相棒 episode Drive (カサノリ)
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Season1 プロローグ

 ベルトさん。あんたと出会ったのがつい昨日のことのようだ。

 

 この一年、ロイミュードとの戦いがあって、たくさん傷つくこともあったし、何度か死にかけちまうし。それでも、あんたと、みんなと出会って、過ごした一年間で俺の時間は動き出した。刑事として、仮面ライダーとして、走り抜けることができた。

 

 ベルトさんと別れてからもう一ヵ月も経つんだな。

 

 本願寺課長が教えてくれたあんたの言葉。

 

『たとえ停まってしまうことがあっても、キミなら何度でも走り出せる』

 

 信じてくれて、ありがとうベルトさん。

 

 けど、俺は。

 

 

 泊進ノ介は秋の日差しに照らされながら、警視庁の高くそびえる姿を目に入れる。一年前まではいつものように見上げていた景色。

 

 あの雨の夜以来、もう戻ってくることはないと、いつかは諦めていた景色を見上げても、今はどんよりとした気分にしかならない。だんだんと涼しくなってきた風が心に染み入るようで、進ノ介はコートの襟を止める。

 

「……はあ」

 

 どうしてこうなったのか。そんなことを考えても仕方ないのはわかっている。わかっているけれど、気持ちが上向くことはない。それでも、この一ヵ月で身に着けてしまった惰性から歩き出す。馬力が足らない車のようで、踏み込んでも前にはのろのろとしか進まない。ネクタイを締めなおしたのは、いつ以来だろう。異動して以来、その癖もご無沙汰だ。

 

 一年間の仮面ライダーとしての活動は泊進ノ介を特別な存在にしてしまった。顔は世間に広く知られているし、二度も濡れ衣で指名手配を受けた結果、この警視庁内ではなおさらだ。

 

 ひそひそとささやく声と、いくつもの好奇の視線を浴びながら、同じように警察官として働く人々の中を抜けて、この暗く狭い部屋へと自分から入らなくちゃいけない。そのことに陰鬱として。

 

 そうして、泊進ノ介は今日もまた、この場所へ来てしまった。

 

「おはようございます」

 

 明らかに気のない声が自分から漏れても、ネクタイを締めなおす気力もなく。壁にかかった二つしかない名札をひっくり返す。

 

『泊進ノ介』

 

 赤字が黒字へと、小気味いい音が鳴って変わった。

 

 そして、それに返事を返すのもいつも一人。もう、あの最愛のバディも、愉快で頼れる仲間たちもいない。

 

 いるのはただ一人。今の同僚だけ。

 

「おはようございます。今日も少々遅刻ですねえ。一警察官、いえ、一社会人としてそれはどうかと僕としては毎度毎度申し上げているはずですが」

 

 警視庁一の変人。人材の墓場。

 

 杉下右京がねちっこい言葉と共に進ノ介を迎えた。

 

 ここは警視庁特命係。

 

 陸の孤島である。

 

 

 なあ、ベルトさん。教えてくれ。どうして俺はここにきてしまったんだ。ここから、どこへ行けばいいんだ。



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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか I」


【挿絵表示】

本作のタイトルロゴ、ダンダンダダン様より頂きました(2019. 01. 14)


『泊ちゃん、いや、泊進ノ介巡査。本当にすまない』

 

 課長が涙ながらに告げたあの日から一月がたった。特命係。以前から、その名前は知っていた。特状課に来る前から、本庁にいるのなら誰でも噂だけが伝わってくる。

 

 関わってはいけないと。送られたら最後、無事に出ることはできない。そんな場所。

 

 それでも前には進まなくては行けなくて、仲間はいつしか散り散りになって、俺は一人ここにいる。

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか I」

 

 

「はぁー」

 

 ため息を長く長く吐くと、進ノ介は飴を一つ、口に放り込んだ。

 

 泊進ノ介は警察官である。そして、つい一か月前にはこうも呼ばれていた。

 

 『仮面ライダードライブ』と。

 

 ライダーと名乗りながら、もっぱら乗り回していたのは車であり、本来ならば『仮面ドライバー』と名乗るのが正しいのかもしれないが、それはいい。

 

 重要なのは、彼が少年のころに憧れたヒーローのように、大仰な戦闘スーツに身を包み、超常科学の渦中に巻き込まれたことだ。

 

 機械生命体ロイミュード。人間に生み出され、人間によって歪められ、人間を超えようとした知性体。

 

 強大な力を武器に人間へと戦いを挑んだ彼らと仮面ライダーは戦い。そして、人類の守護者として仮面ライダーが勝利した。

 

 警察官として、仮面ライダーとして戦いぬいた泊進ノ介。

 

 そして、警察内の対ロイミュード専門部署である『特状課』が解散となり、彼も変身能力を失った警察官として職務へと戻る時が来た。進ノ介とて立身出世のために戦ったわけではないが、それでも、自身の能力を活かせる刑事部等に行くのではないかと、予想はしていたのだ。

 

 しかし、転属先は特命係。警視庁陸の孤島。人材の墓場。

 

 それからの一か月、馴染んだミルク味の消費量は最高記録を迎えている。燻っていたとある時期よりも倍以上。こうして気の抜けた顔で椅子に深く体を鎮めても、叱りつけてくれる人も、もういない。

 

『泊さん、しっかりしてください』

 

 ふと、かつての相棒である霧子の姿が懐かしくなった。

 

 毎日のように顔を突き合わせていたのに、異動以来、姿も見ていない。元気にしているだろうか。心配してくれてはいるのだろう。と、進ノ介は彼女に関しては申し訳なさと共にポジティブに考える。

 

 ただ、懐かしくなったなんて言いつつも、会いに行かないのは進ノ介自身だ。

 

 その証拠に、携帯には彼女からのメールが何通もたまっている。

 

 だが、仮に返事をしたとしても出てくるのは愚痴だけ。どうしても、今の体たらくを仲間達に見せる気にはなれなかった。皆、それぞれの道に進んで、新しい環境の中で頑張っているのだから。

 

「ため息をつくと、幸せが逃げていく。そう言われていますが、君はずいぶんとたくさん逃がしているようですね」

 

 そう苦言を漏らすのは上司である杉下右京。だが、その彼も新聞を片手に時折、思いついたようにチェス盤を動かすだけだ。一目見てわかる通り、彼も暇人である。

 

「そういう杉下警部はお暇そうですが。何でため息一つつかないんですかね」

 

 こんなところでじっとしていて何も感じないのか、と皮肉って見る。

 

 だが、暖簾か柳か、この男の顔が変化する様子を一度も見ていない。いつも、何とも表情の読めない顔で椅子に座っている。進ノ介にはそれが腹立たしく思えた。

 

「確かに、暇は暇ですが。それとため息を吐くというのには何の理屈も繋がりませんねえ。僕の場合は、こうして暇は暇なりに楽しんでいるのですが」

 

「世間一般では、今は勤務時間で、俺達は警察官のはずですが」

 

「ええ。確かにそうですが、世間の警察官全てがせわしなく動いているわけでもなく、交番勤務の方などは地元の方とたわいない話をすることもまた仕事です」

 

「つまり?」

 

「暇なら暇らしく、何か建設的なことを行っては如何か、といっているのですよ、僕は」

 

 右京はそう言い、盤上の駒を一つ動かした。チェックメイト、との呟き。だが、進ノ介はチェスのルールに明るくないため、どういう手だったのかもわからなかった。

 

 彼のいうことは確かに尤もだ。不承不承ながら、進ノ介の理性もそう考える。

 

 だが、右京が先に出した例はあくまでも警察官としての業務だ。そして、右京の今行っているチェスは断じて警察官の仕事ではない。

 

 では、この場所でできる警察官の仕事とはなんだろうか。

 

 いや、そもそも特命係の『特命』とは何なのだろうか。

 

「なんもないな」

 

 特命係に捜査権限はない。仕事もなく、未来もない。

 

 事実、これまでに特命係へ飛ばされた八人の内、七人は警察から去ったという。気持ちはわかる。こんなところに飛ばされて飼い殺しにされると思うと、あきらめて別の道を探すのが建設的だ。

 

 それでも内1人は八年以上もここにいたというのだから、さぞかし鋼の精神をしていたのだろう。修験者か何かのたぐいだ。それでなければ悟りを開いたか、生き神様。

 

 幾らでも苦言は出てくるが、一人でチェスに勤しむ右京に言い返す気力もなく、もう一つ飴玉を放り込む。

 

 ふと雑誌でも読んでしまおうか、と隣人がおいていったそれに手を伸ばす。しかし、その週刊誌の一面記事に「仮面ライダー」と「機械生命体」の文字を認めると、すぐに放り出した。

 

 再び、大きく、ため息。進ノ介はまたもや幸せが口から逃げていくのをじっくりと感じ取っていた。

 

 そんなことをしていると、

 

「暇か?」

 

 と無駄に陽気な声がする。

 

 そんなことを言いながら、こんな薄暗い部屋に入ってくる人物は一人しかいない。隣接する組対五課の角田課長だ。

 

 進ノ介にはあずかり知らぬところだが、彼は暇人である右京をある意味尊重しているようで、『警部殿』なんて呼んでいる。その割には仕事を手伝ってほしいとも言ってこないのだが。

 

「お、相変わらずふにゃふにゃしてるなあ、仮面ライダー」

 

「課長、何でもいいから手伝える仕事とか無いんですか」

 

「いや、ちょっとした仕事で仮面ライダー駆り出したって言ったら、上に何言われるか」

 

「でも……」

 

「まあ、仕事しないでいいって言われてるんだから、贅沢言わないこったな。世間じゃ休みたいって言っても休みはもらえないんだから。給料もらって、一日のんびりなんて羨ましいことこの上ないって」

 

 わははは。と悠々とコーヒーを煎れ始めた角田に、またもため息が。これくらい図太く生きれたら楽かもしれないとも思う。

 

 仮面ライダーになる前の自分なら、もっとのんびりとしていたかもしれない。けれど、今は、エンジンに火がついたままの状態。薄暗い車庫で黙っていることもできない。車は走るために存在するし、刑事は市民の安全を守るためにあるのだ。

 

 といっても、

 

(捜査権限無いから、刑事じゃないんだよな)

 

 角田の入れたコーヒーの香りが部屋にあふれていく中、進ノ介は再びため息をついた。

 

「ほら、またため息が」

 

「警部どのは細かいねー。悩める若者になんかアドバイスはないの?」

 

「僕にとっては、こうしてのんびりすることが日常ですから」

 

「だわなー」

 

 小うるさい二人は無視することにした。

 

「あ、もうなくなった……」

 

 最後の一個となったひとやすミルク。いつになれば休みは終わるのだろうか。進ノ介は最後の一つを放り込むとがりがりとかみ砕いた。

 

 よほどの不満がありそうな進ノ介の様子に角田は少し考える。

 

 生来なんだかんだと面倒見の良い角田である。若者がそうやって腐っているのをみると、放っておくのは良心が咎める。それに、彼の姿を見ていると、ぐれてしまった愛娘の姿が脳裏をかすめた。

 

「じゃあ、ほんっとに小さいことだけど、やってみるか?」

 

 角田はコーヒーを啜りながら小さくつぶやくのだった。

 

 

 

 相も変わらず暇を謳歌する特命係をよそに、庁内では多くの警察官がせわしなく働いている。警視庁の花形ともいえる捜査一課でも同じだ。その中を、詩島霧子は段ボールを抱えて進んでいた。

 

 背筋を伸ばし、「捜査一課」と書かれた日差しがよく通る部屋に入る。

 

 凶悪事件を担当する捜査一課ではまだまだ女性捜査官は珍しい。少なくない好奇の視線を受けながら、段ボールを自分の机に置いた。

 

「よう、今日から着任か」

 

 一息つくと、後ろから声がかけられる。振り向くと、係長である三浦信輔が立っていた。追田が言うには、長く現場にいたベテラン刑事だそうで、彼もよく現場で共に捜査にあたっていたそうだ。

 

 ただ、何やら一念発起したそうで、管理職試験を受けると、現場から一転、見事係長へと昇進したのだとか。

 

 霧子はおろしたてのスーツにまだ少し引っ張られながらも敬礼を返す。

 

「本日から七係に着任させていただきます。よろしくお願いします」

 

「よし、その元気があれば十分だな。ちょっと待っててくれ、今、他の連中に紹介するから」

 

 霧子の敬礼に満足げにうなずくと、三浦は大声で周囲を呼びかけ、十人ほどの刑事が集まってくれた。

 

 その中には追田警部補改め、警部は五係なので、もちろんいない。

 

 誰も知り合いはいないかと思われたが、ロイミュード関連事件で顔を合わせたことがある者が二人ほどいて、少し微笑みかけてくれた。

 

 最初は彼らからも胡散臭い連中と思われていたのも懐かしいが、今はもうそう言った隔たりは抱かれていないようだった。少しだけ気分が落ち着く。

 

 ただ、一人だけ、露骨に機嫌が悪いという顔をしている男がいた。隣の青年が何やら興奮したように話しかけているのに対して無視を決め込み、最後には足を踏みつけている。

 

 霧子は三浦による自身の紹介を聞きながら、二人の刑事の奇妙な行動を眺めていた。

 

「と、いうわけで。詩島は機械生命体事件の功労者の一人だが、捜査現場の経験はまだ少ない。みんなには先輩として胸を貸してやってほしい。以上だ」

 

 拍手で迎えられ、頭を下げる。そうして、霧子もまた一言、決意表明の言葉を言い、その場は解散となった。 

 

 ただ、問題はその後に起きる。

 

「詩島、ウチじゃあ、少なくとも二人で組んでもらっているが、新人ということもあって、しばらくは三人で組んでもらう。それでいいか?」

 

 三浦の言葉にうなずく。特状課でも進ノ介と二人で捜査をしていたので、誰かと組むことに忌避感はない。

 

 だが、三浦に呼ばれてやってきたのは先程不機嫌な顔をしていた男と、いかにも後輩という雰囲気の男だった。

 

 伊丹憲一巡査部長と、芹沢慶二巡査と紹介される。そして、浮かれたように自己紹介する芹沢に対し、伊丹は

 

「どーも」

 

 と一言。それっきり目も合わせようとしなかった。

 

 

「なんなのよ! あれは!!」

 

 夜。自宅マンションへ帰ると、霧子はお気に入りのクッションを掴み、思い切り、それを地面へ叩きつけた。

 

 バスんと景気よく音が鳴る。

 

 今日は仕事もそこそこに霧子の歓迎会が七係で開かれた。思った以上に暖かい歓迎のされ方で安堵した霧子。ただ、唯一、あの伊丹という男は一言もしゃべろうともしなかった。

 

 陽気な芹沢は何もしなくとも、こちらにきてはいろいろとかまってくれていた(少し身の危険を覚えたが彼女がいるらしく、安心した)。一方、あの伊丹。仮にもチームを組む以上は意思疎通をしなければならない、とこちらから話しかけてみても。

 

「そーですかー」

 

 等とあからさまに不機嫌に言うだけで、一人ビールジョッキを呷っている。気に食わないなら欠席すればいいのに、参加してそれだから性質が悪い。

 

 霧子とて、特状課の経験から嫌味には慣れている。が、あのように子供のようなことをされるとむかっ腹がたつのは仕方ないことだとわかってほしい。

 

 ひとしきり暴れて、ベッドへと倒れこむ。幸先に不安が残る初日だったが、こんなところでくじけている時間はなかった。

 

 仰向けになると、バッグから携帯をとりだす。

 

 相も変わらずかつての相棒からの返信はない。あれだけ毎日顔を合わせていた彼の顔を思い出す。結局、あれから一度も顔を合わせていない。行方不明になっているわけでもないし、会いに行こうと思えば会えるだろう。

 

 当時はあれほど相棒だのバディだの言っていたのに、少し離れてしまうと返信もないとは。霧子も進ノ介にも事情があるのだと理解はできつつも、少しの腹立たしさを感じるくらいは許してほしかった。 

 

 また、罪悪感があった。ロイミュード事件の功労者は誰かと問われれば、かつての仲間ならば誰もが泊進ノ介と答えるだろう。

 

 一番活躍した彼を差し置いて、自分が捜査一課にやってきたことも、そして、彼が特命係に飛ばされてしまったのも。

 

 自分ができることはなかった、と理解はしている。せめてもと人事部には本願寺を経由して何度も抗議を送った。それでもこの身は公務員であり、上の命令は絶対だった。

 

 せめて一言でもメールに返事をくれるなら、会いに行くこともできた。けど、

 

「ほんと、意気地なし」

 

 それは彼か、自身か。

 

 仮に進ノ介と会って罵倒されたら。万に一つでも敵意を向けられたら、きっともう立ち直れないだろう。チェイスや剛の前ではごまかしたが、自分にくすぶっている気持ちをここにいたって認められないほど霧子は鈍感ではなかった。

 

 せめてできることは、捜査一課での仕事で成果をあげて、発言力を高めて、進ノ介を特命係から引っ張りあげることを上に直訴する。そう思い、今日の一幕を思い出す。

 

 

 

 霧子が登庁してから、最初に向かわされた場所は、捜査一課のフロアではなく、その上層にある管理職のオフィスであった。内示とは別に、直接文章での指示があったからだ。

 

 一刑事の異動に際して、上層部が直接面談を申し込むこと等、聞いたことがない。この組織の中では、どう考えても異例であった。

 

 ノックをし、相手の承認を待って入ったのは刑事部部長と書かれたオフィス。広く、来客以外にも賞与などを行う際にも利用されるためか、快適さというよりも威厳というものを強く感じさせる造りになっていた。

 

「詩島霧子巡査、入ります」

 

 敬礼に対してうなずくのは二人の男性。一人は刑事部参事官の中園警視正。

 

 薄い頭に、どこか神経質そうな顔。一目見た印象では平凡な中年男性という感想しか抱けない。ぴしりと着込んだ制服にも、着られている印象だ。

 

 だが、そんな人でも、あの大改革を乗り越えたのだ。悪運が強いのか、それとも見た目に似ず優秀な人だったのか。

 

 内心辛辣な感想になったのは、彼があの仁良光秀の直属の上司であったからだろう。進ノ介の逃亡時も、手配の承認を下したのは彼と、元刑事部長であったし、よい印象になろうはずもない。

 

 そういえば、警備部の古葉参事官も同じ階級だが、受ける印象は全く違うものだった。

 

 だが、正直なところ中園参事官に注意はそこまで向くことはなかった。人はよさそうだが、上司としては信念も柔軟さも感じられなかった。

 

 おそらく付き合いが長いだろう追田警部も内村前刑事部長の腰ぎんちゃくとしか印象に残っていなかったそうだ。

 

 問題は、部長席に座り穏やかな笑みをたたえた男性だ。

 

「詩島巡査、わざわざ手間をかけさせて申し訳ないね。刑事部長職についている、甲斐峯秋という」

 

 知的で紳士的なその男は、その肩書きの厳めしさとは裏腹の柔和さを示していた。

 

 一新人刑事の霧子に対し、甲斐はわざわざ席を立って手を差し伸べてくる。その様子に恐縮しながらも握手を交わす。

 

 甲斐峯秋。

 

 本願寺課長が去り際に警戒するように伝えていた人物でもある。あのよくわからないコネを多数持っていた課長以上に、その人脈は多岐にわたるというのだから末恐ろしい。

 

 事実、本来なら刑事部長職に収まる人物ではなく、内々に警察庁次長のポストが用意されていたという。

 

 では、そんな人物がなぜ刑事部長となったのか。

 

 仁良の事件をはじめとした一連の騒動から刑事部を立て直すことを目的とした人事、というのがもっぱらの見方だ。

 

 世間からの信頼が失墜した刑事部、および警察の回復を目的とするならば、この一見不合理な人事もうなずける。それほどに捜査一課長が公衆の面前で殺人罪で逮捕されたのは、大きかった。

 

 人のよさそうな紳士にしか見えないが、経緯と実績を考えると、油断はならない人物。だが、こうして呼び出された以上は好機でもある。

 

 そして、そういうチャンスを逃さない大胆さは詩島霧子という警察官の大きな武器でもあった。

 

 定例的な挨拶もそこそこに切り出す。

 

「甲斐刑事部長、不躾ですが、お願いがあります」

 

「ふむ。私もついこの間、この職についたばかりでね。できることは限りがあるが……。例の事件の褒章もまだだったね、できることならば叶えてあげよう」

 

 本気かどうか、了承の言葉が出た。だから、

 

「部長のお力で、泊巡査を捜査一課へ異動させることはできないでしょうか!」

 

 霧子は意を決して言葉を放った。

 

 一瞬の静寂。

 

 途端に中園はその発言に泡を食って「失礼だぞ!」叱責する。

 

 だが、霧子は撤回することはしなかった。たとえ、この昇進をふいにすることになっても、言わずにはいられなかった。

 

 一方の甲斐は態度を崩すことはなかったが、間違っていなければどこか楽し気な空気を感じた。

 

「泊、というのは。仮面ライダーであった泊進ノ介君に間違いないかな?」

 

「はい! ロイミュード、機械生命体事件の最大の功労者は彼です。私よりも、他の誰よりも働いた彼が特命係へと配属されたことは納得できません」

 

「……人事に口を出すということが、どのような結果になるか。理解したうえでの発言かね?」

 

「もちろんです」

 

 ふむ、と甲斐は少し考えるように顎に手を当てると、ゆっくりと教え諭すように語り始めた。

 

「正直、今回の人事については、私個人としても疑問を抱いているのだよ。ああ、誤解してほしくないのだが、君が能力不足というわけではなくね。

 私としてはね、できることならば二人共に刑事部で働いてほしいと思っているんだ。優秀な人間はいくらでもほしいし、能力に応じて引き上げるというのが、私の考えだ」

 

 だが、と甲斐は言う。

 

「詩島君はともかく、泊巡査はよい意味でも悪い意味でも目立つ。そうは思わないかね?

 仮面ライダーとしての彼はあらゆる意味で世間の称賛や偏見を受ける立場であり、現場に出すのは時期尚早というのが、上の立場だろう、と推測している」

 

 そして、

 

「そうだね。然るべき時が来たならば、異動させるように上申してみよう。警察内部の膿をとりだしてくれた彼を、私はとても評価しているんだ」

 

 その言葉を霧子は鵜呑みにすることはできなかった。それでも、他につなげられる望みはない。今は信じて待つしかなかった。

 

 だが、霧子も、他の誰も、甲斐峯秋という男の心の内を知るものはいなかった。

 

 

 

「彼女、面白いねえ。早々に刑事部長に物申すなんて、度胸があるじゃないか。ああいう女性警察官が増えると世間にも警察が男女の機会均等に積極的に働いていると示すことができる」

 

 甲斐はほろほろと笑顔を浮かべると手元にある茶を取る。

 

「あのぉ、部長は、泊進ノ介のこと。本当に口添えするつもりですか?」

 

 おどおどと尋ねてくる中園を一瞥し、甲斐は湯のみに口をつける。なるほど、長く前任者の腰ぎんちゃくをしていただけあって茶の煎れ方は上手だった。だが、その尋ね方は落第点だろう。言葉の一つ一つから意図を察することができなければ、参事官以上に進むことはできまい。

 

「ああ、中園君。私は自分の言葉を撤回したりはしないよ。もちろん、上には言ってみようじゃないか」

 

 だが、男はそれが、受け入れられないと知っている。

 

(いかに仮面ライダーといえど、大きな力には逆らえないこともあるのだよ)

 

 甲斐は羊羹を一切れ、放り込むと、うまそうにそれをゆっくりと咀嚼した。




いろいろと設定が変わっている世界観。一体いつから歴史は狂ったのか。

次回から事件が開始です。早々にオリジナルの事件となりますが、お楽しみいただけると幸いです。


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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか II」

お待たせいたしました。初回2時間半スペシャルの二章目。だいたい20時20分くらいから。

角田に依頼された仕事を引き受けた特命係。アイドリングを続けている進ノ介は流されるまま、最初の事件へと向かいます。


 秋の日差しの中、赤いスポーツカーが、その美しいフォルムとは似合わない林の中を走っている。

 

 運転しているのは、もちろん持ち主である進ノ介だった。

 

 舗装はされているが、秋らしく落ち葉やらが散らばっているここは、車好きを自任している進ノ介にとっては、好ましくない場所だ。だが、他に適当な移動手段はなく。

 

 せめてもと本来の用途とは似付かない、ゆっくりとした速度で走る。

 

「君、見た目に似ず運転は上手かったんですね」

 

「……杉下警部は俺をどんな目で見ていたんですか」

 

 仮面ライダーなのだ。ライダーなのにドライバーであることは何度も突っ込まれたが、ライダーで。車と合体もしたりしていたのだから、運転が下手なわけないだろうに。

 

 助手席に座っている右京はのほほん、と景色を眺めていた。

 

「いえ、前任者の愛車が偶然にも君のと同じだったのですが、運転は乱暴で。失礼ながら、君も同類ではないかと。神戸君には悪いですが、彼の運転は僕にはいささか刺激が強すぎましたからね」

 

「はあ」

 

 それを適当に相槌を打ち、進ノ介は車窓から延々と続く緑の景色を眺めてみる。

 

 一応は東京都。しかし、県境に近づいたこの地域には高層ビルなどあるわけがなく、さながら森の中に迷い込んだような印象をあたえる。

 

「まさかこんなところにくるなんて」

 

 本日、何度目かもわからなくなったため息をついて、ゆっくりと車は前へと向かった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか II」

 

 

 

 どうしてもと懇願する進ノ介を憐れんでか、角田がくれたのがこの仕事だった。小間使いである。巷で話題の詐欺事件の被害者から、事情を聞いてほしいというお使い。

 

 ただ、証言の重要度は低く、組対としてもこんな辺鄙な田舎に人をやるほどではない。むしろ、近隣の所轄に頼んだほうが効率はいい。

 

 結局は無理やり進ノ介が頼み込んだから仕事をくれた、そういうことであった。

 

 仕事をしないでいると魂が錆ついていきそうな進ノ介にとっては、そんな仕事でも何でも良い。

 

 よかったはずだったのだが、そう思っていたはずだったのに、こんな田舎にくることになるとは思わなかった。

 

「いい天気ですねえ」

 

 右京が助手席で空を見ながらつぶやく。いい天気であった。秋晴れである。

 

 ただ一つの問題は、この杉下右京までついてきたことだった。いつもの様子から、てっきりあの部屋に残るものかと想像していたのに。気が付くと助手席に座っていたのである。

 

 この空気の読まなさ加減というか、何をやるか分からない感じはチェイスを思い出させたが、右京と比べるのは亡き友人に失礼だと思い直す。

 

「はあ、そうですね」

 

 そんな招かれざる客の呑気な声には、気がなくうなずくしかない。

 

 これがプライベートであれば、ドライブは楽しかっただろうに。大好きな車に乗り、隣には美人の彼女。さぞかしロマンチックだろうな。と、叶わぬ願いを頭に浮かべる。

 

 だが、現実は非情であり、進ノ介は嫌味な上司と林道をのんびり走っていた。

 

 数十分ほど林の中を移動すると、ようやく町へとたどり着く。町というにはこじんまりしているが、平成の大合併の折に周囲の小さい村が集まって町となったのだとか。

 

 そして、町の中心に当たるのだろう、市役所や小さな商店が立ち並ぶそこに、白い派出所は存在した。

 

 二人を出迎えたのは沢村という、年老いた巡査だった。もうそろそろ定年が近いだろうに、足取りはしっかりしていて、力強さすら感じさせる。ベテランの風格というのだろうか、進ノ介にはまだ出せない雰囲気だ。

 

「いやー、こんな辺鄙な町に本庁の刑事さんをお迎えになるとは思いもしなかったです。あ、町名産の芋をつかった羊羹です。こんなもんでしかおもてなしできず、申し訳ない限りです」

 

「いえいえ、事件解決のためでしたらどこでも駆けつけるのが警察官の務めですから!」

 

 もう一つ、進ノ介を知っているのか知らないのか。どちらでもいいのだが、仮面ライダーなどと騒がれなかったのも嬉しかった。そう言ったわけで進ノ介は久しぶりにどこか気分がよくなっていく。

 

「いや、本庁の刑事さんともなると立派なもんです。私はここで長いですが、この町でのんびりとやっているだけですから」

 

 照れ臭そうに言う沢村巡査に、無駄に気合を入れて返事をする進ノ介と、いつも通り、微笑んでいるのだかよくわからない表情を保ったまま座る右京。

 

 どこかのんびりとした町の空気が影響したのか、警察の仕事だと思えないほどに穏やかに仕事の話は進んでいった。

 

「ハナさんでしたら、ここからすこし離れたところで娘さん夫婦と暮らしております。ただ、御年九十歳の婆さんなもんで、ちょっとボケが進んでます。警部さん達が必要な証言が得られるかどうか……」

 

「そうですか。ですが、詐欺事件の立件のためには一人でも多くの方の証言が必要です。一度伺ってみたいと思うのですが」

 

「はあ、立派なことです。警部さんがそうおっしゃるなら、これから向かうとしましょうか」

 

 東京都にあっても山村といっても過言でないここは、主に農業を中心として成り立っている。町役場をはじめとする町の機能中心が集まったところは、先に述べたように商店もちらほらと見られ、しかし、そこから少し離れると、すぐに建物が無くなり、畑が広がっていく。民家はそんな畑の中に点在しているだけだ。

 

 昔ながらの日本の原風景というのだろうか。都会の現代生活になれた進ノ介からすると逆に物珍しい光景だった。

 

 そんな道路をのんびりと歩いていると、農道の端にふと目が奪われる。そこには、

 

『ゴルフ場建設反対!!』

 

 などという古臭い看板がボロボロのまま道端に打ち捨てられていた。

 

「あれは、20年ほど前、バブル期のころに起きた騒動の名残ですわ。当時は村でしたが、その時の村長が強引に森を拓いてゴルフ場を作るなどと言い出しまして。住人総出で廃案に追い込む、ということがあったんです」

 

「当時、日本のあちらこちらでそう言ったものの建設が進められていましたからねえ」

 

 沢村巡査は遠い昔を思い浮べているのか、ふと笑みをこぼして話を進める。

 

「一警察官としては、住民同士の争いほど難しいものはないです。あるいは行政の味方をすべきか、市民のそばに立つべきか。日和見だなんだといわれることもありましたが、今では良い思い出です。

 小さな町ですが、それもあってみんな家族みたいなもんで。最近は住人トラブルもほとんどなく、警察官として、こんな平和が続いていくことを願っとります。

 そうそう、その当時の反対団体を率いていた岡田さんが今の町長でしてね、まあ、町からしたら英雄ですわ」

 

「英雄、ですか」

 

「ええ、まあ、時間がたつにつれて変わることもありますがね……。それでもみんな尊敬しとります」

 

 進ノ介にはそうつぶやいた沢村の顔が少し寂し気に感じられたが、その後は町の名産物やらの話を聞きながら、件のご老人の家へと向かうのだった。

 

 近所の子ども達の成長や町唯一の小学校の運動会の話、昔に町を出た娘が結婚して帰ってきてくれた、なんて。沢村巡査はそんな話を嬉しそうに聞かせてくれた。

 

 赴任してから長いというだけあって、住人全員のことを想いやり、見守っているのだということを進ノ介は言葉の端々から感じ取る。

 

 出会って数十分だが、この巡査に対する尊敬の念は不思議と高まっていくばかりだった。

 

 

 そして、諸事を済ませた夕刻。今から帰ると危ないということで、沢村巡査は宿をとってくれていた。外はもう真っ暗闇。好んで山道を走りたいわけでもない。その好意を受け取ることにした二人は、少しばかり広めの客室でくつろいでいた。

 

「結局、まともな証言は得られませんでしたね」

 

「仕方がありません。沢村巡査がおっしゃっていた通り、認知症も進んでいらっしゃる様子でしたから」

 

 進ノ介は体を伸ばしながら、右京は窓辺で本を読みながらのんびりと話す。

 

 贅沢は言わないが、部屋は別々がよかった。とは、ひとまず顔に出さず。ただ、こうした大自然の中にいると、窓辺で座っている右京の姿も、どこか様になっているようで不思議と不快にはならなかった。

 

 一足先に入ってきた露天風呂からは、澄み切った星空が見えた。とても東京都だとは思えない。食事に出されたのも、渓流からとれるイワナやニジマスといった川魚だったが、どれも絶品。

 

 一方で、仕事の方はというと、被害者であるハナさんは沢村巡査が話した通り、認知症が進行しているようで、犯人からの電話や、お金を振り込んだときの記憶などがはっきりしないという、散々たる結果である。

 

「まあ、でもいいかー。久しぶりに仕事したし……。上手い料理は食べれたし……」

 

「君のような若い人には、こういった場所は退屈かと思いましたが、ずいぶんと気にいったみたいですね」

 

「ずっと住んでいたいかと言われると、ちょっと迷いますけど、一休みするならこういったところも好きですよ。沢村さんも良い人でしたし」

 

 進ノ介は町の昔話を始めると止まらないあの老巡査のことを思い出す。市民を守り、市民に慕われる。その人生に派手さはないのかもしれないが、その姿勢は進ノ介が理想とする警察官の在り方でもあった。

 

「まあ、少し気になることもありましたけど」

 

「ほう?」

 

 右京はそう言うと読んでいた小説をおいて進ノ介へと目線を向ける。時折、彼はそう言った行動をする。監視、というほどではない。ただ、進ノ介を試すような、見定めようとしているような。進ノ介も当初は若干の息苦しさを感じていたが、今ではあきらめた。

 

 仮面ライダーとして鍛えられた戦場の勘というものか、敵意の類は感じなかったからだ。

 

「あの、一瞬すれ違った派手な車」

 

「ええ、一目見てわかる違法改造車。プレートも外し、騒音も相当のものでした。何ともこの町には似つかわしくないものでしたね」

 

 自分がパトカーに乗っていたら、迷わず検挙していただろう。だが、あいにくの徒歩だった二人には遠くへと走り去っていく車を見送ることしかできなかった。

 

「あれが、例の町長の息子とは」

 

 沢村巡査が話すには岡田一仁というのがその息子らしい。英雄的な活躍をしたという岡田町長と比べて、どこを間違えたのか不出来に育った彼は、五年ほど前に都会から戻っては好き放題に遊んでいると聞いた。

 

「町の権力者の放蕩息子。そんな小説のような出来事があるんですね」

 

「そうですねえ、仮面ライダーというものも存在するのですから。そういうこともあるのでしょう」

 

「……それ、俺への皮肉ですか?」

 

「めっそうもない」

 

 ただ、と右京は一拍を置き、

 

「小さな町です。人の出入りも少ないここは確かに住み慣れたものには良いかもしれません。ですが、変化のない場所には往々にしてよくないものもたまってしまう。ここがそうならなければいいのですが」

 

 話によると、一仁氏の行動で被害を受けている住人は多いそうだ。村の奥にある、町長が与えた別宅からは昼夜問わず音楽がけたたましく鳴り響き、注意するとしつこいほどに怒鳴り散らしたりと嫌がらせを行う。

 

 そんな環境を改善するために、町唯一の小学校の校長である飯森氏をはじめ、近隣住人は、警察への訴えを行っているが、各地のご近所トラブルよろしく、明確な手を打ててはいない。

 

 町長自身も放蕩息子には手を焼いているという。だが、あるいは家族であるための温情か、弱みでもあるのか、息子に対して強く出ることができないようなのだ。

 

 仲のいい町の唯一のトラブルの種。彼をめぐって町長と件の校長達は大喧嘩となったという。

 

「沢村さんの言う通り、町人みんなが仲良く過ごしてくれたらいいんですけど」

 

「中々うまくいかないのが、この社会なのでしょう」

 

 ふと、外を見上げると雲が夜空を被っていくのが見える。そういえば、今日は雨の予報が出ていた。

 

 

 

 翌日、十分に休んだ進ノ介と右京を宿の前で待っていた沢村巡査は、たっての願いということでとある民家を訪ねてほしいと訴えた。

 

 二人とも、自他ともに認める暇人であり、一宿一飯の恩がある。詳しい話を聞きながら、その家へと向かった。

 

「本当にありがとうございます。こんな老いぼれの願いを聞いてくださって」

 

「いえ、ここがその少年の家ですか?」

 

「ええ、大樹君といいます。元々おばあさんと住んでいたのですが、彼女は少し前に体を壊して入院してしまい……。大樹君もそれ以来、外にも遊びに行かなくなってしまったんです。私も少しでも力になりたいと思い訪ねているのですが」

 

「その大樹君が好きなのが、推理小説ということですね」

 

「自分でも書くほど熱中しとります。本庁の刑事さんとも話すことができたら、なんか役に立つこともあると思うんです」

 

「それじゃあ、早く行きましょう!!」

 

 その話を聞き、進ノ介は前のめりに言う。久しぶりに人の役に立てる仕事だと思うと嬉しかった。

 

 そして、インターホンを鳴らし、しばらく待つと、小柄な少年が出てきた。少しやせて、線も細いが、眼鏡も相まって文学少年という言葉がぴったり当てはまる。

 

「巡査さん、どうしたの……って、え……」

 

 大樹少年は少し呆然とすると、進ノ介を凝視しながら、一言つぶやく。

 

「仮面、ライダーさん……」

 

 進ノ介はその言葉を聞いて、ぎゅっと胸の奥が締め付けられたのを感じた。

 

 仮面ライダー。その名前は自分の誇りであり、けれど、刑事ですらない自分が名乗っていいのか分からない名前。

 

 けれど、驚きから次第に笑顔に変わっていく大樹少年を見ていると、そんな羞恥にも似た感情は途端になくなった。小さな少年の目に浮かぶ感情は間違いなく尊敬のそれで。

 

 せめて、少年の期待に応えることくらいは許してほしいと、進ノ介は久しぶりにその名前を誇り高く名乗った。

 

「ああ、仮面ライダードライブ、泊進ノ介だよ」

 

 そう言って、進ノ介は力強くサムズアップした。

 

 

「これは、なかなか立派なものですねえ」

 

「そう、かな? 小説とか、漫画とか真似してるだけだよ」

 

「そうかもしれませんが、君独自の表現をよく研究しているのが見て取れます。

 ここだけの話、僕も学生時代には推理小説を書くことに熱中したものです。ですが、小学生の頃はここまで立派な文章は書けなかったですねえ。

 ほら、泊君、この文章を見てください、情景描写が巧みですよ」

 

「そうなんですか? 俺はあまり文章書くの苦手ですから。まだ小さいのに、すごいなあ」

 

「なんか、意外。仮面ライダーって何でもできる人だと思ってた」

 

「うーん、そう言われると期待裏切るみたいで申し訳ないな。けど、俺が仮面ライダーになれたのも、ベルトさんと、仲間のおかげだし。俺一人だけだったら解決できなかった。

 人には得意不得意あるっていうのもきっといいことなんだと思う」

 

 そういう進ノ介を大樹少年はじっと見つめている。

 

 大樹少年は進ノ介の活躍をテレビでよく見ていたらしく、しきりに握手だったりサインだったりを求めてきた。

 

「将来は小説家になりたいんだ。あんまり、他の友達みたいに体動かすのも好きじゃないし、計算も苦手だし、」

 

「小説は継続して書くことが何より大事ですからねえ。意外と難しい、それを君はできている。その点で将来有望だと僕は思いますよ」

 

 一方の右京はどこか面白いものを見つけた子供のように部屋の中をせかせかと歩きまわり、大樹少年の書いた本が置かれた本棚の前でしばし止まっていた。

 

 大樹少年は古いパソコンで書き綴った小説を紙のファイルに挟んで管理しているようで、かなりの冊数が棚におかれていた。少しひしゃげたファイルから表紙とタイトルが顔をのぞかせている。

 

 右京は、ほおほおなどと言いながら、それらを一つ一つ指さし、するとまた部屋を見回し始める。足取りはどこかぴょこぴょことしていて、年不相応に落ち着きがなかった。

 

 幾ら右京が傍から見れば英国紳士然とした男であっても、進ノ介からは奇人の類にしか見えない。

 

「あの、杉下警部は何してるんですか?」

 

「ああ、僕にはお構いなく」

 

「はあ……」

 

 そう言われると追及しようもないのだが。

 

 ひとしきり話をしていると、小一時間ほど経ってしまった。もうそろそろ帰らなければいけない時間だ。

 

「その、ごめんな大樹君。俺達、もう帰らないといけないんだ」

 

「ううん。ありがと。……いつかさ、仮面ライダーの小説書いてもいい?」

 

 恥ずかし気にそう尋ねてくる少年の頭をガシガシと力強く撫で、進ノ介はわかれの言葉を告げた。

 

 空は快晴。昨夜の通り雨はかなりの勢いだったが、帰るのには問題なさそうだ。泥が跳ねるのに注意しなくてはいけない点以外は。

 

 家を出て、さて、これで暇な特命係の何気ない一日が終わる、そう思った矢先の出来事だった。

 

「沢村さん、沢村さん!!!」

 

 血相を変えた女性が荷物を振り回しながら走ってきたのだ。

 

「なんだい花子さんじゃねえか! どうしたんだぁ!?」

 

 ぜえぜえと尋常じゃない様子で縋る女性をなだめる沢村巡査。だが、次の一言でその顔が固まることになる。

 

「人死に! 人死にだよぉ!! あのバカ息子が死んでるんよ!!!」

 

「嘘だろぉ!?」

 

 沢村巡査は一度も見せたことのない大声をあげた。

 

「ほんとだよぉ、いつまでたってもがちゃがちゃうるさいから怒鳴りこみに行ってやったら、首つって死んでるのよぉ!!」

 

「んな、ばかな……」

 

 沢村巡査は焦った顔で右京と進ノ介に振り向く。

 

「すんません。なにやら、その、緊急みたいで。私は行かないと……。失礼します!!」

 

 そう言い、巡査は駆け出してしまった。

 

「ああ、えと、どうしたら」

 

 一方、進ノ介は自身の思考が追いついていないのを感じ取っていた。だが、右京はそんな彼をしり目に一歩を踏み出していた。

 

「杉下警部、どこへ!?」

 

「もちろん、沢村巡査の後を追いに。ああ、花子さん、お手数ですが、一仁氏の自宅はどこに?」

 

「え、ええ。ここしばらく道なりに行った、公民館と小学校の近くにある大きな蔵ですわ」

 

「そうですか、どうもありがとうございます。それでは、僕もこれで」

 

 右京は何のためらいもなく、歩き出す。その背中を見ながら、進ノ介の脳裏には突如ここ一ヵ月の記憶が流れていく。

 

 警視庁陸の孤島。

 

 薄暗い部屋。

 

 消費されていく飴に、しなびていく心。

 

「……俺達、刑事じゃないんですよ? 捜査権も……」

 

 ふと、情けなく出した声に右京は一瞬、振り向いていった。

 

 

「ああ、君は来なくても結構ですよ」

 

 

 なんでもないようなその一言を聞いて、

 

「!!」

 

 カッと、進ノ介の心の奥で、エンジンが火を噴いて暴れ出した。たまりにたまった思いが、身体を動かす。無意識のうちに、ネクタイに手をかける。

 

 気がつけばダラダラに隙間の空いたそれを、乱暴に締め上げていた。

 

「冗談じゃない! 行くに決まってるじゃないですか!!」

 

 進ノ介は走り、右京を猛然と追い越して、巡査の後を追った。




少し駆け足かもしれませんが、事件の発生まで。

相棒世界の時系列、変更点等は本章完結後に資料として投稿させていただきます。

最後になりますが、今作をお読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。初投稿にも関わらずお気に入りや感想までいただけて、涙が出るほど感動しています。

本作は原作を「相棒」としているため、仮面ライダーの出番はいつになるかも分からない、そんな作品です。早速のオリジナルの事件でもあり、皆さまにお受け入れいただけるか不安ではあります。ですが、両作品へのリスペクトを忘れずに今後も精進を続けてまいりますので。どうかお楽しみいただけると幸いです。


それでは次回、捜査編。
おなじみの彼らもやってきます。


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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか III」

お待たせいたしました。事件発生と調査開始。

早速のオリジナル事件で恐縮ですが、皆さまにも顛末を予想していただけるとありがたいです。


 沢村巡査の後を追い、30分ほど走ったところに、町長の息子、岡田一仁氏の自宅はある。なるほど、花子さんの言っていた通り、公民館と小学校が並んでいる大きな通りをさらに奥に行ったところ。騒音トラブルは小学校にはぎりぎり届かないくらいの距離。

 

 もともとは大きな土蔵だったのだろうが、激しくリフォームされている。元は質素な壁だっただろうそこは派手なペンキで塗りたくられていた。文字なのかすら判別ができないが、アートなのだろうか。

 

 右京と進ノ介は入り口で呆と立ち止まっていた沢村巡査と合流すると、家の中に入っていく。

 

 内部は一階は巨大なガレージ、二階は自宅となっていた。ガレージには昨日進ノ介たちが見かけた改造車が派手派手しい色を輝かせながら鎮座している。

 

 その二階、派手に散らかされ、住人の生活習慣がよくわかるそこに、一仁氏はいた。天窓の光に照らされた体を宙に浮かせながら。

 

 入った瞬間、生活臭とは異なる、すえた臭いに顔をしかめた。こういった犯罪現場には慣れているとはいえ、人の死には慣れることはできない。

 

「まさか、ほんとにこんなことになるとは。……これ、下ろしてしまってもよろしいのでしょうか?」

 

 沢村巡査はこういった現場は初めてだという。どこから、自信なさげに尋ねてきた。

 

 昨日は車越しに見ただけなので分からなかったが、一仁氏はかなりの大柄で、プロレスラーか、相撲取りといっても過言ではない、そんな体格をしていた。

 

 天井の太い梁に結びつけられたロープに吊らされているが、到着した時点で、既に脈はなく、死後硬直も進んでいた。首元は自重のためか、ロープに酷く食い込んでいる。

 

「事件性を確認するまでは、そのままで。……足元には踏み台となりうる椅子が転がっていますねえ。元は土蔵ということで梁は低い。この椅子を使えば届く距離でしょう」

 

 そう言いながら、右京は白い手袋をつけて、物色を始める。進ノ介もそれに倣い、写真をとりながら検証を始めた。

 

 現場保存のためにも、配置を動かさないように注意する。だが、脱ぎ散らかされた下着類に、雑誌、CDケースまで様々な物が散らかされている。少し足の踏み場を間違えると怪我をしてしまいそうだ。

 

 一通り写真をとり終わり、遺体へと目を向ける。大きな外傷はない。

 

 一見すると自殺、のようにも見える現場だ。しかし、進ノ介は違うと自身の直感が訴えてきているのを感じる。刑事の勘という類のものを感じ取ったのは久しぶりだった。

 

 進ノ介の頭の中で現場のあらゆる景色がぐるぐると結合したり、離れたり。そうしてすべてが繋がった時は事件が解決するものだが、その気配はまだない。

 

 ただ、

 

「杉下警部、俺、気になることがあるんですけど」

 

「はい?」

 

「被害者の首回り、なんか不自然にこすれてません? 皮が破れて出血しているところもありますし」

 

 絞殺や首吊り自殺の場合、苦しみに耐えきれず縄を外そうともがくことはあり得ることだ。ただ、

 

「こんなに暴れたなら爪にも痕跡は残りそうなのに、えらく綺麗なままです」

 

 太い掌をとってみると、そこには派手に塗り分けられた爪がきれいに残っていた。皮膚片や血痕は残されてはいない。

 

「ああ、僕も面白いものを見つけましたよ」

 

 そう言うと右京は戸棚の奥から、白い粉の入った小さいビニルをとりだす。

 

「それって」

 

「おそらくは覚せい剤でしょう。他殺か、自殺か。……どちらにせよ、鑑識は呼ぶべきですね」

 

 右京は静かに告げた。

 

 

 

相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか III」

 

 

 

 右京の進言に従って、本庁に連絡してみたものの、鑑識や応援が来るには急いでも二時間ほどかかるらしい。

 

 自分たちがこの町に来た方法を考えると、それも仕方ないだろう。

 

 ただ、電話に向かい「特命係」と告げた進ノ介は、「またかよ」というげんなりとしたつぶやきを聞いたのだが、そのことが進ノ介にはひどく気にかかった。

 

 どういうことだ、と。

 

 対外的には特命係に職務は設定されておらず、ヘマをした警察官を飼い殺しにし、辞職に追い込むための部署といわれている。にもかかわらず、右京はこうして事件を見た瞬間に捜査を始めてしまった。

 

 仮にそんな部屋に長くいたのなら、身の程をわきまえる、あるいは、さらなる処分を恐れて捜査に手を出そうとはしないだろう。恥ずかしながら、先ほどの自分自身と同じように。

 

 だが、「またかよ」という言葉をその通りに受け取るなら、こうした形で特命係が事件に首を突っ込んでいることが多々あるということだ。

 

 ここ一ヵ月在籍して感じ取っていた特命係というイメージが、静かに形を変えていくのがわかる。第六感として『ここには何かある』と進ノ介の脳細胞が訴えていた。

 

 そんな進ノ介をよそに、右京は外に出ると、騒動を聞き付けてやってきた住人達を、沢村巡査と協力しながら誘導し、話を聞いていた。

 

「ねえねえ、沢村さん、あのバカ息子死んだって?」

 

「あー、ちょっと、みんな、落ち着いてくれ! この本庁の警部さんが話があるってんだ」

 

 本庁、と聞き、住人達の好奇の目が右京に向けられるが、右京は穏やかな笑みを浮かべながら話を聞き始める。

 

「突然のことで皆さんも戸惑いが大きいでしょうが、二三、お尋ねしたいことがあります。おそらく、一仁氏が亡くなられたのは、昨晩のことですが、何か変わった物音や出来事は起こりませんでしたでしょうか?」

 

 その問いに住人達は互いに顔を見合わせ、ざわざわと話し始める。質問から、尋常な話ではないことを感じ取ったのだろう。

 

「昨日の夜は、あたしたち、公民館に集まって町長の誕生会やっていたのよ。みんなお酒飲んで、お寿司食べたりしてね」

 

「そうそう、『もうそろそろ引退するか』なんて言っている岡田さん励ましてね」

 

「ほう。いったい何時ぐらいまででしょう?」 

 

「大体、夜の一時くらいまでかしら。みんな騒いでいたわ」

 

 なんでも、毎年の恒例行事だそうで、仕事がある者を除いて住人の大多数は公民館に集まっていたという。

 

「外に出たときはあのやかましい音が少し聞こえてきていてね。またあのバカ息子か、ってみんな思ってたわよ。まさか、死んじゃうとはね」

 

「なるほど。それでは質問を変えて。一仁氏に怨みを抱いていた人に、心当たりはありますでしょうか?」

 

 そういうと、住民たちは不思議と声をそろえて言った。

 

「「ない」わよ」

 

「というと?」

 

 右京は意外だという声をあげる。

 

「そりゃねえ、迷惑に思う声もあるし、度が超えたときには警察に相談にも行ったけど」

 

「怨みっていうほどはねえ。岡田さんに許してやってくれ、なんて頭下げられたら、ねえ」

 

「バカ息子なんて呼んでても、まだ20代でしょ? もう少ししたら落ち着いてくれるって思ってたわよ」

 

 多少の不満はあっても、怨みというほどのものはない。それが住人の意見だった。おおらかというのが正しいのだろうか。

 

 あるいは、英雄視されている岡田町長への信奉心のようなものが息子の行状にフィルタをかけているのかもしれなかった。

 

「あ、でも。校長先生は本気で怒ってたわよね」

 

「そうそう、ひどい剣幕だったわよ」

 

「校長先生というと、飯森さんという方でしょうか?」

 

「そうよ、飯森校長。あの人、ほんとにいい先生でねえ。町の子供たち皆を自分の子みたいに可愛がっているんだけど」

 

「一仁君の車が子どもを轢きかけたって、それはもう、大変な怒りっぷりで」

 

「あれ以来、岡田さんともギクシャクしちゃってねえ。昨日の会も学校で仕事だって、来てくれなかったのよ」

 

「なるほど、貴重なお話、どうもありがとうございました」

 

 

 

 右京は住人対応を沢村巡査に任せると、屋内へと戻って進ノ介と合流する。

 

「何か見つかりましたか?」

 

「杉下警部が見つけたクスリの近くから、注射器。それに、腕には注射跡が。常習者かもしれません。あと、何人か若い男たちと一緒に写っている写真が。しかも隠し撮りですね。見てわかる通り、場所はこの家です。

 仲間を呼んで、ドラッグパーティを開いていたのかもしれない」

 

「そう言った現状を、町長は知っていたのかどうか。話を聞いてみる必要がありますねえ」

 

 

 

 右京と進ノ介は現場を離れると被害者の父で、町長である岡田勇作氏の邸宅へと向かった。息子の自宅とはかなり距離がある。たどり着いたのは、あの土蔵と違い、歴史と威厳を感じさせる堅実な家だった。

 

 出迎えた勇作町長は息子と同様に体格がよく、年齢を感じさせないほど。若いころは市民活動の中心に立っていたというが、なるほど、ボス猿タイプ。人を先導する雰囲気が感じられた。

 

「沢村さんから、お話は伺っています」

 

 さ、どうぞ。という町長の勧めに従って室内に上がる。あちらこちらに品の良い掛け軸やら壺やらが。

 

「立派なお屋敷ですねえ」

 

「私はあんまり派手なのは好かんのですが、町のみんながいろいろと勧めてくれるんです。おかげで私は解さん工芸品やら何やらが増えましてね。

 なんとか体裁を整えられているのは家政婦のトメさんのおかげです」

 

「失礼ながら奥様は……」

 

「家内は5年ほど前に。心臓発作でぽっくりと」

 

 町長は少し寂しげに笑う。

 

「それじゃあ、その後はお一人で……」

 

「まあ、もう慣れました。今は、町のみんなが家族のようなもんですし。ただ、まさかねえ……」

 

 本当なんですか?

 

 と尋ねてくる町長に、静かに進ノ介は頷いた

 

「……できの悪い息子でしたが、親より先に逝く馬鹿者だとは」

 

 町長は頭を抱える。すすり泣く声に、進ノ介はかける言葉を失う。だが、右京はずけずけと。

 

「ご子息のことでいくつか伺いたいことがあるのですが」

 

 進ノ介の抗議の視線は目に入らなかったようだ。

 

「あ、ええ、どうぞ。……自殺だったのでは?」

 

「それを確かめるためにも、ぜひ」

 

「え、ええ。分かりました。何でもどうぞ。……そういえば、なんで本庁の刑事さんが? 特命係なんて聞いたこともないのですが」

 

 進ノ介はその言葉に途端に居心地が悪くなるが、右京は顔色も変えず、まあまあ、いろいろありましてなんて言って、質問を始める。

 

「息子さんがお戻りになったのも5年前ということですが、どんな事情があったのでしょう?」

 

 しかも、そんな聞きにくい質問から。

 

「妻が亡くなったことがきっかけです。葬儀でこちらに戻ってきて。以前は都内の飲食店で働いていたのですが、他人様を殴って病院送りにしたとかで解雇されました」

 

 被害も軽微で、和解が済んだことから罰金刑に留まったという。

 

「それからは、働きもせず毎日ぶらぶらと」

 

「あの、お聞きにくいことなんですけど、息子さんが覚せい剤を使用していたことをご存じですか?」

 

 進ノ介が尋ねると、町長の顔色が大きく変わる。

 

「そんな、まさか」

 

「間もなく鑑識が入り明らかになるでしょうが、おそらくは」

 

「……アイツが戻ってきてから、お互いに関わり合いになるのを避けていましたから。会うのも月に一二度で……。そんなことになってたなんて」

 

 詳しく話を聞いてみると、例の盗撮写真に写っていたのは一仁氏の友人という。都内からたまに訪れていたのを見たことがあると言った。

 

 その後、彼の日ごろの習慣やら、交友関係を知っている限り聞き出し。

 

「なるほど、ご協力ありがとうございました」

 

 丁寧な対応に対して礼を言う。

 

「あの、不肖の息子ですが、私は親です。何か、お力になれることがあれば、いつでもおっしゃってください」

 

 その言葉にもう一度頭を下げ、部屋を出ようとする。だが、後ろを歩いていた右京は、あぁ! なんて大きな声を出して。いきなり振り向く。

 

「細かいことですが、最後に一つだけ」

 

「は、はい」

 

「昨晩は町長のお誕生日だったそうですね」

 

「え、ええ。皆が誕生会なんて開いてくれまして」

 

「ああ、それは羨ましい。僕などもう何年も誕生日を祝われたことがないものです。さぞ美味しい食事も出たのでしょう」

 

「まあ、それなりに」

 

「お酒は?」

 

「酒、ですか?」

 

「ええ、昨晩宿でいただいたお酒がいたく気にいりまして。お祝いの席です。町長も昨晩はよくお飲みになったのではないか、と」

 

「あ、ああ。けど、昨晩はあまり飲みませんでしたねえ。そのおかげで、少しは落ち着けて刑事さんにお会いできています」

 

「なるほど。どうも、ありがとうございました」

 

 右京はそう言うと、今度こそわき目も振らずに外へ出る。進ノ介は外を出たタイミングで尋ねた。

 

「最後の質問、いったい何だったんです?」

 

「ええ、特に意味のある質問ということではなかったのですが。少し、気になったもので」

 

「はあ」

 

 よくわからないまま、生返事をする。

 

「そんなことよりも、一度現場へと戻るとしましょう。どうやら応援が到着したようです」

 

 と右京が指さす方へと目を向けると、町長宅の玄関に一台の覆面パトカーが停車していた。そこから降りた、三人の人影がこちらへやってきた。

 

 肩を怒らせながら先頭を切って歩いてくるのは、顔が厳めしい男性。その彼に右京は親し気に話しかける。

 

「おやおや、これは伊丹刑事」

 

「特命係の警部どの。どーも、お久しぶりです。それと、……ふんっ」

 

 伊丹と呼ばれた強面の男は、不機嫌な挨拶を右京に返すと、進ノ介に対しては不満げに鼻を鳴らすだけで睨み付けてきた。

 

 なんだこの男は、初対面なのに。

 

 進ノ介の伊丹刑事への印象は最初からマイナスへと振り切れた。

 

「いやー、杉下警部、帰国早々に事件だなんて、相変わらず凄い運してますよね。で、こっちは、うわっ、本物の仮面ライダーだ。後で握手してもらっていい? 俺、芹沢っていって、一応先輩にな、アイタッ!!」

 

「ばっかか、お前! さっさと行くぞ!!」

 

 一方、芹沢という男性はそう興奮気味に進ノ介に言うと、伊丹に頭を叩かれている。

 

「それにしても、捜査一課がいらっしゃるとは。まだ事件性は確認できていないはずですが」

 

「杉下警部がいる時点で、ただの事件じゃないのはわかりきってますから」

 

「その評価にはいささか不本意ではありますが、なるほど。それでは、僕たちはこれで」

 

 嵐のような邂逅は一瞬で終わった。もう話すことはないとばかりに男二人はすれ違い、玄関へと向かっていく。

 

 捜査一課、父親が在籍し、自分が行っていたかもしれない場所。その彼らを少しの羨望のまなざしで見つめ、進ノ介は右京のあとを追う。

 

 だが、

 

「!?。……霧子」

 

「泊さん……」

 

 目の前に、かつての相棒がいた。かつての交通課の制服ではなく、動きやすいスーツ姿。捜査一課に配属されたという話は聞いていたが、ここで出会うとは。

 

 突然の再会に進ノ介は言葉を詰まらせて……。

 

「……!!」

 

 霧子の突然のビンタに目を白黒とさせた。

 

「ちょ、おい! 久しぶりなのに!?」

 

「何やってるんですか、泊さん!!」

 

 霧子は派手に進ノ介の胸倉を掴み挙げると、詰め寄る。

 

「もう! 特命係なんですよ!? これ以上立場悪くしたら、どうなるか!!」

 

 なんて、大声で言われる。けど、なぜか不快な気持ちにはなれなかった。霧子の目に涙が浮かんでいた上に、そう怒られるのは懐かしかったから。

 

「ははっ」

 

 思わず笑ってしまう。何やら立場が変わったからといって会いに行かなかったのが馬鹿らしくなった。

 

「な、なんでわらってるんです!?」

 

「いや、霧子はいつも通りだなって。……心配してくれてありがとな。けど、俺は警察官だから、事件があって何もしないなんて無理だ」

 

「だからって!」

 

「大丈夫、大丈夫。無理はしないから! あと、そうだ。昇進おめでとう。スーツ、けっこう似あってるな」

 

 なんて昔よろしく少しかっこつけて言ってみると、霧子は強張らせていた体の力を抜いて、大きくため息を吐いた。長く長く。

 

「……もう、心配した私も馬鹿みたいじゃないですか。じゃあ、くれぐれも上に睨まないように気をつけてください。……また会えてうれしいです、泊さん」

 

「ああ、俺も。それじゃ、また後でな」

 

 そんな何でもない会話で胸のつかえが降りていく。また後で、といえることがこんなに嬉しいとは思わなかった。

 

 霧子と別れ、右京と合流する。

 

「お知り合いで?」

 

「ええ、前の相棒です」

 

「なるほど」

 

 なんて、現上司は相も変わらず感情の読めない反応を返すだけ。すでに別れた霧子が恋しくなった。

 

 

 

 現場に戻ると、鑑識が入り、あわただしく動いている。仕切りが張られているが、特命係といえど警察官。中に入ることが許された。

 

 二階へ上がると、右京は証拠品の採取を続けている小太りの男性へと話しかける。眼鏡と少しマニアックそうな顔が特徴的だった。

 

「米沢さん、何かわかりましたか?」

 

「おお、これは杉下警部! 今回は長いイギリス旅行でしたな。しかも帰国して早速事件を探り当てるとは」

 

「ふふ。偶然ですよ」

 

「偶然も幾度となく続けば、必然。というやつだと思いますが……。と、そちらが、」

 

 米沢という鑑識は少し芝居がかったような独特な語り口をする。

 

 それに少し戸惑うが、進ノ介は自己紹介する。

 

「え、ええ。泊進ノ介です」

 

「鑑識の米沢守と申します。杉下警部とは昔から色々と縁がございまして。いやー、仮面ライダーと会えるとは思ってもおりませんでした。望外の喜び、というやつですな」

 

 ははっと朗らかに笑う米沢はあの伊丹と違って親しみを感じさせる。その振る舞いもかつての同僚を思い起こさせ、不思議と仲良くなれそうだった。

 

「それで、被害者は?」

 

「ああ、そうですそうです。死亡推定時刻は昨晩の10時頃。死因は窒息死。詳しくは司法解剖の結果待ちですが、簡易的な血液検査では、血中から薬物反応がでています」

 

 おそらくは睡眠薬という米沢。

 

「自殺の前に精神を落ち着けようと飲むことはあるって聞きますけれど」

 

 それだけだと自殺か他殺かは判断がつかない。薬を飲ませた後に自殺に見せかけて吊るしたという可能性もある。

 

「ああ、あと、足の裏に不自然な傷がありました。傷の形状から見るに、CDケースのような散在しているゴミで切ったものでしょう。薬物で朦朧とした結果か、あるいは別の理由かは分かりかねます。

 ……ただ、出血の状況から、死後についた傷の可能性も」

 

「……なるほど」

 

 また疑問が増えていく。さて、他殺だとすると誰がそんなことを。被害者とトラブルを起こしていたという校長先生とも話を聞かなくてはいかない。等と考えながら進ノ介は、ふと、外を見る。

 

 もう庭の外に人はほとんどいない。けれど……、門の隅に小さな人影が見えた。

 

「あれは、大樹君?」

 

 先ほど別れた少年が、どこか所在なさげに、いや、怖がっているように立っていたのだ。




別作品を毎日投稿中で、こちらの作品をお待ちいただいている方には心苦しい限りです。多少は遅くなっても、完結まで頑張りますので、どうか気長にお付き合いいただけると幸いです。


それでは次回、捜査編2。
次回もお楽しみいただけると幸いです。


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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか IV」

捜査編第2パート

ここまでの状況のまとめ
被害者:岡田一仁氏
町長の素行の悪い息子。自宅の二階で首を吊り死亡。損壊状況から自殺に疑問が残る。
かなりの巨体。薬物の常習犯。

岡田町長
英雄視される町長であり、被害者の父親。殺害時刻は住人総出での誕生日会を行っていた。

飯森校長
被害者とトラブルが起こっていたという小学校の校長。

大樹少年
推理小説好きな少年。祖母と二人暮らしだが、祖母が入院している。

沢村巡査
特命係の案内役となった町の巡査。


 ほんの数時間前、大樹少年は目を輝かせていた。好きな小説の話をしたり、仮面ライダーに握手とサインをもらって喜んでいたり。そんな普通の少年の姿。

 

 けれど、進ノ介が彼の元へと向かった時、大樹少年はどこか所在なさげに小さい体をすくませていた。

 

「大樹君、どうしたんだ?」

 

 進ノ介が話しかけると、大樹少年は少し肩を震わせる。どうしてか、怖がっている。

 

 心配いらないよ、と示したくて、進ノ介は高い背を屈ませて、目線を合わせる。大樹君は少し、息を整えると口を少し開ける。少し声を震わせながら、

 

「あの、泊さん。人が死んだって聞いて。その、それも町長の息子だって」

 

「えっと、それは誰に聞いたんだい?」

 

「町のおばちゃん達がみんな話してたんだ。……家で首を吊っていたって」

 

 狭い町だ、広まるのが早い。こんな子ども達にまでもう伝わってしまったとは。このくらいの年の子どもは人の死や身の回りの事件に敏感だ。今は保護者も入院中だという大樹君は不安を感じても仕方ないだろう。

 

 進ノ介はぽんぽんと大樹君の頭をなでて、安心させるように笑顔を浮かべ、考えて言葉を送る。

 

「大丈夫、大樹君が危ないことなんて絶対に起こらない。それに、事件は俺達が解決してみせるから」

 

「……」

 

 大樹少年はその言葉に瞳をわずかに震わせながら進ノ介を見つめる。

 

「安心して、な?」

 

「うん……」

 

 大樹少年は小さく頷く。よし、と最後に軽く背を叩いて。

 

「それじゃあ、ここは危ないから家に戻るんだぞ」

 

「わかった。……ねえ、泊さん」

 

「うん?」

 

 少し言いよどんで。

 

「……きっと、殺人事件だと思う」

 

 小さく、けれど、確信しているように少年はつぶやいて、駆け足で去っていってしまった。

 

 子どもの戯言、そう断言しても良いかもしれない。けれど、進ノ介には彼が何かを知っているのではないか、そんな漠然とした、ありえない考えが燻りだした。

 

 

 

 

相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか IV」

 

 

 

 右京は窓からそんな二人の様子を眺めていた。少年の姿を見かけた瞬間、飛び出していってしまった泊進ノ介と、少年とのふれあいの姿を。

 

「仮面ライダー等と立派な名前があるものですから、もっと厳つい人かと思っていたのですが。意外と純朴な青年ですな」

 

「米沢さん」

 

「どうですか? 新しい相棒は」

 

「さあ、まだ何とも。それに、相棒とは言っていませんよ? 彼もすぐに辞めるかもしれませんし」

 

「いやいや、この米沢の目には、亀山さん、神戸さんと同じく長く居付きそうに見えます」

 

「なるほど、意外と米沢さんの勘は当たりますからねえ」

 

「意外とは何ですか、意外とは!?」

 

 ただ、と右京は戻ってくる青年の姿を眺めながら、ひとりごちる。

 

「冷静な観察をしているかと思えば、直情的。……中々、変わった人ですね」

 

「杉下警部がそれを言いますか」

 

 米沢は仕返しに小さく言い返す。

 

「ああ、そういえば。米沢さん、先ほどお伝えした写真に写っていた若者たちの照合は済んだのでしょうか」

 

「……それがですね、いろいろ厄介なことになること請け合いです」

 

 と、米沢はタブレットを操作して、スキャンした写真を取り出す。

 

「こちらの彼は、最近人気急上昇中のバンドのボーカルです。こちらは、与党議員の二男。別の写真になりますが、大企業の若手役員等、写真に写っているのは中々のメンバーです」

 

「なるほど、一仁氏は都心部で働いていたときに広く人脈を作っていたようですね」

 

 右京は部屋を見渡す。あちらこちらが散らかり、分かりづらいが、大画面TVにBDプレイヤー、酒や無造作に放られたパイプ、そして、あの覚せい剤。

 

「無職というには、高価な嗜好品をお持ちのようでしたので……」

 

「彼の収入がどこから来るのか、予想ができますな。そのための隠し撮り写真。つまり、彼らは動機がある、と」

 

「ドラッグの使用に留まるのか、おそらくはもっと多くのスキャンダルが隠されているのでしょう」

 

 ただ、住民の聞き取りではそういった外から来た人間は見られなかったという。小さい町であり、出入りする人間に対する目は厳しい。昨日の右京と進ノ介の姿も、しっかりと覚えられていた。夜間に移動するとなると車が必要だが。見慣れぬ車などは特に目につくだろう。

 

「杉下警部」

 

 右京が考えをまとめていると進ノ介がようやく戻ってくる。

 

「ああ、戻りましたか。彼の様子はどうでしたか?」

 

「……事件があって、少し怖がっているようですね」

 

「なるほど、小さな少年です。仕方ないでしょう。君がついていてあげても良いんですよ?」

 

「それ、俺は厄介者、ということですか?」

 

「そうは言ってませんよ」

 

 この後は沢村巡査と共に被害者とトラブルを起こしていた飯森校長を訪れる予定となっている。簡単な情報共有をし、米沢に部屋中の記録媒体を探るように頼むと、巡査と合流した。

 

 倉の外で涼んでいた沢村巡査は疲れ果てたように腰を下ろし、昨日よりも老け込んだように見える。

 

「沢村さん、大丈夫ですか?」

 

 進ノ介が声をかけると弱々しく微笑み、よっこいせなどと言って腰を上げる。

 

「ええ、すみません。いろいろあって老骨にしみてしまっとります」

 

「お身体が悪いんでしたら、休まれた方が……」

 

「いや、私の町で起こった事件です。解決に全力を尽くさなければ」

 

「……分かりました。無茶しないでくださいね」

 

 そう言うと、しっかりとうなずく。その様子に胸をなでおろし、右京と共に町の小学校へと向かった。

 

 小学校の外見はオーソドックスの鉄筋のもの。ただ、やはり児童数は少ないのか、二階建て。巡査に案内され、来客受付を澄ませると、校長室へと向かう。

 

 黒塗りの立派な校長室の前に立つと、中から子ども達の楽し気な声が聞こえた。

 

「校長先生、失礼しますよ」

 

「ああ、沢村さん。すまんね、ちょうど児童クラブが終わった時間だったんだ。ほら、みんな今日は帰りなさい」

 

 校長席に座る飯森氏は手元にたくさんの折り紙を置き、子ども達とそれを折って楽しんでいた。進ノ介たちが入ったことを確認すると、少し白髪が混じった髪を少しかいて、申し訳ないねえ、なんて周りに集まっていた児童へ帰りを促す。

 

「さわむらさん、さようならー!」

 

「はい、さようなら。帰り道には気をつけるんだよ」

 

 等と沢村巡査は子ども達一人一人に声をかける。

 

「あんなことがあったもんで、みんな不安に思ってるようだ。どうだね、沢村さん、自殺って話を聞いたんだが」

 

「それを確認するためにも、この人たちに協力をお願いします、校長」

 

 そうだな、と校長はつぶやき、進ノ介と右京に着席を促す。来客用のソファへと座ると、校長も対面へと座った。

 

「ここで校長を務めている、飯森武と申します」

 

「警視庁特命係の杉下です」

 

「警視庁の泊です」

 

「本庁の刑事さんがいらっしゃるとは。まさか、他殺、ということでしょうか?」

 

 顔をしかめながら尋ねてくる校長へ、右京は答える。

 

「今は何とも、ただ、いくつか不審な点もありまして」

 

「なるほど。それなら、彼とトラブルを起こしていた私が疑われるのも仕方ないですね」

 

 納得したように飯森校長は頷く。

 

「他の住人達は岡田さんの手前、強くは出れないようですが、私は校長として、子ども達を守る責任があります。この先の町を支え、未来ある子ども達が被害を受けることなんて、許容できない」

 

 そのように訴える飯森氏は先ほどの子ども達へと向ける柔和な微笑みが無くなり、ともすれば苛烈とも言えるような表情。なるほど、子を預ける相手として、この頼もしさは相応しいだろう。

 

「一仁氏の行動で子ども達に被害が出た、と話を聞きましたが?」

 

 右京が質問をする。

 

「ええ、あの車、見たでしょう? あれで農道だろうとかまわず走り回るもんだから、あわや人身事故、なんて場面が日常的にあった。それに、川端大樹君の件で堪忍袋の緒が切れました」

 

「それって、あの大樹君ですか? 推理小説が好きな」

 

 意外な名前が出てきて、進ノ介は驚く。右京も少し興味深そうに身を乗り出した。

 

「お知り合いでしたか。大樹君、ご両親が少し前に亡くなりまして、おばあさんと二人で暮らしていたんです。町にも慣れてきて、笑顔も戻ってきたというのに……」

 

「何があったんですか?」

 

「あの一仁が運転する車、畑仕事に出てたおばあさんが、避けようとして側溝に落ちたんです。足と手を骨折して、今は入院を」

 

「そうだったんですか」

 

「あればかりは許せなかった。彼女、川端春名さんといいますが、この沢村さんを含めた幼馴染でしてね。何より、春名さんの入院がきっかけで大樹君もまたふさぎ込んでしまいました」

 

 そう言うと飯森校長は沢村巡査に同意を求める。

 

「ええ。ただ、事故を起こしたわけでもないので、逮捕もできず。それでも厳重に注意したのですが、真面目に聞いている様子はなかったんです」

 

「これもあの岡田の奴がつけあがらせているからだ! って、町長宅に乗り込んでしまったのですがね。結局、町長と私の仲がこじれただけで終わってしまいましたよ。

 

 この期に及んで息子を庇うとは、かつての英雄も地に落ちたもんです。顔も見たくない」

 

 なるほど。話を聞いていると、飯森氏は激しい怒りを一仁氏に向けていたことがわかる。本人も隠そうともしていない。

 

「失礼ですが、昨夜の十時頃は?」

 

「おお、アリバイというやつですね。私は家で仕事を。運動会が迫っていたので、いろいろと立て込んでしまっていまして。奴の誕生会にも行く気はありませんでしたし」

 

「それを証明する人は?」

 

「いませんな。妻も他界し、息子も若いうちに。ですが……」

 

 と飯森氏は左手を出す。手の甲に大きな傷跡が存在した。

 

「確か、あの一仁は首を吊ったんでしたな。あの大きい体を持ち上げるのは、私には難しいですし、若いころにバッサリと怪我をしたことが原因で左手には力が入らないのです」

 

 進ノ介は一応、その手を取り、力を入れてもらうが、弱弱しいものだった。利き手でないので日常生活には障りがないというが、犯行は無理だろう。

 

「なるほど。貴重なお話、ありがとうございました」

 

「刑事さん、亡くなった人を悪く言うのは好きませんし、道徳的に間違っているのも教育者として理解しています。ですが、奴が子ども達の未来を奪う前に死んだことで、私は安心しています」

 

「……」

 

 その強い言葉に右京と進ノ介は反論をしなかった。ただ、二人そろって頭を下げて、部屋を出る。

 

「沢村さんもこの町の出身だったんですね」

 

「ええ、生まれも育ちも。……校長先生のこと、悪く思わんといてください。少し激しやすい人ですが、子ども達を想う心に嘘偽りはありません。町の住人にとって本当に良い先生なんです。

 小さい町ですから、私たちも含めて、子どもと関わる人らにとって、町の子どもは自分の子供と同じなんです」

 

「それは、分かります」

 

 警察官として倫理的に反した言葉に同意はしかねる。だが、その校長先生の考え方にも感じるものはあった。

 

 再び現場へ戻ろうとするも、歩いていくと少し時間がかかる。これまでの話をまとめてみようと、進ノ介は右京へと話しかける。

 

「少し、整理してみませんか? 被害者の一仁氏は首吊りの状態で発見。ただ、遺体には不自然な損壊があって、睡眠薬の服用が明らかになっている。殺人の可能性は捨てきれません。

 殺人の場合、あの巨体を持ちあげて、ロープにかける腕力が必要ですよね」

 

 進ノ介は現場の映像といくつかの証言を組み合わせていく。少しずつパズルのピースが集まっているが、まだ歯抜けだ。

 

 その言葉に応じて右京も考えを伝えていく。

 

「ええ。ロープの準備、殺害にもかなりの時間と体力が必要でしょうね」

 

「となると、この町で一番強い動機をもち、アリバイも不完全な飯森氏に犯行は不可能。他に犯人になりえるのは誰だ」

 

「隠し撮りをネタに脅されていただろう、被害者の知人。ただ、住人に気づかれずにここまで来るのは中々難しいでしょうが。

 犯行が可能な体格を焦点とするならば、岡田町長も可能でしょう」

 

 ラグビー選手のように大きく、立派な体格をしていた。あれなら、被害者を持ちあげることも可能だろう。

 

「まさか、町長が!?」

 

 沢村巡査は心外だとでも言うように抗議の声を上げる。

 

 その声にも右京は冷静に返していく。

 

「ただの仮定の話です。ちなみに、町長の当日のアリバイは?」

 

「……公民館に集まっていた皆の話では、十時頃はずっと会場にいたと」

 

「その後は?」

 

 沢村巡査は淀みなく答える。

 

「少し手洗いなどで抜けることはあっても、終了した午前一時までは会場にいたのが確認されています」

 

 住人のほとんどと一緒にいたのだ。これほど強固なアリバイはないだろう。

 

「町長も無理か……。一つ、疑問なんですが、被害者にご近所トラブルや車による被害は出ていますが、それが殺す理由になりますかね? 飯森校長だって分別のある方でしたし。それなら、恐喝の線をあたったほうがいいような」

 

 右京はその言葉に同意を返す。二人ともに、これまでの被害者像に殺人に至るような動機が見えていない。

 

「おそらく、一課が彼の過去の裏付けを進めているでしょう。そこで何が出てくるか、ですね」

 

 

 

 その機会は案外早く得られた。運よく現場の入り口の前で一課と鉢合わせたからだ。

 

「伊丹さん、芹沢さん、それと、詩島さんでよろしいでしょうか?」

 

 右京は言葉を交わすのは初めてとなる霧子へと声をかける。

 

「……はい、元特状課の詩島霧子です」

 

 霧子は半ば睨み付けるような、警戒するような目で右京へ返す。進ノ介のことがあり、右京へ対する疑問と憤りは残っていた。

 

 そんな霧子の様子には気にも留めずに、伊丹は右京へと威嚇するように肩をゆすって語気を強める。

 

「で、特命係でふらふらしてる警部どのはどうしたんですかねえ!」

 

「ごめんさいね。先輩、いつも通り気が立ってるみたいで」

 

 茶化すように言う芹沢を伊丹の裏拳が襲った。

 

「何か、他殺を裏付ける証拠や、動機につながるものは出てきたかと」

 

「それ、知ってたところで警部どのに話す理由がありますか?」

 

 伊丹はますます顔を変にしながら嫌味を言ってくる。だが、

 

「あの、芹沢先輩。俺のサインなら後であげますから、その代わり少し情報を教えてもらっても、いいですか?」

 

「いいよ、いいよー! なんでも聞いて!」

 

 進ノ介が少し媚びるように頭を下げると、芹沢は見るからにテンションをあげた。

 

「芹沢ぁ!!」

 

「良いじゃないですか、先輩。こっちもほとんどわかってないんだし。

 えっと、被害者の岡田一仁。若いころから補導に微罪の常習犯だね。元々、岡田家が地元の名士だから、小中は町から少し離れた名門学校。

 高校から都内で一人暮らしをしているけど、この頃から素行が乱れ始めて、最後には高校を退学してる。その後は違法風俗の客引きやら、怪しい飲食店で働いては、トラブル起こして辞めてるみたいだ」

 

 資料を渡されて進ノ介は目を通す。本人の前科とはなっていないが、共に行動していたという反社会的グループでの活動も示されている。

 

「うわ、こちらへ越す直前まで、線路への石の放置や道路封鎖で動画サイトへアップしたりも。これ、微罪とはいえ愉快犯の気が強いな。しかも常習」

 

「それがどうしたわけか五年前に戻ってきたら、のんびりダラダラと。羨ましいね」

 

 と、部屋の中にあったオーディオ機器、俺も金があったら買いたい奴だった等と、愚痴をこぼす。

 

 そこへ二階から降りてきた米沢が合流する。

 

「おや、みなさんお揃いで」

 

「米沢さん、僕が頼んでいたことはどうでしたか?」

 

 右京が朗らかに尋ねると、待ってましたとばかりに米沢はビニルに入ったUSBを掲げる。

 

「警部どのの慧眼は流石ですな。部屋中に隠し扉と、ゆすりに使っていたと思われる写真や音声が。どれも、若者の若気の至りとは言えないような犯罪行為の証拠となります。

 それと、少し毛色が違うものが一点」

 

 いうと、米沢はタブレットに保存されていたそれを示す。少し長い動画だ。

 

 狭い視界の中に写っているのは、

 

「これ!?」

 

 霧子が思わず声を上げ、男性陣も皆、顔をしかめる。

 

「こんな児童の隠し撮り映像が十本ほど。どれもダウンロードされたものではなく、オリジナルです。撮影は五年ほど前に行われ、おそらく小型のビデオカメラを使用したものでしょう

 映像から、場所は近隣のいくつかの小学校と特定されました。今、該当学校へと所轄が連絡を取っているようですが、ほとんどがこういった行為や侵入を確認していませんでした」

 

「素行に加えて、性癖も異常とはなあ」

 

 伊丹が吐き捨てるようにこぼす。

 

 常識があるならば、こういう映像へと嫌悪を示すのは当然といえた。

 

「こんなの持ってるって知ったら、あの校長先生は殺意を抱くこともあるかもしれないですね……」

 

「近隣小学校とはいえ児童たちが被害にあっています。もし、これがアングラサイト等を通して拡散したら、彼らの未来に大きく影を落とすことになるでしょうね。そして、この町の子ども達に被害が起きない確証はないでしょう」

 

 右京も硬い声で告げる。表に出してはいないが、彼も憤りを感じているのは確かだった。

 

「……他には、何か見つかりましたか?」

 

「不審な点とはいえませんが、ロープの巻き付けられていた天井の梁。そこに強く擦られたような跡が確認されています。それと、足の裏の傷はやはり、死後のものでした」

 

「じゃあ、やっぱり殺人」

 

 進ノ介のつぶやきに、米沢は頷く。

 

「血中の薬物濃度もかなり高く、まともに動けたものではないそうです。おそらくですが、他殺でしょうな」

 

 進ノ介は急速に頭を働かせていく。

 

 容疑者はいくつも浮かんでいくが、どれも動機や手段の欠落、あるいはアリバイによって犯人足り得ない。一見すると、できすぎなくらいだ。

 

 あと少し、あと少しなのだが。そして、この違和感は何だ? ぐるぐると沢村巡査、大樹少年、町長、校長、近所の方々。様々な人の発言が複雑に結びついていく。

 

 と、右京が米沢に何でもないことのように尋ねる。

 

「米沢さん、先ほどの映像、もう一度見せてもらえませんか?」

 

「え、ええ。もちろんどうぞ」

 

 右京はじっくりと、映像を眺めていく。次、次、と。どの映像も記録時間は二時間ほどで一定。ロッカーの隙間などから撮られたものだろう。そして、一通り、それらを確認し終えると。

 

 なるほど、とうなずく。そして、踵を返すと、足早に移動を始めた。

 

「杉下警部!?」

 

「犯人がわかりました」

 

 杉下右京は、呆然とする全員を置いて、すたすたと歩き去っていった。




ふと見てみると、多くの方の評価とランキング入りが!

マイナーなジャンルですし、堅苦しい文章ですので評価は望むべくもなかったのですが、多くの方に楽しんでいただけているようで、ありがたい限りです。期待に応えられるように頑張ってまいります。

そんな皆様の嬉しい評価に喜んで書きあげた捜査編第2パートをお届けしました。

さて、犯人は誰なのか?


次回の解決編1も早めにお届けしたいと思います。


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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか V」

お待たせしました解決編パート1

ここまでの状況のまとめ
被害者:岡田一仁氏
町長の素行の悪い息子。自宅の二階で自殺に偽装され殺害。かなりの巨体。薬物の常習犯。小児性愛者の疑いが?


岡田町長
英雄視される町長であり、被害者の父親。殺害時刻は住人総出での誕生日会を行っていた。大きな体格

飯森校長
被害者に激しい怒りを向けていた小学校の校長。犯行時にアリバイは存在しないが
左手に大きな古傷をもつ。

大樹少年
推理小説好きな少年。祖母と二人暮らしだが、祖母が入院している。
事件発生後、進ノ介に謎の言葉を残す。

沢村巡査
特命係の案内役となった町の巡査。


『杉下右京です、よろしく』

 

 杉下右京と初めて出会った時を泊進ノ介はよく覚えている。意気消沈しながら入った薄暗い小さな部屋。自分を見ることなく、新聞を眺めながら告げた自己紹介。

 

 以来、杉下右京という上司は時々奇行を繰り返す、どこか子供っぽい男であった。上司としての威厳や、警察官としての能力は見たことがなかった。

 

 だが、この町に来て、事件に遭遇して以来、杉下右京は手慣れたように事件を捜査し、捜査一課とも協力して……。とうとう、犯人がわかったと告げた。

 

 進ノ介の中で大きな疑問が生まれていた。

 

『杉下右京とは何者なのか?』

 

 多くの者が言うように能力がなく、窓際に追いやられたのか。それとも、自身と同じように何らかの事情があって特命係に甘んじているのか……。

 

 事件と共に進ノ介を悩ませていた疑問が、もうすぐ明らかとされようとしている。

 

 

 

 進ノ介が右京と共に向かったのは町長宅。

 

 突然大勢で押し掛けた面々に岡田町長はわずかに戸惑った様子を見せる。だが、少し迷い、彼らを家へと招き入れた。

 

「突然、どうしたんですか?」

 

 町長のもっともな疑問。その疑問に対して、右京は穏やかな笑みで返答する。

 

「先程、町長がおっしゃっていましたので。何かありましたら何時でも手伝ってくださると。そのお言葉に甘えさせていただきました」

 

「ええ、そう言いましたが? 私が何か手伝えることがあるのですか?」

 

「はい。犯人がわかりましたので」

 

 右京は何でもないように言う。町長は顔をこわばらせた。

 

 その様子に俄然進ノ介は不安になった。自分の中ではまだ形になっていないそれを、このぼんやりとした右京は解き明かしたという。

 

 失礼だとは思ってはいるが、普段の特命係で暇を持て余している姿を見ていると仕方ないだろう。そんな不安をよそに、右京は話を進めていく。自分の考えに間違いがないと、それを確信している表情だった。

 

「犯人というと、やはり、殺人だったのですか? 息子は殺されたのですか!?」

 

「ええ、その通りです。……それを説明するには、もう一人到着を待つ必要がありますが……。どうやら、いらっしゃったようですね」

 

 ドアが開く音がして、少し後にやってきたのは、先ほど会った校長である飯森氏だ。

 

 町長と、校長。町の有力者二人はお互いの顔を見合わせると、途端に顔をしかめる。

 

「杉下さん、でしたっけ? 私は先ほど、この町長の顔なんて見たくないと言った。そう記憶していますが」

 

「ええ、飯森校長はそうおっしゃっていましたね。ですが、必要ですので、少しの間我慢いただけると助かります」

 

「……なるべく早く終わらせてください。いったい、何の話なのやら」

 

 ため息をつきながら、飯森氏が居間に入り、椅子に腰をかける。すると、右京がその場を仕切るように立ち上がり、全員を見回した。

 

「では、そろそろ始めましょうか」

 

 

 

相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか V」

 

 

 

「まず、前提として、岡田一仁氏は自殺ではなく、他殺でした」

 

 右京は声を少し張り上げるように告げると、米沢さん、と促す。

 

「杉下警部のおっしゃる通り、被害者は睡眠薬を飲まされ、その後、首を吊らされたものと考えられます」

 

 前置きの確認の後、右京は普段の口数の少なさと対称的に畳みかけるように話し始める。

 

「ここで、首吊りというのが重要です。この方法は自分で行うならばたやすいですが、他人に強要するのは難しい。被害者の意識が残っていれば抵抗されて、余計な外傷が残ります。それを防ぐためには薬物等で意識を奪う等の方法が考えられますが……。

 それでも、意識を失った成人男性一人を吊るす、という行為は重労働です。一仁氏のように大柄の男性が相手なら猶更。他にも、上手く吊るすための場所を選び、ロープの強度を調べ、体重を支える結び方を工夫しなくては。ああ、本当に面倒な下調べと、時間が必要になりますねえ。

 そんな手順を踏むのは、ひとえに犯人にとって、この方法が大きな得だからでしょう。上手く自殺と判断されれば、捜査は行われず、安全に逃げおおせることができる」

 

「あのぉ、警部どの? そんな首吊り談義をして何がおっしゃりたいんですか?」

 

 伊丹が茶々を入れる。右京は、それに対して、もう少しだけ、と小さな謝罪を入れる。

 

「……今回の犯人も、色々と工夫を行ったようですが、上手くはいかなかったようです。いくつかミスを犯しました。死後に付いた足の傷。首筋に大きな擦過傷。過剰投与した睡眠薬。そうしたことから、我々はこの事件が自殺ではなく、他殺だと断定するに至りました」

 

 けれど、今回、偽装工作を暴いても犯人につながらなかった。

 

「犯人はとても用心深い性格をしています。あれだけの手間をかけて自殺工作を行うだけに留まらず、今度は入念なアリバイ工作まで行いました。

 犯罪者が逮捕から逃れる大きな方法は三つあります。一つは犯罪の露見を防ぐ、二つに捜査行為の発生を防ぐ、三つに疑いの対象から外れること。一つ目は行わなかったようですが、後者の二つに入念に取り組んでいる。

 昨晩のアリバイを調べてみると、この町の大部分の人間に強力なアリバイが存在しました。数少ないアリバイが存在しない住人で、被害者に殺意を抱くほどの動機があるのは飯森校長のみ。……ですが、校長、貴方には犯行は行えませんね?」

 

 住民の大半は公民館に集まり、互いにアリバイを保証しあっている。数少ない他の人間もアリバイが保証されているか、あるいは被害者と面識がない。

 

 犯行に足る理由があり、アリバイが存在しないのは、この町においては飯森校長だけだが、

 

「そりゃ、私は腕がこんなだからな」

 

 飯森氏は苦笑いを浮かべながら、大きく傷がついた左手をふるう。進ノ介が確認したように、力がうまく入らない左手ではロープを結ぶことも不可能だろう。

 

「そう、校長にはロープに吊るすことは不可能です。人を吊るせるほどに強くロープを結び、一仁氏をそこへ吊るす。それができない校長に犯行は不可能!」

 

 ただ、と右京は一拍の前置きをして。

 

「……飯森氏に不可能なのは、自殺のように現場を偽装することだけです」

 

「は?」

 

 例えば!と右京は飯森氏の前に移動して指を立てる。

 

「あらかじめ、一仁氏を睡眠薬で眠らせ、首に輪に作ったロープを結んでおくとどうでしょう?

 そして、それを梁に緩くかけ、窓の外に放り投げていたら? そこまでお膳立てが成されていればどうでしょう?」

 

 遺体が吊るされていた梁と窓とは垂直に交わっていた。

 

 そこまで行くと、進ノ介にも右京が言わんとすることがよく分かる。つまりは、犯行の分業化だ。

 

「機械でなくとも、車を使えばロープを引っ張るだけで彼の体を持ち上げ、窒息させることができます。ですが、それだとあの現場は成り立ちませんね? 一仁氏は、あくまで、車に引っ張られて吊るされたのではなく、首吊り自殺とならないといけないのですから……」

 

 つまり、

 

「その後、改めて一仁氏の遺体を自殺したように見せかける必要があります。それは、車からロープを外し、梁のロープを切断し、改めて、遺体をぶら下げたロープを結び直すことができる、そんな大きな力と時間的余裕を持った人間にしかできません。

 ええ、おそらく、この過程で彼の首の損壊や足の傷がついたのでしょう。

 つまり、犯人と共犯者の行動は次のようになります」

 

 1.被害者の意識を失わせ、ロープを首にかけ、車に結び付けておく。

 

 2.車を動かし、ロープをひき、被害者を殺害する。

 

 3.ロープを外し、自殺工作を行う。

 

 1、3を共犯者が担当し、2を実行犯が担当する。2の過程を腕力が足りない人間が行い、殺害時間に共犯者がアリバイを作れば、実行犯、共犯者共に疑われることはない。

 

 身振り手振りを加え、一つ一つの言葉を大きく踏みしめるように言う右京に影響を受けて、進ノ介も思わず口を出してしまう。既に彼の頭の中でも、もう構図はできていた。

 

「その犯行ができる共犯者は限られていますよね」 

 

「ええ。そこの泊君が言う通り、共犯者は被害者に疑われることなく睡眠薬を与えることができ、家の構造をよく知り、体格に恵まれ、殺害時刻以降なら余裕をもって動けた人間。そして、飯森校長、貴方と面識があり、協力関係を結べる人間」

 

 つまりは、

 

「貴方が適格ですね、岡田町長」

 

 右京は町長を指さした。

 

 指名を受けた岡田町長は、わずかに体を身じろぎさせ。けれど、息を落ち着かせると、笑みを浮かべて言う。

 

「想像力豊かですね。まるで小説みたいだ、……そんな面倒なこと現実にやる人間がいるとは思えませんが。校長先生と私を犯人扱いするには面倒な理屈をこねくり回さないといけないようですね。

 ですが刑事さん、それはこの町の人間が犯人と仮定したときの話です。私には息子を殺す理由もないですし、飯森校長もそうだ。自分でいうのもあれだが、地位もあり、尊敬を受けている。息子の友人が脅迫に耐えかねて、のほうが現実味がありそうじゃないですか?」

 

 確かに市長の言い分も通っている。右京はその言葉にうなずく。

 

「もっともです。自分で話していても、回りくどく、面倒で、やたら時間がかかる上に、少しのミスでご破算になる犯行計画です。

 もとより、犯罪を共同で行うのはハードルが高い。どちらかが裏切ればすべて終わりですからね。犯人と共犯者は強い目的意識を共有し、信頼関係を結ぶ必要がある」

 

 右京は町長と校長を指で指す。

 

「仮に犯人がお二人の場合、長く共に町の発展に寄与していたという信頼がありますね。後者はクリア。では、前者、ここでは強い殺意になるでしょう。

……伊丹さん」

 

 と捜査一課の刑事を顎で使うように指示する。伊丹はそれにしぶしぶといった態度を崩さなかったが、承知したように発言する。

 

「……岡田町長、あんたの口座から息子の口座へ毎月振り込みがされてますね。幾ら息子が可愛いといっても、常識外の金額を」

 

「親バカの誹りを受けることは受け入れられる。だが、それで人を殺す理由になるかね」

 

「ただの馬鹿親ならいいが。あんたも他の連中と同様に脅迫を受けていたのなら殺害の理由にはなるでしょう。そして、飯森校長」

 

 今度はタブレットから一仁氏の自宅から見つかった映像を示す。

 

「息子さんを亡くして以来、貴方は子ども達を自分の子供のように思っている。こんなことをやっている人間、町におくことも嫌なんじゃないですか?」

 

 伊丹が映像を突き付けると、飯森校長は表情を崩し、隠し切れない不快感と怒りを示す。

 

 それを見た岡田町長は、表情を変え、右京へと声を荒げた。

 

「そこまで言うなら証拠は! あんたの妄想なら家宅捜索もできんのではないか?」

 

「ええ、今は証拠はありません。ですが、すぐに出てくると思いますよ」

 

 落ち着いた右京の言葉。

 

「一体どういうことです?」

 

「先程言った通り、この犯行を行う際、犯人の二人は強烈な目的意識を持っていたのでしょう。つまり、一仁氏の排除! 飯森校長の動機となりうるのはこの動画と一連の犯罪行為ですが……。被害者が厳重に保持しているこれらを見つけるのは、まず身内でしょう。

つまり、この動画を飯森校長に伝えたのも、もしかしたら犯行を提案したのも岡田町長。

では、町長の動機とは何か? 町を守る責任や、子ども達を守るため。お立場から幾らでも動機を作りだすことはできるでしょうが、きっと、この本当の動機は明かしてはいないでしょうねえ。共犯者が飯森校長であった場合は、特に」

 

 そういうと、右京は伊丹からタブレットを受け取り、再び動画を流した。

 

「そんな不快な映像を見せて、なんだというのだね!」

 

 飯森氏はたまらず怒声を上げる。

 

「貴方にとっては子ども達を盗撮したこの映像は許せないものでしょう。そんな人間が町の庇護を受けて、子ども達の傍にいる。警察も役に立たず、いつ子ども達に被害が及ぶか分からない。

 おそらく、これが貴方の動機だったのでしょうね」

 

「……」

 

 右京の言葉に飯森氏は言葉を噤むが、目だけは右京を睨み付けている。

 

「これは一仁氏の邸宅から出てきました。隠し扉の奥。他の写真と違って、動画。そして子ども達のあらぬ姿を除いて人は写っていませんし、僕たちは最初に考えました。貴方も考えたはずですよ、『これは、一仁氏の性的嗜好』だ、と」

 

 右京はある場面で止める。

 

「撮影は五年前、一仁氏が帰郷してすぐです。普段の行状から、こういうことをしてもおかしくない。ですが、よく見てください。ここ、この窓を!」

 

 右京は狭い視界の中にある窓を指す。それは光り輝いていて。

 

「昼。ええ、児童がいる時間帯を考えると当然ですね、昼間です」

 

「それが?」

 

「分かりませんか? 被害のあった小学校では口をそろえて言っております。侵入の報告はなかった、と。今はどこの学校も監視カメラと警備は厳重なのにも関わらず。

 そして、録画時間がどれも一定で終わっていることから、カメラはおそらく充電式。およそ二時間、その間に求める映像を撮るためには、学校の授業などスケジュールを把握し、その場所に行き、怪しまれずにカメラを設置。そして最後には見つからないように取り出す必要があります」

 

 僕の言いたいことがわかりますか? と右京は告げる。

 

 まさか、と全員がその考えに思い至る。

 

「ええ、体格も大きく、見るからに目立ち、正当な立ち入る理由がない一仁氏には、そんなことは不可能ですよ。それこそ、透明人間にでもならない限り。そして、この動画が収められていたのは、彼が恐喝の材料を保管していた隠し扉」

 

 右京は岡田町長を見る。もうわかりますね、と告げた。

 

「調べればわかることですよ? 該当の小学校に誰が訪問していたか」

 

 言うや否や、飯森校長は立ち上がり、町長へと拳を振りかぶる。

 

「岡田、貴様ァ!!」

 

「落ち着いてください!」

 

 芹沢と伊丹がそれを抑える。

 

「そんなもの、証拠にならんぞ!!」

 

 一方の岡田町長は右京へと声を荒げる。だが、その顔は焦りに満ちており、説得力を持たないことは明らかであった。

 

「ええ、この動画だけでは。ですが、この邸宅を調べればいくらでも証拠は出てくるでしょう。そして、飯森校長、今の状況なら、この町長を庇う必要はありませんね」

 

 右京が冷たく告げると、校長は伊丹達に抑えられながらも声を荒げる。

 

「……こいつは、子ども達の動画を持ってきて言ったんだ! 息子の仕業だと! 『子ども達を守るために、私たちにしかできない』とな!! よくもそんなことを、この、下劣な!!」

 

 顔を真っ赤にしながら飯森氏はすべてを告白する。

 

「そういう貴方の子ども達への責任感と、愛情、そして激しい性格を利用したのでしょうねえ。

 さて、岡田町長。何か、言いたいことはおありですか? 飯森校長との協力関係が崩れた今、いくらでも家宅捜索を行うことができますよ」

 

 もはや、言い訳も効果がないことを悟ったのだろう。岡田氏はうなだれると、小さく頭を振る。

 

「……アイツ、実の親を恐喝してきたんだ。これをばらされたくなかったら、全て俺に従え、一生の面倒を見ろって。『英雄』だなんて、皆が私を聖人君子のように見てくる。それが息苦しくなって……。出来心だったのに。

 ……もう金はなくなって、恐喝にも限界だったんだ」

 

「だから、殺した。……これは可能性の話ですが、高校生の一仁氏が突然、家を出て、そして素行を乱れさせたのは、あなたの、そうした面を見たからかもしれませんねえ」 

 

「……そんなもの、私にはわからんよ」

 

「ええ、過去のことはいくら考えても罪の在処はわからないでしょうね。ですが、今回の犯行は間違いなくあなたの罪です。あなたが脅迫の事実を、自身の罪と共に素直に告白していたら、地位と引き換えに脅迫からは解放されたはずです。

 飯森氏もこんな手を使わずに子ども達を守ることができた。

 ですが、貴方はそれをせず、あろうことか自己保身のために飯森氏をだまし、巻き込み、手を汚させた! ……あなたの罪は重いですよ」

 

 ははっ、と小さな笑い声と共に岡田氏は崩れ落ちる。大きい体をしていた英雄が、今では小さな老人にしか見えなくなった。

 

 

 

「さて、じゃあ後は取調室で語ってもらいましょうか」

 

 伊丹と芹沢は容疑者に手錠をかけると、その体を立たせて連行させていく。そんな様子に、進ノ介の隣に立った霧子は呟く。

 

「あの、泊さん、良いんですか?」

 

「霧子?」

 

「杉下警部が突き止めたんです。特命係の手柄にできたら、きっと泊さんの評価にも」

 

 言いたいことはわかる。手柄を立てて、特命係から脱出する。そんな欲も心の内にはある。だが、

 

「いや、今回は俺はあまり役に立たなかったし、事件を解いた杉下警部がこれで良いっていうのなら……。俺は何も言うことはないさ」

 

 そう言うと霧子は少し安心したように息を吐く。

 

「分かりました。けど、もし私が力になれることがあったら、いつでも言ってくださいね。……離れていても、私は泊さんのバディなんですから」

 

 霧子は伊丹と芹沢の後を追い、足早に去っていく。

 

 少し進ノ介は赤くなった頬をかき、右京と共にゆっくりと部屋を出た。

 

 

 

「杉下警部はいつから、あの町長が怪しいって気がついたんですか?」

 

 帰るにしても、沢村巡査の待つ派出所まで戻らないといけない。その道すがら、ふとした疑問を進ノ介は右京へと投げかけた。先ほどの右京の推理は町長が関与しているという確信を基に理屈をくみ上げたものだ。

 

「彼と会った時、酒気を感じませんでした。前夜、夜遅くまで宴会をしていたのに。ご近所の方は『寿司や酒』がふるまわれたと仰っていたので、誕生会では酒は出ている。

 けれど、彼は『昨晩は』飲まなかったといいました。酒が飲めないのなら、『酒は飲まない』等と言うでしょう。居間には嗜好品の酒が多くありましたし、ふと棚の中を覗いたら二日酔いの薬もすぐに見つかりました」

 

「ああ、なるほど」

 

 勝手に棚を物色したというとんでもない発言は無視しておく。とりあえず、今は。

 

「もちろん、体質的に分解が速い可能性もありましたが。何か、宴の後にやらなければいけない仕事があったのではないか。そう、少し気になったものです」

 

 あの質問はそういう意味か。とようやく進ノ介は納得する。と、同時に杉下右京という人間の能力というものがようやくわかってきた。鋭い観察力に、好奇心という名の探求力。そして、荒唐無稽とも思える可能性も追求する推理力。

 

 お見それいたしました。

 

 等と、内心で謝罪する。特命係に送られたという事実に捕らわれて、周りが見えていなかったのは進ノ介だったようだ。もっと、自分も鍛え直さないといけないな。と息を大きくはいた。

 

 その瞬間だった。

 

 冷静さが戻った頭の中で先ほどまで存在したもやもやが形を作っていた。それは事件の真相ではなく、どこか現実離れした考え方だったが。

 

 殺人の分業、アリバイ工作、自殺の偽装、車を使ってハンデを克服した殺人。全てが繋がっていく。

 

 進ノ介は立ち止まる。 

 

「きれいすぎる……」

 

 そっと、声がもれた。

 

「……泊君、君、今、なんて言いました!?」

 

 右京もその言葉を聞くやいなや、目をむき、尋ねてくる。それは二人がともに真実の一端を掴んだから。

 

「繋がった! そうだ、綺麗すぎるんだ! 分業殺人、アリバイ、犯人、動機、トリック! まるで……まるで推理小説みたいに!!」

 

 トリックを利用しようなんて考えは空想の産物だ。多くの犯罪ではそこまで複雑に犯行を行おうとはしない。事実、今回の犯行は不必要といえるほどに、手間をかけすぎている。そして、その手間ゆえに犯人逮捕に至った。

 

 一瞬考える、そのような人間がいるとして、それは主犯の岡田町長なのではないか? と、だが、犯行において彼が担当した場面では粗が目立った。遺体を損壊させ、自分の犯行の証拠となる動画の存在は見落とした。緻密な犯行を計画するタイプではない。

 

 この考えは荒唐無稽だ。だが、その可能性に思い至ったならば、考えずにはいられない。

 

「犯人とは別に、筋書きを描いた人間がいる?」

 

 そうつぶやいたとき、進ノ介の脳裏には、寂しく殺人の可能性を訴えた少年の姿が浮かんでいた。




ようやく犯人逮捕まで進めた解決編1

オリジナルの事件というものは書いていて楽しいのですが、やはり投稿するのには少し怖さもありますね。皆様にお楽しみいただけるとよいのですが。


次回の解決編2。そして、第一話最終回となります。
とうとうあの人物が登場。早いうちに投稿させていただきます。


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第一話「誰がこのシナリオを描いたのか VI」

いよいよ第一話完結パート

事件を解決した特命係、しかし、進ノ介は一つの違和感に気づく……。


 遠くから足早に向ってくる音が聞こえる。暗い病院の廊下、不必要に冷たい底に響く音は寒々しい。

 

 進ノ介と右京は質素な長椅子に座り、『手術中』と書かれた扉の前で待っていた。

 

 そして、足音の主が彼らの前に現れる。

 

「はぁ、はぁ、杉下さん、泊さん」

 

「沢村巡査、お待ちしていました」

 

 右京が静かに声をかける。

 

 沢村巡査は息も絶え絶えという様子で肩を上下させる。その顔は真っ青に染まり、大量の汗が制服をドロドロに濡らしていた。そして、呼吸も整えようともせずに叫ぶ。

 

「っ、ほ、本当なんですか!? 大樹君が、自殺を図ったって!?」

 

 その言葉に進ノ介は俯きがちに頷く。

 

「俺達が大樹君の自宅に向かった時、大量の睡眠薬を飲んでいたんです。おばあさんのものだったみたいですね。すぐに応急処置をして、こちらへ搬送しました」

 

「まだ予断を許しませんが、命は取り止めています」

 

 発見が早かったのが幸いした。荒唐無稽とも言える、そんな進ノ介の勘だったが、右京もすぐに同意し、迅速に動くことができたのだ。ただ、治療が終わるまでは安心できない。まだ小さい子供なのだ、何が災いするかもわからない。

 

 扉を見つめ、心の底から心配している老巡査に、

 

「沢村さん、少し、向こうでお話しませんか?」

 

 進ノ介はどこかためらいがちに声をかけるのだった。

 

 

 

相棒 episode Drive

 

 第一話「誰がこのシナリオを描いたのか VI」

 

 

 

 進ノ介は沢村巡査を連れると、薄暗い廊下の角にたどり着いた。ここなら、他の人に聞かれることはないだろう。右京はすべてを進ノ介に任せると言った。別れるときに、少し試すような目線をよこして。

 

 懐から小さいメモ帳を取り出し、それを沢村巡査へと渡す。

 

「泊さん、なんでこんなところに。それに、それは?」

 

「大樹君の、遺書です」

 

「そんな!?」

 

 慌ててそれに目を通す沢村巡査。そこに書かれていた内容は以下のとおりだった。

 

『町長の息子が死んだのは僕のせいです。死んで罪を償います』

 

 少し震えた、幼い字だった。

 

 まだ小学生の男の子が、こんなものを書いて自殺を図るほどに追い詰められた。その事実が二人に重くのしかかる。そして、その文面も奇妙なものだった。

 

「こんな、でも、彼を殺したのは飯森校長と、町長でしょう!? 大樹君が関わる場面はなかったはずだ!!」

 

 犯行を行ったのは町の権力者二人。当人たちが自白を行っているし、その事実は騒然を伴って町中へと拡散している。あのような幼い子供が関わっているのは、ありえない。そのはずだった。

 

 進ノ介は自身が当たってほしくないと思っていた、けれど、事実であったそれを語る。

 

「沢村さん、シナリオを書いたのは大樹君だったんです。文字通り、シナリオを」

 

 進ノ介はあえて淡々と説明を始めた。

 

「伊丹刑事たちが取り調べで明らかとしたそうです。飯森校長に殺人計画を持ちかけたのは、確かに岡田町長です。ですが、殺人計画自体は、彼の家に小説が投函されてきたと」

 

 差出人不明の紙の束。そこに書かれていたのは、岡田町長と飯森校長が一仁氏を殺すというストーリー。自殺の偽装やアリバイなどのトリックが詳細に書かれていたという。

 

 もちろん、それをもって殺人を強要するようなものではなかったし、動機などの個人情報に関する詳細は事実とかけ離れたものだった。

 

「けど、脅迫によって追い詰められていた岡田町長にとっては、魅力的に思えたそうです。実際によく書けていて、これがうまくいけば、疑われずに息子を殺すことができるって」

 

「そんな小説を読んだくらいで!?」

 

 町長自身もその愚かな振る舞いを自覚していた。そして、もしかしたら誰が書いたのかもわかっていたのかもしれない。あの場で黙っていたのはせめてもの良心か。

 

 けれど、一度頭に浮かんだ想像を振りほどくほど、強い人間ではなかったのだ。

 

「きっと、これを送りつけた人間もそう思ったでしょうね。まさか、本当に人を殺すだなんて。……その小説を書いたのが大樹君だったんです」

 

 大樹君を搬送した後、部屋に残されていたパソコンを確認したところ、たくさんの推理小説の中に、執筆した文章が残されていた。

 

「大樹君はおばあさんを怪我させ、入院させた一仁氏を深く恨んでいた。それで、その怨みを小説に書くことでぶつけたんです。……最初に違和感に気がついたのは杉下警部でした」

 

 右京は大樹少年の部屋に入った際、小説がファイリングされた本棚から、一冊分、ファイルが抜け落ちていることに気がついた。その後、部屋の中を見回って、ファイルの数が合わないことがわかったという。

 

 ただ、その時点では事件との関与などは結びつくべくもなかったのだが。

 

「大樹君、事件現場まで来てました……。きっと、事件が自分の書いた小説のとおりに起きたから勘付いたのでしょうね。自分の小説を基に、誰かが一仁氏を殺したんじゃないかって」

 

 それは、小学生が抱えるには重すぎる責任だった。あの現場に来たのは、罪悪感に押しつぶされそうになったから。進ノ介にも打ち明けることができず、追い詰められてしまったのだろう。

 

「……大樹君」

 

 沢村巡査は、大きく息を吐くと、体を大きく丸め、祈るような姿勢を取る。

 

「……沢村さん、本当のこと、教えてもらえますよね」

 

 進ノ介は静かに尋ねた。

 

「……やっぱり、気づかれたんですね」

 

 その、寂しそうな声に、頷く。

 

「大樹君はシナリオを書いただけでした。それで、どうこうしたかったわけじゃない。あくまで、自分の怒りを整理するために。じゃないと、『トリックが暴かれて逮捕される』物語を書くはずがない。

 そして、ファイルを送りつけるつもりなら、本棚にその分を空けておくのは不自然です。彼は、きっと、どこかに失くした程度に思っていたんでしょう。

 小説を持ちだして、町長に送りつけたのは。……引きこもっていた大樹君を度々訪れて、部屋に招くほど信頼されていたあなたなら可能ですよね、沢村巡査」

 

 さらに言えば、大樹少年が書いたのは、殺害に至るトリックまでだ。彼の立場からは岡田町長や飯森校長が殺意に至るほどの激しい動機を持っていると知ることはできない。それを知っていないと、送りつけたところで、町長たちはただの悪戯と捉えるだけで終わり、意味がない。

 

 だが、警察官として普段は明らかとされない町人一人一人の隠し事にも精通している沢村巡査なら、わかっていたはずだ。町長に息子の殺人計画を送り付けることが、効果的であることを。

 

「俺、沢村巡査のこと尊敬していたんです。昨日会ったばっかりだったけど、警察官の理想みたいな人だって。

……町を守って、町の皆から慕われてたじゃないですか! 沢村巡査がなんでこんなことを……!」

 

 進ノ介は推理を否定もせず、静かに聞いている老巡査へ、憤りと共に荒げた声をぶつける。その言葉をじっと聞いた巡査は、

 

「……魔が差した。ええ、町長の家にそれを放り込んだ時は、私もどうかしとったんでしょう」

 

 そう、吐き出すように言うと、沢村巡査は力が抜けたように廊下へと座り込む。

 

「……大樹君のご両親、二年前に亡くなりました。原因は知っていますか?」

 

「たしか、交通事故だったと……」

 

「……大樹君の目の前ではねられたんです。薬物で前後不覚に陥った車が突っ込んできて。

彼の両親も小さい頃から知っていました。だから、なにか力になりたいと思って、大樹君の引っ越しの時に調べてみたんですよ。犯人の素性や、事件の経緯を。当人は事故で死んでいますがね。……ただ、調べて、驚きましたよ」

 

 警察官だからこそ、事件発生時の状況や、犯人の素性を詳しく知ることができた。元々は大樹少年のカウンセリングや、相談に乗るために知っておきたいという、そんな善意がきっかけ。だが、

 

「あの、一仁のところに出入りしていた男でした……! 見覚えが、私にはあった! 事故の前日も、上機嫌で家から出てきていた! わかりますか? あのバカ息子がばら撒いていた薬で、あの子の両親は殺されたんです!!」

 

「一仁氏の薬物使用について、知っていたんですね」

 

「……あの普段の姿を見ていれば、何か麻薬か、クスリをやっているってわかりますよ。何度か町長にも伝えようとしましたけどね、あの通り、一仁に首根っこを押さえつけられていましたし。

それじゃあ、警察の権限で調べよう、と上へ訴えても、彼の人脈が邪魔してきた。一介の交番巡査の証言なんて、権力者の若者たちにとっては怖くもなんともなかったんでしょう。……私には、何もできなかった。みすみす見殺しにしたようなもんです」

 

 沢村氏の独白は続く。

 

「泊さん、町の小さな警察官には限界があります。岡田町長のあの悪癖だって、知ってました。けれども、公表なんてできない。町の皆の英雄が、あのような下劣な趣味をもっているなんて! 明らかにできるわけがない。

そんな中で、私にも、何か、彼らに対する怒りのような感情が溜まっていったんです」

 

 その言葉に、

 

『英雄、ですか』 

 

『ええ、まあ、時間がたつにつれて変わることもありますがね……』

 

 そうやって寂しくつぶやいた巡査の姿を思い出す。事件現場でもそうだ、

 

『……これ、下ろしてしまってもよろしいのでしょうか?』

 

 無意識かもしれない。だが、沢村巡査は一仁氏を守るべき市民だと認めてはいなかった。事件発生の報を聞いたときの巡査の狼狽も、今思えば、激しすぎた。そんなところから、なにか気づけていればよかったのに。

 

「そんなとき、春名さんが事故に遭って、大樹君が引きこもってしまい……。そして、何をしているのかって様子を見に行ったら、本を書いていました。一仁を町長と校長が殺す、あの事件のとおりの内容が。

見つけたのは偶然で、最初はこんなもの書いちゃいかんって説教するつもりだった。けど、よく書けていて、おもってしまったんです」

 

「これが現実にならないかって」

 

「あの一仁も、町長も、天罰が下らないかって」

 

 その後はお察しのとおりです、と沢村巡査は言葉を閉じた。

 

「ああ……」

 

 進ノ介は悔しい思いを飲み込む。沢村巡査だって、本当に事件が起こるとは思っていなかったはずだ。もしかしたら、少年の怒りに満ちた小説を読んで、町長たちが何かを起こすかもしれないと、変わるかもしれないと、期待をしただけ。まさか、本当に小説通りに人を殺すなどとは思わなかっただろう。

 

 ロイミュードたちと戦っていたときとは違う。ただ、ちょっとした悪意が招いた悲劇。倒すべき敵もいない。

 

 進ノ介の目に、悔しさから涙がにじんでいく

 

「……沢村さん、きっと法律じゃあ、あなたを裁くことはできません。あなたはただ、小説を送りつけただけです。殺人教唆にも当たらない。

けど、貴方の行為はすぐに広まります! 町の人たちに、警察官のあなたの、その行動が。そして、信頼していたあなたに裏切られた大樹君がどう思うか……っ!!」

 

 進ノ介は声を荒げる。

 

「市民を愛し、慈しみ、そしてどんな事情があろうとも、市民を守り抜く。それが俺達、警察官の使命です! 魔がさしたじゃあ、済まされない! それを忘れ、目を背けたあなたの罪を、俺は許すことはできません!!」

 

 身を振り絞るように告げた進ノ介の言葉。青臭いともいえるその涙ながらの言葉に、沢村巡査は大きく目を見開き、そして、小さく頷いた。

 

「ああ……。ああ、そうでしたねえ。それが私の仕事だったはずなのに……。

 ……泊巡査。仮面ライダーとかは私にはよくわかりません。けど、アンタ、良い警察官になるよ。こんな老いぼれと違ってね……」

 

 そう言って沢村巡査は一筋の涙をこぼした。

 

 そんな二人の警察官を杉下右京は遠くから見つめていた。

 

 

 

 幸いなことに、手術は無事終了した。大樹君が目を覚ましたのは翌日のこと。報告を聞いて、すぐに二人は病室へと向かった。

 

「大樹君、無事でよかった」

 

 そう声をかける進ノ介と右京を見るなり、大樹少年は大粒の涙をこぼし始めた。それは、罪悪感か、安堵かはわからない。そうして、ひとしきり大きく泣き喚いて。少年は震えながら言った。

 

「僕を捕まえに来たの?」

 

 二人を恐れるような言葉に、進ノ介はしっかりと首を横に振る。

 

「沢村さんから事情は聞いてる。君がどんな物語を書いたのかも知ってる。けど、今回の事件が起きたのは決して君のせいじゃない」

 

「でも、僕があんな小説書かなかったら……。おばあちゃんが怪我して、悔しかったんだ。あの人、ずっと皆に嫌がらせして。それで、」

 

「……けれど、君は復讐に手を染めようとはしなかった。それが全てです」

 

 右京が、ゆっくりと諭すように言う。

 

「君は自分のやりきれない思いを小説としただけ。そして、それを完成させた後に、きっと、恥じたと思います。だから、小説を誰にも見せずに保管していた。激しい怒りと理不尽にさらされながら、それでも、君は自分のその思いと向き合い、折り合いをつけようとした。

それは、なかなかできることじゃありません」

 

 右京は涙を流しながら静かに話を聞く少年の頭を、優しくなでた。

 

「かつて、君と同じくらいの年で、殺人を犯した子がいました。警察官の立場を神だと嘯き、わずかな金のために犯罪に手を染めた人がいました。年も、立場も関係なく、人は時に選択を迫られることがあります。悪意に身をゆだねるか、必死に耐え、悪意を振りほどくのか。

君はその誘惑に抗おうとしていた。この事件に関わった全ての大人が、簡単にゆだねてしまったそれに、自分なりに向き合おうとしていた。

……きっと、それでも自分を許せないと思うでしょう。これからも、罪悪感は付きまとうでしょう。けれど、君が行った選択は、間違っていません。そして、いつか、そのことを誇りに思ってほしいと、僕は願っています」

 

 祈るような言葉だった。

 

 大樹少年は涙をぬぐうと、まだ、恐る恐ると進ノ介へと目を向ける。

 

「……本当は迷ってたんだ。あの話、犯人が捕まるか、逃げるかって。考えて、逃げるって終わりにしようとしたんだ。

けどね、泊さんが、仮面ライダーが頑張ってみんなを守ってるところがテレビに出てて。そうしたら、きっと犯人は逃げられないって、そう思ったんだ」

 

「……大樹君」

 

「ありがとう、仮面ライダー。僕を守ってくれて」

 

 小さな少年はそうして、涙にぬれながらもしっかりと笑ったのだった。

 

 

 

 その後、沢村巡査は職を辞し、警察へと出頭した。彼の行為が罪に問われる可能性は低いが、それでも、罪と向き合うことを決めたのだろう。その後、彼がどうするつもりなのかはわからない。だが、生きて、罪を償うと約束してくれた。

 

 数少ない幸いなことは、大樹少年に後遺症は残らないことと、彼の祖母である春名さんの回復が著しいこと。春名さんは、一時は寝たきりになることまで危ぶまれていたというが、その心配はなくなったようだ。傍で支えてくれる家族がいるのなら、彼も立ち直ることができるだろう。

 

 そして、しばらく後に一仁氏の自宅から見つかった証拠品から、多くの犯罪行為を犯していた若者たちが検挙されることとなった。

 

「この町、大丈夫でしょうか」

 

 出発の時刻が迫っている。荷物を車に乗せると、最後に進ノ介は町を見回す。短い間に町長、校長、警察官、信頼できる者たちを失った小さな町。それはどうしようもなく心細いものに見えた

 

 右京は、その隣に立つと、小さく言葉を紡いでいく。

 

「きっと、多くの人が苦労するでしょう。長く町を支えた柱が無くなり、立て直しには時間がかかるかもしれない」

 

 ですが、と右京は指を差す。そちらには小さい子ども達が元気よく駆け回っている姿があった。

 

「この町には、まだ未来が残っています。きっと、彼らも町で起こった悲劇を知り、悩むことがあるでしょう。ですが、きっと、その真実を教訓として、町を支えてくれると、僕は信じたい」

 

「そうですね、そう信じたいですね」

 

 最後に、その笑顔を頭に焼き付けて、進ノ介達は車へと乗りこみ、シートベルトをがっちりと締める。

 

「泊君、今日は晴れていますが、くれぐれも運転は安全に」

 

「ははっ、任せておいてください。『こうみえても』運転は得意なんですから」

 

「それ、この間の意趣返しですか?」

 

「そんなことはありませんよ。……そういえば杉下警部、いえ杉下さんは、なんで特命係に?」

 

 右京はその問いに対して、かすかに微笑みを返し、

 

「さあ、ずいぶんと昔のことですから。忘れてしまいました」

 

 それで問いは終わりと、右京は深くシートに身をゆだねる。

 

 その顔はわずかに微笑み、気になるのなら、自分で解き明かしてみろと言っているようで。

 

(上等じゃないか)

 

 進之介は振り切った笑顔を浮かべると、強くネクタイを締めなおし、力強くキーを回した。エンジンはようやく勢いを増しながら動き始めたのだ。

 

 

 

 そのころ、東京は警察庁。その上層にある長官官房と書かれた部屋で二人の男が対面していた。

 

 一人は本願寺純、かつてベルトさんこと、クリム・スタインベルトと共に特状課を結成し、ロイミュードへ対する泊進ノ介達を率いた男である。

 

 普段はおちゃらけた態度を装い、身内に潜んだ敵の目をかいくぐりながら、ロイミュード事件解決へ向けて辣腕を発揮した男は常とは違う剣呑な雰囲気を纏わせて、対する男へと視線を向ける。

 

 だが、その視線を向けられた男は、感情を悟らせないような微笑みを浮かべたまま微動だにしない。

 

 もはや老人といっても差し障りのない男は、しかし、眼光に剣呑な光を湛える本願寺に笑みを返した。ゆっくりと口を開くと、少しぼんやりとした、けれどよくとおる声で言葉を告げる。

 

「特命係、事件を解決したみたいだってね。例の泊君も大活躍だったとか」

 

 本当に楽しい、とそんな感情が伝わってくる言葉だった。

 

 しかし、その内容に本願寺は眉を顰める。

 

「ええ、泊君は優秀ですから、きっとどこにいても警察官の本分を果たすでしょう。たとえ捜査一課であっても」

 

 本願寺は批判を隠さず男にぶつける。もはやこの男に腹芸などは通用しない。自身と比べてキャリアも、地位も、そして政財界に巣食う魑魅魍魎と対峙してきた経験も、何もかもが格上だ。

 

 この警察を支配する立場にあるこの男にとって、多少の腹芸や応酬は通じないことはわかりきったことだった。

 

 あらゆる事件を利用し、踏み台にし、自身の立場を堅固なものとしている男。

 

 あの警視庁で発生した人質籠城事件すら利用して、改革に反対する上層部を一掃してみせた。

 

 本願寺はためらう心に、喝を入れる。この行為によって、彼らと同様に長年積み上げた本願寺のキャリアは吹き飛ぶかもしれない。

 

 だが、

 

 己の正義をぶつけなければこの男には響かない。

 

「確かに、泊君が得た仮面ライダーという名前は、警察という巨大機構においては不必要な存在かもしれない。

 今後、もしかしたらあらゆる議論の矢面に立たされるかもしれない。だが、それでも一警察官として扱えばよかったはずだ、詩島君と同様に。

 だが、あなたはそうしなかった。彼をよりにもよって特命係へと送ったのはなぜです」

 

 一息に言うと、男は少しの笑みをこぼす。ただ、目元だけは変化しない。感情表現が豊かのようで、決して変わらない目は、対した人間を威圧し、恐れさえ抱かせる。

 

 その目を大きくゆがませた人間は、過去に一人しかいない。

 

「……そんな怖い顔しないでよ。特状課、ヒミツで作るのにも協力してあげたでしょ? あれ、結構骨が折れたんだから。

けど、僕には僕の考えがある。といってもそれだけでは納得しないだろうねえ、君は」

 

「だから、私は直接あなたに聞くためにここに来たのです」

 

 本願寺は真正面からその言葉を突き付けた。

 

「貴方は、彼を、仮面ライダーを何に利用するつもりですか、小野田官房長!」

 

「……それを君に言う必要はあるかな?」

 

 そう言い、男は、小野田公顕は本願寺へ変わらぬ笑みで返した。




とうとうたどり着いた第一話完結編。話の作りがまだまだ甘かったり、反省点は多々ありますが、皆さまの応援のおかげで無事に終わらせることができました。どうも、ありがとうございます!

第一話のテーマは「小さな悪意の連鎖」。相棒の中ではメジャーなテーマであり、倒すべき明確な敵が存在しない。仮面ライダーである進ノ介が相棒世界に馴染む際に、ふさわしいテーマだと考えています。

隠しモチーフはSeason7第19話「特命」。神戸登場回であり、閉じられたコミュニティ、疑心暗鬼の相棒同士、魔がさすことで起きる悲劇。そのような点を参考にしてみました。


そして、とうとう情報が解禁できますね。
本作は「相棒劇場版IIノベライズ」からの分岐です。つまり「小野田官房長が生存」し、警察組織を支配した世界になります。そのため、内村刑事部長は刑事部長から追われてしまいました。

仮面ライダーを特命送りにするのに、ふさわしい人物は官房長以外に思い浮かびませんでした。ノベライズは一種のパラレルですので、設定を入れても良いかな? と決断しております。

明日、そのあたりを含めた設定資料を投稿させていただきます。


それでは、少しお時間をいただいて、第二話へと進みます。少しは特命係のことがわかってきた進ノ介が出くわす、次の事件とは?

第二話「蜘蛛の糸」

どうか、お待ちいただけると幸いです。


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世界観・人物設定

本作の一部設定資料となります。もしよろしければ、先に第一話をご覧ください。


○世界設定

 

 まず、本作は相棒と仮面ライダードライブのクロスオーバーとなりますが、相棒世界の設定は神戸卒業のSeason10から、二年後が舞台。つまり時系列上はSeason12となります。

 

 ですが右京が英国へ研修という名の人払いを受けていたこと、ロイミュード事件の混乱もあり、カイトと出会うことなく進ノ介が特命送りとなりました。

 

 また、仮面ライダードライブ本編の時間軸を小説仮面ライダーマッハサーガを基に設定し、相棒世界を放送年と同様と設定しますと、相棒世界と2年間の時空の歪みが生じてしまいます。そのため、本作では独断で相棒世界の時系列を二年間前にずらしております。

 

 つまり、2010年放送のSeason9の出来事が、本作では2012年に起こったことになっています。

 

 相棒では劇中であまり年号にたいする言及はないですし、右京さんの定年も無事に伸びたみたいなので、大丈夫ですよね。

 

 そして、もう一つの大きな相違点として、

 

 本作の相棒世界は相棒劇場版Ⅱの小説版から続いています。

 

 それにより、

 ・小野田官房長が生存

 ・長谷川副総監はクルーザーで海に出て失踪

 ・小野田の改革が成功し、それに伴って内村刑事部長をはじめ、警視庁の幹部人事は刷新

 ・事実上、小野田が警察権力を掌握

 

 という上映版とは異なる状況が生じております。

 

 この先の本編で触れることですが、現段階では小野田が構想していた警察省計画は未だに成功しておらず、その点はロイミュード事件が大きく影響しています。

 

 

○時系列

 

2012年12月 相棒劇場版IIノベライズ

小野田官房長により幹部人事の刷新案が提出され、長谷川副総監失踪

 

2014年3月 相棒Season10最終回

神戸尊、特命係を去る。同時に杉下右京、長期の英国研修へ。

 

2014年4月 グローバルフリーズ発生

 

2014年8月 特状課設立。

 

2014年10月 仮面ライダードライブへの初変身

 

2015年4月 仁良光秀が捜査一課長着任

 

2015年6月 仁良光秀、殺人容疑で逮捕。同時に人事の責任をとり、のらりくらりと処分を交わしていた内村刑事部長が刑事部長職を追われる。

 

2015年9月 ロイミュード撲滅完了。同時期、甲斐峯秋、某県警本部長より警視庁刑事部部長へ着任。

 

2015年10月 杉下右京、帰国。泊進ノ介、特命係へ島流し

 

 

 

 

○主人公

 

泊進ノ介

 元仮面ライダーにして刑事。巡査。

 

 本来の歴史ならば巡査長へと昇格し、刑事部捜査一課へと栄転するはずだったのだが、特命係へと左遷されてしまう。曰く「倉庫に詰められたマスコット」状態。

 

 現状に意気消沈しており、霧子からの連絡にも応えない状況が続いている。現在の上司である右京に対しては、彼のうわさや普段の様子から能力に懐疑的であったが……

 

 

杉下右京

 シーズン10終了後、長期の海外研修を挟んだため、甲斐亨とは出会わず、またグローバルフリーズから始まる仮面ライダードライブ本編を目撃することはなかった。

  

 いつものように変人、辛辣、毒舌に空気が読めないとダメ人間。ロイミュード事件以降はオカルトが現実のものとなったことに内心興味深く思っている。

 

 

○重要人物

 

詩島霧子

 進ノ介の元バディ。巡査。

 

 警視庁刑事部捜査一課七係へと移動。伊丹、芹沢と共に新トリオを結成するが、伊丹にはいまだに馴染めていない。

 左遷されてしまった進ノ介を心配しているが、連絡しても返ってこないことにいら立ちを隠せずにいる。

 

伊丹憲一

 ご存じイタミン。警視庁捜査一課七係 巡査部長。

 なぜか、霧子と進ノ介を無視しつづけている。

 

芹沢慶二

 変わらぬ後輩ポジション。警視庁捜査一課七係 巡査。

 進ノ介という後輩が現れたことでテンションが上がり、先輩風を吹かせている。仮面ライダーの活躍には良い歳ながら熱中しており、仮面ライダーになりたかったと常々言っている。

 

三浦信輔

 元トリオ・ザ・捜一。警視庁捜査一課七係係長 警部補。

 グローバルフリーズに影響を受け、一念発起し昇格試験を受験、係長へと昇進。伊丹に嫌味を言われつつも、彼らを温かく見守っている。時折、現場へ出たがる。

 

小野田公顕

 警察庁長官官房室長 警視監。

 

 この世界では存命。警察組織改革を成功させ、警視庁の幹部人事を一新させた。現在もその辣腕を振るい、警察省構想や日本版CIA構築計画を狙っている。相も変わらず底が見えぬ古だぬき。

 

 特命係の後ろ盾となりつつも右京の行動には逐一警戒をしている。泊進ノ介の特命係行きの黒幕。

 

神戸尊

 元特命係 警視。

 

 シーズン10最終話の事件で、自らの人生をかけて右京を止めて見せたことを評価され、ある人物の元で働いている。

 

甲斐峯秋

 警視監 警視庁刑事部部長。

 

 内村の後任として県警本部長職から抜擢。

 

 現実世界において、部長職は警視監の位が相当(警察庁次長も同様)であり、内村が例外的であった。そのため、相棒本編と比べると降格というイメージがあるかもしれないが、通常の人事異動の範疇。

 

 刑事部の立て直し以後は警察庁次長職が内定している。

 

米沢守、角田六郎、その他

 特に相棒世界との変更はないので言及なし。

 

元特状課の面々

 本編出演後、追記。



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第二話「蜘蛛の糸 I」

お待たせしました。今回は通常の一時間枠の相棒を意識して。

再び相棒要素が強めのオリジナル話となりますが、進ノ介もいろいろと積極的になり始めた第二話、始まります。


 穏やかな日の暖かさ。のんびりとした空気。そして口にはミルク味。

 

「あー、癒されるー」

 

 泊進ノ介は数日前とは全く違ったのんびりとした表情で、椅子にもたれかかっていた。力を抜き、穏やかな休息に身を任せる。風も吹いてこない角部屋なのに、呑気な風が入ってきた気がした。

 

「よっ、暇か?」

 

 そんな今日も今日とて暇を持て余す特命係の戸を叩いたのは、もちろん角田だった。彼はだらんと弛緩しきった進ノ介を認めると、苦笑いを浮かべながら、コーヒーを煎れ始めた。

 

「ため息吐くのやめたと思ったら、今度はダラダラになるとはね。あれだ、最近の若者は切り替えが早いな!」

 

「いやー、課長が仕事くれたおかげですよ。おかげで、だいぶ目が覚めましたー」

 

「あ、ああ、そうなの。あのさ、いっとくけど、特命係に仕事がないのには変わりないぞ?」

 

 えらくリラックスへと振り切れた進ノ介に戸惑いながら、角田は忠告する。仕事、仕事とがつがつするのも精神衛生上悪いが、ここまで特命係へと馴染まれると先々が不安になった。

 

「仕事はないですけど、それはどうしようもないですし。当面は杉下さんの秘密を明らかにしようって思ってます」

 

 と進ノ介はのんびりと返事。前回の事件以降、あの奇妙な警部が何者なのかを明らかとするのは、進ノ介の目標となっていた。それを聞くと、また難しい課題を、などと角田は苦い顔。

 

「杉下の謎、ねえ。俺もずいぶんと長い付き合いだけど、あいつの家もわからんなあ」

 

 角田は、何か分かったら教えてくれ、などと言ってカップにコーヒーを注ぐ。コーヒーの香しさが室内に広がって、癒し空間がさらに充実していった。

 

 そういえば、なぜコーヒーメーカーがあるのだろうか。進ノ介はふと考える。杉下右京は紅茶派で、めったにコーヒーは飲まない。そして、角田は、なぜコーヒーをここに飲みにくるのか。疑問を口にしてみると。

 

「ここで飲むコーヒーのほうがうまく感じるんだよ。もう癖みたいなもんだなあ。毎日やってるし」

 

「俺、コーヒー飲むの嫌いじゃないですけど、毎日同じの飲んでても飽きないんですか?」

 

「お、そんなこと言うか、仮面ライダー。へっへー、だが今日はね、ちょっと違うんだよ」

 

 そう言って何やら自慢げな角田に進ノ介は何のことだと問いかけると、当ててみなと言いたげに意味深な顔を角田は見せた。

 

(銘柄も同じだ、というか、俺が買わされたもの。入れた量も昨日と同じ、コーヒーメーカーの設定も変えていない。ついでに髪は……、増えてる様子じゃないよな)

 

 それじゃあ、ともっと範囲を広げて見るとようやく気づく。

 

「あ、パンダカップが」

 

「お、流石は泊進ノ介。よく見てるねー。おニューなんだよ、これ」

 

 角田が愛用している取っ手がパンダになっているコーヒーカップだが、そのパンダがいつもと違っていた。少しの違いだが目を閉じており、眠っているようである。

 

 どちらにせよコーヒーの味とは関係ないではないか。

 

「ひまかっプ改め、ねむカップですね」

 

「……そのひまかっプってのもそうだけど、ネーミングセンスないね、君」

 

 角田の物言いに進ノ介は首をかしげる。特状課時代から、武器であったり何かにつけてみんなに半目を向けられてきたが、そんなに酷いだろうか。進ノ介はいまいち釈然としなかったが、自分のカップをとりだしてミルクを注いだ。

 

「名前といえばだ、君の名前は法則に当たらなかったなあ」

 

「法則?」

 

「前任者が神戸尊。で、その前は亀山薫」

 

「ああ、『か』で始まって『る』で終わるんだ」

 

「そういうこと。次はどんな名前かなーって思ってたわけだよ。甲斐とか、珍しい奴だと冠城とかね」

 

 外れちまったなー、わはは、と陽気に笑う角田。そういえば、そもそも前任者こともあまり知らない。特に八年以上も在籍したという進ノ介の中では仙人として想像される亀山某と、その後も警察で働いているという神戸尊の二人とは会ってみたいところではあった。後学のために。

 

 コーヒーをひとしきり堪能した角田は今度は部屋を見渡していう。

 

「そういえば、件の謎だらけ警部どのは、どこ行ったんだ?」

 

「あー、昼を食べたら、少し散歩してくるって」

 

 ミルクを飲みながら進ノ介が言うと、角田はにやり、とひと笑い。進ノ介にカップを向けながら言う。

 

「ははぁ、まだまだ新入り特命係には分からなかったか」

 

「何のことです?」

 

「そう言って出ていった警部どのが何をしているか、だよ。事件だ、事件」

 

 え? と進ノ介は呆然とし、一筋のミルクをこぼした。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第二話「蜘蛛の糸 I」

 

 

 

 雑居ビルが生い茂る都心の一角。薄汚れた狭い路地に大勢の人間が集まっていた。身にまとうのはスーツか、もしくは青い制服姿。 

 

 倒れている人影を中心として、鑑識がせわしなく証拠をかき集め、刑事がその様子を見守っていた。言うまでもなく、事件現場である。

 

 うつぶせに倒れた人影は頭部から黒い血を周辺へと広げており、もはやかすかにみえる頭部や手の色は青白く変わってしまっていた。

 

 それを遠巻きに眺めながら集まった捜査一課の面々は情報を共有していく。

 

「被害者は黒木茂、二十七歳。職業は不詳ですが、ここあたりだと有名なチンピラですね。幼いころから補導と少年院への収監歴が多数。最近も傷害で一年刑務所にいましたが、つい半年ほど前に出所。両親も幼いころに亡くなっており、親しい親族もいないようです」

 

 そう言う芹沢の言葉を聞きながら、伊丹は被害者の遺留品である運転免許や、ほとんど金が入っていない財布を手に取る。被害者の身にまとう派手派手しい皮のジャケットといい、金に染めた髪や、多数のピアスと、典型的な不良の格好という所だ。

 

「で? ガイシャは転落死ってことだが、目撃者はいないのか?」

 

 そんな黒木茂の遺体が発見されたのは早朝のこと。ビルの清掃員が路地に倒れ、頭から血を流している状態で発見したという。

 

「それは、調べてきました」

 

 と伊丹らと共に現場に来ていた霧子が手を上げてメモ帳を取り出す。と、伊丹は途端に顔をしかめてそっぽを向き始めた。相も変わらず子供のようなことをして、コミュニケーションも碌に取ろうとしない伊丹に、霧子も大きくため息を吐く。怒るのも疲れてきた。

 

 そんな険悪な雰囲気を察して、芹沢はなだめるように、まあまあとジェスチャーをし、霧子の発言を促す。

 

「はあ……。近所のバーの店主さんが証言してくれました。昨晩の深夜三時ごろ、店仕舞いをしていたら上の方から男性が騒ぐ声と、続いて大きな物音を聞いたと。同様の証言が近隣の住人からも複数得られています」

 

 それを補足するように芹沢が追加する。

 

「霧子ちゃんの言う通り、鑑識が屋上で真新しい足跡や、争ったような跡が発見されています。これは他殺の線が濃厚ですね」

 

 それを聞くと、霧子の方へは顔を向けることなく、伊丹はふんっと鼻を鳴らす。

 

「喧嘩の末に、屋上から突き落とされた、か。この風体に前歴だ。ガイシャとトラブルを起こしていた奴は多いだろうな……。証拠も大量にあるなら、さっさと解決するだろ。

 まずはガイシャが出入りしていたバーや、交友関係を洗っていくぞ。……ってまたかよ」

 

 伊丹は声に苦みを走らせる。視線の先に、のんびりと歩いてくる杉下右京の姿を見つけたからだ。のほほんと特命係は何ともなしに現場へと入ろうとしている。

 

「なんで来やがるんだ、毎回毎回!?」

 

「いやー、そりゃ杉下警部ですから。しょうがないっすよ」

 

「しょうがないわけねえだろ! ったく、おい、お前」

 

 と伊丹は顔を見ることなく、霧子を指さす。

 

「お前って! 私には詩島霧子っていうちゃんとした名前があるんです!」

 

「あー、あー、何でもいいから、適当にあの警部の相手をしておけ。ほら、巻き込まれる前にさっさと行くぞ、芹沢」

 

 いうや否や、伊丹は芹沢を引き連れて去ってしまう。芹沢はごめんね、と手を合わせるしぐさをするも、逆らうことなく行ってしまった。

 

「まったく、なんなの……」

 

 本当に今後もやっていけるのか、と先々に不安を感じながら、とりあえずは言われたとおりに右京へと歩いていく霧子だった。

 

 一方の杉下右京は事件現場へと立ち入ると、鑑識や捜査員の怪訝な視線をものともせず、周辺を歩き始める。姿形だけは刑事のそれだが、特命係の実情を知っているとただの不審者としか見えない。

 

「あの、杉下警部」

 

 霧子は少しためらって右京へと近づくと、声をかけた。

 

「これは詩島刑事、先日以来ですね」

 

 それに対して気さくに返事を返した右京に挨拶をして。しかし、その隣には彼の姿がないことに気づく。

 

「あの、ここは殺人現場なんですけど、特命係は入っちゃいけないんじゃないんですか? それに今日は泊さんは一緒じゃ……?」

 

「まあまあ、細かいことはお気になさらず。泊君は……、ああ、そういえば。伝えるのを忘れていましたねえ……」

 

 などと霧子の詰問に右京はぼんやりと答える。

 

 大丈夫なのか、特命係。と二人の関係性に不安感を覚えた霧子だが、ちょうどその時、後ろの方から駆けてくる音が。件の泊進ノ介がスーツをヘロヘロにさせながら走ってくるところだった。

 

 角田が「おそらく、ここだね」等と右京が興味を持ちそうな事件現場を教えてくれたのだ。

 

「杉下さん!! それに霧子も!!」

 

「おや、噂をすれば影、ということでしょうか。そんなに疲れた様子でどうしました?」

 

「どうしたもこうしたも、なんで現場へ行くのに言ってくれないんですか!?」

 

 と進ノ介は声を上ずらせて言い募る。右京は特に表情変えることなく、

 

「ついうっかりと伝えるのを忘れて。それに、君と来ると、あのように騒がしくなるのは目に見えていましたから」

 

 右京が指さす方を見ると、進ノ介が引き連れてきた人だかりが手に手にカメラをもって撮影を始めていた。「仮面ライダーだ」「事件だ、事件」等と騒ぎ始めていて、所轄の警官たちが追い払うのに苦労していた。

 

「君、現場に出るのは向いていないのかもしれませんね」

 

「……っ!!」

 

 等と呆れたように言う右京へ、途端にむかっ腹が立っていく進ノ介。右京が別の方向を向いた隙に地団太を踏むくらいは許してほしい。

 

 進ノ介も先日の一件以来、杉下右京という人間の能力の高さや、その意外な人間味といった一面は理解している。だが、常に出てくるのは、この空気や人間関係を読もうとしない不躾な発言だ。やはり、まだまだ好きになれそうにない。

 

「というか、お二人とも此処にいちゃいけないんですよ!? ちゃんとわかってますか!?」

 

 霧子がそんな二人へ苦言を言う。忘れてはいけないが、特命係に捜査権はない。

 

「あー、大丈夫。大丈夫。きっと、」

 

「泊さんまで……。杉下警部が移ってますよ……」

 

 一応は自覚があるのか、進ノ介はバツが悪そうに眼をそらしながら言う。ただ、現場から出ていく気はないようだ。特状課時代も捜査陣に無下にされては現場で粘っていた進ノ介ではあるとはいえ、早くも、かつてのバディへ右京シンキングの影響が見られていることに霧子は頭を抱えた。本当に、これで特命係を脱出できるのだろうか、と。

 

「それで、霧子はどうしたんだ? あの芹沢さんと、伊丹刑事とかいうのは?」

 

「……置いていかれました。杉下警部の相手をしておけって……。ほんと、なんなんですか、あの伊丹っていう人は!!」

 

「あいかわらずですね、伊丹さんは。それで、僕としては事件現場を見たいのですが。どうなさいますか? 詩島刑事」

 

 霧子はしばらく眉を寄せて、

 

「……はあ、わかりました。言っても聞かないのでしたら、今回は私が付いて監視します。それで良いですね?」

 

 あとでどうなっても知りませんよ。という霧子。

 

「あれだ、伊丹刑事への意趣返しだろ?」

 

「何のことですか。泊さんのことはよく知っていますし、杉下警部の能力もこの間の事件でわかりました。合、理、的な判断です!」

 

 と強い口調で言うと、霧子は二人に事件現場を案内した。転落死した被害者と、争っていた声がするという目撃情報を伝え、そして事件現場となった屋上へと。

 

 屋上には鑑識の米沢がおり、手すりから指紋を採集しているところだった。

 

「あ、米沢さん!」

 

「おお、これは特命係のお二人と、詩島刑事。泊さんは例のサイン色紙、どうもありがとうございました。友人たちに大層自慢できましたよ。

 それに、詩島刑事も先ほどのやり取りは見ておりました。伊丹刑事の偏屈さは筋金入りですなあ」

 

「ところで、米沢さん。何か証拠は見つかりましたか?」

 

「これは失敬。それがですね、この通り、手すりが壊れる等の争った痕跡は多数あるのですが、指紋や血液等、犯人に直接つながるものは見つかりませんでした。

ただ、新しいゲソコンが多数に、服の繊維も採取されています。土埃の中に毛髪が含まれているかもしれません。どちらにせよ鑑定待ちですが、ずいぶんと犯人は慌てていたようですね。

それと、もしかしたら事件と関係はないのかもしれませんが……」

 

 そう言って、米沢は一枚の写真を取り出す。

 

「これ、被害者の腕ですか?」

 

 進ノ介が聞くと、

 

「ええ、杉下警部はこういった奇妙なものに興味を抱かれるので。ここ、杉下右京テストに出ますよ」

 

「そのテスト云々はわかりませんが、……なるほど」

 

 その写真に写っていたのは如何にもというタトゥーが刻まれた太い二の腕だが……。そこに細いリボンが巻き付けられていた。

 

「しかもピンク色」

 

「強面の被害者が巻くには、少し可愛らしいとは思いませんか?」

 

 米沢はどうだ、気になるだろうと言いたげな笑顔で右京へと告げる。

 

「たしかに、気になりますねえ」

 

 右京はそれに、にやりと笑みを返した。

 

 

 

 件のリボンについての照会は米沢が行ってくれるという。三人は屋上を降りると、右京が口を開いた。

 

「被害者の最近の交友関係は一課の皆さんが捜査されているでしょうし、僕たちは別の方向から調べていきましょう」

 

「……やっぱり、捜査は続けるんですね」

 

 霧子のあきれたような苦言は聞かなかったことにして、三人は進ノ介のGT-Rに乗りこむ。

 

「別の方向というと?」

 

「さっきのリボンなど、被害者の人となりから。資料によると、幼いころから児童養護施設で育ったそうですから、そこへ行けば趣味や好みも分かるでしょう」

 

「けど、それって事件と関係ありますかね?」

 

 進ノ介はかすかに不安を覚えて意見する。走り回った挙句、青年の意外な趣味がわかりました!では意味がないのではないか、と。だが、右京は淡々と。

 

「その可能性も大いにありますが、まあ、暇な僕たちなりに調べてみるとしましょう。もちろん、君は来なくても構いませんよ?」

 

「そういうこと言われると俄然やる気になるのが俺なんです。よし、それじゃあ、杉下さん、霧子、行きますよ」

 

 通り魔的犯行や金銭目的以外の事件の場合、動機を探していくことが解決への近道でもある。被害者の人柄と近況を調べていくことは決して間違いではない。

 

 それに加えて、果たして杉下右京はどんなアプローチをしていくのか。そんな興味も進ノ介にはあった。

 

 進ノ介が車を向かわせた先は被害者が幼少期を過ごしたという「光の里児童園」。そこでは、彼の幼少期を知るという職員の里山さんが出迎えてくれた。子ども達があちらこちらで楽しそうに遊んでいる音を聞きながら、三人は事務室で話を伺うことができたのだ。

 

「しげちゃん、本当に亡くなったんですか?」

 

「ええ、残念ながら」

 

 落ち着いた雰囲気の婦人は、そうですか、と一言、悲し気につぶやくと、被害者の話を聞かせてくれた。

 

「しげちゃんねえ、まだ小学生でご両親が亡くなってしまって。預けられた親戚の家でも、無下にされたり、暴力も。それで、仕方なくここに来たんです。高校に入学するまではこちらで育ちました。

こういうところに来る子は、境遇から他の子と馴染めない子も多いのですけど。あの子は、特に大変でね。いつも一人で過ごしていたんです」

 

「彼には幼いころから補導歴がありますが」

 

「ええ、万引きに喧嘩。派手な服も好きでしたし、目立ちたがり。けれど、きっと、寂しかったのだと思います。私たち職員や、他の子供たちには手を出すことはしませんでしたし。根はいい子なんですよ」

 

「ですが、その後も非行は止まなかったようですね」

 

「……はい。高校も中退して、その後は音信も途絶えてしまって」

 

 黒木茂は高校中退後、工事現場や飲食店などの仕事を転々とし、軽犯罪を重ねていった。そう言った退廃的な現状は生い立ちにも影響されたのかもしれない。

 

 実際に、死亡時の所持品にも金目のものはなく、一課の古いアパートを探しても古びた衣類を除いては何も置いていなかったという。将来に対する具体的な見通しはなかったようだ。

 

 頼れる人も、あるいは生活を立て直す気もなかったのだろうか。そんな感傷を抱きながら、霧子は例のリボンの写真を取り出し、質問を投げかけてみた。

 

「殺害時、黒木さんは腕にリボンを結んでいたんです。小さい頃から、そのような習慣などはありましたか?」

 

 里山さんはその写真に対しては怪訝そうな顔を向ける。

 

「……リボン、ねえ。あの子がつけたり、巻いている姿は見たことがありませんよ。それに、私が知る限りで好きな色は黒と黄色。ピンクは女々しいと言って嫌っていたわ」

 

 なるほど、昔の被害者からすれば、このような装飾品は似合わないという。続いて進ノ介が、

 

「それじゃあ、最後に。ここも含めて、学生時代に彼と親しい人間がいたか、等はわかりますか?」

 

「そうねえ……。そういえば、一度だけ写真と手紙が来たの。感謝の手紙と、友達と映っている写真。しげちゃん、写真も嫌いだし、そんな手紙贈ってくるタイプじゃなかったから、驚いたのよ。ちょっと待っててくださいな。取ってあるの……」

 

 里山さんは部屋の隅に置かれていた箱を取り出し、その中から古い便箋を取り出した。

 

 写真には若い黒木茂と、同じように派手な格好に身を包んだ若者が三人写っていた。仲がよさそうにがっしりと肩を組み合っている。

 

「高校に行って、ようやく友達ができたのか、って安心したの。ただ、その後はご存じのとおり、高校も中退して、刑務所にも何度も。中退のきっかけになった事件では、この三人も一緒に補導されたみたいで。……あんまり良くない友達だったのかもね」

 

 少し後悔するような里山さんと別れて、三人は園から出た。

 

「さて、思わぬ収穫でしたね、杉下さん。次は、この写真の人達について調べますか?」

 

「ええ、そうするとしましょうか」

 

 そうして三人は被害者の所属していた高校や、かつての担任教師等を訪ね、写真に写っていた友人たちを特定していった。

 

 

 

 翌日、薄暗い特命係を霧子は訪れていた。昨日集めた情報を整理するということで、集合を言い渡されていたのである。ちなみに、伊丹達は繁華街で片っ端から不良グループを相手にしているようで、まだ見ていない。

 

 右京は、昨日得られた古い写真をホワイトボードに張り付けると、被害者の来歴と、その友人たちの名前と現在を書き並べていく。高校時代に、被害者と仲がよかったのは特に三人。

 

「太田光彦氏、現在は工務店勤務で既婚、二児の父」

 

「佐内義男氏は一般的なサラリーマンですね。こちらは上司の娘と結婚間近」

 

「そして最後の右藤翔馬氏は……。N&Aトラスト。警備システム開発で成長著しいベンチャー企業の創業者」

 

 かつての不良仲間たちはそれぞれの道に進み、その人生も多様化している。そして、被害者だけがその後も更正せずに暴力の道へと進んでいったようだ。その物語も興味深いが、事件へと関与しているかも不明。

 

「里山先生の言う通り、黒木さんが高校を中退した原因は彼らを含めた四人で商店を襲撃し、現金強奪事件を起こしたから。その時は黒木さんが主犯であり、三人は逆らえなかったという旨の供述がありますね。結果、黒木さんが主犯として送検されています」

 

 進ノ介がそう言うと、続けて、

 

「加えて、鑑識の米沢さんからの連絡です。被害者の腕に巻きつけられていたリボンは極めて一般的なもので、百円ショップなどで簡単に手に入れられる類のものだと。

ただ、使いこまれた跡もあって、何度も丁寧に洗われた跡も。どうも、大切に扱っていたみたいですね」

 

 霧子が怪訝な顔で報告を読み上げる。

 

「ますます分かんないな、いや、被害者の趣味ならとやかく言うつもりはないけれど。被害者像と合わない」

 

 犯罪と服役を繰り返していた被害者。それがリボンを大事に大事に扱っている。かなりのアンバランスさだ。進ノ介の疑問はもっともだろう。

 

「とはいえ、まだ一課のほうでも有力な容疑者は見つかってはいないようですから。僕たちはこの線で、もう少し調べてみましょうか」

 

「そうですね……」

 

 ただ、何か謎を解決するピースが足りない気がする。そうして、三人で頭を悩ませていると、

 

「暇!、じゃないみたいね……」

 

 と話の腰を折られたような角田が入室してきた。

 

「課長」

 

「二人とも、よく働いているようで、何よりだねえ。にしても、こんな美人を連れ込むなんて、仮面ライダーも隅におけないな! コレか?」

 

 と角田は霧子の姿を認めると、進ノ介へ笑みを浮かべて、小指を立てるジェスチャーをした。古臭いポーズだが、意味は分かっている。

 

「違います!」「違います!」

 

「あ、ああ。そうなの」

 

 それに対して顔を赤くしながら大声で抗議する進ノ介と霧子。もっとも、角田からすればその様子だけでバレバレではあったのだが。途端にからかい辛くなり、口を閉ざす。

 

「まあいいや。で、警部どのが興味持ったのは、この事件だったのね、やっぱり」

 

「そのように僕が興味だけで動いていると言われるのには、一言申し上げたい所ですが」

 

「日ごろの行いを振り返ってみなさいよ。……しかし、またこの地域で事件とはねえ。物騒になったもんだ」

 

 小さくつぶやく角田の発言に目ざとく気が付いたのは右京だった。

 

「……角田課長、その話、詳しく!」

 

「う、うん? いや、うちで扱っている案件なんだが、数日前に盛大に稼いでいた城東金融ていう闇金が金庫荒らしにあってな。

 で、元締めの暴力団が犯人探しに躍起になってる。相手が相手だし、正確な被害金額はこちらに上がって来てはいないが、おそらく五千万以上になるだろうな。それが、この現場から十分ほどの場所」

 

 思っていた以上に近い位置関係。何かありそうだと、刑事の勘が囁いた。

 

「……ほう」

 

「へえ……」

 

「な、なんだよ、二人そろってそんな目をぎらつかせて」

 

 ただの偶然、という可能性もある。だが、この二つの事件に何か関連があるのではないか。そう考えると進ノ介の脳細胞は急速に回転を始める。

 

 そして、その同時刻、捜査一課が容疑者を逮捕したという報告が特命係にももたらされたのだった。




通常枠ということで、今回は三パートで終わります。

第一、二話はキャラクターを馴染ませるために、基盤世界になる相棒要素を強調しています。まだまだ関係構築中の特命係。捜査にも積極的に絡んできた進ノ介ですが、相棒としての本領発揮はもう少しお待ちください。

それでは、次パートは数日中に投稿いたします。ご意見ご感想お待ちしています!


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第二話「蜘蛛の糸 II」

ここまでの状況のまとめ

被害者:黒木茂氏
素行が悪く、犯罪を繰り返していた男性。ビルから転落して死亡。腕にピンク色のリボンを巻いていた。

金融機関襲撃事件との関連あり?


「相馬矢一。現場近くの不良グループの構成員ですね。

 半年前に出所直後の黒木さんを仲間と共に襲撃。全治一ヵ月の大けがを負わせて病院送りにした男だそうです。動機は、被害者の服役のきっかけとなった傷害事件で、弟分が被害を受けたことへの復讐」

 

 薄暗い隣部屋から、特命係はマジックミラー越しに取調室の様子を眺めていた。そして、霧子はそこへと連行された柄の悪い男の来歴を、読み上げる。

 

「事件当時は流石にうまく犯行を隠していて、犯人特定に至っていなかったけども、そのことを武勇伝に語り明かしていたところから今回、ついに判明と。調子に乗りやすそうな顔してるな」

 

 相馬という男は伊丹達に睨み付けられながら、憮然とした表情で椅子に座っている。話のとおり、軽薄そうな男であった。

 

『被害者の黒木、ボコったんだってなぁ』

 

 ガラスの向こうから伊丹の威嚇するような声が響いてくる。相馬はそれに頷きつつ、

 

『そりゃあ、アイツ、拓真の左手を使い物にならないようにしちまったからよぉ。やるしかねえだろ? だから、ムショから出てきたところをボコってやった。いいだろ別に……』

 

『ただのチンピラ同士の喧嘩だったらなあ、俺らも気にしなくていいんだが……』

 

『殺人は、ダメだよねえ』

 

 二人がそう言って詰め寄ると、相馬は慌てたように弁解を始めた。

 

『ちょっと、まってくれよ。俺はあの黒木を恨んでたし、殴ったのは認めるよ。だけど、殺す? んなことしねえよ!?

 拓真の仇は病院に送って晴らしたし、その後はアイツも大人しくしてたし! 奴がやり返さない限りは手を出さねえって!!』

 

『けどなあ、見られてんだよ! てめえが黒木を数日前からつけまわしてるのを!!』

 

『そ、それは……』

 

 言いよどむ相馬にさらに般若のような顔を近づけると、伊丹は低い声で、

 

『よーく考えろよ? このままだと殺人容疑で逮捕になるからな』

 

『い、言えねえ! ただ、俺は殺しはやってねえ! それだけは誓って本当だ!!』

 

 大慌てで取り乱す彼の様子は真に迫っている。あまり演技が得意な男に見えない。だが、アリバイも存在せず、動機も存在、しかも隠し事までありそうだ。有力な容疑者には違いないだろう。

 

 伊丹達はさらに圧力を強めながら、あれこれと尋問を続けている。進ノ介はその様子を見て、眉をひそめた。

 

「俺には、彼じゃないように見えますけど」

 

「奇遇ですね、僕もです。それに、興味深いことがあるのですが」

 

「……被害者の入院歴」

 

「あのリボンと結びつきそうだと思いませんか?」

 

 右京のつぶやきに、進ノ介は頷いた。取調室を出る。彼が犯人だとしても、あとは一課が情報を引き出すだろう。部屋を出ると、右京は霧子へと指示する。

 

「詩島刑事、先ほど角田課長がおっしゃっていた金庫荒らしについて、情報をまとめてくれませんか?」

 

「頼む。あと、あの相馬が何か漏らしたら教えてくれ」

 

「……はあ、わかりました。くれぐれも無茶はしないでくださいね」

 

 まだまだ事件の全体像は見えていない。いくつもの情報を得て、まとめていかなくてはいけないだろう。

 

「それじゃあ、俺達は被害者が入院していた病院を、ですね」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第二話「蜘蛛の糸 II」

 

 

 

 進ノ介達は被害者の入院していた病院へと向かった。黒木茂が襲撃後、緊急搬送された病院は大規模な総合病院。記録によると右大腿部の骨折に頭部挫傷。金属バットで殴られたようで、搬送時は意識不明の重体だったという。

 

 尋ねてみると、二人は無事に担当医に会うことができた。

 

「入院中の黒木さんの様子について、お聞きになりたいと?」

 

「ええ、細かいことでも構いません。何か、ご記憶に残っていたら教えていただけないでしょうか」

 

 右京が尋ねると、四十代の川田という医師は、少し考えながら話を始めた。

 

「怪我の程度も重く、足に不自由もありましたからね。最初は見た目と同じく、看護師を怒鳴りつけたり、暴れたりと大変でした。ただ……」

 

「ただ?」

 

「入院して一週間ほどしたころから、途端に態度が変わって大人しくなったんです。看護師たちにも彼なりに丁寧に対応するようになりましたし。本を読んだり、パソコンで調べたり、熱心に調べ物をする様子も見えたんですよ」

 

「そんな風に黒木さんが変化した原因については知りませんか? 入院中に同じ病室の人や、患者、職員の方との交流とか」

 

 進ノ介が尋ねる。

 

「それが、私どもにも分からず困惑したんです。少なくとも良い変化でしたから、原因まで突き止めようとはしなかったですし。ですが、退院直前に、少しトラブルが、ね」

 

 少し、歯切れが悪そうに医師は言葉を濁した。

 

「川田先生、黒木さんは殺害されています。犯人逮捕のためにも、教えてはいただけないでしょうか」

 

「……詳しいことは相手方のプライバシーに関わるので内密にさせてください。……ただ、黒木さんについて、ある入院患者のご家族から強く抗議があったんです。彼が、黒木さんがその患者さんを、その、しつこく付けまわしていたという話で」

 

 そのため、黒木さんは予定より数日早く退院することになったのだという。それ以上の患者に関係することは教えてはもらえなかった。

 

「それでは、最後に、」

 

 右京は例のリボンの写真を見せた。

 

「これは被害者が腕に結んでいた物です。入手経路がわからないのですが、どこかに心当たりはありませんでしょうか」

 

 すると、医師は少し目を見開いて、

 

「……この病院では、長期入院の患者さん達、特に子ども達に誕生日プレゼントを送るんです。確かとはいえませんが、これはその時の包装に使うものに似ていますね」

 

「なるほど。先ほどの患者というのも……」

 

「……ええ、小さな女の子です」

 

 それきり川田医師は口を閉ざした。二人は礼を告げ、病院を後にする。そして、そのちょうどいい時間を見計らったように、闇金の襲撃事件を洗っていた霧子から着信が入る。

 

「もしもし、霧子か?」

 

『はい、私です。例の事件について、組対と一課からも情報をもらってきました。

 城東金融の金庫荒らしですが、五日前の深夜に発生。単独犯ですが、少し離れた場所にスピーカーを置き、遠隔操作でそこから大音量の音楽を流し、社員や近隣住人の気を引くという手を使っています。そして、中が手薄になったのを見計らって、金属バットをもって押し入っています。その後は中に残っていた社員を殴りつけて、制圧。素早く金庫を壊して、金をとり出して逃走。

 ……金庫の壊し方や器具の扱い方を見ると、手慣れた常習犯の犯行というのが組対の見解です』

 

「五日前って、ほんとに最近だな。黒木茂は学生時代から空き巣に金庫破りを繰り返しているし、ノウハウはあるはずだけど……。有力な容疑者は上がっているか?」

 

『それに関してですけど、事務所の監視カメラはあらかじめ細工されたのか、故障していて、犯人の特定が遅れていたんです。

 ただ、ボストンバッグを抱えて走り去る人影が偶然、街頭の監視カメラに捉えられていて……。背格好や髪型は黒木茂と酷似し、少し右足を庇うような仕草が特徴的でした』

 

 担当医の話によると、黒木茂は退院時も大けがをした足をまだ引きずっていたという。そう霧子に伝えると、

 

『……襲撃犯は被害者の黒木さん、かもしれませんね。あの、失礼ですけど、どんな勘をしてるんですか、お二人は?』

 

 距離が近いというだけで、殺人事件と関連性があることに勘付いたのだ。進ノ介の勘には慣れたものとはいえ、同じような人間が二人も三人も出てくると、訝しくもなる。

 

「まあまあ、そこは刑事の勘ってことで。他には、何か分かったことあるか?」

 

 そう尋ねると、霧子は少し声の調子を落とした。

 

『被害者の行動に変な点がいくつかありました。うちの調べでは、退院後の黒木さんはそれまでの仲間や知人たちと、一切連絡を断ち切っています。以前に犯罪を共謀したり、日常的に親しくしていた不良仲間なんかですね。

 突然のことで彼らにも身に覚えがなく、当惑しているみたいです。

 あとは、角田課長が言っていた通り、城東金融の上部組織の三送会が犯人を見つけて始末すると暴れまわっているようですね。泊さん達も気をつけてください』

 

「そっか、ありがとな」

 

 進ノ介は礼を言って、電話を切ると、右京へと内容を伝える。

 

「なるほど。取り調べ中の相馬も証言していましたね『最近は大人しくしていた』と。病院での態度の変化とも合致します」

 

「黒木茂についてまとめると、こんなところでしょうか」

 

・幼いころから非行に走り、前科も多数。

 

・それが入院をきっかけとして態度を変え、交友関係を清算していた。

 

・しかし、五日前に闇金を襲撃し、大金を強奪した疑惑がある。

 

・そして転落死。現場には争った形跡。

 

「ようやく更正したように見えて、それが突然の金庫破り、そして死亡時に子供向けのリボンを身に着けていた。なんだか、行動が極端だし、ちぐはぐ。そもそも、なんでいきなり大金を欲しがったのかもわからない。

 それに、奪われた大金は被害者の自宅や口座からは発見できていないのも気になりますね。現金強奪を知った誰かが黒木さんを殺害して金を奪った、なんてことも考えられます」

 

「そうですねえ。ただ、僕としては、やはり、あのリボンが気になるのですが……」

 

 確かに、元々右京の興味の矛先はあの奇妙なリボンだった。それに関しては、

 

「入手経路は病院の子供向けプレゼントくらいしか可能性はない。子ども達との交流で人柄が変わったっていうことなら、あるかもしれませんけど。

 むしろ、入院患者の子どもを黒木茂がつけまわしたってことで病院を追い出されているし、強盗までしている。抗議した親御さんから話が聞けると何かがわかるかもしれませんが……。でも、難しいだろうなあ」

 

 進ノ介は大きく息を吐いた。あれだけ大きい病院だ。子どもの患者も多くいて、特定には病院側からの協力が不可欠。ただ、

 

「君が言う通り、患者への守秘義務もあるでしょうし、今回の事件との関与が不明確な今では、情報の開示を要求することは難しいでしょう。……ただ、僕は、どうしても、あのリボンがどこかに繋がっている。そう思えて仕方ないのです」

 

 そう言う右京は落ち着いている様子だが、言葉はまるきり駄々をこねる子供のようでもあった。

 

 そんな様子にため息を吐きつつ。しかし、進ノ介自身の刑事の勘も、大切に扱われていた、あの奇妙なリボンが被害者の死とつながっている、そう囁きかけている。

 

「杉下さん、俺、ドライブが好きなんですが」

 

「ええ、日ごろ読んでいる雑誌にカバンの中身に手帳のストラップ、どれも車尽くしですからねえ。改めて白状しなくともわかっていることですが、それがどうかしましたか?」

 

「……」

 

 こんなちょっとした会話でもいちいち人を怒らせないと気が済まないのだろうか、この変人は。

 

 一瞬でこみ上げた怒りを何とかなだめて、こめかみをひくつかせながら進ノ介は言葉を続ける。

 

「その、わかりきった趣味のドライブですけど! ふぅ……、混雑とか、なにかトラブルにぶつかった時、無理にまっすぐ進もうとするよりも、少し寄り道をした方が近道だった、っていうことがよくあるんです」

 

「なるほど、急がば回れ。大仰に言う割には、よくあることですね?」

 

「その! よくあること! ですが!! あぁ、もう!!

リボンの謎も、金融機関襲撃も、それに殺人事件も、被害者っていう一点に繋がっています。それなら、まずは被害者の掘り下げを進めていくことで分かることもあるんじゃないですか!?」

 

 事件の根っこが同じなら、根元に向かって掘り下げていけばリボンの謎にもたどり着くのではないか、と。そう言う進ノ介に右京は表情を変えず頷く。

 

「ええ、僕もそうしようと思っていたところです。……そういえば、まだ話を聞いていない方たちがいましたね?」

 

 そう言って試すような視線を送る右京へと、進ノ介は答える。

 

「……はい。あの写真に写っていた三人組。施設の先生に自慢したくなるほど仲が良くなった友人。何か、心当たりがあるかもしれませんね」

 

 古びた写真に写っていた若い黒木茂は、その後の暴力の人生を感じさせないほど楽し気に見えた。短い青春の日々で打ち解けた友人たちなら何か知っているのではないかと、そう考えたのだ。

 

 

 

 方針をそろえた二人がまず向かったのは工務店に勤務している太田光彦氏の元。仕事場へと向かうと、現場の準備をしている太田氏を捕まえることができた。手帳を見せた二人に特に動揺することなく太田氏は二人を休憩室へと誘い、お茶を用意してくれる。

 

「茂の話は、驚きました。いや、正直に言うと、とうとうかって思ってしまって」

 

 精悍な顔つきの太田氏はそう、すこしうなだれたように言う。

 

「と、いうと?」

 

「たぶん、知ってのとおりだと思うんですけど、あいつはこれまでも犯罪に手を染めてきました……。今となっては恥ずかしい話なんですけど、高校時代は私も一緒に万引きやら、カツアゲやらやって、どんどん転がり落ちてしまって。

 一度、道を外して転げ落ちると、立ち上がるのは難しいんです。若い頃に犯した犯罪なんて、特にそう。仕方ないこととはいえ、前科者として扱われ、かといって、生活を一から築き上げる方法なんて分からない。

 ……私は、少年院に入った後、両親の支えもあって。今じゃ子どもを持てて幸せになることができました。ただ、茂は生い立ちもそうですし、そうやって支えてくれる人に出会えず、全うな生き方も分からなかったんだと思います。

 茂とは数年に一回くらいは会うこともあったんですが、会うたびにどんどん荒んでいく一方で」

 

 いつか、誰かに殺されてしまうのではないか。

 

 そう思いつつも、太田氏も自分の生活にも追われて救いの手を差し伸べることはできなかったのだという。

 

「その、最後に黒木さんと出会ったのって何時だったんですか?」

 

「一月ほど前に、電話で話したっきりです。向こうからかけてきたんですが、珍しく何かをためらう様な口ぶりで気になったんです。しかも、要件を話す前に切れてしまって」

 

「それは、また、どうして?」

 

 そう問うと、

 

「下の子がじゃれついてきたんです。まだまだ小さいので遊んでとせがんできて。それをたしなめている間に、ぷつりと」

 

 それっきり、連絡はなかったという。

 

「なるほど。……実は、黒木氏には金融機関の襲撃に関与した疑いがあるのですが、そうした動機に心当たりはありませんか?」

 

 右京の質問に、今度は太田氏は困惑したような表情を浮かべる。

 

「そんな……。最後の電話の時は、茂は妙に落ち着いていて、そんなに金に困っている様子もなかったのに」

 

「……お聞きしにくいことではありますが、黒木さんが高校を中退されたきっかけも現金強奪事件でしたよね?」

 

 進ノ介は尋ねた。すると太田氏は僅かにためらったような間を置いて、静かに告げる。

 

「ええ。……一つだけ、私が告白しなくてはならないことがあります。あの事件、茂が主犯となって重い罪に問われました。私たちは彼と比べれば、ずっと軽い罰です。ただ、本当は……」

 

「……彼が主犯では、なかったのですね?」

 

「はい。全員で話して決めたんです。ただ、茂は私達には家族がいるから、と逮捕時に主犯を名乗り出てくれて。……きっと、世間一般じゃあガラも悪いし、前科者ということで色眼鏡をかけられるでしょうが、黒木茂は本当は優しい良い奴でした」

 

 そう最後にはわずかに涙を滲ませながら太田氏は言った。

 

 話の最後に犯行時間のアリバイを訪ねると、家族と共に家にいたという。平日の深夜だ、それも当然だろう。二人は礼を言って次の場所へと向かう。

 

 だが、次の佐内氏は婚約者と共に婚前旅行で海外へ行っているということで不在だった。そして、犯行時間のアリバイも完璧である。

 

 では、最後の一人、企業社長まで出世した右藤翔馬氏の元へと向かった二人だったが、

 

「申し訳ございませんが、社長は多忙でして。必要でしたらアポイントを、どうぞ」

 

 摩天楼の一等地に立つN&Aトラストのオフィスへと向かうも、二人は受付で足止めをくらっていた。殺人事件の捜査と言っても高校時代の知り合いというだけの繋がりだ。事前連絡もなく、いきなり社長を出せ!というのは非常識に過ぎるだろう。

 

 気の強そうな受付嬢に追い返され、すごすごと帰される進ノ介と、そんなこともどこ吹く風という右京。進ノ介はまた霧子に頼んでみるか、と携帯に手をかけようとした。だが、エントランスを出たところで

 

「君、もしかして泊進ノ介さん、かな?」

 

 エネルギッシュで響く声が向けられて、進ノ介が顔を上げると、黒塗りの車から若者が駆け足で降りてきた。カジュアルなスーツを着こなして、覇気のある顔は、一社をまとめる顔としてふさわしく見える。

 

 社長の右藤翔馬氏、その人だった。

 

「ああ、すみません。仮面ライダーに会えるなんて思わなかったもので! ははっ!!」

 

 にこやかに笑う青年はまっすぐに進ノ介の元へと来ると、言葉とは裏腹に強引に手を取って、握手の形を取る。その後ろで秘書が写真を取っているのは抜かりないというべきか。

 

「失礼ですが、右藤翔馬社長でよろしいですか?」

 

「ええ、もちろん。貴方は?」

 

「あ、この人は俺の上司です。……申し遅れましたが、警視庁の泊進ノ介です」

 

「警視庁特命係の杉下右京です」

 

 そう名乗ると右藤社長は、まあまあ、そんな硬くならずに、等と上機嫌に笑い、あれやこれやと指示を出しながら、二人を社長室へと案内した。

 

 道すがら、右京は進ノ介に、

 

「君の肩書きも案外役に立つときもあるんですねえ」

 

 等と呟いてきたが、参考人の目の前ということで我慢することにした。

 

 招かれた社長室は、いかにもといった絵画や彫刻といった芸術品がふんだんに飾られたもの。あいにくと芸術には疎い進ノ介だったが、正直に言うと、趣味には合わない。ただ、ソファの座り心地だけは良かった。

 

「実は、私、仮面ライダーのファンなんですよ! いや、こちらを訪ねてくれるなんて嬉しいですね!!」

 

 そう言う右藤社長だが、話の中身はもっぱら会社の自慢話だ。見る見るうちに机の上はパンフレットやら何やらで埋まっていく。

 

 N&Aトラストは防犯システム開発で急成長した企業だ。ロイミュード事件という大規模テロに等しい騒乱が起こった現在、企業にせよ、家庭にせよ安全を求める声が強まるのは道理である。

 

 そんな話をしながら、右藤氏は進ノ介を熱心に勧誘しだした。

 

「それでですね! ぜひ仮面ライダーに我が社の防犯システムの広報をお願いしたいのです! 貴方が力を貸してくだされば、あのサイバーテックを超えて業界シェアナンバーワンも夢じゃありません」

 

「あの、」

 

「もちろん、報酬は弾みますよ! あ、でも公務員は副業禁止でしたか! それなら警視庁の広報にも話は通しますし、何なら我が社へと転職していただければ、地位も報酬も思いのまま!」

 

「あの!」

 

 なおも言い募ろうとする右藤氏を遮ったのは、声を張り上げた進ノ介ではなく、

 

「黒木茂」

 

 という小さな右京の一言だった。

 

「……」

 

 すると右藤氏は熱中した態度を急に止めて、押し黙った。

 

「黒木茂氏、高校時代の同級生ですよね?」

 

 そこまで言い切ると、二人が何を言いたいのかを察したのだろう。右藤氏は目に冷静な色を取り戻して答え始める。

 

「……同級生、というのは間違いですね。私は友人であり、恩人だと思っています」

 

「それは、皆さんが起こした事件があったからですか?」

 

「知っているんですね。茂が私たちをかばってくれた。もちろん、それもありますけど、この会社を立ち上げるとき、アイデアを出してくれたのも茂でした。彼は空き巣なども繰り返していましたから、防犯システムにも詳しかったんです。折に触れて、様々に助けてくれていました」

 

 進ノ介はふと疑問に思ったことを口にする。

 

「あの、そこまでの関係なら、右藤社長はそんな黒木さんの就職の斡旋等は行わなかったんですか? 警備会社とか、社長のつてを使うこともできたと思うんですが?」

 

 尋ねると右藤氏は小さく頷いた。

 

「もちろん、そうしようとしたんですけど。その直前で茂が傷害事件を起こして刑務所に行ってしまい、立ち消えに。あいつ、もう迷惑はかけられないって。そんなことを言って連絡を絶ってしまったんです」

 

「なるほど。では、その時が黒木さんと最後に出会った時、となるのでしょうか?」

 

「いえ、実は一月ほど前に電話で呼び出されて居酒屋で少し飲んだことが最後です。最近の仕事の話とか、家族を持たないか、とか、何でもないことを話しました。ただ、珍しく落ち着いていたから、気にはなっていたんですが。まさか、殺されるとは……」

 

 太田氏と同じく、後悔するような口ぶりだった。

 

「失礼ですが、他の関係者の方にも伺っているので、右藤社長にも。黒木さんが亡くなった時刻、どちらにいらっしゃいましたか?」

 

「その時間は出張に出ていて北海道のホテルに宿泊していました。証明もできます」

 

「そうですか。ありがとうございます。それでは、最後に一つだけ」

 

「もちろん」

 

 承諾を受けて、右京はゆっくりと問うた。

 

「黒木さんには城東金融という闇金襲撃に関与した疑いがあります。彼の動機や奪われた金品の行方に心当たりはありませんか?」

 

 右京が尋ねたその時、右藤氏は顔をひきつらせたような気がした。気のせいでなければ「城東金融」と、小さく名前をつぶやいた。

 

「右藤社長?」

 

 少し黙りこくった右藤社長を疑問に思い、進ノ介は促すように呼びかける。

 

「……帰ってくれ」

 

 途端に冷たい声で呟くと、右藤氏は勢いよく立ち上がり、

 

「今回の件は警視庁に報告させてもらいます」

 

 強い言葉でそう言い放った。

 

「え、いや、いきなりどうしたんですか!?」

 

「いいから帰ってください! 二度と我が社の敷居をまたぐな!!」

 

 取り付く島もなかった。社長室から追い出された進ノ介は、いったい何だっていうんだ、と愚痴りながら外へと向かう。

 

「何か隠してますよ、あれ」

 

「ええ。それが何なのか……」

 

 と、その時、右京の懐から携帯が鳴り始めた。失敬、と一言断って、右京が電話に出る。

 

「杉下です。……はい、はい。……わかりました」

 

 訝し気に見る進ノ介をおいて、右京は感傷もなく淡々とつぶやくと、携帯を閉じた。

 

「誰だったんですか?」

 

 進ノ介が何気なく尋ねると、右京は

 

「中園参事官です」

 

「え?」

 

「どうやら、大層お怒りのようですよ。……それにしても、本当に反応が早かったですねえ」

 

 言葉とは裏腹に、右京は楽し気に笑うのだった。




次回が第二話最終パートとなります。

リボンに隠された真実とは何か?


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第二話「蜘蛛の糸 III」

ここまでの状況のまとめ

被害者:黒木茂
素行が悪く、犯罪を繰り返していた男性。ビルから転落して死亡。腕にピンク色のリボンを巻いていた。
入退院後に更正したように思えたが、数日後、金融機関襲撃事件を起こす。

右藤翔馬
新興企業N&Aトラストの社長で、被害者の友人。事情聴取をした特命係へ抗議を加える。

相馬矢一
現場近くの不良グループの構成員。被害者に怨みを持っていた。
数日前から被害者を監視。


 相棒 episode Drive

 

 第二話「蜘蛛の糸 III」

 

 

 

「N&Aトラストの右藤社長から抗議があったぞ!! 証拠もなく犯人扱いをしているとなぁ!! 第一、あの事件は一課が犯人を逮捕して取調中だろうが!!」

 

 刑事部長室にて中園参事官の怒声が響いた。呼び出された二人は、顔を真っ赤に染めて唾を飛ばす男の前に立たされている。ただ、右京は相変わらずの声に平然として、そして進ノ介は面倒なことになったと顔をしかめるだけなので、中園の姿は少し場違いにも見えてしまっていた。

 

 そして、ある程度、中園の叱りが落ち着いたところで今度は右京が静かに口を開く。

 

「犯人扱いというのには語弊がありますが。……右藤社長はお若いのに警視庁とのコネクションを持っているとは、驚きました。おそらくは相談役などに元警察幹部がいる、等でしょうか?」

 

 そう顔色を変えず問いかけてくる右京の言葉は、照り返しが眩しい参事官の怒りをさらに逆立てたらしい。中園はますます顔を赤く染め上げて、

 

「お前たちに言う筋合いはない!! そして、泊!! 特状課時代から、独断行動が目立ったが、特命係でも命令違反とはいい度胸だな!! 仮面ライダーだからと言って、杉下に従って平気で済むと思うなよ!!」

 

「すみません」

 

 一方の、進ノ介は素直に頭を下げる。こういうとき、右京とは違って言い返さないほうが得策ということは弁えていた。そして、なおも言い募ろうとする中園を制したのは、意外なことにこの部屋で一番階級が上の人間。

 

「まあまあ、中園君。少し声を落としてくれないかな? そう近くで大声を出されるとねえ、私の耳にも痛いんだ」

 

 と、刑事部長である甲斐峯秋は少し苦笑いを浮かべながら中園をたしなめる。落ち着いた、しっかりと根を張った声だった。すると、中園は目に見えて顔色を変える。

 

「も、もうしわけございません、部長! しかし、あの、この杉下というのはこういう無断の捜査を繰り返しておりまして、その……」

 

「その点については承知しているよ。特命係の杉下、右京。そして、元特状課の泊進ノ介。初めましてだね」

 

 そう言って甲斐は立ち上がると、わざわざ右京と進ノ介の前にやってきて、朗らかな笑みを浮かべた。

 

「特命係の杉下です」

 

「と、泊です!」

 

 刑事部長を前にしても全く涼しい顔の右京に対して、進ノ介はそこまで面の皮の厚いことはできなかった。何といっても警視庁の大幹部である。少し緊張し、声を上ずらせた。

 

「そんなに緊張しないでくれ、泊君。なるほど、詩島君が言っていたように実直な青年のようだね。仮面ライダードライブ。仁良光秀の犯罪を暴き、そして日本を救ってくれた英雄に会えて、光栄だよ」

 

 それは裏の無い褒め言葉に感じた。

 

「き、いえ、詩島巡査から?」

 

「ああ。君を捜査一課に異動してくれと、直談判してきたよ。良い相棒を持っているようだ、大事にすると良い。まあ、君の処遇に関しては私の一存ではどうにもできず、申し訳ない限りなのだがね……」

 

 それを聞いて、アイツはまた危ないことを、と内心焦る進ノ介。だが、甲斐刑事部長はその心を読み取ったのか、苦笑いを浮かべる。

 

「いやいや、度胸のある新人が来てくれたものだ、と喜んでいるんだ。そして……、杉下右京」

 

 甲斐は今度は右京へと興味深げな視線を向ける。

 

「武勇伝は聞いているよ。非常にユニークで、能力が高く、そして、独断行動の常習犯。この警察では中々見かけることのできないタイプだとね。……一度、しっかりと話をしてみたいと思っていたんだ」

 

「恐縮です」

 

 右京は特に感慨もなく形式的に頭を下げる。一方の進ノ介は、上層部にまで悪名が広がっている杉下右京へと怪訝な目線を向けた。

 

 甲斐は少し笑みをこぼすと、穏やかな雰囲気のまま言葉を続ける。

 

「さて、前任の内村君と違って、私は能力の高い人間には、ある程度の自由を認める方針ではある。今の硬直した組織体制を改革したい、とも思っている。この役職についたのも、仁良の事件を重く見た上が改革を望んだからなんだ。

 だから、君たち特命係が噂通りに能力があるというのなら、裁量を与えても良いし、成果に応じて評価したい。

 ただ、立場上、私は刑事部と捜査を監督しなくてはいけない。今回のように方針を逸脱する以上は然るべき証拠を必要とすることも理解してほしいのだよ」

 

 わかってくれるね、そう言って、刑事部長は紳士的な笑顔を浮かべる。二人はそれに口答えすることはなく、素直に頭を下げた。

 

「君たちとは長い付き合いになりそうだね。今後も良好な関係を築きたいものだ」

 

 刑事部長は、今度は僕の茶でも飲みに来てくれ、とフランクに言うと、二人の退室を認めた。

 

 

 

 刑事部長室を出た二人は、お役所特有の飾り気がなく白い廊下を並んで歩く。無言で同じ方向へと向かっていた二人の内、先に口を開いたのは右京だった。

 

「思った以上に過剰な反応でしたねえ」

 

「それにしても、変じゃないですか?」

 

 進ノ介が疑問に思ったのは右藤社長の態度だ。ここまで過敏に反応したのなら、自分から何か関わっているとばらすようなものだ。進ノ介達はあくまで事情を聞きに来ただけなのに。

 

「泊君。仮に君が罪を犯し、刑事が尋ねてきたらどうしますか?」

 

「時と場合に依りますが、疑いの目が向けられない限りは大人しくしてますね。それこそアリバイもしっかりしているんだから」

 

「ええ、僕も同じようにするでしょう。僕たちは彼を犯人扱いしてもいませんでしたから……。疑われる危険性を考慮しつつも、なりふり構わず僕たちを事件から遠ざけたかった。……一つ、気になることがあります」

 

 右京が人差し指を上に向け、立ち止まる。

 

「それって、右藤社長が態度を変えたタイミングですか?」

 

「おや、わかりますか?」

 

「もちろんです」

 

 右藤氏は最初、犯行時刻のアリバイを訪ねられた時は穏やかな態度で強固なアリバイを述べた。だが、襲撃事件の件について尋ねると、途端に態度を変えて怒りを見せ始めたのだ。

 

「襲撃事件時のアリバイも確認されていますから、そこへの関与というのも考えにくい。……右藤社長にとって、金融機関襲撃のほうが深く追及されたくない話題ということ。……なんでだ?」

 

 進ノ介が一人ごちると、右京は数瞬、黙り、

 

「話の途中で何かに気づいたのかもしれませんね。城東金融という言葉にも何か思うところがあったようです。ところで、……君、他にも気になることがありますか?」

 

「え?」

 

「ああ、何でも構わないのですが。君という人間は熱血漢のようでいて、案外冷静に事件を観察し、情報をまとめています。その君の視点から見て、気にかかったところはありますか?」

 

 そうですね、と物言いには気になるが、進ノ介は考えを述べていく。元々、ベルトさんや霧子とああでもない、こうでもないと相談し合いながら捜査を進めてきた進ノ介だ。誰かと話す方が考えをまとめやすい。

 

「俺が気になるのは、杉下さんも言っていたリボンのこと、被害者の生活の変化、奪われた金の行方、右藤社長の態度。それに、……場所と時間」

 

「というと?」

 

 右京は何か、採点をする教師のように続きを促す。

 

「黒木茂が関与しているとみられる城東金融の襲撃現場と、殺害現場が離れていない上に、事件間のインターバルも短いのが気になって。これ、ちょっと考えるとおかしいなあ、って思うんです」

 

 仮に犯人が共犯関係などで被害者が大金を得たことを知っていたら関連を疑われないように、殺害の現場は城東金融から離れた場所にするだろう。まして、五日間の短い期間で二つも凶悪犯罪が起きたのなら、誰かが気づかなくても、いずれ二つの事件の関わりは警察にも知られることとなる。

 

「むしろ、意図的に事件をつなげようとしたんじゃないか、そう思えて」

 

 そう進ノ介が言うと、杉下右京は面白そうに、笑みをこぼした。

 

「ええ、確かにその通り。泊君、ここは一つ、前提条件を考え直してみると良いかもしれませんね」

 

「前提条件……」

 

 転落死、襲撃事件、消えた金品、変わった態度に、そして、襲撃事件を掘り下げられたくない被害者の友人。そして、病院のピンクのリボン。

 

 いくつものキーワードが結びつき、そして、全体像がひっくり返った。

 

「まさか……」

 

「そのまさかかもしれません。裏付けをしたいので、君は一課の捜査状況の確認と取り調べ中の相馬への揺さぶりをお願いします。僕は米沢さんのところへ」

 

 進ノ介はその言葉に続けて言う。

 

「そして、あの病院にもう一度、ですね」

 

「ええ。その通り」

 

 

 

 二日後、それぞれに情報を収集し終えた特命係は、進ノ介の運転で、閑静な住宅街を進んでいた。得られた内容は、二人が考えたシナリオを裏付けするものであり……。

 

 そして、進ノ介の心に重くのしかかる真実が残った。 

 

 これから行うことが本当に正しいのか、進ノ介にも分からない。だが、警察官として行わなければいけないことだと、分かっていた。

 

「……杉下さん、良いんですか?」

 

 助手席で無表情を保つ右京へと尋ねる。

 

「ええ。たとえどんな事情があろうとも、僕が警察官である以上、犯罪行為を見逃すことはできません。そして、犯罪によって得られる幸せなど、存在しない。そう僕は信じていますから」

 

 右京はためらいもなく言うと、進ノ介を見ることなく、前だけを見つめている。その目には、杉下右京という人間が持つ、犯罪に対する断固たる信念が感じられた。

 

「安藤清二さんですね?」

 

 夕暮れが落ちる街の中、進ノ介と右京は都内のマンションを訪れる。少し待ち、扉から現れたのは、くたびれた中年の男性だった。

 

「警視庁特命係の杉下です。こちらは、泊君」

 

 進ノ介はそんな彼の姿を認めると、少し表情を曇らせた。だが、右京はすぐに話を始めると、安藤氏は困惑した顔で、

 

「警察の方が、うちに何の用ですか?」

 

 と尋ねるのみ。

 

「ええ、先日亡くなった黒木茂さんの件で、お話を伺いたく」

 

 すると、安藤氏は

 

「黒木、って、誰ですか?」

 

 本当に分からないという表情でつぶやいたのだ。

 

 二人は自宅の中へと上がりこむと、小さなテーブルをはさんで安藤氏と向き合う。部屋の中は荷物が少なく、困窮した現状がうかがえた。その中でひときわ輝くのは笑顔を浮かべた家族写真だ。小さい女の子を挟んで、両親が幸せそうに笑っている。疲れた室内で、そこだけが温かみがあった。

 

「奥様はどちらに?」

 

「家内は今は娘に付き添っています。もしかしたらご存知かもしれませんが、ずっと入院中で」

 

 そう言う安藤氏の疲れた顔は、闘病生活の大変さを物語っているようであった。

 

「ところで、その黒木さんという方は?」

 

「その、こちらの人です」

 

 進ノ介が写真を出すと安藤氏は、

 

「ああ、この人は……」

 

「やはり、ご存じだったのですね」

 

「はい娘の病院で見かけました。正直、派手な格好で怪しい雰囲気でしたし、娘の周りによく現れたものだから……」

 

「病院に抗議したと、そう伺っています」

 

 安藤氏はゆっくりと頷いた。安藤氏の娘は安藤愛ちゃんという。まだ五歳の小さな女の子。だが、深刻な難病に侵されており、長く入院生活をおくっていた。事件との関連性をもとに、病院側を説得した結果、ようやく教えてくれたのだ。

 

 そして、おそらくは黒木茂へとリボンを贈った女の子。

 

「この方は黒木茂さんといいます。先日、ビルから転落して亡くなりました。その数日前には金融機関の襲撃事件を起こした犯人であり、」

 

 そして、と右京はその言葉を安藤氏に告げる。

 

 

 

「貴方へと大金を送り届けた人でもあります」

 

 

 

 安藤氏は、それを聞くと、しばらくの間、顔を伏せ、大きくため息を吐いた。少し待っていてください、と言うと、奥の押し入れの奥から、大きなボストンバッグを持ってくる。

 

「……数日前、家の前に置かれていたんです。中身を見たら大金が入っていて。小さなメモで『使ってください』って」

 

「けど、使われなかったんですね」

 

 進ノ介が中を確認すると、そこには整然と札束が並べられていた。崩しているような様子は見えない。

 

「正直に言いますと、使いたかった。怪しい金だってことは想像がつきました。でも、娘の治療には多額の金が必要ですし、かといって私たちの仕事だけではそんな額は稼げない。

 みすみす娘を死なせるくらいならって……。これがただの天からの贈り物だったら、そう願わずはいられませんでした」

 

 絞り出すような言葉だった。

 

 この金を使わない。その選択の裏にどれだけの葛藤があったのか、計り知ることはできない。ただ、この父親はその一線を超えることをしなかったのだ。

 

「すぐには届け出られなかったのは、迷いがあったから。当然のことですね、これだけの大金です。そして、貴方がこの金品を使用しなかったのは、賢明な判断だったと僕は思います」

 

 闇金の金庫から取られたものとはいえ、元々は弱者から搾り取られたものだ。襲撃事件をきっかけとして、組対が城東金融の摘発を続けている。警察に押収されたのち、被害者へと返されるべき金でもあった。

 

「その黒木さんという方は、どうして見ず知らずの私たちにこんな大金を?」

 

「その、もしかしたら、安藤さんにも辛い話になるかもしれません……」

 

 進ノ介が言いよどむも、安藤氏はゆっくりと首を振った。

 

「……どんな形であれ、私たちを救おうとしてくれた人です。どうして亡くなったのか、知っておきたい」

 

 わかりました。と進ノ介は少し間をおいて、語り始める。

 

「黒木茂さんの転落死は最初、他殺が疑われました。現場には争った形跡があったからです。けれど、実際には……。黒木さんは自殺でした」

 

「え……」

 

 呆然とする安藤氏をおいて、進ノ介は話を続ける。

 

 鑑識による分析の結果、ビル屋上の足跡は複数の種類があったが、歩幅等のパターンは一人分のものと確認された。いくつかの靴をつかって、事前に跡を残したのだろう。毛髪や服の繊維も黒木茂一人のもの。あの現場には他には誰もいなかった。

 

 暴れた痕跡や、騒いで見せたのも、他殺に見せかけるためであった。

 

「なぜ、彼が他殺に見せかけて自殺する必要があったのか。その理由が、その金です」

 

 首尾よく城東金融から大金を奪った黒木だったが、姿を撮影されるという失態を犯してしまった。すぐに黒木が犯人ではないか、という噂は広まったという。黒木を監視していた相馬も、三送会から指示を受けて監視していたと白状した。

 

「相手は暴力団です。大金を奪ったとなったらそれ相応の報復があると覚悟はしていたのでしょう」

 

 それなら逃亡すればよかった、と普通なら考える。だが、

 

「彼は奪った大金を手放していた。では、彼は金を誰へ、あるいはどこへ渡したのか。僕たちが彼の周りを調べてみても、該当者が見つかりません。過去の友人達に金を必要とする人はおらず、近い人間関係は清算し、恋人や親族もいません。そんな彼が死の前に唯一、執着を見せたのが貴方の娘さんでした」

 

 その詳しい感情までは分からない。

 

 だが、安藤愛ちゃんは治療に大金を必要としており、家族は困窮の中にいた。腕に巻いたリボンと病院での行動から、他に考えられる人間はいない。

 

「これは、想像でしかありません。ですが、僕は彼は大金が貴方達の元にあると、それを知られるのを恐れて命を絶ったのだと、そう思っています」

 

 このまま黒木の周囲を嗅ぎまわり続ければ、いつか安藤一家にもつながるかもしれない。だが、暴力的な死を迎えれば、平凡な家族へと結びつくべくもなく。共犯者が金を奪って逃げたと、そう思わせることができる。

 

 きっと黒木茂はそう考えたのだと右京は想像する。

 

「最初は黒木さんもまっとうな方法で金を集めようとしていたようです。ただ、彼は社会的な信用もなく、自身も食い詰めるような状況でした。

 そして、N&Aトラストの右藤社長を頼っていったとき、話の流れで城東金融の警備システムに自身がアドバイスした其れが用いられていると気づいたそうなんです」

 

 進之介が言葉を続ける。監視カメラやその他警報器機を止めるのに、それほど手間はかからなかっただろう。

 

 右藤氏は話の中で、黒木が誰かを助けるために金を集めているとは、聞いたらしい。だが、いかに社長といえども地盤を固める最中にあるベンチャー企業。高額な手術費用等にかかる金は用意できないと、断った。黒木も斡旋してもらった仕事をふいにした負い目があったのだろう。強くは申し出られなかったそうだ。

 

 それを後悔していると、右藤氏は語った。二人が城東金融の話を持ち出した時、黒木が人助けのために金を奪ったのだと気が付いて、それを追及されるのを止めたかったのだと。二人へと打ち明けてくれたのだ。 

 

 そこまで語ると、安藤氏は力が抜けたようにうなだれた。

 

「どうして、見ず知らずの私たちのために……。そんなこと、望んでもいなかったのに」

 

「ええ。彼の行動はあまりに独りよがりです。誰に相談するでもなく、正しいと思い、そのままに実行してしまった。……実は、まだ一つ分かっていないことがあります」

 

 右京は安藤氏に尋ねる。

 

「最初の貴方の疑問。『なぜ、黒木茂は愛ちゃんを助けようとしたのか』。きっと、彼が腕に結んでいた、このリボンに関係があるのでしょう。彼と愛ちゃんの間に、何があったのか、教えていただけませんか?」

 

 ボロボロになったピンクの細いリボン。

 

 それをじっと見つめて、安藤氏は静かに言った。

 

「愛は言っていました。一度会って、リボンを渡しただけだよって。たった一度、それだけだって」

 

 

 

「黒木茂は、どうして自分の命を犠牲にしてまで愛ちゃんのために尽くしたんでしょうね」

 

 外に止めたGT-Rに体をもたれかけながら、進ノ介は呟く。

 

「ただ一度、リボンをプレゼントしてくれた少女のために。彼が何を想い、その決断をしたのか。きっと、安藤さんも、愛ちゃんも知りたかったと思います。けれど、その機会は永遠に失われてしまった。……彼が、そんな選択をしてしまったことが、残念でなりません」

 

 今のような夕暮れの中、病院の隅で出会った男と少女。

 

『さびしそうだったから、リボンをむすんであげたの。それで、がんばってってあたまをなでたら』

 

 それは、愛ちゃんが母親から教わった元気が出るおまじないなのだという。そして、黒木茂は小さくありがとう、と呟くと涙を流したという。

 

 幼いときから失い続け、暴力の道から抜け出せなくなっていた、そして、友が差し伸べた救いの手も、愚かな行動で台無しにしてしまった。

 

 そんな彼からは、純粋な少女の優しさと、あたたかな家族の姿は何より尊く映ったのかもしれない。

 

 車へと入れられた大きなバッグを見る。これがその家族を守ろうとして、絞り出した結果なのだとしたら。

 

 そんな進ノ介の葛藤を察したのか、右京は空を見上げながら言葉を放つ。

 

「……どんなに崇高な目的があったとしても、犯罪を行えば、そこに傷つく人が生まれ、悲しみと怒りが生まれます。そして、それは次の悲劇へと繋がり、いずれその目的さえも蝕んでしまう。

 黒木茂の目的は立派だったと、僕も思います。ですが、彼が取った方法は間違っています。彼は人を傷つけ、自分というかけがえのない命を奪ったのですから」

 

 強く言い切る言葉だった。

 

 きっと、それは正しいのだろう。この金で愛ちゃんが助かったとしても、家族には罪悪感が残り、あるいは報復の魔の手が伸びる可能性だってある。愛ちゃんの将来には大きな不安が立ちこむ事になるだろう。

 

 それは、進ノ介も分かっている。

 

「けど、俺は……」

 

 進ノ介は小さく強い言葉で呟いた。

 

 

 

「で、ネットで支援を呼びかけたってわけだ」

 

 数日後の特命係。そこにはいつもの二人に加えて、霧子と角田も集まっていた。進ノ介のノートパソコンには、様々な寄付や援助を募集するウェブサイトが示されている。

 

『安藤愛ちゃんに救いの手を』

 

 と書かれたそこには、この数日で莫大な金額が集まっていた。見ているうちにも、どんどんと金額が上がっていく。

 

「でも、こういうのって始めるのは簡単だが、集めるのは大変って聞くぞ?」

 

 角田は驚いたように言う。

 

「ええ。だから、ちょっと仲間に力を借りたんです。ネットに詳しくて、その方面にコネがたくさんある友人に」

 

 一度大きな波に乗せることができれば、あとは自然に金も注目も集まるんだ。とは、相談に乗ってくれた友人の言葉である。

 

 だが、進ノ介の顔は晴れなかった。きっと、同じように難病に苦しんでいる子ども達はたくさんいるだろう。愛ちゃんは、たまたま進ノ介達と関わっただけ。この行為で一人が救えたとしても、それは進ノ介のエゴだとはわかっている。

 

 けれど、進ノ介には、苦しんでいる市民を見殺しにすることはできなかった。それだけは、どうしてもできなかった。犯罪によって得られた希望とはいえ、一つの家族のそれを奪ってしまったのだから。

 

 右京はそんな進ノ介の様子を観察するように横目でしばらく眺めると、わずかに光が差す窓へと目を向ける。薄暗い部屋からは眩しすぎるほどの、一筋の光が差し込んできていた。

 

 少女との出会いと一本のリボン。黒木茂にとって、それは一つの希望だったのだろうか。それこそ、自分の人生を捧げても良いと思えるほどの。けれど、それならば、

 

 右京は小さくつぶやく。

 

「彼には分からなかったのでしょうか。……自分も誰も、傷つけることなく人を助ける方法が」

 

 そうして、少し目を閉じるのだった。




第二話も無事に完結させることができました。皆さまの応援にアドバイスをいただいたおかげです。どうも、ありがとうございます!

第二話のテーマは「目的と罪」。どんなに崇高な目的があっても犯罪行為を許さないというのは杉下右京の強力な信念です。一方で、市民の平穏を第一とする進ノ介にとっては、納得ができない結果を生むこともあります。

今回は進ノ介も機転を利かせて、最悪の展開を生むことは阻止しましたが……。果たして、今後は……。

隠しモチーフはSeason11第18話「BIRTHDAY」とSeason2第4話「消える銃弾」。最後の瞬間にあふれ出る善意。そして、人との出会いに時間は関係ない。ということで、黒木茂の動機の参考になりました。
事件自体の構成はSeason9第8話「ボーダーライン」を参考に。

それでは、次回の第三話はそれほど深刻な話にはせず、あのチームに焦点を当ててみます。
私も大好きなあのキャラが大活躍?

第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか」

どうか、お待ちいただけると幸いです。


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第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか I」

 お待たせいたしました! 第三話!!

 今回は前回、前々回と少し雰囲気を変えて、各キャラ間の関係性を意識する形で書いてみました。

 前半戦「起」の最終話。どうか、お楽しみいただけると幸いです。


 早朝の住宅街、古びたアパートを複数の人影が隠れるように取り囲んでいた。傍目から見ると怪しい事この上なく、全員がもれなくスーツ姿。

 

 そんな奇妙な緊迫感に彩られた景色の中、彼らの中から特に厳めしい男たちがアパートへと向かっていく。

 

 金属板の階段を音をなるべく殺しながら歩き、一つの扉へ。

 

 男が耳をドアに当て、中の音に耳を澄ませると、がさごそと慌ただしい音がした。その音を認識した瞬間、目くばせをしてドアを勢いよく開け放つ。

 

「銀野幸三! 警察だ!!」

 

 怒声と共に突入する男、刑事たちが見たのは、眼前でベランダから飛び降りようとしている中年の男の姿。それを認識した瞬間、慌てて確保しようと飛び出していく。だが、男もさるもの、ためらうことなくアパートの二階から身を躍らせて見せた。

 

 刑事たちがベランダへと駆け寄ると、銀野はすでに華麗な受け身をしていた。少し体を痛めたように、蹲っていたが、すぐに不敵に刑事たちを見上げると、そのまま走って逃げ出してしまう。

 

『被疑者逃亡! 繰り返す! 被疑者逃亡!!』

 

 だが、そんなことを許すほど警察は馬鹿じゃあない。

 

 突入組のリーダーが無線で呼びかけた瞬間、周辺を包囲していた刑事たちが一斉に身を現す。

 

 たった一人の逃亡者がアパートの壁を乗り越えて、T字路へと躍り出たときには、すでに三方は刑事たちによって塞がれていた。銀野はその光景に面食らったように慌てるも、すぐに何やら決心を固めたようで。

 

「くそぉ!」

 

 罵声を上げると、懐から軍用ナイフを取り出し、それをやたらめったら振り回し始める。

 

 刑事たちは慌てることなく。だが、その様子にさらに警戒を高め、携帯していた拳銃を取れるよう、姿勢を固める。

 

 威嚇も上手くいかず、見るからに八方ふさがりという現状。その中で必死に活路を見出そうというのが犯罪者というものだが。……果たして、それは見つかった。三方の一角、そこにいたのは、周りに比べると弱そうな優男と、細身の女性の二人組。

 

 そこしかない、と銀野はその方向へ向かって、

 

「どけえ! ぶっ殺すぞ!!」

 

 と精一杯の脅し文句と大きく振り上げたナイフと共に走っていく。その剣幕に優男は少し顔色を変えたようだが、しかし、女の方はひるむ様子もなく、むしろ果敢に一歩を踏み込んできた。

 

 ついでとばかりに、近づいてくる女の顔は、とても美人で。銀野は一瞬だけ見とれ、

 

「ふっ!!」

 

 その瞬間が命取りだった。

 

 女刑事の細い足がぶれた様に視線から消え、そしてナイフを握っていた手に激痛が走った。蹴り飛ばされたのだ。足の姿形も見えなかった。それだけ鋭い蹴りだったと認識したときにはもう遅い。

 

 タックルを仕掛けるように、もう一人の男がためらいなく腹へと組みつき、地面へと銀野を押し倒す。そして、腕を捩じ上げると、

 

「六時十三分! 銀野幸三! 強盗致傷の容疑、それに銃刀法違反、公務執行妨害の現行犯で逮捕!!」

 

 芹沢刑事がそう宣言し、後ろ手に手錠をかける。ただ、逃亡犯も悔しそうに顔を歪ませながら、最後まで欲望は捨てなかったようである。

 

「せ、せめて、その姉ちゃんが逮捕してくれ!」

 

 捕まるなら、美人がいい等と、みっともない要求をする男にため息を吐きながら、芹沢は体を強引に立たせる。

 

「そんなことさせるわけないでしょ。まったく!」

 

 芹沢はじたばたと抵抗する男を連れて、路地まで来たパトカーへと連れて行った。それを見送りながら、霧子はふぅと息を吐くと、蹴り飛ばしたナイフを拾い、押収袋へと丁寧にいれる。これがおそらく、銀行強盗に使われたナイフだろう。

 

 銀野は数日前に都内の銀行を襲撃し、現金を奪っていた男だった。ただ、その手口はずぼらなもので、残された証拠からすぐに犯人として特定されたのである。

 

 証拠品を手にもった霧子が芹沢たちの後を追うように、路地の外へ出ると、周囲を固めていた七係の同僚たちが集まってくる。その後方からは部屋から押収したのだろう、現金が入っているバッグを下げた仲間もやってきていた。

 

「お疲れ様です」

 

 霧子は几帳面に敬礼をしながら、そんな彼らへと言葉をかける。暑苦しい絵面の刑事たちも、そんな霧子の様子に表情を崩し、

 

「お疲れさん!」

 

「いつもながら鋭い蹴りだったな」

 

「……俺もくらってみてえ」

 

 何やら小声で不穏な声が聞こえた気もするが、皆、口々に気前よくねぎらいの言葉をかけてくれる。それに少し一安心。

 

 元々交通課出身で、その次は特殊に過ぎる特状課。そんな霧子にとって、初めて経験することになる完全な男社会が捜査一課という場所だ。果たして刑事としてやっていけるのか、と不安になることもあったが、今現在、七係の仲間たちは気がいい人ばかりで、関係は良好。

 

 霧子の刑事デビューはおおむね上手くいっていると言えた。

 

 ただ、一人の件を除いては。

 

「ふんっ」

 

 大きく鼻を鳴らす音がした。後ろから聞こえてきたその音に振り返ると、朗らかな笑顔の同僚たちの後ろ、遠巻きに霧子へと視線を送る伊丹がいた。いつものとおり、珍妙なしかめっ面を作って。かといって、霧子の視線に気づいたのか、すぐに明後日の方向へと顔を向ける。

 

 いつものように無視を決め込むつもりのようだった。

 

「……はあ」

 

 霧子はそんな偏屈者の変わらぬ態度に疲れ、ため息を吐いた。 

 

 警視庁捜査一課七係、詩島霧子巡査。二週間たっても伊丹巡査長とのまともな会話無し。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか I」

 

 

 

 容疑者を連行し、携帯していた拳銃を保管庫へ戻し、証拠品を鑑識へと引き渡し、それについての書類を記載。警視庁の花形、捜査一課と言っても事件の後に待ち受けるのは、どこの社会とも変わらない複雑で地味な手続きと書類仕事だ。

 

 オフィスへと戻った霧子は、まだまだ遊び心が足りず、赤いスポーツカーのミニカーだけが飾ってある自身の机でパソコンと向き合っていた。煩雑な書類仕事は、経験稼ぎも含めて新人の霧子の仕事だった。

 

 そうして細い指をキーボードへと伸ばしていた几帳面な彼女へ、芳ばしい香りのコーヒーが差し向けられる。

 

「よう、また手柄を上げたらしいじゃないか」

 

 コーヒーの香りに顔を上げると、それを手にしていたのは七係の係長である三浦だった。三浦はコーヒーを机に置くと、軽く拍手をしながら人の善い笑顔でねぎらってくれる。そんな彼に表情を崩し、霧子は頭を下げて礼を言った。

 

 霧子がこの七係に来て以来、三浦は折に触れて気を遣ってくれていた。特状課は良くも悪くも放任主義で個人主体。捜査一課では大きな方針の元に計画的に捜査が行われている。そんな環境の違いがありながらも、この短い期間で一課へと慣れることができたのは、彼の手助けがあったことが大きいと霧子は考えている。

 

 特状課時代は良い上司にも、最悪の上司にも出会ってきたが、現場出身だけあって偉ぶらず、刑事たちの動きやすいように働きかけてくれる三浦は、間違いなく良い上司であった。

 

「もう一人前のデカって顔してるな」

 

 三浦は刑事としてのスーツ姿も様になってきた霧子を見ると、そんな嬉しい言葉をかけてくれる。

 

「いえ、私もまだまだです。先輩方から教わらないといけないことが沢山ありますから」

 

「そう謙遜しなくてもいいさ。凶悪犯もたじろがせるほどの勢いがあって、そして、腕っぷしも一級品。うちの男連中にも見習ってほしいくらいだよ」

 

 さすがはあの特状課出身だ。と、衒いもない褒め言葉に霧子は嬉しくなって頬を緩めてしまう。ただ、一通り霧子をほめあげると、三浦は少し悩まし気に額に手を当てた。

 

「まあ、その分、あいつに関しちゃ、申し訳ない限りなんだが……」

 

 まったく、どうしようもねえなあ。と、苦みを込めた言葉で指す『あいつ』が、誰のことなのかは言うまでもなかった。

 

 霧子の頭の中に、「何見てんだ、こらぁ」と奇妙な顔で文句をつけてくる伊丹の顔が浮かんでくる。

 

「やっぱ、苦労してるか?」

 

「……ええ。あの、すみません……」

 

 気遣うように尋ねてきた三浦に、霧子は頭を深く下げた。チームのメンバーと良好な人間関係を築く、それも立派な職務の一つだ。特に警察という危険に向き合う仕事ならば猶更。こうして伊丹との人間関係を解決できていないのは、自分の落ち度でもあると霧子は考えていた。

 

 だが、三浦は首を振ると、霧子の考えを否定する。

 

「いや、あれに関してはお前さんの問題じゃねえよ。間違いなく、伊丹の問題だ」

 

 いつまで経っても、しょうがねえなぁ、と担任教師か何かのようにぼやく三浦。そんな彼に、霧子は伊丹のことを尋ねてみることにした。少なくとも、伊丹との関係は早急に解決しなくてはいけない問題でもある。多少の無礼は置いておいて、尋ねる価値はあった。

 

「あの、係長。少し良いですか?」

 

「呼び方は三浦でいい。なんかなあ、この歳になって役職で呼ばれるっていうのは、どうもむずむずして仕方ないんだ」

 

「えっと、それじゃあ、三浦さん。元々、三浦さんと芹沢さん、それに伊丹刑事の三人組だったんですよね? 伊丹刑事が私を避けている理由に心当たりはありますか? その、私の性別が問題だったりすると、どうしようもないんですけど……」

 

 市民を守る力があることが警察官の第一の条件。女性にその役目は果たせないという価値観からか、昔は女性警察官が現場に出ることは殆どなかった。

 

 昨今は古い伝統というものも払しょくされ、女性警察官が活躍する場面も多い。とはいえ、ベテラン刑事の間には女性警察官が最前線へと出てくることに抵抗があるものも少なくはない。

 

 男性よりも力が劣る女性がいると、いざというときに守らないといけない、そんな心理が働く人もいるのだとか。

 

 伊丹もそのような人間なのだとしたら、性別を変えるつもりもない霧子には難しい問題となってしまう。

 

 そう問う霧子に、三浦は顎に手を当てると、少し考えながら答えていく。

 

「そうだな……。あいつも色々と複雑だが、お前さんが女だからって無視してるわけじゃない。その点は安心してくれ。

 あいつは古いタイプのデカだが、能力があるやつを認めないほど馬鹿じゃないんだ。詩島はさっきも言ったが、刑事としての力量は目を見張るものがあるし、その点は俺が保証する。

 ……ただ、ここ最近はいろいろあって、ストレスが溜まってるんだろうな」

 

「その、色々って?」

 

 三浦は指折り数えながら、ストレス要因を言い並べていく。

 

「ざっと挙げても、ロイミュードとやらがいたこと、俺の昇進、仁良の奴が一課長やってたこと、杉下警部が久しぶりに戻ってきたこと。それに……、たぶん、これが一番大きい理由なんだが……。いや、やっぱ俺が言うことじゃないな、あれは」

 

「はあ……」

 

 おそらく、最後のものが、霧子たちが嫌われている原因なのだろう。ただ、三浦はそれを直接いうつもりは無いようで、はぐらかされてしまう。その回答に納得がいっていないのは百も承知だったのだろう。三浦は最後に霧子の目を見据えると、

 

「今は納得できないかもしれないが、きっと、あいつもそろそろ折り合いを付けるころだ。詩島を悩ませている問題もすぐに解決する。だが、それでも、あいつの態度が変わらないようなら、俺は係長として伊丹を指導するし、必要なら編成を変えるつもりだということも覚えていてくれ。

 ただ、あいつは不器用で早とちりで、ついでに不愛想な奴だが、俺が信頼するこの七係で一番のデカだ。あいつからなら、お前さんもこれからデカとしてやっていくのに必要なことが学べると思ったから、お前たちを組ませた。……もう少しだけ、あいつを待ってくれないか」

 

 それは長年組んできた仲間に対する信頼が込められた言葉だった。例えば、霧子がかつての仲間たちに抱いていたのと同じような。そう言って真剣な声色で頼まれては、霧子も頷くしかない。なにより、認められないままというのは、負けず嫌いの霧子にとっても望ましいものではなかった。

 

 そういえば、同じく伊丹が露骨に無視している人間に泊進ノ介もいる。芹沢曰く、元々、特命係が嫌いなそうなのだが、杉下右京には不機嫌ながら話しかける中、進ノ介には、自分と同様に目も合わせない。

 

 何か関係があるのだろうか?

 

 この後、芹沢と伊丹とで事件の事後処理がある。その後にでも、勇気を出してぶつかってみようか。霧子は胸の奥でそう決意を固める。この後に起きる一騒動を、知る由もなく。

 

 

 

 そんな真剣な話が一課で繰り広げられているとはつゆ知らず、組対五課の隣。小さな特命係。

 

 いつものように奇妙な部屋を覗き込む大木刑事と小松刑事は、常にも増して変な光景に頭をかしげていた。

 

「見てくださいよ、このアングル。最高ですよ……」

 

「艶かしい曲線美……。見事です。ええ、こうして噛り付いてしまうのは仕方がないことですな」

 

「ああ、今すぐにこれを撫でたい……」

 

「濡れて光る肌を優しく……。想像だけで昂ってしまいます」

 

 怪しく光り輝くモニターへと噛り付く二人の大人。囁き合うようにぶつぶつと奇妙な言葉を呟く上に、

 

 ズズズっ、モグモグ

 

 二人してラーメンを啜っている。ただ、箸を進めながらも視線だけは画面を捉えて離さない。

 

 そんな不気味に過ぎる光景が広がる小部屋を叩き、

 

「暇か! って、えぇ……」

 

 と、角田が毎日の例のごとくやってきた。だが、怪しく飯を食べる二人組を見ると、途端に顔を引き攣らせる。なぜならそれは、日本の英雄であるはずの仮面ライダーの姿であり、我らが鑑識の米沢守までついていたからだった。

 

「……なにやってんだい。それに米沢まで……」

 

 一目見ただけで触れたらよくない景色だと分かるが、特命係の監視役をひそかに自認する角田は聞かざるをえなかった。仮面ライダーを特命係に送り込んで、精神が壊れてしまいましたでは、とんでもないことになる。

 

 一方で、本来の監督義務がある係長の右京はと言えば、そんな二人を意に介さず、黙々と雑誌を読んでいるだけ。角田は内心で「お前が質問しなさいよ」と思いながら、二人へと尋ねるのだった。

 

 そんな角田の心底気味悪がった質問に、進ノ介と米沢は顔を上げる。そして、何ともなしに角田へと笑顔で、

 

「角田課長も見ますか? 最高に昼ご飯が進みますよ」

 

 それは純粋な喜びの言葉だった。そうしてまたラーメンを一啜り。一応は正気のようだが、むしろそれが恐い。

 

「……泊君、何見てんのさ?」

 

「もちろん、車ですけど」

 

「……せめて如何わしいビデオであってほしかったよ、俺は」 

 

 角田は悪いものをみた、と呟くと頭を振り、コーヒーメーカーへと手を伸ばした。

 

 仕事がないまま到来した昼休み、進ノ介は自前のパソコンでDVDを見ていた。その名も『世界の名車 泊進ノ介セレクション』。

 

 そして、そこへ偶然居合わせたのは落語に電車、ゲームにネットと多分にサブカル趣味が過ぎる米沢守だった。出会った時から、進ノ介も彼が同類だと嗅ぎつけていたのか、たまたま立ち寄った米沢を熱心にビデオ鑑賞へ誘ったのである。

 

 そして、十数分後、新たに自動車も、無事に米沢の守備範囲へと入ることとなった。

 

 進ノ介も米沢も、金と時間がかかる趣味の沼へとどっぷりと沈んでしまった人間同士。出会ってしまえば、こうなるのは時間の問題だったのだろう。

 

「ああ、俺、米沢さんと会えてよかった……。こんなに車の良さを語り明かせる日が来るなんて!」

 

 感涙すら浮かべる進ノ介。脳裏には車を熱く熱く語るたびに、霧子を初め多くの人に白い眼を向けられた過去が過ぎ去っていく。高校時代、憧れのマドンナをデートに誘った時など、

 

『泊君、車ばかり見ててダサい』

 

 等といわれのない中傷を受けたものだ。これまで、自分の趣味へと理解を示してくれる友人は少なかった。

 

「いやいや、私こそ。この米沢守、沼という沼にはまってウン十年、ここに新たな天地を開拓するとは思いもしませんでした。

 さすがは仮面ライダー。趣味が高じて車と一体化した男、とマニアの間で噂されるだけはあります。お見それいたしました。次はぜひ、私の秘蔵の鉄道コレクションでも見ながら、お昼を共に!」

 

「電車、それも良いかもしれませんね……。ぜひ!」

 

 米沢も進ノ介も負けず劣らず熱を込め、手を取り合いながら次の約束を取り付ける。そんな趣味人の様子に呆れかえりながら角田は静かに煎れたコーヒーに口をつけた。

 

「おいおい、警部どの。これほっといていいのか?」

 

「僕としては、少し騒がしいくらいですから。特に言うことは。しいて言えば、『車と一体化した』という所にはいたく興味が惹かれますねえ。本当でしょうか……?」

 

「……そっか」

 

 こいつも変人だったな、と内心で愚痴りながら、触らぬ神に祟りなしとばかり。一言言い残すと、コーヒーを手に角田は外へ出ていく。

 

 何はともあれ、事件も何も起こらない平和な昼下がり。特命係は今日も仕事は何もなく、一日が過ぎるはずだった。ただ、そんな平穏を切り裂いたのは、一つの小さな音。

 

 PiPiPi

 

 声が一つ少なくなった部屋に、小さな電子音が響く。それは机に置かれた進ノ介の携帯であり、発信者には、『詩島霧子』と示されていた。

 

「あれ、霧子だ。珍しい」

 

 几帳面な彼女が昼休み中とはいえ、電話をかけてくるとは。進ノ介は少し訝し気に思いながら、電話に出る。

 

「もしもし、霧子? ……?」

 

 呼びかけてみるも、応答はなく、少しくぐもったような音が聞こえるのみ。

 

「おや、どうしました?」

 

 右京は顔に困惑の色を張り付けた進ノ介の様子を見ると、椅子から身を乗り出して尋ねてくる。

 

「いや、それが何も聞こえなくて……」

 

 そうして、電話を切ろうとした瞬間だった。

 

『早く金を用意しろ!!』

 

 見知らぬ男の怒声が、電話口の向こうから響いてきたのだ。

 

「なっ!?」

 

 思わぬ事態に進ノ介は顔を強張らせ、電話口に集中する。先ほどの声は相手の携帯よりも少し離れた場所から聞こえてきた。何か声との間に遮蔽物があるような聞こえ方である。

 

『さっさとしろ! ぶっ殺されてえか!?』

 

 大声で怒鳴りつける男の声。尋常ではない事態が起こっているのは、間違いなかった。

 

 

 

 そのころ、南都銀行新宿支店。

 

「お願い、気づいてください……」

 

 霧子は両手を頭の後ろに組み、相手に聞こえないように呟いた。周りには同じような格好で座らせられている十人ほどの人々。杖が必要な老人や、乳離れできていない子供もいる。

 

 そして、

 

「おい、どうしてこうなった……」

 

「私に聞かないでくださいよ!!」

 

 隣には憮然とした顔の伊丹がいた。

 

 午後一時十五分、銀行籠城事件発生。




今回も三パートで終わります。

それでは、次パートも近いうちに投稿いたしますので、どうか、ご意見ご感想お待ちしています!


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第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか II」

相も変わらず進ノ介と霧子を無視する伊丹刑事。そんな彼とチームを組まされている霧子は、ある事件に彼と共に巻き込まれることになり……


 両手を頭の後ろに組みながら、伊丹は頭の痛みをこらえて考えていた。

 

 どうして、こうなった。

 

 目の前には覆面をしてモデルガンと軍用ナイフを持った大柄の男が二人。伊丹と霧子、そして行員を初めとした健康な大人は一所に固められ、男たちの傍には老人と幼児たち。

 

 幸いにも伊丹達が刑事であるということはばれてはいないが、かといって、子ども達の安全を考えると抵抗することもできない。

 

 そして、金を手に入れて逃亡すればよいはずの強盗達は、なぜか籠城を初めていた。

 

 どうして、こうなった。

 

 伊丹は自分へと腹立たしさを抱きながら、この状況に至った経緯を思い返していた。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか II」

 

 

 

 話は少し前に遡る。

 

 進ノ介達が呑気に昼休みを楽しんでいたころ、霧子達は数日前に強盗事件が発生した南都銀行へと向かっていた。

 

 原因は捜査一課が今朝がた逮捕した銀野幸三。彼の自宅からは銀行から奪われた現金と貴金属が押収されていたが、被害届に出ていた金品との差異が見つかったからである。果たして、共犯者が存在したのか、逮捕までの数日内にどこかへ隠す、ないし売り飛ばしていたのか。強奪品について、今一度、被害元と確認する必要があったのだ。

 

「なんで俺がこんなことまで……」

 

「まあまあ、先輩。霧子ちゃんもまだまだ新米なんだから、先輩として俺達もいろいろと教えてあげないと!」

 

 その道中の車内で、後部座席に座る伊丹が不機嫌を隠さず愚痴っていた。それに対して芹沢は、無理くりな笑顔を浮かべながら、彼の機嫌を取り戻そうと孤軍奮闘。ちなみに、運転席には芹沢、助手席には霧子という位置である。後方から、濃厚な不機嫌のオーラが前まで漂ってきていた。発生源は言うまでもない。

 

 本来ならば、霧子は一人で銀行へと赴くはずだった。わざわざ三人で出向くほどのことでもなく、その内容も言ってしまえばお使いのようなもの。それでも芹沢が伊丹を無理に連れてきたのは、彼なりにわだかまりを解く機会を作ろうとしてくれたのだと理解している。

 

 ただ、芹沢の目論見は外れ、いや、予想通りというべきか。伊丹が原因で車内は無駄に重苦しい雰囲気となってしまった。芹沢はなんとかその空気を変えようと、色々な話題を振ろうとはしてくれるのだが、伊丹が乗ってこようとしないのだから続くべくもない。

 

 最後には芹沢も疲れたように一言。

 

「……ごめんね」

 

「……もう」

 

 車内環境は最悪である。今はもう懐かしい重加速、通称どんよりを受けたときと心理的圧迫は同じくらい。

 

 そんな環境を作ってしまったと、心底申し訳なさそうに謝る芹沢に、霧子もため息を吐くしかなかった。

 

 芹沢という先輩は雰囲気も明るく、細かいところまで気が回るし、そこそこに度胸も腕もある。同僚としては好ましいところが多いのだが、時々、余計なことをする。具体的には変な気のつかい方をしたり、口を滑らせたり。現在、その悪い癖がいかんなく発揮されてしまっていた。

 

 そんな地獄のような時間に耐えた末、三人を乗せた車は無事に銀行へとたどり着いた。霧子はドアを開けて、外に出ると、淀んだ空気を追い出すように、小さく深呼吸。隣の伊丹も不機嫌に肩をまわして、コリをほぐしている。

 

「それじゃあ、俺は車停めてくるから、霧子ちゃんと先輩は先に行っててください」

 

 そんな二人を銀行前で下ろした芹沢は、少し疲れた顔でそう告げる。運悪く、銀行近くの駐車場は満杯。少し離れた立体駐車場へと車を運ぶ必要があったのだ。

 

 とはいえ、ひとまず気まずいこの場を離れたかったのが本音だろう。二人の返事を待たず、さっさと車で去ってしまう。

 

 後には仏頂面を浮かべる伊丹と、三浦との会話で決意したものの会話の糸口を見いだせない不器用な霧子の二人。数分ほど、二人して自動ドアの前で沈黙を守り、

 

「「はぁ」」

 

 二人同時にため息を吐くと、

 

「……行くか」

 

「……はい」

 

 目を合わせぬまでも一応の会話を成立させながら、銀行へと足を動かしていった。

 

 片や苦手意識があるもの、片や完全にコミュニケーションを拒絶しているもの。二人になったならば、より気まずくなるのは自明の理であった。

 

 そうして、銀行の門をくぐって後、伊丹は起きた出来事を断片的にしか思い出せない。靄がかかった頭の中でちかちかと場面が明滅する。

 

(確か、入って数分くらい待っていたら……)

 

 二人は担当の行員を呼び出して、その間、待合の椅子に座っていた。そこへ覆面をかぶり、体格を隠すジャケット姿という見るからに怪しい風貌の男二人が入ってきたのだ。

 

 とっさに動き、走り寄ったのは、流石に刑事としての本能だろう。

 

 だが、その前に男は、すぐに近くにいた子どもへと銃を向けると、銀行全体へ響く声で、

 

『全員動くな!!』

 

 と叫んだのだった。そして、伊丹が怯んだところを、もう一人の男にしたたかに殴られたのである。

 

 気がついたら、床に転がされていて、周りには手を上げた霧子を初めとした行員と、客の姿があった。

 

「……一体、どうなった?」

 

 頭を手で押さえながら、不機嫌に尋ねてくる伊丹。そんな彼に、霧子は犯人へと気づかれないように小声で状況を説明していく。

 

「銀行強盗です。犯人は二人組で武器は軍用ナイフ。拳銃は、突き付けられた時に確認しましたけど、モデルガンでした。けれど、子ども達が離されてしまっていて、どうすることもできていません。

 あと、犯人の要求は金品ですけど、見てのとおり籠城を始めています……。今、もう一人は金庫を開けに行って、ここにはいません」

 

 霧子が視線で指すとおり、入り口や窓はシャッターが下ろされ、外部から遮断されている現状がある。そして、外からは大きくサイレンの音が聞こえていた。おそらくは警官隊が展開しているのだろう。

 

「まさか、短期間で二回も強盗とはな。この銀行、呪われてるんじゃねえのか。にしても、えらく包囲が早いな……」

 

 伊丹もこの非常事態に霧子を無視することは止めたのか、声を殺しながら返答した。

 

「たぶん、すぐに外にいた芹沢さんが通報して。それと、伊丹さんが殴られたときに、とっさに私の携帯を通話状態にして椅子の下に投げ込みました。監視カメラも停止させていませんし、外にも中の状況は伝わているはずです」

 

 その霧子の行動は、瞬時の判断として上出来だと伊丹も考える。だが、一つ気になることが、

 

「おい、お前、どこにかけた?」

 

「お前じゃなくて、詩島です。どこって……、特命係の泊さんへ」

 

「おま、馬鹿か!」

 

 よりにもよって特命係へと電話するなんて何を考えている。と伊丹は小声で怒鳴りつける。だが、この状況でも意地を張ったような態度を取り続ける伊丹に、さしもの霧子もそろそろ我慢の限界であった。

 

「誰が馬鹿ですか!? それを言ったら勝手に飛び出していった伊丹さんはどうなんです!? いつまでも私も泊さんも無視して! 子どもみたいなことしているから、連携もできなかったんじゃないですか!!」

 

「なんだと、こらぁ!」

 

「なんですか!! そうやって怒鳴って誤魔化せると思ったら大間違いですよ!!」

 

「うっせえな! 俺のやり方に文句あるか!?」

 

「文句ないとでも思ってたんですか!? 嫌味ばっかり言っても何にも解決しません! そっちこそ、文句あるならはっきり言ったらどうですか!! 私と泊さんが嫌いなら、そういえばいいじゃないですか!!」

 

「そうは言ってねえだろが!! こっちにも事情があんだよ!!」

 

「じゃあ、その事情をさっさと言ってください!!!」

 

「いやだね!!!」

 

 だんだんと、普段のストレスが重なってヒートアップしていく二人。小声から声が大きくなっていく様子に、強盗犯は、

 

「う、うるさいぞ! 人質がどうなっても良いのか!?」

 

 子どもと老人の傍でナイフを振り上げた。

 

(くそっ)

 

 その様子に押し黙りながら、二人は内心で舌打ちをする。

 

 作戦失敗だ。

 

 今は二人組の一人がこの場にはいない、この口論であの犯人を近くに呼び寄せることができればよかった。そうすれば二人で制圧し、人質だけでも逃がすことができた。

 

 だが、男はその場を動かない。体格と違って口調から気弱そうな男だということが伝わってくるが、もう一人の犯人の指示には忠実のようだ。

 

「大人しく待つしかないみたいですね」

 

「……だな。……おい、さっきの大体本音だろ」

 

「伊丹さんこそ、そうじゃないんですか?」

 

「ふんっ」

 

 鼻を鳴らしたっきり黙りこくってしまう伊丹に霧子は小さく頭を抱えて。けれど、すぐに切り替えて周囲の情報に目を配らせる。

 

(きっと、外で泊さん達が待っているはず、何か情報を渡せたらいいのだけど……)

 

 

 

「妙ですねえ……」

 

 一方、そのころの外。霧子たちが予想した通り、進ノ介と芹沢が報告したことで瞬時に展開した機動隊と警察車両が銀行を包囲していた。その彼らに混じって、指揮車の中で杉下右京が小さくつぶやく。彼は監視カメラの映像と進ノ介の携帯音声をじっと監視していた。

 

「なんで杉下警部までここにいるんですか……」

 

「なぜと言われると、困りますが……。しいて言うならば彼の付き添いで」

 

 芹沢の呆れたような呟きに、右京は背後の進ノ介を視線で指す。そこには暗い顔をして、腕組み立ち尽くす泊進ノ介の姿。

 

 報告をした後、すぐに現場に向かった進ノ介は通話状態の携帯を提出すると、その場にとどまることが許されていたのだ。そして、その彼は硬く口を噤んでモニターを凝視して微動だにしない。

 

「泊君、大丈夫?」

 

 一目見ただけで切羽詰まっている様子に、芹沢が心配になり声をかけた。

 

「え、ええ。……すみません」

 

 心細げに頭を下げる進ノ介の様子に、芹沢の不安はぬぐえない。なにか声をかけるべきか、そう考えていたときに指揮車の扉を開けて、三浦が入ってきた。

 

「おい! 中の様子はどうなってる!?」

 

「これは、三浦刑事」

 

 右京がそんな三浦に視線を向けて声をかける。その声に三浦は驚いたように目を見開いた。

 

「警部どの! 帰国したとは聞いていましたが、ここにいらっしゃるとは」

 

「色々ありまして。そういえば、昇進おめでとうございます」

 

「こりゃどうも。それで、君が泊だな……」

 

 二人がそうして挨拶を交わすと、次いで、三浦は進ノ介へと目を向けた。そして、足を進めると、どこか所在なさげに立つ進ノ介の肩を叩いて、人好きのする笑顔を向ける。

 

「お父さん、泊警部補には俺もだいぶ世話になった。話には聞いていたが、立派になったな……」

 

 彼が言うように、嬉しそうに目を細めるその顔には進ノ介も見覚えがあった。

 

「ええ、覚えています。父の葬儀にも来てくださいましたよね」

 

「ああ、覚えていてくれたか。きっと、英介さんも息子を誇りに思ってるだろうよ……」

 

「それは、……ありがとうございます。けど、三浦係長、今はそれよりも……」

 

「……ああ、伊丹と詩島達が心配だ。状況は?」

 

 三浦は進ノ介の言葉に頷くと、周りの機動隊員へと声をかける。

 

「間もなく立てこもりから一時間。犯人は二人。覆面をつけ、武器は拳銃状のものと、ナイフを所持。現時刻までに発砲はありません。

 人質は伊丹刑事と詩島刑事を含めて十五名。うち五人が行員で、八人が客。ご覧の通り、乳幼児一人に、小学生が一人、二人が老人。この四人が伊丹刑事らと離されて犯人の近くに」

 

「効果的な人質だな……。救出プランは?」

 

 尋ねると、機動隊の隊長が銀行の見取り図を広げて指で指しながら説明する。

 

「私たちがいるのが、この正面玄関。非常口は計四か所存在しますが、確認したところいずれも施錠され、バリケードもあるようです。窓はシャッターで封鎖。

 ……現段階では突入は難しいですね。それと、中の電話回線は生きていますが、見てのとおり、金庫を開けた後は動きを見せていません」

 

 隊長が言うように、金庫から戻ってきたもう一人を加えた二人の犯人はどこか迷っているように人質の周りをふらふらと歩き、時折思い出したように人質へナイフや拳銃を突き付けて脅すのみ。

 

「最終手段として、強行突入は可能です。裏手の窓を割り、催涙ガスを投下。しかし、相手が拳銃を所持していると思われ、乳幼児がいる現状では犠牲者が出る可能性が高く、推奨できません」

 

 三浦と芹沢はその話を聞きながら、神妙に頷く。彼らには、人質の安全を守り、保護する使命がある。ただ、そうして真面目に考え事をしている面々へと呑気な右京の声が届いた。

 

「妙ですねえ……」

 

 またも聞こえたその声に、進ノ介を含めた三人は右京へと振り返る。

 

「いったい、どうしたんですか警部どの?」

 

 三浦が苛立たし気に注意すると、右京はじっと見ていた監視カメラ映像を指さして、語り始める。

 

「いえ、この二人組の犯行の様子を見ていたのですが……。まず、覆面をして銀行に入ると、近づいてきた伊丹さんを殴りつけています。そうして拳銃を取り出して詩島刑事達を含めた人質を制圧。ここまで数分です」

 

「それが?」

 

「警察が包囲を完了するまで十五分ほど。この手際の良さです。金品を奪うだけでしたら、すぐに行動して逃亡が可能であったはず。しかし……」

 

 右京はモニターを一時停止して、指で犯人の動きを指した。

 

「犯人の一人は子どものそばを離れず。これは分かりますが、もう一人は人質一人一人の顔を確認し、そして、物影を探っています。子ども達が人質となった以上、誰かが隠れていても手出しはできないことは分かっていたはずですが、」

 

 机の下や、物影を一つ一つ探し、そうして、最後は苛立たし気に机を蹴り飛ばしている男の姿。

 

「ただの金品目的なら、こうした行動は必要ありません。この行動を説明できる理由の一つは、いるはずの誰かを探していた。それも、彼らにとって重要な人物を」

 

「そっか! 誰かターゲットがいた!」

 

 そう語る右京の言葉に、芹沢は興奮気味に叫んだ。

 

 犯罪において、所要時間が延びるほど発覚のリスクや目撃者が増える。強盗ならばなおさらだ。現に、こうして警察に包囲される事態を招いている。

 

 しかし、そのリスクを承知の上で、この犯人たちは何者か、あるいは何かを探し回っていた。それだけ無視できない理由がこの銀行にあったのだろう。

 

「で、そいつが居なかったから、探すのに手間取って脱出できなかった、と。おい、今日が非番、もしくは急用で銀行にいない行員はいなかったのか?」

 

 得心が言ったと頷くと三浦はすぐさま捜査員へと問いかける。幸いにも、すでにその一人が答えを持っていた。

 

「融資担当の佐伯大輔氏が外回りに出ていたそうです」

 

「……犯人のことを知っているかもしれないな。呼んでくれ!」

 

「分かりました」

 

 言葉を残し、捜査員は外へと出ていく。「これで有力な手がかりが手に入るかもしれない」と、にわかに喜色ばむ三浦と芹沢も続いて外へ。だが、その後ろで進ノ介は一人、モニターを凝視しつづけており、そんな進ノ介に右京がゆっくりと声をかけた。

 

「泊君」

 

「杉下さん。……すみません」

 

 何も言わないが、その静かな視線に咎められている気がして、進ノ介は頭を下げる。自分でも、冷静になれていないことは理解している。それは、中の霧子の存在もそうなのだが、

 

「あまり、銀行にいい思い出がなくて……」

 

 そう唇をかみながら、つぶやく。頭の中には親しい人を亡くした、痛ましい記憶が思い起こされていた。そして、その様子に右京も理解を示すように一度頷く。

 

「……お父様のことは、ええ、僕も伺っています。ですが、今は冷静に状況を観察してください。詩島刑事は君の相棒だったのですから、君なら彼女の細かいサインも察知できるはずです」

 

「……そうですね。あいつも、この状況で大人しくするだけじゃないでしょうから」

 

 霧子なら、携帯を通して情報を送ってくれたことと言い、何か状況打開のための手を打ってくれるはず。これまでロイミュードやらアルティメットルパンやらの人質となった時も平然と振る舞ってきた。むしろ、ただ大人しくしていることこそ想像できない。

 

「だとしたら、君はこのまま中の様子に目を配ってください。僕は強行突入以外で解決する方法を探します」

 

「杉下さんが?」

 

「ええ、昔取った杵柄、とでも言いますか。いろいろと経験はありますから」

 

 そうして右京は微笑むと、銀行の見取り図へと真剣に目を走らせ始めた。

 

 

 

 三浦と芹沢は外で、銀行を留守にしていた佐伯氏と会っていた。少し太り気味だが、温和そうなスーツ姿の男は、犯行時の映像を見せると、なにやら心当たりがあるように頷き、二人へと口を開く。

 

「もしかしたら、ですが。しばらく前に担当したお客様に体格が似ています。あいにくと、融資をお断りして。その時に随分と怒ってらしたので気になっていたのですが……」

 

「ちなみに名前は?」

 

「確か、望月雄一と祐二兄弟。ロボット機械部品の下請け工場を経営していたのですが、最近の業績が思わしくなかったんです。ただ、ウチの銀行も資金繰りに余裕がなく、ご期待には沿えなかったんですよ」

 

 その言葉に、二人は顔を見合わせる。

 

「例の事件以降、機械工業への不信感は高まっていたからな。これもその煽りか……」

 

「その望月兄弟が犯人なら、動機は工場の再建資金と、それを邪魔した佐伯さんへの復讐」

 

「そうだとしても、中に刑事がいるわ、肝心の復讐相手が不在だわ、まごついている間に包囲されるわ……。随分と運が悪い犯人だなぁ」

 

 三浦はそう言うと大きくため息を吐く。ただ、犯人の素性がわかったところで、外へと出して人質を救わなければ意味がない。

 

 同僚が二人も閉じ込められた銀行を見上げ、

 

「先輩と霧子ちゃんも、犯人が一人で、拳銃もなければ訳なく逮捕できそうですけどね」

 

 芹沢が残念そうに言う。それは三浦も同意するところだった。彼らなら、武装強盗の一人くらい、難なく捕まえられるだろう。

 

「だな。ただ犯人にしても、いつまでもこのままってわけにはいかない。どっかで逃亡を図ろうとしてくる。その時が勝負だが……。人質に子ども達が居るのが心配だな」

 

 人質として前面に出されると危険であるし、そのまま連れ去られたら、今度は誘拐へと進展してしまう。だが、このまま硬直しても、高齢者を含めた人質の体力が心配だ。いずれにせよ、近いうちに起こる状況の変化へと、できうる限り準備をする必要があった。

 

「芹沢さん、三浦係長!」

 

 そんな二人へ指揮車から出てきた進ノ介が声をかける。

 

「ちょっと気になることがあって、これを見てくれませんか?」

 

「監視カメラの映像だな、それがどうした?」

 

 三浦が尋ねると、進ノ介はタブレットを操作して、監視カメラの映像の一部を見せる。

 

「ここ、霧、いえ、詩島巡査が拳銃を突き付けられた場面ですけど、あいつ、最初と反応が変わっているんです」

 

 一度目は怯まないまでも、警戒して銃口を凝視している。だが、その後は凶器が向けられている状態にもかかわらず、ナイフを向けられた時よりも警戒心が解けている様子が見て取れた。

 

「たぶん、この拳銃、モデルガンか何かで殺傷性がないんじゃないでしょうか。実際に、事件発生時から一度も発砲はされていないですし、可能性は高いと思います」

 

「なるほどな……。そいつは突入の時には有用な情報だが、確証がないとうまく動けないのがなあ……」

 

 あくまでジェスチャーでの情報だ。それだけを信用して突入して、実弾でした、では大問題である。

 

「それと、もう一つだけ」

 

「泊君、それ、杉下警部みたいだね」

 

 芹沢が進ノ介の言葉にそう反応する。進ノ介も、口癖が写ってきたかな、と少し顔をしかめるが、気を取り直して話を続けた。

 

「詩島巡査は人質の子ども達に何度も視線を向けているんですけど、その時に、ほら、こうやって上を向いている場面が何回もあるんです」

 

「ほんと? あ、ほんとだ……」

 

 芹沢も映像をよく見ると、確かに、犯人や子ども達を見るにしては露骨に視線が高すぎるように感じられた。何かあるのではないか、

 

「おそらくは、これが理由だと思いますよ」

 

 その場面に、穏やかに顔を出してきたのは右京である。彼は三人のぎょっとした反応を気にも留めず、手に持っていた地図を広げる。

 

「理由ってのはなんですか?」

 

「彼女は突破口を教えてくれていたようです。詩島刑事の視線の先に何があるのか、見取り図と見比べてみたところ、これが」

 

 指さした先、地図には細い道のような構造が書きこまれている。それは、

 

「空調用のダクト、ですね」

 

「確認してみたところ、整備用に人一人は入れるスペースがあるようです。侵入もビルの二階から可能ですから、犯人たちに気づかれずに行動を起こせるかもしれません」

 

「この位置なら、子どもの人質を監視している奴には不意打ちができるな。だけど、残ったもう一人が行員でも人質にしたら、事態は悪化しませんかね?」

 

 右京の案は確かに犯人逮捕の糸口となるものだった。だが、ダクトから侵入できるのは一人のみ。犯人が二人の状況へ単身送り込むなんてリスクの高いことは許容しかねる。そう、三浦が冷静に指摘する。

 

「ええ、ですが保険にはなるでしょう。それに、もう一人についても、一つ、案があります」

 

 右京はそう言って、自身の考えを三人へと耳打ちするのだった。

 

「そいつは……、仮に伊丹だったら嫌な顔するでしょうな。ですが、杉下警部。そううまく事態が回りますか?」

 

「映像と音声に基づくと、二人のうち、子ども達を見張る係は主体的に動かず、もっぱら判断をもう片方に依存しているようです。兄弟だとすると、弟でしょうか。

 一方、兄の方はどうも気が短く、この硬直した現状に長くとどまれるような様子ではありません。相手も打開の方策を考えている現状、僕の予想通りの行動に移る可能性は高いかと。

 確かに、希望的観測に多く依存しているのは承知していますが、成功したならば、誰一人傷つけることなく事件を解決できます。試してみる価値は、十分にあるように思いますよ」

 

 そう言う右京に三浦は悩まし気に考え込む。もちろん、機動隊とも話し合わなければいけないが、この現場で係長である三浦の発言は大きい。実行時の成果とリスクを考え、判断しなければいけなかった。

 

 だが、そんな迷いを切り裂くように、進ノ介が言葉を告げる。

 

「大丈夫です。きっと、杉下さんが言っていた通りになるって、俺は思います」

 

 何か希望を見つけたような、自信にあふれた言葉だった。

 

「……根拠があるのか?」

 

「ええ、だって……」

 

 進ノ介のその言葉を聞いて、三浦は少し呆れたように笑うと、頷き、

 

「……やっぱり、君はあの人の息子だな」

 

 昔を懐かしむように、進ノ介に言うのだった。

 

 

 

 そのころ、銀行内。果たして、佐伯氏の証言は正しかった。銀行の中、覆面をかぶり手にナイフを握った男達は望月雄一と祐二兄弟。動機も予想通り、操業資金の調達と復讐。そして、主犯である兄もまた、伊丹と同様に内心でこう思っていた。

 

(どうしてこうなった!)

 

 元々の計画では、融資を断った銀行を襲って面子を潰すと共に工場の資金を強奪。そして、コケにされた融資担当の男を適度に痛めつけられればそれでよかったのである。

 

 実際、犯行は上手くいっていた。銀行への突入もイメージトレーニングと計画通りに遂行でき、手際よく人質を確保。現金も取り出すことに成功している。あとは佐伯を襲って逃げればよかったはずだった。

 

 こんな日に限って外出中とは!

 

 彼にとって、たまたま佐伯が外回りに出ているなど予想外の出来事。結局、もたもたしたため、注目を集め、籠城するしかなくなったのである。控えめに言っても厄日であった。

 

(じゃあ、どうする?)

 

 望月兄は考える。水も食料もない。このままでは体力が尽きるだけ。弟はあまり考えが回る方ではない。打開策は自分が考えるしかないのだが、それもこの現状では冷静にまとまるものもまとまらない。

 

 そんな彼でも考え着く方法は、

 

(人質を取って、強行突破。その前に、前の警察官たちをどかさないと)

 

 なんにせよ、一度、警察官の前に姿を現さないといけない。車でも何でも、逃亡手段を用意させなくては。

 

 望月兄は店内を見回す。人質につかえそうなのは誰か。

 

 そんな、雰囲気が変わった剣呑な様子に、伊丹と霧子がすぐに気づく。犯人の視線がゆっくりと自分たちを見渡し、行員、老人、そして、子どもへと視線が動き、

 

「おい、お前を人質にする。来い!」

 

 小さな男の子へと、ナイフが向けられる。その子の顔が恐怖に歪み、霧子たちの近くにいた母親が小さく悲鳴をあげた。そして、

 

「待ちなさい!!」

 

 迷わずに、霧子の足は動いていた。誰かが制止する間もなく、顔に決心を込めて、子ども達の前に滑り込む。そして、手を広げてナイフの切っ先から彼らをかばうように立っていた。

 

 望月兄はその様子に顔を歪ませると、脅すように霧子の前でナイフを軽く振ると、首元へと近づけていく。

 

「誰だか知らねえが、いい度胸だな。退け!」

 

「退きません!!」

 

 意志が込められた顔に、望月兄はわずかに怯むが、自分たちも人生がかかった場面だ。なりふり構ってはいられない。

 

「あ、兄貴、流石に子どもは可哀想だよ……」

 

「てめえは黙ってろ!! おい、二度とは言わねえぞ、どけ」

 

「……何度言われても変わりません。それはできません!」

 

 微動だにしないその様子に、 

 

「じゃあ、仕方ねえな……」

 

 手に持ったナイフに力が籠められ、目に剣呑な光が走り、霧子も目を犯人へと向けたまま、一つの覚悟を決める。汗が二人の額を伝い、最後の瞬間が訪れようとして、

 

「おい……」

 

 伊丹の重い声が静かに響いたのはその時だった。

 

「あぁ?」

 

 望月兄は霧子へと警戒を続けたまま、視線だけを伊丹へと向ける。見るからに苛立った、危険な目線だった。それをしたたかに受け止めて、伊丹は、

 

「女、子どもを人質にするなんて、みっともねえ連中だな」

 

 鼻を鳴らしながら、挑発するようにそう言う。にわかにいら立ちを増した犯人を前にして、伊丹は立ち上がり、

 

「人質なら、俺にしろ。俺は刑事だ」

 

 そう堂々と宣言するのだった。




それでは、次回が第三話の最終パート。

少しは伊丹刑事のめんどくささや、それでもにじみ出るかっこよさが表現できていると幸いです。

ご意見、ご感想をお待ちしています。


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第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか III」

強盗二人組の籠城に巻き込まれた伊丹と霧子。

膠着状態が続く中、事態が不意に展開し……


 誰にだって忘れられない思い出というものがある。特に、初めての時というのは猶更そうだろう。ひねくれ捩れた大木のような伊丹の顔が、今よりも少し皺が少なかったころ。生涯の天敵と組まされるよりもちょっと前。

 

 憧れた刑事がいた。少々単独行動を窘められるところはあったが、事件解決への熱意、洞察力に行動力。捜査一課の刑事たるもの、かくあるべし。そのように謳われ、多くの仲間たちに慕われた伝説の刑事。

 

 そんな彼と、捜査一課に配属されたての新人だったとき、一言だけ話せたことがある。

 

『お前の肩に市民の安全が乗っていることを忘れるなよ、新人』

 

 係も違う中、会った機会は数えるほどしかない。だが、少し年上の先輩が与えた、強く熱い手の感触は彼が亡くなった後も忘れることはなかった。そして、時が流れた先、

 

『ここは俺達に任せてください!』

 

 そう言い、仲間たちをかばうように前に立った赤い背中に、重なるものがあったのを、伊丹は鮮明に覚えている。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第三話「伊丹刑事はなぜ怒っているのか III」

 

 

 

「刑事、だと?」

 

 望月は伊丹の発言を反芻すると、警戒するようにナイフを突きつける。だが、伊丹はひるむことなく、

 

「警視庁捜査一課七係、伊丹巡査部長だ。疑うならこいつを見やがれ」

 

 そう名乗ると、ゆっくりと後ろ手に組んでいた手をほどき、胸ポケットの警察手帳を犯人たちの足元へと放り出す。

 

「兄貴、ほんとだ、本物の警察手帳だよ!!」

 

「興奮してんじゃねえよ、馬鹿ぁ!! おい、ってことはこの連れの女も刑事なのか?」

 

 その疑問と警戒は当然のものだっただろう。望月兄はナイフを再び霧子へと向ける。ついでとばかりに弟を子どもと共に少し離して。だが、伊丹は苦笑を浮かべて言う。

 

「……こんないちいち文句だけは煩い女がデカなわけねえだろ。こいつはただの事務員だ」

 

 その発言に霧子は内心で抗議の声を上げるが、目線で、話を合わせろと告げる伊丹に従って、しぶしぶ頷いてみせる。

 

 そんな様子と、犯人自身、見た目は華奢な美人の霧子が典型的な警官とは結びつかなかったのだろうか。伊丹の言い分に納得したようだ。すぐに視線を伊丹へと戻すと、脅すように質問をしだした。

 

「で、お前。お前が人質になるって言ってたよな? わざわざ刑事を人質にする意味、俺らにあんのか?」

 

 伊丹はその頭の悪そうな言葉ににやりと笑みをこぼす。

 

「むしろ、俺以外を人質にしたら無事には済まねえぞ? 

 デカって奴はな、仲間同士で守り合うってのが掟だ。俺を人質にしてる限り、奴らは手を出してこねえ。馬鹿な犯人は女子供を人質にしたがるがな、勝手にビビッて歩けなくなって、そりゃ面倒なもんだ。それで捕まる犯人を何人も見てきた。

 それになぁ、女、子どもを人質にしたときは、警察も体面がある。地の底までてめえらを追いかけることになるぞ」

 

 精一杯に恰好をつけ、理屈が通るように考えた言葉を、自信満々に言う伊丹。だが、犯人二人は顔を見合わせると、

 

「あー、で、だ。つまりどういうことなんだよ!?」

 

 馬鹿みたいにとぼけた声を上げる察しの悪い犯人に、伊丹の方が血が上って、叫ぶ。

 

「だから! 俺を人質にするのが一番いい方法だって言ってんだよ! 分かれよ!!」

 

 そんな押し問答のようなやり取りが続いた末……。

 

 

 

 外で犯人たちを待ち構える警官隊が、その姿を見たのは、それから五分ほど後のことであった。

 

 下ろされていたシャッターが開き、二人の男がそこからゆっくりと歩いてくる。

 

「……まずは電話連絡をしてくると思いましたが、思っていた以上に性急な犯人のようですね。三浦さん、始めましょうか」

 

 監視カメラの映像を通して中の状況を伺っていた右京がつぶやき、三浦がしっかりと頷く。彼らの目の前には首元にナイフを突きつけられた伊丹と、覆面で顔を隠した犯人がいた。

 

 出てきた犯人こと、望月兄もまた、居並ぶ警官隊に威圧されながら、ナイフを持つ手に力を込める。ここで失敗すれば工場はつぶれるばかりか、刑務所行きだ。

 

(中じゃ、あいつが子どもを人質にしている。連中が俺に手だしするわけねえ)

 

 虚勢を張り、声を張り上げる。

 

「俺達をここから逃がさねえと! こいつを殺すぞ!!」

 

 だが、予想に反して、警官達は少しだけ身をよじらせるだけで反応をしない。その姿に動揺し、顔を青くした時だった、

 

 PiPiPiPi……

 

 伊丹の懐から携帯が鳴り始めた。最初は怪訝な顔をした二人だが、まずは無視することにして、

 

 PiPiPiPi……。

 

 いつまで経っても鳴りやまない音にしびれを切らしたのは、犯人のほう。

 

「おい、止めろよ」

 

「この格好じゃ無理に決まってんだろ……」

 

「うるせえんだよ、この音!」

 

「俺が知るか!! ……たぶん、仲間からだ。出ても良いか?」

 

 伊丹がそう告げると、しぶしぶ、望月兄は頷く。ゆっくりと、伊丹は懐から携帯をとりだすと、それを開き、耳に当てる。果たして、それは予想してはいたが、聞きたくはなかった声であった。

 

『杉下です』

 

 のんびりとしたその声に、伊丹は顔をしかめる。まったく、あの警部は人のピンチを何だと思っているのか。

 

「こんな時に何なんですか、警部どの……」

 

 そう咎める声にも右京は冷静に言葉を続ける。

 

『伊丹さん、この電話を隣の彼に。あとは、……わかりますね?』

 

「おい、あんたまさか……」

 

 そう端的に告げた右京に、伊丹はそれはそれは嫌な顔をした。この状況に杉下右京。何をしようとしているのか、察しがついた上に、それをやることは非常にためらわられたからだ。

 

 だが、右京はそんな様子を察したのか、声は小さく、されど強く言葉をかける。

 

『後ろは泊君が制圧します。そのためにも、早く!』

 

 そんなに待ち時間はない、と告げる右京に、苦虫をかみつぶしながら伊丹は自らの首にナイフを突きつける望月へと携帯をゆっくりと渡した。

 

「おい、お前に電話だとよ……」

 

「電話だと?」

 

 望月兄は突然の電話に虚を突かれたのか、しばし呆然とするが、伊丹は携帯を振りながら、すぐに出るように促す。

 

「交渉人だ。ここから逃げ出したいなら、さっさと出ろ」

 

 そして、ぶっきらぼうに携帯を押し付けると、望月兄はしぶしぶと、その電話を耳に当て、

 

「もしも、」

 

 応答しようとした瞬間だった、

 

『♪――!! ♪♪――!! ――!!! ―――!!!!』

 

「!?!?」

 

 ベートーベン、交響曲第九番。耳元で爆発した大音量の第九に鼓膜が破れんばかりに圧迫され、完全に意識を伊丹から外す。その瞬間だった、

 

「くそぉ!!」

 

 伊丹は罵声と共に望月の足を砕かんばかりに踏みしめる。

 

 首元に凶器を突き付けられた時、唯一、気づかれずに狙える死角。つま先への全体重をかけた一撃だった。そうなると彼にはどうしようもない。激痛にもだえる望月からナイフを奪うと、その手をねじり上げ、体重をかけて制圧する。

 

「いててて!!?」

 

「黙ってろ!! くそっ、あの馬鹿の真似事をさせられるとはな! 確保!! 確保ぉー!!!」

 

 警官隊へと叫ぶ伊丹。一方、その一瞬の様子を後ろで見ていた望月弟は、

 

「あ、兄貴!?」

 

 兄が地べたへと這いつくばる様子に脳の処理が追いつかず、悪手を打つ。他の人質から意識を外した。そして、その瞬間を逃がさない者がいた。

 

「うぉおおお!!」

 

 ダクトを蹴り外し、天井から落下してきたのは、泊進ノ介だった。落下の勢いそのままに、望月弟へと膝蹴りを振り下ろす。

 

 鈍い打撃音と共に、強烈な一撃を側頭部に受けた哀れな犯人は、ナイフを取り落としながら床へと倒れこんだ。体格がいい男とはいえ、勢いが加わった成人男性の体重はそれは効いたのだろう。

 

 着地するとともに、犯人を後ろ手に押さえると、進ノ介は油断せず、近くに転がっていたナイフを遠くへと蹴り、滑らせる。そうして、ようやく安全を確認すると、後ろ手に手錠をかけたのだった。それは丁度、警官隊がその様子を見て、内部へと突入した時だった。

 

「子ども達をお願いします!」

 

「ああ、分かった!」

 

 銀行内いっぱいになる警官隊。

 

 彼らにまだ目を白黒させてる人質たちを任せると、一息をつく。そんな喧騒の中を目で探し回り、ようやく進ノ介は室内を見渡し、霧子の姿を発見した。疲れてはいそうだが、見たところ怪我もなく、健康そのものの様子に安堵する。

 

「泊さん!」

 

「霧子!! 大丈夫か?」

 

「え、ええ。こちらは無事ですけど……」

 

「うん?」

 

「ふふっ、いえ、体中埃まみれですから」

 

 霧子が微笑みながら、進ノ介の姿を見渡す。言われてみると、確かにダクトを通ってきたため、スーツは汚れ放題、髪の毛は白髪のように埃まみれとなってしまっている。仮面ライダーの凛々しい姿とは似ても似つかない有様だった。

 

「あー、もう、格好付かないな……」

 

 進ノ介はそうやって苦笑いを返すが、霧子は特に気にした様子もなく、それらを掃うのを手伝ってくれる

 

「……ありがとうございます。私のサイン、気づいてくれたんですね」

 

「そりゃ、霧子は俺のバディだからな。これくらい当たり前だって。それに、そうだな、正直気が気じゃなかったんだ。親父のことがあったから、今度こそ失いたくないって。そう思ったら……」

 

 言葉を選びながらも照れ臭そうに、安心したように告げられる言葉に霧子も少し頬を赤くして、

 

「まったく、これくらいロイミュード事件と比べれば何ともないですよ!」

 

 そんな風に照れ隠しをしながら、言うのだった。

 

 

  

 事件は無事に解決した。犯人二人組はすぐに連行され、行員や客にもけが人はいなかった。一部、気分を悪くした人はいたが、大丈夫そうではある。

 

 そうして事後処理に勤しむ警官達の中を、進ノ介は埃をほどほどに落とした体で歩いていた。一応、怪我がないかを確認するということで、救急車へと向かっていたのである。しかし、そこには先客がいた。

 

「あ、」

 

「……けっ」

 

 伊丹刑事だった。犯人に殴られて腫れた頭を冷やしながら、仏頂面で椅子に腰かけている。

 

 二人は、一瞬だけ顔を合わせ、しかし、すぐに、それを反対方向へと外す。相も変わらず、伊丹は進ノ介と目を向けようとしなかった。一方で進ノ介にとっては、そんな態度を取られることに心当たりがないうえ、今回の事件では霧子をかばってくれた相手である。そんな複雑な相手と二人きりになって、気まずさを感じないわけがない。

 

 しばしの間、そんな二人の刑事の間に沈黙が立ち込め、そして、

 

「おい」

 

 口火を切ったのは意外なことに伊丹のほうであった。ぶっきらぼうな口調に少しだけ警戒しながら、進ノ介も答える。

 

「……なんですか?」

 

 伊丹は進ノ介の埃まみれのスーツを見て、

 

「どうしてあのダクトで待ってやがった。どうせ、あの警部どのの入れ知恵だろうが、あの野郎が俺じゃなくて子どもでも人質にしていたら、どうしようもなかっただろ」

 

 運よく伊丹が人質となったので、兄を制圧でき、後ろの弟だけを進ノ介は相手することができたのだ。これで兄が他の民間人を人質にしていたら、進ノ介も身動きが取れず、事態はより悪くなっていただろう。

 

 その言葉に、進ノ介は頭をかき、静かに説明を始める。

 

「……何処かのタイミングで、人質を前に出して交渉してくることは分かってました。きっと、二人組なら、リーダー格が矢面に立って、後ろで控えが人質を確保しておく。電話交渉もなしに出てくるとは思っていませんでしたけど、そのタイミングなら二人を離して逮捕できる、そう考えました」

 

 そういえば、こいつは仮面ライダーの上に、その前は特殊班だったな、と伊丹は泊進ノ介の経歴を思い返す。人質救出作戦や肉体労働はお手の物だろう。

 

「ふんっ。で、どうして俺が人質になると思った」

 

 だが、そうして犯人たちが予想通りの行動をしたとして、その人質に伊丹が選ばれる確率がどれだけあるのか。伊丹には、進ノ介が確信をもって行動したようにしか思えなかった。そして、進ノ介から静かに返ってきたのは、予想外の答え。

 

「……伊丹さんは刑事ですから」

 

「なんだと?」

 

「警察官なら、市民を人質にするくらいなら自分が名乗り出る。そう思ったんです。……伊丹刑事のこと、俺は全然知りませんし、正直、良い印象もあまり無いですけど。……でも、あなたは真っ当な刑事に思えました。

 芹沢さんも、三浦係長も、ついでに杉下さんも、伊丹刑事なら自分から人質になるって言ってましたし。だから俺も、伊丹刑事のこと信じてみようと思ったんです」

 

 何の衒いもない、素直な言葉だった。警察官ならそうするだろうと、信じて疑わない言葉。

 

 それを聞くと、伊丹は黙り、その後、不機嫌そうに頭をかいた。そうして大きく息を吐くと、救急車に背を持たれかけ、妙にすっきりした顔で言う。

 

「刑事なら……ねえ。それで当てが外れて、詩島の奴が人質になったらどうするつもりだったんだか……」

 

「霧子なら、伊丹さんよりも簡単に犯人確保してますよ。間違いなく。あいつ、俺よりも強いんですから、あれで」

 

 足を踏みつけるだけじゃなく、きっと、骨まで砕くに違いない。そう言う進ノ介の言葉を伊丹は鼻で笑う。今朝の逮捕劇と言い、先ほどの啖呵といい、その様が容易に想像できた。

 

「……確かに、ありゃおっかねえ女だな。仮面ライダーの相棒は、伊達じゃねえってことか……」

 

 そう言うと、伊丹は立ち上がる。結局は一度も進ノ介と目を合わせることなく、くるりと背を向け、ひらひらと後ろ手に手を振って歩いていった。ただ、

 

「どこにいても刑事は刑事、か……」

 

 最後にそんな言葉が風に乗って、小さく聞こえてきた気がする。

 

 

 

 そのころ、霧子は聴取を簡単にすまして、一課の仲間たちの元へと戻っていた。

 

「もー、霧子ちゃんも心配かけさせないでよ! 監視カメラみてて血の気引いたんだから、俺も三浦さんも!」

 

 自分よりも疲れた様子で話す芹沢に霧子は少しだけ苦笑して謝る。

 

「すみませんでした。けれど、心配してくれて嬉しいです」

 

「まあ、俺は、むしろ先輩のほうが何か無茶しそうで心配していたけどね、実は。って痛っ!?」

 

「だーれが心配だ、誰が」

 

 調子に乗ってまたも余計な言葉を告げた芹沢の後頭部を叩いたのは、噂をしていた伊丹である。

 

「先輩!?」

 

「芹沢、あとで覚えておけよ」

 

「そんなー……」

 

 情けなくため息を吐く芹沢に鼻を鳴らす伊丹は、次に霧子へと視線を向ける。それが、初めて真っ直ぐ互いを見る時となった。少し気まずい様子に、じっと空気が落ち着くのを待ち。伊丹が口を開く。

 

「ふんっ、怪我はねえみたいだな」

 

「え、ええ。おかげさまで……」

 

 何処かぎこちなく。けれど、会話として成立している言葉が紡がれる。だが、不思議と前よりも素直に言葉が出ていていた。それは、霧子も、おそらくは伊丹も。

 

「あの、伊丹さん。ありがとうございました。その、庇ってくれて」

 

「はっ! 別に庇ったわけじゃねえよ、お前に手柄を取られたくなかっただけだ」

 

 頭をかきながらぶっきらぼうに言う言葉に、霧子は呆れたように返事する。

 

「じゃあ、そういうことにしておきます。……前から思ってましたけど、伊丹さんって素直じゃないですね。それに、嘘も下手です」

 

「なんだとぉ?」

 

「本当のことじゃないですか! それと……、今回は貸しになりましたけど、私はこれでも刑事です。今度は私が借りを返しますから、そのつもりで! あと、今度また無視したりしたら、許しませんからね!!」

 

 そんな自信満々な顔を向けられ、伊丹は呆けたような顔で、まじまじと霧子を見る。そして、

 

「そりゃ、いつになるやら、だな。ま、楽しみにしといてやるよ」

 

「そういうところですよ、伊丹さん」

 

 霧子の顔に珍しく笑顔がこぼれた。

 

 芹沢は、そんな二人の様子を見て、特に伊丹の変貌ぶりを見て。

 

「あー! 先輩、ま、さ、か……」

 

「なんだよ?」

 

「いえいえ。なんでもないですよー。あ、そうだ! 霧子ちゃん、事件も解決したことだし、せっかくだからこの後食事でもどう? 先輩と三浦さんも入れて」

 

「すみません! 実はこの後、先約が……」

 

「おお! もしかして、泊君と?」

 

「え、ええ。そうですけど」

 

 申し訳なさそうに謝る霧子に調子よさそうに芹沢は、「だったら、気にしないで」なんて明るく声をかける。そして、伊丹の肩を気安く叩きながら言うのである。 

 

「先輩♪ ドンマイってアイタっ!!?」

 

 だが、最後まで言葉は続かなかった。今日一番の力を込めて、芹沢を思いっきり叩くと、

 

「芹沢ぁ! てめえどういうつもりだ!?」

 

 どこか顔を赤くしながら芹沢の胸倉を伊丹は掴んで凄んでみせる。

 

「あの、何のことですか?」

 

「あー、霧子ちゃん、実は先輩の好きなタイプってね、アイタ!?」

 

「余計なこと言うんじゃねえよ!! お前も下らねえことに興味持つな、詩島!!」

 

「ちょっと! 私が何に興味をもっても関係ないじゃないですか!! 芹沢さん、あとで詳しく教えてください!」

 

 相も変わらず文句ばかりを互いに言い合う三人。だが、銀行の来た時のような重苦しい空気は、もうそこにはなかった。そして、そんな彼らを見ている人影が一組。

 

「雨降って地固まる、ですかね?」

 

「あいつにそんな綺麗な言葉は似あいませんが……。そんな所でしょうかねえ」

 

 少し離れた場所から、ぎゃーぎゃーと賑やかに言いあう三人の様子を微笑まし気に眺めて。右京と三浦はゆっくりとした調子でそう言う。

 

「ところで、最近の伊丹刑事がずいぶんと気が立っていたのは、なにが原因だったのでしょう?」

 

 三浦はその言葉に目を見開くと、そんなことを聞くとは、と言い。

 

「警部どのが人の機嫌を気にするなんて、珍しいこともあるもんですね」

 

「その言い方はいささか心外ですが。少し、気にはなっていましたので」

 

 これだからこの人は。

 

 久しぶりに再会した奇妙な警部の言葉に三浦は呆れたように笑う。そして、

 

「そうですねえ。ま、……あいつも色々あるんですよ。例えば、楽しみにしていた後輩がどっかの誰かさんに取られてしまったりとか」

 

「おやおや、それは災難でしたね」

 

「ははっ、伊丹にとっては悪夢ですよ。おかげで代わりに入ってきた奴にも八つ当たりしやがって。いや、ありゃ照れてたのもあるのかな。まったく、原因の誰かさんには責任を取ってもらわないと困ります」

 

 三浦は右京に視線を送りながら朗らかに言う。そして、右京はその誰かに覚えがあるのか、ないのか。子供のような笑顔を浮かべると、くるりと背を向けて帰っていくのだった。

 

 

 

 事件解決から数日後、特命係の薄暗い角部屋に珍しい客が現れた。伊丹を先頭に、後ろで怪訝な顔をする霧子と、面白そうな顔の芹沢。昼時にいきなり現れた捜査一課三人組だが、前と比べてぎすぎすした雰囲気が打ち解けているようで。

 

 中でも、入った途端に、伊丹は進ノ介に向かって、

 

「特命係のかーめーんらいだー」

 

 と妙に間延びした珍妙な呼び方をしてきたのだ。

 

「……えっと、それって俺ですか?」

 

 進ノ介がその、あんまりにもあんまりな呼び方に疑問で返すと、

 

「お前以外に誰がいるんだ、誰が」

 

 と不機嫌そうに伊丹が言う。その態度に進ノ介は驚いた。何せ、伊丹が面と向かって話しかけてきたのだから。

 

 毎度毎度、無視されていたのと比べると格段の進歩である。ただ、どうしてこうも嫌われているのだろうか。と、そんな疑問は残るが。

 

 だが、そんな進ノ介の形容しがたい表情を無視すると、伊丹は不機嫌な顔のまま、右手に提げていた包みを差し出す。風呂敷の中にはサッカーボールくらいは入りそうな木箱が入っていて、それをどかり、と進ノ介の机に置くと、

 

「俺は捜査一課の伊丹だ……。言っとくがな、泊。お前が特命係にいる限り、俺はお前を認めねえからな!」

 

 等と一方的に告げるのだった。そして、にやりと一笑いすると、返答も待たずに部屋を出ていってしまう。どこか意地を張った子供のような歩き方で。

 

 嵐のようなその行動に進ノ介と霧子は呆然として、

 

「なんだったんですかね、あれ? 今更、自己紹介したりして。それに、これも」

 

「さあ?」

 

 二人で顔を見合わせて首をかしげる。

 

 一方、長くチームを組んできた芹沢といえば、何やらよかった、よかったとつぶやくと、

 

「ちょっと変だけど、あれが先輩だから、慣れて、な?」

 

 そう、進ノ介の肩を叩きながら、楽しそうに言うのだった。

 

「変わった人間というのは意外と多く居るものですからねえ」

 

「杉下さんがそれを言いますか。……でも、仕方ないかもしれませんね」

 

 進ノ介は状況は分からないが、苦笑いを浮かべた。かつての特状課だって変人と奇人の巣窟だった。今の特命係は言うに及ばず。なら、捜査一課にも偏屈者の一人や二人はいるのだろう。

 

 そんな風に話していると、ネタにされていることを察したのか、伊丹は遠くから、

 

「なにぼさっとしてやがる! 詩島! 芹沢! さっさと行くぞ!!」

 

 と、組対に迷惑極まりない大声で呼びかけるものだから、本格的に笑うしかない。

 

「ありゃりゃ、またへそ曲げる前に行かないと。じゃあ、杉下警部、泊君、俺も失礼します。ほら、霧子ちゃん、行こう」

 

 芹沢は苦笑いを隠さないまま、走り去っていく。そして、霧子も進ノ介達に頭を下げると、その後を追いかけようとして。ただ、その前に進ノ介は聞くことがあった。

 

「霧子、そっちもやっていけそうか?」

 

 進ノ介は笑顔で霧子に問うと、霧子は息を吐いて、

 

「……今はあの人たちが私のチームですから」

 

 晴れやかな顔で告げると、伊丹達の元へと駆けていった。

 

 そんな様子を微笑ましく眺めていた右京だが、すぐに興味の矛先は伊丹の贈り物へと向かったようで。興味津々とばかりに箱をじろじろと見始める。

 

「さて、伊丹さんは何を贈ってきたのやら。泊君、開けてみてください」

 

「はいはい、えっと、ここが蓋か」

 

 言われてしぶしぶと木箱を開けると、そこには丸々と太った、立派なメロンが鎮座していた。

 

「メロンだ。……なんで。いま、秋ですよ」

 

 『高級メロン 二時間ほど冷やしてお食べください』と添えられた紙には書いてある。そして、手書きの殴り書きで、『これでこの間の借りはチャラだ!』と。

 

 銀行事件で手助けした礼ということだろうか? 疑問を深くする進ノ介を放置して、右京はまじまじとメロンを凝視すると、少し笑いながら呟く。

 

「そうですか、またメロンでしたか」

 

「また? え、前にもこんなのもらったんですか?」

 

 一度ならず二度までも奇行を繰り返すとは、伊丹と特命係にはどんな縁があったのか。しみじみと言う様子に、そう問いかける進ノ介。すると、

 

「昔、いろいろありまして」

 

 と、右京は微笑み、紅茶を一口啜るのだった。




これにて第三話が完結、そして、前半戦の起が終了。ここまで進めることができましたのは、皆さまの応援のおかげです。どうも、ありがとうございます!

一から三話は相棒世界と進ノ介、霧子を馴染ませるために、あえてドライブ世界の人物や設定は出しておりませんでしたが、にもかかわらず、多くの応援をいただけて嬉しく思います。

第三話のテーマは「刑事の仕事」としています。いざというときにその身を顧みずに市民の安全を守るために行動できる。そんな伊丹を含めた警察官の姿を描いてみました。

隠しモチーフはPre Season第1話。コメントでご指摘がありましたが、イタミンに亀と同じ行動をとらせたいという思いが強く、このような展開となりました。

そして、伊丹が特状課組を無視していた理由ですが、
「特状課から刑事がくるだとぉ? ふん、泊ならせいぜい可愛がってやろうじゃねえか……。なに、泊は特命係!? 相棒の女は一課に来るだとぉ!?」
という具合で考えています。三話にわたって引っ張りましたが、しょうもない理由を引っ張ってしまうのがイタミンらしいと思っております。

それでは、次回からは元特状課のメンバーを出しつつ、ドライブ世界の要素を混ぜて行こうと考えています。

第四話「Cold Case」

どうか、お待ちいただけると幸いです。


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第四話「Cold Case I」

 さあ、始まる第四話。

 今回は相棒と仮面ライダードライブから二人のレギュラーキャラが参戦します。どうか、お楽しみいただけると幸いです!


『機械生命体ロイミュードについての一考察。

 我ら人類を脅かした機械生命体について、我々はあまりにも知らないことが多い。政府、警察から与えられた情報は断片的であり、彼らについて知られているのは、以下のような表面的な特徴のみだ。

 一.重加速現象(巷ではどんよりとして知られる)を引き起こす。

 二.極めて高い知性と攻撃性を持つ。

 三.精巧な擬態を行い人間社会へと潜む。

 だが、彼らを製造した技術的な基盤や、動力源については明らかとなっていない。筆者らの独自取材によると、彼らを製造した蛮野天十郎は某国のテロリストによる資金援助を受け、さらにその背後には超大国である……』

 

 話がありがちな陰謀論へと展開し始めたので、杉下右京は雑誌を読むのを止め、それを廃棄用の段ボールへと静かに置いた。

 

「つまり、彼らは何者だったのでしょうねえ……」

 

 杉下右京は同僚がいない特命係で一人呟く。

 

 ロイミュード、あるいは仮面ライダーについて、右京は直接目にすることも出会うこともなかった。

 

 例外的な経験は「グローバルフリーズ」。世間を騒がせ、多くの人々を恐怖に陥れた、重加速現象が全世界へと広がった大事件のみ。

 

 丁度その時、右京はロンドンの警察学校で講義を終え、一人喫茶店で茶を楽しんでいた。そして、自身の動きや物理運動の全てが遅延化する現象を初めて目撃することとなったのだ。その時は珍しいこともあるものだと、呆けている隙にスコットランドヤードがロイミュードによる襲撃を受けていたりもするのだが、右京は運よく被害を免れた。

 

 結局、その後は彼らの活動が日本に集中したこともあり、右京がロイミュードを見ることはなかったのである。

 

「ロイミュード、仮面ライダー、そして、それらを開発した蛮野博士とスタインベルト博士……。興味深いですが、お会いできないのが残念です」

 

 公表されている唯一の仮面ライダーの装着者、つまりは泊進ノ介には、毎日のように顔を合わせている。だが、彼にはもう変身能力がなく、ロイミュードの製造方法や動力について詳しいわけでもないという。

 

 そんな彼がどうして特命係にやってきたのかは、右京にとっても気にかかるところだが、大方、あの陰謀好きの御仁の仕業だろうと察しはついていた。

 

 ただ、そんな小さい警察世界の話はおいておいても、世界を揺るがせるほどの超常現象が起き、影響は冷めやらず。政治も経済も、あらゆる事がにわかに浮足立っている。あるいは、数年前から怪事件の噂が実しやかに語られるようになったのもその前兆だったのかもしれない。

 

 世界は、静かに、確かに変わり始めていた。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第四話「Cold Case I」

 

 

 

 その日、霧子たち捜査一課が呼びだされたのは奇妙な事件現場であった。場所は多摩市の山林地帯。ある山の管理者が遺体が遺棄されているのを発見し、通報したのである。

 

「お疲れ様です!」

 

 霧子は少し湿った腐葉土の上をしっかりと歩きながら、規制線の中に入る。すると捜査陣の到着までに鑑識作業の粗方は済んでいたようで、すぐに遺体へと案内された。

 

「変死体だって?」

 

「これは伊丹刑事に、捜査一課の皆さん。ずいぶんとのんびりとしたお着きでしたね」

 

 伊丹の声に、鑑識服で地面のあちらこちらを細かく探索していた米沢が顔を上げた。そして、そのふくよかな顔を朗らかに緩めて挨拶をくれる。

 

「都内からこっちに来るの、大変なんですよ。米沢さんも分かるでしょ? それに、実は渋滞にも引っかかっちゃって」

 

「はは、災難でしたなあ。私たちはスムーズに来れたのですが、おかげでこのように雨で濡れ鼠となってしまっています」

 

「それは、大変でしたね」

 

 霧子がありがとうございます、と礼を言うと、米沢は少し照れたように顔を掻いた。

 

「まあ、鑑識の仕事というのはこういうものですから。ああ、そういえば、皆さんがまずお気になさるのは遺体のことでしたね。こちらへどうぞ」

 

 米沢の案内で規制線の真ん中まで行くと、そこに人一人分のサイズのブルーシートが広がっていた。それを少しだけ開けると、豊かな髭が特徴的な男性の顔。歳は五十代くらいか。

 

「遺体の身元はまだ不明です。衣服もなく、所持品もない。おそらく、この山林には遺棄目的で運ばれたのでしょう」

 

 今、DNAや指紋、歯型から身元の特定を進めているそうだ。そんな説明を受けながら、霧子は遺体の顔を細かく観察し、そして、すぐにあることに気が付く。

 

「これ、なんだか変な遺体ですね……」

 

 伊丹達の方へ向かって顔を上げると、霧子は呟く。

 

「そりゃ変死体なんだ、変に決まってんだろ」

 

「そうじゃなくて! なんだか、顔がむくみすぎていますけど、水死体とも違います。それに、唇はぱっくり切れて、皮膚は全体が赤紫になってるのもおかしいじゃないですか」

 

 茶々を入れてくる伊丹にムッとしながら、一つ一つの違和感を述べていくと、米沢は「さすが、お目が高い」などと言って霧子へと所見を手渡す。

 

「詩島刑事のおっしゃる通りです。この遺体には非常に奇妙な点があります。遺体の腫れた肌、胸にはかきむしったような痕跡。その他の特徴もこれが凍傷の跡であることを示しています。外気温にさらされて解凍されていますが、他に目立った外傷はなく。……おそらく、被害者の死因は凍死かと」

 

 不思議なこともある、と困惑顔の米沢に伊丹は低く唸り声をあげる。

 

「つまり、あれか? このガイシャは凍え死んだってことか? 冬が近いって言っても、まだそこまで冷えてねえだろ」

 

「ええ、ですから奇妙だと申し上げているのです。ホームレスの方が冬の寒さに凍死する、ということは日本でもまれに起こり得ますが、時期は合わず、この遺体にはそう言った方々に特徴的な栄養失調や衛生状態の悪化といったものがありません。

 そのような方が凍死で、このような山中で全裸で放置されていた。常識的に考えれば、他殺の疑いが濃厚でしょう。実に珍しい事件と言わざるを得ません……」

 

 しみじみと呟く米沢に、伊丹は顔を強張らせて凄む。

 

「おい、あんまり奇妙、奇妙っていうんじゃねえよ。特命係が出しゃばってくんじゃねえか!! ……いいか、奴らに情報を漏らすんじゃねえぞ」

 

「え、ええ、それはもちろん。米沢守、善処いたします」

 

 そう言って、米沢は深く深く頭を下げた。それに納得したのか、しないのか、伊丹は鼻を一鳴らし。

 

「ふん。……じゃあ、俺らは近隣住民から聞き取りだな。遺棄の場面を見てるかもしれねえ。ま、こんな山奥じゃ望みは薄いかもしれねえが」

 

「米沢さん、身元がわかりましたら、私たちに教えてくださいね」

 

「ええ、もちろんですとも。詩島刑事も、この雨です。足元にはお気をつけて」

 

 米沢はそうして去っていく三人へと手を振ると、少し困ったように立ちすくみ、

 

「それはそうと、既に特命係にお伝えしてしまったものはどうしようもないのですが。一体、私はどうすればいいのでしょうか……」

 

 そうぽつりとつぶやくのだった。

 

 

 

「殺人事件で死因が凍死って珍しいですよね」

 

 そのころ、特命係では泊進ノ介がホワイトボードに事件の情報を書き並べていた。面白い事件が起きたと、わざわざ米沢が教えてくれたのだ。

 

 もとより仕事がない特命係である。進ノ介も右京も、この奇妙な事件に興味が引かれていた。

 

「人を凍死させるなんて、巨大冷凍庫とか、大量の液体窒素。そういう大がかりな設備がないと不可能ですし、それだけで犯人が限られてくる」

 

「ええ、僕も事故以外での凍死というものは、一度しか見かけたことがありませんね」

 

「え、あったんですか? 凍死殺人も!?」

 

 進ノ介は驚いたように右京へ尋ねると、右京はポットを高く掲げるという奇妙な格好で紅茶を注いでいるところだった。凍死の話をしているのに何の皮肉か、とても暖かそうな煙がふわりと浮かび上がっている。

 

「十年ほど前に冷凍庫を用いて、被害者を凍死させるという事件が発生しています。その時は研究員の女性が、夫の復讐のために男性を殺害。次いで、女性の殺害を図り、逮捕されました」

 

「もしかして、その事件も杉下さんが捜査したんですか?」

 

「ええ、その時は僕と亀山君で」

 

 例の八年も特命係にいたという仙人か、と進ノ介は内心で呟く。進ノ介自身もロイミュードを追う中で様々な死因や奇妙な事件を体験してきたが、凍死殺人というのは見たことがなく、そんな事件も担当していたことに特命係への興味を深くしていく。

 

「氷、か……」

 

 ただ、進ノ介にとっても氷と聞いて思い浮かぶことがある。それは、ロイミュード001こと、フリーズの存在。

 

 参議院議員であり、国家防衛局の長官という要職についていた真影。だが、その正体は始まりのロイミュードの一体であり、進ノ介の父の死にも関与していた因縁の相手であった。

 

 そして、そのフリーズは他人の記憶を操作するという厄介極まりない能力を持っていたのだが、それに加えて仮面ライダーのシステムにすら不具合を起こす凍結能力も備えていた。

 

 紛れもない強敵であり、そして、彼の破壊光線によって進ノ介は心停止まで追い込まれている。

 

 目が覚めるまでのことはあまり思い出せないが、どこか暗く、冷たい感覚に恐怖を感じたのだけは覚えていた。もしかしたら、それは臨死体験と呼ばれるものかも知れない。そんなことを思い出したからか、少し、胸のところの古傷が痛んだ。

 

「ちなみに、その犯人の再犯って可能性は無いんですか?」

 

 苦い記憶を振りはらうように、頭を叩いて気を取り直し、進ノ介は右京へと尋ねる。特徴的な事件だ。再犯や模倣犯の可能性も考慮しなくてはいけない。

 

「ええ、彼女は現在も懲役刑に服していますから。仮に誰かが真似をしようとしても大型の冷凍庫は通常、管理が厳しいですし、なかなか再現できるものではないでしょう」

 

「だとしても、いきなり人を殺すって時に凍死は選ばないでしょう。……何か、殺害方法に意味があるのか?」

 

「そうですねえ、十年前は犯人の夫が凍死させられたことから、復讐方法として、類似の手段を選んでいました。もしかしたら、今回も犯人にとって重要な意味を持つかもしれません。ですが、被害者の身元が明らかになっていない現状では、まだ確証へは至れないでしょうね」

 

 そう言ってホワイトボードを眺めながら、右京は一口、紅茶を飲んだ。

 

 

 

 被害者の身元が判明したのは、翌日のことである。

 

「せ、先輩! 霧子ちゃん! 分かりましたよー、被害者の身元!!」

 

 どたどたと一課のオフィスを走ってきたのは芹沢だった。その手には勢いでしわくちゃになった紙が握られている。

 

「そりゃ本当か!」

 

「もちろん本当ですって! しかも、すごい意外な人物!!」

 

 その紙を机に慌てて広げる芹沢の元へ行き、顔を覗き込ませる伊丹と霧子は、そこに意外な文字を見つけた。

 

「おいおい、まじかよ」

 

「城南大学教授、兵藤探? 学者だったんですね……」

 

「そんな教授が、なんだって全裸で凍死してんだよ……」

 

 丁度同じころ、決して明かしてはならないとの条件つきで、とある情報源から、特命係へも事件の情報が送られてきていた。

 

「兵藤教授は医学部の教授を務められていたようですね。専門は再生医療。IPS等の臨床研究や、延命治療の方法等について多大な功績があるそうです」

 

 早速とばかりにパソコンへと向かい、被害者の執筆論文を探していた右京は感心したように呟く。

 

「そんな人がなんで凍死なんて……。杉下さん、何か氷とか、そういうものに関連した研究ってないんですか?」

 

 そう進ノ介が尋ねると、右京は我が意を得たりとばかりににやりと笑い、人差し指を上げる。

 

「ええ、最近のもので一つ、興味深いものが。被害者はとある研究を進めていたようですよ」

 

「それって?」

 

「コールドスリープ、冷凍保存技術です」

 

 分かったならば、善は急げである、身元が判明してから小一時間後、進ノ介たちは被害者が勤める城南大学へと向かっていた。

 

 右京が興味を示したコールドスリープとは、難病に侵された患者の体を凍結し、治療方法が確立される未来まで冬眠状態で保存するというものだ。

 

 宇宙開発技術や延命にも活用できるとされ、各国で研究が進み、実用の可能性も生じている夢の技術。

 

 兵藤教授は、そのコールドスリープ技術の確立へ向けた産学連携のプロジェクトの中心人物であった。他にも、生物学者、物理学者、科学者等、様々な人員が参画している巨大プロジェクトだという。

 

 もちろん、そのプロジェクトが直接的に事件へと関与しているとは限らないが、凍死とコールドスリープ。その二つに何かの関連性を感じてしまうのは、進ノ介も同じだった。

 

 進ノ介が駐車場へと車を停め、外へ出ると、広大なキャンパスの中に様々な音が広がっていた。それは楽器の音であったり、学生が話す声であったり、その向こう側から工事の音も響いてくる。何か作業を進めているようだ。そんな活気の中をこっそりと進ノ介は移動する。

 

「君、かえって怪しいですよ?」

 

「……顔を出すよりはマシですから。杉下さんもまた追い回されたくないでしょ?」

 

 毎度毎度外に出るたびに「仮面ライダーだ!」等とカメラと野次馬に追いかけられるのである。こんな若者が大勢いる場所なら猶更だ。進ノ介はなるべく顔が出ないよう、隠しながら歩いていた。

 

「だから、僕は君に現場は合わないと言っているのですがねえ……」

 

「何と言われようと、俺は現場に出ます!」

 

「……そこまで言うのでしたら、僕からはあえては言いませんが。くれぐれも捜査の邪魔にはならないようにしてください」

 

 右京は特に気にした様子もなく先へと歩みを進める。

 

 そんな二人が兵藤氏の所属する医学部の研究棟へと入ろうとしたとき、玄関で偶然鉢合わせたのは、伊丹達、捜査一課だった。

 

「げっ!?」

 

「あ!」

 

 特命係を見るなり、顔を引き攣らせる伊丹と、やっぱりとばかりに驚きの声を上げる芹沢と霧子。ただ、すぐに威勢を取り戻したようで伊丹は肩を怒らせながら大股で歩いてくる。

 

「特命係の仮面ライダー! てめえ、なんでここに来やがった!!」

 

「またその呼び方ですか……。なんでって、……えっと、社会科見学?」

 

「嘘つけ! またぞろ事件を嗅ぎつけてきたんだろが!! で、情報源はどこですかねえ、警部どの……」

 

 今度は右京を睨み付ける伊丹に、右京は顔色も変えずに朗らかに誤魔化す。

 

「さあ、秘密厳守という約束ですので……」

 

「どーせ、あの眼鏡だな。……今度覚えてやがれよ」

 

 進ノ介は内心で米沢に哀悼の意を示す。やはりすぐにばれてしまったようだ。

 

「とりあえず、そんな話はおいておいて、俺達は社会科見学ですけど、伊丹さん達は事件の捜査ですよね? 何かわかりました?」 

 

「分かっていても、言うわけねえだろが……」

 

 と、伊丹は声を低くして凄むが、

 

「それが、事情を聞きに行ったら、研究室の准教授から追い出されてしまったんです」

 

「詩島ァ!!」

 

「そうそう、もう取り付く島もないって感じで。おかげで何もわかんないの。あれはかなりの堅物だね、美人だけどさ」

 

「芹沢ァ!!」

 

 残念そうに頭を抱えながら、情報をくれる二人に伊丹は怒声を上げる。だが、特命係の二人にとってはそれだけ分かれば十分だった。

 

「ありがとうございます! 霧子、芹沢さん! じゃあ、俺達も一回行ってみます」

 

「ちょ、おい! やっぱり社会科見学じゃねえじゃねえか!!」

 

「まあまあ、何か分かりましたら、すぐにお伝えしますので」

 

「警部どのまで……。けっ、勝手にしやがれ!」

 

 そう言い捨てると、拗ねたように伊丹は外に出ていってしまう。

 

「でも、泊さん、杉下警部。准教授の氷見さんですが、本当に警察が嫌いみたいで、門前払いされてしまっているんです。お二人も尋ねるときは気をつけてくださいね」

 

「……伊丹さんも追い出されるって、相当だな」

 

 進ノ介が呟く。伊丹のあの怖い顔でビビらないとは、かなりの強敵だ。

 

「とりあえず、僕たちも行くだけ行ってみましょう。まずはそこからですから」

 

 霧子たちと別れ、兵藤氏の管轄していた『先端医学研究科』へと移動する。最近できたらしく、真新しく先進的な建物の中、白衣を着てせわしなく移動する学生の間を抜けて、二人がたどり着いたのは、教員のオフィスだった。

 

 ノックをし、しばらくすると、若い女性が出てくる。これが霧子たちが言っていた怖い准教授かと思ったが、それにしてはどこかおしゃれで可愛らしい雰囲気があった。

 

 綺麗に髪を整え、上品な香水の香りも漂ってくる。言葉を選ぶと、よい意味で研究者らしくはなく、霧子たちの忠告とはイメージが違う。それもそのはずで、彼女が名乗った名前は別であった。

 

「助手の倉見舞と言います。あの、どちら様でしょうか?」

 

「警視庁特命係の杉下と申します。こちらは泊君」

 

「泊です」

 

 進ノ介が挨拶すると、倉見氏は途端に目を輝かせて、進ノ介の全身を食い入るように見つめる。

 

「わっ! もしかして、泊進ノ介さん!? 本物の仮面ライダーだ!! あのっ、大ファンなんです! 握手してもらっても良いですか!?」

 

 そして、倉見氏は興奮した様子で、進ノ介の手首を取ると、返事をしてもいないのにぶんぶんと大きく振り始めるのだった。

 

「え、ええ。もちろん。応援、ありがとうございます」

 

 流石に進ノ介もここ一年の経験でファンサービスとやらを少しは心得ている。ほどほどに笑顔を浮かべて、握手をすると、早々に用件を切り出すことにした。

 

「あの、こちらに所属していた兵藤教授の事件、伺っていますよね? その件で准教授の氷見さんにお話を伺いたいんですが……」

 

「ああ、やっぱり兵藤先生のお話だったんですね。さっき、別の刑事さんたちもいらっしゃって。……凍死だなんて、さぞ苦しかったでしょうね」

 

 倉見氏はそう言って悲しそうに目を伏せると、こちらへどうぞ、と二人を室内へと案内してくれた。

 

「氷見先生はコーヒーを買いに出ていて、すぐに戻ると思います」

 

 勧められるままにソファに座ると、倉見氏は紅茶を淹れてくれる。その間にオフィスの中を眺め見ると、進ノ介にはすぐには分からない英字の本が整然と並べられていた。数少ない日本語の本には「死を超えた世界」「最新蘇生科学」「人類の未来」等、ロマンあふれる内容のタイトルが。

 

「こちらでは再生医療や、延命治療と言った先端医術の研究が進められていると伺いましたが」

 

「ええ、そうなんです! 今までは治療法がなかった難病も、ここ数年でアプローチ方法が次々に発見されています。特に、ほら、ロイミュード事件の後は……」

 

 楽しそうに倉見氏は話を続けてくれるかと思ったが、それはすぐに止められることとなった。

 

「警察なんかに言う必要ないわよ、倉見さん」

 

 進ノ介たちの背後から冷たい声が響く。

 

 二人が振り向くと、そこには、怜悧と言った表現が適切な女性が立っていた。鋭く二人を睨み付ける視線とセットで。

 

 黒い長髪を乱雑に後頭部でまとめて、黒ぶちの眼鏡。服はスーツの上に白衣。そんな野暮ったい服装に隠れてはいるが、確かに芹沢の言う通りに美人だった。

 

「氷見博士ですか? 俺達は警視庁の」

 

「泊、進ノ介でしょ? テレビでうるさいくらい見たわ。仮面ライダーなんて人気者が地味な捜査なんて、ご苦労なことね」

 

 声をかける進ノ介へ感情もなく応えると、すたすたと氷見博士は自分の机へと向かって腰かけてしまう。

 

「あの、氷見博士?」

 

「兵藤先生については残念です。日本と科学にとって大きな損失です。ですが、私たちの研究室と彼の死は関係ありませんので、どうかお引き取りを」

 

「いや、そこを何とか」

 

「お断りします」

 

「一分だけでも、ダメですか?」

 

「ええ。もちろん」

 

「そ、そうですか……」

 

 それで話は終わりと、沈黙に入ってしまう。そんな氷見博士の様子に、倉見氏はこっそりと進ノ介に耳打ちし、

 

「ごめんなさい。ああなったら、先生は誰にもお話しないので……。たぶん、文章回答なら答えてくださるので、あとで質問事項をまとめて送ってください」

 

 そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 確かに、一課が言っていた通りに堅物で取り付く島もない。どうしようか、と右京を見る進ノ介だが、意外なことに右京は面白そうに頬を緩めていた。

 

「杉下さん?」

 

「泊君、氷見博士もあのように、おっしゃっています。今日はお暇しましょう」

 

 そう言って立ち上がると、わざわざ氷見博士の傍まで行き、頭を下げ、ゆっくりと別れの言葉を告げるのだった。

 

「どうも、お邪魔をして申し訳ありませんでした。……恩田博士」

 

 変化は明確だった。氷見博士はその目を鋭く怒らせて立ち上がり、右京を睨み付ける。

 

「今、なんて言いました?」

 

「ええ、貴方の名前を、恩田玲子博士。氷見というのは、旧姓ですね? 学術業界では論文等に記載するために旧姓のまま仕事を行う方が多いと聞きますが、あなたもそうなのでしょう」

 

「……どこで、その名前を?」

 

 右京はその言葉に、机の一角を指す。そこには乱雑にいくつかの便箋が重ねられており、確かに、そこには二種類の苗字が記載されているものがあった。

 

「……酷いプライバシーの侵害ですね。よくもずけずけと」

 

「ああ、すみません。細かいところまで気になってしまうのが僕の悪い癖です。つい、目に入ってしまったので言わざるを得ませんでした」

 

 進ノ介はその言葉に内心で大きくため息を吐く。

 

(何が悪い癖だ。ただの挑発じゃないか……)

 

 にわかに火花が散り始める右京と氷見博士。だが、右京はにらみ合いを続けるつもりは無いようで。

 

「ですが、失礼ついでに。もう一つ、よろしいですか?」

 

「あなたはどうせ、返答がなくても尋ねるのでしょう、名前も分からない刑事さん?」

 

「僕は杉下と言います。杉下右京。それで最後の質問ですが、貴方の薬指、結婚指輪をされていませんね? それは、研究の最中だからでしょうか? それとも、」

 

 言葉は最後まで続かなかった。バンッと大きな音と共に机が叩かれる。そして、息を荒げた氷見教授は、顔を真っ赤に染めて。 

 

「それを聞きますか、警察が。恥知らずに……」

 

「……なるほど。では、本日は、これで失礼します」

 

「二度とこないで……」

 

 吐き捨てるように告げると、今度こそ氷見博士は二人を部屋から追い出した。

 

 来た道をすごすごと戻りながら、進ノ介は右京に尋ねる。憮然としながら、非難の感情を込めて。

 

「いくら会話するためとは言え、踏み込みすぎじゃないですか?」

 

「ええ。ですが、あのように頑なにされると、分かるものも分かりませんから。少なくとも、氷見博士が警察に非協力的な理由がわかっただけでも前進です」

 

 悪びれずにいうその言葉に、進ノ介はまた溜息を吐く。確かに効果的な方法かもしれないが、進ノ介が好む方法ではない。

 

「……氷見博士の旦那さんですね。霧子に伝えて調べてもらいます」

 

「それがいいでしょう。被害者の直属の部下であった彼女の証言は、事件解決に不可欠ですから。さて、僕たちはどうしましょうか……」

 

 右京がぼんやりと言うと、今度は進ノ介が懐から紙を取り出す。

 

「それは?」

 

「帰り際に倉見さんからこっそり渡されたんです。教授が特に親しくしていて、最近研究室に出入りしていた共同研究者のリスト」

 

「おやおや、仮面ライダーの肩書きも役に立ちますね」

 

 棘がある物言いだったが、進ノ介はにやりと笑うだけに留める。流石に慣れてきた。

 

「その中に知り合いの名前があったんで、そこから当たってみませんか? きっと快く協力してくれると思います」

 

「ほう、ちなみに誰でしょう?」

 

 進ノ介は自信満々にリストの先頭に書かれた名前を指さす。そこには、

 

『沢神りんな』

 

 と書かれていた。




今回は少し文章量が増えてしまいましたので、全4パートでお送りいたします。

四話の完結まで、長くはかかりませんので、どうかお待ちください。

ご意見、ご感想をお待ちしております!


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第四話「Cold Case II」

ここまでの状況のまとめ

被害者:兵藤探
城南大学の医学教授。凍死体として発見された。
コールドスリープ開発のプロジェクトで活躍していた。

氷見玲子
:城南大学医学部准教授。兵藤教授の元でコールドスリープ技術の研究を行っていた。本名恩田玲子。警察に対しての協力を拒んでいる。

倉見舞
:城南大学医学部助手。氷見博士の元で働く。
仮面ライダーのファン。


 沢神りんな。

 

 特状課に客員アドバイザーとして所属した天才物理学者であり、秘密裡にクリム・スタインベルトらと協力して仮面ライダーの武器やサポート装置の開発を行っていた頼れる仲間である。

 

 シンゴウアックスやドア銃など、一見すると不要そうな遊び心まで武器に取り付けてしまうのは玉に瑕だが、彼女による重加速現象の解明や数々のサポートがなければ、特状課が戦い続けることはできなかっただろう。

 

 その彼女は特状課の解散後、学術分野へと戻り、現在は国立先端科学研究所で電子物理学の一部門を任せられていると聞いていた。

 

 のだが、

 

「どうやら、ここのようですねえ」

 

 右京が一人ごちる。

 

 彼の前の分厚い扉からは、トンテンカン、トンテンカンと、大がかりな機械が動いていそうな激しい音が響いている。それだけで怪しいのだが、時折『イエーイ!』やら『Are you ready』何て変な電子音までかすかに聞こえてきた。

 

 りんなから伝えられた場所。それがこの研究所の地下深く、薄暗く冷たい廊下の先にある部屋だった。まるで、秘密組織のアジトである。

 

 そんな異様な雰囲気を出しているものだから、いざ入ろうか、という時に進ノ介の手はドアノブの一歩手前で停止してしまう。

 

 のどがごくりと鳴る。彼女のことは信じているが、それと同時に、沢神りんなという天才学者の、ある意味マッドというか、倫理観が欠如したところも知っていた。

 

 信頼とは別に、何が待ち受けているか不安が心の奥底から吹き上がってきて、進ノ介には扉を開けることはためらわれたのである。

 

「君が開けないなら、僕が開けますよ?」

 

「え、ええ。お願いします」

 

 俺は後ろで見守ってますから、と進ノ介が促すと、進ノ介とは違い、特に危機感も感じていない右京はためらいもなく扉を開けて、

 

「おやおや……」

 

 その細い体が一瞬で巨大なマジックハンドで捕まれ、部屋へと引き込まれていった。

 

「す、杉下さん!?」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第四話「Cold Case II」

 

 

 

 慌てて中に入った進ノ介は、すぐに何やら大仰な椅子に座らされている杉下右京と、その眼前に立っているりんなを見つけることとなった。

 

「りんなさん!? 何やってるんですか!!?」

 

 慌てて叫ぶ。

 

 下手人であるりんなはと言えば、頭に何やら奇妙な装置をつけ、仕組みも分からない大がかりな装置を動かそうとしていた。どこかハイテンションで、その目はぐるぐる回っている。しかも、その装置の先端には往年のSFに出てくる光線銃のようなものが取り付けられており、その先端は右京に向けられているのだ。

 

『マッテローヨ! マッテローヨ!!』

 

 ついでとばかりに、聞き覚えのある待機音声が部屋に響いており、進ノ介は慌ててりんなのところへ走り寄る。

 

「ちょっと! ダメですって! りんなさん!!」

 

 そして、すぐにりんなの腕を肩を掴むと、その装置から引きはがそうとした進ノ介だが、りんなは長い髪を振り乱して抵抗を見せた。

 

「はーなーしーてー! 進ノ介君! ちょっとだけ、ちょっとだけだから!!」

 

「だから、何をするつもりですか!?」

 

「歴史を変えるのよー!!」

 

 そんな夢のような悪夢のような言葉を言って、じたばたとするりんなだが、流石に進ノ介の方が力は強いので、じりじりと引き離されてしまった。そんな彼女を装置から離れた場所に座らせると、進ノ介は息を乱しながら質問する。

 

「はぁはぁ。もう! 何なんですか、この装置は!?」

 

「……試作品の歴史改変装置」

 

「えぇ!?」

 

 ふてくされたようなりんなの口からついて出た言葉に、今度こそ仰天させられる。

 

「歴史改変、ですか。それはとても興味深いですねえ」

 

「杉下さんはちょっと黙っててください! いや、りんなさん、それ、どう考えてもまずい代物でしょ!?」

 

 捕まっているにもかかわらず、のほほんと楽し気な右京に文句を言いながら、りんなへと声を荒げる。成功するかしないかはともかくとして、どこかの悪の組織が開発しそうな装置を開発しているなど、見過ごせない事態であった。

 

「だって! 進ノ介君が特命係なんて変なところに送られちゃったんだもん! で、その特命係の原因になった、その警部さんの人生を改変したら、特命係も消えて万々歳って思ったのよ……」

 

 まあ、成功は万に一つもなかったと思うけど。とりんなはため息を吐く。

 

「はぁ……。りんなさん。心配してくれたのは嬉しいんですけど、意外と俺も上手くやっていますし……」

 

「おや、そうだったのですか? いつも暇そうにしているようでしたが?」

 

「杉下さんはほんとに黙ってくれませんか!? ああ、もう! まあ、あんな変な上司ですけど……。だから、こんなことやらなくても大丈夫ですから」

 

 そう進ノ介がしみじみと言うと、りんなもちょっとだけ涙で潤んだ眼を向けて、

 

「ほんと?」

 

「ほんとです」

 

「ほんとに、本当?」

 

「本当です。何なら霧子にも聞いてください」

 

 そこまで言うとりんなも納得してくれたのか、しぶしぶとだが、装置を停止してくれた。右京の拘束も解かれ、改めて二人は上層の客室へと案内される。

 

「それでは改めまして、特命係の杉下右京です。先ほどは貴重な経験を、どうもありがとうございました。次に何か実験を行う場合もぜひ、お声かけください」

 

「元特状課の沢神りんなです。……噂には聞いてたけど、ほんとに変な人ね」

 

 右京の、嫌味ではなく真剣に好奇心が刺激されているような言葉を聞いて、さしものりんなもわずかに顔を引き攣らせる。それを傍らから見ていた進ノ介は、出会いがしらは失敗しているが、この二人は意外と仲良くなれそうだとも考えた。片やねじがだいぶ吹っ飛んでいる好奇心の虫。もう片方はねじがかなり逆回転している天才発明家。

 

(いや、きっとろくなことにならない……)

 

 その二人が組んでいる様子を想像すると、世界がどうなるか分からなかったので、前言は撤回することにした。

 

 気を取り直して、進ノ介はりんなへと質問をする。

 

「あの、りんなさん、電話で伝えたことですけど……」

 

「あ、うん。兵藤先生の話ね。倉見さんの言っていた通り、私も先生のプロジェクトに関わっていたわ。メインは兵藤先生の医学部と、同じ城南大学の生化学チーム。で、私は外部アドバイザーっていう立場で参加したの」

 

「ちなみに、沢神博士のプロジェクトでの役割を、教えていただいてもよろしいでしょうか」

 

 そう右京が尋ねると、りんなは少しだけ迷うような仕草をして。

 

「そうねぇ、詳しい話じゃなかったら大丈夫ですよ。私が担当したのは、重加速現象のコールドスリープへの応用です」

 

 意外な言葉が出てきて、進ノ介は目を見開く。その驚いた様子にりんなは苦笑いをしながら説明を始めた。

 

「あ、もちろん、今は重加速の発生やコントロールは不可能になったんだけどね。クリムの研究データは凍結されているし。ただ、未来へ向けた理論モデルとして、重加速の平和利用を考えていたの」

 

「……なるほど」

 

 まだクエスチョンマークを浮かべる進ノ介に対して、右京は何やら納得したようにうなずく。

 

「杉下さん、分かるんですか?」

 

「ええ。沢神博士が何を考えていらっしゃるか、概要くらいは。

 現在のコールドスリープにおける最大の問題は、冷凍状態に置かれた人体の安全な解凍と蘇生方法です。生体の安全な凍結までは実現できていますが、長期冷凍環境においては保存や解凍の過程で細胞の損壊が起こります。

 つまり、安全に解凍できたとしても生体機能を回復することが現状、困難。それが、実用化の大きな壁となっているそうですね。そして、理論的には解凍速度を低下させることで、そのような被害を抑えられるとの報告もあります」

 

「あ、そうか、それで『どんより』か」

 

 進ノ介が呟くと、りんなは我が意を得たり、とばかりに立ち上がると、びしりと指を天に向けて、説明をしてくれる。

 

「そう! 全ての物理現象が停止する重加速現象下にコールドスリープ状態の肉体を置くことで、保存中の体への負担を大きく減衰できるし、解凍時にも、速度を最低まで落とすことで細胞損壊も防ぐことができるんじゃないかって思ったの!

 詳しい話は流石に二人には難しいと思うけど、実現確率はかなり高いって算出されているわ」

 

 へぇー、と進ノ介の口から感心したように言葉が漏れる。どんよりと言えば、散々に苦しめられた敵の能力であったのだが、それが人類の未来につながる可能性があるとは。

 

「クリムの発明品がただ、人類の脅威で終わるのって悔しいじゃない。人間の良心と可能性は、こんなもんじゃないって見せてあげたくて」

 

「それは、立派なお考えだと思います。ええ、実に面白い発想ですね」

 

「……杉下警部さんって、ほんとに実はできる人なんですね。ゲンパチなんて、どんなにわかりやすく説明しても分かってくれなかったのに、ちょっと聞いただけで理解できちゃうなんて」

 

「ゲンパチさんとは?」

 

「あ、一課の追田警部です」

 

 進ノ介の補足に、なるほど、と右京は面白そうに頷く。

 

 ただ、こうして旧交を温めたり、りんなの研究の話をずっと聞いていても面白いのだが、二人がここへ来たのは殺人事件の捜査である。

 

「じゃあ、話は変わるんですけど、亡くなった兵藤教授について教えてもらっても良いですか? 敵や、怨みを買うことはあったとか」

 

 尋ねるとりんなは兵藤教授のことを思い出しているのだろう、頭に指を添えながらゆっくりと答えていく。

 

「兵藤先生は、そうね……。厳しい人だけど、それで怨みを買っているって話は聞いたことがないわ。研究の虫って人だから、ご家族もいないし。すぐに理由は思い浮かばないわね」

 

「なるほど。それでは、准教授の氷見博士についてですが……」

 

「あ、氷見ちゃん?」

 

 りんなの口から出てきたのはあの厳しい女性には結びつかない可愛らしい呼び方だった。

 

「氷見ちゃん?」

 

「そうそう、実はアメリカの大学の同級生なの。昔からあんな堅物なんだけど、けっこうかわいいところもあるのよ?」

 

「……世間ってほんとに狭いんですね」

 

 どうやら、その縁もあってりんなはプロジェクト参加を勧められたのだとか。

 

「その氷見博士ですが、どうも警察がお嫌いのようです。なにか、心当たりはございますか? おそらく、彼女のご主人に関係していると思われますが」

 

「なるほど……、その様子なら、もう氷見ちゃんにはやられちゃったんだ」

 

「そうなんです。すぐに追い出されちゃって」

 

 進ノ介が困ったように呟くと、りんなは理解を示すように苦笑いを浮かべて、すぐに真剣な顔に戻る。

 

「彼女の旦那さん、恩田良一郎さんっていうんだけどね。三年前に失踪したの」

 

「失踪、ですか?」

 

「うん。結婚半年で、突然ね。良一郎さんも城南大学の物理学科の准教授で、元々、コールドスリープ研究も良一郎さんが兵藤先生へ発案したの。

 あの頃は、将来有望な研究者同士の結婚だから、私たちの界隈だと結構話題になっててね。私は、そのころクリム達に協力して忙しくしていたけど、あの氷見ちゃんがラブラブだって話はよく聞いていたのよ。

 けど、それが前触れもなく、いきなり失踪。数日して、結婚指輪だけが郵送で送られてきたの……。それで、警察は不倫の末にかけ落ちしたんじゃないかって、失踪届を出したのに、ろくに捜査もしてくれなかったみたいでね……」

 

 それは、被害者である氷見博士からすれば受け入れがたい出来事だっただろう。信じていたご主人が居なくなり、そして、その理由も不倫だなんて決めつけられ、探してももらえない。

 

「なるほど、それは警察官に不信感を抱いても仕方ないかもしれませんねえ」

 

 右京が呟く、

 

「それ以来、氷見ちゃん、前にもまして研究一筋になっちゃって。少し、取り付かれているくらい。おかげで生活とか、人間関係は荒れ放題よ。まあ、その後すぐに倉見さんがパーマネントの助手として入ってくれたから、何とか研究室も回っているみたいだけどね。きっと、まだ納得できていないのよ……」

 

「その後、事件に進展は?」

 

「話に聞く限りだと、連絡は指輪を送り返した一回きり。あとは音信不通みたいで、何も分かってないみたい」

 

 そんな話を聞いていると、進ノ介は不意に、あの冷たい視線を送っていた女性が、かつて笑顔を見せなかった相棒と何処か被るような気がした。過去に大きな傷を負い、今もその現実を受け入れられないでいる。

 

 追いだされたときには腹立たしさすら感じたあの女性の捉え方が、進ノ介の中で大きく変わっていた。

 

 ただ、そんな先入観を事件に持ち込むことはできない事は百も承知している。

 

 結局、その後は事件に関与していそうな関係者の名前を聞くなどして、りんなの元を離れることになった。

 

 進ノ介にとって事件とは別に嬉しかったことは、別れ際にりんなが、

 

『今度、特命係にもお土産をもって、遊びに行くわ!』

 

 なんて陽気に手を振って、気分よく再会の約束を取り付けてくれたこと。こうして、離れていても仲間と気軽に会えるというのは嬉しいことだった。二度と会えない友がいるのなら、なおさら。

 

 ただ、彼女が持ってくる土産とやらが、楽しみでもあり、少し恐ろしくもあるが。

 

「霧子と芹沢さんに、りんなさんから教わった情報を伝えておきました。向こうでも色々と調べてくれるそうです」

 

 スマホを閉じ、進ノ介は助手席の右京へと伝える。

 

「それがいいでしょう。僕たちではあの人数を調べることはできませんからね」

 

 右京は少しばかり笑みを浮かべると肯定する。もうそろそろ、日も暮れてきて、普段だったら帰庁したのちに解散するはずの時間。だが、車を出発させようとする進ノ介を止めたのは、意外な右京の言葉だった。

 

「ああ、泊君。君、この後予定はありますか?」

 

「……俺ですか? いえ、特にないですけど」

 

 そう答えると、右京は淡々と、

 

「それでしたら、この後、付き合ってもらってもいいでしょうか? 実は知り合いに、『君を連れてきてくれ』と熱心に頼まれてしまいまして。

 もちろん、君の都合がよかったらですが」

 

 杉下右京にプライベートの知り合いなんていたのか。

 

 そんな失礼な言葉が頭をよぎるが、進ノ介は珍しく人間味を感じる右京の申し出に快く応じることにした。

 

 

 

 進ノ介が右京に連れられて来たのは、意外に過ぎる場所。赤坂にある綺麗な小料理屋だった。『花の里』というのが店の名前らしい。

 

「へえー、杉下さんもこういうお店に来るんですね」

 

 右京の話では常連だという。てっきり、右京ならば洒落たバーか、クラシックを流す喫茶店が好みかと思っていたので、この店の雰囲気は意外であった。

 

 ガラリと戸を開けると、純和風という清廉な店内に目を奪われる。実は、進ノ介にしても、こういった雰囲気の店に来るのは初めての経験であった。特殊班時代は大衆居酒屋が多かったし、特状課時代は何時ロイミュードの襲撃があるか分からないので酒は控えていたからだ。

 

 そんな店内を物珍しそうに見回していると、二人が入ってきたことに気づいたのか、カウンターに佇む女性がこちらへと顔を向ける。着物が似あった、かわいらしい女性だった。その彼女は右京へと朗らかな笑顔を向け、頭を下げる。

 

「あら、杉下さん。いらっしゃいませ。えっと、そちらの方はもしかして……」

 

 次に進ノ介の顔をまじまじと見て、口を驚きの形に変えた。

 

「ええ、ご要望にお応えしました。泊君です」

 

 そして、右京が進ノ介を紹介すると、女将は興奮気味に、少しばかりミーハーな大声を上げるのだった。

 

「ごめんなさいね、はしゃぎすぎちゃって……」

 

 しばらくして、サインやら握手やらの大攻勢が落ち着き、進ノ介たちはカウンターの席に座ることができた。女将は逆に申し訳なさそうに平謝り。ただ、進ノ介のサインは頭上の神棚にしっかりと鎮座している。

 

「まあまあ、この泊君はそういう対応になれているようですから、お気になさらず」

 

「なんで杉下さんが自信満々に言うんですか……。でも、本当にあんまり気にしないでください。えっと、」

 

「あ、ごめんなさい! 自己紹介もまだでしたね。女将をしている月本幸子って言います。幸福な子って書いて、幸子」

 

 そう、どこか誇らしげに名乗ると、上機嫌に料理の準備を始めてくれた。今日は良い魚が入ったそうで、刺身を用意してくれていたという。事前に右京が進ノ介を連れてくると連絡していてくれたのだとか。

 

「幸子、か……。良い名前ですね」

 

「ふふ、ありがとうございます。けど、仮面ライダーさんが来てくれるなんて、ほんとに驚いちゃった。杉下さんったら、泊さんの名前を何でもない風に呼ぶんですから。本当にテレビに出ていた、あの泊さんなのかを疑っちゃったくらい」

 

「ちなみに、この杉下さんは俺のことを何て?」

 

 横目でじとーっと右京を見ながら、進ノ介は尋ねる。

 

「そうですね……。けど、あんまり悪いことは言ってなかったですよ? ちょっとサボり癖があるのが気になるとか位で」

 

「……杉下さん?」

 

 非難を込めて視線を送ると、右京は徳利から日本酒をお猪口に注いで、ゆっくりと味わっているところだった。

 

「僕としては事実を言ったまでなのですが……」

 

「勤務中にチェスをしている人に言われたくありませんけどね……」

 

「おやおや」

 

 等と右京は何を考えているのか分からない顔で返事をするのみ。まったく、とため息をついて進ノ介は自分の食事に手を付けた。

 

「泊さんはお酒は飲まれるんですか?」

 

「それが実は弱いんです。車走らせるのも好きだから、普段からあまり飲まないんで。……ノンアルコールのビールってあります?」

 

「ふふっ、かしこまりました。泊さんの意外な弱点を発見、ですね」

 

 そう言って優しく笑う幸子に酌を受けながら、進ノ介は久しぶりの刺身に舌鼓を打つ。女将の言葉通り、新鮮でとても美味しい。その後も、出汁巻き卵やら、おでんやら、普段の一人暮らしでは食べれない温かい料理が出されて、進ノ介の頬も緩んでいった。

 

 なにより幸子という女将は、生来の人柄か、とても聞き上手で、進ノ介もこの店の居心地の良さにどんどんと気分が安らいでいく。そうして、いつの間にやら仕事の愚痴やら、昔の苦労話などが口をついて出てきていた。

 

 確かに、右京のような偏屈者でも常連になる気持ちはよくわかる。また近いうちに、今度は霧子を連れてこようと進ノ介は心のレコーダーにしっかりと記録するのだった。

 

「……それにしても、偉い学者さんだったのに亡くなってしまったなんて、残念ですね」

 

 しばらく話を進めていると、自然と事件の話が話題に上っていた。最初は血なまぐさい話なので、食事の場には合わないかとも思ったのだが、どうやら、昔からこうして事件の相談などもしているようだ。それだけ右京にとっても信頼のおける場所なのだろう。

 

「そうですねえ。おそらく、そのためにいくつもの技術開発が遅れることになるでしょう。今現在も、世界中には未解明の難病で苦しんでいる方が何人もいらっしゃいます。一分、一秒が貴重な人々にとって、この損失の大きさは計り知れるものではありません」

 

「コールドスリープ。……夢のある技術なのになあ。……いつかの未来に希望を託して、か」

 

 進ノ介はそう言いながら、一人の相棒を思い出す。いつか、自分の技術が正しく使われる未来へ、と自身を封印した大切な仲間を。

 

「その技術を使えば、何百年も生きることができるって、本当なんですか?」

 

 幸子が興味深そうに尋ねる。

 

「ええ。今はまだ、机上の理論ですが。もし、実現したならば長期の航行が必要な宇宙開発等にも多大な貢献となるでしょうね」

 

「幸子さんは、そんな風に何百年も生きられるようになったら、どうします?」

 

 進ノ介が試しに聞いてみると、幸子はほろほろと笑いながら答える。

 

「そうですね……。でも、私はそんなに長く生きなくてもいいかなって思います。もうこれまでも波瀾万丈な人生を送ってきましたし。目覚めた時に誰も待っていなかったら悲しいじゃないですか」

 

 とても今の人生の肯定的な言葉だった。そんな風に楽しそうに話ながら、お吸い物の用意をしてくれる幸子の姿を見ながら、進ノ介は考える。もし、離れ離れになった人を、いつまでも待っていたいと思うなら。

 

「もしかしたら、氷見博士がコールドスリープや延命技術に没頭しているのも、それが理由なのかもしれませんね。……いつか帰ってくる夫を、ちゃんと迎えられるように」

 

「それは、本人に聞かなくては分からないことですよ?」

 

 静かな右京の言葉に、進ノ介は頷く。

 

「だから、明日、もう一度、氷見博士のところに行ってみようと思うんです。もしかしたら、今度は何か教えてくれるかもしれませんし、一度、旦那さんのことでちゃんと話しておきたくて」

 

 そう言うと、右京は少しだけ頬を緩めて、お猪口を置き、

 

「ええ、それが良いでしょう。初対面の時、君の存在に対しては通り一辺倒ではない反応を示していました。もちろん、君の知名度が原因かもしれませんが。また僕が行くよりも円滑に話ができるかもしれませんからねえ」

 

 だが、その翌日、事件は思わぬ方向へと急転する。

 

 新たな凍死体が二体、発見されたのだ。 




りんなさんと右京さんの組み合わせは書いていて楽しいですね。それでは、あと2パート、どうかお待ちください


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第四話「Cold Case III」

ここまでの状況のまとめ

被害者:兵藤探
城南大学の医学教授。凍死体として発見された。
コールドスリープ開発のプロジェクトで活躍していた。

氷見玲子
:城南大学医学部准教授。兵藤教授の元でコールドスリープ技術の研究を行っていた。本名恩田玲子。夫である恩田良一郎博士が失踪中。そのため、警察に対しての協力を拒んでいる。

倉見舞
:城南大学医学部助手。氷見博士の元で働く。
仮面ライダーのファン。

捜査を進める中、新たな凍死体が発見され……。


「本当なのかね? 連続殺人というのは……」

 

 甲斐刑事部長は顎に手を当てて、静かにつぶやいた。場所は本庁内の大会議室。本庁と所轄の捜査員が集合しての捜査会議の最中であった。会議室の扉には「城南大学教授不審死事件」との紙が貼られている。

 

 甲斐の視線の先、伊丹が立ち上がり、全体に響くように声を発した。

 

「はい! 今回の事件は非常に特異な事件ですので、類似の事件が発生しているのではないかと我々は考えました。そして! ここ数年間の都内近郊における不審死を洗ってみたところ、二件、該当する凍死体の報告を発見したのです!」

 

 そう言って伊丹が配布する資料には、去年の二月、寒波の夜にホームレスの男性の凍死体が発見されていたことが記されていた。いずれも発見は都内。高架橋の下や空き地の段ボールの中などで、いかにも自然死のように偽装されていたという。

 

「だがな、その時期なら低温による自然死の可能性もあるだろう! それらが関係しているという根拠はあるのか!?」

 

 中園の大声での指摘に、今度は後方から米沢が手を上げて発言する。

 

「それは私から。昨日、司法解剖の結果から、意外なことが判明しました。死因は極低温で内臓まで凍結したことによる凍死、それは間違いありません。ですが、ごくわずかに胸部に火傷と強い衝撃を受けた跡が存在することが判明しました。

 これらは、おそらく、蘇生の措置、つまり心臓マッサージが行われた痕跡です。そして、同様の痕跡が他の二遺体からも確認されています」

 

 その言葉に会議室がざわつく。

 

「つ、つまりはこういうことか? わざわざ凍死させておいて、犯人に殺意はなかったと!?」

 

「いえ、そういうわけではありません。いずれの処理も被害者が生きていたときに行われています。どうやら、被害者は何度も低温下で凍結され、そして、その都度、解凍し、蘇生処置を受けたと思われます」

 

「はぁ!? なんだ! その訳のわからん犯人は!!」

 

 拉致した被害者を何度も凍死寸前まで追い詰めて、けれど殺さずに蘇生する。だが、最後には体の芯まで凍らせて殺害。ひどく手間がかかった残虐な方法だ。

 

 中園がそれらの報告に頭を抱えていると、甲斐がため息と共に、声を発した。

 

「兵藤教授は先端医療の権威であり、冷凍保存技術の開発を行っていたと、報告には書いてあったねえ……。まさか……」

 

 何事かを察したという甲斐の言葉に、伊丹は頷き、改めて立ち上がり、宣言した。

 

「ええ、刑事部長のお考えの通りです! 我々は、この手口はただの殺人ではなく、人体実験だったのではないかと推測しております!!」

 

 コールドスリープ技術において未確立となっているのは凍結からの蘇生技術である。しかし、動物実験では人間との体積に違いがありすぎるため、人間への実用に十分なデータが集まっていない。

 

 もしかしたら、これは倫理を踏み越えて実験を成そうという意志のもと、行われた殺人ではないかと伊丹達は考えていた。

 

「それが本当なら、まずいことになるね……。あの蛮野博士の暴挙のために我が国の科学倫理は大きく疑問視されている。ここにきて、また人体実験が明るみとなれば、諸外国からの非難はますます激しくなるだろう」

 

 甲斐は困ったように頭を掻く。そして、立ち上がると、全捜査員に静かな、しかし、全体へと響く声でいう。

 

「伊丹刑事、よく調べてくれた。……当面は通常の殺人、そして指摘にあった人体実験という二つの可能性から捜査を進めることとする。全捜査員はこの事件に、我が国の威信がかかっていることをよく認識し、捜査にあたってくれたまえ」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第四話「Cold Case III」

 

 

 

「まったく、よりによって人体実験とはな、ひでえ犯人だ」

 

 会議の後、伊丹は本庁の廊下を霧子たちを引き連れて歩きながら、吐き捨てるように言った。

 

「いやー、でも、霧子ちゃんの言う通りに過去の事件を洗い直してよかったですね! おかげで刑事部長からも褒められたし! さっすが霧子ちゃん!」

 

「いえ、ちょっとだけ気になって調べてみただけですから。まさか、こんなことが分かるとは思ってもいませんでしたけど」

 

 昨年の冬と言えば、ロイミュードたちが暴れまわっていた時期である。次々と起こる奇怪な事件の中で二人の凍死体はただの事故として見過ごされていたようだ。霧子は目ざとくそれを見つけて、今回の事件との関連性がわかったのである。

 

 謙遜する霧子に伊丹は鼻を鳴らす。

 

「ま、少しは褒めてやるが。犯人を見つけたわけじゃねえんだ。調子に乗っていると、足元掬われんぞー」

 

「言われなくても、調子に乗ってなんていません!! 

 もうっ! ……兵藤教授以外の被害者は前歴にも現在にも関わりは無いって報告に出ていますよね? やっぱり……」

 

 所轄の調べでは殺害された二人は地理的にも、それ以外でもつながりはなかった。霧子には、ホームレスの二人が無差別に、言い方は悪いがモルモットとして殺害されたのだと思えてならなかった。

 

「ぜってえ捕まえるぞ、この犯人。よーし、まずはホームレスの事件の方だな。被害者は繁華街を中心に活動してた。ターゲットを物色する犯人が、どっかで目撃されているかもしれねえ」

 

 伊丹達は気合を入れると、事件の調査へと向かっていった。

 

 

 

 一方、そのような捜査会議には参加できない特命係の二人は、今日は別行動をしていた。右京は氷見博士の夫の失踪事件を調べに。そして、進ノ介はといえば、前日に右京に告げたように城南大学へと再び向かった。

 

 昨日と同じように兵藤研究室の戸を叩くと、倉見助手が出迎えてくれる。野花のような朗らかな笑顔だった。

 

「ふふっ、また仮面ライダーさんが来てくださるなんて、嬉しいな」

 

 またも氷見博士は不在だったようで、スムーズに部屋の中へと招かれる。進ノ介が昨日と同じソファに座ると、倉見氏は笑いながら先日は飲めなかった紅茶を煎れてくれていた。

 

「どうも、ありがとうございます」

 

 お礼を言い、まずは一口。華やかなローズティーだった。喉に通すと、ポカポカと体の奥まで暖かくなる。

 

「いえいえ。氷見先生、今は授業中なんです。こんな時なんだから休講にしても良いって言ったのに、強情なんですよ」

 

「あの先生らしいですね。……確か、倉見さんが氷見先生の身の回りのお世話までしているんですよね?」

 

 進ノ介が苦笑しながら、りんなから聞いたことを尋ねると、倉見氏は「あら、やだ!」なんて可愛らしく恥じらう様子を見せる。

 

「沢神博士がそう言ってたんですか? お世話って言っても、時々お部屋の掃除したり、食事を用意したり。あとは、研究室の設備等の細かいことを全部。ふふ、そんなこと言っていると、助手と言うよりマネージャーみたいですね。

 でも、先生、ほっといたらどんどんずぼらになっちゃうです。この間も一週間ほど留守にしていたら、仕事は貯まりっぱなしになるし、家もゴミがたくさん。でも、なんだか、ほっとけなくて」

 

 聞くところによると、倉見氏は氷見博士やりんなの大学の後輩なのだという。昔から、優秀だが癖が強い人だったが、その迷いの無い研究への姿勢にあこがれて、この研究室にまでついてきてしまったのだとか。

 

「ずっと、私の憧れだったんです。あんなにずぼらなのに、研究の時には目がきらきらと輝いていて。夢のためにまっすぐな人で。だから、今は研究の助けにもなれて、充実しているんです」

 

「分かります。俺も、そういう憧れの人がいましたから」

 

 進ノ介のそれは、父親の姿である。研究者と警察官と住む世界は全く違うが、その感情は理解できた。

 

「私、信じているんです。先生の研究が、いつか世界の人を救うって」

 

 夢見るような華やかな声だった。進ノ介はその言葉に頷いて、カップのお茶を飲みほす。

 

「……そういえば、倉見さんも氷見博士の旦那さんのことはご存じだったんですか?」

 

 問うと、一瞬倉見氏はきょとんとし、けれど、すぐにもちろんだと頷く。

 

「はい、もちろん。恩田先生は五年ほど前からウチの大学にいらっしゃって。すぐに氷見先生とも親しくなったんです。人当たりがよくて、面倒見がいい人でした。

 私も驚いたんですよ、いきなり先生が結婚するだなんて言い出したんですから。いつもみたいに部屋に入って、定時連絡みたいに」

 

 そう言って倉見氏は苦笑いを浮かべた。なるほど、昔からあの女博士には振り回されていたのだろう。

 

 そんなことを話していると、ツカツカと靴の音が遠くからやってくるのを進ノ介の耳がとらえた。いつの間にやら授業も終わっていたようで、件の氷見博士が部屋へと帰ってきたのである。昨日と変わらない髪型に、服装。次いでとばかりに態度も変わらず、冷たい視線を進ノ介へと向けて、

 

「あら、また来たのね」

 

 と、そっけない一言。ただ、氷見博士は進ノ介の隣に右京がいないことを確認して。そして、しばらくの沈黙の後、驚くべきことに進ノ介へ向かって、

 

「場所を変えましょうか……」

 

 そんなことを言い、上を指さすのだった。

 

 氷見博士が進ノ介を連れて向かったのは研究棟の屋上だった。今日は昨日と変わって快晴。少しだけ寒風も吹いていたが、気持ちの良い陽気だ。

 

 博士は少し乱暴にベンチへと座ると、持ってきていたペットボトルの水を含む。

 

「あの、氷見博士。今日はありがとうございます」

 

 進ノ介は彼女へ向かって頭を下げる。何の心変わりで話を聞く気になってくれたのかは分からないが、昨日と比べれば大きな進歩だった。少しでも事件について聞きだしたいところだが、当の氷見博士は昨日と変わらない冷たい表情。

 

「礼なんて言わなくていいわ。私があなたに確認したいことがあった、それだけよ。事件のことは私は何も知らないことに変わりはないから」

 

「その、確認したいことって?」

 

 進ノ介が恐る恐る尋ねると、氷見博士は冷たい視線を向けて、

 

「貴方、生き返ったって本当かしら?」

 

 そう、告げるのだった。

 

 冷たい風が進ノ介の頬を撫でる。自身の体温が少し下がったのを進ノ介は感じ取った。

 

 その問いに応える術は進ノ介にはない。いや、どう答えてよいのか分からなかった。進ノ介自身、自分の身に起きた奇跡のような出来事の真実を知るわけでもない。そして、相棒のベルトさんこと、クリムの研究は彼と共に封印されている。

 

 だが、迷う進ノ介にお構いなしに、氷見博士は言葉を続ける。

 

「貴方、仮面ライダーとして二度、世間に死亡報告が出ているわね? 二度目は演技だったのでしょうけど。一度目はどうだったのかしら? あの真影議員の事件よ」

 

「それは、一時は心肺停止になったことは確かです。けど、その後蘇生して」

 

 それが世間への報道内容だ。敵を油断させるために、わざと仮面ライダーが死亡と広報部に情報を流した。全ては警察の戦略だったと、そういうことになっている。

 

「……そうね。けど、私たちの業界は狭くて、いろいろな噂が次から次へと入ってくるの。例えば、『泊進ノ介の肉体は確かに死亡していた。だが、いつまでも細胞は劣化しなかった』なんてこともね。本当かしら?

 そして、クリム・スタインベルト博士、蛮野天十郎博士。どちらもずいぶんと前から行方不明だったのに、片や貴方たちのアドバイザーとして、片や機械生命体の協力者として、いきなり報道されるようになった。けれど、実際に彼らを見た者は誰もいないのも変な話よね。加えて、機械生命体は自分の意思を持ち、人の記憶までコピーする……」

 

 氷見博士は、これは私の想像だけど、と前置きをして。

 

「スタインベルト博士達は、何らかの方法で不死、延命の方法を見つけていたのではないかしら? それが貴方を助けたのではないの? そして、彼自身も。

 彼は電子工学を中心に研究していたから、もしかして、記憶をデータ化した、なんてSFチックな方法で。それなら、機械生命体の特性とも合致するもの」

 

 どう? と挑発的に尋ねてくる氷見博士。

 

 果たして、それが正解であることを進ノ介は知っていた。自身の記憶と人格をドライブの変身機構であるドライブドライバーへと組み込んでいた、相棒であるベルトさん。同様の方法で不死を実現していた蛮野も、とある怪盗の存在も知っている。

 

 だが、それらの事実がどれだけ世間を混乱させ、争いを招くかを進ノ介はよく知ってもいたのだ。

 

「……それは」

 

 言いよどむ進ノ介に、氷見博士は意味深な笑みを浮かべて首を振った。

 

「言わなくても良いわ。どちらにせよ、実証データは焚書されたように消失してしまっているもの。けれど、あの事件以降、世界中の科学者たちが血眼になって機械生命体事件を分析している。みんな、分かっているのよ。これが、人類の未来につながる宝になるってね」

 

 本当に羨ましいわ。

 

 冷たい視線の中に、隠し切れない羨望の色。それが進ノ介をまっすぐに捉えて離さない。

 

「貴方は何のために生き返ったのかしらね」

 

 誰もが望んで止まない第二の人生。それを手に入れた仮面ライダー。だが、その数奇な運命の意味は、進ノ介にも答えられるものではなかった。

 

「……」

 

「冗談よ、忘れて」

 

 本当なら、実験体になってもらいたいくらいだった。そう、最後は少し物騒な言葉で締めて。そうして氷見博士は疲れたように肩を回すと、再び水へと口をつけた。

 

「じゃあ、俺からも質問をさせてください。……氷見博士は、どうしてコールドスリープの研究を始めたんですか?」

 

「……昨日の刑事といい、貴方たちは少しどころか不躾ね。それに、泊さん。貴方も私の質問ははぐらかしただけじゃない」

 

 鋭い視線で再びにらまれるも、これが刑事の仕事だ。進ノ介も怯むことなく、視線を向ける。

 

「……それは、あなたの夫、恩田博士の事件と関係がありますか?」

 

 そう言うと、氷見博士は疲れたようにため息を吐いた。

 

「……りんなさんのところに行ったと聞いたから、知っているとは思っていたけれど。それ、下種の勘繰りというのよ? 不躾どころか、やっぱり、プライバシーの概念も持っていないのね。警察官ってみんな、こんなのばかり。 

 ……失礼するわ」

 

 そうして、氷見博士はベンチを立ち上がり、去ろうとする。だが、その行く手を遮り、進ノ介は大きく頭を下げた。

 

「どういうつもり?」

 

「恩田博士の事件のこと、一警察官として謝らせてください。申し訳ありませんでした。被害者の方に良い報告を届けられず、何年も待たせてしまったこと。ご主人の不倫を疑ったこと。どれも、氷見博士にとって耐えがたいことだったと思います」

 

 下げた頭で見えないが、氷見教授が小さく息を溜めたのが聞こえた。そして、しばらくの沈黙の後で静かに声が紡がれる。

 

「謝ったからってどうだっていうの? 貴方が夫を見つけてくれるとでも?」

 

「確かに、俺は一警察官です。けど、だからこそ、犯罪に対しては真摯でいたいと、そう思っています。だから、氷見博士が警察に疑念を持たれたのなら、俺は警察官として必ずご主人の事件を解決してみせます」

 

 進ノ介が強く、言葉を告げる。

 

 小さく、頭の上から、

 

「一警察官が何ができるっていうの……」

 

 小さく呆れたような言葉が聞こえた。そして、響く小さな金属音。顔を上げると、氷見博士は首に下げたネックレスに指を添えていた。見間違えではないが、それに通してあるのは、結婚指輪で。

 

「……あの日は私の誕生日だったの。柄にもなく高級レストランなんて予約してね。私は先に仕事を上がって待っていたのよ。『お店の前で恋人みたいに待ち合せましょう』なんて。年頃の娘のようにはしゃいでね。

 けど、あの人は来なかったわ。連絡もなく、消えてしまった……」

 

 誰に言うというわけではなく、我慢していた言葉が漏れ出たような独白。

 

「泊さんは、私があの人を待つために、この研究を始めたとでも思うの? 違うわ。私はそんなロマンチストじゃない。ただ、あの人と一緒に始めた研究を完成させたかっただけ。それだけよ……」

 

 進ノ介には、その言葉を告げた時、氷のような彼女の顔に初めて血が通ったように見えた。ただ、すぐにその顔が固いものに変わる。

 

「……立ち聞きするつもりは、なかったんだがな」

 

 声に対し進ノ介が振り向くと、ドアの向こうから伊丹が気まずそうに頭を掻きながらやってきていた。今回は霧子と芹沢は同伴していないようで、一人だけで。

 

「伊丹さん……」

 

「無断で話を聞いたことは謝るが、状況が変わったんだ……。氷見准教授、ご同行願います。容疑は三件の殺人への関与でね」

 

 伊丹の硬い声を受けて、氷見博士は冷たく疑問を言う。

 

「三件? 兵藤先生の件だけじゃないのかしら?」

 

「とぼけんな。同じ手口で二件、遺体が見つかってる。そして、被害者のホームレスを物色する怪しい女が目撃されてんだ。ニット帽に厚手の黒いコート、顔にはマスクで変装していたようだが、背格好はあんたとよく似ている」

 

「そんな弱い根拠なら断らせてもらいたいのだけど」

 

「もう一つ。ちょうど去年、あんたと被害者の兵藤教授の研究プロジェクトの予算が大幅に削減されたってことは調べがついてる。研究にゃ、大きな打撃だ。多少強引な手を使っても、すぐに成果が欲しかったんじゃねえのか?

 ま、ともかく、一度警察で話を聞かせてもらいますよ」

 

 そう言うと、伊丹は氷見博士を連行していく。進ノ介はただ、見送ることしかできない。

 

 確かに、彼女は不器用な人だとは思う。けれど、氷見博士は旦那さんのことを本当に大切に思っていた。そのような人があれほど残酷に人を殺すわけはないと、進ノ介は確信していた。

 

 

 

 一方、そのころ、所轄で恩田良一郎博士の事件に関する資料を受け取った右京は、本庁の鑑識へと持ち込んでいた。中身は最後に目撃されたキャンパス周辺の監視カメラと、聞き込みの内容くらいの簡素なものだったが、それを一つ一つ、右京は丁寧に観察していく。

 

 そんな彼に米沢は困ったように汗をかきながら、声をかけた。

 

「杉下警部、あの、何もここで作業をなさらなくても……」

 

「いえいえ、何か見つかった時に米沢さんのお話を聞きたいと思いまして。ここでならば、すぐにご意見も聞けて便利ですから」

 

「私はさしずめ便利屋というやつですか……。伊丹刑事にでも見つかったら大変なことになるのは私なんですよ?」

 

 米沢は悲しそうに口をすぼませると肩を落とす。そんな米沢に右京は何でもないように追い打ちをかける。きっと、まったく悪意もなくて、デリカシーがないだけであろうが。

 

「もう伊丹刑事は気づかれているようですので、それはいらぬ心配かと」

 

「何ですと!? 黙っていてくれるとの約束ではありませんか!?」

 

「僕たちは黙っていたのですが、どういうわけかバレてしまったようですねえ」

 

「勘弁してくださいよ……」

 

 そう右京が告げると、米沢は大きくため息をついて、自分の作業へと戻っていく。丸まった背中は哀愁に満ちていた。その背中を一瞥して、右京は映像に視線を向ける。

 

「恩田博士と見られる人影、見当たりませんね……」

 

 最後に彼が目撃されたのはキャンパス内の研究棟近く。だが、入室の記録は残っているのだが、退出の記録はどこにも見当たらない。

 

 研究棟やキャンパスは最新研究を扱うという性質上、監視カメラの類は各出入り口に備え付けてある。そして、入退室の記録も詳細に取られていた。だが、いずれの映像や記録にも恩田博士が出ていく様子は確認できない。

 

 最も、内部の人間である恩田博士がこっそりと出ていったのだとしたら、誰にも気づかれないまま消えることができるかもしれないが。警察もそう結論付けたようである。

 

「最後の目撃者は、研究室から出ていく様子を見たという助手の倉見さん。そして、その後の足取りはこの封筒だけ」

 

 失踪の数日後、氷見博士の自宅へと投函されていた質素な便箋。指紋もなく、入っていたのは結婚指輪の一つだけ。事件性は感じられず、証拠もない。

 

 だが、ただの突発的な失踪にしては、余りにも鮮やかに男性が一人消えている。誰にも目撃されることなく。お金を下ろした様子も、移動した痕跡もなく。

 

「なるほど。米沢さん、どうやら手をお借りしなくても大丈夫そうです」

 

「……はあ、そうですか。それは大変よろしいことですな」

 

 右京が資料をまとめて米沢へと声をかけると、少しばかり眼鏡の奥から恨みがましい視線を向けて、米沢はひとりごちた。そんな米沢の手元には、三件の事件資料が解剖所見と共に収まっている。せっかくだからと右京が興味深そうに手元を覗き込むと、米沢は少しだけ顔をしかめて、すぐにあきらめたように資料を見せる。

 

「それにしても、本当に一課の皆さんが言うような人体実験なのでしょうか……。そうだとしたら麻酔等を使っても良いものを。犯人は残酷なことをしたものです」

 

「ほう……。ということは薬物は検出されなかったのでしょうか?」

 

「ええ、そのとおり。まあ、体が凍結していくと眠るように意識を失うので、それ自体では苦しみは少ないでしょうが。何度も溶かして、凍らせてというのは酷すぎますよ。ほら、これを見てください」

 

 米沢に指摘されて、右京は遺体の写真に目を通す。

 

「この胸の擦過傷。体温が下がっていくと、血管が収縮していくのですが、ある段階で一気に拡張に転じるのです。そうすると、全身を灼熱感が襲い、体を掻きむしる、と。意識がある間に冷凍された証拠でもあります」

 

「……なるほど。もう一つ、分かることがありますね。

 被害者には体を動かせる自由があった。ということは、やはり凶器は十分なスペースがある巨大な冷凍庫などとなるのでしょう」

 

「そうはいっても今時スーパーやら加工工場やらで大型冷凍庫もそこら中にありますから、特定は難しいでしょうな」

 

 また難しい問題です、と米沢は頭を抱えてしまうが、右京はというと、少しばかり満足したように携帯をとりだす。

 

 どこかスッキリとして、笑みすら浮かべながら。

 

「ああ、泊君。……ええ。僕のほうも面白いことがわかりましたよ。それに、一つ、気になることがあるのですが」




それでは、次回、最終パートとなります。

ご意見、ご感想お待ちしております!!


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第四話「Cold Case IV」

ここまでの状況のまとめ

被害者:兵藤探
城南大学の医学教授。凍死体として発見された。
コールドスリープ開発のプロジェクトで活躍していた。

それに加えてホームレスと見られる二遺体が発見された。いずれも、凍結と蘇生を繰り返した痕跡がある。

氷見玲子
:城南大学医学部准教授。兵藤教授の元でコールドスリープ技術の研究を行っていた。本名恩田玲子。夫である恩田良一郎博士が失踪中。そのため、警察に対しての協力を拒んでいる。

倉見舞
:城南大学医学部助手。氷見博士の元で働く。


 連行された翌日の深夜、氷見博士は少しばかり疲れた表情を浮かべて、自身の研究室の戸をくぐった。

 

「ふぅ……」

 

 大きくため息をつく。取り調べは彼女の気を重くさせる程度で終わった。証拠不十分で解放。捜査一課としても目撃情報程度で、後は状況証拠。長く留め置くことはできなかったのだ。

 

 暗い部屋の電気をつけ、コートを部屋の隅にかける。

 

 学生たちは言わずもがな、珍しいことに、助手の倉見氏は早々に帰宅したようで、あたりに人はいなかった。珍しいこともあると、肩をほぐしながら机に座る。倉見氏はたいていこの時間帯まで残り、最後の戸締り等を済ませてくれる。

 

 ただ、いないものを恋しがっても仕方がない。氷見博士自身も留め置かれた時間の間に溜めていた仕事を済ませなくてはいけないので、気を取り直し自身の机へと向かう。相も変わらず雑多にまとめられた書類をどけて、論文を書き始めていると、

 

 カサリ

 

 小さな物音がした。

 

「……誰かいるのかしら?」

 

 額に皺を寄せて、氷見博士はドアの向こうの暗闇に問いかける。すると、すっと人影が入ってくる。それを見て、彼女は安堵の息をついた。不審者であったら、と心配したが、杞憂だったようだ。

 

「先生! 戻ってらっしゃったんですね! よかったー。ごめんなさい! ちょっと席を外していたんです」

 

 どこか厚手のコートを脱ぎながら、倉見氏が入室してくる。

 

「倉見さんだったのね、安心したわ。もしかして、私を待っていてくれたのかしら? ……遅くまで悪かったわね」

 

「大丈夫ですよ! 先生のことなら、全然! ふふ、お疲れでしょう? お茶でも淹れますね……」

 

 そう言って、いつものようにふわりと笑顔を浮かべると、倉見氏はてきぱきと動き、ポットからお湯を注ぎ始めた。甘い香りが冷たい室内に広がっていき、冷たい部屋の中に温度が戻っていく。氷見博士は深く椅子に腰かけると紅茶のカップを受け取る。

 

「はい、どうぞ。ゆっくりとお休みしてくださいね」

 

「ええ、ありがとう」

 

 氷見博士はそのカップに口をつけようとして、

 

「ああ、それは止めておいた方が良いですよ」

 

 のんびりとした声が聞こえて、口をつけるのを止めた。視線を声の方向へと向けると、杉下右京と泊進ノ介、二人の刑事がドアをくぐって現れる。

 

「どうも、夜分に失礼します。ですが、少しだけお話がありまして」

 

「倉見さん、あなたにね」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第四話「Cold Case IV」

 

 

 

「私に、お話ですか?」

 

 部屋に無遠慮に入ってきた二人の姿を見て、倉見氏は少しだけ驚いたように口を開けて問いかけた。

 

「その前に、氷見博士。こちらへ。その紅茶は置いてください」

 

「なぜかしら?」

 

「恐らく、その紅茶には毒物が入っていますから」

 

 突拍子の無い言葉に、思わず目をむき、紅茶を置く。慌てて倉見氏の顔を見るも、彼女は何が何だかわからないと。そんな表情のまま固まっており。彼女は長年支えてくれた彼女を疑う選択肢はなかった。

 

「何かの間違いではなくて?」

 

「お願いします、氷見博士。一回だけで良いんです。俺達を信じてくれませんか」

 

 進ノ介はだが、そんな彼女に嘆願する。その目には切実な光が宿っており、杉下右京よりは彼女にとって信頼が置けた。氷見博士は長く沈黙を続け、

 

「話はすぐに終わります。その間だけでも、お願いします」

 

「……一度だけよ」

 

「……感謝します」

 

 最後にはゆっくりと立ち上がり、訝し気な表情を浮かべながら二人の傍へと移動した。進ノ介はそのことに安堵の息を吐き、右京へと頷きを示す。

 

 そして、右京は一歩前に進み、倉見氏の目を見て、ゆっくりと宣言するのだった。

 

「これで、ゆっくりお話ができますね。単刀直入に言いましょう。倉見舞さん、あなたがこの事件の犯人ですね?」

 

「私が!? そんなまさか!! もうっ、杉下さんはともかく、泊さんまでそんなこと言いませんよね?」

 

 倉見氏は笑いながら進ノ介へと視線を向ける。それはここ数日で出会った快活な女性のままの姿であった。しかし、進ノ介は油断することなく、彼女へと鋭く目を向ける。

 

「いや、犯人はあなただ。あなたが三人の男性を凍死させたんです」

 

「……酷いわ、泊さんまで。なんで私がそんなことを? それに証拠はあるんですか?」

 

 張り付けた笑顔をそのままに、彼女はそう言う。右京は、そんな様子を見ると、小さく笑みをこぼしながら説明を始める。だが、その一言目はあまりにも妙な言葉から始まった。

 

「実を言うと、僕たちは証拠もまだ見つけていませんし、動機も分からないのですよ」

 

「はい? ……えっと、じゃあ、なんで私が犯人だと?」

 

 証拠もなく、動機もなく、しかしあなたは犯人だという。右京の言葉はまるで道理がない。それに対する倉見氏の疑問ももっともなものであった。

 

「倉見さんの言う通りよ。理屈も何もあったものじゃないわ……。泊さん、あなたの言葉だから一度は従ったけれど、私の大切な助手をこれ以上侮辱するなら、私だって考えがありますよ」

 

 とうとう氷見博士までが隠すことなく憤りを見せ始める。だが、右京はそんな二人の様子を気にも留めることなく言葉を続けた。

 

「まあまあ、少し僕たちの話を聞いてください。実は、この事件、解決するためには一つのことが、わかれば良いのです。

 その前に……。まず、僕達が最初に疑問に思ったのは、凍死という殺害方法でした。この日本だけでなく、世界を見ても例が少ない奇抜な殺害方法ですねえ。それに加えて被害者に何度も蘇生措置を加えるというのは、僕の知る限り例がありません」

 

「そして、被害者が兵藤教授だったことから、警察はコールドスリープの人体実験だったんじゃないか、そう考えるようになりました。でも、よく考えたら変なことがありますよね?」

 

 進ノ介が言葉を続ける。

 

「どうして、被害者が兵藤教授だったのか」

 

「どういうことですか?」

 

 今度の疑問は氷見博士からだった。そんな彼女に見せるよう、右京は懐から三枚の写真を取りだし、おもむろに机に並べる。どれも凍傷で無残に変化した遺体の顔写真。

 

「昨年に発生した二件の殺人は、犯人の目的が人体実験なのかはさておき、無差別に行われたものでしょう。被害者の間につながりは無く、拉致現場も離れていましたから。遺棄方法も自然死を偽装しています。

 ですが、兵藤教授は被害者像があまりにも違いました。彼は社会的地位があり、実験という長期監禁に向かず、身元と死因も詳しく調査される。そして、今はまだ秋です。こんな時に凍死体が発見されれば、誰がどうしても変死として捜査されてしまいますよ。

 遺棄方法も全裸にして山林へ放置するという計画性がないもの。他のケースでは事故死のように偽装したのにも関わらず」

 

「つまり、僕の考えはこうです。兵藤教授は他の二件と違って、犯人にも予想外の突発的な犯行だった」

 

 指を上にたてながら、右京はそう言い切った。

 

「そこから、僕達はこう考えました。兵藤教授が突発的に殺される理由は何か。彼の立場から考えると、適当なのは一つですね。彼は何かに気づいて、それによって口封じされたのではないか。それが僕たちの考えです」

 

 それならば、季節外れの凍死体も、変わった被害者像も、無作為な遺棄も説明がつく。突発的な犯行であり、焦っていたからこそ、様々なミスが生じたのだ。

 

「では、兵藤教授が気づいたことは何か。氷見博士、今回の事件に必要不可欠なこととは何だと思いますか?」

 

「それは、もちろん人体を凍結させるための施設でしょう?」

 

「ええ、その通り。先程申し上げたように、この事件では一つがわかれば、犯人まで繋がります。そして、それは事件を可能とする犯行現場」

 

 氷見博士が指摘した通り、人体を緩やかに凍結し、そして解凍するという手口から、犯人は人体を丸ごと閉じ込める冷凍施設が必要不可欠であり、それが自由に使える人間こそが犯人である。

 

「しかも、並大抵の冷凍庫とは違いますよね? ただ凍らせて殺すのではなく、蘇生も犯人の目的です。となると詳細な凍結速度のコントロールもしなければいけないし、一般用の冷凍庫ではこうはいかない。

 そして、それは中々手に入るものじゃありません。商業施設のものを使用しようとするなら容易にばれてしまいますし、個人で仕入れたなら、痕跡はすぐに分かって捜査の初期段階で容疑者として浮上してしまう」

 

 そこまで言って、進ノ介は一枚の紙を取り出す。

 

「実は、さっき大学の事務室に行って調べてきたんです。亡くなる前に兵藤教授に何かを渡したり、彼自身が問い合わせてきたものはないかって」

 

 そうして浮上したのが、この書類だ。

 

「学内施設の電気使用量が書かれています。きっと、兵藤教授は驚いたはずですね。だって、この記録には、使用されていないはずの旧実験棟内の冷凍庫、その使用電力量がしっかりと記録されていたんですから。……そこが犯行現場ですね?」

 

 今、捜査一課が調べに向かっています。

 

 進ノ介が静かにそう言うと、次は右京がもう一枚の紙を取り出す。倉見氏はいつの間にか、朗らかな笑顔が崩れ、どこかいびつな表情を浮かべるようになっていた。

 

「ああ、それと、直接的な証拠ではありませんが、これもわかりましたよ? 誰が使用申請をしていたか。氷見博士、あなたの名前となっています」

 

「私が? 新館ができた五年前から、あの場所は使っていないわよ」

 

「ええ、そのはずだったのでしょう。ですが、随分と前から装置は動いていたようですね。どちらにせよ大学施設が犯行現場なら、使用できる人間は限られます。この場合、候補者は氷見博士、そして氷見博士の名前を使用できる倉見さんが最も有力でしょう。

 僕も、最初はお二人のどちらが犯人なのか、見当もつきませんでした。研究が目的だとしたら、どちらにも動機は存在しますからねえ。ですが、そんなときに泊君が氷見博士の話を聞き、僕に言いました」

 

「……俺には氷見博士が犯人だとは思えませんでした。あなたは今でもご主人のことを大切に思い、そして、二人の夢を実現しようとしている。そんなあなたが殺人という方法で夢を穢すとは思えなかった」

 

 右京はその言葉に少しだけ笑みをこぼすと、話を続ける。

 

「あくまで、証拠がない、泊君のただの印象です。しかし、遺体の解剖結果を見たとき、僕にも一つ、気になることができていました。最初に倉見さんと出会った時、あなたはこうおっしゃっていましたね?」

 

『……凍死だなんて、さぞ苦しかったでしょうね』

 

 確かに、倉見氏はそう言っていた。

 

「ええ。生きたまま、それも意識がある中でじわじわと殺されたのですから、さぞ苦しかったでしょう。ですが、おかしいですねえ。あなたは凍死と言う事実は知らされていましたが、被害者に意識があったとは知らないはずでした。

 細かいことかもしれませんが、あなたは被害者が凍らされた状況を知っていた。そう思えましたので、あなたの周囲をくまなく調べてみたのです。

 すると、兵藤教授の殺害時期に、倉見さんがインターネットを通し、毒物を購入した記録が見つかりました。冷凍庫という凶器です。完全に痕跡を消したり、まして凶器を隠すことはできません。身近な兵藤教授に手をかけた時点で、覚悟は決めていたのでしょう。……最後は氷見博士を巻き込んで自殺のつもりでしたか?」

 

 そこまで話を終えると、タイミングを待っていたように、進ノ介の携帯が音を鳴らし始める。そこに書かれているのは伊丹刑事の番号で。

 

「もしもし、泊です」

 

『おう、見つかったぞ。しかも、オマケ付きでな……』

 

 伊丹達はちょうど、件の旧実験棟の地下にある冷凍施設を訪れていた。埃かぶった通路の先にある冷え切った扉の向こう。そこにはすべてが凍り付いた小さな部屋が広がっている。

 

 そして、

 

『あちらこちらに毛髪が散らばってる。ついでに、内部から壊そうとした跡も。ここが犯行現場で間違いねえだろ』

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 礼と共に電話を切ると、進ノ介は氷見博士の顔を見ながら、ゆっくりと告げた。その声にはこの事実を話すことへのためらいと悼みが混ざり合っている。

 

「氷見博士、残念ですが、冷凍室の奥からご主人、恩田博士のご遺体が発見されました」

 

「僕達も考えたくはありませんでしたが……。恩田博士が施設から出た記録がない以上、失踪後からずっと、ご主人は大学の敷地内にいたと考えるのが自然です」

 

 遺体は冷凍室の奥、ガラスの容器を棺のようにして、凍結された状態で発見されたという。まるで眠っているような穏やかな姿で。だが、その後頭部には鈍器による打撲の跡が存在した。他殺体であった。

 

「そんな……」

 

 小さなつぶやきと共に氷見博士の細い体が崩れ落ちる。肩を震わせて、目じりに光るものがにじんでいた。そんな姿に痛ましい気持ちになりながらも、進ノ介は自身の務めを果たすために倉見へと向き直る。

 

「兵藤教授は、あの部屋を見たんですね? 隠してあった遺体を見つけられたから、とっさに口封じをするしかなかった」

 

「殺害現場が発見され、それを使える人間が限られている以上、いくらでも証拠は見つかりますよ?」

 

 二人が告げると、もう言い逃れができないことに気づいたのか、倉見はそっとソファへと座ると、肩を落としながらため息をつく。少しだけ、ふっと笑みをこぼし、

 

「そっか。すごいんですね、警察も。やっぱり兵藤先生は失敗だったかなぁ。けど、欲しかったんだもの。健康な人体のデータ……」

 

「罪を認めるんですね?」

 

「ふふ。……ええ。ずっと研究が行き詰っていたの。けれど、人体実験なんて倫理に煩いこの国では許可なんて下りないもの。

 だから、実験をしなくちゃって思った。最初はどうでもいいホームレスを使ってみたけど、理論通りの結果が得られなかった。二人とも老人で栄養状態が悪い。それじゃあモルモットとしては不適当だもの。

 けど、健康な人体なんて中々手に入るものじゃない。そんなときに、兵藤先生が冷凍庫を見に来てて……」

 

 思わず閉じ込めちゃった。

 

 そう言ってくすくすと笑い始める。

 

「何が可笑しいんですか」

 

「だって、皮肉だなって。私は氷見先生の研究を実現して、世界中に希望を届けたかった。病気で死ななくても良い世界。絶望からコンティニューできる世界。その助けがしたかった。

 けど、それを邪魔してくるのが、二つも命をもらった世界一の贅沢人だなんて。そんなに特別で居たいんだなぁ……」

 

 それは進ノ介をあざける視線だった。人の命を奪ったことに罪悪感もない、どこまでも暗い、淀んだ眼。それはまるで世間が信じるマッドサイエンティストのそれだった。

 

 だが、進ノ介は動揺することなく、倉見を見下ろしながら、静かに言葉を放つ。彼らには、彼女の真実が分かっていた。決して、研究に狂った科学者などではなく、

 

「いい加減、誤魔化すのは止めたらどうですか?」

 

「……誤魔化す? 何を、一体」

 

「恩田博士の死因は凍死じゃなく、撲殺だった。そして、遺体を冷凍保存していた。それが全てです」

 

 ただの身勝手な犯罪者である。

 

 進ノ介は内心の憤りを抑えるために拳を強く握ると、倉見へと言った。

 

「あんたは人類の未来なんて考えてない。ただ、殺した恩田博士を生き返らせたかった、それだけでしょう?」

 

「わ、私は……」

 

「もし恩田博士の事件までもがあなたの言う、研究のためなのだとしたら多くの矛盾が生まれます。凍らせる前に殴り殺し、結婚指輪を氷見博士へと送っている。どれも研究と考えるとおかしいではありませんか」

 

 右京はゆっくりと倉見の前まで歩いていき、強い視線で糾弾するように迫る。

 

「……あなたは恩田博士を個人的な理由で殺した。そして、それを認めることができずに冷凍保存という希望に縋ったのではありませんか?」

 

 その言葉に倉見は表情から笑みを落とし、うわごとのようにパクパクと口を動かすのみ。だが、それを許さない人がいた。

 

「倉見さん、どうして……。そんなに私が憎かったの……?」

 

 涙でかすれた声で氷見博士が呟く。そして、その言葉を聞いた瞬間に倉見は必死の形相を浮かべて、言い募り始める。泣き笑いのような、髪を振り乱した姿。狂奔、その言葉がまさに適切だろう。

 

「違う! 違うわ! 好きだったの! 愛していたの、先生を!!

 けど、それを横からあの人が盗んだの! 私だけの先生を奪って、先生の研究への情熱まで!! 知ってましたよ!? 子供ができたら研究を辞めるつもりだったって!! 

 ……私はあの人に先生と別れてって言っただけ。でも、あの人は聞いてくれなかった……。研究に私情を入れるなら、パーマネントの内定を消すって言って! 先生と引き離される!! そう思ったら、とっさにかっとなってて」

 

「……恩田博士を殺してしまった。……ならば、なぜ憎い相手である彼の体を保存していたのでしょう?」

 

「……だって、私が殺したって先生が知ったら、私を憎むじゃない。気味悪がるじゃない。そんなの耐えられなかった。だから、行方不明にして。いつか治せるように冷凍保存したのよ。

 ……私があの人の治療法を見つけたら、コールドスリープ技術を確立したら、先生は褒めてくれるもの。その時は、きっと、あの人よりもずっと、私のこと愛してくれるはずだもの……」

 

 涙を零しながら倉見は小さく言葉を呟くばかり。どこか夢見心地の少女のような、今でも氷見博士のために行動したと、信じるような。それが彼女の防波堤だったのかもしれない。罪の意識を冷たい棺に閉じ込めることでしか自分を保てなかったのだろう。

 

 だが、

 

「……いずれにせよ、あなたには成し遂げられなかったでしょうねえ。延命治療もコールドスリープも今を懸命に生きる人々がより良い未来を掴むための手段です。

 それをあなたは、自分の罪を無かったことにする、そんな身勝手な目的に使おうとした。あろうことか、そのために人の命まで奪い、多くの人の人生を狂わせた! ……命と、人生の尊厳がわからないあなたに、その謎が解明できるはずはありませんよ」

 

 だが、そんな右京の言葉を聞いてか、聞かずか。最後まで謝罪の言葉は無く、壊れた人形のように倉見は連行されていったのだった。

 

 

 

 犯人は逮捕され、世間に衝撃と、遺族に悲しみを与えて連続凍結殺人は解決した。それからしばらくたち、落ち着きが戻った特命係にてホットミルクを飲んでいた進ノ介は右京と会話をしていた。話題に出たのはその後の事件関係者のこと。

 

「氷見博士、海外の大学に行くそうです。それで、研究を続けるって」

 

 事件後、氷見博士とは多くを語ることはできなかった。信頼していた助手の裏切り、最愛の夫の死亡という事実。それは、人一人の人生に降りかかるには余りに重い出来事だ。そして、部下の犯罪とはいえ、事件はセンセーショナルに報道され、世間からの非難の言葉も多く受けたという。

 

 つらい時間だったことは想像に易い。だが、先日研究室を訪れたとき、慣れない手つきで荷物をまとめていた氷見博士は、生来の強さからか、少しずつ前を向いていることが感じられた。

 

『少しは警察を見直したわ』

 

 進ノ介も荷造りを手伝った後、別れ際にそっけなく、けれど少しだけ頭を下げて氷見博士が言った言葉。その言葉を聞けただけで、進ノ介の心は満たされていた。きっと、彼女なら身に降りかかった出来事も糧にして、人生をやり直せるだろう。あるいは、いつか本当に世界を救う研究を成し遂げるかもしれない。

 

 そんな風に思い、進ノ介がカップに口をつけた瞬間、

 

「じゃじゃーん! 進ノ介君! 元気!?」

 

「ぶっ!? あっつ! あっつ!!?」

 

 特命係の狭き門を大きな声が突破してきた。あまりの勢いと突然の出来事に、進ノ介はスーツにミルクをこぼしてしまい、タップダンスを踊るように悶絶する。

 

「あ! ごめんね! だいじょうぶ!?」

 

「だ、大丈夫です。……どうしたんですか、りんなさん?」

 

 慌ててタオルでミルクを拭う進ノ介を心配そうに見るものが何者かと言えば、それは先日再会したばかりの沢神りんな博士であった。いつも通りに笑顔満点の彼女は、何やら風呂敷をからっており、

 

「ほら! この前遊びに行くって言ったから、お土産もってきちゃったの! あ、杉下さんもどうも!」

 

「これは沢神博士。僕もお会いできて光栄です。……ところで、その背中のものはもしかして!」

 

「ふっふっふ、流石は杉下さん、お目が高い!」

 

 いうや否やドンっと床におかれた風呂敷包。それを開くと何やら装飾もない一つの金属の箱。何でもない箱のはずなのだが、進ノ介にはどうにも嫌な予感がして止まらなかった。

 

「ほう! これは、一体何なのでしょうか?」

 

 一方の右京はと言えば、未知なる物体に興味津々のようで。これまでに見たことがないほどの高いテンションで箱を観察し始める。

 

「新発明! その名もパンドラボックス!!」

 

「……ずいぶんと不吉ですが、興味深いお名前ですねえ」

 

「いや、絶対に開けちゃダメな代物でしょ、それ!?」

 

 楽し気なマッド物理学者と変人刑事の様子に、常識人たる進ノ介は頬をひくつかせながらツッコミを入れる。

 

「ちょっと! 失礼な! ちゃんといいお土産ですー!!」

 

「どこからどう見ても怪しい箱じゃないですか! って、杉下さん!?」

 

「まずは開けなくては始まりませんからねえ。どれどれ……」

 

 一体何が入っているかを必死に聞き出そうとする進ノ介をよそに、右京は早速とばかり蓋に手をかけて……。

 

 カチリ。そんな小さな音を立てて開く箱。

 

 その隙間から凄まじい量の光が漏れ始めて……。

 

「おやおや……」

 

「ちょっと!?」

 

 そして。




これにて第四話の完結です。今話ではりんなさんと幸子さんという新たな登場人物も登場させましたが、お楽しみいただけましたでしょうか? りんなさんの場面は、ドライブでよく描かれていたみんなでわちゃわちゃと動くギャグシーンをイメージして。
意外と右京さんとりんなさんのコンビも面白そうと書いていて思うようになりました。

今後も他の登場人物が参戦していき、どんどんと賑やかになっていくと思いますので、どうかお楽しみに。

第四話のテーマは「科学倫理」。
現在放送中のビルドでも、科学とそれを使うものの悪意との対立という形で描かれていますね。筆者が考える、ドライブ世界の後に禍根となりそうな設定の筆頭として、『人格のデータ化』『進ノ介の蘇生』があります。
特別な条件とはいえ、不老不死、死者蘇生の実現です。ロイミュードよりもよほど、人間生活には重要な発明だと思えました。
知れば誰もが求め、実現したいと研究者たちは思うでしょう。ただ、その中で身勝手な理由で研究を行おうとすれば、途端に道を踏み外してしまいます。
今回出てきた研究者は、
氷見博士は夫の想いを背負って研究を行ってきた。
りんなさんはクリム達の夢と努力をよい方向に変えていきたいと。
そして、犯人は狂信的な愛と、過去の罪を帳消しにするためという身勝手な理由で。
それぞれ研究スタンスを少しずつ変えております。その中で、安心して未来を任せることができるのは、氷見博士やりんなさんのような方だと思い、このようなストーリー運びとなりました。

隠しモチーフはSeason2第14話「氷女」
凍結殺人という手段と、愛ゆえの動機を参考にしました。あと、犯人が研究者という点でもですね。もっとも、犯人の倉見の愛は歪んでいましたが。
タイトルは凍結事件、凍った棺、そして、犯人の動機にも関わる未解決事件の三つの意味で付けました。

実は、今話はある種、今後の山場に向けた伏線回でもあります。今回明かされた情報が、後に繋がることがあるかもしれません。

では、最後に第五話の予告!
次回は皆さまが気にされていたあのキャラの登場となります。私としても丁寧に描きたいと思う重要キャラ。

第五話「この出会いは何をもたらすのか」

どうか、お待ちいただけると幸いです。


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第五話「この出会いは何をもたらすのか I」

大変お待たせして申し訳ございません!

自分でも苦戦してしまった第五話。今回は三パートで終了予定です。

今話でも相棒とドライブそれぞれから一人ずつ重要キャラクターが参戦いたします。特に、相棒からは読者の皆様の中にも気になっている人がいるでしょう、あの〇〇〇が参戦。

それでは、第五話どうかお楽しみいただけると幸いです。


 仮面ライダードライブであり、日本中の人気者となってしまった進ノ介。街に出れば人だかり、サインの山、ついでにとある警部には嫌味を言われる。彼とて人気者になりたかったわけではないが、偉業を成し遂げてしまった者の有名税とでも言うべきだろう。

 

 そのような仮面ライダーと言えども、現在は窓際部署の一公務員であり、ならばこそ日常生活というものはある。時には素敵な彼女とデートをしたいと思ったり、日がな一日ドライブを楽しみたいと思ったり。今日のように仕事帰りに書店へ寄りたいと思うことも。

 

 特別なことが起こらなかった暇な日の終わり、進ノ介は不意に車の雑誌を買いたくなった。車趣味の難点は、あらゆるものに金と時間がかかりすぎるという点。平日は洗車やらメンテ、ドライブといった趣味の活動はできないし、新しい車なんて、そうそう買えるものではない。

 

 そんな時どうするか、と言えば車の模型を買ったり、車雑誌を眺めることで我慢する。仕事がなく、少し溜まっていたストレスを解消したいという気持ちも相まって、進ノ介は雑誌を買おうと書店へ寄ったのだった。

 

 職場に近い書店へ入ると、そこには仕事帰りのサラリーマンやら若者が多く居た。最近は書店が不況と聞いているが、都心という立地がよいのだろうか、この店はほどほどに盛況のようだった。進ノ介は一瞬、その人の多さにぎょっとして、彼らにばれないよう、少しだけ顔を伏せて、雑誌の棚まで歩いていく。そうして、何を買うか、と色鮮やかな表紙を見回し、

 

「お! これ、いいな」

 

 手に取ったのは最新の車カタログ。こういう雑誌から情報をアップデートしていくことも趣味にとっては大切なことだ。そして、何事も決めたら走り出すのが早いのは、進ノ介という人間の長所である。買うと決めたら、寄り道をせず、カウンターへ一直線。そして、すぐに支払いを済ませると、カバンの中に雑誌をしまう。

 

 あとは家に帰るだけ。そんな進ノ介がその男に気づいたのは、出口へと足を向けた時だった。

 

「……ん?」

 

 黒いニット帽を目深にかぶった人影がいた。小柄で、見たところ若く、そして何より行動が怪しい。ちらちらと周りを伺いながら雑誌コーナーのところを、行っては戻って。そして、

 

 あ! と進ノ介が止める間もなく、一瞬で棚から本を数冊奪うと、それを抱えて店のドアから飛び出してしまった。万引きである。しかもえらく大胆不敵な。

 

「っこの、待て!!」

 

 呆然とする周りの人。だが、訓練を受けた警察官である進ノ介は、迷わずその男を追いかけて走り出した。しかし、外は帰宅ラッシュの人混みで灯りも少ないという状況。走り出すのに一拍遅れたのは不利であった。だが、警察官として見逃すわけには行かない。

 

 人の間を縫うように走りながら、声を上げる。

 

「おい! 待て!!」

 

 少しずつ、だが確かに、万引き犯との距離が空いていく。そして、このままでは逃げられる、と進ノ介の内心に焦りが生まれたときだった。ふっ、とその万引き犯の速度が遅くなる。

 

「え!?」

 

 進ノ介がその謎の行動に気を取られた瞬間であった。

 

「うぉおお!!」

 

 叫び声と共に、一人の男が犯人の横合いからタックルを仕掛けたのだ。腰をしっかりと抱きかかえるように掴んだ男は犯人ともつれあいになる。

 

 進ノ介は呆然とした気を取り直し、すぐさま乱戦に飛び込む。そして、万引き犯の腕をとり、後ろ手に。そこで手錠を取り出そうとするが退勤していたため、持ち合わせていないことに気づいた。

 

 だが、カチリと響くのは金属の音。驚き、目を向けると、犯人の手首には手錠がはめられていた。それをもって犯人を拘束したのは、逮捕に協力してくれた若い男性。

 

 髪をうっすらと染めた、整った顔立ちの若者だった。年も進ノ介とそうは離れてはいない。そして、その若者は進ノ介に頭を下げながら、自身の名を名乗るのだった。

 

「ご協力感謝します! 中根警察署の甲斐享です。あとは、俺に任せてください」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第五話「この出会いは何をもたらすのか I」

 

 

 

 数分後、進ノ介と甲斐と名乗った警察官は近くの交番にいた。進ノ介が一般市民ならばともかく、警察官としては犯人を引き渡して、はい終わり、というわけにはいかない。自身が追跡した経緯や、犯行の現場について知っていることを担当者に伝えることが必要だ。

 

 ただ、そうした手続きや事情聴取の前に。二人とも捕り物の影響で服は生垣の葉やら何やらでドロドロに汚れてしまっていたので、一休み。服装を少し整えようと交番の奥のスペースを使わせてもらっていた。

 

「あー、手伝いましょうか?」

 

 甲斐刑事が進ノ介に声をかける。進ノ介も汚れを落とそうと、手で掃ったりしていたのだが、背中などには中々手が伸ばせずにいた。そんな様子を心配してくれたのだろう。

 

「あ! いえ、大丈夫ですよ。これくらいなら、自分で。それに、そっちこそ、頭に色々と葉っぱやら土やら」

 

「え? ……あ! ほんとだ。まいったな」

 

 互いのボロボロな姿を確認して、苦笑いを浮かべ合う。なぜだか、進ノ介は甲斐享という青年に対して不思議なシンパシーを感じた。

 

 警察官という人間は往々にして同属意識が強く、対立する部署でない限りは打ち解けやすいものだ。だが、初対面なのにも関わらず、甲斐享という青年へ感じるそれは、いつもと違う気がした。

 

 進ノ介が気づかないが、二人が似た者同士であったことも原因だろう。活発な表情に爽やかな雰囲気、犯人に果敢に飛び込んでいった勇敢さ。それは警察官として、あるいは人として、進ノ介に尊敬を抱かせるには十分なものであり、進ノ介自身もそう言った若さを色濃く残した警察官であるのだから。

 

 そして、互いのゴミ取り作業が終わったのを見計らって、進ノ介は協力した礼を言いたいと、手を差し伸べて自己紹介をしようとする。

 

「さっきは助かりました。俺は、」

 

 だが、名乗る前に享は快活な声で。

 

「知ってますよ、泊進ノ介さんですよね? あの仮面ライダーの。お会いできて光栄です」

 

 そう言うと笑顔を浮かべ、進ノ介の手を握る。進ノ介はその様子に少し驚き、だがすぐにその手を握り返す。

 

「ああ、知ってたんですね。……いつも名乗ると驚かれるから、逆に意外でした」

 

 警察官であっても進ノ介の存在に過剰に反応するものは多い。そんな反応に慣れた進ノ介には享の何でもないように握られた手は心地いいものだった。そして、進ノ介がそう言うと、享は少し照れたように頭を掻いて、小さく言葉を紡いでいく。

 

「いや、実は俺も肩書きとか身分で騒がれるの嫌いで。もちろん、泊さんが嫌じゃなければだけど」

 

「もちろん。あ、じゃあ、改めて。泊進ノ介です、甲斐刑事。俺は今は警視庁の……特命係ってところに所属してて」

 

「特命係? なんか、面白そうな名前ですね。あれですか? 秘密の指令を受けて、とか」

 

 享はそう言って人好きそうな笑顔を浮かべる。

 

「そういうのは全然。まあ、名前だけは大仰なんですけど、けっこう暇なところなんですよ」 

 

 まさか窓際部署などとは言えない。進ノ介は困ったように頬を掻くと、享もそれ以上は追及しては来なかった。本人もそういった経験があるのかは分からないが、人のことをあれこれと詮索する性格ではなさそうで。それも現在の上司とは違って進ノ介の機嫌をよくした。

 

 一通り服装を整えると、交番の巡査が待つ職務室へと戻る。そこでは制服姿の巡査が机に座った万引き犯に対応していた。進ノ介も享も、その犯人を見て、困ったように眉を顰める。先ほど捕らえた万引き犯。厚手のコートに目深にかぶった帽子で分からなかったが、その正体はあまりに若い青年。いや、身分証明書が正しければ高校生だった。

 

「えっと、井江忠くん、でいいのかな?」

 

 巡査に代わってもらって、進ノ介と享は椅子に座り少年へと声をかける。

 

「はい……」

 

 少年はあれほど派手に逃げ回った割には素直に質問に答え始めた。細く、しかし冷静な声だ。進ノ介は彼が机の上で組んだ手を見る。調べによれば、この忠少年は初犯である。通っている学校も都内の名門私立である慶名学園。こうした荒事の世界には縁がないはずであった。だが、警察に連行されたという状況にも関わらず、固く組まれた手は震えもせず、落ち着きをはらっているように見える。

 

「慶名学園の生徒で、今までに警察沙汰はもちろん、補導の前歴もないじゃないか。それがどうして万引きなんてしたのかな?」

 

 享が探るように尋ねる。少年はこちらに目を合わせようとしない。

 

「別に、そんなに理由なんてないですよ。ちょっとむしゃくしゃして……」

 

「そのちょっとの理由で人生を台無しにするつもりだったの?」

 

「……よくあることでしょ? 高校生の万引きなんて。けど、馬鹿でした。すみません」

 

 その物言いに違和感を覚える享は、彼が万引きした雑誌を取り出して机に置く。

 

「でも、いくらむしゃくしゃしてても、読まない本は買わないだろ? これ、ブライダル雑誌だよな? ませてるって言っても君の歳でこんなの万引きするなんて聞いたことないぞ」

 

「僕が何を盗もうと関係ないでしょ! ……言ったとおり、ストレス発散でやったんです。だから、何か欲しいものがあったわけじゃない」

 

 忠少年は享と進ノ介、特に進ノ介の目を見てそう言うと、それきりむっすりと黙ってしまう。本人が万引きを認めて、理由も述べている以上、調書は作成可能。交番の巡査に話を聞くと、初犯ということもあって、厳重注意で保護者に引き渡すつもりのようであった。

 

 もう一度、目を伏せた少年を見る。進ノ介の勘が外れていなければ……。進ノ介は享と目を合わせる。言葉はなくとも、二人とも同じような違和感を感じていた。

 

(なんだ? さっきから演技してるようにも見える)

 

 声を荒げたり、ふてくされたような態度は取っているが、その割には冷静な様子が垣間見えている。ならば、どうしてこの少年はそのような態度をとっているのか。それきり黙り込んでしまった少年の口から、その日は真実が告げられることは無かった。

 

 あくまで進ノ介も享もこの件に関しては部外者だ。担当の巡査は店側とも相談して、穏便に済ませるという決定をしているし、進ノ介にも異論はない。ただ、二人の刑事はそれぞれに釈然としないものを感じながら母親に連れられて去っていく少年を見送るのだった。

 

 

 

 その翌日の夕方。昨夜から昼頃まで降った雨跡が残る道路を進ノ介は一人歩いていた。向かうのは、昨夜進ノ介たちが補導した忠少年の自宅。

 

 表面上は穏やかに解決した事件だったが、一日中、心の内でもやもやとなにか引っかかることが感じていた。少年の不審な態度に、変な万引きの対象。杉下右京の癖ではないが、進ノ介も気になることがあるとエンジンの調子が鈍ってしまう性質だ。様子見も兼ねて彼の元を訪れようとしていた。

 

 すると、

 

「「あ」」

 

 ちょうど道路の反対側からやってきた人影と、玄関前で鉢合わせる。それは昨日出会った甲斐刑事であった。お互いに意外なところで会ったと苦笑いを浮かべて。

 

「泊さんも、もしかしなくても忠君のことですよね?」

 

「ええ。ちょっと気になるところがあって……。まさか甲斐さんに会えるとは思ってもみませんでしたけど」

 

「俺も同じですよ。……それじゃあ、一緒に行きましょうか」

 

 まさか同じ時間に鉢合わせるとは意外である。偶然にしても面白い。これも一つの縁だと、二人は共に井江家を訪問することとなった。

 

 その井江家であるが、高級住宅街に鎮座した外観からしても立派な建物である。公務員である進ノ介には夢のまた夢、そんな豪華さ。

 

 昨夜の取調の段階で調はついていたが、彼の父親は都議会議員の井江亮平氏である。元々は法務省の役人であったのだが、代々議員を務めてきた家系に従って、彼も数年前に出馬。無事に若手議員として活躍している。

 

 そんな如何にもセレブという様な家のインターホンを鳴らすと、昨夜、忠少年を引き取りにきていた母親が恐縮した様子で出迎えてくれた。中へ入ると埃一つないような玄関を通してリビングへと案内される。

 

「あの、今日は忠のためにご足労いただきまして……」

 

 そう言って頭を下げる真美夫人は大人しく、どこか儚げな様子が印象的な美人だ。昨夜も二人の前で息子のしたことを平謝りしていた。そんな彼女にどう見ても高級な紅茶を淹れられて。どこか心が落ち着かない進ノ介に対して、享は平然とした様子で丁寧に礼を言っている。

 

「こういう事件ではその後のケアも大切ですから。忠君の様子はいかがですか?」

 

 切り出したのは享だった。彼は真美夫人を安心させるように微笑みを浮かべながら尋ねる。ただ、母親は二人の刑事を見ることなく、どこか心配げに体を震わせながら答える。

 

「ええ、おかげさまで……。帰ってきたあとは反省したように部屋でじっとしていました。今日も二階のほうで大人しくしています。呼んできた方がよろしいでしょうか?」

 

「それは後で結構です。まずはご家族からも話を伺いたいと思いまして。……忠君が今回のように万引きを働いた理由に心当たりはありますか? 本人はストレスが原因だと言っていますけど、学校生活ですとか、家庭でのトラブルとか」

 

「皆目見当がつきません。あの子は今まで大人しくしていましたし、最近も変わった様子はありませんでした」

 

「じゃあ、仲のいい友達とか、そういった細かいことで気になることは?」

 

「あまり、学校生活のこととかを話す子ではありませんから……」

 

「そうですか……」

 

(まただ……)

 

 進ノ介はそうやって答える夫人の様子に、忠少年と同じ違和感を覚える。一見すると質問に答えているように見えるが、どれも当たり障りのない作った答えだ。ただ、忠少年のそれは何か目的があるように思えたが、夫人の場合は隠し事を悟られたくないという目的があるように思える。

 

 具体的には、言葉の端々から、さっさと刑事には帰ってほしいと、そういう心情が伝わってきた。

 

 進ノ介は部屋を見渡す。自分たちが腰かけているソファもそうだが、備えてあるのはどれも高級家具。大型テレビに壁には絵画に何やら高価そうな焼き物だってある。それらは光を浴びてキラキラと輝いているが、いささか綺麗すぎるようにも感じる。もちろん、それが家庭や育ちの違いと言ってしまえばそれまでなのだが。

 

「……」

 

 進ノ介がそうやって部屋を眺めている間も享は夫人へと質問を加えていくが、彼にも手ごたえは感じられないようであった。

 

 そうこうしていると、突然玄関の方向からガチャリと音がした。

 

(あれ、インターホン鳴ったかな?)

 

 進ノ介はそのことに違和感を覚えるが、夫人はドアの音を聴くとキビキビと動いて、リビングへ続く扉を開ける。

 

「お帰りなさいませ」

 

 恭しく頭を下げた先には男性と、制服姿の女の子がいた。男性のほうには二人も見覚えがある。この家の家主である井江亮平議員だ。議員と言うだけあって威厳を感じさせる態度と精悍な顔つき。一方、傍らの少女はと言えば、高校生くらいだろう。今時珍しく飾り気がなく、髪も染めていない。加えて、二人の刑事を見ると、どこか驚いたように目を見開いていた。

 

 顔立ちには夫人の面影が残っており、おそらくは娘だろうか。夫人に似て、清楚な美人である。

 

「……こちらの方は?」

 

 亮平議員は鋭い目線を二人へと向けると、夫人へと短く問いかける。

 

「あ、あの、警察の方です。あ、こちらは主人と娘の加奈子と言います」

 

「警察?」

 

 夫人はどこかオドオドと夫の質問に答える。もしかしなくても、息子の万引き事件のことは黙っていたのかもしれない。訝し気に夫人を睨み付ける様子に、進ノ介は助け舟を出すことにする。

 

「突然お伺いして申し訳ありません、井江議員。警視庁の泊進ノ介と言います。こちらは中根警察署の甲斐刑事」

 

「甲斐です。実は、昨日の息子さんの件で、その後の様子を伺いに来たんです」

 

「甲斐……? それに泊刑事と言えば、あの仮面ライダーとやらではありませんか?」

 

 亮平議員は驚いたように体を強張らせる。享の苗字に彼が反応した理由は分からなかったが、それ以外はいつも通りといえば、それだけの反応だ。いきなり部屋に仮面ライダーが尋ねてきたのだから。

 

「息子の件とは、どういうことでしょうか?」

 

「実は、申し上げにくいのですが。昨晩、忠君が書店で万引きを行いまして」

 

「何ですって?」

 

 進ノ介の説明に亮平議員は再び顔を顰める。やはり、事件のことは知らなかったようだ。一瞬、その顔が強くこわばるが、鼻を鳴らすと気を直して礼儀正しく刑事たちに頭を下げる。

 

「それは、申し訳ございませんでした。父親として改めて被害者の方には謝罪をしたいのですが。……息子の処分はどうなるのでしょうか?」

 

「初犯ということと、被害者である書店側も穏便に済ませるということですから、その場での厳重注意ということで済ませています。ただ、こういった犯罪の場合、再犯の確率も高いものですから、様子見を兼ねて」

 

「……分かりました。私からも、息子にはきつく言っておきます。……加奈子?」

 

 亮平議員は訝し気に傍らの娘を見た。進ノ介と享もつられて彼女を見る。すると、加奈子の体は小刻みに震えていて。よく見ると拳を強く握り、何かを我慢できないというように顔を真っ赤に染め上げていた。先ほどの清楚という印象とはまるで別人で、その変化に二人は心底驚かされる。そして、我慢が限度だったのか、

 

「あのバカ!!」

 

 一言を吐き捨てると、加奈子は突然部屋を飛び出し、大きく物音を立てながら階段を駆け上がっていった。虚を突かれて一瞬呆然とした享と進ノ介も、すぐにその後を追いかける。

 

 二階へ上がると、間取りを知らない二人にも彼女の行き先はすぐに分かった。なにせ、怒声と何かをぶつける音が外にまで響いてくるのだから。

 

 急いで声がする部屋へ飛び込む。恐らくは忠少年の部屋だろう。質素な部屋に勉強机とベッド。本棚には参考書と辞書が並んでいる。そんな部屋の中央で忠少年に馬乗りになり、荒々しい形相で殴りつける加奈子の姿があった。

 

「あんた!! 何考えてんの!! 警察呼ぶなんて!!!」

 

「!! !!」

 

 忠少年は顔を守るように蹲るが、反撃する様子もない。ただ、その様子は一般的な姉弟喧嘩とは違い、加奈子の様子は尋常じゃなかった。髪を振り乱しながら、殺さんばかりの勢いで拳を降り下ろし続ける。

 

「ちょっと!? 止めろって!!」

 

 忠の顔に血がにじんでいるのを見て、慌てて進ノ介と享が加奈子を引きはがすと忠を助け出す。

 

「放して!! このっ、裏切り者!!」

 

 なおも暴れる加奈子の変貌ぶりを見て、進ノ介と享は眉をひそめながら顔を見合わせるのだった。そして、見間違えでなければ、二人の刑事は確かに見たのだ、

 

 血を流しながらも不敵な笑みを浮かべる少年の姿を。二人の刑事と姉を見て爛々と目を燃やしているその様子は、姉と同じく強い印象を進ノ介に感じさせた。

 

 

 

 一方そのころ、同僚がそのような事態に巻き込まれているとはつゆ知らず、杉下右京は今日も今日とて気ままに事件現場をうろうろとしていた。最近はすっかり慣れた進ノ介の運転とは違い、ゆっくりと徒歩を楽しんで。向かった先は歌舞伎町の小さな路地裏。雨上がりの湿った狭いそこには、多くの警察官が集まっている。

 

「どうも」

 

 制服姿の警察官の間を手帳を見せながら進んでいくと、遺体の場所までたどり着く。そこには、グレーのスーツ姿の中年男性がうつぶせに倒れていた。頭からは赤黒い血液が流れ、地面へと染みこんでいる。

 

「これは杉下警部! これまたどこでお話を?」

 

 そんな右京へ声をかけるのは、鑑識作業を続けていた米沢だった。米沢はいったん作業を停止して、右京の元へと駆け寄ってくる。右京もそんな米沢の様子に顔を緩めると、

 

「少し散歩をしていたら、小耳にはさみまして。ええ、偶然ですよ」

 

「ははぁ、杉下警部の小耳はえらく遠くまで音を拾うようですな……。そういえば今日は泊さんは、どちらに?」

 

「彼は今日は何やら用があるようですよ。米沢さんにとっては残念ですが、僕一人です」

 

「仮面ライダーの謎の行動、ですか。それは興味深いですね。一体、何をしているのやら……」

 

 米沢は右京の真似をする様に考え事をしながら、ほわほわと笑う。だが、右京はそんな米沢の妄想を止めるように、「米沢さん」と一言。それを聞いて、米沢は少々咳ばらいをすると右京に遺体と資料を見せる。

 

「これは失礼しました。所持品の免許証から、被害者は河西充。肩書きは興信所の所長となっておりますが、詐欺や恐喝の前科があり。どうにも後ろ暗いことをしながら生計を立てていたようです」

 

「前歴は警察官ですか……。職務怠慢で懲戒免職。探偵は警官の再就職としては、ありがちですね」

 

「仮にも元同職がこのような目に遭うと、何とコメントしてよいのやら……。ああ、遺体ですが、死後硬直の具合から、死亡推定時刻は昨晩の深夜二時前後という所でしょうか。死因はこの通り」

 

 そう言うと、米沢は遺体の頭を少し動かして、傷を見せる。

 

「鈍器で頭を殴られたことによる脳挫傷。傷口の個数と位置から見て、正面から一発目、よろめいたところを後ろから複数回、と言ったところでしょうか。傷口は細いので、おそらくスパナのようなものが凶器と見られます」

 

「……かなり執拗に殴られたようですねえ」

 

「後頭部の打撃痕は十数か所に及びます。おかげでこの通り頭の形が変わってしまっており……。犯人の怒りが伝わってくるようですな……」

 

 私はそんな目には遭いたくないものです。等と、米沢は手を合わせながらしみじみと呟く。そんな彼の様子を気に留めず、右京は被害者の恰好などを事細かく見ていく。

 

 スーツはよれた質の悪いもの。調査業務ということだから、外回りが主な仕事だろうが、それにしても金銭状況は良くなかったのだろう。ただ、手首に巻かれた腕時計は、スーツよりもかなり高級なものに見え、使い込まれていた。もっとも、血と泥に塗れて無残なことになってはいたが。

 

 そして、最後には傷を触ったせいだろうか。握りかけのように開かれた、血に染まった指先のかすれを確認し終えて、右京は遺体から目を外す。そして顔を上げると、米沢に声をかけた。

 

「米沢さん、被害者の所持品はどちらに?」

 

「ああ、こちらです」

 

 米沢が袋に包まれた所持品を持ってくる。だが、そこに入っていたのは黒い小さな手帳と財布のみ。

 

「……携帯電話や記録媒体がありませんね。調査業の方ならば、それらは必須のものでしょうが」

 

「ええ。おっしゃる通りですが、それらはまだ見つかっておりません。この手帳も、肝心の中身はほとんどが破られていましたので、おそらく犯人によって持ち去られてしまったのでしょう。

 そのことから、一課は被害者の仕事関係でトラブルが起こったのではないか、そう考えているようです。今は事務所に立ち入って調べているそうで」

 

 そこで何かが解れば事件も進展するのだが、と米沢が呟く。右京はその手帳を手に取り、開けてみる。確かに米沢の言う通り、メモ帳の中身は乱雑に破られているようだ。

 

 そうして、見るべきものを全て確認すると、右京は感謝の言葉と共に米沢に証拠品を返す。その時、路地の向こう側から、突然大きな声が飛んできた。

 

「すーぎーしーたーうーきょーうー!!!!」

 

 それは迫力ありつつも、どこか気が抜けるような大声。その方向へ右京が顔を向けると、それは通りの遠く向こう側。まだ姿が視認できないほどの距離からだった。通りを行く人全員がぎょっと振り向くほど。よく声が通るものだと、右京は少し感心する。

 

 その声の主は、うぉおおおー、等と叫び声を上げながら近づいてきているようで。次第にその影が小粒から人の形へと変わっていく。そのくらいの距離になって、右京はようやく、それが顔を怒らせた刑事であることに気づいた。

 

 古めかしいトレンチコートに角ばった顔。実に刑事らしい刑事に見える。

 

「おや、彼は、確か一課の……」

 

「ええ、五係の追田警部ですねえ。それにしても、あのように走りながら大声を出されていると、傍から見ても大変そうであり、どう見ても近所迷惑ですが……。大丈夫でしょうか?」

 

 二人がぼんやりと、そんなことを話していると、その追田警部は数分かけて二人の近くまで来る。そして、大きく息を乱して、肩を上下させると、無理やり言葉を続ける。

 

「ぜはー! ぜはー! す、すぎしたぁー」

 

「ああ、その前にひとまずは落ち着かれたほうがよろしいかと」

 

「よ、よけいな、おせわだぁ……」

 

 言葉とは裏腹に疲労困憊が隠れていなかった。それから数分経って、ようやく息を整えると、追田は右京へびしりと指を突き付ける。

 

「杉下右京! ここで遭ったが、百年目ぇー!! おてんとうさまが許しても、この追田現八郎が許さねえぞ!! さっさとここから出ていきやがれー!! ついでに特命係も辞めやがれ!!」

 

「ああ、この事件は五係の担当だったのですか。……それでは、おっしゃる通り、僕は失礼するとしましょう」

 

「お!? おぉう!? やけにあっさりだな」

 

 自分から出ていけと言っているのに、抵抗もなく右京がうなずくと、追田はまたもオーバーリアクションでのけ反って。

 

「ええ。ここで見るべきことは見ましたので。……ああ! そういえば追田警部」

 

「俺は何も言わねえぞ!」

 

「この次に向かいたいのですが、被害者が勤める興信所はどちらにあるのでしょうか?」

 

「聞けよ?! それに事件に関わる気満々だな!?」

 

 右京が尋ねると、追田は顔を面白くゆがませながら顔を近づけてくる。さしずめ伊丹が般若だとしたら、追田はひょっとこだろうか。

 

「このヤマは俺達のだって言っているだろうが! さっさと出てけ! 関わるな!! お前がふらふらしてると、進ノ介にも迷惑かかるだろが!!」

 

「そうですか。……そういえば追田警部は泊君とはどのようなご関係なのでしょう?」

 

 こっそりと横目で米沢に尋ねると、彼は耳打ちするように、

 

「泊さんの仮面ライダー時代、特状課と刑事部との連絡役として派遣されていたのが、何を隠そう、この追田警部になります。つまり、元チーム仮面ライダーの一員」

 

 それを聞いて、右京は興味深そうに頷く。

 

「……なるほど。だから沢神博士もご存じだったのですね。ああ、現八郎だからゲンパチですか。泊君が言っていた現さんも追田警部のことなのでしょう」

 

「んなぁ!? やい杉下! お前に現さん呼ばわりを許した覚えねえぞ!?」

 

「まあまあ、そうおっしゃらずに。いずれは分かることですし、被害者の住所や事務所のこと、教えていただくわけにはいきませんか?」

 

「ほんと、しつこいな!? さっさとあっち行け! しっしっ!!」

 

 最後にはハエでも払うように嫌な顔。そこへ助け舟を出したのは米沢だった。追田の耳元に顔を寄せると、ひそひそ話を始める。

 

「あのぉ、追田警部……」

 

「なんでえ、米沢」

 

「杉下警部のことを疎ましく思われるのはごもっともだと思いますが。誰あろう泊さんも、今は特命係です」

 

「だから何だってんだ」

 

「杉下警部が事件を解決すれば、巡り巡って泊さんの手柄にも……」

 

 こそこそと話す米沢。そして、その言葉に道理が通ると思ったのだろう。追田は目を見開いて、ぴかん、とひらめいたような反応を示す。追田とて進ノ介がいつまでも特命係に甘んじるのを許しているわけではない。彼が手柄を立てて捜査一課にやってくることを願っていた。

 

 追田は迷うように、右京を見て、俯いて、右京を見て、俯いてと繰り返し……。

 

「くぅー! 今回だけだ! 今回だけ許してやる!! さっさとついて来やがれ!!」

 

 そう怒鳴って踵を返していく。

 

「おやおや。……米沢さんには感謝しなくてはいけませんね」

 

「いえいえ、これくらいは。それでは、また何かわかりましたらご連絡します」

 

 最後に右京は米沢に礼を言って。そして、追田と二人、被害者の事務所へと向かうのだった。




ということで、本来の歴史での三代目相棒、そして歴史が変わってしまったために本作では杉下右京との縁が紡がれなかったカイトこと甲斐享の登場です。

この物語でも最重要のキャラの一人。私としても彼と進ノ介の物語は丁寧に描きたく、それゆえに今までにないほどお待たせしてしまい、皆様には申し訳なく思っております。

彼が「相棒」の物語でたどった運命は大きな衝撃と共に皆様もすでに知っておられるかもしれません。進ノ介と出会ったことで、右京と出会わなかったことで、彼の運命が好転するのか、あるいは暗転するのか。

私も当時、大きな悲しみと共に結末を見届けた者として、本作での甲斐享の物語も責任を持って書きあげていきたいと思います。

それでは第二パートも近日中にお届けいたしますので、お待ちください。


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第五話「この出会いは何をもたらすのか II」

ここまでの状況のまとめ

井江忠
名門高校に通う高校生。進ノ介の目の前で万引きを働き、享と進ノ介によって補導された。何やら隠された目的を持っているようで……。

井江加奈子
忠の姉。忠の万引きを知るや否や豹変した。

井江亮平
井江姉弟の父。都議会議員。

井江真美
井江家の母。大人しく、儚げな印象。

河西充
興信所職員。歌舞伎町で撲殺体で発見された。右京が捜査を行っている。


 東京は警察庁、その上層にある長官官房室長執務室。そこでは二人の男が向かい合い、茶を楽しんでいた。ソファに深く腰掛け、温かい湯気が立つ湯呑にそっと手を添えて。

 

 片や官房室の長である小野田公顕、片や警視庁刑事部長の甲斐峯秋。

 

「おや、このお茶……。結構なお手前ですね」

 

「そう言っていただけると、嬉しいものです。実は、私は茶を点てるのも好きなのですが、なかなか人に披露する機会がないもので」

 

「ああ、わかりますよ。私もね、店屋物だったり、回転寿司なんかにも興味があるんです。知っています? あれね、皿を戻したらいけないの。けどね、こちらから誘うとみんな遠慮しちゃって。昔も今も、誘ってくれたのは一人だけ」 

 

「ほう……。あなたほどの人を回転寿司に誘おうとは……。ははっ、豪胆な人もいるものですね」

 

「けれど、その知人も誘ってくれなくなっちゃって。ちょっと残念。まあ、人間あまり偉くなるものじゃないですね」

 

 そうして、二人して朗らかに笑いながら、世間話に花を咲かせる。

 

 この国の警察組織を動かす上級官僚である二人。だが、その間には対抗心や火花の類は無く、終始穏やかな調子で会談が行われていた。

 

「それで、どうですか? 特命係の様子は」

 

 小野田がまた一口、茶でのどを潤すと世間話を打ち切って、甲斐へ穏やかに問いかけた。その問いに甲斐は面白いものを話すようにゆっくりと答え始める。

 

「そうですねぇ……。まあ、あなたに言わせればいつも通りと言ったところでしょうか。気ままに事件現場に現れては、見事な手腕で事件解決へと導いていますよ。もちろん、あの泊君も一緒に。

 着任当初は噂話程度に思っていましたが……。特命係、実に面白いですね。特にあの杉下、右京は」

 

「でしょ? ただ、杉下って奴は少しでも気を許すと無軌道に飛び回る、とびきりのじゃじゃ馬ですから。うっかり踏まれちゃわないように気をつけて下さいね。しっかり手綱を握っておかないと」

 

「ええ、肝に銘じておくとしましょう。ですが、小野田官房長ほどのお人が、それほど気をかける人材。私などに扱いきれるかどうか……」

 

 甲斐が頬を緩めながら言うと、小野田はゆっくりと手を横に振って、

 

「そう持ち上げないでくださいよ。二年後には甲斐さんは僕の上司なんだから。その時はどうぞ顎で使っちゃってください」

 

「……その人事を決めたのが官房長でなければ、素直に従いたいものですがね。変わらず、上に立つ気は無いのですか?」

 

 神輿は軽いに限る。その小野田の信条を甲斐も理解している。だが、長官とまではいかなくとも、その下の次長職くらいには進んでもいいのではないか。その問いかけに対して、小野田は、そうですね、と一言置いて。

 

「僕はこの位置が性にあっているようですから。それに、最近は失敗もしちゃったし」

 

 その残念そうな言葉とは違い、小野田の様子は変わらず飄々としたものであった。

 

「あの件は何も官房長だけの責任ではないと思いますが……。まあ、私も無理にとは言いませんよ」

 

「物事には時期があるもの。今回はらしくなく急ぎすぎたと言ったところでしょう。そういえば、その件に関わっちゃった泊君。杉下とはどうなんですか?」

 

 甲斐は問いかけた小野田の目に、先ほどとは違う色が浮かんだような気がした。泊進ノ介の人事に関しては、この小野田が直接的に働きかけたこと以外、詳細は知らされていない。だが、やはり泊進ノ介という男、あるいは仮面ライダーという存在には関心があるのだろう。

 

「杉下君との関係は分かりませんね。私も彼らの部屋を逐一見て回るほど暇ではありませんから。ただ、共に事件へ向かっているようですから、上手くはやっているのでしょう。

 彼個人を見ると、……これは私の感想ですが、今時珍しいほどに実直な若者という印象ですね。特命係の悪い影響を受けなければいいのですが……」

 

 甲斐は少しばかり個人的感情を交えて答える。そうすることで小野田の反応から、少しでも考えを読み取ろうとしたものだったが、それでも小野田は毛ほども感情を見せない。

 

 ただ、それでもよい、と甲斐は内心で納得する。話す気がないのなら、時期が悪い、そういうことなのだろう。

 

 甲斐も小野田の志には同調している一人だ。敵対する気もなく、彼が話す気がないのなら、仮面ライダーの特命送り等と言う黒い事柄を無理に追求する気はない。

 

「あら、けっこう買っているんだ。彼のこと」

 

「ええ。少なくとも、あれだけのことを成し遂げた人材ですからね。将来有望、品性良好に気骨もある。私の息子に煎じて飲ませたいくらいですよ」

 

「甲斐さんの息子っていうと、ご長男はずいぶんとご立派だと聞きますが?」

 

「下の方ですよ、問題は。……昔から私に反発ばかりしていたのに、何を思ったのか警察官になりまして。それ以来、碌に連絡も寄越しません」

 

 そう甲斐が愚痴をこぼすと、小野田は面白そうに頬を少しばかりほころばせる。

 

「良いじゃないですか。もしかしたら、後を継いでくれるかもしれない。私のところの孫も、警察は嫌だ、なんてずっと言っていたから、じいじとしては悲しいものでしたよ。けどね、最近になって心変わりしてくれて。刑事になりたいって。

 あれ、そういえば、そう言ってくれるようになったのも仮面ライダーの彼が出てきたあとだから、影響を受けたのかしら? だとしたら、僕も彼に感謝しないといけないのかな?」

 

「お互い、家族に関しては苦労するものですな。うちのも今頃何をしているのやら……」

 

 一見すると好々爺同士の会話。ただ、その二人も、件の甲斐刑事部長の息子と仮面ライダーが共に事件を追っているとは予想できていなかった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第五話「この出会いは何をもたらすのか II」

 

 

 

 夜も更けた街の中、井江家を後にした進ノ介と享はとある駅前のラーメン屋で食卓を共にしていた。店主のおすすめと言うチャーシューメンを啜り、勧めに違わない味を楽しみながらも、頭の中に残るのは先ほどの家での一幕。

 

『裏切り者!』

 

 そう叫んで弟を殴りつけていた少女の姿がちらついて離れない。その怒りに満ちた、あるいは焦燥に彩られた形相たるや、本当に弟を殴り殺さんばかりであった。そして、そのような事態になっても姉に反撃せず、殴られるままでいた忠少年。それだけでも家庭でよくある出来事で片づけるわけにはいかない。

 

 そして、進ノ介がさらに気になるのは、その後の出来事。

 

 殴りつける加奈子を享と進ノ介が押さえて弟から引き離した後。なおも加奈子は弟へと向かっていこうと抵抗を続けていた。未成年に対してそんなことはしたくなかったが、必要ならば手錠をかけることも考えた二人。だが、加奈子を落ち着かせたのは彼らではなかった。

 

『加奈子! 何をやっているんだ!?』

 

 進ノ介たちの後を追いかけてきたのだろう、父親である亮平議員が加奈子へと叱責の声を上げた。その時の変化は劇的だった。加奈子の腕を抑えていた進ノ介が感じたのは、強い筋肉のこわばり。そして、それに続いて腕が小刻みに震え出したのだ。

 

『ご、ごめんなさい! 私、……忠があんまり恥知らずなことするのだから』

 

 どもりながら、先ほどの恐慌とは別人のようにおとなしくなった加奈子。それきり加奈子は抵抗を止めて、二人や忠へと謝罪をしていた。そして、その間、忠少年は表情を消したまま俯いていたのである。

 

 回想から現実に立ち戻ると、進ノ介は乱暴にチャーシューをほおばり、喉へ通す。そして、小さくぼやいた。

 

「家庭の事情、ね」

 

 この家族には何かあるのではないか、そう疑問に思い始めた進ノ介と、表情から同じことを考えていたであろう享の追求を止めたのは亮平議員だった。

 

『息子を心配してくださったことには感謝いたします。ですが、甲斐刑事は刑事課ですし、泊刑事も、その特命係がどのような部署かは分かりかねますが、少年事件の担当ではないでしょう? あなた方の職務外だ。あとは家庭の事情ですから、今日はお引き取りを。

 ああ、これ以上はお気遣い不要ですので、今後も我が家のことは放っておいていただきたい。あなた方も警察官だ、面倒は起こしたくないでしょう?』

 

 彼は元々法務省出身であり、今は議員と言う職だ。警察方面にも多数コネはあるだろうし、そういうことなのだろう。

 

 確かに『家庭の事情』だ。ただの少年の非行に、ただの姉弟喧嘩、家庭でよくあることと言ってしまえば、それで終わりである。警察も児童相談所も、法改正が進み、家庭問題への公権力の介入もし易くはなっている。だが、その言葉を前にすると追求しづらいのが現状だ。

 

 進ノ介と享自身、亮平議員が言った通り、事件性がない中では一端出直すしかない。ただ、あの状況を見て、何かを思わない警察官では泊進ノ介は無かった。そして、そんな警察官がもう一人。

 

「俺は納得できていませんよ……」

 

 その声に横を向くと享が強く箸を握りながら、鋭い視線を前に向けていた。まだ、事件は終わっていないと。いや、何も明かされていないと訴えるその目に、進ノ介は頷く。

 

「俺もです……。忠君は何の理由もなしに万引きしたわけじゃない……」

 

 進ノ介の脳裏に忠少年の行動が呼び起こされる。

 

「あの子は理由があって雑誌を盗んだんです。きっとそれは」

 

「人目がつく場所だったから」

 

 進ノ介のつぶやきに享も同意する。一見すると忠少年は自身に関係がない雑誌を盗み取ったように見える。だが、あの雑誌コーナーというものは立ち読み客も多く、レジにも近い。常に人目にさらされる場所だ。

 

「あの子は態と見つかるように万引きしたんですよ。だから、盗む雑誌の種類は関係がなかった。それに逃げているときも、最後にスピードを緩めた。捕まるために。それに……これ、俺の勝手な想像かもしれないですけど」

 

「もしかしなくても、ですよね……」

 

 享の言葉に、頭を掻きながら進ノ介はため息を吐く。

 

「俺が、仮面ライダーが入った書店だったから、そこで事件を起こした……、んだろうなあ」

 

 まだ可能性の話ではあるが。たまたま万引きに入った店に仮面ライダーがいて、その彼に逮捕されることはそうそうない。しかも、万引きをわざと起こしたのなら、進ノ介という名前と顔が知られた警察官がそこにいたことを偶然と片づけるべきではないのだろう。

 

 あるいは最初から何かの軽犯罪で警察沙汰になるつもりだったかもしれない。だが、泊進ノ介を見つけたから、その場所を選んだという方が自然だ。

 

「問題は、『なんで万引きしてまで警察の注目を集めたのか』ですね。何か訴えたいことがあるのなら、俺に直接言うなり、補導された後に訴え出てもいいはず。けど、あの子は思わせぶりな態度は取っても、何かをいうわけじゃなかった……。

 あの子は何を望んでいるんだ……」

 

 あの姉の態度か、どこか歪な家庭の秘密か。それとも、あの子の背後にはまだ明かされていない深刻な事情が隠れているのか。今の段階で警察の出番が必要な事態は見えてこない。ただ、そうごちる進ノ介に享は静かに語りかける。

 

「俺は少し気持ちが分かるかもしれないな……。何かを調べてもらいたいなら、俺だって仮面ライダーに頼りますよ。

 泊さんはあんまりいい気がしないかもしれないけど、世間一般だとあなたは英雄です。警察上層部に潜んだ敵の妨害も何のその。目の前の人は見捨てない警察官の鏡。それが世間の人が信じる仮面ライダーですから。

 そう呼ばれるのは泊さんには重荷かもしれないけれど、あの子はそんな泊さんに何か気づいてほしかったんじゃないのかな……」

 

 享はそう言うと、どこか遠くを見つめるように肩をすくめた。

 

「ま、実際には泊さんと関係のない一刑事も付いてきちゃったわけだけど」

 

「そんなこと……。俺は心強いですよ! 忠君のサインに気づいた人が一人じゃなかったんだから」 

 

 彼の存在に安心感を覚えていた進ノ介は笑顔と共に、享のぶっきらぼうな自嘲を否定する。あるいは旧特状課の仲間であったり、認めにくいことではあるが今はたった一人の同僚であったり。これまでも進ノ介は誰かと共に捜査を行ってきた。そして、信頼できる誰かが同じ方向を向いてくれるということは思うよりも多くの力をくれる。

 

 あるいは、享が共に来てくれなければ、あの家の事情をさらに調べようとは進ノ介にも思えなかったかもしれない。甲斐享という警察官と出会い、同じ事件に立ち向かえているのは一つの偶然とは言えないほど、運命的なものを感じていた。

 

「ありがとうございます甲斐刑事。俺と一緒に捜査してくれて」

 

 進ノ介はそう言って享へと手を差し伸べる。享はと言えば、その手を見つめて、少し照れたようにしながらもしっかりと握る。そして、

 

「あー、もし良ければだけどさ、俺のことカイトって呼んでくれないかな? 親しい友人や仲間はそう呼んでくれるんだ。今回の事件だけかもしれないけれど、一応はチームだし。堅苦しいことなしでさ」

 

「だって階級も年齢も甲斐さんの方が上じゃないですか……」

 

「ちょっとくらいだろ? そのくらいは仮面ライダーの功績があればお釣りがくるって」

 

 享はそう言ってニヒルに笑みを浮かべて手をふるった。なんだか同級生や単なる友人のようで。そんな彼の言葉に進ノ介は苦笑いと共に肩をすくめる。少し気を吐くと、なんだか先ほどのように敬語で話すことが馬鹿らしくなってきて。そうするのが自然であったように気軽に話すことができた。

 

「じゃあ、カイト。この後どう進める? 俺としては姉の加奈子ちゃんのことが気になっているから、あの子のことを調べてみようと思うんだけど」

 

「そうだな……。俺はあの家庭のことを調べるか。近所や仕事先での評判とかを調べていけば、何かわかるかもしれないし」

 

 まだ事件の全体像も分かっていない件だ。あらゆることを調べなければいけない。

 

「こうなってくると人手が欲しくなるな……。カイトのとこは協力してくれそうな人はいないのか?」

 

「うちは新しく来た署長が厳しいし、すげえ煩いから……。事件が明らかじゃない現状で応援は難しいだろうな。今日も有給使ってこっちに来たし。そっちこそ、その特命係だっけ? 誰かいないの?」

 

 その質問が飛び出した瞬間、進ノ介の内心で冷や汗が噴き出し、それが表に出ないように我慢する。まさか、名前だけ大仰な窓際部署だというわけにはいかないし、二人しか人員がいないというのも言いづらい。

 

「あー、そ、そうだな……。一応、その一人頼れる人は知っているんだけど……」

 

「どうした? なんか顔色悪いけど」

 

「何でもない! まあ、名目上の上司なんだけどさ。頭とか記憶力が良い代わりに、デリカシーがない、所かまわず喧嘩を吹っ掛けるって人間性が最低の人で」

 

 一度口をつくと、出るは出るは杉下右京に関する愚痴と不平。久しぶりに聞いてくれる人が現れて、進ノ介の口も動いてしまう。それらをつらつらと挙げていくと、カイトもその惨状に顔を引き攣らせて。

 

「マジかよ……。よく付き合ってられるな」

 

「ほんとだよ。一応、さっきから連絡してるけど、音沙汰ないしさ……。ああ、もう! 要らないときは近くにいるくせに、どこで何やってんだ、杉下右京!!」

 

 

 

「なんでしょうねえ、どこかで僕を呼ぶ声が聞こえた気がしたのですが……」

 

 その頃、撲殺事件を追っていた右京はと言えば、追田警部と共に被害者の事務所を訪れていた。古めかしい雑居ビルの今にも崩れそうな階段を上ると、そこでは刑事たちがすでに家探しを行っている。

 

 そして右京が部屋に入ると、そこには意外な人物がいた。

 

「これは大木刑事に小松刑事、どうしてこちらに?」

 

「杉下警部! それはこちらの台詞ですよ」

 

 特命係の隣の組対五課、角田課長の部下である髭面の大木刑事と長身の小松刑事の二人が、被害者の事務机と思われるものを隅々まで探していたのである。

 

「お二人がいらっしゃるということは、亡くなった河西さんは暴力団との関わりがあったということでしょうか」

 

「まあ、そんなところです。新興の秀英組って連中でしてね。まだ小規模ですが、薬の売買を中心に勢力を拡大しています。しかも、その販路の広げ方がね」

 

「というと?」

 

「マルチ商法じみていると言いますか、まずは河西みたいな人間に有力者の周囲を探らせるんです。それで、そいつに裏ネタを仕入れさせ、そいつを使ってゆすりをかけ、売人に仕立て上げる。そうすりゃ、新しい販路が手に入ると、そういうわけです。芋づる式にターゲットが大物になっていきますし、その手で政財界にも入り込んでいるようでして」

 

「この間も、ほら、厚労省役人の妻が麻薬売買でパクられたじゃないですか? あれの出所も秀英組って話です。ただ、相手している連中がそんなセレブやら役人やらなんで、口も固いですし、ウチとしても突破口を探していたんですよ」

 

 大木に続いて小松が説明を終えると、彼らは悩まし気に頭をふるった。

 

「なるほど、秀英組の子飼いである河西の事務所なら、それら取引に繋がる証拠が見つかる。そう、皆さんは考えたのですね?」

 

「ただ、今のところ収穫はゼロですが。そんなわけで、ご協力いただけると助かります」

 

 そうして小松も大木も作業に戻っていく。そして、右京は何をするのかと言えば、ぼんやりと彼らの奮闘を尻目に部屋を眺めまわすだけだった。その様子に文句をつけたくなるのは追田である。右京の要望通りに連れてきたのに、何もせず置物と化しているのなら我慢ならない。

 

「こらっ! 何サボっているんだ、杉下!!」

 

 肩を怒らせながら、そう怒鳴りつけるが、右京はかすかに微笑みながら首を少し動かしたのみ。まるでふわふわと動く雲でも相手にしているようだった。

 

 だが、このままサボるつもりか、と思えば、今度は右京はおもむろに歩き始めると部屋の家具やら何やらを見つめていく。ぐるぐるぐるぐる。部屋を一週、二週と見渡す。

 

 そして、彼の足は壁にはめ込まれている額縁の前で止まった。額縁の中では安っぽい絵がやるきなさそうにはまっている。一見すると下手なインテリアにしか思えないソレを前にして、

 

「追田警部!」

 

 突然、水を得たように右京が大声を出す。

 

「な、なんでえ!?」

 

 仰天したのは追田の方だ。まったく心臓に悪いことこの上ない。だが、そんなことを意に介さず、右京は追田を絵の近くまで来るように誘う。

 

「何処かに、仕掛けがあるはずです。恐らく、差し込み口か何かだと思われますから、それを探してください」

 

「お、おう?」

 

「何をぼさっとしているのですか? 時間がもったいないのですから、早く動いてください!」

 

 どの口が、と、叱るような口調に追田の怒りが爆発しそうになるが、ひとまずそれを置いて右京の言う通りにする。怒鳴りつけ、追い出すのは右京の予想が外れているのを確認してからでもよかった。

 

 だが、

 

「あ!?」

 

「見つかりましたか!」

 

 右京が追田を押しのけて確認すると、確かにそこには縁と壁の間に、他とは違い、何かを差し込めそうな隙間があった。急いで近くの刑事に細い金属製の定規を借りると、右京はそれを奥まで差し入れる。

 

 カチリ

 

 そんな手ごたえと共に額縁がドアのように開いていった。その奥から出てきたのは、ダイアル式の金庫で。

 

「……どうして分かった!?」

 

「河西は日ごろあまり掃除をしないようです。そこかしこにゴミがたまり、埃も掃われないまま。ですが、ここだけ! 周りの家具と比べて、額縁につもった埃が少ない! おそらく、頻繁に使用していたのだろうと思いまして。

 あ! 金庫の暗証番号ですが、この絵の隅に書かれたコレだと思いますよ? 小さい文字ですが、これだけは上からペンで書きこまれていますから」

 

 そう面白そうに言う右京に、追田は疲れたように大きくため息を吐くのだった。いったい何なんだ、こいつは、と。まるで刑事らしくなく、どちらかと言えば育ちすぎた子どものようだ。

 

 だが、そんな右京が指摘した通り、すぐに金庫が開けられた。中から出てきたのは河西の事務所経理や貴金属、ナイフ等、その中には組対が探していた秀英組とのつながりを示す資料も含まれている。しかし、殺しの動機につながりそうな、河西自身の調査記録は残されていなかった。

 

「あくまで河西は連中の下請けですからねえ。用が済んだものは上に提出してんでしょう」

 

 そう大木刑事は資料が得られたことで上機嫌に呟き、追田は無駄足か、と肩を落とす。だが、右京が気になったのは、金庫の一番奥にぽつりと残された写真。日付を確認すると、撮影からそれほど時間はたっていない。

 

「これはどなたでしょうね?」

 

「うん? えらくべっぴんさんだな……。学生か? ……なんか事件に関係あるのか」

 

「それはまだわかりませんが。……気になりますねえ」

 

 その写真の中央には、繁華街の街角だろうか、そこに佇む制服姿の女学生と、その少女に親し気に話しかける派手な姿の青年の姿があった。

 

 

 

 翌日になると、カイトと進ノ介は本格的に井江家に関する情報収集を始めることにした。進ノ介が向かったのは加奈子が通う桜花女学院という女子高。仰々しい名前にたがわず、名家の子女が通うという女子高だ。午前中に井江家の犯罪歴の有無や詳細な書類上の家庭環境を調べた後。放課後で人が少ない時刻を選んできたが、流石に部活動やら何やらで学生が残っていた。

 

 そんなところへ進ノ介が向かうとどうなるか。たちまち進ノ介は少女たちの歓喜の声に包まれることとなる。世界の英雄であるイケメン警察官とくれば、このくらいの歳の子たちが放っておくことは無い。さらにいえば、そこで働く、マダムという雰囲気の教員たちも。

 

「あらー、よくいらっしゃいました!! ささ、何でも聞きたいことをおっしゃってくださいませ!!」

 

「は、はあ……」

 

 事情を聞こうと向かった応接室。何故か向かいではなく隣に座ってくる担任教師の強い香水のにおいと手つきに身の危険を覚えながら、進ノ介は加奈子のことを聞いていくのだった。

 

 小一時間ほどの事情聴取だったが、果たして事情を根掘り葉掘り聞かれたのはどちらだったのか。進ノ介が退出したときには、その顔に疲労が色濃く浮き上がっていた。もっとも、その長くつらい時間を耐えたおかげで授業中の態度や、部活動のこと、友人関係などのいくつかの興味深い事実を知ることができた。

 

 ただ、そうして疲れ果てた進ノ介を待ち受けていたのは、ぎらぎらと欲望に目を光らせた女学生たちの山だったのだが。

 

 一方のカイトはと言えば、井江家の邸宅の周辺で聞き込みを続けていた。彼も家柄から、官僚や議員と言う連中の面倒さをよく知っているので、あの亮平議員の耳に入らないようにさりげなく。ただ、彼の家庭環境について詳細を知っている者は少ないようだ。

 

「それがねえ、ちょっと変なことがあるのよ……」

 

「変なこと?」

 

 カイトへと耳打ちするように話しかける中年女性はここあたりの地域に顔が聞くと自認しているという。いわゆる井戸端会議の顔役だった。その彼女曰く、

 

「あたし、見たのよ。井江さんの家を伺っている、なんかね、ガラの悪い男!」

 

「ガラの悪い男? ちなみにどんな格好でしたか?」

 

「暗くて良くは見えなかったんだけど、金髪に、なんていうの? 皮のジャケットを羽織っていたわ。他にもなんだか、最近は見かけない人がうろついているのよ」

 

「それは何時くらいからですか?」

 

「そうねえ、ここ一ヵ月ほど。……刑事さん、ほんとにここあたりの防犯調査なのよね? あのご主人、いろいろと細かいところあるから。あたしがそういうこと言ったってばれないようにしてね。議員さんってみんなああなのかしら……」

 

「ええ、それはもちろん」

 

 カイトが笑みを浮かべて頷くと、女性は安心したようにほっと胸を撫で下ろす。誰かに話したかったのだろう。さらに饒舌に近所の情報について口を開いた。

 

「他にも、井江さんの家の近くなんだけどね。近藤さんの家で番犬のワンちゃんが亡くなっちゃったり、なんでしょうねえ。なんだか嫌な予感がしてるのよぉ」

 

 それらに加えてゴミ出しをしない人がいるだの、あの家が浮気をしているだの。果たして事件に関係があるのかもわからない情報が次から次へ。カイトもまた、ご近所のマダムの間で引っ張りだことなってしまった。

 

 そうして互いにヘロヘロとなった即席コンビの進ノ介とカイトは夜になると「花の里」に集合していた。この店には先日訪問して以来、度々夕食を食べに来ている進ノ介。今日は、もしかしたら右京も来ているのではと少し期待して向かったのだが、そうでは無いようだ。

 

 まだ時間帯も早いのか、あるいはそれがいつもなのか、人がいない店内へ入ると、幸子が笑顔で迎え入れてくれる。

 

「あら、泊さん、いらっしゃいませ。そちらはご友人ですか?」

 

「ええ。カイト、こちらは女将の幸子さん」

 

「初めまして、甲斐享って言います」

 

「『かいとおる』さんだから、カイトさん……ですか。ふふ、呼びやすいお名前ですね。なんだか初めましてなのに、私もその呼び方、昔から知ってたみたいなんです。不思議ですね」

 

 幸子はそう言って穏やかに笑うと二人をカウンター席へと導いた。幸子の言葉はいわゆる営業トークかとも思えたが、実際にはそうでは無いようで。すぐにカイトと幸子は長年の知り合いのように会話を弾ませていく。不思議なこともあるものだ。

 

 幸子から振る舞われた食事をひとしきり済ませると、二人は情報の共有を始める。進ノ介は手帳を取り出すと、カイトへと見せながら説明を始める。

 

「じゃあ、俺からだな。こちらは忠君と加奈子ちゃんの学校を中心に調べてみたんだけど。思った通り、変なことが多いんだ」

 

「って言うと?」

 

「まず、二人とも携帯電話を持っていない。送り迎えは父親の秘書が必ず車で。当然、部活にも所属していないし、放課後は誰とも遊ぶこともなく、家にいるらしい。クラスメイトの話では、そんな生活をしているもんだから仲がいい友人もいないみたいだ。正直言って、二人とも学校では孤立してる」

 

 おいおい、とカイトは眼を開いて苦言を呈する。

 

「今時、どこの家でも子供は携帯電話持ってるだろう? あの家、経済的に困窮しているわけじゃないんだ。それに、そこまで父親が干渉してくるなんて少し異常じゃないか……」

 

 進ノ介もその言葉に頷く。それだけでも彼らの家庭環境を怪しむには十分な判断材料である。そして、そんな閉塞的な彼らの生活に変化が現れていた。

 

「一ヵ月くらい前、あまり大事にはなっていないんだけど、加奈子ちゃんは無断で学校から抜け出したんだ。授業をサボって、柵を乗り出して。本人は気分転換したかった、みたいに語っているけれど、何をしていたかは不明。

 で、ここからが変な話なんだが、その日以来、体育館裏で怪しい行動している加奈子ちゃんが目撃されている」

 

 進ノ介もその話を聞いて、すぐにその場所へ行ってみた。すると、その場所には学校と外部を隔てる壁に、隙間が空いていて。簡単な手紙やら物の受け渡しはできるだろう。往年の時代には、秘密の恋人同士が密談するためにも用いられたという曰く付きの場所だった。

 

「なんだそれ、ロミオとジュリエットかよ……」

 

「そういうロマンチックな話なら良いんだけどな。あの子の昨日の態度を考えると、嫌な予感がする」

 

「そうだな……。俺の方も、それに関連してると思うんだけど……」

 

 次いでカイトも進ノ介へと自身の捜査結果を話し始める。ちょうど加奈子が学校を抜けだしたという一件の後、目撃され始めた不審者や、飼い犬の死。カイトの調査でも井江家の特異な実態が分かってくる。ほとんど夫人も子供たちも外出する姿が目撃されず、外部への応対はもっぱら井江議員が行っていると。

 

 近所の人がたまに訪れても、すぐに話を聞きつけて、議員が言外に不干渉を訴えてくるのだという。

 

「父親に何から何まで支配された環境に、その家を探る人間と、なにか企んでいる娘。ついでに騒がれると厄介な飼い犬の死って、これ……」

 

 進ノ介とカイトの顔が曇っていく。  

 

 あくまで仮説の段階であるが。それに加えて警察が家に来ることをあれほど嫌がっていた加奈子の態度を考えると、二人の想像は中らずと遠からずと言ったところではないだろうか。

 

「ああ。これなら、忠君があんな回りくどいことしてきた理由にも説明がつくな。まだ事件が起きてないのに、姉を警察に密告するなんて、姉弟仲がよかったらためらうはずだ」

 

 二人が家を訪れたときに、不敵に笑っていた忠少年を思い出す。あれは、目的が達成されたことへの安堵か、あるいは自身の裏切り行為への自嘲か。いずれにせよ、後は様子を見て、その件に対応すればいいのだが。

 

「進ノ介。俺、一つだけ疑問があるんだけど」

 

「うん?」

 

「いや、そんな環境だと家を抜けだすのも一苦労だろ? 進ノ介と出会ったのは偶然だったせよ、なんであの日、忠君は家を出ることができたんだ?

 それに、加奈子ちゃんも、そんな環境で共犯者をどうやって探すことができたんだろう? たぶん、ネットの利用も厳しく制限されているはずだし」

 

 そういえば、と進ノ介も思い返す。父親が過剰に家を支配してるような、そんな環境なら家を抜けだすのだって一苦労だろう。亮平議員は前日に起こった息子の万引きの件も知らなかったようであるし、何か、彼にも手が離せない要件があったのだろうか。

 

 二人が何か見落としていることがあるのでは、と頭を悩ませている、その時だった。

 

「そのお話、僕も興味がありますねえ」

 

「うお!?」

 

「……誰?」

 

 がらりと花の里の扉が開かれて面白そうに興奮した声。進ノ介にとっては聞き覚えがある、しかしてカイトには初対面の変人、杉下右京が現れた。その突然の出現に進ノ介は思わずのけ反り、カイトは珍妙な顔で右京の顔を凝視する。

 

「ああ、驚かせてしまったようで。どうにも泊君が友人と水入らずのようでしたから、お暇しようと思っていたのですが、どうにもお二人の話が気になってしまいまして」

 

「……それで店の前で立ち聞きしていたんですか」

 

 二人が話し始めて都合二十分ばかり。

 

「マジかよ……。なあ、進ノ介。この人が、」

 

「ああ、杉下警部だ」

 

 若者二人の控えめに言っても「ドン引き」と言う顔を前にしても右京は何処か曖昧な笑みを浮かべたまま。そして、右京は二人へと話を切り出すのだった。

 

「実は、僕も耳寄りな情報があるのですが、如何でしょう?」




話は聞かせてもらった! by 杉下右京

……次回が今話の最終パートです。


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第五話「この出会いは何をもたらすのか III」

ここまでの状況のまとめ

井江忠
名門高校に通う高校生。進ノ介の目の前で万引きを働き、享と進ノ介によって補導された。何やら隠された目的を持っているようで……。

井江加奈子
忠の姉。不審な行動を取り、何事かを企んでいるようだ。

井江亮平
井江姉弟の父。都議会議員。家族に対して高圧的な態度を示している。

井江真美
井江家の母。大人しく、儚げな印象。

河西充
興信所職員。歌舞伎町で撲殺体で発見された。暴力団へと協力し、有力者の脅しのネタを探す役割についていた。


 深夜の住宅街。虫も鳴き止む冷えた空間。高所得者層が多く生活を営むこの地域で、このような時間まで灯りをつけている者は少ない。人はおろか、鳥も迷い猫も注意を向けないその場所で、こっそりと動く集団がいた。

 

 背格好から分かるのは男性と言うくらいだろう。そのどれもががっしりとした体つきで、運動やらで鍛えているのが見て取れる。ただ、それだけでなく、集団の不審者としての存在を高めているのは、首元から頭までをすっぽりと覆い隠した覆面。誰かが不意に通りがかったりしたならば、すぐさまに警察へと連絡が飛ぶことになるだろう。

 

 彼らは足を忍ばせながらも決して迷うことは無く一つの民家へと歩いていく。それは蟻の行進のように、定められた目的地へと整然と進む様。

 

 彼らの目的について誤解なく言うならば、強盗であり、もっと言えば押し入りである。いくつかの条件はあったが、この権力者の家にて金品を全て持ちされというのが、彼らの上役からの指示。

 

 玄関前にたどり着くと、彼らは目くばせをする。定められている通りならば、戸や鍵は開けてあり、防犯システムも切られている。内部からそう手引きされている筈であった。かつて江戸の御代では、もっぱら鍵師のようなものがいたり、引き込み役がいたというが、その手口の有益性は数百年が経った現代であっても変わらない。

 

 計五人の男たちのリーダーは、背後で凶器を構えた部下たちを一度見て、そっとドアノブに手をかけて力任せに引く。しかし、

 

「なんだ、開かないぞ……!」

 

 ドアは頑として動こうとしなかった。そして、

 

「かぁくほぉー!!!」

 

 夜空につんざく野太い声。背後から押し寄せてくる大勢の警察官たちによって全員が御用となるのであった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第五話「この出会いは何をもたらすのか III」

 

 

 

「どうやら、外のほうは落ち着いたようですねえ」

 

 冷たい灯りが照らす室内で、右京はそうつぶやくとソファへと座った井江家の面々へと目を向ける。数分ほどの怒声と罵声と争う音の後、玄関の外からはそれら喧騒は聞かれなくなった。代わりに聞こえてくる車のドアが閉まる音は、犯人グループが連行されていく音に違いないであろう。

 

 一人を除いては深夜に叩き起こされ、着の身着のままの井江家の面々は、それぞれに異なる反応でその激動の時間を過ごしていた。忠少年は俯いたまま、どこか苦悶するように握った手を見つめ、そして、母親である真美はどこか緊張に顔を強張らせ。

 

 その中で加奈子だけは進ノ介たちの到着時から既に動きやすそうな服装に着替えている。しかし、その活動的な服装とは違い、現在の彼女の顔は青ざめていた。握られた手は小刻みに震えている。その様子を可哀想だと刑事たちも思うが、彼女が計画したことは犯罪である。同情の余地はあるが、職務に手を抜くつもりは無かった。

 

 ただ、その前にこの場においてはしなければいけないことがある。この事件の全容、そして、罰せられるべきものを明らかとすることだ。

 

「俺達が家に来て、計画を中止にするならまだしも、予定を早めて実行とはね」

 

 カイトが困ったというようにため息を吐く。

 

「……一体、どういうことなんだ?」

 

 カイトの言葉を聞いて、ようやく口を開くつもりになったのだろうか。亮平議員は刑事たちを鋭く睨み付けながら問いかける。彼は終始不機嫌そうに、刑事たちを観察していた。カイトはそんな彼にどこか冷たい視線を向けながら、事件の説明を始める。

 

「根本はもっと深いところにありますが……。俺達がこの事件に気づいたのは忠君の万引きがきっかけでした。ただ、そうして気づいてもらうことこそが、忠君の目的だった。

 人目があるところを選んで、わざと警察官の目の前で犯行を行う。その矛盾した行動は、補導されることが目当てだったって考えると説明が付きます」

 

「ただ、忠君は取り調べの時も態とはぐらかすような言葉を使って要領を得ませんでした。警察の注目を集めたいのに、積極的じゃない。俺達はそんな彼の様子に疑問を持って、この家まで来ましたけど、きっと家庭に連絡が行けば十分だったのでしょうね。

 少なくとも、警察がこの家に注目しているということが、家族に伝わればよかった。……そうだね?」

 

 進ノ介が姿勢を屈めて、俯いている忠少年の顔を覗き込む。その顔に笑みや同意という明確な色は無かったが、小さくかすれるような頷きが返ってきた。

 

「じゃあ、なんでそんなことを望んだのか……。警察に注目されると困る人間が、この家にいたからです。それは、君だね、加奈子ちゃん?」

 

 進ノ介に続いて、カイトはそう告げると、加奈子の前に立った。

 

「忠君は君が犯そうとしている犯罪を止めたかった。この家への強盗計画を」

 

 加奈子をその言葉を聞くと、びくりと体を震わせる。その言葉に「どういうことだ!」と怒声を上げたのは父親である亮平議員だった。ただ、その言葉を気にも留めず、カイトは話を続ける。

 

「この家の周りでは普段と違うことが起こり始めていました。近所を不審な人間たちが徘徊するようになり、ご近所の番犬は不審死。そして、加奈子ちゃんは学校で妙な行動を取り始めています。外部へとこっそりコンタクトを取るような、ね」

 

「入念な下調べと、脅威の排除、内部からの手引き。ええ、この条件に当てはまる犯罪として適切なのは、窃盗や強盗と考えるのが適切でしょう」

 

 右京が後ろ手を組みながらふらふらと歩きつつ、カイトの推理に同意した。さらに、今度は両親へ向けて、自分の言葉で推理を述べていく。

 

「忠君としてはどんな事情があろうとも、姉が犯罪を、それも重犯罪を行うことを歓迎できなかった。ただ、彼としても加奈子さんがその計画を行う理由は理解できたのでしょう。

 だからこそ、穏便に考え直して欲しかった。警察官が家を訪問したり、周囲を嗅ぎまわり始めれば、貴女も計画を変更せざるを得ない。だから自身が犯罪を起こし、警察の注目を集めた。

 ただ、忠君にとっても計算違いであったのは、加奈子さんの決意が想像よりも固かったということでしょうか」

 

 花の里での情報の集約の後、すぐさま三人は井江家の近くで張り込みを行った。あるいは加奈子が考えを取りやめたのならば翌日、改めて事情を聞けばよかったのだろうが。

 

 加奈子としては警察に事情を探られる前に計画を実行することを選んだのだろう。

 

「追田警部ら五係の方々にも無理を言って待機してもらい正解でした。僕たちだけであの人数を取り押さえるのは、いささか骨が折れたでしょうから」

 

 張り込みを開始して数時間後、この地域に侵入してきた不審な一団が発見された。そして、右京達は外を捜査一課に任せると、自身は中に入り、家族を一か所に集めて護衛を行ったのである。その時すでに加奈子はドアの付近で待機していた。一団を家に引き込むためだったのだろう。

 

 そこまで説明すると、亮平氏はいささか冷静さを取り戻したのか、立ち上がると刑事たちを見回した。そして、どこか尊大な調子で睨み付けるように言い放つ。

 

「勝手に我が家を嗅ぎまわっていたというのは、いささか以上に抗議したいが……。今回は我が家を強盗から救っていただいたことで帳消しとしましょうか。

 ……それでは、お引き取りください。加奈子のことも、後は我が家で解決いたします」

 

 その言葉を聞くと、カイトは頭をふりながら呆れたようにため息を吐いた。

 

「また家庭の事情、家庭の事情。あんた、ほんとに、それで終わらせるつもりですか……。加奈子ちゃんだって未遂で未成年とはいえ、強盗の共犯です。然るべき手続きは必要です」

 

 すると、亮平氏はとぼけた声でカイトに反論した。

 

「あの連中とウチの娘が関わっていたという証拠は何処にありますか?」

 

「……事情聴取での証言、連絡手段の手紙、いくらでも出てくるでしょう?」

 

「かもしれない。だが、今、この場所で、ですよ。この子を連行する証拠はないはずだ。仮に、そのようなモノが出てきたとしても、あのようなチンピラ連中が用意したもの。本当に信頼がおけるものかどうか」

 

 そのような言動を見聞きすると、進ノ介もカイトも彼が言いたいことが理解できてきた。彼にしてみれば、娘が犯罪行為に加担していた、それも自宅を狙ったなどと言うのは大スキャンダルだ。表ざたにはしたくない。

 

「つまり、あれですか? 証拠も何もかもでたらめだって、もみ消すつもりですか」

 

「もみ消すなんて人聞きが悪い言い方はご遠慮いただきたい。ただ、厳正な捜査を行った結果、そうなる可能性が高いのでは、と言っているだけです」

 

 亮平氏は元法務省の現役議員。彼の言葉には、先日と同じく、警察機関へのコネにより問題を解決するという傲慢さが見え隠れしている。そして、何よりも二人にとって我慢ならないのは、先ほどから怯え切ったように震えている加奈子をこの父親が顧みようともしていないことだった。

 

「全部なかったことになるなんて、そんなこと許すわけないだろ。それに、あんた、加奈子ちゃんがどうしてこんなことをしたのか、理解できてるのか?」

 

 カイトの口調が崩れ、その目にはっきりとした敵意が満ちていく。その目を蔑むように見つめながら亮平氏は一歩、足を進めて圧を強めていく。

 

「娘の若気の至り。それで十分だろう?」

 

「違う! ……あんたにも自覚はあるだろ?」

 

 ともすれば殴り掛かりそうな危険な色を溜めていくカイトを見て、進ノ介は慌てて制止するように前に立つ。

 

「落ち着けって。……井江議員。俺達が何より気になるのは、あなたのこの家での振る舞いと、子ども達の安全です。なんでわざわざ加奈子ちゃんが自宅を襲わせようとしたのか。全てはあなたに復讐するためだったんじゃないですか?」

 

 震えてものもしゃべれない様子の加奈子。その代わりとなれるよう、進ノ介が訴える。忠少年はその様子を目を見開き、驚くような様子でその光景を眺めていた。

 

「何を馬鹿なことを」

 

「携帯も持たせない、友達も作らせない、放課後は自宅から動かさない。この子たちを家庭の他に、世間と関わらせてきたんですか? 自由を与えていたんですか? いや、この怯えようだ。それだけじゃないですよね? あんたは自分の子供たちに酷い仕打ちをしてきた。たとえ、直接手を出していなかったとしても、過度な支配的態度は虐待です。

 子ども達だけじゃない。奥さんだって、あんたに怯えてる。まともな家族の姿じゃないでしょう?」

 

 進ノ介が言いきると、亮平議員はそれを鼻で笑い、足音高く家族の周りをゆっくりと見回すように歩く。一歩一歩、密告者が出ないように監視するように。

 

「もう一度言わせていただくが、そのような言い方はご遠慮いただきたい。それは我が家の教育方針ですし、この子たちも納得して生活している」

 

 そうだな? 笑顔で、しかし、底知れぬ冷たい声に、子ども達は肩を少し震わせることでしか答えない。

 

「実際に、児童相談所、学校、警察。これまで全てに『納得』いただいています」

 

「それも得意の『家庭の事情』ってやつか。俺もあんたに似た人を知ってるよ。家庭のことは何でも自分の思い通りにしたいってやつだったが、驚いたな。あんたよりは大分マシだったみたいだ」

 

 カイトが吐き捨てる。だが、この男はそんな若い警察官の憤り等、どうとでもなると思っているのだろう。進ノ介とカイトの目を見ながら、猫撫で声で。

 

「分かるでしょう? 私だって若く未来ある皆さんのキャリアを潰したくはないんだ……。お二人とも前途有望な警察官だ。甲斐刑事部長のご子息に、有名な仮面ライダー」

 

 カイト、進ノ介という順番に肩に手を置きながら、亮平氏は言葉をかけていく。カイトはその言葉に激発しそうな表情を浮かべるが、静かに息を吐くことで堪えたようだ。進ノ介にとっても、カイトの父親があの刑事部長だということは寝耳に水であったが、それは今は関係ない。

 

「それが何だっていうんですか?」

 

「いえ。……ただ、その華々しい肩書きと違って今のお二人は不遇な立場のようだ。甲斐さんは所轄の一刑事。そして、泊さんは何があったかは知らないが、特命係なんて窓際部署。貴方たちに私をどうにかする職務も権限もない。……組織の中であなた方は吹けば折れる小枝に過ぎないんです」

 

 荒事にしたくないでしょう?

 

 亮平氏はそう告げて、答えを待つように、じっくりと二人の反応を待った。

 

 図らずも互いに伝えたくはなかった事実を暴露されてしまったカイトと進ノ介。ただ、その心に残っていたのは「だからどうした」という克己心。そして、奇妙なことだが、カイトにせよ、進ノ介にせよ、変な隠し事が無くなったことで胸の痞えが取れた気がしていた。

 

 二人で目くばせをし、そしてしかりと頷きを返す。彼となら、こんな脅しをはねのけられると、心が通じ合ったことを感じる。そして、二人は亮平氏へと目をしかりと向けると、力強く宣言した。

 

「断る。俺達、そんなに聞き分けが良くないみたいでね」

 

「目の前で苦しんでいる人を見捨てることはできないんだよ」

 

 そんな二人の様子に亮平氏は冷たい目で鼻を鳴らす。青臭いと蔑んでいるのか、あるいは、そうして自身の優位を保とうとしているのか。

 

 その状況を変えたのは、事件の起点となり、その最中でもじっと自分を押し殺してきた少年だった。

 

「忠君?」

 

 忠少年がゆっくりと立ち上がり、顔は俯いたままだが、進ノ介の手を引いた。そして、まだ半信半疑と言う様な、怖がるような声色で、こう尋ねるのだ。

 

「ほんとうに、俺と姉ちゃん、それに母さんを助けてくれますか?」

 

「忠! なにを……」

 

 亮平氏が怒りに顔を染めて忠少年へと詰め寄ろうとするが、それをカイトが体を挟んで止める。そして、それを見届けて、進ノ介は高い背を屈ませると、忠少年へと目を合わせる。不安に震える目が、そこにあった。その目に進ノ介は頷きを返す。

 

「ああ、もちろんだ。絶対に助けてみせる」

 

 力強く掴まれた手。しばらくの間、忠少年は進ノ介の目を見つめていた。そして、その不安の色が次第に変わっていくのを進ノ介は感じ取る。そして、数秒の沈黙の後、進ノ介から目を外すと、忠少年は大きく声を張り上げた。

 

「この人はずっと俺達を閉じ込めてきた! 少しでも逆らったら殴られて! 縛られて! 姉ちゃんは勝手に許嫁なんて決められて!! もう我慢できなかったんだ!!」

 

 忠少年ははっきりと声を出して父親を敵意と共に指さす。進ノ介はそんな勇敢な少年の肩に手を載せると、亮平氏へと向き直る。

 

「これで、証言も得られましたよ?」

 

 だが、それでも家庭の支配者はその現状をどうとでもなると侮っているのか、彼らをあざ笑いながら告げる。

 

「……まあ、何と言おうと、息子は万引きを犯したばかりです。親への反発心でね。そんな言葉くらい、幾らでもでっちあげるでしょう。子供に肩入れしている君たちではなく、第三者が見ればどちらの味方をしてくれるかは目に見えてる」

 

 あるいは彼の言う通り、仮面ライダーの名前を使っても、この家庭を父親の支配から解き放つことはできないかもしれない。だが、それを許さない刑事がもう一人いる。

 

「それはどうでしょうねえ」

 

 全員がその声にぎょっとする。先ほどまで部屋をふらふらを歩いていた杉下右京が、突然リビングのドアを開けて入ってきたからだ。井江家の面々には彼がいつ部屋を出たのかも分からなかった。そして、その突拍子に満ちた動きは、事前に聞かされていたとはいえ、進ノ介たちにとっても心臓に悪いものだった。

 

「そういえば、いつのまにやら家にいたが、君は誰なんだね? それに今言った言葉はどういう意味だ?」

 

「ああ、これは失礼しました。警視庁特命係の杉下と申します。端的に言えば、そこの泊君の上司でしょうか。そして、先ほどの言葉の意味ですが、これも単純です。……あなたの味方となる人が、果たしてどれだけ残るのでしょうねえ?」

 

「あなたが犯した殺人が明らかとなった後も」

 

 

 

 杉下右京は進ノ介とカイトを座らせると、役者交代というように亮平氏へと向き直る。亮平氏は右京の発言を聞いても冷静を装っていたが、先ほどよりも顔が強張っていた。

 

「言うに事を欠いて殺人? 私が誰を? 何のために?」

 

「ええ、ご心配いただかなくとも、一から説明します。ご家族の皆さんにも、ぜひ聞いていただきましょう」

 

 そう言って微笑むと、右京は懐から数枚の写真を取り出す。一枚目は右京が関心を抱いた殺人事件の被害者。

 

「こちら、河西充さんといいます。職業は興信所の職員、簡単に申し上げると探偵業。その彼が、二日前の晩に撲殺されました」

 

「……その河西と言う人がどうしたというのだね」

 

「実は彼、そうした探偵業を隠れ蓑に、暴力団に協力していたのです。有力者の弱みを見つけ、ターゲットを薬物の売人に仕立て上げる。ええ、仮に対象者に後ろ暗い所があろうとも、それを用いて更なる犯罪に引きずり込む。卑劣極まりない手口です」

 

 右京が新たな写真を見せる。

 

「そんな彼の事務所に、この写真がありました。とある女生徒と若い男性が街角であっている写真。皆さんにも見覚えがありますね?」

 

 それを周りの人間にも見えるようにぐるりと示す。そして、その誰もが目を見開いた。中でも、声を上げて反応したのは加奈子だ。

 

「それって……」

 

「ええ。貴女の写真です、加奈子さん。

 昼間の繁華街に女生徒と柄の悪い男の姿。あるいは秘密の逢瀬かもしれませんが、河西さんのような後ろ暗い人間が、それを大事に持っているはずはないでしょう。

 そう思い、制服から通っている学校を見つけ、事情を伺ってみると僕の前に刑事が来ていたというではありませんか。それも、そこの泊君が。何かあると思いまして僕も首を伸ばしてみることにしたのです。

 さて、この写真ですが、撮影の日付は約一ヵ月前。泊君が調べたように加奈子さんが高校を抜けだした日です。そして、貴女にはもう一人の彼が誰であるかもわかるでしょう?」

 

 右京は写真をしまうと、ゆっくりと言葉を紡ぎながら、部屋を歩いていく。

 

「実は、先ほどの泊君たちの推理には一つ、謎が残っています。家に監禁され、厳しく監視されていた加奈子さんが、どのようにして強盗の実行犯と知り合うことができたのか。今の時代、インターネットなどを用いれば直ぐにそう言う人間が見つかりますが、亮平議員がインターネットという手段を許していたとも考えにくい。

 では、どうしたか? 加奈子さんが能動的に動けないのならば、相手方から接触を図ってきたのでしょう。恐らくは学校の中で」

 

 その右京の言葉に加奈子はゆっくりと頷いた。彼女の脳裏には後ろ暗い遊びに耽っていた同級生の姿が思い浮かぶ。

 

『あんた、なんかイライラしてんでしょ? これやると気持ちよくなるよ』

 

 そんなことを言って怪しい粉を渡してきた同級生。加奈子はそれを使用することは無かったが、彼らの後ろに暴力的な集団が潜んでいることは察しがついた。それは加奈子にとって現状を変える力となるもので。

 彼女は薬物の売買に協力することを条件として、彼らに依頼を行ったのだ。

 

「名門の子女が通う女学院となれば、薬物売買の販路としては理想的です。貴女は彼らの薬物売買に手を貸す代わりに、その胴元へ自宅への押し込み強盗を依頼した。具体的には、言われた通りに動くことができる実行犯の手配を頼んだのでしょう」

 

 加奈子曰く、撮影された日はその最終確認をするためだったという。そして、取引が成立した後、加奈子は体育館裏にある隙間を通して、犯行計画を便箋で伝え、代わりに薬物を受け取り、学園に配っていた。

 

「覚せい剤、麻薬の売買というのは強盗とは別の大きな罪ですが、それは一先ず置いておきましょう。ここで、この写真が登場します。このようにはっきりと加奈子さんと男の取引の現場が写っている写真。河西さんのような人間が偶然出くわすということはあり得ません。

 加奈子さんは知らぬことだったかもしれませんが、桜花女学院に密かに薬を卸していた者たち、それが河西さんの上にいる秀英組、暴力団だったのです。そして、彼らは加奈子さんに協力しつつ、その裏では隠れて写真を撮影していた」

 

 何に使うか、分かりますね? 右京は居並ぶ者たちを見まわし、

 

「もちろん、脅迫を行うためです。加奈子さんは熱中するあまり気づかなかったかもしれませんが、忠君は反社会的組織に近づいていく貴女の様子に危機感を覚え、計画を中止することを期待して警察沙汰を起こした。この家の中で同じ環境を共有した姉弟二人。加奈子さんも忠君へと計画のことは打ち明けていたでしょうから。

 ……これで、忠君と加奈子さんについては大部分が説明できます」

 

 そこまで説明すると再び右京は亮平議員の前に立ち、人差し指を立てて挑戦的な目を向ける。

 

「では、ここで別の謎が出てきます。暴力団の下請け役であり、安易に彼らと接触した加奈子さんを撮影し、おそらくは脅迫の準備をしていた河西さんが殺されたのは、なぜか? 

 裏の仕事をしていた以上、いくらでも恨まれる理由は見つかりますが、殺害現場から持ち去られていた記憶媒体と、事務所の様子を見るに、仕事関係。それも直近の仕事である加奈子さんに関わる可能性が高い」

 

「疑問がもう一つ。河西さんが撮影した写真ですが、一体だれを脅迫するための物だったのでしょう? 加奈子さんはそんなことをせずとも協力していますので、この写真が最も大きく効果を発揮するのは」

 

 右京は上につきあげた指を、ゆっくりと亮平氏へと向ける。

 

「このようなスキャンダルは貴方の政治生命には致命的でしょうね。井江議員」

 

 右京の長い説明を聞き終えると、亮平氏は含み笑いを浮かべ始める。ただ、その目はまだ鋭く右京を睨み付けていた。

 

「ああ、面白い話だね。想像力豊かだが、証拠も何もないだろう?」

 

 確かに、右京の話はつじつまがあっているようだが、それは井江家にスポットを当てて考えたときの話だ。一つの仮説としてはあり得るかもしれない。だが、動機があるのと、犯行を行うのは天と地ほどの差はある。

 

 その反論に対し、右京は笑みを保ったまま、ゆっくりと忠少年の前に歩みを進めた。

 

「忠君、君が万引きを行った日。泊君と出会ったのは偶然だったのでしょうが、なぜ、あの日に行動を起こそうとしたのでしょう? 普段は家に閉じ込められている時間です。抜け出すのは、難しかったと思いますが?」

 

「あの日は、いきなりその人が帰れなくなったから……」

 

「ええ、ありがとう。井江議員は二日前の夜、つまり犯行時刻には自宅にいなかった。甲斐刑事が調べたところ、あなたは事務所を定刻に出ていますので、アリバイはありませんね?

 そして、先程、あなたは強盗犯たちのことを、このように言いました『あのようなチンピラ』と。加奈子さんが犯行グループに協力していたことはお伝えしましたが、彼らの外見については何も話していません。

 あなたは、河西さんが脅迫した際に、このような写真を見たのではありませんか? だから、襲撃犯がどのような人間か想像できた」

 

「それは言葉のあやだ」

 

 その言葉に右京は、それならば、と言葉を告げ、背後に隠していた一つの包みを取り出す。それは布のようなもので梱包されており、

 

「先ほど、泊君と甲斐刑事が話をしている間に、ご自宅を見て回ったのですが……」

 

「なんだと!? 何の権限があって!?」

 

「申し訳ありませんが、少々催してしまい、こっそりお手洗いを。皆さんのお話を止めるのも気が咎めましたので。ああ、棚などに見事な美術品がありましたから、興味にかられてしまい、ついででしたので色々と見させていただきました」

 

「……君、いったい何なんだ!?」

 

 亮平氏は驚愕と言う顔で右京を見つめる。進ノ介もカイトも、正直に言うならば、右京の屁理屈は普通の警察官が行うものではない。

 

「あくまで偶然なのですが。その時、興味深いものを見つけたのですよ。それが、こちらです」

 

 右京が包を丁寧に解くと、そこには黒い革靴があった。それを目にした瞬間、亮平氏はこれまでの強気の表情を崩し、無言で一筋の汗を流した。

 

「この革靴、靴底に少し湿った泥が着いているのです。犯行時間には雨が降っていました。恐らく、犯行現場の土壌サンプルと比較すれば、この靴の持ち主が歩いた場所がどこか、すぐに分かるでしょう。

 それともう一つ、被害者の指先には、何かに血液をこすりつけた跡が残っていました。殴られながらも必死に犯人へと手を伸ばしたのだと思われますが……」

 

 右京はその靴のかかと部を亮平氏へとみせる。

 

「ここ、このうっすらとついた黒いものです。僕にはどうも血痕に思えるのですが……、いかがでしょう?」

 

 そう告げて、右京はふくむように笑みを浮かべるのだった。亮平氏はそれを見ると、倒れこむように項垂れる。忠少年にも加奈子にも、そのような姿はこれまで見たことがなかった。彼は呆然と靴を見上げると、かすれた声を出す。

 

「……なんでだ。それは捨てたはずなのに」

 

 彼の記憶が正しければ、帰宅して直ぐにゴミ袋へとつめたはずだった。今朝には他のゴミと共に収集されていたはずの、ここにあってはならない証拠。

 

「実は、これ靴箱の奥深くにしまい込まれていたのですよ。このような風呂敷をかけて。あなたに心当たりがないのでしたら。……おそらく、こうして証拠を隠していらっしゃったのは奥様ですね?」

 

 右京に問われた真美夫人は静かに頷く。

 

「ええ。帰ってくるなり、靴をゴミに入れていましたので、何かが起こったのだと思ったんです。これがあれば、この人から子ども達を守れるかもしれない、そう思ってとっさに隠しました……」

 

 噛みしめるように言う言葉。その顔には刑事たちが夫人と出会ってから初めて、かすかな微笑みと安堵の表情が浮かんでいた。右京は首を垂れた亮平氏に静かに告げるのだった。

 

「……井江議員、ご家族をないがしろにした貴方には、相応しい終わり方だったのかもしれませんね」

 

 

 

 それからしばらく後、進ノ介とカイトは赤い線を引きながら走り去るパトカーを見送っていた。連れて行かれるのは、殺人容疑の亮平氏と強盗の共犯容疑で加奈子。加奈子は薬物売買の容疑もあるので、重い罰となるだろうが、それでも父親から解放されたからだろうか。彼女の顔は晴れやかだった。

 

「意外だったな……。殺人の動機が『娘を守るため』だったなんて」

 

 進ノ介がため息と共に呟き、大きく肩をすくめた。

 

 河西は右京の推理通り、加奈子の写真を用いて、亮平氏を脅迫しに来たらしい。そして、あの日は取引を行うために向かったのだが、亮平氏も薬物売買に加担するなどという行為は拒絶したのだという。

 

 すると、河西は娘の身の安全は保証しないと、告げたのだ。確かに、すでに彼女は秀英組と深く関わっている。その身を危険にさらすことなど彼らには容易だったのだろうが、それを聞いた途端、亮平氏は我を忘れて殴り掛かったのだ。あるいは、凶器を用意していたことからも、元々殺意はあったのかもしれないが、この期に及んで動機を偽りはしないだろう。

 

「あれだけ家族を支配して、怖がられていたのに、家族を守りたかったなんて、な。ほんと、勝手な言い分だよ」

 

 カイトもそれに同意しながら肩を落とした。

 

『あの人も昔は良い父親だったんです。けど、下の子が十年前に亡くなって……。事故だったんです。それからは人が変わったように私たちを管理するようになってしまって』

 

 真美夫人は疲れたように、そう告げた。あるいは彼女の言う通り、彼にとっては家族を守る手段だったのかもしれないが、それによって家族の平穏が奪われたのなら本末転倒だろうに。

 

 ただ、この先にどのような人生が待ち構えているかは分からないが、井江家は父親の支配から解放され、子ども達は新しい人生を歩むことになるだろう。もしかしたら、今までよりも辛いものが待っているかもしれないが、彼らには自分で選択する自由が与えられたのだ。

 

「泊さん、甲斐さん」

 

 玄関では忠少年が二人を待っていた。二人が振り向くと、彼は二人へと頭を下げる。

 

「ありがとうございました。……俺、姉ちゃんのこと何とか助けたかったけど、通報する勇気も、あの人に立ち向かうこともできなくて」

 

「最悪の事態にならなくてよかったよ。まあ、何かやるにしても万引きは止めるべきだったかも知らないけど……」

 

 進ノ介は苦笑いを浮かべながら忠少年へ告げる。とっさにそうしてしまった意図はわかっているが、それでも警察官としてはそれを認めるわけにはいかない。

 

「……しばらくは、世間の目もあるし、お母さんを守れるのは君だけだ。今度はあんまり無茶すんなよ」

 

 カイトはからかうように言うと、彼の肩を掴み、軽く揺らす。その言葉に忠少年は強くうなづく。

 

「ほんとは警察なんて信じられなかったんです。みんな、俺達のことを見てみぬふりしてきました。あの人を殺そうとか、そんなことまで考えるようになって。せめて姉ちゃんは助けなきゃって。

 そんな時に、街角で泊さんに会って、もしかしたら、俺を助けてくれるかもって思ったんです」

 

「助けてくれて、ありがとうございました」

 

 そう言って忠少年はにっこりと年相応の笑顔を浮かべる。つられて二人も顔がほころんだ。警察官として働いていて、何よりも嬉しいのは、市民の笑顔を見れた時だ。胸の奥がくすぐったくなり、暖かくなる。横を見ると、カイトもなんだか照れ臭いような、噛みしめるような表情を浮かべていて。

 

 自宅へ戻っていく彼の姿を見つめながら、二人は無言で拳を合わせた。

 

「よしっ、それじゃ、俺はそろそろ戻るよ。杉下警部にもよろしく頼む」

 

「ん? せっかくならもう少し話していけば良いじゃないか」

 

 カイトはその言葉を聞くと、都合が悪そうに少し頬を掻いて、

 

「んー、いや、たぶん悪い人じゃないんだろうけどさ。なーんか、あの人苦手で」

 

 そう言うカイトに、進ノ介は大きく同意を返す。

 

「わかる! けど、俺はカイトなら杉下さんとも上手くいくんじゃないかって思うんだよな。勘だけどさ」

 

「そんなこと言って、体よく特命係と交換しようとか、そういう魂胆じゃねえの?」

 

「ばれたか」

 

 そうして二人は笑い合い、最後にハイタッチを交わすと、玄関先で別々の道に別れた。実は、既にプライベートで遊びに行く約束も交わしている。進ノ介にとって、仲の良い警察仲間と言えばかつての相棒である早瀬刑事くらい。こうしてできた一期一会の縁を大事にしていきたい。きっと、それはカイトも同じ思いなのだろうと、不思議と思えた。

 

 最後に井江家の静かな姿を見あげて、進ノ介も歩を進める。すると、しばらく歩いた先で追田が右京と何やら言い争いをしていた。いや、一方的に追田が右京に詰めよって、右京がぼんやりとそれをいなしている。

 

「どうしたんですか? 現さん」

 

「しーんのすけー!! 聞いてくれよ!! 俺はお前のためになれると思って情報流したんだ! それなのに、特命係は逮捕権ないから、俺の手柄になるっていうじゃねえか!? どーなってんだ杉下!!?」

 

「そもそも僕は一言も手柄が欲しいなどとは言っていないはずなのですが……。泊君、追田警部はいささか早とちりが過ぎるようですねえ」

 

「なんだとー!? 進ノ介! ……頼むから一刻も早く特命係、いや、こんなやつから逃げ出してくれよ!? うちならいつでも受け入れるからよぉ」

 

 最後に悔し涙を流しながら、追田は走り去っていった。その大声で叩き起こされたのだろう深夜の住宅にいくつもの灯りがともっていく。なんだかその場にいると誤解されそうだったので、進ノ介は右京とそそくさとその場を離れることに。

 

「そういえば甲斐刑事は?」

 

「ああ、カイトならもう帰りました。けど、しばらくは俺もカイトも、忠君たちの様子は見に行こうって話はしてて。その時は杉下さんもどうですか?」

 

「ええ、それは良いかもしれません。それにしても、カイト君、ですか。なぜだか、その呼び方には親しみを覚えるのですが……。不思議なこともあるものですねえ。今度お会いした時はそう呼んでみましょうか?」

 

 幸子と同様に、右京もそんなことをぼんやりと話すのだ。どこか、楽しそうに頬を緩める姿に、進ノ介は、

 

「なんか珍しいですね。杉下さんが人のことあだ名で呼ぶなんて」

 

 興味深げに尋ねる。

 

「少し血気にはやるところはあるようですが、気持ちのいい方でしたから。きっと、彼は良い警察官となりますよ」

 

「……それ、俺に含むところありそうなんですけど」

 

「そうは言っていませんよ。それならば、君もあだ名で呼んでみましょうか。……しんさん、いえ、しん君」

 

「ストップ! うわっ、なんかぞっと来た……。あだ名で呼ばなくて結構です」

 

 そんなことを話しながら、特命係の二人は夜の街を歩いていくのだった。

 

 

 

 カイトは街灯の灯りの下で、そんな彼らを遠目で見送る。

 

「なんだかんだでいいコンビじゃんか」

 

 並んで去っていく進ノ介と右京を見て、苦笑い。その脳裏で思い返すのは進ノ介と出会ってからの数日間だ。まさか、自分が仮面ライダーと知り合って、共に捜査をするとは思ってもみなかった。

 

 世界を救った英雄、仮面ライダー。もっと自分とは大違いの立派な人かと思っていたけれど。話してみて、いい友人となれたのは驚きであり、そして嬉しいことだった。

 

 そんな彼と、子ども達を救うために奔走したことを思い、忠少年の笑顔を思い。甲斐享は街灯の灯りから夜の街へと歩みを進める。

 

「俺も、進ノ介たち見習って、頑張らないとな」

 

 甲斐享と泊進ノ介、二人の刑事が出会ったことがどのような運命を招くことになるのか。それは、全てを見届けることとなる杉下右京でさえも、誰も知らない未来の話だ。




あとがき

これにて第五話の完結です。

今話のテーマは「一期一会」。
進ノ介とカイトの出会い、進ノ介と忠少年の出会い、そのように偶然であろうとも人との出会いが、運命を変えることもある。そんなお話です。
隠しモチーフはSeason11第1話「聖域」。カイト登場回であり、あちらは大使館と言う聖域を相手にしていましたが、今話ではまた、一つの聖域である家庭にまつわる秘密と、それらに果敢に立ち向かう二人の若い刑事の姿で描きました。

さて、なんとか書き終えることができましたが、なかなか納得のいく形にならず、何度も事件全体の構造やカイトと進ノ介の出会いの形を書きなおしたりと皆様にお待ちいただく結果となり、申し訳なく思っております。
一方で、現さんであったり、カイトと右京の出会いはあっさり目に。カイトは今後も度々登場するキャラクターですので、進ノ介との出会いと友情を深める過程は丁寧に描きましたが、右京との相互理解は今後の話で追々描いていきます。
また、現さんは後に単独で美味しい回を用意しておりますので、その際には愛すべき現さんをお楽しみいただけると幸いです。

それでは、最後に第六話の予告!
次回は形がすでに決まっている話ですので、早めにお見せできると考えております。私が本作を書こうと考えてから、二年弱温めてきたネタ。かなり変則的な話になるかもしれませんが、ドライブ世界と相棒世界のクロスオーバーとして、面白い話にしたいと思っております。

そして、覚えてらっしゃる方々は、あの言葉を思い出していただきたい……。

第六話「悪魔の継承者」

どうか、お待ちいただけると幸いです。


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第六話「悪魔の継承者 I」

 自分でも驚くほどに、すんなりと書き上げられた第六話始まります。

 今回は相棒と仮面ライダードライブのクロスとしては面白いネタが出せたのではないかと思います。皆様も常識を捨て、あの言葉を呟きながら、どうか、お楽しみください。


 Vim patior... Vim patior...

 

 村木重雄という男を覚えているだろうか。狡猾にして残忍な連続殺人鬼。

 

 二十五年にわたり快楽殺人に耽った村木は慎重に捜査網をかいくぐり。そして、七人の罪なき女性の命が奪われた。

 

 それだけでも悍ましい犯罪である。しかし、村木は自身だけでなく、未来ある若者さえも深い悪の道へと誘った。当時、精神科医の助手として村木と接触していた安斉直太郎という若者。村木は彼に自らの思想を植え付け、三人の女性を殺害させたのである。

 

 だが、彼らの蜜月も終わりを迎える。八年前、事件は白日の元となり、村木は追及の手を逃れて自殺。後に安斉は逮捕されるが、彼を憎む被害者遺族によって殺害されることとなった。

 

 村木をきっかけとした犯罪は、安斉や被害者、そして遺族という多くの人生を狂わせて終結した。そう、事件は八年前に確かに終わりを迎えたはずだった。しかし、密やかに、その悪意は生き続けていたことを、まだ誰も知らない。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第六話「悪魔の継承者 I」

 

 

 

「泊君。君、今日は空いていますか?」

 

 とある日の夕方、右京が呑気な言葉で進ノ介を誘った。その声に進ノ介はきょとんと帰り支度を止めて、右京を振り返る。時計は五時を回っていた。例のごとく今日も特命係は暇であり、進ノ介も何もなければそのまま家へと帰る予定である。

 

「今日ですか?」

 

「今日です。もちろん、無理にとは言いませんが」

 

 右京のことだから断っても機嫌を悪くすることもないだろう。だが、せっかく誘ってもらったのだ。用もないのに断るのも変な話である。

 

「いいですよ。花の里ですか?」

 

 進ノ介は最近すっかり常連となった小料理屋の名前を出す。右京にとってもお気に入りの店。だが、彼から出てきたのは意外にも違う言葉であった。

 

「いいえ、君、おでんは好きですか? 今日は屋台に行こうと思っているのですが」

 

「……おでん、ですか?」

 

「ええ、おでん」

 

 しかも屋台。花の里のような小料理屋といい、見かけだけは英国紳士然とした右京の雰囲気とは似合わない店ではある。ますます右京の私生活に興味を惹かれるが、それはそれとして屋台と言う場所には進ノ介も興味があった。

 

 夜の街角で赤い提灯に照らされながら、温かいおでんに舌鼓を打つ。男ならば、そうしたシチュエーションに憧れを抱く者も多いのではなかろうか。にわかに進ノ介も楽しみになってきた。

 

「俺でよければ喜んで」

 

「そうですか。それでは、少しお付き合いをお願いします。実は毎年、この時期になると顔を見せていたのですよ。ただ今日は君もいることですし。ええ、君は存外有名人ですからね。彼も喜ぶのではないかと」

 

 そう言うと、右京はコートと帽子を纏ってテキパキと二人分の出勤札をひっくり返した。

 

 二人が向かったのは警視庁から三十分ほど移動した先にある臨海公園。そこに小さな屋台が鎮座していた。店先には『御待堂』と洒落の聞いた名前の看板が置かれている。その暖簾をくぐると、おでんの暖かい香りが漂ってきた。すでに若いカップルも含めた少なくない客が先に入っているが、二人くらいならばのんびりとできそうだ。

 

「あれ、杉下さんじゃないですか。お久しぶりですね」

 

「こちらこそ、お元気そうで何よりです。佐古さん」

 

 右京に声をかけた店主は眼鏡をかけた優し気な風貌の男性だった。右京の言葉通り、昔からの知り合いのようで親し気に挨拶を交わす。杉下右京のプライベートの知り合いと言えば、幸子に続いて二人目だ。進ノ介は頭の中の杉下右京捜査メモに新しい内容を書きこんだ。そして、佐古と呼ばれたその店主は、進ノ介を見ると、

 

「これは、また。ようこそいらっしゃいました」

 

 そう言うとにこりと笑ってカウンター席へと招いてくれる。幸子とは違って、驚いたり、サインを求める様子はなかった。おかげで周りの客にも気づかれることがなく、進ノ介は安堵する。同時に、佐古のそうした気遣いに感謝した。

 

「神戸さんは異動になった時に挨拶にいらっしゃいましたが、もしかして」

 

「ええ、特命係は今、彼と僕です」

 

「よろしくお願いします」

 

「これは驚いたなあ。まさか、特命係とはねえ……。ささ、狭い店ですが、どうぞ寛いでください。今日は大根なんてよく味が染みてますよ」

 

 そうして二人は佐古に勧められるままにおでんをつまみ、進ノ介も久方ぶりに酒を飲みつつ談笑するのだった。話の中で驚かされたのは、佐古も元々は警察官であったこと。詳しくは語られなかったが、ある不祥事に巻き込まれてしまったそうで、不本意な退職だったのだという。

 

 ただ、今はそれも良い思い出だ、と笑い話にして人生を楽しんでいる彼を進ノ介は少し羨ましく感じる。そんな佐古もしばらくすれば屋台は閉め、おでんの師匠の店を受け継ぐのだという。慣れ親しんだ屋台ともお別れだと言っていた。

 

「そういえば、杉下さん。この時期には佐古さんに会いに来ている見たいですけど、特別な何かがあったんですか?」

 

「……そうですねえ。ずいぶんと昔のことですが、なかなか忘れがたい事件があったので」

 

「事件?」

 

 進ノ介が尋ねると、佐古は昔を懐かしむように説明を始める。

 

「杉下さんと、亀山さん。神戸さんの前任の人なんだけど。俺が二人に頼み込んでさ。ある事件の捜査をお願いしたんだ。それが、まあ、いろいろ根が深い話でね」

 

「へえ……」

 

 例の、進ノ介が勝手に仙人認定している亀山薫である。そうでなくても色々なところに首を突っ込んでいる人だな、と少し呆れながら進ノ介はビールをあおった。

 

 久しぶりのアルコールに呑まれて酔いつぶれるまで一時間、進ノ介は美味しいおでんに舌鼓を打つ。この時、二人はまだ、彼方で響くサイレンに気づくことはなかった。

 

 

 

 そうして特命係の二人がのんびりと夕食を楽しんでいたころ。夕食も食べられずに夜遅くまで働く刑事達もいた。 

 

「芹沢、詩島。急げ!!」

 

「待ってくださいよ先輩!! って霧子ちゃん!?」

 

「お先に失礼します、芹沢さん」

 

 伊丹達、捜査一課が呼ばれたのは荒川の河川敷。近隣住民によって遺体発見の通報があったのだ。急いで向かった三人は暗がりの中、ライトの灯りを頼りに土手を降りていく。

 

 藪に覆われ、テトラポットが川辺に並んだ、流れが緩やかな場所だ。そこへたどり着いた時、なぜだか伊丹はその場所に見覚えがある気がした。だが、今はそんな感想は置いて、遺体の傍まで向かう。

 

「おい、米沢!!」

 

「これは伊丹刑事、お早いお着きで。それに詩島刑事、芹沢刑事も」

 

 米沢はいつもと比べると少し困った、と言うような困惑の表情で三人を出迎えた。

 

「米沢さんー。俺、とうとう霧子ちゃんの次ですか?」

 

「ああ、特にそう言った意図はなく。今日はたまたまそのような気分だっただけで」

 

「ほんとかなー。なんだか最近、先輩たちにも霧子ちゃんより後輩みたいに扱われているんだけど」

 

「大丈夫ですよ、私はちゃんと芹沢さんのこと尊敬していますから」

 

 いじいじと嘆く芹沢を励まして、霧子は伊丹の後ろから遺体を見る。若い女性の刺殺体だ。歳は二十代くらいだろうか、まだ先に幸せがあっただろうに。

 

「これ……。ほんと酷いことする奴がいますね」

 

 芹沢が手を合わせながら呟く。伊丹もむっすりとしながらも心の内は同じなのだろう。手を合わせると、静かに黙とうをささげた。

 

「遺体のポケットから身分証が見つかりました。被害者は舞原ひとみ、二十六歳。外資系企業の営業をしていたようです。死因は恐らく腹部を刺されたことによる出血死でしょう。ただ、死後の傷ですが、強く体が打ち付けられた痕跡があります。

 他にも、体には多くの擦過傷。服は濡れていますし、上流から遺体は流れ着いたと考えられます」

 

 そう静かに告げる米沢の言葉を聞きながら、霧子は遺体の観察を始める。確かに、遺体には腹部に残っている複数の刺し傷の他に浅い擦過傷が手足に残り、服にも損傷が見られた。

 

 しばらく前から雨が続いていたので、川の中央は未だに流れが速い。これなら、かなり上流から流れ着いた可能性もあるだろう。

 

「性的暴行の痕跡はありましたか?」

 

「遺体の状態がこれですから、詳しくは司法解剖を通さなければ。ただ、今の状態を見ると、その可能性は少ないかと」

 

「それじゃあ、怨恨の線が強いですね……」

 

 霧子が言うと、米沢は顔を顰めながら、言葉を慎重に選ぶように口を開く。

 

「それがですな……。非常に厄介そうなことが。恐らく、伊丹刑事と芹沢刑事には分かっていただけるかと」

 

「ん? どういうことだ?」

 

「まずはこれを見てください。すると、驚くことに、この場所の記憶が蘇りましたよ。不謹慎ではありますが、いつぞや流行ったアハ体験というか」

 

「細けえことは良いから、さっさと見せろ!」

 

 伊丹の不機嫌な声に肩をすくめ、米沢は被害者の耳にかかった髪を慎重にのける。すると、伊丹は目を見開き、芹沢は驚きに、

 

「あっ!?」

 

 と大声を上げた。

 

「えっと、お二人ともどうしたんですか?」

 

 一様に顔色を変えた先輩刑事の姿に、霧子は眉を顰める。彼女には遺体の耳を見ても、特に思い浮かぶことがなかったのだ。二人に尋ねてみても、伊丹は考え込むように黙り込み、そして芹沢は「嘘でしょ……」と心ここにあらずの様子。

 

「あの、米沢さん?」

 

 要領を得ない先輩二人に見切りをつけて、霧子は米沢に尋ねる。すると彼は大きくため息を吐きながら告げるのだった。

 

「実は、過去にも同様の殺人事件が起こっているのです。まったく同じ現場、同じ死因。そして、遺体の状態も同一の事件が……」

 

 無残な遺体の右耳。片耳には残されていたピアス、それが右耳から失われていたのだ。

 

 

 

 翌朝。進ノ介が少しだけ痛む頭を擦りながら出勤すると、右京はいつものように自分の席で静かに朝刊を読んでいた。ただ、その様子がいつもよりも真剣に見えて。何か事件があったのだと、進ノ介は直感的に感じる。

 

「おはようございます。昨日はありがとうございました」

 

「ええ、こちらこそ。ところで、泊君……」

 

 右京が新聞を置き、何かを言いかけた。だが、それを遮る悪いタイミングでいつもの声。角田がコーヒーカップ片手に「暇か!」と告げて入ってくる。

 

「……角田課長」

 

「わ、悪かったって! 話さえぎってさ。まあ、あんたは暇じゃないだろうよ。あんなことが起こったんじゃ」

 

 出鼻をくじかれたからだろうか、右京が咎めるような視線を送ると、角田も少し申し訳なさげに謝る。だが、その意味ありげな言葉に、進ノ介は大きく興味が引かれた。

 

「杉下さん、角田課長、何かあったんですか?」

 

 進ノ介は二人へと疑問を投げかける。すると、右京は机に置いていた新聞を進ノ介へと手渡した。

 

「まずはこれを見てください」

 

「……今日の朝刊。っと、杉下さんが興味を引きそうなのは……。これでしょう?」

 

 進ノ介が指さしたのは一つの記事。それに右京はうなずきを返した。昨夜、荒川に流れ着いた女性の遺体についての記事である。見出しには「片耳のピアス」や「悪魔」とセンセーショナルな文字。

 

「『悪魔による凶行、再び』。ん? 俺も聞き覚えあるぞ、この事件」

 

 そう言うと、右京は立ち上がり、部屋を出ようとする。

 

「ええ、ということで僕は行きます。君はお好きになさってください」

 

「どこへ? って、あー、米沢さんのところですか。俺も行きますよ」

 

「……なんか、泊君も特命係に染まってきたね」

 

 そんな角田の不吉なつぶやきを聞きながら、進ノ介はネクタイを締めなおすと右京と共に鑑識へと向かうのだった。

 

「これは杉下警部、それに泊さんも。ちょうどよいところにいらっしゃいました」

 

 二人が到着したとき、すでに米沢は机の上で現場資料を並べて出迎えてくれた。やけに準備万端である。そのことを聞いてみると、米沢は。

 

「それが、お二人の前に来客がありまして」

 

「来客?」

 

「ええ、あちらに」

 

 米沢が指さす方向を見ると、霧子が段ボールを持ちながら鑑識室へと入ってきた。結構な大荷物で、慌てて進ノ介は手伝いに向かう。

 

「泊さん!?」

 

「ああ、先客って霧子だったんだな。荷物、俺が持つよ」

 

 進ノ介は霧子が持っていたそれらを受け取ると、部屋の隅にゆっくりと置く。それは捜査資料を保管しているもので、日付は今から八年前だろうか。見ると、同じような段ボールが幾つか既に積み上げてある。

 

「これらを我々鑑識で資料庫から引っ張りあげていたのですが、通りがかりの詩島刑事がお手伝いしてくださって。助かりました。なにしろ十件分の資料ですからね」

 

 米沢は嬉しそうに霧子と進ノ介に頭を下げる。元々、米沢は霧子に事件を説明するために資料を広げていたらしい。それで整頓された資料の謎は解けた。そして、米沢の言葉には聞き捨てならないものが。

 

「……十件?」

 

 その通常の刑事事件とはかけ離れた数字に戦慄しながら問いかける進ノ介。右京はそんな彼の問いに、捜査資料を眺めながら、静かに答える。その目は被害女性の耳の写真に向けられていた。

 

「ええ。十件の連続殺人です。解決は八年前ですから、泊君は高校生くらいでしょうか?」

 

「私なんて小学生ですよ。そんなに昔の事件ですから、うろ覚えでした」

 

 霧子や右京の言葉を聞いていると、だんだんと進ノ介もかつてテレビで見聞きした事件を思い出していく。当時、長いことワイドショーを騒がせていた殺人事件があったことを。

 

「もしかしてあの事件、かな? 悪魔とかカルトとか随分報道されていた気が。もしかしてその事件にも杉下さんが関わっていたんですか?」

 

「ええ。昨日、佐古さんとお話した事件もそれです。……ここは解説役が必要でしょうか?」

 

「ぜひ、お願いします」

 

 進ノ介が拝むように頼むと、右京は霧子と進ノ介にいくつかの写真を見せながら説明を始めた。机の上に並べられていく写真は、どれも女性の他殺体。首に絞殺痕が残っているものも、溺死のように顔が水にぬれているものも、痛ましい景色がそこに広がっている。そして、それらに一つの共通点が。

 

「どれも、片方のピアスがない……」

 

「ええ。それが、この事件の特徴です。事件の全容が発覚したのが今から八年前。荒川で女性の刺殺体が発見されました。そして、その事件では過去に東京で発生した未解決事件と同様に、遺体の片耳からピアスが失われていたのです。

 ピアスというのは、詩島刑事なら良くご存知かもしれませんが、少しのことで外れるものではありません。恐らく、犯人が持ち去ったのだと考えられました」

 

 前の犯行から十三年越しの二件目。性的暴行の形跡も物取りの痕跡もなく、そのことから怨恨、あるいは日本では珍しい快楽殺人と考えられた。そして、後者の場合、そのような衝動を十数年も抑えることはあり得ない。

 

「恐らく、他の場所でも犯行を行っていたのだと考え、僕と亀山君で全国の未解決事件を洗い出しました。その結果」

 

 右京が、一枚の紙を見せる。そこには年号と日付、そして発生場所に死因。それが十件分記載されていた。

 

「同様に右耳のピアスが持ち去られた殺人事件が他に八件、全国各地で発生していることがわかりました」

 

 進ノ介がそのリストを見ると、最初は大阪、次いで北海道と、数年のインターバルを置いて若い女性が被害者となった殺人事件が発生している。

 

「連続殺人だって気づかなかったのは、県を跨いだ犯行だったから、ですか?」

 

「ええ。それに加えて、それぞれの事件で用いられた手口にも連続性がない。それが大きな要因です」

 

 右京が指で示した場所には、扼殺、刺殺、毒殺、と多様な死因が描かれていた。そのことに進ノ介と霧子は顔を強張らせる。犯人の手口がわかってきた。

 

「当時も今も、日本各地の警察を集中管理する機関はありませんので、発見が遅れたと、そう言うわけです」

 

 米沢が当時を思い返すようにしみじみと呟く。日本には全国の警察を統括する機関がなく、県を跨いだ情報の共有はされにくい。また、連続事件の特定には犯行手段の同一性が大きな基準とされている。

 

 それらのセオリーを巧妙に外すことで連続殺人を隠蔽してきた。憎たらしいほどに警察の捜査手法の盲点をついた犯行だ。それだけで、この犯人の慎重さと狡猾さが進ノ介には伝わってくる。

 

「十件目の事件では偶然、埼玉県川口市で遺棄された遺体が東京都まで流れ着いたことで、連続性が確認されました。もし、その偶然がなければ、犯人逮捕はおろか連続殺人の全容すら分からなかったでしょう」

 

「その事件の犯人が、村木重雄」

 

 進ノ介は霧子と共に、少し頭が禿上げた、痩せぎすの男の写真を見る。一見すると感情に乏しく、このような大胆な犯行を犯すようには思えない。ただ、その目だけは深く濁った色を湛えているようだった。

 

「村木はかつての事件で有力な容疑者として挙げられた男でした。職業は人気予備校講師。その立場を利用して全国を飛び回り、次々に女性を殺害していったのです」

 

「……動機は何だったんですか?」

 

 米沢がとりだした写真には、どこか怪しげな、いや黒魔術的な祭壇に並べられた悪魔の絵と、ピアス。それを見せながら、右京が口を開く。

 

「追い詰められた村木が自殺したため、彼の口から詳細な動機が語られることはありませんでした。もっとも、彼は自身を『不治の病』だと正当化しようとしていましたが。

 彼は支配的な妻との共依存関係にありました。女性を殺害し奪ったピアスは力の象徴。それらを妻に身に着けさせることで、間接的に妻を支配する実感を得ていた。そう、共犯者は供述しています」

 

「とはいっても、彼は悪魔崇拝に傾倒していたようで。どうやら、独自の思想を構築していたようなのです」

 

 右京の言葉に米沢が捕捉を加える。村木の妻、順子の左耳はピアスをつけることができない事情があった。そのため、村木にとっては右耳のピアスのみが必要であり、それが彼の『署名的行動』へとつながったと考えられている。

 

「古代エジプトでは、ピアスを身に着けることで、身体への悪魔の侵入を防ぐことができると考えられていました。つまり、女性からピアスを奪うことは、被害者の体と魂を支配することに繋がります……」

 

 進ノ介は右京の言葉を聞きながら、村木の書き残した絵を見つめる。どれも悍ましい死体や悪魔が描かれており、彼の内面の残虐さがにじみ出ている。不意に気分が悪くなり、目を逸らした。

 

「……この事件、共犯もいたんですね。安斉直太郎、精神科医の内田美咲さんの助手ですか」

 

「村木が事故により犯行ができなくなったのち、共犯として三件の殺人を犯しています。その安斉も一年後に被害者遺族によって殺害。その事件でも安斉の精神鑑定結果に抗議して遺族の一名が自殺という悲しい結果が伴っています」

 

 最初から最後までやりきれないことばかりだ。進ノ介も霧子も顔を暗く曇らせる。だが、二人とも過去の事件に思いを馳せるために集まったわけではない。進ノ介は気を取り直すと、二人へと問いかけた。

 

「昔の事件についての概要は分かりましたけど、今回の事件との関係はどうなっているんですか?」

 

「それが問題なのです。昨夜発見された女性の刺殺体ですが。片耳のピアスが外されていました。八年前の事件と同じく右耳のピアスが。ピアスの件は事件解決後に公開されていますので、それだけならば単なる模倣犯の犯行だと考えられるのですが……」

 

「米沢さんや、他の方の驚きようから考えると、それだけではないようですね?」

 

 右京の言葉に米沢はゆっくりと頷く。

 

「ええ、杉下警部のおっしゃる通り。まず、遺体の発見場所である荒川河川敷。それが安斉による三件目の犯行、その遺体発見場所とまったく同じです。さらに、腹部の刺し傷も同様の箇所、個数、凶器の刃渡りまでほぼ同じ。それに埼玉県警の報告では、八年前の殺害現場から今朝、血痕が発見されました」

 

米沢がその遺体の写真を示してくれるが、確かに片耳のピアスがなかった。左耳には小さく可愛らしいピアスが残っているにも関わらず。

 

「……それ、おかしいですよね? 大まかな特徴なら単なる模倣犯でもあり得ます。けど、発見現場、殺害方法、殺害現場の全てが八年前と同じだなんて。そんな情報まで知っているのは、犯人か、捜査関係者しかいないはずです。犯人が二人とも死亡しているなら、どうやって模倣犯は事件の詳細を知ったんですか?」

 

 同意を求めるように進ノ介が全員の顔を見渡すと、霧子も右京も頷きで返す。その時、

 

「どうも、それだけじゃねえぞ」

 

 大きく音を立てて鑑識室へと入ってきたのは伊丹と芹沢だ。実にいいタイミングである。出待ちでもしていたのだろうか、と疑うほどの。

 

「伊丹さん、芹沢さん」

 

「ふんっ、特命仮面と警部どの。そんで、お前はこんなとこでなに油売ってんだ、詩島」

 

「特命、仮面……」

 

「どんどん短くなっていますね、泊さんの名前。あと、私も別に油売っていたわけじゃありませんよ? 事件のことを調べてたんです」

 

「それはそうと伊丹さん、先ほどの言葉は一体どういうことでしょうか?」

 

 何とも言えない表情で伊丹を見つめる進ノ介を放っておいて、右京は伊丹の言葉を促す。すると、伊丹は不機嫌な顔をしながらも、居並ぶ面々へと手に持つ資料を見せてくれた。

 

「あんな事件があったもんだから、先輩と俺で調べてみたんですよ、ここ数年の未解決事件。そうしたら、もう大変なことがわかっちゃって! いてっ!?」

 

「はしゃぐな、この馬鹿! ま、その結果がこれですよ。警部どのの真似をしたわけじゃないですから悪しからず。

 ただ……、またやられたみたいです。四年前に群馬、三年前に静岡、二年前に青森、そして去年に茨城! それぞれ手口は毒殺、轢殺、扼殺、転落死! 共通点は持ち去られた片耳のピアス!! 間違いなく、奴の模倣犯ですよ」

 

 伊丹は苛立たし気に資料を机の上に叩きつける。それを手に取った進ノ介と右京の目にも、伊丹が告げた事実が認められた。それぞれ、おおよそ一年の間隔で若い女性が殺害されている。そして、発生場所は過去に村木が犯行を『行わなかった』県。

 

 ピアスを奪うだけでなく、村木の『同じ管轄で犯行を行わない』『同じ殺害方法を選ばない』という手口を踏襲している。

 

「こんなに!? ……けれど、最初の事件の発生が四年前ですよね? いくら事件が風化していたとしても、村木の事件との関連に誰も気づかなかったんですか!?」

 

 霧子が驚きに声を染めながら尋ねた。すると、芹沢は各県警に連絡を取り、確認した事実として、

 

「今回の場合、どれも自殺や事故死を装って殺害されているんだ。一件目は青酸カリをジュースに混ぜて、二件目は盗難車でひき逃げ。その次は室内で首吊り、最後はマンションから転落だよ。どの事件でも他殺の疑いも考慮されたけど、有力な犯人も浮かばず、未解決になってる」

 

「……なるほど。村木重雄は警察の管轄の違い、そして異なる殺害方法を取ることで捜査を攪乱していましたが、この犯人はそれに加えて捜査の発生を防いでいる。

 単なる模倣犯ではなく、村木の手口を研究し、独自に進化させているといえます」

 

 右京が厳しい口調で言う。伊丹達の報告は、またも警察の裏をかかれて連続殺人が行われていることを如実に示している。

 

「甲斐刑事部長も事態を重く見て、県警との合同捜査本部を立てるらしい。……と、いうわけで俺達はそちらに向かわなくては行けないので、失礼。さっさと戻るぞ詩島!!」

 

「もう、言い方……。それじゃあ、泊さん、杉下警部、私も失礼します。あ、米沢さん、この被害者の資料、お借りしていきますね」

 

 伊丹は最後に大仰に頭を下げると、すたすたと立ち去ってしまう。捜査一課での仕事がある霧子も戻らなくてはいけない。だが、霧子が被害者の写真を手に取ろうと手を伸ばした時、彼女の手が一瞬だけ止まった。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

「い、いえっ、なんでもないです。……たぶん」

 

 自分でも何が気になったのか分からない様子であった。少し眉を寄せた霧子も部屋を出ていく。残ったのは特命係と米沢だけ。人数が半減した部屋。その机の上にはなぜか伊丹が持ってきた資料が置いたままとなっていた。

 

「あれ、伊丹さん達、この資料いらないのかな? 置いてったみたいだけど」

 

「そうですねえ。あちらが使わないというのなら、僕たちで使わせていただくとしましょう」

 

 右京が微笑みながら資料を手に取り、ぱらぱらとそれを捲っていく。伊丹の普段のガサツな様子とは違い、丁寧に情報がまとめられていて、読みやすいものだった。それを見ながら米沢はぽつりと、

 

「何故だか最近の伊丹さんは、特命係に親切に思えるのですが……」

 

「あれでですか!?」

 

「ええ、あれでも。まあ、ここはご厚意を素直に受け取っておくとしましょう。さて、おそらく一課は村木や安斉の関係者や捜査関係者を洗い出していくと思われますが、僕たちはどうしましょうか?」

 

 次はどこに遊びに行こうか、と言う様な気軽さで右京が進ノ介に声をかけた。それにつられて、進ノ介が生徒のように手を上げる。その彼を手で示しながら、右京は、

 

「では、泊君」

 

 と意見を促した。

 

「ちょっと、今回の事件について気になることがあります。伊丹さん達が調べた四件の殺人と昨日の事件。かなり手口が変化していますよね? 昨日の事件は村木の事件の中でも、共犯の安斉が行った三件目の完全な模倣です。犯行場所、殺害方法、全部を同一にしている。

 けど、他の犯行では、村木の事件から手口だけを模倣しています。あまつさえ、それをさらに進化させて。これらの事件が同一犯だとしたら、手口の変化は何が原因なのかなって」

 

 進ノ介も模倣犯罪を行った犯罪者と対峙したことがある。現在は東京拘置所に収監されている西堀光也。彼は犯罪心理学者として活躍する裏で、著名な犯罪を多数模倣していた。その西堀の場合、過去の犯罪の全てを再現しようとせず、特徴的な犯行手順を再現することに拘りが見られている。

 

 それを考えると、今回の場合は、

 

一.村木の手口を進化させた四件

二.八年前の犯行を完全な再現させた昨夜の事件

 

 二つのパターンがある。そして後者では完全再現に拘わるがゆえに模倣犯の存在を警察へと知らせてしまった。これは、村木の信条に反することのように思えるのだ。

 

「なるほど、この二件が別々の模倣犯によるものではないか? 君はそう考えているのですね」

 

「正直、シリアルキラーの模倣犯が二人もいるなんて、考えたくはないですけどね。一人による犯行だとしても、パターンの変化に繋がる何かが起こったのだと思います」

 

 進ノ介の意見に右京も納得するように頷く。

 

「確かに、僕もそう思えます。ただ、仮に二人の模倣犯がいたとしても、両者に関係がないとは言い切れません。事件の発生した日付を見てください」

 

 右京に促されて進ノ介は資料に目を通す。過去四件を含めた五件。それはいずれも一年おき、そして、

 

「発生がどれも十一月……」

 

「ええ。厳密な日付や曜日は違っていても、決まって十一月後半。……村木の犯行が発覚し、彼が亡くなった日の前後です」

 

「今日は十一月の末日。今年は昨日の事件以外に犯行は行われていないから……」

 

「犯人が一人だった場合はともかく、複数犯だった場合、彼らの間でなにかしらの申し合わせがあったと考えることもできます」

 

 別々の犯人が異なる思惑で動いていた場合、今年も過去四件と同じ手口で犯行が行われているはずだ。この犯人は村木と比べて犯行ペースも早く、日付にもこだわりを持っている。容易に犯行を止める犯人とは思えない。

 

「……お二人のお話を聞いていると、何とも宗教じみた臭いを感じてぞっとしますな。村木自体、独特の思想を持っていたようですし、それが広まっているなどと考えたくないものですが」

 

 二人の推理を聞いていた米沢は、気味が悪そうに体を震わせる。その言葉を聞き、進ノ介の背中にも寒いものが伝った。村木と言う冷酷な殺人鬼の悪意が、本人の死後も社会の中に彷徨い、新たな犯行へとつながったのだとしたら。

 

「これを許したら、新たな模倣犯の発生にも繋がりかねない……。一刻も早く、犯行を止めないと」

 

 村木と言う犯罪者をカリスマにするわけにはいかない。進ノ介は決意を口にすると、ぎゅっと拳を握った。

 

「……では、まずは昨日の事件から始めるとしましょうか。同一犯にせよ、複数犯にせよ、手口が大きく変化しています。全ての事件解決に繋がる鍵があるかもしれません。

 というわけで、僕と米沢さんは外へ出ようと思うのですが、君はどうします?」

 

「もちろん、一緒に行きますよ! こんな犯行、放ってはおけませんから」

 

 その進ノ介の大きな返事に満足げに微笑むと、右京は無言で外へと向かった。進ノ介もその後を追って。そして、米沢はぽつんと、

 

「私は杉下警部に着いていくとも何とも申していないのですが……」

 

 そうぼやきつつも、慌てて荷物をまとめると特命係を追いかけるのだった。




今話は全4パートで完結します。

相棒の数ある犯人の中でも印象に残っている方が多いであろう、小日向文世さん演じる「村木重雄」。浅倉や閣下に匹敵する悪役です。そして、彼に魅了された安斉役は、今を時めく高橋一生さん。すごい豪華なキャストですよね。

今回はそんな村木の事件を題材としました。果たして、模倣犯がどのようにして生まれたのか、皆様にもお楽しみいただけると幸いです。


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第六話「悪魔の継承者 II」

ここまでの状況のまとめ

 八年前、特命係が解決した連続殺人事件。その模倣犯による殺人が発生した。場所、方法まで細かく模倣した事件。そして、捜一の捜査により、それ以前にも自殺や事故に偽装して、四件の模倣殺人が行われていたことが分かり……。

村木重雄
:二十五年にわたり、七人の若い女性を殺害した連続殺人犯。被害者の右耳のピアスを奪うことが特徴。悪魔崇拝に傾倒していた。
警察に追い詰められ、八年前に自殺。

安斉直太郎
:村木に魅入られ、共犯となった精神科助手。三人の女性を殺害したのち、上司である内田美咲を殺害しようとしたところを特命係が阻止。自殺を図ったが逮捕された。
後に被害者遺族によって殺害される。

舞原ひとみ
:被害者。安斉の事件と同一の方法、場所で殺害された。



「村木さんが埋葬されて以来、こんな手紙やらが届いて困ってるんですよ……。墓にも悪戯されたりねえ。死ねばみんな仏さんですが、村木さんはこちらに来てから騒がせてくれてます」

 

 都内のとある寺。訪れた捜査一課の三人を出迎えた住職はそんなことをぼやきながら、大きくため息を吐いた。それを聞く霧子たちの前には、山ほど手紙が入った段ボール箱が奇妙な存在感と共に置かれている。

 

 村木、あるいは安斉と縁のある場所は少ない。特に村木は親類縁者とも絶縁。それは彼の妻である順子の意向だったのだろう。その村木順子も傷心のためか海外へと姿をくらませており、マンションも引き払っている。

 

 そんなものなので、順子によって村木重雄の墓が建てられたこの寺院は、一部の界隈で有名な場所となってしまった。悪魔崇拝に傾倒した村木がよりにもよって寺に葬られるというのは、皮肉と言うかなんというかである。もっとも、教会に葬られても村木も神も困るだろう。

 

 ともかくとして、村木の墓が立つ寺院へと捜査一課の面々は情報を求めてやってきたのである。

 

「……これ、全部村木のファンかよ」

 

 段ボールの中を見つめながら、伊丹はげんなりとした表情で呟く。試しに、数通の手紙を取って読んでみる。そこには「犯行を知って悪魔に興味を持った」やら「現実を忘れさせて」やら、「貴方を崇拝している」だの。愛や興味や崇拝など、それぞれにベクトルは違うが、どれもが村木へと熱烈な感情が向けられている。

 

「うわっ、これなんて血で書かれてますよ……。触っただけで呪われそう」

 

 芹沢などは顔を青くしながら気味悪げに手紙を放り投げてしまう。その手紙には芹沢が言う通り、赤黒く変色した液体で字が。

 

「連続殺人犯に惹かれる人間って意外と多いって聞きますけど……。ここまでなんて。でも、模倣犯がこの中に隠れているかもしれません。何かを見つけないと」

 

 正直に言えば、霧子自身も手紙の山を気味悪く思う。できれば触りたくなどはない。男性二人の反応も仕方ないとも思う。だが、彼女は戦慄を抑えながら果敢に手紙の山へと挑んでいった。探すのは事件を示唆する手紙、あるいは模倣へ至るほどの村木への信奉が書かれたもの。

 

 そして、霧子のそのような姿を見て、伊丹も芹沢も顔を引き締めて手紙を漁り始める。彼女が言う通り、事件解決の手がかりがあるというなら、刑事が尻込みするわけにはいかない。

 

 古今東西、シリアルキラーと呼ばれる連続殺人犯たちは世間へ恐怖を振りまくだけでなく、一部の者たちを強く魅了してきた。凶悪殺人犯の獄中結婚なども海外では珍しいことではない。『悪は人を魅了する』。あるいは精神科医の内田美咲が指摘した通りか、その悪意が人へと伝染していくのだ。

 

 『平成の切り裂きジャック』こと浅倉禄郎にさえ、拘置所には毎日のようにファンレターが届いていたという。今回の事件を引き起こした模倣犯も、果たしてそのように悪と犯罪に魅了された人間なのか。

 

 刑事たちはその悪意に呑まれないよう、必死に手がかりを探していった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第六話「悪魔の継承者 II」

 

 

 

 進ノ介と右京、そして彼らに無理やり連れてこられた米沢は都内を飛び出て埼玉県へと辿り着いていた。昨晩遺体が発見された舞原ひとみの血痕が見つかった現場。それは間違いなく、八年前に村木の影響を受けた安斉によって殺人が行われた場所であった。川をまたぐ高い鉄橋の途中に、赤黒い血が撒き散らされている。

 

「あのぉ、杉下警部。ご存じのことと思いますが、私は高所恐怖症ですから、あまりお役に立てないかと」

 

 米沢は橋の途中でへっぴり腰になりながら、手すりを掴み、弱弱しい声を上げる。まさに生まれたての小鹿というべき姿。その可哀想な声を聞きながらも、特に高いところへ苦手はない特命係は、スタスタと中腹まで歩いていった。すでに埼玉県警の鑑識班が撤退した現場。そこに立ちながら、右京と進ノ介は流れる荒川の流れを見る。上流だけあって、流れは驚くほど早い。

 

「ここから投げ落としたんですよね? そりゃ、あんな傷がつくか……」

 

 進ノ介が呟く。舞原ひとみの遺体には死後に体を強く打ち付けた跡と、流れによる擦過傷が確認されている。ここが殺害現場ならば、そのままどんぶらこと、流れて行ったと考えるのが普通だろう。だが、右京はしばらくじっと下流を見つめて、その視線を遠くへと伸ばしていった。そうして、一言、

 

「……あそこですね」

 

「ん?」

 

 静かにある地点を指さすと、唐突に来た道を戻り始める。ついでに途中で震える米沢に朗らかな声を向けて、

 

「ああ、米沢さん。今度こそ、あなたの出番ですよ」

 

「……ならば、なぜ私はわざわざ橋の上に来なくては行けなかったのでしょう?」

 

 米沢の抗議の声に右京が答えることは無かった。

 

 三人が向かったのは、橋から少し下った場所。おそらくは夏にはバーベキュー場となるのだろう広い河原である。ただ、そこから十分ほど上へ歩くと、川幅が狭まっている箇所があった。付近を見ると、漁に使うのだろうか、網を立てる杭などが立てられている。

 

 右京は迷いなくその地点まで歩くと、今度は地面に目を凝らし始めた。しばらくの間ぐるぐると歩くと、立ち止まり、

 

「米沢さん! こちらに!!」

 

「は、はあ……」

 

 米沢も進ノ介も右京の行動に疑問に抱きながら、その場所まで走りよる。すると、右京は深く背を屈めて、一つの石を指さした。そこにはうっすらであるが、黒い痕が残っている。進ノ介の目が間違いでなければ、

 

「これ、血液ですね」

 

「ええ。米沢さん、確認をお願いします。……今回の事件で、舞原さんのご遺体が発見されたのは八年前と同じ場所でした。ですが、いかに同じ場所で殺害し、遺体を遺棄したとしても、まったく同じ場所へ流れつくことなどありえない。

 恐らく犯人はあの橋から舞原さんの遺体を落下させ、この地点に網を張るなどして、回収したのでしょう。それを改めてあの河川敷に遺棄した」

 

 進ノ介は右京の言葉を聞きながら、流れる川を見る。いくら網を張ったり、命綱をつけたりしても、ここから遺体を回収しようとすれば相当の骨だ。それだけ、犯人は犯行の再現に拘ったのだろう。

 

「……確認しました。警部のおっしゃる通り、確かに人間の血液のようですね。すぐに県警の応援を呼び、付近を調べてみます」

 

「お願いします。さて、泊君。君でしたらおそらく気が付いているでしょうが、この犯人は八年前の犯行を再現することに固執しています。そのために同じ場所に被害者を誘い出し、同じ殺害方法を取り、同じように遺体を遺棄したのち、それを発見現場にわざわざ運んでいる」 

 

「だったら、もっと細かいところまで再現しているはずですよね? 例えば、被害者の選び方も」

 

 進ノ介が笑みと共に言うと、右京は合格だと言わんばかりに一つ、頷きを返すのだった。

 

 

 

 鑑識作業を米沢と県警の鑑識に任せると、一足先に右京と進ノ介は東京へと戻り、被害者を調べることとした。

 

 かつての事件で安斉はデートサービスを使用して被害者を物色した。今回の事件は、細部まで再現している模倣犯罪。病質的なまでのそれは、ピアスと同様の『署名的行動』だ。犯人にはどうしても再現を止めることはできない。ならば、元となった事件と同様にデートサービスを通して被害者と知り合っていると二人は考えたのだ。

 

 進ノ介の車に乗りながら、特命係は東京の被害者宅へと向かう。被害者の職業は企業の営業だが、今のご時世、裏の顔としてデートサービスに登録していることは十分にあり得た。その点を確認するためには、被害者の人となりを詳しく知る必要がある。

 

 幸い、舞原ひとみの家には、遺体の身元確認と遺品整理のために夫と妹が滞在していて、会うことを了承してくれている。彼らに聞けば、その点についても確認できると思われた。

 

 舞原の自宅は都心にある高級マンション、それも見晴らしのいい高層階。一流企業に勤めているとはいえ、被害者は一介の会社員であり、夫とは離婚調停中の身だという。そんな彼女が単独で購入し、維持するにはこのマンションは少し不釣り合いにも思えた。

 

 二人が部屋へとたどり着くと、彼女の夫である舞原浩二が出迎えてくれた。顔立ちは精悍だが、優し気な目が印象的。彼は内科医として開業しているので、患者ウケもよかっただろう。

 

「どうぞ、妻の遺品はそのままにしてあります」

 

 浩二氏に案内された室内も、マンションと同じく高級家具があふれている。また、内装や壁紙の色からは被害者の意志の強さが感じられた。

 

 その部屋の中央におかれたテーブルには、被害者の妹である片平ゆかりと、痩せた中年男性が掛けていた。

 

「片平ゆかりと言います。こちらは姉のカウンセリングをお願いしていました出渕先生」

 

 片平ゆかりは二十四歳。姉とは二歳差の姉妹だが、被害者とは雰囲気が違い、理知的で大人しい印象を抱かせた。だが、彼女の耳には少し目立ったピアスが存在していた。こんな事件なのでついついピアスに目が移ってしまうが、やはり女性はそうしたアクセサリーに拘るようだ。清楚な服装にもピアスが良く似合っている。

 

 そんな彼女は英語の通訳として働いているという。そして、彼女によって紹介された出渕氏はマンションのある地域で精神科のクリニックを経営している。浩二氏とは医療関係で旧知の仲だとか。

 

「精神科医の出渕義実です。お二人が事件を捜査されている刑事さんですか?」

 

「ええ。警視庁特命係の杉下と申します」

 

「警視庁の泊です。早速ですけれど、お部屋の中を調べさせていただいても構わないでしょうか?」

 

「もちろんです。……姉を殺した犯人を、必ず見つけてください」

 

 了承を得ると、すぐさま右京は部屋中を探索し始める。そして、その間に進ノ介は家族に事情を聴くことにした。当初は二人の推測を確かめるのは困難かと思われた。普通は身内に、そのようなサービスに所属していることは明かさない。

 

 だが、驚くべきことに、進ノ介が被害者の生活について尋ねると、遺族はすぐに被害者がデートサービスへ登録していることを認めた。

 

「えっと、皆さんご存じだったんですか? ひとみさんがそういうことに参加しているってことを」

 

 進ノ介が困惑を顔に張り付けながら尋ねると、浩二氏は額に汗をかきながら、申し訳なさそうに頷く。

 

「ええ。彼女、私との離婚調停が始まったころから、精神的に不安定になりまして。ストレス発散と言いますか、そういうことにのめりこんでいたんです。ここ一年くらいのことでした……。

 それで出渕先生にカウンセリングをお願いしまして。別れようとしている相手とはいえ、妻が疲れ果てていくのは見ていられませんでしたし……」

 

「そうですか。……お聞きにくいことを尋ねますけど、離婚協議の原因は何だったんですか?」

 

「金遣いの荒さと、後は性格の不一致ですね。付き合っていたころは、彼女の芯の強さに惹かれていましたけど、妥協を知らない彼女との生活に疲れてしまって……」

 

 浩二氏がそう言うと、妹であるゆかりも表情を暗くしながら頷く。

 

「姉は昔から勝気と言いますか、自分の生き方に拘る人でした。とはいっても、皆から好かれていましたし、輝いている姉は私にとっても、家族にとっても誇らしかったんです。

 ただ、ここ数年はそれが悪い方面に働いてしまってて、仕事でも失敗続きだって落ち込んでいました。浩二さんには、それも原因で当たってしまっていて」

 

 人間、一つのミスで落ち込むと立て続けに悪いことが続くこともあるが、被害者はそんな負のスパイラルに捕らわれていたのだろうか。そして、その治療にあたっていたという出渕氏は、次のように被害者のことを述べた。

 

「通常、カウンセリングにあたっては患者さんに心を開いてもらうことが何より大切です。ただ、彼女の場合は、我が強いと言いますか、少し強情なところもありました。

 それも災いして、そういうサービスに登録して自分を傷つけるような真似も。私としても薬物や定期的なカウンセリングで対処していたのです。最近は少し改善の兆候もあって、これからというときだったのですが。……まさか、このような形で亡くなるなんて。残念です」

 

 出渕氏からは、被害者が登録していたデートサービスについての情報も手に入れることもできた。これがあれば、事件当日の被害者の行動を詳しく知ることができるはずだ。

 

 それらに加えて幾つかの話を聞き終えると、進ノ介は相も変わらず部屋を物色していた右京へと声をかける。その荒らし方には遠慮というものがない。物取りと大差はない様だった。

 

「……杉下さん、何か手がかりはありましたか?」

 

「あちらのクローゼットの中に、デートサービスで使用していたと思われる服や装飾品が確認できました。ただ、被害者は決して生活に余裕があったわけではないようです。あまり数は多くありませんね」

 

 右京はデジタルカメラに撮影した写真を見せてくれる。中でもピアスの写真は一つ一つ入念に。右京は少ないとはいうが、十数個は持っていたようだ。

 

「君の方は?」

 

「直接の手がかりとなりそうなのが。これ、デートサービスの業者の連絡先です」

 

「……なるほど。犯人の性別など、情報が得られるかもしれませんね」

 

 被害者宅を出ると、二人はすぐさま二人はその業者へと接触することとした。電話をすれば逃げられる可能性もあるので、直接向かうこととする。

 

 再び埼玉県の川口市。駅前の古いビルの中にその業者のオフィスが存在した。

 

 二人がそこへと乗り込むと、胴元と見られる禿げた男は、すんなりと情報を明かしてくれた。仲介人という名目で活動しているが、叩けば埃が出るだろう業種だ。取り締まりではないと言うと安心したのだろう。語り口は饒舌であった。

 

「えっとね、うちだと『アヤ』って名前で働いてたよ。これ、写真」

 

 進ノ介はその写真を受け取る。その写真の中では舞原ひとみは明るい色のドレスに、厚い化粧と、普段の姿とはかけ離れた怪しさを放っている。女性の変わり身と言うのは、男性には想像できないほど激しいものだと進ノ介は思わされた。

 

「そのアヤさんが最後に会ったお客って分かりますか? 仲介したなら男性か女性かとか、年齢とか。ある程度で良いんですが」

 

 進ノ介は胴元へと尋ねてみる。

 

 ただ、彼も右京も、まさか犯人がすぐわかるとは思っていなかった。通常、犯人は身元を隠そうとするものであるし、電話の声を変える等ということは当然していると思っていた。だが、男から得られた情報は、

 

「最後の客……。ああ、これだ。アヤちゃんをご指名だったよ。で、電話番号がこれね、携帯電話。他に分かること……。そうだねえ若い男だったよ。まだ二十代じゃないかな? うちは大体中年のおっさんばかり相手してるから、印象に残ってさ」

 

 そう言って、男は電話番号を書いて渡してくれる。確認をしてみると、通常の犯罪で使われるようなプリペイドの使い捨て携帯ではない。照会によって、所持者の名前と住所まで分かってしまった。

 

 三崎謙吾、二十二歳。都内の大学で心理学を学んでいる学生である。

 

 あまりにもあっけなく容疑者が見つかったが、何の幸運にしても判明したのなら向かうしかない。二人は車へと飛び乗ると、元来た道を急いで逆走する。道すがら、右京は捜査一課へと連絡を取る。

 

 だが、スピーカー越しの伊丹からは予想外の反応が返ってきた。

 

「伊丹さん、杉下です。重要参考人が判明しましたので、ご報告を。名前は三崎謙吾、住所は……」

 

『そいつはとっくに分かってます! 今、そいつの家に踏み込んだところですよ! 三崎はどこにもいません!!』

 

「はい?」

 

『もしもし、詩島です! 私たち村木が埋葬されたお寺に行って、村木宛の手紙を探してきました。その中に、三崎謙吾の名前で犯行を示唆するものがあったんです。それで直ぐに自宅マンションへ向かったんですけど……』

 

「……なるほど」

 

 霧子たちの報告によると、件の三崎謙吾の自宅には、祭壇が作られ、悪魔的な絵が残されていたという。しかも、ご丁寧に祭壇には血の付いたナイフまで置かれて。現段階でピアスは見つかっていないそうだが、三崎が第一容疑者と考えて間違いはない。

 

 だが、それらを聞いていて、進ノ介は何か釈然としないものを感じた。あれだけ手間暇かけて事件を起こしたのにも関わらず、この事件の犯人は手紙や電話番号という証拠を残している。過去の村木の事件や、四年前から続く模倣犯と違い、自身を隠そうとしていない。

 

 右京も重要な容疑者が浮かんだのにも関わらず、硬い表情のままなのは、それが原因だろう。

 

「……こいつ、隠れる気がないのか?」

 

 そして、進ノ介が疑問のままに一言つぶやいたときだった。

 

「……僕としたことが!!」

 

「ぅおお!?」

 

 助手席の右京が突然大声を出した。その突拍子のなさに、進ノ介は慌ててハンドルに力を込める。運転中なのだから少しは配慮してくれないと困る。そう非難を込めた目を右京へと向けると、彼は興奮したように身振り手振りを加えながら進ノ介たちに語り始めた。

 

「僕たちは舞原さんの事件が『村木』の模倣犯だと考えていました。しかし、それが間違いだったのです!!」

 

「……どういうことですか?」

 

「そもそも、村木の事件と安斉の事件を同一と考えたのが間違いでした。確かに彼らは師と弟子とも言える関係でしたが、実行犯としては別です。

 そして、今回の事件は『安斉』の最後の犯行の模倣です。いいですか? 『村木』の最後の犯行ではありません。三崎謙吾が模倣していたのは、あくまで安斉直太郎だったんです」

 

『けれど、杉下警部。三崎謙吾の手紙には熱烈な村木への信奉が書かれています。……ここからは安斉への執着が見られませんよ?』

 

 霧子が右京の猛烈な言葉に反論する。執着するほどの相手だからこそ、犯行さえ模倣する。

 

 村木ならともかく、安斉と出会った右京や伊丹、芹沢にも彼にそこまでのカリスマ性を感じ取ることは無かった。そんな相手を模倣する必要が、村木の信奉者にあるのだろうか。

 

 その疑問に対して、右京は目線を前に向けながら答えていく。

 

「ここからは、あくまで推測です。……安斉は村木の唯一の弟子とも呼べる存在でした。そして、村木に心酔する三崎謙吾にとって、安斉は許せない存在だったのではないでしょうか?

 安斉への嫉妬。そして、安斉が犯したミスにより村木の犯罪までもが暴かれてしまった。あまつさえ、村木は安斉をかばって自殺しています。それは三崎にとって認められないものだった」

 

『そんなやつがどうして安斉の犯行を模倣するっていうんですか!?』

 

 伊丹の大声がスピーカーから響き渡る。

 

「……三崎は安斉になり替わろうとした。彼の犯罪を模倣し、彼を超えようとしたのではないでしょうか。安斉はその犯行の最後に、大きな失敗を行いました。それを達成すれば、三崎は安斉を超えることができると、そう彼が考えたとすれば! ……この無防備ともいえる行動にも説明ができます。彼にとって、警察に発見されることも目的への一過程だったんです」

 

「杉下さん、その大きな失敗って何だったんですか?」

 

「……伊丹さん、これから言う場所へ、以下の手配をお願いします。そして、泊くん、急ぎましょう!!」

 

 右京に急かされるまま、進ノ介は猛スピードで示された場所へと向かうのだった。

 

 

 

 進ノ介のGTRが急停車したのは、都内のあるマンションの前。それは、八年前に安斉がアジトとし、内田医師を転落死させようとしたマンション。二人が車内から飛び出ると、すぐに右京が屋上を指さす。

 

「泊君、あそこです!!」

 

 進ノ介も目を凝らすと、確かに屋上に人が立っている。進ノ介はそれを見ると、急いでマンションの中へ入り、階段を数段飛ばしで駆け上がっていった。こういうときは仮面ライダーとして戦い抜いた経験がモノを言う。非常事態だったので、右京を置いていくことになったが、かなり早く屋上まで登ることができた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 肩で息をしながらドアを開くと、広い屋上スペースの端に一人の青年が立っていた。

 

 三崎謙吾は眼鏡をかけた不健康そうな若者だった。ただ、その顔だけは爛々と輝いており、進ノ介を認めると、にやぁと口を歪めて笑みを作る。

 

 そして、彼はゆっくりと歩きだし、屋上の縁に足をかけた。あと一歩で空中へと踏み出される位置。

 

「待て!!」

 

 進ノ介が急いで駆け寄ろうとするも、ある程度の距離へ迫ると三崎は、

 

「来るな!」

 

 と叫び、片足を浮かせる。途端に体がぐらつき、わずかな風でバランスを崩しそうな姿。それ以上近づくと、飛び降りると示しているのだ。その態度を前に、無理に迫ることはできない。

 

 進ノ介は彼を冷静にさせるために話かけることとする。だが、すでに彼は冷静に見えた。恐らくは、もう飛び降りることを決意しているのだろう。あるいはここから考え直すことはないかもしれないが、せめて話をさせ、隙を見つけるしかない。

 

 三崎も飛び降りる前に最後の会話を楽しむつもりなのか、進ノ介へ向き直ると口を開いた。

 

「……泊進ノ介。仮面ライダーだよね? 嬉しいな、最後に追ってきたのが貴方だなんて。村木先生にも自慢できる」

 

「三崎くん、……君が舞原ひとみさんを殺害したんだね?」

 

「そうだ。僕が殺したんだよ。……それだけじゃない。僕が他の四件もやった」 

 

 進ノ介の顔が強張る。三崎が他の模倣犯行まで自白したからだ。ならば猶更、ここで死なせるわけにはいかない。

 

「理由は? どうして君は村木の、安斉の犯行を真似したんだ?」

 

「安斉の名前は出すな!! ……あいつは裏切りものだ。犯行を失敗した上に、最後は更正施設で反省なんかしやがった!!

 それに、理由? くだらないことを聞くね。僕も村木先生と同じだよ。呼吸をする様に人が殺したくなる。これは、不治の病なんだ。ずっと、そんな簡単な事実を認められなかった。けれど、村木先生が僕を解放してくれた!! ……僕も先生のように善悪を超越した存在になる」

 

 三崎の物言いは進ノ介には認められないものだ。決して、認めてはいけないものだ。奇しくも、かつて右京と亀山薫が訴えたように、村木達は身勝手な衝動に負け、殺しを楽しんだだけ。それを手前勝手な理屈をつけて誤魔化している。

 

 人に言えないような衝動を抱えている人なんて、いくらでもいる。けれど、その人々だって、苦しみながら折り合いを付けて生きているのだ。それを放棄し、病だと言い張るなど、許せるものではない。

 

 だが、この場で彼にそれを説いても、飛び降りを誘発するようなものだ。進ノ介は内心の憤りを隠しながら言葉を続ける。

 

「そこから飛び降りても、君は村木にはなれない。……君が村木に憧れ、共感しているというのなら生きて世間へ訴えるべきじゃないか? 君には裁判の場だって与えられる、取材も山ほど来る。君が村木の考えを広めたら、その時こそ、君は村木の一番弟子だ」

 

 言っていて反吐が出そうになるが、目の前の命を見捨てることはできない進ノ介は必死に言葉を続ける。

 

「……その手には乗らないよ。警察に僕は裁けない。ここで、僕は安斉を超えて、あの人と同じ存在になるんだ……」

 

 それこそが三崎の目的だった。安斉は八年前、この場所で自殺を図り、右京達によって阻止された。その安斉と同様の犯行を行い、警察から永遠に逃れる。つまり、自殺を遂げることは、ある種、安斉を超えることに繋がるのではないか。右京のそうした推理は、確かに当たっていたのだろう。

 

 三崎は言葉を閉じると、天を見上げて何事かを呟き始めた。

 

「vim―――……」

 

「うぃん……? なんだ?」

 

 だが、その言葉は進ノ介の耳にまでは届かない。屋上の風によって散らされてしまっている。そして、その言葉を呟くほどに三崎謙吾の顔には恍惚が広がっていく。

 

 不思議と進ノ介の背中には怖気が走った。幽霊を恐れているわけではないが、彼には今にも飛び降りようとする三崎の背後に、奇妙な黒い影が広がっているように感じたのだ。

 

 その虚ろな目が、進ノ介と三崎を見つめている……。

 

 そして、

 

「やめろ!!!」

 

 進ノ介の制止もむなしく、三崎は屋上から身を躍らせた。進ノ介は彼が飛び降りた縁へと駆け寄り、下を覗き込む。そうして数秒経つと、腰が抜けたように、地面へ尻をつき、大きく息を吐いた。

 

「……ぎりぎりセーフ、か」

 

 進ノ介の視線の先には、仰向けに大の字となった三崎謙吾の姿。その彼の下には巨大なクッションが置かれており、右京がその傍らで『無事』のジェスチャーを取っていた。

 

 

 

 数時間後、病院での簡単な検査で無事が確認されると、三崎はすぐさま警視庁へと移送される。そして押し込まれたのは取調室。彼には聞かなくてはいけないことが山ほどあった。

 

 過去の四件の殺人。彼が自供したそれが正しいのか。

 

 安斉の事件に関して、どこから詳細な情報を入手できたのか。

 

 どこで村木の思想に傾倒したのか。

 

 取り調べをまず担当したのは伊丹と芹沢だった。まずは強面の二人で攻勢をかけるという。意外にも、伊丹は特命係が見学するのを認めた。このような気色の悪い事件は特命係に任せたいなどと苦言を言っていたが、本音では過去の事件を解決した右京の知恵を借りたいと、そんな側面もあるのだろう。本人は決して認めないだろうが。

 

 進ノ介と右京は、霧子と共に無機質な椅子へ腰かける三崎謙吾を見つめていた。そこへ伊丹達が資料を手に入ってきて、取り調べが始まる。だが、三崎は屋上での饒舌さとは打って変わり、うつろな目を天井に向けたまま、かすかに口を動かすのみ。

 

 伊丹と芹沢が何を言っても、答えることは無かった。

 

 兵隊としての訓練を受けた人間は、尋問の際に黙秘するのではなく、一定の言葉を言い続けることで耐えると言う。心理学を学んでいた三崎もそう言う手法を取っているのかもしれない。

 

 次第にいら立ちを募らせていく伊丹。しかし、十分ほどそんな事情聴取が続いた後、ようやく三崎が話した言葉が全員に戦慄をもたらすことになる。

 

「おい! てめえがだんまり決め込んでも別にいいんだ……。こちらには凶器や証拠が山ほどある。てめえが望む通り、安斉と同じ刑務所にぶち込むことはできんだよ!!

 ……だがな、てめえがどうやって村木の事件を知ったのか、情報を得たのか。それだけはどうしても話してもらうぞ!!」

 

 伊丹が青筋を立てながら、三崎へと顔を近づける。すると、三崎は上へと向けていた目をゆっくりと下げた。

 

「どうやって知ったか、ですか?」

 

 口を開き、出たのはそのような言葉。三崎は奇妙に顔を歪ませると、蛇のように首をかしげ、伊丹の顔を見つめる。その言いざまは『そんなことも分からないのか』と警察を侮り、あざ笑う様。

 

 その声に伊丹は机を手でたたき、威嚇する。

 

「てめえは事件当時、中学生だ。捜査の詳しい情報を知るわけがねえだろ!! どこから情報を手に入れた……!」

 

 だが、三崎はびくりとも肩を揺らさず、けたけたと笑い声を上げ始めた。狂気が顔に張り付き、まさしく奇怪な悪魔のようにも感じられる。そして、告げられた言葉、

 

「僕は情報を得たんじゃない。直接教えを受けたんですよ! あの人に、村木先生に!! あはは! あの人は生きてますよ、今も!! 彼は善悪だけじゃない。死すらも超越したんです!! あはは、あははははは!!」

 

 笑い転げる三崎に血相を変えて伊丹が掴みかかる。刑事である彼には、そんな証言を認めることはできない。

 

「村木は死んだ!! 俺達の目の前でな! 奴が生きているわけねえだろ!!」

 

「あはっ! Vim patior……、Vim patior……」

 

 それ以上は何も言うつもりは無いのだろう。三崎は目を閉じると不気味な言葉を延々とつぶやき始めた。その言葉は進ノ介にもかすかに聞き覚えがあった。マンションの屋上で三崎がつぶやき続けた言葉。

 

 そして、進ノ介は知る由もなかったが、それこそが彼と村木との繋がりを何よりも証明するものだった。

 

「Vim patior。ラテン語で『抑圧に耐える』を意味します。……そして、村木が死の直前に唱えていた言葉! 世間はおろか、捜査資料にも記載されていない言葉です……」

 

 杉下右京は静かに告げると、悪魔に取りつかれた青年へ鋭い視線を向ける。右京だけではない。進ノ介にも霧子にも、彼の背後に悪魔がうごめいているのが感じられた。




さて、ここからが本番。

果たして村木は生きているのか。別の人間なのか……。


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第六話「悪魔の継承者 III」

ここまでの状況のまとめ

 八年前、特命係が解決した連続殺人事件。その模倣犯による殺人が発生した。場所、方法まで細かく模倣した事件。そして、捜一の捜査により、それ以前にも自殺や事故に偽装して、四件の模倣殺人が行われていたことが分かり……。

村木重雄
:二十五年にわたり、七人の若い女性を殺害した連続殺人犯。被害者の右耳のピアスを奪うことが特徴。悪魔崇拝に傾倒していた。
警察に追い詰められ、八年前に自殺。

安斉直太郎
:村木に魅入られ、共犯となった精神科助手。三人の女性を殺害したのち、上司である内田美咲を殺害しようとしたところを特命係が阻止。自殺を図ったが逮捕された。
後に被害者遺族によって殺害される。

舞原ひとみ
:被害者。安斉の事件と同一の方法、場所で殺害された。

三崎謙吾
:模倣犯1。舞原ひとみ殺害事件の犯人。村木に傾倒し、自殺を図るも、逮捕される。


「どういうことですか、あれは!!?」

 

 取調室を出た暗い廊下に伊丹の怒声が響き渡った。それに続いて強い打撃音。硬い壁へ、伊丹の武骨な拳が打ち付けられていた。

 

「伊丹さん、落ち着いてください!!」

 

 霧子が慌てて制止するも、伊丹はそれを払いのける。そして、息を乱しながら右京へと詰め寄った。

 

「これが落ち着いてられるか!! ……あの言葉、警部どのも忘れるわけないでしょう!? 確かに村木がぶつぶつ言ってやがった言葉です!! 知ってるのは村木と、共犯の安斉。それ以外じゃ、あの場にいた俺達か警部どのだけ!!

 安斉が死んだ以上、三崎謙吾にその事実を伝えられるのは、誰もいないはずでしょう!!?」

 

 八年前、村木が安斉へ与えた影響を重く見て、捜査本部は他の共犯者の存在を徹底的に捜査した。その長く慎重な捜査の結果、安斉以外に村木の共犯はいないと結論付けている。安斉自身も取り調べに対してそのように証言した。

 

 では、三崎の証言は嘘か。あるいは狂気による妄想か。

 

 だが、それも矛盾がある。事実として、あの模倣犯は事件の情報を得ているのだから。

 

 逆に、彼の証言が正しいとし、村木が生きているとの言い分を認めれば、今度はオカルトや超科学の領域の話となってしまう。

 

 もっとも、仮面ライダーとして、進ノ介は超科学の領域に足を踏み入れた経験があり、その中には科学者が死の直前に人格データをコピーするという例もあった。だが、村木はマンションの屋上から転落している。その無残に頭がつぶれた遺体には、人格を移植できるほど無事な脳髄が残っているとは思えなかった。

 

「ですけど、あの三崎の発言は妙に真実味がありましたよ……。まさか、村木が死んだ後に生き返ったとか、幽霊になったとか!」

 

「それこそ、あり得ねえだろ!! 馬鹿言ってんじゃねえよ芹沢!!!」

 

 ホラーでも見たように顔を青ざめさせた芹沢を伊丹がひっぱたく。

 

 ただ、幽霊と言う冗談はともかく、芹沢が言う通りに三崎の言葉にはただの嘘と断じることができない真実味を感じた。

 

 少なくとも、彼は村木から教えを受けたと信じ込んでいる。そして、三崎の行った犯行は村木と安斉に関する詳細な情報がなければ不可能なものだ。それこそ犯人から直接語られたような。

 

 そして進ノ介には疑問が一つ。

 

「けど、おかしいですよね? 三崎は八年前に安斉が行った犯行を完全に模倣した。そして、安斉が逮捕されたマンションで自殺しようとした。ここまでが事実です。

 でも、安斉の逮捕は村木の死後でした。村木が安斉の逮捕現場を知るわけがない。三崎が『安斉』から情報を得たならともかく、言い分は『村木』から教えられた。

 その村木がゾンビだろうと幽霊だろうと、自分が知らない情報を教えられるはずがありません」

 

「ということは、やっぱり村木を騙った何者かがいる。そういうことでしょうか?」

 

 霧子はそう語るが、彼女の顔にもそれでは納得できないと、疑問が残っているようだ。

 

「そうだとしても、事件の情報をどうやって手に入れた!! 特にあの、変な呪文!! 耳にのこんだよ、アレ!!」

 

 伊丹は我慢も限界と言いたげに、もう一度壁を殴りつける。すると、ここまで思案しながらも沈黙を続けていた右京がゆっくりと語り始めた。

 

「……三崎謙吾がどのように事件の情報を得たのか。それは大きな謎ですが、今ある情報からでは解明できないでしょう。それに、まだ事件は半分も解決していません」

 

「……過去四件の殺人ですね?」

 

 進ノ介が呟くと、右京が同意を返す。

 

「その通り。三崎謙吾は確かに自白をしています。ですが八年前、中学生の三崎謙吾が村木・安斉の事件に関われないのと同様に、四年前から続く模倣犯が三崎謙吾でもありえない。

 当時、彼は高校生です。見知らぬ女性の部屋に毒を仕込んだり、盗難車でひき逃げを行ったりすることは、非常に難しいと言わざるを得ません。そして、先の事件で、犯人は犯行を巧みに隠ぺいしています。三崎による舞原さんの殺害手口とはかけ離れている。

 おそらく、泊君が当初考えていた通り、模倣犯はもう一人いるのです。それも三崎と違い、村木と同様に冷静で狡猾な。まさしく『村木の後継者』と言える犯人が! ……まずは三崎の過去、そして過去四件の洗い直しから始めましょう」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第六話「悪魔の継承者 III」

 

 

 

 それから数日の間、三崎の取調べに並行して、彼の身元調査が開始された。捜査一課のみならず、関連するあらゆる県警が動員された大捜査。だが、それにもかかわらず、三崎の周辺に村木や安斉の影は現れなかった。

 

「村木による犯罪が行われていた八年前。そしてそれ以前も三崎謙吾に不審な点はありませんねえ」

 

 右京は自身の椅子に座りながら、霧子が送ってくれた捜査資料を捲り、小さくつぶやく。

 

 それは三崎の素性に関する詳細な報告だった。彼は成績優秀というわけでもなく、運動も得意というわけでもなく。クラスのどこにでもいるような目立たない少年。かつての彼に、殺人や悪魔崇拝に傾倒する様子はない。

 

 そんな彼が、なぜ、殺人鬼に憧れて、模倣犯と化したのか。

 

「……きっかけになりそうなのは、これでしょうか? 五年前、三崎の母親が浮気の末に消息を絶っています。次いで祖父母が事故死。これ、娘の行動を恥じた末の自殺って説もありますね。女性への嫌悪と、死への誘惑。何かのきっかけにはなりそうですけど」

 

 進ノ介はそうつぶやくと、椅子に深く腰掛けて天を見上げた。

 

「けど、どちらにせよ。村木と出会えるはずがありません。安斉の事件からも二年が経っていますし。……彼が出会った村木を名乗る人間が何者なのか。あるいは、そう思い込んだ理由は何なのか」

 

 そして、どうして今の時期になって模倣犯と化したのか。

 

 何かきっかけがあったはずだ。彼の人生を一変させるほどに強烈なものが。

 

「……一つ、気になっていることがあります。三崎謙吾の犯行の様子ですが、僕は手慣れている印象を受けました。彼は、舞原さんを呼び出すと、薬物で眠らせ、正確に過去の事件と同じ場所を刺すことで殺害しています。

 若く、殺人の経験がない彼がためらい傷の一つもなく複雑な手順をこなせるでしょうか?」

 

 進ノ介は報告書を机の上におき、ミルクを一口飲むと右京に尋ねる。つまり、右京が言いたいことは、

 

「これが初犯じゃないってことですか? けど、他の四件の模倣殺人の時、三崎に犯行が不可能だったことは分かっていますよ」

 

 三崎自身は四件の殺人を自身が行ったと主張していたが、その後の捜査によって各犯行時間、三崎には強固なアリバイがあったことが分かっている。彼の自宅からは被害者がつけていたと思われるピアスも見つかっていない。

 

 もう一人の模倣犯を庇った。それが捜査本部の見解である。

 

 だが、右京が言うように、これが初めての犯行ではないとしたら、一体、彼はどこで犯行を犯したというのか。進ノ介がそう眉を顰めると、右京は報告書を進ノ介へと差出す。 

 

「泊君。この報告書のこの部分、見てください」

 

 右京が示したもの、それは三崎謙吾の渡航記録だった。

 

「……杉下さん。杉下さんが言いたいことって、まさか」

 

「ええ。この方法なら、より密やかに連続殺人を犯すことができます」

 

 右京はそう言うと、椅子から立ち上がる。そして、進ノ介と共にある場所へ向かうのだった。

 

 そのころ、捜査一課では霧子たちが大量の資料とにらみ合いながら事件の精査を行っていた。甲斐峯秋の尽力により、各県警との協力体制が築かれ、四方より大量の捜査資料が届いている。ただ、それを一つ一つ調べるのは、何とも気力と体力がいることだった。

 

 どれだけ読んでも終わらない資料。少しばかり目の下にクマを作りながら、霧子はきつめのコーヒーを飲むことで頭をクリアにしていく。

 

 だが、そうした努力の結果、過去の四件の殺人事件についていくつかの興味深い点がわかってきた。

 

「……被害者は全員、一人暮らしの若い女性。しかも、友人関係が希薄で、家族とは遠く離れている」

 

 例えば、四年前に群馬で発生した模倣殺人では、被害者が数日前にSNSへ悩み事があるような文章を投稿している。そんな背景もあって、事件は自殺の疑いが濃厚とされていた。

 

「……そもそも、女性被害者の自宅に毒を仕込んだり、盗難車でひき逃げしたり。村木の犯罪と比べて直接的な手口を使っていないのよね」

 

 首吊り偽装でも、薬物が使われており、最後の事件ではアパートのベランダから突き落としている。あまり暴力的な手口ではない。そして、それゆえに警察も事件性に疑問を抱いてきた。

 

 この模倣犯は、村木よりも慎重な犯人と言う印象をあたえる。

 

 杉下右京は犯行が『進化』していると言っているが、それは正しい考えだと、霧子も思わされた。

 

 ただ、そうした手口を取るとなると、犯行の難易度は跳ね上がる。被害者の帰宅時間や日常習慣、そして部屋への出入り方法を知らなければ、犯行は行えないからだ。

 

 SNSなどを調べれば、ある程度の生活リズムは分かるだろうが……。それでも、被害者の行動パターンや生活空間に入り込めるものだろうか。

 

 そして、

 

「何なの? 何か気になるんだけど……」

 

 霧子は遺体の写真を見るたびに、何か引っかかるものを感じていた。

 

 特に、遺体に残されたピアスである。それを見ていると、霧子には何かもやもやしたものを感じるのだ。だが、それを伊丹や進ノ介に尋ねても、まともな答えが返ってこない。自分だけが、何かに気づいているのに、それが飛び出てこない。

 

 そのことに頭を悩ませながら、資料を捲っていくと、昼休みを終えた伊丹と芹沢が帰ってきた。伊丹が背後を通ると、霧子は少し顔を強張らせる。何がとは言わない。そして、人が何を食べようと人の自由だとも霧子は思う。ただ、

 

「ほらぁ! ニンニクあんなに入れるから、臭ってるじゃないですか!? 霧子ちゃんも顔しかめてるし。だから彼女ができないんですよ」

 

 霧子の言いたいことは芹沢が代弁してくれた。せめて伊丹の方向へ鼻が向かないように霧子は顔を逸らした。

 

「うっせえな!? 悪魔だのなんだのも、こんだけニンニク食えば寄ってこねえだろ!! 魔除けだ! 魔除け!!」

 

「……ニンニクで逃げるのは吸血鬼です。けど、せめてこれくらいはなめてください」

 

 そう言って霧子は柑橘系ののど飴を渡す。これを食べれば少しは匂いがマシになるだろう。伊丹の机にカラフルな飴を数個置くと、彼は珍妙な顔をしながら渋々と全部の飴を放り込み、がりがりと噛み砕いていった。

 

 そのデリカシーの無いと言うか、あけっぴろげな態度に霧子が頭を抱えていると、廊下の奥から右京と進ノ介がやってくる。

 

 途端に伊丹は元気に飛び跳ねると、肩を揺らしながら特命係へと向かっていった。……もしかしなくても、けっこう楽しみにしているのではないだろうか。

 

「特命係のとーまーりー! ここは捜査一課だ! まだお前のいる場所じゃねえ!!」

 

「あー、今日は伊丹さんに用があるんじゃないんです。ごめんなさい」

 

「おぉ!? って、無視するとは上等じゃねえか!!」

 

 進ノ介も多少は伊丹を躱す術を身に着けたのか、頭を下げるとその脇をすり抜けて。伊丹は拍子抜けしたのか、どこか残念そうにその背中を睨み付けていた。

 

 そうして居並ぶ刑事たちの間をすり抜けて、右京達がやってきたのは、係長のデスクに座る三浦の前だった。

 

「こいつは特命係のお二人じゃないか。……警部どの、なんか俺に用でも?」

 

 老眼鏡をずらしながら尋ねてくる三浦に、右京は微笑みながら、ある頼みをするのだった。

 

「ええ。実は三浦さんに、とあるところへの照会をお願いしたいのですが。よろしいでしょうか?」

 

 

 

「なんなんだアレ。ほんとに三浦か? ……中身は別のもんが入ってんじゃねえのか?」

 

「もうっ! 失礼ですよ、伊丹さん!! 三浦係長だって、将来考えて勉強してるんですから!!」

 

 伊丹の心底気持ち悪いという視線に、流石に言い過ぎだと霧子はその背中をたたく。バシッと大きな音が鳴って伊丹が飛びあがるが、流石に女子を殴る気はないのか、猛犬のように唸るのみ。

 

 進ノ介は何度も受けたことがあるから分かるが、霧子は自分の力加減というものをもう少し理解するべきだ。結構あれは痛い。

 

 そんな様子はともかくとして、特命係と一課の面々が見つめる先には、電話口に向かって英語で話しかける三浦の姿があった。

 

「Could you please send datasets... Yes, yes. Thank you David! ……Ha Ha ! I hope so!」

 

 しかも、かなり流暢に。ところどころ文法が間違っていても、円滑にコミュニケーションができている。

 

「にしても、三浦さんのFBI研修ってサボってる言い訳だと思ってましたけど。本当だったんですね! 先輩も見習わないと!!」

 

 芹沢が含み笑いを浮かべながら伊丹を小突き、その仕返しに強烈な拳をくらう。

 

 遡ること二十分ほど前。捜査一課にやってきて、右京が三浦に頼んだのは、彼の人脈を活用してアメリカでの事件の照会を依頼することだった。

 

「けど、本当なんですか? 三崎謙吾がアメリカで犯罪を犯しているなんて」

 

 霧子が右京へと尋ねる。三浦は二つ返事で了承してくれたが、彼女には、まだ右京の推理に疑問があった。

 

「確証とまでは言えませんが。三崎謙吾の犯行は手慣れたものでした。おそらくは初犯ではない。けれど、彼の犯罪は公になっていない。もちろん、遺体が未だに発見されていない可能性はありますが……。

 そこで、彼の経歴を見てみますと、五年前より幾度となくアメリカを訪れています。名目は数週間の語学研修。もしかしたら、と。そう思いました」

 

「それに、アメリカでなら、村木の模倣犯罪を行ったとしても日本との連続性は分からないはずだ。日本で犯行を犯すよりも発覚のリスクは格段に少ない」

 

 進ノ介が補足するように言葉を足していく。

 

 そうして二人が説明をしていると、三浦が受話器を置き、髪を掻きながら面々の前へと戻ってきた。その顔には面倒なことになった、とそんな表情が浮かんでいる。

 

「警部どのの考えが当たりましたよ……」

 

「と、いうと?」

 

「FBIの連続殺人対策のチームに連絡を取りました。

 詳しい捜査資料はアチラから送ってくれるそうですが。五年前、三崎が渡米した時期に二件の殺人事件が発生しています。場所も、三崎のいたロサンゼルス市内。被害者は若い女性で、片耳のピアスが失われていたと」

 

「本当ですか!?」

 

 芹沢が血相を変えて三浦に詰め寄る。国内の連続殺人でも珍しいのに、今度はアメリカにわたっての連続殺人だ。下手をすると犯罪史上に残るかもしれず、興奮するのも仕方ない。

 

 そんな様子を係長として窘めつつ、三浦自身も興奮を隠せ無いようで。元気よくデスクへと戻ると、三浦はすぐさまメールフォルダを開いた。

 

「ああ。ちなみに、向こうの捜査では、アジア系の男が有力な容疑者として挙がったが、身元も不明。事件は今も未解決だってよ。今、容疑者の画像データを直に送ってくれるって言うが。……来たみたいだな」

 

 三浦のパソコンのメールフォルダに受信のマークがつく。それをクリックして開くと、数枚の写真が添付されていた。事件の発生前に、被害者を後ろからつけまわしていた男。その姿が監視カメラによって捉えられていたのだ。

 

 そして、その画像に写っていた男は。

 

「マジかよ……」

 

「これ、もしかしなくても」

 

「ええ……」

 

 進ノ介は表情を硬く、その写真を眺める。そこに写っているのは、少し禿上げた痩せぎすの男。

 

「……僕には村木重雄に見えてしまうのですが」

 

「言わなくとも分かってますよ!!」

 

 右京のなんでもないように呟いた呑気な一言に、伊丹が怒鳴り声をあげる。過去の写真でしか村木を見たことのない進ノ介と霧子にも、この男が村木にあまりに似通っていることは理解できた。

 

「……まさか、本当に幽霊!?」

 

「そんなわけねえって何度も言ってんだろが!! そんなんじゃ警察なんて役に立たねえだろ!?」

 

「ですが、まだ幽霊がいないと証明できたわけではありませんからねえ。僕も常々幽霊はいると考えているのですが……」

 

「警部どのの趣味はどうでもいいんです!!」

 

 途端にざわめき始める面々。だが、そんな彼らの言葉を聞いているうちに、進ノ介には一つの考えが生まれていた。ある意味、幽霊と同様の突拍子もない仮説が。

 

 

 

 アメリカから報告がもたらされて一時間後。気分を落ち着かせた刑事たちは、なぜか特命係に集まって情報を整理していた。幽霊だのなんだのと騒いでいるところを中園に見つかり、追い出されたのだ。

 

『そんなばかばかしいことを考えている暇があったら、少しでも犯人につながる証拠を持ってこい!!! そして特命係は出ていけ!!!』

 

 彼らは至って真面目に事件について考えていたのだが、流石にオカルトがらみとなってくると頭の固い中園には受け入れられなかったのだろう。伊丹達は特命係と同じに見られたことに不満があるようだが、中園の物言いには文句があるようで、素直に特命係にやってきた。

 

「まずは情報を整理するとしましょう」

 

 右京はホワイトボードに事件の要点をまとめていく。

 

・舞原ひとみを殺害した三崎謙吾は村木が生きていると主張。村木、安斉しか知らない情報を入手している。

 

・四年前より続く模倣犯は不明。だが、三崎も犯行を認識しているためにつながりがあると見られる。

 

・片耳のピアスを奪い去る特徴は共通。

 

・アメリカで発生した模倣殺人の容疑者が村木と酷似。

 

「そして、重要なことが」

 

・村木と安斉は死亡。当時、他に共犯者はなし。

 

「杉下さん、まだ気になるところがあるんですけど」

 

「では、泊君」

 

 手を上げた進ノ介に、右京が手で示す。

 

「三崎が奪い去った舞原ひとみさんのピアス。それがまだ見つかっていないことです。彼にとっては戦利品。手放すとしたら、それ相応の理由があると思います。例えば、彼に殺人の方法を教えた何者かに渡した、とか」

 

 高いリスクを払ってまで手に入れたピアスだ。村木、安斉に倣って祭壇に飾るなどをしていてもいいはず。だが、それは見つかっていない。彼は師と仰ぐ人間にならば贈っている可能性もあるが……。

 

「どちらにせよ、その偽村木が誰かがわからねえと、話が始まらねえだろ?」

 

「ええ、もちろん。目下のところ、最大の謎は過去の事件の手口を誰が、どのようにして三崎に教えたのか、ですからね。

 ですが、泊君の疑問も、後々に繋がってくるでしょう」

 

 三崎を教育した人間。その最有力はアメリカにて確認されている偽村木だ。

 

 実際にその写真を三崎に突き付けてみると、いかにもという意味深な笑みをこぼした。反応から見ると、おそらく彼の言う「村木先生」とは、この男なのだろう。

 

 だが、奇妙なことにアメリカの入国審査等に偽村木は記録されていない。そのため、現地では日系アメリカ人として捜査が進められていた。

 

 日本からやってきた記録もない、村木にそっくりな模倣犯。

 

 他人の空似と言うには、何もかもそっくりで、犯罪まで同じ手口。

 

「けど、ほんとに村木そっくりですよ? 整形でもこんなにならないだろうし。村木の双子がいたなんて記録も全く残っていないんですから。幽霊とか、分裂したって言うほうがまだあり得そうですよ」

 

 芹沢が考えるのも限界、と言うように頭を掻きながら呻く。だが、その頭を叩くと、伊丹は般若のような顔を芹沢に向けながら唸った。

 

「芹沢、いいか。大事なことだから、何度でも教えてやる。人間はな、ゆーれいにはならねえんだ。しかも簡単に分裂もできるわけねえ!!」

 

 伊丹はオカルト説を真っ向から否定する。彼もこれまでに悲惨な事件は何度も見てきたが、そのどれもが犯人は人間であった。村木程度の殺人犯が幽霊となり、しかも人殺しができるというなら、この世は殺人鬼の悪霊で溢れかえっているだろう。

 

 そんな時だった。

 

「あのぉ、すごい言いづらいんですけど……」

 

 伊丹の態度を前に、進ノ介が遠慮しながら手を上げる。

 

「ん? なんだ、泊」

 

「実はあるんですよ……。人間が二人に増える方法」

 

「はぁ!?」

 

 進ノ介は申し訳なさそうに小声で、伊丹の大声の主張に反論した。

 

 その声を聞いた途端、まさか、と霧子が目を見開く。彼女にも進ノ介が言わんとしていることがわかってしまったのだ。

 

「泊さん、まさか!?」

 

 進ノ介はそんな霧子に頷きを返すと、一歩前へと出て、面々へと説明を始めた。

 

「とりあえず、最後まで聞いてください。俺だって、変な仮説だと思ってますから。……まず、三崎が出会った村木の偽物について、これまでの情報が全て正しかったと仮定します。仮に村木2とでもしますが、村木2は、

・外見がオリジナルに非常に酷似。

・犯罪の手口や狡猾さも村木譲り

・誰かに指導できるほどに村木の事件について細かい情報を有している」

 

「そんなもん、ほぼ村木と同じじゃねえか! そんな人間いるわけねえし、いたら俺達が八年前に見つけてる!!」

 

 伊丹は進ノ介の説明にいら立ちを見せながら反論する。確かに、同一の頭脳と容姿を持っている人間が居たら、それは正しくオリジナルと区別することはできない。

 

 そんな人間はあり得ない。と考えるのが普通だ。人間は。

 

「……つまり、泊君。君が言いたいのはこういうことですね? 人間ではなく、別の存在ならば、村木の完璧な模倣犯となりうる、と」

 

 右京が興味と興奮の色に目を染めて進ノ介に尋ねる。それは新しいおもちゃを見つけた子どものようでも、未知の分野を切り開いていく学者のようにも感じられた。

 

 そしてその視線を真向に受けとめながら、進ノ介は力強く頷く。

 

「俺達は一年間、そういう存在と戦ってきました。人間に興味を抱き、人間の悪意に惹かれ、人間を模倣した存在と」

 

「おいおい、ちょっとまて泊。お前が言ってるのは、こういうことか? 俺達が追ってる偽村木の正体が……」

 

「ええ。この偽村木がロイミュードによってコピーされた存在だとしたら、ここまでの全てに説明ができます」




ミステリーとしてはかなりの禁じてだとは思いますが、セーフでしょうか?


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第六話「悪魔の継承者 IV」

ここまでの状況のまとめ

 八年前、特命係が解決した連続殺人事件。その模倣犯による殺人が発生した。場所、方法まで細かく模倣した事件。そして、捜一の捜査により、それ以前にも自殺や事故に偽装して、四件の模倣殺人が行われていたことが分かり……。
 進ノ介は事件の背後にいる偽村木がロイミュードではないかと推理する。

村木重雄
:二十五年にわたり、七人の若い女性を殺害した連続殺人犯。被害者の右耳のピアスを奪うことが特徴。悪魔崇拝に傾倒していた。
警察に追い詰められ、八年前に自殺。

安斉直太郎
:村木に魅入られ、共犯となった精神科助手。三人の女性を殺害したのち、上司である内田美咲を殺害しようとしたところを特命係が阻止。自殺を図ったが逮捕された。
後に被害者遺族によって殺害される。

舞原ひとみ
:被害者。安斉の事件と同一の方法、場所で殺害された。

三崎謙吾
:模倣犯1。舞原ひとみ殺害事件の犯人。村木に傾倒し、自殺を図るも、逮捕される。村木が生きていると主張している。


 村木の人格をコピーしたロイミュードが存在した。そんな自身の推理を声高々に宣言した進ノ介を待ち受けていたのは、伊丹と芹沢の呆然とした表情と、同情の視線だった。ついでとばかりに、

 

「お前、大丈夫か?」

 

「あちゃー、泊君も特命係にやられちゃったか……」

 

 進ノ介を本気で憐れむような言葉の数々が突き刺さる。芹沢に至っては今すぐに病院を紹介するなどとも。

 

 進ノ介もそのような反応がくることは覚悟はしていた。それでも、こんな物言いを聞かされると心も少しめげそうになる。それは仕方ないだろう。

 

 進ノ介は自身の名誉を回復するためにも改めて宣言するのだった。

 

「大真面目ですって!! 村木の偽物がロイミュードなら全て説明できます!!」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第六話「悪魔の継承者 IV」

 

 

 

 進ノ介は心底嫌そうな顔をした伊丹達に納得してもらうように説明を始める。

 

「多分、皆さん知ってると思いますけど、ロイミュードは正確に言えばロボットです。ただ、人間と同じようにそれぞれが思考回路を持っていて感情すら持っています。

 そして、ロイミュードたちの目的は人間を分析し、人間に成り変わって世界を支配することでした。プログラムを意図的に歪められたロイミュードは、特に人間の悪意に反応して、様々な犯罪者に接触を図りました」

 

 その学習の方法も様々だ。身近で観察を行ったり、人間の人格をコピーして犯行を再現したり、犯罪の共犯となったり。そして、最後には融合を図ったり。

 

 どういった形であろうともロイミュードは人間に接触し、自身を進化させようとした。

 

 そんな彼らを人間の写し鏡として見ることもできるし、進ノ介自身は人間の悪意に翻弄された彼らがある種の被害者であるとも考えている。

 

 ただ、ここで考えなくてはならないのは、もしもの話である。もしも、あるロイミュードが村木重雄という凶悪な犯罪者の人格をコピーしていたら。

 

 そして、村木の死後も人格を保ったままで活動を続けていたとしたら。

 

「なるほど。そうすれば様々なことが説明できますね? 人間でない彼らならば、入管を通らずにアメリカへ渡ることができ、事件の詳細について村木の記憶と警察のデータベースから知ることができる。

 泊君、彼らの本体はネットワーク上に存在するデータだと聞きましたが、それは確かでしょうか?」

 

「ええ。ロイミュードなら安斉の逮捕現場を初め、一から十まで事件を知ることができるはずです。村木の事件が発生した八年前なら、ロイミュードが水面下で活動を続けていた時期とも合致しますし、これまでの疑問にも納得できます」

 

 そして、村木と化したロイミュードは犯罪を行い、その中で三崎謙吾と知り合ったのではないか。そして、三崎謙吾を模倣犯として教育した。

 

 だとすれば三崎が連続殺人鬼が死を乗り越えて蘇ったと勘違いしても不思議ではない。ロイミュードは体の暖かさも、かすかな動きさえも模倣するのだから。

 

「いや、だがなぁ……」

 

 そこまでの説明を聞いて、伊丹が唸る。

 

「伊丹さん。確かに、納得できないお気持ちは分かりますが、現状、泊君の推理以外にこの事件を説明できる方法はありません。

 実際にロイミュードの活動期間には死刑が執行されたはずの本多篤人が目撃されるなど、死者の目撃情報が相次いでいます。

 ……僕にも犯人が人間でないというのは盲点でしたが、それらの現象と同様にロイミュードが死者を騙って活動していたというのは、非常に面白く、あり得ることだと思いますよ。それこそ、幽霊の存在を証明するよりは科学的です」

 

「……だが、それを証明する手段はねえぞ。そのロイミュードって奴はもういねえんだろ?」

 

 納得までには至らないが、理解はできる。そう言いたげに腕を組みながら伊丹が唸る。確かに、仮説を提案した進ノ介にとっても伊丹の指摘した点は頭の痛いところだった。

 

「ええ、それはそうなんですけど……」

 

 進ノ介が顔を顰める。まだ村木ロイミュードが存在しているのなら、それを確かめることもできるだろう。だが、何を隠そう彼らと戦って撲滅したのは進ノ介たち。ロイミュードが存在しない以上、証明のしようがない。

 

 状況証拠から犯人をロイミュードとし、被疑者死亡のまま送検。そんなことは誰も納得しないだろう。下手をすると、警察が匙を投げたとも思われかねない。

 

 だが、右京はあくまでポジティブに話を進める。彼はホワイトボードに大きく『ロイミュード』の文字を書き込むと、過去四件の模倣犯罪の写真を皆の前に並べる。

 

「証明の方法は後で考えましょう。……ですが、これで話を進めることはできます。村木の情報を手に入れる手段があるなら、三崎の犯行は可能になるのですから。

 ……ただ、一つ考えなくてはいけない問題が。村木をコピーした機械生命体がいたとして、四件の模倣犯罪を行った犯人が同一人物なのか、ということです」

 

 右京が指を上に向けながらうろうろと歩き出す。悩んでいるような仕草だが、どこか面白そうに。右京の問いに対して、まず自分の意見を示したのは霧子だった。

 

「私は四件の模倣犯もロイミュードだと思います。

 偽者の村木がロイミュードなら、仮面ライダーに倒されてこの世には存在しません。それは今年、三崎を除いた模倣犯罪が発生しなかった事とも合致します。アメリカの犯行と同様、日本での模倣犯罪もロイミュードに依るものじゃないでしょうか?」

 

 確かに、他の模倣犯が存在するとしたら、今年になってからなりをひそめていることが不自然だ。それまでは一年おきに犯行を繰り返していたのにも関わらずだ。

 

 霧子の意見には納得できる点が多くある。ただ、進ノ介には霧子とは違う考えがあった。

 

「けれど霧子、四年前からの犯行は村木の手口と少し変わってる。偽装工作を行ったり、犯行期間が変化したり。

 ロイミュードの犯罪の多くは、あくまで学習の手段だ。わざわざ手口を変えるとは思えないし、本気でロイミュードが事件を隠ぺいしようとしたらもっと簡単に工作が行えるはずじゃないか? 俺はもう一人の模倣犯がいるようにしか思えない」

 

 進ノ介には、残る模倣犯も人間だという思いが離れなかった。

 

 そして、そんな二人の話を聞いていた伊丹と芹沢は、まだ何が何やらと混乱しているようだが、消極的に霧子への賛意を示した。彼らからすればロイミュードも含め、模倣犯が三人もいるなどとは考えたくはなかったのだろう。

 

 三人もいるなら、四人も五人にも増えそうだ。

 

 そんな彼らの様子を右京は面白そうに紅茶片手に眺めている。

 

 しばらくの間、刑事たちの喧々諤々の議論が続き……。その中で、霧子に疑問が生まれた。全員の顔を眺めながら、その疑問について問うてみる。

 

「……伊丹さん。どうして模倣犯は片耳のピアスを奪ったんでしょう?」

 

「それは、村木の模倣犯だから、だろ?」

 

 伊丹は当然とばかりに答えるが、霧子はその答えに首をふった。伊丹達は八年前に実際に事件を担当した者たち。先入観もあるのだろう。だが、霧子はこれまで紙面などを通して客観的に事件を見てきた。

 

 その視点から、一つの疑問が生まれたのである。

 

「それは違います。だって、村木は片耳のピアスが『必要』だったから奪ったんですから。奥さんに身に着けさせるために。奥さんの耳の件がなかったら『両耳のピアスを取っていた』はずです。片耳だけを奪う理由は『それで十分だったから』以外にはありません。

 安斉の事件を再現したい三崎ならともかく、もう一人の模倣犯が従う理由はないんじゃないですか? 手口をアレンジしたりしていますし、村木の犯罪哲学は利用しても村木個人の拘りに従う理由はあるのかなって」

 

 つまり、この犯人が村木と同様、片耳のピアスを奪った理由は何なのかと、霧子は主張するのだ。

 

「もしかしたら、犯人の身内が片耳を怪我しているとか。いや、まだ何も分からないな。それも、犯人への糸口になりそうだけど……。また、謎が増えた」

 

 しかも次から次へと際限なくだ。進ノ介がそんな現状に大きく肩を落とした時だった。

 

「暇! じゃないよね……」

 

 角田課長が面々の真剣な様子を受けて、こっそりと部屋に入ってくる。相変わらずな様子に、伊丹達も肩の力が少し抜けた様子を見せた。今は考えが煮詰まっているし、こういうときは頭を休めることも必要。

 

「……少し休むか。俺もコーヒー呑むぞ」

 

「あ! 先輩! 俺もお願いします」

 

「ほう……。芹沢はいつの間にか俺をパシるようになったか……」

 

「はい! ってアイタ!?」

 

「百年早いんだよ!! てめえの分くらいは煎れやがれ!!」

 

 捜一の男二人組がコーヒーメーカーの前で喧嘩を始めたのを見ながら、進ノ介と霧子はマグカップにミルクを入れて飲む。そんな休憩の雰囲気の中、角田は刑事たちの努力の跡が見て取れるホワイトボードを眺めて『がんばるねー』等と他人事のような感想をこぼしていた。

 

 そして、角田はぼんやりと被害者の写真を見ると。

 

「にしてもアレだな。仏さんに言うのは失礼だが、ピアスの合わせ方がなってねえな!!」

 

 角田本人としては何の気のない言葉だった。だが、

 

「!!!?」

 

 慌ててホワイトボードに噛り付いたのは霧子だった。そして、彼女は今までにないような大声を出して頭を抱える。

 

「もうっ!! なんで気づかなかったの!!?」

 

「き、霧子!?」

 

 その顔を真っ赤にして恥じるような態度に、進ノ介は心配になり声をかける。すると、霧子はぐわりと顔を上げると、進ノ介の肩を掴んでゆすりはじめた。霧子の女性とは思えない力で振り回される進ノ介はたまったものではないが、止める方法もない。

 

「違うんです! この被害者の服に、あんな可愛いピアスは合わないんです!! 他の事件も全部そう!! ずっと気になってたのに気が付かなかったなんて!!!」

 

「霧子! ストップ!! ストップ!!?」

 

 成すすべなく頭をがくがくとされる進ノ介。そうして数分が経ち、ようやく落ち着いた霧子は恥ずかしそうに顔を背けながら、説明を始めた。

 

「……お騒がせしてすみませんでした」

 

「えーっと、まあ、それは良いんだけどさ……。霧子、どうしたんだ?」

 

「……分かったことがあるんです。例えば舞原ひとみさんの場合、彼女はデートサービスの名目で三崎謙吾に呼び出されました。その時の彼女は、普段のお堅い会社員から離れて、プライベートをより強調した夜の女。

 だったら! ピアスはこんな小さく可愛いものじゃなくて、存在を強調する派手なものをつけるべきです。それでなくても、彼女は部屋の内装も派手好みです。

 このピアスは被害者の趣味にも、服にも、シチュエーションにも合いません」

 

 そして、それは他の四件でも同様だという。どの被害者も、自身で選んだにしては服や状況とミスマッチするピアスを身に着けているのだ。

 

「そ、そうなんだ……」

 

 進ノ介が分かったようなふりをして呟く。彼女がいる芹沢はともかく、伊丹と進ノ介はピンとは来ていなかった。当然、杉下右京も。

 

 一方、角田がなぜ気づいたかと言えば、

 

「うちはカミさんがこういう小物に煩いからねえ。ご機嫌取りにプレゼントしてたら自然と覚えちゃったよ」

 

 そういうことらしい。役に立ってよかった、よかったなどとコーヒーを美味しそうに飲みながら笑っている。見ただけですぐに気づいた角田は、お手柄だと言えるだろう。そして逆説的に。

 

「つまり、それまで気が付かなかったお前の女子力とやらは、角田課長以下ってことだな!!」

 

「……!?」

 

 何が起こったかは、伊丹の小ばかにした声と、その顔に向かった霧子の蹴りで全てを察してほしい。

 

「まてよ、被害者の状況と付けているピアスが合わないってことは、まさか……」

 

 数分かけて、事態を飲み込み始めた進ノ介は遺体の写真を眺めながら呟く。そして、隣に佇む右京はうなずきと共に、

 

「ええ。もっと早くに気づくべきでした。被害者が自ら選んだわけではない。ということは、当然、残されたピアスは被害者のものではなかった、ということです」

 

「え!? 一体どういうことなんです!?」

 

 口が開けない伊丹に代わり、芹沢が困ったように尋ねてくる。そんな彼に右京は興奮気味に答えていく。

 

「僕たちは村木の模倣犯と言うことに拘り過ぎていたのです。村木の事件を真似たのだから、片耳のピアスを奪ったのは当然だと。

 ですが、詩島刑事が指摘したように、片耳のピアスは元々、村木個人の理由によります。そして、村木の考えでは、奪ったピアスを支配したい相手に着けることが必要。……彼が妻にピアスを贈ったように」

 

「だったら、その相手が耳を怪我していない限り、必要なのは両耳のピアス」

 

 進ノ介の言葉に右京はうなずく。

 

「つまり、この模倣犯は四人の被害者から両耳のピアスを奪い、そして、代わりのピアスを片耳にだけ残して去っていった」

 

「いや、この犯人はえらく慎重なはずでしょう? なぜそんな証拠を残すような真似をしたっていうんです?」

 

 ようやく口を開けるようになった伊丹が不機嫌そうに尋ねる。模倣犯が両耳のピアスを必要としていたから、両方とも奪った。ここまでは理屈が分かる。だが、わざわざ片耳だけ代わりを残していったことの理屈が分からない。

 

「これはあくまで推測ですが。村木はピアスを『悪魔から身を守るお守り』とみなしていました。相手を殺害してピアスを奪い、魂まで支配する。それが村木の手口。

 そこに改めてピアスをつけるとしたらどうでしょう? それも犯人自身の。……より強い力の証明とはならないでしょうか? 守りを奪い、あざ笑うように、自身の象徴をつける。お前を支配してやったぞ!!、と。

 確認した通りに模倣犯は自殺工作を行うなど村木の手口を踏襲しつつ、独自のアレンジを加えています。儀式的な方法にも手を加えることは十分に考えられます。

 もとより、村木も手口や場所は変えながら、ピアスを奪う手口は変えられなかった。これも、この犯人の衝動なのかもしれません」

 

「となると、杉下さん。もう一つ考えられることがありますよね? この模倣犯は自前のピアスを持っている。そして、これまでも気になってた被害者女性の自宅や身近に入り込んだり、細かいところまで調べる手口。そんな犯行が可能なのは」

 

 そして、右京は微笑みを噛み殺しながら、頷くのだった。

 

「ええ。この模倣犯は女性です」

 

 被害者に自身による支配の象徴としてピアスを身に着けさせる。ならば、ピアスはそこらの宝飾店で購入したものではない。自身の力の象徴ならば、犯人自身の身に着けているもので然るべきだ。

 

 そして、犯人が女性であれば、被害者と接触し、その住居まで安全に侵入することができるだろう。少なくとも、男性よりは容易に。

 

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!? 二人が言うように犯人が女だとしたら、三崎の犯行はどうなんです? ほら、霧子ちゃんと角田課長の意見だと、舞原さんの事件でも犯人はピアスを交換してるんでしょ!? 三崎はあれ、男ですよ?」

 

 調子よく考えを述べていた特命係へと芹沢が至極真っ当な反論を行う。すると、右京は答えを見つけた子どものように、

 

「ええ。そこが問題なんですよ。実は、一つ、気になっていることがあるのですが……」

 

 そして、笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 数日後、都内の静かな林に佇む、とある墓地。その中の一角に置かれた真新しい墓石の前に、一人の女性が立っていた。喪服に身を包んだ慎まし気な彼女は、墓の前に花束を置くと、刻まれた名前を見つめてそっと笑みをこぼした。

 

 そこへ、

 

「お姉さんへの挨拶ですか?」

 

 杉下右京を後ろに伴って、泊進ノ介がやってきた。彼は女性の横に並ぶと、静かに墓へと手を合わせる。女性はそんな進ノ介へ頭を下げた。

 

「ええ。しばらくは来れなくなりますので……。その前にって」

 

「聞きました。しばらくは海外を拠点にされるって。イギリスだそうですね?」

 

 女性は数日後に、海外へ渡航するらしい。すでに通訳の派遣事務所を退職し、荷造りもすませているそうだ。今日は亡き姉への報告だと周囲に漏らしていて、進ノ介たちは此処へとやってきた。

 

「でも、いざとなったら寂しくなります。希望していた職ではありますけれど、この国にはたくさんの思い出がありますし、姉もこんな目に遭ったばかりですから……」

 

「故郷と言うのは離れがたい魅力がありますからねえ。ですが、きっとイギリスも気にいると思いますよ? 僕も何度か訪れていますが、あの国は何とも言い難い趣がありますから」

 

 寂しげに呟く彼女の隣に右京が立つ。彼女を進ノ介と右京とで両方から挟むように。そして、その微笑みを消すと、静かに言い放った。

 

「……残念です。貴女があの国を訪れることはないのですから。片平ゆかりさん」

 

「……それは、本当に辛いですね」

 

 右京の冷たい言葉を受け止めて、被害者の妹である片平ゆかりは一つ、密やかに微笑みを浮かべた。

 

 ゆかりが立ち上がり、二人へと視線を向ける。その目に浮かぶのは不慮の死を遂げた姉、舞原ひとみの死を悼むものではない。そして、右京の言葉もありのままに受け止める姿は、どこか超然とした印象さえ進ノ介に与えた。

 

「……否定はされないのですね?」

 

 右京の硬い問いかけに、ゆかりはゆっくりと頷く。

 

「お二人がこちらにいらっしゃったんです。もう確信しているんでしょう?」

 

「ええ。貴女が村木重雄の模倣犯です。そして、だからこそ僕たちは貴女を海外へ行かせるわけには行きません。遠い異国の地でも、貴女は罪なき女性を殺めるのでしょうから」

 

 ゆかりはその言葉を聞くと、小さな歩幅で墓の合間の小道を進み始める。進ノ介たちは後ろから付き従いながら、油断なく彼女の行動に目を配った。

 

 だが、片平ゆかりは落ち着き払っており、自殺を図る様子はない。そして、何かを楽しむように振り向くと、進ノ介たちに質問をし始める。

 

「ふふ、そんなに心配しなくても自殺したりはしません。私、先生たちみたいに往生際が悪くはないですから。まだまだ命の未練もあります。

 けど……。どうやって私まで辿り着いたのか教えてくれません? それくらいは聞きたいの。ばれないと思っていたし、自信もあったのよ? ……私、どこかでミスをしました?」

 

 どこか夢見ごこちのようで、的を外した言葉だ。そのことをかえって不気味に思う二人。だが、右京は彼女の求める答えを語ることにする。

 

「しいて言えば、貴女が殺人を犯したこと。自身の欲望を抑えきれなかったことが一番のミスでしょう。ですが、貴女へ僕たちを辿り着かせてくれたのは、最後の事件。貴女のお姉さんの事件でした」

 

 右京が進ノ介へ頷くと、進ノ介は懐から数枚の写真を取り出す。それはゆかりが殺めた被害者の顔写真。どの遺体でも、片耳だけにピアスが付けられている。

 

「片平さん。あなたは村木の『同じ場所で犯行を犯さない』『殺害方法を変える』という手口を踏襲しながら、独自のアレンジを加えました。同性という身分を使い、被害者の周囲に巧みに入り込み、自殺や事故の偽装まで行っています。……殺人事件として捜査がされにくいように。

 それだけじゃなく、あなたは村木の儀式も自分流にアレンジした。殺害した被害者から『両方』のピアスを奪い、自身のピアスを一つ残す。それがあなたの手口ですね?」

 

 進ノ介の言葉に、ゆかりは嬉しそうに綺麗な笑顔を浮かべた。

 

「その通りです。村木先生が片耳だけを奪ったのは、奥様に贈り物をするため。でも、私の場合は贈りたい相手が違ったから、片耳だけじゃ足りない。……両耳のピアスが必要だった。

 けれど、二つ外したら、なんだか収まりが悪かったんです。片耳から入った魂が、もう片方から抜け出しちゃうようで。だから、私がつけていたピアスの片方を付けてみたら。すごく満足したんです。なんだか、蓋をして、彼女の中に永遠に私が入り込んだみたい。……興奮したわ」

 

 胸に手を当てながら当時を反芻するように天を見つめるゆかり。その様に嫌悪感を抱きつつも、進ノ介は言葉を続けた。

 

「本当は、俺達だけなら分かりませんでした。ピアスと服の合わせ方が違うなんて。けれど、仲間に女性刑事がいて。彼女のおかげであなたの本当の署名的行動が分かり、手口と合わせて犯人が女性である可能性が高まった」

 

「けれど、それだけなら私だとは分からないですよね? 世の中に女の人なんて星の数ほどいるんですから」

 

 首をかしげるゆかりに右京が続きを話していく。

 

「ええ。そこで一つの疑問が生まれました。なぜ貴女はともかく、三崎謙吾の犯行でもピアスの交換が行われていたのか? 彼にはそんなことをする理由はありませんでしたからねえ。

 ですが、その事実を考えたとき、いくつかのことが頭を過りました。舞原さんの勤めていたデートサービス、その胴元は三崎の電話が『指名』だったと述べています。加えて、ゆかりさん、貴女の犯行は今年、停止しました。ここまでは几帳面に、一年ごと十一月に犯行を行っていたのにも関わらず」

 

「二つの模倣殺人につながりがあるって予想は、最初からありました。けれど、その事実から確信を持ちました。本当はあなたは殺人を止めてなんていなかった。あなたは三崎を使って、実の姉を殺害したんです。

 その証拠に、三崎の家からはひとみさんのピアスは見つかりませんでした。元々、彼がなぜ今、模倣殺人を犯したのかも不明でしたし、彼は村木の弟子となることに固執していた。誰かが彼に殺人を犯させたんじゃないか。そう思いました」

 

「三崎は未だに村木が生きていると思い込んでいますし、村木の名前で指示を出せば、喜んで犯行を行うでしょうねえ」

 

 二人がそこまで話すと、ゆかりは納得がいったように手を軽く打ち合わせ、二人の刑事を称賛する。

 

「ふふ、そんな推理をしたのなら、後は簡単だったんでしょうね?」

 

「ええ。これまでの犯行では証拠も残さず、完ぺきにやり遂げていた犯人。それが、別人に最大の快楽である殺害の瞬間を譲る。そこまでして、犯行から自身の姿を隠したのです。……真犯人は被害者の身近にいるのだと考えました」

 

「それで、あなたの過去の事件におけるアリバイを調べました。すでに、各事件の起こった日、あなたが犯行現場近くに居たことが分かっています。被害者たちとインターネット上で付き合いのあったアカウントもあなたに繋がるはずです。まさか、被害者も大学生くらいの女性が殺人犯だなんて思わなかったでしょう。

 ……そして、三崎と同時期、あなたは語学留学でアメリカを訪れていた。そこで村木と出会ったんですね?」

 

 また、何よりの証拠がある。右京はゆかりへ近づくと、彼女がつけているピアスを指さす。彼女の姉の好んだ、自信を強調するような豪華な作り。

 

「物的証拠が必要だとおっしゃるならば、このピアスを提出してください。調べれば、すぐに分かるはずですよ? 三崎謙吾が貴女のお姉さんから奪ったピアスだと」

 

 三崎謙吾による犯行で奪われたピアス。必ず、血液反応などの犯行の証拠が出てくるだろう。

 

 すると、ゆかりは、

 

「それはお断りします。これは最後まで身に着けていたいですから……。すごいですね。流石、村木先生と安斉さんを逮捕した特命係。そこまで分かるなら、私が姉を殺した理由も分かりましたか?」

 

 その問いに、右京は背広のポケットから新たな写真を取り出し、示す。それらはすべて舞原ひとみの私生活の写真だ。友人との遊びの場面やデートサービスのプロフィール写真。いくつもの、ピアスが写った写真。

 

「舞原さんの写真です。ご友人やご主人からお借りしました。これらに写っているピアス。過去の事件の資料と見比べてみますと、すぐに過去の事件で奪われたピアスだとわかりました。

 つまり、貴女にとって、お姉さんこそが支配したい存在であった。村木にとっての順子さんと同様に。自身の力の象徴を贈ることで、お姉さんを支配していた。

 そして、最後にはお姉さんを殺すことで完全に支配することにした。僕はそう考えます」

 

 しかし、ゆかりはその推理に苦笑いを浮かべると、少し首を振った。

 

「それだけだと、半分正解です。……私にとって姉は雲の上の存在でした。生まれてからこの方、一度も勝ったことがない眩しい人。学校でも、社会でも、何でも。そして、姉もそれを誇りにして、影では私を蔑んでいた。……ずっと姉を羨んでいました。何とか一度くらいは勝ちたいって。

 そんな時に村木先生とアメリカで出会って。その欲望を解放することにしたんです。ピアスを贈ることで、私はいつでも貴女の命を奪えるんだよって。姉がそのピアスを付けているのを見るたびに、心は満足していた」

 

 けど、とゆかりは一瞬だけ笑みを消して、続く言葉を放つ。

 

「姉はだんだんと壊れていきました。生活を破たんさせ、色ごとに溺れて、お金も身分も失う寸前のただの女になり下がった。彼女は私の力の象徴として、ふさわしくなくなったんです。

 そして、後は刑事さんが言う通りに、やっぱり姉を完全に支配したかったのかなぁ。けど、自分で殺したら私は動きにくくなります。だから、三崎くんを利用しました。

 彼のことは先生から聞いていました。先生から離れたら怖がって人殺しはできなかった臆病な子。けど、先生の振りをして指示したら、すぐに動いてくれました。彼も、理由を探していたんです。背中を押されるのを待っていた……」

 

 これで全部です。そう言うと満足したようにゆかりは手を広げて空を見上げた。その悔いはないとでも言いたげな表情に、進ノ介は我慢がならなくなる。

 

「アンタ! 何も思わないんですか!? アンタは自分の姉を殺したんですよ? それだけじゃない、他の罪もない女の人たちを!! それも死んだ人間に勝手に心酔して!!

 ……分かってるんですか? アンタや三崎が出会った村木、あれは……」

 

「ロイミュードだった。ええ、三崎くんはともかく、私は知っていましたよ?」

 

「……え?」

 

 進ノ介の呆然とした表情を面白そうに眺めると、ゆかりは目を閉じながらその時のことを反芻する。

 

 異国の街角。誰もいない夜の闇の中だった。

 

 姉へのコンプレックスを長く抱えていたゆかりは、姉の目の届かない遠い場所で、静かに人生を思い返すことが多かった。そして、その胸の痛みをごまかすように、夜の街を危険を承知で歩くことが習慣になり。

 

 そして、あの場面に出くわした。

 

 どうやってその場所にたどり着いたのか、はっきりとは覚えていない。だが、そこには三人の人影がいた。一人は地面に横たわった女性。一人は息を乱しながら、ナイフを女性に突きたてる若い男。そして、それを教師のように見つめる悪魔。

 

 その場面を見て、ゆかりの胸に去来したのは、恐ろしさよりも興奮であった。彼女には男たちに組み伏せられ、血みどろにされる女性が姉に見えたのだ。

 

 私も、姉をあんなふうにしたい。支配したい。

 

 けれど、初めはその事実を受け入れられなかった。ホテルへ逃げ帰り、冷たいシャワーを全身に浴びながら胸の高ぶりを忘れようともした。けれど、頬の紅潮は収まらないまま。そして、部屋へ戻ると、

 

『一目見たときに分かったよ。君も私と同類だって』

 

 村木重雄がいた。かつてテレビで何度も見た、あの殺人鬼がそこにいた。

 

「……彼は私に何でも教えてくれました。警察の欺き方、犯人として捕まらない方法。そして、どうすれば力を実感できるか。丁寧にノートまで書いて。

 面白いのは、最後の時に告白を受けたんです。『実は人間じゃないんだ』って。悪魔のようなロボットの姿を私には見せてくれたんです」

 

「……じゃあ、どうして!? そんな、本人じゃないってわかってて、どうして従ったりしたんです!?」

 

 進ノ介は思わず彼女に掴みかかろうともした。それを右京が腕を掴むことで食い止める。

 

 本人と出会い、その悪意に麻痺をしたというのなら未だわかる。分かりたくはないがそんなこともあるだろう。だが、相手の正体が虚ろなロボットだと知ってなお、それに従って犯罪を犯したゆかりを、進ノ介は理解できなかった。

 

 だが、ゆかりは朗らかな声で続けるのだ。

 

「人間だろうと、なかろうと、関係あります? 世界に名高い教えだって、本人が生きているわけじゃありません。あのロイミュードは、私にとって教典であり、村木先生の媒介者でした。

 それに、素晴らしいとは思いませんか? 村木先生の考えは、機械だって魅了したんですよ?」

 

 彼女の目には、爛々とした喜びと狂気が見えた。その余りの有様は、彼女が人間ではなく、悪魔であると錯覚させるほどで。

 

 言葉を無くした進ノ介に代わり、右京が一歩前に進み出て彼女に告げる。彼には村木の事件を見つめた一人として、言わなければいけないことがあった。

 

「もはや、貴女に何を言おうと通じないかもしれません。ですが、これだけは言っておきます。村木がどれだけ手前勝手な理屈を言おうと、アナタがそれに魅力を感じようと。……アナタはただの殺人犯です。

 そして、アナタもいつかは後悔するときがくるでしょう。安斉が人の心を取り戻し、罪に苦しんだように。アナタも必ず、アナタの犯した罪を心の底から……」

 

 その言葉に、悪魔の弟子は密やかな笑みを返し、最後の言葉を告げた。

 

「なら、その時を楽しみにしていますね。Vim patior……」

 

 

 

 それから数日の間に片平ゆかりの家宅捜査が行われ、四件の殺人の証拠となるピアスが回収された。ゆかりは特命係に対した時と同様に、事情聴取に対しても冷静に答えている。

 

 弁護士は彼女や三崎の精神鑑定を求めていると言うが、安斉と同じ処置となるのかは、まだ分からない。

 

 世間が模倣犯の発生に混乱する中、しかし、進ノ介は事件を消化できてはいなかった。数年早くにロイミュードの存在を知っていれば、三崎やゆかりのような模倣犯が生まれなかったかもしれない。そして、最後には理解し合えると思えたあの機械生命体たちが、またも遠いところへと行ってしまったような。

 

 今更、仕方ないことと分かっていても、そんな考えが止まらなかった。

 

 日差しがいつにも増して入らない特命係へ米沢が訪れたのは、そんな時だった。彼はその手に小さな手帳を持ち、それを進ノ介へと渡してくれる。

 

「米沢さん、これは?」

 

「片平ゆかりの自宅から発見されたものです。筆跡や内容から、泊さんが言うように村木重雄に化けたロイミュードが残したものだと思われます」

 

 証拠品であるので、ここで開くことはできなかったが、過去の事件についての詳細な記述や、犯行を行うための哲学のようなものまで書かれているという。世に出れば悪影響を及ぼすこと必至だろう。

 

 だが、それを進ノ介に見せる理由は何なのだろうか?

 

 尋ねた進ノ介に、米沢は手帳のコピーと思われる紙をくれた。

 

「実は、分析の結果、表紙に仕込む形で手紙が隠されておりまして……。文面から察するに、仮面ライダーとして泊さんが真っ先にお読みになるべきだと思いました」

 

「……ありがとうございます、米沢さん」

 

 進ノ介は米沢に深く頭を下げると、その紙を見る。手帳を破って書いたのであろう。けっして長くはない手紙。そこに書いてあったのは、とあるロイミュードの告白だった。

 

『誰かがこれを読むことを期待はしない。そして、理解してほしいとも思わない。しかし、私という人格の終わりに、私はこの文を書き残さずにはいられないのだ。それは、我らの種族にとって非合理的な行為に他ならないだろう。電子の生命である私が、このような旧時代の手紙を残そうなどとは。だが、それこそが私を蝕む矛盾であり、欠陥であり、バグなのである。

 私はロイミュード、個体番号を019。これから消えゆく一つの知性として、模倣の終わりに遺書を残す』

 

 それは遺書であり、後悔であり、懺悔であった。

 

 ロイミュードの目的は自己進化だ。人格を、感情を、個性を持たない彼らは人間を学び、吸収し、理解することで進化を果たす。そうして人間を超えることこそが命題。蛮野により歪められたプログラムに従って、その学習の糧を人間の悪意に求めた。

 

 この遺書の筆者、019もまた、そのようなロイミュードの一人であった。

 

 電子の海をさまよい、あらゆる人格を観察し、進化に必要な人間を求めた019。そうして彼は、一人の男を見つけ出す。どす黒いほどの悪意と狂気を孕んだ男、村木重雄を。

 

『彼は優秀なモデルと成りえた。目的への強固な意志、それを成し遂げる忍耐。個体でありながら巨大機構を翻弄する知性、そして、他を圧倒し、影響すら与えうる強烈な悪意。我らの進化において、彼を理解することは不可欠であると、機械の私が冷静さを失うほどに。

 そうして、私は彼の前に姿を現した。……彼は、私の姿を見ても一声さえ上げなかった。冷や汗の一つも、心拍の変化も示さなかった。ただ、私と言う異形を一つの笑みと共に受け入れたのだ。はるか昔から、それを知っていたように』 

 

『その時の感情を、今では『戦慄』だと理解できる。そして、彼はあっさりと、私に自身を複製することを許容した。私はその申し出に素直に従った。それが、間違いだとも気づくこと無しに』

 

 村木の記憶を、考えを自らに取り込んだロイミュード。それが彼の苦難の始まりだった。

 

『結論から言えば、私は彼を理解することができなかったのだ。彼の人格をコピーした瞬間、自身を揺るがすほどの不快さを得た私は、村木の元から逃げ出した。

 人間が犯罪を犯すのは強い感情に支配されるから。例えばそれは物欲であったり、憎しみであったり、拒絶であったり、時には愛情でもあり得る。人格を読めば、その感情の機微を理解できるはずだった。

 だが、彼にとっての殺人行為とはそれ自体が目的であった。理由なんてない。単純な快楽とも違う。そこには、いくつもの矛盾した感情が折り重なっていた。彼は殺人という行為を悪だとも思っていなかったのだ。

 私は混乱した。このような人間が生まれるのならば、人間社会は立ちどころに崩壊してしまうだろうに。なぜ、村木のような人間が存在しうるのか。あまつさえ、彼は理解者さえ得てみせる』

 

 そうしてロイミュードは当てもなく彷徨い始める。彼は自身の習性に従い、村木の考えを理解しなければならなかったからだ。答えのない問いを、機械は捨てることができなかった。

 

『時には彼に倣い、殺人を犯してみた。ピアスを奪ってみた。それを支配的な女性へ贈ってもみた。けれど、村木の言う悦楽を得ることは無かった。身の内で、私でない誰かが暗い悦びに浸り、それが私を蝕み始めても、不快さを伴うだけで、理解へは至らなかった。

 そんな中で、私は若い人間たちに村木の考えを説いてみた。模倣はお手の物。彼らは私を村木だと信じ、そして、村木の考えをたやすく理解した。そうして、私よりも劣るはずの人間が村木の模倣者と化した』

 

『その時の私の絶望を分かってくれるだろうか? 私は、どこにでもいる人間の若者にさえ、劣っていることを付きつけられたのだから。止むことなき模倣と探求の中で私は疲弊していった。

 そして、この手紙を書く中、私は一つの考えに支配されようとしている。私は偉大なる指導者を殺してみたいと考えてしまった。私を友人と呼んでくれる親しい君。彼が私に向けた信頼を壊し、その死にゆく美しい顔を見たい……。親しく思うのに、いなくなって欲しくなどないのに。大切に思うほど、彼を殺したくなってしまった』

 

『理屈でなく、それは禁忌だと分かっていても。私はもう自分を止められない。それは私の隠れた欲望が急かすのだろうか。それとも、私の中で村木重雄という悪魔が生きているからだろうか……。せめて、仲間たちが私を止めてくれることを切に願う』

 

 その手紙を読み終えて、進ノ介は瞼に熱いものを感じた。そして、同様に手紙を読んだ右京さえ、出会ったことのない小さな生命に思いを馳せずにはいられなかった。

 

「『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』。……生まれたときから人を、世界を憎まずにいられない。そんな歪な赤ん坊である彼らが、村木という悪意を覗き込んでしまった。僕たちでさえ、理解できないソレを知らず取り入れた彼の苦しみは、いかほどだったのか。

 ……ロイミュードとは、悲しい存在ですね」

 

 進ノ介はその言葉に返すことは無かった。ただ、しばしの間悼むように、目を閉じて。今は亡き機械の命を想った。




あとがき

これにて第六話の完結です。

今話のテーマは「悪意に惹かれる人々」。
相棒本編でも触れた通り、悪意の影響を受ける人々も世の中には多い。それも人の世の難しさだと思っております。
そして、今話では村木の模倣者が三人現れました。
弟子になりたい三崎、自分に都合よく手口を変化させる片平ゆかり。そして、一応の継承者でありながら、人間でない故に理解はできず苦しんだロイミュード。
ロイミュードが居なければ、残る二人も平穏な人生を過したでしょうが、019も自身の習性に従っただけの被害者。一番悪いのは、蛮野や村木というどす黒い悪なのでしょうね。

ロイミュード019は、ドライブ本編では蛮野配下の死神ロイミュードとして登場し、破壊されています。本作では遺書を書いた後、ハートを襲い、初期化されたという設定に。ナンバーは悪魔ということで「6+6+6」。それに「+1」。そうして19と設定しました。

ようやく初登場のロイミュードですが、我ながら可哀想な役回りにしてしまったとも思います。
ただ、ドライブの終盤で描かれた通り、ロイミュードには人間に翻弄された被害者の側面が存在し、無知ゆえの、純粋な生命として設定されていました。そんな彼らが人間にも理解不能な悪意を取り込むとどうなるか。私は、上手く処理することはできないのではないかと考えました。

隠してもいないモチーフはSeason4第4話「密やかな連続殺人」、第5話「悪魔の囁き」。放送時に見た時は、ラストの引きといい雰囲気と言い、絶句した話です。

さて、今回は趣味120%くらいに楽しんで書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか? ピアス交換や、犯人に関する伏線は序盤から微かに撒いておりましたが、文章量と説明も多くなってしまい、お楽しみいただけたか、少し不安でもあります。

ただ、今話は書いていて、本当に楽しかった話です。
ようやくクロスならではの相棒とドライブ要素を混ぜた話が書けましたから。ただ、ロイミュードのトリックは多用禁物の裏技ですので、また別の形でロイミュードやライダーの設定を事件に取り入れたいと思います。

それでは、最後に第七話の予告!
次回はドライブより新キャラが参加し、中心になって話を回してもらいます。

第七話「心霊写真が語るものは何か」

写真ということで、彼が来ますよ!
どうか、お待ちいただけると幸いです。


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第七話「心霊写真が語るものは何か I」

お待たせいたしました!

ドライブからあのキャラクターが参戦する第七話、開始いたします。

今回は四パートで終了予定。

ですが、彼の登場シーンだけで結構な文字数になってしまったので、今回はプロローグみたいなもの。事件は次話から始まります。

それでは、第七話どうかお楽しみいただけると幸いです。


 その日は、月の隠れた夜だった。杉下右京は平穏な一日を終えて帰路に就く途中。色鮮やかな街の灯りに照らされながら、疲れた人々の間をいつもの早足で進んでいた。しかし、

 

「……おや?」

 

 その途中、右京が足を止めて後ろを振り向く。そのまま数秒、雑踏の中から探し物をする様に見つめる。

 

 気のせいかもしれないが、だれかに見られているような気がした。ただ、視線の先には人混み。その雑多な中では、何者がいたとしても顔までは分からないだろう。

 

 普通の人間ならば、気のせいで済ませ、そのまま帰り路へと戻るはずの場面である。

 

「……おかしいですねえ」

 

 右京もそうしてつぶやいた後、前へと向き直して。そのまま帰ると思いきや。

 

「……!!」

 

 数歩歩いた後、全速力で逆走した。後ろを歩く通行人が何人か、仰天してひっくり返りそうになるが、本人は「失礼」の一言で済ませてしまう。そして、右京が走った先は、横に伸びる小さな小道。そこへ慌てた人影が逃げ込んだのを、彼の目がとらえた。

 

 だが、右京がそこまで戻ると、その先には誰もいない。ただ、湿った暗い道が伸びるだけ。

 

 繰り返し言うが、常人であれば、「気のせいだったか」と考えて、そのまま帰る場面である。だが、杉下右京という人間は、細かいところを気にするくせに、人の目というものを気にしない変人。

 

 ゴミ箱の中身をひっくり返し、猫も入れないような隙間にまで顔を覗き込ませ始めて。通行人の訝し気な顔などは何のその。彼はそんなことを気にせず、気のすむまで不審者を探し回ったのだ。

 

 十数分の探索の末、結局、杉下右京はその何者かを見つけることは無かった。だが、彼の奇行を見て冷や汗をかいた男がいた。黒い頭巾をかぶって、見るからに怪しい風貌の男。彼は遠く離れたところに隠れながら右京を見つめ……。

 

 そして、その口から漏れたのは、

 

「なんだ、あの人。やべえ……」

 

 至極真っ当な感想だった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第七話「心霊写真が語るものは何か I」

 

 

 

「誰かにつけられてる、ですか?」

 

 泊進ノ介は朝、特命係にやってくるなり右京が述べた言葉へと素っ頓狂な顔で感想を述べた。右京はここ数日、誰かの視線を感じるのだという。ただ、物騒な言葉とは裏腹に、彼は顔色も変えず、いつもの調子で紅茶を淹れているのだが。

 

 進ノ介の返答は右京の考えを、「いやいや、そんなことは無いだろう」と言外に否定するものだった。すると、右京は進ノ介に少し不満げな視線を向けて、

 

「……そんなにおかしいことを言いましたかねえ、僕は」

 

 進ノ介は肩をすくめて弁明する。

 

「いやいや、おかしく、はないですよ」

 

 考えるのは人に認められた自由である。そして進ノ介は人の自由を尊重する。

 

「そうですか、僕を尾行する人などいるわけない、と。そのようなことを考えているように思えたのですが。僕の気のせいでしたか」

 

 進ノ介はその声に、思わず口に手を当てた。本当に人間の心でも読んでいるのだろうか。だが、右京は少し視線を向けただけで、気にした風ではなかった。進ノ介も気を取り直して、右京に主張する。

 

「けど、実際問題として、杉下さんを尾行する人なんていないでしょう? ここは特命係ですし」

 

 右京も、不本意ながら進ノ介も、逮捕権・捜査権がない窓際部署の刑事だ。犯罪者にとって脅威にもならない部署。そんな刑事が何の理由で追い回されなくてはいけないのか。

 

「いえいえ、意外と僕を尾行する人もいるものですよ。暴力団に、汚職警官に、公安部などということもありましたねえ」

 

「ははは、ご冗談を」

 

 進ノ介は苦笑いを浮かべた。何のラインナップだ、それは。日本の裏社会の面々が挙って右京に注目していることになってしまう。

 

 進ノ介も杉下右京の奇天烈さと、事件における不思議な優秀さは既に理解している。事件を共に捜査することで、強制的にだが、慣れさせられた。

 

 今では右京が奇行を行っても、『なんだこの人は』ではなく、『またか』、と心の余裕を保てるようには。

 

 だが、この時点の進ノ介の杉下右京への認識は甘かったと言わざるを得ない。彼が国家権力だろうとテロ組織だろうと、そして底なし沼だろうと素手で躊躇いなく突っ込む、爆弾のような男だとは考えていなかった。後々、それを嫌と言うほど思い知らされることになるのだが、この時点では、まだ。

 

 先のことはともかくとして、右京は取り逃がした尾行者、あるいはストーカーの正体が気になって仕方がない様子である。こんなことまで言い出す。

 

「冗談ではないのですがねぇ。まあ、良いでしょう。ただ、少々長く続いていますし、今日は思い切って犯人を特定してみようと思います。確保した折には君にも連絡をしますので、待っていてください」

 

 その発言を聞いて、進ノ介は少しよからぬことを考えてしまう。いつもいつも、右京には振り回されてばかり。少しくらいは、進ノ介にも彼をやり込める材料は欲しかった。

 

 似合わないのに格好つけたがるのは、進ノ介の悪い癖である。こんなことを言ってしまう。

 

「本当に犯人なんているんですかね……。じゃあ、そんな人が本当にいたら、一度、花の里で奢りますよ」

 

「我々も公務員なのですから、賭け事の類は止めておいた方が良いと思いますが……。君が勝手にやるというのなら止めはしません。……意外に君は子どもっぽいところがありますねえ」

 

 右京は言葉こそ非難してはいるが、どこか楽しそうに進ノ介の提案を受け入れた。あるいは、彼の調子のよい様子に誰かの言動が思い起こされたのか。

 

 この時点で、進ノ介は賭けに負けることはないだろうと考えていた。まさか、本当に犯人はいない、と。そして、その賭けが見事に間違いだったと気づかされたのは、その日の晩だった。

 

 

 

 結局、事件も起こらずに勤務が終わり、車で自宅へと戻った丁度その時。進ノ介の携帯にメールが届いた。差出人は誰あろう杉下右京であり、文面は。

 

『犯人確保。花の里で待ちます。約束、どうかお忘れなく。……君、弟さんがいたのですね』

 

 その画面を見たときの進ノ介の表情は、どうにも文面に起こしにくい、珍妙なものだったと述べておく。

 

 次いで、彼の顔から冷汗がふきだした。飲み物を含んでいたら、漫画のように噴き出していただろう。『犯人』『弟』と言う単語だけで、進ノ介の考え得る限り最悪の出来事が起こったのだと想像がついたからだ。

 

 彼にとって、弟という言葉が当てはまり、こんなはた迷惑な騒動を引き起こす人間は、一人しかいない。

 

 進ノ介が家を飛び出し、花の里へと辿り着いたのは十数分後。これまでにないほどに猛スピードで向かった進ノ介は、勢いよくドアを開く。

 

 そこにいたのは、まさしく進ノ介が予想した通りの人物で。しかも、呑気に刺身を美味そうにつまんでいるのだ。右京はその人物の隣に座って、なぜか上機嫌にお猪口を口に運んでいる。

 

 そんな光景を見た瞬間、進ノ介の堪忍袋の緒が切れた。

 

「剛ぉおおお!!」

 

「うぉ!? びっくりした!!」

 

 進ノ介は若者へ向かって掴みかかると、首根っこを掴んで揺すり始める。

 

「おま! 剛! お前なー!!?」

 

「ちょ! ストップ! 落ち着けって進兄さん!!? 醤油こぼれるから!! ほら、服に付いちゃうからさ!?」

 

「これが落ち着いていられるか!?」

 

 進ノ介が揺らすのは、髪を染め、少し立たせた活発な青年だった。トレードマークの白いパーカーもいつも通り。そして、何事につけても落ち着きが足りなく、トラブルを起こすのも変わらない。

 

 失った仲間を取り戻す旅に出たはずの戦友であり、弟分でもある詩島剛がそこにいた。

 

 しかも、杉下右京のストーカーとして。

 

「すみませんでした! うちの剛が本当に!!」

 

 剛を無理やり立たせて、進ノ介は頭を無理やり下げさせる。自分も深く下げることを忘れない。今朝は右京にストーカーがいるわけないと一笑に付していたのにも関わらず、犯人がいて。しかも、その正体が身内等ということがあり得るのか。進ノ介の動揺も推して知るべしだろう。

 

 すると、右京は少し苦笑いを浮かべて。

 

「まあまあ、剛君も深く反省しているようですし、そのくらいで。……ああ、約束だけはお忘れなく。剛君、今日は泊君の奢りだそうですよ」

 

「いやー、悪いね! 進兄さん!!」

 

「……剛、あとで霧子に伝えるから、覚えとけよ」

 

 調子よく幸子へと注文を始めた二人へ、進ノ介は濁った眼を向けるのだった。剛への制裁は、彼の実姉よりもたらされるに違いない。

 

 そして進ノ介もあきらめたように大きくため息を吐き、ノンアルコールビールを頼むのだった。今日は飲まないとやってられない。ところで、なぜ右京と剛がここまで打ち解けているのか。進ノ介が得た情報が正しければ、剛こそが右京をストーキングしていた犯人。つまり、右京が被害者なのだが……。

 

 進ノ介が素直にそれを尋ねてみると、

 

「それがさあ、今日も警部さんの後を追いかけてたんだけど、気が付いたら袋小路に追い詰められちゃって」

 

「すると、剛君がいきなり土下座を。特に僕は何をしようともしていなかったのですが……」

 

 右京としては冷静に警察官として対応する予定だったそうだ。追い回されていたとして、直接危害を加えられたわけではない。目的を聞き出し、厳重に注意しようと思っていた。

 

 ただ、剛が行ったのは見事に地面へ頭をつけた土下座。そうとなってはさしもの右京も許すことにしたらしい。むしろ、剛について興味がひかれたのだと。

 

「だって警部さん見てたら、何されるか分からないじゃない! 戦々恐々だよ……。で、その後、この店に連れてきてくれてさ」

 

 剛は当時のことを思い出したのか、ぶるりと体を震わせた。

 

 ともかくとして、二人して花の里を訪れ、慌てた進ノ介が駆けつけてくるまでのしばらくの間。その間に右京と剛は親交を深めたようだ。さらに、

 

「私も、また色紙いただいちゃいました! ふふ、霧子さんの弟さんも仮面ライダーだったんですね。それに、泊さんのことを兄さんだなんて、可愛い義弟さんじゃないですか」

 

 幸子がはしゃぎながら言う。少しミーハーの気がある美人女将は剛のことを気にいったようだった。

 

 店の奥にある神棚には、進ノ介の色紙の隣に『追跡、撲滅、いずれもマッハ! 仮面ライダーマッハ!!』と調子よく書かれた色紙が鎮座していた。真実を述べておくと、警察官である進ノ介はともかく、剛が仮面ライダーマッハとして戦ったことは公表されていない。

 

 世間における、マッハは未だに正体不明の民間協力者である。

 

「……ばらしたのか」

 

「話の流れで、つい」

 

 ごめんなさい、と頭を下げる剛を軽く叩く。しかし、軽薄な態度に見えることがあるが、剛はこれでも口は堅い。そんな彼が正体を明かしたというのなら、この人たちが信用できると判断したのだろう。一応、色紙には剛の名前は書かれていなかった。

 

「で、どうして杉下さんを追跡したんだ。まさか、撲滅するつもりじゃないだろうし……」

 

 進ノ介としては気になるのはそこだった。なぜ、剛は警察官を、しかもよりによって杉下右京を追跡しようとしたのか。すると、剛は進ノ介を指さし、

 

「そりゃ、進兄さんが左遷されたなんて聞いたからだよ。で、姉ちゃんが変人だって言ってる警部さんを追っかけたら、なんか面白いこと分かると思ってさ。進兄さんが出世するときにも役に立つかもしれないし」

 

 そんなことをずけずけと言う。

 

「君の知り合いが仲間思いなのは分かりますが、なぜ、皆さんが僕を標的にするのか。わかりませんねえ……」

 

「はは、警部さん、面白い冗談だね! 姉ちゃんや進兄さんも、そういうユーモアは見習ったらいいのに」

 

 右京がぼやき、剛が笑う。だが、剛は冗談だと解釈したようだが、右京は至極真面目に分かっていないのだろう。

 

 霧子に始まり、りんな、追田警部、と皆が皆、最初は右京を警戒したり、睨み付けたり、歴史改変を図ったり、怒鳴ったり。それが疑問だと右京は言う。

 

 杉下右京は、他では察しが良すぎるくらい頭が回るのに、分からないものなのだろうか。人間の心に疎いのか、単にとぼけているだけなのか。

 

 ともかくとして、剛は意外にも右京を気にいった様子だった。歳の差はかなりあるが、元々剛は年齢が上の相手になつく傾向がある。そして、右京の型破りで暴走特急のような人柄は、剛と親和性が高いものだったのかもしれない。

 

 進ノ介は剛のブレーキを自認しているが、右京の場合は外付けのジェットエンジンみたいなものだ。二人とも思い立ったら一直線である。

 

 そして、二人には不思議な共通点も存在した。

 

「剛君はカメラマンとして活躍されているそうですね。実は、僕も写真に興味があるのですが、とても趣のある良い写真でした」

 

 そう言って、右京が小さな本を進ノ介へ渡す。それは遠い異国の景色を映したフォトブックだが、撮影者の名前がない。出版に関与した人だけが写っている。

 

「へー、良い写真ですね」

 

 そんな呑気な感想を述べた進ノ介に、

 

「それ、剛君の写真だそうです」

 

「これ、剛のなんですか!? なんで撮影者の名前で、出てないんだ!?」

 

 進ノ介が驚きながら尋ねると、剛は少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、

 

「名前売りたいわけじゃないし、世界を回る資金と、その写真見て、人が喜べばいいんじゃないかって思ってさ。ほら、今は写真の仕事よりもやらなくちゃいけないことあるから」

 

 と言うのだ。剛の言い分を聞きながら、進ノ介はページをめくっていく。進ノ介も剛の写真は何度となく見せてもらったことがあるが、やはり出版用の写真は構図や光の入れ方に工夫が凝らされていて、絵画のようにも見える。写真とは、撮り方によってここまで変わるのか、と進ノ介は感心した。

 

「出版には、アメリカのご友人が協力をしてくれたそうですね?」

 

「親切な奴が手を貸してくれて。あと、知り合いのフォトグラファーも何人か、ね。……そういえば、NYで世話になった人に杉下さんって人がいるんだ。警部さんと同じ苗字で、杉下花さん」

 

「へえ……。杉下も珍しい苗字じゃないですけど、アメリカの杉下さんに剛がお世話になるなんて。面白い偶然ですね!」

 

 進ノ介は本気でただの偶然だと考えていた。彼が言うように、杉下というのも、珍しい苗字ではない。しかし、奇妙な縁という物は、確かに存在するようで……。右京から漏れ出たのは驚くべき真実であった。

 

 右京はなんでもないことのように、ぽつりと、

 

「ああ、彼女と会ったんですね。……僕の姪です」

 

 そうつぶやいた。

 

「「姪!?」」

 

 右京の言葉に二人は仰天する。何と世界は狭く近いのか。よりにもよって右京の血縁だとは思わない。そして、その事実を聞いた剛は興奮したように笑みを深くすると、右京に少し身を乗り出して。

 

「ふっしぎなこともあるもんだなー。ねね、じゃあ、警部さんも頭いいんじゃないの?」

 

「はい?」

 

「いや、花センセのとこに勉強に行ったときにさ、事件が起こったんだよ。殺人事件。で、センセが解決しちゃって。そりゃ見事なもんだったよ。警察前にして大立ち回り」

 

 話を詳しく聞くと、下手すれば剛も花も誤認逮捕されるところだったとか。その事態を前にして、杉下花は事件を勝手に捜査し、見事解決に導いたのだという。

 

 卵が先か鶏が先か。杉下の系譜は変人かつ天才のようだ。

 

「まったく彼女は……、そういう風に興味本位に事件に首を突っ込むのは止めておきなさいと、釘を刺したんですがねえ……」 

 

 ただ、姪の活躍が右京には不満なようで、少し怒ったようにお猪口を口に運びながらぼやく。

 

 ただ、その言葉に大いに文句があるのは進ノ介。

 

「……その姪っ子さん、杉下さんにそっくりですね」

 

 どの口が言うのだ、とは言わないでおくことにした。

 

「進兄さんの今ので、警部さんがどんな人か分かったよ」

 

 そして、疲れたように呟く進ノ介の横で、剛が笑いながらグラスを呷るのだった。

 

「ちょっと待て! 剛、お前、酒飲んでるのか!?」

 

「だーいじょうぶ、大丈夫。俺、もう二十歳だから。バイクも置いてきたし」

 

「……剛が酒を呑むってだけで心配になるんだよ、俺は」

 

「相変わらず、心配性だねぇ。兄さんは。あ、姉ちゃんにはナイショに」

 

 そうして幸子を交えた四人は、剛の世界の土産話やら仮面ライダー秘話を肴に、のんびりと交流を温めるのだった。

 

 だが、その長閑な話が奇妙な方向性に変わったのは、二時間ほど経ち、剛が最近撮った写真を全員で回し見ている時だった。

 

「剛君。この写真は、一体どこで?」 

 

 右京がとある写真を剛へとみせた。どこか、その顔には興奮の色が浮かんでいる。その目は爛々と輝いており、進ノ介には嫌な予感しかしなかった。また、変人が何かを嗅ぎつけたのだろう。進ノ介の背中を嫌な汗が伝い始めた。

 

 それに気づかない剛は、その写真を見ると、撮影した場所などを解説し始める。

 

「えーっと、この写真なら東京だよ。多摩のほうの御首山。最近は今頃が紅葉のピークだろ? 隠れた場所だけど、良い画が取れてさ」

 

 写真はある山の斜面を写している。その中心は見事な枝ぶりのもみじ。何より、その紅葉の色が鮮やかだった。ただ、進ノ介が見る分には、杉下右京が興味を惹かれるほど面白い、あるいは奇妙な存在は写っていないように思える。

 

「普通の写真に見えますけど……、杉下さんはどこが気になったんですか? その写真の」

 

 進ノ介が尋ねると、右京は写真の隅を示した。だが、そこは被写体の中心から外れて、目立つ場所ではない。

 

「泊君。ここ、よーく見てください。何か、半透明のものが写っているように見えませんか?」

 

「ん……?」

 

 進ノ介が目を凝らすと、確かに何か白い靄のようなものが存在する。いや、見様によってはそれは、

 

「僕には、どこか女性のように見えるのですが! 如何でしょう?」

 

 そう言って、右京は目を輝かせて尋ねてきた。

 

「えー……、剛、お前はどう思う?」

 

「そうだねぇ……。警部さんの見間違えじゃないの? 俺、写真撮った時は何も見なかったし」

 

「幸子さんは?」

 

「さぁ……。私もそんな風には思えませんけど……」

 

 二人ははっきりと否定するが、右京はなおも主張を続ける。

 

「いえ、剛君が何も見えなかったということは、この存在はカメラを通さなければ視認できなかった。そういうことになります。そして、自然に発生した靄にしては形は不自然ですし。……ここ、この部分ですが。もう一度よく見てください。ここが胴体で、ここに顔」

 

「だから、見間違えで……しょ……う……」

 

 進ノ介は額に皺を寄せながら、右京に言われるままその場所を見る。だが、そのように細かく指定されながら見ていくと、何かがある様に思えてしまい……。

 

「うわっ、なんか、顔に見えた!?」

 

 進ノ介が思わず仰け反った。右京に言われるまま見たからなのか、進ノ介にも靄のてっぺんにボンヤリと、若い女性の顔が見えたのだ。

 

「……進兄さん、気にしすぎじゃない?」

 

「いやいや、剛! 幸子さんも! ほら、ここ! これ間違いなく顔だって!!」

 

 剛も幸子も、その言葉には首をかしげる。だが、ここまではっきりと写っていたら、進ノ介にはそうとしか思えなくなってしまった。

 

 そして、右京もますます興味が深まったようで、饒舌に語り始める。

 

「ええ。これは、間違いなく心霊写真ですよ! 世の中にはいくつも偽物の写真があると言いますが、剛君がわざわざそんな細工をするとは思えません。となると、これはまさしく本物の心霊写真!!

 実は、僕は幽霊やオカルトは信じているのですよ。けれど、まだ一度も見たことがない……。とても興味深いですねえ。……泊君、それと時間があるならば剛君、明日、ぜひ付き合ってくれませんか?」

 

「杉下さん、まさか……」

 

「ええ。無念を抱えた霊がいるとしたら、警察官として何かをできるかもしれません。調べてみるべきだと思いますよ」

 

 右京は笑みを深めながら、そう告げるのだった。




ということで、ドライブでの二号ライダー(実際には三号かもしれませんが)、仮面ライダーマッハこと、詩島剛の登場です。

書いていると、写真のことだったり、性格だったりと右京さんとの親和性が高そうに思えた剛。書いていて楽しいですね。

前回に続き、幽霊がらみの話になってしまいますが、今回はオカルトが事件に絡むということはないので、ご心配なく。

それでは第二パートも近日中にお届けいたしますので、お待ちください。


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第七話「心霊写真が語るものは何か II」

ここまでの状況のまとめ

仮面ライダーマッハこと詩島剛がやってきた。
途端に打ち解ける右京と剛。だが、剛の写真の中から目ざとく心霊写真を見つけた右京は、その真相を探りたいと言い出して……。


 突如として剛の撮った写真を心霊写真だと決めつけ、実際に現場に向かいたいと言い出した杉下右京。

 

 翌日、右京に押し切られてしまった進ノ介と剛は、彼と共に写真が撮影された御首山へと向かっていた。剛は昨夜飲酒をしたので、進ノ介のGT-Rの後部座席へ押し込む形。進ノ介は暗い顔でハンドルを握りながら、間違いでなければ常になく楽しそうな右京へと尋ねる。

 

「ほんとに行くんですか、杉下さん? 一応は勤務時間なのに幽霊探しなんて……」

 

 世間にそんな話をしたら袋叩きでは済まないじゃないか、と。しかし右京は飄々としながら、

 

「特にあの部屋にいてもやることはありませんから。それに、泊君は無理についてこなくても良かったのですよ」

 

 そんなことを言う。

 

 本音を言えば、進ノ介とて、付いて来たかったわけではない。だが……。

 

「……剛が乗り気じゃなかったら、そうしてましたよ」

 

「悪いね進兄さん! 運転よろしく!!」

 

 剛が後ろから陽気な声を出して手を挙げる。その彼が問題であった。

 

 真偽はともかく、幽霊探しには興味がない進ノ介に対して、幽霊の正体を突き止めたいとの右京の意見へと剛が同調していた。面白そうだという理由で。

 

 そして、放っておいても二人で山へ向かうというのなら、進ノ介も、特命係の部屋で待つよりも付いていった方が精神衛生的によい。二人だけに任せていたら、余計に大きなトラブルを巻き起こしそうである。

 

 御首山までは山道を通りながら、一時間半ほどかかる。その道すがら、右京はこれから向かう御首山についての蘊蓄を語ってくれた。どうやら昨日のうちに調べていたらしい。そこまで楽しみにしていたのか、と進ノ介の肩は、不安で重くなってしまう。

 

「御首山はそれほど大きな山ではなく、アクセスが良い場所でもありません。ですが、景色のよいスポットが点在する、隠れた名所として近年話題になっているそうです。SNSの普及が、こういった田舎町にも影響を与えているようですね。

 かつてより夏場のキャンプ場や民宿、別荘は存在していますが、ここしばらくは移住者も増えているそうです」

 

 すると、剛も、山に訪れた時の思い出を語ってくれる。

 

「俺もその中の一つに泊まったんだ。バイクがパンクしちゃったときに、助けてくれた羽黒さんが経営してる民宿。今日もそこに予約を入れてあるよ」

 

「剛、まさか宿泊する気か!?」

 

「いや、本当に良い宿なんだって! 雰囲気もいいし、夕飯もほんとに美味いし、羽黒さんもいい人だったし! 進兄さんにもご馳走したくてさ! 警部さんも、いいだろ?」

 

「そうですねぇ……。それでは、剛君の厚意に甘えるとしましょうか。特に僕たちが休んでいても咎める人はいませんし」

 

「はぁ……。むしろ、俺たちがいないほうが喜ぶ人が多そうですよね……」

 

 進ノ介は頭の中に誰かの顔を浮かべながら、溜息を吐く。そうして一行はスピードを上げて御首山へと向かうのだった。

 

 

 

「伊丹さん? どうしたんですか、そんな、ダンスみたいなことして」

 

「誰かが、誰かが俺の噂をしている……」

 

「え?」

 

「先輩、背中かゆくなるんだって。噂されると……」

 

「かーぃいなー。誰だ……」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第七話「心霊写真が語るものは何か II」

 

 

 

 長いドライブの末に、進ノ介が車を降りると、いかにも森林という澄み切った空気が体を包んでくれた。

 

 土のにおい、木の香り、小川のせせらぎの音。

 

 そういえば右京との最初の事件も田舎町だった。彼との遠出はなぜかこうした自然あふれる場所になる。こもりやすい車の空気から解放されて、進ノ介は自然と気分がよくなるのを感じる。

 

 彼らが車を停めたのは、山の麓。そこにひっそりと建てられた、周りを木々に囲まれたロッジの前であった。ロッジといっても小さな山小屋のような場所ではない。建物は丸太で作られているが、全容はかなり大きく、数組の家族ならば問題なく宿泊できる。

 

 そこが剛が世話になったという羽黒真一氏が経営する宿だった。

 

 駐車場の入り口には『清流の宿』と薄く切られた丸太づくりの看板が建てられている。

 

 三人が荷物を肩にかけながら、色とりどりの落ち葉が広がっている玉砂利の道を歩いていくと、宿の前で若い男性が出迎えてくれた。剛の反応を見るに、彼が羽黒氏だろう。

 

「ようこそお越しくださいました! 小さい宿ですが、どうかお寛ぎください」

 

 そう言って、羽黒氏は丁寧に頭を下げる。そんな彼に恐縮しながら、案内されるまま進ノ介達は宿の中へと向かうのだった。羽黒氏は廊下を歩きながら、進ノ介達に朗らかに話しかける。

 

「それにしても、剛君からまた宿泊したい、と言われた時には驚きましたよ」

 

「というと、この時期のお客さんは少ないんですか?」

 

 進ノ介が尋ねると羽黒氏はうなずく。

 

「ごらんのとおり、小さな場所ですからね。

 夏でしたらキャンプにハイキングに渓流釣り。子供向けには虫取りも。都会の方にはいい遊び場所です。

 もちろん、秋も山の幸や紅葉はありますが、短期間に何度も訪れる場所ではありません。この時期はリピーターが少なめなんです」

 

 なるほど、と進ノ介は頷く。見たところ、他に客は少ないようだった。だが、それも当然といえるかもしれない。季節に加えて、今は平日。まっとうな職業人なら、汗水を流している時間だ。

 

 進ノ介はそのことを、なるべく考えないようにする。

 

 そうして、三人が案内されたのは、森の香り豊かな和室。花瓶にはもみじの一枝が生けてあり、壁には子供が作ったのだろうか。少し古びた、葉で作ったアートや、松ぼっくりのリースがかわいらしく飾られている。雰囲気が独特だが、不思議と癒される空間だ。

 

 荷物を置いて人心地がついた一行が窓の外を見ると、均整の取れた三角形の山が鎮座している。あれが御首山だ。羽黒氏がお茶を入れながら山の由来を教えてくれる。

 

「元々はよくある落ち武者伝説です。高貴な方の首を抱えた武田の落ち武者が村にやってきて、彼を村人が匿った。そうしてのちに徳川に仕えた武田の旧臣が感謝し、村に富をもたらした。そんな昔ばなしです」

 

「なるほど、御首山という変わった名前はそういうわけでしたか」

 

「ええ。首を山頂に埋めたと、そういう風に地元には伝わっています。『殿のおくびはてっぺん埋めて 誰にも言ってはなりませぬ』なんて爺さんたちから聞かされたものですよ」

 

 右京は羽黒氏の解説を面白そうに聞き終えると、湯呑を手にしながら、

 

「そうした場所でしたら、幽霊が出る。そんなこともあるかもしれませんねぇ」

 

 なんて呑気にとんでもないことを言い出すのだ。

 

「ちょっと杉下さん! そんなこと言ったら失礼でしょう!?」

 

 進ノ介は慌てて右京を部屋の隅に連れて行くと、口をつぐむように小声で言う。いかな人であっても自分が住んでいるところが心霊スポットだといわれて気分がいい人はいないだろう。

 

 そんなやり取りを聞いてしまった羽黒氏は剛へときょとんとした顔を向けて、

 

「もしかして剛君、あの人たちは……」

 

「そ! なんか俺が撮った写真に幽霊が写っているって言いだしてさ。二人とも調査するって聞かないんだよ」

 

 いつの間にやら自分を棚に上げて進ノ介も幽霊探索チームに巻き込んでいる剛に怒ろうとすると、羽黒氏は腹を抱えて笑い出してしまった。

 

「……いや、失礼しました。ですけど、幽霊騒動のおかげでうちの宿も潤っているんです。夏と秋の少しの間だけじゃ、生活は成り立ちませんから。ほら、これもお見せしようと思っていたんです」

 

 そう言って右京達に見せてくれたのは小さなノート。そこにはいくつかの写真や記事の切り抜きが貼られている。そのタイトルは、

 

「『幽霊が留まる地、御首山』って、この記事、心霊スポットとか言っているじゃないですか!?」

 

 進ノ介は目を丸くする。まさか、現地でもそんな噂ができていたとは、彼には意外な事実であった。

 

「なるほど、以前からそういう噂もたっていたのですね?」

 

 右京が尋ねると羽黒氏は笑いながら頷く。

 

「ここ三年くらいですかね。どういうわけか心霊とかを扱うサイトにこの辺りのことが載るようになりまして。ほら、こういう心霊写真も撮れるんです」

 

 その写真は剛が撮影したそれよりもはっきりとした白い影が写っていた。見ようによっては人や化け物に見えなくもない。

 

 剛の写真なら、まだ見ようによっては見える、その程度の心霊写真。だが、この羽黒氏が見せてくれた写真は見間違えや偶然の類ではないと思えた。

 

「……これ、本物ですか?」

 

 恐る恐る進ノ介が尋ねると、

 

「いえ、偽物ですよ」

 

 羽黒氏はあっさりと、朗らかにネタ晴らしをしてしまう。

 

「え!?」

 

「フォトショップでちょちょいと。今のご時世、いくらでもこういうものは作れてしまいますから。うちにそういう目的で来た人に見せるために作ったんです。ほら、あまり期待させすぎると、立ち入り禁止の場所まで入ったり。そういうの危ないでしょう? こういうのは遊び半分だって分かってもらいたくて。

 ほかの方の写真はわかりませんが、私はそういう幽霊やらを見たことはありません。ただ、それで人がこの山に注目してくれるのはありがたいことです」

 

 おかげで売り上げはかなり伸びたとか。これも現代のビジネスモデルなのだろうか。せっかくだから、ということで羽黒氏は進ノ介たちにも、いくつかの有名な心霊スポットを教えてくれた。

 

 早速、三人は散策へと向かうことにする。

 

 羽黒氏の見送りを受けて外へ出ると、ちょうど入れ違いに一人の男性が宿へと入ってきた。剛と同じく、首から大きなカメラを提げている男性。マナーとして挨拶をすると、男性も頭を下げて、宿の奥へと入っていく。

 

 振り向いてその背中を見つめながら、進ノ介はつぶやく。

 

「ほかにも宿泊客がいたんだ……」

 

「あー、あの人、俺が泊まった時にも見たな……。確か、ルポライター。この山の自然とかを記事にしたいから、しばらくの間、羽黒さんの世話になっているって」

 

 剛の言葉にあいまいにうなずく。言ってはなんだが、このような辺鄙な場所に何週間も逗留するとは。物好きな人もいるものだと、進ノ介はぼんやりと思うのだった。

 

 

 

 真新しいガイドブックによると、御首山はハイキングに向いている場所だ。登山口から整備された、なだらかな山道が続いており、山の中には険しい斜面の場所もあるが、山道を通る限りは安全。頂上近くの傾斜がきつい場所でも、手すりが完備されている。

 

 その山の麓に流れる多摩川の支流が流れている。御首川という、その河原には広いバーベキュー場が整備されていた。登山口は二つあって、羽黒氏の宿近くと、河原から。どちらからでも山頂へ向かえるのだとか。

 

 進ノ介達はそのうちから、宿近くの登山ルートを選んだ。一歩、そこから山へ踏み入ると下界よりも少しひんやりした空気を感じる。もう十二月なので十分空気は冷たいが、それにも増してだ。

 

 だが、三人がそんなところへ来て何をするのか、といえばハイキングではなく、心霊写真の撮影だった。

 

「それでは、写真を撮りましょう」

 

「よっしゃ、やろうぜ! 進兄さん!!」

 

 右京が楽しそうに小さなデジタルカメラを掲げた。いつものぼんやりとした声には違いないが、心なし張り切っているようで。そして剛も同様に、歩きながら怪しい場所にレンズを向けていく。

 

「剛……。お前は心霊写真を信じてないんだろ?」

 

「そりゃそうだけどさ。せっかく来たんだから、楽しまなきゃ損じゃん!!」

 

「……そうだな」

 

 ごもっともな理由だった。彼に言い負かされてしまったことに少し落ち込みつつ、進ノ介も剛から借り受けたデジタルカメラで撮影を始める。

 

 かつて首が埋められていたという頂上まで、ハイキングコースではおよそ二時間ほど。ただ、三人に山登りの準備はなく、右京に至ってはいつもの革靴とスーツ。

 

 その山をなめているとしか言えない装備では、ほどほどの場所まで登るのが精いっぱい。三人はゆっくりと山を登りながら、様々な場所を撮影するのだった。

 

「いい天気ですねー」

 

 進ノ介は冬に差し掛かる青空を見上げてつぶやく。時刻は正午を回ったところ。山道を登る進ノ介達には木漏れ日が降り注いでいた。日陰に入ると寒いくらいだが、それもまた乙というものだろう。

 

「しかし、幽霊は晴れの日は好まないものでしょうから……。心霊写真が撮れるのか。それだけが気になります」

 

「まあまあ、警部さん。被写体との出会いは一期一会ってやつでさ。幽霊がいるかは分からないけど、まずは撮影を楽しむことだよ」

 

 こういうところではカメラマンらしい。剛が楽しそうに笑いながら、小さな物陰や、木の葉を撮影していく。実は進ノ介も幽霊探しには半ばといわず、開始直後から飽きていて。もはや都会では見られないキノコやドングリを撮影するのが主となっていた。

 

 思ったよりも楽しい。

 

 そんなものなので、真面目に幽霊を探しているのは、右京だけである。彼は古びたお洞や奇妙に突き出た大木を撮影していた。それはそれで味がある被写体だが、幽霊は今のところ見つかっていない。剛が撮影したスポットでも、結果は同様だった。

 

 そうして三十分ほど経ったところで、三人は人と出会った。

 

 登山道を道なりに進んでいくと、進ノ介達の右手に伸びる斜面に、小さな地蔵が置かれていた。地蔵自体はきれいに磨かれているが、台座は真っ黒。近寄ってみるとわかるが、四方全て。

 

 神社の鳥居にもそうして黒ずんでしまった物が存在するが。同様に古くから存在するものなのだろう。その地蔵の前で、一人の男性が手を合わせていた。

 

「おやおや、これはどうも」

 

 年は五十代くらいであろうか。いかにも山の男という鍛えられた体を持った男性だ。三人に気づくと立ち上がり、ひげが豊かな顔に笑みを浮かべて挨拶をしてくれる。

 

「皆さんは、羽黒さんのとこのお客さんですかね?」

 

「ええ。杉下といいます。こちらは泊君と詩島君。少し、自然を満喫したいと思いまして」

 

 右京の紹介に合わせて二人も頭を下げる。

 

「そうですか。なら、今日の天気はいいでしょう。もうしばらくたったら冬の寒さも厳しくなりますし、最後の登山日和かもしれませんね。

 あ、私はこの山のガイドも務めています御伽健次郎といいます」

 

「山ガイド、ですか?」

 

「ええ。主に山の管理や、皆さんのように初めて山へいらした方へ動植物を紹介したりね。夏には小学校の林間学校なんかも開かれますから、そういったときにも教師役をしたりしてます。

 まあ、本業は猟師でして、今夜皆さんが食べるイノシシ肉は、私が捕ったやつになりますよ。この間、罠にかかった活きのいい奴です。羽黒さんがこっちに移住して以来、私の所を御贔屓してもらってましてね……。都会のお客さんにもご好評いただき、ありがたいことです」

 

「へぇー」

 

 進ノ介はその自己紹介に感心しきりに頷いた。今ではこの山にまで踏み込んでくることはなくなったが、山間にあるだけあって、この地方にはイノシシやシカが生育しているという。それこそ、十年程前は、熊も出たそうだ。

 

 御伽氏はそういった動物が増えないように管理しつつ、この山を保全している。山を保護するために必要な職業である。

 

「お話を伺っていると御伽さんはこの山に長く関わっていらっしゃるようですが……」

 

 そんな彼に右京は尋ねる。すると、御伽氏は誇らしげに頷いた。

 

「先祖代々、この山の周りをなわばりにしていた猟師一家ですよ。そんで、今は日課のお参りです」

 

 仕事とはいえ、殺生を行っているのだから、せめて神仏へ祈り、獲物への供養は行っているのだという。

 

 右京もその話に頷きつつ、やはりというか、こんなことまで聞き始めた。

 

「御伽さん、つかぬ事をお聞きしますが……。実は僕、こちらの山で幽霊が出る。そんな噂も聞いているのです。それが気になって気になって仕方ないのですが。実のところ、それは本当なのでしょうか?」 

 

 すると、御伽氏は少し不思議そうな顔で右京を見て。

 

「あぁ、そういう噂もありますが……。その話も誰が言い出したのか、ここ三年ほどになって急に。大方、旅行者の若者が面白半分に流したんじゃないかと思うんですがね」

 

「それでは、そのような噂が流れるような、事件などは……。過去にはありませんでしたか?」

 

「……さあ、観光客の皆さんに話すべきことは何も。少なくとも、私は一度も幽霊は見たことありませんから。しょうもない悪戯だと思ってますよ」

 

 御伽氏はそう言うと、最後に挨拶をして下山していった。

 

「ほら、地元の人もそう言っていますし、やっぱりガセネタだったんですよ。あの写真も見間違えですっ……て……」

 

 進ノ介が言質を得たのをこれ幸いと、右京に文句を言う。だが、右京は進ノ介の言葉を無視すると、御伽氏の去った後の地蔵をこまめに撮影し始めていた。管理人がいなくなった途端に、罰当たりなことである。

 

「……」

 

「やっぱり面白い人だねえ、警部さんは!」

 

 唖然とする進ノ介の肩に手をまわしながら、剛はからからと笑うのだった。

 

 

 

 結局、二時間ほどのんびりと散策とハイキング、ついでに幽霊探しを済ませた一行は、羽黒氏の待つ宿へと戻るのだった。

 

「どうでした? 幽霊は見つかりましたか?」

 

 羽黒氏は苦笑いしながら三人を出迎えてくれる。そんな彼に乾いた笑顔を返すと、進ノ介の目には、玄関先においてある、大きな竹ざるが見えた。そこには見事な赤身肉が並んでいる。

 

「ああ、これは御伽さんが持ってきてくれたイノシシですよ。皆さんの夕食。

 今日は牡丹鍋です。まあ、支度が終わるのは五時くらいですから、もうしばらくのんびりなさってください」

 

 そう言ってくれる羽黒氏に感謝しつつ部屋へ戻ると、その途中で上品な女性と会った。食堂となる広めのスペースで優雅にお茶を飲んでいた。彼女もお客だろうか、と進ノ介は考えるが、しかし、ハイキングを楽しむにしては、傍らに置かれた杖が気になった。

 

 すると、羽黒氏が彼女を見て、

 

「ああ、彼女は花江さんって言います。こちらの土地の持ち主。言ってしまえば、この宿のオーナーでしょうかね。近くに別荘も持っていて、時々こちらに滞在されるんですよ」

 

「なるほど……。ちなみに、お二人はどういった経緯でお知り合いに?」

 

 右京が興味深げに尋ねる。

 

「私が都会で働いているときにたまたま。この山を紹介してもらい、土地まで貸していただきました」

 

「へぇ、親切な方なんですね」

 

「ええ。本当に、彼女がいなかったら、今の暮らしはありませんでしたから……。恩人ですよ」

 

 その花江はそんな風に会話している面々に気づいたのか、こちらを向いてペコリを頭を下げてくれる。

 

 その仕草の一つ一つまで丁寧で美しく、気品のようなものも感じられた。右京から好奇心を抜いたら、ああなるのだろうか、などと進ノ介は失礼な想像をしたり。

 

 その後は部屋へ戻り、小休止。そして、宿の風呂で疲れをとると、進ノ介が楽しみにしていた食事の時間がやってきた。三人が食堂に向かうと、机の真ん中には三人で食べるには豪勢に野菜や肉が並べられている。

 

「今日はお客さんも少ないですし、剛君は珍しいリピーターですからね! 奮発させてもらいましたよ!」

 

 羽黒氏がエプロンをしながらテーブルにやってきて、準備の仕上げを進めてくれる。メインとなる牡丹鍋のほかにも、山菜の天ぷらや、シカ肉の炒め物など。この地方でしか食べれないメニュー。

 

 剛は、この宿を進めてくれた理由の一つを、食事のよさと語っていた。その評価は違わず、素材の魅力を引き出したその料理は、大変美味だった。

 

「……ふぅ、よく食べましたね」

 

「あぁー、満足!」

 

 剛が思い切り伸びをする。奮発してくれた、と羽黒氏は言ってくれたが、確かにその通りで、素材の良さもそうだが、量も多い。すべてを食べ終えたころには腹は十二分に満たされてしまっていた。食べ盛りの剛がいなければ、食べきれなかったかもしれない。

 

 そうして一時間ほど満足げに休んでいた三人。だが、進ノ介には気になることがあった。

 

「隣の人、来ませんね……」

 

 時刻は夜八時を回っている。食堂の開場時間は五時から九時と広い時間が設定されていたが、今から食べ始めても、終えるのはぎりぎりとなってしまう。

 

 そんな時間なのに、三人の隣のテーブルに置かれた鍋と膳は、変わらないまま。そこに来るべき客はおそらく、あのルポライターだろうが……。

 

「外はすっかり暗くなっています。十分に準備をしていても、この時間に歩き出すのは無謀に思えてしまいますが……。疲れて部屋にいる、等の事情でしたらいいのですがねえ」

 

 右京も進ノ介と同様に、姿を見せぬ客を心配しているようだった。

 

 そんな時、羽黒氏が食堂に入ってくる。しかし、その服装は山用の分厚いベストに、山岳帽。そして、首には大きな電灯をぶら下げている。見ただけで事情を感じさせる服装に、顔には焦りの色が張り付いていた。

 

 それを見て、すぐに進ノ介は羽黒氏に尋ねる。

 

「羽黒さん? その恰好、何かあったんですか?」

 

「え、ええ。もう一人のお客様がまだお戻りにならなくて……。今から、御伽さん達、周りの皆さんと捜索に行ってきます」

 

 その言葉に、右京と進ノ介は顔を見合わせる。この季節、こういう森林地帯は夜間、かなり冷え込む。発見されなければ命に関わるだろう。

 

「俺たちも協力しましょうか? 杉下さんはともかく、俺と剛は体力に自信ありますし」

 

「ありがたい申し出ですが、夜間のコンディションです。山に慣れていない方を入れると、二次被害が生まれかねません。皆さんは、どうかこちらでお待ちください」

 

「……泊君、ここは羽黒さんの言葉に従った方がいいかと。羽黒さん、どうかお気を付けて」

 

 右京の言葉に、羽黒氏は頷き、駆け足で宿を出ていく。

 

 そして数時間後、彼は無事に宿へと戻ってくるのだが、同時に一つの訃報をもたらすのだった。

 

 

 

 明くる日の昼、右京と進ノ介は御首山の裾にある、傾斜の強い斜面に立ち、下を眺めていた。

 

 しかも、そこにいるのは二人だけではない。眼下には鑑識が何人もおり、進ノ介達の周りにも警官たち。

 

 昨晩、失踪したもう一人の宿泊客。彼を探しに山に入った捜索隊が、遺体を発見したのだ。見つけたのは、山を熟知している御伽氏。急斜面の下に倒れていたという。

 

 夜間は作業をするには危険が過ぎ、朝になったことで地元警察が捜査を開始したのだ。だが、ここには本庁の鑑識もやってきている。それはつまり……。

 

「殺人事件の疑いなんて……。まさか、幽霊探しに来たから、罰当たったんじゃないでしょうね……」

 

 進ノ介が渋い顔で言う。心霊写真を撮りに来たら、本物の死体と遭遇することになるとは思わなかった。

 

 以前に右京と遠出した時も、思いがけず事件に遭遇している。これからは右京と旅行に出かけるのは、なるべく避けようと、進ノ介は心に固く誓う。

 

 一方で右京は旅行が中断となったことに残念がる様子もなく、遺体を見つめている。そうしていると、米沢がえっちらおっちらと斜面を登ってきた。

 

「米沢さん、どうでした?」

 

「まあ、転落死に見えないことはありませんな。死因は後頭部を強く打ったことによる脳挫傷ですし」

 

「と、いうことは不審な点があった、と」

 

 右京が尋ねると、米沢が頷き、手元の記録を見ながら答えてくれる。

 

「ええ。どうにも打撲の痕が、張り出した木や、岩とも合いません。傷も複数ありますし、さらに、辺りに飛沫血痕なども存在しません。

 どうやら被害者は殺害、あるいは事故死した後に、遺棄されたようです。いずれにせよ、何者かの関与があったということ。現在、その場所の割り出しを進めています。ああ、こちら、被害者の身分証です」

 

 進ノ介がその運転免許証と名刺を受け取った。そこに書かれていた名前は、

 

「灰島涼、三十四歳のルポライターですか。剛が言っていた言葉と合致しますね」

 

「死亡推定時刻は、夜間の低温にさらされたため、少しわかりにくいですが、おそらく昨夜の九時前後とみていいでしょう。お二人の証言通りです。……ところで泊さん」

 

「なんです?」

 

「いえ、現場でこのようなことを聞くのは間違っているかもしれませんが、どうにも気になりまして……。後ろであのような目に遭っている彼、彼が件の仮面ライダーマッハでよろしいのでしょうか?」

 

 少し声をひそめるように尋ねてくる米沢。彼は進ノ介達の後ろをちらちらと興味深げに覗いている。

 

 進ノ介はそちらを見ないようにしながらもしっかりと頷いた。米沢なら外へばらしたりもしないだろう。

 

「ええ。そうは見えないかもしれませんけど……」

 

「いえいえ、仮面ライダーファンの間では『チャラい』や『お調子者』、『きっとパリピ』などと噂が立っていたものですから。納得できるといいますか。

 何せ『追跡、撲滅、いずれもマッハ!』ですからな。けれど、そういう名乗りは私たちのような人種には堪らないものがあります。ははは。

 ……ところで、彼にサインなど、求めてもよろしいですかね?」

 

「……剛は絶対に喜ぶと思いますから、好きにしていいと思います」

 

 進ノ介はそんなオタク心を全開にしている米沢へ疲れた笑顔を浮かべるのだった。

 

「それはそうと、米沢さん。僕は少し遺体を見てみたいのですが、案内してくれますか?」

 

「ああ、もちろん。斜面が少しぬかるんでいますので、お気をつけて。お二人いっぺんには危ないですので、まずは杉下警部から案内します」

 

 そう言って、米沢と右京が斜面の下に降りていく。斜面の下までは太いロープで体を支えながらの移動になるようだ。進ノ介は自分の番を待ちながら、右京が下りる様子を見る。あの格好と風貌の割に、動きが妙に機敏で……。見ていると何か変なものを見ているような気がしてくる。

 

 そうしていると、後ろから聞きなれた太い声が。

 

「特命係のゴーストハンタぁー!! どうだ? 幽霊でも見つかったか? 代わりに死体見つけちまったら世話ねえな!」

 

 やってきた伊丹は、進ノ介にそんな愉快な言葉を言いながら上機嫌に歩いてきた。事実、仕事をさぼって幽霊探しをしていたのだから、弁明のしようもない。進ノ介は口をへの字にして、

 

「いるわけないじゃないですか、幽霊なんて。杉下さんたちに無理やり連れてこられたんですよ……」

 

 そうぼやく進ノ介を、伊丹は鼻で笑う。

 

「ふん! ま、これに懲りたらあの変人に付き合うのは止めるこったな。最近はなぜか上も警部殿に文句を言わなくなったが、特命係は所詮外野だ。首突っ込んでると、お前まで巻き添え食うぞ」

 

「あれ、それってアドバイスとか、ですか?」

 

「なわけねえだろ! 『懲戒免職の仮面ライダー』になったら、俺らのメンツも潰れんだろうが!! バカなこと言ってねえで、さっさと出てけ!」

 

 そう言って伊丹はずんずんと去ってしまう。その様子を振り向いて見送ると、見ないようにしていた景色が目に映ってしまった。

 

「もう! もうっ! なんであなたはいつもいつもトラブルばかり起こすの!!?」

 

「いて! いてぇって!! やめろよ姉ちゃん!!?」

 

 それは、彼らの後ろで家族裁判中の詩島姉弟。裁判というよりも一方的な折檻である。そんなことをしているのが事件現場なものだから、刑事たちの好奇の視線まで彼らに突き刺さる。おそらく霧子も後で顔を赤くするだろうが、もとはといえば騒動の始まりは剛。進ノ介には折檻を止める気にはなれなかった。

 

「泊さーん! どうぞ、降りてきてください!!」

 

「はーい! 今行きます。……生き残れよ、剛」

 

 そうして剛を見捨てた進ノ介はゆっくりと斜面を降りていくのだった。

 

 降りた先も足場は悪く、踏ん張っていなければバランスを崩しそうになる。ただ、鑑識としては散乱した灰島氏の荷物などの位置も確認しなくてはいけないので、そんな場所でも活動しなくてはいけない。

 

 灰島氏の遺体は斜面に対して後ろ向きに仰向けとなっていた。服装は厚手のズボンにシャツに、そしてベスト。宿の前ですれ違ったときに見た時と同じ。近くには彼のカバンの中身と、被っていた帽子も落ちている。

 

 そんな遺体のそばで身をかがませると、進ノ介は傷跡を確認した。確かに、岩や太い木の根の傷跡とは違う。米沢によると、細長く扁平で固い、こん棒のようなもので殴られたということだった。

 

「確かに、これ、転落死の傷跡じゃないですね」

 

「ええ。詳しくは司法解剖に任せますが、私個人の感想では、殺人の疑いが濃厚ですな」

 

 それを聞いて、進ノ介は考える。こんな山奥で、ルポライターが殺される。とすれば、動機は何か。

 

 鞄に財布などは残されているので、物取りとは思えない。となれば、怨恨の類が妥当だが……。

 

「でも、灰島さんは都内で働くルポライターです。この場所に恨みを持つほど関わりがある人がいるっていうのはおかしくないですか?」

 

「そうですなぁ。まあ、それは私が調べられることではありませんので。一課の人に任せるべきでしょう」

 

 進ノ介の疑問には米沢は答えられず、からからと笑うのみ。本来なら、そうしたことに答えようとする右京はといえば、少し離れたところで地面を見つめていた。

 

「杉下さん?」

 

「ああ、泊君。君、これをどう思います?」

 

 右京が指さすのは地面に落とされたカメラだ。進ノ介にはわからないが、仕事用だとすれば高価なものだろうに、レンズは割れ、泥だらけとなってしまっている。

 

 そして、右京が尋ねてきた通り、そのカメラの位置には違和感が存在した。

 

「……遺体と一緒に上から転がってきたのなら、もっと近くに落ちているはずですね?」

 

 斜面と遺体の位置は、自然と上から滑り落ちた。そのような違和感のない軌道だ。一方で、カメラはといえば、斜面方向とは、少しずれている。それは遺体とは別のやり方で放り投げられたような。

 

 つまり……。

 

「おやおや、中のデータ、消えていますよ」

 

 右京が声を上げ、進ノ介もそれをのぞき込んでみる。すると、カメラの画面には『No Data』の文字。蓋を開けてメモリーカードの挿入部を見てみると、そこも空。ただ、職業や、この山の取材という目的から考えて、データが空というのは……。

 

「おかしいですよね?」

 

「ええ。おかしいですよ?」

 

 右京がほほ笑む。犯人が遺体を捨てた後、改めてカメラを投げたとすると。犯人はこのカメラの中身を消したのではないか。その可能性がにわかに高まってくる。

 

「このデータを犯人が消していたとしたら……。一体、灰島さんは何を撮影したんでしょうねえ」

 

 その右京の疑問への答えはまだ、見つからない。進ノ介は頭を上げて山を見上げる。視線の先にあるのは、雄大な自然と物言わぬ山。この山に人一人の死を生み出すほどの秘密が潜んでいるのだろうか。

 

 そう考えると、進ノ介にはどこか、この山が空恐ろしいもののように思えてしまった。幽霊とは関係なしにだ。

 

 思案の進ノ介を、米沢の大声が現実へと引き戻す。

 

「杉下警部! 泊さん! ちょっと気になるものが!!」

 

 急いで近寄ると、彼は被害者のベストの内側から一枚の写真を取り出した。ラミネートで保存されているが、内側の写真は黄ばみ、とても古いものに見える。

 

 そして、そこに写っているのは

 

「……この女の子は、一体誰なんだ?」

 

 満面の笑顔をカメラへ向ける、幼い女の子の姿。

 

 その少女の正体は、すぐにわかることになる。名前は玉森みどり。二十年前、この山から突然姿を消した少女だった。




さて、事件開始です。

今回は山と未解決事件を中心にお送りします。

それでは、ご意見、ご感想をお待ちしています。


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第七話「心霊写真が語るものは何か III」

ここまでの状況のまとめ

幽霊が出る。そのような噂がでる御首山へ心霊写真の真相を探りにやってきた特命係と詩島剛。だが、心霊写真は撮れず、殺人事件が発生してしまう。
被害者は、失踪した少女の写真を持っており……。

羽黒真一
:山の麓で宿を経営する男性。剛と知り合い、一同を宿に泊める。

御伽健次郎
:御首山の山ガイド。本業は猟師を営んでいる。

灰島涼
:被害者。ルポライター。消えた少女の写真を隠し持っていた。

花江
:羽黒氏に土地を貸し出している上品な女性。

玉森みどり
:二十年前、御首山から消えた少女


 二十年前、御首山を中心に広がる長閑な森の中で、一人の少女が消えた。

 

 少女の名前は玉森みどり、十二歳。都内の小学校に通っていた少女は、林間学校に参加する形でこの山を訪れ、二度と戻らなかったのである。

 

 進ノ介と右京が見つけた写真の少女こそ、その玉森みどり。古い事件なので、インターネットなどではすぐに出てくる内容ではなかったが、地元警察に尋ねてみると、すぐに情報を手に入れることができた。

 

 その資料には次のことが書かれている。

 

 事件が発生したのは八月二十六日、日曜日。

 

 みどりは学友二十人と共に、御首川の河原でバーベキューを行っていた。引率の先生四人が彼らを指導する、二泊三日の行程。普段は体感できない雄大な自然とアウトドア活動を楽しむ。そんな、子供たちにとってはひと夏の楽しい思い出となる冒険。

 

 そうなるはずだった。

 

 問題が発生したのは夕方、バーベキューと川遊びを終えて宿へと帰ろうとしていた時。彼らをにわか雨が襲ったのである。それも、一寸先も見えなくなるような大雨が。

 

 短時間ですむかと思われた雨だが、それは十分たっても降りやむことなく、子供たちと教員を襲い続けた。

 

 山間の地は、すぐに気温が低くなる。そして子供たちは薄着に、天気は大雨。風邪ならともかく、低体温症が発生すれば子供たちの命の危険があった。

 

 予期せぬトラブルに決断を下すのは難しい。

 

 彼らの中で一番の年長であり、学年主任だった浜松香苗教諭の決定で、一行は退避することになった。体調不安に加え、川の水位が上がると道が寸断される恐れもあった。立ち去ることは正しい選択肢であっただろう。

 

 だが、そこで大きな問題が起きた。一行が十分ほど離れた場所にある宿へと急いで戻った時、その中から一人の女の子が消えていたのだ。

 

 直ぐに、雨が収まるのを待って近隣住民を総動員した捜索が行われたが、悪いことは続く。その日は新月の晩。暗く、明かりも足りず、当時は整備も行き届かない森深い場所だった御首山周辺の捜索は、困難を極めたのだ。

 

 そして見つかったのは、少女が履いていた靴だけ。奇妙なことに、御首山の小さな登山道にぽつりと残されたソレには少女の血液が付着していた。

 

 その靴の発見の報に、途端に報道は白熱する。

 

『これは殺人、もしくは誘拐ではないか!?』

 

 血液が付着し、少女は行方不明。事故だけでなく、少女の失踪に事件の可能性も生じたのだ。

 

 警察捜査に加え、各報道機関がこぞって犯人捜しを始める。それに伴い、近隣で広がる疑心暗鬼。当てのない推論。憶測による糾弾。

 

 その果てに、近隣の小学校教師が自殺した。

 

 原因は、彼が少女に悪戯をしていたという根も葉もない噂が広がったことだった。それが週刊誌によって報道され、周囲から激しい中傷と非難が広がった彼は、首を吊り、家族を残してこの世を去ったのである。

 

 だが、そのような痛ましい出来事も、いつしか事件は新たな事件と、時の流れの中で置き去りにされていく。以来、二十年。いまだに少女は見つからないままとなっていた。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第七話「心霊写真が語るものは何か III」

 

 

 

 右京と進ノ介、なぜか彼らについてきた剛は、駐在所で資料に目を走らせていた。

 

「そして、そのみどりちゃんがこの写真に写っている女の子、ですか」

 

 進ノ介が示すのは、殺害された灰島氏が胸ポケットにしまっていた古びた写真だ。

 

 リュックサックを担ぎ、首に木の実で作ったネックレスを下げた、可愛らしい女の子。撮影の日付も移動教室があった、八月二十四日の朝。

 

 まだ着いたばかり。これから楽しいことがあるだろうと期待に胸を膨らませている顔だ。

 

 この元気な笑顔が、この地から姿を消した。

 

 その笑顔を見ていて、思うところがあったのだろう。

 

「なんかさ、こんな事件があったことを知っちゃったら、幽霊だなんだと騒いでいたのが申し訳なくなってきたよ」

 

 剛がそう言って、頭をかく。最初は軽い気持ちで山へと来たのだが、女の子の失踪、関係者の自殺。そんな痛ましい出来事が起こった現場でそんな不謹慎なことをするつもりは消えたのだ。

 

 進ノ介も同様の気持ちであり、右京もまた。彼の眼はすでに、子供のような好奇心だけでなく、事件へ向かう真剣の色が見える。

 

「亡くなった灰島さんはどうして、みどりさんの写真を持っていたのでしょう。こちらは二十年前の移動教室で撮られた写真です。そのような昔の写真を、彼は、どこから手に入れたのか……。そして、なぜ、灰島さんが持っていたのか」

 

「彼の滞在の名目は、山の観光に関する取材だそうですが。けれど、これはそれとは合致しない写真。しかも、隠し持っていた。

 ……灰島さんが周囲に言っていた理由は嘘で、みどりちゃんの事件に関する何事か調べていた。もしくは何か行動をしていた。その可能性がありますね」

 

「けどさ、このみどりちゃんが失踪してから二十年だぜ? もう世間は誰も事件を覚えていない。それに灰島さんも二十年前はまだ中学生くらいだし、事件に直接関係があるとは思えないけどな」

 

 剛が進ノ介達の言葉に首をかしげる。確かに、あまりにも古い事件だ。果たして、今回の殺人事件と関わりがあるのかもわからない。

 

 だが、そういうところを調べようとするのが杉下右京であり、泊進ノ介だ。

 

「何事も、調べてみないと始まりません。

 ……ひとまず、宿へと戻ることにしましょう。彼の滞在した部屋や、羽黒さんの話から何かわかるかもしれません。……僕たちは僕たちで、ここでできる事を」

 

 そんな言葉を冷静に言う右京に、進ノ介もうなずく。ただ、問題は。

 

「俺、事件捜査はよくわかんないけど、そんなもんなのかね。けど、そうと決まれば、さっさと行こうぜ、進兄さん!!」

 

 と言いながら、剛は右京と駐在所を出ていこうとする。それがさも、自然な出来事であるように。だが、そうは問屋が卸さない。剛の肩を進ノ介がつかむ。

 

「ちょっと待て剛! なんかさっきから付いて来たけど、刑事じゃないお前を連れていくわけにはいかないぞ!!」

 

 忘れてはならないが、剛はあくまで部外者である。ただの民間人の写真家。ロイミュード事件の際は、変身者の特例として参加を許されていた。だが、それも終結した今、彼を捜査に同行させるわけにはいかない。

 

 そう言って進ノ介が詰め寄る。だが、剛は、しれっと進ノ介の痛いところを突いてきた。

 

「あれ、けど特命係って捜査権もないんだろ? 進兄さんはどうなんだい?」

 

「うぐっ!?」

 

 確かに彼の言う通り、特命係もまた、本来ならば現場にいてはいけない警察官である。進ノ介には認めがたいことではあったが。

 

 黙ってしまう進ノ介。

 

 ただ、右京はそんな指摘も何のそのという風情で、剛に尋ねる。

 

「剛君、そうはいっても警察官である僕たちと君の立場は違う物です。君を連れていくとなると、それ相応の理由が必要なのですが。いかがでしょう?」

 

 君に事件解決に役立てるものがあるのか? 右京はそう尋ねているのだ。

 

「そうだねえ……。灰島さんはルポライター、それに奪われたのは灰島さんの写真。今、警部さんたちが追っかけているのも、女の子の写真。

 俺なら、そういう写真がどういう構図で撮られたか、どういう意図があったかってアドバイスできる。そうやって、事件解決に協力できるんじゃない?」

 

 剛が自信満々に告げると、右京は進ノ介を微笑みながら見て、

 

「ということだそうですが、どうでしょう? 泊君。

 ここで捜査から追い出したところで、剛君が東京に帰る手段もありません。それに、剛君の性格ですと、事件に首を突っ込むでしょうし。僕たちも一緒にいた方が君も安心できると思いますよ」

 

 右京の言葉を聞くと、その様子がありありと浮かんでくる。どちらかといえば、その剛の顔が、目の前の右京の物と変わっても違和感がないのだが。

 

「はあ。それじゃあ、俺たちから、絶対に離れないこと。それが条件だ。勝手な行動したら捜査妨害で逮捕するからな。……霧子が」

 

「あー、それは勘弁してほしいから、素直に従うよ」

 

 そう言って、びしりと警官みたいに敬礼を送る剛。だが、進ノ介は訝し気な目をひっこめない。彼にはロイミュード事件の時に何度も暴走したり、無断行動をした前科がある。剛なりの意図があったことではあったが、それでも、皆が大いに困惑させられたのだから。

 

 

 

 そんな不安を伴いながら。宿に向かった進ノ介と右京は、灰島氏が宿泊していた部屋を訪れた。もちろん、すでに鑑識の人員が入っている。その隙間を縫いながら、三人も灰島氏の荷物を見ていった。

 

 彼の荷物として残されたものは少ない。大きなバッグに入っているのはせいぜいが数日分の着替え。仕事の資料などはなく、リュックサックにはカメラのレンズや撮影機材しか入っていない。長期滞在にしては、軽装に見える。

 

 ただ、幸いなことに荷物の中から灰島氏の持っていたメモリーカードを二枚、発見することができた。どうやら犯人もこの宿まで押し入るということはなかったようだ。

 

 時間がなかったのか、あるいは、彼が持っていたカメラの写真にしか、興味がなかったのか。

 

「それでは早速、剛君。このような写真はどう思いますか?」

 

 右京が鑑識のパソコンを借りて、剛にメモリーカード内の写真を見せる。その多くは景色を写したものだった。山の麓や、川、リスや昆虫。それらが綺麗に写っている。

 

 だが、それを見ると、剛は何となく納得がいかないという顔で腕を組んだ。

 

「……なーんか、変だな。上手いのは上手いんだけど、そんなに構図を考えた写真じゃない。元々の腕がいいから、それなりの写真に見えてるだけ。一言でいえばテキトーだね」

 

「それじゃあ、これが雑誌の写真に使われるってことは?」

 

「ないんじゃない? 特に自然写真なんて、アマチュアで詳しい人もいっぱいいるから。下手な写真載せたら後が大変だ」

 

 ということらしい。早速カメラマンとしての知識を披露する剛に感心しつつ、進ノ介はもう一枚のメモリーカードを差し込む。すると、そこに収められていた写真は景色とは趣が違う物だった。

 

「今度は、人の家ですね……」

 

 どこかの家の玄関や、客間。果てには物置など。どれも怪しい雰囲気の写真だ。

 

「あー、これは、わっかりやすいね」

 

「というと?」

 

 右京と進ノ介の疑問に対して、剛は極めて端的に答えた。

 

「隠し撮り」

 

 

 

「灰島さんの日常のようす、ですか?」

 

「ええ。どうにも灰島さんには、こちらにきた裏の目的があったようなのです。ただの観光取材で来ていたとは、どうにも考えにくい。

 灰島さんはこちらに長く宿泊していたので、羽黒さんでしたら、何かご存知ではないかと」

 

 灰島氏の部屋で隠し撮り写真と、ペンに偽装したカメラを発見した三人は、ますます、灰島氏への疑問を深めていた。次に行うのは、三人は、羽黒氏から灰島氏の目的について話を聞くこと。

 

 ただ、羽黒氏には見当がつかないようで、首をかしげてしまう。進ノ介達が刑事だということにも驚いていたし、この一日は彼にとっても激動続きなのだろう。

 

 それでも羽黒氏は灰島氏がどのようなところを巡っていたかは覚えていた。

 

「正直、灰島さんは過去にも何度か宿を利用してくださいましたが、詳しく知っているわけではありませんので……。

 夜は部屋に留まり、それ以外の時間は、ほとんど外で。取材ということで近所のおうちにも。御伽さんのお家にも行かれたとか」

 

 灰島氏が遺した写真は二種類。一つは小型カメラで隠し撮りしたもの。もう一つはただの風景写真。

 

 羽黒氏の証言では、その風景写真を手にもって、灰島氏は近隣の家を訪問していたという。どうやら、風景写真は職業を明かし、信用を得る道具であったようだ。

 

(あれ、となると、灰島さんが持っていたカメラには、何が写っていたんだ?)

 

 進ノ介は考える、

 

 灰島氏と昼間にすれ違ったとき、彼がカメラを首に下げていたのを覚えている。だが、風景写真はただの道具。本命は近隣住民の家をスパイのように調べることだとすれば……。

 

 あのカメラに入っていた、犯人が消さなければいけない写真とは何なのだろう?

 

 だが、まだそれを明らかにする材料は集まっていない。彼の素性も、まだ依然として知れないのだから。

 

「羽黒さん……。灰島さんは、二十年前に起きた玉森みどりさんの失踪事件。それにまつわる何事かにかかわっていた可能性が高いのです。

 ……羽黒さんはその事件について、何かご存知ありませんか?」

 

 右京は少し情報を開示した。その方が、羽黒氏も心当たりに思い当たるかもしれない。すると、羽黒氏は顎に手を当てて考え込むが、返ってきたのは平凡な答え。

 

「二十年前というと、私も小学生くらいですからねえ……。当時は都会で育っていましたし、正直、その女の子の話も初めて聞きました」

 

「それじゃあ、灰島さんから話に出たことは?」

 

 今度は進ノ介が尋ねた。

 

「なかったです。もともと、あまり饒舌な方ではありませんでしたから」

 

 なるほど、とその返答を聞き、頷いていると。右京がガタリと立ち上がる。

 

 すたすたと歩きだし、向かったのは食堂の壁。そこには、ドングリや松ぼっくりで作られたネックレスなどが飾られている。その一つを手に取ると、しげしげと眺め、右京はしばし動きを停止させた。右手の指を上げた、珍妙な姿勢のまま。

 

 羽黒氏がそんな彼へと胡乱な目を向ける。

 

「えっと、杉下さんでしたっけ? どうしたんですか、あの方?」

 

「あの人、たまにああなるんです」

 

 そして、その姿を、剛は面白そうに写真を撮っている。

 

 数分ほどだろうか、右京が思考の渦から現世に帰ってくると、羽黒氏の元まで戻ってくる。

 

「何か、面白いものでもありましたか?」

 

 羽黒氏が右京へ笑みを向けながら尋ねた。すると右京は興味深そうに顔をほころばせる。

 

「いえ、あちらにかけられていた飾りですが、随分と古いものに思えまして。紐などは少し痛んでしまっていますし、松ぼっくりも所々かけてしまっています。

 こちらのお宿は新しいのに、飾りに味があるというのは、面白い。そう思いまして」

 

 それは事件にはまるで関係のない質問のように、剛には思えた。

 

 ただ、人がいいのだろう。羽黒氏は、ああ、とうなずくと、自分も立ち上がり、森の材料で作られた飾りを手に取る。それに目を向けながら、

 

「これは花江さんからお譲りいただいたものです。彼女は昔からこうした工作が好きなそうで、いろいろと作ってるそうなんです。子供たちにも昔、プレゼントしたと聞いています。

 それで、少し古いですが、綺麗なものですし。押し入れに眠っているなら、宿に使いたくて譲り受けたんです」

 

「なるほど、それで宿の飾りに用いることにした、と」

 

 羽黒氏の答えに右京はうんうんと頷いて。

 

 それで終わりというように、進ノ介達を促して、外へ出ていこうとする。だが、門をくぐる段になり、いきなり右京は羽黒氏に向かって振り向くと、

 

「ああ、一つだけ! 聞きそびれていました!」

 

「は、はあ」

 

「羽黒さん、こちらのお宿。できたのは何年前からなのでしょう?」

 

 右京の質問は、シンプルなそれ。少し身構えていた羽黒氏も安心したのか、快く答える。

 

「えっと、三年前からですよ。それが何か?」

 

「いえいえ、特に意味はないのですが……。そういえば、心霊写真が出回り始めたのは、三年前でしたか。来ていきなり、そんな噂が広まったというのは、驚かれたでしょう」

 

「面白い偶然ですよね。世の中には不思議なことも起こります」

 

 羽黒氏のその言葉に、右京は一瞬だけ目線を鋭くして、

 

「ええ。面白い偶然です」

 

 そうして何も言わず、今度こそ宿の外へ出ていく右京。その後をついていた進ノ介は右京の隣に並び、彼へと。

 

「気になりますね、色々と」

 

「ええ、気になりますねえ。色々と」

 

 そんなことを言い合う特命係を後ろの方で眺めながら。剛は、

 

「やっぱり進兄さんも変な人だよな」

 

 と進ノ介が全力で否定することをつぶやくのだった。

 

 

 

 その後、進ノ介達は足を再び遺体が発見された御首山へとむけていた。米沢から、殺害場所が特定できたと、そう、連絡が来たからだ。

 

 遺体の殺害現状は、発見現場のちょうど反対の側にある斜面だった。昨日、御伽氏と出会った、あの古い真っ黒台座のお地蔵様。そこから百メートルほど離れた斜面。発見場所よりも斜面は緩く、ここから転落したとしても頭を打つ可能性は無いだろう。

 

「何か手掛かりは見つかりましたか?」

 

 進ノ介が尋ねると、米沢は小さく首を横に振った。

 

「この場所は、警察犬が発見してくれましたが、現場の血痕は落ち葉で隠されたりと、工作の様子がうかがえます。それに、こうも山深いところですと毛髪などを探すのも大変ですから……。今のところ、有力な証拠はありません」

 

「そうですか……。そういえば、発見現場と同じで、ここも何もない場所ですね。遺体をここから移動する意味、あるのか?」

 

 進ノ介はつぶやきながら、周りを見渡す。見る限り、何の変哲もない斜面だ。

 

「そうですなぁ、発見現場の方がいささか人通りは少ないとは思いますが……。発見を遅らせるなら、遺体を埋めるなどしてもよさそうですからねえ……」

 

 米沢からそのような話を聞いていると、後ろから枯葉を踏む音が聞こえてきた。

 

 わざと強く踏みしめるような音から予想した通り、進ノ介が振り向くとそこにいたのは、伊丹と芹沢。そして、霧子は恥ずかしそうに顔を伏せながら、少し遅れてついてきた。剛がまだいるので、何か言われたのだろう。

 

「だーかーら! なんでてめえらが残ってんだよ!!」

 

「いやー、まだ幽霊見つかってませんから。ほら、俺たちゴーストハンターなんで」

 

「お前は幽霊に興味ないって言ってただろうが! 泊!!」

 

 嘘も方便である。

 

 そうして縄張りを荒らされた犬のように唸る伊丹と、何とか落ち着かせようとする進ノ介があれこれと。そんな様子を面白おかしく見ながら、剛が霧子に尋ねる。

 

「そういえば姉ちゃん、灰島さんのことってなんかわかったの?」

 

「なんで、あなたもまだ残ってるのよ!!?」

 

「まあ、まあ、詩島さん。僕が彼に言って残ってもらったんです。意外と剛君も役に立ってくれていますよ」

 

 右京の言葉に調子に乗ったのか、上機嫌に笑う剛に、霧子の拳骨が落とされる。

 

 ともかくとして、杉下右京のやることを止めるのは無理だと、彼女も分かってきたのか。疲れた顔をしながらも、それ以上の文句は言わなかった。霧子の受難の日は続く。

 

「はぁ……。もう、杉下警部も剛を甘やかさないでください。

 ……灰島涼さんですが、玉森みどりちゃんの事件との繋がりがわかりました。灰島涼というのはペンネームで、本名は浜松涼平というそうです」

 

「浜松といいますと、みどりさんを引率していた先生の苗字ですね?」

 

 右京が尋ねると、霧子はしっかりとうなずく。

 

「実の息子さんです。

 浜松先生は、事件の後に責任を取って教職を辞しました。その後はひっそりと暮らしていたそうなんですが、五年前に心労がたたったのか、病死。

 親族の話では、病床でうわごとのように『みどりちゃん、みどりちゃん』とつぶやいていたそうです」

 

「無事に親御さんのもとへ返せなかったこと、さぞ無念だったでしょうね」

 

「ええ。その母親の一件があったせいか、灰島さんは周囲の人に『俺はみどりちゃんを探し出して、おふくろの墓前に報告しなくちゃいけない』と毎日のように言っていたそうです。

 あと、杉下警部たちが見つけた写真は、浜松先生が撮影していた写真のようですね。当時、引率していた他の先生が浜松先生が撮影係だったと証言しています」

 

「なるほど……」

 

 その写真は本来なら、焼き増しされて児童へと送られる予定だった。

 

 だが、みどりの事件が発生したことによって、浜松教諭のもとに死蔵されていたという。

 

 それを息子である灰島氏が発見したのだろう。

 

「じゃあ、灰島さんの目的は……。けど、二十年もたってますし、見つかるものなのかなぁ。

 ……杉下警部はどう思います?」

 

 芹沢が尋ねてくる。右京はその言葉に、空を見上げてつぶやく。

 

「さあ、僕は灰島さんではありませんので。ですが、彼に亡くなったお母様の無念を受け継いだ、そのような思いがあったとしたら。早々に諦められることではないのでしょうね」

 

 そして、その事実にまた思うところがあったのは剛も同様であった。

 

「ま、親が関わると人間、色々考えちゃうもんだからさ……」

 

 表面上はあっけらかんと一言。

 

 ただ、彼の事情を知っている霧子は少しだけ心配そうに眉を顰める。彼はそんな姉にひらひらと手を振って、自分は大丈夫だとアピールをした。

 

「そうなると、彼がこの山に来た目的も、おおよそ分かってきましたねえ。『みどりさんの行方を調べること』。

 ただ、そんな彼がなぜ殺されなければいけなかったのか。それが大きな疑問です。みどりさんの事件と関係があるのか、それとも、無関係なのか」

 

 また、この事件では、現状、証拠が見つかっていない。その中で動機となりうる、灰島氏の調査内容は重要だった。

 

 そして、未解決事件の解明という目的は、その動機となりうる大きな存在に思われた。

 

 

 

「まったく、ひどい目に遭った……」

 

 伊丹の嫌味攻撃をようやく振り切って、右京達に合流した進ノ介。三人は続いて、山ガイドであり、遺体の第一発見者でもある御伽氏の家を訪れていた。

 

 そこは羽黒氏の宿から、そんなに離れた場所ではない。山小屋のような家。外にはなめした毛皮が干されている。見るからに猟師の家という見た目だ。

 

 右京も、その毛皮には興味が引かれたようで、少しばかり様子を見ている。進ノ介もイノシシの毛皮を見てみると、頭のところには銃弾の跡があった。

 

 ここは禁猟区だが、少し離れた場所に猟場があるという。この獲物が昨日、自分たちのおいしい夕食になったと思うと、不思議な気がした。都会に住んでいると、そうした猟の現場を知る機会はほとんどない。

 

 インターホンを鳴らすと、御伽氏は彼らの訪問を快く受け入れてくれた。玄関をくぐると、途端に野性味のある空気に包まれる。そして、日ごろは目にしない、ワイヤーなどが置かれているのが目に入った。

 

「まさか、あなた方が警察の方だったとは……。驚きました」

 

「突然、押しかけてすみません。……これって猟の道具ですか?」

 

「これはくくり罠です。この上に餌をおき、かかったところを猟銃で止めを。私は大体、この方法でやってます」

 

 御伽氏はそう言って、その道具を手に載せて見せてくれる。

 

「面白いね。ちょっと写真撮ってもいい?」

 

 剛がその道具にもカメラを向けてみる。すると、御伽氏は、ひげで覆われた口を、やさしく緩めて許可をくれた。

 

「もちろん。灰島さんもそう言ってカメラ向けていましたよ。あの人が亡くなったというのも、不思議な話ですね……。

 私の職業なんてのは、生き死に向き合うことが多いですが、人の死というのはね」

 

「代々、こちらの周りで猟をされていたと伺いましたが」

 

「曾祖父の代から。親父が私の師匠です。親父はまさしく山に生まれて山に死ぬ、そんな人生でしてね。周りのみんなからも信頼されていました。私の目標でもあります。まあ、その親父もだいぶ前に病死してしまいましたが……。

 本当は私も親父のように技術を受け継いでいくべきですが……。子供も弟子もいないので、おそらく、私の代で廃業ですな。……時代の流れってやつです」

 

 そう言いつつも、御伽氏はどこか晴れやかな顔だった。

 

「ところで、御伽さん。御伽さんは二十年前、玉森みどりさんの捜索に加われたと伺いましたが。その時の詳しい状況について、教えていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「……みどりちゃんのこと、ですか? なんでまた?」

 

 疑問の表情を作る。

 

「実は、灰島さんはその件について調べていたみたいなんです」

 

 進ノ介が答えると、御伽氏はますます疑惑を深くしたように皺を濃くする。

 

「それならそうと、言ってくれれば、いくらでも協力したんですがねえ……。まあ、いいでしょう。

 ええ、私や親父も捜索に参加した一人です。お聞き及びのことかもしれませんが、本当にあの時はひどい雨でしてね。雷も轟轟と鳴って、雨のせいで一寸先も見えない始末でしたよ。父も外仕事から急いでこの家に戻ってくるほどの」

 

「加えて、その当時は山にはあまり手が入れられていなかった。そう聞いていますが?」

 

「おっしゃる通りです。あの当時は、川のキャンプ場のほうが有名でしたし、山の方は、地蔵さんがある方は軽いハイキングコースになってましたが、河原側のコースは通路もなしという具合で。しかも、動物も時折入ってきたり。

 だもんで事件の後、河原のコースを整備しなおしたんですよ」

 

 かつてはそれこそ、木も方々に枝を伸ばし、藪は濃く、歩くのも困難な場所だったという。

 

「……それでは、御伽さん、ご意見を伺いたいのですが。御伽さんはみどりさんの失踪をどのように考えてらっしゃいますか?」

 

 右京が尋ねる。すると、御伽氏は迷ったように言葉を選びながら、

 

「歩かれたなら分かるでしょうが、小さい山ですが、ここには傾斜がひどいところもあります。大雨の中、カッパも着ていないなら、視界もひどいでしょうし。足を滑らせてしまえば、子供には危ない場所でしょうね。

 ご遺体が発見できていない理由はわかりかねますが……」

 

「それでは御伽さんはみどりさんは事故死だと?」

 

「さすがに殺人だか、誘拐というのは考えにくいかと」

 

 その言葉に進ノ介と右京もうなずく。

 

 ただ、もし、それが本当だとすれば、浮かばれないのは犯人だと噂されて自殺してしまった地元の教師だろう。

 

「でもさ、それなら地元の人が自殺したっていうのはどういうことなの?」

 

 素直にその疑問を口に出したのは、剛だった。その言葉を聞くと、御伽氏も渋い顔を作ってしまう。

 

「白鳥先生の話ですか……。彼は少し離れた集落で教員として働いていたんです。みどりちゃんの学校の行事にも色々と協力していました。

 その点で関わりがあると思われたこと。それに、昔から噂があったんですよ。女の子に対する視線がおかしいとか。それを記者の人が耳ざとく聞きつけたんでしょうね。こういう小さい場所ですと、噂が広まるのも本当に早くて……」

 

 報道の数週間後、その教師は首をつって死んでしまったのだという。結局、その噂が真実であったのかも分かっていないそうだ。何とも、やりきれない話である。

 

 そうして、色々と確認を終えたので、御伽氏の家を三人は後にする。

 

(さて、色々と情報は集まってきたけど……)

 

 進ノ介は歩き回って緩み始めたネクタイを締めながら、考え事をする。二十年前の失踪事件、三年前からの心霊写真騒動。そして、今回の殺人事件。

 

 一見すると無関係にも見える色々な事柄が、細い糸で結びついているような気がしてならなかった。

 

 そんなことを考えていると、進ノ介のスマートフォンに着信音。メールが送られてきていた。

 

「……米沢さんだ。『灰島さんの家宅捜索で興味深いものが見つかったそうなので、添付します』、だそうですけど……」

 

 すぐさま開いてみると、それは何枚もの写真だった。それを見て、進ノ介は目を見開き、右京からは思わず声が漏れた。

 

「……ほぉ」

 

 それは山の写真だった。おそらくはこの御首山の山頂。山の来歴を書いた真新しい記念碑。

 

 だが、ただの風景写真ではない。そこには、奇妙な人型の影が映り込んでいる。まさしく、世間の人が想像するような幽霊のように。

 

「心霊写真、ですね。しかも何枚も……」

 

「まさしく、幽霊の正体見たり……。そういうことでしょう。

 泊君、剛君。……二十年前の事件を起点として、この山には多くの嘘が渦巻いているようですねえ。まずは一つ一つ、その嘘を暴いていくとしましょう」

 

 そういうと、右京はどこか面白そうに、目を弧にするのだった。




次回が本話の最終パートです。


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第七話「心霊写真が語るものは何か IV」

ここまでの状況のまとめ

幽霊が出る。そのような噂がでる御首山へ心霊写真の真相を探りにやってきた特命係と詩島剛。だが、心霊写真は撮れず、殺人事件が発生してしまう。
被害者は、かつて山で失踪した少女の行方を追っていることがわかるが、話を聞く人々には、何か気になる点が……。

羽黒真一
:三年前から山の麓で宿を経営する男性。剛と知り合い、一同を宿に泊める。

御伽健次郎
:御首山の山ガイド。先祖代々猟師を営んでいる。二十年前のみどりの事件の際にも、捜索に参加した。

灰島涼
:被害者。撲殺体として発見されたルポライター。
失踪したみどりを引率していた教員を母に持ち、その無念を晴らそうと辺りを嗅ぎまわっていた。遺体は殺害現場から移動されていた。

花江
:羽黒氏に土地を貸し出している上品な女性。自然素材を使った飾りづくりが得意。

玉森みどり
:二十年前、御首山から消えた少女


 夕方、宿へ戻った右京と進ノ介は羽黒氏と花江を食堂へと呼び出していた。

 

 そして剛はといえば、そんな集まった二人を見て、何やら思案顔。少し離れた場所に腰を掛けて、じっと成り行きを見守っている。

 

「えっと、杉下さんと泊さん。何かお話があるということでしたが?」

 

「ええ。大切なお話ということですけれど、何かしら?」

 

 羽黒氏と花江が疑問の声を出す。花江の声を聴くのは、三人は初めてとなる。見た目通りの上品で、穏やかな声であった。

 

 ただ、そうした疑問は当然の物だろう。いきなり刑事が神妙な顔で話をしたい、と。そう言ってきたのだから。そんな二人へ向かい、右京がゆっくりと口を開く。

 

「ええ。実は僕達には疑問があるのです。もしかしたら、灰島さんの殺人事件にも関連しているかもしれない。そんな大きな疑問が。

 それを解消するために、ぜひ、お二人のお力をお貸しして欲しいと思いまして」

 

 その言葉に、羽黒氏は少し首をかしげながら、

 

「もちろん、私たちがお力になれるのでしたら、何でもしますが……。疑問とは、いったい何なのでしょう?」

 

 すると、進ノ介が今度は口を開き、

 

「単純な疑問です。羽黒さん、花江さん。なぜ、貴方たちは嘘をついているのか。俺たちが聞きたいのは、それだけですよ」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第七話「心霊写真が語るものは何か IV」

 

 

 

「嘘、ですか……?」

 

 羽黒氏がどこか呆然と言葉を漏らすと、右京は頷きながら彼らの前に歩いていく。

 

「実は、僕たちがこの山に来てから、多くの嘘を見聞きしました。それら、一つ一つは決して大きな嘘というわけではありません。しかし、それらが積み重なって、大きな事実を隠している。僕はそう考えています」

 

 右京がそこまで言い切ると、羽黒氏は椅子から立ち上がり、手を広げて抗議の声を上げた。

 

「……いやいや、杉下さん。こういっては何ですが、私はこれまでも真面目に生きてきましたし、この宿でも不誠実なことは何もしていませんよ?」

 

 すると右京は少しだけほほえみ、頷きを返す。

 

「ええ、その通りです。嘘とは言いますが、あなた方は誰かを害そうという意図で嘘をついているわけではない。ですので、なおさら。僕たちの疑問に答えていただきたいのです。

 ……亡くなった灰島さんと、いまだ見つからぬ、みどりさんの無念を晴らすためにも」

 

 右京の言葉に、花江と羽黒氏は、気のせいでなければ息をのんだ。そうした様子を見て、進ノ介は羽黒氏を真正面に見ながら、ゆっくりとした口調で嘘を暴いていく。

 

「まず、羽黒さん。あなたは周りの人に東京から移住してきたと話しています。宿を経営するようになった三年前に初めてやってきたと。けれど、それは嘘ですね?」

 

「!?」

 

 眼をむく羽黒氏。

 

 正直に言ってしまえば、非常に分かりやすい。

 

 進ノ介が思うに、彼は人が良すぎるのだろう。だから、隠しているつもりでいても、時折、秘密が漏れ出てしまう時がある。例えば、それは観光客を楽しませるために、この山を上機嫌に紹介するとき。

 

「羽黒さん。あなたは、俺たちにこの山の来歴を教えてくれました。丁寧に、昔ばなしまで交えて。けれど、その時にあなたはこう言いました。その昔ばなしや歌は『爺さんたちから聞かされたものですよ』って」

 

「しかし、それはどうにもおかしい。言葉を正直にとらえるのなら、羽黒さんはこの山の昔話を御老人たちから聞かされて育った。それは、成人した後に初めて訪れたというあなたの言葉とかみ合いません。

 つまり、地元に伝わる歌を聞きながら育った、貴方はこの町の出身です」

 

 右京が指さし指摘すると、羽黒氏は口を閉じてしまう。だが、彼がついていた嘘はそれだけではない。

 

「次に羽黒さんはみどりさんの事件を聞いたこともないとおっしゃっていましたが、それも嘘です。

 僕たちが先ほど話を伺ったとき、僕は『玉森みどりさんの失踪事件』といいました。その時、僕は玉森みどりさんのことを『女の子』だとは一言も言っていません。よしんば女性だということはわかっても、『女の子』と知ることはできないでしょう。

 ですが、羽黒さんはみどりさんが女の子であることを知っていた……」

 

「まだありますよ? あなたは灰島さんとのつながりが無いかのように話していました。彼の目的も知らなかったと。……けど、これを見てください」

 

 そう言って、進ノ介はスマートフォンを操作し、数枚の写真を示す。それは、米沢から送ってもらった灰島氏の家で発見された、心霊写真風に加工された写真。

 

 そして、その写真は、

 

「特にこの写真。これって、羽黒さんに見せてもらった心霊写真と同じものですよね?

 調べてみたら、心霊サイトにそんな写真を投稿していた形跡も見つかりました。ここからわかるのは、灰島さんがこの心霊ブームを作ろうとしていたということ」

 

「羽黒さんがこちらの宿を営み始めて、すぐに心霊ブームで山が注目される。それは面白い偶然です。いえ、ただの偶然として片付けるには少々気にかかる。まるで、あなたに幽霊がついてきたように。

 ですが、それにあなたも加担していたらどうでしょう? 宿を訪れた人々にこれ見よがしに心霊写真を見せる。宿の主人直々に心霊写真について解説してくれる……。なかなか、印象的な思い出です。

 そうすれば旅行客の何人かは土産話として幽霊のことを広げてくれる。そんな可能性は大いにあると思えますねえ」

 

「あなたは灰島さんから写真を提供してもらい、客に噂を広める役割を持っていた。つまり、灰島さんとは親しく、見知った間柄だった。そうですね?」

 

 進ノ介が言い終えると、羽黒氏は少し汗をかきながら、静かに椅子に座り込んでしまう。そうしてうつむいてしまった彼の横に立ちながら、右京が静かに尋ねた。

 

「さて、羽黒さん。ここからあなたのついた嘘を真実に置き換えてみると、次のようになります。羽黒さん、あなたは、

 ・地元の出身であり

 ・玉森みどりさんの失踪を知っており

 ・灰島氏の目的を知り

 ・彼とともに心霊ブームを作り上げ、この山に注目を集めた。

 ここから一つの真実が見えます。羽黒真一さん、あなたは二十年前の玉森みどりさんの失踪事件の関係者であり、とある目的のためにこの町に戻ってきた」

 

 それを裏付ける事実も見つかっている。一度疑問を見つけてしまえば、調べるのが早いのはこの時代の利点だ。

 

 ここへ来るまでに、特命係が調べたところ。羽黒真一という名前の人間は存在しない。彼の名前は偽名である。そして、二十年前の事件関係者を調べてみると、彼によく似た、一つの名前が見つかった。

 

 白鳥真一。

 

「ええ、羽黒さん。あなたは、二十年前に濡れ衣をかけられ、自殺した白鳥先生のご子息ですね?」

 

 右京の言葉に、羽黒氏は黙ったまま答えることはなかった。だが、びくりと肩を動かしたそのしぐさこそ、真実を雄弁に語っている。

 

 では、もう一人、羽黒氏に土地と建物を提供していた親切なご婦人。花江さんとは何者なのか。灰島氏と羽黒氏の目的を考えると、彼女もただの親切な夫人ということはないだろう。

 

「実は、僕、少々気になっていたことがあるのですよ……。

 こちら、灰島さんの持っていたみどりさんの写真です。この写真では、みどりさんは首に森の素材で作ったネックレスを下げている。

 ですが、写真が撮られたのは林間学校が始まった日の午前中。彼女は到着したばかり。過去の学校関係者に伺ったところ、その日のプログラムにネックレスづくりは含まれていませんでした。

 では、このネックレスはどのような由来があるのか……。そういえば、このネックレスの形、この宿に飾られているものとよく似ていますね?」

 

 右京はそういうと、壁に掛けられた古びた飾りを取り出して、彼女の前に置く。

 

「花江さん、貴方も玉森みどりさんの関係者、いえ、もっと親しい間柄だったんじゃないですか?

 だからこそ、灰島さんや羽黒さんに協力していた。彼女の関係者の名前を調べれば、すぐにわかるかもしれません。けれど、もしよかったら、貴方の口から真実を教えてくれませんか?

 これでも、俺たちは警察官です。きっと、貴方たちの助けにもなれるはずです……」

 

 進ノ介は座ったままの彼女の目線に合わせ、真摯に訴える。すると、花江は、ゆっくりと首を縦に振った。そして、口を開くと、

 

「黙っていて申し訳ありませんでした……。私は玉森花江。みどりの母親です」

 

 そうして真実を教えてくれたのだ。

 

 

 

 数分後、場所を変えた面々は、冬間近の涼しい風の中、花江が語る真実に耳を傾けていた。

 

「二十年というのは、残酷な時間ですね。私も、当時はみどりを探すためにこの町に来て、精一杯声を張り上げていたのですけど。町の人たちは今では、誰も覚えてはいません。……仕方がないことだとは分かっています。今、元気な人たちは当時動いてくれた人たちの娘さんや息子さんですから。私も、今ではこんなおばあちゃんになってしまった。

 けれど、二十年たっても、周りの人がどんなに忘れても、私にはみどりを忘れることなんてできませんでした。今でも、あの子が笑顔で出かけて行ったことも、そのまま帰らなかったことも。昨日のことのように思い出せるんです」

 

 彼女にとって、二十年たっても、何十年たっても、娘が帰ってこない限り、事件は解決したことにならない。

 

 だから花江はこの山に別荘を買い、時間ができるたびにこの山に来てはみどりを探すことにした。幸いにも、彼女の主人は、娘の失踪を忘れるように仕事に打ち込み、一財産を築いてくれたため、彼女の行うことにお金を出してくれたという。

 

「ただ、一人ではできることは限られていました。

 殺人だったら、犯人探しができます。遭難だったら、山をしらみつぶしに探せます。けれど、私には、その原因すら教えられなかった。もしかしたら、娘をさらった、あるいは殺した犯人がいるかもしれないと思うと、周りの人に協力を求められなかった。

 それに、白鳥先生の自殺などがあって、町の人にも罪悪感があったんでしょうね。こっそりと聞きまわっても、あまり覚えていない人が多かったです。

 私はどんどんと年老いていき、正直、諦めているところもありました。そんな時に、羽黒さんと灰島さんが来てくれたんです。何とか、みどりを探してあげたい。そう言って、色々と協力してくれました……」

 

 その言葉にうなずきつつ、羽黒氏が経緯を続けて説明してくれる。

 

「正直、私は受け入れられるとは思っていませんでした。父は当時、疑われていましたし、罵倒されても仕方ない。そう思ってお会いしたのですが、花江さんはとても親切な方で……。私も、灰島さんも花江さんの助けになりたいと、自然と思わされたんです」

 

「……お二人とも、当時はまだ子供だったのだもの」

 

 花江にとって、彼らもまた被害者だった。自殺した容疑者の息子に、引率教諭の息子。どちらも、親に関してはしこりが残る相手だが、親によって被害を被った彼らに罪はない。そして、その真実を暴きたいという執念は彼女にとっても親しみが持てるもの。

 

 その後のことは羽黒氏が語ってくれた。

 

「父の事件の後、私はこの町から逃げるように母方の実家へ引っ越しました。この町で生きていくのは難しかったですから。その後、事件のことは忘れようと何年もぼんやりと生きていたんです。

 けれど、心のどこかでは、せめてみどりちゃんが見つかってほしい、そんな思いもありました。

 灰島さんと出会ったのは、そんなころ。彼は亡くなったお母さんのために、みどりちゃんの事件をずっと調べていました。私もそんな彼に協力することにしました。それが責任だと思って」

 

 そして、彼らは同志となった。

 

 風化した事件を調べなおし、みどりを発見する。そのために、彼らが必要としたのは、何よりもまず人の手と情報だ。それらを得るため、工夫を凝らすことにした。

 

「幽霊を利用しようと考えたのは、私です。事件が風化したままなら、わかるものも分かりません。それに、私が移住したときは、この山は人が多く訪れる場所ではありませんでした。

 だから、必要だったのは山に注目の目を集めること。その目がオカルトを探そうという好奇の目だったら、何か手掛かりが見つかるんじゃないかって。

 ああいうマニアの人たちは、細かく探すのは得意ですから。それで、そういう人たちを呼び寄せるために、灰島さんに心霊写真を作ってもらって、インターネットや心霊雑誌に投稿してもらいました」

 

「……そして、羽黒さん。あなたはこの山を見守りつつ、みどりさんを探していた。そうですね?」

 

 そこまで聞くと、彼らがとってきた行動にも納得はできる。ただ、少しだけ疑問もあった。

 

「なぜ、それを早く打ち明けてくれなかったんですか?」

 

 頷きつつ、進ノ介が尋ねる。すると、羽黒氏は申し訳なさげに説明してくれる。

 

「灰島さんが死んだ原因が何かわかりませんでしたから。

 灰島さんは二十年前のことを事件だと思っているようでした。遺体が全く見つからないのは、不自然だから、誰かが隠しているに違いないって。

 今回も新しい手掛かりが見つかったと言って、家々を回っていました」

 

 そして、そんな中で灰島氏が亡くなった。しかもそれは他殺だった。

 

「悲しかったですし、それ以上に怖くなりました。二十年前の関係者か、それとも彼が探るうちに何か住人の不都合なことを知ってしまったのか。私たちにわかることはありません。その中で、私たちが元々知り合いだったと分かったら、こちらにも疑いの目が向きます。

 父の犯罪を明らかにしようとした灰島さんを、僕が口封じしたと。そう思うと、黙っている方が、安全だと思えたんです」

 

「……灰島さんの見つけた、新しい手掛かりって、何だったんですか?」

 

「まずは自分で確かめてから知らせる、そう言っていて。結局は何かはわからないんです……。私から話せるのは、以上です」

 

 それがこれまでの真実だと、羽黒氏は語り、話を止める。

 

 ただ、その顔に、何か進ノ介は違和感を感じた。まだ、彼には隠していることがあるのではないか、そんな直感的なもの。そのことをより鋭く感じ取ったのは、誰あろう剛であった。

 

「嘘だね」

 

 鋭い声が飛ぶ。

 

 その声に、進ノ介は振り向くと、剛がテーブルを手でたたきながら立ち上がっていた。そして、つかつかと羽黒氏の前に立ち、その顔をにらみつける。進ノ介は思わず剛を止めようとするが、剛は手でそれを遮った。

 

「ご、剛君……。どうして私がまだ嘘を言ってるって……」

 

 剛は、それはそれは不機嫌そうな、いや、納得いっていないという顔で羽黒氏に詰め寄る。

 

「羽黒さん、あんたはいい人だよ。俺を助けてくれたし、宿でも歓迎してくれた。けど、だから俺みたいな捻くれた奴には、嘘ついてんのも分かっちまう。

 ……あんたはまだ一番重要な秘密を隠してるんだ」

 

 その秘密とは……。

 

「さっきからさ、あんたの口から出てるのは『みどりちゃんを見つける』とか『責任』とか、そんなのばっかだ」

 

「……それが私の思いだよ。それの何が悪いっていうんだい?」

 

「俺が納得できないのは、なんで! あんたは親父さんのために動かないんだってことだ!!」

 

 剛が語気を荒くする。羽黒氏に言い募る剛は、どこか事情を知らない右京にも、自分に言い聞かせているように聞こえた。

 

「どんなにひどい親でもさ、怪物みたいな親だとしてもさぁ、親子ってやつは割り切れるもんじゃねえだろ!

 しかも、あんたの場合は父親は疑われたから自殺しただけ。無実なら、純粋な被害者だ。ならさ、あんたがここにいる理由は、『父の無念を晴らすため』だろ!? 親父さんが無実だったと証明するためだろ!?」

 

 剛には、羽黒氏がなぜ父親のことを棚に上げて、みどりのために移住し、人生をささげているのかがわからない。

 

 そして、もし、その強い思いがみどりにだけに向いているとしたら。その理由は一つだ。

 

「羽黒さん、あんたは父親が犯人だと思ってるんだ。みどりちゃんの事件に、父親がかかわったと思っているんだ!

 ……だから、父親の罪を償うために、こんなことをしてる」

 

「そ、そんなことはない!」

 

 羽黒氏の反論の声は図星をつかれたと、そういうような弱弱しいものだった。

 

「じゃあ、ここで言ってみろよ! 花江さんやこの警部さんたちに言ってみろ! 自分の父親は潔白だと信じているから、それを証明するために協力してくれってさ!!!」

 

 剛の大声が、部屋に響いた。

 

 剛には一つ、大きな秘密がある。何年も一人で抱え込んでいた秘密だ。それこそ、明るみになれば世間から迫害を受けるかもしれない。それくらいに大きな秘密。

 

 そんな彼だからこそ、羽黒氏が抱えている贖罪の意識が伝わってきたのだろう。

 

「……羽黒さん、俺の親父もそうだったよ。人を人とも思わない怪物だった。それを知った時、俺が考えたのは『償わなきゃいけない』って、そんな思いばかり。

 けど、いざ父親が見つかったら、俺はあいつを信じたくなった。……それで、見事に裏切られたよ」

 

「剛君……」

 

「きっと理屈じゃないんだ。どんなにひどい親でも、信じたくなるって気持ちは。けれど、一人で抱え込んでも、結局は余計に周りに迷惑をかけるだけ。……酷い経験だったけどさ、俺もそれだけは学べたよ。

 だから、羽黒さんも自分勝手に抱え込んでないで、話してくれよ。それが、みどりちゃんのために、できることだろ?」

 

 少なくとも、羽黒氏の目には、剛の言葉は自分を言いくるめるためのウソには見えなかった。彼は、自分の苦しい記憶を、明かしているのだと分かったのだ。

 

 そして、羽黒氏はしばらくの間、沈黙を続け……。最後には了承するようにうなずくのだった。

 

 

 

 羽黒氏がその後、倉庫から持ってきたのは、小さなリュックサック。ぼろぼろに色あせ、ほつれてしまったそれを見て、花江は目を丸くする。なぜなら、それは。

 

「それ、みどりの……」

 

 それは二十年前、移動教室にみどりが持って行ったリュックサックだったから。

 

「……花江さん。すみませんでした。私がみどりちゃんを探したいという思いは本当です。けれど、最低の男だとしても、彼は父親です。犯罪者として世間にさらされることだけは、止めたかった」

 

 羽黒氏はリュックサックをウッドデッキの上に置くと、椅子に座り込み、振り絞るように声を出していく。

 

「これは、……父の遺品の中から見つかりました。

 父は昔から、少し情緒が不安定なところがあって。それに、正直、小さいころから変だと思っていたんです。家に遊びに来た女の子への視線が不気味だったり、なんだか、体を触ろうとしていたり。それは、だんだんと年を取るにつれて、確信に変わっていきました。

 ……彼は誇れる父親なんかではなかった! 母もそんな親父の本性を薄々勘付いていたんでしょうね。だから、父が自殺した後、その荷物を物置深くに隠して、触らせなかった」

 

 けれど、真実を知るまでの、その間は羽黒氏も自分たちを追い出した町の人々を恨み、そして父の無実を信じていたかったのだという。

 

 だが、母親が死んで、そんな偽りの日々は終わる。母の遺品整理中に見つかった古い段ボール。父の私物入れ。その奥底から新聞紙に包まれたリュックサックが見つかったのだ。   

 

「父が犯人だった!! 父が、花江さんからみどりちゃんを奪い、灰島さんのお母さんを苦しめた!!

 そう思ったら、どう償えばいいか、そればかりを考えて……。そんなときに灰島さんがやってきてくれて、みどりちゃんを見つけることくらいしか、私にできる償いはないと思ったんです……」

 

 そう言うと、羽黒氏はうつむき、涙を流してしまう。花江はその様子を見ながら、怒ればいいのか、同情すればいいのか、わからない様子であった。彼とて悪意があって、隠していたわけではないのだから。

 

 ただ、右京達には確認しなければいけないことがある。

 

「……羽黒さん、お父様の遺品から、みどりさんの行方に繋がるものは、見つかりましたか?」

 

「……いいえ。隅々まで探しましたけれど、それらしいものは。荷物の中身は、そのままにしてあります。誓って、何かを隠したりはしていません」

 

 鑑識を呼ぶなどして、詳しく調べることは必要だが、進ノ介には彼が真実を言っているように感じられた。少なくとも、これ以上のウソはないだろう。

 

 こうして、二十年前から続く、一つの嘘は真実へと変わった。では、今回の事件において灰島氏が殺害された理由は何なのか。

 

(灰島さんが見つけた証拠。それがカギかもしれないけど……。可能性があるのは、遺体から無くなっていた写真のデータだ。けれど、何かを撮影していたなら、隠しカメラの方……)

 

 ふと、進ノ介の頭の中に、一つの考えが生まれる。

 

(写真は写真でも……)

 

 羽黒氏の話では、灰島氏は事件の可能性を疑っていたという。それならば、この付近に犯人がいると考えて、慎重に行動したはずだ。ルポライターという風体を整え、あくまで事件のことは表に出さないように。

 

 彼が手に入れることができる、証拠。そんな可能性があるものは……。

 

「杉下さん、もしかしたら、ですけど……」

 

 熟考から戻り、自分の考えを伝えようと、進ノ介は右京へと振り向く。だが、当の右京はリュックサックの中身をひっくり返し、探っているところだった。大事な証拠品だというのに、容赦ない。

 

「ああ、泊君。少し待ってください……」

 

「……杉下さん。俺たちが待つべきなのは、米沢さんが来ることなんじゃ」

 

「手袋はつけています」

 

 右京が両手を上げると、確かにそこには白い手袋が。文句はあるが、言っても止まりそうにないので、しぶしぶとうなずく。そして、そんな探索を行っていた右京も、あらかた調べ終えたのか、手を止めると、上を見つめながら息を吐き、

 

「……花江さん、確認したいことがあります」

 

 そんな様子をじっと見つめていた花江に微笑みながら、質問を出すのだった。シンプルで、一見すると事件とは関係なさそうなもの。だが、その答えを聞いた右京は、納得が言ったようにうなずいて、

 

「なるほど……」

 

 そう声を漏らす。その答えに、もう一つ、嘘が存在したことに気づいたのは、右京だけではない。進ノ介も気づいた。

 

「……杉下さん。それって」

 

「ええ。あの時、あの方が言った言葉……。その意味が分かりました」

 

「それに遺体が動かされた理由も、わかりますね」

 

 進ノ介は携帯を取り出すと、霧子達に連絡を送るのだった。

 

 

 

 その晩は曇り空だった。夜になると冷え込む山なので、捜査陣も鑑識作業を止め、撤退。御首山の殺害現場近くに、人は誰もいない。かろうじて、その光景を見ているとすれば、草場に隠れた昆虫か。それこそ月や星くらいだろう。

 

 だが、そこに男がやってくる。その彼は、ゆっくりと人目を気にしながら歩いていき、地蔵の前で一度手を合わせた。

 

「ごめんなぁ、堪忍してくれ……」

 

 震える声を漏らしながら。彼は傍らに置いていた細長い包みを取り出し、ゆっくりと封を解いていく。その布から黒光りする筒が出てくる。そして、それを首に当てようとして……。

 

「それはお止しになった方がいいでしょう……」

 

 その手が強くつかまれ、止められる。

 

 男が驚き振り向くと、そこには杉下右京が立っていた。昼間に見たときのような、微笑みは消え。男の行動を咎めるような、鋭い視線。

 

 その瞬間、男に浴びせられるのは、いくつもの懐中電灯による明かり。それは捜査一課と名乗った刑事三人組に、杉下右京に泊進ノ介。そして、なぜ彼らと一緒にいるのかもわからない一般人の詩島剛。

 

「あ、あんたたち……」

 

「命をもって償う……。貴方はそれで満足かもしれませんが。それでは、殺された灰島さんも、事件関係者も浮かばれません。

 秘密を積み重ねるのは、もう終わりにしましょう。お地蔵様の下で眠る、みどりさんも、それを望んでいるはずですよ。御伽さん」

 

 その言葉に、男は、山ガイドの御伽氏は諦めたようにうなだれるのであった。

 

 

 

 派出所へと連行された御伽氏は、口を閉じたまま。目を伏せ、一言も発しようとしない。見るからに、黙秘を貫こうとする姿勢。

 

 そんな彼の前に、右京は灰島氏が持っていたカメラを机の上に置いた。さらにそこへ写真を並べ始める。

 

 笑顔のみどりが映し出された古い写真。

 

 灰島氏が撮影した風景写真。

 

 隠し撮りされた家々。

 

 心霊写真。

 

「写真という物は不思議なものですねえ。本来は一瞬で過ぎ去る現在を、過去という形で永遠に閉じ込めておける。そして、その中には景色や人以上の多くの感情が込められています……。

 みどりさんの写真には、彼女の喜びと、ご家族との絆が。灰島さんの写真からは、彼の目的と執念が。そして、作られた心霊写真にはみどりさんを思う人々の苦闘が。すべて記録されていました」

 

「灰島さんが殺された理由も、彼のカメラにあった写真にあった。そうですね? 彼を殺したあなたには、そのことがよくわかっているはずです。御伽さん」

 

 進ノ介は御伽氏の隣に立ちながら、視線を彼に向けた。

 

 だが、御伽氏は少しだけ肩を震わせても、口を割ろうとはしなかった。彼にも抱えている大きな秘密があるのだろう。

 

「何もおっしゃるつもりがなくとも、僕たちの話を聞いていただきましょう。

 ……まず、僕たちが事件解決に必要だったのは、動機です。当初、彼はこの山に縁の薄い人間だと思われていました。証拠も乏しい。

 ですので、犯人はいかなる目的をもって、灰島さんを殺害したのか。それを知ることが必要でした」

 

「そして、彼の過去を調べていくと、彼には二十年前の玉森みどりさんの事件を調べるという目的があることがわかりました。

 そのために、灰島さんは心霊写真を作り上げ、羽黒さんと協力し、山への注目を集めようとしていた。それに加えて、新しい手掛かりを見つけた彼は、あちらこちらを回ったり、家を隠し撮りしたりと調べ物をしていた。

 過去の事件を調べたり、人の秘密を探ろうとする。それは殺人の動機にもつながる行為です」

 

「ここで、彼の手に入れた手掛かりとして、可能性があるのは消去されたカメラのデータ。しかし、彼には風景を撮る目的はなく、首から下げたカメラは、ルポライターの身分を示す以上の道具にならないはずでした。そのカメラのデータをなぜ消したのか……」

 

 右京と進ノ介の交互の言葉。右京がそれを区切ると、続いて、進ノ介が机の上のカメラを手に取り、それを弄り始めた。

 

「……考えてみれば、今のカメラは多機能化して、写真を撮るための物では無くなっている。ネットにもアクセスされているし、位置情報を発信したり。単純ですけど、メモリカードに、他のデータを入れておくことも。

 過去に取られた写真をデータ化し、メモリーカードに入れておけば……。こうして小窓から画像を見たり、拡大することもできます」

 

 そして、それは山の住人を疑い、秘密に探ろうとしていた灰島氏にとって便利な方法でもある。

 

「山や集落の中を、携帯を手にうろうろとすれば、目立ちますけど、カメラマンがカメラをのぞき込んでいても誰も怪しみません。

 こうして写真を確認しているように装いながら、辺りを調べることができます」

 

「さて、その推論が正しい場合、このカメラに入れていたデータとは何か? 

 ここで思い当たるのは、彼が懐に隠していたのと同じ、二十年前の写真です。灰島さんのお母様は、過去の事件の前に写真を多く撮っていました。そして、彼の自宅から、大切に保管された写真が見つかっています。……泊君」

 

「……それが、この写真です」

 

 進ノ介がカメラのパネルを動かすと、そのモニタには、たしかに、古びた写真が表示される。それは灰島氏の母親によって撮影された、二十年前の景色。

 

 灰島氏のパソコンを隅まで調べると、データ化されたそれが見つかり、思った通り、彼のカメラでも再生することができた。

 

 それら古びた写真を見ながら、右京がほほ笑み、話を続ける。

 

「僕の姪が数年前、面白い写真集を出版しようとしていました。過去に撮影した場所で、改めて写真を撮る。そうすることで物事の移り変わりというものが分かる。

 ……灰島さんも同じようなことを考えたのではないでしょうか? 母親が撮影した過去の写真と、今の山を比べれば。何か手掛かりにつながるのではないかと。そのために写真をデータ化して、カメラに保管していた」

 

「……ここで、俺たちが抱いていた疑問につながります。ずっと疑問だったのは、遺体が動かされたわけ。特に犯人に遺体を隠す気はなかったなら、遺体が殺害現場から、別の場所に移された理由は何かって。

 それで写真を調べたら、すぐにこれが見つかったんです」

 

 進ノ介が御伽氏の目の前に出したのは、一枚の写真だった。二十年前に撮影された、小さなハイキングコースにたたずむ、古びたお地蔵。

 

 灰島氏の殺害現場近くにあった、それだ。

 

 だが、その位置は今とは違う。かつては斜面の下り側に置かれていたことが、写真からわかる。

 

「古くからある地蔵が動くって、いかにも何かありそうですよね?」

 

「ええ。二十年前から位置を動かされている地蔵。灰島氏が興味を抱く可能性は大いにあるでしょう。

 実は、僕も一目見たときから気になっていたのです。通常、古い鳥居のように一所に長く置かれた物は、日の当たり方によって黒ずみ方が異なっていく。そして一方向だけが黒くなったり、浸食で古びたりしていきます」

 

 だが、あの台座はまんべんなく黒ずんでいた。それが示すのは、

 

「あの台座はまず、一方向に浸食が広がり、その後、別方向に黒ずみが広がった。つまり、お地蔵さまが長く置かれた場所から位置が変えられた事を示しています。

 そして、この写真でも、確かに。お地蔵様の位置は変わっていました」

 

「お地蔵の位置っていうのは、方角等の意味もよく考えて決めるもの。それを勝手に変えるというのは、珍しいことです。近隣に聞いてみると、変えたのは御伽さん。それも、山の管理を行っていた立場から、ほぼ独断で。みどりちゃんの失踪の少し後、事件のほとぼりが冷めたころに。

 そのことに、灰島さんも疑問に思ったんでしょうね」

 

 進ノ介に続き、右京が指を立てると、御伽氏に話しかける。

 

「なぜ、あなたが地蔵の位置を変えなければいけなかったのか。それは、元々の位置では不都合だったから。

 下り斜面に置かれていれば、その後、登山道の整備が入った時に何かの拍子に崩れてしまったり。雨で斜面が削れたり。色々とアクシデントが発生することが考えられます。

 あなたは、あの地蔵が、これ以上動くことを防ごうとした。

 山の管理人としては、配慮してもおかしくはありませんが……。その近くで灰島さんが殺害されたとなれば、意味合いも違ってきます。御伽さん、あなたにとって、そこは調べられては困る場所だった」

 

 そして、進ノ介が御伽氏に鋭い視線を向ける。

 

「……なぜなら、その下にはみどりちゃんが埋められていたから。

 灰島さんのカメラ、レンズに傷がついていたんです。何かにぶつかったみたいに。調べれば、このお地蔵さんの石の組成と、その傷の残滓が合致するはずです。

 灰島さんは地蔵の前でまず、襲われた。そして、あの斜面に倒れ込んだところに止めを刺された……」

 

「ですので、僕たちは近隣の方に情報を流しました『明日、犯行現場近隣を徹底的に捜索すると』。そうすれば、犯人は何か行動を起こすだろうと。

 ……そこで現れたのが、御伽さん、あなたでした。それに、証拠も……。伊丹さん」

 

「……はいはい。あんたが持っていた猟銃、その柄から血液反応が出ましたよ。……それが凶器で決まりだな。

 それに……。はぁ……。特命係の言う通り、地蔵の下から、幼い少女の遺骨が発見されました。丁寧に焼かれ、骨壺に詰められた状態で」

 

 刑事たちが証拠を突きつけても、御伽氏は口を閉ざしたまま。そんな彼の態度に頷きながら、右京は次の言葉を突きつけていく。

 

「では、なぜお地蔵様の下にみどりさんが埋葬され、あなたがそれを知っていたのか。……あなたは昼間、こういいました。みどりさんについて『カッパを着ていなかったら』と。

 花江さんに確認したところ、確かに当時、みどりさんは雨合羽を家に忘れていた。発見された彼女のリュックサックの中にも、それはなかった」

 

「それを知っていたということは、あなたは遭難時のみどりちゃんの様子を見聞きしていたから。そうですよね?」

 

 その言葉に御伽氏は強く唇をかみ、苦しむように目を閉じる。葛藤と、苦しみと、悲しみと。そんな多くの感情が混じった心に、右京が訴えかける。

 

「……御伽さん、あなたは自分の快楽のためにみどりちゃんの殺害をしたわけではありません。もしそうなら、毎日のようにお地蔵さんに手を合わせたり、地蔵様の下に、埋葬することはないでしょう。

 あなたには、罪悪感と死者を悼む気持ちがある……。そんなあなたは、灰島さんを殺害してしまったことに、悔いを残しているはずです」

 

「自ら命を断とうとするほどに……。

 けれど、御伽さん。この事件で苦しんでいるのはあなただけじゃありません。灰島さんも、花江さんも、羽黒さんも、二十年前の事件によって苦しんできた……。あなたのお父さんも、それを望んでいるはずです」

 

 進ノ介の言葉に、父親が入っていたからか。それとも、彼の罪悪感の高まりがそうさせたのか。御伽氏は伏せていた顔を上げて、二人を見た。

 

「……!!」

 

「御伽さん、あなたのお父様はみどりさんの事件の約一年後、亡くなっています。病院にかかれば完治していたにも拘わらず、治療を拒否し、苦しみに耐えて亡くなった。

 まるで、自ら命を断ったように……。それが彼の贖罪だったのでしょう。

 一つの事件が起きたとき、悲しみを無くすことはできません。決して、それだけはできない。ですが、それ以上の悲劇を防ぎ、遺された人々に整理する機会を作ることはできます。その唯一の方法は、真実を知ることです」

 

「そして、今、それができるのは、御伽さん、あなただけなんです。この二十年間の苦しみを終わらせてください。あなたの口から!」

 

 刑事たちの言葉を聞いた御伽氏は、大きく机をたたいた。自分を痛めつけるように、恥じるように。そして数分間、御伽氏はうめき声を漏らし。

 

 最後にはうなだれながらも、ぽつりぽつりと、真相を語り始めてくれた。

 

「……親父は立派な猟師でした。祖父も、曾祖父もそう。ずっと、山を愛し、皆から尊敬されていた。それが私の誇りです。

 ですが、そんな親父が一度だけ過ちを犯した。取りかえしのつかない過ちを」

 

 二十年前、みどりが一行からはぐれたその時。

 

 御伽氏の父親は猟場から急いで戻ろうとしていた。突然の大雨と雷に視界と耳をふさがれながら……。当時の御首山は茂みが深く、獣も入ってくるような場所。そこを急ぎ、息を乱しながら走っていた。

 

 その時、不幸な偶然が起こった。

 

 がさり、

 

 彼の近くで茂みが大きく動いたのだ。イノシシでも、シカでも、もちろん熊でも、至近距離で飛び込んできたら、彼にとっては大きな危険。彼は、銃弾を猟銃にこめ、威嚇のために上空へ発砲した。

 

「きゃっ!!!?」

 

 だが、その轟音に驚かされ、そして、足を滑らせたのは、獣ではなかった。

 

 声を聴き、急いでその場所に向かった彼が見たのは、斜面から滑り落ち、頭を打って息絶えた女の子だった。彼女は山に迷い込み、さまよっていたのだ。

 

「親父は混乱したまま、みどりちゃんの遺体を隠してしまった。禁猟区での発砲はご法度なのに、女の子が死ぬ原因を作ってしまった。事故だったとしても、廃業は免れません。

 当時は、私が一人前になったと喜んでいた時期でしたから、なおさら、守らなければいけないと、思いつめてしまったのでしょう。きっと、私がいなければ、訴え出たはずです。

 親父はその事故を隠すために、罪のドツボにはまっていきました。彼女の荷物を白鳥先生の家に放り込んで、偽装したり。まさか、犯人扱いされて彼が自殺するとは思わなかったと」

 

 父親の死後、みどりの骨壺が見つかり、すべてを記録した遺書が見つかったという。

 

「本当なら、親父が死んだときに、すべてを明かした方がよかったんでしょう。そうすれば、こんなことには……。けれど、私は思ってしまいました。先祖代々の誇りを守るために、この秘密を抱えるべきだと」

 

「……けれど、遺族はそれを許さなかった」

 

「ええ。数年前から幽霊の噂が出回った時、私は気が気ではなかった。みどりちゃんが無念を訴えているのではないかと。

 そんなときに、灰島さんが来て、根掘り葉掘り聞いてくる中で、私はパニックになってしまった。ああ、この人は私を疑っているんじゃないかって……。昨日、彼の後を付けたら、地蔵を探り始めて……。とっさに……」

 

 申し訳ありませんでした。

 

 最後には涙を流しながら、老猟師は、重い秘密を下ろすのだった。

 

 

 

 翌日、事件が終わったことで、進ノ介達は荷物をまとめ、宿を発とうとしていた。だが、その前に話しておかなければいけない人がいる。

 

「そうですか……、結局、父は殺人犯ではなかったのですね」

 

 そう言って、羽黒氏は安堵したように微笑む。彼にとっては、二十年来、ずっと父親を疑っていたのだ。少なくとも、殺人事件に関与していないと分かった。それだけでも肩の荷が軽くなるだろう。

 

 事件を終えて、近隣の人々はまだまだざわめきが収まっていないが、真実がわかり、安心を得た人も多い。みどりの遺骨を受け取り、家路についた花江などは、その最たるもの。

 

「羽黒さんは、この後、どうするのですか?」

 

 右京が羽黒氏に尋ねる。彼からすれば、みどりの身体が家族のもとへと戻り、贖罪の目的は果たされたことになる。今後の人生を選びなおしても良いと思えたのだ。

 

 だが、羽黒氏は右京に苦笑いを浮かべて、

 

「父の疑いは晴れましたが、私があんな噂を流したことが、巡り巡って今回の事件につながりました。

 それに、元は償うためだけに戻ってきたのに……。やっぱり故郷なんですね。この場所に、この山に感じる気持ちは特別です。周りの人が、許してくれるかは分かりませんが。ここで、宿をつづけながら、山に貢献していきたいと思います。そうして私の人生をやり直していきます」

 

 そう言いながら右京と握手を交わした。ついで進ノ介も握手をし、最後は剛の番。ただ、昨夜のやり取りがあったためか、二人ともどこかぎこちなさがあった。

 

「剛君」

 

「悪かったよ、羽黒さん。あんな疑ったり、責めるようなこと言って」

 

 剛はそう言って頭を下げる。だが、羽黒氏は首を横に振って、剛の頭を上げさせる。

 

「ありがとう。君がああ言ってくれなかったら、私はいつまでも父の罪を告白できなかった。今、ようやく父の真実を知って、私は進むことができる」

 

 その言葉に、進ノ介の見間違えでなければ、剛の目に光るものが見えた。だが、剛は何か彼に語り掛けようとして口をつぐんでしまう。

 

 そんな剛を進ノ介は心配そうに見つめるが、その場では、剛は口を開くことはなかった。時間は止まることはなく、そろそろ帰らなくては帰り着くのが遅くなってしまう。三人は羽黒氏に見送られながら、進ノ介のGT-Rに乗る。

 

 進ノ介はアクセルを踏もうとして、しかし、それを止めて。

 

「剛、言いたいことがあったなら、今言っておいた方がいいぞ」

 

 そうして、少しだけ黙って前を向いていると、

 

「……!!」

 

 剛はドアを開けて後ろへ駆け出して。向かった先は当然、羽黒氏が呆然として立っているところ。そして剛はバックから一枚色紙を取り出すと。そこに何やらを書きなぐって渡した。

 

「……羽黒さん、これ良かったら使ってくれよ。本物だし、幽霊よりも多少は客寄せになるはずだぜ!」

 

 そこに書かれていたのは、「仮面ライダーマッハ」と書かれた大きな文字。

 

「剛君、まさか、ほんとに君が……?」

 

 羽黒氏の驚きの声に、剛は少し微笑んで。

 

「『人はやりなおせる』。そう言ってくれたダチがいるんだ。世界を救った、すっげえダチの言葉だから、俺も信じられる。だから、羽黒さんもこれから、大丈夫だ。あんたは自分の過去と決着をつけたんだから。……仮面ライダーが保証する」

 

「剛君……」

 

「俺さ、これから海外を渡り歩くつもりなんだ。そのダチとまた会うために、旅に出なきゃいけない。多分、長い旅になる。けど、日本に戻ってきたら……。また来るよ、この宿に。何度も言ったけど、この宿、俺は好きだから」

 

 晴れやかな声だった。それを聞いた羽黒氏も顔に満面の笑顔を張り付けて、

 

「この宿で待ってるよ。そして、その時には君の悩みが解決していることを祈ってる」

 

 そう言って、二人は固く握手を交わすのだった。

 

 

 

 剛も心残りが無くなったようで。これで山を後にすることができる。進ノ介は少し上機嫌にハンドルに手を添えながら、紅葉がきれいな山道を走らせていく。

 

 けれど、まだ余計なことを思い出す人間が一人。

 

「……そういえば、この写真の謎も解けませんでしたねえ」

 

 そんな不吉な言葉とともに、右京が取り出したのは、例の心霊写真だった。それを聞いて、進ノ介は顔を引きつらせる。余計なことを思い出した、と。思えば、一連の事件に巻き込まれた発端はその写真。ただ、事件の中ですっかりとその存在を忘れてしまっていた。

 

 だが、その写真を見た途端、右京は、

 

「おや?」

 

 と不思議そうな声を出した。進ノ介はそれに冷や汗を浮かべながら、

 

「まさか、また幽霊が見つかったとか言いませんよね?」

 

 すると、右京は目を見開いたまま、ぼんやりと。

 

「いえ、その逆ですよ。……消えてしまいました」

 

「え?」

 

「写っていた白い影が消えているのです。キレイさっぱりと」

 

「えぇ!!?」

 

 進ノ介は慌てて林道のわきに車を停めると、右京から写真を取り上げ、見てみる。確かに、そこには花の里で見たような影が消えていた。その痕跡も見当たらない。

 

 そんな、写真に印刷したものが、数日で消えるはず等あるはずもなく……。

 

 進ノ介の背筋に、冷たいものが伝う。あまり深くは考えたくはなかった。

 

「……これは! ますます気になってしまいますね! 泊君、剛君! せっかく出発したばかりですが、ここは、もう一度戻って調べるというのはいかがでしょうか!?」

 

「もう、勘弁してくださいよ! 杉下さん!?」

 

「ほんと、警部さんって面白い人だね! ま、これからも頑張れよ、進兄さん!」

 

 剛のからかう言葉に、進ノ介は大きくため息を吐くのだった。




あとがき

これにて第七話の完結です。

今話のテーマは「親への思い」
剛の登場回として、どんな話にしようかと考えたとき、やはり親に対する思いをフォーカスしたいと思いました。まだまだロイミュード事件から時間がたっていませんが、チェイスの言葉を胸に、人に影響を与えられる人間になろうとしている剛。少しは描けていたらうれしいです。
また、今話で出てきたのは、親の罪、あるいは無念を背負う子供達。そうした思いを背負ってしまうのは、剛の例にもれず、実の親というのは特別な存在だったのでしょう。

隠しモチーフはSeason8第11話「願い」。この話は、私としても好きな話で、忘れられた事件を掘り起こそうとする遺族や子供たちを、本話の参考にしました。

さて、今回も少しばかり時間がかかってしまいましたが、いかがだったでしょうか。なるべくバリエーション豊かな話を描きたいと思い、今回はこういった形になりました。そろそろ、政治劇みたいな話も書いてみたいところです。それに話の緩急のつけ方も、まだまだ勉強したいところ。

そして、スペシャルに向けて投稿スピードも上げていきたいところではあります。

その前に、私個人の難関として、正月スペシャルが迫っているのですが……。

それでは、最後に第八話の予告!
次は、少し緩い話になります。泊進ノ介の大きな買い物。その行方は!!
正月スペシャルまであと少し!

第八話「ギフトの行方」

どうか、お待ちいただけると幸いです。

……カウントダウン 3


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第八話「ギフトの行方 I」

お待たせしました! それでは第八話を開始します。今回も四話構成を予定しております。

クリスマスが迫る中、進ノ介に起きた不幸とは!!


 十二月も数日が過ぎて、東京でも二日前には雪がちらついてしまった。先日までは、まだ涼しいといえる気候であったのが、いつの間にやらコートの襟を合わせなければ首元が寒いと思えるほど。

 

 そんな時に外出していれば、体が冷えていくのは当たり前で、道行く人は早く目的地に着きたいと早足になってしまっている。

 

 その冷たい世界に、泊進ノ介は小一時間もの間、留まっていた。いや、正確に言えば、進ノ介は一時間も、室内へ入らないでいたのだ。

 

 今、彼の目に映るのは、煌びやかで高級感溢れた宝飾店。純白で光を纏った城の中には、何万、何十万円するかもわからない宝石がきれいに収まっている。それらは、いくつかどころでなく、彼の月収を超える金額が貼られているものばかり。

 

 その店に進ノ介は気圧されていた。

 

 進ノ介にとってこのような店というのは縁がなかった場所である。彼にとっては甚だ不本意ではあるが、人生この方モテることがなかった進ノ介。顔立ちは良いのだが、極端な車趣味がたたったのか、気障ぶりたくなる性格が原因か。

 

 これまで、そうした店を訪れる時は捜査や、防犯キャンペーンといった職務に関わる形式的なことばかり。

 

 まさか、そんなところに買い物をするために訪れる時が来るとは。それも、女性への贈り物をするために。進ノ介自身も信じられず、踏ん切りをつけられずにいた。

 

「頑張れ、泊進ノ介……。いや、でもなあ……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、店の前でうろうろと。入ろうか、入るまいか。今は『もう考えるのは止めた!』などとは言えない。この店に足を踏み入れるかどうかで、今後の彼の人生は大きく変わるのだから。

 

 何故なら、来たる十二月二十四日は泊進ノ介の誕生日。

 

 その日に、進ノ介は一世一代の告白を行おうと考えていた。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第八話「ギフトの行方 I」

 

 

 

 世の中にはいくつかの告白がある。刑事としては身近な、犯人が自らの罪を明かすことも告白だ。特別でなくとも誰かに思いを打ち明けることもまた、告白。そして、最も一般的な意味は、もちろん愛の告白である。

 

 では、進ノ介が行おうとしているのは、いかなる告白か。

 

 彼を知る知人たちに言わせれば、『意外』なことに、愛の告白。

 

 一方で、伝える相手は言うまでもないだろう。ロイミュードとの戦いで進ノ介を一番傍で支えてくれた大切なバディである霧子へだ。

 

 いつから惹かれだしたのかは定かではないが、戦いの終盤には自分の気持ちに気づいていた進ノ介。彼自身、霧子とは不思議と通じ合っているという確信もあり、もし何事もなければ、一足飛びでプロポーズという荒業に繰り出していたかもしれなかった。

 

 だが、戦いを終えた彼に待ち受けていたのは、人生の大不幸。特命係という陸の孤島に飛ばされ、意気消沈しているうちに、ついつい告白の機会を失ってしまったのだ。

 

 しかし、だ。特命係に飛ばされた理由は分からぬまでも、そのようなことで自分の人生を諦める気にはならない進ノ介。昇進や異動という自分があずかり知らぬことは動かせずとも、気持ち一つで解決できることは、こなしていこうと考えた。

 

 そうしなければエンジンも動き出さない。

 

 進ノ介も特命係に飛ばされて時間がたつ。思ったよりも生活自体は順調で、彼にも自分の生活を振り返る余裕が出てきたのだろう。自分の誕生日に告白を行うことを決意した。

 

 今日、宝飾店という場所に訪れたのも、その際に霧子へと送るプレゼントを手に入れるため。つい最近に相談したカイトが教えてくれた店だった。彼も、自身の恋人へとプレゼントを贈るときに利用したらしい。

 

 さて、後は入るだけ。

 

『いきなり宝石贈って、付き合ってくれって非常識だったりしないだろうか?』

 

『いや、そもそも霧子が了承してくれるとも限らない』

 

『俺、まだ特命係で、将来性も怪しい男だぞ!?』

 

 最後の最後に弱気が頭に次から次へと浮かんでいくが、いざという時には勇気を出せるのが進ノ介だ。指先の感覚がなくなる前には、意を決して宝飾店の中へと踏み込むことに成功した。

 

 夜の凍える寒さから、光あふれる宝石の園へ。

 

「見てくれたか、ベルトさん! 俺もやるもんだろ……」

 

 進ノ介は、心の奥でかつての相棒にガッツポーズを送る。今の上司にはそんなことを言っても呑気な返事しかくれないが、ベルトさんなら顔を白黒させながらも祝福してくれるだろうと思えた。

 

 ただ、問題は、彼はまだ店に入っただけ。この後にプレゼントを選び、購入するという大きな課題が存在する。

 

 そして、懸念の通り……。

 

「……はぁ」

 

 数十分後、進ノ介は大きく肩を落とし、項垂れた。

 

 彼には恋人(候補)に贈る宝石なんて、想像がつかなかったのだ。

 

 見かねた店員が幾度か声をかけてくれるが、買う装飾の種類も、石も決まっていない進ノ介は何となく販促を聞くのみとなってしまう。

 

 そうして一時間ほど宝石を見回して。結局、プレゼントを決めることはできなかった。

 

「まいったな……。こんなところでブレーキかかるなんて」

 

 進ノ介は時計を見る。もうすぐ、入り口に書かれた店じまいの時間。店員たちも心なし、迷惑そうに自分を見ている。かといって、こうして勇気を出して店に入ったのに、『何も買えませんでした』では、せっかくの決意も鈍ってしまいそう。

 

「でも、変な物を贈るわけにも……」

 

 悩んでいるうちにも、時間は無常に過ぎていく。

 

 そんな時だった。

 

「君、何かお困りですか?」

 

 どこかの誰かに似た、ぼんやりした声が進ノ介にかけられた。

 

 

 

「なるほど、女性への贈り物ですか……。恋人? 奥さん?」

 

「そういう関係じゃないんですけど。……まだ」

 

「ああ、なるほど、告白。でも、いきなり宝石というのは、思い切りが良すぎじゃないかしら?」

 

「……いえ! 俺は、将来のことも真剣に考えているつもりですから」

 

「あらら、そこまで考えているんですか。それなら、指輪がいいでしょうね」

 

 出会いから数分がたったころ、進ノ介は声をかけてきた壮年の男性に相談を行っていた。

 

 その男はどこか不思議な雰囲気を纏っていた。落ち着き払っているようで、子供のような好奇心があるようで。失礼ではあるが、あの杉下右京と同じような。

 

 そして彼は、どこか心の奥底を見通す視線を持っていた。その視線は進ノ介の勘違いかもしれないが、思慮深く、紳士的で、人生経験豊富と思わされるもの。

 

「ああ、自己紹介がまだでした。私、小野田って言います」

 

 そう言い、その男、小野田は進ノ介に、表情の薄い顔で微笑みを浮かべるのだった。

 

 正直に言えば、進ノ介は出会ったばかりの小野田を信用したわけではない。ただ、彼は店の常連であり、店員が恐縮仕切りとなっていること。細君へと贈り物を何度となく行っているそうで、こうした行事に詳しいこと。

 

 何より、小野田はとても聞き上手であった。寄り添うように話を聞き、的確に尋ね、不思議なことに、この人に任せたら問題が解決しそう、と思わされる。仕立ての良いスーツを着こなし、嫌味のない高価な腕時計。高い立場の人だとは想像がついたが、彼のもとには問題解決を願う人が押し寄せていることだろう。

 

 そんな彼と話をしているうちに、進ノ介も、いっそ相談をしてみようという気持ちを抱かされた。どちらにせよ、進ノ介だけでは問題が解決する気配がない。それなら事細かくアドバイスをしてくれる小野田に少しだけ。名前こそ出さなかったが、彼女の好みや、性格を伝えてみる。

 

 すると、

 

「ああ、君。お願いします」

 

 小野田が近くで控えていた店員へと何事かを注文すると、その店員は急いでショーケースから幾つかの指輪を取り出し、進ノ介のもとへと持ってきてくれた。

 

 二十個ほどのそれらを見て、進ノ介は目を丸くする。多少の装飾に違いはあるが、どれをとっても霧子に似合いそうな物ばかり。

 

 小野田は進ノ介の様子に、どこか満足げに薄く微笑むと、進ノ介の肩に手を置きながら、

 

「このくらい候補が絞れたら、選ぶことができるでしょう。後は、貴方が決めてあげてください。一生に一度の思い出になるかもしれませんから、悔いのないようにね。

 そして、僕は家内への贈り物を買わないと……」

 

 そうして小野田には、店員から二つの小箱が渡される。なぜ、二つも贈り物が必要なのか、進ノ介は考えないことにした。進ノ介と同じように、彼にも事情があるのだろう、と。

 

 その後、十分ほど悩み、進ノ介は一つの指輪を選びとる。

 

 綺麗なダイヤの婚約指輪。

 

 一目見た瞬間から、これをつける霧子の姿が頭に浮かび、離れなかったのだ。

 

 決まったら一直線。進ノ介は緊張しながらも、贈り物を決めたことを店員に伝え、カウンターで剛から教わった霧子の指のサイズなどを記入する。引き取りと支払いは一週間後と決まった。

 

 なので、進ノ介に残された仕事は、家へと帰ることと、礼を言うこと。

 

「小野田さん!!」

 

 進ノ介は店から走り出ると、去ろうとする小野田へと声をかける。彼の買い物は少し前に終わっていたのだが、進ノ介を待っていてくれたのだろうか。

 

 小野田は駐車場の黒塗りの車のそばに立っており、その近くには運転手と付き人も待機していた。その様子を見て、進ノ介が考えていた以上に小野田が高い位の人間だということに気づかされる。その付き人の身のこなしは警官や自衛官といった訓練を受けた者のソレだった。

 

(……議員か、高級官僚か?)

 

 進ノ介はそう当たりをつけるが、今は小野田の身分は関係ない。

 

「あら、その様子だと。無事に決められたみたいですね」

 

 それはよかった、と変わらず輪郭を得ない声で話す小野田。進ノ介は彼に頭を下げて感謝を示した。

 

「ありがとうございました。その、色々とアドバイスいただいて」

 

「私は少しだけ貴方よりも年寄りで、経験があるだけですから。それに、最後に決めたのは貴方でしょ?」

 

「それでも、ありがとうございました」

 

 そうして進ノ介がもう一度頭を下げると、小野田はどこか遠くを見つめるような目になった。

 

「困ったな……。久しぶりですよ、こんなに素直なお礼を聞いたの。亀山さん以来かな……。最近は、一物抱えた人とばかり会ってきましたから」

 

 言葉とは裏腹に小野田の顔は崩れることがない。だが、彼は思いついたように車から荷物を出すように指示し、付き人が高級そうな鞄を小野田へと渡す。その鞄から出てきたのは、平凡な色紙で。

 

「けどね、実は僕にも下心があったんです。慈善事業じゃないんですよ。……仮面ライダーを助けたなら、サインの一つくらいは貰えないかなって。孫へのクリスマスプレゼントにね」

 

 そう言って、小野田が少しだけ微笑む。進ノ介はその申し出が、どこか取ってつけたものに感じた。あるいは小野田という人にとって、ギブアンドテイクという関係性が好ましいものなのか。

 

 けれど、仮に理由があったとしても、受けた恩は恩。進ノ介は小野田に感謝していた。

 

 だから苦笑いしつつ、その色紙へと自分のサインを書き込む。宛先は小野田の孫の名前。ありがたいことに、進ノ介の影響で警察を目指そうとしているらしい。進ノ介も、そんな嬉しいことを言ってくれる子に向けてなら、サインの何枚でも安いものだった。

 

「どうもありがとう。これで、孫の自慢のじいじになれますよ」

 

 最後にそう言って、小野田は車に乗り夜の街へと去っていく。

 

『縁があったらまた会いましょう。……杉下にも、よろしく』

 

 その走り際に残した小さな言葉を、進ノ介は聞き取ることができなかったが……。

 

 小野田という奇妙な紳士とは、どこかでまた会うことになる。そう思えて進ノ介は仕方なかった。

 

 

 

 こうして、進ノ介を悩ませていた大きな課題が一つ無くなった。後は約束の日に霧子を誘い、告白と共にプレゼントを贈るだけ。それはそれで進ノ介にとっては大きすぎる悩みではあったのだが、まだ時間はある。

 

 そのはずだったのに。

 

 彼を悲劇が襲ったのはその一週間後だった。

 

 

 

 その日、朝の特命係にて。杉下右京は電話を片手に椅子へと深く腰掛けていた。彼はいつものようにのんびりと、けれどどこか楽しそうに電話口へと語りかけている。

 

「……実に興味深い話ですね。君がその類の話を苦手としているのは、よく知っていますが。ここは一つ、先入観を捨てて、物事を見てみるべきだと思いますよ? 特に、幽霊という話には。

 それで、君は次はどちらへ? 大天空寺、ですか。随分と珍しい名前ですが、そこに手掛かりが? なるほど。僕もぜひ、行ってみたいですねえ。

 ……ですが、どうやらこちらも暇ではなくなったようです。それでは、また。ええ、君も気を付けて、神戸君」

 

 右京は携帯電話を閉じて、椅子から立ち上がる。そうして興味深げに見つめる先は、電話中に音もなく部屋へとやってきた泊進ノ介。

 

「……」

 

 彼は挨拶も名札をめくることもなく門をくぐって、自分の机へと崩れ落ちていた。

 

 顔は生気が抜けたように表情がなく、口から洩れるのは『どうして、どうして……』なんてうわ言ばかり。右京は進ノ介を興味深げに観察しつつ、けれど一言も声をかけることなく、紅茶を淹れ始める。

 

 こぽこぽこぽ

 

 右京が掲げたティーポットから、鮮やかな紅茶が、彼の手のカップへと流れていく。

 

 そうしてできた自慢の紅茶の香りを堪能し、椅子へと座り、紅茶に口をつけて。

 

 満足げに右京は頷きを一つ。

 

「……何か聞いてくださいよ!!?」

 

 その段になって、進ノ介は椅子から勢いよく立ち上がり、右京へと大声で詰め寄った。

 

 見るからに何かあったという体でやってきたのに、全く気にする様子もなく紅茶を淹れ始めるなんて。まったく、酷い上司だ、と進ノ介はわかりきった憤りを感じる。

 

「そうは言いましても、君の問題のようですから。勝手に踏み込むのはいかがなものかと……」

 

「何時もの自分の行動を振り返ってください!」

 

「おやおや……」

 

 右京は驚いたように目を見開くが、進ノ介の腹は収まらない。何時も、気になることができたなら事件現場だろうとお構いなしの右京が、尋ねてもこない。わざと自分を怒らせているではないかとさえ思えた。

 

 そして、そのタイミングでやってくる人が、もう一人。

 

「暇か? って、どうしたよ泊君。ぷんすかしちまって。朝っぱらから腹立てると、一日が暗くなっちまうぞ」

 

 角田が相変わらず呑気な顔でカップ片手に部屋へと入ってくる。彼も適当にアドバイスを言ったものの、進ノ介の悩みにはあまり興味がないらしくコーヒーを淹れ始めた。

 

 呑気な暇人が二人、残るは一人煩悶する進ノ介。

 

 なんだか腹が本当に立ってきて、こうなったら二人も問題に巻き込んでやろうという気持ちになってくる。

 

「実は、昨日の夜に色々あったんです……」

 

 その思いに従って、進ノ介は二人にかまわず、一人ごち、自分の事情を説明し始めた。

 

「いきなり語りだしたよ……」

 

「まあまあ、彼が聞いて欲しいというのなら、一つ、聞いてみるとしましょう」

 

「本当に大変なことがあったんです!!!」

 

 進ノ介が右京達に話したのは以下のような出来事である。

 

 

 

 小野田という紳士の助けで指輪を購入して一週間後。

 

 進ノ介は再び宝飾店を訪れていた。指輪の引き取りと支払い。店員が受け渡してくれた指輪は、注文した通りに直され、それでいて輝きは一つも色あせることがない。

 

 クレジットカードを出して、給料三か月分という目のくらむような金額を支払ったとき、進ノ介はどこか夢心地だった。先々の告白に不安はあるが、プレゼントを無事に手に入れられたことに達成感を感じていた。

 

 そうして進ノ介はテンション高く、鼻歌を歌いながら包みをもって店を出る。

 

 そんな進ノ介の目に、後のことを考えれば都合悪いことに、ある光景が飛び込んできた。進ノ介が出た宝飾店は、百貨店が隣接した場所にあった。そのエントランスにて、よくある抽選会が開かれていたのだ。

 

 無料で一回。

 

 ガラガラと抽選箱から球を取り出して、当たりならプレゼント。

 

 進ノ介は宝石を買った全能感で、何ともなしに抽選にも挑戦してみようという気持ちになってしまった。

 

「俺も大丈夫ですか?」

 

「ええ! もちろん。どうぞ回してみてください」

 

 受付の女性に声をかけて、その勧めに従ってハンドルを回す。ガラガラと球が動く音。そして、転がり出てきたのは、

 

「おめでとうございます! 三等の食器セットですよ!!」

 

 他の多くの人と同じく、進ノ介とて、こうしたことで当選した経験は珍しい。それなのに、このタイミングで当たった。

 

(指輪が幸運を運んでくれたのかな?) 

 

 贈り物をするなら幸運のお守りになる方がいい。霧子への土産話にもなる。進ノ介の機嫌はさらに良くなり、まさに有頂天であった。

 

 その紙袋に、進ノ介は指輪の入ったビニールを一緒に入れて。

 

 さあ、いよいよ家に帰ろうと百貨店から出るという時だった。

 

 進ノ介の目に赤い人影が写った。

 

 太って、赤い上下の服を纏い、口元には白い大きな髭。頭をすっぽりと覆うのは先にふわふわの球がついた、赤い帽子。加えてその肩には白い大きな袋が載せられている。

 

 サンタだった。

 

 サンタクロースがいた。

 

「おお……」

 

 後ろからやってきた、ホンモノのようなサンタに、進ノ介は思わずため息。いくつになっても、男というのはサンタやら空想の存在が好きなものだった。

 

 すると、サンタの方も進ノ介を見て、その眼が驚きのそれに変わった。

 

「おや、これは……。もしかして、泊進ノ介さんですか?」

 

 サンタは思ったよりも高い声で尋ねてくる。進ノ介はぎくりとしつつも、声をかけられたなら仕方ないと笑顔で頷いた。

 

「ええ、そうです」

 

「いやー! こんなところでお会いできるとは、光栄です! 私、この通りサンタと言います。泊さんと同じく、赤い子供たちのヒーロー」

 

 サンタは陽気に微笑み、進ノ介と手袋越しに握手を交わす。ふと、進ノ介が彼の手を見るともう片方の手には、進ノ介と同じく抽選の紙袋が握られていた。

 

「あ、それ! サンタさんも抽選当たったんですか?」

 

「ええ、私は四等の洗剤セットです。年末という時になって、良いことがありましたね。ほっほっほっ」

 

 サンタらしい笑い声。そうして二人して冬らしい雰囲気に朗らかとしていた時だった。

 

「どいてどいてー!!」

 

 大声が背後から迫ってくる。振り向くと、進ノ介達の後ろから大学生ぐらいの集団が走って来た。待ち合わせか何かで、焦っていたのだろうか。彼らは勢いがよく、そのままでは進ノ介達と正面衝突のコース。

 

「危ない!」

 

「うわ!?」

 

 進ノ介は思わずサンタを抱えて倒れ込む。その傍で、大学生たちがわき目も振らず、走り去っていった。

 

「いててて。何だったんですか、いったい!?」

 

「さあ、学生みたいでしたけど……。あ、もういない」

 

「はぁ、まったく、困ったもんですね若いもんは。師走だからって学生まで走らなくても良いものを」

 

 まったくです。と頷きつつ、進ノ介は立ち上がろうとするサンタへと手を貸す。ふと気づくと、進ノ介は握りしめていた紙袋を置いてしまっていて。それをもう一度、しっかりと胸に抱え込む。大事なものを入れていたのだから、失くしたら大変だ。

 

 そうして二人で格好を整えていると、通りの向こうから大声が。

 

「おーい! 何やってんだサンタ!! サボってんじゃねえぞ!!!」

 

 それは隣の彼と同じように、サンタの恰好をした男性だった。彼は看板を掲げてサンタを呼んでいる。その様子を見て、進ノ介は隣のサンタを見た。彼はその視線に、どこか恥ずかしそうに頬を掻いている。

 

「あ、あはは。サンタはサンタでも、私は夜の楽しみへ誘うサンタ、というわけで」

 

「ああ、なるほど」

 

 進ノ介は苦笑い。警官として、違法な客引きはしないように注意して、サンタも恐縮しながら紙袋を手に、去っていった。

 

 それが昨日の出来事。冬らしい、ちょっとした出会いのはずだった。

 

 

 

「でも、家に帰って紙袋を見てみたら」

 

 時は戻って特命係、進ノ介が項垂れながら机にその紙袋を置く。けれど、その中から出てきたのは、

 

「……これは、洗剤セットですねえ」

 

 右京はそれを見て、品目をぼんやりと呟く。ついで角田が、進ノ介に憐れむ視線を向けた。

 

「間違えたか」

 

「……ええ」

 

 取り違えた相手は分かっている。あの時、同じ紙袋を下げていたサンタだ。

 

 それを知った進ノ介はパニックである。急いで現場に戻り、サンタを探すが、時はクリスマス。同じような格好をした売り子や客引きは山ほどもいた。その中から、自分と出会ったサンタを探すことなどできない。

 

「何も見つけられずに……」

 

「それは災難でしたね。ところで、君が紙袋に入れていた『大事なもの』というのは、何だったのでしょう?」

 

「……内緒です」

 

 右京が頭を抱えた進ノ介に尋ねる。今ここで、そんなことを気にするのか、と進ノ介に気力があれば文句を言っていただろう。そして、答えない進ノ介に勝手に代わり、角田が口を開く。

 

「警部どの、ここは察してあげるのが大人ってもんだよ。もうすぐクリスマスだろ? 若者にとっちゃ、嬉し恥ずかしのイベントだ。仮面ライダーだって、そういう約束もあるんだよ。青いねえ~」

 

 進ノ介に同情しつつも、最後はどこかニヤニヤと。俺は分かってるよー、等と言いたげな角田に、進ノ介は乾いた笑顔を浮かべるしかなかった

 

「なるほど。ですが、泊君。話に聞く限り、取り違えた方は君の名前と所属が分かっています。そのような相手から間違っても窃盗をするとは思えませんし、待っていれば、いずれ返ってくると思いますよ?」

 

「……ええ。それを期待して此処まで来たんです。一応、俺の所属と居場所は特命係ですから」

 

 そうでなければ、有給でも取ってサンタを探しに街に出ていた。

 

 そして、進ノ介のその判断は正しいものだった。

 

 会話の直後、特命係の戸が叩かれる。その音に振り返った一同。視線の先には小太りの中年男性が立っていた。頭が薄く、気が弱そうな平凡な男性。

 

「あのー、ここが特命係でよろしいのでしょうか?」

 

 それは、自信なさげなボソボソとした声。

 

(あれ?)

 

 その声に進ノ介は聞き覚えがあった。もう少し自信満々に話し、丸い顔にサンタの衣装を着せれば。

 

「あー!!!! あなた、昨日のサンタ!!!!」

 

 進ノ介は立ち上がり、大声で男性へと叫ぶ。その声に男性も驚きつつも、こくこくと頷いた。

 

「え、ええ。私です。泊さん、昨日はどうも失礼を……」

 

「いえいえいえいえ、そんなことはどうでもいいんです! それよりも、わざわざ届けてくれてありがとうございました!!!」

 

 昨日のサンタがわざわざ特命係まで来てくれた。となれば、目的は取り違えた荷物を届けてくれること以外、想像がつかない。一転、進ノ介は歓喜に溢れて男性の手を取った。

 

「ありがとうございます! ありがとうございます! ほんとに助かりました!!」

 

 だが、高いテンションで腕をぶんぶんと振る進ノ介に対し、男性の顔は晴れない。その様子に怪訝に思ったのは進ノ介。

 

「……えっと、届けてくれたんですよね、俺の紙袋?」

 

「それが、そのぉ……。非常に言いにくいのですが……」

 

「ま、まさか……」

 

 進ノ介が漏らす絶望の声に、男性はゆっくりとうなずいた。

 

「実は、あの紙袋が消えてなくなってしまったんです。しかも、その、殺人現場から!!」

 

 男性は心底申し訳なさそうに土下座する。

 

「え、えええええ!!!??」

 

 驚き、叫ぶ進ノ介。右京はといえば、進ノ介には我関せず。男性の奇妙な発言へと目を輝かせるのだった。




と、言うことで消えてしまった進ノ介の贈り物。

無事に彼は指輪を取り戻し、霧子へと贈ることができるのか!!
また、短期間で投稿を行っていきますので、お楽しみいただけると幸いです。


また、筆者としてはとても嬉しいことに、前回の話でお気に入り登録が1000人を超えました!!
私も、当初から目標にしていた記録になります。
それほど多くの方々に評価していただき、また、お読みいただいて、嬉しくも身の締まる思いです。今後も、この結果に驕らず、相棒、仮面ライダードライブ共にリスペクトしながら創作を続けてまいります。


せっかくの目標達成の記念。そして、日ごろお読みいただいている皆様への感謝を込めて、活動報告にてリクエスト企画を行おうと思います。

詳しくは『活動報告』をお読みいただき、そちらへのコメントという形で参加いただけると幸いです。感想での回答はご遠慮いただきますので、ご注意を共にお願いいたします。


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第八話「ギフトの行方 II」

ここまでの状況のまとめ

霧子のために買ったプレゼントの指輪。不運に巻き込まれた進ノ介はそれを取り違えてしまった。相手はサンタのコスプレをしていた男性。
特命係を訪れた彼は、進ノ介の荷物を紛失してしまった、そして、それが殺人事件に巻き込まれた故だと語るのだが……。


 進ノ介の心を映し出したような曇り空の下、特命係は冬の冷えた風を浴びながら、とある古びたアパートを見上げていた。

 

「ここが、殺人事件が起こったというアパートですか。それも、遺体のない殺人事件が……」

 

「そして、俺の荷物が消えた場所」

 

 二人は後ろをぐるりと向き、そこに所在なさげに佇む男を見る。

 

「間違いありませんか? サンタさん?」

 

「……三田です」

 

 そうして三田と名乗った男は、弱気に頷き、二人を事件現場へと案内するのだった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第八話「ギフトの行方 II」

 

 

 

 時は少し戻る。

 

 朝、特命係を訪れた男は、サンタクロースもとい、三田九郎と名乗った。その名前を聞いた瞬間、進ノ介はきょとんとした顔になる。彼の職業を鑑みると、面白い名前である。

 

「……失礼ですけど、偽名では?」

 

「いえ、本名なんです。このように、運転免許証も」

 

「……サンタらしいお名前ですね」

 

「よく言われます、はい」

 

 そうして三田は肩をすくめた。彼は、一言でいえば、地味な男性だった。昨晩、コスチューム姿で働いていた時は、エネルギッシュで親しみやすい人柄に見えたが、それはサンタに扮したことで精神まで引っ張られていたからだという。

 

「サンタを辞めた三田は、地味で、金もなく、未来もないおじさんです……」

 

「い、いや。そこまで言わなくても……」

 

「事実ですから。それに、泊さんの大切な荷物も失くしてしまいましたし……」

 

「うっ!?」

 

 進ノ介もそれを言われれば、言葉を無くさざる負えない。事実として、進ノ介の給与三か月分以上の思いが詰まった指輪は、彼のせいで行方不明となってしまったのだから。

 

 ともあれ、彼が今、指輪を所持していない以上、彼がそれを失ったきっかけについて、調べるしかない。右京はまだ混乱から冷めやらない進ノ介に代わり、三田へと尋ねた。

 

「ご自分を責める気持ちは分かりますが、三田さん。まずは、貴方が泊君の荷物を失くしたきっかけ、そして、先ほどおっしゃった『殺人事件』について、詳しく教えていただけませんか?」

 

「え、ええ。泊さんとお会いして、仕事に戻った後です。私、古い知人と出会いまして……」

 

 それは、三田が看板を持ちながら立っていた時だったという。

 

『おい! お前、三田じゃないか!!』

 

 そう言って、男が三田へと声をかけてきた。

 

「……ちょっと待ってください!? ……その時、三田さんってサンタの仮装をしてましたよね?」

 

 進ノ介が話を遮る。サンタの姿は、全身を体形が分からない赤いコスチュームに包み、顔の大半はひげで隠れている。そんな格好をしているのに、古い知人が分かるものなのか。

 

 途端に話がうさん臭く感じ出した。ただ、三田もそれには弁明があるようで。

 

「私もそう思ったのですが、どうやら声を聞いて私だと思ったようなんです」

 

「……話を続けてください」

 

 男は長身で、皮のジャケットに逆立てた髪と、ガラが悪かった。けれど、彼は三田が以前にいた勤め先の同僚だったと言ったらしい。

 

「その人は谷口さんと名乗りました。十年以上前、工事現場で働いていた時に、であったと言っていて。そういえば、と私も思い出したんです。同い年で、仲良くしていた谷口という人がいたと」

 

「なるほど。その谷口さんと出会った後、どうされたのですか?」

 

 右京が促し、三田が続きを語りだす。

 

 薄暗い街角、三田は久しぶりに再会した谷口と会話を咲かせ、気が付いた時には仕事終わりに彼の家で飲もうという話になったらしい。三田も翌日は休暇。谷口が奢ってくれるというのなら、三田にも文句はなかった。

 

「それで、私は仕事終わりに待ち合わせて、谷口さんと一緒に彼の家へと向かったんです。そこで、彼と一緒にしこたま酒を飲みました。

 深夜二時くらいまでは記憶があるんですけど……。私はつい、寝てしまったようで」

 

 そして、朝起きたとき、三田は部屋の異変に気付いた。

 

「ぼんやりとしていて、辺りの様子を理解するまで、やけに時間がかかったんです。それで、まず気が付いたのは谷口さんがいないことでした。それで、次に部屋が変になっていることにも」

 

「具体的にはどんなことだったんですか?」

 

 進ノ介が尋ねると、三田は気味が悪いものを思い出すように体を震わせる。

 

「……血が。床一面に血が広がっていたんです。その血だまりの真ん中にナイフが落ちていて……。家も荒らされていて。私のシャツも血にまみれていて。泊さんの袋も消えていたんです。

 ……私は訳も分からず逃げ出しました。」

 

「……なるほど。一つ教えていただけますか? なぜ、貴方はまず最初に通報を行わなかったのか」

 

「私が容疑者と思われる。そう考えてしまって……」

 

 そうして自宅へ逃げ出したあと、三田は逃げたことを後悔した。事件が発生したなら、やはり、市民の義務として通報しなくてはいけない。

 

 けれど、一度逃げてしまった身、疑われる可能性も高い。

 

 その時に考えたのは、進ノ介を頼ることだったという。彼の荷物を失くしてしまったのだから、進ノ介にも伝えなくてはいけない。その時に、あわよくば、自分の無実を保証してくれれば、と。

 

 以上です。そうして結び、三田が口を閉じる。

 

 少しの間、三田の証言を頭の中で咀嚼し、右京と進ノ介はほとんど同時に顔を見合わせた。すでにいくつかの疑問が出ているが、刑事としてすべきことは一つである。

 

 

 

 そうして舞台は冒頭に戻る。

 

 右京と進ノ介は三田に案内されて、谷口という男の住居である、古びたアパートへとやってきた。

 

「こちらです」

 

 三田は背中を丸めながら、一同の先陣を切り、アパート二階の部屋へと二人を導く。逃げたときから、カギは開けっ放しにしておいたらしい。そして彼がドアを開けると。

 

「! ……ふぅ」

 

 進ノ介は一瞬体を硬直させ、大きく息を吐いた。

 

 入り口に立つだけでわかる、噎せ返るほどの血の臭い。犯罪現場特有のソレを前に、進ノ介の思考回路が刑事のそれに切り替わる。ギアチェンジ、なんてカッコつけて言うつもりはないが、彼は頭の中から指輪のことを脇に置いた。

 

 まだ三田は容疑者。逃げる可能性もある。おどおどとしている三田は右京に見張ってもらい、進ノ介は手袋をつけて部屋へと入っていった。

 

 歩くたびにぎしぎしと床が鳴る。家具も少なく、生活感は感じられない。けれど居間だけは、激しく生命の痕跡が残されていた。

 

 進ノ介がそこへと慎重に足を踏み入れる。

 

 開け放ちのタンス、本棚、倒されたテレビ。物が散乱する中に、大きな血だまりが広がっている。そこにはポツリと、血まみれのナイフが。

 

 血の飛散もすさまじく、倒れた本も全体が血に被っている。無事なのは、テーブルと、その上に置かれた酒瓶と二つのグラスくらい。全て、三田の証言通りだ。

 

 確かに、状況だけ見ると殺人現場だが……。

 

 進ノ介は周辺を観察し終えると、部屋を出て、右京達のもとへと戻る。すると待っていたのは、冷静な顔を崩さない右京と、どこか不安げに佇む三田。

 

「中の様子はいかがでしたか? 泊君」

 

「さ、殺人現場だったでしょ?」

 

 進ノ介はそこで、右京を呼び出し耳打ちした。その言葉に右京は興味深げに声を漏らし、携帯を取り出す。そうして何事かを含むように笑みを浮かべながら、三田へと声をかけた。

 

「確かに、事件現場のようですねえ。まずは、鑑識と捜査一課を呼ぶとしましょう」

 

 三田はその声を聞いて、

 

「そ、捜査一課! ほんとにサスペンスの世界だ!」

 

 などとどこか的外れな感想をつぶやくのだった。

 

 

 

 数十分後、谷口の部屋の前には規制線が敷かれ、大勢の鑑識が現場の分析を行っていた。図らずもそれは三田が言ったような、刑事ドラマでよくみられる景色。進ノ介と右京も、その中で捜査を見守っている。

 

 すると、彼らの背後から、野太く、調子の崩した歌が聞こえてきた。

 

「あわてんぼうの仮面ライダー♪ クリスマス前に落っことした♪」

 

「いやー、さすがに、その歌はセンスないっすよ、先輩」

 

 誰かといえば、答えるまでもなく、やはり伊丹と芹沢。進ノ介は心底嫌そうな顔で楽しそうに歌う伊丹を見る。が、事実ではあるので反論できない。

 

 毎回、違う呼び方をしないと気が済まないのだろうか、なんて心の奥で思うのみで、進ノ介は肩を落とし、溜息を吐いた。そして、ぶっきらぼうに彼等へと向き直る。

 

「ハイハイ、あわてんぼうの仮面ライダーですよ。そんな歌を作る暇あったら、捜査してください」

 

 進ノ介は唇を尖らせ、拗ねるように文句を言う。すると、伊丹は皮肉気に。

 

「クリスマスだか何だか知らねえが、浮かれているからこうなんだよ。俺を見ろ、まったく油断はねえ」

 

 などと胸を自信満々に叩く。だが、それはつまり。

 

「先輩どうせ予定ないですからね!」

 

「うっせえよ!!」

 

 伊丹が怒りつつ、芹沢の頭を叩き、芹沢が悲鳴を上げる。どうやら図星のようだ。一方で伊丹のことを笑っている芹沢は。

 

「そういう芹沢さんはどうなんです? 予定」

 

「俺? 俺はもうばっちりだよー。プレゼントも、デート場所も用意できてる!」

 

 なんて自信満々に答える。さすが年齢が上だけあって、準備も周到だったようだ。進ノ介にとっても見習うところがあるかもしれない。無事に指輪が戻ってきたら、相談してみようと考える。

 

 その前に事件の捜査を行わなくてはいけないが……。

 

「この軟弱者共が……。で、お前の荷物が消えたっていうが、その前に殺人事件なんだろ?」

 

「いや、それが……」

 

 進ノ介は伊丹の疑問に、苦い顔を浮かべて言いよどんだ。その様子に伊丹は首をかしげるが、それに答えたのは。

 

「正しくは失踪事件ですな!!」

 

 横から首を突っ込んできた米沢だった。突然の声に、伊丹は頭を仰け反り、びっくり仰天。

 

「うぉ! 脅かすんじゃねえよ、米沢!!」

 

「これは失礼しました。ですが、聞かれたならば答えるのが私のポジションだと思いまして」

 

「あー、確かに米沢さんがいないと捜査が始まりませんからね。あれ? でも、米沢さん、今、失踪事件って言いませんでした?」

 

 芹沢が尋ねると、米沢が頷き、現場の所見を示してくれる。

 

「その通りです。現状、これは殺人事件ではありません。

 まず、現場に存在した血液ですが、輸血などに使う、薬剤処理された血液でした。飛沫の状態もまちまちで、知識がない人間が大雑把に撒いたものと思われます。ナイフにも組織片は付着しておりませんでしたし、誰を刺したわけではないでしょう」

 

 そう米沢が言ったタイミングで、

 

「つまり! 血液は殺人事件が起きたと偽装するためのもの!」

 

 今度は右京が会話へと飛び込んでくる。

 

「警部殿!!? なんで警部殿まで脅かしてくるんですか!!」

 

「こうしたタイミングで飛び出すのが『らしい』と、米沢さんがおっしゃるものですから」

 

 右京は微笑みながら、ぼんやりとした調子。驚いた伊丹を気にする様子もない。そんな二人に驚かされた伊丹は文句がいくつもあるだろうが、ここで怒鳴り散らしても仕方ないと思ったのか、

 

「……ここは新喜劇かよ」

 

 と呟くに留める。進ノ介も内心でそれに同意を返した。伊丹が語る様にコントのような会話の応酬。それを止めたのは、

 

「あのぉ……。とりあえず話を進めませんか?」

 

 最後にやってきた霧子の至極まっとうな疑問だった。

 

「……つまり、だ。あの事件現場は殺人が起きたように偽装されたもので、部屋の持ち主の谷口ってやつが行方不明。……なんで谷口は消えた?」

 

 こほんと咳をひとつ。気を取り直した伊丹が進ノ介へと尋ねてくる。殺人でないと分かったからだろうか、彼は少し気が抜けた様子。だが、刑事として真面目な彼は、事件全体へのやる気は失っていないようだった。

 

 そして、進ノ介の中で、その疑問への答えは固まっている。進ノ介は伊丹達へ右手の二本の指を立てた。

 

「これを行ったのが谷口なら、可能性が高いのは逃亡。拉致事件なら殺人の偽装をして警察を呼び出すのは不自然です。

 谷口自身による失踪なら、自分が死んだと思われた方が追手がかかりません。警察が入って、殺人だと判断すれば、説得力は十分です」

 

 進ノ介が静かに答えると、隣に立つ右京もうなずきを返す。

 

「米沢さんの話では、部屋からは金目のものがなくなっています。ですが、その棚には家主の谷口さんと思われる指紋しか残されておらず、手袋などが触れた痕跡はない。泊君の荷物も、それが何かは泊君が黙っているので分かりかねますが、逃亡資金となるものだそうです……。

 彼が偽装を行い、姿をくらませたと考えるのが現時点では妥当でしょう」

 

「と、なるとだ……」

 

 そこで一同はぞろぞろと移動を開始する。全員が考えていることは同じ。向かった先は、玄関で肩をすくませる普通のおじさんの元だ。

 

「あんたと谷口の詳しい関係、教えてもらおうじゃねえか」

 

「ひぃ!?」

 

 三田は伊丹の鬼のような形相の前に、小さく悲鳴を零すのだった。

 

 

 

 一同は三田を連れて、アパート前の駐車場に移動し、彼を囲むように質問を加えていく。

 

「失踪したのは谷口洋平、三十五歳。マエがあって、いまはアコギな闇金を少人数で経営している男だ。……どう考えても、サンタに施しをする人間には見えねえがな」

 

 伊丹が怯える三田を睨みつける。伊丹も、あるいは進ノ介達も、三田が谷口に酒に誘われたという話に疑問を抱いていた。それに対しては三田は頑強に否定する。

 

「まさか! 私を疑ってるんですか!? ちゃんと調べてくださいよぉ。私は谷口さんと同じ職場にいたし、酒だってたくさん飲みました! そりゃ、なんで彼が消えたのかは分かりませんけど……」

 

 そうしてうつむく三田を見て、進ノ介は伊丹へとこっそりと尋ねた。

 

「……そこのとこ、どうなんです?」

 

「……谷口は闇金に手を出す前、工事系の派遣に入っていた。三田も同じような仕事についている。二人が出会ったって話も、あり得ない話じゃねえ」

 

 進ノ介はなるほど、と頷く。三田の証言にも正しいところはあるようだ。しかし、三田には疑わしい点の方がはるかに多い。

 

「でもねえ、三田さん。あなた、前科もあるんでしょ? 五年前に詐欺で逮捕されて、出てきたのが二年前。この詐欺っていうのと、今回の偽装。……関係あるんじゃないの?」

 

 芹沢がいかにも疑っていますと、そう告げる顔で三田に詰め寄る。さすがに捜査一課、調べるのが早い。すると、三田は肩を大きく揺らし、怯えたように組んでいた手を小刻みに揺らす。

 

「そ、それは過去のことですし。工事現場の仲間にそそのかされて……! ただの使い走りでしたよ!」

 

「……それもあってる。それに出所後、犯罪行為に加担した痕跡はなし」

 

 今度は芹沢が進ノ介に耳打ちしてくれた。

 

「それに! こんなことに手を貸したなら、わざわざ泊さんの所になんて行きませんよ! 疑われるってわかりきっているんですから!! 私に谷口さんに手を貸すメリットがあるんですか!?」

 

 それを聞き、進ノ介も考える。

 

 わざわざ殺害されたように見せかけて消え去る。そこまでは分かる。それにしては手際がお粗末だが、相手は素人だ。そういうこともあるかもしれない。

 

 ならば、その失踪当日に、接点もない三田を家に上げた意図はあるのだろうか?

 

「谷口にとってのメリットを挙げてみるなら、警察による発見が早くなるということでしょうか? 

 朝起きたら殺人事件の現場だった。そんな事態になったら、焦って直ぐに、通報しますから」

 

 霧子のつぶやきに頷きながら、進ノ介は改めて周りを見回す。

 

 古く、特徴のないアパート。アパートを囲むブロック塀もぼろぼろ。後ろ暗い人間が隠れ住むにはちょうどいいだろうが人は来ない。加えて辺り一面、人の気配が少ない平屋だ。三田がいなければ、事件の発覚は遅れただろう。

 

「殺されたと偽装したい。つまり、谷口には追手がいたということ。だったら、殺害されたという情報が広まるのは、早い方がいい。そのために、通報者として三田さんを選んだという可能性も……。って、杉下さん?」

 

 斜め後ろにいたはずの右京へと相談してみるも、進ノ介の気づかぬうちに彼はいなくなっていた。探してみると、駐車場を取り囲むブロック塀へと向かい、ぼろぼろのそれを見て、次いでアパートを見上げて、と繰り返しながら移動している。

 

「また何かやってる……」

 

 進ノ介はため息を吐き、肩を落とした。ただ、右京があのような奇行を行う時は、何かしら理由があるはず。いや、理由なくああしていることも多いが。おそらくは事件について細かいことが気になったのだろう。

 

(俺は三田さんのことを調べておきたいし)

 

 そう考え、進ノ介は右京のことを放っておくことにした。改めて三田へと意識を戻し、質問をする。

 

「……それじゃあ、三田さん。谷口さんが失踪する理由やきっかけについて、何か聞いていませんか? 焦っている様子とか、誰かに狙われていると話してたりとか」

 

 すると、三田は何か心当たりがあるようで、ぽんと手を打ち、調子よく答えた。

 

「そういえば! 谷口さん酒飲みながら愚痴っていたんです。『同僚と折り合いが悪くて、気が休まらない。あいつ、俺の金を全部持っていこうとしてる』って。もしかしたらそれに関係があるかもしれません!」

 

「……谷口の同僚ってのは、確か」

 

「闇金の共同経営者ですね。暴力団、三送会の傘下です」

 

「その同僚ともめたなら、谷口が姿をくらませる理由にはなりますね」

 

 霧子が言うと、伊丹と芹沢も同意を返した。彼らもその点は道理が通ると考えたのだ。となれば、次に行うことは、その証言の裏付け。

 

 殺人事件ではない。だが、闇金業者が殺人を偽装し、失踪したのだ。逃亡の過程で凶悪犯罪に発展する気配はある。ある程度、事件の見通しがつくまでは捜査を継続するつもりでいた。

 

「そんじゃ、その闇金へ行ってみるか。何かわかるかもしれねえ」

 

 そうして捜査一課は踵を返して、事件現場から去っていこうとする。けれど、霧子はふと何かに気づいたように戻ってきて。

 

「そういえば泊さん。泊さんが失くされた大切な物って何だったんですか?」

 

 突然、尋ねてきた霧子に、思わず進ノ介はつんのめってしまいそうになった。それを何とかこらえて、平静を装う。しかし、眼は明後日の方向を向き、一目見れば何かを隠していると分かるもの。

 

「い、いや!? なんでもない!! ほんとに、そんな大事なものじゃないから!!」

 

 霧子の雰囲気が探るモノへと変わる。

 

「……でも、さっき、逃亡資金になりそうなものだって杉下警部も」

 

「凄い高価な車の部品でさ!!」

 

「……紙袋に入る車の部品、ですか?」

 

 そう言って、霧子はあからさまに疑いの目を向ける。進ノ介の言い訳は、百人が聞いて百人、嘘だと分かる不器用なものだった。けれど、霧子はそれ以上を追求することなく、大きくため息を吐く。

 

「……わかりました。今は、これ以上追及はしません。何か見つかったら、すぐにお伝えします」

 

 まだ疑問は残りつつも進ノ介が隠しているというなら、何か理由がある。そのように納得してくれたようだった。そんな霧子に申し訳なさも感じつつ、進ノ介は三田と共に、去っていく一課を見送るしかなかった。

 

 右京の方を見ると、彼はまだ、壁に張り付きながら探索を続けている。そこに米沢まで加わっていた。

 

(ほんとに、特命係にいても良いのかな……)

 

 その珍妙な景色を見ていると、最近は慣れて感じなくなった疑問が首をもたげてしまう。霧子との未来のことも考えなくてはいけない時期。自分の未来くらい、もっと真剣に検討する必要があるのに、自分は変人と事件現場をうろちょろしているだけ。

 

 少しだけ、心にブレーキがかかるのを感じた。

 

 しばらくして、右京と米沢が戻ってくる。

 

「一課もどこかに行っちゃいましたよ。……何か見つかりましたか? 杉下さん」

 

 進ノ介のそんな、愚痴交じりの声に、右京は首をかしげながら微笑む。

 

「谷口さんに関係がありそうなものは、何も」

 

 その言葉に、進ノ介は頷きを返した。

 

「……なら、仕方ないですね。次はどうします?」

 

「そうですねえ。……三田さん?」

 

「は、はい」

 

「あなたは今朝、あの部屋で目を覚ました。その時、あなたの服にも血液が付着していたと、仰っていましたね?」

 

 すると、三田は首を縦に振る。

 

「ええ、べったりと付いてましたけど……。今、家に置いてあります」

 

 右京はそれを聞くと、三田へと一歩、距離を詰めて彼の前で指を立て、勢いよく言い出すのだ。

 

「それでは、三田さん。あなたの家へと行きましょうか」

 

 

 

 その後、伊丹達は谷口洋平の営む、闇金の事務所へと到着していた。冬に浮かれた通行人も、サンタの恰好の客引きも大勢いる大通りの隅。

 

 雑居ビル群の中、一層にぼろぼろのビル、その二階がオフィスとして登録されていた。

 

 窓には『無利子・無担保』等という嘘にまみれた餌が書かれている。

 

 伊丹を先頭に一同はオフィスの前までたどり着くと、ドアを激しく叩いた。扉には定休日と書かれている。その通りに事務所の中に人気はなく、灯りも落ちている。だが、

 

「……おい、開いてるぞ」

 

 ドアノブが回る。それを握った伊丹は、後ろに立つ芹沢達に胡乱気な目で呟いた。闇金となれば、中には債務者の書類や大金が保管されていてもおかしくはない。犯罪者だからこそ、そこに不注意を働くということはないだろう。

 

「行くぞ」

 

 霧子と芹沢が、その声に頷く。注意を払いながら、ドアを開き、踏み込んだ彼らはとある景色を見た。

 

「……こういう展開かよ」

 

 伊丹が苦い顔で呟く。目の前に見えるのは、荒らされきった部屋。机という机の引き出しは開け放たれ、壁際に置かれた金庫の中身は空。

 

 そして、部屋の真ん中には、

 

「これで、本当の事件になっちまったな」

 

 頭から血を流し、倒れ込む一人の男がいた。




ご意見、ご感想お待ちしています。

そして、現在、活動報告にてリクエスト企画を行っておりますので、そちらにもご参加いただけると幸いです。


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第八話「ギフトの行方 III」

ここまでの状況のまとめ

霧子のために買ったプレゼントの指輪。不運に巻き込まれた進ノ介はそれを紛失してしまう。荷物を紛失した三田という男は、殺人事件が起きたと特命係を呼び出すも、それは偽装だと判明する。
失踪した谷口が指輪を持って逃げたと思われる中、谷口の闇金に赴いた捜査一課は、そこで倒れる男性を発見し……。

三田九郎
:サンタなど、アルバイトを過去持ちしながら生活している中年男性。前夜に谷口の部屋で飲み明かし、事件の第一発見者となった。

谷口洋平
:闇金を営む暴力団員。自宅から金品をもって失踪した。部屋は殺人事件が起きたかのように偽装され、谷口による工作だと考えられている。


 世間一般でイメージされるサンタの家というと、雪が積もった深い森。レンガの家に煙突から、もくもくと煙が立っている。

 

 しかし、そのような場所は現代においては少なくなっている。さらに、子供がいる都会とは大きく離れた場所は彼らの職業には不合理だろう。

 

 では、果たして現代のサンタはどのような家に住んでいるのか。

 

「ここがサンタさんの家ですか……」

 

 古びたアパートの一室、その部屋に入った瞬間、内装をじろじろと見回しながら、右京は興味深げにつぶやいた。イントネーションは、またも変な調子で。

 

 狭い室内、固い畳、水道を見ればカップラーメンの汚れた器が積み重なっている。生活感が染み付いた部屋は決してサンタの家ではなく、寂しい中年男性のものであった。

 

 右京のぼんやりした声を失望だと受け取ったのか、

 

「サンタでなく、三田の家です……。すみません、こんな狭い家で」

 

 三田が恐縮しきりに呟く。そうはいっても、明らかに無礼なのは右京である。

 

 とはいっても、右京自身は他人の家を評価するような、下世話な感覚すら持ってはいないだろう。非常識なことだが、純粋な興味が元になった言葉に違いない。

 

 上司とは違い、少なくとも常識という物を自覚している進ノ介は苦笑いを浮かべる。

 

「気にしないでください。あの人、変な人なんで」

 

「……なんとなく、そのことは分かります」

 

 二人がげんなりとした表情で見つめる先で、変人は壁に掛けられたサンタ装束をべたべたと触り始めていた。 

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第八話「ギフトの行方 III」

 

 

 

「粗茶ですが、どうぞ」

 

 数分後、三田が丸い体を揺らしながら、すこし小綺麗な湯呑に緑茶を注いでくれた。特命係の二人は、ちゃぶ台を挟んで三田と向き合っている。その過程で、右京を半ば無理やりにサンタ衣装から引きはがすのには苦労したと書き残しておく。

 

 進ノ介は少し疲れを感じながら、差し出された湯呑に口をつけ、驚きの表情を浮かべた。三田本人は謙遜しているが、中々に美味しい。それを素直に伝えると、三田は照れ臭そうに。

 

「昔から、色々なところで仕事をしていましたから。工事現場に、喫茶店の店員に、事務仕事とか。まあ、どこも長続きしない根無し草です。けれど、色々と細々とした技術は身に付きました……」

 

「ですが、中々においしいお茶だと思いますよ? もう一度、喫茶店などで働くのもいい選択肢かもしれません」

 

「そうですね……。サンタは寒い割に賃金も低いですし、潮時かもしれませんね」

 

 右京の誉め言葉に感じるものがあったのか、三田はしみじみと呟く。

 

 三田がサンタを辞めるなんて、実に奇妙な文言だ。

 

 そう思うほどに彼の日常はサンタに染まっていた。事実として、進ノ介が壁に掛けられたカレンダーへと目を移すと、月曜日から日曜日まで、全部サンタの仕事が埋められている。

 

(月曜が午前、火曜が午後、水曜が夜勤……。その前週は月曜が午後に……)

 

 それ以外の空いた時間にも様々なバイトが入れられているが、そちらは工事現場や、病院等への配達仕事。雑多なアルバイトばかり。毎日行っているのはサンタの仕事しかない。

 

「……サンタの客引きも、随分と忙しい仕事なんですね」

 

 それを見ながら、進ノ介が呟くと、三田はまたも頭をぺこりと下げた。あいも変わらず、随分と自信がない様子である。進ノ介が三田の表情の変化へと注目する一方で、右京はどこか興味深そうに、そのカレンダーをじっと見つめていた。

 

 ただ、そうした生活を送ることに、三田本人も思うところがあり、そして、そうしなければならない事情があるようだ。頭を上げると、彼は肩をすくめて呟きだす。

 

「前科者の中年男なんて、真面な働き口は少ないですから。回数増やすくらいしか、生活を成り立たせる方法はありません。やりたい仕事を選ぶ余裕なんて、ないですよ」

 

「……さっき、芹沢さんも言っていましたね。詐欺の前科があるって。三田さんが詐欺なんて、いったい、どんな事情があったんですか?」

 

 進ノ介がこれまで見たところ、三田という人間は自分に自信がなく、ひどく不器用に思える。彼が詐欺という行為を行うには、何か事情があったのだと、進ノ介は思えてならなかった。

 

 すると、三田は気まずげに頬を掻き、

 

「……ある事情で金が必要だったんです。で、建設会社の同僚に話したら、良い稼ぎ口があるって。それが詐欺の片棒を担ぐことでした。その後はずるずるです。

 詐欺だけじゃなくて、窃盗も何度か行って。けど、体のいい使い走りでしたから、満足な金も得られず捕まりました……。金目当ての犯罪なんて、随分と割に合わないものですね」

 

 そんなことを告白する。

 

 それは、警察官である二人には数多の実例と共に知っていることでもあった。

 

「ええ、その通りです。ですが、それに気づかず犯罪を繰り返す人も……、本当に多い。貴方は一度の過ちで気づけ、二度とは犯罪を行っていない。罪を償ったのなら、ご自分を卑下しなくてもいいと思いますがねえ」

 

 右京が真面目な調子で言うと、また、三田は頭を下げた。骨身に沁みたという言葉は彼にとって事実なのだろう。ただ、進ノ介には未だ、気になる点が。

 

「けど、なんでお金が必要だったんですか? このお部屋を見る限り、あまりお金のかかる趣味とかなさそうですし……」

 

 見回す部屋には仕事に使う作業着や簡単なパソコン、クーラーボックスに、少し古びた食器くらいしかない。不躾な質問だとは理解していたが、進ノ介も右京よろしく気になってしまった。すると、三田は今度こそ顔を暗くし、大きく肩を落ち込ませる。

 

「……いまさら、どうしようもない理由です。結局、金は手に入らなかったのですから」

 

 投げやりな言葉。その事件をきっかけとして、何かを失ってしまったような悲しい姿だった。

 

 進ノ介はかける言葉を失くし、気を取り直して本題へ入ることにする。

 

「……変なことを聞いて、すみませんでした。三田さん、血液が付着した衣服を見せてもらってもいいですか?」

 

「え、ああ、そういうお話でしたね……。ちょっとお待ちください」

 

 さすがに長々と全く違う話をしていたので、三田も二人が何の目的でやってきたのかを忘れていたようだ。そうだった、そうだったと呟きながら、駆け足で部屋の奥の押し入れへと向かっていく。そして、二人にその場で待つように伝え、中から大きなビニール袋を引きずり出してきた。

 

 三田はそれを、畳の上に置き、二人へと広げて見せる。

 

「これが当日着ていた服です」

 

「拝見します……」

 

 右京と進ノ介は三田に確認し、袋から服を取り出した。薬剤処理されているとは言え、血液。生ぐさい臭いが広がって、二人は手で口の前を覆う。三田などは、大急ぎで窓と換気扇を開けていた。

 

 ビニールに包まれていたのは、薄手のシャツに、少しほつれたジーンズ。

 

 それは三田の体形に沿って緩んでおり、彼が随分と長い間に着続けていたことが伺える。だが、それらを着ることは、もはやできないだろう。

 

「……べっとりついていますね、血が」

 

 進ノ介がぼやく通り、腹のあたりに血が撒かれている。どれだけ洗濯したとしても、痕は残ってしまう。サンタのコスプレを日常的に行っているとはいえ、血まみれの真っ赤な服を着る趣味は、彼にはないだろう。

 

 ただ、そうなると再び進ノ介には疑問が浮かぶ。

 

「けど、三田さんは谷口の家で寝込んでいたんですよね? これだけ派手に撒かれたら、気づいてもおかしくないですか?」

 

 ぼたぼたと上からこれだけの液体を垂らされたのだから、いかに寝ていたとはいえ、普通は目を覚ますだろう。谷口は部屋を荒らしたのだから、騒音もひどいものだったに違いない。安眠をむさぼるには、程遠い環境だったはずだ。

 

 進ノ介が尋ねると。三田の答えは酒を飲み、泥酔状態だったから確認できなかった。そういう当たり障りのない答えだった。

 

「……なるほど」

 

 と進ノ介が頷き、視線を移動させる。その先では右京が部屋をじっと見つめていた。床に置かれたクーラーボックスや、サンタコスプレの一部である、白い大きな布袋。その視線はずずいと動いて……。

 

 彼は立ち上がると押し入れの方へとつかつかと歩きだした。

 

「ちょちょちょ! 杉下さん!? なんでうちの部屋を探しているんですか!?」

 

 三田はその行動に慌てて、右京の前に手を広げ、立ちふさがった。右京は彼に手をあげて、微笑みを浮かべつつ謝罪する。

 

「ああ、申し訳ありません。サンタの家ということですから、プレゼントなどはどこにあるかと、そう思いまして」

 

「はぁ!? いや、だから三田ですし、サンタはサンタと言っても、サンタは客引きのコスプレですから!!? 泊さん、まだ分かってなかったんですか、この人?」

 

 三田は困惑しきりという表情で、進ノ介に尋ねてくる。確かに、今の右京の言動から、まともな人間だとは思えないだろう。進ノ介はまたも、三田をなだめ、右京の無礼を謝ることになった。

 

 進ノ介のスマホが鳴らされたのは、ちょうどその時であった。進ノ介が差出人を見ると、それは伊丹から。

 

「……伊丹さんです。ちょっと、出ますね?」

 

「どうぞ」

 

 右京に断って、進ノ介は耳をスマホに近づける。

 

 伊丹の地面から震えるような声が、その耳へと響いてきた。その内容は、

 

『特命係の泊……。お前、まだ三田と一緒か?』

 

「……ええ、その通りですけど」

 

『今、俺たちは谷口の事務所にいる。で、そこで見つけたのがなあ……』

 

 続く言葉を耳にして、進ノ介は大声を上げた。

 

「事務所で人が襲われていた!!? ええ……、聞いてみます。

 それと、伊丹さん、その事務所の場所がどこにあったか、教えて貰えると助かるんですけど。分かりました。……ありがとうございます」

 

 進ノ介は通話を切り、右京と三田へと真剣な表情を向ける。案の定、漏れ聞いた内容だけでも、右京は興味が引かれたのだろう。食いつくように何が起きたのかを尋ねてきた。

 

「谷口の事務所に向かったら、部屋が荒らされ、殴り倒されている男が発見されました。意識不明ですが、発見が早いのが功を奏して、命に別状はないようです。

 被害者は谷口の共同経営者だった荒木という男。凶器は現場に落ちていた金属バット、そこに谷口の指紋がべっとりとついていたそうです。そして、金庫からは現金等が持ち去られた痕跡がある、とのこと」

 

 状況から見て、失踪した谷口が第一容疑者である。

 

「しょ、傷害事件!? え!? 谷口さんの事務所で、人が襲われていたんですか!!?」

 

 その言葉を聞くと、三田が仰天して、腰を抜かす。まるで予想がつかなかったと、驚愕に満ちた顔。そんな彼に、進ノ介は深くうなずき、同意を返した。

 

 これで、正真正銘、失踪事件から刑事事件へと変化してしまった。

 

 この情報で谷口の失踪理由にも見当がつく。事務所に残された凶器と、奪われた金品。中には債務者の書類も含まれているという。いずれも大金へと繋がるものだ。

 

「谷口は事務所で荒木さんを襲撃し、貴重品を強奪した。そうなると、元の仲間であった暴力団も警察に加えて動き出す。逃げ切るのは、難しいと言わざるをえないでしょう。

 なので、谷口は追跡を防ぐ、ないし遅らせるために拉致・殺害されたように偽装した。……そのような経緯と考えるのが、妥当でしょうねえ」

 

 右京が三田を横目に見ながら、そのように告げる。

 

「時間を稼いだ後、谷口が考えるのは十中八九高飛びですよね? 死んだと思われているなら、どこへでも動きたい放題。今なら、まだ間に合うかもしれませんが……。彼の行先がわからない」

 

 進ノ介も同様に、視線を三田へと向けた。

 

 谷口の逃亡から、既に半日が経つ。事前に逃亡準備を進めていたなら、空港、港、いずれの場所に既にたどり着いていてもおかしくはない。海外にでも逃げられたなら、探すのは困難になるだろう。

 

「時間はあまり残されてはいませんが、僕たちには手掛かりがあります。……三田さん」

 

「……はい?」

 

「谷口はずいぶんと貴方に気を許していたようです。仕事がうまく行かないなどと愚痴まで零していたりと、ええ、酒も随分と助けていたのでしょう。

 その時に、何か手掛かりとなることを話してはいませんでしたか? 例えば、どこかに行きたい、などと」

 

「いやー、そんなことは……」

 

 あいまいな笑みを浮かべる三田へ、一歩、右京は近づく。そして、もう一度、至近距離から三田へと尋ねた。

 

「どうか、よく考えてください。特定の地域でなくても構いません。彼の好みや気にかけていた場所など。何か覚えていないでしょうか?」

 

 その妙な迫力に押されたのか、三田は再び腕をでっぷりとした腹の前で組む。そして数分ほど考える仕草をとった後、ゆっくりと目を見開きながら口を開いた。

 

「あの、もしかしたら、何ですけど……」

 

「それでもいいんです。何か、思い当たることがあるんですね?」

 

「はっきりとはしないんです。本当に、酒の席で、すこし呟いていただけなんですけれど……。彼はタイかどこかに、世話になった人がいるとか、いないとか……」

 

 三田の言葉を聞き、右京と進ノ介は顔を見合わせる。ほとぼりが冷めるまでタイへと逃亡。それは十分に逃亡犯にとってあり得る選択肢だ。

 

 その証言を受けて、直ぐに進ノ介は捜査一課へと連絡を入れた。伊丹は特命係に従って動くことに難色を示していたが、逃亡犯を逃がすわけにはいかないと考えたのだろう。動き出すと返事を返してくれている。

 

 一方で右京は角田へも連絡を入れる。谷口は暴力団の傘下。それならば、谷口の交友関係などに詳しいのは組対五課だろう。情報を伝えると、一課の手柄を奪ってやると、角田は張り切っていた。

 

 二人は通話を終えると、携帯をしまい、互いに頷き。

 

「……それでは、僕たちも動くとしましょう。一課と組対の人員で捜査を行えば、すぐに谷口の居場所は特定できるでしょうから」

 

「ええ、そうですね。……三田さん、ご協力ありがとうございました。それと、こちらの服、証拠品として提出いただきますが、良いですね?」

 

「は、はい。私なんかが仮面ライダーさんや警察の方のお役に立てたなら、光栄です」

 

 大げさに腰を下げた三田。部屋を出るまで見送ってくれた彼へ、最後に会釈して、二人は進ノ介の車へ乗り込んで発進する。

 

 そして、数分が経ったころを見計らい、右京は携帯をゆっくりと懐から取り出した。それを開き通話を始める。

 

「ああ、米沢さん。まだ、谷口の自宅にいらっしゃるでしょうか? 至急、調べていただきたいことがあるのですが……」

 

 そうして右京は何か仕事をやり遂げたように、微笑みを浮かべるのだった

 

 

 

 それから二時間後、成田空港近辺のビジネスホテルにて。

 

 その一階にある喫茶店で、一人の男が座っていた。地味なシャツにパンツ姿。サングラスをかけ、帽子を目深にかぶり、神経質そうに周りを見回しながらコーヒーを飲む男。

 

 彼は夜の便でタイへと発つ予定であった。大きな荷物を抱えて、一目散に。けれど、まだ時間は少しだけある。それまでは安心できない。そのため、今、彼はしきりにニュースを確認していた。

 

 とある有名検索サイトを開くが、政治家の失言が大見出し。彼の行った犯行に関しては一片も書いてはいない。

 

 このままなら、海外への旅立ちも成功できる。そうなれば、向こうのつてを使って、身分を変え、新たな事業にも手を出すことができるはず。

 

 そのはずだった……。

 

 だが、犯罪者が都合よく逃げ切ることなど、できはしない。

 

「……ちょっと失礼」

 

 突然、彼へと野太い声が男へとかけられた。その声の主は、どかりと無遠慮に男の前へと座る。般若のような厳つい顔をしたスーツ姿だ。

 

 裏の社会に長く浸った男にとって、目の前の男の職業を理解するのに、手帳も何もいらなかった。

 

「!!?」

 

 勢いよく、男は立ち上がろうとして、その両肩ががっちりと捕まれる。右側は細いながらも、ぴくりとも動かせない女性の手。もう片方は少し力が弱いが、それでも逃がすまいと強く握られた手。

 

 後ろを振り向くと、厳しい顔を浮かべた男女が、男を見下ろしていた。

 

 そして、最後に。

 

「あぁ!!? まったく、一歩遅れかよー!!!」

 

 等という叫び声。声の主である少し禿げた小柄な男は、厳つい数人の男を引き連れて、部屋へと走り込んでくる。けれど、彼の手柄は少しだけ届かず。

 

 般若のような男は、勝ち誇りながら、次のような言葉を口にするのだった。

 

「谷口洋平だな……。人を殴り倒して逃亡なんざ、そううまくいくと思うなよ」

 

 その伊丹刑事の底冷えする声を聞き、男は、逃亡していた谷口は悲痛な声を上げて、床へと崩れ落ちるのだった。

 

 一方そのころ、同じホテルの上層。客室の近くにこっそりと身をひそめる二人組がいた。

 

 杉下右京と泊進ノ介。二人だけの特命係。彼らは廊下の隅に隠れていた。見る人すべてが不審者だと思うだろう、そんな場所。

 

 そうしてまんじりともせず待っていた二人へと、一本の着信が入った。進ノ介はバイブレーションに設定していたソレを取り出して、ゆっくりと応答する。

 

「はい、泊です……」

 

『一体、どうなってるんだ!!? 谷口は確保したが、ヤツの証言が全く事件と噛み合わねえぞ!!!』

 

 電話の向こう側から届いたのは、伊丹の心底訳が分からないという怒鳴り声だった。

 

(あー、やっぱり)

 

 と、進ノ介は内心で申し訳なさを得る。本来なら、逐一説明するべきだと思うが今は時間がない。

 

「すみません! あとでちゃんと説明しますから!」

 

『お、おい!? どういうことだコラァ!!? 待……』

 

 進ノ介は直ぐに通話を切る。

 

 既に、特命係の目当ての人物は到着していた。

 

 視線の先は、とある部屋。谷口が宿泊していた部屋であり、今、その前に一人の男が立っている。彼は不器用にドアを押し引きし、やはり自動ロックのせいで開けることはできない。そのため、時間がない彼は荒っぽい手を使うことにしたのだろう。

 

 男は背後にからっていたリュックから、工具まで取り出した。そして、それを実行すれば立派な器物損壊。警察官が見過ごすことはできない。

 

「泊君!」

 

「ええ!」

 

 進ノ介と右京は廊下の角から飛び出すと、人影へと向かって一直線に駆け出した。当然、目標の男からも、彼らの姿は容易に視認できる。逃げる間もないほどの勢いで走り寄る、男たち。

 

 その姿にさぞ驚かされたのだろう、男は丸っこい腰をぺたりと廊下へとおろして、呆然と二人を見上げた。口が小さく震え、次のように呟く。

 

「……一体、どういうことなんです?」

 

 右京はそんな彼に微笑みを浮かべつつ、ゆっくりと話しかけた。

 

「それは僕たちが聞きたいところですが。まず、僕が言いたいことは、一つです。サンタが部屋へ入る方法は、煙突と決まっているではありませんか? 押し入るとは、芸がないと思いますよ? 三田さん」

 

 右京の語った皮肉ともとれる言葉。それを聞いた三田は、悲し気に笑い声を漏らすのだった。 




次回がラストパートになります。


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第八話「ギフトの行方 IV」

ここまでの状況のまとめ

霧子のために買ったプレゼントの指輪。不運に巻き込まれた進ノ介はそれを紛失してしまい、その影には強盗事件と逃亡犯が関与していた。逃亡犯は無事に逮捕されるが、その裏で、とある人物が暗躍していて……。

三田九郎
:サンタなど、アルバイトをかけ持ちしながら生活している中年男性。逃亡犯谷口と旧知の仲だと語り、特命係を事件へと導いたが……。

谷口洋平
:闇金を営む暴力団員。自宅で殺害されたように見せかけて失踪した。共同経営者を襲い、逃亡した疑いがあったが、捜査一課に逮捕される。


 逃亡を図ろうとしていた強盗傷害事件の容疑者、谷口洋平は無事に逮捕され、先ほどパトカーで移送されていった。

 

 けれど、彼が伊丹達に語った事件の概要は想定と、まったく違うもの。

 

『あ!? なんだよ殺人の偽装ってのは!!? 俺は荒木を殴った後、ずっとこのホテルにいたぞ!!? ……サンタ? 誰のことだよ!!』

 

 谷口はそんなことを喚きながら、終始、困惑を顔に張り付けていたのだ。事件がこれほど早く発覚するなんて、想像がつかなかったという。

 

 だが、困惑したいのは、当然、伊丹達の方。彼らからすれば谷口は自分が殺害されたように偽装して、まんまと逃げおおせようとしていた逃亡犯。そのつもりで必死に追いかけて、ようやく捕まえたのだ。

 

 だが、谷口は偽装はしておらず、三田の存在も知らない等とのたまっている。

 

 話が通らない。もはや、何が真実なのやら。

 

 伊丹が顔を殊更に歪ませて、目の前の男へと詰め寄ったのは、仕方のないことだろう。

 

「いったい、どうなってるんですかねぇ、サンタさんよぉ……」

 

 逮捕劇が行われているすきに客室へと侵入しようとしていた三田。特命係の二人によって連れてこられた彼は、心底申し訳なさそうに喫茶店の椅子に座っていた。

 

 すでに伊丹によって威圧されていて、この様子では、まともにしゃべれそうにない。それを見て取った伊丹は、右京と進ノ介へとその怒りの矛先を変える。

 

「特命係の警部殿、泊!! 説明してもらわないと困りますよ!!!」

 

 びりびりと耳に障るほどの大声、ただ、そんなことは既に慣れっこの右京はといえば、変わらぬ涼しい顔のままで、伊丹の前に手をかざし、彼をなだめた。

 

「まあまあ、伊丹さん。もちろん、皆さんにもご説明します。つまるところ、この事件は彼によって仕組まれていたのですよ」

 

 右京は椅子で丸まった三田へと鋭い視線を向ける。

 

「このサンタさんによって。彼が、無事にプレゼントを手に入れるために」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第八話「ギフトの行方 IV」

 

 

 

 右京の言葉を聞いても、捜査一課の面々と角田は未だ事態を消化しきれていないようであった。全てを理解しているのは進ノ介と右京、この結果へと彼らを誘導した三田だけ。

 

 進ノ介は大きくため息を吐きながら、三田の向かいに座り、机に肘を乗せた。

 

 そうして、じっと、伏せられた三田の顔を見つめる。すると、やはり三田も申し訳なさを感じていたのだろう。彼はゆっくりと顔を上げて、進ノ介へと顔を合わせた。

 

「……泊さん、いったい、いつから?」

 

 三田の考えていたことに気づいていたのか。そう尋ねてくる。進ノ介は肩をすくめて、それに答えた。

 

「……実のところ、三田さんが怪しいって俺たちが気づいたのは、最初からです」

 

「えぇ!? 最初から!?」

 

「むしろ、あれで怪しまれていないと思っている方がうかつですよ!」

 

 後ろの面々も一斉に頷く。彼等とて、こうして三田の証言で事件が発覚していったから、納得していただけ。三田の行動から疑いを解いたことはなかった。

 

 そして、終始、三田を興味深く観察していた右京も彼の横に立つと、微笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「最初に特命係を訪れたとき、貴方は事件発覚の経緯を話してくれました」

 

 時系列に直すと、それは次のようになる。

 

1.進ノ介と出会い、荷物を取り違え

2.谷口と再会

3.仕事終わりに谷口の家へ

4.酒を飲み、寝落ちする

5.目が覚めたら、進ノ介の荷物と共に谷口が消え、部屋が血まみれに

6.三田は一時帰宅し、その後、特命係へ

 

「間違いありませんね?」

 

 右京が手で三田を示しながら尋ねると、三田は困惑しながら頷いた。

 

「……そう言いましたけど、何かおかしい事でもありましたか?」

 

 そこで進ノ介が身を乗り出して、三田へと顔を近づける。

 

「……おかしいでしょ? あなた、いったい、いつ、俺の荷物だって気づいたんですか?」

 

「……あ、あぁー」

 

「あぁー、じゃないんですよ!?」

 

 進ノ介はたまらずに大声を出す。元々、進ノ介にとって大事なことは、事件解決と共に指輪を取り戻すことだったのだから。

 

 頭を抱えてしまう進ノ介に代わって、右京が説明を始める。

 

「三田さん、あなたは紙袋の中身が泊君のものであり、それが『大切な物』と認識していた。

 ですが、荷物を間違えた。それも有名人であり、警察官である泊君のものを。それを認識したら、普通は驚き、荷物を安全な場所に置こうとするものじゃありませんか。

 ですが、あなたはそれを酒の場へと持っていった。繊細なあなたには似つかわしくない行動です」

 

「で、でも、酒を飲んでいる途中で分かったってパターンなら……」

 

「むしろ、余計に驚くでしょう? 気づいた後も、呑気に酒を飲んで、寝るなんておかしい話です。

 ……つまり、三田さんが『俺の物と認識した』荷物をもって酒の場で寝落ちするという話は筋が通りません。

 最初にそれを聞いた時は、荷物を盗んだ言い訳をしているのかと思いましたけど、あなたは『殺人事件』が起きた、なんて言い出しました」

 

「これはいよいよ、何かがあると考えて、僕たちはあなたの出方を伺うことにしたのです。あなたが谷口の失踪事件の裏で何か良からぬ企みをしているのではないか、とね」

 

 そうして、二人が部屋へ向かうと、血まみれの部屋があり、住人が失踪していた。

 

「おいおい、ちょっと待て!? お前ら、三田に何かあるって最初から気づいていたっていうのか!?」

 

 伊丹が不機嫌を隠さずに二人へと詰め寄る。彼からすれば散々に振り回されたのに、最初から特命係の手のひらの上というのは、どうにも納得できないことだった。

 

「僕たちが彼自身を探っていると知ったら、三田さんは逃げ出す可能性もありましたので。事件解決のために黙っていました」

 

「あと、俺の荷物のために。……すみません」

 

「……」

 

「……泊君はともかく、杉下警部は相変わらずひどいっすねえ。もう慣れたけど」

 

 あんまりな右京の物言いに口をぱくぱくとさせて言葉もない伊丹に、呆れたというような芹沢。そして霧子は、これまでの間に右京の性格を理解できたのだろう、またか、という具合に頭を抱えてため息を吐いていた。

 

 そんな面々を見て進ノ介の良心が痛む。しかし進ノ介にも右京にも、事件が進展するまで三田の行動理由は判然としなかった。

 

 だが、結果として一課の面々には悪いことをした。後で菓子折りでも持って、謝罪することを決める。

 

「えっと、とりあえず気を取り直して……。問題は三田さんが俺たちを導いた、あのアパートです。行ってみると、実際に部屋は彼の証言通り。

 殺人が起きたように偽装されて、谷口が姿を消していました」

 

「あの場で泊君が言った通り、『谷口が』現場を偽装したのなら、可能性が高いのは死んだと見せかけ、逃亡すること」

 

 だが、もう一つ可能性がある。

 

 それは、第三者が現場の工作を行った場合。つまりは、何者かが谷口の部屋へと侵入し、荒らし、血を撒いたという可能性だ。

 

「谷口の証言は、後者こそが真実だと示すものです。じゃあ、工作を行った第三者のメリットは何か?

 改めて考えてみると、誰かが死んだように見せるには、あの現場は稚拙でした。すぐに警察は偽装工作と谷口の失踪に気づく。と、いうことは、逆にそれこそが狙いだったんじゃないか。俺たちはそう考えました」

 

「……どういうことですか?」

 

 霧子はいぶかし気に進ノ介に尋ねる。すると、右京が声を張り上げながら、面々の顔を見つめる。

 

「つまり、この工作を行った人間の狙いは『谷口を警察に探してもらうこと』だった!

 暴力団員である彼が逃亡した場合、自力で捕らえることは難しい。そして、目的を考えると暴力団員に捕まえられるのも都合が悪い。

 ならば、警察に探させようと、そういうことです。暴力団員が殺人を装って逃亡したとなれば、事件と結びつけて捜索する可能性は高いですからねえ」

 

「だから、俺たちを直ぐにアパートに呼び出して、事件を発覚させた。ただ、それだけだと不安だったのか、谷口が俺の荷物を持ち去ったなんてウソをついてまで、無理やり警察を事件に関与させた。

 そうですよね? 第三者で、あの事件現場を偽装した三田さん?」

 

 進ノ介と右京がじっと視線を向けると、ゆっくりと肩をびくつかせながら三田は首を縦に振った。

 

「ってことは、こいつが話していたことは……」

 

「全くの嘘でしょう。谷口が逃げたという点を除いては。

 同業者を殴り、金品と書類を持ち逃げした谷口が、呑気に知人を家に招き、酒をふるまうわけがありませんから」

 

「あれ? でも、三田さんは谷口の行先とか、状況を知っていましたよね?」

 

 芹沢が、それはどういう理屈なのか、と尋ねてくる。

 

 すると、右京は懐から、あるビニールに包まれた物体を取り出す。それは、小さく目立たない機械で。

 

「あぁ、なるほど、盗聴器」

 

 芹沢が渡された機械を腹立たし気に指ではじき、溜息をついた。米沢が右京の連絡を受けて、部屋から探し出したものだった。

 

「このホテルの場所が分かったのも、同じ理屈です。三田さん、俺の車に発信機と盗聴器を仕込んでいました。アパートに案内した時に用意していたんでしょうね」

 

 進ノ介が愛車の後部座席に仕掛けられていたソレを三田の前に置く。これがあれば、特命係の行先を知ることは容易かっただろう。

 

「それに加えて、谷口のアパートを囲む塀を調べたところ、こんなものが付着していました」

 

 右京が改めて取り出したビニールには、安っぽい赤い繊維が収められている。それは、間違いなく三田が着ていたサンタコスチュームのもの。

 

「古いブロック塀ですから、あのようなふわふわした服は引っかかったことでしょう。

 これが付着していたということは、塀に隠れるように、家を覗いていたということ。あなたは随分と長く、谷口を監視していた。そうなると当然、あなたは谷口の旧友などではない」

 

「それと三田さんが客引きとして働いていた大通り。あそこ、谷口達の事務所の直ぐ近くでした。毎日働くことで、谷口達の活動時間帯を調べていたんですね、三田さん。あなたはむしろ、谷口を追う者だった」

 

「ここからは僕の想像です。

 三田さんは谷口達を監視し、行動の機会を見計らっていた。けれども、その状況があの夜、一変してしまったのです」

 

 全ては、谷口が事務所から金品を持ち、逃亡したことが原因だ。そして、深夜、谷口の家を監視していた三田は盗聴と監視によって、その事態を把握したのだろう。そして、途方に暮れたはずだ。三田には追跡の準備などできていなかったのだから。

 

「ですが、あなたは諦めなかった。偶然にも泊君の荷物を取り違えたことを利用し、警察に谷口を発見させる手段を思いついたのです。

 少なくとも、貴重品を失くした泊君は必死に谷口を追うでしょうからねえ。彼を起点に捜査網を敷いてもらえば、見つける可能性は上がります」

 

 それを裏付ける証拠もある。三田が入っていた複数のアルバイト、その中には献血所が含まれていた。そして、そこから血液が紛失していると報告が挙がっている。

 

「三田さんが見せてくれた服もそうです。こんな寒い季節にあんな薄手の服。あの谷口のアパートで着ていたら風邪ひきますよ。谷口の失踪後、汚してもいい服を選んで、血をかけたんですね?

 で、後は友人を装って、盗聴を通して得た情報を警察に提供。事件をコントロールしようとした」

 

 つまり、特命係が考える、三田が歩んだ真のタイムテーブルは以下の通りとなる。

 

1.進ノ介と出会い、荷物を取り違え

2.進ノ介の荷物に気づき、安全場所で保管

3.谷口の監視へ

4.谷口の失踪を知る

5.献血所から血液を盗み出し、部屋を荒らした

6.特命係へ向かう

 

「けっ、そんじゃあ、俺たちはこいつに良いように使われてたってことかよ。とんだサンタクロースだぜ」

 

 伊丹が吐き捨てるように地団太を踏んだ。

 

「彼の行動は確かにはた迷惑な行為でしたが、おかげで強盗傷害事件が発覚となりました。我々にとっても、まったくの無駄骨とはならなかったのです。そこは喜ぶべきではありませんか?」

 

「結果から見れば、ですがね」

 

「でも、最初から谷口達を付け回していたってことは、この人には元々の目的があったわけでしょう? あ、まさか……。谷口の闇金から金を奪い取ろうとしてたんだろ? だから、谷口が見つかった後、ホテルにも侵入しようとした!」

 

 芹沢はそう言って、勢いよく机をたたく。すると、三田は怯えた顔をしながらはっきりと頷きを返すのだ。

 

「……その通りです。最初は事務所に忍び込んで、金を盗むつもりでした。けど、ようやく彼らの習慣も分かって、実行に移すって時に、谷口が金をもって逃げ出して……。それで警察を利用すれば、裏をかいて盗めると思って……」

 

 ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。

 

 そうして、三田は深く頭を下げる。

 

 その言葉に、伊丹と芹沢は納得したように、腕を組み、頷いた。大金を求めるならば、これほどの大仕掛けをする価値はある。経済的に苦しい三田には、当てはまる動機でもある。

 

 けれども、まだ真実は最後まで解明されていない。右京と進ノ介は、彼の本当の目的を知っているのだから。

 

「三田さん」

 

「あなたの目的は、金じゃなかったんでしょう?」

 

 右京と進ノ介は、三田へと優しい口調で話しかける。

 

「あなたは先ほど、僕たちに言いました。金のために犯罪を行うなんて、割に合わないと知ったと。僕は、その言葉は真実だと思います」

 

「それに、ただ金目当てなら警察を利用するなんて大それた仕掛けをする必要はないでしょう? リスクも高いし、警察が谷口を見つければ、金は当然押収されるんですから」

 

 だから、二人は三田が谷口を狙った理由は別にあると考えていた。その理由にも察しがついている。

 

「……三田さん、あなたのご家族と連絡が取れました」

 

「え!?」

 

 進ノ介が告げた言葉に、三田は思わず目をむく。その顔を見て、進ノ介は自分の想像が真実なのだと、確信が持てた。

 

「……奥さんと息子さん、借金で大変な状況になっていたんですね? その金を貸していたのは、谷口の闇金。あなたはその債務書類を盗もうとして、谷口を追っていた」

 

「全ては、ご家族を助けるために。だからどれほど大ごとになろうとも、諦めず、警察まで利用した。そして今も、ご家族に迷惑をかけないために動機を偽っている」

 

 そうですね?

 

 右京が尋ねると三田は今度こそ、肩を震わせながら机へと崩れ落ちる。ここまで全てを見透かされていた。それに加えて、いい加減に三田も嘘をつくことに疲れていたのだろう。

 

 進ノ介は想像する。きっと、三田は自分で書類を奪わない限り、安心できなかったのだろうと。警察が押収したら、誰のものが含まれるかなど分からない。間違えて闇金に残っていたら元も子もないのだ。

 

 だから、最後には自分で部屋に押し入り、奪い去ろうとした。

 

 三田は声を震わせながら、告白する。

 

「……全部、私が悪いんです。子供が生まれて、その生活を豊かにしようと犯罪に加担しました。結局、妻には愛想をつかされて、息子とも長く会えずじまい。その後は、会いに行く勇気もなくて、その日暮らしに逃げてしまい……。二人の窮状を知ろうともしなかった!!」

 

 だが、一月ほど前、バイトを繰り返して金を貯めたことで、少しだけ自信を取り戻し、彼は家族の様子を覗きに行ったのだという。

 

 そこで見たのは、闇金の取り立てに苦しむ妻と息子。けれど、三田はあまりにも無力だった。必死に貯めていた貯金でも、彼らを助けるには程遠い。

 

「だから、二人を助けるためには書類を盗むしかない。そう思って谷口を追っていたんです。けれど、結局は皆さんにもご迷惑を……。申し訳ありませんでした!!」

 

 そうして今度こそ深々と頭を下げる。右京はそんな彼の様子を冷静な目で見つめ、優しくも容赦のない口調で語りかける。

 

「三田さん。あなたのご家族を助けたいという動機は、僕にも理解できます。ですが、あなたはまたも、思い違いをしてしまった。その目的が金であろうとも、人助けであろうとも、犯罪という行為は正当化できません。

 あなたが今回行ったことは、捜査妨害に住居侵入、器物損壊に盗聴・盗撮。そして何より、この行為であなたは築き上げた二年間の生活と信頼を、再び失ってしまった。

 ……貴方の罪は重いですよ? 今度こそ、心から罪を償うことが必要です」

 

「それをご家族も望んでいます。三田さん、あなたは大きな勘違いをしていますよ。奥さんと息子さんが一番望んでいるプレゼントが何か、分かっていないんですから」

 

 進ノ介が三田の頭を上げさせる。涙にぬれた丸い顔。彼には、まだ、その最高のプレゼントが何かを分かっていないのだ。

 

「俺たちが連絡したら、息子さん、あなたに会いたいって言っていました。奥さんも、電話口で泣いていましたよ。

 ご家族が必要だったのは、近くで支えてくれる父親だったんです。……あなたが必要だったんです」

 

「わ、私なんかを……?」

 

「ええ。しっかりと罪を償って、今度こそ、最高のプレゼントを届けてあげてください」

 

「……はい、はい! ありがとうございます……。でも、なんでこんなに良くしてくれるんですか? 私、泊さんの大切なものを……。ご迷惑ばっかりかけたのに……」

 

 進ノ介はその言葉に肩をすくめる。

 

「だって、サンタの格好していた人が、ただの泥棒なわけないですから。サンタは子供たちのヒーローなんでしょ?」

 

 仮面ライダーよりもずっと昔から、子供たちを守っていたヒーローなのだから。

 

 そうして、三田は最後まで涙を流しながら連行されていった。その最後に家族へと電話を一本かけて、

 

『今度こそ、プレゼントを持って帰るよ』

 

 前向きな言葉を残した彼は、今度こそ本当のサンタになれるだろう。進ノ介は伊丹に怒鳴られながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

「それで、そちらがようやく戻ってきたプレゼントですか?」

 

 仕事終わりの花の里。幸子は茶碗蒸しを用意しながら尋ねてくる。その眼は、疲れた顔をした進ノ介が握っている小さな包みに向けられていて。進ノ介も大きく肩の力を抜きながら、ぼやくように呟いた。

 

「……三田さんが押し入れに隠していたんです。これで、ようやく戻ってきてくれましたよ。……少し包装が崩れちゃったので、もう一度直さないといけないんですけど」

 

 ただ、進ノ介の顔は晴れていない。包みを見つめたまま、溜息が止まらない。

 

 なにせ、これは、結婚を前提に霧子へと贈る予定だったプレゼントだったのだから。事件の経緯を考えると迷う心の一つも生まれる。

 

「……これを買ったせいで、俺たちは事件に巻き込まれました。そんな不吉なものは、大切な人への贈り物には、ふさわしくないかもしれません……」

 

 贈り物は、相手を想い、幸せになってほしいと願って渡すもの。けれど、この指輪は事件を招いた。そんなものを贈っても、相手は良い気がしないだろう。進ノ介は、そう思えてならなかった。

 

 だが、それに否を唱えたのは、進ノ介には意外なことに、右京。

 

 彼は徳利を傾けつつ、それが当然だと考えるように疑問の声を上げるのだ。

 

「本当にそうでしょうかねえ?」

 

「……え?」

 

 進ノ介が顔を上げて右京を見ると、彼は微笑みながら進ノ介を見つめ返した。そこに在るのは、子供のような、ポジティブな瞳の輝き。彼は進ノ介を諭すように、言葉を続けた。

 

「確かに、そのプレゼントは今回、君を事件へと導きました。けれど、それはむしろ、幸運なことだったのではないでしょうか?

 君が三田さんと出会わなければ、どうなっていたでしょう? 三田さんはあのような大それたことを行わず、当然、事件の発覚も遅れたはずです。そうなれば、殴られた荒木さんが助かることはなかった。谷口は逃げ延び、三田さんもご家族と会おうとは思わなかったはずです」

 

「杉下さんは、もしかして、これのおかげだと思っているんですか?」

 

 右京は進ノ介のいぶかしむ顔に、迷いのない顔で頷く。

 

「ええ、君はそのプレゼントを不吉だと考える。僕は幸運と事件解決を運んだと考える。偶然の出来事を結びつけるのならば、それら二つは等価ではありませんか?

 後は、受け取る方がどのように考えるか。……僕は人を救い、事件解決に導いたプレゼントなら、彼女が気味悪がるとは到底思えないのですが」

 

 進ノ介はその言葉に、不思議と説得力がある様に思えた。右京の言う通り、霧子がその指輪の由来を聞いて、気味悪がるとは思えない。そして、人を死なせなかった指輪とは、刑事という危険な仕事を続ける霧子にふさわしくも思える。

 

「物事は、心の持ちようですから。不幸だ不幸だって嘆き続けるよりも、起きた出来事をポジティブに考えれば、人生楽しくなると思いますよ? 私も、幸運のプレゼントだと思います」

 

「あなたが言いますと、なかなか含蓄がありますねえ」

 

 右京がそう言うと、幸子はあらあら、と意味深に笑う。最近、幸子も過去に含みを持たせるので、何か隠れているのではないかと、少し思ったりもしている進ノ介だった。そして、二人が言うことも、また真実なのだろう。

 

「確かに、そういう風に考えるなら……。三田さんも無事にプレゼントを贈れるでしょうし。これが、幸運を呼び込んだのかもしれませんね」

 

 進ノ介はようやく笑顔を浮かべると、今度こそ鞄に、大事にプレゼントをしまい込む。後は、彼も覚悟を決めて、贈るだけ。そう考えると、進ノ介にはふと疑問が。先ほど右京が言っていた言葉が引っかかってしまった。

 

「……ん? あれ? さっきの杉下さんの口ぶりって、なんだか、俺が贈る相手に見当がついているような……? いやいや、まさか……」

 

 この人情が分からない警部に、プレゼントの相手が特定されているなんて。進ノ介は一転、冷や汗をかきながらブツブツと呟き始める。だが、現実は無常であり、

 

「ああ、詩島刑事のことでしたら、芹沢さん達が現場で随分と話をしていましたので。つい小耳に……」

 

 なんて、右京はなんでもない事のように言ってしまう。

 

 今度こそ、進ノ介の顔から血の気が引いた。

 

「ちょっと!? ってことは、現場のみんなにも噂が広まってるってことじゃないですか!?」

 

 その言葉が意味するところを理解して、進ノ介は絶叫を上げる。つまりは伊丹や芹沢といった捜査一課や鑑識の人々にも伝わっているということ。日ごろ良く出会う人々に、自分が告白する予定などと知られてしまったのだ。

 

 そんな彼に幸子まで、同情するような視線を向ける。

 

「ま、まあまあ、泊さん。これで後がなくなったと思えば!」

 

「何の慰めにもなりませんよ、それ!!」

 

 そう言って、とうとう力尽きたように、机へと進ノ介は突っ伏してしまう。仮面ライダーとは思えない、哀愁に満ちた、悲しい姿。

 

 ただ、この背水の陣が功を奏したのか……。

 

 数日後、気合を入れた進ノ介は、霧子をデートに誘うことに成功する。この指輪が彼女の指に収まるかは、進ノ介に最後の勇気が持てるかどうか。

 

 進ノ介にとって、人生の転機となる誕生日。

 

 それは、あと少しだけ未来のことだ。




あとがき

これにて第八話の完結です。

今話のテーマは「プレゼント」
movie大戦の時期に入りましたので、進ノ介の私生活にも変化が起きるだろう。そう考えて、今回はプレゼントをテーマにしました。
プレゼントは本当に悩まされるものですが、最後に重要なのは、受け手がどのようにとらえてくれるのか、それにかかっているのでしょう。そして、真心を込めたプレゼントならば、きっと思いは届くはず。皆様にも素敵なクリスマスプレゼントが届きますように。

隠しモチーフはSeason8第8話「消えた乗客」。
事件と警察を利用して、目当ての人物を探すという着想は、この話から得ました。ゲストキャラに振り回されるというのも、相棒らしい話だと思っています。

さて、今回の話はいかがだったでしょうか?
神戸君や小野田さんの登場など、スペシャルへ向けて裏でいろいろ動いていることも考えていただけると嬉しいです。

それでは、最後に第究話、もとい第九話の予告!
彼が登場しますよ! ギャグも多めの話であり、スペシャル前の重要な話になります。

第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか」

どうか、お待ちいただけると幸いです。

……カウントダウン 2


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第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか I」

お待たせいたしました!

ドライブからあのキャラクターが参戦する第九話、そして、元日スペシャル前最後の通常回を開始いたします。

四パートで終了予定。

それでは、最後に訪れる、衝撃の結末まで。
どうかお楽しみいただけると幸いです。



……カウントダウン 1


 夜の街というのは恐ろしいものだ。

 

 都会となればなおさらにそう。空は暗く蓋がされ、辺りを照らすのは不安定な人工の明かり。取り巻くのは赤の他人ばかり。人間が野性に生きていた時の名残か、そんな場所を一人で歩いていると、どうにも警戒心という物が噴き出してしまう。

 

 この男が抱いていたのも、同じような、恐ろしさと身の危険であった。

 

 始まりは、ちょっとした勘。スニーカーで重く地面に踏みしめながら歩いていると、不意に背筋がぞくりと響いた。自分でも、理由が分からない、第六感のようなもの。それに従って、おそるおそる振り返ってみる。

 

 誰もいない。

 

 男はそれこそが怖いと感じた。何者かがいるなら分かる。彼にだって、人の一人や二人から恨まれている自覚はあった。だけれど、形のない怪物から追われる理由は、今はもうない。

 

 数分歩くと、また、視線。

 

 数分歩くと、今度は物音。

 

 徐々に心を圧迫していく危機感に従って、男は思わず走り出した。周りの人が怪訝な目で彼を見るが、身の安全に比べれば、世間からの悪評の一つや二つは軽いもの。走って、走って、走り回って。

 

 ようやく、汗に塗れたボサボサ髪をぬぐったのは、どことも知れぬ裏路地だった。運動不足の身体は悲鳴を上げている。そこで大きく息を吸いながら呼吸を整えて……。

 

 そして、次の瞬間。

 

 がしゃん!

 

「……ひえっ!?」

 

 男は飛び上がり、壁に体を打ち付けながら、大通りへと転がり出る。彼が先ほど休んでいた場所。そのすぐ近くに大きなレンガブロックが落ちてきたのだ。立ち位置の数センチ隣。頭に直撃してもおかしくなく、それが実現した時は彼の頭はつぶれたトマトのように中身をぶちまけてしまっていただろう。

 

 それを実感した瞬間、男の不安は最高潮を迎えた。汗が垂れ流され、目はぐらぐらと焦点を失い。手足は寒さに震えていく。そんな彼に残された希望は、一人だけだった。

 

「……助けて」

 

 自分が狙われている。誰かが、自分を殺そうとしている。

 

「助けてー!! 進ノ介くーん!!」

 

 男は、西城究は夜の大空へ向けて、悲痛な叫びをあげるのだった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか I」

 

 

 

「ふふーふーん、ふふふーふ、ふー♪」

 

 進ノ介の誕生日まで一週間が迫る日、進ノ介は鼻歌を歌いながら椅子に腰かけ、雑誌をぱらぱらとめくっていた。それは『今年のクリスマスは、これで決まりだ!』なんて、景気がいい見出しが書かれたデート雑誌。

 

 前回の事件の、不可抗力で霧子をデートへと誘うことに成功した進ノ介。次に行わなければいけないのは、最高のデートコースを決めることだった。そして、何度も述べてきたことだが、進ノ介はモテない。当然、デートコースの見当もつかない。

 

 なので、まず進ノ介が計画したのは自分が楽しい場所を選ぶというものだった。車のディーラーショップに行き、最高にかっこいい車の前で告白するという進ノ介にとって理想的なプラン。だが、

 

『……なあ、進ノ介。それマジで言ってる?』

 

 と、カイト

 

『あー、泊君さ、悪いことは言わないから考え直した方がいいと思うよ? 霧子ちゃん、怒らせたくないでしょ?』

 

 芹沢

 

『……仮面ライダーも一皮むけば、モテない青年かぁ』

 

 角田

 

 彼女持ちや、妻帯者の面々から猛批判を受けたので、断念せざるをえなかった。『自分の楽しい場所ではなくて、相手の楽しめる場所を選べ』とのお説教付きで。さて、そうなると改めてデートコースを決めないといけない。

 

 そのため、進ノ介はここ数日、雑誌を見ながら流行りのデートコースを調べていたのだ。水族館に、イルミネーション、レストラン。これが意外なことに楽しかった。自分の趣味である車以外には、これまでとんと頓着してこなかったが故に、全てが新鮮に映る。

 

 霧子と一緒に、このような場所を巡れればどれだけ楽しいか。想像するだけでも胸が躍る。

 

 後は、デートを承諾してくれた以上、期待してくれているだろう霧子が、楽しんでくれるか。

 

 そんな若き悩みにひた走る進ノ介を他所に、右京は相も変わらず、愛用のチェスをうちながら紅茶を楽しんでいる。そうして、今日も行灯な日が過ぎ去ろうとしていたのだが……。

 

「おーい、暇だろう? ちょっと来なよ」

 

 角田課長が怪訝な顔をしながら部屋へと入ってきた。

 

「あれ? 角田課長、なんかいつもと台詞違いますね?」

 

「そりゃあ、君ら、見ただけで暇そうだからねえ。質問しなくてもいいでしょ? ところでさ、たぶん、君らのお客だと思うんだけど」

 

 変なのが来てるから、見てよ。などと言われ、進ノ介は組対の広い部屋まで連れ出される。すると、大木刑事、小松刑事をはじめ、組織犯罪対策部に相応しい強面の刑事たちが一点を見つめていた。それは、部屋の入り口でまんじりともせず動かない、大きな段ボールで。

 

「……なんですか、あれ」

 

 進ノ介は角田へと尋ねる。あんな大きな荷物が置かれていたら、仕事の邪魔ではないか。

 

「俺に聞かれても困るよ。いやさ、あの中、人が入ってんの。自分で動いてここまで来たんだから……。で、大木が話しかけてみたら、『進ノ介君にしか話さない!』なんて変な声で言うし、気味悪くてね」

 

「……はぁ」

 

「ということで、さっさと引き取ってよ」

 

 そうして進ノ介の背中を押して、奇妙な段ボールの方へと導いた角田。彼は関わり合いになりたくないという様子で、さっさと自分の席へと戻っていってしまう。

 

 ほかの面々も、早く処理して欲しいという感情が、表情に表れていて。進ノ介は肩をすくめながら段ボールへと歩いていった。なんにせよ、お客様だというのなら、話を聞いてみないことには始まらない。

 

「……えっと、ご所望の泊進ノ介ですけど、ご用は何ですか?」

 

 進ノ介は腰をかがめて段ボールへと話しかける。それに返ってきたのは、妙にくぐもった声だった。変声機を使っているのがまるわかり。その段ボール曰く、

 

『……僕らを見分ける時に使った道具は?』

 

「は?」

 

『……白の僕と、黒の僕を見分ける時に使った道具は?』

 

 変な質問。それを聞いて、この段ボールの中身がだれか、進ノ介には想像がついた。進ノ介の濃い人生の間に、人を見分けた経験なんて一度くらい。

 

「……マーマーマンションの放送開始記念皿」

 

 だから、答えも直ぐに分かる。まったく、何をやっているのだろうという心持ちで返事をすると、段ボールがもぞもぞと動きだして、

 

「うわぁー!! 進ノ介君だー!!!」

 

 少しぽっちゃりした眼鏡の青年が飛び出してきた。進ノ介にとっては見慣れたアニメTシャツに半ズボンという、典型的オタクチックな服装。スーツ姿だらけのこの部屋では、それはあまりにも目立つ。けれども、青年は人目もはばからず進ノ介に抱き着くと、感極まったように涙と鼻水をスーツへとこすりつけた。

 

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ、究ちゃん!? いったい何があったんだ!?」

 

 友人であり、ともに特状課で戦った仲間である西城究。

 

 その突然の来訪に、進ノ介は顔を白黒させる。なにせ、究とは特状課の解散の後も連絡は取り合っていたのだ。こんなにいきなりやってこなくても、一報を入れればこちらから出迎えたのに。

 

「これには深い深い訳があるんだよぉ~!!」

 

「わかった、わかったから! ほら、とりあえず部屋に行こう」

 

 進ノ介は大木たちの怪訝な目を気にして、ひとまず特命係へと究を連れて行こうと、彼を立たせる。けれど、究は途端に血相を変えて、

 

「と、特命係は! 杉下右京だけは嫌だ!!」

 

 なんて慌てだしてしまうのだ。進ノ介には理由が分からないが、彼はどこか、右京を恐れているようで。しかし、部屋の前でこれだけ騒いでいれば、奇妙なことを見つければ飛び出さずにはいられない変人がやってこないはずがない。

 

 なので、

 

「おやおや、僕がどうかしましたか?」

 

 進ノ介の長身の後ろから、目を輝かせた右京がひょっこりと顔を出してしまう。そして、究はといえば、そんな右京を見るなり、

 

「で、でたー!!!???」

 

 珍妙な泣き声を上げ、ポケットから荷物をぶちまけながら、ひっくり返るのだった。

 

 

 

 西城究はネットワーク研究家を名乗る情報分析のスペシャリストである。

 

 その名に違わず、ネットの海は彼のもの。そこに潜む情報を露にする天才だ。彼の持つ素晴らしいスキルは、ネットワークを自在に行き来するロイミュードを追跡することまで可能とした。

 

 その腕を見込まれた彼は、沢神りんな博士と共に特状課にアドバイザーとして招聘され、進ノ介達と出会うことになる。事件に関する重要な情報を捜査員へと伝えることで、仮面ライダーの戦いを勇敢にサポートした彼も、事件解決の立役者と言えるだろう。

 

 進ノ介にとっても良い友人であり仲間でもある彼は、現在は本職に戻り、事件の中で得た奇妙な体験を元に本を書いていると聞いていた。

 

 けれど、今、彼は体を小刻みに震わせながら特命係の来客用ソファにポツリと座っている。強く不安を感じ、顔を青ざめさせた尋常ではない様子で。汗がとめどなく流れ、手指を震えが止まらないように、こすりつけている。

 

 その原因は、彼がだんまりとしているので判然としないのだが……。先ほどの叫び声から、究が右京に対して怯えていることくらいは分かる。なので、まずは原因かもしれない右京へと聞くことから始めた。

 

「……杉下さん、究ちゃんに何かしたんですか?」

 

「いえ? 僕はこの方とお会いするのも初めてですよ」

 

「でも、あんなにびくびくしてますよ? まあ、究ちゃん、怖がりな方ですけど」

 

「そうはいっても心当たりはありませんねえ。泊君、僕はあちらにいますので、話を聞いてみてください」

 

 右京はそう言い残して、再び窓際の席に座り、紅茶をたしなみだした。進ノ介は少し困ったように頭をかき、究の隣に座って話しかけてみる。究も、右京が近くにいなくなったことに安堵したのか、進ノ介へと顔を寄せてきた。

 

「それで? どうしたんだ、究ちゃん。そんなに怖がって」

 

「……実はね」

 

 究はひそひそと声を潜めながら、進ノ介へと事情を打ち明け始める。進ノ介も、そのただならぬ様子に、表情を引き締めて、

 

「……僕、命が狙われているんだよ! しかも、たぶん、杉下右京が原因で!!」

 

「……はい?」

 

 思わず右京のようなとぼけた声が出てしまう。

 

 究は目を剥き、ムンクの叫びのような恐怖に彩られた表情を浮かべるが、進ノ介は、彼が何を言っているのか理解できなかった。究が命を狙われているというのは、百歩譲ってあり得る。彼だって警察組織に協力していたのだから。だが、右京が原因であるというのはどういうことだろうか。

 

 一つ、可能性としてあり得るのは。

 

「……もしかして、究ちゃんも杉下さんに何かしたのか?」

 

 呟きながらも、進ノ介が脳裏に思い浮かべるのは、これまでの旧特状課メンバーの行動だ。誰も彼も、右京を警戒して威嚇したり、付け回したり……。おそらくは究も何かをしたのだろうと想像がつく。

 

 そして、究は恐々と頷きながら肯定を示すのだ。

 

「実は、進ノ介君が島流しになったあたりから、色々と情報を……」

 

「島流しって……」

 

「特命係は警視庁の陸の孤島じゃないか! 完全に島流しだよ……。で、最初はただの左遷部署だし、関わった警察幹部とか、杉下右京の過去を調べれば、一つくらい進ノ介君の役に立ちそうなものが出てくると思ったんだよ……」

 

 けど、と究は途端に言いよどみ、ちらちらと右京の方を見る。当の右京は興味深そうに聞き耳を立てているだけで、感情の変化は無い。進ノ介も、なんだかんだと右京とも長い付き合いになったが、いつもと変わらない、泰然とした様子。

 

「それで? 調べたら何が出てきたのか?」

 

 進ノ介は半ば、究の思い込みだろうと考え、苦笑いしながら先を促す。すると、究は今まで溜めてきたものを吐き出すように、立ち上がり、手を広げながら叫ぶのだ。

 

「闇だよ! 特命係に潜む、巨大な闇だよー!!!!」

 

 その様子に、進ノ介は呆然と究を見上げたまま固まった。大声に眼を見開いたのは右京も同じ。二人そろって、数秒ほどじっと黙って。

 

「ぷっ、あはははは! いや、究ちゃん、それはさすがに冗談きついって! この杉下さんは確かに変人だし、人の気持ちなんて考えないし、気になることがあったら人目も気にしない子供みたいな人だけどさ。でも、闇とか裏とかは無いって、絶対」

 

「……君、随分と失敬な事を言いますねえ」 

 

 笑う進ノ介へと、窓際の右京は咎めるようなことを言う。だが、進ノ介も彼がこれくらいで気にすることはないことは知っている。しかし、そんな風に笑い飛ばした進ノ介に食い掛る様に、究は彼が調べた内容を早口で言い募るのだ。

 

「甘い! 進ノ介君は甘いー!! 僕の調べによれば、特命係の闇はふかぁい!!!

 設立された理由も極秘! なんで杉下右京が飛ばされたかも記録なし! 

 それだけならまだしも、捜査権もない窓際のはずなのに、過去には朱雀武比古元官房長官、瀬戸内米蔵元法務大臣、他にも大学教授やら議員やら、若手官僚やら、大物の犯罪暴いては刑務所に叩き込んでいるんだよ!!

 おかしいと思わない? 僕には、すーごーく、臭う!! 

 きっとこの杉下右京は何かを隠してるに違いない!!!」

 

 最後にはびしりと右京を指さす。裁判で被告へと罪状を突きつける検事のように。ただ、オタクルックと、究の少しだらしない体形がそうは見せてくれないのだが。

 

 しかして、進ノ介にとっても究が出したお歴々の名前は、少しばかり、聞き逃すには大きい名前だった。どれも、逮捕のニュースは進ノ介の耳にも届いており、新聞の一面で取り上げられるような事件ばかりだ。それが本当なら、杉下右京の大手柄である。

 

「……杉下さん、ちなみに今の究ちゃんの言葉ってどこまで本当なんです?」

 

 確かめるために紅茶を呑気に飲んでいる右京に尋ねてみる。すると、右京はなんでもない事のように肯定を返すのだ。

 

「そうですねえ。僕が隠し事をしているということ以外は、おおむね間違ってはいませんよ」

 

「……そうなんですか」

 

 進ノ介は頭が痛くなった。右京は例の村木の事件やらを解決していたりと、卓越した捜査能力を持っていることは知っている。けれど、そんな世間を騒がす大事件まで解決しているとは。どうやら、特命係とは予想以上に色々な所へ口を突っ込んでいるようだ、と実感してしまう。

 

 同時に進ノ介は少しだけ、先のことが不安になった。

 

 そんな手柄を上げているのに、いまだに窓際の変人扱いされているのだ。能力があっても活用したくない理由がある。となれば、彼と組まされている自分はどうなるのか。密かに希望する捜査一課への転属も、いつになれば実現できるのか。そんな不安がまた生まれていた。

 

 ただ、このぼんやりとした右京は、ミステリアスな部分がありつつも、究の言うような隠し事をする人間には見えない。陰謀論とは真逆の人間であり、それらを暴こうと真っ先に突っ込んでいく人間だ。

 

 考えながら、究と二人して、じっと右京を見てみる。すると、右京も紅茶のカップを置き、興味深そうに歩いてきた。究はまだ、右京を怪しんでいるのか、進ノ介の広い背中の後ろに隠れて。だが、直ぐに隠れているわけにはいかなくなる。

 

「さて、僕の昔話は置いておいて、今井さん」

 

「西城です!! ……って、なんで僕の本名を!?」

 

 究は驚き、またも背を仰け反らせた。

 

「先ほど今井さんが転んだ時に、散らばった財布から保険証が。ここに今井健太とお名前が。ええ、西城究というのは如何にもな偽名に思えたので、これで、疑問が解決しました」

 

「返せぇえええ!!!?」

 

 微笑みながら自慢げに右京は保険証をかざして見せる。ぼさぼさの髪に黒ぶち眼鏡でぎこちない笑顔を浮かべた『今井健太』がそこには描かれていた。それを見た瞬間に、究が保険証を引っぺがす。そうして縄張りを荒らされた野良猫のように、毛を逆立てて右京を威嚇し始めた。

 

「……究ちゃん、杉下さんのことが怖かったんじゃ?」

 

「それとこれとは別だよ!!!? なんなんだ、この人は一体!!?」

 

「ああ、ご紹介が遅れました。先ほど、名前が出ていた、特命係の杉下と申します」

 

「それは最初から知ってるし、それを聞いたわけじゃないんだってば!!?」

 

「おやおや」

 

「おやおやじゃないよ!? あー、もう! とりあえず、あんたが原因じゃないの!? 僕が狙われているのは!!?」

 

 怯えていたのが一転、煙が出そうなほどのテンションの上がり具合であった。叫び、もう変人の相手は嫌だと言いたげに、頭を抱えてしまう。

 

「ま、まあまあ、とりあえず落ち着いて、究ちゃん! ほら、杉下さんはほっといて。……多分、勝手に聞いてくるけど。話を聞かないことには何もできないし!」

 

 進ノ介はそんな彼をなだめて椅子に座らせる。進ノ介には、右京が究を狙っているなんてこと、毛ほどにも想像がつかないが、話を聞いてみないことには動きようもない。

 

 そんな説得に、究も警戒の目を向けてはいるが、背に腹は代えられないと悟ったのだろう。進ノ介に向けて、話を始めた。

 

「昨日、僕が本の出版会議に参加していた時のことなんだけど……」

 

「おや、今井さんはネットワーク研究家というご職業でしたが、とうとう本を出版されるのですか」

 

「だから、西城究!!」

 

「ですが、貴方のお名前は今井さんですからねえ……」

 

「まったく! なんて融通が利かない人なんだ、この人は!!!!」

 

 結局、その後、究は数分ほどかけて、右京にニックネームを呼ばせることに成功する。

 

 ただ、その怪我の功名か。こんな変人が回りくどい手段で究を害そうなどとは思えない、と、そう考えなおしたようである。究は、もはや、疲れたように肩を落とすと、話を続けた。

 

「……家に帰ろうと街を歩いていた時。後ろから誰かの気配を感じたんだ。何だか、じっと僕を見ているような視線を。実は、同じようなことが数日続いていて」

 

 しかも、ただ見られているだけではない。

 

「物陰から自転車が飛び出してきて轢かれそうになるわ、マンホールの蓋が半開きになっていて、落ちかけるわ、駅のホームで足をかけられそうになるわ……。石とか、もの投げられるのもしょっちゅう。

 で、昨日も変だと思った瞬間に逃げ出して……。そうしたら、ビルの物陰で上から大きなレンガが降ってきたんだ」

 

「大きなレンガって……。事故の可能性はちょっと考えられないな」

 

 前半のことに関しては、もしかしたら、究の考えすぎかもしれない。彼は今、不安に対して過敏になっているように思えたからだ。

 

 だが、最後の件については別だ。夜中にビルの上でレンガを触る者等、そうそうもいない。まして、それを下に落としたとなれば、悪質ないたずらだ。問題はそれが究を狙ったものか、ということだが。

 

 究には、自分が狙われているという確信があった。 

 

「それに……」

 

 究は困ったように顔を歪ませながら、手をこすり合わせ始めた。言いにくいことがあるようだ。しかし、いまさら何を聞いたところで究のことを見損なうわけがない。彼は進ノ介は彼の手を握ると、その目を見ながら話しかける。

 

「それに? いったい何があったんだ、究ちゃん」

 

「……インターネットでね、僕、炎上しているんだよ。しかも、性質が悪い方向で」

 

 究は、進ノ介のパソコンを借りると大手SNSにアクセスする。そして、いくつかの検索単語を入れると、その景色が表示された。

 

「……これ、ひどいな」

 

 思わず、声が漏れてしまう。

 

 それは悪意の塊であった。ツイートと呼ばれるショートメッセージサービス。その数多くのツイートに『西城究は最低のキモオタク』『デブ神を〇せ!』等の刺激的な言葉がハッシュタグとして記載されていた。それらに付随しているのは、究の日常の盗撮写真や、不快なコラージュ。

 

 ネットの利用者はそれこそ数十億人。その全てが敵に回ったわけではないが、数万人が広めることに賛同している書き込みもあった。

 

 遊びか、本気か、数万人が究へと害意を抱いている。ネットの正体のつかめない悪意へと、進ノ介は憤りを隠せなかった。学校のいじめよりもたちが悪い。

 

「始まったのは二週間前。前触れもなし。

 今、僕の友達が火消しに動いてくれているけど、上手くいかなくてね……。もっとマイナーなサイトなら、僕を好いてくれている人も多いけど、一般の人が多いこういうとこは、皆がオタクってわけじゃないから。僕が襲われているのも、たぶん、悪ノリした奴らの仕業だと思うんだ」

 

 ただ、究にはそうなった原因が考えられず、炎上の広がり方から、この一連の騒動を先導している存在がいると、疑っているようであった。その証拠に、

 

「昨日、レンガが落とされたビル。その座標も、ほら、こうしてアップされてる」

 

「だから、昨日のレンガも偶然じゃないと。それで、究ちゃんは炎上が始まる直前に杉下さんを調べていたから、この人を疑ったんだな?」

 

「……杉下右京はともかく、それを調べられたら困る連中がいると思ったんだ。

 この書き込みみたいに、僕の行動を一から十まで監視している奴がいて、ネットに情報を撒いているんだよ。その発信元も調べてみたけれど、海外のプロバイダーをいくつも経由していて、特定はできなかったんだ。

 で、人を二十四時間監視するなんて、公安とか、そういう連中としか思えなくて」

 

 究は公安部という大きい組織を話題に上げる

 

 だが、進ノ介も右京も、今回の事件に、そのような組織が関与しているとは思えなかった。畑が違うとはいえ、彼等も同じ警察組織。手口や手法は知っている。進ノ介など、公安部の作戦にも参加しうる特殊班出身なのだからなおさらだった。

 

「いや、それは無いと思う。公安部が動くならもっと徹底的に隠密に動くだろうし、ネットを炎上させるなんて回りくどい手段もとらない。……むしろ、ここに来るまでの間に究ちゃんを連行するくらいはするはずだ」

 

「それじゃあ、進ノ介君達は、裏の組織の仕業じゃないっていうの?」

 

「そもそも、僕には調べられて困ることは何もありませんから。

 ……この一連の騒動が、ただの偶然でなく、何者かによって扇動されたものとするならば。ネットという西城さんのホームグラウンドで悪意をあおるやり方は、あなたの自尊心すら貶め、攻撃しようという意思を感じます。まずは、個人的な動機と考えて捜査を行った方がいいでしょう」

 

 淡々な声。

 

 しかし、その調子と裏腹に、右京は窓際へと機敏に歩きだし、コートを羽織る。進ノ介はそれを見て、彼が既に動き出そうと意思を固めたことを悟った。

 

 ただ、究からすれば、その行動は予想外のもの。

 

「えっと、捜査って。杉下警部も来てくれるの?」

 

 彼は呆然と、右京の小柄な体を見上げる。右京は今まで、究が散々に疑った相手だ。その相手を助けようと、こんな簡単に動いてくれるとは思えなかった。

 

 だが、進ノ介も苦笑いを浮かべながら、コートを羽織って外出の準備を整える。杉下右京が多少疑われたくらいで捜査をやめるわけがない。そして、彼が動くというのなら、究の友達である自分が動かないわけもないのだ。

 

「俺たちは警察官だから、困っている市民がいたら見捨てないよ。それに、究ちゃんは俺の仲間で、友達だろ?」

 

「ええ。加えて、この炎上規模に実害が現れている現状を鑑みると、さらに犯行が凶悪化する可能性もあります。それを未然に防ぐことも、我々警察官の仕事ですから」

 

 そうして二人、特命係が戸口に並んだ。

 

 その姿は、困っている人々にとって、どれだけまばゆく映るのだろうか。仮面ライダードライブとして、もはや進ノ介は戦う力を持たない。けれど、その微笑む姿はかつて見た頼りがいのある戦士と同じもの。究は思わず涙で目を潤ませながら、大きく頭を下げた。

 

「うぅ……、お願いします! どうか、僕を助けてください!!」

 

 そんな友達へ、進ノ介は優しく肩を叩いて応える。

 

「さて、まずはレンガが落とされたビルへと向かってみるとしましょう」

 

「犯人の手がかりがあるかもしれませんからね。ってことは、米沢さんも呼んでこないと」

 

 二人は行動指針を立てると、すぐに鑑識室へと向かう。そこが事件捜査の第一歩。予想外だったのは、件の米沢守が部屋へと入ってきた西城究を見た瞬間に、

 

「か、神ー!!!!!」

 

 と、奇声を上げて、ひっくり返ったことだった。




究ちゃん登場!

彼はドライブの中でも不思議なユーモアと、何よりロイミュードと人間の物語にとって、大きなステップをもたらした人物でもあります。

ちょっとオタクだけど、好かれてきた彼は、何故に狙われるようになったのか。
また、短期間で投稿を行っていきますので、お楽しみいただけると幸いです。


また、現在活動報告にてリクエスト企画を行っております。

どうか、皆様の思いのたけを教えていただけると幸いです。


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第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか II」

ここまでの状況のまとめ

元特状課の西城究が突然、特命係へとやってきた。不安に震える彼は、自身が何者かに狙われていると考えており、その情報の通り、ネットには彼の個人情報が次々とリークされていた。

進ノ介と右京は、究のために捜査を開始して……。


 米沢を連れて特命係、そして究が向かったのは、昨夜、レンガが落とされたビルの屋上であった。

 

「さあさあ! 早速始めましょう!!」

 

 威勢がいい言葉と共に、そのドアを勢いよく開けて、真っ先に冬の青空のもとへと飛び出したのは米沢。

 

 何時もならば、特命係に呼び出された彼は、少し恐々と、あるいは文句を言いながら付いてきてくれるが、今日の彼は気合に満ちていた。

 

 というのも、

 

「西城閣下といえば、我々のようなネットに親しむサブカル人間にとって、神のような存在ですから! 閣下の助けになれるとなれば、不肖、米沢守、この鑑識の腕を振るうことに何のためらいも御座いません!」

 

 そういうことらしい。米沢の鑑識キットの中には、大事にしまわれた究のサイン色紙が収められている。正直に言えば、仮面ライダーに対するよりも、米沢は熱量を込めていた。

 

 進ノ介はそのことに苦笑いを浮かべながら、自身が立つ屋上を見回してみる。何もない、平凡なビルの屋上だ。タイルや外装はセメントのそれ。進ノ介達が地上で回収した、究へと落とされたレンガは見当たらない。

 

 究が言う通り、何者かがレンガを落としたということは間違いないだろう。

 

 後は、それが究を狙ったものか、炎上騒ぎとは無関係の偶然か。しかし、それら偶然の起きる確率は如何ほどのものだろうか、と考えれば、ごく低いだろうと考えざるを得ない。

 

「西城さんが立っていた場所を考えると……。おそらく、投下はこの辺りからでしょうねえ」

 

 右京が、屋上の手すりへと歩いていき、一角を見つめた。下を見ようと乗り出すも、高層のため、細い路地などは目に映りもしない。その場所へと、進ノ介も向かい、そのことを確認して口を開く。

 

「究ちゃんが立っていた方角には、窓は設置されていません。落とせるとしたら、この場所だけ……。でも、ここからだと、究ちゃんがどこに立っているのか分からない」

 

「西城さんがこの場所で体を休めたのは偶然であり、待ち伏せをすることはできません。西城さんの行動を見届けてから、ビルに上がるのでは、犯行に間に合わないでしょう。

 おそらく、西城さんが言う通り、SNSに拡散された西城さんの位置情報。それに従って実行犯がレンガを投げ落とした」

 

「……ということは、実行犯はビルに元から住んでいる人間か」

 

 四人が上がってきたビルは、下層部が不動産屋のオフィスが入っており、上層部はマンションとなっている。そこの住人ならば、指示を受けた直ぐ後に屋上へと上がり、究の元へとレンガを落とせるだろう。

 

 実行犯の特定は、おそらく容易。ただ、それは事態の深刻さをも示していた。

 

 監視者が位置情報を送って直ぐ、実行犯が行動を起こしたのだ。ただ近くにいた、おそらくは互いを知らない共犯者によって。

 

「西城さんを襲撃するためのネットワークは、広範囲に作られているのでしょう」

 

「不特定多数の悪意……。このレンガと言い、自転車とか、足払い。手口は子どもじみている。実際、実行犯たちは殺意もなく遊びのつもりなのかもしれませんね……」

 

「しかし、西城さんにとって、これは遊びではありません。……決して! 彼らが遊びのつもりなら、このふざけた遊びを止めさせましょう」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか II」

 

 

 

 レンガを落とした犯人は、予想通り、あっさりと判明した。

 

「……朝野拓海、二十一歳の機械工。補導歴があり、指紋が屋上の手すり、レンガに付着したものと一致しました」

 

「あの子が僕を狙ったのか……」

 

 右京が淡々と告げる隣で、究が大きく肩を落とし、指先を震わせた。彼が見つめる先には、髪を金に染め、日に焼けた派手な青年が不貞腐れたように椅子に座っている。それに向かうのは、進ノ介。

 

 米沢が見つけた指紋を照合してすぐ、あのビルに住んでいた朝野が容疑者として特定された。その彼を担当の所轄署が連行し、進ノ介による取り調べが許可されたのである。

 

『……で? どうして究ちゃ……、西城さんを狙ったんだ?』

 

 進ノ介の声が、マジックミラー越しに究たちのもとへと届けられる。それと同時に軽薄な男の声も。

 

『……そんなことよりサインくれない? 仮面ライダーのサインなんてレアだろ?』

 

 次の瞬間、進ノ介が思い切り机を叩きつけ、その激しい音に朝野は驚いたように目を見開いた。

 

『……ふざけるなよ。あのレンガはたまたま、当たらなかっただけだ。殺人犯にならなかったことに感謝して、素直に白状しろ』

 

『……ただの遊びじゃねえか、いちいち目くじら立てるなよ』

 

『遊び。遊び、ね……。その遊びが原因で殺人未遂犯になりたいなら、俺は良い。大切な仲間の命を狙ったんだからな、俺も容赦しない……。

 これからの十年を刑務所で過ごすか、それとも、少しでも検察の印象をよくするか。好きな方を選べ……』

 

 進ノ介は低い声で威圧しながら、目を細める。すると、進ノ介が本気で怒りを抱いていることに気づいたのか、朝野は諦めたように伸びをして、机に並べられたスマホを指した。

 

『殺人未遂は嫌だなぁ。わかった、わかったよ! 

 ……そのスマホのアプリ。それを経由して『ヒットマンクラブ』ってとこに飛べる。で、あのデブはターゲットになってただけだ。

 昨日の夜もそう。デブの位置がアップロードされて、俺が近かったからチャンスだと思ってレンガを落とした』

 

『……チャンス?』

 

『あのデブ、オタクの神なんだろ? 神殺しなんて、イカした名前じゃねえか。絶対にバズるはずだったのにさ』

 

 進ノ介の、何よりも被害者である究の心をえぐる捨て台詞だけ残して。最後まで朝野は反省する様子もなく、連行されていった。

 

 

 

「『ヒットマンクラブ』は数年前に開設されたサイトです。内容は、自分がヒットマンになった気分で、書き込まれたターゲットをどのように狙うか、妄想して楽しむというもの。利用者は数万人いると言われます。

 そして、こういったアングラのネットコミュニティは過激化が進むものですが、その例にもれず、このサイトも過激化し、傷害事件にまで発展したケースも。サイバー犯罪対策課も警戒している話題の場所ですな」

 

 ところ変わって警視庁。

 

 朝野から経緯を聞き出した一同は、鑑識作業室にて米沢の解説を聞いていた。彼のパソコンには例の『ヒットマンクラブ』が映し出されており、その中には『ネットの神、西城究を狙え!』というスレッドが存在している。

 

 赤々と髑髏や血痕を模した模様がちりばめられている、見ているだけで気分が悪くなる場所。そんなところに友人の名前を見つけてしまうことになるとは、進ノ介も想像がつかなかった。

 

「……ちなみに、申し上げにくいことですが、泊さんのお名前も発見してしまいまして」

 

「あー、この進ノ介君のスレを立ててる『B. T』って、他でも仮面ライダーの悪口書いてるしつこい奴だよ。やり口がじめじめして陰湿だから、分かりやすいんだ。多分だけど、警察が嫌いなんじゃないかな?」

 

「えぇ!? それじゃあ、俺も狙われているってこと!?」

 

 進ノ介は驚愕に目を見開く。しかし、その言葉には、米沢は首を横に振ってこたえた。

 

「いえ。現状、スレッドが作られているだけで写真もなく、ただ仮面ライダーへの嫉妬が書かれているくらいですから、ご安心を。最も、これが今後燃え上がる可能性も無きにしも非ずですが……」

 

「君や西城さんのように名前と顔が広まってしまうと、一定数は良からぬ思いを持つ人はいるでしょうからねえ……」

 

 右京は自明の理の如くいうが、進ノ介としてはたまったものではない。米沢の話では、実際の被害が発生したことも鑑みて、サイバー犯罪対策課が悪質なユーザーの摘発に動くらしい。だが、それまでの間は警戒したほうが良いだろうと、進ノ介は気を引き締めた。

 

 間もなく迎える誕生日。それを病院で迎えることになるなんて、まっぴらごめんである。

 

 だが、進ノ介はともかくとして、究の方は問題が深刻だ。スレッドは既にパートが数十に上っており、そこには究への罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた。先ほどの進ノ介のスレッドが可愛い悪戯と思えるくらいに。さらに質が悪いことに、究の行く先々が写真と共に詳細に記録されている。

 

「うわぁ、僕が警視庁に来た時の写真も載ってるよ……。それにしても、この僕が、サイトに気づかなかったなんて……」

 

「西城閣下の好みとは外れておりますし、アプリは紹介がなくてはダウンロードできません。こういった手口は昨今問題になっているダークウェブを模したのでしょう。警察やその界隈の人間でなくては気づかなくても仕方ないかと……」

 

「確かに、特状課から離れてからは、裏系の情報収集は……。特命係調べて以来、ご無沙汰だったけど。それでも……」

 

 そうは言っても、自分の得意分野であるネットで事態が進行していたのにも関わらず、気づけなかったことを、究はショックを感じているようであった。

 

 しかし、今はへこたれている時間はない。ネットワークを介していると思われる究への襲撃は益々深刻化しているのだから。彼が安全な日常を取り戻せるよう、事態収束を急ぐ必要があった。だが、問題は、誰がこの騒動の主犯格であるか……。

 

「米沢さん、究ちゃんの行先を書き込んでいる人間、つまり監視者は一人なんですか? それなら、そいつを特定すれば事件は沈静化しますけど」

 

 究の行く先々を監視している。つまり、監視役は究の身近に潜んでいる可能性が非常に高い。書き込みを楽しむ傍観者や、受動的に動く実行犯はともかく、それらの起点になる監視者を逮捕できるチャンスはある。

 

 そして、位置情報の提供さえ止めることができれば、彼等の活動も沈静化するだろう。

 

 だが、進ノ介が期待を込めて尋ねると、米沢は肩を落としつつ否定した。

 

「残念ながら、西城閣下の位置情報は、複数のユーザーによって提供されています。ひとたび炎上すれば、関与する人数も鼠算式に増えるのは、ネット世界の常識ですから。

 ……ですが、熱心に追跡をしている、ストーカーのような人物が存在します」

 

 すると、米沢は一つの書き込みを指で示した。そのハンドルネームの人物は掲示板に何度も何度も書き込みを行っている。

 

「このハンドルネーム『Dirmam』という輩。この人物の書き込み数が最も多く、内容もストーキングから誹謗中傷まで多岐にわたっていました。このスレの主でもあります。少なくともこの事態になるよう積極的に火付けに回っているのは、彼でしょう」

 

 そして、説明を聞いた瞬間、究がDirmamの名前を指さし、大声を上げながら立ち上がる。

 

「あ! こいつ! ツイッターと9ちゃんにも僕の居場所をリークしてた奴だ!!」

 

「……でぃる、まむ? なんか変な名前だけど、究ちゃん、それ本当?」

 

「間違いないよ! 僕が追いかけて、居場所が分からなかった奴! まさか、こんなところにも情報を送ってたなんて……」

 

 ちょっと待ってて、と言うと、すぐさま究は自分のパソコンを滑らかに操作する。そうして開かれたページには、彼自身がまとめた炎上事件の資料が提示された。確かに、Dirmamは複数のSNSにおいて、究への過度な誹謗中傷を書き込み、流れを批判へと誘導している。敵意を隠そうともしていない。

 

 右京は、その一連の書き込みを見ながら興味深げに呟く。彼は食い入るように、件の掲示板を端から端まで読み込んでいた。

 

「このDirmam、かなり詳細に西城さんの居場所を調べていますねえ……。

 立ち寄ったレストラン、ホームセンター、行きつけのパソコンショップ、最寄り駅。そして、昨日の出版社に、今朝の警視庁。その経路まで全てアップロードされています。米沢さんが言うストーカーという言葉も、決して言い過ぎではないでしょう」

 

「えぇ、ストーカーって。……もしかして犯人は女性だったりするの?」

 

 究は嫌そうな顔で呟く。女性にもてるならともかく、こんなに付け狙われるなんてまっぴらごめんだという表情だった。

 

「これだけだと特定できないな。ただ、犯人は生半可じゃない労力を費やしてる。きっと、私生活をなげうって、ストーキングに励んでるはずだ」

 

「一日の大半を、西城さんに付き切り。この書き込みを見るだけでも西城さんへの恨みの深さが感じられます。と、いうことは……」

 

「きっと、究ちゃんと過去に接触しているはずですよね。現実であろうと、ネットであろうと。

 ……究ちゃん、熱狂的なファンレターは受け取ったことはある? 執拗な文句とか、もしかしたら愛の告白の類とか」

 

「ラブレターなんて、一度で良いから貰ってみたいよ!! ……まあ、ファンレター自体は結構もらっているけどさ。そんなに気になる相手は……。家に全部保管しているけど、見てみるかい?」

 

 進ノ介と右京は顔を見合わせると頷きを交わす。必ず、過去に究と犯人は接触しており、それが犯人の敵意へと変わったはず。その手掛かりがあるならば、追わないわけにはいかない。

 

「それじゃあ、俺たちは究ちゃんの家へ」

 

「米沢さん、Dirmamによる扇動行為が始まった正確な時期、その直前の西城さんの活動について、調査をお願いできますか? おそらく、何か前兆があったはずですから」

 

「ええ、もちろん。全力でやらせていただきます!」

 

 そうして三人は究の自宅へと向かうのだった。

 

 ただ、警視庁から走り行く進ノ介のGT-Rの後ろから、小型の自動車が尾行しているのを三人は知る由もなかった。

 

「……アイツが動き出したぞ。あの仮面ライダーもいる。……人数を集めておいてくれ」

 

 自動車の中、電話へと話しかける男。その男の車には、可愛らしい女性の写真が辺り一面に張り付けられていた。

 

 

 

 究の家までの道のりを、進ノ介は良く知っていた。特状課時代には、とある事件で家へと突入した経験もある。一年前と変わらない、都内の少し家賃が高めのマンション。

 

 その玄関口にたどり着いた三人は、大人しい顔立ちの男性と出会った。竹ぼうきで落ち葉を掃き、集めている。究によると、このマンションの管理人だそうだ。

 

「あれ、西城さん。どうしたんですか? そんな深刻な顔して」

 

 一行に気が付いた男性は穏やかに究へと話しかけた。

 

「……ああ、ちょっと色々疲れちゃって。そういえば、管理人さん、僕の部屋、何か問題とかないよね?」

 

「ええ、お出かけの間に見回りましたけど、悪戯なんてありませんでしたよ? 何かありましたら、こんな風に、お手を煩わせないでも、私から警察に連絡します」

 

「……なら、良いです。あ、この間も色々、リラックスグッズ、ありがとう」

 

 そう言って究は頭を下げてドアをくぐっていく。その道すがら、進ノ介は気になったことを究へと尋ねてみた。

 

「まだ、家までは攻撃対象になってないんだ」

 

「ここまで荒らされたら大変だよ。引っ越しするのも大変だし、管理人さんにもいきなり迷惑かけちゃうことになるし」

 

 確かに、究の家には貴重なグッズも多いので、いきなり夜逃げのように逃げ出すわけにはいかないだろう。その究の部屋へとたどり着くと、中は進ノ介が突入した時と同じく、オタクのパブリックイメージとは違う、清潔かつ光あふれる様相のままだった。

 

「こちらが西城さんのお宅ですか……。このキャラクターは?」

 

 右京はいつも通り、部屋へ入るなり辺りをじろじろと監察し始める。そして、彼の眼は壁へとかけられたポスターへと向けられた。それは、人気アニメ『マーマーマンション』の番宣ポスター。

 

 進ノ介は興味津々な右京へと説明する。少し、進ノ介のマニア心が刺激された。

 

「これ、マーマーマンションっていうアニメなんです。究ちゃんが大好きな作品で、今の時代には珍しく、声優がつかないで字幕で放送するんですよ」

 

「なるほど、絵柄もどこか懐かしいものですねえ。……ところで、君も随分と詳しいような口ぶりですが?」

 

「実は、究ちゃんに勧められてから、はまってて。杉下さんもどうですか? 基本的にはコメディですけど、たまに大人も泣ける話があるんです」

 

 そう言うと、右京はますます興味を持ったように微笑みを浮かべる。

 

「それは楽しみですねえ。アニメーションはあまり……、詳しくはありませんので」

 

 気になるものがあると一直線の右京だ、きっとアニメだろうと偏見を持たないだろう。そう思った進ノ介の想像は当たっていたようだ。同好の士が増えるのは、好ましい事なので、今度、見せてあげようと決意する。

 

 ただ、そんな家主を無視した会話を続けていると、究としては複雑な気分を抱くものであって。

 

「あんまり家をじろじろ見られると、いい気はしないんだけどなぁ」

 

 そう文句を言いながら、究は大きな段ボールを二人の前に置いた。

 

「ああ、ごめんごめん。つい」

 

「別にいいよ、あの作品がもっと広まるなら僕だって嬉しいし。……で、これが僕に贈られた全部の手紙」

 

 進ノ介が究に断って段ボールを開くと、そこには箱を埋め尽くさんばかりのたくさんの手紙が収められていた。それを見つめながら、ぼんやりと進ノ介はつぶやく。

 

「……これ、全部究ちゃんの?」

 

「そうだけど。……どうしたんだい、そんなに驚いて。進ノ介君だって、昔は同じくらい貰ってたじゃない。運転免許センターの人たちにもチェックを頼んでたくらいに」

 

 進ノ介はそれを聞いて、苦笑いを浮かべる。確かに、人のことは言えなかった。ただ、もう少し数は少ないと思っていたのだ。この数では、三人で探すにはあまりにも時間がかかってしまうだろう。

 

 とはいえ、面倒などとは口が裂けても言わないのが刑事という人種である。右京と進ノ介は黙々と、文面の確認を始めた。

 

「へえ……」

 

 閲覧を始めて、すぐ、進ノ介は感心したように声を漏らす。彼が視線を落とす手紙には、たくさんの感謝の言葉がつづられていた。

 

『ずっと、オタクだからって理由で一人だったんです。けれど、西城さんの言葉は僕たちにも優しく伝わってきて、仲間がいるんだって思わせてくれました』

 

『批判的な有名人にも西城閣下は鋭く言い返してくれます。それが、アニメ好きとして本当に嬉しいんです』

 

『ネットのトラブルにあった時、西城さんは協力してくれましたね。私のとって、貴方はヒーローです』

 

 そんな、心を込めた言葉たち。多くが手書きだ。

 

 究はネットワーク研究家という、世間一般とは離れた職業を営んでいる。だが、ネットワークが発達した社会であるにもかかわらず、それへのプロフェッショナルに対する日本社会の風当たりは強い。学ばなければ深められない分野であるから、興味がない人間は軽率に『変な奴』というレッテルを張りたがる。

 

 実際に、先ほど進ノ介達が確認したSNSには、そんな究への侮辱の言葉が数多く投稿されていた。

 

 けれど、そんな環境を変えるべく、彼は自分と同好の仲間たちに希望を与えている。好きなものを好きと宣言することで勇気を与えていることが、この手紙からも分かった。

 

「……僕たちオタクはさ。確かに、変わり者が多いし、きっと、サブカルの地位が上がったとしても、全世界から認められることなんて無いってわかってるんだ。

 けど、だからって好きなものを隠して生きる必要はないじゃない。僕がこの仕事を始めたのも、好きなことに嘘つきたくなかったから。それで、少しでも人助けになれればいいと思ってさ。

 今じゃ、こんなにたくさんの人が応援してくれるようになったよ」

 

「……そして、貴方は仮面ライダーに、泊君にも協力した。立派に世の中の役に立っているのですね」

 

 右京が感心したように呟くと、究は少し照れたように顔を赤らめて、頭をかいた。

 

 少し奇抜で、変わり者で、少し気弱なところはあるけれど、誰よりも優しい人間。それが進ノ介が好んでいる西城究の人柄だ。それを、進ノ介はロイミュード事件で知ることができた。

 

「本当に、究ちゃんがいなかったら、最後まで戦えなかったし……。それに、うん、究ちゃんはロイミュードが悪い奴らばかりじゃないって、教えてくれたんです」

 

 そう言いながら、進ノ介は懐かしいことを思い出した。黒と白、二色の同じTシャツを着た、『二人』の西城究の話を。すると右京は何かに気が付いたように、究へと尋ねる。

 

「それはもしや、あそこの戸棚に置かれた写真のことでしょうか?」

 

「……よくあんな小さいところに気が付くね、警部さん」

 

 究は気味が悪そうに右京を見つめる。右京が指さした先。平凡な戸棚の上に、十数個の写真立てが密集して置かれていた。

 

「木を隠すなら森の中といいますから。写真を隠すなら写真の中。その中に一枚、気になる写真を見つけてしまいました」

 

 そう言うと、右京はその写真立てを持ってくる。収められた写真には、まったくうり二つの西城究が並び、輝くような笑顔を浮かべていた。

 

「こちらの写真を見たとき、僕はてっきり双子だったのかと考えました。ですが、このお二人、顔立ちはともかく、ほくろの位置まで同じです。いくら双子でも、そこまで一致するのはおかしい」

 

「さすが『和製シャーロックホームズ』。そんなとこ、普通の人は気にしないよ』

 

 その呆れたような称賛の声に、右京は含むように笑みを浮かべる。

 

「細かいところばかり気になるのが、僕の悪い癖ですから。……せっかくですから、この写真の由来も教えていただけませんか?」

 

 右京が尋ねると、究は呆れたようにため息を吐いて、口を開いた。

 

「……ロイミュード事件の時にさ、僕、少しの間ロイミュードと生活したんだよ。僕をコピーした、変なロイミュードとね」

 

 

 

 彼は個体番号を072といった。

 

 元々はロイミュードらしく、仮面ライダーに近い特状課の人間を探るために究を襲撃した彼。コピーを終えて、究を殺害しようと試みた072は、究の末期の頼みを聞くことで運命を大きく変えることになる。

 

「072はマーマーマンションの放送を見たいっていう究ちゃんの頼みを聞き入れて、それを一緒に見たんです。マーマーマンションの中でも名作って言われる、泣ける回を」

 

「でさ、あいつもアニメの魅力にはまっちゃったんだよ」

 

 共に肩を並べてアニメを一本、鑑賞した二人。元々、究は本当に、悔いを残さないようにアニメを見ておきたかっただけ。

 

 だが、不思議なことが起きた。072はアニメの素晴らしさを理解して、大きく涙を流したのだ。それは、自らに取り込んだ究の人格が影響したのか、それとも072本来の特徴だったのかは分からない。

 

 大切なことは、この小さなマンションの一室で、人間とロイミュードが共に感動を分かち合い、抱擁を交わしたという事実。

 

 それは、どれだけの奇跡だろうか。

 

 蛮野という歪んだ製作者により、悪の感情を植え付けられたロイミュードが、憎むべき対象である人間と分かりあった。アニメは世界中で愛され、文化の壁すら、時に超えていく。それでも、人間と機械生命体との大きな一歩をアニメがお膳立てしたというのは、とてつもないことだと進ノ介は思っていた。

 

 その後、072は究と共に生活しながら、人間の生活を存分に楽しんだ。時には特状課にも究のふりをして参加していたというのだから驚きである。

 

 ただ、

 

「でも、あいつは殺されちゃったんだ。……ロイミュードに」

 

 きっかけはマーマーマンションの劇場版発表という出来事。子供からレトロを愛する年長者まで、多くのアニメ好きに愛されたマーマーマンションの待望の劇場版。皆が素晴らしい作品となることを期待していたソレは、一転、ファンにとって地獄の発表会となった。

 

 無声アニメだった作品に『アイドル声優』が声をつけるという発表が行われたのだから。

 

 それを聞き、072は激怒した。究も激怒した。後にアニメにはまった進ノ介も激怒した。

 

 台無しだ、と。

 

 アニメの持ち味を全く理解していない製作委員会の横暴。そう考え、怒り心頭となった072は発表会と声優を襲撃してしまう。その声優に文句を言うという目的で、ビルへと突撃した。そして、その事件を切欠に、究とロイミュードの同居生活が発覚し、次いで、人間と仲良くした裏切り者としてロイミュードに072が処断されてしまったのである。

 

 大きな悲しみを招いた出来事。それが進ノ介達に与えた影響は大きい。

 

 この一件を期に、ロイミュードの全てが悪ではないのではないか?、と進ノ介は考えるようになり、それが巡り巡って最終局面におけるハートロイミュードとの共闘と友情に繋がっている。

 

 

 

「あいつも人に迷惑かけちゃったからさ、全く無害だったとは言えないけど……。なんか、憎めない奴だったんだよね」

 

 究はそう苦笑いを浮かべながら、話を締めくくった。懐かしくも楽しかった思い出を話すうちに落ち着いたのか、肩の力が抜けていく。警視庁で再会して後、進ノ介がこれほど安心した究の顔を見るのは初めてだった。それだけ、彼はこの騒動に恐怖と緊張を感じていたのだろう。

 

「資料や世間の評価では、機械生命体はいかにも、血も涙もない機械という印象を受けてしまいますが……。やはり、村木の事件と言い、そう単純な事件でもなかったのですね。……貴重な話、どうもありがとうございました」

 

 右京は穏やかな様子で頭を下げる。彼も、事件の当事者から話を聞くのは珍しい事である。話を聞きながら、多くを考えていたようだ。

 

「……って、僕の話は今は良いでしょ!? 手紙の方は、どうなったの!?」

 

 究は思い出の彼方から戻ってきて、進ノ介と右京に問いかける。長々と072の話をしてしまったが、今は自分の襲撃事件を解決してもらうことが大切な究。だが、彼が二人を見ると、既に二人の傍には手紙が山と積まれていた。

 

「ああ、大丈夫! 俺たち、話聞きながらでも、こういうこと出来るから」

 

 進ノ介が笑いながら手を振った。ちなみに、右京の読んだ手紙は進ノ介のそれよりも多い。今、こうしているときも、一瞬で手紙を読み上げると脇へとまとめていく。

 

「……やっぱりさ、刑事だからどうこうじゃなくて、警部さんも進ノ介君も変わってるよね」

 

「杉下さんよりは、まだまともだと思うんだけど……」

 

「そこまで変わっているものですかねえ、僕は」

 

「考えるのか、手紙を読むのか、それともぼやくのか、どれか一つをするのが普通の人だと思うよ?」

 

 今こうしているときも、右京はそれを同時に行っている。それも、驚くべき速度で。そうなってしまうと、ご覧の通り奇妙な紳士の出来上がりだ。

 

 とはいえ、究にとってもその仕事の早さは頼もしく思えるそれであり。

 

「それで……、何か見つかった?」

 

 だが、進ノ介も右京も、その質問には首を横に振ることで応えた。

 

「この手紙からわかるのは、西城さんが多くの人に好かれているということくらいでしょう。強い敵意を感じさせるものや、熱烈な愛情表現もありません。健全なファンレターと言えます」

 

「となると、恨みを買う可能性があるのは、究ちゃんの仕事関係とか。もしかしたら、特状課時代の事件の可能性もあるけど……」

 

 そのあたりの恨みを買うというなら、まずは目立つ仮面ライダーが狙われるのが筋だろう。裏方であった究が狙われるというのはおかしい。

 

「あるいは、ネット上の機密事項に触れたため、何者かに狙われている。ですが、先ほども言った通り、明確に排除する目的にしては、回りくどく、悪質な方法をとっています。……西城さんへの個人的恨みに思えますがねえ」

 

 とはいえ、その後、一時間ばかりを費やしても究へと恨みを抱く相手は見つからなかった。次第に夜は深くなっていく。刑事二人はともかくとして、究はいささか、食事をしたくなる時間。

 

「ねえ、二人とも。今から食事を買い出しに行ってくるよ」

 

 究がコートと財布をもって、玄関から出ようとして。進ノ介は慌ててその肩を掴んで止めた。

 

「ちょっと待った! 究ちゃん、今は狙われているんだから危ないって。俺も付いていくよ。本当は、家にずっといてほしいくらいだけど」

 

「うーん、でも、なんだか、落ち着かなくて。少しの散歩くらい、ダメかな?」

 

「それでは、僕も行くとしましょうか。二人いれば、不測の事態にも対応できますから」

 

 そうして二人は究と共に外出する。目的地は歩いて十分ほどのコンビニエンスストア。用心を込めて、家から離れた場所を選んだ。そこに入ると、すぐにドリンクとおにぎりを選ぶ。あまり長居をするつもりはない。

 

 お会計は究が行ってくれた。自分を助けてくれているのだから、当然だと言って、買い物かごをレジへと持っていく。

 

 ただ、そうしている間、右京は外を鋭く見つめていて。進ノ介は彼の傍までゆっくりと歩いていき、耳打ちするように話しかける。

 

「……気づきましたか?」

 

「ええ。それに、例の『ヒットマンクラブ』にも」

 

 右京が携帯の画面を見せると、そこにはコンビニへと入る自分たちの写真が載せられていた。

 

『仮面ライダーもいるぞ!』

 

『かまわねえ、やっちゃおうぜ!!』

 

 なんて、煽り立てる文言も。そして、その通りに、二人も何者かによって監視されている気配を感じ取っていた。

 

「……ちなみに、杉下さんって自分の身は守れる人ですか?」

 

「君ほど腕が立つわけではありませんが、そこそこには」

 

「それじゃあ、信用しますよ」

 

 まずは究の安全を守ること、それが最優先事項だった。




本作においては、072の真実は、適切な時期に究へと伝えられたと考えています。本編中では描写がありませんでしたが、進ノ介が仮面ライダーと判明したなら、究も仮面ライダーが、ただ072を倒したとは思わないでしょうから。


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第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか III」

ここまでの状況のまとめ

元特状課の西城究が突然、特命係へとやってきた。不安に震える彼は、自身が何者かに狙われていると考えており、その情報の通り、ネットには彼の個人情報が次々とリークされていた。

捜査を開始した特命係は、この事件の背後に究をつけ狙うDirmamという謎の人物がいること。究の足取りが事細かに監視されていることを知る。

手掛かりを求めて究の自宅へと向かった二人は、そこで究とロイミュード072の思い出話を聞きながら、手掛かりを探すが……。深夜、買い出しに出た先で、奇妙な気配を覚えるのだった。



本作に登場するアイドル声優『有栖川ミヤ』について。
彼女の名前はドライブ本編にて記載がありましたが、苗字は見つかりませんでした。そのため、苗字は本作の独自設定になります。


「……何だい、二人とも怖い顔をして」

 

 コンビニを出てすぐ、究は二人へと怪訝な顔で尋ねた。来る時とは違い、進ノ介が究の後ろ、そして右京が前という位置取りで移動している。しかも、進ノ介は、究も知っている、戦いへ赴くときの顔をしているのだ。何かが起こると、想像がついた。

 

「西城さん、何が起きても慌てず、僕たちから離れないでください」

 

「……大丈夫、俺たち、これでも警察官だから。究ちゃんは守るから、安心してくれ」

 

 この日本に、仮面ライダーの発言以上に信頼できるものがあるだろうか。究は少しだけ不安を抱きつつも、強くうなずきを返すのだった。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか III」

 

 

 

 ことが発生したのは、ごく普通の道路。周りには未だ、多くの人が、何事も心配せずに歩いている。平和な、クリスマス前に浮かれた、普通の街の中。

 

 だが、進ノ介は何かを察知したように目線を鋭くする。

 

 慌ただしい足音共に、五人の男が彼らの前後を塞いだのは、そのすぐ後であった。

 

 前に三人、後ろに二人。進ノ介は究を守るように振り返ると、一瞬で敵の戦力を分析する。もとより特殊班の荒事専門、仮面ライダーとなって後は毎日が戦いだった。戦いに必要なテクニック、ふるまい方は誰よりも心得ている。

 

 その観察眼で見れば、相手はまるで素人だった。

 

 手には金属バットやバールを持ち、顔は覆面で隠している。だが、体形は緩んでおり、日ごろから運動をたしなんでいる様子ではない。構え方もなっておらず、数以外は脅威ではないだろう。だが、武装犯であることは間違いなく、一般人の究を背に守っている以上、油断はなかった。

 

 すっ、と進ノ介が足を開いたのと、相手が殴りかかってきたのは、同時。

 

「うらぁあああああ!!!」

 

 まず向かってきたのは大柄の男。進ノ介は上段に振りかぶられたバットに怯むことなく、相手の懐に入って手首をつかむ。そういった長物は、振られる前に止めるに限る。

 

 そうして、

 

「ふっ!!」

 

 相手の足を払い、遅れて近づいて来たもう一人へと、大きな身体を放り込む。その男は、倒れ込んできた仲間に驚いて足を縺れさせた。そうして体勢が崩れたところで、進ノ介は袖口を掴み、一本に背負い投げ。そのまま後ろ手に回し、捻り上げる。

 

 ブランクが三か月あるとはいえ、さすがは仮面ライダーと言えるだろう。一瞬で、二人の敵を制圧する。

 

 男二人が痛みに呻く間に、彼等の凶器を足で遠くへと離し、それらを終えると究の腕をつかみながら、壁際へと移動。究を壁に向けることで、背後の安全を確保する。

 

 その間に、転ばされた二人はよろけながら立ち上がるが、さすがに彼我の実力差を思い知ったのだろう。および足で、すぐにでも逃げたい様子なのが見て取れた。

 

 残る懸念は正面から向かってきて、右京が相手をした三人組の方だが。

 

「杉下さん! って、へえ……」

 

 進ノ介は眼前の景色を見て、息を漏らす。

 

「いってええ!?」

 

「うぅ……」

 

「なんだよ、このおっさん……」

 

 その場には、進ノ介と同様にすぐさま制圧されたのだろう、腕や足の関節を庇いながら地面へと倒れ込む三人の男の姿があった。彼らを倒したであろう右京は、息やスーツを乱すこともなく、彼等の武器を持ち上げ、頷きと共に遠くへとそれらを放り投げる。

 

(……はったりじゃなかったんだな)

 

 進ノ介は右京の先ほどの発言に納得し、感心を得る。見た目は紳士然としていて荒事に向いている様子ではないのに、瞬く間に、素人とはいえ三人を制圧したのだ。

 

 究が調べた通りなら、彼は数々の難事件を解決しており、そしてそれを裏付けるように、能力は実際に高い。知能面でも、実働面でも。

 

 では、なぜ、杉下右京は特命係という窓際へと追いやられているのか。何より、十年以上もの間、特命係が維持されているのか。

 

 自分が特命係へと配属された裏にも、何かがあるという確信。それが進ノ介の中で膨らんでいた。

 

「……くそっ、逃げるぞ!」

 

 だが、進ノ介達にとって重要なのは、まずは目の前の事件だ。油断なく刑事たちが構えを解かないのを見ると、男たちはさすがに敵わないと納得したのか、捨て台詞を残してヨタヨタと立ち去っていく。

 

 それを二人は黙って見送った。もう少し人手があったら連行することもできただろうが、今は警護対象もいる。再度の襲撃がないとも限らず、究の傍を離れるわけにはいかなかった。

 

 彼らの姿が見えなくなったのを確認して、進ノ介は究へと話しかける。

 

「……究ちゃん、大丈夫か?」

 

「う、うん。おかげさまで……」

 

 究は力なく頷く、だが、段々とその震えが大きくなっていき。究は突然、ヒステリーを起こしたように頭を掻きむしり始めてしまった。

 

「なんなんだ! あいつらは!!? なんで僕が狙われなくちゃいけないんだよ!! こんなの続いて、これから、どうやって生きていけばいいんだよ!!!?」

 

 何日にも渡って不特定多数に狙われ続けたのだ。究の精神が限界なのは、容易に想像がついた。自傷行為にも発展しそうな様子に、進ノ介は究の腕をつかんで止める。

 

「究ちゃん! 落ち着いて! 大丈夫だから!!」

 

「こんなの全然大丈夫じゃないよ! 証拠も何もないんだろ!?」

 

 究の言う通り、現時点で、扇動者とみられるDirmamの正体は依然として知れない。更にDirmamを捕まえても、この騒動が収まる保証はないのだ。

 

 だが、

 

「いえ、手掛かりはありますよ」

 

 右京は落ち着き払ったまま、二人のもとへと歩いてくる。そして、呆然とした顔の二人へと、あるものを見せた。それは、

 

「……これ、リストバンドですね」

 

 星形のロゴをあしらった、千切れたリストバンド。どこか安っぽい作りだが、肌身離さずつけていたのだろう。変色の具合がまちまちで、長く使い込まれた様子が見えた。

 

「僕がこれを手に入れたのは、襲撃犯の手首をつかんだ時のことです。劣化していたため、脆かったのでしょう。

 彼らはこれまでのような悪戯じみた手口でなく、西城さんを計画的に直接狙ってきました。Dirmamと同様に強い動機を持っているに違いありません。扇動者とも繋がりがある可能性は、高いと思いますよ?」

 

 右京はリストバンドを究に手渡す。

 

「西城さん、僕には、これはどなたかのファングッズのように見えるのですが……。それらの文化に詳しいあなたならば、どういったグループの持ち物か、分かりませんか?」

 

 尋ねると、すぐに究は見当がついたようで、意外という顔を進ノ介達に向けた。

 

「うん。……確かに、知ってるよ、このロゴ」

 

「究ちゃん、本当か?」

 

「ある人のファングッズだ。……進ノ介君も会った人の」

 

「え!?」

 

 意外な発言に、進ノ介は驚きの声を上げる。

 

「アイドル声優のミヤちゃん。……あの072が襲った人だよ」

 

 

 

 アイドル声優とは昨今のサブカルチャー趣味が広がる中で盛り上がりを見せている職業である。

 

 元来は文字通り、声で演じる俳優であり、キャラクターに声を付けることが主な仕事であった声優。だが、昨今、その美声が注目されるようになり、歌などのアーティスト活動も仕事に含まれるようになった。そうなれば、顔だちやパフォーマンスという面でも力が入れられるようになるのは、自明のこと。

 

 歌って踊れ、可愛く、キャラクターにも命を吹き込む。アイドル声優という職業に多くの若者が夢を見る。キャラクターではなく、声優本人のファンも珍しくはない。

 

 一方で、アイドル声優に否定的な人間もいた。彼らに求められる技能は多岐にわたることで、各技能が中途半端だという意見。あるいはアニメ作品本来の魅力ではなく、声優のネームバリューでファンを釣っているという批判。それらも趣味だからこそ、妥協できない拘りに基づいた多様な意見だろう。

 

 ただ、その意見が炎上することもある。

 

 その一例は、進ノ介達も好む、あのアニメでの出来事。マーマーマンション劇場版において、アイドル声優が起用されるという事態だ。無声劇ならではの魅力を大きく損なう行為であると多くのファンが憤慨し、声をあてたのは、演技に定評があるベテランではなく、若くかわいいだけのアイドル声優。

 

 批判は次第に声優個人や制作へのバッシング活動へつながっていった。SNSを通した誹謗中傷、制作会社への電話突撃、脅迫文。072のように直接突撃した過激派は他にいないが、降板を願ったファンは数えきれない。

 

「……バッシングが盛り上がり、長引いた原因は、間違いなく072の事件です。機械生命体の存在が公表されたあと、世間はあの事件に再注目したんです。

 アイドル声優に文句を言った機械生命体って。ファンだけでなく、影響されやすい一般人までバッシングをし始めた。襲撃が制作発表会で起きたのも、間が悪かったんでしょう。その場にいたメディアも便乗した。

 ……072が、結果的に批判へ大義名分を与えてしまったんです」

 

「その結果、ミヤさん始めとする声優は、劇場版マーマーマンションから降板。その後、無声アニメとして上映され、好評を博した。結果的に炎上によって世間の注目を集めたのでしょう。

 確かに、西城さんが実行犯ではないとはいえ、西城さんの分身と言える072によって、ミヤさんは活躍の機会を奪われたということになる」

 

「ええ。072が究ちゃんをコピーしていたことは、世間に公表されていません。けど、目撃者が全くいなかったとは言い切れない。072が最期を迎えたのは普通の公園でしたから。仮にどこからかその情報が広まったとしたら……。

 有栖川ミヤさん、そして、そのファンが究ちゃんに敵意を抱く可能性は高い」

 

 彼らにとって、恨みを晴らすべきロイミュード072は既にいない。次に彼らが恨みをぶつけるのは、072へと影響を与えた西城究その人である。図らずも072が今際の際に告げたように、彼等は同じ心を持っていたのだから。

 

 だが、

 

「これは、いったいどういうことでしょうねえ?」

 

 右京がぼやきつつ、前方の光景へと視線を向ける。

 

「西城先生!! また来てくれるなんて、ミヤ感激です♪」

 

「い、いやー、そんな! 当然のことだよぉ!!」

 

 二人の目の前には、嬉しそうに言葉を交わすアイドル声優と照れくさそうな究の姿があった。

 

 

 

 襲撃の翌日、三人が向かったのは、ミヤのミニライブが開かれたミニホールだった。

 

 既にライブは終了して、ファンは帰路についている。残っているのは、ライブのスタッフやミヤの事務所スタッフだけ。事情をスタッフへと説明した進ノ介達は、ミヤの控室へと案内されたのだ。

 

「……それに、もしかしなくても泊進ノ介さんですよね。あの時は、助けていただいて、ありがとうございました」

 

「い、いえ! 市民を守るのは、警察の使命ですから。当然のことをしたままです」

 

 究のもとからやってきたミヤは、一転、落ち着いた雰囲気になって丁寧な礼を進ノ介へと送る。それは、メディアで見るような彼女とは全く違う姿であった。思わず、あの高いテンションで話しかけられたら困ると思っていた進ノ介は、言葉を詰まらせてしまった。

 

 一方で右京はといえば、いかにも興味深いと言いたげな様子で彼女へと近づき、

 

「そちらのお姿が、普段の貴方なのですね?」

 

 そう言って微笑んだ。

 

「えっと、あなたは……」

 

「ああ、申し遅れました。警視庁特命係の杉下右京と申します。便宜上、泊君の上司に当たります」

 

「仮面ライダーの上司さん、ですか。すごい人なんですね」

 

「そんな大層なものではありませんよ」

 

「ふふっ、でも、思慮深そうな方に見えますけれど。……さっきのご質問ですが、答えはイエスでも、ノーでもありません。あのステージの姿も、今の姿も、有栖川ミヤという人間に違いありませんから」

 

 そうしてミヤはしとやかに微笑む。その表情は、身に纏った派手なステージ衣装にも不思議と似合ったものだった。彼女は椅子に座りながら話を続ける。

 

「声優、アイドル声優、色々と私たちの仕事を呼び表す名前はありますが、どれも役者の一つの形です。キャラクターに命を吹き込んで、世間の人にお届けするお仕事。

 だから、ファンの方の前では、私は、彼らが喜ぶ姿になります。可愛くて、ダンスが上手くて、それで、少しだけドジなミヤに♪ 

 ……それが、応援してくれている人への礼儀で、誠意ですから。けど、今は、警察の方のお相手ですから、こうした私に」

 

「なるほど、貴方のプロとしてのご姿勢は素晴らしいものです。失礼ながら感心しました」

 

 右京は彼女への敬意を示して、頭を下げた。一方で、進ノ介も彼女の姿勢に関心しきりとなり、頭を下げる。

 

 プロとして仕事に向かい合っている立派な女性。それがミヤという声優の真実だった。

 

 そんな彼女が劇場版マーマーマンションへと起用されることに、進ノ介はかつて『台無しだ!』等と文句を声高に言ってしまった。もちろん、作品へのこだわりがあったが故だが。肩書だけを真に受けて、安易に文句をつけた行為は、とても恥ずかしいことに思える。

 

 謝罪の気持ちを込めて、進ノ介はもう一度、深く頭を下げた。

 

 そうして自分の未熟を振り返った後、進ノ介はあることに気づく。今、ここにいるのは警官である自分たちだけではない。

 

「あれ? でも、究ちゃんはどちらかといえば、ファンの人ですよね? 究ちゃんの前でも、その、今の姿を見せてもいいんですか?」

 

 彼女の矜持からすれば、究の前ではキャラクターを作るものだろうに。そう尋ねてみると、究は頬を掻きながら、事情を説明し始める。

 

「ああ、実はね、僕はもう知ってるんだ。ミヤちゃんとも何度も会ってるし」

 

「……そうなの?」

 

「僕みたいな職業だと、業界の人間と変わらないから」

 

 ご意見番をやろうとしたら、ただのファンじゃあいられない、ということらしい。その話には進ノ介は納得する。だが、もう一つ、進ノ介にとって不思議なのは、究とミヤが仲良くしているということ。

 

 究も進ノ介と同様に、マーマーマンションの劇場版発表に際して、ミヤへと怒りを燃やしていた者である。彼とシンクロした072が憤りのあまり、彼女へと説教をしようと襲撃したほどに。それなのに、今の二人の様子は、まったく気心が知れた仲のように思える。

 

 それを尋ねてみると……。

 

「実はミヤちゃんが降板した時に僕、謝りに行ったんだ。友達として、僕が責任をとらないとって」

 

「え! じゃあ、ミヤさんは、あの時のロイミュードが、究ちゃんのコピーだったって知っているんですか!?」

 

 ミヤもその言葉にうなずいた。

 

「ええ。最初は、驚いたし、残念な気持ちにはなりました。大きなお仕事を失ったわけですし、作品のファンの人に受け入れられなかったのは、私の技術のせいですから。あと、怖かったし、怒りたくもなりました。

 けれど、西城さんは真摯に謝ってくださいましたし、その後、私のお仕事を手伝ってくれるようになったんです」

 

「そうだったんですね……」

 

 究が手伝ったのは、ホームページやファンサイトの運用、ミヤの活動をSNSを用いて拡散すること。そこはネットワーク研究家の面目躍如といったところだろう。究の名前を出すと、いらない反発を生む可能性があるので、名前は伏せたまま、彼女の活動をサポートしていたのだという。

 

 そして、その活動も後押しとなったのか、ミヤの活動は以前よりも順調に進んでいた。顔出しでの活動も、以前よりも多くのファンの人が来てくれるようになり、オフレコだが、来春の主演アニメも決まったそうだ。

 

 彼女は役者として、ステップアップを遂げている。

 

 と、いうことは。

 

「それは喜ばしい事です。……では、貴方は西城さんには恨みなどは抱いていないと、そういうことですね?」

 

「え、ええ、もちろんですけど……。もしかして、何かあったんですか?」

 

 右京の口ぶり、それに警察が二人も訪ねてきたことから気が付いたのだろう。ミヤが怪訝な顔を浮かべて、尋ねてくる。進ノ介は、そんな彼女へと例のリストバンドを見せた。

 

「実は、昨日の夜に究ちゃんを狙った襲撃事件が起きたんです。これは、その犯人たちが落としていったものです。究ちゃんの話だと、あなたのファンクラブのグッズだということですが」

 

「……確かに、私のファンの方たちが付けるものです。私のファンクラブの会員特典。だけど、西城さんの手助けを受けていることは、彼らは知らないはずです。……まして、西城さんを襲うなんて」

 

 ミヤは皆目見当がつかないという表情で項垂れた。彼女としても、まさか自分のファンが犯罪を犯したなんて思いたくはないだろうが、証拠は出ている。ただ、特命係が可能性として考えていた、彼女が裏で糸を引いている可能性は消えたように思われた。

 

 彼女からすれば、究との関係は利益を生むことはあれ、不利益にはならない。究も彼女の弱みを握ってよからぬことをするなんてことはあり得ないので、彼女が今回の騒動を起こす理由はないだろう。

 

 ただ、彼女と究の関係を知れば、好まない人間がいるということにも想像はつく。ファングッズを肌身離さず身に着けている人間など、間違いなく嫉妬するだろう。

 

 そんな想像を巡らせていると、スタッフの腕章をつけた男性がお盆に載せたコップを持ってきた。ミヤが頼んでくれていたということだ。彼はそれを四人へと渡していく。

 

「……粗茶ですが、どうぞ」

 

 紙コップに入れた緑茶。それを究は頭を下げながら取ろうとして。

 

「……ちょっと待った!」

 

 突然、進ノ介が男性の腕をつかむ。その眼は一転、鋭く細められ、手には強く力を込めていた。

 

 困惑に顔を歪ませる男性だが、すっと立ち上がった右京は、男の袖口をめくっていく。そこには、白い輪のような形に、日焼け痕が残っていた。奇妙なことに、進ノ介達にとって、見覚えがある形でもある。

 

「おやおや、何か、大切なものを失くされたようですねえ。こちら、日焼けの後が奇妙な形に残っています。長くつけていたものを今日はお忘れになったようですが……」 

 

「もしかして、こんな形のリストバンドじゃないかな?」

 

「ただの勘違いでしたら、申し訳ないのですが。僕としても、あなたとは出会った気がしてならないんですよ。例えば、昨日の夜に……」

 

 にじり寄ってくる二人の刑事の前に、太っちょの男性は顔を青くしながら尻餅をつくのだった。

 

 

 

 案の定、究へと差し出されたお茶には薬物が混入されていた。ただ、致死性のものではなく、下剤の類というのだから、より陰湿というべきか。

 

『ミヤちゃんの前で恥でもかけばよかったんだ!!!』

 

 とは、連行された後に喚いた言葉だった。彼は、昨日の襲撃の首謀者であることも白状している。

 

「有栖川源五郎というのが、彼のペンネームだそうです。本名は岡本達彦。『自称』有栖川ミヤの兄にして、親衛隊隊長。……ネットで独自のファンサークルを開いている男です」

 

「好意が募りすぎて、ライブスタッフとして働いていた。これ、半分くらいストーカーじゃないですか。

 ……でも、そのファンがどうして、仲間と一緒に究ちゃんを襲ったんです? ミヤさんは究ちゃんとの関係を明かしていなかったみたいですけど」

 

 警視庁に戻った三人は、米沢のもとで逮捕した男の情報を閲覧していた。今日、鑑識室へ来るのは三度目である。いつの間にやら米沢の机の周りには究やマーマーマンションのグッズが綺麗に並べられていた。究を出迎えるための祭壇だという。

 

 次来るときには、『鑑識 西城究』の机と言っても、おかしくはなくなるだろう。米沢も筋金入りの究のファンであったようだ。

 

「それがですなあ、実にネットらしいというか、なんというか。お二人に依頼されていた西城閣下の行動と炎上の発生時期を照らし合わせた結果、こちらの写真が出てきました」

 

 三人が一斉に、表示された写真をのぞき込む。

 

 どこか喫茶店のような場所で、ケーキをたしなむ究の写真。満面の笑みが眩しい。

 

「……ただの写真じゃないですか。ねえ、究ちゃん。……って、どうしたの?」

 

 だが、横目に見た究は、あぁー、とため息を吐きながら地面へとへたり込んでしまっていて。米沢はその様子に同情するように頭を下げる。

 

「問題は、この、西城閣下が持っている金属フォークです。ここ、この鏡面部分に何かが映っています。……これを拡大して、鮮明にしてみると」

 

 その作業が終わると、右京と進ノ介にも、この写真が撮られたシチュエーションが分かってしまった。そこに移されていたのは、カメラを持った、若い女性の顔。

 

「……これ、ミヤさんですよね?」

 

「なるほど、そういうことでしたか」

 

「とどめに、同じ日の有栖川ミヤさんのブログにも、話題のケーキ店に行ったとの写真が載せられておりました」

 

 つまり、このプライベート写真を深読みしようとすれば、

 

「西城さんとミヤさんが、極めて親しい関係にある。つまりは、男女の関係だと誤解されてしまったと、そういうことですね?」

 

 右京は極めて冷静な言葉で、言葉を零した。

 

「うぇええ!? 僕たちは、そんな関係になってないよ!?」

 

「この場合、相手がどう受け止めるかの問題ですからなあ……。

 どうやら、この写真のことは、岡本が運営するファンサークルの中で話題になっていたようで。その数日後から閣下の炎上騒動が始まりました」

 

「じゃあ、炎上の扇動者はあの男たち、ということですか?」

 

 ミヤさんに対して、恋愛感情すら抱いている過激なファン。それが扇動者なら、ミヤと究の接触が明らかとなった時期と被害が始まった時期のつながりにも納得がいく。熱烈なファンを信者と評することもあるというが、文字通り狂信と化してしまったファン。

 

 しかし、そううまくは話が進まないようで。

 

「岡本の一派が扇動の一部に関与していたことは間違いないようです。ですが、最も熱烈な扇動者、つまりはDirmamであることは岡本は否定しています。その一方で、こんな行動を起こすほどの信者は、自分たち以外にはいないと誇らしげではありましたが」

 

「そこは、蛇の道は蛇ってことで信用してもいいかもしれませんね。恋愛感情や名誉欲がきっかけなら、必ず自分の仕事を誇らしげに喧伝するはずですから。

 けど、ミヤさんのファンじゃないとすれば、Dirmamは誰なんだ……」

 

 進ノ介が悔し気に呟く。事件解決へ向けて、大きく前進したかと思ったが、肝心の影は未だ正体がつかめないのだ。右京は考えを巡らせるように後ろ手に腕を組みながら静かに口を開く。

 

「……Dirmamによる最初の扇動が書き込まれたのも、ミヤさんと西城さんの接触が伝わった直後です。何かしら、関係があると考えるべきでしょう。これまでの手口から考えると、

 ・犯人の目的は、西城さんを貶め、危害を加えること。あくまで個人攻撃

 ・位置特定をごまかすネットワークスキルを有する

 ・綿密なストーキング行為が可能

 ・その執念から、敵意は非常に強い

 ・有栖川ミヤさんとの出来事がきっかけなら、彼女、もしくは彼女の仕事との関係者

 分かるのは、このような点でしょうか。僕としては、有栖川ミヤさんと西城さんが関係したという例のアニメ映画について、気になるのですが」

 

 確かに、ミヤと究の繋がりで最も印象的であり、他に恨みを買う機会となり得るのは、その出来事だろう。進ノ介もその右京によるまとめに頷き、そして、心当たりがないか、究へと尋ねようとした。しかし、

 

「究ちゃん、何か思い当たることはないか、な……。究ちゃん、どうしたんだ!?」

 

 進ノ介は大声を出し、究の身体を抱える。三人が考えを巡らせている間に、いつの間にか究は床へとうずくまってしまっていた。それは、ショックを受けたというそれではなく、体から力が抜け落ちているような異様な様子。

 

(……指が震えている)

 

 思い返してみると、究が特命係へと赴いた時から、彼は顔色が悪く、手を寒そうにこすり合わせていた。

 

「……何だか、無性に指先が震えるようになって。……ここ最近だよ。多分、ストレスだと思うんだけど」

 

 進ノ介は彼の手を取り、看てみる。手汗が多く、細かい震えは持続していた。確かに、心因性のストレス障害でも、そのような症状は起こり得るが……。別の事例も刑事の知識として知っている。

 

「まさか……」

 

 もしそうならば……。

 

 言葉を失くした進ノ介に、右京も何かを納得したような声色で、声をかけるのだった。

 

「泊君、今、君が考えたこと。もしかしたら、事件の解決に繋がるかもしれませんね……」

 

「ええ、それに、Dirmamの不自然な行動にも説明がつきます。……彼の見つけ方、分かりましたね」




次回が最終パートです。

そして、衝撃の結末が!


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第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか IV」

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ここまでの状況のまとめ

元特状課の西城究が突然、特命係へとやってきた。不安に震える彼は、自身が何者かに狙われていると考えており、その情報の通り、ネットには彼の個人情報が次々とリークされていた。

捜査を開始した特命係は、この事件の背後に究をつけ狙うDirmamという謎の人物がいること。究の足取りが事細かに監視されていることを知る。

その中で、究とロイミュード072の起こしてしまった事件で被害を受けたアイドル声優のファンが、事件に関与していたことが判明するが、彼等は扇動者ではなかった。

そんな時、究が体調を崩し、進ノ介はその様子にあることを考え付いて……


 人の恨みつらみというのは、恐ろしいものだ。

 

 幼いころに受けた屈辱や、怒りは消えることがない。大人になっても苛まされるそれに従って、復讐を行ったものさえ多くいる。

 

 厄介なのは、人はいつどこで、他人から恨みを買っているのかが分からないということ。

 

 ちょっとした悪戯、悪意がない過失、そして時に職責を全うしたが故の逆恨み。ちりも積もれば山となり、それらが巡り巡って誰かの損失や傷、恨みへと変化することもある。

 

 刑事という仕事が、社会に貢献する一方で、被疑者に恨みを買うものである様に。

 

 無意識でも、人を傷つけることがある。ならば、誰かを傷つける行為、犯罪が人へと与える影響はどれだけ大きいものとなるだろうか。

 

 究に向けられた悪意も、巡り巡ってもたらされたものであった。

 

 冬の寒空の下、究と進ノ介、そして右京はとある場所へと向かって歩いていた。人混みを抜けて、たどり着いたのは何の変哲もないマンションの前。

 

「管理人さん」

 

 究は顔に暗い色を浮かべながら、常と変わらず掃き掃除をしていた管理人へと話しかける。

 

「おや、これは西城さん。……それに、一昨日の」

 

「ええ、ご無沙汰しております」

 

 右京も彼へと頭を下げた。そのまま、どこか正体を掴めない調子で、話しかける。

 

「実は、少しばかりお話を聞きたいと思いまして」

 

「Dirmamさん、あんたにね」

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第九話「西城究はなぜ追い詰められたのか IV」

 

 

 

 冬特有の鋭い寒さが、四人の間をすり抜けていく。強いそれによって、管理人の足音にまとまっていた、落ち葉が散らばっていくが、彼はそれを直そうとする素振りもない。二人の刑事の疑いの視線を向けられて、中年の管理人はうろたえたように、慌てて箒を地面に置いてしまった。

 

「あ、あの! 何かの間違いではないですか!? 私はそんな……」

 

 手を動かしながらの必死な様子の弁明。

 

「そんな、何ですか?」

 

 進ノ介は一歩、前に足を進めた。

 

 その物言いに、管理人は自分の失言を悟ったのだろう。口を慌てて抑え、汗を吹き出させる。だが、右京はそんな彼にかまわず話を前に進めた。二人は、まるで世間話をするように言葉を交し合う。

 

「そんな、『西城さんを狙うことはしない』とでも言いたいようですねえ」

 

「でも、おかしいですよね? 杉下さんはDirmamという名前を出しましたけど、それが究ちゃんの襲撃の扇動人だとは言ってない」

 

「ええ。聞きなれない名前を問われたのなら、怪訝な顔で『どなたのことですか?』などと問い返せばいい話です。ですが、あなたはその名前を。聞かれたら困る、まるで犯罪者の名前を聞いたように受け取った。

 おかしいですねえ……」

 

 右京もまた、一歩足を進め、挑発するように首をかしげながら問いかける。すると、管理人は下手なことをしゃべらないようにしたいのか、口をつぐんだまま、下を向く。

 

「今回の、究ちゃんを狙った襲撃事件。特徴は不特定多数の人間を煽り立てて、実行犯にするという、ネットを巧妙に使った手口でした。けれど、それは不安定で、確実性のない難しい手口です。

 この、一見難しい犯行を可能にするために、必要不可欠なことが一つ。それは、究ちゃんの居場所を事細かくリークすることです。実際に、どこに潜んでいるとも知らない実行犯たちが狙いやすいように、究ちゃんの行く先々がネット上に上げられていました」

 

「簡単につけ狙うといいますが、実際にはとてつもない労力を必要とする行為です。この、人がひしめく大都会の中から、偶然に西城さんを見つけたとしても、一瞬でも見失ってしまえば台無し。

 ですが、扇動者であるDirmamは毎日のように、西城さんの情報を提供している。プロの探偵を使うという手も考えられますが……」

 

「第三者を介したにしては、情報の更新速度が速すぎる。なら、犯人本人が尾行をした。それを容易にする方法が、人を雇う以外にも、一つ、存在します。

 ターゲットの拠点に張り付くこと。疑われないようにね」

 

 ずい、と、二人は背後にした大きな建物を見上げる。その犯行を可能にする、重要な因子。それこそが、どこにでもある、平凡なマンション。だが、そこには一点、西城究の住居というおまけがつく。

 

 右京は視線を戻すと微笑みながら口を開く。奥歯に挟まっていた小骨がようやく取れたというような。疑問が解けてすっきりした子供のような表情で。

 

「実は、僕、気になっていたことがあるのですよ。

 Dirmamによる追跡。それはプロ顔負けの正確さでした。しかし、その腕前と労力に不釣り合いに、ネットに上げられた情報からは、あるものが欠けていた。

 あなたなら、それが何か分かりますね? ……西城さんの自宅ですよ」

 

 もし、毎日のように究を尾行しているのなら、当然、自宅など直ぐに特定できたはずだ。

 

 にもかかわらず、住宅は一向にリークされず、究にとっての安全地帯となっている。リークされた場所も、地図にマッピングしていけば、不自然なほどに自宅周りが空白となっていた。

 

「つまり、Dirmamにとって西城さんの自宅だけは、リークするわけにはいかなかった。

 なぜか? それは、西城さんが安全だと思っていた自宅。そこにいることこそ、Dirmamの犯行には必要だったからです。西城さんが自宅にさえも不信感を持ち、引っ越しをすれば、犯行はたちまちに難しくなる」

 

「だって、Dirmamは毎日、家から出ていく究ちゃんを尾けていたんですから。

 ターゲットの拠点が分かっていれば、尾行は簡単。見失っても、時間がたてばターゲット、つまり究ちゃんは自分から戻ってきます。昨夜のような、突発的な外出も察知できる。

 犯人が、管理人なら、管理人室で玄関周りを監視していれば簡単です。」

 

「つまり、Dirmamは、管理人さん、あなたですよ」

 

 右京は手のひらを使って、管理人を指し示した。管理人は、顔を青くさせ、しかし、まだ認める気もないのか肩を怒らせて右京を見る。

 

「で、ですが、刑事さん! 私なら、犯行が簡単というだけで犯人扱いというのは……」

 

「そう! それです!!」

 

 その瞬間、右京は大きな声を上げて、指を立てた。そのまま、管理人へと顔を近づけて目を爛々と輝かせる。

 

「あなた、僕がどうして刑事だと、分かったのですか?」

 

 一言。

 

 圧力をかけたわけでもない、何気ない疑問に、管理人は答えることができなかった。

 

「俺たちが一昨日、この家へやってきたとき、あなた、こういいましたね?」

 

『ええ、お出かけの間に見回りましたけど、悪戯なんてありませんでしたよ? 何かありましたら、こんな風に、お手を煩わせないでも、私から警察に連絡します』

 

 管理人は確かにそういった。

 

「『こんな風にお手を煩わせる』。そう言った後に『警察に連絡する』。そうつなげて言った。つまり、あなたは僕たちを刑事だと認識していたのですよ。

 まあ、泊君は顔が割れていますから、そう考えても不自然ではありませんが、元より西城さんと泊君は友人関係。警察の仕事として、こちらに来たというのは確信が持てるものではありません」

 

「それに、この杉下さん。大学教授か何かなら分かりますけど、一般的な刑事像とは離れた人です。あなたが俺たちがこのマンションに、警察の仕事で来た刑事だと気づいたのは、あなたが究ちゃんを探っていたからだと考えました。

 Dirmamは究ちゃんがあの日、警視庁にわざわざ来て、俺たちを連れだしたのも分かっているはずです」

 

 犯人にあるまじき、凡ミス。だが、それも仕方ない事であろう。

 

「ずっと監視をしているというのも難しいものです。監視者としての自分が得ている情報が多すぎると、私生活の中で得た情報と混同してしまう。そうした油断から零れ出た言葉だったのでしょうねえ」

 

 管理人はとっさの会話に、自分が本来知らない情報を漏らしてしまったのだ。

 

 さらに、管理人は最近になって、このマンションにやってきた人間でもある。

 

 究は『管理人さんにもいきなり迷惑かけちゃうことになる』と言っていた。古くからのなじみに言う言葉にしては不自然。確認してみると、つい一月ほど前にやってきた新任の管理人だということが分かった。

 

「証拠は! 証拠はあるんですか!」

 

「Dirmamの正体があなただというのは、サイバー犯罪対策課などの助けを借りることが必要かもしれませんねえ。ですが……」

 

「あんたが究ちゃんに敵意を抱いていたことは明白ですよ。

 究ちゃん、俺たちの所に来た時から、体調が悪そうでした。発汗し、手足が震え、そして、周りの視線に敏感になっていた。ストレスによる心理的影響の可能性を考えていましたけど、もっと直接的なことが原因だった」

 

 そう言うと右京は懐からジップロックに入れたろうそくを取り出す。

 

「こちら、西城さんがあなたからもらったアロマキャンドルになります。こちらを調べてもらったところ、ごく少量の幻覚剤が練り込まれていました。それが、西城さんの不安を増加させた」

 

「こんな仕込みをしたのは、あんたにも、計画がうまくいくか自信がなかったから。

 あんたの犯行では、居場所をリークしたり、炎上を仕込んだ後、実際に危害を加えるのは赤の他人に任せるだけ。計画通り、究ちゃんを襲う人間が現れるかもわからない。

 だけど、薬で精神的に不安定にさせれば、話は別です」

 

 そんな状態で、自分がストーキングされているなんて情報を知れば、究が受けるストレスは増大する。日常的にネットをめぐっている究なら、自分の置かれた状況をすぐさま知ることができただろう。

 

 そうなれば、誰かが危害を加えなくとも、究は日常の事故に遭いやすくなるし、人間関係はぼろぼろとなる。究へと大きなダメージを与えることができるのだ。

 

「あなたは綿密に計画を練った。西城さんの愛するネットを使うことで、西城さんを傷つけようとした。ですが、あなたの悪意は強すぎたのでしょう。だから、このようなあからさまな証拠を残す真似をした」

 

 この証拠があれば、家宅捜索を行える。そうすれば、究を盗撮した写真などが山ほど出てくるだろう。動かぬ証拠はすぐに手に入る。

 

「残る謎は、なぜ、あなたが究ちゃんを狙ったか、ですが……」

 

 進ノ介は小さくうなずきながら、後ろに立っていた究を見る。彼は顔をうつむきつつも一歩前へ進んだ。此処へ来る前、進ノ介は究へと、

 

『犯人に会う必要はない』

 

 そう伝えた。しかし、その申し出に、究は否を示したのだ。犯人の来歴を知り、その事情を推察し、必ず、直接向かい合わなければいけないと考えた。

 

「僕の、いや、僕たちの行動が原因だったんだね……」

 

 究はそう言って、申し訳なさそうに呟く。その言葉に、管理人は肩をぴくりと動かして反応した。右京はその様子を見て取って、口を開く。

 

「目には目を、歯には歯をと言いますが……。今回の特徴的な犯行様態こそが、動機に繋がっていたのです。つまり、炎上で被った被害は、炎上を用いて晴らさなければならない、と。

 管理人さん、いえ、毛利正彦さん。あなたは、劇場版マーマーマンションの制作ディレクターだった」

 

「だから、ハンドルネームがDirmam。ディレクター、マーマーマンションの略です。あなたは、究ちゃんが、いや、ロイミュード072が有栖川ミヤさんを襲い、世間が劇場版への批判を向けたのち、解任されている。そのまま、制作のサンセットアニメーションを退社した」

 

 072の事件における直接的な被害者は有栖川ミヤであった。

 

 彼女はビルの屋上に連れていかれ、怪物に襲われるという恐怖を受け、自身の仕事を失ったのだから。だから、究も彼女に責任を感じ、償うための行動を取ったのである。

 

 だけれども、重大な犯罪において、被害者が一人だけということはあり得ない。犯罪と付随した影響によって、同じように不利益を被る人間も何人もいるのだ。

 

 管理人は、大きくため息を吐くと、強く目を細めながら、言葉なく項垂れる究をにらみつけた。これ以上言い逃れができないと分かった以上、あとは溜めこんでいた怒りをぶつけるしかない。拳を握りながら、究へと怒声を上げ始めた。

 

「何が、ネットの神だ! 何が天才だ! 結局はただのファンじゃないか!! 影響力があるなら、その言葉がどれだけの人を煽るのか!! そんなことも分からないで、好き好みを言うだけの仕事は楽だよなぁ!!!」

 

 毛利はもともとネットワークエンジニアとしてアニメーション制作の世界にやってきた人間だった。世間一般で言われるように、アニメーションは才能だけでなく、厳しい労働環境や賃金問題が伴う分野でもある。その中でも製作者が耐え忍んでいるのは、ひとえに彼らがアニメを愛しているから。

 

 毛利もそのような厳しい業界でステップアップをし、ディレクターを任されるようになる。そして、とうとうマーマーマンションというマニア心をくすぐる仕事に着手することができた。その重責を身に沁みながら、一大仕事を成し遂げようと張り切っていたのだ。

 

 そして、劇場版製作には、一つ、成し遂げなければいけない目的があった。

 

「マーマーマンションは素晴らしいアニメだよ。今の時代に無声劇に挑戦するチャレンジ精神。演出、アニメ、そして脚本! マニアの心をくすぐって、そりゃ、大人の男には受けるだろうよ! 購買力のある大人に絞るのは、マーケティング的に間違いない。

 けど、それだけでは限界があった……」

 

 一言でいえば、マーマーマンションは玄人向け過ぎたのだ。

 

 キャラはデフォルメされて、ぬいぐるみとしては優秀なデザイン。内容も、見てもらえれば、人を虜にする自信がある。だが、世間一般で言う萌えはなく、現在のアニメファンで無視できない規模を誇る声優ファンを呼び込むことはできない。

 

 声優がいなければ、イベントができない。できても、集客力はない。

 

 立派なアニメが売り上げにつながるものではないのだ。

 

「あんたらマニアはマーマーマンションを神だ神だっていう! だが、あのクオリティを維持するために、どれだけのアニメーターのスケジュールを確保して、どれだけの製作費がかかっているか分かるか!?

 その一部のマニアの金で、それがペイできてないんだよ! 今後もマーマーマンションを続けるために、声優をつける。制作側は皆、それが必要だって分かっていた!!」

 

 だから、劇場版というタイミングでそれを実行した。多少の非難は覚悟のうえで、それでも必要だと思ったから行った。

 

 クオリティを維持できなければ、潔く番組を畳めばいい。そんなことをいうのは無責任な評論家だ。作品一つに、多くの人の生活が懸かっているのだから。

 

 声優を付けるという決断は、作品を愛していたからこそだった。

 

「しかし、あなたの思いは届かなかった。ロイミュードによる襲撃を期に、炎上が発生。キャストは降板、あなたは退職に追い込まれた」

 

 右京の感情のない言葉に、彼は頷きを返す。

 

「……責任を取るには、それしかなかった。声優の事務所、音響スタッフ。それだけじゃない、各方面に迷惑をかけたのだから……。それがファンの総意なら納得できるさ。売り上げが伸びなかったなら、まだ納得できる。

 だが、あんな機械をけしかけた、この評論家気取りのせいだなんて! 納得ができるか!!!」

 

 だから、毛利は管理人として究の近くに忍び寄り、復讐の方法を探っていた。ネットを利用してやろうと考えたのは、究とミヤの関係が明らかとなったから。彼も、ミヤのファンと同じように、写真を細かく探って、証拠を見つけてしまった。

 

「いっちょ前に有栖川さんには手伝いなんて……。償いのつもりだろうが、思い知らせてやりたかったんだよ。あんたを恨んでいる奴は、どこにでもいるってな……」

 

 その恨み節に、究は返す言葉はなかった。仮にも同じ心を持った機械の友達。072の抱いた思いは、間違いなく究の中にもあったのだから。あの制作発表会を襲って、声優に文句を言ってやりたいという思いは。

 

 072はただ、必要以上の力を持っていただけ。

 

 究もファンを自任しているからこそ、この扇動者の恨みを理解できた。だが、彼が起こした騒動は、到底許せるものではない。

 

「あんたの言い分は分かったよ。俺だって、あの発表に憤って、無責任に文句を言った一人だ。製作の人たちに顔向けなんてできない。

 けど、あんたはその恨みを抱くならともかく、復讐を実行した。人を傷つけた! それだけは、どんな理由があっても許せないことだ!!」

 

「あなたはあの騒動で学ぶべきでした。どれだけ些細な行為でも、犯罪を行えば誰かが傷つき、消せない影響が残るのだと。被害者だったからこそ、それを知ることができるはずだった。

 にもかかわらず! あなたは自分の復讐に多くの人を巻き込んだのですよ? 扇動を受け、面白半分で参加した彼らは、あなたがいなければ犯罪を行うことはなかった! あなたは復讐ばかりを口にしますが、それによって無関係の人間が傷つくなどと考えもしなかったのですか!?

 そして何より、西城さんに理不尽を感じるならば、それを言葉にしてぶつけるべきだった。いくらでも機会はあったのですから……。その努力をしなかったあなたは、あなたの作品を壊した者たちと、何も変わりませんよ!!」

 

 その言葉に、毛利はゆっくりと、悔し気にうめき声を上げるだった。

 

 

 

 その後、所轄のパトカーにて連行されていく毛利を、究はどこか悲し気に見つめていた。

 

 彼にとっても、毛利の糾弾は胸に刺さり、簡単に消化できるものではなかったはずだ。

 

 進ノ介がその肩を叩くと、究は目をぬぐって、口を開く。

 

「きっと、僕が悪かったんだよね。072が怒ったのも、僕があの発表に怒りを持っていたから。アイツが悪かったんじゃないんだ。僕の中に、確かに悪意があったから、072を暴走させたんだよ」

 

「……あなたが、彼の言う通り、ロイミュードをけしかけたなら、あなたに責任の所在はあるでしょう。ですが、そうでないのならば、必要以上の責任を負う必要はありません。

 何より、それは、あなたが友達だと呼んだ、ロイミュードの人格を否定することにもなってしまいます。彼らの心を認めるならば、罪は彼らが負うべきものです」

 

「……正論だね。けど、そんな上手く割り切れるわけないよ。

 実際に、僕はあの発表にも、無責任に文句を言ってたんだから。けど、それで傷つく人がいるなんて思いもしなかった……」

 

 だが、ファンという消費者である以上、誰しもが注文を付ける権利はある。心の中で考えることは自由なのだから。けれども、今の時代は、その個人の考えが、容易に大きな波紋へと変わり得るのも事実だ。

 

 誰もがネットを使い、表現者にも、批判者にもなりえてしまう。

 

 果たして小石を投げ込んだ人間に責任があるのか、波紋を広げた人波にこそ責任があるのか。もはや、小さな呟きにさえ、責任を持たなければいけない時代へと変わってしまった。

 

 ならば、今回の事件を経験した究がすべきことは、

 

「あなたにも、確かに、人を傷つけた経験があった。……今、大切なのは、あなたがそれを受けて、どのように行動するかでしょう」

 

 右京の言葉に頷きつつ、進ノ介も究の肩に置いた手に力を籠める。彼にだって軽率な面はあった、だが、それで究の持つ優しさや素晴らしいスキルが貶められていいわけがない。

 

「……俺は、究ちゃんに、これまで通りの優しいネットワーク研究家でいてほしいよ。

 究ちゃんのファンレターにあったじゃないか。ネットとか、いじめに悩む人たちの力になってきた。だったら、今回みたいに炎上の被害に遭う人を助けたり、できることがあるんじゃないかな。それが、きっと、究ちゃんに出来る責任の取り方だと思う」

 

 その言葉に、究は暗い表情ながらも、一つ、大きな頷きを返した。

 

 まだ整理する時間は必要であり、そして、Dirmamが消えたとはいえ、炎上騒動は続いている。とはいえ、真実が分かった今だからこそ、進む方向も模索できるはずだ。

 

 右京も進ノ介の言葉に頷きつつ、しかし、一つだけ、気になることがあった。

 

(毛利に情報を提供したのは、いったい誰だったのでしょうねえ……)

 

 毛利が究へと恨みをぶつけるには、072と究の間にある繋がりを認識していなくてはいけない。だが、世間で秘密にされているそれを、どのようにして知ったのか。

 

 それを毛利へと尋ねてみると、

 

『匿名の情報提供があったんだ……。あの機械と西城究が抱き合っている写真が送られてきた。……ミスターXとかいうふざけた名前だったよ』

 

 そのミスターXとやらの正体は判然としないが、おそらく、遠からぬ未来で姿を現すのではないかと右京は想像がついた。それが果たして、どのような形なのか。まだ、分からないままであるが。

 

 

 

 翌日、考えを整理しただろう究からメールが届いた。

 

 今、毛利の逮捕によって究の置かれていた現状を知った、彼のファンたちが、今度は究のこれまでの活動を評価するツイートを広めてくれているのだという。その中には、毛利のようなアニメーションのクリエイターも何人もいた。

 

 彼の素直な意見は、決して、煙たがられるばかりのものでもなかったのだ。ファンの数よりも、一人の真摯な批評家の意見こそ貴重。そう考えている人もいる。

 

 そんな彼らと意見を交換しながら、償う方法を考えると、前向きな返事をくれた究は、これから、大きく成長するだろう。

 

 同時に、彼は進ノ介に一つの情報を渡してくれた。

 

 ここで事件の始まりに立ち返ってみると、進ノ介の懸念事項は霧子をどのようなデートに誘うかというものであった。だが、進ノ介はこの三日間、究のトラブルにかかりきりで、それを考える暇がなかった。クリスマスイブまで残り四日、既に主だったレストランは予約でいっぱいになってしまっているはずである。

 

 そんな彼からすれば、窮地という状況。

 

 究がもたらしてくれたのは、まさしく救いの手と呼べるものだった。『僕は一緒に行く相手もいないから、進ノ介君が使ってよ』と、言って送ってくれたそれは、都内の高級レストランの豪華ディナー招待ペアチケット。

 

 進ノ介も雰囲気がいいと思いながら、既に予約でいっぱいになっていて諦めていた場所であった。

 

 究のもとに、つい二日前、懸賞でもらったそれが届いたのだという。今回の事件のお礼だというそれを、進ノ介はありがたく受け取ることにしたのだ。

 

 そうして、すぐに時間が過ぎて……。

 

 

 

「服、よし。髪型、よし。ネクタイ、よし。そして……」

 

 鏡の前で身だしなみを整えていた進ノ介は、めかし込んだ服の内側を探って、指輪が収まっていることを確認する。

 

「指輪も……、よし」

 

 そうして、堂々と鏡の前に立った。仮面ライダーの装備ではないが、人生の大勝負にでる装束としては上等だろう。最後に、壁に掛けられた、元特状課の集合写真と、亡き父の遺影に手を合わせて。

 

 進ノ介はゆっくりと家を出る。

 

 向かう先は、ツリーが美しい広場。そこの噴水前で霧子と待ち合わせをしていたのだ。

 

 さすがに女性を待たせるというのは紳士としてあるまじき事という思いもあり、三十分くらい早めに待つことにしている。

 

 電車で二十分、歩いて十分。

 

 これも究から聞いた穴場スポットであった。あちこちに待ち合わせの人がいるが、彼等も待ち合わせだけを済ませて出ていくので、人の密度は大きくない。進ノ介は、少しの待ち時間を楽しむように、噴水の前で待つ。

 

 澄んだ冬の空気が冷たくて。白い息を吐き出しながら進ノ介は手をこすり合わせる。待ち時間というのを長く感じたことは、これまでになかった。心臓の鼓動の大きさを聞き、自分が緊張しているということを、今になって認識する。

 

(ああ、やっぱり、俺は霧子のことが好きなんだな……)

 

 なんて、心が浮き立つのだ。手元が寂しくて、早く温もりが埋めてくれるのを待つように、握ったり、開いたり。

 

 ふと上を見ると、空には満天の星が広がっている。ホワイトクリスマスとはいかなかったが、曇り空よりも、よほど上等な景色。

 

 そこから目線を地上に戻す。すぐに、彼女に気づいたのは、ちょっとした偶然か、それとも素敵な奇跡か。

 

 人混みの向こうから、少しだけ緊張に顔を固めた霧子が歩いてくるのが見えたのだ。コートで隠れているが、めかし込んでいるのが分かって、それだけで進ノ介は嬉しくてたまらなくなる。

 

 なんだか、待つのがもったいなくて、進ノ介は彼女へとゆっくり向かおうと足を動かす。一歩一歩、これからの新しい人生を描くための大きなステップで。

 

 その時だった。

 

(あれ……?)

 

 不意に、噴水の角に小さな影が見えた気がした。見知ったフォルムに、二つの小さな灯り。一見すると、ミニカーのようなそれは、かつての進ノ介の仲間であった、意志を持つ車たちにそっくりで。

 

 思わぬことに意識がそちらへとむき、進路から、数歩、横にずれて……。

 

 

 

 乾いた音が、街に響いた。

 

 

 

「……え」

 

 進ノ介が自分の異変に気が付いたのも、ちょうどその時。体から熱が生じた。じわりじわりとそれが、体をむしばむように広がっていく。全く痛みを感じることはなく、どこか夢心地で。

 

(まったく、こんな時に……)

 

 目の前に霧子がいるというのに、これから、一世一代の告白をしようというのに。こんな時に体が不調になるなんて。

 

 進ノ介はもう一度、勢いよく足を動かそうとして、それが不意にもつれて、膝をついてしまう。

 

 身体が重く、息が熱い。こんなこと、これまでに感じたことがなかった。あの忌まわしい重加速とも違う感覚。周りはみんな普通に動いているのに、自分だけが動けないなんて。

 

 世界が自分を置いてどこかに行くような、不思議な寂しさを進ノ介は感じていた。あるいは、自分が世界を置いて、どこかに行くのか。

 

 とうとう、立っていられなくなり、地面に伏せる。うつぶせになった身体。なぜか、腹の辺りが、雨でもないのに湿っていて。ぼんやりと手で触れてみたそこには、真っ赤な液体がべっとりと付いていた。

 

「……!! ……!?」

 

 道行く人が走り寄ってくるのが、ぼんやりとした視界の中で見える。誰もが青ざめ、恐怖に顔を歪ませている。こんな時こそ警察官の出番だっていうのに、泊進ノ介は何をやっているのだろうか。そんな、他人事のようなことを進ノ介は考えていた。

 

 仮面ライダーとして、刑事として、俺は立ち上がらないといけないのに。

 

 そして、

 

「……!! ……泊さん!!!?」

 

 目の前の泣いている女性を、笑顔にしないといけないのに。

 

 進ノ介は、立ち上がることができなかった。

 

 

 

 続く




BGM「終わりの始まり」





あとがき


これにて第九話は終了です。

そして、進ノ介の命運は、元日スペシャルへと続くことに。

今話のテーマは「炎上」
究ちゃん登場ということで、ネットワークの問題を取り上げたいと思いました。昨今、ちょっとした落ち度、あるいは勘違いから炎上につながることが珍しくもなくなりましたね。ただ、安易に人々が参加するそれを、被害者がどのように受け取るのか。参加者は想像もつかないでしょう。
今回の究ちゃんのように、誰もが潔癖ではない以上、たった一つの小さな意見で、誰もが被害者にも加害者にもなり得る。きっと、私たちはもっと言葉に責任を持たなくてはいけない時代に生きているのだと思います。

そして、今回はドライブ本編での072の事件を取り上げました。
彼は優しく、人間を愛し、人間の心を持ったまま死にました。ですが、彼が行った襲撃という事実は、きっと裁かれるべき罪なのだと思います。
『仮面ライダー四号』作中で、マーマーマンションが無声劇として上映されていたのは、おそらく、ファンたちの抗議も影響したのだと推測しました。

隠しモチーフはSeason7第18話「悪意の行方」。
ある意味、十年前からネットワークを取り巻く悪意と、諸問題は変わっていないのでしょう。便利になればなるほど、犯罪者もより巧妙な手口をとってくる。陣川君の事件の中でもコミカルな面もありつつ、やるせない結末でした。

今回の話はいかがだったでしょうか?
最後の進ノ介が、どうなったのか。そこから、次回の元日スペシャルは開始いたします。

次話の予告は、明日、改めて投稿します。


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元日スペシャル 予告

予告

 

 

 

「泊さん!!?」

 

仮面ライダーに放たれた一発の銃弾。それが事件の幕開けだった。

 

 

「私は、彼を許すことはできません。世間がいかに英雄と称えても、彼は、仮面ライダーはただの人殺しです!!」

 

聖夜の復讐計画

 

仮面ライダーへの糾弾

 

 

「ちょっと何やってんの! ゲンパチ!?」

 

「間に合えぇえええ!!!」

 

「なんで僕がこんな目に!?」

 

「これは大変なことになりましたよぉ……」

 

狙われた元特状課

 

 

「彼らには、煮え湯を飲まされたからねえ。……ここらで退場願おうかと」

 

「ヒーローには、敵がいなくなったら引退していただかないとね」

 

うごめく影と陰謀。それは大規模テロの前兆か

 

 

「もう一度お尋ねします。……あなたは、ご自分が真っ当な警察官だと、本当にお思いですか?」

 

「我々が今の君に求めるのは『黙っていてほしい』。ただ、それだけなんだ。それだけをしてくれれば、君を守ると約束しよう。

 君は理想の警察官として、ただ在ってくれればいい」

 

「あれは『超法規的措置』。それ以外の何物でもありません。……あら、私の口からこんなことを言わせる人が出るなんて」

 

「仮面ライダー……。僕は、彼がずいぶんと無茶をしたと、そう思いますけどね。ある意味、杉下さん以上に」

 

「お手並み拝見、といきましょうか。……杉下と仮面ライダーが、いったいどうするのか。そうでないと、彼を送った意味がありませんから」

 

世界は彼に疑問を向ける。あの戦いに、正義はあったのかと。

 

仮面ライダーの存在は、許されるのかと。

 

 

……そして、問われるのは正義の在り方

 

「ぜってえ、ホシを上げるぞ。これ以上、好き勝手にはさせねえ!」

 

「ここは先輩として、かっこよく決める場面ですからね!」

 

「これを片付けないと暇になれないからね。ま、俺も頑張るよ」

 

「なにより仮面ライダーの一ファンとしては、張り切るしかありませんな」

 

「……私は、あなたのことを信じています。この先に、何があっても」

 

 

揺るがされる信念

 

「君は今すぐ、警察など辞めるべきです!!」

 

「……ベルトさん、ハート。俺は、間違っていたのかな」

 

 

それでも、彼らは己の正義を胸に、立ち上がる。

 

「僕は君が思うよりもずっと、負けず嫌いですから。売られた喧嘩は買いますよ? そして……、必ず勝ちます」

 

「改めて名乗らせてください。

 ……警視庁特命係、泊進ノ介です。刑事として、仮面ライダーとして、真実を見つけに来ました」

 

 

 

相棒 episode Drive Season1

 

第十話 元日スペシャル

 

「機械人形への鎮魂歌」

 

 

 

「さあ、行きましょうか、泊君」

 

「ええ、トップギアで」

 

 

 

正月(前)には公開予定。こうご期待ください。




ということで、元日スペシャルの予告をお届けいたしました。

本編は鋭意製作中ですが、今回は本作を書くにあたり、絶対に書きたい、そして踏み込みたいと思っていた話になります。

果たして進ノ介の運命は!

通常の二倍以上のボリュームでお送りしますので、おそらく、全七、八パート構成になるかと思います。皆様にお楽しみいただける話にしたいと思います。

投稿は、可能ならば、十一月中にしたいですが……。どうか、しばらくお待ちいただけると幸いです。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 I」

皆さま、明けましておめでとうございます。

一日遅れの元日スペシャルをお届けいたします。今回は大ボリュームで全八パート。どうか、お楽しみいただけると幸いです。


 ……動機については、お話しした通りです。

 

 私には、どうしても彼が許せなかった。例え、彼が何億人も救ったとしても、何人の悪魔を倒したとしても。多くの人に希望をもたらしたとしても……。

 

 私にとっては、唯の人殺しだったのです。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 I」

 

 

 

 まどろむ意識の中、進ノ介は雨の景色を思い浮かべていた。共に傷つき、悲しみに塗れながら向き合った彼の姿を。派手好みで、どこか浮世離れしていて、仲間を誰よりも大切にしていた敵の首魁。機械の体をもち、心は人間よりも純粋で高潔だった男を。

 

 大切な友を。

 

 進ノ介は仮面ライダーとして、彼は人類の敵対者として。幾度となく戦い、向かい合い、傷つけあった。だけれども不思議と、決して嫌いにはなれなかった。憎しみを抱くこともなかった。むしろ、出会うたび、彼への尊敬と親しみが大きくなっていく。

 

 それはきっと、彼も同じで。最後には人間の悪意と戦うために、手を取り合うことさえできた。それなのに……、

 

『決着の時だ人間! 泊、進ノ介!!』

 

 全ての戦いを終えて、決着を望む彼。けれど、進ノ介は変身することができなかった。戦いのなかで消えたかったという友の願いを。仲間をすべて奪われ、汚名だけを残された種。そのささやかな願いを叶えられなかった。

 

 そして、

 

『最後の最後に、友達が一人増えた……』

 

『初めての、人間の……』

 

 世界に融けるように消えたハートロイミュードを涙ながらに見送った景色が、頭から離れない。

 

 何故、あの時、戦うことができなかったのか。

 

 刑事として、仮面ライダーとして。ロイミュードとの共存可能性を心のどこかで抱きながら、戦いを止められない以上はせめて真っ直ぐに戦い抜くと決めたのに。それが、彼等への戦士としての礼儀だと分かっていたのに、手を下すことができなかったのは。

 

 きっと……。

 

 

 

 杉下右京が病院へたどり着いたのは、夜の十時を回った頃だった。深夜であるにもかかわらず、多くの職員が切羽詰まって走り回る。そんな混沌とした状況を一人、ゆっくりと歩いていく。

 

 本来なら、今日はクリスマスイブだ。世界で最も愛があふれる日。日本に限らず、世界各国で人々が喜びを感じながら恋人や家族と過ごす日であったのに。

 

 今、世界は凶報によって混乱と疑惑の渦の中にあった。

 

『先ほど、警視庁の泊進ノ介巡査が襲われたとの速報が入りました。場所は都内……』

 

『仮面ライダーが撃たれた事件の続報です。泊巡査は現在、東映会病院へと搬送され、緊急手術を受けているとのことです。彼の安否はいまだ不明ですが、仮面ライダーとして人類を守った彼の安全を願う声が、クリスマスの街に響いています』

 

『未確認情報ですが、襲撃には狙撃銃が用いられたとみられ、都内全域で厳戒態勢が……』

 

『仮面ライダー襲撃犯を名乗る声明文が、各地の過激派組織から一斉に発表されました。警視庁は、それらに関してのコメントを差し控えています……』

 

『あんなにいい人を襲うなんて、あの悪魔たちしかいないだろ! きっと、あの機械の化物に、生き残りがいたんだよ!!』

 

 テレビを付ければ、そんな悲鳴のような報道が飛び込んでくる。誰も、未だに事件の全容が見えていない。あの機械生命体犯罪と同様に、市民は不安に身を削っていた。

 

 その中で一番に行うべきことは何か。右京は知っている。

 

 何よりも、確かな情報を得ること。全ては真実を見つけ出し、事件を終わらせるために。

 

 だから、右京は真っ直ぐに、進ノ介が搬送された東映会病院へとやってきた。人が多くとも、不気味な寒さを保った薄暗い廊下を抜けて、その一角へとたどり着いた時、そこに何人かの人影を見つける。

 

「……杉下」

 

 声を上げたのは、長椅子に呆然と座り込んだ追田警部だった。他にも、つい先日に出会ったばかりの西城究と、霧子もいる。全員が項垂れ、覇気がない。そんな彼らの中から、一人の男性が立ち上がり、右京へと声をかけてきた。警視の階級章を付けた制服に身を包む、背の低い男性だ。

 

「……あなたが杉下警部ですか」

 

「ええ、特命係の杉下です。貴方は確か……」

 

「元特状課課長、本願寺純です」

 

 進ノ介達、仮面ライダーを率いた男。右京も少し佇まいを直し、本願寺へと頭を下げる。とはいえ、今は社交辞令を交わしている時間はない。右京は全員を見回しながら、静かに言った。

 

「……泊君の容態と、事件の概要についてお聞かせ願えますか?」

 

 冷静な言葉だ。特に、いつもと変わった様子は見えない。仮にも自分の部下が襲われたというのに、取り乱した様子もない。ただ、杉下右京が取り乱すという様を、追田も想像することはできなかったのだが。

 

 追田は舌打ちをしつつも、答える。

 

「ほんとなら、あんたになんか知らせたくねえが……。今は、猫の手も借りたいところだ。仕方ねえ……。

 進ノ介は今は手術中。被弾は右わき腹。意識不明の重体だが、急所は外れているらしい」

 

「それは、不幸中の幸いでしたね」

 

「ええ、全く。後は手術の成功を祈るばかりです。事件の詳しい概要なら、彼女が知っているはずですが……」

 

 本願寺は椅子に座り込む霧子を見る。薄明りの中で定かではないが、右京の眼には、彼女が纏う純白のコートが、ひどく血で汚れているのが見えた。右京はゆっくりと尋ねる。

 

「詩島刑事、貴女が第一発見者ですか?」

 

「杉下! 言い方ってもんがあるだろうが!!」

 

 その言葉に、追田が声を荒げた。相手は警察官とはいえ、仮にも目の前で待ち合わせ相手が銃撃された女性。そんな霧子にかける言葉にしては、右京のソレは酷く不躾で、思いやりの欠片もない言葉だったから。

 

 だが、霧子は大きく息を吐くと、顔を上げた。その目は赤く泣き腫れていたが、それでも絶望したり、悲しみに浸っている目ではない。しっかりと意思を持った刑事の顔をしている。

 

「……大丈夫です。私だって捜査一課の刑事なんですから。

 発砲は二十一時ちょうどでした。射角や周囲の状況から、背にしたマンションから狙撃されたと思われます。銃撃は一発のみで、追撃や周辺被害もありませんでした」

 

「なるほど。通報はどなたが?」

 

「私が泊さんを介抱しながら行おうとしたんですけど、その前に救急車が到着しました。きっと、通行人が通報してくれたんだと思います。警察の配備も同様に早かったです。

 そして、最寄の緊急病院である此方に。病院が近くて、幸いでした……」

 

 淡々と、冷静に霧子が言う。その様子に追田や究は驚きつつも感心する。かつて、進ノ介が瀕死に追いやられた時には、霧子は悲しみのあまり塞ぎこむほどだった。だが、今は悲しみを抱きながらも職務を果たしている。それが刑事としての成長か、それとも、混乱から心を守るための防衛本能かは分からないが。

 

 それらの情報を咀嚼するように、右京が頷いていると、新たな来客が現れた。病院の冷たい静けさをぶち壊す、荒々しい嵐のように。

 

「特命係の杉下警部!!」

 

 伊丹が大きな足音を立てながらやってきた。彼の顔は常以上に憤りにゆがんでいる。そして、そのまま、誰が制止する暇もなく、右京の胸倉をつかみ、壁へと小柄な体を押し当てた。

 

 暗い廊下に、伊丹の荒い息が木霊する。

 

「お、おい! 伊丹!」

 

「現さんは黙っててくれ!! ……なんで泊が撃たれた!! また、アンタがろくでもないことに首を突っ込んだからじゃねえだろうな!!!」

 

「……それはまだ分かりません。ですが、今、僕たちは事件に関わっていません。それは断言しましょう」

 

 そんな状況でも右京は冷静な表情を崩さず、強く伊丹の眼を見返しながら言う。

 

「……もし、アンタが原因なら、俺は今度こそ許さねえからな……」

 

 伊丹がようやく右京を離す。だが、彼は納得がいっていないという表情で、地団太を踏んだ。そんな彼に、本願寺が歩み寄り、声をかける。

 

「伊丹刑事、捜査状況は、どうなっていますか?」

 

「あんたは確か、特状課の……。なるほど、じゃあ、あの丸眼鏡も元特状課、か。

 ……襲撃からすぐに付近一帯への緊急配備を行いました。ですが、犯人はまだ特定できていません。現在、狙撃場所の割り出しと検問を実施していますが、いかんせん、クリスマスイブの都内。人も多く、難航しているようです」

 

「……確か、複数の武装組織から犯行声明が出されているそうですね?」

 

 右京が尋ねると、伊丹は渋々と答える。

 

「真偽はまだ分かりません。ただ、過激派相手なら公安マターですからね。こっちまで情報が下りてこないんですよ。忌々しいことに」

 

「……なるほど。有名な仮面ライダーを手始めに襲い、名を広めた後に大規模テロ行為を働く。そういった可能性もありますからねえ」

 

「そんなわけで、俺は捜査に戻ります。……此処でやるべきことは終わりましたから」

 

 そうして伊丹は踵を返して、暗い廊下を戻っていこうとする。だが、霧子は勢いよく立ち上がると、その背中に大声をかけた。

 

「待ってください!」

 

 そして、伊丹の傍まで走り寄ると、強い視線を向けて、次のように志願をするのだ。

 

「私も、捜査に戻ります!」

 

 血まみれのコートを握り締めながらの、力強い言葉。だが、その申し出に伊丹は悩むように顔をしかめた。

 

「……泊は今が正念場だ。こっちに来るのはアイツが目を覚ましてからでいい。俺にだって、お前のその服装を見れば、何してたかは分かる」

 

「……だからこそです。此処でただ項垂れているなんて、刑事として、あの人のバディとして相応しくありません」

 

「だったら……」

 

 伊丹は霧子の背中を大きく音が出るほどに叩いた。その音と勢いは、霧子だけでなく追田や究も驚かせるほどのもの。それを済ませると、伊丹は大きく鼻を鳴らすのだ。

 

「……気合入れて、泊に張り付いてろ。刑事としてな! 犯人は襲撃にしくじってる。また、泊を狙ってくるかもしれねえ。お前なら警護として適任だろ」

 

 そう言い残して、伊丹は肩を怒らせながら去っていった。

 

 呆然と立ちすくむ霧子の肩を、追田が叩く。

 

「……伊丹なりの励ましだ。ありがたく、受け取っておけ」

 

「……はい」

 

 

 

 その後、辛抱の時間が過ぎていった。

 

 誰も、多くは話さず、右京はといえばどこか遠い場所を見つめるように思索にふけっている。そうして、一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……。

 

 手術室のランプが消えた。

 

 それを見て立ち上がる面々の前で、扉が開き、大仰なベッドに載せられた人影が運ばれてくる。酸素マスクや機材に隠れてよくは見えなかったが、それは間違いなく進ノ介であった。

 

「泊さん!」

 

 慌ててそれに駆け寄る霧子は、意識なく眠っている進ノ介を見て、大きく安堵のため息を吐く。血色は決してよくはないが、呼吸は一定の、安定したリズムを刻んでいたから。

 

「……よかった」

 

 崩れ落ちることはなかったが、一筋涙を流しつつ彼を見る霧子に、右京もどこか、微笑むような視線を向ける。すると、扉の後ろから主治医が出てきた。疲労は色濃いが、自信たっぷりに笑顔を浮かべて。

 

「……今回の手術を担当しました、両島と言います。無事に手術は成功しました。意識が戻り、術後の経過を見なければ安心できませんが、峠は越したと言ってもいいでしょう」

 

「ほ、本当ですか! 先生!」

 

 追田が思わずといった様子で、彼の肩を掴む。

 

「……さすが仮面ライダーと言いますか。急所を外れていたのもそうですが、厳しい手術にも難なく耐えていましたね。幸運と本人の日ごろの努力が実った成果です」

 

 言いつつ、両島医師は頭を下げて去っていく。

 

 まだ、進ノ介に面会は許されないが、臓器の損傷も少ないという。目が覚めれば数日で動けるようになるとの見立てだった。

 

 一同は進ノ介を乗せたベッドが見えなくなると、一斉に息を吐きつつ椅子へと座りこむ。

 

「いやぁー、ほんと、一時はどうなるかと思いましたよぉ!」

 

 本願寺は天を仰ぎながら陽気な声を上げる。その姿は、かつての特状課で見たような親しみやすいもの。緊張が解けたのもあって、思わず究も追田警部も笑みを零すのだ。

 

「それじゃあ、俺はセンセに連絡しねえとな!」

 

「あれ、りんなさんって確か今、学会でアメリカでしょ? お友達にも会いに行ってるとか」

 

「おう! 氷見博士って人らしい。確か、杉下も知ってんだろ?」

 

 問われ、右京は以前の事件で出会った怜悧な科学者を思い出す。

 

「ええ、事件の中でお会いしました。そうでしたか、沢神博士のお姿が見えないと思っていましたが、海外にいらっしゃったのですね?」

 

「さっき緊急で連絡したら、飛んで戻るって言ってたぜ。ただ、ま、結果から見たら悪いことしちまったな。……進ノ介が無事だってんなら、急ぐ必要もねえし」

 

「りんなさんだって、泊さんが大変な時ですから、気にしませんよ。剛なんて、居場所も分からないんですから。これで泊さんに何かあったら、大変でした」

 

 霧子も笑みを戻しながら、穏やかに冗談も言えるようになる。そんな面々を見回して、本願寺は。

 

「それじゃあ、特状課が全員揃ったら、みんなで盛大にパーティーを開くとしましょう! 泊ちゃんのベッドの周りでクラッカー鳴らしたり、ケーキ用意したり!」

 

 そんな本願寺の言葉に、一同が一斉に笑い声を上げて、

 

 

 

「おや、楽しそうだね。僕も混ぜてもらっていいかな?」

 

 

 

 正体のない声に、空気が固まった。

 

 一斉に声の来た方向へと向くと、そこに立っていたのは、穏やかで笑みのようなものを浮かべた壮年の男性。仕立ての良いスーツを着こなし、ゆっくりと上品な様子で歩いてくる。

 

 だが、その男を見た瞬間、顔色を変えた者たちがいた。本願寺と、究。特に究などは、顔を恐怖にこわばらせて、追田の後ろに隠れてしまう。

 

「ど、どうしたよ、究太郎! お前、あの人、知ってるのか!?」

 

 追田はそんな究の変化の理由が思い当たらず、怪訝な顔を浮かべた。彼には、目の前の男を脅威だとは思っていなかった。確かに、穏やかでありつつ、威圧するような不思議な雰囲気を備えている。さりとて、ここまで怖がるほどの人物かと。

 

 彼の正体を知っている究からすれば、そんな追田の言葉は信じられないものだった。

 

「お、追田警部! なんで警察官なのに知らないんだよ! そんなだから出世が遅いんだ!!」

 

「俺の出世が遅いのは関係ねえだろ!? そんな大した人なのかよ、あの人が!!?」

 

 追田は究へと文句を付けながら、紳士の方を指で刺す。

 

 その答えを告げたのは、本願寺の固い言葉だ。

 

「彼は小野田公顕。現在の警察庁長官官房室長です」

 

 それを聞いて、追田はぎょっと顔色を変えて指を下げる。

 

「って、いうと……」

 

「警察庁長官の側近中の側近、実質的な日本警察のNo.3……」

 

「霧子ちゃん! 問題は肩書だけじゃないよ! 僕の調べによると、小野田公顕は実質的な警察のトップ!!

 自分に反対する警察幹部を全員更迭した男! 今じゃあ、警察で彼に逆らえる人なんていないんだ!!」

 

 究が泡を食ったような叫びを漏らす。

 

 追田が小野田を知らなかったのも不思議なことではない。彼は捜査一課の警部であっても、あくまで一警察官。当然の教養として警視総監や警察庁長官の顔と名前は知っているが、小野田のように彼らを裏で操っている人間を知ることはできなかった。

 

 問題は、そんな人物が何の目的で、この病院にやってきたのか。

 

 事実を認識した瞬間、霧子も追田も小野田へと怪訝交じりの警戒を向ける。一方、当の小野田はといえば、

 

「そんな化物みたいに言わなくてもいいでしょ」

 

 なんて、穏やかな声を呟くだけ。

 

 だが、小野田の声は決して安堵をもたらすものではなかった。むしろ、一言を加えるほどに彼の存在感が増して、まともに意見など言えなくなるような。『警察を支配する怪物』。その形容は決して過剰ではないと思い知らされる。本願寺も含め、誰も口を開けない状況にあって……。

 

 杉下右京だけが何の気もないように一歩一歩、足を進めていった。

 

「お、おい!?」

 

 追田の制止の声も何のその、右京は小野田の目の前まで行くと、顔一つ分の距離で彼の目をまっすぐ見つめる。

 

「一体、何の御用でしょうか、官房長」

 

 挨拶もなく、社交辞令もなく、端的に『なんでここに来た』とダイレクトに尋ねる言葉。それを聞いて、当の小野田ではなく、追田や究が顔を青ざめさせる。いくら杉下右京が無礼だと知っていても、警察のトップへとそんな喧嘩を売るような言葉を投げかけたのだから。

 

 だが、小野田はそんな右京の言葉を、どこか嬉し気に受け止めた。

 

「久しぶりの再会だっていうのに、相変わらずだね、お前は。かれこれ、二年ぶり。日本に戻ってきたなら、挨拶に来ても良かったんじゃないかな?」

 

「あいにくと、僕には貴方と話す積極的な理由が見つかりませんでしたからねえ。無礼だったでしょうか?」

 

「無礼か無礼じゃないかで言えば、お前はいつも無礼だよ。しかも、お前のそれは無意識じゃないから性質が悪い。まあ、僕にしても、お前がいきなり帰国の挨拶に来たなら、風邪か何かを疑うから、めったなことはしてほしくないけれど。

 それとも、僕の方から挨拶に行くべきだったかな?」

 

「それはそれで、貴方の狙いが気になって気になって、仕方なくなりますからねえ……」

 

「じゃあ、お互いに挨拶なしで正解だったんじゃない」

 

「だから、僕はそう考え、その通りに実行したまでですよ」

 

 その光景に追田は唖然とする。

 

 右京は小野田に対してマイペースに話しかけ、それを承知の上だというように小野田も言葉を返している。けれど、その単純な会話に追田は割り入ろうとは思えなかった。どんな鉄の心臓をしていれば、あるいは、どんな因縁があれば、あんな泰然とした様子で雲の上の人間と話せるのだろうか。

 

 片や、警視庁の陸の孤島。捜査権もなく、使えない人材の捨て場所と認識される窓際部署の変人。

 

 片や、追田の知る内村元刑事部長をはじめ、警察幹部を更迭し、実質的に警察を支配する怪物。

 

 月とスッポンどころではない組み合わせのはずなのに、彼ら二人が纏う独特な雰囲気は、余人を入れない圧力を持っていた。

 

「さて、おしゃべりはこの辺にしておこうか。お前が言う通り、僕も散歩できたわけじゃないんだよ。……本願寺さん。泊君、どうなったんです?」

 

 意見を振られた本願寺は、固い声で小野田へと返す。

 

「……一命をとりとめました。まだ、意識不明ですが、早晩にでも目を覚ますとのことです」

 

「そう。それは良かった。彼に万が一のことがあったら、色々と面倒なことになりますからね。葬儀一つ上げるのも、大変。それに、まあ、これは小さい問題だけど、僕も責任をとらないといけないし」

 

 ふわりと語る小野田。何の気なしに語るような、近所で歩く野良猫を見て感想を漏らすような。ちくりとも重要性を感じさせない様子。

 

 だが、その言葉に霧子が思わず疑問の声を上げた。聞き逃せない言葉があったから。

 

「……それは、いったいどういうことですか?」

 

「ちょ! 嬢ちゃん! 相手は……」

 

 追田が慌てて止めようとするが、霧子からすれば進ノ介に関わること。止められるわけがない。鋭い視線を小野田に向けて更に問う。

 

「どうか答えてください! 泊さんの安否が、どうして貴方の責任になるんですか!?」

 

 そして、小野田はこともなげに、彼女の疑問に答えた。

 

 

 

「だって、僕だもの。泊進ノ介を特命係へ送ったのは」

 

 

 

 今度こそ、本願寺と右京を除いた面々が絶句する。沈黙は長く、めっきり静かになった病院の、遠くで巡回に歩く看護師の足音が聞こえてくるほど。それほど、何でもない調子で明かされた一言は衝撃を伴っていた。

 

 霧子達にとって、あれだけの功績を上げた進ノ介が特命係に送られた人事と、その首謀者は大きな謎であった。捜査一課ならともかく、初期の特状課を超える左遷部署、陸の孤島に島流し。

 

 上層部の政治闘争か、あるいはロイミュードに関与していた人間たちの逆恨み。そういった可能性を念頭に、ひそかに調べを進めていたのに。

 

 よりにもよって、警察のトップが首謀者なんて。まして、それをこんな簡単に告白するなんて。

 

 他方、小野田は意外そうな顔を浮かべる。

 

「あれ? そんなに驚くこと? だって、仮面ライダーを特命係に送るんですから。根回しとか、説得とか、それなりに上の人間でないとできませんよ。

 本願寺さんには納得するかはともかく、言っておいたし。杉下は……、まあ、お前なら、これくらいは想像つくでしょ?」

 

「ええ、こういった人を食ったような仕掛けを好むのは、貴方ぐらいでしょうから」

 

 まるで、進ノ介や仮面ライダーを、何か重要なことだとは思っていないような発言。

 

 霧子の胸の奥で、どろどろとした怒りがこみあげてくる。彼は、あの戦いを、私たちの苦しみを何だと思っているのか、と。

 

 それが口をついて出そうとして、

 

「進ノ介はアンタのおもちゃじゃねえぞ!!!!」

 

 代わりに怒声を上げたのは、追田だった。先ほどの恐々とした表情は消え去り、顔を真っ赤に染めて、今にも殴りかかるほどの強い感情。それを、追田は自分の上司へと向けていた。

 

 見ると、究もそう。追田の影から出てきて、小野田へと不格好なファイティングポーズを向けている。

 

 ただ、敵意をあらわにする彼らを見て、小野田は満足げに笑みを浮かべてみせるのだ。

 

「……さすがは本願寺さんが集めたチーム。まあ、そうやって嫌われるのは僕だって覚悟の上です……。けどね、おもちゃにしている、というのは否定しますよ。

 仮にもこの日本警察を背負っている身です。伊達や酔狂で仮面ライダーの人事を決めたりはしません」

 

 そこで右京は小野田を見ながら、冷静に尋ねるのだ。

 

「それでは、小野田官房長。貴方は何故、泊君を特命係へ送り込んだのですか?」

 

 何の作為も、感情をこめない。純粋な真実を求める疑問を。

 

 小野田はそれを聞き、意味深に口をゆっくりと弧にした。どこか、難題を前に右往左往している回答者を観察するゲームマスターのように。

 

「そこはほら、お前の好きな謎ということで。自分で回答を見つけて突きつけてきなさいよ。いつも通り、杉下右京らしくね」

 

 そう言い残すと、小野田は踵を返して、ゆっくりと去っていく。

 

 一歩一歩、確かな足取りの移動だったにもかかわらず、どこか、幽霊がいたように。彼の存在感はすぐに霧散してしまった。

 

 小野田が去った後、追田たちが感じたのは、大きな疲労感。まるで怪物と相対した村人のように、命があったのがめっけもんというほどの感触。

 

「……あれが警察のトップかよ」

 

 追田が思わず声を漏らす。

 

 この日本の平和を背負って立つ、傑物。穏やかな物腰にもかかわらず、話しているだけで常にプレッシャーを感じさせてきた。

 

 唯一人の例外は、杉下右京。

 

 彼は何事もなかったように落ち着き払ったまま、椅子に座り込む面々を見回している。その姿は、形は違えども小野田と似通ったもので。右京さえも、一種の怪物と思わされてしまう。

 

 追田は増々、右京がうさん臭く感じ始めた。あるいは、あの官房長と杉下右京が最初からグルなのではないか。そんな疑心が噴き出してくるが、

 

「私の調べでは、杉下警部と官房長の因縁は、とても長い。ですが、その一方、多くの事件で彼らは対立しています。この泊君の異動に関して、杉下右京も黒幕だということは、考えにくいでしょう」

 

 本願寺が、そんな疑問を先に読んだ様に、追田と霧子に耳打ちする。

 

 信頼する元上司の言葉であり、二人も本願寺の警察内部での情報収集能力もよく知っていた。その彼が言うのなら、確かなのだろう。

 

 しかし、

 

(じゃあ、なんで官房長は、進ノ介を特命係なんぞに送ったんだ!)

 

 追田と同様、全員が胸に抱いた疑問へと答えられるものはいなかった。

 

 だが、それとは別に考えなくてはいけないのは、

 

『今、泊進ノ介を狙っているのは誰か』

 

 という喫緊の課題。その件に関して、本願寺には、考えたくはないが、一つ消化しておきたい疑問があった。小野田がこの現場にわざわざ現れたということから、一つの想定がある。

 

「……杉下警部」

 

「はい?」

 

「……この事件、小野田官房長が糸を引いている可能性はありませんか?」

 

 本願寺の言葉に、追田は慌てて尋ねた。

 

「か、課長さん!? そいつは、つまり、あれか?! あの小野田官房長が命じて、進ノ介の命を狙ったってことですか!?」

 

「……小野田官房長は機械生命体犯罪が表面化する前から、私に便宜を図ってくれた人間です。特状課を設立するため根回しを含め、積極的に支援をしてくれました」

 

 その経緯だけを聞くと、小野田は仮面ライダー側だ。

 

「ですが、その一方で、彼は真影とも親交があった。彼を国家防衛局長官に推挙したのも、いや、そもそも国家防衛局の権限強化を働きかけたのは、誰ならぬ官房長です」

 

 真影壮一。元参議院議員、元国家防衛局長官。

 

 しかして、その正体はロイミュード001。記憶操作能力を駆使して、世間からロイミュードの存在を長く隠匿してきた強大な敵幹部であった男。

 

 そんな彼と小野田の間には強い縁が存在した。利害の一致とも言っていい。小野田が望む警察組織改革と、001が望む警察組織内での立身出世。それが重なっていた。

 

 真影が属した国家防衛局は元々、権限のない形骸化した組織であった。

 

 警察庁、防衛省、外務省。日本において様々に分割された国家防衛機能を持つ部局の連携を確認し、適切な情報の伝達が為されるように鎹を務める。

 

 そんな聞こえだけは良い、実質的には各省庁の天下り先として用意された組織。そんな場所に、各部局の縄張り争いを排除させることなんてできない。結果、その実態は例の新型ウィルスの検査のような、他がやりたがらない施策を細々と提言する日陰組織であった。

 

 001も、出世の足掛けとしか思っていなかった国家防衛局。

 

「ですが、小野田官房長は、そこにこそ目を付けた」

 

 小野田は長年、警察組織改革を目指してきた。その柱の一つが、公安警察、内閣情報調査室、防衛省、さらには法務省や外務省を巻き込んだ、日本のインテリジェンス機能を集約した組織。つまるところの日本版CIAを設立するというもの。

 

 しかし、そうした組織を一から作り上げるのは不可能に近い。

 

 だから、小野田は既にある国家防衛局の権限を拡大し、強大な組織へと変えようとした。建前上の目的であった各国家防衛機能の監督を実行可能な組織に改造していったのだ。

 

 そして、小野田の狙い通り、国家防衛局は国家公安委員会すら超え、警察や防衛省へと絶大な影響を及ぼすようになる。そのトップへと真影は担ぎ上げられた。

 

「しかし、泊ちゃんたちの活躍によって、国家防衛局長官、真影がロイミュードであったことが判明。組織の腐敗が明らかとなり、にわかに権限集中に反対していた連中が息を吹き返した。

 現在、国家防衛局は機能を停止、官房長の改革は停滞しています」

 

「つまり、小野田官房長の計画は、泊さんによって結果的に中断を余儀なくされたというわけですね……」

 

 霧子が言うことは正しい。だからこそ、本願寺が疑っているのは、

 

「なるほど! 特命係へ送ったのは、その復讐!! 今回の事件も進ノ介の命を狙ったと!! おのれ、小野田官房長ー!! こうなったら!!!」

 

「……そんなことも思ってたんですがねえ」

 

「おぉお!??」

 

 追田が気炎を吐きながら、病院にあるまじき叫びをあげるが、その意見は言い出しっぺの本願寺によって梯子を外されてしまった。

 

「なぁんて単純な陰謀論でしたら、話は簡単だったんです。けれど、さっきの官房長の様子を見ると、何かもっと深い狙いがあるみたいですし。……ちなみに、杉下君は私の意見、どう思います?」

 

「そうですねえ。僕も彼とは奇妙な縁で続いていますが、その考えのすべてを知っているわけではありません。ですが……」

 

 そこで、右京は何か、遠い過去を思い浮かべるように目を閉じる。

 

「……僕から言えるのは、彼が目的のために人を殺めるような御仁ではないということ。そして、彼が動くときは、必ず彼なりに良かれと思っていることくらいでしょう。

 個人的な恨みで泊君を陥れるような人物でしたら、おそらく、これほど長くは縁が続かなかったと思いますよ?」

 

 いつもと変わらない、静かな言葉だった。

 

 けれど、それを聞いた霧子も、本願寺も、追田達でさえも、おそらくそれは真実なのだろうと思わされた。変わらぬ調子であるのに、それこそ、十年できかない思いが込められているようで。

 

「……それを聞けただけでも、貴方と会った甲斐があったものです」

 

 本願寺が、納得したように頷く。どうやら彼の中で小野田の復讐説は霧散したようである。ただ、そうなると、犯人の見当はつかず、やはり進ノ介に恨みを抱いている者を一つ一つ当たるしかない。

 

 追田はパンっと頬を叩いて気合を入れると、

 

「やっぱり一から捜査するしかねえか! 進ノ介も頑張ったことだし、俺もやるっきゃねえな。嬢ちゃん、課長さん、何かあったらすぐ連絡するからよぉ!!」

 

 そう言って、廊下を急いで駆けていく。

 

「全く、追田警部は相変わらずだね。ここ、病院だっていうのに」

 

「けど、あの元気の良さがあると、安心します。私だけだと、気分も落ち込んでしまいそうでした。……そろそろ、泊さんも病室へ入った頃でしょうから、移動しましょう」

 

 そんな霧子の音頭に従って、一行は移動を開始する。長く続いた緊張がようやくと解けた、穏やかな時間の流れ。しかし、それは長く続くことはなかった。

 

 

 

 ドオォン!!

 

 

  

 耳をつんざくほどの轟音。それが響いたと共に、病院全体が振動に襲われたのだ。安眠を許さないと、そう告げる鐘の音。刑事として、その音が何かを聞き違えるほど耄碌していない。

 

 だからこそ、霧子と右京は血相を変えて階段を猛烈な勢いで駆け降りた。一刻も早く現場へと向かうために。三階、四階と階を下り。エントランスホールへ。そして、夜中にふさわしくない煌々とした外へと飛び出す。

 

 病院の駐車場。そこに光源は存在した。

 

 それは霧子にとっても見覚えがある、覆面パトカーだった。その持ち主も。先ほどまで、共に悲しみを分かち合っていた大切な仲間。

 

「そんな……」

 

 追田警部の車が無残な姿で燃え盛っていた。

 

 その姿を見届けて、右京は憤りを我慢するように、体を震わせるのであった。

 

 

 

「ふふふーん、ふふふーん、ふふふふふーん」

 

 暗い室内に明るい鼻歌が流れていく。クリスマスソング。幼いころからの夢を、そのままに残したような、無邪気な歌。それを鳴らしながら、人影はゆっくりと作業を続けていた。

 

 少し皺が混じった手の先へと、小さな刷毛を滑らせて。一撫で、二撫で。そうすることで、元の通り、綺麗なピンク色の爪が戻ってきた。

 

 細かい作業をこなすと、爪先が傷ついていけない。まだまだ、そんなことには慣れていないのなら猶更だ。けれど、そうして苦労しながら作ることにこそ、意味がある。

 

 今日は素敵なクリスマスイブ。

 

 心を込めたプレゼントを贈らないといけない。

 

「……仮面ライダーさんは、受け取ってくれたかしら」

 

 闇の中、不気味なほどに静かな声が木霊した。





国家防衛局に関するあれこれは筆者の独自設定となります。現実には存在しない国家防衛局という組織の実態を想像して、相棒世界でも流用できるように考えました。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 II」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。

その一報に世間が震撼する中、元特状課の面々や捜査一課、そして右京が動き出し、捜査を開始する。そして、幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが……。

追田警部の車が、突如として爆破されるのだった。


 だって、ヒーローは皆を救ってくれる存在でしょう?

 

 ピンチの時に颯爽と現れて、人々を救って笑顔にする。それが、ヒーロー。

 

 けれど、彼は違いました。たとえ、多くの人を救って、誰もが彼をヒーローだと認めても。彼は決して、私を救ってはくれなかったのだから。

 

 それどころか、彼は私の大切なものを、根こそぎ奪っていったのです。

 

 恨まずには、いられませんでした。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 II」

 

 

 

 明けた日中、杉下右京は東映会病院の駐車場で、鑑識作業を見守っていた。

 

「……まさか、こんなことになるとは。いやはや、なんというクリスマスでしょう」

 

 米沢がつぶやき、見つめる先は黒焦げになった追田の車。原型が分からぬほどにフレームが歪み、中に乗った人など、肉片となってバラバラになってしまう。あの車を襲ったのは、それほどの規模の爆発だった。

 

 だから、

 

「貴方は随分と運がいいようですねえ、追田警部」

 

「そいつはあれか!? 俺が巻き込まれた方がいいってことか!? 杉下ァ!!?」

 

「もちろん、そんなことは言っていませんよ」

 

 耳元の大声に、右京がほほ笑みを返した。彼の隣には、頬に大きな絆創膏を張り付けた追田が立ち、不機嫌な顔で変わり果てた愛車を見つめている。あれだけの爆発に巻き込まれたにもかかわらず、奇跡的な生還。どころか、ほとんど無傷であった。

 

「俺の便意が危機を知らせてくれたんだ! これも日ごろの行いだな!」

 

 昨夜、爆発の直前。

 

 エンジンをかけて、いざ出発しようとした追田を、急な腹痛が襲ったのだ。これは敵わないと慌てて外へと飛び出し、病院のトイレへと駈け込もうとした彼。直後、凄まじい爆風が背後を襲うも、間一髪、爆破範囲から逃れることに成功し、かすり傷程度で済んだのである。

 

 ただ、追田警部が無事であったことは喜ばしいが、進ノ介の事件との関連を考えると、決して楽観視はできない事態。何故なら、

 

「泊君が狙撃され、直後に彼が搬送された病院前で追田警部の車が爆破された。……犯人の狙いは明白です」

 

「俺たち、元特状課か……」

 

 追田が小さくつぶやく。

 

 だが、機械生命体は、特状課が戦ってきた敵は存在しないはずなのに、誰が彼らを狙っているのか。その姿かたちは見えていなかった。

 

 その答えは、意外な形で知らされることになるのだが……。そのことを、まだ右京ですら、知ることはできなかった。

 

 

 

「元特状課が狙われているというのは、本当か!?」

 

 場所は警視庁。その大会議室に、中園参事官の大声が響き渡る。

 

 彼は薄い頭が光り輝くほどに汗をかき、それをぬぐいながら、伊丹の報告を聞いていた。

 

「特命係の泊が襲撃された直後に、今度は一課の追田警部が狙われました。どう考えても両者の繋がりは明らかです。……犯人の狙いは元特状課と見て、間違いありません」

 

「なので、我々は機械生命体事件の関係者を当たっています。特に、特状課が解散する直前に壊滅させた、新興武装勢力、通称ネオシェード。その残党が目立った活動をしているとの情報も。

 他にも、真影や仁良のシンパ。事件後に処分を受けた警察、自衛隊関係者もしらみつぶしに」

 

 芹沢が伊丹の説明を捕捉しつつ、分厚いリストを机に叩きつける。

 

 すべてが容疑者。

 

 合計百八体の機械生命体。その事件関係者というだけでも膨大なのに、そこにロイミュードに協力していた汚職警官や汚職官僚、それに加えて暴力至上主義の武装組織まで含まれるのだ。猫の手がいくらあっても、捜査には時間がかかると思われた。

 

 だが、

 

「……今は特命係でも、泊は仮面ライダー。ここにいる俺たち全員が、奴に大きな借りがある。

 この事件は俺たち警察への挑戦です!! ぜってえ、ホシを上げるぞ。これ以上、好き勝手にはさせねえ!!!」

 

「「「おおおおお!!」」」

 

 伊丹の号令に倣い、会議室中の警察官が気合の怒号を上げる。彼らは一人残らず、かつて仮面ライダーによって守られ、命を救われた者だった。特命係に異動したとはいえ、泊進ノ介には未だ仲間意識を抱いている。そして、返さなければならない恩も。

 

 刑事たちの今回の事件にかける思いは人並み外れたものがあった。

 

「犯人は、俺たちの誇りを傷つけた。絶対に目にもの見せてやります」

 

「あ、ああ! いい心がけだ! 各員、大いに奮起してくれ!!

 ……ところで、件の泊はどうした? 奴の容態に何かあると、だな。非常にまずいことになるのだが」

 

 そんな熱意溢れる捜査員に合わせるように、少し、威勢のいいことを言って。大声を一転、中園は神経質そうな細い声で問いかける。

 

 彼にとっての心配事は、犯人逮捕もそうだが、まず、世間の英雄たる仮面ライダーの安否。泊進ノ介の身に何かが起こった時、会見の場で国民全員に頭を下げ、薄い頭髪を見せつけなくてはいけないのは、他ならぬ中園自身なのだから。何よりも、進ノ介にもしものことが無いよう気を張り詰めていた。

 

「本来なら病院を変えるべきでしょうが、主治医によると絶対安静ということで。今、うちの詩島を含めて、三人の刑事が警護しています。それと、幸いにも容体は安定しており、意識が戻れば回復はすぐと」

 

 その質問には三浦が答える。そして、それを聞いた途端、中園は安堵の声を漏らした。

 

「そうか! それは良かった! ……いや、だが三人では足りない気がするな! 五人、いや、十人体制で警護をするぞ!! 他の元特状課メンバーにも、警護を付けろ!!」

 

 その極端な物言いに伊丹は文句を付けたくなる。

 

 そこまで進ノ介の安全を重要視するのなら、何故、よりにもよって安全とは地ほども離れた特命係なんぞに異動させたのか。十人体制で警護される特命係など聞いたことがない。

 

 実際に、かつて杉下右京が狙撃された時は、捜査はしつつも、碌な警護もつかなかったのだから。いまさら文句をつけても意味はないので、それは心の奥にしまっておくことにするが、不満はたまる。

 

 そんな時、刑事たちの様子を冷静に見つめていた現刑事部長である甲斐峯秋が、満を持して立ち上がった。

 

「伊丹刑事」

 

「はっ!」

 

「君が要請していた公安部の情報だが、何とかこちらにも下ろしてくれるそうだ」

 

「ほ、本当ですか!? 刑事部長!!」

 

 伊丹は喜色に顔を緩める。今までは公安に吸い上げられた情報が、捜査一課に与えられることは、ほとんど無かった。内村前刑事部長も、忌々しく思いながら、公安の秘密主義には踏み込めなかったのである。

 

 だが、この甲斐峯秋はそれをこともなげに成し遂げたという。密かに聞く彼と小野田官房長との密接な関係が影響したに違いない。そうしたパワーゲームに関与したくはないが、伊丹達、現場警官にとって峯秋の力量は期待以上のものだった。

 

 色めき立つ捜査陣に、峯秋は固い声色で続ける。

 

「しかしだね、各々の声明文は表面的な物であり、泊巡査襲撃に単に便乗した物だと公安は考えているようだ。……おそらく、君たちの地に足付けた捜査こそが事件解決の糸口になるはずだろう」

 

 峯秋はそこで、全捜査員を見回しながら、

 

「今回狙われた泊巡査は仮面ライダー。日本を、世界を救った英雄だ。彼の身が脅かされことで、国民が抱く不安はあまりにも大きい。

 何より、一刻も早くの解決が望まれる。……私などが言わなくとも、君たちは既に分かっているだろう。

 今こそ、日本警察が力を見せる時。粉骨砕身し、事件解決へ臨んでくれ」

 

 穏やかでありつつも、刑事たちの誇りをくすぐる言葉を告げる。

 

 返ってくる、部屋を震わせるほどの鬨の声。それを頼もしく聞きながらも、峯秋にはこの事件が易々と解決する類とは思えない、そんな不吉な予感がしてならなかった。

 

 

 

 所は右京と追田の元へと戻る。彼らは現場鑑識を続けていた米沢から事件の情報を得ていた。米沢は深夜から続く鑑識作業に疲労の色を濃くしながらも、ファンであると公言する仮面ライダーが襲われた事件へと、全神経を集中している。

 

 身体の汚れも何のそのという様子。右京達に見せてくれた手元の書類には、事細かに現場の状況が書き込まれていた。

 

「まず、泊さんの事件ですが。現場からはめぼしい証拠は見つかりませんでした。詩島刑事の見立て通り、射線方向のマンションから狙撃されたとみられますが、薬きょう、指紋、ゲソ痕はなし」

 

「狙撃地点から泊君までの距離は、如何ほどでしたか?」

 

「おおよそ四百メートル。地面にめり込んでいた銃弾からライフルが使用されたと思われます。暗闇で正確に泊さんを撃ちぬいていることから、高性能。軍用のものかもしれません」

 

「そんなもん、よく犯人は手に入れたな……」

 

 追田がつぶやく。日本にいる限り、狙撃の機会という物は一部を除いてなく、管理は厳しく行われている。まして競技用はともかく、軍用の狙撃ライフルを入手する手段は極めて少ない。それを用いたことからも、犯人の計画性や組織立ったバックボーンが追田の脳裏をよぎった。

 

 米沢は話を続ける。

 

「一方で、追田警部の車からは、いくつか証拠が発見できています」

 

 そう言って、米沢はトレイに載せられた物を、二人へと見せる。黒く、炭塗れになった、ひしゃげたパイプ。水道管にでも用いられそうなそれから、不釣り合いなワイヤーが伸びている。二人はそれを覗き込みながら、声を漏らす。

 

「なるほど、パイプ爆弾ですね?」

 

「これが燃料タンクの下に取り付けられていました。爆発の規模と痕跡から、パイプにはかなりの火薬が充填されていたと見られます」

 

「確か、パイプ爆弾ってえのは、簡単に作れる爆弾だったよな?」

 

「はい、その通り。単純なつくりで、威力抜群。調べれば製造方法もネットで簡単に手に入ると、この手の過激派が好むものです。

 古くは日本の学生運動から、最近でもテロに使用されたことで有名。今回はガソリンに引火したことで爆発の規模も増大したわけですから。いやはや、追田警部は、本当に運が良かったと、鑑識の私からは思えてなりません」

 

 一方で、そんな二人のやり取りには関与せず、黒焦げの車を見つめて思案顔をしていた右京。彼は人差し指を立てながら、米沢へと尋ねる。

 

「米沢さん、起爆方法は何だったのでしょう」

 

 爆弾の起爆方法には、リモコンによる遠隔操作、時限式、圧力、熱源感知。様々な方法がある。そして、そのいずれで行われたかによって、犯人像は変わってくることが知られていた。米沢はその言葉に、熱でひしゃげた部品を指さしながら答えた。

 

「詳しくは科捜研の鑑定待ちですが……。おそらくはこのタイマーを用いた時限式でしょう。スイッチを入れたら、一定時間後に爆発」

 

「ということは、犯人は爆発の直前に車に接触したことになりますねえ 。追田警部が病院から出る様子を見せてから、爆弾を仕掛けたわけですから。リスクを恐れない大胆な犯行、ともいえます」

 

「そこは犯人も致し方ないところがあったのでしょう。

 リモコンによる遠隔操作は、こうした場では誤作動を起こしやすいものです。携帯、医療機器、車のキー。様々な周波数の電波が飛ぶため、誤作動を起こしやすい。また、圧力や熱源感知は単純に取り扱いが難しい方法ですから……」

 

「……なるほど」

 

 右京はその説明を聞きながら、思慮深く頷きを返した。どこか、腑に落ちないことがある。そう目が訴えている。

 

 一方、追田の中では、手口から犯人像が形作られていく。素人が思い付きで行う犯罪ではない。銃の入手、爆弾製造。いずれも綿密な準備とまとまった資金が必要な手口。

 

 なので、

 

「狙撃スキルに、爆弾製造。……こうなると過激派の関与が濃厚だな?」

 

「ええ、捜査本部も組織だったバックボーンを持つ人物が実行犯であると睨み、過激派組織を集中的に捜査しているようです」

 

 追田が腕組み、唸り声を上げる。彼の脳裏には、ネオシェード。進ノ介と共にリーダーを逮捕した過激派組織が浮かんでいた。

 

 だが、右京はそんな考えに対して、わずかに首を傾けながら小さく考えを零していく。それは意外にも、疑問の声であった。

 

「おや、杉下警部は何か疑問が?」

 

「……仮に犯人が何らかの組織であった場合、犯人は一体何の目的であなた方を狙ったのでしょうねえ」

 

「それは……、ある種のデモンストレーションということではないでしょうか? なにせ仮面ライダーの知名度は随一です。組織の存在感を喧伝するには、良い方法だと思いますが」

 

「業腹だが、仮面ライダーを打ち取った! なんて奴は、一目も二目も置かれるだろうしな」

 

 こうした過激派組織は一も二もなく、名声を欲しがるものだ。そうすれば、裏社会からの支援を得られ、政治的目的を喧伝する機会にも恵まれるのだから。

 

 しかし、右京は、その回答こそがおかしいと考える。

 

「ですが、それでは犯人の行動に納得がいかないのですよ」

 

「……そいつは、一体どういうことだ?」

 

 追田が問うと、右京は追田を手で示す。

 

「問題は、追田警部、貴方です。

 失礼ながら、仮面ライダー、泊君はともかく、追田警部は一刑事。既に仮面ライダーを襲った後に、せっかく作った爆弾を使用するには、いささか以上に格が落ちるとは思いませんか?」

 

「おぉ!? すげえ物言いだな! って、まあ、実際に言われてみればその通りだが」

 

 追田は右京の物言いに、道理は通ると頷きを返す。

 

 特状課を調べれば、連絡員として追田の名前を知ることができる。しかしながら、その一般的知名度が進ノ介ほどに知られているかといえば、そんなことはなく。世間では追田の名前を聞いても『誰ですか?』という声の方が大きい。

 

 仮に知名度欲しさの犯人たちが、特状課全員を狙うとしたら、最も効果的なのは

 

1.特状課関係者を狙う

2.警察が監視網を強める

3.その隙を縫って進ノ介を狙う

 

 という方法だ。

 

「いうなれば、泊君はメインディッシュ。

 例えば追田警部、詩島刑事、西城さんという順番に、徐々にターゲットの知名度を上げていく。そして、満を持して泊君を。そういうシナリオでしたら、世間へ最大のインパクトを与えることができるでしょう」

 

「そんな上手くはいくはずはねえが、達成したなら、犯人の知名度はとんでもないことになるな」

 

「ええ。ですが、今回の事件に関してはメインディッシュの泊君襲撃には成功した。最も、泊君の命は奪えなかったのですから半分成功というところ。そこで、この犯人は次に泊君を狙い直すのではなく、いわば刺身のツマを狙ったのです。

 知名度を上げて、次なる活動を行おうとする過激派にしては、いささか疑問が残る方法ですよ」

 

「……ツマって言い方は今は許してやるが。てえことは、犯人は単純な混乱狙いの過激派じゃねえってことか?」

 

 追田の問いかけに、右京は一転、微笑みを浮かべて、首を横に振る。

 

「それはまだ……。あくまで、僕の想像です。証拠が示しているのは、そうした専門的なスキルを持っている人間が関わっていること、それのみ。今の段階で動機について考えを巡らせても、机上の空論としか言いようがありません。

 ですが、犯人には特状課を狙う個人的な動機があったのではないか。そして、何より、まだ犯行は始まったばかりではないか。僕にはそう思えてならないのですよ」

 

 そんな右京の不吉な言葉に、追田と米沢は押し黙ってしまう。

 

 しかし、そんな重苦しい空気を霧散させたのも右京。彼は先ほどの自分の発言をすっかり忘れたような調子で、米沢へと向き直ると、勢いよく話し始める。

 

「ああ、そうでした! 米沢さん、こちらの作業が終わりましたら、大至急調べていただきたいことがあるのですが!」

 

「は、はあ。もちろん、必要でしたら行いますが。……それは、いったい何についてでしょうか?」

 

 尋ねる声に、右京は目を細めながら微笑みを浮かべるのだ。

 

「実は僕、ずっと気になっていたことがあるのですよ……」

 

 

 

 そして右京が米沢たちと共に向かったのは、警視庁であった。もっと言えば、その応接室。今、その部屋は複数の警官によって固められていた。中にいるのは、そんな護衛とは、しばらく前まで無縁だった人物。

 

 彼は右京達が部屋へと入ると、にわかに顔を輝かせて歓待した。

 

「西城さん、少し、よろしいでしょうか?」

 

「少しと言わず、何時間でもいていいよ! この部屋、ほんと息が詰まるんだ。護衛の警察の人たちも、一言も返してくれないし」

 

 究がパイプ椅子に座ったまま、疲れた表情をしている。

 

 それも無理はない。昨日、進ノ介が襲撃されたのち、民間人でありながら特状課に協力していた究は最大の警護対象である。それならもう少し良い隠れ家を提供してもよさそうだが、安全な場所が用意できるまで待機しているのが現状。

 

 彼は寝ることも許されず、この応接室へと閉じ込められていた。

 

 だから、尋ねて来た顔見知りは、少しでも安心感を与えてくれる存在。一方で、追田らはこのタイミングで究のもとを訪れた右京の意図が分からない。

 

「……で、杉下よぉ。究太郎に何の用があるってんだ?」

 

「ええ、わざわざお疲れの西城閣下の元へ。というからには、何か緊急の要件があると推察いたしますが」

 

「もちろん。……西城さん、こちらの場所に見覚えはありますか?」

 

 そう言いながら、右京は究へと一枚の写真を手渡した。それは噴水があるイルミネーションが綺麗な広場だ。しかし、それを見せられた究はといえば、首をかしげる。

 

「いや? 僕は見たことがないけれど?」

 

「それはおかしいですねえ。こちらは泊君が狙撃された場所になります。詩島刑事の話によると、彼女との待ち合わせ場所にと、西城さんから提案されたそうですよ?」

 

 右京の訝し気な視線に、追田と米沢は目をむいた。

 

「おいおい! まさか、究太郎を疑ってんじゃねえだろうな?」

 

「そうですとも! 他の誰が関わっていようと、西城閣下のはずがありません」

 

 二人とも友人や尊敬する人物が犯罪にかかわっているなど、露ほども疑っていない。だが、右京は穏やかな微笑みを二人へと向けて、究へとさらに尋ねるのだ。

 

「まあまあ、お二人とも少し話を聞いてください。

 先ほど米沢さんに見せていただいた、泊君のメール履歴。それを見ると、確かに、西城さんから泊君へと、レストランのペアチケット、そして待ち合わせ場所の提案が送られています。

 ですが、西城さんにはこれらの場所に見覚えはない。それは確かですね?」

 

「……う、うん。僕からは送ってないよ」

 

 その答えに、右京は満足げに頷き、究へと携帯電話の提出を求めた。そして、それを米沢の前に置く。

 

「米沢さん」

 

「は、はい」

 

「西城さんの携帯にウィルスが混入していると思われます。確認をお願いします」

 

「ウィルス、ですと?」

 

「ええ、遠隔操作が可能になっているはずですよ? そして、その操作場所を、サイバー犯罪対策課の助けがあれば特定できるかもしれません」

 

 米沢は右京の言葉を理解したとたん、自前のパソコンを起動し、究のスマホと接続する。そして、数分の後、驚きの声と共に立ち上がるのだ。

 

「確かに! 杉下警部の仰る通り、閣下のスマホに遠隔操作された形跡があります!」

 

「……この間の炎上騒ぎが終わってないのに、今度はスマホ!? なんで僕がこんな目に!? 踏んだり蹴ったりじゃないか!!?」

 

 究からすればひっきりなしにトラブルに見舞われたのだ、恨み言の一つでも言いたくなるだろう。だが、この遠隔操作ウィルスの存在は手掛かりにもなる。なぜなら、

 

「……なるほどな、狙撃場所か」

 

「ええ、追田警部のおっしゃる通り。狙撃というのは基本的に待ち伏せをしなければなりません。まして、この日本でライフルを隠し持ちながら移動するというのは難しいでしょう。

 当然、狙撃犯は泊君の動向を把握しておく必要があった。もっと言えば、狙撃が可能な場所へと彼を誘導する必要があった」

 

「だが、このクリスマス。街中は人で大混雑だ。……進ノ介一人を狙うのは難しい」

 

 その点で進ノ介が狙撃された場所は開けており、人通りもそこまで多くなく、それでいて、狙撃ができる高層マンションも存在した。

 

 狙撃場所としては理想の地点。

 

「泊君がそのような場所にいたことが、ただの偶然ではないと思えましたから。

 おそらく、犯人は西城さんのスマートフォンをハッキングし、偽のメールを泊君へと送ったのでしょう。仲間からの親切な申し出。泊君ならば、無碍にするはずがありませんから」

 

 それに進ノ介の誘導に究を使うという手は、合理的でもある。

 

 究は他の特状課メンバーと違い、広く交流をもった人物で、ネットを介した工作を行いやすい。さらに仕事柄メールを多用するため、偽メールの発覚を遅らせることもできた。

 

「ということで、米沢さん」

 

「はい! 至急、このウィルスの解析を要請します!」

 

「……ほんと、変なところに目が届くやつだな」

 

 追田の嫌味を交えた称賛に、右京は微かな微笑みのみで応える。そんな時だった。追田の携帯に着信が入る。その差出人は、

 

「嬢ちゃんだ……!

 ……ああ、俺だ。進ノ介になにか、ああ、そうか。……そうか」

 

 短いやり取り。追田はそれきり、通話を切ると。顔を俯かせたまま、押し黙り、体を細かく震わせる。

 

「追田警部……、まさか……」

 

「そんな、泊さんに限って……!」

 

「……」

 

 残された三人はそんな追田の様子に言葉を失くし、

 

「進ノ介の……、意識が戻ったぞぉおおおおおおお!!!!」

 

 耳をつんざく大声に一斉に耳をふさいだ。

 

 よっしゃよっしゃと、奇妙な踊りを繰り広げる追田。ドジョウ踊りか、盆踊りか。騒音を聞いて、懐に手を入れたSPがドアを蹴破ってやってきたりと、騒々しい事この上ない。

 

 ともかくとして、そのガラガラ声が言うには、進ノ介の容態が安定したという報告。三人にとっても朗報である。とはいっても、

 

「……ほんと、溜める必要あったかなぁ」

 

「み、耳が……」

 

 右京は何も言わなかったが、少しだけ追田を見る目に冷たいものが混じっていた。

 

 

 

 そのころ、どこかと知れぬ暗い場所。

 

「……そう、そう。……分かりました。約束通り、あれを流してください」

 

 大量の爆弾に囲まれた部屋で、冷たい声が響く。

 

 声の主はマニキュアに彩られた手からスマホを下ろすと、憤りと共に、壁へと力強く叩きつけた。

 

 

 

 眩しさと、のどの渇きと。そして、どこか安心する温もり。それが、進ノ介が目を覚まして感じたものだった。

 

「……泊さん?」

 

 ボンヤリとした視界の中、目の前に霧子がいる。少しだけ涙にぬれながらも、笑顔で自分の手をしっかりと握りしめて。

 

 何が起きたのかを思い返していこうとして、それでも記憶に靄がかかったように理解はできず。

 

 ただ、そんな自分の近況を把握したいという危機感より、霧子という女性は、何より笑顔が似合って、そこが大好きだなんて、呆けたことを考えてしまった。

 

「……やっぱり、お前は笑顔が一番だな」

 

「! ……もうっ、こんな時に何言ってるんですか!!」

 

 もしかしたら、死んでいたかもしれない男の生還第一声にしては、どこまでも呑気な言葉。けれど、それを聞けたことが何よりうれしくて。

 

 霧子と進ノ介が他の警護人の存在に気が付き、顔を赤面させるまでの数分間で何をしていたのかなどは、語らないのが吉であろう。

 

 シチュエーションは彼が考えていたものと大きくは異なっているが、心を伝えるという点で、進ノ介のクリスマスは悪くない結末を迎えた。

 

 

 

 その後、進ノ介が自身の狙撃等の衝撃的な情報を認識してから、怒涛の勢いで客が訪れた。捜査を担当する捜査一課からは三浦、古巣である特殊班からも吉岡班長。

 

 事情聴取を兼ねた見舞いが終わったタイミングで、本願寺がやってきて、その後ろから涙ながらに追田と究が突入してきて、嵐のように去っていく。

 

 そのたび、扉の向こうからこそこそと伺うような伊丹の顔が見え隠れするのは、幻覚か何かだろう。

 

 最後に、

 

「……ご無事で何よりです」

 

「……杉下さんも来てくれたんですね。ご心配をおかけしました」

 

 右京が何時もより、一ミリほど親しみを増した調子で部屋へとやってくる。いつもと同じ、能面みたいだけれども、どこか安心を感じる顔だ。

 

「……あの、いきなりですけど捜査状況ってどうなっているんですか? 三浦係長や吉岡班長はあまり、詳しいことを教えてくれませんでしたから」

 

 進ノ介は椅子に座った右京へと尋ねた。

 

 まだ進ノ介は意識を回復させたばかり。何にもまして安静が必要で、面会時間は残り僅か。だが、それでも、進ノ介は刑事として事件状況を知りたがった。

 

 何せ、被害者は自分自身なのだから。知りたいという気持ちを止めることはできない。

 

 右京は進ノ介へと穏やかに話し始める。

 

「君を撃った狙撃犯に関しては、目立った証拠が見つかっていません。追田警部も狙われたことに関しては?」

 

「……聞いています。てことは、特状課が狙いですよね」

 

「ええ、捜査本部はその線で動いているようですね。特に、君が壊滅に貢献した新興武装勢力ネオシェードを睨んでいるとか。

 おそらく、西城さんへのサイバー攻撃といい、念入りに計画された犯行に間違いはないでしょう。君には、何か心当たりは?」

 

 言われて、進ノ介は考える。

 

 ロイミュードはもういない。けれど、自分たちに恨みを抱いている人間といえば、いくらでも思い浮かんでしまう。刑事として逮捕した犯人。テロ組織を相手したこともある。仮面ライダーの活動の中ではロイミュードを倒す以外に、事件に関与した人間も山ほど逮捕した。

 

 こうした事態に巻き込まれると、つくづく刑事という仕事は因果なものだと痛感させられる。だから、進ノ介は少し俯きがちに答えた。

 

「……心当たりは、ありすぎます」

 

「そうでしょう。……では、一つ。僕には気になることがあるのですが」

 

「なんですか?」

 

 言うと、右京は少しだけ、顔を近づけてくる。きっと、それは右京が事件関係者へと普段から向けている視線に、違いはないだろう。間近で見ると、不思議な純粋さがあり、それでいて一欠けらも見逃す物がないような冷徹な色。

 

 右京はその視線を向けたまま、静かに言う。

 

「犯人の射線を再現した結果と詩島刑事の証言から、犯人は君の胸、つまり心臓の当たりを狙っていたようです。そして、運よく君が進路を変更しなければ、命は危なかったと。それ自体は幸いなことですが、君の進路変更が僕には気になります。

 ……君は、何かを見たのではありませんか? それが君の進路を変えたのでは、と。僕は思うのですが」

 

 瞬間、進ノ介の脳裏にフラッシュバックしたのは、夜の公園の姿だった。綺麗にライトアップされ、噴水が雰囲気を作っている待ち合わせ場所。そこで通りの向こうから歩いてくる霧子を見つけて……。

 

 噴水の近くに、小さな姿を見た。

 

 小さなミニカーのような形で、明るい二つのヘッドランプ。それは――。

 

「……昔の仲間を見た気がしたんです。もう会えないはずの仲間に」

 

「ということは、不審な人物ではなかったということですね?」

 

「……人でも、ありませんから」

 

 だが、それは正しく幻覚のはずだ。彼らはベルトさん、クリム・スタインベルトと共に、いつかの未来まで地下深くで眠っているのだから。

 

 右京は進ノ介の言葉に、何かを感じ取ったのか。それ以上に深く追求することはなかった。

 

 少ししんみりとした気分になったのが原因か、進ノ介は途端に疲れを感じ始める。と、同時に、扉を開けて白衣の男性がやってきた。

 

「杉下さん、でしたっけ? 泊さんは未だ安静にしなければいけません。今日はこれくらいで、お願いします」

 

 手術を担当した両島医師だ。進ノ介も自分の容態を聞かされた時に挨拶を交わしている。進ノ介にとっては正しく命の恩人でもあった人物。クリスマスにも関わらず、こうして病院勤めというのは、刑事に言えたことではないが仕事熱心だ。

 

 そんな医師の言葉に、右京は素直に従って席を立った。この病院という舞台では、医師の判断こそが何よりも優先される。そうして進ノ介も右京へ挨拶をして。疲れた頭を夢の世界へと戻そうとした。その時だった。

 

 

 

「今すぐにテレビを付けろ!!!」

 

 

 

 ドアを叩き割るような勢いで、伊丹が進ノ介の安静を妨害してきた。彼は看護師を引きずりながら病室にやってくると、呆然とする右京と進ノ介、そして血相を変えて後を追ってきた霧子を無視しながら、備え付けのテレビのリモコンを操作する。

 

 目まぐるしく移り変わるチャンネル。

 

 そして、そのどれもに黒い服を着た女性が映っていた。綺麗に顔を化粧して、爪には薄くピンクのマニキュアまで施して。けれども沈鬱にやつれた女性。彼女が纏うのが喪服だ、と進ノ介の疲れた頭でもわかる。

 

 その手には不釣り合いなライフル銃が握りしめられて。

 

 奇怪な服装の女性が、画面に大写しとなっていた。

 

「……ついさっき、地上波の各局に送られてきたそうだ。この女に見覚えは?」

 

 重苦しく言う伊丹の目は進ノ介に向かっている。だが、あいにくと進ノ介にはテレビの女性に見覚えはなく、自分に関係があるとも思えなかった。

 

 だが、テレビの音声は進ノ介の混乱を置いて、次々に事態を動かしていく。

 

『驚くべきことに、このライフルを所持した女性が泊進ノ介巡査の襲撃犯だと告白しているのです』

 

 隣で霧子が息をのむ音が聞こえた。

 

『泊巡査の襲撃時の映像と共に公開された声明には、衝撃の動機が述べられていました!』

 

 人の興味を呼び起こそうと騒ぎ立てる無責任なアナウンサーの言葉。それが遠くから聞こえる。

 

 それに続いて、画面から穏やかな声が流れ始めた。

 

『……私は、吹原かおりと言います。

 どの政治団体にも、テロ組織にも属していない一日本人です。そして、少し前までは。平凡な、ただの母親でした……』

 

 優しい声だった。

 

『私が、昨晩、泊進ノ介を襲撃しました。彼の仲間であった刑事さんを殺そうとしました』

 

 平凡な声だった。

 

『私の行動は、皆さんに決して理解はされないでしょう。ですが、私には他に方法はありませんでした。息子を愛した母親として、息子を殺された復讐をしなければいけないと。報復しなければいけないと……!!』

 

 激情に駆られた声だった。

 

 そして、その声のまま、彼女は一枚の写真を取り出す。快活で少し勝気な青年の写真を。

 

『息子の健輔です。彼は一年前、交通事故で死にました。ですが、半年後、私のもとへと帰ってきたのです。機械生命体の体を手に入れて……!!』

 

 言葉の意味を、病室の誰もが理解はできなかった。

 

 あまりにも突拍子で。あまりにも不可解で。けれど、どこか進ノ介には納得できる気持ちだけが、先行して心をえぐっていく。

 

『決して彼は犯罪を犯しませんでした! それどころか、やさしく、私を愛し、家族として傍にいてくれたのです!! 機械の体でも、心はまさしく人間のままでした……!!』

 

 だが、その息子は、もうこの世にいない。なぜなら、彼は壊されたから。殺されたから。

 

『……彼はロイミュードだった。たった、それだけの理由で仮面ライダーに殺されたんです!!!』

 

 女性は涙を流し始める。

 

 温かく、他人の血が通った涙を。その、進ノ介が守りたかった命を燃やすように、仮面ライダーへの呪いを振りまいていく。

 

『……分かってます! みんなは私を理解してくれない!! 彼らを悪魔と呼ぶ!! 私の息子を機械となじるでしょう!!』

 

 だが、それでも、彼女にとっては、

 

『私にとっては、泊進ノ介こそが悪魔です!! 心ある存在を、無慈悲に葬り去って、罪も償わずにのうのうと生きている!!』

 

 だから、彼女は引き金を引いた。

 

『私は、彼を許すことはできません。世間がいかに英雄とたたえても、彼は、仮面ライダーはただの人殺しです!!』

 

 それこそが、この事件の動機。

 

 そして、今の進ノ介には……。慟哭する彼女へとかける言葉を見つけることができなかった。




こういう深刻なテーマも、相棒らしい、と思っています。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 III」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが、立て続けに病院にて追田警部の車が爆破される。かつての特状課を狙った犯行が疑われる中、犯行を行ったと告白する女性の声明が公開されるが……。

その女性は息子になったロイミュードの復讐のため、進ノ介を狙ったと語るのだった。



吹原かおり
:犯行を自白した女性。動機として、死亡した息子をコピーしたロイミュードを仮面ライダーが倒した復讐だと語っている。

両島医師
:進ノ介の執刀医。


 息子が生まれた時、私は天使を見たと思いました。

 

 なめらかな珠の肌。私を見つめる輝く瞳。髪なんて、何もつけていないのに絹のようで。

 

 こんな天使が私の胎の中から現れ出でたなんて。神様はこの世におわすと、心から祈りを捧げるほど。私はこの世の奇跡と不思議に打ちのめされていました。

 

 この先にどんな困難が待っていようとも、この子への愛情を忘れることはないと。

 

 けれど、どうしてでしょうね。

 

 どうして、私達は幸せになれなかったのでしょう。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 III」

 

 

 

 息子の命を奪った仮面ライダーへの復讐。それも、ロイミュードとなって戻ってきたという息子の。そのために仮面ライダー、泊進ノ介の命を狙った。

 

 そんな全国を震撼させた襲撃犯の告白が流れ、数日が経過した。

 

 感情的な、激情的な、そして衝撃的な糾弾と罪の暴露。正義の味方として誰もが疑わない仮面ライダーを、機械生命体の『命』を奪ったと訴える『被害者遺族』を名乗る女性。

 

 しかし、そのセンセーショナルな動機が、世間の同情や共感を呼ぶことはなかった。

 

『どう考えても逆恨みでしょ? あの機械が息子とか、おかしいんじゃないですか?』

 

『逮捕された時に精神鑑定に持ち込みたいとか、そういうのが透けて見えるんだよね』

 

『私が思うに、彼女も被害者ですよ。ロイミュードに洗脳されて、まだそれが抜けていないんです』

 

『機械生命体がコピーするのって悪人なんでしょ? じゃあ、その息子だって碌なもんじゃありませんって』

 

 街行く人に尋ねてみると、返ってくるのは呆れた顔や怒りの声。とあるテレビ番組が面白半分にアンケートを取った結果では、犯人の動機を支持するという意見は、数パーセントにも満たなかった。

 

 それは奇しくも、吹原かおりと名乗った女性が語った通りに。

 

 無理もない。機械生命体事件の終結から、まだ半年も経っていない。事件の被害者である国民の多くは、仮面ライダーを支持こそすれ、自らに被害を及ぼした機械生命体へと同情や理解を寄せようとはしなかった。

 

 彼らはただの道具だったにも拘わらず、人間に反旗を翻した存在。法律上ですら、彼等は『器物』として扱われる。駆除すべき危険物だと。機械生命体はその呼び名と異なり、命として認められていない。

 

 だから、彼女の告白を真剣に取り合おうとする人間は、ごく一部の人間以外になかったのである。

 

 そう、彼ら以外には。

 

 

 

 年明けを控え、多くの場所で仕事納めが進んでいる世間。だが、一部の業種には年末年始の区別がなく、むしろ、その期間こそが重要となるもの。

 

 例えば、警察官。年末年始ですら、警戒のために仕事に取り組まなければならない。

 

 例えば、議員。休暇という名前の各地の支持者への行脚、新年の挨拶、テレビの討論番組。

 

 そして今、そんな休みなき人々の重鎮が、顔を突き合わせている。

 

 都内某所の豪奢な応接室。緋色のカーペットに、壁には穏やかな絵画、その中央に置かれた二脚の椅子に座る男女が、紅茶に舌鼓をうっていた。

 

 その片方である小野田公顕は変わらぬ読めない表情で。

 

 対する女性は怪しい微笑を浮かべながら、細長い足を組み替え、蛇のように紅茶を喉奥に運んでいく。

 

 そして、二人に挟まれる形で立つのは、美麗な男性だった。けれど、その王子様然とした整った顔が本来の魅力を発揮することはなく、なるべく存在感を消したいという風情。蛇ににらまれたカエルとは、彼を表すにふさわしい形容であろう。

 

「これ、なかなかいいお味ですね。神戸さんが用意してくれたのかしら?」

 

 そんな顔を見つめながら、女性は、衆議院議員である片山雛子は立ち尽くす神戸尊へと笑みを送った。

 

 だが、この黒幕そろい踏みという布陣の中で自分の立ち位置を模索していた尊はといえば、下手に答えないほうがいいと、曖昧な会釈で返すしかない。

 

 その様子を見て、小野田が口を開く。

 

「神戸君ね、いい腕しているんですよ。さすがに三年間も杉下の所にいたものだから、多少は学んできたみたいでね」

 

「……お言葉ですが、官房長。僕は杉下さんの所へ、茶坊主をしに行ったわけじゃありませんよ?」

 

「あら、それはそうでしょう。茶坊主だけで帰ってきたなら、それこそ神戸さんの居場所はなかったのではありませんか? 小野田官房長?」

 

「そうですね。一皮むけたと言えば、聞こえは良いけれど。杉下から変な頑固さも吸収して、しかも青臭くなっちゃったから。これで紅茶の腕も悪かったら、改めて島流しですよ、島流し」

 

「それはタイヘン。第二特命係でも作るつもりですか?」

 

「さて、どうなるか。お楽しみは神戸君の紅茶が不味くなった時にでも」

 

(……俺の進退を、紅茶の腕前で決めないでもらいたいんだけどな)

 

 尊はそんな二人の少し本気が混じっていそうな言葉に、冷や汗を流しつつ、内心で毒づいた。彼からすれば、この会談に同席するなんてことは、厄介ごと以外の何物でもない。

 

 神戸尊は進ノ介の前任。つまり、特命係にて三年間、右京と組んでいた男だ。

 

 そして、特命係在籍時、右京から片山雛子議員がいかに油断のならない女傑かも聞かされている。現在、尊は古巣である警察庁へと戻っているが、その件にも一枚二枚を噛んでいるとか。本多篤人の幽霊騒動の裏でも小野田と組んで超法規的措置を働かせたとも聞く。

 

 政界という腐海を優雅に泳ぐ悪女。

 

 短い付き合いながらも、それが尊の雛子へと抱く印象だ。

 

 果たして事なかれ主義の日和見者と、緊急事態においては法を超えてでも辣腕をふるう者。どちらが国の為政者として相応しいかは尊にも判断がつかないが、その極端が正しいとは思えない。

 

 そんな女性が、裏工作の権化ともいえる小野田と対面している。しかも議題は『例の彼』について。近頃に巻き込まれている超常現象だけでも手一杯なのに、また厄介ごとだ。

 

 小野田も雛子も、尊の内心を読み取っているのか、いないのか。軽口で場を和ませることに満足した様子で、カップを静かに置くと、空気を固くさせていく。口火を切ったのは雛子。この場は、雛子から小野田を呼び出した形。彼女に意図がある以上、それが自然だった。

 

「それで? 例の泊巡査の事件、どこまで分かっているんでしょうか?」

 

 明朗快活な声。けれど、その明るい印象の奥にどろどろと濃厚な思惑を隠しているのが片山雛子。当然、そんな彼女が暗に捜査状況の提供を求めた事実を、素直に受け取る小野田ではない。

 

「気になりますか? 仮面ライダーのこと」

 

「それはもう。日本国民なら考えない人の方が少ないですよ? そして、私はこの国に人生を捧げた人間ですから」

 

「それに色々と使い勝手は良さそうでしょうからね。ああいう肩書きの人間は。片山先生にとっては特に」

 

 小野田のけん制するような言葉。それを雛子は笑って受け止めた。

 

 世界を救った英雄。そんな幻想はどうでも良いが、仮面ライダーは少なくとも未知のテクノロジーへの入り口だ。政治家なら幾らでも利用方法を考えるもの。せっかく得た『英雄』を放置するなんて、宝の持ち腐れ。

 

 けれど、実際の仮面ライダーは、そんな理想的な道具ではなかったと、雛子は言う。

 

「あいにくと、使い勝手がいいどころか、頭を痛くさせられてばかりですわ。特に、外務省の方々は連日連夜、情報開示を求められて困ってるみたいで。私の所にも何とか黙らせろ、協力しろって。大の大人がみっともなく泣きついてくるんです」

 

「あらあら。世界を守ったヒーローだっていうのに、どこの国も扱いはモルモットなんですか。挙句に撃たれたり、彼も奇特な星のもとに生まれたようですね」

 

「特命係に島流しした小野田さんが、それを言います?」

 

 その言葉に、小野田は微笑だけを返した。

 

 仮面ライダーをめぐって様々な思惑を張り巡らせている両者。ただ、それも仮面ライダーが生きていてこそ。その点で、雛子にとっても捜査情報は必要なカードなのだろう。その認識を共有すると、小野田は表情を少し緩め、静かに話し始める。

 

 あいさつ代わりのジャブは終わり。

 

「……その代わり、片山先生からも情報を頂けるでしょうね? 特に、諸外国の件に関しては」

 

「ええ、もちつもたれつ」

 

 雛子は唇をゆがめる。

 

 小野田は小さく頷き、それでは、と勿体ぶって。

 

「期待させて悪いんですが、あいにくと、進展は少ないんですよ。

 例の映像の女性。彼女が最有力の容疑者ですけど、行方は掴めていない。綺麗に消えました。まあ、宣言通り警察に恨みがあるみたいだから、裏で組織的な支援があるのでしょう」

 

「残念ですね。それなら、早く居場所を見つけないと。下手に世間を騒がせる前に、黙らせたいですから。ああいう主張は」

 

 言いつつ、悪女は楽しそうに目で嗤う。

 

 雛子の語る通り、あの容疑者の主張は、警察の痛いところをついていたのは事実だ。間違いなく、ロイミュード事件に関しての法整備が進められなければ、泊進ノ介の席は警視庁には存在しない。良くて依願退職、悪くて刑務所。

 

 だが、そうはなっていない。密かに窮地だった仮面ライダーを救ったのは、何を隠そう、目の前の悪女である。小野田は椅子に背をもたれさせながら、軽く手を叩き始めた。

 

「全ては、片山先生のお力添えがあって」

 

「それも、大きな綱渡り♪」

 

「ええ。おかげで仮面ライダーは警察官になりました。合法的に、国の管轄下に」

 

 小野田の言葉に、彼女は笑い声をあげた。

 

 それはもう、大変な一年だったと自分で自分を褒めてあげたいなんて。そんな達成感に満ちた、あるいはそう演じる声だ。

 

「『開発もしていない』警察装備、仮面ライダーの使用認可。そして、機械生命体に対しての合法的な活動論拠となる『機械生命体犯罪特別措置法』の法整備も。あれほど早く可決できたのは片山先生主導の超党派の働き掛けがあったから」

 

「大変でしたよ? なかったものを、あったように誤魔化すなんて」

 

 何せ、警察は機械生命体をギリギリまで認めておらず、仮面ライダーは開発すらしていなかった。それを『密かに認めていて、極秘に装備開発を行っていた』なんて大ウソを正当化させたのだ。

 

 そんな力技を合法などと言える政治家は、どこにもいない。

 

「あれは『超法規的措置』。それ以外の何物でもありません。……あら、私の口からこんなことを言わせる人が出るなんて。……ほんと、無軌道で、綱渡りだらけでしたけど、それでも勝てば官軍ですね」 

 

 そうして人類は勝利を得た。

 

 その結果を思えば雛子たちの行った工作も報われるものだ。ただ、そうして得た政治的にも外交的にも、何より警察にとって大きなカード、仮面ライダーを特命係へと送り込んだ小野田の決断は雛子を驚かせるものだったが。

 

 一体何を考えているのか、という期待と警戒。そこへと考えが至った瞬間、雛子はふと隣ですました顔で立っている男が気になった。あの杉下右京と三年も組んでいた男を。

 

「……それはそうと、貴方はどう思っているんですか? 例の仮面ライダーのこと」

 

 雛子の目が尊へと向く。それはどこか、獲物を定めた蛇のように感じさせられ、尊の背を寒気が駆け上がっていった。尊はそれを悟らせないように、とぼけた様子で首を傾げる。

 

「えっと、僕ですか?」

 

「ああ、そうそう。神戸君はいうなれば仮面ライダーの先代だから。『仮面ライダー0号』とでもいえば、少しカッコいいかもね。

 ……杉下の相棒に仮面ライダーが収まったこと、何か思うところでもあるんじゃないの?」

 

「いやいや、僕は変身とか特に興味はないんですけど……」

 

 ただ、上司と有力な国会議員の前。答えないという選択肢はなく、そして、自分でもどこかで泊進ノ介という男へと抱く気持ちもあった。

 

 神戸は静かに、ゆっくりと『彼』を語っていく。

 

「仮面ライダー……。僕は、彼がずいぶんと無茶をしたと、そう思いますけどね。ある意味、杉下さん以上に」

 

 誤解を恐れず言うならば、彼が行ったことは自警団と変わらない。

 

 運よく本願寺という基盤作りに優れた協力者が、小野田達を巻き込んで準備を進めていたからよいものの。それがなければ、正体が暴かれた途端に彼は犯罪者。

 

 仮面ライダーは元々職務ではなかったのだから、身分を隠して行った戦闘行為は銃刀法違反に器物損壊。何より警察官としての職務規定に違反する可能性もあった。

 

 だが、

 

「それでも、彼が止まらなかったことを僕は評価します。たくさんの命を救ったんですから。

 怪物との戦闘行為なんて、警察官の職務を超えていました。覚悟がなければ、死んでまで戦い続けるなんてできない」

 

 尊はそんな仮面ライダーの中に杉下右京と似た強靭な正義を垣間見る。

 

「機械生命体なんて誰も想定していなかった異常事態です。しかも、警察にもシンパがいた。親玉の一人は国家防衛局長官。通常の手続きを取っていたら、間違いなく人類は敗北していました」

 

「確かに、異常事態だったからねぇ。……クローン人間誕生と同じくらい」

 

「……だから、僕は『命を守ること』を選んだ仮面ライダーを認めたい」

 

 言葉に、迷いはなかった。ならばこそ、尊は右京と異なる道を選んだのだから。

 

 その答えは、小野田の目に青臭く映ったのか、雛子の目に御しやすく映ったのか。それは分からない。けれども二人は微笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

「……いずれにせよ、官房長。下手な主張が蔓延する前に、発生源はしっかりと叩いておいてくださいね」

 

「わざわざ僕に釘を刺さなくても、勝手に彼らが動くでしょう。

 お手並み拝見、といきましょう。……杉下と仮面ライダーが、いったいどうするのか。そうでないと、彼を送った意味がありませんから」

 

 

 

 そんな会話が政治の裏側で行われているとは、当事者以外に知られることはなく。静かに年が明けようとしていた、十二月二十八日。

 

 犯人と思しき吹原かおりは行方をくらませている。あのテレビに流した宣言以降、完全に動きは停止。ああして喧伝した以上、何かを画策しているかと思われたが、その気配はない。

 

 だが、得られた時間は警察にとって財産である。つかの間、捜査は粛々と進行し、そして仮面ライダーは体調を回復させていった。

 

 一方で、常から暇を持て余していた杉下右京はと言えば……。

 

「警部殿はこんな時だってのにのんびりしていいねえ」

 

 朝、特命係へとやってきた右京に手を振ったのは、角田だった。口調はいつも通り、パンダの取っ手がついたコップを持っている。だが、目の下には隈まで作って疲労の色が濃かった。

 

「おはようございます。……角田課長は昨晩もお泊りですか?」

 

 右京が尋ねると、角田は勝手に机に広げていた分厚い書類を手で叩く。

 

「これを片付けないと暇になれないからね。ま、俺も頑張るよ。泊君の襲撃事件、組織的な関与が疑われるから、俺らの方でも監視対象におかしな動きがないか調べてんだ」

 

 角田が率いる組対五課は、銃器と薬物取引を取り締まっている。そして犯人が狙撃に使用したライフルは、彼らの領分。入手ルートが分かれば犯人特定へ有力な手掛かりが得られる。

 

 そんな重責を担わされた角田は疲労の色が濃かったが、それでも力強い視線からは、事件解決への熱意が伝わってきた。角田はしみじみと呟く。

 

「……うちのカミさんたちが、『今年は帰らないで良いから、犯人捕まえてくれ』ってさ。元旦だ正月だってのは、刑事やってりゃ縁がない割に、家族からは文句を言われるもんだ。

 けど、今年は応援してくれた上に、おせちまで寄こしてくれるとよ」

 

「それは、何よりです」

 

「仮面ライダーってのは、愛されてんな。そもそもが、だ。なんか特命にも馴染んできてたけど、泊君は俺たちの命の恩人だ。ヒーローだよ。

 ……それを捕まえて、人殺しだなんだってのはひでえ話だね」

 

 右京はその角田の言葉には答えないまま、少し瞳に意味を宿して。

 

 彼は静かに、興味を角田のもつ書類の山へ移していく。

 

「……犯人の動機について、裏付けは進んでいるようですね?」

 

「ああ、吹原かおり、四十五歳。都内在住の元会社員。前科なし、交通違反もなし。事件以前は絵にかいたような平凡な主婦だな」

 

「ですが、そんな彼女にも一つ、技能があった」

 

 角田は頷き。吹原かおりの捜査資料を右京へと見せる。彼が注目するのは、かおりの賞罰欄に書かれた事項だ。

 

「ライフル競技で好成績、ですか」

 

「しかも長距離種目。若い時の記録だっていうが、昔取った杵柄ってやつかね。

 で、あの映像で言ってた、息子の方。こっちは吹原かおりと打って変わって、荒れてたみたい。あの母親の言ってることに、まず一つ嘘発見だ」

 

 角田が紙をめくる。

 

「吹原健輔、二十二歳。フリーター。確かに、過去には前科がありますね。学生時代に窃盗、恐喝、暴走行為。少年院への留置経験もある。ですが、ここ死亡前数年はそういった行いはありませんから、嘘と断じるのは早いかと。

 彼女が言うように、……一年前に交通事故で死亡」

 

「バイク事故で炎上だと。残ったのは黒焦げの遺体だけ。子持ちの親としては、おかしくなっちまう境遇に同情するが、言うに事欠いて、機械生命体が息子の代役とは。

 ……ほんとなのか? 例のロイなんちゃらの話は?」

 

「周囲を聞き込んだところ、健輔君の死後、彼の姿を見たものはいないとのことです。証拠がない以上、真偽は不明ですが……」

 

 ロイミュードという超常の存在が彼女の身近に潜んでいたとして。そう簡単に尻尾を見せるとも思えなかった。例の村木をコピーしたロイミュードも警察の目をくぐって活動していたのだから。

 

 なにより、彼女の真に迫った主張。それを見ると、息子を模倣したロイミュードが、吹原かおりに接触したのは間違いないように感じられる。

 

 問題は恨みを抱いた平凡な女性がいたとして。ライフルを入手し、究のスマホをハッキングし、進ノ介を狙い、爆弾を仕掛けてみせる。

 

 そんな芸当ができるとは考えづらい。

 

「それに関しちゃ、関連ありそうなことが分かってんだ」

 

 角田は言いつつ、一枚の写真を取り出した。隠し撮り写真。写っているのは眼鏡をかけたサラリーマン風の男性。だが、首元からのぞかせる蒼いタトゥーが、彼の荒々しさを示している。

 

「越谷伏美。泊君たちが壊滅させた『ネオシェード』の金庫番だ。今も怪しい店を仕切ってる。そんで、公安がマークしていたらしいんだが、姿を晦ませて、その後、俺たちの管轄で目撃された」

 

「というと、暴力団と接触したということですね?」

 

「ああ、中国、ロシアンマフィアにも。ライフル入手の情報もある。ただね、こいつに人を殺す度胸はない。典型的なインテリの頭でっかち。コロッとカルトに染まった元エリート大学生ってやつだよ。

 それでも見過ごせないのは、えらく活発な動きを再開してるし、金庫番だけあってコトを起こせるだけの金はもっていること。俺はこいつで確実だと思うね」

 

「なるほど」

 

 長く裏社会へと睨みを聞かせてきた角田が言うのなら、信頼に足る情報だ。この越谷という男が、かおりへと資金や技術提供を行っている可能性がある。そのような男ならば、裏社会とのつなぎも容易に行えるだろう。

 

「……ですが、それが正しい場合、吹原かおりと越谷はどのようにして出会ったのでしょうねえ」

 

「あー、繋がりは未だ不明。ただ、越谷は組織を失った逃亡犯。復讐と復権はヤツにとっちゃ喉から手が出るほど欲しいだろ。都合がいい手駒を探したんじゃねえか?」

 

 ネオシェードの目的は破壊と暴力による社会変革。それを達成するためには、大きな力とネットワークが必要である。しかし、角田が述べたように、進ノ介達によって首魁や主だった幹部が逮捕された今、ネオシェードは崩壊状態。

 

 残党にとっては、目的達成の前に組織再建が急務だろう。そして、仮面ライダー襲撃は追田達と検討したように、彼らが求める大手柄。

 

「手柄を求める、手足が足りない活動家。復讐を求める、方法がない主婦。彼らが共犯なら、果たして、両者はどのようにして結びついたのか」

 

 その間に、あるモノこそが事件解決のピースとなる。そんな予感が右京にはあった。だが、越谷の関与は推測の段階。となれば、今必要なのは思考材料である。

 

「貴重な情報、ありがとうございました。……それでは、僕は吹原かおりの住居に行ってみます」

 

「一課の調べだと、なんも見つからなかったみたいだけど。ま、あんたならなんか細かいものを見つけんだろ。……そういえば、泊君はどうしてんだい? 今日も様子を見てきたんだろ?」

 

 角田が問うと、右京はわずかに首を傾げる。

 

「今日はベッドから出て動いていましたし、退院は近いでしょう。ここ数日の慌ただしさを考えると十分に元気だと思いますよ。そういえば、ようやく沢神博士も帰国できるそうで。明日の朝、成田に到着と泊君が」

 

「沢神って、前に大騒ぎ起こした博士か! ああいう愉快な人が戻ってくると、泊君も元気出るかもな。俺はちょっと心配だったんだよ。面と向かって人殺しだなんだと言われて、落ち込んでないか。

 そういう話を聞くと、安心できるな!!」

 

 そう言って人のいい笑顔を浮かべる角田。だが、右京は、

 

「ええ、そうだと良いのですが……」

 

 意味深にそんな言葉を言いながら、コートを翻し、寒空の下へと戻っていくのだった。

 

 

 

「泊さん、傷に障りますし、もうそろそろ休んだ方が……」

 

「いや、大丈夫だって。そんなに休んでいるわけにもいかないし」

 

 そのころ、件の進ノ介はと言えば、手すりを握りながら廊下を行ったり来たり。そうして体をほぐしていた。

 

 銃弾によるものなので、傷口自体は少なく、運よく主要な臓器にも損傷がない。目が覚めたら数日で退院できると主治医である両島医師は語っていたが、進ノ介自身もその手ごたえを感じる。

 

 だから今もこうして体を動かしているのだが……。

 

(一刻も早く復帰して、捜査に戻らないと……)

 

 何よりもそんな焦りが、進ノ介の心を支配していた。

 

 あの映像が真実であるかは分からないと、皆は語る。けれども、あの女性の涙ながらの訴えが、ただの嘘だとは進ノ介にはどうしても思えなかった。

 

 この事件の根本には自身が仮面ライダーとしての活動がある。そのために恨みを買い、狙われた。常の事件とて、当事者として働いてはいるが、それにも増して冷静ではいられない。

 

 それに、

 

(……もし、本当にロイミュードが。人と心を通わせたロイミュードがいたなら。人間らしい感情を育てたロイミュードがいたなら)

 

 例えば、自分の戦友であるチェイスのように。友のために命を投げ出したブレンのように。愛する者のために命を捧げたメディックのように。

 

(……ハートみたいに)

 

 ごく一部とはいえ、彼等は人間と等しい感情を手に入れていた。他に、そんなロイミュードがいなかったなど、証明することはできない。

 

 もちろん、進ノ介は逃げるロイミュードを倒したことはなかった。コアを拘留する方法もなかった以上、破壊しなければ際限なく被害は増える。せめて戦いを止められないなら、挑んでくる彼らと正々堂々戦って、市民を守ると決意した心に迷いはなかった。

 

 けれど、雨の結末を迎えた今は……。

 

 進ノ介は頭を振りながら、汗を振り落とした。動悸が激しくなり、思考を強制的に停止させる。あの日以来、心の中で燻ぶっていた思いがあふれ出しそうになって。それを考えると前に進むことなんてできなくなりそうで。

 

 そんな時、進ノ介の肩が強くつかまれた。

 

「ここまでです! 両島先生も三十分までと言ってましたから、休んでください!」

 

 顔を上げると、少し目を険しくさせた霧子が心配そうに覗き込んでいる。

 

「あ、ああ。悪い。……そうだな、少し休むよ」

 

「お願いですから、そうしてください。事件のこと、忘れろなんて言いません。けれど、私にとっては泊さんの体が一番大切です。まずは、体を万全にすることを第一に」

 

 進ノ介は強く頷く。刑事は体が資本だと、自覚してはいるから。

 

 そして、霧子にはそんな進ノ介の表情が、どこか暗く、心にブレーキがかかっているようにしか見えなかった。あの声明を聞いて以来、進ノ介が悩み、塞ぎこむ様子も、何度も見ている。それに気づかないほど、彼の顔を見ていないわけがなかった。

 

 きっと、本当は何か励ましを言うべきなのだろう。進ノ介は悪くないと、何はなくとも弁護するべきだろう。けれども、あの声明は進ノ介だけでなく、事件に対処した全ての人間を非難するものだった。

 

『お前たちは、ロイミュード達をただの機械だと思っていたのか?』

 

 と。

 

 そして、答えは否だ。

 

 霧子とて、ロイミュードに深く関わった一人。その一人には、命を救ってもらった恩義も友情も感じている。進ノ介もきっと……。

 

 当事者であったからこそ、安易な慰めは、逆効果になると思えてならない。

 

 だから、今は言葉ではなく肩を借して、せめて彼が一人ではないと伝えたかった。彼女の中では、泊進ノ介は何があっても英雄であり、愛する人なのだと。

 

 そうして二人は寄り添いながら、ゆっくりと病室に戻ろうとして。

 

「あれ?」

 

 進ノ介が不意に声を上げる。

 

 病室の入口にスーツを纏った男性が立っていた。エリート官僚とでもいった方が似合いそうな男。そして、彼が纏う剣呑な雰囲気を感じて、自然と進ノ介の体に力が入る。

 

 男がゆっくりと振り返った。その眼鏡の奥に刃の様な瞳が、硬く巌の様な表情が見える。それは右京と違い、冷徹さを感じるもの。

 

 男は進ノ介の姿を認めると、靴音を鳴らしながらやってくる。ゆっくり、威圧的に。思わず霧子は進ノ介をかばうように前へ飛び出そうとした。が、機先を制すように。

 

「ご安心を、同業です」

 

 男は警察手帳を見せた。

 

 確かに本物だ。しかも警視正。階級が上の相手に無礼はできない。

 

 だが、男の声と態度は同業に向けるものとはまるで違っていた。往々にして警察官は同業に仲間意識を持ちがちだが、そういう容赦がまるでない。

 

 そして、男は無感情に、あるいは少しの敵意を交えて、硬い声で言う。

 

「警務部首席監察官の大河内です。

 泊巡査、あなたの服務規程違反について、監察官聴取を行います」

 

 言い切られた言葉に、進ノ介と霧子は言葉と顔色を失うのだった。




雛ちゃんと、ラムネ参戦です。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 IV」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが、立て続けに病院にて追田警部の車が爆破され、犯人を名乗る女性は息子になったロイミュードの復讐のため、進ノ介を狙ったと語るのだった。捜査が進む中、協力者として、元ネオシェード関係者の名前が挙がるが……。

そんな時に回復した進ノ介のもとへ、監察官の大河内が現れた。



吹原かおり
:犯行を自白した女性。動機として、死亡した息子をコピーしたロイミュードを仮面ライダーが倒した復讐だと語っている。

吹原健輔
:かおりの息子。一年前に死亡した。彼をコピーしたロイミュードが存在したというが……。

越谷伏美
:進ノ介が壊滅に関与したネオシェードの元幹部であり、金庫番。事件前後、複数の勢力の間を動き回っていた。

両島医師
:進ノ介の執刀医。




 自分が不幸だと、声高に言うつもりはありません。ですが、私たちの人生には大きな困難が立ちふさがっていました。

 

 夫は息子が小学校を卒業するころ、心不全で亡くなりました。

 

 私も息子も納得ができないほど、急に私たちの前からいなくなってしまったのです。そうなると、息子は私の唯一の家族。夫の死に嘆き悲しむと共に、息子だけは必ず守ると決めました。

 

 ですが、不安定な時期に父親を失った息子は、次第に問題を起こすようになって……。

 

 それから彼が十代のころは、私と息子はすれ違いを続けます。家庭を守るために、私は家を留守がちになり、息子は寂しさからか、補導や軽犯罪に手を染めるようになり。

 

 ……アルバムをめくると、息子の制服の写真が、驚くほど少ないんです。私はもっと、息子を知るべきだった。それに気が付き、後悔したころには、息子は家を飛び出していました。

 

 どれだけ嘆き悲しんでも、どこにいるのかもわからない。

 

 私は息子を永遠に失ったのだと思いました。こんなに悲しいことはないと、喪失感に体を震わせて。

 

 けれど、それは間違いだったのです。たとえ息子が家からいなくなっても、どこかに生きているのなら、それはまだ、不幸とは言えないと。

 

 息子が本当に消え去った時、私は自身の甘さを呪いました。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 IV」

 

 

 

 警察組織には監察官という特殊な仕事が存在する。

 

 警務部とは元来、給与や人事等、警察職員の福利厚生にまつわる業務を担当する『捜査をしない警察官』が多く在籍する部署だ。

 

 だが、その中にあって、監察官は捜査を行う例外。

 

 しかも、対象は警察職員。不正が疑われる、俗にいう汚職警官を取り締まるのが役割だ。

 

 警察官が服務を全うしているか、法を侵してはいないか。社会の守護者として強大な権限を許されている警察官が、力におぼれないよう、万が一にも守るべき市民を傷つけないように。警察官自身に目を光らせ、必要とあらば糾弾し、処分を下す。

 

 監察官を『警察の中の警察』と呼ぶものも多いが、それは正しい。

 

 そして、警察職員の中にはある共通認識がある。それは、監察の対象者となったものは、例外なく警察官としてのキャリアに前途はないということ。目の前に現れた時点で、警察官としての人生が終わる。

 

 警察官にとっての死神。そんな人物が、進ノ介の目の前に現れた。

 

「……どうして、監察官が」

 

 霧子が隣で呆然と呟く。彼女の動揺が震えた声色から進ノ介へと伝わってくる。よりにもよって聴取の対象が泊進ノ介だなどと。一方で、進ノ介は拳を固く握ったまま、大河内を見返し、反論しようとはしなかった。

 

 その様子を見て、大河内はむすりと固くした表情を壊さず、懐から薬瓶を取り出した。進ノ介達の怪訝な顔は無視して、そのまま数粒の錠剤を口へと放り込む。

 

 がり、がり、がり、がり

 

 静かな病院の廊下に、不機嫌が伝わってくるような噛み砕く音が響く。

 

(ピル、イーター)

 

 聞いているうちに、進ノ介はそんな言葉を思い出す。そうあだ名される、鬼のような監察官がいると噂で聞いたことがあった。正体不明の錠剤を毎日のように噛み砕いている男。目の前の彼がそうだと、進ノ介は確信した。

 

 大河内はひとしきり錠剤を呑み下すと進ノ介へと無感情に言う。

 

「まずは、場所を変えましょうか」

 

 選ばれたのは病室の中だった。個室なので誰かに聞かれることもない。進ノ介は勧められるままベッドに腰かけ、大河内は来客用の椅子を引っ張り出して座り込む。霧子は自分も同席したいと申し出たが、大河内が言うようにこれは監察官聴取。つまりは、取り調べ。

 

 『容疑者』と刑事以外は立ち入れるはずがない。

 

「……初めまして、等と貴方ほど名を売った人物相手になら、挨拶を交わすべきでしょうが。あいにくと、私はこんな性格ですからご容赦を」

 

「……いえ、良いです。それよりも、監察官。俺が……、私が監察官聴取の対象っていうのは」

 

「読んで字のごとくですが。……心当たりは?」 

 

 大河内の言葉に、進ノ介は黙した。

 

 多くの場合、監察官聴取の対象になるのは違法行為に職務規定違反を犯した警官。不倫や情報流出、賭博に賄賂。進ノ介は生まれてこの方、そのような道を踏み外した覚えはない。それだけはない。

 

 だが、大河内が尋ねたタイミング。それに、あの犯人の涙ながらの訴え。

 

 あれを聞いて、自分の非を全く疑わないほど、進ノ介は面の皮が厚いわけではなかった。むしろ、そうした情の強さこそが、仮面ライダーの強さでもあり、進ノ介を警察官たらしめる大きな要素。

 

 それが今、進ノ介の心を圧迫している。

 

 大河内はこれ見よがしに溜息を吐いた。進ノ介の内心など見透かしていると、そう言いたげな目だった。

 

「単刀直入にお尋ねします。泊進ノ介巡査、貴方はご自分が真っ当な警察官だと思っていますか? 仮面ライダーとなった今、そう名乗ることができますか?」

 

 自分はそうは思わないと暗に告げながら。それを察しつつも、

 

「……俺は、自分が警察官として生きてきたと、信じています」

 

 進ノ介は信念を込めて言う。

 

 ロイミュード事件でも、それ以前でも。進ノ介は市民を守るという警察官の使命に背いた覚えはない。今、あるいは遺族を名乗る女性に糾弾されようとも。あの時、あの場所で戦うと決めた決意に、迷いはなかったと信じている。

 

 それを聞き、大河内は静かに頷いた。

 

「なるほど……。私個人としては、貴方に感謝していますよ。貴方のおかげでこうして生きることができている。命の恩人と言えるでしょう。

 ですが……、貴方は仮面ライダーとして活動する間、数多くの服務規定を犯したと、私は考えています。個人の情とは別に、それを取り締まるのが役目ですから」

 

「……服務規程違反、ですか」

 

 ええ、と大河内は手元に下げた書類を一枚一枚めくり、その勿体ぶった態度で、進ノ介へと圧力を加えていく。

 

「例えば、泊巡査。貴方は機械生命体犯罪に関わる以前、同僚の早瀬刑事に怪我を負わせていますね?」

 

 大河内が淡々と告げた。

 

 その瞬間に進ノ介の頭には、あの雨の日の出来事が蘇った。世間がロイミュードという脅威と向き合った日、第一のグローバルフリーズ事件。

 

 当時、捜査一課特殊班に所属していた進ノ介は相棒の早瀬刑事と共に凶悪犯の確保に赴き、争いの中で止む終えず発砲。しかし、それが不運にもグローバルフリーズと重なったことで狙いが外れ、早瀬刑事へ再起不能の大けがを負わせることになった。

 

「……ええ」

 

 進ノ介は肯定を返す。だが、既に早瀬とも和解しており、決着はついている。話題に出されるものではない。自然と進ノ介の顔は強張ってしまった。

 

 大河内は続ける。

 

「……貴方はその事実を鑑みて、特状課への配属前に、再三カウンセリングを受けることを推奨されていました。ですが、あなたはそれを受けなかった。そして、特状課に異動した後も、半年もの間、職務怠慢を繰り返していた。

 ありていに言えば、サボっていた。これは、多くの目撃者がいます。……間違いありませんね?」

 

「……それは」

 

 反論することはできない。あの時の自分は、早瀬をケガさせたショックや、左遷されたことにより意気消沈していた。それは疑いようのない事実であり、警察官としてあるまじき行動だったと、今は断言できる。

 

 けれども、言いよどむ間に大河内は何がしたいのか、言葉を撤回した。相手の感情を上下させて、隠している本性をさらけ出せようとしているようだ。

 

「まあ、それは所属長である本願寺警視によって、報告と適切な指導がなされていなかったことが問題ですので。もちろん、職務態度は処分の対象ですが、当時の特状課の現状を鑑みると、警察活動への支障はなかったと判断しました」

 

「……それじゃあ、何が問題なんですか?」

 

「資質の話ですよ」

 

 短く、強い言葉。大河内は再び白い錠剤をがりがりとかみ砕き、進ノ介へと重苦しく口を開くのだ。

 

「貴方には当時、強い心的外傷があったということです。……そのような人間が、『警視庁の試作型装備』仮面ライダーの装着者として選定される。そんなことは、あり得ない」

 

 彼は警察官僚として断言する。

 

 仮面ライダーは、ロイミュードの存在を察知した警視庁が主導し、開発した特殊装備という『名目』のもと存在した。敵の性質上、一般には伏せられていたが、その開発は正式なプロセスを踏んだと、世間には発表されている。

 

 そして『機械生命体犯罪対策特別措置法』という、ロイミュードへの対処と、特殊装備の使用認可を明記した法案が成立し、仮面ライダーの活動とロイミュードの即時破壊は合法化された。

 

 つまり、仮面ライダーは、法の元では国及び警察の管理下にあったことになる。しかし、

 

「その機密性、重要性を鑑みると職務遂行能力に疑問がある職員に供与するはずがありません。ですが、現実に貴方は仮面ライダーとして『大活躍』をした」

 

 その事実間のギャップ。そんなあり得ない事態が起こったことの説明はただ一つと彼は考えている。

 

 全ては嘘だったのでは、と。

 

「貴方が仮面ライダーとなったのは、正式な職務ではなかったのではないか。私が疑いを持っているのは、そういうことです。

 貴方は指揮系統を外れながら勝手に装備を揃え、仮面ライダーとして活動した。誰の命令もなしに。その尻拭いを警察と政府は行った。

 仮にそうであったなら、……それは警察官として正しいと思えますか?」

 

「……っ、それでも、目の前で襲われる市民を見捨てることは、警察の使命に反します!」

 

 進ノ介は思わず声を荒げて反論する。

 

 大河内の声は真実を内包している。実際に、進ノ介は本願寺がマスコミにリークするまでの間、謎の戦士として正体を秘匿していた。公表することを最初こそ迷ったが、人間に化けるという敵の性質、警察の不審な態度、何より協力者であるベルトさんがそれを強く拒んだことで、謎の戦士として活動する他ないと考えていたから。

 

 だからこそ、世間に存在が認められたのを一番驚いていたのは、進ノ介自身でもある。

 

 けれど、他にどうすればよかったというのだ。

 

 僅かな味方以外は誰も信頼できない状況。それでも、奪われんとする命を救うためには、警察官の使命を果たすためには、仮面ライダーとして戦う他に道はなかったと、進ノ介は信じている。

 

 だが、監察官の追及は止まらない。彼らの考え方は違う。進ノ介が現場や状況を鑑みて行った決断。それに彼等は法令に照らし合わせて裁断を下す。それが大河内達の正義だ。同じ桜の紋を背負っても、在り方には大きな隔絶がある。

 

「もちろん、一度目は大目に見ることができます。警察官は緊急時に必要な措置を行うことも、認められている。

 ……ですが、その後はどうでしょう? 貴方は所属長、つまり本願寺警視へと報告を上げておりませんね。職務執行法において定められている通り、公安委員会等への報告義務が存在するにも拘わらず」

 

「……警察上層部にロイミュードの仲間がいる。その可能性を考えたら、安易に報告を行うことはできませんでした」

 

「なるほど。蓋を開けてみれば、国防の要が敵の手に落ちていたのですから、その判断は正解だったと。……結果が伴えば法を無視して構わないと言いたいのですか?

 それならば、他の案件については? 通常の職務では問題になることが山積みですよ、貴方の行動は」

 

 監察官は、一際眼光を鋭くさせ、続けざまに問いかけてくる。

 

「法整備も行われていない状況で、機械生命体に用いた対抗措置。それが適正な手段だったと、貴方は考えていたのですか? 素性も知れぬ装備を用いて、碌な管理も行っていなかった。銃刀法違反を疑われても仕方がない」

 

「仁良光秀に関する不正を把握した後、監察に訴えなかったのは何故です? 結果、事態は大ごとになった。ご自分たちで決着をつけたのは、御父上に関する個人的な復讐に当たりませんか? また、その騒動の中、冤罪だったとはいえ、指名手配段階で出頭しなかったのは?」

 

「……そして、官給備品とされた装備、『ドライブドライバー』でしたか。それらを紛失したのは、重大な過失と言わざるを得ない。銃器紛失と考えれば、どれだけの罪か分かっていただけると思いますが?」

 

 淡々と、言葉少なく、荒げられることもない声。

 

 これが、仁良がかつて行ったような、進ノ介を挑発するための罵りであったのなら、進ノ介も立ち向かおうという気概を得られたかもしれない。

 

 言い分は幾らでもある。あの混乱した現場にいなかったキャリア組の、難癖と言い切ることもできる。

 

 しかし、大河内の言葉に悪意はなかった。

 

 彼は自分に与えられた監察官という職務に従って、強い義務感で進ノ介を追及している。ならば、法令と規則に則り糾弾する彼の言葉を、切り捨てることは、警察官である進ノ介にはできなかった。

 

 大河内はもう一度、同じ言葉を繰り返す。

 

「……以上の疑いを私が抱いている。その事実を認識した上で。もう一度お尋ねします。泊巡査……」

 

 

 

「貴方は、ご自分が真っ当な警察官だと、本当にお思いですか?」

 

 

 

「それは……」

 

 同じ問いなのに、今度は言葉が続けられなかった。大河内の発言は、規則を重視するならば道理が通るもの。進ノ介自身がそれを認めているからこそ、弾劾が胸に鋭く刺さる。

 

 どれだけ窮屈な理屈であろうとも、警察官が守ると誓わされた規則。それを進ノ介は、市民を守るためだとは言え、尊重していなかったかもしれない。

 

 撃たれて以来、やせ我慢を重ねていた信念に、自分の非を認めると共にヒビが入っていく。

 

『最後に、友人が増えた……』

 

 ハートの涙が頭をかすめる。

 

『彼は、仮面ライダーはただの人殺しです!!』

 

 犯人の怨嗟が耳に木霊する。

 

 撃たれた腹が、熱をもち、じくりとした痛みを脳に伝えてくる。

 

 今は誰もいない。自分を見失いそうになった時に、殴ってでも正してくれた仲間も、すぐ傍にいて、力を貸してくれた相棒も。

 

 今は、仮面ライダーが役目を終え、何事も為せない場所にいる今は。そして、あの結果を招いた自分が果たして……。

 

(だから、俺は処分されるのか)

 

 そんな苦しい声が喉の奥から漏れだそうとする。諦観と絶望と、不思議な納得があふれ出しそうになる。しかし、その時になって、

 

「大河内君、そのくらいにしておきなさい」

 

 穏やかな声が乱入してきた。

 

 進ノ介が顔を上げる。一体、誰だと。視線を声の方に向けると、ドアの前に刑事部長、甲斐峯秋がほほ笑みながら佇んでいる。

 

 それを見た途端に、大河内は苛立たし気に肩を揺らしながら、鋭い眼光を解いていった。

 

 同時に、金縛りが無くなったように、進ノ介を包むプレッシャーも霧散していく。

 

「……どういうことですか?」

 

 訳が分からず、進ノ介は大河内をにらむように尋ねた。今、病室を取り巻く雰囲気は、数秒前とはまるで違っている。あの、今にも懲戒免職が宣告されそうな緊迫感はもはやない。

 

 大河内は三たび、錠剤を口に含むと、臍を噛んだように真実を明かし出す。

 

「私は貴方の活動を話題に出した時、『仮にそうであったなら』と言いました。そう言った以上、私の話はただの仮定です」

 

 仮に仮面ライダーの活動を、非合法に行っていたのなら。

 

「所詮『後出し』であろうとも、特措法成立により、貴方の活動は合法化されている。本願寺警視も用意周到な方です。貴方が作成した覚えはなくとも、規則通り、活動状況は書類として纏められていましたよ。ああ、もちろん、特措法成立前に遡ってもね」

 

「つまり……」

 

「運が良かったですよ、泊進ノ介巡査。貴方は法と規則に則って活動したことになる。懲戒を下すことはありえません。……唯一、装備の紛失はグレーといったところですが、書類上は警視庁で厳重に管理していることになっていますのでご安心を」

 

 それだけを言えばいいのに、大河内は、

 

「……もっとも、貴方がその認識を持っていなかったことには驚きですし、ヒーローならば模範として規律の一つでも守ってほしいという思いもあります」

 

 なんて言葉を残していく。組織人として大局を鑑みて、従っているだけで、大河内の中には、職務違反を繰り返したことへの不信感が存在するのだろう。

 

 一方で、甲斐はと言えば、大河内と異なり、朗らかな態度を崩さない。

 

「彼はああ言うが、私にとってはオーバーテクノロジーなんてものは、役目を終えた以上は厄の種。封印してくれて感謝したいくらいだがね」

 

 めいめい勝手に語り合う、二人は進ノ介を置き去りにしていた。それを聞きながら、進ノ介は狐につままれたように感じる。彼らの言を信じるなら、大河内は通常の監察の業務のように進ノ介を調査し、追い詰めたのだ。進ノ介に罰せられる根拠は、消え去っていたにも関わらず。

 

 そうまでした理由は一つしか思い浮かばない。

 

「まさか、俺にそれを分からせるために、こんな真似を!?」

 

 進ノ介の叫ぶような声に、大河内は重苦しく頷く。

 

「ええ。貴方には服務規程を疑われる『可能性』があった。荒療治ですが、それを認識していただくためのものですよ」

 

「なんで……」

 

「今後、君にかかる火の粉を払うため、と言えば分かってもらえるかな?」

 

 言いつつ、甲斐がゆっくりと進ノ介へと歩み寄ってくる。

 

「君は今、警察の信頼を一身に背負っている身だ。まさに、英雄。君がいてくれたことで警察組織は決定的な信用失墜に陥らずに済んでいる。

 確かに違法行為を追及することも可能だろうが……。知っての通りの異常事態であったし、杓子定規に規則を持ち出すこともあるまい。また、君の影響力を考えれば、懲戒処分に出来るわけもなし」

 

 それを行った瞬間、処分事由は公表される。仮面ライダーの懲戒処分など、市民の支持は得られるべくもなく。活動を見逃していた警察の威信が今にも増して地に落ちるのは目に見えていた。それが分からないものは、警察上層部にいるはずがない。

 

 ただ、この世には変わった信条を持つ者もいる。ヒーローを信奉するだけに留まらず、粗探しをして、天から引きずり降ろしたがるのも人間というもの。

 

 今回の犯行声明のように。

 

「幸いにも、あの犯人の声明は与太話扱い。世間の支持も受けていない。だが、ゴシップを好み、重箱の隅をつつく輩は、どこにでも存在するのが事実だ。我々がコントロールしようとしても、君へ追及が伸びる危険もある」

 

「仮面ライダーの活動は法的に危ない橋を渡っていた。それも事実ですからね。そして、追及された際に、曖昧な対応をされたら。警察どころか、政治中枢も吹き飛ぶ大スキャンダルとなりかねない。今も、外ではマスコミが手ぐすね引いて待っています。

 怪我人相手に申し訳ないとは思いましたが、今しかなかった。万が一に備え、予行演習が必要だと考えました。貴方に今後、何を聞かれても、法に則って活動したと、そう言っていただくために」

 

「……その時は、俺に嘘をつけって言うんですか?」

 

 大河内の物言いに、進ノ介は苦い思いを感じてしまう。しかし、大河内達は進ノ介のこだわりを一蹴してくる。

 

「法律上、嘘でもなんでもありませんからね。後出しだろうと許可された行動を貴方はとったのですから。その時が来たならば、冷静に。そう頼んでいるだけです」

 

「難しいことはないさ。我々が今の君に求めるのは『黙っていてほしい』。ただ、それだけなんだ。それだけをしてくれれば、君を守ると約束しよう。

 君は理想の警察官として、ただ在ってくれればいい」

 

 進ノ介は心の怒りを抑え込むのに必死だった。峯秋の物言いは進ノ介にとって納得しがたいものだったから。

 

 その一方で、返す言葉もなかった。

 

 自分の影響力が、意志とは離れて大仰な物と化してしまったのを、この数か月で嫌というほど進ノ介は思い知らされていたから。

 

 街中に出れば、たちまち人だかり。右京に苦言を言われた回数は数知れない。皆が自分を理想の警察官として見てくる。正義の味方だと認識している。

 

 自分が下手な追及を受ければ、身近な人間だけでなく、所属する警察の名を汚すことも嫌というほど簡単に想像できた。そして、薄々と感じていたが……。

 

 今、進ノ介ははっきりと、自分の名前が泊進ノ介から『仮面ライダー』になってしまったのだと理解してしまった。一刑事ではなく、正義の体現者が求められているのだとはっきりとわかった。

 

 だからこそ、何もしないで大人しく英雄然として欲しい。上層部はそう考えている。偶像として、象徴として、一点の曇りもないヒーローとして。

 

「……だから、俺は特命係に飛ばされたんですか?」

 

 進ノ介がうつむきながら、ぽつりと零す。

 

 進ノ介を刑事にするには、世間に出すには危険だと判断した。いつどこで粗を見せるか分からないから。だから、捜査権がない特命係への異動を行った。ぼろを出さないよう、飼殺すために。進ノ介はそう考える。

 

 だが、大河内はその言葉を聞くと、やれやれとでも言いたげに首を横に振り、否定するのだ。

 

「馬鹿を言わないでください。仮に私が人事を任されたなら、貴方の配属先は広報課です。広告塔として貴方は最高の人材ですから。……万一にも特命係へと送るなどと言うことは、あり得ない。

 どうやら貴方は、杉下右京という男の危険性と能力をまるで分かっていないようだ」

 

「……どういうことです」

 

「彼は警察組織の異端であり、忌み嫌われつつも、不可欠な劇薬。特殊な装備など無くとも一組織と戦え得る諸刃の剣だ。そんな特命係へ、もう一つの劇薬である『仮面ライダー』を放り込む。正気の沙汰じゃない」

 

「それじゃあ! どうして俺は特命係にいるんです!?」

 

「上には上の思惑がある。そういうことでしょう。私とて、知れるものなら知りたい。……ともかく、貴方はこの事件が集結するまで大人しく待っていてください。それが警察の総意です」

 

 そう言い残し、大河内と甲斐は踵を返して部屋を出ていこうとする。

 

 だが、

 

「ちょっと、待ってください!!」

 

 進ノ介はとっさに彼らを呼び止めてしまった。彼等の述べた進ノ介の『罪』の羅列には、彼を最も苛む事項が抜けていたから。進ノ介には誰かに尋ねずにはいられなかった。

 

「大河内さん、さっき、なんで追及しなかったんですか? 俺はロイミュード達を倒した。それは、もしかしたら」

 

「……自分が人を殺したなどと言いたいのですか?」

 

 頷きはせず。だが、進ノ介の頭の中には、次々にロイミュードの顔が浮かんでいく。人間の悪意に翻弄され、罪を犯し、消え去っていった悲しい種族が。

 

 一方、大河内達の顔に浮かんだのは、むしろ、進ノ介を気遣う感情だった。

 

「こんな時に追及した私が言えた義理ではありませんが、貴方はまず休むべきです。あの犯人の妄言に感化されるべきではない」

 

「けど、ロイミュードは……!」

 

 なおも言いつのろうとする進ノ介。だが、甲斐は諭すように、当然のように、進ノ介の感傷を切り捨てる。

 

「彼らはただの機械だ。例え人とどれだけ似てようと、ただの器物。適切に破壊した君を、人殺しと呼ぶ者は他にいないさ」

 

 個人の感情はともかくとして、罪科を規定するうえで、命と人権を認めるのは法だ。

 

 ロイミュードが法的に命として扱われない以上、一個人が人間と同等に扱おうとも、器物は器物。それも人に危害を加える暴走した危険物。それを法の下に破壊した進ノ介に罪はない。けれど、

 

「たとえ、そうだったとしても。……俺にとっては」

 

 ブレンは、メディックは、ハートは……。チェイスは、命ではなかったなんて。

 

 進ノ介に納得できるはずがなかった。

 

 

 

 杉下右京が吹原かおりの住居を訪れたのは、大河内達がまさに進ノ介を訪問している間だった。彼は規制線が貼られた古びた一軒家をのんびりと眺めると、手帳を見せながら中に入っていく。

 

 その中身はどうなっているかと言われれば、

 

(……特に変わったものはありませんね)

 

 右京は内心でごちる。例えば、生活が非常に荒れているような様子はない。ドラマでよく見られるような進ノ介に関する資料が一面に貼られているということもない。そして、

 

「……なるほど」

 

「なるほど、じゃないですよ! 警部殿!!」

 

 足を延ばした居間では、伊丹達が畳をひっくり返していた。

 

「伊丹さん、芹沢さん、どうも。何か手掛かりは見つかりましたか?」

 

「それが見つかったら、こんなことはしてませんよぉ……」

 

「情けねえ声を上げるんじゃねえ、芹沢!」

 

「でも、丸一日も探して、何も見つからないんですよ? 鑑識は引き揚げちゃったのに先輩が何が何でも探すっていうから」

 

 芹沢が目を潤ませながら眺める吹原家は、整然としていた。いや、そういえば聞こえは良いだけ。むしろ、

 

「確かに、生活感も感じられませんねえ。……意図的に痕跡を消し去った。立つ鳥跡を濁さず、というところでしょうか」

 

「ふんっ、ま、これから人を殺そうってヤツが証拠を残して出ていくわけもねえよな!」

 

 伊丹が憤懣やるせないという顔で、畳を叩き落とし、芹沢ともども、埃にせき込んでしまう。

 

「もうっ、乱暴だなぁ……。寝室や客間も同じですよ。家具以外の身近なものは処分していたようです。ただ、ちょっと例外なのが……」

 

「はい?」

 

 そうして芹沢が案内してくれたのは、一軒家の奥。一室だけ、鮮やかなほどに生活感を残した部屋があった。そこには主婦の趣味はなく、家具や壁紙は男性的。本棚には漫画本が並べられている。

 

「なるほど、ここはご子息のお部屋ですか」

 

「……ええ。近所の話だと、息子の健輔は高校時代に家を飛び出して、それが一年前、いきなり戻ってきたそうです。で、それからしばらく、親子水入らず。この部屋で暮らしていたようですよ。その間、アルバイトやら何やら」

 

「調べたら、その息子、けっこうな借金を抱えてたみたいです。賭博癖が祟って。それで母親に泣きついたってところでしょう」

 

 伊丹と芹沢は、不思議と素直に情報を渡してくれた。

 

 右京はそれを聞きながら、本棚を見つめ。一番下の段にあった分厚い本を取り出す。

 

「ああ、それ。ただのアルバムですよ。手掛かりも何もなし!」

 

「そうですか。……ですが、僕には少し、興味がありますので」

 

 そう言いながら、右京はページをめくっていく。構成は一般的なアルバムと変わらない子供の成長記録。

 

 病院だろう、白いシーツに包まれた赤ん坊の写真。父親と母親に囲まれながらヨチヨチ歩きをしている写真。少し成長して、幼稚園の制服に身を包んだ姿。

 

 だが、父親の姿が写真から消えてから、子供の顔から笑顔が消えていく。傍らで、大切そうにその肩を掴む母親の顔からも。

 

 化粧も薄く、くたびれるままに任せ、やつれていく母親。

 

(……そして、長い断絶)

 

 写真がいったん途絶える。

 

 二人の記憶の空白を表すような、いくつもの白紙のページ。それを残している彼女の心情を図ることはできないが、それでも空虚な印象を強く与えてくる。そして、

 

「これが一年前の写真でしょう。ここだけ、真新しい」

 

「……そうなんじゃありませんかね?」

 

 右京の見つめる写真では、幸せそうな親子がいた。息子は大きく成長し、どこか派手派手しい格好で陽気に母親の肩に手を回す。一方で母親も、かつての写真とは様変わりしていた。

 

 顔に活気があふれ、綺麗に化粧も施し、息子に添えた手にはマニキュアまで塗られるようになった。命が吹き込まれたような、大きな変化だ。

 

 それを最後に、親子の記録は完全に消えた。

 

 右京はアルバムを閉じると、それを手に持ったまま、中空を見つめるように思想にふける。そうして、アルバムを本棚に戻すと、彼は部屋をぐるぐると見回し始めた。

 

 次第にその動きが大きくなって、小さな箱の内側まで無遠慮に探し始めて。

 

 そして……。

 

「おや」

 

 右京は部屋の隅に置かれていた小綺麗な小箱を手に取る。無遠慮に開け、中身が何もないことを確認し。しかし、振るとカラカラと小さな物が動く音。

 

 二重底だ。

 

 底蓋を取り外すと、そこには小さなピンクのマニキュアが置かれている。書かれたブランドは高級品。

 

「……あの写真のマニキュアは、これでしょうか?」

 

 新品ではないようだ。使った痕跡がある。それを注意深く観察しながら、誰に尋ねるでもなく右京は不思議そうに言う。そうしているかと思えば、突然に視点を変えると、伊丹へ話しかけるのだ。

 

「伊丹さん」

 

「はいはい、なんでございましょうかー? って、なんか見つけてやがる……」

 

「事件前の彼女の様子について、何か証言は?」

 

 伊丹はそれを聞くと、一瞬むっすりと眉をひそめ、渋々と口を開いた。不機嫌でありつつ、やはり、いつもと比べると協力的な様子。伊丹はぶっきらぼうに言う。

 

「息子の事故以降、引きこもりがちだったようですよ。仕事もやめて、貯金を切り崩す生活。息子が死んだんだから、そうなる気持ちは分かりますがね。けれど、」

 

「半年ほど前、まあ、あの映像で本人が言っていた時期は、元気に外出してたみたいです。ご近所の証言だと、だいぶ病的にやつれていたけど、表情は明るかったって。ほんとに機械生命体と同居してたんですかね」

 

「俺の台詞取るんじゃねえよ!!」

 

「なるほど、どうもありがとう」

 

 そう言うと、右京はもう一度マニキュアを見て、頷きつつ、それを袋へと丁寧にしまい込んだ。

 

「……そんなの、何か証拠になるんすか?」

 

 芹沢には、ただのマニキュアにしか見えなかった。

 

「それはまだ分かりませんが、いささか気になったもので」

 

 右京はただ微笑み、それを手にしたまま部屋の外へと出ていく。何をするでもなく、歩くまま。あるいは、そうしながら住んでいた人々の暮らしへと思いをはせるように。淡々と右京は言葉を紡いでいく。

 

「なぜ、吹原かおりは泊君襲撃に至ったのか。共犯は誰なのか」

 

「角田課長が言ってた、例の越谷って男か。それとも、他の思想集団か。それに、例の機械が息子代わりをしていたってのも、わけわかんねえ」

 

「そうですよね……。だって、あのロイミュードって、悪人ばっかりコピーしてたって話でしょ? 村木だったり、コップキラーだったり、真影議員とか」

 

「泊君の話では、いくつかの例外があったようですが、彼らが悪の心に惹かれる性質を持っていたのは確かだったようですね」

 

「つっても、息子の犯歴は軽犯罪ばっか。問題は借金をかなり抱えていたくらい。言っちゃわりいが、どこにでもいるぞ、そんな奴。

 ……全部、あの女の妄想なんじゃねえのか?」

 

 伊丹の言葉を聞きながら、右京はもう一度、手に持ったマニキュアへと視線を移し、思案気に視線を鋭くする。繰り返すように流れる、事件の流れ。だが、それを解決する上で必要なピースが未だ埋まっていない。

 

「なぜ、健輔君は家へと戻ったのでしょう。借金から逃れるためか、寂寞の念が強まったか。彼女の言葉が正しいなら、なぜ、ロイミュードは健輔君をコピーしたのか。

 ……あるいは、事件の根幹はそこに在るのかもしれません」

 

 しかし、その疑問に答える者はなく。彼等の準備が整う前に、新たな魔の手が伸びようとしていた。




仮面ライダーが相棒世界に存在したならば……。
そのように考える上層部がいてもおかしくないのではないでしょうか?

さて、物語も折り返しです。次回もどうかお楽しみに。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 V」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが、立て続けに病院にて追田警部の車が爆破され、犯人を名乗る女性は息子になったロイミュードの復讐のため、進ノ介を狙ったと語るのだった。捜査が進む中、協力者として、元ネオシェード関係者の名前が挙がるも、行方は掴めない。

そんな時、回復した進ノ介のもとへと監察官の大河内が現れ、進ノ介の仮面ライダーとしての活動が、服務規定に違反すると糾弾した。

自身のこれまでに疑問を抱いてしまった進ノ介。そんな彼らに犯人の次の手が迫ろうとしていた。


吹原かおり
:犯行を自白した女性。動機として、死亡した息子をコピーしたロイミュードを仮面ライダーが倒した復讐だと語っている。

吹原健輔
:かおりの息子。非行に走っていたが、更生したのか、実家に戻りかおりと共に生活していた。一年前に交通事故で死亡。彼をコピーしたロイミュードが存在したというが……。

越谷伏美
:進ノ介が壊滅に関与したネオシェードの元幹部であり、金庫番。事件前後、複数の勢力の間を動き回っていた。

両島医師
:進ノ介の執刀医。


 息子は突然の帰宅でした。私は理由も聞きません。どうでもよかったんです。ただ傍にいてくれる。家族に戻ってくれた。それだけで満たされていました。

 

 彼は少し派手好きになっていましたが、昔と同じ料理が好きで。癖も変わっていません。そして、昔よりも優しく私と接してくれました。……爪のお手入れの仕方、化粧の方法。アルバイト先で勉強したのだというそれらを私に教えてくれたんです。

 

 浮かれていました。

 

 幸せでした。

 

 今度こそ、この子を幸せにするのだと、決意しました。

 

 けれど……。

 

 事故死だったんです。

 

 好きだったバイクを乗り回して、運転ミスをしたのだと、警察官が淡々といったのを覚えています。すごく冷たい言い方でしたね……。

 

 けれど、私は目の前で黒い布に包まれている存在が、自分の息子だとは到底思えませんでした。無理を言って開いてもらうと、黒焦げの炭の塊としか思えなくて。ガソリンが燃えてしまったのだとか……。良くは分かりません。

 

 私は息子を永遠に失ったのです。

 

 何が悪かったのでしょう。もっと、私にはできることがあったと、後悔しても、しきれませんでした。

 

 そして、何度も自殺を考えていた私の前に、彼が現れたのです。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 V」

 

 

 

 沢神りんな博士がようやく帰国したのは、二十九日の朝だった。元々は進ノ介の銃撃を聞きつけ、飛んで戻ろうとしていた彼女。だが、進ノ介に続いて追田警部が狙われたことから、状況は一変した。狙われているのが元特状課だということがはっきりした以上、りんなもターゲットである可能性が高い。

 

 警察としてはこれ以上の失態は犯せない。まして、日本の将来を担う天才科学者を狙わせるわけにはいかなかった。

 

 当然、彼女の安全に配慮した対策が取られる。中には米国に逗留させておけばいいという意見もあったが、いくつもの重大な研究が任されている状況でそれはならず、却下。捜査本部による会議の結果、彼女の帰国は極秘裏にいくつものダミーを用意した厳戒体制の下で行われることになったのだ。

 

 場所は成田空港。

 

 年明けを海外で過ごそうという家族連れ、または、年越しくらいは祖国で過ごしたいという海外勤め。そのほか、旅行目的の外国人など、様々な人々が集まって雑多な中にある日本の玄関口。

 

 その入国ゲートから、帽子とマスクで顔を隠し、ひっそりと女性が出てきた。恐る恐る、慣れない格好に引っ張られながらゲートの外に出てくる彼女。

 

 瞬間、彼女を囲むように背広姿の男たちが足早に集まってくる。女性は、変装したりんなはそんな彼らに当然警戒し、体を固くする。だが、その男たちの中に見知った四角い顔を見つけたことで、息を吐いた。

 

「……はぁ、誰かと思ったらゲンパチじゃない!」

 

 ばしりとハンドバッグで追田警部を叩くりんな。言葉とは裏腹に、彼女の顔には安堵と親愛の情が浮かんでいた。一方で、久方ぶりの再会となった同僚兼、友人兼、密かに交際未満の関係である女性へと、追田も巌の様な顔を崩して笑いかける。

 

「悪いな、センセ。ここからは俺たちが護衛役だ。しっかりエスコートさせてもらうぜ」

 

「なーんで、狙われてる本人も加わってるのか、分かんないんだけど?」

 

「そりゃ、俺が志願したからな! センセが狙われてるってのに、俺が動かないわけにはいかないだろよ!」

 

 言いつつ、どんと追田は厚い胸板を叩く。りんなが言った通りに、自分も爆弾で狙われたばかりだっていうのに、元気なものである。ただ、本人は良いと言っているようだが、現場や上層部はそうは思ってはいなかったよう。周りの警官たちが追田の物言いに一斉に苦い顔をする。それを見て、りんなには追田がどれだけ頑強に参加を主張したかが伝わってきた。

 

「まったく、相変わらず無茶ばっかしてんだから!!」

 

 もう一度、追田の背中にハンドバッグを一撃。りんなは、そんないつも通りの熱血刑事の姿に呆れてしまうが、同時に傍にいることに強い安心も覚えた。りんなは二度もぶつけたバッグを追田に預けながら、快活に笑う。

 

「ゲンパチのエスコートってところは少し不安だけど、お願いするわよ?」

 

 こうして、沢神りんな博士の護送計画は、順調な出だしを迎えた。しかし、正念場はここから。彼女を車に乗せ、用意した隠れ家へと送り届けるまで任務は終わらない。追田とりんながお互いに簡単な近況報告をし、緊張をほぐしている中、追田の後ろから動きやすいスーツをびしりと着込んだ男性が出てきた。

 

 彼は警察手帳を見せながら、りんなへと頭を下げる。

 

「お話し中、失礼します。警備部警護課の村上です。今回、沢神博士の警護の現場指揮を任されました」

 

 言いつつも、表情を全く変えない屈強な男性だった。追田を除いた警察官達は全員が村上の部下であり、要人警護に秀でたSPだという。その誰も表情の変化は多少はあるが、人間味はそれくらいで直立不動に身じろぎもしない。

 

 りんなが出会い、親しくしてきた警察官と言えば追田に進ノ介に、霧子、本願寺と親しみがあり、時に愉快な面がある人間たち。それと比べると、目の前の男達はかなりタイプが違うと言えるだろう。

 

 りんなはそんな男達に少々気圧されながらも、頭を下げた。少しだけやりにくさを感じるが、自分を守ってくれるという人間に誠意を見せたかったから。そうすると、少しだけだが、男たちの顔に柔らかな表情が広がっていた。

 

 村上が咳ばらいを一つし、全員を見回しながら告げる。

 

「……それでは移動しましょう。お伝えした通り、今回の護送は警護課の一部のみで計画を進めています。万が一にも心配はないでしょうが……。速やかに、セーフハウスへとご案内します」

 

 一同はりんなを囲むように移動を始める。未だに人通りは多く、さりとてスーツで物々しく囲んだ集団は珍しい。だが、そんな雰囲気の集団に近づくものは当然におらず、りんな達はすぐに、外に駐車された警察車両へとたどり着くことができた。

 

 黒塗りの防弾使用の車両。犯人がライフルを使用したという事実から、必要な準備でもある。

 

「ここで少々お待ちを。佐々松」

 

「はっ!」

 

 警護課の一人がりんな達から少し離れて車両点検を始める。追田を含めて、彼らが乗ってきた車でもあり、安全が確保されているはずの車。点検は村上が語った通りの万が一を危うんでのことだった。

 

 しかし、その万が一が現実になる。

 

 佐々松刑事が何事かに気づき、顔を上げた次の瞬間だった。爆音と衝撃を伴いながら、車両が爆炎に包まれた。

 

 吹き飛ばされそうな風と音。

 

 離れた位置であったのに、りんなの耳はびりびりとつんざかれ、体はよろめかされる。何が起こったのかは、りんなには分からなかった。

 

 ただ、煙に包まれた視界の先で、点検を行っていた佐々松刑事が、爆発で吹き飛ばされたまま体をぴくりとも動かしていない。その腹部から赤い血が漏れ出していくのを見て、りんなの顔からも血の気が引く。聡明な彼女の頭脳も、突発的な事態においては上手く働いてはくれなかった。

 

 だが、周りを囲む警官たちはプロとして訓練を受けている。村上を中心にまとまった面々は、一筋の汗を流しながらも構えを解くことなく拳銃を抜き出し、りんなの手を取って後退を始めた。追田はりんなをかばうように大きな体で彼女を覆い、強く手を握りながらエスコートする。

 

 そして、村上がトランシーバーに向かって叫んだ。

 

「緊急事態発生! 車両に爆弾が仕掛けられていた!! 対象と共に避難を開始する! 応援と車両を早く回してくれ!!」

 

 有事に備えて、空港周辺には増援の警官を配備していた。数分もせずに装備で固めた刑事たちがやってくるはず。その説明を耳に入れながら、追田は顔をしかめる。彼の頭には、一つの疑問が浮かんでいた。

 

(……いったい、どこから情報が漏れた!!?)

 

 状況は前回、追田が狙われた時と同じだ。車両に爆弾が仕掛けられ、近づいた時に爆発させるという単純かつ、効果的な罠。だが、それを成功させるのには一つ、高いハードルを越えなくてはいけない。

 

 ターゲットの行動を読むこと。

 

 追田が襲われた時、犯人にとっては彼の行動は読みやすかっただろう。進ノ介の搬送先を突き止め、そこにやってくる人間から特状課関係者を狙う。

 

 だが、今回はどうだ?

 

 警察も、りんな達が狙われていると分かった以上、情報の取り扱いには細心の注意が図っていた。護送計画は専用のチームを立てて、ごく一部の身内の間でだけ共有されていたし、究のスマホがハッキングされていたことを考えて、データ通信も使用していない。

 

 それなのに、なぜ?

 

 今回の犯行は、りんなの到着時刻、場所を知り、待ち構えていなければ不可能だ。必ず情報の漏洩があった。しかし、その疑問を考える暇は今はない。状況は連続的に悪化していった。

 

 背を屈ませながら空港へと逃げ込もうとする一同。そんな彼等の進行方向。路上駐車されていた車が爆散した。

 

 距離が離れていたため被害はなかったが、ガソリンが着火した強烈な臭いと粉塵に、全員の視界が不明瞭になる。犯人は彼らの行動を読んでいる。むしろ、それを楽しむように、動くたびにポンポンと、小規模の爆発まで続く。

 

「くそっ! 遊びやがって!!」

 

 こうなってしまっては、りんなを囲みながらもその場を動くわけにはいかなかった。どこに爆弾が仕掛けられているか分からない以上、下手な移動は逆効果。そんな一行のもとへと、さらなる『贈り物』が届けられる。

 

 りんなは手のひらで口と鼻を塞ぎながら、かすむ視界の先でそれを見た。

 

(……かばん?)

 

 放物線を描きながら、彼等の頭上に飛んできた皮の旅行鞄。二度もの爆発を経験した今、あまりにも不釣り合いな飛行物体にりんなは呆然と、刑事たちは一斉に顔色を変える。

 

 このタイミングでの投射物など、爆弾以外には考えられない。

 

 咄嗟に動いたのは、追田警部だった。彼はロイミュード事件で見せたようながむしゃらな動きで頭上に迫ったかばんにつかみかかり、続く動作で、

 

「間に合えぇえええええ!!」

 

 叫びつつ、かばんとりんな達を引き離そうとする。追田は無我夢中だった。刑事としてだけでなく、一人の男性として、りんなを守るために必死だった。たとえ、自分が死ぬことになろうとも、本望だと決意していた。

 

「ちょっと何やってんの! ゲンパチ!?」

 

 後ろからりんなの金切り声が響く。だが、止まるわけにはいかない。

 

(追田源八郎、ここで漢を見せずにどこで見せる!!)

 

 あわよくば爆発の前に遠くへとかばんを投げ出せるように……。

 

 しかし、

 

「っ!?」

 

 彼にとっては幸いにも、そして、一同にとっては不幸なことに。かばんから噴き出したのは、莫大な量の白い煙だった。隙間から空気が漏れだすような薄い音と一緒に、その場に広がっていく感覚を刺激する催涙ガス。間近に受けた追田警部だけでなく、りんな達まで、そのガスにより視界と感覚を奪われていく。

 

 手も足も出ないとは、言葉通りだろう。りんなに関する情報が漏れ出たのが致命的だった。動きを封じられ、感覚を封じられ。刑事たちはりんなを囲み、手を掴んで安全の確保を行おうとしたが、犯人の魔の手は尚も伸ばされる。

 

 うずくまった村上達が首元に感じた強烈な刺激共に、彼等の意識は混濁し、体は次々と自由を失って倒れていく。

 

 数分後、意識を取り戻した刑事たちは、りんなと追田が消え去ったことに気づくのだった。

 

 

 

 村上刑事達からの緊急連絡を受け、捜査本部は騒然となった。情報を封鎖し、護衛を付けた上での移送。彼らがりんなに語ったように、万一にも悟られるはずはなかった作戦であった。それなのに、見事に犯人達には行動を読まれ、出し抜かれた上に護衛対象を強奪された。捜査官に殉職者が出なかったのは不幸中の幸いと呼べるかもしれないが大失態には間違いない。

 

 さらに深刻な問題は、

 

「これは、大変なことになりましたよお……」

 

 警視庁の管理官執務室。そこを仮住まいとしている本願寺は、捜査本部に加わることもできず、武骨な護衛に囲まれながら、顔をしかめていた。彼が視線を落とした先、携帯には暗い部屋が写っている。そこにいるのは二人の人影であり、そのどちらもが彼の大切な部下達だ。

 

 数十分前、警視庁に送り込まれた一本のビデオレター。

 

 そこには、椅子に縛られたりんなと追田が映し出されていた。猿轡をかまされ、後ろ手に縛られる格好。安心材料としては、追田が今にも椅子が壊れんばかりに体を大きく動かしていること。命は現状、無事のようである。

 

 さて、そのようなビデオレターを送り込んだ人物は誰か。などと言うことは考えなくても良かった。撮影者である吹原かおりが画面に現れ、自身の要求を発表したのだから。

 

『午後三時に泊進ノ介を寄こせ』

 

 同時に、一つの座標を示した。場所は都内近郊の廃工場跡。すぐに付近を巡回中の警察官が向かったが、今の段階では人気は存在しない。そこへと進ノ介を連れて来いと、彼女は言う。

 

 当然、その動画を受けて、捜査本部は喧々諤々の大騒動となった。彼等の見解も、犯人は吹原かおりで間違いなし、としている。だが、単独犯ではなく複数犯であるとの見方が大勢だ。成田空港での犯行は爆弾を扱い、複数の警護を制圧したうえでの拉致。準備といい、周到さといい、共犯の存在を疑うべくもなかった。

 

 となると、対応も変わってくる。犯人が単独なら、最悪の場合、取引に来た彼女を力押しで制圧するという選択がある。だが、複数犯の場合、二人いる人質を分割し、もしもの時のオプションに使うこともある。彼女を制圧した時、残った人質がどうなるかは想像に易い。

 

 この段階で、共犯者が特定されず、数や規模が分からない。それ故に、効果的な対策を打てずにいた。

 

「……泊ちゃんを差し出すなんて論外。かといって、りんなさんと追田警部を見捨てることも当然、出来ません」

 

 片や日本の未来を担う科学者。もう一人は警視庁の優秀な刑事。私人としては当然、全員の命を優先したいというのは本願寺の願いである。だが、一警察官僚としての考えも、二人が殺害された場合の影響は深刻だと判断する。

 

 もし、最善の解決策があるならば……。

 

「なんとか、犯人を説得できないものでしょうか……」

 

 一人ごちる本願寺に、護衛の警察官たちは何ともいうことができずに沈黙した。彼らも、本願寺さえも言いつつ、その可能性をあり得ないと考えていたからだ。目的が金銭や何事かの政治的主張であれば、交渉の余地があっただろう。だが、少なくともかおりの目的は個人的復讐。

 

 ロイミュードを奪われた復讐というのは、本願寺にも理解はできなかった。だが、懸命な捜査の結果、確かに彼女の息子の死後、死んだはずの健輔氏が少ない人数にだが目撃されていた。それも、かおりと共に。

 

 動機と進ノ介への殺意は本物だと見られている。なお悪いのは、声明でも分かる通り、彼女が世間の認知を求めていないこと。理解や見返りを求めることなく、次なる過激な行動に突き進んでいる。犯人が複数犯だとして、彼女に同調しているなら、同様に交渉の余地は少ないだろう。

 

(こういう犯人こそが、一番厄介ですね。泊ちゃんが向かった瞬間、爆弾を抱えて自爆をしかねない。名前と顔を出した大胆な行動。命を捨てる覚悟も、きっとできている)

 

 既に仕事を辞め、家財を整理し、家族もいない。全てが終わった後に自分で決着をつけるだろうことは、容易に想像できた。

 

 携帯を置き、胸につけた青紫のネクタイを締める。今日のラッキーカラーと、柄はラッキーアイテムのトランプ。そうした物を身に着けて、無事に事件が解決するのを祈りながら、大きくため息を吐く。

 

 こういう時こそ、自分の能力がもどかしい。

 

 本願寺も強い正義感を抱き、事件解決を願う警察官の一人だ。だが、彼はキャリア組。長く現場で活躍したわけではなく、その能力に乏しい事を自身で認識していた。

 

 だからこそ、長いキャリアの中で、本願寺はより良い警察組織構築へ向けて動いてきた。土台作りや、コネクションの広げ方、組織作りには自信があって、それによって現場で働く警察官が少しでも働き良いように、と。

 

 その成果を卑下するつもりはない。だが、もしもと考えずにはいられない。自分にも泊進ノ介の様な勇敢さと聡明さがあれば。仮面ライダーのようになれたら。量産型装備を使って、仮面ライダーに成ろうとしたのも、今思うとその憧れに突き動かされたからだろう。

 

 今、自分にできることは少ない。だからこそ、

 

「……泊ちゃん達なら」

 

 本願寺は、かつての自分とクリム・スタインベルトが期待した、いや、それ以上の働きで世界を救った部下たちに期待を託す。きっと、彼等なら真相を暴き、事件を無事に終わらせることができると。

 

 

 

 しかし、そんな本願寺の期待を知る由もなく。泊進ノ介は突如、病院から姿を消してしまったのだ。

 

 

 

 人生、悪いことが重なる日がある。朝に転び、昼にぶつかり、夜に病になる。不幸の連続が続いたり、何をやっても上手くいかない日というのは、確かにある。

 

 大概の場合、それは何でもない日々の失敗として、次の日には笑い話になったりもするのだが……。

 

 進ノ介の失踪は、警察にとって最悪のタイミングで発生してしまった。

 

 要因はいくつかある。進ノ介襲撃からこちら、絶えず張り付いていた霧子が小休止を入れていたこと。仕事納めやら何やらで病院に急患が殺到し、スタッフも疲労困憊していたこと。警護の刑事達が新たな襲撃という急報に対応するために、一時的に人員を減らしていたこと。

 

 そうして進ノ介から注意がそれた一瞬があり、気が付いた時には、進ノ介は病室から姿を消していたのだ。

 

『すぐに戻る。心配しないでくれ』

 

 という霧子に宛てたのだろうメモを残して。そして、当の彼女は、そのメモを思い切り拳で握りつぶしていた。

 

 不甲斐ない。

 

 心によぎるのはその一念だ。 

 

 失踪時の状況に残されたメモから、犯人による拉致の可能性は少ない。進ノ介は自発的に、病院から姿を消した。彼とて立派な一警察官であり、今、この警備体制の中で自分の失踪がどんな迷惑を及ぼすのか、考えが至らないほど子供ではない。

 

 ということは、猶更、進ノ介の失踪に足る大きな出来事が起こったということ。

 

 霧子は昨日、大河内らが来襲し、進ノ介を散々に詰問していったことを思い出す。詳しい内容は、進ノ介が断片的にしか教えてくれなかったので、知ることはできなかった。だが、進ノ介の思考の渦の中に取り残されたような、沈鬱とした表情から、彼が強く思いつめていたことだけは分かっている。

 

 自身を狙った事件の発生、動機は仮面ライダーへの復讐。当時の活動を言外に非難し、理想を押し付ける警察組織。

 

 立て続けに起こった時、進ノ介でも心がいっぱいになってしまうのは仕方ない事と思えた。

 

 世間一般で言われるよりも、進ノ介という人間は繊細な心を持っているのだから。これまでも、大きな失敗や転換の後には心にブレーキをかけてしまうことがあったように。

 

「私が、もっとしっかりしていれば……!」

 

 でも、なんと言葉をかけて良いか、霧子にはまだ分からない。だから、話を聞きつけた右京が病院に到着した時、霧子は焦る表情を隠そうともしていなかった。

 

 彼はいつもと変わらぬ様子で霧子の様子を認めると、静かに言う。

 

「……泊君が、姿を消したと聞きましたが?」

 

「っ、ええ、その通りです」

 

 霧子は絞り出すように、自分の無力を嘆くように頷く。そのままうつむき、表情を手で隠して大きく息を吐いた。今は、気持ちを取り繕うことすらできなかったから。

 

 右京はそんな彼女を無表情に見ていたかと思うと、次にゆっくりと考え込むように病院を見回し始める。そうして語りだしたのは、

 

「それにしても、この厳重警戒の病院から、よく抜け出せたものですねえ。怪我は治りかけていたとはいえ、その体力は流石、と言えるでしょう。……行き倒れ等の心配はしないでも良さそうですが?」

 

 そんな、どこか的外れな言葉だった。

 

「もしかして、その言い方で励ましているんですか?」

 

 霧子は斜め上を見上げるように、右京に非難の目を向ける。やはりというか、なんというか。この警部の考えることは少しだけずれているようだ。右京は霧子の言葉に少しだけ肩をすくめると諭すように言う。

 

「……しかし、状況が状況です。泊君も何の用もなく、病院を抜け出すほどに思慮が浅いわけではありません。何か、彼を追い詰めるようなことが起こったのではないですか?」

 

「……」

 

 霧子は考える。果たして杉下右京という人間は信用できるのか。進ノ介の深い悩みを明かしても大丈夫だろうか、と。

 

 そして、数瞬で彼女の感情は肯定を返した。

 

 進ノ介が不本意にも特命係に飛ばされて、早数か月。その中でなんだかんだと杉下右京と泊進ノ介が事件を共に解決してきたのを霧子は見てきた。右京の少しばかり奇妙な人間性と人並外れた頭脳も、既に分かっている。

 

 それに加え、りんなや追田、他の頼りになる者がいないことで、猫の手を借りたいという心理が働いたのかもしれない。霧子は右京へと前日の出来事を語ることに決めた。

 

「なるほど。大河内さんの意見は、彼の本音も混じっているのでしょうが」

 

「やっぱり、杉下さんも会ったことがあるんですね……」

 

「かれこれ、十数年になります。色々とお世話になってきました」

 

 ともあれ、と話を聞いた右京は頷きを一つ返し。

 

「おそらく、タイミングから言って、彼らの来訪が泊君の悩みを深めたのでしょうねえ。詩島刑事、泊君の向かった先に心当たりは?」

 

「思い当たるのは、いくつか。例えば、特状課が設置されていた久瑠間運転免許試験場に、グローバルフリーズの時、事件を追いかけていた工場地帯。そういった場所に、きっといると思います」

 

「時間もありません。手分けして回っていきましょう。詩島刑事、リストを送っていただけませんか?」

 

「……分かりました。何かあったら、私に連絡をください。私も旧特状課から探しに行きます」

 

 最後に少しの逡巡を見せて。それでも霧子は右京にも進ノ介を託した。仮にも二人だけの特命係なのだから、彼の悩みを晴らしてほしいと期待を込めて。

 

 

 

 あの時のように、雨が降り出していた。

 

 しとしとと冷たい雨が。冬の寒さをたっぷり沁み込んだ水の粒が、乱雑にまとめた服の上から体に伝ってくる。病み上がりの体にとって良かろう訳はないが、それでも、この場所から立ち去ることを進ノ介は良しとしなかった。

 

 今、彼の目の前には何もない。

 

 かつての友が亡くなった痕跡が、だ。遺体も、血痕も、少しの傷跡さえも。

 

 刑事だからこそ知っている、生命の跡を残さないままに彼は消えていった。光の粒になって消えていったのだ。悪の機械というには綺麗な姿で。最後には自分達を助けてくれたのに、もはや汚名を返上する機会すらない。

 

 彼は、穏やかに、涙を流しながら消えていった。

 

 それでも、

 

「……お前は、この世界で生きていたんだよな」

 

 進ノ介は既に解体された特防センタービル、その跡地で地面を見つめ、静かに言葉を零していく。

 

 小さな、それでも重い言葉を自分に戒めるように。問いかけを世界へと。けれども、返ってくるのは無数の声だ。ずっと、その声が離れない。

 

『彼は、仮面ライダーはただの人殺しです!!』

 

 耳鳴りのように、誰かの母親の叫びが、頭に刻み込まれている。

 

『最後の最後に、友達が一人増えた……』

 

 友の悲しい、それでも希望に満ちた声が、胸に宿っている。

 

『貴方は、ご自分が真っ当な警察官だと、本当にお思いですか?』

 

『警察官の肩には大いなる責任が乗せられている』

 

 同じ警察官と、尊敬してきた父の言葉が胸をえぐる。果たして、自分はあの戦いの中、警察官としての務めを果たしていたのか……。

 

 今、その言葉に頷くことはできなかった。

 

(……俺はハートと戦うことができなかった。それが、全ての答えなんじゃないか?)

 

 あの時、進ノ介はハートを、人間を超える優しさと勇敢さを見せた機械人形を、人間を超えたと認めた。その悪意の源が人間にあったのだと理解した。

 

 ロイミュードも被害者だった、その想いに嘘はない。

 

「……だから、お前と戦えるわけないじゃないか!!」

 

 進ノ介はハートが求めた立派な戦士として戦い抜いてきた。それでも、進ノ介は戦士である前に、仮面ライダーである前に、命と平穏を守る事に身を捧げた警察官だ。

 

 被害者に手を上げる警察官が何処にいる。

 

 その事実を認識した今、進ノ介には目指すべき場所が見つからなかった。あの吹原かおりの主張を、誰よりも心に突き刺していたのは進ノ介自身でもある。彼女が被害者遺族なら、自分は裁かれるべきじゃないか、なんて思いが湧き上がるほどに。

 

 特命係に送られた時、本当はその思いが胸にあったのだろう。だから、進ノ介は足を止めた。ベルトさんから激励をもらったのに。今までは、杉下右京という奇妙な刑事への個人的な興味を持ち出して、無理やりにエンジンを蒸かしていただけだ。 

 

 きっと、この事件が起きなくとも、いつかはたどり着いた袋小路だったと思えてならない。

 

「……俺には、進む道なんて見えていなかった」

 

 今、進ノ介の前には道がない。

 

 自分を敵とみなす被害者遺族。

 

 自らが規則を蔑ろにしていた事実。

 

 肥大化しすぎたヒーローの名。

 

 何より、戦いの中で、守り切れなかった命。

 

 そんな結果を招いた自分の人生は、仮面ライダーとしての戦いは、刑事としての生き方は。

 

「……ベルトさん、ハート。俺は、間違っていたのかな」

 

 そう、身を裂くような疑問を投げかけた時に、

 

 

 

「それは、どうでしょうねえ?」

 

 

 

 進ノ介の後ろから、ぼんやりとした正体のつかめない声がした。

 

 息をのみ、振り返る。

 

 そこにいた小柄の姿を、進ノ介の感情は受け入れることはできなかった。彼がこの場所に来るなんて、一顧だにしなかったから。どうして彼がここにいるのか。何をしにここに来たのか。

 

 だって、彼は唯の上司であり、もっと言えば、いまだに何を考えているのか分からない変人だ。かつて戦った仲間ならいざ知らず。密かに自分の悩みを晴らしてくれないかと縋っていた霧子とも違う。

 

 そんな彼が、どうして。

 

 言葉を失い呆然と自身を見つめている、英雄の名前を被った青年へ。杉下右京は穏やかな笑みを浮かべるのだった。

 

「探しましたよ、泊君」




あくまで私の考えです。ですが、あの最終回とその後の一皮二皮むけた姿を見ると、進ノ介が刑事として成長するために、必ず自問する時はあったと思えてなりません。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 VI」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが、立て続けに病院にて追田警部の車が爆破され、犯人を名乗る女性は息子になったロイミュードの復讐のため、進ノ介を狙ったと語るのだった。捜査が進む中、協力者として、元ネオシェード関係者の名前が挙がるも、行方は掴めない。

そんな時、回復した進ノ介のもとへと監察官の大河内が現れ、進ノ介の仮面ライダーとしての活動が服務規定に違反すると糾弾する。自身のこれまでに疑問を抱いてしまった進ノ介は突如、病院を抜け出してしまう。

犯人の手により、追田とりんなが拉致され、進ノ介の身柄が要求される中、友が消え去った地で後悔に塗れる進ノ介の前に、右京が現れた。



吹原かおり
:犯行を自白した女性。動機として、死亡した息子をコピーしたロイミュードを仮面ライダーが倒した復讐だと語っている。

吹原健輔
:かおりの息子。非行に走っていたが、更生したのか、実家に戻りかおりと共に生活していた。一年前に交通事故で死亡。彼をコピーしたロイミュードが存在したというが……。

越谷伏美
:進ノ介が壊滅に関与したネオシェードの元幹部であり、金庫番。事件前後、複数の勢力の間を動き回っていた。

両島医師
:進ノ介の執刀医。

村上刑事
:りんなの護衛を務めていた警護課の刑事。


 彼を一目見た時、私は心臓が止まったと思いました。だって、突然ベルが鳴って、玄関に出た私の前に、息子と瓜二つの男が立っていたのですから。

 

『母さん』

 

 なんて、息子と同じ声で話し始めるんですから……。

 

 もちろん、私だって疑いましたよ。彼は息子から意思を引き継いだなんて言うんですから。質の悪い悪戯か、私の気が狂ったのか。この世のものとは思えなくて、彼を疑っていました。

 

 ですが、彼は息子の全てを知っていたんです。好きな料理、好きなスポーツ、小学校の頃に好きだった女の子。そして、

 

『前の俺は渡すことができなかったんだ。知らなかっただろう? これを隠していたのを』

 

 息子の部屋の、小さな飾り箱から取り出した、綺麗なラッピングのマニキュア。私の誕生日にと取っておいたというソレを、彼は探し当てたのです。訳が分からずとも、私に彼を受け入れないわけにはいきませんでした。

 

 だって、そうしないと私は死んでしまいそうだったから。

 

 嘘でも、悪魔でもいい。この『息子』ともう一度人生をやり直したいと本気で願ったのです。

 

 けれど、ささやかな願い事は叶いませんでした。息子は誰もが知っている正義の味方に倒されてしまったのですから。仮面ライダーは、私の最後の希望を奪っていったのです。

 

 もう、私には何の望みも残っていません。ただ一つ、復讐をしたいという濁った欲望だけを残して、私の心は空っぽになったのです。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 VI」

 

 

 

「杉下さん、どうして……」

 

 進ノ介のかすれた声は雨音に混じって、消えていく。それでも、小柄な紳士には届いたのか、もしくは唇の動きを読んだのか。それをしなくとも、進ノ介の表情だけで、言いたいことが伝わってきたのか。

 

 右京はそっと距離を近づけながら、傘から露わになった口から、軽やかに。

 

「どうしたもこうしたも。申し上げたように、君を探していたんですよ」

 

 言葉は、そんな身も蓋もないものだった。答えになっていない。

 

「いや……、だから、なんでよりにもよって杉下さんなんですか!」

 

 思わず進ノ介は叫んでしまう。だって、杉下右京は友人でもなんでもない、あの戦いを共有した人間でもない。ただの奇妙な上司なのに。彼がこの場所を知るはずがなかった。進ノ介には、迎えが来るとしたら霧子だろうと考え、それに甘えたいという無意識もあった。

 

 だけども、あくまで飄々と、右京は進ノ介の言葉を受け流す。

 

「それは簡単なことです。たまたま僕の担当がこの場所であっただけ。ああ、まもなく君が待ち望んでいる詩島刑事も到着しますから、ご安心を。

 それに……。ええ、僕にもいくつか、気になることがありましたからねえ」

 

「……気になること?」

 

 進ノ介の怪訝な声には答えず、右京は無遠慮に、ずけずけと足を進めて進ノ介の横に並んだ。長身の進ノ介からは見下ろす形。だが、彼の小柄な体は、不思議な存在感を放っていた。進ノ介の心のゆるみがそうさせているのか。柳の様な態度なのに、ちっとも揺らぐ様子がない。

 

 そして右京は、いつものように、子供の様な興味の眼差しを向けながら、進ノ介に語り掛けるのだ。単純明快で、右京の児戯の様な好奇心から生まれた疑問を。

 

「君が、どうしてそのように落ち込んでいるのか、ですよ」

 

 その瞬間、進ノ介の心が逆立った。

 

 右京に悪気がないことは分かっている。気になったことがあれば、調べずにはいられない。そう常々公言している人間だ。だから、彼に苛立ちを覚えるのは、ひとえに進ノ介の心が荒れているからだと、理性は判断できる。

 

 けれども、そんな冷静な自分とは別の、感情豊かな心が暴れまわっている。

 

 今、自身が停滞しているという間違いない実感。その始まりになった特命係の主。

 

 その彼が、特有の隠し事を根こそぎ暴こうとする眼差しを向けている。容疑者へ向けるのと、何ら変わることない様子で。いつぞや以来に、右京に対するいら立ちが募っていった。

 

 押し黙る進ノ介に、右京は続ける。

 

「旧特防センタービル跡地。君たちの最後の戦いが繰り広げられた場所ですか。ロイミュード達が占拠し、グローバルフリーズを再開しようとした場所。ここで仮面ライダーはロイミュードの残党と蛮野博士を倒し、世界を救った。

 ……君が使命を果たした場所ですね?」

 

 進ノ介は握る指に力を込めて、今にもあふれ出しそうな憤りを我慢する。けれども、右京はさらに嫌味な物言いを放つのだ。

 

「……ここへ来たのは、確認するためですか? 自分が何を成し遂げたのか。……仮面ライダードライブとして」

 

 瞬間、進ノ介の堪忍袋が炸裂した。

 

 右京が掲げていた黒傘を取り落とす。進ノ介が我を取り戻した時、彼は自分が息を乱しながら、右京へと掴みかかっていたことに気づいた。彼の丁寧に仕立てられたスーツに皺を作るように。長身の彼の行動によって、右京は少し浮きあがるほどに体を反らせて、しかし、視線だけは冷静に進ノ介の揺れる瞳を見ている。

 

 進ノ介に湧き上がる罪悪感。それでも感情は収まってくれない。

 

「……あんたに、アンタに何が分かるって言うんですか!!?」

 

 叫ぶ。

 

 進ノ介だって、こんなことをしたかったわけじゃなかった。それでも、自分が警察官として、仮面ライダーとして相応しくはなかったのではないかと、自己を否定してしまいそうな進ノ介にとって、不躾な右京の物言いは的確に心をえぐり抜くものだったから。

 

 感情的な元仮面ライダーへと、あくまで冷ややかに、窓際の変人は評価を下す。いつもと変わらず、一歩も譲るつもりはなかった。

 

「君の好きな言葉に合わせるなら……。今の君は、ブレーキがかかっている、というところでしょうか」

 

「そんな、分かったようなこと言わないでください! アンタ、何も知らないだろ!? 俺たちがどんな思いで戦ってきたのか、俺が、どんな思いで特命係にいたのか……!!」

 

「ええ、分かりませんねえ」

 

 だからこそ、右京は瞳に力をこめ、揺れる仮面ライダーへとさらに迫るのだ。早口で、もっともらしく、手前勝手な理屈をこねくり回しながら。

 

「……僕は真実が知りたい。それを知る方法は唯一つ、君が僕に教えること。僕の訳知り顔が気にくわないというのなら、君は今すぐ、それを僕に話すべきです!

 そうでなければ、僕は君の不愉快な勝手な想像を繰り返すことになりますよ? 僕は気になることがあると、夜も眠れなくなりますからねえ……。解決するまでしつこく、誰彼構わず聞きまわるかもしれません。僕のそういう面を、君も少しは知っていると思うのですが」

 

「……なんて言い草ですか」

 

 呆れて、物が言えなくなる。

 

 けれど、不思議なことではあるが……。そのために少しだけ、進ノ介の心は冷静になれた。

 

 それはもしかしたら、怒りが限度を超えて、思考がクールに戻っただけなのかもしれないが。右京の畳みかける言葉は、燃え上がるエンジンへと冷水を浴びせていた。荒唐無稽な自分勝手な言葉だからこそ、ムキになって怒るのも馬鹿らしくなる。

 

 進ノ介はバツが悪そうに手を離すと、ぶっきらぼうに頭を下げて、せめての謝罪をし。そして、右京に背を向けてアスファルトの一角を見つめた。

 

 数秒、数十秒。手を握り、開いて。そうして、ためらいを見せる中、右京と二人、雨に降られるままに任せて。進ノ介は絞り出すように語りだす。

 

「……ここは、ただの戦いの場所じゃありません。俺の、友達が死んだ場所です」

 

 ロイミュード達との戦いの始まり。彼らの中にも良いものがいると知った、とある事件。父の死の真相、真の悪心の正体、友情を結んだ好敵手や頼れる仲間の最期。

 

 小さく、悔恨に塗れながらの、それでも真実の言葉。それを右京へと淡々と語っていく。そうすると、心のエンジンが落ち着いていった。誰かに語ることで心のつかえが取れていく。心の中の靄は晴れてはくれなかったが……。

 

 右京は静かに、相槌を打つこともなく、遮ることもなく進ノ介の話を聞き続けていた。十分かそれ以上。話が一応の終着を迎えると、ようやく一つ頷き、進ノ介に頭を下げる。

 

「やはり、西城さんに伺ったときもそうですが、当事者の話を聞くというのは大切ですね。風評や通り一辺倒の伝聞ではなく、様々な面が見えてくる。仮面ライダーの戦いは、決して、世間が言うような勧善懲悪の物語ではなかった。それを知れたことは、とても貴重な経験でした。どうもありがとう」

 

「……俺はあなたに掴みかかった男ですよ。よく、そんなお礼が言えますね」

 

「君は冷静に見えますが、その実、情熱豊かな人です。それに、時折、考えすぎてブレーキをかけてしまう。ああいう物言いをすれば、激昂することくらい、人に疎い僕でも分かりますよ。

 ……それでは、その話を聞いた上で改めて聞きましょう」

 

 そして右京は、何物も見逃さない鋭い視線を向けながら、進ノ介に問いかけてくる。

 

「君が落ち込んでいるのは、自分が誰かを傷つけていたからですか?」

 

 違う。

 

 警察官である以上、誰かのために働いても恨みを買うことがある。容疑者や時には被害者遺族。事件関係者。そうであっても市民の平穏を守る。その覚悟もなしに警察の道に踏み込んだわけではない。

 

「君の職務が批判を受けたからですか?」

 

 違う。

 

 警察官である以上、規則を守る重要性は認識している。けれども、人の命と天秤とかけた時、警察官の使命として、進ノ介は命を選ぶと決めている。何度あの時に戻っても、規則を守るために人を見殺しにはできない。例え、その結果、懲罰を受けようとも。

 

「ヒーローであることを否定されたからですか?」

 

 それは、

 

「違う。俺は、ヒーローになんてなるつもりじゃなかった。ただ、自分に出来る精一杯で市民の平穏を守りたかっただけです。……刑事として」

 

 だから、泊進ノ介という刑事が悔やむとしたら、一つだけだ。

 

「悔しいんです。あの母親だってそう。ハートや、他のロイミュードだって被害者だ。

 俺は……、そんな彼らを救えなかった!! 警察官として、あの場にいたのに!! もっと考えを尽くせば、戦い方を考えれば、蛮野のことに気づけていたら……! 別の道もあったって、今は信じられるのに……!!!」

 

 刑事としてその場に立ちながら、ロイミュードという、悪意に翻弄された被害者を助けられなかった。

 

 それは、人を守る道を選んだ人間として、耐えがたい後悔だろう。被害者百八人。まして、それらを倒したのは自分達だ。

 

 あの雨の日の別れから、ずっと、心の中に抱いていた後悔と罪。この事件で過去と向き合う中で、それは抑えがたい淀みとなって、進ノ介の足かせとなっていた。

 

 こんな自分が、刑事でいていいのだろうか、と。

 

 こんな自分が、仮面ライダーでいていいのだろうか、と。

 

 右京に背を向け、肩を震わせる進ノ介。しかし、その背後からかけられたのは、進ノ介が予想しなかった言葉だった。

 

 

 

「なるほど。だから、君は仮面ライダーとなれたのですね」

 

 

 

 そんな、心から納得するような、答えが解けたような満足げな優しい言葉。

 

 驚き振り向く進ノ介へと、右京は見たことがない笑顔で頷いていた。

 

「僕は帰国してからずっと考えていました。『仮面ライダー』とは、いかなる存在だったのか。言葉だけを捉えるなら、仮面をつけたバイク運転手。

 方々を探してみると、いくつかの地方で都市伝説的に名前が広まっていましたが、それくらいの言葉。確かに語感は良いですが、ヒーローには結び付きがたい」

 

 そんな仮面ライダーを、何故、多くの人々はヒーローとして認めたのか。杉下右京は知りたがった。

 

「どうして君が仮面ライダーとなったのか、ヒーローと呼ばれるに至ったのか。随分と長く観察してきましたが……。ええ、先ほどの君の発言で、腑に落ちました」

 

 右京が一歩、進ノ介に近づく。

 

「全ては君の行いゆえに……。

 ただの力では暴力装置。ただの正義では独善。人々がヒーローとして認めるはずがない。だから仮面ライダーがヒーローとなりえたのは、君こそが、泊進ノ介がヒーローとして認められる人間だったから」

 

「……っ、けど、俺はどこにでもいる警察官です」

 

 進ノ介は思わず否定してしまった。身体能力だって、もっと秀でている人間はいる。頭脳では、右京の方が推理力も観察力も上かもしれない。何も、泊進ノ介は特別な人間ではないのだから、と。

 

 右京とて、泊進ノ介がスーパーマンだとは思っていない。

 

「ええ」

 

「ロイミュード達を助けられなかった……。それどころか、倒してしまった」

 

「ええ」

 

「迷ってばかりの、ただの人間です」

 

「ええ」

 

 右京は仮面ライダーを見た。真っ当な若者だ。真っ直ぐに、人を想い、自分の使命を忘れない警察官が目の前にいる。

 

「だからこそ!

 一人の人間として、警察官として、君は悩みながらも事件と向き合ってきた。今も、自分を正当化せずに、過去を悔やみ、立ち止まらずに先に進もうとしている。

 君が仮面ライダーだったから……。今、この世界に一人であろうとも、ロイミュードを悪だと思わない警察官が存在するんですよ」

 

 右京の言葉に、進ノ介は今度こそ、驚き絶句した。右京の言葉は、進ノ介の迷いと後悔こそが、仮面ライダーとしての資質だと肯定しているのだから。

 

 右京は、ゆっくりと歩きながら言葉を続けた。

 

「……警察官であることに驕り、罪を犯した者を何人も見ました。身分の差をもって、人を人とも思わない者が何人もいました。

 巨大な力とは、それだけで人を傲慢に変えてしまうもの。だからこそ、仮面ライダーはヒーローではなく、悪魔にもなり得たと、僕は思います」

 

 泊進ノ介は理不尽に遭ってきた。

 

 突如として戦いの日々に身を投じなければならなかった。支援を受けるべき警察組織は、何度も彼に疑いを向け、敵にすら回った。父を殺した人間も警察官だった。

 

 その理不尽をねじ伏せられる暴力を、進ノ介は持っていた。

 

 だが、機会は幾らでもあったのに、その誘惑に進ノ介は耐えた。その考えすら頭をよぎらなかった。

 

「けれど、君はどんな時でも、警察官の使命を忘れなかった。誰もが想定していなかった異常事態の中で、君は人間の強さを示し続けた。だから、君の姿に人々はヒーローを見たのです。だから、敵であろうとも、君を友だと認めたのではありませんか?」

 

「けど、俺じゃなかったら……。もっと、別の人間が仮面ライダーになっていたら。違う結末があったかもしれない」

 

 ロイミュードとの共存の未来もあったかもしれない、泣いているあの母親が罪を犯さなくてもいい未来があったかもしれない、と。その言葉に、右京は少しだけ言葉をつぐんで……。

 

 自分にも言い聞かせるように、穏やかな声で言う。

 

「もしかしたら。ええ、そのような人もいるかもしれません。僕とて現場にいなかった人間です。先の言葉も、僕の勝手な推論に過ぎない。ロイミュードの命についても、何も言えることはありません。

 そんな僕が唯一言えるとしたら……。仮に僕に力を与えられても、君のようには成れなかった。それだけは確信をもって言えます」

 

「どうしてです? 杉下さんだって、立派な警察官じゃないですか。俺よりもたくさんのことを考えられる。犯人を見破ることができる。蛮野の暗躍だって、気づけたかもしれない」

 

 進ノ介の全てを上回っている訳じゃない。それでも、進ノ介とは違った強みが右京にはあるのだから。

 

 だが、

 

「ですが、僕のやり方では、多くの人が傷ついたはずです」

 

 そう言って、右京は可能性を自ら否定した。

 

「僕は暴力を嫌います。拳銃を持つことも肯定しない。仮に僕が力を与えられても、決して使おうとはしなかった。正直に言うと、君と出会うまで、僕は仮面ライダーに肯定的ではなかったのですよ」

 

 戦いに積極的になれない右京では、ロイミュードを止めることはできなかった。右京は自分をそのように評価する。

 

「真実を追求する。それが僕の選んだ道です。決して曲げることのできない信念です。だから、妥協ができない僕に、仮面ライダーは務まらない」

 

 杉下右京では、泊進ノ介には成れない、と。

 

「ですが、それは自然なことではありませんか? 人が信じるものは個人によって異なります。僕のかつての相棒が、真実よりも命を優先したように。僕がそれでも真実を優先するように。

 君は市民の平穏を選んだ。

 ただ、それだけのこと。そんな君の心からの選択を、誰が否定できますか?」

 

 もしかしたら、百年後。ロイミュードに命が認められるかもしれない。その時に、仮面ライダーは罪人として評価されるかもしれない。

 

 だが、それは未だ先の未来であり、未来を残せたのは、他ならぬ、仮面ライダーがいたから。その未来をより良くするために、力をうしなっても、仮面ライダー達には出来ることが残されている。

 

「もし君に後悔が残っているのなら。君がするべきは、今と変わりません。考え続けることです。戦いを決して忘れず、より良い世界を考え続けること。そして、信念をもって力を尽くすこと。

 そのために、警察官で在り続けろとは、僕は言いません。選べる道は多くあるのですから。ですが、君よりも長く、警察官であった僕に言えることが一つあります……」

 

 右京は進ノ介へと向き直り、鋭い視線と共に、強い言葉を突きつける。

 

「仮に君が、ロイミュードへの償いや義務感だけで、警察官を続けようとするのなら、はっきり言いましょう」

 

 

 

「君は今すぐ、警察など辞めるべきです!!」

 

 

 

 それだけは許さないと、音と共に放たれた信念に進ノ介の心はびりびりと震わされる。

 

 だが、言い終えたとたん、右京は表情を解いて、語り掛けるのだ。

 

「なぜなら、警察官でありたい理由はあっても、守るべき使命があっても、警察官である義務など無いのですから。警察もあくまで、個人が選ぶ権利を与えられた職業の一つ。

 そして、多くの誓いを守らなければいけない、責任ある仕事です。重く、苦しい仕事です。償いや義務で行うべき仕事では、断じてありません」

 

 それを突きつけた上で、右京の瞳は問いかけてくる。

 

『君はどうなのですか?』

 

 と、仮面ライダーの名前を冠した今でも、刑事の苦しさと責任が骨身に沁みた後でも。進ノ介には今でも、警察官としてやりたいことがあるのか、成し遂げたいことがあるのか、と。

 

 もし、それがあるのなら……。

 

「僕は君に、警察官を続けてほしい。弱者を見捨てず、心に寄り添い、命の重みを決して忘れない。君の持つそれらは、警察官として何よりも素晴らしい資質です。

 それに、君はとても尊いことを行いました。僕たちが望んで止まない行いを成し遂げた」

 

「それは……?」

 

「泊君。君は仮面ライダーとして、正義を伝えたんですよ」

 

 人々を守るために、異形の怪物に立ち向かっていくヒーローに。

 

 理不尽に遭っても、決して折れず、真っ直ぐに突き進むヒーローに。

 

 必ず守ってくれると、安心を与えてくれるヒーローに。

 

 人々は夢を見た。

 

「君の行いは人に勇気を与え、子供たちに夢を与えた。それは多くの人にとって、悪の誘惑を振り切る力になったでしょう。これまでに出会った、君を頼り、助けを求めた子供たちが、何よりの証拠です」

 

 右京のかつての相棒が望んで止まなかった夢。

 

 正義を教える。

 

 それを、進ノ介は仮面ライダーとして成し遂げた。

 

「……杉下さん」

 

 それきり、言いたいことは全て言い切ったと、右京は口を閉ざした。そして、進ノ介は右京をもう一度見る。

 

 今、そこには子供の様な、興味だけで動き回る不思議な色はなかった。

 

 あるのは唯一つ、真摯に未来を想う目だ。責任感ある、使命に燃えた目だ。父と同じような。いや、もっと昔から、それのみを求めてきたような警察官の目が、そこにあった。

 

 進ノ介は、大きく深呼吸をして、肩から力を抜く。

 

(……まったく、杉下さんにここまで言われるなんて)

 

『警察官の肩には大いなる責任が乗せられている』

 

 父の言葉が、もう一度、進ノ介の脳裏によみがえった。

 

 けれど、それは自分を苛むものではない。市民の平和、被害者の無念、助けられなかった後悔、人々の憧れ、社会正義の守護者。警察官はそんな責任を負うことを選んだ人々。

 

 その誇りを、進ノ介は捨てる気になんて、なれなかった。

 

 一度だけ瞼を閉じ、失われた命を想う。

 

 ハートは、チェイスは、ベルトさんは。

 

 不幸なすれ違いから、この世界に居られなかった彼らは。

 

 友は自分に未来を託してくれた。

 

(だから、俺の選ぶ道は。選びたい道は一つだ)

 

 そうして瞼を開けた時、右京は満足そうに一つ、頷きを返しただけだった。先ほどの饒舌はどこへやら。右京は無言のまま、踵を返して雨の中を去ろうとする。どうやら、進ノ介の決意表明には興味がないようだ。

 

 ふとした瞬間に人間性と熱情を見せて、それでも孤高の変人のように、消えていこうとする右京。

 

 最後に一つだけ、と右京は背を向けたまま、どこか嬉しそうに進ノ介に言う。

 

「……集合場所は君の病室、ということにしましょう。君は、まもなく来る詩島刑事と一緒に戻ってください。僕も着替えが済みましたら、すぐに向かいますので」

 

「え?」

 

「何を惚けているのですか? 君も十分動けるようですし、もちろん、捜査を行いますよ。

 未だに機械生命体犯罪に苦しんでいる被害者がいる。彼女を止めるのは、仮面ライダーをおいて……。他に誰がいるんですか」

 

 それだけを言い残して、右京は静かに去っていった。

 

 最後まで言いたいことだけ言って、進ノ介の返答も聞かずに帰っていった警視庁一の変人。その背中を進ノ介は少しの苦笑いを浮かべながら、黙って見送った。

 

 数分後、鬼の形相の霧子が到着するまで。

 

 

 

「いくら何でも、病人にあの仕打ちは酷いんじゃないか?」

 

 濡れ鼠となった進ノ介はタオルで髪をぬぐいつつ、助手席でぼやいていた。

 

 今は霧子の運転に任されるまま、病院へ戻る道の途上。頭を押さえて、顔をしかめつつも、心なし楽し気に。一方の霧子は美人の顔をむっすりと結びながらハンドルを握っている。まだまだ、怒りは冷めやらぬという様子で、進ノ介へと文句を言う。

 

「あれだけ元気に病院を抜け出した人には、病院に戻る口実にちょうどいいです」

 

「俺、脇腹撃たれてたんだけど……」

 

「だから、そこには当てていませんよ?」

 

 そう言いつつも、一転、眉をひそめながら、

 

「……もう大丈夫ですか?」

 

 霧子の細い言葉に、進ノ介は手に持ったタオルをぎゅっと握りしめた。ワイパーがせわしなく働くフロントガラスを見つめる。

 

「……いや、まだ俺にも判断はつかない。もっとできることはあったって、思ってる」

 

「私だって同じです。この世界にチェイスや072がいない。それは、私たちの力が至らなかったから。……今も後悔しています」

 

 けれど、今、胸に残っているのは後悔だけじゃない。

 

 杉下右京が進ノ介に与えたのは、ちょっとした肯定だ。悩み苦しむことも、仮面ライダーとして必要な資質なのだと。そう言い放った杉下右京という人間は、変人だが、決して上辺の同情や慰めを与える人物では断じてない。

 

 だからだろうか。右京の言葉が真実だと、信じてみたい自分がいる。

 

 何より、隣のバディも同じ思いを抱いていることを、冷めた頭がようやく思い出させてくれた。だから、あの最後の事件と同じ言葉を告げることに、進ノ介は決める。

 

「ロイミュード達がいなくなっても、世界は平和にはならない。本当の悪は人間の心にあるって知った」

 

 だから、

 

「……いつかロイミュード達は俺たちの世界に戻ってくる。その時に、同じ過ちが繰り返されないように。皆の幸せを守るため、悲しいロイミュードが生まれないように。

 俺は、これからも悪と戦っていきたい。それが、仮面ライダーになった刑事として、俺がやりたいことだ」

 

 進ノ介は言い切る。けれども、それは同時に、途方もないことだとも覚悟している。人間が人間である限り、悪の心に負ける者は必ず現れるから。

 

 それでも、それこそを進ノ介は行っていきたいと。進ノ介は少し息を吐き、隣の霧子を見る。

 

「けど、きっと、今日みたいに止まってしまいそうな時があると思う。……その時は俺を支えてくれないか? みんなと一緒に」

 

 いつもの少しだけキザな調子ではなく、しおらしい言葉だった。霧子はそれを聞くと、いきなり車を道に寄せて急停車。そうして、心底呆れたというような様子で肩を落とし、ハンドルに頭を押し付けて。

 

「き、霧子?」

 

 進ノ介は戸惑い、恐る恐ると尋ねる。決意を固めて言った言葉だから、霧子の反応が怖かった。けれども、

 

「もうっ、そんなこと聞かれなくても、分かりきったことじゃないですか!」

 

 返ってきたのは、そんな今さら聞かないで下さいと言いたげな、照れた顔だった。

 

「付いて行きますよ。……私はあなたのことを信じています。この先に、何があっても。いつも言っている通り、私は貴方のバディなんですから」

 

 静かな、想いに溢れた言葉。進ノ介は頬が緩むのを止められなかった。これなら、怖くないと。自分よりもしっかりしているバディが隣で支えてくれるなら、きっとこれからの人生も乗り越えていくことができると。

 

「ああ、そうだった。よろしく頼む、霧子」

 

「ええ、泊さん。それじゃあ、まずは病院に戻って対策を立てましょう。りんなさんと追田警部をあのままにはしておけませんから」

 

 再びエンジンを動かす霧子。

 

 ただ、一瞬前の穏やかな雰囲気と異なって、進ノ介の顔には呆けた表情が張り付いていたのだが。今度こそ、霧子はどうかしたのか、と疑問を言う。

 

「どうしたんですか? そんな変な顔をして」

 

「……りんなさんと、現さん?」

 

 ボンヤリした声だった。まるで、その二人が事件の渦中にいるのだと、認識をしていないような。何も、話を聞いていないと言いたげな。

 

 一、二、三、四……

 

 と、奇妙な沈黙が車内を包み込む。次の瞬間、霧子は顔を硬直させながら、驚きの声を上げるのだ。

 

「ま、まさか、泊さん! 知らなかったんですか!? りんなさんと追田警部が捕まっていること!!」

 

「……え!? なんだそれ!? 聞いてないぞ!!?」

 

「杉下警部は!?」

 

「何も言ってない!!」

 

「――っ!! もうっ! なんなんですか、あの人は!!!??」

 

 

 

 別れ際の言葉の通り、杉下右京が進ノ介の病室へと訪れたのは、進ノ介が戻ったすぐ後だった。服装を整え、いつもと変わらぬ様子。彼はベッドに座る進ノ介を認めると、少しだけ微笑み、

 

「さて、事件のことについては、詩島刑事からお聞き及びと思いますが……」

 

 なんて、白々しいことを言う。

 

 そんな変人へと、進ノ介はじとりとした視線を向けた。

 

「俺は、それを杉下さんが伝えるべきだったと思いますけどね!」

 

「おやおや」

 

「おやおや、じゃないですよ!」

 

 進ノ介は肩を怒らせながら、ネクタイに手を置く。病室に帰って直ぐ、進ノ介は入院着を脱いで、スーツへと着替えていた。未だに入院期間なのだから、許可ない外出は禁止。けれども、事件について考えるのなら、いつものスイッチは必要だ。

 

 調子は万全。今は、大河内やら甲斐やら、様々な方向からもたらされた悩みは邪魔をしない。少し緩めたネクタイを締めあげながら、

 

「ようやく、脳細胞がトップギアだぜ、ってね」

 

「……それは、決め台詞というものでしょうか? 君に変に気障に決める面があるのは知っていますが、仮面ライダー時代から変わらなかったということなのでしょう」

 

「あの、小声で言ったのに拾わないでくれません?」

 

「これは失礼」

 

 ともかく、そうして進ノ介が準備を整えると、右京は彼の前に大きな紙の束を置いた。

 

「これは?」

 

「事件の資料です。米沢さんや伊丹刑事にいただいてきました。吹原かおりの指定まで、まだ時間があります。となれば、この中から何かしらの突破口を見つけるべきでしょう。やられてばかりというのは性に合いませんからね」

 

「なんか、杉下さん、すごい気合入ってますね」

 

 右京が事件捜査に置いて一瞬も手抜きをしないのは、進ノ介も知ってきた通りだが、今はいつもより、やる気十分という様子。先ほどの特防センタービル跡地といい、今日は杉下右京の新しい一面を知ってばかりだ。

 

 そう言うと、右京は挑発的な視線を向けながら、

 

「僕は君が思うよりもずっと、負けず嫌いですから。売られた喧嘩は買いますよ? そして……、必ず勝ちます」

 

「俺に売られた喧嘩でも、ですか?」

 

「もちろん。ああ、仮に僕が不要だというのなら、僕は勝手に捜査を続けますが?」

 

「そこは、手を引くって言う台詞じゃないですかね? でも……、杉下さん、手伝ってください」

 

 そうして差し出された手を、右京はしっかりと握って答えた。

 

「それでは、事件について整理しましょう。泊君、僕にはこの事件、どこかちぐはぐな印象を抱きますがどうでしょう?」

 

 言われ、進ノ介は考える。資料を見ながら、事件の要点を頭の中でまとめていくのだ。被害者であったため、それゆえに初動捜査の現場にはいなかった進ノ介。だからこそ、事件を客観的に見ることができた。

 

「第一の事件、つまり俺の狙撃ですが」

 

第一の事件

・ターゲットは泊進ノ介

・目的は殺害

・手段は狙撃

・ハッキングによる誘導を行った

・証拠はなし

 

「犯人の行動は綿密でしたね。場所を誘導して、狙撃。俺が行動を変えなかったら、命はなかったかもしれません」

 

「ええ、あの犯行声明の通り、冷静ながらも強い殺意を感じる犯行でした。ですが、次の追田警部の事件。そのような犯人が行ったにしては、お粗末極まりない」

 

第二の事件

・ターゲットは追田警部

・目的は殺害

・手段は爆弾

・爆破直前に設置したとみられる

・証拠多数

 

 そこまで考えて、進ノ介は疑問を持つ。

 

「これ、吹原かおりが告白したように、彼女の犯行なら。なんで狙撃をしなかったんでしょう。俺が入院したから、そこには特状課関係者が集まる。十分予想できたことですし、俺の狙撃場所とそう離れた位置じゃありません。彼女なら狙えたはずです」

 

「にもかかわらず、犯人が選んだのは爆弾。追田警部はたまたま車から離れたから、巻き込まれずに済んだ。それは事実ですが、タイマーをもっと遅く設置していたら、より確実だったでしょう。

 むしろ、追田警部が足早に動きすぎたから、爆発までに彼が車にたどり着けてしまった。などと考えることも出来てしまいます」

 

 仮に、爆弾のタイマーがあと三十分伸ばされていたら。

 

 病院では爆発せずとも、追田はどこかの路上で吹き飛んでいただろう。

 

「彼女の言う強烈な殺意とは不釣り合いですねえ」

 

「そもそも、なりふり構わないのなら、全員が集まった病院を襲撃するべきだったでしょうし」

 

 ただでさえ警察全体を敵に回すような犯行だ。実際、追田の殺害に失敗した以降、究や本願寺は厳重に警備されて狙うのが困難になっている。元特状課全員がターゲットなら、病院に揃ったあのタイミングが、彼女にとっての最大のチャンスだった。

 

 もし、手術中に爆弾を巻き付け、病院に入ってこられたら。

 

「ですが、そうはならなかった。加えて、今日の事件。ここで犯人の行動には致命的な矛盾が生じます」

 

第三の事件

・ターゲットは追田警部とりんな

・殺害ではなく拉致目的

・手段は爆弾

・警察情報を入手している

 

「なぜ。なぜ、犯人は追田警部を殺害しなかったのか。非力な沢神博士はともかく、追田警部は警察官。監禁するにはリスクのある相手です。人質は一人で十分であったにもかかわらず、犯人は追田警部も拉致した」

 

「現さんは、第二の事件で犯人が討ち損なった相手。殺意があるのなら、ここで殺害しておくべきだった」

 

 だが、犯人が行ったのは拉致と泊進ノ介の身柄の要求。

 

「一般的にこういった連続犯は犯行哲学が一貫しているものです。手段は変えつつも、目的やターゲットは変えない。その芯こそが犯人を犯罪へと駆り立てるのですから。

 ですが、この事件を詳しく眺めていくと、目的すらも変遷している」

 

「これを説明できるのは……」

 

「ええ」

 

 

 

「「それぞれ、実行犯が異なっている」」

 

 

 

 どの犯行でも、目立つ位置にいるのは吹原かおりだ。

 

 彼女はビデオレターで世間へと顔を晒し、印象的な動機で注目を集めた。第三の事件でも、彼女は自らを実行犯だと語っている。しかし、

 

「成田空港での犯行なんて、警察の警戒の中、指名手配を受けている吹原かおりが、行えるはずがない」

 

「ええ。あえてビデオレターを出し、自分の顔を晒したのも、共犯者が行動しやすくするため。と、考えれば納得ができます。あの段階では、泊君の殺害も果たされていないのですから、彼女が犯行声明を出すメリットはなかった。

 ですが、先に述べた犯行のちぐはぐさが一連の事件には存在します。泊君、これは何を表すでしょう?」

 

「実行犯ごとに犯行目的が違う、でしょ?」

 

 一件目は進ノ介の殺害。

 

 二件目は追田警部の爆破。

 

 三件目は警察の翻弄と拉致。

 

「吹原かおりを除いた動機は、まだ分かりません。しかし結びついた犯人達は互いに必要な部分を補い、犯行を繰り返してきました。吹原かおりはハッキングの技能はありませんからね。二件目、三件目も犯人側に何らかの形で警察情報が洩れていなければ、君の入院先や、沢神博士の帰国情報は手に入らない」

 

「共犯者の一人として、元ネオシェード関係者が挙がっているというのは?」

 

「角田課長の調べで、越谷という男が捜査線上に上がっています。ライフルの入手など、犯行グループに不可欠な役割を担っているとすれば、不審な動きにも納得できます」

 

 右京の言葉を受けて、進ノ介はネオシェードという集団の活動を思い出す。彼らはどこか狂気的に、世界の秩序を破壊し、新秩序の構築を狙っていた。

 

「……三件目。警察の裏をかいて、散々にかき回し、護衛対象を強奪する。派手な手段も、連中ならやりかねないと思います」

 

「越谷という男は、自分では殺害を行わない主義だそうです。それも、三件目の特徴とも合致するかもしれません。警察を上回った立ち回りは、彼らが求める復権に追い風となるもの。

 裏社会における影響を増すのが目的なら、彼の狙いは既に達成されたと見て良いでしょう」

 

「だから、追田警部たちを吹原かおりへ引き渡した」

 

「彼女の目的である、君の殺害は未だ達成されていませんからねえ。君を引きずり出すのに、仲間二人の身柄は有効です」

 

 ただ、越谷が三件目の実行犯にして、犯人グループの資金、物資面の要だとする。その場合、吹原かおりとの接点は何処にあるのか。それが問題だ。

 

「どこで二人が結びついたのか。それに、共犯者はきっと、越谷だけじゃありませんよね」

 

「ええ。越谷もハッキングなどの技能はあるでしょうが、警察情報の入手は困難です。情報の保護、特にネットセキュリティは万全の態勢で臨んでいましたから」

 

 おそらく、右京が予期したように、

 

 吹原かおり→越谷

 

 これが繋がらない以上、

 

 吹原かおり→X→越谷

 

 というもう一人の共犯者が存在する。

 

「二件目の犯行目的が他と異なることからも、第二の共犯者の存在は確実でしょうね」

 

「第二の事件。これも、おかしい事件ですよね。……なんで、失敗するリスクを込みで、現さんの車を爆破したんだ? 連続犯だと印象付けるため? それとも病院が……」

 

 瞬間だった。

 

 進ノ介の頭の中で、いくつもの情報が踊り狂う。

 

 事件時の状況。

 

 発生場所。

 

 事件の影響。

 

 手段。

 

 動機。

 

 一見すると奇妙な形だが、被害者が泊進ノ介という特異な人間だったのなら、荒唐無稽な仮説も成り立つ。

 

「繋がった!」

 

「泊君?」

 

「杉下さん、カギは被害者、俺自身の中にあったんじゃないでしょうか?」

 

 言われ、右京は数秒沈黙し。

 

「……なるほど、僕としたことが。君という特異性を見過ごしていたようですね」

 

 そう言って、子供のように笑うのだった。

 

「それじゃあ、それも調べるとして……。吹原かおりはどうやって説得しますか? 彼女の目的はあくまで俺の殺害です。けれど、それ以上に彼女は捨て身で動いています。……俺は、何とか彼女だって助けたい」

 

 右京が言ったように、吹原かおりとてロイミュード事件が存在しなければ、息子を亡くした唯の母親だ。事件の被害者の一人といえる。進ノ介が一つのきっかけとなった以上、最悪の事態だけは避けたいというのが進ノ介の本心であった。

 

 それを汲んだように、右京は静かに、一枚の紙を渡す。

 

「実は、一つだけ、有効な手段があるかもしれません。……これを」

 

「……杉下さん、これってもしかして」

 

 そこに記されていた内容を認識し、目を見開く進ノ介。そんな彼に、右京は重苦しく頷く。そこには、ある残酷な真実が記されていたから。

 

「ええ。これが、真実なのでしょう。なぜ、彼女のもとへロイミュードが訪れたのか」

 

「こんなことって……」

 

「ですから、やるべきことは一つだけ」

 

 そして右京は進ノ介をまっすぐに見つめ、彼がやるべき使命を告げるのだ。

 

「泊君、君は彼女に自分の身を差し出すべきです」




次回から、本話のクライマックスです。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 VII」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃された。幸いにも進ノ介は一命をとりとめるが、立て続けに病院にて追田警部の車が爆破され、犯人を名乗る女性は息子になったロイミュードの復讐のため、進ノ介を狙ったと語るのだった。捜査が進む中、協力者として、元ネオシェード関係者の名前が挙がるも、行方は掴めない。

警察上層部の思惑も交錯する中、進ノ介は事件解決のために立ち上がり、拉致された追田とりんなの救出に動き出す。

そして約束の時刻。吹原かおりの前に……。



吹原かおり
:犯行を自白した女性。動機として、死亡した息子をコピーしたロイミュードを仮面ライダーが倒した復讐だと語っている。

吹原健輔
:かおりの息子。非行に走っていたが、更生したのか、実家に戻りかおりと共に生活していた。一年前に交通事故で死亡。彼をコピーしたロイミュードが存在したというが……。

越谷伏美
:進ノ介が壊滅に関与したネオシェードの元幹部であり、金庫番。事件前後、複数の勢力の間を動き回っていた。

両島医師
:進ノ介の執刀医。

村上刑事
:りんなの護衛を務めていた警護課の刑事。


 吹原かおりは、そこまで語り、ビデオカメラを切った。そのビデオカメラを小包に入れて、車外に置く。犯行声明と共に、彼女にとっての遺書。

 

 おそらく、世間の人間は誰も聞いてはくれないだろう。だが、自己満足として、これからの決意を最後に固めるためにも必要な行為だった。自分は正しいと、認めるために。

 

 大型のバンを発進させる。

 

 一連の行動を後部座席から聞いていた追田とりんなは何事かを言いたげに表情を変えて、呻いているが、猿轡を噛まされている中、言葉は形にならない。

 

 今、彼女が乗る車の中には、追田とりんな、そして、もう一人の同居人として、大量の爆弾が詰め込まれていた。

 

 泊進ノ介が来たならば殺害し、この爆弾で自分も吹き飛ぶつもりだった。

 

 泊進ノ介が来ないならば、人質を殺害すると脅し、無理にでも呼び出し殺すつもりだった。

 

 越谷という男からは拳銃も渡されていたから。それを使って。人間の作った武器で、人間の作った偶像の英雄を殺害する。

 

 仮面ライダーという武器を使って息子を奪った殺人者には、ふさわしい幕引きだとかおりには思えてならない。そこまですれば、自分は息子の待つ場所まで行くことができる、と。

 

 慈悲なんて考えるつもりはなかった。

 

 かおりは無言で車を走らせ、彼女にとっての約束の地。指定した廃工場へとたどり着く。当然、その周りには大量の警察官が配備されていたが、バンの扉をあけ放ち、中においた大量の爆弾と、スイッチを見せれば形相を変えて素通りさせるしかない。

 

 工場に乗り入れて、エンジンを停車させながら待つ。

 

 まもなく指定の十五時だ。かおりは拳銃を手に握りながら、進ノ介の来訪を待ち、

 

「……っ」

 

 睨む先、雨上がりの光が差し込む出入り口から、二人の人影がやってきた。フードを目深にかぶった長身の男と、寄り添うように立つ女性刑事。一人で来いと告げたはずだったが、もはや構わない。

 

(……隣の女性は、確か)

 

 詩島霧子、という元特状課の刑事。共犯者から得た情報にも、泊進ノ介は彼女と共に現場へ向かっていると聞いた。

 

 この期に及んでフードをかぶっているのは、狙撃を警戒してヘルメットでも付けているからだろう。ヒーローの名前が聞いてあきれる、狙撃なんて真似をした自分も大概だが、潔くすればいいのに。

 

 ゆっくりと彼我の距離が縮まっていく。かおりはバンから躍り出て、仮面ライダーへと拳銃を突きつけた。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 VII」

 

 

 

「フードを取って、一人でこちらに来なさい。泊進ノ介」

 

 かおりの鋭い声が聞こえる中、霧子は注意深く様子をうかがっていた。隣の泊進ノ介は一言も話さず、逃げることもなく立っている。拳銃を向けられているのに犯人へと堂々と。

 

 一方、前に立つ吹原かおりは、バンから離れる様子がない。その奥で縛られている追田とりんなも、元気ではあるようだが、自力での脱出は期待できないだろう。

 

 このままでは救出はできない。

 

 霧子は横目で隣の泊進ノ介へと頷き、彼から離れて後方へと下がった。霧子が工場から出ていったのを確認し、泊進ノ介は今度こそ、静かにかおりの元へと歩いていく。

 

 一歩、一歩。

 

 そうして数メートルへと迫ったところで、フードを取り、かおりがいうようにヘルメットを外し、『泊進ノ介』は顔を晒す。

 

「は?」

 

 かおりが表情を歪ませた。

 

 無理もない。ヘルメットの奥から出てきたのは、進ノ介とは似使わない、小顔の紳士風の男だったのだから、彼女の衝撃は推して知るべしだろう。ダミーに仕立てるのなら、もっと似た人間を使うべきであろうに、全く似せる気もない。

 

 その泊進ノ介を騙った紳士、杉下右京はかおりへと朗らかな笑顔を浮かべつつ、早口で挨拶を始めた。

 

「ああ! 驚かせて申し訳ない。警視庁、特命係の杉下右京と申します。せめてお話ができる距離まで近づかなければならなかったとはいえ、このような格好、失礼いたします」

 

 言い切ると、フードを脱ぎ、いつものコートの襟を直し、やけに高身長を演出していたシークレットブーツまでポイポイと放り投げて。そうすれば、誰もが知る小柄な杉下右京へと逆戻りだ。

 

「それにしても、彼の様な長身の男性に化けるのは、中々に骨が折れましたよ。世の中には何物にも化ける怪盗もいたそうですが、いったいどうしていたのやら。一度話を聞いてみたいですねえ」

 

「な、なんで!! 泊進ノ介は何処に行ったのよ!!!」

 

 日常の立ち話のように語りかける右京へ、かおりは激昂しながら拳銃を向ける。彼女にしてみれば、泊進ノ介が覚悟を決めて自分の前に来る。それが信頼のおける情報であったのに、実際に来たのは知らない小柄な男。どうしてそのようなことが起こったのか、彼女にはわからなかった。

 

 右京は居住まいを正すと、ゆっくりと復讐者にもわかるように話しかける。

 

「吹原かおりさん、一連の犯行は貴女の単独によるものではありませんでした。強力な殺意を抱いていたのは貴女でしょうが、泊君を害そうという意思を持った者達もまた、貴女に協力していた」

 

 今回の事件は決して一人では成立しえない。それを可能とするため、犯人グループはお互いに必要なものを提供しあい、犯行を重ねていった。

 

「貴女は『犯人』と『狙撃の腕』を提供しました。目立ち、囮に使える犯人像。そして、泊君を狙える腕を。

 共犯の一人目は元ネオシェードの越谷でしょう。彼は武器を提供した。

 第二の共犯者Xは、貴女へと情報を提供しました。彼の情報の正確さがあったから、警察の裏をかくことができた」

 

 進ノ介の搬送先。

 

 りんなの帰国日時、場所。

 

 それら犯行に必要な情報を、Xは警察の身近に大胆にも潜み、かおりたちへと提供していた。潜伏の身で、警察の情報等にはアクセスできない彼女にとって、共犯者の情報だけが頼りとなっただろう。今の状況は予想だにしなかったに違いない。

 

 呆然とする彼女へと、右京は告げる。

 

「ああ、泊君ならここには来ませんよ? 彼と詩島刑事が現場に向かっているという情報が入らなければ、貴女はここに出ては来なかったでしょうから、Xへと誤情報を流しました」

 

「……っ! ……よくも、そんなことを」

 

「そうは言われましても、泊君が来れば貴女の目的は達成。ようやく泊君を殺すことができるので、話す余地などありません。僕たちとしてはどうしても、それは避けたかった」

 

「話を聞くつもりなんてないわ!!!」

 

 銃声。

 

 かおりが天井に向けて、一発の銃弾を放ち、彼女の憤りを右京へと示す。

 

 だが、焦ることはなく、むしろ、それを見て、右京は満足げに頷いた。

 

「やはり、貴女にとっては、泊君以外はターゲットではなかったのですね? だから、追田警部や沢神博士の身柄も無事。元々が一民間人の貴女にとって、自身の息子への復讐を成し遂げたい貴女にとって、無関係の人間はターゲットではないのですから。

 だからこそ、方法に狙撃を選んだのです。爆弾はあったのに、無関係な人間への被害を避けたのは貴女のせめてもの良心と……、罪悪感ですか? それも、越谷に協力していては、台無しではありますが」

 

「うるさいわね……! もう一度言うわ、泊進ノ介を出しなさい。さもないと、あの刑事と博士はバラバラになるわよ!!!」

 

 もう一度、拳銃は右京へと。しかし、右京は微動だにしない。

 

「僕の言うことも変わりませんよ。……僕はここへ、貴女へと真実を告げに来たのですから」

 

 

 

 一方で東映会病院。

 

 無人になった進ノ介の病室を訪れる影があった。警護対象が消えたため、既にほかの刑事たちも退散している。正真正銘、もぬけの殻。そんな病室で、検査機器をそっと触りながら、機材の裏から小型の物体を取り出して……。

 

「そこまでです」

 

 鋭い声に、男は動きを止めた。びくりと驚きに肩を揺らしながら、ゆっくりと立ち上がった男は、後ろを振り返る。男は、息をのみ、意外だと声を上げた。

 

「ど、どうして……」

 

「どうして俺がここにいるのか、ですか? 簡単なことです。情報の流出元は、この病院、もっと言えばこの病室でした。俺の搬送情報は、病院側なら当然知っている。りんなさんの帰国情報も、警護課の刑事たちには共有されていたし、俺にも彼らは教えてくれた。

 ……誰も考えませんよ。貴方が共犯者で、盗聴器を仕掛けていたなんてね。だから、それに気づいた時、杉下さんは筆談で俺に指示を出したんです」

 

『泊進ノ介に化けて、僕が彼女のもとへと行きます』

 

 と。

 

 言いつつ、泊進ノ介はネクタイを締めながら、一歩一歩、前へと足を進めていった。その後ろから伊丹と三浦が、万一の動きもないように共犯者Xへと睨みをきかせながら続く。

 

 進ノ介は、男の目の前に立つと、懐から堂々と警察手帳を取り出し、男へと突きつけるのだ。所属が何処であろうと関係ない。誇りある、市民を守る警察官として、平穏を脅かした犯人へと。そして、ロイミュード事件と向き合い続けた仮面ライダーとして、被害者を弄ぶ悪意へと。

 

「改めて名乗らせてください。……警視庁特命係、泊進ノ介です。刑事として、仮面ライダーとして、真実を見つけに来ました。

 ……両島先生、あなたがこの事件の共犯者ですね?」

 

 その言葉に、執刀医として進ノ介の命を救った両島は、顔を青ざめさせるのだった。

 

 

 

「私が、共犯者? な、なにを言っているんですか、泊さん!! 私はたまたま此処にきて、点検していただけですよ。それで、こんなものを見つけたから……!! 私じゃない! 他の職員の仕業です!」

 

 冷や汗をかきながら、弁明を試みる両島医師。けれども、進ノ介は確信をもって、彼へと疑いを向けていた。仮にも命を救った相手だが、進ノ介が襲われる助けをしていた人間。手心を加えるつもりはなかった。

 

 進ノ介は口を開き、強い声で彼の罪を暴いていく。

 

「吹原かおりに共犯者がいる。そして、それぞれの事件で実行犯が異なる。その考えに思いが至った時に、疑問が生まれました。

 第二の事件は、何の目的で行われたのかってね」

 

 第二の事件。追田警部の車が病院の駐車場で爆破された事件だ。

 

「現さんを殺そうとするなら、車を発進させてしばらくしてから爆発させるべきだった。俺たちを狙うなら、病院の中で狙うべきだった。あの事件は派手さはありながら、その実、目的が判然としなかったんです」

 

 そこで進ノ介は考える。もしかしたら、あの時、あの場所で爆発を起こすことこそ、犯人の目的だったのではないか、と。

 

「現さんが狙われたのも、もしかしたらアクシデントだったのかもしれない。爆弾の爆破時刻に現さんが、たまたま車に近づいてしまったから巻き込まれた。

 ……犯人にとって、あの時間に爆破することの方が重要だったんです。目的は、正面玄関に注目を集めること。病院スタッフを浮足立たせること。あのタイミングで爆破すれば、泊進ノ介襲撃犯の攻撃だと思う。誰も、あなたを疑ったりはしない」

 

 さらに、第一の事件でも、発生状況には違和感があった。

 

「俺が撃たれた場所。そこへと誘導するために、犯人は究ちゃんのスマホをハッキングして、偽のチケットや情報を送ることまでした。もちろん、あの公園は狙撃に適した場所でしたけど、他にもそういう場所は幾らでもある。

 わざわざ誘導した以上、あの場所にも特別な意味があった」

 

 それは位置だ。

 

 狙撃地点は、この東映会病院に近い場所。当然、救急搬送先は東映会病院。

 

 そこで伊丹は、ずいと顔を近づけながら、両島へと告げる。

 

「アンタ、わざわざクリスマスだってのに、当直を変わったらしいな。本来ならあの日は、お前の担当じゃなかった。それを頼み込んで、変えてもらった。泊が襲われ、運ばれること、知ってたんじゃねえのか?」

 

「それは! なんなんですか、私が仕事熱心じゃおかしいですか!? それに、私が泊さんの襲撃に関わっているのなら、泊さんの手術をして、助けるわけがない!! こんな、自分で言うのも図々しいが、命の恩人に向かって酷い言い草ですよ!!」

 

 両島が伊丹を振り払うように、今度は進ノ介へと抗議の声を上げる。怒りに顔を染めて、心底訳が分からないという演技で。

 

 確かに、両島が吹原かおりに協力し、泊進ノ介襲撃に与していたなら、進ノ介を助けたのは道理に合わない。手術中、間違いなく進ノ介の命は彼の手にあった。手術ミスを装えば、殺害できたにもかかわらず、両島は進ノ介の命を救ったのだ。

 

 両島が進ノ介の殺害を目的としていたなら、それはおかしい。

 

 しかし、前提が違えばどうだろうか? 吹原かおりが強烈に殺意を露わにしていたため、誰もが誤解していたこと。かおりの目的が殺害だったとしても、共犯が同じとは限らない。

 

「簡単な話です。あなたの目的は、俺の殺害なんかじゃなかった。……泊進ノ介を手術する。その行為こそ、あなたの目的だったんです」

 

 進ノ介が目くばせすると、今度は三浦が、捜査資料を手に持ちながら両島に迫る。

 

「両島さん、急いで調べ上げましたが、あなた、随分と借金を抱えているようですね? いくつもの闇金に、首が回らないほど。昔からお好きなギャンブル。それが高じて違法賭博にまで手を出していたんじゃありませんか!?」

 

 言葉を引き継ぎ、進ノ介が鋭く、両島へと推理を突きつける。

 

「そんなあなたにとって、俺はさぞかし魅力的な金の生る木だったでしょうね? ……仮面ライダーの生体サンプル。いったい、どれくらいの値段で売れました?」

 

「っ!?」

 

 狙撃を受け、負傷したのが一般人であったなら、その血液や組織片には何の価値もない。だが、今回の被害者は世界に一人だけの公開されている仮面ライダー。今は変身能力を失っているとはいえ、その経歴は変わることはない。

 

「少し前、ある科学者が教えてくれたんです。仮面ライダーを不老不死の入り口だって考えて、世界中が注目してるって。そんな人たちにとって、俺のサンプルなんて喉から手が出るほど欲しいもの。仮面ライダーの変なファンにとっても、『魅力的な商品』になりえます。

 ……俺にとっては心底気味が悪い話ですけどね」

 

「あんたの目的が泊の血液やら何やらを手に入れることなら、手術ミスなんてできないよな? むしろ、命の恩人の方が疑われねえ」

 

「残った問題は、泊のサンプルを外部に持ち出す方法だった。他の職員がいる前で、それを持ち去るのは困難極まる。だから、現さんの車を爆破して、混乱を引き起こした!!」

 

 三浦が突きつけたのは一枚の写真だ。

 

 爆破事件が発生した駐車場と反対側、非常口に設置された監視カメラ映像。

 

「今の科学捜査ってのは進展しててな、歩き方一つで本人を特定できるんだよ。この、トランクを車に乗せてる男、あんただな?」

 

「他の共犯者との繋がりも分かってますよ? 吹原かおりは半年前、体調不良を訴えて東映会病院で検査を受けていた。それに、越谷が経営していた違法カジノ。組対が調べた顧客リストにあなたの名前があった。

 両島医師、あなたが共犯者Xです。吹原かおりと越谷を結び付け、彼等に警察情報を提供していた!」

 

 疑いが出た以上、いくらでも証拠は出てくる。

 

 銀行の入金記録、取引の痕跡。

 

 それを避けるために吹原かおりを表舞台に出し、潜んでいたのだろうが、もう台無しだ。

 

「何か、弁明はありますか?」

 

「……命を救ったんだ。少しくらい、金儲けしたっていいだろ……?」

 

 微かに震える声で、弁明する両島。だが、それは言い訳にもならない。

 

「……!! 泊が助かったのは、こいつがたまたま動きを変えたからだ!! てめえは命があろうがなかろうが、手術すれば良かっただけ!! こいつが死んでも構わねえって思ってた!! ……殺人未遂の共犯が、偉そうに言うんじゃねえよ!!」

 

「加えて、アンタはその後も情報提供し、泊の殺害に協力している。吹原かおりに目的を達成してもらえば、泊は死に、サンプルの希少性は跳ね上がるだろうからな!!」

 

 伊丹が両島の胸倉をつかみ上げ、猛犬のように唸ると、すぐにその言い訳も言葉にならなくなる。結局は、この両島は金に目が眩んだだけの男だった。

 

 乱雑に手を離され、尻餅をついた両島へ、進ノ介は背をかがませて尋ねる。まだ、この男には聞かなければならないことがある。

 

「両島さん、あなただけじゃ、俺のサンプルを売りさばくことなんてできない。そうした販路は、越谷達に任せていたはずです。……越谷達は何処に潜伏しているのか、教えてください」

 

 進ノ介の言葉、三人の刑事に囲まれた状況。両島は最後には諦めて、一つの場所を明かすのだった。

 

 

 

「イノウエが、泊進ノ介の執刀医? ……一体、何の冗談よ、それは」

 

「なるほど、両島の素性までは明かされていなかったのですか。偽名と病院関係者とだけ、教えられていたのでしょうね。それでも、情報が正確であれば貴女にとって些細な問題だった」

 

 残る共犯者からすれば、当然だろう。彼等からすれば、かおりはあくまで囮。両島から得られる莫大な金は、越谷にとっても組織再編の資金源と目論んでいたはずである。

 

 彼女の狙い通り、自殺に成功すれば良いものの、それでも捕まる可能性が高いかおりには、両島の名前を教えるはずがない。

 

 吹原かおりと対峙していた右京は、そうして両島の正体と犯行動機を明かし、彼女の動揺を誘おうとしていた。だが、かおりは驚きに顔色を変えつつも、敵意を失わず、拳銃は向けられたまま。

 

 そんな彼女へと、右京はさらに説得の言葉を放つ。

 

「貴女方の奇妙な共犯関係は、それぞれが互いの不足を補い、実行も分担するという、一見理想的なものでした。ですが、実際にはお互いに求めるものは大きく異なる」

 

 かおりは進ノ介への復讐。

 

 越谷は声望と組織再建。

 

 両島は金。

 

「その中で、盲目的に復讐を求めていた貴女は、越谷達にとって御しやすい存在だったでしょう。……端的に言えば、貴女は利用されていた。彼らは泊君が死のうと生きようと、どうでも良かったのです。

 ……それでも、止まる気はありませんか?」

 

 けれども、かおりは必死な形相に顔を染め上げて、右京の言葉に耳を貸さない。それどころか、興奮しながら仮面ライダーへの怨嗟を叫び出す。

 

「止まれるわけがないでしょ? 私は息子を殺された。体がロイミュードだろうと何だろうと、あの子の人格が残ってたのに。仮面ライダーは、それを壊して、私から奪った!!

 ……警察なのに、ロイミュードは逮捕も裁判を受けることができなかった。息子がどんな罪を犯したのかも、私は知らない!! それなのに殺されるなんて、こんな理不尽はないわ!!」

 

 涙をにじませながらの言葉。

 

 それに、右京も少しだけ理解を示す。

 

「確かに、方法がなく、時間もなかったとはいえ、警察の、仮面ライダーの対応がすべて正しかったとは僕も思えません。法律上、命と認められなくとも、ロイミュードの人格へと思いやりがあるべきだったとも思います。

 ですが、誰あろう、泊君がそれを後悔しています。二度と悲劇が起こらないよう、彼は自分の人生を賭そうとしている。彼がいなくなれば、ロイミュードを命として扱う人間が、また一人消えてしまう。……貴女の望みを、貴女は自分で断ち切ろうとしているのですよ?」

 

「関係ないわ!! 何が仮面ライダー、何がヒーロー!! 私の家族は助けてくれなかったのに!!」

 

 悲鳴のような金切り声を上げる吹原かおり。

 

 決定的な言葉を言わなければ、彼女は止まらない。

 

 それを悟ったのだろう。右京は少しだけ悲し気に言葉を選び。けれども、ためらうことなく真実を告げた。

 

 

 

「いいえ。泊君は、貴女の命を助けたのですよ。吹原かおりさん」

 

 

 

 その瞬間、沈黙が広がった。

 

 目の前のかおりは怒りや憎しみではなく、蒼白になり、目を見開く。今はもう、銃口はふらつき、体も支えを失ったように。右京の言葉こそが、彼女にとって致命的なものであったかのように。

 

 復讐に囚われた女性が、仮面に隠した心根の弱さを露呈したように、右京には感じられた。

 

 だが、いかに彼女にとって残酷な真実であろうとも、彼女は罪を犯し、怒りを自分で止められないでいる。右京に出来るのは、真実を明らかにし、事件の幕引きを行うことだけだ。

 

 それを知るからこそ、右京は冷静に、彼女へと真実を突きつける。

 

「な、なに、を……」

 

「貴女の息子へとロイミュードが化けていた。貴女の言動を見るに、それは正しい。そして、貴女が彼を息子のように思っていた。それも正しい。

 ですが、一つだけ、重要な真実を貴女は認識していない。……彼は決して、善意で貴女に近づいたわけではないということですよ」

 

 ロイミュードは悪意に惹かれる。それが生まれついた彼らの悲劇だ。

 

 全ては感情を理解し、進化するために。その性質から、ロイミュードは強烈な感情を持つ人物にしか興味を示さない。例外的に072は究のもとを訪れたが、彼も特状課を調べるという目的があっての来訪だった。

 

 そんなロイミュード達が、悲しい事ではあるが、ただの親思いの青年のもとにやってくるなどあり得ない。

 

「貴女にとっては残酷なことに、彼の目的はとある犯罪だったのです。それはコピー元、つまり息子の健輔君が企てた犯罪でもある。

 ……ご子息のことを調べさせてもらいました。彼は当時、多額の借金を抱え、返済に迫られていた。貴女のもとへと戻ったのは、そこから抜け出すため。ですが、貴女もただの会社員です。彼の借金を返すほどの資金はない」

 

 違法賭博や闇金に追い詰められ、返済の見込みがなければ命が危ぶまれる若者。

 

 そんな彼は、とある方法で問題解決を図った。あまりにも非道な、かおりには受け入れがたい方法で。

 

「……健輔君の帰宅後、かおりさん、貴女には保険金が掛けられていますね? 五千万。彼の借金を返済するには、十分な金額です」

 

「そ、それは! 私から言い出したのよ!! 何があるか分からないから、せめて遺せるように……」

 

「ですが、健輔君にはそれを待つだけの余裕がなかったのでしょう」

 

 彼が目論んだ残酷な犯罪。それは、さぞロイミュードを刺激しただろう。何せ、人間の倫理上、許されざる犯罪の一つ。興味を抱き、もしかしたら、ずっと張り付いて監視していたのかもしれない。彼の死後、その犯行を再現しようとするほどに。

 

 その犯罪は、

 

「……保険金殺人」

 

 実の母親を殺害し、私欲を満たす。

 

「それを侵そうとした残酷な人間の心理。ロイミュードが知りたがっても、不思議ではありません。彼の死後も、再現しようとするほどに」

 

 言い終えた瞬間、銃声が響く。

 

 右京の言葉は息子の復讐のために動いてきた母親にとって、受け入れることなどできない戯言だった。かおりが髪を振り乱し、拳銃を発砲したのだ。だが、狙いは明後日の方向へと向いている。右京がもう、脅威に思わないほどに。

 

「……嘘よっ! あの子が、あの優しい子がそんなこと……!! でたらめ言わないで!!!」

 

 それは直視できないほどの哀れな姿だった。必死に、息子を愛おしい存在だと信じたい母親の狂信。

 

 そんな彼女にとっては無情な真実。それを理解しつつも、右京は懐から一つの袋を取り出して突きつける。ビニールに入れられたマニキュア。健輔の部屋に隠されていた物だ。

 

「証拠ならあります!」

 

「っ、それ……」

 

 かおりが絶句した。

 

「ええ、見覚えがあるはずです。失礼ながらアルバムを見せていただいた時、貴女の指にはマニキュアが塗られていました。健輔君の帰宅以前はつけていなかったもの。おそらく、彼が貴女へと教えたものでしょう。

 このマニキュアは、記念日などに贈る高価なものだそうですね。息子から母親へのプレゼント。お二人の指紋も検出されている。ですが……」

 

 米沢に頼みマニキュアを分析してもらった結果、とある物質が含まれていることが判明したのだ。

 

 それはヒ素。

 

 人を殺める猛毒。

 

「ヒ素毒は皮膚からも体を侵します。当然、このマニキュアを爪に塗れば、徐々に貴女の身体は蝕まれていったはずです。進行が遅いために発覚が遅れてしまうのも、この毒の特徴。病死に見せかけるため、用いられることも多い。それを見越して使用したのでしょうね」

 

 さらに、ヒ素毒の中毒症状には爪や歯に浮き出る白斑がある。マニキュアを使わせるように仕向けて、それを人目から隠すというのは、確かに工夫を凝らした犯行だろう。

 

 告げた途端、吹原かおりは、今度こそマニキュアを見ながら、微動だにしなくなった。呆然と、情報をシャットアウトするように、狂騒は成りをひそめ、物言わぬマネキンのように。

 

 その反応を見て、右京は自分のとある考えに確信を抱く。

 

「……やはり、貴女も薄々と勘付いていたのではありませんか? ご子息が、その人格を摸したロイミュードが自分を殺害しようとしていたのだと」

 

 なぜなら、

 

「僕がこのマニキュアに疑問を持ったきっかけ。なぜ、貴女は、このマニキュアを、ご子息の形見を手放していたのか。不自然でした」

 

 かおりが泊進ノ介を狙った目的は復讐。

 

 大切な息子。息子の人格を持ったロイミュードの復讐。

 

 けれども、彼女は息子の形見をもってはいなかった。今も息子から教わったマニキュアはしているのに、贈り物だと思われる毒入りのマニキュアは人目から隠されていた。

 

 いや、人目ではない。

 

「貴女は、このマニキュアを見たくはなかった」

 

「嘘よ、嘘、」

 

 かおりがぼそぼそと呟き声を零す。

 

「貴女はそれだけは信じたくなかった。現実を受け入れたくなかった」

 

「嘘よ、嘘よ、嘘よ!!」

 

「だから貴女は、泊君を恨むことにした。愛すべき息子を奪ったと。そうすることで、息子への愛情を、自らが示そうとした。そうしなければ、耐えられなかったから」

 

「違う、ちがう、ちがう……」

 

 右京が一歩ずつ、前に近づいていたことすら、かおりは気づかない。

 

 そして、右京は逃げることができない真実を彼女へとぶつける。

 

「気づかないはずがありません! マニキュアは使用されている。当然、毒は貴女を蝕み、自覚症状もあったはずです。ですが、今、貴女はこのような犯行を行うほどに回復している! 貴女の命。それこそがマニキュアの危険性を認識していた、何よりの証拠ですよ!!」

 

 かおりはマニキュアを見る。

 

 逞しくなって帰ってきた息子。

 

 笑顔を見せてくれた息子。

 

 化粧を教えてくれた息子。

 

 隠れて作業をしていた息子。

 

 夜中に怪しい電話をしていた息子。

 

 黒焦げになった死体。

 

 帰ってきた機械人形。

 

 その彼が、息子の人格が……。

 

『知らなかっただろう? これを隠していたのを』

 

 違う。

 

「健輔じゃないわ!! 悪いのは、あの悪魔の機械よ!!!!」

 

 かおりは叫び、髪を振り乱し、スイッチを手から取り落とし、

 

 

 

 パン

 

 

 

 乾いた音が響いた時、銃口はかおり自身のこめかみ近くにあった。だが、彼女の脳髄へと、銃弾が撃ち込まれることはなかった。

 

「か、間一髪ですねー!」

 

 冷や汗をかきながら苦笑いを浮かべる芹沢が、彼女の腕を掴み、狙いを逸らせていたから。ついでに、その後方では、いつの間にやら霧子が、りんなと追田警部を介抱し、車から遠く離れた場所へと案内している。

 

 右京の発言にかおりが動揺していた隙をつき、霧子と芹沢による救出作戦が実行されていたのだ。

 

 もっとも、かおりが自殺を図るとは、芹沢達は想定していなかったが。

 

「芹沢さん、助かりました。僕では間に合いませんでしたから」

 

 地面に転がりながら、右京はほっと溜息を吐く。その手には、飛び込んでキャッチした爆弾のスイッチがしっかりと握られていた。

 

「いえいえー。ほら、この事件、泊君も狙われたり大変だったでしょ。俺だって一回くらいは役に立ちたかったんすよ! ここは先輩として、かっこよく決める場面ですからね!」

 

 そんな頼れる刑事に微笑みを浮かべて立ち上がると、右京は、

 

「吹原さん、貴女にもう、泊君を狙う理由はありませんね?」

 

 赤子のように泣きじゃくる母親を見つめながら、悲し気につぶやくのだった。

 

 

 

 実行犯二人が逮捕された少し後。都内の歓楽街にある違法カジノにて。

 

 そこでは二人の男が酒を片手に談笑していた。片方は歓楽街を取り仕切る、とある違法組織の若き幹部。もう一方は進ノ介達が行方を追っていた元ネオシェード幹部、越谷伏美。

 

 二人は上機嫌に杯を打ち合わせ、ぐいとそれを飲み干す。心底上手そうに。

 

 成田空港での騒動を引き起こし、自分の目的を完遂した越谷は、早々に表舞台から姿を消していた。離れた場所からでも、生体サンプルの取引は行える上、両島たちが捕まることも、当然可能性として考えていたから。彼らに教えた自分の潜伏場所はブラフ。今頃、刑事たちは誰もいない空き家を、隅から隅まで探しているに違いないと。

 

 そんなほくそ笑む越谷に、男が称賛の拍手を送った。

 

「今回は、中々上手くやったみたいじゃないか、越谷君」

 

「ええ、これがネオシェード復活の狼煙です。この腐った秩序を破壊して、理想の世界を築き上げる。その序曲ですよ」

 

 杯に再びウィスキーを満たすと、椅子に深く体を沈ませて。越谷は思慮深い陰謀家のように、自らの計画を語っていく。目の前で眼鏡の奥から愉しそうな感情を覗かせる、パトロンを楽しませるために。

 

 内心で、彼は有頂天であった。華々しい活躍の後には、褒美が待っているもの。かつてはリーダー、岡村や他の幹部の裏に隠れ、見向きもされなかった自分が認められている。もう、ちっぽけな金庫番ではない、世界を革命するネオシェードのリーダーとなった、と。

 

 その証拠に、犯行の後、すぐに支援の手がもたらされている。彼のかつての主が求めたような、理想社会への道が開き始めていると越谷は確信していた。

 

 そんな彼へと、男はさらに自尊心をくすぐる言葉を告げる。

 

「……まさか、仮面ライダー襲撃とは。私でも、あのような大胆な行動はできないよ」

 

「仇敵仮面ライダーも、今やただの人。恐れるに足りません」

 

 嘯きつつ、満たされていく。

 

 組織を壊滅させ、越谷をこのような日陰の場所まで追いやった憎き英雄。仮面ライダーへと、ようやく一つ借りが返せた。それを実感しながら、越谷は杯を握る手に力を籠める。

 

「彼らには、煮え湯を飲まされたから。……ここらで退場願おうかと」

 

「そのために、良い手駒を見つけたものだ」

 

「両島先生は、随分と私の所に負債がありましてね。追い詰めたら、勝手に計画を持ち込んできました。仮面ライダーに恨みを持っているなら、恨みを晴らすついでに、それを金に換えないかって。病院のセンセってやつも良く考えるものです。

 あとは、私の計画通りに」

 

 両島の提案は、燻ぶっていた越谷にとって魅力的だった。恨みがあるとはいえ、仮面ライダーをただ殺しても、一時、組織の名が上がるだけ。かつてのように、いずれは警察に潰されることは目に見えている。

 

 だが、仮面ライダーのサンプルを売りさばくという方法ならば。例え、泊進ノ介を殺せなかったとしても、組織再建への大きな一歩となる。

 

 仮面ライダーの秘密解明に、今や欧米や中国、ロシア、東国といった各国諜報機関が躍起になっているのだ。そんな彼らへとサンプルを売り払えば、資金だけでなく、政府への繋ぎもできる。ネオシェードをより強大な組織として復活できる。

 

「良い意趣返しでしょ? 仮面ライダーが我々の復活の礎となる」

 

 ただ、彼の計画において、上手く立ち回るためには目立つ囮が必要であった。何より、策謀家を自称する越谷は、自ら人を殺すのを好まない。

 

「その点、あのとち狂った母親は良く動いてくれました。……なぁにが、息子がロイミュードになって殺された、だ。馬鹿な女の戯言です。私からしても、逆恨みにしか聞こえません。ですが、そんな馬鹿こそ『元仮面ライダー』の敵にはちょうどいいと思いましてね」

 

 守るべき人間にやられたなんて、ヒーローの末路にはふさわしいでしょ。

 

 そんな身勝手な理論を越谷は振り回す。だが、彼にとって、ヒーロー等という、想定を超えていく存在は超常の化物と同じ。だから、ためらうことなんてない。

 

「ヒーローには、敵がいなくなったら引退していただかないとね。そして、今度こそ、私たちはこの世界を支配する。崇高な理想を理解しない愚民たちを根絶やしにしてでも……」

 

 そんな野望へと炎をたぎらせた勝利宣言を、

 

 

 

「そういう台詞を言ってるから、君は日陰者なんだよ」

 

 

 

 この場末の闇には似つかわしくない、さわやかな声が一刀に切り裂いた。

 

 少しの間、越谷は言葉を失って。しかし、すぐに声の主を探し始める。この場には、他に誰もいなかったはずなのに。

 

「な!?」

 

 絶句。酒に酔っていたにしても、少しも気づかないなんてことがあるだろうか? 越谷は十数人の黒服に囲まれていた。鋭い目つきの男たち。全員が拳銃を所持し、一寸も隙を見せていない。

 

 そういう男たちを、敵として越谷はよく知っていた。

 

「き、桐原さん!? ここは誰にも知られていないと!」

 

 慌てて越谷は目の前の男、自分への支援を申し出てきた『桐原』へと掴みかからんばかりに問い詰める。裏社会で名の知れた彼ならば、警察からも隠してもらえる。そんな期待でやってきたのに、この男たちは誰なのかと。

 

 だが、桐原はスイッチを切ったように笑みを消し去ると、立ち上がり、男たちの列に加わるのだ。その態度を見て、越谷は初めて、自分がはめられたと確信する。

 

「騙してやがったのか……!? まさか、お前、公安っ!?」

 

「そういうこと。桐原さんは……。本当は僕も本名を知らないんだけど、潜入捜査のエキスパートでね。君みたいに裏社会に隠れる人間を探すのが得意なんだ」

 

 声の主、神戸尊は越谷を見下ろしたまま言葉を続けた。二階の手すりに身を預けたダークスーツ。それが今、薄暗い室内に溶け込んでおり、王子様然とした表情も悪魔の様に越谷には感じられる。

 

「元ネオシェード、越谷伏美。君の変な野望もここまで。せっかく仮面ライダーがつかみ取った平和を、こんな形で壊すなんて許容できないんだ。それが、僕たち警察官の使命だからね」

 

 尊の断罪の後、越谷はなすすべもなく連行されていった。知略家を気取っていた男の、誰にも評価されない惨めな幕引き。

 

 それを眺めながら、尊は横に立った桐原へと話しかける。

 

「お疲れさまでした、桐原警視。これで半年間の潜入は終わるけど、次はどこへ?」

 

「変わらず、身分を変え、名前を変え、ですよ。それが公安警察の在り方ですからね。名無しの権兵衛も、慣れれば苦でもありません」

 

 そんなものなのかね。なんて、自分が名無しになるなんて耐えられない尊の平凡な感性は、桐原の物言いにわずかに戦慄を覚える。けれども、そういった影の人間がいるからこそ、平穏が保たれているのも事実だ。

 

「あ! そういえば、桐原さんも特状課と昔、縁があったって聞きましたけど。今回の件、網を張ってくれてたのは、そのせいだったりします?」

 

 問うと、桐原は曖昧に笑みだけを示した。

 

 仮に進ノ介達がこの場に居たら驚くだろう。その顔は、悪徳警官として桐原が現れた際の、無様な慌て顔とは全く違うものだったから。人形のように感情をコントロールできる、冷徹な顔だったから。

 

 ただ、それが公安警察というものだ。いくつもの顔を持ち、時に組織すら騙す。

 

「フォントアール社の爆薬密売ルートを追うため、潜入していた時に少し。……突然、小野田官房長に彼らの能力査定を命じられたのですよ。今思うと、慣れないことをしたものです」

 

「その為に『桐原英治』を懲戒免職にした。なのに、今の桐原さんは普通に警察官のまま。これって、冷静に考えたら、すごい反則ですよね。警察の人事ってどうなっているのやら」

 

 その言葉には何も返さず、再び闇の中に消えていく桐原。尊は彼をきらめく笑顔を浮かべて見送りながら、

 

「あー、やだやだ。あの人の下だと、こんなことばっかりで」

 

 なんて、今も裏で糸を引いている黒い狸へと小声で愚痴をこぼすのだ。

 

「……特命係が懐かしくなるなんて、俺もとうとうおかしくなってきたのかな」

 

 

 

 また一つ、別の場所でも事件の幕引きが行われていく。

 

「越谷も神戸君が確保したようです。刑事部も実行犯二人の逮捕の大手柄。事件はめでたく解決、新年はいい年になりそうですね」

 

 夕暮れを臨む警察庁で、小野田は甲斐峯秋と向き合っていた。

 

「ええ、警察の面目も立った。泊進ノ介も無事。懸念していた世間の動きもありません。ですが……、いくら憎まれ役を買って出たとは言え、私は憎まれ損ではありませんか?」

 

「大丈夫ですよ。あの泊君は、それくらいで人を恨んだりしませんから」

 

「おや、官房長は泊君と会ったことが?」

 

 峯秋の言葉に、小野田は微笑み、

 

「ちょっと前に、少しだけ」

 

 とだけ明かした。

 

 ともあれ、年始を前に事件は無事に解決。事件の規模と世間へのインパクトを考えると十分にスピード解決と言えるだろう。刑事部を統括し、捜査を指揮した峯秋にとっては大きな功績。小野田にも、今回の事件は大きなカードをもたらすことになった。

 

 小野田はカップを置きつつ、峯秋へと言う。

 

「それで? 越谷や例の医者から手に入れた顧客リスト、甲斐さんは摘発しないことに決めたそうだけど……。どうしてかな?」

 

 仮面ライダー、泊進ノ介の研究を目的に、生体サンプルを購入した者たち。越谷は後々に利用するつもりだったのだろう、律儀にそれらをまとめていた。

 

 含まれるのは、各国の工作員や過激派組織。当然、遡っていけば事件を暗に支持していた各国の諜報機関まで到達できる代物だ。

 

 だが、甲斐峯秋はそのリストの存在を握りつぶした。

 

 すべては、一つの政治判断のもとで。当然、その目的を小野田は認識しており先に述べた大きなカードとは、何あろう、そのリスト。だが、あえて、彼は峯秋へと尋ねた。

 

 小野田の感情の読めない目が、峯秋を値踏みする。

 

 けれども峯秋は、それに動じることなく、自らの考えを訥々と述べていった。

 

「どうしたもこうしたも。日本警察ならば彼等を追及し、流出したサンプルを回収できたかもしれない。ですが、そこまでですよ。彼らを逮捕したとて、今の政府に立件する度胸などありません。秘密裏に釈放が関の山。

 ……ならば、多少のことに目をつぶり、役に立てた方がいいでしょう」

 

「……各国諜報機関が仮面ライダーに手を出したという証拠は我々の手に。それをあえて見逃されるというのは、とっても気分が良くないでしょうね。首根っこ掴まれたようなモノですから」

 

 峯秋の行動で、日本警察は各国に恩を売った。今回は黙って見逃してやるから、これ以上は変な行動を起こすな、と。さらに証拠は日本警察が握っているのだから、それは後々、敵対する国々に切り売りできる。

 

「国家防衛局からこっち、改革も停滞していましたからね。今後、我々の力を高め、理想の警察組織を築くために必要なカード。それを……。ふふ、いや、失敬。あんな血液で得られるなら、十分でしょう」

 

 峯秋の笑みは、各国の徒労を笑うものだ。

 

 仮面ライダーが傍にいる。それも、警察という組織にいて。当然、警察とて彼の体を分析しないはずがなかった。既に健康診断の名目で、十分な生体サンプルの回収と研究は行われている。

 

 そうして、分かったのは『彼は何の変哲もない人間』だということ。

 

 諜報機関は、そんな当たり前の事実を入手するために躍起になり、結果、日本警察に借りを作ってしまった。笑いが止まらないとは、このことだろう。一リットル幾らの血液のために、彼等は国を危機にさらしたのだから。

 

 ただ、そうした組織を見逃す以上、必ずどこかに歪は生じてしまう。例えば、

 

「越谷の資金源やら、ライフルの入手経路やら。公判ではどう説明するつもりですか?」

 

「いくらでもスケープゴートはいます。越谷と関わりのあった愚かな売国奴達。ちょうどいいので、連中を摘発し、罪も被ってもらおうかと。逮捕が早いか遅いかの違い。何も影響はありません」

 

 別の犯人を仕立て上げるという力技の解決方法。朗らかに冤罪を作り出そうとする峯秋へ、小野田は少しだけ意味を含ませた視線を向ける。

 

「官房長はお気に召しませんか?」

 

「正義の味方の警察官としては、少しばかり如何なものかと。……なんてね」

 

「ははは、それは面白い考えですな」

 

 今、これほどの強権をふるっている警察のトップが、どこか夢物語のようなことを言うなんて。

 

 峯秋はカップを置くと、悠々と退出していく。二年後、自らが警察庁次長となった時に、あるべき警察組織を思い浮かべながら。

 

 

 

 こうして世間を騒がせた泊進ノ介襲撃事件は幕を閉じた。

 

 実行犯三名の逮捕、人質の救出、泊進ノ介の回復。そして、政治的な駆け引きも終わった。事件は過去のものとして、この先には裁判などのちょっとした節々にしか現れることはない。

 

 だが、そうは思っていない人間もいた。

 

「……気になることがあります」

 

「はい?」

 

 十二月三十一日大晦日の朝。

 

 両島医師の逮捕に伴い、再検査のため警察病院へと入院した進ノ介が、見舞いに来ていた右京へと告げる。

 

 幸いにも彼の体に異常はなく、年明けには退院できる予定であったのだが、まだ、その顔は晴れていなかった。奥歯に何か挟まっているような、解明されていないことがあると言いたげな様子。

 

 そんな、いつもと全く逆のシチュエーションに右京は目を細める。彼の視線は進ノ介が手にしたタブレット、もっと言えば、そこに映し出されている吹原かおりの証言に向けられていた。かおりが廃工場へと向かう前、詳細な動機を述べたものだ。

 

「吹原かおりは事情聴取に対してうわ言を繰り返しているそうです。その映像が、彼女の唯一の証言と言えるでしょう」

 

「彼女が信じていた真実を語っていますね」

 

「物証があり、映像での自発的な自供があり、立件するには十分すぎるほど。他に何か、明かすべき真実があるというのですか?」

 

 そんな右京の言葉に、進ノ介は苦笑いを浮かべた。

 

「いい加減、試すのはやめてください。……映像を見たんです。あなただって、気が付いてるでしょう?」

 

 右京のらしくない冗談を窘めつつ、進ノ介はタブレットを置き、右京へと向き直る。すると右京も小さく頷きつつ、椅子から立ち上がった。

 

「……ええ。確かに、僕にも気になることが残っています。とても大事な、明かさなければいけない真実が」

 

「それを残したままに、絶対にしておきたくないんです。年の瀬ですけど、ひとっ走り付き合ってもらえませんか?」

 

 その問いかけに対する、右京の答えは決まっていた。微笑み、コートを羽織り、身だしなみを整え、彼がこれまで続けてきたように。

 

「僕でよければ、喜んで。君、外出許可は?」

 

「何とかもぎ取ります!!」

 

「それでは、年が変わるまでに。……さあ、行きましょうか、泊君」 

 

「ええ、トップギアで」

 

 二人だけの特命係は、最後の真実を求めて、走り出した。




次回、ラストパートです。


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第十話「機械人形への鎮魂歌 VIII」

ここまでの状況のまとめ

泊進ノ介が何者かに襲撃され、特状課の面々が襲われる事件が発生した。

事件の中、過去の後悔に苛まされる進ノ介だったが、決意を新たに捜査を開始。

そうして、事件の裏でネオシェード復活を企んでいた者たちが逮捕され、ロイミュードを息子だと縋っていた悲しい母親も、事件の真実に直面することになった。

誰もが事件解決を喜ぶ中、まだ特命係の二人には納得できないことがあり……。


「すみません米沢さん、こんな時間まで」

 

 除夜の鐘が響こうとする、夜更け。

 

 多くの職員が帰宅し、残されているのは宿直の者くらい。そんな人気がなくなった警視庁で、米沢はスタンドライトの光の下、鑑識作業を続けていた。そんな彼へと、進ノ介が頭を下げる。

 

 米沢が注意深く眺めていたのは、とある事件の証拠品だった。もう終わったはずの、誰も見ずに倉庫の奥に眠っている証拠品。本来なら、こんな時間に精査しなくても良いもの。その鑑定を特命係が依頼した。

 

 米沢とて帰りたかったに違いない。けれども、進ノ介達が真剣に頼むと、米沢は不満も言わず作業に取り掛かってくれた。今も、申し訳なさそうな顔をする進ノ介へ朗らかに言う。

 

「これが私の仕事ですから。なにより仮面ライダーの一ファンとしては、張り切るしかありませんな!」

 

「……それは、ヒーローの頼みだからですか?」

 

 言い、進ノ介は意地の悪い質問だったかもしれないと後悔する。だが、米沢は嫌な顔一つせず、頭を振るった。彼とて人の好き嫌いはある。それに、ヒーローだからと無条件で助けるわけではない。彼が協力したのは唯一つの理由から。

 

「泊さんの助けになれるからです。貴方はいつも、誰かを助けるために働いてきた。決して、仮面ライダーは人を見捨てて逃げなかった。それを私は、ずっと見てきました。

 ……だから、私は貴方の助けになれるなら光栄なのですよ」

 

 米沢はルーペで証拠を見つめながら、いつもと異なるしっとりとした調子で語り始める。

 

「時々思います、この仕事は悲しいものだと。鑑識は、いつだって事件の痕跡をたどる。もちろん、それが捜査の大きな助けになると理解していますが……。やはり、我々の出番は誰かが傷ついた後なのです」

 

 米沢は毎日のように見てきた。

 

 殺された人々の無念を。傷ついた人々の嘆きを。鑑識は遺体の最期の声を聴く仕事ともいう。それを聞き取れることを誇りに思っているが、それでも、無力感に悩まされることは当然にある。

 

「ですが、仮面ライダーは多くの人を守ってくれた。悲しむ人を、我々のもとにたどり着く人を少なくしてくれた。そんな市民を見捨てない仮面ライダーを、私は尊敬しています。他の人が何を言っても、貴方はヒーローだと」

 

 米沢の言葉には、進ノ介に対する真心と気遣いが感じられた。それが進ノ介にとっては嬉しく、頼もしいもの。

 

 それを聞いていると、仮面ライダーに変身した、最初のころを思い出した。まだ何も知らずに、がむしゃらに走っていた時。そのいつかに、人間の醜い心を目の当たりにして、信念を揺るがされたことがあった。

 

 進ノ介を救ったのは、日々をまっすぐに生きる人々。彼らが自分を救い、立ち上がる勇気をくれた。

 

「……もう大丈夫です。米沢さんの様な人がいてくれるから。俺は、悔いもたくさんあるけれど、仮面ライダーであったことを誇りに思えます」

 

「っ! そういうことおっしゃられると、ファンとしては有頂天になってしまいますよ。自分で話し始めて何ですが、まだ作業中ですから、集中しなければ」

 

 そうして年が明けるまで、進ノ介は自分の務めを果たした。真実を明かして、事件を解決する。刑事でなければできない仕事を。

 

 

 

 相棒 episode Drive

 

 第十話「機械人形への鎮魂歌 VIII」

 

 

 

 一月一日、元日。めでたい日には訪れたくない場所、取調室の前で、不機嫌な顔の伊丹が待ち構えていた。刑事の仕事に元日なんてものはないが、それでも新年早々に特命係に駆り出されるのは、心外なのだろう。顔を見れば、そんな感情が一目瞭然。

 

 ただ、彼も思うところはあったのか、進ノ介へと鼻を一つ鳴らすと背中をばしりと一発叩く。そうして特命係の二人を取調室の中へと通してくれた。

 

 温度が通らない、ひんやりとした無機質な部屋。

 

 進ノ介は椅子に座ると、机を挟んだ人物を見る。

 

「吹原かおりさん。初めまして、泊進ノ介です」

 

 自分を狙撃し、命を狙った殺人未遂犯。それに何より、息子に化けたロイミュードに命を狙われた被害者である吹原かおり。彼女は、数日前とはまるで異なるやつれた顔で、静かに視線を落としていた。

 

 憔悴しきり、今にもきっかけがあれば、命を失ってしまいそうな状態。あれほどに憎しみのはけ口としていた進ノ介にも、反応もしない。

 

「……この数日、食事をとりもしねえ」

 

 伊丹が耳打ちするように、進ノ介へと教えてくれる。それを聞いて、進ノ介には同情を禁じえなかった。

 

 いったい、どのような気持ちだったのだろうか。

 

 やっと帰ってきた息子を出迎えて、共に楽しい生活を送っていたのに、息子が事故死。消沈する中、突如帰ってきた代役はロイミュード。

 

 それだけならまだしも、彼からは毒を盛られていたなんて。息子がひそかに企んでいた、自分の殺害計画を突きつけられるなんて。自分の人生を、根こそぎ否定されるのに等しい。いや、そんな陳腐な言葉では絶望を説明できるはずがない。

 

 未だ子供を持ったことがないが、いつかの未来を知らされている進ノ介にとっても。未来の息子にそんなことをされれば、現実を拒絶してしまうのは自然のことに思えた。

 

 その中で『息子』を害した仮面ライダーは、唯一の感情の矛先となりえたのだろう。進ノ介にとっては理不尽なことではあったが、彼女を憎む気持ちはなかった。むしろロイミュードは倒せたのだろうが、その犯罪を暴けず、ここまで彼女が追い詰められるまで止められなかった。そのことに、申し訳なさも感じている。

 

 だから、進ノ介は右京と見つけた真実を、彼女へと送ることに決めた。息を吸い、静かに口を開く。

 

「息子の健輔さんについて、お話があります」

 

 健輔の名前を出すことで、かおりの暗い目に、わずかに感情がともる。それはどこか恐れるような、真実を拒絶するものではあったが、それでも言葉は届いていた。

 

「健輔さんがあなたの殺害を計画していた。それは確かだと思います。毒入りのマニキュアは健輔さんによって用意され、その死後、彼をコピーしたロイミュードがあなたへ渡した。

 ……ですが、俺たちは、一つだけ、思い違いをしていました」

 

 かおりが亀のようにゆっくりと、首を上げた。そうして、仮面ライダーの顔が、初めて彼女の瞳に映る。

 

「きっかけはあなたの証言ビデオです。そこであなたは、ロイミュードが健輔さんの隠していたマニキュアを見つけた、と話している。それが、俺と杉下さんに疑問をもたらしました」

 

「健輔君は数か月、貴女と共に過ごしていた。送ろうと思えば、すぐにマニキュアを送れたはずです。それに、ヒ素の含有量から、病死に見せかけるために、長いスパンでの殺害を計画していた。金に困っているのなら、なるべく早く、渡してしまいたいはずです……。なぜ、彼は生前に計画を実行しようとしなかったのか」

 

 右京も進ノ介も、かおりの証言を聞く前は、健輔がかおりへとプレゼントを贈ったのちに死亡していたと考えていた。だが、もし、彼が渡せなかったのではなく、渡さなかったのなら。

 

 その不自然な行動にこそ、彼の真意があるのだと、二人は考える。それは、

 

「確かに、健輔君は金欲しさに貴女の殺害を思いついたかもしれません」

 

「ですが、その実行前に、考えを変えたんじゃないかって」

 

「……え?」

 

 ようやくと、かおりの意識が取調室へと戻ってきたのを感じた。かおりの縋るような細く漏らした声を聞きつつ、進ノ介はとある袋を彼女の前に置く。煤に汚れて、文字が読み取れにくい、細い紙。

 

「これは健輔さんの起こしたバイク事故。その現場から回収されたものです。あなたが遺品の回収に現れなかったので、ずっと警察で保管されていました。

 ……読み取るのは難しかったですけど、これは注文書だったと分かりました。オーダーメイドのマニキュアの」

 

「それも、ただのマニキュアではありません」

 

 続いて、右京が綺麗にラッピングされたマニキュアをかおりの前に置く。それは彼女の記憶にあったものと、瓜二つの品。

 

「……僕たちが見つけた毒入りのマニキュア。それと、全く同じ種類のものです」

 

「彼は、もう一つ、マニキュアを買おうとしていた」

 

 だが、それは不自然だ。既に毒入りのマニキュアを購入している。相手の死を願う、悲しいプレゼント。だが、いくら小さな瓶とはいえ、マニキュアも直ぐに消費されるものではない。まして、まだプレゼントを送っていないのに。

 

 もう一つ、同じマニキュアを買おうとしていたというのは、おかしな行動と言わざるを得ない。

 

 それが特命係が見つけた真実。

 

「ここからは、あくまで僕たちの推論です。ですが、健輔君は毒入りのマニキュアを送るのを取りやめ、害のない物にすり替えようとした。そう思えてなりません。……貴女の命を守るために」

 

「ロイミュードが健輔さんをコピーしていた。ということは、そのロイミュードは生前から彼に接触していたはずです。そして、彼等は人間の暗い欲望を煽る。もちろん、これは証拠がない事ですけど、保険金殺人を計画したのは、ロイミュードの働きかけがあったかもしれない」

 

「健輔君の傍にロイミュードが控えていた。それならば、ただ、マニキュアを破棄することはできない。計画実行を望むロイミュードを誤魔化すため、マニキュアをすり替える必要があったかもしれない」

 

 二人の語る推理は当事者たちが全て消え去っている以上、証明しようがない。けれども、二つのマニキュアの存在やロイミュードの性質から、十分に推論として成り立つだろう。

 

 そして、健輔とロイミュードとの間に亀裂が生じていたのなら、もしかしたら、死亡事故は……。

 

(いや、証拠が見つけられない以上、ロイミュードでも罪を着せちゃいけない)

 

 進ノ介はよぎった考えを閉ざし、かおりを見つめる。特命係が見つけた『真実』は、二つ目のマニキュアの存在まで。あとは、その中から、彼女がどんな意味を見つけるか。

 

「貴女はどう思いますか? 息子さんは、健輔君は、貴女にとって、どんな方だったのですか?」

 

 杉下右京の、心の奥に問いかける様な、穏やかな言葉に。

 

「……健輔はね。優しい子でしたよ。乱暴なところもあったけど、いつだって、そんな自分を反省できた。コロッケが好きで、お化粧にも詳しくて、私の手を優しく握ってマニキュアを塗ってくれたんです。私、手が荒れやすくて、クリームを買ってくれたり。

 お金を返済したら、一緒に旅行に行こうって言ってくれて……」

 

 かおりはとめどなく涙を流しながら、息子との思い出を語りだす。息子との思い出が蘇ったように。息子の顔が思い出せたように。

 

 今、ようやく、彼女の息子は機械の体から、彼女の記憶へと戻ってきた。

 

「……素敵な息子さんですね」

 

 うずくまり、謝罪と息子の名前を呼び続けるかおりに、進ノ介は優しく、それだけを告げるのだった。

 

 

 

 事件の全てが決着したことで、二人はようやく肩の荷を下ろし、正月を受け入れることができた。そんな三が日の最終日に、進ノ介は騒がしい都会を歩いていく。

 

 外出の許可時間を平然と破り、医者から説教を受けつつも退院したのはちょうど今日。せっかくだからと、元特状課の面々が開いてくれた新年会を大いに楽しんで、どことも知れない外国からテレビ電話してきた剛をからかったり。

 

 そんな会がお開きとなった後、

 

「あれ、今日は杉下さんはいないんですね……」

 

 進ノ介は花の里の暖簾をくぐって、小さな声を漏らした。

 

 杉下右京とは、元日以来、会ってはいない。進ノ介も今日の会に誘おうとしたのだが、電話は繋がらず。仕方なく彼がいそうな花の里へとやってきたのだ。

 

 あいにくと右京はいなかったけれども、晴れやかな着物で出迎えてくれた幸子は、進ノ介を歓待してくれた。

 

「泊さん、今日が退院だったんですか。ほんとに大変な年末年始でしたね」

 

「まったくです。けど、おかげで色々と考えることができましたし。あ! 幸子さんも、お見舞いとか差し入れ、ありがとうございました」

 

「どういたしまして。仮面ライダーさんに喜んでいただけたら、女将として嬉しいです。……それじゃあ、私からも退院のお祝いに。今日は奢りです♪」

 

 進ノ介は幸子のお誘いに従って、椅子に座る。幸子が供してくれたのは、お正月らしい御雑煮。寒い街中を歩いてきたところなので、その温かさは体に沁みた。

 

 それから、しばらくの間、言葉少なに。ふとした拍子に、いつも右京が座っている場所を見る。最初のころは、顔も見たくなかった上司なのに、思い返すと一緒に食事をすることも多くなった。そんなちょっとしたことが思い出された時に、

 

「……杉下さんって、不思議な人ですね」

 

 進ノ介の素直な感想が漏れていく。

 

 今日、右京を探して、何を話したかったのか。それは進ノ介にも分からなかった。もしかしたら、背中を押してくれた礼を言いたかったのかもしれないし。これまでの非礼を改めて詫びたかったのかもしれないし。事件を共に解決したことを喜びたかったのかもしれない。

 

 けれど、あのどこか変な警察官と何かを語りたかった気持ちは変わりない。

 

「偏屈だし、人の気持ちは考えないし、子供みたいに興味があることだけを追いかけて。……ほんと、毎日あの小さい部屋に居て、何度頭にきたことか分かんないし。

 ……けど、間違いなく、あの人は警察官なんだと思います。今では、そう思うんです」

 

 それも、強い信念を持った、尊敬できる警察官。

 

 どんな事情が彼にあったのかは知らない。どういった事情で、特命係が作られたのかも知らない。けれど、どんな境遇にあろうとも変わらずに真実を追う杉下右京という男と出会えたのは、きっと、自分の人生にとっても価値があるものだったと思えてならない。

 

 そんな進ノ介の独り言を聞いて、幸子が言う。

 

「……泊さんは、特命係、お嫌いだったんですか?」

 

 質問に、進ノ介はためらいもなく頷いた。

 

「最初は、どうしてこんなところに居なきゃいけないんだって、毎日思ってました。もちろん、今はそうは思ってませんよ? いませんけど。でも、特命係で何ができるのかは、まだ、分かりません……」

 

 これからの未来、人間の悪意を食い止め、ロイミュードやベルトさんと笑って再会できる日にたどり着くために。今は特命係の自分ができること。それは、何だろうかと。杉下右京が言ったように、進ノ介は考え続けている。

 

 すると、幸子はうなずきながら微笑み、進ノ介にとって意外なことを言うのだ。

 

「実は、私、前科者なんです」

 

「……え?」

 

「殺人未遂。私、人を殺そうとして、杉下さんに逮捕されたんです」

 

 進ノ介は幸子の顔を見る。何時もと変わらない、優しく、影を感じない女性だった。けれども、幸子が語る経歴は、そんな上品な様子とはかけ離れていて、強い驚きを進ノ介にもたらす。だが、その丸くなった目を見て、幸子はほんわかと笑うのだ。

 

「ずっと昔のこと。でも、今も、不思議に思います。不幸だ不幸だって、思い込んで。人を殺すことで全部忘れようとした私が、逮捕してくれた刑事さんの紹介で素敵なお店で女将をしている。

 けど、杉下さんと亀山さんに捕まらなかったら、こんな幸せな人生はなかったって思うんですよ」

 

「……特命係に?」

 

「ええ。信じられます? 杉下さん、逃亡しようとした私のこと、ちょっとしたことで疑って、高速バスに乗り込んで、根掘り葉掘り聞いてきたんですよ? 

 亀山さんも色んなところを駆けまわって、現場を探してくれて。……事件じゃないかもしれないのに、何も命令がないのに。けれど、そこまでしてくれたんです」

 

 だから、幸子はここにいるのだと。そうでなければ彼女は殺人犯になり、もしかしたら殺されていたかもしれないと。それだけでなく、これまでも彼女は特命係に助けられてきたそうだ。

 

 聞くだけでも、不思議でドラマのような出来事。

 

 不思議な縁で特命係と結ばれた彼女だから、言葉には実感がこもっていた。

 

「……だから、こう思うんですよ。特命係は『特に命令がなくてもいい』係だって。命令がなくても、誰かを助けるために動いてくれる。私、警察のこと詳しくは知りませんけど、そんな警察官にもいてほしいって思います」

 

 組織の枠から離れていても、上から疎まれても。

 

 事件が起きれば、真実を暴き、人を助ける。

 

 その在り方は組織人としては間違っているかもしれない。社会人としては不適格かもしれない。けれど、市民を守るために力を尽くすためには、そんな警察官も必要なのだと、進ノ介にも思えた。

 

「……俺もそんな警察官でいたいですね」

 

「泊さんはそういう警察官ですよ? だって、皆を守るために必死に働いてくれた、仮面ライダーなんですから」

 

「……それなら」

 

 進ノ介は幸子に礼を言いながら、立ち上がる。

 

 今からやりたいことが、決まってきた。

 

 

 

 翌日の仕事始め。少しばかりの野暮用を済ませ、進ノ介が足を向けたのは見慣れた警視庁ではなく、警察庁だった。昨晩、本願寺から聞かされたとある事実と、

 

『アポイントは取りました。もし、君にその気があるのなら、向かってください』

 

 その言葉に従って、進ノ介は国を守る無機質な城を登っていく。たどり着いた部屋をノックし、開けた先には、

 

「あなたは……」

 

「ええ、泊さん、お久しぶり」

 

 対面した、黒革の椅子に座る、不思議な迫力を持ったスーツの男。それは、間違いなく、霧子へのプレゼントに悩んでいた時、助言をくれた小野田だった。

 

 部屋に踏み込む前に一瞬で全てを理解する。そして、進ノ介は答え合わせができたことに、不思議な納得を感じながら前へと進んだ。

 

「あなたが、小野田官房長だったんですね」

 

「ええ、僕が小野田です。そして、君を特命係に送った張本人。この間は黙っていて悪かったね」

 

 謝りつつ、全く謝っているように聞こえない小野田の言葉に、進ノ介は苦笑いを浮かべた。勧められるまま、椅子へと座り、小野田と向かい合う。

 

 小野田はわずかに目を細めつつ、進ノ介へと語り掛けた。

 

「それで? 朝から随分と世間を騒がせている仮面ライダーが、僕に何の用かしら? ……いや、用はいくらでもあるだろうけど」

 

「俺を特命係へ送った理由。……それを聞けば、答えてくれますか?」

 

「それは駄目ですよ。僕だって、色々と考えて、君を送ったのだから」

 

 当然のように、一蹴。

 

 けれども、それは予想できた答えであり、進ノ介もぞんざいな言い方へと悪感情を抱くこともなかった。この人がそう言うのなら、そういうことなんだろう。なんて、納得させる魅力が小野田にはある。あの宝石店で出会ったときの印象と変わらない。

 

 だから、進ノ介にとっては、そんな答えで十分だった。もとより、答えを知りたくて来たわけではない。

 

 進ノ介は姿勢を正すと、小野田へと深く、頭を下げた。

 

「ありがとうございました。俺を、特命係へ送ってくれて」

 

 嫌味でも、恨みでもなく、心の底から進ノ介は感謝の言葉を小野田へと送った。

 

 それに小野田が何を思ったのかは分からない。ただ、進ノ介が頭を上げた時、彼は僅かに表情を変え、しばし無言だった。もしかしたら、それが彼の驚きだったのかもしれない。

 

 小野田はゆっくりと時間をかけながら、口を開いた。

 

「僕は、君には恨まれても仕方ないと思っていたけれど?」

 

「もちろん、最初は恨みましたよ。どんな理由で、特命係に行かなくちゃいけないのかって。でも、今は……。俺が特命係に送られたのも、杉下さんと出会えたのも、意味があったのだと信じています」

 

 きっと何か不思議な縁がなければ、泊進ノ介と杉下右京という人間は交わることがなかった。そんな確信が進ノ介にはあった。近いけれども、遠い世界の隣人のように。互いを知ることなく、別々の道を進んでいっただろうと。

 

 もしかしたら、この出会いに意味はないのかもしれない。先の未来で決定的な破綻を迎えるかもしれない。けれども、警察官として正義を追い求める中で、杉下右京から学べることはきっとあると、進ノ介は思う。

 

 それをもたらしてくれたのは、目の前の小野田だ。

 

「だから、ありがとうございます。小野田官房長」

 

 そんな若い刑事を、小野田はどこか眩しく見つめていた。

 

「……少し心配になるね。僕みたいな男にお礼を言うなんて。この先、きっと後悔することになるよ」

 

「大丈夫です。俺はあなたのこと、あまり知りません。でも、霧子はプレゼント喜んでくれました。何か企みがあったとしても、あのプレゼントを手伝ってくれたあなたを、信じることにします。

 今は、難しいことを考えるのを止めて」

 

 どうしようもなく青臭くて、子供が思い描く英雄の様な言葉。かつて語ったように、何年振りかに、あの純情な警察官が思い出されて仕方ない。杉下右京を変えて、特命係を作り上げた彼のように。

 

 小野田は少し含むように笑って、それでも悪の親玉のように進ノ介に告げる。まだまだ、自分の考えを見せるには早すぎると。

 

「分かりました。君がどうしても特命係が嫌だというのなら、僕だって考えたけど。そこまで言うのなら。どうぞ、離島暮らしを満喫してください。仮面ライダードライブ、泊進ノ介君」

 

「ええ。いつか、杉下さんと答え合わせに来ますね。あなたの狙いが何だったのか。……もし、その答えがあっていたのなら、何かプレゼントでもください。あの時と同じように、素敵なものを」

 

 言い残し、最後まで笑顔で進ノ介は立ち上がった。

 

 頭を下げ、退出する後ろから、小さな

 

『まいったね』

 

 なんて声が聞こえた気がした。けれどそれは、霞のように空気に溶けて、小野田の面白そうな声が上書きする。

 

「最後に、僕から一つアドバイス。杉下にはくれぐれも気を付けることをオススメします。杉下は君と違って迷わないから、あいつの暴走には巻き込まれないように」

 

「……暴走?」

 

「そう。……何かあったら、気まぐれに助けてあげるから。いつでも来ていいですよ。ああ、それと、今朝みたいな騒動は謹んでね。これでも僕、警察の偉い人だから」

 

 そうして、小野田公顕と泊進ノ介のファーストコンタクトは和やかに終わりを告げた。

 

 

 

『泊さん! 今回の事件、犯人の主張についてはどう思われますか!!』

 

『捜査に加わって、犯人逮捕に貢献したとは本当ですか!!?』

 

『容疑者がロイミュードに洗脳されていたとは、事実ですか!?』

 

 いくつものフラッシュライト、突きつけられるマイク、群がる記者の中、進ノ介はしっかりと立ちカメラを通した国民に向き合っていた。

 

 堂々と、けれども真摯に、進ノ介は質問に答えていく。

 

『彼女の犯行動機にロイミュードが関与していた。それは事実です』

 

 その返答に、記者が一斉に色めき立つ。またも仮面ライダーの大活躍だったと、国民の人気者の新ニュースに喜んで。

 

『それでは! 今回も仮面ライダーの大勝利だったと、そういうことですね! おめでとうございます!!』

 

 口々に仮面ライダーというヒーローへの賛辞が投げかけられる。だた、進ノ介は一際に真剣な目でそれを否定した。

 

『いいえ、勝利なんかじゃありません』

 

『そ、それはどういう意味ですか?』

 

『確かに、ロイミュード達は悪事を犯した。今回のように、今も多くの人に傷跡を残す大きな事件を。けれど、仮面ライダーとして、今は思います。他にも、きっと道はあったと』

 

 進ノ介は一度口をつぐみ、少しだけ考え、けれども迷わずに真実を明かす。

 

『人間の悪意こそが、ロイミュードを暴走させたんです。そして中には良いロイミュードもいた。俺の戦友、仮面ライダーの一人はロイミュードでした。そして、グローバルフリーズを阻止するため、協力してくれたロイミュードもいた。決して、彼等はただの悪魔ではなかった。

 ……今、彼らがこの世界にいない以上、あの戦いは勝利ではありません』

 

 だから、

 

『あの事件を経験した者として、二度と悲劇を起こさせない。仮面ライダーとして、刑事として、泊進ノ介として。それが、彼等への誓いの言葉です』

 

 

 

「かーっ! カッコいいねえ。これでこそ仮面ライダーで泊進ノ介だよ!!」

 

「ただ、会見をセッティングした広報課の皆さんは各社からの問い合わせ対応で大変な目に遭っているようですよ? 事前の打ち合わせとは、だいぶ違う話をしてしまったようですから」

 

 コーヒーと紅茶を淹れながら、角田課長は少し興奮気味に、右京は新年早々大変ですね、なんて。テレビ映像を見ながらも、普段通りの特命係がそこにはあった。

 

 事件解決を受けた泊進ノ介の緊急記者会見。そこでの決意表明とロイミュード事件に関する新事実に、新年から日本は大騒動となった。世間の受け止め方は、それでこそ警察官だと、進ノ介を再評価するものが大多数。上層部としては胸をなでおろしているだろう。

 

「……でも、泊君、まだ特命係なんだな」

 

「人事異動がなかった以上、そうなりますねえ」

 

 二人はそっと、後ろを見やる。

 

「あー、しっぱいしたかなー、すなおにたのめばよかったかなー」

 

 そこには机に突っ伏して干物のようになっている泊進ノ介がいた。ミルク飴をころころと転がしながら、魂が抜けたようにぶつぶつと呟いている。

 

「……そりゃね、特命係だから仕事はないよ」

 

 朝に会見を終えて、小野田との邂逅も終えて、意気揚々と特命係へと入ってきた進ノ介。

 

『せっかくの新年ですから、エンジン全開で!!』

 

 ネクタイを締めながら、トップギアどころか変なテンションだった彼。だが、無情にも、今日どころか、しばらくも仕事の予定はない。彼がいくらやる気を出そうとも、特命係が仕事を与えられない窓際部署に違いはないのだから。

 

 いくら『命令がなくてもいい係』と言っても、行先が見つからないのでは、エネルギーも宝の持ち腐れ。進ノ介はその事実を再認識して、一転、意気消沈してしまっていた。

 

 右京はそんな進ノ介の前に、手ずから淹れたミルクティーを置くのだ。

 

「これがいつもの特命係です。そろそろ、君も慣れるべきですよ? ……改めて、ようこそ特命係へ」

 

「……歓迎の言葉なのに嫌味にしか聞こえないんですけど。それに、俺はだいぶ前から特命係ですから、おかえりなさいですし。

 いや、せっかくの新年なんですから。別の台詞がちょうどいいですよ」

 

 進ノ介がカップを受け取って、それを掲げる。右京も同じく。そうして、お決まりの台詞で新しい年を迎えた。

 

「ええ、その通り。明けましておめでとうございます、泊進ノ介君」

 

「明けましておめでとうございます、杉下右京さん」




あとがき



これにて第十話は終了です。

過去最大のボリュームと、冒険的なテーマでお届けした正月スペシャル、いかがだったでしょうか?
私としても苦心しつつ、熱量をもって書き上げられた話です。

もし今話を読んだ感想、評価を頂けましたら、今後の大きな勉強となります。どうかよろしくお願いいたします。

今話のテーマは「ヒーローの資質」

二次創作としては、踏み込みすぎなテーマかもしれません。ですが、相棒という個人の信念と思惑が交差するドラマを原作とした以上、やるべきことだと思いました。

仮面ライダーというヒーロー。私も長く見てきて、そのヒーロー性はどこにあるのか、と思う時があります。それが現実になった世界なら、救世主という偶像を求める人もいれば、利用価値を探す人もいる、力だけを信奉したり、求める資質は違うでしょう。
ですが、仮面ライダーというヒーローは、『迷いながらも進む』ことが何よりの資質だとも思うのです。

進ノ介も最終回で悩みながらハートと別れ、特別編で悪と戦い続けることを決意しています。けれど、どこかでロイミュードへの後悔を残していたでしょうし、マッハサーガや客演での頼もしすぎる姿は、きっとそういった悩みと向き合った結果だと思えました。
多分、右京さんいなくても立ち直ったでしょうが、十年来の刑事キャラ先輩として、右京さんに今回は花を持たせた形に。

今回出てきたロイミュードは、特に誰とは規定はしません。後半に倒されたロイミュードの誰か。どんなロイミュードでもありえた話だと思います。きっと、番組内で明かされないだけで、同じように被害を受けた人はたくさんいると思います。

隠しモチーフはSeason9第10話「聖戦」。
新年早々、ヒーロー役者が爆殺されたり、母親の重すぎる愛情が引き金となった事件です。右京と神戸の対立もあったりと、印象深い話でした。



それでは最後に次回予告。

正月スペシャルの後は、何となく恒例のイメージがある○○回。ということで、意外なキャラを登場させながら、にぎやかにお届けしたいと思います。

第十一話「彼らの胸を焦がすものは何か」

どうかお楽しみに。


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