それなりに楽しい脇役としての人生 (yuki01)
しおりを挟む

一話   始まり

 かなりつたない文章ですし、オリ主などといった人によっては不快に感じる要素も多々含んでいます。
 それでも自分なりに頑張っていくつもりですので暖かい目で見て頂ければ幸いです。


 仏教か何かだったと思うが、輪廻転生という考えがある。

 ようは生まれ変わりのことだ。生き物は死ぬことによって輪廻の輪へと戻り、別の生き物としてまた再び生を受けるという考え。俺は別段その考えを否定してはいなかったが、信じているわけでもなかった。

 でも誰だってそんなもんなんじゃないだろうか?

 死んだあとのことなんて知る由もないし、否定したところで一文の得にもならないのだからわざわざ声を上げてそれについてどうこう言おうとも思わない。けれどもそんな荒唐無稽な話を信じるわけでもない。だいたい前世だの来世だのなんて言葉は漫画の中の電波キャラか、胡散臭い占い師の専売特許だ。世間話や真面目な悩みとして使うものじゃない。事実友人に相談にのってくれと言われたとして、その内容が

 

「俺、前世の記憶があるんだけど、どうしたらいいかな?」

 

 なんてのだった日には、病院に行け、と返すだろう。

 まあ何が言いたいのかといえば、少なくとも俺にとって、前世がどうしたなんて話を大真面目に口に出したり、前世の記憶があるなんていいだす奴はちょっとおかしい人だった、ということだ。だけどこの一生変わることはないだろうな、とさえ思っていた考えはしばらく前にやめていたりする。いや正しく言うのならば、一生の間には変わることはなかったになるのかもしれない。なぜこんな回りくどい言い方をしているのかといえば……

 

「うーわ、なにこれ、ライオンに羽生えてるんだけど。これ作ったデザイナーどーかしてんじゃねーの」

 

 家の書庫に置いてあった図鑑を見ながら俺、アシル・ド・セシルはそう呟いた。

 ……今現在その生まれ変わりとやらを経験し、二度目の人生とやらを送っているからである。

 自分がなぜ死んだのかは覚えていない。朝起きた時、自分が眠りにつく瞬間を覚えていないように自分があのあと気がつくと俺はここセシル家の一人息子アシル・ド・セシルとして生まれてから3年もの月日がたっていた。気がついた当初はさすがに驚いた。なにせ金髪の夫婦が自分の親だということらしいうえ、その夫婦は子爵位を持つ貴族であったからだ。さらにこの間まで黒い髪と瞳だったというのに、金髪に青い瞳になっているし。

 しかしなによりも驚いたことは、この世界には魔法というものがあったことだ。

 杖を持ち、呪文を唱えれば怪我が治ったり、風が吹いたり…。前世で物理だの化学だのをまじめに学んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるようなことをできるらしい。マジシャンが見たら血の涙を流すんじゃないだろうか、ってレベルの不思議現象を初めて目の前で見せられた時は心臓が止まるんじゃないかと思ったのを覚えている。

 時間をかけて本を読んだり、両親や家で働いている使用人の人たちと会話をしたりすることで、自分の立場やおおよその世界観などをつかんでから俺は考えた。まずはセシル夫妻に恩を返さなくてはいけない。なにせ俺とセシル夫妻は肉体的には確かに血は繋がっているのだろうが、精神的には赤の他人となんら変わらない。なにせついこの間まで日本人の両親と過ごしていたのに、いきなり金髪の人を両親と思えというのは、少しばかり厳しいものがある。言ってしまえば赤の他人を騙して育ててもらっている様なものだ。かっこうの托卵じゃあるまいしさすがにそれは寝覚めが悪い。ならある程度は恩を返すのが筋というものだろう。

 と言ってもバイトの経験はあるとはいえ、この間まで親のすねをかじって生きていた、ただの大学生なわけで恩を返す方法なんてそういくつも思い浮かばない。例を挙げれば「大金を稼ぐ」「名誉や地位を手に入れる」「子爵位以上の貴族のご令嬢と結ばれる」といった所だろうか。

 ……言うだけ言ってはみたが、どれもこれも難易度が半端ないな……。

という訳で、明らかに無理っぽいそれらの目標は、後何年かしたらトリステイン魔法学院とかいう名前の学校に入る予定らしいのでその時まで置いといて、今はもう一つの目標に向けて努力している最中だったりする。

 

「くそ、こんなことならもっと化学と心理学について学んでおくんだった。何々……えー……水の精霊の涙……? 情緒不安定な精霊探せってか。こっちは……マンティコアの牙? なにこれ? ダンジョンでマンティコア倒せば落とすの?」

 

 狂人とは自分が異常だと気づいていない異常者のことを呼ぶらしい。ならば俺は、どうなのだろうか。いくら魔法なんてもんがあるこのとんでも世界でも、さすがに生まれ変わりなんてものがあるなんて話は聞いたことが無い。ならば常識に照らし合わせて考えれば、俺はいわゆる痛い子、率直に言えば狂人に区分されてしまう。だが、俺はこれでもまともに生きてきたつもりだ。自分がどうかしてしまっているなんて、できれば認めたくはない。

 ならばこの記憶がただの妄想なのか、それとも本当にあったことなのか……ようは自分がまともなのかどうかを、調べる必要がある。幸いにもここには魔法なんて便利なものがある。ならばこれをうまく使えば、自分の精神状態を調べることはできるだろう。ただこんなこと、他の人に相談できるわけが無い。なら自分でなんとかするしかないわけなんだが……精神に干渉する魔法はかなり高難易度であり、年単位の時間をかけて自分の力を着けなくてはいけないし、専門的で複雑な知識も必要になってくる。

 そのためにこうやって、家の図書室でゲームの攻略本でしか見たことのない様な材料だらけの水の秘薬についての本を調べているというわけだ。両親ともに治療などにむいている水の魔法使い(ここハルケギニアではメイジと呼ぶみたいだが)だったため俺自身も水のメイジだったこと、そのおかげか家の書庫にはそういった魔法薬などについての書物が多いので、ありがたく使わせてもらっている。

 しかし、そればっかりやっているという訳にもいかない。他にも魔法の練習もしなければならないし、本来生まれてくるべきではない俺に対して世話をやいてくれ、気を遣ってくれる家族や使用人の方々に妙に思われないためにも二十歳超えた精神で八歳の少年の様な振る舞いをしなきゃならない。もう数年もしたら領地経営についても勉強しなければならないだろうし、さらに数年すればドロドロとした貴族同士のつきあいもしなきゃならない。できれば体の弱い母を治す薬も作りたいし、他にも……アレやコレや……。指を使って数えるのならば、手だけでは足りないくらいの数をこなさなければならない。

 

「……やってらんねぇ……」

 

 八歳にして人生に割と疲れている少年、それが俺アシル・ド・セシルだった。

 

 

 

 

 

 

 私はカジミール・ド・セシル。しがない子爵である。妻セリアと共にここセシル領を治めている。長らく妻と二人で支え合い生きてきたがついに息子が生まれた。妻は体が弱く、私自身貴族としては珍しく妻以外の女性を愛することはしなかったので長らく子供を授かることができず、養子や体の丈夫な妾を迎えるしかないのだろうか、という話が持ち上がっていた所だったので実にうれしかったことを憶えている。この年になると月日が経つのも早く、この間まで赤子だった息子も八歳になった。

 

「あ、父上。おはようございます。今日もお時間がありましたら一緒に本を読んで欲しいのですが……」

 

「アシルか……。おはよう。今日も元気そうでなによりだ。本なら昼食のあとなら構わないよ。アシルはイーヴァルディの勇者の話が好きみたいだからね、今日の本はそれにしよう。さあ、それよりも朝食を頂こう。たくさん食べないと大きくなれないからね」

 

 朝起きて朝食をとるために食堂へ向かう途中で一人息子であるアシルに会ったので、朝の挨拶をかわし、頭をなでて共に食堂へ向かった。

 

「本当ですか? やったあ! 父上と一緒に本を読むのは楽しいから好きなんですよ。うれしいな。あ、後今日も図書室を使いたいのですが、いいですか? 私も水のメイジとして、母上のために何かしたいのです」

 

 息子は実に優秀だといってかまわないと思う。三歳くらいまでは使用人の間でも、元気が無さすぎる赤子だとまで言われていたほどだった。夜泣きさえ滅多にしないことに心配をしていたものだったが、ある日いきなりそれが嘘だったかの様に元気に、そして優秀になった。それこそまるで人が変わってしまったかの様に。

 人格も、能力も、今までの様子が嘘だったかのように一変した。自主的に魔法やマナー、勉学を学び、親だけではなく使用人に対しても礼儀を忘れない。それでいて子供らしく明るくよく笑い、私達に気を遣いながらもかわいらしいわがままを言うこともある。手が掛からず育てやすいが、かといって機械的でもない。実によくできた息子になった。だが何故だろう、私はいつからかこの子を心の底から愛することができなくなっていた。

 気づいたのはいつのことだっただろうか。あの子が私や妻、使用人達と接する時、その目に媚びが、哀れみが、謝罪の気持ちが込められていることに。あの子は、アシルは八歳にして何かのために私達に媚び、私達の何かを哀れみ、何かについて私達に謝罪の気持ちを持ち続けている。八歳の子供と言うのはああいったものなのだろうか? 愛せない私が悪いのだろうか? それともあの子が異常なのだろうか? 難しい年頃というやつなのかもしれないので親としての経験のない私にはどうもよくわからない。まあ、数年後にはトリステイン魔法学院に入れるつもりであるし、その時には治っているかもしれないし、そうでなくとも学院で年の近い人と共に過ごすことで変わっていくだろうと、いつかはもう一度私は我が子を心の底から愛することができるだろう。

 そう考えた私はドアを開け、息子と共に食堂に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから数年が経った。今俺はトリステイン魔法学院にいる。剣士がいて、魔法使いがいて、森の中にはモンスターがいる……そんなファンタジーな世界の学校で、いったい何を学ぶのだろうと思っていたが、それほど奇抜な物ではなかった。

 魔法を教える授業がある、洗濯やら何やらをしてくれる使用人がいる、という所を除けばどこにでもある学校とそう変わりはしない。勝手に期待しておいて嫌な言い方だとは思うが、正直新鮮味にはかけた。……まあ、十数年貴族やってるとはいえ元が小市民の俺にとっては気疲れするくらい、そこかしこにある調度品やら内装やらが高級品だらけってのはすごいが。

 ただ元の人生で経験したようなお気楽な感じの学生生活ではなかったのは確かだ。学校は社会の縮図だと何かで聞いたが、ここもご多分に漏れず社交界の縮図だった。爵位によって周りの人の反応は露骨に違うし、有名な家のご子息、ご令嬢にすり寄って媚びる……なんてのもそこかしこで行われている。周りがそんなんなら俺もここでしっかりコネをつくって将来楽しよう、なんてことを考えてしまうのも仕方がないだろう。それに媚を売ると言えば聞こえは悪いが、家や将来のことを考えれば必要なのは間違いないのだから。

 そしてこの行動は俺にしては珍しく上手くいっている。

 

「アシル、おはよう」

 

 朝食を取るため食堂に行く途中、後ろから声がかけられたので振り返ってみるとそこには親しくしておくべき対象、重要度ナンバーワン、ヴァリエール公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールがいた。

 この年頃の女性にしても小柄な体型。肉体労働なんて間違いなくしたことが無いだろうその腕は、転んだだけで壊れてしまいそうなほど細く華奢だ。やや大きい鳶色の瞳からは勝気さと同時に気品さを感じる。白く美しい肌といい、すっと通った鼻筋といい、整った顔立ちは精巧な作りの西洋人形に似た美しさだ。そしてそれらを際立たせる桃色の髪。……いやいやいや、桃色て。コスプレじゃねーんだから。しかし、彼女は別に髪を染めてはいない。驚くことにこの色が彼女の地の色なのだ。

 やはり世界が違うとそこに住んでいる人の遺伝子からして違うらしく、ルイズのような桃色の他にも水色やら赤やら緑やらといった、母親が妊娠中に絵の具でも喰ってたんじゃないかっていうようなとんでもない色をした髪の人が珍しくない。むしろ黒い髪をした人の方が遥かに珍しい。

 

 「おはよう、ルイズ。いやーいい朝だな。こういい天気だとあれだ、使い魔もいいのが景気よくポンっとでてきそうだと思わないか?」

 

 「そうね、今日こそ魔法を成功させてみせる! そんでドラゴンとか高位の幻獣とか出して! ここから栄えあるヴァリエール家の一員として立派なメイジになるんだから!」

 

「ああ、そうだな。ルイズならできるだろ。ああ、できるできる。」

 

「……あんたはもう少し心を込めて話すことを練習したほうがいいと思うわ。それより使い魔よ! あんただって使い魔の召還はするんでしょ。何がでてくるんだろう、とかそういう不安とか期待とかはないの?」

 

「俺は水のメイジだからな。たぶんカエルとかそのあたりだろ。ぶっちゃけ悩んでどうなるもんでもないし、どうでもいいよ」

 

「……いつものことながら軽いわね。きちんとした召喚の儀は一生に一回の事なんだし、少しはしっかりしなさいよ。はあ、まったく。まあいいわ。それじゃ、また後でね」

 

「しっかりするくらいならうっかりしてるくらいの方が人生楽しいと思うけどな。まあ、いいや。ほんじゃ後でな」

 

 普通ならルイズのような爵位の高い子は、派閥というかグループのようなものをつくっているので俺ごときが親しくするのは難しいのだが、ルイズは何故か魔法が使えず、それを知っている多くの学生から馬鹿にされているので俺でも仲良くできた。正直言ってコミュニケーション能力が高いほうではなかったから、これはルイズには悪いがラッキーだった……というかいくら出来が悪かろうと、自分の親でも頭が上がらない家の子をバカにするのはまずいってのが他の子にはわからないんだろうか。

 使用人に対してもそうだ。平民だからって理由でバカにしたり虐げたりしているのを見るとどうかしてるんじゃないかと思う。彼ら、彼女らは俺達の衣、食、住、全ての世話をしてくれている訳だ。そんな人達の恨みを買えばドラマにでてくるOLみたいに、ぞうきんの絞り汁とかを紅茶に入れられるかもしれない、服にうっかりまち針を刺しっぱなしにされるかもしれない、下手をすれば食事に一服もられるかもしれない……まあ、そんなことはまずないだろうが、世話になってるんだからある程度感謝の気持ちは持つべきだと思う。それに平民相手でも年上にはやっぱりある程度礼儀を尽くすべきだろうとも思っている。と、まあこんな考えを頭に置いて行動していたからか使用人のなかでは俺は結構好意的に思われているらしい。けどそのせいで周りの貴族には「あいつはゼロのルイズどころか平民にも媚びを売っている」って思われてしまったのでプラマイゼロどころか、下手すりゃマイナスなので別段うれしくはなかったりしている。

 

 

 

「んなことよりも今は使い魔の召喚だな」

 

 朝食をとっていったん自室に戻ってきた俺はそうつぶやいた。

 ここトリステイン魔法学院では二年に進級する際に使い魔ってやつを召還して今後の方針を決めるらしい。その使い魔もカエルや鳥からドラゴンまで召還したメイジの実力や属性によって千差万別だということだから実は少しわくわくしていたりする。いったい俺の使い魔はどんなやつなんだろうか? ルイズじゃないがもしかしたらドラゴンとかでちゃうかもしれない。

 時間もおしていることだし俺は部屋を出て、使い魔召還の儀式をする外の草原へと向かった。

 

「できればドラゴンとかがいいんだけどなあ……。大方カエルか下手すりゃナメクジってとこだろうな……。せめてファーストキスは哺乳類が良かったんだけどなあ……」

 

 現実的に考えたらそんなわくわくした気持ちは消え去ったが。

 できれば普段一緒にいても嫌悪感を感じないような奴が出てくれるとありがたいな、そう思いながら俺は草原へ向かうのだった。 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話   決闘

改定と投稿する際に一応読んではいますが、誤字や変な表現などがあったら教えてくださるとありがたいです。


「ぐあ! ぐぁああああああ! 熱い!」

 

 ……なんかよくわからんことになっている。

 さっきまでルイズが使い魔召還の儀式、サモン・サーヴァントをやっていて、いつもの様に失敗、つまり爆発を繰り返していたはずだ。それがあまりに長く続くので途中から見ているのに飽きた俺は、召還した俺の使い魔(結局召還されたのはごくごく普通のフクロウだった)と遊んでいた。そのまましばらく経ち、気付けばいつのまにか爆発音がやみ、周りからはクラスメート達の笑い声が響いている。何を笑っているのかと、彼らの視線の先へ、つまりルイズの方を見たところ何故かそこにさっきまでいなかった男の子がいて、その上なにやら左手を抑えて苦しんでいるのが見えたというわけだ。

 

「タバ吉、何がどうなってんの。あれ誰よ?いつものように箇条書きで説明してくれ」

 

「召還された」

 

「へえ、人に見えるけどな……。なあ、人が召喚されたことってあったっけか?」

 

「……少なくとも私は聞いたことが無い」

 

「俺もだよ。かなり珍しいんじゃないか? けどまあ、さすがルイズだな。あいつ、いつもああ後ろ向きに前人未踏の地を進んでいくけどどこ目指してんだろうな。あと使い魔交換しないか?」

 

「だめ」

 

 知り合いの一人であるタバサに状況を聞いてみたところあの男の子はルイズの使い魔として召還されたらしい。サモン・サーヴァントで人が召還されたってのは聞いたことがないがまあ人だって動物だし、そういうこともあるだろう。その上、その男の子は黒い髪に肌色の肌を持ち、顔立ちを見るに日本人のように見える。まあ、長い人生そういうことが起こることもあるだろう。

 

「さてと、それでは皆さん教室に戻りますぞ」

 

 ルイズが召還に成功したことで、全員使い魔召還の儀式は終わったので儀式に立ち会っていたコルベール先生がそう言うと、まだぎゃーぎゃーなんかやってるルイズ達を放っておいて、周りの皆はフライという魔法で飛んで学院へ戻っていく。俺としてはルイズを慰めるか、魔法が成功したことを褒めるかするべきなのかもしれないが……召還した男の子を殴り倒して気絶させたのを見て、とりあえず今は関わらないことに決めた。

とばっちりで殴られるのはごめんだからな。

 

 次の日の朝食。さすがに気になるので、ルイズの機嫌や召還された彼の様子をこっそりと見てみたが、そこにはおそらく同郷の人だろう彼が床に座って悲しそうな顔で貧しい物を食べているという、なんかもう感想に困る光景が広がっていた。心情的にもちょっとルイズに言いたいことがあったが、普段ならともかく今の機嫌の悪いルイズに文句を言うのは、面倒な事になる可能性が高い。下手をすれば、八つ当たりとしてさらに彼の待遇が悪くなることも考えられる。だから残念だが、おおっぴらに俺が何かをしてやることは難しいだろう。まあ、隠れて何か差し入れるくらいなら大丈夫かな。

 

「……せめて昼飯くらいキチンとした物が食える様にメイドさんに頼んでおこう」

 

 あれじゃ見てるこっちが気疲れする。

 

 

「……お、来た」

 

 朝食の後、シュヴルーズ先生による錬金、石っころやらなにやらに杖を振るだけで別の金属に変えるという、科学者に喧嘩売ってるような魔法についての授業があった。しかし、そこでルイズがいつものように爆発オチをしてしまい、原因である彼女とその使い魔の彼は壊した教室の片付けを命じられたので俺はそれが終わった二人が食堂にくるのを待っていた。二人で一緒に部屋の片付けをすることで少しでも仲良くなったかと思ったが、前から来る二人を見る限り何があったか知らないがどうも悪化してるようだ。根本的に気が合わないんだろうか。

 片手を上げて、二人を呼び止めた。

 

「やっほルイズ。ちょっと使い魔君借りてもいいかい?」

 

「……好きにしたらいいじゃない」

 

「悪いね。じゃ、君ちょっとこっち来てもらっていい?ってか、来い。ほれ急いで」

 

「ちょ、え!? あんた誰!?」

 

 臨界点突破寸前のところに刺激を加えるほど、俺は命知らずじゃない。急いで使い魔の彼の腕を取り、厨房へと引っ張っていった。

 

 

 

「……という訳でだ。昼食の時間になったら、ここに来ればそこそこ立派なモン食えるから。まあ、ただでって訳にはいかないから、ちょっとした手伝いはしてもらうらしいけど。その辺についてはこのメイドさんに聞いてくれ。俺よくわからんから」

 

「わかった。正直こっち来てからろくなモン食ってなかったからありがたいよ。シエスタさん……だっけ? これからよろしく頼むよ」

 

「シエスタでいいですよ、サイトさん。じゃあ、ちょっと待っていてくださいね。今、シチューを持ってきますから。お手伝いはそれを食べてからお願いしますね」

 

「わかった。俺にできることならなんでも言ってくれ。頑張って手伝うから」

 

「ふふ、それは頼もしいですね。ありがとうございます」

 

 ……なに、この雰囲気。

 あの後厨房に彼、サイト君を引っ張りこんで、使用人の人達の仕事を手伝ってくれれば昼食はキチンとしたものを用意する、ということを説明した。いきなり手伝えって言っても難しいだろうから、サイト君と年が近いシエスタってメイドさんに彼の面倒見てくれる様に頼んでおいたのだが、思った以上に気があったらしく会ってそんなに経ってないのに早くも俺が疎外感を感じるくらいには仲良くなっている。

 ……まあ、いいけどさ。なんかシチューの味やら貴族に対する愚痴やらで楽しそうに話し始めた二人を横目に俺は食堂へと急いだ。

 ただこのすぐ後に俺はこんな提案をしたことを後悔することになる。なぜなら……

 

 「諸君! 決闘だ!」

 

 ……さすがにこんなことになるとは思っていなかったからである。

 

 

 

 

 

 きっかけはしょーもないことだった。サイト君が昼食の対価であるお手伝いとして、デザートの配膳を手伝っていたのだがその際に香水か何かの小瓶を拾い、落とし主のギーシュという貴族に渡したところそれによって二股がばれてしまい、逆恨みしたギーシュがサイト君に決闘を申し込んだ、というなんかもうみっともないというか、アホくさいというか説明するのもいやになるような理由だった。

 というか何でギーシュはバラを持ち歩いているんだ? まさかとは思うが、あれ食べるんだろうか? もしそうなら、まさに文字通り草食系っていうやつだな。いや、でも二股かけてたし、草食風肉食系男子ってやつになるのか?

 俺がそんなくだらないことを考えている間にも話は進んでいたらしく、ギーシュはサイト君に決闘の場所を告げて行ってしまった。ギーシュがいなくなったのを見てか、厳しい顔をしたルイズがサイト君へと食って掛かった。

 

「謝っちゃいなさいよ。今なら許してくれるかもしれないし。勝てるわけない決闘なんかして、怪我をするなんて馬鹿馬鹿しいじゃない」

 

「ふざけんな! 悪いのはあっちなのになんで俺が謝らなくちゃいけねえんだ! だいたい、勝てるかどうかなんてやってみなくちゃわかんないだろうが」

 

「わかるの! 貴族に、メイジに平民が勝てるわけないでしょ! 少しは私の言うこと聞きなさいよ! あんたは私の使い魔なのよ!?」

 

「話にならねえな。おい、なんたらの広場ってどこだ」

 

「こっちだ。ついてこい」

 

 ルイズと言い合っていたが、言っても無駄だと思ったんだろう、サイト君は近くにいた貴族に声をかけて決闘の場所であるヴェストリの広場へ向かって行った。それを見たルイズもなんだかぶつぶつ文句を言いながら後を追って行く。

 

「……仕方ないな。このまま見殺しも寝覚め悪いし、回復用の魔法薬でも用意しといてやるか。あれ高いんだけどなあ。ったくファンタジーな世界観ならエリクサーの入った宝箱でも用意しとけっての」

 

 確かギーシュの二つ名は「青銅」。青銅のワルキューレを何体か作り出して戦わせるという戦闘スタイルだったはず。しかもたしかそのワルキューレ達は武器の類は装備していなかった。なら、よほど当たり所が悪くない限り死ぬことはないだろうし、四肢欠損などの重傷になることもないだろう。せいぜい骨折といったところだろうか。なら、なんとでもなるだろう。

 そう考えた俺は負けるであろうサイト君の治療のための薬などを用意しておくため、自室へと戻った。

 

 

「……うそん」

 

 俺の目の前で信じられないことが起きている。サイト君がギーシュを圧倒しているのだ。

 さっきまでは俺の予想通りの展開だった。ギーシュの出した青銅製のワルキューレにひたすら殴られ、蹴られ吹き飛ばされるサイト君。正直腕を折られても心が折れないというのは予想外だったが、それ以外は典型的なメイジ対平民の戦いだったはずだ。おかしくなったのは……そう、余裕の表れかなんなのかしらないがギーシュが剣を作り、それをサイト君が受け取ってからだ。俺の見間違いじゃなければその時、左手のルーンが輝いたような気がする。

 そして剣を手にした瞬間動きが変わった。今までよりも段違いに速く、力強くなった。いや、それだけじゃないだろう。ただ力が強くなっただけならば、青銅でできた剣で同じく青銅でできたワルキューレがあんなにすっぱり両断できるとは思えない。おそらく、剣の技術か、魔法的なよくわからない何かが働いたのだろう。そして、そんな不思議パワーをサイト君が持っていたとは考えにくい。つまり、推測にすぎないがサイト君に与えられたルーンの力は、剣を持つことで身体能力の強化と何らかのプラスアルファを持ち主に与えるという物。だけどちょっと待ってくれ。そんなルーンは聞いたことがない。

 魔法の使えない落ちこぼれメイジ、前例の無い使い魔として人間の召還、類を見ないほど圧倒的な力を持つルーンの付与……。

 どれか一つだけ、せめて二つなら不幸な、もしくは幸運な出来事だったのかもしれない。しかし、三つだ。これら三つの出来事は何らかの理由があると考えるのが自然だろう。

 

「……すると何がある……。おそらく大元の原因はルイズだろう。考えられる物としては……」

 

 一つ、突然変異。ルイズは何らかの要因で、失われた虚無を含む五つの魔法の属性、そのどれにも当てはまらないメイジとして生まれた可能性。ルイズ自身が前例の無い存在ならば、前例の無いことを三つも起こしたというのも説明がつく。

 二つ、虚無のメイジ。先祖返りだかなんだか知らないがルイズが失われた属性、虚無のメイジである可能性。これならば基礎であるコモン・マジックはともかく、水や土等の系統魔法が使えない理由は説明できる。五つの系統のうち虚無のみが無くなったということは、虚無はそれのみの一点特化の系統であった可能性が高い。ならば、虚無に特化しているのにも限らず他の系統魔法を使おうとすれば、失敗すると考えても不思議じゃないだろう。

 三つ、先住魔法。ここハルケギニアには先住魔法という、俺たちが使う系統魔法とは別の種類の魔法がある。主に吸血鬼だのエルフだのといった亜人が使うのだが、そういった亜人の外見はほとんど人と変わらないらしい。まあ、本物を見たわけじゃないから詳しくは知らないが。とにかく、ルイズは公爵令嬢、つまり父親は公爵。貴族としてはトップクラスの絶大な権力を持った存在である。なら、戯れにそう言った亜人をとっつかまえて子供を産ませるといったこともできるかもしれない。つまり、ルイズがそういった亜人の血をひいている可能性。

 ざっと考えられるのはこんなところだろうか。このなかでも可能性が高いのは……

 

「三つ目かね。ピンクの髪なんておかしいと思ったんだ。亜人の血を継いでいるってんなら、そんな変わった色の髪色をしているのにも説明がつく。…………、けどこの考えがあってるのならルイズの親父さん鬼畜だな。できればお会いしたくない人種の人だ」

 

 ってことはルイズでも先住魔法なら使えるかもしれない。後で教えてやろう。もし、これで魔法が使えるようになれば好感度大幅アップってやつだ。

 あん……?あれ、ちょっと待てよ、何か忘れてるような……。

 元々神話や民話、地域に伝わる伝承や都市伝説を調べるのが趣味だったこともあって、こっちに生まれてからは、勇者イーヴァルディやら始祖の伝説といった物語などを読みあさったのだけど……確かその中に何かあったような……。

 

「……、そういやあれがあったな。確か図書館に本があったはず、一応確認しておくか。もし、俺の想像通りだったならサイト君に剣と槍でもプレゼントしてやらなくちゃな。……ぶっちゃけ、剣と槍をいっぺんに持ってたら戦いにくくてしょうがない気もするが」

 

 始祖の伝説の一節を思い出した俺は、自分の考えを確認するために図書館へと急いだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話   はじめてのおつかい

次の話も一週間以内には投稿できると思います。
今までのペースからすれば、もう少し早くなるかもしれません。


 鼻をつく古い本独特の臭いを心地よく感じながら、本棚の間を歩く。そして大まかなあたりをつけるとそこにかがんで、目の前に置かれている本の背に書いてある名前を指でなぞるようにしながら、それが探している本かどうかを確認していく。そうしてしばらくその作業を続けていると、熱さを薄めたような痛みと疲れが腰のあたりへと溜まってくる。俺は立ち上がり、体を逸らすように背伸びをするとため息を一つついた。

 調べごとのために図書館に来たのはいいが、探している本を読んだのは随分昔のこともあり、どこの本棚に置いてあったのかはもちろん、本のタイトルすら少しあやふやだ。この調子だと見つかるまでどれだけかかるかわからない。

 この本棚を探してなかったら、司書の人に協力してもらおう。そう思いながら探し物を続けていくと、視界のはしに何やら青い物が映った。そちらへと目をやると、そこには俺の友人の一人であるタバサが椅子に座って本を読んでいるところだった。

 あいつなら下手をすれば司書よりも頼もしいかもしれない。そう考えた俺は、彼女に近づくと軽く声をかけた。

 

「よっ」

 

 その言葉にこちらへと軽く目を向ける。そして声をかけてきたのが俺であることがわかると、返事もせずにそのままさっきまでのように本へ視線を落とした。

 無愛想にも見えるが、これがこいつの通常状態だ。むしろ笑顔で返事をしてきたら、どっかがステータス異常なんじゃないかと心配する。

 俺は彼女の態度を気にすることなく、対面へと腰を下ろした。

 

「なあタっちゃん。読書の邪魔して悪いんだけどさ、聞きたいことがあるんだ。我らが始祖様の輝かしき偉業が書いてある本がどこにあるかなんだけど、知ってるか?ちょっと調べたいことがあるんだ」

 

 ちょうど読み終えたらしく、本を閉じて顔を上げたタバサは何かを思い出すようにして軽く視線を上へと向ける。そして視線を俺へと向けると、本を持って椅子から立ち上がった。

 

「こっち」

 

「いや、案内まではいいよ。場所言ってくれればわかるから」

 

「ついでだから」

 

「……ならいいけどさ、悪いな」

 

「かまわない」

 

 本人が構わないと言っているんだし、別に気にすることも無いだろう。そう考えた俺は同い年にしては、低めの背中についていった。

 

 

 

 タバサと俺の付き合いはこの学院に入ってすぐからになるので結構長い。出会いは当然のごとくここ、図書館だった。最初のころは黙って本を読んでいるだけだったが、いつだったかお互いに「イーヴァルディの勇者」シリーズがお気に入りだということがわかってから、会話を交わすようになった。といっても彼女はかなり無口な上、たまに口を開いても単語でしかしゃべってくれないので、会話のキャッチボールというよりは、壁打ちに近いようなものではあったが。

 そんな知り合い以下赤の他人以上の関係をしばらく続けていたが、何かの拍子に世間話(俺が話してタバサは本を読みながら相槌をうち、たまに返事をするといった寂しいものだが)として俺が心や精神の正常性を調べたり、それらを元に戻す薬を作ろうとしている、というのを話した。

 ……その時のタバサの食いつきようはすごかった。

 どういった症状に効くものを作っているのか。完成までどれくらいかかるのか。なにか特殊な材料は必要なのか……。あげくのはてには薬の完成のためなら、全力で協力するとまで約束してくれた。まあ、完成したら薬を分ける、という条件付きだが。しかし、それほど食いついてきたにも関わらず誰に何のために使いたいのか、という質問にも答えてはくれなかった。まあどうせ、大方ご両親か親戚筋かに認知症が進んだ方がいるとかそんな理由だろう。

 それ以来少し関係もレベルアップして知り合い以上友人未満の関係を続けている。

 

 

「ここ」

 

「あんがとさん」

 

 タバサが連れてきてくれたあたりには始祖に関する本がズラッと並んでいた。そのまま先ほど読んでいた本の続きが置いてある本棚の方へ向かうタバサを、お礼代わりにひらひらと手を振りながら見送ると、さっそく本を手に取った。パラパラっとそれらの本をめくり、使い魔について書かれていそうな本を何冊か選んで読んでみることにした。以前読んだことのある本ばかりだったし、サイト君のルーンについてもおおよそのあたりはついている。おそらくすぐ調べはつくだろう。

 

 

 

 

 結論を言えば、俺の予想は正しかったらしい。始祖の伝説に出てくる四人、もしくは四匹の使い魔の内に神の左手「ガンダールヴ」といった存在がいるという記述が見つかった。それによると「ガンダールヴ」というのは、あらゆる武器を使いこなした一騎当千の存在だったらしい。さっきの決闘での出来事から考えるに、おそらくサイト君のルーンはこの「ガンダールヴ」と考えてもいいだろう。ドットメイジであるギーシュと互角なのが一騎当千というのもおかしな話だが、それはサイト君が未熟だとか、ルイズが虚無のメイジとして覚醒しきってないとかだとすれば、まあ納得はできる。とにもかくにも本での調べ事は終わった。なら次は本人にも話を聞いてみるべきだろう。で、その当のサイト君だがギーシュとの戦いで大怪我したため、今は……どこにいるんだろう? ルイズと一緒にいるのかね?

 

「まずはそっからだな」

 

 俺はがりがりと頭をかくと、とりあえずルイズを探すことにした。

 

 

 

 

「ルイズ、いるー? サイト君のお見舞いに来たんだけど。一応治療用の秘薬も持ってきたし、良かったら開けてもらえない?」

 

 あの後、使用人の人たちや知り合いなどに話を聞いてサイト君はルイズの部屋で治療中だと知ると、俺はルイズの部屋へと向かった。ノックをしてから呼びかけると中から返事がした後、ドアが開いた。どうやら鍵はかけていなかった様だ。

 

「うーす、おおうメイドさんじゃないか。どしたのルイズ、ジョブチェンジしたの?髪の色まで変わっちゃって」

 

「あの……私シエスタです」

 

「そういやあさっき会ったね」

 

「私はこっちよ。たまにはそのおもしろくもない冗談を挟まずにしゃべりなさいよ」

 

 部屋の中にはシエスタとルイズがいて、ベッドに横たわったサイト君の看病をしていた。俺が見る限りまだ怪我は治りきっていないが、命に別状はないようだ。

 

「どんな感じ?」

 

「先生を呼んで治癒の呪文をかけてもらったし、怪我はほとんど治ったわ。気絶したままだけど、まあ、今夜一晩寝れば大丈夫でしょうって。どんなに遅くても五日以内には意識が戻るそうよ」

 

「さいで。それは良かったよ。まあ、ちょっとどいてくれ。俺ごときの呪文と薬でも使わないよりましだろうし、パパッと治癒の呪文かけっから」

 

「そうね。じゃあ、悪いけどお願いするわ」

 

 こうして俺はサイト君の治療をすませると、サイト君の意識が戻ったら教えてくれるように頼み、部屋を後にした。あまり長居するのもよくないだろうしな。

 まあ、タイマンで貴族に勝ったからかシエスタはきらきらしたうるんだ瞳でサイト君見つめていたし、ルイズはルイズでひたむきな表情で必死に看病をしているので邪魔しちゃ悪い、というかただ単に居づらかったというのが一番の理由だけど。

 しかしもっと時間が掛かるかと思っていたけど、今日のうちにやっておきたい事はこれで全てすんでしまった。他にもいくつかやっておきたい事があるが、それらはサイト君の目が覚めるの待ちなので今はどうしようもない。とりあえず今日はもうゆっくりしよう。さすがに色々なことが一度に起きすぎて少し疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと武器が欲しいんだけど」

 

 あれからしばらくが経った。俺は今、栄えあるトリステインの城下町、誇り高きブルドンネ街にいる。といっても今俺がいる場所はそんな優雅さとは遠くかけ離れているが。なにせ武器屋だ。そこらじゅうに優雅さとはかけ離れたドンパチするための物が飾ってある。

 

「こりゃ、珍しい! 貴族が剣を! 旦那がお使いになられるんですかい? いやいや、旦那のような凛々しいお方が剣を持てば絵になるでしょうなあ。周りにいる貴族のご令嬢の目が潤む様子が思い浮かびますな」

 

「はは、ありがとう。といっても俺が持つんじゃなくて、知り合いに送る用でね。それにちょっと試したいこともあるんで、普通の剣はいらないんだ。なんらかの魔法がかかっているのが必要なんだけど、何かないかい?」

 

 あの後、三日経ってサイト君は目を覚ました。適当に会話をした後、ギーシュと戦った時のことを聞いたのだが、いまいち要領を得なかった。

 なんでも左手のルーンが光った後、体が軽くなった。剣なんて持った事もないのに体の延長のようにしっくりきて、何故か使いこなすことができた。剣を持ったらどうなったのかを聞いても、その程度の情報が得られただけだった。まあ、始祖の使い魔の一人であるガンダールヴは、武芸の達人だったからあらゆる武器が使いこなせた訳ではなく、ルーンの力によるものが大きかった、というのがわかっただけでも十分な収穫なので構わないけど。

 そして、その話を聞いた時俺の中に一つの考えが浮かんだ。

 武器を使いこなすためには、剣や槍等ならばそれらの間合いや特性などを理解しなければならないし、技術をつける必要もある。重火器などならばまずは使い方を知らなければどうしようもない。つまり、理屈は一切わからないがサイト君は、ガンダールヴは持つだけで、それら全てを取得、理解することができるという訳だ。なら……魔法がかけられた武器を持たせたらどうなる?

 それらの魔法がどういった仕組みで発動しているか等についてわかるではないだろうか? さらに、武器にはインテリジェンスソードといった意志を持つ武器がある。つまりは心を持った武器だ。それをサイト君に持たせれば心の仕組みなどについてもわかるのではないだろうか。この考えがあっていれば、ちょっとした分析器としての力も持っているということになる。まあ、そう上手くいくかはわからないが、試しても損はしないだろう。インテリジェンスソードなんて、あんな珍しい物はそうそうに簡単には手に入らないだろうが、ちょっとした魔法がかけられたものならば探せば見つかるだろう。まあ、そんな訳で今日はわざわざ武器屋に訪れたわけである。

 

「なるほど……、ちょうどいい品があるんでさあ、旦那。ちょっと待っていてくだせえ……よっと、これでさあ、かの有名なシュペー卿の一品! お望み通り魔法もかかっていて、鉄だって軽く斬れちまうほどの名剣でさあ。お安くしときますぜ」

 

 そう言って親父さんが持ってきたのは、確かに言うだけあって立派な物だった。両手で使うタイプの大剣で、白く輝く刃の部分は見ていると吸い込まれそうだ。でも、そこかしこに宝石がついているということは実戦で戦うものではなさそうだし、なによりこんなバカ高そうな物を人に贈れるほど、俺は太っ腹じゃない。つーかシュペー卿って誰だよ。知らねーよ。

 だけど、高そうだからって理由で断るのもなめられそうだからな……。ここは、サイト君には悪いが立場を使わせてもらおう。

 

「言い忘れていたんだが、贈る相手は平民でね。確かに立派な剣だとは思うが、平民ごときには少しもったいないだろう。もう少し質素な、目立ちすぎない感じのものを頼むよ」

 

「そうだったんですかい。旦那も人が悪い。もう少し早く言ってくださいよ。すると……ちょっと待っていてくだせえ、今持ってきますんで」

 

 そう言って親父さんが店の奥に行こうとした時、後ろの方から男性の声が聞こえた。

 

「バカなこと言ってんじゃねえ。剣は斬った張ったに使うもんさ。それ以外に使いたいってんなら、店を間違えてらあ。道ばたの木の枝でも拾って、部屋で好きなだけいじくり回してろってんだ、坊主」

 

 声が聞こえた方へ振り返ってみたがそこには剣が積んであるだけで、人が隠れているような様子は無かった。

 幻聴ってやつか? おいおい勘弁してくれよ、ボケるのはまだはえーぞ。それとも作った薬の試し飲みをしていたのがよくなかったのか? どちらにせよ今日は部屋に帰ったら早く寝ることにするか。あと明日からはきちんと野菜を食べて、運動もするように心がけよう。そうすれば、今からでも健康を取り戻せるかもしれない。

 

「おいおい、黙っちまった。おでれーた。こんな弱っちいのに武器屋に来るってんだからな、ふざけんじゃねえや。帰りな、貴族の坊主」

 

「やい! デル公! お客様に失礼な口聞くんじゃねえ! すいませんねえ、旦那。気を悪くされてないですかい?」

 

 親父さんは積んであった剣の中から、一本の剣をつかみあげると、その剣に向かってそう怒鳴った。どうやら、幻聴ではなく、あの剣がしゃべっていたらしい。あああ……良かったあ。もう少しで健康に気を使うところだった。

 しかしそれにしても、まさかこんな店にインテリジェンスソードがあるとは……。

 

「あ、ああ大丈夫大丈夫。別にそれくらい気にしない。それよりそれ、インテリジェンスソードってやつか。実際に見るのは初めてだな」

 

 意志のある剣っていうときんきんきらきらした宝剣、みたいなイメージがあったがずいぶんと……その……有り体に言えば、ぼろっちい剣だな。さっきの大剣と比べると刃の部分も薄っぺらいし、なにより錆だらけだ。客商売なら売り物を研いでおくくらいのことはしておけよと。まあ、そんなことはどうでもいい。幸運にもインテリジェンスソードが目の前にあるわけだ。それもいかにもぼろっちくて、安く買いたたけそうなものが。そう考えれば錆だらけなのも、ラッキーだ。さっさとこれ買って帰ろう。なにせこの世界では車なんてものはなく、いまだに移動は馬が主流なのでどうも乗り慣れない俺はすぐ疲れてしまう。

 

「ええ、そうでさあ。ったく剣がしゃべってどこの誰が喜ぶんだか……。それにこいつは特別口が悪くって、お客さんにまで喧嘩を売り出すんでこっちも閉口してるんでさあ」

 

「へえ、けどおもしろいじゃないか。どうせ平民に贈るんだから口が悪かろうとどうでもいいしね。俺が買うよ。いくらだい?」

 

「やい、さっきも言っただろうが! 坊主ごときがこのデルフリンガー様を買おうたあ千年早っ」

 

 親父さんはうっとうしそうに、その剣(デルフリンガーというらしい)を鞘に入れると、少し考えて、言った。

 

「ご覧の通り、錆び付いてますがインテリジェンスソード自体が珍しいですからね。エキュー金貨で400……いや、厄介払いもかねて350でどうですかね?」

 

 エキュー金貨で350……。すると相場は150前後って所か。つっても長年店主やってる人に駆け引きをするってのも無駄だろうし、少しは高く買うことになるだろうな。

 

「おいおい、いくらなんでも少し高いだろう。いいとこ百かそこらじゃないか?」

 

「冗談やめてくだせえ、旦那。それっぽちじゃ足がでちまう。せめて200はもらわねえと」

 

「そうだな。贈り物を値切るというのもアレだし、200でいこう。ほらこれでいいかい?」

 

 そう言って俺は財布をカウンターの上にのせた。親父さんはそこから取り出した金貨を数えながら何かつぶやいている。

 

「……なら最初からすっと350出せってんだ……」

 

「そういう事は本人の前で言わない方がいいと思うけどね。まあ、俺は何も聞こえなかったけど」

 

「!!! は、はは。確かにエキュー金貨で200枚、頂きました。これからもどうぞよろしくお願いします。あ、ちなみにそいつは鞘に入れれば静かになりますんで」

 

「わかったよ。じゃあ、ありがとうね。また何かあったらよらせてもらうよ」

 

 そう言って俺は店を後にした。後はこれをサイト君に渡すだけだ。

 

 ちなみに、色々とめんどくさそうなのでデルフリンガーはまだ鞘に入れたままだったりする。だって出したらうるさそうだし。

 

 

 

 

「という訳で、プレゼントだ。いらなきゃ返してくれればいいよ」

 

「贈り物に文句を言うのはアレだけど、いくらなんでもぼろすぎるんじゃないの? これ。しかもしゃべる上に口結構悪いし」

 

「いや、ありがとうな。ちょうどルイズに剣買ってくれるように頼もうかなー、って思ってたんだよ。口悪くっても根は良いやつっぽいし、デルフもなんか俺の事気に入ってくれたみたいだしなー。だいたいしゃべる剣なんておもしれえや。てか剣て結構高いんじゃないか?」

 

「ああ、すげー高い。まあ、ちょっと頼みたいことがあるから、それを聞いてもらって……まあ後は適当になんかしてくれればそれでいいよ。なんせエキュー金貨で200枚弱したしな。軽くルイズが五人は買える。こないだ近所の店で一人35エキューだったからな」

 

「こんなぼろ剣がそんなにするの? あなたで言ったら千人分ね」

 

「……なあ、相棒。この二人ってもしかして仲悪い?」

 

「いや、普段からこんな感じだけど?」

 

 あの後街から帰ってきた俺はルイズの部屋に来ていた。用件はもちろん、サイト君に剣を届けるためである。そしてご覧の通り、和やかに談笑をしている。

 サイト君に買って来た剣、デルフリンガーを持たせてみたが、他の武器を持ったときと変わらず、俺の望んでいた「心を持つ剣を理解することで、心の構造を理解する」といったことにはならなかった。まあ仲良くなるきっかけとして、ってのが武器をプレゼントしようと思った主な理由だから別に構わないけど、少しがっかりしたのは確かだった。

 そして、サイト君は自分用の剣が手に入ったことを喜んで、さっそく広い場所で振ってみたい、と言い出した。なんだかんだでしゃべっている内にずいぶん遅い時間になっていたが、俺もルイズもサイト君の実力をきちんと見てみたかったので三人で開けた中庭に行くことになった。

 その途中でタバサとその友人であるキュルケに会い、一緒に中庭に行くことになった(どうもギーシュと戦ったサイト君を見て、惚れっぽいキュルケに火がついたらしい)のだが……。もし俺が一時間、いや十分昔の自分に忠告できるのだとしたら間違いなくこう言っただろう。

 

「もう遅いから寝ろ。きちんと鍵しめて、カーテンしめて、ぐっすりと。そんで明日の朝まで何も聞くな、何も見るな」と。

 

 なにせ中庭では、

 

「……うわあ」

 

 なにやらバカでかいゴーレムが破壊活動にいそしんでいたからである。

 




感想ですができればここがよくない、このキャラクターはこんな話し方をしないなど、一言書いてくださるとありがたいです。
もちろんほんの一言の物だとしても非常にうれしいので、できればよろしく『お願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話   ピクニックへの準備期間

最初の方は文字数が少なかったので、二話をくっつけて改定し、一話にし投稿しています。なので以前は42話まで進んでいたのですが、話数はぐっと減ると思います。
後半はそんなことないと思いますが。


「ちょっとキュルケ!私の使い魔にあんまり触らないで!それもむ、む、胸、胸を押しつけて!ほんっとにこれだからゲルマニアンは!その重いだけの脂肪の固まりが大きいと態度まで大きくなるのかしら!あー、やだやだもっと慎みを持ったらどう?ツェルプストー!」

 

「あなたのほうこそどうなのよヴァリエール。胸は小さい、色気は無い、態度は大きいの三重苦じゃない。どこに慎みがあるのかしら?ああごめんなさい、そうだったわね。トリステインでは胸の大きさで慎み深さを示すのだったわね。さすがはヴァリエール公爵家のご令嬢、ずいぶんと慎み深いサイズですことね。……プッ」

 

「笑った!笑ったわね!こ、こ、こ、この、この、この……表出ろおおおおお!!!」

 

「おい、前二人ともう少し距離開けて行こーぜ。知り合いだと思われたくないんだけど」

 

 俺達五人は今中庭へと向かっている。ルイズとキュルケの二人は昔から仲は良くなかったのだけど、サイト君という新しいいざこざの原因ができたことでいっそういがみ合っているっぽい。まあ、興味ないしどうでもいいっちゃいいんだが。

 そんなわけでもうそこの角を曲がれば中庭という所で前を歩いていた二人が立ち止まった。そして恐る恐ると言った様子で、角から首を出して中庭を覗き込んだ二人の動きが止まった。理由はなんとなく推測することができる。二人が見ている中庭の方からなにやら重く鈍い音が聞こえるのだ。こんな夜遅い時間だというのにもかかわらずに、だ。いったい何が起こっているのか気になった俺達は、二人と同じように角から顔を出してそちらを覗いてみた。

 ……そこで繰り広げられていたのは壁をひたすら殴る巨大なゴーレム、というなんともコメントに困る光景だった。まさかボクシングの練習に励んでいるってわけでもあるまいし、あそこの壁をぶち破ろうとしているのだろう。それにしてはもっと目立たないような方法があったと思うが。

 

「……なによ、あれ?」

 

「さあ、少なくとも俺の知り合いにあんなサイズの奴はいないな」

 

「もう面倒だから、真面目な話題の時はアシル黙ってなさい」

 

「おそらく土くれのフーケ」

 

「で、誰だよそれ」

 

「確か最近話題になってる賊だったはずだ。でかいゴーレムで貴族から盗みを働くって聞いた。なあ、真面目に返事するぶんにはしゃべったっていいだろ、ルイズ……おい、あのピンク髪いねーんだけど……」

 

 中庭で起きている出来事を見た後、角に隠れてみんなで話し合っていたが気づくとルイズがいなくなっていた。そしてその直後に何故か爆発音が背中を叩く。まさかとは思いながらも、おそるおそるそちらの方を振り返ってみると、そこにいたのはゴーレムに向けて杖を向けているルイズ。しかもわざとなのか偶然なのか知らないが、さっきの爆発、ルイズの失敗魔法によって先ほどまでゴーレムが殴っていた壁の部分には大きな穴が開いている。さらに運が悪いというか当たり前のことだが、ゴーレムの方の上に立っていた人物がこちらの方を向いている。深くかぶったローブのせいで顔どころか体型や性別すらわからないが、おそらくあいつがゴーレムを操っているフーケだろう。

 目撃者を消すためか、壁へと振り上げていた拳を下ろすと、そいつは一番近くにいたルイズへとゴーレムを動かし始めた。

 

(ヤバイ!!)

 

 あんな二十メートルはあるんじゃないかっていうゴーレムに潰されたら怪我じゃすまない。だというのにも関わらず、腰でも抜かしてしまっているのかルイズは動こうともしていない。それを見て俺はルイズの方に走り出した。さすがに目の前でスプラッターというのは寝覚めが悪い。

 

「早く逃げ……」

 

「なにしてんだ!!ルイズ!!」

 

 俺がルイズの所にたどり着くよりも早く、ガンダールヴの力を発動させたんだろう、すごいスピードのサイト君が俺を抜いてルイズの所に行き、ルイズを掴むとゴーレムから遠ざけていった。なんだか頑張って走り出した自分が少し滑稽ではあるが、これでルイズの安全は確保された訳だ。まあ、良かった良かった。

 ……あれ?でも、ゴーレムに一番近かったルイズを助けるために近づいた後、そのルイズがサイト君に助けられいなくなったということは

 

「……げっ!!」

 

 俺が一番危ないってことじゃねーか!

 いや、ゴーレムの動きは大して速くないので油断さえしなければそれほど恐ろしい相手ではないか。 俺は距離を取るため即座にゴーレムとは逆方向へと、走る。そしていつ呼び寄せたのか、タバサの使い魔であるウィンドドラゴンにを回収してもらい、安全な空に逃げた。

 それからは特に特筆するようなことは何もなかった。ルイズが貴族として賊を捕まえるために全力を尽くすべきだと言いだしたが、相手は百戦錬磨の盗賊だ。そんなの相手に学生メイジでは、いくら多数対一でもとっ捕まえるのは難しいとなだめ、なんとか納得してもらった。

 いくらなんでもルイズの意見は猪突猛進すぎるようにも感じたが、思えば魔法が失敗ばかりのルイズは人一倍貴族らしさという物にこだわっているし、今まで他の貴族にバカにされていたぶん、自分を認めさせたい、といった顕示欲などが強いのだろう。フーケが有名な賊だと聞いて後先考えず攻撃をしたのも、そのあたりがからきているのだと思えば一概にどうこう言う気にはなれない。まあ、そういうのは誰にもあるものだし、誰が怪我をしたというわけでもないから、少なくとも俺は責めるつもりはないのは確かだ。

 その後、こちらをどうにかするのが無理らしいことに気付いたフーケらしき人物は、開いた穴から中に入っていくと、しばらくして何かを持って出てきた。それを持ったまま、またゴーレムの肩に戻るとそのまま魔法学院の外へと向かっていく。そしてそのまましばらく歩みを進めると、突然崩れ落ちてしまった。上空でそれを見ていた俺達は、もう危険は無いらしきことを確認した後、降下して残った土くれを調べてみたがもうそこには何も、誰もいなかった。

 つまり目の前で見ていたにも関わらず、俺達は何もできなかったというわけだ。……5対1という圧倒的に有利だったのにも関わらず、俺達はただフーケが盗みを働くのを見ていることしかできなかったと……。

 

 

 

 

 

 まあぶっちゃけ、盗まれたのは俺の物じゃないので恐ろしくどうでもよかったのだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いった……責……とるの……」

 

「賊ごときが……貴族……しおって……」

 

「……あま……いじめ……」

 

 ドスッ!!

 

「痛ったあ!!」

 

 隣にいたルイズに足を踏まれて目が覚めた。どうやら眠っていたらしい。真面目に今回の事件について話し合っていた所を邪魔してしまったからであろう、先生方の俺を見る視線が痛い。

 あれから俺達はすぐさま衛兵を呼び、何が起きたかを説明した。そして、彼らが壊された壁の向こう側(宝物庫だったらしい)を調べてみた所、フーケが書き残した文字を発見。今回の犯人はメイジであることが確定したので、そこで先生達を起こしそれからずっとこうやって話し合っている。つまり、俺達は徹夜なわけだ。寝てもしょうがないと思う。

 

「あのね、こんな大変な時に寝てるんじゃないわよ。しかも立ったままなんて変に器用よね、あんたって」

 

「しょうがないだろ、俺は医者に一日12時間は眠るように言われてるんだ。もっといたわってくれ」

 

「……アシルどっか悪かったっけ?聞いたことないんだけど」

 

「嘘にきまってんだろ。ところで今、話はどんな感じ?確か寝る前は責任のなすり付けしてた気がするけど」

 

「なるほど、具合が悪いのは頭と性格なのね。ああ、話ならついさっきまでその話題だったわ。そこに学院長が来てセクハラした結果、先生全員に責任があるという所に落ち着いたみたい」

 

「……まさかセクハラにそんな無限の可能性があったとは……」

 

 俺達がそんなことを話していると一人の女性が現れた。眼鏡をかけた青髪の理知的な女性、俺の記憶がたしかならオスマン学院長の秘書のロングビルさんだったはずだ。

 けど今頃来るというのはいくらなんでも職務怠慢なような……。オスマン学院長もそう思ったのか、ミス・ロングビルに話しかけた。

 

「どこ行っとったんじゃ、ミス・ロングビル。大変なことになっとるんだが」

 

「存じていますわ、オールド・オスマン。朝方に、フーケが現れたと聞いたので独自に調査をしておりましたの」

 

「そうじゃったのか、いつものことながら優秀じゃの。で、何かわかったことは?」

 

「ええ、フーケの居所が判明しましたわ」

 

 それを聞いて 場がザワっと揺れる。手際が良いっていってもこの早さは異常だからか、ほとんど全員が驚いている。

 

「そ、それは本当ですか!?いったいどこなのですか!?」

 

「近くの農民に聞き込みをしたところ、黒いローブの男が森の中の廃屋に入っていく所を見たと。おそらくそれがフーケではないかと思うのですが」

 

「た、確かに。黒いローブというのはミス・ヴァリエール達の証言とも一致します。おそらくそれがフーケで間違いないでしょうな」

 

 コルベール先生が驚いたように質問すると、はきはきとした返事が返ってきた。それを聞いてオスマン学院長が続けて聞いた。

 

「そこは近いのかね?」

 

「いえ、徒歩で半日、馬でも四時間はかかるかと」

 

 その答えを聞いた学院長はみんなの方を向き言った。

 

「そうか……。諸君、知っての通りこのたび魔法学院の宝がフーケによって盗まれた。これだけの数の貴族がいて、たかが賊一人ごときのために国に頼るというのも情けない。ここは、我等でフーケをとらえ貴族の誇りを見せつけてやろうではないか!」

 

 その言葉に、先生方から拍手が起こる。それを聞いた学院長は誇らしげにこう続けた。

 

「では、捜索隊を結成する。我こそは、と思う者は、杖を掲げよ!」

 

 その言葉に、先生方は誰も杖を掲げない。このさっきの拍手からのコントのような流れには、一種の美しささえ感じる。

 まあ、ロングビルさんの話からおおまかな裏は見えてきているし、ここは俺が立候補しよう。

 俺はすっと杖をあげた。学院長がそれに気づいた。

 

「ミスタ・セシル。おぬしは生徒ではないか。というか君さっき寝とらんかった?どうしたんじゃ、急にやる気出して」

 

「ははは、ご冗談を学院長。私も貴族の誇りを踏みにじっているかのような盗賊には心を痛めておりまして、微力ながら力を尽くしたいと思っていた次第なのです」

 

 俺がそう言った後、隣にいたルイズも杖をあげた。コルベール先生が彼女を思い直させようと話しかける。

 

「ミス・ヴァリエール!君はまだ生徒じゃないか!ここは教師に任せなさい!」

 

「先生方は誰も掲げないじゃないですか。それに嘘くさくて心がこもってないとはいえ、アシルがあそこまで言ったのにもかかわらず、見ているだけなのど私の貴族としての誇りが許しません」

 

 枕詞みたいに俺への罵倒を挟まないでほしいけどな。まあそれはおいておいて、ルイズが捜索隊に参加するのを聞いて、ライバルであるキュルケ、そしてその友達であるタバサ、軽く強制的に使い魔であるサイト君。後、フーケの居場所を見つけたロングビルさんが案内役と御者としてついてくることになった。

 

 

 実を言うと俺は行った先にフーケが居るとは思っていない。何故ならロングビルさんは、フーケは馬で四時間行った先に居る、と言っていた。これはおかしいからだ。

 ロングビルさんが言った事が本当なら、朝ここを出て馬で四時間行ったさきで聞き込みをして、また四時間かけて戻って来たのにまだ朝だったということになる。これはおかしい。つまり彼女の話は全くの嘘だった、ということになる。

 俺の考えではおそらく、ロングビルさんは何も見なかったのだろう。そして先生方が責任をなすり付け合っているのを見て、その矛先が自分に来るのを恐れた彼女は、フーケの居場所を見つけた、という功績を作ることでその矛先をそらそうとした。たぶん、彼女が案内した先に行けば廃屋はあるが、それだけで何の手がかりも残っていないと思う。フーケは有名な盗賊だ。手がかりが残っていないことは不思議でもなんでもない。つまり、廃屋の場所さえ知っていればそれだけで何の準備も必要とせずに、フーケの隠れ家をでっちあげられる、ってことだ。

 つまり、話にのったふりをして捜索隊に参加すれば片道四時間のピクニックをするだけで、フーケを恐れずに勇敢にも貴族の誇りを貫き通したってな評判が手に入る。……と、まあ俺はそんな考えで俺は参加することにしたのである。

 そんな推理から安全であることがわかりきっている俺は、安心しきって馬車に乗り込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話   フーケの話

「遅かったじゃない、何してたの?」

 

「学院長に盗まれた破壊の杖について聞いてた。宝物庫の中身について堂々と質問できることなんかそう無いからな」

 

 ルイズの問いかけにそう返す。

 俺が馬車にくるとすでにみんなそろっていた。遅れたことを咎められるか、と思ったがそんなことはないようだ。みんな緊張しているかと思ったが、ずいぶんとリラックスしている、というか普段通りだ。

 

「へえ、で何かわかったのかしら?」

 

「これと言って大したことは。なんか学院長の昔の恩人の持ち物で、ワイバーン殺す程度の威力はあること。同じ物がもう一本あってそれはその恩人さんの墓の下、ってことだけだな。わかったのは」

 

 まあ、その恩人さんは死ぬ間際に元の世界に帰りたい、って言ってたことから俺やサイト君みたいに違う世界から来た人だろうという事がわかったのは収穫っちゃ収穫だけど。あと、同じ物を二本携帯していたことから予想できることもあるが、まあそれはどうでもいいだろう。キュルケ達に話すようなことでもない。

 

「……」

 

「……」

 

「何?」

 

「いや、ルイズ、キュルケって順に質問が来たから、次はタバサあたりが『お兄ちゃんて好きな人いるの?』みたいな事聞いてくるかと思って待ってるんだが」

 

「興味ない」

 

「……そうですか」

 

 ギャグに素で返されるとつらいですね。あとルイズさんとキュルケさんは、無言で蔑みの視線を送ってくるの勘弁してくんないかな。

 

「で、サイト君はなんか聞きたいことある?」

 

「いや、特にないけど……目的地まで結構かかるんだろ?早く出発した方がよくないか?」

 

「……そうですね」

 

 徹夜のせいかテンションが変に上がっているので、みんなとの間に温度差を感じて少しさみしい。

 さすがに、こんな気持ちでは役に立たないだろう。

 

「……ふう」

 

 俺は息を一つつき、軽く目をもむ。さすがにきついものがある。少しばかり眠ることにしよう。

 目的地についたら起こしてくれるようタバサに頼むと、俺は自分の腕を枕に横になった。疲れていたのだろう、そうしていると幸い眠気はすぐ来たので、俺はそれに身を任せることにし、意識を手放した。

 

 

「…………ん?」

 

 ゆさゆさと体を揺さぶられている感覚で目を覚ました。目を開けて一番に目に入ったのはタバサの顔。まあ、タバサに起こすように頼んだのだし当たり前か。

 ……どうでもいいが起きてすぐに、美人さんを見ると一日幸せに過ごせる気がするな。ちょっと得した気分だ。 

 体を起こし、周りを見渡すとみんなが降りる支度をしている。ってことは、もうすぐ目的地に着くのか。外を覗いて見れば、いつのまにやら随分と木が生い茂っている。俺が寝ているうちに、随分と森の奥の方にやってきたみたいだな。ここがロングビルさんの言っていた所だろう。

 それからすぐにここからは徒歩で行くべきだとロングビルさんが言い、反対する理由もないのでそれに従いみんなでぞろぞろと歩き出した。歩いている間、何があったか知らないがサイト君を取り合ってルイズとキュルケがギャーギャーと騒いでいた。何時のも事ながら、実に青春ぽい光景だ。俺が女で、かつ寝起きでなければ『まーぜーてー』って言いながら飛び込んでいたかもしれない。そんな事を考えながら歩いていると前方に廃屋が見えてきた。あれがロングビルさんが言っていたフーケの隠れ家ってやつだろう。

 それにしてもこうして実際に目にすると、いい年して秘密基地を実際に作ってしまったフーケに、俺は感動を禁じ得ない。まあ、ロングビルさんの嘘なんだろうけど。俺も今度どっかに秘密基地を作ってみるかな。

 

 

 廃屋の近くの茂みに身をひそめ、これからどうするかを相談する。

 

「で、どうするべーよ」

 

「偵察をするべき」

 

「って事はこーゆーのはすばしっこいサイト君だな。ほれ、行ってこい、キミに決めたから」

 

「え?え?」

 

「相棒、俺も鞘の中に入れられっぱなしでなまってたんだ。いっちょ、偵察でも何でもしてやろーぜ」

 

 俺が廃屋の偵察をサイト君に頼むと二つ返事で請け負ってくれた。意思疎通が上手くいくのはなんと気持ちが良いのだろうか。周りを調べてきますと言ってどっか行っちまったロングビルさんにも見習って欲しい物だ。

 ガンダールヴの力を使い、サイト君がすごいスピードで廃屋に近づいていった。そして、窓から中を覗き、特に危険要素はなかったらしく、手で俺達を呼んだ。

 ロングビルが周りを見回っているだろうとはいえ、万が一の時のためにルイズをドアの外に残し他の四人は中へと入る。

 廃屋の中は、思ったほど廃屋してなかった。……つまりぼろくはなっていなかった。埃こそ積もっているが掃除すればまだまだ住めそうなくらいには、きちんとしている。そして、埃が積もっているということはここはしばらく使われていない、ということだ。俺の考えが合っていたようでホッとする。後は、適当に家捜ししてから学院に戻って、すでにフーケは逃げた後でした、って報告すれば終わりだ。良きかな良きかな。ありがたい話だ。

 

「あった。破壊の杖」

 

 ……えー。

 

 

 

「本当にこれが破壊の杖なの?ずいぶんあっさり見つかったけど」

 

「間違いないはず」

 

「……」

 

「……」

 

 破壊の杖を前に話し合っている二人をよそに、俺とサイト君は黙っていた。

 学院長には破壊の杖のだいたいの見た目とその威力、どうやって手に入れたのかを聞いただけだったのでさすがにこれには驚いた。何せ破壊の杖というのは俺の記憶が確かなら、俺やサイト君がいた世界にあった対ゾンビ用最終兵器、ようはロケットランチャーのことだったからである。それに盗まれた物が実際にここにあったということは、俺の推理は完全に間違っていたということになる。

 ……いやな予感がする。早くここを離れた方が良いような、そんな気が。

 

「……まあ、いいや。見つかったんならさっさと帰ろうぜ。こんな陰気な森の中にいつまでもいたくねーや」

 

 考えていても仕方がない。俺は破壊の杖を掴むとみんなにそう声をかけた。何はともあれまずは戻って破壊の杖を取り戻したことを報告しよう。そして、みんなで廃屋出ようとした時、ルイズの悲鳴が聞こえた。その理由は考えるまでもなく、すぐにわかった。

 何故なら恐ろしい破砕音と共に小屋のドアや屋根破壊され、そこから三十メートルはあろうかという土でできたゴーレムがこちらをむいていたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回までのあらすじ

 死にそう。

 

「まずは外に出るぞ!」

 

 こんな狭い所では、対処のしようがない。急いで廃屋の外に出た俺達は、ゴーレムへ失敗魔法で攻撃していたルイズを捕まえると、ゴーレムと距離をとった。そうすることで今から俺達が戦わなくてはならないだろう相手の姿が明確にわかった。

 前回見たときは薄暗い真夜中だったためよくわからなかったが、いざこうして見るとでかい。目測だが30メートルはあるだろう。メイジ一人で作るゴーレムとしては最大級だ。フーケのことを賊ごとき、と先生方はバカにしていたがそんなことはない、これを一人で作ったのならフーケはトライアングル、いや下手をすればメイジの実力としては最高峰であるスクウェアかもしれない。

 

「タバサ!使い魔のドラゴンを呼んでくれ!確か連れてきていただろ!悪いんだがサイト君はあれの足止めを!たぶん俺達じゃ敵わない」

 

「わかった!」

 

「もう呼んである。それで?」

 

「さっすが!じゃあキュルケとルイズを乗せて空中に待避していてくれ。あれは俺とサイト君でなんとかする」

 

「バカにしないで!私だって……魔法が使えなくったって私は貴族なのよ!それなのに敵を使い魔に任せて、背中を見せて逃げるなんてまねできるわけないでしょ!」

 

 貴族令嬢三人に対して避難するよう言ったが、ルイズはその意見に反対してきた。この危機的状況でそんなこと言わないで欲しい。これじゃあ速攻でタバサのウィンドドラゴンの上へと非難したキュルケがかっこわるい感じになってしまう。それにしてもこんなことになるなら俺の使い魔も連れてくればよかった。あいつには学院周辺の地理を憶えさせるため、留守番させてきたからな。

 

「……そうじゃない。適材適所ってやつだ。ルイズ達は上空からフーケを探してくれ。この近くでゴーレムを操っているはずなんだ。頼むよ、ルイズ。誇りを優先して状況を見間違えないでくれ!」

 

「……わかったわよ」

 

 なんとか説得して三人を避難させることはできた。まったく少しは考えて欲しい。今回来た六人の中で、あの三人だけは怪我をさせるわけにはいかないのに。

 タバサとキュルケはそれぞれガリアとゲルマニアの貴族だったはずだ。留学先の他国で、自国の貴族が賊に殺された、怪我をさせられた。しかもそれは学院の尻ぬぐいのため、そのうえフーケなんて危険人物がいるであろう場所に行くことを学院長が許可していた。

 ……下手しなくても外交問題になる気がする。

 ルイズの方はもっとわかりやすい。公爵令嬢が怪我した、なんてことになったらこの場にいる唯一ルイズと同国の貴族である俺が、貴族社会的にヤバイ。

 つまり、この場は俺とサイト君の二人でどうにかしなくてはならない。

 まずはあれだろう。サイト君にこの破壊の杖でゴーレムを攻撃してもらう。一撃とはいかなくてもかなりの大ダメージを与えることはできるはずだ。そうすれば時間が稼げる。できればその間にタバサ達がフーケを見つけてくれるのを祈るばかりだ。

 

「サイト君!ちょっと来てくれ!」

 

 そう俺はゴーレムの足下で戦っているサイト君に叫んだ。だが、戦いに必死で聞こえていないらしい。これは、俺の方から近づくしかないか、と気を入れ直しサイト君の方へ一歩踏み出した所、ゴーレムの拳がうなりを上げて彼にたたき込まれるのが見えた。デルフを盾にしてなんとか受けたようだが、もともと威力がすさまじかった上に直撃の瞬間ゴーレムの拳が鉄へと変えられたようで、サイト君はこちらへと吹っ飛んできた。

 

「サイト君!大丈夫か!?」

 

「っつ!っと。ああなんとかな。だけどこのまんまじゃじり貧だ。あいつ削っても崩してもすぐに直るんできりがねえ。どうしたら……あっ!それ破壊の杖……だったか?アシル、それ貸してくれ」

 

 そう言うと俺の手から破壊の杖を取り、ゴーレムへと向けた。そして発射に必要なのであろう細々とした操作を行うと肩に担ぎ、トリガーを引いた。思っていたよりもぱっとしないロケット状のタマが発射され、ゴーレムに当たると爆音と共に破裂した。

 

「うおっ!」 

 

 爆発による土埃が収まると、そこには上半身が吹っ飛んだゴーレムがいた。

 ……いくらなんでもあっけないな。さすがに木っ端みじんというわけにはいかなかったようが、ロケットランチャーってこんなに強い武器だったのか。

 だけどこれはチャンスだ。回復される前にとどめを刺せば……。

 

「ん?」

 

 ゴーレムはそのまま数歩歩くと、膝から崩れ落ちた。どうやら、有る程度以上の破損は直せないようだ。

 

「やったな!」

 

「つってもサイト君以外特に何もしてないけどね。後はせいぜいタバサのドラゴンくらいか、役に立ったの。あとさサイト君、もしかしてその破壊の杖って単発式だったりする?」

 

「ああ……そうだけど。アシルもこれがなんだか知ってるのか?」

 

「まさか、学院長の話からすればたぶんそうだろうなって。後サイト君もしかしたらこの後少しばかり面倒なことになるかもしれないけど、その時は頼むね。俺が杖投げるのを合図に斬りかかってくれ」

 

「それってどういう……」

 

 そうサイト君が疑問を言いかけた時、空から女性組が戻ってきた。そして、キュルケがサイト君に駆け寄り、抱きついた。それにまたルイズがぎゃーぎゃー文句をつけている。一人でゴーレムの残骸を調べているタバサとの温度差がいつものことながらすごい。二人にまとわりつかれて大変そうなサイト君から、俺は破壊の杖を受け取った。たぶんこの後、俺の考えている通りに事態が動けば必要だからな。

 

「ミスタ・アシル。それが破壊の杖ですか。一応確認をしたいので見せてもらってもよろしいですか?」

 

「ええ、もちろんですよ。ミス・ロングビル。どうぞ」

 

 いつのまにか戻ってきていたロングビルさんに、俺は言われた通りに破壊の杖を渡した。彼女はそれを受け取ると俺達から少しばかり離れ、こちらへと破壊の杖を向ける。先ほどまでの柔和な表情が嘘のように無くなっている。ルイズ達も異常に気づいたのか騒ぐのをやめて、彼女の方を見ている。距離的に、渡した俺が彼女と一番近いので、俺が話をする。

 

「なるほど。あなたがフーケだったんだな。ミス・ロングビル」

 

「ああ、そうさ。気づくのが少しばかり遅かったね。もう少し早ければ破壊の杖があんた達に向けられることもなかっただろうに。まあ、度胸は認めるよ。破壊の杖を向けられてもあんた震え一つないようだしねえ」

 

「確かに、少しうかつだったな。しかしあんな威力の物がそちらの手に渡ったんじゃもうどうしようもないからな。死ぬ前くらい気合いいれるさ。度胸があるんじゃなくて諦めがいいだけだよ」

 

 それだけ言うと顔を手で覆い、ため息を一つつく。そして顔をおこすと一つの問いを投げかける。

 

「最期に一つだけ教えてくれ。なんでこんなことをした?こんなことをしている暇があったのなら、そんなもんさっさとどっかの好事家にでも売っぱらえばよかったのに」

 

「ああ、それはね……」

 

 フーケが理由を話しかけた時をねらい、俺は杖を相手の顔めがけて投げつけ全速力で走り寄る。フーケはいくらか驚いたようだったが、首を振って冷静に杖をよけ、近づいて来ていた俺に破壊の杖を向け、その引き金を引いた。

 

「なっ!!」

 

 それでも何も起こらないことに驚愕の表情を浮かべたフーケの顔面めがけ、俺は握った拳をたたきつける。

 

「ちぃっ!」

 

 だがさすがにインドア派の貴族のパンチなど簡単によけられてしまった。しかし、ずいぶん雑だったとはいえ、打ち合わせしておいた通りにガンダールヴを発動させたサイト君がデルフをフーケの腹に打ち込んだ。鈍いうめき声を上げて倒れたフーケから破壊の杖と、普通の杖を取り上げているとルイズ達が近寄ってきた。ずいぶん物事が早めに進んだせいか少し混乱しているようだ。

 

「よくわからないんだけど……ミス・ロングビルがフーケだったってことなのよね?気づいてたんなら早くいいなさいよ!本当に死ぬかと思ったんだからね!」

 

「無茶言うなよ、ルイズ。気づいたのはついさっきなんだ。それに証拠が無かったからな。破壊の杖を渡せば目撃者消すためにこっち向けて撃ってくれるかな、って考えてたらぺらぺら自白しだしたからな。運が良かったよ」

 

「でも破壊の杖が発動してたらどうするつもりだったのよ。だいたいなんで何も起こらなかったの?故障?」

 

「いや、キュルケも破壊の杖撃つ前にサイト君がなんかごちゃごちゃやってたの見たろ。つまりこれ使うのには特殊な準備がいるわけだ。フーケがこんな芝居うったのも、大方その準備がわからなくて使い方がさっぱりだったからだろう」

 

「つまり、その準備をしなかったから動かなかったということ?」

 

 タバサがそう、声を問いかける。

 俺はその言葉に、そういうことだ、と答えると話を続けた。

 

「後はまあ、これは何かって話だが……、スケベに泥棒とはいえ学院長もフーケもメイジとしては一流だ。その二人でも使い方がわからないってことはこれはマジックアイテムじゃない可能性が高い。なら、マジックアイテムではない、ってのを頭に置いて見てみればいいさ」

 

 軽く持ち上げるようにして、破壊の杖を他の奴らにも見えるように掲げた。

 

「筒に持つ部分が付いていて、ついでに引き金も付いている。キュルケ辺りは、こんな武器に見覚えあるんじゃないか?」

 

「……なるほど、銃ね」

 

 そうゆうこと、と俺は一つ頷いた。

 

「事実サイト君が使ったときは変な形の弾が発射されたしな。つまりこれは銃の発展系ってことだ。そこまでわかれば話は簡単だろ。学院長の話からすればこれは恩人さんの持ち物で同じ物を二本持ってたって話だ。単発式じゃないなら同じ物を二本持ち歩くより、これと弾を持ち歩くのが普通だろ。でもそうじゃなかった。そんな考えからこれは単発式の銃だと俺は考えたってわけさ」

 

そう言うと俺は破壊の杖をルイズへと向けて、引き金をひいてみせる。当たり前だが何も起こりはしない。それを肩に担ぐと、俺は笑いながら言う。

 

「な?つまりこれはもう弾切れなんだよ、動くわけがねえ」

 

 まあ、こんな穴だらけの推理サイト君って裏付けがなくちゃ、行動には移せねえけどな。

 しかしフーケは捕まえた。破壊の杖も取り戻した。おまけにサイト君が擦り傷くらいはしているかもしれないけど、目立ったけが人もいない、と。上々どころか最高の結末だ。

 持ってきていた縄でフーケを縛り上げると、レビテーションで浮かび上がらせる。

 それを見てルイズが声を上げる。

 

「じゃあ、帰りましょうか!」

 

 それを締めとして、俺たちは馬車へと乗り込んだ。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話   舞踏会

前書き、後書きに書く内容が特に思いつかず、空白のままのことが良くありますが気にしないで下さい。



 絢爛豪華な舞踏会。そのパーティー会場であるホールでは、着飾った紳士淑女のみんなが豪勢な料理やワインを片手に歓談をしている。どこで何が光っているのだかわからないが、ホール中がきらきらと光り輝き、参加者のほとんどが十代の生徒たちだというのにどこか荘厳な雰囲気さえ感じさせられるくらいだ。そんなずいぶんと楽しげな雰囲気の中、なぜか俺はバルコニーにうずくまっていた。

 

「……おおう……」

 

「大丈夫か?無理してあんなに喰うから。つーかタバサはどこにあれだけの食い物入れてるんだ?」

 

 なぜ俺がこんなふうになっているのか? それはほんの十分ほど前のできごとが原因だった。

 あの後フーケを捕まえた俺達は学院に戻って起きたできごとについて学院長に報告した。それで、まあ、その報償としてシュヴァリエだかなんだかという名誉な地位を頂けることになったのだが……そこでまたルイズさんがやってくれた。一番活躍したサイト君になんの褒美もないのはおかしい、と言い出したのだ。空気読めよ。

 しかし、サイト君は使い魔。こちらの身分制度に当てはめれば、いいとこ平民だ。それも正体不明の。これではいくら学院長も立場的に爵位を与えることなどできるわけもなかった。そこで未だにバカだったとは思うが、俺はこう言ってしまったのだ。

 

「今回一番活躍したサイト君に何も無いのでしたら、私も結構です。実際これといって特になにも功績はあげてませんからね」

 

 まあ、フーケを捕まえるのに一枚かんだことで調子に乗っていたんだと思う。さらに周りからの評価を上げようとしてそんなかっこいい感じの事を言った。その結果先生方にはほめられたが、まじで俺への爵位の授与は見送られてしまった。

 ……おかしくね?そこは『いやいや、君も頑張ったからのう。そんなに自分を卑下するものではない。君はシュヴァリエの爵位の授与に値する事を成し遂げたのじゃよ』みたいな流れになるんじゃないの?どうやら西洋風のこの世界観では日本人的な謙遜という美徳は通じないらしい。嫌な話だ、やってられない。今後はもう少しずうずうしく生きることを目指そうと思う。

 そして、フーケ騒ぎで忘れていたが今日は『フリッグの舞踏会』だった。ただでさえインドア派の俺からすれば面倒なイベントなのに、フーケ騒ぎで疲れている今日開催というのは嫌がらせに近い。せめて出発前に言ってくれよ。そうすりゃフーケ退治なんて行かなかったのに。

 しかしさすがにだるいから不参加、いうわけにもいかないので適当に着飾って参加した。

 仲のいい奴らやフーケの騒ぎを聞いて集まってきた人たちと適当に歓談をすると俺は会場の隅の方へと移動し、パーティーの喧騒の中から離れる。別に大勢で騒ぐのが嫌いなわけじゃないが、疲れている時には勘弁してもらいたい。ただでさえ馬車に何時間も乗ってたせいで、こちとら背中と尻が痛いってのに。

 首を振ってそんな後ろ向きな考えを頭から消すと、俺は右手に持っていたワイングラスを口へと運び、その中身をぐいっと煽った。口の中にワイン特有の甘みとほのかな渋みが広がっていく。本来ならばもっとよく味わってちまちまと飲むものなのだろうが、そのままいっきに飲み込んだ。冷たさを感じた液体が、のどを通り胃に入れた瞬間、熱を発し始めたように感じるのは俺の気のせいだろうか。口の中に残っている後味を消すために、テーブルの上に置いてあった肉料理を一切れ口に放り込むと、空になったワイングラスを近くにいた使用人の人に手渡した。

 

「ふう……」

 

 よごれた指をハンカチでふくと、俺は壁に背中を預けよりかかる。

 視線をホールの中心の方へと向ければ、そこには随分とクールビズなドレスを着たキュルケがいた。周りに多くの男をはべらせ、楽しそうに笑っている。見ているだけで元気が出てくるような快活さだ。少しばかり古い表現かもしれないが、ああいうのを太陽みたいな女性とでも言うのだろう。それにしてもキュルケも俺と同じだけ馬車に乗っていたはずなのに、こうして見ている分には疲れなんて微塵も感じられない。……なんかあれしきで疲れている俺が、少し男として情けないな。最近あまり運動をしていなかったとはいえ、さすがにこれはひどいものがある。これからは体に気を付けたり、筋トレをしたりすることにしようかね。

 会場を見渡すように周りを見ると、料理の並べられたテーブルの一つにタバサがいた。いつものような感情が読み取りにくい表情で、もさもさとなにやら凄い色のサラダを口に詰め込んでいる。何が彼女をそこまで駆り立てるのかは知らないが、食べるスピードが凄まじい。

 

「…………」

 

 俺はタバサのいるテーブルに近づくと、無言でタバサの隣へと立った。そして料理の乗った皿の一つに手を伸ばす。ちら、と隣に視線をやればリスみたいに口にサラダを詰め込んだタバサと目があった。俺の中の何かが伝わったのか、食べる手を止めている。

 以前キュルケからタバサが良く食べるというのは聞いたことがある。しかし、所詮は小柄な体系の女性にしては、前提がついての話だろう。それに今までもこの調子でパーティーに参加していたのなら、もう結構な量を食べているだろう。なら俺でもなんとか勝てるかもしれない。

 とどのつまりはなんか馬かなんかみたいな勢いのタバサを見ていると負けてるみたいで悔しかった、ってだけだが。我ながら勝手な自己満足だがそんな考えから、皿を持ち上げるとフォークを手に持つ。何も言っていないというのに俺の意図を察したのか、タバサの方も同じような姿勢をとった。

 大きく深呼吸を一つすると、何も考えずに皿の上の料理を口に放り込んだ。 

 

 ……そして、

      ……戦いが始まる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおお…………」

 

「大丈夫か、アシル? あんな無茶して食うから」

 

 その結果がこれである。ようはぼろ負け。いったい体のどこに詰め込んでいるのか、タバサは恐ろしいほどの量をドン引きするようなスピードで食べ、圧倒的な差で俺をひねりつぶした。サイト君に背中をさすられながらホールの中を見てみれば、未だにあの変な色のサラダをむさぼっている。

 しかしサイト君のおかげか、まだ気持ち悪いことは気持ち悪いがいくらか楽になってきた。この調子なら吐かなくともすみそうだ。さすがに自分で勝手に大食いをやっておいて、それを吐いたら作ってくれた人たちに申し訳が立たない。

 サイト君にお礼ともう大丈夫なことを告げると、今度はバルコニーの柵に立てかけられたデルフリンガーへと顔を向けた。

 

「……うあ……やべえ、なんか出そう……」

 

「こっち向けてそんな事言うんじゃねーよ!俺、剣だから逃げられねーのに!相棒!助けて!俺、汚されちまう!」

 

 俺がそう言うと冗談なのをわかっているのかいないのか、体である剣をかたかたと震わせながら本気の声色で騒ぐデルフリンガー。その反応がなんだか面白いので、彼? に顔を向け限界の近そうな顔をしてみる。と言っても吐き気に襲われているのは間違いのない事実なので、少しでも油断をしたら本当にデルフリンガーに向かってぶちまけてしまいそうだ。さすがにそれは可哀そうなので、反応をしばらく楽しんだ後俺はバルコニーの柵を背に、ずりずりと倒れこんだ。

 そう座り込んでいると、顔に影が掛かった。

 

「何やってんのよ」

 

 その言葉に顔を上げると着飾ったルイズさんがいた。結い上げた髪といい、胸元の開いた大人っぽいドレスといい、中々どうして似合っている。もともと整った容姿の上、スレンダーなので西洋人形のような美しさだ。肘のあたりまである白い手袋も高貴さを感じさせる。まあ、正直異性として見たことがないので俺にとってはどうでもいいんだがサイト君には効果がばつぐんらしく、目も合わせられないようでそっぽをむいてしまった。なんか頬が赤くなってるし。

 座り込んだままというのも失礼だ。俺は柵を支えに立ち上がる。

 

「せっかくの舞踏会なのにこんな所でうずくまって……フーケの捜索隊に参加したってだけで今は大人気になれるわよ。普段バカにしていた私にまで言い寄ってくるやつらがいたくらいだしね」

 

「……ざけろ。いまくるくる回りながら踊った日には、回転しながら吐きちらすことになるわ。もう、いいから俺の事はほっといてサイト君と踊ってこいよ。使い魔君があれだけ頑張ったんだ、ご褒美やってもバチはあたらないだろ」

 

「……そうね」

 

 そう言うとルイズは顔を背けながらもサイト君に手を差し、こう言った。

 

「……あんたもまあまあ、頑張ったしね。まあ、踊ってあげなくもないわ」 

 

 

 

 ホールでは、ルイズとサイト君が踊っている。ダンスになれていないからだろう、他のペアと違いサイト君の動きはたどたどしくぎこちない。体はぶつけ、足は踏み、お世辞にも上手なダンスだとは言えない。しかしそんなダンスの出来とは違い、その表情は他のどのペアよりも柔らかくたのしそうだ。それにこうして見ている間にも少しずつ息があってきたように見える。

 それは無能(ゼロ)のメイジと平民の使い魔というかみ合っていない二人が、これから様々なことに立ち向かうことでお互いのことを少しずつ支え合い、信頼し合い、認め合っていく……そのことを暗示しているように俺には見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おえええええええええええ」

 

「……もう坊主はじっとしとけよ」

 

 またも湧き上がってきた気持ち悪さに、俺は再び座り込んだ。 




サブタイトルもいいものが特に思いつかず、にじふぁんの時と比べると、あたりさわりのない無難なものになってますが気にしないでください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話   ワルド登場

 今、俺は深夜の女子寮にいる。この一文だけでは、犯罪の香りがするが断じてそんな目的があるわけではない。むしろ正義の味方と呼んでもいいくらいだ。なにせ俺は犯罪を未然に防ごうとしているのだから。

 

 

 あれから……フーケ騒ぎだのフリッグの舞踏会だのが終わってから、俺がこうして女子寮に忍び込むまでの間に様々な出来事が起きた。

 といってもフーケ騒ぎのような一大事件がたて続きに起こるわけもなく、細々とした出来事がいくつか起きた、というだけだが。

 具体的にはサイト君がルイズに夜這いをしようとして返り討ちにあっただの、さらにサイト君が未だにキュルケに言い寄られていて、それが原因でルイズとの諍いが起きているだの、やっぱりサイト君がシエスタとの仲も少しずつ深めているようだ、だのの騒ぎはあったが、まあそれは俺には関係ないのでどうでもいい。

 そんなこんなで少なくとも俺は平和に静かに過ごしていたのだが、ある時ここトリステイン魔法学院に、我が国の王女、アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下が来ることになった。

 正直、貴族ってのは名前が長いほど偉いのではないか、と思っていた俺にとって彼女の名前の短さは印象的だったのを覚えている。ただ短いほうが憶えやすいし、それにこしたことはないだろう。さすがに自分の国の王女の名前間違えたら冗談じゃすまなそうだしな。

 まあ、そんなこんなで姫様が来たことでテンションの上がった知り合いに合わせたせいで疲れた俺は、知り合いのメイドさんに作ってもらった軽食を片手に月を眺めていた。ぼーっと空を眺めるのが結構好きなのだがこんなとこ見られたらナルシストだと思われそうで隠れるようにしていたせいだろう、誰かが俺に気づかずにすぐ近くを通っていった。音をたてないように気を付けてそちらに目をこらしてみれば、月明かりに黒いローブを羽織った人影が、こそこそと歩いていくのが見えた。

 確かそっちは女子寮だったはず……。黒いローブを羽織った人物が行く場所にしては怪しすぎる。しかしフーケ騒ぎが起きてそう経っていないこともあり、慎重に動くべきだと思った俺は、少しの間息を殺してじっとしていた。しばらくそうしているとその行動が正しかったことが実感できた。なぜならばさっきの不審者の後を追いかけるかのように、二人目の不審者が俺の近くを通っていったからだ。

 変質者をストーキングとは随分と高尚な趣味なことだ。俺はそちらに目をやった。

 ……フリルのような物がついたよくわからない服。遠目からでもわかる、よく手入れのされているであろう金色の髪。やや中性的な感のする甘さを感じる整った容姿。二人目の不審者の正体は……

 ……ギーシュだった。

 勘弁してくれよ。さっきの変質者はどうだか知らないが、女たらしのギーシュが夜中の女子寮に行くなんて目的は一つだろう。合意の元でなら好きにすりゃいいが、そうでないなら冗談ではすまない。いくらなんでも知り合いから性犯罪者を出したくはないし、一人目の不審者も気になる。そんな理由から俺はギーシュの後をつけ、夜中の女子寮に忍び込んだのだった。

 

 ギーシュの後をつけてみたのはいいんだが、気づかれないように距離をとっていたこと、女子寮という土地勘の無い場所だったこともあって迷ってしまった。しばらくうろうろしていた所、誰の部屋の前だかは知らないが、ドアに顔を近づけて何かしている人を見つけた。これで三人目の不審者だ。さすがに疲れてきたが、せめて顔だけでも覚えておこうと目をこらしてみた。

 ……ギーシュだった。

 なんかもう、頭が痛くなってきたがとりあえず今のところギーシュは別に問題になるような行動を起こしている訳ではない。ただドアに耳をつけてみたり、隙間らしきところに目を近づけたりしているだけだ。倫理的にも法的にもアウトな気がするが、ギーシュというキャラ的にはセーフな気がする。つくづくイケメンは得だと思う。まあ、とりあえず妙な事をしでかさないかしばらく見張っていることにしよう。

 

 

 ……ふと思ったのだが、今の俺も不審者っぽいのではないだろうか。ギーシュは女たらしだと思われているから夜中の女子寮にいても笑い話ですみそうだが、俺の場合は「深夜の女子寮でギーシュを監視していた人」という、女好きにもギーシュのストーカーにも思えるシャレにならない状況だしな。もうさっさとギーシュに「こんな夜中に女子寮の方に行くから、変なことやらかさないか一応ついてきたけど何もないみたいだしな。もう戻って寝るわ。おやすみ」みたいなこと言って帰ろう。一人目の不審者ももうどうでもいいや。なんとでもなるだろ。

 そう考えた俺はギーシュの方へと歩み寄り、その肩をたたこうとした瞬間、

 

「きさまーッ!姫殿下にーッ!なにをしてるかーッ!」

 

 何があったのか知らないが、ギーシュはいきなりドアを開け放ったかと思うと中に飛び込んでいった。そして、中に居たサイト君となにやらとっくみあいの喧嘩をし始めた。それを見てここがルイズの部屋だった事に気づいた俺は、ギーシュがルイズに気があった事に驚きつつも部屋の中を見渡してみた。部屋の中には、ルイズ、サイト君、ギーシュ、そしてどっかで見たことあるような女性がいた。俺の記憶が間違っていなければその謎の女性はとてもよく我が国の王女、アンリエッタ姫殿下に似ているような……。わきに黒いローブが脱ぎ捨ててあることから考えても一人目の不審者は彼女だったのだろう。

 ……ヤバイ。夜中の公爵家令嬢の部屋にお忍びでいらっしゃった王女様。……正直死亡フラグか陰謀の臭いしかしない。さっさとUターンして部屋に戻ろう。

 そんな事を考え始めた時、ギーシュの乱入でそちらに目を向けていたルイズと目が合ってしまった。

 

「……僕、ダンスのお稽古があるのでおうち帰ります。また明日、ごきげんよう」

 

 そう言って後ろを向き、全速力で駆け出そうとした時、

 

「待ちなさいよ、今の話を聞いといて帰れるわけないでしょ」

 

 そう後ろから声をかけられた。いったい話と言われてもなんのことだかさっぱりだが、今更「実は聞いてないんですよ」なんて言ったって信じてはもらえないだろう。

 つまりこれはあれだうん、好奇心は猫をも殺すってやつだな。

 

 

 

 

 

 

 

「……おまえの………どこに………」

 

「……ああ……ヴェルダ……」

 

「……そんなの……馬で……」

 

 ドスッ!!

 

「痛ったあ!!」

 

 隣にいたルイズに足を踏まれて目が覚めた。どうやら眠っていたらしい。こんな起こされ方をするのは二度目だ。三度目は無いように努力したい。

 

「もっと優しく起こしてくれてもバチは当たらないと思うぞ、ルイズ」

 

「姫様からの重大な任務の前に居眠りするような人に対する優しさは持ち合わせてなッ、キャアッ」

 

 いきなり目の前からルイズがいなくなったので何事かと思えば大したことはなかった。なにやらバカでかいモグラに押し倒されて転んだだけのようだ。モグラと人間という前衛的なカップリングを見て官能的だなんだと言っている残念な二人組、まあサイト君とギーシュのことだが……の話からするとこのモグラは、ヴェルダンデといいギーシュの使い魔だそうだ。で、なぜルイズを襲っているかだが、ルイズがアンリエッタ姫から預かった「水のルビー」という指輪に反応しているらしい。正しくは指輪についているルビーに反応しているんだとか。宝石が好きなんだそーだ。主に似て欲望に正直な使い魔だと思う。ペットは飼い主に似る、っていうからな。

 欠伸をしながら、涙の浮かんだ目でモグラと励んでいるルイズに視線をやる。

 ……それにしても色気のない絡みだ。下卑た欲求よりかは笑いが込み上げてくる。正直これに関しては、サイト君とギーシュの言うことはわからんな。

 ヴェルダンデで思い出したが、俺の使い魔も今回は連れてきている。これといった特徴のないただのフクロウだが、まあ飛ぶ速さとかは結構なものなので全く役に立たないってこともないだろう。

 結局昨晩、ルイズに呼び止められた後、ドア越しだったのでもう一度詳しく話を聞きたいと言って、姫さんの頼み事について聞いたのだが、これがまあひどい話だった。

 なんでも昔出したラブレターがかなり気合いの入ったできで、そんなモン見つかったら今度ゲルマニアとする政略結婚が破談になるかもしれないから、ちょっと内乱中のアルビオン行ってそこの王子様からそれを取り戻して来てくれ、ってな内容だった。

 たかが一生徒が内乱中の国に行って生きて帰れると思ってるのか、とか。政略結婚なんて血筋と立場が欲しいだけなんだから今更ラブレターごときで破談になるものなのか、とか。色々とつっこみどころはあるような気はするがそこは悲しき宮仕え、王女様に意見するなんておっかない事ができるはずもなく、頼み事という命令を承る他に選択肢はなかった。

 しかも深夜に相談に来て、明朝早くに出発します、という無茶っぷり。話を聞いてからすぐに遺書を書いて信頼できるメイドさんに渡したり、料理人をたたき起こしてから頭を下げて日持ちする食べ物を作ってもらったり、いざという時のために作成していたいくつかの魔法薬を大急ぎであるていど完成させたりしていたらもう出発時間ぎりぎり。寝てもしょうがないと思う。閻魔様だって『情状酌量の余地がある』、って言ってくれるレベルだ。……どうでもいいがフーケの時に、似たようなことを言った気がするな。

 そんなことを考えているうちに種を越えた愛はクライマックスへと進んでいた。あまり優しい訳ではない俺でもさすがにルイズが可哀想になってきたので、そろそろ助けてやろうかと思ったとき、突風が吹きモグラ……名前なんだっけ? ヴォルガノンだったか?を吹き飛ばした。そちらへ視線を向けてみると朝靄の中に人影が見えた。おそらく今の風はその人影の仕業だろう。こんな朝早くから一体、誰が何の目的でこんなところにいるのか知らないが、警戒するのにこしたことはない。そう思っていると一人の長身の男が朝靄の中から現れた。

 年の頃は三十前半といったところだろうか。服の上からでも鍛え上げているのがわかる肉体、鋭いまなざし、きれいに整えられた口ひげに気品漂う羽帽子。どこのどちら様だか知らないがおそらくここにいるメンバー全員で一斉にかかっても勝てるか怪しいものだろう。自分の力に絶対的な自信を持っていて、しかもそれは虚仮威しではない……そんな雰囲気がただよっている。やめときゃいいのに、先ほどヴェルダンデを吹き飛ばされたことに対して腹を立てたのか、ギーシュが彼へと声を荒げた。

 

「だ、誰だ貴様ッ!僕のヴェルダンデに何をするかあっ!」

 

「いや失礼。僕の婚約者が襲われていたようなのでね、少々手荒かとも思ったが対処させてもらった」

 

 そう言うと杖をしまう。

 

「ああ、すまない。自己紹介が遅れたね」

 

 そして帽子を取ると、張りのある凛とした声を上げた。

 

「僕はワルド、ありがたくも女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊の隊長をさせて頂いているしがない子爵さ。さすがに今回の様な大きな任務に君たちだけ、というのは心許ないと姫殿下は思われてね。しかし、お忍びの任務である以上あまり大勢の兵士を付けるわけにもいかない、そこで僕が指名されたってわけさ。よろしく頼むよ、君達」

 

 それを聞いて誰かがあっけにとられた表情でもしていたのか、ワルドさんは励ますように、人好きのする笑みを浮かべる。

 

「何、大した事はないよ。フーケを捕まえた勇敢な君達に風のスクウェアである僕が付いているんだ。何も恐れることはないさ」

 

 そう言うと、そのワルドさんは明るく笑った。

 

 ……内乱中の国へ極秘任務、強いイケメンが仲間に加わった、しかもそいつは話からするとあのルイズの婚約者。魔法衛士隊の隊長と聞いてギーシュは萎縮してるし、サイト君は嫉妬か何かで不機嫌そう。

 出発前からこれだけ不安だらけの旅もそうそうありはしないだろうなあ、そう思いながら俺は寝ぼけ眼をこすった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話   ラ・ロシェール

更新スピードも最初の方は随分と飛ばしてましたが、最近は忙しくて遅くなってきています。
一週間以内に更新していくと言ったので、できるかぎりそれを守ろうとは思っています。


「おい、ギーシュ。よくバラくわえてるけどそれって美味いの?一本くれ」

 

「これは僕の美しさを引き立てるための物だよ、食用じゃない。……さっきから変な事ばっかり言ってるけど大丈夫かい?ずいぶん疲れてるように見えるけど」

 

 疲れるのも当たり前だ。かれこれ半日以上馬に乗っているのだから。それだけならともかく前方には、新キャラのワルドさんが余裕しゃくしゃくのうえ、微妙にルイズといちゃつきながらグリフォンに乗っているのが見えるし、さらにそれを見てサイト君の機嫌もどんどん悪くなっている。正直意味のないことでもぐだぐだとしゃべってないとやってられない。だいたいモテるイケメンとか、見てると腹の立つ生き物はできれば俺の視界に入らないでほしい。具体的に言うと、ワルドさんには俺の視界に入らないでほしい。

 

「すまないがもう少し急いでくれないか!あまりに遅いと置いていってしまうよ!」

 

 こっちの気も知らずにそうワルドさん……もう呼び捨てでいいや、ワルドが怒鳴った。馬とグリフォンじゃ地力が違うってことをあの人わかっているんだろうか。あんたがあんまり飛ばすからこちとら二回も馬を変えているってのに。こっちの苦労もわかってほしいもんだ。

 

「「……やってらんねえ」」

 

 そうつぶやいた俺とサイト君は、ぐったりと馬の首にもたれかかった。

 

 

 

 あれからまたずいぶんと馬を走らせ、俺達はアルビオンへの港町、ラ・ロシェールの入り口付近に着いた。日は沈みしばらく前に沈んでしまい、もうあたりはすっかり暗くなってしまっている。

 

「港町目指してるんじゃなかったっけ?さっきから山登ってるような気がするんだけど」

 

「ああ、サイト君は知らないんだっけか?あー、まあ行ってみりゃわかるよ」

 

 だるすぎて説明するのもめんどくさい。まあ、もう少しで着くらしいので、気分的には幾分楽になってきたが。

 そんな事を虚ろな目をして、馬にもたれかかりながら考えていたところ何故か目の前に松明が落ちてきた。急に火を見たからだろう馬が驚き、暴れたせいで振り落とされてしまった。

 

「敵襲だ!!」

 

 そのワルドの一声を合図にしたかのように松明と矢が大量に飛んできた。 疲れて落馬したところへの不意打ちの急襲、情けない話だが俺にはなんの反応もできなかった。それに俺が頑張る必要はないだろう。なにせ、

 

「大丈夫だったかい?」

 

 こちらには風のスクウェアがいるんだからな。ワルドが杖を振ると突風が吹き、矢も松明も吹き飛ばしてしまった。グリフォンに乗って体力を温存していたのだし、これくらいはやってくれないとな。それにどうやら頼もしい助っ人も来たようだ。

 

「う、うわあああ。竜だ、くそがっ!竜がいるなんて聞いてねえぞ!」

 

 矢が飛んできたがけの上の方からそんな悲鳴が聞こえると共に、人が転がり落ちてきた。上を見上げればそこには二つの月を背景にタバサの使い魔であるシルフィードがいた。上にはタバサとキュルケが乗っているようだ。夜目のきく使い魔であるフクロウと感覚の共有をしていたので早めに気づいた俺はともかく、それ以外の人にとっては、ずいぶんとかっこいい登場だと感じたことだろう。全く、タバサもキュルケも美人で優秀で登場のタイミングまでも良いとは……どれか一つくらい俺に分けて欲しいもんだ。

 俺はため息を一つついて立ち上がった。そして服やマントについた土ぼこりを払いながら、賊が言っていたことを思い出す。

 『聞いてねえぞ』……。さっきの賊が言っていたセリフだ。言った奴にこの状況、どう考えたって予想できることは一つしかない。容疑者も思いつくのは一人だけだ。といっても、推理小説のように『犯人はこの中に』っていう訳でもないのだから、俺の知らない誰かの手引きの可能性の方が遥かに高いっちゃ高いが。

 まあ、どうでもいいか。

 なにせ証拠はもちろん無いうえ、動機もわからん。そんな難しいこと考えるのはまた今度として、今は……

 

「タバ公、俺もそっちに乗せてもらえない?」

 

 そう言って俺はまるでタクシーでも止めるかのように、右手を挙げた。

 

 

 

 それからしばらくして、ラ・ロシェールに付いた俺達はまず宿をとった。今はアルビオン行きの船があるかどうか聞きに行ったワルド待ちだ。

 それにしても疲れた。正直移動だけでこんなに疲れるとは思っていなかった。しかし軽く腰を叩きながら周りを見渡すと、疲れているのはどうやら俺だけで、他のみんなは案外ぴんぴんしている。

 よく考えたら、それもそうか。竜やグリフォンで来た奴等はそら疲れてないだろうし、ギーシュは軍人の家系、サイト君はあれで結構体力も根性もあるからな。ほんとなんで俺連れてきたんだか。きっとあの姫様には人を見る目が無い。

「おっとっと」

 倒れはしなかったが、少しよろめいてしまう。そういえば食事もろくにとっていなかったんだった。

 まずいな、本格的にくらくらしてきた。先に部屋戻って休ませてもらおう。このままじゃ何か起きたとき、足手まとい以下の存在になるのは間違いないしな。まあ、万全の状態でも役に立てるとは言い切れないが。

 

「皆、悪いんだけど、疲れたんで先に部屋に行って休んでるわ。なにかあったら起こしてくれ」

 

 さすがにこれからすぐに出発ってこともないだろう。俺は頼み事に対する了承の返事をもらうと部屋へ向かった。

 

 

 

 

 

「……やべえ」

 

 起きてみたら何故か夜だった。まさかとは思うがまる一日寝ていたんだろうか、起こしてくれてもよかったんじゃないかと思うんだが。

 下の食堂で騒いでいたギーシュにそう言ってみたところ、

 

「いや、一応朝起こそうとはしたんだよ。でもきみ、用もないのに起こしたんだったらはっ倒すぞ、ってすごい目付きで言ってきたからさ、出発は明日だって話だし寝かせておいてあげようと思ってね」

 

 ……それはどう考えても俺が悪いな。

 

「……悪いな、親切で起こしてくれたのに気を悪くさせるようなことしちまって。ごめん」

 

「はっはっは、別に気にしてないさ。それにしても普段ひょうひょうとしているきみでもあんな顔をするんだな、少しばかり驚いたよ」

 

 ……あれ?もしかしてギーシュって良い奴なのか?女好きという評判を聞いて偏見を持っていたのかもしれないな。

 とりあえず俺は酒を片手に、俺が寝ている間に何かあったかどうか聞いてみた。が、サイト君とワルドが決闘まがいのことをして、サイト君が負けたくらいで、他にはこれといって特に何もなかったようだ。まあ、決闘そのものは見ていないし決闘の理由も知らないらしいが。大方ルイズの取り合いとかそんな理由だろう、アホくさい。

 それにしてもピンク色の女の子のために頑張るヒゲとかどこの配管工だよ。杖持ってサイト君と闘ってる暇があったら、キノコ持ってカメと闘ってろよ。

 それからしばらくキュルケとタバサも含めた四人で飲んでいたら、武装した男達が入口を蹴破るような勢いでなだれ込んできた。

 

「隠れて!!」

 

 とっさにキュルケが、俺達で使っていたテーブルの脚を折り、それを立てて盾のようにした。これで油断さえしなければすぐにやられる、ってことはないだろう。

 ……そこからが長かった。ワルドが加勢に来てくれたのはよかったんだが相手も手練れの傭兵かなにからしくこちらの魔法の射程を見極めると、その外から矢を射かけてくるという嫌らしい戦法を使ってきた。あげくのはてにバカでかいゴーレムは現れるわ、上の方から破壊音はするわ……。破壊音がしてすぐ上から駆け降りてきたルイズとサイト君が言うにはこの襲撃にはフーケが参加しているとのこと。しかもその近くには謎の仮面の男もいたらしい。まったく冗談じゃない。こんな場面に出てくる怪しい男は頭が切れる実力者だと相場は決まっている。そんな奴が敵側にいるなんて面倒な予感しかしないぞ。

 

「これではらちが明かないな……」

 

 そうワルドがつぶやいた。そう思ってるのなら、お強い風のスクウェア様らしくなんとからちを明けてもらいたいもんだけどな。

 しかし、どうしたもんかね、こちらは全部で七人だ。傭兵を返り討ちにするには少なすぎるし、なんとか逃げだしてあいつらを撒き、ちゃっちゃと船に乗ってアルビオンへ行くには多すぎる。どこかで見つかるか、遅れた奴が捕まるのが関の山だろう。すると一番ベターなのは足止めとアルビオン行きの二組に分かれることなんだが……どうもあの「聞いてねえぞ」の一言が引っかかる。……しかたない、こうしよう。

 

「みんな聞いてくれ」

 

 とりあえずそう言ってみんなの意識をこちらに向けさせると、俺は自分の分散するべきだという考えを伝えた。

 

「なるほど、確かにそうだね。僕もそう提案しようと思っていたところなんだよ。では……」

 

「当たり前のことですがワルド子爵、ルイズ、サイト君はアルビオン行きでしょう。逆に他国の貴族であるタバサとキュルケは足止めの方がいいと思います。シルフィードがいますし、二人ともトライアングルなのでなりふり構わなければ逃げること事態はそれほど難しくないはずです。あとは俺とギーシュですが、治癒のできる水メイジである俺がアルビオンへ、ワルキューレなど多数と戦うことができる魔法が得意なギーシュが足止め、というのが妥当だと思いますが。いかがでしょうか、子爵?」

 

 この俺の考え多少ワルドに反対されたが、最終的には採用された。ワルドがしゃべろうとした所を遮って自分の意見を話したのは失礼だったとは思うが、彼にまかせると自分とルイズだけでアルビオンに行くといいだしそうだったので仕方がないだろう。あと、どうもワルドが怪しく感じるので行動を共にしておきたいというのも理由の一つだ。それに……ラ・ロシェールに着く前に待ち伏せをして襲い、着いてからも傭兵を雇い襲撃させる、そんなことをするやつがこれで手じまいってのは考えにくい。おそらく船までの道にも追っ手が潜んでいるはずだ。俺たちが二組に別れることまで読んでいたならそちらには手練れの者がいる可能性が高い。もしかしたらルイズ達が言っていた仮面の男が直々にかかってくるかもしれない。それが俺の狙いだ。とりあえず見てみないことには対策が立てられないからな、ワルドがこちらの味方であるうちにそいつに会っておきたい。まあ、これがこんな分け方にした本当の理由だ。

 

「じゃあ僕たちは裏口から桟橋を目指すから、奴等の注意を引き付けてくれ。じゃあ頼んだよ」

 

 ワルドはキュルケ達にそう言うと俺達に対しても気を付けるように言い、ルイズをかばいながら風のよう先に行ってしまった。

 ……それにしてもラ・ロシェールに来るまでといい、ルイズ偏重主義もここまでくると立派なもんだ。つーかあいつフェミニスト通り越してただのロリコンなんじゃないのか?なんか初めて会った時からルイズを見る目が変だった気がするしなあ。

 

「はあ……、まあいいや。じゃあ、キュルケにサマンサ・タバ公、行ってくるわ、フォロー頼む」

 

「わかった」

 

「はいはい、ダーリンも頑張ってね」

 

「ああ、二人も気をつけてな」

 

「いや、僕もいるんだがね……」

 

「いいからもう行くぞ。ほら、サイト君が先行してくれ」

 

 俺とサイト君はタバサのフォローによって、矢を防ぎながら通用口へと向かった。

 




改訂したものをのっけているだけなので、以前の物を読んでいてくれていた人は、展開などを知っているとは思います。
一応まだ投稿していないのがいくつかあるので、展開を変えることはできませんが、何か気になったことがあれば感想を付けてくれるとうれしいです。
やっぱり感想がついているとうれしいので。もちろん批評も大歓迎です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九話   アルビオンへ

「面倒なことになっちまったなあ、おい」

 

 裏口から店を出たとたん爆発音が聞こえてきた。おそらくはキュルケの仕業であろう、それを聞いて俺はそうつぶやいた。

 

「では行くぞ、諸君。桟橋はこっちだ」

 

 そう言ったワルドに続き俺達は桟橋へと向かった。ワルドがルイズを護るように先頭を歩き、ルイズ、俺、サイト君という順で行動している。まあ、最前列と最後尾は手練れがやるほうが安全だろうから、妥当な順番だろう。

 

 あれから俺達は月明かりをたよりに町を駆け抜け、階段を駆け上がり、一本の大樹の元へとたどりついた。暗がりできちんとしたサイズはわからないが大きめのビルくらいはあるだろうか。もはや逆に作り物にしか見えないようなその樹の枝にはそれぞれ船がぶら下がっている。これがラ・ロシェールが海沿いに無いにも関わらず港町と呼ばれている理由、空を飛ぶ船の停留所、いわゆる桟橋だ。後は目的地行きの船の所まで行くだけ……と言えば楽に聞こえるがぼろい木製の階段を登らなくてはいけないので、ここまで走り続けた身としてはだるいことこの上ない。

 

「ルイズー、疲れたんでおぶってくれ。船まででいいし、後でお菓子買ってあげるから」

 

「死んだら?」

 

 虫でも見るような冷たい目でそう返すとルイズは、樹を見て惚けていたサイト君に声をかけ、目当ての階段を見つけたらしいワルドの後を追って行ってしまった。全く、ああいう態度を取るのは俺が被虐趣味に目覚めてからにして欲しい。今されたってうれしくもなんともない。

 俺はため息を一つ付くと、サイト君と共に階段を登り始めた。

 

 階段の隙間からラ・ロシェールの明かりが見える。もう結構な高さまで登ってきたようだ。それにしてもキュルケ達は大丈夫だろうか、無事だと良いんだけど。

 

「アシル、もう結構登ってきたと思うんだけどまだ着かないのか?こんなとこきたの初めてだから、どれくらい登るのかわからねえんだけど。いいかげん疲れちまってさ」

 

「情けねえ事言ってんなよ、相棒。色々あって疲れてんのはわかるけどよ、貴族の娘ッ子でさえ弱音吐いてねえんだ。ここが男の見せ所って奴やつだと思うぜ。まあ、俺剣だから実は疲れたとかよくわからねーんだけどさ」

 

 サイト君からの質問に答えようと階段を登りながらも後ろを振り返ると、サイト君の後方の暗がりの中に人影が見えた。それにしては忍び足でもしているんだか、足音が聞こえない。古い木製の階段なので普通に登ればぎしぎしなるはずなんだが。

 ……こんな夜更け、それに町で騒ぎが起きてるのに忍び足で桟橋に来る用事があるなんて考えにくい。傭兵が追ってきたのだろうか、と俺が思った瞬間壁の隙間から刺した月明かりがそいつの顔を、仮面を照らした。

 

「サイト君!!後ろ!!」

 

「えっ!?」

 

 俺の声を聞き、サイト君が後ろを振り向くと同時に、その仮面の男は飛び上がり、サイト君と俺を飛び越えるとルイズの背後に降り立った。そして悲鳴をあげるルイズを気にもせずに担ぎ上げた。

 

「てめえはさっきの!!」

 

 サイト君の怒声からするに、やはりこいつがフーケと共にいた仮面の男のようだ。ルイズを助けようとデルフを振り上げたはいいものの、きちんと剣術を習っている訳ではないサイト君では、手元が狂ってルイズに怪我を負わせてしまう可能性が高い上に、仮面の男がルイズを盾にしないとも限らない。それがわかっているのか、サイト君も手が出せないようで振り上げたデルフを振り下ろす事に躊躇した。その隙をついてルイズを抱えたまま飛び降りようとした男は、ワルドが杖を振ることで生まれた風の塊をくらい壁にたたきつけられたが、その拍子にルイズが男の手から離れ、落ちていってしまった。

 

「チッ!!」

 

 ルイズはフライが使えない。このままではほぼ間違いなく死んでしまう……と慌てて俺も飛び降りてルイズを捕まえ、レビテーションか何かで助けようと思ったが、すでにワルドがやっていた。なんか見せ場が取られたようで少し悔しいがそんなことを言っている場合じゃない。ルイズが助かっても、襲撃してきた仮面の男はまだ健在なのだから。

そちらではサイト君がそいつと対峙していた。なんだかんだ言ってもメイジ相手の戦いはギーシュとフーケしか経験が無いサイト君では、相手が何してくるかわからないらしく攻めあぐねている。それを見た仮面の男は杖を向け呪文を唱え始めた。それにつれ周りの空気が冷え始めた。うっすらとだが、それらは帯電しているように見える。確か風の高位呪文にこんなのがあったような・・・・・・。俺の予想があっているのなら、これはまずいっ…・・・!!

 

「ライトニング・クラウド!!」

 

「ウォーター・シールドッ!!」

 

 破裂音と共に仮面の男の周りの空気が震え、サイト君向けて稲妻が走った。俺がサイト君の前に大急ぎで張った水の盾をたやすく貫き、それはサイト君に直撃した。

 

「が、あああああああああっ!!」

 

 一応デルフで防いでいたようだったが、通電したのだろう。断末魔のようなすさまじい叫び声と共にサイト君が倒れた。彼の左腕は焼けただれ、肉の焼けるような嫌な臭いが俺の方にまで漂ってくる。痛みのせいか気を失ってしまったようだ。サイト君を無力化することに成功したからか、仮面の男が今度は俺の方へとその仮面を被った顔を向けた。

 こんな足場の悪いところで逃げ切れるとは思えない、勝てはしないまでもワルドが戻ってくるかサイト君が目を覚ますまで時間を稼ぐしかない……。そう俺が気を引き締めた時、ルイズのサイト君を呼ぶ叫び声と共に、突風が吹き抜けるような感じがした。見れば仮面の男は吹き飛ばされ、その拍子に階段を踏み外し地面へと落下していった。おそらくルイズを助けて戻ってきたワルドがエア・ハンマーか何かの呪文を仮面の男に向けて放ったんだろう。

 ……さすがワルド子爵、風のスクウェア様々だ。俺の後方にいたということは仮面の男にはワルドのことが見えていたはず、さらにライトニング・クラウドが使えるということはあいつは風のスクウェア、低くてもトライアングルのはずだ。そしてルイズをさらうためかどうか知らんが、あれだけ傭兵がいたにも関わらず誰も連れずに一人で襲撃してきた。つまりそれだけ自分の実力に自信を持ち戦闘慣れもしていたということだ。それにも関わらずそんな奴をエア・ハンマー一発で倒してしまうとはな。……それはそれは、不思議な事もあるもんだ。

 サイト君に駆け寄り無事を確認する二人と共に今の襲撃者について話しながら、俺はワルド子爵に対する警戒を深めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? あんた何してんの」

 

「昼寝に決まってるでしょうよ、ルイズさん。他になにしようとしてるように見えるんだよ?」

 

「……そう、昼寝。ねえアシル、あなた今の私たちの状況わかってる?たぶんそんなことしてる場合じゃないんじゃないかなあ、と私は思うんだけど」

 

「そんくらいわかってるよ。空賊に監禁されてんだろ。ははっ、やべえなコレ、俺ら殺されるんじゃね? どうする?」

 

「なら少しは怖がったり焦ったりしなさいよ!! 普段通りの気の抜けた顔して!!」

 

「ばっかおめえ、こちとら怖くて今にも泣いちゃいそうなのを必死で我慢してるんだぞ? だからルイズ、おまえの薄っぺらい胸で我慢してやるから抱きしめて安心させてくれ」

 

「うるさいっ!!」

 

「いたあっ!!」

 

 まあ……そんなわけで僕たち絶賛監禁中です。

 

 

 

 

 こんなことになるまでの経過は実は大したことなかったりする。

あの後アルビオン行きの船までたどり着いた俺達は、今の状況では空を飛ぶためのエネルギー源である風石が足りないから、とアルビオン行きを拒む船長さんを足りない分は風のメイジであるワルドがなんとかすると説得し、やっとのことでアルビオンへと出発した。

 ワルドとルイズは今後の相談、サイト君は疲れたのか眠ってしまい、俺はサイト君の焼けただれた左腕の治療。そうやってそれぞれ時間を潰し、空に浮かぶアルビオン大陸が視認できると同時に空賊の襲撃を受けた。あちらの船の方がこちらよりも大きい上に、武装もあちらの方が立派、やむなく停船命令に従った。それによってあちらさん達がこちらに乗り込んできたが、戦力になりそうなワルドは船を動かすために頑張ったので精神力が打ち止めで役立たず、サイト君は戦おうとはしていたが左腕が完治していない上、あまりに多勢に無勢。そのうえ下手をすればルイズあたりを人質にとられて面倒なことになる可能性もある。そうワルドに説得されて諦めていた。

 そんなこんなで積荷の硫黄と身代金目的か貴族である俺達は哀れ空賊の手の中へ……ってな訳である。メイジ相手に当たり前の事だが杖や剣はとりあげられてしまったので、打つ手も無い。

 俺達を閉じこめている場所は普段倉庫にでも使っているのか砲弾や火薬といった危険物から、穀物の類が入っているであろう布袋まで様々な物が置いてある。これらを使えばいろいろできそうなこともあるが……まあそれは最終手段だな。

 

 

 

「それにしても悪いね、サイト君。中途半端な治療しかできなくて。杖が無いから治癒をかけてあげる事はできないけど、痛み止めの薬は持ってきてあるから飲みなよ、まだ結構痛むでしょ?」

 

 俺のメイジとしての腕が未熟というのもあるが、やけど自体がかなり重度の物だったこともあり、見た目はずいぶんと元に戻ったが、まだ動かすと引きつったような痛みが走るはずだ。

 

「いや、でもずいぶんと楽にはなったよ。ありがとな、アシル。いくらかは痛むけど戦うのには問題ない程度だし、そろそろ脱出のためにも動き出そうぜ。まず見張りの男をなんとかして倒すのが一番か?」

 

「はあ……使い魔君、君は少し血の気が多すぎるよ。脱出するといったってここは空の上だよ?その後一体どうするつもりなんだい? 見張りを倒すというのも後の事を考えていなさすぎだ。一度こちらが手を出せばあちらも暴力に訴えてくるだろうが、それはどうするんだい? 僕たち四人で空賊達全員を相手どるのは現実的ではないよ」 

 

「まあ、そんな感じだしさ、少し休みなよ。寝て起きれば腕の痛みもいくらか引いてるさ。おっとそれはそうとワルドさんにお礼を言っておきたかった事があるのですよ。ラ・ロシェールへの道中といい桟橋での仮面の男といいご迷惑をおかけしてすいません。お恥ずかしい話なのですが、実をいうと内乱中の国へ行くというのに準備を怠ってしまい……飲み水と治療用の薬、あと痛み止め程度しか持ってきていないものでして。こんなことになるのなら毒や麻痺薬なども持ってくるべきでした。考えが足りず、申し訳ない」

 

 そう言って俺はあぐらをかいたままとはいえ頭を下げた。気休め程度にしかならないだろうが、言っておくにこしたことはないだろう。まあ、この台詞が意味を持つようなことにならないのがなによりだけどなぁ。

 

「いや、気にすることはないよ。元々僕は護衛として君達に同行しているんだ。むしろ僕がついていながらこんな事に状況に陥ってしまったことをこっちが謝りたいくらいさ」

 

 するとワルドはそう返してきた。ありがたいことだ。元々罪悪感なんか砂粒ほども感じちゃいなかったが、それはおくびにださず楽になったような表情で、ワルドと今後の事について話し合う。するとそれを横で見ていたルイズが口を出してきた。

 

「で?」

 

「で? って……なんだよトイレか? 一人じゃ怖くて行けんのか?」

 

「ごまかすんじゃ無いわよ、アシル。あんたがそれだけ落ち着いてるってことは何か考えがあるんでしょ。それが脱出の方法なのか、私達が危害を加えられる事はないっていう保証なのかはしらないけど。さっさと言いなさいよ。姫様からの任務を忘れた訳じゃないでしょうね? 私達には、こんな所でぼーっとしてる暇なんてないのよ!」

 

「おいおい、これだから……察しのいい女はもてんらしいぞ、ルイズ。いい女ってのは男が浮気やらへまやらをやらかしても、気づかないふりをする美人でスタイルと性格の良い若いネエちゃんの事を言うんだ、ってオスマン学院長が言ってたぞ」

 

「次くだらない冗談でごまかそうとしたら、そこの樽に入ってる火薬をあんたの口に詰め込むわよ」

 

「おっかねえな、おい。……一応考えはあるがまだ証拠も根拠も薄弱でな、人に話すようなもんじゃねえんだ。どっちかってと都合の良い事を考えてそれに無理矢理、それがありえるかもしれない根拠を付け足したようなもんだからな。これを話して下手に希望を持たせるってのもなあ、外れてたら残酷だからな」

 

「それでも聞かないよりはましよ。私達はこんなところで座っている場合じゃない、でも大きな行動は起こせないんだから、せめて頭を使うしかないじゃない」 

 

「……ご高説どうも。……しょうがねえな、いいか聞け。俺の考えが合っているのなら、そのうち空賊さんの方から、『こんな時期にトリステイン貴族がアルビオンに何の用だ』って聞かれるはずだ。その質問に対してルイズ、おまえらしく答えろ。もし上手くいけば次は『アルビオンの貴族派か王党派のどちらの人間だ』って聞かれる。これにもルイズ、おまえの好きなように答えろ。これ以上は言えない、なんでかもだ。言わない方がいいから言わないんだ。それにそんなことにならない可能性の方がはるかに高いから、あんま期待すんなよ。わかったらもう休め。俺ももういいかげん疲れたんで寝てーんだよ」

 

 俺はそう言い終わると、自分の腕を枕にごろりと横になった。くだらない事言ってしまった。こんな考えが合ってる訳がないってのに、世の中って奴はそんなに都合良くできてはいないだろう。

 結局、具体的な説明をしていない俺に対してルイズが文句を言おうと、口を開こうとしたときだった。

 ノックもなしに空賊だろう、太った男が入ってくると近くにいたルイズにこう質問した。

 

「おい、おまえらトリステイン貴族が、わざわざこんな時にアルビオンに何の用があって来やがった?」

 

 ……まさかとは思うが、案外世の中という奴は都合良くできてるものなのだろうか?

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十話   対ワルド

感想を見る限り、以前投稿していたものを見てくれていた方が多いようなので、これからは改定は必要最小限にして、溜まっているものをどんどん投稿してしまおうと思います。
そうすれば以前の続きも早めに上げることができると思うので。


「自分で言っといて何だけど……おまえすごいな」

 

「当たり前よ、あんたと一緒にしないでよね! 私には貴族としての誇りがあるの。薄汚い反乱軍に頭を下げるくらいなら死んだ方がましよ」

 

 そう言うとルイズはフン、と鼻で息を吐いた。ワルドはいつも通りの余裕面だが、サイト君はあきれ果てたのか、口をポカンと開けて固まっている。

 正直俺も何もわかっていないだろうルイズが、ここまで毅然とした態度をとれたことには感心を通り越して軽くあきれている。 

 なにせ先ほど来た空賊に、この船は反乱軍の協力者であり王党派の連中を捕まえるように貴族派から言われている。おまえは貴族派と王党派のどちらだ?と聞かれ、堂々と

 

「王党派へのトリステインからの大使よ!」

 

 と言ったのだ。わざわざ貴族派なら港にまで送ってくれると言ってきたにも関わらずに、だ。正直この空賊騒ぎの裏がなんとなく推測できていなければ俺もサイト君と似た反応をしていただろう。肝が据わってんのか頭がカラなのか知らないが、正直すごいとは思う。空賊さんも呆れた様な顔をして、頭にこの事を報告してくると、行ってしまった。ご丁寧にも王党派だってのならただじゃすまない、と言い残して。

 

「こ……の……バカ! おまえはTPOってモンを知らないのかよ! 正直なのも時と場合を選べよ! どうなるかわかってんのか!」

 

「テッ……テーピーオー? 何よそれ、ご主人様にわかる言葉でしゃべりなさい! だいたいね、あんなやつらに下げるほど私の頭は軽くないの。ホラッ、アシル。あんたの言うようにしてあげたんだからさっさとあんたの考えを説明して、この愚かな使い魔に私の正しさを教えてあげなさい!」

 

 お互いの胸ぐらをつかみ合って言い争いを始めた二人を、動物園のサルを眺めるような気分で見ていたところ、こっちに飛び火してしまった。正直冷静になってさっきの空賊さんの言っていた事を考えれば、誰でもその変な部分には気づくと思うし、いちいち説明するのめんどくさいんだが。そんな俺の嫌そうな顔を見たのか、ルイズはつかつかと火薬の入っている樽へと歩み寄った。

 

「喜んで説明させて頂きましょう、美しいお嬢さん。ほら、あなたの白魚のような手に火薬は似合わない。だからほら、それを樽へと戻して。……ようし、ったくちょっと嫌そうな顔をしたくらいで、暴力に頼ろうとするんじゃねえよ。いい貴族ってのは男が嫌そうな顔やらへまやらをしても、火薬片手にこちらを睨んだりしない美人でスタイルと性格の良い若いネエちゃん……そうですねこの台詞二回目でした。待って、ルイズ、火薬はともかく砲弾はちょっと口には入らない。ほら冗談だから、悪かったから。……はあ、まあ茶番は終わりにするとしてだな、冷静になって考えればルイズとサイト君にもすぐわかるよ。面倒だから一番わかりやすい矛盾点を言うとだな、さっきの空賊さんだよ。どこの世界に王党派なのか貴族派なのか調べたい奴相手にわざわざ貴族派なら何もしませんよ、王党派なら痛い目に遭いますけどね、って質問する奴がいるよ。そう聞かれたら仮に王党派でも貴族派だ、って答えることくらいわかるだろ。あれじゃあ、取り調べになってない。その一点だけ見てもこの空賊騒ぎはおかしい。おそらくさっきのルイズの対応が一番だと思うよ。たぶんこの船は王党派だ」

 

 王党派でも貴族派って答えるだろう、のあたりで得意げな顔になったルイズに一発かましたくなったが、間違いなくやり返されるのでやめて置いた。できれば一生、火薬なんかを口にしたくはないからな。

 後今言った理由にプラスするとたかが空賊が交易に使われる輸送船よりもでかく、武装のしっかりした船を持っていること。貴族の子供二人に大人の貴族一人、それに平民らしき男一人、って組み合わせなら平民らしき男は貴族の子供を護るための傭兵か何か、と見るのが筋だろう。……まあ、サイト君自体まだ若いので傭兵とまではいかなくても、デルフを背負っていた以上、戦力として連れていることくらいは推測できたはずだ。それなのに殺さず武器を取り上げるだけだった。平民からとれる身代金など微々たるものである以上、身代金目的に貴族をさらったのならサイト君は殺されているはずだ。まさか空賊のくせに不殺を信念にしているってわけでもないだろう。

 まあ、これらの考えは後付になってしまうし、この船が空賊の物ではないとするには一つ一つの根拠が薄く、俺の勘違いや空賊に別の思惑があった可能性も高いが、先ほどの空賊の質問とあわせて考えるとがぜん意味合いを持ってくる。

 貴族派である方が圧倒的に得である状況下で貴族派か王党派か聞いてきたことからおそらくこの船は王党派。空賊の物にしては船が大きく武装も立派なのは王党派の軍艦だから。サイト君を殺さなかったのは貴族をさらったのが身代金目的ではないから。そう考えればまあ、筋は通るだろう。ということはこの船の頭はアルビオン軍のそこそこお偉いさん、ってところかな。

 そこまで考えたとき扉が開き、先ほど頭に伝えてくる、と言って出て行った空賊が入ってきて、こう言った。

 

「頭がお呼びだ。全員ついてこい」

 

 さあ、答え合わせと参りますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくつかの通路を抜け、階段を上がり船長室とおぼしき部屋へ俺達は連れてこられた。部屋の中央には大きなテーブルが鎮座しており、そこに一人の男が座っている。

 薄汚れたシャツに赤く日焼けした肌、ぼさぼさとのびた黒髪を赤いバンダナでまとめ、左目には眼帯をしている。いかにも荒くれ、といった雰囲気をまとったその空賊然とした男は、部屋に入ってきた俺達を残った右目でおもしろそうに見つめてきた。無精ひげで隠れた口元も愉快げにゆるみ、手にはメイジなのだろう、頭に水晶がついた杖を持っている。

 周りには武装した多くの空賊がいて、そいつらも同じようににやにやとこちらを見つめていた。入ってきた扉の前には、俺達をここに連れてきた男がそこをふさぐように立っている。つまり、反抗しても力ずくで抑えることができ、なおかつ逃げることも許さない、暗にそう言っているということだろう。

 

「頭、連れてきやした」

 

「ああ……さてと、嬢ちゃん。呼んだのはほかでもねえ、聞きてえことがあんだ。まあ、まずは名乗りな」

 

「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが筋でしょう。そうでなくても私達に対して大使としての扱いをしていない以上、あんた達なんかに名乗るつもりはないわ」

 

 頭の問いを無視しルイズがそう答えると、頭は目を少し見開いた後笑い出した。

 

「く、くくっ。いいな、気が強い女は嫌いじゃねえ。ただな、口の利き方には気をつけな。お国じゃあ俺より嬢ちゃんの方が偉くても、空の上ではそうもいかねえ」 

 

 そう言うと頭は立ち上がり、ルイズの方へ近づいて来た。

 

「もう一度聞くぜ、大使の嬢ちゃん。お前らは貴族派か、それとも王党派か? 貴族派ってんなら俺達の仲間みたいなもんだ、丁重にあつかってやらあ。しかし、王党派だってのなら大変だ。俺達は手を汚さなきゃならねえし、嬢ちゃん達は少しばかり痛いのを我慢しなきゃならねえことになる。なあ、どっちだ?」

 

「王党派だと言っているでしょう。あんた達みたいなのに頭下げて嘘をつくほど落ちぶれてはいないわ」

 

 そこまで言った時、焦ったサイト君がルイズの口をふさごうとした。しかし、近づいてルイズがかすかに震えていることに気づいたのだろう、複雑そうな顔をすると何も言わず、ただルイズの横に立って姿勢を正す。

 頭はルイズの答えを聞くと、ますます口元の笑みを深め、持っていた杖をルイズの首筋にあてた。

 

「そうかい、なら貴族派につく気はねえか? あいつらはメイジをほしがっているからな、いくらか協力すればたんまり金ももらえる。なあ、王党派の嬢ちゃん、これが最後の質問だ。貴族派について生きるか、王党派のまま死ぬか……よく考えて答えな。どちらにするんだ?」

 

「だから何回も……」

 

「王党派だって言ってるだろ」

 

 ルイズの言葉を遮り、頭の質問にサイト君がそう返した。ルイズと話していたのに横から口を挟まれた事に気を悪くしたのか頭はサイト君を威圧的な目で見ると言った。

 

「おめえは?」

 

「使い魔だよ。あんたらの言う嬢ちゃんのな」

 

「そうかい……俺もやきがまわったもんだな、使い魔にまで口答えされるとは。それにしてもうちの国の貴族よりトリステインの使い魔の方が誇り高い、ってのはなあ……全く情けなくて泣けてくるぜ。ああ、そういやあ嬢ちゃん、人に名前を聞くときにはまず自分からだ、だったな。じゃあ、まずは私から名乗らせてもらおう」

 

 そういうと頭はバンダナをはずし、眼帯をはずし、つけひげだったのかひげをむしり取り、かつらだったのだろう、ぼさぼさとした黒髪を帽子を脱ぐようにはずした。その下から現れたのは先ほどまでとは似ても似つかない精悍な顔をした金髪の青年だった。

 

「アルビオン王国皇子、ウェールズ・テューダーだ。さあ、これで名前を教えて頂けるかな、誇り高き大使のお嬢さん?」

 

 

 

 

 そこからの展開は俺は詳しくは知らない。ウェールズ皇子が本物かどうか確認するためにアンリエッタ姫殿下から預かってきた「水のルビー」と、彼の持っていた「風のルビー」とかいうらしい指輪を近づけた。するとその二つの間に虹の橋がかかったのだが、それが皇子である証明らしい。正直、指輪なんて盗んだりすりかえたりすることもできそうなものなので身分証明としての力はそれほどでもないような気がするがそれを言っていてはしょうがない、とそこは納得した。

 ちなみに空賊のふりをしていたのは敵の補給路を断つためだったそうだが、そんな危険な事を皇子様がやってたってのも納得いかない。正直こいつ偽物じゃないのかなあ、とは思うが外国の王族の顔なんて知らないからな、信じるしかないだろう。まあ、頭の隅にでも疑いは持ち続けておくつもりだが。

 そして俺達の目的である姫様の書いたラブレターは今手元にないということで、それがあるニューカッスルの城まで取りに行くこととなった。

 そして俺達は王党派のみが知っているらしい鍾乳洞のような抜け道を通り、貴族派たちの軍艦の目から逃れながらもニューカッスルの城までたどり着いた。ルイズ達は皇子の部屋へ手紙を取りに行ったが、俺は行かなかった。

 ウェールズ皇子も恋人へ伝えたいことくらいあるだろう。なら姫殿下の古くからの友人であるルイズに伝言を頼むくらいのことはするはず、それを邪魔するほど俺は野暮ではないつもりだったからな。ワルドとサイト君はついて行ったが、それは仕事だし仕方がないだろう。まあ正直、純粋にあの二人が、空気読めてないだけのような気もするが。

 その後城でパーティーが開かれた。なにやら、貴族派の連中が明日の正午に攻城を開始すると伝えてきたらしく、それにまず間違いなく耐えられないので最後の思い出作りの様な感じで騒ぎたいのだろう。まさに、後の晩餐というやつだなあ、と思った。

 ルイズ達はそれに出るようだが、俺はこちらも欠席させてもらった。滅びる国の貴族なんかと親しくする必要がない以上、大勢で騒ぐのがあまり好きではない俺が出る理由はないからだ。さすがに、ウェールズ皇子とその父であるジェームズ一世にはあいさつと、体調が優れないのでパーティーを欠席する旨は伝えたが、その程度だった。

 

 そうして、用意された部屋で休んでいた所、ノックの音と共にワルドが入ってきた。

 

「休んでいるところすまないが、きみに言っておかなければならないことがあってね」

 

 そしていきなりそう言ってきた。

 

「そうですか、わざわざすいません。で、なんでしょう?」

 

「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げることになった」

 

「……失礼ですが、おっしゃっている意味がよくわかりません」

 

「意味は今言った通りだよ。君は部屋にも行かなかったし、パーティーにもいなかったから知らないだろうが、僕はウェールズ皇太子の誇り高き勇敢さに惚れ込んでね、是非とも僕たちの婚姻の媒酌を、と頼んだところ快く引き受けて頂いたのだよ。しかし、残念ながら明日の正午にはここは貴族派どもに攻め込まれてしまう、だからこんな時にとは思うが、機会が明日しかないんだ。できれば君にも式に出席してもらいたいのだが、あいにくと式は避難用のイーグル号が出発するのとほぼ同時の予定なのでね、グリフォンで帰れる僕とルイズはともかく、君や使い魔君はそうもいかなくなった。だから残念だが君は今言ったイーグル号に乗って、一足早く帰ってくれたまえ」

 

「……はあ、わかりました。あー、一応空を飛べる使い魔を連れて来ましたので、使い魔ごしににはなりますが式は見せて頂きます。では……お幸せに」

 

 そう言って俺が頭を下げると、一言二言しゃべった後、ワルドは部屋から出て行った。

 それにしてもまさかこんな時に結婚式を挙げるとは……。ワルドもワルドだがルイズもルイズだ。あんの脳内パラッパラッパーめ、いくらイケメンの婚約者相手だからって、まさか戦地で式を挙げることに賛成するほどだとは思っていなかった。

 俺はため息を一つつくと、少し早いがベッドに横になった。さすがに誰かが起こしてはくれるだろうが、避難船に寝坊して乗り遅れたなんて笑えないからな。

 

 

 

 

「あんま落ち込むなよ、サイト君。女なんて星の数ほどいるさ」

 

「それ、ただし星には手が届かない、ってオチだろ。なんか聞いたことあるよ」

 

 次の日の朝、俺とサイト君はイーグル号の上にいた。まあ、横から見ててもサイト君がルイズに好意を持っていたことはわかっていたので、俺は失恋したサイト君を慰めつつも、式場に置いてきた使い魔のフクロウと感覚を共有し、式を見ている所だ。ちなみに今、式の方はルイズが登場したところ。なんか元気のない顔をしているがマリッジブルー……だったか?そんなやつなのかね。

 はあ、それにしてもなんで俺こんな出歯亀みたいな事してんだろ。

 

 

 

 

 

「あーほらさ、シエスタいるじゃん、シエスタ。あれサイト君に結構ぐらっと来てると思うからさ、押せばいけると思うよ」

 

「いや、けどさそんなあっちがダメだったからこっち、って男として最低じゃあないか? だいたい俺はさ……ん? なんだこれ?」

 

「どしたのさ?」

 

「いや、なんか左目が変なんだよ」

 

 そう言うとサイト君は左目をこすりだした。ゴミでも入ったのだろうか。

 式の方はいわゆる誓いの言葉の所だ。今、ワルドがルイズへの愛を誓った。それにしても頼りがいのある大人といった感じのワルドと、まだまだ幼さの残る容姿に小柄な体格のルイズが並ぶと変な感じだ。間違いなくどっかの条例に引っかかりそうな雰囲気が漂っている。

 

 

 

 

 

「ゴミが入ったときにあんまりこすると眼球を痛めるよ。今、水出すからそれで流しなよ」

 

「いや、そうじゃねえんだ。なんかぼやけて……うお! なんか見える!」

 

 いきなり目をこすりだした後、そんなことを言い出したサイト君。なんか見える、って言うか、そんなことを言ってる君がやばい人に見えるよ。

 式の方はなにやら妙な事が起きている。どうもルイズがワルドとの結婚を断ったようだ。女心と秋の空というやつだろうか、さすがにワルドが気の毒だな。

 と思ったが当のワルドの様子がおかしい。表情がひきつり、声を荒げ、世界を手に入れるとか言い出した。どうしたんだ? 使い魔ごしのせいで詳しい所まではわからないので状況の把握がしずらい。

 ……ん? 使い魔ごし……?

 

「……サイト君、今、何が見える?」

 

「んー、誰かの視界みてーだけど……たぶんルイズかな。ワルド見えるし」

 

「やっぱりか……急ぐぞサイト君! ルイズが危ない!」

 

「うおっ! なんだよ、アシル。ちょっ、危なっ!」

 

 俺はサイト君の手を掴むと、人をかき分けながらルイズ達が今居る礼拝堂目指して走り出した。

 くそっ、完全に俺のミスだ。ワルドが怪しいことはわかっていたのに。もし、仮にワルドが裏切り者なんだとしたら、目的なんて考えればわかったはずなのに。わざわざ俺達を離し、虚無の担い手である可能性のあるルイズとの結婚式に王党派の中心であるウェールズ皇子を呼ぶ、その目的なんて考えるまでもないことなのに。

 礼拝堂が見えるあたりまで来たとき、急にサイト君はデルフを握るとそこめがけて駆けだし、そしてその勢いのまま壁を突き抜けた。それに続くように礼拝堂の中に入ると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。

 座り込むルイズ、それに向けるように杖を構えるワルド、そしてそれを受け止めているサイト君。その近くに倒れているウェールズ皇子、服の胸のあたりが血で真っ赤に染まっている。おそらく生きてはいないだろう。

 

「てめえ……よくもルイズを! あんなにお前を信じていたルイズを裏切りやがって!」

 

「ふむ、何故これたのかと思ったが主人の危機が見えた、というところかね。それにしても困った事を言わないでくれよ、使い魔君。僕を信じるのはそちらの勝手だが、その信頼に応えるかどうかは僕の勝手だよ」

 

「ふざっけんな! くそがあっ!」

 

 そう怒鳴りながら斬りかかったサイト君をひらりとかわし、ワルドは俺達と距離を取った。三対一で圧倒的に不利なはずなのにも関わらず、ワルドの余裕は崩れない。人一人殺しておきながら、今までと何も変わらないような態度に口調。不気味にさえ感じてしまう。

 

「まいったな、三人相手か……。悪いが面倒なのでね、こちらも少々本気を出させてもらうが、まあ、恨まないでくれたまえ」

 

 そう言ってワルドが、風のスクウェアが、魔法衛士隊の隊長が、俺達に対し明確な殺意を持って杖を構える。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 そうワルドが呪文を唱えると共に、ワルドの身体が五人に分身した。 

 やっぱりか……。風のスクウェアであるワルドと繋がっているらしい謎の仮面の男ってあたりから感づいていたが、ワルドは偏在の魔法が使えるらしい。

 偏在、ようは実態を持った分身を生み出す魔法だ。一人一人が意志を持ち、魔法まで使えるという冗談みたいな魔法。それ自体がかなりの高位呪文なので、使える人は偏在を使わなくとも強い場合がほとんどである。つまり、元から鬼のように強い人が数人に増えるという戦う側からすれば悪夢のような呪文。

 正直それと戦わなければいけないことになってしまった俺の心は早くも折れてしまいそうだ。

 

「では、君とルイズの相手は僕がつとめさせてもらおうかな」

 

 そう言って一人のワルドがこちらへ近づいてきた。ガンダールヴを警戒しているのか残りの四人はサイト君の方へ向かった。

 ルイズは婚約者に裏切られ、殺されかけるというダブルショックのせいか、軽く放心していて使い物になりそうにない。つまり俺一人で風のスクウェアをなんとかしないといけないということ。

 

「……ワルド子爵、頼みがあります」

 

 ……しょうがないな。まず間違いなく無理だと思うが、やるしかないか。サイト君の方は四人相手に頑張っているんだ、一人くらいは倒してみせよう。……気は進まんけど、じゃあやるか。

 

「俺だけでも見逃しては頂けませんか?」

 

 水のラインが、風のスクウェアを倒す。そんな一世一代の大バクチを。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一話  死者を殺す

「俺だけでも見逃しては頂けませんか?」

 

 そう言いながらも俺は、懐に隠し持っていたビンを取り出し栓を抜くとワルドへ向けて投げた。そしてビンから飛び散る液体に対し、呪文を唱える。

 

「ウォーター・バレット!」

 

 すると散った液体が空中で無数の弾丸状に固まり、ワルドへと飛んでいった。

 

「なんというか……情けない戦い方だね」

 

 俺に向け嘲るようにそう言うと、造作もなくワルドはそれらの水の弾丸をよけ、そのまますさまじいスピードで俺に向けて飛んでくると、俺の胸部に蹴りを叩き込んだ。

 

「う……ごおっ!」

 

 蹴りが入ると共に身体の中で、生木を無理矢理折ったような音がしたような気がした。そのまま蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

「かふっ!……ってぇな、くそが」

 

 そう言いながらもなんとか立ち上がることはできたが、正直蹴り一発でもうヤバイ。胸のあたりにはすさまじい熱さと痛みを感じるし、壁にぶつかったときに軽く頭をうったのか少し足下がふらつく。これあばらかどっか折れてんじゃないか。

 それにしても、わかってはいたがこれほど圧倒的な差があるとはなぁ。

 ワルドの方を見てみると蹴った直後に後ろへと飛び下がり距離を取ったのか、俺とは少し離れた位置にいる。まずいな、妙な事をされないようにヒットアンドアウェイで戦うつもりか。

 

「さすがに……敵いませんね。けれども俺も生きて帰りたいんですよ。そこで、賭をしませんか?」

 

 俺がそう言うとワルドは怪訝そうな表情になった。当たり前だ、見逃したところでワルドには何の得もない。デメリットだけでメリットのない話を受けるほどバカではないだろう。

 

「そんな顔をしないでください。賭と言ってもまあ、簡単な話ですよ、あなたはライトニング・クラウドを撃ってください。僕はそれを全力で防ぎます。そして、僕が無傷ですんだのなら、スクウェアの攻撃をラインが防ぎきるなんて奇跡が起きたのなら、見逃してください」

 

「なるほど……まあ、いいよ。おもしろそうだ」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「それにしても本当にいいのかい? 僕がこんな何の得もない賭を受ける理由くらい君もわかっているだろうに……。変わった人だね」

 

「まあ、奇跡でも起きるかもしれませんしね。せいぜい上手くいくよう、始祖様に祈っておきますよ。ケホッ、あー痛え」

 

 ワルドにとって何の得もない賭、しかし俺は間違いなくワルドは乗ってくるだろうと考えていた。なにせ負ける可能性がほとんど無い上、仮に負けたとしても約束を守るかどうかはワルドの胸先三寸な訳だ。なら別に受けたところで損はしない。そして、今までの言動から推測するにワルドは加虐趣味というか、相手よりも上であると確認する行為が好きなように感じる。

 調子に乗ったガキが身の程知らずにも自分の攻撃を防いでみせると挑戦してきた、そんなシチュエーションを作ってやったんだ、それは乗ってくるだろう。

 

「じゃあ行くよ。まあ頑張ってくれたまえ」

 

 そう言ってワルドが俺へ杖を向ける。周囲の空気が冷え始め、ひんやりとした冷気が俺の身体を通っていく。

 おいおい、ただでさえこちとらピンチで背筋が冷えてるってのに。勘弁してくれよ、風邪引いちまう。

 

「ウォーター・シールド」

 

「ライトニング・クラウド」

 

 俺は呪文を唱え、水の盾を張る。それなりの精神力を込めたものなのでわりかし丈夫なはずなのだが、そんな俺の努力を無視するようにあっさりと稲妻が盾を貫いた。

 まあ、こうなるだろうなと思っていたので考えていたとおり左腕で稲妻を受け、杖と利き腕である右腕だけは守る。

 

「がっ……!!あ、あああああああっ!!かあっ、が、あああああああああああああああ!!!」

 

 痛い!いや、熱い!くそがっ!覚悟はしていたつもりだったがここまでだとは!

 あまりの痛みに足から崩れ落ち、焼けただれた左腕を胸に抱え込むようにうずくまった。肉が焼けるような臭いが鼻を突き、気分が悪くなる。

 

「おっと、ずいぶん手加減をしたつもりだったのだが。悪いね、あれでもまだ強すぎたか。それにしてもひどい臭いだな、ちゃんとしたものを食べてるのかい?」

 

 口元を歪ませながらワルドがそう嘯く。いや、手加減をしたというのは実際本当なのだろう。本気で撃ってきたのなら今頃俺は黒こげだ。まあ、ワルドの性格上手加減をするだろうとは思っていた。こちらが先に盾を張ってやれば、それを打ち破りながらもこちらに大けがをさせる程度に、威力を抑えるだろうと。加虐趣味者の長所を挙げるとすれば、即座にとどめを刺したがらない事だからな。

 それにしても痛え、くそが。その上俺を見下ろしやがって、そんなにスクウェア様が偉いかよ。

 

「ここまで……いくらスクウェアとラインだからって、ここまで力の差が有るわけがあるかよ」

 

 震える足に力をいれ立ち上がり、懐からまたビンを取り出すと栓を開ける。そして、ワルドを睨みつけると杖を向ける。

 

「なめてんじゃねえぞ、くそがっ! くらっとけ!! ウォーター・バレットォ!!」

 

 そう呪文を唱えると同時にビンの中の液体が水の弾丸となり、ワルドへ向け射出される。先ほどより精神力を込めた弾は段違いのスピードでワルドへ向かうが、それらは

 

「エア・シールド」

 

 その一言と共に、全ての弾丸はワルドの目の前で見えない壁に阻まれるように動きが止まり、ただの水のしずくとなってワルドの足下に滴った。それを見ると同時に俺は膝から崩れ落ちる。

 

「さて、これで打ち止めかな」

 

「見ればわかるだろうよ、ひげ親父。俺の精一杯を軽く防ぎやがって、ボケが、くたばりやがれ。ちくしょう……。さっきのライトニング・クラウドだってもう少し精神力を込めておけば防ぎ切れたかもしれなかったってのによ……」

 

「くたばるのは君の方だがね。さあ、せっかくだ。先ほどは手加減をしてしまったからね、せめてもの詫びに本当に全力でライトニング・クラウドを撃ってあげよう。そのラインごときがこの僕の攻撃を防ぎ切れたかも、などという愚かな勘違いを正すためにもね……」

 

「…………」

 

 そう言ってワルドがゆっくりとルーンを唱える。さっきと同じように少しずつ周囲の空気が冷えていき、ワルドが俺へと構えた杖の先には青白い電気が集まっていく。後は一言呪文を唱えればその電撃は俺を襲い、俺を肉から炭へと変えるだろう。

 ……やれるだけのことは全てやった。後は俺に運があるかどうかだ。

 

「これで最後だ。何か言い残すことはあるかい?」

 

「……長くなるけど構わないか?」

 

「いや、こちらも忙しいのでね。いいかげん君ごときにかける時間がもったいないのだよ。では、さよならだ。ライ……ト!?」

 

 そこまで言ったとき、ワルドの手から杖が滑り落ちる。そしてそれと同時にまるで糸が切れた人形のように倒れかけ、ひざまずくような体勢になった。

 それとは反対に俺は立ち上がり、痛む身体を引きずりながらワルドへと駆け寄る。

 

「な!?な…にをし……」

 

「おらああああああああ!!!」

 

 そのままワルドの顔を思い切り蹴り抜いた。鈍い音と悲鳴をあげながらワルドは後ろへと倒れ、落ちていた瓦礫に頭をぶつけると、うめき声と共に消えていった。つまり倒した、本物だったら殺していたということだろう。

 裏切り者相手に正当防衛でその上偏在だったとはいえ、もし人相手だったならば殺していたという事実は俺の右足に不快感を残した。

 それにしてもこうも上手くいくとは正直思わなかった。別に俺がやったことは大したことではなかったからな。ただ単に一度目は水で攻撃を行い、二度目は俺が作った特性の麻痺薬で攻撃したというだけだ。

 この薬は無色透明に近く、気化しやすい上即効性という結構自慢の出来だったんだが、時間が無かったので無味無臭とまではいかなかったのだ。だからなんとかしてこれの臭いをごまかしたうえで、これをワルドの近くに撒かなくては俺の勝利はなかった。

 そのために俺は事前に治療薬と飲み水しか持ってきていない、とワルドに伝えておいたのだ。そして一度目は実際に飲み水で攻撃をした。気休め以下だがこうすればワルドの液体に対する危機感が低下するかも、と思ったわけだ。そして実力差を認めないような事を言いながら、今度は麻痺薬で攻撃した。こうすればワルドは実力差を見せつけるため、攻撃をよけるのではなく受け止めるのではと思ったからだ。そして、それは上手くいった。気化しやすい麻痺薬が足下に撒かれた状況で、油断をしてくれた。

 後は臭いだ。そのために賭だ何だと言って俺に対して、ライトニング・クラウドを撃つように誘導した。そして、自分の左腕が焦げる臭いでごまかした、というわけだ。しかし、まさか自分の腕を臭い消しに使う日が来るとは思っていなかった。

 それにしても、上手くいったのがおかしいくらいに危うい博奕だった。

 ワルドが初めから殺す気でかかってきていたら、二度目の攻撃も受け止めずに避けたら、賭にのらずにライトニング・クラウドを撃ってこなかったら、麻痺薬の臭いに気づいていたら……。どれか一つでも上手くいかなかったら、今頃俺はウェルダンだ。ホント、まあ、よくこんな上手くいったと思う。

 だが、結果良ければ全てよし、だ。ラインの腕一本でスクウェアの偏在を倒したんだし、おつりがかえってくるくらいだろう。

 

「つあっ……」

 

 そこまで考えたとき胸と左腕から吐き気がするほどの痛みが伝わり、その拍子に膝を突いてしまう。くそ、こんなことをしている場合では無いというのに。

 振り向くと放心したルイズと四人のワルドとなんとか渡り合っているサイト君が見える。たかが一人偏在を倒したからといって何が変わるわけでもない。こちらもなんとかしなくては、さっきの俺の努力はなんの意味も無い。しかし、正直俺はぼろぼろであちらには俺をぼろぼろにしたのと同じ強さの奴がまだ四人も残っている。その上、偏在を倒したことでもう油断はしてくれないだろう。なら勝ち目なんて万に一つも無い。

 それにしてもデルフが格好良くなってるのは何があったんだ?

 俺は痛み止めを飲むと、治癒の呪文を自身へとかけながらルイズへ歩み寄った。

 

「よう、元気か?」

 

「あ、アシル……」

 

 振り向いたルイズの瞳にはいつもの強気な光が宿っていない。仕方ないだろう、信じていた婚約者は裏切り者で自分を殺そうとしてきたうえ、目の前で人が殺されるなんて初めてだろうし。

 

「私って何なんだろう……?」

 

 ぽつりとルイズがつぶやく。

 

「あなたは偏在のワルドを倒せるくらいの力を持っている。使い魔のサイトは見ての通り四人相手に互角に戦ってるわ。私だけ、何もできない……。私が強ければウェールズ皇子をお救いすることができたかもしれない。もっと気を張っていればワルドの裏切りにも気がついていたかも……。私だけ……いつまでも足手まといで……ゼロのままで……」

 

「何、的はずれな事言ってるんだ。お前がゼロなのは頭の中身じゃねえのか?」

 

「え……?」

 

 そう言ってもルイズの目に浮かぶのは疑問の色であって、怒りではない。

 ……これは重傷だな。

 

「サイト君見ろよ。くだらない事でちょくちょく鞭でうたれてるってのに、うってくるお前を守るために命がけじゃねえか。何もできない? 寝言言ってんなよ。会って半年も経ってない奴が命を賭けてもいいってくらいにはお前は良い女さ」

 

 そう言うとルイズの背中を軽く叩く。

 

「ほれ、立ちな。サイト君が、惚れた女を守るために風のスクウェアを打ち倒した平民、なんていう英雄になるか。力の差もわからずに格上に突っかかって返り討ちにあった間抜けになるか…。お前にかかってるんだ。使い魔の誇りくらい守ってやれよ、貴族なんだろ。ほれ、気の抜けた顔してんなよ」

 

 そう言ってやるとルイズは立ち上がった。

 

「ま、がんばれ。いつもみたいに自信満々な面して、薄っぺらい胸張ってよ」

 

「ファイヤー・ボール」

 

 そう唱え杖を振ると共に、一人のワルドの頭の近くで爆発が起こり、それをくらったワルドは消えていく。あと三人か。

 

「アシル……帰ったら憶えておきなさいよ。人をさんざんバカにして」

 

「嫌に決まってんだろ」

 

 背中を向けてそう言ってきたルイズに対し、そう返す。さっきみたいに静かな方が俺は好きだが、こうじゃないとルイズじゃないしな。

 そしてルイズは、軽く息を吸うとこう言った。

 

「やるわよ、サイト!」

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……ふう……。何とかなったな」

 

「ええ、でもこれからどうするの。あのレコン・キスタの連中はもうすぐここにもくるわ。なんとかして逃げ出さないと……」

 

「…………」

 

 ルイズが加勢した後、元から速かったサイト君の動きは見違えるようにさらに速くなりワルドを圧倒した。逃がしこそはしたが、左腕を切り落として追い返した。風のスクウェア相手なのだ、奇跡的な勝利と言ってもいいだろう。しかし、ワルドをなんとかしても反乱軍、レコン・キスタの連中の動きは変わらない。遠くから砲撃や悲鳴が聞こえている、もうしばらくしたらここにも攻め入ってくるだろう。その前になんとかして助かる方法を考えなくてはならない。

 

「悪いね、皇子様。バカな俺にはこれくらいしか思いつかないんだ」

 

 そう呟いてウェールズ皇子の死体に歩み寄る。ちなみにルイズ達は少し離れたところで休んでいる。疲れているのだろう、こちらのことは気にしていないみたいだ。そのまま皇子の死体のそばまでくると頭の横に膝を付いた。

 

「ルイズはともかく俺とサイト君の顔を知っている奴はレコン・キスタにはいないだろう。ならあんたの首を持って自分たちはスパイとして潜入していた、と言えばやり過ごせるかもしれん。そうやって時間さえ稼げればもしかしたら逃げ切れるかもしれないんだ。だから、許してくれ。その代わりと言っちゃ何だけどこの風のルビーは形見だって事で、責任もってあんたの恋人さんに渡しておくさ」  

 

 そう言って、指からルビーを抜き取り、ポケットへとしまう。

 そして息を一つ大きく吸うと、ウェールズの首筋に杖をあて、呪文を唱える。

 

「ウォーター・カッター」

 

 

 

 

 

 俺が蹴り殺したワルドは偏在で、裏切り者で、正当防衛だった。

 俺が首を切り落としたウェールズはすでに死んでいて、それは仕方のないことで、少なくとも俺に非はないはずだ。

 それでも足と手には不快な感触が残っている。それは達成感なんかじゃ間違いなくないが、罪悪感とも違う気がする。このこびりつきような不快な感覚は何なのか? それについて考えるのに疲れた俺は、ほんの少しの間だけ、と自分に言い聞かせ目を閉じた。

 

 

 

「何をしているの?」

 

 目を開き、声の聞こえた方を向くと、何故かそこにはタバサがいた。サイト君達のほうを見てみればギーシュとキュルケもいる。その近くの床に穴が開いているが、おそらくそこを通って来たのだろう。

 

「どうしたんだ?」

 

「迎えに来た」

 

「そうかい。それはどうも」

 

 言葉少なにそう返す。タバサ達も大変だったのだろう、という事くらいわかってる。遊んでいて遅れたのじゃないんだろうな、ってのもわかってる。それでも必要以上に口を開いたら、タバサを責めそうで、もう少し早くきてくれればワルドの偏在を蹴り殺さないですんだのに、ウェールズの首を切り落とさないですんだのに、そんな八つ当たりをしてしまいそうだった。我ながら情けないことこの上ないな。こみ上げる苦笑をかみ殺し、タバサへと向き直る。

 

「じゃあ、帰るか……。タバサ」

 

「……」

 

 そう声をかけると何故かタバサは少し驚いたような顔をした後、うなずいた。

 いつもなら微笑ましさを感じるだろう、そんなタバサの表情を見ても感じるのか妙ないらつきと不快感だけだ。どうかしてるな、今の俺。

 帰ったらまず寝よう。寝て起きればいつも通りの俺のはずだ。

 そう考えるとタバサに続き、俺は穴へと飛び込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十二話  ラグドリアンへ

とりあえずどんどん投稿していこうと思います。
一応見直して余程変な部分は直していますが、何か気になるような部分があれば教えてもらえるとうれしいです。


「よう、マリベル。元気だった?」

 

「……何度も言ったと思いますが、私はアラベルです」

 

 アルビオンの騒動から帰ってきた翌日、見覚えのある金髪のメイドさんを見つけたので、声をかけた。

 本人も言っているが彼女の名はアラベル。後ろで一つにまとめた金髪に青い瞳というこの世界では極々平凡な見た目を持つメイドだ。この学院の使用人の中では俺と一番親しい子でもある。

 ちなみに、アルビオンの事に関してはルイズとアンリエッタ姫殿下間の秘密の任務だったこともあり、俺がその後どうなったかの会談に加わることは出来なかった。一応、風のルビーは姫様に渡すように言ってルイズに渡しておいたが。まあ、言いたくはないが王族としての精神があまり完成しているように思えないアンリエッタ姫殿下と関わっても、メリットはあまり無いと思うので、会談に加われなかったのは逆に良かったかもしれない。正直、こんなに苦労した褒美も、治療などに使った薬品代などが出ないというのは予想外だったが。これじゃ、苦労した分だけ丸損だ。

 まあ、そんなこんなでとりあえずアルビオンへの冒険は終わった訳なので、預けていた遺書を返してもらいに来たわけだ。

 

「まあ、半分あってんだしいいじゃん。それより手紙渡しといたろ? あれ、返してくれ」

 

「ああ、そうでした。私あれについて言っておきたい事が山ほどあったんです。何なんですか? あれ」

 

 ただでさえ普段から無愛想というか無表情なのに、手紙の返却を求めたら眉間にしわが寄ったんだが、どうしたんだこの子。なにやら不機嫌な感じだ。俺が何かやらかした憶えはないんだけど。出発前夜にマルトー親方を起こして保存食を作ってもらい、ついでにその時アラベルに手紙を渡すよう頼んだだけだったはずだが。

 

「アシル様は私の事をどう思っています?」

 

「なんか残念なメイド」

 

「なんか残念な貴族に言われたくはないんですけど。まあ私達はそういったドライな関係のはずですよね?」

 

「まあ、ねちょねちょした関係ではないな。それなりに仲は良いつもりだけど」

 

「そこは同意してもいいですけど……。いや、それは置いておきまして。このあいだの朝いきなりマルトーさんがにやにやしながら、アシル様からだと手紙を渡して来たんですよ。私もアシル様も年頃ですし、長い付き合いですから。マルトーさんはもちろん、それを見ていた使用人の皆さん達に私達、……まあ、その、そういった類の手紙を送り合う仲だと、思われているようなんですよ」

 

「……まじでか? それは悪かったなあ」

 

 困った時の癖だが、左手で頭をかきながらそう返事をする。

 まあ、マルトーさんに手紙を渡すよう頼んだのは、命の危険があるアルビオンに行く直前だったからなあ。

 真剣な顔をした男性が女性に手紙を渡すよう頼む、なんてシチュエーション、確かにラブレターか何かだと勘違いしても仕方ないか。

 ん? するとこいつ俺と恋仲だと思われているから不機嫌なのか? 

 ……なんだかなぁ、別に惚れてる訳じゃないが切ない話だ。

 

「いえ、それは別にいいんです。問題は手紙の内容です。正直私もそういった類の手紙だと勘違いしまして、生憎と恋愛経験というものが無いので、手紙をもらった時はまあ、それなりに、多少、なんというかドキドキしたんですよ。そして、そんな気分で手紙を開いてみたら一行目に『もしも私が死ぬような事が起きた場合のため、ここにお世話になった方々に対しての感謝と私財について書き残しておこうと思う』ですよ。なんだか裏切られたような気分にはなるわ、それなりに不安になるわで……心配したんですよ、まったく。そんな危険な目に遭う可能性があったのなら一言くらい言っておいてくださってもいいのではないかと思うのですが」

 

「いやいやそれは悪かったけどさあ、俺も大変だったんだって。夜中にいきなり明日の早朝出発だって知らされたんだからさ、仕方ねーべよ」

 

「はあ……一応貴族様ですからね、色々あるんだというのはわかっているつもりですが。しかし次からは私に、事前に、直に、言ってください。普段親しくしている人が突然いなくなるというのはあまり気分の良いものではありませんからね。言いたい事はそれだけです。はい、どうぞ。お預かりしていた手紙です」

 

「あいよ、確かに。ま、今後何かあったらきちんと言うよ。まあ、そうそう危険な目に遭う事なんて無いと思うけどな」

 

「そう願いますよ。ま、精々頑張ってください。応援も協力もしませんが、傍観はしますから」

 

「そらどうも。心強くて涙が出るよ」

 

「いえいえ、喜んで頂けたのなら何よりです。あ、後マルトーさん達も心配していたので後で顔だけでも出してあげてください」

 

「あいあい、わかったよ。ほんじゃ、またな」

 

「はい、失礼します。」

 

 頭を下げたアラベルに対して、軽く手を振って別れると俺は自室へと戻った。

 

 

 

 

「恋愛ねえ……」

 

 自室のベッドの上で、自分の腕を枕に横になりながらそんな事を考えてみる。

 恥ずかしながら……になるのかはわからないが俺には惚れた腫れたの経験が無い。蓼食う虫も好き好きと言うし、誰かに惚れられてた、というのはもしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも誰かに惚れる、という経験をしたことが無い。正直キュルケやギーシュ、サイト君達が恋だの愛だのがどーしたこーしたと騒いでいるのを見るたび、自分が出来ない事をしているのを見るようで少しだけ羨ましく感じることもある。

 

「作ってみようかなぁ、惚れ薬」

 

 もともと興味のある分野だったので、これでも一応心に作用する薬についての知識は一通り持っている。そのなかには惚れ薬についての物もある。それを飲んでみれば誰かに惚れる、という感情を体験することはできるだろう。

 様々な薬を作ったり、実験をしたりしているので材料もある。材料の中でも入手が一番困難な水の精霊の涙も市場に流れるたびに可能な限り手に入れるようにしているので、そちらも問題は無い。なにせ心に作用する薬や高い効果の物を作る際には絶対とまではいかなくともそれが必要になるのだ。大量に用意しておくにこした事はない。といってもバカ高い上、滅多に売られないのでビンにそこそこといった程度だが。知識と材料は揃っているのだ。惚れ薬を作ることは可能な訳だが。

 ……さすがに惚れ薬ごときに使うのももったいないか。だいたい、自分の意志でとはいえ心を薬でどうこうってのも良い気がしない。

 そう考え諦めると、俺は目を閉じる。疲れからかすぐに睡魔が訪れたので素直に意識を落とした。

 

 だるかったんで授業は二日連続でさぼってみた。というか、ワルドに蹴られたあばらのあたりが折れていたようで、治療にそれだけかかったというのが真相だが。気が抜けたからだろうか、アルビオンから帰ってきた翌々日から痛み出すというのが、またいやらしい。

 それにしてもそれらの怪我を自作の秘薬と呪文で治したのでまたもや赤字だ。勘弁してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まいったわね……元々珍しい物ではあったけど入荷が絶望的だなんて……。けれどもなんとかしないと……もしもあの平民やルイズの口から王女様にこのことが伝わったとしたら、私だけじゃなく実家の方にまで迷惑がかかるわ。こうなったら本当にラグドリアン湖にまで行くしかないのかしら……。

 いや……一つだけ方法があったわ! あいつなら持っているかもしれない。正直借りを作るどころか関わるのもできれば遠慮したいけど、そうも言っていられないわね。仕方ない、行くだけ行ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

 怪我の方が完治したので薬の作成や研究をしていたのだが、気付けば月が出るような時間になっていた。この調子なら明日からは授業に出ることができるだろう。

 今日はもう横になるか。そう思い椅子に座ったままのびをしたのと同時に部屋のドアがノックされた。

 

「誰だ? こんな時間に」

 

 そう思いながらも、ドアを開ける。そこにいたのは……

 

「ミス・モンモランシー?」

 

 金髪のドリルが似合うクラスメートだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな時間に来るとは、何か用でも? ギーシュならいないが」

 

「いえ、ちょっと頼みたい事があって……。廊下でするような話じゃないし、部屋に入れてもらえない?」

 

「ん、ああ、気が利かなくて悪いね。少し散らかっているけど、どうぞ入ってくれ。今お茶でも出すよ」

 

 私が訪ねた部屋から出てきた男はアシル・ド・セシル。確か二つ名は「水薬」のアシルだったはず。私の二つ名である「香水」と微妙に被っているような気がしたり、自作の香水を町で売っている私と同じように怪我や病気に効く薬を町で売っていたりと、変な所で妙に私と似ている奴。今の会話でわかるように悪い奴ではないと思うのだけれど、正直私は好きじゃない。

 部屋に通された後、椅子に座って待っているとすぐに紅茶が出てきた。用意したにしては早すぎるし、元々自分で飲みながら何か作業でもしていたのかしら。すこし、部屋が散らかっているようだし。

 一言お礼を言って紅茶を頂き、人心地ついたところで向かい側に座った彼に向け用件を話す。私はここにお茶会をしに来た訳じゃないんだから。

 

「で、わざわざあなたの所に来た理由なんだけど、……えっとね、その……、水の精霊の涙を持っていたら分けて欲しいのよ、あなたなら持ってるんじゃないかと思って。もちろんお金なら払うわ」

 

「……金があるんなら買えばいいんじゃないのか? 売ってる所くらい知ってるだろ、『香水』のモンモランシーなんだし」

 

「そりゃ行ったわよ! けど売り切れの上に水の精霊と連絡が取れないとかで入荷も絶望的みたいで……。これであなたが持ってなかったらラグドリアン湖にまで行かなくちゃならなくなるかもしれないのよ。だからお願い! 持っていたら分けてもらえないかしら?」

 

「へえ、そりゃ大変だ。……ところで俺の所に来た理由はそれだけ? 実は秘めたる想いを胸に、夜這い……とかおもしろそうな理由は無いの?」

 

「冗談でもそんなバカな事を言うのはやめて欲しいわね。そんな理由も想いも無いし、あなたとお茶会するために、こんな時間にわざわざ部屋に来たりはしないわ。水の精霊の涙が欲しいだけよ」

 

 少し興奮気味にしゃべったせいか、喉が渇いたので紅茶に口をつける。それと同時に彼が口を開いた。

 

「で? 惚れ薬を飲んじゃったのは誰?」

 

「ぶふっ!!」

 

 それを聞いて私は紅茶を吹き出してしまう。何? 今のは私の聞き間違い?

 

「飲み物を吹き出すとかはしたないぞ、モンモランシー。いやいや、それにしてもマジかよ? 結構な大事だぞ、それ。で、誰にやったのさ? 故意? それとも偶然? いや、わざわざ来たんだ。故意じゃないか。事故か何か、ってとこかね」

 

「げほっ、げほっ、こふっ……。な、何を言っているのかしら? 何を根拠にそんな事を……」

 

 むせながらも私はそう言い返す。そんな私を見ながら彼は、悪戯を思いついた子供のような少し楽しげで得意そうな表情で話し始める。

 

「まず、こんな夜更けにわざわざ大して親しくも無い男の部屋を訪れてまで水の精霊の涙が欲しい、ってことは至急必要だって事だ。そうじゃないなら別に明日の朝やそれ以降でもいいんだしな。さらにあれを使って作る薬って言ったら、惚れ薬か心をいじったり、えげつない効果を発揮するような毒薬、または効果の高い治療薬ってとこだろ。生憎モンモランシーが毒薬使うような奴には思えないし、思いたくない。なら残りは惚れ薬か治療薬関係に絞られる。そして至急、水の精霊の涙を使うような治療薬が必要な状況になった、もしそんなことになってるなら、いくらばれたくないんだとしても座ってお茶飲んでるような余裕は無いだろ、いくらなんでももっと焦ってるはずだ。つまりこれも無い」

 

「……」

 

 私は言い返すことも無く、ただ彼を呆然と見返していた。

 これだ。私が彼の事が好きでは無い、いやどちらかと言えば嫌いなのはこれだからだ。

 自分の都合や内面はくだらない冗談で覆い隠しているくせに、人のそれは見透かしてくる。少なくとも私はそんな彼を好きにはなれない。

 そんな私を見ながら彼は続ける。

 

「まあ後は楽だろ。惚れ薬が至急必要って状況なんて、……もしかしたらあんのかもしれないけど俺は思いつかない。ってことは、それの解除薬。で、狙った相手……モンモランシーの場合はギーシュか? に使ったのなら解除薬なんか必要にならないから、それ以外の奴が飲んじまった。だから解除薬が必要になったけど、水の精霊の涙は惚れ薬を作る分量しか用意しなかった、その上店に行ったら売ってない。そんな訳で仕方なく俺の所に来た、と。こんなとこか、ちなみにこれで合ってる?」

 

「……ええ。その考えに飲んだのはルイズで、あの使い魔が相手ってのを足せば完璧よ」

 

「うわっ! まじかよ。ルイズがサイト君にべた惚れ中かー。それは見ておかないと損だな。後で会ってこよう」

 

「……事情はわかったでしょう。お願い、水の精霊の涙を分けてちょうだい。さっきも言ったけどお礼はするわ」

 

「そりゃ、『水薬』って呼ばれてるしな、持ってはいるけど……ごめん、断らせてもらうわ」

 

「は、はあっ!? あなた私をバカにしてるの!? いや、そうじゃなくとも知り合いが困ってるんだから手を貸してくれたっていいでしょう!?」

 

「い、いや、そうじゃないんだ。勘違いしないでくれ、モンモランシー」

 

 私がそう声を荒げると、少し焦った様にそう返事をしてきた。勘違いも何もないと思うのだけれど。

 

「モンモランシ家って確か水の精霊との交渉役を何代にも渡って努めて来てたろ? なら、水の精霊もモンモランシーの呼びかけなら答えてくれると思うんだよ。俺、一度水の精霊と会ってみたかったんだ。俺が水の精霊の涙を渡さなきゃラグドリアン湖行って、精霊と交渉するつもりだったんだろ? それについて行きたいだけなんだよ。もしそうしてくれれば、精霊との交渉が上手くいかなかったとしても、水の精霊の涙どころか解除薬を作って渡すよ、お金もいらない。……だめかな? 」

 

 そう言うとこちらを伺うような目で見てきた。意図はわかった。正直、ここで素直に水の精霊の涙を渡してくれれば話は早いのだけれど、本人にその気が無い以上仕方がない。それにここで断っても何の得も無いわけだし……。

 

「……しょうがないわね。わかったわ、元々ラグドリアン湖に行くつもりだったし、一緒に行く人が一人増えるだけだしね。いいわ、付いてきなさいな。あ、解除薬の話、忘れないでよ」

 

「わかってるよ、悪いね、無理を聞いてもらって。で、いつ行くつもりなんだ?」

 

「明日の早朝よ」

 

「……え?」

 

 そう伝えると、彼は頭を抱えてしまった。なにやらまたかよ……、とか呟いているのが聞こえる。

 ……一体どうしたのかしら?

 

「……大丈夫? どこか体調でも悪いの? そういえばここ何日か見なかったし」

 

「ああ、いや別にどっか悪いわけじゃないんだ。ただ、前日の夜に計画立案、翌日早朝に出発ってのがこないだあったばっかでね。また、そんな事になるとはなー、ってだけだよ」

 

「ふーん……案外忙しく生きてるのね」

 

 なんというか、普段はのんびりしているイメージがあったけれども色々大変なのね。

 

「……まさかまた、大冒険が待ってるんじゃねえだろうな……」

 

「何か言った?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 何か呟いたみたいだったけれど小声すぎて聞こえなかったわ。まあ、大した事じゃないでしょう。

 

「じゃ、私はもう部屋に戻るわ。明日はよろしくね」

 

 そう言って椅子から立ちあがり、ドアへと向かう。さすがにもういい時間だ。明日のためにも、もう部屋に戻らないと。

 

「ああ、おやすみ。こちらこそよろしく頼むよ。じゃ」

 

 そうあいさつを交わすと私は、自室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三話  水の精霊

「で、何で私までこんなところにいるんでしょうか?」

 

「到着してから言うあたり、わかってるな。カウベルにはつっこみの才能があるよ」

 

「だからアラベルだと何度言ったら憶えるのですか。いい加減貴族様といえど締め落としますよ」

 

 俺は後ろにいるアラベルとそう言葉を交わす。馬に乗れないということでわざわざ乗せてきてあげたのに、この子礼儀ってもんを知らんのか。まあ、半ば無理矢理連れてきた俺が悪いと言えば悪いのだけれど。

 目の前には日の光を浴びてさんさんと青く輝く湖が広がっている。これが今回の目的地であるラグドリアン湖である。

 

「で、本当になんで私は連れてこられたのですか? いきなり朝早くに来たと思ったら『ラグドリアン湖に行くのに付き合ってくれ』って。あれはお誘いというより、もうほとんど拉致か誘拐でしたよ」

 

「迷惑かけて悪いけど我慢してくれ。いや、俺も本来は一人で来るつもりだったんだよ。ただな……あっちを見てくれ」

 

 そう言って俺は馬に乗った近くの二人、具体的にはサイト君とルイズの方を指さす。

 

 

 

 

「サイト……ぎゅってして」

 

 サイト君の胸によりかかりながら、顔を見上げそうささやくルイズ。

 

「ぎゅ、ぎゅってしてって……もうしてるだろ。これ以上強くすると痛いんじゃないか?」

 

「痛いくらいでいいんだもん。強くぎゅってして、昨日首筋につけてくれた痕みたいに痣でもできれば私がサイトのだってみんなにもわかるもん。そうすればサイトは私以外の子を見なくなってくれるって、信じてるんだもん」

 

「ほ、ほあああぁぁぁぁ……」

 

 なにやら軽く痙攣しはじめたサイト君。ルイズのおなかのあたりにまわした右手が不振な動きをしだし、それを左手で必死で止めようとしているみたいだ。

 

「私ももう一度サイトに痕をつけるんだもん」

 

 そう言ってサイト君の首筋に吸い付くルイズ。

 

「や、やめてくれ……ルイズ!お、俺は……俺はもう!!もう!!」

 

 

 

 

 

「……うわあ」

 

「どうだ、見てるだけで殺意が湧いてくるだろ。次はあっちだ」

 

 次はギーシュ、モンモランシーペアの方を指さす。なにやら湖の縁にかがみ込んで水面に手をかざしているモンモランシーに、ギーシュが話しかけている様だ。

 

 

 

 

 

「それにしても美しい湖だね、モンモランシー。透き通るような青い水面に日の光が散りばめられ、まるで星くずを撒いたようじゃないか!」

 

「まあ、風光明媚なことで有名な場所だしね。……それにしても変ね、水の精霊が怒っているみたいだし、それに以前はこんなに水位が高くはなかったはずだれど。家がいくつか水没しているようだし、何かあったのかしら……?」

 

 そうつぶやきながらモンモランシーが立ち上がる。

 

「まあまあ、いいじゃないか。それにしても残念だよ、モンモランシー。そんなに景色がすばらしいことで有名なのなら、君と来るべきではなかったかもしれないね。何せ、君の前ではこれほど美しい景色も色あせてしまうからね!」

 

 そう言いながらギーシュが近づき、モンモランシーの手を取った。

 

「君の澄んだ青い瞳の前ではラグドリアン湖でさえかすんでしまうよ。それにさっきはあんなにも美しく見えた湖面に映る日の光の輝きさえ、君の髪の輝きを見てからでは……えーと、そう! 君の髪の輝きの前ではかすんでしまうよ!」

 

「バカじゃないの。それに私はまだあなたと仲を戻したわけじゃないのよ、軽々しく触らないで」

 

 ギーシュの手を振り払うモンモランシー。だが、それしきのことでギーシュは諦めず、なおもすがるようにモンモランシーに話しかけ続ける。

 

「そんな事を言わないでくれよ、モンモランシー。愛している君に嫌われてしまっては僕は生きていくことさえできないというのに! ああ! 愛しているよ、モンモランシー!」

 

 そう言って手を握るどころか抱きしめて、愛してると繰り返すギーシュ。なんだかんだ言いつつもふりほどかないということはモンモランシーもまんざらではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

「……最初にきついのを見たせいか、あれが微笑ましく思えるのですが……これってまずいですかね?」

 

「ああ、それは結構やられてるな。だけど出発前からあんな感じだったんで、俺も頭ではあれがおかしいというのはわかっていても、感覚的には違和感を感じなくなってきちまったよ。帰ったらゆっくり休もうと思う。ほれ、着いたんだし馬から降りな」

 

 そう言って差し出した俺の手を借りながら、アラベルが馬を降りる。

 そして、ラグドリアン湖の方へ近づきながら話を続ける。

 

「で? 結局なんで私が連れてこられたのかの説明がまだなのですが。あの二組がどうかしたのですか? ……まあ、どうかしてるとは思いますが」

 

「ああ、簡単な話だ。あのバカップル二組の中で俺だけ一人ってのは寂しいじゃんか。だから誰か女友達連れてこようと思ったんだけど、タバサっちもキュルケもいなかったからさ、ちょうどよく近くにいたお前でいいや、ってんで連れてきた」

 

「とう」

 

「あだっ!」

 

 妙なかけ声と共に背中を蹴られた。さすがにタバサ達の代わりに、ってのは失礼だったかな。

 

「お……おのれ、平民が貴族を蹴るとかちょっとあれだろうよ。まあ、少し失礼な言い方だったのは認めるけどさ」

 

「わかっているのなら改善するよう心がけてください。さすがに少し傷つきましたよ」

 

「俺の服と背中も少し傷つきましたけどね。まあ、悪かったとは思ってるよ。こんど何か埋め合わせするから許してくれ。で、水の精霊様はどんな感じよ、モンモランシー。ちゃっちゃとやって帰ろーぜ」

 

 未だにいちゃいちゃしているモンモランシーに声をかける。彼女が働いてくれないとまず、水の精霊に会う事ができない。

 

「きゃっ! いたのならそう言いなさいよ。ほらっ!ギーシュ、離れなさい」

 

「そんな冷たいことを言わないでくれよ、愛しいモンモランシー! 今の僕は君と離れるだけで胸に痛みが走るほど、君を愛しているというのに! ああ、どうか離れろなんて言わないでくれよ」

 

「そ、そうじゃなくて。ほら、アシル達も見てるし、私達がここに来たのは水の精霊に用があるからで……」

 

 

 

 

 

「サイト……キスして」

 

「さ、さっきしただろ! そんな何回もしなくていいじゃないか」

 

「だってさっきのはおでこだったから……。今度はきちんと唇にして欲しいんだもん……」

 

「ル、ルイズ……。やめて、その目が俺を!俺を狂わせる!」

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 ラグドリアン湖の上、つまり水面上に裸のモンモランシーが立っている。正しくは、モンモランシーと同じ形をした水の塊だが。

 あまりに二つのカップルがうざかったので端折ったが、モンモランシーの使い魔のカエルにモンモランシーの血を渡し、水の精霊を呼んできてくれるよう頼みしばらくすると、湖岸からいくらか離れた所の水がまるで沸騰でもしているかのように沸き上がり、しばらくぐねぐねと動いた後あの形になった。あれが水の精霊だ。

 水の精霊自体意志を持った水の様な物であり、決まった形を持っていない。おそらく送った血液の持ち主であるからモンモランシーの形をとったのだと思うが……どういう理屈なんだ? 血液なんて赤ん坊の時から変化していないだろう。なら今のモンモランシーを見て今回の形になったってことだ。つまり水の精霊には視覚があるということになるが、それなら服を着ていない意味がわからない。……普通の視覚ではなくて血液などの液体が流れている部分だけを認識しているということか? それなら服を着ていない、認識できていない理由として筋は通っている気がするが……。それだと今度は髪があるのがおかしいか? 髪に体液は流れていなかったような気がするしな。

 ……まあいいや。俺もこのファンタジックな世界で十数年生きてきて、考えてもしょうがないことがあると言うことは学んできたからな。水の精霊だから裸で現れた、それでいいよもう。

 

「で、モンモランシー。男として一言くらいは感想でも言った方がいいか? スレンダーで綺麗だね、くらいならお世辞で言ってあげてもいいぞ」

 

「シッ! 水の精霊を怒らしたらシャレにならないんだから、今回ばかりはくだらない事を言うのは自重してちょうだい」

 

 モンモランシーは俺に対しそう言うと、喉を整えるようにセキを一つし、水の精霊へと向き直った。

 

「私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、旧き盟約の一族の者よ。その姿になってもらえた、ということは私の血液を憶えていてくれているという事よね」

 

「覚えている。単なる者よ。貴様と最後に会ってから月が五十二回交差した」

 

 水の精霊は無表情のまま、モンモランシーの問いにそう返した。

 水の精霊については書物以上の知識は持っていなかったので、こんな面倒というか持って回った言い回しをするのだとは知らなかったな。

 しかし、単なる者か。水の精霊は意志を持った水であり千切れようと繋がっていようと、その意志は一つ。一は全、全は一というどっかの錬金術の理みたいな存在だと本で見たな。俺らが単なる者なら、さしずめ水の精霊は複なる者か。

 ……ちなみにいまさらだが水の精霊の涙とは、水の精霊の一部のことだ。

 

「よかった。水の精霊よ、お願いがあるの。図々しいと思われるかもしれないけど、あなたの一部を分けてもらいたいのよ」

 

「断る。単なる者よ」

 

「でしょうね。さあ、帰りましょう。アシル、約束通り頼むわよ」

 

 水の精霊に頼みを即答で答えられたモンモランシーは、これまた即答で諦めた。まあ、水の精霊の答えもモンモランシーの行動も当たり前だ。水の精霊にとっては自分の一部を渡す義理も利益も何もないし、モンモランシーはこのまま帰っても俺が解除薬を作ってやる約束になっている以上、ねばる必要はないわけだからな。

 ここまでは俺の予想通りだ。後は、上手くいくかわからないが俺の血液を水の精霊になんとかして渡し、俺のことも覚えてもらう。もともと俺の目的はそれだけだ。

 そして、前に出ようとした俺を押しのけ、何故かサイト君が水の精霊と対峙すると、いきなり土下座した。

 

「頼むよ、水の精霊さん! 俺の大切な人が大変なんだ! どうか少しでいい、あなたの身体の一部を分けて欲しいんだ!」

 

「ちょっ! サイト君、何やってんだ! つーかおいモンモランシー、お前サイト君に言ってなかったのか!?」

 

 サイト君の土下座を止めようとしつつモンモランシーの方を見ると、『あ、うっかりしてた』みたいな顔をして、気まずそうに目をそらした。

 

「頼むよ! 本当に! なんでもするから! 何でも言うこと聞くから! どうか少しだけでも分けてくれよ!」

 

「だからちょっと待って、落ち着いて! 変な約束しないでくれサイト君! そんなことせんでも俺が……」

 

「何でもすると言ったな? よかろう。 単なる者どもよ。我の望みを叶えし暁には我が一部を渡そう」

 

「本当か!? ありがとう! 水の精霊さん!」

 

 ……終わった……。

 

 

 

 

 

「え!? 水の精霊の涙を手に入れられなくても、解除薬アシルが作ってくれることになってたのか?」

 

「ああ。そこの金髪ドリルがサイト君に言い忘れてなきゃ、さっさと帰れたんだがよ。しっかし参ったな。まさか、水の精霊との約束を破る訳にもいかんから、襲撃者とやらを何とかしないとな」

 

 水の精霊の頼みというのは実に簡潔なものだった。ようは自分を退治しに夜な夜な現れる奴を何とかしろというものだった。作戦会議というほどのものでもないが、集まって話し合う俺たち。俺が口火を切った。

 

「で? どうするよ」

 

「私はサイトと一緒にいるわ」

 

「そうか、死ね」

 

 ルイズに対し、しっしっと手を払うように動かした。ルイズの面倒をサイト君に任せると、俺はモンモランシーに目を向ける。

 

「一個聞いときたいんだが……モンモランシーは戦えるか? ルイズが役に立たんだろうからモンモランシーが手伝ってくれんと、俺とギーシュとサイト君の三人しか戦力がなくてきついんだが」

 

「いやよ。私、ケンカ嫌いだもの」

 

 こんな事になった理由の一端を握ってるのに、堂々と我が儘言いなさるモンモランシー。何か腹立つなこんにゃろう、ドリルもいでやろうか。こんなんばっかかよ、このメンバー。

 それにしても参ったな。水の精霊の涙を使うことで非常に効果の高い治療薬や、心身を破壊するようなえげつない毒薬を作る事ができるのは言ったと思う。水の精霊の一部である涙でそれだけの事ができるのだ、本体はそれ以上にえげつない事が出来るのは当然だろう。具体的に言えば水の精霊、この場合はラグドリアン湖の水に一瞬でも触れた瞬間、襲撃者は見るも無惨なことになる。つまり、襲撃者は水に触れずに湖底の水の精霊を攻撃しているということだ。ってことは、……まあ何をどうなっているんだかはわからないが、何らかの魔法を使っていることは間違いない。

 そしてなんとかして湖底まで行ったとしても、水の精霊に物理的な攻撃は効かなかったはず。つまり攻撃にもなんらかの魔法を使う必要が出てくる。そして、一度に二つの魔法は使えない。これから襲撃者は最低でも移動担当と攻撃担当で二人はいることがわかる。

 それも水の精霊にケンカを売れるような度胸と実力の備わった奴ら。その上そいつらはかなりの絆で結ばれている。なにせ移動役のミスはすぐさま攻撃役の死に繋がる。命を預けられるくらいの信頼関係はあると考えていいだろう。

 この上、二人だけではなく護衛を連れている可能性が高い。なにせ二人だけだと、戦闘時ある場合において致命的に不利になるからだ。

 これらの事から考えて、襲撃者は良くて三人、悪ければ手練れが四人か五人以上……。んな事状況ならまず勝ち目は無い。

 

「……仕方ないか。おい、作戦を伝えるから集まってくれ」

 

 俺は一声かけてみんなを呼び、その注意が俺に集まったことを確認すると自分の考えを伝えた。

 

「まず隠れて襲撃者の様子を伺う訳だが……そいつらが五人以上だった場合は諦めて学校に帰ろう。正直勝ち目が無い。次に、四人だった場合だがこちらの戦力はサイト君にギーシュに俺の三人だ。上手くやりゃなんとかなる。その場合の作戦はだな……」

 

 戦闘になったとしても戦わないからか、早くも俺の話に対する興味を失ったらしいアラベルとモンモランシー。

 それなりに真面目に聞いてくれているサイト君に、真面目に話を聞いている風の自分のシリアスな表情をモンモランシーにさりげなくアピールしているギーシュ。

 そして空気を読まずにサイト君にキスをねだるルイズ。もうお前はほんと死ね。

 

「……頼むから真面目に聞いてくれよ……」

 

 切なさと共にはき出した俺のそんな台詞は、どことなく虚しく湖畔に響いた。 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな俺の不安を無視するかの様に夜が来る。……襲撃者の来る夜が。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四話  襲撃者たち

「来たか……」

 

 ラグドリアン湖から少し離れた草むらに隠れて、俺とサイト君は息を殺して襲撃者を待っていた。そうしてしばらく待ち、あたりが完全に暗くなったころ二人の人間が現れた。深くフードをかぶりローブを羽織っているので、性別はおろか年齢すらわからないが、おそらくあの二人が襲撃者で間違いないだろう。

 それにしても二人だけとは……。余裕の表れか何か知らんが、馬鹿な奴らだな。

 小さいほうの襲撃者がもう片方に杖を向け、何やら呪文を唱えるとそいつは空気の球のようなものに包まれた。それを確認するとそいつは躊躇さえ見せずにラグドリアン湖の中へと入っていった。

 それを見た俺は一呼吸、二呼吸置くと隣にいるサイト君の肩を軽く叩いた。攻撃を開始する合図だ。

 デルフを抜き、ガンダールヴの力を発動させたサイト君が残った襲撃者へと襲い掛かり、俺も同時にそいつ向け走り出す。相手もそれに気づいたようだがもう遅い。この時点で俺たちの勝ちは決まったようなものだ。

 何せメイジは一度に二つ以上の魔法は使えない。つまりもう片方の襲撃者を湖に潜らせるための魔法を使っている以上、こいつは魔法が一切使えないうえ、そちらの魔法を制御するために集中力もそちらに割かなくてはならない。様は今のこいつは集中力の乱れきった平民と同じだ。

こちらは水のラインとはいえメイジとガンダールヴのコンビだ、負けるはずがない。それにもし仮に今使っている魔法を解き、逃げるだの立ち向かってくるだのをすれば、湖の中にいるお仲間は一瞬で廃人だ。どちらにせよ襲撃者二人の内、片方は完全に無力化することができる。

 こういうことになるから相手も護衛を引き連れてくるものだと思っていたんだが……いやー、相手が考えなしで助かった。

 しかし、さすが水の精霊を倒そうなんてする奴だけのことはあり、魔法も使わずに軽い身のこなしでなんとかサイト君の攻撃をしのいでいる。だけど襲撃者さんには可哀そうなことにサイト君だけじゃなくて俺もいるんだよな。

 軽くサイト君に目配せすると、サイト君はわかってくれたらしく軽くうなずいた。

 

「らああああああっ!!」

 

 サイト君がデルフを大きく振りかぶり、襲撃者を叩き割るかのように振り下ろすと、相手はその隙を突くように軽く横に動いてよけ、サイト君の腹に蹴りを叩き込んだ。……が、それを予想して死角にいた俺が、サイト君の仇を打つってわけじゃないがそいつの頭に蹴りを叩き込んだ。

 

「……っ!!」

 

 そうして吹き飛びうつぶせに倒れた襲撃者に急いでまたがると、左手で頭を地面に押し付ける。そして右手で、杖を持っていた相手の右手の手首をつかんだ。

 

「ゲホッ。あー、痛てえ。そっちは大丈夫か、アシル」

 

「まあ、おいしいところだけ頂いたからな、無傷だよ。……それにしても思ってたよりこいつ小さいな。もしかしてまだ子供か?」

 

 男の中でどちらかといえば小柄な俺よりもまだ圧倒的に小さい。それこそ十代前半の女の子くらいの背丈くらいしかない。子供でこれだけのことをしたのか? そうなら恐ろしい話だな。しかしそれ以上にすごいのが、この状況になってもまだ、相方への魔法を維持し続けているところだ。修羅場なれしているのか、相棒がよほど大事なのか……いずれにしてもすさまじい精神力だ。

 

「で、この後はどうするんだ? もう一人が上がってくるのを待つんだっけか?」

 

「まさか、潰せるもんは潰せるうちに潰しとくもんさ。ほれ、さっさとこいつの杖を切り飛ばしてくれよ、サイト君。そうすりゃこいつも湖の中に入ってった奴も無力化できて万々歳だ」

 

「ま、待って!」

 

 そこで初めて襲撃者が口を開いた。仲間が危ないということを聞かされたからだろうか、かなり切羽詰った口調だ。……それよりも……

 

「……え?」

 

 地面に押し付けているので随分とくぐもってはいたが、それはとてもよく聞きなれた声だった。よく見てみれば押さえつけているフードの間から、青い髪の毛が見えている。

 

「…………」

 

 嫌な予感がほぼ確信へと変わってはいたが、それが外れていることを祈りつつ顔を隠しているフードをめくってみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、ほんと、なんていうか、すいませんでした、というか……。でも別に知っていてやったわけではないのだし仕方ないんじゃないのかなあ、というか……ああ、言い訳してすいません。反省してます」

 

 結論から言おう。襲撃者はタバサとキュルケだった。つまり俺は知らなかったとはいえ、タバサの頭に蹴りをかまし、その上あと一歩のところでキュルケの心を破壊していたところだったわけだ。正座させられてキュルケに頬を杖でぐりぐりされながら延々と文句を言われるのはなかなかきついものがあるが、まあしょうがないだろう。

 ちなみにタバサはキュルケが危なかったことに対しては、俺の頭を杖で叩いて怒りを伝えてきたが蹴りをかましたことに関しては、知らなかった上に戦いならば仕方がないと許してくれた。

 

「はあ、まあ私も無事だったし、タバサも怪我したってわけじゃないからもう許してあげるわ。で、あなたたちがなんでこんなところにいるのよ?」

 

 その言葉に俺はくいっと親指を自分の横へと向ける。その先では俺と同じように正座したサイト君の背中にルイズがもたれかかるようにして甘えている。

 サイト君の名前を呼ぶルイズの甘ったるい、とろけたような声。発情期の猫もかくやというほどだ。最初は笑って聞いていられたが、さすがに丸一日も聞いていると気持ちが悪くなってくる。

 事情を知らないキュルケは、そんなルイズの様子を見て目を丸くしている。まあ、ルイズの性格を知っている人ならば誰でもそうなるとは思うが。

 

「……どうしたのよ、あの子」

 

「女の嫉妬は恐ろしい、って話だ。ちなみに犯人はモンモランシーな」

 

「モンモランシーって……まさかこれ薬か何かのせいなの? はあ……男ってのは自分の魅力で落とすものじゃないの。薬に頼るなんてどうしようもないわね」

 

 髪をかきあげながら胸を強調するようにして、モンモランシーにそう言うキュルケ。それを見たモンモランシーは不機嫌そうに眉をひそめた。

 なんとなく雰囲気が悪くなりそうだったので、話をそらそうとキュルケたちが水の精霊を攻撃していた理由を聞いてみたところ、どうもラグドリアン湖の増水を止めるためだったらしい。そういえば着いてすぐの時にモンモランシーが水の精霊が怒っているみたい、と言っていた覚えがあるがそれと関係しているのだろうか。

 まあそれはそれとして、タバサたちも引けない理由があるらしく、お互い話し合った結果、明日水の精霊に襲撃者を撃退したことを報告し水の精霊の涙を受け取った後、増水させている理由を聞いてみてなんとかできるようなら手を貸してやる、無理そうなら俺たちが帰った後またキュルケとタバサが頑張って水の精霊を退治する、という方針に決まった。これなら一応襲撃者は撃退するという約束は果たしたことになるだろうから俺たちに責任はないだろう。ただ撃退した奴らが諦めずにまた襲撃しに来た、というだけだ。とんちみたいな感じだがもともと俺はそこまで義理堅いほうじゃないんでな。俺はとりあえず自分が納得できる形で筋が通っていればかまわない。

 

 

 

 そんなわけでさっそく次の日の朝、モンモランシーに頼みまた水の精霊を呼んでもらった。

 前呼び出したときと同じように、水が盛り上がるとぐねぐねとうごめいた後モンモランシーの形をとった。

 

「水の精霊よ、言われた通り襲撃者は撃退したわ。さ、約束通りあなたの一部を分けて頂戴」

 

 そうモンモランシーが伝えると水の精霊はプルプルと震えた後、ピッと自分の一部を切り飛ばしてきた。そしてそれをギーシュが持っていた壜で受け止めた。そしてその後、何も言わずにその横で空き壜を構えて待機していた俺のほうにも飛ばしてくれたあたり、水の精霊は案外空気が読める存在らしい。もちろんそれはありがたく頂いた。これで水の精霊の涙の在庫に余裕が出てきたから、構想で止まっていた薬の作製に着手できるな。なんならタバサの知り合いもなんとかできるようなら手を貸せるように、後で症状だけでも聞いておくか。

 そして俺たちに自分の一部を渡すと用は済んだとばかりにモンモランシーの形を崩し、湖に戻っていこうとする水の精霊。しかし、これで帰られては困るので俺が引き止める。

 

「待ってもらいたい、水の精霊よ。一つ聞きたいことがあるんだ」

 

 その声が届いたのか再びモンモランシーの形をとり、こちらへと向き直った。

 

「なんだ」

 

「いや、最近湖の水が増水しているらしいが、何か目的があってのことなのか? そうでないのならやめてもらいたい。水かさが増していることで多くの者たちが困っているんだ。もし、理由があってのことならば聞かせて欲しい。俺たちになんとかできることなら、襲撃者の件のように手を貸すから増水をやめてもらいたい」

 

「ふむ……」

 

 そう一言いうとまた人の形を崩しぐねぐねと子供が粘土で遊んでいるかのように、形を何度か変えた後再びモンモランシーの形をとった。形を変えたりしていたのは水の精霊が悩むときの癖だろうか。精霊に癖があるというのもおかしな話だが。

 

「お前たちに任せてよいものかと我は思う。だが、お前たちは我との約束を守った。ならば、我ももう一度お前たちを信用しよう」

 

 そう言うとまたしばらくの間ぐねぐねと形を変化させ、そして人の形に戻ると話し始めた。

 

「数えるのも愚かしいほど月が交差するときの間、我と共にあった秘宝、『アンドバリの指輪』。それがお前たちの同胞に盗まれたのだ」

 

「『アンドバリの指輪』? 確か偽りの命を与えるっていう伝説のマジックアイテム……。本当にあったのね」

 

 そうモンモランシーがつぶやいた。

 

「死とは我には無い概念ゆえ理解できぬが、命を与える指輪。それはお前たちには魅力的なのだろう。だが、あれは我が永い間守り続けし秘宝。だからこそ取り戻すために水を増やした。いつかすべてを水が覆いし時、我は秘宝の在り処を知るだろう」

 

「つまり世界中を水で覆うつもりだったと。気の長い話だな、おい。ところでその『アンドバリの指輪』とやらが盗まれたのはいつごろなんだ?」

 

 そうサイト君が水の精霊に尋ねると、またぐねぐねと動いた後サイト君のほうを向き答えてくれた。

 

「あれは月が三十ほど交差する前の晩のこと。風の力を行使し、我が眠っていた最も濃き水の底から盗んでいった」

 

 なるほど、おおよそ二年ちょい前ってとこか。しかしさすがに手がかりが少なすぎるな。

 

「水の精霊よ、せめてその者達の容姿や名前などはわからないだろうか。さすがにこれでは探しようがない」

 

 俺がそう聞くと、

 

「単なる者どもの容姿の区別など我にはつかぬ。だが、我のもとへ来た個体の一人が『クロムウェル』と呼ばれていた」

 

 ……冗談じゃねえぞ。クロムウェルって言ったらアルビオンの反乱軍レコン・キスタの頭、いやもうアルビオンの新皇帝になったんだったか? どちらにしろとんでもない大物じゃないか。頼むから人違いであってくれ。そんな奴から指輪を取り返すなんて無茶もいいとこだ。

 

「あー、ところでその指輪を取り返すと約束したとして、いつまでには取り戻せ、といった期限はつけるつもりはあるのか?」

 

 一縷の望みをかけてそう聞いてみると

 

「お前たちの寿命が尽きるまででかまわぬ。我にとって明日も未来もさしたる違いはないゆえに」

 

「よし、じゃあ約束成立だ。俺たちで頑張って指輪を取り返してくるから、水を引かせてくれ」

 

 死ぬまでに、ってんなら受けても構わないだろう。ぶっちゃけ俺が死んだあとどうなるかなんてしったこっちゃないし、レコン・キスタなんてあんな危なっかしい組織が何十年も続くとは思えないからな。これだけ時間がもらえればなんとかなるかもしれないし。

 

「わかった。お前たちを信頼しよう。指輪が戻ってくるのならば水を増やす必要もない」

 

 そう言い残すとまだ人の形を崩し、湖の中に戻ろうとする水の精霊。まだ、用は済んでいなかったのでそれを呼びとめようと声を張り上げた。

 

「待って」

 

「待ってくれ!」

 

「「え?」」

 

 声がタバサと重なった。タバサが誰かを呼び止めるところなんて初めて見たな。別に俺の要件は急ぐものでもないので、先を譲った。

 

「水の精霊、あなたは私たちの間では『誓約の精霊』とも呼ばれている。よければその理由を教えてほしい」

 

「単なる者どもの間での我の呼び名の理由など、我は知らぬ。ただ……我に決まった形はない、しかし我は太古の昔よりはるかなる未来まで、平和なる時も混乱の世にも……我は変わらずここにいた。だからこそ変わりゆく時を生き抜くお前たちは、変わらぬ我に対し変わらぬ誓いを掲げたくなるのだろう」

 

「……そう」

 

 水の精霊の答えを聞くとタバサは小声でそうつぶやくと、目をつむり手を合わせた。何を誓っているのかは知らないが、そこには何か犯しがたいほどの想いがこもっているように俺には感じられた。キュルケがそんなタバサを慈しむような目で見ながら、ただ肩に優しく手を置いているのはタバサの誓いについて何か知っているからだろうか。

 

 その後、愛の誓いをしてくれだなんだとルイズたちが騒ぎ、それが一段落ついたところで俺はまだそこにいた水の精霊へと向き直った。

 

「水の精霊よ、『アンドバリの指輪』の件、確かに約束した。取り戻した時のために私の中に流れる体液を覚えていただき、私もまた盟約の一員へと加えて頂きたい」

 

 そう言って手を差し出すと、水の精霊はまたもぐねぐねとうごめくと人の形を崩し、そのまま俺の手へと体を触手のように伸ばしてきた。そして、それが俺の指へと触れるとかすかな痛みとともに俺の指先に小さな傷ができた。おそらく今、俺の血液を取り込んだのだろう。

 

「単なる者よ、貴様の体を流れる液体を我は覚えた。指輪を取り戻した折にはその液体をラグドリアン湖へとたらせば、我は貴様の前へと姿を現すこととしよう」

 

 途中いろいろとあったがこれで俺の目的は終わった。水の精霊とのコネはいずれ大きな利益となることだろう。用を済ませた俺たちは馬へとまたがり学園へと戻っていくのだった。

 

 

 ……ちなみに、二組のカップルは帰りもひたすらにうざかったことをここに明記しておく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五話  あるメイドさんの話

サブタイトルや感想への返信は、後で一気にするつもりなので、少し待ってください。


「頼まれた食事を持ってきました」

 

 片手に食事を乗せたトレイを持ちながらドアをノックし、そう言うと中から鍵はかかっていないから入ってきても構わない、と返事が返ってきた。それを聞き私は部屋の中へと入る。

 

「ん、ああ悪いな。あー、……置く場所がないな。ちょっと机の上片づけるから待っててくれ」

 

 部屋の中には私に食事を持ってきてくれるように頼んだ張本人であるアシル様がいた。彼が向かっていた机の上には何やら難しそうな物の名前が書いてある紙だったり、様々な色をした液体の入った壜が置かれていて、トレイを置くことが難しいことに気付いたのだろう。散らかっていた紙をまとめたり壜を一ヶ所にまとめたりして場所を作ってくださった。できた空いた場所にトレイを置くと、椅子の上にまで荷物があって座れなかったので失礼かもしれないがベッドに腰掛けた。

 

「それにしてもここしばらく何をしているんですか? タバサさん達の誘いも断って」

 

 なにやらサイトさんやミス・ツェルプトーなど、普段アシル様と親しくしている人たちが揃ってしばらく前から出かけてしまっているので、そのことについて聞いてみる。メイド仲間のシエスタもそれについて行ったのだが、聞くところによると目的は宝探しらしい。どちらかというと現実主義者のアシル様が参加しないのは理解できるが、まさかミス・タバサまで一緒に行くとは思わなかった。しっかりした方だと思っていたがやはり年相応なところがあるのだなあ、と聞いたときは微笑ましく思ったのを覚えている。そんなわけで普段の面子で今学院に残っているのは、アシル様とミス・ヴァリエールだけだったはず。

 

「わかりやすく言うとだな、才能の無い人が努力をせずに強くなる薬を作ろうと頑張っているわけよ。構想はできてたんだが、材料が足りなくて作れなくってな。だけど、こないだの件で手に入ったんで作り始めたんだ。あとは、微調整だけなんだが……これが難しくてなー……」

 

「才能も努力も無しに強くなれるですか……。本当にいつみてもアシル様はぶれずにダメな人ですね」

 

 ……まあ、清廉潔白な人よりも私はそのほうが好ましく思うのは確かだが。

 

「しかし、この……なんかよくわからんが焼いた肉にソースかけたやつうまいな。パンにはさんで手軽に食えるってのもいい感じだ。マルトーのおっさんにお礼言っといてくれよ」

 

「……それを作ったのは私です。まあ……気に入って頂けたのなら幸いですよ」

 

「へえ、まじか! 使用人なんだし料理くらいできるだろうとは思ってたけど、上手いもんだな。嫁に来てくれよ」

 

 急にそんなことを言われ、私は疲れた目をもんでいるようなふりをして顔を右手で覆い隠した。

 冗談なのか本気なのか……、まあ会話の流れからして間違いなく冗談だろうが。表情に乏しいせいでクールなように思われている私だが、それでもこんなことを言われれば柄にもなく照れるくらいの乙女心は持ち合わせているつもりだ。感情が顔に出にくい性質とはいえ、なにかの拍子に赤くなった顔でもこの人に見られたら何を言われるかわかったものじゃない。間違いなくからかわれてしまう。

 

「そういやあ、お前も困ったことあったら言えよ。普段世話になってるし、俺にできることなら手え貸してやっから」

 

「ありがとうございます。では何か問題がおきたら相談させてもらいますよ」

 

 パンを片手にそう言ってきたアシル様に対してそう返す。その後は何を話すわけではなくただ部屋の中には、アシル様の食事をする音だけがしている。

 今更だが部屋の中には私とアシル様だけか……。ふとそんなことに気付いた瞬間、自分が男性のベッドに腰掛けていることが恥ずかしくなってきた。普段ならこれしきのことでこんな忙しないような気持ちにはならないのに……。貴族様に対してこんな言い方は失礼かもしれないが、この間のラグドリアン湖へ行った時のあの二組のバカップルにあてられたのだろうか。

 

「はあ……」

 

 私らしくもない。あのラグドリアン湖でのべたべたしていた二組を思い出したせいだろうか? 顔が熱を持ってきたような気さえする。と、いうか今の私の顔は絶対に赤くなってしまっている。そんなことを考えていたとき、ため息が気になったのだろうか、パンを咥えながら私のほうを変なものを見るような目で見ているアシル様と目が合った。

 

「……」

 

「……」

 

「とわっ!」

 

 しばらく静寂が流れた後、顔を赤くして見つめあっているという状況であることに気が付いた時、恥ずかしい話だが私は軽くパニックに陥ってしまった。まず考えたのはなんとかしてこの赤くなった顔を隠さなければならない、ということ。そのために、ベッドに座っていた時から手に当たっていた何かを思いっきり顔に押し当てた。その時に今まで出したことも無いような奇声をあげてしまい、余計に恥をかいた気がするが気にしないことにしよう。

 

(……あれ?)

 

 そこでなんとなく覚えがあるような匂いが顔に押し当てているものからすることに気付いた。嫌な予感を感じつつ、押し当てていたものを顔から離しよく見てみるとなんてことはない……アシル様の枕だった。

 

「ひゃいっ!」

 

「ふんぶっ! げほっ、こほっ……、ちょ、何か変なとこ入った。げほっ、げほっ……あーのどに詰まるかと思った。何するんすか、ジングルベルさん」

 

 自分でも何がしたかったのかわからないが、なぜかそれがアシル様の枕だと気付いた瞬間、持ち主のアシル様に向かってそれを思い切り投げつけていた。それもまた奇声のおまけつきで。まったく自分で自分が嫌になる。ちょうどパンを食べていたところだったのもあり、枕をぶつけられた拍子にのどにつまりかけたようだ。それは素直に申し訳ないと思う。私は軽くうつむいて、先ほどと同じように手で顔を隠しながら謝罪した。

 

「なんかすいません。ちょっと寝不足で体調がすぐれなくて……。もう戻ります、お皿とかは後で取りに来ますので。あと私はアラベルです」

 

「ふーん……、寝不足ね。まあ、お大事にな」

 

 その何も気にしていないかのような言葉を聞いて少しばかり落ち着きを取り戻した私が、顔をあげて目にしたのは……この上もなく得意げな顔をしたアシル様だった。おそらく詐欺で生計を立てている人がお金持ちの弱みを掴んだ時、似たような顔をするだろう。気のせいか顔の後ろに『にやにや』とか擬音が見えるような笑顔だ。

 

「体調悪いんだろ? アラベルちゃんよ。顔が真っ赤だぜ、熱でもあるんじゃないですか?」

 

「くっ……!」

 

 顔が赤いことに気付かれたら、からかわれるだろうなとは思っていたけれどもここまでうっとうしいからかい方をされるとは……。しかもこんなときに限ってきちんと名前を呼んでくるのが、厭味ったらしい。覚えているのなら普段からもそう呼べばいいものを。

 アシル様はそのにやにやとした顔のまま私のほうへ近づいてくると、私の肩に手を乗せた。緊張していたせいかその感触に軽く震えてしまう。

 

「どしたのさ、震えちゃって。寒いのか? 俺が手厚く看病してやろうか?」 

 

 それにしても何でこの人は、人をいたぶる時こんなに楽しそうなのだろう? しかし一番不思議なのは、こんな面倒くさいからかい方をされているのに欠片も怒りや不快感を感じていない私自身だ。それよりこれ以上からかわれたら認めたくもない自分の中の気持ち的な何かに気付いてしまいそうだ、何でもよいから話をそらさないと……。

 そう思い何か話題になるようなものでもないかと部屋を見渡してみると、おかしな物が見えた。部屋の中ではなく窓の外だが、何か大きいものを学院へと運んでくるドラゴン。運ばれているのは……なんだろう、見たことがない。何やら大きい鉄の塊のようなものに、横へまっすぐ生えている薄っぺらい金属の板のような物。目を凝らしてみると後ろのほうにも似たような金属板が付いている。……新手の芸術品か何かだろうか、こんな時に学の無い平民であることが嫌になる。話をそらしたいのはもちろんだが私自身あれが一体何なのか気になったので、アシル様にあれが何なのか聞いてみようと振り返った。案外物知りなので答えてくれるだろう。

 そう思いアシル様の顔を見ると、今まで見たことも無いような真面目な顔で私と同じように窓の外を見ていた。気のせいか私の肩に置かれた手にも力がこもっているような気がする。かと思うとパッと肩から手を離し、顔もいつも通りの締まらない感じに戻った。

 

「悪いな、なんちゃらベルさん。ちょっと興味わいたんでアレ、見てくるわ。かまってやれなくなってごめんな?」

 

「いい加減私が暴力に頼りたくなる前にどっかいってください。それにあんなふうにいじられて喜ぶような趣味は持ち合わせていないので、謝らなくても結構です」

 

「どっか行けってお前、ここ俺の部屋……。まあいいや、ちょっと行ってくるわ」

 

 そう言ってひらひらと手を振りながら部屋を出ていくアシル様。部屋の外に出たと同時に先ほどまでのにやにやとした顔でこちらを振り向き口を開いた。

 

「俺がいないからって枕だのベッドだので変なことすんなよ、アラベルさんよ」

 

 私が無言で投げた枕は閉められたドアにぶつかった。その向こうから聞こえた忍び笑いには、さすがに私でも多少の怒りを感じたのだった。……まあ、そんなやりとりに顔は少し緩んでしまっていたかもしれないけれど。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六話  場違いな工芸品

 運ばれてきた飛行機らしきものへと駆け足で近づくと、近くにいたサイト君が俺に気付いた。運ばれてきた飛行機にはコルベール先生が目を輝かせて張り付いている。たまに変な発明品みたいなものを授業で発表することもあったし、多分あの人根が科学者なんだろうな。

 それにしてもすごいな、機体に日の丸のような物が書いてあるし結構古い感じだから第二次大戦のときの日本の戦闘機なんだろうが詳しくはわからない。だいたい戦闘機の名前なんざゼロ戦しか知らん。

 そんな考えを押し殺し何も知らない風を装ってサイト君に話しかける。

 

「何か珍しいもの拾ってきたな。これなにさ?」

 

 まあ、知ってますけどね。

 

「ああ、アシルか。いつだったか言ったことあったろ? 飛行機って言って俺が元いた世界……じゃねえ、ロバ・ウル・トルイエだっけ? まあ、俺が元いたところにあった空を飛ぶ乗り物だよ。ちなみにこれはゼロ戦、っていって戦いに使う用の飛行機だな」

 

 こいつ本当にごまかすつもりあんのか? 嘘のつき方が下手ってもんじゃないんだが。

 まあそれは置いておいて……これがゼロ戦か。名前だけしか知らなかったがこうして直に見ると、なかなか圧巻だな。……それにしても知っていることをいちいち聞くのも面倒だし、少し不自然な会話の流れになるが大まかな事柄についてざっと質問しておこう。

 

「これが飛ぶのか! すげえ話だな。で、飛ぶのにはなんか精神力みたいなものでもいるの? あとこの翼みたいなやつが固定されていて羽ばたけないみたいだけど、なんで飛べるんだ? あとこれ誰でも飛ばせんの? 誰にでもできるんなら俺も飛ばしてみたいんだけど」

 

「んないっぺんに聞かないでくれよ。えー……と、さっきコルベール先生にも伝えたんだけど飛ばすのにはガソリン、ていう燃料がいるんだけどそれが空っぽなんでしばらく飛ばすのは無理だ。あと飛行機はなんだっけな、揚力? とかなんかそんな力で浮くらしい。確かなんかいい感じの角度にした翼に前から風あてると、上向きに力が発生してそれで浮くんだったかな。俺もうろ覚えなんであんま詳しくは聞かないでくれると助かる。操縦は練習さえすれば誰でも飛ばせるとは思うぞ。結構むずかしいと思うけど」

 

 そこまでサイト君が話したとき、飛行機の各所を調べまわっていたコルベール先生がこちらを向いて声をかけてきた。どうも空っぽになっていたとはいえタンクには多少のガソリンが残っていた上に、それは『固定化』という物を保存するための魔法がかけられていたようで化学反応も起こしていなかったらしい。つまり、完成品であるそれさえあれば、『錬金』などの物質を変化させる魔法を使うことでガソリンを生成することが可能であるらしい。

 そのままタンクの中にこびりついていたガソリンを持っていた壺に入れると、コルベール先生は俺とサイト君に付いてくるように言った。

 

 

 

 

「なんというか、『水薬』としては心躍る部屋ですね。今後、何か難しい薬の調合をしたいときはお邪魔してもいいですか?」

 

「いくらでも構わないよ、ミスタ・セシル。まあ、しばらくはこの『がそりん』を生成するのに集中したいからお構いはできないがね。いや、それにしてもわくわくしてきた。今まで自分が積み重ねてきた知識に技術、それらすべてが通じないかもしれないほどの大きく新しい理に触れるのは初めてだよ。こんなに進んだ技術で作られたであろう物に挑むのが、こんなにもわずかな不安と大きな期待を抱くものなのだとは!」

 

 連れてこられたのはコルベール先生の研究室だった。

 部屋のいたるところに置いてある薬品の壜に試験管、アルコールランプ。壁際には本がぎっしりとつまった本棚やモルモットとして使うのかトカゲなどの動物が入った檻がある。その部屋に置かれた椅子に座るこの部屋の主、新しいおもちゃをもらった子供が冷静沈着に見えるほどはしゃいでいるコルベール先生(四十二歳、独身)。まあ、今までの授業を見る限りその知識と技術、そしてそれを支える知的探究心と好奇心は凄まじいものがある。できれば少しでもその技術を学びたいと思っていた俺にとって今回の件は、渡りに船だ。

 

「ん……、ならコルベール先生、僕も手伝わせてもらえませんか?」

 

「え、手伝うって、……『がそりん』の生成をかね? 君の力を貸してもらえればそれはありがたいが……いいのかい? おそらく手探りに近い作業になるだろうから根気のいる作業になるが……」

 

「まあ、薬の開発などをしているのでそういったことは慣れっこですから大丈夫ですよ。それよりもこのガソリンが作れるようになれば様々な事に応用が利きそうですから、それが楽しみなので早く作りたいですし。それにコルベール先生の技術や知識を盗ませていただくことは、今後の秘薬の作製に役立ちそうですから」

 

「そうか。それは立派な心がけだと私は思うよ。しかし、技術を盗むなんて言わないでくれ。一言言ってくれれば、私が知っている程度のものでよければいくらでも教えるさ。じゃあ、ミスタ・セシル。『がそりん』の生成の協力……よろしく頼むよ」

 

 俺は、そう言って差し出されたコルベール先生の手を笑顔で握り返した。

 

 

 

 

「じゃあさっそくだがミスタ・セシル、これとこの材料は持っているかね? 他の物は余裕があるんだがこの二つの材料を切らしてしまっていてね。多少の代金ならば払うから持っていたら、分けてもらえないか?」

 

「ん……ああこの二つならありますよ。後この反応を起こす時にあると便利な触媒もいくつか残っていたと思うので、持ってきます。それと代金は結構ですよ、場所や設備はもちろん材料のほとんども先生持ちなんですし申し訳なくて受け取れませんよ。まあ、あとこれはついでですが、サイト君みたいに君付けで呼んでもらえませんか? 『ミスタ』なんてつけられるとどうも背筋がかゆくって」

 

「そうか……いや、わかったよアシル君。じゃあ、君ももう少し砕けた態度で構わないよ。今の君と私はさしずめ共同研究者なのだからね」

 

「俺はいいとこ助手だと思いますけどね」

 

「……二人ともちょっといいですか?」

 

 材料やこれからの工程を大雑把をまとめた羊皮紙を見て話し合っていると、後ろからサイト君の呼ぶ声がした。振り返ってみるとなにやら思いつめたような顔でこちらを見ている。……腹でも壊したのか?

 

「コルベール先生にアシル……俺は東方から来たことになっていますが、実は……別の世界から来たんです」

 

「そらすごいね」

 

「……なんだって?」

 

 いかん、結構衝撃的な告白だったはずなのに普通に流してしまった。サイト君の言葉に対する俺とコルベール先生の反応の温度差がすごい。しばらく黙ってよう、この話に俺が口をきいたらいらない墓穴を掘りそうだ。

 

「このゼロ戦も、いつだかの『破壊の杖』も、ここハルケギニアじゃない別の世界、俺が元いた世界の物なんです」

 

「そうか……なるほどね。いや、うん、そう考えると納得がいったよ」

 

 サイト君の告白を聞いて作業の手を止めていたコルベール先生はそう呟くと、体ごとサイト君のほうへと振り向いた。

 

「すごい話だね、サイト君。もしも他にその異世界の技術についての話があればぜひ聞かせてほしい。いや、そんな細かいものでなくともいいんだ。魔法を使わず、純粋な技術と知識のみで人はどこまでの物が作れるのか……。他にどういったものが君の世界にあるのか、聞かせてはもらえないだろうか?」

 

「信じてくれるんですか……?」

 

 自分で言い出したことなのにどことなく呆然とそう返すサイト君。まあ、当たり前か。俺は実際に経験しているから異世界なんて突拍子もないものを信じられるが、そうでなかったら間違いなく病院を勧めている。

 

「まあ、驚いたけどね。しかし、君の言動や考え方、知識、今考えると召喚された時の服装……まあ今君が着ている服のことだが、見たことも聞いたこともないような物ばかりだからね。むしろ、納得がいったくらいだよ」

 

「ありがとうございます。ここまでしてくれる人たちに嘘をついているのも心苦しくて、変なことを話してすいません」

 

 肩の力が抜けたような表情でそう言うサイト君。

 

「しかしそれを聞くとなおさらわくわくしてきたよ。この『ぜろせん』一つとっても私の知らない技術の結晶だ。ならば君のいた世界には遥かに多く、複雑な技術があることだろう。そして、それはここハルケギニアで再現することも可能なはずだ。ふむ、なんと素晴らしいことだろう! 私の研究のどれだけ大きな一ページになることだろうか! サイト君、しばらくは『がそりん』に精一杯なので無理だろうが落ち着いたらいろいろと聞かせて欲しい。代わりと言ってはなんだが、何かあったら遠慮なく私に言ってくれ。この『炎蛇』のコルベールがいつでも君の力になるよ」

 

 

 

 そこからの日々はは絵面的には地味だが、非常に濃い時間だった。俺とコルベール先生は寝る間はもちろん、食事の時間さえも惜しみながらガソリンの開発に没頭した。俺は受けるべき授業を、コルベール先生はするべき授業をさぼりながらも頑張り続けた。中年のおじさんと油や薬品の臭いがする一つの部屋でひたすら特殊な油を開発するために研究を続ける、なんて日々だったがこれが案外楽しかった。途中でしばらく食事に来ていないことに気付いたアラベルが食事を持ってきてくれたが、室内の臭いをかぐなりそのままUターンしようとしたなど様々なことがあった。そうして二日が過ぎ……

 

 

「ついにここまで来ましたね……」

 

「ああ、感慨深いものだ……。いや、しかしありがとうアシル君。随分と助かったよ。君がいなかたらもと長い時間がかかっただろう」

 

「いや、結構関係ない話で盛り上がったりもしてましたから、案外先生一人のほうが早かったような気もしますけど」

 

 俺たちの目の前にはビーカーに入った液体が置かれている。後はこれに『錬金』の魔法をかければおそらくガソリンが完成する。

 しかし、それにしてもここまで長かった……。ガソリンは石油から作られたものであることは知っていたのでそれを前提にしてガソリンの成分を調べ、その結果をコルベール先生に伝えたところ同じ化石燃料である石炭を材料にする、というアイディアを出してもらった。そこから二人で様々な触媒などを使い、ここまでたどり着いたというわけだ。

 

「では、最後の仕上げは先生にお任せします。俺あんまり錬金得意じゃないんで」

 

「そうか、わかったよ。ではいくぞ、『錬金』!」

 

 コルベール先生が呪文を唱えると同時にビーカーから煙が上がり、それが収まるころにはビーカーの中の液体が茶褐色へと変わっていた。鼻を近づけ軽く臭いを嗅いでみると、そこからはもはや懐かしくさえあるガソリンの臭い。つまり……

 

「成功だ! アシル君、ついに完成だ! このハルケギニアで初のガソリンの生成についに成功したぞ!」

 

「やりましたね、コルベール先生! 俺も……っと、ちょっとすいません、完成して気が抜けたら疲れが急に出てきまして……」

 

 実際、眠気と疲れがどっとでてきて完成の喜びうんぬんの前に今はただひたすら眠くてたまらない。

 

「そうか、じゃあこの部屋は好きに使っていいからゆっくり休んでくれ。私はこれをサイト君に見せてくるよ」

 

 そう言ってガソリンの入ったビーカーを持って研究室を出ていくコルベール先生。

 あの人結構いい歳な上に、そんな鍛えている風にも見えないんだがなんであんなに元気なんだ……? それとも俺が年に見合わず体力が無いだけなのかね?

 それにしても眠いが、この部屋にはベッドがないんだよな。俺は重い体とふらつく頭を抱えながら部屋へと戻っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十七話  湖の向こう側へ

とりあえず溜まっている未投稿の物を、投稿してしまおうと思います。
感想への返信や指摘された部分の改定、サブタイトルはその後にするつもりです。


「せ、先生……この作業いつまで続くんですか?」

 

 眠い目をこすり、疲労でかすかに震える指先を必死に動かしながら俺はコルベール先生へと尋ねた。ろくに睡眠も食事もとらずにもう働くこと……何日だろう? よくわからないが結構長い間頑張っていると思う。

 

 

 

 ガソリンが完成した後、俺は自室で眠っていたのだがいきなり部屋に来たコルベール先生に起こされた。なんでもエンジンを動かすことはできたのだがさすがにあれだけの量では飛ばすことができないらしく、飛ばすために必要な量、最低でも樽で五本ほどは作ってほしいとサイト君に言われたらしい。それでゼロ戦が飛ぶところを一刻も早く見たい先生は、寝ている俺をたたき起こしてガソリンの生成を手伝うように言ってきた。……まあ、無理やりではなくて協力を頼まれただけなので嫌なら断ればよかっただけなのだが、三日も一緒に作業していたせいか変な仲間意識がわいてしまい、うっかり了承してしまった。そのせいでこんな大変な目にあっているという訳だ。

 

「た、確かサイト君に言われたのは樽に五本ほど……、む……1,2,3……できている! もう十分な量ができているぞ、アシル君!」

 

「ほ、本当ですか!? コルベール先生! これで、これでついにやっと……」

 

「ああ、やっとだ! これで……これで……やっと……」

 

「寝れる!!!」

「ぜろせんが飛ぶのを見ることができる!!」

 

 ……え?

 

「さあ、行こうじゃないか! アシル君! サイト君に頼んでさっそく飛ばしてもらおう! いや、はは、わくわくするなぁ。何の魔法も使わずにあれほどの物が飛ぶことが見れるのだ。今までの苦労が飛んでしまわないかね、アシル君」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいコルベール先生。俺も今気付きましたけど、外真っ暗ですよ。こんな暗い中飛ばすのはさすがに難しいでしょう。それにこんな遅くにあんなすごい音出すもの飛ばしたらさすがに学院長も良い顔しないと思いますよ」

 

 このままだとゼロ戦飛ばす前に俺の意識が飛ぶっちゅうねん。

 

「む……そうだな……仕方がないか。それに私も随分と疲れてしまったし、今度明るいうちに飛ばしてもらおう。それにしてもアシル君、あんなにすごい音ってエンジンを動かしたときは君、いなかったじゃないか。なんで知ってるんだい?」

 

 やべえ、また口が滑った。

 

「ああ、使用人がエンジンのかかる音を聞いていましてね。その子から聞いたんですよ、エンジンをかけたのはまだ明るいうちだったらしいですし結構いろいろな人が聞いていたみたいですよ」

 

「なるほど、確かに何人か遠くから興味深げに見ていたしね。気になるようだったらもう少し近くで見ても構わないと言ってもらえるかい? サイト君ならば、平民だからなどといった理由で断らないだろうからね、構わないだろう」

 

「わかりました。じゃあ、おやすみなさい。一足先にお暇します」

 

「ああ、おやすみ。後片付けは私がやっておこう。本当に助かったよ、ありがとう」

 

 笑顔でそう言ったコルベール先生に一礼すると、俺は先生の研究室を出て行った。

 

 

 

 

「……おっとっと……、これはまずいな」

 

 睡眠不足と極度の疲労のせいか、足がふらつく。自室に戻るためには階段を上る必要があるのだが、こんな状態じゃころんで大けがをしそうだ。かといってレビテーションなどの魔法で窓から入るのも、難しいだろう。とりあえず一休みでもしないと怪我じゃすまない事態になりそうだ。

 中庭まで来た俺はそこにおいてあったベンチに座ると、夜風に当たりながら体を休めることにした。

 

 

 

 

 

「……んあ……。……うおっ! 寒っ! 」

 

 ゆさゆさと体を揺さぶられるのを感じ、目を開けた。どうやらいつのまにか眠ってしまっていたみたいだ。周囲は眠る前よりも少し明るくなっている。生まれて初めての野宿によって、予想以上に冷えてしまっていた体を両手で軽くこすりながら、いまだに俺の服を掴んでいた人物の方を見てみるとそこにいたのはタバサだった。後ろには使い魔である風竜のシルフィードもいる。

 

「起こしてもらって悪いな。それよりもこんな朝早くにこんなところにいるなんてどうかしたのか?」

 

 そう聞くといつものように小さめの声で簡潔な答えが返ってきた。

 どうも散歩気分で明け方の空を飛んでいたシルフィードが外で眠りこけている俺を発見、それをタバサに伝えたということらしい。以前言っていたタバサの知り合いを診察……といえるほど俺は治療などに関して詳しいわけではないが……することを約束していたので俺を起こすついでにそれをしてほしいんだそうだ。どうもその見てほしい人はタバサの母親で、その人が療養しているところまでは距離があるらしく、そのせいでこんな早くに起こしたらしい。

 

「こんな早い時間に申し訳ないけれども力を貸してほしい」

 

 真剣な面持ちでそう俺に言うタバサ。

 アルビオンで迎えに来てもらった借りがあるし、その病気の人を診てみると約束したのは事実だ。確かにこんな太陽が完全に出てきていないような時間に出かけるのは、さすがに少し非常識な気がするがレコン・キスタの件といい、アンリエッタ王女のお輿入れが近いことといい……なにやら面倒なことが起きそうな予感がする。なら今の平穏なうちに行っておくのも一つの手だろう。

 

「いや、たまにはこんな時間から体動かすのも良いもんさ。それに約束しといていつまでもほっとくってのは寝覚めが悪いからな、覚えてるうちにさっさと行ったほうがいいだろ。むしろ俺こそ今の今までほっぽっといてごめんな」

 

「そんなことはない」

 

 そう言ってタバサはふるふると首を横に振った。

 そして病状について一応聞いておこうと尋ねたところ、

 

「……私はあまり口が回るほうではないので病状などの詳しい事情は母さまの世話をしている、ペルスランという執事に聞いてほしい。もちろんその後で何かわからないことがあったのなら私に聞いてもらえば、可能な限り答える」

 

 という返事が返ってきた。

 

「執事さんがいるってことは、おふくろさん実家で静養してるのか。……そういやあタバサの実家ってどこなんだ? よく考えたら家名すら知らないしな。距離があるっていってたけどそんな遠いのか?」

 

「家はラグドリアンのほうにある。ゆっくりと行っても二日もあれば着くから、この時間に風竜で出れば明日……遅くとも明後日には帰ってこれると思う」

 

「結構な長丁場だな。それよりラグドリアンにあるんならこの間ラグドリアン湖に行ったときにでも言ってくれりゃあよかったのに。……まあ、過ぎたことを言ったってしょうがないか」

 

 俺はそう言って立ち上がると、変な体勢で寝たせいで固まってしまった体をほぐすように伸びをする。パキ、ポキという関節が立てる音と鈍い痛みを感じながらもタバサへと返事をする。

 

「ちょっと待ってろ。準備してくっから」

 

 

 

 

 

「恐ろしいほどはえーな。やっぱ俺のティナとシルフィード交換してくれよ」

 

「ティナ?」

 

「俺の使い魔のフクロウだよ。いつまでも名無しってのは可哀そうだからな、適当に名づけてみた。交換してくれたら今なら洗剤もつけるよ、お得だろ?」

 

「……そんな特売品みたいに言われても困る」

 

 凄まじいスピードで空を飛ぶシルフィードの上で会話をする俺とタバサ。そんなくだらない会話をしている間にも眼下に広がる風景が少しずつ過ぎ去っていく。よくわからないが車以上の速度は出ているのではないだろうか。使い魔にランクを付けるのならばドラゴンがトップクラスだろうが、このスピードを見れば納得ができる。使い魔はメイジにふさわしいものが召喚されるというが、こんな立派な風竜を召喚できたということはタバサはやはり超一流のメイジだということだろう。実家も風光明媚で有名なラグドリアン湖の近くのようだし、どれだけ恵まれているのやら。

 

「お願いを重ねるようで悪いけれど、一つ約束してもらいたいことがある」

 

 さすがに疲れが残っていたので、軽く休もうかとしたところそう声をかけられた。

 そのまま目で先を続けるように促す。

 

「私の家でのことや母さまについてのことは外では口にしないでほしい。あまり人に知られたくないことがいくつかあるから」

 

 なんだそんなことか。

 

「言われないでも、人様の家庭事情を言いふらすほど性根は腐ってねーよ。それよりやっぱまだ眠いんで寝るわ。ついたら起こしてくれ」

 

 そう言って自分の腕を枕にごろりと横になる。そのまま意識を手放そうとしてあることに気付き、タバサに一言言っておく。

 

「寝相良いほうじゃないんで、もしシルフィードから転げ落ちたら助けてくれよ?」

 

 

 

 

 

 ゴン!!

 

「のわっ! ……ってぇ、何、何だよ。てか誰だよ」

 

 いい気分で寝ていたところ頭をたたかれて目が覚めた。といっても軽く叩かれた程度なので対して痛くはなかったが。

 

「ついた。揺さぶっても起きなかったので、悪いとは思ったけれども叩かせてもらった」

 

 どうやら目的地についたらしい。事実、シルフィードも飛ぶのをやめ地面へ着陸している。そして俺の目の前には……

 

「……お前って結構なお偉いさんだったりするの?」

 

 今まで見てきた貴族の邸宅の中では最も大きいであろう屋敷がでん! と構えていた。

 

「初めまして。セシル様」

 

 俺が屋敷を見上げている間に、近くへ一人の老人が来ていた。物静かで上品な雰囲気を身にまとった老紳士といった人だ。この人がタバサの言っていた執事さんだろうか?

 

「このオルレアン家の執事をしておりますペルスランでございます。要件はシャルロットお嬢様からうかがっております。奥様のご診断はすぐになさいますか?」

 

 ……オルレアン家? シャルロットお嬢様? 誰だよそれ、タバサのことか?

 

 どうやら俺が眠っている間にタバサが事情を伝えているようで、俺たちが来た理由も知っているようだ。しかし、眠っていた俺には何が何だかさっぱりだ。しかし診察に来たのを知っているからだろうか、諦めと期待が混ざっているようなペルスランさんの顔を見るとそれを今聞くのも気が引ける。眠気が完全には抜けていないのもあり、俺はあいまいに返事をするとそのまま彼に案内され、気付けば何やら仰々しい部屋の前にいた。

 

「ここが奥様の部屋でございます。では、私は扉の前にいますので……」

 

 やばい、俺が想像していたのよりも遥かに凄まじいスピードで事態が進んでいる。これは止めたほうがいいのか、俺何の状況把握もできていないんだが……。

 そう考え俺が勇気を出して声を発しようとした瞬間

 

 ……コンコン。

 

 ノックの音が静かな廊下に響き渡った。横を見ればタバサがどことなく緊張したような様子で軽く握った手を扉に当てている。これで後戻りはできなくなった、ような気がする。俺の様子を無視した行動に文句の一つでも言いたくなったが、

 

「では診察をお願いする」

 

 何の悪意も感じない純粋に早く母親に治ってほしいから、早く診察をお願いしたいという気持ちが伝わってくるような真剣なタバサの顔を見た俺には、

 

「……ああ。全力を尽くすよ」

 

 そう返すことしかできなかった。

 




フクロウの名前なんですが、ネットで適当に フランス ペット 名前と打ち込んで、出てきたランキングの二位の物にしました。
変だったら指摘してもらえるとありがたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十八話  オルレアン夫人の診察

 部屋の中にいたのはタバサと同じ色の髪をした妙齢の女性だった。ほほはこけ、目はくぼみ、ずいぶんとやつれた様子で手に持った人形へとひたすら話しかけている。ベッドの上にいる彼女には俺たちが部屋に入っていたのはわかっているはずなのに、こちらに視線を向けようともしない。人の母親に対してこんなことは言いたくはないが、俺の中の精神が病んでいる人のイメージそのままだ。

 

「母さま。治療の心得がある友人を連れてきました。彼の診察を受けていただけませんか?」

 

 タバサが彼女に対してそう声をかけた瞬間、やつれているとはいえどことなく穏やかさをもって人形に話していた様子が激変した。

 

「王家からの回し者め! 私とシャルロットを殺しに来たのか!」

 

 目をらんらんと憎しみと興奮にみなぎらせ、こちらを口汚くののしってくるタバサの母親。かと思えば一転して慈愛に満ちた目で自分の抱いている人形にほお擦りを始める。

 

「おお……シャルロット。私の大事な娘よ。この子が王家に反逆するなど、恐ろしいことを誰が言い出したのか……、大丈夫よシャルロット。何も怖がることはない、何があろうと私があなたを守ってみせる……」

 

 そう言うと食事に使ったのだろう、ベッドの脇にあるテーブルからスプーンを手に持った。

 

「出て行きなさい! 薄汚い人殺しが! シャルロットには指一本触れさせるものですか!」

 

 金切り声でそう叫ぶと手に持ったスプーンをタバサに投げつけた。

 

「危ないな」

 

 俺は飛んできたスプーンを叩き落とすとタバサへと目線を向ける。これを避けるくらいタバサならば簡単なはずなのに、微動だにしないタバサ。いろいろと気になることはあるが彼女とまともに話すことは無理だろう。ならば……

 

「タバサ。実の母親に対しやるのは気が引けるだろうが、彼女に『スリー』……っつ!」

 

 腕に痛みを感じ、そこを見てみると赤くなっていた。床にフォークが落ちているし、タバサの方を見ているときにフォークをぶつけられたのだろう。まあ、怪我というほどでもないし怒るほどのことでもない。

 

「タバサ、彼女に『スリープ・クラウド』をかけてくれ。暴れられちゃどうにもならん」

 

「………………わかった」

 

 いくらかの沈黙の後、こくりとうなずくと杖を出し、スリープ・クラウドを発動させた。

 杖の先端から青白い煙が発生するとタバサの母親の頭を包み込んだ。そして、次の瞬間には彼女は目を閉じ、ふらりと枕に頭をのせるように倒れこむと眠りについた。

 

「これでよし、と。じゃあ、とりあえず診てみるわ。すぐ終わるから少し待っていてくれ」

 

 意味はないがなんとなく腕まくりをすると俺はそう言った。

 

 

 

 俺ができる精一杯の診察をした後、俺たちはペルスランさんのいれてくれた紅茶をいただいていた。

 

「おつかれさまです、アシル様」

 

「いえ、それほどでも。それより、ペルスランさん。いくつか聞きたいことがあるのですが構いませんか?」

 

「はい。私でわかることでしたら何なりと」

 

 俺は飲んでいた紅茶のカップをテーブルに戻すと、姿勢を正す。

 ここに来た時から気になっていたこと。あの女性について気になること。タバサについて、ああなった原因について、診察をしてみてわかったこと……聞きたいこと、言いたいことは山ほどある。……が、そのすべてを聞くのは野暮というものだろう。必要なことだけ聞くことにしよう。

 

「まずあの女性についてなんですが、昔からああいった状態だったのですか?」

 

 俺のその質問にペルスランさんは少し眉をひそめた。

 

「まさか! 奥様は心を狂わされる薬によってああなってしまわれたのです。以前の奥様はそれは慈悲深く聡明な方でした」

 

「失礼、そういった意味で言ったつもりではないのです。誤解させてしまい申し訳ない。私が言いたかったのは、オルレアン夫人の症状は一貫したものであるか、どうかなのです」

 

「と、言いますと?」

 

「私が見た限りでは夫人の症状は大まかに分けて三つほどだと思いました。一つ、人形をタバサ……いや、シャルロットだと思い込んでいる。二つ、異常なまでの疑心暗鬼と被害妄想。三つ、極度の精神的な緊張状態を続けさせられている。この三つの症状は薬を飲んで以来ずっとなのか。それとも日によってはきちんとシャルロットを自分の娘だと認識していたり、ペルスランさんが食事を運んだ際には笑顔でお礼を言ったりしたことがあったかを聞きたいのです。どうですか、一度でもそういったことはありましたか?」

 

 ペルスランさんは悲しげな表情で首を横に振った。

 

「……いえ。奥様は毒を盛られたあの日から、常にあの状態です」

 

「なるほど……」

 

 俺なんかに期待してくれたタバサには悪いが、これは俺の手に負えるものじゃないと思う。コルベール先生の研究室を借りて、先ほど少し取らせてもらった血液を調べてみればとっかかりくらいは見つかるかもしれないが、先ほどパッと診察した限りではかなり難しい。ほんの一時的、それこそ五分かそこら元に戻すことならばなんとかなるかもしれないが、完治は無理だろう。なぜなら彼女の中でいまだに毒薬は効果を発揮し続けているようだからだ。これでは一時的に元の状態に戻せてもすぐに元に戻ってしまう。

 

「……友人のお母上です。できる限り頑張ってはみますが、期待はしないでください。なんらかの対応策は打てるかもしれませんが、完治だけは間違いなく無理だと思います」

 

 シャルロット……どうも言い慣れないな、タバサは俺を信頼して母親の診察をお願いしたわけだ。なら俺もその信頼には真摯に答えるべきだろう。まあ、誠実さの表現が自分には多分無理だと告白するというのは少々情けないが。しかし、俺にも何かできることくらいはあるはずだ。

 俺は出された紅茶を飲み干すと立ち上がった。

 

「ではそろそろ失礼したいと思います。お元気で、ペルスランさん」

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 帰りのシルフィードの上には行きと違い、沈黙が下りていた。これからどうするか考えなくてはいけないことも多々あるうえ、タバサの背景がうっすらとわかってきた今となってはさすがに軽口も叩きにくい。

 ペルスランさんが言っていたオルレアン家とシャルロットお嬢様。シャルロットという名前には覚えがないが、オルレアン家のほうは俺でも聞いたことがある。現ガリア王であるジョゼフとの政争の末に没落したガリアの王族だったはずだ。よそ様のお家騒動なんかに何の興味も持っていないので詳しいことは知らないが、俺の記憶が確かならタバサはガリアのお姫様ということになる。そういえばガリア王家の人間はきれいな青い髪らしいが、なるほど確かにタバサの髪も青い。

 そう思いながら俺の前のほうに座っているタバサの後頭部を見ていると、前を向いたままタバサのほうから話しかけてきた。

 

「……聞かないの?」

 

「…………聞かないさ」

 

 ここで何を? と返すほど空気が読めないわけではない。確かに何があったのか聞きたくは思う。しかし、他国の王族の後ろ暗い話なんか聞いたら枕を高くして眠れなくなるかもしれない。すでにオルレアン公夫人を診察した時点で結構やばい気もするから、正直これ以上の危険要素はノーサンキューだ。

 

「知的好奇心につられて身を滅ぼしたら、どうしようもないからな。今まで通りでいいじゃないか、俺がアシルでお前がタバサでさ。まさかこれからはミス・オルレアンと呼べ、なんて言わないでくれよ?」

 

「言わない。人前でシャルロットと呼ばないように気を付けてさえくれればいい」

 

 タバサが俺のほうへと振り向き、言葉を続ける。

 

「あなたは自分には完治は無理だと言っていた。それは本当?」

 

「ああ、間違いない。せめて薬そのものがあればまだわからないが、飲んだ人だけ見て解毒薬を作るのは俺には不可能だ。力不足で悪いがな」

 

「そう……」

 

 少し落ち込んだように視線を落とすタバサ。その姿を見てなんだか小さな子供をいじめているような気持ちになってきた俺は、励ますように言った。

 

「いや、でも、あれだ、ほら。これもかなり難しいとは思うがほんと一時だけもとに戻す薬なら、もしかしたら作れるかもしれないから、な? それに毒薬を作った奴をとっつかまえれば解毒薬の作り方も知っているかもしれないし。だから、ほれ元気出せって。今度メシおごるから」

 

「……ありがとう。借り、いち」

 

 顔を上げ俺の目を見るタバサ。

 

「もし必要な材料などがあったら私に言ってほしい。母さまを治すために必要なことならば協力は惜しまない。それ以外にも何か困ったことがあったら私もできる限り手伝う」

 

「それは千人力ってやつだな。頼もしい限りだ」

 

 なんとなく笑いながら俺はタバサへそう言った。それを俺の勘違いかもしれないがどことなく柔らかい表情で聞くと、タバサはくるりと前を向いた。

 

「では行こうと思う」

 

「どこにだよ?」

 

 前を向いて何やらシルフィードへと指示を始めたタバサ。

 

「食事に。おごってくれるって言ったから」

 

「え゛?」

 

 なんとなく勢いでおごるとか言ったが、よく考えればコイツ、牛みたいによく食べるんだった。

 

「あのタバサさん……僕あんまり財布に余裕がないので、できれば安めのところにしてくれるとうれしいんですが……」

 

 おごる側の俺が卑屈なのも何かおかしいような気もするが、不思議なことにいらだちや不快感は感じない。たぶん俺の中でタバサは、友達というよりはどこか妹のように感じているのだと思う。

 

「大丈夫」

 

 そう言うと俺のほうを向きぐっと親指を立てるタバサ。背景が綺麗な空であることといい、風で流れる髪といい、半端ないかっこよさが漂っている。

 

「食べ放題の店にする」

 

「俺お前のそういう空気の読めるとこ好きだよ」

 

 馬鹿な会話を続ける主人とその友人を乗せながら、シルフィードは高度を下げていった

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十九話  舞台は主役たちのために

「あれ、ゼロ戦が無いな」

 

学園に帰ってきた俺達は中庭に着地したが、行く前には置いてあったはずのゼロ戦が何故か無くなっていた。

 ……そう言えばアンリエッタ王女のお輿入れが今日だか明日だかでそろそろだったはずだ。戦闘機でパレードに華を添えろとか、また王女に無茶ぶりされたのでなければいいけれども。いや、よく考えたら王女さんは、戦闘機の存在そのものを知らないんだったな。じゃあ何だ?

俺はタバサと手を振って別れると、コルベール先生と会うために研究室へと向かった。研究室を使わせてもらうためというのもあるが、彼ならばゼロ戦が無くなっている理由も知っているだろう。

 

 

 

 

 

 自室に戻ってきた俺は、後ろ手でドアを閉めると椅子に腰かけた。

 あの後コルベール先生にゼロ戦の行方を聞いたが、何やら焦った様子のサイト君が持って行ったということがわかっただけで、結局何のために持って行ったのかはわからずじまいだった。ま、伝説の使い魔様らしく適当に大冒険したら帰ってくるだろう。怪我してなきゃいいけど。

 

「とりあえずはサイト君よりこっちかね」

 

タバサの母親の血液が入った小瓶を目の前で軽く振ってみる。

当たり前だがこうして見る限りでは何もおかしいところはない。しかし、調べれば原因か解決策のとっかかりくらいは見つかるかもしれない。といってもきちんと調べるにはコルベール先生の研究室の設備を借りる必要があるだろうし、何よりも出先から帰ってきて今からやるというのも疲れてるから嫌だしな。

調べるのは明日からにしよう。

 

「ああ、こっち忘れてた」

 

 血液の方ばかり気にしていてお土産を買ってきていたのをきれいに忘れていた。以前アルビオンに任務で行って帰ってきた時、アラベルに遠出するときは一言言ってくださいとか言われたのにまたも勝手に出かけちまったからな。お詫びとして途中で拠った町で、若い女の子に人気のある本を三冊、適当に店員さんに選んでもらって買ってきたのだ。中身が何なのかは知らないがどうせ俺は若い女の子の間での流行なんて知らないし、別に構わないだろう。つーかなんで俺が彼女でもなんでもないあいつのためにここまで気を使わにゃならんのか……と思ったけれどもメシやら掃除やらで結構世話になってるからな、たまには労をねぎらう意味でお土産兼プレゼントをするのもいいだろう。

 とりあえず俺は本の入った袋を掴むと、アラベルを探すために部屋を出て行った。

 

 

 

 

トン、トンというノックの音で目が覚めた。一つ伸びをして、誰かを尋ねると『アラベルです』という返事が返ってきたので寝ぼけ眼をこすりながら鍵を開けた。

 

「よう、アラベル。何か用か?」

 

「まず一発殴らせてください」

 

「お前は肉体言語以外のコミュニケーションを知らんのか」

 

 扉を開けたところにいたのはアラベルだったが、どうも怒っているようだ。いつも以上に眉間にしわがよっている。それに手に何が入っているのか袋を持っている。昨日お土産を渡そうとアラベルを探したが、結局見つからなかったので適当にそこらにいたメイドさんに渡してくれるよう頼んでおいたんだがそれのお礼だろうか。それにしてはなんで怒ってるんだ?

 

「まあ、いいや用があんならとりあえず入って紅茶でも飲めよ。ああ、面倒なんで紅茶はお前が入れてくれ。俺の分も頼むわ」

 

 

 

 

 

「で、どうしたのよ」

 

 アラベルに紅茶を入れてもらい、お互いに座って一息ついてから俺はそう聞いた。

 アラベルはため息を一つ着くと手に持っていた袋を机の上に置いた。

 

「どうもこうもこれですよ」

 

「これって……普通に俺がお土産として買ってきた本だろ? つまんなかったとか気に入らなかったとかか? そんな場合のために店員に若い女性に人気の本を、って頼んでお勧めのを三冊も買ってきてやったんだけど」

 

「……お気遣いは素直にうれしいですよ、わざわざありがとうございます。今度お礼にクッキーでも作りますよ。……それはそれとして、やはりそういった事情でしたか……。アシル様、いくら平民相手のお土産とはいえ今後は何を買ったのかの確認くらいはしてください。昨日、アシル様からのお土産だと同僚の子からそれを渡されて、私がどれだけ戸惑ったか……」

 

 どういうことだ? いつだかの手紙見たく、また俺が何かやらかしてしまったらしい。まあ確かに中身も知らん物を送ったのはアレかも知れないが、店員のお勧めの本のはずだ。そんな変なものであることなんてあるのか?

 

「……中身、見てもいいか?」

 

「……どうぞ」

 

 とりあえず袋の中から一冊取り出して題名を見てみる。そこに書いてあったのは

 

 

 

 

『メイドの午後 愛のムチ編』

 

 

 

 

「…………えっ!?」

 

 あきらかに18禁の臭いが漂うタイトルに驚き、残りの2冊も取り出して見てみると、

 

『メイドの午後 二人きりの昼下がり編』

 

『メイドの午後 最後の夜編』

 

 

「シリーズ物かよ!」

 

 好みに合わなかった時のために三冊も買ってきたのにこれじゃあ何の意味もないじゃねーか!

 

「……いえ、一応若い娘の間で流行っている本ではあるんですよ? 確かシエスタも持っていましたし、他の子から読ませてくれと頼まれもしましたし。たぶん店員の方も悪気があったわけではないと思います」

 

 だとしてもこれはないだろう。あんまいい気分のする想像じゃないが俺がメイドやってたとして、知り合いの貴族から『メイドの午後 愛のムチ編』なんて本貰った日には冗談抜きで貞操でも狙われてんのかと勘繰るぞ。

 

「一応言っておくが他意はないぞ。この本も俺じゃなくて本屋の店員が選んだもんだし」

 

 俺のその言い訳じみた(まあ、事実なわけだが)言葉を聞くと、アラベルは軽く呆れたような目をして、ため息を一つ吐いた。

 

「わかってますよ、アシル様にそこまでの甲斐性があるとは思っていません」

 

「へえへえ、そうですか。そら悪うございましたね」

 

 会っていきなりけんか腰だったので、もしかしたら結構怒っているのかと思っていたが、そんなこともないみたいだ。安心して肩の力を抜き、椅子の背もたれに体重をかける。

 これからもこいつと仲良くしていきたい俺としては、こんなくだらないことで気まずくなりたくはなかったので案外ほっとしている。

 

「で? いつもよりも散らかっている気がしますが、まだあの努力もなしに強くなる、とかいう薬を作っているのですか?」

 

 アラベルからの質問に俺は顔の前で手を軽く横に振る。

 

「あれはもう完成したよ。今やってんのは人助けだよ、人助け。博愛精神あふれる俺としては困っている人を見ると、助けずにはいられなくてな」

 

「はいはい、それはすごいですね。で? アシル様が人助けとやらをしている間、私はまたここに食事を運べばいいんですか? あれ、結構面倒なんですけど」

 

「いや、今回のはコルベール先生の研究室を借りてやるつもりだからそっちに持ってきてくれ。ま、悪いとは思うがそれが仕事なんだし我慢してくれや。お礼に今度はきちんと俺が選んだ物をなんか送るよ。なんかリクエストあるか?」

 

「え……あ、どうも、それはありがとうございます。プレゼントですか、そうですね……」

 

 そう言うとアラベルは少し考えた後、どことなく目線を逸らしながら微妙に小さな声で要望を伝えてきた。

 

「……じゃ、じゃあアクセサリーなんてどうですかね。やはり女性へ送るものといえば、お約束ですし」

 

「まあ、アクセサリーだろうとなんだろうと高いものじゃなけりゃ別にいいけどさ。じゃあ、今度どっか行く用事が出来たら買ってくるわ。そうだな……首輪でいいか?」

 

「構いませんがその場合、食事にちょっと不思議な食材がプラスされてしまったりすることが起きるかもしれません」

 

「おっかないな。ま、冗談は置いといて何か無難なものを用意しとくよ。それより、明日からメシ頼むな、俺は多分コルベール先生の研究室に詰めっぱなしになると思うから」

 

「はあ……全く仕方がない人ですね。わかりましたよ、まあ、頑張ってください」

 

 その後も近況報告やら世間話やらをしてしばらくすごしたあと、仕事が残っているということでアラベルは戻っていった。シエスタがサイト君との既成事実を狙っているらしい、というわりかしどうでもいい情報を手に入れたので今度ルイズに会ったら教えてやろう。やっぱ、ルイズとサイト君は喧嘩しているくらいがちょうどいいしな、見ている分には。

 そんな意地の悪いことを考えながら、俺はカップに残った冷めた紅茶を飲み干した。

 

 

 

 

 追伸になるがそれから何日かしてサイト君とルイズが帰ってきた。後から知ったことだがレコン・キスタの奴らがアンリエッタ王女のお輿入れに合わせて、タルブ村という場所に侵攻をしてきていたらしい。それを二人で力を合わせてなんとかしてきたみたいなことを言っていたが、正直侵攻を二人でなんとかしたとかスケールが大きすぎて俺には理解できないし、あまりしたくなかったので詳しくは聞かなかった。だってどうせあれだろ、ルイズが虚無のメイジとしての新たな力が目覚めたか、サイト君のガンダールヴのルーンに秘められし力が覚醒したかのどっちかだろ? ただのラインメイジである俺には手に負えないからな。聞いたってしょうがない。

 虚無のメイジに伝説の使い魔、長く続いた王家がレコン・キスタに倒されて、防いだとはいえそいつらはトリステインにまで攻め込んできた。俺にだってわかる。これから先、ここハルケギニアは間違いなく何か大きなうねりにのみこまれていくだろう。けれどもそんなこと俺には関係ないことを願うよ。戦争だ、伝説だってのはルイズやサイト君がどうにかしてくれ。俺は分相応に研究室にこもってちまちま薬でも作ってるさ。

 歴史という名の大舞台に主役として立てないのは、多少悔しくもあるけれども……ま、これはこれで楽しいもんだよ、ホントにさ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十話  なんということもないような休暇中の一コマ

 試験管に入った薄い青色の液体に、スポイトを用いほんの少量だけタバサの母親の血液を垂らす。すると中の液体が白く濁ってしまった。

 

「これにも反応するのか……。本当にどれだけ複雑な薬飲まされたんだ、あの人」

 

 起きた結果を手元のノートに書き記す。血液について調べたり、様々な液体との反応を調べ、その結果をひたすらノートに書いていく。今、コルベール先生の研究室でやっているのはそんなあくびが出てくるような地道な作業だ。

 

「ふむ、アシル君。私が頼まれた作業はとりあえず一通り終わったよ。これがその結果だ」

 

 同じような作業をしていたコルベール先生が、そう言いながら俺にレポートを渡してくる。俺はそれを受け取りながら、何度目かになるお礼を伝えた。

 

「ああ、ありがとうございます。それにしてもすいません、お忙しいにも関わらず、場所や設備を使わせてもらえるだけでなく、こんな個人的な事に手を貸していただいて」

 

「構わないよ、君にはがそりんの時の借りがあるしね。それにこんな複雑な薬品についての調査なんて滅多にできることじゃない。そんな気に負わないでくれ」

 

 そう言って笑ってくれるコルベール先生。俺はそんな先生にもう一度お礼を言い、渡されたレポートの代わりに自分のノートを渡す。俺達はお互いに役割分担して血液の成分を調べ、ある程度進歩があったらその結果を二人で見て、それらのデータが一体何を示しているのか? 解毒薬を作るためにはそのほかにはいったい何を調べる必要があるのか? などについて話し合う、といった方法でタバサの母親の治療法を探している。

 

「ふむ……今のところ血液中の毒物と反応する薬品等も反応しない薬品等ともに関連性は見えてこないね。まあ、まだ始めたばかりだ。これからも続けていけば何らかの糸口は見えてくるだろう」

 

「だといいんですが……。まあ、他に方法も思い付きませんしね。続けましょうか」

 

 お互いに実験結果を見て、いくつか意見を言った後また成分を調べたり他の薬品との反応を調べる作業に戻った。

それにしても自分も色々とやりたいことがあるだろうに、詳しい事情も聞かずにここまで力を貸してくださるコルベール先生には本当に頭が上がらない。

そしてそのままお互いに会話をすることもなく、行っている実験のカチャカチャという音だけが研究室に響く。その静寂を破ったのはコルベール先生の方からだった。

 

「……アシル君、詳しい事情を聞くつもりはないが、一つだけ聞かせてくれないかね?」

 

「……何ですか?」

 

お互いに視線を会わせることも、作業の手を止めることもせず会話を続ける。

 

「私は魔法薬にそれほど詳しいわけではない。治療薬や毒薬、水の秘薬に関してなら君の方が知識も調合の技術も上だろう。しかし、そんな私にもこの血液の持ち主が飲まされた毒薬がどれほど恐ろしいものなのかくらいはわかるのだよ」

 

「……」

 

そう言ってもらえるのはありがたいが、それは過大評価だ。俺はそこまで大したものではない。

 

「私は教師だ。君がこの毒薬について調べているのは悪用するためではなく、何らかの目的があってのことだと信じている」

 

「……ありがとうございます」

 

「……だが、これほどの劇薬について深く知るということは、それは人の命というものと深く関わりあう、ということだ。君がこれからも今回のような複雑な薬品と関わり、研鑽を続けていけばいつか君のおかげで誰かの命が救われることや、君のせいで誰かの命が失われるようなことが起きるかもしれない。その時、君はどうするんだい?」

 

 別に声を乱すこともなく、作業とともにされたまるで世間話のようなその会話。だけれども、なぜかコルベール先生のその話には何か俺には理解できないような深い感情がこもっているようだった。

 

「……俺は元々誰かのために、なんて理由で動くほどできた人間ではありません。ですので俺が人の命を左右するような事にはできるだけならないように気をつけるつもりです」

 

 このコルベール先生の質問に対し、俺はそれを信じてもらえるかどうかはともかく適当な綺麗事で乗り切ることはできなくはないだろう。

 

「しかし、もしもなってしまったら……想像しただけで気が重くなりますね。もし、仮に失敗してその人を殺してしまったとすれば、一生そのことに対して罪悪感を持ち続け、俺なんかがやるのではなかったと後悔し続けるでしょう」

 

 しかし、コルベール先生は俺を信頼しているとはっきりと言い、実際にいろいろと手を貸してくださっている。俺は普段はふらふらと中身の無いようなことばかり言っているんだ、せめてそういった真摯な信頼くらいには誠実に返したい。

 

「成功したとしても達成感や幸福感を感じるよりも、罪悪感を背負わなくてすんだ安堵のほうが遥かに大きく感じるような気がしますからね。どちらになるにせよ、俺にとってそんなに良いことにはならないと思いますよ。もちろん、成功したほうが遥かに良いのは間違いないですけどね」

 

 タバサの母親を治すために頑張る。言葉にすれば簡単だが、成功したにしろ失敗したにしろそれがタバサやオルレアン夫人、ペルスランさんに当事者である俺の人生へ大きな影響を与えるのは間違いない。

 

「ですからもしも人の命に関わるようになったとしても俺がすることは一つだけだと思いますよ。いつまでもびくびくとし、失敗しないように祈りながら反省と後悔をし続ける。そんな感じじゃないですかね? 人を救うことや殺すことに慣れられるほど、俺は強くありませんよ」

 

「……そうかね」

 

 俺のその返事を聞き、なぜかコルベール先生は微笑んだような気がした。作業の手を止めずに話していてそちらを見ているわけではないので、なんとなくそんな気がした、というだけだが。

 長々と話したが要約すれば俺は精神的に弱い、という話でしかないのに。なぜ微笑んだのだろうか? もしかして微笑んだというのは俺の勘違いで、鼻で笑われたのを勘違いしただけか? そんな俺が頭の中で考えていた疑問に答えるかのように、まるで独り言のように先生が呟いた。

 

「……人の死に慣れることができるほど自分は強くない。そう君が自分の事を確信することができるほど強いのならば私から言うことは何も無いよ。いや、変なことを聞いて悪かったね、気にしないでくれ」

 

「……はあ……」

 

 なんだってんだ、いったい……。

 

 

 

 

 

 

 

「夏季休暇中に部屋に籠って魔法薬作りですか。寂しい青春ですね」

 

「本気で殴るぞ、メイドさん」

 

 研究室に籠って薬をいじったりノートとにらめっこをしてもう数日。室内に籠ってばかりというのもアレなので、気晴らしに中庭を散歩していたところアラベルに会った。……なんか他のメイドに比べてコイツとのエンカウント率が異常に高い気がするんだが、俺の気のせいか? 

 今の今まで言ってはいなかったが、実は今は夏季休暇中だったりする。まあ、そうじゃなければひたすら部屋に籠って薬の研究をする時間なんてなかなかとれるものじゃないからな。ましてコルベール先生は教師なんだ。休暇中でなければ手を貸してもらうのも難しかっただろう。……案外そうでもないか? 俺もコルベール先生も講義より、自分の興味のあることを優先するタイプだしな。

 

「で? 挨拶よりも先に喧嘩売ってくるとかお前何したいの? 俺に正しい人とのコミュニケーションの取り方でも教えてほしいの?」

 

「いえ、そういうわけではなくてですね、疲れてそうですから小粋な冗談で和ませようかと。いえ、疲れてそうという以前にここ数日ろくにあの研究室から出てさえいないじゃないですか。このままじゃ体壊しますよ」

 

「……え? なんでお前ここ数日の俺の行動を知ってんの?」

 

 俺は少し引きつつそう尋ねた。もしかしてこいつストーカーだったのか?

 

「その数日の間、あの研究室まであなたに食事を運んだり部屋の掃除をしたりしていたのは誰だと思っているんですか? え?」

 

 そういえばそうだった。実験に集中しすぎていて、それ以外のことをろくに覚えていなかったとはいえ、さすがにこれはどう考えても失礼すぎた。いつものことながらアラベルの表情はクールなままだが、さすがに怒っているんじゃないか?

 

「あ……そういやそうだったな。悪い、ずいぶん世話になっといて今の言いぐさはないよな。ごめん」

 

「いえ、別にほとんど好きでやってるようなことですし構いませんけど」

 

 そうは言ってくれるがここまで世話になっておいて、あんな恩知らずなことを言ったわけだしなぁ……。何かお礼くらいはしたほうがいいだろうな。

 

「お前今から時間取れるか? 別に今が無理なら明日とかでもいいけどさ」

 

「時間ですか? ……休暇中で貴族の方々もほとんどいないので、仕事もあまりありませんしね。マルトーさんに一言言っておけば大丈夫だとは思いますが……」

 

 ならちょうどいい。

 

「じゃあ、トリスタニアに行かないか? 薬の材料をそろそろ調達に行こうかと思っていたところだったし、お前にアクセサリーを贈るって約束もしてたからな、それを買いにさ。 メシもおごるよ。世話になってるしな、それのお礼ってことで」

 

 俺がそう言うとアラベルは驚いたように目をぱちぱちさせた後、俺から目を逸らしながら返事をした。

 

「……ま、いいんじゃないですかね、そういうのも、たまには」

 

 

 

 

 

 

「で、だ。メシはどこで食べたもんかね?」

 

「まさかのノープランとは恐れ入りましたよ。こういう時は男性がエスコートするものじゃないんですか? まあ、私は出店でも何でも構いませんし、もしもアシル様が出店でいいのならいっそ私が奢りますよ? メイドなんてやっているとあまりお金を使わないので多少は余裕があるんですから。あ、あのお店なんておいしそうですね、あそこにしませんか?」

 

「お前、よくしゃべるね。なんかキャラ変わってない?」

 

 

 たしか俺と同じように夏期休暇にも関わらず、実家に帰省していなかったはずのタバサに風竜でトリスタニアに連れて行ってもらおうと思っていたが、居なかったので仕方がなく学院の馬を借り、トリスタニアへと向かった。昼をしばらく過ぎた頃には到着し、とりあえず必要な物とアラベルにブレスレットを買い、どこで食事をとるかの相談をしていた。ブレスレットを買って渡してからのアラベルは妙に機嫌が良く、俺が奢ると言ったのに夕食くらい自分が奢ると言って譲らない。まあ、今回わざわざトリスタニアに来たのはアラベルに対してのお礼みたいなもんなわけだしな、アラベルのしたいようにするのが一番だろう。

 

「やっぱり表町であるブルドンネ街の方が有名なお店が多いんですけどね。チクトンネ街の方にも結構美味しいお店があるんですよ? 何より安いお店が多いですからね。貴族様にはあまり向かないかもしれませんけど、まあアシル様ですし」

 

「お前ホントさらっと俺に毒吐くよね」

 

 アラベルに引かれるようにしてチクトンネ街に来た時には、夕暮れ時になっていた。元々ブルドンネ街が表町だとしたらチクトンネ街は歓楽街のような裏町だからな、どうもどことなく艶かしいというか妖しい町のように見えてしまう。

 

「ちなみにですね、あっちに私がたまに行くお勧めのお店が……げっ!」

 

「キャラ的に出しちゃいけない声出してどうしたんよ? ……おう、ギーシュにモン様、赤青コンビじゃんか。奇遇だな、何やってんだこんなところで?」

 

 そこにいたのは一つの店に入ろうとしているギーシュにモンモランシー、それにキュルケとタバサの四人組だった。

 

「やあ、アシルじゃあないか。こんなところで偶然だね」

 

「ほんとう、どうしたのよ。それに女の子連れなんて珍しいじゃない。あなたもどこかの誰かさんみたいに女の子ととっかえひっかえするような、下品な事に目覚めたの?」

 

「ははは、ひどい言われようだねアシル。ただ、モンモランシーの言う通りだよ。僕のように女性に対しては一途であることが紳士らしさ、ひいては貴族らしさってものさ」

 

「どこかの誰かってのは、あなたのことよバカギーシュ! 私はまだいつだかのことを許したわけではないんですからね!」

 

「そ、そんなこと言わないでくれよ、愛しいモンモランシー……」

 

 ……なんだあのいつも通りすぎる二人組みは。なんで公衆の場で痴話喧嘩始めてんだ。

 俺がそう思っているとキュルケが近寄ってきて、俺の肩を軽く叩いた。

 

「はぁい、久しぶりね、アシル。みんなで食事でも、ってことで町に出てきたのよ。学院はあついしねー。それよりもどう? あなたも一緒に? 人数は多いほうが楽しいものだしね。ま、横にいるお嬢さんが許してくれれば、だけどね?」

 

 そう言うとキュルケはアラベルの方を向いてウインクをした。

 それを受けてアラベルは少しがっかりしたようにため息を一つ吐いた後、頷いた。

 

「……別に構いませんよ。私は、別に」

 

「そう、ならこれで決定ね」

 

 そう言って店に入っていくキュルケにタバサ。なんだかんだと言いながらその後に店に入っていくギーシュとモンモランシー。

 それに続いて店に入ろうとした俺の裾を掴んで引き止めるアラベル。いったいどうしたんだ? やっぱり一緒に食事を取るのは嫌だ、とかだろうか? まあ、みんな貴族だしな。平民のアラベルでは気疲れするかもしれない。そう考え、アラベルの方を向いた俺へと、普段よりも眉間に深い皺を寄せたアラベルはこう言った。

 

「……やはり私が奢るというのは無かったということで。……それだけです。では行きましょう」

 

 そう言って俺の裾を離すと他の人の後を追い、店へと入っていくアラベル。

 一人取り残された俺は頭をかくとつぶやいた。

 

「……どうしたものかね、こういうの」

 

 俺はなんとなく手を頭にかけたまま、みんなの後を追い店の中へと入っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十一話 そういえば俺だけ夕飯食べてない

「……んお……。あだだだだ!! え? 何?」

 

背骨と手足、それと頭に走る痛みに目が覚めた。何故だかはわからないが気を失っていたらしい。

 

「おお、起きたかい。では、悪いんだが自分で歩いてもらえるかね。さすがにちょっと疲れてしまってさ」

 

「そうですよ、早く自立してください、いろいろな意味で」

 

 俺はギーシュに背負われていた。いや、別にそれはいい。むしろ意識の無かった俺を、わざわざ背負ってくれていたことに対して感謝しなくてはいけないくらいだ。ただ、俺とギーシュの背丈はあまり変わらない。つまり本来なら背中を丸めるようにしたかなり負担の大きい姿勢で背負わないと、足を引きずってしまうはずだ。しかしそんなことにはなっていない。何故なら……

 

「痛っ! 痛いから! おい、アラベルがまず手を離さないと降りれないってんだよ!」

 

 俺の足をアラベルが持っていたからだ。つまり俺はギーシュの胸の前で腕を組み、その後ろの方でアラベルが足を持っている、といったかたちで運ばれていたわけだ。ようは俺は軽いエビぞりのような体勢だったということ。そりゃ背中も痛むわけだよ。つーか誰か止めろや。

 

 

 

 

 

「いつー……。まあ運んでくれたんだし運び方には文句言わないけどよ、なんで俺気絶してたんだ? なんか強い酒でも飲んだんだっけか?」

 

 降ろしてもらった俺は背中をさすりながらキュルケたちに尋ねた。みんなで店に入った後、何が起きたのかよく覚えていない。

 

「覚えてないの? いやーあれは傑作だったんだけどねー。ふふっ、今思い出してもあの時のヴァリエールの顔ったら」

 

 そう言ってなんだか楽しそうに笑うキュルケ。

 ヴァリエールっていうとルイズか? 歓楽街にあるような飯屋とあのプライドの高い潔癖なルイズになんの関係があるってんだよ?

 少しの間の考え込んだあと、俺はふいに思い出した。

 

「…………ああ! 思い出した」

 

 いったいあの店で何が起きたのかを。

 

 

 

 

 キュルケ達四人組はギーシュが一度行ってみたい店があるということで、あの店に来ようということになったらしい。ギーシュが行ってみたいと言っていた理由は店に入ればすぐにわかった。店中をそれなりに綺麗な女の子たちが色っぽい恰好をして給仕のために動き回っていたからだ。

 

「へえ、まあ目の保養になるっちゃあなるな。ま、むさいおっさんばかりが働いている店よりかはずっといいや」

 

 俺は店員を見て鼻の下をのばしたギーシュが、モンモランシーに耳を引っ張られているのを横目に見ながら席に着き、メニューを手に取った。その際自分で言った、むさいおっさんばかりが働いている店という言葉で、店に入ってすぐ会ったなんかよくわからんオカマを思い出し、少し気分が悪くなった。

 同じテーブルに座ったキュルケが俺に話しかけてくる。

 

「ふふ……なかなか刺激的で面白いお店じゃない。あなたもギーシュ程じゃないにしても少しは、はしゃいだら?」

 

「俺はどっちかっていうと、ああいう恰好よりも地味目な恰好のほうが好みなんでな。だってお前、考えてみろよキュルケさんよ、年がら年中部屋で薬作ってるような男に派手な人は似あわないだろ」

 

「あら、どうりで私に対しても興味を出さないわけね。つまり、今日一緒の子やタバサみたいな子が好みってこと?」

 

「どっちかっていえばな。まあ、んなことどうでもいいだろ。それより店員さん、注文頼みたいんだがちょっといいか?」

 

 そう言ってメニューに目を落としたまま、適当に手で店員を呼ぶ。するとすぐに誰かが近寄ってきた感じがしたので、注文をしようと顔を上げて店員の方を見たところなぜかお盆で顔を隠していた。

お盆で隠しきれていないところからは、白い肌とピンク色と髪の毛が見えている。

 

「……なにやってんの、ルイズ」

 

「……」

 

返事すらしない店員(まず間違いなくルイズだろうが)。

しかし、何やら正体は隠したいようだし、今さらな気もするが空気を読んでわからないふりを……。

 

「あ、使い魔さんが女の子口説いてる」

 

そんなキュルケの言葉に、キッと厨房の方を睨む店員。その顔はやはり。

 

「「ルイズ!」」

 

 そうギーシュとモンモランシーが声を上げる。

 それを聞き、はっとした顔になったルイズが再びお盆で顔を隠す。

 

「今更顔隠して何の意味があるっていうのよ、ラ・ヴァリエール」

 

「わたしルイズじゃないわ」

 

 意味の無い問答だ。ルイズだって正体がばれているくらいわかっているだろう。ただ、ライバルであるキュルケに引っかけられたので意地になっているだけだろう。こんな時に俺がしてやれるのは一つだけだ。

 

「ああ、わかったよ。悪いな、店員さん。どうもあんたが知り合いに似ていたんでな。迷惑かけたしチップやるよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 そう言ってやっと顔をお盆の陰から出すルイズ。俺は財布から金貨を一枚取り出すと……ルイズの足元に放り投げた。

 

「さあ、はいつくばって拾うがいい、ルイズ。……じゃなかった、ルイズに似た店員さんよ」

 

 普段ツン、としているルイズが理由はわからないが、こんな微妙にいかがわしい店で働いている。これは全力でからかってやるしかないだろう。店内でなければフハハハハ、って悪役笑いの一つでもしてやりたいくらいだ。ルイズは軽くうつむいて肩を震わせている。

 

「さあ、遠慮することはない。ほら、普段の学院の誇り高い姿なんて忘れて、みっともなく落ちた金を拾うといい、ルイズ」

 

 完全に店員に対してやっているという対面すら忘れた俺がそう言うとルイズは肩を震わせたまま、しゃがんで金貨を拾いそのままそれを握りしめた。そして、震える声で言った。

 

「ありがとうございます、お客様。しかし頂くだけというのも悪いですから、お礼をいたしますわ」

 

 そしてしゃがんだ体勢から、まるでカエルが跳ねるように俺へと金貨を握りしめたこぶしで俺の顎にアッパーを叩き込んだ。

 

「グハッ!」

 

 そのまま俺は後ろへ吹き飛ぶと、後頭部を床に打って気絶した。

 確かこれがあの店で起きた出来事だ。

 

 

 

 

 

「客観的に判断して欲しいんだが、あれは俺とルイズのどちらが悪いと思う?」

 

「たぶん君じゃないかな?」

 

 俺の問いにそうギーシュが返す。他の人に聞いても似たような答えばかりだった。まあ、正直俺もやりすぎた気はしている。ちなみに、メシ代はルイズにつけておいたらしい。

 

「それよりそろそろ帰るつもりなんだけど、あなたたちは馬で来たのよね? じゃあ、ここでお別れになるわね」

 

 キュルケ達はシルフィードで来たんだろう。なら馬たちで来ている俺たちとは別々に帰るということになる。しかし、俺はタバサにちょっとした用があったので、ある提案をした。

 

「悪いんだけど、タバサと話したいことがあるから一緒に帰りたいんだがダメか? 要は行きと帰りでタバサとアラベルのポジションを交換して欲しい、ってことなんだが」

 

 それを聞いてタバサは何かを問いただす様な目でこちらを見る。それが何を意味しているかはわからないが、とりあえず頷いておいた。するとタバサは、他のみんなのほうを見て言った。

 

「私もそうしたい」

 

 その返事に俺とタバサを除いた全員がかなり驚いた様子を見せたが、もう時間的に遅いこともあり話をさっさと進めたい俺はそれに構わず、今度はアラベルへと尋ねた。

 

「アラベルは構わないか? 結構大事な用なんでできれば納得してほしいんだが」

 

 するとアラベルは今まで見たことも無いような表情で、詰めよってきた。

 

「え? ちょ? 用ってなんですか? い、いつのまにそんなことに……。私今日ブレスレットもらったばっかりなんですよ!」

 

「あのな違うから、そういうのじゃないから。ちょっと耳貸せ」

 

 そう言ってアラベルの片耳を引っ張ると小声で事情を伝えた。

 

「いつだか言った人助けの件についての話だ。面倒な事情が絡んでるんでな、人目があるところで話せないんだよ。そういう訳だ」

 

 あとこれは言う必要は間違いなくないし、言っても傷つけることはわかっていたがお互いのためにも言っておく。

 

「……あと言いたくはないが、俺の自意識過剰なだけならそれが一番だが……お前が俺に何らかの気持ちを抱いていたとしても、俺には本気では応えられないことくらいわかっているだろ。……嫌な話だが、こんなんでも貴族の一人息子なんだ。正妻としてというのは、絶対に、無理だ」

 

 俺だってそこまで馬鹿じゃない。アラベルにおそらく好意を抱かれていることくらいはわかっている。そしてアラベルも俺にそれがばれていることくらいわかっているだろう。そして身分の差とやらのせいできちんと結ばれることは不可能だということも。

 

「……はあ、私にだってわかってますよ、それくらい。すいません、ブレスレットをもらって少々調子に乗っていたようです」

 

 普段通りの表情でそう言った後、アラベルはただ……と続けた。

 

「自分のものとはいえ、感情は何か理由があるからといって、どうこうできるものではないですからね。そして、私にも作戦というか考えの一つや二つくらいはあるんですよ。そのことは忘れない方が良いですよ」

 

 そう言うとアラベルにしては珍しく、目じりを緩ませ笑顔になった。

 しかし、俺はその笑顔に何も返せず、ただ頭をかきながら目線をそらすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「話というのは?」

 

「わかっているだろうが薬についてだ」

 

 俺とタバサは馬で並んで走りながら、会話をしている。ちなみにタバサの魔法によって、この会話が周りに漏れることはないようにしてもらっている。

 

「いろいろとやってみた結果な、わずかだが解毒への糸口が見えた。うまくいけば後、一週間ほどで形にできると思う」

 

「……それは治るということ?」

 

 どこか懇願するような声で、タバサがそう聞いてくる。だが、残念ながら現実はそう甘くはない。

 

「治せるかどうかで聞かれればたぶん治せる。だけどタバサが思っているような意味じゃあ無い。……いつだかも言ったが完治は不可能なんだ。なぜならあの薬は彼女の体の中で今も効果を発揮し続けているからだ。俺とコルベール先生が作ろうとしている薬によって一時的には戻るかも知れないが……おそらく長くても一日で元の、毒にやられた状態に戻ってしまうと思う」

 

「そう」

 

「ああ」

 

「……」

 

「……」

 

 そのまましばらくの間、お互いに何も話さずに沈黙が続いた。

 

「……その解毒薬を服用し続けるというのは?」

 

 沈黙を破りタバサがそう尋ねてきた。当たり前の疑問だろう。解毒薬によって一日正気に戻るのなら、毎日服用すればずっと正気でいられるということだからだ。しかし、俺はその問いに首を横に振った。

 

「……おそらく無理だ。解毒薬自体がかなり高価な材料を……」

 

「お金ならば私がなんとかする!」

 

 俺の言葉にかぶせるようにタバサがそう声を荒げる。といっても、普段のタバサよりも荒げたというレベルで、それほど大きい声ではなかったがそこに込められた決意は伝わってきた。解毒薬がどんなに高価な物でもなんとかして、お金は用意してみせるという決意が。しかし、連続して服用できない理由はお金ではない。

 

「……問題は金じゃあないんだよ、もちろんそれもあるけどな。一時的とはいえあれだけ強い毒薬を解毒するんだ、解毒薬自体も劇薬と呼べるくらい強い薬なんだよ。そんなになんども同じ人に使わせることはできない。それに何度も使えば抗体ができて効かなくなったり、毒薬のほうが変質してしまう可能性がある。……せいぜい使えて二度だ。コルベール先生とも話し合って決めた。残酷なようだが二度以上は使わせないし、解毒薬を作るつもりもない」

 

「…………そう」

 

「ああ、そうだ。まあ、まず間違いなく大丈夫だと思うが、上手く完成するかもわからんしな」

 

 これが俺にできる精一杯。毒薬本体でもない限り、これ以上の事はできないだろう。

 

「……ありがとう。薬が完成したらすぐ教えてほしい」

 

「ああ。……ただ俺が言うことじゃないかもしれないが、ほんの二度だけ戻しても逆につらさが増すだけかも知れんぞ」

 

「……」

 

 その後は会話をすることもなくただ馬を走らせるだけだった。

 何とかしてやりたいとは思うが、人にはできることとできないことがあり、タバサの母親を治すのは俺にはできないことだった、ただそれだけのことだ。それは今まで数えきれないほどしてきた数々の挫折や失敗と何も変わらず、そして少なくとも今回は俺は何も悪いことをしてはいない。

 それでも友人の力になってやれなかった、という事実は俺になぜか罪悪感を抱かせた。

 

 

 

 ……ただ、学院に着いた時にタバサに言われた「頑張ってほしい。応援している」という言葉にどこか心が軽くなった。それは間違いなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十二話 救助劇の始まり (改訂版)

 薄い黄色の液体の入った試験管を火にかける。そしてそれは置いておき、コルベール先生から彼が作成した透明の液体を受け取り、俺が作った緑色の液体とそれを火にかけた小さめの鍋のような容器の中で混ぜ合わせる。その後二重に手袋をし、マスクを付けると用意しておいた乾燥させたいくつかの薬草をすり鉢ですりつぶす。そしてそれと沸騰し始めた薄黄色の液体を鍋へと入れる。そしてそのまま中身が半分ほどになるまで煮詰めると、鍋の中身が薄い青色へと変色した。それを二つの壜へと移し、きつくしっかりと蓋を閉めると俺は一つ大きく息を吐いた。知らず知らずのうちに息を止めていたようだ。そして完成した薬の入った二つの壜を棚へとしまうと、俺は手袋をはずし、そしてマスクを外した。そしてそれらを袋に詰め、その袋の口を縛る。そして、俺は椅子へ倒れこむように座るとコルベール先生へと話しかけた。

 

「ざっとこんなもんですかね。毒薬そのものがあれば、動物などで本当に解毒できるかの実験ができるんですが」

 

「まあ、そうだが無いものを求めても仕方がないじゃないか。少なくとも私たちは全力を尽くしたし、理論的には解毒薬として完成はしているはずだ。……完全に治せないというのは口惜しいが、それでも十分だと思うよ」

 

 そしてコルベール先生は慰めかけるように笑うと、君はよくやったよと、ぽんと俺の肩を軽くたたいた。

 

 

 

 

 今完成した薬が件の解毒薬だ。タバサの母親を一時的にといはいえもとに戻せる、劇薬に限りなく近いほどの薬効を持つ薬。後はこれをタバサに渡せば、とりあえず俺がやることは終わりだ。

……こんな見つかったら手が後ろに回るようなレベルの薬をいつまでも保管していたくはない。俺はコルベール先生とお互いの苦労を労うような会話を交わすと、薬の入った壜を一つ持ってタバサの部屋へと向かった。

 

 

 

 

「そんじゃいってらっしゃい」

 

「ありがとう。本当に感謝している。…………薬の効果が切れたらできるだけ早く戻ってくる」

 

 手をひらひらさせながら言った俺の言葉に対し、軽く頭を下げながらそう返すタバサ。

 タバサの部屋に行き、薬が完成したことを告げてそれを渡したところ、今からすぐに母親のところにいって飲ませてくると言いだした。そのため今タバサはシルフィードに乗って、窓の外にいる。

 

「俺は行けないんでな。もとに戻ったら喜びで舞い上がっちまうかもしれないが、正気に戻っているときと、薬の効き目が切れた後の血液をそれぞれ取ってくるのだけは忘れないでくれよ」

 

 ……実を言うと行けないというより、自分の作った薬によってタバサの母親がどうなるのか見るのが怖い、というのが本音だが。

 

「わかった。ほんとうにありがとう。それでは行ってくる」

 

 タバサは早口にそう言うと、凄まじいスピードでシルフィードを飛ばし、あっという間に見えなくなってしまった。

 

 これで取りあえずは肩の荷が降りた。しばらくは用もすることも無いし、ちまちま薬でも作って暇な時間はキュルケと酒でも飲んでタバサの帰りを待つことにするかな。キュルケの方もタバサがいなくなって暇だろうし。

 

 

 

「と、いうわけでお邪魔しまーす。酒でも飲もうぜ」

 

「……レディの部屋に入るときは、せめてノックくらいしてからにしてちょうだい。で?お酒なんて持って来て私に何か用でもあるの?」

 

 俺はワインの壜とワイングラスを二つ抱えて、ノックもせずにキュルケの部屋のドアを開けた。部屋の中ではキュルケが、ベッドの上でぐでーっとだらけていた。レディにしては少々みっともない恰好の気がするが、この暑さじゃあ仕方がないか。それにしても暑いからか服をはだけさせて、まあ……。スタイルの良い体が汗で濡れていて、色っぽいな。これは男連中の間で人気が出るのもわかる。

 

「今度から気をつけるわ。それよりいつだか言ったと思うが、タバサの母親用の薬が完成してな、タバサが実家に行っちまったんだ。んでな、よく考えたらキュルケときちんと話したことあんまなかったから、その話をつまみにでもして、これを機に仲良くなろうとわざわざ来たってわけよ」

 

 俺は笑顔でそう言うと、テーブルにワインを置き、椅子に腰かけた。

 ちなみにタバサの実家の事情については、キュルケは俺より詳しく知っているということなので、俺が薬を作っていたことも伝えている。

 キュルケは俺の言葉を聞くと、艶かしい笑みを浮かべ俺へと手を伸ばした。

 

「ふふ……、男と女がわかりあうのにお酒を使うなんて野暮ってものよ。さあ、いらっしゃいな。この眩しい日差しに負けないくらい、私と熱く燃え上がりましょう?」

 

 そう言ってただでさえはだけているシャツの、胸元のボタンを一つ開けた。

 全く……、本当は俺相手にそんな気なんてないくせによくやるよ。男好きというより、男をこうやってからかうのが好きなんだろうな。

 

「いい女ってのは自分を安売りしないもんらしいぞ? そういうのはいいからそれより飲み相手してくれよ。暑いんなら俺が水の魔法で涼ましてやるから。ダチ連中がみんな実家帰っちまって暇なんだよ」

 

「冗談だったとはいえ、私がこれだけやったのに相手にされないと少し悔しいわね。ま、あんなのを本気にして襲いかかってくるようなバカな男よりは、あなたみたいに冷静にこっちの気持ちを察してくれる人の方が私は好きよ。いいわ、飲みましょうか」

 

 そう言ってキュルケはベッドから起き上がると、テーブルをはさんで俺の正面に座った。

俺はキュルケの前にワイングラスを置くとそこにワインを注ぐ。同じように自分の前にもワインを用意した。

 そしてお互いに軽くワイングラスを持ち上げ、グラス同士を軽くくっつける。

 

「……乾杯、ってな」

 

「ふふっ、何に対してなのかしら?」

 

「そうだな、これからもよろしくってのと……まあ、タバサの幸せな未来を願って、ってのはどうよ?」

 

「いいわね、それじゃタバサの幸せを願って」

 

「ついでに、俺たちがこれからもまあそれなりに上手くやっていけることも願って」

 

「「乾杯」」

 

 声を合わせてそう言って、俺たちはワイングラスを傾けた。

 

 

 

 

 タバサが実家に帰ってもう七日も経つ。いくらなんでも遅すぎるが、いったい何かあったのだろうか?

 どうでもいいが、実家に帰ったっていうとなんだか俺がタバサに愛想尽かされたみたいで嫌な感じだな。

 

「で、キュルケの方には何か連絡とか来ていないのか?」

 

「いや、何も来ていないわね。確かあなたの作った薬の効き目は一日だけだったはずよね? いくらなんでも遅すぎるわ。何かあったのかしら? ……決めた。あと二日たっても何もなかったら私の方から会いに行ってみることにしましょう」

 

 クッキーをつまみながら決意した表情でそう言うキュルケ。

 今日も俺はキュルケとぐだぐだとくっちゃべっていた。毎回酒というのも芸が無いので今日は紅茶だ。お茶うけにクッキーも用意した。

 

「ふーん……それにしてもこれ普通に美味しいわね。手作りだっけ? あなたってなんだかんだで結構器用よね」

 

「まあ、食いたくなった時にいちいちマルトーのおっさんとかに頼むのも、何度もだと悪いんでな。ちょっとしたもんくらい作れるようになろうと思って、簡単な菓子の作り方をいくつか知り合いのメイドに教えてもらったんだ。何よりここんとこ暇だったしな。そんな難しいもんでもないし、キュルケも覚えてみたらどうだ?」

 

「考えとくわ」

 

 欠片もその気のなさそうな声でキュルケがそう返す。そして熱さで疲れているのか、欠伸を一つするとぐでーっと上半身をテーブルへと乗せた。あまりおしゃべりを楽しむ、って気分でもなさそうだ。表情も先ほどのきりっとしたものから、随分と締まりのないものへと変わってしまっている。

俺はクッキーを一枚口に加えると、全体重をかけて背もたれに寄りかかった。部屋に静寂が降りる。

手持無沙汰になってしまった俺は、クッキーを口に放り込むと懐から杖を取り出した。そして椅子に寄りかかったまま、右手の人差し指を伸ばすと、指の腹に杖を乗せ、手を放す。どうでもよさそうなキュルケの視線を指に感じながら、指を右に左に動かして杖が倒れないようバランスを取る。よくある暇つぶしの一種だ。

 とはいえあくまで体を動かさずに手だけでバランスを取り、やる気もないと来ている。杖はすぐに倒れ、テーブルの上へと落ちる。そして軽く跳ねると、キュルケの頭にこつんと当たった。

 

「あた」

 

「あ、ごめん」

 

 キュルケは体を起こすと、テーブルの上の俺の杖を手に取り、俺と同じように伸ばした指の上へと乗せた。そしてぼーっとした表情のまま、なんの危なげもなくバランスを取る。

 

「暇ね」

 

「まあな。付き合ってくれるのなら、部屋からチェス盤でも持ってくるけど」

 

「気分じゃないわ」

 

 そう言うと指にはずみをつけて、杖を俺の方へと投げ返した。俺はそれをキャッチすると、ペン回しのように手の上でくるくると回す。

 

「あら、上手いものね」

 

「人間、何か一つくらいは取り柄があるもんだって言うからな。俺も例外じゃなかったってことだ」

 

「せっかくの取り柄の枠を、そんなことに使っちゃったなんて切ない話ね。同情するわ」

 

「同情するなら金でも恵んでくれ」

 

 こうぶっ続けで何日も顔を突き合わせてしゃべっていると、さすがに話題も尽きてくる。なんならトリスタニアにでも遊びに行くかと思い、外に目をやる。窓の外は夜のとばりが下りていた。そこまで時間が遅いわけではないことと、月明かりのおかげで文目もわからないというほどではないが、それでも十分に暗い。さぞかし酒場は賑わっているころだろうとは思うが、さすがに出かけるには遅すぎる時間か。

 背伸びを一つして、椅子から立ち上がる。

 

「もういい時間だし、今日のところは部屋に戻って寝るわ」

 

「はいはーい。お構いもしないで悪かったわねー」

 

 手をひらひらとさせるキュルケ。俺は頭をかきながら軽く笑うと、言葉を返す。

 

「明日はどうする? 暇ならトリスタニアにでも行かないか?」

 

「あなたの奢りで?」

 

「ツエルプストー家のご令嬢が何言ってるんだよ。財布ってのは重い方から使っていくもんだ」

 

「私が奢るっていうこと? さすがに嫌よ。自分の分は自分で出してちょうだい」

 

「さすがの俺だって、女性にはたからないよ。で、行くか?」

 

 少し考える様子を見せた後、キュルケは頷いた。

 

「どうせやることもないしね。いいわ。行きましょうか」

 

「じゃあ、明日適当に気分になったら学院を出るってことで。じゃあ、おやすみ」

 

「…………ぃぃぃぃぃ」

 

「……ん?」 

 

 そう就寝の挨拶を交わし、部屋を出ようとした時、何か声のようなものが聞こえた気がした。

 俺の後ろ、つまりは窓の向こうからのように聞こえた俺はそちらへと振り向く。

 

「きゅいいいいいいいいいい!!」

 

「うわ、むぐっ……!」

 

 振り向いた瞬間、俺の視界は肌色の何かで埋め尽くされた。悲鳴を上げる間もなく、その肌色の何かは柔らかい感触とともに俺の顔を覆い尽くし、その勢いのまま俺を床へと押し倒した。

 

「ふんぶっ! ふぐがっ! ……ん! ……よっこらせっと! なんだってんだ、いった……」

 

 柔らかくて暖かい何かで顔が覆われてしまって息ができない。なんとかその顔を覆っているものを引きはがすと、今窓の外から飛び込んできたものを視界に収めることができた。そこにいたのは……

 

「きゅい?」

 

 どこかタバサに似た青い髪の、なぜか一糸まとわぬ姿をした女性だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十三話 せめて自分のために

「タバサがさらわれた? ……んなバカなことがあるかよ。それよりキュルケ、ロープか何かないか?」

 

 窓から飛び込んできた女性は、自分はイルククゥという名であり、タバサの妹だと名乗った。だが、裸で窓から飛び込んでくるような奴の言うことを信じるほど俺はお人よしじゃない。

 とりあえず女性だったので俺がやるわけにもいかず、キュルケに頼んで杖などを隠し持っていないか調べてもらった。そうしたところ何も持っていなかったらしい。なら、タバサのシルフィードのような空を飛ぶことの使い魔か、魔法の使える協力者がいるということだ。そうでなければ、二階の窓へ飛び込むなんてことができるわけがない。とりあえず、武器の類は持っていなかったし、敵意もないようなので縛ったりはしていないが……どうしたんもんかね? 本当にしろ、嘘にしろ『タバサがさらわれた』なんて、何かしらの必要がなければ言わないだろう。ならさっさとこの女性から情報を聞き出すべきなのだろうが……なんか『きゅい、きゅい』言っているし、しゃべり方も変なので少し頭が残念な人っぽいんだよな。自白剤を使うことを視野に入れておくべきかな。

 まあ、何にせよまずは話を聞かなくては。俺はイルククゥがなぜか少々嫌がりながらもキュルケの服を着るのと自分の顔の赤らみが引くのを待ち、話しかけた。……我ながら情けないが、素っ裸の女性を前にして真面目な話ができるほど俺は枯れちゃいない。

 

「嘘じゃないのね~~! こんな大変な時に嘘をついたりなんてしないのね!」

 

 それからイルククゥは、タバサが俺の薬を受け取り実家に帰ってからいったい何が起きたのかを話し始めた。イルククゥの説明は、途中できゅいきゅい言ううえに説明自体がたどたどしかったので、少しばかりわかりづらかったが、要約するとこういうことがあったらしい。

 家に戻ってすぐ母親に薬を飲ませたところ、俺が予想していた通りの効果を薬が発揮してくれたようでオルレアン夫人は元に戻った。そして、タバサと感動の再会と時間制限つきの母娘の触れ合い。そしてちょうど一日が終わり、タバサの、いや……シャルロットの母親として眠りにつき、起きると、再び心を病んだ状態に戻ってしまっていたらしい。さすがに、タバサはずいぶんと落ち込んだようだったが気を取り直し学院に戻ってこようとしたところ、ほぼそれと同時に手紙のようなものが届き、そこには実家で待機しているように書かれていたので、タバサはそれに従った。そうしたところ二日程経ってから、多くのガーゴイルと、一人の人間が現れてタバサと母親を連れ去っていった、ということらしい。

 

「だから人間じゃなかった、って言ってるのね~! あんなに強いお姉さまを精霊の力を使ってあっさりと倒すなんて人間にできっこなんてないのね。きゅい、きゅい。それにそいつの耳が長くて尖ってたのを、このイルククゥがちゃんと見たのね。とにかく! あれがエルフだったのは間違いないのね~!」

 

「だから嘘つくんなら、もっとましなもんつけや。わざわざエルフ様が、人一人さらうために来るわけねーだろ。エルフにとってタバサにどんな価値があるってんだよ。あいつら人を喰うとはいうが、そのためだけにわざわざラグドリアンくだりまで来ねーだろ」

 

 こいつの話が信じられない理由の最たるものがこれだ。タバサの拉致にエルフが関わっている、ということ。

 エルフとはここ、ハルケギニアの東の方にあるサハラに住んでいる亜人の一種だ。存在していることは間違いないが、交流が数百年単位でないためほとんど伝説上の生き物になっているような種族。そのため文献をあさっても人を喰うだの、一人で国を落とせるくらい強いだの、信憑性に欠けることしか書いて無く、俺も詳しいことはほとんど知らない。ただ、俺たちが使う系統魔法とは違う、先住魔法とやらを使うらしい。おそらくイルククゥの言った精霊の力とはその先住魔法のことだろう。

 

「そうね。それにタバサがシュヴァリエとして命令に従っている限り、あいつらは手を出してはこないはずだわ。それにガリア王家がエルフと手を組んだ、なんてことも考えにくいしね」

 

 そうキュルケも口に出す。やはり、キュルケもイルククゥの話には嘘くささを感じているようだ。やっぱりそうだよな。こんなスッパで、窓から飛び込んでくるような奴の言うことに真面目に相手する方が間違ってんだ。

 …………あれ? ……待てよ、どういうことだ?  

 

「おい……ちょっと待ったキュルケさんよ。その言い方だと、そいつがどこのどちら様だか知らないが、タバサがそいつの命令に背くとかのことが起きれば、さらわれたりすることが本当に起きる可能性があるみたいな言い方に聞こえるぞ?」

 

 俺がそう聞くと、キュルケは当たり前のように返答した。

 

「そうよ? あなたもタバサの事情は知っているんなら、それくらいのことはわかるでしょう? まあ、私はツェルプストーの名に懸けてでも、私の親友をそんな目には合わせるつもりはないけれどね」

 

 ……何やら嫌な予感がする。俺の予想があっているのならば、これはやばすぎる事態だ。

 

「……キュルケ。実は俺、タバサの事情を詳しくは知らないんだ。我が身かわいさと面倒事に巻き込まれたくない、って屑な理由でな。なんか嫌な予感がするんだ。悪いが詳しく話してもらえないか?」

 

 自分でもわかるが若干青ざめた顔で、キュルケへとそう頼む。

 

「タバサから大まかには聞いているのよね? なら私から詳しく話してもまあ、あの子怒らないでしょ。それにどうも必要なことみたいだしね。いいわ、話してあげる」

 

 ……そうしてキュルケの口から語られるタバサの事情。

 ガリア王家の兄弟。無能と罵られていたジョゼフと若くして天才と呼ばれたシャルル。

 殺された父親、自分をかばって心を壊された母親、そして母親という首輪を付けられた、父を殺し、母を壊した相手である狂った無能王ジョゼフに従わなければならない自分。

 おそらく、今回の誘拐劇を仕組んだのはおそらくそのジョゼフだろう。

 ……『狂った』『無能』『王』であるジョゼフ。その三つの単語からあることを予想してしまった俺。それのあまりの不気味な衝撃に額を一筋、冷や汗が伝っていくのを感じる。

 …………これはやばい。

 

「イルククゥ! シルフィードは無事か!」

 

 俺はイルククゥの肩を強くつかみ、揺さぶりながらそう怒鳴った。

 

「きゅ、きゅい、きゅい~。そ、そんなにゆすらないでほしいのね~。うー、シルフィードなら……その……無事なのね。……ちょっと、呼ぶのは時間がかかるけど」

 

「わかった! イルククゥ、お前の話を信じるよ。用意したらすぐにタバサの救出に向かうから、シルフィードを呼んでおいてくれ」

 

 俺はそう一気に言うと、イルククゥの『信じてくれてありがとうなのね~』という声を背中に受けながら部屋を出ようとした。そしてドアに手をかけた瞬間、キュルケに呼び止められた。

 

「ちょ、ちょっと待ってアシル! どうしたのよ、いきなり。あなたが何をもって、この子の言うことが本当だと判断したのかはわからないけれど、タバサがさらわれたっていうのが本当なら、私も当然ついていくわよ!」

 

「ありがとう、心強いよ。悪いんだが、今は時間が惜しい。説明ならシルフィードの上でするから遠出する準備をしておいてくれ。俺も必要な物を持ったらすぐに戻ってくる」 

 

 俺はそう言うと、今度こそ蹴破るような勢いで部屋を出て自室へと走った。

 

 

 

 

 

「シルフィード、とりあえずラグドリアンのタバサの実家を目指してくれ。ついた後、どこに向かうかもう一度指示をする」

 

 俺とキュルケを乗せたシルフィードは『きゅい』と一声鳴くと空へと飛びあがった。

 

「で、説明はしてもらえるのよね?」

 

 俺の正面に座るキュルケが俺の目を見てそう問いかける。

 

 

 

 

 あの後、俺が準備を済ませキュルケの部屋へと戻るとすでにそこには用意をし終えたキュルケと、窓の外にシルフィードがいた。イルククゥはどうしたのかと思いキュルケに聞いたが、自分は戦闘力も何もないので役に立たない、だから重荷になるので気にせず行ってくれとか言ってどっかに行ってしまったらしい。まあ、そのすぐ後にシルフィードがきちんと来たらしいので役目は十分果たしたと言えるだろう。

 しかし、あまりに今更な疑問だが本当あいつはなんだったんだ? 本当にタバサの妹なのか? 妹がいるなんて聞いたことないぞ。……まあ、うまくタバサを助け出せたらその時にでも聞くことにしよう。

 そうだ、絶対にタバサは助け出す。タバサのために、キュルケのために、オルレアン夫人のために、ペルスランさんのために、イルククゥのために、シルフィードのために……俺のために。

 ……何よりも俺が罪悪感を抱かぬために。

 

 

 

 それよりまずはもキュルケの疑問に答えよう。

 俺はシルフィードの背に目を落としながら、返事をする。

 

「……ああ。まず、なんでこんなことが起きたのか。あくまで俺の予想にすぎないが端的にわかりやすく言おう」

 

 そこで俺は目をきつくつむり、深呼吸を一つした。そして、顔を上げ、目を開けてキュルケの目をきちんと見つめ返して、口を開く。

 

「今回のタバサが拉致された原因……それはおそらく俺にある」

 

 それを言い終えるとともに飲み込んだ唾液は、ただひたすらに苦かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十四話 竜の上での小さな一幕

「……どういう意味だか、説明はしてもらえるのよね?」

 

 少しきつめの睨むような表情になったキュルケがそう言った。右手は胸の谷間へと入っている。たぶん無意識のうちに杖を握っているのだろう。俺はうつむきがちになった顔を、手で覆いながら返事をする。

 

「考えれば簡単なことだったんだよ。今、ジョゼフに反旗を翻す可能性が一番高いのは誰だ? 考えるまでもない、タバサに決まっている。だけどタバサは心の壊れた母親、なんて首輪を付けられたせいで、反抗することができない。ならたまにはタバサの反抗を縛っている首輪の調子を調べる必要があるだろう。他にも、亡くなったオルレアン公は名君だったんだろ? なら、オルレアン公に忠誠を誓ってた貴族だっていたはずだ。そんな奴らがタバサをそそのかして、ジョゼフに反抗するってことも考えられる。そいつらがタバサと接触しようとしたのなら、場所はやはりあの家になるはずだ。……これらの事からすれば、どう考えたってあの家に監視ぐらい付いていると考えていいだろ」

 

 俺はため息を一つつくと話を続けた。今考えれば自分の軽率さ加減に反吐が出る。

 

「任務もないのにタバサが大急ぎで帰って来て、持ってきた薬を飲ませたらオルレアン夫人は元に戻った。つまり、タバサの首輪は外れたってわけだ。……俺が監視役なら即座に上に報告する。薬の効き目は一日限りだの、二度までしか使えないだのはあちらさんが知るわけはないんだからな。実際は一日たてば元に戻ったわけだが、そのころにはすでにタバサに対して家に待機しているよう伝えてしまっているし、エルフとガーゴイルも向かわせている。まさしく賽は投げられたってやつだ、後戻りはできない。……だいたい一時的に元に戻せる薬をタバサが手に入れていた以上、いつかは完全に元に戻せる薬を手に入れると考えても不思議じゃないからな、どちらにせよ何らかの対策は打たれただろう。……ま、馬鹿な俺が愚かにも、解毒薬もどきなんてのをタバサに渡しちまった時点でろくな結末にはならなかったってことさ。…………殴りたきゃ殴れ、好きにしろ」

 

「……馬鹿にしないでちょうだい。確かにこんな結果になってしまったとはいえ、あなたはタバサを助けようとする善意から薬を渡したんでしょう? それに対して怒るほど子供じゃないわ。……ただ、わかっているでしょうけど責任はとりなさいよ」

 

「とる気がなけりゃあ、俺はシルフィードじゃなくて部屋のベッドの上で寝てるよ。今回のことは俺が原因なんだ……柄じゃあねえが命を懸けてでもタバサの救出だけはやってやるさ」

 

 

 

 

 

 とりあえずキュルケへの説明は済んだ。これであとは考えるだけだ。俺は目をつぶり、握ったこぶしを額に当てる。

 ……タバサと母親は今どこにいるのか? これがわからなければ救出する、しない以前の問題だ。なんとしてもこれだけは、できる限り早く突き止める必要がある。

 

「……………………」

 

 もし俺がジョゼフならタバサの身柄をどう使う? ……故オルレアン公派の貴族に対する牽制、人質として使うのが一番だ。というか他の利用法が思いつかない。薬か魔法で操って手駒にするというのもあるが、オルレアン夫人にそれをやって失敗したせいで今こんなことになっているんだ。同じやり方はしないだろう。人質として使うなら自分の手が届きやすいガリアの首都『リュティス』か? いや、それならばタバサを拉致する際に多くの兵士とガーゴイルを使えばいいだけだ。エルフを使う必要性が無い。あんなよくわからん生き物を使う以上なんらかの必要性があったのは間違いないんだ。……迅速にことを進めるため、または敵対している誰かに感づかれないように少数精鋭にしたかったので、一人でも十分すぎるほど強いエルフを使った、って考えもあるな。これが一番筋が通るか?

 

「……」

 

 二、三度軽く握ったこぶしで眉間を叩く。

 そんな簡単な話じゃないだろう。これは完全に俺の推測だが『無能』な『王族』といったところからジョゼフは虚無のメイジである可能性がある。もしもそうならばサイト君のような使い魔がジョセフにもいるはず。タバサの拉致に多くのガーゴイルが関わっていたのもその使い魔の力であるように思う。多くのガーゴイルを使役できる能力から考えると、おそらくジョゼフの使い魔は動物を操る能力があるらしいウィンダールヴだろう。ガーゴイルは正確には動物ではなかったと思うが、まあ虚無なんてものがあったのは何千年も前だからな。動物に対する概念や使い魔の力が多少変質しているのかもしれない。他にはミョズニトニルンと名前さえわからない使い魔がいるが、この二つは正直能力が推測できない。名前がわからない方はどうしようもないし、ミョズニトニルンの能力は『あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す』らしいが、何だそれ? サイト君はガンダールヴの力で、使ったことのない武器でも使い方が頭に流れ込んでくると言っていたが……それに似た能力か? なんでも知っている程度の能力……いや、これはないな。なんでもありにしたってほどがある。

 ……まあ、いいや。いくらなんでもタバサの護衛をガリアの王様がしているってこともないだろう。大事なのはガーゴイルを大量に操ることができたのに、なぜエルフを使ったかだ。戦力として必要だったのでなければその技術力や先住魔法目当て……か? タバサ関係でわけのわからない技術が使われたものと言えば……。

 

「あの魔法薬しかないな」

 

 オルレアン夫人も心を壊した魔法薬、あれは俺はもちろんコルベール先生ですら聞いたこともないような代物だった。博識なコルベール先生が知らない、それだけであれがエルフの作っだと考える根拠としては十分だろう。そしてあれがエルフの作ったもので、今回の誘拐劇にエルフが関わっているというのならその理由は一つだけだ。

 『タバサにもあの薬を飲ませる』。それ以外考えられない。その後心を壊したタバサを何に使うかは置いておいて、とりあえずはそれが目的なのは間違いないだろう。

 目的さえわかれば場所の特定もしやすい。オルレアン夫人が元に戻ったという報告を受け取ってからすぐに動いたのなら薬はまだ用意できていないはず。ならば薬は誘拐した後、作る必要があるわけだ。そしてエルフ独自の技術で作られた薬ならば、それ独自の材料、たとえばサハラにしかないような動植物を使っている可能性が高い。その上、あれだけ複雑な薬を作るのにはいくらエルフといえど数日はかかるだろう。その間に部外者や敵対者にエルフの姿が見つかるわけにはいかない。エルフと協力関係にあるなんてことが知られたらまずいことくらい、いくら無能王でもわかっているだろう。つまりタバサとエルフが今いる場所は、サハラからの材料が手に入りやすく、そしてエルフがいたとしてもそれほど不自然ではない場所。それは、エルフの国であるサハラ。もしくは……。

 俺は持ってきた荷物から地図を取り出すと、シルフィードの上に広げる。そして指先を地図の中のガリア上に置き、その指をスーッと右へとすべらせる。そしてガリアの右端まで行ったところで指を止める。そこはガリアの東端、サハラとの国境近くにある有名なエルフ相手の古戦場。

 

「アーハンブラ……いや、国王が絡んでいるのなら城も利用できるか。それなら街中よりかは、広さがあって、人目に付きにくい城内のほうがいいな。つまり、アーハンブラ城。ここだ、おそらくタバサはここにいる。……たぶん」

 

 俺の考えをキュルケに伝え、他に何か考えがあるかを聞いた。キュルケも最初にアーハンブラへ行くことに対し異論は無いということだったが、タバサがあの毒薬を飲まされる可能性が高いということを聞き、まずはアーハンブラ城を探した後二人で手分けして城下を調べ、何も無ければ即座にリュティスを探索しに行くということになった。薬の生成にどれだけ時間があるかわからない以上、後どれだけ時間の猶予があるかもわからない。その上場所の特定も俺の考えが根拠になっているので、あっているかどうかがわからない。それならばできる限り一ヶ所を調べる時間を短くして、多くの場所を調べたく思うのは仕方がないだろう。それにエルフであるということは隠しているだろうが、少なくとも一人の男と二人の母娘の三人で数日間滞在している奴がいるかどうかなんていくつかの酒場で聞けばわかるはずだ。

 

「つーわけでシルフィード、まずはアーハンブラに向かってくれ。ちなみにこのあたりだ」

 

 俺は地図をシルフィードの顔の前に突き出すと、アーハンブラのあたりを指さし場所を教える。そして、わかったという返事だろうか、『きゅい』という鳴き声を聞くとキュルケの方へと振り返った。

 

「とりあえずキュルケ、プレゼントだ。お守り代わりににでも持っとけ」

 

 そう言って二本のナイフを渡す。それを受け取ったキュルケは刃を出し、それを見ながら言った。

 

「少し物騒な気もするけれど……まあ、ありがたく受け取っておくわ。で、これは何に使うための物? これで髪でも切ればいいのかしら?」

 

「別にしたけりゃそうしたっていいけど、面倒な事になると思うぞ。その刃先にはな、俺の特製、『こんなん作ったってばれたら手が後ろに回っちゃうくらい効く麻痺薬』がたっぷりと塗ってある。エルフはどうだか知らんが、人ならかすって少し経てば動けなくなる。護身用にしてはいいできだろ? ただし、持ってるのがばれても俺から渡されたとは言うなよ。捕まるから、俺が」

 

「恐ろしい物持ち歩いてるのね、あなた。ま、ありがたくもらっておくわ。ところでこんなに強力な物を私に渡しちゃって、自分は大丈夫なの?」

 

 俺はそれを聞き、呆れたように首を左右に振る。

 

「……ふう、キュルケお前はまだまだ俺という人間がわかっていない」

 

 荷物からキュルケに渡した物と同じデザインのナイフを三本取り出すと、さわやかな笑顔と共にそれをキュルケへ見せつける。

 

「この俺が、自分の分がないのに他人にわざわざ分けるわけないだろうよ。きちんと俺の分の護身用のブツは準備済みさ」

 

「…………そう、よかったわね」

 

 何故だかはわからないが、すごく冷たい目で同意された。なにこれ?俺の笑顔のできが悪かったせい? キュルケに冷静さとか求めてないんだけど。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……アーハンブラまで、まだ随分かかるし寝るわ」

 

「そう……それがいいと思うわ」

 

 冷たい風と雰囲気を味わいながら俺はごろりと横になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十五話 アーハンブラ城への侵入

「よし……ちゃちゃっとタバサ拉致り返して帰るぞ」

 

 昼前にアーハンブラに着いた俺たちは一応宿をとった後、二手に分かれ情報を集め始めることにした。俺は連れてきた使い魔を使い、アーハンブラ城の構造や周辺に何か異変が起きていないかの調査を、キュルケは町で最近何か変なことでも起きていないかなどの情報収集をし、あたりが暗くなり始めた夕暮れ過ぎに部屋へ戻って調べてきたことを話し合い始めた。

 その結果、数日前からアーハンブラ城に不審な人物が滞在しているということがわかった。その人物はこの町についた日に、城に近い酒場に来て『数日の間城に滞在するので食事を届けてほしい』と言ったらしい。店主も怪しくは思ったそうだが、小奇麗な身なりと高貴な雰囲気をしており、王家の紋章が入った手紙を持っていたので言われた通りにしているのだそうだ。まあ、金払いが良かったからというのが本音でしょうね、とキュルケは言っていたが。

 タバサの拉致が計画的なものではなく、かなり急だったせいだろう。俺がアーハンブラ城を調べた限りでは、少なくとも外には誰もいなかった。もちろん城内に護衛か何かがいるという可能性はあるが。まあ、見張りなどの人がいないのはこちらにとってかなりありがたいことだ。できれば見つかりにくい夜中にでも忍び込んでタバサを助け出したいところだが、時間に余裕があるわけではないので情報が集まってすぐの、夕暮れ時に忍び込むことに決定した。

 何の根拠も無いがさらわれのお姫様というものはたいてい一番奥か、一番高い所にある部屋にいるものと相場が決まっている。都合のいいことに天守へと登るところの手前に中庭があったので、俺とキュルケは城の周りに誰もいないことを確認し、そこへシルフィードで空から侵入することにした。

 

「きゅい……」

 

 シルフィードが中庭にある天守への階段近くに降り立つと同時に、俺とキュルケはすぐさま杖を構え周りを見渡した。使い魔ごしに確かめたことだが、やはり誰もいないようだ。ありがたいことだが、人の気配がしない城というのも不気味なものがある。……長居したいようなところじゃないな。

 周りに誰もいないことを確かめた後、俺とキュルケはできるだけ物音を立てないようにしてシルフィードから降りた。

 

「さあ、急ぐわよ。とっととタバサを連れ帰って、残りのバカンスを楽しまなくっちゃ」

 

「そうだな。……よし、タバサを連れてすぐに戻ってくるからシルフィードはここにいてくれ」

 

 俺がシルフィードにそう言ったときだった。

 

 

 

 

 

「悪いがそういうわけにもいかぬ」

 

 

 

 

 

 俺の背後、つまり城の天守の方から透き通ったよく通る声が聞こえた。振り向くと天守への階段の上にいつのまにか一人の男がいた。片手に本を持った長身に細見の、頭に帽子をかぶった金髪の男。杖や武器の類を持っていない以上、本来ならばメイジが二人もいるこちらが恐れる相手ではない。しかし、こんなところにいる以上只者ではないだろう。知らず知らずのうちに俺とキュルケは杖を握りしめていた。まだ何もされていないというのに握りしめた手が汗ばんできたことを感じる。

 男は一段一段、ゆっくりと優雅ささえ感じる雰囲気で降りてくる。

 

「あまり正体をさらさぬほうが良いのだが……その韻竜と共にいるということはすでに知っているのだろう。隠しても仕方がないだろうな」

 

 階段を降り切った男が俺たちと対峙する。走りよればすぐにでも手が届くような距離。そんな距離で自分に杖を向けたメイジ二人と向き合っているというのに、本を片手に立つ男に緊張の色はない。

 

「ああ、そういえばお前たち蛮人との挨拶の際には帽子を取るのが礼儀だったか」

 

 そう言ってなんでもないことのように男はかぶっていた帽子を取った。そして現れたのは、物語の中でしか見たことのなかった長く尖った耳。つまりこの男は……。

 

「わたしはエルフのビダーシャル。悪いことはいわぬ。素直に……」

 

「ウォーター・バレット!!」

 

 相手がエルフだというのならば遠慮はいらない。俺が呪文を唱え、杖を振るのと同時にいくつもの水の弾が男を襲う。しかし男にぶつかる直前、まるで何か見えない壁でぶつかったかのように跳ね返ってきた。

 

「なっ! つっっ、あっ!!」

 

 とっさのことで防御の魔法を唱えることもできず、顔の前で腕をクロスさせ自分の放った水の弾丸をくらう。跳ね返されたのがたいして強くない魔法だったのが幸いだが、体中に鈍い痛みが走る。なんだ、これは!? 魔法を跳ね返す魔法なんて聞いたことねえぞ! これが、先住魔法か?

 話の途中でいきなり攻撃されたエルフは、少しだけ憐れんだような表情で話を続ける。

 

「……話くらい聞いてからにしたらどうだ。まあいい、説明の手間がはぶけた。今の行為でわかっただろうが、お前たち蛮人では我に決して勝てぬ。大人しく去ること……」

 

「キュルケ! やれ!」

 

「え、ええ!」

 

 急に出てきたエルフに少し戸惑っていたキュルケだが、俺が声をかけると同時に呪文を唱える。俺はそれと同時に、杖を左手に持ち替え、空いた右手をグッと握りしめエルフに走り寄る。

 昔っから魔法に強かったり、魔法を反射してくる奴は物理攻撃に弱いというのがお約束だ。

 キュルケが振った杖から火球がエルフへと飛んでいくのを横目で見ながら、俺はそのまま飛びかかると右手で殴りかかった。しかし、こぶしが直撃する手前でまるではじかれたかのように、跳ね返された。その勢いのまま後ろへと吹き飛ばされる。背中からは地面でこすったひりつくような痛みが、腕からは関節が軋んだような鋭い痛みが伝わってくる。

 

「っっっ!」

 

 痛む右手を抑えながら、素早く起き上がる。と言っても、余裕の表れなのか何なのかエルフはこちらに近寄ってきたり、攻撃を仕掛けてくる様子は無い。俺の隣へとキュルケが走りよってきた。魔法が跳ね返されるのを事前に見ていたため、戻ってきた火球を冷静によけられたようだ。やけど一つ無い。 

 小声でキュルケと会話をする。

 

「大丈夫!?」

 

「ああ、右手も痛いだけで動かすのに問題はない」

 

「良かった。で、どうする? 私の火の魔法もあなたの水の魔法も効かなかったし、あなたを見る限り直に攻撃するのも効かないみたいだけど」

 

「……二手に分かれて城に突入することにしよう。俺たちの目的はタバサだ。あんなのを倒す必要なんて無い」

 

「……わかったわ、行くわよ」

 

「ああ。いち、にの」

 

「「さん!」」

 

 そう言うと同時に俺はエルフの右側を、キュルケは左側を全速力で走り抜ける。

 

「……………………」

 

 何やら後ろでぶつぶつと呟いているエルフの声が聞こえるが、後ろを振り向くわけにもいかない。俺はわき目も振らずに階段へと走り寄った。

 

「きゃあっっ!」

 

 キュルケの声につい立ち止まりそちらを見ると、歪にせりあがった地面とそれに躓いたらしいキュルケがいた。非情かとも思ったがすぐさま前を向き、再び走り出す。キュルケならば一人でも自分の身くらいは守れるだろう。

 階段にたどりついた俺はそのままのスピードで、階段を一段飛ばしで駆け上がる。しかし、後ろからキュルケの叫ぶような大声が聞こえた。

 

「危ない!! アシル、避けて!!」

 

 その声に反射的に振り向く。するとそこには無数の石礫が俺に俺に向かって飛んでくるという、嫌な光景が広がっていた。

 

「はあっ!? う、うおっ! あ、あだだだだだだだだだ!!」

 

 その光景に驚いた拍子に、俺は階段を踏み外し転げ落ちてしまった。といっても五段かそこらだったので大した怪我は無かったが、おもいっきり尻を打ってしまい非常に痛い。骨、折れてないだろうな? くそっ、肋骨ならともかく戦いで坐骨骨折は恰好がつかないにも程があるぞ。まあ、石礫をよけられたんだ、結果オーライか。

 しかし、これじゃあいつを無視してタバサを助け出すというのも難しいな。なんとかして倒す方法を考えなくては。

 

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する」

 

 エルフが手を掲げ、そう唱えると城を形作っていた石がはがれ、巨大なこぶしへと変形した。

 

「去れ、蛮人よ。我は戦いを好まぬ。このまま去るのならばこれ以上、一切の手出しはせぬ。しかし、まだ続けると言うのならば容赦はしない。我もこのような争いなど早く済ませてしまいたいのだ。何せ読書中だったのでな」

 

 ……冗談だろ? あれだけ悠長にしているってことは、あの攻撃用の魔法を使っている時も反射の魔法は続いているってことだろう。どれだけなんだよ、エルフってやつは。

 あんな馬鹿でかい石の拳を食らったら、さすがにただでは済まない。タバサを諦めて帰るつもりなんざさらさら無いが、エルフにも話は通じるようだし少し落ち着いて戦い方を考えた方がいいな。

 

「……待ってくれ、わかった。俺たちではエルフには敵わないみたいだしな。大人しく帰るとしよう。連れを説得したいので少し待ってもらえないだろうか?」

 

「賢明な判断だ」

 

 そう言って軽く手を振ると同時に、石の拳は消えた。そしてエルフは俺から視線をそらし、手に持った本を読み始めた。……完全にこちらをなめくさってながるな。

 俺は痛む体を動かしながら、キュルケに近づき顔を寄せる。すると不安と怒りが混ざったような表情で、キュルケが俺に小声で話しかけてきた。

 

「……まさか本当に逃げ帰るつもりじゃあないでしょうね。それはさすがに見損なうわよ」

 

「命かけても助けるつったろ、んなことしねえよ。それより聞いてくれ。先住だろうとなんだろうと、この世に無敵の魔法なんてあるわけが無い。あの反射してくる魔法にだって必ず死角はあるはずだ。ざっといくつかそれをつけそうな方法を考えたから、これから俺が指示した通りに戦ってくれ」

 

「わかったわ……信じてるわよ」

 

 俺は懐からとっておきの秘薬の入った壜を取り出すと、蓋を開けて中身を飲み干した。そして背中にキュルケを隠すようにしてエルフと向かい合う。

 

「……話は終わったのか?」

 

 目線を本に落としたままエルフが俺にそう問いかける。

 ……よし、いっちょ気合を入れてエルフ退治を頑張ることにしますかね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかで友人達の声が聞こえたような気がして、タバサは読んでいた『イーヴァルディの勇者』という本から顔を上げた。しかしすぐに軽く頭を横に振ると、再び本を読む行為に戻る。彼らがこんなところに来るわけが無い。

 『イーヴァルディの勇者』の物語。始祖の加護を受けた勇者が亜人や怪物、ひいては竜や悪魔などと戦う英雄譚だ。貴族ではない勇者が活躍する、子供でもわかるほど単純明快で勧善懲悪な物語。この物語が平民の間で人気なのは、現実における自分たちのように、虐げられている者達が幸せになれることが約束されているからだろう。しかし、現実はそう甘くはない。

 そういったことを考えていた時、タバサは視線を感じた。ベッドの上に横たわっている母親からのものだ。考え事をしていたせいで、本を読み上げるのを忘れていたせいだろう。

 

「ごめんなさい、お母様。ではシャルロットが続きを読みますわ」

 

 なぜだかはわからないが、『イーヴァルディの勇者』を読んでいるときは母の様子が落ち着いているのだ。もちろんそれは正気に戻ったというわけではなく、ただ暴れずにいるというだけなのだが、自分に敵意を向けて攻撃をしてこない。それだけのことにタバサは喜びを感じていた。

 あの自分たちをむりやりここに連れてきたエルフの話によれば、自分がこうしていられるのも今夜限りだ。あのエルフは薬が完成したと言っていた。明日自分がそれを飲めば、自分も母のように心を壊されてしまうのだろう。そして、杖を奪われた自分にそれを防ぐすべはない。

 

 

 

 

 シオメントは、イーヴァルディに尋ねました。

 

『おお、イーヴァルディよ。そなたはなぜ、竜の住処へ赴くのだ? あの娘は、お前をあんなにも苦しめたのだぞ』

 

 

 

 

 物語の中ではイーヴァルディが娘を助けるために、竜の住処へと来たところだった。この話はすでに何度も読んだものだったが、仮に読んでいなかったとしてもこの後どうなるかはわかっただろう。勇者イーヴァルディは勇敢にも竜を倒し、娘を助け出すのだと。そしてその文章を読み上げるとともに、タバサは自分の中に自分自身に対する一種の呆れのような感情がこみあげてくることを感じた。

 ああ……自分はこの物語の中の少女のようになりたかったのだ、と。誰かを助けるために己をも犠牲にして戦い続けるのではなく、誰かに助け出される囚われの少女に。一人で戦い続けた自分に、そんな甘く夢見がちな願いがあったのかと。

 しかし、現実にはそんなことは起こりえない。 

 囚われの少女は竜に食べられ、哀れな平民は貴族に虐げられ……そして、自分は心を失うのだ。そこまで考えた時に学院で良くしてくれた親友と、母を治すために力を貸してくれた友人の顔が思い浮かんだ。しかし、すぐに二人について考えることをやめた。

 仮にあの二人が助けに来てくれたとしても、エルフには敵わない。ならば結局自分は助かることはないのだから。どうせ明日心を失うのなら、おぼろげな期待などしたくはない。期待をすればするほど絶望は深くなるのだから。

 もうこれ以上、幼い少女のような夢見がちな希望を持つことはやめよう。そう心に決めたタバサは、本を読むことに集中することにした。これが最後ならばせめて、母のために本を読んで終わりたい。母の壊れた心に届くように、本を読み上げる。

 

 

 

 

 

 イーヴァルディは竜の住む洞窟までやってきました……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十六話 対、エルフ

メイジの力量はルイズのような極一部の例外を除き、ドット、ライン、トライアングル、スクウェアの四種類に分類することができる。そしてメイジとしての力量は、他の様々な技術と同じように本人の才能と努力によってドットはラインへ、ラインはトライアングルへと成長していく。

 では才能も無く、努力もしないメイジの力量が成長することはあるのだろうか? 実はこれがあったりする。滅多にないことではあるが、感情が昂ぶることによって普段の実力以上の力を発揮できることがあるのだ。火事場の馬鹿力のようなものだろう。つまり人為的に感情を昂ぶらせることができるとすれば、それはつまり一時的に強くなることも可能であるということ。そして惚れ薬という、人に強い感情を植え付ける薬は実在している。つまり、惚れ薬を作成するための技術や材料の応用をすることで……

 

「俺にでも、これくらいの事はできるようになるってことだ」

 

 キュルケを背に呪文を唱えると,俺の背後に数本の氷の槍が現れる。そして、杖を振ると同時にそれらはエルフへと一直線へと向かった。俺が普段放っている水の弾丸よりもはるかに頼もしい威力であるはずのそれは、しかし水の弾丸と何一つ変わることなく跳ね返される。

 

「アイス・ウォール……つっ!」

 

 氷の盾で跳ね返ってきた槍を防ぐ。

 だがその瞬間、電気が通ったかのような痛みが頭を走った。異変はそれだけじゃない。秘薬を飲んでから、妙に体が熱いのだ。それに背中を冷や汗が伝い、顔は火照り、頭の奥からはずきずきとした鋭い痛みが生まれ続けている。我慢できる程度だとはいえ、なかなかにきついものがある。

 そして、そんな状態であるにも関わらず、自分の中に今にも大声で叫びだしてしまいそうな強い感情のうねりを感じる。もともと興奮剤のようなドーピング薬なので体には良くないうえ、材料に水の精霊の涙を使っているため試しに使ってみるということが難しく、使用はこれがぶっつけ本番なのだ。多少の副作用はあると思っていたが、ここまでだとはな。

 俺は舌打ちを一つすると、歯を食いしばる。

 確かに辛いが、だからなんだってんだ。ここまで来て足手まといになるよりかは、ずっとましだ。

 

 パタン、と読んでいた本を閉じると同時にエルフが顔を上げ、こちらへと視線を向ける。

 

「あくまで抵抗するということか……あまり賢い選択とは言えぬな」

 

 手を俺の方へと向け、呪文を唱え始めるエルフ。それに呼応するように階段を形作っていた石、先ほど俺に向けて飛ばしてきた瓦礫、それらが宙に浮かびあがった。そして拳ほどもあるだろうそれらの石礫が、エルフが手を軽く振り下ろすのを合図に、はじかれたようにして一斉にこちらに向けて襲い掛かる。

 

「……っ! ジャベリン!!」

 

 俺もそれに立ち向かうように杖を振った。眼前に現れたいくつもの氷の槍が、襲い掛かる石礫を叩き落とそうと空中でぶつかりあう。しかし、全てを相殺することはできず二つ、三つほどの石礫が向かってくる。避けることは可能だろう。だがそれはつまり、俺の後ろで精神を集中させて呪文を唱えているキュルケが危険にさらされるということだ。

 

「……くそっ、感謝しろよ!」

 

 咄嗟にエルフに背を向けると手を広げ、キュルケをかばう。

 

「つっ……! がっ……か、はっっ……」

 

 飛んできた物のうち、一つは頬をかすめそこから血が滲む。一つは背中に当たり、その衝撃でまるで絞り出されるかのように、口から空気が吐き出させられる。勢いのまま前のめりに倒れそうになるのを、なんとか踏みとどまった。

 痛みに下がりかかる視線を無理やり上げると、そこにはエルフへと杖と鋭い視線を向けるキュルケがいた。向けた杖の先には、人の頭ほどの大きさの火の玉が、何やら甲高いような奇妙な音を立てて浮かんでいる。

 俺が時間を稼ぐから可能な限り破壊力の高い魔法を撃つ準備をしてくれ、とキュルケに頼んだのだがこれがそうなのだろうか? 正直あまり強そうに見えないんだが。

 ちらりとキュルケの視線がこちらへと向いた。そして俺のその不審げな顔を見たからだろう。キュルケは軽く、微笑むように口元を緩ませた。

 

「なかなか恰好よかったわよ、アシル」

 

「そらうれしいね。学院の女の子たちにも、俺の格好よさを伝えといてくれよ」

 

 痛む体を動かしながら、エルフへと振り返る。呆れたような顔で俺たちに向け、再び手を振り下ろすエルフ。しかしキュルケの準備が整った以上、防御に専念する必要はない。

 

「フレア・ボール!」

 

 キュルケの呪文に合わせるように、俺は咄嗟に込めることのできるだけの精神力を込めて、呪文を唱えた。

 

「ジャベリン!」

 

 キュルケの杖の先から飛んでいく火球。人の頭程度の大きさしかないそれは、見た目の頼りなさとはうらはらに石礫をものともせずにエルフへと襲い掛かる。そして、ぶつかる寸前で爆発音と共に、数倍もの大きさに膨れ上がり、エルフを飲み込んだ。そこに俺の放ったジャベリンが突き刺さる。

 これが一つ目の突破策。攻撃が跳ね返されるっていうのなら、跳ね返せないような威力で攻撃するだけだ。

 しかし、さすがにそこまで甘くはなかった。今までの攻撃と何一つ変わることなく、炎と氷槍は跳ね返された。しかし、これはさすがに想定していたので難なく避ける。そりゃあこれくらいで倒せていたら、エルフが恐れられていたりはしてしないだろう。

 

「次だ、キュルケ!」

 

「ええ!」

 

 シルフィードへと走り寄ると、そのまま飛び乗るキュルケ。何かを感じ取ったのか、何も指示していないのにも関わらずシルフィードは即座に空へと飛び立った。そしてそのまま上空を旋回するように回り始める。そしてエルフをはさんで、俺と反対側の位置の辺りで待機する。

 余裕の表れなのか、何をするでもなく不審げな顔でその様子を眺めているエルフ。

 

「コンデンセイション」

 

 俺が呪文を唱えると空気中の水蒸気が凝結し、俺の頭上、少し高いところにいくつかの水の球が発生した。

 

「ウォーター・バレット!」

 

 水球の完成を確認したのか、シルフィードの上からいくつもの火の玉が放たれた。それに合わせるように俺も全ての水球を水の弾丸へと変形させ、エルフへと発射する。数多の火の玉と、無数の水の弾丸はエルフを覆い、埋め尽くすかのようにぶつかり……そして何の変化もせずに跳ね返される。俺はため息をつきながら、氷の盾で跳ね返ってきたそれらを防いだ。

 見事なまでに何の意味もなかったがこれが二つ目の突破策。反射の魔法にもカバーしきれていない場所があるかもしれない。その位置を探すために全方位からの一斉攻撃をしたというわけだ。……まあ、ご立派なことに死角なんざ欠片も無かったようだが。しかし後ろからの、目では見えないところからの攻撃でさえ反射されるということは、あの魔法は完全にオートパイロットだということだ。どんだけ高性能だよ、エルフ様。

 しかし、気を落としていても仕方がない。俺は軽く頭を振って気を取り直すと、キュルケに指示をしようとし……何やら殺気のような迫力を向けられていることに気付いた。

 即座にその源へと視線を向けると、そこには俺を軽く睨みつけながら、手を向けて呪文を唱えているエルフがいた。後ろには呪文に呼応するように、巨大な石の拳が形作られていく。

 舌打ちをしながら、避けるために体を動かそうとする。しかし、なぜか走り出すために動かそうとした右足が動かない。

 

「え……?」

 

 視線を落とすといつのまにやら右足がせり出した土に飲み込まれ、埋まってしまっていた。このままではあの石の拳が直撃してしまう! 必死になって足を飲み込んだ土を崩すために『ジャベリン』の魔法を唱える。

 

「よしとれたっ! がふっ……!?」

 

 なんとか土を崩し終えた瞬間、石の拳に殴られた。その衝撃は、車が衝突してきたのか、と思うほどのものだった。俺はその勢いのまま吹き飛ばされ、蹴り飛ばされた空き缶のように地面を転がっていく。地面に手足を叩きつけて勢いを殺すと、即座に起き上がる。だが、体中を走る激痛のあまり、無意識のうちにうずくまってしまった。そして湧き上がってくる、不愉快な吐き気。

 

「う、ごぉえっ……! お、ぁぁぁぁぁ……」

 

 押しとどめようと思う間もなく、目からは涙が、口からは唾液だか胃液だかわからないような液体が流れ出ていく。

 

「蛮人にしては良くやった方だと思うが……ここまでだな」

 

 エルフの声が聞こえる。圧倒的な実力差によって、自身は傷一つ負わずにここまで俺を痛めつけているにも関わらず、その声には欠片も得意げな様子は無い。

 やばい、俺ももうこれ以上そんなに時間は稼げそうにないぞ。くそっ! 何してんだキュルケ、早くしてくれ。

 

「我はこの城の精霊全てと契約している。お前たち、蛮人如きでは勝てるわけが無い。……諦めることだ」

 

 立ち上がることはできないが、俺はなんとか体を起こすと服の袖で汚れた口周りをぬぐった。そして座り込んだ姿勢のままずりずりと後ずさり、少しでも距離を取る。たったこれしきのことをしただけで、感じる腕の痛みと吐き気は耐え切れないほどだ。

 

「うっ……つぅ。はぁ、はぁ……悪いがそれは御免こうむらせてもらうよ、賢い賢いエルフ様」

 

「そうか……」

 

 そう言うと同時に、もともと無表情ぎみだったエルフの顔から完全に表情が消える。そして、その不気味な表情のまま俺へと手を向けた。そしてそれと同時に……エルフが業火に包まれる。その上、炎はそのまま燃え盛り、反射される様子はない。

 これが三つ目、最後の突破策。今までので、反射されるのはエルフの体から一定の距離まで近づいた攻撃であることがわかった。ようは体を覆う反射膜のようなものに触れることで、攻撃が跳ね返されるってことだ。ならば反射されないように距離に気を付けつつ、炎で包んでしまうというもの。打撃や魔法は反射されても、もしかしたら熱のような目に見えないものは通るかもしれないからだ。制御が難しいだろうから、時間がかかるとは予想していたが、なんとか間に合ったようだ。

 この方法が効いているのか、幸いにもエルフが動いたり、攻撃してくる様子はない。俺はその隙に自分自身に治癒の魔法をかける。体の痛みが幾分薄れ、なんとか立ち上がることはできるくらいには回復することができた。もしもこれさえも効いてなかったとすれば、もう打つ手はない。俺は祈るような気持ちで、燃え盛る炎を見つめ続けた。

 

 

 ……この魔法を発動しているキュルケの精神力が切れてきたのか、もう十分だと判断したのか、しばらくして炎が薄れ始めた。そしてそこから現れたのは、

 

「……ははっ、……嘘だろ?」

 

 汗の一つもかいていない、片手に持った本を読むエルフの姿だった。

 

「気は済んだか」

 

 本を閉じそう言うと、空を飛ぶシルフィードへと手を向けそのまま呪文を唱え始めた。すると今まで俺たちに撃っていたものが少なく感じるほどの石礫が浮き上がる。そしてエルフが手を振ると、それらはいくらかの数ずつシルフィードに向けて飛んで行く。それを避けるために、シルフィードは素早いアクロバティックな激しい動きで飛び回り始めた。あの激しい動きでは、上に乗っているキュルケに協力を頼むのは無理だろう。

そう思いながら、俺はどこか他人事な気持ちでそれを眺めていた。

 

「あとはお前だけだな」

 

 シルフィードをある程度無力化したからだろう。エルフは俺へと視線を移す。そして、なんでもないことのように手を向けた。

ここまでだ。俺に打てる手はもう何も無い。こんな攻撃も魔法も熱さえも反射するような魔法、どうすればいいっていうんだよ。

 

 

 

……熱を反射した?

 そのとき俺に閃きが走った。

まだ一つだけ、あった。反射を攻略する方法が!俺は大急ぎで呪文を唱える。

 

「アイス・ストーム!!!」

 

 腕の痛みをこらえ杖を振ると、無数の鋭い氷を散りばめた極寒の冷気を振りまく巨大な竜巻が、先ほどキュルケの作りだした炎の渦のように一定の距離を取って、エルフを覆い隠すように発生した。

 

「無駄なことを……」

 

 同じような手を二度打ったからだろう、エルフは憐れむような表情でそう呟き、氷の嵐の中へと消えて行った。

 だが、違う。炎と氷ではそれの持つ熱の意味合いが全く違うのだ。

 俺は懐からキュルケに渡した物と同じナイフを取り出すと、震える足を叱咤しながら立ち上がり、そのまま氷の嵐へと突っ込んだ。 

 

「ら、ああああああああああああああっ!!!」

 

 鋭い氷が頬を裂く。服がやぶれ、いくつもの切り傷から血が流れ、杖はぼろぼろになっていく。しかし、それをものともせずに駆け抜けると、その中心にいるエルフへとナイフを振り下ろす。

そしてナイフの切っ先は……反射されることなくエルフの体を切りつけた。

 

「……なっっっ!!」

 

 エルフが目を見開き、驚愕の声を上げる。俺を潰すために、手を向け呪文を唱えようとするが……叶うことなく、ナイフに塗られた麻痺薬によって倒れ伏した。

 

「ば……かな……」

 

 麻痺薬でしびれた体でそう呟くエルフ。反射が破られたことが信じられないのだろう。

 

 

 

 

 なんていうことは無い。俺はただ熱を反射させただけだ。ただし、冷気を。

 

 キュルケのおかげでエルフの反射魔法は、熱さえも反射することがわかった。つまりエルフを包んでいた反射の膜はエルフが炎で覆われた時、外側から内側にいるエルフへ向けた熱を反射していた、反射膜内での力の向きは内側から外側へと向かっていたというわけだ。ならば、周りを覆ったのが熱い炎ではなく、冷たい氷だったらどうなるか。

 当たり前のことではあるが、炎が熱いのは熱を出しているからだ。では氷が冷たいのは冷気をだしているからだろうか?

そうではない。熱は必ず、高温の物体から低温の物体へと移動する。氷が冷たいのは熱を奪っていくからだ。つまりエルフを氷で包んだ時、熱の移動は内側から外側へ。つまりあの時の反射膜内での力の向きは外側から内側へとなっていたわけだ。ならば反射の魔法が内側から外側へと、外側から内側への両方の動きを一度にできるのではないのならば、エルフを氷で包んだあの瞬間だけは、外側から内側への攻撃、つまりエルフへと向けたナイフが反射されることは無い!

 

「な…ぜだ、蛮人……。なぜ……は、んしゃ……が……やぶ……やぶられ……」

 

 俺は睨むようにこちらを見上げるエルフへ視線を向けると、口を開く。

 

「蛮人の底力だよ」

 

 それだけ言って、俺はエルフに背を向けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十七話 救助劇の終わり

 先ほどから聞こえていた音が聞こえなくなったことに気付き、タバサは本から顔を上げた。気付けばベッドの上の母親は安らかな顔で寝息を立てている。

 おそらく空耳ではあろうが、友人たちの声が聞こえたような気がした後、どこか遠くから爆発音のような音や吹き荒れる吹雪の音のような音が聞こえてきたのだ。聞こえてきた友人たちの声、そして火の魔法を発動した時に起きる爆発音、特定の水の魔法を発動した時に起きる吹雪のような音。それらはもしかしたら彼らが自分を助けに来てくれたのでは? というタバサの中の吹けば飛ぶようだった想いを煽った。そんな自分の想いに蓋をするため、そしてそれらの音におびえる母の気を落ち着けるためにタバサは本を読み上げていたのだ。

 母親が眠ってしまったので本を閉じ、意味も無くその背表紙に軽く震える指を滑らせる。

 どこか聞き覚えのある音が聞こえた。

 それは足音だった。こちらに向かって駆けてくる足音。

 まさか。ありえない。こんなガリアの外れにまで自分を助けるために来てくれるわけがない。それにエルフだっていたはずだ。あの二人でどうやって、エルフを倒すというのだろう。

 ありえない。

 しかしタバサの鼓動はまるでその駆ける足音に合わせるように早くなり、期待に胸が膨らんでいく。

 足音は部屋の前で止まり、それと同時にがちゃがちゃとドアを開けようとする音が響いた。ロックがかけられていて開かないことに気付いたのか、ガン! とドアを蹴りつける音がする。しかしどうやらドアは丈夫な物だったらしく、びくともしない。足を痛めたのかドアの前で文句を言う声が聞こえた。

 

「いったあ! あーもう、めんどくさいな。おいキュルケ、ドア開けてくれ」

 

「はいはい。それにしても、ホンッと締まらないわねぇ、あなたって」

 

 自分の閉じ込められている部屋の前でされる、学院でしていたような何の変哲もない会話。その聞きなれた声に、タバサは自分の心の中の何かが、まるで暖められた氷のように解けていくことを感じた。

 

「……ぁ、……ぁぁぁ」

 

 ドアが開き入ってくる懐かしい二人の男女。自分を助けるために戦ったのだろう。男の方はそこかしこに血の跡が付いていて、閉じ込められていた自分が心配してしまうほど傷だらけだ。女の方もところどころに土がついている。二人はベッドのそばにいる自分を見つけるとほっとしたような顔をし、近寄ってきた。

 

 

 

 

「助けに来たわよ。さ、帰りましょ」   

 

 そう言ってまるで自身の二つ名のように暖かな笑顔を浮かべるキュルケ。

 

「よ、おひさ。小さいままだな、ちゃんとメシ食ってたか? さ、帰ろうぜ」

 

 そう言ってどこか悪戯げな笑顔を浮かべて、片手を差し伸べるアシル。そんななんでもないような表情を浮かべる二人。

 震える両手で差し出された手を握る。そこから伝わってくる、人の体温。

 

「……う、あああああああぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 タバサはまるで、今まで堪えていた何かを吐き出すように……何年かぶりに声をあげて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 まるで子供の様に泣き続けるタバサ。握りしめた手のひらから感じる体温で解けだされたかのように、心の中で凍りついていた気持ちが広がっていくことを感じた。それは安堵だった。

 叔父によって父を失い、母を壊され……誰にも頼ることができずに孤独に戦い続けた。心からの安心なんてものからは、かけ離れた生活を続けてきた。

 ああ、そうだったのだ……とタバサは泣きながら想った。自分が求めていたのはこれだったのだと。

 勇者が助けに来てくれることがわかっている物語の娘のように、幸せな家族に囲まれて笑う幸せな少女のように、自分が心から安堵できる場所を。

 

 

 

 そして……この凍てつくような冷たい、自分を縛る囚われの場所から救い出してくれるイーヴァルディを―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバサとその母親を誘拐し返した俺たちは、今はシルフィードでゲルマニアへと向かっている。正確にはゲルマニアのツェルプストー領へだ。助けたからといってそれで万々歳となるわけではない。その後の保護をしなければ、今回の苦労も意味を持たなくなってしまう。

 さすがに子爵であるうちじゃ何か面倒事が起きた時に対処が難しいうえ、何より両親に迷惑をかけたくない。なのでタバサの母親の世話についてはキュルケに任せることにした。本人にOKももらったし、別に問題はないだろう。そのキュルケご本人は今、泣きつかれたタバサたちと眠っている。さすがにいろいろと疲れたのだろう。俺は体こそあちこち痛むが、それ以外には特に問題ないので起きている。さすがに全員眠ってしまうのは、まずい気がするしな。

 

「……きゅ、きゅい?」

 

「ああ、俺は大丈夫だよ」

 

 しかし顔に疲れが出てしまっていたのか、シルフィードに心配そうな鳴き声を出されてしまう。

 ……ああ、そういえば一つ確認しておきたいことがあったんだ。

 

「なあ、シルフィード」

 

「きゅい?」

 

「お前って韻竜なの?」

 

「きゅ、きゅいいいいいいい! きゅい! きゅい! きゅい!」

 

「きゃあっ! なっ、なに!? 何かあったの!?」

 

 言っていることは何一つわからないが、何やら大きな鳴き声をあげ必死な様子で否定? をするシルフィード。そのせいでキュルケが起きてしまった。

 

「ああ、悪い。けど、ま、ちょうどいいや。たぶんもう少ししたら着くだろうし。ちょっと悪いんだがタバサを起こしてもらえるか?」

 

「……次からはもっと丁寧に起こしてちょうだい」

 

 キュルケは寝起きだからか少し不機嫌そうにそう言うと、自分のすぐ横で寝ていたタバサを軽く揺さぶった。タバサが目をこすりながら起き上がる。そしてきょろきょろと周りを見渡すと、なぜか俺のすぐそばへと移動し、腰を下ろした。いろいろあって疲れているのだろう。微妙にふらついているような気がする。

 

「どうかした?」

 

「いや、お前がどうかした? なんだけど。なんだよ、寒いのか? こんな近寄ってきて」

 

「そうじゃない。今のあなたは杖が無いから。可能な限り私があなたを守ろうと思う。そのためには近くにいた方がいい」

 

「はあ、それは……ありがとうございます」

 

 実を言うと今この中で俺だけが杖を持っていない。いや、タバサの母親もだな。タバサを探す途中でタバサの杖やマントなどの一式と、タバサに飲ませるつもりだった毒薬らしき物は見つけたのでパクってきたのだが、俺の杖は氷の嵐に突っ込んだときにぼろぼろになって、使い物にならなくなってしまったのだ。

 まあタバサも俺に恩を感じているんだろうが、少し過敏すぎる気がするな。こんなくっつかなくても大丈夫じゃないか?

 

「まあ、いいや。それよりタバサ、あのエルフが言っていたんだが、シルフィードって韻竜なのか?」

 

「そう」

 

「きゅいっ!?」

 

 認めるにしても即答すぎるだろ。シルフィード驚いてるぞ。キュルケは……あくびをしている。驚きの欠片も無いな。まあ、あたりまえっちゃ当たり前か。キュルケも聞いていたし。

 シルフィードはタバサが認めたのを聞き、どこか不満げに口を開く。しかし、そこから出てきたのは聞きなれた鳴き声とは全く違う物だった。

 

「しゃ、しゃべっちゃダメっていったのはお姉さまなのに、ひどいのね。シルフィ、頑張って約束守ってたのに、シルフィの頑張りが無駄になっちゃたのね……きゅい……」

 

 悲しげな声でそう言うシルフィード。律儀に約束を守っていたのは偉いが、こいつがさっさとしゃべってりゃ少しは楽にエルフと闘えていたんじゃないかと思う。

 ……どーでもいいけど、でかいトカゲのくせして声が変に可愛くて腹立つな。まあ、韻竜っていえば頭がいいわ、言葉をしゃべるわ、先住魔法を使うわ、っていうとんでもない生き物だし、声が可愛いくらいがちょうどいいのかね。それにしても韻竜は絶滅したって話だが、生き残りがいたとはな。世界は広いもんだ。

 

「けどこれでしゃべられるのを隠さなくてすむのね。じゃあシルフィの正体をあばいたご褒美に、お前のおしゃべりの相手をシルフィがしてあげるのね」

 

 いやいやいやいや、この話し方からしてシルフィードの精神年齢は十代の女子だろ? そんな年代の人とガールズトークなんてごめんなんだが。ちょうど似たような年代の人が二人もいるんだし、押し付けよう。

 

「え……いや、そういう楽しいおしゃべりはキュルケとやった方が楽しいぞ。なあ、キュルケ?」

 

 俺が視線をキュルケへと向けると、そこには横になって眠っているキュルケがいた。

 まじかよ……。さすがにおしゃべりのためだけに起こすのも可哀そうなんだが。

 

「それで、それで、その時のシルフィはすごかったのね~。こうグッ、って体に力を入れて――」

 

「お、おう。それはすごいな。けどやっぱそういう会話はなー、大好きなご主人様とするのが一番楽しいと思うぞ。なあ、タバ……」

 

 俺がそう言いかけた時、俺のすぐそばに座っていたタバサがこつん、と俺に寄り掛かった。そしてそのままずりさがり、ちょうど俺の太ももを枕にするような姿勢で横になる。顔を見ると幸せそうな顔で、穏やかな寝息を立てている。

 眠っちゃったのか……。仕方ないか、さっき起こした時も結構つらそうだったし。また起こすのも可哀そうだな。まさかオルレアン夫人を起こすわけにもいかないし。仕方ない。

 

「そこでお姉さまが杖を構えたのね。この時のお姉さまはとっても恰好よかったのね~。シルフィはそんなお姉さまのことが大好きなのね~。でね、でね―――」

 

「へえ……、それはすごいな。見てみたかったよ」

 

 ゲルマニアに着くまでの間くらい付き合うことにするか。

 俺は眠ってしまったタバサの頭を軽くなでながら、ぼんやりとそう考えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つつつつつ……。っあーーー。やっぱ良いもんだな。まさに生き返るってやつだ」

 

 俺がツェルプストー領に着いて、まず真っ先にキュルケに頼んだのは風呂の準備だった。タバサを助けるために学院を出てから、一度も風呂に入っていない。その上エルフとの戦いと薬の副作用で、体中汗まみれ、さらにいたるところから血が滲んだり付着したりしている。キュルケも風呂に入ってしまいたいということなので、今俺が入っているのは使用人用のものだが十分すぎるくらいだ。さすがにちょいと傷にしみるが、肩まで湯船につかる心地よさのためならば我慢できる。

 それにしてもここしばらくは俺らしくもなく頑張ったものだ。さすがに疲れた。ゆっくりと休みたい。

 俺は湯船の端に寄り掛かると、顔の上に絞ったタオルを乗せて、目を閉じてリラックスをする。下手するとこのまま寝てしまいそうなくらい良い心地だ。

 しばらくそうしていると扉を開ける音とぺたぺたと濡れた床を歩く音が聞こえた。誰か入ってきたようだ。一応俺が入っている間は誰も入らないようにキュルケが言っておいてくれたそうだが、さすがにツェルプストー家ともなると馬鹿みたいに使用人も多いだろうからな。聞き逃してしまった人もいるだろう。

 まあ入ってきたのは使用人ということは平民だ。なら貴族である俺がわざわざあいさつせんでもいいだろ。あちらからしても平民用の風呂に貴族が入ってたなんて、気まずいだろうからな。お互いに無視するのが一番だ。そう考え、その人物が入ってきたことを気にせずに、そのままゆっくりとしていた。するとその人物は俺のわりと近くでかけ湯をし始めた。

 なんというか文化ってのは案外共通しているもんなんだな。こんなところにもかけ湯の文化があるとは。

 俺が変な感動を感じている間に、そいつは湯船に入るとなぜか俺の方へと近寄ってきた。なんだこいつ、タバサの亜種か? 

 冗談は置いておいて、さすがにこうなったら挨拶の一つくらいするのがマナーってもんだろう。そう思った俺はタオルをとって、入ってきた人へと顔を向けた。

 

「……」

 

「……」

 

 ぺたん。

 なぜか俺が顔を向けた瞬間、侵入者によって手のひらで目を覆われた。湯気による光の屈折のせいだろう。一瞬だけ見えた侵入者の顔が、タバサにそっくりだったような気がする。湯気って凄い。

 しかしいくらなんでも貴族に対してこの対応は、失礼だろう。俺は右手で目を覆っている手を掴み、眼前からどけた。

 ぺたん。

 すると残ったもう片方の手で再び俺の視界が防がれてしまった。湯気による光の反射のせいだろう。またも一瞬だけ見えた侵入者の顔が、やっぱりタバサにそっくりだったような気がする。湯気って怖い。

 

 何やら非常に嫌な予感がするが、いつまでもこうしているわけにもいかない。俺は再び手をどかそうと、持っていたタオルを湯船の端に乗せると、空いた左手で相手の手を掴む。しかし、引きはがそうとする寸前、相手の声が聞こえた。

 

「私のほうから来ておいて、こういったことをお願いするのはおかしいと思う。しかし、どうかこちらを見ないでほしい」

 

 声までタバサに似ている気がする。湯気ってやばい。

 

「そうするよう努力するから、タオルで隠してくれ。俺の使っていいから」

 

 目を閉じて手を引きはがし、そう言い返すと俺はくるりと体を90度回転させた。俺の左側に侵入者がいる形だ。背中を向けるのは、なんかあれだし、向かい合うのはあちらさんが嫌だと言うしな。これならば俺が自制さえしていれば、相手を見ずに会話ができる。

 

 

 

 

 どうやら俺がゆっくりと休めるのは、もう少しだけ後になるようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十八話 お風呂でお話し

 なんでこんなことになっているんだろう……?

 俺はいろいろな理由で火照っている顔に、手で風を送りながらそう思った。

 

「風呂は一人で入るのが好きなんだがな。背中でも流してくれるのか?」

 

 正面を見ながら横にいるタバサへと話しかける。

 注意をしていないと目が横にいってしまいそうになるあたり、俺もまだまだ未熟だな、と感じる。

 

「して欲しいのならば私は構わない。けれど今回来たのはお礼を言うため」

 

 真剣な声色でそう言われ、ついタバサの方へと振り向いてしまう。しかし湯気越しに見えた驚くほどの肌の白さになんだかひどくいけない物を見てしまったような気分になり、すぐさま視線を正面へと戻した。そのままなんとなく自分の体へと目を落とす。あちこちに生々しい擦り傷や切り傷がついたままだ。……比べるものではないけれど、こんな傷だらけの状態の俺の隣に、あんなに肌の綺麗な奴がいると思うと、ひどくみっともないような気持ちにさせられるな。まあ、俺が透き通るような綺麗な肌をしていたら、それはそれで洒落にならないくらいに気持ち悪いってことくらいはわかってるが。

 

「ありがとう。あなたに助けてもらったおかげで、私は今もこうしていられる。あなたがいなければ私は、こうしてお礼を言おうとする心さえも失っていた。それに……」

 

「俺に言うくらいなら、キュルケにもお礼言っときなよ? エルフとの闘いはもちろん、宿やメシの代金はキュルケが出してくれたんだから」

 

 なんだか真面目にお礼を言われることが気恥ずかしくなり、話をさえぎる。冷静に考えると我ながら無茶をしたな。女の子を助けるためにエルフなんて化け物と戦うなんて……なんだか現実味のわかない話だ。

 

「もうすでに言った。それに……一日とはいえ母様を元に戻してくれたことに対してもあなたにお礼を言っておきたかった」

 

「ああ、それだけどな」

 

 そう言えばそれについて一つ思いついたことがあったんだった。

 

「アーハンブラ城で、タバサに使うつもりだったらしい毒薬を見つけてな。調べなきゃわからんけど、あれはたぶんお前のお母さんに使われたのと同じものだと思う」

 

 タバサに聞いた話だと、俺たちがタバサを助け出した日の翌日が、薬を飲まされる予定の日だったらしい。全くぎりぎりだったものだ。タバサのマントとかもきちんと畳まれておいてあったし、あのエルフずいぶんと几帳面な性格だったんだろう。すでに薬が用意してあったので、ありがたくちょうだいしてきたのだ。まあ、見た目からして『五分前行動が座右の銘です』って感じだったからな。絶対あいつ委員長やってたタイプだ。

 

「それで?」

 

「毒薬そのものがあれば、もっときちんとした解毒薬が作れるってことだ。それに……まだ形になっていないから言わないが、思いついたことが一つあってな。下手すりゃ完治に限りなく近い状態にまで持って行ける……かもしれない……気がする……」

 

 なんとなく勢いで言ってしまったが、そこまで自信があるわけでもなかったので、語尾がしぼんでいってしまう。もしかしたら、まだあの秘薬の効果が残っているのかもしれない。あのドーピング薬は興奮剤に似たものだからな。普段より気が大きくなる効果があったのかもしれない。

 

「本当……?」

 

 震える声でそう返される。

 

「……正直やってみないとわからない。けどまあ、毒薬があるってことは動物で試してみたりできるからな、上手くいく可能性が高くなったのは確かだよ」

 

 しかしエルフ特製の毒薬そのものを使っていろいろ試すとなると、コルベール先生に協力を頼むわけにもいかないな。さすがにそこまで迷惑はかけられない。

 

「ありがとう……」

 

「ふわぁっ!」

 

 お礼の言葉を言いながら、タバサが俺の腕を掴み、ぐいっと近づいてくる。そのすべすべとした濡れた肌の感触に、俺は男らしくもない情けない悲鳴を上げてその手を振り払うと、ばしゃばしゃと水音を立てながら距離を取った。

 反射的に口から文句のような言葉が出る。

 

「お、お前……バカ、風呂でくっつくな! ただでさえ風呂熱いんだから! 人だって熱い時は熱いんだかな!」

 

 俺はいったい何を言っているんだろう? いかん、少し落ち着こう。

 そう思い、軽く目を閉じて心を落ち着かせてタバサに目をやると、どことなく落ち込んでいるようだった。

 

「ごめんなさい。気を悪くさせるつもりはなかった」

 

「あ、いや、悪いというか、どちらかといえば良かったよ、うん」

 

 俺は本当に何を言っているんだろう。ここまで自分が不測の事態に弱いとは知らなかった。

 先ほどよりも少しだけタバサから距離をとって、再び前を向く。

 それにしても結構な時間、風呂に入っていたせいで随分と湯だっているのに、変に慌てたせいで余計に熱くなってきた。そろそろやばいってのに、隣に裸のタバサがいるせいで風呂から上がれん。

 

「えーと……今後はどうするんだ? お母さんはここで世話してもらえるそうだけど、タバサもここに残るのか?」

 

 そう聞くとタバサは首を横に振った。

 

「私は学院に戻る。ここに居ても私にできることはないから。それにあなたたちに借りを返したい」

 

「……そうか」

 

 あっつい……のぼせてきた。

 俺はぐでっと、浴槽の縁に上半身を乗せる。早く上がらないと。いや、タバサが先に上がればいいんだ。それなら……いや、それだと俺がタバサを見ることになる。

 あれ? これ詰んでないか?

 

「うあ……あー、借りとかそんな気にせんでも……いいぞ。俺もキュルケも今回のは好きでやったことだし」

 

 あと30。30数えたら問答無用で出よう。もうなんか頭がぼーっとしてきたし。1、2、3……

 

「それこそ気にしなくてもいい。あなたは良くトリステインに行っているみたいだし、今後はその時に遠慮せずに私を使える程度に考えてくれれば」

 

 29、30。ふう、上がるか。……いかん、やっぱ恥ずかしくて出れない。どうしよう、なんかのぼせすぎて指震え始めた気がするんだけど。

 もう30、もう30数えたら今度こそ出よう。1、2……

 

「…………出かけるときに、送ってくれるってことか? ………………それは、どうも」

 

 ……………………まずい、変な汗出てきた。あれ? 今いくつまで数えたんだっけ? 頭が回らない。目の前がちかちかする。

 

「それに他に何か用があれば私もできるかぎり協力する。もちろん母様の解毒薬以外のどんな雑用でも構わない」

 

 …………………………もうだめだ。

 

「………………………………おう」

 

「……大丈夫?」

 

 その声が随分と遠くに聞こえたのを最後に俺は気を失った。

 

 

 

 

 

 

「ん……、んー?」

 

「あ……。起きた?」

 

 顔にあたる風に目を覚ますとベッドの上だった。体を起こして、いまだに少しはっきりしていない頭に片手をやる。変に涼しいと思ったら、ベッドの横に立っていたタバサが風を送ってくれていたようだ。

 少し心配そうな表情をしているな。迷惑をかけてしまったか。

 

「一応体は冷やしたし、水も飲ませたけれど……大丈夫? どこか悪いところがあるのならば、言ってもらえればできる限りのことはする」

 

「いや……どこも悪くないけど」

 

 そう言いながら自分の体を見ると、きちんと服を着ていた。

 ……倒れたのは風呂だったよな?

 

「その……聞きたいんだが、俺に服着せたのって誰?」

 

「…………浴室の近くにいた使用人の人」

 

 俺の予想と違っていることを心の底から願いながらタバサへと尋ねる。一応俺の欲しかった答えは返ってきたが、そう言ったタバサの頬は赤く染まり、顔もそらしている。つまりは、そういうことなんだろう。

 ……どうしよう、お婿に行けない。

 馬鹿な事を小声で呟きながら、頭を抱えてしまう。まあ、俺は男なんだしあんまり恥ずかしがるのもアレな気はするんだがな。できるだけ気にしないように……というかさっさと忘れよう。あー、こんなことになるのなら、恥を忍んでさっさと風呂あがっとけばよかった。やるは一時の恥、やらぬは一生の恥というやつだな。座右の銘として、紙に書いて部屋にでも張っておくか。

 長時間風呂に入った後というのは、変に体が疲れてしまう。俺は起こした体を再びベッドに横たえた。

 さすがはツェルプストー家のベッドだ。学院での俺の部屋のはもちろん、実家のベッドよりも遥かに寝心地が良い。タバサの救出に協力したからだろう、ずいぶんキュルケの中の俺の株も上がったみたいだし、遠慮せずにここでぐっすり眠って、大貴族様用の上手い飯食って学院に戻ることにするか。解毒薬作成をもう一度頑張ることになったし、英気を養わなきゃいけないしな。それに……

 俺の頭の中にクールな顔で怒るメイドの顔が浮かぶ。

 無断で大冒険した件について、またあいつに謝らなきゃいかん。

 俺はうんざりとした顔をしながら、現実でのタバサからの心配そうな視線と、想像でのアラベルの怒った視線から逃れるために布団をかぶって目を閉じた。 

 

 

 

 

 

「なんだか懐かしいような気さえするな」

 

 数日ぶりに戻ってきた学院を前にして浮かんだのは、そんな月並みな感想だった。

 まぶしい日差しになんとなく手で日の光を防いでしまう。ついさっきまでシルフィードの上で風に当たっていた身としては、こんな暑い外にいるよりかはさっさと部屋に戻ってごろごろしたい。解毒薬作りに取り掛かるのは明日からでいいだろ。

 俺は乗せてきてくれたお礼をタバサに言うと部屋へと向かった。というか向かおうとした。

 

「……」

 

「……」

 

「いや、なんでついてくるのさ?」

 

 なぜか俺の後をついてくるタバサ。こっちは男子寮なんで、来たってしょうがないと思うんだがな。何か用でもあんのか?

 

「私のせいであなたは杖を失ってしまった。だから杖が再び使えるようになるまでは私があなたをを守る。すでに言ったけれど、そのためにも近くにいた方がいい」

 

 そう言えばそんなことも言ってたな。別に学院で危ない目にあうことも無いだろうし、そんな過敏にならんでも、と思うが。

 

「それにもう命令に従って任務をする必要も無いので、何かして欲しいことがあるのならば、私にできることならいくらだって協力することもできる」

 

「お手伝いでしたら私がするので、大丈夫だと思いますよ」

 

 ……何やら俺の背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。怒っているのか随分と硬い声だが、この声を聞いてなぜか安心感をおぼえるあたり、俺もずいぶんやられているような気がする。……もしかしたらただ単に精神的に疲れているだけ、って可能性も否定できないが。

 俺は振り向くと同時に、そこにいた人に笑顔で話しかけた。

 

「やあ、元気? いやー、ずっと会いたかったよ」

 

「なら出かける前に一言言ってください。何度目ですか、このお話をするの。あとその白々しい嘘やめてください」

 

 振り向く前からわかっていたことではあるが、声の主はアラベルだった。笑顔は動物の警戒心を和らげると何かで聞いたからわざわざ笑顔で返事したのに、アラベルの表情はどことなく硬い。……そりゃ黙って行くなと言われたのに、二回も三回も勝手に冒険しに行ってりゃ不機嫌にでもなるか。

 

「で? ミス・タバサとはどういったご関係で?」

 

 間髪入れずにそう尋ねてくるアラベル。実はタバサは俺の生き別れた妹なんだ! とか言ってみたい気もするけど、さすがにまずいよな。

 

「こんなところでする話でもないな、部屋で説明するよ。何より暑いしな。……いや、そういえば散らかってたっけ? タバサの部屋の方がいいかな」

 

「アシル様の部屋でしたら、出かけられている間にきちんと片づけて置きましたよ。お掃除もしておきました」 

 

「……お前と話しているとたまに、もしかしたら俺はぐうたらな奴なんじゃないか、なんてありもしない妄想に囚われることがあるよ」

 

「それ現実です」

 

「…………」

 

 肉体的ダメージが癒えた体に今度は精神的なダメージを受けた俺は、何があったかの説明をするためと心身を回復させるために部屋へと戻ることにした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十九話 学院と王宮で

 俺は部屋へと着くと、とりあえずタバサとアラベルに椅子を差し出し、ベッドへと座った。

 そして俺は持っていた服とマントをアラベルへと渡した。エルフとの戦いでぼろぼろになってしまったので繕い直す必要があるが、俺は裁縫がさっぱりだからな。キュルケの家で簡単に洗濯はしてもらったが、縫い直すとなると時間がかかるので、それは断ったのだ。

 

「へい、パス。お礼はするから、それ直してもらえないか?」

 

「なんですか、これ……ってぼろぼろじゃないですか! 何があったんですか!?」

 

「いや、ちょっとこけただけだ。ほれ、このとおり怪我一つ無い」

 

 そう言って俺は両方の袖をめくり、腕を見せる。怪我はタバサに頼んですでに治してもらった。さすがに、あんなに傷だらけでは心配させてしまう。

 アラベルは俺の腕を見て傷が無いことを確認すると、今度は服をじっくりと調べ始めた。そして満足したのか、調べるのをやめると俺の方へと顔を向けた。

 

「じゃあ服を脱いで背中を見せてください」

 

「は……? 何でまた? やだよ恥ずかしい、女二人の前で服脱ぐのなんて」

 

「しかし服の背側の裏側に赤い染みがうっすらとついているのですが、これ血の跡でしょう。ほら、ここです」

 

「ん……あ、ほんとだ。まいったな」

 

 そう言って差し出されたところを見ると、確かに薄く大きめな赤い染みが残っている。何かで血の跡は洗濯しても落ちにくいと見たが、どうやら本当だったようだ。それにしてもいろんなところが痛んでいたので背中に怪我をしていることに気付かなかった。見えない怪我は痛みを感じにくいとも言うし、そのせいでもあるだろう。

 

「これだけの染みができたということは結構な怪我をしたということじゃないですか。見せてください。怪我を治すような魔法は使えませんが、消毒と治療とお手伝いくらいはしますから」

 

「怪我が残っているのならば、私が治癒の魔法をかける。治るのを待つよりもそちらの方が遥かに早い」

 

 なぜか今まで黙っていたタバサが、急に口を出してきた。まあ、確かにやってもらえるのなら魔法で治す方がずっと手っ取り早い。どうでもいいけど、部屋に来てからタバサが口を開いたのはこれが初めてだ。こちらから話しかけたり、何か用があるとき以外はこいつ本当にしゃべらないんだな。 

 

「そ……うですね。変に膿んでも大変ですし、その方がいいでしょう。じゃ、じゃあミス・タバサ、後はお願いします。私は服を直しますので……」

 

 アラベルは服を持って立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとする。どことなく元気がなく、落ち込んでいるように見えるのは俺の気のせいではないだろう。

 ……どうも昔から、人の心の機微というやつを察するのが苦手だ。ギーシュみたいにうまいセリフでも言えればいいんだが、こんなときに限って何を言うべきなのかわからない。

 ……まあ、アラベルなら大丈夫だろう。

 

「待ってくれ、アラベル」

 

「はい? 何ですか?」

 

 振り向いたアラベルの表情はいつもとほぼ変わらないクールなものだったが、長い付き合いだ、こいつの内面が表情通りでないってことくらいはわかっているつもりだ。仲の良い奴が悪い意味で普段通りの姿を見せてくれないというのは、なかなかどうしてつらいものがある。……面倒なことになる気もするが、大まかに話すことにしよう。こいつは人の秘密をべらべらと話すような奴じゃないし、大丈夫だろう。

 ……あとでギーシュにでもこういう時の対処法を教えてもらおう。

 

「タバサ、話してもいいか?」

 

 真剣な表情でタバサにそう言うと、タバサはこくりとうなずいた。

 タバサの性格上、しばらくの間は仕方がないだろうが、こいつも変に俺に従順すぎる。さっさとタバサの中にある俺に対する借りとやらを返させて、普段通りに戻りたいものだ。

 ……だが正直こんなタバサもいいな、と思っている自分がいるのも確かなのは間違いない。別に俺は聖人君子ってわけじゃないし、これがいいなと思うのも仕方がないだろうが、このままじゃこの上下関係が当たり前だと思って慣れてしまいそうだ。自制しないとなあ。

 

「実をいうとここ数日いなかったのは、ちょっとタバサを助けに行ってたんだ」

 

 

 

 

 

 そしてタバサの母親についてなど、伝える必要の無いプライベートの部分は除いてアラベルへと説明をした。エルフがどうしたと言うと、さすがに嘘くさくなってしまうと思ったのでそこは水のスクウェアだったということにしておいたが。

 全く、それにしても事実の方が嘘よりも嘘くさいというのも皮肉なものだ。

 説明をし終えたところ、する前と比べてずいぶんとアラベルの表情が落ち着いたものになっている、気がする。なにせもともとあまり表情が動かないんだから、雰囲気で判断するしかない。

 落ち着いたのは、タバサが変わった理由がわかったからだろう。確かに男女で数日出かけて帰ってきたら雰囲気が違うとか、何かあったと思うのが当然だ。アラベルも変に勘繰ったせいで、少しネガティブになってしまったのだろう。

 

「スクウェアって確か一番強いメイジでしたよね? それを倒すなんて、もしかしてアシル様って結構すごい人なんですか?」

 

「まあキュルケも居たからな。ほとんどはあいつのおかげさ。わかりやすく頑張った度で表すと俺が2でキュルケが8ってとこだ」

 

「頑張った度とか、いきなり新単位を出されても逆にわかりにくいんですが。けれども何でこんな怪我をしたのかはわかりました。すごいことだと思いますし、尊敬もしますが……無茶だけはしないでくださいね。今回は成功したとはいえ次もうまくいくとは限らないのですから、できるだけご自愛ください」

 

「……ああ、わかった。元からそのつもりだよ。心配かけて悪い」

 

「いえ……あなたが無事だったのならば構いません」

 

「…………」

 

 俺は真剣な顔でそう言ってくるアラベルから視線を逸らすと、がりがりと頭をかいた。相手の想いがわかっているとはいえ、やはり気持ちをぶつけられるというのは気恥ずかしいものがある。それに俺がひねくれてるぶん、こうまっすぐこられるのにはどうも弱い。

 アラベルはそれを見てどことなく満足そうな顔をすると、再び俺の服を持って立ち上がる。

 

「では私は服を繕いなおしますね。怪我はミス・タバサに直してもらって下さい。それではまた……」

 

 そのままメイド所作できちんとお辞儀を一つすると、部屋を出て行った。

 俺はなんとなく、こってもいない首筋をほぐすように軽く揉む。なんだか変な感じだ。精神的には少し疲れたのに、それが嫌じゃないというのは。

 

「……まあ、いいか」

 

 俺は本棚から歴史について書かれた本を取り出すと、それを開く。そして目を本に落としたまま、タバサへと声をかけた。

 

「じゃあ、タバサ。あんまり思い出したいものじゃあないかもしれないけど、ガリア王であるジョゼフについて知っている限りのことを教えてもらえないか」

 

 興味深げに本棚を見ていたタバサがこちらを向く。

 

「別に構わない。しかし、なぜ?」

 

 自分にとっても因縁深い相手だからか、即座に俺の頼みを了承するというスタンスは変わらないが、理由を聞いてきた。質問した以上、なぜそれを聞いたのかには答えるべきだろう。俺は自分の考えを言う。

 

「……興味があったからだよ。タバサのお袋さんが治ったとみるや、即座に行動を起こす。常識と呼べるほどの物になっている恐怖をものともせずにエルフを使役する。それらの行動から見えるジョゼフと、無能王とさえ呼ばれているジョゼフが重ならない。それに……」

 

「それに?」

 

「いや、まあ気になるってだけだ。嫌なら無理にとは言わないさ」

 

「嫌ではない。わかった。私が知っていることでいいのならば、あなたに全部話す」

 

「ありがとさん」

 

 それに……エルフの前で『アシル』『キュルケ』と呼び合ってしまった。さらに容姿もばれていることを考えれば、俺たちがどこの誰なのかすぐにわかってしまうと考えるのが自然な流れだ。ジョゼフが虚無であるかもしれない以上、過敏なくらいの対処はしておいても無駄にはならないだろう。

 ……加えて言えば、『うつけ』なんて呼ばれていた人物が天下統一に王手をかけたという事実を知ってしまっているぶん、ジョゼフが『無能』なんて呼ばれていることはなんの慰めにもなりはしない。

 俺は視線は本へと向けながらも、耳をタバサの声にかたむけた。

 できることならばタバサの話、一字一句をしっかりと頭へ刻み込めるように。

 

 

 

 

 

 

 ガリア王国の首都リュティス。大国の名に恥じない荘厳な宮殿の奥、玉座の間に二人の男がいた。一人はエルフのビダーシャル。そしてそれに相対しているのはガリアの王、ジョゼフ。豊かな青い髪と青いひげ、筋骨隆々とした体にまるで著名な芸術家が作った彫刻のように整った顔立ち。それらに加え感情の読めない瞳と凡人には出せないであろう迫力を発している。彼の事を知らない人間ならばそれを見て、賢王のように感じるかもしれない。しかし世界中で恐れられているエルフを前にして、玉座に肘をついて欠伸をしている彼の姿はまさに『無能王』という蔑称にふさわしい。

 一国の王とエルフとの会談。ばれてしまえば異端として裁かれても不思議ではない状況にも関わらず、ジョゼフはなんでもないことのように口を開いた。

 

「つまりたかがメイジ二人如きに後れをとったあげく、あの二人を逃がしたというわけか……」

 

「…………」

 

 どこか楽しそうにそう言うジョゼフ。それを聞いたビダーシャルは反論をすることも無く、歯をかんだ。

 

「まあ、いい」

 

 そんなビダーシャルの様子を気にした風もなく、ジョゼフは話を続ける。

 

「以前言ったと思うが、お前には他にやってほしいことがある。今回のことはどうでもいいから、さっさとそちらの準備をしろ。これ以上の報告なんぞいらん」

 

「……だが、お前はあの二人の心を壊すことを望んでいたはず。それはもういいのか?」

 

 エルフである自分を使ってさえ望んだことがうまくいかなかったのに、それをまるで気にもとめていないことを不思議に思い、ビダーシャルはそう問いかけた。そう聞くと、ジョゼフは口元を歪ませた。

 

「ふん。壊そうとしたのにも関わらず何も感じなかった時点で、余はあんなものにもう興味は無い。もともと次のゲームまでの暇つぶしのような物だったのだ。わかったら早く失せろ」

 

 さも面倒くさそうに、そう言って追い払うように手を動かすジョゼフへと、ビダーシャルは一瞬怒りと侮蔑が混じった視線を向けたが、すぐに踵を返すと速足で部屋を出て行った。

 

 

 

 ドアを開けてエルフが部屋から出ていくのを見て、ジョゼフは立ち上がり懐から一体の人形を取り出した。

 

「聞いたか! 余のミューズよ」

 

 そして笑顔でそれへと話しかけるジョゼフ。その光景からは、彼が無能なだけではなく狂人であることもわかるだろう。

 

「アシルという男とキュルケという女だそうだ! 全く! ただのメイジにすら倒せるエルフに手こずっていたとは……ブリミルとやらは余程くだらん奴だったのだろうな」

 

 そう言って大声で笑うと、天井を見上げ、歩き回りながらまるで謡うかのように言葉を続ける。

 

「ああ、シャルル。俺が倒そうとしていた神とやらは! お前ほどの人間でさえ祈り、頭を下げていた神とやらは! それほどの価値さえ無い愚か者だったようだぞ!」

 

 そして玉座へと戻り再び座ると、笑いをかみ殺しながら呟くように話し続けた。

 

「ならば俺は蔑もう。唾を吐きかけ、貶めよう。馬鹿どもに崇められ、俺などに虚無を与えた始祖のことなぞ。ああ、虚無、虚無か! ははは! さすがは始祖様じゃあないか、俺なんぞに虚無を与えるとは、この無能王が霞むほどの無能ではないか。ならばこの力、ありがたく使わせてもらおう」

 

 そこで一端言葉を切ると、手で顔を覆ってしまう。すると今までの愉快げな雰囲気から一転した。そして顔を覆った指の間から憎しみと懇願が混じったような声が零れ落ちる。

 

「貴様への崇拝も、メイジとやらも、この世界さえも、虚無そのものへと変えてやる。腐った果実が潰れるように、全てを醜悪に壊しつくしてやる。そうしてこそ俺は……再び人として悔恨の涙を流せるはずだ」

 

 子供の泣き言のようにも聞こえる最後の言葉は、誰にも届くことなく部屋に満ちた静寂にうずもれていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十話  ご利用は計画的に

「おっとっと、すみません。何か今日、人多いな。えーと……あった、あった、ここだ。おーい、二人ともこっちだ」

 

 狭く薄汚れた裏通りを人をかき分けるように進むと、目指していた店の看板が見えてきた。すれ違いざまにぶつかった人に軽く謝ると、俺はその店の扉の前に立つ。するとすぐに人波を縫うようにタバサとアラベルが追い付いてきた。

 俺たちは今日、久々にトリスタニアに来ている。理由は言うまでも無い、注文しておいたタバサの母親用の解毒薬の材料を取りにきたのだ。……それとこれは二人には秘密だが、『メイドの午後』の新刊を買いに来たという理由もあったりする。話のタネにでも、と読んでみたところ案外おもしろくてはまってしまったのだ。ちなみに本の方はすでに購入し、使い魔のフクロウに持たせて学院へとすでに送ってあるので、うっかり落としたりして二人にばれる心配も無い。つまり後は薬の材料を購入するだけ、ということだ。

 きしんだ音を立てながら古びた扉を開けると、埃とカビ、それになにやら焦げた動物性の油や香草の香りが混じったような、何ともいえない臭いが鼻をついた。俺たち以外に客のいない薄暗い店内へと目をやれば、壁中いたるところに薬の壜が並んでおり、隅の方に置いてあるいくつかのつぼには毒々しい色の草が無造作に突っ込まれている。すでに何度も足を運んだことがあるところだとはいえ、いつ見てもなんというか雑然としたすごい店だ。臭いも店内も慣れていない女性には少々きついだろう、さすがにタバサはなんともなさげに店の中を見渡しているが、アラベルの方は気味が悪そうな表情をしたまま出入り口の近くから入ってこようとしない。

 扉の開く音に気付いたのか、店の奥から雰囲気に合わない小奇麗な恰好の中年の男が出てくる。きちんとセットされている髪といい、綺麗に剃られているひげといい、そうは見えないが彼がここの店主だ。しかしこんな店をやっているだけあり、身なりこそいくらかきちんとしているが醸し出している雰囲気はどことなく危なげなものをまとっている。男はそれなりに整った容姿に見合わない乱暴な口調で、俺たちを迎えた。

 

「はい、らっしゃい。誰かと思えば、アシルの坊主じゃねえか。久しぶりだな、両手に花でいいご身分なこって。今日のお探し物は、頼まれていたアレでいいのか?」

 

 その言葉に頷くと、男は少し待つように言って棚の中を探り出した。俺はそれを見ながら、代金を用意するために懐へと手をやった。……しかし、そこにあるはずの財布の感触が、何故か無い。

 

「……ん? あれ?」

 

 本を買った後に、どこかべつのところにしまったんだったか? そう思いながら、ズボンのほうもさぐってみるが、やはりない。……そういえばさっき人とぶつかったな。まさかさっきぶつかった時にすられたのか!? 

 

「ほらよ、こいつが頼まれてたモンだ。お買い上げありがとうございます、っと」

 

 そう言って棚から取り出した袋を、俺に差し出してくる店主。もう片方の手も差し出しているのは代金の請求だろう。

 

「……ちょっと、こっちに来てくれ。話がある」

 

 俺はタバサたちに話を聞かれないように店主を店の奥へと引っ張っていった。そしていぶかしげな表情をしている店主に、小声で状況を説明する。

 

「……そんなわけで財布すられたっぽいんだよ。後で払うからつけといてくれないか?」

 

「無茶言うなよ、こんな高い物ツケにしたのがばれたら嫁さんに殺られちまうわ。後ろにいる嬢ちゃんらのうち片方は、マントしてるし貴族様だろ? あの娘に立て替えてもらえばいいじゃねえか」

 

 興味深そうに薬瓶を見ているタバサへと視線を向けながら、そう言う店主。

 確かにそれが一番だろうし、タバサなら文句ひとつ言わずに貸してくれるだろうが、俺にもプライドってものがある。治療が全部終わった後で薬の代金を請求するってのならともかく、お前の母親治すために必要な金貸してくれ、ってのは情けない感じがして嫌だ。結構いい値段するからアラベルに頼むのも無理な話だし。

 

「ちょっとした事情があってそれはしたくないんだよ。頼むって。すぐに返すから」

 

「ダメだ。お得意さんのよしみで売らずに取っといてやるから、金持ってまた来るこったな」

 

 店主は話を打ち切ると、材料をしまいなおすためか棚を再び空けた。

 ……仕方がない。ちょっとひどいやり方だけど、使わせてもらおう。

 

「……エキュー金貨五枚」

 

 俺の一言に店主の動きが止まる。

 

「この間たまたま見たんだけど、酔っぱらった拍子にエキュー金貨で五枚なんて大金を、お熱をあげてる給仕の娘に渡した男がいてさ。その男は確か結婚していたはずなのに、そんな大金をチップとして渡せるなんてすごいもんだよ、尊敬する。けれども、何かの拍子に嫁さんにばれたらとんでもないことになるんじゃないかなあと、他人事ながら心配だよ。でも、そいつどっかで見た顔だったんだけど、誰だったかなあ……? 確かこのあたりで薬の材……」

 

「わかった、わかったよ。ツケといてやる。ただし、十日だ。いいか、十日以内に金持って来いよ。ったく、お前さんはいい死に方をしないだろうな」

 

 俺が話を言い終える前に、店主は見たことも無いような速さで動くと、俺の肩をがっちりと掴み、息が当たるほど顔を近づけてそう言った。そうした後俺に材料の入った袋を押し付けるように手渡すと、顔を手で覆い、深くため息を一つ吐いた。

 

「酒は飲んでも飲まれるな、か……。全くその通りだぜ。坊主も酒と女には気をつけろよ」

 

 そして、近くに置いてあった椅子の上にあぐらをかくと、フッと疲れたようにニヒルに笑う。

 ……完全に自業自得な失敗の癖に、なにをこの人はダンディーに決めているんだろう。

 

「ツケとは別に一個貸しだ。今度メシでもおごれよ、貴族様。後チップの事、嫁さんに言うんじゃねえぞ。戦争だなんだってんで、最近ただでさえあいつピリピリしてんだからよ」

 

 俺も笑顔で店主に手を振ると、アラベル達と共に店を出た。

 

 

 

 

 

 

 

「あんなことしてよかったんですか? 軽い脅迫のような気がするんですが……」

 

 最近流行っているらしいカッフェという店で昼食を取り、食後のお茶を飲んでいるとアラベルからそう尋ねられた。聞こえないように注意して会話していたつもりだったが、ばっちり聞こえていたらしい。ちなみに、ここでの俺の代金はタバサが出してくれた。アラベルも出してくれると言ってくれたが、そちらは断った。掃除だのなんだのをしてもらっているのに、食事代まで出してもらっては完全にヒモみたいで嫌だからな。もちろんここの代金も、学院に戻ったらタバサにきちんと返すつもりだ。金関係は一度だらしなくなると、元の感覚に戻すのには苦労するっていうからな。

 

「後でちゃんと払うんだし、別にいいだろ。それにさっき言ったチップの話は、あの店主と一緒にメシ食いに行った時のことでな。あのおっさん、昼間なのにさんざ飲んだあげく、潰れちゃってさ。しょうがないから代金は俺が払って、さらに家まで連れてってやったんだぞ。チップ渡すのだって、俺はさんざん止めたんだ。これくらいの融通きかせてくれたってバチはあたらないだろ」

 

「あなたが嫌がっていたようだったから、口を挟まなかったけれども、言ってくれればお金くらい私が出した。私にも多少の手持ちはある」

 

 食用というよりはどちらかといえば工業用に分類されるんじゃないだろうかと思うような、すごい色のお茶を口に運びながら、タバサもそう言ってきた。飲んでいるのはハシバミ茶という代物らしいが、ハルケギニア広しといえど、こんな飲み物がタバサ以外の生物に需要があるとは思えない。きっとこれをメニューに載せた人は、夏の日差しにやられてしまっていたのだろう。

 

「ここの代金、出してもらっているし、これで十分だって。それよりもこれでやっと必要な材料が全部そろったんだ。明日から、解毒薬づくりに取り掛かれるよ。俺一人じゃさすがにだる……大変だから、タバサとアラベルにもいろいろと手を貸してもらいたいんだけど、大丈夫か?」

 

 真面目な話なのでお茶のカップを置き、俺にできる限りの『キリッ』とした顔で二人にそう問いかける。二人も同じようにカップを置き、俺の顔へと目を向けた。……どうでもいいけど俺の顔を見た、アラベルの口元が、まるで笑うのを我慢している時のようにぴくぴくと動いているのはなぜだろうか。

 

「言うまでもない。私にできることならば何でも協力する」

 

「とりあえず、その変に真面目な顔……ふふっ、やめてください。私もアシル様のお手伝いくらい別に構いませんよ。今までもしてきたことですし、そして、これからもしていくことですから」

 

「ありがとさん。じゃあ、一息ついたことだし学院に戻るか。それとアラベルは後で一発殴らせろ」

 

「別にいいですけど、傷がついたら責任はとってくださいよ」

 

 席から立ち上がりつつそう言うと、予想もしていなかった返しがきた。前はこんなことなかったんだがなあ……。気のせいであることを願いたいが、なんだか最近アラベルに手綱を握られ始めているような気がする。昔の俺は、こいつのことをクールキャラだと思っていたのに、最近になって随分印象が変わってしまった。もしかしなくても俺の影響だろうか? そうならば、この変化がこいつにとって良いものになればいいのだけれども。

 俺はアラベルの言葉に返事をすることなく、店の外へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院に戻ってきた俺はタバサたちと別れると、自室へと向かう。部屋の扉を開けると使い魔のフクロウが俺の方に飛んで向かってきた。そのまま肩の上にとまらせて、部屋へと入る。ベッドの上に目をやれば、届けるように頼んでおいた本がきちんと置かれていた。頼んだことをちゃんとしてくれた事を、羽を撫でることで褒めてやった後、貴重品を入れてある棚の中からお金の入った袋を取り出した。

 

「ん、あれ? 随分と軽いな。……ああ、そういやこの間、送ったんだったか。やっばいな、足りていればいいけど」

 

 散らばらないように注意しながら、机の上に袋の中身をまける。出てきた硬貨を広げて数えてみると、秘薬屋のツケにはわずかばかりに足りなかった。学院の寮はあまりセキュリティがきちんとしていないので、一定額以上の金が溜まった時には余計な分を実家に送るようにしていたのだが、それが裏目に出てしまったようだ。実家の方に連絡を取れば十日以内に送金してくれるとは思うが……、自分の金とはいえ親にせびるようであまりしたいことじゃない。……いや、違うか。できればあまり両親と連絡を取りたくないというのが本心だ。両親の前では現実的で、かつできた息子として演じなくてはならないので息苦しいし、それを感じ取っているのか、父の方がどうも俺を苦手に思っている節があるように感じるのだ。もちろん俺の見当違いな勘違い、という可能性も非常に高いんだが。

 とにかく実家に頼らずにすむのなら、頼らずに済ませたい。もうしばらくしたら実家からの仕送りや、薬を売ったりで金が入っては来るが、それだとツケの期日に間に合わない。

 と、すると誰か友人に借りるのが現実的なのだが……。

 俺は頭の中に金を借りられそうな貴族の人達をピックアップしてみる。

 まずタバサは先ほども言った理由で却下。キュルケは裕福だからそれくらい笑って貸してくれそうだが、キュルケに借りると、タバサに借りたことが伝わってしまいそうなのでやめておこう。ギーシュ……は実家が貧しいと言っていたし無理だろう。同じ理由でモンモンも無理、と。

 そうやって考えていくと、最終的に脳内リストに残った人物は一人だった。なんか怪しげな酒場でバイトしていたのが、気になるが他にあてもないし行くだけいってみることにするか。

 そう、頼れるピンクのあいつのところへ。

 ……サイト君と盛ってる最中じゃなきゃいいけど

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十一話 お金を借りる話

ついに後一話でストックが切れます。
ここのところいろいろと忙しくて、小説を書く時間がとれなかったのですが、やっといくらか余裕が出てきました。
今後も頑張ろうと思うので、できれば感想などよろしくお願いします。


「ルイズ、愛してる。金貸してくれ」

 

「……帰ってちょうだい」

 

 俺の精一杯の媚と誠意を込めたセリフに対して返ってきたのは、ルイズからの奇妙な物を見るような視線と嫌そうな声だった。うげ、とでも言いだしそうな雰囲気だ。

 会うこと自体久しぶりだというのに、そのまま扉を閉められかけたので、慌てて体を滑り込ませる。そして体をてこのようにして扉をこじ開け、部屋へと押し入った。

 

「お前久しぶりだってのに、その対応はないだろ。俺悲しさのあまり、今ちょっと泣きそうだよ」

 

「無理言わないでよ。いきなりあんなこと言われたら、誰だってああするわよ。見てみなさいよ、私の腕。鳥肌が立っちゃったじゃない」

 

 そう言いながらも追い出そうとしないあたり、話は聞いてくれるのだろう。

 室内にあった椅子に座ると、ルイズは俺とテーブルをはさんで向かい側に座った。サイト君が見当たらないのが気にはなるが、変に聞いて機嫌を悪くさせては何の意味も無い。いや、テーブルの上に紅茶のカップが一人分しかないのを見る限り、喧嘩したとかではなく、ただたんに一人で休憩でもしていたのだろう。いくら主人と使い魔だって、ずっと一緒というのは気疲れするだろうしな。俺は勝手にそう結論付けると、ルイズへと向き直り軽く近況報告のような雑談を交わした後、本題について話し始める。

 

「で、今回来た理由なんだけどな、金関係の理由なんだよ。ルイズ、十五日ほどしたら返すから、お金を貸してもらえないか? 借りる側として当たり前のことだが、借用書の類も用意するしそれにきちんとサインもする。友人関係といえど金銭関係はきちんとしておきたいからな。それに実家からの仕送りとかで十五日後には間違いなく返せる。必要ならば常識的な範囲内の利子もつけてもらっても構わない。だから、どうか貸して欲しい。この通りだ」

 

 俺は机に手をつくと、頭を下げながらそう頼み込んだ。

 

「……ちなみに、もし貸すとしていくら必要なのよ?」

 

 その質問に俺は正直に答える。その公爵家ではもちろん、一般的な貴族にとっても大金とはいえないだろう額を聞いて、ルイズは眉間にしわをよせた。

 

「……それくらいなら、別に構わないけどね。あなたにはいろいろと世話になってるし。けどあなた、それくらいの額が払え無いほどお金に困っていたっけ?」

 

そう聞かれたので俺は、財布をすられたこと、それに加えいろいろとタイミングが悪く、必要なお金が少しだけ足りないことを素直に話した。

 それを聞いたルイズは、ため息を一つ吐いた。

 

「……呆れた。あそこはスリが出るって有名じゃない。用心くらいしときなさいよ」

 

ただでさえ普段から抜けてるんだから、と俺を叱るルイズ。

 

「頭ではわかってたんだけど今までされたことなかったから、どうも油断してたのは確かだな。まあ、さすがに返ってはこないだろうし、高めの授業料だとでも思うことにするよ」

 

「それがいいわね。今後は気を付けなさいよ。……はあ、仕方ないわ、貸してあげる。ちょっと待ってなさい」

 

 そう言ってルイズは席を立つと、棚から財布を取り出す。そして、俺の顔の前へと突き出した。

 

「ありがとう。迷惑かけてごめんな」

 

 それを受け取ろうと伸ばした俺の手を避けるように、ルイズは財布を持った手を上に上げる。そして、

その代わりだとでもいうようにもう一方の手で、俺の目の前へと指を突き出した。

 

「お金ならきちんと貸すわ。けどね、アシル。人にお金を借りるのなら、なぜ借りるのかを説明するのが筋ってものよ。 正直いって私にはね、あなたが人にお金を借りてまで買いたいものがあるとは思えないのよ。何か理由があるんじゃないの? 教えなさい、必要なら力になるわ」

 

 俺は突き出されたルイズの指を見つめながら、考え込む。

 ルイズの言うことはもっともだ。理由は言えないけれども金を貸してくれ、なんて図々しいにもほどがある。しかし、オルレアン家の事情が絡んでいる以上、全てを話すというわけにも、やはりいかないだろう。

 ……どうしたもんかね。まあ、話しても問題のない部分だけでも誠実に伝える、ってのがベストだろうな。

 

「……面倒な事情が絡んでいるんで、全部を話すことはできないんだけれどな……」

 

 俺は、どこまでをどう話すかを考えながら、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……つまりどこかの誰かの病気を治すためのお金、ってこと?」

 

「ざっくばらんに言えばな」

 

 患者の正体や病状などは隠し、大まかに現状を説明した結果、ルイズから返ってきたのは、そんな言葉だった。なぜだかはわからないが、どことなく思案顔だ。今の話に何か感じるものでもあったんだろうか。

 

「へえ……そう。ちなみにその病気ってかなり重いものなの? あ、もちろん言いたくないのなら、わざわざ言わなくてもいいけど」

 

「重い、ってよりは複雑って表現のほうが似合うかな。一度は治せたんだが、再発みたいな感じになっちまってな、今度はそうならないためにも頑張っているところなんだよ」

 

「そう……」

 

 そう言ったきりルイズは口を閉ざし、真剣な面持ちでなにやら考え始めた。邪魔できる雰囲気ではなかったので、つい俺まで黙ってしまう。そのまましばらく経った頃、何らかの結論でも出たのか、独り言のようにルイズが言葉をこぼし始めた。

 

「……さっき言った通りお金なら貸すわ。ただ、もし……いえもし、何て言ったら不吉ね。その人を治したら、それを私に教えてちょうだい。それだけ、お願いしたいわ」

 

「別にいいけど、さっきも言った通りかなり特殊な症状の人だから、他の人に応用したり、金稼ぐのには使えないと思うぞ」

 

「わかってるわ。別に理由なんてどうでもいいでしょ。あなたはやるべきことをやって、それが終わったら、一言私に言ってくれたらいいのよ」

 

 少々横暴な言いぐさな気もするが、もともと少し傲慢な面もあるルイズだし、気にした方の負けだろう。

俺は頭を掻きながら、返事をする。

 

「わかったよ。それくらいのことなら、お安いご用だ。ま、貸した金が有効活用されたかどうかを教えるのは、借りた側の義務でもあるだろうしな」

 

「そう言うことよ」

 

 俺の返事に満足したのか、ルイズは一度頷くと差し出した俺の手の上に、財布から何枚かの硬貨を取り出して置いた。そしてそのまま椅子に座りなおすと何事も無かったかのように、優雅に紅茶を飲み始める。

 

「ありがとう。返すのとは別にそのうち何か、お礼でもするよ」

 

 貸してもらった金貨を握りしめながら笑顔でそう言うと、紅茶に口をつけたままゆったりと手を振り返された。

 ……普段忘れがちだがこういった淑女然とした洗練された動作を見ると、ああそういえばルイズは公爵家の娘だったのだな、と思わされる。こんな絵画から出てきでもしたような儚げな美少女が、サイト君がメイドに鼻の下を伸ばしただの、伸ばしてないだのでちょくちょく鞭を振りかぶっているってんだから、人はわからないものだ。

 

「……何か失礼なこと考えてない?」

 

 考えていたことが表情にでも出ていたのか、こちらをジト目で睨みつけるルイズ。何を考えていたのかがばれたら、怒るだろうし、金を貸してもらった分、世辞の一つや二つは言っておくべきだろう。

 

「いやいや俺はただ、ルイズさんの広い御心に感謝と感激を感じていただけだよ。美しいピンクブロンドの髪、整った顔立ち、その上器もでかいと来ている。全く見た目も中身も素晴らしいなんて、ルイズさんはすごいな、あこがれちゃうぜ。じゃ、そゆことで。金、ありがとな」

 

 一息にそれだけ言い終えると、立ち上がって扉へと足早に歩み寄る。そして扉を開け、

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。そのあまりにも棒読みな言い方は、逆に失礼じゃ……」

 

 追いかけてくる声を塞ぐように、扉を閉めた。

 

 

 

 

 自室に戻った俺は、まず借りてきた硬貨を袋に詰めて棚にしまった。

 そして以前作った解毒薬と、アーハンブラ城から持ってきた毒薬を机の上へと並べる。近くに置いてある籠の中には、使い魔に獲ってきてもらったネズミが入っている。動物で毒薬や解毒薬を試すのは可哀そうだと思うし、気分が良いものでもない。しかし、それを気にして友人の母親を見殺しにするよりは遥かにましだ。

 

「……だいたい三つくらいになるのか? したことないタイプの薬の使い方だから、今からおっかないな」

 

 棚から材料や器材などを取り出しながら、頭の中で今まで考えていたことをぶつぶつと小声に出しながらまとめていく。じっと黙って考え込んでいるよりは、口に出した方が考えがまとまるような気がするのだが、薬を作りながら一人でしゃべっているというのも気味が悪いだろうから、そのうちこの癖も直した方がいいだろうな。 

 ……まあ俺の癖の話は置いておいて、今考えているのは、完全な解毒薬の作り方。いや、正しく言うのならば解毒薬ではなく、タバサの母親をもとに戻すための薬だ。

 情け……なくはないと思いたいが、今の俺にあの薬の解毒薬は作れない。ならば、元に戻すために解毒する以外の方法を考えなくてはならない。それで思いついた方法が、毒薬で心を捻じ曲げられたように、別の薬でもう一度心を正しい形に捻じ曲げなおすというやり方だ。

 毒薬なんて物に対して褒め言葉を使いたくはないが、あれの完成度は凄まじいものがある。しかし、一つの薬で以前言った薬効。人形をタバサだと思い込ませる。異常なまでの疑心暗鬼と被害妄想を抱かせる。極度の精神的な緊張状態を維持する、といった三つの症状を発生させているおかげで、一つ一つの症状を起こさせる力はそこまで圧倒的に高いわけではないので、俺が作る薬で何とか上書きすることができると思う。つまり一つの症状を上書きするために薬が一つ、症状が三つあるので合計三つの解毒薬が必要だ、ということになる。これが先日言った、思いついたことだ。一つ一つの薬自体は、以前コルベール先生と作った解毒薬よりは作るのが簡単なものなのでそれほど時間はかからないと思うが、試したことが無い方法なので動物実験くらいはしておかないと、さすがに不安で人には使えない。

 俺は乳鉢に放り込んだ草をごりごりとすり潰しながら、自分の中の無力感を吐き出すように聞く人もいない愚痴をこぼし始める。

 

「しっかし単純計算でエルフ様の薬は俺の薬の三倍の力があるってことか。……ったく、嫌になってくるな。エルフならエルフらしく森の奥深くにでもに籠って、弓矢でも作ってるか、聖域の守護でもしてりゃいいのに」

 

 まあ今時聖域なんて厳かなモンがあるとも思えないが。

 それからもくだらないことを考えながら、材料をすりつぶしたり、液体を煮詰めたりしていると、部屋の扉がノックされた。

 

「アラベルです。食事をお持ちいたしました。入ってもいいでしょうか?」

 

「あいよ。鍵あけるからちょっと待っててくれ」

 

 地味な作業ばかりでダレてきたところだったので、一息つくのにちょうどいいタイミングだ。俺は椅子から立ち上がると、固まった体をほぐすように伸びをする。しかし、ここんところいろいろとあったせいか、筋肉痛のような鈍い痛みが残る。俺はお年寄りのように肩や腰を叩きながら、部屋の扉に歩み寄る。そしてアラベルを招き入れるために、扉のノブに手をかけた。

 




評価に0が一つあるんですが、その人の一言がないんですよね。
10と0を付ける時には一言が必須みたいなのですが、これはバグなんですかね?
運営さんに聞いた方がいいんでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十二話 薬の完成

これでにじファンの時に投稿していたものは全部です。
次話ですが、年末ということもあって少し遅れると思います。
ただ今年以内には投稿するつもりです。



「これで……二つ目だったかな?」

 

俺は近くにいたアラベルに、たった今出来上がった薬の入った壜をしまうよう言ったあと、新しく契約した杖をテーブルの上に置いてそう呟いた。なんとなくこってもいない肩をもんでしまう。俺のその呟きに、俺とは別のテーブルで薬草の計量をしていたタバサが作業の手を止め、こくりとうなずく。

 

「そう。つまり次が最後の薬。……最後のはどれくらいかかりそう?」

 

「あー……結構基本的な造りの薬だから一日あればできると思う。どんなにかかっても明日中には完成するな。テキパキ進めば今日中に完成するかも」

 

「早いものなんですね。作り始めてまだ5日くらいじゃなかったでしたっけ?」

 

完成した薬をしまうついでか、使い終わった材料や器具を片付けながらアラベルがそう尋ねてくる。メイドの職業病か、散らかっていた棚の中まで整理してくれているようでありがたい限りだ。

薬の作成だが、アラベルとタバサが手伝ってくれていて、実質三人力なのだから早いのも当たり前だ。といっても材料を計量したり、それをすりつぶしたり、使い終わった物を片付けてくれるといった簡単な作業のみだが、それだけで充分すぎる。

 

「まあコルベール先生と実験した時のデータがある。問題の毒薬そのものも持っている。水の精霊の涙も準備済み。あげくのはてに作っている薬は、基本的な薬の効力を上げただけの物ときてる。時間をかけるほうが難しいってもんさ」

 

それに二人が手伝ってくれているしな、とつけたす。

 俺のその言葉に二人の雰囲気が少し緩んだように感じた。

そうはいってもタバサとアラベルは共にクール系のあまり表情が変わらないタイプなので、そんな気がしたというだけだが。しかし、長い付き合いなんだし俺の思い込みってこともないだろう。表情が動かないことと、感情に変化がないことはイコールじゃあない。

 

「……なんだかアシル様にそう言われると気味が悪いですね。普段の私に対する対応があまりにアレなので、その……そういきなり普通に褒められると、なんだか、妙に焦るんですが」

 

変にどもりながらアラベルがそんなことを言い出した。

俺からすれば手伝ってくれていることに対しての感謝を述べただけで、褒めたつもりは全くなかったのだけど……。まあ、本人がいいのなら別にいいか。それよりもアラベルに対して、今後は多少優しくするようにしよう。これくらいのことでこうまで喜ばれると、何だか申し訳なくなってくる。

 

「口元が緩んでるとこ悪いんだがアラベルさんよ、そこに入ってる薬草取ってくれるか。そう……そこにある赤い実がついてるやつ……ん、どうかしたのか?」

 

服の裾を引かれたので、そちらに目をやると乳鉢を持ったタバサが立っていた。タバサの見た目が幼いせいで、なんだか娘に物をねだられるような気分になるな。まあ、父親に乳鉢をねだる娘とかシュールすぎる気もするが。

 

「はい。頼まれたことは終わった。……次はどうすればいい?」

 

タバサの差し出した乳鉢を受けとると一応中を見て問題無いことを確認した後、アラベルから受け取った薬草と共にそれをテーブルの上に置く。そして手を頭にやり、完成までの手順を思い浮かべる。

 

「えーっと……特には思いつかないな。 後は細々とした作業ばっかりだから、俺だけで大丈夫だ。手伝いは特に必要ない」

 

「そう……」

 

 そう答えると俯いて、どことなくしょぼんとしてしまった。まあ自分のためにやってもらっていることなのに手伝うことができないっていうのは、やっぱ心苦しいんだろうな。

 俺は杖でコンコンとタバサの頭を軽く叩いて、顔を上げさせる。

 

「やることがなくて暇ならさ、俺はここでもう少し頑張ってるからタバサはアラベルと厨房に行ってメシでも食べて来なよ。気付かなかったけど、さすがにそろそろいい時間だ」

 

俺は自分の肩を杖で叩きながら、軽く笑ってそう言った。そしてアラベルにも休むよう伝えようと顔を向けると、窓を開けようとしているところだった。ふと回りを見渡せば窓だけでなく、扉も明けはなれている。一瞬何のためだ? と思ったが、首筋を伝う汗の感触と髪の間を通っていく風に、風通しを良くするために開けたのだな、とわかった。集中していたので今の今まで気づかなかったがこの陽気の中、部屋を閉めきっていたので随分と暑い。俺はもちろんのこと、良く見ればタバサとアラベルの二人も汗ばんでいる。

不思議なものでさきほどまでなんともなかったというのに自分が汗をかいていることに気づいてから、急に暑さを感じ始めた。気休め程度にしかならないが、手で顔を扇ぎながらアラベルに話しかける。

 

「アラベルも手伝ってくれてありがとうよ。けどそろそろ戻ったほうが良いんじゃないか? いくら仕事が少ないとはいえ、少しは顔出さないとマルトーさんに怒られんぞ」

 

「それなら大丈夫ですよ。今日はアシル様のお手伝いをすると、朝イチでマルトーさんには伝えておきましたから」

 

そらまた用意周到なことで。

それにしても暑い。ぶっちゃけ暑すぎて、やる気が根こそぎ無くなっちまった。……あー、よく考えたらタバサにやってもらいたいこと一つあったな。

 萎えきった精神に喝を入れるためパアン、と音がするほどの勢いで膝を叩いて立ちあがる。けれどもやっぱり座っている方が楽なのですぐに腰を下ろした。

 ……今更だけど俺の根性の無さはどうしようもないな。

 全体重を背もたれに預けてもたれかかると、俺は口を開く。

 

「じゃあタバサとアラベルはちゃっちゃと食堂でメシ食ってきな。さすがに飲まず食わずはつらいだろ。あと俺も腹減ってるから、食べ終わったら俺の分の食事を持って来てくれ。わざわざ食堂まで行くのだるいし、俺はここで食べるよ」

 

「……わかりました。なら私も食堂ではなく、この部屋で食事を頂くことにしてもいいですか? アシル様がここで食事をとるのなら、どちらにせよ片づける手間は変わりませんし」

 

 アラベルは少し考えるような素振りをした後、そう言った。

 

「ああ、そっちがそれでいいんならそうすればいいさ。ならお願いする身分でこんなこと言うのも申し訳ないんだが、早く持って来てもらえるか? 腹減ったし、タバサには頼みたいことがあるんでな」

 

「わかりました。では少々お待ちください」

 

「あいよ。じゃあ頼むわ」

 

 そう言って部屋を出ていく二人に向けて、俺は手をひらひらと振った。

 

 

 

 

 

 

 あれから一日。今日も今日とて空気を読まずにお天道様がかんかんと照っている。もしも、太陽が手の届く範囲にあったなら間違いなく2、3発ひっぱたいてるレベルの日差しだ。そして、俺はこのくっそ暑い中、草をすりつぶしたり液体を沸騰させたりといった地味な作業をこなしている。とはいっても実は暑いのは外だけで、室内はそれほどでもない。むしろ時折涼しい風が吹くことで過ごしやすいくらいだ。

 熱していた薬が泡立ち始めたのを見て、薬を入れた鍋状の入れ物を火から降ろす。そして、そのうすく赤に色づいた透明な液体にすりつぶした草をぞんざいな手つきで放り込む。するとそこからうっすらと落ち着くような眠くなるような臭いがし始める。それを確認すると2、3度かき混ぜると再び火にかけた。

 後はひと煮立ちさせて、色が変わっていれば完成だ。そこまで考えたところで、完成した薬を入れるための壜を用意していないことに気付いた。俺は新しい壜を取ってくれるようアラベルに頼もうと振り向くと、何やらなかなか見ないような真剣な顔で本を読みふけっているところだった。

 しかもよく見れば読んでいるのは……『メイドの午後』シリーズだ。見つからないように本棚の奥の方に隠しておいたのに、あいつなにやってんだよ……。まあ棚から材料や器具を取り出す役目をちょくちょく頼んだりしていたし、そのお礼として本やあまり貴重でない薬草とかは好きにしていいと言ってはいたから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。

 読書に集中しているところを邪魔して悪いとは思うが、そのまま声をかける。

 

「アラベル……アラベル! ちょっと楽しんでるところ悪いんだが、棚から使ってない新しい壜取ってもらえるか?」

 

「え? ああ、はい。わかりました。ちょっとお待ちを」

 

 本をテーブルに置いて立ち上がると、棚へと近づき戸を開ける。そして勝手知ったるといった感じで、壜の類が入っているところを探し始めた。

 

「えー……と、ああ、ありました。どうぞ」 

 

「ありがとさん。ああ、後、今更だけどタバサ疲れてないか? きつかったら、我慢せずに言ってくれよ」

 

 アラベルから壜を受け取ると、椅子に座って読書をしているタバサにそう声をかける。俺のその言葉にタバサは読んでいた本から顔を上げると首を横に振った。

 

「大丈夫。問題ない」

 

「そうか? ならいいけど無理はするなよ。じゃあ、悪いんだけどもうしばらく頑張ってくれ」

 

 そう言うとタバサは軽くうなづき、呪文を唱えて杖を振る。それと同時に杖の先から涼しい風が生まれ、部屋の中を通り抜けていった。

 これがタバサにお願いしたかったことだ。友人を冷房扱いしているようで多少気は引けるが、元はと言えば今作っている薬はタバサのための物なのだし、これくらいのことしてもらったって、まさかバチは当たらないだろう。孫の手のように杖で背中を掻きながら、タバサを眺める。表情がいつも通りなのでよくはわからないが、本人も特に不快には思っていないようだし、これくらいはかまわないかな。

 そんなことを考えている間に、気付けば薬が浅葱色からエメラルドグリーンに似た鮮やかな緑色へと色が変わっている。どうやら完成したようだ。鍋を火から降ろすと、アラベルに厚めの布で作ってもらった鍋つかみと漏斗を用意する。そしてそれらを使って、用意した壜へと完成した薬を移し替えていく。移し替え終わると、きつく壜の蓋を閉める。

 

「というわけで第3部完、と」

 

 くだらない独り言を漏らすと、椅子から立ち上がり腰に手を当てて体を逸らす。座りっぱなしだったせいで固まっていた体から関節のなる音と鈍い痛みがするが、それが変に心地よい。

 そしてすでに完成していた2つの薬をしまっておいた所から取り出すと、3つの壜をテーブルの上に並べる。こうしてみるとなかなかどうして、案外達成感を感じるものだ。そしてタバサの方へと顔を向けた。

 

「ほれ、タバ子さんや。お待ちかねの物が完成したぞ」

 

 その言葉に驚くようなスピードで椅子から立ち上がると、テーブルの上の薬壜たちへと顔を近づけるタバサ。まだこれらの薬で治ると決まったわけではないが、それこそ人生を懸けるほどの勢いで探し求めていた物だ。焦るのも当たり前か。

 

「これの使い方は? 私にでも使える?」

 

 そしてその焦ったような態度のまま、急いたような口調と普段よりも大きな声で、俺へと矢継ぎ早に質問を投げかける。

 

「落ち着けって。薬も俺も逃げたりかくれたりするわけじゃねえんだから。……使い方っていったって、特殊なもんはないぞ、手間をかけたとはいえたかが薬だからな。せいぜい順番通り口から飲ませてやればいいだけだ。タバサにでもどころか、順番知ってりゃギーシュにだってできる」

 

「そう……。じゃあ……、母様に薬を渡しに行ってもいい?」

 

 そう言ってうずうずとするタバサ。俺はその質問には答えずベッドの脇に転がっている鞄を拾い上げると、薬壜をその中へと入れていく。

 

「……?」

 

 そして不思議そうな表情で首をかしげるタバサに目を向けながら、それを肩に背負いあげた。

 

「何わけのわからなそうな顔してんだよ。ここまで苦労して俺が作った薬なんだ、俺だって責任もってついていくさ。わかったらタバサ、シルフィード呼んでもらえるか。善は急げだ、さっさと行こうぜ」

 

「! ……わかった」

 

 そのまま窓辺へと近づくと、口笛を吹く。するとそれから幾ばくもせずに、鳥の羽ばたきのを音を何倍にも大きくしたような音がした。それを聞いてタバサは窓枠に足をかけ、そしてそのままこちらへと振り向く。

 

「じゃあ、ついてきて」

 

 そう言って窓から飛び降りる。するとバサバサと先ほどと同じ音を立てて、シルフィードが俺の部屋の窓と同じ程度の高さまで浮かび上がってきた。その上ではシルフィードに乗りやすいようにか、タバサがこちらへと手を伸ばしていた。俺も窓枠に足をかけてその手を受け取ると、部屋にいるアラベルへと顔を向け声をかける。

 

「じゃあそういうわけで言ってくるから留守の間、よろしく頼む。ちなみに用が終わったらすぐ帰ってくるつもりだから、悪いんだけど今回はお土産は無しな」

 

 顔の前に片手を立てて軽く謝りながら、そう伝える。そしてアラベルからの、気にしないでくださいという返事を受け取ると、タバサに出発してくれるよう頼もうとして、大事なことを忘れていることに気が付いた。

 前へと向けた顔を再び部屋へと戻す。

 

「悪い、アラベル。もう一つ頼まれてくれるか?」

 

「はあ……。 別に構いませんけど忘れ物か何かありましたっけ?」

 

「ああいやいや、そーゆーのじゃない」

 

 未だにラグドリアンのほとりにいるような気がしていたが、今タバサのお袋さんが世話になっているのはツェルプストー領だ。ならば世話してもらってるお礼じゃないが、一人連れてこなければいけない人がいることを忘れていた。

 

「ちょっと急いで、ツェルプストーさん家のキュルケお嬢様を呼んできてくれ」

 

 さすがにこの人を呼ばなきゃ不義理だろう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十三話 微かな違和感

今日、明日で今年も終わりですね。明日はコミケに行く予定なので、わくわくしています。
あと運よくチケットを購入できて、アイドルマスターのライブに行くこともできそうで、今から二月が楽しみです。
今回久々に小説を書いたので、以前よりも表現や文章の繋がりが変な部分が多々あると思います。なので少し厳しめでもいいので、気になったところは言って頂けるとありがたいです。


「ふーん……これがねえ……」

 

「言っとくけど飲むなよ。予備ないんだから」

 

「いくらなんでも飲まないわよ。酔った拍子に麻痺薬飲んじゃったあなたと一緒にしないでちょうだい」

 

「ああ、あれか。正直言って、あのときばかりは本当死ぬかと思ったわ」

 

 手に持った薬瓶を日にかざすように眺めながらそう言うキュルケ。一通り眺めて満足したのか、こちらに差し出した薬瓶を受け取り、鞄へとしまいながら俺はそう返事をした。

 あれからキュルケと合流した俺たちは、ツェルプストー領へ向けてシルフィードで飛び立った。

 キュルケが薬瓶を眺めている理由だが、アラベルから薬が完成したことを聞いたのだろう、シルフィードが飛び立ってから幾ばくもせずに、キュルケが完成した薬を見せて欲しい、と言い出したからだ。別段断るようなことでもないので、鞄から取り出したそれらを手渡し、今に至っている。

 

「その話は初めて聞いた」

 

 黙って本を読んでいたタバサが、顔を上げて会話へと混ざってくる。珍しいな、いつものタバサならこちらから話しかけでもしない限り、話しかけてきたりはあまりしないのに。読書中ならなおさらだ。やはり母親が治るかも、ということで柄にもなく不安になっていたりするのだろうか。

 まあ出発する際に、自分の本と間違えて俺の『メイドの午後 秘密の逢瀬編』を持って来てしまっていることから、間違いなく気もそぞろになっていることだけはわかるんだが。

 ちなみにさっきそれに気づいてから、俺も軽くパニくり中である。

 

「あら、話してなかったかしら。まあいいわ。ついこの間の事よ。ちょうどあなたが、ほら、アシルから薬を受け取って実家に帰ってた時なんだけどね……」

 

 嬉々として俺の醜態を話し始めたキュルケに対して、タバサは本を閉じて自分の横に置いて話を聞く体勢になった。とりあえずキュルケに何を読んでいたのかばれないように、本を置くなら置くで裏表紙を上にして置いて欲しい。

 

「……」

 

 楽しげに話す二人を尻目に、俺は空へと目を向ける。

 青い空、白い雲、まぶしい日差し。これから人一人の命を、人生を大きく変えようとしているのにも関わらず、目に映る光景は今まで過ごしてきた毎日と何ひとつ変わっていない。

 別に何か意図があった訳じゃない。キュルケに影響でもされたのか、鞄から薬瓶を一つ取り出すと、先ほどのキュルケのようにそれを日にかざした。

 エメラルドを溶かし込んだような鮮やかな緑色の液体の中で、光の欠片がキラキラと瞬いている。自分で作っておいてなんだが綺麗なもんだ。

 薬瓶を元の場所へと戻すと、重さを確かめるように右手で軽く鞄を持ち上げる。薬瓶が三つに、細々とした物が入っているだけのそれは、心地よいくらいの重さしか感じさせない。筋力なんて言葉とは無縁であるひょろい俺でさえ、片手で軽々と持ち上げられるほどだ。この程度の重さしかない物に人の心をねじ曲げてしまう程の力があるというのだから、つくづく魔法とは恐ろしい。

 

「つっ・・・」

 

 風に吹かれて目に入った髪の毛を払いのける。

 ありがたいことだが、俺は人の死に目に立ち会ったり、誰か大事な人が亡くなったり、なんて出来事とは無縁な人生を送ってきた。ウェールズ王子の死体こそ見たことあるが、あれはそれこそ眠っているかのようで、死なんてものは微塵も感じさせなかった。だからだろう、俺にとって命の重さなんてものは道徳の教科書で見る言葉であり、倫理観の延長線で感じるものだった。

 そんな俺が今こんな、人の命に関わるようなことになっている。

 それによるものか、のどに小骨が刺さったかのような小さな異物感を胸中に抱きながら空を見上げていると、手に違和感を感じた。

 

「……?」

 

 気付けば鞄を持ち上げていた手が軽く震えている。震えるほど寒いわけではないし、俺の筋肉はこれしきのことで痙攣するほどやわだってことだろうか。もしくはエルフを倒した経験値でレベルアップでもして、邪気眼が目覚めたのかもしれん。

 鞄をそっと置いて手を離すと、何度か手を握ったり開いたりしてみる。特に痛みはないし、疲れも感じない。震えもすでに止まっていた。

 ……気のせいか? 

 右手を見つめながら首をかしげていると、クイクイと服を引っ張られるのを感じた。

 

「どうかした?」

 

 見ればタバサが服の裾を引っ張っている。

 

「いや……別になんもないよ。最近暑かったから、風が気持ちいいなってだけだ。タバサこそどうかしたのか?」

 

 もう一度右手にちらりと目をやるが、やはり何の異常もない。まあ、気にするほどのことでもないだろう。

 俺はそのことを頭の隅へと追いやると、タバサへと向き直った。

 

「いや、私は特に何もない。なんだかあなたが変な表情をしていたから声をかけただけ」

 

「ふーん」

 

 口の周りに手をやると、さするように顔を確かめる。そんなに変な顔でもしていた自覚はなかったけどな。ただ見慣れない表情をしていたってだけだろう。まさか元々の顔の造型が変だっていうわけでもないだろうし。……ないよな?

 

「ただ、」

 

「あん?」

 

 タバサはそう言葉を区切ると、自分の後ろの方へと顔を向けた。それを追うように俺もそちらに視線を動かす。

 別段変わったところは無い。しいて言うなら、本を片手ににやにやと笑っているキュルケがいるくらいだ。

 

「呼んでる」

 

「……oh」

 

 ……そうなるだろうとは思っていたけどさ。

 

 

 

 ツェルプストー家についた俺たちは、休憩もそこそこにタバサのお袋さんが居る部屋へと向かう。

 それにしてもすごい家だ。部屋への廊下には絵画や彫刻といった芸術品が並んでいる。こんな造作もなく置かれている品々だが、おそらく一つ一つがバカ高い物であるのは間違いないだろう。芸術に関しての感性なんてものの持ち合わせがない俺だが、それくらいのことはわかる。ただ成金趣味というか、全体的な雰囲気や調和を気にせずに、とにかく高価な物を買いあさったせいだろう、あまり居心地のいい空間ではない。

 

「あいかわらずでかい家だな」

 

「それにしても安心したわ。あなたもちゃんとああいうのに興味があったのね。ほらあなたって、何か冷静っていうか、妙に枯れてる感じがあったから。これでも私、心配してたのよ?」

 

 ……うっとうしい。

 

「タバサのお袋さんがいるのは、確かそこの部屋だったよな?」

 

「それで、あなたってああいう儚げな子が好みなの? あ、それとも権力で無理やり……とか、加虐的なのに憧れてたりするわけ?」

 

 しつこい。

 

「……なんでだか知らんけど、最近は落ち着いてるらしいから問題はないと思うけど、もし暴れだしたら二人とも頼むわ」

 

「で、これは個人的な興味なんだけど、無口で儚げな感じの子と権力でどうこうできそうなメイドとかの子だったらどっちが……」

 

「ローキック!」

 

「いたっ!」

 

 ちょうど部屋の前へと着いたところで、キュルケの脛へと軽く蹴りを入れる。反射運動か、蹴られた拍子にぴょんと飛び跳ねたキュルケを見ながら、頭をがりがりと掻くとため息を一つついた。人がスルーしているっていうのに、いい加減にめんどくさい。

 けれども少しばかり妙な気もする。キュルケは結構察しが良いはずだから、今回みたいなときにはしゃぐような奴だとは思えないんだが。大したことではないだろうが、そんな小さな疑問が湧き上がる。

 まあ誰にだって理由も無いのに、変にテンションが上がってしまう日くらいあるだろう。つーか正味な話どうでもいい。

 俺は蹴られたことに対するキュルケからの文句を聞き流しながら、その小さな疑問を飲み込むと、部屋の扉に手をかけた。

 

 

 

 

 部屋の中は静寂に満ち満ちていた。衣擦れの音どころか、呼吸音でさえも聞こえてしまうような空間の中に、タバサの母親、オルレアン夫人は居た。

 

「……」

 

 何かの拍子に暴れた時のためだろう、家具などは最低限の物しか無く、一見して人が過ごしている部屋のようには見えない。だがこの部屋の雰囲気は家具の少なさによるものではない。

 数少ない家具であるベッドの上で体を起こしているオルレアン夫人。以前会った時は、怒鳴り声をあげたかと思えば泣きわめいたりと、情緒不安定だったとはいえそのストレートに感情をぶつけてくる様はある種、人間らしいものではあった。だが、今目の前にいる彼女からは、そんな人間らしさを欠片たりとも感じ取ることはできない。

 ドアを開けて入ってきたこちらに対して一瞥もくれることなく、そのガラス球のような瞳を前の壁へと向け続けている様は、その白い肌と合わさってまるで出来の良い人形のようだ。わずかに生活臭を放っているベッドサイドに置かれたいくつかの本が、逆に違和感を感じさせる。

 まるでガラス越しにドールハウスを見ているみたいだ。

 俺の頭の中に浮かんだのはそんな陳腐な言い回しだった。しかし目の前の光景に対して、その表現は自分でも驚くほどしっくりと当てはまる。

 この空気に呑まれたのか、誰も口を開こうとしない。口どころか、体を動かすことそのものが罪にでもなったのかのような雰囲気だ。とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。

 俺は足を引きずるようにしてベッドに近づくと、そのそばに置いてあった椅子へと腰掛ける。そして鞄を床に置こうとしたところ、横から伸びた手がそれを受け取った。

 

「私が持っている。まずは何をすればいい?」

 

「……悪いな、ありがとう」

 

 嫌な言い方になるが、こういった雰囲気の人間に慣れてでもいるのか普段と変わらない様子のタバサにそう問いかけられる。そちらに目をやれば、口こそ閉じたままだがキュルケの様子も普段通りのように見える。まあなんだかんだ言って気丈な女性であることは間違いないから、普段通りであることに対して特に思うことは無いが……そうするとやはりさっきまでの妙な感じは、なんだったんだろうな?

 

「それで、私はどうすればいい?」

 

「あ、ああ、悪い。つっても以前にも言った通り、特にやってほしいことはないんだよな。とりあえずそのまま鞄持っててくれ」

 

 タバサの声に考え事をやめると、意識を目の前へと移し、気を引き締める。薬を飲ませるだけとはいえ、上の空でやるのは褒められたことじゃないだろう。

 作ってきた三つの薬を鞄の中から取り出すと、タバサに鞄を床に置くように言う。そして精神を落ち着かせるための薬瓶以外の二つを、両手が空になったタバサへと渡した。

 後はこれらを飲ませるだけだ。幸いにもオルレアン夫人の様子は落ち着いているし、思っていたよりも楽に用が済みそうだ。さっさと終わらせて、とっとと学院に戻ることにしよう。

 

 

 

 薬を飲ませるため、壜の蓋に手をかける。そして……さすがにこぼさないように注意はしているとはいえ、人の命がかかっている薬の蓋を、まるで酒瓶か何かのような気楽さで開けた。 

 蓋の内側についていた雫が一滴、手の甲へとかかる。その冷たさが自分の頭の中にまで伝わったのか、自分の中で何かが切り替わったような気がした。

 そしてようやく今になって、ここに来る際にシルフィードの上で感じた異物感の正体に気付く。

 ……そしてきっとたぶん、腕が震えた理由についてにも。




できれば来年もよろしくお願いします。
よいお年を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十四話 責任の所在

随分と遅れてしまってすいません。
なんだかんだいって二月近く投稿していなかったんですね。
今後、どんなペースになるのかはわかりませんが、今回ほど遅れることは無いようにしたいと思います。
以前感想で『お茶自体が珍しい世界なのに、紅茶を常飲しているのはおかしいのでは』という意見を頂きました。自分もその通りだと思い、原作を読み返してみたのですが、何を飲んでいるのか、ということは結局わかりませんでした。現実のヨーロッパでは、紅茶が常飲される前は水があまりきれいではなかったため、子供でもビールなどをアルコールを飲んでいたらしいので、そうしようかとも思ったのですが、それはゼロの使い魔の世界観的にはちょっとどうかということでなしに。
結局雰囲気などを考えても紅茶が一番似合うと思うので、紅茶を常飲している世界である、ということにしました。感想をくださった方には申し訳ないのですが、ご理解頂けると幸いです。


 ……失敗したらどうなるんだろう?

 俺の中に湧き上がってきたのはそんな、今まで考えなかったことが不思議なくらい、当然の疑問だった。いや、考えていなかったというと少し違うかもしれない。正確には、考えてはいたがそんなことは起こらないだろうと思っていた、というだけだ。もちろん、何の根拠も無いのにも関わらずだ。

 未完成品だったとはいえ血液から解毒薬を作る、なんてことに成功したり、エルフを倒したりしたことで自分の実力を過信し、またそれに酔っていたからかもしれない。また以前も考えたことだがあのドーピング薬の効果が残っていた、ということも考えられる。

 なんにせよこの瞬間まで、まるで物語の中の主人公のように、成功することを疑っていなかったということは間違いない。

 仮に失敗して取り返しのつかない状態になったとしたら、タバサには恨まれるどころか殺意を抱かれることは間違いない。キュルケも似たような感情を抱くだろう。

 

『私がかね? 生徒のたっての頼みとあらば断わるつもりはないが……私は魔法薬について特に詳しいわけではないから、それほど力にはなれないと思うよ』

 

 そこまで考えた時、何故か頭の中にコルベール先生の声が浮かび上がった。タバサの母親の血液から、解毒薬を作ることの協力を頼んだ時の会話だ。あの時も成功するという保証はどこにもなかったのにも関わらず、それほど失敗を恐れずに平然と薬を使うことができた。

 それが何故なのか。特に深く考えることもなく、その理由に気付いた俺は自嘲するように軽く笑った。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

「ああ、何でもないよ」

 

 俺が笑ったことを不審に思ったのか、タバサが気遣うように声をかけてくる。それに対して返事をすると、蓋を開けたままの壜をオルレアン夫人の口元へと持っていく。右手を彼女の頭の後ろに回して、軽く頭を支えると、壜の縁をそっと唇に付けた。そしてこぼれないように注意しながら口の中へと薬を注ぎ込んでいく。特に吐き出すこともなく、薬を注ぐのに合わせるようにして、こくこくと動く喉を見る限り、きちんと飲めているようだ。

 全部飲み終わったことを確認すると、頭に当てていた右手を離して、空になった壜を足元に置いた鞄へと戻す。そしてタバサから次の薬を受け取ると、一本目の時よりかはいくらか慎重に蓋を開けた。そして先ほどと同じように再び頭へと手をやると、逆の手で持った壜を口元へと近づける。情けない話だが、さっそく右手がわずかに震え始めたような気がする。

 

 

 

 

 

 解毒薬を作る協力をコルベール先生に頼んだのは、純粋に自分の力不足を感じていたからこそだった。少なくともあの時はそう思っていたが、今考えるともう一つの目的があったように思う。

 それは仮に上手くいかなかった場合、その時に俺だけのせいにならないように。とどのつまり、失敗したときのために責任や罪悪感を分担できる存在が欲しかった、という訳だ。無意識の行動だったとはいえ、自分に対して吐き気がするな。

 まあ自分で頑張って薬を作っておきながら、その結果を見るのが怖い、なんて理由でそれを飲ませる役目を全てタバサにおっ被せた俺だ。別にコルベール先生を誘ったもう一つの理由に気付いたところで、別に自分をこれ以上軽蔑したりはしない。元々自分の事なんざ、大事ではあっても大して好きなわけじゃないしな。

 手が震えるのもそこらの理由だろう。フーケ騒ぎだのアルビオンへでの内乱騒ぎだのでそこそこ上手くやったことで調子に乗って、解毒薬作りだのなんだのといった面倒事をわざわざ自分から引き受けて。それらに付いてくる責任は誰かと分担したり逃れたりすることで上手くやっていたが、今回ばかりは言い訳の使用が無い。

 きちんとした解毒薬が作れるかも、と言い出したのは俺から。解毒薬の作製にこそ、タバサやアラベルの手を借りてはいたが、それは俺の指示のもとでだ。今回の事で失敗したとしたら、どう考えてもそれは俺一人のせいだということになる。責任も、罪悪感も、全てを俺が一人で背負わなくてはならない。もし責任を取れ、なんて誰にも言われなかったとしても罪悪感は消えはしないだろう。

 つまりはそういうこと。一人で責任をとらなきゃいけないのが怖い、というだけ。意識の上ではそのことに気付いていなくとも、体はわかっていたってことだ。武者震いなんて恰好いいものじゃなく、緊張と恐怖でブルっていたという訳だ。

 全く、『なんだかんだいって体は正直だな』って奴か。まさかこのセリフが自分に当てはまる日が来るとは思わなかったな。色気も何もあったもんじゃない。

 ……正直こんなバカなことでも考えていないと、プレッシャーでどうかしそうだ。

 『……人の死に慣れることができるほど自分は強くない。そう君が自分の事を確信することができるほど強いのならば……』なんてことを、以前コルベール先生に言われたが、たかが『もしかしたら失敗するかもしれない』程度の事でこれほどきついものがあるんだ。どんなことを何度経験しようと、人の死なんてものに慣れる日が来るとは到底思えない。ただもし、もしも、だ。もしも、俺がそんなことになる日が本当に来るとしたら……。

 

 

 

 

 

「あいよ、っと。次のくれ」

 

 空になった壜をタバサへと手渡し、最後の一つを受け取る。そしてそれをタバサに見られないように胸に抱えると、深呼吸を一つして蓋へと手をかける。

 これは効果はともかく、薬であることは間違いない。使い方も口から飲ませるだけだ。それならば俺が飲ませる必要性は無い。ならば飲ませる役はタバサでもキュルケでも、極論その辺を歩いている使用人にやらせてもいい訳だ。ただ……俺にも意地がある。手が震える理由に気付いたからこそ、それから逃げるなんてみっともないことはしたかない。

 壜の蓋を開けると、先の二回と同じように右手でオルレアン夫人の頭を抱え、左手に持った壜を口元へと運ぶ。壜の中へと目をやれば、手の震えのせいだろう、壜の中の水面に波紋が起きているのが見えた。それをねじ伏せるように、壜を持つ手に今まで以上に力を籠めると、ゆっくりとその中身を彼女の口へと注ぎ込んだ。

 

 

 

 

 

「お疲れ様」

 

「……ああ」

 

 俺の苦労をねぎらうキュルケの言葉にに、俺は沈みがちな声でそう返す。そして喉に詰まった何かを押し流すように、カップになみなみと注がれた紅茶を呷った。

 全ての薬を使い終えた俺は、キュルケの勧めもあって先ほどの部屋の隣にある客室で休ませてもらっている。ここならば何かが起きた時にはすぐに気付くことができるし、何か問題が起きたとしてもすぐに駆けつけることができる。一緒にいるのはキュルケだけだ。タバサは先ほどの部屋で、オルレアン夫人の目が覚めるのを待っている。何年来のものになるのか、細かいことは知らないが、しばらくぶりの本当の意味での母娘の再会だ。本人たちだけにしてあげるのが、気遣いというものだろう。……成功すれば、という一文が前提の話ではあるが。

 毒薬を飲ませた動物に解毒薬を飲ませる、といった実験では、元に戻るのは薬を飲ませてすぐではなく、一度眠り、それから起きた時だった。そのため、薬を飲ませてすぐにタバサの『スリープ・クラウド』で眠らせた。長く眠らせても仕方がないため、極々弱めにかけてもらったので、起きて結果が出るのは十分後か、二十分後か……、いずれにせよそれほど長くはかからないだろう。

 カチン、と音を立ててカップをソーサーに戻すと、疑問に思っていたことをキュルケへと尋ねる。

 

「聞きたいことがあるんだが……なんだか俺に対しての様子が少し変だったのは、何か理由があってのことなのか?」

 

 俺の質問に、キュルケは軽く髪をかき上げると返事をした。

 

「まあね。自分では気づいていなかったみたいだけど、私の家が見えてくらいからあなた何か変だったもの。まるで何かに追い詰められでもしてるみたいにね。タバサもさすがに状況が状況だからわからなかったみたいだけど」

 

「そんなに変だったか……」

 

「ええ。ルイズから話を聞いて抱いていたあなたの印象が、一発で変わるくらいには変だったわ」

 

「はは。俺の事をどんな風に話しているのか、後でルイズに聞いとかなきゃな」

 

 軽く笑うと窓の外へと目を向ける。こんな心境になって初めて分かったが、笑うというのは案外疲れるもんなんだな。

 さすがに談笑をしようという気にはなれない。そのままどちらも口を開くことなく、沈黙が下りた。部屋に響くのは紅茶をすする音と、それをソーサーに置くときの音だけ。その沈黙を先に破ったのは俺の方からだった。

 顔を窓の方へと向けながら、独り言のように言葉を漏らす。それは先ほどからずっと頭にこびりついていることだった。

 

「……もし失敗したとしたら誰のせいなんだろうな?」

 

「さあね。薬を作ったあなたのせいかもしれないし、たかが水のラインであるあなたを信じたタバサのせいかもしれないわ。もちろん止めなかったのが悪い、と私のせいにすることもできるわね」

 

 それは俺の想像していなかった返事だった。誰がどう考えたって俺のせい以外には考えられない。それを言いがかりのようなこじつけとはいえ、タバサやキュルケのせいにできるとは。何事も物は言いようというが、どうやらそれは本当らしい。

 だけれどもさすがに理由がひどすぎる。『自分を信じたのが悪い』と言って、タバサに母親殺しのような責任をなすりつけるくらいなら、まだ俺のせいだということにして罪悪感を背負って生きていく方が遥かにましだ。

 そんな俺の考えを見通しているかのように、キュルケが話を続ける。

 

「誰かのせいにしたければ、誰のせいにすることだってできるわ。それであなたが楽になるなら、好きにすればいいのよ。それを口に出すのならともかく、頭の中で考えている分には私は何も言うつもりはないしね。でもね、大切なのは誰のせいかなのか、じゃなくて誰のせいにはしたくないのか、ってことよ」

 

 珍しいキュルケの真剣な声に、窓の外へと向けていた顔を彼女へと向ける。キュルケはしっかりと俺の方を向いていた。

 

「私はどんな理由があろうと、あれだけ助けようとしていたお母さんの壊したなんて責任をタバサに背負わせたくない。それが私の心の中だけのことだけとしてもね。だからもしもそうなった時は、それはあなたのせいなのだと思うし、それを止められなかった自分のせいなのだとも思うでしょうね。それでいいんじゃないかしら。少なくとも私はそう思うわ」

 

 ……誰のせいなのかではなく、誰のせいにはしたくないのか、か。それは考えたことなかったな。どうせもう薬は飲ませてしまったんだ。不安になってもしょうがない、か。

 

「良い考え方だな、見習わせてもらうよ。俺もタバサのせいにはしたくないしな」

 

「そう? もっと褒めてくれてもよろしくってよ?」

 

 その言葉に俺は軽く笑う。

 

「じゃあ口には出さないが、もしもの時は俺とキュルケが悪かったということにしておくよ、俺の中ではだけどな」

 

「それを言ったら口に出してるのと一緒じゃないかしら。まあ、好きにしたらいいわ。はい、じゃあこれはそのお互いに責任を取り合うことにした記念に、ってことで」

 

 そう言うとキュルケはテーブルに頬杖をつき、手に持ったカップをこちらへと差し出した。その意図を酌んだ俺は、同じように手に持ったカップをキュルケのカップへと近づける。

 

「「乾杯」」

 

 そしてどちらからともなくそう言った。

 

 

 

 

 

「しっかし、なんだな」

 

「何よ?」

 

 欠伸をかみ殺しながら、キュルケへと話しかける。

 

「下手したらキュルケとこうして話すのも最後かと思うと寂しくてな」

 

「ああ、失敗したら、っていうこと? あなたもいい加減しつこいわね」

 

「そう言うなよ。これでも気は小さいほうなんだ。正直、緊張で今でも少し心臓がうるさいくらいだよ。このままじゃ今夜は眠れやしない」

 

「しょうがないわね。じゃああなたの不安を和らげて上げるために、不肖、このキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーが、アシル・ド・セシル様にこの世の真理を教授して差し上げますわ」

 

 芝居がかったその口上に、俺は下手くそな口笛で応えた。お互いに酒でも入ってんじゃないか、ってテンションだが、これで完全に素面である。なんだかんだでお互いに緊張でもしているのか、変に気が昂ぶって仕方がない。

 

「タバサは本当に良い子よ。頭もいいし、メイジとしてのレベルも高い。優しいし、思いやりもある。他にも色々といい所があるわ。そんな子が今まで、お母様のために本当に頑張ってきたのよ。たぶん、私には想像もできないようなつらい目にも何度もあっているはず。それでもめげずに、今の今まで、精一杯ね」

 

 そこでキュルケはいったん区切ると、何かに気付いたのか嬉しそうな表情になるとそのまま続きを話す。耳を澄ませば俺にも聞こえてきた。これは隣の部屋からの音、いや声だろう。

 

「いい? この世ではそんな女の子はね、最後には幸せになれる、って相場は決まっているのよ」

 

 それはタバサが母親を呼ぶ、涙に濡れたどこかうれしげな声だった。 

 つまりはそういう結果なのだろう。全く……それにしてもタイミングのいいことで。

 そう思いながら、俺はカップの中の紅茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

「アーハンブラで一度見ておいて今更だが、タバサも泣くときゃ泣くんだな。なんだか意外だよ」

 

「失礼ね。あの子、あれで結構感情豊かなんだから。それに涙は女の武器よ? あんなにかわいらしい子が泣くことのどこに意外性があるのよ」

 

 それにね、と言って話を続ける。

 

「泣くべき時に泣けるのは、泣けないのよりずっと素晴らしいことよ」

 

「……いい女は言うことも違うな」

 

「この間見た演劇の台詞だけどね」

 

「それでもだよ」

 

「あら、ありがと」

 

 お互いに軽く笑うと、もう一度カップを触れ合わせた。

 これで今夜はよく眠れそうだ。




今月はいろいろありました。
LINEやツイッターといったSNSも始めましたし、生まれて初めてライブに参加したりもしました。
アイドルマスターのライブだったんですが、いやー、すごい熱気でした。三時間が本当にあっという間で、その間ずっと立ちっぱなし、叫びっぱなしのうえサイリウムを振りっぱなしでした。運動不足気味だったというのによく持ったものだと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十五話 オルレアン夫人

モバマス始めたのですが、あれおっそろしいですね。
気付いたら6kも課金してました。自分にとってはそこそこ大金なのですが、これでも無(理のない)課金の範囲というのですから、世の中は広いもんだと思います。



二十二話を改定したものを投稿しました。
場所は元の二十二話があるところの一つ上です。
とりあえず元の二十二話もそのままとなっています。


 コンコン、とノックの音に俺たちは扉へと顔を向けた。

 タバサの泣き声を聞きながら紅茶を飲むことしばらく、気付けばその声も聞こえなくなっている。

 

「どちら様? 鍵はかかっていないから入って来ていいわよ」

 

 どちらが返答をするべきなのかを相談するようにお互いに軽く目を見合わせた後、扉の向こうへとキュルケがそう声をかけた。

 

「私。タバサ」

 

「見りゃあわかるよ」

 

 台詞から判るとおり、部屋へと入ってきたのはタバサだった。言葉遣いや態度こそいつも通りだが、頬は軽く紅潮し、泣きはらしたのか目は充血して真っ赤だ。本人にそんな意図はないのだろうが、まるで必死に虚勢を張っている子供のようで少し微笑ましい。

 急いで、それでも気品を失わない動きでカップをソーサーに戻すと、キュルケは椅子から立ち上がり、タバサへと駆け寄った。それを追うように俺も席を立つ。

 

「……結果は?」

 

 所在ない腕を抱えるためか、それとも震えを隠しているのか。自分でも理由はわからないが、軽く腕組みをした姿勢でタバサへとそう尋ねる。

 

「まだきちんと調べたわけではないうえ、私自身こういった分野に対して詳しいわけではないのではっきりとは言えない。ただ……」

 

 そこで一度言葉を区切ると、手の甲で目を拭う。そしてきっ、と顔を上げ、気丈さを感じる目でこちらを見上げた。そしてしっかりとした、しかしかすかに震える声で続ける。

 

「私のことを思い出してくれた。以前の母様に戻ってくれた。そして……私の事をシャルロットと呼んでくれた」

 

「そうか……」

 

 口元を隠すように顔に手をやるとため息を一つこぼす。とりあえず最悪の事態、ってことはなかったようだ。まだ完全に気が抜けるわけではないが、これで一息つくことはできる。

 

「やったじゃない、タバサ! 私も嬉しいわ!」

 

「ありが、むぐっ……」

 

 キュルケはそう言うと、タバサを抱きしめた。微笑ましい光景ではあるが、身長さのせいでタバサの顔がキュルケの胸にうずめるような形になってしまっている。ぜひ、後で俺にもしてほしいものだ。ただ、顔が埋もれているからか、タバサはなんだか少し苦しそうだ。舞い上がっているのか、キュルケもそれに気付いていない。ただ……そこまで含めて微笑ましい光景なのは間違いない。俺も今なら、本当にどさくさにまぎれてキュルケの胸に顔から突っ込んでも怒られないんじゃないかな。まあ、間違いなく殴られるだろうからやらんけどさ。

 それにキュルケとは違って、俺が心から喜ぶのはまだ早い。タバサの言葉だけでは、実際にどうなっているのかよくわからない。やはり一度自分自身の目で、オルレアン夫人の様子を実際に見る必要があるだろう。万歳三唱するのはそれからだ。ただその前に一つ聞いておかなくてはいけないことがあるな。

 

「盛り上がっているところ悪いんだが、少しいいか?」

 

 タバサの肩を軽く叩きながら、そう声をかける。俺という無粋な横槍が入れられたことでキュルケも冷静になったのか、それとも元々大して力が籠っていなかったのかはわからないが、頭をがっちりとホールドしていた腕から抜け出すと、タバサは俺の方へと顔を向けた。 

 

「大丈夫。それと私の方もあなたに伝えたいことがある」

 

 ……何か文句言われるようなことでもあったっけか? 

 少しばかり不思議そうな顔をした俺の前で、タバサは大きく深呼吸を一つすると顔を上げ、じっと俺の目を見つめてきた。

 背丈こそ俺よりも小さいが、生まれによるものかそれとも経験によるものか、タバサの目には目力とでも言う奴なのか妙な迫力があり、そう力を込めて見つめられると、変な居心地の悪さを感じさせられる。

 

「アーハンブラでのこと、母様のこと、本当にありがとう。初めてあなたにこのことを頼んだときは、私のためにここまでしてもらえるとは思っていなかった。本当に……感謝している」

 

「ああ、いや……どういたしまして」

 

 真剣な眼差しで告げられたタバサからの感謝の言葉に、俺はがりがりと頭を掻きながら、目を逸らす。以前も何かで言ったと思うが、もともと捻くれた性格なのでこう……まっすぐ褒められるとどうもむずがゆくなってしまう。それに俺の人格というかキャラクターというやつのせいか、裏表のない褒め言葉というものにあまり縁がないので、どうも落ち着かない。

 

「私は、一生をかけてでも、母様を治すつもりでいた。だからこそ、一生をかけてでもこの恩を返していきたいと思っている。だから今後はそれこそなんでも、どんなにささいなことでもいい。何か協力が必要になったのならば、私を好きに使ってくれて構わない。いや、ぜひとも使ってほしい」

 

「えっ、あ、おう、ありがとう。…………ん?」

 

 変に力強いその宣言に押されるようにして、つい反射的に返事をしてしまう。そして一瞬遅れてその言葉の意味を頭で理解したとき、俺は心からこう思った。

 ……重い。

 うれしく思うってのは偽りのない本音ではあるが、一生のお願い、なんて子供の頃よく使った安っぽい言葉ならともかく、一生をかけて、なんて十代の女の子が本気で言うにしてはあまりに似合わない台詞だ。

 ともかくこのまま流される訳にもいかないだろう。自分のせいで、可愛い娘が一生をどっかの馬の骨のために使おうとしている、なんてオルレアン夫人が知ったら、せっかく治った精神がまた病むぞ。

 

「いや、うれしいよ? そこまで言ってもらえてすごくうれしいし、うん、すごくうれしい。でも、いや、うれしいことはうれしいけど……もっと自分を大切にした方がいいんじゃないか……? この年でそんな人生を棒に振るような決意を決めなくとも……」

 

 タバサを思いとどまらせるために、自分なりに精一杯の言葉を投げかける。だが、もともとタバサは頑固と言うか、自分をしっかりと持った人だ。こんな言葉で考えが変わるとは思えないし、実際に変わっていないだろう。俺の言葉を聞いても、表情にわずかな変化さえない。……まあ、テンパっているせいで、俺の話がうれしいを繰り返しているだけの、説得力も糞もないものになっているから、というのもあるかもしれないが。

 あと何かしらんが、タバサの後ろにいるキュルケが、俺に向けている視線が怖い。

 

「はあ……まあ、じゃあそれはそれでいいよ」

 

 俺は効果のなさそうな説得を早々に諦めると、頭を掻きながらため息を一つついた。

 ……とりあえずこの件に関しては、放っておくしかないか。冷静になって考えれば、まさかいくらなんでも、本当に一生かけて恩返し、なんてことしやしないだろう、一昔前の鶴でもあるまいし。それがいつになるのかわからないが、そのうち満足してやめるはずだ。それを待つことにしよう。なんでも言うことを聞くというのは、思春期の少年にとってはなかなかに甘美で危ない響きだが、ようは俺がきちんと自制さえできていればいいだけの話だ。そこまで真剣に考えなくても大丈夫だろう。それよりも、今は俺の用事だ。  

 

「で、だ。次はこっちの用件なんだけどな、お袋さんの様子を見たいんだ。2、3聞きたいこともあるしな。そんなに時間は取らせないつもりだけど、大丈夫そうだったか?」

 

 実際にどうなっているのか、やはり一度自分の目で確かめるべきだろう。病み上がりの人に血縁的には赤の他人が会いに行く、というのは少々非常識の気もするが、問題が起きてからでは遅いからな。これくらいのことは許容範囲内のはずだ。それに、できればタバサを抜きで話をしたい。母親としては、娘の前ではつらくともつらいとは言いづらいだろう。

 俺の質問に、母親の様子を思い出しているのか、タバサは軽く首を傾げた。

 

「たぶん大丈夫。体力こそ低下しているだろうけど、少なくとも会話に支障がでるほどではないと思う。ただはっきりとはわからないから、大丈夫かどうか一応聞いてみる。すぐの方がいい?」

 

「まあ、早いにこしたことはないな。そっちが構わないなら頼んでいいか?」

 

「わかった」 

 

 そういうと部屋の扉へと歩いていく。それを横目に、キュルケはどうするのだろうと、ふとそう思った俺は彼女の方へと振り返った。見ればキュルケはいつのまにやら、再び椅子に座って紅茶を飲み始めている。

 

「キュルケは来ないのか?」

 

「え?」

 

 動く気配のないキュルケにそう尋ねると、まるで突拍子のないことを聞かれたかのように、少し驚いた顔をした後、呆れた口調で返事をした。

 

「あのね、病み上がりで間違いなく疲れている人にわざわざ会いに行くほど、常識知らずじゃないわよ。あなたみたいにきちんとした理由があるわけでもないし」

 

「そりゃそうだよな」

 

 行かないのは俺が先ほど考えていたのとほとんど同じ理由のようだ。常識で考えれば誰でも思うことではあるが。

 

「一応明日かそのあたりに、ご挨拶に伺うつもりではあるけどね。今日のところは顔を出すつもりは無いわ」 

「はーん、そうかい。じゃあ、俺はちょっと行ってくるわ」

 

「はいはい」

 

 軽くキュルケに手を振って、部屋の扉に向かう。会話が終わるのを待っていたのだろう、タバサはわざわざ扉を開けて待っていてくれた。……なんだかな。

 

 

 

 

 

 

 

 オルレアン夫人が休んでいる部屋の前で、壁に寄り掛かってぼーっと天井を眺める。

 今タバサがお袋さんに、俺の相手をして大丈夫かどうか聞いているところだ。つまりそれの結果待ちということ。

 視線の先の天井は何でここまで、とでも言いたくなるような高さだ。そしてその高い天井は素人目に見ても素晴らしい装飾で埋め尽くされている。おそらくあの俺程度には綺麗だな、なんてレベルの感想しか思いつかない飾り一つ一つに、目の飛び出るような金が掛かっているのだろう。それを見ていると、今更ながらここが天下のツェルプストー家だということを思い知らされる。しかしなんだろうな、こうも周りが価値のある物ばかりだと、自分が場違いであるような気持ちにさせられる。

 

「ん? おう、どうだった?」

 

 ガチャ、という音を立てて部屋の扉が開く。そしてそこから出てきたタバサに俺はそう声をかけた。

 

「大丈夫だと言っていた。ただ体を起こしていることに疲れを感じるので、できればあまり長い時間はやめて欲しい、と。あと体を動かすようなことは、後日にしてほしいとも言っていた」

 

「ああ。さすがに、それくらいのことはわかってるさ」

 

 そして扉のノブに手をかけた後、言い忘れていたことをタバサに告げる。

 

「悪いがタバサはここで待っていてもらえるか? あまり聞かれたくないこともあるんでな」

 

「わかった。では私は扉の前に居るので、何か用事が出来たら言って欲しい」

 

「……あいよ」

 

 従順すぎてなんだかうれしい反面少し怖い、というか緊張する。……いいんだろうか、これで。

 

「失礼いたします」

 

 部屋越しにそう声をかけ、俺は扉のノブに力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラス越しのドールハウス。薬を飲ませる前のオルレアン夫人と、彼女が過ごすこの部屋に感じた俺の第一印象だ。だが今は微塵もそんな雰囲気は感じない。別に家具が増えたわけでも、ベッドの上の人が違う人になったわけでもない。

 ただ、ガラス球のような瞳でひたすら前を見つめ続けていた人が、ごくごく普通の、精気のある瞳で窓の外を眺めているようになったというだけだ。それだけで、まるでずっと閉まっていたカーテンを開けたようだ。

 扉を開ける音を聞いてか、窓の方へと向いていた顔がこちらへと向く。こけた頬といい、艶のない髪といい、先ほどと大した違いはないはずなのに、感じる印象は天と地ほど違う。目、というものがこれほどまで印象を左右させるパーツなのだとは思わなかった。

 

「こんにちは。あなたがアシルさん……でいいのかしら?」

 

 少々かすれた様子こそあるが、上品な透き通った声だった。大国の王族だからか、それでも威厳のようなっものが感じられる。たださすがに病み上がりの上に、娘とそこそこ長い間会話したからか、疲れが見える。さっさと終わらせた方がいいだろうな。

 俺は軽く頭を下げ、挨拶をした。しかし今のこの人の地位がどのあたりなのか、具体的な細かいところがよくわからないので、どういった礼儀作法を取ったものかね。とりあえずは無難な態度でいくことにするか。

 

「ええ、このたびはお会いすることができ、光栄です」

 

「ふふ、そんなにかしこまらないで。お礼を言うべきなのは私の方なのに、そんな態度を取られては困ってしまうわ」

 

 立ったままの俺を気遣ったのか、椅子を勧められたので素直に座り、話を続ける。話を聞く分には元気そうに聞こえるが、顔色などを見る分にはさすがにつらいものがあるように見える。お礼に関しては、疲れに任せて済ませてしまうのではなく、後日きちんとしたいということで、今は簡単に感謝の言葉を言われるだけに留まった。

 ……ただ今回の事に関しては、お礼やらなにやらを狙ってしたことではないので、正直な話をすると別段そういったものは望んでいない。正味王家の血を引く人に、軽くとはいえ頭を下げられただけで、俺には分不相応の話だ。これ以上何かをもらっては、友人の弱みに付け込んだみたいで寝覚めが悪い。とはいえそれを言うのも、はばかられる。まあこれについても考えるのは後日にしよう。面倒事は後回し、明日できることは明日やれ、が俺の信条だ。

 それよりも今は聞きたいことがある。

 俺は気を引き締めなおすと、椅子の上で姿勢を正した。

 




ある人からチートはなしということでいいのか? という意味合いの一言を頂いたのでとりあえずそれの返信を。
チートなどは出すつもりはありません。ただ、作中でもエルフの薬を主人公がなんとかしたりしているのですが、『これはチートじゃないのか』と聞かれると応えられません。
なので個人的な考えとしては、『チートはなしでいくつもりだが、ご都合主義的なものは出るかもしれない』といった感じです。
ご都合主義がひどすぎると思った際には、お手数ですが感想や一言などで教えてください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十六話 無能王という男

「それで、何か聞きたいことがあるということだったかしら?」

 

「はい。大したことではないのですが……」

 

「ふふっ」

 

 そうして俺が質問をしようとした時、何かを思い出すようにしてオルレアン夫人は軽く笑った。

 俺の口調や態度に何かおかしなところでもあったのだろうか? 人並みには教養や礼儀を身に着けているつもりだが、それはあくまでもトリステインの貴族相手のものだ。礼儀作法などのマナーは、国や相手の地位などによってとるべきものが大きく変わる。オルレアン夫人は外国の生まれであり、そのうえ王族に身を連ねていた方だ。今まで学んできたマナーなどが一般的ではなかった可能性は十分にある。

 俺は何か失礼を働いてしまったのかと、不安に思いながら彼女に問いかける。

 

「あの……何か?」

 

「ああ、いえ、ごめんなさいね」

 

 そう言うと、オルレアン夫人は柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「あの子、シャルロットのことを思い出してしまって、つい。最後にはあったのは随分と前のことだったから。本当に大きくなって……、なんだか少し寂しいくらいだわ」

 

「そうですか……」

 

 オルレアン夫人の表情が柔らかな笑顔から、悲しみのようなものが混じった儚げなものへと変わった。親としては子供の成長を見ることができなかったというのは、やはりなかなかつらいものがあるのだろう。

 ただこの話で聞きたいことの一つはわかった。薬にやられていた時の記憶の有無についてだ。それが幸運なことのか不幸なことのかはわからないが、彼女の話からするにどうやら記憶は残っていないようだ。いや、実の娘につらく当たっていたのだから、記憶が残っていないのは幸運なことか。

 ただ記憶がなくなっているかもしれないというのは考えていたが、最後にタバサと会った記憶が随分と前というのは少し予想外だな。

 俺はタバサが浚われる原因となった薬の出来に、今更ながら情けなくなった。なにせあれで元に戻った一日の記憶もないようなのだ。こうしてみるとあれは本当に不完全なものだったんだな。

 

「ああ、何度も止めてしまってごめんなさいね。それで聞きたいことって何かしら?」

 

「はい。大したことではないのですが、とりあえず二つほど。できるだけ簡潔にするつもりですが、疲れを感じられたりした時はすぐにおっしゃってください」

 

「ええ、お気遣いありがとう」

 

「いえ。それで聞きたいことなのですが、体調についてです。どこか違和感を感じたり、といったことは無いでしょうか?」

 

「体調……疲れやすくなった気がする、とかは考えなくていいのかしら?」

 

「ええ、おそらくそれは長い間、運動をあまりしていなかったのが原因だと思いますから。頭痛やめまい、後は気分が悪かったりなどですかね、そういったことはないですか?」

 

 俺の言葉にオルレアン夫人は顎に手を当て、軽く考えると何故か申し訳なさそうに返事をした。

 

「ごめんなさい、特に思いつかないわ」

 

「い、いえいえ、何もないのが一番ですから」

 

 俺は両手を振って、慌ててそれを否定する。

 しかし特に問題が無くてよかった。本人が気付いていないだけ、という可能性ももちろんあるが、これでほっとした。

 これで聞きたいことはあと一つだけなのだが……、それがなぁ。ぶっちゃけジョゼフのことなんだが、今聞いていいものなんだろうか? なにせこの人にとって、ジョゼフは因縁浅からぬ義兄だ。あまり気分のいい話題でもないだろう。

 ただ多少とはいえ、俺にも火の粉が降りかかる可能性がある以上、失礼だとしても聞いておいた方がいいか。

 

「それで? もう一つの聞きたいことというのは何かしら?」

 

「その、ジョゼフ王……あなたの義兄上についてなのですが、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

 その言葉にオルレアン夫人の表情がわずかに曇る。

 

「義兄上、いえ……陛下と呼ぶべきなのでしょうか。彼の事を聞きたいということは、おそらく今回のことで何か……」

 

 そこまで話したところで、口を閉じる。察するに自分のせいで俺がジョゼフに目でもつけられたのでは、などと思っているのだろう。やはり聞くべきではなかったか。

 

「すいません、今聞くべきことではありませんでした。お気持ちも考えずに、申し訳ありません」

 

 そう言って俺は頭を下げる。

 自分では気づいていなかったが、毛の先ほどの可能性とはいえ、大国の王に目を付けられたかもしれない、ということで焦っていたのだろう。今考えれば、病み上がりの人にこうも矢継ぎ早に質問するのはどう考えても非常識だ。 

 しかしオルレアン夫人はすぐに凛々しさを感じる表情に戻ると、再び口を開いた。

 

「いえ、それが必要だというのならば話すことにいささかの躊躇もありません。……わかりました。私が知っていることならば、全てお伝えしましょう」

 

「……ありがとうございます」

 

 そうは言っているが、やはりジョゼフに対して何か思うところがあるのだろう。先ほどまでと比べてどこか雰囲気が硬い物へと変わったように思う。口調もわずかながら変わったように感じるのは、気のせいだろうか。

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

 何やら言いよどんだ彼女に声をかける。

 

「陛下に関して私が話せることは、彼が何をし、どのような言葉を発し、また周りからどのように思われていたか、という純然たる事実だけです。彼がどういった人物なのか、何を考えていたのか、それについては何も話すことはできません」

 

「それはなぜ……」

 

 強張ったようにさえ見える表情の彼女へと俺はそう問いかけた。

 

「私には彼の事はわかりません。いえ、わかる人などいるのかどうか。魔法は使えず、王として、王族としての振る舞いも立派なものとはいえませんでした。それだけ見れば宮中でさえ使われていた蔑称通り、ただそれだけの人なのかもしれません」

 

 そこまで言うと、彼女はただ……と言葉を区切った。

 

「ただ……私にはそうは思えないのです。その裏に何か……私にはわからない何かがあるような……。みすぼらしい湖面と大したことの無い深さに見えて、その裏は果てしない底なし沼のような。そんな人なのではないかと思ったことさえありました」

 

 うわあ……。あくまでオルレアン夫人の個人的な感想に過ぎないとはいえ、この通りの人なら俺じゃあどうしようもない人にしか思えないな。

 ただオルレアン夫人の話には一つ、聞き逃せない部分があった。

 

「なるほど。……もう一度お聞きしますが、ジョゼフは魔法が使えなかったのですね? 魔法の威力が弱い、コントロールが下手だというのではなく、使えなかったと」

 

「? ええ。そう聞いていますが」

 

 不思議そうな表情でオルレアン夫人はそう答えた。その二つに大した違いがあるのか、と言いたげな表情だ。

 

「もしかしてですが、使えなかったと言うよりも、どの魔法を使おうとしても同じ結果になってしまったのでは? 例えば……どんな魔法でも爆発が起きてしまったり」  

 

「そうですが……よくある話なのですか? 少なくとも私や彼の周りの人は、そんなことは聞いたこともなかったのですが」

 

 その言葉に俺は笑って、なんとなくそう思っただけである、とごまかした。まさかそんな人は、おそらく世界に四人もいない、と言う訳にもいかないだろう。

 はぐらかされたことに気付いたのか、オルレアン夫人は少し不思議そうな表情をしたが、本題に入るためか、元の表情に戻ると背を正した。

 

「では、大したことはありませんが、私の知っているジョゼフについて話そうと思います。いいでしょうか?」

 

「あっ、すいません。その前に、先ほどおっしゃっていたことの焼き直しのようになってしまいますが質問を一つ。正しいのかどうかなどどうでもいい、オルレアン夫人、あなたの意見を聞かせてください」

 

 俺は息を一つ吸うとその、タバサからジョゼフについて聞いた時から自分の中に澱のように沈んでいた疑問を問いかける。

 

「ガリア内外で使われている彼の呼称、『無能王』」

 

 

 

 

「彼はその名に相応しい人物ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩。俺はあてがわれた客室で、休んでいた。空には当たり前のように双月が浮かんでいる。

 あの後話していただいたオルレアン夫人の話は、正直有意義だったとは言いづらい。そして聞いていて気分のいいものではなかったことも間違いない。

 オルレアン夫人は非常によくできた人物だ。夫を殺され、薬を盛られ、それだけのことをされてきたのにも関わらず、ジョゼフについてのエピソードは全てが客観的なもので、どれだけ贔屓目に考えても個人的な感情が挟まれる部分は存在しなかった。だからこそ、ジョゼフのひどさがよくわかった。

 ハルケギニアで間違いなく最大の国力を持つ大国ガリア。その長男として生まれたのにも関わらず、彼は魔法が使えなかった。そして政治、経済、その他様々な学問に対しても才能を持たなかった。性格は気まぐれで遊んでばかり。そのせいで臣下からの人望も非常に薄く、馬鹿にされさえもしていたようだ。

 ……それだけならば、よくある話でバカな王様のお話で終わったのかもしれない。だが不幸なことなのか、彼には弟が一人いた。それもガリアの歴史を紐解いても、何人もいないような、天才とでも呼ぶべき優秀な弟が。

 オルレアン公シャルル。若干12歳でスクウェアメイジとなり、数々の学問においても優秀な成績を収めていた。そのうえ性格は王族らしく高潔でありながらも、臣下の物に対して思いやりを持ち、多くの者に慕われてた。

 ……これで比べるなというのが無理な話だ。出来の悪すぎる兄に出来の良すぎる弟。宮中の者どころか、城下の人たちでさえ馬鹿にし、こう言っただろう。

『次の王はシャルル公だろう』と。そしてそれに気づかないほど、聞こえないほど、人間と言うのは馬鹿ではない。ジョゼフも気付いていたはずだ。国中の人間が弟が王になることを望んでいることと、自分を必要としていないことを。

 ……どれほどのものだろうか。何年もの間、そんな状況で過ごすというのは。何一つとしてできない自分への失望、自分を馬鹿にする臣下や国民に対しての怒り、全てを持っている弟に対しての妬み。そしてそんな弟と自分を比べるたびに、比べられるたびに感じる劣等感はいかほどのものだろうか。俺ごときでは想像することさえ出来はしない。

 しかもオルレアン夫人の話によれば、オルレアン公はことあるごとにそんな兄を、慰めていたのだというのだから、救われない。なぜならばジョゼフにとってその行為が意味するのは、能力だけでなく、人格や精神面でさえ自分は弟に劣っているということだからだ。弟を妬む、その感情を持つことにさえ劣等感を感じていたジョゼフの心中はいかほどのものだったのだろうか。

 

「…………」

 

 俺はテーブルの上のグラスを取ると、その中に入ったワインを一口含む。

 ジョゼフに関して、これ以上考えても仕方がない。。念のためということで、いろいろと調べてはみたが、落ち着いて考えれば自意識過剰もいいところだ。エルフの前で名前を呼ばれたぐらいで、それが誰だかわかるとも思えないし、仮にわかったとしても俺なんかを気にするとは思えない。ジョゼフにとって俺は、いいとこ羽虫だ。別にどうこうしようとも思わないだろう。

 俺は軽く首を振り、頭の中身を切り替える。

 それよりも今は身近な危険だ。

 ……ここしばらく薬の精製などで部屋に籠っていたせいで知らなかったが、どうも最近レコンキスタの動きが活発になってきているらしい。使用人の人たちがそんな話をしているのを聞いた。

 そのせいでゲルマニアでは学生が軍隊に志願し始めているようだ。さすがに女性で志願した人はほとんどいないようだが、男性は結構な率が志願をしという話だ。他の国に比べて忠誠心というか『お国のために』、といった意識が希薄なゲルマニアでさえこうなのだ。トリステインでの志願率はさらに凄まじい物であることは間違いないだろう。どれほどの物なのかは一度学院に帰って調べてみないとだが、おそらく俺も志願することになるだろう。

 それはつまり、戦争に参加する、ということだ。

 そこまで切羽詰っているわけではないので、貴族の子息をいきなり最前線に送ったりはしないとは思うが、あまり愉快ではない経験になることは間違いない。なにせ戦争をしにいくのは戦場であり、言いすぎになるのかもしれないが戦場とは、とどのつまり人を殺すための場所だからだ。直接人に手をかけることにはならないにしても、間接的にはそのために動くことになるだろう。

 俺は意味も無く、自分の手のひらにじっと目をやる。

 不遜な言い方になるかもしれないが、今回俺はオルレアン夫人を救うことができた。同じ手で今度は直にではないにしろ人を殺しに行くわけだ。

 無意識のうちに胸に手をやってしまう。考えただけで息がつまりそうだ。

 

「…………」

 

 グラスに残っていたワインを一気に煽ると、ベッドに横になる。

 そのまましばらく。いつまで経っても眠気はやってこない。

 俺は起き上がると、もう一度グラスにワインをなみなみと注ぐ。そしてそれを喉へと流し込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十七話  戦争前の一時

アイマスのライブのチケット予約しました。抽選に通るといいんですけど。
あとしばらく先のことになりますが、9月と11月は冗談抜きに忙しいので、投稿は難しくなると思います。
ちなみに次話から戦争編です。


 空を見上げれば青い空、白い雲、輝く日差し。見ているだけで胸が空いてくる。

 ここしばらくの間、俺の中での懸案事項であったオルレアン夫人の件がやっとひと段落ついた。それによって晴れ晴れとしている俺の気分を表しているような空模様だ。まあ青天というには少々雲が出てはいるが、それもまあ戦争に行かなければならない俺の悩みを表していると考えれば、しっくりくるものがある。

 俺は痛む頭を押さえ、吐き気と闘いながらそんなポエミックなことを思う。完全に二日酔いだ。

 昨日眠れなくて結構な量のワインを飲んだのもあるが、オルレアン夫人の快気祝いとかでテンションの上がったキュルケに飲まされたのがでかいな。

 

「何か悩んでいるようだけど大丈夫?」

 

 頭を押さえながら苦しそうな顔をしていたからか、タバサにそう声をかけられる。

 

「……ありがとさん。でも大丈夫、問題ない。二日酔いでつらいってだけだよ」

 

「……そう」

 

 心配してくれたタバサに、軽く手を振りながらそう言って返す。

 もちろん悩みはある。ジョゼフのこと、戦争のこと、そして生まれ持っているもの。気を使ってわざわざ尋ねてくれたのだから、別に話したっていいだろう。いや、むしろ話したほうがいいのかもしれない。

 でも、嫌だ。

 キュルケもタバサも今回のことで俺を評価してくれているだろう。特にタバサの中では驚くような高評価なはずだ。それなのに俺が悩みを相談なんてしたら、多少なりともそれが崩れてしまう。

 いや、もちろん本人はそんなこと、思いもしないだろう。いつだか言っていたように、自分を頼って悩みを打ち明けてくれたことを喜ぶかもしれない。ただ無意識下で、俺の評価は下がるだろう。

 もちろんこれは俺の予測、それどころか被害妄想みたいなものだ。実際にはそうはならない可能性の方が高い。

 でも、そんなことは正直どうでもいい。ただ、俺がタバサ達の中での俺の評価が下がるだろうな、と思っている。俺にとってはそれが全てだ。

 

「男の癖に情けないわね。あれっぽっちのワインで、そんなになるなんて」

 

「逆になんでお前はそんなに元気なのよ? 俺より飲んでたはずだけど」

 

「ツエルプストーの女にとって、あれくらいの量は飲んだには入らないのよ」

 

「ざるかよ。やっぱゲルマニアンて怖いわ」

 

 俺は自分の事を大切に思っている。だが、好きなわけではない。だからこそ別に誰かに蔑まれたり、見下されたりしたところで、特に何も思いはしない。そりゃあ多少は不快に思ったりはするが、それだけだ。

 でもここ最近、タバサにある種の敬意のようなものを持って接されている。アラベルからも、わかりづらいとはいえ、似たような感情を向けられている。

 自己評価が低いぶん、一度他人から高評価だの好感情だのを向けられると、それがなくなってしまうのが怖くなる。まったく我ながら損な性分だ。

 『くだらない冗談が多いせいで明け透けに見えるが、それで誤魔化されて結局どういった内面をしているのかよくわからない』

 惚れ薬の一件で多少親しくなったモンモランシーに、しばらく前に言われた俺に対しての人物評だ。こう言われるのも、俺のこの性分のせいだろう。

 それにしても彼女は良いところのボンボンに見えて、案外人を見る目があるのか、痛いところをついてくる。ちなみにこの後、『だから私、あんまりあなたのこと好きじゃないのよね』と、続く。どうやら彼女はわかりやすい男が好みのようだ。まあギーシュ見りゃわかるか。

 

 

 

「ところで二人は戦争どうすんの?」

 

 話題を転換させるためにも、俺は気になっていたことを二人に尋ねる。

 その質問にタバサとキュルケは軽く顔を見合わせると、返事をした。

 

「一応ゲルマニアの軍に志願するつもりではあるけどね。でも女だから、って理由で断られる可能性が高いわ。まったく、いやになっちゃう」

 

 ふん、と鼻を鳴らす少々不機嫌気なキュルケ。自分の能力に自身を持っているキュルケには、女だから、といった偏見のようなもので自分が判断されるのが気に入らないのだろう。

 

「あなたが参加しろというならば私も従軍を考えるが、おそらく国籍を理由に拒否される可能性が高い」

 

 自分の意見という物をアーハンブラ城にでも落っことしてきたのか、相変わらずな考えをタバサが話す。

 

「そりゃタバサがいれば心強いが、トリステイン軍に、っていうのはまあ常識的に考えても無理だろうな。当たり前だけどキュルケも無理だろうし」

 

 自分の意見を却下されたタバサは落ち込む様子も見せず、何やら考え始めた。

 俺の考えを聞き、どこか呆れた様子でキュルケが言葉を返す。

 

「それはそうでしょう。軍に他国の人間を入れてどうするのよ。自国の人間以外に頼むくらい人が足りないのなら、傭兵にでも依頼すると思うわよ」

 

「そらそーだろうな」

 

 すると二人とも実家に戻るか、学院で過ごすかするということか。トリスタイン人の男子学生はほとんどが従軍するだろうし、そうすると学院も寂しくなるな。それにあまりに人が減れば授業なども取りやめになるだろうが、二人はどうするんだろう。人が少ない上に授業もない学院で過ごすとか、さすがに暇だと思うのだが。キュルケもタバサも同性の友人が多いようには見えないし。

 

「あなたはやっぱり従軍するわけ?」

 

「たぶん。まあ本決まりは学院帰ってからになるがな。一応学院内で従軍してる人が過半数を切っているようだったら止めとくけど……まあ、ないだろ」

 

「ないでしょうね」

 

「おそらくない」

 

 それぞれがばらばらな性格をしている俺たちの意見が珍しく一致する。つまりはそんなことは間違いなくありえない、ということだ。嫌な一致だな。

 会話が途絶える。

 いい機会だ。俺は自分よりも戦闘慣れしているであろう二人に気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「……ぶっちゃけレコンキスタ相手にドンパチやって、勝てると思うか?」

 

「勝てることは勝てるでしょうね。たかが一反乱軍と、ゲルマニアとトリステインの連合軍よ? 兵の練度も純粋な戦力もこちらの方が上。戦争は水物だから絶対とは言えないけど、余程のことがなければ大丈夫よ」

 

「ただ、勝てることと被害が出ないことは一緒ではない。死んでしまう可能性、不具になる可能性がある以上……私としてはあなたに従軍して欲しくはない」

 

 考え事を続けているのか、どこか思案する様子を見せながらタバサがそう続けた。それを聞き、俺は乾いた笑いを向ける。

 

「気持ちはうれしいけど、そういう訳にもいかないんだよな。本音を言えば俺だって、戦争なんて心底行きたかないさ。でも回りの人がほとんど皆参戦しているのに、俺だけ行かないってのはウチの……」

 

「家名に傷がつく?」

 

 言いたかったことを先にキュルケに言われてしまった。言おうとしてることがそんなに簡単に推測できるほど、俺はわかりやすいのだろうか。

 頬をぽりぽりと掻きながらキュルケの言葉に同意する。

 

「ああ、まあな」

 

「まあ頑張んなさいな。無傷とは言わないけど、五体満足で帰ってきなさいよ」

 

「……そこは無事に帰ってこい、でいいだろ。現実的な目標立てんなよ、なんか一気に現実感が出て怖くなってきたわ」

 

「夢見心地で戦場に行くよりいいでしょう?」

 

 上手く言い返され、負けたような気分になった俺はなんとなく頭を掻きながら口をつぐむ。

 

「少しいい?」

 

「ん、ああ。何?」

 

 考え事が済んだのか、タバサに服の裾を引かれた。俺は顔をそちらに向ける。何かいい考えでも浮かんだのだろうか。

 

「さっきから考えていたのだけど、やはり参戦するのは危ないと思う。しかしあなたを守ろうにも、私が従軍するのはおそらく不可能」

 

「そうだな。ついさっきそういう結論が出たばっかりだな」

 

「ならば私は、通りすがりという体でこっそりと着いていき、陰からあなたを保護するという形に……」

 

「……あのな、外国人を従軍させない軍隊が通りすがりを採用するわけないだろ」

 

「そうではなく、軍の人誰にもばれないようにこっそりと保護を……」

 

「……小国だの弱国だの言われてるが、いくらウチの国の軍隊でもそれに気づかないほどじゃないぞ」

 

「では……」

 

 この子何言ってんだろ。冷静なタバサらしくもない。

 しかし考えはまだあるのか、タバサは諦めようとしない。正直この調子では次の意見にも期待はできないんだが。いや、タバサもこの年で数々の修羅場を潜ってきた優秀なメイジだ。一聞の価値はあるだろう。

 

「フェイス・チェンジで私があなたに成りすまして従軍するという方法で……」

 

「よーし、タバサちゃんはしばらくお口チャックしてようか」

 

シー、と口の前で指を立てる。戦争は1時間、2時間で終わる物でもないのだから、そんなその場ごまかしみたいなやり方ではとても乗り切れないだろう。

 ハア、と俺はため息を一つついた。

 アラベルといいタバサといい、俺の周りのクールキャラはどうしてこう、少しずれたのばかりなんだ。 

 

「真面目な話しばらくは会えなくなるわけだけど、元気でな。言うの早いかもしれんが」

 

「まあ学院に戻ってからで良かったでしょうね。それに、正直言って特に心配はしてないわ。なんだかんだで別に大きなけがもせず、無事に戻ってくる気がするし」

 

「何か問題が起きた際には遠慮なく呼んで欲しい。すぐに駆けつける」

 

「ああ。せいぜい大怪我しないように気をつけるよ。タバサもありがとうな。何かあったら頼らせてもらうよ」

 

 そう言って俺は軽く笑う。

 見上げれば、胸が空くような青い空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

「と、いう訳でしばらく僕いなくなります」

 

 俺はテーブルを挟んで対面に座るアラベルへとそう告げる。

 学院に到着し、自室に戻ってきた俺は、今後の細々としたことを伝えるためにアラベルを部屋に呼びだした。さすがにこれくらいのことは言っておくべきだろう。

 それを聞いたアラベルは驚いたのか、少し目を見開いた。

 

「……別に行かなくてはならない訳ではないのですよね? ならやめといたほうがいいのでは? 戦場は危ないですよ?」

 

「知ってるよ。そら俺だって行きたくはないけどさ、皆が行ってるのに行かないわけにもいかんのよ」

 

「いかんのよ、って……。戦場とは戦争をする場所ですよ。殺し合いです! 行かなくて済むのならば、できる限り行かないようにすべきだと思います!」

 

 俺の返答に真剣さが足りなかったのか、彼女にしては珍しいことにわずかに声を張り上げた。感情が滲み出しでもしたかのようだ。

 

「……ウチは大した家じゃないけど、それでも最低限守らなきゃいけない体面、ってものがあるんだ。危ないから、怖いから嫌です、って訳にはいかんよ。貴族も貴族で面倒くさいんだ」

 

「で、でも戦争ですよ。貴族様である以上、ある程度は重要な地位に就くでしょうから危険もそれほどではないかもしれませんが、それでも……」

 

「あのな」

 

 俺はため息を一つ付き、アラベルの会話を遮った。そして彼女へと掌を向けるように手を差し出すと、それを軽く振りながら話を続ける。

 

「俺は行くか行かないかを相談しているわけじゃないんだ。行くことになったのを報告しているだけなんだよ。悪いけど、何言われようと結論は変わらないぞ」

 

「……そうですか」

 

「ああ。悪いな」

 

「いえ……こちらこそ差し出がましい事を言ってすいません」

 

「いや、いいよ」

 

「……」

 

「……」

 

 部屋に気まずい沈黙が下りる。

 

「……帰ってはくるんですよね?」

 

「……ハハッ」

 

 おずおずと尋ねられた言葉に、俺はつい笑ってしまった。 

 

「勝手に死ぬことにしないでくれよ」

 

「あ、すいません。そんなつもりでは……」

 

「別に何も起こらないよ」

 

 落ち着かせるように、意図的に抑えた、穏やかな声で言う。

 

「行って、しばらくしたら帰ってくるってだけだ。パッと見わかるような怪我はしないし、ましてや死ぬなんてことは絶対にない。約束したっていい」

 

 そして笑うと小指を立て、普段通りの軽い声色で続ける。

 

「なんなら指切りでもしてやろうか? それなら安心できるだろ」

 

「……フフ、いえ、いいです。そうですね、アシル様なら無事に帰ってきますよね」

 

「ああ。いざとなったら味方を盾にしてでも生き延びるさ」

 

 サクリファイス・エスケ-プが効果的であることは某決闘漫画が証明しているからな、恥や外聞を気にせずにそうすれば、生き延びることくらいはできるだろう。

 まあ今回の戦争でそんな状況になることは考えにくいから、そんな最低な行為をするハメにはならないだろう。

 落ち着いたのか、アラベルの顔から緊張が抜ける。

 俺は椅子から立ち上がり棚を開けると、中からティーセットを二つ取りだす。そして自分がやると立ちかけるアラベルを押しとどめると、紅茶の準備をし始めた。

 

 

 

「あ、もうこんな時間……すいません、私仕事があるのでそろそろ行かなくては」

 

「ああ、そうなのか。引き止めて悪かったな」

 

 しばらくお茶を飲みながら歓談していたが、想ったよりも時間が経ってしまっていた。仕事のために、そう言ってアラベルが椅子から立ち上がる。そして一、二歩ドアの方へと歩いたところで、くるりと振り返った。

 

「あ、今更ですけどやっぱり指切りしていただいてもいいですか?」

 

「え」

 

 急にそう言われ、俺は拍子抜けしたような声を上げてしまう。

 

「いえ、いい機会かな、と思いまして」

 

「……自分で言っといてなんだけど、恥ずかしいから勘弁して欲しいんですが」

 

「いいじゃないですか。ほら、小指出してください」

 

「……しょうがないな、ホレ」

 

 別にこれくらいいいか。

 お互いに小指を出し、軽く組ませる。そして顔を見合わせた。

 よく考えたら、指切りを実際にするのはこれが初めてだな。

 

「……案外小っ恥ずかしいな、これ」

 

「でも、私は楽しいですよ」

 

 そう言って、彼女にしては珍しいことに笑顔を見せる。

 

 

 

 

「では、約束してください」

 

 真剣な声でアラベルは続ける。

 

「戦場では様々な困難があると思いますが、どうか無事で帰ってきてください」

 

「そしてできれば心も体も、何も変わらずに帰ってきてくださることを祈っています」

 

「ああ、わかった。約束する」

 

 そして俺は安心させるために笑って、言った。

 

「大丈夫」

 

「怪我一つせずに、とはいかなくとも無事帰ってくるさ」

 

「安心しろって」

 

「何があっても、どんな目にあっても」

 

「俺は何も変わらないさ」




指切りは欧米にはない文化なのですが、そこらへんは見逃してください。
あと今までは
「」←Aのセリフ
「」←Bのセリフ
というふうに括弧ごとにその台詞をしゃべっているキャラクターが変わっていたのですが、
今回
「」←Aのセリフ
「」←Aのセリフ
というように同じキャラクターが間に地の分などを挟まずに連続してしゃべっていても、括弧を分ける、という書き方をしてみました。この方が雰囲気が出るかな、と思ってです。
 これが上手くいっているのか気になるので、この書き方はわかりづらい、特に意味がないように思う、前の書き方の方がいい、いやこの方がいい、など言ってくださるとうれしいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十八話 戦場と王宮で

遅れてすいません。
忙しいのはもちろんですが、他にもいろいろあり、これだけ時間が空いてしまいました。


「セシル小隊長殿。依然、状況に変化なしです」

 

「ああ、了解した。ならこのままだ。中隊長殿の指示を待つぞ」

 

 俺は自分の部下の傭兵達に対してそう言った。するとそれに応えるように、声があがる。

 

「構うこたないですぜ、小隊長。どうせ中隊長様のご指示なんかいつも通りですよ。『そういった細々としたことは貴様にまかせてあるだろう! そんなことごときでいちいち私の手をわずらわせるな! わかったらさっさと大隊長のところに行って指示を仰いで来い!』ってなとこですわ」

 

 部隊の一人が中隊長の真似か、そう偉ぶった言葉で茶化すと、笑い声が天幕の中でこだました。俺はそれに対して軽く苦笑する。頬が強張っているのが自分でもわかる。なにせ彼が言ったのは、ついこの間言われたばかりの台詞だ。それも100人あまりの中隊隊員たちの前で。

 だが多少厳しい口調でそれをたしなめる。軍では上下関係は絶対だ。ガス抜きのために多少のおふざけはあっても、最低限締めるところは締めなければならない。

 一応形だけでも中隊長の指示を仰ぐために、俺は報告に来た部下と共に天幕を出た。

 

 

 

 トリステイン・ゲルマニアの連合軍がアルビオンの地に降り立ってから十日。そして、あれからツエルプストー家でタバサのお袋さんの治療をしてからは、早くも三か月近くが経っている。

 戦争に参加しようと決めたはいいが、決めてすぐ参加できるものでもない。いくら魔法が使える貴族だとはいえ、何も知らないずぶの素人ではなんの役にも立たないからだ。そのため参加することが決まった後は、士官訓練を受けなければならない。時間がないこともあって、かなりの即席のものだが、それでも二か月近くそれに参加しなければならなかった。

 毎日繰り返される怒鳴り声付きの腕立てや腹筋などの筋力トレーニングに、うんざりするような距離の持久走による体力作り。ひいひい言いながらそれが終われば、待っているのは戦略論、軍事史、士官心理論、軍事地学といった軍事教育……。そんな生活が二か月も続き、やっと士官訓練は終了する。

 やった身からすると随分と成長したような気がするが、本来は四年も五年もかけるものをわずか二か月ぽっちで済ませたのだ。もはや付け焼刃やにわか知識と呼ぶことさえ、過大評価のようなものだろう。

 しかし、そんな学生士官がこの戦争には数多く参加しているのだ。もちろん連合軍であるゲルマニアでも、そういったことはあると思うが、というより断られたとはいえキュルケが参加しようとしていた以上、間違いなくあるのだろうが、それでもトリステインのその割合は多すぎるように思う。

 つまりそれは正規の王軍自体の貧弱さ、人材の乏しさを表している。前々から思っていたとはいえ、大丈夫かな、この国。

 そして、士官訓練を終えた俺が配属されたのは、このドルー連隊の歩兵小隊の指揮官、つまり小隊長としてだ。

 まあ『ドルー連隊の歩兵小隊』、と言えば名前こそは立派だが、実のところは傭兵をかき集めただけの軍だ。そんなに恰好の良いものではない。ただそれでも小隊とはいえ隊長なので、随分と肩の重いことになるかと思ったのだが、俺の想像とは少しばかり違った気苦労を感じている。

 俺の仕事と言えば、基本的に中隊長からの指示を小隊のみんなに伝えるだけ。そのため自分の頭で考えて指揮する、ということがあまりないのだ。……本来ならば、だが。

 小隊というのは基本的に30人ほどの傭兵達で構成されている。そしてそれを指揮するのが小隊長。そしてその小隊が四つで集まると中隊となる。そしてそれを指揮するのが、まあ当たり前だが中隊長ということになる。そして同じ様に、その上に大隊、連隊となっていくわけだ。

 つまり中隊長というのは俺の上司のようなものなのだが、これがはずれもいいところだった。

 スカンポン家だかなんだかという、どこぞの貴族の次男だか三男坊様だかなのだが、面倒事は嫌だとかで何もしやしない。精々がたまに来て、長々とお家自慢やよくわからん講釈を垂れるくらいだ。

 そして上司がそんなザマな上に、俺以外の小隊の隊長は全員が傭兵であり、そいつら三人は逆にスカンポン中隊長様に媚を売るので忙しく、三人ともが小隊のことはほっぽり出している。

 本来ならばビシッと言うべきなのだろうが、そいつらは小隊長である前に、一人の傭兵だ。俺みたいな学生がいくら怒鳴ったところで聞きやしない。

 では権力で、とでもいけばいいのだが、それもできない。普段は平民と貴族という地位があるが、今は同じ小隊長という立場なのだから。

 ……となると残るのは俺しかいない。そんなわけで他の小隊の世話やら、中隊長としての雑務だのといったことを、何故か俺がこなしている。実質的に中隊長をやっているのと変わらない状態だ。

 肩書きは小隊長なのに、仕事は中隊長。その上頑張ったところで、手柄は本来の小、中隊長のものなのだからやってられない。

 だいたいスカンポン中隊長は、自分が家督とは少々遠いところにいる立場だからか、貴族の長男である俺に対してあまりいい感情を持っていないようなのだ。八つ当たりとはいえ、中隊長に気に入られている、という一点で他の小隊長に負けているのだからはなから俺にできることはない。

 もちろん他の中隊長や大隊長に告げ口する、というのもありかもしれないが、正直戦場に来てまで、そんなガキみたいなことで上の人たちの手を煩わせたくない。俺が我慢すれば丸く収まるのなら、それで別に構わないのだし。

 ただ俺みたいな学生が軽く理不尽な環境で使われているからか、他の隊員たちからは受けがいいというか、よくしてもらえている。傭兵にとって俺みたいな学生はひよっこもいいところなので、馴染めるかどうか不安だったのだが、同情や憐憫からくるものかもしれないとはいえ、受け入れてもらえたのはうれしい誤算だ。

 

 

 

「しかし膠着しているな。兵糧などの物資からしても、そろそろ動かないとまずいように思うんだが。何かそのあたりについて聞いていないか?」

 

 俺は先ほど報告をしに来た、特に世話になっている副官のような部下にそう尋ねる。荒くれ者、といった印象の者が多い傭兵の中で、理知的な雰囲気を携えた彼は、非常に頼りになる存在だ。

 空中大陸であるアルビオンは物資の輸送、補給ともに非常に困難なのである。そのため今回の戦争は、短期決戦になると思っていたのだが、ここ、アルビオンのロサイスという港町に駐留を始めてからもう十日だ。

 当たり前だが攻め込む際に制空権を持っていたのはアルビオン側だったので、上陸と制空権の奪取をする際に激しい戦闘はあった。しかしそれでも、出た被害は全体からすれば大したものではなかったと聞いている。逆にアルビオン側は多大な被害を受け、今は首都のロンディニウムに籠っているらしい。弱った敵が籠っている、それならば攻めるべきだと思うのだが。もちろん攻撃三倍の法則などを鑑みた上で計画的に、といった前提の上でだが。

 

 

「ええ、確かにそう言った声が多いですね。具体的な軍略は今、将軍の方たちが話し合われているようです。おそらく数日中には、どこか近くの砦か城を攻めることになるのではないでしょうか」

 

「なるほど。正直戦場になんて出たくはないけれども、このままだとどんどん不利になっていってしまうからな。トリステインにも帰りたいことだし、できる限り早くしてもらいたいものだが」

 

「そうですね。私も傭兵なんてことをやっていますが、できれば戦場になど出たくはありません。ただ、出ないとメシが食えなくなってしまいますから。さっさと始めて、さっさと終わりにしたいものです」

 

「違いない」

 

 そう言って鼻を鳴らすように軽く笑う。

 さっさと始めて、さっさと終わらす。そして自軍は誰も傷つかない。それが理想だが、さすがに世の中そう上手くはいかないだろう。

 戦争なんて規模がでかいだけで、とどのつまりは人間同士の喧嘩だが、結局最後にものを言うのは運だと思う。もちろん戦力や地形に圧倒的に不利な要素があればその限りではないが、今回の戦争ではどれもほぼ互角だ。つまり詩的な言い方をすれば、この戦の勝敗は神の采配まかせだと言って良いだろう。

 空中大陸のアルビオンならば、天にいる神とやらにも普段より願いが届きやすくなっているかもしれない。

 祈るのなんてどうせタダだ。ならば気休めに、神頼みでもしておこうか。

 俺はトリステインで見ていたものよりも、幾分近くにあるような気がする空を見上げると、信じてもいない神様に、俺とこの戦争に参加している味方全ての、そして、学院にいるであろう人たちの無事を祈った。

 

 

 

 

 

 ガリアの首都リュティスに建てられた宮殿、グラン・トロワ。その一番奥、そこに1500万もの国民を統べるガリアの王、ジョゼフの私室はあった。王としての力を表しているのか、恐ろしく広い部屋だ。

 そしてその部屋の中に置かれているのは、いくつかの家具に寝具。おそらくそのどれもが、平民どころか並みの貴族では手が届かないような物なのだろう。気高さすら感じるほどの、格調の高さを纏った物ばかりだ。

 だがその落ち着いた空間には、所々におもちゃが置かれていた。

 ベッドの脇やテーブルの上には、チェスボードやその駒。

 そして、まるで本物をそのまま縮めでもしたかのような数々の精密な人形。おもわずため息をついてしまうほどの出来だ。

 だが、その持ち主であろう人物の年齢を、そしてそれを使っている様を見れば、そのため息は感嘆のものから呆れ、失望のものへと変わるだろう。

 何よりも目につくのが部屋の中央に置かれた、巨大な箱庭だ。

 ハルケギニアの大地を忠実に写し取ったそれの上には、山や川はもちろんのこと、都市や町までもが模型として表現されていた。そしてそこに住む人々を表しているのだろう、小さな人形も数多く置かれている。

 そのそばに佇む一人の男。その男は美しい青髭に覆われた口元を楽しげに歪めながら、箱庭上のアルビオンへと兵士のような恰好をした人形を並べている。 

 ただ、寒々とした広い部屋にぽつりぽつりと置かれた高級な家具。その調和を壊すかのように点在する、玩具の数々。そして中央に鎮座する偽物の世界(ハルケギニア)。それを使って独りで遊ぶ青髪の男。

 それはまるで、部屋の主の心中を表しているのかのようだった。

 

「……皮肉な話だ」

 

 ぽつり、と。楽しそうに、しかし、どこか自嘲するような色を漂わせながら部屋の主、無能王ジョゼフが呟く。

 

「俺を苛んだこの世界(ハルケギニア) が、今は俺の手の中にある」

 

 そう言うと彼は箱庭をぐるりと見渡す。

 よくよく見れば幾つかの人形は、箱庭上に数多く置かれた他の無個性な物とは違い、誰か特定の個人を模しているかのような、特別な細工が施してあった。

 大陸に置かれた特別な人形。

 神々しい聖衣をまとった若い男、褐色の肌に赤い髪をした女、小柄な体躯に青い髪をしたメガネの少女、王冠を被ったどこか儚げな雰囲気の若い女……。

 だがすぐにそれらには興味を失ったのか、視線を海の向こうへ。アルビオンへと移す。どうやらそこは戦場らしく、兵士の形をした人形が多く置かれていた。

 

「さてここからアルビオンは、そして駒はどう動かしたものか」

 

 ジョゼフは脇のテーブルに置かれた箱から、新たに三つの人形を取り出す。

 ピンクブロンドの髪をした勝気そうな小柄な少女。古びた剣を持つ珍しい服装の黒髪の少年。杖を持った悪戯そうな表情の金髪の少年。

 それらをアルビオン上へと置くと、顎に手をやり何やら考え始める。

 そして考えがまとまったのか、テーブルの上に置かれたサイコロを手に持った。  

 

「サイコロで決めるか。どうせ俺にとって、大した価値はないのだしな」

 

 そう言ってジョゼフは、何でもないことのように賽を振る。

 

「こいつらの命も、富も、未来も。そしてこの戦の勝敗も」




 ここから戦争編ということもあり、コメディ的な描写や表現は少なくなっていきます。また以前感想か何かで言った通り、主人公を挫折というか、少々悲惨な目に会わせるつもりです。
 といってもまだまだ文章力が無いので、真に迫らない薄いものになるかもしれませんが(笑)。
 コメディ的な表現や主人公が気に入った、という人にとってはあまり面白くない話になってくかもしれませんが、今後も読んでくださるとうれしいです。
 あと気が向いたら戦争編での息抜きとして、アラベルの一人称で外伝的な話でも入れるかもしれません。十五話みたいな感じです。
 もしやるとしたら、アラベルとアシルの過去回想的な話にしようかと思っています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十九話 シティ・オブ・サウスゴータ

忙しいので、とりあえず投稿します。
誤字脱字はもちろん、他にも何か気になることがあれば感想やメッセージで言って頂ければ訂正しておきます。


 鼓膜が破れるのではと思うほどの破壊音と、体の芯まで響いてくるような振動を感じながら俺はシティオブサウスゴータに、戦場の真っただ中にいた。どこかでまた壁を破壊することに成功したのか、ガラガラとがけ崩れでも起きているかのような、何かが崩れる音がする。

 ついに攻撃することを決定したトリステイン軍は、まずはシティオブサウスゴータを攻めることにした。

 今現在、敵の主戦力はアルビオンの首都であるロンディニウムに籠っている。それは逆に言えば他の所は手薄になっている、ということだ。おそらく上層部はそうして手薄になった他の町を一つづつ確実に潰していく魂胆なのだろう。シティオブサウスゴータはその一つ目という訳だ。

 戦力差があるということ、また何故だかはわからないがシティオブサウスゴータに詰めているのは、オークやトロルといった知能の低い亜人だけのようだから、という理由もあって、その攻略法も単純かつ王道なものだ。

 シティオブサウスゴータは丘の上に建てられた円形の都市であり、その周りは堅固な城壁で覆われている。空から艦隊の砲撃によってそれを破壊し、そうして壊したところを土のメイジが作成したゴーレムが瓦礫などをどかす。そしてそこから歩兵隊が侵入していく、といった力押しである。。

 つまり俺の仕事はその侵入役なのだが、そこまで危険、という訳ではなかった。。本来ならば立ち向かってくる敵兵やオークなどを打ち倒しながらの侵入になるのだが、すでに一番槍を求める騎士や貴族率いる隊がガンガンと攻め込んだこともあり、多少遅れてしまった俺たちが入るころには消化試合のようなものだった。

 

「はあ……」

 

 俺はため息を一つ着くと、頭を軽く掻いた。

 周りには小隊ごとに分かれるようにして槍や銃を持った傭兵達が歩いており、彼らを束ねるようにしてそれぞれの小隊長がいる形だ。ちなみに我らがスカンポン中隊長様は、どっか行ってしまった。おそらく安全地帯で酒でも飲んでいるのだろう。

 しかし、気分が重い。屈強な男たちが武器を持って行進しているだけで、中々の圧迫感があるというのに、道の脇にはオークなどの亜人の死体が転がっている。また極々少数とはいえ、味方だったのであろう、人間の死体が転がっていることもあった。

 壊れた人形のようにあらぬ方向に首や関節を曲げた、赤く濡れた鎧を着た騎士らしき死体。一目見て間違いなく死んでいるであろうことがわかったので近寄らなかったこと、鎧を来ていたため直に死体がどうなっているのかは見なくてすんだことからそれほどでは無いが、あれを見てからどうも気分が悪い。胸の辺りに何かが詰まっているような、胸が締め付けられるような不快感を感じて仕様がない。

 胸につかえた不快感を吐き出すように、俺は目をつぶると、額に手を当てながらため息を一つはいた。

 ……視界に敵が全くいないので、油断していたのだろう。また自分のまわりでろくに戦闘が起きていなかったことで、自分は今戦場にいるのだという意識が薄かったのもあるかもしれない。

 今俺たちが歩いている道は、広く一見見通しが良いようにも見えるが、それは間違いである。シティオブサウスゴータは他のハルケギニアの街同様、太い道から枝分かれしていくように、そこから細い路地や通路が入り組んでいくといった形状なのだ。そのため……

 

「第三小隊っ!」

 

 他の小隊長の焦りを含んだ怒号に、ハッと目を見開く。そして俺の視界に入ってきたのは、今まさに路地裏から出てこようとする一匹のオーガだった。

 背丈は5メートルはあるだろうか。顔を見るためには、首を動かして見上げなければならないような巨体だった。そしてその赤黒い体を覆う筋肉はまるで鎧のようだ。そしてその巨大なこぶの浮き上がる丸太のような腕には、凶悪な形状をした棍棒を持っていた。

 ……位置が悪い。

 ともすれば止まってしまいそうになる頭の中に浮かんだのはそんな言葉だった。

 オーガが出てきたのは路地裏から。つまりは道の端、しかも俺が受け持つ第三小隊がいた側からだった。

 第一小隊は少し先の方にいる。第二小隊は反対側の道の端だ。どちらもこちらのフォローに向かうには間に合わない位置にいる。

 オーガからしても俺たちとの遭遇は想定外だったのか、一瞬虚をつかれたような様子だったが、すぐに立ち直りこちらを睨みつける。

 ……どうしたらいいっ!?

 杖を振ることも忘れ、隊長であるにも関わらず、俺は役立たずのかかしのように立ちすくむ。

 その時だった。

 バアン、という甲高い破裂音とともにオーガの身体から一筋の血が流れる。

 

「隊長っ! 援護を!!!」

 

 煙を吹く銃を構えながら、副官が叫んだ。どうやら今の音は彼が発砲した音のようだ。だがたかが鉛弾の一発如き、オーガの巨体には大したダメージは無いのか、そのまま路地裏を抜けてこちらへと近寄ろうとする。

 助かった。彼のおかげで頭がはっきりとした。こちらは小隊とはいえ、30人ほどの兵士の集まりなのだ。何を恐れることがあっただろう。

 俺はしっかりと杖を握ると、その先をオーガへと向けて声をあげ、それと同時に呪文を唱え始める。

 

「銃兵っ、構え!」

 

 俺の号令に合わせるように、第一小隊に所属する10人ほどの銃兵が銃口をオーガへと向けた。俺と同じように軽いパニックになっているのか、銃が軽く揺れている者もいるが、味方に当たる程でもないので問題はないはずだ。

 オーガは小隊へと走り寄ると同時に棍棒を振り上げた。それに合わせるように、俺は杖を振り下ろす。

 

「ジャベリン!!」

 

 空中に現れた氷の槍が、棍棒と腕に一本ずつ突き刺さる。ドーピングをしていたエルフの時のように、何本もとはいかないがそれでもこれくらいの事ならば俺にもできるのだ。

 バランスを崩したのか、オーガはたたらを踏むようによろめいた。だが優れた肉体を持つオーガのことだ。数秒もせずに、体勢を立て直して再び襲ってくるだろう。だからその前に、

 

「撃てえっ!!」

 

 バババババと、爆竹の音を何倍にも大きくしたような音と共に、オーガの体から流れる血の筋が一つ二つと増えていく。そして音が止むと同時に、ドウッという音ともに土ぼこりが舞い上がった。土ぼこりと硝煙の向こう側に見えるのは、ぴくぴくと小刻みに痙攣する仰向けに倒れたオーガの姿だ。

 ……これで十分だとも思うが、命にかかわることだ。念には念を入れなくてはならない。

 

「……短槍兵、前へ」

 

 俺の言葉に何名かの短めの槍を持った兵士が一歩前へと出て、オーガの周りに並ぶ。

 

「………………やれ」

 

 俺の命令で、オーガの頭に、顔に、首に、胸に、槍が衝きたてられる。この状況では当たり前の事とはいえ、俺の指示で一匹の亜人が殺された。

 痙攣をしているオーガの死体を見つめながら、俺はため息を一つつく。

 

 

 

 ……ああ、本当に気分が悪い。

 

 

 

「良くやったな、ギーシュ」

 

「兄さん……」

 

 本当にうれしそうに、誇らしそうにギーシュを抱きしめる彼の兄と、照れ臭そうにしながらもそれを受け止めているギーシュ。

 攻撃を開始してから一週間ほどして、シティオブサウスゴータは陥落した。いや、陥落だけならば二日もせずに完了していたのだ。ただシティオブサウスゴータは廃墟ではなく、人が住んでいるれっきとした町だ。そうである以上、市長や議員と言った地位の人たちと協議を重ねたり、住民を落ち着かせるために話し合いを行うなどしなくてはならない。建物を開放したり敵兵を一人残らず拿捕したりするのはもちろんのこと、安全のためにオークやオーガといった亜人を殲滅する必要もある。そのためこんなにも時間が掛かってしまったのだ。

 今は攻撃の際や、その後の活動で手柄を立てた者たちを賞しているところだ。ギーシュは攻撃を開始したさいに町に一番槍で乗り込み、オークの一部隊を殲滅した。またその後の活動でも多くの建物を解放したいうことで、全隊の前でその勇気と行動を褒められている。他にも亜人の隊に多大な被害を与えた者、敵兵を捕らえた者などが次々と賞されていく。

 だが、当たり前だが俺には何もない。

 まあ当たり前だ。あの後、他にも何体かのオークやオーガを倒した、いや……、殺したがそれは他の隊も普通に行っているレベルのことだ。称賛されるのに値するレベルのことではない。いや、一体目のオーガに遭遇したときのことを加味すると、どちらかと言えば与えられるのは褒章よりも罰だろう。

 事実、我らがスカンポン中隊長様から直々に仕事を与えられてしまった。

 戦争である以上、一つの都市を落としたのならば次は別の町に進軍する、というふうに進んでいかなければならない訳だ。だが落とした都市をほっぽり出す訳にもいかない。そうでなくとも連合軍の進軍を止めるためか、アルビオン軍はシティオブサウスゴータから食料などの物資をかっさらっていってしまったのだ。物資を管理したり分け与えたりするためにも、駐留する隊もいなくてはならない。俺たちスカンポン中隊がその駐留する役に抜擢されたのだが、その際のごたごたとした雑用は俺がやらなくてはならなくなってしまった。いや、俺がやらなくてはならないというより、俺のみがやらなくてはならない、というのが正しいだろうな。

 わかりやすく言えば中隊長や他の小隊長がどっか安全で快適な家の中でゆっくりしている間、俺は傭兵連中を連れて町の中を警邏していなくてはならないということだ。

 ハア、とため息を一つついてしまう。今から憂鬱で仕方がない。

 前を見ればギーシュを含め、何人もの貴族が背筋をピッと伸ばして並んでいる。緊張で強張っていたり、何でもないことのように堂々としていたりと、彼らの表情は千差万別だがどれもみな誇らしげな表情であることは共通している。

 ……もしもの話だが、もし俺が勇気を出しこの街の一番槍を果たしていたらあそこにいたのだろうか。

 だがすぐにその考えを鼻で笑う。

 俺にはスカンポン中隊長という上司がいるのだ。俺が一番槍として進むことを彼が許可するとも思えないし、もし仮にできたとしてもその手柄はおそらく中隊長のものになるだろう。結局どうあがいたところで、俺があそこに立つことはありえなかったということだ。

 ……それが悔しい。

 本来ならば、功名心が強いわけではない俺がこんなことを思うことはないのだ。なぜ今回に限ってこんな気持ちを感じたのか、自分の事だから当たり前とはいえ、俺にはその理由がよくわかった。

 ……結局俺は、自分でも気づかないうちにどこかでギーシュを下に見ていたのだ。俺の方がメイジとしての力は上だ、俺の方が座学ができる、と。実際はそんなことなどなかったというのに。

 ギーシュは武勲を立てて前へと出、俺は後ろでそれを見ている。今現在目の前で起きているそれが、紛れもない現実と言う奴なのだろう。

 全く、これだから俺は俺の事が好きじゃないのだ。

 ギーシュを見ていることが少しだけつらくなってきた俺は、頭をがりがりと掻くと目の前の光景から目をそらすようにして空を見上げる。

 空中大陸アルビオンだからか、ここから見上げる空は嫌味なほど晴れていた。

 ……ああ、まったく本当に嫌な気分だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十話  撤退戦の始まり

 驚きの三か月ぶりです。遅くなってすいませんでした。
 せめてひと月に一度くらいは投稿できるよう、頑張りたいと思います。


 今日も今日とて空が近い。

 青く透き通った空からちらちらと降り注ぐ粉雪、朝の清々しい光の中風に揺られてさやさやと心地の良い音を奏でる緑の大地、肺を満たす冷たく澄んだ空気。夜の間に降り積もったのか、地面に薄く積もる雪は朝日に照らされて銀色に光り、世界を静謐な雰囲気で満たしている。

 なんとすばらしきこのせかい。ノイズとかがいる渋谷なんか目じゃないレベル。まるで心が洗われるかのようだ。

 

「隊長もどうですか? ほら、どうせ敵なんか来やしませんて」

 

 この鼻を衝くような酒の匂いがなければ、だが。俺は手で酒の匂いを払いながら、そんなことを思う。

 酒の臭いは、赤ら顔をした隊員の一人が俺の顔にぐいぐいと押しつけている酒壜からだった。あまり出来の良い酒でないのか、妙にアルコールの臭いがきつく、それだけで悪酔いしてしまいそうなほどだ。その隊員の後ろにあるテントの中では、同じように赤ら顔をした隊員たちがおもしろそうな顔でこちらを眺めている。まったく趣味の悪い話だ。

 それより一隊員が隊長になにしとんねん。酒の席とはいえ、あんまり調子に乗ってると素っ裸で最前線に出させるぞ。つーかよく考えたら今は酒の席ですらないし。だいたい朝飯直前に酒を飲むな、っていうかそもそも戦場で酒飲むなや。

 

 

 

 今、俺達はシティ・オブ・サウスゴータからいくらか離れたところで待機している。具体的にはシティ・オブ・サウスゴータを挟んで、ちょうどロサイスの反対側。つまり今後進軍していくであろう方向へしばらく進んだところだ。

 街そのものは完全に落とせたとはいえ、ここアルビオンは敵地のホームだ。一応敵がやってこないかどうかを見ておかなければならない。そのためいくつかの隊が見張り役として頑張っている、というわけだ。そんな理由から俺はこうしてここにいる。

 まあ、これに関しては特に不満は無い。見張り役の隊は交代制のため、あと二日も我慢すれば街中でゆっくりできるわけだし、どーせ誰かがやらなければ仕事なのだ。それに対していちいち文句を言うほど子供ではないつもりだ。

 ……ただ何故ここにいる隊長格が俺だけなのか。スカンポンのアンポンタンはもちろんのこと、他の三人の総隊長たちもいやしない。

 一応、数日前に街を出た時は一緒だったはずだし、配置についた時にもまだいたはずだ。ただ食料や武器の類などの物資を運び終わった後、そこから一人一本ずつワインを抜き取るとそれを片手に戻っていきやがった。

 どうせ問題など起こらないのだから、隊長格が全員居る必要はない、だそうだ。なんで俺ばっかりこんな目に。あいつらいつか憶えとけよ。

 

 

 

「ほれ、男らしく、ぐいっと」

 

 しつこさに根負けし、仕方がなく酒壜を受け取る。飲みかけだったせいかあまり入っていないようで、振るとぴちゃぴちゃとした水音が聞こえた。これくらいなら、まあ、大丈夫だろう。

 覚悟を決めて壜の口を咥える。そしてそのまま真上を向き、酒瓶の中身をまるで水か何かのように一気に煽った。

 変にきつい甘みのする液体がその通り道に不愉快な熱を残しながら喉の奥へと流れ落ちていく。その上妙にきつい匂いが鼻に残るのだからたまらない。とはいえ受け取った物である以上、吐き出す訳にもいかないだろう。そのまま壜の中身を全て飲み干すと、それがわかるように壜を逆さにし、軽く振る。それと同時に、それを見ていた隊員たちから拍手と笑い声があがった。

 一気飲みしたことに気をよくしたのか、ばしばしと背中を叩きながら話しかけてくる酒壜を渡してきた隊員の相手を笑顔でしながら強く思う。

 ……早くおうち帰りたい、と。

 どうせ背中叩かれるならむさいおっさんよりクールな若いメイドさんの方がいい。

 

 

 

 どうせ問題など起こらないとスカポンタン達が言っていたが、その考えは別に少数派という訳ではない。むしろかなりの多数派だ。ここには百人を超えた隊員がいるが、おそらく八割近くの者たちが同じ考えだろう。街の中にいる奴らに聞いたって、似たような結果になるんじゃないだろうか。なにせ今は降臨祭のせいで休戦中なのだ。このおめでたい時期や出来事があった際には休戦や停戦をするというのは、ヨーロッパの中世時代や日本の戦国時代でもあったようだが、俺にはよくわからない文化だ。こんだけ大規模な殺し合いをしておいて何バカなこと言ってるんだろう、としか思わない。

 まあ俺の個人的な見解は置いておくとしてだ、つまり隊員たちはおそらく無駄であるだろうことがわかっているのにも関わらず、こんな何もないところで待機していなければならないということになる。それもこのたまに雪すら降り出すような陽気の中でである。そら隊員たちの士気もダダ下がりする。だからこそそれを慰めるため、また体を温めるために、食料は十分すぎるくらいにあるし、クソみたいな質のものだとはいえ、酒もバカみたいな量が用意されているというわけだ。

 そして周囲警戒の任務中とはいえ飲酒もある程度……警戒を行っている隊員と次に警戒を行う隊員以外であること、正常な判断や受け答えができなくなるほどは飲まないこと……の範囲内においては黙認している。まあ、これは俺の独断なのだが、これだけ大量の酒が用意されている以上、つまりそういうことなのだろう。俺より先に任務にあたって帰ってきた他の隊の話を聞くに、他のところもそんな感じのようだし、問題は無いはずだ。

 とはいえそれに付き合わなければならない俺にすれば、たまったものではない。もともと俺は大勢で騒ぐよりかは、気の置けない奴ら数人と静かに過ごす方が性に合っているのだ。そんな俺にとって朝食をとる前から

酒壜片手に騒いでるおっさんというのは、さすがにちょっと気疲れするものがある。どうしたもんか。

 

 

 

「……ちょっと出てくる。俺のことは気にせず、先に朝食を済ませておいてくれ」

 

 やはりここは三十六計逃げるにしかず、だ。俺は肩にかけたマントを一段と深く羽織ると、そのまま雪の中へと出ようとする。だがテントの外へと一歩踏み出した瞬間、ポンと軽く肩に手が置かれた。振り返ればそこにあるのは、当たり前だが赤ら顔の隊員。そのままがしりと肩を組まれる。酔っぱらっているとはいえさすがに歴戦の傭兵と言うことか、あちらからすれば大した力も入れてないだろうに簡単には抜けられそうもない。

 

「隊長もやるだろ?」

 

「…………」

 

 ……嫌どす。

 

「はーい、一名様ご案内ー! ほら皆、隊長に酌をしてやろうじゃあないか」

 

 肩を組まれたままテントの中に引っ張られると、無理やり手に杯を持たされた。そしてそこに並々と酒を注がれる。何が楽しいんだか知らないが、それを見ている周りの奴らはみんな笑顔だ。飲みたくない、なんていえるような雰囲気ではない。

 僕、知ってる。これアルコールハラスメントっていうやつだ。

 

「……これ飲んだら、宴会も終わりにしてくれよ?」

 

 ため息を一つつくと、口元へと杯を持っていく。それにしてもきつい匂いだ。軽く息を止めると、一気に飲み干そうと杯の縁に口を付ける。

 その時だった。

 かすかに爆発音とがするのとともに、僅かに空気が震えたような気がした。

 大して飲んでいないはずなのに、もう酔っぱらってしまったのだろうか。そう思いながら杯から顔を上げ周りを見渡すと、俺と同じものを感じたのか隊員の中にも不思議そうな顔をしている者たちがいる。

 どうやら俺の気のせいという訳ではないらしい。

 

「これ頼む」

 

 隊員の一人に無理やり杯を押し付けると、俺はマントをひっかぶって外へと駆けだした。爆発音が聞こえたのはシティ・オブ・サウスゴータの方からだ。

 

「おっと」

 

 その時、俺にぶつかるようようにして一人の兵士がテントに転がり込んでくる。きちんと武装しているところや片手に持っている双眼鏡からすると、警戒を行っていた兵士だろうか。よほど慌てる何かが起きたのを見たのか、可哀そうなほど息を荒げ、顔は真っ赤だ。

 それにしても大慌てで飛び込んでくる警戒役か。……嫌な予感しかしないな。

 そして彼は叫ぶような声で言った。

 

 

 

「小隊長ッ、シティ……シティ・オブ・サウスゴータ内で爆発が起きています! 何者かから攻撃を受けているのだと思われます!」

 

 

 

 ……一瞬何を言っているのかわからなかった。そしてその内容を理解した瞬間、顔からさっと血の気が引いていったことが自分でもよくわかった。

 

「借りるぞ」

 

 兵士の手から双眼鏡を半ば無理やり奪い取ると、そのまま外に駆け出そうとして大事なことに気付く。

 今、ここには他の小隊長も中隊長もいないのだ。つまりそれは俺以外に指揮する立場の人間がいないということ。

 舌打ちをしそうになるのを必死でこらえながら、考える。そして自分の中で最善だと思う指示を下した。

 

「……大急ぎで片づけて、今起きている者は総員戦闘準備を。寝ている者もすべてたたき起こせ!物資の類も武器以外はすべてまとめて、そいつらに警護させたうえで後方に下がらせていろ!」

 

 そういって外へと体を向けた時、肩を掴まれ無理やり振り向かされた。

 

「警戒に出ている奴らについては? ……言ってねえぞ」

 

 そう、俺の肩を掴む兵士に言われる。

 …俺の被害妄想だろうか? 警戒中の兵士のことを忘れていたことに気付いているのか、冷静にこちらを見下ろすその瞳は、どこか俺に対しての軽蔑の念を宿っているような感じがした。

 

「っ! シティ・オブ・サウスゴータ方面の奴らには俺が指示する。だが他の方面の奴らは頼む。呼び戻して、戦闘準備に参加させておいてくれ」

 

 そう言って俺は今度こそ、外へ向かって踵を返した。

 

 

 

「状況は!?」 

 

 警戒中の兵士を置いている場所には、一人の兵士が残っていた。その隣に肩を並べると、シティ・オブ・サウスゴータの方を向いて双眼鏡を覗き込む。

 ……ひどいものだった。雪の降る白い背景の中、街からは幾筋もの黒い煙が空へとまっすぐに上っている。しかも最悪なことに、街からは次々と見覚えのある恰好の人たちが逃げ出している。装備からして、あれはトリステイン軍とゲルマニア軍の連中だ。味方が逃げ出しているということは、それはつまり敵には敵いそうもない、ということなのだろう。街の中がどうなっているのかまではここからではわからないが、すでに手の施しようがない程度にはまずい状況ということだ。

 

「まず司令部がシティ・オブ・サウスゴータから撤退。また見ていた限りでは、街に駐留していた軍の半数以上と、トリステインから来ていた一般の者たちの大部分ももすでに逃げ出しました。それと、敵がどこから現れたかなのですが……」

 

「街の内側からだろ。くそっ! 隠し通路でも準備してあったってことか!」

 

 外壁に新しい傷ができていないことから見ても、攻撃は内側からだった、ということくらいは推測できる。敵地の大きな街ということもあって、隠し通路の類はきちんと捜索した。その上で一つも見つからなかったはずだが、やはりまだ漏らしがあったか! 悔しさに奥歯が砕けるのではないかというほど、歯を食いしばる。

 だが、今は過ぎたことを悔やんでいる場合ではない。今はそれよりも大切なことを確認しなければならない。

 

「うちの軍の他の隊長たちは見たか……?」

 

 震える声で祈るように尋ねた問いに、兵士は黙って首を横に振った。

 その答えに俺は膝から崩れ落ちそうになる。彼らが死んだのか街の中で抗戦しているのか、はたまたそれ以外なのかはわからない。だが、これはつまり他の隊長格が助けに来るであろう可能性は無いに等しいということだ。

 そしてそれは俺がこの中隊全てを指揮し、また責任を負わなくてはならないことを意味していた。

 

 

 

 ……この状況は俺だけの判断では手に余る。隊に戻って、他の傭兵達の意見を聞いた方がいいだろう。

 

「一度隊の方に戻るぞ! お前も急げ!」

 

 双眼鏡から目を外すと、そう言って隊の方へと振り返る。だが、その背に焦りと混乱に満ちた叫ぶような大声がかけられた。

 

「隊長ッ!」

 

 その声に振り向けば、戦況はさらに悪化し始めていた。

 肉眼のため細かいところはよくわからないが、シティ・オブ・サウスゴータから出てきた夥しい数の敵軍らしき兵士が、逃げ惑う兵士へと襲い掛かっている。街の中はすでに陥落し終えたということなのだろう。そしてそのうちのいくらかがこちらへと向かい始めていた。いくらかと言えば少ないように思えるが、目測でも軽く150はいる。こちらが総員で当たっても勝てるとは言えない数だ。

 奴らがレコン・キスタの兵士であろうことはわかりきっているが、装備を確認しなくてはならない。

 俺は震える手で双眼鏡を構えると、それを覗き込む。そして今度こそ心臓が止まるのではないかと思うと共に、頭が真っ白になっていくように感じた。

 

 

 

 戦争とは結局のところ、味方と協力して敵を倒すことに帰結される。ならばこそ、向かってくる者が何者かによって、とる行動は固定化されることになる。

 それが勇気や決意にあふれた表情をした友軍の兵士ならば、喝采と共に迎え入れるべきだ。

 それが敵意や殺意にあふれた表情をした敵軍の兵士ならば、怒号と共に迎え撃つべきだ。

 だが、この場合はどうするべきなのだろうか。

 

 

 

 双眼鏡によって丸くくり抜かれた視界の中に映ったのは、気味が悪いほど表情の抜け落ちた顔で武器を掲げてこちらへと進撃する、トリステイン軍の兵士達だった。




 本家アイマスのライブチケットはなんとか一枚当たったのですが、モバマスの方は落ちてしまいました。残念ですが、次を楽しみにしたいと思います。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十一話 戦場で

 冗談抜きで随分間が空いてしまってすいません。
 エタリはしませんが、今後も不定期でやっていきます。
 あと一応以前より、残酷な描写あり、のタグは付けてますが、今回は少々残酷な描写があります。気を付けるほどのレベルではないと思いますが、そういった表現が苦手な人は気を付けてください。


「…………」

 

 一人一人の顔こそ見えないが、もう双眼鏡など使わなくとも肉眼で見ることができる。こちらへと向かってくる兵士の大群の姿。

 あと5分か10分か、いずれにせよこちらの軍とぶつかるのに大した時間はかからないだろう。

 少なくとも今この瞬間、俺はこの隊の隊長だ。そしてメイジが俺しかいない以上、俺がこの隊の最大戦力と言っていいだろう。なら俺も戦わなくてはならない。隊員の士気のためにも、できる限り前線で。

 きつく腕を組み、目をぐっ、と強くつむる。

 ……怖い。いい歳をした男にしては情けないが、誰かに手を握って欲しいほどだ。

 それを隠すように、ぎゅっと強く握りしめた二の腕からは鈍い痛みが伝わってきている。明日になればホラー映画さながらの手の形をした痣ができていることだろう。……まあ、その明日があればいいが。

 最前列に銃兵25名。その後ろに長槍、短槍合わせて槍兵が42名に剣兵が60名。そしてさらにその後方に物資を積み込んだいくつかの馬車とその操作のために兵士が8名。そして銃兵の後ろに、いいとこ二流半のメイジが約1名。これがこちらの全兵力。こちらへと向かってくるトリステイン軍の兵士らしき者たちに対抗するための136人の内訳だ。

 あちらの兵数はおおよそ150から200の間といったところ。まず単純に兵数で負けている。だが幸運なことにもそのほとんどが歩兵であり、馬に乗った騎兵は先ほど見た限りでは数えるほどしかいなかった。

 歩兵と騎兵なら、後者に軍配が挙がる事なんて誰にだってわかる。だがこちらの隊には馬なんて数頭しか居ない。百を超えるような大群にほんの数騎で突っ込んだって的になるだけだろう。ならば銃で遠くから、といきたいところだが、そうもいかない。

 もともとこちらは見張り役だったのだ。短めの剣といった持ち運びの容易な基本的な装備こそ、銃兵や槍兵の兵種問わず人数分あるが、管理などの難しい火薬の類の多くは本拠地であったシティオブサウスゴータで保管していた。これが何を意味しているか。

 ……ざっくばらんに言えば、銃を撃つために必要な火薬の絶対量が圧倒的に足りない、ということだ。銃兵一人一人が数発ずつ撃てばそれでカンバン。あっという間に銃はただの鉄パイプに変わることになる。

 さらに言えばここは遠くにこそ山や森があるが、基本は見晴らしの良い平原。地形を利用した戦い方はできない。つまり今回の戦いはいわゆる純粋な戦力勝負になる、ということだ。戦争は数だ、兵数で負けているのならば地の利だの知略だのでその差を埋めなければならないのに、これではそれさえ難しい。

 ついでに言っておけば、こちらは退却だの防衛だのという選択肢を取ることそのものが難しい。

 何故か? それは少し考えてみればすぐわかる。

 退却したところでここは空に浮かぶ天空の敵地だ。どこまで逃げたところで、逃げ切ることも味方の所に戻ることもできない。だいたい食料の備蓄がほとんど無いのだ、一週間もすれば弱ったところを後ろから襲われてチェックメイトが関の山だろう。

 防衛戦にしたって同じだ。司令部や軍のほとんどが敗走している以上、必死に時間を稼いだところで助けなんて来ないだろう。どんなに上手く防衛したところで、兵力は少しずつ削られていく。援軍が期待できない以上、いずれ敵軍に潰されことは間違いない。違いはそれが早いか遅いかだけだ。

 わかりやすく言えば敵軍を全滅、そうでなくてもそれに近い状態にした上で、全ての物資と共に敗退した自軍の後を追いかける。それが俺たちのうち、何人かが生き残るための唯一の道だ。

 …………だが残念なことにそのためには二つ、俺がやらなくてはならないことがある。

 

 

 

 それは―――

 

 

 

「……構えッ!!!」

 

 俺の号令に合わせて、25の銃口が前を向く。何かに迷うようにいくつもの銃口が震えているのは、寒さが原因ではないだろう。

 説明はした。敵兵の多くがトリステインの兵士らしいということも、何らかの方法で正気を失っているらしいということも。

 正気を失っている原因が、魔法なのか薬なのかはわからない。だが、もしもそれが会話や衝撃で簡単に元に戻るようなものならば、この土壇場で使われたりはしないだろう。

 ならできることは迎え撃つことだけ。

 そして、分かることは俺達にはどうしようもないということだけだ。

 ……雪は止んだ。怒号どころか声の一つさえも何も聞こえて来ないが、敵はもう目を凝らせば顔さえわかるのではないか、というような距離だ。銃の射程を考えれば、もう、そろそろ、良い頃合い、なのかもしれない。

 目をつむると、口から息を大きく吸って鼻から吐いた。そして心の中でゆっくりと三つ数える。

 ……1

 ……2

 ……3

 そうして数え終わった瞬間、俺は目を開けると号令をかけた。

 

 

 

「撃てェッ!!!」

 

 それと同時に爆裂音が連続した。硝煙で白く染められる視界の向こうで、血を吹き上げながら何人もの兵士が、倒れて行く。雪と硝煙で白一色だった世界が、赤で染められていく。そして後続の兵士たちはその死体を踏み越えるように、進軍を続ける。痛みを感じていないのか、撃たれただけで死ななかった者も、血を流しながら表情一つ変えることなくそのままこちらへと向かってくる。

 ……俺の号令によって、人が死んだ。

 口からもれだしそうになる悲鳴ごと、懐から取り出した薬液を飲み下す。極度の興奮と緊張状態にあったっせいか、その効果は即座に現れた。

 ……頭が燃える、体が熱い、心臓の鼓動の音が耳の奥でうるさい。そして俺は、その勢いのまま再び大声で号令をかけた。

 

「突撃ッッ!!!」

 

「オオオオオオォォッ!!!」

 

 俺の後ろにいた剣兵が、槍兵が怒号を上げながら突撃する。俺もぎゅっと杖を握りしめると、呪文を唱えながら最前線で共に走る。そして二つの軍勢がぶつかる寸前、お互いの顔がはっきりとわかるようになった瞬間、俺は奴らに、敵に向かって杖を振り下ろした。

 

「ジャベリン!」

 

 頭上に出現したいくつもの氷槍。人の腕ほどもあろうかというそれらが、恐ろしい勢いで敵兵に飛びかかり……そして頭に、胸に、腹に、腕に、足に突き刺さる。

――――――ぐちゅり、と何かが潰れるような音と共に、血が飛び散った。

 千切れた指が宙に舞う。肉がえぐれ、真っ赤な肉の中に白い骨が見える。倒れたまま、動くことをやめた者さえいた。

 それなのに、やはり痛みを感じていないのだろう、誰も悲鳴の一つも上げない。こちらの兵士たちの地鳴りのような怒号の中でさえ、それはよくわかった。

 

 だけれども……

 

「……コヒュッ……!」

 

 呼吸器が潰されたことによる生理的なものか、誰かが発したその小さな喘ぐような呼吸音は、掻き消されることなく、何故か俺の耳によく届いた。

 

 そして、次の瞬間、他の兵士たちが剣で、槍で、凶器を手に敵兵へと躍りかかる。

 

 

 

 …………先ほど言った俺がやらなくてはならない二つのこと。

 

 

 

 それは―――『人を殺させること』と……『人を殺すこと』だった。

 

 

 

ァァァァァァァァ……

 

 そこかしこから声が聞こえる。怒号に悲鳴、敵兵が声を上げないことを考えればそれらは俺の隊の者なのだろう。

 今また、どこかから背筋を貫くような悲鳴が上がった。

 ……押されている。

 相手が洗脳か何かをされているせいで知能が低くなっているらしきことと、メイジがこちらにしかいないこともあり、全域的にはこちらがなんとか押している。だがそれでも数の差というものの持つ力は圧倒的だ。局所的に見れば、押され始めているらしきところがいくつもあった。

 

 

「アイス……ストーム!」

 

 乱れる息を必死に抑えながら、呪文を唱える。それとともに氷の粒の混じった凄まじい勢いの竜巻が、目の前にいた何人かの兵士を包むようにして現れた。エルフの時とは違い、明確な殺意を持ったこの魔法。鋭い氷と言う刃を内包したその氷嵐は、その中にいる彼らをまるで鎌鼬にでもあったかのように、切り刻む。

 だが俺はその結果を見ることなく、魔法が発生したことのみを視認すると、即座に目を先ほど悲鳴が聞こえた方へと逸らした。

 

「……がっ……!」

 

 そして先ほど悲鳴の聞こえた方へと駆け寄ろうとした瞬間、頭に走った鋭い痛みにたたらを踏む。

 ドーピング薬の副作用だ。だが、まだ我慢できないほどではない。

 ……せめて終わるまではもってくれよ。

 

 

 

 戦闘が始まってしばらく、俺は氷の槍で相手を突き刺して攻撃する『ジャベリン』よりも、氷の嵐で敵を包み込んで攻撃する『アイス・ストーム』の方を用いるようになっていた。

 理由は大したことではない。敵兵の姿を見なくて済むから、というだけだ。自分の手によって傷つき、死んでいく人たち。そんなものを何人も見れば、間違いなく俺の中の何かが壊れてしまう。それくらいのことは血の昇りきったこの頭でもわかっていたからだ。

 自分のしたことに目を向けない。それがいかに卑怯で人でなしなことなのかくらいはわかっていたが、知ったことじゃない。そんな綺麗ごとよりは自分の方がずっと大事だ。

 援護に行かないと……。

 痛む頭を押さえながら走り出した体が、ぐいっと後ろへと引っ張られる。

 

「しまっ……!」

 

 振り返った瞬間、横っ面をを思い切り殴られた。そのまま吹き飛ぶと、背中から地面に倒れ込む。その背中に走った衝撃で、一瞬呼吸が止まる。

 

「がはっ! はっ……あっ」

 

 そして目に映ったのは、一人の兵士だった。全身をずたずたにした血だらけの男。場所が悪かったのか、アイス・ストームに完全には覆われなかったようだ。不幸中の幸いにも武器の類はアイス・ストームによって失ったようだが、それでもぼろぼろの体のまま、こちらへと襲い掛かってきた。

 立ち上がり反撃に出ようとするが、頭部を殴られたせいかふらつき、即座に立ち上がることができない。必死に手で体を引きずるようにして、後退りする。だがそんなもので逃げ切れるわけもなく、男は俺にすぐに追いつくと、飛びかかるようにして殴りかかる。

 

「っ!」

 

 反射的に目をつむると、腕で頭を防御する。その時だった。

 

「あぶねえ! 隊長っ!」

 

 発砲音と共に、俺の体に生暖かいものが降り注ぐ。目を開けると、男が胸から赤い何かを吹き出しながら倒れていくところだった。その光景に自分の体に降り注いだ、このべっとりと体にこびりついている液体が何かに気付くと共に体に悪寒が走る。

 

「ひっ!?」

 

 小さく悲鳴を上げると、それも血で塗れていることも考えずに服の袖で顔をぬぐう。

 そこに声と共に手が差し伸べられた。顔を上げればそれは俺の隊の隊員の一人だった。銃を持っているところを見るに銃兵のようだ。

 

「無事ですかい!?」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 もつれる舌を必死に動かしその問いに答えると、彼の手を取り震える足で立ち上がる。

 

「くそっ! これでからっけつだ!」

 

 彼はそう言って舌打ちを一つすると、銃を放り捨て、腰に下げた剣を抜いた。

 ……俺を助けるのに最後の銃弾を使ってしまったのか。

 

「あ、わ、悪い……」

 

「あ?」

 

 怪訝そうな表情をすると、俺の顔を見た後、地面に放られた銃へと視線を動かし、何やら察したような顔をした。

 

「勘違いしねーでください」

 

「えっ……?」

 

 俺の疑問の声に、彼はふっ、と口角を上げる。

 

「俺たちが押し切られずに何とか戦えてるのは、あんたの力がでかいんです。だいたいホントにやばい時に、前線に出てきてくれてる、ってだけで隊長としては充分でさ。隊長が攻めてくれるなら、それを補助するのが隊員です。深く考えることも、恩に感じることも無い」

 

「……」

 

 そう、なのだろうか。だがそれを質問する時間も、話し合う時間もすでに無かった。再び悲鳴が上がり、そして、それとは別の場所から銃声が上がった。

 

「さあ、問答は終わりだ。隊長はあっちに行ってやってください。俺はあっちに行きます」

 

「……ああ」

 

 そしてお互いに背を向け、走り出そうとした時、声がかけられる。

 

「死ぬなよ、坊主」

 

 振り向くと、彼はこの非常時に込められるだけのありったけの優しさを込めて笑っていた。

 

「隊長はまだまだ坊主なんだから、俺達みたいなおっさんよりも早く死んだらいけませんぜ」

 

 そう言うと今度こそ、彼は振り向くことなく駆けて行った。

 

「……あんたもな」

 

 小声でそうつぶやくと、俺も再び走り出した。




 小説にはまったく何の関係も無いですが、この間の飛鳥ロワイヤルで2200位前後という大爆死をしてから元気が出ません。
 あと感想乞食みたいですが、なんだかんだ言ってモチベーションの基は感想なので、肯定意見だろうと否定意見だろうと、どんどん書いてくださるとうれしいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十二話 近づく限界

「アイス・ストームッ!」

 

 荒々しい氷嵐が敵を包む。

 なかにいる人間はおそらくミキサーにでもかけられたかのように、ずたずたになっているのだろう。

 顔もわからない敵兵の血が飛び散り、顔に付いた。

 

 

 

「ああああああっ!!」

 

 落ちていた銃の銃身を握りしめると、バットを振るようにして銃床で敵兵の側頭部を殴りつける。

 何かが折れるような音と共に、相手の首が曲がった。そして、まるでガラス玉のように虚ろな目でじっと俺を見つめたまま、倒れていく。

 中で火がついているかのような嫌な痺れが手に残った。

 

 

 

「ジャベリン!!」

 

 人の腕ほどもある氷の槍が敵兵の背中に突き刺さる。

 息をこぼしたかのような小さな声を上げ、敵兵が前に倒れていく。そして胸へと衝き抜けた氷槍が地面に突っかかり、ぐらりと横向きに倒れた。

 背中から胸から流れる血が、雪を赤く染めていく。

 それを見ても、特に何も思わなかった。

 

 

 

「……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」

 

 気付けば再び雪が降り始めていた。

 周りを見渡すと、もう立っている敵兵はいなかった。全ての敵兵が地面に倒れ伏している。もちろんこちらも無傷ではない。敵兵の死体に混じるようにして、俺の隊の隊員たちも倒れている。その中には見覚えのある顔がいくつもあった。

 二つの軍から流れ出た膨大な量の血が、大地を赤く染めている。戦い始めた時は雪で白一色だった世界に赤いしみがついたようなものだったのに、今では赤一色の世界に白いしみができているかのようだ。

 ……それでもまだ、その中で何人もの味方がまだ、立っている。敵は全員死亡し、そして満身創痍といった様子であろうとなんだろうと味方は生き残っている。

 ……勝ったんだ!

 自然に頬が緩み、笑みが浮かんだ。

俺の指揮の下で、俺も戦い、勝つことができた。心の中に湧き上がってくるこの気持ちは達成感だろうか。

荒い息と鈍い頭痛を感じながら、再び周りを見渡す。数えきれないほどの死体の群れの中、ところどころに巨大な氷が突き立っていた。

 今回の戦い、メイジは俺一人しかいない。間違いなくあの氷は全て俺が作り出したものだ。つまりあの氷が突き刺さっているやつらを、殺したのは俺だということ。まるで墓標のように立っている氷の槍。それらの数を3か4で割れば、俺が殺した敵のおおよその数がわかるのではないだろうか。

 1,2,3……。

 無意識のうちに氷の数を数えていく。別に意識したわけではない。理由があったわけでもない。それでも何故か、数えていた。

 7,8,9……。

 そして数が10を超えた時だった。

 

「ウプッ。……?」

 

 吐き気すら感じることもなく、胃の中身がせりあがった。考える間もなく反射的に這いつくばると、その場で嘔吐する。

 

「ゲハッ! あ……? おえっ、ぐ、オ……ア、アァァァ……」

 

 息苦しさを感じながらも、頭の中は『何故?』で一杯だった。

 腹部になんらかの攻撃を受けたわけではない。なんらかの魔法を食らったわけでもない。まさか今朝食べたものが悪かった、ということもあるまい。吐き気を催すようなことは何もなかったはずだ。

 

「ゲホッ、あ……おぉぉ」

 

 だが吐くにつれて頭に上っていた血が下りてきたのか、少しずつ現状がわかってくる。自分が何を考えていたのかに気付いた瞬間、背筋が凍った。

 俺は今、人を殺したことになんの罪の意識も感じていなかったのだ。そしてよりにもよって、それに達成感を感じてしまっていた。その目的がなんであれ、その過程がどうであれ、どんな理由があろうとなかろうとそれは人殺しに変わりはないというのに。

……自分に対する嫌悪感で、胸がつぶれそうになる。息をするのもおっくうだ。このまま何も考えずに目を閉じて横になってしまえばどんなに楽だろうか。

……とはいえそうもいかない。舌を噛み切りたくなるほどの後悔の念も、胸をかきむしりたくなるほどの自己嫌悪も感じている、他にも頭の中で渦巻いている処理しきれない思考や感情は腐るほどある。だけれどもそれに向き合うのは、また後で、だ。それらの気持ちに一つずつ向き合って、いつまでもそうして悲劇のヒーローぶって、満足いくまで自分を慰めていられればそりゃ楽だが、そんな自己満足の茶番をやっているほどの余裕はない。ここは戦場で、俺は隊長だ。その責任は果たさなければならないだろう。自慰に浸るのはそれをなんとかしてからでも遅くはない。

 

「ごほっ……っと、…………ペっ」

 

 ふらつく頭を抱えながらなんとか立ち上がると、懐から水の入った瓶を取り出す。そしてその水を口に含み、口を濯いで吐き出した。

 ……で、どうするんだったかな? 薬の副作用である頭痛は一向に治まらないうえ、これも薬のせいか頭がふらふらして、どうも芯が定まらない。

 

「隊長! とりあえず片が付いた! 撤退するぞ、指示を頼む!」

 

「っ! あっ、ああ」

 

 後ろから急にかけられた声に、驚き振り返る。そこにいたのは何人かの隊員たちだった。全員がぼろぼろだ。意識が虚ろなのか、他の隊員に肩を支えられたまま顔を伏せている者もいる。

 別にそれは俺の責任ではないはずだ。それでもそれを見て胸がズキンと痛む。だが、それは後回しだ。

 それよりも今は他の隊員たちに撤退することを伝えなくては。戦場に出ている奴ならば声を張れば聞こえるだろうが、後方にいる物資の担当をしている奴らにはそうもいかない。誰かが連絡をしにいかなければならないだろう。

 

「怪我の少ない……お前でいい、後方の物資班に撤退の連絡を。そいつは俺が代わる」

 

 肩を貸しているということは、そいつ自身は大した怪我はない、ということだろう。そう考え、俺は他の隊員に対して肩を貸している隊員に対し、そう命令する。そしてそいつが抱えているのとは逆側の腕を自分の方へと回した。

 

「隊長……。わかった!」

 

 さすがに状況がわかっているのだろう。何もいうことなく、その隊員は駆け出した。

 

「ぐっ……!」

 

 その途端、肩にずしりと重みがかかる。さすがにがたいの良い大人一人を担ぐには、ひょろい俺じゃ役者不足か。足が生まれたての小鹿のように震えている。何それカッコ悪い。

 

「……隊長、ごほっ……置いて、行っても、恨みはしませんよ……」

 

「そりゃあいいこと聞いた。次からはそうすることにするよ」

 

 てっきり気絶しているのだと思っていたが、かなり薄いようだとはいえ意識はあったらしい。俺に抱えられた隊員がそう言うのを聞いて、他の怪我が少ない隊員が声をかけてきた。

 

「変わるぞ、隊長」

 

「いや、いい。それよりもあんたとあんたで、他の奴らに撤退の連絡を頼む」

 

 そう言って退却への一歩を踏み出そうとしたその時だった。

 

「隊長!」

 

 一人の隊員が悲鳴のような大声で俺を呼んだ。見ればどこかで見たような顔だ。確か……見張りをしていた時、偵察に出ていた隊員か。外すのを忘れていたのかなんなのか、首にはいまだに双眼鏡を掛けたままだ。

 ……嫌な予感がする。まさかとは思うが、やめてくれよ……。

 

「だ、だい、第二陣が来ます!」

 

「……うっそだろ……」

 

 人間、あまりに絶望的な状況になると逆に笑ってしまうというのは本当らしい。その報告を聞くと同時に、口元が引きつり苦笑の様な表情を浮かべてしまった。

 報告をした以外の、他の隊員たちを見れば無表情と苦笑の狭間のような表情をしている。……気持ちはわかる。命をかけて敵を打ち破ったと思ったら、新たにそれ以上の敵が現れたのだ。

ボスを倒したら真のボスが現れましたー、なんてゲームか何かなら燃える展開かもしれないが、現実ではそうもいかない。燃えるどころか心が折れるのが関の山だ。

隊員達のあの表情も、諦めの極致から来ているのだろう。

 ……正直できるものなら俺もそうしたい。だが隊長である以上、隊員が諦めても、いや隊員が諦めたからこそ、せめて俺だけは諦めずに活路を見つけなければ。

 心の奥底から沸き立つ『どうせ無理だろうが』という気持ちからなんとか目をそらしながら、そう心を湧き立たせる。

 偵察してきたであろう彼が報告を続ける。

 

「数はおよそ百! そのうち、ほ、ほとんどが騎兵で構成されていました!」

 

 それを聞き、頭の中が白くなる。

……相手が騎兵だということは撤退しても間違いなく追いつかれる。騎兵から逃げるためにはこちらも馬でなくては駄目だが、こちらの軍にいる馬は馬車に繋いであるほんの数頭のみだ。大体同じ馬同士とはいえ、馬車が繋いであれば間違いなく速度で負ける。

つまり、撤退を成功させるためには馬車を切り離し、物資も何もかもを捨て、身一つで馬に乗って逃げるしかない、ということだ。だがそれをやって逃げられるのは馬の頭数と同じ数、せいぜい手の指で数えられえる人数のみだ。それじゃあ意味がない。

俺は隊員を担いだまま、周りを見渡す。どこまでも続く平原にそこに積もった雪。そしてそこに転がる数えきれないほどの人の死体。死体を見ると同時に喉奥からせりあがってきた物を、無理矢理体の奥へと戻す。

 こちらの残兵数は間違いなく100を大きく下回る。そしてその生き残った兵士もほぼ全員が満身創痍だ。

火薬の残っている銃もおそらく無い。わずかに残っている予備の火薬があるのは、後方の馬車の中。

この戦力差にこの状況、そしてこの地形では勝ち目など髪の毛の先ほどもない。

そう考えた時、俺の視界に遠くにある森が映った。

……ベストではない。もしかしたらベターですらないのかもしれない。でも他に打てる手が無い。

 

「隊長! 指示を!」

 

「……森に退く」

 

「え?」

 

「馬の機動力から逃れるために、森の中に一時撤退する! お前ら二人は他の者に伝達を!」

 

「あ、ああ……」

 

 急な命令だ。反応できないのも仕方がないのかもしれない。だが、そうも言ってられない。

 

「早く行けッ!」

 

「お、おうっ!」

 

 俺は立ち尽くす隊員達へと怒鳴りつける。それを聞き、二人は弾かれるように走り出した。それを見て俺は報告に来た隊員にも声をかける。見たところ、彼は目立った怪我もない。なら大丈夫だろう。

 

「お前は後方の物資班に連絡を。……馬車でも通れるような道を探して、できる限り森の奥に入って隠れるように伝えろ!」

 

「ハッ! ただ、もしも馬車が通れるほどの道が無かった場合はどうすればよろしいでしょうか!?」

 

「無けりゃ作れ! ……どうしても無理なら、人の手でもいい。可能な限り物資、特に火薬と食糧に限っては確保しておけ。水よりも食糧を重視しろ」

 

「わかりました!」

 

 そう返事をして走っていく隊員を尻目に、残った隊員達に目を向ける。

 

「……聞いてたろ? さっさと行け。あと、この人頼むわ」

 

 そう言って俺が支えている隊員を彼らに渡す。

 

「隊長はどうするんだ?」

 

「軽く足止めしてから行く。騎兵だってのならやりようはあるさ」

 

「……わかった。早く来いよ」

 

 そう言って歩き出そうとしていた彼らの背中に、声をかける。

 

「……ちょっと待った」

 

「なんだよ」

 

「……」

 

「早く言えよ! 時間無いんだろ!」

 

 これは言わなくてもいいのかもしれない。言わない方が正しいのかもしれない。でも、きっと、言うべきことではあるのだろう。

 

「もし、もしも必要だと思った場合は、もう無理だと思った場合はそいつを見捨てて走れ。……俺が許可する」

 

「なっ……!? ああ゛っ……!」

 

 大のために小を切り捨てるのは間違っている。立派な言葉だ。涙が出る。……でも、必要なら俺はそうさせてもらう。大のためなら小は切る。

 

「……早く行けよ」

 

「……わかったよっ!」

 

 俺の命令が間違っていないことは頭ではわかっていても、納得はできないのだろう。吐き捨てるようにそう言うと、走っていった。その時、

 

「…………」

 

 支えられている隊員の言葉か、囁くように何かが聞こえた気がした。だが、あいにくと俺には何を言っているのかまでは聞こえなかった。

 

 

 

 足止めと言ったってそんなに立派なことをする訳じゃない。せいぜい魔法をいくつか使うだけだ。

 

「……悪いな」

 

 別に誰に言うことなく、ぽつりとそう零すと呪文を唱える。

 そこらじゅうに降り積もった雪から、そこらじゅうに流れている血液から上を向いたドリルの様に、捻じれた氷槍が形成されていく。

 こんな子供だましでも、馬相手の足止め程度にはなるだろう。後は撤退しながら適度にこうやっていくだけだ。ただ多少目立つので、それをなんとかしないと。

 

「コンデンセイション」

 

 俺の頭上に周りから集めた水と血液が集まっていく。それらの数と大きさに、流れた血の多さを感じ、また俺の心が重くなった。……別に、今更それくらいどうでもいいが。

 

「シン・ミスト」

 

 それらの水球が四散するようにして、どんどんと無数の目に見えないほど細かい水滴へと変化していく。そしてそれらが弾け散っていくにつれて、視界が赤く染まっていく。

 なんてことはない。ようは水と血液を使って霧を生じさせただけだ。それほど濃くはないが、氷槍を隠すには充分だろう。

 

 

 

 それが例え人間だろうと、死んでしまえば身体はただの肉の塊で、血はただの赤黒いだけの液体だ。それでもやはり、それを使うと言うのは、

 

「良い気分、とはいかないよなぁ……」

 

 そう呟く俺の姿も赤い霧に呑まれていった。

 

 

 




 以前言った改定しようかな、と言う話ですがメッセージなどを見てしないことにしました。まずは完結させないと。 
あと作中の「シン・ミスト」ですが、液体から霧を発生させるオリジナル魔法です。世界観的にそう不思議ではない効果だと思いますが、変だと思ったら教えてください。
 余談ですがプラチケ400枚ぶっぱして箱を綺麗にし、課金でSレアをかっさらいそれを売り、なんとか白芙蓉加蓮を特訓前後共に手に入れました。
 特訓後スタ900とか仁奈ちゃんとユッコで手に入れた分がすっからかんに……。加蓮高過ぎ



追記 
 すいません。書くの忘れてましたが、この話に今のところティファニアを出す予定はないです。なので今回逃げ込んだ森の中で彼女に出会う、といったことはないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十三話  足りない精一杯

まさかの半年ぶりです。色々と人生かかってるレベルのイベントが重なったとはいえ、こんなに空くとは思いませんでした。
それらが終わった後も、それの反動なのかムジュラだのGEだの絶対絶望だの、そしてもちろんモバマスだのといろいろとストレス発散していたらこんなことになりました。申し訳ないです。
次がいつになるかはわかりませんが、できるだけ早くするつもりです。



「……シン……ミスト」

 

 この魔法も今日だけで何度目だろうか。俺は木に寄り掛かったまま、喘ぐようにして呪文を唱え、平原へと向かい杖を振る。

 戦場となっていた場所を抜けたからだろう、もはや霧に血は混じっていない。視界が白く濁っていく。霧が白い、そんな当然なことにいくらかの安心感を感じながら、俺は森の中へと一歩足を進め……そしてそのまま雪で泥濘んだ地面に足を取られて倒れ込んだ。

 

「つっ……」

 

 魔法は精神力を消費して行使しているという話だが、多分、それが原因なのだろう。しばらく前から魔法を使うごとに何かが身体から抜けていくような感覚と共に、視界は霞んでいき、身体を動かすことが困難になっていく。薬の副作用も治まってはおらず、頭はじくじくと鈍く痛み、まるで脳に針でも刺されているかのようだ。

 木の幹に手を付き、震える足で立ち上がる。

 全く、これじゃいい男が台無しだ。顔に付いた泥ごと汗をぬぐい、そして口に入った泥を吐き捨てる。

 地面の泥濘には轍が残っている。周りに注意を払えば、おそらく無理やり馬車を通したからだろう、木の枝が不自然に折れているのも見える。この後をたどっていけば隊の者たちと合流できるはずだ。

 

「あー……まっずぃ……うぇ」

 

 泥のせいで口の中がどうもざらざらする。俺は泥をもう一度吐き出すと、森の中へと入っていった。

 

 

 

「隊長! 無事だったか!?」

 

 しばらく森の中を進み、奥へと入っていくと向こうから一人の男が駆け寄ってきた。見覚えがある。確か……隊員の内の一人だ。

 彼は俺が歩んできた方向に目を凝らし、誰もいないことを確認すると俺の様子を確認し、そう声をかけた。

 

「……元気いっぱい、ってわけじゃないけど、まあ無事だよ。お前はここで何をやってるんだ?」

 

「見張りみたいなもんだ。追手は来そうか?」

 

 その言葉に俺も、今自分が歩いてきた道を振り返る。道には轍が、木や枝には傷がついている。とはいえそれはパッと見てそれほど目立つわけではないし、森の外は霧が立ち込めているはずだ。それに相手は騎兵ばかりだった。ならば森の中にいきなり入ってくる、ということもないだろう。少なくとも俺が敵軍の隊長ならばならそうはしない。相手は敗走軍みたいなものなのだ、ゆるりと援軍の到着を待ってから潰せばいいだけの話だ。

 それに今やこちらは百にも満たない数だ。ならそんなやつらに構っているよりかは、逃げて続けている本隊を叩くことに数を割くはずだ。おそらく二、三日はこちらに力を向けることはない、と思う。

 まあ、俺ならばどうしたなんて、それがベストだとも、相手はそうするとも限らない以上、考えたって仕方ないのだろうけど。だいたい俺がベストな行動を取れるような優秀な隊長なら、端からこんな状況には陥っていないからな。

 

「……わからん。いつかは来るだろうが、おそらくはしばらくは大丈夫なはずだ」

 

「そうか。じゃあ悪いがこっちに来てくれ。怪我した奴らの治癒を頼みたい。かなりやばそうなのが何人かいる」

 

 しばらくの間、ゆっくりと歩けたことで体調がいくらか回復していたので、はた目にはそこそこしゃんとしているように見えたのが悪かったのか。それとも仲間が怪我しているので単に焦っていたのか。彼は俺の腕を取ると、そのまま急ぎ足で森の奥へと足を速めた。

 

「うわっ!……ぶっ」

 

 外からはどう見えるのかは知らないが、まだまだ気を抜けばそのまま倒れてしまいそうな状態なのだ。腕を引かれた俺は、そのまま前につっかかるようにして脚を滑らし、またもや顔から地面へと突っ込んだ。

 

「……」

 

「…………」

 

「……肩貸してもらえるか?」

 

「……悪い」

 

 

 

 しばらく森の中を歩いていくと、少し開けているところに出た。二十人弱だろうか、二台の馬車の周りに隊の

皆が集まっている。

 

「こっちだ」

 

 俺に肩を貸したまま、彼は奥の方に置いてある馬車へと向かっていく。

 

「随分人数が少ない気がするが……」

 

「ああ、まとまりすぎるのも危ないからな。そんな離れてるところでもないが、もう一ヶ所とに分かれてる。それに気休め程度だろうとはいえ見張りを立てないわけにもいかないから、元気そうな奴はそっちに振っといたから、ここにいるのは一部だけだ」

 

「そうか」

 

 良かった。さすがに136人がこれっぽちの人数になってたら、罪悪感のあまり首吊ってるところだった。 ていうか未だに頭痛いし、耳鳴りもするし、気持ち悪いし、体中痛いし、未来は暗いし、生きて帰る道筋が正直ほとんど見えないし、隊長なんて責任のある立場でさえなかったらホントもう全部放り出して逃げ出したい。

 

「怪我人はこの中だ。……止血だけでもいいから、できるだけ頼む」

 

「わかった」

 

 彼から離れ、自分の足で立った瞬間よろけて地面に手を付いてしまった。なんとか立ち上がると軽く頭を押さえながら、馬車の入り口に手をかける。その様子を見て、さすがに心配そうに声をかけられる。

 

「本当に大丈夫か、隊長。顔、真っ白だぞ」

 

「わからん。……まあ死にゃしないだろ」

 

 そう言い捨てて、俺は馬車へと入っていった。

 

 

 

 血の匂いと汗の匂い。馬車の中は顔を背けてしまいたくなるような臭いが籠っていた。

 床に寝かせられた七人の人たち。防寒に使っていた物だろう、毛布が掛けられた彼らは苦悶の声を漏らしている。ただどうやら意識はないかあっても薄いらしく、おそらくその声は反射的なもののようだ。その証拠に、彼らの声は人の呻き声というよりも、まるで獣の唸り声のように聞こえた。

 彼らの世話をしていた、いや様子を見ていただけだろう、彼らの横で不安そうに所在なさげにしていた男が俺に声をかけてくる。

 

「あ……隊長……! 良かった、無事だったんですね」

 

 その声に軽く返事を返すと、一番手近な入口の近くにいた隊員の毛布に手をかける。

 こういった場合、本来ならば一番怪我がひどいものから対処していくものだと何かで見たが、悲しいかなそんな怪我の度合いを見分けられるほどの知識を持ち合わせていない。

 そしてそのまま毛布を取り去った。

 

「……うっ」

 

「あの、こいつら、傷が深くて……応急処置じゃどうにも……。もう俺どうしていいか……」

 

 毛布を取り去るとともに、一段と血の匂いが濃くなった。

 怪我をした隊員は応急処置のために上半身は裸にされ、そこには包帯がぐるぐると巻いてある。だが怪我の範囲が広いのか、包帯のせいでもはや皮膚さえろくに見えないほどで、その包帯には押せば滲みだすのではないかというほど血で色濃く染まっている。いったい包帯の下はどれほどのものなのか。

 だいたい俺は特別な知識も技術も持ち合わせていない。彼、いや彼らが俺に何期待してるのかわからないが、俺にはいいとこ止血やちょっとしたことしかできない。傷の度合いだって、それの対処だって人並みか、それにプラスアルファくらいにしかわからない。そんな俺が少しばかり頑張ったところで、いったい何が変わるというのか。

 

「隊長……そいつ助かりそうですか……?」

 

「知らん。できる限りのことはするがあんまり期待しないでくれ。俺は魔法使いじゃあないんだ」

 

「え? 隊長、メイジですよね?」

 

 そのきょとんとしたような彼の顔と声に、思わず息が抜ける。

 ……そうだな、今や俺は魔法使いなんだ。杖を持って、呪文を唱えれば怪我が治ったり、風が吹いたりするわけだ。そして少なくとも俺の部下は、隊員たちはそれができないわけだ。

 ……ならせめて、せめて杖を振るくらいは全力を尽くさせていただこう。

 

「悪いが次のやつの包帯を取っておいてくれ。命に係わる怪我のところだけでいい」

 

「わっ、わかりました!」

 

 俺は杖をぎゅっと、力を込めて握りなおす。そして目の前の隊員へと杖を振った。

 

 

 

「……ヒー……リング……」

 

 擦れきった声でなんとか呪文を唱える。吐き気がするほどの頭痛と共に身体から何かが抜けていく。だがそれと引き換えに目の前の隊員のわき腹に深く切り裂かれた箇所が、そこに撒かれた秘薬と化学反応するように、少しずつ塞がっていった。

 これでとりあえずは大丈夫だろう。 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「……つぎ……」

 

 もはや返事をすることさえ億劫でしょうがない。ぼんやりと霞む視界の中、なんとか彼の肩へと手を回すと、そのまま引き上げられるようにして、彼の力を借りてなんとか立ち上がる。

 

「……ってぇ……」

 

「……本当に大丈夫ですか? 何でしたら少し、休んでも……」

 

「……いらん……」

 

「……わかりました。あと、あと三人です! 申し訳ないですが、頑張ってください!」

 

 声が頭に響いて、耳障りで仕方がない。さすがにそろそろ限界が近い。

 なんとか四人の応急処置は済んだ。止血と大まかな怪我の治療と気付け程度だが、俺にできる精一杯はやったはずだ。後は本人の体力と気力次第だろう。

 だが、その代償はタダじゃない。ドーピング薬の副作用と、魔法の酷使、そして精神力の摩耗による体への影響は軽微ではなかった。

 頭痛はもはや経験したことも無いほどのものであり、脳に直に釘でも打ち込まれているかのようなズキンズキンと激しいものとなっている。心臓の鼓動はその頭痛の痛みに合わせるかのように、大きく脈打ち、視界は自分でも目を開けているのか閉じているのかもわからないほどおぼろげだ。そして身体の芯にまで響くほどの耳鳴りで彼の声もろくにに聞こえない。吐く息は熱く、自分でも震えていることがわかるくらいで、もう自分では立ち上がることすらまともにできなくなってしまった。なんとかまだ杖を握っている自分を褒めてあげたいくらいだ。ていうか誰か褒めてくれ。だが俺を無条件で褒めてくれそうなやつと、なんだかんだで褒めてくれそうなやつは両方学院だ。もう一度会えればいいけど。

 崩れ落ちるようにして五人目の前へと座り込む。怪我の様子を確認しようと目を凝らしても、目に映るのは黒一色の霞んだ視界に、わずかな赤い色だけだ。額から垂れる汗をぬぐいながら、必死に目をこする。

 なんとか怪我の具合を確認し、一番致命的だと思われるものに壜に残った秘薬を掛ける。そしてそこに左手の指をあてると、杖を握りながら治癒の呪文を唱えた。

 

「イル……ウォータルッ……」

 

 呪文を唱えるにつれ、頭痛がひどくなっていく。情けないながら浮かんできた涙をそのままに、歯を食いしばり治癒の魔法をかけた。

 上手くいったのか、怪我が治癒していくことが当てていた指を通して伝わってくる。よくは見えないが、どうやらうまくはいったようだ。

 まだ大きな怪我を一つ治しただけだが、とりあえずは一歩進んだ。そう思い、わずかに気を抜いた瞬間だった。

 

「……あ……?」

 

 ぷつり、と何かが切れる音が聞こえたような気がした。

 そしてそれを最後に、俺は意識を落としたのだった。




小説を書いたの自体が半年ぶりなので、変なところがあるかもしれません。何か思うところがあれば、どんどん言って頂けるとうれしいです。



小説関係ありませんがついにモバマスアニメが始まりましたね。オリジナルキャラ的な面はありますが、個人的には武内Pはクリティカルヒットです。おそらく2クール目には自分が押している北条加蓮が登場すると思いますが、彼になら任せられます。彼によってアイドルたちの新しい魅力が見れることが楽しみです。
じっくりとストーリーを進めていくようなので、この調子でいってほしいです。
またNGと武内Pの掘り下げも一段落し、他のCPの掘り下げに入るようなので、これからも期待したいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十四話 夜明けの前の敗退後

 さすがに半年開いてしまったので、なんとかもう一話書きました。
 随分間が空いたこともあって、何か変なところがあるかもしれません。何か思うところがあれば言ってもらえるとありがたいです。


 意識が浮上する。

 鉛が入っているのかと思うほど重いまぶたを開けると、そこには馴染みのない光景が広がっていた。薄暗い視界に広がる一面の汚れた茶色い布。

 ……テントの中か?

 なぜ自分がこんなところにいるのか、わからない。気付けば湿りきった空気の中には、濃い血の匂いさえ漂っている。身体は地面に張り付いているかのようだ。

 いったいなぜ、こんなことに? 

 頭の片隅に浮かんだ疑問はそのままに、しかし重さに任せて再びまぶたを閉じる。そしてそのまま体中に色濃く残る疲労と睡魔に身を任せようとして……今の状況を思い出して飛び起きた。

 その瞬間、体中を激痛が走る。

 

「……たっ! あたたたたっ……!」

 

「ああ……気が付いたか、隊長」

 

 俺の呻き声で起きたことに気付いたのか、男が一人テントの中へと入ってきた。右手にはタバコだろうか、煙をくゆらせたパイプを持っている。

 テントの外はもう暗くなっていた。空気は冷え込み、気付けば体もすっかり冷たくなっていた。

 鳥肌の立つ腕をこすりながら思う。いったいどれほど、気を失っていたのだろうか。

 

「起きない方がいいぞ。随分動いたみたいだし、体痛いだろ」

 

「……悪い、そうさせてもらう」

 

「ああ、そうしたほうがいいな。あと悪いな、煙かったら言ってくれ」

 

 筋肉痛だろう、ぎしぎしとした痛みを感じながら、身体をもう横たえる。ドーピング薬の副作用である頭痛はもう治まっているようだが、ここまで筋肉痛がひどいんじゃあプラスマイナス差引ゼロだ。それにしても筋肉痛なんてそんなすぐでるもんでもないはずだが。

 

「俺が倒れてどれくらい経った?」

 

「ちょうど一日、ってとこだな。まあ、あいつらと戦うだけじゃなくて、追手を撒くのにも随分苦労したって話だし、一日で済んで良かったんじゃねえか?」

 

「……そうか」

 

 一日、か……。

 俺の記憶が確かなら、俺が気を失ったのは重傷者の治療中のはずだ。全員見たわけではないが、俺を案内した隊員の話からすれば、そんなに保つ状態ではなかったはず。なら……

 

「……なあ」

 

「あん?」

 

 胸に何かが詰まったかのように、息苦しい。痛む右手で服の胸元を握りしめる。

 

「お、俺が治療してた人たちはどうなった……?」

 

「ああ、あいつらな……」

 

 彼はそこから先を口にすることを躊躇うかのように、パイプを口に付けて深く吸った。そして大きく一つ、煙を吐いた。

 

「4人死んだ」

 

 一瞬、息が吸えなかった。

 

「残りの3人は、まあ、生きてるな。細かいことはわからねえが、容体も落ち着いたらしいから、あとは安静にしてりゃあなんとでもなるって話だ」

 

 4人、4人死んだ、か……。

 右手に力を強くこめる。知らなかった。失恋だのなんだのしたとき使われる、胸が痛いっていうあの表現。本当なんだな。心臓が縮み上がっているのだろうか。

 比喩でもなんでもなく、今、耐えきれないほど、胸が痛い。

 

「……治療ができなかった二人と途中だった一人はわかる。あと一人は?」

 

「合ってるのは前半だけだな」

 

「え?」

 

 首筋をがりがりと掻きながら、彼は続けた。

 

「治療ができなかったっていう2人がダメだったってのは、その通りだ。治療中だったってやつは、とりあえず血が止まったのがでかかったらしくて、それでなんとか峠を越えた。……後二人は、まあ、あれだよ」

 

「…………」

 

 彼の言葉に返事をすることもできなかった。

 左腕で目を覆う。鼻の奥が熱くなる。きっとタバコの煙のせいだろう。

 

「……」

 

「……」

 

 俺は全力を尽くした。事実何もしなければ間違いなく死んでいた人間を二人救ったんだ。

 それにあいつらが怪我したのは、死んだのは敵のせいだ。俺に責任が全くないとは言わない。でも、悪いのは敵だ。……俺のせいじゃない。

 頭の中で必死にそう繰り返す。俺のせいじゃない。間違ってはいないはずだ。

 でも、それでも、俺の口から溢れたのは、

 

「……ごめん」

 

 なぜか謝罪の言葉だった。

 

「ああ。でもな……それだけはやめとけ」

 

 しかし、そう返された彼の声に籠っていたのは、俺の謝罪に対する否定の意志だった。

 そして彼は俺が寝ているすぐ横にしゃがみこんだ。俺も体を起こし、彼と顔を合わせる。

 

「自分でもわかるだろ? 隊長は悪くない」

 

 そしてしっかりと俺の目を見て彼は続ける。

 

「あんたがとった行動は最善じゃあ、もしかしたらなかったのかもしれねえが、少なくても次善ってやつではあったはずだ。他の誰かが隊長でも、今、これ以上はなかっただろうよ。みんなだってそれはわかってる。だから隊長が謝る必要はねえんだ」

 

 その言葉に少しだけ、心が軽くなった。

 しかし……だけどな、と彼は自分の胸を親指でつつく。

 

「理屈とコレは別だ」

 

 

 

「一緒に酒を飲んだ奴が死ねばつらいもんがある。頭では敵のせいだ、他の誰のせいでもねえ、ってわかっていても、それで気持ちがおさまるもんでもねえ。誰でもいいから、誰かにそれをぶつけたくなる奴もいる」

 

 そう言って、彼は視線をテントの入口へと向けた。

 耳を澄ませば小さなざわめきが聞こえた。他の隊員たちの声だろう。

 

「あんたが頭を下げたらそんな奴らに大義名分を与えちまうし、それ以外の奴らにとっては気を揉ませるだけだ。どちらにせよ何の解決にもなりゃしねえ。言っちゃあ悪いが、隊長」

 

 そして俺へと視線を戻した。

 

「それはあんたが楽になるだけさ」

 

「……そんなもんか」

 

「そんなもんさ。面倒くせえだろ、隊長って」

 

 まあ俺はやったことないからよくわからねえんだけどよ、と言って彼は明るく笑った。

 

「……ゴホッ」

 

 タバコの煙にむせ、咳き込んでしまう。そんな俺を見て彼は申し訳なさげに眉を寄せると、立ち上がった。

 

「ああ、悪いな。まあ、ゆっくり……できる状況じゃあないが、のんびりしてくれ。なんか用があったら、しばらくはテントの近くにいるつもりだから言ってくれりゃあいい。もし俺がいなかったら適当に他の奴に声かけて……ってんなこと言われなくても大丈夫だよな」

 

 じゃあな、と言い残し彼はテントを出て行った。

 

 「……」

 

 ゆっくりできない、か。

 俺は痛む腕で軽く足を揉む。

 

「つっ……」

 

 攣った時のような痛みが走るが、覚悟さえしていればそこまでひどいものでもない。そのままゆっくりと立ち上がる。

 

「あたたたた……」

 

 そしてそのまま軽くほぐすようにして体を動かす。確か筋肉痛の対処法は休養を取る以外はこんな軽いストレッチをするとか、そんなもんだったはずだ。……詳しくは知らんけど。

 

 

 

 ……それにしても、これからはどうしたもんか。

 軽く体を動かしたので一息つく。

 打って出るのか、それとも籠城戦か。今の状況がわからないから何とも言えないが、打って出れば返り討ちされそうだし、籠城戦しようにもそもそも城ないし。森の中に籠ったところで、正直戦略的に何か意味があるとも思えない。だいたい援軍が来る望みが無いのに、時間稼いだって仕方がないって話だ。

 ……となると一点突破しかないわけだが、これもどうだろう。突破したところで追いかけられたらかなりまずいし、それ以前にそもそも突破できるのか、ってのもある。

 ……まあ薄い可能性とはいえ、それをなんとかする方法もなくはないが。

 

「隊長、今大丈夫ですか?」

 

 俺がそう考えていると、テントを潜り一人の隊員が入ってきた。

 顔に見覚えがある。色々細々とした雑務を手伝ってくれていた、副官のように感じていた彼だ。小脇には地図を抱えている。

 

「ああ、どうした?」

 

 さすがに顔に疲労の色は色濃く出ているが、見た所大きな怪我などは無い。

 

「いえ、現状の報告と今後の方針について少し。見張りに出ていた者が今しがた戻ってきたので」

 

「あ、ああ、わかった」

 

 俺の返事にゴホン、と咳払いを一つして彼は話し始めた。

 

「まず現在の状況ですが、見張りからの報告ですと囲まれている、とのことです。敵の内訳としては亜人と、その、先日私たちと交戦したような状態の兵士たちが主のようです」

 

「囲まれてる、って森をか?」

 

 おいおい、敵さんどれだけの数いるんだよ……。

 だが俺のその考えを否定するように、彼は俺の前に地図を広げて話を続ける。 

 

「いえ、私たちが森へと入ってきた方面のみです。覆っている、といった表現の方が確かでしょうか。他の方面に対してはわかりませんが、調べていない理由としてはそれ以外の方向は馬車が通れるほどの道が無いこと、また」

 

 そう言って地図上の今俺たちがいる森を指さす。俺たちが入ってきたシティ・オブ・サウスゴータ方面から広がるようにして、森が描かれている。かなり大きい森のようだ。

 

「このように、私たちが入ってきた方面以外の方から、森の外まで出るのには時間が非常にかかる、という理由からです」

 

「なるほど……」

 

 少しの間地図を見ながら考える。そして否定されることを承知の上で、一つの考えを述べた。

 

「俺達自身がこちらの、森の奥へと逃げるというのは?」

 

「いえ、現実的ではないように思います。まだ大丈夫ですが、食料などにそれほどの余裕がありません。また今の状況から考えても援軍が来る可能性が低いので、逃げたところで先は無いかと」

 

「……だよなあ」

 

 額に手を当て、大きくため息をついた。

 

「外にいるっていう敵の数は?」

 

「それが……可能な限り敵に発見されないよう、距離を取って見てきたということなのでよくわからないと。ただ10、20ではきかない数なのは間違いないようです」

 

「泣ける話だな」

 

 何それ、ほんとに泣きそうなんですが。10,20できかないって何人だよ。これで21人とかだったらありがたいんだが。……まあどれだけ楽観的に考えても、今のこちらの人数よりかは多いだろうな。

 

「逃げてもダメ、かといって正々堂々ぶつかったら力負けか」

 

「……そうですね」

 

「するとあれか」

 

「……はい」

 

「薄いところをなんとか突破して、そのまま逃走か」

 

「……正直現実的とは言えないかもしれませんが、他に方法はないですね。少なくとも私には思いつきません」

 

「だな」

 

 結論は出た。痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がる。

 囲まれていると分かった以上、時間をかければかけるほど不利だ。

 

「ばらけてる奴らを全員呼び戻してくれ。集まり次第、動くぞ」

 

「わかりました。隊長は?」

 

「……少し隊の様子を見てくる」

 

 そう言い残し、俺はテントの幕をくぐり外へと出た。

 

 

 

 外は日の出前なのか薄暗く、辺りは濃い瑠璃色に染まっていた。木々の合間から見える空には雪の一つもなく、視界には一面の黒色に青い絵の具を垂らしたかのような色の空が、小さく切り取られて映る。冷えた静謐な空気が張りつめていて、呼吸をするたびに肺に冷気が染み渡る。

 こんな状況でさえなければ、小一時間でも見上げていたくなるような景色だ。 

 火を焚けば場所がばれてしまうからだろう、皮膚を刺すようなこの寒さの中、見張りをしているのだろう隊員たちは毛布や布で耐え忍んでいた。ランプの薄暗い灯りの中、傷だらけの彼らは一段と悲壮に感じた。

 俺はふらふらと自分が気を失ったところ、怪我人が寝かされていた馬車へと歩み寄った。

 

「あ……隊長」

 

 そこでは一人の隊員が馬車の中を布のようなもので拭いているところだった。 

 怪我人のそばに付き添っていた隊員だ。

 ランプの灯りでぼんやりと照らされた馬車の中には、三人の人間が横たわっている様子が薄らと見えた。

 

「なんとかあいつらも落ち着いたみたいで……。今は寝ているんで、起きたらお伝えします。本当にありがとうございました」

 

 俺の目線から悟ったのか、そう言うと軽く頭を下げた。

 

「……四人は?」

 

「四人? ……ああ」

 

 俺の問いに困ったような顔をして、視線を逸らす。

 

「その、森の奥の方に……」

 

 彼の視線が動いた方へと、自然と目を動かす。

 その先には鬱蒼と生い茂った木々と、小さなけもの道のような小道が続いていた。

 埋まっているのかどうかなんてわからない。でも……捨てられているのか、あの先に。

 

「……」

 

 無意識のうちに唇を開く。そして思わず溢れそうになった謝罪の言葉をなんとか喉の奥へと追いやった。

 

「……隊長? どうかしましたか?」

 

 俺の様子を不審に思ったのか、彼がそう問いかける。その言葉に俺は笑ってごまかした。

 

「いや、なんでもない」

 

 謝るな、か。そうなんだろうか? 今、俺の目の前にいる彼も、俺が頭を下げることで俺を憎むようになるのだろうか。……そうなるような気もするし、そうはならないような気もする。俺はいったいどうするべきなんだろう。

 ……情けない話、もう、何が正しいのか俺にはよくわからない。 

 

 

 

 ……やっぱダメだな。できる限り見ないよう、考えないようにしていたが、限界がある。

 別に俺は悪くない。おそらくそうであることはわかっている。それでも、取らなくてはいけない責任と言う奴はきっとある。……少なくとも俺の中には。

 

 

 

「あ、隊長、どうかしましたか? 集まるようにという伝達ならば、先ほど人を遣ったのでしばらくすれば来ると思いますが」

 

 テントの中にはまだ、副官役の彼が残っていた。何やら難しそうな顔で地図とにらめっこをしている。

 

「いや、なんでもない」

 

 そう返すと、俺は彼の対面へと腰掛けた。

 

「……ところでさっき出た作戦に、問題点が多いことはわかってるよな?」

 

 今出ている一点突破して、そのまま逃走するという案。大きな問題点は突破できるかどうかということと、突破した後逃げ切れるかどうかという点だ。

 俺のその確認するような急な質問に、彼は戸惑ったように答える。

 

「え、ええ。何か改善案でも?」

 

「ああ」

 

 そして俺は皮肉げに笑いかける。

 

「多少はマシにする方法がある」

 

 

 

 俺がそんな作戦を取った理由。それは信念とかそんな綺麗なものではなく、ただの意地と、自棄と、言葉にできない何かのせいだった。




 次話の投稿もできるだけ早くするつもりです。正直このままのペースだと完結が怪しいので。
 ただ次話ですが、アシル視点とでもいうのか今回の話のようにストーリーを進めるつもりですか、もしかしたらアラベル視点で主人公の掘り下げをやるかもしれません。いい加減疲れたんで緩い感じのもやりたいですし。
 とりあえず不定期投稿で頑張っていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十五話 終わりの見える戦いの始まり

お久しぶりです。ホントお久しぶりです。
仕事って大変ですね。ほんの去年まで一月以上あった夏休みが一気に5,6日ほどになるというのが辛いです。
毎度言っている気がしますが、しばらく書いていなかったので文章が変化もしれません。何か思うところがあれば、言ってください。



  日の出前のアルビオン。静寂の中、そこにある森の一部を覆うかのように、多くの人影が立っていた。鎧を着こんだ兵士に大柄な図体を持つオーガなどの亜人たち。

 彼らは一言も言葉を交わさない。感情の抜け落ちた表情で立ち尽くしている様子は、はた目には案山子か何かにでも見えただろう。

 まるで凍りついたような静止した世界。そこに突如爆発音が橙の混じった瑠璃色の空に響く。

 規模こそそれほどでは無いにしろ、時が止まっているかのような世界にその音は良く響いた。そしてそれと同時に黒い煙が森から立ち上る。

 すると音に釣られるかのように、動きのなかった兵士たちが移動を始めた。爆発の起きた場所からは離れた場所にいた兵士たちが、森からは一定の距離を保ったまま、なぞるようにして爆発の起きた方向へと進んでいく。

 それを待っていたのか、第二、第三の爆発が兵士たちを誘導するかのように発生した。薬の影響か、判断力さえ失った兵士たちはその音と煙に反応し、さらにひとところに集まっていく。

 そうして森を覆うように組んでいた兵士たちの陣に多少とはいえ、偏りができた時だった。

 森の中から一人の少年が現れる。

 まだ何もしていないというのに、息は荒く、この気温の中滴るほどの汗を掻いている。まるで満身創痍とでもいうような様子のまま、痛むのか頭を抱えながら、一歩一歩森から離れ兵士たちの方へと歩いていく。

 森から一定以上離れない限り、交戦しないようにでも命令されているのか、彼らは何ら動く様子を見せようとしない。そしてそのラインを超えたのか兵士たちが反応しようと、動く様子を見せた。その時、彼らの元へといくつもの氷槍が襲い掛かる。

 それを合図にするようにして、ほぼ全ての兵士たちが少年へと向かっていった。 

 

 

 

 

 

 

「……戦闘が開始した模様です。相手は年若いメイジが一人のみ。おそらくは躁兵どもを引きつけるための囮だと考えられます。先ほどの爆発も同じ目的のものであると思われます。また、それによって陣形が薄くなったところを、先ほど敵兵どもに突破されました。ご指示のとおり、深追いはしなかったので自軍、敵軍共に損害は軽微とのことです」

 

「……ああ、わかった」

 

 部下の報告へと彼、森へと逃げ込んだ敗残兵たちの相手をしている軍の指揮している男はおっくうそうに返事をした。

 

「しかし、本当にこれでよろしいのでしょうか?」

 

「……どういう意図なのかは知らんが、指示されているのはあの隊のメイジの無力化だ。雑兵どもに兵力を割くよりも、そいつを逃がさないことに注力したほうがいいだろう。あれっぽっち烏合の衆、逃げたところでどうせ何もできはしない」

 

「いえ、それもありますが……その、今のように少数の操兵と亜人たちだけでなく、アルビオン兵と共に攻め立てるか、多くの亜人たちで攻めたてればメイジの一人ごとき、すぐに終わるのでは……? 」

 

「……」

 

 その全うともいえる意見に、男はため息を一つ付くと口を開いた。

 

「私の隊に、命令に従う操り人形もどきとはいえ敵兵がいることに我慢がならん。下等な亜人共もだ。ならばわざわざ減らしてもらっているというのに、それを止めようとは思わん。捨て駒で疲労させてから止めを刺せば、アルビオンの兵にも被害がなく一石二鳥だろう」

 

「なるほど、そういうお考えだったのですね。軽率な口をきいてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 そもそもたかが一人のメイジ。数で押しつぶそうとそうしまいと、かかる時間に大した違いはない。そう考えたことが、兵を必要以上に出さない何よりも大きい理由だった。

 

 

 

 

 

 

 オーガの振りかぶった拳を不必要なほど大きく避けると、空いた脇腹と右足へと赤色の混じった氷の槍が突き刺さる。血を吹き出しながらバランスを崩してゆっくりと倒れるオーガをちらりと確認すると、被った血を拭うこともせず、向かってきた兵士の顔へと拳を叩き込みながら杖を振る。啜られるようにして集まった地面に溢れる血液が槍となり突き上がり、倒れるオーガの頭を下から貫いた。そしてそちらへは目もくれず、少年は次の敵へと目を向けた。

 

 それほど長い時間ではないとはいえ、たかが一人のメイジを相手に、それも若い学生ならばせいぜいがライン、よくてもトライアングルの下の方だろう相手にしては、あまりにも時間が掛かりすぎている。そう思い戦況を確認したときに視界に映ったのは、そんな光景だった。

 

「……凄まじいですね」

 

「……」

 

 遠視の魔法を止めた部下が、思わずと言った様子でそう声を漏らした。同じく遠視を止めた彼は、その言葉に返事を返さない。

 別にそれは、鬼気迫る戦いの様子に怯えたわけでもなければ、息を呑んだわけでもない。ただ返事を返す必要性を感じなかっただけだ。

 確かに凄まじいものはある。魔法の威力だけで言えばスクウェアの域まで達しているかもしれない。

 しかし体の動かし方はせいぜい素人に毛が生えた程度のものだ。そして異常な発汗、震えている手足、たまに痛みを堪えるかのように歪む顔。これらを合わせて考えれば、あれは話に聞く極限状態におかれることで精神力や身体能力が一時的に強化される、というものだろう。……所詮は蝋燭の最後の輝きのようなもの。さほど待つことも無く、もうしばらくもすれば燃え尽きる。

 ただ、それだけのことと言うだけだ。

 

 

 

「しかし、まさに力戦奮闘の戦いぶりで。仲間を逃がすために、あれだけとは……」

 

 しかし、まるで憧れるかのような部下の口ぶりに、彼は少し腹が立った。

 追い詰められた隊の長が、部下を逃がすために一人で大軍と闘う。それだけ聞くのならば、確かに男ならば一度は憧れるような状況だ。その後に悲惨な結末しか待っていなかったとしても、だ。

 だが、あれは違う。いや、確かに部下を逃がすため、というのが主な理由だろう。しかし、それだけではないはずだ。部下を逃がすと言うだけなら、もっと他に道はある。あそこでまだ学院で勉学に励んでいるような年頃の少年が、ああまでして戦っているには、おそらくもう一つの理由がある。

 彼には一つ心当たりがあった。それはきっと多くの部下を、隊の頭となった経験のある、自分のような者達にしかわからない。

 

「……今までに、隊長を務めたことはあるか?」

 

 部下へとそう問いかけると、慌てたように首を振って否定した。

 

「じ、自分ですか? いえ、まだまだ隊を治めるには力不足でして……」

 

「そうか」

 

 ならばわからないのも無理はない、と彼は思う。

 

 

 

 あの少年がああも死に物狂いで戦う理由、それはきっと二つある。

 一つは贖罪だ。

 自分の指示で部下が死んだこと、それに耐えられない。それを自分が傷付くことで償おうとしている。

 まるで友人を傷つけてしまった幼い子供が、自分も怪我をすることで責任を取った気になるような、そんな考え。

 そしてもう一つの理由、それは逃避だ。

 彼が取れた手段は多くはないとはいえ、幾つかあった。

 今やっている囮として一人残るというものの他にも、生き残った隊の者たちと一丸となり包囲を突破するというやり方もあったはずだ。だが彼はその策は取らなかった。何故か?

 ……それはきっと、もうこれ以上部下が死ぬのに耐えられないからだろう。これから先の何日かを、部下が少しずつ死んでいくのを目の前で見続けながら共に逃げるよりも、今そこで囮として果てることを選んだ。とどのつまりこれから先も自分の指示によって部下が死んでいく、ということから逃げたのだ。

 別にそれに関してどうこう言うつもりはない。

 隊の長としては二流だろう。第一陣を壊滅させたということと、第二陣に立ち向かわず森へと退いたことを考えれば、無能という訳ではないことはわかる。だが兵士を隊長である自分と対等の一人の人間として扱っているようではダメだ。

 チェスと同じだ。どれだけ実力に圧倒的な差があろうと、ポーンの一つも犠牲にせずに、勝つことなどできない。犠牲に心を痛めることがあっても、それが指揮に影響を与えているようではまだまだだろう。

 彼は少年に同情と憐憫を感じていた。

 このような戦場に来てさえ、人としての倫理や価値観を変えられないことに、そしてそれがここでは欠点でさえあるということに対して。

 その思いを感じながら、そして彼は部下へと指示を出す。

 

「……アルビオン兵をもう少し後ろに下げろ。万が一があるやも知れん」

 

「はっ!」

 

「そして亜人どもをさらに前へ。可能な限りの数を出せ。終わりにする、左右と正面から数で押しつぶせ」

 

 手を緩めることはしない。

 どれだけ同情と憐憫を感じようと、それが指揮に影響を与えているようではまだまだなのだから。

 こちらの指揮下にあるほぼ全ての亜人で、一斉に攻める。これでチェックメイトだ。

 そして部下が彼の指示に従おうとした時だった。

 

 

 

 ぽつり、と彼の手に一滴の雫が降り落ちる。

 そのことに疑問を持つまもなく、ぽつりぽつりと降り注ぐ雫が滴るようなものから、槍が降り注いでいるのかのような勢いへとなる。ただでさえここ数日の雪で泥濘んだ地面が、雨によって叩かれ飛び散り始める。

 

「こ、この時期のアルビオンで雨!? 聞いたこと有りませんよ!?」

 

 彼は空を仰ぎ見た。ここ数日のまま湧いたままの雲が厚く空を覆っている。そしてそこからは目も開けていられないほどの強さで、冷雨が降り注ぐ。

 部下の言い方は少々大げさだ。この時期のアルビオンで雨が降ること自体は、別段有り得ないことではない。もちろん非常に珍しいことであるのは間違いないが、自分の記憶を振り返っても何度も経験したことではある。

 だが、

 

「ここで降るか……」

 

 敵の少年が水のメイジであることは見ればわかる。この状況は彼にとってはまさに、虎が翼を得たようなものだ。例え虎が死にかけであろうと、脅威であることに違いは無い。部下が情けないほどうろたえているのもそれが理由だろう。

 

「これ以上雨が強くなる前に攻めましょう! では、指示された通りに伝達します」

 

「待て!」

 

 先走ろうとする部下を怒鳴りつける。自分が指示をした時とは、状況は変化したのだ。

 亜人どもを前に出すと言うことは、必然的に守りが薄くなることを意味している。この状況がひっくり返されることはもちろん、亜人や躁兵が突破されることすらまず起こりえないだろうが、雨という不測の事態が起きた以上、もう遊んでいる場合ではないだろう。一刻も早く終わらせる必要がある。

 

「……全ての兵を退げろ。もう終わらせる」

 

 彼は部下へとそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 気づけば、周りに動いている者は何もなくなっていた。あるのは動かなくなった死体だけ、聞こえるのは雨の音だけだ。

 別に戦いに勝ったわけでも、全ての敵を倒したわけでもない。少し視線を遠くへやれば、そこには戦いが始まる前と何も変わらず、多くの兵士たちが立っている。どういった意図だか知らないが、生き残った奴らに関しては、一度退却させただけのようだ。意図と言えば、そもそも俺がまだ生きていられているということの意味もわからない。俺のようなメイジ一人ごとき、数で潰せばそれで終わりだ。それなのにドーピング薬を二つ飲んだとはいえ、なんとかなる程度の数でしか来ていない。まあ、手を抜いた所で間違いなく勝てるのだから、あっちからすればそんなんどっちでもいいからというだけなのかも知れないが。

 とはいえ、多少なりとも猶予がもらえたのはありがたい。戦いと雨や血のせいで地面はぬかるみ、死体が転がっている。足場のコンディションとしては、最悪だ。

 俺は重い足を引きずり、戦っていた場所から離れると、そこに腰を下ろして、天を仰ぐ。

 そうして戦いの興奮が多少なりとも落ち着くと、それによって忘れていた体中の鈍痛と鋭い頭痛が襲ってくる。だが顔へ痛いほどの勢いで降り注ぐ雨によって、それらの痛みもわずかに麻痺しているのか、それほどきつくもない。

 不思議だ。さっきまで胸に閊えていた物が、だいぶ楽になっている。……隊員たちは逃げられたのか、逃げられたとしてもその後どうするのか、考えなければならないことは幾つもあるはずだが、それほど気にならない。今、こうして残って戦っていることで、隊長としての責任を果たした気になっているからだろう。

 まあ、ただたんに俺が冷血漢だという可能性もあるが。あとは自棄になっているだけなのかもな。もうどうでもいいが。

 

 

 

「よっこらせっと」

 

 座ったまま軽く杖を振ると、膝に手をついて立ち上がり、前を向く。気づけば前方の敵軍から、一人の男がこちらへと歩いて向かってきていた。

 羽織っているマントに、がっしりとした体形。髭を生やした威厳ある、自信に満ちた顔立ち。どの程度なのかは知らないが、まさか雑兵ということもないだろう。そこそこお偉い立場のはずだ。

なんでそんな人が、勝利確定の戦いでわざわざ一人で最前線に出てきたのかはわからないが。

まあ、目的は間違いなく俺だろうが。やだなあ、あの人間違いなく俺より強そうなんだけど。

 顔がはっきりと見えるほどの距離まで近づいてくると、彼は軽く杖を振った。

 杖の先から発生した不可視の風の塊は、雨粒を吹き飛ばしながら俺へと向かって恐ろしい速さで飛び、そして何かにヒビが入ったようなピシリという音を立てて霧散する。それと同時に俺の目の前の空間に白いひび割れが広がっていく。

 

「……用心深いことだな」

 

「ヘタレなだけだよ。あんたもあんたで容赦がないな」

 

 軽く杖を振ると、俺の目の前に広がっていたひび割れの原因、氷の壁は小さな音を立てて崩れ落ちた。

敵軍の中からいきなり出てきた男を前にして、何の用意しないでいられるほどあいにくと俺は自信家じゃない。それにしても、雨のせいで視界が悪くなっているのか、案外ばれないもんだな。

 

「で、どこのどちら様で? 意識はあるようだけど、実はトリステイン兵であらせられたりはなさらないんですかね?」

 

「冗談にしても気分の悪い……」

 

「そら失礼。で、あんたはあそこの奴らの親玉、ってことでいいのかね?」

 

俺は彼の背後に広がる軍へと、顎をしゃくってそう尋ねる。

 

「だったら何だ」

 

「ああ、ホントに隊長様なのか。なら這いつくばって靴を舐めるくらいまでならやるから、回れ右して帰ってくんない?」

 

 男は俺の言葉に、この土砂降りの雨の中でもわかるほど大きなため息を一つ付いた。

 

「よくしゃべる……。悪いがこの雨だ、貴様の相手などを悠長にするつもりはない。早く屋根のある所に戻りたいのだ。さっさと死ね」

 

「ああ、そう。つれないな」

 

 せっかく俺の人生、最期の話相手なのだからもう少し相手をしてくれても罰は当たらないと思うんだが。まったく、サービス精神の無い敵だ。

 

 

 

 

 

 

「……最期に、一つ聞いておきたいことがある」

 

「何だよ。好みの女性のタイプか?」

 

 俺の冗談に顔色一つ変えることなく、彼は一つ尋ねた。

 

「貴様はなんのために、今、そこにいる?」

 

 その質問を聞いて真っ先に出てきたのは、皮肉めいた言葉でも茶化すような冗談でもなく、自嘲するような籠った笑い声だった。

 

「……算数の問題だ。まあ、暇つぶし程度に考えてくれ」

 

「……何を言っている」

 

 俺のその言葉に相手は眉をひそめる。その様子に、まあいいじゃないか、と笑いかけると、第一問と続けた。

 

「あるところに136人の軍隊がありました」

 

 そこで軽く肩をすくめると、残念そうにため息を一つ付き、問題を続ける。

 

「だけれども残念なことに隊長が無能だったので、そのうち57人が死んでしまいました」

 

 そして相手に掌を向けて、問いかけた。

 

「では、ここで問題。さあ! 生き残っているのは何人でしょうか?」

 

「…………」

 

「わからないようなので、じゃあ第二問。これは簡単だから安心してくれ」

 

 相手の沈黙を答えと受け取り、次へと進む。

 

「78と1」

 

 手に持った杖をピシリと相手に向ける。そして俺は口角を上げた。

 

「さあ、どちらの数の方が大きいでしょう?」

 

「……やはりか。哀れだな、くだらん感傷だ」

 

「……知ってるよ」

 

 俺だってそれくらいのことはわかってる。でも俺は隊長なんだ。大のためには小を切り捨てなきゃいけない。たまたま今回は俺が小の側だったというだけだ。

それにしてもやってられない。これがくだらない自己満足だという事も、こんなことに大した意味がないこともわかってはいるが、こうしないと俺は自分に納得ができないのだから。

 全く、バカは損だ。こんな自分のくだらない性分に振り回されるたびに、常々そう思いしらされる。

 もう、これ以上会話をするつもりもないのだろう。俺の向けた杖に対応するように、相手も杖を持ち直す。

 俺はこうして今、ここにいるという判断をしたことをせめても後悔しないよう、力を込めて口角を上げた。

 




 モバマス二クール目も始まりましたね。面白いのですが、声が付くスピードが急すぎて、少し不安です。自分が好きなキャラにも付いたのでそれはすごくうれしいのですが、CDはしばらくでないでしょうし。と、いうか出るのでしょうか。
 サマフェスも東京はなんとかライブビュー取れていきましたが、大阪のは取れたのに発券忘れるという大ポカやらかして、本当に鬱です。追加販売があればいいのですが。
 長々と関係ない話をしてしまい、すいません。次話も無理をしない程度に急ぎます。
 また、敵の隊長が前線に出てきた理由に関しては、次話で詳しくやります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十六話 戦いの終わり

毎回言っている気もしますが、更新が遅くなってしまいすいません。
今後も不定期でやっていくので、よろしくお願いします。


「ジャベリン!」

 

「エア・スピアー」

 

 お互いを狙って放たれた氷の槍と風の槍は、氷と風だとは思えないほどの鈍い激突音を立ててぶつかり合う。

 競り勝ったのは氷槍だった。氷の破片をキラキラと輝かせながら砕け散ると、そのまま敵へと向かい突き進む。

 だが、相手の杖の一振りで地面へと叩きつけられ、粉微塵となった。

 

「ふむ……」

 

 相手は何かを考えるように、顎鬚を軽く撫でつけるとそのまま俺へと一歩、歩を進める。

 ……まずい。相手が何を考えたのか、なんとなくわかる。

ようは今ので格付けが済んだということなのだ。競り勝ったとはいえ、俺の精一杯のジャベリンと相手の力を抜いたであろうエア・スピアーがほぼ同威力。つまり地力ならばドーピングした状態の俺よりも上だという事だろう。体型や雰囲気などから考えれば、体力や腕力、戦闘経験なども間違いなくあちらの方が上だ。

 つまり正面切って戦えば、こちらが負けるのは目に見えている。

 ただ、戦場で正々堂々戦うってのもないだろう。

 ちらりと右腕へと視線を落とす。

 ……こんなことをやっていて今更の話でもあるのだが。

 

「シン・ミスト!」

 

 俺がルーンを唱えると同時に、空から降り注ぐ無数の雨粒がまるで連鎖するかのように、細かく霧散していく。白い霧が視界を塗り潰す。雨が降っていること、俺の精神力が強化されていることもあり、恐ろしいほどの速度で霧が世界を埋め尽くしていく。

 腰に下げていたナイフを片手に、身体を低くすると霧に身を隠して一気に距離を詰める。念のためルーンを唱えながらだが、足音もルーンも今は雨音で聞こえない。そのまま敵がいるであろう所へと、ナイフを突き出そうとした時だった。

 

「ウインド」

 

 その声が聞こえた瞬間、体の芯が冷えた気がした。

 ……それはただ風を吹かすだけの風の基本魔法。だが彼が唱えた呪文によって発生したものは、風を吹かすだけなんて生易しいものでなく、まさに暴風とでも呼ぶべきものだった。

 爆発音のような音と共に、硬さすら感じるほどの風が俺の頬を叩く。

 何が起きたのかを把握するよりも早く、辺りに立ち込めていた霧は文字通り霧散していく。決して軽いわけではないのに俺の体は宙へと浮かんだ。

 そして晴れていく視界の中、彼の姿が目に映った。

 

「そこか」

 

 わずかながら俺がいたのとは別の方へと向いていた顔と体がこちらへと向く。そのまま俺の顔へと、杖先が定められた。その向こう側にある彼の目と、俺の目が合う。

 まずい……。今の俺は風のせいで宙に浮いてしまっている。逃げることも向かうことも、避けることすらできはしない。

 

「ウォーター・シールド!」

 

 反射的にそう唱える。

 降り注ぐ雨粒が、地面に零れる水が、啜りあげられるように気泡を内蔵したまま俺の前に壁として凝縮する。気泡の混じった泥だらけの水の壁、俺の姿を隠すようにして現れた次の瞬間、壁の一部が飛び散った。

 俺の作り出した水の壁をいともたやすく突き破ったそれ、エア・スピアーは脇腹をかすめるようにして俺のマントに穴を開ける。

 

「か……はっ!」

 

 背中から地面へと落ちた衝撃で肺から呼気が抜けていく。

 

 

 

 わかったことは一つ。霧に隠れて、という戦法は使えないということと、やはり地力には圧倒的な差があるということだけだ。……二つだったわ。

 相手は遠距離での戦いにおいては、水よりも優秀な風のメイジだ。なら霧に隠れて戦えない以上、遠距離で戦うってのもない。ならできるのは相手を視界に入れながらあるかどうかも、衝けるかどうかもわからない隙を狙いながら戦うことだけだ。

 それはつまり地力で負けている相手に真正面から向かい合う、ということ。まさに典型的な負け戦。

 立ち上がり、水の壁に向けて払うように杖を振る。杖の動きにつられるように、水の壁が一本の巨大な水の鞭

となる。開けた視界に映るのは、それを見ても僅かな動揺すら感じさせない一人の将。

 

「覚悟は出来たか」

 

「……出来てなきゃ、出来るまで待ってくれるのか?」

 

「まさか」

 

 そう言って鼻で笑う。

 そして俺と同じように杖を振る。雨粒を、泥を、草を、雪を、巻き上げるようにして、風がうねりを上げて吹き上がり、杖に従うように荒れ狂う。当てつけか、それはまさに俺と同じように風の鞭だった。

 

「出来ていないというなら、させるだけだ」

 

「止めろよ、泣いちゃうぞ」

 

 示し合わせたかのように杖を振るう。その先に延びる風と水がぶつかり合い、気体と液体の衝突とは思えない破裂音を立てる。飛び散った水と泥を顔に浴びながら、敵へと向かって駆け出したときだった。

 目の前の光景がわずかに歪み、風が吹き抜けるときの鋭い音がした。

 前に進もうとする体を無理やりに捻じり、横に倒れ込む。そのすぐ横を、轟音と共に突風が通り過ぎる。

 転がるようにして仰向けになると、身体を覆う屋根のように上方の空中へと水の盾を張る。その瞬間、水面に鉄球を落としたかのように、波紋と水しぶきを上げながら水の盾が弾け散る。それを見て反射的に体に力を入れる。防御のために両腕で頭を庇い、すぐに右腕を元の位置に戻す。

 

「ぐっ……!」

 

 腹部に衝撃が走る。

 一度避け、水の盾で防ぎ、来ると思って力を入れた体で受けたのに、それでもその威力は意識が薄れてしまいそうなほどだ。

 歯を食いしばりながら立ち上がり、周りに目をやる。

 雨はまだ降り続いている。そのおかげで本来は見えないであろう風での攻撃が、僅かなりとも目で見れるようになっていることは先ほどの攻撃で分かった。でもそれではまだ遅い。情けないが、今の俺では避けきれない。

 なら……

 水の鞭を霧散させ、いくらかの距離を取って自分を覆うドームのように展開させる。そうしてから敵へと向かい、今度こそ駆け出した。

 いくらもいかないうちに水のドームの一部、左の前方が破られる。だがその突破された位置を基に、攻撃を避けそのまま進む。

 自分で操っている水なのだ。破られれば、それがどこなのかくらいはわかる。見えない攻撃なら見えないなりになんとかするだけだ。

 敵へと辿り着くと、その勢いのまま殴りかかる。だがそれを手で防がれ、そのまま掴まれそうになってしまう。

その手に向けて杖を突きだした。それを避けるようにして手を引いた瞬間、呪文を唱える。ドームのようになっていた水が、弾丸のように敵へと向かう。それに合わせて再び襲い掛かった。

 

「ウインド」

 

 だがその必死の攻撃も、相手の呪文ひとつで無駄になる。風と共に水の弾丸は弾け散り、俺の体は宙へ浮く。そこに相手の蹴りが突き刺さる。

 風に押されるように凄まじい威力となった蹴りは、左腕の上腕で受ける。

 

「ぐっ……!」

 

 痺れるような痛みと共に、そのまま風に身を任せ後ろに跳ぶ。

 なんとか姿勢を保ち、着地すると即座に氷の槍を創り出し、相手に向けて打ち出していく。

 

 

 

 やはり敵わない。だが遠距離戦でも敵わず、万が一隙ができてもそれを突くことができない。

 なら、もうこれしかない。あるかどうかもわからない隙ができるのをひたすら近くで待ち続けながら、戦い続けるというこのやり方しか。

 ……後は奇跡が起こることに賭けるだけだ。

 

 

 

 

 

 

「……ハアッ……ハアッ……ハアッ……」

 

「はあ……。ふうっ……もう息切れか。まだ若いと言うのに、情けないことだ」

 

「……」

 

 もはや反論すらできないほど完全に肩で息をしている俺に比べ、相手の方はいくらか息が上がっている程度。

俺の方は連戦なのだ、スタミナには絶対的な差がある。つまり持久戦では勝ち目はなく、そもそも地力には大きな差があるという話だ。

 一言でまとめれば奇跡は起きない。世の摂理通りに、弱い者が強い者に負けるというだけだ。

 ……もう無理だな。

 諦めるように笑うと、俺は軽く両手を上げた。

 

「降参だ。何でもするから命だけは見逃してくれ」

 

 俺のその言葉に相手は驚いたように軽く目を見開くと、軽蔑したように今までとは違う冷たさを持った目線でこちらを見た。

 

「……杖を持ち、立ったままで何を寝言を言っている」

 

 ……さすがに用心深いことで。

 右手に持った杖を敵がいる方とは反対方向へ軽く放り投げると、両手を挙げたまま膝をつく。

 杖のある場所はそんなに遠くないとはいえ、これならばすぐに手に取ることもできない。降参の意を示すには、十分だろう。

 それを見て、相手が一歩一歩こちらへと近づいてくる。

 そうして手を伸ばしても僅かに届かないような、俺が襲い掛かっても対処ができる距離で立ち止まる。一人きりで前線に出てくるような大将の癖に、なんともまあ用心深くて結構なことだ。

 

「足を延ばして地に伏せろ」

 

 とはいえ杖を持たないメイジなど、どうとでもなるということだろう。杖をこちらに向けることなく、持った手をだらんと下げたまま、俺へと向けてそう命じる。

 言われた通りに、顔を地面に付けて泥だらけの地面へとうつ伏せになる。横になるのがベッドの上か地面の上かの違いだと言うのに、なかなかどうしてみじめな気分だ。

 

「……正直に言って失望している。敵とはいえ、一つの戦いの終わりがこんなにもくだらないものだとはな」

 

 その声に乗せられた感情は嫌悪に侮蔑、僅かな落胆。

 俺は僅かに体重を前方にかけて首を曲げ、口を自由にする。

 嫌悪と落胆はどうでもいいが、侮蔑ってのはいい感じだ。それはつまり、相手を下に見ていることに他ならないからな。

 

「……最期に何か言い残すことでもあるか」

 

「そうだな……」

 

 必要になったら考えるよ。

 

「ジャベリン!」

 

 腕を地面に叩きつけると同時にそう叫ぶ。

 その瞬間、地より突き上がる氷の槍が敵の体を串刺しにした。

 見ずともわかる、手ごたえありだ。

 体を起こし、膝立ちになる。そして顔を拭い、目を開く。そこに映るのは間違いなく死んでいるであろう、氷に貫かれた敵の体と、……それが風に吹かれるように霧散していく様だった。

 

「…は? ……がぁっ!?」

 

 頭が動きを止めた一瞬を見計らったかのように、脇腹へと何者かの蹴りが突き刺さる。吹き飛ばされるように転がりうつ伏せになった俺の体へと乗りかかり、右腕を取られ、頭を掴むと地面へと叩きつけられる。

 死ぬような攻撃を受けて、風に散っていく敵の姿。どこかで見たことのあるそれが意味する所は

 

「遍在かっ……!」

 

 風の魔法の中には自分の立てる音や姿を消すものもあったはずだ。大方それを使いながら、こちらの隙をうかがっていたのだろう。

 

「人を騙そうとするのなら、自分がそうされることも考えてしかるべきだったろうな」

 

 俺の背中へと乗った敵、倒したと思った相手はそう嘯きながらも、俺の右腕を確かめるように軽く握りしめる。

 

「これか」

 

 そう呟かれると共に、ボキッ、グギリと木と何かが折れる時のような不快な音と共に、右腕に衝撃が走る。その直後に腕から伝わってくるのは、神経に火箸が突きこまれでもしたかのような、熱さを伴う激痛だった。

 

「ぐっ、がっ、あああああ゛あ゛あ゛っ!!!」

 

「あれだけ右腕に注意を払い、防御に使うのはわざわざ変えてでも左腕だけ、となれば馬鹿でも何かあると思うに決まっているだろう」

 

 右腕と共に折られたのは、上腕に仕込んでいた杖だろう。

 先ほど放り投げた杖はそれらしく加工したただの枝。これが杖を持たずに魔法を使えた手品のタネ。時間も人材も道具も碌に無い状況で、俺に出来た精一杯だ。

 

「戦う前から負けた時の用意をしておくとは。敵ながら見事と言うべきか、それとも哀れな考えだと言うべきか」

 

「ハアッ、ハアッ……負けてもいいよう偏在を用意しておく奴に言われたくはないな」

 

「口が減らんな」

 

「がっ、ぐっ……! むっ、ん゛っ……!」

 

 折れた右腕を捻られる。せめてもの意地として、歯を食いしばり、悲鳴を喉の奥へと飲み込んだ。

 

「貴様のように追い詰められてもいないのに、隊の頭が前線に出てくる訳もあるまいよ。それよりも悲鳴を耐えようとするのなら、涙を堪えたらどうだ」

 

「ふ、うっ……。悪いな、最近寝不足でね。欠伸涙だ」

 

「……そうか。まあ貴様の意地など、もはやどうでもいい」

 

 もうここまでだろう。もう相手もこれ以上引き延ばす気はないようだ。

 

 

 

 これが俺のうてる最後の手だ。

 腹の底から力を込めて、呪文を叫ぶ。

 

「ジャベリンっ!!!」

 

 俺の体の周りの水から生成された氷の槍が、背中にいる敵を貫く。

 

 

 

 右腕に仕込んでおいた杖も偽物だ。

 馬鹿でも何か右腕に何かあると思う。なればこそ、本命は左腕に仕込んでおくのが定石というものだろう。

 急いで体を反転させる。そうして体を起こした目の前には、こちらに杖を突きつけて立つ敵がいた。

 

「また遍在っ……」

 

「何故遍在か、同じ理屈は二度も言わんぞ」

 

 ……ここまでか?

 いや、まだ何かあるはずだ。

 その思いを胸に、目の前の杖へと手を走らせる。

 

「スリーピング・クラウド」

 

 その言葉と共に、杖の先から白い煙が俺の顔を覆う。

 

「いや、もう何もない」

 

 薄れゆく意識の中、それが俺に聞こえた最後の声だった。

 

 

 

 

 

 

「流石の手腕でございます」

 

 街へと退却する隊の中心で、隊の長へと横に立つ副官が声をかける。

 

「いや、本体でない遍在とはいえ、あれしきの敵に二人も潰された時点で情けない結果だ」

 

 来た方へと振り返る。

 自分の連れる兵士の姿で見えはしないが、その先には一人で倒れ伏すあの少年の姿があるはずだ。

 所詮は遍在だ、死にはしないと油断もあった。それは確かだ。自分が出て、命を懸けて戦ったのならば、あのような醜態は晒さなかったと、自信を持って言える。だが、それでも遍在が二人もやられたのは事実だ。あの少年が負けた時の事など考えず、ただ勝つために全力だったならば、何かが変わったかもしれない。

 とはいえもはや考えても栓なきことだ。少なくとも、メイジの無力化という命は完遂した。

 止めは刺してはいない。これからどうなるかは神のみぞ知ることだ。

 杖も無く、五体満足でも無い満身創痍の少年に死以外の結末があるとも思えないが。

 あの少年はくだらない自己犠牲の精神と英雄願望に身を任せたことを悔いながら、最期を迎えるのだ。それこそがあの少年にはふさわしい。

 

「……ふう」

 

 自分の中の物を吐き出すように、ため息を一つ着いた。

 もう雨は上がっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十七話 空から降りて

あまりに間が空いたので、ガーッと一気に一話書きました。
疲れたのでとりあえず投稿します。サブタイや前書き、後書きは後で書きます。
ざっとは推敲しましたが、多分ところどころ雑です。後で前話の戦闘シーンと合わせて直します。あっちも読み返したら、語尾がそろってたり変なところがあったので。


文末をいじる程度ですが、少しばかり手直ししました。


 雨に打たれて泥濘んだ雪原。そこかしこには多くの亜人や兵士の死体が倒れ、流れ出す血で雪原には赤い染みが浮き出ていた。激しい戦いがあったのだろう、雪原には墓標のようにいくつもの氷槍が突き刺さっている。雨によって少しずつ氷が溶けていく様は、まるでここはもう終わった場所なのだ、と表しているかのようだった。

 群れるように倒れる死体の中、そこから離れた所に独り、ぽつんと少年が倒れ伏していた。生きているのか死んでいるのか、ぴくりとも動かないその様子からは、判断することはできない。だが人体の構造を無視して曲がっているその右腕と左足を見れば、無事でないことは明らかだった。

 

「いた!」

 

 その少年の近くへと、空から一匹のドラゴンが降り立つ。それから飛び降りたのは一人の少女。

 少年へと駆け寄ったその少女は、彼の折れ曲がった手足を見て、僅かに眉を寄せる。

 だがすぐに意識を切り替えたのか、少年の頭の脇に膝を付き、その首元と口元へと手を当てる。

 

「息がある……」 

 

 呼吸と脈があることを確認すると、安堵のため息を一つ吐いた。

 すぐに気を引き締めると、少女は杖を持ち呪文を唱える。その呪文はレビテーション。風の基礎とも言える魔法にも関わらず、それを制御している少女の顔は真剣そのものだ。

 

「レビテーション」

 

 その声と共に、少年の体が宙に浮いた。

 まるで卵を掴むがごとく、繊細な制御の元で操られたレビテーションは、僅かも揺らすことなく、竜の背中へと少年の体を横たえた。

 それを見て、少女はひらりと竜の背に飛び乗る。

 

「行こう。急いで」

 

「きゅい!」

 

 そうして竜は飛び立った。

 少年が居た場所には、まるで何もなかったかのように、雪の跡だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 

「……ん……? ぐ、ぅ……!?」

 

 霞んだ意識の中、頭に鋭く刺さる痛みに重いまぶたを薄らと開けた。

 体を起こそうと腕に力を入れた瞬間、その痛みはさらに激しさを増し、僅かに浮き上がった体は再び倒れる。

 

「いっ……! てぇ、くそ……」

 

「大丈夫? 動かないで」

 

 俺の声に反応したのか、何やら聞き覚えのある声の誰かが俺の元に来ると、身体を起こした際に崩れたらしい、俺の体に載っていたマントや上着らしき物をかけ直しはじめた。

 霞む視界の向こう側に映るのは、やはりどこかで見た覚えのある顔だった。

 縁のない土地で数多くの敵兵に囲まれて一人きり。

 情けない話だが口は回れど心の底では人恋しかったのだろう。その人影へと右腕を伸ばしかけ、動かない腕に走る痛みに呻き声をあげる。

 

「言ってもらえればなんでもするから動かないで。シルフィード、もっと早く」

 

 俺の体の現状を知っているのか、右腕に響かないように左の掌を握りしめると、どこかへと向かいそう声をかける。

 体は満身創痍だが、頭は大丈夫のようだ。頭痛こそすれど、かかっていた靄が晴れるように少しずつはっきりとしてきた。

 それと共に晴れた視界に映った人影は

 

「……タバサ……?」

 

「そう。……助けに来た。…………ごめんなさい」

 

 見覚えがあるはずだ。そこに居たのは正直もう会うことを諦めてさえいた、学院の友人の一人だった。

 

「寒くはない?」

 

「いや……」

 

 何故かタバサは随分と薄着だ。マントも上着も着てはおらず、下に何か着込んでいるのかもしれないが、自分からはシャツを一枚着ているようにしか見えない。

 お前の方こそ寒くないのか、と声に出しそうになるが、自分の現状を認識してそれをやめる。

 よく見れば俺にかけられている服は、そのどれもがサイズの小さい女物だ。意識を失って、雨の降る中倒れていた俺の体を気遣ってくれたのだろう。

 やだ……女の子の服だなんて、良い匂いがしてドキドキしちゃう……。まあ、まだ頭が軽くやられているのか匂いなんざ欠片もわからないが。

 タバサの性格からして、寒そうだからこれを羽織ってくれと言っても聞かないだろう。とりあえずは、このままいきつつ、俺が大丈夫なことをわかってもらうしかないか。

 左腕でなんとか体を起こす。仕込んでいた杖こそ抜き取られているが、こちらの腕はどうやら無事なようだ。躊躇なく右腕をへし折っておいて、なぜこちらは無事なのかわからないが、今は単純に喜んでおこう。

 頭に手を当て、力を込める。そうして大きく深呼吸をすると、いくらか落ち着いた。

 周りを見渡せば、どこまでも青い世界が広がっていた。押し流されるようにして、大した変化の無い景色が視界の外へと飛んでいく。どこに向かっているのかまではわからないが、どうやらシルフィードの上のようだ。

 未だに状況がよく読めていないが、ただ一つわかることがある。

 ……俺は助かったのだということだ。

 部下はどうなったのか、なぜ敵は俺に止めを刺さなかったのか。部下が逃げているであろう中、死ぬ気でいた自分がこうして助かってしまったことに対する罪悪感、手も足も出ず敵に負けてしまった屈辱感。様々なものが胸の中を駆け巡るが、今はそれどころではない。それらの疑問はタバサに尋ねたところでわかりはしないし、感情は自分で処理しなければならないものだ。

 ただどうしても聞かなきゃいけないことが一つある。

 

「それよりも何でここに……、助けに来たにしても俺のいる場所なんてわかるはずが……、ゴホッ」

 

 体を冷やして風邪でもひいたのか、途中で咳き込んでしまう。

 口元を手で押さえ、そのまま肺の中の空気を全て吐き出すかのように激しく咳き込む。

 

「大丈夫? まだ動かない方がいい。横になって」

 

「ああ……ゴホッ、悪い」

 

 タバサに背中をさすられ、そう言われる。

 その言葉に甘え、俺はタバサに支えられて再び横になる。

 やはりもともと大して強靭なわけでもない俺の心身は疲れ切っているのだろう。タバサが普段の何倍も大きく見える。

 

「まだ寒い?」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 疑問形でそう尋ねながらも、俺にかけるものを探しているのか、タバサの視線はシルフィードの上をきょろきょろと彷徨っている。

 だが手元にあった衣類は、今俺にかかっているもので全てなのだろう。それに服なんてそうそう余分に持っている物でもない。少なくとも見える範囲に、それらしき物は見当たらない。

 別にそこまで寒いわけではないので、気にしなくても良いのだが。どちらかと言えば、俺にかける衣服があるならタバサに着て貰いたい。人が、それも知らない仲でもない世話になっている女性が寒そうな恰好をしているのに、俺だけが暖かい恰好で寝ているというのは、どうもおさまりが悪い。

 

「仕方がない」

 

 服を見つけるのを諦めたのか、タバサはそう声を漏らす。

 おいおい、これは人肌で暖めるしかないな、HAHAHA。

 

 

 

 タバサの手が自分の着ているシャツへと掛かり、そして一番上のボタンが外れた。

 

「おまっ、バカ、待て! あ、あだだだだだだだだ!」

 

 それを止めようと咄嗟に右腕を動かしてしまい、その痛みで体を歪める。体を丸めるようにした時、同時に左足からも激痛が走った。

 痛みに対して反射的に足も動く。右足はビクン、と動いたが、左足は伸びたままだ。

 あー、これは左足もやられてますね。

 

「~~~っ!」

 

「お願いだから動かないで。どうかしたの?」

 

 俺の顔を覗き込み、心配そうな声をかける。その様子からだと、まるで俺の方が間違っているみたいだ。 

 

「いっつつつつ……お、お前こそ今何しようとしたよ?」

 

「もうあなたにかける服が無いから、せめて私のこのシャツもかけようかと」

 

 まずお前が頭に水をかけて冷やした方がいい。

 

「気持ちはうれしいけど、そこまでしなくてもいい。もう大丈夫。むしろタバサは寒くないか?」

 

「……ありがとう。でも気にしなくてもいい。私は暑いくらい」

 

 ……最後のは嘘だろ。

 でも気持ちがうれしいのは確かだ。

 

「ありがとうは俺のセリフだよ。本当にありがとっ、ゴホゴホッ!」

 

「やはりもっと暖かくした方がいい」

 

「ゴホッ、だから平気だって……ボタン外すなって! いだだだだだだ!」

 

「動かないで」

 

 

 

 

 

 

「で、なんで俺を助けに来た、というか来れたんだ? アルビオンに来ても、いる場所まではわからないだろ」

 

 空気が柔らかくなったところで、ずっと疑問に思っていたことを聞く。最初に助けに来てくれたことを言った時に、謝られたのも気になるが、まずはこちらだ。

 俺のその問いに、タバサは顔を伏せる。だがすぐに顔を上げ、俺の目をじっと見つめる。

 

「……ごめんなさい」

 

 そうして軽く一つ呼吸をすると、その言葉を口に出す。

 

「今、私たちが向かっているのはトリステインじゃない」

 

「そうなのか? ……ならどこに」

 

 学院に直に、というのではなくとも、トリステインには向かっているのかと思ったが、どうも口調からするとそういう訳でもないようだ。

 

「……ガリア」

 

 

 

 

 

 

「私にあなたのことを教えてきたのは、ガリアの王『ジョゼフ』。今、私たちはあの男の元に向かっている」

 

 

 

 

 

 

「私の元にあの男から人形が来て、あなたの状況を伝えてきた」

 

 そうしてタバサは話し出した。

 

「そしてあなたが居る場所、私がそこまで行けるようレコン・キスタ軍の居る位置を教えることの代わりに、あなたを自分の元に連れてくるようにと」

 

 俺は驚きながらも、どこかでそれを受け入れていた。変な言い方だが、ツケを払う時が来たのだろう。

 

「話を信じるのならばあなたを助けるためには、考えている暇がなかった」

 

 エルフと闘ったことから、俺の情報がジョゼフにまで行っている可能性は考えていた。

 

「そしてあなたのことがあの男にばれている以上、あの男の地位と性格を考えれば今あなたと共に会いに行くよりも、約束を無視することの方が危ない」

 

 タバサの考えや行動を否定するつもりは毛頭ない。彼の性格などが俺の思っているものならば、直に会うことの危険性はそれほどでもないだろうからだ。俺が彼女の立場でもそうしただろう。

 またジョゼフに呼ばれたことを気味悪く思いこそすれ、それが今であることを辛く思いこそすれ、それを嫌がるつもりはない。それは元をたどればタバサを助けたことを後悔することに繋がるからだ。

 つまり驚きこそすれ、それ以外の気持ちはほとんどない。いつか来るものが今日来たというだけだ。

 むしろ交換条件とはいえ、ある意味ジョゼフに従ってまで俺を助けてくれたのだから、感謝の気持ちしかない。

 

「なるほど。良い機会かもな」

 

「……ごめんなさい」

 

「……何考えてるかはなんとなくわかるけど、気にするなよ」

 

「……でも」

 

 やっぱりか。そうだろうなとは思ったが。

 俺を騙してしまっただか、危険な目にあわせる羽目になってしまっただが、考えているのだろう。

 気にするな、と言うことは簡単だ。でもどれだけ心をこめて言ったところで、タバサがそれを素直に受け取りはしないだろう。

 

「……タバサ、一つ頼みがある」

 

「……なに?」

 

 俺は感じる必要の無い罪悪感で揺れるタバサの瞳を見ながら、肩に手を乗せる。

 

「俺を信じてくれ」

 

「……信じている」

 

「知ってる。でも気にするな、っていうのは信じてないだろ?」

 

 タバサの瞳がわずかに揺れる。俺はしっかりとそれを見据えながら、心の底から言葉をかけた。

 

「もう一度言う。信じてくれ。俺は何も気にしていない」

 

 どれだけ心をこめて言ったところで、人はそれを素直に受け取ったりはしない。

 でも結局、人にわかってもらうためには、その原始的とも根性論とも言えるようなそれしかないのだ。

 安っぽい考え方だと、自分でも思う。

 でもそんなものなのだろう。どの出来事が原因なのかはわからないが、戦争を通してなんとなくそう思うようになっていた。

 タバサの瞳が揺れを収め、はっきりとこちらを見返すようになったのを見て、力を抜く。

 

「もしも口だけじゃ信じてくれないっていうなら、ジョゼフの前での行動で示さなきゃな。おっかないから、そんなこと俺にやらせないでくれよ」

 

 俺のその軽口に、タバサもふわりと頬の力を抜いた。

 

「……わかった」

 

 ……まずいな。

 俺は口元を隠すと、その笑顔から目を背ける。

 

 

 

 …………男所帯でしばらく過ごした後の、女の子の笑顔は中々来るものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、そうだ。色々と急すぎて言うのを忘れてた」

 

 これからどうなるのか、不安な気持ちは山のようにある。戦場での暗鬱とした思いを吹き飛ばすために、少しばかり無理に元気にふるまったのが良くなかったのか、精神の方も疲れている。

 だがどんな理由があろうと、これだけは言わなくてはならないだろう。

 

「助けてくれてありがとうな、タバサ」

 

「……そう言ってくれるのならば、それで十分」

 

「……こんなんでよければ、何遍だって言ってやるさ」

 

 俺の中の気持ちなんて表に出したってタバサを不安がらせるだけだ。今後のためにも頭の中は冷静に、だが感謝と安堵の気持ちがせめて伝わるよう、言動は柔らかく見えるように。

 何はともあれ、シルフィードはガリアへ、ジョゼフの元へと進んでいく。

 

 

 

 

 

 

「お互いに命を助けて助けられて、か。これで貸し借りなし、ってことになるのかね?」

 

「ならない」

 

「……即答とは恐れ入るな」

 

「今回の事は私が好きでしたこと。あなたがガリアへと行かなければならなくなってしまったことを考えれば、むしろあなたへの借りが増えたと考えるのが妥当」

 

「だ、妥当……………………?」

 

 俺の中の気持ちなんて表に出したってタバサを不安がらせるだけだ。間違いない。

 だって今の言葉に表されているタバサの気持ちを聞いたことで、俺が不安になっているのだから。

 まさか借りを返せなくてではなく、貸しを返され過ぎて申し訳なく思う日が来るとは思わなかった。

 シルフィードでの旅は、俺の中の不安を一つ増やしながらもガリアへと向け続いていく。




あまりに更新が遅いので、微妙にこつこつやる形に変えました。これで少しは早くなるといいのですが。
次も不定期投稿になります。頑張りますので、よろしくお願いします。





オーデンスフィアレイブスラシル全クリしました。
まごうことなき、名作でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十八話 王宮と王宮で

活動報告の方にも書きましたが、文章量は多くないとはいえ、そこそこ大事な文章を付け足したので、四十八話を再投稿します。


「出来る限りの治療は致しました。後は10日も安静にしていれば、大丈夫でしょう」

 

 右手を何度か軽く握っては開く。特に痛みは無い。

 そして、そのまま左足を軽く叩き、また足を何度か前後に振る。やはり痛みは感じない。 

 

「……おぉ……! ありがとうございます」

 

 さすがは大国ガリア、その中でも王宮に在中しているであろうメイジである。腕は最高級であることは間違いない。まさか折れた手足がこうも簡単に治るとは。

 

「とはいえ、完全に元通りという訳でもありませんが」

 

「……というと?」

 

 仕事上の義務なのか、決して優しさではないだろう、にこりともせずに俺の腕を治した男のメイジは言う。

 

「足はそれほどでもありませんが、腕に関しては理想的な折られ方をされています」

 

「はぁ、なるほど……?」

 

 言われたことの意味がわからず、呆けた返事を返す。

 

「敵兵を無力化するのには、ということです。かなり複雑に折れていましたので、完治とは言えません」

 

「後遺症、ということですか?」

 

 俺の問いに頷く。

 

「激しく動かした際に強く痛む可能性がある、という程度ですが。まあ、日常生活にはなんら支障は無いでしょう」

 

 そう言った後、今思い出したのか、『あ、そうでした』などと呟きながら、彼は一つの薬瓶を取り出した。

 

「治りを早める薬です。どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます。飲み薬ですか?」

 

「ええ」

 

 綺麗な透明感のある青色の薬だ。受け取り、蓋を開ける。失礼にならないように軽く臭いを一嗅ぎすると、口を湿らせる程度に含んだ。

 妙な臭いも刺激も無い。舌に残るのも薄荷のような清涼感だけだ。こんなことに大した意味は無いが、やらないよりもましだろう。

 

「……変なものなど入っていません。一応用量も考えて用意したので、一壜まるまる飲んでください」

 

 僅かとはいえ、口調に不快感を滲ませながらそう言う。

 ……確かにこんなことをされれば、気分は良くないだろうな。

 彼の言葉を笑ってごまかすと、俺は残りの薬を喉の奥へと流し込んだ。

 

 

 

 ガリアの首都リュティス。俺は今そこに居た。さすがに他国の首都などに来たことが無いので、今自分がいるこの城がなんという名前なのかまではわからないが。まあ、おそらく二度と来ないであろう城の名前なんかに欠片も興味は無いからどうでもいいと言えばどうでもいい。それよりも大切なのは、この腕だ。

 ガリアの王宮で受ける治療と言うことは、それはつまりこの世界では最高級、いや最高のものだと言ってしまってもいいだろう。少しばかり関節が増えていた俺の腕と足は、再び自由に動くようになっていた。

 とはいえ当たり前だが良いことばかり、という訳でもない。

 一番解せないのは、着いたら何の話もなく、まっすぐに医務室に連れて行かれたことだ。それもタバサに案内されてではなく、すでに待機していた城内の人間によって、だ。

 まあ戦場帰りなのだから、多少の怪我はあって当然だ。医務室に連れていかれたのは、わからないでもない。

 ……気味が悪いのは、されていたのが骨折の治療の準備であったことだ。タバサにも確認したが、そもそも連絡手段がなかったため、俺の容体などは一切伝えていないということだ。 

 俺の事が筒抜けになっていることもそうだが、それを一切隠すつもりさえないということが一段と不安を煽る。

 ここに来て、今自分が置かれている状況に関しての実感が湧いてきた。

 ……今更だが、無事に帰れるのだろうか。

 

 

 

 タバサの案内の元、城内を歩く。埃ひとつ落ちていない廊下には、絵画などの美術品や花の活けられた花瓶などが配置されている。とはいえ世界一の大国の城内にしてはそれほど多く飾られているという訳ではなく、場の空気を引き締めるような静謐さを感じさせる程度の数だ。

 それは金がかかっていることはわかるが、同じ金がかかっているであろう内装でもある種の乱雑さがあったツェルプストー家とは違い、洗練された上品さを感じさせる佇まいだった。

 

「ここ」

 

 タバサが一つの大きな扉の前で足を止める。

 この奥にジョゼフがいる訳か。

 軽く周りを見渡す。ボス部屋の前なんだからセーブポイントを置くくらいのことはしたっていいものだと思うのだが、何度廊下を見渡そうが、これといって特に何もない。全く、お約束と言うのがわからない男だ。

 

「……はぁ」

 

 出来る限り音が出ないようにため息を一つ吐くと、扉に手をかける。

 ここまで来た以上もはや引き返せる段階ではないが、この扉を開けてしまえば本当に後戻りは出来ない。

 タバサの前じゃあ『良い機会だ』なんて格好いいセリフを吐いたが、本音を言えばそりゃ行きたくない。誰かを助けたことを後悔なんてしたくないから、それによって起きたことに対してだって臆したくない。とはいえこうしてそれを目の前にすると、さすがに心の中まで恰好よく、とはなかなかいかない。

 後ろをちらりと振り返り、そこにタバサがいることを確認する。

 ……せめて人の目がある時くらい、意地を張りたい。

 扉に向き直り、かけた腕へと力を込めた。

 

 

 

 部屋の扉を開けた瞬間、鼓動が大きく一つ跳ねる。

 ぽつりぽつりと家具が置かれながらも、どこか寒々しさを感じさせる広い部屋。部屋の主の趣味なのか、所々には玩具らしきものが置かれている。本来ならば暖かさや微笑ましさを感じさせるであろうそれらも、それが今この部屋に与えているのは空虚さのみだ。

 その部屋の中央にその男は居た。

 その整った顔立ちからすれば年の頃は30代かそこらにも見える、意志の強そうな鋭い目つきに、威厳を表すかのように蓄えられた青髭。頬はすっきりとしており、顔を見るだけで肥満なんて言葉とは無縁であることがよくわかった。椅子に座っているせいで背丈こそはっきりとはわからないが、少なくとも俺と頭一つ分以上は違う、かなりの長身だろうことは間違いない。

 机に乗せられた腕はまるで丸太か鋼のようで、王だというのにまるで一介の将軍のような剛健さだ。

 ジオラマか何かだろうか、ここからではよくわからないが何やら巨大な箱庭のような物を背に椅子に座すその男は、俺へと向けて笑顔で手を広げて声を張る。

 

「待っていたぞ! よくぞ来てくれた! シャルロットの友人よ!」

 

 それらの言動に込められていたのは歓迎の意と、喜びの感情。だが、俺がそこから感じ取った物は、何故かそれとは正反対のものだった。

 ……気味が悪い。

 根拠は無い。あえて言うのならばこの男が持つ雰囲気のせいだろうか、俺の勘がこいつに関わらない方がいいと言っている。

 タバサのお袋さんが以前ジョゼフを沼と表現していたことに、今更ながら心の中で同意した。

 とはいえそれをおくびにも出してはいけないということがわかる程度の頭と、出さないように出来る程度の経験は積んでいるつもりだ。

 タバサのお袋さんの時とは状況が違う。まずはしっかりと挨拶をせねば。

 軽く右足を引き、膝を着く。

 

「この度は……」

 

「ああ、いい、いい」

 

 ジョゼフはうっとうしそうに手を振った。

 

「可愛い姪の友人とあらば、余にとっての甥も同然よ。細かい礼儀など気にしなくても良い。まあ、座れ」 

 

 そう言って机を挟んで自分の向かい側に置かれた椅子を指す。

 

「……はい、失礼致します」

 

 よくわからないが向こうが良いと言っているのだから、気にしなくてもいいのだろう。出鼻をくじかれたことと、とんとんと進んでいく展開に奇妙な気味の悪さを感じながらも、おずおずと椅子に腰かける。

 チェス盤の置かれた机越しに、ジョセフと相見える。

 俺の様子を一瞥した後、まるで何かから守るかのように椅子に座る俺の後ろに静かに立つタバサへと顔を向ける。

 

「しっかりとした良い男ではないか、シャルロット。シャルル亡き今、叔父である余が親のようなものだからな。お前の交友関係を心配していたのだが、杞憂だったようだな」

 

 その問いかけにタバサは無言で対応した。それはそうだろう。親の仇が親代わりを自称するなんて、悪い冗談だ。

 

「しかし、呼んでおいて悪いのだが」

 

 元からタバサの返事など期待していなかったのだろう、気にした様子さえ見えずにジョゼフは何やら悲しそうな顔で俺へと話しかける。

 そのころころと変わる表情だけ見ていれば、彼が悪い人だとは思えない。

 

「お前くらいの年頃の者とどう接したものか、余には皆目見当がつかんのだ。すまんな」

 

「いえ、そんな……。お心遣いはありがたいのですが、お会いできただけで望外の喜びですので」

 

 その言葉にジョゼフはきょとんとした後、さも楽しそうに笑う。

 

「それはいい! まさにそつがない返答だ。とはいえ、まさかこんな辺境の小国までわざわざ呼んでおいてただ帰すという訳にもいくまい」

 

 そうしてジョゼフは得意げな顔で、机に置かれたチェス盤を指で叩いた。

 

「余が唯一人並みにできることよ。指せるか?」

 

 ……チェスか。自分で言うのもなんだが、そこそこ自信はある。少なくとも知人や友人、家族相手では負けた覚えがない。趣味はチェスだと言っても恥をかかない程度の実力はあるつもりだ。

 

「手慰み程度の腕前ですが」

 

「十分だ。とは言ってもただ指すだけ、というのも面白くあるまい。どうだ、一つ賭けでもするか? 余が負けた時は、なんでも一つ願いを聞いてやろう」

 

「いえ、生憎ですが自分には……」

 

 狂王という呼称さえある人間相手に賭けなんて恐ろしいことはできない。ガリアの王になんでも願いを聞いてもらえるというのは確かに魅力的だが、そもそも俺が王相手に差し出せるものなど何もない。もちろんジョゼフがその約束を守ると言う保証も。

 そう思って即座に断ろうとした俺の言葉を遮って、ジョゼフは言葉を続ける。

 

「賭けるのはこちらだけだ。ハルケギニアの未来を担う若人から、何かを奪い取るほど余も狭量ではおらぬ」

 

「あ、い、いや、それはさすがに」

 

 そんなうまい話があってたまるか。裏に何があるのか、わかったものじゃない。

 焦りながらも断ろうとする俺を尻目に、ジョゼフは白のポーンを動かした。

 

「余もこの年になってやっとわかったが、若人に足りないのは時間は有限であるという意識よ。仮に負けたとしても何も取らん。何を怯えることがある」

 

「は……い。自分で良ければ」

 

 わかりやすい世の縮図だ。上に言われたことに対してできることは、返す返事を選ぶことだけだ。

 ……『はい』と『わかりました』の二つから。

 

 

 

「余としても安心しているのだ」

 

 独り言のようにそう呟きながら、ジョゼフの手が俺のポーンへと伸びる。それを取ると、白のナイトがそこへと降りた。

 ふむ……。顎に左手をやり、少し考える。

 

「シャルルが何者かに殺され、またあれの妻まであんな哀れなことになってしまい……その悲劇が愛する姪の顔から笑顔を奪い取ったのだ。なんと残酷で、許しがたい非道ではないか……。そう思うであろう?」

 

 歌劇の登場人物のようにそう謡う。

 歪む口元を隠すために顎に添えた手を口元にやりながら、無意識のうちに空いた右手の指が机を叩く。

 ……気に入らない。まるで自分は無関係でござい、とでも言うような口ぶりだ。

 自分で手を下したのかどうかは知らない。でも、どう考えても、それをやったのはお前だろう。

 オルレアン夫人が薬を飲むことになった状況は、夫人やタバサから話で聞いた。ジョゼフがやったことは間違いない。

 だが……証拠がない。いや、あっても意味が無いのだ。証言があろうが、状況証拠があろうが、誰の目にも明らかな物証があろうが、大国ガリアの王を裁くことなど出来はしない。

 それを自覚した上でのこの言動だ。

 ポーンでナイトを軽くどかす。

 

「……おっしゃる通りです。ですがそのような悪逆非道の輩には、いずれ天より罰が下るでしょう」

 

 俺のその言葉を、ジョゼフは大声で笑い飛ばした。

 

「天よりの罰とは……お前も、信じてもいないものをよく言ったものだ!」

 

 何がそんなに面白いのか、ジョゼフは笑いながらもキングを一つ動かした。それは読んでいた。間髪入れず、ルークを前線へと進める。

 チェスの三割は心理戦だと言ったのは誰だったか。耳障りな笑い声を無視しながらも盤面を眺める。 

 

「上手いな」

 

 即座に指し返した俺の指し手を見てにやりと笑う。

 

「まるで棋譜をなぞっているかのような、綺麗な手だ」

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

「だが、それは相手も綺麗な手を打つという前提があっての話よ」

 

 そう言ってクイーンを掴むと、前線へと押し上げた。

 

「……んっ……?」

 

 このタイミングで、クイーンを動かす意図がわからない。もう一度盤面を広く確認する。

 ……やはりこの動きに特に利点は見当たらない。ビショップの動きが利きにくくなっている分、ジョゼフの手損じゃないのか、これは。

 不安はある。とはいえここで止まっていても仕方がない。自分もチェスは全くの素人という訳ではない。

 ……もしかしたらがあるかもしれない。自分でも信じていないそんな考えを胸に、俺は駒へと手を伸ばす。

 

 

 

 ……どこでミスをした?

 気付けば盤面は押されていた。悪手にしか思えなかったクイーンの一手が、今となってはこれ以上ないほど効いている。これ以上どう動かしたところで、俺の陣地の空いた部分にクイーンが突き刺さるとしか思えない。足りない俺の頭でだって、そこから圧倒されていくのが見えるようだ。

 ……思い返しても自分の指してきた手にミスが思い当たらない。

 それはつまり自力に圧倒的な差があるということなのだろう。……多少の自覚はあったとはいえ、正直思ったよりも悔しさが強い。 

 もはやここからの巻き返しはおそらく不可能だろう。とはいえそう簡単には諦められない。

 

「それにしても、最近は物騒なことだ」

 

「……ええ、まさに。まさかこの若輩者の身で、戦火に身を投じる日が来ようとは思いもしませんでした」

 

 無礼にならない程度に会話に気を払いながらも、やはり意識は盤面へと向かってしまう。

 

「いや、そちらではない」

 

 …………? よくわからないな。他に何かあったか? タバサを取り返しに行った、アーハンブラでの事への皮肉か? 

 

「お前やシャルロットが通っている学院が、賊に襲われた件についてだ」

 

「……………………は?」

 

 予想すらしていなかった言葉に、ぽかんとした口から無礼に取られかねない言葉と共に息が抜ける。

 かろうじて機能している耳に、ジョゼフが言った『そんなところが手練れに襲われるとは、なんとも不思議な話だ』という耳障りな言葉が入る。

 ……不思議な話だ、ってなんだよ。なんでお前がそんな話を知っているんだ。それはつまり、それにはお前が一枚噛んでいるってことじゃないのか。

 このタイミングでそんな話をするなんて、その件の後ろに自分がいることを、隠すつもりすらないってことか?

 険しくなりそうになる表情を必死で固定し、冷静なさまを装う。だが僅かとはいえ眉間に皺が寄ったであろうことが、自分でもわかる。

 それを誤魔化すために、俺は睨み顔をせめて盤面へと向けた。

 

「まあ、銃士隊、だったか? アンリエッタ女王肝いりの隊士以外には、ほぼ被害も無かったということだが」

 

 どことなく不満そうにも感じる声色でそう話す。

 ジョゼフの言葉だ。鵜呑みに出来るわけではないが、それを聞いて少し安心した。

 見ず知らずとはいえ、銃士隊の方々に被害が出たことを可哀そうだと思う程度には優しいつもりだが、それによって俺の知り合いに被害が出なかったことを喜べる程度にはドライなつもりだ。

 俺は手で口を隠すと、気付かれないように安堵のため息を一つ吐く。

 

「ああ、悪い、忘れていた」

 

 だがジョゼフはさも今思い出したかのように、言葉を付け足す。おそらく俺が安心するのを待っていたのだろう。それは隙を衝くという意味では完璧なタイミングだった。

 俺がその言葉に驚き、意識に出来た一瞬の空白の間に、ジョゼフは机に身を乗り上げ、他聞をはばかる話をするかのように、俺に顔を寄せる。

 

「いや、大したことではないが、聞いた話では使用人が一人被害を受けたということだ」

 

 ……使用人?

 混乱した頭に入り込んだその単語が、一人の影を形作る。

 

「名前はなんと言ったかな……? そう……」

 

 安全だと思っていた戦場でいきなり一つの隊を率いることになり、そして彼らを死に赴かせながらも自分の手で人を殺し、死を覚悟して一人残って戦い、命を拾えたことに安堵したのもつかの間大国ガリアの王に謁見し、そこで学院が襲われたことを聞く。そして、被害を受けたであろう人物として俺の脳裏に浮かぶのは、一人の知り合い。

 乱降下する気持ちと状況、そして、多大なストレスに、もはや俺の頭はブレーカーが落ちたかのように空っぽだった。

 

「アラベル……といったかな?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十九話 ハリボテの再起

「アラベル……といったかな?」

 

 その言葉を引き金に、俺の脳裏に浮かぶ人物像にはっきりとした顔が表れる。

 学院が襲われたと言う情報と、それを裏で糸引いたのは目の前にいるこの男だという直感が絡まり、空になった頭が激情が満たされた。

 椅子を倒して立ち上がる。

 

「……待って! それは」

 

 後ろから聞こえる俺を止める声など気にもかけず、俺はジョセフの胸倉を掴みあげた。 

 

「テメエ! あいつは関係ない!だ、ろ……う……」

 

 感情のおもむくままに吐き出した言葉。それを言いきる間もなく、怒りによって麻痺した脳裏に、ジョゼフの胸倉をつかんだ手が映る。

 ……馬鹿か、俺は。何をやっている。

 血の上った頭が、怒りはそのままに瞬時に冷える。

 指から力が抜け、ジョゼフは浮いた体を椅子に降ろした。

 

「急に激昂するなど、いったいぜんたい何があったのか……もしかしたら『何か変なものでも口にした』のかははわからんが」

 

 嫌味なその一文を枕詞に、この件の黒幕の声が部屋にこだまする。

 

「いや、恐ろしかった。アルビオンの戦場から生還した程の英傑に迫られては、ネズミの鼻先ほども無い余の心臓は一たまりもない」

 

 呆けた俺の視界に映る眉を曇らしたジョゼフの顔は、もはや滑稽なほどのわざとらしい恐怖で満ちていた。

 真っ白な頭のまま、机に手を付き、顔を伏せる。

 ……何が恐ろしいだ。そんなことは欠片も考えてはいないくせに。俺の恫喝なぞジョゼフにとっては、虫の羽音以下でしかないだろう。

 俺の頭の中には、先ほどのジョセフの言葉が響いていた。

 ……『何か変なものを口にした』か、仮定にしてはいやに具体的だ。つまりはそういうことか。俺は最初から、手のひらの上で転がされていたわけだ。

 自分の愚かさとやったことへの後悔に、瞳孔は開き、視界には何が映っているのかもわからない。

 ……兎にも角にもまずは謝罪をしなければ……。

 震える喉を動かし、声を絞り出す。

 

「申し訳……!」

 

「ああ、そういうのはいらん」

 

 顔を伏せ、謝罪のため平伏しようとした瞬間、声をかけられる。

 

「安心しろ、愛する姪の友人だ。多少の事なら笑って許そうではないか」

 

 反射的に上げそうになる顔を、意志の力でねじ伏せる。

 一瞬でも期待と安堵をした自分に失望する。俺を怒らせたのが予定通りだったのならば、この言葉も予定通りに決まっている。

 

「とはいえ何もなし、という訳にもいかん」

 

 ジョゼフは軽く口角を上げた。

 

「シャルロット」

 

 そうして俺を通り越し、後ろにいるタバサへと声をかける。

 

「彼の非礼をお前が詫びろ」

 

 頬の内側を強く噛んだ。握りしめた指の爪が掌に刺さる。 

 きっとこれがジョゼフの目的だったのだ。タバサに頭を下げさせるということが。目的はわからない。いや、王としての権限や母親を使えば、タバサに頭を下げさせるだけなら簡単なことだ。なら大切なのは俺の責任で頭を下げさせるということ。

 目的がわかったのならば、次にやることは一つだけだ。

 そうだ。止めるべきだ。友人が、命の恩人が、俺のバカのせいで親の仇に頭を下げるなんてあっちゃいけない。止め方なんて簡単だ。よせと一言タバサに声を掛ければいい。『馬鹿を言うな』と、ジョゼフに対して声を荒げたっていい。なんなら振り向いて目を見るだけで、タバサはこちらの意図を酌んでくれるかもしれない。方法なんていくらでもある。

 もちろんあれだけの事をやらかしたうえ、相手が出してきた謝罪案すら蹴ったのだ。間違いなく、俺はなんらかの責任を取らされるだろう。狂王ジョゼフ相手だ、大げさでなく、死罪の可能性すらある。

 でもそれは、俺を助けてくれたタバサを見捨ててまで守る価値があるものなのだろうか。

 …………………………

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

「ふむ……いくら伯父相手とはいえ、王への無礼に対する謝罪にしては軽いな。……そうだシャルロット、跪け」

 

 衣擦れの音の後、背後でもう一度その言葉が響いた。

 

「ごめんなさい」

 

 ……結局俺は動けなかった。

 

 

 

 俺の背後に向けていた視線を、俺の顔へと戻すと何故かジョゼフは破顔した。

 

「よし! これで全てを水に流そうではないか」

 

 彼は朗らかにそう言って、パン、と一つ手を叩く。

 

「……ありがとうございます」

 

 ほぼ反射的に言うべき言葉を返す。

 

「どうした、水に流すと言っているだろう? そんなに気にするな」

 

「はい……すみません……」

 

 俺の様子を不審に思ったのか、後ろにいたタバサが横に並び、俺の顔を横目で見る。

 

「……っ……」

 

 どういった気持ちからなのかはわからないが、息を軽く飲み、目線を鋭くするとジョゼフの方へと顔を向けた。顔は前へと向けたまま、俺の体の前に片手を伸ばすと手の甲で軽く俺を後ろへと押した。それに従い、よろけるようにして後ろへと下がる。

 俺を守るように前へと立ったタバサは、杖を力強く握ったままジョゼフに向けて口を開く。

 

「もう用件は済んだはず。私たちは帰らせてもらう」

 

 机に肘をつくと、そこに顎を乗せるとジョゼフはニッと笑った。

 

「ああ、好きにしろ。これ以上やれば、流石にお前も手を上げるだろうからな。そこまでは俺もまだ今は望んでおらん」

 

「では失礼する」

 

「ああ……いや、待て」

 

 何か思い出したことでもあるのか、ジョゼフは椅子から立ち上がり、こちらへと歩み寄る。

 

「…………」

 

 腕を伸ばし、俺を庇うようにして前に立つタバサを挟み、俺とジョゼフが向かい合う。

 思った通り、俺よりも随分と背が高い。見上げるようにして、顔を見る。最初に会った時と比べて特に表情に変化はない。だが貶めたことで俺に対する興味を失ったのか、なんとなくどこか醒めたような雰囲気があった。

 

 

 

 霧がかかったかのようにぼやける頭で考える。

 フーケを捕まえるのに手を貸した。ワルドの遍在を倒した。エルフを倒した。タバサの母親を治した。振り返れば随分と色々なことをやってきた気がする。ただ間違ったことはやってはいないはずだ。

 ならばなぜ、今俺はこうしてガリアの王の前にいるのか。なぜ他国のたかが一使用人のことについて知っていて、それを俺に教えようとするのか。

 理由は簡単だ。……糸を引いたのがジョゼフだから。今はもう、確信を持って言える。学院襲撃の裏にいるのは、この俺の目の前にいる男だ。

 ではなぜそんなことをした。……これも理由は簡単だ。放っておけば間違いなく死んでいた俺をわざわざ連れてきてそんなことを話したことからしても、俺に目を付けているからだろう。

 

 

 

 ならばなぜ目を付けられた?

 

 

 

 もう答えはわかっている。タバサの母親を治したから。エルフを倒したから。

 誰かを助けたことを後悔したくないから、なんて綺麗ごとをお題目に目を逸らしていたが、遡っていけば、結局のところ一つの出来事に収束される。

 タバサを助けたからだ。

 視界に映るのはタバサとジョゼフ。多分このままで、このクソみたいな気分のまま、タバサに守られたままでいれば、もう少しで俺は帰れるのだろう。

 そうなったらどうなるのか。まるで目に映るようだ。

 学院で鬱々とした気分のまま過し、自分で考え自分の判断で動いたくせに、いつしかこうほざくようになる。

『こうなったのはタバサのせいだ』、と。そしてそんな自分の事を嫌悪すらしなくなるのだ。

 ……冗談じゃない。

 

 

 

タバサの肩を軽く掴む。

 男にしてはひ弱な俺よりも随分と薄く、小さい肩。この年頃の女性にしては鍛えている方なのだろうとは思うが、それでも十分な柔らかさが掌を通して伝わってくる。

 ……俺はこの肩に守ってもらおうとしていたのか、恥ずかしげもなく。

 

「悪いけど、少し下がっていてくれ」

 

「っ……それは……」

 

 急に後ろから肩を掴まれたことに驚いたのか、振り返りつつも拒否の言葉を発しようとするタバサ。だが、俺の顔を見て僅かに目を見開くと、それ以上何を言うでもなく静かに俺の後ろへと戻った。

 ジョゼフもタバサも俺の顔を見るたびに、なんかしらの反応をするがなんだというのか。まあ俺の顔に何があるのかはわからないが、今はそれどころではない。

 もう一度、ジョゼフと向かい合う。

 どことなく纏っていた醒めた雰囲気は、もう消えていた。愉快げに吊り上げられた口に、楽しげに歪められた目。それは新しい玩具を与えられて子供の表情そのものだった。

 自分を見てそんな表情を浮かべる大国の狂王。頭の片隅に前へと歩み出たことへの後悔がちらりと浮かんだ。

 萎える心を震わすために、俺は一度拳を強く握る。そこに残るのは先ほど掴んだ薄い肩の感触。俺をジョゼフの前へと立たせている理由、吹けば飛ぶような意地の根っこだ。

 自分の判断すら人の責任にしながらもそれを異常に思わない人間になるか、自分を助けてくれた人よりも前に立てる程度の事はできる人間になるか。

 ならせめて、後ろで見ていてくれる人に、恥ずかしくない人になることを目指したい。

 そう、たぶんおそらくきっと、ここが俺の分水嶺だ。

 

 

 

「まずは謝罪を」

 

 ジョゼフの目を見てしっかりと。

 

「先ほどの無礼、真に申し訳ありませんでした」

 

 謝罪の言葉を発すると、深々と頭を下げる。

 虚をつかれたような息音の後、笑い声が部屋に響いた。俺の頭へと降り注ぐそれを聞きながら、ただ視線を床へと向け続けた。

 

「頭を上げろ」

 

 どれだけ続いたか、笑い声が止むとそう声を掛けられた。

 顔を上げ、再びジョゼフと目を合わせる。

 

「何があったかわからないが」

 

 口に含むようにして軽く笑いながら、ジョゼフは言葉を続ける。

 

「持ち直して第一声が謝罪とはな。予想していなかった」

 

「やはりどうであれ、当人が頭を下げなくてはならないと思いますので」

 

 俺の言葉を軽く鼻で笑う。

 

「そつがないのもそこまで行けば鼻に付くな。まだ殴りかかってくる方が可愛げがある」

 

 言葉こそ不満げだが、その表情にそういった様子は一切ない。

 おそらくジョゼフの表情に嘘は無いはずだ。それこそ言いすぎでなく俺たちの生殺与奪を握っている彼が、ここで表情に嘘を混ぜる必要が無い。

 

「まあいい」

 

 そう言ってテーブルの上へと移動した彼の視線を追えば、そこにはチェスの駒が散らばっていた。おそらく俺がジョゼフの胸倉を掴んだ衝撃で、倒れたのだろう。

 

「最後まで勝敗の判らない実にいい勝負だったが、これでは続けるのは無理だな」

 

 俺の圧倒的な劣勢で、あとは勝ち負けでなくどれだけ持つかという状況だったはずだが……まあ、ただの皮肉だろう。

 

「ええ、自分の負けが見えていたとはいえ、決着がきちんとつけられなかったことは残念です」

 

 さすがに大失態で頭も随分と冷えた。血が上ってさえいなければ、これくらいのことは受け流せる。

 わずかにつまらなそうな表情を浮かべたジョゼフは横目で俺を見ると、再びチェス盤の向かい側へと戻り、椅子に腰を下ろした。

 

「時間はあるのだろう? もう一局どうだ?」

 

 ジョゼフのその言葉に応じたように、俺の服の袖が軽く引かれる。

 振り向けばタバサがこちらを見上げていた。俺の目を見つめた後、その顔が軽く横に振られた。

 ……わかってる。今の俺がわずかにでもしゃんとしているように見えるのは、強くなったからじゃない。意地だの男のプライドだのといった、俺には似合わないものを必死に掻き集めて作ったハリボテを見せているだけだ。時間が経って冷静になれば、そんなものはあっという間に崩れ去る。ならここでもう一局なんて愚の骨頂だ。

 

「いえ、お誘いいただき大変うれしいのですが、襲われたと言う学院の友人が心配ですので今日はこれで失礼いたします」

 

「そうか……」

 

 三十六計なんとやらだ。

 もう一度深く頭を下げ、足早に扉に近づき、手をかける。

 

「待て」

 

 再びかけれらた静止の声に、仕方なく再びジョゼフの方を向いた。

 

「これで最後だ。口調にも内容にも、どんな言動をしようと一切の無礼は問わん」

 

 机に頬杖を突き、軽く笑いながらこちらを見つめている。

 

「アシル・ド・セシル、今のお前の素直な気持ちを教えてくれ」

 

 

 

 先ほど一度はめられた後だが、俺はそのジョゼフの言葉を疑ってはいなかった。

 ……ジョゼフの持つ権力は圧倒的だ。彼が黒だと言えば、それがどんなものであれそれは黒なのだとして扱われる。

 俺がどんなに礼儀を尽くそうと、それをタバサが見ていようと、彼が一言『無礼だ』と言えば、俺は終わりだ。

彼がその気になれば、仮に俺に何の問題もなかったとしても、俺を2,3日のうちに処刑台の上に立たせることもできるだろう。

 逆に言えばだからこそ、俺をはめたいのならば何を言ってもいいなんて言う必要はないということだ。

 そしてはめるためでないのならば、俺に何を言われたところで、ジョゼフは怒りはしないだろう。さっきも言ったが俺の罵倒なぞ、ジョゼフにとっては虫の羽音だ。どんな罵詈雑言を並べた所でどうせ心に届きはしない。

 なら渡りに船だ。ちょうど俺にも一言、言ってやりたい言葉があった。

 

「では、僭越ながら一言だけ」

 

 扉を開けて廊下に出る。周りを見渡し、誰もいないことを確認すると、部屋の中のジョゼフへと告げる。

 

「覚えておけよ、無能王」

 

 そう吐き捨てて、扉を閉めた。

 




イース8にペルソナ5、初めて触れた有名シリーズですが両方大当たりでした。
GRAVITY DAZEも面白かったです。少し目は回りますが。
仕事でSSA初日に行けなかったので、なんのやる気もでませんが、上の3本が当たりで良かったです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十話

ざっと書いたので投稿します。

後書きやらサブタイやらは後でします。


 音を立てて扉が閉まる。

 

「ふっ……言うに事欠いて『覚えておけ』と来たか、くく……」

 

 それを合図にしたかのように、ジョゼフのかみ殺したような笑い声が一人きりの部屋にこだました。

 

「……流石にジョゼフ様に対して無礼が過ぎるように思います」

 

 だがその一人きりの部屋に、ジョゼフ以外の声が響いた。

 成人してしばらく経った年頃の女性だろうか、落ち着きを感じさせる少し低めのその声には少なくない苛立ちが含まれていた。しかし、部屋の中に他の人影は見当たらない。

 だがその声を聞いたジョゼフは、そのことに何の疑問も感じることなく、当然のように机の上へと、チェス盤の上の白のクイーンへと話しかけた。

 

「お前か……いや、むしろ古臭いトリステインの貴族にしては良くやった方だ」

 

「……お言葉ですが利用価値が皆無に等しいにも関わらず、シャルロットへの影響力が非常に大きくなっています。生かしておいてはシャルロットの言動の推測が、難しくなるように思います」

 

「ならばこそだ。俺の思い通りにならないものが、賽の目だけではつまらないではないか。駒の動きが完全には予想できないから、ゲームは面白いのだ」

 

「しかし、あんな凡百のガキ如きが……」

 

「……凡百だからだ、余のミューズよ」

 

 ミューズと呼ばれる白のクイーン、使い魔であるミョズニトニルンに返すジョゼフの声は、意外なほど小さいものだった。

 

「ジョゼフ様……?」

 

 いぶかるような声を気にも留めず、ジョゼフは立ち上がり、箱庭へと近づいた。そしてアルビオンを模した箇所に置いてあった二つの人形、アシルとシャルロットを模った物を掴みあげた。

 

「……」

 

 何も言うことなく、その二つを僅かな時間見つめると、それらをトリステインの学院らしき場所へと置き直す。

 

「……」

 

 口をはさむことすら躊躇させるような雰囲気の中、口をつぐんだミョズニトニルンの前で、ジョゼフは一つ大きく欠伸をした。

 

「昼寝でもするか……お前は引き続き頼む」

 

「……はっ」

 

 思うところはあったのだろうが、それを口に出すことなく再び静かになるクイーン。

 それを確認した後、ジョゼフはちらりと箱庭に目を向ける。だが、すぐに目を離し、ベッドに横になった。

 

 

 

 ……最初は私が先導していたはずだ。

 彼の様子からして、早く帰るべきだと思った私は、早足で外に待たせてあるシルフィードの元へと向かっていた。

 だが、先導できていたのは僅かな時間のみだった。何かに追い立てられるようにして足を速めて私を追い抜いた彼は、すれ違いざま手首を強く掴み、そのまま私を引っ張るようにして歩き出す。

 思っていたよりもずっと熱い彼の手に、鼓動が一つ大きく跳ねる。だがそれに関して何か思うよりも早く、私は駆け足になっていた。

 男性にしては平均的とはいえ、私よりもずっと体格の大きい彼と私では歩幅も大きく違う。それなのにほとんど駆けているような彼に手を引かれていては、そうなるのも当たり前だ。

 元々彼に何をされようが文句を言うつもりなど毛頭ない。だが、普段の彼ならば少なくともこんなことは間違いなくしなかった。もし緊急の事態だったとしても、急ぐよう一言かけるくらいだっただろう。少なくともこんな直接的に急かすことはしなかったはずだ。

 ……思い返せば私はこの時、彼から感じた違和感についてもっと深く考えるべきだったのだ。

 だけれども私の意識は前を歩く彼の背中に、私を守るようにしてジョゼフと向かい合った時に見た物で占められていた。

 

 

 

 そうしてお互いに一言も交わすことなく、シルフィードの所に戻ると、彼は少し荒くなった息を気にする様子もなく素早く辺りに目をやった。そして今自分が通ってきたところを確認するために後ろを振り向き、そこで私を掴んでいたことに気付いたのか、少し驚いたような顔をした後、申し訳なさそうに手を離した。

 

「あ、悪い……」

 

 自分に対してのものなのだろう、僅かながらも表情に嫌悪感を含ませながらもそう言う彼に少し悲しくなる。今回の件において、彼には何の非も無い。少なくとも私の目にはそう映る。先ほど声を荒げたのも、あの男の言葉からして治療の時の薬に何か入れられていたのだろうから、非とは言えないだろう。

 せめても私は何も気にしていないことを伝えようと、自分の気持ちを口に出した。

 

「大丈夫、気にしていない。本当に、全く、全然」

 

「そうか、ありがとうな」

 

 何が彼の琴線に触れたのかはわからないが、私のその返答に彼は頭を掻きながら僅かに頬を緩めた。

 その様子にほっとすると同時に、大事なことを思い出した。薬の影響だろうとはいえ、彼が状況を忘れ、声を荒げる原因となった彼女の件だ。

 

「あの……」

 

「悪い、文句もあるだろうがとりあえずここを離れてからにしてもらっていいか?」

 

 私の言葉を遮って言われたその言葉に、私も辺りを見渡した。別段変わった様子は無い。確かにもはやここは敵地と言ってもいいような場所だが、あの男が無事に帰した以上、ここでまた何かされるということはおそらくないだろうと思う。

 とはいえ……

 

「……わかった。乗って」

 

 間違っても長居をしたい場所ではない。

 私は彼にそう伝え、シルフィードに飛び乗った。そして彼が乗ったことを確認した瞬間、私たちは再び空へと舞い戻った。

 

 

 

「……ふぅ……」

 

 空へと飛び立ち、先ほどまでいた城が豆粒のような大きさになった頃、彼は内に溜まっていたものを全て吐き出しているような長いため息を一つついた。 

 学院でのこともある以上、彼の性格からして完全に気を抜いたという訳ではないだろうが、それでも何日という単位で張り続けだった緊張の糸が緩んだのは間違いない。

 ほんの少しの間、疲れきった表情で下を向いていたが、気を切り替えるためか目頭を強く揉むと顔を上げて私の方へと顔を向けた。

 

「タバサ、話がある」

 

「…………」

 

 彼が何を言おうとしているのかくらいのことはわかるつもりだ。返事をすることなく、彼の目を見返す。

 彼は座ったまま、姿勢を正すと口を開いた。 

 

「俺のせいで、ジョゼフに頭を下げることになって本当に悪かった」

 

 そう言って深く頭を下げる。

 

「重ねて庇いもしなかったことについても、本当に申し訳ない。この通りだ」

 

 さらにシルフィードの背中に着くのではと言うほど、一段と深く頭を下げた。

 ……そうだろうとは思っていた。

 予想はしていたにも関わらず、彼のその言動を止めようと私の手は無意識のうちに彼へと伸びた。『頭を上げて』、ほぼ反射的にその言葉を発しそうになる。

 だが私は喉元まで登ってきたその言葉を、すんでのところで飲み込んだ。彼へ差し出そうとした手を自分の胸元に戻すと、そのまま軽く目を閉じる。

 

 

 

 目を閉じ彼の事を想う。そうして浮かんでくるのは、アーハンブラで私を救い出してくれた時、傷だらけのままどこか楽しげに笑う姿。母様を治してくれた後、私の言ったお礼の言葉に頭を掻きながら少し照れ臭そうにする姿。

 そのどれもが今まで私が願って、いつか必ず叶えることを誓って、そして私の力では手に入らなかったものを彼が取り戻してくれた時に見たものだ。

 だからだろう。私に彼にそれらを与えてくれた、取り返してくれたことを感謝するだけでなく、いつからか崇拝に近い気持ち彼に抱くようになっていた。

 だからだろう。彼が戦争に参加することを心配していたことは嘘ではない。取り返しのつかないことが起きたならばどうしようと、不安に思っていたのも確かだ。しかし、心のどこかで常に思っていた。

 ……彼ならば無事に決まっていると。

 ゆっくりと目を開ける。何も変わらない、彼が自分に対して頭を下げている姿が目に映った。

 

 

 

 反射ではなく、自分の意志で私は彼の肩へと手をかける。

 

「頭を上げて」 

 

 自分でも気づいていたつもりだが、もう一度しっかりと自覚する。

 ……私は彼に勇者イーヴァルディを重ねていた。

 何者にも負けず、たとえ一度や二度挫けようとも強い精神力で再び立ち上がる。些細な理由で、いや理由すらなくとも何かのために命すらかけて戦うことができる。彼もそんな人なのだと、どこかでそう思っていた。

 でもそれは違った。

  

 

 

 強大な何かに負けることもあれば、感情のままに声を荒げることもある。……きっと彼は普通の人間なのだ。

 

 

 

 私にとって大きな意味を持つはずのその事実。だがそこに失望や落胆などの負の感情は微塵も無かった。

 彼が勇者でなく、ただの人であるのならば、私と母様を救ってくれたのは彼自身の意志によるものだ。

 私でさえ、攫われたあの状況下の私を助ければ、何らかの問題が発生するであろうことは予想がつく。どんなに甘く見積もっても、一筋縄ではいかない見張りが居て、それと闘うことになることくらいは彼も考えていたはずだ。にも関わらず、彼は助けに来てくれた。

 それと同じだ。私を助けてくれたことも、母を治してくれたことも、奇跡や特別な力などによるものなのではなく、彼の意志と努力によるものだったのだろう。勇者としてではなく、ただのアシル・ド・セシルとして。

 ……だと言うのならば、それはきっと、もっと素晴らしいことだと思うから。

 

 

 

 ……しかし落胆の気持ちが無かったとはいえ、何も感じなかったという訳ではない。少なくとも一つ、私の中で大きく変わった意識がある。

 今まで私は、彼のことを補助しようと考えていた。何が起きたとしても彼ならばきっと、私の手助けが無くとも最後にはなんとかすると思っていたからだ。なら私が出来ることは後ろから、そっと手助けすることだけだからだ。

 でも今回の事でそれは違うと言うことが分かった。ならば私のするべきことも変わってくる。

 私がするべきなのは彼の補助ではなく、支えること。

 彼が倒れそうになったのならば、私は後ろから支えよう。行く手を遮る物があるのならば、私が前へ出て取り払おう。彼が私にしてくれたことを、今度は私が彼にしよう。

 後ろに立つのではなく、横に並んで。それが私の中で変化した意識だった。

 

 

 

「謝らないでほしい。あれくらいのこと、私は欠片も気にはしていない」

 

「……でも…………いや、そうか、ありがとう」

 

 彼は続けようとした、おそらく謝罪の言葉を飲み込んだ。それは別に私の言う言葉に納得したからではなく、おそらくこれ以上謝っても、私は同じように気にしていないと言うだけだと、いうことを察したからだろう。

 どういった理由であれ、彼が頭を上げてくれるのならば、それで構わない。

 彼の気を紛らわせるためにも、別の話をした方がいいだろう。都合の良いと言うと少し違うかもしれないが、ちょうど私も彼に伝えなければならないことがあった。

 

「私も謝らなくてはいけないことがある」

 

「……え?」

 

 露骨に話が逸らされたことに対してか、訝しげに僅かに眉をひそめたが、話を逸らそうとした私の気持ちを酌んでか、普段通りの態度で話を合わせてくれた。 

 

「……来る時も言ったけど、ガリアに来た件に関しては気にしなくてもいいよ」

 

「そうじゃない」

 

 私はそう言って軽く頭を横に振る。

 随分と遅くなってしまった。私が謝りたいのは、彼女のことを伝えていなかったことだ。

 

「被害を受けたアラベルという使用人の女性について」

 

「…………ああ」

 

 私の言葉に、冷静にそう返す。一見すると何でもないように見えるが、先ほど声を荒げた原因の話だ。内心は穏やかではないだろう。その証拠に癖なのか、腕を組み、隠すかのように手で口元を覆っている。

 

「まず結論から言えば、彼女は無事。痕が残るような大きな怪我もしていない」

 

「そうか……。痕が残るようなってことは、多少の怪我はあったってことか?」

 

 まずは無事だと言うことを聞き、ほっとしたのかいくらか穏やかな表情になる。さすがに学院が襲われたという話を聞いた以上、ある程度の怪我は予想していたのか、怪我の有無に関してはそれほど心配はしていないようだ。彼自身、痕が残るほどのものでなければ、治せるからという理由もあるだろう。

 

「髪の毛の一部が燃えただけなので、怪我といってもいいのかはわからない」

 

「……………………それだけ? いや、それだけって言うのも最低だと思うけど、その、顔や頭に火傷を負ったとかはないんだな?」

 

「軽い火傷はあったけれでも、治療は済んでいる。私も確認したけれども、どれだけ目を凝らしても、痕はわからなかった。完治しているといっていいと思う」

 

 とはいえ、その程度で済んだのはただの不幸中の幸運だ。あの男が学院を襲った奴らにどういった指示を出していたのかは知らないが、少なくとも殺しても構わない程度のことは言っていたはずだ。

 心配させるだろうから言わないが、学院を襲った奴らは、彼女を人質に取った後、最初の見せしめにしようとしていたことは様子からしても確かだった。怪我があまりなかったのは、単に助けるのが間に合っただけだ。

 

「……………………ああ、そう。良かった……」

 

 彼はそう言って、大きく一つ息を吐いた。安心したのか、腕こそ組んだままだが、手で口元を隠すことは辞めている。

 腕組みは無意識下で相手との距離を取ろうとしている、一種の防衛反応のような癖だと聞いたことがある。彼にとっては、口元を隠すのも似たような意味合いなのだろう。彼の持つ癖がわかり、不謹慎ながら少しうれしくなる。

 戦場での彼に何があったのか具体的なことは知らないが、ロクでもないことだらけだったのは間違いない。良い知らせは久々だったのだろう、ほっとした様子の彼の表情には、抑えきれない喜びと安堵の気持ちがあふれていた。

 それにしても今回のことは私のミスだ。被害を受けたとはいえ、彼女の怪我はそれほど大きくなかったこと。ただでさえ疲れ切っている彼に、それ以上の負担を与えないために、学院でのことは彼に伝えていなかったが、それがさらに彼を追い詰めるとは考えていなかった。

 いや、あの男がここまですることを考えていなかったと言う方が正しいだろう。今思えば、彼と親しくしている彼女が、人質に取られたところで何かに感付くべきだったのかもしれない。注意力が足りなかった。

 ちらりと横目で彼を見る。

 大きな怪我こそ先ほどの王宮で治してもらったが、まだ小さな痣や擦り傷のようなものは多く残っている。今でこそ大丈夫だが、先ほどまでの彼は表情も辛そうだった。

 もう、彼をこんな目に合わせたくない。

 私はもう一度、強く決意をした。

 そして私と彼を乗せ、シルフィードはトリステインへと空を翔ける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十一話

あまりに日が空いたので、とりあえず投稿します。
細かいところの訂正や、溜まってしまっている感想への返信などは今週中にはやります。


 ……あれはいつのことだったか。学院に来てしばらくが経った頃、自室から夜空に浮かぶ双月を眺めていた時だ。

 俺の頭の中の片隅に残る、夜空に一つだけ輝いていた満月の記憶と、目の前の光景のあまりの違いに、まるで足元の地面が崩れていくかのような、よくわからない不安と寂寥感と感じたことを強く覚えている。

 俺が目の前の光景から感じた物は、あの時のそれによく似ていた。

 

 

 

「……おかえりなさい、でいいんですか?」

 

「ああ、文句なしだ。……ただいま」

 

 特に連絡をしていた訳でもない。完全な偶然だろう。

 学院へと辿り着き、とりあえずは部屋へと戻ろうとした俺の前に、なんでもないことのように彼女は通りがかった。

 本来いるはずのない人間を見たからか、少々面食らった様子で彼女……アラベルはそう言って挨拶をすると、軽く頭を下げる。

 そのまま彼女は俺の上から下まで観察するようにざっと見ると、再び視線を俺の顔へと戻した。

 

「お疲れみたいではありますが……、特に怪我などはされていないようで安心しました」

 

「まあな。色々と危なくはあったが、幸運に恵まれて何とか無事だ。普段の行いのおかげだろうな」

 

「普段の行いを言うのなら……いえ、まあ、今回はそういうことにしておきましょう。ミス・タバサもお疲れ様です」

 

 彼女は俺の後ろに着いてきていた、タバサにもそう声をかけた。タバサもこくりと、頷くことで返事をする。

 軽く会話を交わしながら、怪我は無いか、確認のために俺も彼女へと目を向ける。足元から順に見ていき、そしてやはり、彼女の顔で視線は止まった。

 

「ああ、これですか?」

 

 俺の目線の動きに気付いたのか、彼女は自分の後ろ髪へと手をやる。

 元々彼女は、肩より少し下の辺りまで髪を伸ばし、それを頭の後ろで一つにまとめていた。だが、今は肩口で切りそろえるようにして、整えられている。

 

「まあ、いろいろありまして。最近少し暑かったので、丁度よかったと言えば丁度よかったのですが」

 

 細かい事情を言わないのは、余計な心配をかけないためだろうか。それほど興味もなさそうに、なんでもないことのようにそう言った。いや、実際にそれほど気にもしていないのだろう。今までの付き合いから、なんとなくそれは察することができた。

 

「そうか。……確かに、まだ、暑い日が続くからな」

 

 目線を彼女の顔から逸らし、何とかそう返答する。

 

 

 

 最低な発言であることを自覚したうえで言わせてもらえば、たかが髪の毛だ。放っておけば伸びて元通りになる。髪は女の命と言うらしいが、それでも本当の命に比べられる程のものではない。少しばかり髪が焼けたからといって、何だと言うのか。そもそも本人ですら、それほど気にしていないのだ。俺がそれに対してどうこう思うのは、的外れもいいところだろう。

 ……でも、それでも、俺の所為で大切に思う人が危険な目に遭ったという、これ以上ないほどの判りやすい証は、今の俺には直視できなかった。

 

 

 

「……悪い、今日の所は部屋に戻らせてもらう。夕食はいらない」

 

 アラベルは俺のその言葉に2度ほど目を瞬かせると、少々不思議そうな様子のまま軽く頷いた。

 

「え、ええ、了解しました」

 

 ……情けない話だが、少しふらふらする。早く部屋に戻って、横になりたい。

 少々不躾だが、会話を打ち切るとそのまま部屋へと足早に向かう。 

 

「あ、あの……」

 

 後ろからかけれらたアラベルの声に、意識して作った軽い笑顔を浮かべて振り向く。

 

「どした?」

 

「いえ……後で部屋に伺ってもいいですか?」

 

 ……今日はまずいな。流石にメンタルの方に余裕が無い。何かの拍子にみっともないところを見せる可能性すらあるレベルだ。

 ただでさえタバサには、この年にもなって状況も考えずにキレるなんて、死ぬほど情けないところを見せているのだ。赤ん坊でもあるまいし、流石に一日の間にタバサ、アラベルと立て続けに醜態をさらすのは、勘弁願いたい。

 だがまあ、たかが精神的な問題だ。一晩立てば立て直せるだろう。

 

「あー……疲れてるから、今日は勘弁してくれ。明日なら別に構わないから」

 

「わかりました。ベッドメイクなどは定期的に行っていましたので、すぐに休めると思います」

 

「わかった。ありがとう」

 

「それと……」

 

「ん?」

 

 そう言って言葉を区切ったアラベルへと声をかける。

 

「無事に帰ってきてくれて……本当にありがとうございました」

 

 彼女はそう言って、頬を緩めた。

 

 

 

「……私、何かまずいこと言いましたかね」

 

「…………あなたは悪くない。ただ状況が悪かった」

 

 彼が自室へと戻り、その背中が見えなくなった頃、彼女が漏らしたその独り言のような言葉に、私はそう返事を返した。

 確かに彼女が何か悪いことでも言ったのかと思うのは仕方がない。

 彼女が彼に、無事に帰ってきてくれてありがとうと伝えた時の彼の表情は言葉にしがたいものがあったからだ。

 唖然としつつも泣きそうな、それでいてどこかほっとしているような表情。私でも、いくつもの複雑な感情が混ざり合っていることがわかるようなものだった。

 

「状況、ですか?」

 

「そう」

 

 学院に戻ってからも、何かあった時のためにと彼の後ろに付いていっていたが、流石に今の彼は一人にした方が良いだろう。

 そう判断した私は、部屋に戻る彼の後を追うことはせず、そのまま彼の背中を見送った。とはいえ心配ではあるので、明日の早いうちにでも、顔を出しにはいくことにしよう。

 そして何をするでもなく、そこに立ったまま、同じく横に立つ彼女と会話を交わす。

 

「あなたが襲われたという話を聞いて……」

 

 そこまで言って、手を口元にあてて言葉を区切ると、少し考える。

 あなたが襲われた話を聞いて彼がこうなった、そして彼はおそらくこれこれこうした感情を抱いたのだと思う。そう言うのは簡単な話だが、果たして私がそれを言ってしまっていいものなのだろうか。

 

「襲われた……まあ、襲われたと言えばその通りですけど。…………まさかとは思いますが、アシル様は私が具体的に何をされたのか、きちんと知っているんですよね? 襲われたという単語だけで、変な勘違いをされていると困るのですが」

 

 具体的に何をされたのか……彼にどういった説明をしたのか振り返る。

 

「賊に襲われて火傷をしたことと、それは痕がわからないほど完治していることについては話してある」

 

「いや、大事なのはそこではないんですけど。なんというか乱暴されたみたいな形で勘違いされていたら嫌だなあと。……いいです、明日早いうちに私のほうで説明しておきます」

 

 わずかながらも疲れたような様子を見せながらも、彼女はそう言った。話だけを聞くのならば、私が彼にした説明が言葉足らずであったようだが、何か付け足すべきことがあっただろうが。

 少し考え、はたと気づく。襲われるという言葉に、そう言った意味合いもあることが、頭から綺麗に抜け落ちてしまっていた。確かにこれは、言葉足らずだった。

 

「……別に説明なら私の方からしておいてもいい」

 

「ありがたい話ではありますが、遠慮しておきます。私のことですし、私の方からしっかり説明しておきます」

 

 ……断られてしまった。

 それに関してどうこう思う間も無く、彼女はそれに、と言葉を続ける。

 

「これに関してもきちんと話をしておきたいですし」

 

 そう言って、後ろ髪に手をやった。

 

「……やはり、気にしている?」

 

 私自身あまり身だしなみに気を使う方ではないため、髪を短くしなければならなくなったことの辛さはよくわからない。だけれども聞いた話によると、人によっては寝込んでも不思議ではないほどのものなのだそうだ。

 私がかけたその言葉に、彼女は口元に手をやり少し考える。

 その姿にわずかに彼が重なった。彼も何かを考える時、癖なのかよく顎や口元に手をやっているが、同じ癖だろうか。親しい間柄だと、癖などの言動が似通ってくるものだと聞くが。

 …………別段深い意味はないが、私も意識的に口元に手を当てて、考えるふりをしてみた。

 ……ふむ、案外しっくりくるような気もする。

 私がそんなことをやっている間に、考えがまとまったのか彼女が口を開く。

 

「全く気にしていないと言えば流石に嘘になりますが……やはりそこまでのことでもないです。しいて言うのなら、うなじの辺りがいつもより涼しいことが気になるくらいで。正直、こんなことのために気を遣わせてしまう方が嫌ですね」

 

「なるほど。……でも先ほどの様子からすると」

 

「ええ。随分と気に病ませてしまっているようで」

 

 なんとなく二人で彼が歩いて行った方へと、視線を動かす。当たり前の話だが、彼はもうすでにそこにはいなかった。

 

「……正直、私の事をそこまで気にするとは思いませんでした」

 

 まるで独り言のようにぽつりとこぼれた彼女の言葉に、私もほとんど反射のように言葉を返す。

 

「そんなことは無いと思う。少なくとも、私は彼が声を荒げた所は初めて見た」

 

 それを聞き、彼女は訝しむかのように眉をひそめた。

 

「……声を荒げた? どういった状況でなのか、全く見当がつかないのですが」

 

 …………しまった。流石にどう考えても、彼が声を荒げることになった経緯は伝えられない。ガリアの王が学院を襲った賊とおそらく裏で繋がっていた、という話をするのは、あまりにも危険性が大きすぎる。

 

「…………つまり、あなたが襲われたという話を聞いて、とても心配していたということ」

 

「……なるほど。それは不謹慎かもしれませんが、うれしいものですね」

 

 当然ではあるが、私が誤魔化していることを感じたのか、深くは聞いてこなかった。

 ただ少々納得がいかなかったのだろう、腑に落ちない様子のまま後ろ髪へと手をやる。

 先ほども言っていたが、急に髪が短くなったことで首元の感覚に違和感があるのだろうか。それともああ言っていても、やはり気にしているのか。

 様子からすると前者のようではあるが、それでも実際のところどうなのかはわからない。

 

「……個人的にはその髪型も似合っていると思う」

 

 話を逸らすために、それ以上に髪型のことを気にしてほしく無くて、気付けば私はそう声をかけていた。

 私のその言葉が意外だったのか、彼女は僅かに目を見開くと、そのまま軽く微笑むように目を細める。

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

 再度、私は先ほどの彼の事を思い出す。

 さっき彼は、今日は部屋に来るのはやめてくれと言っていた。そして明日ならば構わない、とも。

 彼がそう言った以上、おそらく明日以降の彼はいつも通りに戻るのだろう。でも、きっとそれは今回の事を乗り越えたからでなく、飲み込んで平静を装っているだけだ。それではいつか必ず、破綻するときがくる。

 加えてまずいのが、ガリアで彼が怒鳴り声を上げたところを私が見てしまっていることだ。おそらく彼は、あれを醜態だと、そしてそれを私に見られたことを恥だと考えているように思う。

 ならばこそきっとどんなに辛くとも、今まで以上にそれを隠そうとするのに違いないはずだ。そしてもともと人の心の機微に聡いわけではない私が、気付けるとは思えない。

 

「…………」

 

「どうかなさいましたか?」

 

 自分の事を見つめる私の視線に気づいたのか、彼女はそう問いかけてきた。

 私が気付けるとは思えない、ならば気付けそうな人に協力してもらうのが一番だろう。あまり細かい話は知らないが、彼と親しいらしい彼女ならば察することができるかもしれない。それに何人かの例外を除いて、人との関わりがあまりない私よりも、彼女の方がそういったことにも詳しいだろうというのもある。

 

「手を貸してもらいたいことがある」

 

 とはいえ自分の事を知らないところで詳しく話されることなんて、誰だってそうだが、間違いなく彼も嫌がりそうだ。

 どこまでをどのように話したものか、そんなことを考えながら私は彼女へと声をかけた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。