即参上。軒轅陵墓より良妻狐のデリバリーに――じゃないわね。通りすがりのIS操縦者よ! 覚えなくていいわ!』

 

 すいません。あなたのその台詞の所為で忘れることなんて出来そうにないです。なんで台詞がネタ塗れになってるんだ。よし、あの人の名前(仮)は露出強さんにしよう。なんか声似てるし等と考えている間になんか千冬さんが現れて「無事で良かった」と声を掛けられて安心したのか、その場にへたり込んでしまったのは許してほしい。

 そんなこんなで「その他諸々のごたごたはこちらに任せて、お前は家に帰って休め」と男前な口調で言ってくれた千冬さんに家まで送られて、家へと無事に帰ることが出来たという訳だ。

 

「あ、れ……」

 

 ふと、湯船に浸かっているいる自分の腕を見てみる。どういう訳なのか、俺の手はまた震えていた。……おかしい。一夏が傍に居てくれていた間は震えてなかったのに。

 ――ああ、駄目だ。震えが止まらない。震えを抑えようとしてみるが全く効く気配がない。それどころか震えが増すばかりだ。……なんだかんだと心の中で明るく言ったりしてみたものの、俺、やっぱり怖かったんだ。一夏もドイツで誘拐されてたあの時、同じようなことを考えていたのかな。……一夏。怖いよ、助けて……。

 

「一夏……」

「和行? どうかした?」

 

 縋るように呟いていた俺の言葉に近くいないはずの一夏の声がした。え? 一夏、何処にいるんだ? ……脱衣所に居るのって一夏か? このまま何も言葉を返さないで心配させるのもアレだし、いつも通りを装おう。

 

「な、なんでもないよ」

「そう? ここにバスタオル置いておくね」

「あ、ああ。ありがと」

 

 俺の言葉を聞いたのか、一夏は脱衣所から去って行ったようだ。

 

「あれ?」

 

 思考を中断して自分の体を触ってみる。先ほどまで震えていた体が、今は何ともないかのようだった。まさか、一夏の声を聴いたお蔭で震えが止まったのか? ……やっぱり一夏が俺の心の支えになっているみたいだ。多分、彼女が居なかったら今頃体を震わせたままだったかもしれない。

 それからしばらくして十分温まったと判断した俺は浴室から出た。脱衣所で用意していた着替えを着ると、リビングに居るはずの一夏の下へと向かった。リビングに入ると俺の視界にソファーに座っている一夏の姿が収まった。やっぱり一夏がそこに居るってだけで俺、安心してるな。

 

「一夏」

「あ、和行。上がったんだ」

「うん。母さんは?」

「八千代さんなら自室で千冬姉と電話してるよ」

 

 そうなのか。だから母さんの姿が見えなかったのか。……今ならいけるかも。

 

「傍に行ってもいいか」

「いいよ」

 

 一夏の了承を取った俺はそんな彼女の傍へと向かう。一夏の隣に腰を下ろして、彼女の方を向いた。ああ、やっぱり一夏が近くにいると心が落ち着く。俺がそんな風に考えていると一夏は俺へと視線を向けてくる。

 

「和行。本当に大丈夫?」

「大丈夫だって。心配性だな一夏は」

「だって……」

「俺としては一夏が誘拐に巻き込まれなくて本当に良かったよ。もし巻き込まれてたら気が気じゃなかったかも」

 

 好きな人の前だから明るく振る舞ってみたが、やはり心の中ではまだ恐怖が根を張り続けている。一夏の傍に居るからかあまり怯えずに済んでいるが。

 

「和行も昔の私と同じことを言うんだね……」

「ん? ああ、そういえばそんなことを言ってたな」

 

 口を開いていた俺の視界が突如急転する。左側から体に走る衝撃と共に俺の体はソファーの上に転がり、俺の目は天井を映していた。体から衝撃が抜けきれない中、俺の体にぶつかってきた人物へと視線を投げつける。先程まで俺が座っていた隣に居た一夏が俺の腹に跨るような体勢を取っていた。スカートがちゃんと防御しているお蔭か、一夏が穿いているおパンツは見えていない。セーフ……なのか?

 

「一夏! お前――」

 

 何をやってるんだよと口を開こうとしたが――できなかった。一夏の表情を見た途端、俺は言葉を失ってしまったから。だって、

 

「泣いて、いるのか?」

 

 そう、あの一夏が()()()()()から。男の時でもあまり他人に見せたことのない沈痛な面持ちで俺を見つめている。こいつが泣くところなんて、一夏が誘拐されたあの時に千冬さんに謝っていた時以来見ていない。頻繁に泣くような奴じゃないからな一夏は。

 俺が泣かせたみたいに思えてしまう所為か、俺の心に次々と棘が突き刺さっているかのように心が痛む。……痛い、本当に痛い。心の鋭い痛みに耐えながら、一夏の瞳から溢れてくる大粒の涙が次々と俺の服へと落ちていくのを眺めていると一夏は静かに口にを開いた。

 

「――怖かった」

「えっ」

「和行が居なくなるかと思って、怖かったんだ」

「一夏……?」

「本当に怖かったんだぞ! 和行が居なくなったらって考えたら頭の中が真っ白になって、ぐちゃぐちゃになって!」

「……一夏」

()、和行が居なくなったら、どうやって生きていけばいいのかわかんねえよ……」

 

 一夏の口調がいつもの女言葉から、男の口調に戻っていた。……お前、自分の口調を崩す程に俺の事を思っていてくれたのか。俺のような奴には勿体ないくらいだな。でも、嬉しい。一夏の気持ちが本当に嬉しい。

 

「頼むから消えないでくれよ。お願いだから……」

 

 涙を流しながら俺に懇願してくる一夏に俺は何も言えなくなった。俺は一夏に退いて貰うように頼んでから、思い切り一夏のことを抱きしめた。今の俺にはこれくらいしか出来なかったし、それに何故だか分からないけど俺自身がこうしたいって感じたから。

 

「あっ」

 

 一夏の吐息と言葉が漏れるのが聞こえた。腕の中に一夏の温もりを感じる。本当に温かい。物理的な意味だけじゃなくて、心も温かくなってきている。この暖かさのお蔭で俺の心に巣食っていた恐怖心がどんどん消えていくのを感じる。一夏とずっとこうしていたい。少しだけ抱き締める力を強めると、一夏も俺の体に手を回してくれた。

 どれくらい一夏と抱き合っていただろうか。一夏が俺の背中を優しく叩いてきた。

 

「か、和行。そろそろ苦しいから離れてくれないか?」

「あ、ごめん」

 

 一夏にそう言われた俺は大人しく一夏から離れることにした。むう……もっと一夏に抱き付いていたかったのに。それにしても一夏の泣き顔もこうして見ると凄く良い。涙は女の武器って本当だな。もう一夏から抜け出せそうにないや。

 

「その、嫌じゃなかったか?」

「別に嫌じゃなかったから、今度からどんどん抱き付いてもいいぞ」

「いいのか?」

「いいんだよ」

 

 涙を拭き取りながら一夏はそう告げてきた。そう言うのなら今度からちゃんと許可を取ってから沢山抱き付こう。一夏をぎゅっとした時の感触が最高だったし。

 でだ、そろそろ口調の事を教えた方がいいよなこれ。だって、なんか一夏ってば自分の口調が変わってるのに気付いていないっぽいからさ。

 

「一夏」

「なんだ?」

「口調、男のやつに戻ってるぞ」

「……は?」

 

 俺の指摘した途端、一夏はやっと自分の言葉遣いが元に戻っていたことに気付いたのか、急に顔を赤らめた。泣いたり顔を赤くしたり忙しい奴だな。でもそこが可愛んだよなあ。

 

「あ、えっと。こ、これで大丈夫かな?」

「うん。戻ってるよ」

「……その、和行は嫌じゃなかった? 私の男口調」

 

 ん? もしかして一夏の奴、自分が男の口調で俺と会話してたのを気にしているのか。うーん、俺は別に気にしないんだけどなあ。だって口調が男だろうが、言葉遣いが女の子のものになっていようが一夏は一夏だから。俺が好きなのは一夏本人なんだし、口調なんて些細な問題というか。今更だが、変に矯正しないで男口調のままでも良かった気がしないでもない。ほら、家庭的で清楚そうな女の子が男勝りの言葉で話すとか最高じゃない?

 

「別に俺は気にしてないよ」

「ほんと?」

「ああ。だって口調がどうであれ、一夏は一夏だし」

「和行……」

「ま、まあ。女の子口調の方を聞き慣れちゃってるから、そっちの方が俺としては助かるけど」

 

 俺のその言葉を聞いた一夏は一瞬だけポカンとした顔をしてから、俺の顔を見つめながら微笑んできた。やばい、クッソ可愛い。

 

「和行って本当に変わってるね」

「朴念仁のお前にだけは言われたくない」

「む? 私の何処が朴念仁なの?」

 

 そういうところだよと言いたくなったのだが、何故か俺の腹が返事をした。……やばい。腹減ったみたいだ。急に気恥ずかしくなって俺は一夏から視線を逸らす。

 

「お腹減ったの? 何か軽いもの――そうだね、サンドイッチでも作ろうか?」

「……頼む」

 

 空腹に耐えられそうにもなかったので一夏にそうお願いすることにした。一夏は俺に待っていてと言い残すと、そのままキッチンへと向かっていく。俺はそんな一夏の背中を見送りながら、ある事を考え始める。

 やっぱり俺は一夏のことが好きだ。大好きだ。愛してると言っても過言じゃない。まだ中学生の癖に何を言ってやがると自分でも思うのだが、もうこれ以上はこの気持ちを止められそうにない。

 ……そろそろ告白しないとな。さっき一夏が俺が居なくなったらどう生きて行けば分からないって言ってたけど、それは俺も同じだ。俺も一夏が居ないと駄目なのかもしれない。気が付けば一夏のことばかり考えているし、一夏と一緒に居れるのが何より嬉しい。だから、告白する。絶対に。

 

「和行。サンドイッチ出来たよ」

「ありがと」

 

 一夏からサンドイッチが盛られた皿を受け取ると、いただきますの挨拶をしてから俺はサンドイッチを食べ始めた。昨晩の残りのポテトサラダを挟んだものだったが、腹を満たすにはこれで十分だ。あっという間に食べ終えた俺はごちそうさまの挨拶を忘れない。

 

「ごちそうさま」

「うん。よかった、ご飯はちゃんと食べられるみたいだね」

「まあなんとかな。それに一夏が俺の為に作ってくれたんだ。残すわけにはいかないだろ」

「も、もう! なんでそういうことを堂々と言えるのかな……」

 

 そう呟いている一夏が物凄く可愛く思えるのは俺だけですかね。だって、嬉しそうな顔しながらこんなことを目の前で言われたら誰もが俺と同じことを考えると思う。俺がこういう台詞を吐けるのは相手が一夏だからだよ。他の人間相手ならこういう事言わないから。

 そんなやりとりをしていると千冬さんとの電話を終えたのか、母さんがスマートフォンを片手にリビングへ戻ってきた。もう時間だから早く寝ろと言われたので時計を見てみると、時刻はすでに夜の十時を指していた。正直、あんな事があった後だからちゃんと寝れるか不安なのだが、無視する訳にもいかず母さんの言葉に従うことにした。俺は歯を磨いてから自室へと向かって寝巻に着替えたのだが、

 

「一夏? 何してるんだ?」

「和行の傍に居ようかと思って」

「いや駄目だろ」

 

 俺の部屋に一夏まで付いてきた件。いつの間に着替えたのかパジャマ姿になっている一夏はとても可愛らしいが……あの、君の部屋は俺の部屋の反対側ですよね? 今の君は女の子なんだからそっちに行きましょうよ。野郎と同じ部屋なんて駄目だろ。

 

「私と同じ部屋で寝るの……嫌なの?」

「い、嫌じゃないけどさ……」

 

 でもほら、俺達まだ学生だしさ、冗談抜きで何かの間違いが起きたらヤバいと思うのよ。もし間違いを犯して子供が出来たら母さんは普通に受け入れるかもしれんが、千冬さんがどういう態度を取るか分からない。下手をしなくてもぶっ飛ばされると思うんだ。千冬さんにぶっ飛ばされたら俺死ぬかもしれんな。あの人の身体能力って完全に人外に達してる感あるから。

 

「じゃあ一緒に寝てもいいよね? あ、枕取ってくるからちょっと待ってて」

 

 俺にそう告げた一夏は自室へと行ったと思ったら、あっという間に枕を持って俺の部屋に戻ってきた。一体なにをどうやったら一瞬で部屋の行き来ができるんだ?

 あれ、そういえばこいつ、布団とかを敷こうとする気配すらないんだが……とてつもなく嫌な予感がする。

 

「布団とかないけど、何処で寝るつもりなんだ?」

「和行のベッドだけど?」

 

 あの、すいません。そうなると俺が寝る場所がなくなる――ああ、そういうことですか。こいつ、俺と添い寝するつもりか。……なんかもうツッコむのも疲れた。早く寝たい。でも俺、ちゃんと寝れるのだろうか。とにかく間違いだけは起きないようにしないと。それだけは本当に気を付けないと駄目だ。

 

「あ、あれ? 和行が珍しく抵抗しない……」

「……抵抗する気も失せたよ」

 

 俺は一夏にそう返しながらベッドに入り、壁の方へと背中を押し付ける。これで何とか一夏もベッドに入れるだろう。そんなことを考えている内に一夏は俺の方へと顔を向けながらベッドに入ってきた。一人用ベッドに二人が入っている所為で軽く密着する形になっているが不可抗力ということにしておこう。

 ところで、なんで一夏は俺の頭がある辺りに自分の胸を置いてるんですかね。これじゃガン見するつもりじゃなくてもガン見してしまうんだが。あの思わず視線を向けてしまう程に大きい一夏のおっぱいが俺の眼前にあるとかやばい。前から思ったけど、中学生なのに何でこんなに大きいんだよ。高校生とか成人になったらどうなるんだこれ。……変な気分になってきた。一瞬だけ一夏でドスケベな事を考えちまったよ。一夏のおっぱいの匂いをルイズしたい。

 

「えい!」

 

 俺が邪なことを考えていると、いきなり一夏が自分の両腕を俺の後頭部へと回した。するとそのまま両腕を俺の頭へと押し当てて、自分の胸に抱き寄せた。

 え、あの……。おいおい! 何やってんのこのTS娘は!? 俺の頭を自分のおっぱいに押し付けるとか、お前に恥じらいはないのか!? てか、このパジャマの裏側にある布状の感触って、もしかしなくてもブラジャーだよね? や、やばい。おっぱいの他に目の前に一夏のブラがあるって認識した途端、体中が熱くなってきた。あっ、でも、このままでいいかも。物凄く落ち着くし、パジャマとブラ越しの一夏のおっぱいは柔らかいし……。一夏大好き……。

 ――って! 待て! 意識を保つんだ俺。このままじゃ駄目だろ。なんで一夏はこんなことをしてるんだ? 完全に付き合っても居ない男に対してやっていい行動じゃないだろこれ。

 

「和行が眠るまでこうしてあげるね」

 

 そんな優しい声が俺の耳朶に届いた。……ああ、なんだか一夏のこの声を聴いただけで些細な疑問なんて吹き飛んだ上に眠たくなってきたよ。本当に一夏ってば母性に溢れすぎじゃないの? 前までなら駄目にされるって拒否してたけど、今は別にいいかな。だって一夏だし、この包容力には抗えそうにもないくらいに心地いいから。

 俺は抵抗する事なく彼女の抱擁を受け入れ続けた。そして、段々と眠気が回ってきたので眠る前に一夏への挨拶を忘れずにしておく。

 

「お休み。一夏」

「うん。お休み、和行」

 

 一夏の声を聞きながら、俺は微睡の中へと落ちていく。心の中で一夏への愛を以前よりも膨らませながら。

 

 ――大好きだよ、一夏。絶対に誰にも渡さない。一夏は俺のモノだ。




誘拐云々は一話とか二話を丸々使って書くとガチシリアスになるのでこうなりました。


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第三十七話 嫉妬だ

今回からヤンデレ要素が入りますのでご注意を。


 和行が誘拐された事件から二週間経った。誘拐された後の数日間は和行はちょっと弱気になってたよ。あんなことがあったんだから当然だ。私も男だった頃に誘拐された時はそんな感じだったから、和行の気持ちがよく分かるんだよね。

 和行が誘拐されたと聞いた時は何も出来ない自分に歯噛みしながら、和行の部屋で無事で帰ってきてくれることを祈るしかできなかった。和行が帰ってきたのを見た時は嬉しさと同時に体中が焼け爛れるかと錯覚するくらいの熱が体中を駆け巡り、犯人たちを血祭りにしたい衝動に駆られて憎悪が私の体と心を満たした。けど、和行を助けてくれた人が既に犯人を全員伸して拘束してくれたと和行を連れてきてくれた千冬姉に聞いて何とか気持ちを落ち着けることができた。私の和行を怖がらせた奴等には相応の罰が下ってほしい。

 あの事件以降、和行への過保護さというか和行に対しての甘さが増大している気がする。それに比例する形で和行の私に甘える頻度も増えてるけど。昨日の夜も和行に頼まれて頭ナデナデしてあげながら一緒に同じベッドで寝たもん。甘えてくる和行が可愛いからついつい、ね? ああ、早く恋人関係になったり、結婚したりしてもっと和行を甘やかしたい。

 

「あの、西邑さん。僕の話聞いてます?」

「ええっと、ごめんね。それで何の話だっけ?」

 

 愛しの和行の事を考えるのを邪魔されたことに内心不機嫌になってしまう。私は今、ある男子生徒に呼び出されていた。……本当にイライラする。実を言えば考えるのを中断される前から、かなりイライラしてたんだけど。

 理由は単純明快。今日の昼休みに和行のタイプであろう綺麗な女の子に、和行が廊下で声を掛けられてるのを教室の中から見かけた所為だ。しかも止める間もなかったから自分の行動の遅さと、その女子生徒へのイライラが募っている。

 私の和行と勝手に喋らないでよ! 先生とかに頼まれたとかなら許したけど、多分アレはそんな雰囲気じゃなかった。もしかして告白でもされたんじゃないかとずっとムシャクシャしてる。和行に女の子として接していいのは私だけなのに……。

 早く和行にその事を問いださなきゃいけないんだけど、目の前の事を無視する訳にもいかないというか……。名前は確か――隣のクラスの石山君だ。

 こうして呼び出したってことは私に告白するつもりなんだろうね。和行への思いを自覚した後も度々こうして私に告白してくる男子生徒が居るんだよね。はっきり言って期待とかしないで欲しいよ。鬱陶しいだけだから。けど、私の性格の所為か、告白を無視して和行と帰ることも出来ないんだよね。

 私の答えなんてごめんなさい一択なのに。和行と一緒に居る時間を私から奪ってそんなに楽しいの?

 

「えっと、そのですね……」

「言い淀んでないではっきり言って」

「貴女の事が好きです! つ、付き合ってください!」

 

 はぁ、やっぱりかぁ……。お腹痛くなってきた。和行以外の男に好きって言われるの苦痛過ぎるよ。私に好意が丸わかりになるような行動とか言動とか慎んでほしい。迷惑だから。和行曰く「非常に腹立たしいが、一夏は超絶美少女だから告白されるのも仕方ない」らしい。……この容姿は和行の為のものなのに。

 で、これって返事しないと駄目だよね? はいはい、もちろん断るよ。

 

「ごめんね。気持ちは嬉しいけど、私は誰かとまだお付き合いする気はないから」

「な、なんですか!?」

 

 ――()()()()()。和行以外の男から告白されたことに対する鳥肌が立つ程の嫌悪感と、こんなくだらない事に和行との時間を奪われた怒りが心底から溢れだしてきた。思わず不機嫌さを顔に滲みだしそうになるのを抑えながら、食い下がろうとしている石山君にどう答えればいいか考えていると誰かの足音が段々と近づいて来ているのが聞こえた。あれ? この足音って……。

 

「お、夏菜子。ここに居たか」

 

 やっぱり和行だった。笑顔を浮かべているけど、なんだか和行の後ろに死神のような存在が見えるのは私の気の所為かな?

 

「今日はうちの母さんがパウンドケーキの試食してくれって言ってただろ。早く帰るぞ」

 

 え? そんな話してたかな? そもそも八千代さんが帰ってくるのって夕飯時だったはずだけど……。私が和行の発言に戸惑っていると、和行はスクールバックで塞がっていない私の右手を荷物を持っていない左手で優しく掴んできた。

 あっ、そうか。私を連れ出す為にわざわざこんな嘘を吐いたんだ。もしかして、和行ってば私を連れ出すタイミングを見計らっていたりした? ……なんだか想い人に告白される現場を見られてたとか恥ずかしさと申し訳なさで一杯なんだけど。

 和行へのお礼は後でしようと考えつつ、そのままこの場から私は和行の手によって連れ出されるはずだったのが、

 

「ちょっ、ちょっと待って! 九条君! 僕は西邑さんに――」

 

 告白していた石山君が抗議の声をあげる。その声に反応したのか、心底鬱陶しそうな顔をしながら石山君に視線を向けて和行は静かに言い放った。

 

「――黙れ」

 

 肌が焼けるかのような熱と冷たさを絶妙な形で混ぜ合わせた声音だった。ちらっと和行の顔を見てみると千冬姉が誰かを睨む時のような目をしている。最近、千冬姉に何かを教えてくれって頼み込んでなんかやってるみたいだけど、その過程で睨み付けるのを教えられたのかも。

 

「え、あっ、なっ……」

「お前が夏菜子に告白してたのを見させてもらった。二人でな」

 

 あ、やっぱり見てたんだ。……ん? 二人? 二人ってどういう意味? 和行の発言の意図が分からず頭を悩ませていると、和行が息を吸ってから石山君を再度睨み付けながら、怒りを含ませた声を叩き付けた。

 

「――彼女が居る癖に夏菜子に言い寄るとはどういう了見だ、石山」

 

 和行が告げた言葉に私は耳を疑った。え!? 石山君、彼女が居たの!? なんか石山君も何故バレと言わんばかりの顔をしているし、本当なのかな? ……最っ低。彼女が居るのに私に告白するとか本当に気持ち悪い。

 

「じゃあ中嶋さん。俺達はこれで。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」

「ええ。協力してくれてありがとう、九条君」

「行くぞ。夏菜子」

「う、うん」

 

 和行の後方にある建物の影からぬるりと出てきた石山君の彼女さんと思われる女子生徒を見た私は目を見張った。――あれ、この人って昼間に和行と話してた人だよね? え、この人が石山君の彼女なの?

 そんな疑問を抱いた私と入れ替わるように彼女は石山君の下へ向かい、私は和行に手を引かれながら校門までやってきた。もう手を引く必要はないと判断したのか、和行は私の右手から手を放した。もっと握ってくれてても良かったのに。

 石山君は今頃、彼女さんに折檻されてるのかな? 別れ話とか切り出されててもおかしくない気がしてきた。いい気味かも。

 

「ったく。今月で何人目だ?」

「今日で五人目、かな?」

「去年よりは大分落ち着いてるな」

「そうだね」

 

 確かに去年とかと比べれば今年は大分落ち着いていると思う。去年は月に三十人とかあったからね。今年に入ってからは一桁台が続いてるからまだマシだ。最近告白してくる男子って、去年の内に告白する勇気がなかったチキンな男子ばかりみたいだし。

 

「……なんか、一夏にチキンって言われた気がしたんだが」

「き、気のせいだよ。ほら、早く帰ろ?」

 

 和行はチキンじゃないと思うよ、うん。校門を出たタイミングでいつものように恋人繋ぎをお願いすると、和行は快く応じてくれた。私の右手と和行の左手が絡み合うこの感覚、堪らないよぉ……。和行とずっとこうしていたい。なんかさっきの出来事で精神的に疲れたのか余計そう感じるよ。

 

「ところで、なんで石山君は私に告白してきたんだろ?」

「あー、その事なんだが……」

 

 私が呟いた一言に和行が反応しだした。何か知ってるのかな?

 

「中嶋さんから聞いた話なんだけどさ。石山の奴、他の女の子に告白やらのちょっかい掛けて中嶋さんに怒られるのが好きらしいんだ」

「……はい?」

 

 え? どういうこと? 石山君って馬鹿なの?

 

「前々から中嶋さんは止めろって石山に言ってたらしいんだが、お前に告白しようとしてるのを知って完全に堪忍袋の緒が切れたらしい」

「堪忍袋の緒が切れたって……」

「それで告白現場に乗り込むことにしたそうだ」

「そ、そうなんだ」

 

 あの人が居た理由は分かったけど、なんで和行も出てきたのかな。私は和行に教室で待っているように言ったはずだったんだけど、やっぱり心配してきてくれたのかな?

 

「和行はなんであそこに居たの?」

「昼休みに中嶋さんから『私の彼氏があなたの幼馴染に迷惑を掛けようとしてるみたいだから、止めるのを手伝ってほしい』って、協力を求められたってのもあるけど――」

 

 言いにくそうに和行はそこで一旦言葉を切った。

 

「……」

「和行?」

 

 心なしか私の手を握ってる和行の手の力が強くなったような。どうしたんだろ。今、一瞬だけ和行の顔が変わった? 物理的な意味じゃなくて、こう何かの感情が滲み出ていたような……気の所為かな?

 和行は二、三回深呼吸をしてから、先ほど切っていた言葉の続きを口にし始めた。

 

「万が一、石山がお前に変なことをしないか見張る為だ」

 

 どうも嘘っぽいなあ。でも、あまり和行の事を問い詰めるのも気が進まないんだよね。和行がこう言っているんだ。信じることにするよ。

 

「ありがとう、和行」

「これくらい普通だよ」

 

 私がお礼を述べると和行はそう返してくれた。格好いい。サラッとそう言う事を言ってのける和行って本当にカッコいいと思う。しかも私の為に頑張ってくれたんだから、私って結構な果報者だよね。

 

「さあ早く帰るぞ」

「うん」

 

 でも本当に良かったぁ……。昼間のアレってさっきの為に話しかけられたって分かって。もし和行があの人の告白を受けていたとかだったら、あの人に詰め寄ってたかもしれない。精神的に追い詰めて二度と和行に愛情を向けられないように仕向けたりとかね。私の和行に手を出そうとした罰としては安い方だと思う。

 そうだね、あとは和行を私の部屋に閉じ込めたりとか? その上で性的な意味で和行を襲って既成事実を作ってたりしてたと思う。そっちの方が和行も私と一緒に居なきゃていう責任感が強くなるだろうし。和行との赤ちゃんはどの道作る予定だったから、少しだけそれが早まったと考えれば問題なんてないよね。

 ……そろそろ告白しないと流石に不味い気がしてきた。和行が私の事を好きなのは分かってるけど、それでも不安なものは不安だ。

 ――和行は私のモノなんだよ。他の女なんかに渡さない。和行の好きな食べ物、和行の嫌いな食べ物、和行の趣味、和行の仕草、和行の癖、和行の体中のサイズ、和行の好みのタイプ、好みの髪の長さ等を全部把握しているのは私だけ。他の女子なんかに和行の事を全部知るなんて出来る訳がない。和行の事を一番考えてるのは私だもん。和行の傍に居ていいのは私だけなんだ。和行が悪い女に騙されたら事だし。

 そんな風に和行の事を考えていると、隣を歩いていた和行が何気なく発したと思われる言葉が私の耳に届いた。

 

「……一夏は俺のモノなんだよ」

「今なにか言った?」

「……なんでもない」

 

 和行は何処か上の空な感じで私の言葉を否定する。だけどその際、和行の目から一瞬だけ光が消えていたのを私は見逃さなかった。

 

◇◇◇

 

 今日の料理当番は俺だったのでキッチンに立っていた。菜箸を使いつつフライパンで野菜炒めを作っているが、今日の昼休み頃からイライラしたままだ。一夏と手を繋いで帰宅したけど、俺の中で怒りが静まることなんてなかった。

 石山の奴、彼女が居る癖に一夏にちょっかい掛けやがって……ふざけんな! 冗談抜きでふざけるんじゃねえぞあの野郎。付き合っている彼女に失礼だと思わねえのか! 一夏に告白している他の男子共もそうだ。一夏に告白なんてするんじゃねえよ。一夏のやつ、変に律儀なところがあるからバックれるなんてことはせずに、毎回忌々しそうにお前らの告白を受けに行ってるんだぞ。それが分かんねえのか?

 

「クソが……」

 

 珍しく悪態をついてしまった。自分でもこんなに何かに怒ることが出来たのかと感心してしまうほどだ。こんな風に考えてしまうなんて、やっぱりあれしかないだろう。

 ――嫉妬だ。そうだ。大切な人を取られると思って独占欲が刺激されたからだ。俺、どうやらかなり独占欲が強いみたいだからさ。俺は一夏にまだ告白してないのに、挙って一夏に告白しやがって。一夏に向かって好きだよの一言すらも言えてないのに!

 一夏を俺の部屋に閉じ込めて、他の男に会えない状態にしてしまおうと考えてしまうくらいに俺の頭と心は嫉妬で満たされていた。本当はそんなことしたくないのに、こんなことを考えちまうなんて……。もう自分で自分が分からないや。

 一夏が俺にしか興味がないのは分かっている。でも不安なんだ。他の男に一夏が取られてしまうんじゃないかって。俺よりも出来ている男の下に行っちゃうんじゃないかって。もし仮に一夏に見捨てられたら、俺はもう生きていけない。一夏無しじゃ駄目なんだ。

 

「和行、どうしたの?」

「……なんでもない」

 

 キッチンに居る俺に向かって一夏がひょこっと顔を見せてきた。普段なら可愛いと思う仕草だが、俺は今無性にイライラしている所為でそんな感想を抱く余裕などない。だけど、一夏は俺の反応をおかしいと感じたのかキッチンの方まで寄ってきた。まあ、こんな返し方をすれば不審がるよな。

 

「和行」

「なに?」

「大丈夫だよ。私、誰のモノにもならないから」

「えっ?」

 

 俺の心情を見透かしたかのような言葉に思わず菜箸を動かす手が止まった。電子調理器を一旦止めると、一夏との会話に集中することにした。

 

「和行は私に告白してきた男子達に嫉妬してたんだよね?」

「そ、それは……」

「大丈夫、隠さなくていいよ。私も同じだったから」

 

 一夏が悋気していた? なんで? 一夏の言い回しから推察するに告白関連のことだとは思うんだけど、俺って生まれてから今日まで女の子から告白されたことなんてないぞ。いや、待て。もしかしなくても、昼間のアレが原因か?

 

「中嶋さんと会話してたことか」

「うん、正解。告白でもされてたのかと思ったから」

「お前……俺に女っ気がないの知ってるだろ?」

「知ってるよ。でも万が一、和行に彼女が出来たら一緒に居る時間とか減っちゃうじゃん」

 

 ぷくぅと頬を膨らませてから一夏は俺の方を見てきた。超可愛い。ほっぺたを人差し指で押してやりたい。てか、彼女って何よ? 俺は一夏以外の女に興味なんてないぞ。

 

「和行」

 

 一夏が俺に声を掛けてきたかと思うと俺に抱き付いていた。その所為か一夏の柔らかいクッションが俺の体に押し付けられている。すっげえ柔らかい。おまけに一夏に抱き付かれたお蔭か先程まで荒れていた心が少し落ち着いてきている。一夏の癒しパワーすげぇ。

 だが、一夏の顔は段々マシになってきてる俺と対照的に暗いままだった。俺の目がおかしくなっているのだろうか。一夏の瞳が虚ろになって、少しだけ光が消えているように見えるんだが……。

 

「い、一夏?」

「ごめん。明るく振る舞ったけど駄目みたい」

 

 そう謝ってきた一夏は俺に抱き付くのを止める。続け様に上目遣いをしながら俺の右手を両手で握り、形の良い唇を動かして言葉を続けた。

 

「和行も他の人のモノになっちゃ駄目だよ? でないと――」

「どうなるんだ?」

「私、その相手を追い詰めちゃうかも」

 

 優しくも恐ろしい笑顔を浮かべつつ、周囲の空間が凍ったのかと錯覚するほどの雰囲気を放つ一夏がそこに居た。対する俺はそんなことはありえないと心の中で一蹴した。脳内で再三考えている通り、俺は一夏にしか興味がないんだよ。あの誘拐された後からその気持ちがより強まってる。一夏の傍に居たい。一夏に傍に居て欲しい。寝ても覚めてもそんなことばかり考えてしまうんだ。

 

「安心しろ。俺も他人のモノにはならないから」

「本当に?」

「本当だ」

「本当に本当に?」

「本当に本当に本当だ」

 

 本当って何回も言ったせいでゲシュタルト崩壊しそうになった。……ところでさ、今の一夏って俺の傍に無防備でいるよね? これ、俺が今すぐ一夏に告白したらもうあんな思いしないで済むんじゃないか? その上でキスとかをしてしまえば、一級恋愛フラグ建築士、鈍感野郎、超朴念仁、スーパーウルトラ唐変木、全自動女の子堕とし機などの異名を手に入れている一夏も流石に俺の気持ちを分かってくれるだろうし。まあ、この異名の殆どは俺が付けたんだけどね。

 まあその事は置いておいてだ。よし、早速行動するとしよう。

 

「一夏」

「なに?」

 

 一夏の両肩に両手を置きながら、俺は一夏の事をじっと見つめる。ここで一夏に告白しなきゃいけないんだ。今すぐに。もう俺はチキンなんかじゃない。一夏に好きって言ってやる。俺は告白するぞ! 一夏に絶対告白するんだ!

 

「え、そんな真剣な目で私を――もしかしてこれ、私、美味しくいただかれちゃうの? ま、待って! せめてシャワーを浴びてから……!」

 

 なんか変な方向に思考を走らせている一夏だが、俺はそんなのをお構いなしに一夏の瞳と目を合わせ続ける。お互いの口のおでこがくっ付く距離になるように、一夏に向かって俺は顔を一気に近づけた。

 

「か、和行!?」

 

 頬と耳を染めながら慌て始めた一夏に告白の言葉を贈ろうとしたのだが――

 

「たっだいまー!」

 

 母さんの声が玄関からした所為で反射的に一夏の肩から手を放してしまう。ついでに一夏本人からも離れてしまった。なんてタイミングで帰ってくるんだよ母さん!? あとで飯を筍だらけにしてやる! 泣いても許さんからな!

 一夏が物凄く残念そうな顔をしているが、俺も残念だ。もう少しで一夏に告白できたのに母さんの所為で台無しになって気分なんだけど。なんでこうなるんだよ。俺が一夏に告白しちゃいけないのかよ……。俺がそんなことを考えている間に、母さんがリビングまでやってくるとキッチンに居る俺達に声を掛けてきた。

 

「二人ともどうしたの?」

「……自分の胸に手を当てて聞いてみろよ」

「右に同じです」

「ほ、ほんとにどうしたのよ二人とも……。ご、ごめんなさい」

 

 俺達二人の態度に困惑している母さんを余所に、俺は深い溜息を吐きながら料理を再開することにしたのであった。ちくしょう……。




一体いつから――――ヤンデレ風になるのが一人だけだと錯覚していた?


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第三十八話 九条和行ィ!

 あれから時間経ち、時期は春休みに突入していた。俺と一夏は鈴の見送りをする為に空港に行き、見送りを終えたので電車で駅前へと戻ってきていた。時間は既に午後の二時を過ぎている。鈴とのお別れはそこまで物悲しげな雰囲気にはならなかった。学校でのお別れ会でも明るい感じだったからな。ちなみだが見送りには俺と一夏、弾と数馬くらいしか来ていなかった。まあ鈴の「別に見送りはしなくていい」って言葉をガン無視してきたのが俺達くらいだから仕方ないんだけどさ。

 見送る際に「一夏を泣かせたり、変なことをしたら――あんたのタマを二重の意味で取りに行くから」となんか犯行予告染みたことを宣言されたよ。その言葉を聞いていた一夏は苦笑いを浮かべ、弾と数馬は俺に同情していたが……変な事、ねえ。俺、もしかしなくても鈴にタマを取られるの確定させられてます? だって、一夏との仲が進展していったら多分鈴が想像しているような変な事をするだろうし。

 そうだな。今の内に遺書を書いておかなきゃ。財産は全部一夏か俺の子供に託すって。……もう子供のことを考えるなんて、一夏に染められてきてるな俺。だって一夏のやつが俺との子供が欲しいって頻繁に呟いているから気にしないようにしても意識しちまうんだよ。

 

「さて、帰るか」

「うん」

 

 遅めの昼食を取るために寄っていたファミレスで会計を済ませて店の外に出たのを皮切りに、そんな会話を交わした。会計の際、一夏は自分の分は自分で出すと言ってたけど、好きな女の前で格好つけたいっていう欲求に駆られた俺が強引に全額支払った。その事で少しだけ一夏が膨れてたが、そんな一夏も可愛いのでよしとしよう。

 さて、今日は他に用事もないし早く帰るか。俺は一夏に声を掛けると帰宅する為にその場から歩き始めた。

 

「ねえ」

「ん?」

「恋人繋ぎして?」

「いいぞ」

 

 その最中に一夏が恋人繋ぎを要求してきたので快く応えた。断る理由なんてないからな。むしろ一夏から恋人繋ぎをしたいって言われて嬉しいくらいだから。一夏の手の柔らかさを堪能しながら歩き続けた俺は何事もなく家の近くへと戻ってきたことに胸を撫で下ろした。何事もなくて本当に良かった。

 あの誘拐事件以来、出かける際にかなりの神経を使うようになったからな。出かける際は必ず一夏が付いてきてくれるお蔭で精神的な負担はマシな方なのだが、それでも心配なものは心配なのだ。千冬さんがあの露出強さんが所属している組織が陰ながら俺やついでに一夏の護衛を続けてくれていると教えてくれたから大丈夫だとは思うんだが……。あれ? 一夏とこの手を繋いでいるのもあの露出強さんやその仲間達に見られてるってことになるよね?

 ……ヤバい。恥ずかしい。恋人同士でもないのに恋人繋ぎをしているのを見られているとか羞恥心で死ねる。うん、忘れよう。さあ、早く家の中に入って一夏と思う存分イチャイチャするぞ。

 

「あれ?」

 

 家の鍵を取り出して、ロックオープンって感じで鍵穴に入れたのだが――玄関のドアが閉まった。……おかしい。空港に行く前には鍵を閉めたはずだ。一夏にも確認して貰ったから空けたまま出かけたなんてことはあり得ない。普通ならばドアが開くはずなんだ。ドアを開けたのが誘拐犯の仲間である可能性を考えたが、そのパターンなら護衛の人達が現れて俺達を安全なところに連れて行く手筈になっている。未だに護衛の人達が出てこない時点で誘拐犯の仲間の線はないだろう。

 あれ? そういえば、前にもこんなことがあったような気がするぞ。確か束姉さんが去年うちの家に侵入していた時も似たような状況だった気がする。……うわあ、物凄く嫌な予感がしてきた。

 

「……」

「和行?」

「一夏。今すぐ千冬さんに連絡できるよう準備しておけ」

「え? どうして?」

「家の中にウサミミ付けた変なのが居る可能性が高い」

「っ!? わ、分かったよ」

 

 一夏に電話を掛ける準備をして貰いつつ、俺は玄関の鍵を開けた。俺は中に居る人物を確かめようと、なるべく音を立てないように静かに屋内へと入る。靴からスリッパに履き替え、リビングのドアをゆっくりと開くと、

 

「やっぱりか……」

「はろー! かずくん! お久しぶり!」

 

 ――兎が、そこにいた。目の下に隈を作っている所為で折角整っている顔が台無しになっている気がするが、この人は自分の外見にあまり頓着してないだろうから指摘するだけ無意味だろう。ソファーからこっちをチラチラと見ているウサミミを認識した俺の行動は早かった。

 

「一夏! 千冬さんに通報!」

「了解!」

「ちょ、やめて!?」

 

 玄関前に居る一夏にそう叫んだタイミングでうさみみ――束姉さんが俺の腰に両手を回して抱き付いてきた。俺の太腿に束姉さんのボリュームがある双丘が当たっているけど全然嬉しくない。

 一夏に恋する前だったら少しくらいは意識したかもしれないけど、一夏に懸想していて一夏のメロンの柔らかさを服越しとはいえ何度も味わってしまった今となっては鬱陶しいだけである。それに形が好みじゃないからね、一夏のスイカの方が俺好みの形してるから。

 

「離れないとそのウサミミ捥ぎますよ?」

「かずくんが辛辣すぎる!? 私、かずくんの好感度を下げることなんてしてないはず!」

 

 一夏を強制的に女の子に変えたり、人の家に勝手に侵入して来たり、俺の腰に抱き付いて居る人が何を言ってるんですかねえ……。本当だったらもう少し罵ってやりたいところだが、この人には誘拐事件の際に助けられた借りがあるのであまり強く出られないんだよなぁ。

 とにかく一夏を呼ぼう。一夏が居ないと多分話が進まないぞこれ。

 

「一夏。家の中に入ってきていいぞ。あと助けてくれ」

「なにかあったの?」

「束姉さんに抱き付かれてる」

 

 俺がそう告げた瞬間、何をどうやったのか一夏がいつの間にか俺の傍に立っていた。遅れて玄関が締まる音がリビングにまで聞こえてくる。一夏の足元を見てるときちんとスリッパを履いていた。え、ちょっと……ホント、一体何をどうやったんだ?

 そして一夏の顔と気迫がマジギレ寸前の千冬さんみたいになっている件。あれ、これヤバくね? 主に束姉さんの生命活動的な意味合いで。

 

「束さん。早く和行から離れてください。汚らわしいので」

「あれ? 聞き間違いかな? いっちゃんが私に向かって汚らわしいって言った?」

「言いましたけど何か?」

 

 にっこりとしているが、その裏で憤怒の炎を燃え上がらせながら一夏は束姉さんに言葉を返した。それを見た俺は「まあ、そうなるな」と心の中で呟いた。一夏は俺の事になるとかなり嫉妬深くなるからな。まあ、それ俺もなんだけど。

 そんな事を考えていると、一夏の方を見ていた束姉さんは顔を俺の方へとくるりと向けてくる。

 

「かずくん」

「なんですか?」

「私のおっぱい、どう?」

「嬉しくも何ともないです。冗談抜きで千冬さん呼びますよ?」

 

 軽く怒気を込めながら放った俺の言葉が利いたのか、これ以上弄るのに飽きたのかは知らないけど束さんはようやく俺に抱き付くのをやめてくれた。

 

「かずくんもいっちゃんもつれないよぉ~」

「それで、勝手に人の家に上がり込んだ理由は?」

 

 くだらない用事ならガチで千冬さんに来てもらって、この不審者を連行してもらう事にしよう。

 

「普通に二人に進級祝いを持ってきただけだよ?」

「怪しい」

「普通過ぎるよね」

 

 俺と一夏が間を開けずにそう言い放った所為か、わざとらしく束姉さんが項垂れていた。本当はショックとか思ってないんじゃないか? まあそれは横に置いておくとしてだ。この人はつまらない嘘を吐くタイプではないから進学祝いを持ってきたのは本当だろう。まあ本当の事を言ってるか判断できない時もあるけど。

 

「はぁ……。一夏、とりあえずこの兎さんにお茶でも淹れてくれ」

「あ、うん。分かった。和行にも何か淹れるね」

 

 俺の頼みを聞いてくれた一夏はキッチンへとすたすたと向かってくれた。はぁ……もうやだ。束姉さんと話していたくない。進級祝いって言ったって、それがまともな物じゃなくてヤバい物だったりする可能性があるのがなあ……。だって、過去の行動とかの所為でこの人の事なんて殆ど信用できないんだよ。そういう面での信頼はあるんだけどさ。この人なら絶対に何かやらかすだろうなっていう。

 とりあえず、当時男子小学生だった俺に自分の下着姿の自撮り写真を手渡してくるような真似をまたしてこないとも限らないので警戒しておこう。

 

「それで進級祝いってなんですか?」

「あれだよ。ほら、この前かずくんを誘拐した奴等が居たでしょ?」

「……ええ。居ましたね」

「あいつ等に二度と誘拐とか出来ないように恐か――脅しを掛けておいたから、もう怯えながら外に出る必要ないよ! やったねかずくん!」

「おいばかやめろ」

 

 そのネタは冗談抜きでやめろォ! 危険なネタを口走るのやめてください。昔からこういうところは変わってないなホント! ていうか、いま恐喝って言い掛けませんでしたか貴女? つうか脅しとか……どちらにせよ手荒な事をしたと白状しているようにしか聞こえないんだが。というか意味変わってないし。

 はあ……もういいです。言及する気が失せたのもあるけど、聞いても気分が良い話にはならないだろうから。とりあえず、大手を振って外を歩けるようになった事に対して俺は感謝の言葉を述べることにした。

 

「その、ありがとうございます」

「気にすることないよ。私とかずくんの仲じゃないか!」

 

 無駄にキマっているサムズアップをしてくる束姉さんを見つめながら、俺は前から疑問に感じていた事をまた頭に思い浮かべてしまう。

 この人はどうして俺に興味を持っているんだ? この人は自分が身内と認めた相手以外にはとことん冷たい人間のはずだ。束姉さんに最初会った時にかなり冷たくされたから、俺は身を以てそれを実感している。一夏や千冬さん、束さんの妹である箒は分からなくもないんだが、何故この人は俺みたいな凡人に近い存在を身内として認識しているのだろうか。あ、そうだった。うちの母さんも一応身内判定に入ってるらしい。こちらも理由は不明だ。

 本当に疑問だ。なんでこの人が俺に興味を持っているのかだけはこの際だから知っておきたい。

 

「束姉さん。聞きたいことがあるんですけど」

「なになに? かずくんになら私のスリーサイズやらアンダーカップ、トップバストのサイズを教えてもいいよ」

 

 うん、聞くのやめようかな。なんで自分の色々なサイズを俺に対して大っぴらにする必要があるんですかねえ……。てか、束姉さんのサイズとか誰得なんだろうか。少なくとも俺得ではない。

 束姉さんのサイズよりも俺は一夏のスリーサイズ、アンダーカップやトップバストのサイズの方が知りたいです。好きな人の事は何でも把握していたいっていう純粋な気持ちから知りたいのであって、変態的な気持ちから知りたいって考えた訳じゃないからな。

 いや、今はその事は横に置いておこう。それよりもちゃんとさっき考えた事を束姉さんに尋ねないと駄目でしょ。この機会を逃したら多分この人とはしばらく会えないだろうから。

 

「はぁ……。束姉さんはなんで俺なんかに興味を持ってるんですか?」

「うわあ、スルーされたよ」

「で、どうしてなんです?」

 

 俺の問いに束姉さんは少しばかり顔を伏せたと思いきや、いきなり顔を上げて俺に対して迫真の表情を向けてきた。

 

「九条和行ィ! 何故君が私の身内判定に入っているのか!」

「そういうのはいいので真面目に答えてください」

「ちぇー」

 

 どうしてどこぞの社長というか神になる必要があるんだか。俺には世界で初めて例のウイルスに感染した過去もないんだから真面目に教えてくださいよ。

 

「私がかずくんに興味ある理由だっけ? それはね――」

「それは……?」

「君が――私の()()だからだよ」

 

 紡がれた言葉に一瞬だけ呼吸する方法を忘れてしまった。……どう、るい? 俺が束姉さんと? ははっ、冗談だろう? 俺には束姉さんのような頭脳や知識の引き出しなんてないぞ。ていうか、細胞レベルで人類を超越しているこの人と俺が同類とか冗談にしては質が悪すぎるぞ。

 

「冗談なら――」

「冗談じゃないよ。君は私と同類なんだよ」

「何を根拠に……」

「言っているかって? だってかずくん、私と同じで近しい人間以外どうでもいいって考えてるでしょ?」

 

 ……なんだ。そっちの方か。吃驚させないでくださいよ。いやまあ、勝手に俺が早とちりしたのが悪かったんだけどさ。だってあの言い方じゃ誰が聞いてもそっち方面にしか聞こえないでしょあれ。

 確かに束姉さんが言っていることは合っている。正直言って仲の良い人間以外なんてどうでもいいし、優しくする必要もないって考えてるよ。俺が一夏に対してやたらと甘くて優しいのも多分その影響だろうから。勿論普段はそんな考えなんて表には出していない。ずっと内側にしまいこんでいるからな。束姉さんみたいに露骨に拒絶反応を出すのは流石に不味いから。

 

「まあ確かに」

「ふふふ! さっすが私のかずくんだね!」

「あの、褒められてる気がしないんですが……」

 

 それに俺は貴女のモノじゃないです。俺は一夏のモノなんで。束姉さんの発言に呆れていると飲み物を淹れ終えた一夏がお茶請けのお菓子と飲み物を俺達の下へと戻ってきた。

 

「和行、コーヒーだよ」

「ありがと」

「束さんにはお茶です」

 

 一夏は俺に対しては手渡しで飲み物を渡してくれたが、束姉さんに対してはテーブルの上にお菓子と一緒に雑に置くというあまりにも差がある対応を取っていた。……やっぱり俺に束姉さんが抱き付いていたことに相当キレてるなこいつ。俺も一夏とのイチャイチャラブラブタイムを邪魔された所為でかなり頭にきてるから気持ちは分かるけどね。

 だが、束姉さんはそんな一夏の対応を特に気にする素振りも見せずに出されたお茶をぐびぐびと飲んでいた。俺の左隣へと来た一夏は不審者を見る目でお茶を飲んでいる束姉さんを睨んでいる。

 

「ぷっはぁ! 生き返るぅ~」

「それで束姉さん。俺への進級祝いは分かりましたけど、一夏の進級祝いはなんなんですか?」

 

 お茶が入った湯呑をテーブルに置きながら、束姉さんはわざとらしく右手で拳を作って左手の掌をぽんと叩いた。そして自分の服のポケットを弄り、何かを取り出した。水色の液体と思しきものが入った小瓶のような物を手に持ちながら立ち上がると、一夏の右手を出すように促した。言う通りに一夏が右手を出すとその小瓶を静かに置き、束姉さんソファーへと戻っていった。

 

「あの、これは?」

「――性転換薬だよ」

 

 何気なく発せられた束姉さんの一言に俺と一夏は顔を見合わせる。は? 今頃になってこれを渡すか? そんな視線を束姉さんに投げかけてみるが、当の本人は俺達の視線など何処吹く風といった感じの表情を浮かべている。

 

「あ、それの使い方を一応説明しておくねー。瓶を開けて飲み物か食べ物に混ぜて摂取する。以上!」

 

 至極簡単な説明をした束姉さんはえっへんと胸を張った。その所為で束姉さんの胸に付いているクッションが揺れるが、それと同時に俺は一夏のおっぱいの方へと視線を移した。うん、これで問題ない。やっぱり一夏のおっぱい凄いよな。手から絶対はみ出すだろこれ。やっぱり一夏のおっぱいは最高ってはっきりわかんだね。

 ……うん。薬に関しては要するに束姉さんが前に一夏に性転換薬を飲ませた時のようにすればいいのだろう。だが――

 

「和行……」

「……」

 

 一夏が声を震わせながら俺の名前を呼んでいた。左手で一夏の右手を咄嗟に握る。一夏を安心させるために大丈夫だという思いを込めながら。

 

「ふーん。やっぱりそうなんだ」

 

 束姉さんがにやにやとした顔でこちらを見ていた。何を考えているのか読めない束姉さんの表情に俺は反射的に眉根を寄せる。本当に何を考えているんだこの人は。どうしてこのタイミングで性転換薬なんかを手渡したんだろうか。やはり今まで薬を寄越さなかったのは何等かの思惑があったのだろう。それは一体……なんだ?

 

「そうだ。もう一つ言う事があったんだ」

「なんですか?」

「それの効能についてだよ」

 

 束姉さんの行動に疑問符を浮かべていると、束姉さんが付け足すように口を開いた。

 

「以前のは飲んだ人物の性別とは反対の性別に変わるようになっていたけど、それは使用する人物の強い思いに反応して性別が変わるよう改良したんだよね」

「かい、りょう……?」

「だから、それを使う際は自分が成りたいと思っている性別を念じながら飲むといいよ。上手くやれば性別を固定出来るはずだから」

 

 それ、以前のやつの方が科学的じゃないですかね? なんで改良後は効果がファンタジーっぽいんだよと、俺は心の中でツッコミを入れた。だけどさ、一夏は恐らくこのまま女の子で居るつもりだろうから、これを使う必要はないんじゃなかろうか。そんなことを考えていると、小瓶を見つめていた一夏が束姉さんに向かって質問をしていた。

 

「束さん」

「なにかな? いっちゃん」

「もし仮に私がこれを飲まなかったら、どうなるんです?」

「あー、それ聞いちゃうんだ」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべながらそんな言葉を発した束姉さんに、俺の背筋が凍るかと思った。なんでこんなに楽しそうな顔をしてるんだこの人……。

 

「別に飲まなくてもいいけどー、何かの()()で性転換薬が食べ物とかに混入したりしてたら大変な事になっちゃうかもよ?」

 

 ……何が事故だ。それは暗に「お前が飲まなかったら、私が後でこっそり飲ませてやる」って言ってるようなものじゃねえか。視線を這わせると一夏も俺と同じ考えに至ったのか苦い顔をしている。

 ――選択肢を与えているようで、選択肢など存在しない。一夏がこれを使う以外の道など残されていないことに俺はただ狼狽するしかなかった。

 

「それとだけど、性転換薬が使えるのはあと一回だけだから」

「どういうことですか?」

「二回使用すると性転換薬に対する完全な耐性が体に出来ちゃうんだよ~。だから、使うならちゃんと考えて使ってねー。やり直しは効かないから!」

 

 終始笑顔を絶やしていない束姉さんとは対照的に俺の表情は暗く沈んだものになっていた。だってあまり考えたくもない可能性が頭に浮かんでしまったから。無意識下で一夏が男に戻りたいと思っている可能性を。

 一夏と目が合う。彼女も俺と同じように陰鬱そうな表情を張り付けている。恐らく一夏も同じことを考えているのだろう。可能性は殆どないに等しいはずだが、万が一ということもある。束姉さんなら何かの仕掛けをしていてもおかしくはないのだから。

 もし、俺が変わりに念じて一夏に薬を使っても、それは一夏の意思じゃなくて俺の意思で性別を固定させたことになる。そんな行動取るのにかなりの抵抗感がある。一夏に全てを委ねるしかないのと悟った俺には、一夏が女の子のままで居てくれることを信じる事しかできなかった。そんな中、俺は最悪の事態に備えてある決意を固めることにした。

 

 ――もし一夏が男に戻ってしまったら、俺も性別を変えてやるよ。



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第三十九話 愛しています

あと数話で中学二年編は終わりです。


 束さんの話を聞いていた私は言葉を失ってしまった。頭を殴られたかのような衝撃が襲い、私の心を大きく揺さぶられている。

 この人が私にこの薬を否が応にでも使わせる算段をしていることに反射的に小瓶を握る手の力が強まる。もしこれ使わなければ、束さんの言葉通りにこっそりと性転換薬を盛られるだろう。恐らく外食している最中にそういうことをしてくると思う。そうなったらこの人の所為で私の性別が女から男に戻ってしまうかもしれない。

 和行の方を見ると、和行も不安に駆られているのか暗い表情を浮かべている。和行にこんな表情をさせた束さんに腹が立ちそうになるが、何とか自分の気持ちを制御することにした。

 

「……っ」

 

 私は男に戻りたくないって思ってるし、常日頃から自分に言い聞かせている。……でも、本当に心の底からそう思っているのかな? 現に今も和行の事が好きと考えているのに、男の頃の記憶ばかりが頭に浮かんできているから。

 ――違う。私は女の子で居たいんだ。男に戻りたくない。……やめて! 私は女の子として和行のことが好きなんだから! 絶対に元に戻りたくない!

 ……どうすればいいんだろう。私は口を一文字に結び、束さんから手渡された小瓶を睨み付ける。なんで今更こんな物を寄越して、私に強制的に飲ませようとしているのだろうか。もう私は男に戻る気なんて更々無いのに。なんでこんな物を……!

 

「細工とかしてないですよね?」

「してないよ。かずくんに誓って」

 

 顔の前に右手をやり、親指と中指で米神をぐりぐりと押している和行からの問いかけに対して束さんはあっけらかんと答えた。嘘は吐いてないと思うけど、もし今の言葉が嘘で強制的に男に戻ったら――私は束さんを一生許さない。地の果てまで追いかけて、例えトイレの中に隠れていても必ず見つけ出してこの世から消し去るから。

 

「念のためにもう一度言うけど、それを使う際はよーく考えて使うように! あ、服用して八時間後に性別が変わるから使うタイミングも気を付けてね!」

 

 私が動揺しているのを知ってか知らずか、お茶を一気に飲み干して湯呑をテーブルに置くと小さい子のように落ち着きのない動きで立ち上がると束さんはすたすたとリビングの出入り口へと向かっていく。

 

「じゃあね。かずくん、いっちゃん。チャオ!」

 

 イタリア語での挨拶を残して束さんは九条家から出て行こうとしている。私は咄嗟にその後を追いかけて玄関まで来たが既に束さんの姿はない。靴を履いて家の外へと出てみるが、そこにも束さんの姿は無かった。

 下手人を逃がしてしまったことに歯を食いしばりながら私は家の中に戻る。玄関の鍵を閉めてリビングに戻ると、和行が私の為にお茶を用意してくれていた。私がソファーに座ったタイミングで和行がお茶を私の下へと持ってきてくれた。

 

「はい、一夏」

「あ、ありがと」

 

 お茶を受け取って飲んだ私は気持ちを落ち着けながら、想い人である和行のことを見つめてしまう。……もし、私が男に戻っちゃったら、和行はどういう行動に出るのかな。……気になる。

 

「ねえ。和行」

「なんだ?」

「私がこの薬で男に戻っちゃったらどうする?」

 

 お茶がまだ残っている湯呑を置き、性転換薬が入った小瓶をテーブルの上に置いた私はそう問いかける。私の向かい側に座った和行は目を伏せてしまった。けど、和行は大きく息を吸ってから顔を上げて私を真剣な目付きで見つめてくる。

 

「俺が女の子になるよ」

「えっ……」

 

 私には一瞬だけ、和行が何を言っているのか理解できなかった。だが、徐々に和行の発言を飲み込むことが出来た私は思わず和行に詰め寄ってしまう。

 

「か、和行! 自分が何を言っているのか分かってるの!?」

「分かってる」

「女の子って凄く大変なんだよ!」

「……お前を見てきたから何となくわかる」

 

 何となくじゃ駄目だよ、和行。女の子は本当に大変なんだよ? 身支度やら生理やら肌や髪の毛の手入れとか色々とね。女の子になってから、それらを身を以って体験しているから私はそんな苦労を和行に味あわせたくないと強く願ってしまう。和行なら気丈に耐えるかもしれないけど、私の心がそれは駄目だって叫んでるから。

 

「これは保険だ。一夏が女の子のままでいるのが一番だけど、もしそうならなかったらのな」

「でも、和行にそんな思いをさせるなんて……」

「だから、大変なのは十分承知してるっての」

 

 腕を僅かに振るわせながら私にそう告げてきた和行に喜びと憂心を抱いてしまう。和行はこう言ってるけど、本当は私が男に戻ってしまわないか不安なはずなんだ。だって和行ってば私に夢中だし、女の子の私の事を恋慕ってくれてるから。それなのに頑張って耐えてるんだね。……和行はもしもの場合に備えて、既に覚悟を決めてるんだ。本当、こういう時の和行は凄いや。

 

「それにだ。俺が可愛い女の子になったら、可愛い幼馴染が出来たって千冬さんや母さんに自慢できるかもしれないぞ?」

 

 ……少しだけ良いかもと思ってしまった。和行なら多分可愛い女の子に成れるかもしれない。なるとしたら黒髪美少女だと思う。胸の大きさとかはあまり気しないかな、私は。

 家庭的で可愛い黒髪美少女な和行――そうなった場合の名前はどうしようか? 私の場合は男でも女の子でも通じる名前だったから別に問題はなかったけど、和行は完全に男の名前だ。女の子になっている状態で和行と呼んだら物凄い違和感が出るだろうね。

 そうだ。和行のゆきから取って、雪絵とかどうかな? うん、いいかも。女の子になった和行に似合うと思うよ。……なんだか、和行と話していると必死に頭を働かせていた自分が馬鹿に思えてくる。

 

「ずるいよ。和行は」

 

 ついそんな言葉を零してしまう。本当に和行はずるい。私の悩みを簡単に吹き飛ばすようなことばかり言って……。そんなところも大好きだよ。うん、和行のお蔭で気分が晴れたかも。それに和行の言葉で私も覚悟が決まった。

 ――今日中にこの薬を飲むよ。早い段階で飲んでしまえば束さんに薬を盛られることもないだろうから。というか、それだけは絶対に嫌だ。自分で男に逆戻りしたとかならまだ納得できるけど、あの人の所為で性別が戻るとか絶対許容できない。男に戻った場合、春休み中に男での生活に慣れることが出来るだろうし、女の子のままだったら和行とずっとイチャイチャラブラブしていられるだろうから。

 

「でも、どうして女の子になるって考えたの?」

「一夏の傍に居たいからじゃ駄目か?」

「駄目じゃないけど……」

 

 うん、物凄く嬉しい。でもね、なんだかそれじゃ納得できないというか。そういえば、和行が持っていたえっちな本に男が女の子に変わってしまうジャンルの本があったような……。もしかして、和行って女の子になりたい願望を持っていたりとか?

 

「和行」

「なに?」

「女の子になりたい願望とか持ってないよね? 和行が持ってる女の子がえっちなことされる本みたいな展開を期待してたりとかさ」

「なっ!?」

 

 和行の顔が驚愕の色に染まった。多分、今の和行は二重の意味で驚いてると思う。自分の願望を言い当てられた事と、私に隠してあるはずのスケベな本を見つけられたということに。前者に関しては和行の表情を見れば丸わかりだし、後者に関してはアレで隠したと思えてるなんて甘いというかなんというか。

 和行が買い物とかに出ている時に女の子がえっちなことされてる本とかを隠してないかと、こっそり部屋の中を探したりしたからね。私が男だった時とは隠し場所が違ってたし上手く隠されてたけど、和行の癖とかを全部把握してる私の手に掛かれば見つけ出すのなんて朝飯前だよ。

 ちなみにえっちな本を見つけた際に一緒に隠してあったゴムは回収済みだよ。和行にはああいうのを堂々と買う勇気はないだろうし、多分八千代さんが和行に買い与えたんだろうね。こっちの手に渡ったからにはゴムを使うのは私の判断に任せてもらうよ。大丈夫、和行がちゃんと着けなきゃって言ったら私が着けてあげるから。私に全部任せてくれていいんだよ?

 

「え、エロい本なんて……」

「持ってるよね? 黒髪巨乳の女の子――特に幼馴染にえっちなことをする本とか、女の子に性別が変わっちゃった男性とえっちな事する本とか」

「…………はい。持ってます」

 

 涙目になりながらドスケベな本を持っていることを和行は認めた。……可愛い。涙目になってる和行が可愛すぎる。うーん、あの顔はえっちな本を所持していたことを責められるんじゃないかって思ってる顔だね。もう、私がそんなことをする訳ないじゃない。

 

「大丈夫だよ。私はえっちな本を持っていたくらいで怒らないから」

「え、でも。……どうして?」

「だって、二次元の女の子は和行に手出しできないでしょ?」

 

 私が怒らない理由はこれだ。どう逆立ちしても二次元の女の子が和行に手を出すことなんて出来ない。それに比べて私はその気になればいつでも和行を襲える場所に居る上に、和行の心も私の方を向いている。私の方が圧倒的アドバンテージを得ているのだ。それなのに怒る必要など何処にあるのか。

 ……まあ、今後はそういう本を増やすのは禁止にするけどね。今持っている本とかを捨てたりするのは流石に気が引けるから捨てないよ。和行が二次元の女の子に本気になった時は別だけど。その時は本を全部捨てて、和行から徹底的に搾り取るから。

 

「安心して。和行の好みは把握してるから」

「それの何処に安心する要素があるんだよ!?」

「和行にどんな変態嗜好があっても、私は受け止めるから!」

「……ううううう!」

 

 うん、これ以上はやめておこう。和行が頭を抱えだしてるから。このままじゃガチ泣きしそうだよ……。少し調子に乗っちゃったかも。和行の反応が可愛いすぎるのがいけないんだ。私は悪くない。

 私は晩御飯の時間まで和行を抱きしめていい子いい子してあげた。勿論、和行の頭の位置が私の胸に埋まるようなポジションで。最初は不服そうな表情を浮かべていた和行だったけど、三分ほどした辺りで心地よさそうな顔をし始めたのを見た時は和行って案外単純だあって思ってしまった。こういうのって何ていうんだっけ? ちょろいだっけ? 前に和行が弾や数馬と話している時にそんな単語を聞いた覚えがある。

 

「和行」

「……なんだよ」

「晩御飯は何がいい?」

「生姜焼き」

「味噌汁は?」

「なめこ」

「野菜は?」

「いる」

 

 まだ不機嫌そうな和行のリクエストを聞いた私は、和行から離れつつ性転換薬をスカートのポケットにしまう。和行がプレゼントしてくれたリボンを小瓶と入れ換えるように取り出すと、そのリボンで髪型をいつものポニーテールに整える。それからエプロンを着けてキッチンに立った。先ほどまでの空気を掻き消すようにテキパキと、いつもよりも愛情を込めて私は料理を作り進めていく。

 もしかしたら、女の子として料理をするのが今日が最後かもしれないからね。いつもよりも腕によりを掛けないと。そんな決意を固めながら、和行の為に料理を完成させた私は料理をテーブルへと運んで晩御飯を頂くことにした。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 私達の挨拶が重なる。ご飯を食べている内に、ふと箸を動かす手が止まる。――やっぱり私は女の子として和行の傍に居たい。こうして和行とご飯を食べている間も私の中の決意は一層強くなっていた。和行の彼女――ゆくゆくは妻になりたい。そんな考えばかりは私の中をぐるぐると回っていた。

 

「一夏?」

「な、なに?」

「ぼうっとしてたけど大丈夫か?」

「え、うん。大丈夫だよ」

 

 心配そうに見つめてくる和行にそう返しながら私は誤魔化すようにご飯を食べ進めていく。和行も首を傾げながらも私に倣うようにご飯を再び食べ始めた。それからまた時間が経って晩御飯を食べ終わった私は食器を片づけて食後のお茶を飲んでいた。

 今日は珍しく和行も私と同じくお茶を飲んでいるし。私はお茶を飲んでいる和行を見ながら、そろそろ教えておくべきだろうと判断した私はテーブルにお茶が入った湯呑を置く。続けざまにスカートのポケットから例の小瓶を取り出すと小瓶を湯呑の近くへと置いた。私の行動を不審に思ったのか、和行が私の方を見てきている。

 

「一夏?」

「私、今からこれを飲むよ」

「……そうか。お前がそう決めたのなら、俺は何も言わない」

 

 和行は私の言葉に静かにそう返してた。あ、あれ? 和行ならもっと何か言ってくると思ったんだけど。

 

「なんで言ってこないのかって顔してるな」

「う、うん」

「それはお前の事を信じているからだ。お前ならずっと女の子のままで居てくれるって」

 

 そう言い切ってくれた和行の笑顔に思わず胸が高鳴る。ああ、不味いかもこれ。和行の笑顔が大好き過ぎて涙出てきそう!

 

「――和行。私、約束するよ。絶対に女の子のままで居るって」

「……約束、か」

「駄目だった?」

「ううん。一夏がそこまで言うんだ。絶対にその約束守ってくれよ?」

 

 いつになく真剣な顔で私の方を見てくる和行に私の背筋が思わず伸びた。ついでに心もときめいた。こ、こんなイケメンな表情な和行なんて一か月に見れるか見れないかのレベルだよ。超レアだよ! ああああああ! こんな空気じゃなかったらいっぱい和行の写真撮りたかった!

 って、何テンション上げてるの私。落ち着くんだ。落ち着かなきゃ駄目だよ。よし、これで問題ない。私は小瓶を手に取ると中に入っている液体を全部お茶の中に投入した。

 これで私の性別が固定されるんだね。――覚悟は既に決まっている。行くよ!

 

「……飲んだよ」

 

 お茶を飲み干した私はそう呟くと和行に向かって笑顔を向ける。それに合わせて和行も微笑み返してくれた。これで、私の今後の運命が決まる――。

 

◇◇◇

 

 微睡から浮上していく感覚に私はゆっくりと瞼を持ち上げた。周囲を見渡す為に上半身を起こした私は思わず首を傾げた。和行の部屋ではなく私の自室だったからだ。……そうだった、昨日はこっちの部屋で寝たんだった。いつもは和行の部屋で一緒に和行と寝ているから違和感が凄まじい。

 眠気を飛ばすように頭を振ってから時計の方を見てみると、時間の針は朝の六時半を指していた。昨日はあの薬を飲んでからお風呂に入ってから歯を磨いて、夜の十時頃に寝たから既に八時間は経っている計算になる。以前性転換したあの朝に感じたあの小さな気怠さが私の体を蝕んでいた。ということは、私の体はあの薬の影響をちゃんと受けたことになるのかな?

 ……さて、私の性別はどうなってるかな。自分の性別が変わっているか変わっていないかを手っ取り早く確認する為に、私は自分のおっぱいに両手をやる。

 

「――ある」

 

 私の手に伝わってくるこの重さは間違いなく私の胸だ。何度も触れているから大体の重さは判別できる。私の口から不意に漏れた声も女性のままだった。乳房から両手を放して喉を触ってみるが、そこに男性特有の突出した喉仏の感触はない。念の為に股間の方へと右手を這わせるが、男性の股間に付いているアレは存在しなかった。

 それらが意味することはただ一つ。私は女の子のままだということだ。

 

「良かったぁ……!」

 

 私は心の底から安堵した声を漏らしていた。これでもう私が男になることなんてないだろう。正真正銘の女の子になったんだ。気怠さなど忘れて、小躍りしたい衝動に駆られるが和行に早くこの事を教えないといけない。よし、早速行動しよう。

 そう思い立った私はベッドから降りて、和行の部屋へと行ってみるが、部屋には和行はいなかった。一階に居るかもしれないと判断した私は一階へと降りていくと、丁度リビングから出てきた和行と遭遇した。

 

「和行!」

「へっ? お、女の子の一夏? え、ってことは……」

「うん! 私、性別変わらなかったんだよ!」

 

 嬉しさのあまり思わず顔を綻ばせてしまう。これで堂々と和行の彼女になることが出来るよ。それでお嫁さんになって――あれ? 和行ったらどうしたんだろ。私の方を昨日と同じような真剣な目で見てるけど。

 

「――ごめん一夏。俺、もう我慢できない」

 

 へ? どういうこと?

 

「一夏!」

 

 和行が私の名前を叫んだと思いきや、私の事を真正面から抱き締めていた。――えっ!? あ、あの! ちょっと!? か、和行が! あの和行が自分から私を抱き寄せたぁ!?

 え、待って。和行の腕に抱かれているのが心地良すぎるけどちょっと待って欲しい。私から抱き付くことはあっても、自分から私を抱き寄せたりしなかった和行がこんなことをするなんてどうしちゃったの?

 

「一夏――」

「か、和行?」

 

 和行の唇がどんどん私に近づいてくる。……あ、これもしかして、そういうことなのかな? それなら別にいいかな。和行にならキスされても――。

 少しずつ、少しずつ。そしてまた少しずつと和行の顔が私に近づいてくる。私は目を閉じて和行の口付けを受け入れることにした。私が目を閉じてから数秒も経たない内に私の唇に暖かく柔らかい物――和行の唇が触れた。とても優しくて、拙くて、でもゆっくりと私に気を使いながら必死に自分の思いを吐きだそうとしている動きだった。

 一体いつまでそうしていたのか、私にはもう分からなかった。和行がどんな気持ちで私にキスしてきたのかも。私が今どんな顔をしているのかも。でも、一つだけ分かることがある。この瞬間は私が今まで生きてきた中で一番幸せな時間だってことだけは。

 

「一夏……」

「和行……」

 

 唇を放した私達はお互いの名前を呼んでいた。目を開けた私の視界には真剣な眼差しで私の事を見つめている和行が居た。和行は私を抱き締めるのをやめると、私から少し距離を取り始めた。そして大きく深く息を吸うと、

 

「――織斑一夏さん」

「はい」

 

 改まった口調で私の名前を呼んだ和行に思わず私も気が引き締まったのか、真面目な態度で和行の言葉に耳を傾けていた。

 

「貴女のことを一人の女性として愛しています。俺と付き合ってくれますか?」

 

 その体の芯から燃えるような熱が広がっていき、自分の体が熱くなっているのが手に取るように分かる。……やっとだ。ずっとこの日を待っていた。和行が私に自分の思いを伝えてくる日を。ああ、そうだ。私、和行に告白されたんだ。和行に言って欲しかった言葉をやっと聞くことが出来た。

 ――ああ、もう駄目。嬉しすぎて自分の感情を抑えることが出来ない。嬉しい、本当に嬉しい……!

 

「な、なんで泣いてるんだよ!? 俺の告白、何処か駄目だった!?」

「ち、違うよ。その、嬉しくてつい……」

「そ、そうか。ほら、これ使えよ」

 

 スボンのポケットからハンカチを取り出して手渡してくる和行に、私はまた嬉々とした感情を覚えてしまう。もう、和行の馬鹿! そうやって私を惚れ直させるなんてずるいよ……。

 でも、あの和行が私に告白したというのは大きな一歩だと思う。なら、私も自分の思いを伝えなくちゃいけない。和行が私に告白してくれたのだから、私も礼儀として和行にこの言葉を贈るべきだろうから。

 本当はもっとムードを作ってから告白したかったし、されたかったけどもうこれは仕方ない。私は手渡されたハンカチで涙を拭き取ると、右手にハンカチを握りながら握りながらゆっくりと深呼吸を三、四回ほど行う。

 

「――九条和行君」

「は、はい!」

 

 私の改まった口調に和行は照れくさそうな顔をしていた。私が和行に対してこんな口調で話すなんてないからね。というか、和行の名前を改まって呼んだ私の方がよっぽど面映いんだけど。でも私はこれからもっと気恥ずかしくなることを言うんだ。これくらいで口を閉じるなんてありえない。

 

「私も貴方のことを愛しています」

 

 和行の瞳を見つめながら、ずっと胸に抱き続けていた自分の想いを私は告げた。




前回までのフラグやら好感度やらの積み重ねによるルート的なやつの分岐条件を箇条書きにすると、

・お互いに恋愛感情を持ち、愛情度がマックスどころか限界突破している+軽いヤンデレ状態+独占欲が強い→今回のトゥルーエンドルート。

・上記に加えて小瓶に入っている性転換薬を半分くらい残す→一夏の性別が元に戻る&オリ主君TSルート。

・片方(オリ主君、一夏のどちらか)だけが恋愛感情を抱き、愛情度がマックスどころか限界突破している+軽いヤンデレ状態+独占欲が強い→バッドエンドルート(別名監禁ルート)。

・双方とも恋愛感情を持たずに、普通に友人として今回まで過ごす→タイムベントorハイパークロックアップ不可避。

以上です。まともなのが上二つしかねえ……。
また例外ルートとして、

・そもそもオリ主君がこの世界に存在せず、オリ主君のポジションに弾が入る→世界がルートの存続を終了させるレベル。

というルートもあります。


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第四十話 ずっと一緒だ

今回で四十話目。二か月程でこの投稿数って早い方なのか遅い方なのか分からない……。今回はちょいと濃厚なキスやらその他のアレな描写があります。これくらいならR15タグでも大丈夫……ですよね?


 ――あの一夏に告白された。その事を脳が認識した瞬間、自分の顔と耳が急激に熱を帯びるのが手に取るように分かった。今の一夏の表情と言葉から楚々としたものを感じる。

 いやまあ、普段の一夏も最強クラスの清楚系美少女だけどさ、なんかこうレベルが上がっているっていうのかな? なんだろ、自分でも上手く表現できないわ。

 

「えっ、え? 俺、一夏に告白された? え、ちょっと待って」

 

 俺の口からそんな言葉が自然と漏れていた。一夏に異性として好きだと告白されたことに無意識下で狼狽しているんだろうか、似たような言葉を呟き続けてしまっている。どうしようか考えあぐているといつの間にか俺の右手が右頬に触れていた。

 あっつ! なんだこれ! 俺の体大丈夫なのか!? な、なんでこんなに……。あれか、告白慣れしてないからなのか? この世に生まれて十四年経つが女の子に告白をされたことなんてないからな俺。……自分で言ってて悲しくなってきた。だが、そんな告白された人数ゼロという肩書きとも今日でおさらばだ。なんたって想い人であった一夏に告白されたからな。

 

「一夏が、俺に……」

 

 だから、その……ヤバいわこれ。うん、今やっとわかった。一夏の告白が嬉しいと強く感じていることに。もうどうしたらいいのか分からない。なんでそんなにも慈愛に満ちた顔で俺を見てくるんだよ。やめて、照れちゃうからやめて。想い人に愛してるって言われて何も感じないわけないだろオォン! まあ、俺も一夏に愛してるって言っちまったけどな!

 でもなんか、自分でも本当に告白したのか実感が湧かない。一夏の笑顔を見てしまった影響で俺の中のブレーキが完全に利かなくなったというか、一夏が性別が女の子に固定された事を喜び過ぎたと言うか。その所為で一夏にキ、キスしちゃったし……。お、俺は馬鹿なのか? 普通そういうのは告白してからやるものだろうが。これでは順序が逆だろ。

 

「い、一夏!」

「な、なに?」

「一夏、いま俺に告白した?」

「うん。したよ」

「そっかあ……」

 

 一夏の言葉に俺は呆けたような返事をした。何処か夢見心地な感覚がある所為か、やはり現実感がない。

 

「大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ。その、一夏が告白してた時の顔に見惚れただけだから……」

「ふぇ?」

 

 ――ああもう! なんでこのタイミングで「ふぇ?」とか言うんだよ! 興奮しちまうだろうが! でも、そんなところも大好きだ。愛してる! 結婚してくれ!

 気持ちを抑えきれずに俺はまた一夏へと抱き付いた。一夏は嫌がる素振りなんて見せずに俺が正面から抱き付くのを受け止めてくれた。ああ、一夏とこうしていると心が落ち着く。一夏……、一夏。一夏。一夏。一夏。一夏。一夏。一夏。愛してるよ。大好き。もっと一夏とこうしていたい。

 

「俺達、やっぱり両想いだったんだな」

「気付いてたんだ」

「うん。去年の十二月辺りから」

「私はその前から気付いてたよ?」

「えっ、そうなのか?」

 

 うーん。あの鈍感一夏の方が俺よりも先に思いに気付くなんてなあ……。恋は人を変えるってやつなのだろうか。いやまあ、俺達の恋は一般的なやつとはちょっと事情が複雑だけど。一夏は元男の現女の子だから。俺からしたらそんなことなんて些細な問題だけど。

 

「あの、和行」

「ん?」

「返事は?」

 

 俺の腕に収まっている大天使一夏が上目遣いで尋ねてくる。やめろ! この状態で上目遣いはやめろ! もっと抱きしめていたくなるからさ!

 よし、落ち着け。落ち着くんだ俺。そうだ、今は一夏の告白の返事をするのが先だ。すっかり忘れるところだった。返事はもちろんオッケーだ。断る訳がない。

 

「オッケーだよ。一夏は?」

「うん。私もオッケーだよ」

 

 一夏が暖かな笑みを見せているの見て、俺は頬を緩めた。これで俺と一夏は恋人同士になったんだな……。俺みたいなのと、こんな清楚な黒髪ロング家事万能美少女が彼氏と彼女になるなんてな。一夏が女の子になる前の俺に「お前は将来的に自分好みの女の子と付き合う事になる」って言っても絶対に信じないだろうな。

 あまりの幸福さに夢なのかもと嫌なことを考えてしまったが、俺の腕の中にいる一夏の温もりがこれは現実だと訴えてきていた。うん、そうだ。これが夢だなんてありえない。もし夢なら、永遠に覚めないでほしい。一夏が居なくなったら俺、本当に生きていけないよ。

 

「でも、なんで先にキスなんかしちゃうかな……」

 

 俺が考えに耽っていると一夏が口を尖らせながら、俺のことを非難するような視線を飛ばしてきた。……ああ、やっぱり怒ってるよね。ムードもクソもないのにキスなんてしちゃったから。

 

「ごめん。先走ってキスしちゃって」

「……やり直して」

「へ?」

「キス、やり直して」

「え、あ、うん。分かった」

 

 謝罪した俺に対して、一夏はキスのやり直しを要求してきた。ムスっとしながらも懇願するようなその声音に抗うことが出来なかったので、再び一夏に向かってキスをすることにした。……正直言ってめっちゃ恥ずかしいんだけど、仕方ない。一夏に機嫌を治してもらう為に我慢することにしよう。少しずつ一夏に唇を近づけて――俺と一夏はまたキスをした。さっきも思ったけど、一夏の唇めっちゃ柔らけえな。ああ、ずっとこうしていたいくらいだよ。

 パジャマを着たままの一夏とキスしていると、おもむろに一夏は俺の両頬に自分の両手を添えながら、一夏は俺からいきなり唇を放した。……え、一夏ちゃん? 一体何を――。

 

「和行……!」

 

 熱を込めて俺の名前を呼びながら、今度は一夏の方から俺にキスをしてきた。そこまでは良かったのだが――

 

「っ!?」

 

 俺の唇を割って、温かく湿ったものが口腔へと侵入してきた。ま、まさかこれって……。お、おい。一夏、お前! し、舌入れるな舌を! 人の断りもなくディープキスしてんじゃねえ! 付き合ってまだ一時間も経っていないのにディープキスをする馬鹿が何処にいる。あ、俺の目の前に居ましたね。口を動かして一夏に抗議を送りたいところだが、一夏が俺の口を塞いでいるので実質不可能だ。突き放すのは……突き飛ばした影響で一夏が怪我をしたら事なので出来ない。

 てかヤバい。一夏が自分の舌で俺の舌を必死に絡め取ろうとしてるんだけど。ちょっ、ま、不味いから。冗談抜きでこれ以上は不味いって!

 舌を吸われないように一夏のディープキスに対抗していたのだが、一夏のキスに段々と俺の体が言う事を利かなくなってきていた。抵抗が少しだけ緩んだ所為か、その隙を突いた一夏が俺の舌を自分で絡め取り始めた。そして、一夏が俺の舌を吸ったりしてくる。

 

「――!?」

 

 ――なんだ、これ。物凄く気持ちいい……。舌と口から伝わってくるあまりの気持ちよさに思考が停止しそうになる。一夏の口を蹂躙するような熱気が籠ったキスに脳が掻き乱されていく。心もドロドロに溶けてきているようだ。体も既に抵抗する気がなくなった所為で力が入らなくなっており、一夏を抱きしめるのをやめてしまった。……駄目だ、何も考えられなくなってきた。このまま、一夏に好き放題にされてもいいかも……。

 

「ふふふ」

 

 そんなことを考えた途端、一夏は俺の口に舌を入れるのと、俺の顔に両手を添えるのをやめてしまった。唇も放してしまっている。……な、なんでやめちゃうんだよ。もっとしていたか――いやいや! やめてくれて正解だったわ! このままディープキスを続けられてたら取り返しのつかない事になってたって。一夏をベッドに押し倒す的な事しちゃってたから。

 今まで行われていた情熱的なキスに名残惜しさを感じていると、そのキスをしてきた張本人が俺に抱き付いてきて俺の耳に顔を近づけて口を開いた。

 

「和行……可愛いよ」

 

 艶やかな一夏の声が俺の耳朶を叩いた。……やっべ。今、耳元で囁かれた所為で脳味噌が蕩けたのかと錯覚するほど快感が押し寄せてきたぞ。一夏の声に抵抗を失くしかけてるが、何とか踏ん張りながら一夏を引き離すことにした。

 このままだと俺の理性が消し飛ぶと一夏に離れて貰うように説得して、なんとか放れてもらうことが出来た俺は小さく安堵の息を漏らした。またこんなことをされたら、幾ら他の中学生男子よりも理性はある方だと自負している俺でも耐えるのは無理だ。一夏を襲いかねん。というか――

 

「お、男に可愛いとか言うなって前にも言っただろ!」

「えー。可愛いものは可愛いもん。――食べちゃいたいくらい」

 

 俺の反対意見は一夏には届かなかったようだ。当の一夏は獲物を見つけた捕食者(プレデター)のような目で俺を見つめ、舌なめずりをしている始末だ。……うん、完全に性的な意味で俺を狙ってるね。もしかしなくても俺って近い将来、一夏に童貞奪われちゃうの? まあ、一夏になら童貞を奪われてもいいけどさ。というか、一夏以外の女の子で卒業したくないわ。

 でも、普通は付き合ったからと言って絶対にえっちなことなんて出来る訳ないから、変な心配なんてしなくても良い気がしてきた。

 

「あ、そうだ」

「今度はなんだよ?」

「その、ね。和行も男の子だから、女の子の体に興味あるよね?」

「は? いきなりどうした?」

「興味あるよね?」

「いやあの」

「――あるよね?」

「……はい、あります」

 

 さっさと頷けと言わんばかりの一夏の視線を受けた俺は思わず肯定の返事を出してしまう。俺が頷いたことに満足したのか、一夏は今度は頬を染めながらこちらを見てくる。

 

「私、和行とえっちなことしたいって思ってるの」

「えっ?」

「だからね、したいと思ったらちゃんと言ってね? 一日に何回でもさせてあげるから」

「アッハイ」

 

 何なの、このTS娘(俺の彼女)は。まさかとは思うけど、一夏って脳内ピンクなのか? いやいや、流石にないだろ。幾ら俺の事を狙うような視線を何回もぶつけてくることがあるラブリーマイエンジェル一夏でも。……ないよね?

 俺の事をそういった目で見てくれているのは嬉しいだけどさ、その……いきなりそんな宣言するのやめて? いや、そのね。俺の心の準備が出来ていなかった所為で一夏の発言にドギマギしたというかさ。その所為で気の抜けた返事をしてしまったから。

 

「それとね」

 

 まだあるのかと口に出しそうになるが、大人しく俺は一夏の言葉に耳を傾けることにした。

 

「赤ちゃんが欲しいならいつでも言って。私、ちゃんと妊娠できるから」

 

 うん、聞かなきゃよかった。……やっぱりこいつが良く呟いている事や、一夏が俺の部屋で寝るようになる前に一夏の自室から聞こえてきたあの寝言的なものは俺の勘違いじゃなかったのか。

 ……ところで、少しだけ一夏に聞きたいことがあるんだけど。こいつ、もしかしてあの事を知らないんじゃないのか?

 

「一夏。一ついいか?」

「どうかしたの?」

「言いたくないなら答えなくていいからな。お前、生理が初めて来たのっていつだ?」

「去年の四月かな。和行を看病した翌週にね」

 

 あの、話を振った俺が言うのもなんだけどさ、普通は生理が初めて来た日とか他人――それも男には教えないよね? お前、それでも女の子――こいつ、元男だったわ。やっぱそこら辺の感覚が最初から女の子だった子と一夏ではズレているのだろうか。

 てかお前、そんな早いタイミングで生理きてたのかよ。確かにあの時、妙に怠そうにしてたけどさ。最初は俺の風邪が移ったのかと思って心配したら、何でもないって言ってたから、その時は何も言わなかったけどさ。相談してくれたらちゃんと一夏のサポートしたのに……。まあ言い出しづらかったのかもな。それなら仕方ないか。

 

「生理が来てから数年の間に起こる無排卵月経のこと知ってる?」

「うん、知ってるよ」

「知ってたのかよ。じゃあなんで赤ちゃんが欲しいならいつでも言ってって言ったんだよ」

 

 今のお前じゃ妊娠確率低いんだぞ。そこのとこ本当に分かってるのか?

 

「確率が低いってことは、複数回やればその内出来るってことでしょ?」

「えっ、何それは……」

 

 ごめん。ちょっとだけ引いたわ。なんでそんな考えに行きつくんだお前は。はあ、全く……要らない心配をしたよ。まあ、そんな一夏も可愛いからいいけどさ。うん、やっぱり俺って一夏には甘いな。ま、しょうがないよね。

 ……本音をぶっちゃけると、一夏に俺との赤ちゃんが欲しいって言われて個人的には物凄く嬉しい。こんなことを一夏に教えたら、そのまま押し倒される予感しかしないので絶対に言わないけど。

 

「というかさ、何でそんなに俺との赤ちゃん欲しがってるんだよ。前にも自室でなんか言ってただろ?」

「え? 聞こえてたの?」

「ああ、ばっちりとな。物凄い寝言だと思ったよ」

「寝言じゃないよ。ちゃんと起きてたもん」

 

 ああ、やっぱり今までのあの声は全部一夏が起きて口にしていたやつだったんですね。寝言がでかいとかじゃなくて本当に良かった。最近は俺の部屋で同衾することが多くなったからか、あまり聞いてないけど。

 

「で、なんで赤ちゃん欲しいの?」

「……二人の想いが嘘じゃないって証明になるから」

 

 そう告げてきた一夏の目からハイライトが消えかけていた。妖しい笑みを浮かべながら俺を見つめている。

 

 ――綺麗だ。

 

 俺はそんな彼女の眉目秀麗な雰囲気に惹かれてしまった。いつものように太陽のように明るい笑顔を見せてくれる一夏も好きだけど、月の光のように優しくも刺すような笑みを浮かべている一夏も愛おしい。

 一夏は俺となら赤ちゃんが出来ても一緒に暮らしていけると言ったけど、それは俺も同じだ。俺も一夏と一緒なら何があっても共に暮らしていけると感じているから。

 

「和行?」

 

 思わず一夏の頬に右手で触れてしまった。ああ、本当に綺麗だよ。この触り心地も最高だ。どうやって手入れしているんだろこの肌。

 

「俺も同じだよ」

「えっ……」

「なんでもない。って、ごめん。勝手に触られるの嫌だよな」

「ううん。嫌じゃないよ。和行が触りたいなら幾らでも触って? ほら、和行の好きな私の髪の毛だよ」

 

 そう言って、一夏は俺の右手をその華奢な手で掴んで自分の髪の毛へと宛がった。黒い絹糸のような髪の毛が俺の掌を舐めるような気持ち良さが右手から伝わってくる。やっぱり一夏の髪の毛の触り心地は格別だ。最高過ぎる。こんな髪を持っている女の子なんて世界中を探しても殆どいないだろう。

 これも今日から俺のだけのモノなんだよな。そうだ、一夏は俺だけの彼女だ。一夏の肌も髪も耳も首も手も爪も鼻も眉毛もまつ毛も瞼も目も唇も頬も脚も太腿もお尻も背中も腕も二の腕も肩も脇も鎖骨も臍もお腹も子宮もおっぱいも、一夏の心も――全部俺のモノなんだ。

 

「一夏。愛してるよ」

「うん、私も愛してるよ」

 

 気が付くと俺は髪から手を放して一夏の手を取り、そんな言葉を交わしていた。本当なら恥ずかしがっても不思議ではない言葉なのに自然と口から飛び出ていた。相手が一夏だからだと思う。俺達は恋人同士なんだから、この手の言葉を吐くのに躊躇する必要なんてないんだ。でも、

 

「うーん……」

「どうかしたの?」

「その、中学生なのに愛してるとかやっぱおかしいかなって思って」

「そんなことないと思うよ。愛に年齢なんて関係ないでしょ?」

 

 ――言葉がみつからなかった。今の一夏の言い方からして、心から本当にそう思っているのだろう。……そうだよな。一夏の言う通りだな。誰かを愛するのに年齢なんて関係ないよな。一夏はいつも俺が心地良いと感じる言葉を言ってくれる。多分他の女の子ではこういかないだろう。うん、やっぱり一夏が居ないと駄目だわ。

 

「あの一夏に気付かされるなんてな……」

「それってどういう意味?」

「ん? 鈍感、朴念仁、唐変木の異名を好き放題に頂戴してたじゃんお前」

「……積極的にそう呼んでたのって和行と弾と数馬くらいだよね?」

 

 瞳に光を戻した一夏が頬を膨らませながら俺を睨んできた。可愛い。ふくれっ面になってる一夏かわいい。付き合ってください。あ、もう付き合ってたわ。アホだな俺。

 

「私の何処が鈍感なの?」

「だってお前、男の時に女の子からの告白を買い物へ付き合う告白って勘違いしてたじゃん」

「……え? あれって買い物に~って意味じゃなかったの?」

「あのさあ……。普通、女の子に呼び出されて二人っきりのシチュになったら、告白以外のイベントなんて起きないだろうが」

 

 今まで言えなかったことを吐き出した俺の指摘に、告白されていた張本人である一夏が頭を抱え始めた。小学生の頃からあれだけの女の子の告白を無自覚に粉砕してきたからなこいつは。あれは流石に女の子の方に同情するレベルだったわ。当時は不憫で仕方なかったが、今は女の子たちが玉砕してくれてよかったと思ってるけど。

 

「お、男の頃の私ってもしかして結構モテてた?」

「ああ、モテてたよ。その所為で俺が良いなって思った子もお前の方に行ってたからな」

 

 俺が口にした事に反応して一夏がすまなさそうな顔をしはじめた。なんでお前がそんな顔をするんだよ。……何やってんだ俺。一夏にこんな顔をさせてどうする。一夏に悲しげな顔をさせる為にそんなことを言った訳じゃないのに。

 

「別に気にしてないからそんな顔すんな」

「でも……」

「お前が鈍感かつモテてたお蔭で、お互い初めての恋人になれたんだ。むしろ誇れ」

 

 そうだ。普段は苛立つこともあった一夏の女の子からの好意に対する鈍感さに、今は感謝をするべきだろう。……しっかし、一夏の鈍感に感謝する日がくると思わなかった。

 

「もう、なにそれ」

「だって本当のことだろ?」

「うん、そうだね」

 

 俺の言葉に笑みを見せている一夏がとても眩しく感じた。一夏の仕草ひとつひとつがとても愛おしい。俺はこんなことを考えるのは一夏に対してだけだろう。そう自信を持って言える。俺は一夏と行けるところまで行くことしか考えてないから。まだ付き合って間もないけど、俺の頭にはこの先のことばかりが浮かんでいるんだ。

 

 ――これからもずっと一緒だよ、一夏。生まれ変わってもずっと一緒だ。




一夏ちゃんに浸食されているオリ主君。


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第四十一話 買い物よ

今回から一話辺りの文字数が基本的に四千~五千字台になりますが、前回で一区切り付いたということで大目に見てください。


 俺と一夏が恋人同士になって今日で早三日。眠りから覚めた体を起こしてみたが、昨日寝るまで一夏と家デートをした幸福感がまだ抜けていなかった。何処かふわふわしている感じがする。

 二日連続で家デートとか流石にあれかなと思ったけど、今は春休みだから別にいいかって感じなテンションになっていてさ……今度から自重するわ。デートそのものは最近お菓子作りの腕上げまくっている一夏手作りのクッキーを食べたり、一夏と一緒に協力プレイ前提のゲームをしたり、一夏にマッサージして貰ったりとかなり楽しかったよ。

 ただ、一夏のマッサージは凄く良かったんだけど、マッサージに託けて俺の股間に手を伸ばして触ろうとしてくるのだけはやめてほしかった。なんとか俺がカバディ的なことをして触らせないようにしたけどさ。

 

「寝てても美少女とか反則だろ、こいつ」

 

 寝息をたてている一夏を見つめながらそんな言葉を零す。すっぴんの状態でも化粧をしている時と大差ないとか、世の中の女性に喧嘩売っていると思う。そういえば、一夏ってあまり手の込んだ化粧とかしてない気がするなぁ。なんか前に一夏に聞いた話では、化粧品店の店員さんに薄めのメイクで十分って言われたからとか言ってたけど。

 

「和行、大好き……」

 

 そんな寝言を口にしている一夏に向かって俺は微笑むと、彼女を起こさないように俺はベッドから這い出る。いつもなら一夏が先に起きて俺を起こすんだけど、今日は尿意を覚えた俺が先に起きてしまったから仕方ない。今日は本当は一夏が料理当番なのだが、朝ご飯くらいは俺が作ってしまおうと心に決めながら一階へと向かう。

 

「ダブルベッド買うかなあ」

 

 ふいにそんなことを呟いてしまった。一夏と密着できるのは良いのだが、流石に安眠とはいかないので今のシングルベッドをダブルベッドに変えようかなと思案しながらトイレに入って小便を済ませる。中に備え付けられている手洗い場で手を洗ってからトイレを出た俺は、その足で洗面所で歯磨きと洗顔を済ますとリビングに入った。

 キッチンに向かうと、料理をする前に温かい飲み物が飲みたくなったのでお湯を電気ケトルで沸かしていく。お湯が完全に沸くのを待ちながら何を作ろうかと頭を悩ませていると、玄関の扉が開く音が俺の耳に届いた。あ、そういえば今日は母さんが朝帰りするって言ってたな。

 やべえ……。一夏とイチャイチャする事ばかり考えて、電話とかで母さんに一夏と交際を始めたことを伝えるの忘れてたわ……。

 

「ただいまー」

「おかえり。母さん」

 

 控えめな声でただいまの挨拶をした母さんに対して、俺は笑顔を浮かべながら迎え入れる。

 

「あら? もう起きてたの?」

「まあね。何か飲む?」

「じゃあコーヒーを」

「あいよ。砂糖とミルクは」

「お願い」

 

 母さんのリクエスト通りに俺は丁度沸き上がったお湯でコーヒーを淹れた。ミルクと砂糖を加えるとソファーに座っている母さんの下へと持っていく。

 

「はい。まだ熱めだから気を付けてくれよ」

「ありがと~」

 

 俺からコーヒーを受け取った母さんはゆっくりと俺から手渡されたコーヒーを飲み始めた。そんな母さんを眺めつつ、俺は母さんの反対側にあるソファーへと座る。どうやって一夏との関係を切り出そうかと考えていると、母さんは俺の方を見つめてきた。ニヤニヤとした表情付きで。

 

「な、なんだよ?」

「うーん? いつもと雰囲気が違うから、和行に何か良い事あったのかなと思って」

 

 そりゃあバレますよね。まあ相手は母さんだからね、仕方ないね。うん、言うなら今しかないだろうな。一夏と交際していることを告げなくては。

 

「俺、一夏と付き合ってるんだ」

「……それはいつから?」

「三日前から」

 

 さて、母さんはどんな反応を取るか。正直言って今の俺の心は穏やかではない。母さんに一夏との交際を拒否されるんじゃないかって不安なんだ。だってこの人、俺の事を溺愛している上に、今は完全に女の子になったとはいえ一夏は元男だから。母さんがそんなことで人の恋路を邪魔する人じゃないってことは重々理解しているけど、それでも怖いものは怖いんだよ。

 

「――良かったわ! これでやっと孫の顔が見れるわね!」

 

 ……あれ? めっちゃ喜んでる? なんか、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに喜んでるんですけどこの人。てか孫ってなんだ、孫って。将来的にそうなる可能性はあるだろうけどさ、ちょっとうちの周囲の女性陣って気が早くないっすか?

 

「あの、反対しないの?」

「……本当は嫌よ? でも、一夏ちゃんと貴方の幸せの方が大事だから」

「母さん……」

 

 母さんの言葉に涙ぐみそうになる。母さんってただのムスコンじゃなかったんだね! ちゃんと俺の幸せを考えてくれている普通の母親だったんだな。

 

「それで、一夏ちゃんとはもうエッチした?」

「いきなり何言ってんだあんた!?」

 

 俺の感動を返せこんちくしょう。久しぶりに母さんに感服したと思ったらこれだよ! あのさぁ……。普通さ、そんなことを息子に直球で訊くか? おかしいだろ! もうやだ、ほんと何なのこの人。まだ中学生なのにそんなことする訳ないだろ。このまま一夏が俺を誘惑し続けたりして、理性がぶち壊されたどうなるか分からんけど。

 いや、そんなことが起こる事態になったら駄目だろ。何とか耐えないと。せめて高校を卒業するまでは、そんなイベントを起こす訳にはいかないんだ。俺は一夏の誘惑なんかに絶対負けたりしない!

 

「してねえよ! こ、高校卒業するまでは清い付き合いをだな……」

「……ほんと、あの人に似てるわね。他の男に一夏ちゃんを盗られても知らないわよ~」

 

 ――盗られる? 一夏が他の男に……? ――んな訳ないだろ! 一夏は俺の事を大好きだって、愛してるって言ってくれた。俺も一夏の事を大好きだし愛している。一夏が他人のモノになる訳ない! 誰にも渡さない。渡してたまるか! 一夏は俺のモノなんだ! 俺だけの彼女なんだ! 俺だけの俺だけの俺だけの――。

 

「――あれ、八千代さん? 帰ってたんですか?」

「おはよう。一夏ちゃん」

 

 リビングのドアが開く音と共に一夏の声が聞こえた。声がした方へと首と視線を動かすと、パジャマ姿の一夏が立っていた。一夏は俺の方を見つめながら俺の傍まで来ると、ぐいっと俺の顔を覗きこんでくる。

 

「和行? 何かあった?」

「一夏は俺の傍から居なくならないよな?」

「……どうかしたの?」

「ちょっと、不安になって……」

「大丈夫だよ。私は和行のモノだから」

 

 一夏の俺を包み込むような母性に満ちた表情に、俺の心に広がっていたネガティブな感情が少しずつだが消えていった。そうだ、一夏は俺のモノって言ってくれたじゃないか。一夏は俺のモノ、俺は一夏のモノなんだ。……よし、落ち着いた。もう少しで母さんに掴み掛るところだった。止めてくれてありがとう、一夏。

 

「一夏、少し屈んで?」

「え? わ、わかった」

 

 一夏が屈んでくれたのを確認した俺は近くに母さんが居るにも関わらず、ソファーから身を乗り出すとそのまま一夏のおでこにキスをした。

 

「ちょ!? か、和行!?」

「ありがとう。一夏」

 

 母さんの前でキスされたからか、一夏の頬は急速に赤みを帯びていった。だがな一夏よ。お前がおでこにキスよりもヤバいことを俺に対してやったのを忘れたとは言わせないぞ。三日前にお前からディープキスされたのをまだ覚えてるからな俺は。てか、三日程度で忘れられるものじゃないからあれは。

 ……そうだ。今度、母さんが家に居なくて一夏が隙を見せた時にでもディープキスをしてやろう。普通のキスをしていたと思ったらディープキスをされた者の感覚を味わうがいい!

 

「さ、流石にあの人も、親が見ている前で私にキスなんてしなかったなあ……」

 

 ちらりと母さんの方を見てみるとなんだか動揺しているようだった。親父でもこんなことをしなかったのか。まあ、そりゃあそうだろう。親の前でキスとか正直……ね? 今回はあんなこと言った母さんに俺と一夏の仲を見せつける為でもあるから俺は腹を括ってたからまだ大丈夫だけど。

 

「か、和行!」

 

 俺にキスされた一夏は、そんな心構えを持っていなかったのでこうなる訳で。林檎のように赤い顔をしながら近寄ってきたので怒られるのかと思ったが、彼女の表情からして違うようだ。なんていうか満更でもない表情を浮かべていた。呼吸を落ち着かせると一夏は俺に耳打ちしてくる。

 

「こ、今度からキスは二人きりの時にしてよ?」

「うん、わかったよ」

「で、でも。さっきのキス、い、嫌じゃなかったよ?」

 

 モジモジしながら俺にそう告げてくる一夏を見てしまった俺はソファーから立ち上がると、一夏を勢いよく抱き寄せた。

 

「あっ――和行、駄目! や、八千代さんが見てるから!」

「一夏……愛してる」

「かず、ゆき……」

 

 そんな一夏の抗議を敢えて無視して俺は一夏をぎゅっと抱き締めた。すると一夏は抵抗をするのをやめ、一夏の方も俺のことを抱き締めてくれた。こうしていると一夏は本当に女の子になったのが実感できる。女の子特有の柔らかい体に俺は病みつきになりそうだった。一夏の体は本当に最高だよ。

 ……この言い方だと色々と誤解を招く気がしてきた。でもなあ、俺が一夏に溺れているのは事実だからなあ。数分くらいそうしていただろうか。お互いに満足し終えたので一夏を解放した。

 

「も、もう! 抱き付くのも二人きりのとき以外は禁止! 分かった!?」

「ご、ごめん。一夏が可愛くて、つい」

「っ! ……和行の馬鹿」

 

 俺にそう言いながらも、一夏は何処か嬉しそうな顔をしている。その、もっと怒ってくれてもいいのよ? てか普通、こういう風にされたら怒ると思うんだけど……。うん、一夏に俺達の常識を当て嵌めてはいけない気がしてきた。だってあの千冬さんの妹だもん。

 って、いけね。母さんのことを忘れてた。一夏とイチャついてたから母さん拗ねてるだろうなあ……。そんな風に考えつつ、母さんの方へと視線を向けるとそこには、

 

「くぅ! あの人もこれくらい積極的に行動してくれば良かったのに!」

 

 なんかいつの間にか床に四つん這いになってる母さんが居た。何してんのあんた……。てか、親父ってもしかしなくても奥手だったの?

 

「そうすればもっとイチャイチャできたのに!」

「おーい母さん。俺が悪かったから戻ってきてくれ」

「うわああああん! 一夏ちゃんと和行の愛が深すぎるの辛いわああああ! 末永くお幸せにいいいい!」

「人の話聞いてんのか!?」

 

 その後、変なところに意識を飛ばしていた母さんが何とか戻ってきたので朝食を摂った。俺が作ろうとしたけど、本来の当番である一夏が既に起きていたので彼女に任せることにした。食後のミルク入りのコーヒーを飲みつつ、今日の朝刊に付いていたレゾナンス内にある家具屋のチラシを眺める。

 あっ、これくらいのなら今の貯金でも買えるかも。うーん、いつ買いに行こうか。早めに買っておきたいし、春休み中に買いに行くか。そんな事を考えながらチラシとにらめっこを続けていると母さんから声が掛かった。

 

「なにさっきからチラシと格闘してるの?」

「えっと、その」

「言いたいことがあるならちゃんと言いなさい」

「……ダブルベッドが欲しいんだよ」

「ダブルベッド?」

 

 母さんの言葉に俺は首肯してから、なんで欲しいのかをちゃんと説明した。……正直、自分の母親に恋人と一緒に寝るのにベッドが狭いからダブルベッドが欲しいなんて言うのは気が引けたが、うちの母さんならその点は問題ないと思う。だって昔、当時新築だったこの家を買う前に済んでたマンションで親父と一緒にダブルベッドで寝てたって聞いた覚えがあるから。

 なんか、血は争えないって言葉が頭の中に浮かんできたんだが。親父も母さんと同衾とかしてた訳でしょ? それで俺も一夏と一つのベッドで寝てるし……。まあいいや。今は母さんとの会話に集中しよう。

 

「それで、自分のお金で買おうかなって」

「お金は大丈夫なの?」

「買える分の貯金はあるよ」

 

 これ買ったらゲームとか買えなくなるけどな。

 

「――私が買ってあげるわ」

「……母さん、なんて?」

「私が買ってあげるって言ったの」

「え、いいの?」

「いいの。だから、そのお金は取っておきなさい」

 

 うーん。これ母さんは引きそうにないな。昔からこういう会話で母さんに勝った事がない。母さんが買ってくれるっていうなら有難く受け取るけどさ。

 

「でも、どうして?」

「貴方に彼女が出来たお祝い。それに――」

「それに?」

「前に告白しようとしてたのを邪魔しちゃったからね」

 

 前に告白……ああ、あの時か。え、あれで俺が一夏に告白しようとしてたの分かったんだろうか。ホントどうやったんだよ。俺と一夏はあのタイミングで距離空けててんだぞ? あれで告白って分かったのか?

 

「息子のことは何でもお見通しよ」

 

 あっ、そうですか。今日も母さんの俺の心を読む程度の能力は絶好調みたいです。

 

「一夏ちゃーん」

「はーい」

 

 俺がそんなことを考えている間に、母さんがキッチンの方で丁度食器を洗い終えた一夏に声を掛けていた。いつもよりも三倍増しに綺麗なポニテを揺らしながら俺と母さんの下へと一夏はやってきた。うん、やっぱ一夏は天使だわ。なんでこんなに可愛いの? お願いだから誰か説明して。もう一夏の可愛さの所為で俺の心がトゥンクってなってるから。ああ、一夏かわいい。略していちかわいい。

 

「どうかしたんですか?」

「一緒に出かけましょう」

「え、何のために?」

「買い物よ」

 

 ……なんだろ。母さんの一言で何故か滅茶苦茶不安な気分になったんだけど。レゾナンス内で百パーセントオフセールが開催されたり、筋肉モリモリマッチョマンの変態が警備員に撃たれそうになったり、バルーンを使ってターザンしたりしないよね? 大丈夫だよね?




>俺は一夏の誘惑なんかに絶対負けたりしない!

これ、フラグです。


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第四十二話 デートしよう

 母さんの一声で急遽出掛けることになった俺達は、支度を済ませてレゾナンスに来ていた。結論から言うと外出前に抱いていた不安は杞憂に終わったよ。百パーセントオフなんてなかったし、筋肉モリモリマッチョマンの変態は居なかったのでドンパチ賑やかな騒ぎが起きることもなかった。

 外出前に買い物の内容を一夏に伝えたら、妙にテンションが上がりまくった姿に軽く引いてしまうところだったが、一夏のおっぱいが軽く揺れたのを見て気を持ち直したよ。一夏のおっぱいは良いぞ。最高だ。おっぱいぷるんぷるん。

 

「はあ……」

 

 思わずため息を吐いてしまうが、別にダブルベッドが買えなかった訳ではない。既にレゾナンス内の家具屋で無事にダブルベッドを購入して、自宅に配送して貰う手配は終えている。そこまでは良かったのだが、

 

「八千代さん、帰っちゃったね」

「ああ……」

 

 母さんの野郎、買い物を済ませたらそそくさと帰りやがったよ。母さん曰く「後は若い人同士で」とか言ってたけど、あんたもまだ若いでしょうが。てか、俺と一夏はお見合いしてないから、あの台詞は不適切な気がするんだが。全く、俺達二人を残して先に帰るとか意味わかんねえ……。

 

「どうする?」

「どうするって言われても……」

 

 俺の左隣に立っている一夏は困惑気味な表情をしていた。本来だったらダブルベッドを買ってそのまま帰宅するはずだったし。この場に居る身近な人間は俺と一夏だけだ。男と女。カップル……外出……。

 ――ああ、そういうことか。母さんめ、余計な気を回したな。まあいいか。明日にでも一夏を誘おうかと思ってたから、それが一日早まっただけだ。

 

「一夏」

「なに?」

「デートしよう」

「ふぇ!?」

 

 え、なにその反応。

 

「だ、駄目だったか?」

「ううん、違うよ。その、私も同じことを言おうって考えてたからビックリしちゃって」

「そ、そうだったのか」

 

 やっぱり俺と一夏は気が合うな。今回はレゾナンス内に居るし、家で調べ物をしていた際にレゾナンス内に一夏が好きそうな店があるのを見つけたから、今日はそこに行くことにしよう。

 

「和行」

「ん?」

「いま着ている服、凄く似合ってるよ」

 

 俺が着ている服は以前母さんと一夏が暴走した際に俺が試着して、母さんが購入した服だ。一夏が俺の事を見ながら、うっとりとした顔をしていたのをまだ覚えている。

 正直、春が近いのに時期外れかもしれない服を着ているとかなんかアレだけど、着れればそれでいいっていうスタンスなので俺は気にしない。みっともない服装って訳でもないし、一夏も喜んでいるからな。

 

「あ、ありがとな」

 

 一夏に褒められた事に内心照れまくっているが、何とか表に出さないようにする。家とかならともかく、ここは人目があるから一夏以外にはあまりそういう表情を見せたくないんだよ。

 よし、俺も一夏のことを褒めちぎるとしよう。今日の一夏はいつものストレートじゃない別の髪型をセットしている。所謂ハーフアップという髪型だ。今日も俺がセットしようかと聞いたんだが、珍しく拒否られたので少しだけしょんぼりしたのはこの際置いておくことにする。

 

「一夏もその服似合ってるぞ」

「ほ、ほんと?」

「うん。一夏の雰囲気にマッチしてるよ」

 

 本当に凄いぞこれは。白の膝丈スカートとグレーのニットが一夏の可憐さを倍増させている。まさにスーパーベストマッチというやつだ。

 次いでに言うと、たすき掛けされている鞄の所為でパイスラッシュが発生している。一夏のおっぱいが強調されててもうヤバい。服の色の所為もあるのだろうが、一夏のおっぱいがいつもより大きく見える。こ、こんなの駄目だろ。俺以外の男の目に触れさせたら駄目だ。一夏は俺のモノなんだから。

 

「本当に綺麗だよな一夏は」

「え、あの、その……。ありがと」

 

 俺の発言に照れてしまっている一夏に左手を差し出すと、俺の意図を汲み取ってくれたのか表情を変えた。彼女は微笑みながら右手を俺の左手に絡ませてくる。

 

「さあ、行こうか」

「うん」

 

 一夏の言葉を合図に俺達はレゾナンス内を歩き始めた。前々から一夏とやっていた恋人繋ぎだが、恋人同士になった俺達ならこれを堂々とやっても問題はないだろう。

 

「一夏。イヤリングとか興味あるか?」

 

 一夏と手を繋ぎながら歩いているとアクセサリー店が目に止まったので試しに聞いてみた。以前よりは興味とか出ているんじゃないかと思ったのだが、

 

「うーん、要らないかな」

「まだ駄目か?」

「まだというか、絶対駄目な気がする。耳に穴を空けるのが怖くて……」

 

 やっぱりそうなるか。女の子になってから可愛い服装とかもするようになった際に聞いてたけどさ。やはりネックレスまでが限界なのか。まあ、元が男だからな。女の子に性別が固定されたといえ、あまりそういうのを身に着ける気持ちにならないんだろう。男の時もピアスとかするタイプじゃなかったし。

 

「じゃあマニキュアとかネイルは?」

「興味ない」

 

 清々しいほどの即答と断言を見たぞおい。一夏が要らないと言っているし、今話題に出た物はスルーさせて貰おう。大丈夫だ。君達のことは他の女の子が買ってくれるさ。俺がそんなことを思量していると、一夏が俺の腕を引っ張ってこちらを見つめてきた。どうしたんだ?

 

「ねえ、和行」

「ん?」

「一年前の私達が今の私達を見たらさ、どう思うのかな?」

 

 何気なく尋ねてきた一夏の問いに俺は考える仕草をする。だが、それもすぐに終わり、俺は一夏の瞳を見つめながら一夏の問いかけに答えた。よくよく考えなくても俺達が取る反応は決まってるだろうからな。

 

「間違いなく驚くだろうな。特に一夏は女の子になってるから」

「だよね……」

「前の一夏なら頭を抱えだすんじゃないか?」

「うっ! ひ、否定できない」

 

 まあ実際、一夏が女の子になってから何回も頭を抱えてるところを見てたからな俺は。女の子になった自分を見たら脳の処理が追い付かなくて倒れるとかありそう。そして鈴とかに心配される展開まで読めた。

 俺は……まあ、驚きはするだろうな。でも、その後の反応は俺がやってきた対応と変わらない気がする。絶対こいつの力になろうとするだろう。

 

「そういえば、和行ってどうして私のことを好きになったの?」

「知りたいか?」

「うん。知りたい」

 

 いつかは聞かれるとは思ってたけど、このタイミングで来たか……。でもこれ、言うの恥ずかしいんだが。惚れた理由を自分で自分の彼女に告げるとかさ。まあ、いいか。どうせ近い内に教えるつもりだったからな。時期が早まっただけだ。

 

「――惚れ」

「え? ごめん、もう少し大きな声で」

「一目惚れしたんだよ。お前が女の子になったあの日に」

 

 俺の言葉に一夏は一瞬だけ呆けてから笑みを溢し始めた。くっそ、可愛い笑顔を見せてきやがって。あとでお姫様だっこの刑にしてやる。今のでめっちゃドキドキしたからそれくらいの仕返しは許されると思うの。

 

「和行が一目惚れかぁ」

「変なら変って言えよ……」

「別に変じゃないと思うよ」

「そうか?」

「うん。私の外見って和行好みだから、和行が私に惚れちゃうのも仕方ないかなって」

「お、おう」

 

 あの、そんな納得の仕方されても困るんですが。まあ確かに、一夏に一目惚れしたのは外見が俺の好みにボルテックフィニッシュしたからだけどさ。

 でも俺が本格的に一夏に惹かれたのは、俺が風邪を引いて、一夏に看病されたあの時だろう。自分のことで手一杯なはずなのに、俺の事を心配してくれたことが嬉しかったんだ。あの一件の前から一夏の事を考えることあったけど、看病してくれた後から一夏のことを考えることが急激に増えたからな。

 なんだろ。俺って割とチョロいのかな? 一か月も経ってないのに、女の子になった一夏に恋しちゃったからな。でもなあ、一目惚れしてたんだからチョロいのとは違う気がしないでもないんだよなあ。……まあいいや、あまり深く考えないことにしよう。

 

「そういう一夏は? どうして俺の事を?」

「女の子になってから和行と過ごす内に、和行のことが段々気になって……」

 

 一夏はそこで一旦言葉を切ってから再び口を動かし始めた。

 

「それでね。和行が私の看病をしてくれたあの日に、クラスメイトの女の子から貸して貰ってた恋愛物の少女漫画を読んで――」

「え? 少女漫画?」

「その少女漫画の主人公が私と同じことを考えてて、それで自分の行動に納得しちゃって」

 

 なるほどね。あの時の少女漫画の影響で自覚したと。あの漫画に何かあるのは勘付いていたけど、まさかそんな理由だったとは。

 

「少女漫画で恋心に気づくとはなぁ……」

「もう少しロマンチックな状況で気付きたかったよ……」

 

 そう言って肩を落としている一夏だが、俺はそんな一夏も愛おしく感じてしまった。どんな理由であれ、一夏が俺が好きな事に気付いた事に変わりはない。その少女漫画を今度買って作者さんを応援しよう。つうか、あの鈍感一夏に恋心を自覚させるとか、一夏が読んだ少女漫画には一体どんなパワーを秘められているんだ……?

 

「自分が元男なことを後ろめたいとか、そういうのはなかったのか?」

「少しはあったけど、すぐに吹っ切れたよ?」

「マジか……」

「誰かを好きになるのに性別なんて関係ないって気付いたからね」

 

 俺のことを見つめながら言い切った一夏に俺は耳が熱くなるのを感じた。お前、なんでそういう事をさらっと言えるんだよ。一夏のこういうところは本当に変わってないな。

 

「それに、和行ならちゃんと私の想いに向き合ってくれるって思ってたから」

「て、照れるからそれ以上はやめてくれ……」

「なら、やめておくね」

 

 一夏の言葉に段々恥ずかしくなってきた俺は一夏から顔を背けた。その際に一瞬だけ見えた一夏の笑顔の所為で、更に俺の羞恥心が加速している。もう駄目だ、顔が熱い。一夏め……俺が嬉しく感じることをポンポンと口にしやがって。家に帰ったら一夏の脇を擽りまくってやる。一夏に対してちょっかいを掛けられるし、一夏に触れて匂いを嗅ぐこと出来るだろうからな。

 さて、そんなことをしている内に俺達は目的の場所へと来ていた。目の前にあるのはいかにも甘くて冷たそうな物が売っている店が建っていた。そう、アイスクリーム店だ。

 

「アイスクリーム屋さん?」

「お前、甘いもの好きだろ?」

「そうだけど……。それがどうかしたの?」

 

 一夏は昔と違って最近では甘いものを積極的に食べるようになってきた。ケーキとかの話をクラスメイトの女の子と話す事が明らかに増えているからなあ。去年の夏休み辺りまではあまりスイーツの話なんてしなかったのにさ。まあ、甘い食べ物の話で盛り上がっている一夏も可愛いから別にやめろとか言わないけどね。

 

「もしかして、私の為に?」

「他に理由なんてないだろうが」

 

 俺は一夏を伴って店内に入ると、それぞれ自分が食べたいアイスを注文した。会計は勿論俺持ちで。母さんにはあとで礼を言っておこう。別れ際に一夏に見られないように五千円札を手渡して来た時は何事かと思ったが、こうやって一夏の前で格好つけることが出来たからな。ていうか、絶対母さんはこうなること分かってたよね? うん、絶対そうだ。

 

「美味いな」

「美味しいね」

 

 テーブル席に座りながら俺達は注文したアイスを食べていた。俺が頼んだのはバニラアイスとキャラメルアイスだ。我ながら無難過ぎる味をチョイスしたと思う。俺の正面に座っている一夏は細かく砕かれたクッキーが入っているバニラアイスとストロベリーアイスだった。種類は違うとはいえ二人ともバニラ系のアイスを選ぶとか、やっぱり俺達って気が合うな。

 ……ところで、一夏がさっきから俺が握っているカップに入っているアイスをちらちらと見てきてるんだけど。なんだ、そんなにチラチラ見てきて。俺が食べてるアイスが欲しいのか?

 

「……食べる?」

 

 俺がそう尋ねると一夏は首肯した。可愛い。よし、ならこのキャラメルアイスを俺が食べさせてあげよう。

 

「はい、あーん」

「じ、自分で食べるからいいよ」

「あーん」

「か、和行?」

「あーん」

「……あ、あーん」

 

 俺があーんを止めようとしないことに観念したのか、一夏は大人しく自分の口を開いた。俺はスプーンを動かして一夏の口にアイスを押し込んだ。

 

「美味しい?」

「うん……美味しい……」

 

 そう返してくる一夏の顔は熟した林檎のように真っ赤になっていた。可愛い。超可愛い。なんだこの可愛い生き物。……待って。いま気付いたんだけどさ、これって完全に一夏との間接キスになってるよね? まあ、別にいいか。今さら間接キス如きで騒ぐ俺ではない。だって相手が一夏だし。その一夏にもっとやべーキスされたから。

 

「和行」

「なに?」

「んっ!」

 

 あの、一夏ちゃん? そのスプーンはなんですか? なんで軽く涙目になりながら俺にアイスが乗ったスプーンを向けてきているんですか?

 あ、そういうことですか。目の前の超絶美少女の言いたいことが分かりました。一夏の意図を察した俺は大人しく口を開き、ストロベリーアイスを食べた。うん、美味しい。一夏との間接キスになってるのも相まって美味しく感じる。

 

「お、美味しい?」

「ああ、美味しいよ」

「和行の馬鹿……。なんでそんなに嬉しそうなの?」

「一夏とイチャイチャできてるから」

「っ! もう!」

 

 照れたのだろうか。俺から視線を外した一夏はアイスを食べるのに集中し始めた。そんな一夏を眺めながら、俺も自分の分のアイスを食べることにした。

 うん、さっきよりもアイスが美味しいや。そんなことを考えながら、俺は今度から外で一夏にあーんするのを自重しようと心に決めるのだった。周囲の視線が痛すぎるんだよ……。




一夏ちゃんの属性&特徴一覧(今のところ)

・TSっ娘(最重要)
・ヤンデレ(超重要)
・幼馴染(結構重要)
・黒髪ロング(かなり重要)
・巨乳(ウルトラ重要&成長途中)
・清楚系美少女(重要過ぎる)
・家事万能(デフォルト)
・世話好き(ここも重要)
・気が利く(これまた重要)
・妹(TSした影響で弟から変質)
・たまに出る男口調(隠し切れないオレっ娘属性)
・(オリ主君の前でだけ)脳内ピンク
・(オリ主君の前でだけ)ポンコツ
・成績優秀(愛の力で成長)
・ママ(溢れでる母性から断定)
・良妻(確定)


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第四十三話 お兄ちゃん!

今回で中学二年生編終わり&三十万文字超えました。


 私はいつものように和行よりも先に起きて、いつものように朝食の準備をしていた。和行は春休みなんだからもう少し遅くてもいいって言うんだけど、昔からの習慣で早めに起きちゃうんだよね。だから和行にそう言われても上手く実行できないというか。

 和行の事を考えている内に、四日前のデートで私にアイスをあーんしてきたのを思い出してしまった。嫌じゃなかったし嬉しかったけど、あれ物凄く恥ずかしかったんだからね。今度からああいうことを外でやらないようにって調教しないと。

 

「これで完成っと」

 

 そんなことを考えている内に朝食が出来上がった。今朝はスクランブルエッグにベーコン、サラダにチーズサンド、コーンスープだ。和行の分は少し量を多めにしてある。成長期の男の子だからね、一杯食べて貰わないと。私も一応ちゃんと普通の量にしてる。食べる量を減らして不健康になるより、ちゃんと食べて健康な方が良いに決まってる。その方が和行も喜んでくれるだろうし。それに私の体ってあまり体が太くならない上に、体のバランスが全然崩れないんだよね。

 ちなみに、八千代さんの分はない。昨日、朝食は職場の方で食べると言ってたし。その証拠に八千代さんは既に家を出たから。八千代さんって本当に何の仕事をしているんだろ。今度千冬姉にでも聞いてみようかな。八千代さんが何の仕事をしているのか知っているみたいだから。

 

「さて、和行を起こさないと」

 

 私はリビングから二階へと向かう。ゆっくりと部屋の扉を開けて中へと入った。八千代さんに買って貰ったダブルベッド。その上ですやすやと寝ている和行を見た私は、喉を鳴らすと思わず舌舐めずりをしてしまう。

 なにこれ、物凄くそそられるんだけど。今すぐにでも性的な意味で食べちゃいたいくらい。でも、やっぱり初めては和行の意識がある状態でしたいから我慢するよ。

 

「和行、起きて」

「ん……一夏?」

「うん、そうだよ。おはよう――()()()()()!」

 

 和行を襲いたい衝動を抑えながら、私が先程から言おうと思っていた台詞を口にした。和行は顔を反らして右手で目を擦り始める。私の方を再度見てきたけど、

 

「あー……これは夢だ。ぽやしみ~」

 

 再び夢の中に入ろうとしていた。確かそれ何かのネタだったよね? って! だ、駄目だよ。幾ら春休みだからって二度寝しちゃ駄目だってば! ちゃんと起きて!

 

「ちゃんと起きてよ、お兄ちゃん! じゃないと、お兄ちゃんが下半身に穿いてる物全部引っぺがすよ?」

「――おはよう! 良い朝だな!」

 

 私がそう宣言した途端、和行は横にしていた上半身を惚れ惚れする速さで起こしていた。まあ、私に下半身を見られるのが恥ずかしかったんだろうね。目線をあっちこっちに向けてるから丸わかりだよ。

 そんなに恥ずかしがならなくてもいいのに。和行の下半身ならどんと来いだよ。むしろ見させてください。どれくらい見たいかと言うと和行に土下座するレベルで見たい。代わりに私のも見せるから良いよね? って、そんなことを考えてる場合じゃないや。

 

「ご飯出来たから食べて?」

「う、うん。分かった」

「ちゃんと歯を磨いて、顔を洗うんだよ?」

「お前は俺の母親か」

 

 半目で見てくる和行に対して、彼女だよと心の中で返しながら私は一階へと戻っていく。リビングでテーブルに作り終えた料理を並べていると、洗顔と歯磨きを終えたと思われる和行がやってきた。パジャマから私服に着替えてからか、和行の格好良さが引き上げられているように感じる。

 

「今日は洋食か」

「和食の方が良かった?」

「いや大丈夫だ。一夏の料理なら和洋中どれでも嬉しいし」

「そう?」

「うん。それに俺、一夏にもう胃袋掴まれてるからさ」

 

 そうなんだ。私ってば、和行の胃袋を完全に掴んでたんだ。なら安心して和行に色々な料理を出せるね。……これなら結婚しても大丈夫だよね? 早く和行と幸せな家庭を築きたい。

 

「いただきます」

「召し上がれ」

 

 和行が椅子に座って私にいただきますの挨拶をしてきたので、私は思考を中断して言葉を返した。さあ、私もお腹減ったしご飯を食べよう。いただきますの挨拶をして私も朝食を食べ始めていく。今日のスクランブルエッグとコーンスープは上手く出来た自信がある。和行が喜んでくれると良いんだけど。

 

「一夏」

「なに?」

「今日の料理、いつもより美味いんだけど何か新しい調味料とか使った?」

「ううん、使ってないよ」

 

 強いて言うなら、和行に対する私の愛情かな? ……自分で言ってて物凄く恥ずかしくなってきた。確かにね、料理を作っている時に「美味しくなーれ」とか言ってたよ? 和行の事を思いながらね。料理している最中の事を思い出すと恥ずかしさしかないっていうか……。穴があったら入りたいよぉ……。

 どうでもいい話だけど、最初はコーンスープに私の涎や血でも入れようかなって思ってたんだよね。不衛生になるからやめたけど。うん、私ってば偉い。ちゃんと寸前のところでまだ踏みとどまれてるもん。自分で自分を褒めながら、私は和行と一緒に朝食を食べ進めていく。

 それから雑談をしつつ料理を食べ終わった私達は、ごちそうさまの挨拶をした。うん、挨拶は大事だね。

 

「じゃあ片付けるから」

「ああ、頼む」

 

 私は和行の分の皿を先にキッチンへ運んでから、自分の分の皿を片付けていく。やっぱり和行の為に料理をするのは楽しい。和行が美味しそうに食べているのを見ると本当に嬉しくなるんだよね。さっき和行の顔を思い出した途端、私は思わず口元が上がってしまうのを抑えることが出来なかった。顔をニヤニヤさせたまま食器を洗い終えた私は食後のコーヒーとお茶を用意つつ、ちゃんと表情を正してから和行の下へと向かう。

 

「はい。コーヒー」

「ありがと」

 

 和行は私からコーヒーを受け取ると優雅に飲み始めた。カッコいい。朝からカッコいい和行が見れて私ハッピーだよ。

 

「……なあ、一夏」

「あ、もう少し砂糖入れた方が良かった?」

「いや、そうじゃなくて……起きてからずっと気になってたんだけどさ」

「うん?」

「それ、何?」

 

 和行が怪しい物を見るような目で私の髪と服に視線をぶつけてくる。えっ、何って――ツーサイドアップだよ? 最初は鈴みたいにツインテールにしようかなって思ったんだけど、なんだかしっくりこなかったからツーサイドアップにしてみたんだよね。

 ついでに言うと、今の私は見るからに妹って感じの服を着ている。この服は和行が好きなライトノベルに出てくる妹キャラだ。前に和行から拝借して読んだから、何となくどんなキャラかは分かってる。けど、……なんで八千代さんはこんなの持ってたんだろ。

 

「え、妹スタイルだけど?」

「えっ。何それは」

「えっ。妹ってこういう髪型で居るのが鉄板って決まってるんじゃないの?」

「ねえよ。てか、なんだよ妹って」

 

 コーヒーカップをテーブルに置くと和行は頭を抱え始めた。えー、駄目だったのかなこれ。それにしてはさっきから私の髪をちらちら見てきているから全く駄目ってことはないんだろうけど。

 

「その、なんだ。ツーサイドアップは似合ってるぞ」

「ツーサイドアップはって……他に何か問題があるの?」

「妹ならこういう髪型ってとこだよ。今時、二次元でもそんなのないぞ。てか、一夏にお兄ちゃんって言われると軽く違和感があるわ」

 

 ……なんだかちょっとだけイラっとしたかも。ふーん、和行ってばそういう態度取るんだ。じゃあこうしちゃおうかな。私はおもむろにテーブルから立ち上がると、和行の傍へと近づいて一気に抱き付いた。体を押し付けるようにしてから和行の耳元へと唇を持っていく。

 

「――ねえ、お兄ちゃん」

「な、なんだよ」

「お兄ちゃん。私のこと嫌いになっちゃったの? ……私、寂しいよ」

 

 私がそう耳打ちした途端、和行の体が固まった。あの妹キャラ――お兄ちゃん大好きな部分を演じてみたんだけど、心なしか和行の体温が上がっているような気がする。さっきまで逃げようとしていたけど、今ではそんな素振りも見せていない。それどころか目が血走っているような……。

 

「そ、そんなことないぞ。お兄ちゃん、一夏のこと大好きだぞ」

「じゃあ、ちゃんと褒めてよ」

「一夏のツーサイドアップと妹キャラ可愛いぞ。結婚したいくらい」

 

 そ、そんな結婚だなんて! か、和行と孰れ結婚するつもりだけど、このタイミングでそんなこと言うとか不意打ちすぎるよ。毎日ウェディングドレスを着た自分を想像したり、ウェディングドレスを着たまま和行とえっちなことしまくる妄想とかしているけど、流石に和行本人から結婚って単語が飛んでくるとは思ってなかったかも。

 ああ、どうしよう。和行の褒め言葉なんだから、ちゃんと返事をしないと駄目だよね。

 

「ありがと! お兄ちゃん!」

「ぐふっ!」

 

 和行から離れてから告げた私の言葉に、和行が何だか血を吐くかのような動きをしていた。だ、大丈夫なのかなこれ。

 

「と、ところで一夏。なんで急に妹キャラなんかになったんだ?」

「うーん。そこら辺の事を話すなると、八千代さんが話題に出てくるんだけど……いい?」

「……いいよ」

 

 少し間があったけど、和行から了承を取れたからいいかな?

 

「私ね、コスプレに興味があって八千代さんに相談したんだ」

「……」

 

 何でよりによってあの人に相談したんだと言わんばかりの視線を和行から浴びてるけど、構わず思い起こすことにした。昨日の夜に和行がトイレに行っている間だったかな?

 八千代さんに相談してみたんだけど、まず和行に何らかのアプローチをして、コスプレの感触を確かめてみたらいいんじゃないかって言われたんだよね。だからこうして妹系のコスプレをしている訳で。さて、和行はどんな反応を返してくるのやら……。

 

「駄目かな?」

「いや良いと思うぞ。色んな趣味を持ってても損はしないだろうし」

 

 あ、あれ? 意外と悪くない反応?

 

「……正直に言っていいか?」

「うん。いいよ」

「一夏のコスプレ姿めっちゃ見たい」

 

 物凄く正直な答えが反ってきた。和行って最近かなり自分の欲望を曝け出すことが多いよね。私と付き合い始めた影響なのかな? 変に自分の願望を言わないでいるよりは、こっちの方が和行の本音に触れられて私は嬉しいからいいんだけどね。

 

「分かった。今度は別のコスプレをしてみるね?」

「ああ。楽しみにしてる」

 

 ……ところで、和行が私の髪の毛をじろじろと見てきているんだけど。本当に和行って女の子の黒髪が好きだよね。特に私の髪が。和行が持っているそういう本でも、黒髪の女の子がえっちな事をされちゃうパターンのが九割を占めているし。今まであまり気にしないで居たけど、この際だからどうして黒髪が好きなのか聞いておこうかな。

 

「ねえ、和行。話が変わるんだけど、一つ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「和行ってなんで黒髪が好きなの?」

「あー……」

 

 私の問いに和行は少しだけ困ったような顔をしながら、右手の人差し指で頬を掻いていた。もしかして私、言い辛いことでも聞いちゃった?

 

「あの、和行。嫌なら言わなくていいからね?」

「いや大丈夫だ。言うよ。でも、そうだな……少しだけ前置きさせてくれ」

「前置き?」

「他の女の話をすることになるが、いいか?」

 

 他の女……。二人っきりの時に他の女の話なんて聞きたくないけど、私から話を振ったんだからここは我慢して首を縦に振ろう。そうしよう。

 

「いいよ」

「ありがとう。……俺が黒髪のことを好きなのは――箒の所為なんだ」

 

 ほ、箒? 箒の所為? どういうことなのそれ。

 

「その、俺……。昔、箒のことが好きだったんだよ」

 

 …………え? 箒のことが、好きだった?

 

「は、初耳なんだけど……」

「誰にも言わなかったからな」

 

 あの、ちょっと待って。え、本当に? 本当の話なのこれ。……和行が箒の事を好きだったなんて知らなかった。……ヤバい。少しだけ箒への嫉妬心が湧いてきた。落ち着け、落ち着くんだ私。ここで口を挟んだら話が進まなくなる。だから落ち着くんだ。

 

「どうして好きになったの?」

「あいつが剣道に打ち込んでいる姿がさ、俺にはない物を持っているように見えて――眩しかったんだ」

「それで惹かれたの?」

「まあね」

 

 優しげな顔で私を見てくる和行にきゅんときたけど、今は駄目だよ私。お願いだからちゃんと理性働いて。和行のことを食べちゃいたいけど駄目だよ。ステイ。

 

「箒って黒髪ロングだったろ? あれも好きでさ」

「その頃から黒髪好きに目覚めたんだ」

「うん。でも、諦めたんだ。あいつのことを好きでいるのを」

「えっ、どうして?」

「それは……」

 

 和行はそう言って少しだけ溜めを作ってから、私の目をじっと見つめてきた。

 

「もし本人に会うことがあったら、直接聞くといい」

 

 和行の言い回しに思わず首を傾げてしまった。どうして和行は私の方を見てそれを言うんだろうか。もしかして、私が和行が箒に恋をするのをやめたことに関係してる? あの、ちょっと。なんかドロドロなアレに巻き込まれそうな予感がしてきたんだけど……だ、大丈夫だよね?

 と、とりあえず。箒には和行を黒髪好きにしてくれた感謝を捧げておかないと。和行が黒髪好きで居てくれたから、私に興味を持ってくれた訳だし。

 

「まあ、そこら辺はもう気にしてないけどな。今はこんなに可愛くて綺麗で俺の事を思ってくれている最高の彼女が居るからさ」

「こ、こんな時にそんなことを言わないでよ……」

 

 せっかく真面目な雰囲気になってたのに、今の和行の発言で台無しになった気がする。でも可愛くて綺麗って言っても貰えるのは嬉しい。ちょっと和行の語彙が不足気味な気がしないでもないけど。

 ……そうだよね。今は私が和行の傍に居るもん。絶対に和行と添い遂げるって決めている私が。和行、愛してるよ。ずっと愛してるからね。




IS学園ルートという名の続編的なやつの展開を考えたんですが、どう足掻いてもシリアス状態になりました。え? シリアスになった理由? 主にオリ主君と天災兎と、原作12巻で判明した織斑姉弟の秘密の所為です。


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第四十四話 カルシウム摂れ

 あれから時間も経って春休みも終わり、時期は始業式を迎えていた。今日で俺達は中学三年生になる。ゴミ出しを終えて一夏の料理を食べ終えた俺は、制服である学ランに袖を通してボタンを留めていく。

 よし、これで準備は完了だ。一夏も既に自室で学校へ行く準備を終えて、俺のことを呼びに来る頃だろう。

 

「和行。準備終わった?」

「おう。終わったぞ」

 

 噂をすれば影がさすといった言葉がぴったりな状況になった。部屋のドアを開けて声を掛けてきた一夏に俺は元気よく言葉を返す。彼女である一夏の飯を食べて、一夏の声を聞いたんだ。元気にならない方がおかしい。鞄を右手に持ちながら俺は部屋を出ると、部屋の前で待っていた一夏に合流した。

 うん、体の前に垂らした二つ結びが最高だな。髪を編み込んだりせず、リボンを使って髪を束ねただけなのだが一夏のプリティさを前面に押し出している。ちなみにこの髪型をセットしたのは俺だ。一夏の髪を触ることも出来てハッピーになれたし、何だか自画自賛したくなってきた。で、ラブリーマイエンジェル一夏よ。なんで俺の学ランをじろじろと見てるんだ?

 

「どうかしたのか?」

「今日はちゃんと学ラン着てるなあって思って」

 

 何処となく不思議そうな表情で俺を見つめる一夏がそこに居た。制服とか息苦しくて嫌いで、たまに帰り道に学ランを着崩すこともあったからな俺。そういうのを一夏は知ってるから疑問に思ったんだろう。俺が学ランをちゃんと着ているのには理由がある。

 

「以前ならともかく、今の俺はお前の彼氏だからな。見っともない格好する訳にもいかないだろ」

「っ!? こ、こんな時にお前の彼氏宣言されるなんて……」

 

 一夏は急に頬を染めて、顔を反らし始めた。こいつ、俺に色仕掛けをしてきたり蠱惑的な言葉を掛けてくる時は堂々としている癖に、なんでこう俺の発言には照れまくるんだよ。普通は逆じゃないのか? まあそんな一夏も可愛いからいいけどさ。それに一夏が俺の褒め言葉に弱いお蔭で、こういう場面だと俺が主導権握れるからな。

 って、そろそろ家を出た方が良い気がするんだが。ちらっと部屋の時計を見てみたけど、登校した方がいい時間になってるし。

 

「一夏」

「な、なに?」

「時間がないから早く行こうぜ」

「あ、ホントだ」

 

 同じく部屋の時計を確認した一夏が同意してきた。もっとイチャついていたいが、イチャイチャなら学校から帰ってきてからでも出来るからな。というか、そっちの方が落ち着いて一夏とイチャイチャラブラブできると思うんだよ。

 忘れ物がないかと戸締りの確認をしてから俺達は玄関へと向かい、お互いに靴を履いて家を出た。春休みの間は課題もなかったから、課題のことは気にしなくて済んだのはありがたい。お蔭で一夏とイチャイチャしまくれたからな。夏休みと冬休みになったらまた課題が出るんだろうけどさ。いつも通り一夏と恋人繋ぎをしていた俺はふとある事を思いついたので一夏に提案してみることにした。

 

「桜、咲いているな」

「そうだね」

「今年は休みの日にでも花見に行くか?」

「それいいかも!」

 

 一夏ちゃんが案外ノリノリな件。ま、まあいいか。ここ最近花見なんて殆どしたことなかったし、一夏とのデートにもなるから一石二鳥だろう。って、いけね。ちゃんと一夏には釘を刺しておかないとな。

 

「でも、母さんにはこの事は内緒な」

「え? どうして?」

「あの人が来ると面倒な事になる……」

「……うん、わかった。八千代さんには言わないでおくよ」

 

 一夏は分かってくれたようだ。母さんが来たら、十中八九母さんの頭がお祭り騒ぎになるだろうからな。下手したら千冬さんまで呼んで酒盛りを始めるかもしれん。夜ならともかく、昼間から飲んでいる光景を見たら俺が激情態になるまである。色々な意味で阻止しないと。

 そんな使命感を抱きつつ、俺と一夏は通学路を進んでいく。その最中に左隣を歩く一夏の方へちらっと視線を移してみた。一年前の始業式の日はお互いに馬鹿なことを言い合いながら歩いていたのにな。

 

「和行、どうかしたの?」

「去年の始業式のことを思い出してた」

「……そっか。もう少しで私が女の子になって一年になるんだよね」

「ああ。なんだか長くて短い時間だったよな」

「そうだね」

 

 一夏の方へと視線を向けると、憂うような表情を浮かべながら碧空へと視線を送っていた。

 

「一夏?」

「……時々ね、思う事があるんだ。もし和行と私が出会っていなかったら、私はどんな生活を送っていたのかなって」

 

 もし俺と一夏が出会ってなかったら、か。前に一夏は確か俺と母さんの存在が消えた悪夢を見たとか言ってたし、それが尾を引いているのだろうか。……俺と出会ってなかった一夏なんて多分アレだ。

 

「男のまま女の子を落としまくって、無自覚ハーレムでも築いてたんじゃないか?」

「い、嫌な想像させないでよ。私、和行以外を好きになる気なんてないのに……」

 

 俺の発言に一夏は心底嫌そうな顔をしていた。一夏が俺の事を愛してくれているのは嬉しいが、冗談抜きで俺と出会ってなかったら、朴念仁と唐変木と鈍感の称号を頂戴しまくる鈍感ハーレム野郎になってた可能性の方が高いってお前。箒と鈴、その他の女の子を落としていたという前科を俺は知ってるから断言できる。

 だが、それはあくまでも出会わなかったらの話だ。現実は違う。俺と一夏は出会って、今は恋人同士になっている。そんなことに考えを割くなんて無意味だろ。

 

「仮の話だ。そんなにむくれるな」

「むぅ……」

 

 頬を膨らませている一夏かわいい。よし、イタズラしてやろう。俺は一夏に足を止めるように言うと、右手に持っていた鞄を降ろす。

 

「ほれ」

「ひにゃ!? な、何するの!?」

 

 膨らんでる一夏の右頬を右手の人差し指で押してやった。ひにゃって変な声出すなよ。俺以外の男にその声を聞かれたら大変だろうが。……うん、一夏にそんな声を出させた俺が言ってもアレだな。ほら、一夏もなんかお怒りなのか千冬さん並の眼光で俺の事を睨んできてるし。これから言う言葉を周囲の人間に聞かれたくないので、一夏に近づいて俺は耳打ちをした。

 

「一夏」

「……なに?」

「家に帰ったらいっぱいキスさせてやるから、機嫌直してくれないか?」

「――っ!? な、なら許すよ」

 

 俺がキスしてもいいよ宣言をした途端、一夏は急に態度を変えた。俺が言うのもなんだけど、一夏って俺に対してやけにチョロい気がしてきたよ。まあ、そんな一夏も可愛いから別にいいんだが。

 一夏に約束を取り付けた俺は、地面に置いていた鞄を再度手に取る。そして、再び一夏と一緒に学校に向かって歩き始めたんだが、俺達のやり取りを見ていただろう学校の連中が徐々に声をあげるのが聞こえてきた。

 

「……なんか西邑さんと九条の距離感、さっきからおかしくね?」

「ってかあれ、よく見たら恋人繋ぎしてるように見えるんだが」

「は? マジで? うっわ、マジだわ」

 

 こちらを見ていた男子生徒たちが何かに絶望した声を吐きだしていた。確かあいつらって一夏に気がある奴等だったよな。残念だったな、一夏は既に俺のモノなんだよ。分かったらさっさと諦めて、どうぞ。

 

「え? 嘘でしょ!? 九条君と西邑さんが手を繋いでいるように見えるんだけど!」

「美香、あなた疲れてるのよ」

「昨日たっぷり八時間寝たからむしろ元気なんですがそれは」

「ふえぇ……九条君が西邑さんに食べられちゃったよぉ……。これ泣いていい?」

「今学期は壊れるなあ……」

 

 女子生徒たちは相変わらずですね。ちょっとネタが臭くなってるけど。つうか、そこの女子よ。俺は一夏に食べられてないぞ。まだ新品な童貞のままです。……今のところは。周囲の声をシャットアウトした俺は一夏と一緒に学校へ向かう事だけに集中した。

 手を繋いだまま学校に着いた俺と一夏は恋人繋ぎをやめる。昇降口に入り、自分の名前が書かれたシューズボックスに革靴を入れる。そのまま上履きに履き換えると、近くの廊下に貼られているクラス分けの貼り紙を二人で見に行くことにした。

 さて、俺と一夏はどのクラスになるんだろうか。貼り紙に書かれているであろう自分の名前を探し当てることが出来た俺は、思わず口を開いていた。

 

「二組かあ」

「私も二組だよ」

「え? マジで?」

「うん。マジマジ」

 

 あ、一夏の言う通りだわ。一夏の名前が二組のところにあるわ。……なんだろ、裏の方でどこぞの兎さんが関わっているような気がしてならないんだが。

 あの人がドヤ顔ダブルソード――じゃなくて、ドヤ顔ダブルピースしている姿が目に浮かんだぞ。てかよく見たら、弾と数馬も二組の欄に名前があるんですけど。一体どうなってるの……。

 

「おっす。久しぶり」

「弾。久しぶり」

「久しぶりだね」

 

 噂をすればなんとやら。いつものように頭にバンダナを巻いている弾がそこに居た。今日も相変わらず元気そうで何よりだ。

 

「朝から元気だな。三人とも」

「……そういうお前は物凄く眠そうだな、数馬」

 

 今度は数馬が弾の後ろからやってきた。さてはこいつ、めっちゃ夜更かししてたな。全くそんなことしてたら不摂生が癖になるぞ。……あれ? なんか俺、男の頃の一夏みたいなことを考えてなかった? やばい。本格的に男の頃の一夏に備わっていたスキル的なものが、俺の中で感染拡大しているのかもしれん。

 

「で、お前ら何組だった?」

「俺と夏菜子は二組だ。お前ら二人もな」

「マジか?」

「マジで?」

「マジだよ」

 

 ふざけた考えを横に置きながら弾の問いに答え、ついでに同じ組であることを教えたら変な空気になったでござる。まあそりゃあね、四人揃ってまた同じクラスとか正直……な? 鈴が居なくて寂しく感じている部分があるが、あいつが居たらいたらで俺達と同じクラスに押し込まれそうな気がしてきた。多分その所為で余計混乱してたかもしれない。

 

「早く教室に行こ?」

「ん、ああ。そうだな」

 

 一夏の提案に俺は頷く。このままここに居てもしょうがないだろうからな。俺と一夏が先を歩き、弾と数馬が俺達の後ろを歩いてくる。二人は何だか俺と一夏の距離感に言いたげな顔をしていたけど、遠慮でもしているのか踏み込んで聞いてくることはなかった。今の一夏との関係を聞かれたら、こいつらには正直に答えるつもりだ。一応こいつらは俺の恋の応援してくれてたからな。男の頃の一夏に対する私怨混じりな応援だったけど。

 でもさ、この二人って本当に俺達がそういう関係になっても大丈夫だったのか? 今度それとなく聞いてみようと考えつつ教室へと入ると、教室の黒板に書かれている席順が目に入ってきた。

 

「隣同士だね」

「ああ……」

 

 ……なんで俺の隣が一夏なんだ? いや嬉しいんだけどさ、なんかやっぱり兎が裏でこそこそとしている気がしてきたんだが。今度会ったらボトルに兎の成分を採取してやる。

 何時までも黒板の近くに居る訳にはいかないので指定されている席に座ると、廊下の方から腹の底まで鳴り響く足音が聞こえてきた。廊下を走るんじゃねえ。ちゃんと歩けなどと考えていると教室のドアが勢いよく開け放たれ、ドアが開いたそこには完全に血眼になっているクラスメイト達が俺と一夏の方を見ていた。

 ……あいつら、通学路に居た奴等だよな? うわあ、……嫌な予感がしてきた。

 

「くじょおおおおおう!」

「西邑さん!」

 

 野郎共は俺達の方へと詰め寄り、女子達は一夏の方へと詰め寄り始める。なにこれこわい。お願い、助けて一夏ちゃん。

 

「九条! お前、西邑さんと恋人繋ぎしてたよな?」

「西邑さんとどういう関係なんだよオォン!?」

「この春休みの間に何があった!」

 

 クラスメイトの一人が俺にそう言葉を叩き付けてくると、周囲を囲っている男子生徒たちが同調し始めた。やばい、これやばい。めっちゃ怖い。誘拐されたあの時とは別のベクトルで怖い。てか、こいつらに巻き込まれたのか弾と数馬まで俺の近くに居るんですけど。

 

「お、おい。お前ら、ちょっと落ち着けよ」

「そうだぞ。ほらカルシウム摂れ。カルシウム摂れば気分も落ち着くぞ」

「うるせえ! 俺たちは九条と話してるんだ! 五反田と御手洗は黙ってろ!」

 

 弾と数馬が俺を取り囲んでいる野郎共にそう提案するも声高に反論されていた。ああ、こりゃあ駄目だ。これじゃあ、きちんと一夏と俺がどういう関係になったのかを話さないとこいつら納まらないぞ。下手にはぐらかしたりしたら、今後もこうして取り囲まれて粘着されそうだし。うーん、あまり大っぴらにするつもりはなかったけど仕方ないか。一夏には後で謝っておこう。

 それに丁度良いかもしれないしな。ここで一夏と俺の関係を示しておけば、一夏に告白したり思いを寄せる馬鹿な男を諦めさせることが出来るだろうから。それでも絡んでくる奴が出てくるだろうけど、その時は俺がチョメチョメしておくよ。俺は深呼吸をしつつ、周囲の男共を一瞥する。

 

「夏菜子と男女の関係になっただけだ」

『……』

 

 俺は決定的な一言を口にした。俺は何を言ったのか理解できていないのか、俺を囲んでいるクラスメイト達は「何言ってんだこいつ」的な視線を向けてくる。弾と数馬は察したような表情を浮かべているので除外しておく。徐々に俺の発言を理解したのか、俺を囲んでいる野郎共は大きく口を開き始めた。

 

『はああああああああ!?』

 

 ……あの。ビックリするのは分かるけど、他のクラスの迷惑になるから大声出すのは止めようぜ?




チョメチョメ(血腥いこと)


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第四十五話 スカウトされたの

私がこれ以上頑張るとしたら毎日更新くらいしかない件。なお執筆速度の問題であまり現実的じゃない模様。


 和行の事を取り囲んでいた男子たちが大声を上げていた。驚きの表情から一転して、クラスメイトの男子達は和行に喰って掛かっている。……あれ? あの面子って確か中二の時も同じクラスだったような。あと私を囲んでいる女子達も同じクラスだった気が……。うん、気にしない方がいいね。

 

「なん、だと……?」

「馬鹿な。あり得るのか……」

「まさかお前、あんな事とかそんなことまでしたのか!?」

「倉沢。俺はお前が想像しているようなことはしてないからな?」

「嘘を吐くな! エッチなことしたんだろ!?」

「してねえっつうの!」

 

 当の和行は囲まれているクラスメイトとそんな言い合いをしていた。和行ってば、私と付き合っている事を大っぴらにするなんて……。もしかして、私に変な虫達が言い寄らないようにする為に言ってくれたのかな? 本当にそうなら物凄く嬉しい。あとで和行の好物をいっぱい作って、和行にディープキスしちゃお。

 

「に、西邑さん……。今の話、本当なの?」

 

 私がそんなことを考えていると私を取り囲んでいた女子の一人が、恐る恐るといった感じで尋ねてきた。この子って確か和行の事を狙ってた子だよね。私に和行を取られたのがそんなにショックなのかな? でも残念だったね。和行は既に私のモノなんだよ。だからさっさと諦めてね?

 

「うん。和行は私の彼氏だよ」

「嘘だそんなこと!」

「望みが絶たれた!」

「神は死んだの!?」

 

 ……なんだろ。女子達の台詞がネタ塗れな気がする。春休みから和行に染められてきているのか、段々そういうのが分かるようになってきたんだよね。だからネタを含んだ発言なのか、そうでないかの違いくらいは一発で見抜くことができる。

 

「ど、どっちから告白したの?」

「和行から」

「あの九条君が!? 意外……」

 

 どうして和行が積極的な行動に出ると驚く人が多いのかな。まあ和行って学校ではそういうのを表に出さなかったから仕方ないかもしれないけど。でも、和行は私に興味津々で積極的な立派な男の子だよ。毎晩寝る前に私の髪を撫でながら愛してるって言ってくれるし、おはようのチューも欠かさないでやってくれるんだから。

 そんな風に思量していると始業を知らせる鐘が鳴った。私と和行を囲っていたクラスメイト達はまだ何か言いたげな顔をしていたが、それぞれ自分の席へと戻っていく。

 

「夏菜子」

「なに?」

「ごめんな。付き合ってること話しちゃって」

「別に気にしてないよ。私がまた他の男子達に言い寄られない為にしてくれたんでしょ?」

「うん……」

 

 申し訳なさそうに私に謝ってくる和行だったけど、私は気にしてない旨を伝えた。だって和行が私の事を思って言ったのバレバレだったからね。てかこれはマズいかも。しゅんとしている和行にムラムラしてきた。ああ、今すぐトイレにでも連れ込んで食べちゃいたい。和行の首筋にキスしちゃうのもいいかも。それなら和行に言い寄る女も居なくなるだろうから。

 そんな風に自分に言い聞かせていると、担任の先生が教室に入ってきた。あ、今年も担任は峯崎先生なんだ。なんだろ、やはり何かの策略的なものを感じる。色々な挨拶を終えて、私達は体育館に向かって始業式に出席したんだけど……。式の最中に校長の話に退屈したのか、和行が船を漕ぎそうになっているのが可愛くて鼻血が出そうになったのは内緒だ。本当はそのまま寝させてあげたかったけど、流石に不味いと思ったので和行に寝ないように注意したよ。

 

「ふう……。長く苦しい戦いだったな」

「もぉ、大げさなんだから」

 

 私達は昇降口で上履きから靴に履き替えて、校門へと足を動かしていた。今日は午前中だけなのでこれで終わりだ。この後はどうしようかな。和行とお昼を食べにデートしにいくっていうのもありだし、自宅で私が料理を作って家デートもありだと思う。結局のところ、私がデートしたいだけだねこれ。

 

「クラスメイトの野郎共に再度問い詰められたのを大げさと申すか」

「それは……うん、ごめん。大変だったよね」

 

 学校から出る前にまたクラスの男子生徒たちに問い詰められてたんだった。半分くらいは和行の自業自得な気がしないでもないけど。ちなみだけど、私の方には詰め寄ってくる女子達は殆ど居なかった。なんかあっさりと諦めていたような気がする。……それの所為で、和行に対してその程度の好意しか持ってなかったのかって却って腹が立ったけどね。

 

「おーい。二人とも」

 

 ふと、後ろから私達を呼ぶ声が聞こえる。振り返ってみると、そこには数馬と弾がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。あれ? 今日って二人ともバンド組む相談してたんだじゃなかったっけ?

 

「どうかしたの?」

「いや、お前たちのことを祝福してなかったと思ってさ。な、数馬」

「ああ。正直、あの教室内でお祝いするのはちょっと無理だったし……」

 

 あー、確かに。あの空気だとね……。

 

「その。良かったな、二人とも」

「おめでとさん」

 

 シンプルなお祝いの言葉だったけど、弾と数馬らしいから別に問題ないよね。私達の距離感ならこれくらいで十分だし。そういえば、和行は私の傍に他の男が近寄ると目付きが鋭くなることが多いんだけど、弾と数馬に関しては例外らしい。

 和行曰く「あの二人はお前の事を女というか異性として見てないから」って言ってた。うーん、和行が言うならその通りなのかもね。この二人からは他の男たちから向けられる嫌な視線も感じないし。

 

「いやあ、和行には本当に感謝しているよ」

「は? なんでだよ」

「お前があの恋愛フラグ一級建築士の一夏を落としてくれたお蔭で、俺達にも運が向いてきそうだからな」

「全自動女の子堕とし機が居なくなってくれたからな。俺達も女の子との縁が出来そうだ」

「……お前ら、またそれか」

 

 周囲に聞こえない声量で言い切った弾と数馬に対して、和行が頭を抱えだした。正直、私も頭を抱えたいよ。この二人、私の目の前でそんなこと言うのかなあ……。全くもう。

 私と和行は阿呆なことを抜かした弾達と別れ、校門を出るといつものように恋人繋ぎをした。やっぱり和行と手を繋いでいる時が一番落ち着くかも。

 

「なあ一夏」

「うん?」

「今日は外でご飯を食べないか?」

「それって、デートのお誘い?」

「まあそれもあるけど、今日くらいは昼食を作るのを休んでほしいっていうか……」

「そ、そう? じゃあお言葉に甘えるね?」

 

 和行の心遣いが嬉しくなった私は和行のお誘いを受けることにした。通学路を歩き、家の方面ではなくて街の方へと足を向ける。その最中、ちょっと悪戯心が湧いてきたので和行におっぱいを押し付けてみる。すると和行は目線をあちらこちらに飛ばしてから私の方へと視線を向けてきた。

 

「い、一夏。頼むから外で胸を押し付けるのはやめてくれ」

「家の中ならいいの?」

「……うん」

 

 可愛い。素直な和行かわいい。このまま未成年にはよろしくないホテルに和行を連れ込みたい。そしてそのまま――出来たらいいのになあ。和行ってば、私に興味津々な癖にかなりガードが固いからもう誘惑するだけじゃ駄目なんだよね。そろそろ本格的に和行を襲う計画を立てておかないと。

 時期として夏休みくらいがいいかな? 必然的に夏だと私も薄着になるから、それで和行を発情させることが出来るかもしれないし。汗を掻いた生身の女の子の体には流石の和行も耐えられないと思う。和行を性的な意味で襲う計画を建てながら食事をする場所を探していると、和行が急にそわそわし始めた。

 

「和行、どうしたの?」

「その、えっと……」

「もしかしてトイレ?」

「すぐに終わらせるから待ってて」

 

 それなら仕方ないね。和行がトイレに駆け込むのを見届けた私は、大人しく和行がトイレを外で終わるのを待っていると、

 

「すいません。ちょっとよろしいですか?」

「はい?」

 

 スーツを着た女性に話しかけられた。……一体何の用なんだろ。私、和行を待つので忙しいんだけど。

 

「私、こういう者です」

「プロ、デューサー?」

 

 手渡された名刺に書かれていたのはアイドルのプロデューサーを示すものだった。……アイドル、ねえ。昨今の風潮の所為で女の子のアイドルがかなり人気を誇っているらしいけど、私にはそんなアイドルになるつもりなんてない。そんなことをしたら和行と居る時間が無くなるじゃん。そんなの私からしたら拷問だよ。

 名刺を片手に女性の話を聞いていたのだが、どうやらこの人の事務所ではアイドルの恋愛はNGらしい。これは好都合かも。ほら、私って今は和行とお付き合いしてるから。

 

「すいません。私、結婚を前提にお付き合いしている人がいるので……」

 

 私がそう言うと女性はあっさりと引き下がっていった。少し話を盛れば逃げるだろうと踏んだんだけど上手くいったみたい。結婚って単語を持ち出した途端、ぎょっとした顔をしてたから。

 見るからに中学生な私が結婚なんて単語を持ち出したことに何か思うところはあったんだろうけど、別に他人にどう思われようがどうでもいい。私には和行が居るんだから。

 

「あー、やっと終わった……」

 

 財布の中に渡された名刺をしまっていると、和行がそんなことを呟きつつ、ハンカチをポケットに入れながらトイレから出てきた。もう、遅いよ。でも仕方ないかな。和行の言葉から察するにどうやら苦戦していたみたいだし。

 

「何かあったのか?」

「ううん。何にもないよ」

「……そうか。じゃあ、さっさと飯を食いに行こう」

 

 何か言いたげな表情をしていたけど、和行はすぐに表情を変えて私の手を取ってくる。そのまま和行に連れられていつものファミレスに入って昼食を食べた私達は会計を済ませると、また手を繋いで自宅へと帰宅した。今日も自分の分は自分で払おうと思ったんだけど、またもや和行が先に全額支払ってたのだけは納得できない。

 ……はあ、仕方ないかぁ。和行も好きな女の子の前で格好付けたい男の子ってことにしておこう。その方が和行が可愛く見えるし。

 

「一夏」

「なに~?」

「昼間、俺がトイレに行ってる間に何かあっただろ?」

 

 夕食をどうしようかと考えているところ、私の右隣に座っている和行がそんな質問をぶつけてきた。あー……やっぱり勘付いてたんだね。まあ別にいいけどね、そこまで隠すようなことでもないから。

 

「そのね、私……スカウトされたの」

「スカウト? なんの?」

「……アイドルの」

 

 あの人が話した内容を私は和行に教えた。和行にあの時あった事を告げ終えた途端、和行の瞳から光が消え始めた。あ、これ駄目なパターンに入っちゃったかも。

 

「勿論断ったよな?」

「うん、ちゃんと断ったよ。お付き合いしている人が居るから無理ですって」

「そうか……」

 

 安堵したような表情を浮かべてから和行は顔を伏せてしまった。あ、どうしよう。これじゃあ和行が何を思っているのか分からないよ。でもやっぱり、私がスカウトされたのにあまり良い気分になってないのかな? 私と会話している時の和行の声音が自分の感情を押し殺している感じだったし。

 本当にどう声を掛ければいいのかと頭を悩ませていると、和行がゆっくりと顔を上げた。

 

「……一夏。ごめん」

「えっ?」

 

 何故いきなり謝ってきたのかと思考を働かせようとしたが――できなかった。和行に唇をいきなり塞がれてしまった所為でそちらに思考が全集中してしまったから。

 なっ!? なんでいきなりキスをしてるの!? って、ちょっと待って。和行が私の唇を割って舌を入れてきたんだけど! これ、前に私がディープキスした時の逆パターンだよね!? ……ああ、これいい。和行とディープキスするの最高だよ。凄く心地が良い。か、和行。これ以上は駄目だよ。そんなに舌を吸われたり絡めたりしたら……私、我慢できなくなっちゃうから。

 

「……一夏」

「あっ……」

 

 和行が私から唇を離してしまった。うう、もう少しで……。もう少しだったのに。

 

「いきなりキスしてごめんな」

「気にしてないよ。でも、一体どうしたの?」

「……一夏がアイドルになる訳ないのは分かってるけどさ、その……一夏がアイドルになった姿を想像したら――」

「……」

「一夏のそういう姿を見たくないって感情が抑えられなくなって……」

「それを落ち着ける為?」

「……うん。ごめんね」

 

 和行が物凄く申し訳なさそうな表情を張り付けながら私に謝ってきた。気にしてないって言ってるのに和行ってば……。むしろ、もっと強引にキスしてくれてもいいのに。

 でも、和行がこんな行動に出た気持ちは理解できる。私も和行がその手の職業に就く想像をしたら同じことをしたと思うから。確かに私の見た目ならアイドルとしても十分通用するかもしれない。和行がいつも美少女とか天使とか女神とか言ってくれてるお蔭で、外見に少しだけ自信が付いてきたんでそう思える。でも、この容姿を含めた全ては和行だけのモノなんだ。芸能活動とかの為にあるんじゃない。

 

「ねえ、和行」

「な、なに?」

「もっとキス、したいなあ」

「へっ?」

 

 私の言葉に和行は呆けたような声を出していた。

 

「まさか、今朝言った事を忘れたの?」

「わ、忘れてないけど、このタイミングで?」

「うん。このタイミングで」

「よ、夜に仕切り直しとかは?」

「それは駄目」

 

 和行がキスしてもいいって言い出したんだから、ちゃんとして貰わないとね。私は和行に思い切り顔を近づけると唇を奪う。そのまま和行をソファーに押し倒して、晩御飯の時間になるまで滅茶苦茶キスしまくった。

 ……なんで私、キスした勢いで和行の貞操奪わなかったんだろ。私の中の何かが私に自制を促しているとでもいうの? ……後で取り除いておかなきゃ。




アイドルになった一夏ちゃん「みんなのハートを撃ち抜くぞー! バーン♡」
S・Kさん「……」
アイドルにドハマリした一夏ちゃん「ラブアローシュート!」
S・Kさん「誠に遺憾である」


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第四十六話 幸せだよ

お花見回です。


 和行にいっぱいキスをしたあの日から一週間後の休日。私は和行と一緒にお花見に来ていた。今日は青天で絶好の洗濯日和だったので、出かける前に洗濯物やらを干しておいた。午後も雨は降らないらしいから大丈夫だとは思う。

 屋台やらが色々と並んでいたりしているからなのか、周囲はかなり活気づいている。屋台巡りもいいけど私としては和行に私手作りの料理を食べて貰いたいかな。あー、早く和行とこの重箱に入っているお料理食べたいなあ。和行とお互いにあーんしてお花見したいなあ。

 

「良い天気ね。千冬ちゃんもそう思わない?」

「そうですね。今日は絶好の花見日和になりますよ」

「……」

 

 ……うん。現実逃避はやめておこう。……なんで八千代さんと千冬姉が居るの? しかも千冬姉は珍しく私服姿でブルーシートを小脇に抱えながら、クーラボックスをショルダーベルトで肩に掛けてるし。そのクーラーボックスの中身ってまさか……。いや、今は気にしないでおこう。

 私は和行と二人だけで出掛けたつもりだったのに、いつの間にかこの二人が私達の傍に立ってて怖くなったんだけど。私、八千代さんに和行と一緒に花見に行くことなんて言ってないよ? 和行も同じく八千代さんに言ってるところなんて見なかったし。勿論だけど千冬姉にも言ってない。今日が休みだなんで聞いてなかったから。

 あの、私と和行のイチャラブタイムを潰さないで貰えるかな? 和行も似たような事を考えているのか、箒レベルの仏頂面になってるから。これヤバいかも。和行が爆発しないといいけど。

 

「……とりあえず母さん。なんでここに居るのか、簡潔に説明して貰おうか?」

「息子の行動は全てお見通しだからよ!」

「くたばれ」

「うっ!」

 

 かなり苛立っている和行が珍しく八千代さんに向かって暴言を吐いていた。その所為で八千代さんは勢いよく膝から地面に崩れ落ちたけど……これ、殆ど八千代さんの自業自得だよね? でも和行、くたばれは流石に駄目じゃないかな? せめて永眠してくださいとか天に昇れとかにした方が良い気がする。

 

「それで、なんで千冬姉がここに居るの?」

「今日がたまたま休みでな。八千代さんに誘われてきた」

 

 私が千冬姉に事情聴取をするとそんな答えが反ってきた。千冬姉のことだから嘘は言っていないと思うけど、なんでよりにもよって和行とデートをしようってタイミングで……。

 

「さて。私達は場所の確保をしてくるから、お前達は屋台でも見て来い。行きますよ八千代さん」

 

 そんな私の心情もお構いなしに千冬姉は私の手から重箱が入った包みを手に取り、和行からお茶が入った水筒を半ば強引に回収していく。

 

「うう……和行にくたばれって言われた……。うわああああああん!」

「……行きますよ?」

 

 和行の発言に凹んでいるのか、涙目になっている八千代さんを引き摺りながら千冬姉は花見をする場所の確保へと向かって行った。……もう、ツッコむ気も失せたよ。とりあえず、

 

「……あとで八千代さんに謝っておいた方が良いよ?」

「……わかってる」

 

 和行に八千代さんへの謝罪を促すのを忘れなかった。気を取り直そうと私達は千冬姉の言葉に従い、屋台を歩いて回ることにした。あ、林檎飴美味しそう。でも和行って林檎飴を食べるの苦手だったはずだから、ここはスルーかな。それなら綿あめだね。去年の夏祭りでも一緒に食べてたし、あれなら和行も食べると思う。

 

「和行」

「ん?」

「一緒に綿あめ食べよ?」

「二人分?」

「うん。二人分」

 

 短いやり取りを終えると和行は私と自分の分の綿あめを買ってきてくれた。そういえば、夏祭りでも和行が私の分の綿あめも買ってくれてたよね。なんだかもうだいぶ前の事みたいな懐かしさを感じるよ。和行から綿あめを受け取り、あの時みたいに私はベンチに座った。綿あめを食べながら隣の和行を見てみる。

 うん、今日も和行はカッコいい。こうやって一人の女として和行の隣に居られることが何よりも嬉しい。特定の誰かを愛するなんて昔の自分じゃ考え付かなかったかも。

 

「俺の方を見てどうかしたか?」

「ううん、何でもないよ!」

 

 和行の方をじっと見過ぎた所為か、和行が訝しむような顔をしていた。私は咄嗟に誤魔化してしまったが、本音を言うともう少し和行の顔を見ていたかった。だって和行って最近格好良さが増してきてるんだもん。和行に聞いた話では千冬姉にジムとかを教えて貰って、体を少しでも鍛えようとしているって言ってた。なんでもあの誘拐事件で思うところがあったらしい。

 その影響なのか、最近の和行には筋肉が付いてきている気がする。なんかもう和行に抱き締められる度にメロメロになってきてるけど悪い事じゃないよねこれ? 好きな人を更に好きになってるだけだし。

 

「さて、次はなに食べる?」

「あんまり食べ過ぎないようにしてね? お弁当食べられなくなるよ?」

「分かってるって」

 

 綿あめを食べ終えた私達はゴミをゴミ箱へと捨てながらそんな会話を繰り広げていた。和行ってば結構何かを食べるの好きだよね。昔もよくバレないように買い食いとかすることあったし。

 

「たこ焼き食べようぜ」

「うん。いいよ」

 

 和行に引っ張られてたこ焼きを購入した私達は再びベンチに戻っていき、たこ焼きを食べ始めた。

 

「――あっ、あつつつ! あっつ!」

「もう……」

 

 出来たてのたこ焼きだった所為か熱い物が苦手な和行には駄目だったみたい。私はそうでもないんだけどね。しょうがない、ふーふーしてあげよ。私は和行が食べようとしていたたこ焼きに息を吹きかけて少しでも食べやすい温度になるようにしていく。そろそろ良いだろうと判断した私は割り箸でたこ焼きを掴むと、それを和行の口元へと持っていく。

 

「はい」

「あ、ありがと」

 

 私にお礼を述べた和行は割り箸で摘まんであるたこ焼きを食べた。咀嚼して飲み込んだのを見計らって和行に話しかける。

 

「美味しい?」

「うん、美味しい。一夏と一緒だからかも?」

「……なんでそういうこと平気で言うのかな」

 

 その発言に照れまくるこっちの身にもなってほしいよ……。もう駄目! 和行への愛が鼻から溢れそうだよ! 和行和行和行和行――。

 

「一夏」

「な、なに?」

「他の屋台も見てみようぜ」

「う、うん。そうだね」

 

 思わず和行への愛が暴走しそうになったが、次第に落ち着いていくのを感じた。和行の提案は悪くないものだったので即座に頷いておくのを忘れない。ちゃんとゴミ箱にゴミを捨ててから、私達は他の屋台を見て回る為に足を動かしていく。

 今まではこういうお祭りなんて殆ど来なかったから、和行とこうしてお祭りを回るのがとても新鮮に感じるね。今回に限らず、和行とならどんなことでも新鮮で楽しいんだよね。愛している人と一緒だからかな? ……うん。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。

 私はそんな気恥ずかしさを振り払う為に和行との屋台巡りに集中することにした。和行と屋台を見て回っているうちに、そろそろ戻った方がいいかもと和行と意見が一致したので、先程千冬姉たちと別れた場所まで戻っていく。

 

「千冬姉?」

 

 そこには千冬姉が立っていた。八千代さんが居ないけど、確保した場所に置いてきたのかな? そんなことを考えていると千冬姉は私達の方を見ると早く着いて来いと言わんばかりに先を歩き出した。

 私と和行はそんな千冬姉の後を追っていくと、沈んだ顔をした八千代さんがブルーシートの上で体育座りをしている光景が目に飛び込んできた。今すぐにでも掻き消えそうなくらいなんだけど……大丈夫じゃないね。八千代さんって和行に冷たくされると大抵こうだし。

 

「和行。お前が何とかしろ。私では手に負えん」

「えっ? ……はい」

 

 千冬姉の言葉に和行は渋々といった感じで八千代さんのご機嫌を直しに向かって行く。

 

「母さん。えっと……」

「ぐすっ……和行ぃ……」

「その、ごめん。言い過ぎたよ」

「和行……!」

 

 八千代さんに対して和行が謝罪を述べると、八千代さんは和行に抱き付き始めた。まるで年下の彼氏に年上の彼女が泣きついているような光景がそこにはあった。

 ……なんだか無性に腹が立ってきたんだけど。和行に抱き付いていいのは私だけなのに。幾ら八千代さんでもこればっかりは許す訳にはいかない。和行から早く離れてよ。……おい、早く離れろ。和行は俺だけのモノなんだぞ。さっさと離れろよ。

 

「一夏。落ち着け」

「千冬姉……」

 

 八千代さんが和行へ抱き付いている事に嫉妬していると、千冬姉が宥めるような言葉を掛けながら私の肩に手を置いてきた。千冬姉の言葉が頭の中に染みわたっていき、マグマのように煮えたぎっていた妬みが落ち着いていくの感じる。……千冬姉に注意されるなんて、また顔に出てたのかな私。

 

「母さん。さっさと離れないと今晩は筍オンリーにするぞ」

「ごめんなさい! すぐに離れます!」

 

 鬱陶しげな目付きをした和行が八千代さんにそう言い放つと、八千代さんは和行から即座に離れた。……良かった。そうだ、後で和行の服を徹底的に洗濯しておかないと。

 

「ほら、さっさと座るぞ」

「う、うん」

 

 千冬姉に促され、私は和行の傍に座る。和行の隣に座っていいのは私だけなんだから。

 

「い、一夏」

「なに?」

「ち、千冬さんが見てるんだからもう少し離れた方が……」

「嫌。絶対に離れないから」

 

 私は和行の意見を却下するとブルーシートに置いてある重箱を手に取り、包みを広げて蓋を取り外した。和行の為に丹精込めて作った食べ物が中に敷き詰められている。和行が大好きな私の昆布のおにぎりやおかかのおにぎり。和行が大好きな私の出汁巻き卵。和行が大好きな私の鶏の唐揚げ。和行が大好きな私の鮭など色々と和行の好物ばかりが並べられていた。

 

「あ、出汁巻き卵入ってる」

「和行の好物ばかりね」

「うむ。美味そうだな」

 

 和行、八千代さん、千冬姉の順に私の弁当を見た感想を述べていた。和行が目を輝かせてるのが物凄く可愛く見えるだけど。和行の頭に犬耳、お尻に尻尾が付いている幻覚まで見えた。お持ち帰りしたいと考えながら、私は重箱の包みに入れておいた箸を一膳取り出すと、出汁巻き卵を摘まんで和行の口元へと持っていく。

 

「はい。和行」

「え? あの……」

「あーんして。ほら」

「だから、えっと。ふ、二人が見てるし」

「和行」

「……はい」

 

 良い笑顔を和行に向けると和行は素直に口を開いてくれた。和行の唇に吸い付きたい衝動に駆られながら、私は和行の口へと出汁巻き卵をねじ込む。

 

「美味しい?」

「うん。美味しい……」

 

 咀嚼を終えた和行は顔を赤くしながら私にそう告げてきた。可愛い。千冬姉と八千代さんが居なかったら今すぐにホテルへ連れ込んだのに。そしてそのまま和行と一緒にシャワーを浴びて――はぁはぁ。興奮してきた。和行とくんずほぐれつしたい。夏休みまで我慢できる自信がなくなってきたよ。

 でも、そんな考えを口にする訳にはいかないので何とか喉元から出ないようにしつつ、八千代さんと千冬姉にも重箱の料理を振る舞うことにした。

 

「やはり美味いな」

「ふふふ。和行ったら果報者ね」

 

 二人は私のおにぎりを食べるとそんなことを口にしていた。まあ和行への愛が籠っているからね、美味しくなければおかしいというか。私がそんなことを考えていると手に取っていたおにぎりを食べ終えた千冬姉が私のことを手招きしていた。和行の傍を離れたくないのに……うう、仕方ないかあ。

 

「なに? 千冬姉」

「お前が私に和行と付き合い始めたことを伝えてこなかったのは何故だ?」

「えっ? あっ……」

 

 …………忘れてた。冗談抜きで忘れてた。

 

「えっと、その……。わ、忘れてた」

「和行とイチャつくことしか頭になかったか」

「ご、ごめん……」

 

 やれやれと言わんばかりの表情を浮かべている千冬姉に私は思わず首を傾げた。えっと、私としてはもう少し何か言ってくるかと思ったけど。具体的に言うなら男に戻らずに女の子で居る事を勝手に決めた事とか、和行と結ばれた事とか。八千代さんが千冬姉のことを説得してたとは言っていたけど……千冬姉はどう思っているんだろ。

 

「千冬姉」

「なんだ?」

「……私ね、束さんから男に戻る事も出来る薬を貰ったんだ」

「戻る事も出来るということは……」

「うん。逆の性別――女の子で性別を固定させることも出来るんだ」

 

 そこで一旦を言葉を切ってから、私は再び言葉を紡いでいく。

 

「私は性別の固定化にその薬を使った」

「……」

「ごめんね、千冬姉。勝手に性別を固定したりしちゃって」

 

 私は千冬姉に向かって謝った。こうして和行と恋人同士になれたので性別を固定したことに後悔はない。だが、千冬姉に相談などをしたりせずに決めたことだけは心の中にしこりとして残っていた。千冬姉からどんな言葉が飛んでくるのだろうかと身構えていたのだが、

 

「何故私に謝る必要がある?」

 

 千冬姉から帰ってきたのはそんな言葉だった。非難する訳でもない、ただ純粋に私が謝っている意味が分からないとニュアンスの言葉が。

 

「え、だって……」

「確かに相談もなしにそんな事をしたことに思うところはある」

「それなら!」

「だが、性別を固定したのはお前の意思だ。お前が和行と一緒に居たいと思って決めたことなのだろ? 違うか?」

「違わなく、ないけど……」

「なら私は口出しなんてせんさ」

 

 そう言うと、千冬姉は優しげな表情を浮かべつつ私の方を見てきた。……こんな風に柔らかな表情をしている千冬姉、久しぶりに見たかも。

 ……そっか。私の意思か。うん、そうだよ。私は和行の事を愛しているから――和行とずっと一緒に居たいから女の子であり続けることにしたんだ。

 

「ありがと、千冬姉」

「気にするな。……ところで一夏」

「なに?」

「今、お前は幸せか?」

 

 千冬姉の問いかけに少しだけポカンとしてしまうが、私はすぐに返答を用意することができた。幸せかって? そんなの考えるまでもないよ。

 

「うん。幸せだよ」

 

 ――私は、物凄く幸せだ。和行と恋人同士になれたんだから。



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第四十七話 当たった試しがない

今回から二、三話の間ヤンデレ成分が少なめになります。


 例の花見から一週間が経った。あの後、母さんと千冬さんが酒盛りを始めた所為で俺の頭が痛くなったが、桜の下に咲いていた一夏の笑顔が綺麗だったので気にしないようにした。なんであんなに可愛いんだよ。天使か、天使なのか? 

 それとだが、学校で俺達に根掘り葉掘りと聞いてくる奴も減ってきた。俺と一夏が仲良さげな雰囲気を作っているのを見て、なんにも言えなくなった奴等が多いみたい。度を越えたイチャイチャは家でだけやっているけど、学校でも甘々な雰囲気作っちまってるみたいだからな俺達は。弾達に指摘されて初めて気が付いたという有様だった。

 

「はい。終わったよ」

「ありがとうおじさん」

 

 そんなことを考えていると昔馴染みのおじさんから声が掛かった。昔から利用している理髪店で髪のカットをして貰っていたのだ。最近髪の毛が伸びてきて目に入ることもあったから髪を切りきたんだよね。俺が女の子だったら、一夏みたいに一定以上の長さにならないように長さを整えたりとかするんだけどな。

 バーバーチェアから降りて、ずっとソファーに座って待っていた一夏の方へと近寄っていくと一夏は俺へと男をドキドキさせる笑顔を向けてきた。

 

「和行、格好いいね!」

「そ、そうか?」

「うん。いつもより格好良さがレベルマーックス! って感じになってるよ!」

 

 ネタ台詞を口にするあたり、一夏が段々と俺色に染まってきているな。一夏を自分色に染めているという事実に背徳感ようなものを感じてゾクゾクしてきたが表に出さないようにしておこう。俺はおじさんにカットの代金を払い、店を出て行こうとしたのだが、

 

「ああ、和行君。ちょっと待ってくれるかい?」

「どうかしたんですか?」

 

 おじさんに呼び止められたので足を止めると、おじさんはチケットサイズの紙を二枚渡してきた。これって……。

 

「福引券?」

「和行君の分とお嬢さんの分だ」

「え? 私もいいんですか?」

「いいのいいの。さあ持ってて」

 

 少し気になったので何故これをくれるのかと尋ねてみたところ、商店街の企画で商店街内の店を利用したお客には渡すことには渡す事になっているらしい。俺がこの店を利用した時点で渡されることが確定していたみたいだ。でも、そうなると一夏の分はどうして渡されたんだ? 一夏は俺に付いてきただけでこの店を利用した訳じゃないし……。

 

「あの。なんで、い――夏菜子の分まで?」

「和行君が彼女を連れてきたのが嬉しくてね」

「……よく分かりましたね」

 

 ああ、そういうことですか。理解できました。この人、俺を自分の息子みたいに扱ってくれてるからなあ。俺に彼女が出来たことが嬉しいんだろうな。

 俺は貰える物は貰っておく主義なので突き返すようなことはせず、福引券を手にしたまま一夏と一緒に理髪店を出る。俺達はその足で福引をしている場所へと向かうことにした。

 

「福引かぁ」

「一等とか当たるかな?」

「はぁ……」

「福引、嫌なの?」

「……お前、俺のクジ運が酷いの忘れてないか?」

 

 右手で福引券をひらひらと動かしながら俺は一夏に言葉を返した。

 

「え? ……あっ」

「思い出したか?」

「う、うん」

 

 そうだ、俺にはクジ運がない。運が良い時で三等、運が悪いと一番低いのばかりしか当たったことがないのだ。それ以上は当たった試しがない。小学生の時も、俺と一夏と鈴の三人で当たり付きの駄菓子を買ったら一夏と鈴だけ当たりが出て、俺だけハズレとかザラだった。……やばい、思い出したら何だか涙が出そうになってきた。てか、なんで二人だけあんなに当たりが出るの? もう訳が分からないよ。

 今年の初詣で大吉を引いたアレは良いの当てたっていう認識から除外している。多分あれ、兎的な人が裏でなんかやったに違いないから。そうじゃなければ俺が大吉なんて引ける訳ないんだし。

 

「よしよし、泣かないで」

「ありがと……」

 

 俺の嫁である一夏が慰めてくれてたが、こいつも俺の目の前で当たりを当ててた方だから素直に喜べないんだが……。まあいいか、一夏だし。そこら辺のことは水に流すことにする。

 とりあえずアレだ。福引ではティッシュ箱が当たってくれればそれでいい。あの店とかで複数個セットになって売っているあのティッシュ箱が。そうすればティッシュ箱代も浮くから一夏も喜ぶと思うんだよ。そんなね、特賞とか一等の何か豪華な賞品とか当たってもさ、どうすればいいのか扱いに困るから要らんわ。

 

「せめて、せめてティッシュ箱くらいは当ててやる……!」

「私は特等とか当ててみたいなあ」

「は? なんで?」

「だって、もし特等とか一等が旅行券とかだったら欲しくならない?」

「それは俺と旅行に行きたいと言ってるのか?」

 

 俺の問いかけに一夏は静かに首肯した。……旅行、ねえ。俺達の年齢じゃ保護者同伴じゃないと無理じゃないか? 高校生とからな未だしもさあ。そのうち一夏と一緒に行ってみたいなあとは思ってはいるけど。でも、なんか旅行に行ったら一夏に性的な意味で襲われる予感しかしないんだが。よし、高校卒業するまでは旅行はなしだ。なしったらなしだ。

 

「やっぱり遠出とかあまり好きじゃない?」

「いや、そんなことはないぞ」

「本当?」

「ああ。一夏と一緒なら別に抵抗なんてないし」

 

 俺がそう言い切った途端、一夏の目が俺を獲物として狙う目に変わった。やばい。あれ、絶対頭の中でえっちい考えを張り巡らせている時の顔だ。一夏のやつ、最近こういった表情をすることが増えてきたなぁ……。

 お、俺も一応男だからそういうのには興味はあるし、一夏となら喜んでそういう関係になりたい。けれど、自分がまだ学生だと認識しているお蔭か俺は寸前のところで思い留まれていた。というか、俺が思い留まっていなかったら一夏と俺は既にアクエリオンしていると思う。そんなことを大真面目に考えながら歩き続けていると、俺と一夏は福引会場へとやってきていた。

 

「一夏からやっていいぞ」

「ホント?」

「ああ」

 

 俺は真っ先に引くのを一夏に譲る。嬉々とした顔で福引を引こうとしている一夏可愛い。目が今すぐにでも何かを殺しそうなくらいに血走ってなければだけど。こいつ、特賞に二泊三日の温泉旅行があるのを見つけた途端に目の色を変えやがったんだよ。もうこれ俺の手には負えないわ。こうなった一夏はなに言っても聴かないだろうから。

 一夏は祈りを捧げてからガラポンのハンドルを握って回し始める。抽選球の排出口から吐き出され、受け皿の上に落ちた球の色を見た一夏は露骨に肩を落としていた。

 

「ティッシュかぁ……」

 

 まあ、そうなるな。そんな簡単に特賞なんて当たる訳ないからな。……あの、一夏ちゃん? なんで俺にそんな縋るような目線を向けてくるの? 涙目になりかけてるのもあってかなりの破壊力があるんだけど。俺のことを萌え殺しにするつもりなの?

 

「和行ぃ……」

「な、なんだよ」

「頑張って特賞当てて!」

「無茶言うな!」

「和行! お願い!」

 

 お前、俺がさっき言った事もう忘れたのか!? つうかなに? そんなに俺と温泉旅行に行きたいの? 高校卒業したら幾らでも連れてってやるから今は諦めろください。……俺が心の中でそう叫ぶも、そんな考えが一夏に伝わるはずもない。

 

「き、期待はするなよ」

 

 そう返事をするのが精一杯だった。どうせ俺が引いても当たる訳ないんだ。一夏も抽選結果を見ればすっぱりと諦めてくれるだろ。福引券を抽選を担当している顔馴染みのおばちゃんに渡すと、俺は一夏と同じ要領でガラポンを回す。出てくる抽選球が見えないように上を向きながらだが。

 だって、外れたら分かってたとはいえ何とも言えない気持ちになるし、当たったら当たったらで反応に困ることになるからだ。カランと抽選球が受け皿に落ちる音が聞こえた。さあ、一夏。諦めるんだ。

 

「えっ!? 嘘っ!?」

 

 一夏が驚いた声をあげているが、どうせ当たったのはティッシュ箱のセットか参加賞のボールペンに決まってる。従って今のは落胆による驚きの声だろう。俺が三等以上の景品を当てることなんてありえない。

 

「和行! 特賞だよ! 特賞! 温泉旅行に行けるよ!」

 

 特賞なんて当たる訳――。

 

「和行? 和行? 聞いてる?」

 

 特賞なんて……。

 

「…………あっれぇ?」

 

 なんで俺、特賞当ててるの……?

 

◇◇◇

 

 ――由々しき事態だ。家に帰宅した俺は上機嫌な一夏の横で脳内会議を開催していた。俺がまさか特賞――それも温泉旅行のチケットを手に入れるとは。これアレだな。何も考えずにクエスト周回とかして、物欲センサーが動かなかったお蔭でレアなアイテムとか出まくるあの現象なんだろうな。

 

「和行と温泉……えへへ」

「……」

 

 ……マズい。これは非常にマズい。このまま温泉旅行に行ったら一夏に性的な意味で襲われる。旅行先でテンションが上がりまくった一夏に美味しく食べられる未来しか見えない。だが、まだ一夏に襲われる未来が確定した訳ではない。なんと温泉旅行のチケットは三枚あるのだ。つまり俺達の他に誰か一人を連れて行くことができるのだ。

 出来れば大人の人がいいだろう。一番適任なのは千冬さんだ。あの人なら一夏が暴走するのを抑えることができるだろうからな。だが、問題が一つだけある。あの人がゴールデンウィーク中に休めるかどうか分からないということだ。スケジュールが合わないという展開が容易に想像できる。

 そうなると消去法でうちの母さんを連れて行くしかないんのだが、あの人は俺と一夏が今すぐにでもスケベなことをするのを望んでいる節があるのではっきり言って連れて行くのは適任じゃない。まあ、あの人を丸め込む方法がない訳ではないが。

 

「あの、一夏?」

「なに?」

「本当に温泉行く気か?」

「当たり前でしょ。和行との温泉だもん!」

 

 ああ、もうこれ駄目ですね。聞く耳持ってないわ。俺と温泉に行くことしか頭にないわ。マズい。本当にマズい。このTS娘、完全に暴走してやがる。それとさっきから俺の下半身をちらちらと見てくるのやめろ。完全にこいつ脳内ピンクじゃねえか。俺とえっちなことする事しか考えてないだろ。

 

「一応ゴムは持っていった方が良いよね? うん、ちゃんと持っていこう」

 

 何やら聞いてはいけないワードが聞こえてきたので無視することにした。はあ、どうしようほんとマジでどうしよう。俺がそんなことを何回も反芻して考えている内に夕飯時になったので、一夏は夕飯を作りにキッチンに行ってしまった。一夏が料理を作っているうちにこの温泉旅行のチケットを隠してしまおうかと思ってしまった。だが、そんなことをしても一夏には即座にバレてしまうだろう。下手をすればその場で押し倒されてちょめちょめする羽目になるかもしれない。

 

「ただいま~」

「おかえりなさい。八千代さん」

「八千代さんじゃなくてお義母さんって呼んでくれてもいいのよ」

「そ、そうですか?」

 

 いきなり玄関の方から音がしたと思ったら母さんが帰ってきたんだけど。それでいて一夏と話し込んでいるのが見える。……仕方ない。もうこうなったら背に腹は変えられん。奥の手を使って、旅行の間だけでも母さんをこちらに引き込むしかない。そんな決意を固めた俺は母さんに手招きして、母さんを近くに呼び寄せることにした。

 

「どうしたの和行」

「母さん。今日、俺たち商店街の福引でこれを当てたんだ」

「温泉旅行のチケット?」

「ここに三人分あるんだけど、母さんにも来て欲しいんだ。俺達、まだ中学生だからさ。駄目かな?」

「勿論良いわよ。……でも、何か条件があるんでしょ?」

 

 流石母さん。俺が言いたいことを分かってくれたみたいだ。……ほんと、こういう時だけは母さんの俺の心を読むスキルは便利だと思うよ。

 

「一夏が俺に変なことをしようとしたら制止してほしいんだ」

「変な事って子作り的なこと?」

 

 あの、すいません。せめてオブラートに包んで発言して貰えます? この前ダブルベッドを買いに行く前にしてた会話もそうだけど、母さんから子作りって単語が出てくるとびっくりするから。

 

「ま、まあそんな感じ?」

「一夏ちゃんとそういうことするの嫌なの?」

「嫌じゃないけどさ、まだ心の準備が……。それに高校卒業まではそういうことをしないって心に決めてるし」

「うーん。和行の気持ちも分からなくはないけど、一夏ちゃんの思いも汲み取ってあげたら?」

「……だから困ってるんだよ」

 

 分かってるよ。俺だって一夏の思いを叶えてあげたいと思ってるさ。でも、その……一夏と一度そういう事をしてしまったら、自分で自分の欲望を止められる気がしないんだよ。一夏への負担も考えずに本能のまま一夏を貪って朝チュンしそうでさ。

 

「頼む、母さん。今回だけだから! この通り!」

「でもね……」

 

 頭を下げて頼んだのだが、まだ首を縦に振りそうにない母さんに俺は切り札を使う事にした。

 

「母さん。お願い! 今度母さんが好きなハンバーグとカレーライス作るから!」

「っ!?」

 

 切り札。それは母さんを好物で釣ることだ。母さんはこう見えてハンバーグとカレーライスが大大大好きなのだ。ついでにいうといちごパフェとプリンも大好きだ。

 

「ち、チーズ入りは?」

「作るよ」

「デミグラスは?」

「勿論作るよ」

「カツカレーも?」

「ちゃんと作るから!」

 

 母さんの質問に次々と答えていく。さあ、どう出る? 俺が母さんの出方を窺っていると、母さんは急に右腕の袖を捲り上げ、左手を二の腕の内側に添え始めた。

 

「お母さんに任せなさい!」

 

 良い笑顔でそう言い切った母さんに俺は安堵の息を吐く。これで何とか母さんを懐柔できた。あとは母さんが裏切ったり、一夏が母さんの制止を振り切る形で暴走しないことを祈るだけだ。



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第四十八話 こう、ぐいっと

開示設定を通常に戻しておきました。


 商店街の福引で俺が温泉旅行のチケットを当てるという珍事件から少し時間が経ち、世間はゴールデンウィーク真っ只中の時期になっている。俺と一夏と母さんは商店街の福引で当てた例の旅行チケットを使って、別の県にある旅館に来ていた。母さんの連続した休みがある丁度良いタイミングだったからこの時期を選んだのだが、人が多くて酔いかけたのは言わない方がいいだろう。心配されてもこっちが却って困るだけだから。

 一夏に母さんが付いて来ることを納得させるのは骨が折れたが、そこは俺とっておきの最強手段である後でいっぱいディープキスしてやる。もしくは一夏からディープキスをしてもいいと一夏の耳元で囁いたお蔭で何とかなった。

 

「良い眺めだね」

「だな」

 

 仲居さんに案内された部屋に着き、少しばかり休憩を終えた俺と一夏は部屋の外にあるスペースに出ていた。そこから眺めていた風景を眺めていた俺達は簡素ながらも心に真っ先に浮かんできた感想を零してしまう。

 旅館の反対側に連なる別の旅館達。その間を流れる清流。その上に架かる石橋。その周囲を彩る植物やその他の木造の建物群がこの街の雰囲気を引き出していた。俺達が住んでいるところでこんな光景を目にすることなんて殆どないし、たまにはこういうのもいいかもな。そんなことを考えつつ、風景から一旦視線を外して後ろの方を見てみる。部屋の中で母さんが寛いでいる姿が見えるが、母さんよりも手前――俺と一夏が立っている部屋の外にある広めのスペースに鎮座している物に俺の視線が段々と集中していく。

 

「それにしても……」

 

 なんで露天風呂が付いているのだろうか。自宅で色々と情報を集めた際に把握はしていたが、実際にこうして目にすると本当になんでって考えしか湧いてこない。母さんが居るから大丈夫だとは思うが、もし母さんが居なかったら一夏が積極的に俺の事を誘惑してきていたことだろう。その所為で露天風呂の中で一夏とくんずほぐれつしていたかもしれない。

 

「和行」

「んぁ?」

「そんなに露天風呂を見つめてどうしたの?」

 

 俺が露天風呂を眺めていたのが気になったのか、一夏が声を掛けてきた。

 

「なんで露天風呂付きの部屋なんだろうなって思っただけだよ」

「私は嬉しいけどなぁ」

「お前、ほんと風呂好きだよな……」

 

 こう見えて一夏は風呂が大好きだ。男の頃から風呂が好きだったが、女になった今では余計拍車が掛かっている気がする。家でも風呂に入っている時間が長いから。正直俺の風呂に入る時間とかも減ってしまってるのだが大した問題ではない。俺、元々長湯するタイプじゃないから。それに一夏が入った後だと、物凄く色気のある一夏の風呂上り姿を拝めるし、一夏の入った残り湯を頂くことができるからな。

 実のところ、一夏の入った後のお湯でコーヒーやお茶を入れようと思った事もあったけど流石にやめておいたよ。変態的な事をしたことが一夏にバレて、それが原因で嫌われる事態になるのだけは避けたいから。

 

「和行~」

「なに?」

「私、ちょっとお散歩に行ってくるから一夏ちゃんと仲良くね?」

「えっ、ちょ!」

 

 俺が止める間もなく、母さんは部屋を出て散歩に行ってしまった。一夏は俺に対してスケベなことを考えている視線を向けてきていないので今は大丈夫だろうけど、もしこの後に一夏に襲われる展開になったら母さんには帰りに俺達二人の分の荷物持ちをさせてやる。

 このまま外を眺め続けるのもなんだか億劫になってきた俺達は部屋の中に戻ることにした。座卓前に置かれているクッション付きの和座椅子へ座卓を挟む形でお互いに腰を下ろすと一夏から俺に話を振ってきた。

 

「八千代さ――お義母さん、行っちゃったね」

「ああ……」

 

 ん? 今、一夏は何て言った? 俺の耳が腐ってなければ、うちの母さんの事をお義母さんと呼んでなかったか?

 

「一夏。お前、今なんて?」

「お義母さんって呼んだだけだけど?」

「なんでまだ結婚してすらいないのに義母さんって呼んでるんだよ……」

「どうせ和行と一緒になるんだから、今の内から呼ぶのに慣れておいた方がいいって八千代さんが」

 

 母さんめ。俺の味方なのか一夏の味方なのか、一体どっちなんだ。両方の味方ってことなのか? 頼むから旅行中の間だけは俺の方に傾いててくれよ。いやマジで傾いててくれないとヤバいんだが。だって、一夏が自分の荷物を整理している時にゴム的な物が大量に入ってると思われる箱が俺の方からちらっと見えてたんだよ。しかも業務用って書いてあったぞ。開けて中身確認してんじゃねえよ。なんでマジで持ってきてんだよこいつ。母さんも居るんだぞ。

 あれ? それって前に母さんが俺に買ったやつの一つじゃなかったっけ? いつの間にか一夏に全部回収されてたけど。……ちょっと待て。俺、あれの開封はしてないはずだぞ。それなのに一夏が持っていた箱は既に開封されていた。あの、まさかとは思うけど一夏が開けたのか? 中身を確認する為にわざわざ? ……考えるのはやめよう。気にしたら負けだ。

 

「和行は私と一緒になるの嫌なの?」

「嫌じゃないよ。むしろ嬉しいくらいだし。でも……」

「でも?」

「一夏がお義母さんって呼んでるのに違和感があってさ」

 

 一夏の疑問に俺は偽ることなく正直に答えた。すると一夏はぽかんとした顔をしてから、俺の方を見て笑みを浮かべ始めた。

 

「なにそれ」

「だってさ、一夏って母さんのことをずっと八千代さんって呼んでたじゃん」

「まあそうだけど……」

 

 お前、そんなの律儀に守る必要ねえだろ。別にちゃんと呼び方を変えなきゃ俺と一緒になれないって訳じゃないんだからさ。全く、変なところで真面目だなこいつは。でもそこが可愛いんだよなぁ。一夏は天使で確定だわ。

 

「……ところで気になったんだけどさ」

「なに?」

「千冬さんって俺と一夏が一緒になったら、母さんの事をなんて呼ぶことになるんだ?」

「……私も気になってきた」

 

 千冬さんは一体母さんのことを何て呼ぶのだろうか。全っ然想像できないわ。義姉さんとか? 流石の千冬さんも自分と十歳くらいしか年齢が離れていない女性を義母と呼ぶのは抵抗があるだろうし。

 

「なんていうか……」

「想像できないね」

 

 俺と一夏の意見が一致した。本当に想像できない。千冬さんがうちの母さんへの呼び方を変える姿がさ。

 

「私も気になったことがあるんだけど、和行って千冬姉のことを何て呼ぶの?」

「ああ……」

 

 あ、そっちの問題もあったな。俺と一夏が夫婦になったら、必然的に千冬さんが俺の義姉になるもんなぁ。……あれ? IS元世界最強の義弟ってかなりのポジションになってない? いや、それを言うと女になる前の一夏は千冬さんの実弟だったし。うん、深く考えないようにしよう。こんなこと考えてたら答えのでない思考の無限ループに嵌るだろうから。

 

「無難に千冬姉さんかな」

「千冬姉じゃないんだ」

「それはお前だけの呼び方だろ。俺がそんな呼び方する訳にはいかないだろ」

 

 一夏の疑問に俺はそう言い切った。そうだ、俺も千冬さんの事を千冬姉と呼ぶわけにはいかないんだ。そもそもの話だが年上の女性を千冬姉とか呼ぶ度胸なんて俺にはない。束姉さんの呼び方だって、最初は束姉と呼ばされるところだったのを何とか譲歩して貰ったんだから。

 

「和行って変なとこで遠慮するよね」

「変じゃないから。普通に遠慮するからな」

「私は気にしないのに」

「俺が気にするの」

 

 旅行先でもいつもの調子で会話を続ける俺達だった。うん、俺達って何処に行ってもこんな感じだわ。買い物に出ている時も学校でもテンポが良いというか、安心感が出る会話を繰り広げているからな。学校ではその度に口か何かを吐き出そうとしているクラスメイトがあちらこちらに沸くけどな。何が原因で皆はあんな顔をしているのだろうか? さっさと保健室にでも行けばいいのに。

 

「ねえ」

「どうした?」

「ここの旅館って、お布団なのかな?」

「うん。多分な」

 

 調べた限りではこの旅館は布団で寝るようになっているってあったからな。小さい時は布団で寝ていたけど今ではベッドでばかり寝ているから久しぶりのお布団だな。

 

「あ、そうだ。母さんも居るから少しは自重してくれよ?」

「自重って?」

「ほら、寝る前のキスとかさ」

 

 俺は思い出したことを一夏に言っておくのを忘れなかった。流石に寝る前の口と口のキスを母さんに見られるのは恥ずかしすぎる。前に母さんの前で一夏にキスしたことがあったけど、あの時にしたのはおでこへのキスだ。俺も覚悟してやったから出来たのであって、口と口のキスとでは羞恥度が段違いというか。

 

「……うー、仕方ないかぁ。が、我慢するよ」

 

 断腸の思いで了承しましたと言わんばかりの顔付きをしている一夏がそこに居た。マズい。ヤバい。不満げな一夏が可愛すぎて今すぐにでも抱きしめたい。そんな風に考えていると一夏は座卓の上にあるお茶やお茶菓子に視線を移し始めた。

 

「これって何のために置かれているのかな?」

「確かお菓子は入浴前の糖分補給として、お茶は同じように温泉に入る前の水分補給として飲むと良いみたいだぞ」

「へぇ。そうなんだ」

 

 ちょっとした豆知識を一夏に披露していると、誰かが部屋のドアを叩く音が聞こえた。俺が返事をすると母さんがドアを開けて中に入ってくる。部屋に戻ってきた母さんはなんだかやり切ったような表情を浮かべていた。……なんだろ、嫌な予感しかしない。

 

「母さん。何か良い事でもあったのか?」

「うん。散歩から戻ってきたら担当の仲居さんにばったり会って、一夏ちゃんと貴方の布団を二人用の布団にして貰ったのよ」

「……は?」

 

 ……何考えてるのこの人。いやまあ、一夏とはいつも同じベッドで寝てるから二人用の布団は別にいい。恥ずかしさもないし。俺が言いたいのはそんなことではない。今の一夏は普通ではないのだ。一夏はいつもと変わらないように振る舞っているが、旅先に来ている所為かテンションが上がりまくっているのを俺は手に取るように感じている。だって、俺の方をずっとちらちらといやらしい感情を込めた目で見てくることが多いから。

 母さんの行動に納得がいかなかった俺は、母さんに手招きして近くまで呼び寄せると一夏には聞こえない声量で母さんと会話を始めた。

 

「どういうつもりだよ」

「どうって?」

「俺と一夏の布団を同じにしたことだよ。母さんだって今の一夏がどういう状態か分かってるだろ?」

「分かってるわよ。でも、このまま別々の布団にしたら一夏ちゃんが爆発して襲われるわよ」

「……」

 

 珍しい母さんの真剣な顔と言葉に俺は閉口してしまった。確かに母さん言う通りだ。何処かでガスの抜け口を作らないと一夏が暴走して俺の事を性的な意味で襲ってくるだろう。そうなったら幾ら母さんが居るとはいえ止められない可能性が出てくる。

 

「その、ありがと」

「良いのよ。貴方の頼みだもの」

 

 いつもアレな母さんだが、こういう時は本当に頼もしく感じる。普段からこういう感じだったらよかったんだけどなあ。

 

「二人とも、何を話してるの?」

「露天風呂に入る順番を話してただけだ。なあ、母さん」

「ええ。さ、一夏ちゃん。一緒に入りましょう!」

「えっ!? 八千代さんと!?」

 

 一夏は自分の豊満なおっぱいを両腕で隠しながら、露骨に嫌な顔をし始めた。ついでに母さんのことをジト目で見ている。あ、これってもしかしなくても母さんが一夏に対して何かやらかしたパターンだな。一体何やったんだよ。

 

「母さん。一夏になんかしたか?」

「ん? 先週あたりに一緒にお風呂に入った時に一夏ちゃんのおっぱいの大きさを確認しただけよ? こう、ぐいっと」

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 咄嗟に口からそんな言葉が飛び出ていた。オブラートなどに包まれてない言葉が母さんにぶち当たったのか、母さんはわざとらしく「ごふっ!」と言いながら畳の上に膝を突いていた。

 てかおい母さん。その手のモーション的なやつはあれか。後ろから一夏のおっぱいを鷲掴みしたのか? どういう了見で一夏のおっぱいを触ってやがる。俺なんかまだ一夏のおっぱいを触ったことなんてないのにそんな羨ま――けしからんことをするなんて言語道断だ。許されるべきことじゃない。

 

「私のおっぱいは和行と赤ちゃんの為の物なのに……」

 

 ほら、一夏も激おこぷんぷんな状態になってるし、これは母さんにちゃんと言い聞かせておかないと。悪い子にはお仕置きが必要だからな。

 

「母さん。これから一夏の胸を触るの禁止な」

「なんでよ! お嫁になる一夏ちゃんの体をちゃんと調べる意味で大切な――」

「もし次に一夏の胸を触ったら、半月は母さんと口利かないから」

「肝に銘じておきます!」

 

 うん。変わり身が早い母さんで助かったよ。これで一夏の胸が母さんに揉まれる事はないだろう。安心して露天風呂に入れると思うぞ。

 

「さ、さあ! 一夏ちゃん、早く露天風呂に入ろ! ね! ね!」

「は、はあ……。まあいいですけど。和行は?」

「夕食後にでも一人で入るよ」

 

 てか、俺が女性二人と露天風呂に入る訳にはいかないだろ。片方が俺の恋人で、片方が俺の母親だとしても非常によろしくない絵になるだろうからな。

 

「そっか。じゃあ、入ってくるね? あ、暇なら私の替えの下着をくんかくんかしてていいからね?」

「いいからさっさと入ってこいよ」

 

 一夏の阿呆な戯言を聞き流しながらそう促した。……ちょっとだけ良いかもと思ってしまったのは内緒だ。一夏にバレたら積極的に匂いを嗅がせようとしてくるに決まってる。

 そんなことを考えつつも、二人が荷物を漁っている光景から目を背けておくことだけはを忘れなかった。幾ら相手が恋人の一夏や母さんといえ下着やらの準備をしているのを眺めるのは駄目だからな。浴衣やらを持って仕切りの向こうにある更衣室へと消えていくのを確認した俺は大きく息を吐きながら、

 

「……お家に帰りたい」

 

 そんな切実な想いを呟いてしまった。疲れを癒すはずの温泉でなんでこんなに気疲れしてるんだろ俺……。



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第四十九話 一緒に入ってもいい?

 一夏と母さんが仲良く温泉に浸かっている間、俺はスマホを弄ってネットサーフィンをしてた最中に弾や数馬からメールが送られてきた。

 内容は『野郎だけで一緒に遊ばね?』という感じのメールだった。だが生憎と、俺が弾達と遊ぶのは逆立ちしても無理なので『いま一夏や母さんと旅行に着てるから無理』と返しておいた。その所為でお土産をおねだりされたけどな。元々お土産は買っていくつもりだったから別にいいんだが。

 

「美味しいわねこれ」

「そうですね。このお魚、身に油が乗ってて最高ですし」

「肉、肉、肉……」

 

 二人が露天風呂から戻ってきてから時間が経った。部屋に案内された時に伝えておいた夕飯を食べる時間になったので、時間通りに仲居さんが運んできた晩御飯を俺は一夏の隣で堪能している。部屋食だったお蔭で他の客の目とかを気にしないで晩御飯を食べられるのは非常に嬉しい。

 並べられている料理はご飯やお吸い物を始めとして、焼いた川魚に山菜の天ぷらと丁寧に焼かれた牛肉等がある。その他には茶碗蒸しやデザートやら色々なメニューが置かれていた。うちの食卓にあまり並ぶことのない食材やらも置かれているのでなんだか凄い事になっているんだが。

 いやでも、どれも火が通っている料理ばかりで安心したぞほんと。もし魚が生だったら絶対に食わなかった自信がある。俺、基本的に魚介類の生ものは食べないようにしてるからな。理由は食あたりが怖いから。火が通ってないと安心して食べられないんだよ。母さんと一夏は普通に生もの食べるけどな。

 

「ああ、肉が美味い。さいっこう」

 

 やっべ。この牛肉、冗談抜きでほっぺたが落ちる美味さだわ。舌を動かしただけで肉が簡単に解れていく上に、肉汁もあるとかご飯が進むわ。魚も一夏が言う通り身に油が乗って美味いし、皮の焼き加減が絶妙だ。山菜やその他の野菜も肉や魚の合間に食べるのに最高の旨みがある。

 うん、本当に美味い。格別の味だ。でもこんな絶品で豪勢な料理でも、俺の中では一夏の料理の方に軍配が上がるんだよなあ。一夏の愛情が満載な料理とじゃ比べること自体間違っているのかもしれないけど。

 

「もう。ちゃんと他のも食べないと駄目だよ」

「わかってるよ」

 

 俺の隣でそんな注意を促してくる一夏は浴衣を着ていた。一夏と母さんは温泉上がりに、俺は温泉から上がってきた二人に促されて着替えた。きちんと正座をして魚を食べ進めている一夏の服装を見てみる。いつもは洋服を着ていることが多い一夏だが、やはり一夏も日本人の黒髪美少女だからか和装も似合っていた。母さんもまあ似合ってるんじゃないかな? 母さんは黒髪美人だし。

 ……ところで何で二人は髪型を同じシニヨンにしているのだろうか。お揃い? 母娘云々でのお揃いってやつなの? 一夏のうなじが見れてるから別にいいんだが。

 

「こんなに美味しい料理が食べられるなんてね」

「ありがとね和行」

「……褒めても何も出ないぞ」

 

 母さんと一夏は大満足してるようだ。というか、なんで俺にお礼を言ってくるのだろうか。まあ、チケットを当てたのは俺だから別にいいけどさ。最初、温泉旅行を当てた時は主に一夏に襲われるかどうかで不安だったが、二人の笑顔が見れたから悪くはないかな。俺も美味い料理を食べたからか気持ちが結構高揚しているというか、かなり満足しているし。

 って、この料理って今日だけじゃなくて明日も食べることになるんだよな? ……かなり贅沢してるよな、これ。でもまあ、たまにはいいよなこういうのも。そんなことを考えつつ箸を進めていき、十五分ほど経ったタイミングで俺は料理を全て食べ終えた。

 

「ごちそうさま」

 

 俺はそう言い残すのを忘れなかった。一夏と母さんも料理を食べ終えたらしく、ご馳走さまのあいさつをしていた。それから腹を休ませながら一夏と談笑をしていると母さんが連絡しておいたのか、仲居さんが食器を下げにきた。俺が使った分の食器を先に下げていくのを見届けていると、母さんが俺に話しかけてきたので母さんの方へと顔を向ける。

 

「あ、そうだ。和行、一夏ちゃんと旅館内を見て回ってきたら?」

「え? なんで」

「食器を下げ終わったら布団を敷く予定だし、布団敷くのを見てるだけとか退屈でしょ?」

「ま、まあ……」

 

 確かにな。布団を敷いているのを見ているだけとか、正直ね……。

 

「はいお金。喉乾いたらこれで飲み物でも買いなさい」

「ありがと」

 

 母さんはそう言いつつ俺に千円札を手渡してくる。俺は特に抵抗することもせずに受け取った。別に母さんにお金を貰わなくても財布に入っているお金で買うつもりだったんだが……まあいいや。貰えるものは貰っておこう。

 俺は一夏を伴い、部屋を出た俺は館内を見て回ることにした。しばらく歩いてみたが、やはりここの内装や外装は目新しいようだ。元々は古く歴史の旅館だったが老朽化の影響で改修工事をせざるを得なくなったようで、その影響で設備等も比較的新しい物に変わったらしい。

 

「なんか場違いって感じがしてきたね」

 

 一夏よ。露天風呂に入った後にあんな豪勢な飯を食べた癖にそれを言うのか。……まあ、俺も似たような言葉を零しそうになったので一夏のことをとやかく言えないけど。

 

「俺もだよ」

 

 一夏の言葉に同調しながら歩き続けていると、ロビーまで向かうと旅館内に設けられているお土産屋が視界に入った。この旅館の近辺にもお土産屋があるけど、ここで買い物をするのも予定に入れておくか。別にお土産を買いすぎて悪いってことなんてないだろうし。

 

「一夏。なに飲む?」

「ミルクティーでいいよ」

 

 一夏の要望を聞いた俺は母さんから渡された千円札をロビーにある自販機に入れる。缶に入ったミルクティーと缶コーヒーを購入するとお釣りを回収してから一夏の下へと歩を進めた。

 

「ほい」

「ありがと」

 

 ご所望だったミルクティーをロビーの椅子に座っている一夏に手渡す。俺は缶のプルタブを開けている一夏を横目に、彼女の隣にある席にゆっくりと座る。コーヒーが入っている缶のプルタブを開け、コーヒーに口を付けていると一夏が俺に声を掛けてきた。

 

「ねえ和行。思い出さない?」

「思い出すって何を?」

「ほら、小学六年生の時に行った修学旅行先のこと」

「ああ……」

 

 確かあの修学旅行でも旅館的な場所に泊まったっけ? ここほど立派じゃなかったけどさ。

 

「風呂上りに鈴と合流してから、一緒に飲み物を買ってこうしてたな」

「それで鈴が自分だけフルーツ牛乳だったことにふて腐れてたよね」

「懐かしいな」

 

 俺と一夏はコーヒー牛乳を、鈴はフルーツ牛乳だった所為で軽くお冠だったのが昨日のことのように思い起こされる。恋する乙女である鈴としては想い人である一夏と一緒の飲み物が良かったのだろうが、そこは我らが一夏だ。そんな鈴の乙女心など考えに入れず、俺が選んだコーヒー牛乳を見て同じ物にしたのだ。あの時の一夏は「和行はコーヒー牛乳か。俺もそっちにするわ」的なことを言ってたな。

 ……やばい。鈴の俺に嫉妬したかのような視線まで思い出してしまった。あんなの小学生の女の子がしていい目じゃないってマジで。

 

「あっ」

 

 一夏から視線を外してロビーに備え付けれれている時計の方を見てみると、既に部屋の布団が引き終わっている時間になっていた。俺は一夏に声を掛けると早く飲み物を飲み終えて部屋に帰る提案をした。一夏も俺に倣ってミルクティーを飲み干したので、彼女の手を取って部屋へと戻った俺達を出迎えたのは一人用の布団の上でだらけている母さんだった。隣には俺達用と思われる二人用の布団が敷かれている。

 

「あ、おかえり」

「ただいま」

 

 俺は母さんにそう返すと自分の荷物を漁り、着替えの下着やタオルやらを持って露天風呂に向かった。一夏が何かを企んでいる顔をしていたけど気にしないことにしておく。脱衣室で浴衣と下着を脱いだ俺はタオルを片手に露天風呂が設置されているスペースへと出る。露天風呂に入る前に備え付けらえているシャワーで体と頭を洗ってから、湯が張られている湯船へと体を浸けた。

 

「良いお湯だな」

 

 頭にタオルを乗せつつ、目に飛び込んでくる外の光景を眺めながらそんなことを呟いてしまった。夕食前に露天風呂に入った一夏や母さんも言ってたけど本当に良いお湯だ。体の疲れを解きほぐすような温かみを感じる。眼前に広がる光景も普段は見れないものだ。自宅の風呂とは別の趣があっていい。夜の風が火照った体を丁寧に撫でてくれているお蔭で気分も心地良いものになっている。

 すると、露天風呂の出入り口が開閉する音が突如耳に届いた。……なんだろ。嫌な予感がしてきた。

 

「か、和行……」

「一夏――っ!?」

 

 一夏の声がした方を向いた俺は咄嗟に一夏から顔を逸らした。駄目だ。今の一夏を見ては駄目はいけない。何故なら、今の一夏はタオルで前を隠しては居るがなにも身に着けていない裸なのだ。

 雪のように白く染み一つない綺麗な肌。男の頃のものとは似つかない華奢な両腕。俺好みにくびれた腰。これまた俺の好みの肉付きになっている太腿が目に飛び込んできた。触らなくても柔らかいと判断できる身体を一瞬とはいえ見てしまったせいか、俺の理性がガリガリと削られはじめていた。

 以前、一夏の裸を見てしまった時とは比べものにならないくらいに心臓が早鐘を打っていた。あの時の俺は衣服を身に着けていたが今の俺は裸だ。そして一夏も裸になっている。このままでは色々と不味いことになるのは明白だ。主に十八禁な方面で。

 

「一緒に入ってもいい?」

「だ、駄目だ」

「私と一緒に入るの嫌?」

 

 ……嫌じゃないです。だが、二つほど条件を付けるのを俺は忘れなかった。俺とはお互いに背を向ける形で入ることが一つ。二つ目に俺の体に抱き付いたりしないことを約束させた。俺は首を縦に振った一夏に背を向けて、一夏が入浴前の準備を済ませるのを待つことにした。

 本来なら追い返すのが正解なのだろうが、条件を付けて一夏の入浴を許すなんてやっぱり俺は一夏に甘い上に弱いらしい。拒絶した所為で一夏に嫌われなくないって思いが真っ先に出てきたのもあるけど。そんなことを考えている内に洗髪と体を洗うのを終えたのか一夏が湯船に入ってきて、背中越しに俺に話しかけてきた。

 

「ねえ和行」

「なんだ?」

「私とえっちなことするの嫌なの?」

「は?」

 

 いきなり何を言ってるんだこいつは。

 

「いきなりどうした?」

「だって、和行ってば全然私のことを襲ってくれないし……。したくなったら言っててって、私言ったよね?」

「それは……」

「私じゃ駄目なの? やっぱり私が元男だから?」

 

 不安な感情を乗せた一夏の声が聞こえてくる。口振りから察するに、一夏は俺が性的な意味で全然手を出さないことに悩んでいたのだろう。……違うよ、一夏。そうじゃないんだ。

 

「そんなことない。……俺だってしたいよ」

「ならどうして!」

「その……。高校を卒業するまではしない方が良いって考えててさ。ちゃんと養えるようになるまではって」

 

 俺は正直に自分の考えを一夏にぶつけた。さて、一夏はどんな反応を返してくるのだろうか。取ってくる反応の大体は予想出来る。だが、一夏の口から実際に聞くまで本人が何を考えているかなど分かりはしないのだ。

 

「和行の気持ちは嬉しいけど、そこまで我慢できないよ……」

「一夏……」

 

 やはり、か。母さんの言う通り、一夏の想いを汲み取るべきなのだろうか。一夏も我慢して所為で辛い思いをしているだろうし。でも、それは今ではない。今は駄目だ。近くに母さんが居るし。せめて、母さんが家に居ない時なら。

 

「和行」

 

 一夏に名前を呼ばれたので俺は思わず振り返ってしまった。そう、振り返ってしまったのだ。一夏の言葉に集中が乱されたのだろうか。お互いに背中合わせにして入浴するという約束を自ら破ってしまった。その事に気付き、自分が馬鹿な事をしていると自覚した時にはもう遅かった。何故なら、俺の目の前にはこちらを向いている一夏が居たから。彼女はタオルを頭に巻き、髪が湯に入らないようにしている。その所為で一夏の一糸纏わぬ姿が俺の視界全体に広がってしまった。

 服越しにしか見たことがなかった一夏の大きなおっぱいがそこにある。……ヤバい。なんだこれ、見ているだけで物凄く柔らかいと錯覚しそうなくらいな存在感があるんだが。そんな一夏のおっぱいから吸い寄せられるように視線を下げると、下腹部にある物が目に飛び込んできて――

 

「っ!?」

「か、和行?」

「ごめん! 俺、あがるから!」

 

 俺は即座に背を向けて立ち上がると、頭に乗せていたタオルで股間を隠しながら部屋と露天風呂を繋ぐ更衣室へと戻っていく。更衣室で息を整えた俺が体の火照りなどが静まるのを確認してから、バスタオルで水分を拭き取って自前の保湿クリームを手早く塗っていく。急いで髪を乾かすのと着替えを終えた俺は自分の行動に賞賛を送ることにした。

 

「マジで危なかった……」

 

 冗談抜きでそう感じた。もう少しで理性が吹き飛んで一夏に襲い掛かってたところだったぞ。本当にギリギリだった。母さんも一緒に旅行に来ているのに一夏とアレなことをする訳にはいかない。

 ……ところで母さんはどうした? 一夏が乱入してきたことに驚いて忘れてたけど、母さんは一夏の行動を止めなかったのか? 母さんが何をやっているのか確かめようと俺は部屋へと戻っていくとそこには、

 

「んー! んー!」

 

 布で猿轡をされ、紐によって亀甲縛り状態になっている母さんが布団の上でもぞもぞと芋虫のように動いている姿があった。一夏が母さんを縛ったのか? それなら一夏が露天風呂に入ってきた理由も頷けるが……どうして亀甲縛りなんだろ。このままにしておくわけにもいかないと判断した俺は母さんを解放するために縄を解くことにした。



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第五十話 二人でなら

更新が遅れて申し訳ないです。今回で温泉旅行編は終了となります。


 朝の兆しを感じた俺は体をゆっくりと起こす。欠伸をしてから体を伸ばすと、枕元に置いておいたスマホの時間を確認することにした。スマホを手に取り、スリープモードを解除する。ディスプレイに映し出された時刻は午前六時を指していた。スマホを再びスリープモードに戻しつつ、ちらりと隣でまだ寝ている一夏の寝顔を見つめてみることにした。

 

「可愛い寝顔しやがって」

 

 あの後、俺は布団に入った後も露天風呂の件で何とか理性を保つことができた事に賞賛を送り続けたよ。目の前におっぱいが大きい女の子の裸があったんだぞ? それも自分の彼女の裸がさ。よく耐えられたよホント。自分でもなんで耐えられたのか分からなくなってきた。ついでにあんなことがあったのに、一夏と一緒の布団で普通に寝れたこともよく分からない。あれか? 精神的に疲れてってやつなのか?

 

「……耐えられたのはいいけど」

 

 俺はそこで思わず口にしていた言葉を切った。確かに耐える事は出来たけどさ、はっきり言って一夏の体への興味が倍増しててヤバい。さっきから寝ている一夏の胸やら唇へ何回も視線を送ってしまっている。そりゃあね、俺も思春期の男だから女の子の体には興味津々だけど、流石に昨晩みたいなことを一夏からされるのが勘弁してほしい。かなり切実に。心臓と男には誰にでもついているとある部位に悪影響が出るから。……本音を言えば嫌じゃなかったけど。

 今すぐにでも一夏の胸に手を伸ばして、先週母さんがやったように触りたいけどそんなことをやったら俺も母さんと同類になってしまう。ってか、本人の許可も取らないで触るとか駄目だと思うんだ。こんなご時世だし余計にさ。一夏なら触ってくれて嬉しいとか言い出しそうだが、それはそれ。これはこれだ。俺のポリシー的にそんなことをする訳にはいかない。ステイだ俺。

 

「んっ――和行?」

「おはよう、一夏」

 

 そんな阿呆なことを考えている内に一夏が目を覚まして俺の方を見てきた。俺はそんな一夏におはようの挨拶を欠かさない。毎日寝起きにはやっていることだし。いつもは一夏の方から先に俺へ挨拶してくるパターンが多いけど。

 

「何時……?」

「朝の七時前だよ」

 

 そう尋ねながら、一夏は手で目を擦っていた。寝起きも可愛いとか最高ですねこの子は。……昨日のアレがなければ、今すぐにでも声に出して言いたいよ。

 

「その、和行」

「ん?」

「昨日はごめんね。私、ちょっと焦ってたみたいで……」

 

 朝っぱらからそんな謝罪をしてきた一夏に俺は気にしてないと返す。俺が母さんを亀甲縛りから解放した後に一夏が戻ってきて、露天風呂に乱入した事と母さんを縛りあげたことに対して謝罪をしてきたが俺と母さんは普通に許した。一夏があの行動に出たのは俺にも原因があるので、一夏の所為だけにするのは駄目だと思うし許さないと駄目でしょ。

 なお母さんは「年頃の女の子なんだから仕方ないわよね」とか言ってた。本当にそれでよかったのか、母さんよ。あんた、一夏に亀甲縛りされたんだぞ? そこのとこ理解してます? ここまでならただ変な思考回路を持った寛大な母親に見えるだろうが、次の瞬間に「あっでも、もう少しで孫の顔が見れたんじゃ……」などと母さんがのたまったので、縛られたままの状態で放置すればよかったと母さんを助けたことを軽く後悔した。マジでこの人どっちの味方なんだよ。

 

「別にいいって。気にするな」

 

 一夏の言葉に俺はそう返した。ちなみに一夏が母さんを縛り上げた理由は「露天風呂に行くのを邪魔されるって思った」と何かの犯罪をした犯人のような供述をしていた。

 俺は表向きには母さんが付いてきたのはまだ中学生な俺達二人だけだと心配だからという理由を一夏に話しておいた。そう、一夏にはバレないように母さんと結託していたんだ。それなのに、どうして一夏は母さんが自分の邪魔をするって気付いたのか。俺は気になったので、一夏が謝罪を終えた後に何故気付いたのか尋ねたんだが……「女の勘」って言ってたわ。女の子の勘って凄いんだなとあまり気にしないようにした。気にしたら負けだ。

 

「でも……」

「俺が良いって言ってるんだから気にするなって」

 

 俺はそう言い切ると一夏の口を自分の口で塞ぐ。母さんもまだ寝ているし問題ないだろ。唇と唇をくっ付け終えたので俺は一夏から唇を放した。

 

「……まだ歯を磨いてないのに」

「俺は気にしないぞ」

「うぅ……! 嬉しいけど嬉しくない!」

 

 いきなりキスされたことに一夏はそんな感想を漏らしていた。昨晩のことは気にしないとは言ったが、それでもかなり理性を壊しかねないヤバいことをしでかしてくれたことは事実。これくらいの意趣返しは許されるだろ。いや、許されるべき。下手したらあのまま一夏と湯船でにゃんにゃんしてたかもしれないんだからさ。

 そんな風に昨晩のことを振り返っていると母さんも起きてきたので、母さんと一夏を洗面台へと向かわせて先に歯磨きとかをするように促した。俺は別に後で良いから大丈夫だ。

 

「和行」

「ん? なんだ?」

 

 二人が歯磨き等を終えるのをスマホを弄りながら待っていると、一夏が俺の下へとやってきて自分達の身支度は終えたので洗顔とかをしてきてと言ってきた。一夏の言葉を聞いた俺は一夏達と同じように予め持ってきておいた洗顔剤と保湿クリーム、髭剃り用のジェルと安全剃刀や化粧水を手に洗面台へと向かって行く。

 

「髭剃るの面倒だなぁ……」

 

 歯磨きと洗顔を終え、ジェルを顎やらに塗って安全剃刀で髭を剃っていた俺は思わずそう呟いてしまう。この頃になって、髭が生えるのが速くなってきているので本当に困る。去年はそうでもなかったんだけどなあ。一夏と並んで歩く事が多い以上ある程度は身なりを整えておきたいし、俺に髭は似合わないので本当に髭剃りをやめる事はないけどさ。

 面倒と感じながらも髭を剃り終えた俺は化粧水や保湿クリームを顔に塗って部屋に戻ると、そこには既に朝食が並べられていた。恐らく俺が色々とやっている間に仲居さんが運び終えたのだろう。洗面所へと持っていった物達を片づけ、三人揃って食事に手を付けた。

 

「和行ー」

「なに?」

「一夏ちゃんとお散歩でもしてきたら?」

「散歩?」

 

 朝食を食べ終えて二時間ほど経った頃。一夏とお喋りしながらゆったりとした時間を過ごしていた俺に母さんがそんな提案をしてきた。うーん、散歩かあ。昨日はあまり周囲を見て回る余裕はなかったし、それもいいかなあ。

 

「一夏はどう?」

「うん、いいよ。私も和行とお散歩したいって思ってたし」

 

 一夏の了承も取れたので、運動がてら旅館の回りを見て回ることにした。散歩ついでにお土産でも買おうと考えた俺は財布を持ち、母さんを残して部屋から一夏と一緒に廊下へと出た。玄関で自分の靴を履き、旅館の玄関から外へと外出したタイミングで俺は自分の左手を一夏の右手に絡めた。

 特に嫌がる素振りも見せず、むしろ嬉々とした表情で手を絡め返してくれた。一夏といつも通りに恋人繋ぎをしながら旅館を周囲を見て回る為に俺達は歩を進めていく。昨日ここに辿り着いた時はあまり気にしてはいなかったが、木造の建物が多いみたいだ。うちの家の木造だし、一夏の家も一応は木造なので別に珍しいとかそういう事を考えたりはしないが、木で作られた建物が密集している光景はうちの近くでは見られる物ではない。

 

「あ、あそこにお土産屋さんがあるよ」

 

 一夏が空いている方の手で指差す方向にお土産屋があるのが見えた。旅館内に設置されているお土産屋とは別のお土産屋があるのか。まあ当然か。ここって旅行客とか多いらしいからな。

 

「見てみる?」

「そうだな。行ってみるか」

 

 俺は一夏の提案に乗り、一夏が指差していたお土産やに足を運ぶ。店内に入ると様々な品物が目に飛び込んできた。うーん、一応旅館内でも買うつもりだけどここでも買っておくか。

 

「一夏、離れるなよ」

 

 俺は隣の一夏にそう告げると並べられているお土産たちに視線を向けていく。それでだ、お土産はなに買っていけばいいんだろうか? 無難に饅頭とかの食い物系か? 弾とか数馬に渡したり、学校でクラスメイトに配るだけなら饅頭とかで十分だろ。弾と数馬に関してはお土産の種類なんて指定してこなかったからな。何かの置物とか買って行ってもあいつらが顔を引きつらせるだけだろうし。

 

「こういうのって私に似合うかな……」

 

 一夏はそう呟くと並べられている和風の髪飾りを眺めはじめた。うーん、髪飾りかぁ。これ、一夏に似合うだろうな。自慢の黒髪に髪飾りを付けている一夏は絶対に綺麗だろうから是非見てみたい。やっぱりね、一夏は最高の女だと思うんだよ。ああ、もう駄目。髪飾りでより一層美麗さを増した一夏の髪をくんかくんかしてみたいとか考えてしまってる。よくよく考えたら俺って一夏の髪を触りはするけど、匂いを嗅いだりとかしたことなかったしやっぱり嗅ぎたい。

 ……って、何を考えてるんだ俺は。昨日のアレがまだ抜けきってないんじゃないかこれ。ああ、やっぱり駄目かもしれん。昨日の一夏お風呂乱入事件の所為で俺の中の何かがおかしくなっている気がする。こう一夏への欲望のブレーキが壊れかけているというか何というか。いや、これは今考えるべきことじゃないな、うん。

 

「一夏、それ気になるのか?」

「えっ? うん、少しね」

「買っていくか?」

「ううん、いいよ。それよりも買っていくお土産見ないと」

 

 そう言い残すと一夏は饅頭やら煎餅等の食べ物が並んでいる列へと向かって行ってしまった。なんで遠慮するんだよあいつ。旅行の思い出として買うのくらい別にいいと思うんだがなあ。仕方ない、他のお土産の会計が終わった後にでも買っておくか。

 一夏の後を追う為に足を動かしながら俺はそう心に決めた。逸る気持ちを抑え、一夏の近くにより弾や数馬に買っていくお土産を選ぶことにした。一夏との意見交換の結果、買っていく物は割とすぐに決まった。

 

「やはり饅頭か」

「あの二人が煎餅食べる姿とか思いつかないもん」

「だよなあ……」

 

 かと言って、あの二人が自ら饅頭を食う姿もあまり想像できないんだけどな。まあ、品物の指定とかしてこなかったのはあっちの方だし、饅頭を買って行っても文句は言わないとは思うが。

 そんな風に考えながら饅頭を籠に入れ、他にも色々とお土産を入れていった。殆どが食い物になってしまったけど、他に何も買う物がなかったから仕方ない。流石に置物とか要らないしさ。

 

「あ、ごめん。俺、買い忘れた物があるからここで待ってて」

「う、うん。わかった」

 

 籠に入れたお土産を会計し終えた俺は、一夏に購入したお土産と一緒に店の外で少し待つように伝え再び店内へと入っていく。俺の発言に首を傾げていた一夏が可愛すぎたが、それは今横に置いておくとしよう。目的はあの髪飾りを買う事なんだし、余計なことに思考を割いている場合ではない。足を動かし、一夏が先程見ていた髪飾りを手に取った俺は再びレジで会計を済ませると、一夏の下へ戻った。

 

「あ、和行。何を買ってきたの?」

 

 俺が戻ってきたことに気付いた一夏が俺へと近づいてきた。うん、やっぱり一夏は可愛い。この髪飾りも絶対に似合う。

 

「これだよ」

「えっ、これって……」

 

 俺は体の後ろに隠していた髪飾りが入った紙袋を一夏の視界に収まるように差し出した。一夏が何気なくそれを受け取り、中身を確認した途端きょとんとした表情を浮かべ、俺の方へと視線を投げかけてくる。

 

「……これ、本当に良いの?」

「良いんだよ。一夏の為に買ったんだから」

 

 一夏はおずおずと俺から和風の髪飾りが入った袋を自分の胸元へと持っていく。その所為で一夏の豊な双丘が僅かに揺れてた。他の人間なら見落とすかもしれないが、俺の目だけはばっちりと一夏の胸の揺れを察知して脳内フォルダに記録をしていた。

 ……やばい、昨日のアレを思い出したわ。一夏のおっぱい、本当に凄かったなあ……。って、いやいや。何考えてんだ俺。一夏の表情からしてこれからお礼を言うつもりだろうに、俺がこんなエロいことを考えてたら駄目だろ。一夏に悟られないようにしないと。

 

「ありがとね和行」

「ああ」

 

 平静を装いつつ、一夏のお礼にそう答えた。しっかし、今の一夏と昨夜の一夏が本当に雰囲気が違うな。昨日の一夏は完全に俺の事を狙う捕食者みたいだったのに、今の一夏はえっちな事に耐性が無さそうな清楚系美少女ムーブしまくっている。

 女の子の態度の変わり方って怖いなと考えつつ、一夏と一緒に旅館の周囲を続いてみて回っていると俺達の視線の先に一組の親子連れが歩いていた。ちらりと見えた両親と歩いている子供の表情はとても嬉しそうだった。こんな温泉なんかに来たら子供なら退屈だとか言い出しそうなものだが、そんな気配は一切なかった。両親も楽しそうに子供の事を見ている。親と居られるのが楽しいのか、子供だけど温泉が好きのどちらかだろうか。

 

「……」

「一夏?」

「っ! な、なに?」

 

 隣に居る一夏が足を止め、羨ましそうな眼をしながら親子連れを見ていた。同じように足を止めて彼女に声を掛けると、一夏はビックリしたとでも言わんばかりにこちらを見つめてくる。

 

「どうかしたのか?」

「将来、ああいう風に子供が笑えるような家庭が築けたらいいなって思って」

「一夏……」

「不安、なんだよね……。私、親がどういうものなのか直接知ってる訳じゃないし」

 

 なんだ、そんなことか。確かに一夏には親がどういうものなのか分からない部分があるだろうさ。だが、それがどうした。

 

「築けるさ」

「えっ?」

「お前なら築けるさ。もう少し自信持て」

 

 俺が率直に思った事を一夏にぶつけると、当の一夏はぽかんとした表情を浮かべる。一転して俺の方へと悪戯心が混ざっている笑顔を向けてきた。……あれ? なんで俺、一夏にこんな顔向けられてるの? やめて、その顔で俺の心を刺激してくるのやめて。

 

「和行が私に自信持てって言うなんて、珍しいこともあるんだね」

「……うっせ」

 

 ……ったく、調子が狂う。そんなに俺がお前に自信を持てって言ったのが珍しいかよ。まあ確かに俺はあまり他人にそういうこと言わないからな。むしろ一夏に自信を持てとか言われる方だったし。

 

「あ、拗ねた」

「拗ねてない」

「どう見ても拗ねてるじゃん」

「拗ねてない!」

 

 そんなやり取りをしながら、俺達は再びその場から歩き出した。のだが、その間も俺は一夏が先程口にした言葉を脳内で反芻していた。子供が笑える家庭、か。一夏に言った通り、一夏なら問題なく築けるだろう。一夏は一人じゃない。俺も居るんだ。二人でなら絶対に出来るって、俺は信じている。



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