腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 (丸焼きどらごん)
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プロローグ

 世界はざっくり三つの領域に分けられる。

 人間種が暮らす人間領。魔族種が暮らす魔族領。

 そして"腐朽(ふきゅう)の大地"と呼ばれ、誰も住まない……否、住めない、死の領域。

 

 前者二つの種族間でも更に細かな種族、民族によって細分化され様々な国が存在する。しかしこの世界に住む知恵持つ者の共通認識として、世界は大きく分けて三つなのだ。

 誰も住んでいない腐朽の大地と言う場所は、それほどに広い。

 

 腐朽の大地。その場所では何もかもが腐り果て、朽ちていく。

 

 しかし世界に初めからそのような土地があったわけでは無い。かつてその場所は他の土地と同じように、人間種と魔族種の領域で分かたれていた。それがある時を境に突如として"ある存在"が現れ、世界を侵食していったのだ。

 川や湖の水は毒を有する粘性の液体と化し、生物も植物も鉱物も何もかもがことごとく腐り果て汚泥となった。大地は溶けたそれらの成れの果てで満ちている。

 そして汚泥が発する呼吸もままならないほどの腐臭の中、毒の霧までもが各所で発生していた。その毒霧をひとたび吸い込めば、どんな生き物でも酸で焼かれたように肺が爛れてしまう。

 

 そんな誰も住めない大地を住処とする、その空間を作り上げたそもそもの元凶たるモノ。それは人間からも魔族からも嫌われ、様々な忌み名で呼ばれていた。

 しかしある時、魔族の王の一人が皮肉を込めつつ言ったのだ。「忌々しいが、広大な土地にただ一個体君臨する姿は支配者の名にふさわしい。ならば私から、大公の爵位を贈ってやろうではないか。奴は一応、我々と同じ魔性の存在だからな。せいぜい人間どもに魔族種こそが世界の覇権を握るにふさわしい存在だと、思い知らせてやるがいい」と。

 腐朽の大地に住むモノは、魔族の王ですら出来れば関わりたくない存在だ。しかし彼らにとって幸いなことに、腐朽の大地がより多く広がるのは人間側の土地。ならばと、せめて腐朽の大地は魔族側の土地であると主張するべく、相手に了承もとらず称号だけが贈られたのだ。なかなかの図々しさである。

 

 仮初めの階級と共に腐朽の大地に住むモノに贈られた名前は次第に広まり、いつしか人間の間でも魔族の間でも定着した。

 その存在は、こう呼ばれている。

 

 

 

 

 腐敗公。

 

 それが腐朽の大地にたった一体存在する、魔物を表す名である。

 

 

 

 

 

 そして現在。

 その腐敗公の領域たる腐朽の大地を眼下に臨む、人間領の崖の上で……一人の女が喚いていた。

 

「ふざっけんじゃないわよ!!!! 馬鹿かお前ら!! 馬鹿か!! 超天才かつ超優秀で超貴重な人材である私を生贄にするとかどういう了見よ馬鹿か! 脳みそに蛆でも湧いてんじゃないの!?」

「罵倒の語彙が主に"馬鹿"しか出てこない方に天才だの優秀だの言われても、びっくりするくらい説得力無いですよねー。ははっ」

「きぃぃぃぃぃ!! うっさいわ!! 黙れ!!」

 

 烈火のごとく怒り狂いわめいているのは、二十歳を少し過ぎたくらいと思われる若い女。

 薄い色彩の青眼と、磨かれることを忘れ去られた曇った金属のような、ぱっとしない色合いの金髪。そんなやや地味な色合いを有するその女は、おそらくそこそこ美人だと評されるだろう容姿だ。しかし現在その評価をひっくり返す強烈な表情が、その顔面を彩っていた。

 もともと吊り目であろう目元はさらにきつく吊り上がり眉間には渓谷が刻まれ、歯茎をむき出しにして威嚇する様はまるで獣だ。ギラギラした眼力は見るものを竦ませる迫力がある。

 女は表情によって色々と台無しにしてはいるものの、非常に美しく繊細な刺繍が施された純白のドレスを身に纏っていた。

 見事なのはドレスだけでなく、装飾品もまた素晴らしい。碧玉があしらわれた花を模した耳飾り、胸元の首飾りは銀色の蔦が絡みあったような細工の中に、金剛石と碧玉の花が咲いている。腰まで届く薄く繊細なベールの先を辿れば、立派な小冠。

 しかしそんな美しい装飾品で飾られているにもかかわらず、彼女の両手両足は装いとは正反対に無骨で無粋な鉄の拘束具で締め付けられていた。

 極めつけにその体は身じろぎ一つも出来ないであろう、狭く窮屈な鉄の檻に囲まれている。

 

 

 彼女はこれから腐敗公に花嫁という名目で捧げられる、生贄なのだ。

 ゆえに彼女が身に着けている高価な品々は彼女自身のためのものではなく、それ含めて腐敗公への貢ぎ物なのである。

 

 

 しかし女はそれを認めてなるものかと、唯一自由な口を忙しなく動かし力いっぱい喚き散らした。それに対するのは銀色の鎧で身を固めた屈強な兵士が十数人に、藍色の政務服を身に纏った男が一人。ちなみに先ほどから彼女に対応しているのはこの政務服の男である。

 

「まったく、困ったお人ですね。"銀鱗の魔将"の称号まで与えられたお方がこの有様とは実に無様極まりない」

「あの、クロッカス様……あまり煽らないでください……」

「俺たち……よくあの方をこの人数で拘束してこれたよな……」

「死ぬかと……いや、死んだと思った……」

 

 笑顔ながら侮蔑のこもった言葉で女を煽る男に、後ろに控える兵士たちは一様に顔を青くさせていた。

 ……実のところ今でこそ拘束されている女だが、この場所に来るまでの道中で口に留まらずその身全てを使って全力で抗っていたのである。

 屈強で勇敢な兵士がこれだけそろってなんという体たらくだ情けない、とは彼ら自身は思わない。何故ならこの女、見た目通りのか弱い女性などではないからだ。むしろよくぞこの人数で持ちこたえたと自分たちを褒めたたえたい心境である。

 

 女は魔術師だった。それも王宮に仕え、特別に"将"という位を与えられた国の中でも屈指の強者。

 

 しかし彼女の現在の称号はそんな輝かしいものではない。女は罪人なのだ。だからこそ処刑と同意義の生贄としてこの場所に居る。だがその判決に納得のいかない女は、己の持てる力を全て駆使し、抵抗した。

 本来その力を無効化する特別製の拘束具だったが、あろうことか女はここに運ばれる途中で拘束具の術式を打ち破った。兵士にしてみれば罪人の護送任務がいきなりドラゴン退治に変わったようなものである。たまったものではない。

 なんとか予備の拘束具で捕まえたはいいが、兵士達の立派な鎧は所々破損し、体はボロボロ。満身創痍の彼らはげっそりとした表情で、どうかこれ以上煽らないでくれと政務服の男に祈っていた。

 

 その政務服の男……唯一無傷、かつ小綺麗に服を着こなしているクロッカスと呼ばれた青年。その彼が狐のような目をさらに細め、女に向かって口を開いた。

 

「そもそもあなた……リアトリス殿。自分が本来は処刑台送りだってこと分かってます? 首を落とされてつまらなく死ぬのと、生贄の二択。それなら国民、いえ全人類の役に立つ生贄の方がいいじゃないですか。その身は人類の土地を守る、礎となるのです。いやはや、実に素晴らしい。宮廷魔術師として、魔族を討伐する将の一人としてアルガサルタ王家に仕えた華々しい経歴を持つ貴女にとって、最高の最期ではありませんか。罪人として処刑され、歴史に汚名を残すはずだったのに……悲劇的でありながらも美しい物語として、語り継がれるのですよ? ああ、なんて優遇されているのでしょうか! 天才ともてはやされ、これまで多くの功績を残された貴女だからこそ……とも言えますが、我らの王子も大概お優しい! そのお優しさに感謝し、光栄だと涙を流し、貴女は潔くこの運命を受け入れるべきなのです!」

 

 芝居がかった動作を織り交ぜつつ滔々と語るクロッカスに、リアトリスと呼ばれた女は吐き捨てるように言った。

 

「お前顔覚えたからな。あとで覚悟しとけよクソが!」

「うわ、何この人怖いし下品。よく王宮仕え出来ましたね」

「マジ覚えとけよ」

「覚えていてなにか得でも? 無いですよね。だって貴女の人生はここまでなんですから! 残念でしたねぇ、次の機会などありません。ささっ、皆さん早く済ませてしまいましょう。このゴミをゴミ溶解地へと叩き落すのです!」

「テメェゴミっつったか今!! 仮にも花嫁衣裳着てる女に向かってゴミっつったか!! くっそお前絶対叩きのめしてやっからな!!」

「はいはい、来世とかでその機会があるといいですねー。私長生きするつもりなので、もしかしたら可能かもしれませんよ! 頑張って! ま、それはそれとしてお別れの時間です。さあ、ぱぱっとやっちゃってください」

 

 重くドスの利いた声でがなり散らすリアトリスとは対照的に、クロッカスは何処までも軽快な口調であしらった。そして武装した兵士に指示を出す。

 指示された兵士は相手が足枷、手枷で拘束された上に体の周りを隙間がほとんど無いような狭い檻で囲われた女であるにも関わらず……非常に恐る恐るといった引け腰で近づいた。情けない姿だが、誰も彼を責める者は居ない。むしろ再度女のそばへ寄らなければならないことに、同情の念すら集めている。

 そして手を伸ばしかけ……考え直し、彼は脚を延ばしてそのつま先でちょんっと、檻を崖へと押しやった。

 

 女の視界いっぱいに、汚泥の大地が広がる。

 

 

 

「ぃぎゃあああああああああーーーーーー!!」

 

 

 

 獣の断末魔のような悲鳴を上げて崖下へ落ちてゆく女を見送り、ひと仕事おえてすっきりとしたクロッカスは爽やかな笑顔で手を振った。

 

 

「お勤めご苦労様でした、宮廷魔術師、リアトリス・サリアフェンデ様! その最期、この我が君の側近であるヘンデル・クロッカスが見届けさせていただきました! 来世でのご健勝をお祈り申し上げます!」

 

 

 

 

 

 

 



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馴れ初め
1話 生贄の花嫁


 もともと短気ではあったのだ。

 

 子供のころから両親にはよく注意され、何度反省させられたかわからない。しかし反省しても反省しても治らないものだから、成長するにつれて取り繕う事を覚えていった。ハラワタが煮えくり返る事があったとしても、すぐに表に出すことをやめたのだ。

 その代わり口数が減り、怒りに歪む表情をどうにかしようとしたら無表情ばかりが増えていった。結果、自分についた評価が「仕事は出来るが暗い奴」だというのだから馬鹿らしい。

 もし表情を笑顔にするために使っていて、飛び出す言葉を柔らかな絹で覆うような努力が出来たなら……また違った人生が待っていたのではないだろうか。

 しかしそんなことを頭で理解しながらも実行できなかったあたり、自分はどうしようもなく不器用で世渡り下手なのだろう。

 

 でもあと少しだけ、上手く立ち回れていたなら。自分の感情を抑える事が出来ていたなら。あんな事をしなかったのではないだろうか。

 今こうして死の領域に叩き落とされることも、無かったかもしれない。

 

(まあ、そんな事考えたって今さらだけど! つーか無理! あのまま我慢とか、絶対にむーーりーー! あんのクッソ王子が!! つーか、ここまで来たらもうヤケよ! とにかく今は生き延びる! でもっていつかあのクソどもギャフンと言わせてやるわ!! 今に見てなさい!!)

 

 眼前に迫ってくる腐り果てた大地を前に、リアトリスは一瞬脳裏をよぎった「後悔と走馬灯に似た何か」を切り捨てる。今はそんな不毛な思考に時間を割いている場合ではない。

 崖の底が近くなるにつれて、先ほどまで自分を縛り付けていた魔力の枷が無くなっていくのを感じる。拘束具にかけられた魔術が効果を失ったのだ。

 どうやら腐朽の大地ではすぐに魔力が枯渇する、という噂は本当だったらしい。

 

 リアトリスは枷の消失を確認すると、封じられていた魔力を一気に解放した。

 

 生き残るため、本来ならば真っ先に魔力の消費をおさえる結界を展開させたい所。しかし魔力に対する拘束効果が消え失せたとはいえ、未だリアトリスには物理的な束縛が残っている。両手両足、更に言うなら全身が鉄の塊で覆われているのだ。

 このまま落ちれば潰れた果実のようになる事は明白である。よって、まずは拘束具を破壊する必要があった。

 

『我が銀鱗(ぎんりん)(しもべ)よ、忌々しい鉄どもを存分に食い散らかせ!!』

 

 解放した魔力は一瞬にして術へと昇華される。本来必要とされる呪文を端折るどころか、命令のみで望んだ効果を発揮できるリアトリスは事実として優秀な魔術師だ。現在それを褒めたたえる存在は、残念ながら周りにいないわけだが。

 

 発動した魔術は白い光を振り撒きながら、大きさこそ小さいが銀色の竜の姿をとる。数は二体。

 竜達は主であるリアトリスの命を速やかに実行した。その大きさや可愛らしい見た目からは想像出来ないほど鋭く鋭利な牙をむいて、リアトリスと拘束する枷と檻を一瞬にして喰い破ったのである。

 そして役目を終えて消える銀竜を見届けることなく、リアトリスはすぐさま自由になった腕を前へ突き出し風の魔術を放った。それによって目前に迫っていた終着点は遠ざかり、風により発生した衝撃波でリアトリスの体は再び浮遊感を味わう。今度は落下でなく、上へ向かう力によって。

 これによって、一応転落死だけは免れた。かなり荒っぽい方法であったが、他のやり方を考えられるほどリアトリスに時間と余裕は残されていなかったにである。

 

 が、転落死しなかったとはいえリアトリスにまだ余裕はない。何故ならここは毒の霧が吹きだす腐朽の大地……場所によってはひと呼吸で死ぬ可能性があるのだ。

 

 そのため宙に放り出されながら、リアトリスは次の対策として瘴気から身を護る結界を張ることにした。

 物理的な衝撃に対する結界を同時に張る余裕はないが、現在の高度から落ちる程度なら死ぬことは無いだろう。崖の上から地面に叩きつけられるより遥かにましだ。

 

 

 しかし、その結果。

 

 

「うびゃっ!?」

 

 宙から落下したリアトリスがつっこんだのは、植物か生物か……とにかく何かが腐った成れの果て。腐朽の大地全土を覆う汚泥が特にこんもり山のように積もった場所だった。

 骨折などしなかったものの、それは彼女にとって幸か不幸か。とりあえず気分は最悪である。

 

「うえー! ぺっぺ! 気持ち悪ッ! つーかくっさ!! 臭い! 臭い臭い臭い! くーさーいー! うっぷ、おえぇ……」

 

 リアトリスは口に入った苦いような酸っぱいような、触感的にも味的にもおよそ口に入れるものではないドロドロした何かを吐き出す。

 そしてもともとの美しさなど見る影もない、無残にも汚泥色に染まったドレスを引きずり、腐れた何かの小山から抜け出した。

 

 生きているのが奇跡だと、他者が見ていたなら言うだろう。しかし彼女にとってこの程度で死なないことは当たり前の事。

 更に言うならば、リアトリスをこの地へ突き落した者たちもこの程度で彼女が死ぬとは思っていなかったりする。少なくとも「拘束された状態で崖から突き落とされた」程度で死ぬとは思っていない。彼らとしてはこの死の領域の環境と、この場所の主こそがリアトリスを殺してくれるだろうと期待しているのだ。

 しかしリアトリスはこの環境……まず第一の関門である、毒の空気をやり過ごした。これでひとまず直面する死の危険は遠ざかったと、軽く息をつく。

 

(でも、問題はこの後ね。今は一時的な安全を手に入れたに過ぎないわ)

 

 この腐朽の大地はその全てが地面そのものが溶かされ沈んだかのように、隣接する他の土地より低い場所に位置している。そのためどの場所であろうとリアトリスが落とされた崖と同じか,それ以上の高低差が存在するのだ。

 よってすぐに脱出することは不可能。

 

「空でも飛べたらいいんだけど、流石の天才リアトリス様でも厳しいわね……。何を試すにせよ、この崖の上までは魔力がもたないわ」

 

 自分が落ちてきた上空を見上げつつ、リアトリスは眉根を寄せてひとりごちる。

 とはいえさりげなく自画自賛しているあたり、まだ余裕はありそうだ。

 

 ……しかしそうして現状を把握する余裕が出てきたところで、一時的に静まっていた心の波が再度波打ち始める。彼女は短気なのだ。

 

 一応、冷静になろうとひと呼吸。……そして吸った空気と共に、リアトリスは声を吐き出した。

 

 

 

 

 

「クッソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 

 

 

 全然冷静になれていなかった。

 女の物とは思えない喉から血を吐かんばかりの怒声が、腐朽の大地にこだまする。

 

 ぼさぼさになった髪を振り乱して咆哮をあげ、地団太を踏むその姿はまるで悪鬼のようだ。そんなリアトリスの有様はこのおどろおどろしい場所に非常に良く似合っていたが、そんな感想を述べるものは周囲に存在しない。

 腐ったナニカはあるのに蛆すら生息できない摩訶不思議なこの大地で、リアトリスは現在正真正銘のぼっちである。

 

 そしてあらん限り、持ちうる限りの語彙を駆使した罵詈雑言を叫び続けて数十分。

 少々冷静さを取り戻したリアトリスは、腕を組んで今度はぶちぶちと独り言を吐き出し始めた。

 

「本当にあのクズども頭にくるわね。そりゃ、私だって悪かったというか、多少常識が欠けていたけど……。あんなの怒って当たり前じゃない。そうよ、あの馬鹿が全部悪いわ。私は悪くない。むしろそれまでよく我慢したっていうか、私ったら凄く偉いっていうか。よくあの王子の部下として耐えたわよ。なによ、ちょっと罵倒してぶん殴ったくらいで処刑とか。もっと心を広く持ちなさいよ。バーカバーカあーほ。フンッ」

 

 一国の王子を罵倒して殴った時点で死罪は免れない。それはリアトリスも理解してはいるのか、誰も居ないのに吐き出す愚痴は少々の言い訳らしさを備えていた。

 だが納得はいっていないのか、恨み節の方が強い。

 

 ともあれ、その罪行の結果が彼女の現在なのだ。

 

 もともと花嫁とは名ばかりの生贄の慣習は古くから存在した。これは腐敗公の領域の進行を少しでも遅らせよう、という措置なのだ。

 今回はリアトリスの蛮行の時期が重なったため、渡りに船とばかりに処刑台送りが生贄送りに変更されたのである。魔力の大きい娘ほど花嫁に相応しいとされるため、宮廷魔術師を務めていたリアトリスは適任でもあったのだ。

 しかしいくら生贄とはいえ、実はリアトリスのように崖の上から突き落とされた者はこれまでに一人とて存在しない。通常は使い魔によって中心地まで運ばれる。花嫁を贈る相手である腐敗公に届く前に死んでしまっては、生贄の意味が無いのだから当然だ。

 

 そしてこの花嫁という生贄制度、迷信やおとぎ話の類でなく実際に効果がある。

 

 いつから、誰が始めたか記録は残っていない。

 しかし生き永らえるため、自分たちの土地を守るため。主に人間領……そして魔族領からも、それぞれの種族間で順番を決めて生贄は捧げ続けられている。

 人の勇者が、魔族の猛者が。幾度となく自分たちの生活圏を脅かす腐敗公に戦いを挑んだが、誰もが戻ってこなかった。たとえ魔族の王が仮初めの爵位を贈ろうとも、腐敗公は誰にも支配されていない最強の腐朽の大地の支配者。せめてご機嫌取りに生贄を捧げるくらいしか、今のところ対処する方法が分かっていないのだ。

 

 だがリアトリスにとって、そんなこと知った事ではない。人間領がどれだけ削られようが、助かろうが、そこに自分がいなければ全てに意味が無いのだ。今までその身を賭して人類を救ってきた花嫁たちには申し訳ないが、生贄などまっぴらごめんである。

 人類の礎? 冗談ではない。リアトリスはこのまま大人しく腐敗公の花嫁として死ぬ気など毛頭なかった。

 

 

 だからこそ、彼女は決意していた。

 

 

「よしっ」

 

 ぱんっと手のひらに拳を叩きつける。乾いた音が響いた。

 

「ふっふっふ。確か使い魔を使う前まで、花嫁は綱と籠を使って崖下に降ろされてたはずよね。でもって、それを腐敗公自らが迎えに来ていたと記録に残っていた……。つまり、ここで待ってればあちらさんから来てくれる、と」

 

 ちなみにその方法では腐敗公を腐朽の大地の端まで呼び寄せ土地の浸食を早めてしまうため、花嫁を捧げたところで本末転倒。現在は廃止されている。

 だというのにこうして土地の浸食を早める危険を承知で、雑な捧げられ方をしたリアトリスとしては不満しか無い。

 が、とりあえずそのことは今はいい。肝心なのは、ここで待っていればこの腐朽の大地の主にご足労頂けるという事だ。

 

「このまませこせこと魔力を節約して、地道に脱出を目指してもいいわ。でもそれだけじゃ気が済まない」

 

 自分に確認するように、リアトリスは言葉を紡ぐ。

 

「私をこんな目に合わせた奴らに目に物を見せてやる。真正面から輝かしい功績でぶん殴るような形でね!」

 

 口の端がニヤリと怪しく吊り上がり、目元は三日月形に歪む。

 

「ふふっ、ふふふふふふふ」

 

 怪しい笑いは次第に大きくなっていき、やがて哄笑と共に弾けた。

 

「あはっ、あーっははははははははは! ほーっほほほほほほほほほほ!」

 

 勝つ前から勝ち誇っているような、実に気持ちよさそうな高笑いである。

 

「かかってきなさい腐敗公! 迎え撃つ! このリアトリス様が相手してやんよ! お前の首を刈り取るのはこの私よ! 私こそが人類の救世主! 罪人ー? 言わせるか!! 言えないわよね救世主様相手に! 頭こすりつけて拝ませてやるわあの馬鹿共! 腐敗公、あんたこそが輝かしい私の未来への礎となるのよ! ほーっほほほほほほほほほ!」

 

 リアトリスは単身、人類も魔族も敗北し続けた腐敗公に挑み……勝つ気満々であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふいに、波紋が広がるように空気が揺れた。

 楽しそうな笑い声に聞こえたのは、気のせいだろうか。

 

 眠っていたそれは、巨大な単眼の瞼とおぼしき場所を持ち上げる。そしてギョロリとした目が一瞬、毒の霧を抜けた先……遥か天空の蒼穹を羨むように見上げた。

 しかしそれも一瞬の事。諦念の色を宿した瞳は再び醜い大地へ向けられる。

 

 今日は一年に一度の特別な日だったようだ。

 さあ、花嫁を迎えに行かなければ。

 

 のっそりとした非常に遅い動きで、"それ"は体をもちあげた。

 それの体は他の生物のように決まった形を保てず、巨大な単眼以外は常に汚泥が流れ落ちる小山のような姿をしていた。遠目に見たのなら、暗い大地にうずくまっていた平べったい丘がそのまま移動しているように見えただろう。

 そして身から流れ落ちる汚泥の隙間から、精一杯気遣いやっと形を保てている白い何かがのぞいていた。

 

 人骨である。それは"彼"の前の花嫁のものだった。

 

 それ以前の物は、彼の願い虚しく腐って溶けてしまった。おそらくこの骨も次の花嫁を迎えに行くまでに溶け切ってしまうだろう。

 

 

 世間で腐敗公と呼ばれる魔物は、ただただ寂しいだけだった。せめて何かを考える、感じる頭も心も無かったならば……そう思えど、彼のありかたは変わらない。

 自分でも頑張れるだけは頑張った。この生まれながらにして忌み嫌われる呪われた体をどうにかしようと、少しずつ身に着けた知識の中で、精一杯足掻いたのだ。

 しかしどうしたって限界はある。どうにかなる可能性があるのかすら、自分は知らない。誰かに教えを乞いたくとも、誰も教えてくれなかった。相手にしてくれなかった。

 

 そして諦めてからは、彼はただただ与えられることにすがることを覚えた。

 

 寂しくてたまらない自分に一年に一度だけ"誰か"がそばに居てくれる。すぐに溶けてしまうけれど、唯一自分が孤独で無くなる瞬間が愛しかった。

 

 近づけばもっと嫌われると、攻撃されると分かっていても……長い事一人だと、どうしても寂しさが勝って近寄ってしまう。それも一年に一度、自分のそばに居てくれる花嫁という名の誰かが居れば耐えられた。

 

 今日はその喜ばしい記念日。

 

 最近は花嫁の方から彼の住居まで来てくれていたため、迎えに行くのは久しぶりだ。今度はどれだけの間、腐らずに、溶けずにいてくれるだろうか。その体が長く保ってくれたらいい。

 花嫁と共に運ばれてくる宝の中に、本はあるだろうか。自分で読むのは一苦労だが、花嫁が溶けないでいてくれる間はお願いすれば彼女たちが読んでくれる。たとえそれが恐怖と苦悶に染まった声だとしても、幸せだった。

 

 ああ、だけど望まずにはいられない。

 いつか読んでもらったお伽話のように、醜い自分に寄り添ってくれる心優しく清らかな乙女が花嫁になってくれる事を。

 

 ひと時側に居てくれるだけでも、自分には過分な幸せなのかもしれない。

 

(けど、だけど、それでも)

 

 願いは常に心の中にくすぶっている。

 もし自分の事を怖がらずに、心から愛してくれる相手。そんな人が現れたら、愛ある魔法の口づけできっと自分の呪いは解けるのだ。

 …………そんな夢想を抱きながらも、魔物はボトっボトっと粘性のある汚泥をこぼしながら、自分以外誰も居ない大地を進む。

 

 そして遠くに見えてきた、自分よりずっと小さな花嫁の姿。汚れてしまっているが、花嫁衣裳を身に纏っている。

 

(よかった、まだ溶けていなかった。死んでいなかった)

 

 そんな安堵が腐敗公の胸を満たした、その瞬間であった。

 

 

「くったばれぇぇ!!」

 

 

 苛烈な声と共に、魔物の眼前に煉獄の炎が迫った。それを前にすっと高揚していた心が冷える。

 …………どうやら今回は、久しぶりの"敵"だったらしい。

 

 ─────────── ふざけた真似を、してくれる。

 

 愛しいはずの花嫁を装って自分を殺しに来たのか。

 

 自分は生き物たちの仲間に入れてほしいと願っているが、何をされても怒らないわけでは無い。憎まないわけでは無い。

 敵対する意思を向けられたなら、文字通り骨も残さず殺しつくしてやろう。それによってより嫌われるとしても、無抵抗で殺されてやるほど優しくないのだと……思い知ればいい。

 これ以上自分の心を踏みにじるなと、腐敗公と呼ばれる魔物の心は怒りに染められる。

 

 

 

 腐り果てた死の領域にて。

 領域の主と、たった一人の魔術師の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リアトリスは困惑していた。

 何故かと言えば、原因は目の前でめそめそと泣いている臭くて醜い魔物のせいである。

 

『俺だって、俺だって、こんな体嫌だよ! でも生まれつきだし、どうにかする方法も知らないし、誰も教えてくれなかったし!! 俺と同じようなやつもいなくて、俺、どうすれば、よか、ぇう、うえええええええ』

 

 

 

 つい先ほどまでリアトリスは人類の救世主、英雄になるべくこの魔物を殺そうとしていた。そして危うく死ぬところだった。

 

 魔物……腐敗公は強かった。

 まずリアトリスがどんなに強力な魔術を叩き込もうが、大抵がそのドロドロした体の前には無意味。炎も雷も弾かれるか吸収されるか、はたまたかき消されるか。

 風で切り裂いてもすぐにくっつく。氷の魔法はしばらくその体にへばりついたが、流動性のある腐敗公の体表は少しすれば氷がくっついた場所ごと地面に流れ落ちた。本体はもちろん無傷だ。ふざけている。

 何より戦う場所が悪い。

 ただでさえこの腐朽の大地で死なないために、リアトリスは自分で加護の結界を張っているのだ。それだけでも常に魔力が消費されているというのに、この腐朽の大地はその消費を更に早くする。結界を張っているにもかかわらず、だ。

 並の魔術師ならとっくに魔力が底をついて死んでいる。だがリアトリスとて、いつまでも持つわけでは無い。

 結界と攻撃、更に腐敗公からの直接攻撃からの防御。いくらも経たずして、リアトリスの魔力も枯渇の兆しを見せ始めていた。

 

 しかしリアトリスは諦めなかった。

 まだまだ生きて、やりたいことがたくさんあるのだ。だからこんなところで死ねない。無謀だろうがやってやろう、今まで挑んだ者が勝てなかった? そんなこと自分には関係ない。自分が初めての勝者になればいいと、傲慢なほどに自分を信じるのがリアトリスという人間だ。

 だがリアトリス個人が保有する魔力がいくら強大であろうとも、有限であることに変わりはない。ついに加護の結界に使う魔力しか残らなくなった。

 それでもこのまま死ねるかと、リアトリスは走った。唯一はっきりとした形があり、一度も攻撃が成功しなかった場所……腐敗公の単眼を目指して。

 腐敗公は体への攻撃には無頓着だったが、眼では絶対攻撃を受けなかった。大きすぎる的かつ分かりやす過ぎる弱点だったが、しかし守るだけあって攻撃はただの一度も届かない。だからどんな方法でもいい。攻撃を絶対にあててやろうと、リアトリスは走ったのだ。その一撃が必殺となるだろうと、リアトリスは疑わなかった。

 

 走っている間の記憶は、正直定かではない。

 だが過程はどうあれ、リアトリスはついに腐敗公の眼球までたどり着いたのだ。彼女の身長よりも大きな、醜い体とは不釣り合いなほど澄んだ碧い眼球に。

 

 そこで彼女が最終手段に選んだ方法。それは噛みつき。

 とんだ物理攻撃である。魔術の魔の字も無い、原始的な攻撃方法だ。

 

 しかしそんなやけっぱちな攻撃も、リアトリスにとっては決死の一撃。だがその攻撃を受けた腐敗公の反応は、彼女の予想だにしないものだった。

 

 腐敗公は眼球に噛みつかれたのち、しばし沈黙。「やったか……!?」とリアトリスが噛みついたまま思っていた時だ。

 

 

 

『ま、ま、まさか! これは口づけ……!?』

 

 

 

 この腐朽の大地に来て、初めて耳にした自分以外の意志ある音。

 

 

 

 しばし、沈黙。

 

 

 

「いや違うし。つーかあんた喋れんの?」

 

 

 リアトリスは思わず突っ込んだ。ガタガタの満身創痍の有様だったが、突っ込まずにはいられなかった。

 

 そこで、再びしばしの沈黙。最初に口(?)を開いたのは、腐敗公だった。

 

『あ、あの! よければ、お話、を、しま、せんか!』

 

 

 

 そしてその発言から少々混乱とひと悶着があったものの、互いに落ち着いて話し合えたのがつい先ほど。

 リアトリスは腐敗公の思いがけず幼く純粋な内面を知り、呆れ交じりに言った。

 

「私たちは今まで、こんないとけない子供みたいな相手に恐れを抱いていたわけ……。いや、しかたがないっちゃしかたがないけど。この大地で加護の結界をこれほど長く持続させるのは、多分私くらいじゃないと無理だもの。話し合う暇なんて無かったでしょうね」

『みんなすぐに溶けて死んでしまうか、生きていても攻撃してくるか、泣くか怖がるか、気を失うか、逃げるかのどれかで……。…………。ところで、なんで鼻を指でつまんでるの?』

「いやだってあんた、この世の生物全てのうんこといううんこを集めてゲロと小便で煮込んだみたいな臭いするから。加護の結界も臭いの遮断までは無理だし……」

『うわあああああああああああああああん!!!!』

「え、あ、ごめん! せめて口呼吸にするべきだったわね!?」

 

 飾らないありのままの本心で語ったら、自分より何倍も大きい相手を泣かせてしまった。そのことにリアトリスも動揺を禁じ得ない。おろおろと自分より何倍も大きな相手を慰め始めた。

 

「ごめん、ごめんってば! 謝るから泣き止んでちょうだい! 何か知らないけど、罪悪感が凄いから!」

『うっ、ぐすっ……』

「お、落ち着いた? ……あ、そうえいば気になってたんだけど、あんたどこから声出してるの? っていうか、それ声なの? あと誰にも相手にされなかったくせに、なんで言葉を知ってるのかしら。知識はどうやって身に着けたの? 普段は何して暮らしてるの?」

 

 動揺しつつも、ついつい好奇心を刺激されたリアトリスは質問を投げかける。彼女は魔術師。未知の魔物の存在は、とても気になるのだ。

 しかし腐敗公はといえば、ほぼ初めての話し相手。会話をしたい気持ちはあるものの、いざ自分の事について質問されると言葉が出てこない。そのため体を恥ずかしそうにくねらせながら、もごもごと言い淀む。その様子はなかなかに不気味だ。

 リアトリスはそれを見てしばらくまともには話せないかと、とりあえず待つことにした。しかしその間にピンっとあることを閃いた彼女はニヤリと悪辣な笑みを浮かべる。

 そして腐敗公が少々落ち着いたのを見て取ると、両手を腰にあてて自信に満ちた表情でひとつの提案を試みた。

 

「ねえ、腐敗公。あんたの保有魔力は正直言って素晴らしいわ。眼球を噛んだだけで、私の魔力が全快したんだもの。酸っぱいわ渋いわ臭いわでゲロ吐きそうなほど不味かったけど」

 

 そう。先ほどまで結界を維持する魔力すら危うかったリアトリスが、なぜこんなに元気にハキハキ喋ることが出来ているかといえば原因はそこにある。

 なんと腐敗公の眼球を噛んだ途端に、リアトリスの魔力が全て回復したのだ。

 

 しかし言葉の内容よりも、腐敗公はまず己の眼球の味の感想に対して文句を言う。

 

『だからなんで普通に酷い事を言うの!』

「あ、ごめん。でも事実だったから……」

『だからぁぁ!』

「ごめんって! と、とりあえず! 私の話を聞きなさい! あんたにとっても悪い話じゃないはずよ!」

 

 再び涙目になる腐敗公をどうどうと落ち着かせてから、リアトリスはひとつ咳払いをし、満面の笑顔で言い放った。

 

 

 

「その膨大な魔力を操る方法、この超天才元宮廷魔術師リアトリス様が教えてあげる! そして私に相応しい夫になりなさい!」

 

 

 

 これがのちに夫婦となる魔物と人間の、馴れ初めの第一歩となるのだった。

 

 

 




2018/10/23修正
2019/7/17修正


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2話 幸せへの第一歩

 自分が言い放った言葉を聞いて固まった腐敗公を見ながら、リアトリスはふむを腕を考えて思考を巡らせた。

 

 

 先ほどまでリアトリスは腐朽の大地の主である腐敗公を打倒し、罪人生贄人生から人類の英雄への華麗なる転身を狙っていた。思いがけないきっかけでその腐敗公と和解を果たした彼女だったが、その際自らに起きた事象は実に衝撃的だった。

 

 この腐朽の大地という場所は、どういうわけか魔力が他の土地より早く消費される。そのためこの地に花嫁として捧げられる生贄は、いくら加護の結界を施されても長く持たない。結界そのものの魔力もすぐになくなり、消えてしまうからだ。

 腐朽の大地は生き物の魔力も術式の魔力も、分解し全てを枯渇させる。これは人間族にとっても魔族にとっても非常に恐ろしいことであり、腐朽の大地が恐れられる要因の一つだ。

 保有する魔力が常人より遥かに多いリアトリスも例外ではない。ただでさえ呼吸するだけで魔力が消費されていく土地で、しかも全力で腐敗公に戦いを挑んだのだ。あの少しで…噛みつく…などという選択肢をとっていなければ、彼女は力尽きて死ぬ運命にあった。

 だがリアトリスは現在生きて腐敗公と対峙している。それはリアトリスの魔力が回復したからにほかならない。

 

 たった、ひと口。たったのひと口だ。

 

 腐敗公の眼球に噛みついた時にリアトリスの口内へ流れ込んできた、苦く酸っぱく最高にまずい液体。それをほんのわずかに飲み込んだ。それだけで枯渇しかけていたリアトリスの魔力は回復したのである。

 それは異常な事だった。少なくとも他の魔術師から回復のために魔力を譲渡されたとしても、リアトリスの魔力保有量を満たすためには軽く見積もって五人分の魔力は空になる。それをたった一舐めの液体が満たした。

 

 それを体感したことでリアトリスがまず思った事は「もったいない」だった。

 

(こんな魔力の塊を持っているのに、使い方を知らないですって? なんて宝の持ち腐れよ)

 

 聞けば腐敗公は膨大な魔力を有しているにもかかわらず、なんとそれを行使する方法を知らないらしい。実に勿体ない。

 だがリアトリスはそれを聞くと同時に、これは人生最大の好機ではないかと思い至った。

 

 

 ────────こいつを使えば世界の覇権も夢じゃない

 

 

 そんな大望が、ふと脳裏をよぎる。

 

(いや、それはどうでもいいわ! 世界規模は面倒くさい! でもこれだけの魔力なら、大抵の望みは叶うってものよね! これを逃す手は無いわ……!)

 

 が、すぐに捨てた。

 思いついたばかりの不穏な考えを容易く放り投げると、リアトリスはより現実的な未来にむけて打算的に考え始める。世界の覇権などという、何の旨味があるのかいまいちわからない展望など彼女にとってはお呼びでないのだ。

 

 

 リアトリスの明るい人生設計が「人類の救世主」から「凄い魔力を持った魔物を利用して悠々自適な楽々生活」に変わった瞬間である。

 

 

 リアトリスは元々、特別な魔術師の家系でもなんでもなく、ただのしがない田舎娘だ。それが紆余曲折あったものの、自分も他人も利用してここまで成り上がった。

 今でこそその地位も砂上の楼閣となり果てたが、確かに一度は成功をその手に収めたのである。

 …………ふと一瞬、成功のために師匠に弟子入りする際蹴落とした魔術学校の同級生が脳裏をよぎる。が、どうせ自分がこんな苦労をしていることも知らず呑気にしているのだろうと、すぐに考えを振り払った。

 

(まあここを無事脱出できたら、記念に奢らせてでもあげようかしら)

 

 自分が奢るのでなく奢らせることを当然のことのように考えつつ、リアトリスは打算的な考えを再開する。

 

 ともあれそんな人生を送ってきたリアトリスは、自分の欲求に素直な人間だった。

 そしてそんな彼女の望みが何かといえば、それ自体は何のことは無い普通の事。美味しい物を食べて、いい物を着て、いい場所に住んで、いい暮らしがしたい。自分の実力を認めさせたい。

 そんな物欲と承認欲求にまみれながらも、普通の域を出ない単純な望みこそリアトリスの生きる目的だ。

 

 そのために今、何が必要か。答えは目の前に存在している。

 

 美味しい物どころか食べ物すらなく、身に纏うのは汚泥にまみれたボロボロの花嫁衣裳。

 見渡す限り座る事すら躊躇する、臭くて汚くて屋根すらない最悪の土地。

 極めつけは魔族の王すら近づかない、この腐り切った大地を凝縮したような醜くて強烈な腐臭を放つ化け物が自分の夫ときた。

 考えうる限り最悪に近い状況が今ではないかと言われても否定できないだろう。だがその劣悪な環境をひっくり返して欲しいもの全てを手に入れたら、いったいどんな気分だろうか。自分を貶めてくれた連中にどんな顔をさせられるだろうか。

 それを考えた瞬間、リアトリスの顔は喜悦に歪んだ。

 

(ふっふっふふ……面白いじゃない。あいつらをぎゃふんと言わせて、私はこいつの魔力を利用して快適な暮らしを手に入れる。……完璧だわ! 流石稀代の天才魔術師! 私最高! ふふふふふ、これは楽しくなってきたわね!)

 

 リアトリスはうんうんと頷いて自分の考えを心の中で盛大に自画自賛すると、先ほどからこちらの様子を窺っている単眼の化け物を見上げる。

 相変わらず醜い上に臭くてかなわないが、これから自分の人生を幸福に彩ってくれる相棒だと思えば少し可愛く見えてくるから不思議だ。

 

 リアトリスはにやけていた顔をキリッと引き締めると、相棒こと自分の夫となる化け物を真っすぐに見上げた。

 

「ごめんなさい、待たせたわね! 悪いけど、あなたが今までどういった魔物生を過ごしてきたか聞かせてちょうだい。さっきの話を詳しくする前に、私まずあなたの事をもっと知りたいわ!」

 

 それを聞いて喜色に満ちた気配を放った魔物。まずはこの相棒の事を知らなければ。

 

 

 

 

 

 

 

『前の花嫁と一緒にもらった宝物の中に、おとぎ話の絵本があって……。その絵本にも俺と同じように、化け物だからって怖がられてる奴がいたんだ。でもその化け物はある日、運命の乙女と出会って心を通わせてた! そして二人は愛し合って……なんと、乙女の真実の愛のキスで化け物の呪いが解けて、化け物じゃなくなったんだよ! だから、だから俺もいつか、あんなふうにって……!』

 

 まるで思春期の少女のようにうっとりと澄んだ瞳を輝かせて、理想を語るのは動く汚泥こと腐敗公。

 腐敗公はリアトリスに自分の事を話してほしいと頼まれると、真っ先に自分の中で最も楽しかった記憶を掘り起こした。それは腐敗公なりにリアトリスと友好的な関係を築こうとした、精一杯の努力である。

 

 リアトリスはそれを聞きつつ、うんうんっと優しそうに頷いていた。だが口を開いた途端…………悪鬼のごとき容赦のなさが発揮された。

 

「いや、無理でしょあんたの場合。少なくともあんたはさ、その姿じゃどうあっても無理だって。もう一回言うけど、無理。第一そのおとぎ話って、私も知っているけれどまずあんたとは前提条件からして違うじゃない? あんたは生まれつきだけど向こうは元々は人間で、しかも正体が王子よ王子。財力半端ないっつーの。それだけで多少欠点に目を瞑ってもいいくらいには魅力的だわ。ま、現実の王子がどうかって聞かれたら少なくとも私はクソって答えるけど、それはいったん置いておくとして。……話し戻すけど、それに比べてあんたはどうよ? 財力権力さっぴいても、あんたはさ、なんかドロドロしてて臭い上に普通に生物にとって有害な正真正銘の化け物じゃない? あの王子はさ、王子だけあって教養あるからひねくれた性格を直せば総合的に考えて超優良物件なわけよ。だけどあんたは性格は良さげだけど、物を知らないから常識の違いで何して来るか分からない怖さとかもあるし。うーん、まあとりあえず、あんたの理想に対する私の考えはこんな感じ? あ、怒らないでね。相互理解ってやつよ相互理解。何が言いたいかって、私にその夢物語を求めないでって話」

 

 初めてまともに自分の身の上話を聞いてくれる相手とあって、意気揚々と自分の理想を語った。願わくば自分にとっての運命の相手が彼女であれば……そんなことすら思っていたのに、突き付けられた言葉は悪鬼が振り下ろした鉈のごとき代物。あまりのことに、怒るどころか衝撃に言葉を失う。

 

 しかしリアトリスは腐敗公の様子など気にも留めず、自信満々に胸を張って自分の考えを主張した。

 

「まあ、話はそこで終わりじゃないから安心して! そこでこの私様なわけよ。いい? よ~く聞きなさい?」

(私様って言った……)

「つまりあんたが幸せになるためには、私に師事する事が必須事項なわけ! あんたの膨大な魔力と私の魔術があればだいたいの事が出来るわ。お互いに幸せになるための近道は、すぐ真ん前に転がっているのよ。世界はおとぎ話みたいに優しくない。その現実を見据えたうえで、最高の好機を逃す手はないわよね?」

 

 そこでいったん言葉を切り、リアトリスは巨体に向けて手を差し出した。

 

「待ってても清らかで優しい乙女は来てくれないわ。でも、あんたには私が来た! この幸運を! 幸福を!! つかみ取りなさい!」

 

 自信満々に自分を売り込んでくるリアトリスに、腐敗公は戸惑った。

 何度も夢想し、いつかこうなったらいいと願っていた自分の夢。それを情け容赦なく砕いたと思ったら、力強く手を差し伸べられた。

 

 この手を取って、幸せになれと。自分を幸せにしろと。

 

 その動揺が現れたのか、腐敗公は体を激しく震わせた。すると普段よりも大量の汚泥がその体から噴き出て勢いよく地表に流れ落ちる。……その結果どうなったかといえば、汚泥の津波がリアトリスを飲み込んだ。

 

「おぶぐぁっ!?」

『わ、わあああああー!? ご、ごめん! あれ、どこ? 何処に行ったの? 返事してぇぇぇぇ!』

 

 

 

 

 その後本日三度目の生死の境をさ迷いつつも、なんとか腐敗公が体から出した触手で回収されたリアトリス。

 ぜえぜえと呼吸を繰り返す彼女を前に、腐敗公はその巨体を縮こまらせていた。

 

『ご、ごめん。本当にごめんなさい』

「い、いいのよ。ふふっ、気にしてないわ事故だもの……と思うことにするわ……」

『ごめんなさい……』

 

 リアトリスは汚泥の海から脱した後、胃の中身をひとしきり吐いた。そして現在は粘性のある汚泥を水の魔術で落とそうとするも、うまくいかず四苦八苦している。

 

「ああ、ダメだわ。うまく汚れが落ちないし、第一こんな場所じゃ落ち着かない! ねえ、何処でもいいからここよりましな場所ないの?」

『そ、それなら俺の家に行く? 一応、俺だってお嫁さんに早死にして欲しいわけじゃないから、整えた場所があるんだ。……王子様のみたいな、お城では無いけど……』

「あーあー、いいって。お城じゃなくたっていいわよ。ここでそんなもの求めるほど馬鹿じゃないわ。じゃあ話をするためにも、まずそこに案内してくれる?」

『う、うん!』

 

 人が初めて自主的に自分の住処に来てくれる。腐敗公はそれだけで舞い上がるような気持ちになった。しかも来てくれる相手は自分のお嫁さんだ。嬉しくないはずがない。

 腐敗公は先ほどのリアトリスの提案に、まだ頷いてはいない。しかし推測するに、彼女の中ではすでに腐敗公が了承した事になっているのだろう。

 その自信がどこから湧いてくるのか分からないが、しかし腐敗公はそれが嫌では無かった。

 

 まだお互いに事について、ほとんど知らない。

 それでもこの出会いはきっと、彼女が言うように幸福なものになる。

 

 腐敗公はそんな予感に胸を躍らせつつ、それが幸せへの第一歩であることを願いながら。

 自らの花嫁を、自身の住み家へと案内するのであった。

 

 

 




2019/7/17修正


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3話 死の大地でマイホーム

(場所を変えようと提案したはいいけど、腐朽の大地の中心に向かうのはなかなか迂闊だった……)

 

 そんなことを考えつつ、言い出したのは自分であるため黙々と死の大地を進むリアトリス。隣を山のような大きさの魔物がのっそりのっそり歩いて……というか這っているのは、なかなかに妙な絵面だなと考える。といっても、あまり深く考え込む余裕もないが。

 

 腐朽の大地は基本的に何でもかんでも腐って溶けてしまうため、木どころか草一本生えていない。それゆえに毒の霧が立ち込めている場所以外、見通しは案外良かったりする。

 崖の上にある土地から眼下にこの場所を眺めていた時、リアトリスは腐朽の大地を毒の沼のようだと思っていた。が、間近で見るとまた違った印象を受ける。

 地面の隆起に沿って見渡す限り溶けた何かの成れの果てが広がっているその見た目は、さながら汚泥で形成された砂漠のよう。かつてこの場所に自分たちが住む土地と同じような景色が広がっていた事など、想像する事も出来ない。

 

 リアトリスはふくらはぎまで汚泥に脚を沈め、ドロドロとした粘性物質もろもろをかき分けて遅々とした足取りでその中を進んでいた。

 ずちゅっ、ずちゅっと……非常に気が滅入る音をたてつつも、黙々と進むリアトリスを見て腐敗公は思う。

 

(逞しい……)

 

 腐敗公は触れたものを何でもかんでも溶かしてしまうが、加護の結界がある場合その心配はない。そのためリアトリスを体から出した触手で持ち上げて運ぶこともできるのだが……嫌そうに顔をしかめながらも、文句も言わずずんずんと進むリアトリスを見ていたらついつい言い出す機会を逃してしまった。

 これまで腐敗公に捧げられた花嫁たちは、あらかじめ加護の結界を施されていた。しかしどうやら今回の花嫁は、自分でその結界を張れるようだ。

 不快そうにしてはいるが、その体は腐朽の大地の汚泥にまみれながらも未だに健康そのもの。それは腐敗公にとって、非常に喜ばしく好ましい事だ。

 

 彼女は自分に幸せをつかみ取れと、手を差し伸べてきた。……そしてなにより、「私に相応しい夫になれ」と言ったのだ。

 つまり彼女は今までの花嫁たちと違って、自分の意志でお嫁さんになってくれる気がある、という事。その事実に腐敗公はこれまでにないほどの多幸感を覚える。

 

 嬉しかった。本当に、嬉しかったのだ。

 

 憧れていたおとぎ話の心清らかな乙女とはかけ離れた人物だとしても、やっと自分と正面から向き合ってくれる人と出会えたのだから。

 そんな相手を自分の家に招待するのは、少し緊張した。家と言っても腐敗公にとってはこの腐朽の大地全体が家のようなものなので、正確に言えば花嫁のための住いとして整えた場所である。

 この何もない場所で花嫁が住める場所を作るにはどうすればいいのか、腐敗公なりに必死に考えたのだ。考えて考えて、やっと作り出した。

 そのため緊張しつつも、実はそれなりに自信がある。何も生み出せない自分が唯一作り出せた最高傑作なのだから。

 

 が、到着した途端その自信はまたもや砕かれた。

 

 

「ただの!! 穴ァ!!」

 

 

 やけくそ気味に叫び膝をついたリアトリスに、腐敗公はかける言葉を見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 リアトリスが案内された先は、穴。完膚なきまでにただの竪穴である。どこもかしこも似た景色の中で、そこだけぽっかり地面に口を開けた穴。とこからどう見ても、穴。

 中に泥が入らないための構造なのか、辛うじて穴の周りには土手のようなものが築かれている。が、その土手もむなしく崩れ落ち、そこから泥や謎の液体が流れ込んでいる。とりあえずリアトリスの認識ではこれを家と言わない。穴だ。誰がなんと言おうと、穴だ。

 古代人だってもう少しましな家を作っただろう。穴の上に屋根をつけるとか、工夫をしたはずだ。

 これではどの花嫁も一日として持たなかっただろうと、リアトリスは歴代の花嫁たちに深く同情する。

 

 急いで掃除するからと腐敗公が底に溜まっていた汚泥と毒液を触手の先から吸い込んで穴の底に地面が見えた時、初めてこの地で汚泥以外のものが見られた事には感動してもいい。しかし住居として示されたそこは、何度見てもただの穴である。最早腐っていないというところに評価を見出す以外ないほどに、穴である。

 

(腐敗公の領土は広がるたびに大地を陥没させていったため、一説では大地そのものが溶かされているのではと言われていたわね。でもこの地面を見る限り、その可能性はなさそう……。汚泥と毒の液で湿ってるけど、溶けたような形跡はないもの。それが分かっただけでも世紀の大発見ね……ふふ……。誰もこんな場所、調査に来られないもの……。まあ、なんで地面が陥没するのかって別の謎が増えたけど)

 

 リアトリスはそんな事を考え現実逃避を試みるが、それだけでは体の疲労はごまかせない。

 

 

 ここにたどり着くまで実に三日。三日かかっているのである。

 

 

 その結果がこれではあんまりではないか。

 まさか住居が穴だった上に、端からこんなに遠いとは思わなかった。リアトリスはここまでの道のりを思い出しぐったりと腐敗公の頭の上で膝をついた。

 ちなみに何故頭の上かというと、最初の一日を過ぎたあたりで腐敗公が恐る恐るといった様子で運ぼうかと申し出てきたからである。それが出来るなら何故初めから言わないと、リアトリスは流石に怒った。

 しかし運んでもらったとはいえ、流動性のある腐敗公の体の上に乗っているのは容易ではなかったし、なによりリアトリスはここしばらく何も食べられていないし眠れていない。流石に体力の限界だ。

 

(お腹がすいた……何か食べたい……綺麗な場所で眠りたい……体を洗いたい……)

 

 頭の中で今現在自分が求めるものを列挙し、リアトリスはぐらぐらする頭を抱え考えを巡らせた。

 掃除して住居を整えたことを褒めてもらいたいのか、ソワソワした雰囲気を伝えてくる顔らしい顔が無いくせに妙に表情豊かな粘体生物は今は無視だ。

 この粘体生物、先ほどリアトリスが「ただの穴ァ!」と落胆したことを、もう忘れているのだろうか。

 

 リアトリスは考えた結果、ひとつ決心する。

 

(勿体ないけど、そんな事を言ってる場合じゃないわ……。このままじゃ普通に死ぬ……)

 

 リアトリスは人差し指を自分の右耳につっこむとごそごそと探り、一粒の種を取り出した。

 それは唯一リアトリスの手元に残った魔道具。他は生贄にされる前に全て取り上げられてしまったが、これだけは隠し通した。そして使う瞬間は、おそらく今を置いて他にない。

 何故ならここで使わなかった場合、リアトリスは疲労と衰弱に殺されるからだ。

 

(地面があるなら、きっと出来る。つーか出来なきゃ死ぬ)

 

 リアトリスは必死の形相で、種を穴の中へ投げ入れた。そして残量など考えず、最低限結界を維持する魔力だけを残して他は全て穴の中に叩き込む。

 

「生 え ろ!!」

 

 呪文もろもろすっ飛ばし、ただただ自分の欲求を種にぶちまけた。

 そしてリアトリスが穴をしばらくじっと見ていると……なにやらひょっこりと、白いものが穴の中から顔を出す。それは、次第に盛り上がり膨らんで、やがて腐敗公の大きさに匹敵するほどの立派な樹に成長した。更には横に大きく枝葉を伸ばし、かと思えば上に伸び、複雑な形状を形作っていく。

 腐敗公は不思議な事象と久々に目にする溶けていない自然物に感動していたが、ふと気づけば目の前にリアトリスの顔があって驚いた。どうやら自分の体をよじ登って来たらしい。

 それに気づかないほど樹の成長に見惚れていたのかと思うと少々恥ずかしかったが、そんな恥じらいは次の瞬間より大きな恥じらいによって吹き飛ばされる事となる。

 

「お願い、噛ませて」

『え!?』

 

 突然の噛む発言に、腐敗公はその巨体をよじり、うねらせる。照れているのだ。

 

『あ、その、えっと! う、嬉しいけど! でも、あの、一応まだ出会ってからまだ少ししか経ってないし、女の子がそんな簡単にく、口づけとか、しちゃいけないかもって、俺は思……』

「ああもう、この純情!! 今ので魔力がほぼ空なのよ! 補給させなさい補給! じゃなきゃ、あと五分くらいで私死ぬわよ! 結界が維持できないわ!!」

『噛んでください今すぐに!』

「よーっしよしよし! それでいいのよありがとう! じゃあ、ありがたく魔力をいただくわよ!」

 

 リアトリスは満足そうに頷くと、大きく口をあけて腐敗公の眼球に噛みついた。

 うえっと顔をしかめるあたり、やはり味はまずいのだろう。しかし命がかかってるとはいえ、魔物の眼球に噛みつくという行為を容易くやってのける度胸はいっそ清々しい。

 そして腐敗公としては口づけではないと分かっていても、ドキドキとあるかもわからない心臓が脈打つような気分になる。なにしろこんな風に、誰かに触れてもらうのは初めてだ。頭の上に乗せるのとはわけが違う。

 

 ……が、噛まれること自体は普通に痛かったりする。しかし花嫁のために、腐敗公は我慢した。

 

 そして噛みついたことによって腐敗公から膨大な魔力を補給したリアトリス。一息ついた彼女は、ようやく成長を止めた樹を見上げる。そして何かしらの術を樹に施した。

 どうやら術は結界だったようで、成長しながらも枝の端から溶け始めていた樹は無事に外界の腐蝕から隔離されたようだ。

 

「よかった……。これでなんとか生きられそうね……」

 

 リアトリスはほっと息を吐き出すと、次いで身軽な動作で腐敗公の体から樹に飛び移った。

 

「とりあえず、当面はこれで持つわ。魔力消費がヤバいけど、その時はまたあんたから魔力を頂く。魔術を教えてあげるんだもの。授業料として、それくらいはいいわよね?」

『も、もちろん』

「よろしーい! あと、そうそう、とりあえず私の事は先生と呼びなさい。これからビシバシ扱いていくから、覚悟なさいよ!」

『は、はい! 先生!』

「はーい! いい返事です! ……いやでも、あんたホント素直よね」

『……そう、かな?』

「ええ。素直すぎて腐敗公だなんて大仰な名前、似合わないわ」

『別にそれは自分で名乗ったわけじゃないし、むしろ何でそんな名前で呼ばれてるかもわからないし……』

「ああ、それもそうか。あとでなんであんたがそう呼ばれてるかも教えてあげる。他にも聞きたいことがあればなんでも聞きなさい。なんたって私は、あんたの先生なんだから」

『! あ、ありがとう!』

 

 これまた素直に礼を言う腐敗公を見て、リアトリスは話せば話すほど素直さが明らかになる彼(?)に首を傾げた。

 ……なぜこんな環境で、彼はこうも素直に成長したのだろうかと。

 

 ともあれ、リアトリスは久々の腐ったもの以外の場所に身を置けたことに安堵した。そして次にする行動は決まっている。

 

『!? 何してるの!?』

「え? いやだって、もうずっと気持ち悪かったし……」

 

 迷いなく服を脱ぎ捨てて全裸になったリアトリスを見て、腐敗公が動揺した声をあげる。

 

『あの、裸……! 恥じらいとか、そういうの無いの!?』

「…………。いや、あんた相手に恥じらえって言われてもさ……」

 

 粘体の化け物に恥じらいを諭されるとは思わななったなどと考えつつ、リアトリスは水の魔術を使って体の洗浄と服の洗濯の作業に入った。

 なにはともあれ、こんなドロドロの恰好では思考もままならないというものだ。本音を言うとまず初めに何か食べたいが、汚い格好のままではそれも抵抗があった。よって彼女の中でこの順番が正しいのである。

 ちなみに魔力の消費など考えていない。ちょっとまずいのを我慢して噛めば魔力が全快する夢の生物が近くに居るのだから、節約など無意味だ。

 

 そしてリアトリスの身だしなみが整ったのは、それから約数時間後。

 

 ベトベトドロドロネチョネチョなしつこい汚泥の汚れは、なかなか落ちなかったらしい。

 

 

 

 

 




2019/7/17修正


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4話 腐敗公の命名 ★

 人間領や魔族領からは、大地にぽっかりあいた巨大な毒沼のように見える腐朽の大地。

 空は遠く、見通しは良いものの各所で発生している毒の霧や瘴気によってこの土地は昼間でもどこか薄暗い。

 

 そんな中……場違いなほどに神々しく、清浄な白い光を発しているものが存在した。

 それは枝葉を茂らせた一本の樹であり、幹は白く葉もまた白い。が、こちらは時折柔らかな七色の光をさざ波のように発している。

 汚臭と汚泥に満ちている何もかもを溶かしつくす腐朽の大地において、本来ならばそれはありえない光景だった。

 しかしその樹は樹そのものがある魔道具である上に、とある優秀な魔術師が加護の結界を施していた。そのためこの樹がかつてこの地に存在していた他の木々のように溶かされることは無く、現在腐朽の大地の中で唯一生物にとって安全な場所となっていた。

 

 そんな安全地帯を作り出した、とある優秀な魔術師ことリアトリス。

 彼女は色々あったものの無事この死の大地で手に入れた住居……樹の上で、腐敗公の身の上話を改めて聞いていた。

 

「なんというか、不憫よね……」

『初めて同情してもらえた……!』

「あ、うん」

 

 返事を求めていなかった独り言に反応され、リアトリスは何とも言えない気持ちになる。

 リアトリスが現在自分の住居とするべく用意した樹であるが、腐敗公と同じくらいの高さがあるため現在巨大な目玉と視線が同じだ。その澄んだ瞳が少々居心地を悪くする。

 

「えーと、ここに来るまでざっくり聞いたけど、改めて聞くから補足してくれない? まず、お互いの事を知りましょう」

 

 住居を得て身だしなみを整え、満足いくものでは無かったとはいえ一応食事を終えたリアトリスは比較的落ち着いていた。そこでこれからの師弟関係もろもろについて話す前に、再度自己紹介をしようと提案したのだ。

 

 そして再び聞いた腐敗公の身の上話は、やはり「不憫」と感想を抱くようなものだった。

 

 要約すると彼は生まれ持った特性から、外界へ出る事も叶わず自領に引きこもる事を余儀なくされてきたのだ。今まで接してきた相手には疎まれ拒絶されるか恐怖されるか、はたまた攻撃されるか。それが腐敗公の魔物として生まれてこのかたの人生……否。魔物生。

 

 そのためこの魔物は生きた年月に比べて、とても人生経験というものが少ない。

 

 まず、産まれる。腐敗公、今とは違った小さい姿で誕生。

 最初は人間の手のひらくらいの大きさだったという。親は居なかったらしい。

 自然発生型の魔物はそこそこ居るので、リアトリスはそれについては特に不思議に思わなかった。

 

 次いで自我の確立。産まれてから五分くらいで完了したらしい。

 しかも何故か自我と共にある程度の知識を元々持っていたのだというから不思議だ。聞けばそれは、魔物の常識よりも人間が持つそれに近い。

 

 その後、彼は仲間を探した。

 何処とも知れない荒野の真ん中で生まれたので、一人ぼっちだった腐敗公。下手に知識と自我があったものだから、寂しくなったようだ。

 そしてこれが腐敗公のぼっち魔物生の始まりでもある。

 

 旅の途中、生まれて初めて美しい自然を目にした腐敗公、感動する。

 しかし少し進んで、もう一度それを見ようと来た道を振り返れば何故かそれらは消えていて、代わりにドロドロした何かが埋め尽くす大地が広がっていたらしい。腐敗公は首を傾げた。

 ここで「首……?」と、腐敗公を見てリアトリスもまた首を傾げた。どう見ても首があるようには見えないが、そこは別に今突っ込まなくてもいいだろうとリアトリスは口を噤んだ。

 

 旅を続け、腐敗公は初めて生き物に出会う。可愛いリスだったと彼は語った。

 そして思わず触手を伸ばして撫でようとしたら、愛らしいリスは一瞬にして解け肉片を晒したのちに白骨へと変貌したらしい。

 これを語った時の腐敗公の眼は死んでいた。目は口以上に語るというが、その言葉はこの魔物にはぴったりだった。

 唯一顔らしいパーツである単眼は、とても感情豊かなのである。

 

 その後も会う生き物会う生き物、みんな溶けて死んでしまったらしい。

 そして彼はようやく自分の体の特殊性に気づく。自分が美しい、可愛い、好ましいと感じたもの全てが、自分の手によって壊れてしまうのだ。

 それを知った腐敗公は、初めて絶望という感情を知る。

 

 それでも孤独を癒したい腐敗公は旅を続け、やがて初めて言葉が通じる生き物に出会う。

 この時に腐敗公は自分の姿が醜く、更にとても臭いのだと知ったとか。ひどい言葉を言われたと、彼はメソメソ泣きながら語った。

 

 だけど諦めきれない腐敗公は、なおも進んだ。

 ここでリアトリスは、それが腐朽の大地が世界の三分の一を占めた時期なのだろうなと推測する。世界的に大事件だったはずだが、その実態が一匹の魔物の寂しさゆえの行動だとは誰も思うまい。

 その途中で自分が歩んだ場所が何故汚い風景に変わっていくのかにも気づいたという。気づくのが少し遅い。

 そしてその時に初めて人間や魔族から攻撃され、腐敗公は自分という存在がほとんどの生き物にとって害悪なのだと自覚した。

 

 

 

 嫌われているのだと理解した。

 

 それでも死ぬのは、殺されるのは嫌だ。一人ぼっちは嫌だからと、誰か相手にしてくれないか、誰か仲間になってくれないかと彼は進む。

 

 彼の世界を……誰も住めない、汚泥だけが支配する一人ぼっちの大地を広げながら。

 

 

 

 

 話を聞き終えて、拍手する雰囲気でもなくリアトリスは反応に悩んだ。

 

「あー……。ええと、その、諦めなかった気概は凄いと思うわよ。偉い偉い」

『ありがとう……』

 

 とりあえず褒めてみたが、腐敗公の気配は未だ暗い。

 

 孤独を嫌い仲間を求めれば求めるほどに、その体質によって他の生き物にとっての災厄を振りまき嫌われる悪循環。

 ……よくその孤独に苛まれながら、進み続けたものだ。この魔物にとっての最大の不幸は、おそらく自我があったことだろう。寂しいと感じる心が無ければ、苦しまずに済んだだろうに。

 

『魔族の王に会いに行った事もある。自分が化け物だってのは散々言われてたから分かってたし、それなら魔に属する王なら、受け入れてくれると思って』

「なんというか……あんたなりに色々努力はしてみたのね。それで、結果は?」

『「くっせぇ寄んな!!」って追い返された……』

「そ、そう……。つーか、なにその雑な罵倒。どこの部族の王よそいつ。少なくともあんたに腐敗公の称号を贈った奴ではなさそうだけど……」

『しょ、正直凄く傷ついて、それ以来魔族領にはあまり近づけなくなっちゃってさ……』

「………………。え、人間領側を中心に腐朽の大地が増えた理由って、もしかしてそれ?」

『……うん』

 

 人間領の土地が多く削られた原因が、まさかの悪口。強大な力と巨体に反して、腐敗公は非常に繊細な心の持ち主らしい。

 リアトリスは少々頭痛を覚えたが、話の続きを促す。この後が丁度、花嫁という生贄制度が取り入れられたころの話だ。現花嫁としてはしっかりと聞いておきたいところである。

 

『もうどれくらい前だったか覚えていないけど、偉い魔術師だって人が来て言ったんだ。花嫁をやるから、もうこれ以上自分達の土地を侵さないでくれって』

「それが花嫁制度の始まりなのね。各国が順番で花嫁を出してるから情報がごっちゃになってる上に昔過ぎて正確な記録は残っていないけれど、少なく見積もっても五、六百年くらいは前の出来事のはずよ」

『ごろっぴゃく!? そんなに昔!?』

「! へえ、長命なくせして五、六百年を昔と認識する感覚はあるのね。興味深いわ」

 

 腐敗公の自我が生まれた時から持ち合わせていた知識や概念、感覚。

 そのどれもが魔物というよりも、どこか人に近いとリアトリスは感じていた。それがリアトリスの好奇心をくすぐる。

 

 約束が交わされてから、腐敗公は毎年捧げられる花嫁に一応満足することにしたらしい。といっても、それは諦めの上に成り立つ満足だ。本当は満たされてなどいない。

 そんな腐敗公の心の影響なのか、彼が昔のように動かなくなってからも腐朽の大地は広がり続けたのだという。

 

 その内、敵が現れ始めた。存在するだけで生存領域を侵していく腐敗公を倒そうと、立ち上がった者たちだ。

 

 

 最初は腐敗公も会話を試みたが、相手側はそれに取り合わなかった。いつも返答は攻撃だったと、腐敗公は語る。そうなれば進んで死にたくなどない腐敗公だって抵抗した。結果、腐朽の大地に溶ける屍は増える一方。

 存在するだけでもとから住んでいた生き物全てを溶かし殺し虐殺したのと変わらない腐敗公だったが、その時期から自分の意志で相手を屠ることを覚えたのだという。

 しかし本当はそんな事したくないのだと、語りながら腐敗公はめそめそ泣いた。碧く巨大な単眼からは、とめどなく涙がこぼれていく。不思議な事にその涙だけは、腐敗公の体から流れ落ちている汚泥と違って透明だった。

 そしてそれを見たリアトリスは、結構な泣き虫だなこいつ、と少々呆れる。

 

 強い力に見合わない、幼い精神だ。

 

 

 

 とりあえず、腐敗公側の自己紹介は終わった。それなら次は自分の番かとリアトリスは口を開こうとしたが、その前に腐敗公が伺うように声をかけてきた。

 

『あ、あの~……』

「ん、何?」

『いや、その……。いつまで裸なのかなって』

「ああ」

 

 納得したように頷いたリアトリスは、未だに全裸だった。

 

 身だしなみを整えた。それは今のリアトリスにとって体に付着した汚れを落としきった事を意味し、衣服の方はまだ手付かずだったりする。というか、現在乾かしている真っ最中だ。

 ちなみに汚泥で汚れ切った花嫁衣装はもともとの白さなど消え失せて、水の魔術を用いて洗浄する途中で何故か黄土色、紫色、苔のような緑と変色していき、最終的に真っ黒に染まった。

 リアトリスとしては黒は使いやすい色なので好むところだが、真っ白で美しい花嫁衣裳だけはそれなりに気に入っていただけに少々残念だ。

 そんなドレスを乾ききる前に着て不快な思いをするくらいならと、リアトリスはいっそこのままでいいと全裸のままで腐敗公と会話していた。

 妙に人間臭い常識を持ち合わせている腐敗公としては、気まずい事この上ない。

 

「いいわよ別に、気にしなくたって。それに、一応私はあなたのお嫁さんでしょ? 裸くらい気にすること無いわよ」

『いや気にするよ! そういうのは良くない! 君は、もう少し恥じらいを持った方がいいと思う!』

「だからあんた相手に恥じらえと言われても……」

 

 リアトリスは呆れたように言うが、ここまで言われると自分の方が常識に欠けている気分になってくる。事実として言っている事は腐敗公の方が常識的なのだが。

 しかしこのままでは自分の自己紹介まで話が進まなさそうなので、彼女は渋々生乾きのドレスを着ることにした。

 そしてやっと着替え終わり服を着こんだリアトリスに、腐敗公はどこかほっとしたように目元を緩ませた。

 

「お待たせ! え~、ごほん。じゃあ次は私の自己紹介ね。改めて名乗らせてもらうけど、私はリアトリス・サリアフェンデ。元はアルガサルタ……これは私の住んでいた国の名前ね。とにかくそこの王宮で宮廷魔術師を務めていた者よ。ちょっとやらかして処刑台送りになった結果、時期的に丁度いいみたいな理由であなたの花嫁として送り込まれたわ! 年齢は二四歳! 自己紹介、とりあえず後は今思いつかないから以上!」

『え、それは聞いてなかったよ!? 処刑台って……』

「ほほう、処刑台も分かるのね。まあその事はおいおい機会があったら話してあげる。な~に、気にする事じゃないわよ。あ、でもこれだけは言っておくわ。私は悪くないから」

『そ、そうなの?』

「悪くないから」

『わ、わかった』

 

 繰り返して自分は罪人だが悪くないと主張するリアトリスに、腐敗公はとりあえず頷いておいた。リアトリスはそれに満足そうに頷く。

 

「うんうん、やっぱりあんた、臭いし醜いけど性格は結構いい子よね! 良い事だわ」

『褒められながら貶されたのも初めてだよ……』

「まあ、それはいいじゃない。あ、じゃあ続けるわよ? え~っと、まあとにかく私は今日からあなたの先生になるわけだけど、そのことに対してあんたが私に払う対価はなんでしょうか! はい、どうぞ!」

『え!? あ、えっと。魔力の提供……だっけ?』

「それもそうだけど、魔力に関しては報酬じゃなくて必要経費。いい? あんたが私に払う報酬は、最初にもう言ってるわ。覚えてる?」

『! き、君に相応しい……夫になること?』

「正解!」

 

 その言葉を聞いて、腐敗公が纏う雰囲気が一気に明るくなる。

 

『はい! よろしくお願いします、先生!』

 

 はきはきとした返事を聞いて、リアトリスもまた気分よく頷いた。

 

「いい返事ね! ま、これからよろしく」

『う、うん。よろしく……』

 

 これから、という未来を示す言葉に、よろしくという友好的な言葉。

 そのふたつをもらえたことに、腐敗公はただただ幸福を噛みしめた。

 

「ところでさっそく詳しい話をしたいんだけど……正直私体力の限界なのよね。少し話したら寝させてもらうけど、いいかしら」

『も、もちろん! 先生は俺の大事なお嫁さんだから、自分の体調を優先してくれた方が俺も嬉しい』

「あら~、紳士じゃない。そういうところ、素敵だわ。誰とも関わった事が無いなんて嘘みたい。生まれ持った才能かもね」

『そ、そうかな。へへっ……』

(ちょろい……)

 

 いちいち返ってくる反応が素直で、リアトリスはこの相手が自分より遥かに強い魔物であることを一瞬忘れそうになる。だがこれから友好的な関係を築いていくにあたってたいへんよろしい。

 実はこの腐朽の大地の真ん中で機嫌を損ねたら今度こそ自分死ぬなと、少しだけ心配していたリアトリスである。図太いがために、傍目にはまったくその様子は見受けられないが。

 

 しかし今のところこの様子を見るに、この魔物はとても素直な性格かつ嫁である自分を勝手に敬って気遣ってくれそうな雰囲気だ。これは未来は明るいなと、リアトリスは楽観的に笑う。

 しかし希望は手に入れたものの。そろそろ本当に体力の限界だ。すぐにでも寝てしまいたい。

 

 だが、その前にどうしてもやらねばならないことがある。

 

「ところであんたほんっとうに臭いから、結界張らせてもらうわよ。あと、人化よ人化。人間になっちゃいなさい」

『え?』

 

 粘体生物は首を傾げた。なんとなく首をかしげたらしい仕草だと分かってしまったあたり、ここ三日でリアトリスはこの相手に慣れつつあるようだ。

 

「臭い物には蓋って、昔から決まってんのよ。生まれつきってのは同情するけどね」

『本当にずけずけ言うよね君って……』

「そうかしら? あ、そうそう、それと人化についてだけど、これは異種族恋愛の第一歩だと思ってちょうだい。残念ながら私、異形だからこそイイ! みたいな特殊性癖じゃないの。特にあんたみたいな見た目だと、相当な偏執狂じゃなきゃ受け入れるの厳しいわ」

『それについては、まあ……。俺だってこんな姿じゃ無かったらって、よく考えたけど。でも人の姿になるなんて、そう簡単に出来る事なのか? もしそれが出来るなら、俺の悩み結構解決するんだけど』

「ま、それ含めて私が色々教えてあげるわけだし? そこんとこ安心してもらって構わないわ! 人外の人化ってのは、一応実現可能な術としてすでに確立されている魔術だしね。……世間的には、女好きのドラゴンどもが人化して人間たぶらかして、ぽんぽん亜人種増やしてくれて厄介極まりない術なんだけど……」

 

 最後の方はなにやら忌々し気に吐き捨てたリアトリスだったが、数百年悩んできた生まれつきの姿をどうにかできるとあって、腐敗公の期待値はぐんぐんと高まっていく。

 

 臭く無ければ、醜くなければ嫌われない。

 触ったもの、住んでいる場所を腐敗させ朽ちさせてしまうという大問題こそあるが、生理的に嫌われる要因が排除できるとあらばそれだけでも彼にとっては希望だ。

 

 だがリアトリスは「でも」と鋭い声色で続ける。

 

「勘違いしないでほしいのが、その術をずっと私が施すのは無理ってこと。他人を対象にした魔術って、自分を対象にする場合よりずっと魔力の消費量が多くなるの。いくらあんたから魔力を無限に補給出来ても、集中力だっているしね。ただでさえ私は自分とこの樹に常時結界を張っていないといけないんだもの。それの他に術をもう一つ常時発動とか、流石の天才リアトリス様でも厳しいわ。だから人化の術を使うのは、あなたに魔術の授業をする間だけ。でもって、あんたはそれをいずれ自分で出来るようになりなさい。それさえ出来るようになれば、あんたは常に人の姿でいられるわ」

『! ……本当に、本当に俺は人になれる?』

「ええ、出来るわ。この私が先生になるのよ? 必ず習得させてあげる。私の輝かしい未来のためでもあるしね!」

 

 その言葉に腐敗公は、この出会いに改めて感謝した。

 ……今まで誰も教えてくれなかった、相手をしてくれなかった。しかしこの女性は、惜しみなく自分に知識を与えてくれるのだという。

 たとえそこに打算があったとしても、そんな事は些細な問題だった。

 

『俺、なんでもするよ。頑張る! 君のためにも!』

「あら熱烈! あー、でもこの二つの術はかなり複雑でね。習得するには基礎の基礎からみっちり覚えてもらうわよ」

『だから、なんでもするってば! あ、でも、……そんなに難しいの?』

「一般的な魔術師なら、これから私が使おうと思っている結界と人化……それぞれの習得にそれぞれ五十年はかかるわね。ま、私は天才だからすぐ覚えたけど!」

『お、おお……! リアトリスって、凄いんだな!』

「まあね! 崇めなさい! お前の先生は凄いのよ! それと、その何でもかんでも腐らせる体質もどうにかするから。ふっふふふ。今からいろいろ楽しみねー。あんたが魔術を覚えたら、きっと大抵の望みは叶うもの。うまいことすればこの広大な腐朽の大地、まるっと私たちだけの物! ほーっほほほ! 魔族の王が戯れにあんたに与えた爵位を本物にしたっていいわ! ここに公国を建国するのよ、腐敗公! なんてね! まあ土地の活用方法はいずれ考えるとして、とにかくこれからは私とあんたは明るい未来に向かって一直線ってことだけ覚えときなさい! よろしくて?」

『もちろん!』

「よし!」

 

 

 生まれてこの方、数百年あまり。

 暗いくらい、希望のない道を歩んできた。そんな中、突然強烈な光を示された。

 しかも彼女は「私たち」と言ってくれたのである。あけすけにモノを言うし無神経そうなところはあるが、自分と共に歩んでくれようとしている。それが腐敗公にとって、何より嬉しかった。

 

 まだ何も始まっていないが、腐敗公は生まれて初めて……未来というものに希望を抱いたのだ。

 

 

 

 

 

 しかし互いに協力体制をとることが確定した所で、いよいよリアトリスも体力の限界だ。

 そのためまずお試しとばかりに、リアトリスは腐敗公に人化の術を施そうと試みる。

 

「えっと、とりあえずお試しで一回人になってみましょうか」

『え、もう?』

「え、嫌?」

『嫌じゃないけど、思ったより急だったというか……』

「嫌じゃないならいいわね! とりあえず、私が休んでいる間に人の体の使い方に慣れてほしいのよ。これから二人で授業していくわけだしさ、体の動かしかた分からなくてまごつかれても面倒だし』

『わ、わかった!』

「それとあんた、話す時あまりどもらないようにしなさいね。話慣れないんだろうから仕方ないけど」

『ど、努力します……。あ!』

「いいって、いいって。少しずつで」

 

 リアトリスはひらひらと手を振ると、そういえばと思い立つ。

 

 

「そういや、ずっと『あんた』とか『腐敗公』じゃ呼びにくいわね。あんたさえよければ名前つけてもいい?」

 

 

『いいの!?』

「! お、おう。いいわよ。いいから、ちょっと離れなさい。この近さじゃ口呼吸だけじゃキツイ……!」

 

 リアトリスが提案するなりずずいっと体を乗り出してきた腐敗公の迫力に、リアトリスは樹の上でのけぞった。危うくバランスを崩して落ちそうになるが、なんとか耐えた。

 名前を付けてもらえる事が本当に嬉しかったようで、腐敗公はそわそわと巨体をくねらせている。

 

『その、すごく、嬉しい……』

「ふふん、そう喜ばれちゃうとなんだか私も気合入るわねー。まかせなさい! 宮廷魔術師は占いで貴族の子供に命名することだってあるのよ? 魂の本質を見抜いて、その者にふさわしい名前を付ける! そのことにおいて、私かなり自信があるわ」

 

 あまりの喜びようにリアトリスとしても悪い気はしなかったので、それなりに真剣に取り組もうと気合を入れた。

 

 腐敗公をじっと見つめる事、数十秒。

 リアトリスは脳裏をよぎった名前を逃さず捉え、それを高らかに言い放つ。

 

「あんたの名前は、ジュンペイよ!!」

 

 胸を張って自信満々に言い切ってから、……リアトリスは首を傾げた。

 

「ジュンペイ……。ジュンペイ? なんか、初めて聞く響きの名前ね。いや、私がつけたんだけど。でも思いついたのこれだったのよねー。なんでかしら」

 

 自分がつけた名前だというのに、それは今までに聞いたことの無い響きを持つ名前だった。しかし首をかしげるリアトリスをよそに、腐敗公……もといジュンペイは、たった今命名されたその名を宝物のように反芻する。

 

『ジュンペイ、ジュンペイ……。なんだろう、名づけてもらったばかりなのに、すごくしっくりくる』

「そ、そう? ええと、つけておいてなんだけど……本当にその名前で良かった? それ以外に無いってくらい私としてはそれしか思いつかなかったんだけど、聞いたことない響きだから込めた意味も何もないのよ。よかったら、ちゃんと意味のある言葉から考え直すけど……」

『ううん、いい。これでいい。……これがいい! 俺、ジュンペイだ!』

「まあ、気に入ったんだったらよかったわ。さあ、ジュンペイ! さくっと人化いくわよ!」

 

 あまりにも大事そうにつけた名前を言うものだから、喜んでるならいいかとリアトリスも納得した。

 そして無事に名前が決まったところで、お次は待ちに待った人化の術である。

 

「ふっふっふ。このさいだもの。思いっきり私の理想を詰め込んであげるわ……!」

『人化後の姿は自由に設定できるの?』

「ほほっ、私くらいになると可能ね。なんたって天才だもの! ……うん、悪くない。悪くないわ。旦那になる相手を自分の理想の姿に出来るとか、考えてみたら最高じゃない! やる気出てきた!」

 

 リアトリスとしても気分がのってきたのか、寝不足によって目が充血し爛々としてはいるもののどこか楽しそうだ。

 

 しかしやはり、リアトリスの体力は限界だったのか。

 ……その疲れが、この後思いがけぬ結果を招くことになる。

 

 

 

 




※挿絵の練習もしてみようと思うので、たまにあとがきに作者の自作絵が載ります。よければイメージの参考までに。苦手な方は開かずスルーしてくれると嬉しいです。

主人公ラフ画
【挿絵表示】


本作のイメージラフ画
【挿絵表示】


※2018.10.25修正
※2019.7.17修正


旧表紙
【挿絵表示】

※2021.8.6差し替え


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5話 諦めるのをやめた日 ★

 腐敗公に"ジュンペイ"という名がつけられ、その後リアトリスの手によって無事に人化の術は施された。

 その後丸一日。極度の疲労により死んだように眠ったリアトリスだったが、死の気配が蔓延する大地にもかかわらず魔術で成長させた白い樹は、彼女の体を広げた枝葉で柔らかく支えた。

 おかげで劣悪な環境にも関わらず、リアトリスは十分な休息をとることが出来たのだが……。

 

 目覚めたあと変わらないとある現実に、リアトリスは乾いた笑いを"旦那様"に向けるしかなかった。

 

 

 

 腐敗公ジュンペイと、その魔術の先生となったリアトリス。

 時間にしてリアトリスが生贄に捧げられてから四日目。現在彼らはこの腐朽の大地で唯一の安全地帯である白い樹の上で、授業初回を迎えていた。

 

「まず、魔術がどういった物であるか理解してもらうわ。曖昧な認識で使うと、術の精度が落ちるからね。まずは何事も理解することが大事よ」

 

 誰かに魔術を教える。リアトリスはこれまでになかった経験に少々緊張していたが、極めて落ち着いた態度を心掛けていた。

 教える側に自信が無さそうでは、教わる相手に不信感を与えてしまい授業の質が下がるからだ。少なくともリアトリスは自分だったら、おどおどした自信のない教師になど教わりたくない。

 

「魔術というのは、平たく言うと魔力という"材料"を使って製品を"作りあげる"技術であり、魔力という"燃料"を使ってそれを"動かす"技術。その二つを総合して魔術である、と定義されているわ。どちらもまず魔力が無ければ始まらないけど、それを現象として引き出すためには技術が居るの。その技術を操れる技術者の事を、魔術師と言うわけ。ジュンペイ。あんたは今、技術はないけど材料と燃料だけはたくさん持っている状態ね」

 

 出来る限り噛み砕いて説明するが、相手からの反応は薄い。それに少々眉根をよせつつも、リアトリスは授業を続ける。

 

「でもって、その材料兼燃料たる魔力には二つ入手場所があるわ。ひとつはもともと私たち生命が生まれながらに保有しているもの。あんたの場合、それが馬鹿デカイのよね。それともう一つは、私たちが今生きている世界に重なって存在している"星幽界"という別世界。そこから引っ張ってくる魔力ね。生物が保有している魔力なんて微々たるものだから、ほとんどの場合は星幽界から引き出して魔術は行使される。人間も、魔族もね」

「………………」

「…………続けるわよ? えーと、だから魔術は別名で星幽術なんて呼ばれたりもするわ。魔力だけでなく、星幽界に存在する"事象そのもの"を引っ張り出せたら一流ね。通常は魔力という燃料を使って、こっちの世界の法則に基づいて魔術として形になるの」

「………………」

 

 リアトリスは魔術を学ぶにあたって一番の基礎である説明を述べるが、それを聞いている相手は沈黙し心ここにあらずといった様子だ。

 思わずため息をつきたくなったリアトリスだが、自分に原因があるだけに強く注意することが出来ない。一応彼女も"その事"に関しては、とても申し訳なくは思っているのだ。一応。

 

 しかしのんびりしている暇は無い。主にリアトリスの精神的健康のために。

 リアトリスの計画としてはとりあえず基礎を叩き込んだのち、さっさとこの腐朽の大地を抜け出して場所を移して授業を行いたいのだ。そのためには解決せねばならない問題は多いが、その点リアトリスは自分の才能を信じ切っているので微塵も不安は感じていない。

 が、それを解決するまでの期間に基礎だけでもしっかりと習得させねばリアトリスの矜持にかかわる。

 

 リアトリスは心を鬼にした。

 

「もう、ジュンペイ! 気持ちは分かるけど、今は落ち込んでないで勉強よ勉強!」

「~~~~! そうは言うけど、無理だろ! 見てよこの姿!」

 

 リアトリスの言葉に、人の姿になった腐敗公……ジュンペイは、ばっと体を広げて不満もあらわに主張する。その際にふわりと、柔らかな金糸が舞った。

 その姿に一瞬怯みそうになるも、リアトリスは開き直ったように畳みかけた。

 

「いいじゃない、何処からどう見ても立派な人間だもの! ただ、ちょっと女の子になっちゃっただけでしょ。気にする事無いわ。すっごく可愛いわよ!」

 

 それに対してのジュンペイは悲鳴のように声を張り上げて反論する。その声は声色はともかく非常に可愛らしく、まるで鈴を転がすように可憐だった。

 

「フォローになってない!! 最後に付け加えた可愛いは、俺にとってはとどめだよリアトリス! 君はお嫁さんにそんな事を言われる俺の気持ちが分かってないよ!」

 

 

 

 

 ……念願の人化が叶ったはずの腐敗公ジュンペイ。

 

 彼は何故か現在、金髪碧眼の愛らしい少女の姿になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 時間は一日前まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

「変化の事象よ、星幽界より来たりて我が望みを満たせ。我は欲し、望むものなり」

 

 リアトリスが少々長い呪文の末に結びの言葉を発すると、毒の霧で常に薄暗く陰鬱とした腐朽の大地に光の柱が立ち上った。

 わずかに紫電と水の雫のような煌きを纏いながら、光の柱は次第に中心へと向けて収束していく。そしてそこに居るのは腐敗公……ジュンペイと名付けられた魔物。世界の三分の一を有する、腐朽の大地の主。

 彼は現在リアトリスによって、5百年以上にも及ぶ孤独な魔物生に終止符を打つ第一歩とするべく……人化の術をかけられていた。

 

 魂の根源より生まれいずる生命がもともと保有する魔力と、世界に重なる異世界……星幽界から雨のように零れ落ち、集まり無数の支流のように世界を巡る魔力。

 そのふたつの材料を掴み取り、編み上げ、召喚し、現れた事象に更に燃料として魔力を注ぎ込み望む結果を得る。それが魔術を行使する際の過程だ。

 ちなみに世界から魔力を引っ張ってくる場合、魔力には流れる支流によって属性が存在する。その中から自分が使いたい術に適した属性を選び取ることが重要だ。

 適した支流から、適した属性を選び取る。魔術とは個人の魔力以前に、支流を選別し見極める知識と慧眼もまた、必要なのだ。それらをすべてひっくるめて有する者こそが"魔術の才"がある存在と認識される。

 そして最高位の地位から排斥されたとはいえ、宮廷魔術師を務め天才の称号をほしいままにしていた女……リアトリス・サリアフェンデ。

 

 彼女は天才だった。

 しかしどんな天才だろうと、不測の事態というものはいつだって、誰にだって訪れる。

 

「………………」

 

 微笑んでいる。彼女にしては非常に珍しい、慈愛すら感じさせる柔らかい笑み。

 それを浮かべているリアトリスは、同時に大量の脂汗を滲ませていた。

 

「………………」

 

 そして何も言わないリアトリスの対面では、同じく何も言わず……。否、言えず絶句している小さな人影。

 

 蜂蜜のような濃い黄金の巻き毛が白く無垢な体躯に流れ落ち、散らばっている。豊かなそれはたっぷりの毛量にも関わらず、重さを感じさせない軽やかさも併せ持っていた。

 白いかんばせ、バラ色の頬。宝石もかくやといわんばかりの美しい碧眼を縁取るまつ毛は扇のように広がり、その影が麗しさに憂いを添える。

 唇は艶を帯び、珊瑚のように可憐な色だ。

 

 そんな特徴を有しているのは、齢にして十歳ほど……と思われる美しい少女。

 

 

 

 

 

 少女。

 

 

 

 

 

「ごめん」

 

 リアトリスに唯一言えたのは、それだけだった。

 

 

「なんでぇぇぇぇぇぇ!?」

「あ、あらー。声も可愛いのねー」

 

 絶叫する少女に、リアトリスはなんの慰めにもならない言葉をかける。それ以外に言葉が出てこないのだ。何故ならばリアトリスの心もまた、少女と同じく混乱している。

 だからといって、少女……腐敗公ジュンペイの追及を免れられるかといえばそうではない。ジュンペイは"ほぼ"まっ平らな自分の胸や"何もない"股間をペタペタと触りながら、悲嘆にくれた声でリアトリスに問いかけた。

 

「俺、俺、リアトリスの理想の旦那様に相応しい姿にしてもらえるはずだったんだよね!? な、なんでチンコもキンタマも無いんだよ! これじゃ女の子だ! しかも子供の姿だし!!」

「こらっ、女の子がチンだのタマだの言うもんじゃありません! お下品よ!」

「女の子じゃないから!!」

「いっけね。あ、あはは……ごめん、つい。あんまりにも可愛いもんだからさ~」

「だから! そうなったのは何で!」

「いや~、それにしてもあんたの知識ホント基準が分からないわ~。人間の男にくっついてる性器とか知ってるのね~。ふっしぎ~。あとあんな無性別な見た目しといて、男って自覚はちゃんとあるんだ~。ふっしぎ~」

「誤魔化さないでくれ!」

「……いや、悪い。本当に悪かった、ゴメン。正直私も今、混乱してる」

 

 ぐいぐいと詰め寄ってくる全裸の美少女を前に、リアトリスは頭を抱える。

 そしてふと少女を見て……その頭から伸びる紐のようなものに気が付いた。何気なく視線で追って、リアトリスはビクッと肩を跳ねさせる。

 その様子に気づき、彼女の視線の先をうっかり見てしまったジュンペイもまた同じくビクッとした。

 

「お、俺……!? ……だよな?」

 

 現在リアトリスと少女になったジュンペイは、リアトリスが魔術によって成長させた樹の上に居る。そのすぐ横にはずんぐりとした、小山のように巨大な影がひとつ。

 それは人化する前のジュンペイの真の姿……腐敗公と呼ばれる魔物だった。しかしずっと開かれていた巨大な瞳は閉じられており、本当にただのヘドロの山のようなありさまを晒している。

 ……そしてジュンペイの頭部から生えている紐は、魔物の頭頂部に繋がっていた。

 

「俺はここに居るのに何で俺が……?」

 

 少女の姿だった事は予想外とはいえ、自分は人間になれたのではなかったのか。

 そんな疑問を含んだ声に、リアトリスはポリポリと頬を掻きつつ答える。

 

「あっちゃー……やっぱり無理だったか。いや、ごめんなさいね。ジュンペイくらい大きい魔物を人化させようと思うと、まず人化の前に縮小って過程も挟まないといけないんだけど……。あんたは体に加えて魔力の保有量が大きすぎるもんだから、私の手には負えなかったみたいね。ドラゴンだって人化させられる自信あったのに、やっぱあんたとんでもない。うっかり忘れそうになるけど、流石世界の三分の一を支配してるだけあるわ……」

「ど、どういうことなんだ?」

「簡単に言うと、私にはあんたの体の一部を人化させるのが限界ってこと。全体を変化させるには魔力不足、実力不足ね。悔しいけれど。……私がこんな素直に自分の実力不足を認めるなんて、珍しいんだからね」

「え、えっと?」

「……ほら、見なさい。今もジュンペイとあのジュンペイの体は繋がってるでしょ? だからアレは今もあんたの体。試しに動かしてごらんなさい」

「ええ? …………。……あ! 本当だ、動いた」

 

 人の体を手に入れたからか、半信半疑でジュンペイは汚泥の体に意識を向ける。しかし特に意識するまでもなく、腐敗公の体は簡単に動いた。

 意識すれば閉じられていた瞳も開くが、そこに意思が宿っているようには見えない。

 それは現在腐敗公ジュンペイの意識が人間の体に変化した方に宿っているからだ。

 

「…………なんだかヒトモドキチョウチンアンコウみたいね……」

「なにそれ」

「アルガサルタの海に住む怪魚よ。頭から伸びる触手の先を可愛い人間の女の子に変えて、それを疑似餌にして人間を騙して食べるの」

 

 それを聞いたジュンペイの顔が嫌そうに歪む。今まで多くの生き物を殺してきた彼だったが……殺した相手を意図的に食べたことは一度も無い。体に溶けて結果的に吸収してしまった感じになったのは不可抗力だ。そのため自分が言えた事ではないが、妙な化け物と一緒にされるのは気分が悪い。

 せっかく手に入れた人間の体。あらゆる感覚が新たに備わり、本来なら文句など言えるはずもないのだが……。見た目に加えてそんなことを聞いてしまえば、複雑な心境にもなろうというものだ。

 

「卵はとっても美味しいわ」

「食べるの!?」

 

 人を食べた生き物をまた人が食べる。その食物連鎖に、食事を必要としないジュンペイの心境はいっそう複雑さを増した。

 しかし混乱の極みにあったものの、はっと我に返ったジュンペイは最初の疑問に立ち戻る。

 

「そ、それで! なんで女の子なんだ! リアトリスの理想の旦那様の姿ってこれなの? リアトリスはレズでロリコンなの!?」

「なによ、れずだのろりこんって……。あんた妙な言葉使うわね。ま、まあいいわ。えっとね、実を言うと……」

 

 本当なら疲労に任せて、すぐにでも眠りたい。しかしこの状態下で放置するのは流石に可哀そうなので、リアトリスは回らない頭で言葉を探す。

 そして絞り出された言葉に、ジュンペイは顎が外れんばかりに大きく口を開いた。人間になったばかりにしては表情豊かである。

 

「ああと、えっと、うん……。ごめんなさい、ようやくこの事態に理解が追いついた。術式以前にこれ私の心境のせいだわ。モロに願望が出たというか……」

「やっぱり小さな女の子が好きってこと?」

「違くて! 可愛いな~とは思うけど、恋愛対象じゃないわよ! だからその、ええと! そのね? 最近凄く疲れてて……。ある上司のせいで軽く男性不信っていうか、その他諸々でもう結婚とか考えるの正直面倒くさくなってて……。もう旦那とかいらないから子供だけ欲しい。めっちゃ可愛い子供だけ欲しい。可愛い女の子だったら最高だとか考えてて……」

 

 だんだん言葉尻が小さくなっていったリアトリスだったが、もうここまで言ったなら! と開き直ったのか、最後ははっきりと言い切った。

 

「あっはー、ごめーん! 理想の旦那じゃなくて理想の娘の姿にしちゃった!」

「はぁぁ!?」

 

 いい笑顔でとんでもない事を言い切ったリアトリスに、ジュンペイは泣きそうな顔で叫んだ。

 しかも目の前の女は、続けて更にとんでもない事を告げる。

 

「ちなみに一度決めた人化の術の結果は常に固定されるから、私の術じゃあもうその姿以外に変化させられないわ!」

「ふぁ!?」

「だから別の姿になりたかったら、自力で術を覚えて頑張れってことね! あ、その場合は私の夫に相応しい、私の理想の姿でお願い!」

「投げやりな上に自分が失敗したくせに図々しいな!?」

 

 こうして腐敗公の人化への修業の道は、大きな目標を得て始まった。

 

 誰にも嫌われない姿を、誰かと共に歩む道を、世界を生きるための方法を。

 腐敗公には欲するものがたくさんあった。そのどれもが、欲しては諦めてきたものだ。……だというのに、いきなり一足飛びでその上の目標を手に入れろと言われたのである。

 自分で人の姿に、しかも嫁に旦那として見てもらえる……彼女の理想の夫に相応しい姿になれ。そう言われたのだ。

 明確な目標が出来たことは、果たして彼にとって良かったのか悪かったのか。この時点ではまだリアトリスにもジュンペイにも分からない。

 が、とりあえず授業を受けるに適した肉体にすることは出来たので、まあ良しとしたリアトリス。大雑把である。

 彼女は目の前で崩れ落ちた旦那(仮)の気持ちからは無情にも一度目を背ける事にして、これからの予定を告げた。

 

「ま、まあいいわ! それでこの後の予定なんだけど……私は寝るから、その間に人間の体でいろいろ試してみなさいな。でもって私が起きた後だけど、最低限。本当に最低限の知識だけあんたに教えるわ。そしてそれが終わったら即移動よ」

「移動?」

 

 首をかしげる腐敗公。今度は人の姿だったのではっきりとその様子が分かったリアトリスは、彼の疑問に答えるべくぴしっと人差し指を立てて述べる。

 

「こんなところじゃ、おちおち修行どころか住むことも出来ないわ。いい? 私は美味しいものを食べて、安心して眠れる場所で、清潔な服を着て過ごしたいの。だからあんたの本体がここにある限り拠点はここにおくしか無いとしても、魔族領でも人間領でもいいから、どっか別の修業場所を見つけたいわけよ」

「で、でも! 俺が行ったら、その場所がまた溶けちゃうだろ!? この紐? があるから、本体だけ置いてこの体だけ移動するとか出来そうにないし……」

「そこら辺はあんたが基礎を勉強してる間に、私が解決策を考えるわよ」

「……つまり今は何も考えてない、と?」

「そういう言い方もあるわね。だけど私は天才だもの。どうにかなるし、してみせるわ!」

 

 胸を張って堂々と、きっぱり言い切ったリアトリスは微塵も自分を疑ってはいなかった。

 先ほどの盛大な失敗はすでに忘れたようである。

 

「その自信は何処から湧いてくるんだ……。羨ましいよ……」

 

 呆れながら……しかし何故か気づけば腐敗公は笑っていた。

 

(色々不安だけど……。今はお嫁さんを信じよう)

 

 こういうのを「乗り掛かった舟」というのだろうかと、何処から湧いてくるのか分からない、使い方が果たして合っているのかも分からない知識に腐敗公ジュンペイはまた笑う。頼りになるのだかならないのだか、分からない船長だと。

 

 

 眠りも必要とせず、食事も必要とせず、時間の流れも曖昧で、数百年生きた自覚も無かった腐敗公。

 諦念に濡れた思考と生活の中に突如現れた希望は、あまりにも乱暴で鮮烈だった。

 まだほとんど、腐敗公の悩みは解決していない。しかし彼女がやると言うのなら、やってくれるのだろうと信じ始めている自分に気づく。ならば自分もそれに応えようではないか。

 

 諦めるのはもう、やめにしよう。

 今まで与えられなかった可能性は示された。ならばそこに向かって突き進もう。

 きっとどんな結果になろうと、自分は後悔しないだろうから。

 

 

 ジュンペイはリアトリスに手を差し出した。そして満面の笑みを浮かべて告げる。

 

「これからよろしくお願いします、先生! ……そして、俺のお嫁さん」

「あら、改めて挨拶だなんていい心がけだわ。……ええ。よろしくね、旦那様」

 

 リアトリスは差し出された手を、こちらはニヤリと笑って握りかえした。

 

 

 

 

 この日初めて、腐敗公は人の体温を知った。

 

 

 

 

 

 

 



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修業旅行という名の新婚旅行
6話 腐れ縁を訪ねて


 アルガサルタという国の特徴は何かと問われたら、まずほとんどの者が「海」と答える。それはアルガサルタが海に面した国だから。そして残りの者は「え、山と森じゃないの?」と答える。それはアルガサルタが、陸地にも多く領土を有する国だからだ。

 

 アルガサルタは海にいくつも点在する島から成り立っていた小国を、陸地の中規模国家が吸収したことで生まれた国だった。だが現在その領土は無駄に広い。

 それが何故かといえば度重なる魔族との戦いで疲弊していた隣国を援助の名目で、うまいこと吸収したからである。そのため周囲の国からはなかなかのちゃっかり者国家として認識されていた。

 

 そんなアルガサルタの小さな漁村。海と村を眼下に望む小高い丘に建った一軒家から、一人の男が出てきた。

 藍色の野暮ったく鬱陶しい短髪はボサボサで、おそらくまだ若いであろう皺のない顔には無精ひげを生やしている。

 だらしなくよれた服を着こなす男の様子は非常に気だるげだ。

 

 彼は家の裏手に行くと、なにやらゴソゴソと下ばきに手をかける。

 どうやら小便をしに出てきたらしい。

 

「ああ~、やっぱ外ションは解放感が違うぜ!」

 

 そんなしょうもない独り言を結構な声量で言いながら、立ちションをする男。誰かが見ていれば思わず眉を顰めそうだが、幸い男の家の周りに人影はない。

 彼は出すものを出し終えてすっきりすると、ふと思い立ったように横を見た。その視線の先は今しがた小便をした木の横の地面。そこにはこんもり盛られた土に安っぽい板が突き刺さっている。

 

 そこにはこう書かれていた。「リアトリスの墓」と。

 

「あいつが腐敗公の嫁に出されてもう一年か……。にしても、俺って優しいよなー。ほんの気持ちとはいえ、あんなクソ女の墓立ててやってんだから。おっと、かかっちまった」

 

 独り言の多い男である。そして男は独り言の途中で残った残尿感をぬぐうべく再び放尿したが……向いていた方向が悪く、うっかり彼曰くの墓にかかってしまった。

 おそらくこのみすぼらしくほんのり湿った墓板を、人間の墓だと認識する者はいないだろう。だとしても男の扱いは中身が入っていないとはいえ、あまりにも死者への冒涜が過ぎていた。おそらく関係者が見ていればブチ切れる程度には。

 しかし男は気にした風もなく、そこらに咲いていた野花をぶちぶちと乱暴に千切ると墓(仮)に沿えた。

 

「あっはっは。これで許せよリアトリス!」

 

 

 瞬間。

 

 空気を裂くような鋭い音を男が認識する前に、その頬を重い衝撃が抉った。

 

 

「ふっざけんな死ねクソがぁ!!」

「おぶげらふぁ!?」

 

 

 何が起こったのかも分からないままに男は激痛と共に吹き飛び、地面に強かに背中を打ち付けた。

 男の行動に天誅……否、人誅が下ったのである。

 

 たった今見事な跳躍力を発揮し男の頬を蹴りぬいたのは、みすぼらしい被り物付きの外套を着た一人の女。

 女は忌々しそうに被り物を後ろに振り払うと、くすんだ金属のようなぱっとしない色味の金髪がこぼれ出た。その下から薄い青色の眼光が、蔑むように男を睨みつけている。

 

 男にはその容姿に非常に見覚えがあった。

 だからこそ大きく目を見開き、わなわなと震えながら叫ぶ。

 

「ぎゃああああ!? しょ、しょんべんかけたからって、化けて出てこなくてもいいだろーー!?」

「相変わらず馬鹿ね! 生きてるわよ! 何処からどう見ても生身の人間でしょ!? 幽霊と間違えてんじゃないわよ! ほら、信じられないならこれでどう? ほ~ら! ほらほらほら! よく見なさい!! ちゃんと生者の証である脚がくっついてんでしょうがぁぁ!!」

 

 倒れた男に追い打ちをかけるように、女は形の良い脚で男の腹部を踏みつける。

 その鬼畜の所業に、男は目の前の女が自分がよく知る知人であると確信した。

 

「うごっ、げぶっ! ば、おま、やめ、踏むな、おい!!!! ……あ、黒? え、お前下着の趣味変えた?」

「死ね」

「あばし!」

 

 踏みつけ攻撃をこれでもかと腹部にくらった男だが、彼は切り込みの入ったスカートからちらっと覗いたものを見逃さなかった。そしてそれを素直に口にしたばかりに、今度はわき腹を力の限り蹴られ転がされる。そこには一切の容赦が含まれていない。

 

「おま、生きてたのかよリアトリス!?」

「…………久しぶりね、オヌマ」

 

 痛みに耐えながらも勢いよく起き上がった男……オヌマに、鷹揚に答える女性の名はリアトリス・サリアフェンデ。かつてオヌマと共に魔術学校で学び、宮廷魔術師長であった師匠へ共に弟子入りを志した女である。

 更に言うなれば、彼女はオヌマを蹴落として師の弟子に納まりついには宮廷魔術師まで成りあがった。しかしそんなリアトリスはつい一年前になにやら不祥事をやらかしたらしく、腐朽の大地へ送られ腐敗公の花嫁として……実質的に処刑を執行されたはずである。

 それが何故こうしてぴんぴんと生きているのだろうか。しかも心なしか以前より蹴りの威力が増したように思える。

 

 オヌマは一瞬考えを巡らせ……面倒になってガシガシと頭をかく。この癖のせいもあって、彼の頭がぼさぼさから脱することはあまりない。

 

「…………。はぁ~……。まあ、ただで死ぬような奴じゃねーのは知ってたけどよ……。とりあえず中入れ。っと、あとそっちのチビは連れか? おい、お前もこっち来いよ~。お兄さんはそっちのお姉さんと違って怖くないぞ~」

 

 とりあえず話を聞こうと、オヌマはリアトリスを家の中に促す。彼女がここに居るのはおそらく、わざわざ自分を訪ねてきた、という事のはずだ。ならばまず話を聞くほかあるまい。

 しかしオヌマはその途中で、初めてリアトリスの後方に立っていた小さな人影に気づく。

 こちらもリアトリスと同じく、被りものつきの外套を身に纏っている。被り物を深くかぶっているため顔は見えないが、その体格は低く細い。おそらくは子供だろう。

 なぜリアトリスがそんな子供を連れているのかは知らないが、オヌマは基本的に子供に優しい。なので特に気にするふうでもなく気さくに声をかけた。

 

 だがその小さな人影からの返事は無い。

 しかし代わりとばかりに、子供はズカズカとオヌマに近寄ってきた。

 

「?」

 

 思わずオヌマは首をかしげたが、そんな彼の前に可愛らしい手が差し出された。爪は珊瑚色で小さく、つやつやしている。

 オヌマは「恥ずかしがり屋なのかな?」と思いつつ、握手を求めているのだと理解して自分も手を差し出した。

 

「あ、馬鹿! ちょっと待っ」

 

 そこに何故かリアトリスの鋭い制止の声がかけられた。だがそ時すでに遅く……オヌマはその小さな手を握っていた。

 

「なんだよ? 別に握手くらいいいじゃ…………おおおおおおおおおおおおおおおお!? ぎゃああーーーーーー!!」

 

 言いかけてから、感じた違和感に手元を見たオヌマは絶叫した。

 

 

 

 

 何故ならオヌマの手首から先の肉が腐り、溶け始めていたからである。

 

 

 

 

「え、ちょ、は!?」

 

 交互にリアトリスと子供を見やるオヌマであったが、当の本人たちはといえば二人で話しているではないか。話す前にまず大変なことになっている自分に意識を向けてほしい。オヌマはそう切実に願った。

 

「馬鹿、ジュンペイあんた何してんの! 不用意に触るなって言ったでしょ!? つーか今のはワザとね!?」

「…………」

「むくれてないで、すぐにごめんなさいしなさい!」

「…………ヤダ」

「ヤダじゃない! こんなクソ男でも一応悪い奴ではないのよ?」

「さっきリアトリスだって蹴ってたじゃん。それにそいつ、リアトリスのパンツ見たし」

「私は蹴ってもいいの! 下着のこともさっきの蹴りでお相子! あれはどう見てもやりすぎだわ!」

「でも、俺が嫌だった!」

「だからって代償が手首じゃデカすぎるわアホ!」

 

 子供を叱りつけるリアトリスであったが、オヌマとしてはそれどころではない。

 小さな手に握られた個所から溶解し、嫌な臭いを発しながらついには手首から先がボトッと地面に落ちる。それを見てオヌマは目を白黒させながら、悲鳴を上げて蹲った。

 

「きゃあああああ!? あばばばば、ちょ、俺の手、痛!? 熱い!? え、どうしよこれ、えええええ!? なんかもう感覚よく分かんねーけど視覚的にひでぇ!!」

「あんたも少し落ち着きなさいよ! うるさいわね!」

「あの! 俺手首無くなってんですけど!? 落ちたよ!? うるさいは酷くない!?」

 

 なにやらとんでもない事を言われた。手首から先が腐って落ちるというのは、騒いだら煩いと言われるほど大したことない事態だったろうか?

 しかも目の前の女は更に酷い言葉を投げつけてくる。

 

「だったら騒いで無いでとっとと自分で治しなさいよ!」

「マジかお前! お前の連れのせいなんだからせめてお前がやれよ!」

「ええ~? 嫌よ。私今凄く疲れてるのに」

「やってくださいお願いします! あああ、早くしないと本当に再生しなくなっちゃう! お願いします超絶美しい麗しの天才魔術師リアトリス様!」

「あら、そこまで言うならしょうがないわね! 手を出してごらんなさい。フフン」

(このクソ女がぁぁ……!)

 

 被害を受けたのはこちらだというのに、何故こんな下から懇願せねばならないのか。

 その理不尽さにオヌマはコメカミをぴくぴくと痙攣させるが、しかし治療してもらうまでは黙っていなければと理性を総動員し堪える。そしてリアトリスは落ちた手首の残骸をすくい上げると、オヌマの手首にかけながら信じられない速度で魔術を行使した。

 あっという間に終わった処置のあとには先ほどと変わらない、健康的なオヌマの手が何事もなく納まっていた。

 それを確認するように握ったり開いたりしたオヌマは、治してもらったにもかかわらず「うえっ」と嫌そうな声を出す。

 

「お前マジかよ……。また腕上げたか。この治療速度、ラナホルトの神官も真っ青だぜ」

「一年で色々あったのよ。私も生き残るために実力を伸ばすほかなかったわ」

「いや、いくら追い詰められた状況でもよぉ……。こんだけ実力伸ばせるお前がまずおかしい。って、まあいいやそれは今さらだし。それで用件はなんだよ?」

「中に入らせてもらってから話すわ。とりあえずお金は後で払うから、水と食料をちょうだい。ここ一年木の皮と葉っぱくらいしか食べていないの」

「はあ? あっははバッカ。嘘つけよ。そんな奴がいきなり飛び蹴りしてくるかよー。痩せてガリになってるわけでもなし、顔色も良くてピンシャンしてるじゃねぇか」

「いいから、何か頂戴ってば! 栄養もろもろの問題はどうにかしたけど、私は味と食感と満腹感に飢えてるのよ! 皮と葉っぱじゃ旨味も何もあったもんじゃないわ! 肉、肉をよこしなさい! 魚でもいい!」

「へいへい……。しょうがねぇな。っとぉ!?」

 

 ぎゃんぎゃんと煩いリアトリスに呆れるが、ふと下を見てぎょっとする。そこでは先ほどとんでもない事をやらかしてくれた小さな人影が、被り物の下から鋭い視線で睨みつけて来ていた。被り物でよく見えないが、陰から覗く瞳は野犬のようにギラギラしている。

 オヌマはそれに怯みつつ、恐る恐るとリアトリスに問いかけた。

 

「あ~……と。ところで、このおっそろしいおチビさんは誰だ……?」

「ああ、その子は……」

 

 リアトリスが言い切る前に、目の前で被り物がはずされる。そこからふわりと零れ落ちたのは、日の光に煌く黄金の髪と、アルガサルタの海よりも青い紺碧の瞳。

 子供は非常に可愛らしい見目をした"少女"だった。オヌマはその愛らしさに少女による先ほどの所業も忘れたのか、デレっと表情を緩ませる。

 

「なにこれ可愛い~。あれか? お前一年の間で子作りでもしてたの? あ、それにしちゃデカイしお前の娘にしちゃ可愛すぎるかー! 第一お前みたいな女、嫁にする男はいないよな! あ、腐敗公が居たっけか。お前、腐敗公の嫁に出されたんだもんな。こりゃ失礼。あはははは!」

「娘よ」

「は?」

「違う、夫だ」

「んんん?」

 

 冗談のつもりで口にした言葉に二方向から別々の答えが返って来て、オヌマは二度間抜けな声を出した。

 そしてリアトリスと少女の両方を見れば、リアトリスはなにやら先ほどの自分のようにややデレっとした締まりのない表情で、反対に少女は至極真剣で鬼気迫るような表情だ。

 

 オヌマは笑顔のまま、頭痛をおさえるように額に手を当てる。

 

「ま、まあ入れよ……。詳しい話、聞かせてくれや」

 

 

 

 

 リアトリスが腐朽の大地に花嫁として落とされ、腐敗公ジュンペイに魔術を教え始めてから"一年"。

 

 この日ようやく、二人は外の世界へ足を踏み出すことが叶ったのだった。

 

 

 

 

 

 



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7話 はじめましての自己紹介

 粗末とまではいかないが、比較的簡素な作りの一軒家。

 現在その中を食欲をそそる芳しいにおいが満たしていた。

 

 内臓が丁寧に処理され、下味もしっかりとつけられた肉厚の魚はたっぷり脂がのっている。焼かれたそれは噛みしめると臭み消しの香草の香りと、良質な魚油の甘みが広がった。焼き加減も丁度良いのか、非常にしっとりとした食感である。まったくパサついていない。

 バターと花の蕾の酢漬けが使われたかけ汁はコクを損なわず、なおかつさっぱりとしている。焼いた際に溶けだした魚の出汁がたっぷり含まれた油も合わさって、最高の味に仕上がっていた。付け合わせの揚げた芋にもそれが反面にしみ込み、カラッと揚がってぱりぱりとした部分と汁がしみ込んだ場所で違った旨さが味わえる。汁の酸味がまた芋の甘みとよく合っていた。

 

 リアトリスはそれを魚の骨以外余すことなく平らげ、かけ汁すら一滴も無駄にするものかとパンを皿にこすりつけ口に放り込んだ。

 次いで用意されていた葡萄酒を杯に注ぐこともせず、瓶をひっつかんで豪快にあおる。

 それの中身を飲み干し空になったところでやっと……「ぷはぁ!」っと息を吐き出し、満面の笑みを浮かべた。

 

「ごちそうさま! ああ、美味しかった! 一年ぶりのまともな食事! しかもオヌマあんた、結構料理美味いじゃないの。驚いたわ!」

「そりゃ、ドーモ。……ところでおチビさん。お前は本当に食べなくていいのか?」

「……俺は平気。気にしなくて、いいから」

「そうか? でも腹減ったら言えよ。簡単なもんならすぐ作れっから」

 

 オヌマが人好きのする笑顔で言えば、少女は居心地悪そうにそわそわとした様子で身じろぎしながらも小さく頷いた。

 その様子に「嫌われちまったかな……」と少々落ち込むオヌマであったが、気を取り直して満足そうに腹をさする女を見る。

 

「お前さぁ……。しかめっ面、仏頂面、無表情がほとんどだったくせに、食事一つでその顔か? 単純な奴ー」

「なんとでも言いなさいよ」

「ま、本当に一年ろくなメシ食ってないなら納得だけどさ。で? 生贄にされたお前が何で生きてんだよ。あと、何で俺んとこ来た? まさかメシたかりに来ただけなわけじゃねぇよなー」

「…………」

 

 オヌマの台詞に、リアトリスはそっと視線をそらす。オヌマの顔が引きつった。

 

「え、待って。まさか本当にメシたかりに来ただけ?」

「お金は払うわよ。あとで」

「そう言われてお前に金払ってもらったことねーんだけど!? 主に学生時代!」

「しょ、しょうがないでしょ! 昔はお金無かったし、師匠の弟子や宮廷魔術師になってからは色々忙しくって忘れてたし、今も、手持ちは無いし……。ほ、本当にそのうち、ちゃんと返すから……」

 

 言い訳がましくもごもご口ごもるリアトリスにオヌマは呆れたようにため息をつく。

 

 それなりに裕福な家の出身であるオヌマは、今まで生きてきた中で特に金銭に困った事が無い。リアトリスに貸した金額も彼にとって大したものではなかった。

 しかしだからといって、返さなくていいというわけではない。人に借りたものは返す。それが基本だ。

 

(でも、それを今言ってもなぁ……。そもそもこいつに貸した金なんて、冥途の土産ってことでくれてやったつもりだし)

 

 今さら返せというのもみみっちいかと、これ以上は言うまいとオヌマは口を噤む。まあ返してくれるというなら受け取るが、本人が言う通り見る限りでは現在金を持っているようには見えない。

 なにしろみすぼらしい外套の下は、外套以上に見るも無残に汚れてよれて破損している布切れだ。もとはドレスだったのだろうが、今は見る影もない。連れの少女に至っては、伺い見るにどうやら外套の下に服すら着ていない様子だ。

 彼女たちを跳びはねさせたところで、小銭一つ出てはこないだろう。そんな相手に金を返せと要求するほど、オヌマは心の狭い男ではなかった。

 

 とりあえず、今は金の事は置いておこうとオヌマは頭を切り替える。

 

「まあいいや……。で、だ。この一年の間の事聞かせろよ。まさか食うだけ食ってだんまりってことはねえだろ?」

 

 机に肘をついて頬を支えると、オヌマはジト目でリアトリスに問いかけた。

 しかしそんな自分に突き刺さる視線に気づき、視線をそちらに向ける。

 

「……えーと、どうした? おチビさん」

 

 問いかけた先はふわふわの金髪と煌く碧眼の愛らしい少女。しかしその視線は先ほどと同じように、鋭くオヌマを射抜く。無視してまた手首を溶かされては敵わぬと、オヌマは出来るだけ穏やかに問いかけた。

 すると少女ははっとしたように目を見開き、次いで先ほどよりも更に居心地悪そうに体をもぞもぞ動かす。

 

 そしてしばらく。意を決したのか、表情を引き締めてオヌマとリアトリスを交互に見た。

 

「あのさ、二人はずいぶん、親し気だけど。いったいどんな関係なんだ? リアトリスは前、軽く男性不信だって言ってたじゃないか。なのに何で真っ先に頼ったのが、この人?」

 

 少女の言葉に思わずリアトリスとオヌマは顔を見合わせる。そして同時に答えた。

 

「え、一番近かったから。それにボンボンのくせに、意外と器用で便利なのよこいつ」

「尋ねるのに一番近かったんだろ、どうせ。あと、こいつ友達少ねぇし」

 

 もう一度顔を見合わせた。

 

「やっぱりそんな理由か。あと俺が器用なんじゃなくて、お前が不器用なんだよ」

「うるっさいわね。あと友達少ないって何よ。オヌマあんた、自分が私の友達だと思ってたの?」

「そっち!? 地味に傷つくからやめろよ! 俺を蹴落としてアリアデス様の弟子になったような奴を友達って言ってやってる俺の優しさ踏みにじんなよ!」

「あのね、友達は仮にも死んだ友達の墓として扱ってる物におしっこかけたりしないのよ! あんた悪気なくああいうことするからたち悪いわよね!! 性根が腐ってるとしか思えないわ! 第一あんた、図々しいのよ! 昔の事、忘れたとは言わせないわよ!」

「うっ。む、昔の事はともかくよぉ、しょんべんはちょっーとかかっちまっただけだろ!? いいじゃん気にするなよ! つーかむしろ墓立ててやった俺に感謝しろっつーの! 言っとくけどお前、表向きはともかく実質処刑された罪人だからな? 立場!」

「はああ!? 感謝!? あんなぼろっちぃ墓なら無い方がましよ! むしろあんなのに名前が刻まれてるとか屈辱だわ馬鹿!」

 

 ぎゃんぎゃんと姦しく言い合うリアトリスとオヌマだったが、その様子に少女はいっそう眉間にしわをよせて不機嫌になる。先に不穏な空気を察したのはオヌマで、慌てて少女をなだめようと試みた。

 ……この少女、先ほどの事を省みるに見た目通りの可愛らしい中身ではない。出来るだけ機嫌を取らねばならないと、オヌマの本能が告げている。

 

「ま、まあ要するにだ。腐れ縁ってやつだな! あ、そうだ! そういえばちゃんと挨拶してなかったよな! 俺はオヌマ・アマルケイン。お嬢ちゃんは何て名前だ?」

「お嬢ちゃんじゃない! 俺は男だ!」

 

 が、返ってきた言葉にオヌマは固まる。そして少女をまじまじと凝視した。

 

 そして。

 

「え、マジ?」

「きゃあああああああ!?」

「オヌマぁぁぁぁ!! あんたうちの娘に何してくれてんのよ死ね!!」

「げぷし!?」

 

 実に素早く滑るように。少女のそばに移動したオヌマは、リアトリスが止める間もなく少女……否、自称少年の股間部分をがっちり握っていた。

 すぐにリアトリスがオヌマの頭部に踵落としを叩き込んだのちに引きはがしたが、突然の暴挙に少年(仮)は涙目になってリアトリスに抱き着いた。リアトリスもまた、そんな彼(仮)を大事そうに抱きしめる。

 

「あんた、好奇心で動くのやめなさいよ! 子供か!」

「だ、だって! こんな可愛いのに男とか嘘だろって思うじゃん!? 本当に男ならちんこ握りあうのは挨拶みたいなもんだし、確かめがてらいいかなって……」

「馬鹿! 本当に馬鹿!! 握りあうのが挨拶とか、あんた本当に貴族の坊ちゃんなわけ!? そんなもんどこで覚えてきた! っていうか、この子に変な事教えないでよ! ここ一年、大事に大事に、手塩にかけて育ててきた娘なんだから!」

「娘じゃないよリアトリス! さっきもそうだけど、俺の事を娘扱いするのやめて!? 辛いよ! 俺、リアトリスの旦那様なんだけど!!」

「おっと、口が滑った」

「本心から娘って思ってることが伝わってくるからやめて!? 本当に辛い! あとでその辺についてちゃんと話し合おうね! 夫婦として!」

 

 リアトリスの発言に悲痛な声をあげる少年だったが、その内容にオヌマは余計に訳が分からなくなる。

 今この少女のような少年は、旦那様やら夫婦などと言ってなかっただろうか。というよりもオヌマは先ほど自称少年な少女の股間部分を触った際、男としてあるべきものを確認していない。

 ということは、やはりこの少年は少女なのだろうか。オヌマはよく分からなくなってきた。

 

「つーか、女の子なんだか男なんだかはっきりしろよ! え、やっぱ女の子? 自分の事を男と思い込んでる女の子? なにそれ、俺新しい性癖の扉開いちゃいそう」

「あんた何気持ち悪い事言ってんの」

「おっと、今言った事は忘れてくれ! ……それで、男? 女? 今触った感じだとなんも無かったけど、女の子だったら本当にごめん」

 

 たった今少年(仮)の股間を掴んだ手を確かめるようにわきわき動かしながら言うオヌマに、リアトリスも少年(仮)も引く。

 しかしそのあっけらかんとした態度に馬鹿馬鹿しくなったのか、最初に口を開いたのは少年だった。

 

「今はこんな姿だけど、俺は男だよ。それだけは言っとく」

「な~んだ! じゃあ問題無いな!」

「問題あるよ! 驚いただろ!?」

「あっはは。わりーわりー」

「絶対思ってないだろ……! なんなんだよ、あんた」

 

 頬を膨らませる少年に、オヌマの謝罪はあくまで軽い。しかしこのままでは話が進まないと思ったのか、オヌマは気を取り直すように咳払いをした。

 ちなみに話の腰を全力で折りにかかった自分の行動はすでに高い高い場所にある棚の上である。

 

「え~、ゴホン。まずはちゃんと自己紹介しようぜ。俺は名乗っただろ? お前、名前は?」

「……ジュンペイ」

「へえ、変わった名前だな。でも悪くない。俺は好きな響きだ」

「どうも」

 

 褒められて悪い気はしないのか、少年(仮)……ジュンペイは、眉間に皺を寄せながらも少し頬を赤くする。

 素直な反応にオヌマは笑い、次いで保護者だろうリアトリスへ視線を向けた。

 

「それで、この子は何処の子だ?」

 

 が、次の言葉で固まる。

 

「腐朽の大地の腐敗公」

「………………ん?」

 

 首をかしげるオヌマ。

 そんな彼に言い含めるようにはっきりと、リアトリスはもう一度言う。

 

「だから、その子は腐敗公よ」

「ごめん何言ってるかちょっとよく分からない」

 

 今の台詞の内容を認めたくないのか、オヌマは片手で顔を覆う。そして何やらブツブツ独り言を呟き出した。

 

「いやいやいや、無ぇだろ。腐朽の大地の主だぞ? 魔王も避けて通る魔物じゃねーか。本当だとしたらなに外連れ出してんだよ世界滅ぼす気かこいつ。いやでも、こいつ腐敗公の花嫁に出されたんだよな……。いやいやでも、いくらこいつでも腐朽の大地で一年生き抜くのは無理あるって。いやいやいやでも、こいつ無いなら作ればいいじゃん的にすぐ新しい魔術作るしな、不可能では無さそうな……いやいやいやいやいや」

「ブツブツ煩い」

「いって!?」

 

 段々と待つのが面倒になって来たリアトリスが、オヌマの頭を勢いよくと叩く。

 

「お前、その短気なところ本当にどうにかした方がいいぞ! こっちは混乱してんだからちょっとは待てよ!」

「う、煩いわね! あんたに言われるまでもなく気を付けてるわよ! ここ数年、凄く頑張って我慢してたもの!」

「でもどうせ、それが爆発した結果やらかして処刑ってなったんだろ!?」

「ぐっ……!」

「あ、詰まった。ってことは本当にそうなんだな。……お前……」

「哀れみの目で見るのやめなさいよ!」

「じゃあ笑ってやろっと。へーん、バーカバーカ! 馬っ鹿でー。ま~ぬけ~」

「うるさーい!」

 

 再び騒ぎ出した二人を、ジュンペイは今度は睨むことなく呆れた感情を滲ませながら眺める。彼なりにこの短時間で二人の関係性をなんとなく把握したのだ。

 最初こそ自分以外の者……それも男と親し気に話すリアトリスを見て、オヌマに嫉妬の感情を向けていたジュンペイ。

 しかしどうやらそれはまったくもって無駄なものだったようだ。少なくとも二人の間から色っぽい雰囲気は微塵も感じられない。

 それでも完全に心のもやもやが晴れたわけでは無いが、とりあえずこのままでは本当に話しが進まないし、自分も聞きたいことが聞けない。そう思ったジュンペイは、今度は自分からオヌマに話しかけた。

 

「改めて名乗らせてもらうが、俺は確かに世間から腐敗公なんて呼ばれてる。自分で名乗った事はないけどな。名前はジュンペイ。リアトリス……先生には、魔術を教えてもらってるよ。そしてもう一度言うけど」

 

 最低限、自己紹介に必要な情報を述べる。

 しかし一回言葉を区切って、最後だけは特に力をこめてはっきり言った。

 

 

 

「リアトリスの夫だ! 夫! 娘じゃねぇからな! そこんとこ、よく覚えとけよ!!」

 

 

 

 腐敗公ジュンペイ。

 外界での彼の初めての自己紹介は、まず己の立場を明確に主張するところから始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 嫁先生と腐敗公の一年間 ★

 紆余曲折のような、特にそうでもないような。そんな経緯をたどってリアトリスが腐敗公の花嫁兼先生になってから一年が経つ。

 

 リアトリスは当初、腐朽の大地で長く過ごすつもりは無かった。いくら簡単にジュンペイから魔力の補給が出来るといっても、精神的にもたないと思ったからだ。

 全てを腐らせ朽ちさせる毒の満ちた大地に、頼れる足場は一本の樹のみ。感覚が麻痺してきたとしても、大地に満ちた汚泥とジュンペイ本体である目玉ヘドロから発せられる腐臭はすさまじく、とても長い間我慢できるとは思えなかった。

 そして何より、腐朽の大地にはリアトリスが食べられるものが何もない。

 緊急処置としてどうにか栄養源を摂取する方法は思いついたが、ずっとそれを続けるのはごめんだった。主に精神的な面で。

 

 だからこそリアトリスは早々に新しい魔術を開発し、ジュンペイを本体含めて安全に移動させ腐朽の大地を脱するつもりだった。

 ちなみにこの場合の安全とは、周囲にとっての安全である。

 連れ出したはいいが、その結果腐朽の大地が広がってしまったらリアトリスは人類の怨敵となってしまう。せっかく幸せ楽々生活を手に入れるため苦労しているのに、わざわざ恨みを買うなど馬鹿らしい。

 

 そんなわけで目的とする魔術の開発さえできたら、ジュンペイが魔術の基礎を覚え次第すぐに場所を移す気でいた。

 ………………しかし結果として、その機会は現在まで巡ってこなかったのである。

 

 それが何故かといえば。

 

「いや~、この子ったら魔力量は多いくせに、魔術の才能全くないのよ。ドベという言葉が相応しいわ。もうドベッドベね」

「うぐっ」

 

 リアトリスの言葉にジュンペイは胸のあたりを押さえながら、何かつっかえたような声を出す。それを不憫に思ったのか、オヌマがジュンペイを気遣うように横目で見た。

 オヌマという男、何だかんだでジュンペイの可愛い見た目にほだされている。その生い立ちをざっくり聞いたから、というのもあるかもしれないが。

 

「ドベッドベってお前……。もっと言い方無いのかよ」

「だって本当の事だもの。というか無駄な知識はあるくせにこの子ったら文字も読めないし、教える事は魔術以外にもたくさんあったわぁ~」

「いや、それは仕方がないんじゃないか? 今までずっと誰かと交流することが出来なかったんだろ。むしろ言葉を話せるだけ凄いと思うが」

「まあ、それはそうね。けど効率よく勉強するには文字の習得は必要じゃない? だから魔術の基礎を教え込んで、文字も教えて……って、色々とやってたの。そしたら気づけば一年だわ。もう、文化的な生活を忘れそうだったわよ」

 

 いつの間にか目の前に出されていたハーブ入りのレモン水。そのグラスに口をつけながら、リアトリスは深くため息をつく。

 そして気まずそうに身を縮こませていたジュンペイは、おずおずといった様子で口を開いた。

 

「……俺は、リアトリスだけ先に外に出たらって提案したよ。そして定期的に戻って来て、色々教えてくれたらいいって。だってリアトリスは、先生である前に俺の大事なお嫁さんだから……。戻ってくるって約束さえしてくれたら、俺はそれでよかったんだ。一緒に居てくれるのはそりゃあ嬉しかったけど、でも、それでリアトリスの体調が崩れたり、もしかしたら、し、死んじゃったり……! そんな、悪影響が出るのは嫌だったから……」

 

 その可能性を想像したのか、ジュンペイの顔色は心なしか蒼く声は震えている。

 それに対してオヌマは感動したように両手を体の前で組みながら言った。

 

「ジュンペイちゃん……! なんて健気なんだ……!ちょ、おま、リアトリス! この子、お前にはもったいないくらい優しい、いい旦那様じゃねーか! もうちょっとこう、傷つけないように言葉選んでやれよ!」

「そ、そんなこと言われなくても分かってる! そうよ、この子は私にはもったいないくらいのいい子よ! ジュンペイは最強に可愛くて純粋素直で最高に愛しい私の娘だわ! でも言葉を選ぶにしたって、これくらいで傷つくような弱い子になってほしくないのよ!」

「だからちょっと待ってよリアトリス! 今、オヌマはいい旦那様って言ったじゃないか!! なんでリアトリスは頑なにそれを娘に変換するの!? それが一番傷つくよ! あとオヌマお前、ちゃん付けで呼ぶんじゃねぇ!! 溶かすぞ!!」

「あ、ごめんやっぱりあんま優しくなかった。お前やっぱリアトリスの娘だわ。腐らせたり溶かしたりしないでくださいお願いします腐敗公様」

「だからー! 娘じゃない!!」

 

 必死の形相で主張するジュンペイを見て、リアトリスとオヌマは顔を見合わせる。

 二人は頷きあうと何事も無かったかのように、脱線しかけていた話題を元に戻した。

 

「あのね、私はあんたの先生になるって約束したでしょ? それに私が何とかするから一緒に外に出て修業しようって、そう言ったのも私。あんたが基礎を身につけるまでは腐朽の大地を出ないって言ったのも私。なら、出る時は二人一緒が当たり前よ。だからそのことは気にするなって、前から言ってるじゃない。現に私はぴんぴんとして健康体で、ここに居るわけだし」

「へえ、お前は絶対先生って柄じゃねぇと思ってたけど、結構責任感もって教えてたんだな」

 

 先ほどと様子を一変させて神妙な顔でそんな事を言う二人に、ジュンペイは思わず頭を抱えた。

 

「二人とも何事もなく戻したね!? 俺の叫びはちゃんと心に届いてますか!? ……ああ、もういいよ。リアトリスはそういう人だよ……。あとオヌマのことも、俺ちょっとわかってきた……」

「お、そりゃどうも。俺の事を知ってくれて嬉しいぜ!」

 

 へらっと笑顔を浮かべるオヌマに、もう言い返す気力もないのかジュンペイは椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。そして少々落ち着きを取り戻すと、再び口を開く。

 

「でもさ……。俺のせいで、リアトリスはこの一年不自由を強いられたんだよね。それについては、やっぱりごめん」

「その気持ちだけ受け取っておくわ。でもいいの! この話は何度か繰り返したけど、もうこれで最後ね。はい、終わり!」

「お前、気遣いも強引っつーか力任せっつーか雑っつーか……。よく腹芸必須な宮廷魔術師務めてたよな」

「むしろそれがちゃんと出来ていたら、私は今ごろ宮廷魔術師長だったわ。ただの宮廷魔術師じゃなくってね」

「あ、出来てない自覚はあったんだな」

 

 両肘をついて組んだ手に顔をのせ、ニヤニヤと笑うオヌマ。そんな彼をリアトリスはじろりと睨む。

 

「うるっさい。……で、話し戻るけどさ。とにかくジュンペイが最低限魔術を覚えられるまで、ずっと腐朽の大地に居たわけよ。でもそうなると、臭いとかは我慢すればいいにしても問題は食べ物。で、考えたの。どうやって生命活動に必要な栄養を摂取できるかって」

「……あのさ。さっきから何気に気になってたんだけど、お前が使った魔道具ってもしかして……」

「ああ、それね。生命樹の種よ」

「やっぱりか! お前マジかよ! いつ見つけたんだ!? 使っちまいやがって、勿体ねぇ!!」

「いいでしょ、私の物を私が使ったって! それに使わなきゃ今頃私は腐って溶けた人肉よ!!」

「そうだけどさぁあ……! うわー……うわー……。マジかー……」

 

 二人の話の内容が気になったのか、ジュンペイが会話に入ってくる。

 

「ねえ、それってリアトリスが住んでた樹の事? あれって、何か特別なものだったのか」

「特別も特別だぜ。あのな、ジュンペイ。ある場所に星幽界から流れ込んでくる魔力で育つ樹があるんだよ。目で見る事は出来るが、けして俺達には触れないそれは世界樹って呼ばれてる。で、俺達が生まれるずっとずっと前……古代文明って呼ばれている時代の賢者たちが、その世界樹から力を削り出す術を編み出した。その術で俺達にも触れるように、使えるように実体化されたものが、生命樹の種ってわけ」

「へぇ……?」

「用途は色々あるが……。まあ理解できないにしても、すげー貴重で便利なモンだって覚えておけば間違いないぜ」

「ふーん。でも、なんで世界樹から削り出したのに、名前が生命樹の種なんだ?」

「お、いいねぇ。疑問を抱くことはいいことだ。それはな、世界樹の種と呼ばれるもんはまた別にあるからだよ。……で、だ。とにかくリアトリスが持ってた方でも、本当に貴重なもんなんだわ。なにしろもう失われちまった技術だからよ。今あるのは遺跡とかから発掘され現物のみ。超超、貴重品だぜ」

「おお~」

 

 新たに知った知識に、ジュンペイは半ば癖で指先を動かす。

 すると指先が描いた軌跡は文字となり、輝きを帯びて宙に留まる。そしてジュンペイが本を閉じるような動作を行うと、その文字はわずかな燐光を振りまいてから消えていった。

 それを見たオヌマは懐かしそうに目を細める。

 

「お、すげーじゃん。魔力による筆記と記録は習得してるのか。それ魔術学校だと高学年で習う奴でさ、結構試験で落ちる奴多いんだぜ。ドベって言われてる割りに優秀じゃん。リアトリスが求める水準が高すぎるんじゃね?」

「! そ、そうなんだ。ふ、ふ~ん」

「しょうがないでしょ? 腐朽の大地じゃ筆記用具なんてなかったんだもの。文字も教えないといけなかったし、一番最初に覚えさせたわ。才能はさっき言った通りあまり無かったけど……この子、文字はどうしてもちゃんと覚えたかったらしくてね。特に気合の入れようが違ったみたい。これに関しては、まあ優秀だと及第点をあげてもいいかしら」

「!! そ、そうかな~? いやー、まだまだだよ」

 

 まだまだ、などと言いつつまんざらでもなさそうなジュンペイの様子に、オヌマとリアトリスは生暖かい視線を送った。本人は隠しているつもりのようだが、赤くなった耳とゆるんだ頬が嬉しさを物語っている。

 しかしそれを指摘するのは少々可愛そうなので、リアトリスはオヌマに腐朽の大地での一年を語る作業にもどった。

 よく脱線するが、もとはオヌマにこの一年どうやって腐朽の大地で過ごしてきたのか……という話だったのだ。

 ちなみにジュンペイとの出会いから今の関係に至るまでの経緯も、だいたい説明済みである。

 

「それでさ、筆記用具以前に腐朽の大地には私の食べるもんが無かったわけよ。だから結局どうしたかって、成長させた生命樹の葉っぱとか皮を削って食べてたの。まったく不便よね。せめて実の一つもつけてくれりゃいいのに、人工物だけあって自力で子孫を増やそうって気合も何もあったもんじゃない。白く輝くばっかりで、実どころか花も咲かせないんだから」

「いやお前、生命樹に食用性を求めてんじゃねぇよ。……で?」

 

 オヌマが促すと、リアトリスはどこか得意げな笑顔を浮かべた。が、その後話された事実にオヌマは顔を引きつらせる。

 

「そうそう、でさ。流石に生命樹とはいえ皮と葉っぱだけじゃ、体力もろもろがもたないじゃない? でもよく考えたら、腐朽の大地の泥ってみんな生き物とか植物が腐って溶けて混ざったものだと気づいたの。つまり栄養たっぷり!」

「おい待てや。お前まさかとは思うが、人間とかも普通に溶けてるあの泥食ったの!?」

「失礼ね、流石に泥は食べないわよ。生命樹に栄養だけ吸わせて、ろ過して摂取したわ。そのお陰でこの通り私は元気いっぱい。どうよ、凄くない? 生命樹を使ったとはいえ、栄養分だけ取り出して摂取できる術を生み出したのよ! ふっふん。自分の才能が恐ろしいわね。さっすが私! 天才!」

「自分に酔ってるところ悪いけどよ、お前それでいいの!? あ、あれだぞ? ある意味、人を食べたって事だぞ?」

「はあ~? 溶けて混ざってるのにそんなもん今さらよ、今さら。あんた変なところでお坊ちゃんっつーか、細かい事気にするわよね。ヒトモドキチョウチンアンコウ食べるようなもんじゃないの」

 

 オヌマには目の前の女ほど魔術の才能は無い。しかし常識は自分の方が確実に上だと自負している。ゆえに、全力でつっこんだ。

 

「全然、細かく無ェから!! あと、ヒトモドキチョウチンアンコウは例に入れるな。あれは人食ってれば食ってるほど卵の旨味が増すからなんかこう、いいんだよ。珍味だし」

 

 ちなみに常識とは、時と場合とお国柄によってそれぞれである。

 

「ええ、何よそれ! 差別よ差別!」

「うっせぇ! ああ、いいよもう。疲れるから、もうこの話は終わりな!」

「なによ。あんたが聞いてきたから、この一年の生活の事話してあげてたんじゃないー」

 

 首を左右に振って手をひらひら振るオヌマに、リアトリスは不満そうに眉根を寄せる。どうやら新しく開発した術を褒めたたえてほしかったようだ。

 

「……まあ、いいわ。それで、どこまで話したっけ?」

「あー……。まあ、ざっくりと全体的な話は聞いたな。あ、そういえば肝心な事聞いてなかった」

「何?」

「いや、お前よく腐敗公の完璧な人化を成功させたなと思って。腐朽の大地を広げない状態で腐敗公がここに居るって、さっきの術とは比べ物にならないほどの快挙だぞ?」

「あ、それなんだけど……結局無理だったの。それもあるから、早くジュンペイの修業を進めたいのよね」

 

 その言葉にオヌマは首を傾げた。

 

「え? でも現にこうしてジュンペイはここにいるじゃねーか。その、なんだ? ヒトモドキチョウチンアンコウみたいな本体と疑似餌を繋ぐ紐も無いみたいだし……。本体込みで人化に成功させたんじゃねぇの?」

「おい、疑似餌って言うのやめろよ。なんか気分悪い」

「あっはは、悪い悪い」

 

 ジュンペイはオヌマに不満の声をあげつつも、ため息と共にひとつの事実を提示する。

 

「……俺の本体は、まだ腐朽の大地に居るよ」

「……うん?」

「ふっふっふ。驚きなさいオヌマ! この私、リアトリス・サリアフェンデが腐朽の大地で開発した魔術はさっきのだけじゃないのよ! よかったら実演を交えて説明しましょうか!?」

「え、なんか嫌な予感するから遠慮し」

「しょうがないわね、そんなに見たいなら見せてあげるわよ!」

「いや最後まで聞けよ」

 

 オヌマの返答など耳に入っていないのか、リアトリスはおもむろに立ち上がると左手を前に突き出す。そして……。

 

 

 自分の手首を風の魔術で切り落とした。

 

 

「おおお!? ちょ、おま、おい!」

 

 頭の何処かで「今日は手首に厳しい日なのだろうか」と冷静に考えつつも慌てるオヌマであったが、驚くのはまだ早かったようだ。

 自分の手首を切り落としたにもかかわらず、余裕の表情のリアトリス。彼女は口の端を釣り上げ、目を三日月形に細めるたいへん悪辣で意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 それに対し嫌な予感を覚えたオヌマだったが、すぐに予感は現実へと変わる。

 

 カサッと……音がした。

 

「!?」

 

 何かが動いた。

 

 そしてまたカサカサッっと、音がした。

 

「!!?」

 

 その何かは、オヌマの周囲を這いまわっている。その音が気になりつつも、オヌマの視線は固定されて動かない、動けない。

 切り落とされ肉の断面と白い骨が覗くリアトリスの手首。どういうわけか血は流れていないが、オヌマは生々しいそれから目が離せなかったのだ。

 しかしすぐに下を見るべきだったと、オヌマは後悔する。

 

 何かが動く音が止まった。

 

 次いでオヌマの足からふくらはぎ、膝裏、太ももの裏を抜けて、腰、背中、肩甲骨と"ナニカ"が一気に這い上がる!!

 

 オヌマは何者かの手によって無遠慮に頬を押された。

 嫌すぎる予感にオヌマは最初それを見るのを拒否していたが、つい好奇心に負けて見てしまう。

 

 

 

 オヌマの頬を押していたのは、切り落とされたリアトリスの左手だった。

 

 

 

「あんぎゃあああああああああ!?」

 

 オヌマの悲鳴に、リアトリスは心底楽しそうに笑う。

 少なくとも食事をご馳走してもらった者の態度ではない。

 

「ほーっほほほほほほほほほほ! どうよ、どうよこれ!? 体から部位を切り離して動かす術よ! 凄いでしょ!」

「テんメェ!! おぞましい術作ってんじゃねぇよ!!」

 

 リアトリスの白い手に顔を突かれたオヌマは全身にびっしり鳥肌をうかべながら、それを掴んで勢いよく本体に投げ返した。難なく受け取ったリアトリスは、何事も無かったかのように手首から先をくっつけ元に戻す。

 

「ま、つまりこういうことね! ジュンペイの本体は今も腐朽の大地。この子はその本体から切り離された分体ってわけよ! 今の私の手みたいに!」

「分かったけど分かりたくねぇよ!」

 

 頭を抱えるオヌマが哀れになったのか、ジュンペイがリアトリスの説明を少々引き継ぐ。

 

「リアトリスが言うように、今の俺は本当の姿から切り離された分身体だ。目を瞑って集中すれば本体の俺に意識を戻して動かすこともできるけど、基本的に意識はこっちの分身体に移ってる。でもこの体にも時間制限があるから、何日かに一度は元の自分のところに戻らないといけない。じゃないとこの分身体は消えて、意識は元の俺に戻る」

 

 そう。つまりジュンペイの本来の体は、未だに腐朽の大地という場所に縛られたままなのだ。

 

「ほ、ほほ~う。そりゃあ、なかなか愉快な術じゃねーか……!」

「愉快と言ってもこの子みたいに特殊な体で、馬鹿みたいに大きな魔力が無いと危険だけどね。私でも切り離した部分を遠くにやったり、時間が経ち過ぎるとその部分は壊死するだろうし。でもジュンペイを修業のために外に連れ出すなら、今はこれで十分。いずれは本人に人化の術を完璧に習得させるわ。ま、この術自体はもっと詳しく研究して実験するつもりだけど」

「実験ってお前……。まさかそいつ連れて、宮廷魔術師に戻ろうってんじゃないよな?」

「まさか! 馬鹿言わないで。確かに今まで使ってた実験室や蓄えてきた財産は惜しいけど、人を生贄にしくさった馬鹿共のところに戻るわけないでしょ? 第一、あの王子に仕えるのはもうごめんだわ」

 

 吐き捨てるように述べたリアトリスに、オヌマは何となく聞きかじった王子についての噂を思い出す。

 しかしそれを聞いて愚痴が始まってしまっても面倒なため、とりあえずそのことに関して今は触れないことにした。

 

 

 そして一通り情報が出そろったところで、オヌマはリアトリスとジュンペイを交互に見る。

 

「それで? 一応事情は分かったけどよ、お前らこの後どうすんの?」

 

 リアトリスとジュンペイは顔を見合わせてからオヌマを見ると、それぞれ堂々と主張した。

 

「もちろん、身なりを整えてから修業旅行よ! ってことでオヌマごめん。絶対に後で返すから、お金貸してちょうだい!」

「新婚旅行に決まってる! なんたって俺達、新婚だからな! 修業も大事だけど、お嫁さんのためにはこういう行事は大事にしないと!」

 

 リアトリスとジュンペイは、再度顔を見合わせた。

 

 

「え?」

「え?」

 

 

 

 微妙に主張が食い違ったリアトリスとジュンペイの新婚旅行兼修業旅行は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 

 




挿絵もどき

【挿絵表示】

文の完成前にざっくり描いていたので、本文とちょっと違う感じです。


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9話 乙女な旦那とダサい嫁 ★

「あのねジュンペイ。これから私たちがするのは、あんたが完璧な人化を果たすために、魔術を習得するための修業旅行よ?」

 

 そう言い含めるリアトリスに対し、ジュンペイは頬を膨らませた。

 

「でも、リアトリスが俺のところに来てくれた時点で、君は俺と結婚したことになるわけだろ? だったら、初めての二人旅の名前は新婚旅行に決まってる!」

 

 そんなやりとりが夫婦というには違和感のある二人の間で行われたのだが、最終的に折れたのは嫁の方である。

 彼女としてはこれから旅をする目的を自覚させるために一応言った、という程度であってそこまで意地を張って押し通す主張でもなかったからだ。

 むしろリアトリスにとって先ほどの発言で重要だったのは、「オヌマに金を借りる」という一点。

 

 しかしそんなリアトリスに対し、ジュンペイの方は「新婚旅行」という二人旅の名前は譲れなかったようである。

 主張は実に断固としたものだった。

 

(やっぱりこの子って私より乙女してるわよね。思考が)

 

 実はリアトリスがついついジュンペイを娘扱いしてしまう理由もここにある。この旦那様は人としての見た目だけではなく、どうにも内面までもがどこか可愛らしいのだ。

 本性は凶悪な能力を有する汚臭と汚泥にまみれた魔物だと言うのに、二十年以上乙女として生きてきたリアトリスよりよほど夢見る乙女している。

 オヌマが「男の方が結構夢想家だったりするんだぜ?」などと言っていたが、リアトリスにしてみれば見た目も相まって乙女以外に認識できない。

 

 そしてリアトリスに図々しく金の貸し出しを要求されたオヌマだが、彼は渋々ながら了承した。

 というのも現在リアトリスもジュンペイもまったくの無一文。服すら買えずに片やボロ雑巾、片やほぼ裸という組み合わせがあまりにも不憫だったからである。

 纏っていたボロ外套はどうやら途中で出くわした野盗から剥ぎ取ったらしいのだが、それが無ければジュンペイなどは局部だけ葉っぱで隠しただけの姿だったというのだから不憫だ。

 

 しかもほぼ裸、の方から発せられたのは自分よりも嫁を気遣う言葉である。

 

「俺はもともと裸で過ごしてきたようなもんだし、体調崩すわけでもないからいいんだけど……。リアトリスにはここ一年、こんな格好で過ごさせちゃったからさ。出来たら、早くちゃんとした服着させてあげたい。だから、その……。図々しいのは承知だけど、俺からも頼むよ。あとで、どうにか返すから」

 

 こう言われてしまっては、オヌマとしても断ることは出来ない。

 むしろ世界中から恐れられる魔物から発せられた、昔なじみの女よりよほどまともかつ常識に満ち溢れた言葉に感動すらした。ここで断っては男が廃るというものだ。

 

 ちなみにその発言の後、ジュンペイは「健気! いい子!」と、リアトリスに頭をわしゃわしゃと撫でられ抱き潰されていた。

 

 

 

 そしてオヌマに金を借りると、意気揚々とジュンペイを伴って外に繰り出そうとしたリアトリス。

 だがオヌマが住む漁村で買えるものといえば、せいぜい日々の生活に必要な日用品がほとんどだ。そこでどうせなら、少し離れた港町まで足を延ばしたらどうかとオヌマが提案する。

 そこならば満足のいく服も整うだろう、と。

 

「へぇ、オヌマあんた気が利くじゃない」

「だってお前、ジュンペイが居るんだぞ? 初めての人間世界だろ。せっかく可愛いんだし、いいもん着せてやれよ」

「それもそうね……」

 

 オヌマの言葉にチラッと旦那を見る嫁。しかしその視線は爛々と輝いており「どう可愛くしてやろうか」という高揚感が見てとれた。

 それは可愛い可愛い我が子を着飾りたくてしょうがない、といった類の視線である。嫁が旦那を格好良く着飾ろうというものではない。どうあっても「可愛い」を優先させる気だと窺えるようだった。

 ジュンペイは言葉にせずとも伝わってきたその思考に身震いし、「絶対に男物を買ってもらおう」と強く決意した。どんな姿になろうと、もとの姿の性別がよく分からないものであろうと。……彼は自分を「男」と認識しているのだから。

 

 そして港町まではオヌマも同行することになった。事情を色々と聞いた手前もあり、どうも放っておけなかったのだ。

 面倒見の良い男である。そしてその面倒見の良さは出発前にも発揮された。

 

「なあジュンペイ、お前そのままの恰好じゃ流石にあれだろ? ちとデカいが、俺の服貸してやるよ」

「え、いいのか」

 

 可愛い格好にされてしまいそうな危機を前に、オヌマの申し出はジュンペイにとってありがたかった。まずこの格好は自分でもどうかと思っていたし、単純に男物を着られるのが嬉しい。

 オヌマは笑いながら、身を乗り出すジュンペイの頭をくしゃっと撫でる。

 

「いいっていいって。むしろほぼ裸の美少女とか野放しにしたら犯罪誘発以外のなにものでもねぇし、その結果で腐敗溶解死体量産されても困るしさ」

「だから、俺は男!! それと子ども扱いすんな! 俺は何百歳も年上だぞ! …………みてろよ、修行して人化の術を完璧に習得したら、オヌマよりもずっと男前になってやるからな!」

「おー、そうかそうか。頑張れ」

「言われなくても。あと、一応意識すればこの体ならちゃんと腐敗に関しては制御できるんだ。腐敗死体量産なんてへまはしない」

 

 ジュンペイがくってかかってくる様子を微笑ましそうに見ていたオヌマだったが、その発言には思わず顔を引きつらせた。なにしろこの男、先ほど手首を腐り落とされたばかりである。

 

「俺さっき手首溶かされたんだけど……」

「……だってオヌマがなんかリアトリスと仲良さそうだから……。あれは意図的だよ」

「やだちょっとこの子怖い。え、本当に大丈夫? 大丈夫なのか? 自分で言っといてなんだけど、そんなちょっとの嫉妬で人体溶かしちゃうような子、人の多い町中に連れ出して大丈夫?」

 

 ジュンペイの意外と常識のある様子と愛らしい見た目もあってつい忘れそうになるが、目の前の美少女はこの世界を三分した内の一角を有する恐ろしき腐敗公なのだ。

 それを思い出して、オヌマは自分の迂闊な発言を少々後悔する。余計な提案と安請け合いをしただろうか。

 しかしジュンペイは自信ありげに腰に両手を当て、胸を張って答えた。このあたり、微妙にリアトリスの影響を受けている。

 

「大丈夫! さっき会った野盗以外じゃオヌマが初めて外で会った人だし、俺もちょっと緊張してたんだ。でも、もう慣れたしきっと平気!」

「ええ、多分大丈夫だわ。この子、ちゃんと良識あるもの。ふふっ、お買い物楽しみましょうねジュンペイ!」

 

 リアトリスも手をパンっとあわせて、楽しそうにジュンペイに賛同する。

 しかしオヌマは目を瞑り眉間に皺をよせ、聞きたくないが聞かねばならぬという使命感によって口を開いた。

 

「…………ちなみに、その野盗ってどうなった?」

 

 オヌマの質問に、リアトリスとジュンペイは明後日の方向に視線を逸らす。

 

「……溶かした?」

 

 オヌマが問う。

 

「…………」

「…………」

 

「腐らせた?」

 

 再度問う。

 

「…………」

「…………」

 

 オヌマの声は、何処か慈愛に満ちている。それに先に耐えきれなくなったのは、リアトリスではなくジュンペイだった。

 

「だって、身の程知らずに襲ってくるから……」

「そ、そうよ。私たちは悪く無いわ。正当防衛よ」

 

 もごもごと言い訳染みた響きを伴っているそれに、オヌマは今頃溶けて大地の養分になっているだろう野盗達に「せめて立派な肥やしになって大地に貢献しろよ」と黙祷を捧げた。

 ちなみに同情はしない。ここ最近村近くで行き来する荷馬車や旅人を襲っていた野盗には、近隣住民がその被害に悩まされていたからだ。

 実は魔術師であるオヌマのもとへも討伐依頼が来ており、そのうち調査を行い周辺の村や町の自警団と共に討伐に乗り出す予定だった。

 二人が遭遇した野盗が何人だったかは知らないが、多少でも手間が省けたのならありがたい。

 

「ちなみに、何人くらい居た?」

「えっと……す、数人よ」

「数人だったけど、キレたリアトリスがアジトまで案内させて俺とリアトリスで根絶やしにした」

「あ、ちょっとジュンペイ! 余計な事言うんじゃないの!」

「だ、だって! なんか、どうせバレたなら言わないと気まずくて!」

「リアトリス?」

「! べ、別に短気を起こしただけが理由じゃないわ! 野盗相手なら身ぐるみ剥い……お金を拝借しても構わないと思ったのよ。ま、まあ証拠隠滅の時に奴らの財産ごと溶けちゃったんだけど……だからあんたにお金を借りに……」

 

 まさかの野盗全滅案件だった。

 

「だ、だけど! 細かい制御は、難しいけど! 普通にしてる分には大丈夫だから!」

 

 腐敗させる力を制御できていないと思われたくなかったのか、ジュンペイが身を乗り出して主張した。

 オヌマはふっと息を吐き出し、爽やかな笑顔を浮かべた。

 

 

「さあ、町に行くか!」

 

 

 魔術師オヌマ・アマルケイン。考える事をぶんなげた瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小一時間ほどの道のりを歩き、たどり着いた港町。

 

 町は多くの人間で賑わっており、初めて目にする人の群れに最初こそ圧巻され少々怯えたジュンペイ。

 だがその点はリアトリスが港町に入るなりさっと手を差し出して「ほら、はぐれないようにしっかり掴まってなさい」と手を握ったことで問題なく適応することが出来た。

 どうやらよく素直だの単純だのと言われる自分の心境など、彼女にはお見通しだったらしい。

 

「ほれ、串焼き食うか?」

 

 そして賑わう喧騒の中、屋台で買った茶色っぽい何かが突き刺さった串を差し出してくるオヌマ。

 聞けばそれは"貝"という、海に住む生物の身だという。しかし何故かジュンペイは、貝と聞くだけでそれが何であるか理解する事が出来た。ジュンペイは己の持ち合わせている知識の出所に、改めて疑問を抱く。

 

 ちなみにリアトリスは欲張りにも、すでに三本ほど種類の違う串焼きをオヌマに買わせている。その三本を器用に片手で持って噛り付いているあたり、食い意地が張っている上に行儀が悪い。その表情は至福そのものである。先ほどオヌマ宅で食べた魚など、とうに消化しているらしい。

 ジュンペイはそんなリアトリスとオヌマが差し出した串焼きを一瞬見比べるが、結局首を横に振った。

 

「俺はいいよ。基本的に、食べ物を必要としない体なんだ」

「あ、さっき俺んちで食わなかったのもそういうことか。でも試しに食ってみたらどうだ? 栄養にならなくても、食べ物には味を感じるって楽しみがあるんだぜ」

 

 オヌマの言葉にリアトリスも便乗する。

 

「そうよ、ジュンペイ。ものは試しで食べてみたら? 美味しいわよ~」

「でも……」

「いいから、食べてみなさいって。食事は人生の喜びよ! 私は旦那様とその喜びを分かち合いたいわ。あ、そうだ。今度私も何か美味しい物作ってあげましょうか? 一応、あなたのお嫁さんですもの」

「!」

「ってわけで、今のうちに食べ物の味が分かるか実験しときなさいな。なんでも経験よ経験!」

「食べる」

 

 嫁の手作り料理という言葉に釣られ、ジュンペイはつい差し出された串焼きを手に取ってしまった。しかしその後になって「味が分からなかったらどうしよう」という不安が……むしろ恐怖といってもいい感情が脳裏をよぎる。

 そしてはて、自分は今まで味という物を感じたことが無いはずなのに、何故そんなものを恐怖と捉えたのだろうと首をかしげた。

 何かを食べる必要なんてなかったから、そもそも味というものを知らないはずなのに。

 

 疑問に思いながらも、いつの間にかリアトリスが串の先に具を押し上げて食べやすくしたうえで差し出していたので、反射的にジュンペイはそれに食いついた。

 この時彼の頭に浮かんだのが「これは噂に聞く恋人同士の『はい、あ~ん』状態……!」だったあたり、単純である。

 

「……! …………!!」

 

 が、いざ串焼きを口に含んだジュンペイは動きを止めた。そしてもごもごと口を動かし、無言で身悶える。

 

「……美味しかったみたいだな」

「そうね……。ダメもとだったんだけど……。ああいや、駄目じゃないわ。この天才が施した人化の術だもの。味覚の再現まで完璧って事よね。さっすが私。自分の才能が恐ろしくも誇らしいわ」

「お前はいちいち自画自賛はさんでくんじゃねーよ。いや、たしかにもともと味覚を持ち合わせてねぇ魔物に、それを感じる新しい器官を与えるってのは凄いけどよ」

「でっしょー?」

 

 リアトリスとオヌマが何やら言っているが、ジュンペイとしてはそれどころではない。

 初めての"味"という衝撃は、予想以上の破壊力でもってジュンペイの中を駆け巡った。

 そして同時に一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、噛みしめた貝からあふれた旨味の汁と表面に塗られた深みのある味に「懐かしい」という感情が浮上する。

 しかしジュンペイが自覚する前に、その感覚と感情は泡のように弾けて消えてしまった。

 

 あとに残るのは「美味しかった」という事実のみ。

 

「~~~~! お、おいしい! これが、美味しいって事なのか!?」

「あ、やっぱり美味しかったのね。でしょでしょ? 美味しいでしょ? あのね、海鮮自体が美味しいのもあるけど、決め手はこのタレなのよ!」

「タレ? ああ、この褐色の……」

「おう! 魚醤っていう海鮮類から作られる調味料があるんだが、これに使われてるのは貝で作られたモンでな。相性抜群な上に、アルガサルタ自慢の昆布の出汁も合わさって最強よ!」

 

 オヌマが妙に誇らしく言えば、リアトリスも串焼き……今度はエビが刺さったものを頬張ってからうっとりと頬を染める。

 

「そうそう! やっぱこの味よね~。あー、美味しい」

「昆布……」

「ああ、海藻の一種よ。特にアルガサルタは昆布の精霊に祝福されたって伝説があってね、この国の昆布は特別なの。本来は冷たい海に生息する海藻らしいんだけど、アルガサルタだけは別。温暖な海でも育つ昆布は、この国の特産よ」

 

 海藻の精霊に祝福された国。

 妙な言葉を聞いたとばかりにジュンペイは困惑の表情を浮かべるが、すぐに「まあ、美味しければいいか」と意識を切り替えた。まだ串焼きは残っている。

 

 

(悪い奴ではないんだよな……。むしろ、いいやつだ)

 

 串焼きを頬張りながら、ジュンペイはチラりと少し後ろを歩くオヌマを窺い見た。

 

 ジュンペイはオヌマという人間に好感を抱きつつも、その実心の底では未だ嫉妬の心がくすぶっていた。

 というのも、リアトリスがあっさりと事情の全てを話した相手だからである。

 

 ここ一年でリアトリスの性格をだいたい把握したジュンペイは、リアトリスが何を考えているかはもちろん知っていた。

 ジュンペイの魔力があれば何でもできると、彼女はジュンペイを利用する気満々なのだ。清々しいほどに現金かつ打算の塊というのが、リアトリスという女である。

 たちがいいのか悪いのか、リアトリスはそれを隠そうともしない。……ので一応、リアトリスとジュンペイ夫婦は共通の目標として「すっごい魔力を自由自在に操れるようになって、すっごい広い土地の腐朽の大地を最高のマイホームに、そしてなんかすっごく幸せになる」を設定し、関係は成立していた。凄まじく曖昧な目標である。

 

 しかしジュンペイにとって重要なのは目標の内容よりも、ます共通の目標があるという事実。

 愛はその内育てばいいじゃないと、彼は自分を納得させていた。

 

 

 が、そこにこのオヌマという男である。

 

 

 ジュンペイは出会いがしらに相手の手を腐らせた自分も悪いと思いつつ、抱く思いは複雑だ。

 

 自分が腐敗公である事、そして膨大な魔力をもっていて……使いようによっては膨大な利益をもたらす存在である事。

 そのふたつを包み隠さずそのままオヌマに言ったリアトリスを見て、ジュンペイは「それほど信用出来る相手なのか」と考えたのだ。

 なにも全て話さなくても、いくらでも嘘はつけたはず。だというのに全部話して、あまつさえ協力を求めた。

 ……そう、「協力を求めた」。つまり、頼った相手でもある。

 しかもリアトリスと年の近い、成人男性。将来的に立派な夫になって頼ってもらえればいいとは考えても、それだけでは納得できないというのが感情というもの。

 未だリアトリスを頼っており、頼られた事など魔力提供くらいしかないジュンペイとしては、嫉妬するなという方が無理だった。

 

 かといって付き合ってみればオヌマという男はずいぶんと気がよく、嫌いになれそうにない。それがジュンペイを戸惑わせている。

 

 なにしろオヌマはジュンペイの正体を知っても、普通の子供に接するような気軽な態度を崩さなかった。

 時々思い出したように「うわ何この子怖い」などと言ってくるが、そんな怯えは見せても嫌悪の感情は今のところ感じない。

 今までジュンペイが関わってきた人間の中で、そんな風に臆さない態度の者はリアトリスだけだった。今の自分の見た目と、分体でなら制御できている腐敗の特性、封じられている汚臭。それらの理由があるとしても、今まで敵意と恐怖の感情しか受け取ってこなかったジュンペイとしては、むず痒くも嬉しい。

 

 だからこそ余計に、嫉妬と好意のはざまで感情が揺れ動いてしまった。

 

(でも、こうして悩むのも悪い気はしないな)

 

 寂しさと諦念ばかりだった感情は、この一年でリアトリスによって様々な色を引き出された。

 そして更に、自分は今こうして新しい感情を手に入れている。それはとても喜ばしい。

 

 ────────長い時を生きようが、停滞した時間などもうまっぴらごめんだ

 

 腐敗公ジュンペイはこれから先も、自分は色々な感情に悩まされるのだろうなと予感を抱く。

 ただ、それに伴ったのは不安ではなく笑顔だったようで……なかなか楽しみに思えている。

 

 彼の新しい魔物生は、まだ踏み出したばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして腹ごしらえをしつつ町中で屋台を冷やかしながら彷徨い、ようやく三人は目当ての服屋へと到着した。

 ジュンペイとリアトリスは、やっとまともな服が着れると安堵のため息をつく。

 

「さて! じゃあまずはジュンペイの服を見繕って……」

「あ、俺は俺で選ぶからリアトリスは自分の服見てきていいよ。オヌマ、ちょっと手伝ってくれるか?」

「おう、いいぜ」

「え、ちょっ」

 

 ニコニコと愛想笑いを張り付けた店員以上の笑顔でもって手をワキワキ動かしていたリアトリスだったが、即座に手伝いを切り捨てられて焦ったようにジュンペイに手を伸ばす。

 しかしジュンペイはそれをするりと躱して、オヌマの服を引っ張った。

 

「だってリアトリスに任せたら、絶対女の子の服とか選ぶだろ」

「う゛」

「ほらな! やだよ! 俺は普通に男物選ぶからな!」

「はっはは。残念だったな~リアトリス! よし、任せろジュンペイ。俺がカッコイイの選んでやるぜ! ……まあ男物着たところで、ぱっと見は男装の美少女になるだけだろうけど」

「最後の一言が余計だよ!」

 

 ぎゃんぎゃんと噛みつきながらも、結局服選びを手伝ってくれるよう頼む程度にはオヌマに心を許したらしいジュンペイ。

 オヌマの人柄ゆえか餌付けの効果かは知らないが、それに対して一抹の寂しさを覚えつつリアトリスはすごすごと試着室に向かった。

 ただし去る前に「絶対に結いたいからお願いだから髪だけは切らないでほしい。服は男物でいいから」とお願いすることは忘れずに。

 

 

 そして数十分後。なんとか身支度を整えたジュンペイがオヌマと共に試着室から姿を現した。

 満足したらしいジュンペイは何やらやり切ったような表情をしているが、その隣にいるオヌマはぐったりとしている。

 

「お前さ……。もとの姿に戻るなら、先に言ってくんねぇ? 悲鳴上げなかった俺は偉いよな?」

「わ、悪かったって。でも、しょうがないだろ。なんかこう、人目がなくなったら気が緩んじゃって……」

 

 満足そうな顔から一転、ばつが悪そうに肩をすくめるジュンペイ。

 試着室の中で何があったかと言えば、服を脱いだ途端にジュンペイがもとの腐敗公の姿に戻ってしまったのだ。といっても、元の大きさから比べれば両腕で抱えられてしまうほどの、非常に小さい姿なのだが。

 

「リアトリスに術をかけてもらってるから、ちょっとでも距離が離れると効果が薄れるんだ。そこで術をかけられてる側の俺まで気を抜くと、元の姿にもどっちまう。……そういえば、注意されてたの忘れてた」

「おま、気を付けろよ? 言っとくが、自分で言うのもなんだが俺の反応ってかなり大らかだからな。他の奴の前でお前の正体分かったら色々ヤベーぞ」

「き、気を付ける。ごめん」

 

 素直に謝ったジュンペイに、オヌマはやれやれと苦笑する。

 小さいとはいえ元の姿を見てしまったし、戻った瞬間に制御まで緩んだのか腐敗の力を発揮して試着室の床を溶かしてしまった彼には焦らされたが……。

 どうにもこの性格を前には、相手が本当に腐敗公であると分かっても、嫌悪できそうにない。

 

 だからこそ。そんなジュンペイが傷つかないように、そして周りを傷つけないように是非とも注意してもらいたいものだ。

 

 ちなみに溶けた床であるが、慣れない類の魔術を駆使してオヌマがなんとかかんとか修復して誤魔化した。彼が疲れている原因のひとつである。

 

 

 そしてひと騒動あったものの無事に服を選び終えたジュンペイの服装であるが、あまりにも飾りっ気が無かったり粗野なものであればリアトリスに文句を言われそうなので、悩んだ末にオヌマは「小綺麗」を意識して服を選んだ。

 

 白いシャツに、チュニックのようにやや丈の長い黒のベスト。

 腰部分には差し色として、アルガサルタでは多くの人間が愛用している華やかな染色の腰布をベルト代わりに巻いている。

 下のはき物はひざ丈のズボンで、落ち着いたこげ茶色のチェック模様だ。

 足元はなめし皮のブーツで覆われており、ついでとばかりにボロボロの外套の代わりになる物も購入した。

 ものいれとして、皮で出来た丈夫なリュックも入手済みである。長い髪の毛も、とりあえずの処置として後ろでひとつにまとめた。

 

 全体的に防御力は高くなさそうだが、まあちょっといい家のお坊ちゃんくらいには見えるのではないかという組み合わせ。

 ジュンペイは唯一首元にある飾りのついたリボンタイが気に入らないようだが、その点は「妥協点を作ってやれ。女物着せられるよりましだろ?」とオヌマに説得された。一応男物であるようだし、オヌマ曰く少しでもリアトリスが希望する愛娘ファッションに近づけた方が、色々文句を言われず面倒が少ないだろうという事だ。

 そう言われては、ジュンペイも納得するしかない。

 

 

 しかしいざ自分の身支度が整えば、気になるのは嫁の新しい服装なわけで。

 

 

 店内にあるもう一つの試着室を、ジュンペイは落ち着かない様子で見ていた。

 そしてそれを見るオヌマの視線は何故か生暖かい。

 

(リアトリスは、ちょっときつめの顔立ちだけど美人だし! きっとどんな服でも似合うけど、可愛い系よりは綺麗系かな? 今までのボロボロのドレスでも可愛かったから、ちゃんとした服を着たらもっと可愛いんだろうな。へへへ……)

 

 夫の贔屓目を存分に発揮しつつ顔をにやけさせつつ色々想像していると、試着室の扉が開いた。ジュンペイは喜色を浮かべ、嫁の姿を見ようとするが……。

 

 

 

 

 

 

「ダセェ!!」

 

 

 

 

 

 

 思わず飛び出た第一声は、心からの本心だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試着室から出た途端に夫から「ダセェ!!」と言われたリアトリスは、現在その夫に選んでもらった衣装を不貞腐れながら試着していた。

 彼女としては夫というよりも娘のようなジュンペイ。彼に大人の女としていいところを見せたくて、それなりに頑張ってオシャレなものを選んだのだが……。

 ジュンペイとオヌマいわく「よくそんなものを探し当てたな」と言われる程度には変な服だったらしい。

 

 動いた時に腕全体に装飾された房が揺れる、オシャレな模様で首元に大きいひだがついたシャツ。

 葡萄、もしくはアルガサルタの海に時折現れる謎の渦潮をイメージしたような前衛的な形のスカート。

 大きな水玉模様のもこもことしたファー付きマントと、まるでキノコのようにぷっくりと愛らしい形状の赤と黄色の大きな帽子。端の方に布とガラス玉で飾りがぶら下がっているもオシャレな特徴だ。

 更にはこれから修業の旅をするにあたっての冒険感を演出するための、何やら愛嬌のある(多分)ドラゴンを模した甲冑の肩当と金属製のブーツ。

 

 そのどれもが港町とはいえ一般的な服がそろう店内では珍しい、一点物の最高の品だと見定めた品達だ。いったい何が悪かったのだろうか。

 昔からオヌマには「もさいかダサいかどっちかだよな、お前」などと言われていたため、張り切って選んだというのに。

 

 首を傾げつつも、結局リアトリスはジュンペイが選んでくれた服を着ることにした。

 レースの装飾が施された濃い藍色の品の良いワンピースに、華やかな赤色のフード付きの外套。足元は編み上げブーツという仕上がり。

 自分とは方向性が違うが、なかなか趣味がいい。

 

 そう思って満足することにしたリアトリスだったが、彼女は知らない。店を出ていくまで、服屋の店員全員がオヌマと同じ生暖かい視線をリアトリスに向けていたことを。

 

 そして夫であるジュンペイはひそかに、「これから機会があっても絶対にリアトリスに服を選ばせないようにしよう」と心に誓うのであった。

 

 

 

 

 

 

 




挿絵もどき。

【挿絵表示】

もっともっさり派手派手しいダサさを追求したかったのに途中から目がチカチカして何がダサくて何がダサくないのか分からなくなって「あれ、もしかして逆にオシャレ……?」とか思い始めてよく分からなくなった一枚(錯乱


2019/7/18修正


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10話 旅の目的地 ★

 港町の船着き場には、大小さまざまな船が並んでいる。

 その船の材質や掲げられた旗の色、模様は様々で、ずらりと並ぶ光景は壮観だ。

 そして船たちから降ろされた人や荷が行き交う船着き場が賑わうのは必然。真昼間の現在はその喧騒も頂点に達している。

 

 そんな賑やかな船着き場の近くにある一軒の大衆料理の店で、衣服を整えたリアトリスとジュンペイ、付き添いのオヌマは発泡性の酒と軽いつまみを頬張りながら一息ついていた。

 ちなみにジュンペイだけ店員の配慮によって搾りたての果汁である。

 ジュンペイは最初酒が出されないことに不満そうだったが、すぐに柑橘果汁の虜になったようだ。

 アルガサルタに属する島で育った美しい橙色の果汁を用いた飲み物はこの店の名物の一つであり、適度に甘味料で甘みが追加されたそれは、酸味とあいまって絶品なのだ。

 

 酒を飲み、髭に付着した泡のぬぐったオヌマがまず口を開いた。

 

「で、お前ら具体的にはこれからどうするんだ? 旅の目的は分かってるんだが、目的地って意味でさ」

「とりあえず一応私が無事だったって、家族に報告に行こうかと思ってるわ」

「え、そうなの!?」

 

 リアトリスの言葉に漠然としか旅の内容を聞いていなかったジュンペイが、驚いたように目を見開く。

 

「ええ。ジュンペイの紹介もしたいしね」

「し、紹介……! ふへへ、紹介……」

「……あのさ。ジュンペイが喜んでるとこ水差すのも悪いんだけどよ、リアトリスお前の家族大丈夫なのか? お前、あれだぞ。一応処刑された罪人だからな?」

 

 何やらうっとりと「ご挨拶……手土産……いやその前に指輪を用意しないと……うへへ……」などと妄想を始めたジュンペイを見て、オヌマが少々言いにくそうにリアトリスに問いかける。

 

 そう。現在堂々と真昼間から酒をかっくらい食事に舌つづみを打っているこの女、腐敗公の嫁に送り出された原因は「罪人であったから」に他ならない。

 漁村にあるオヌマ宅で「王子を殴り倒した」という罪状を聞き、オヌマが頭痛を覚えたのはまだ記憶に新しい。

 しかしリアトリスはといえば呑気なもので、ひらひらと手を上下にふって気楽に答える。

 

「大丈夫大丈夫ー。表向きは罪人として扱われてないわけだし、多分家族に迷惑はかけてないと思うのよ。むしろ私が腐敗公の嫁になったてんで、報奨金とか出たんじゃないかしら。あのクソ王子、そういうところは妙に律儀だから。……いや、律儀とは違うか。なんて言ったらいいのかしら、あの守る所は守ってありがたいけどクソムカつく感じっていうか、こっちが最大限憎んでるのにそれを歯牙にもかけずさらっと自分は大人ですよみたいな対応する、あの感じは」

「いや知らねーよ。あのさ、俺はそれなりにちょっと黒い噂も仕入れられるぜ? でもあの王子様は自ら戦いの最前線へ赴く勇敢な王子ってことで世間様じゃ人気者だ。あんま公の場で滅多な事言うんじゃねぇぞ」

「チッ」

 

 オヌマの言葉にリアトリスは非常に低い音を伴った舌打ちで応えた。同時にやさぐれたようにオヌマの酒まで奪い取って飲み干す。

 

「おい、テメッ」

「だって、やっぱり腹立つじゃない。私は私でこれからジュンペイとすっごく幸せになってあのクソども見返してやるつもりだけど、叶う事なら今すぐあいつの体を全身骨折させてやりたいなって思うくらいにはムカつくのよ! むしろ一年前……殴るまでの間、私は我慢した方だと思うわ。もうね、私偉いわ。ほんっとうに偉い! 誰も褒めてくれないから自分で言うけど、超偉い! 私最高! ほらほら、あんたも褒めてくれていいのよー?」

「うわ酔っ払いうぜぇ。褒めねーよ! あのな? 普通はその感情が爆発する前に、辞めるか病むかどっちかなんだよ」

「煩いわね! これくらいのお酒で酔わないわよ! ふーんだ。過ぎたことをうだうだ言っててもしょうがないでしょ。私は前向きなの。ほら、どうよ偉くない? 偉いでしょ。偉いと言え!」

「……ホンッとお前、無駄に精神力強いよな……。はいはい、偉い偉い。……いいんだか悪いんだか」

 

 あまりに絡んでくるため面倒くさくなったオヌマは、渋々といった様子で雑にリアトリスを褒めた。しかし彼女としてはそれで十分だったらしく、上機嫌に笑顔をつくる。

 

「いいに決まってるでしょー! そのお陰で、私は今生きているわ」

 

 どこまでも自信満々に言い切るリアトリスに、オヌマは「こいつ頭良くても馬鹿だよな」と改めてその認識を強くした。多分これはもう治らないだろう。

 疲れたようにため息を吐き出したオヌマは、店員に追加の発泡酒と、ついでにエビの油煮を追加注文する。ニンニクと唐辛子、調味料としてよく使われるカタクチイワシの塩漬けが利いた一品は酒によく合うのだ。

 ちなみにリアトリスも追加で結構な量の酒と料理を注文した。

 

 そしてここでようやく、妄想によってふわふわとした笑みを浮かべていたジュンペイが現実に戻ってくる。

 

「あ、そうだ! でもリアトリス、俺としては娘さんを頂く旦那様として、もうちょっと世間一般の常識とか、頼もしく思ってもらえるように魔法とか覚えてからご挨拶に行きたいんだけど……」

「おい見ろよこれ。お前よりジュンペイの方がよっぽどまともな感性持ってるぞ。間違いない」

「ここ一年育てたのは私よ」

「い~や、これは絶対もともとのこいつの気質だね。いい子だよな~」

「否定はしないけど腹立つわね。何、私に教育は出来ないとでも?」

「ちょっと、聞いてってば」

 

 特に酒に弱いわけでは無いリアトリスとオヌマだが、それでも先ほどから追加追加追加でカパカパ杯を空けている酔っ払いであることに変わりはない。

 すぐに脱線しそうになる話を、慌ててジュンペイが軌道修正した。

 

「ごほんっ。それで、だけど。家族に無事を伝えたいっていうリアトリスには申し訳ないんだけど、やっぱりご挨拶に行くからには相応の実力を身に着けてからにしたい。というか、出来れば人化の術を完璧に習得してからがいい! 今の俺の姿で『旦那です』って言って、納得してもらえるとは思えないし」

「え~? 別にそんな事無いわよ~。うちの家族結構適当で、考え方とかふわっふわしてるから。……でも、そうね。修業も漠然とした遠い目標より、まずは近い目標があった方が捗るだろうし……うーん……」

 

 ジュンペイの主張にリアトリスは口元に手を当てて思案する。もう片方の手はチーズ入り揚げ肉団子のトマト煮にフォークをぶっ刺していた。どうやら考え事をするときも食事の手を止める気はないらしい。

 そしてしばらくの間を挟んだ後、リアトリスは小気味よい音をたてて膝を打った。

 

「よし分かった! うちの実家に行くのは後でいいわ。その前に『私の家族に挨拶できる』段階をひとまずの目標として修業しましょう!」

「……自分で言っておいてなんだけど、リアトリスはそれでいいの? 家族にすぐ会いたくない?」

「どうせ生贄のことがなくても、仕事が忙しくて一年以上会ってないんだもの。それがちょっと伸びた程度じゃ、どうって事無いわ。」

「~~~~! ありがとう!! リアトリス大好き!」

 

 胸を張って答えたリアトリスに、感極まったように頬を上気させたジュンペイが抱き着く。

 その抱擁を受け入れたリアトリスはジュンペイの絹のような手触りの髪の毛を撫でながら、悦に入った笑みを浮かべた。

 

「は~、可愛い。ねえ見てよオヌマ。この素直さ、超可愛くない? うちの娘ヤバくない?」

「リアトリス、旦那。夫」

「あ、ごめんごめん。ねえうちの旦那ヤバくない? 超可愛くない?」

「あ~、はいはい。可愛いなー」

 

 オヌマは目の前の光景を果たして「仲睦まじい夫婦」と受け取ってよいのだろうかと考えた。

 

 何しろジュンペイの見た目は、どこに出しても恥ずかしくない美少女である。

 容姿もそうだが頭の先から爪の先まで丁寧に丁寧に手入れされたような美しさが保持されているため、ドレスでも着せたらそのまま貴族の令嬢通り越して一国の姫で通用しそうだ。

 そんな彼女……否、彼が外見的には年上なリアトリスに抱き着いて頬を摺り寄せる様子は、似てはいないが仲の良い姉妹……もしくはリアトリスが言うように母親に甘える娘にしか見えない。

 その証拠として、周囲からは微笑ましいものを見るような、優しいまなざしがジュンペイにそそがれている。

 

(本人には言わないでおこう。幸せそうだし)

 

 オヌマはそう考え、自分やリアトリスなどよりよほど長い時を生きてきた腐敗公に気を遣う事にしたのだった。

 

 

 そして話は再び振出しへ。

 

 

 リアトリスの故郷へ行かないならば、次の目的地は何処に定めるべきかという話になる。

 

「でもよ。修業ってんなら、一回アリアデス様んとこ顔出した方がいいんじゃねーか? お前がジュンペイを弟子にしたって事は、あの方にとって孫弟子になるわけだし」

「師匠に? あ~……。そうね。考えてなかったわ」

「お前……。生きてたのに顔出さなかったって知れたら、後で面倒くさくなるのはお前だからな。孫弟子を紹介しなかったってんなら、なおさらだ」

「わかってるわよ」

 

 オヌマの提案に眉根をよせたリアトリスは、ストレスから逃れるためにジュンペイをより深く抱き込んでその体温を堪能する。この人化の術は、分身体限定とはいえ体温の再現まで完璧なのだ。

 

「!? り、りあとりす! ちょ、場所が! 顔に、むねが! うぷっ」

「あ、ごめんごめん。苦しかった?」

「いや逆に気持ちい……ん゛っんん! えっと、それで? リアトリスの師匠って?」

 

 リアトリスのふくよかな胸の谷間に顔を押し付けられたジュンペイはそこから抜け出すと、わざとらしい咳払いとともに居住まいを正して問いかける。

 リアトリスはそれにすこし寂しそうにしながらも、テーブルに行儀悪く肘をつきながら答えた。

 

「言葉の通り、私の師匠よ。宮廷魔術師としての先輩でもあるし、私が宮廷魔術師に至るために鍛えてくださった魔術の先生でもある。とても偉大なお方だわ」

 

 いつも自分は天才だなんだと自信満々なリアトリスが、素直に「偉大だ」と褒めたたえる相手。ジュンペイは心の中でその人間への興味が頭をもたげるのを感じる。

 オヌマに先に会っていたからか、それともリアトリスの"先生"だからか。そこに嫉妬の感情は無い。

 

「へえ、そうなんだ。じゃあ俺も会ってみたいな」

「あら、そう思う? う~ん、そっか~……。会いたいかー……。いや、そうでなくても行かなきゃまずいわよねー……。嫌なわけではないんけど………………面倒くさい……」

「面倒くさいで片付けるなよ。シンシアも心配してるんじゃないか?」

「あんたそれ言う? それ言われたら行かなきゃってなるじゃーん」

「おう、だから行っとけって」

「ん~……。そうね」

 

 そのままうだうだと数分唸っていたリアトリスであったが、考えながらも更に酒を飲み干し、空の料理の皿を積み上げ食後の甘味まで平らげ食事を終えたところで……やっと凛々しく表情を引き締めた。

 ちなみにこの場の食事はすべてオヌマの奢りである。

 オヌマは軽はずみに「どうせお前ら金ないんだし、飯くらいならおごってやるよ」と言った先ほどの自分を少し殴りたくなった。

 

「しょうがない、ジュンペイのためにも行くか!」

「じゃあ、次の目的地はリアトリスの師匠の家なんだな!」

「そうなるわね。でもそうなるとちょっと遠いし……。念のため一回腐朽の大地に戻って、ジュンペイの分体に本体から魔力を注いでおきましょう」

「わかった」

「方針は決まったみたいだな。ま、せいぜい頑張れよ」

 

 二人の間で今後の予定が決まったことを見届けると、オヌマはへらりと笑う。

 自分のもとへこの二人が来たのは、当面の金銭もろもろを工面するためだ。用が済んだのなら、あとは見送るのみである。

 

 しかしその前にと、オヌマはジュンペイに耳打ちするように顔を近づけた。

 

「ジュンペイ、その駄目嫁に嫌気がさしたら俺のところに来いよ? 一緒に世界征服とかしようぜ!」

「世界征服~? んー……興味ないけど、でもまたオヌマには会いに来るよ。次会う時は、お前より背が高くて男前な姿になった俺を見せてやる」

 

 冗談めかしたオヌマの言葉に、ジュンペイはニヤリと笑って答えた。

 

「ちょっと~。あんた達だけで仲良さそうになによ~」

 

 それを見た面倒くさい酔っ払い、リアトリスが絡み始め店を出る事が出来たのはその一時間後であったとか。

 

 

 

 

 

 こうして装備を整えたリアトリスとジュンペイはオヌマと別れ、一路、腐朽の大地へ向かった。

 しかし誰も居ないはずのそこで、二人は新たな出会いを果たすこととなる。

 

 

 

 

 

 

「殺す殺す死ね死ね死ねしねシネあいつらふざけやがって死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖いこんなの嫌だ死にたくない殺す殺す死ね死ね死ねしねシネ死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖いツライ死にたくない殺す殺す死ね死ね死ねしねシネ死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖い死にたくないお腹すいたハンバーガー食べたい殺す殺す死ね死ね死ねしねシネあいつらふざけやがって死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖いこんなの嫌だ死にたくない殺す殺す死ね死ね死ねしねシネ死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖いツライ殺す殺す死ね死ねシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖い死にたくない死ねしねシネ死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖い死にたくない殺す殺す死ね死ね死ねしねシネフザケルナ死にたくないシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖い死にたくない帰りたい殺す殺す死ね死ね死ねしねシネ死にたくないカエリタイシニタクナイ死にたくないひもじい苦しい臭い怖い死にたくない誰か助けて……うああああぁ……」

 

(あ、やべぇ……)

(忘れてた……)

 

 

 

 腐朽の大地、ジュンペイの本体がある場所へ戻って二人を待ち受けていたもの。

 それはがりがりと樹の表面に爪をたて、皮を歯で齧り取る花嫁姿の女性だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




笹子さんにアイコン風の主人公を描いて頂きました!ドット打ち可愛いしそのうえ凛々しい美人に描いてもらった主人公は幸せ者。ゲーム風の画面を用意してこのままアイコンに使いたくなってきます。私の中にRPG成分が充電されました!
この度は素敵なイラストと掲載許可、ありがとうございました!これを励みに頑張ります。

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2019/7/18修正


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11話 異世界の花嫁 ★

 ここは草木も無く生物も居ない、全ての生命が溶けては汚泥に変わる死の領域、腐朽の大地。

 その中で唯一場違いに存在する、一本の白く輝く樹の上で……三人の人影が向き合っていた。

 

 

 

「ああ……。おいしい……生き返る……」

 

 甘い吐息と共に至福に満ちた声で呟かれた言葉に、人影の内約二名の良心がギシリときしんだ。

 

 背に流れる長く豊かな黒髪は艶やかで、ほっそりとした繊細な輪郭で縁取られた白いかんばせ。そこに納まるのは弾ける寸前の果実のように瑞々しい唇。

 焦げ茶の瞳は天空の星々の煌めきのごとき輝きを秘めていた。その瞳を扇のように囲い濃く影をおとす長いまつ毛が、可憐さの中に艶やかな魅力を際立たせる。

 おそらく十人中九人ほどが「美しい」と称するであろう美貌を身に宿した、どこか異国を感じさせる顔立ちと象牙色の肌を持つ少女。

 彼女は一年前のリアトリスと同じく、純白の花嫁衣裳を身に纏っていた。

 

 この美しき花嫁が先ほどまで、その美貌を飢餓と絶望と怒りによって悪鬼のごとき様相に変貌させていたなど……おそらく今の彼女だけを見た者は信じまい。

 

「助けていただき本当に……。本当に、ありがとうございました……! あなた方は命の恩人です!」

「あ、ハイ」

「いえいえ、そんな。ハハッ」

 

 ふわりとした笑みを浮かべながらも、洗練された動きで頭を下げ感謝の意を告げる少女。

 そんな彼女に硬い声でもって返答するのは命の恩人……もとい元凶だった。何に対しての元凶かと言えば、少女を襲った不幸に対しての、と言える。

 

 恩人(げんきょう)その一は、黒髪の美少女とは対を成すような豪奢な金色の巻き毛をもつ、華やかさと美しさを秘めた幼い少女の姿をしたジュンペイ。

 恩人(げんきょう)その二は、ぱっとしない髪と目の色、キツイ目つきなどが少々愛嬌を損なっているものの、そこそこ美人とは称されるだろうリアトリス。

 

 一応この場には見た目だけは華やかな女性が三人そろっているのだが、うち一名はまがいものである上にもう一名も内面が濁っている。さらにその二人からは気まずさが全面的に出ているため、空気は華やかどころか非常に重い。

 唯一黒髪の少女だけは満面の笑顔で軽やかな雰囲気なのだが、その笑顔こそが対する二人の心に漬物石のように重くのしかかってくるのだ。

 ちなみにその漬物石の名は「罪悪感」である。

 

 

 リアトリスとジュンペイは現在、非常に気まずい思いを味わっていた。

 

 

 腐敗公という強大な魔物であるジュンペイが完全に人化の術を習得し、その内包する魔力を自由自在に操れるようになることがジュンペイとその嫁であるリアトリスの目標である。

 更に言うなら、その力で「なんかいい感じに楽しくて幸せ生活」を手に入れて、周りの奴らぎゃふんと言わせるまでが目標である。

 そのため現在彼女たちは、新婚旅行という名の修業旅に踏み出したところなのだが……。

 最初の目的地、リアトリスの師匠でもある元宮廷魔術師アリアデスのもとを訪ねる予定だったのはいい。本体から切り離され仮初めの人化を果たしている分身体のジュンペイが途中で消えてしまわないように、一度ジュンペイ本体がある腐朽の大地まで戻ってきたのもいい。

 

 しかし問題は、腐朽の大地から外の世界へ行って戻るまでの不在期間。

 二人は肝心なことを忘れて、意気揚々とお出かけしていたのである。

 

 そして修行旅行兼新婚旅行の途中で一時帰宅した二人を待っていたのは、怨嗟の声をあげながら必死に生にしがみつく"花嫁"だった。

 

 この腐朽の大地には、年に一度「花嫁」という名目で腐敗公への生贄が捧げられる。腐敗公がこれ以上人の領域を死の大地に変えないための措置。

 これは誰もが周知の恒例行事であり、腐敗公たるジュンペイも一年前までは長きにわたる孤独な生の中で唯一自分を慰めてくれる存在が来るのを楽しみにしていた。たとえそれが自分に恐怖し、怯え、すぐに死んでしまう存在だったとしても。

 しかし一年前腐敗公は運命に出会った。

 すぐに死なないわ、自力で生き延びるわ、より良い未来をその力で目指さないかと提案までしてくるわ。精神的にも身体的にも図太い花嫁リアトリスこそ、今もなおジュンペイにとって運命の人。

 この一年は彼が生きてきた数百年にわたる生の中で最も色濃く、喜びと輝きに満ちていた。

 仮の人化とはいえ、周囲に被害を出すことなく踏み出せた外の世界にも刺激は満ちており、まだ一人とはいえリアトリス以外の人間とも友好を結べた。

 

 

 ……要は、浮かれていたのだ。

 今まで心の支えで合った花嫁が訪れる行事を忘れるほどに。

 

 

 リアトリスが一年住み家にしていた生命樹のお陰で辛うじて足場があったからか、帰宅した時にすでに溶け死んで大地の肥やしになっていた……などという事態は免れた。

 が、それが幸いかと言えばそんな事は無い。まず毎年恒例行事を忘れていた事こそが問題なのだ。

 

「ああ、それにしても、本当に助かりました! もう一度お礼を言わせてください! いえ、何度言っても足りません! とても……とっても美味しいお食事を振る舞って頂き、ありがとうございました! 美味しかったです。本当に、美味しかったです!!」

「い、いいえ! 気にしないでいいのよ! ええ、まったくもって! ほほっ!」

「あ、ああ。そうだよ、気にしなくていいって……ははっ!」

「まあ、なんてお優しいのでしょう!」

「………………」

「………………」

 

 感動と感激を全身で表す少女を前に、リアトリスとジュンペイは後ろめたさのあまり砂でも噛んでいるような気分だった。

 港町で調達してきたリアトリス用の一週間分の携帯食を全て、綺麗に食べられてしまったが……それでは足りないくらいに申し訳ない。聞けばこの少女、なんと二週間も木の皮だけ食べて生き延びていたというのだ。

 それにしては腹を満たしたくらいでこれほど回復したのが不思議だが、まだその辺について聞けるほど少女と会話出来ていない。

 

 港町で散々オヌマにたかり、美味しいものでお腹を一杯に満たし服も整え充足感に満足していたリアトリスとジュンペイ。

 特にジュンペイなどは、まるで本当の人間のように町で過ごせたこと。初めての体験、オヌマとの出会い。それらがもたらす新鮮な感覚が、何百年と過ごしてきた陰鬱な魔物生を吹き飛ばしてくれるようで非常に満足していた。

 しかしその体験及びリアトリスと過ごした一年のおかげで、彼の中でひとつ磨かれた物がある。

 

 …………「一般的な感性」である。

 

 今までもリアトリスには「魔物にしては性格が普通だし人間ぽい」などと評されていたジュンペイ。

 だが今まで自ら傍らで腐り、溶けて死にゆく花嫁たちに対して嘆きこそすれど鈍感ではなかったか、と言われると言葉に詰まる。その感覚は、おそらく人間らしいという言葉からは遠い。

 彼が抱いた嘆きは「自分が寂しい」ゆえに抱いたものがほとんど。花嫁たちの死そのものに対する悲しみは非常に薄く、人間が飼っていた珍しい虫が死んだ時に覚える程度のものだ。

 結局は自分が一番大事で、自分が寂しいのが嫌だった。

 

 しかし友好を結べる相手が現れたことで、変化が生じた。心に余裕が出来たのだ。その結果が現在生じているのが罪悪感である。

 途中で出くわした野盗など自分達に敵意を向ける相手ならば死のうが腐ろうが、殺してしまおうが構わない。

 が、目の前で感謝し通しの少女に対してはとても申し訳なく思う。

 

 リアトリスとジュンペイは「ちょっと失礼」と、不自然に後ろを向くとコソコソと小声で話し合った。

 

「生贄はこれ以上不要だって、どうにか伝える必要があったよな……俺達」

「で、でも仕方が無いわ。私たちだって余裕があったわけじゃないし、腐朽の大地じゃ正確に月日を計る手段がない上に花嫁を捧げる時期は人間と魔族、あと国ごとで違うんだもの。持ち回りがちょっと決まってるだけで」

「でもその時期と花嫁の存在自体を、俺たち忘れてたわけだろ? どう考えたって、俺たちが悪いって!」

「そ、それもそうだけどさぁ……。だとしても、どうやって全部の国に、もう花嫁いらないよって伝えて信じてもらうのよ」

「そ、それは……」

「ふむふむ、なるほど。あなたの正体は腐敗公で、そちらのあなたは私の一年前に捧げられた花嫁さんなんですね? 理解しました!」

「え」

「え」

 

 二人の会話に極自然に第三者の台詞が入り込み、リアトリスとジュンペイが振り返った。

 そこには耳に手を当てていかにも「聞き耳立ててました」の姿勢をとる黒髪の美少女。

 

「うわああああ!? え、ちょ、聞いてた!? 今の聞いてた!?」

「はい、バッチリと! 怪しかったので!」

 

 悲鳴を上げるジュンペイに、少女は親指をぐっと立てていい笑顔で言い切った。それに対してリアトリスもまたびくつきながら、恐る恐ると問いかける。

 

「あの、…………理解力凄いね? 今の会話で推測したの?」

「推測するには十分な情報でした」

「いや、推測できたとしてもそれ受け入れたの?」

「ええ、この世の中、なんでもありですから。生死の境を乗り越えた私にとって、腐敗公がTSしていようが人化していようが驚くことではありません。むしろ王道かな? くらいの気分で受け止めています」

「てぃーえ……何?」

「あ、ごめんなさい! その辺はあまり気にしないでください!」

「そ、そう……」

 

 何やら謎の勢いを増してきた少女に対し、リアトリスもジュンペイもつい引け腰になる。しかし少女の勢いは止まらなかった。

 

「秘密も知ってしまったことですし、お次は私の自己紹介をしてもよろしいですか!? ぜひぜひ、私の不幸な境遇を聞いてほしいのです! というか聞いてください! もう、誰かに愚痴……聞いてほしくて聞いてほしくて!!」

「お、おう」

「どうぞ」

 

 正体が腐敗公と知って怖くないのか? 樹の真隣にあるジュンペイの本体であるドロドロ魔物は気にならないのか? 他にも疑問に思う事は無いのか?

 それらの質問を、リアトリスとジュンペイは飲み込んだ。それは少女に対する引け目以上に、その勢いに押されたからだ。

 

「ありがとうございます! えー、ではまず初めに。私の名前は城ヶ崎優梨愛と申します。どうかユリアとお呼びください!」

 

 聞きなれない響きの名前。それを不思議に思いつつも、リアトリスは直感的にその名前がどこかジュンペイに近いものであると感じた。

 それは名づけの占いを得意とする魔術師として正しい感覚であったと、彼女はのちに知る事となる。

 

 

 

「えー、ごほん。では私の可哀想な身の上話のはじまりはじまり~」

「うーん、まだ会ったばかりだけど……。私あんたのこと嫌いじゃないわ……」

「ま、まあ! そんな事言われると照れてしまいますね!」

 

 リアトリスの言葉に何やら頬を染めて身をよじるユリア。それに対して、ジュンペイは何故か言いようのない不安を抱いた。その正体は残念ながらまだわからない。

 

「では、今度こそ! ええとですね、まず私は異世界から召喚されたんですよ。あ、星幽界とは関係ない、ここと同じように人間が暮らしてる世界なんですけどね? 魔法とかありませんでしたけど」

「はい待った。いきなりブッ込んでくるわね!? 異世界って何よ」

「まあまあ、多分突っ込まれたらキリが無いのでとりあえず最後まで聞いてくださいな。……それで、私を召喚した国はルクスエグマというのですが……」

「ルクスエグマ?」

「あら、ずいぶんと大国の名前が出てきたじゃないの。なに、生贄にされるために召喚されたとか?」

「そう! そうなのです!! きー! もう、もうもうもう! 聞いてくださいよ!!」

 

 ユリアを花嫁として差し出してきた国、ルクスエグマはアルガサルタから少々離れているが人間の領土でも大国と称されるにふさわしい国だ。

 魔術についても古くからの資料が多く残されている上に、国が独自の巨大研究機関を作っているため魔術の進歩も早いとリアトリスも噂で耳にしたことがあった。

 実際に行った事こそないが、彼女がひそかにいつか足を踏み入れたいと考えていた国でもある。

 

「あのですね、私初めは『異世界の聖女よ。共に魔王を倒してください』な~んて言われたんですよ。それも、超、超イケメンに! あ、イケメンというのは顔の良い男のことです。性格イケメンとはまた別です。あいつらはクズです。性格イケメンではありません。で、イケメンに……それも十人くらいのショタからシブメンまでそろえた連中に言われたんですよね。我々と共に修業して戦ってほしい~とか、なんとかかんとか。まあ、私も夢見がちな小娘でしたからコロッと騙されちゃったわけですよ。いや、完全に嘘ってわけじゃなかったんですけどー。いやいやいや、むしろよりたちわるいというか……」

「わかった! あれでしょ。異世界から召喚されたって事は、なにか特別な力があったんじゃない? でもって、それを魔族との戦いに利用された! そのあとは使い捨てでポイ!」

 

 妙に理解しにくい言葉が混ざるものの、雰囲気でなんとなく察したリアトリスは合の手を入れる。その言い方と内容にジュンペイは頬を引きつらせたが、言われた側であるユリアに至ってはまったく気にしていないようだ。それどころか「よくぞ」とばかりにノリよく答える。

 

「ピンポンポンポーン! 正解です! 凄いですね! なんでわかったんですか!?」

「まあこのリアトリス様にとっては簡単な事よ!」

「リアトリスさん素敵! それで続きなんですけど……」

「……なんか、ついていけねぇ……」

 

 急展開もなんのその。波長が合ったのか、ぽんぽんと言葉を飛び交わせる女性二人にジュンペイはぐったりとした気分を感じ始めていた。まったく会話に入っていけない。

 しかしそんなジュンペイを置いてけぼりに、ユリアの怒涛の身の上話は続く。

 

「一年くらい、聖女様聖女様ーってもてはやされてちやほやされて。美味しい食べ物と素敵な住居に最高にいい男たちに囲まれて、キャッキャウフフと修業したわけですよ。事が終われば元の世界に帰してくれるって約束もしてくれたし、私もいい気分でした。私って、もとの世界ではちょっと可愛いだけの普通の女の子だったんですけどね? 召喚された時に、特別な力が備わったらしくて。特別扱いされれば、そりゃあ気持ちいいじゃないですか」

「はっはーん。褒め殺して飼殺してきたわけか。そういえば特別な力って?」

「聖女ですから、聖なる力っていうんですかね? なんていうか、魔族に対して効果抜群な光攻撃的な奴が出来るんですよ。あと聖なる祈りで仲間の能力アップ~みたいな? ちなみに魔王はマジでブッ殺しました。といっても、魔王ってたくさん居るみたいじゃないですか。その内の一人ってだけだったんですけど」

「ええ、凄いわね!? 簡単に言うけど、魔王ってそう簡単に倒せる相手じゃないわ!」

「まあ、仲間……今となっては仲間と称するのは反吐が出ますけど、そいつらが居たからなんですけどね~。私って紙防御なんで、単体じゃすぐ殺されちゃいますし~」

 

 だんだんと敬語が砕けてきたユリアだったが、リアトリスは特に気にせずふんふんと頷いている。

 ちなみにジュンペイは話を聞きながらも、体育座りで魔法を使って落書きしていた。何やら仲良くなってきた二人を見て、疎外感を感じて拗ねているらしい。

 

「だけど、問題はその後ですよ! あいつら今までチヤホヤしてきた来たくせに、魔王を倒すなりさっさと私を生贄に仕立て上げたんですよ!? 魔力がこれだけ高ければ花嫁には最適だって! 大恩人相手に、それってありえます!? 手のひら返しもいいところですよ! 異世界人なんて同じ人間じゃないんですって! おぞましいとか言われました! 死ね! すみやかに死ねあいつら! 苦しんで死ね!! うわああああーん! あんまりよ、酷い! 私の事愛してるとか好きとか言ってたくせにぃぃぃぃ!!」

 

 感情の高ぶりを抑えきれなかったのか、ユリアは声を張り上げえるとそのまま大号泣して崩れ落ち、拳を樹に叩きつけた。そのまま何度も悔しそうに拳を幹に打ち付ける。

 その様子に、リアトリスは神妙な顔でしばし考えた。そして一度目を瞑り、開くと膝をついてユリアに視線をあわせる。

 

「ねえ、ユリア」

「ひぐゅ、うぐっ……何ですか?」

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をリアトリスに向けたユリア。リアトリスはその頬を片手で包むと、もう片方の手で彼女の涙をぬぐう。

 その顔には慈愛に満ちたほほ笑みが浮かんでおり、それを見ていたジュンペイは嫁の表情に嫌な予感がした。

 

 

 

「よければあなた、私たちと一緒に来ない?」

 

 

 

 

 

 




笹子さんから以前いただいたリアトリスをゲーム画面風にアレンジしたものを頂きました!うひょー!可愛い!ファンタジーものなのでこうしてゲームっぽいものを頂けると、想像力が掻き立てられますね!

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笹子さん、この度は素敵なイラストをありがとうございました!




以前感想で主人公とジュンペイの服装について聞いていただけたので、設定画をペタリ。挿絵を描くたびに期間が開くので絵柄の安定性が死んでいますが、もし挿絵が平気でしたらお好きな方でご想像頂ければ幸いです。ジュンペイが設定より見た目年齢やや上に描いてしまった気がするので、機会があれば修正しようと思います。

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2019/7/19修正


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12話 かしまし娘三人旅

※2019/7/17現在、一話から再度文章の修正中。一話目をプロローグと分けているため一話増えております。新着に出てしまったら最新話でなく申し訳ありません……!


 厚くのっぺりとした雲が張り付き、今にも泣きだしそうな曇天の下。

 地上では剣戟による甲高い音が響いていた。

 

「くそっ、こんな、ところで!」

 

 振りかぶった剣を固い甲殻に弾かれた男がたたらを踏むと、男と切り結んでいた相手は口の端を裂けそうなほど深く歪める。否、実際にその口は裂け、開いた口からは無数の針を思わせる牙の群れが覗いていた。

 肌は赤紫の甲殻に覆われており、その者が人間でないことを如実に物語っている。

 

 相手は魔族だった。

 

 甲殻の魔族のほかに、相対するのは宝石で形成された翅をもつ虫型女性魔族と、黒檀のような色合いの剛毛に覆われた猪を想起させる獣人型の魔族。

 彼らは一様に笑みらしきものを浮かべており、その表情からは弱者をいたぶる嗜虐的な快楽が伺えた。

 

 剣をふるう男は人間で、こちらは天然の鎧を纏う魔族に比べてあまりにも脆弱ななめし皮の鎧。彼の後ろに控える弓をつがえた女と杖を構えて震える細身の男もまた、大した防具を身に着けているようには見えない。

 彼らの周りにはすでに三人、彼らよりは立派な装備を身に纏った(むくろ)が血にまみれて転がっている。

 剣士の男と同じく前衛を務めていた戦士二人と、中衛だった槍使いが一人。果敢に立ち向かった彼らが人でなく物になり果てたのは、わずか数分前の出来事だ。

 女魔族の魔術で極寒まで冷やされた空気の中、躯からはみ出た臓物からは生々しくも薄く湯気が立ち上っている。

 それがこの後の自分たちの末路だと思うと、どうしようもなく恐ろしかった。

 

 彼らは世間一般で"冒険者"と呼ばれている者たちだ。

 冒険者はいくつか存在する冒険者組合のいずれかに所属し仕事をこなすが、組合によってその仕事内容にはそれぞれ特色がある。共通する項目はあれど、得意分野ごとに分かれているのだ。

 薬草が欲しければ採集に優れた者が集まる組合に、未開の地の調査を依頼したければ探索に優れた者が集まる組合に。そして護衛を雇ったり害をもたらす魔族や魔物から身を守りたかったら、特に戦闘に秀でた者が集まる組合に……という具合である。

 剣士の男たちが所属するのは、戦いに秀でた者たちが集う組合。……しかし今回の依頼内容の「魔物」はすでに討伐済み。

 

 彼らにとって「魔族」相手の戦闘など、まったくの想定外であったのだ。

 

 魔に属するモノの総称として「魔物」が用いられることは多くあるが、人類間での認識としては魔物は知能の低い獣、魔族は高度な知識と文化を有した知的生命体だ。ゆえに相手取るときの難易度が全く違ってくる。

 自分たちと同じように知能を有し、その上魔力も身体能力も強い。繁殖能力が弱く個体数が少ないことでなんとか均衡は保てているが、突発的に遭遇した時……。よほどの手練れでも居ない限り、同数かそれより少し多い程度の人数で勝てる相手ではないのだ。

 

(ああ、もっといい酒飲んどきゃよかったな。ケチはするもんじゃねぇや……)

 

 剣士の男は構えこそ解かないものの、すでに心には諦観が滲んでいた。

 

 思い出すのは先日、依頼に向かう前に酒場で飲んだ安っぽい発泡酒の味。薄いくせにやたらと苦い粗悪品だったが、結婚資金を貯めるためだと泣く泣く一番安い酒で我慢した。

 しかしこの分だと貯めた金を使う機会はなさそうだ。

 だったら自分の向かい側の席で「しょうがないわねぇ、今はこれで我慢してあげる」と言葉とは裏腹に心底幸せそうに笑っていた彼女と、とびきり美味い酒で乾杯しておけばよかった。しておくべきだった。

 

 もてあそぶのに飽きたのか、甲殻の魔族は鋼で鍛えた男の剣をかみ砕いた。おそらく剣を使って戦っていたのはほんの戯れで、甲殻の魔族本来の武器はその歯だったのだろう。

 これでもう武器は無い。次にかみ砕かれるのは、自分の頭蓋か背骨かあばら骨か。

 せめて砕けた骨が魔族の喉にでも突き刺さって苦しめばいいと、自分が死んだ後の運任せに少し笑う。

 

「悪い、悪い。少し遊びすぎたかい? かわいそうに。狂ったか? 笑っているじゃないか」

 

 喋り辛そうなぞろぞろ歯が生えた口で何故そんな流暢にしゃべれるのかと、男は疑問に思いつつも腕をだらんと体の横に垂らす。

 疲労し、魔術で凍えさせられた体に力が入らなかった。

 

「私たちも難儀よね。見逃してあげてもいいのに、いじめたくって、目障りでしょうがない! こんなにか弱くてみじめで、とてもとても可愛いのに、慈しむことができないわ」

「まこと、我らの心に刻みつけられた本能よなぁ」

 

 魔族たちが笑う。邪悪な笑みではない。

 きっと自分たちが仲間と遊戯に興じて、新底楽しいと笑っている時と同じなのだろう。これは彼らにとって、遊興にふける日常の一コマなのだ。

 

 矢が尽きたのか、先ほどから援護に飛来していた弓使いの攻撃は途切れていた。同じく魔術の援護もだ。魔力が尽きたのだろう。

 あいにくと男の仲間の魔術師は、星幽界から多くの魔力を引き出せるほど優秀ではない。そのためわずかに引き出した魔力と彼自身の魔力が尽きればそこまでだ。

 

「それでは、ごきげんよう。来世は魔族になれるといいな?」

 

 心からの同情の言葉が魔族から贈られ、甲殻に覆われた腕が目前に迫る。きっと親切のつもりなのだろう。一思いに心臓を抉り出そうとしているに違いない。

 

 剣士の男は、目をつむった。

 

 

 

 

 

銀鱗(ぎんりん)の我が僕、その勇壮なる(あぎと)で愚か者の頭蓋をかみ砕け』

 

「!?」

 

 

 

 

 迷いも恐れもない、鮮烈な声が冷たい空気の中で響いた。

 同時に薄ら青い光を帯びた銀色の閃光が走ったかと思うと、目の前にいた甲殻類の肌を有した魔族の頭部が消失していた。さらにもう一度光が走ると、今度は残った体の半分が消失している。

 そんな相手の体をすらっとした足が蹴り倒した。するとようやく残った体の部位が時を刻み始めたのか、頭と半身を欠いた魔族の体は青紫の血液を噴き出す。

 

「はぁん、ざまぁないわね。それにしても、粋がってる奴を一方的に叩きのめすのって気持ちがいいわ」

 

 心底嘲るような表情で言い切ったのは一人の女。

 くすんだ金属を思わせるぱっとしない金髪を肩のあたりで切りそろえ、薄い色合いの碧眼には強い光を宿している。ばさっと鮮やかな赤い外套を翻すさまが、なにやら堂に入っていた。

 見れば女の腕には銀色の鱗をもつ龍が巻き付いており、それは瞬きの間に青い光の粒子となって消える。

 

 何が起こったのか。それを男が認識するよりも、残された魔族が仲間が殺されたことを理解するほうが早かった。

 宝石の翅をもつ女魔族が、なにやら魔術を放とうとする。しかし突如、その姿は美しい白い光に包まれた。

 

『白き慈しみの抱擁よ、彼の者の悪しき心を浄化し……とでも言うと思ったか死ね! 無限光麗輝愛琉聖波(インフィニティラブストリームアタック)!!!! ついでにこの技名考えたやつも死ね!』

 

 白い光は魔族の女を焼き尽くし、後には地面に焼き付いた体の形をした真っ黒な影が残るのみだった。

 ふわっと美しい黒髪をかきあげて、優美な動作で歩いてきてくるのは一人の少女。彼女は腰を抜かしていた仲間の弓使いに手を差し伸べ、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「お怪我はありませんか? 安心してください。もう、大丈夫ですよ」

 

 その声は慈愛に満ち溢れており、聞いた者の心に安心と安寧をもたらす福音だった。

 先ほど聞こえたえらくどすのきいた声は、おそらく戦闘の高ぶりがもたらした幻聴……気のせいだろう。そう思うことにした。

 

「お、おのれ……!」

 

 一瞬で仲間を失い最後に残された獣人型の魔族。あふれ出る怒気と魔力は恐ろしく、呆けていた男を一瞬で現実に引き戻した。「殺される」という現実に。

 黒々とした剛毛は逆立ち、硬質な金属へと変貌する。そして魔族は恐るべき速度でもって、弾けるようにこちらへ突進してきた。

 すくむ体は動かず、剣士の男は肉塊になって飛び散る自分の姿を幻視する。

 

 しかし引き戻されたはずの現実に、再び割り込む幻影。その幻影は曇天の下にも関わらず輝くような金髪を宙に舞わせながら、華奢で小柄な体で魔族と自分たちの間に立ちふさがった。

 さながらその姿は、おとぎ話に出てくる天界に住まうという精霊のようで。

 

「…………」

 

 精霊は何も言葉を発しない。ただ何かが溶けるような地味な音だけが、かろうじて男の耳に届いた。

 そこで初めてサンゴ色の小さな唇が動き言葉を発する。

 

「俺の嫁に近づくなよ」

 

 その直後、どちゃっと水気を含んだ重い音。見れば大きな質量をもつ何かの肉が、無残に溶解して地面の泥と一体化している。それは天使が足で勢いよく踏みつけると、すぐにじゅっと音を立てて消失した。あとには赤紫の禍々しい色の泥が残るのみとなっている。

 それも数度瞬きする間に消え失せ、男はまるで全てが幻だったかのような気分を味わった。

 

 

 男が「助かった」と理解するまで少々時間を要したが、その後帰還した男はすぐに恋人に結婚を申し込み、末永く幸せに暮らしたとかなんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リアトリスさんの魔術はスタイリッシュでかっこいいですねー! 見惚れちゃいました!」

 

 そう言いつつリアトリスの腕に自分の腕を絡め、形の良い胸を押し付けつながら抱きついてくるのは元ルクスエグマの聖女ユリア。

 その屈託のない笑顔とまっすぐな賞賛の言葉に、基本的に褒められることが大好きなリアトリスはまんざらでもなさそうな顔をしている。

 しかし褒められていることは理解したが、聞きなれない言葉に首を傾げる。

 

「すたいりっしゅ?」

「いやん、ひらがな発音可愛い! 洗練されている、って意味ですよー!」

「へえ~、そうなの! なかなかいい響きね。気に入ったわ!」

「えへへー!」

「…………」

 

 きゃいきゃいと戯れる女二人の後方で、とぼとぼとぼとぼ浮かない顔で歩いているのは、一応この世界の三分の一を(不本意とはいえ)手中に収めている腐敗公という大魔物。

 ただし現在は嫁の手違いによる人化の術のせいで、見た目はただの金髪美少女である。

 

 腐朽の大地に残してきた本体に比べてあまりにも小さなその体では、ユリアのように同じ目線でリアトリスにくっつけない。腐敗公ジュンペイはそのことを不満に思いながらも「いや、俺は何を嫉妬なんかしているんだ。女の子同士、仲が良くて結構じゃないか。断ったとはいえユリアだって俺のもとに来た花嫁なわけだし、優しく接しないと」と自分の心に必死に言い聞かせていた。

 

 

 数日前。

 分身体への魔力の補給のため一時帰宅した腐朽の大地で出会った、今年の花嫁もとい生贄であったユリア。その彼女をリアトリスが一緒に来ないかと誘ったのだ。

 身の上話を聞けば同情できるし、この世界に頼れる相手もいない彼女を放っておけないのも理解できる。…………リアトリスがそれを第一の理由にしているかどうかは別として。

 だけどせっかくの二人旅、新婚旅行に何故第三者が? という気持ちもぬぐえなかった。

 ユリアもまたジュンペイの花嫁として嫁がされてきた身だが、ジュンペイはすでに生涯の伴侶を自分に希望をくれたリアトリス一人だけ、と定めている。そのためジュンペイは正式にユリアに離婚を申し込み受け入れてもらった。

 

 よってユリアはジュンペイにとって第三者。他人なのである。

 

 自分のせいで死にかけた彼女に申し訳ない気持ちは抱いているが、やはり嫁と二人きりの新婚旅行は甘いものにしたかった。たとえ自分の姿が男ではなく少女だとしても。

 ……本当はジュンペイだって、ユリアみたいにリアトリスにくっつきたい。

 それが出来ないのは、ここ最近芽生えてきた「格好悪いところを見せたくない」という意地が原因だ。同性相手、しかも自分の元嫁相手に嫉妬だなんてみっともないじゃないか。

 

(でも……でも!! いくら女の子同士だからって、なんであんなにべったりなんだ!)

 

 ユリアは今だけでなく、道行く途中もリアトリスと腕を組むか手をつなぐかのどちらかだ。歩きにくくはないのかと指摘したかったが、なんとも軽快な足取りで歩くものだからそれも出来ない。

 くっつかれる側のリアトリスも、大して苦にしていないようだ。

 

(まあ、懐く気持ちもわかるけど。……ある意味、ユリアも俺と一緒だもんな)

 

 

 

 

 

 

 数日前。リアトリスはユリアにこう言った。

 

『ユリア、私たちと一緒に来なさいよ。そしたらいつか、この天才魔術師リアトリス様が、あなたを元の世界に戻す方法を見つけてあげる!』

 

『出来るのかって? 誰かに出来たことが私に出来ないはずがないし、誰も出来なくても出来ちゃうのが私だもの。呼ぶ術があるのなら、その逆を見つけるなんて私にとっては簡単よ』

 

『だからユリア。それまで私たちに、あなたの力を貸してちょうだい! 理不尽に手に入れさせられた力でも、力は力。使わないのはお金を貯めこむだけ貯め込んで消費しないのと一緒だわ。そんなのもったいないでしょう? 宝の持ち腐れは見逃せないし、私と一緒に居たら腐らせるどころか最上の使い道を教えてあげられる。私はあなたを利用したいし、あなたは私たちを利用するべきよ』

 

『もし、もしもよ? 出来ないはずがないから本当にもしもだけど、貴女が帰れなかったら。それか帰りたくないと言ったら。その時は、私たちと一緒に楽しく最高の人生を過ごしましょう!』

 

『天才魔術師、腐敗公、聖女! 見なさいよ、この布陣。これで幸せになれなかったら嘘だわ! 理不尽なんて私たちならねじ伏せられる。誰にも文句は言わせない。最高に幸せになって、周りをぎゃふんと言わせてやるの!』

 

 

『だからこの手を取りなさい! 一緒に行くわよ聖女ユリア!』

 

 

 手を差し伸べられたのだ。それはジュンペイも同じ。

 だからそれがどんなに嬉しいかなんて、考えなくても理解できる。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

「リアトリスさん。今夜なんですけど、宿がとれたら一緒のベッドで寝てもいいですか? 裏切られたショック……衝撃が強くて、悪夢を見てしまうんです。でも誰かにくっついて体温を感じられたなら、よく寝られると思うの」

「あら、ユリアは図太いようでいて繊細なのね。いいわ、一緒に寝ましょう」

「ちょっと待ったぁ!!」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえ、ジュンペイは今度こそ我慢を捨ててリアトリスとユリアの間に割って入る。

 

「お前、野宿でもぐ~すか寝ていたじゃないか! リアトリスのが先に寝付くからって、嘘ついて! 俺は睡眠が必要ないから、知ってるんだぞ!」

「あら、嘘つき呼ばわりなんて酷いわ。それにお前だなんて失礼な呼び方やめてくれます?」

 

 いけしゃあしゃあ。そんな表現がぴったりなユリアの態度に、ジュンペイは顔を引きつらせる。

 

 先ほどたまたま遭遇した魔族を、人が襲われていたのもあって道行きがてら倒したのだが……。

 自分やリアトリスはともかく、この女もまた顔色一つ変えずに魔族を殺してみせたのだ。異形の体を持つとはいえ人の形に近い魔族を殺すことに、なんの躊躇もみられなかった。

 魔王を倒すために呼ばれた聖女だとは聞いていたが、まさかあんなに直接的に攻撃して倒すとは予想外だ。

 勝手な想像ではあるが、聖女というからには聖なる力で後方支援でもしていたのだろうと考えていたのに。……実際は魔法頼りとはいえ、ごりごりの武闘派だった。神経も図太い。

 …………これはジュンペイの勘なのだが、間違ってもこの女をリアトリスと二人で寝かせてはいけない。そんな気がした。

 

 恩人とはいえ、会って間もない相手への親愛にしては行き過ぎている好意。

 ユリアは信じていた男たちに裏切られているのだから、もう男なんて信じられないと思っていてもおかしくない。

 そういえば先ほど助けた冒険者たちも、女性にだけ手を差し伸べてあと二人の男は完全に無視していた。

 ……となれば、具体的にそれが何かと聞かれたら経験に乏しいジュンペイにはわからないものの、多分リアトリスに距離を詰めさせてはいけない相手なのだ。このユリアという女は。

 

(それに)

 

 単純に居場所を取られるのが、気に食わない!

 

「ここ数日我慢してたけど、リアトリスと一緒に寝るのは俺! 隣を歩くのは譲ってやってもいいけど、こっちはダメだ! ぜっっっったいに、ダメ!」

「なんですって!? 本当ですかリアトリスさん!」

「んー? ええ、本当よ。だってこの子ったら抱き心地いいんだもの」

 

 それを聞くなりユリアはチラッとジュンペイを見下ろし、リアトリスに聞こえない音量で言った。「なんだ抱き枕か」と。

 ジュンペイにとって何故かそれは非常に屈辱的な響きを伴っていて、思わずユリアを睨む。ユリアもまた、強い視線を返してきた。

 

 

 それに気づいたリアトリスは、ふふっと笑ってぼそりと言葉をこぼした。

 

「ちょっと、たぶらかしすぎたかしら……」

 

 

 新たな仲間を加えての彼らの旅路は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明かりがより多く取り込めるようにと、大きな一枚硝子を用いられた窓。そこからはアルガサルタの青い海が一望出来、机に向かっていた男は毎日の光景ながらその美しさに感嘆の息をついた。

 書類仕事は苦ではないが、この光景にはいつも心癒されているのだ。……この光景以上に心癒すものがあるにはあるが、それはいつでも見ること叶わぬ贅沢品。

 ならば今はこの景色に感謝し、我慢しよう。

 

「殿下、失礼いたします」

 

 ふいに扉からノックが聞こえ、入室許可を告げると狐目の男が入ってきた。

 

「……ああ、君かヘンデル。例の件?」

「ええ。銀麗(ぎんれい)のリアトリス、やはり生きていたようです」

 

 それを聞くなり、殿下と呼ばれた男の切れ長の目がネズミを見つけた猫のような色を帯びた。

 

「ほお、そうか。ならば土産も期待できるかな? あの女が手ぶらで戻ってくるなどありえまい」

「さあ、そこまでは……。でも、間抜けですよね。自分の二つ名の由来になってる魔術を大っぴらに使うなんて」

「そうとも言えんさ。たとえ追っ手を差し向けられても、どうにかできる自信があるんだろう。その根拠に興味はないか?」

 

 形の良い耳を飾る紫水晶の耳飾りをいじりながら、殿下と呼ばれた男はうっそりと笑う。

 

 

「あれは面白かったから、また私を楽しませてくれることを期待しよう」

 

 

 

 

 



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13話 目指せ魔術師の館! 最初の難関 ★

「ほうら、これの頂上が目的地よー」

「マジで?」

「マジですか」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ほぼ同時にリアトリスを見て、ほぼ同じ言葉を発した二人。……ジュンペイとユリアを見て、実はこの二人仲いいのでは? と、リアトリスはいぶかしんだ。

 

 

 

 三人で旅をするようになってから数日。

 ジュンペイを腐敗公と知ってもユリアは物おじしないどころか、リアトリスが彼女に妙に懐かれてしまったために夫であるジュンペイと喧嘩までする始末。

 ……といっても精神面で優位に立っているのは、素直なジュンペイではなくたおやかながら(したた)かなユリアのようで。喧嘩というよりジュンペイが嫉妬してユリアに噛みついて、それをユリアがいいようにあしらっている、というのが正しい。

 

(まあ、それは二人とも私が好きだからって事よね! 結構結構!)

 

 まったくそのようには見えないが、方や世界の三分の一を手中に収める最強の魔物。方や魔族の王の討伐に多大な成果を上げたという異世界から召喚された聖女様。……その両方が自分に好意を向けているのだから、リアトリスにしてみればにんまり笑いたくもなるというものである。

 これから築く幸せ未来において純粋な力はともかくとして、精神的頂上に君臨するのはどうやら自分のようだ。

 

 ユリアに関しては「恩人」と「元の世界に帰してくれるかもしれない相手」という以上の認識をリアトリスに向けつつあるが、その"愛情"に関して一過性のものだろうとリアトリスはあまり気にしていない。

 若いころはそういった錯覚がよくあるものだ。……リアトリスとて遊びも恋もほとんど無かった灰色の学生時代を送る中で、ほんのひと時なら恋心に浮かれたことだってあるのだ。理解は出来る。

 

 まあもしその感情が本物になったらなったで問題ない。

 可愛い可愛い自分の理想とする娘の姿になったジュンペイを、すでに夫として受け入れているのだ。自分とてもともと恋愛に関して男性不信気味になっているところがあるのだし、いっそ恋愛対象を女の子に切り替えてしまってもいいかもしれない。そうなれば彼女たちの未来ごと、まとめて面倒見てやろうくらいの気持ちだ。

 

(でも、そうなるとジュンペイが怒るか。この子素直で一途だし、重婚とか絶対嫌がるものね。というかまず、それを気にしてわざわざユリアに離婚を申し出ていたし)

 

 ちらと見降ろした先の甘いはちみつを連想する黄金色(こがねいろ)のつむじ。

 リアトリスは無言でその頭を撫でまわした。

 

「わ!? な、なに?」

「いやぁ、今日も可愛いなーと」

「リアトリスさん! 私も可愛いので撫でてください!」

「はいはい。ユリアもかわいい、かわいい」

「わぁい!」

「! 俺も! 俺ももっと撫でて!」

(…………う~ん、でも今のところ子猫や子犬だわこの子たち……。あー可愛い)

 

 競うようにして自己主張をしてくる二人を前に、リアトリスはだらしなく顔を緩ませた。

 仕事で気を張る必要がなくなってからは、わりと表情豊かになった彼女はそれをあまり自覚していない。

 

 

 

「と、じゃれている場合じゃなかったわ。さてと、ここを上るわよー」

 

 つい遊んでしまったが、今三人の目の前で天に向かってそびえている……まるで塔のように長細い岩山の崖を、これから登らなければならないのだ。このままのんびりしていたら日が暮れてしまう。

 

(まあ日が暮れるのは想定内っていうか……数日はかかるかな)

 

 現在の場所は、アルガサルタの海から離れ内陸に進んだ先にある山岳地帯。渓谷を流れる川にそって進み、たどり着いたのがこの場所である。

 一見華奢で繊細なユリアがついてこられるか心配だったが、流石に腐朽の大地で生き延びていただけあって彼女は逞しかった。聞けば回復魔術の応用で体力に関しては問題ないというのだから頼もしい。

 

「凄い場所ですけど……魔法使いの住居っていうなら、納得ですねぇ。人目を避けた秘境で暮らす、かつて栄華を誇った大魔法使い……。うんうん、いいですね! 雰囲気出てきました!」

「魔法使いじゃなくて、元宮廷魔術師長ね。いえね、でもそんな経歴なのにこんな場所に住んでる物好きは師匠くらいよ」

「そうなんですか?」

「ええ。秘境に住むにしたって、こんな不便な場所に住む奴なんてそう居ないわ。少なくとも私なら、隠居場所にはもっと便利な場所を選ぶわね。もし煩わしい手合いが来たら、全部結界で追い出せばいいんだもの」

 

 そう言って改めて岩山を見上げる。周囲に山はあるものの、何故かその岩山の周囲にだけは遮蔽物が無い。ぽっかり切り取ったような青空の中、赤茶色の岩肌が天を突いていた。

 その標高は非常に高いようで、上の方が霞がかっており下からではその頂上も見えはしない。

 

「ここにリアトリスの先生が……」

 

 ジュンペイの言葉に頷いたリアトリスは、改めて二人に説明する。

 

「もう一度言うけど、ここに住まわれているアリアデス・サリアフェンデ様は私のお師匠様。私を魔術師として認めてくださった時に家名をくださった、後見人かつ父のような方でもあるの。くれぐれも失礼のないように」

 

 いつも自信満々なリアトリスにしては珍しくしおらしい態度に、ジュンペイとユリアは顔を見合わせた。

 

「リアトリスさんは、その方を尊敬しているんですね」

「まあねー。立派な方よ」

「なあ、家名って人にもらえるものなの?」

「私はもともと家名があるほどの身分じゃなかったからね。でも、自分の家名を与えるって例は少ないわ。それだけ私もアリアデス様にとって素晴らしい弟子ってことだけどね! ほほっ!」

 

 胸を張って嬉しそうに言うリアトリス。そこに若干の嫉妬を覚えつつも、相手は父のような相手だというじゃないかとジュンペイは自分を納得させた。

 そしてあらためて天にそびえる岩山を見上げ、リアトリスに訪ねる。

 

「それで、この岩山はいつもの術で登るのか?」

 

 いつもの術。それはジュンペイとリアトリスが腐朽の大地を出る際に使用している、この一年でリアトリスが新たに作った術のことなのだが……。

 

「いいえ」

 

 それをあっさり否定したリアトリスは、なんでもないかのように言った。

 

「上るのよ? 素手で」

 

 

 

 

 

 

 

「あわあぁぁあ! た、高い。高いですよリアトリスさん!」

「そう、ね……! 久しぶりだと、なかなかきついわ……!」

 

 リアトリスは背中にしがみつくユリアに応えつつも、額にわずかに汗を浮かべて次の岩肌に手を伸ばす。

 現在彼らは件の岩山を上っていた。リアトリスが言ったように、素手で。

 

「あの、やっぱり私下で待っていた方がよかったのでは……?」

 

 さすがに岩山を素手でよじ登るのは不可能と判断したユリアは、最初は自分は下で待っていると申し出た。しかしリアトリスはそれに待ったをかけて、自分が彼女を背負って上ると言い出したのである。

 

「いいの、いいの。これも魔術の修行だから……ああジュンペイ! そこは水属性を選択しないと弾かれるわよ!」

『え? ぎゃああああああ!』

 

 愛らしい少女でなく小さいながら本来の腐敗公としての姿に戻り、ナメクジが壁を這うようにして岩肌を上へ上へと進んでいたジュンペイ。だがある個所に手……ではなく触手を伸ばした途端、何か大きな手で叩き飛ばされたかのように宙へ身を躍らせた。

 リアトリスはため息をつきながら体をひねると、粘体と化しているジュンペイに片足を伸ばしてその体を受け止める。

 

「ぐ!? さ、さすがにこの体勢は無理があるわ……! じゅ、ジュンペイ! 早く壁に戻りなさい!」

『わ、わかった。ありがとう……』

 

 礼を言ってから、ぬとぬととした動きでリアトリスの足を這って壁に戻るジュンペイ。

 ちなみにこのやり取りはすでに十回を超えている。

 

『それにしても、なんて体で覚えろ系の修行……! さすがリアトリスのお師匠様……』

「ちょっとー。聞き捨てならないわね。私が懇切丁寧に授業してあげたこと、わすれたの? まあこれからこの類の修行が増えることは否定しないけど」

『増えるんだ……』

 

 単眼の魔物は表情が伺いにくい姿でありながら、傍目に肩を落としたと分かる動きをする。それをユリアは興味深そうに眺めていた。

 ……最初は人化の術を施された状態で、ジュンペイもこの岩登りに挑戦したのだ。しかし今の彼ではあまりにも『岩山の難易度』が厳しかったため、せめて動かしなれた形態で、ということになりこの姿を晒したわけである。

 

「それにしても、いざ見てみると人間時とのギャップがすごいですねぇジュンペイくん」

『何を今さら。腐朽の大地で休眠中の俺の本体見ただろ?』

「でも、こうして動いているところを見るとまた違いますよ。これで結界を解いてしまえばすさまじく臭くて、なんでも腐らせてしまうんでしょう? 改めてリアトリスさんの度胸に感服しますわ……。最初こそ不本意とはいえ、よく改めて嫁になろうって思えましたね。」

『ぐっ』

 

 五百年以上この体が原因で独りぼっちで過ごしてきただけに、ジュンペイは何も言いかえせなかった。ユリアが言った認識こそが正しく、事実その件に関しては嫁であるリアトリスにすでに散々言われている。

 ……もとの姿のままでは、きっと誰も愛してくれない。

 

「んー、でもこの子って素直で性格はいいからね。見た目だけなら些末な問題よ。だって稀代の天才魔術師であるこの私が妻なんだもの!」

『そのわりに人化には失敗されたけどな……』

「う、うるさいわね。だからこそ、あんたが自力で私の理想の旦那様になれるよう修行つけてるんじゃない。…………まあ私としては魔力の使い方さえ覚えてくれたら、姿はそのままでいいんだけど」

『最後!! ぼそっと言わない!! 俺は嫌なの!』

「ええ~」

『ええ~じゃない! いい? 俺、ちゃんとかっこいい男の姿になるから! でもってリアトリスはその時俺に惚れ直すといいよ! フンだ!』

 

 頼りになるが信用できない嫁にしっかり釘を刺すと、ジュンペイは気を取り直して岩肌に目を向けた。

 

 

 この場所……元宮廷魔術師長であるアリアデスの住居があるというこの山は、ただの岩山ではなかったりする。この山そのものが魔術の修行の一環なのだ。

 掴む岩肌全てに魔術が施されており、その魔術に適した属性の魔力を流さねばならない……魔力の支流を選び取る修行だ。適していれば多少体力に自信があれば女性でもこの岩山を上れるし、逆に適していなければ不正解とばかりに弾かれ叩き落される仕様である。

 

「弟子選抜の時、ここでオヌマを蹴落としたのが懐かしいわ……」

『蹴落としたって、比喩じゃなくて文字通りの意味だったんだな……』

 

 しみじみと語るリアトリスに、ジュンペイは集中しながらも突っ込まずにはいられない。脳裏をよぎった無精ひげの気のいい男は、想像の中でくしゃみをしていた。

 

「さて、ジュンペイ。せっかくなんだし、これを上る過程で少しでも魔術の扱い方……属性の選別を覚えなさい。ここまで助けてあげたけど、あんた落ちても死なないからこの先は落ちても助けないからそのつもりでね」

『半分以上登ったところでそれは鬼だね!?』

「何か文句でも? できないの? 私だってユリアを背負って上るという枷を自分にかしているっていうのに」

「あれ、リアトリスさん。もしかして私って重石代わりです?」

『! 無いです先生……』

「うんうん、よろしい!」

「ねえ、リアトリスさん!?」

 

 

 

 こうしてジュンペイが落ちては登りを繰り返し、途中で崖下まで戻って何度か野宿を挟んだのち……。

 やっと山頂にある魔術師の館にたどり着いたのは、登山開始から五日後のことであった。

 

 

 

 

 

 



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14話 出会いがしらのラリアット ★

 天を衝くがごとき岩山の山頂。地上の春の陽気に反し寒風吹きすさぶその場所で、殺風景な背景に対し不釣り合いに思えるほどの立派な館が鎮座していた。

 色合いこそ白亜と鉄色を基調にした地味なものであったが、館を形作る装飾の数々は非常に繊細だ。もし見る者が見れば、それらの装飾が全て魔術の術式に使用されるものだと気づいただろう。そこは紛れもなく、堅牢なる魔術師の館だった。

 館から一本突き出たようになっている塔の先端……三角屋根の頭頂部に飾られている、筋骨隆々の男性像らしきものの趣味は、それを見上げていたユリアにはよくわからなかったが。

 

「立派なお屋敷ですねぇ……。それにあの像、趣味はともかくまるで生きているみたい」

「つ、疲れた……。精神的に……」

 

 心底感心したとばかりに館を見上げるユリアに対し、無限ともいえる魔力と体力を有するはずの腐敗公ジュンペイの表情には疲労が色濃くにじみ出ていた。それはここ五日ほど繰り広げられた、一見とても魔術の修行には思えない山登りに起因するものである。

 しかしジュンペイを隣で指導しながら同じくらい山登りを続けたリアトリスはといえば、まるで疲れていない様子だ。

 途中からリアトリスが背負っていたユリアだけジュンペイが山を登り切れるまで下で待機するようになったのだが、十六歳の少女一人分の重りが無くなったとはいえ、その体力は尋常なものではない。

 

「リアトリスはよく平気だね……」

「私はあんたの先生よ? 先生が一緒にへばっててどうするのよ」

「それは、そうだけど」

 

 納得いかない様子のジュンペイに、リアトリスは山頂の寒風にくしゃみをしたユリアに自分の外套を着せつつ答える。

 

「まあ……これについては慣れよ、慣れ。修行時代は朝夜これを繰り返したんだもの」

「朝夜!? よく平気だったね!? 人間の常識に疎くたって、それがすごいことだってのはわかるよ!?」

「ジュンペイくんは打てば響くようないいツッコミしますよねぇ。これは逸材! あ、リアトリスさんごめんなさい、マント……」

「いいのよ。……魔術で保護してるとはいえ、ユリアの装備も整えてから来るんだったわね。次に町へ行ったらお買い物しましょうか」

「いいんですか!? やったー!」

「喜ぶのはいいけど俺の驚きにもう少し注目して!」

 

 現在のユリアの衣装は彼女が着ていた花嫁衣裳から装飾品の類をはずしたものなのだが、肩がむき出しになっているため傍目に見ても寒々しい。彼女は自分で習得している聖女としての能力……魔術によって外気温の変化から身を守っていたが、さすがにそのままでは頂けないとリアトリスも判断したようだ。

 ジュンペイは自分の感じた驚愕を軽く流されたことに再度突っ込んだが、ユリアの現状の装備については彼としても気になっていた。なにしろ離婚した相手が未だ花嫁衣裳なのだから、どうにも居心地が悪い。

 今の彼の花嫁は、リアトリスただ一人である。

 

「ちょっとお金に余裕が無かったから、そのままでいいって言ってくれたユリアに甘えてしまったわね。来る途中で助けた冒険者から多少の謝礼金も頂いたことだし、うまくすれば師匠からもせびれるかもしれないわ。だから楽しみにしてなさい! 私がとびっきり可愛い服を選んであげるわ!」

「リアトリスさんが? わあ、嬉し」

「それはやめておいた方がいい」

 

 喜ぶユリアの袖をひっぱり、ジュンペイが待ったをかける。

 

「やめておいた方がいい」

 

 二人が何か言う前に、繰り返してもう一言。

 ユリアはその抜群の洞察力で、なんとなく彼の言わんとするところを察した。

 

「…………ではリアトリスさん、さっそくリアトリスさんのお師匠様を訪ねましょう! どんなお方なのか、私わくわくしちゃいます!」

「あの、ユリア。私が選ぶ服は別にそんなに変じゃ……」

「あ、呼び鈴的なのはこれですか? 鳴らしちゃいますね! こんにちはー!」

「こんにちはー!」

 

 おずおずと手を伸ばしたリアトリスをさえぎって、ユリアは扉の横に備えられた小さな鐘のようなものを鳴らす。ジュンペイもそれに便乗したため、のばされた手は宙をさ迷った。彼女が珍しく「……そんなにこの間の服変だったかしら」と肩を落としていたことを、扉に注目していた二人は知らない。

 ユリアが手にかけた小さな鐘は青みがかったガラスのような素材だったが、音もまた透明感のある美しいものだった。しかも音が鳴ると同時に燐光がはじけ、鐘を中心に七色の光の波紋がうかぶ。

 

「きれい……」

「魔術の光って、綺麗だよな……」

 

 その光にジュンペイとユリアが見惚れていると、リアトリスは扉の向こうから近づいてくる懐かしい気配にぴくりと反応した。

 

「はいはいは~い。どちらさまですかぁ~?」

 

 柔らかくどこか間延びした女性の声。それは重厚な鉄色の扉がわずかに開いた向こう側から聞こえ、リアトリスはパッと表情を明るくさせた。

 

「シンシア!」

「あれ? あれあれあれ? この声はまさか、わたくししか友達の居ないリーアちゃん?」

 

 笑顔が一瞬で憮然としたものに変わった。

 

「相変わらず悪意なくそういう事言うわよね……」

 

 扉の陰から現れたのは穏やかな笑みを浮かべる、リアトリスと同じ年ごろの女性。表情も物腰も柔らかく、輪郭を覆うふんわりとした赤紫色の髪の毛も相まって非常に優し気な印象をうける。残りの髪の毛はきっちりと後頭部にまとめられており、皺ひとつない衣服から清潔感も感じられる。ただその物腰と簡素ながらさりげなく見事な刺繍が施され良い生地が使われた衣服を見るに、使用人などではなさそうだ。

 

 だらしない無精ひげ男、という第一印象のオヌマとは全く違ったリアトリスの知り合いに、とりあえずジュンペイは素直な感想を述べた。

 

「リアトリス、オヌマ以外にも友達居たんだな」

「オヌマは友達じゃなくて腐れ縁だから」

「あの下半身にだらしない男はリーアちゃんの友達ではありませんよ~」

「そ、そうなのか」

 

 二人同時に友達認定を否定されたオヌマを若干憐れみながらも、ジュンペイはとりあえずそれを流すことにする。まずはこの相手の事を知りたい。

 

「ええと、リアトリス。この人は?」

「シンシア・サリアフェンデ。アリアデス様の孫で、私が魔術学校に通っていた時の同級生でもあるわ」

「ふふっ、はじめまして~。………………………………ああ!」

「どうしたの?」

 

 穏やかに挨拶をしたシンシアだったが、笑みによって細められていた目を突然大きく見開くと口に両の掌を添えて驚愕の声をあげる。

 

「リーアちゃん、死んじゃったのでは?」

「あ……うん。それね」

「なんというか、のんびりした方ですねぇ」

「だなぁ……」

 

 どこか一拍遅れの反応に、初対面であるジュンペイとユリアはなんとなく女性……シンシアの性格を察した。

 

「それも含めて説明するから、まず中に入ってもいいかしら。師匠にご挨拶を……」

 

 リアトリスが言いかけて、途中で口と体を硬直させた。

 

 直後。

 ……リアトリスの背後、扉の反対側で何やら重量感と質量感を伴った重々しい音が響いた。まるで天から鉛でも落ちてきたような、そんな音だ。

 それは風圧と衝撃波をも巻き起こし、背を向けるリアトリスの髪を煽りうなじをあらわにさせる。振り向かないままのリアトリスと違い、ユリアとジュンペイの視線はその"上から降ってきた"ものに釘づけとなった。

 硬い岩山の地面をわずかにへこませ、もうもうと立ち昇る砂煙の中心。……否、立ち昇っているのは砂煙だけではない。肉体から発せられる蒸気がまるで可視化された生命力のごとく、その者の体を覆っていた。

 隆起する筋肉。肌の色は浅黒く、うねりの強い白髪は後ろで一つにまとめられている。

 

「おじい様でしたら、塔の上で鍛錬なさっていたはずですよ~」

 

 明らかに遅いであろう台詞を述べてから、「あ、ほら!」とまたもや一拍遅れで外……落ちてきた"者"を指し示すシンシア。

 

(おじいさま……?)

(リアトリスの師匠……え、魔術師……?)

 

 その体型に加え、下履きのみを身に着け上半身をむき出しにした姿に困惑するジュンペイとユリア。

 よくよく見れば何やら体の各所に刺青が掘られており、魔術師というよりも密林に住む部族の戦士とでも言われた方が納得できる風貌だ。

 そして呆けている二人の横を……風が通り過ぎた。

 

「おぐぅ!?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 先ほどまであれだけ存在感を誇示していた男の姿がかき消え、残像を見ていたことに気付いたユリアとジュンペイは急いで振り返る。その視線の先には筋骨たくましく子供の胴体ほどに太い腕に首をえぐるようにもっていかれ、屋敷の中に吹き飛ばされるリアトリスの姿。

 ちなみにシンシアはといえば、いつの間にかジュンペイとユリアの横に移動していた。無残に破壊された扉を見ても、あらあらと言わんばかりに頬に手を添えて穏やかな笑みを浮かべている。

 そして屋敷内に吹き飛ばされ、立派な絵画を額縁ごと割りながら壁に激突し床にずり落ちたリアトリス。……が、彼女はすぐに起き上がって次の一撃に備えた。

 その判断は正しく、構えた彼女の眼前にはすでに拳が迫っている。それを転がるようにして避ければお次に襲い来るのは踵。リアトリスは今度は避けるのではなく、自身も足を繰り出しで上に弾くようにして攻撃を防ぐ。

 だがその際に服のすそに足をひっかけ、わずかに動きが鈍る。……相手はそれを見逃さず、拳をリアトリスの腹に叩き込んで彼女が怯んだ隙に頭を掴んで持ち上げた。

 

「馬鹿者。だから無駄に面積のある服など邪魔だというのだ。最低限局部を覆う布さえあれば良い」

「あ……ぐぅ……。し、ししょう……あの、あたま持つのはやめて……」

 

 蚊の鳴くような声で主張するリアトリスだったが、次の瞬間最大限に声を張り上げた。

 

「ジュンペイ! やめなさい!」

「む」

 

 リアトリスを掴んでいた男……白髪の老人は自身に伸びていた小さな手を最低限の動きをもってかわす。直感でそれが脅威であると察したのだ。

 そして手に掴んでいた弟子を放り投げたのちに横抱きにすると、長身の老人に対してあまりにも小さな存在を見下ろした。

 

「どうしたのかね? お嬢さん」

「俺の嫁になにをする。その手を放せ!」

 

 甲高い声で噛みついてくる小さな人影……愛らしい顔立ちに似つかわしくない怒りに満ちた形相を浮かべた少女の言葉に、老人は「うん?」と首を傾げた。

 

「耳が遠くなったか……。僕も年だな」

「俺の! 嫁を! 放せ! 溶かすぞ!!」

「…………ふむ」

 

 聞き間違いで流そうとした内容をわざわざ分かりやすく区切って再度主張され、老人はひとつ頷くと横抱きにしていたリアトリスの向きを反転させた。そしてそれを筋肉で盛り上がった鋼のごとき腿で支え、突き出されるような形になった尻に強烈な一撃が見舞われる。

 

 

「いとけない少女をかどわかすとは、それでもこのアリアデスの弟子か!! 恥を知れ!」

「違くないけどちがぁぁぁぁぁぁう! いったぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 大の大人が尻を叩かれる。そのあまりにあまりな光景に、一瞬怒りを忘れて呆けるジュンペイの肩をシンシアが両手でそっとおさえた。

 

「心配しなくてもだいじょうぶですよ~。あれがおじい様なりの愛情表現ですから~」

「え……あ……はい……?」

 

 間延びした声に逸りかけていた心に妙な間が生まれ、曖昧に頷いたジュンペイ。あとから壊れた扉を通って追ってきたユリアに至っては「肉体言語による弟子との語り合い……。なるほど、そういうパターンですか!」と妙に嬉しそうに納得してるしで、ついにはこの場でおかしいのは自分なのだろうか? と思い始める始末である。

 そしてジュンペイが怒りを向けていた相手であるが、叩かれた尻を抑えて唸り声をあげるリアトリスを床に下すと改めてジュンペイに向き直った。更には床に膝を付き、ジュンペイの目線に合わせてくる。

 

「お初にお目にかかる。僕はアリアデス・サリアフェンデ。その子……リーアの師を務めていた者だが、君の名を窺っても良いかな?」

 

 武骨な外見に似合わない柔らかな笑みを浮かべて問われ、ジュンペイはただただ戸惑いながら……愛しい嫁がつけてくれた名前を口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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15話 元宮廷魔術師長アリアデス ★

「初対面で恥ずかしいところを見せてしまったね。死んだと思っていた弟子が腑抜けた面でやってきたものだから、衰えていないか力試しをしたくなったのだよ」

「そ、そうですか……」

 

 魔術師の力試しが肉弾戦でよいのだろうか。そうは思ったが、ここにたどり着くまでの修行を思い出し「きっと自分に分からないだけで、あれにも魔術が応用されているんだろう」とジュンペイは自分を納得させた。

 

(そういえば俺と戦った時も、リアトリスよく動いてたもんな……)

 

 それこそ初対面時、失礼を通り越して自分を真っ向から倒そうとしていた嫁の猛攻を思い出す。

 あの時も操る魔術の多彩さに加え、それらをあらゆる角度から打ち込んできていた。更にはそのあと人間の足では歩きにくい腐朽の大地を、途中までは自らの足で進んでいたわけだが……。この老人とのやり取りを見れば、それも納得できる気がした。鍛えられているわけだ。

 それにしても対面に座られているだけでも筋肉が発する圧が凄い。ちゃっかり離れた位置に陣取ったユリアがうらやましかった。

 ちなみにリアトリスであるが、不満げな顔で彼女の師匠……アリアデスの老人とは思えない肉体に手を添えて、肩を揉んでいる。

 

「泣いて喜んで生還を感動してくれる知り合いが一人もいないわ……」

「ふふっ。それはリーアちゃんがそう簡単に死ぬと思ってないからよ~」

 

 人数分の茶を用意し各人の前に置いていくアリアデスの孫、シンシアはそう言ってクスクスと笑う。

 ちなみに広い屋敷であるが、住んでいるのはこの二人だけのようだ。今のところ使用人らしき人影は目にしていない。

 

「ところでジュンペイくん……と言ったかな。いや、"くん"だなどと失礼か」

「いや、別にいいけど……いいですよ」

「ではお言葉に甘えさせていただくが……。腐敗公であらせられる君だが、本当にこの子が嫁でいいのかい?」

 

 先ほどリアトリスがジュンペイの事を軽く紹介した際に、ジュンペイが腐敗公であることも告げていた。

 軽い紹介で話す内容ではないとは思ったが、あっさり納得されたどころか「本当にお前が腐敗公か」と問われる前に、嫁に関して質問されるのも予想外である。……しかし今の口ぶりからして、彼はジュンペイが腐敗公だということ自体は疑っていないようだ。

 今まで散々恐れられてきただけに、外へ出てからの周りの反応に戸惑いっぱなしである。リアトリスの知り合いが特殊なのか、それともやはり見た目なのだろうかと、ジュンペイは多少憂鬱な気分を味わう。

 が、アリアデスの問いにははっきりと答えた。

 

「もちろん」

「本当に? この子は君を利用する気だ。世界最強と言っても過言ではない君を、人化という餌で釣って好意を向けさせている。そこに愛はあるのかね」

「ちょっと師匠。ろくすっぽ話さないうちに、なにをいきなり……」

「なんというか、いきなり問いかけがヘヴィーですね」

 

 リアトリスが文句を言いユリアが軽口を叩くが、アリアデスは答えずジュンペイだけをまっすぐに見ている。ジュンペイもまた、これは目をそらしてはいけない場面だと察しその薄い紫色の瞳を見返した。

 

「感謝と依存、愛情をはき違えてはいないか」

 

 更に言葉を重ねたアリアデスに対し、ジュンペイは答えを紡ぐ。

 

「……その感情が全部、混ざっていることは否定しない。だけど俺にとってリアトリスは一緒に幸せになろうって、手を取ってくれた相手です。俺はそれが嬉しかったし、幸せだと思った。利用するならすればいい。リアトリスも俺に自分を利用しろと言った。…………でも俺がリアトリスを好きだと思ったこの感情に偽りはない。もしリアトリスの方にその気が無くったって、いずれ振り向かせるし惚れさせてみせる」

「まあ」

 

 ジュンペイの言葉にシンシアが口に手を添えて嬉しそうな声をあげ「素敵な旦那様ですね」とリアトリスに言葉をむけた。リアトリスはそれに対し「段々と言葉の幅が広がって情熱的になっていくわねあの子……」と、嬉しいような複雑なような微妙な反応である。

 

(ジュンペイに言ったことに偽りはないけれど……。あの子の想いに、私は同じだけの熱量で応えてあげられるのかしら。あの子の事は大事だし可愛いし、これからも大切にするつもりだけれど……)

 

 ふとそんな考えが過る。そしてその心を見透かされるように、老爺の鷹のように鋭い視線が振り返り際に居抜いてきた。それに対し心臓が跳ねる。

 アリアデスはすぐにリアトリスから視線を外しジュンペイに向き直った。が、やはりこの師には未だ頭が上がりそうにないと再確認させられる。言葉にせずとも「よく考えろ」と釘を刺されたようだ。

 

「…………いや、申し訳ない。試すようなことを言った」

「いえ! アリアデスさんはリアトリスのお父さんみたいな存在でもあるんですよね? なら娘の婿に色々聞くのは間違ってないです!」

 

 熱心に「婿」を強調するジュンペイだったが、今さらになって先ほど口にした言葉が恥ずかしくなったのか、嫁に視線をちらちらと送りながら顔を赤らめてもじもじとし始める。

 その姿は非常に愛らしく、リアトリスはすぐにでも抱きしめたくなった。…………が、それはやはり夫へ、異性へ向ける感情というよりも……。

 

(あああああ! 私の娘、かっわいぃ~~~~! 違うって分かってるけど、かっわいぃぃぃぃぃ!)

 

 たった今師に釘を刺されたばかりだというのに、心を満たすのはそんな感情の乱舞である。

 

(でも、だって! 本当にあの子、ただでさえ理想の見た目なのに、中身まで可愛いとか! もう!)

 

 ちなみにジュンペイの見た目であるが、ぱっとしない金髪と彩度の低いこれまたパッとしない碧眼を持つリアトリスにとって何もかもが理想なのだ。ぱさついたリアトリスの比較的短い髪と違い、豊かにうねるはちみつのような黄金の髪に、宝石もかくやといわんばかりの煌めく碧眼。きつく人を寄せ付けない顔立ちと違って、甘く柔らかな美貌。

 理想と言っても自分がそうなりたいとは思わないが、「理想の娘」としては完璧なのだ。

 

「……なるほど。彼の見た目はお前が原因だな?」

「ふぇ!? あ、あの、師匠! そうやって喋る前にすぐ察するのやめてくれません……!? 私まだ何も言ってな……」

「ああ、では存分に語り合おうではないか。よく話を聞かせてくれ」

 

 言うなり、アリアデスはリアトリスの首根っこを猫でも運ぶように掴んで持ち上げた。

 

「時間がもったいないからな。二人きりで、鍛錬しながら話そうではないか。……シンシア、僕はリアトリスと話しているから、彼らを客室へ案内なさい。疲れているだろうから、お二方からはあとで話を伺おう」

「ちょ、ちょっと待ってください師匠! 私だって疲れて……」

「何?」

「ひう!」

 

 ぎろりと鋭い眼光に睨まれすくみ上ったリアトリスを見て、ジュンペイは知らず「お義父さんかっこいいな……俺もいつか、あんな筋肉の雄々しい体に……」とつぶやいていた。

 ユリアは久しぶりにまともな場所で休めそうだということに歓喜し、リアトリスについては両手を体の前で組んで「ご武運を……」と笑顔で述べていた。薄情かつ現金である。

 

「見た様子、お前の体に疲労はたまっていない。魔力の体内循環の精度は以前より上がっているようだな。素晴らしい。……だからこそ今の実力を確かめたいという、師の申し出を断るのか?」

「そ、そんな。まっさかぁ~」

「うむ。では行くぞ。何もない館ですが、お二人はごゆるりと休まれよ」

「は~い! ありがとうございます! リアトリスさん頑張ってくださいね!」

「ごめん、リアトリス。頑張って」

「リーアちゃんの部屋も準備しておきますね~」

 

 自分に好意を向けてくれている二人と友人に見放され、リアトリスは陸に打ち上げられた魚類のような顔で、アリアデスに何処かへと連れ去られていった。

 

 その後しばらく……館のどこからか、激しく打ち合っているような打撃音が響いてきたという。

 

 

 

 

 

 

「わぁ、素敵なお部屋ですね!」

 

 案内された客室でユリアは歓声をあげてはしゃぎまわる。彼女がこの世界にやってきてから過ごしてきた「聖女様」待遇の部屋も素晴らしいものだったが、そことはまた趣が違う。

 いかにも年頃の少女に媚を売るような、今思えば胸焼けするような甘々とした調度品に囲まれていた部屋と違い……アリアデスの館の客室は、不思議な形の家具や飾りこそ多いものの、温かみのある内装となっていた。

 

「ふふ、ありがとうございます~」

「この館ってずいぶん広いですけど、使用人さんとかは居ないんですか? このお部屋とかさっきの応接間、綺麗にされてますけど」

「たしかに……。でも俺が感じる限り、この屋敷に他に人間は居なさそうだぞ。動物っぽいのはちょこちょこ居るけど」

 

 ユリアが抱いていた素朴な疑問に、同じく気になったのかジュンペイも不思議そうにつぶやいた。

 さらっと魔術が施された館内の生物の気配探知を行われたことにシンシアは少々肝を冷やしたが、すでに相手の正体を知っていればこそ、抱くのは恐怖ではなく納得と尊敬だ。

 

「さすが、腐敗公様であらせられますね。おっしゃる通り、この館にはわたくしと祖父しか住んでおりません。家事はわたくしと祖父もいたしますが、掃除などは主に使い魔に任せているのですわ」

「使い魔! 魔術師っぽくていいですね!」

 

 素直にはしゃぐユリアを微笑ましそうに見ると、シンシアは「わたくしは夕食の用意をしますので、時間まで好きにくつろいでいてください。客室は全て扉で繋がっているので、どれでもお好きな部屋を使ってくださいませね」と述べてその場を去った。

 

「そういえば、お前と二人になるのって初めてだな」

「いやん、エッチ! 離婚したっていうのに襲う気ですか? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」

「襲うか! 誰がエッチだよ! 俺の嫁はリアトリスだけなの! つーかエロ同人ってなんだよ!」

 

 自分の体を抱きしめて身をくねらすユリアに、ジュンペイは全力で否定の言葉を叩き込んだ。現在彼は長い髪の毛を複雑に編み込んでひとつにまとめているが、それがほころびる勢いで首を横に振る。

 

「あ~あ、リアトリスさんが丹精込めて編み込んだのに崩した~。い~けないんだ」

「あのさ、なんでお前俺にそこまで遠慮が無いの?」

「え、そうですかぁ? ごめんなさい! ふふっ」

 

 まったく謝罪の意を感じない言葉に、思わずぐったり脱力するジュンペイ。気が抜けて人化の術が解けてしまいそうだ。

 しかし次にユリアが口にした言葉にピクリと反応する。

 

「それにしても、エロ同人は伝わらないか……。でもカタカナ言葉は理解してるみたいだし、やっぱり……」

「……? お前、何を」

「ズバリ聞きます」

 

 問いかけをさえぎって、目の前に不躾にも自分を指さす白い手が迫る。思わずそれにのけぞるが、ユリアの次の言葉にジュンペイは身を固くした。

 

 

 

「あなたは、私と同じ世界からの転生者ですね? "ジュンペイ"くん」

 

 

 

 

 

 

 




※リアトリスとジュンペイの全身イメージ図を描きなおしました。

リアトリス
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ジュンペイ
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16話 暗雲の未来と過去の残滓

 天井の高い広間は、明り取りには十分なほど背が高い窓でぐるりと囲まれている。頭上には蜘蛛の巣のような変わった形の見事な細工の照明がぶら下がっており、もしここが貴族の館や城ならば、広間は舞踏会にでも使われていただろう。

 だが現在そこでは優雅な踊りというにはあまりにも荒々しい、拳と脚、肉体と肉体の応酬が行われていた。

 

「これからのことは、よく考えているのだろうね」

「これ……から!? ッく」

 

 師の鋭く重い蹴りを苦しくも躱すと、反った上体を後ろに反転させ、両手をついてから身をひねり離れた場所に着地するリアトリス。

 そんな彼女を見て、アリアデスは深くため息をついた。

 

「魔術そのものに頼りすぎていたな? リアトリスよ。体の切れが悪い」

「師匠、もうちょっと! もうちょっとだけ、私の一年にわたる腐朽の大地での過酷な生活を考慮してくださいません!? 栄養はとっていましたが、あんな環境で過ごし、まともな鍛錬相手も居なかったのですから鈍って当たり前です!」

 

 リアトリスは師の言葉にぎくりと体をこわばらせたが、もっともらしい言い訳でもって応戦する。

 ……彼女が言ったことも事実なのだが、リアトリスが魔術による遠距離攻撃に傾倒していたのもまた、事実であった。敵に近づいてわざわざ泥臭く戦わなくとも、身を汚さず、かつ広範囲に攻撃を及ぼせる魔術は使い勝手が良すぎたのだ。対腐敗公の時はなりふり構っていられなかったが、通常は敵を遠距離から魔術で仕留めるのがリアトリスの常套手段である。

 つまりアリアデスの指摘は実に的を射ていたのだが……そこはバレたくないリアトリス。なんとか誤魔化そうと必死である。

 だが師の瞳は何もかもを見透かしているようで、その後も容赦ない猛攻が続いた。しかもその中でこれまでの事を話せというのだから、リアトリスとしてはたまったものではない。

 息を切らさず流暢に話す師と違い、攻撃を避けて反撃の一手を探すだけでもいっぱいいっぱいのリアトリスは喋ることすらままならない。そのため、無理やり……怒鳴るように声を吐き出して説明を試みていた。広間には先ほどから老人の理知的な声と、女の怒号という対極的な音が響き渡っている。

 

「お前が生きていると知れば、エニルターシェ殿下はまたちょっかいを出してくるぞ。嬉しくないだろうが、お前はそれなりにお気に入りだったようだしな」

「本当に嬉しくないんですけど! というか、お気に入りっていうならずいぶんあっさりと手放しますよね! 一発殴ったくらいで心が狭い!」

「いや、それは公衆の面前で行ったお前が悪い。罰せねば秩序が保たれぬからな。むしろ表向きだけとはいえ、腐敗公の花嫁に仕立て上げたことでお前の名誉は守られた」

「そこは少しは同情してかばってくれてもよくありません!? どっちの味方ですか!」

「僕は公平な物言いをしているだけだよ」

 

 リアトリスは脚に円の回転を加え放ちながら叫ぶが、アリアデスは攻撃もろとも言葉もかわす。

 しかし彼とて、弟子を憐れんでいないわけではないのだ。

 

「……それにしても、あれに気に入られるとは運が無い」

「まったくです、ね!」

 

 今度は助走をつけ飛び蹴りでアリアデスを猛襲するも、こちらも脚でもって迎え撃ったアリアデスに防がれる。

 リアトリスは本当に体がなまっていると、内心自分に向けて舌打ちした。

 

 だがどうせ言うなら全部聞いてもらおうと吹っ切れたのか、多少息を整えてから再度口を開く。

 

「聞いてくれます? あいつ毎回私を戦場の共として連れて行くんですけどね、そこで何をさせていたと思いますか。英雄? 自ら戦場へ赴く勇敢な王子? まさかですよ! あいつは単に自分の趣味嗜好のため、魔族との戦場に行っていたにすぎません!」

「……だろうな」

「あいつ、私に捕虜という名目で捕らえた魔族を"加工"させるんですよ……! そこまでなら耐えましたとも! 仕事ですからね! でも、よりにもよって……」

 

 尊敬し頼れる相手の前だからか、リアトリスは誰にも打ち明けていなかった……というよりも、忌々しすぎて思い出すのも嫌悪していた記憶を引っ張り出す。

 

 リアトリスを共に連れ立ち戦場で指揮を振るっていたアルガサルタの第四王子、血のように赤い髪を有するエニルターシェ・デルテ・アルガサルティス。彼は悪意を悪意と知りながらも、理性でもってそれを行使するような男だった。

 頭の回転が速く、表でも"裏"でも人望が厚い掌握術は不気味なほどだったと、リアトリスは吐き気を催しながらも思い出す。

 ……リアトリスが戦場に連れていかれるようになったのは、宮廷魔術師という地位だけでなく、更には魔術師内での特別位……戦場で貢献できる者として"魔将"の位を賜ったことが原因である。というよりも、若くしてその地位を手に入れたことで興味を持たれた事がきっかけだろうか。

 敵たる魔族を打ち倒した後の処理として、気は進まないしその所業に嫌悪は抱いたが、敵を辱めるための命令はかろうじて受け入れ実行した。その凄惨な行いに耐えられず、入れ替わりが激しかった王子の側仕えの魔術師を長く続けた事は快挙と言えよう。

 ……それだけに、アリアデスはそれを知った時心配だった。「気に入られすぎて」はいないかと。

 

「私、なにを命令されたと思います?」

「…………魔族の肉を食ってみろとでも言われたか?」

「なんで正解しちゃうんですか」

 

 吐き捨てるように言い、リアトリスは攻撃の手を止めていじけたように座り込んだ。

 

「丁寧に自ら削いで銀製の高そうな食器で串刺して、火であぶって差し出してこう言うんです。『私の可愛い魔術師、君に一番良い部分をあげよう。ご褒美だ』ですって」

 

 アリアデスは思わず額を抑えて天を仰ぐ。……自分の懸念は正しかったようだ。

 

「あの男は狂人だ。だが厄介なことに、それは純然たる好意だったのだろうよ」

「は? どういうことです。嫌がらせ以外の何ものでもないじゃないですか。魔族とはいえ、自分たちと同じように知性があって言葉も通じる生き物を食えって言われたんですよ? そりゃあ、ふざけるなってぶん殴りますよ。というか気づいたら殴ってましたよ! 気持ち悪い! それまでの鬱憤だってあったし!」

 

 

 

「あの王子はもともと魔族が好物だ」

 

 

 

「……………………」

 

 たっぷり時間をかけてから、リアトリスはなんとか聞き返した。

 

「……え?」

 

 アリアデスが言いにくそうに言葉を続けた。

 

「昔から、それこそ子供のころからあの男は魔族の血肉が好物でな。側仕えとなった魔術師の中でも、おそらく僕とお前以外は一部の側近しか知らないだろうが。…………奴は本心から褒美のつもりで、お前に自分が一番好きな可食部位を与えたのだろう」

「それはそれで嫌すぎるんですけど!」

「……最後まで話を聞け。で、だ。それは同時に試験だった。あの男は一般の常識も理解している。……だからこそお前にそれを崩すような行為を提示し、受け入れたなら本当の意味での側近として近くに置くつもりだったんだろう」

「え、ちょっと待ってください。理解が追い付かないというか理解したくないんですが」

 

 鳥肌がたった両腕をさすりながら、今言われた言葉を脳内で反芻する。

 できれば考えたくないが、それは師匠が許してくれない。

 

「理解しがたいだろうが、考えを受け入れろ。そして今のお前は、それを踏まえて危機に備えなければならない」

「き、危機ですか? ほ、ほほっ。師匠ったら何を言うんですか? 最強の腐敗公と最高の魔術師である私が居るんですよ? なんの危機が脅威となりうると言うのですか」

 

 いつものように自信たっぷりに言えないのは、リアトリスは師を尊敬し、信頼しているからだ。……口では強がっていたが、その実……師からもたらされる警告に体が緊張するのを感じる。

 

「あの偏執狂をなめると痛い目を見るぞ? ……気をつけなさい。もしお前が生きていて、腐敗公とつながりがあると知られれば」

「し、知られれば……?」

「次の王子のご馳走は、ジュンペイくんだ。珍味だと喜ぶだろうな」

 

 

 耳を疑うような可能性に、眩暈がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「転生者……?」

「あら、ぴんと来ませんか。う~ん、記憶は完全になくなっているという事……?」

 

ユリアが発した言葉に疑問符を浮かべるジュンペイであったが、そんな彼を放ったまま彼女は思考の海に沈む。だが"同じ世界"という言葉は、ジュンペイの心に強い印象を伴い突き刺さった。

 

「なあ、ユリア。お前は俺の事、俺っていう存在がどんなものなのか知ってるのか?」

「え? 知りませんよ」

 

 ごくりと喉をならして問えば、返ってきたのはそんなつれないセリフである。

 思いがけないところから自身に関しての情報が出てくるのかと思いきや、肩透かしをくらったジュンペイはがくっと肩を落とした。

 だがユリアは自分の考えに没頭し始めたと思いきや、そんな彼の仕草を見て指摘する。

 

「リアトリスさんも言ってましたけど、思考も、そういった仕草も。今まで誰とも交流を持たなかった魔物にしては、ずいぶんと人間臭いですよね? だから私はあなたの名前を聞いたときに、ピンと来たわけですよ。"ジュンペイ"くん?」

「どういうことだよ……」

「私もこの世界の全部を知っているわけではないけれど、少なくとも西洋風の名前ばかりの中でその名前はとても目立つんですよ。私の"ユリア"は、まあなくもないかな? って気がするけど……ジュンペイなんて、思いっきり日本人ぽいじゃないですか」

「日本人?」

 

 本気で困惑している様子のジュンペイに、ユリアもまた戸惑いの表情を返す。どうもジュンペイの反応を見るに、自分の憶測が合っているのか自信が無くなってきた。

 とりあえず立ち話もなんだと、部屋に備えられていた皮張りの長椅子に並んで座る。ついでに用意されていた焼き菓子も頬張り、しばらく二人でもぐもぐしていた。

 甘い物を摂取し多少考えがまとまったのか、先に口を開いたのはユリア。

 

「う~ん、どこからお話をしましょうか。……そうだ、エロ同人は分からなくてもエロとかホモとかレズとか単体なら分かります?」

「なんでそのチョイスなんだよ!」

「! やっぱり! あのですねジュンペイくん。私が別の世界から召喚されたってお話はしましたよね?」

「? ……ああ」

「その時にこちらの世界の言葉が、自動翻訳される仕様で呼ばれたらしいんですけどね? …………一部の単語だけ、翻訳されず理解してもらえなかったんですよ」

「それって、もしかして」

「お察しの通り、私が今言ってみたカタカナ言葉の類ですね。果物とか名詞とかで共通する部分もあるんですけど、だいたい通じません。今ジュンペイくんが言った"チョイス"だって、通じませんよ? 今までリアトリスさんに指摘されたことはありませんか」

 

 ひとつひとつジュンペイに確認を取りながら投げられる質問に、次第に無いはずの心臓が緊張で高鳴るような感覚を覚える。"感じたことなどない"はずの感覚にも関わらず、それは非常に生々しかった。

 

「……何度か、ある。リアトリスも段々慣れていったし、言われるにしても変な言葉使うわねーって軽く流されてたから気にしてなかった……けど……」

「……う~ん、主にエピソード記憶的なものが抜け落ちてるって感じですかね?」

「俺は何を忘れているって言うんだ!」

「きゃあ!? ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ! 私だってまずちゃんと整理してから話したいから、こうして二人になった時を選んでるんですし! 逃げませんから、落ち着いて!」

 

 身を乗り出して噛みつかんばかりの勢いにユリアがのけぞるが、ジュンペイとしては落ち着いてなどいられない。まだ話しの本質は掴めないが、なにやら具体的な例をもってして、自分が何者であるかという手掛かりを示されたのだから。

 

(ずっと、ただの醜い、忌み嫌われる化け物だと思っていた。だけど俺にはその前があるのか? 俺は"誰か"だったのか! "何か"だったのか!)

 

 焦燥が心を満たすが、このまま無理に問い詰めても逆効果だと思いなおし、なんとか気を静める。それに対しユリアはほっと胸を撫でおろした。

 

「………続けてくれ」

「……まあ、いいですけど。それで、ですね? ここからはちょっと曖昧というか非現実的な話になっちゃうんですけど、もう非現実は現実になってるので現実味のある仮定として話させていただきますね」

(何言ってるんだ……)

「あ! 今馬鹿にしたでしょ! ジュンペイくん、顔に出すぎ!」

「あーあー! ごめんって! 謝るから続けてくれよ!」

 

 粗雑に謝るジュンペイに不満そうに顔を膨らませたものの、ユリアはしぶしぶといった様子で続きを話し始めた。

 

 いわく。

 彼女の住む世界では魔術や魔族などは創作の中の存在で、少なくとも一般常識としては無いものとして扱われていたらしい。ユリアはそういった類を扱った創作が好きであったが、そんな彼女でも空想こそしても信じてはいなかったという。

 だがユリアはある日、まるで物語の主人公のように異世界に召喚された。

 

「まあ私に関しては最初に会った時にお話した通りですし、思い出すのも胸糞悪いのではぶきますね。……で、肝心なのはここからです。私が好きな物語の中のジャンルに"転生もの"っていうのがあったんですよ」

「転生……」

「輪廻転生だなんだと難しい事は抜きにして、物語において重要な部分をさっくりまとめると"死んでから別の人間や生き物になる、生まれ変わる"ってことですね」

「!!」

 

 それを聞いて、ジュンペイの心の中でもやもやしていた部分が繋がった。先ほど自分には"前"があるのかと無意識に考え出した思考は、もしかしたら間違っていないのかもしれない。

 

「じゃあ俺は、俺が腐敗公になる前は……ユリアと同じ世界に生きていた何かだったのか……?」

「もしそうなら、言葉を知ってるんだし人間でしょうねぇ。私の世界には魔族とかは、多分いないし」

 

 そう言いつつも「でも妖怪やUMAはいるかも……」などと小声でつぶやくユリアに一抹の不安を覚えつつも、ジュンペイは提示された可能性に体が熱くなるような感覚を覚えた。それはリアトリスが人化させた肉体が非常に人間に近い機能を備えているからか、それとも"かつて"の記憶の残滓なのか。

 

 長らく……リアトリスに出会うまで。自分という嫌われるためだけに生まれてきたような生物に疑問を抱き、何故寂しさに嘆く心など持っていたのかすら分からなかったジュンペイ。

 そんな彼にとって、自分が"転生した人間"かもしれないという可能性は衝撃的だった。

 

「……私としては、あてがはずれちゃったかな。出来ればもとの世界の話とか、したかったから」

「それは……ごめん」

「いいんですよ。勝手に期待していただけですから。……でも、私的には黙ってるだけかなって思ってたんですよねー。これ以上リアトリスさんに、変な存在だって思われたくないとかで」

「悪い……。本当に、覚えてないんだ。でも今の話を聞いて、思考が一つ開けた気がする」

「あら、もしかして思い出すきっかけになれました?」

「わからない。でもなんだか、今までと違った感覚がある」

 

 衝撃が落ち着いた後、ジュンペイの心にはぽっかりと空白が出来ていた。……というよりも、もともとあったのだろう。ただ今まではその存在に気付いていなかった。

 おそらくその空白に収まる分の記憶を思い出せば、ジュンペイは自分が腐敗公以外の何であったのかを知れるはずだ。

 ……そんな予感がした。

 

「……まあジュンペイくんが思い出さない限り、あくまで私の憶測ですからね。間違っていても、怒らないでくださいよ」

「怒らないよ。……自分が何者であっても、今こうしてリアトリスと一緒に旅できてる事実は変わらないから。間違ってたって、怒らない。今の俺は幸せだから、気持ちは潰れたりしない。………………でも、本当だったら本当だったで。それはそれで、嬉しい」

 

 はにかむように、愛らしく幼い美貌で笑みを浮かべたジュンペイ。

 ユリアはその笑みに見惚れたおかげで、寸でのところで出かかった一言を飲み込むことが出来た。

 

 

 

────────……でも前世のジュンペイくんは、いったい何をしたんでしょうね?

 

 

 

 死ぬことも出来ず延々と嫌われ続け、己の意志と関係なく世界に災厄を振りまく魔物。

 

 そんなものに生まれ変わる前世での罪過とは、いったいなんだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 



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17話 襲撃

「ジュンペイあんた、もしかしたら食料扱いされるかもしれない」

「リアトリス! 俺、人間だったかもしれない!」

 

 合流し真っ先に互いにとっての最重要事項を報告するあたり「信頼関係は出来ているんだなぁ」と納得するユリア、アリアデス、シンシア。互いに事情は違えどそこまで直接的に話すとは思っていなかっただけに、向ける視線はどこか生暖かい。

 

 この二人、ある意味すでに似たもの夫婦である。

 

 リアトリスが師にこれまでの説明を終え、ジュンペイがユリアにひとつの可能性を提示されたあと。夕食の準備が出来たからと呼ばれたこともあって、五人は食堂へと集合した。

 屋敷の規模のわりにこじんまりとして機能的な食堂では、それまで目にしなかった使い魔たちが、食器を運んだりシンシアの手伝いでせっせと働いている。

 その数は三体で、姿は犬と猫、熊に近い。普通の動物ではないと分かるのは、みな一様に足が無くふわふわと浮いて移動しているからである。その輪郭もどこか朧気だ。

 

「へえ、可愛いな」

「まあ、ありがとう。この子たちは、わたくしの使い魔なんですよ~」

 

 物珍しさに思わず猫型の使い魔を撫でたジュンペイが褒めれば、シンシアは嬉しそうに笑う。

 

「相変わらず、使い魔の扱いに関してはすごいわよねシンシアは」

「うふふ、リーアちゃんにそう言ってもらうと嬉しいですね~。まあ、わたくしはリーアちゃんと違って一芸特化ですけどね」

「あ、さっきも思いましたけど、その"リーアちゃん"って呼び方可愛いです! あだ名で呼び合うなんて、お二人は仲がよろしいのですね」

「? あら、リーアちゃんったら言ってないんですか。リーアの方が本名だって」

「え」

「え?」

 

 シンシアの言葉に反応した旅の連れに見つめられて、リアトリスは少々ばつの悪そうな顔になる。

 

「だって、今の私はリアトリスだもの。……ああ、もう。そんなに見ないでってば! 私は家名の他に、名前も一緒に師匠から頂いたの! あ~……ほら。アリアデスとリアトリス……響きが似てるでしょう? 占星術的に大成する名前に変えてもらったのよ」

「それもっと早く知りたかったんだけど!? 俺、リアトリスの夫なのに! え、じゃあ俺もリーアって呼ぶよ!? 可愛いから!」

「い、いいわよ呼ばなくて! あんたみたいに強い魔力の持ち主に前の名前で呼ばれたら、今の名前の効力が薄くなっちゃうわ」

「ええー!?」

「あら、じゃあ私は呼んでもいいですよね! リーアさ……」

「ユリアもダメ。あんた自分の"聖女"って肩書と能力、他者へ及ぼす影響をあんまり舐めない方がいいわ」

「ええー!?」

 

 きゃっきゃと会話を弾ませる女性陣を見て、アリアデスは深くため息をついた。自分はもう長い事生きてきたため、そう簡単に何かに対し動じたりしない。だが自分より経験が少ないはずの若者たちの、この肝の据わり方はなんなのだろうと。緊張感が無いともいえる。

 見た目が愛らしいとはいえ、きゃっきゃと話しているうちの一名は魔王すら逃げ出す大魔物なのだが。

 

「失礼、君は確かユリアさんと言ったね? 一応リアトリスから君の事情も窺っているが……」

「あ、自己紹介が遅くなり失礼しました! 私はユリア・ジョウガサキと申します。この間までルクスエグマで聖女として扱われていました」

「魔王ゲーデザハル討伐の功労者だな」

「まあ、まさか私の事を知っていただけているなんて!」

「まあね。……だが、君。リアトリスと、その師である僕を信じてくれたようで嬉しいのだが、その事はあまり公言しない方がいい」

「ええ、もちろん分かっています! 特別な肩書は時に厄介ごとを引き寄せますから。おっしゃる通り、私がリアトリスさんを信頼して、そのお師匠様であるアリアデス様も信頼してこその自己紹介ですわ」

 

 そう言って穏やかに笑うユリアからはたおやかな外見にそぐわない強かさと、芯の強さが窺えた。そしてもう一方のリアトリスの旅の連れである腐敗公を見れば、嫁にまとわりつきながら「リーア」と呼びたいとごねている。腐敗公ジュンペイは、見たところ純粋で素直な性格のようだ。

 

「お前は昔から、数こそ少ないが縁に恵まれているところがあるな」

 

 アリアデスは苦笑を漏らしつつ、「さあ食事にしよう」と家主として全員に席を勧めた。このまま立って雑談をしていたら、せっかく孫が用意してくれた晩餐が冷めてしまう。それぞれ会話に花を咲かせていた面々だが、言われてからようやくそれに気づいて席に着いた。

 

 

 

 

 そしてアリアデス邸での夕食の席にて。

 

「ところで、リアトリス。さっきの俺が食料にされるかもって話はなに?」

 

 時間経過と崖のぼりで魔力を消費した影響なのか、妙におぼつかない所作でナイフとフォークを扱うジュンペイ。どうやら分身体が不安的になってきているようだ。

 みかねて彼の目の前にあった柔らかそうな肉を切り分けてやりながら、リアトリスはまず何故自分が生贄などにされたのかを説明した。

 

「…………せっかく切ってもらったんだけど、その話って肉食べた後じゃダメだった?」

「あ、ごめん」

 

 上司に魔族の肉を食わせられそうになってキレて殴った。要約すればそんな内容なのだが、リアトリスは先ほどアリアデスに話したことでタガが外れたのか……そのくだりの前に、自分が仕事でさせられていた"魔族への見せしめを兼ねた捕虜魔族の加工"に関しても少しだけ話してしまったのだ。なかなかにえぐみを含んだその内容は、食事の席にふさわしいものではない。食の喜びを知った腐敗公も、流石に一度手を止めた。

 だが基本的に嫁に甘いジュンペイは「いや、それでも食べるけどさ……」と肉を口にする。それを見ていたユリアの感想が「お母さんに食べやすくしてもらってる幼児……」だったことを、彼が知らずに済んだことは幸いだろうか。

 

 ちなみにユリアだが、こちらは話を聞いても平然と肉をパクついていた。

 

「でも改めて考えたら、人間のたかが一国の王子がジュンペイを害せるはずないのよね」

「まあ、彼が腐敗公ならばそうだろうな」

 

 手ずから人数分のパンを切り分け、軽く魔術を用いて温めたそれを配りながらアリアデスも頷く。……隆々とした筋肉という視覚的な衝撃を抜きにすれば、この老爺の所作は非常に繊細だ。気配りも行き届いている。ジュンペイは密かにその様子を見て「男として人化するときに参考にしよう」と誓った。

 そしてリアトリスは受け取ったパンに遠慮なく木苺煮をたっぷりと乗せかじりつくと、うんうんと首を上下に動かし頷いた。

 

「誰もが倒そうとして、人間にも魔族にも勝てなかった相手よ。何百年も! 魔王ですら手を出さなかった最強の魔物だわ。 今ここに居るジュンペイは分身体で、本体は今も腐敗公に圧倒的有利な腐朽の大地に居るわけだし……。実際に戦った私が断言するけど、魔術が使えなくても地力と何もかもを腐らせて溶かす能力だけで十分強いわ。防御力も高いし自己回復力も一級品。何者かにいいようにされる可能性なんて、全く思い浮かびませんよ。ましてや、いくら異常者であってもあんな王子ごときに。……まあ、杞憂でしたね」

 

 ふんぞり返ってまるで我がことのようにジュンペイを自慢するリアトリスに、ジュンペイは照れていいのかどうか微妙な表情である。

 

(いいこと……なんだろうけど。嬉しい記憶で上書きされて、自分が嫌われもので……世界にとっては害悪そのものだってことを、忘れそうになる)

 

 この姿になってからというもの、時々自分がそんなたいそうな存在であったのかと疑問に思うのだ。そしてこの幸せな記憶がいつか泡沫のように消えてしまう可能性が脳裏をよぎり、少々憂鬱になる。

 そんなジュンペイを知ってか知らずか、おそらく知らないままに会話は続く。

 次に口を開いたのはシンシアだ。ほがらかな笑顔のままに、頬に片手をそえてしげしげと夫婦を交互に見つめる。

 

「リーアちゃん、本当にすごい旦那様をみつけたんですね~」

「…………いや、あのね? シンシア。見つけたんじゃなくて、最初は生贄として無理やり送り込まれただけだからね?」

「……ああ、そうでした~。でも結果的によかったじゃないですか~」

「そうだな。お前は性格に難があるから、もしもらってくれる相手が居てもオヌマくらいだと思っていたが」

「それは無い」

「それはわたくしがさせません」

 

 即座にリアトリスとシンシアが否定し、オヌマの適当ながらも面倒見がよい性格を知るジュンペイは「結婚相手の候補にあがるのは気に食わないけど、なんでそこまで?」と首を傾げた。そして話に上がったオヌマを知らないユリアは「穏やかなシンシアさんまでそんな食い気味に否定するなんて、どんなろくでなしなんだろう」と顔も知らない相手への評価を下げていた。

 

「…………それは、まあいい。しかしリアトリスよ。お前は現在唯一、腐敗公に好意を向けられている相手だ。彼がいくら強くても、お前が原因で危機に瀕する可能性を忘れてはならないよ」

「私が人質にでもなると? それこそあり得ませんよ!」

「その自信過剰なところが心配だというのだ」

「あの……」

 

 額に手を当てて深く息を吐き出すアリアデスに、ジュンペイはおずおずと問いかけた。

 

「俺、一応これまで世界の三分の一を生き物が住めない場所に変えてきたんですけど……。いや、不本意! 不本意ですけども! でもそんな魔物なのに、危険視とか……しないんですか?」

 

 初対面時も今も。アリアデスはジュンペイが、リアトリスに利用されることに関して心配をしてくれている。まだ会ったばかりの相手で、それも世界に災厄をまき散らしている魔物だというのに。

 どこか不安そうなジュンペイに、アリアデスは厳格な表情を緩める。可憐な少女の外見という事もあるが、その人格は好ましいものに思えた。

 

「たしかに君の力は強大だが、こうして意志を交わせる存在に恐怖など抱かないよ。ジュンペイくんは人柄もいいしね。それに僕の弟子が君の妻となり魔術の師となったのなら、今後世界は……少なくとも腐朽の大地に関しては、いい方向へ向かうと僕は信じるつもりさ」

「さっすが師匠! 優秀な弟子を信頼してくださってるんですね! どうよジュンペイ、この師弟の絆!」

「だがお前はその調子に乗りすぎるところと短気を直せ。エニルターシェ殿下の件に関しても、短気を起こさずその場だけこらえていれば、生贄になどされなかったものを」

「いや無理ですよ! ま、まあその件に関してはこうして結果が良かったんだから、いいじゃないですか。そのうちジュンペイがちゃんと魔術を使えるようになったら、師匠にもいい思いをさせてあげますわ」

「僕は今の暮らしで満足している」

 

 やれやれと首を振るアリアデスだったが、呆れこそしているがこの空間はあまりにも穏やかだ。ジュンペイはこそばゆさを覚えながらも、今は不安など感じずに……手に入れた幸せを享受しようと自分に言い聞かせる。もしこの幸せを手放す時が来ても、それは今ではないし……手放す必要がないくらいに、自分が頑張ればいいのだ。

 

 そう、頑張れる環境が今の自分にはある。ならばあとは、更なる幸せを目指しながら「目的」のある生を歩むのだ。

 

 そのためにも新たに知った自分の"前世"と呼ばれるものの可能性も話しておこう、自分に関することを全て知ってもらいたい。

 ……ジュンペイがそう、思った時だ。

 

 

 

 

 轟音と共に、アリアデス邸の天井が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 すぐさまアリアデスとリアトリスが結界を構築したため、誰も怪我こそしなかったが……。強力な結界で守られているはずの魔術師の館を誰が襲撃し、貫き打ち崩したのかと。警戒心をもって全員の視線が、攻撃が放たれたと思わしき瓦礫の向こう側へ動いた。

 崩れた天井の先……雲が散らばる夕刻の空には、血のような太陽光をさえぎる影が十数。逆光により目が慣れるまで非常に見辛かったものの、時代に目が慣れることによってその正体が露になる。影の正体……それは天馬にまたがる、輝かしい鎧を纏った戦士たちだった。

 

「聖女ユリア! あなたはご自分の役割を放棄した。その罪、万死に値する! 再び花嫁として、腐朽の大地に戻っていただこうか!」

 

 戦士たちの先頭に居た、他より明らかに抜きんでて素晴らしい装飾の鎧を纏った男が高らかに宣言する。

 

「あ、すみません。これ私の案件ですね。なにこのタイミング」

 

 先ほどまで食事に舌鼓を打ち、にこにこと笑いながらリアトリス達の話を聞いていたユリア。だが鎧の男を見た瞬間、その煌めかんばかりに美しい瞳は曇って淀み、表情はこれでもかというくらいに歪められた。屋内だというのに行儀悪くぺっと唾まで吐き出す有様だ。

 そして結界を解除しつつ、突然の暴挙にリアトリスの視線もきついものとなる。……それ以上に、今は呆れが浮かんでいたが。

 

「え、なにあれ馬鹿なの? いきなり人様の家吹き飛ばすとか馬鹿なの?」

「ええ、馬鹿です。殺して埋めましょう」

「あら、それは。ほほう……埋めていいのか……」

 

 一切の淀みなく本気の声色でもって相手を殺すと宣言したユリアに、リアトリスは値踏みするように襲撃者達を眺めた。

 

「魔戦騎士か。しかもユリア関係って事はルクスエグマの……」

 

 途端に、薄い唇がにんまりと三日月型に歪められる。そして突発的なことに関してまだ耐性が薄いながらも、リアトリスを守るように彼女の前に立ち両腕を広げていたジュンペイの肩にぽんっと手を置いた。

 

 

 

「ジュンペイ。いい機会だから、実戦を兼ねて魔術のおさらいをしましょうか」

「え?」

 

 

 

 唐突に新たな課題を提示され、最強の魔物はただただ困惑するしかなかったとか。

 

 

 

 

 

 



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18話 実践授業と打ち砕かれた魔物の純情

 アリアデス邸を襲撃した者達の隊長……アッセフェルト・ダイナーは、大国ルクスエグマの魔戦騎士団天馬隊の隊長を務める男であった。

 国でも有数の権力を持つ実家の後ろ盾を有し、容姿にも恵まれた華やかな経歴の青年。……だが彼には唯一、人生の汚点ともいえるものが存在した。

 

 一年ほど前、ルクスエグマに一匹の"化け物"が召喚された。「化け物に化け物を倒させる」。それは人類の忌むべき敵、魔族を率いる魔王を倒すための苦肉の策であったのだ。

 近年、ルクスエグマが魔術に関しての発展を遂げた影響なのか、魔族からの干渉が強まっていた。特に魔王ゲーデザハル率いる軍勢の猛攻は激しく、戦いで命を落とした者や奪われた魔術の知識も多い。

 そこでこのままでは折角の発展を遂げた国が衰退してしまうと憂慮した上層部が、ルクスエグマに伝わる「召喚の儀式」を使用することを決断した。

 呼び出されたのは、一見して普通の少女。だがその潜在能力の高さ、そして"魔族に対する"攻撃性の強い属性は一級品であり、狙った相手を呼び出せたことに関しては、ルクスエグマの歴史に恥じない成果だったといえよう。

 だがその強さもすぐに使用できるものではなく、まずは少女の「育成」に時間が使われた。この時に選ばれた育成に携わる人間の一人が、アッセフェルトである。

 

 くれぐれも機嫌を損ねることが無いように。それが選ばれた人間に通達された共通事項であり、彼らはそれに従い少女を蝶よ花よと愛で、聖女などと呼びながら持て囃した。

 …………だが見た目が自分たちと同じな分、余計に異界から呼び出された未知の生物に対し全員が嫌悪感を抱いてもいたのだ。表面を取り繕うことに慣れた人材がそろっていたため、呼び出された方はそんな理不尽な感情を向けられていることなど気づかなかったが。

 

 そして育成する中で「聖女」単体では魔王は倒せないことが分かり、育成係達はそのまま魔王討伐隊へと編成される。

 結果としては想定していた被害を最小限以上に抑え、見事忌まわしきルクスエグマが敵対していた魔族の王は倒された。…………そして事がすむと、もとより「聖女」を元の世界へ帰す(すべ)など持ち合わせていなかったルクスエグマは、呼び出した化け物の処分を考えるようになる。

 

 そんな時だ。

 数百年と続く「腐敗公への花嫁」の持ち回りがきたのは。

 

 誰がその不文律を定めたのか知らないが、腐朽の大地に隣接する国だけでなく、人類全ての国に等しく巡ってくる生贄制度。それは世界の三分の一を支配する、恐るべき魔物を抑えるための唯一の方法だ。

 花嫁には魔力の高い娘ほどふさわしいとされ、それこそ「聖女」は最適だった。よって聖女……ユリア・ジョウガサキは速やかに花嫁へと仕立て上げられ、腐朽の大地へ供物として送られたのである。

 

 だが、ある日。…………隣国でもない、わずか遠方の国。アルガサルタから「貴殿の国の聖女と思しき人物が国内で目撃された」という通達があったのだ。

 魔王討伐の際に箔をつけるため聖女の存在は国民にも晒されていたし、絵姿も出回っていた。よってルクスエグマの聖女の存在と姿を他国が知っていること自体はおかしくない。

 ……とはいえ、そんなことを言われれば「国の義務を果たしていない」と疑われたことと同義。侮辱である。

 だがその通達は正式なものではなく、ルクスエグマの第二王子と親交があったアルガサルタの第四王子エニルターシェからの個人的なものだった。直接戦場へ赴く勇壮な王子という事で他国にも名を知られ、第二王子の友人としての付き合いのある相手。……その彼からの情報を無下にするわけにもいかず、念のためと聖女に身に着けさせた花嫁衣裳の一部、鳥の翼を模した髪飾りに探索の魔術を使用した。

 

 すると、なんということか。……髪飾りの位置は、花嫁を捧げた腐朽の大地の中心部でなく、アルガサルタ内陸の山岳部。……ここで真っ先に責を問われたのが、花嫁を天馬にて腐朽の大地に運んだアッセフェルトである。

 

 

 役職に加え魔王討伐の功労者、英雄の一人。

 そんな輝かしい経歴に、汚濁した墨が垂らされたのだ。こんな屈辱は無い。

 

 

 アッセフェルトはすぐさま聖女捕獲のために隊列を編成し、天を駆けた。頭に血が上ってはいたが、第二王子を介してアルガサルタの王族であるエニルターシェに入国の許可を貰うのも忘れていない。

 ……だが完全に冷静であったかといえば、そうではなかった。少なくとも聖女ユリアが居ると思しき建物をすぐに破壊しにかかったのは、あまりにも軽率な行動である。

 

 だが彼はそれをしてしまったのだ。

 

 彼の実力や生家の権力ゆえに声高く言える者は少なかったが、その傲慢で短慮な性格は以前より問題視されていた。今回それが露呈した結果といえるが、代償はあまりにも大きい。

 

 

「さぁて、あなたたち? 愚かな行動と、彼女と一緒に私たちが居た運の無さを呪いなさい!」

 

 

 快活な女の声を皮切りに、彼らの悪夢は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんのわずかに、時は遡る。

 

 

「さあジュンペイ、魔術のおさらい兼実践授業よー! ほーっほほ! いい実験台がきてくれたこと! 雑魚を相手取るより、多少骨がありそうな相手の方が勉強になるわ!」

 

 吹き飛ばされた屋根にも臆することなく、嬉しそうに襲撃者を指さすリアトリス……の頭を、師であるアリアデスが小突いた。といってもその威力は、とても小突くなどというものではなかったが。

 

「いったぁぁぁぁ!?」

「馬鹿者。僕の家を他国の騎士の墓場とするつもりか?」

「いいじゃないですかぁ~! こんな事されたんですから、仕返しされるのは当然です! あっちが悪い!」

「だがリアトリスよ。お前、仕置きに留まらず彼らの存在ごと抹消する気だろう。家を壊されたことは腹立たしいが、せめて別の場所でやりなさい」

「あ、相手をころころしちゃうのは決定事項なんですね。わぁい嬉しい! 死ねアッセフェルト~」

 

 当事者であるはずのユリアはすでに傍観の体勢に入っているのか、二人のやりとりを見て相手の末路を察したようだ。嬉しそうに手を打ち合わせて物騒なことを言うユリアに、シンシアは「でもおじい様が言う通り、ここでそれをやられてしまうと後処理が……」と困った様子を見せている。誰も相手の命に対して気を使っていないあたり、この集団には少々常識が欠けていた。もしこの場にオヌマが居た場合、その様子に頭を抱えていたことだろう。

 ……彼女たちがこうしている今も、屋敷を囲い自分たちを優位と信じて疑わない魔戦騎士団もまた、自分たちの命が紙のごとく扱われているなど知る由もない。

 

 そしていきなり実践だ、授業などと言われたジュンペイだが……。どことなく不安そうに、何かを確認するように掌を握ったり開いたりしていた。

 

「なあ、リアトリス。俺は構わないんだけど、しばらく本体に戻ってないからか魔力があんまり……。普通にしてる分にはいいけど、戦ったら分身体が消えるかも」

「あら、そういえば結構な時間が経っていたわね。う~ん、でもせっかくの機会だし……」

「聖女ユリアよ、速やかにその館から出てくるがいい! 君はお優しいからな! 館の人間を巻き込むことはよしとすまい? 次の破壊は一部だけに留まらんぞ!! さあ、出てこい! 君のせいで俺は恥をかいたのだ! 償ってもらおうか!」

「ああもう! うるっさいわねー! 男のくせにキンキンキンキンと声が甲高くてうるさいのよ!」

 

 天馬に跨り飛翔する金髪の男が、苛立たし気に外で喚いている。それを煩わしそうに睨みつけると、リアトリスはジュンペイの頬を両手で挟み込んだ。

 

「り、リアトリス?」

「しょうがないわねー。いつももらっているばかりだし、特別に今日は私からあげるわ。あんた、星幽界から魔力を引き出すの苦手だものね。修行はもともと持ってる魔力を魔術に昇華させる方が目的だし、そっち方面は、まあいいんだけど」

 

 ジュンペイが頬に伝わる柔らかい掌の感触に顔を赤くさせていれば、嫁がそんな事を言う。

 そして何か答える前にリアトリスの薄い色合いの青をたたえた瞳が近づき……唇に何か、柔らかいものが触れた。

 

「!?!?!?!?」

 

 それと同時にジュンペイの体に自分のものとは違う魔力が流れ込んだ。色合いや匂いに例えるべきか……ともあれ自分のものとは違ったそれは、速やかに分身体の中を循環しジュンペイを満たす。

 リアトリスは口付けたまま時間を置き、しばらくすると愛らしい珊瑚色の唇から自身のそれを離して一息ついた。

 

「うわ、初めてやったけど……かなり魔力持っていかれるわね。本体にとってごく一部だってのに、とんでもない容量……」

「馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!」

「え!?」

 

 突然罵倒され、自身に背を向けて走り出したジュンペイに困惑するリアトリス。そんな彼女に、ジュンペイの悲鳴のような叫びが轟いた。

 

 

 

「初めてのちゃんとしたキスなのに、キスなのにぃぃぃぃぃーーーー!! そんな事務的に! もっと、ムードとかぁぁぁぁぁぁぁ!! 酷いよ、リアトリスのバカバカバカーーーー!!」

 

 

 その嘆きをぶつけるがごとく、ジュンペイが作り出した炎の魔術が天馬に跨る一部の者たちを焼き払った。

 リアトリスは「あちゃー」と頭をかくも、気を取り直して高らかに宣言した。

 

 

 

「えー……と。さ、さぁて! あなたたち? 愚かな行動と、彼女と一緒に私たちが居た運の無さを呪いなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルクスエグマの英雄の一人が率いる二十名ほどの騎士対、可憐な金髪の少女。その一見無謀ともいえる戦いは、阿鼻叫喚の様相をていしていた。

 

「はい、そこ! 水を引き出して飛ばしなさい! そしてそのまま凍結! 天馬の翼を貫け!」

『銀盆に満ちし星脈の系譜よ、雫となりて零れ落ち氷結せよ! 穿て!!』

 

 少女が腕を振るったかと思えば、そこから発生した水の魔術が飛来し、途中で氷柱へと姿を変えたそれが天馬の翼に食らいつく。一撃でも受ければ無残にも肉は引きちぎられ、成すすべなく騎士もろとも天馬は地に落ちていった。

 

「さっきと同じように炎も使ってみなさい! 今度は火球じゃなくて、炎の波で飲み込むように広範囲へ!」

『その身を躍らせ絡み合え。紅蓮の両翼にて抱擁せよ!』

 

 先ほど初手で数名を飲み込み焼き払った火球とはまた違った炎が、翼を広げた巨鳥のごとく騎士たちの眼前に飛来した。今度は誰も再起不能とまではいかなかったが、鎧越しに体を舐めていく炎が容赦なく体力を奪っていく。

 

(なんだ、なんだアレは!! どれも下級の魔術じゃないか!)

 

 アッセフェルトは目の前で起こっている事態を認めたくなかった。たった一人の少女に、自分や精鋭の部下たちがなすすべもなくやられていくのだから。

 それも呪文こそ使う個々人によって違って来るものの、魔術の生成過程と形を見る限り使っているのは中位にも満たない下級魔術。その現実は悪夢以外の何ものでもない。

 

 もちろん反撃は試みた。……だがいくら魔術や斬撃、刺突が当たろうとも少女は揺るぎもしないのだ。

 

「この、化け物がぁぁぁぁぁぁ!!」

「まあ、その通りなんだけど」

 

 しかしこれで終わるまいと、自慢の槍でもってアッセフェルトは少女に自身最大の攻撃を仕掛けた。その貫通力に優れた一撃は、魔王の魔力壁さえ貫いた必殺になりうるもの。

 それが肉の触感を捉えた瞬間、アッセフェルトは「勝った」と思った。

 

 …………だが。

 

「鎧とかピカピカで綺麗な外見のわりに、言う事は三下だよな。お前みたいなやつ、何人も見てきたよ」

 

 温度の無い碧眼で眺められ、喉が張り付いた。見開きすぎて急激に乾いていく眼球をなんとか動かせば、視線の先で確かに槍は少女の腹を穿っている。……しかし少女は相も変わらずこゆるぎもせず、それどころか幾重にも魔術が施されているはずの伝説級の槍の穂先は、アッセフェルトの前で無残にも溶解し……熔けおちた。

 

「馬鹿……な……」

「馬鹿はお前たちだろう? どうして勝てると思ってたんだろうな。……ああ、今の俺の外見じゃあ仕方がないか」

 

 少女はやれやれとでも言いたげに首を振り、穂先が消えた槍を掴んでアッセフェルトごと雑に放り投げた。……どう考えても十歳そこそこの少女の腕力ではない。しかも腹に穴が開いていながらも平然と立っている。

 少女は腹の傷よりも破けてしまった服を掴んで不機嫌そうに表情をゆがめると、ぎゅっと拳を握った。

 

「いいか? 今俺は、最高に傷心なんだ。嬉しいけど素直に喜べない、そんな気分なんだ。だから素直に八つ当たりされろ! ついでに俺の仲間が過去に受けた屈辱のぶん苦しめ!」

「ちょっとジュンペイく~ん! 仲間って言ってくれるのは嬉しいけど、ついでは酷いですよ~!」

(酷いのは貴様らだ化け物め!!)

 

 壊れた屋敷の中から標的だった聖女が少女に声をかけているが、最早全てが恐怖でしかない。

 ……そんな中、赤い外套を翻して一人の女が少女の横に並び立った。

 

「あら~。意外と早い決着になっちゃったわね。でもいいお勉強にはなったかしら? …………というか、下級でも思ったより火力たっかいわね……。それに攻撃がきかないのはやっぱり強い……。見た感じ、けしてこいつらが弱いってわけでもなかったはずだけど」

 

 この惨敗の有様では慰めにもならない女の言葉に、アッセフェルトは天を仰ぐ。…………ああ、自分の命日が美しい夕刻を抱く日であったことは、せめてもの慰めだろうか……と。

 しかし自らの余命を悟って傲慢さがなりを潜めたアッセフェルトを気にかけるでもなく、女は少女に満面の笑みを向けた。

 

「でも、ちゃんと私の声を聞いて指示を実行できていたし合格よ! すごいじゃない。一年かけてもほっとんど覚えられなかったのに、ここ最近の成長は目覚ましいわ! やっぱり新しい刺激が必要だったのかしらね~」

「…………」

「むすっとしないの。ほ、ほら。ちゃんとあとで謝るから」

「…………」

「つ~んともしないで~! ごめんってば!」

 

 が、笑みに対して少女の対応はすげない。女は困ったように眉尻を下げたが、ふと思い立ったように館を振り返り呼びかけた。

 

「で、ユリア! こいつら本当に埋めちゃわなくていいのー? ジュンペイならこの場で綺麗に大地の肥やしにしてくれるけどー!」

「あ、もう結構すっきりしたんで大丈夫でーす! 本音を言えば埋めたいですけど、やっぱりアリアデスさん達に迷惑ですしー! かよわい私の後味的にも、殺しちゃうよりは生かしたうえでもっと辱める方向でお願いしまーす!」

「わかったー!」

「あと天馬ちゃんは普通に可愛いしかわいそうなので、治してからもらっちゃいましょう! 売れますしー!」

「了解了解。じゃあその方向でー」

 

 何やらものすごく朗らかに恐ろしい会話がされている気がする。

 そう思ったアッセフェルトであったが、すでに意識を保っているのも難しく……そのまま視界を暗転させた。

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 アルガサルタの山岳部から流れ海に出る川に、裸に剥かれた満身創痍の男たちが折り重なった状態で積まれた丸太が、複数流れてきたという。

 

 

 

 

 

 

 



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19話 それぞれが思い描く再会の絵図

 閉じられていた瞼を持ち上げ、一応は他の生物と同様の視覚を有する瞳に周囲の光景を映し出す。そこに広がる風景は見渡す限りの汚泥の大地。日の光もろくに差し込まないその有様は何百年も慣れ親しんだものであるはずなのに、酷く醜悪で寂しいものに見えた。……否、親しんでなどいなかった。どこまでも厭わしい光景だったのだ。更に言うなれば鮮やかな色彩に満ち溢れた外の世界を知ってしまったから、余計にそう見えてしまうのだろう。

 

(ああ、俺の……分身体の魔力が尽きたのか)

 

 のっそりと流動する汚泥で形成された体を持ち上げる。この体には幸か不幸か嗅覚は備わっていないためなんとも思わないが、きっと嫁が言っていたように今も自分は生物にとって耐えがたい汚臭を発しているのだろう。

 ……だが、今それを指摘する者はこの場に居なかった。

 

 久しぶりに"一人"を味わうとこたえるものだなと、腐朽の大地の魔物……腐敗公ジュンペイは心の中で苦笑した。

 

 

 

 リアトリスの師匠である魔術師アリアデスの館で、聖女ユリアを狙って襲撃してきた者達を退けたまではよかった。だがその際にリアトリスが分け与えてくれた魔力を考え無しに全て使い切ってしまったため、戦闘後に少女の姿をした分身体はあえなく崩れ落ちてしまったのだ。

 そして分身体が無くなれば、ジュンペイの意識が戻るのは本体であるこの腐敗公の体。……未だ目標である自力での人化術を身に着けていないジュンペイは、嫁が迎えに来て再び術をかけてくれるまで、この場で待たなければならなかった。

 

(迎えに来て、くれるかな)

 

 魔力の譲渡のためらしいが、不意打ち気味になんの情緒もなく口づけをされた。そのことに関して「もっとロマンチックなのがよかっった!」と一人傷つき、八つ当たりも込めて敵を完膚なきまでに叩きのめした。……結果、せっかく嫁が維持してくれていた人間姿の自分を崩壊させてしまったのである。

 これは呆れられても仕方が無いだろうと納得はするも、ジュンペイの心を不安が満たしていった。

 

 ここ一年、片時も離れなかった相手と距離をおくのはこんなに不安になるものなのかと。人間の姿を手に入れてから豊かになっていった心が、寂しいと悲鳴をあげている。腐敗公としてはすでに麻痺していた諦念が、今はこんなにも感情も露わに伴侶を求めて叫んでいる。

 

 会いたい。

 

 早く、会いたい。

 

 しかし現状この体では何も行動を起こすことができない。

 ジュンペイは改めて自分の生まれ持った体と、それを縛り付ける大地を憎々し気に見つめた。そして持ち上げた体を再び汚泥の大地へと沈め、意識を濁して微睡んだ。

 

 

 百年よりも長い数日間が、早く過ぎてくれるように祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、もう。配分間違えたわ~。私渾身の可愛い可愛い分身体が消えちゃうなんて!」

 

 リアトリスは何度目かになる反省を大きな声に出しながら、腐朽の大地へ戻る道をユリアと共に歩んでいた。

 

「ふふっ。でもそれは、せっかくもらった魔力を使い切っちゃったジュンペイくんが反省すべきことだと思いますよ」

「ん~。でも、その原因を作っちゃったのは私だしね。効率重視で魔力譲渡するためっての以外に、口づけ形式は喜んでくれるかな~って思ったんだけど……軽率だったわ。ジュンペイの性格と気持ちを考えたら、そりゃ、ああなるわよね。せめてジュンペイの魔力残量を確認しながら戦わせるべきだった、ってのもあるし」

 

 再度「反省だわ」と呟いたリアトリスを見て、ユリアはふむと頷いた。

 

「なんというか、こうして見ていてもジュンペイくんより明らかにリアトリスさんの方がお姉さんですよね。向こうは百年単位で年上のはずなのに」

「今まで他者との関わりが無かったんですもの。精神的に幼いのは当たり前でしょうよ」

「それもありますけど……。もしかすると、ジュンペイくんの前世って子供だったりするのかしら」

「? 前世?」

「ああ! そういえばなんだかんだで、まだ話してませんでしたね~」

 

 ポンっと手を打って思い出したように言うユリアは、自分が立てた仮説をリアトリスに説明する。

 いわく、ジュンペイはもともと自分と同じ世界に居た人間が生まれ変わった存在ではないか……と。

 

「それであの子、自分が人間だったかも~みたいなこと言ってたのか……」

「あくまで空想にふける夢見る可愛い女の子の推測ですけどね! でも異世界召喚があるなら、異世界転生だってあるかなって。…………まあ私にしろジュンペイくんにしろ、私が好きな物語みたいに楽しい感じになりませんでしたけど」

「何言ってるの」

 

 やけに明るく言い切った前半と違い、忌々し気に……そして同時に少しばかりの哀愁を含んだユリアの言葉。だがそれを打ち払うように、リアトリスはユリアの背中を強く叩いた。

 

「わっ!?」

「私と出会ったのよ? あんたたち二人とも、今まではともかくこれから楽しくなるの! 幸せになるの! もちろん私もね」

「……! はい!」

 

 嬉しそうに腕に抱き着いてきた黒髪の少女に苦笑すると、リアトリスは「でも」と続ける。

 

「ちょっと面倒なことにはなってきたかも……。えーと、アッセフェルトだっけ? あいつから聞き出した感じだと、元クソ上司に私の生存もバレてるみたいなのよね」

「ああ、ルクスエグマの馬鹿に情報リークしたのが、アルガサルタの第四王子だって言ってましたものねぇ」

「そう、そいつ。『聖女が国内で目撃された』っていう情報を得ているなら、当然一緒に居た私やジュンペイの事も把握しているでしょうよ。きっとユリアを餌にルクスエグマの騎士を動かして、間接的に今の私の事も量ったんだわ。追手が来ても蹴散らすつもりだったから制限なしで私固有の魔術使ってたし、覚悟はしていたけれど……」

 

 言いながらも、リアトリスは怒りとおぞましさがない交ぜになったような、複雑な表情を見せた。

 

「いざ知られてるって分かると、気持ち悪いわね」

 

 

 アリアデスの館を破壊した不躾な襲撃者。彼らに関しては、命までは奪わず文字通り身ぐるみを剥いで川流しにするという措置となった。これは他国の英雄と誉れ高い騎士たちがアルガサルタの国内で死亡したことによる、国家間の摩擦を慮っての事ではない。

 単純に、彼女たちの気分である。殺めるよりも、みじめな姿で恥をかかせる方を選んだのだ。

 

 実害を受けたアリアデスに関しては、騎士たちから剥ぎ取った装飾品や彼らが乗っていた天馬を売り館の修繕にあてることで納得している。騎士たちを放流する前にいくらかの記憶も魔術によりいじっているため、後々アリアデス本人がルクスエグマから追及を受けることも無いだろうとのことだ。

 …………ただ記憶の改ざんを行ったのは彼らが襲撃した場所に関する事のみであり、リアトリス、ユリア、ジュンペイに関する記憶についてアリアデスは一切干渉していない。「自分たちの行動の結果は、自分たちで処理しなさい」とは、出立前の当たり前ながら手厳しい師匠からのお言葉である。

 ……さしものリアトリスとて、未だ他者の記憶を操る域にまでは達していない。そのためこれに感しては、大人しく受け入れる他なかった。

 

 だがその際にアリアデスが制圧した騎士の長……アッセフェルトという男から、ある程度の情報を聞き出してくれたのはせめてもの師の情けだろうか。

 

「……まあこんなことになっちゃったからお金は借りられなかったけど、シンシアが服をくれて助かったわね。もともとユリアが身に着けていた服や装飾品は全部燃やしたし、これでルクスエグマからの追跡は不可能のはずよ」

 

 出立前に旅の軍資金をねだろうとしたところ、お小遣いの代わりに拳骨をもらったリアトリスは未だこぶが残る頭部をさすりながらユリアを見る。現在彼女は露出をおさえた清楚な白い令嬢服に、紫色の肩掛けを羽織るという出で立ちとなっていた。

 ルクスエグマからの追っ手についてはおそらく、物品に対して追跡の魔術がかけられるようになっていたのだろう、というのがリアトリスとアリアデスの見解だ。今後ジュンペイを腐朽の大地まで迎えに行く間に再び襲撃されても面倒だということで、まずはその手段を絶ったのである。

 

「ふふっ、この服可愛いけど動きやすくて気に入りました! 靴まで下さって、シンシアさんには感謝ですね!」

「懐が温かくなったら、なにかお土産でも持ってまた訪ねましょうか。まあ、その前にジュンペイを迎えにいかなきゃだけど」

 

 微笑ましそうに服の裾を広げてくるくる回っているユリアを見ていたリアトリスだったが、ふいに苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。

 

「まあユリアの方はしばらく大丈夫として……。問題は私ね。あいつ無駄な事はしないから、私が返り討ちにすることを見越して国の金や自分の個人資産使ってまで刺客を送ってくるようなことは無いと思うけど……」

「あいつって、例の王子様ですか?」

「ええ。もう、聞いてよ! あの馬鹿王子、すっごい性格悪いのよ!」

 

 過去の忌々しい記憶があふれてきたのか、堰を切ったようにとげとげしい声で元上司の愚痴を吐き出すリアトリス。

 

 

 

 

 …………一方。彼女たちが居る場所からは遠く離れたアルガサルタの王都にて。

 当の元上司は腹を抱えて大笑いしていた。

 

 

 

 

「はははははははははははは! そうか、ルクスエグマの騎士殿は素っ裸で川に流されてきたのか! ははははははははははは!」

「可笑しいのは分かりますけど、もう少し声を抑えられては? 外の護衛が驚きますよ」

「お前も顔がにやけているではないか」

「ははっ。だって面白いですからね! いや~、元宮廷魔術師殿は愉快なことをしてくださいます」

「まったくだ。一緒に居るという聖女と金髪の少女も気になるが……」

 

 ひとまず笑いを抑えて深く椅子に座りなおしたのは、二十代後半ほどの血のように赤い髪をした青年だ。わずかに前髪を残し後ろになでつけた髪を整えて、そのまま紫水晶の耳飾りを長い指で弄ぶ。

 

「で? 場所は」

「それが、どうも騎士たちは自分たちが何処で敗北したのか覚えていないようで……」

「ふむ。そうなると、彼女とのつながりを含めてアリアデスが関わっていそうだな。記憶を弄る魔術はそうそう扱える人間が居ない。…………まあ多少隠蔽行為をしたところで、奴にそこまで隠す気はないのだろうが」

「あの方、その実力だけで国に圧をかけられる方ですからねぇ。問い詰めたところで『それがどうかしたのかね?』って言われて終わりですよ」

「違いない。……だから私も彼を手放すほかなかったわけだが。しかし以前筋肉のさらなる成長と鍛錬のために宮廷魔術師を辞したいと言われた時は、流石に私も言葉に詰まった」

「ああ……」

「本当は、私に付き合っているのが嫌になったのだろうがな」

 

 赤髪の男……アルガサルタ第四王子エニルターシェは、思案するように姿勢を崩して手の甲に顎を乗せた。背後の美しい細工が施された色硝子が太陽光を乱反射させ、室内に光の模様を浮かび上がらせる。

 ここはエニルターシェの自室であり、王子の対面で糸目を更に細めて笑う男は、私室に入ることを許されている数少ない側近の一人である。彼は白い手袋で覆われた指を広げると、自らの主に提案した。

 

「ですが、探せないわけではございません。今のところ彼女たち、他の国に行かずアルガサルタ国内にいるようですし。どういたします?」

「うん……どうしようね。でも連れてこさせようにも、きっと並大抵の相手では返り討ちにされるだろう。そうと分かっていて国民の大事なお金を使うのは、申し訳ないじゃないか」

「流石はエニルターシェ様! お優しい! ……ではとりあえず、場所の特定だけしてはいかがでしょうか。それなら費用も嵩みません」

「ならばヘンデル。そのあたりは君に任せよう」

「承知いたしました! このヘンデル・クロッカスにお任せください」

 

 快活な返事と恭しい礼をとった側近が部屋から出ていくと、エニルターシェは未だ笑いすぎて痙攣している腹をおさえながらかつての部下に向けて呟いた。

 

 

 

「君との再会が楽しみだ。リアトリス」

 

 

 

 

 

 

 



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20話 旦那の実家は死の大地

 アリアデスの館を出て、数日の旅程を経たのち。リアトリスとユリアは、ジュンペイが待つ腐朽の大地の淵へとやってきていた。

 眼下に毒の霧で霞む、生き物の成れの果てで形成された死の大地が見える。久しぶりに目にしたその光景に、不思議なことにリアトリスはおぞましさよりも懐かしさを感じていた。我ながら図太いなという気持ちと、慣れとは恐ろしいという諦念がない交ぜになる。複雑だ。

 

「まさか自ら腐朽の大地に来る日が来るだなんて……」

「私は二度目ねぇ。その時にユリアに会ったわけだけど、まだ大して時間も経ってないのにそれも随分前の事のように感じるわ」

「ふふっ、そうですね」

「……それにしてもなんというか、結果的にはあの小僧が望んだことを実行してるわけよね。花嫁はルクスエグマの望み通り、腐朽の大地に戻ってきたんですもの。まあジュンペイ連れてすぐに出るわけだけど」

 

 数日前、ユリアを腐朽の大地へ再び生贄に捧げんと襲撃してきたルクスエグマの魔戦騎士達。用事をすませればすぐに出るとはいえ、状況だけ見れば聖女ユリアは自らの足で彼らの望みを叶えた形となる。とはいえ、夫もとい生贄を捧げる先の魔物については、すでに双方合意で離婚しているため無意味なのだが。

 

「そういえばこの崖、どうやって下まで降りるんですか? もしかして、リアトリスさん空も飛べたりしちゃいます!?」

 

 心なしか声を弾ませるユリアに、リアトリスは苦笑しながら首を緩く横にふった。

 

「残念ながら、まだ空を飛ぶ魔術はこの天才リアトリス様にも開発出来ていないのよねぇ……。移動となると大気を巡る魔力の支流が、どうしても邪魔をしてしまうのよ」

「へえ、そうなんですか……。よくわかりませんが、リアトリスさんに出来ないってことは空を飛ぶのは並大抵の魔術では無いってことは理解しました」

「まあユリアったら、私の凄さをよくわかっているじゃない! そう、この超天才魔術師リアトリス様にも難しいの! つまり他の魔術師にはまず不可能! ……まあ、楽しみにしていなさい。いずれそんな壁、軽く超えてやるわ。いつか空を一緒に飛ぼうじゃないの」

「きゃー! さっすがリアトリスさん! 素敵! 私を空へ連れてって~!」

「ほほほ! まかせなさいな!」

 

 死がはびこる大地を目前にしているとは思えないほど賑やかな女性二人(両方元生贄)を、岩にとまった一羽の黒い鳥が呆れたように眺めている。うるさい動物がいるなとでも思っているのだろう。

 なにしろこの腐朽の大地付近には、生き物は殆ど生息していないしそもそも近づかない。静けさに支配されているこの場所を賑やかす生き物は珍しいのだ。

 

「ま、それはまたいずれ……。見てなさい、面白いものを見せてあげる。きっとルクスエグマの魔術師にだってこんなこと出来ないわ。多分!」

 

 自信満々に言う割には特に根拠のない自信を振りかざすリアトリスだったが、この場には彼女を持ち上げることに長けた少女しかいないため問題ない。案の定ユリアは興奮気味に「流石です、流石ですリアトリスさん!」と、やんややんやの喝采を送っている。そのためリアトリスは非常に気分よく目的の魔術を行使することが出来た。

 

「ふっふっふ。じゃあ期待に応えちゃおうかしら?」

 

 胸を張り自信ありげに手を添えふんぞり返ったリアトリスは、その後前屈みになり腰を下ろして地面に膝をついた。そして申し訳程度に短い草が生えた赤茶けた大地に手のひらをあてる。

 

『…………我が声よ響け。我が声を聞け。我が声に応えよ。その雄大なる身を今しばし、薄氷がごとく崩されよ』

 

 いつも自信たっぷりで、生気に満ちた声のリアトリス。そんな彼女の声が、今は驚くほど静謐な空気を纏っている。正規の魔術を知らないユリアにも、その術に相当の集中力が必要とされることが窺えた。

 リアトリスの腕からは青白い光の粒が零れ落ち、それはまるで雨のごとく乾いた大地に吸い込まれてゆく。水ではないため地面が湿ることは無いが、代わりとばかりに同質の光が円を描くようにリアトリスの手のひらを中心に地面へと広がっていった。

 やがてリアトリスの声は途切れ、結びとばかりに何かしらの呪文が大きな声で紡がれた。ユリアはそれを意味として受け取れなかったが、声をきっかけに大地に大きな変化が現れる。なんと腐朽の大地に面して屹立している崖の側面が、薄く砕けたのだ。だが変化がそれで終わるわけもなく、その砕けた岩盤は宙へと舞い見事な螺旋を描いていく。そして出来上がったのは、崖下へと続く石の階段だ。

 まるで薄い花びらが重なった様を思わせる意匠は非常に繊細だが、その階段に足をのせて確かめるように飛び跳ねるリアトリスを見るに、おそらく見た目と違って頑丈な作りなのだろう。

 

「まあ、こんなものね。用は変形魔術の応用なのだけど、ここまで美しく、そしてここまでの質量を変質させられるのはきっと私くらいのものだわ! 師匠だったらもっと武骨な仕上がりになるだろうしね! あとねユリア、これね! 絶妙な配置で石の力点が作用してるから、下に柱とかなくても崩れないのよ! 凄いでしょう!」

「詳しいことは分かりませんがリアトリスさんが凄い事は分かりました! こんなに長くて美しい階段を腐朽の大地に降りたたせた人なんて、きっとリアトリスさん以外にいませんよ!」

 

 熱心に語るリアトリスに、ユリアもまた頬を紅潮させ身を乗り出すようにして言葉を募らせた。それに対し満足そうに頷くリアトリスは、自らが形成した階段へ、谷底……大地に穿たれた毒壺のような腐朽の大地へと続く道へと踏み出した。その手は未だ崖の上に居るユリアにのばされる。

 

「本当はそれこそ空を飛ぶか宙に固定を伴って浮く魔術を開発したかったんだけどね。……まあ、これはこれで私にとってもいい修行になったわ。さ、それじゃ下に降りるわよユリア! その前に加護の結界を張るからいらっしゃい」

「はーい!」

 

 元気に返事をしたユリアは、腕をとるどころかそのままリアトリスの胸に飛び込み抱き着いた。しかしリアトリスはここ数日ずっとユリアがそんな調子だったため慣れたもので、それを受け止めるとぱぱっと軽く手を動かして呪文を紡ぐ。そして結界で包装したユリアの肩をぽんっと押した。

 

「はい、完成」

「むう……。リアトリスさんは反応が淡白すぎます。もっとドキドキしてくれていいんですよ!」

「ドキドキって……。もう、好きにしてくれていいけど私はジュンペイのお嫁さんよ? そこのところ、忘れないでよね」

「そんなこと言って、旦那様扱いしていないくせにー。私はリアトリスさんの愛人の座を諦めませんからね!」

「いつそんな話になっていたのかしら!? 初耳だけど!」

「今言いましたから!」

「なるほどわかった! いや分からないというか受け入れるつもりはないけどね!?」

「そこをなんとか! 愛しているので!」

「残念。一生涯の愛についてはもう先にもらってしまっているの。ふたつめは受け取れないわ~。男とか女とかは関係なくね。友人としてなら、もちろん歓迎だけれど」

 

 熱心に愛の言葉を紡いでくるユリアをひらひらと手をふってかわすと、一足先に階段を降りだしたリアトリス。それを見て慌ててユリアも後を追ったが、かなりの高所から下へ向けて降りていく階段……それも手すり無しでは流石に恐ろしかったらしく、下から吹き上げてくる風に体勢を崩しかけていた。

 

「うきゃあ!?」

「ああ、ごめんなさいね。ほら、捕まって」

 

 リアトリスが差し出した腕にすぐさま飛びついたユリアだったが……怖がっていた表情も体の震えもなんのその。すぐに顔を赤らめて、うっとりとした表情を浮かべる。

 

「リアトリスさん、やっぱり素敵」

「あら、ありがとう。嬉しいわ」

「もう、さらっとかわしてくれちゃいますね! 私はこんなに好きなのに!」

「その気持ちは嬉しいけど、愛人だのなんだのは飛躍のし過ぎよ。一回、愛に騙されて懲りたでしょう? ……そのねぇ、自分で言っちゃうのもなんだけど、私にはあなたの力を利用したいって考えがあること忘れてはいけないわ。もちろんユリアも私を利用する気で居て頂戴。愛情に即した不確かな信頼よりも、よほど安心できるでしょうよ。そういった利害を前提にして、あなたとは良い関係を築いていきたいの」

「何やら煙に巻かれているような……」

「巻くどころかかなり明瞭に言っているつもりだけど!? 私も、あなたの事を気に入ってきているのよ。最初から嘘はついていないけど、こうして盲目的に感じる時に釘を刺す程度には」

「気に入っているのに釘を刺すんですか?」

「ちゃんとあなたの目が正しく周りを見れるようにね。ほら、親切でしょう?」

 

 段々と話の本質が迷子になってきたことを感じつつも、リアトリスはつらつらと言葉を紡ぐ。好意を向けてくれることは結構だが、盲目的になられては逆に重荷だ。本心からユリアの事が嫌いでないだけど、適度な距離は保っておきたい。

 

「…………。しょうがないですね、今はそれでもいいですよ。でも、私がこの世界に居る限りずっとそばにいてくれますか? それだけちゃんと約束してくれたら、嬉しいです」

「むしろ歓迎よ。まあ、友人としてだけどね。それに最初に一緒に行きましょうって言ったのは私よ。途中で放り出すような無責任なことしないわ」

 

 うっとりと呆けたような表情から一転。心細さを投影したような表情を見せたユリアに、リアトリスは安心させるように言葉をかける。そして、"もう一人の寂しがりや"を脳裏に描いた。

 

(あの子、寂しがってないかしら。本体はあんなに図体でかいのに、心は本当に繊細だものね。めそめそ泣いて、せっかく居住区にした生命樹が汚泥で埋まっていたらどうしよう)

 

 最初から独りぼっちだった、長い孤独を過ごしてきた腐敗公。見知らぬ世界に放り出され、偽りの愛に騙され放り出された聖女様。

 ……つくづく奇妙な縁もあったものだが、リアトリスはこの旅を楽しいと思い始めていた。もともと嫌なわけでもなく、むしろ自らの野望のため精力的に挑む心持だったが……ようやく「楽しむ」余裕を自覚出来てきたのだ。

 

(どうせ旅するなら、楽しい方がいいものね! そしたらさっさとジュンペイ迎えに行って、そのあとは……やっぱり金策ね。旅するなら名物名産娯楽各種、楽しまないと損だわ!)

 

 打算が第一その他は二番。だがリアトリスは手を抜く気は毛頭ない。

 

「さ、早くジュンペイを迎えに行きましょうか! そのあとは適当に盗賊か魔物でも狩ってお金を稼ぐわよー!」

 

 気合を入れて進む先は死の領域。だがすでにそこは、リアトリスにとって懐かしき旦那の実家である。恐怖などあろうはずもない。

 

 うら若い乙女はこうして二人、毒の霧逆巻く大地へ降り立つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

+++++++++

 

 

 

 

 

 

 

 一方、嫁の迎えを待つジュンペイだったのだが……。

 

『なんで、こういう時に!』

 

 一度は待とうと思いふて寝(気分)していたのだが、あまりにも寂しかったためついつい自ら腐朽の大地の端の方までその巨体を移動させてきてしまっていた。方向はこの腐朽の大地をアルガサルタ付近に向けて出る時、リアトリスと共に通ったものを選んだ。うまくすれば迎えに来てくれているリアトリス達と途中で合流できると思ったのである。

 正直腐朽の大地で唯一まともな足場のある中心地区から動くのは、リアトリスに怒られるかもしれないとも思った。だがこの腐朽の大地は魔術師の魔力を分解する作用があるため、自分からの補給が無い状態のリアトリスに負担をかけないためにも早期の合流はけして悪い手ではないとも思っている。……といってもそれは建前で、本当は少しでも早くリアトリスに会いたいだけなのだが。

 

 …………だが、ジュンペイの本体。世界に腐敗公と恐れられる大魔物が、腐朽の大地の中心から移動することは実に十数年ぶりである。"彼ら"にとっては。

 一年前もリアトリスを迎えに動いたが、その時は移動方向が彼らの検知範囲に無い場所だった。

 腐敗公の移動、それすなわち人間及び魔族の領土の侵食に繋がる大災害。……よって、自分たちが守護すべき領域に彼の大魔物が近づいていることをいち早く検知した者達が行動を起こした。

 

 すなわち、腐敗公討伐隊の襲撃である。

 

「世界に仇成す魔物よ! 貴公をこれ以上進ませるわけにはいかない! たとえこの命燃え尽きようとも、ここで貴公を食い止めて見せる!」

「ええ、その通りよ! ……この先の領土、私たちの国をこれ以上飲み込ませない。今年はただでさえ不作で民は困窮しているわ。これ以上苦しませるものですか!」

「勝てるなどと思っていないが……それでも! 俺は戦う! 国と、愛する家族のために!」

(や、やりづらい……)

 

 何やら使命感に燃える瞳で対峙するのは三人の人間。討伐隊、と称するにはあまりにも少ない数だろう。この間魔族から助けた冒険者たちと同じ程度だ。腐敗公に差し向けられる討伐隊としてはあまりにも脆弱であるが、彼らの言葉から推測するにこの三人は国の命令などではなく、自分たちの意志で出向いてきたのだろう、ということがなんとなく察せられた。満ち満ちる正義感は、常識が育まれたジュンペイにやり辛さを感じさせる。

 

 リアトリスに出会う前は攻撃してくる人間や魔族など、問答無用で溶かしつくしていた。自分はもともと戦いたくなどないのに、話も聞かず攻撃だけしてくる手合いにかける慈悲などありはしない。

 ……だが、ふと思う。

 

(でも、俺もいつのまにか……対話そのものを諦めていたのかも)

 

 最後に襲撃者に対して「攻撃しないで」「話をしよう」と話しかけたのは何年前だっただろうか。……何十年前かもしれない。諦念に支配された思考は、いつの間にか努力を放棄していた。

 仕方のないことかもしれないが、せっかく新たな転機を得たのだ。これまでと同じでいてはいけない気がする。

 

(……よし!)

 

 ジュンペイは一つ決意すると、汚泥をこぼしながら触手を手のように動かした。それに対し襲撃者の三人は身構えるが…………ジュンペイがとった体勢……というより形と、ハキハキとした声質で伝わってきた思念に思わず体を硬直させる。

 

『あの! 俺、ジュンペイといいます。攻撃しないので、まず俺の話を聞いてくれませんか!?』

 

 可憐な少女のような声と、二本の触手を頭上にあげた……まるで降参するような姿。

 それを見た襲撃者である男女三人は腐朽の大地に分解されていく魔力とは関係なしに、妙な脱力感に襲われるのだった。

 



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21話 慌ただしい再会 ★

 もうすでに慣れたような足取りで汚泥の大地を進むリアトリスと、まだ歩くには慣れず、しょっちゅう地面に足をとられ転びそうになるユリア。

 そんな二人がなんとか汚泥に埋め尽くされた道なき道を進んでいたのだが……。ジュンペイが居るであろう場所まで数日はかかると思われていたにも関わらず、一日目にしてなにやら見覚えのある小山を発見した。

 まだ遠くであるが、この全てが腐敗し溶けおちる大地は地面の起伏がある以外は特に遮蔽物もなく視界が開けているため、その目立つ存在はすぐに見つけられた。

 

「あら、気が利きますね! ジュンペイくんの方から来てくれたみたいですよ、リアトリスさん!」

「みたい……だけど。んんん? 何か様子が変ね」

 

 いいところを見せようとして我慢していたものの、これ以上歩かなくていいと分かるやユリアの表情が明るくなる。が、対してリアトリスの様子は渋い。

 よくよく目を凝らせば、薄暗い中にチラチラと光のようなものが散見された。先日実戦で見事に下級ながら術を使いこなせたこともあって、最初はジュンペイが魔術の練習でもしているものかと思ったが……どうにも様子がおかしい。

 

「……もしかして、誰かと戦ってる?」

「え? ……こんな場所で?」

 

 ユリアは生贄にされた際、使い魔に運ばれた先がリアトリスが生活圏として確立した生命樹だったがために運良く飢餓のみですんだ。そのため体内の力までもが分解されていく恐怖は実感として味わっていないが、この腐朽の大地がどういった性質を持つ場所であるかは、道中リアトリスに教授してもらっている。そのためこの場所で戦う事がいかに無謀であるかも理解していた。少なくとも自分なら絶対にごめんである。

 

 その無謀をやってのけ、結果的に世界最強と言っても過言ではない魔物の心を射止めた女がすぐ隣に居るわけだが……。

 

「……少なくとも人間領としてはここ数十年記録に無かったけど……久しぶりに腐敗公討伐にどっかの国が乗り出したのかしらね」

「う~ん、私たち……ルクスエグマの魔王討伐が成ったから、それを聞いて腐敗公もやっつけられる気になっちゃったとか?」

「魔王討伐と腐敗公討伐は同列の難易度じゃないわ。まだ腐敗公の恐ろしさが理解されていなかった昔ならともかく、今じゃよほど切羽つまらないとやらな……」

 

 言いかけて、しばしの思案。そして納得したように頷き、リアトリスのくすんだ金髪がゆれた。

 

「……一つ思い当たる所、あったわ」

「誰が襲撃者かわかったんですか?」

「予想だけど、レーフェルアルセって国の人間かもね。あそこ魔族の被害も大きいうえに土地も貧しい、腐朽の大地に面してるって三重苦の国だから……。その分、腐敗公の動きにも敏感になるんでしょう。ジュンペイの本体がこんな淵の方まで来るのは久しぶりだから、焦ったんじゃないかしら」

 

 口元に手を当てて思考するリアトリスに、道中の暇つぶしの中で聞かされたジュンペイと彼女の出会い話を思い出しながらユリアが首を傾けた。

 

「? でもリアトリスさんが最初にジュンペイくんと出会った場所って崖下だって言ってましたよね?」

「あの時はどの国も花嫁を捧げる周期だって、分かっていたはずだもの。今回は花嫁が捧げられる時期でもないのに腐敗公が移動を始めたわけだからねぇ……焦ったんでしょ。無謀な戦いを挑む程度には」

「ああ、なるほど。恐怖の対象が理由の分からない動きを見せたら、怖いですよねぇ……」

「そういうことね。……とりあえず、急ぎましょうか。ジュンペイがいるなら魔力の節約を考えなくていいわ。一気に向かうわよ。掴りなさい、ユリア!」

「はい!」

 

 快活な返事と共に腕に抱き着いてくる少女の腰に腕をまわすと、リアトリスは足元に逆巻く風のイメージを作り始める。

 空こそ自由に飛ぶことは出来ないが、地に面している場所を移動する分には風を操れば問題ない。本来魔力の節約のためにもう少し中心部に近づいたら使うつもりだったが、補給のめどがついたのだ。ここで使わないのも馬鹿らしいだろう。

 

 淀んだ空気が巻き起こった風の白刃に、一時的に切り払われる。リアトリスは発生させた風によって疑似的な"道"を前方に形成し、それに乗って地面を滑る……否、飛び跳ねるように汚泥の上を移動し始めた。

 その勢いはなかなかに激しく、ユリアは振り落とされないようにリアトリスの外套をぎゅっと握る。そのかいあってか、遥か遠方に見えていた小山があっという間に本来の大きさに視認できる位置までは早かった。ごりごり魔力残量が減っている感覚に顔をしかめるが、そればかりは仕方がない。この土地は、そういう場所なのだから。

 

 

 そして間近に迫った二人に気付いた小山こと、この大地の支配者であり唯一の住魔物……腐敗公ジュンペイ。

 彼が発した思念による第一声は、非常に情けない声色のものだった。

 

『! あああああ! い、いいところに! リアトリス、リアトリス! 助けてお願い! 俺何もしてないんだけど、この人たち死にそう! 死なせないで!』

「はぁ?」

 

 あまりにも情けない声にリアトリスが眉を顰める。が、まずは状況を把握しようと、ジュンペイの巨体に隠れて見えなかった敵対者に視線を向けた。

 

【挿絵表示】

 

 

 敵対者の数は想像以上に少なく、全部で三人。女が一人と、男が二人だ。…………だが今にも死にそうな顔色で必死に攻撃を試みる三人のうち、一人はすでに地面につっぷし汚泥に沈みかけていた。あれではたとえ生きていたとしても、腐朽の大地の肥やしになるのは時間の問題だろう。

 

「くッ! この、化け物め!」

「どんな可憐な声で擬態したって、騙されるものですか! 我々は諦めずに戦う!」

「その声も今まで犠牲になった花嫁の声を真似ているのだろう! おぞましい!」

「先に倒れたドイスのためにも、負けるわけにはいかない……!」

 

 威勢こそいいが、その有様は死に体だ。むしろ喋る元気を生きる方向に割いてはどうか、と気づかわしく思えてしまう。

 彼ら今にも崩れ落ちそうな体を、それぞれ杖と剣で支えている。この腐朽の大地では必須である、加護の結界にろくに魔力もまわざず魔術での攻撃を試みる……それは気概こそたいしたものだと感心するが、立派な自殺行為だ。

 彼らの末路は倒れ伏し、汚泥に沈み始めているもう一人の仲間と同じものとなるだろうことは想像に難くない。

 

 リアトリスとユリアは顔を見合わせると、どちらともなく頷いた。

 ジュンペイを攻撃している相手ではあるが、その攻撃されている当の本人が助けたいというならば助けよう。このまま傍観していた場合、十割の確率で三人全員が息絶えるはずだ。ジュンペイの見た目にそぐわない常識的で清らかな内面を知るだけに、そんな彼の心を痛めさせたくはない。

 

 まず優先すべきは意識を失って倒れている人間の救出だろうと、リアトリスはその体がこれ以上沈まないように加護の結界を張った。離れた場所から汚泥を介して伸ばすように張った結界が、まるで海に浮かぶ救命のイカダのように体の支えとなる。

 その後伸ばした結界を汚泥ごと流動させ、自身の足元まで引き寄せた。そしてすかさず、気絶した男が死なぬようユリアが回復を施す。相手が男だからか、汚いものをつまむように触ったのはご愛敬だ。

 幸い衰弱はしているものの体に溶けた痕跡はなく、地に付してからさほど時間が経っていないことが窺えた。

 

「!? ドイス!?」

「な……人!?」

 

 そして近くに倒れていた仲間がいきなり移動したことで、ようやく残りの二人……杖を構えた初老の男と、剣を構えた美しい銀髪の年若い女がリアトリスとユリアに気付いたようだ。

 助け出した彼らの仲間、中年の男に肩を貸しとりあえず汚泥から引き揚げたリアトリスは、ふうと一息吐いて声を張り上げた。

 

「そこの二人、すぐに攻撃を中止しなさい! その子……腐敗公に攻撃の意志は無いし、このままじゃあんたたちも無駄死にするだけよ! 殺されるんじゃなくて、自滅という馬鹿みたいな死に方でね!」

 

 しかしリアトリスの呼びかけ空しく、返された眼光は鋭い。

 

「攻撃を、中止? 何を馬鹿なことを! ……いや、こんな場所にあのような乙女が二人も居ることがまずおかしい。その口ぶりといい、腐敗公の少女を模した声といい……。貴様ら、腐敗公の魔術が見せる幻惑だな!?」

『いや、俺はまだそんな魔術つかえな……』

 

 師匠に「ドベ」と言われ、かろうじて下級の攻撃魔術と書記魔法しか使えないジュンペイがおずおずと白状する。が、残念なことにそれは誰も聞いていない。

 そして相手方はなにやら自分たちで勝手に何かを納得したようだ。初老の男の推察に、女がはっとしたような顔で頷いている。

 

「! なるほど、そういうことか! …………無駄死に? そんなこと、分かっている! 腐敗公に敵わぬことなど最初から! だが、それでも……! 黙って進ませるわけにはいかぬのだ。他の国ならまだしも、我らの国は、これ以上……!」

 

 死に体のわりにあまりにも切迫した様子で訴えるため一瞬言葉に詰まったが、リアトリスは今度は落ち着いた声色で言葉を投げかけた。

 ちなみに声を張り上げなくても聞こえるよう、言葉は風の魔術を利用して相手に届けている。

 

「……落ち着きなさい。まず、私たちは幻覚ではないわ。私は元アルガサルタの宮廷魔術師であり、腐敗公の花嫁。名前はリアトリス・サリアフェンデ」

「な!?」

「アルガサルタ……!? いや、しかし花嫁が生きているなど!」

 

 自分たちを惑わせる幻だと思っていた相手から具体的な国の名前と役職、本人の名前を名乗られたことで相手が一瞬ひるむ。だがすでに極限状態に中に居るらしい男性と女性にはそれ以上声が届かないらしく、すぐにその瞳と声は否定の色に塗りつぶされた。

 

「あの、リアトリスさん。多分あの人たち、現状を正確に受け入れられる精神状態にないと思いますよ?」

「う~ん……それもそうねぇ……」

 

 ユリアの言葉に、リアトリスもまず相手方の心に余裕を持たせることが必要かと納得した。

 なにせ今の彼らは身を守る結界の維持もままならないほど、魔力と体力を消耗している。少しでも気を抜いたら即座に腐朽の大地に呑まれ躯と化す現状で、まともに話し合いなど出来るはずもない。

 リアトリスはユリアに救助した男性をまかせると、風を魔術としてつむぎ可視化させものを男性と女性に放つ。それは青白い光を帯びた銀鱗の小龍の形をとり、彼らを取り囲んだ。

 当然相手は警戒するが、消耗した彼らが行動するよりもリアトリスの魔術の完成の方が早い。

 

『銀鱗舞い散る風編み籠よ、天露(あまつゆ)のごとき加護となり顕現せよ』

 

 結びの言葉は力となり、男性と女性を守護する結界が形成される。流石にそこまでいけば自分たちが何をされたのか理解したのか、二人の人間からは敵意よりも困惑する気配が強く窺えた。

 

 だが二人に声をかける前に、リアトリスは自分の夫の側まで近づき巨体を見上げた。

 

「…………攻撃されていたみたいだけど、死なせたくないと思ったのよね? これでよかったかしら」

『う、うん』

 

 今の姿では何倍も自分の方が大きいというのに、見つめられて動揺したのは腐敗公ジュンペイの方だ。

 しばらく体をくねらせもじもじ動いていた彼だったが、数十秒後にようやく嫁を見る。…………迎えに来てくれた、数日ぶりに会う自分だけの花嫁を。

 

 薄青い碧眼と、空のような紺碧の単眼が互いの視線の先で交わった。

 

『…………その、ありがとう。俺も一応会話を試みたんだけど、やっぱり聞いてもらえないし、信じてもらえないしで……。やっぱり俺、化け物だもんな……。ほんのちょっとの間しか人間の姿で過ごしてなかったのに、忘れかけてた……嫌われ者だってこと……』

 

 発せられた言葉の内容が不満だったのか、リアトリスの目尻がわずかに吊り上がる。

 

「ちょっと、いきなり湿っぽいわねー。そんなの分かり切ったことでしょう? だから、その姿から抜け出せるように私が魔術を教えてあげてるんじゃない。その姿をどうにかすることは、私たちの幸せ未来にとって必須事項だもの。どうせ未来は明るいんだから、そんなことでしょげてるんじゃないわよ」

『そ、そうだけど……! でも、俺リアトリスのおかげでちょっと前向きになれたんだ! だからもしかしたら、諦めないで対話すれば話を聞いてくれるかもって……。……なのに全部無視されるのは、やっぱりきついよ』

 

 そのしょげた声に、リアトリスは呆れたように息を吐き出した。

 

「……あのねぇ。世界最強格の魔物なのよ? あんたは。そりゃあ話を聞いてもらえないのは臭いし気持ち悪い見た目だって理由も大きいだろうけど、もっと堂々と話せばいいのよ。中途半端に柔らかい言葉を使うからもっと気持ち悪いし、下手したら侮られるわ。その姿でなめられてどうするの!? もっと強者として恐れられる事を誇りに思いなさいよ!」

『相変わらず酷い事包み隠さず言うよね!? というか俺はこの姿にも力にも誇りとか感じたこと無いよ!』

「あ、ごめん。つい勢いで」

 

 見た目のせいで苦労してきたのに、何故そこに誇りなど見出さねばならないのか。ジュンペイは巨大な単眼を潤ませ、さらに訴えた。

 

『勢いで矛盾をぶち込んでこないでよ! この姿をどうにかしたいのにこの姿で話す時は堂々と誇りを持てって意味わからないからね!? 出来ればもうこの姿で誰かと話したくないよ俺! あのね、俺は恐れられるんじゃなくて、対話が出来るようになりたいの! 仲良くなれるように、したいの!!』

「あ、あはは。ごめんて」

『…………俺、リアトリスが宮廷魔術師"長"になれなかった理由分かった気がする……』

 

 べしょっと体をやや平たくさせたジュンペイは、おそらく人間の姿であれば肩を落としていたのだろう。腐敗公姿のジュンペイにも慣れているリアトリスには当然それもわかるので、やや気まずそうに頬をかきながら視線をそらしている。

 

「……まあ、あれね。とりあえず死なせたくないっていうなら、説明が必要だわ。ついでにあわよくば、これをきっかけに腐敗公がもう花嫁を求めていないことを周辺国家に広められたらいいんだけど……」

 

 目をそらしついでに、どうやらこの面倒ごとを利用する算段をつけ始めたらしい。頼りになるようでいて、どうも勢いで生きている嫁にジュンペイは「俺、もっとしっかりしないと……」と決意を深めた。

 

 

「あ、あの……」

 

 そして一方だけで話を進められると、困るのは結界だけ張られて放置されている襲撃者達だ。自分たちが最初に施されていた加護の結界などよりよほど強固かつ……多少癒しの効果さえも含まれているそれに、感謝よりも困惑の色が強い。

 そこで先に救出した男をまかされ、体こそ支えているものの嫌な顔をしていたユリアが声をかける。

 

「リアトリスさ~ん。もしお話するなら、まずジュンペイくんをまた人間の姿にした方が早くないです~? このままじゃ、警戒をとくにとけませんよ、その人たち」

『そ、そうだよリアトリス! 来て早々、悪いとは……思うけど……その……あと……迎えに来させて……ごめん……』

 

 現在思念を利用しているため直接喋っているわけでもないのに歯切れの悪いジュンペイに、リアトリスは少々ばつが悪そうに頭をかいた。

 先ほどまでの勢いは何処へやら。……今の声色は、再び覇気を欠いている。それが自分のせいだと分かっているだけに、彼女にしては珍しく申し訳なさが先立っているのだ。

 

「いえ、悪いのも謝るのも私だわ。あなたの気持ちを考えなくて、ごめんなさい。あと魔力の配分を指示しきれなかったから、先生としても失格ね。補給に戻る前に分身体が崩れてしまったのは私の責任よ。迎えに来るのは当然だし、ジュンペイが謝ることじゃないわ」

『そ、そんなこと!』

「もう、またどもり癖が戻ってるわよ! その姿だと本当に自信がないのねぇ……」

『うぐ……!』

 

 びしっと指をさされての指摘に、ジュンペイはその小山のような体を再度平たくさせる。へこんだらしい。

 

『…………ところで、リアトリス。すごく誠実に謝罪してくれているところ悪いんだけど……鼻つままれたまま言われても傷つく……』

「ええ? だって臭いんだものー! そこの二人に結界張っちゃったから、自分に対しての臭い対策まで力が回せないのよ。さあさ、そういうわけで一回補給させてちょうだい!」

 

 謝罪したときの申し訳なさそうな顔から一転、ざっくり切って捨てたリアトリスはすぐさま夫に図々しく魔力の譲渡を要求した。そして置いてけぼりをくらっている襲撃者の前で腐敗公の瞳をかじるという行為をやって見せて、再び彼らを混乱の渦に叩き落す。

 

「ふ、腐敗公の瞳を!?」

「バーティ殿! 結界を張ってくれたとはいえ、やはりあのようなやから信用できません! 戦いましょう!」

「あ、待ってください待ってください! 気持ちは分かりますけど、ややこしくなるのは勘弁ですよ! まずはお話を聞いてください!」

 

 一刻も早く男の体から離れたいユリアが、これ以上誤解を深めないように焦ったように言葉を投げかけた。

 

 

 

 

 落ち着いて話せるようになったのは、これから一時間以上も先の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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22話 次の授業地へ向けて!

 本来生き物の気配などしない腐朽の大地が、一部だけにわかに騒がしくなってからしばらく。

 

 ジュンペイ自ら腐朽の大地の端まで移動してきたことで、わざわざ中心地まで戻る必要は無くなった。ただ難点があるとすれば、腐朽の大地で唯一まともに人間の暮らしが出来る生命樹から遠ざかってしまったことだろうか。

 そう思いつつ、リアトリスは夫の本体をしげしげと眺めた。

 

「ジュンペイの本体を置いていくとなると、今後拠点はここになるわけよね。距離的には近くていいんだけど……」

「戻ってくることがあっても、それはジュンペイくんの分身体に魔力を補給するためでしょう? なら長居することもないですし、このままでいいのではありかせんか?」

 

 ユリアの言葉にそれもそうかと納得すると、リアトリスは見上げていた視線を今度は下方へ……すぐ横下にある金色のつむじを見つめる。

 

「というわけでジュンペイの本体はここに置いていくけど、いいかしら?」

「問題ないよ。俺としてはこの大地のどこにいたって同じだから。リアトリスが不便を感じないなら、それでいい」

 

 少々ぶっきらぼうに答えるその声は鈴を転がしたような、可憐な少女のもの。相変わらず最高に可愛い出来栄え、私の術ってば最高! と心の中で自画自賛するリアトリスだったが、さすがにそれを表に出すことは控えた。こんな可憐な姿をしておきながら、そして無垢な少女のような心をしておきながら……しっかりと「自分は男である」という矜持を持っているのだ。この旦那様は。

 軽率な行動で傷つけてしまったばかりだ。思ってはいても、今は口に出すべきでないだろう。

 

 そしてその可憐で乙女な、リアトリスの手により再び分身体のみ人化を果たした腐敗公ジュンペイは、現在巨大な汚泥の塊である本体と一本の触手で繋がっている。

 リアトリスとしてはもう見慣れたものだが……この大地で新参者である彼らにとっては、そうではなかったようだ。

 

「しょ、少女が腐敗公に操られている! あのおぞましい触手を切り離さなければ……!」

「そもそもあの子はどこから出てきたの!?」

「やはり得体の知れぬ相手。信用などするべきでは……!」

 

 さきほどまで一方的にジュンペイに攻撃していた三人の人間が恐れおののき警戒する様を見て、リアトリスは「気絶させちゃった方が早いんじゃないかしら……」などと考えていた。ジュンペイの意志をくんで助けてやったし攻撃していないが、全てを親切にすませてやる義理も無い。黙って大人しくこちらの説明を聞く気が無いのなら、ぶちのめして力関係を教え込んでやってから話をすればよいのだ。

 ……とはいえ、それをしてしまえば彼らを対話を試みようとしたジュンペイの心を踏みにじるだろう。リアトリスは「なんだかんだでジュンペイに甘いわ、私……」と胸中で嘆息しつつ、ならば親切にしてやる分は役にたってもらおうかと、品定めするように三人の人間を眺めた。

 

 一人は深緑の外套を着こみ杖を持った初老の男。

 一人は鎧に身を包み剣を持つ銀髪の女。

 そしてユリアが回復させてやった、茶髪の皮鎧を着こんだ男。

 

 腐敗公討伐のため乗り込んできたにしては、あまりにもお粗末というか無謀な人数だ。……などと、かつてたった一人で腐敗公に勝とうとしていたリアトリスは自分の事を棚に上げて考える。

 だがもし彼らがリアトリスの予想する国の人間ならば、自分たちや彼らの今後にとってまったく無意味ということもないだろうと結論付けた。

 

 となれば、やはりまず色々と説明をしなければならない。

 そしてそのためには、この場所は不適切だ。

 

「何はともあれ、ここじゃ落ち着いて話も出来ないわ。詳しい話は腐朽の大地を出てからにしましょう。言っておくけど、あんたたちにかけてる結界の維持をしているのは全部私なんですからね。せいぜい感謝して、今は黙ってついてらっしゃい」

「それは……! か、感謝している。これだけの結界を顔色も変えず複数維持するお力、お見事という他ない……」

「あら、ありがとう」

 

 褒められることが大好きなリアトリスはかろうじてその一言で機嫌を良くし、最低限なら彼らを気遣ってもよいかと考えを改めた。単純である。

 そして腐朽の大地を出ることに決めたのはいいが……。

 

 いざ端の端。腐朽の大地と生命溢れる大地を隔てる断崖絶壁までやってくると、そこで最低限の気遣いは早くも終わりを告げた。主にこちらの都合のために。

 

「あああああああああああああああああ!? ふ、腐敗公!? いとけない少女が小さな腐敗公に!?」

 

 かさついた声を皮切りに、続いて甲高い女の声と野太い男の悲鳴が響く。

 

「やめ、やめろ! うわああああ!?」

「うあああああああ!? お、俺はやはり死ぬのか!? い、いやだ! せめて戦って死にた……ぎゃああああああああ!?」

 

 仲良く順番にそれぞれ喚いているさまを、リアトリスは日の光もないのに手でひさしをつくりながらぼんやりと見上げていた。

 

「お~……。わめいてるわめいてる。でっかい声ねぇ。もう豆粒みたいになってきたのに、よくここまで聞こえるものだわ」

「そりゃ、あれは怖いですよ……」

 

 同情をふくんだユリアの声色に、そういえば初回はユリアも叫んでいたなと思い出すリアトリス。おかげでアリアデスの館に行くときの岩山上りでは、怖がってはいても多少の耐性ができていたようだが。

 そして彼女たちの視線の先には、小さいながらもとの腐敗公の姿に戻ったジュンペイが触手で襲撃者三人を巻き取り、先に崖の上にのばしていた触手を引き寄せてよいしょよいしょとばかりに崖を昇っている姿が見て取れた。

 

「リアトリスさんも人が悪いですよね。初めてここから出る時に私もアレでしたけど、石の階段作れるなら教えてくれればいいのに」

「この高低差、自分の足で登りたい? 降りるならまだしも、階段で一歩一歩上がっていくのよ」

「今回もジュンペイくんにお願いしちゃいましょうかね!」

 

 すぐさま手のひら返しをきめたユリアに、リアトリスは自分も人の事は言えないが分かりやすいなと感想を抱いてから改めて崖を見上げた。

 ……瘴気の影響もあるが、単純な高低差でも到着地点が霞んで見えないような崖を階段で登りたくはない。下りの時ですら消耗が激しいのだ。

 だが少々納得がいっていないのか、ユリアは少しだけ口をとがらせる。

 

「でも、それを岩山を軽々登れちゃうリアトリスさんが言っちゃいます?」

「師匠の所の岩山は多少体力を必要とするけど、あれは修行用だもの。魔力の扱いを覚えれば登れるようになっているわ。でもこの崖はそうじゃないし、よしんば魔術頼りの身体強化で登れたとしても、時間がかかりすぎて途中で魔力がきれるわよ。崖を昇り切るまでが腐朽の大地の範囲内だから」

「ああ~……なるほど」

「逆にこっち側に入る時なら、ジュンペイの本体っていう魔力の当てがあるんだけどね~」

「ふむふむ」

 

 リアトリスの結界に守られているとつい忘れそうになるが、ここは腐朽の大地。魔力が異常に消費される土地である。一緒に腐敗公が行動しているとはいえ、今の彼は分身体だ。定期的に本体から魔力を補給しなければ分身体は消えてしまうため、その彼から魔力を補給するのは難しいだろう。

 その中で他に手段があるのなら、わざわざ危険を冒すより当然そちらを取る。初めて体験する彼らに関しては、少々かわいそうであるが。

 

 そしてその後。

 三人を崖上まで無事に運び終えたジュンペイが戻ってきて、今度はリアトリスとユリアが同じ方法で運ばれた。リアトリスとしてはこの間に例の三人が逃げてしまうのではと危惧したが、よく考えてみれば危惧する事でもなんでもない。その時はその時で、奴らなど無視して再び旅に戻ればよいのだ。

 

 

 

 だが、リアトリスの考えに反して三人はちゃんと崖の上で待っていた。顔色は最悪だが、一応こちらの話を聞く気はあるらしい。

 

「お待たせ。良く逃げなかったわね?」

 

 軽い皮肉をこめてリアトリスが言えば、初老の男が苦々しげな表情でもって答える。

 

「我らは決死の覚悟でここまで来た。腐敗公を足止め出来ぬのあれば、少しでも情報を持って帰らねば祖国に顔向けができぬ。……説明してもらいたい。今、腐敗公はどのような状態なのだ。その少女は? お前たちは?」

「私はさっき名乗ったじゃない。……まあいいわ。こんな殺風景な場所じゃ落ち着けるとは言えないけど、先延ばしにしても面倒なだけだしね。さくっと説明しちゃうから、まあ座んなさいよ」

 

 リアトリスに促されて、手近な岩や朽木が倒れた丸太にそれぞれが腰を下ろす。

 それを見届けると、リアトリスは余計をはぶいた簡潔な説明を述べた。

 

「私はさっき名乗った通りよ。元アルガサルタの宮廷魔術師、リアトリス・サリアフェンデ。一昨年、腐敗公に花嫁として捧げられたわ。そしてその旦那様、腐敗公がこの子……ジュンペイよ。でもって今年の花嫁としてルクスエグマから捧げられた花嫁、ユリア・ジョウガサキ。あ、でもこっちは双方同意で離婚済みね。今は私がこの子の唯一のお嫁さん」

「この子って言わないで……」

「見ての通り、人の姿をとっているけどこれは私の人化の術によるものよ。で、余計なことをはぶいて言っちゃうと腐敗公に私たち、人族や魔族に好んで敵対する意思はない。花嫁も、私が居るから今後もう必要ではないわ。とにかくあんたたちが危惧している生存圏への侵食は今後あり得ない。よろしくて?」

 

 蚊の鳴くような声での主張はあっさり流され、ジュンペイはしゅんと肩をおとした。

 旦那様などと紹介してくれてはいるが、自分は未だに彼女の中で男として、夫として見てもらっていないのだと思い知る。……打算抜きにしても大事に想ってくれている事はわかるし、それを自分がとても嬉しく感じている事は事実。しかしそれでも、早くこの身を自分の力で人化させて、本当の意味で夫婦になれることを望んでやまない。

 

 そんなジュンペイの複雑な魔物心をよそに、説明を受けた三名はそれぞれが説明された実情を簡単には信じられない様子だった。

 当然だ。何百年も連綿と続いてきた忌々しき腐敗公と、この世界の命ある者達の因縁、契約。それがこんな説明一つで信じられようはずもない。あっさり受け入れ理解を示したアリアデスとシンシア……オヌマなどのリアトリスの知り合いや、ユリアがおかしいのである。

 しかし喚きたてる三人を前にジュンペイがリアトリスに促され再び腐敗公の姿をとれば、彼らも黙り込む。ほかならぬ証拠が、話の裏付けが……目の前にあるのだから。

 

「これを見ても、私の説明が嘘だと?」

「それは……」

「ユリアのことがあったからね。これ以上花嫁を腐朽の大地に送られても困るし、何らかの形で今後は花嫁が不要であると世界に知らしめる必要があったわ。……そのために、まずあなたたちの国が認知してくれると嬉しいのだけど」

 

 あくまで提案するように穏やかな声色を心掛けて言ってはみるが、三人から警戒、疑念、当惑の気配は薄れない。おそらくこのわずかばかりの時間では、事態のすべてに思考が追い付いていないのだろう。

 かといってこれ以上時間を割いて、心を砕いて説明するのも面倒だとリアトリスは腕を組んで思案する。

 

 ……そして、ぽんっとひとつ閃いた。

 

「ねえ。こういうのは、どう? あなたたちの国……レーフェルアルセを腐敗公が救うという形で、実績をもって敵対者でないと証明するのは!」

「ちょ、リアトリス!?」

 

 寝耳に水とばかりにジュンペイがリアトリスを見るが、当の彼女は「我ながらいい考え!」という感情を隠しもしない表情を浮かべている。そしてジュンペイを見ると「まあ、私に任せなさい」との一言だ。

 ……嫁を信じていないわけではないが、不安がぬぐい切れない。自分に手を差し伸べたことから始まり、何かと彼女は突拍子もないことをするし、言う。

 

「な、何を言い出すのかと思えば! 腐敗公が我々を救う? 馬鹿な! それに何故我々の国の名を……」

「一番可能性がありそうな国の名前を口にしただけ。どうやら当たったようだけど。……で、馬鹿も何もあなたたちはこの幸運を素直に喜ぶべきよ。だってあなたたちの国を危うくしている三要素のうち一つ、腐敗公の侵食についてはもう解決したのよ? 残りの二つ、魔族か貧しい土地に起因する飢餓。それのどちらかをジュンペイが解決したら、憂いが減って万々歳じゃない。何が不満なの」

「そのような甘言、信じられるはずがないだろう!!」

 

 まず腐敗公の侵食が無くなることに関しては、一国に留まらず世界にとっての吉報だ。……それが真実であるならば。

 しかしその言葉を聞くなり、露骨に「面倒くせぇ……」といった感情を隠しもしないリアトリス。彼女は更に言葉を重ねた。

 

「これは、私たちにとって授業、実験でもあるの。まあ受け入れるつもりが無いのなら、こっちは勝手にやらせていただくわ。あんたたちは腐朽の大地に戻って動かないジュンペイの本体に攻撃して勝手に消耗して死ぬなり、監視のためについてくるなり勝手になさい。さ、ジュンペイ、ユリア。行くわよ」

「え、え!? リアトリス、授業とか実験っていったい……」

 

 手を引かれるままに歩き出したジュンペイであったが、嫁の真意が読めない。今まで害をまき散らす存在でしかなかった自分が国を救うだとか、それが授業だとか実験だとか。

 しかし困惑するジュンペイに、リアトリスは悪戯っぽく笑いかける。

 

「戦闘での魔術は下級なら問題ないって、この間わかったしね! いやぁ……やっぱり、流石腐敗公よね。分かってはいたけど、魔力の使い方を覚えれば私より余裕で火力あるわ」

「だ、だから?」

「ふふっ。それなら次はもっと、人化の術に繋がる複雑な術に実践をもって挑んでみましょってこと。通常の修行と並行してね。どうもジュンペイは何かしらの成果を伴ったうえで、体で感覚を覚えた方が早いみたいだし」

「え~と、つまりさっきの話を聞いた感じだと……。三重苦の一つ、土地の貧しさ、飢餓をどうにかするとかそんな感じです? 魔族関係をどうにかするとなると、結局戦いって事になりますし」

 

 首を傾げたユリアの問いかけに、リアトリスは勢いよく頷いた。

 

「そう! 相変わらず理解が早いわね。まあ、何をやるって土地に干渉する魔術の実践よ。これは将来的に腐朽の大地をまるっと有用な土地として復活させるためにも必須事項だもの。私もジュンペイの授業を兼ねつつ、色々試してみたいのよ」

「……。何がしたいかは分かったけど、そんなこと俺に出来るのか……?」

 

 聞く限り、どうも人化などよりよほど難しそうなことを要求されているようにしか聞こえない。今まで生物の生存権を侵し、間接的に、時に直接的に数多の命を奪ってきた自分にそのようなことが出来るのか。ジュンペイとしては、(はなは)だ疑問である。

 

「出来るようにするの! いい? いくら魔術の才能に関してドベであっても、下級の攻撃魔術で魔王をも倒した戦士を軽くあしらえるのよあんたは。そもそもの地力が違う。もちろんジュンペイの先生として、そこで満足させる気はないけれど……。まずあんたは、使い方を覚えればその身に宿す魔力はなんだって出来るともっと自覚なさい」

 

 正直なところ、このように堂々と話して先生などと言ってはいるが……リアトリス自身が"ドベ"と下した魔術の才能であっても、もともと擁する魔力量、魔力そのものの純度の差によりリアトリスはジュンペイに勝つことは出来ない。この本体から分けた分身体であってもだ。

 だが単純な強さなど関係ない。自分はこの未成熟な才能を導く役目があるのだと、そしてそれは自分たちの未来のためだとリアトリスは自分を奮い立たせる。

 もう腐敗公は勝つ負けるの対象ではなく、リアトリスの運命共同体。つまりジュンペイの強さはそのままリアトリスの強さにもなるのだ。

 ならば生中で満足してもらっては困る。目指す幸せ生活の理想は高いのだから。

 

「あんたなら、かる~く国一つ救えるわ。さ、分かったら実践授業その二よ! はりきっていきましょう!」

 

 ふんっと鼻息荒く笑顔で宣言したリアトリスに、ジュンペイはしばし難しい顔をするも……やがて緩く破顔した。

 

「……うん! 分かった。俺はまだ自分にそんなことできるのか分からないけど。リアトリスが、俺のお嫁さんがそういうなら俺……頑張ってみるよ」

「ふふっ。そう言ってもらえると、嫁冥利。先生冥利につきるわね~」

「もう、二人だけで楽しそうにしないでくださいよ~。未来の愛人として私も混ぜてくださいっ」

「いや愛人てなんだよ!?」

「安心してください。ジュンペイくんとはきっぱり離婚したので、リアトリスさんとの話ですから!」

「そっちのが安心出来ねぇからな!?」

 

 三人の大小凹凸にぎやかな女性三人に、何度目かの置いてけぼりをくらうことになったレーフェルアルセの三人組。彼らは理解が追い付かないながらも、「あ、これこっちの意見は丸々と無視されるやつだな……」という事だけは悟ったようだ。概ねそれであっている。

 

 そして意気揚々と歩きだすリアトリスらを、彼らは諦念が滲む思いでとぼとぼと追うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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23話 地理と歴史のお勉強? ★

 うすら寒い空気に溶けるように夜のとばりが落ちてゆく空の下。巣に帰っていくのか甲高く一声鳴いた鳥がゆるく旋回し、宵闇に消えた。

 それを見上げていたリアトリスは、今日の旅程のここまでだなと区切りをつけた。

 

「分かってはいたけど、こっちは村や町が少ないわねぇ~。残念だけど、今日は野宿だわ」

「民家の明かり一つも見えませんものね。それにしても、こう何もない光景がずっと続くと気が滅入ります」

 

 そう言って周囲を見回すユリアの視線の先には、腐朽の大地近くとよく似た白茶けて乾燥した大地が広がっていた。

 申し訳程度に草木が地面にしがみついているが、水分も養分も足りていないのだろう。瑞々しさなど感じられず、どれも乾いたような見た目をしている。時折虫がカサカサと動くばかりで、動物の姿も先ほど鳴いた鳥以外に見受けられない。

 

 ジュンペイもまたアルガサルタの賑わう港町を思い出して比べたのか、その光景をしげしげと見つめてから思わずといった風に感想をこぼした。

 

「アルガサルタとはずいぶん雰囲気が違うな……」

「レーフェルアルセは腐朽の大地の影響を強く受けている国なのよ。よりにもよって腐朽の大地に沿ってる細長い国だからねー……というか、端の方に追いやられた、っていうのが正しいか」

 

 リアトリスが未だ地理に乏しいジュンペイに説明するが、それを聞いて苦虫を噛みつぶしたような顔になる者が三人。……レーフェルアルセの三人である。

 

「言ってくれる……」

「事実でしょう? まあ今の世代には関係ないかもしれないけど、自業自得ね。恨むなら戦上手でもないのに粋がって各方面に戦いを仕掛けたご先祖様を恨みなさい」

 

 なんだかんだで後方からついてきていた彼らを振り返ったリアトリスは、恨めしそうな表情の彼らに悪びれなく言ってのけた。その態度に一番血の気の多そうな戦士の男が身を乗り出す。

 

「貴様……!」

「あら、だってその結果が今じゃないの。せっかく広大だった土地も今や他の国。今の世代には同情するわ」

 

 怒りの感情も睨む視線もなんのその、リアトリスはさらっとかわすとジュンペイに向き直り、今度は軽い歴史の講義を挟むことにした。

 夫婦とはいえ同時に生徒と教師。話の流れで教えられることは積極的に教えていくつもりだ。その方がジュンペイも興味を持って覚えられるだろう。

 

「レーフェルアルセもねぇ、大昔はけっこうな大国だったのよ。でも戦好きの王様が魔族にも人間にも戦いを仕掛けてね。その結果、国土を失い今の貧しい国となったわけ。その時悪目立ちしたせいで今でも魔族におもちゃとして狙われてるってんだから、ざまぁないわよね。……そういえば、国の名前ばかりであんたたちにはまだ地図を見せたことなかったわね。ユリアは見たことある?」

「地図ですか? いえ、残念ながら国内のものしか……。周辺諸国の情報が書かれた地図は見せてもらった事がありません」

「魔王に戦いを挑むなら国の外に出たでしょうに、ルクスエグマの連中も不親切ね。不親切どころの話じゃなかったわけだし当たり前かもしれないけど」

 

 眉間に皺を寄せ話しつつ、荷物の中から師匠の家からこっそりくすねてきていた地図を取り出すリアトリス。それを広げて魔術で宙に固定すると、地図が良く見えるように魔術で手のひら大の明かりを灯した。

 

【挿絵表示】

 

 リアトリスが広げて見せた地図は、一目見て腐朽の大地の形状が分かる代物であった。ジュンペイは改めて自らが作り出し、今まで唯一の住居だった土地の形状を目の当たりにし大きく目を見開く。

 

「えっ、この真ん中……腐朽の大地だよな? こんなにでこぼこしてたのか?」

「あんた、相当あちこち歩きまわったでしょ~。そうとなれば、綺麗な円形になんてならないわよねぇ」

「うっ」

 

 指摘され「それもそうか」と思い直すが、広げられた地図……そこに描かれていた腐朽の大地はあまりにもいびつな形をしていた。まるで果実を食い荒らす青虫の所業だ。

 ジュンペイはその歪んだ形に、仲間を求めてさまよった数百年の孤独を思い出しつい押し黙る。

 

 そんな旦那様を知ってか知らずか、リアトリスは地図の一部を指でくるりと円を描いて示して見せた。

 

「ちょっとこれを見てちょうだいな」

 

 示された場所は世界を虫食いのように侵食している腐朽の大地に細長く沿っている土地で、リアトリスが円を描いたあとには光の文字が浮かび上がる。そこには「レーフェルアルセ」と記されていた。

 

「私たちが今いる場所は、この国の隅っこね。人が住んでいる場所はまだ遠そうだわ。でもって……見て、この形。他の国に比べてほっそいもんでしょう? だけど腐朽の大地に沿っている部分だけはやたらと長い。昔はこの沿ってる部分が大きく内陸に広がっていたってわけ」

「確かに内側にもっと厚みがあったら大きな国ですね。けどわずかに残った国土もこんな風にからっからだとすると……」

 

 言いながらユリアは相変わらず潤いの感じられない周囲の土地を見回し、かさかさと這い上がろうとしていた無遠慮な虫を手で掃ってから肩をすくめた。

 

「ううっ、美味しいものは期待できそうにありませんね……」

「そこかよ」

「なんです? ジュンペイくんだっていっぱい食べるじゃないですか。だったらどうせ食べるなら美味しいものを求める気持ち、わかるでしょう?」

「ぐっ、それは、まあ……」

 

 思わず突っ込んだジュンペイにふくれっ面のユリアが言い返し、それにたじたじするジュンペイを見てリアトリスは「仲のいいこと」と笑う。どうもこの二人は見た目こそ対照的だが、兄妹のような仲を育んでいるようだ。

 それにしてもユリアもなかなかに食い意地がはっている。自分たちはこれからレーフェルアルセの飢餓をジュンペイの力で解決しようというのに、なぜ少しでも現状のレーフェルアルセに美味しいものを期待したのか。

 

 そしてユリアの発言が再び気に障ったのか、レーフェルアルセの三名からの恨めしそうな視線が鬱陶しい。が、本当の事なのだからしかたがないだろうとリアトリスは「ふんっ」とそっぽを向いた。

 それを解決しに行ってやるのだ。ありがたがられ感謝されるいわれはあっても、そんな視線を向けてこられては不愉快である。

 

 土地が貧しければ作物は少ないだろうし、満足に食べられない家畜はきっと貧弱で繊維が固く体つきも骨ばっている。出す乳の味も薄いだろうから、肉以外の副産物にも期待できそうにない。更にアルガサルタのように海に面しているわけでも、豊かな森があるわけでもないため、総じて食料は乏しいだろう。だからこそ現在飢餓に喘いでいる。

 このままあとわずかでも腐朽の大地の侵食が進めば他国との間に挟まれ、やがてすりつぶされるだろう。

 そんなギリギリの国なのだ、彼らの故郷は。自分たちが一番よく分かっているだろうに。

 

 しかし、だからこそいいとリアトリスはほくそ笑む。

 

「でも! 何もかも腐ってしまう腐敗の大地よりは何倍もまし! それにだからこそジュンペイの力を試して実験するのに最適なの。腐朽の大地よりはましで一番腐朽の大地の影響を受けていて、なおかつ人が住んでいる環境。これが近場で探すとレーフェルアルセしかないのよね~。他の国だと、内陸に土地を持っている場合そっちに人が集まるから。そんな中で腐朽の大地側に追いやられるのは犯罪者とか……まあ流刑にされたような連中が多いかしらね。でもってそんな連中の数はひとつの国に比べたらたかが知れてるってものよ」

「そういえばリアトリスも犯罪者として生贄にされたんだよな」

「人聞きの悪い言い方するのはこの口かしら?」

「ほ、ほふぇん」

 

 ポンっと掌に拳を打ち付けて、悪気無く言ってのけたジュンペイの頬をひっぱるリアトリス。痛くはないが、嫁に機嫌を悪くしてほしいわけでもないので見た目小さな旦那様は素直に謝った。

 その光景を見ていたユリアは頬に手を当て首を傾げると、改めて広げられた地図を見て感心したように息をはいた。

 

「…………は~……こ~んなジュンペイくんが、これだけ世界を食いつぶしたなんて……。あの人たちじゃないけど、簡単には信じられませんよね。腐敗公の実物を見た後でも疑いたくなりますもの」

「な、なんだよ。言っておくけど俺は大層な名前で呼ばれてるけど、別にこんなことしようと思ってやったわけじゃ……」

「はいはい、知ってるわよ。……でもねジュンペイ。あなたの意志がどうであれ、これがあなたに秘められている強大な力を形にしたものよ。どう思うにせよ、それは揺るぎない事実として覚えておきなさい。あなたはあらゆることに関して自覚が必要だわ」

「それは……! ……うん」

 

 

 世界の三分の一。

 

 それがどういう数字なのか見える形で記されたのがこの地図なのだ。

 

 

 かつての世界を知る者が見れば食いつぶされた広大な大地に、この世を終わりを見ただろう。……否、今この世界に生きている者達こそ恐怖を感じている。

 現在は過ぎた時間と花嫁制度で侵食が落ち着いたことによって、一時的に感覚を鈍化させているにすぎない。今でもその心の底には恐怖が淀みとなって巣くっている。

 

「魔族も人族も、旧世界……ああ、腐朽の大地が生まれる前の時代をこう呼ぶ場合もあるんだけどね? その旧世界から比べたらどっちの種族も大きく数を減らしたわ。動物や植物もね。どこぞの魔王がちょっと侵略しようったって、人間の英雄が魔王や魔族を倒そうったって……戦争がいくつかおきたって、けして削れることのない数よ」

 

 きっちり教えるべきことは教える。そう決めていたリアトリスは言葉を飾らずに事実を述べるが、その大虐殺ともいえる行為を存在するだけで成してきた当の本人は段々とうつむき肩を落としていった。

 ……が、容赦なくその背中を嫁の張り手が襲う。

 

「はい、落ち込まない! 覚えておきなさいとは言ったけど、落ち込まない悔やまない! 過ぎたことは開き直りなさい!」

「開き直れって、それでいいの!?」

「いいのよ! わざとじゃないんだから!」

 

 胸を張ってあまりにも堂々と言い切るリアトリスに、改めて自分は考えすぎなのだろうかと言葉に詰まった。どちらが魔物でどちらが人間か分からないとは、一部始終を見ていた腐敗公討伐隊三人の証言である。

 

「まあ気軽に聞きなさいよ。地理と歴史の授業よ、これは」

「あんな教え方しておいてそれは無いと思う……」

「悪かったけど、それだけあんたは強いのよ! って言いたかったわけ。もう、すねないでよ。ごめんってば~」

 

 そっぽを向いていじける旦那様の触り心地の良い頬を、リアトリスはご満悦顔でつついた。が、横からにゅっと白いかんばせが出てきて思わず動きを止める。それはニコニコ笑顔の美少女だった。

 

「リアトリスさん、私のほっぺだって気持ちいいですよ!」

「はいはい、わかったわかった。もう、夫婦の戯れを邪魔するなんて悪い子ね~」

「えへへ~」

 

 構ってほしそうなユリアの頬もついでにぷにぷにつついてから、リアトリスは「さて」と気を取り直した。

 

「ついでだからもうちょっと続けましょうか。ええと……で、だ。世界から生き物は減ったけど、無理やり探せば腐朽の大地が出来てよかったこともあるの」

「え!? 無いだろ普通に考えて!」

「普通……。う~ん、本当にジュンペイくんって思考がまともですね」

「うっせ。だって俺好きでああなったわけじゃ……」

「はい、話題が堂々巡りになるからそこまで!」

 

 再び横道にそれそうになった話題を、リアトリスはぱんぱんっと柏手を叩いて止める。

 

 ……ちなみにこの三人、話題は横にそれるが手は野宿へむけて準備していたりする。リアトリスは講義をしながら魔術で快適な温度の空間を作り出していたし、ユリアは夕食のために鍋と食材を取り出して、ジュンペイは近くにあった大岩を砕いて簡易かまどを作成。あとは燃やす木の枝でも集めれば夕食の準備は万端だろう。

 

 すでに何度かこなしている作業のため手慣れたものである。

 

「それでね、その良かったことだけど、腐朽の大地をどうにかしようってことでここ数百年で一気に魔術の歴史が進んだのよ。それと形はどうあれ国と国に以前は無かったつながりが出来た」

「共通の敵、脅威に対する結束みたいなですか?」

「はい、ユリアありがとう。……あなたの住んでた世界って平和だったのよね? 相変わらずといえばそうだけど、察しが良いわ」

「敵の敵は味方! 一時的共闘! 物語ではままあることです!」

「そ、そうなんだ? え~と、でね。腐朽の大地の侵食で世界は奇妙な形で繋がったの。ユリアの言った結束についても当たっているけど、物理的にも」

「物理的?」

「腐朽の大地を中心に広がった円。その淵をたどったことで、私たちは自分たちが住む世界の大きさを正確に知ることが出来た。……見て、腐朽の大地は海まで侵食してるのよ? 大地へ流れ落ちた海水が何処へ行くのか誰も知らないけどね」

 

 宙に固定されたままの地図を見れば、なるほど海らしき場所が途切れ滝のように腐朽の大地へ流れ込んでいる様子が描かれている。

 ジュンペイはそういえば水に流されたこともあったなぁと、ぼんやり数百年前の事を思い出した。どうやらその時自分はずいぶんスケールの大きなものまで削ったらしい。

 

「途切れた場所に近づきすぎなければ落ちる事も無いから、あの淵を目印に船を出し……新大陸を発見。そしてもう少し時をかけて、世界は繋がっているという事を私たちは知ったのよ」

「へ~」

「は~」

 

 どうも壮大な話を聞かされた気もするが、出てくるのはぼんやりとだけ理解したような気の抜けた声だけだ。リアトリス自身もそこまで熱を入れて説明したわけではないが、二人の反応には少々拍子抜けである。

 

「……ま、いっか。じゃあ今日は野宿して、明日はさくっと人の住む場所まで行っちゃうわよ!」

「は~い」

「あ、リアトリス。燃やす木どうする? 俺抜いてこようか?」

「あら、じゃあお願いするわ。切るのは私に任せて頂戴」

「わかった」

 

 そんな軽い調子でやり取りののち、枯れた巨木をまるまると小さな体で引っこ抜いてきたジュンペイと、それを容易く恐ろしい魔術の斬撃で切り裂いたリアトリス。「しょうがないですねぇ、入れてあげますよ。隅っこにも座っていてください」と麗しい聖女に雑に声をかけられすごすごと火の側によって座った三人の戦士は、見た目だけなら美しい三人の女性を眺めてぼんやりとそれぞれ言葉をこぼした。

 

「なんか、目の前で歴史が動いてるんですかねコレ……」

「というか、歴史そのものの塊みたいなのが居るわけ……だな……」

「私たちの国、どうなっちゃうんでしょう……」

 

 

 なにやらとんでもないものを国内に入れてしまったが、どうせ自分たちに止めるすべなどない。

 

 これをどう祖国の者たちに説明すればいいのか、そして彼らがこの貧しい国を本当にどうにかできるのか。……分からないだらけのまま、彼らは珍妙な客人たちと共に眠りについた。

 

 

 

 

 落ちきった夜のとばりの中で、鳥が再び一声鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 



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24話 レーフェルアルセ集落にて

 レーフェルアルセに入ってから一晩を越し、歩き続け太陽が天辺に昇ったころ。乾いた風に吹き晒されたせいか心なしか埃っぽくなったリアトリス達は、ようやく人が住まう土地へ足を踏み入れた。

 とはいえ見えてきたのは小さな家屋がわずかに寄り集まった集落。これはまだ王都まで遠そうだとリアトリスはため息をつきたくなるが、レーフェルアルセの戦士三名に問うてみれば、ここまでくれば王都はもうすぐだという。

 

「腐朽の大地がもたらす土地の乾きや魔族の襲撃で、レーフェルアルセで人が住める土地はもう王都付近しか残されていない。魔族の奴らが土地を奪うことに興味が無いから、一応レーフェルアルセの領土だと言えてはいるが……」

 

 ぎゅっと眉根を寄せ祖国の現状を憂うのは、銀髪をひとつに束ねた女戦士エルーザ。

 なんだかんだで夜はリアトリスが用意した安全な結界の中で過ごさせてもらい共に火を囲んだからか、未だ戸惑いは隠せないながら彼らはようやく自分たちの名を明かした。……といっても、今までさくさく進むリアトリス達についていくのが精いっぱいで、名乗る機会を逃し続けただけだったりするのだが。

 

 ちなみに初老の魔術師がバーティ、剣士の男がドイスである。

 

「なんか……戦士を三人絞り出すのがやっと、というのに納得の衰退っぷりね。私が思っていたより現状最悪じゃない」

「リアトリス、今さらだけどもう少し言い方」

 

 あけすけにものを言うリアトリスを本当に今さらだと思いつつも、夫としてたしなめるジュンペイであったが……レーフェルアルセの衰退っぷりの原因の大半は、大災厄として世に君臨する彼のせいである。

 言ってから自分でもそのことに思い至ったのか、ジュンペイは麗しい美少女顔をゆがめて苦い顔をした。……こうして普通に旅をしていると、何百年もの孤独もなにもかも忘れて自分が普通になったかのようでつい色んなことを失念してしまう。それがいい事なのか悪い事なのかは、まだ彼には分からない。

 

 そんなジュンペイの複雑な心境をよそに、エルーザが渋い顔をしながらもリアトリスに言葉を返す。

 

「…………魔族に対する防衛に、国には兵を残しておかねばならなかったのだ。それでも王都や防衛の要地を守るので精いっぱい。ここのような集落までは手が回り切らないのが現状でな……情けない事だ。……しかし腐敗公が動いたとあらばそれも放っておけぬ。話し合った結果、志願した我らがそのまま腐敗公を押しとどめる役を王から仰せつかったのだ」

「ふぅん……。尊敬まではしないけど、立派な愛国心ね。まあその結果? こうして救世主たる私たちが来てあげられたわけだし? あんたたちの行動は決して無駄じゃなかったわ」

 

 救世主などという大仰な言葉をのたまうリアトリスに、ぎょっとしたジュンペイの肩が跳ねる。

 

「も、盛るな盛るな! まだこの土地をどうにか出来るかどうかも分かってないのにハードルあげないでよ!」

「はーどる……ああ、まあ何となく意味はわかるわ。ふふっ、心配しないの! 出来る出来る! あんたなら出来るわジュンペイ! だって私の旦那様だもの!」

「言い方が雑だな!?」

「でも旦那様って言われて嬉しいくせに~」

「茶化すなユリア!」

 

 神妙な顔で国の現状を憂いているというのにあっという間に姦しくなるリアトリスら三人に、レルーザ、バーティ、ドイスはもう何回目になるか分からないが複雑な心境を味わった。

 ……自分より背の高い女性に、三人の中でもっとも常識的な倫理観をもって一生懸命突っ込んでいる見目麗しい少女。彼女こそが自分たち含め全ての種族の怨敵たる、恐怖の腐敗公というのだから複雑に思うなという方が無理である。真の姿を目にした後でも未だ信じられてはいない。ここまで来たのはリアトリスの押しに流されたゆえの、もはや成り行きという他ないのだ。

 

「その、まず我らはあなた方を王城に案内すればよいのか……?」

 

 しかし成り行きとはいえ、連れてきてしまったのは事実。恐る恐るといった様子でジュンペイ達に話しかけるのは戦士のドイスだ。

 リアトリスはドイスの問いに顎に手を当てて考え込むと、周囲を見回す。

 

「そうねぇ……。でも何の成果もあげずにいきなり王様に説明したら、また面倒くさいことになるだろうし。というかあなたたちの地位や権力者からの信頼がどの程度のものか知らないけど、まず会ってすらもらえないでしょうしね。ちょっくらこの辺で実験していきましょうか」

「実験って……」

「だ~か~らぁ。腐朽の大地を有効活用できるようにするための予行演習! このパッサパサの土地をあなたの高純度な魔力で潤すのよジュンペイ!」

「あああ、もう! なんで唐突に難易度高い事言うかな!? もっと心の準備させてよ!」

「来る前に何をするかは話してたじゃないの~」

「そうだけど!」

 

 確かに次の授業の内容を聞いてはいた。だが話の流れで当然それは王都に到着してあれこれしてからだと思っていただけに、こんな道の途中でぽっと思い付きのように「今からやってみようぜ!」と提案されるのは予想外である。

 金色の美しい巻き毛を振り乱し、頭をかきむしり嘆くジュンペイの姿は実に人間らしい。

 

「でも、ほら。ちょうど畑もありますし、実験にはいい場所なのでは?」

 

 ジュンペイをなだめるように肩を叩いたユリアが指さすのは、乾いた土にようやくといった様子で作物が育っている集落の畑。あればかりの収穫でいったい何人が食べられるのだろうかと想像すると、見ているだけでひもじくなりそうだ。

 ちょうど畑の近くに集落の子供らしき人影が見えるが、その体格はか細く頼りない。何をしているのかといえば、遊んでいるわけではなさそうだ。その小さな体で懸命に働いているようで、木桶に汲まれた水を危なっかしく運んでいる。

 

 それを見たユリアがわずかに目を細め眉尻をさげた。

 

「…………実際に見てしまうと、心にくるものがありますね」

「あの子たち……頑張ってるわね」

 

 実質レーフェルアルセで初めて目にする一般住人である。それが子供でやせ細っているとなれば、それぞれ違った形で性格に難がある彼女らとしても思うところがないわけではない。

 

 リアトリスの実家も裕福とは言えないが、狩人として、農家としてアルガサルタの豊かな自然の恩恵を受けていた。宮廷魔術師となってからも上司に不満はあれど、高給取りでそれなりにいい暮らしをしていたのである。学生時代に貧乏した時は空腹が友達であったが、命に関わる飢餓には縁が無かった。これは単純に生国の国力の差といっていいだろう。

 ユリアもまた召喚されるまで平和な世界の中、争いや飢餓などとは無縁で育ち、こちらに来てからは表面上だけとはいえ蝶よ花よと持て囃され不自由なく暮らしていた。

 

 両名とも一気にそのいい暮らしから汚泥の中へ突き落とされたわけだが、それ以外は恵まれた環境の中で過ごしてきたといえる。少なくとも、この国の子供よりは。

 

「………………」

「………………」

 

 リアトリスとユリア、二人から注がれる視線に思わずたじろぐジュンペイ。

 

「……べ、べつに、やってみないわけじゃ、ないし」

 

 ただ心の準備が。そう続ける前に、満面の笑みの嫁が思いっきり背中を叩いてきた。

 

「ぐ!?」

「さっすがジュンペイ! そうよね~、やるわよね~!」

「いよっ! 恐怖の大王から一転して救世主! すごいですよジュンペイくん!」

 

 痛くはないが叩かれた勢いにつんのめってたたらを踏んだジュンペイの頭を、リアトリスは容赦なくわしゃわしゃと撫でくり回し、ユリアは横からツンツンと指でつついてきた。

 ……約三名から注がれる同情の籠った視線に、ジュンペイは「へへっ、俺も同情されるような存在になったんだな……怖がられるんじゃなくて……」と薄ら笑いを浮かべる。

 その笑みにある種の諦念が滲んでいたことは、言うまでもない。

 

 

 

 そしてジュンペイが承服したとみるや、リアトリスは腰に手を当ててビシッと集落を指さした。

 

「そうと決まれば、ここで宿を借りるわよ! もう野宿は飽きたわ! ……あ、あんたたちは好きになさい。ここで私たちが成果をあげるのを見届けるもよし、王都へ行って事の次第を報告するもよし」

「当然、その両方をさせてもらう」

「ま、そりゃそうか。せっかく三人いるものね」

 

 リアトリスにすれば誰が残ろうが興味は無かったが、話し合いの結果一番体力があり足も速い戦士のドイスが伝令役に選ばれ。魔術師バーティと女戦士エルーザは共にこの場に残るらしい。

 そして彼らは意外にも集落の主への交渉をかって出てくれた。「本当にこの国を救えるのか、我らに見せてみるがいい。そのためなら多少の助力は惜しまぬ」とは年長のバーティの言葉である。

 どうやら彼ら三人は国内で一定の知名度と信用があったらしく、集落の長は慌てながらも快く滞在を許可してくれた。……といっても旅人などほとんど訪れない集落に宿などないようで、貸し出されたのは埃っぽい空き家だったのだが。

 最初はバーティ達を気遣ってか長が自分たちの家を使ってくれと申し出たが、それを断ったのはリアトリスだ。多少埃っぽかろうが、宿でない家を間借りするより広々と使える空き家の方が気楽でいい、との考えである。

 

 そうして集落の住民、特に子供たちから好奇の視線に晒されながらも、リアトリス達はひとまず当面の仮宿に落ち着いた。

 

「ふふっ、あの子たちったらジュンペイを見て『お姫様だ!』……ですって! わかるわぁ~。やっぱりこの姿、可愛いわよね! うんうん、私っていい趣味してる!」

「………………」

「ジュンペイくん、今の服装こそ男の子っぽいけど完全に男装の美少女だしドレスを着せたらまんまお姫様ですもんね」

「あら、ユリアもお姫様みたいに可愛いわ」

「きゃー! リアトリスさんったら! そんなこと言われたら照れちゃいますよっ、うふふ」

 

 リアトリスに褒められ上機嫌になったユリアとは対照的に、暗雲を背負うジュンペイ。

 

 子供とは正直だ。そして投げかけられた言葉は純粋な賛辞であり憧憬。……無下にできるものではないが、どうしたって己の見た目をつきつけられる。

 リアトリスの手違いにより、理想の夫ではなく理想の娘の姿にされた、この姿を。

 

(こ、こうなったら! この修行を完遂させて早く人化の術を習得するんだ! でもって、まずリアトリスのご家族にあいさつに行く!!)

 

 なんとか悔しさをバネにやる気を奮い立たせるジュンペイだったが、そのあとすぐに意気がしなびれる。その原因はリアトリスが戯れにジュンペイの髪の毛をたいそう可愛らしく結ってきたからだ。

 嫁いわく新たな修行をするにあたって気分を変えるためらしいが、どうも編み込みが多いように思えて仕方がない。量が多くふんわりとした金糸の髪は、少し手を加えるだけで装飾品など無くとも華やかになる。

 

 

 …………その後、集落の子供たちからのジュンペイの呼び名は「お姫様」で定着した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌日。

 

「さぁて、まず何から始めましょうかね」

 

 首を左右に傾け筋肉をほぐしながら、リアトリスは痩せた畑の土を見て「ふむ」と頷く。

 

「単純に魔力を注げばいいってものではないんだろ? もちろん」

「そりゃあそうよ。魔力を魔術という"形"にして顕現させる。今のジュンペイなら多少可能でしょうけど、それがほぼ出来なかったから私はあなたの先生をやっているようなものじゃない。………………んー、そうね。じゃあ私の可愛い生徒であり旦那様であるジュンペイに質問よ。この土地を豊かにするために必要な魔術の組み立て方は、なんだと思う?」

「え!?」

 

 突然の質問にうろたえるも、考える前に「分からない」などと言えばきっと呆れられる。今日から何をするべきか当然リアトリスが教えてくれるものだと思っていた自分を恥じつつ、一年間彼女から学び取った内容を懸命に思い出した。そしてなんとかジュンペイは言葉を絞り出す。

 

「ええと……魔力を材料に作り出すのが、まず栄養……? そ、それで、魔力を燃料に作り上げたものを動かす、この場合栄養を広める? ための動き……浸透……水……? ああ、もう! まとまらない!」

「ふむふむ、まあ正解よ。といっても自覚しているように纏まってないし中身が薄いわね。でもちゃんと考えたのは偉いわ」

 

 ジュンペイのおぼつかない回答にリアトリスは心なしか満足そうに頷くと、さっと指を走らせ宙に魔術で形成した簡単な図を描き出す。

 

「そう、痩せてる土地には栄養と水! ……って言うだけなら単純だけど、それを魔術で成そうとすると……まあこれがちょっと難儀なのよね。しかも将来的には痩せるどころか栄養たっぷりだけど、どこから手を付けていいか分からない腐朽の大地をどうにかしようってんだから更に難しい。最初に実験って言ったけど、これは私の課題でもあるわ。実践しつつ、一緒に勉強していきましょう」

 

 リアトリスの言葉にジュンペイはふと記憶を掘り起こす。

 

「そうえいば腐朽の大地では、リアトリスは生命樹を使って栄養を抽出してたよな? あの時は泥が栄養源になってたみたいだけど、それが無い場合はどんな魔術で栄養を用意するんだ?」

「一番手っ取り早いのは魔力を変換するための媒介として、肥料になるものを用意する事かしら」

「肥料……動物のうんちとかですか?」

「それもいいけれど……そうね、できれば」

 

 

 リアトリスが言いかけた、その時だ。

 

 

 強烈な旋風が駆け抜け、それが質量を伴ってリアトリスに襲い掛かる。……肉を切り裂く、風の刃だ。

 しかしそれを腕を振るう事で瞬時に発生させた結界で難なく霧散させると、リアトリスはにんまりと笑った。

 

「魔族……! くそ、こんな時に!?」

 

 今まで三人のやり取りを見守っていたレーフェルアルセの戦士……エルーザとバーティが動揺しながらも、瞬時に迎撃の態勢をとる。彼らにとってそれはあまりにも突然だった。

 

 風の刃を発生させた存在は、まるで昼下がりの優雅な散歩でもしているような自然体でその場に存在していた。接近に気付かなかった事実が、否応なく相手の実力を突きつけてくる。

 人間に似た上半身は艶やかな鱗で覆われており、下半身は蛇そのもの。更に特徴を言うならば、その胴体には節足動物のような脚まで蠢いている。……性別は分からないが、どことなく妖艶な雰囲気を持つ魔族だ。

 白目の無い爬虫類のような目を細めて、魔族は自分の攻撃を容易くさばいた獲物をぬめるような視線で観察していた。

 

「……ほう、どうやらこの国にしては珍しく活きのいい獲物がいるようだな。軽く遊びに来たつもりだったが、運がいい」

「あら、丁度いい時にお客様のようね。運がいいのか悪いのかと言えば、私たちにとってはいいのかしら。残念ながらあなたにとっては不運でしかないけど。喜んでいる所、ごめんなさいね?」

 

 愉悦を含んだ声に対し見下すような声色で答えると、リアトリスはユリアとジュンペイに快活な声を投げかけた。

 

 

 

「二人とも、運がいいわ! いい感じの肥料がむこうから来てくれたわよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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25話 境界に立つモノ

 人族と魔族。

 

 腐敗公という第三の脅威が現れるまで、気が遠くなるほど昔から連綿と戦い続けてきた両種族は互いに知性ある生き物であるにもかかわらず、ドラゴン族など一部の変わり者を除いて相いれない。

 いかに利己的で狡猾な者でさえ、相手種族を利用して騙すためでも仲よくしようなど考えない。同種族間では騙し合いが横行しているにもかかわらず、だ。出会えば争い、終着する場所は殺し合い。

 騙すための偽りの関係すら築こうとせず、そもそも互いに分かり合える存在だと認知していない。言葉が通じる相手であるにもかかわらず、その認識は羽虫に向けるものにこそ近いだろう。

 

 だからこそ分類的に魔のモノ……魔族に属するはずのジュンペイの思考回路は異端であると、リアトリスは今まで相対してきた魔族を思い返した上で考える。

 更に言うならば自身やこれまでジュンペイに会わせてきたリアトリスの知り合い。彼らの反応もまた、よくよく考えればおかしなものだ。

 

 さすがに魔族の肉を食えと言われたら怒りはするし、勝利した上でいたぶることには眉根を顰める。

 だがそれは行動に対しての嫌悪であって、魔族そのものに憐憫を感じての事ではない。

 

 倒すべき当然の相手として、これまで多くを屠ってきた。そこに後悔をはさむ余地などありはしない。

 むしろこうして考えるまで、命を奪うことに後悔の念を抱くべきでは、というあたりまえの可能性にすら至らなかった。これが同族や動物ならば違ってくるのだが、魔族はどうしたってその対象となりえない。それはむこうも同じだろう。

 

 

 魔と人は交わらない。

 

 

 言葉にせずとも不変の理として両種族に刻まれているそれに、ジュンペイはどうもあてはまらなかった。まるで理の外にいる存在かのように。

 

 本人曰く半分妄想と考えてほしいらしいが、ユリアの推測によればジュンペイは前世人間で、それもユリアと同じ世界……異世界から来た魂だという。腐敗公というこれまでの歴史の中で規格外の異端の魔族という事実よりも、どちらかと言えばそこに原因があると考えられるが……。

 一年以上共に過ごした今でも、人柄はわかれど生態については未だ謎のままだ。

 

 などと。全身から大地に鮮血を滴らせている女魔族を片腕で持ち上げながら、リアトリスは考える。

 

(魔族相手ならこうしていくら傷つけようと心は痛まない。だけど……ジュンペイを傷つけてしまったらと考えたら、悲しいわ)

 

 ちなみに初遭遇時についてはその内に数えていない。あの時は生き残るために倒すべき敵だったのだ。

 

「戦い慣れて、おいでですね……」

 

 そう乾いてはりつく喉から発したのは、レーフェルアルセの女戦士エルーザ。あまりにも早い、最早戦闘とも言えなかった"処置"に彼女は目の前の女に慄いた。かろうじて言葉を発せたエルーザと違い、戦士のバーティは青い顔のまま固まっている。

 

 リアトリスと女魔族が相対しわずかな言葉を交わしたのち……銀色の光が閃いたと思ったら、すでに目の前の光景となっていたのだ。

 かろうじて見えてはいた。だが脳の処理速度が追い付くために、時間を費やす必要があったのである。

 

 アルガサルタの元宮廷魔術師で腐敗公の花嫁。それだけても肩書としてはなかなかの強さであるし、実際にその魔術の腕は目にしていたつもりだった。……しかしそれが敵意となって牙をむくとこれほどなのかと、今さらながらリアトリスと敵対の道を選ばずに良かったと内心胸を撫でおろす。

 

「これでも魔将の位を賜っていたのだもの。この程度の相手なら秒よ、秒」

 

 そう胸を張って偉そうに言った後、小さな声で「師匠に接近戦鍛えなおしておいてもらってよかったわ……」と呟いたのは内緒である。彼女が好む通常の戦い方は、魔術による遠距離攻撃だ。

 

「魔将!? しょ、将軍であらせられたのですか!? 宮廷魔術師では……ッ」

「両方私の肩書よ。まあどっちも"元"がつくけれど」

「その若さで、お父様と同じ……?」

「あら? エルーザ。あなた将軍の娘だったの」

「あ、ああ。いえ、はい」

 

 思わず零れたつぶやきを拾われて、名乗り損ねていた自身の立場を当てられる。そのことについては構わないのだが、やはり目の前の光景に未だ感覚が追い付かず、答える声はどこか曖昧なものとなった。

 

「リアトリス、さっき肥料って言ってたけど……その魔族がそうなの?」

 

 棒立ちする戦士二人の横をすり抜けて、問いかけるのは精霊のごとき美貌を持った少女だ。しかしその中身は世界を脅かす大魔物……当然、魔族とそれを瀕死に追いやったリアトリスを恐れる様子はない。

 

「ええ、そうよ。人族より魔族の方が、魔力を体全体の器官に通わせるからおあつらえ向きね。しかもそこそこ……中級の魔族だわ。もつ魔力も前に戦った奴らより大きいから、これくらいの土地の実験にはよいのではないかしら」

 

 中級、という言葉に震える。エルーザとバーティは人材不足の中で選ばれたとはいえ、レーフェルアルセではそれなりの実力を持つ戦士だ。その彼らをもってして、接近するまで気づかなかった魔族。それを中級と言い切るリアトリスは間違いなく戦線で戦っていた将の一人なのだろうと思い知らされた。

 

 レーフェルアルセを脅かす魔族は今や面白半分の下級魔族が多い。とはいえ、その数こそが脅威だ。

 そして上位の魔族は国力が枯れはて遊び甲斐が無くなったレーフェルアルセを部下に任せて、今ではほとんど入ってくることはないが……。こうして時折、気まぐれをおこした上位魔族が侵入してくる。今回の相手は今のレーフェルアルセにとって"災害"と認識するしかなかったであろう相手。

 リアトリス達を連れてきた益は、それを倒してもらっただけでも大きなものとなった。

 

 …………とはいえ、そんなことを認識すらしていないのか。

 

 無残な姿となった魔族を前に、見目だけは麗しい女性たちはきゃっきゃと会話をかわしていた。その光景はエルーザ達にとって、どこか非現実的だった。

 

「肥料にすると言っても、このままじゃ駄目ね! まず分解して土地になじませないと」

「え、これ馴染ませちゃっていいの?」

「そりゃあ触媒にするから……」

 

 それを聞くなり、良し来たとばかりに腐敗公ジュンペイは女魔族の体に手をあてがう。すると瞬く間にその体は分解され腐って溶けた。

 

「ひっ」

「まあまあ。ジュンペイくんが腐敗公だって、知っていた事でしょう? 名前のままのことをしただけじゃないですか」

 

 思わずひきつった声を出せば、淑やかな少女が鼻を押さえながらもほがらかに笑う。確かにそうだが、実際に目にしてしまえばどうしたって恐怖は湧いてくる。……この少女、ユリアの感覚も普通ではないとエルーザは改めて認識した。

 

「ありがとう。ではこれを土地になじませるには、そうね。溶けた肉体を水に見立てて広げるイメージをもちなさい。さっきあなたが自分で考えて言っていた事よ」

「栄養にする魔力を変換するための触媒も、栄養と同じ要領でひろめる……と。つまり、下準備だな」

「そうそう! まず経路を作るわ」

 

 恐ろしい光景を見せつけられたばかりだというのに、それを成した相手は至極真面目に魔力を用いた筆記でメモをとっている。リアトリスもまたそんな生徒の様子を見て満足そうに頷いていた。

 

「我々はとんでもないものを連れてきてしまったなバーティ……」

「ああ……」

 

 呟く声は、乾いた大地に落ちて消えた。

 

 

 

 

 

 準備は整った。リアトリスは満足そうに大地に溶けた魔族の体をみやると、ジュンペイの後ろにまわりその小さな体を包み込むように腕を回した。

 ジュンペイの首元を肩口で切りそろえているリアトリスの髪がくすぐり、思わず筆記していた魔力を霧散させる。

 

「え、あのっ、リアトリス!? 人が見てるけど!?」

「何よ今さら。それにこれは補助をするためよ。最初に私があなたの体に魔力を通して、触媒に力を流す感覚を教えるわ。さすがに魔力操作が苦手なジュンペイに最初からやれって無茶言わないって」

「そ、それなら……その、お願い、します」

「はいはい、素直素直。良い子ねー」

「子とか言うな!」

 

 顔を赤くさせて噛みつくジュンペイを意に介さず、リアトリスは魔術行使の準備に入る。効率よく魔力を与えるためには以前のように口を介するのが一番楽だが、それをしたらまたこの小さな旦那様に怒られてしまう。

 なので今回は出来るだけ体を密着させた。

 

「血液の循環のように魔力は体の中をかよっている。正確には生身の体に重なる魂の体に。それは本体から身をわけた今のジュンペイも同じ事よ。ゆっくり、ゆっくり意識なさい……」

 

 じんわりと自身の魔力を体外に放出し、密着した面からジュンペイに注いでゆく。そして仮初の体の中を一巡したそれを大地に流すため、ジュンペイの手のひらを地面にあてがわせた。

 

「今から流すわ。よく覚えなさい」

「う、うん」

 

 戸惑うような声にクスリと笑みがこぼれる。リアトリスより遥かに強大な力を有するジュンペイだが、どうしたって仕草や反応がいちいち可愛いのだ。

 何しろ見た目は白い頬をバラ色に染める金髪の美少女。人化の術の失敗は、結果的に大成功だったのではないかとリアトリスは再び旦那様に怒られそうなことを考えた。しかしいくら考えようと、口に出さなければよいのである。気づくのは少し離れた場所から見ているユリアくらいだ。

 

(と、それより集中集中。私が失敗したんじゃ先生として失格よ)

 

 実践を伴った方が遥かに効率が良いのは実証済み。時間はかかるだろうが、これでとっかかりになるだろうとリアトリスは魔術を行使していく。

 攻撃魔術が主体のリアトリスにとって、これは自分の新たな可能性を探る試みでもある。似たような術は以前実家の畑に使った事があるものの、国ひとつまるまるを潤すとなればジュンペイの魔力をもってしても規格外の魔術だ。一度試してから調整していくほかあるまい。

 

 そしてリアトリスが流した魔力は、大地に魔族の体をなじませてじわりと広げていく。

 

「……わかる?」

「……うん、なんとなく」

「なら私の魔力を追うように、自分の魔力を広げてごらんなさい」

 

 静かに問えば、先ほどまでの赤面は何処へやら。根が真面目なジュンペイはリアトリスの言葉に耳を傾けながら真剣に頷いてみせた。

 

「ああ、リアトリスさんが敷いたガイドラインに沿ってジュンペイくんが自分の力を広げるって感じなんですね」

 

 その様子を見ていたユリアが納得したように呟けば、聞きなれない言葉まじりのそれにエルーザとバーティが首を傾げる。ユリアはそんな二人にお構いなしで、一人うんうんと頷いていた。

 

 

「さあ、やってみて!」

 

 これは思ったより順調に進むのでは? そんな期待を胸に、リアトリスはジュンペイの高純度な魔力が大地にいきわたった様子を想像する。枯渇した大地にとってそれは劇薬かもしれないが、少なくともこのまま朽ちていくよりましなはずだ。

 

「……よし!」

 

 気合を入れたジュンペイが乾いた大地に魔力を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時である。

 

 

 

 

 

 

 

 

『契約の破棄を感知、認識』

 

「え……」

 

 

 

 

 声というより"音"に近い。ただし明確に含まれた意味の分かる何かに、リアトリスは総毛だった。思わず縋るようにジュンペイを抱きしめるが、その体温の低さにぎょっとする。

 

「ちょ、ジュンペイ! 大丈夫!?」

 

 先ほどまで温かかった体がまるで氷塊でも詰め込んだようだ。顔を覗き込めば、ただでさえ白い肌から色が抜け落ちている。

 

「ちょっと、ジュンペイ、ジュンペイ! しっかり! どうしたっていうの!?」

 

 体を向き合わせて揺さぶると、紺碧の瞳に意志の光が戻ってくる。そしてリアトリスに焦点を結ぶと、絞り出すような声でぽつりとつぶやいた。

 

 

「リアトリス。多分……だけど。俺は今、世界から捨てられた」

「なにを……」

 

 言いかけて、鋭い刃物で串刺しにされたような強烈な感覚が体を駆け抜ける。

 今度はリアトリスが意識を持っていかれそうだったが、歯を食いしばって衝撃を乗り越えた。だがその余波は頭痛に変わり、思考がまとまらない。

 

「リアトリス……」

 

 ジュンペイはリアトリスを気遣うように胸元にその頭を抱き寄せるが……その視線が向くのは周囲の光景。それにつられリアトリスもジュンペイの視線の先を見るが、彼女の口が言葉を紡ぐことは無かった。

 

 絶句。

 

 限界まで見開かれた瞳が映すのは鮮やかな緑色。

 

 

 

 枯れた大地に存在していたレーフェルアルセの集落は、密林のような濃い植物の群に覆われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+++++++++++++

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、お久しぶりですねオヌマさん」

 

 天井の高い石造りのその場所で、涼やかなその声はよく通った。

 

「げっ、お前は……! あ、アリアデス様もお久しぶりです」

「ふむ。息災かな? オヌマ・アマルケイン」

「ぼちぼちですかね~」

「先に声をかけたわたくしには『げっ』しか言わないんですか? 相変わらず失礼な人ですね」

「お手柔らかに頼むぜシンシア……」

 

 長く伸びる回廊の途中、旧知の相手に声をかけたのは赤紫の髪の毛を束ねた笑顔の女性だ。シンシアと呼ばれた彼女の隣には強靭な巨躯を有する、全身が魔術の文様で覆われた上半身裸の老人。一見穏やかな笑みのシンシアに対し老人は目で人を射殺せそうな眼光だが、発する声色は重厚感はあれど落ち着いていた。

 

 初対面ではまず間違いないなく、この二人が孫と祖父だとは見抜けないだろう。

 

「あいかわらずだらしのない格好で過ごしてるのでしょう? なのに、今日は随分こざっぱりとしているじゃないですか」

 

 辛辣な言葉を向けられた男、オヌマは普段は無精ひげで覆われている顎をさすって苦笑する。彼女とはリアトリス同様魔術学校からのつきあいだが、当時のあれこれで自分に対する心象は未だ悪いようだ。

 

「そりゃあ、俺だって流石に王城に呼ばれたら身だしなみくらい整えるぜ。つーかシンシアはともかく、俺よりアリアデス様の方が珍しくないですか。こんな場所で会うとは思いませんでしたよ」

 

「こんな場所、とはずいぶんなことを言ってくれるね。オヌマ・アマルケイン」

 

 しばしの雑談にしゃれ込もうとしたところ、背後からかけられた声に体がこわばる。

 

「こ、れはこれはエニルターシェ殿下。ご機嫌麗しゅう」

「慣れない言葉は使わなくていいよ。さて、よく来てくれたね三人とも。歓迎しよう」

 

 回廊の途中。本来ならばこの先の謁見室で座して待っているはずの相手が、狐のようなつり目を細めて友好的に近寄ってきた。その隣にはこれまた狐のような目をした細目の側近が控えており、オヌマはその歓迎にたじろぐ。

 

「殿下が自ら出向いてくださるとはよほどお急ぎのご用事で? といっても俺みたいな三流に出来る事なんて、たかが知れてますが」

「謙遜しなくていい。漁村に引きこもってはいるが、評判は聞いているよ。もし縁があれば君も私に仕えてくれていたかもしれないしね」

「身に余るお言葉ですね……はは」

 

 どうにもやりにくいと、目上の相手に場を譲るようにオヌマは身を引く。シンシアの笑顔に細められた目に追われたが、ありがたいことに元宮廷魔術師長であるアリアデスが前に出た。場を譲ったかいがあったというものである。

 

「久しぶりだな、アリアデス。来てくれて嬉しいよ。相変わらずの肉体美だが…………服を着ようという発想は、今も無いのかい?」

「これがわたくしめの正装にございますれば。殿下」

「そうか」

 

 経験なのかそれ以上は無駄とばかりにアリアデスの格好に触れることをやめたエルニターシェは、なでつけた赤髪を軽く整えると三人に背を向けた。

 

「歩きながら話そう。まあ、アリアデスが私の招待を受けてくれたくらいだ。何についての話か、察しはついているだろう?」

 

 エルニターシェの問いかけに普段はいかな呼び出しだろうと腰が重い老魔術師は、重々しく頷いた。

 

「我々を呼びつけたという事は、殿下は彼の"公"の現状を知っておいでか」

「ああ。国内に居るうちはヘンデルの鴉が見張っていたからね。いつの間にか国境を越えてしまっていたけど。……いや、流石の私も驚いたよ。君の弟子は面白い事をする」

 

 ついっとエルニターシュが視線を動かした先には、いつの間にか腕に黒い鳥を乗せている側近の男。黙って話を聞いていたシンシアは自身と同じく使い魔の扱いに長けているだろうその男を見て、「ああ、リーアちゃん自信がある分抜けてるから気づかなかったんだろうな……」と苦笑した。

 だがそんなわずかばかりの笑いも、これから話される内容を思えばすぐに引っ込む。

 

 

「さて、これは世界の命運を左右する議題だ。我が国以外もざわついていることだろうよ。……魔族、人族関係なくね」

「すでに会議は始まっているので?」

「もちろん。父上も兄上も蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。まったく落ち着きが無くて笑ってしまうね。私はこうして、直接彼と関わった君たちから話を聞こうと思っているわけだが」

 

 エニルターシェはとんとんっと、自らのこめかみを長い指で叩く。

 

「なにしろ歴史上はじめての、問答無用に脳に与えられた"世界樹"からの命令だ。君もあの体の芯を貫かれたような感覚を味わっただろう? 脳髄がしびれて最高だった」

「殿下と同じ感想は抱いておりませんが、衝撃でしたな。我々が何者であるか、唐突に思い知らされたのですから」

「違いない」

 

 愉快そうに笑うエニルターシェは、歩きながら腕を広げた。

 

 

 

 

 

「さあ歴史が変わるぞ。我々は愛らしい少女の皮をかぶった腐敗公を、殺さなければならない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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26話 嫁の故郷へ

「ジュンペイ、ユリア。予定変更! 私の実家にいくわよ!」

 

 リアトリスが祖国……アルガサルタ方面に向かって、ビシッと指を指したのは数時間前の事。

 現在"三人"はレーフェルアルセ王都を目指すのでなく、もと来た道を歩んでいた。

 

 

 

 

 

 

「こんな所まで植物が茂ってる……。すごいわね。これ、レーフェルアルセ全土に広がってるんじゃないかしら。エルーザ達は国が潤って大喜びでしょうよ」

 

 長靴(ちょうか)で潰すように踏み分けねば進めない草の生い茂った道は、腐朽の大地からレーフェルアルセの王都を目指した時に通ったものと同じである。

 水分が枯渇し乾いた植物がしがみついていた大地は、現在緑に覆われていた。その植物が生える地面もまた、白茶けた物から濃く黒い土へと変化している。

 

「ほら、ジュンペイ。しっかり歩きなさい」

「…………うん」

 

 そう言いながらリアトリスが手を引く相手……ジュンペイは、うなだれたまま微かに頷く。そんな今にもよろめいて倒れそうなジュンペイを、背後から支えるように手を置いたのはユリアだ。

 

「そうですよ~。元気出してくださいな! なんか重いことになってそうですけど、よくあるよくある!」

「ええ、ユリアの言う通りだわ! ここに生贄にされた女が二人も居るのよ! ちょっと規模が大きいけど落ち込んでどうこうなるもんでもないし、さくっと切り替えなさいな」

「俺二人が頼もしいけど怖いよ! だって、リアトリスも感じたんだろ? あの感覚を!」

「あ~……。まあ、ねえ」

「そんなに凄いものだったんですか? 私はこれっぽっちも、な~んにも感じませんでしたけど」

「それは多分、ユリアがこの世界の人間でないからね」

 

 小さな旦那様に大きな声を出す元気が出たことにひとまず安堵しつつ、リアトリスはつい数時間前の事を思い出す。

 

 

 

 枯れ果てた一国の土地を蘇らせる。

 そんなとんでもないことを授業の一環として行おうというのだから、もし他の魔術師がきけば、まず「馬鹿な」と言うだろう。昔なじみであるオヌマでも確実に頭をかかえる。

 だがリアトリスにとって、自分とジュンペイが居れば不可能ではないことだと確信していた。これは希望的観測でなく、自称天才を豪語するリアトリス・サリア・フェンデという魔術師がはじき出した推論によるものである。

 現にこうしてレーフェルアルセは見違えるほどの緑に覆われているのだ。想像していたより結果が出るのが早すぎたし過程を色々すっとばしていたが、やはり無理ではなかったと証明されたのでリアトリスとしては鼻高々だ。

 

 

 ……そのことがとんでもない世界の秘密を呼び寄せたことは、流石のリアトリスも想定外であったが。

 

 

「ここまで慌ただしく来てしまったし、少しのんびり歩きながら話しましょうか。あなたたちもわけわからないでしょうしね。……というか、私もちょっと把握しきれていないのよ。話しながら整理するわ」

「あ、それはありがたいですね! ぜひぜひ」

 

 訳も分からない状態だろうが、ユリアはいつものように明るく軽いノリだ。これは生来の彼女の性格か、それとも過酷な環境を乗り越えてのものかは分からないが……おそらく前者の要素が強いのだと思いながら、ジュンペイはユリアを少しうらやましく思った。

 この中で一番長く生きているのに、一番心が弱いのは自分だろう。……それがひどく厭わしいのに、打ちのめされた心はなかなか元に戻りそうにない。もどかしかった。

 

(今は俺も情報の整理がしたい。……リアトリスの話を、よく聞いておこう)

 

 再び項垂れて、耳だけ嫁の話に傾ける。とにもかくにも、少しでも建設的な行動がしたかった。……甲斐甲斐しく手を引かれているこの状況を、行動と言っていいのかは我ながら疑問に思うところだが。

 

 

 

「まずは世界樹、というものについて説明しなきゃいけないわね」

「名前だけなら、私の世界の物語にもたくさん出てきましたよ! 葉っぱが蘇生のアイテ……道具になったり、セフィラを有する生命の樹だとかなんだとか……ううん? これはセフィロトだったかな。ああ、世界樹はユグドラシル、生命の樹はセフィロトですね! 名前は違うけど同一視もされていたような……うむぅ、創作とか神話がごっちゃになっててよく思い出せないですね……むむぅ……」

 

 記憶を引っ張り出す作業に唸りながらも、楽しそうに話すユリアにリアトリスは少し驚く。

 ……異世界の世界樹の話は興味深く、じっくり聞いてみたかった。しかし今は自分が説明する番だと、リアトリスは好奇心に繋がる手綱を握るため、咳払いをして気を取り直す。

 

「えー、ゴホン。それで、世界樹というものなんだけどね? 今まで世界樹というのは、私たち魔術師にとって魔術の象徴のような存在だったわ。星幽界とこちらの世界の境界で魔力を受けて育つ大樹。力の結晶。極めて簡単に説明するなら、そういった存在よ。……でも、そんな単純なものではなかったようでね。もしかすると今より発展していた古代文明は、世界樹から生命樹という形で力を取り出そうとしたから滅びたのかもしれないわ。……あれは人が触れてよいものではなかったのね、きっと」

「世界中の生き物の意識を繋いじゃうんですものねぇ……。上位生命ってやつですか」

 

 意識を繋ぐ。そう、つい数時間前に起きた出来事はそこに端を発する。

 

「本当にユリアの理解力、そこそこおかしいわよ? ぜひともあなたの世界の創作物を読んでみたいわ」

「ご所望なら覚えてる限りお話しますとも!」

「ふふっ、ええ。楽しみにさせてもらうわ。……で、その世界樹さんから知恵ある生き物へ下された命令が問題よね」

 

 ジュンペイの魔力が乾いた大地に浸透し行き渡った時、大きな変化が訪れた。この世界に存在する全ての知恵ある生物の意識が繋がったのだ。

 頭で理解できなくとも、それは魂に理解させられた事実。そのつなげた相手が世界樹であったことも、受け取った事実の一つだ。

 

 そして最重要思考。世界樹という存在は情報だけでなく、ひとつの命令をその中に織り交ぜた。

 

「私はあの時ジュンペイに触れていたからか、全部の情報は受け取れていないの。だけどひとつだけ確かな事は、世界樹はジュンペイ……腐敗公を世界にとって不要なものとして切り捨てたこと」

「不要、ということは必要なものだったってことですよね」

 

 ユリアの言葉にジュンペイの肩が揺れた。その動揺は体に伝播し、美しい少女の様相を保っていた外見がどろりと崩れてゆく。思わず添えていた手を離したユリアだったが、リアトリスはというと苦笑しながらも腐敗を防ぐ結界を自らに張ってから崩れ落ちたジュンペイを……分身体ゆえに小さいとはいえ、腐敗公の姿に戻った旦那様を抱き上げた。

 

『いい……自分で歩く……』

「こんなでろでろになってるのによく言うわよ。いいから、黙って抱かれときなさい。あんた運ぶくらい苦でもないわ」

 

 散々臭いだの醜いだの言って、挙句の果てに理想の娘の姿にまでしておいて。いざ元の姿に戻っても、こうして手を伸ばしてくれる嫁に、ジュンペイは心がわずかに安らぐのを感じる。……だが到底、それだけで今の荒れ狂う内心を覆い隠せるほど冷静ではなかった。……しかし自分で傷つくにとどめて、二人に当たらないだけましなのだろうか。

 

 リアトリスに出会うまで、必要とされとことなどない。それどころか疎まれて、求めても掴めるものなど何一つなく、諦めの泥の中に沈んで。

 今ようやく諦めるのをやめて前を向いているのに、何故改めて否定されなければならないのか。それも世界そのものに。

 

 必要なものだった? 馬鹿な。

 

『俺って本当になんなんだろう……』

「私もそれが知りたいわね。ジュンペイが言う『捨てられた』って感覚の意味も」

 

 汚泥を垂れ流す単眼の化け物。ぼたぼたと地面に落ちる体液は生い茂る緑を瞬く間に腐食し、溶かしてゆく。それが彼らの通った道にしるしをつけた。

 

「リアトリスさん、これどうします? 多分追われますよね、私たち」

「いいわよ~、そのままで。どうせ追いつけやしないもの。この後本気出して一気にアルガサルタまで走破よ走破。この天才に任せなさい!」

「きゃー! リアトリスさん素敵っ!」

「ほほほほほ!」

 

 ジュンペイを抱えたまま器用にふんぞり返るリアトリス。その自信ありげな様子にユリアもひとつ頷いて、腐った植物を踏まないように軽快なステップでもってリアトリスの横に並んだ。

 

 追われる。その追ってくる相手が誰かと言えば、本来こちらに感謝してもしきれないであろうレーフェルアルセの者達だ。否、それどころか今や魔族人族問わず、世界中全ての生き物が腐敗公を追う者となった。

 ……正確には腐敗公に宿る意識、ジュンペイを。

 

 

 

 世界樹の意識はこう知恵ある生物たちに命令したのだ。

 ―――― 腐敗公の魂を刈り取れ、と。

 

 

 

 禁忌とされ、けして敵わぬ大災厄。腐朽の大地の最強の魔物。

 世界樹に言われるまでもなく、討伐できるものならばと挑み続け負けてきた相手だ。それに改めて立ち向かわせるに足りて余りある理由は、きっとリアトリスが受け取れなかった情報の中にあるのだろう。

 

「……まあ、ここまでちょろっと話したはいいけどさ。なにはともあれ新しい情報が必要ね。それも急ぐことは無いけれど」

「急がなくていいんですか?」

「と、思う。いくら世界樹様の命令と言ったって、討伐に関して目に見えた恩恵があるわけでも無し、すぐに実行できることでもないわ。何百年私たちが腐敗公討伐に失敗してきたと思ってるの? 腐敗公の意識がこうして腐朽の大地の外にあるだなんて、知っているのもまだ一部だし。……いえ、それはもうレーフェルアルセから広まるのは時間の問題でしょうけど」

「というかジュンペイくん。捨てられたなんだ言ってますけど、力がなくなったとかじゃないんでしょ? 何か来ても蹴散らせばいいんですよ、蹴散らせば」

『それは、まあ……』

「ユリアいい事言ったわ! 繋がっている本体も魔力が無くなったとかではなさそうだしね。本当ならまず確認のために腐朽の大地へ戻った方がいいんでしょうけど……何かに振り回されるのは、ほんっとうに嫌! ここは開き直って、少し遊びましょう」

『…………。は!? 遊ぶ!?』

 

 リアトリスの言葉に、ぐるぐる回る思考の渦に呑まれかけていたジュンペイの意識が浮上した。

 今何やら、この状況にふさわしくない言葉が聞こえたような。

 

「そうよ、遊ぶの。ちゃんと擬態していればあんたが腐敗公だなんて分からないわけだしさ、私の故郷でちょっと心を休めるのよ。田舎だけど遊ぼうと思えばそこそこ遊べるわ。それと家族への紹介! 人化の術が自分で出来るようになったら挨拶したいって言ってくれてたけど、これからどうなるか分からないし。今のうちに出来ることはやっちゃいましょう!」

『で、でも!』

 

 言いかけるも、後に続く言葉が無い。

 ジュンペイは再び自分が何をするべきか何がしたいのか……この自分のために何かしてくれようとしている嫁のために出来ることは何か、分からなくなった。何、何故。そればかりが頭を埋め尽くす。

 そんなジュンペイの頭部(?)を、リアトリスが顎で押しつぶす。自分でやっておきながら、結界越しとはいえぐにっとした奇妙な触感に眉をひそめながら。

 

「さっきも言ったけど、情報が少ないの。私だってどうしていいか分からないのは一緒よ? だけど立ち止まってても空から答えが降ってくるわけでもなし。ならちょっとでも動いて、でもってどうせなら楽しいことしてさ。その中で考える方がいいじゃない。不満?」

『不満では、ないです』

 

 それどころか事が大きくなろうと、世界の謎の全貌が明らかにならなかろうと。……面倒だからと手を離さないでくれるリアトリスの態度が心から嬉しい。

 リアトリスは態度が尊大で自分の事を一番に考えてはいるかもしれないが、だからといって自分に向けられる好意が打算だけでないことは、ジュンペイもすでに理解しているのだ。

 

「なら、決まりね! このまま予定通りアルガサルタを目指すわよ」

「なんだかんだと忙しいですねぇ。ま、ルクスエグマに居た時よりずっと楽しいですけれど!」

『……ありがとう。リアトリス。ユリアも』

 

 絞り出すような、声とも音とも判別がつかない意識が空気を震わせる。少女の声に取り繕う気力もまだ戻らないが、それでも心はわずかに変化した。

 数百年の孤独を過ごした先の、短い期間でジュンペイの運命は大きく変動しようとしている。しかし手を取って共に歩いてくれるものがいるならば、再び諦念の泥に沈むことはあってはならない。

 

 ……そう考えた心が、わずかに熱を取り戻すのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかしジュンペイはその夜、自らの根幹などよりよっぽど重要な問題を突きつけられて苦しむことになる。

 

 

 

 

 

 

 

「ジュンペイくん。あなた、このままでいいのです? 言っておきますけどリアトリスさんがあなたに向けてる好意は『愛』! 『恋』ではありません! それで旦那を名乗るなんて図々しいんですよ! 嫁に恋の一つもさせないで旦那? ちゃんちゃらおかしいですね! 人それぞれでしょうけど少なくとも私が許しませんよ! 人外とか、かわいそうな過去に胡坐かいてる場合じゃないんですよ。このままだと本当に私がリアトリスさん篭絡しちゃいますからね! にこにこ我慢してたけどもう我慢できない。じめじめじめじめ鬱陶しい! 今後のためにもどっちがリアトリスさんの伴侶にふさわしいか、はっきりさせようじゃありませんか! あ、別に離れろとか言うつもりないですよ? 私が晴れてリアトリスさんの恋人に収まった暁には、私とリアトリスさんの子供として受け入れてあげます」

 

 

 密かに友情を感じ始めていた恋敵に宣戦布告をされた腐敗公は、世の不条理を呪った。

 

 

 落ち込ませてくれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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27話 宣戦布告の愛合戦!

 最強の魔物と自称天才魔術師。そんな二人がそろっていれば目的への道のりは遠かろうと、身の安全ばかりは確約されたもの。……そう思っていたら、何やら(本人たちにとって)些細なきっかけでとんでもないものを掘り起こしてしまった。

 起きた事態の全てを把握するにはあまりに唐突だった上に、内容が内容だけにそう簡単には咀嚼できるものではない。

 ……だというのに、腐敗公ジュンペイの嫁は実にあっさりと次の行動に向けての方針を決めた。

 

(頼もしいんだけど……頼もしいんだけど……!)

 

 リアトリスは腐敗公ジュンペイの嫁でありながら、魔術の師でもある。嫁として支え師として導く。そういった視点で見てみれば実にできた女性なのだが、その行動原理は過剰なまでの自信とあまり根拠のない勘と勢いによるもの、というのはここ一年の付き合いでなんとなく察している。

 もちろん理知的な考えもあるのだろうが、圧倒的に勢い任せの率が高い。それゆえにハラハラする心は捨てきれなかった。……一番うろたえている身として、何が言えるわけでもないのだが。

 

 もう一人の旅の供、ユリアもあっさりリアトリスの考えに乗った。彼女の場合は異世界人であるがゆえに自分とリアトリス以上に事態を把握できていないから、というのもあるだろうが、それにしたって大した胆力であると言わざるを得ない。

 

 ジュンペイはそんな二人に挟まれて、一気に押し寄せた情報量についていけぬままに、嫁の判断に従い彼女の故郷を目指すのであった。

 

 

 

 

 そして、その途中にて。

 

 

 

 

 歩き続けて時刻は夜。

 宵の帳が下りる前、夕方に野営場所を決めた後……肉が食いたいから狩ってくるなどという、頼もしい台詞を残して夜の闇に一人消えていったリアトリス。それ見送っていたジュンペイに、同じく待機組となったユリアから発せられた言葉は、彼女にしては語気の荒いものだった。

 

 いわく、要約するなれば。

 ジュンペイがリアトリスの旦那様としてふさわしくないという一点を主張したいらしい。

 

「二人きりになる瞬間を待っていました! もうもうもう! 私、ずーっと言いたかったんですからね!?」

 

 怒涛の勢いで言葉と感情をぶつけられたジュンペイはしばし茫然としていたが、はっと我に返って言い返した。

 

「な、そ、んな!」

 

 否、言い返せていなかった。

 言葉にならない声をかろうじて気力が回復し、魔物から再び少女の姿に取り繕った体の声帯から絞り出す。…………が。それごときで目の前の少女の勢いが衰えるはずもなく。むしろその弱弱しい態度に「ちっ」と柄の悪い舌打ちまでもらってしまう始末だ。

 

「ほらほらほらぁ、なんです? 反論があるなら言ってごらんなさい。……いえ、いいです。まず私の思いのたけを聞いてくださいな」

 

 やれやれと首を横に振ると、ユリアは大きく息を吐き出した。態度がいちいち挑発じみているが、受け取るジュンペイとしては本当に鬱憤が溜まっていたんだな、という事を察するあまりに肩をすくめて小さくなるしかない。その様子がますます相手を苛立たせると知らぬままに。

 

「ご存じかと思いますが、私はルクスエグマでほとほと男という生き物に愛想が尽きました。リアトリスさんの方は特定の男性を嫌うがゆえに勢い余って他の男もどうでもいい、みたいな感じですけど一応ジュンペイくんを"旦那様"として受け入れてるわけですから、完全に男という生物を厭わしく思っているわけではないのでしょう」

「そ、そうか……? 俺、こんな姿なんだけど……」

「今そこは重要ではないです」

 

 ばっさり切り捨てられてしまった。

 ジュンペイはこめかみをぴくぴくさせながらも、あと少し聞いてやるかと居住まいを正した。思わず殊勝な態度になってしまいそうだったが、ここまで一方的に言われているのだ。そろそろ何か反論したい。

 そんなジュンペイの傍らでは宵闇を照らす野営の焚火がぱちぱちと爆ぜている。

 

「ともかく本気で男が大っ嫌いになった私と、リアトリスさんではちょっと違うわけですよ。そして、そんな私はリアトリスさんを愛しています!」

 

 声高く宣言されたのは、熱烈な愛の告白である。

 

「……私、リアトリスさんには冗談半分に思われてるっぽいですけど結構本気なんです。だって、あんな風に手を差し伸べられて好きにならないなんてないでしょう? 無理! 好き! 好き好き好き! 大好きー! これでもジュンペイくんの手前もあるから、普段は抑えていた方なんですよ!」

 

 怒涛の勢いで言葉を紡いでいくユリアに気圧されるが、一応聞くだけ聞いた。ならばそろそろ黙ってばかりもいられない。

 ジュンペイはぐっと拳を握ると、身を乗り出してユリアに負けない気迫でもって言葉を発した。

 

「お、俺だってリアトリスに手を取ってもらったんだ! 数百年の孤独の中で初めてで、唯一だ! それだけじゃない! 好きになる気持ち? 分かるに決まってるだろ! あんなに堂々と自信満々に、一緒に幸せになろうって言われたらどうやったって好きになる! 俺だってリアトリスが好きだ!」

 

 本人不在の場で勃発した喧嘩腰の告白大会を、夜の闇が吸い込んでいく。聞くのは(かそけ)く輝く三日月ばかりである。

 しかし夜の静寂を割ることを躊躇わない二人の声は、衰えるどころか増す一方だ。

 

「そうですか! でもジュンペイくん? その好きな相手から向けられている感情は何ですか? 先ほども申し上げましたけど、あれは「愛」です! 愛ならいいだろうってお思いになるならおめでたいこと! あのですね、リアトリスさんの普段のご様子からジュンペイくんも重々承知でしょうけど、傍から見てもリアトリスさんのあれは完全に"母性"なんですよ! 恋愛飛び越して家族愛な上に旦那様へのそれではありません!」

「うぐぅッ! け、けどユリアなんか完全に友愛だろ!?」

「そうですけど、そうですけど今それを引き合いに出すんじゃあないですよ! 私のターンはこれからです見てらっしゃい!? それで、いいですか? 旦那様って羨ましい立場に居ながらリアトリスさんに恋愛感情どころか落ち込んで不安定なところを見せてますます母性を抱かせてるところが私は気に食わないんですよ! そりゃあね? 意中の男性に母性を抱いて好きになるってのはあるでしょうよ! でもジュンペイくんはその前前前前前前前前段階くらいというか、伴侶でなく庇護対象としての愛を向けられてるんです! 何やら大変なことになってるのはうっすら察しましたけど、これから行く場所はリアトリスさんの故郷ですよ!? そこで旦那様として紹介されるってのに、なんですか落ち込んで情けない! 男として自覚を抱いてるならお嫁さんのためにもっとぴんしゃんしようとは思わないんですか! ええ!?」

 

 一言発すれば十倍以上になって返ってくるが、ジュンペイも負けじと言い返す。

 

「う、うるせーーーーーぇぇぇ!! だったらユリア、お前に旦那としてのスタート地点が臭くて醜い化け物で、その後嫁より小さくて華奢な美少女にされた俺の気持ちがわかるのかよ!?」

「あ、自分で美少女って言っちゃいます?」

「可愛いのは事実だろ混ぜっ返すな! それでもずっと努力してきたんだぞ! 魔術を極めて人化の術を完璧に使えるようになって、めちゃくちゃかっこよくてリアトリス好みの大人の男の姿になって、抱きしめられる側から抱きしめる側になろうって! 俺だって、俺だってぇぇぇぇ!! なのにわけわかんないことになるしさぁぁぁぁぁ! 俺っていったい何なんだよ!」

「ええいみっともない! わめくんじゃないですよ! 数百年生きようとやはり見立て通り中身はおこちゃまのようですね! あなたはやっぱりリアトリスさんの旦那様としてふさわしくありません! せいぜい可愛がってあげますから私とリアトリスさんの子供になるのが最適解ですよ! 愛してあげます!」

 

 今まで内側に留めていた鬱憤ごと吐き出せば、ふんっと笑顔で胸を張ったユリアがすぐさま言葉で打ち返す。その仕草はリアトリスにそっくりであった。

 ジュンペイはそれに地団太を踏みつつ頭をかきむしると……――――ちなみにこちらは本人知る由もないが、生贄にされ腐朽の大地に降り立ったばかりのリアトリスそっくりの仕草である――――キッと睨み返す。

 

「いっそ上から目線が清々しいな!? いらんわ!」

「まあ、ずいぶんな言いようですね! ちなみにこれ、私がジュンペイくんを嫌いじゃないからわざわざ正面から言ってるんですよ! 私、陰湿じゃないので!」

 

 一方的な物言いの中で突然示された好意に一瞬止まるが、ここで勢いに負けるわけにはいかないとすぐに言葉をはじき返す。

 

「俺だって嫌いじゃねぇよ! でもそれとこれとは話が別だぁ!」

「そこはよくわかってるじゃないですか!」

 

 象牙の肌に黒髪の清楚可憐な少女と、薔薇色に頬を紅潮させた金髪巻き毛の愛らしい少女が至近距離で睨み合う。

 そして黒髪の少女……ユリアがビシッとジュンペイの胸に人差し指を突きつけた。

 

「ジュンペイくん、これは勝負です! 宣戦布告です! 私はリアトリスさんを諦めません。……私にリアトリスさんをとられたくなかったら」

 

 ユリアの声にひときわ力がこもる。

 

 

 

 

 

「あなたは落ち込んでないで、リアトリスさんに恋させてみなさい!」

 

 

 

 

 

 しばし声が響いたのち……少しだけ夜の静寂が戻ってくる。

 

「……もちろんだ」

 

 宝石のような碧眼に確かな力を込めて、ジュンペイは宣言した。それに対しユリアはにやりと口の端を持ち上げる。

 

「いいでしょう。即答できたのでギリギリ合格です。ちゃあんと私のライバルとして認めてあげますとも」

「だから、お前何目線なんだよ……」

「今言ったばかりでしょう? 恋の鞘当てをするライバルですが?」

 

 何を当然のことをと言わんばかりのユリアに、ジュンペイは疲れたように地面に腰を下ろした。……一時的かもしれないが、その心には先ほどまでの暗澹たる思いは渦巻いていない。

 ユリアも焚火を挟んだ向かい側に腰をおろし、二人の間には先ほどまでの喧騒が嘘のように沈黙が横たわる。

 

 燃える枝が、ぱちりと爆ぜた。

 

 

「……わけわかんないことに突き落とされて、混乱する気持ちはわかりますとも。でもリアトリスさんが楽しみましょう、遊びましょうって笑顔で言ってくれるなら。私達も、それに応えるのが筋ってもんじゃないですか? というか、私はそうありたいわ」

 

 ぽつりとユリアがこぼした言葉に、ジュンペイは「ああ」と納得する。

 

「……なんか、その。ごめん」

「ふーんだ。なにがです?」

「いやその、気分変えさせてくれたのかな、って……」

 

 しどろもどろに答えれば、ユリアはにんまりと笑う。

 

「なんのことですー? 言っておきますけど、今言った事みんな本心ですから」

 

 これ以上聞くのは野暮、というものなのだろうなと。ジュンペイは前世の記憶とやらから浮き上がってきたのか、そんな言葉でもってこれ以上口を開くのはやめておこうと口を閉じた。

 

 ユリアは確かに図太いのだろう。しかし自分やリアトリス以上に、確実に普通の少女でもあるのだ。

 不安が無いはずがない。その中で事の中心たる自分がいつまでも落ち込んで、大好きな人を困らせて(その当の大好きな人はあまり気にしていないようだが)いれば腹も立つ。

 だが彼女は無意味に怒りをぶつけるだけでなく、その感情をジュンペイを奮い立たせるために使ってくれたようだ。

 

 ならば今、あとひとつ言えることがあるならば。

 

 

 

「負けないからな」

「私だって」

 

 

 

 ぱちり。もうひとつ枝が爆ぜて、煌々と焚火が燃える。

 その明かりが照らし出す少女たちの顔は、双方好戦的な笑みだったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……私ったら、もってもて~」

 

 一方。肩に担いだ太い木の枝に猪をぶら下げたアトリスは、出ていく間を見失って苦笑いしているのであった。

 

 

「でも、ま。妙なことになっだけど、明日からも楽しい旅になりそうね!」

 

 

 そう一人締めくくると、狩ったばかりの獲物を意気揚々と掲げて友人と旦那様のもとに戻る。

 

 

 

 世界がどう思おうと、彼女たちの旅路はまだまだ楽しく続くようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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28話 我が家の扉を開いたら

「懐かしいわねぇ……。帰るの、よく考えたらどれくらいぶりなのかしら」

 

 久しく目にしていなかった故郷の風景に、思わずそんな言葉が口を突いて出た。

 

 

 

 魔術師学校に入学しその後アリアデスの弟子となって、更には宮廷魔術師という地位までの爆速出世街道を駆け抜けてきたリアトリス。そんな彼女は学業と研究、仕事に忙殺されるあまり何年も実家に帰ってはいなかった。

 時々仕事ついでに寄りはしたが、それでも最後に家族の顔を見たのは何年前だろうか? おそらく自分が帰ったのではなく、年に一度のアルガサルタの大祭に家族が遊びに来た時だろう。……それもすでに二年前の出来事だ。

 手紙のやり取りはしていたが、お互い家族の情はあっても個人主義というか放任主義というか……。それぞれ「まあ、どうせ元気だろう」と自分たちの生活を優先するのが、リアトリスと彼女の家族との距離感だった。

 リアトリスにしてみればどこかふわっふわで適当。といった表現をした方がしっくりくるが。変に気を遣わなくてよいありがたい家族だとは思う。

 

 ……とはいえ、生還など不可能と言われてる死の大地で生き延びてから初めての再会だ。さしものリアトリスとて感慨深い。

 

 そんなことを思いつつ、懐かしさに目を細め木製の素朴な扉を叩けば、「はいはいはーい! どちらさまー?」と快活な声と共にぱたぱたとかけてくる足音。

 記憶より大人びてはいるが、間違いなく実の妹のものだ。相変わらず元気なようだと笑みを浮かべる。

 

 

 だが扉を開けてからの第一声。

 それは生き別れた家族に対して、あまりにもあまりなものだった。

 

 

「………………。おかーさーん! おとーさーん! お姉ちゃんが美少女侍らせて帰ってきたーー!」

 

「合ってるけどな!!」

 

 

 両腕にべったりがっちりと腕を絡ませくっついているのは、金髪と黒髪の美少女。……事実でしかないそれに、リアトリスは突っ込みもどきの肯定しか返せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、ここが私の故郷よ! ふふん、どう? 本気出したら早かったでしょう」

 

 自慢気に胸を張るリアトリスだったが、堂々とした表情とは裏腹に少々お疲れ気味の顔色だ。というのもアルガサルタの国土に入るなり、風の魔術を使用してここまでの道のりを一気に走破したからである。

 たどり着いた目的地だが、最初にリアトリスとジュンペイが訪れたような海付近の港町でもなければ魔術師アリアデスが坐する山脈地帯でもない。そこより更に内陸も内陸に位置する豊かな山と森に囲まれた村が、リアトリスの故郷だった。

 かけた時間こそ短いが、距離はなかなかもの。ジュンペイの魔力を借りることなく自前の魔力で三人分の高速移動を行ったため、自称天才魔術師といえどさすがに疲れたらしい。

 妙なことになったが未だ腐敗公ジュンペイの強大な力そのものは健在。分身体を構築する魔力の純度も高いため、体を維持するその一部でを少しでも借りたら楽だったのだが……そこで節約を選んだのがリアトリス。それはもうしばらくジュンペイの現在の分身体を維持し、腐朽の大地に戻らずにすむように、という配慮だ。

 ジュンペイはやろうと思えば意識を本体に戻せるため現在の腐朽の大地を確認してもらったが、現在は変わらず静かなようで。ならば当初の予定通り、しばらくリアトリスの故郷でのんびりしても構うまい。そのための節約である。

 

(まあ、これくらい平気よ平気。節約できるとこはしなくちゃね!)

 

 倦怠感を覚えつつ、ドヤ顔で一人頷く自称天才魔術師。実際天才ではあるのだが、この過剰ともいえる自信こそが彼女の天才性を支える一助となっていることもまた事実だろう。

 

 

 

 

「リアトリスさん、お疲れ様でした! はい、これ良かったらどうぞ!」

「あらユリア、ありがとう。気が利くわね」

 

 そんなお疲れ気味のリアトリスに、ユリアがすかさず飲み物を差し出す。水筒から注がれたそれは柑橘類の果汁と皮で香りづけがされた果実水だ。

 リアトリスは乱れた髪の毛を整えながら、ありがたくそれを頂戴する。すっきりと冷えた水が乾いた喉にすうっと沁みていく感覚が心地よい。

 

(いや、にしても……。見よう見まねでこれが出来ちゃうって事は、この子ジュンペイより才能あるわ……)

 

 ……器ごと、直前に冷やされたらしいそれに思わず舌を巻く。ユリアはここ最近聖女としての能力を生活魔術もどきに変換出来るようになってきたらしいのだが、その才能が何気に恐ろしい。なにしろリアトリスは何も教えていないのに、リアトリスの魔術の見よう見まねでこれを行っているらしいのだから。

 

「リアトリス、リアトリス! はい、これで汗拭いて。あ、いや待った。俺がふく!」

 

 それに張り合うようにぴょこぴょこ飛び跳ねつつ差し出されたのは、濡らして絞った顔を拭くための布。受け取ろうとしたらジュンペイが自分がやると主張したので任せたら、思いのほか優しくふかれて気持ちよかった。こちらは水と逆で、ほんのりと温かい。

 それに対してリアトリスはふむ、と満足げに頷いた。

 

「ジュンペイもありがとう。……ふんふん、やるわね。生活に魔術の使用が出来るようになるのは良い事よ! 細かい調整を覚えられるから、扱いがうまくなるわ」

「へへへ……」

 

 こそばゆそうに笑うジュンペイ。その表情には少し前までの陰りはないようだ。

 ……内容はともかく、少し前にユリアがジュンペイの尻を蹴飛ばした効果はあったらしい。最近特にジュンペイに甘い自分としては同じことは出来なかっただろうから、ありがたいことだとリアトリスは苦笑する。

 

「ふふっ。二人ともありがとうね。疲れがふっとんだわぁ~! こんな優秀な友人と旦那様をもって、私ったら幸せよね!」

 

 表情をほころばせながら言えばジュンペイは満面の笑みで、ユリアは少々不満そうな顔をしてからにっこり笑って応えてくれる。

 

(……うん。好意は嬉しいし、よいものよね。思ったより重かったのに驚いたけど……ほほっ)

 

 礼を言いながらも、リアトリスは口の端をほんの少しひくつかせた。

 

 

 ……先日。リアトリスが狩りに行っている間、この見目麗しい少女たちはどうも恋の鞘当てを行っていたらしいのだ。ユリアとしては落ち込むジュンペイの気持ちを奮い立たせる目論見もあったようだが、語った言葉に嘘は感じられなかった。

 早々に狩りを終えて物陰でその内容を聞いてしまったリアトリスが、そのあまりにも熱烈な愛のこもった台詞に彼女らしくもなく少々怖気づいたのは秘密である。

 少し前、自分の思考内だけではあるが「このまま同性愛に目覚めて二人とも娶っちゃうのもありかも!」などと考えていた自分を張り倒したい。思ったより相手側が本気だった。

 

(ま、まあ好意は好意! ユリアの望む形で受け入れることは出来ないけど、形はどうあれ一緒に居るわって言ったもの! ここはドーンと構えておくのがいいわよね! それくらいの度量、あるわ!)

 

 そして想像以上に重量級な愛を抱えていたルクスエグマの聖女様だが、盲目的な面があることは否めないが慧眼である。彼女がリアトリスがジュンペイに抱いている愛情を母性に例えたことは、実に正しい。……ユリアでなくとも一緒に行動する者が居たとしたらそれは一目瞭然であり、リアトリスとしても「そりゃそうだ」としか言いようがないのだが。

 何しろ今のジュンペイは「リアトリスの理想の娘の姿」なのだから、リアトリスの対応も自然とそうなるのは当たり前。彼に対し魔術を教える代わりに要求した対価が「自分にふさわしい夫になれ」だというのに、我ながら酷いと思う。

 

「でも、可愛いのよねぇ……」

「?」

 

 無意識に頭を撫でながらつぶやけば、キョトンとしたつぶらな瞳が見上げてくる。……やはり可愛い。リアトリスはきゅっとする心臓を押さえて思った。

 容姿だけでなく仕草や性格までも愛らしいのだからどうしようもない。ユリアには悪いがこの可愛い旦那様を悲しませるわけにはいかないので、やはり愛人とかそういうのはダメだと思う。抱く気持ちの種類はどうあれ、リアトリスなりにすでに打算抜きで大事にしたい相手なのだ。

 

 こんな子がユリアに「嫁に恋の一つもさせてみろ」と焚きつけられ、その気で居るらしい。ますます可愛らしい。

 これから自分の家族に夫だと紹介しに行くというのに、こんなふうに考える自分はやはり酷い嫁だろうか。

 

 しかし。

 

(人化の術を完璧に習得した後ならともかく……今の姿で、今の厄介な状態で。果たしてそれが出来るのかしら?)

 

 

 

 もし出来たなら、それはきっと一生分の恋になる。

 

 

 

 などという想像に少し楽しくなりながら、リアトリスは「さ、あと少しよ!」と二人を促し故郷である村へと入っていく。

 

 今は旦那様の頑張りを、せいぜい楽しみにさせていただこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして冒頭に戻るわけだが、来る途中でどっちが先にリアトリスの家族に名乗るかとジュンペイとユリアが張り合い始めた結果ぐいぐい距離を詰め始め……最終的にこのゼロ距離密着である。正しく侍らせている、と言うにふさわしいありさまだ。

 いい香りはするし色々と柔らかくて気持ちいいのだが、言っちゃ悪いが少々暑苦しい。

 

 しかしリアトリスと同じ少しくすんだ金髪を高い位置で二つ結びにした少女は、驚きはしたものの何か面白がっているのかケタケタと笑いながら自己紹介をした。

 

「どーもどーも、初めまして! リーアの妹、ルーカです! ひっじょーにお二人の事が気になるわけですけど、まず最初にお名前だけ聞いても?」

「ジュン「ユリ」ぺ「ア」イ」「「です!!」」

「…………なんて?」

 

 ルーカは耳に手をあてて聞き返した。

 

「……こっちがジュンペイで、こっちがユリアよ」

 

 再度ジュンペイとユリアが口を開く前に、ため息を吐きながらリアトリスが紹介した。それに対し先に名前を呼ばれたジュンペイがユリアに「ふふん」とドヤ顔を向け、ユリアが「くっ……!」と悔しがっている。いちいち反応がにぎやかだ。

 リアトリスとしては身動きが取れないので二人ともそろそろ腕を放してほしい。

 

「ジュンペイちゃんにユリアちゃん、ね。もう、お姉ちゃんったら生きてたと思ったらこ~んな可愛い子達連れて、連絡も無しに帰ってくるんだもの。驚いちゃったわ」

「そのわりに驚いた様子をまったく感じないんだけど?」

「ん~……」

 

 もったいぶるような妹の様子に、少々嫌な予感がする。……いや、実は今考えていることを見越して帰ってきた部分もあるといえばあるのだが。しかしこうして急いで帰ってきたのだから、出来ればそれはもう少し後が良かったというのが本音だ。体も心も実家でゆっくり休めたい。

 

(けど、これはもしかして無理かしら……?)

 

 それなりに図太く適当なところがある家族だが、流石に嫁ぐ前の面会もなく腐敗公の嫁……生贄にされた家族が帰ってきたとあらば、もう少しなにか反応があるだろう。先ほど妹が大声で呼んだにも関わらず未だ両親が来ないことで疑念が確信に変わりつつある。

 そう広い家でもないのだし、こうして話している間に真っ先に母がすっ飛んできて頭の一つもひっぱたくだろうと思っていたのだが……。

 

「ルーカ。来客?」

「おう、正解だ」

 

 問えばそれに答えたのはルーカではなく、不本意ながら良く知る男の声だ。

 それに真っ先に反応したのは腕にくっついていたジュンペイである。

 

「オヌマ!? なんでお前がリアトリスの実家に……」

「よっ! 久しぶりだなぁジュンペイ」

 

 ぬっとルーカの横から顔を出したのは、港町で世話になったリアトリスの魔法学校時代の同級生オヌマ・アマルケイン。しかし以前会った時と違い、無精ひげを剃って妙にこざっぱりとした格好をしている。それに眉根を寄せたのはリアトリスだ。

 

「なによ、小奇麗な恰好しちゃって。もしかして~とは思ってたけど……お使いの認識で合っているかしら?」

「正解っちゃ正解。にしてもお前さ、もう少し驚けよ。可愛げねぇな~」

「アリアデス様でなかっただけマシだとは思ってるわよ……」

「え、え、リアトリス? どういうことだ?」

「…………」

 

 うんざりしながらも訳知り顔のリアトリスに、ジュンペイが二人の顔を交互に見ながら混乱した様子で問う。対してオヌマと初対面のユリアはリアトリスの腕をぎゅっと抱きながら、睨むようにオヌマを観察していた。その眼光にたじろぎながら、オヌマはへらっと笑った。

 

「あー……まあ、入り口で話もなんだし、まず中に入ろうぜ」

「偉そうね。私の実家なんだけど?」

「まあまあ、お姉ちゃん。オヌマさんのいう通り、まず中で落ち着きましょうよ」

「…………。はあ、分かったわよ」

 

 からからと笑う妹にそう言われてしまっては頷くほかない。

 体は依然として魔術の使い過ぎで重い。この様子ならすぐに何かしてくる事は無いだろうし、提案通りまずは中で腰を落ち着けよう。両親の顔も見たい。

 

 そう結論付けたリアトリスは二人の美少女を腕に張り付けたまま、懐かしい実家に足を踏み入れたわけだが……。

 居間にあたる部屋の扉を開けた瞬間、盛大にすっこけた。

 

「わわ!?」

「ぷぎゅっ」

 

 当然くっついたままだったジュンペイとユリアも一緒に転び、どすんっとそれなりに大きな音が家の中に響く。だが知ったこっちゃないとばかりに体を起こしたリアトリスは、わなわなと震えながら部屋の中を指さした。

 

 

「な、な、な……!」

「やぁ、思ったより遅かったね?」

 

 脚を組み優雅に茶を嗜むその姿、忘れようはずもない。

 

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? ちょ、なんッ…………オヌマぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「気持ちはわかるが俺を蹴るなよ!!」

「あっはっは」

 

 

 血のように赤いその髪と笑みに歪んだつり目。

 

 

 

「なんっであんた直々に来てんのよクソ上司ィ!!」

 

 

 

 かしこまる両親の前で優雅に寛いでいたのは、一年前にぶん殴ったアルガサルタの第四王子……エニルターシェ・デルテ・アルガサルティスだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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29話 赤髪の奇人

 素朴な木造の家屋は、リアトリスの曽祖父が作り上げたものだ。長い年月が経っているにも関わらず、材質の良さなのか基礎の造りが優れているのか……もとからの丈夫さと日々の行き届いた手入れにより、長き年月を経てなおリアトリスの家族を守ってくれている。

 あまり大きくはないが、良い家だ。

 

 その一室にて。

 色鮮やかな端切れを縫い合わせた布細工は母の手製。それがかけられた長椅子に体重を預けてすっかりとくつろいだ様子を見せているのは、鮮血のごとき赤髪の貴人である。リアトリスに言わせてみれは奇人だが、その佇まいだけは優美なものだ。

 

「…………」

 

 両親、特に母が目で「早くご挨拶をしろ」をすごんできたが、先ほど叫んだっきり言葉が上手く出てこない。文句と恨みつらみをぶつけてやっても良いのだが、それを躊躇させるのはすさまじい苦手意識だ。いざ直に対面すると、心の準備も出来ていなかったことからそれが前面に出てしまう。

 リアトリスは無言のままにしばらく元上司を見つめていたが、控えめに腕を引っ張られて男に張り付けていた視線を動かした。

 

「な、なあリアトリス。今クソ上司って……。ってことは、あいつが……」

 

 どこか不安そうに揺れる青眼に見つめられて、「しっかりせねば」という庇護欲が芽生えリアトリスは少し持ち直した。が、頭の回転はどうにも鈍い。

 

「え、ええとねジュンペイ。ちょっと待ってもらっていい? 最悪を想定するにしても、アリアデス様が来る感じかしら~って考えていたから……してやられたというか……こん畜生がっていうか……不意をつかれたというか……」

「やあ、ごきげんよう! 君が……いや、あなたが腐敗公であらせられるか! お会いできて光栄だ。私の名はエニルターシェ・デルテ・アルガサルティス。このアルガサルタの第四王子という身分に居るが、フフッそれはあなたにとっては些事でしかないだろう。どうかお見知りおきを」

 

 リアトリスの言葉をさえぎって嬉しそうに声を上げた男、エニルターシェの勢いにビクッとジュンペイの肩が跳ねる。そんな彼に構うことなく長椅子から立ち上がり、そう広くない室内で迷いなく一気に距離を詰めるエニルターシェ。そしてリアトリスが止める間もなく…………優雅にジュンペイの手をとり、その甲に口づけた。

 本来ならば振り払うはずだが、その厭らしさのない完璧で流麗な動きについついジュンペイも受け入れてしまう。強引にも関わらずこれは「相手を敬っている挨拶」だと、その動きだけで示されたからだ。

 

 しかし。

 

「ああ、これが腐敗公の御手……」

 

 一瞬にしてがらりと変わった雰囲気。ねばつくような陶酔を秘めたその声に、ジュンペイの背筋がおぞけ立った。すぐに手を振り払い叩き落そうとしたが、相手の方が全てにおいて行動が早い。

 真横に居たリアトリスがまたもや止める間もなく、エニルターシェはうっとりとした様子で口を開き……

 

 

 

 パクリ

 

 

 ジュンペイの指をくわえ口内に取り込み、ねっとりと舌を絡めるようにその白い指に這わせた。

 

 

 

「ぃきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「だらっしゃあッッッ!!」

 

 瞬間。絹を引き裂くような悲鳴と荒々しい怒声、重く鈍い打撃音が重なる。

 そして悲鳴は続いた。

 

「おま、リアトリスぅぅぅぅぅ!? 学習って言葉知ってるか!? 知ってるか!? お前以前の行動から学びは得なかったのかよ!? 馬鹿なの!? いや馬鹿だったわ! 今目の前で証明されたよなぁ!? なあ馬鹿!!」

「っせぇ!! 今のはこいつが悪い!! どう見たって悪い!! う、ううううううううううちの子に、なにを!! つーか離しなさいよオヌマぁッ!」

「がふッッ」

 

 フーフーと荒く息を吐き、我が子を背にかばう野生の獣のごときリアトリス。拳を振り抜いた体勢の彼女を、オヌマが後ろから羽交い絞めにする。しかしすぐに肘鉄を食らってうずくまるはめとなった。

 かつてリアトリスを腐朽の大地まで運んだ兵士たちがこの光景を見たならば「よくぞ一瞬とはいえ止めた!」とオヌマを持ち上げ英雄のごとく誉めそやしただろう。が、残念ながら彼らは今ここに居ない。オヌマは一人空しく痛みに耐えた。

 

「ちょ、お姉ちゃん!? また腕力強くなった!? 今王子様すっごい吹っ飛んだけど!」

「あああ、もう! 腐敗公の花嫁にされた経緯をなんとなく察したわよこのバカ娘!! だから昔から我慢を覚えなさいと……というか家の壁が傷むでしょう!? あのね、何度も言うけれどこの家は曽おじいちゃんが丹精込めて作った大事な……」

「………………」

 

 リアトリスの家族もまたそれぞれ反応を見せるが、当然である。今まさに目の前で自国の第四王子たる貴人を、自分たちの家族であるリアトリスが殴り飛ばしたのだから。

 それにしては内容にやや緊張感が無く、父親に至っては無言のまま「とりあえず落ち着こう」とばかりに王子に出した茶をすすっていたが。

 

 殴られた貴人……エニルターシェはといえば、殴られた勢いで部屋の端まで吹き飛び、強かに背を打ち付けていた。そのままずるずると壁を伝い床に倒れこむ姿を見て、みぞおちをおさえたままのオヌマの顔色から一切の色が抜けて紙のように白くなった。

 

 そんな中、クスクスと可憐に笑う声が響く。

 

「ジュンペイくん、また守ってもらっちゃったんです? 相手はリアトリスさんの宿敵とも言うべき相手なんですから、前に出て背にかばうとかしてほしかったですね~。旦那様なら」

「……ッ! ッ! あのなぁ! お前さぁ!」

「なんです? なにか言い返せます~? うふふ」

「ぐ……!」

 

 混沌を極める室内でちゃっかり入り口寄りの壁に退避し様子を見ていたユリアが、愉快そうにジュンペイを煽っていた。ジュンペイはエニルターシェの口に含まれた指を気持ち悪そうにぶんぶんをふりながら、恨めしそうにユリアを見ている。しかし言われた内容に対しては思うところがあったのか、言い返せずに口をもごもごさせていた。

 

「ごふ……ぐ……。あれ、待ってくれ。この中で一番……まともな反応してるの……俺……? ご家族、もっと他に言う事が……つーか、まって……王子が怪我したら今度それ護衛の俺の責任問だ……」

 

 強烈な肘鉄と精神への打撃で今にも吐きそうなオヌマが、うめくようにつぶやくが室内でそれを気に留める者はいない。オヌマは自分を供に選んだエニルターシェと、精一杯懇願したのに無慈悲に送り出したアリアデスを恨んだ。

 

 

 カツン、と。木の床を踏んだ踵の音が反響する。

 

 

「どういうつもり? いや聞くまでも無かったわね。ジュンペイはあんたのおやつになんかさせないわよ!」

 

 周りのいっさいの声を無視したリアトリスが、ずかずかと床に倒れこんだエニルターシェに近づき、烈火を秘めた目で見降ろした。すると非常に楽しそうな、低い笑い声が赤髪の男から零れ始める。

 

「くく……ふふふ……はは……ふふふふふふふ。ふふふふふふふふふ!」

「…………」

「ぐぅッ!」

 

 リアトリスは無言でエニルターシェの腹に蹴りを叩き込んだ。周囲から再び悲鳴があがるが、リアトリスとしてみれば一度も二度も同じである。それに非常に癪だが、この男の場合はいくら痛めつけようとリアトリス自身はともかく彼女の家族には手を出すまい。そういう苦手意識の他に妙な信頼があるものだから、余計に腹立たしいのだ。この男は。

 

「ひほいひゃないか、わはひのはわいいまひゅひゅひ。へっはふのはいひゃいはほひうほひ」

 

 殴られた、蹴られた事実もなんのその。何事も無かったかのようにすっと立ち上がったエニルターシェだったが、その口から紡がれたのは先ほどまでの明瞭な声と言葉ではなく、ひどく不格好なそれ。

 しかしリアトリスはその内容が理解できたのか、眉根を寄せて強い語調で言い返した。

 

「お前のものではないしお前自分の行動顧みてもの言いなさいよ。誰が可愛い魔術師だって? 冗談。せっかくの再会ぃ? 私にとっては最悪の再会よ! それに殴ったは殴ったけど、一応守ってもあげたのよ? 感謝してほしいわね。……そもそも相手が腐敗公であると知っておきながら、指を口に含むなんて奇行を犯す方がおかしいのだけれど。オヌマに一通りの話は聞いているんでしょうに」

 

 言われてから初めて気づいたように、エニルターシェは自身の頬に触る。殴られた方とは逆側だ。

 

「ほや……」

 

 その場所に本来あるはずの肌が無い。あるのはなにやらねばつく個体とも液体とも言い難い物体で……その先に指をすすめ自身の舌に触れたところでやっと、エニルターシェは頬に穴が開いていることに気が付いた。ねばついた物体は溶けた自分の頬肉である。

 しゅうしゅうと音を立てて肉が爛れるその様子に、以前ジュンペイに手首を溶かし落とされたオヌマが青い顔を更に青く染める。どうやら防衛本能を発揮したジュンペイが、指を口に含まれた一瞬でエニルターシェを溶かし殺そうとしたようだ。本魔物としてはそれに気づく余裕も無かったようで、たった今「あ」と可愛らしい声でつぶやいたのだが。

 

 しかし第四王子は痛みを感じていないかのようにほほ笑むと、くいくいっと指で穴を示す。「治せ」ということらしい。それもまた正しく意味をくみ取ったリアトリスは、初めて腐敗公に噛みつき味わった時と同じくらい顔をしかめた。苦虫百匹を噛み潰した程度では足りないような、見事なまでのしかめっ面である。

 

「図々しい……。けどまあ、いいわ。このままじゃ話しも出来やしない」

 

 リアトリスが渋々了承すれば、エニルターシェは実に嬉しそうに目を細める。それを見ていたジュンペイは、かつてオヌマに抱いたものなど生ぬるい……非常に不愉快な気分に苛まれた。

 大嫌いな相手でありながら、意味不明な相手の言葉を意図を、リアトリスは理解した。それがとても嫌で嫌でしかたがない。

 

 嫌そうにリアトリスがエニルターシェの穴の開いた頬に手を添える。思わず駆け寄ってその手を掴んでやめさせたくなったが、原因は自分である。治療するという結果をもたらす魔術を使えないジュンペイに代わり、嫁であるリアトリスが尻拭いをしている状況なのだ。

 ……気に食わないが今は静観するしかあるまいと、仄暗い感情を飲み込んだ。

 

『優麗なる白螺の御手よ、その指で虚ろを撫でてゆけ』

 

 そんなジュンペイの気持ちに気付かぬままに、リアトリスはさっさとエニルターシェの治療を終える。ふいっとあてがっていた手を手前に引くように動かすと、爛れていた肉の間に数多の白く細い糸が現れ瞬く間にそれが元の状態へと肉を再構築していく。

 わざと極端に術を短縮し、治る際苦痛を伴うように調整してやったが……。ぴくりと眉を動かしただけでエニルターシェはそれを耐えた。

 悲惨な見た目だった顔が再び整ったものに戻ると、彼は怒るどころか満足そうに頷く。

 

「やはり君は素晴らしいな、リアトリス。以前より格段に腕をあげている」

「そんなこたぁどうでもいいのよ」

 

 元上司からの賛辞をばっさり切り捨てると、リアトリスは先ほどまでエニルターシェが腰かけていた長椅子にどかっと腰かけふんぞりかえった。

 

「で? 話を聞かせてくれる気はあるんでしょう? 聞いてあげるから話しなさいよ」

 

 殴ったことで吹っ切れたのか、その態度は清々しいまでに不遜である。だがエニルターシェが気にすることもなく襟を整えると、窓の外を見た。

 

「構わないとも。しかしこれ以上ご家族を緊張させてもいけないだろう? 外で話さないか」

「いいわ。……どうせ潜伏している兵なんていないでしょうしね」

 

 もしそんな者たちが居るならば、リアトリスがエニルターシェを殴った時点で行動を起こしている。信じられないがこの男、オヌマのみを供として単身ここまで来たようなのだ。

 

「ふふ、よくわかっている。……腐敗公と、そちらの聖女様もよろしいかな?」

 

 急に水を向けられてうろたえそうになるが、そこをなんとか堪えたジュンペイは「おう」とだけ答える。ユリアの方はツンっとすまして顔をそむけたが、その後すぐにそそそっとリアトリスに近づいて腕を絡めたのでついてくる気はあるようだ。特段その態度に機嫌を悪くした様子もなく、エニルターシェはただただ胡散臭い微笑みを浮かべている。

 

 

 

「では、行こうか。今後の世界の話をしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 



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30話 森の食卓でご挨拶

 柔らかな陽光が木漏れ日となって降り注ぎ、さわさわと風にゆれる梢の音色が耳をくすぐる中。快活な少女の声が明るく響く。

 

「はい! こっちはうちの畑でとれた野菜と、森で狩ってきた鹿の葡萄酒煮込みよ! うちのお母さんの得意料理なの! すごいのよ、香草を上手く使ってあるから全然生臭くないの。もちろん狩ってからの血抜きも完璧なんだけどね!」

「…………。こちらは蜂蜜酒だ」

 

 少女の声に続いたのは低く落ち着いた男性の声だ。声の主は客人が持つ杯にとろりとした濃い蜜色の酒を注ぐ。

 

「ほう、養蜂もされているんですか?」

「…………少し」

 

 客人は高貴な身分でありながら、平民の男性に丁寧な言葉で返す。それを「こういう立ち回りが上手いから嫌いなのよこいつ……」と言いたげな瞳が穿つが、客人は気にした様子もなく杯を煽った。

 

「ジュンペイくんはこっちを飲むといいわ。お隣さんからわけてもらった牛の乳。今朝搾りたてだから新鮮よ。いっぱい飲んで大きくおなりなさい」

 

 そこから少し離れた席では気風のいい女性が、にこにこと見た目華憐な少女に飲み物を差し出す。木製のカップに注がれたそれを受け取った少女……否、この世の三分の一を支配する大魔物は、はにかんだ笑顔で元気に答えた。

 

「あ、ありがとうございます! お義母さん!」

 

 その隣では丁寧な作法でもって、しかしなかなかのペースで出された料理を美味しそうに平らげていく黒髪の美しい娘。それを楽しそうに眺めるのは、先ほどまでシカ肉の葡萄酒煮込みを給仕していた少女だ。今はパンを切り分けている。

 

「ユリアちゃんは華奢なのによく食べるねぇ~。いいことだわ!」

「ふふふっ、お料理がどれも美味しいので!」

「まあ嬉しい! このパンもいかが? 固いけどスープでふやかすと美味しいの!」

「いただきます!」

 

 

 

「………………」

 

 

 

 リアトリスは指の節でぐりぐりとこめかみをほぐすと、深く溜息を吐いた。その傍らではオヌマがひきつった笑みを浮かべながら、たった今リアトリスの父から自国王子へと供されたものと同じ蜂蜜酒に口をつける。

 

「……世界の話とやらは、いったいいつ始まるのかしら」

「まあ、しょうがないんじゃないか……? ジュンペイ……腐敗公きってのお願いだろ。先にご家族へあいさつしたいって。健気じゃねーの」

「それはそれでいいけど、なんでそのまま和やかに全員で食事してるのかって話よ!」

「まあ、落ち着きたまえリアトリス。美味な食事は会話を円滑にすすめるために非常に有効だ。君はそういったことに対する認識が足りないから腹芸が出来ないのだよ。ふふ、そんなところが愉快で可愛らしくもあるのだが」

「もう一回ぶん殴っていいかしら」

「やめとけって」

 

 現在場所はリアトリスの実家の裏手にある森の中。

 そこにしつらえられた大樹の切り株を材料にした円卓には、作りたての様々な家庭料理が並んでいる。

 

 短時間でここまで用意した母と妹の手腕には正直唸る所だが、そのためにいいように自分の魔術を使われたことに、やはり自分の家族だな……と思わぬでもないリアトリスだったりする。指示されるがままに動いでしまったので、いくら出世しようと家族間での立ち位置は変わらないのだなと再認識した。

 母には頭が上がらないし、妹はちゃっかりしていて調子も要領もいいので、いいようにのせられて使われるのは昔からだ。

 

「それにしても、わざわざちゃんと挨拶をしたいだなんて礼儀正しい子ね。大事なお話があるらしいのに、それを許可してくださる王子様も素晴らしいお方だわ。今日のお客様はお持て成しのしがいがあるわね!」

「母さん! そいつ! 私を! 処刑台送りに! したやつ!! 素晴らしくなんかないわよ騙されないで!」

「けどそれはあんたにも原因があるでしょう? 何があったかは知らないけど、王宮に仕えるってなった時にも散々短気は隠しなさいって言ったのに……」

「直しなさい、でなく隠せってあたりよくわかってるな……。リアトリスのあれはそう簡単に直んねーよ」

「黙れオヌマ。私はぎりぎりまで我慢したわよ!! それをあのどくされが……!」

「あ、あの! リアトリス! 色々言いたいことがあるのもわかるんだけどさ、俺そろそろ挨拶していいかな……? まだ名前しか言えてない……」

「え、ああ。ごめんなさい」

 

 元上司と娘を殺そうとしたその男をもてなしている母、更には余計な口をはさむオヌマをぎんっと射殺さんばかりの眼光で睨むリアトリス。が、遠慮がちに声をかけてきた旦那様にその勢いを殺す。

 この場の誰よりも強いはずなのだが、この中で最も性格が良いのはこの夫ではないかとリアトリスは思う。少々人見知りで大人しすぎる場面も多々あるが。

 ちなみにその旦那様がすぐ近くで酒をあおる元同期の男の手首を出会いがしらに腐り落させた事実は、今のところ彼女の中からすぽっと抜けてしまっているらしい。人見知りも過激さも、その時々である。

 

「え~、ごほん。では改めて紹介するわね」

 

 リアトリスが咳払いをして注目を集めると、ジュンペイはもじもじしながらも覚悟を決めたのか、まっすぐに顔を上げて弾けるような笑顔で名乗りをあげた。

 

「リアトリスのご家族方、初めまして! 俺、リアトリスの夫のジュンペイです! 今日は夫としてご挨拶に参りました!」

 

 名乗ってから、数拍。

 さわさわと風に揺れる木の葉の音が場を通り抜ける。

 

 そして止まったようだった空白の時間が過ぎたのち、リアトリスの家族の反応は三者三様だった。

 

「え、夫? 百歩譲ってお嫁さんじゃなくて?」

「…………父の、アドソンだ。娘をよろしく」

「夫って、まさかその子が腐敗公だなんて言うんじゃないでしょうね。およしよ、そんな冗談。そんな可愛い子を世界中が殺しにかかろうっていうの?」

 

 リアトリスは頭を抱えた。

 

 妹の疑問はもっとも。やらかしたのは自分だが、見た目があれだ。

 父は実は家族の中で一番自己が強いというか鷹揚というかのんびり屋というか……何が来ようとさほど動揺せずに自分の感覚でもって応える。さっくり娘をよろしくされてしまった。

 そして母は遠慮なしに本質を突いてくる。……さて、どれから答えたものか。

 

 しかしリアトリスが口を開く前に、思いのほか落ち着いた声でそれに答えたのはジュンペイ本人だった。てっきり母の言葉に固まるものと思っていたリアトリスは軽く目を見張る。

 

「お義母さん、冗談ではないです。俺は世間から腐敗公……と呼ばれている魔物で間違いありません。この姿は娘さんに用意していただいたもの。本体は魔物です」

「あら、ちゃんと自分で言えるんですね。おどおどしてるだけだと思った」

「ユリアうっせぇ」

「はいはいっと。ごめんなさいね」

 

 茶々を入れるユリアを睨んだ後、ジュンペイは大きく深呼吸をして言葉を続けた。

 

「俺がどんな存在なのか。俺がしたことで起きた現象によって、世界樹からみなさんにどんな情報が伝わったのか。まだ全部わかりません。俺自身がこれから知る所です。…………でも、これだけは先に言いたくて、大事な話の前にご挨拶がしたいとわがまま言いました。……いや、わがままっつーか、本命はこっちなんですけど! 俺なんでリアトリスの元上司がここにいるのかとか、それをリアトリスもわかってたっぽいとか、よくわかってないし!」

 

 話しながら段々と焦ってきたのかジュンペイの言葉が早くなっていくが、それを落ち着かせようというのか、再度深呼吸。

 そして。

 

 

 

 

「リアトリスを愛しています。こんな俺に手を差し出してくれた彼女を育ててくれて……ありがとうございました」

 

 

 

 

 深く、一礼した。森から吹き抜けてきた草木の香りを含む風が、たっぷりと量があるジュンペイの巻き毛を揺らす。

 

「………………」

 

 リアトリスは思わず言葉を失っていた。思いのほか真摯に告げられたその想いに、純粋に驚いたのだ。

 別にジュンペイの好意を疑ったことはない。しかしそれはひな鳥が初めて親を目にして懐くような、そういった類のものだと思っていたのだ。しかしたった今口にされた言葉にはそれ以上のものが込められているように感じて……。そういえば少し前、アリアデスに「感謝と依存、愛情をはき違えてはいないか」問われた時もジュンペイはこの想いに偽りはないと言ってくれていた。その時はジュンペイの感情に自分は同じだけの熱を返してあげられるのか、という考えばかりに目が行ってしまったが……。改めて自分の家族の前ではっきり告げられると、妙に気分がそわそわとしてしまう。

 ぽかんとしていたら、頭を小突かれた。

 

「だってよ。大事にしろよ。俺よりよっぽど上等な男だぜ」

「そんなことは当たり前でしょろくでなし」

 

 ひそひそ小声で元同期で……ほんの少しの間だけ「恋人」という枠組みだった男を睨みつける。学生時代の、ほんの気の迷いだ。

 男、オヌマはへらっとした笑みを浮かべてひらひらと手を振るとリアトリスから少し離れる。それを眺めていた赤髪の奇人と目が合って少し肩を跳ねさせていたのはご愛嬌。

 

 そして見た目可憐な少女であるジュンペイに挨拶されたリアトリスの家族であるが……。

 

「え、えっと? やだちょっとこっちが照れちゃう! 愛してるなんてまともに聞くの、なんかこう、照れる!」

「父さんはよく母さんに言ってる」

「こんな時にいきなり恥ずかしい事実教えないでお父さん!?」

「恥ずかしくない」

「もう、あなたったら。子供たちの前で照れるじゃない」

「照れるのはこっちよ! ……ああえっと、ごめんなさい。えっと、ジュンペイ……義姉さんになるの? 義兄さんになるの? えっと、とりあえず細かい事は置いときましょう! まずはお姉ちゃんをよろしくってことでひとつ! 無駄に自信満々だけど人付き合いがすっごく不器用で短気でいいところもたくさんあるけど無神経さと凶暴さで塗りつぶしちゃうことも多い人だけど、悪い人ではないから!」

「妹ぉ!!」

「なに? お姉ちゃん」

「ルーカ、あんたさ。もうちょっと言い方……」

「大丈夫、知ってます。そのうえで俺は彼女の事が好きなので」

「あらあら、まあまあ」

「………………」

 

 

 姦しいと言えばいいのか賑やかと言えばいいのか。

 

 ともあれなんとも騒がしく、腐敗公ジュンペイは嫁の家族に無事。挨拶を済ませることができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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31話 腐敗公の役割 ★

 ジュンペイが挨拶を済ませた瞬間を狙ったかのように、乾いた音が空気を震わせる。だれかがぱんっと手を叩いたのだ。

 音の主はジュンペイ達のやり取りをにこやかに見守っていたアルガサルタの第四王子、エニルターシェ・デルテ・アルガサルティス。

 彼は朗らかな笑顔でリアトリスに賞賛の言葉を贈った。

 

「素晴らしい! かの大魔物……世界の三分の一をも支配する腐敗公にこうまで愛されるとは、さすがは私の可愛い魔術師だね」

「誰がお前のよ誰が! 雇用契約が生きてるとでも思ってるわけ? 生贄にしておいて? 何回ぶっとばされたいわけ。お望みなら何回でも拳を振るうわよ。ええ、この拳が砕けようとも!」

「熱烈な愛情は光栄だが、それだと先に私の頬骨が砕けるだろう? 遠慮しておくよ。それにしても、あいからわず君は粗雑だねぇ。おっと、ご家族の前で失礼。でもこれは褒め言葉ですので、悪しからず。立場上私は彼女を処さねばならなかったが、拳を始めて顔に受けた時は感動した。人生初だったからね」

 

 ふふっと軽やかに笑うエニルターシェに対して、みしみしと音が聞こえそうなほど拳を握り怒りに震えるリアトリス。だがそんな姉を横目に、ご家族たる妹のルーカの反応は非常に軽いものだった。

 

「いいですよ~王子様。お姉ちゃん、昔からこんな感じですし!」

「妹、姉の味方をする気はないの?」

「お姉ちゃん、権力を前に身内の絆なんて儚いものなの。あと王子様かっこいいじゃない? 媚売り媚売り♪」

「あんた昔から面食いで素直よね!? せめて一番最後のは隠しておきなさいよ」

「おや、お褒め頂き嬉しいね。リアトリスも彼女を面食いと称するという事は、私の見目は良いものに映っているのだね。良い事を聞いた」

「お前はとりあえず黙れ」

 

 味方をしてくれない妹に密かに肩を落としながらイライラとエニルターシェを睨むリアトリスだったが、そもそもこの男……そんな彼女の反応を見て楽しんでいるのだ。ここで止まるはずがない。

 

「いやぁ、それにしても本当に夫婦仲睦まじいようで喜ばしいよ! 私は嬉しい! さ・す・が。私の愛する魔術師だね」

「あの、エニルターシェ様!! お言葉ですが、そろそろ煽るのやめてくださいません!? こいつ俺より腕力あるから止めるの大変なんですよ! 一応こいつ魔将ですからね! 覚えてますか自分で位をあげたの! 将軍ですよ! 俺はしがない村のお助け魔術師なんですよ!!」

「ちょっと待ってそれ初耳なんだけど私に魔将の地位くっつけたのこいつ!?」

「はぁ!? 逆になんでお前知らないんだよ!? 俺は道中の世間話で聞かされたけど!」

「あっはっは。そういえば言っていなかったかい? アリアデスの弟子という事で興味があったからね。調べたら実力も申し分も無いし、私と共に戦場へ来てもらうために根回ししたんだよ。それと、オヌマ。前にも言ったが謙遜しなくていいよ。君の真の実力はアリアデスから聞いているとも。リアトリスが居なかったら君が彼の弟子になっていたのだろう。誇ると良い。……ご実家の手前、大変だな君も」

「なんでそういうこと言うのあの方!? 個人情報をなんだと!」

 

 悲痛な声をあげたのは、再び拳を振りかぶろうとするリアトリスを羽交い締めにしたオヌマ・アマルケインだった。何故か唯一の供として連れてこられた彼だったが、やはり貧乏くじだとため息をつく。役割を変わってくれなかった元宮廷魔術師長の老人とその孫を恨んだ。

 オヌマがリアトリスに密着する様子にジュンペイが一瞬むっと顔を顰めたが、死にそうな顔のオヌマを見てすぐにそれは憐みに変わる。オヌマとしてはそんな同情はいらないので、さっさとジュンペイに夫として嫁の蛮行を止めてほしいところだ。

 

 従者の苦労を知ってか知らぬか、エニルターシェはなに食わぬ顔で話を切り替えた。

 

「ところで、そろそろ私の話をしてもよいかな?」

 

 エニルターシェの声は自然と場の注目を集める。そういう声質と、話し方だ。

 

「腐敗公……いや、名前があるのだったか。ジュンペイ殿といったかな」

「あ、ああ」

 

 突然話を振られたジュンペイはどうしてよいか分からず戸惑った声をこぼすが、その眼前でエニルターシェは優雅に腰を折る。

 

「この度は御身の今後、ひいては世界の今後に関わる話を持ってまいりました。私はそれを話さなければならない。この場で話す権利を一時(いっとき)譲っていただいてもよろしいでしょうか?」

「……あんたがどういった話を持ってきたのか知らないが、俺自身の事だ。内容どうあれ、聞く意思はあるさ。話に先に割り込んだのは俺だしな」

「ふふっ。寛大な御心に感謝いたします」

 

 初対面で特大級の失礼をぶちかましてきたとは思えない優雅で嫌味の無い腰の低さに、警戒しながらもジュンペイは頷く。それを見ていたユリアが、密かに舌打ちした。

 

(カリスマってやつですかね。ジュンペイくん、こういう相手苦手そう……というか、ころころ転がされそう……)

 

 かつてユリアを囲っていた憎きルクスエグマの王族もろもろも上流階級ではあったが……しかしエニルターシェの持つ雰囲気は、それらの有象無象とは一線を画したものに感じられた。

 態度こそこの場で最上位の強さを誇る腐敗公に敬意をはらっているように見えるが、空気はあちらが握っている。……つかみどころが無く、油断ならない相手である。

 リアトリスもオヌマに抑え込まれながら、瞳は鋭くエニルターシェを射抜いている。これは自身も気を引き締めなければと、ユリアはピンと背筋を伸ばした。

 

「さて、何処から話そうか」

「もったいぶらなくていいわ。まずこちらが情報を求めるから、それに答えなさい」

「おや……。ふふ、いいよ。では何から聞きたい? 私の可愛いリアトリス」

「一本一本歯を叩き割っていいかしら」

「それは勘弁だ。話せなくなってしまう」

 

 両手を上げ降参の意を示すエニルターシェに、リアトリスはこめかみを引くつかせながらも深く息を吐く。そしてちらと周り……自分の家族にも目を向けたが、このままでも良いだろう、と判断しそのまま質問へと移った。

 世界規模で情報が拡散されたなら、それを自分の家族のような一般人がどの程度の受け止め方をしているのかも気になるのだ。今のところ正体が腐敗公であると納得した上で、ジュンペイへの敵意や嫌悪は感じないが……。

 

 リアトリスは鼻からひとつ息を吸い、人差し指を立て問う。

 

「ではまず初めに。世界樹とは何か」

「そこからかい?」

「私は例の変化の時ジュンペイと接触していたから、情報を受け取れていないの」

 

 数日前にジュンペイが枯れた大地を潤すために行った魔術。それをきっかけに思いがけず、世界全体に大きな変化が訪れた。

 変化の名前は「共通意識」。更にはその共通意識をもとにした命令。……人間、魔族問わず意志ある生き物全てにそれは行き届いた。それを行った大本が『世界樹』である、という事実と共に。

 

「最終的に行きつく話にも関わるが……うん。そうだね。我らの揺りかごであり我らの母、という答えが近いだろう。更に言うなれば、あれもまた使者、仲介者たる存在のようだが。私達は世界樹とその上位存在に作られ、育まれ、生かされている」

「ふぅん」

「おや、反応はそれだけかい?」

「予想出来ないものではなかったわ。可能性の一つとして考えていたもの」

「流石だね。では更に驚くべきことを教えてあげよう。私達がこれまで魔族と争ってきたのもまた、世界樹の意志だよ。強い方を生き残らせたい親心だね。ちなみに今はその意志は解除されているから、魔族と協力することも可能だ」

「…………。はぁ!?」

 

 それにはさすがのリアトリスも驚いた。これまで相容れぬものと無意識下で判断し、争い殺し合ってきた二種族。その見えないわだかまりに原因があるなど、考えもしなかったのだから。

 さらりと言われてしまったが、これは世界を揺るがす事実である。自分の家族があまりにも普段通りだったがためにさしものリアトリスもそんな情報がぽろりと出てくるとは思わなかった。

 

(でも……そうね。ぽんっと受け取っても魔術になじみが無い者が理解を示すのは難しいわ)

 

 世界樹などの用語そのものが、まず魔術師以外に馴染みがない。突然情報だけすりこまれても、それがどんな意味を持つか受け止めることは容易ではないのだ。受け止められた者達……特に魔術師や魔族などは、今頃ずいぶん騒がしい事になっていそうだが。

 

「意図的な生存競争……。交わるのでなく、争った果てで生き残った明確に強い種族が生き残るようにされている、ということかしら」

 

 推論を口にすれば、エニルターシェが頷く。

 

「そういうことだ。だからドラゴンなんかは世界樹にとっても予想外の存在だね。彼らは奔放に交わり、設定された理を壊すから」

「…………。まあ、いいわ。今はそういうものだと受け取っておきましょう。ちなみに魔族と協力できる、というのは何のために?」

「分かるだろう? 」

「"腐敗公の魂を刈り取れ"だったかしら。……その目的の遂行のために、一時的に垣根をとっぱらったと」

「ご明察。魔王たちも各自で動いているのではないかな」

「だけど相手は腐敗公よ? 討伐しようと思えど誰もが出来なかった相手。それが魔族と人間が協力する程度でどうにかなるものかしら。それに無意識下の制約が取っ払われたとはいえ、今までの歴史で散々争ってきた同志。そう簡単に協力なんて……」

「そのしがらみをねじ伏せてでも、どうにかせねばならないんだよ。でなければ私たちは世界ごと消えてしまうからね」

 

 リアトリスとエニルターシェの会話に誰もが入ることが出来ない雰囲気で居た中、聞き捨てならない内容にジュンペイが口を開く。その表情は硬い。

 

「どういうことだ……。俺は確かにこれまで世界を腐らせてきた。でもこの間はその影響で枯れた土地を蘇らそうとしたんだ! それは成功した! なのに、なんで……」

「なるほど、そんなことをしたのですか。世界があなたを不要と判じたのにも納得です」

「何故!」

「……何故か? それはあなたが役割をはずれたからだ。だから別のものをその位置に据えるため、腐敗公の体から今の腐敗公の魂を刈り取らねばならないのですよ」

「役割ってなんだよ!」

 

 なだめる様に、しかし容赦なく「お前は存在してはならない」と告げた赤髪の男にジュンペイが吠える。リアトリスはジュンペイの肩を抱き寄せると、鋭い眼光のまま続きを促した。

 

「また面倒くさそうな内容ね」

「ああ、そうだとも。私もアリアデスに説明してもらうまでは首をひねったね。我らが母御は、命令を渡してくる割に親切ではないようだ」

「……続きを」

「腐敗公ジュンペイ殿。あなたは世界転生の根幹を担っていた」

 

 突飛な単語の組み合わせに、身構えていたジュンペイは目を白黒させる。世界と、自身ももしかしたら体験しているかもしれない転生。その二つが合わさって、どういった事実が生まれるのだろう。

 

「オヌマ。公にもよくわかるよう簡単に説明したまえ」

「え!?」

 

 痛む胃を抱えながらも完全に聞きに回っていたオヌマは、突如話をふられ素っ頓狂な声を出す。

 

「知り合いだろう? 親切にしてあげるべきだよ。アリアデスからの聞きかじりで話している私より、専門家の君の方が上手く伝えられるだろう」

「あんたしゃあしゃあと……ゲハンゴホンオホンッ!!」

 

 ついつい零れそうになった本音を無理のある咳で誤魔化したオヌマは、非常に嫌そうにしながらも膝に手を当て身をかがめた。その視線はちょうど、ジュンペイの背丈と同じである。

 ジュンペイはこれから話される内容に警戒しつつも、オヌマの以前と変わらない態度に少しだけ肩の力をぬいた。

 

「あー……と。例えばだ。果実がひとつ、あったとする。そして果実を食らう芋虫が二匹。その芋虫が人間と魔族だと考えてくれ」

「……うん」

「果実を多く食べた方が成虫になれる。だが果実は食い切る前に育ちすぎて、自分の重みで地面に落ちて割れちまうのさ。そこで果実を実らせていた樹は、虫たちのために新しい果実を用意する」

「自分の実らせた実をわざわざ食べさせるのか? ……って、ごめん。たとえ話だったな。続けてくれ」

「あ、ああ。えーとだな。だけどその樹に果実はひとつしか実ることが出来ない。……樹は果実が落ちる前に、今ある果実を腐らせて分解し、新しい果実を実らせるための栄養にしたい。そして新たに育った果実を、虫たちにもっと食べさせたい」

 

 たどたどしくも、どうにか分かりやすく語ろうとするオヌマ。背後ではエニルターシェがにこやかに見守っているが、無茶ぶりをされたオヌマが困っているさまを楽しむその笑顔は実に厭味ったらしい。リアトリスは舌打ちしながらも、ジュンペイと共にオヌマの話に耳を傾けた。

 

「つまりだ。果実は世界。それを腐らせる役目が腐敗公。……腐敗公が溶かしてきた大地は、世界が生まれ変わるために還元された栄養だ。そしてその栄養は、腐敗公自身の力となってその体に蓄積されている。……ジュンペイ。お前が生まれた時から、世界は新しい体になるための準備を始めていたんだよ。今は古き世界から新世界へ至るための過渡期なんだ」

「なん……っ」

「でもって、だな。その腐らせ蓄える役目を持ったお前が古き世界に対して貯めてきた栄養を更に還元したとなると、世界転生にゆがみが生じる。転生できなかった世界は中身の俺たちごと消えちまうそうだ」

「ふざけた話だわ」

 

 その内容に言葉を失うジュンペイだったが、リアトリスは話を内容を咀嚼した上で切り捨てる。誰からも好かれること無く厭われたまま生きてきたジュンペイが、実は世界規模で重要な役割を担っていた? ならば説明の一つでもしろというのが、リアトリスが世界樹へむける感想だ。意志があるなら伝えることなど簡単だろうに。

 

「それをして、世界樹にはなんの得があるのよ」

「そこまでは知らねぇが、推測ならできる。でもそれならお前でも可能だろ? だがどうせ答え合わせなんてもんはできやしねぇんだ。だからそれを論じるのは、今必要じゃない」

「なら今必要な事ってなに」

 

 声に棘の混じるリアトリスが見据えるのは、目の前で話していたオヌマではなくエニルターシェだ。

 

 リアトリスは自分の故郷に向かおうと提案した時、ある程度アルガサルタから誰か来ているだろうなと推測していた。それはエニルターシェが自分に関する情報を多少なりとも手に入れている、という事実を知っていたから。

 腐敗公のことを知りたいならば、わざわざ生還がほぼ不可能と言われている腐朽の大地に赴くよりも、そこから帰還した者にまず情報をきけばいい。そのためにリアトリスが訪ねた可能性のある知人へ情報を求めれば、おのずと生還者リアトリスの傍らに寄り添う謎の少女の正体へも行きつくわけで。

 もしこれが世界樹などというものが妙な共通意識を持たせる前ならば、オヌマは誤魔化してくれたかもしれないしアリアデスも口を噤んでくれただう。だがどういうわけか、これまでと同じようでいて違う、決定的な意味をもってジュンペイは「世界の敵」となってしまった。ここで情報提供を渋るのは、もしリアトリスが逆の立場でもしないだろう。あくまで理解を示すにすぎず、納得は出来ないが。

 

 リアトリスは親しい者、という相手が極端に少ない。そうなればオヌマ、シンシア、アリアデスの他に尋ねる可能性があるとすれば故郷の村しかありえなく……同じく情報を必要としたリアトリスもまた、「訪ねてくるだろう誰か」から情報を得るためにあえて故郷を避けず戻ってきた。

 ジュンペイに語った「遊ぼう」という目的も本音ではあるが、急いで帰ってきた割りに相手が早すぎてその暇が与えられなかったのは残念である。

 

(残念どころか、早々に辛い事実に向き合わせることになっちゃったわね……。もう少し息抜き、させてあげたかったわ)

 

 先ほどリアトリスへの想いを純粋に語り、嫁の家族に挨拶をすませたジュンペイ。だが今の話を聞く限り、彼につきつけられるこの世界の生物からの要求はひとつだ。

 

「要はジュンペイに死んでくれって言いに来たんでしょ。言っておくけど世界どうこう聞いても私はこの子を手放す気はないわよ」

「!!」

 

 話を聞くにつれてだんだんと青ざめ俯いていったジュンペイが、ばっと顔を上げる。見上げた先の嫁の表情は、怒りに染まっていた。

 

「では君に聞こう、腐敗公。どうする? あなたがこのまま生きていると、あなたが愛する花嫁まで死んでしまいますよ」

「そ……れは……っ」

 

 リアトリスの鋭い舌打ちが飛んだ。

 

「その一言が目的か」

「ああ、そうだとも。わざわざ最強の腐敗公を正面から相手取らなくても、腐敗公に愛する者が出来たと知れた。ならたった一言告げるだけで、私の目的は終わりだよ。……さて私からの親切な説明はここまでだ。あとは好きにするといい」

 

 肩をすくめるエニルターシェだったが、彼が告げた言葉はジュンペイに決定的な衝撃を与えた。先ほどまで和やかに食卓を囲んでいた空気は、今や完全に冷え切っている。

 とはいえジュンペイに嫌悪の視線が注がれているわけでなく、この大きな事実を挟んで話すリアトリスとエニルターシェにどう口出しをしていいか誰もが口を開けないでいるのだ。

 リアトリスは自身の家族からジュンペイに敵意が向けられていないことに安堵しつつ、しかし滾る怒りは静まらない。

 

「好きにするといい? 言われなくてもそうするけど、特大の毒を食らわせに来たのによくもしゃあしゃあと言ってくれるわね」

「それは言いがかりであり、贅沢というものだよリアトリス。対価に君たちが知らなかったことの説明はしたろう。……それに私は私の立場での責務を、できる範囲内で最大限……活かせる形でもって、実行したにすぎないさ」

 

 ぐっと言葉を詰まらせそうになるリアトリスだったが、怯むまいと薄ら笑いの奥に潜むものに噛みついた。

 

「そんなこと言いながら、お前は世界が消えてもそれならそれでいいのではないの? それよりジュンペイがどう考えてどう行動するか、見るのが楽しみって顔してるわよ。最悪」

「……ふふ。おや、驚いた。私の思考を見透かすのかい? リアトリス。そうだね。君の言う通り、諸共消えてしまうならそれはそれでスッキリして良いと思うよ。煩わしいもの、美しいもの、間違っているもの、正しいもの。それぞれの主観でいくらでも変わる曖昧で面倒なものたちが一切合切消えてしまう。なかなか美しくはないか?」

「煩わしいなら全部消えろ、か。まあ、美しいとは思わないけど潔くて嫌いじゃないわ。でも私はね、これからも楽しく幸せに欲しいもの全部抱え込んで生きたいのよ。そのなかに、もうジュンペイが入ってる」

「なら君はどう動く、銀鱗の魔将リアトリス。世界の理、君のわがままで覆せるほど軽くはないぞ」

 

 ぴりりとした空気がリアトリスの肌を這う。

 事実を知ったうえで無茶を口にしているのは自分の方だと理解はしているが、引く気はない。

 

 視線が集まる中、リアトリスは歯を見せて笑うとジュンペイをぐいっと抱き寄せた。

 

「!」

「これから考えるわ! 世界が消える直前とやらまで、何万回だって私にとっての最良を引き寄せる思考を繰り返す! この天才魔術師リアトリス様がね! その結果世界が消えてしまうなら、これだって何万回も頭を下げてやるわよ! まあ綺麗さっぱり無くなっちゃうなら、頭を下げる相手なんていないんだけど!」

 

 少しの間。

 盛大な笑い声が響いた。

 

「いいね! 君は自称だけでなく間違いなく天才だが、世の傑物に比べたら有象無象の凡百と変わらない。なのにそうやって無様に吠えられる考え無しなところが、私は大好きだよ! より面白くなっているようで安心した! ああ、見せてくれ! 君が、君たちがどう最後まであがくのか!」

「すげぇ勢いで罵倒してきたわねやっぱりお前もう一回ぶっとばすわ!!」

「ああ、いいよ! 名実ともに君は今から世界の危機を脅かす敵だ。なら立場などもう無いに等しい。世間体が無いのだから、いくらでも殴るといい。実を言うと私は君に殴られるの、そう嫌いじゃない!」

「やっぱりやめたわ!!」

「おや、残念」

「嫌いよあんた」

「私は好きだよ」

 

 苦虫を億単位で噛みつぶしたような顔をするリアトリスを満足そうに眺めると、エニルターシェは最後にジュンペイを見る。

 

「さあ、あなたの花嫁はこう選択したよ。腐敗公ジュンペイ殿、次はあなたの選択を見せてくれ」

「俺……は」

 

 答えようとした、その時。オヌマがぴくりと眉を動かす。

 

「どうもゆっくりしてる時間なさそうですよ。エニルターシェ殿下……あなた、お友達になにか言いました?」

「ああ、そういえば」

 

 ぽんっと手を打ったエニルターシェに、嫌な予感が鎌首をもたげる。

 

「答えを聞くのはまた今度にしよう。ふふ、リアトリス。私は君の予想通り兵は連れてこなかったけど、どうやら私の友人が逸ったようだね。馴染みとしては、そちらの聖女様と縁深いかな」

「え……」

 

 話を振られたユリアが嫌そうに眉根をよせ「まさか」と口の中で言葉を転がす。はっきり口に出さないのは、その嫌な予感が当たってほしくないからだ。

 

 だが嫌な予感というものは、たいてい当たってしまうものである。

 

 

「はーははははははははは!! 前回は油断したが、此度はそうはいかん! 貴様らに売り飛ばされた天馬、買い戻すのに苦労したぞ! 忌むべき汚辱、このアッセフェルト自らが晴らしてくれる!!」

「「「馬鹿が来た」」」

 

 奇しくもリアトリス、ジュンペイ、ユリアの三名からまったく同時に同様の感想がこぼれ出た。というのも、馬鹿でかい声を発しながら天馬に跨り上空を横切った相手……ルクスエグマの騎士アッセフェルトは、ついこの間ジュンペイにボロ負けしたばかりの相手だからである。

 現在は情報を照らし合わせジュンペイの正体を知っていてもおかしくないはずだが、それでなおあの勢いでやってくるのは馬鹿と言わずしてなんといおうか。蛮勇と言うにしても、ぬるい。

 

「ベルフェロも学習しないな。前回と同じ相手をよこすだなんて」

「ベルフェロ……。ルクスエグマの第二王子っスか。あれじゃないですか? エニルターシェ殿下がどの程度話されたかわかりませんが、あちらとしてはジュンペイが腐敗公だと確証がないからもう一度同じ相手を試金石に、みたいな」

「ふむ、そうかもね。ともかくここを直接襲われても困るね。さあさあリアトリス、とりあえず逃げたまえ。ご家族を巻き込むのは君としても本意ではないだろう? 安心したまえ。私は国民に対し慈悲深く寛容で平等だ。君の家族には手出しをさせないよ」

「言われなくてもここで迎え撃つなんてしないわようるさいわね! まあ家族に関しては信用するしあんたにこれ言うのめちゃくちゃ嫌だけどありがとうと言っておくわよクソが!! ジュンペイ、ユリア、行くわよ!」

「あ、ああ!」

「はい!」

 

 手を二度三度叩いて急かすエニルターシェに怒鳴り散らすと、リアトリスはどたばたと家の中に駆け込む。そして荷物をひっつかんで戻ってくると、ジュンペイとユリアに投げよこした。

 

「……あ! リーア、あなた大丈夫なの!?」

「大丈夫! なんとかする! 何とかならなかったときはごめん!」

 

 慌ただしく動き始めた娘に、これまでどう反応してよいか分からず見守っていた母が声をかける。返された言葉は短いが、母はそれで満足したようだ。

 

「それは別にいいけど! でも気を付けるのよ!」

「いいの!?」

「そりゃお姉ちゃん言われても聞かないもん、お母さんもそう言うわよ。ちなみに私もそう思ってるけど、世界が消えちゃうとか嫌だから死に物狂いで頑張ってよね!」

「まかせなさい!」

 

 妹も妹で受け止め方が非常に軽く、しかしだからこそリアトリスはやる気を貰う。胸を張って答えてみせた。

 

「…………仲良くな」

「わかった!」

 

 父の言葉は母より短い。それに反応したのはジュンペイだ。

 

「お義父さんはリアトリスが俺と居ていいんですか!?」

「リーアが決めたなら、君はもう息子だ」

「…………!」

「君の家族は心が広いね、リアトリス」

「緩いだけよ! 助かるけどね!」

 

 何やらひどく感動しているジュンペイを脇に抱えると、リアトリスは「ぜんっぜん休めなかった!」と悪態をつきながら来た時同様風の魔力を編む。ともあれ、まずはこの場から遠く離れることが必要だ。

 

 

 そんなリアトリス達の去り際に、エニルターシェが「せっかくだから言っておこう」とばかりに声をかけた。

 

「ああ、リアトリス。一応本命の目的は果たしたけど、建前上私もちゃんと刺客を差し向けるから楽しみにしていてくれ」

「だれがするか返り討ちにしてやるわ!!」

「おいリアトリス多分俺も行かされるから手加減しろよ!?」

「「頑張れ」」

「なんでそこだけ同じこと言うんだよあんたら!!」

 

 

 

 

 こうしてリアトリス達の新婚旅行兼修行旅行は、逃亡劇の様相をも伴って更に慌ただしく続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




以前お互いのうちの子を描く、といった旨の企画にて描いていただいたリアトリスとジュンペイを掲載させていただきます!(許可は頂いております)
うおおおお!めちゃくちゃ可愛く描いてもらえました嬉しい!!


【挿絵表示】

にぼしみそさんに描いていただいたリアトリス。美人すぎか……!?不敵な表情がリアトリスらしくてとても好き。光の加減が非常に美しいです。


【挿絵表示】


【挿絵表示】

同じくにぼしみそさんに描いていただいたもの。光栄なことに企画の後にジュンペイまで描いていただけました。
可愛らしい人型のジュンペイの後ろに元の姿をガッと目力強く描いてもらっていることで本編内で威厳が無いジュンペイに貫禄が生まれている……!とても印象的な絵。感動。


【挿絵表示】

HITSUJIさんに描いていただいたもの。雰囲気最高。リアトリス本人がまず可愛く美人に描いてもらっている上に本を持ったポーズがすごく好きなのですが、背景まで描いてもらえてるのすごい……!


【挿絵表示】

ぽぽりんごさんに描いていただいたもの。見た瞬間「り、リアトリスだー!」と声に出してしまいました。これ絶対返さないやつだな!?という信頼感があまりにもリアトリス。この悪びれてない感じがすごく好きです。こんなに可愛く描いてもらっているというのに!


【挿絵表示】

柴猫侍さんに描いていただいたもの。ミニキャラめちゃくちゃ可愛くないですか……!?可愛い!ずっと眺めていられる。ぷにっとしたほっぺたが最高に可愛いです。


【挿絵表示】

(╹◡╹)さんに描いていただいたもの。天上天下唯我独尊的なポーズがまさにうちの子リアトリス!という感じですごく好き。表情が大人びつつも絵柄が柔らかいのでめちゃくちゃ可愛い。特徴捉えてもらっていてとても嬉しいです!


皆様、素敵なイラストを描いていただき本当にありがとうございました!


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二章までのざっくりキャラ紹介

二章までのざっくりキャラクター紹介です。

 

 

■リアトリス・サリアフェンデ

 

 主人公。24歳。

 宮廷魔術師として出世街道を進んでいたが、上司(王族)をぶん殴ってその道は潰える。

 処刑代わりに腐敗公という大魔物への生贄とされたが、交戦の末、リアトリスの突飛な行動から思いがけず意思疎通に成功。腐敗公が膨大な魔力の使い方も知らず一人ぼっちでうだうだ落ち込みながら過ごしていると知るや、その魔力の使い方を教えるから代わりに自分に相応しい夫になることを要求。嫁兼魔術の先生となった。

 授業のために接し易い姿にしようと人化の術を試みるが、疲れていたことと「旦那とかはいらんから可愛い娘が欲しいな」という欲望がだた漏れた結果、腐敗公をうっかり理想の旦那でなく理想の娘の姿にしてしまう。

 自信家で短気。遠方からの攻撃魔術や魔術そのものの開発が得意。だがもとからの身体能力と師匠の教育方針もあって、格闘による接近戦も強い。

 宮廷魔術師時代は魔将(魔術師が賜る将軍位)として銀鱗の魔将、もしくは銀麗のリアトリスの名で呼ばれていた。銀の鱗を纏う竜を具現化させる固有魔術を使用することが二つ名の由来。

 服のセンスが恐ろしく無く、自分で選ぶと悲惨なことになる。

 くすんだ色合いの金髪に薄青い瞳。魔術師としての名を賜る前の本名はリーア。

 

【挿絵表示】

 

 

 

■腐敗公ジュンペイ

 

 何もかもを腐らせる体を持つ巨大なヘドロ状の魔物。青色の大きな単眼を有する。その体は大地をも腐らせ溶かし陥没させてきた。世界の三分の一を占めるその毒の沼のような大地は不朽の大地と呼ばれている。しかし自らの意志ではなく、生まれついての性質。本人ではどうにもならない。

 腐敗公の名は魔族の王に一方的に贈られた呼び名で、ジュンペイは魔術師として名づけも得意なリアトリスが直感でつけたもの。その名前の響きから、元聖女であるユリアに自分と同じ世界からの転生者なのではないかと言われている。

 精神性は幼く、寂しがりやでやや乙女思考。しかし自分が雄であるという自覚はあるらしく、人化で少女の姿にされたことにショックを受けていた。人になれてきてからは常識的かつ突っ込み気質な面も見えてきたが、長年敵対視され襲撃を繰り返されてきたため、敵と認識したものへの対応は冷酷で淡白。命を屠ることに躊躇はない。途中人間に対しては対話を試みる意志を見せたが、脅威度によっては容赦なく撃退の意志を見せる。

 あくまで本体は巨大なヘドロの魔物のままであり、少女の姿は分身体を変化させたもの。術者はリアトリスであり、一度固定されると同じ術者では別の姿に変えられない。

 魔力量こそ膨大だが、それを操る術はもっていない。リアトリスに相応しい夫になるため、本体を含めて人化し本当の意味で忌々しい体と大地から自由になるため魔術の習得を目指している。

 人の姿は蜂蜜色の巻き毛に鮮やかな碧眼を持つ美少女。

 

【挿絵表示】

 

 

 

■ユリア・ジョウガサキ

 

 魔王を倒すために大国ルクスエグマにて異世界から召喚された少女。

 聖女と呼ばれ、魔族に対する威力の高い聖女としての力を操り仲間と共に見事魔族の王の一人を倒す。が、その後信じていた仲間に裏切られ、有益な処分の仕方として腐敗公の花嫁(リアトリスの翌年の花嫁)にと腐朽の大地に送られた。リアトリスが腐朽の大地の生活で使用していた生命樹のおかげでなんとか生き延びているところを、一時帰還したリアトリスとジュンペイに発見され一命を取り留める。その後リアトリスに誘われて旅の仲間に加わった。

 裏切られたことで男嫌いに。その反動もあるのか、一緒に行こうと手を差し出してくれたリアトリスに恋心のようなものを抱いている。清楚系だが、押しが強くて強か。元の世界ではそこそこオタクだったらしく、サブカルや神話系に詳しい。

 長い黒髪に焦げ茶の瞳。

 

【挿絵表示】

 

 

 

■オヌマ・アマルケイン

 

 リアトリスの魔法学校での同期。アリアデスに弟子入りしようと他の弟子入り希望者と競い合ったが、文字通りの意味でリアトリスに蹴落とされた。

 気が良く面倒見もいい男だが、やや無神経かつ大雑把。リアトリスにたかられても金を貸すあたり懐は大きい。実家は裕福らしいが、小さな漁村で悠々自適に暮らしている。

 ぼさぼさの藍色の髪によれた服と、ぱっと見だらしない。

 

 

 

■アリアデス・サリアフェンデ

 

 元宮廷魔術師長。リアトリスの魔術の師であり、弟子となったリアトリスに魔術師として新たな名と自らの家名を授けた。

 八十一歳になる老体だが、日々研鑽しており鍛え抜かれた筋肉に覆われた巨躯を持つ。住居は切り立った断崖の上。上半身はいつも裸で、体中に魔術由来の文様が刻まれている。

 うねりの強い白髪を一つに束ね豊かな顎鬚を備えているため、顔だけ見れば普通に賢者。体とセットで見るとどこぞの部族の戦士。

 弟子に対しては肉体言語を用いることも多いが、基本的には理知的な人。

 

 

 

■シンシア・サリアフェンデ

 

 アリアデスの孫。祖父と共に暮らしている。リアトリスやオヌマとは魔法学校の同期で、リアトリスの数少ない友人である少女。おっとりしており、使い魔を生み出す魔術に長けている。アリアデスの館の家事を切り盛りする使い魔は全て彼女謹製。

 赤紫色の髪を結いあげており、紫色の瞳を有する。

 

 

 

■エニルターシェ・デルテ・アルガサルティス

 

 リアトリスがぶん殴った元上司。殴られたことに対して本人は特に気にしておらず逆にリアトリスを気に入っているが、公私をはっきり分けるタイプなので王族のけじめとして処罰を下した。

 アルガサルタの第四王子であり、巷では自ら魔族との戦場へ赴く勇敢な王子として人気。が、その実態は魔族の肉を好んで食する特殊性癖者。直属の部下をして扱っていたリアトリスに魔族を食するための加工、処理などをさせており、徐々に彼女にストレスを溜めさせた。本人に特に悪気はないがその分たちが悪い。

 人脈も広いらしく、ルクスエグマの王子にリアトリスと共に行動するユリアの事をリークしたのもこいつ。アリアデスが宮廷魔術師をやめた後、彼の弟子であるリアトリスに興味を持ち、その実力を知ると魔将の地位を授けた(裏から根回ししたのでリアトリスは今まで知らなかった)。

 鮮血の様に赤い髪と瞳を持つ。

 

 

 

■ヘンデル・クロッカス

 エニルターシェの側近。リアトリスを生贄として腐朽の大地へ運ぶ役目も任されていた。

 鳥の使い魔を操る情報収集に長けた男。エニルターシェの命で使い魔を使を用い、リアトリス達を途中まで追跡していた。

 

 

 

■アッセフェルト・ダイナー

 ルクスエグマ魔戦騎士天馬隊隊長。魔王討伐にも参加したユリアの元仲間だが、他の者同様にユリアを聖女と持て囃し甘い言葉を吐きながら、その裏で異質な化け物として疎んでいた。

 腐敗公の花嫁として捧げたユリアが生きて腐朽の大地の外に居ると知り、再度生贄にするためにアリアデスの館に来ていたユリアを襲撃。しかしジュンペイの魔術実践練習相手として返り討ちに遭う。

 

 

 

レーフェルアルセの戦士三人組

 ■女戦士エルーザ

 ■魔術師バーティ

 ■剣士ドイス

 腐敗公の移動を察知し、自分たちの国がこれ以上面積を狭めないようたった三人で討伐隊を組んで腐朽の大地に戦いを挑みに来た。説得され、リアトリス達を伴ってレーフェルアルセへ案内することに。エルーザはレーフェルアルセの将軍を父に持つ。

 

 

 

リアトリスの家族

 ■妹:ルーカ:お調子者。順応力が高く社交性がある。調子も要領もいい。

 ■母:エリル:本編名前未出。懐が大きく大体の事は受け入れる。

 ■父:アドソン:寡黙で独特のペースを維持しており、それはなかなか崩れない。

 リアトリス曰くわりと適当でふわふわしている家族。ジュンペイの事も娘の旦那として受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 



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ドラゴン訪ねて温泉郷!
32話 再出発


 リアトリス達は現在全力で逃亡を図っていた。その相手は空を天馬で駆け高笑いしている馬鹿ではない。そちらも追ってきてはいるのだが、問題はその下方である。

 それリアトリス達が村から出た直後……地面を割って現れ、殺意をもって襲い掛かってきた。

 胴体の脇から生えたムカデのような節足動物の足をわさわさを動かし、鱗で覆われた蛇のごとき下半身を引きずっている……魔族。派手な土煙をあげて追ってくるその姿に、見覚えがありすぎた。

 

 

「な、なあリアトリス!! あれって確か肥料に使った魔族だよな!?」

「見た目だけはね!! でもどう考えても大きさが違いすぎるわよなによあれ!!」

「り、リアトリスさん~! に、逃げるより、倒しちゃった、ほうが!」

 

 走りながら元気に会話するジュンペイとリアトリスの後ろについていくユリアは、突然の全力疾走に息も絶え絶えだ。そんな彼女にリアトリスはパンっと顔と前で手を合わせて謝る。

 

「ごめん、悪いけどそれ無理! この位置だと収穫期が近い畑に被害が出るわ。もうちょっと頑張ってちょうだい! なんだったら負ぶってあげるから」

「えっ! そ、そんな。うへへ。でもそれだとリアトリスさんが……でもせっかくの、うへへ。お申し出だし……」

「なら俺が背負ってやるよ!! ほら!」

「きゃああ!?」

 

 リアトリスの申し出に遠慮する様子を見せながらもかなり乗り気だったユリアを、問答無用でジュンペイが放り投げ背中で受け止める。なかなかに乱暴な方法だったが、現在そうも言ってられない状況だ。

 なにせ三人を追ってきている異形の相手は身の丈が元の姿のジュンペイに並ぶほど……。つまり小山のような様相である。

 少しでも追ってきている順路を外れれば、この辺り一帯の畑は全て吹き飛ぶだろう。

 

 件の相手は数日前、リアトリスが提案したレーフェルアルセの大地を蘇らせようという魔術実験の際に肥料として使われた魔族。集落を襲いに来た相手を打ち倒し、丁度良いからと使ったはいいが、まさか復活するなど今まで数々の魔族と戦ってきた歴戦の魔将リアトリスとしても初めての経験である。

 

「ははははははははははははは!! この間は良くもやってくれたな! だが私は世界の刺客として蘇った!! 魔王様に匹敵するこの力、存分に味わうがいい!!」

「なんとなくどうして蘇ったかわかったけどウルセー!! 実力でいえばまだまだあんた格下なのよ!! 今はやむなしに逃げてるだけだっつーの!!」

「なんだと!? 無様な逃げ姿を見せているくせによく吠えるものだ!!」

「ふははははははは!! 魔族などと協力するのは不本意だがこれも世界のため。腐敗公と邪悪なる乙女ユリアはこの俺が討ち取ってくれる!!」

「おめーはもっとうるせぇよ!!」

「ユリア!?」

 

 普段の丁寧口調をかなぐり捨てて心底ぶちぎれた様子のユリアに、ジュンペイがぎょっとする。どうも一度打ちのめされたくせに再度向かってきた、ただでさえ忌々しい相手によほど苛ついていたらしい。今の彼女の心境は憎さ余って憎さ百倍といったところだろうか。

 

「チッ、あれだけ魔族を厭わしく思っていたくせにさっそく仲良しこよしですか。恥を知りなさい恥を!!」

「ふんっ! これも世界のためという大義名分を前にすれば小さき事よ」

「はああああああ!?」

 

 額に青筋を浮かび上がらせるユリアの顔が怖くて、ジュンペイは前を向いた。相手の標的は自分なのだが、どうにも他が口で言い争っているためちょっぴり疎外感など覚えていたりもする。ほんのちょっぴりだが。

 

 

 

(ジュンペイが世界に捨てられた、と感じた直前に行った魔術の触媒。一度魔力に変換されたという事は星幽界に近しくなったという事。……直接的に放つ刺客としては、再構築して使うのにちょうどよかったって所かしら)

 

 一方リアトリスは天馬に跨るユリア因縁の相手は眼中に無く、巨体で追ってくる魔族を分析していた。

 

 エニルターシェによれば魔族と人族の魂に刻まれた垣根は一時的に取り払われているらしいが、まさかさっそく組んで襲ってくるとは予想外である。しかもその相手が一度確かに仕留めた相手だというのだから、驚きだ。

 どうもこの世界の人間に共通認識を持たせた以外、いまいち強制力のある直接的な命令は出来ないらしい世界樹。その相手が唯一ジュンペイを攻撃する手段に利用出来たのがこの魔族なのではないか、とリアトリスは憶測を立てていた。下手をすればジュンペイの魂が腐敗公の体から抜かれた後、そこに収まるのはこの魔族という可能性もある。

 リアトリスは先ほど格下と断言したが、この相手は巨大化した体躯に見合うだけの魔力を有しているのだ。死ぬ前と比べれば、桁外れである。

 しかも一度ジュンペイ……腐敗公自らの手によって分解されているときた。腐敗公という役にどんな魂が求められるかは知らないが、体への馴染みはよさそうだ

 

(ま、これも憶測ね。実証しようがない。とりあえず今は逃げるが吉! 戦って無駄に目立つ方が今はよろしくないわ!)

 

 リアトリスの頭にはすでに次の予定が組まれていた。腐敗公の嫁であり先生でもあるリアトリス・サリアフェンデは夫兼生徒の予定立案にも余念がないのだ。……多少以上に行き当たりばったりで見通しの甘いところが大半ではあるが。

 

 

 

 

「ジュンペイ、逃げ切るわよ! ほほほ! 私についてこられるかしら!?」

「もちろんだ!!」

 

 魔術で加速しているとはいえそこそこ疲労のたまっているリアトリスは汗をだらだら流して息切れもしていたが、偉そうな態度は変わらない。しばし真剣な表情をしていた彼女を案じていたジュンペイはそれに少々胸を撫でおろしつつ、力強く頷いて背負ったユリアを振り落とさないように抱えなおした。

 

 

「全力疾走ーーーーーー!」

「ぜんりょくしっそうーーーーーー!」

 

「待てお前達何故天馬の速度の上回っている!?」

「待て逃げるのか臆病者めがぁぁぁぁ!!」

 

 

 そして第一の刺客を華麗に置き去りにして、彼らは風のごとく去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+++++

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずばり! 次の目的地はドラゴンよ」

「ドラゴン?」

「目的地というか、目的種族というか。ああいえ、もしかして地名ですか?」

「いいえ、種族で合っているわ」

 

 無事に追っ手を撒いたリアトリス達は、現在ある町の服屋に居た。

 リアトリスは鼻歌を歌いながらジュンペイにレースのリボンがついた帽子をかぶせると、もののついでとばかりの軽い調子で重要な事を口にする。それに首を傾げた二人だったが……疑問を更に掘り下げる前に、ジュンペイは帽子を床に叩きつけた。

 

「って、その前になんで俺は着替えさせられてんだよ!? しかも何このフリフリは!!」

「あらジュンペイ、前々から思っていたけど口調がだんだん粗雑になってない? 駄目よもっとお淑やかにしないと。あとそれ売り物」

「そうですよね~。せっかくの美少女っぷりが台無し」

「見本二人が何言ってるの」

「ええ? こんなに清楚な私たちを捕まえてあなたこそ何を言っているのよ」

「本当ですよ。私なんて聖女ですよ、聖女。元ですけど」

 

 床に叩きつけてしまった帽子を拾い慎重に埃を掃って整えながら、ジュンペイは嫁と恋敵をジト目で睨みつけた。

 素知らぬ顔で口笛でもふきそうな二人はそれぞれ華やかな令嬢服を持っている。しかしそれは彼女ら自身のための物でなく、両方ジュンペイ用だ。

 そしてジュンペイは今現在すでに着替えさせられ、白いレースと花の刺繍が施された上下に包まれていた。スカートはパニエでふんわり広がっている。

 ちなみに五着目の着せ替えだ。考え事をしている内に油断して、強行された結果である。

 

「お金そんなにないんだろ!? 俺の着替え買ってる場合じゃないしそもそも俺いらないし!!」

「ええ~。でも変装は必要じゃない? ねえユリア」

「まったくもってその通りだと思いますリアトリスさん」

「ここぞとばかりに二人で組まないでよ! いいから出るぞ!」

「「ええ~」」

「えー、じゃない! あの、すみません! ありがとうございました!」

 

 ぷんすこ怒りながらもしっかりお店の人にお礼とことわりを入れるジュンペイを、店員は「あらあら可愛い。お姉さん達に連れ出されたのかしら?」と微笑ましそうに見送った。服は売れなかったが、滅多にお目にかかれないほどの美少女。その可憐な着せ替え会を干渉できたので良しとする。

 まさかその見目麗しい少女が自分たちが住む世界を二度にわたり揺るがす大魔物だなどと、平和な町の店員はまだ知らない。

 

 

 

 

「……で? ドラゴンが目的地ってどういうこと。なんかリアトリス、人化の術について教えてくれた時に厄介な相手だって好きじゃない雰囲気出してた気がするけど」

 

 とことこ町を歩きつつ、ときおり人目を気にするように視線を彷徨わせるジュンペイ。彼の問いに、リアトリスはさりげなく防音の魔術を施してから答えた。

 

「厄介な相手よ。でも有益な相手でもある。……なんたってこの世界の人間と魔族の深層心理に刻まれていた不文律。それから外れていた種族なんだから。現状において一気に価値が上がったってとこね」

 

 むふふと怪しい笑みを浮かべながら話すリアトリス。そんな彼女の腕にぴょんと抱き着いてもたれかかったユリアが更に問う。

 

「リアトリスさんはドラゴンたちにどんな有益性を見出しているんです? いたっ」

 

 流れるように密着したユリアの手の甲をイラっとしたジュンペイがつねった。

 

「何するんですか」

「お前がな」

「でも自分もちゃっかりくっついてるじゃないですか」

「俺は夫だからいいの」

「こらこら、喧嘩しないの」

 

 ユリアをつねったあと、トトトと反対側にまわりリアトリスの腕を抱き寄せたジュンペイ。ユリアも負けじと再度リアトリスの腕を抱きなおし、頬を寄せる。

 

(最近この位置が定番になってきたわね……動けないわ……)

 

 両脇に金髪の美少女と黒髪の美少女を侍らせた魔術師は、これはなかなか気分が良いものの普通に動きづらいなと苦笑をこぼす。しかし話すには問題ないなと、言葉を続けた。

 

「エニルターシェにどうにかしてみせると言ったものの、いくら私が天才でもとっかかりが必要なの。ここでまた情報が必要になってくるってわけ。まったく天才魔術師も大忙しよ」

「その情報をドラゴンさん達が持っていると?」

「でも快く教えてくれるか? ……この世界の生き物にとって、俺はどんな形であれ有害だろ。分身体とはいえ俺がこの姿だってことが、他に知れるまで長くはないだろうし」

「だから変装しようって言ったのに」

「それは別の話! 変装するにしても、もっと別のがあるだろ! こう、男っぽいかっこいいの選んでくれよ! 何度も言うけど俺はリアトリスの夫なの!」

「チッ。……まあそれは置いておいて」

「置いておかないでくれる!? それに舌打ち!」

「いいからいいから。まあ変装の内訳はともかくジュンペイの正体は隠したまま接触していいんじゃないかしら」

「そうですね。馬鹿正直に言う必要ないですし」

 

 ふんふんと頷くユリアに、ジュンペイはふとその整った顔を見つめる。

 

(そういえば、あんな話を聞いた後なのにユリアも変わらないよな)

 

 世界ごとどうにかなってしまうというのなら、この世界の地に足をつけて立っている彼女もまた、何かあればただではすむまいに。

 そんなことを考えながら見つめていたら目が合って、にっこり微笑まれた。実に愛らしい笑顔だが、ジュンペイはそっとリアトリスの影に潜んだ。なにやら圧を感じたためだ。

 

 

「ま、聞くことどうこうよりまず見つけないとね。あいつら魔族より長命らしいんだけど、その分個体数が少ないのよ」

「あてはあるんですか?」

「もっちろん! ふふふ。二人とも、期待なさい。目的地としてはなかなか良い場所よ」

「え、何処です何処です!?」

「ふふふん。それはね~」

「もったいぶらないで早く教えてくださいよ~」

 

 むふむふ笑みを深めるリアトリス。その楽しげな様子に自然とジュンペイとユリアの期待が高まった。現在わくわくしている場合ではないのだが、リアトリスが非常に楽しそうなので二人ともそれにつられている。

 

 リアトリスはカッと目を見開いた。

 

 

 

「温泉卿よ!!」

「「温泉郷!?」」

 

 

 

 

 

 目指す場所は、硫黄薫る山岳の都。

 

 

 

 

 

 

 

 



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33話 強化と弱体

 空気が薄く寒風ばかりが吹きさすぶ、生物の生活圏から遠く離れた上空。

 そこに制止するがごとく滞空しているのは、八枚もの蝙蝠に似た翼を広げた男だった。人が未だ魔術で成しえぬ飛行という力を種族の恩恵によって実現しているこの男は魔族である。

 黄色い瞳が捕らえるのは遥か下方……厚い雲に覆われたさらに下だ。そこはたとえ雲を抜けても、毒の霧によって視界が塞がれた、淀んだ沼のような有様の土地である。知恵ある生き物たちは、そこを腐朽の大地と呼んだ。

 土地の魔力を奪う力も、生き物をことごとく腐らせる力も及ばないほどの高度。そこで男は片手を天に向け、ずるりと空間から何かを引きずり出した。

 それは全ての色を混ぜて、煮凝らせたかのような黒で出来た大剣だ。いつの間にか同じものが男を囲うように無数に浮かんでいる。

 それを視線で確認するまでもなく、まっすぐ下を見つめたまま一言紡がれた。

 

『堕ちろ』

 

 それを合図に寒風の中黒い暴虐の嵐が吹き荒れ、それを身に纏った大剣たちが一気に下へと落ちていった。その様はさながら黒い流星群である。

 通常ならばそれを身に受けた相手は肉片一つ残さず、この世から消え果てるだろう。だが男は自らが放った攻撃が次第に力を削られ消耗していく事実を感じ取り、舌打ちした。

 

(対象圏内に入った途端魔力が失われるみてぇだな。世界樹だかなんだか知らねぇが、人族との垣根を取り払うなんてつまらない効果をよこすくらいなら、腐敗公自身の力を奪うか大地の効力を一時的に解除するなりできなかったのか)

 

 悪態をつきつつ、これは狙いが当たって運よく下に腐敗公が居ても仕留められはしないだろうと息を吐く。試しにやってはみたが、とんだ無駄足だ。

 

 そんな魔族の男に、他に誰も居ないはずの上空で突如影が差す。その異変に「え」と顔と上げれば、視線の先には……おぞましく厭わしい腐臭を放つ、流動体のなにか。見ればそれは雲を突きぬけ、遥か下方からここまで長く長く伸びているらしい。先ほどまでその目立つ存在はどこにもありはしなかった。つまり、現れるまでがほぼ一瞬の出来事。

 男は遥か以前目にした、見覚えのあるその物体に口の端を引くつかせる。そしてとても生き物には見えない物体から発せられる明確な敵意と殺意に身構えた。

 その対策はぎりぎり間に合ったらしく、交差させた腕にズンッと凄まじい衝撃が走る。同時に硫酸で焼き爛れるような痛み。

 

________ 失せろ

 

 

 声ではない。脳に直接叩き込まれた、妙に可憐なくせに慈悲の欠片も無い……言葉を取り繕った音。それに内臓をめちゃくちゃに揺さぶられるような感覚を味合わされながら、男は物体……上空まで長くのばされた腐朽の大地の主、腐敗公の触手に叩きのめされどこへともなく吹き飛ばされていった。

 

 

 その男は魔族領の一角をおさめる、魔王と呼ばれる存在。

 彼はこの日、倒すべき脅威がさらに厄介な相手へ進化していたことを知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぷはっ!」

 

 ジュンペイはパッと目を見開くと、本物の様に鼓動を刻む心臓を押さえて荒く息をする。その隣ではリアトリスが、さらにその向こうにはユリアがすーすーと健やかな寝息を立てていた。

 余分に使える金がないため、安宿の狭い部屋の狭い寝台に無理矢理身を寄せ合って寝ている状況だ。起こしてはいけないと、ジュンペイはゆっくりと息を整える。

 眠りを必要としない体のためいつも夜はリアトリスの寝顔を眺めながら時間を過ごすのだが、今日は本体近くに妙な気配を感じたために一度本体たる腐敗公の体へ意識を戻していたのだ。案の定、上空に妙な虫。そこそこの攻撃をしてきたが、軽く払い撃退するのは簡単だった。

 意識を戻している間、この少女の体がヘドロの塊に戻らないよう神経を使ったが……。どうやらそれもうまくいったらしい。

 

(……あんなに触手が長く伸びたの、はじめてだ! しかも気配を感知できる範囲が増えてる。これって、もしかしてリアトリスとの修行のおかげかな……?)

 

 紅潮する頬を押さえるも、にやける顔は締まらない。これまで自分に襲い掛かる暴威を蹴散らす力にだけは不自由したことがなかったが、それは生まれつきの力だ。リアトリスの教えで今まで持て余すばかりだった魔力を魔術という力に変換できるようになった。その学びの力を得た結果、本体にも影響が出たようで、ひとつひとつ出来ることが増えていく。

 それがどんなに幸せで嬉しい事なのか、教えているリアトリスでもその本質までは理解していないだろう。この気持ちはジュンペイだけが真に理解する、何も持っていなかったジュンペイが初めて手に入れたものだ。

 

(まあ力の正体を知った今、喜んでばかりもいられないけど……。でもリアトリスが俺を手放さないと言ってくれるなら、俺はこれがどんな力だろうとリアトリスが幸せになれるように、そのために使う)

 

 きっとこれをそのまま伝えたら「一緒に幸せになるわよって、前から言ってるじゃない」と小突かれるだろう。だがジュンペイの中ではとっくに諦念に支配され求めて求めて悲しみに暮れていた自分よりも、それを埋めてくれたリアトリスの優先順位が上になっていた。

 リアトリスはジュンペイの手を離さなかった。ならばジュンペイもそれに応え一緒に幸せになる道を探すつもりだが、もしいざとなれば……あの王子の目論見通り、リアトリスを生かすために自分の魂を投げ出すだろう。なんといったって、このままだと世界ごと消えてしまうらしいので。

 ジュンペイはごそごそを寝返りをうつと、寝息をたてるリアトリスの鼻先に顔を寄せる。そしてそのまま目を細め、羽毛で撫でるような繊細さで鼻の頭に口付けた。

 以前初めての唇へのそれは情緒も無しにリアトリスに奪われてしまったが、実は二人が寝静まった後でこっそり練習しているのだ。……唇への口づけは完璧に人化の術を習得し、男の姿になれた時と決めているのでそこ以外で。

 寝ている時を狙うのは卑怯な気もしたが、これも夫の特権だと無理やり自分を納得させている。

 

 

 

 頬を染めながら唇をはなすと、さてまだ朝まで時間があるなと別の事に考えを巡らせた。

 

 こうして本体の自分へ意識を戻して攻撃する分には、魔力は非常に潤沢なのだが……。問題は今のこの体である。

 リアトリスは次の目的地に赴くにあたって、ジュンペイにある制約を課した。それは「魔術を一切使わない」ということ。

 新婚旅行兼修行旅行として始めた旅と、学ぶ喜びを知ったジュンペイに対してそれはあまりに酷な制約に思われたが……それは仕方のない事だった。

 リアトリスいわく、今ジュンペイが分身体を維持する魔力の補給に腐朽の大地へ戻れば、必ずどこかでジュンペイを狙う者達に遭遇するとのこと。魔力切れで分身体が消えればジュンペイは本体へ意識が戻るが、もしその分身体が外敵によって倒された場合。その時点で世界樹が言う「魂を刈り取った」状態だと認識されたら、ジュンペイの魂がどうなるかはわからない。

 その危険をわざわざ冒す必要はないので、しばらくこの分身体を出来るだけ長く維持して旅しようという運びになったのだ。それを聞いたユリア曰く「省エネ」である。

 ジュンペイはユリアの言葉ですんなり理解したので、やはり自分は彼女と同郷なのかもしれないと密かに確信を深めた。

 

 ともあれそんなこんなで、ジュンペイは現在この体で戦えない。魔術によって無駄な魔力消費ができないのだ。

 現在リアトリスにより(もちろん口意外から)魔力提供をうけ、分身体を維持する必要最低限の量をなんとか保っている状態。溶かす事なら魔術でなく身体特徴のため可能だが、それを戦いに用いると相手を殺すならともかく倒すには向かない。ほとんど役立たずの状態である。

 頼もしい夫になるどころか、その地位から爆速後退しているような有様にため息しか出なかった。

 

 リアトリスが目的とするドラゴン。どんな手合いか知らないが、人族と交わり亜人種を生まれさせることが多いと聞いている。そしてそのために人化の術の使い方に特化していると。

 つまり……雌ならともかく雄ドラゴンが相手ならば、リアトリスが目を付けられるかもしれないのだ。彼女ならそんな場合でも自分でなんとかするだろうが、そこで「俺の嫁に手を出すな」と立ちふさがれない自分を想像するとなんと情けない事か。きっとまたユリアにも馬鹿にされる。

 

(なにか、今の俺でも戦える手段みたいなの見つけておかないとな……)

 

 悶々と考えつつ、眠る必要がない夜は今日も静かに更けてゆく。

 小窓から見える月だけが、ジュンペイ達を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん、良く寝た! でも金銭問題は早々にどうにかしないとね……」

 

 翌朝、気持ちよさそうに伸びをしたもののリアトリスは持ち金の入った袋を渋面で覗き込む。

 そこには今朝の朝食からパンを抜かした方がよいかな、と思う程度の金額しか入っていなかった。オヌマから借りた金も随分軽くなったものである。

 

「そんな暇なかったから仕方ないけど、オヌマからせしめておけばよかったわ」

 

 だがこの女、隙あらば更に借金を重ねる気で居たようだ。返す気があるかは知らないが。

 

「リアトリスにとってオヌマって財布だよな」

「そ、そんなことないわよ! ちゃんと返す気でいるわよ本当よ?」

 

 少々呆れ気味の旦那様からの視線に慌てるリアトリスだったが、一方でユリアは今まで三人で寝ていた寝台を眺めながらうっとりと呟いた。

 

「私は今のままでもいいですけどね。うふふ……リアトリスさんと密着……ふふ……やわらかかった……ふふ……」

「リアトリス金策しよう今すぐにしようそうしよう」

 

 よだれでもたらしそうな恍惚の表情に、ジュンペイが真顔でリアトリスに提案する。リアトリスも少々顔を引きつらせながら頷いた。それほどに、今のユリアの顔はだらしない。

 最初三人で寝るとなった時ジュンペイが二人の間に挟まって壁になる気満々だったのだが……。「川の字で寝るなんて親子みたいです。うふふ、そしてこの並び順と背丈からして私とリアトリスさんが夫婦でジュンペイくんは子供ですね? ですね? うふふ!」……といったユリアの煽りにまんまとのせられて、平等を期してリアトリスが真ん中ということに落ち着いた。ユリアの作戦勝ちである。

 だが毎回これでは納得いかない。そうなると、やはり金が必要だ。世界最強の大魔物と天才魔術師と聖女が属する団体にしろなににしろ、生きるにも楽しい旅をするにも金はいる。世の中世知辛い。

 

「でも移動の足は止めたくないし……運よく金を持ったやからが襲ってくれるか、次の町で素材が売れそうな魔物が襲ってきてくれることを祈るしかないわね。腰を据えてお金稼ぎは無理だもの」

「ですねぇ。となると、目的地までをそういったものが出そうな道を選んで進むとかですか」

「それが効率よさそうだわ」

 

 対象が人か魔物かという違いはあるものの、金銭の稼ぎ方がむしり取る方向性であることには誰も疑問を挟まない。だが現在戦えないジュンペイとしては、少々肩身が狭かった。

 

「なあ、俺にもなにかできることない? ほら今俺戦えないしさ……」

「やだ、何あなた気にしてるの? いいのよそんなの。蹴散らすだけなら本来私一人で事足りるもの。天才魔術師かつ戦歴としては銀鱗の魔将、または銀麗のリアトリスの二つ名で呼ばれたこの私がそんじょそこらの山賊や盗賊や魔物に負けるわけ無いわ。追ってくる相手がいるにしても、整備された街道よりちょっと複雑な道順辿ってた方がまきやすいし」

「さすがですリアトリスさん!」

「ほほほ! ユリアったら、そんな褒めなくていいのよ。あ、でも褒めたかったらいくらでも褒めてはいいのよ? それはあなたの自由なんだから」

「じゃあ褒めます! リアトリスさん、すごーい! 二つ名もかっこいい!」

「でしょでしょ? あのクソ王子との縁は切ったけど、まあ二つ名は私の実績でもあるわけだし? 罪は無いし? 結構気に入ってるのよ。ちょっとだけね」

(けっこうなのかちょっとなのかどっちなんだ……?)

 

 せっかく戦えない申し訳なさを振り切って聞いたのに軽く流されて、ジュンペイは「これは自分で探すしかないな」と肩を落とした。それはそれとして、嫁の褒めに対する貪欲さとチョロさが少し心配である。ジュンペイも褒められたら嬉しいため、気持ちはわかるが。

 

「じゃあ道順は決まりね。私達が目指す場所はアグニアグリ大山脈中腹。そこまで街道を使わないで、ずっと山伝いで進んでいくわ。まあちょっと熱いくらいで、道のりとしては師匠の家に行くのと似た感じね」

「なるほど。なら私も大丈夫そうですね。……この間みたいに突発的な事態にも対応できるように、この機会に回復魔術の使い方も見直そうかしら」

 

 ユリアは聖女の力を変換した生活魔術もどきに加え、というかもともとルクスエグマで教えられたのか回復魔術に関してはかなりの使い手である。それの応用で持久力を維持することに自信はあったが、瞬間的にその力を発揮するのは苦手のようだ。このあいだジュンペイに運ばれたのが、どうやら少々悔しかった様子である。

 ジュンペイとしては自分が魔術の修行を出来ない間に恋敵であるユリアが更なる進歩をみせたら焦るしかないが、自分が戦えないのでリアトリス一人に負担をかけないため、頑張ってほしくもある。非常に複雑だ。

 

 

 

(今の俺でも戦える方法と、役に立つ方法)

 

 

 

 ジュンペイは自身の中で課題を定めると、地図を広げて詳しい説明を始めたリアトリスの話に耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 



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34話 邂逅と金欠

「ひでぇ目にあった……。こんなことなら臭いのぐらい我慢して、縁作っとくべきだったか……?」

「お疲れ様。ふふ、散々な結果だったようですね。あなたほどの相手でも腐敗公は強敵か」

「おーおー。魔族領のど真ん中だってのに随分とくつろいでるな、あんた」

 

 両腕を爛れさせたまま帰還した魔王は、自分の城の客室で優雅に寛いでいる相手に対し呆れたような声をかけた。その客人は本来魔族の城に迎えられることなど無いはずの種族……人間である。

 人間は名をエニルターシェ・デルテ・アルガサルティスといった。アルガサルタの第四王子、とのことだ。その地位に恥じない整った佇まいだが、従者一名のみを連れて訪ねてきた胆力は相当なものである。

 魔王は客人の向かい側の席にどかりと座り、脚を行儀悪くテーブルの上に乗せて赤髪の青年を見据える。爛れた腕はだらんっと横に垂らした。

 

「にしても、あんた面白いな。魂に刻まれた垣根……そんなもんが取り払われようが、俺たちの間には刻まれてきた歴史がある。世界消滅の危機だろうと、争い合ってきた相手を早々に受け入れて協力しろなんてのは実際難しい。だってのにあんたはこうして俺の前に居る」

「エニルターシェ」

「ん?」

「私の名前です」

 

 にこりと微笑みながら言われた、自分より遥かに脆弱であるはずの相手からの言葉。しかしその態度も声も実に自然体であり、それでいて存在感がある。魔王は口の端をもちあげた。

 

「じゃあエニな。俺は魔王ザリーデハルト」

「存じております」

「そりゃそうか。名前も知らず訪ねてきたなら、ただのアホだ。……んで、腐敗公の分身とやらにけしかけた奴らはどうなったんだ?」

「まんまと逃げられたようなので、勝つ負ける以前の問題ですね」

「ふぅん」

「でも実際に人族と魔族は協力できる、という実証は出来ました」

「だなぁ」

 

 ギィっと背もたれに体重をかけ椅子を傾けると、ザリーデハルトはそのままゆらゆら動きながら天井を見上げる。

 つい先日、ザリーデハルトは自分の敷地内で奇妙な魔族が生まれるのを感知した。生まれるというよりは、魔力は集まっていきなり出現した、と言った方が正しい。興味本位でその魔族に話を聞けば、なんと自分は世界樹に遣わされた腐敗公を倒すための使者だ、などと述べるではないか。

 さらに話を聞けば、もとは他の魔王に仕えていた中級魔族だったようだ。それが屈辱的にもある魔術師に負け、更には魔術のための肥料とされたとか。そこまで聞いてザリーデハルトは数日前の変革と結び合わせ、その魔族を倒した相手に腐敗公とのつながりを見出そうとする。

 

 そんな時だ。

 一羽の使い魔が手紙を携えて、ザリーデハルトのもとにやってきたのは。

 

 内容は実に単純明快で、「本当に魔族と人族が協力できるか、腐敗公の分身を狩りがてら確かめてみませんか?」といったもの。おそらくだが、他のどの人間よりも行動が早かったのはこの男だろう。面白い情報も持っているようだしと、ザリーデハルトは側近の反対を押し切ってすぐさま了承した。

 ちょうど程よく強くて腐敗公相手にいきり立っている魔族が手元に居たので、口八丁で部下に迎え入れるとそのまま送り出した。そういえば名前も聞いていなかったなと、今になって思い出す。

 

「そういえば人間側はお前の部下か?」

「いえ、友人の戦士を貸してもらいました」

 

 何処か含みのある声色に、その友人とやら利用されたな……とあたりをつける。

 

「それにしても、お噂通り魔王の中でも変わり者のようですね、あなたは。腐敗公の分身がか弱い姿で闊歩していると知りながら、わざわざ本体の方を見に行くのですから」

「変わってるかぁ? そうでもないだろ。分身がどんなもんか知らねーが、弱い方から狙うのは普通にダセェ。ま、結果はこれだが」

 

 爛れた両腕を持ち上げて、やれやれと笑う。

 

「ま、腐朽の大地の腐敗公を真正面からブチ叩くのは、正直無謀だな。俺でダメなら他の魔王が十人集まっても意味がねぇ。前に会った時よりバケモンだ」

「あなたがそれを言うのですか? 魔皇とも呼ばれるあなたが」

 

 暗に「自分は魔王十人分の力がある」と言ったザリーデハルトにエニルターシェが問う。

 

「その名も腐敗公の前では空しいな。……つーかよ、そうと知りながらくつろいでるお前の方が変わり者だぜぇ?」

 

 にやりと笑うと、ザリーデハルトは腹筋の力を使いグイっと身を起こし、そのまま跳ねた。がたんっと鳴った椅子を置き去りにテーブルを乗り越え、エニルターシェの前の着地し顔を近づける。爛々と光る黄色の瞳と真紅の目線がぶつかった。

 

「部下に調べさせた。魔族との戦いでも自ら戦前に赴く勇敢な王子サマって、人気らしいじゃねぇか」

「ふふっ、お見知りおきいただけるのは光栄ですね」

「勇敢は結構だが、こうして呼んだら馬鹿正直に来るってのはどうなんだ?」

「お誘いを無下には出来ませんから。ああ、私の供にはお手柔らかに。なにせ帰宅途中に少し寄る所がある、としか言っておりませんでしたので」

「可哀そうだなそいつ」

 

 その時、城のどこかで顔を青ざめさせてぶるぶる震えている癖毛の男がくしゃみをした。

 

「ともあれ、こうして顔を合わせたんだ。お前の本当の望みを言ってみな?」

「本当の望み……ですか」

「協力を求めるにしても、何故真っ先に俺だったのか。是非聞きたいね。気さくに見えて、俺って結構気まぐれよ? 他にもっと与しやすそうな相手は居たはずだが」

 

 長くとがった爪でエニルターシェの喉を撫でながらザリーデハルトが問うた。もし少しでも食い込めば、エニルターシェは容易く喉から血を吹き物言わぬ屍となり果てるだろう。

 だがエニルターシェはそんなことを気にも留めず、少し考えるそぶりを見せてから満面の笑みで答えた。

 

「あなたならつまらない方法で腐敗公を淘汰しようなどと、考えないと思いまして」

「……クク」

 

 喉の奥で笑う。なんのことはない。これは「最も早く魔族と協力を取り付けた」という功績を建前にした、遊びの誘いだ。

 

「……いいだろう。せいぜい遊んでやるから、お前も面白い提案をしろよ」

「私などより、彼女たちが楽しませてくれると思いますけどね。私はそれにほんの少しの彩を与えるにすぎません」

「彩って、あれか。俺を副菜扱いか? 太い奴だよ、お前」

 

 自分にため息を吐かせるとは、とザリーデハルトは楽しそうに笑った。そしてこれも余興とばかりに、ついでにひとつ聞いてみた。

 

「その度胸に褒美の一つもくれてやろうか? なにがいい」

「ではあなたの指を舐めさせていただいてもいいですか?」

「なんて?」

「出来れば爪や皮でもいいので食させていただけると幸いです」

「だからなんて???」

 

 

 

 人間と魔族。地位だけはある変人同士が出会った事を……リアトリス達はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アグニアグリ大山脈。

 ジュンペイにしてみればまたもや知らない地名だが、温泉郷があると聞いて心は何処か浮足立っていた。温泉などというものを見たこと無いにもかかわらずだ。それがどんなものか理解していたし、入ってみたいと心がうずく。

 しかしユリアはそんなジュンペイに対し、「うんうん、わかりますよ。温泉は日本人の魂を揺さぶるものですから」と頷いていた。

 

「ニホンジン……ニホン"人"かしら。ユリアの故郷はニホンと言うのね」

「ああ、そういえばリアトリスさんに言っていませんでしたね。はい! 日本というのが、私と……おそらくジュンペイくんの魂の故郷です。いろんな国があるので、その一つですね。島国です!」

「へぇ~。また道すがら色々教えてよ。急ぎ旅ばかりだけど、道中歩いてる間は暇だし」

「喜んで!」

「……と、その前に私が目的地のこと説明しなきゃ駄目ね」

 

 はたと気づいてリアトリスはこほんと咳払いする。だがその様子は、説明するために気を取り直したというよりどこかそわそわしている自分を抑えるためのもののように見えた。

 

「アグニアグリ大山脈はもともとドラゴンの住処とされている土地でね。与太話のたぐいだろうけど、時折土地から吹き出す火の水はドラゴンの血液なのだというわ。それが地下水を温めて温泉にしてくれているってわけね」

 

 ふんふんと頷きながら聞き入るユリアとジュンペイ。ちなみにその山脈がある場所は何処の国にも属していないらしく、かなり特殊な場所だとか。人が住んでいるのは、件の温泉郷一帯のみとのことである。

 のみといっても、その規模は町と称するには大きいらしい。かといって国と言うには小さい。なんとも言い難く、結局人々はそこを「温泉郷」と呼ぶのだとか。

 

「その昔、息絶えた巨大なドラゴンが横たわってできた場所。それがアグニアグリ大山脈と言われているの。死したあともその体内を巡る血脈は止まらず、災害と恩恵をもたらしている。……ってなわけで、その辺一帯でドラゴンは恐れ崇められる信仰の対象ね。そんなこと言ってるのそこだけだけど」

 ジュンペイは少し驚いた。なんといったって、この説明をしてくれているお嫁様のドラゴンへの評価は害獣のようなものだったはず。それが信仰対象とは。

 

「ドラゴンって扱いとしては魔族とか魔物の類じゃないんですか? それを信仰って……」

「良いところに気付いたわね。思えばそれも不思議な話だわ。魔族と人が争うように魂に刻まれていたと言うなら、絶対にありえない。でも信仰もそうだけど奴らは人と交わり亜人種を生ませる。……つまり、愛し合う事が出来るのよ。無理矢理とかでなくね」

「まあ」

「だからあいつら、やっぱり理の外にいる何かなんだわ。多分!」

「最後のいらなくない? 確信してるのかあやふやなのかどっちなの」

「どっちもよ!」

「潔い!」

 

 頭はいいが馬鹿。と以前港町でオヌマがリアトリスの事を評していたが、こんな時ふと思い出すジュンペイである。今できることは少ないが、夫たるものしっかりせねば……と気合を入れた。

 

 そしてリアトリスは続きを語ろうとして……我慢できなくなったかのように、一気に声の調子が弾けた。

 

 「ちなみに湧き出る温泉の効能は種類豊富で超一級!! ドラゴン信仰の巡礼地として発展した温泉郷は残された土地の中では超希少な観光地!! 食べ物は美味しいし宿も競争相手が多いからどんな安宿でも最高のもてなしをしてくれるって有名よ! 物価高いらしいけどね! あと難点は途中から整備されていない険しい道のりだけど、そこは巡礼地という手前仕方ない事なんだって。どんなに大変でも人は集まるから、この程度の試練も乗り越えられないようなお客様はお帰りくださいってことらしいわ! まあ私たちはもっと険しい道を行くわけだけど!」

 

 頬を紅潮させ身を乗り出すようにまくしたてたリアトリスに、ジュンペイはたじろぐ。

 

「ど、どんどん出てくるな。リアトリスは行ったことあるんだ?」

「ないわよ! そんな暇、今まで無かったもの!」

「あ、だからそんなにウキウキしてるんですね」

「ええ! うふふ、話には聞いたことあるけど温泉自体入ったことないのよ私。憧れだわ! ユリアの故郷は羨ましいわね。温泉が沢山あるだなんて」

 

 目に見えてはしゃいでいるリアトリスに微笑まし気な視線が二つ向けられた。

 

「……じゃあ、せっかくだし思いっきり楽しもうよリアトリス」

「あれ? 自分から言い出すなんて珍しいわね」

「だって、好きな人が楽しそうだと単純に嬉しいだろ? なら難しい事ぬきにして、俺も一緒に楽しんだ方がリアトリスも喜んでくれるかなって」

 

 ふと浮かべられた笑顔が一瞬、少し大人びて見えてリアトリスは目をぱちくりさせる。これまで散々落ち込んでいたし、そうなってもおかしくない事態の連続だったというのに……喜ばしいが、どういった心境の変化だろうか。

 

(子供の成長って早いのね)

 

 などと自分より遥かに年上の大魔物に思ってしまったのは、果たして母性か、それとも一瞬心に浮かびかけた何かを無意識に誤魔化すためだったのか。

 つかみ取る前に、賑やかな声に朧気な考えは霧散した。

 

「ああ、ずるいジュンペイくん! 私が言おうと思ってたのに~」

「ずるいもなにも早い者勝ち!」

「ぶ~」

「あはは! じゃあ満場一致で楽しもうって事でいいわよね! さあ、目的を達成しつつ温泉楽しむわよ~!」

「うん!」

「はーい!」

 

 元気な返事が返ってきたことに満足しつつ……しかし、すぐ浮かれた気分は叩き落された。

 

 

「あ、でもお金……」

「あ……」

「宿に……食べ物……」

 

 

「「「………………」」」

 

 

 三人は無言で頷きあった。

 

 

「なんとしても到着までにお金を稼ぐわよ」

「異議なし」

「異議なし」

 

 

 世界中に狙われるよりもまず、直面している危機は金銭の欠如。……つまり、金欠だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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35話 小さな歌姫

「俺にいい考えがある!」

 

 これは思うように金策が上手くいかない旅の中。珍しくしょんぼりしたお嫁様の背中を見て発した、小さな旦那様の発言である。

 

 

 

 

 

 

 昼下がりの町の中。奇妙な力でたいそうなものから共通認識が授けられようと、人々の営みは変わらない。どうしてよいか分からないと言った方が正しいが、ならば彼らに出来ることはいつもの生活を送ることだけである。

 ある女性は夕食のパンを買い、ある男性は家の修理に使う板を担いで歩き、その横を駆けっこをする子供が通り過ぎてゆく。広場の噴水の周りでは年若い男女が数組、愛を語らっていた。

 そんな日常が緩慢に流れる往来のさなか、端の方で人だかりができていた。なにかを囲うようにこんもりと横に広がった人の壁に興味を引かれた者たちがさらに壁を作り、中央を覗き込もうとする。しかし遅く来たものは厚くなった人の壁に視界を阻まれ、奥の空間になにがあるやら見えはしない。

 

 ふいに「これ使うかい?」と中央に誰かが声をかけた。それから少ししてから、よいしょとばかりにひょっこり頭が現れた。どうやら中心には子供が居たらしく、何か台のようなものに登ったようだ。

 だが普通の子供では、こうも人だかりが出来たりはしないだろう。

 

 

 その子供は普通ではなかった。

 

 見たものは皆、息をのむ。

 

 

 ふわりと広がるシルエット。繊細な刺繍が施されてはいるものの、決して派手とも煌びやかとも言えない衣装。だが本人の魅力を引き立てるのに過度の装飾は野暮だろうと、誰もが思った。

 編み上げられた黒髪は艶やかで、濡れたように麗しい瞳は青玉もかくやといわんばかりの、はっとするほど鮮やかな青。緊張のためか白くてふっくらした頬はほんのり薔薇色に染っており、それがなんとも愛らしい。

 何処かの国の姫がお忍びで来たと言われても納得するしかない容姿をした少女は、きゅっと胸の前で手を組むとぎこちなく笑った。そして小さな口から紡ぎだされるのは、聞いたことのない旋律。

 

 少女がたどたどしくも歌い終わった後、彼女の前に置いてあった木箱には硬貨が溢れた。

 そして小さな歌姫に送られる喝采。どうやら彼女は、日常を過ごしていた町にほんのりと非日常の彩りをあたえたようである。

 

 

 

 

 

 

「あああああ! 緊張したー! というか、みんなよくこんな素人の歌にお金くれたよ! いや、提案したの俺だけどさ!」

 

 人気のない路地で壁に手を付きながら大きく息の塊を吐き出したのは、先ほどまで町の住民に持て囃されていた歌姫。だがその正体は世界の三分の一を腐らせた、最強の大魔物である。知らないという事は、ある意味において幸せだ。

 

「大丈夫自信もってジュンペイくん。今のきみ、正直見るだけでお金取れます。やばいですね。自分の可愛さをお金に変えようと思った判断力はナイスですよ。ねえ、リアトリスさん」

「ええ、まさかここまで化けるなんて……! ふふ、恐ろしい子」

「いや、もともと化けた姿なんだけど……化けさせてもらったというか……うん」

 

 何やら興奮したように、舐め回すように全身を見られてジュンペイは羞恥に縮こまる。女性二人からの視線が、やや怖い。

 

 今のジュンペイの装いはいつもの動きやすい服装ではない上に、顔には完璧な化粧が施されていた。素材の良さをうまく引き立てる繊細さをもって彼に化粧をしたのはユリアだが、その本人がまず出来栄えに絶句していた。「魅了属性とかもってます?」は、仕上がってからの第一声である。

 

 

 何故ジュンペイがあれほど嫌がっていた少女の服を着て化粧までしたのかといえば、実は本人の希望である。もちろん好んでのものではなく、やむをやまれず選択した結果なのだが。

 

 魔力を使えない今、魔力の大きさくらいしか取り柄の無い自分に出来ることは何か……。ジュンペイがそう考えた時、現時点での自分の最大の武器はリアトリスが「理想の娘」として思い描いた容姿にあるのではないか、と思い至ったのだ。非常に不本意だが、ひいき目に見なくても自分はとても可愛いとジュンペイは自覚している。不本意だが。

 そしてそれを活かす方法を考えた時、手っ取り早いと考えたのは見世物になってお金を貰う事。

 特技らしい特技も無いので、仕方なしに物珍しさ優先でユリアに故郷の歌を教えてもらっての初公演。……想像以上に稼げてしまい、ジュンペイはその簡単さが逆に恐ろしくなった。

 

「な、なあ。もしかしてリアトリス、なにか魔術使った? おかしいって。歌っただけでこの金額は。いや、お金があるのはいいことなんだけど!」

「使ってないわよ。少し演出に使おうか? って聞いたら、あなた自分だけでやりたいからって断るんだもの」

「本当に!? 嘘ついてない!?」

「疑り深いわねぇ。本当だって。とうかジュンペイ。あなたったら歌、上手かったじゃない! びっくりしたわ。歌の内容もユリアの故郷……異世界のもので、きっと誰も聞いたこと無い。あなたの見た目も相まって、お金を払うに値するものだったってことよ」

 

 微笑みながらぽんぽんっとジュンペイの頭を撫でるリアトリス。ちなみにだが、その撫でた髪はいつもの眩いばかりの黄金色ではない。

 

「黒髪も似合いますねぇ、ジュンペイくん」

「うんうん、この子は何でも似合うわね! いつもの金髪もそりゃあ綺麗だけど、黒髪だと神秘的な雰囲気が増してこれはこれでいい感じ!」

「……というかさ、リアトリスって前に人化で固定した姿は変えられないって言ってたよね。こういうのは出来るんだ?」

「ええ。だって、髪そのものの色は変えてないもの。上から黒髪の色をかぶせるようにして弄ってあるだけ」

 

 ジュンペイは腐敗公の分身体として、ある程度情報共有が済み落ち着いたら世界中から狙われることになるだろう。だろうと思われる。

 一度誰かが手にした情報が拡散されないと考える方がおかしいのだ。

 しかしユリアの世界にあるというカメラや写真などという便利な絵姿があるわけでもなく、出回る情報は容姿の特徴のみ。ならば変装しない手はないだろうと、目立つ前にとリアトリスが処置を施した。それがこの黒髪のジュンペイである。

 髪の毛も丁寧に編み込まれ、可愛さという方面で強化されたジュンペイの容姿によって安物の髪飾りなどがやけに高級そうに見えている有様だ。

 

「それにしても、あんなに嫌がってたのによくその格好してくれましたねぇ……」

「……だって、今の俺に出来る事ってこれくらいだろ」

 

 ジュンペイは神妙な面持ちで顔の両脇に垂らされている髪を後ろに払うと、腰に手を当て胸を張る。少々リアトリスを想起させる立ち姿だ。

 

「お嫁さんが観光楽しみにしてるんだ。その資金稼ぐためなら、俺の小さなプライドなんて捨ててやるさ」

「まあ!」

「きゃ~! なかなか言うじゃないですかぁ~」

 

 感動したように頬をに両手を当てるリアトリスに、茶化すでもなく素直に感心した様子のユリア。

 ……だが二人は気づく。この大魔物が、想像以上の羞恥に耐えていることに。

 胸を張って堂々とした様子を見せようとしているらしいが、その分顔が良く見える。首と耳まで肌を赤く染め、泣くほどではないが水を湛えたように潤む瞳……笑みを象りながらも、強張った口元。体もぷるぷると震えていた。

 

 リアトリスとユリアは顔を見合わせると、両脇からぽんっとジュンペイの肩を叩いた。

 

「お疲れ。普段はいつもの服でいいからね」

「心持は立派ですが、いつも通りのジュンペイくんが一番可愛いですよ」

 

 無理スンナ。そう言われた気がして、ジュンペイは非常に居た堪れない気分を味わうのであった。

 

 

 

 

 

 

「でもジュンペイのおかげで少しお金が出来たわね。まさか運がいいのか悪いのか……この町に来るまでに、盗賊にも魔物にも会わないとは思わなかった」

 

 普通ならば災難を避けて旅できたことは喜ばしいが、今彼女たちは有り金もしくは売れる素材を剥ぎ取る相手を求めているのだ。遭遇ゼロは、素直に運が悪いといってよいだろう。何しろ残っていた資金はジュンペイの興行用の服であらかた消えた。その分を補って多少余裕があるほどの金額を、彼は羞恥心とプライドを引き換えに稼いでくれたのだが。

 

「もう一度やる?」

「うーん。さすがに初見ほどの珍しさが無いから、やるにしても次の町ね」

「そっか」

 

 頷きつつ、曲がりなりにも自分にもお金が稼げたと喜ぶジュンペイ。その方法はともかくとして、次も頑張るぞとひそかに胸の内で決意した。方法はともかくとして。

 

「この町では旅支度を整えましょう。消耗品の補充には十分な金額だし」

「あ、やっぱり観光に使うまでは足りないか……」

 

 嫁が観光を楽しめるように、という気持ちで稼ぎに挑んだが、流石に運が良くてもそこまでの金銭は得られなかったらしい。といっても一回きりでは当たり前だろうが。

 

「で、でも任せてくれよリアトリス! まだ山脈に入るまで途中で町や村はあるだろ? そこで……」

 

 喰い気味に主張するジュンペイ。その張り切りように苦笑しつつ、リアトリスが口を開きかけた。その時だ。

 

「~♪」

 

 先ほどジュンペイが歌ったばかりの旋律が路地裏に響く。だがその主はジュンペイではない。……成人した男の声だ。

 男嫌いのユリアが顔をしかめつつそちらを見れば、やけに背の高い男がいつの間にかぬるりとそこに立っていた。逆光で顔はよく見えない。

 

「いつの間に……」

 

 気配なく現れた男にリアトリスが警戒心を強めジュンペイを下がらせ前に出る。だがそんな様子をものともしていないのか、男は朗らかな声でこう告げた。

 

「いや~。さっきのはいい歌だった! 僕が知らない歌があるとは、嬉しいね。どうだい? 素敵なものを聞かせてくれたお礼に、よければ町の案内でも」

「なんだ、ナンパか……」

「結構です。お引き取りください」

 

 男の軽い調子にため息をつくリアトリスに、ざっくり切って捨てるユリア。それに対し今度は残念そうに肩をすくめる男。

 

「ナンパじゃなくて純粋な好意なんだけどなぁ……。まあ、でもさ。次に会う事があれば、それも縁ってことで受け取ってくれると嬉しいね」

 

 それだけ言い残すと、男はあっさり去って行った。拍子抜けしたようにリアトリスが息を吐く。

 

「まるでまた会うみたいな言い方ね……」

「リアトリスさんやめましょう。そういうの、フラグっていいます」

「ふらぐ?」

 

 首を傾げつつも、気を取り直してリアトリスはひとつ提案をした。

 

 

「そうだ。買い物ついでに、私たちもちょっと着替えてみない? イイ感じに変装出来そうで、手ごろなのがあったら買っちゃいましょ。ふふふ、私が最高の見立てを……」

「リアトリスは自分で選んじゃだめだよ」

「え? なんでよ。なにか誤解してるみたいだけど、私の見立てもそう悪いもんじゃ……」

「ユリア、絶対リアトリスから目を離さないでね。さっきみたいに」

「心得てますとも」

「え、なによ二人とも。どういう……」

「いいから」

「いいですから」

「ええ……?」

 

 困惑するリアトリスを前に、ジュンペイとユリアは頷きあう。

 ちなみにこの間と今回、二件服屋を見て回った時にリアトリスが探し出してきた珍妙な服を見てユリアはすでに色々察していた。そのうえでまともなものを選ばせるよう言葉巧みに誘導した手腕は、恋敵ながらあっぱれとジュンペイも認めるところである。

 そうでなければ今ごろジュンペイはどぎついピンクに金と紫の水玉模様が入ったドレスで歌っていたかもしれない。となれば、いくら顔が良かろうが、客もそちらに目がいき今日の成功はなかっただろう。ジュンペイはそう確信していた。……それほどまでに、リアトリスが自分で選ぶ服の趣味は信用できない。

 

 

 ジュンペイとユリアに左右の手の握られ買い出しに向かう途中も、納得できない面持ちでリアトリスはひたすら首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 



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36話 握り拳、掴む手のひら

「ねぇ見てくださいリアトリスさん! この組み合わせ可愛くないですか?」

「へぇ~! いいわね。あまり見たこと無い雰囲気だけど、素敵だと思うわ!」

「でしょでしょ!」

「でもいいの? 私のばかり選んでないで、自分の服も見なさいよ」

「だって楽しいんですもん!」

「リアトリス、リアトリス! こ、これは?」

「あら、ジュンペイのもいいわね。あなたが選んでくれる配色好きよ」

 

 服屋につくなり、自分そっちのけでリアトリスに合いそうな服を競うように探し始めたユリアとジュンペイ。というよりユリアが始めてそれに負けまいとジュンペイが後追いした形だ。その様子にリアトリスは自分でもいくつか服を手に取りながら、微笑ましそうに選んでもらった服の感想を述べる。

 ちなみに選んだ服は試着するまでもなくダメ出しをくらうこと数回なので、それに関しては納得できていない。一体何が悪いのだと思いつつ、リアトリスは遊び心を出して少し目線を変えた服に着目する。

 

 そして横目で「こっちがいい」「あっちがいい」とユリアときゃんきゃん言い合っているジュンペイを見た。

 

 

 

 

 

 

 リアトリスはふとした時に考える。何のためらいもなく、ただ欲するままにジュンペイの手を掴み続けている自分のことを。

 

 いい物を食べて、いい物を着て、良いところに住んで、自分の才能を活かして楽しく豊かに生きたい。それが自称天才魔術師の、普通の域を出ない望みである。そしてそれを現状で手に入れる上で、世界消滅などという物騒なものと天秤にかけなくても……ほんの少しの決断で容易く手に入るものだ。……今この瞬間、小さな手を離して一言お願いすればいい。「死んでくれ」と。

 きっとあの可愛い旦那様は怒ることもなく了承してしまうのだろう。少しだけ寂しそうに笑って、だけどそのあと嬉しそうにも笑うのだ。「リアトリスが生きてくれるなら、いいよ」と。

 その様が容易に浮かぶから、余計に腹立たしい。自分の勘違いならどれほど良いかと思いつつ、向けられる好意とジュンペイを性格を顧みるにその想像があながち間違いではないと確信してしまう。

 

(…………気に食わないわね)

 

 それはジュンペイに対しての感情ではない。規模が大きいうえに曖昧だが、強いて言えば世界や運命といったものにだろうか。具体性を持たせるなら世界樹とその上位存在であるが、それらもいまいち掴みどころがないのだから、結局は同じようなものである。

 

 

 

 

 最初手を取ったのは打算。リアトリスはそれを隠さなかったし、むしろ相手も自分を利用すればいいと思った。二人纏めて幸せになれば、何も問題ないのだから。

 しかしそれは次第に変化する。森の食卓で元クソ上司相手にはっきり口にしてから分かったが、リアトリスはもう打算だけでジュンペイを見ていないのだ。

 それがいつからかだったかは分からない。腐朽の大地で過ごした一年間か、その後の新婚修行旅行でなのか。

 

 ……知れば知るほど、腐敗公は強大な力を持ちながらも搾取する側でなく、ただただ搾取される側だった。

 生まれつきの体質のせいで誰にも理解されず独りぼっちでただただ嫌われていたかと思えば、それが今度は世界に必要な役割だったと突きつけらた。知らぬままに良い方へ向かおうと努力した結果は、それは悪い事だ、余計なことだと何の説明もないままに切り捨てられるという事態。あまりにも理不尽ではないか。

 これが何の感情も向けていない相手なら「かわいそうね」で済んだだろう。

 思うだけ、言うだけでなにも手を貸そうとは思わない。自分に利どころか害しかないなら、むしろ積極的に排除する。リアトリスは博愛主義者ではないのだ。

 

 だがジュンペイはすでにリアトリスの領域内に入っている。自分のものだ。

 臆病で寂しがり屋なところがあるくせに威勢がいい時は子犬の様に賑やかで突っ込み気質で、些細な事にも純粋に喜べる、努力家の可愛く愛らしい旦那様であり教え子だ。これは自分が理想の娘として思い描いた、最高に可愛らしい見た目を抜きにした感想である。

 逆もまたしかり。リアトリスもジュンペイのものだ。……だからといって、ジュンペイ自身より優先度を上に置かれ勝手に大事にされて勝手に消えられても困るのだが。宝物は大事にするべきものだが、自分を犠牲にしてまで維持するものではない。

 

 まず自分があって、相手に手を伸ばす。そして繋げたならば、それでいいのではないかとリアトリスは思うのだ。

 

 だからクソ上司が投げかけた一言の呪いなど、考えさせる間も与えるものかと思っている。

 幸いにも最近のジュンペイは前向きで、自分が消える方向で考えてはいないようだが……その腹の底は分からない。案外いざとなったら、あっさり方向性を変えて自分の魂を投げ出しそうだなとリアトリスは考えていた。嫌な方向性の信頼感である。

 もちろん、そんなことをさせる気は毛頭ない。

 

 いつからかは分からなくても、積み上げた好意はしっかりとリアトリスの中で形になっている。それは旦那様が求める恋というものではないかもしれないが、愛ではあるのだろう。

 手放したくない、リアトリスが思い描く楽しい未来の景色の中で当たり前のように一緒に笑っている相手。……それが崩されるというなら、形のあるものにも無いものにも喧嘩の一つや十や万ふっかけようというものだ。

 

(そんなもんぶちのめして、問答無用の幸せ未来ってやつをもぎ取ってやろーじゃないの)

 

 そう。だから理不尽をぶちのめすための握りこぶしの反対側で、小さな手を握るのだ。

 

 

 

 手のひらを確かめるように二度、三度と握って開いて、リアトリスは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして白昼夢の様に浅く沈んでいた思考を引き戻すと、選んでいた服を止められる前に試着室へと持ち込んで、早着替えすると二人の前に躍り出る。

 

 

「ねえ、見て見て! どうよ。私かっこよくない?」

「きゃああああああああああああああ!!!!!!!!! 素敵!! 素敵です!! ええ、最高です!! え、え、これってファンサですか? いやリアトリスさんは推しっていうか推しなんですけどその前に愛する人でそれを推しって言うのはちょっと違う気がするんですけどでも今は推しと言うしか語彙が無くてとりあえず叫んでいいですか。推しがファンサしてくれてるッッッ」

「いきなりどうした!?」

 

 ユリアの思った以上の食いつきにリアトリスは少々後ずさった。意気揚々と着てみたのは自分だが、まさかここまで盛大な反応を返されるとは……。

 今にも抱き着きそうな勢いのユリアを、ジュンペイが思わず羽交い絞めにする。それほどの勢いだったのだ。

 

「だってだって、リアトリスさんの男装ですよ!? めちゃくちゃかっこいいじゃないですか!」

「いや、男装って……」

 

 チラとジュンペイが視線を投げた場所には、シャツを押し上げる立派な胸の谷間。……現在リアトリスは紳士服に身を包んでいるが、それを男装と言うには立派な双丘の主張が強すぎた。

 

「あらやだ、ジュンペイくんたらエッチ。けっこうむっつりですか? 今リアトリスさんの胸見てたでしょー」

「え、エチ……そんなんじゃないし!」

「やっぱり男の子って意識はあるんですね~。おもしろ~い。初々しくてか~わいい」

「からかうなってば!」

 

 慌てて視線を逸らすも、どうも性別と反対の装いの中だからかいつもより目立つ気がしてついチラ見してしまう。そしてその可愛らしい反応を、リアトリスが見逃すはずがなかった。

 

「何、いつもと違う格好にドキドキしちゃった? 嫁冥利につきるわね~。ね。どんなところがいい? 教えてよ」

「ちょっと、リアトリス……」

 

 こ、こいつら。とジュンペイはにやにや笑いの女二人から逃げるように後ずさる。だが不幸にもそのすぐ後ろは壁だった。

 とんっと顔の横に手をつかれ上から覗き込まれる。そして下からすくうように、長い指でおとがいを持ち上げられた。少し低くおとされた声がジュンペイの耳を吐息と共にくすぐる。

 

「ねえ、教えてはくれないかい? 僕の可愛い旦那様」

「それ、あの王子みたいだぞ」

「ごめん今のやっぱなし」

 

 手のひら返しは早かった。

 格好に合わせてキザな男風にジュンペイをからかおうとしたリアトリスだったが、ジュンペイからの的確な一言で気分はしおしお枯れた。思った以上に衝撃だったのか、膝をついて項垂れている。

 

「り、リアトリスさんの。男装リアトリスさんの壁ドン!! リアトリスさん、私も。私も! 私にもそれやってください! ハリーハリー!」

「ごめん、無理。く……ッ。あんなクソを想起させる演技をするなんて一生の不覚……!」

「そんな~」

 

 ……そんな騒がしい三人に、店員が声をかけに来るまであと十秒。

 とりあえず、さんざん遊んだあとで三人は変装も兼ねた着替えをそれぞれ数着ずつ買う事に成功した。

 

 

 

 

「さて、と。今日は宿を借りて、明日次の町へ向かいましょう。でもってそこでは、冒険者協会を訪ねてみましょうか。さっきお店で世間話がてらきいたんだけど、支部があるらしいのよね」

「冒険者! いい響きですねぇ。わくわくしちゃいます」

「前に会ったじゃない」

「個人より、そういう人たちが集まる場所の方がワクワク度が高いんですよぅ。でも、どうして今です?」

「情報よ、情報。組合に所属してないから依頼を受けることは出来ないけど、組合内の掲示板には依頼の物と別に、どこどこにこういう魔物が出ます、危険なので気を付けましょうみたいな注意書きが張ってあったりするのよね。目的はそれ」

「ああ、なるほど」

 

 ここまでの道中、魔物に襲われることは無かった。ならば自分たちから狩りに赴けばよいと、そういうことだろう。注意を促されるほどの危険な魔物でも、リアトリスは自分ならば問題ないだろうと思っていた。そしてそれは慢心でなく、自分の実力を正しくとらえた上での事実である。

 冒険者ではないので依頼報酬は受け取れないが、魔物から剥ぎ取った素材を売ってコツコツ稼ぐ分には問題ない。

 

 

「ま、その前にここから先で獲物に遭遇出来たらいいんだけどね」

「でもリアトリス。お、俺もまた頑張るから安心してくれよ! 魔物が出なくても、さっきみたいに稼ぐから」

 

 またもや羞恥心に蓋をしながら、精一杯主張する小さな旦那様に「やっぱり、この子が居た方が絶対この先人生楽しいわ」とリアトリスは思う。

 

 

「期待してるわ!」

 

 言いながらその小さな手を掴み引き寄せて、思い切り抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 温泉郷は、まだもう少しばかり遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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37話 師匠、襲来 ★

 突然だが現在リアトリス達は逃亡中である。

 最近だと二度目の全力疾走になるが、前回よりもリアトリスは必死だ。それは追ってくる相手が前回とは比べ物にならない強敵だからに他ならない。

 

 世界中から狙われる事になった割には、呑気に買い物だの着替えだの歌で興行だの、冒険者協会で情報を仕入れて魔物狩りだの。そんなもろもろをやりながら、金欠という切実ながら命にまで関わらない問題を抱えてアグニアグリ大山脈への旅をしていた三人。

 だがその途中。森の中で切り立った崖近くを通った時に、上空から重々しい質量を伴った何かが落下して来たのだ。これに対しユリアとジュンペイは既視感を覚え、既視感どころかすぐさまその正体に気づいたリアトリスは“それ”が着地した瞬間には二人の手を掴んで全力疾走を始めていた。抜かりなく風の魔術での補助も同時発動した上で、である。

 だがその瞬発力を持ってしても、リアトリスの行動は遅かったといえる。本来ならば崖の上からその者が跳躍した瞬間に気づかねばならなかったのだ。

 ドンっと空気を、大地を震わせるような振動が走る。それは崖から飛び降り着地した者が、地面を踏み締めた音。その後の直線加速はリアトリスの行動を嘲笑うように一瞬で距離を縮め……その背中を穿つ槍のように蹴り抜いた。流石に内臓ごとぶち抜かれたりはしなかったが、それと見紛う威力。

 

「ほぎゃあああああああああ!?」

「リアトリス!?」

「リアトリスさん!?」

 

 自分たちを掴みながら真ん中を疾走していたリアトリスが、くの字におり曲がりながら前方に吹き飛んでいく。腹側ならともかく背中側でくの字はやばいのでは?? と思うユリアだったが、そんな思考を上書きして覆い尽くすほどの筋肉が、吹き飛んでいくリアトリスを追って大砲のように突っ込んでいったので、言葉を失うほかなかった。

 

「師匠師匠師匠待って待って待ってもう少し手加減手心手抜きどれか一つでいいので欲を言えば全部ですけどとにかく待って下さ」

「しゃべる暇があるとは成長したね、リアトリス。ならば全力を出して構うまい」

「そうじゃなくて逆ー!?」

 

 悲鳴が聞こえるのでリアトリスが無事なことは確認したが、余裕はなさそうである。

 どうするべきかと考えるも、現時点でついていけていない事実があるためジュンペイもユリアも動くに動けない。軽率に間に入っては逆に邪魔になるだろうことだけはわかるからだ。

 それほどの肉弾戦が現在、森の木々を弾き飛ばしながら繰り広げられているのである。

 

 

 そう、肉弾戦である。

 

 

 おそらくエニルターシェが差し向けると言っていた刺客なのだろうが、それは第一弾からリアトリスにとって強敵かつ苦難だった。自分も行かされるかもしれない、手加減しろよと悲痛な声で訴えていたオヌマもしくは編成された軍でも送ってくるかと思えば、最初からリアトリスが最も避けたい相手を送ってよこしたのだ。あの男の性格を思えば予想してしかるべきだったと、リアトリスはぎりぎりと歯噛みする。どこが建前として、だ。

 

 迫る敵は隆々と盛り上がりつつ、無駄を極限まで削いだ肉体美を誇る白髪の老人。普段ならば王子や国相手だろうと容易に手は貸さないはずの……自分の師匠。

 

 元宮廷魔術師長アリアデス・サリアフェンデ。

 それが襲撃者の名である。

 

 まずなぜ居場所もしくは向かっている先がバレたのかという問題はあるが、そこは師匠……弟子の思考を読むなど容易かろうと、疑問には思わない。問題はあるが。問題はあるが。

 そして「全力を出して構うまい」と言ったすぐあと、有言実行とばかりにアリアデスは容赦なくその実力を振るうべく溜めの動作に入る。

 更には口から流麗に紡ぎだされる、古豪の魔術師に相応しい英知を秘めた調べ。老魔術師は多くの小節をあっというまに重ねると、効果を結実させるべく締めの文言へと至った。

 

【烈火陣風ここに在り。我が拳に宿りて断裂の牙となれ】

「いぎゃああああああああ!? 【疾風の飾り羽、幾千幾万折り重なりて……】だぁ!! 間に合わない!」

「な、魔術!?」

「そういえばあの人魔術師でしたね!?」

 

 口に出してから驚く場所がおかしかったことに気が付くが、無理もない。どこからどう見てもアリアデスはどこぞの部族の覇者たる風体。体中に刻まれた、おそらくは魔術に由来する紋様もまた。戦士の魂がうんぬん、伝統がうんぬんと言われても納得できてしまいそうなので、その印象に拍車をかける。

 更に言うなればそれ以前に、魔術師という役職と、アリアデスの上半身裸の姿恰好が判断を狂わせるのだ。

 

 だが放たれた魔術の一撃は、正しく歴戦の魔術師のものだった。

 

 それまで己の肉体のみで脅威を奮ってきたアリアデスが一つ構えをとり、右の拳を打ち出した。……魔術と体術の融合。それはリアトリスに更なる猛威となって襲い掛かる。

 魔術の文言がのせられた拳は渦巻くように青い炎を纏い、螺旋を描きながら進路の木々ごと空間を抉り取っていく。燃えたのだろうが、すぐに灰となり果て風に散ったそれらは消滅したようにしか見えない。その凶悪な炎と拳の螺旋拳をリアトリスも魔術で迎え撃とうとするが、とても間に合わなかった。そのため直前まで練り上げていた魔術の特性を無理やり捻じ曲げて、回避行動に移る。

 風の盾となるはずだった魔力は、リアトリスを上空へ弾き飛ばした。

 

 しかしリアトリスも逃げたままでは終わらない。負けじとその高所から、重力に引っ張られるのを待つまでもなく風の魔術で加速。地上へと舞い戻る。

 振り上げられた踵が、アリアデスに迫っていた。

 

「浅い」

「がっ」

 

 だがあっさりと、振り下ろされた踵はアリアデスに阻まれた。そのまま足首を掴まれ、地面に叩きつけられる。

 

「リアトリス!!」

「さっきといい、やばい打ち方しませんでした!?」

 

 たまらずジュンペイが声をあげ、ユリアがリアトリスの心配をするが……それも杞憂とばかりに、叩きつけられたリアトリスは右手を前に突き出す。そこにはいつの間にか銀鱗を纏う小竜が巻き付いていて、かぱりと口を開けアリアデスに襲い掛かった。

 距離が近いためか、それはアリアデスの筋肉が有する瞬発力をもってしたも避けられなかった。そのため老魔術師は肉はくれてやる、とばかりに小竜の(あぎと)を己の腕で受ける。赤い血が舞った。

 しかしアリアデスはあくまでも冷静だ。先ほどの青い炎を再度出現させると、小竜が噛みつく腕を横に薙ぎ振り払う。その炎は今度は”燃やす”という事象を引き起こすことなく……小竜をその鱗ごと凍らせた。よくよく見ると、先ほどまで赤みを帯びた紫色だった紋様が青みを帯びた紫色に変化している。それに気づくのは対峙しているリアトリスのみだ。

 そのまま"青く燃える氷"を纏った竜は砕け散り……銀の粒子を残して、消失した。

 

「ふむ。なかなか良い速度で形成したね」

「お褒めの言葉光栄ですわ!」

 

 アリアデスが小竜の対処をしている間に、リアトリスはなんとか体勢を立て直していた。距離をとり、荒く息をつく。その全身からは短い攻防間で大量の汗が噴き出ていた。

 

「……ッ、待ってくれ! なんで真っ先にリアトリスを狙うんだよ!? 目的は俺だろ!」

 

 息つく間もなく行われた攻防にわずかに生まれた隙間。そこにようやくジュンペイが滑り込んだ。

 リアトリスとアリアデスの間に入り、両手を広げる。

 

「…………」

 

 そんなジュンペイの姿を見てアリアデスは沈黙を挟んだ後、ふうと吐息をもらす。

 

「これは僕から弟子への問いかけだからね」

「問いかけ……?」

「本当に世界とジュンペイくんを天秤にかける覚悟があるか、という問いだよ」

「あ~……」

 

 アリアデスの言葉にリアトリスが納得したような、気が抜けたような、面倒くさそうな。それらすべてがない交ぜになった色の声を吐き出す。

 

「師匠には肉体言語の前に言葉で問うって概念はないんですか?」

「本質を問うにはこれの方が早い」

 

 その言葉にリアトリスはがくりと項垂れる。

 

「……それでお一人なわけですか。まあ世界消滅の危機とはいえ、師匠がそう簡単にあの男に協力するのも違和感はありましあけど……」

「一応エニルターシェ殿下からお願いされたこともあるが。……僕の判断を優先させていいとのことだからね」

「判断……」

「僕もみすみすこの事態を見逃したいわけではない。でも、まあ。ジュンペイくんは僕の孫弟子でもあるから」

 

 そんな風に言いながらアリアデスは困惑の色を隠し切れないジュンペイに近づき、膝を曲げしゃがむ。本来アリアデスよりよほど巨体なジュンペイであるが、その鍛え抜かれた筋肉の迫力に圧倒された。何回見ても老人のものとは思えない張り艶の筋肉。動いた後だからか、その体からはむんむんとした熱気が発されていた。

 だがアリアデスが自分の事を「孫弟子」と称したことに妙に心が浮つき、肩に伸びてきた手をそのまま受け入れてしまったジュンペイである。

 ぽんぽんっと叩かれた肩がほんのり熱を帯びた。

 

「多少の縁が出来た相手だ。人柄も知っている。…………期限はあるにせよ、最初から狙ったりはしないよ」

「期限?」

「おや、そのことを聞いてはいないのかい。殿下も人が悪い」

 

 アリアデスの言葉に不穏なものを感じて聞き返そうとしたリアトリスだったが、続けられた言葉に硬直した。

 

 

 

「ちなみに僕からの問いかけはまだ途中だよ。意味は分かるね?」

 

 

 

 その後日が暮れるまで、リアトリスは更に密度の濃い攻防を強いられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

+++++

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲が更地と化した空間で、ぱちぱちと橙色に燃え盛る焚火が爆ぜる。

 上向けば星の河をたたえた藍色の天幕。時刻は夜を迎えていた。

 

「…………」

「燃え尽きてますね……」

「あんな戦いのあとだもんな……」

 

 座ってこそいるものの、虚ろな目で焚火を見つめるリアトリスからはいつもの覇気は感じられない。つつけば白い灰となって崩れてしまいそうな有様に、ジュンペイとユリアは顔を見合わせた。

 

「それにしても、なんというか。魔王と対峙して、更にそれを討ったウンチ達を見た私だからこそ余計にわかると思うんですけど。…………リアトリスさん、それにアリアデスさん。本当に規格外のお力を持たれてますよね。いえ、実力を疑っていたわけではありませんけども」

「聖女様からの賞賛とは光栄だ」

「よしてください。もう聖女ではありません」

 

 ふふっと笑いながらユリアが向かいに座る相手……アリアデスに沸いた湯で居れた茶を差し出した。アリアデスはそれを受け取ると、燃え尽きている弟子をみやる。

 

「途中で君たちを連れて逃げるかとも思ったが……ちゃんと最後まで戦ったね。そこは褒めよう」

「もっとほめてくれていいとおもいます……」

 

 燃え尽きてると思いきや、力なくもしっかり褒めを要求したリアトリスにアリアデスは苦笑する。

 ちなみに余裕がありそうなアリアデスだが、その実消耗は激しい。教えた期間はそこまで長くなかったが、おそらく自分の最後の弟子になるであろうリアトリスの成長は素直に嬉しく感じていた。といっても、まだ足りないようだったので、先ほどの攻防で無理やり成長させたところはあるが。

 実際に力はあるしまったくの考え無しではないにしろ、その分慢心も多いのだ。この弟子は。

 

 

 

 今でこそ和やかに話しているアリアデスだが、先ほどまでは研ぎ澄まされた殺意を滲ませ、魔術と格闘技を織り交ぜた攻撃を絶えず繰り出していた。戦いを再開する前に「問いかけ」と称したにも関わらず、だ。

 おそらく少しでも気を抜けば、リアトリスはいつでもあの世に旅立てていただろう。

 その激しさは周囲の破壊に対してまったく意を介さず、リアトリスの反撃もあってこそだが森一つを消滅させるほど。老人は戦いを終えると、「森の動物たちには悪い事をしたね」と眉尻を下げていた。

 唯一配慮があったといえば、それは戦いを観戦していたユリアとジュンペイにのみ。戦いの後二人の周囲にだけ円を描くように草が残っていたのだから恐ろしい。

 

 そしてジュンペイはこの段階になってようやく元の姿がいかに優れていたかに気付く。忌む感情の方が強くはあるが。

 ……本体である腐敗公は力に加えて感知能力が非常に高い。少し前小さな分身体で得た経験から、はるか上空に居た魔族に気付けるようになったがその前も。世界のおよそ三分の一を誇る腐朽の大地の、どこに花嫁が捧げられたのか気づくことが出来ていたのだ。

 そして感知能力は範囲に限定されない。動き一つ一つを追う能力をも備えている。

 

 戦いの途中、ジュンペイは何度も飛び出そうとした。先ほどの和やかなやりとりなどなかったかのように、アリアデスが本気だったからだ。

 現在魔力を無駄に消費することが出来ないとはいえ、嫁の危機に動けなくてどうすると考えた。だがそれは、青ざめたユリアの一言で阻まれる。

 

『よしましょう。足手まといです』

 

 それはユリア自身を含めて言ったのだろう。

 先の攻防時はジュンペイも同じことを思ったが……。

 

(本当に、何処に居るのかも分からなかった)

 

 互いに筋肉と魔術を駆使して、飛びこそしないが跳躍により縦横無尽に動き回っていた。更にその間を森を切り裂く、もしくは燃やしさらには凍らせる疾風と青い炎が魔術の光を伴って埋め尽くしていた。助けに行こうにも場所すらつかめないありさまである。

 だがもしジュンペイがもとの姿ならば、全て把握していただろう。最初にリアトリスと腐朽の大地で対峙した時、そのあらゆる属性を駆使した魔術全ての攻撃をあしらったのだから。今回リアトリスが移動に利用することの多い風を中心に魔術を使ったのは、おそらくそうしなければアリアデスの速度に追いつけなかったためだと思われる。が、自分と対峙した時、それをまったくしていなかったとも考えにくい。

 本体は完全に防御する必要のない体のため回避行動など不要だったが、リアトリスがいくら速く動こうとも、どう仕掛けてくるのかは全て見えていた。それがこの分身体では出来ない。

 

 

 最終的ににアリアデスによる「問いかけ」は無事に終わり、こうして和やかな時間を過ごしているわけだが……。

 

 

(もしアリアデスさんが、俺を狙ってきていたのなら)

 

 戦うどころかアリアデスのような者に攻撃されたら、避けられもしないジュンペイ。それを庇いつつ戦う事はリアトリスには不可能だろう。戦えない縛りを受けた今のジュンペイよりよほど優れた能力を持つのに、同じく動けなかったユリアも同じだ。

 

 

 今回の問いかけはアリアデスがリアトリスの覚悟を問う以上に、ジュンペイとユリアに危機感を抱かせた。

 

 

 リアトリスを労いながらも内心焦りを覚えるジュンペイとユリアをチラと見つつ、アリアデスは茶を口にした。

 

「美味いね」

「あ、ありがとうございます。あはは……」

 

 引きつりながらも笑顔を維持するユリアに、そういうところは素直にすごいな思うジュンペイ。

 

「……ところで師匠。さっきの期限ってなんですか」

 

 自分もユリアからお茶を受け取ると、それをすすりながら問うリアトリス。その瞳は胡乱げだ。

 アリアデスはその問いかけにふむとひとつ頷くと、ひどく短い言葉を告げる。

 

 

「三年」

 

 

 三つの指を立てたアリアデスは薄紫色の瞳でジュンペイを見る。

 

「これは世界樹から情報を受けとった者の中でも、一部の魔術師くらいしか気づいてないだろうけどね」

「もったいぶらないで教えてくださいよ。何が三年なんです?」

 

 焦れたように問うリアトリスだったが、ジュンペイは自分を見つめてくる瞳の力強さに、ドクンとひとつ大きく心臓が鼓

動を刻むのを感じた。

 

(…………。あれ。しん、ぞう?)

 

 その時、違和感に気付く。しかしそれをはっきり自覚するよりも早くアリアデスが言葉を続けた。

 

 

 

「私達が今生きている、これから生まれ変わろうという旧世界の寿命だよ」

 

 

 

 

 ぱりちと、焚火の枝が宵闇に爆ぜた。

 

 

 

 

 





【挿絵表示】

ほりぃさんからジュンペイのイラストを頂きました。顔を赤らめつつむむっと口を引き結んで、意地を張っているような表情がとても可愛い……!瞳を印象的に描いてもらえていてすごく好き。
ほりぃさん、素敵なイラストをありがとうございました!


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38話 宵の対談

 三年。

 

 あまりにも短い期間の宣告に、リアトリス、ユリア、ジュンペイの三人は言葉を失った。

 アリアデスは焚火に枝をくべると、それぞれの顔を見回す。遠くで住処を失った鳥が一羽、夜の闇に鳴いている。

 

「ジュンペイくん。あなたはリアトリスから魔術について、どの程度教えを受けている?」

「え!? えっと……!」

 

 突然問われどう答えたものかとジュンペイは慌てるが、どちらかといえば今の問いはリアトリスに向けられていた。名指しをしたくせに、その鷹の様に鋭い眼光は孫弟子でなく直弟子を見つめている。

 

「魔術の基礎及び初歩魔術の構築、魔術文字による筆記、世界樹に関する知識を含めた簡易的な歴史。それとこれまで訪れた土地の地理を少々」

 

 硬い面持ちでリアトリスが答える。以前オヌマに「ちゃんと教えられてるのか?」と聞かれた時とは比べ物にならない緊張感だ。

 この師匠は肉体言語を優先させるくせに、その頭脳はあくまで冷静沈着。弟子として教えを乞う時も、肉体強化と並行して行われた魔術理論の教えは非常に整然としていた。

 誰かに魔術を教える、という経験がジュンペイで初めてのリアトリス。たった今アリアデスが告げた「旧世界の寿命」とやらが気になりつつも、慎重に記憶をたどり出来るだけ簡潔に述べた。

 

(旧世界か……。現在は腐敗公が出現する前の呼び名として使われているのに、それが今度は現代に適応されようってんだからおかしなものよね。いずれもその中心は腐敗公、か)

 

 思案しつつ、幸い話した中にアリアデスが知りたい情報は含まれていたようでひとつ頷いた師を見てほっと息をつく。

 この師匠相手にばかりは、王子を殴れるリアトリスとて緊張するのだ。

 

「ふむ。ならば世界樹が僕ら魔術師にとってどんな存在かくらいは知っているね。もちろん、こうなる前の事だよ」

「は、はい。えーと、星幽界とこっちの世界の境界に在って、巡る魔力の支流で育つ、魔術の象徴……だったっけ」

 

 ジュンペイが主にリアトリスに腐朽の大地で教わってきたことは実践的に魔術を使うための知識がほとんどで、歴史や地理については旅の途中で聞いたものばかりだ。聞き逃していることは無いと思うが、正しく言えただろうか……と。ジュンペイは不安げにアリアデスを見る。すると厳めしい顔立ちに浮かぶ柔和な笑みにぶつかって、合っていたらしいと胸を撫でおろした。

 

「ああ。我々はそれを感知し秘めた力を察してはいても、古代に失われた技術を持たないがために、その力に触れることは出来ないでいた。だが今回の事で、一時的に世界中の知恵ある生き物が世界樹と繋がったのだよ。……我々魔術師がその一瞬で得られた情報は、実にこの先数百年分の価値はあるだろう」

「一瞬で情報を得られる実力者そのものは少ないでしょうけどね」

 

 リアトリスがつけたし、己の師匠を見る。

 エニルターシェはリアトリスの事を世の傑物と比べれば凡百であると称したが、この師のような存在と比べられたら悔しくも納得するしかない。将来性を込みで考えれば自分も負けていないと思っているあたり、その自尊心はどこまでも強固だが。

 

「魔術に関わらない人と、関わっている人では得られた情報量が全然違うんですねぇ……。それで、世界の寿命とやらに繋がっていくんです?」

「そうだ。僕は基本的に孫のシンシアと二人で魔術研究を行っているから、人員設備が整った国や魔族の中にはより多くを知った者も居るかもしれないね」

「き、筋肉を鍛える以外のこともしていたんですね」

「? 魔術研究と肉体の研鑽は通じているよ、ユリアさん」

「そうなんですか……」

 

 その辺の理解はいまいち出来ていないユリアだったが、これ以上の合の手は邪魔だろうと口を噤んだ。それを察しアリアデスも話の軌道を戻す。

 

「得た情報から算出した、世界転生までの期間は三年。寿命と言い換えたのは、それまでに腐敗公が正しく機能しなければこの世界が消えてしまうからだ。リアトリス」

「……はい」

「思いのほか、残された猶予は少ないぞ」

「それもあって、わざわざ出向いてくださったというわけですか」

 

 アリアデスは豊かな顎鬚をしごきながら頷く。

 歳月で刻まれた顔の彫りが、焚火の明かりと夜の暗がりで陰影を濃くしていた。

 

「猶予期間を正しく受け止めた上で、具体的な解決案を出せるのか。そしてその案を出せたとして、今のお前にどの程度それを実行しうる力があるのか。僕が直接確かめたかったのは、その二つだね」

 

 淡々と告げられリアトリスは「うっ」と言葉を詰まらせる。一応考えていることが無いわけではないが、それを今述べるには具体性に欠けた。

 そのためしばし場を繋げようと、リアトリスは話を脇道へそらす試みに出る。

 

「……ところで、何故私たちの居場所が?」

「君はドラゴンを快く思っていないくせに、その見た目は好きだから。固有魔術の見た目にするくらいだしね? ……現状におけるドラゴンの特異性にも気づいて、まず向かうなら彼らが居そうな場所だろう、とな。外れたならそれはそれで、少し長く走ればいいだけのことだ」

「待ってください師匠! 私が好きなのは竜種であってドラゴンでは……確かに似ていますけど。っていうか走ってきたんですか師匠」

「? 当たり前だろう」

 

 当然のように答えられて、はて自分達の出発地である故郷の村とアリアデスの住む山岳地帯はどれくらい離れていたかな、とか。甘く見積もったとしてどれくらいの速度で走って来たとかな、とか。途中まで考えかけて、リアトリスは首を振り思考を中断した。考えない方がいい。

 

 そんなリアトリスが心を落ち着けようと茶で口を湿らそうとした時。

 横から思いのほか困惑した声が聞こえ、動きを止めた。

 

「ま、待ってください」

「? どうしたの、ユリア」

「あ、あの。ドラゴンと竜種って、違う生き物なんですか? 今聞いた感じ、そんなニュアンスを感じたんですけど」

「にゅあ……なんて? まあいいか。えっと、ドラゴンと竜種が違うかって? ええ、そうよ? 師匠が言うように見た目は似ているけどね」

 

 それを聞いたユリアの背後に稲妻が走る幻影を見た気がして、リアトリスは目をこすった。

 再びユリアを見てみれば稲妻こそなかったが、口元を押さえてブツブツと何事か呟いている。非常に早口で小声のため、その内容は聞き取れないが。

 

「……! こ、これはちょっと衝撃ですね。あれか、もっと狭義な……特定種族の固有名詞かドラゴンって。そうだ、そうでした。この世界って私の世界と共通するカタカナ言葉もあるの、すっかり忘れてた……! 私側からだとうっかり普通に聞いてしまってこういう時気づけませんね。ふむふむ。全部が全部同じ意味ってわけでもないか。いやでも似てるって言ってたし、認識として大きく外れているわけではない……?」

「大丈夫? ユリア」

「大丈夫です! ちょっとしたカルチャーショック的なものを受けていただけなので」

「かるちゃぁしょっく? なるほど、ルクスエグマの聖女様は異界から召喚されたという話だったね。あなたの世界の言葉か」

「ええ、ええ。そうです。はー……びっくりした。あ、ごめんなさい。またまた話の腰を折ってしまって。どうか続きを」

 

 ユリアはすぐさま落ち着きを取り戻すと、にっこり笑って姿勢を正した。リアトリスとアリアデスは顔を見合わせ、ジュンペイはジュンペイで「ドラゴンと竜って同じじゃないの……?」と、ユリアと同じ疑問を抱いたようで首を傾げていた。

 

「えーと。ざっくりとだけ解説しとこうか? ドラゴンは長命で希少種、強い魔力と体と知恵を併せ持つ。人化の術を操り私たちに近い姿にもなれるわね。正確には違うけれど、大きな分類的には魔族よ。対して竜種は魔物。賢いけれど私たちと共通の言語を持たず意志の疎通は出来ない。総じて体が鱗で覆われているという特徴はあるけれど、二足で歩行でき翼をもつ種類、蛇のような姿で魔力で飛行する種類と姿は住んでいる場所によって違うわ。総称として"竜種"と呼ぶ。……こんなところでいいかしら」

「ドラゴンは魔族。竜種は魔物。なるほど……。ありがとうございます!」

「ふふっ、いいえ。どういたしまして」

 

 リアトリスの説明で一応納得できたのか、すっきりとした表情で礼を言うユリア。リアトリスとしては彼女のおかげでもうしばしの猶予が与えられたので、逆に感謝しているくらいなのだが。

 

 現在リアトリスは話しながら必死に師匠へ述べる今後の計画もろもろを整理している。

 だがそんな弟子の頭の中などお見通しなのか、アリアデスは話がひと段落したとみるや再度軌道を元に戻してきた。「一度まとめようか」と前置き、話し始める。

 

「世界はあと三年で転生しなければならない。しかしその中核たる機能を果たす腐敗公は不全を起こした。世界樹はそれを交換し正しく機能する魂を配置したい。だが世界樹には直接手を出せる力はなく、間接的に命令をしようにもそこに強制力は無い。共有された情報が真実だと我々に当たり前のように信じさせる、説得力は付与できるのにだ。歴代魔術師達の観測でも驚くべき力を秘めていることが確認されている存在が、あまりに無力ではないかね。これをどう思う?」

「……もともとそんな機能はないか、もしくは間近に迫った世界転生のために機能が制限されているか?」

「そんなところだろうな。さて、ここでひとつ質問だ。リアトリス。お前は一応対応策を、朧げながら掴んでいるね?」

 

 のどに綿でも詰められたような息苦しさを覚えつつ、「まだ纏めきれてないのにー!」と内心で頭を抱える。だがこれ以上誤魔化しても意味が無さそうなので、リアトリスは頷いた。

 

「えー……あー……まあ。そんな大層なものではありませんけど……ええ、はい。でもこれには不確定要素が多すぎてですねぇ……」

 

 いつも堂々としているリアトリスだが、現在は恐ろしく歯切れが悪く、目は泳ぎまくっている。だが師は容赦しない。

 

「どんな案を出そうと、不確定要素があることに変わりはない。さて、お前の考えを僕に聞かせてくれないか」

「ぐ……」

「リアトリス。俺も聞きたい」

「ぐうぅ……!」

 

 それまで口を挟まなかったジュンペイにまでねだられてしまい、リアトリスは唸った。そして追い打ちは続く。

 

「村に行くときも誰か来る可能性とか、話してくれなかったろ? 多分リアトリスは俺のために色々考えてくれてるんだと思う。でもそれを俺だってちゃんと知っておきたい」

「で、でもね? ジュンペイ。完璧に仕上げてから話したいっていう、先生としての矜持ってゆうか~。あんまり曖昧な事、言いたくないっていうか?」

「リアトリス」

「……はい」

 

 ごにょごにょと言い訳がましく言葉を濁す嫁に、まっすぐな旦那の視線が突き刺さる。リアトリスはついに観念した。

 

「……世界樹に再度、今度はこちらから意識を接続してジュンペイに腐敗公としての役割を放棄しない意思があると伝えればいい。レーフェルアルセの時のようなことは、もうないと。だってあれは知らなかったからやってしまったことでしょ? そんな役割有るなら最初から言えって文句と一緒に叩き込んでやるわ。そうすれば少なくとも、ジュンペイの魂を刈れって命令は無くなるんじゃないかしらって。むしろ世界を生かすための存在なんだから、今までと違って敬われるでしょうね」

「ふむ、そうだな。して、その方法はいかに」

「それも含めて、情報が欲しいんです! 今のも案の一つにすぎないし、選択肢は出来るだけ増やしたいし……ああんもう! もうちょっとまとめる時間をくださいよ!」

「いや、お前は脳内で纏めきるより誰かと話して形にする方が向いている。頭の中だけだと考えが浮かびすぎて搾り切れないだろう。多くの考えが浮かぶのは才能だが、結局形に出来なければそれも無意味。それくらいなら口に出すことで考えを絞った方が、幾分かマシというものだ」

「ぐうぅ……。お、おっしゃる通りで」

 

 師直々の言葉に項垂れるリアトリス。そしてそのまま仕方なしに続きを話し出す。

 夜風が揺らす焚火の炎を見つめながら、ひとつひとつ言葉にした。

 

「……なら、纏めないまま話しますけど。ドラゴンのやつらは理の外にいるに加えて長命。長老級ならもしかしたら古代文明について知っているか、文明の宝そのものを持っているかもしれない。それも彼らを探す目的ですね。……私が求めるものは、数少ない世界樹に通じるものなので」

「古代文明……宝……。ふむ。リアトリスが求めているのは生命樹の種かい? しかしお前は以前、それを手にしていたはずだが……」

「そ、その。……使っちゃって」

 

 以前オヌマにも散々「もったいない!」と言われた記憶が蘇る。腐朽の大地での足場に使っていなければ今頃リアトリスは生きてこの場に居ないが、師匠相手だと妙に後ろめたさが湧いてしまうのがこまったものだ。

 

「ならば仕方がない。あれについては僕も手元にない希少品だ。確かにドラゴンなら持っている確率は高いね。彼らは珍しいものを集めるのが好きだから。つまり、リアトリス。君は情報と宝、両方を求めてドラゴン探しに乗り出したわけか」

「はい」

「それと温泉郷で遊びたかったのだろう」

「はい、もちろん! ……あ」

「…………」

 

 一瞬の沈黙の後、振り下ろされた拳骨にリアトリスは頭を抱えてうずくまった。元気に答えてしまった自分が憎い。

 

「息抜きは大事だ。張り詰めてばかりでは、成果を出せるものも出せなくなるし視野が狭くなる。だがお前は少しばかり呑気が過ぎるし、これくらいの渇は入れておくよ」

「ご指導、たまわり、ありが……たく……」

 

 頭に出来たたんこぶを涙目で押さえながら、リアトリスは頭を下げた。凄まじく痛いが、リアトリスが尊敬している数少ない師の言葉である。礼は失えない。

 

 

 

「ところで、しばらく僕も同行する。よろしく頼むぞ」

 

「え」

 

 

 

 夜鳴き鳥がまたひとつ、甲高い音を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 



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39話 見上げた空は青かった ★

 険しいながら木漏れ日差し込む山中の道は、鳥のさえずりも相まって中々に麗らかだ。どこかに滝でもあるのか、水が流れ落ちる音も聞こえてくる。

 しかしそれとは反対に、リアトリスの気分は重い。というより、背中が物理的に重かった。

 

「あの、師匠。着いてきてくださるのは心強いのですけど、これは……?」

「? せっかくの山道だ。勿体ないだろう」

 

 勿体ないって何が? と聞き返しそうになるのをぐっと堪える。

 分かっているとも。鍛えなければもったいないと、自分の倍以上の岩を背負ってザクザクと歩いていく師の姿を見れば。

 リアトリスは自分の身の丈ほどもある岩をずり落ちないように背負い直し、なんとも言えない表情で見てくるジュンペイとユリアにへらりと笑いかけた。そこには悟りのような感情が見て取れる。

 

 

 現在リアトリス達は旅の仲間に筋骨隆々の老魔術師を加えて、アグニアグリ大山脈を目指し山の中を歩いていた。

 街道沿いを外れてから、すでに三日ほど経過している。

 

 

 アリアデスはリアトリスが成そうとしていることを、できる限り手助けをしてくれるという有難い申し出をしてくれたのだが、反面。もし取り返しがつかなくなる寸前まで期限が迫ってしまった場合、弟子がなんと言おうとジュンペイの魂を変わりに刈り取る役を申し出ていた。そのことを腐敗公ジュンペイ本人にも隠すことなく伝えてある。そしてジュンペイもまた、それに頷いていた。リアトリスとしてはジュンペイが是と答えたことは予想の範囲内だったが、どうしても顔をしかめてしまう。

 師匠の申し出やジュンペイの答えに、思うところがないわけではない。

 が、ダメだった時の事を考えて断るよりも、自分たちが手に入れたい未来に向かう可能性の助け手を受け入れた方が何倍も建設的だ。そのためリアトリスは師匠の申し出を受け入れ、現在に至る。

 

 ……だが。まさか、こうして道中再び修行が課せられようとは思わなかった。

 

 現在背負っている岩は何の変哲もない、ただ重いだけの岩である。アリアデスの館がある、魔術が施された特殊な岩山とは違うのだ。岩山は登る場所に適した魔力を選別さえできれば力が無くても登れたが……これは普通に重い。

 だが修行の系統としては岩山と同じく"場に応じた魔力の支流を選び取る"もの。更にここにはいくつか別の要素も加わるため、いうなれば岩山修行の上位互換だ。

 

「リアトリス。疲労を溜めたくないのなら、魔力の循環をもっと滑らかに。世界と星幽界、自分の境界を曖昧にして巡らせるのだ。だが自分を見失ってはならないよ。強固に自我を保ったうえで、その過程を行いなさい。引き出す属性、現象の取捨選択もより繊細に。場所によって引きだせる支流の強弱も変わってくる」

「わ、分かってますよ! 基本ですもの!」

「ならその精度をあげたまえ。まったく……みっともない。以前僕の屋敷に来た時は褒めたが、それは撤回だ。これまで自分に可能な範囲を超える無茶を重ねていたね? お前はそういったものを才能という自信でねじ伏せようとするが、僕から見れば身をわきまえないただの見栄っ張りだ。それが実力以上を結果を出せる要因でもあるがね。お前ほど長所と短所がまったく同じ人間というのも珍しい。だが、リアトリスよ。今のお前は先生なのだろう? それをもう少し自覚するといい。見栄でない余裕を持ち、更には師もまた日頃から鍛え、学びを得ているのだと弟子に見せるのだ。それもまた、教え導く者としての役目。励みなさい」

「は、はい……」

 

 

 つらつらとお説教をされてしまい、それがジュンペイとユリアの二人に見られているのだから恥ずかしい。顔に熱が集まっているのがわかる。

 しかし羞恥に震えようと修行は変わらないのだしと、リアトリスはがっくり項垂れながらも集中力を引き上げた。実際言い渡された修行で魔力効率が断然良くなっているので、返せる言葉などありはしない。

 精神的には疲れるが、体の疲労と魔力の消耗は以前より抑えられている。

 

 そして修行を課せられているのは、なにもリアトリスだけではなかった。

 この場にはアリアデスの直弟子の他に、孫弟子も居るのだから。

 

「さて、次はあなただ。あまり弟子のお株を奪うような真似はしたくないが……僕が出した問題は解けたかな? ジュンペイくん」

「うぇ! え、ええと。一応……」

「ほう、頑張ったね。では僕の魔力を提供するから、それを使って魔術文字で式の展開を記しなさい」

「うう……はい」

 

 魔力を無駄に使うことが出来ないジュンペイは、ただ今座ってこそいないが座学の時間である。

 しかしアリアデスがジュンペイに出してくる課題は幅広く、そして面白い。リアトリスいわく大分かみ砕いて分かりやすく話してくれているとか。

 いざとなれば自分を殺すと宣言した相手にも関わらず、ジュンペイはアリアデスを一人の人間として尊敬し始めていた。以前会った時も好感は覚えていたが、一人の師として接することでその思いは強くなっている。

 アリアデスが言うように、お株を奪われたリアトリスとしては複雑な気持ちらしいが。

 

「なんだか熱くなってきましたね」

 

 服の襟裳をぱたぱたさせながら言ったのはユリアだ。

 一人課題を言い渡されていない彼女は、リアトリスの横でその額に伝う汗をハンカチで甲斐甲斐しくぬぐっている。

 

「そろそろアグニアグリが近いからね。これから植物の種類も変わって、少なくなってくると思うわよ」

「いよいよですか! うふふっ。温泉楽しみですねぇ」

「ええ!」

「ドラゴンさんも見つかるといいですね。可能性は高いんでしたっけ?」

 

 本命の目的の前に温泉をもってくるあたり、ユリアも楽しみにしているらしい。

 

「一応ね。ただあいつら空飛べるし、好き勝手移動してるから運が良ければ、ってとこも否定できないけど。その好き勝手移動してる先を運任せに探すより、よっぽどいいわ」

「温泉郷にはドラゴンと人間のあいの子……亜人の集落もあるからな。何かしらの手がかりは見つかるだろう」

「亜人ですか~」

「できた!」

 

 世間話を興じるノリで話していると、ジュンペイがぱっと笑顔の花を咲かせる。彼の前には細かい金の粒を纏いながらぱちぱちと発光している、魔術文字をおりなす細い軌跡。

 アリアデスはそれに目を通すと、満足げに頷いた。

 

「正解だ」

「やった!」

 

 素直に喜ぶジュンペイに微笑むと、アリアデスはそのまま予備動作なく振り返り……リアトリスの背中に、自分が持っていた岩を片手で放り投げた。

 

「は??? ぐぅッ!!」

「リアトリス!?」

 

 岩は絶妙な加減でリアトリスが背負う分の岩に乗り、つみあがった。さらなる重量がリアトリスを襲う。

 

「僕はもう一回り大きいものを背負うから、これはリアトリスにあげよう。弟子が頑張ったのだから、お前ももう少しいけるね?」

「行動した後で疑問符投げられても!! やりますけど!!」

 

 やけくそのように叫ぶと、リアトリスは足腰の再度の安定をはかる。いくら魔力の操作で持っているとはいえ、下半身がぐらついていてはお話にならないのだ。

 というかおそらく師の方は今この場面で自身が魔術の修練をする必要が無いので、自分の筋力のみで岩を持っている。

 それを思えば、この程度……とやる気も出て……。

 

「出るかー! 師匠! 重さより単純に樹の合間を縫うのが難しいんですけど!! 上に積むのはやめてくださいよ!」

 

 現在山の中。周囲は草木。頭上は広葉樹の枝葉。普通に積まれた岩の高さが邪魔である。

 しかしそんな訴えも「集中力が足りない」というお言葉で一掃されたため、リアトリスはこの後何度かすっころびつつ山道を進むこととなった。

 

 

「は、早く温泉に入りたい……」

 

 

 すっころんでから仰向けになって見上げた先。

 木々の隙間から覗く空は、憎らしいほどに青かった。

 

 

 

 

 

 

 

++++++

 

 

 

 

 

 

 

 オヌマは現在の自分の状況を思い、首がねじ切れるほど傾げたい気持ちに駆られていた。

 

「オヌマ、あそこで売っている温泉卵なるものを買ってきてくれないかい? おつりで好きなものを買っていいよ」

「オヌマ、あそこの宿。今日あれの最上階泊るから」

「エニルターシェ殿下、その庶民的というかお母さんみたいな台詞なんですか。いや、うちの母は違う感じでしたけど、漁村のお母さま方が似た感じでしたよ……」

「? お母さんとは、おかしなことを言うね。ふふっ。リアトリスほどでないが、君もそこそこ面白くて好きだよ私は」

「気のせいです気のせい。それとザリーデハルト殿。あの宿無理です。五年くらい予約埋まってる系のやつです」

「? 関係あるか? 俺が泊ると言っている」

 

 腕を組んでふんぞり返っている相手を前にものすごく既視感を覚えつつ「いや、この方たちの身分ならこの態度もわかるけどこれに既視感を覚えさせるあいつの偉ぶり方はなんなんだよ」などと古き知人に心の中で突っ込んだ。現実逃避である。

 しかし答えぬわけにもいかないので、出来る限り朗らかな笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「無理です」

「結構はっきり言うよなお前。好きだぞ、そういうの」

 

 ここ数日でこの程度の無礼など相手は気にも留めないことを学習し、むしろはっきり言わねば余計に面倒だと確信したオヌマの返答は明瞭だ。が、はっきり言ったらはっきり言ったで面倒なことに変わりない。何故なら。

 

「好かないでください」

「つれないな。あとで可愛がってやろうか?」

 

 くいっとおとがいに指をかけられ顔を持ち上げられる。そこそこ長身のオヌマより背が高く、粗暴さが窺えつつも整った顔に覗き込まれた。そして無駄に色香の添えられた誘いに、オヌマはげんなりしつつ再度首を横に振る。

 

「結構です」

 

 

 

 何故自分はアルガサルタにも帰れず、自国の王子と魔王の付き人のようなことをやっているのだろうか。

 

 

 

 数日前にいきなり魔族領の魔王城……それも"魔皇"とも呼ばれている大物の住居へ連れていかれたオヌマは、現在噴き出す火の水と硫黄の香りが名物の温泉郷にて、お使いと無茶ぶりを言い渡されている。

 

 魔王ザリーデハルトは魔族領以外を歩くのが珍しいのか、温泉郷についてから無茶ばかり言ってくるのでオヌマもいい加減慣れて扱いは雑だ。おそらく自分など指先一つで殺せる相手なのだが、その横暴さに妙に既視感を覚えたこともあってこの扱いである。今のところその態度を許されているが、ことあるごとに夜の誘いをかけられるのが困りものだ。

 これが爆乳の女魔族相手ならオヌマも少し揺れただろうが、あいにくザリーデハルトは顔こそ整っているが爆乳は爆乳でも爆胸板。ギチギチの筋肉が体面積の大半を占めている男魔族だ。そういった趣味はないのでぜひ遠慮したい。

 魔族との潜在的垣根が取り払われたとはいえ、目立つのはよろしくないとのことで現在蝙蝠に似た八翼はしまいこまれ、その他魔族の特徴も服で隠している。何故隠さねばならないと拒否するかと思いきや、本人はこの変装をなかなかに楽しんでいるらしい。

 王子……エニルターシェ相手にもずいぶん態度が砕けてしまったが、これはオヌマの精神を保つための処置なのでしかたがないことだった。ただ、リアトリスの事をとやかく言えなくなってないか? と、時折不安が過る。

 

「というか!! エニルターシェ殿下、今現在の行動って完全に独断ですよね!? いいんですか、帰らなくて! 国に! あなた第四王子! 今、世界的緊急事態!」

「必要なことは出る前にやってきたし、種も撒いた。ならあとは僕の楽しみに費やしてもいいだろう? こうして素晴らしい共犯者もできたことだし」

「妙に立場が出来ると遊び仲間は貴重だからな。エニが誘ってくれて俺は結構楽しんでる」

「それはよかった! でも俺は帰っていいですか!!」

「私から目を離してよいのかな?」

「色々と卑怯ですよその言い方!! あなたの側近はあの笑顔が胡散臭いクロッカス卿でしょ!? 俺みたいな三流連れ歩いてもいいことなんてないですよ! あの人にお世話係やらせたらいいでしょう!?」

「ヘンデルには色々任せてきているからね。アルガサルタから出すと、逆に私が面倒なんだ。それにさっきも言ったが私はそこそこ君の事も気に入っているよ、オヌマ」

「なんでっスか……!」

 

 あああああ! と頭を抱えてうずくまるオヌマ。

 

 ちなみに何故温泉郷に来ているかといえば、エニルターシェの要望によりオヌマがリアトリス達が来るとしたらここだろうと話したことが原因だ。思いのほか王子と魔王が温泉郷自体に興味津々となったのは予想外だったが。

 

「しかし、ドラゴンね。奴らは好かんが、ここにきて興味が湧いた。本命は本命で楽しむとして、見つけたら先にちょっかい出してみるか」

「それは遠慮していただけると助かる。私はここがそれなりに気に入ったのでね。魔王とドラゴンが戦うようなことになれば、一帯が吹き飛んでしまうだろう?」

「あ~……。ま、それは俺も嫌だな。まだ見てないところが多い」

 

 俺このまま観光案内兼お世話係やらされるの? そう言いそうになるところをぐっとこらえ、オヌマは天を見上げる。

 

 

 湿気と硫黄の香りがくゆる先の空は、雲一つない晴天だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そのうち途中までのあらすじとキャラクター紹介ページを追加しようと思うのですが、まだ出来ていないのでそこで使う用の立ち絵だけ先に乗せておきます。

リアトリス

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ジュンペイ

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40話 目指す未来と借金と

 中天へと上った太陽の陽光と、下から立ち上る地熱。その両方に挟まれならが、低木樹が多い道なき道を四つの人影が歩んでいる。

 リアトリス達がアグニアグリ大山脈の一部に足を踏み入れたのは、つい今朝がたの事だった。

 早朝はまだ朝露で濡れた山中の森を抜けてきたため寒いくらいだったが、それと現在の熱さとでは落差がなかなかに厳しい。

 

「あ、あつい……! さすが、火山帯……!」

「ユリア、大丈夫か?」

 

 山道ではうまく自分の力を回復にまわして余裕顔だったユリアも、噴き出す蒸気や温められた地熱、崖下に流れる火の水もといマグマから立ち上る熱気にまでは対応できないらしく顔色が悪い。

 熱い冷たいを感じることは出来ても、基本周囲の環境に左右されないジュンペイが珍しくも彼女を気遣う。

 

「え、ええ。……いえ、実は少し厳しいです。疲労回復と温度調整、両方できるつもりでしたけど……ここまで気温が高いとそれも難しいですね」

「ふむ。ならば僕が少し手助けしようか」

 

 素直に自分の状態を伝えたユリアに、前を歩いていたアリアデスが手をかざす。すると彼女を中心に球体状の結界が出来、その中を涼やかな風が循環した。

 

「わっ、すごい!」

「そう難しいものではないがね。結界術を身につけていれば、色々と応用が利くのだよ」

 

 喜ぶユリアに微笑むと、アリアデスは横を見る。そこには滝のような汗を流しながら逆立ち歩行するリアトリスの姿。ちなみに変装用に買った男性物の下履きがここぞとばかりに活かされているので、下着が見えることは無い。

 ……大丈夫か大丈夫でないかといえば、見た目としてはよほどこちらのほうが大丈夫ではない。が、ジュンペイもユリアも現状応援する事しかできないでいた。見かねて何度かアリアデスに「もう少し修行を手加減してもらえないか」と頼んでみたものの、これらの修行は結果的に疲労を軽減させる効果もあると言われてしまっては黙るしかない。

 見た目としてはとても信じられないが、リアトリス本人に聞いてみれば渋い顔ながら頷いたので本当なのだろう。

 

「でも、こうなると温泉郷もすごく熱そうですね……。温泉に入ってすっきりしても、すぐに汗かいちゃいそう」

「そこは心配しなくていい。温泉郷は僕が今使ったものと同じ結界を、温泉魔術協会の者達が交代で張っているからね。生活空間は常に適温で保たれている。全体の造りも水路を引いたり土地に合った植物を植えたりと工夫もされているのだ。観光地区として栄えているだけあるよ」

「温泉魔術協会……?」

「師匠、温泉郷行ったことあるんですか? いいなぁ……私も連れて行ってくれたらよかったのに」

 

 ジュンペイが首を傾げ、逆立ち状態のリアトリスがぼやく。

 鼻に垂れてきた汗が入ると痛いとかで、時々汗の雫をふりはらうため髪の毛はしっとり濡れつつぼさぼさだ。そこから発せられる「いいなぁ」には実感がこもっている。早く温泉に入りたいらしい。

 

「定期的に通っているよ。素晴らしい筋肉のためには疲労を残さないことが重要だからね。ああ、それで温泉魔術協会だったか。温泉郷を気に入って住み着いた魔術師達が店や宿と連携して、空間を快適に保つことを目的としている生活に根差した魔術師の集まりだ。若いものが居ないわけではないが、隠居した老魔術師が多いな。僕の知り合いも何人かいる」

「へぇ~。それは知らなかったわ。老後に小遣い稼ぎしながら温泉住まい……いいわね」

 

 もともと温泉郷へ興味津々だったリアトリスは魔術師としての優雅な老後に思いを馳せるが、現状から良い方へ転ばない限り彼女に老後は訪れない。しかしそんな可能性を今考えても仕方がないとばかりに、リアトリスは大量の汗をかきながらも満面の笑みを浮かべた。

 

「でも温泉郷に詳しい師匠がご一緒してくださるなんて、やっぱり心強いですわ! それに費用も全部出してくださるなんて、太っ腹! さっすがお師匠様!」

 

 非常に調子がいい。滝のような汗もなんのその、師をよいしょする声は快活だった。

 そう。アリアデスが来るまで金策に喘いでいた三人だったが、老魔術師が旅に同行するにあたってかかる費用を一手に請け負ってくれたのだ。これもまた、アリアデスの同行に是と答えた理由の一つである。

 だがそんなリアトリスに師の無常な言葉が投げかけられた。

 

「当然だがリアトリス。費用は全て君から僕への借金だぞ?」

「え……」

「僕が無償で君に金を与えるなどすると思ったのかい。以前も断ったというのに」

「え、でも、その」

 

 確かに以前も小遣いをせびろうとした代わりにもらったのは拳骨だったが、現状では単純に支援してくれているものと思っていた。金を返す自信がないわけではないが、もらったと思っていたものが実は借金だったという事実は単純に嫌である。確認しなかったリアトリスも悪いのだが。

 

「本当は貸すことも出来ればしたくないが、場合が場合だからね」

「うう……! でもでも、こんな時くらい奢ってくださってもいいじゃないですかぁ!」

「なら全てがお前の思い描く通りにいったなら、褒美としてかかった費用はくれてやるとも」

「言いましたね? まっかせてくださいよ! 最初からその道しか想定していないので!」

 

 ほほほと高笑いをきめるリアトリスだが、その姿は逆立ちだ。締まらない上に滑稽である。

 ジュンペイはそんなリアトリスを見て、そのいつものように根拠があるようでない自信に半ば呆れつつも自分はこの姿に魅せられたのだなと思い出して笑みの種類を変える。それに気づいたユリアが、肘でつんつんとその頭を小突いた。

 

「な、なんだよ」

「な~に幸せそうな顔しちゃってるんです? いいですか? リアトリスさんが言うその道、つまり私たちの、私たちの幸せ未来なわけで? 当然その中に私も入っているので自分だけのためにとか思わないでくださいよ?」

 

 つんつんつんと小突いてくる肘をうっとうしげに振り払うと、ジュンペイは口をとがらせる。

 

「はいはい。でも愛人だのなんだのってのは諦めろよ! ユリアは友達枠! それにお前にとっての一番の望みはリアトリスにもとの世界へ戻る方法を開発してもらって、帰るこのなんじゃないのか。なに当然のように一緒に過ごしていく方向で考えて……」

 

 言いかけてはっと口を噤む。これは流石に配慮の無い発言だったかと、世界で一番規格外の癖にこの旅仲間の中で一番常識的な観点を持ち合わせ、それを日々進化させている腐敗公ジュンペイはおそるおそるユリアの顔を見上げた。

 この少女は少女で、リアトリスの事が本当に好きなのだ。帰る帰れないという問題自体もそうだが、一緒に過ごしていきたいという希望を否定するのは、気分がよろしくないのではなかろうか。

 ……そう考える程度には、ジュンペイはユリアの事が嫌いではないのだ。嫁の愛人などという立場への希望は断固として阻止するが。

 しかし黒髪の少女は、現在自分と同じく黒色に染まっているジュンペイの巻き毛をぐりぐりと撫で繰り回した。

 

「もちろん私はリアトリスさんの事を信じていますから? いつか帰る方法を見つけてくれるだろうなって思ってますよ! でも未来はどう変わるか分かりませんし、人の心にブレーキなんて無粋です! 帰りたいのも、リアトリスさんと末永くご一緒させていただきたい気持ちも本当! ならどうしても選ばなきゃいけない分岐点が来るまでは、私は二つの可能性を抱え込んだままゴーするだけなんですよ!」

 

 胸を張って欲張りなことを宣言するユリアに、リアトリスに影響されているのは自分だけではなかったなとジュンペイは頬をかいた。

 

「ユリアくんにもずいぶん好かれているようだね。しかし、愛人……?」

「あ~……あはは」

 

 当然会話は近くにいるリアトリスとアリアデスにも聞こえているわけだが、その内容に首を傾げた師に弟子は曖昧な笑みをかえした。

 

 その瞬間、集中力が途切れ手を滑らせスっ転んだのはご愛嬌である。

 

 

 

 

 

 

 

 

+ + + + + + + +

 

 

 

 

 

 

 

 

 腐朽の大地に坐する腐敗公。その魂を刈らねば三年で自分たちが住まう世界は終わりを迎える。

 

 言葉だけ聞けば荒唐無稽と切って捨てられるその事実を、しかし真実であると魂に認識させられた。

 そんな特殊条件下のもと、更には魔族と人族の垣根は取り払われた。それが腐敗公をどうにかした後でも続くかは分からないものの、これにより共通の目的のため手を取り合う準備は出来たという事である。

 しかし積み上げてきた歴史が、世界という全ての土台にあたるものの危機を前にしてもそれを容易に許さない。……はずだった。

 

 だが先日、早くも共闘の一例が示された。

 

 魔王討伐をなした大国ルクスエグマが、真っ先に魔族と手を結び腐敗公討伐のため共闘したのだ。成果こそ出せなかったがその事実が他国へもたらした影響は大きい。

 さらに言えば腐敗公は腐朽の大地に坐する本体の他、何故か今可憐な少女の姿で自分たちの住まう大地を闊歩しているのだとという。

 この情報はそれを聞いた国々にとって発信元が大国とはいえ不明瞭極まりないが、その情報についてはルクスエグマの他に裏付けを持つ国があった。一日にして乾いた大地が緑に覆われるという奇跡を得た国……レーフェルアルセである。

 ()の国では実際に少女に扮した腐敗公と接触し、その膨大な魔力がもたらした災厄とは真逆の奇跡を目にした者達が居るのだ。

 更には魔術師達や魔族の間では「少女の姿は世界樹が腐敗公の魂を刈りやすいようにとった措置」なのではないかとまことしやかに囁かれている。すなわち、何百年も手を出せなかった大魔物である本体をどうにかできなくとも、その少女の姿をした腐敗公を倒せばよいのではないか……と。

 

 そのため時間をかけながらも、各自で。あるいは大国ルクスエグマやそこに協力した魔王に倣う形で。腐敗公討伐のための戦力は二つに分けられてゆく。

 

 

 ひとつは腐朽の大地に居る腐敗公本体を討つための部隊。

 

 ひとつは腐敗公の分身を探し出して討つための部隊。

 

 

 緩慢ながら、知恵ある生き物たちは動き出した。自分たちの生存圏をこれ以上失わないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

「~♪」

 

 月夜の晩、気持ちよさそうな鼻歌が森にこだまする。それを奏でているのは、森の中で一番高い樹の上に立っている一人の男だ。強い風を受けようとも、その体が揺らぐことは無い。

 

「ご機嫌なのねぇ、にいさま。その素敵な歌のおかげかしら?」

 

 ふいに真横から投げかけられた言葉に、男は驚かない。むしろ当然のように受け入れて、大きく手を広げて自慢した。

 

「いいだろ? 僕らが知らない歌! 気になっちゃってさ。これ歌ってた子達、今追いかけてるんだ。もっと仲良くなりたいなぁって」

「そうなのね。でも呑気に構えていていいのぉ?」

「? どういう……ああ、あれか。なにやら世間がざわついてるねぇ。でも僕らに関係あるのかな」

「さぁ~」

「なんだ、お前だって呑気じゃないか」

「まあねぇ。なにかあれば、じじ様が何か言って来るかなって」

「そうそう、僕も同じ考え。ところでお前も暇なら一緒に行かない?」

 

 男の誘いに妹は少し考えてから勢いよく頷いた。その拍子に豊満な胸が上下に揺れる。

 

「いいよぉ! なにか落ち着かない時は、楽しい事したいしね」

「さっすが僕の妹。じゃあ次に彼女たちが入った町で声かけよう。今度会った時は案内させてって約束してあるから!」

「それって約束っていうの?」

「いうんじゃない?」

「そっかぁ」

 

 他者が聞いたら頭をいためそうな緩い会話をした後、樹上の人影は最初からなにも居なかったかのようにかき消えた。

 

 

 

 

 

 

 



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41話 山中の青

 熱気と湿気で揺らぐ空気に、黒く固まったでこぼこの岩の地面。全身から体力を奪っていく、うんざりするくらい似た景色が続く道中……それを乗り越えた先は、目が覚めるような青色だった。

 

「み、水が青い! 絵みたいだ……」

 

 そんな素直な感想をこぼしたジュンペイに、同じ気持ちを抱きつつ「絵なんて見せたことあったかしら?」とリアトリスは首を傾げた。目の前の鮮やかな光景を絵で表現するには、それなりに高価な絵具を使わなければ不可能だろう。それこそ王宮に飾られているような絵画でなければ、なかなかお目にかかれない。

 時々、ジュンペイは腐敗公として過ごしただけでは持っていないはずの知識を無意識に口にする。会った時からそうだったが、ここ最近は特に多いように思えた。

 それもユリアが言うように前世の記憶とやらに起因するものなのだろうか。そんなことを考えながら、リアトリスもまた眼前の光景に感嘆のため息をこぼす。

 

 

 アグニアグリ山脈中腹。そこに開けた視界は、武骨な岩肌で囲まれた山中とは思えないほど清涼なものだった。

 

 

 途中までは本当にこの先に人が住む場所があるのか、と疑わしく思えるほどの険しい道のり。それが突如途切れ整備された石畳が現れたかと思えば、真ん中に幅広な石橋が渡された大きな湖。

 まず目を引くのは湖の色だ。

 まるで空を落として溶かし、鍋で煮詰めたかのような鮮烈で密度の高い青。更にはその湖に流れ落ちる水に目が行く。何処から流れ落ちているかといえば、それは天然の滝などではない。人工物だ。

 赤茶色の崖に挟まれその岩肌から伸び、石橋の終着点である門を挟むように整然と格子状に組まれた石の柱。四角い穴が等間隔で並んでおり、それが一段、二段、三段。あるいはもっと。水はその穴から流れ落ちているようで、さながら水の壁である。

 水が落ちた先では横一直線に激しく飛沫が舞っており、湖の一部が白く霞んでいた。

 

「なかなかの迫力だろう。ちなみにこの青い水だが、この辺りは星幽界との境界が薄くてな。あちらの事象が零れ落ち、こういった色に染まっている。時間によって色が変わるから、余裕があれば他の日も見てみるとよい」

「あ、そういう魔法的な変化なんですね!?」

 

 アリアデスの解説にユリアが瞳を輝かせた。「北海道の青の池とはちがうのか……!」などと言いながら、何やら噛みしめるように感動している。

 

「へぇ、すごい。こういう事象があるとは聞き及んでいましたけど、実際に見るのは初めてですね……。もう、師匠ったら教えてくれたらいいのに」

「この感動は事前知識なしで味わうものだよ」

「ああ……なるほど。それはそうかも、ですね」

 

 ふっと笑って湖に目を向ける。まだ熱気に包まれてこそいるが、湖の上を渡ってきた涼やかな風が頬を撫でた。

 

「橋の入り口が境界ですか」

「ああ。ここから結界が張られている」

 

 明らかに周囲から隔絶されている空間。もとからの自然環境、星幽界との境界を利用していることもあるのだろうが、なるほど優れた結界だとリアトリスは興味深げに湖と人口の滝を見渡した。

 

「門がありますけど、通行証は要りませんでしたよね」

「うむ。ここはドラゴン信仰の巡礼地でもあるからね。たどり着けば、それが通行証だ。門戸は平等に開かれる」

 

 アリアデスに確認すると、ならばとリアトリスは鼻息を荒くしながら両拳を握りこむ。

 

「じゃあ、さくっと入ってさくっと宿をとってさくっと温泉入りましょう温泉! 温泉温泉温泉ー! もう、全身べっとべとよ!」

「そうですね! ええ、温泉。そう、温泉! ふふふふふ! さぁ早く参りましょう!!」

「ならば宿の前に公衆浴場へ行くかね? その有様で宿へ入るのも嫌だろう。門をくぐればすぐに巡礼者が身を清めるために用意された浴場がある」

「出来る事でしたら是非!」

 

 一刻も早く身綺麗にしてくつろぎたいリアトリスと、なにやら別の理由も含んでいそうな勢いで賛成するユリア。ジュンペイはそんな二人を横目に見つつ、湖の岸辺で「青いけどすくえば普通に透明だ……。不思議だなぁ」と手で水をすくったりちゃぷちゃぷかき回したりと遊んでいた。

 

 

 そんな呑気にしている場合でなかったと気づくのは、温泉郷の入り口に足を踏み入れてからすぐのことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメだってば!!!! 俺、だから男!!!! 女湯なんて入らないからな!!!!」

 

 

 石で設えられた公共浴場。その入り口で悲鳴のような怒号のような少女の声が響いて、なんだなんだと道行く人々の視線が集まっている。

 そこにはいやいやと首を振る黒髪の美しい少女と、それをひっぱるくすんだ金髪の女性。不審げな視線はすぐに「どうやら事件性はないようだな、お風呂嫌いの子を中に入れたいのかな?」といった類の物に代わった。その視線はどこか生暖かい。

 ちなみに黒髪の少女の主張内容は誰の耳にも届いていない。届いていたとしてもあんな可憐な少女が男だなんて、そんなまさかと聞き間違いですまされただろう。事実、体だけなら少女は少年でなくしっかり少女である。その心はともかくとして。

 

 

 

 

 公共浴場へつくなり男湯へと入ろうとしたジュンペイをとっつかまえたリアトリスは、かれこれ十分ほど旦那様との攻防を続けていた。

 本当に門をくぐるなりすぐに浴場がどんっと構えていたため、景色を楽しんだりと温泉郷へたどり着いた感慨はまだない。リアトリスとしては感慨第一段のために、出来ればすぐに噂の温泉に入りたいところだ。

 

「も~。その人化させた体、老廃物は出ないけど埃とか普通につくんだからね? 特に髪の毛。今までだって梳いたり濡れ布で拭いたりしてたでしょ。せっかくたっぷりの湯なんて贅沢なものがあるなら、入って洗わなくてどうするのよ。山中の道を歩いて来たんだし、すっごく気になってたんだから! さあ、隅から隅まで洗うわよ~!」

 

 壁に噛り付くようにひっついて剥がれないジュンペイを、リアトリスが呆れたようにたしなめながらぐいぐいと引っ張っている。だがジュンペイの意志は固い。

 

「だーーーーめーーーーだって! ひっぱらない! あのね、その、前も言ったけど軽率に裸とか見せるのよくないというか、段階があるというか! 俺たち一応結婚式とかまだなわけで! それにお嫁さんのリアトリスはよくても他の女の人もいるだろ! 俺がそれ見ちゃ駄目だろ!!」

「真面目か! いいわよ今さらよ! 気にしないわよ私も周りも!」

「俺が気にするの! あとリアトリスにとっては今さらでも他の人は知らないでしょ! 男が女湯入ったら嫌でしょ!」

「言わなきゃばれないし知ってても気にしないってその見た目なら!」

「そうですよ~。あとジュンペイくん、男湯に入った方が事案ですし」

「それもわかるけどだったら俺は入らなくていいから!!」

 

 自分で言ってから分かってしまうのが悲しくなったジュンペイである。

 

「ええ~? もったいないじゃない」

 

 不満そうに頬を膨らませるリアトリス。あまり見ない、どちらかといえばユリアがしそうな表情に「あ、かわいい」と一瞬気が緩みそうになったジュンペイはぶんぶんと首を横に振った。ここでほだされてはいけない。

 

「ふむ。ならジュンペイくんは宿をとってから、そこの部屋風呂を使ったらどうかね? ここらへんの宿には大なり小なり、風呂がついている部屋は多いよ」

「!! それで! それでいいです!!」

 

 アリアデスから差し伸べられた救いの手にすぐさま飛びついたジュンペイは、これ以上リアトリスにごねられる前にとすぐさま「俺あそこの足湯で待ってるから!!」と浴場隣りの休憩所へ避難した。ユリアがふふんっとばかりに見てきたのが気に食わないが、こればかりはジュンペイの倫理観が許さない。

 人との親交がほぼほぼ皆無だった自分が倫理観などと笑ってしまうが、ここを譲ってはいよいよ性別が分からなくなりそうなので踏ん張った。

 ただでさえ「男である」という自意識以外、腐敗公というどろどろ魔物が正体の自分は性別が曖昧なのだから。

 

 

 

「はぁ……。なんで、こう。リアトリスもユリアも恥じらいが無いの……。服なんてほとんど着たことない俺の方が気にしてるの変だよ……。はぁ……」

 

 簡素な屋根の下、近くで売っていた瓜をかじりながらため息をつく。やけ食いである。

 足元の水路を流れるお湯は心地よく、これに全身浸かることが出来たら気持ち良いだろうなとは思う。けど少なくともここでは駄目だろ、とジュンペイは眉根をよせた。

 すでにリアトリスの裸は見たことがあるが、その時も魔物姿のジュンペイ相手とはいえあまりにも堂々として恥じらいが無かった。この姿に至ってはジュンペイを丸洗いする気満々だったようだし、その時の距離感を考えると頭が痛いような錯覚を覚える。痛みなど感じたこと無いはずなのに、その感覚は容易に想像することが出来た。

 

「はぁ……」

「お嬢さん、お嬢さん。ため息なんてついてどうなさった?」

 

 再度のため息。その時、ぬるっと影がさし声がかけられた。気落ちしていたジュンペイは警戒する前に何気なくそれに答えてしまう。

 

「え? いや、べつに……」

「おおっと! これはこれはよく見たら小さな歌姫さんじゃないの! 奇遇だねぇ」

 

 陽気に話しかけられたと思えば無遠慮に隣に座られて、少しむっとするも妙に人懐こい声色に警戒心が緩んだ。

 その内容が気になった事もあり、文句を飲み込んで相手を見る。興行した時見ていたお客さんだろうか、と。だとすればあの町からは結構遠い。確かに奇遇だ。

 

 声をかけてきたのは人好きのする笑みを浮かべた男。

 ぱっと目を引いたのは色濃い緑の髪で、ジュンペイとしては初めて見る髪の色だった。三白眼のつり目に収まる瞳は金緑(きんりょく)。光をうけている緑が金色に染まる色はこれまた初めて見る色合いで、どこか神秘的だ。

 どちらも自然と目を惹きつける。

 

「前に町の中で声をかけたのお忘れかい? 次に会った時は案内させてねって約束したのに」

 

 その言葉にジュンペイは「ああ」と記憶を掘り起こす。

 

「約束はしてないけど、なんか裏路地で……あった人?」

「そう! でもって僕たちはこうして再会したわけだ。僕はこの温泉郷についても、とても詳しい! 今度こそ案内させてくれないか? そして、出来たらまた僕の知らない歌を教えておくれ!」

 

 興奮気味に前のめりになる男にジュンペイは少し引く。この男、上背があるので少し動くだけでも圧があるのだ。

 

「あ、あの歌は、歌ったのは俺だけど教えてくれたのは仲間の女の子だよ。新しいのが聞きたいなら、また習わないといけないからすぐには無理」

「へぇ! そうだったのか。ふむふむ。いやでも、しばらくここに滞在するんだろ? ならその間に聞かせてくれたらいいからさ。その代金と思って、案内させてほしいんだ。どう?」

 

 まったく引く様子の無い男にジュンペイは押し黙る。

 実のところ彼は孤独だった期間が長いだけに、好意的な感情を前面に出されると弱い。たとえそれが初対面の相手でも、人に慣れてきたジュンペイにとって好意は素直に甘美だ。

 

「う~ん。でも、俺一人では決められないよ。仲間が出てくるまで、ちょっと待ってて」

 

 結果、突っぱねることは出来ず保留した。

 

「うんうん、いいよいいよ! あ、僕の妹もちょうど浴場に入ってるんだ。一緒に待つ待つ~」

「へぇ、妹さん。……ん? というか、あんたその耳。あと頭のって……?」

 

 何故今さら気づいたのかというような、髪の毛や瞳の色などよりよほど目立つ特徴。それを口にすると、男は「おや」と目を見開いた。

 

「あれ、見えちゃってる? おかしいな。警戒させても悪いかなって、隠してたんだけど」

 

 つんっと先がとがった耳と、緑の髪から覗く小さいながら硬質さを感じさせる黒光りする角。笑った口からは、発達した犬歯が覗いていた。

 

 

「お嬢さん、亜人は初めて?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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42話 はじめての温泉にて

「まったく。あの子もこういうところ頑固よね……」

 

 ジュンペイに逃げられ、結局ユリアと二人で公衆浴場に入ることとなったリアトリスがぶつくさと愚痴をこぼす。

 浴場の横にある休憩所……足だけ温泉に浸かれる、足湯なる場所で待っているらしいので離れすぎて人化の術が解けることはないだろうが少々残念だ。

 あの自分より乙女思考な旦那様にしてみたら女湯へ一緒に入るなど、とんでもない事なのだろう。が、それとこれとは話が別なのだ。少なくともリアトリスにとっては。

 先ほど直接本人に告げたように、リアトリスはジュンペイを丸洗いしたくて仕方ない。

 人化を解いてしまえば結局どろどろヘドロな、洗っても洗わなくても違いの無い本性だ。が、人の姿をとっているジュンペイはリアトリスの「こんな娘居たらいいな~」を具現化した、リアトリスが思う美意識の塊である。

 今は黒髪にしているが、本来は夕日に輝く麦畑のような煌びやかな金髪。それを埃まみれにしておくなんて、とんでもない。

 

「宿をとったらしっかりさっぱり洗ってやるわ……! ふふふ」

「じゃあ、今は私と洗いっこしましょ! リアトリスさん!」

 

 怪しげな笑いを浮かべて目を光らせていると、リアトリスに負けない満面の怪しげな笑みと輝く瞳のユリアが下着の薄布一枚でぐいっと迫ってきた。それを見て「あ、やっぱり少し手加減してあげよう……」と我に返ったリアトリスである。

 人とは客観的に自分と似た状態を目にすることで冷静になるのだ。

 

「それにしても中は結構広いわね。脱衣所でこれなら、浴場はもっと広そうだわ」

 

 脱衣所は木で組まれた棚が石壁に沿うように設置されており、籐の籠が並んでいた。客はそこそこ多いが、広さのおかげで圧迫感はない。

 アルガサルタにも公衆浴場というものが無いわけではないが、リアトリスは田舎暮らしから魔法学校、アリアデスの館、職場である王宮と、生活階級の中間をすっとばして生きてきたため、あまり縁がない。

 田舎の実家ではもっぱら川か湖で行水か、濡れた布で体を清めるのが普通。魔法学校以降はそれぞれの施設に風呂こそあったが、こういった大きな施設ではなかった。

 そのため入り口に書いてあった「おんせんのはいりかた」をよくよく読み込んできたリアトリスである。

 

「えーと。布を体に巻いて入っちゃいけないんだっけ? あと髪の毛は纏める。入浴前に体を洗う……」

 

 確認しながら服をばさっと脱ぎ捨てるリアトリスの所作は豪快だ。そこに同性とはいえ人に裸を見せる羞恥心は窺えない、

 ユリアも手慣れたもので、するすると下着を脱ぐと丁寧にたたみ、長い髪を器用にまとめていた。

 

「ちょっと安心しました。異世界でも、温泉の入り方は同じなんですねぇ。洋風だけど雰囲気もどことなく懐かしいです」

「へ~、そうなの! 面白いわね。国どころか世界を超えているのに、懐かしく思えるなんて」

「ですです。もっと異文化的なものを想像していたんですけど、この脱衣所とか見る感じ、私の故郷のものと近いですね。温泉の入り方まで丁寧に書いてあるのも予想外でした」

「あれいいわよね。おかげさまで戸惑うことなく入れるわ」

 

 相槌を打ちながら壁一枚隔てた先の浴場へ進む。

 ちなみに荷物であるが、簡易の結界を張ってあるため盗まれることは無いだろう。自分で結界など張れない一般客は浴場へ荷物を持ち込むか、もしくは受付で温泉魔術協会が発行している簡易結界の使い捨て魔具を買うとのことだ。

 有料ではあるが、結界魔術はこんな所にも活かされているらしい。

 

「へぇ、やっぱり広い!」

 

 扉を開くとむわっとした熱気に迎えられ、温泉であろう湯が張られた広い浴場がリアトリス達の前に広がる。

 二人は物珍しそうにそれらを眺めつつ、まずは洗い場へと向かった。

 

「そういえば、ユリア。あなたと二人だけっていうのも珍しいわね。一緒にジュンペイを迎えに行ったとき以来かしら」

「あ、ですねぇ」

 

 受付で買った石鹸を布で泡立たせながら、ふと思い至る。

 これまで朝から晩まで三人旅。途中食料集めなどした以外は四六時中行動を共にしていたので、案外こういった機会は珍しい。

 

「リアトリスさん。お背中洗いますよ!」

「そう? じゃあお願いしようかしら」

 

 先ほど興奮した様子で洗いっこ! などと言っていた割には、今のユリアの様子は大人しい。それを見てリアトリスはひとつの確信を深めた。

 

「ねえ、ユリア。あなたが私に向けてくれている好意を疑うわけじゃないんだけどね? 最近こうも思うわけよ。あなたって、結構ジュンペイの事気にかけてるな~って」

「ん~? そうですか?」

 

 リアトリスの背中を丁寧に洗いながら曖昧に答えるユリア。しかしその様子は、どことなく何かを話したがっているようにも見える。

 

「だって、私にくっついてくる時って絶対先にジュンペイを見るじゃない。ふふんって感じで。さっきもね」

「……流石にあからさまでした?」

「うん」

「あちゃー。リアトリスさんへのアピールが第一目的なので、これはちょっと失敗ですね」

 

 照れたように泡のついた手で頬をかくユリアに背を向けたまま、リアトリスもまた手慰みに泡をいじる。器用に空気を含まされた泡は雲のようで、この泡立ちの作り出せる自分はやはり天才だなと自画自賛の思考を挟むことにも余念がない。

 

「だって、もどかしいんですもの。リアトリスさんのこと私と同じくらい好きなくせに、積極的なようでいて結構奥手というか。前も言いましたけど、長生きのわりにお子様なんですよね~。だから私に張り合ってるくらいで、ちょうどいいというか」

「これ私が言うのも変なものだけど、恋敵なのにそれでいいの?」

「ええ。なんというか、放っておけないんですよあの子」

 

 肩甲骨に沿うようにリアトリスの背中を布で擦るユリアの声は柔らかい。

 

「分かる。でもそれは今みたいな状態でも? 当然のようについて来たからあえて聞かなかったけど、私が失敗すればあなたも世界ごと消えるわよ。あの子を中心に。そんな相手にも、放っておけないとか思える?」

 

 改めて口にすると抱えた案件の規模が大きいな、と思いつつそこに気負いはない。全く無いといえば噓になるが、もとより世界最強の大魔物を夫にした時点でリアトリスにとっては規模など今さらなのだ。

 それは異世界から召喚されて、利用されたうえに生贄にされたユリアとて同じかもしれない。が、どの程度の認識でついてきているのか気になった。

 

「そこはリアトリスさんを信じているので。駄目だったときは駄目だった時で、好きな人と一緒に消えられるならいいかなぁって。もともともうけた命ですもの。好きなように使います。これについてはリアトリスさんに何を言われても変える気はありませんよ、私」

 

 そのあまりにも潔く胆力溢れる返答に、リアトリスは自分の事は棚に上げて噴き出した。

 

「ふふっ。そう。私、あなたのそういうところ好きだわ」

「やった~!」

 

 無邪気な笑顔で両腕をあげて喜ぶ元聖女様。これはもうその気持ちに甘えて、全員の幸せ未来をつかみ取るまで一緒にあくせくしてもらってよいのだろうな、と自称天才魔術師は口の端を持ち上げた。もとより旅に誘い、巻き込んだのは自分だが。

 余談だが、密かに「この子着やせするほうね……」と、振り返った視線の先で揺れたものを見てしみじみ思ってしまったのは内緒である。……両腕を上にのばしているので、ある部分が目立つのだ。

 

 きゃっきゃと喜んでいたユリアだったが、ふと声の高さを一段落としてつぶやいた。

 

「……似てるんですよねぇ」

「え?」

「ああいえ。これは多分、私の郷愁の念とかが関係するんですけど~」

 

 そう軽く前置いてぽつぽつと話し始めるユリアは、どこか遠く、茫洋としたもの見ているような目をしている。思いを馳せる先は、過去だろうか。

 

 

「この世界に呼ばれる前、従姉弟が居たんです。五歳年下の男の子で、実はその子もジュンペイって名前だったんですよ。あんなにつっこみ気質じゃなかったけど、どことなく性格も似てる気がして。とっても素直というか、純真というか。……あ、見た目はもちろん全然違いますよ~」

「同じ名前……。へぇ」

「珍しい名前じゃないんですけどね。まあ、だからこう……もしかして私と同じところから来た魂なんじゃないかなって仮説を立てた時から、名前の事もあって親近感を覚えるところはあったんです。だから放っておけないのかなって。まあ百年単位で生きてる大魔物相手に感じる感覚じゃないですが」

「その従姉弟とは仲良かったの?」

「ええ、それなりに。私一人っ子だったし、可愛くて。よく私秘蔵のお宝も読ませてあげていました」

 

 ふふふと少し怪しげに笑うユリアに「そのお宝って何?」とは聞いてはいけない雰囲気を感じたリアトリスである。なにやら濃そうだ。

 

 意外な話が聞けたなと思いつつ、そういえばユリアの元の世界の話を聞くことあれど、これまで家族など人間関係について聞くことはなかったなと思い至る。

 本人がやたらと明るく割り切り上手のため普段あまり考えることは無いが、ユリアはまだ十六歳の少女だ。なかなか無い経験をしたとしても、全てを割り切ることなど出来るはずがない。親しい人を思い出すのは、帰還の目途が立たぬ今は酷なのだろう。

 

(それを考えると、ユリアには悪い事をしたわね)

 

 リアトリスの家族に会い、ジュンペイがその家族に受け入れられるところを見た。それを彼女はどんな気持ちで見ていたのだろうか。

 仲の良かった親族と名前が同じで、もしかしたら同じ世界からやってきた相手。そんなジュンペイはユリアにとって、リアトリスが思っている以上に心を占める割合が大きいのかもしれない。

 

「ふふ。少しウェットになっちゃいましたね! さあリアトリスさん、体洗い終わりましたよ。私は自分で洗うので、先に湯船につかっていてください」

 

 リアトリスの気遣うような雰囲気を感じ取ったのか、ユリアがことさら明るい声を出し泡を湯で洗い流した。

 どうも話しを聞いている間、いつの間にか背中だけでなく綺麗さっぱり体ごと洗われていたらしい。驚くべき手腕である。

 

「今度は私がユリアを洗おうか? 洗いっこしたいって言ってたじゃない」

「ふふ、それは……ゴフ……ふふふ。調子に乗ったせいでちょっと私の身が持たないので……ふふ。なすがままなリアトリスさんの体全部洗っちゃった……ふふふ」

 

 いつのまにか少女は鼻骨を押さえて顔を上向きにしている。整った小さな鼻から赤い液体がはみ出ていた。

 

「…………。じゃあ、お言葉に甘えで先に入っているわね」

「はい!」

 

 なかなか間抜けな恰好ながら元気な返事をかえしたユリアに、なんともいえない気分になる。

 

(間違いなくいい子ではあるんだけど……うん。というか、そこまで照れるなら背中だけにしておけばいいのに)

 

 呆れつつ念願の温泉に向かう。

 ユリアが来たら、のんびり温泉に入ったままもう少し語り合うのもよいかもしれない。

 

 

 

 

 石造りの湯船に満たされた湯は乳白色。その色合いに目を見張りつつ、期待が高まった。

 兄の先からそろそろと湯の中に入れていき、両足を浸けたところで湯船の淵に腰かけて一息。じんわりと温まる感覚に、これが温泉かと感動を覚えた。なるほど、確かに普通の水を温めたものと違う。

 そのままゆっくりと腰、上半身、肩と湯に体を沈め……首から上以外の全身を湯船に預けたところで意図せずため息が出た。

 

「き、気持ちいい……」

「いいお湯ですねぇ」

 

 初めての温泉に感動していると、油断しきったところに真横から声をかけられた。リアトリスはその近さにぎょっと緩んでいた体を固くさせる。

 

「え、ええ。気持ちいいわ」

 

 咄嗟に答えてしまったものの、まあたまには世間話もいいかと横を見て……再度、近さに驚いた。相手のへそが目の前である。いつの間にこんな近くに居たのだろうか。

 人のことを言えたリアトリスではないが、他人に対してあまりに近くで裸体を晒しすぎである。色々と見えてはいけない部分が至近距離にあるのは、初対面の相手という事もあって気まずい。

 浴場のため恰好こそみな同じだが、やはり近すぎるのだ。

 

 声をかけてきたのは鮮やかな緑色の髪をした少女。瞳は特徴的な金緑色(きんりょくしょく)だ。

 リアトリスは距離の近さの次に、その色合いに驚いた。……何故ならそれは、ドラゴン探しのため訪ねようと候補に入れていた場所の住人が持つ特徴だからだ。

 

「まだ入口だってのに運いいわね。私、持ってるわ」

「どうかなさいましたぁ?」

「ええ、ちょっとね。あの、あなた……」

 

 問いかけようとした時だ。

 少女はにこにことした笑顔のまま……なんの予兆も無く、湯船にぶっ倒れた水柱をあげた。至近距離にいたがために、波のような水しぶきがリアトリスを襲う。

 

「わぷっ」

「リアトリスさん、どうしました!?」

 

 俊敏に洗い場から駆け寄ってきたユリアに、しかしリアトリスは目の前の事実以外に答えるすべを持っていない。

 

「のぼせちゃったみたいね……。ユリア、ちょっと手伝って。ああいえ、あなたはあなたで鼻血大丈夫?」

「鼻血? なんのことか分かりませんが大丈夫ですよ! ええ!」

 

 鼻血なんて出てませんけど? とごり押しで誤魔化すユリアは、湯の中に倒れぷかぷか浮いでいる少女を見る。

 リアトリスもまた話しかけてきたと思ったら秒でのぼせるのはどうなんだと思いつつ、目の前で倒れられては仕方ないと渋々体を引き上げてやることにした。

 ……が、脇に手を差し入れ湯から持ち上げると、独特のにおいがぶわっと少女の口から押し寄せてきてリアトリスは額に青筋を浮かべた。

 

「酒くっっっさ!! なによ、この子のぼせたんじゃなくて酔っぱらいじゃない! 温泉の入り方に入浴前のお酒はやめましょうって書いてあったわよ!」

「うわぁ。ほんと、すっごく臭い。どれだけ飲んだんでしょう? 見た感じ私よりも年下に見えるんですけど、こちらの世界って子供でもお酒飲んでいいんですか?」

「地域によるわね。でも、多分見た目通りの年齢じゃないわよこの子」

「え?」

 

 酒臭さに顔をしかめつつ少女を抱き上げると、湯にぬれてぺったりしている髪をかき分けその特徴をユリアに見せた。

 

 

「角に、とがった耳?」

「やっぱりね。この子、亜人だわ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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43話 亜人の兄妹

「いやぁ、妹がごめんねぇ」

「身内の人が近くに居てよかったわ……」

 

 長椅子に寝かされた少女を薄い板で作られた工芸品で扇ぐのは、少女と同じく緑色の髪と金緑の瞳をもつ青年だ。

 酔っぱらって温泉の中に倒れこんだ少女を外の風を当ててやるため、背負って出てきたところに声をかけられたのである。

 しかもジュンペイが共にいたものだから驚いた。珍しい事にリアトリス達と離れている間に初対面の相手と話していたらしい。

 

「あ、ところでさ! さっきその子に提案してたんだけど、よかったら温泉郷の案内をさせてくれない? お代は、この間みたいな珍しい歌!」

「この間って……」

「リアトリス。この人、前に俺が興行もどきしたときに歌を聞いてたんだって」

「へぇ?」

 

 リアトリスはそれを聞いて、肩眉をあげながら青年を見た。

 緑色の髪の毛は腰まで伸びていて、後ろで一つにくくっている。体型は縦にひょろ長く、少し変わった模様の民族衣装を着ていた。つり目の三白眼というきつめの顔立ちながら、笑顔のおかげで人懐っこい印象を受ける。

 不躾なほどにじろじろ青年を見終わると、リアトリスはその表情や挙動に目をや向けたまま納得したように頷いた。

 

「なるほどねぇ。ドラゴンは歌もお酒も大好きだわ。その子供であるあなたたちにとっても、それは好ましいものなのね。限度と言うものは知ってほしいけれど」

「ははは。ま、僕たち人とのあいの子だから。好みは似たけど、耐性まではなかなかねー」

 

 すでに自分が持つ特徴……髪と目の色の他、角と尖った耳を隠しもしない青年は、リアトリスの発言にも驚くことなく朗らかに返した。

 その様子からこのまま穏やかに話が出来そうだな、と判断したリアトリスはふむと頷く。

 

「集落があるとは聞いていたけど、まさかこんな入り口で会うとは思わなかったわ。しかも話によれば私たちが通ってきた町にも行ってたんだ? 珍しいわね。ドラゴンはともかくとして、亜人はあまり自分の住む場所から動きたがらないって聞いたけど」

「僕たちは好奇心旺盛な方なんだ。結構いろんなところへ行ってるよぉ」

「そうなの。まあ、個人差はあって当たり前か。ごめんなさいね、偏見だったわ」

「いいよいいよ~。気にしないで。……ま、こんな特徴だから。亜人を知らない人にとっては魔族が来たって騒ぎになったりもするし? それを怖がって集落から出ない奴のが多いのは確か。逆にここだと待遇いいけどね」

「信仰対象の血族だものね」

「そういうこと」

 

 リアトリスも亜人と会ったことが無いわけではないが、交流となれば話は別だ。

 この兄妹は人間の集落に住んでいるだけあって人寄りの思想のようだが、亜人の中には自分たちが持つ特徴による差別を嫌って魔族側につく者も少なくない。そのため戦場に出ることが多かったリアトリスにとっては、魔族に与した亜人と敵対することの方が多かったのだ。

 全ての亜人が敵対者というわけでもないので、この人と魔の境界を曖昧にする存在を気まぐれに産み出すドラゴンはなかなかに迷惑だ。リアトリスがドラゴンへの心象が良くない理由はこの辺にある。

 

 

 亜人。

 人と似ながらも、異なる特徴を持つ一世代限りの種族。

 

 

 分類的には魔族とされるドラゴンと、人との間に出来た子供を指す名称だ。リアトリス達はドラゴンの情報を求め亜人の集落を訪ねることを予定に入れていたので、この出会いは渡りに船である。

 

(偶然ならね)

 

 しかし単なる幸運と喜んでばかりもいられない。なにしろその姿を知る者は未だ少ないとはいえ、自分の可愛い旦那様は世界中から狙われる対象である。

 それを踏まえた上で思案し……ひとつ頷いた。

 

「…………。せっかくだから、案内をお願いしようかしら」

「アリアデスさんにお伺いを立てなくていいんですか?」

 

 男嫌いのユリアは微妙に青年から距離をとって成り行きを見守っていたが、リアトリスが是と答えたところで口を挟む。どうやらせっかくの温泉郷観光に、案内とはいえ見知らぬ男がついてくることが嫌なようだ。

 ちなみにアリアデスはまだ浴場から出てきていない。ゆっくりと湯につかっているようだ。

 

「師匠は旅に関しては私に主導権を渡してくれているから、多分大丈夫。その分なにかあればそれはお前の責任だぞって、厳しく言われちゃうだろうけどね」

「なにかって、やだな~。僕そんなに怖そうに見える? 怪しく見える?」

「ごめんなさい、そうじゃないわ。諸事情があって、少し警戒しているのよ」

「ほほう? 事情は知らないが、何やら大変そうだね」

 

 顎に手を添え首を傾げる様子からは、何かをたくらんでいるようには見えない。

 

(ま、乗らない手はないか)

 

 考えた末に警戒しすぎてせっかくの出会いを手放す方が馬鹿らしいと結論付けた。

 リアトリスはそうと決めると、にっこり愛想笑いを浮かべる。

 

「もう一人仲間がいるから、その人が出てきてからお願いするわ。……でもその前に、妹さん大丈夫?」

「ああ、多分そろそろ目を覚ますよ。いつもの事だしね」

「いつものこと!? ちょっと、注意した方がいいわよ。少なくとも人の迷惑になる場所で酔いつぶれないでちょうだい」

「ごめん、ごめん。でもお姉さん面倒見いいね。まさか背負って出てきてくれるとは思わなかった」

「さすがに目の前でぶっ倒れられちゃあね……」

 

 そんな会話をしている最中。

 うう~んと可愛らしい声が聞こえたと思ったら、未だ顔の赤い少女がうっすら目を開けていた。どうやら大丈夫そうだなと軽く息を吐きかけた時……リアトリスはその息を喉の奥に飲み込むことになる。

 

 何故かと言えば、目の前で盛大な寝起き事故が起きたからだ。

 

 少女はぽやっとさせていた目元を瞬時に見開いたかと思えば、その勢いのままにバネ仕掛けの人形の様に上半身を起こす。その直線状には妹をあんじて覗き込んでいた彼女の兄が居て……。

 

 ゴンっ

 

 ……人体が奏でるには、なかなか派手な音が響いた。

 

「うわ、痛そ」

「ぉわっ!? ちょ、そんな急に動いちゃ……あ、いやその前にお前大丈夫か」

「~~~~」

 

 見事な頭突きを食らった青年を前に、ジュンペイが思わず気遣う。

 青年は額を押さえてうずくまりながらも、こくこく頷いた。

 

「いっけな~い! 仲良くなろうと思ったのに、うっかりうっかり! わたしったら寝ていたのかしらぁ?」

 

 そして頭突きをかました妹はといえば、こつんっと自分の頭を小突いて舌をぺろっと出していた。限られた者にしか許されざる動作である。そして違和感がないあたり、彼女はそちら側の人間らしい。

 

「お兄さん痛がってますけど、あなたは大丈夫です……?」

「え? ……あ、そういうこと。なんだかおでこがひりっとするな~と思ったぁ。にい様、ごめんね?」

 

 ユリアに言われてからやっと自分が仕出かしたことに気付いたらしい少女は、両手を体と前で組んで兄に謝る。小首を傾げ見上げる所作もまた、堂に入っていた。

 それに対して兄の態度は寛容だった。

 

「いっや~。さすが僕の妹。金剛石のような石頭、美しいよ!」

「石頭を宝石に例えて美しいって評するのは、なんか違くない? 確かに金剛石は固いけども」

 

 怒るでもなく妙な表現で妹を褒め始める青年に思わずつっこむが、それを意に介さず亜人の兄妹は手を繋いでくるくる回り、静止したかと思えば腕を大きく広げた。

 

「なにはともあれ、おいでませ温泉郷!」

「おいでませ楽園へ!」

「妹よ、お前が気絶している間に僕は案内の約束を取り付けたよ!」

「まあ! さっすがにい様」

「そんなわけで皆様方。この温泉郷は、この僕ラドと!」

「わたくし、ラルがご案内しますぅ!」

 

 独特のテンポで歓迎されしばし言葉に詰まったが、実に楽しそうな彼らの空気に乗せられてリアトリスはつい笑ってしまう。

 

「あなたたち、賑やかね! ラドと、ラルね。私はリア。連れの二人はユリとジュンよ。よろしくね」

 

 さりげなく偽名を名乗ったリアトリスに、ユリアとジュンペイは顔を見合わせた。

 偽名といっても単純に本名を短縮したものでありすぐに対応できそうではあるが、リアトリスが旅の中で偽名を使うのはこれが初めてである。

 

「「よろしく!!」」

「きれいにそろって、まあ。仲いいのねぇ……。えーと。案内、案内ね。なら、まず宿屋の紹介をしてちょうだい! 荷物を置いて身軽になりたいのよ」

「宿屋! もちろん、おまかせを。僕らけっこう顔が利くからね。当日予約でもいい部屋取るよ」

「お、それは嬉しいわね。期待しちゃおうかしら」

「うんうん、お任せあれ!」

「…………」

 

 観光地に来たなぁという実感を感じ始めたリアトリスだったが、ふと口を引き結んで頬を膨らませているユリアに気付く。頭の回転が速く柔軟な思考をする少女のその反応に珍しいなと思ったが、そういえば彼女の了承なしに決めてしまったなと思いあたる。亜人の兄妹……彼らが案内に対して要求するのは、金銭でなく歌だ。……ユリアの故郷の。

 

 リアトリスはばつが悪そうに頬をかくと、兄妹の様子を窺いつつそっとユリアに耳打ちをした。

 

「勝手に悪いわね。あとで埋め合わせをするわ」

「別に構わないのですが……。……埋め合わせって、本当ですか?」

「ほんと、ほんと。だからここは一緒に行動しときましょ」

「リアト……リアさんがそういうなら……」

「ああ、君なんだ!」

 

 渋々といった様子で頷いたユリアだったが、突然会話に割って入り真正面から両手を掴んできた青年、ラドにぎょっとする。

 

「な!?」

「小さな歌姫さんに聞いてたよ! 自分は歌を教えてもらったんだって。その教えた人って君なんだ! ねえねえ、他にどんな歌があるの? いっぱい案内するから、たくさん教えてほし」

「どっせい!!」

「ほぎゅ!?」

「にいさま!?」

 

 直後、可憐な声で猛々しい背負い投げが決まった。

 地面に叩きつけた男を見下ろすと、ユリアはぱんぱんっと手を掃って冷たく見下ろす。

 

「失礼。ですが、気安く触らないでくださいます?」

 

 まったく相手に対し失礼だと思っていないことをうかがわせる平坦な声。どうやら話す分には問題なくても、男性に触られることはユリアにとって許容の範囲を超えるらしい。

 しかし地面に叩きつけられたラドは、怒ることもなく逆に目を輝かせて飛び起きた。その勢いに正面に居たユリアはもとより、リアトリスとジュンペイもまたビクッと後ずさる。

 

「…………良い」

「にいさま?」

 

 兄の様子を窺う妹……ラルは、先ほどのすっとぼけた明るさを潜め恐る恐る声をかける。だが先ほどトンチンカンながら、あれほど褒めていた妹の声も届かない様子のラドはずいっとユリアに近寄った。再び投げてやろうかとユリアが構えを取るが、その前に。

 

 青年ラドによる大音量の声が、その場にいる全ての者の耳をつんざいだ。

 

 

 

 

「好きです! 僕の恋人になってください!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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44話 温泉郷観光 ★

※本日二章の終わりにキャラ紹介を挟んで投稿したため、表示話数が一話多くなっております。こちらが11/7投稿の最新話となります。


「ユリさん、いきなりごめんなさいですよぉ。うちのにい様、惚れっぽくて! それにほら、ユリさんとってもお綺麗だから。一目惚れされることも多いんじゃないですかぁ? うふふ」

「はぁ……」

 

 公衆の面前での大音量による告白。それは周囲から好奇の視線を集めたが、告白の主が現在どうなっているかといえば実の妹にギリギリと腕で首を絞められている。妹ラルは朗らかな口調でユリアに話しかけているが、兄ラドは落ちる寸前だ。ラルは一見細腕だが、的確な角度で適切に力が入れられているようである。先ほどユリアに投げ飛ばされたばかりなので、少々の憐みの視線がリアトリス達から注がれていた。

 告白された張本人であるユリアはといえば、ラルの迅速な対応に肩透かしを食らったような気分で曖昧な返事を返す。

 

「……案内頼むの、やめようか?」

「え!」

 

 リアトリスがユリアを窺いながら問えば、ラルが焦ったようにわたわたと手を上下に動かす。ちなみにその時ラドへの拘束はとかれたが、虫の息となっていた彼はゴンっと派手な音を立てて地面と口付けていた。

 

「あのあの、本当にごめんなさい! でも兄のことはわたしがちゃんと見てますからぁ。お客様にこれ以上、無礼なことはさせません~」

「本当? けっこうな熱のこもりようだったけれど」

「ほんとです、ほんとですぅ」

 

 そそそと近寄ってきて潤んだ瞳でリアトリスを見上げるラルに、やはりこの子は自分の容姿の使い方を分かっているなと少し感心する。ラルは背丈はそこそこ高いが幼げな容姿の愛らしい少女だ。こうして上目遣いで縋られれば、ほだされる人間は多いだろう。こういうところは少しユリアに似ている。

 リアトリスも多少は上辺を取り繕うことは可能だが、それもごくわずか。基本的に己を出さないよう振舞えば「暗い奴」評価を賜る不器用者なので、この少女やユリアのような特技と言えばいいのか特性と言えばいいのか……そんなものが、ほんの少しばかり羨ましい。ほんの少し。

 

 といっても、基本的にユリアは先ほどの様に取り繕いたくない相手に対してはとことん素直に振舞うのだが。

 

「でしたら、先に言っておきますけれど。私男の人が苦手なんです。案内するにしても、一定の距離を取っていただいても? もちろん告白の返事はお断りですと、話すことも避けたいのでお伝え願います」

「はいな! でも、あらぁ。そうなんですか~。お綺麗なのにもったいな……っと、これは失礼ですね。好みは人それぞれですものぉ。わたしだって……ふふふ」

 

 最後を意味深にぼかして笑うラルだったが、なんとか案内を断られずに済みそうだとほっと胸を撫でおろしてもいた。その様子によほどユリアの故郷の歌が聞きたいんだなと、成り行きを見守っていたジュンペイは少し誇らしい気持ちになった。仲間の故郷の文化が価値ある物だと認められている事と、それを歌い彼らが知るきっかけになった自分の声に。

 まあその声もリアトリスが理想の娘を想像して発動させた人化の術の賜物なので、複雑ではあるのだが。

 

「……賑やかだが、なにかあったのかね?」

 

 短いながら、なかなか騒がしい自己紹介となったリアトリス達。そんな彼女らに温泉でほっこり温まったアリアデスが声をかけたのは、そのすぐ後の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……っわぁ!? え、すごい! これ、本当に山の中か!? 人がたくさんいるし、それに……色々凄い!」

「ふふ、ジュンペ……ジュンは素直に反応するから見てて楽しいわぁ。でも……うん! これは興奮しちゃうわね! やだなにちょっと、公衆浴場で油断させておいてビックリするじゃない温泉郷!」

 

 感嘆の声をあげるジュンペイを前に、リアトリスもまた目の前の景色に声が弾むことを抑えられていない。せっかく名乗った偽名を言い間違えそうになったのはご愛嬌だ。

 目を輝かせる弟子と孫弟子を見て口の端を持ち上げているのは、老魔術師アリアデス。

 

「公衆浴場はあくまで旅の汚れを落とすためのもの。あれで全てを見透かしたつもりになっているなら、まだまだ甘いぞリア」

「入口付近からだとうま~く見なくなってるところが、本格的に入ってからのサプライス感ありますねぇ。わ、あんな所に家がある……」

 

 公衆浴場では故郷の文化と似通うそれに親しみを感じていたユリアも、キョロキョロと首を動かして周囲を見ている。その首は左右、上下と忙しい。

 旅の汚れを落とし案内人を手に入れ、さあいよいよ本格的に温泉郷へ入るぞ! となったリアトリス達。彼女たちを迎えた温泉郷の光景と賑わいは、想像を嬉しい方面に飛び越えたものだった。

 まず宿に案内してほしいとお願いしたものの、今晩の寝床にたどり着くまでに興味を引くものは多そうだ。

 

「いやぁ、皆さんいい反応してくれるねぇ! 案内のし甲斐があるってものだ」

「ね~!」

 

 案内人であるラドとラルが顔を見合わせてにっこり笑いあう。

 ちなみにラドは先ほどの事もあり、しっかりユリアと距離を取らされていた。ユリアが男嫌いだと聞いた今も、時折残念そうにチラチラ様子を窺って来るが、今のところ必要以上に近づいてくることは無い。

 

 

 アグニアグリ大山脈中腹、温泉郷の名を冠するその場所はいくつかの集落をもって形成されているという。

 まずリアトリス達が足を踏み入れたのは、商店で賑わう歓楽街。

 真っ先に目を引くのは、歓楽街を挟む左右の崖だろう。凹凸を描きながら空に伸びあがっているその崖には日が暮れてきた今、ぽつぽつと生活の明かりが灯っていた。

 ……そう、どうやら崖には人が住んでいるらしいのだ。

 

「昔はいい鉱床があってね。それを掘り返した跡を補強して、家や店として使ってるんだよ。迷路みたいだから観光客が入るにはお勧めしないけど」

「へぇ。あの石橋は?」

 

 ラドの説明に関心を示しつつ、リアトリスは次に気になっていたものを指さす。その先は真上だ。

 それはこの温泉郷への入り口を形作っていたものに似た、四角い穴を有した石で組まれた橋の様な何か。ただし滝の様に流れ出ているものは冷たい水でなく温泉のようだ。高所にある石橋から下にある石橋が温泉を受けるように組まれており、それがいくつも歓楽街を含めた温泉郷の上を巡っている。各所で温泉が流れ落ち湯気を上げているさまは、なかなかに圧巻の光景だ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「湧き出た温泉を必要な場所に行き渡らせるためのものですぅ。地下にも巡っていますが、上のあれは温泉魔術協会が管理しているんですよ~。見た目も迫力あるでしょう?」

「うん! すごい。おもしろいな~」

「そういえば暗くなってきたけど、結構明るいのね。お店もまだまだ盛況って感じ。大国の首都並ね……」

「この辺りは歓楽街だから特にって感じですけどね。あの石橋を起点に魔力が循環しているので、そこから供給された力で夜は幻想的な魔力光が踊ります。素敵でしょう?」

 

 歌うようにすらすら説明していくラルに示され見てみれば、店やその手前の屋台、道の上に巡らされた紐にぶら下がる明かりは一部は炎が揺れる一般的なものだ。が、他の多くはなるほど、魔力を燃料としている光。この明るさならば人通りも今しばらく絶えないだろう。

 

 そんな明かりに満ちた温泉郷を眼下に、空はいよいよ夜の帳を下ろし始めている。そうすると目に映る光景の中に、もう一つ見えてくるものがあった。

 アグニアグリ大山脈の中で一際背の高い山が、温泉郷の背後……やや遠方にそびえている。その形はまるで口をあけたドラゴンが首をもたげているようだ。

 何故日も暮れてきたこの時間にその形が分かるのかといえば、山の頂きが稜線をなぞるようにほの赤く光を帯びているからだ。それが何かは案内人がさっそく説明をしてくれる。

 

「綺麗でしょ? あそこは火口だねぇ。火の血が湧き出ていて、今にも溢れそうに溜まっている場所。あそこらの火の水は魔力の燐光を纏っているから、こうして遠くからも明るく見えるんだ」

「その火の血が地下水を温めてくれるから、こうして温泉郷があるわけですけどね!」

 

 リアトリス達が抱いた何気ない疑問を、つぶやきから拾ったり話す前に察して説明してくれる彼らの案内はなかなかに魅力的だ。アリアデスもリアトリス達より温泉郷に詳しいが、おそらくこういった観光に特化した語り口では彼らの方が上だろう。現に温泉郷を知る老魔術師もまた、彼らの説明に楽し気に耳を傾けている。

 

 歓楽街には多くの店の建物の他、ずらりと屋台が並んでいる。その内容は食べ物、飲み物、工芸品と様々。

 そのうちの一つから、威勢の良い声が投げかけられた。

 

「ようラド! 今日は随分と綺麗どころ連れて……」

 

 よく通る声で話しかけてきたのは、何やら食べ物売っているらしい屋台の男。だがその声は途中で途切れ、視線は吸い込まれるようにアリアデスへとむかった。

 長躯に加えて芸術の域まで鍛え抜かれた剥き出しの筋肉は、先ほどからリアトリス達などよりよほど周りの注目を集めている。

 普通ならば絶世の美少女といっても良いジュンペイ、清楚かつ華やかな可憐さを併せ持つ元聖女のユリア、二人に比べてしまうとパッとしないが、きつめな顔立ちながらそこそこ美人のリアトリス。それぞれ趣のちがう美しさを擁する女性三人が揃っていると目立つのだが、鍛え抜かれた肉体を持つ老魔術師が旅に加わってからは視線のほとんどをアリアデスがかっさらっていた。

 一緒に居るとまとめて目立つようでいて、目立たない。ある意味究極の隠れ蓑である。

 

「案内のお仕事してるんだよ。ってことで、おまけして♥」

「……! あ、ああ。おう。いいぜ。けど、相変わらずちゃっかりしてるな」

 

 はっと我に返った男性が苦笑しながら、ラドから貨幣を受け取ると茶色く丸い食べ物を紙に包んで渡してくる。湯気が立ちのぼっており、ホクホクとした生地は柔らかく熱そうだ。

 ラドを見れば「僕のおごり。さっきのお詫びも兼ねてね」とにっこり笑ったので、せっかくなので好意に甘えることにする。ユリアも一瞬ジト目でラドを見たものの、美味しそうな食べ物を前にしては弱いらしくいそいそと店の男から受け取っていた。

 

「ドムダルっていう肉まんじゅうなんですけど、中に甘辛く味付けたひき肉の具が入っていてと〜っても美味しいんですよぉ! ちょっとピリ辛ですね。刻んだツァルという香味野菜も入ってまして、それがシャキシャキっとした食感で風味も爽やか! だから意外と後味はさっぱりなんですよぉ〜。小腹がすいた時のおやつにおすすめです!」

「へ〜、美味しそうね!」

「ラルちゃん、宣伝ありがとよ! お姉さん、美味しそうじゃなくて美味いんだ。損はさせないぜ! 名物だから次もまた買ってくれよな」

「ええ。でも喉が乾きそう……」

「お姉さんお姉さん! そのためにこっちの店があるんだよ。ボザンテって果物の果汁が入った冷茶だ。好みで果肉も入れるぜ。スッキリした甘さで、ドルダムのお供にぴったり!」

「なるほどね。ところであなたもオマケしてくれるのかしら?」

「お姉さんもちゃっかりしてるね……。うんうん、そしたらようこそ温泉郷へってことで多めに入れといたげるよ! 案内してもらってるようだし、様子からしてここは初めてだろ?」

「やった! ふふ、ありがとう。嬉しいわ。ええ、温泉郷に来るのは初めてよ。夜なのにこんなに明るくて賑やかなんて驚いたわ」

「この辺りは特に魔術灯が使われてるからね。温泉魔術師協会の知り合いによると、ここいらは境界とやらが薄いおかげで色々細工しやすいんだと」

「興味深いわね……」

 

 先ほどラルから聞いていた説明に加えて、現地の人間からの話。リアトリスの好奇心が疼き、自然と口端が持ち上がる。

 

「リアが楽しそうでよかった」

 

 ふいに嬉しそうな声が聞こえ、振り返って声の主……ジュンペイを見れば、リアトリス以上に嬉しそうな笑みを浮かべていた。その笑みはにこにこというより、慈愛に満ちて柔らかい。

 

「ジュンは? 楽しい?」

「もちろん楽しいさ! 俺にとってはこんな人混みの中に居られること自体夢みたいだけど、隣に愛する人がいて同じ気持ちで楽しんでいる。最高に楽しくて、幸せ」

「なかなか言うようになってきましたねジュンペ……ジュンくん……」

 

 ユリアがジト目になると、ジュンペイは少し得意げな様子で胸を張った。よくよく見ると耳が赤くなっており、言葉を返し損ねたリアトリスは「うちの子が今日も可愛い」と、現在は黒に染まっている巻き毛を梳くように頭を撫でる。するとジュンペイは複雑そうに眉根を下げた。どうやら落ち込ませてしまったようだ。

 

 

 

 

 リアトリス達が物珍しそうに、そして楽しそうに周囲を見回しているその先で。少々離れた位置でラルは兄に向け、雑踏の喧騒にまぎれるよう小さく声を滑り込ませ話しかけた。

 

「もう、とう……にい様、悪い癖ですよ?」

「ごめん、ごめん。でも見た目淑やかで中身逞しい子って好みなんだよねぇ。知ってるだろ? いやぁ、投げられたときにビビッときちゃって。これが恋だよ」

「ええ、知ってますとも。よ〜く」

「人の生は短いし、好きだと感じたならわずかな間も惜しいしねぇ」

「まぁ、それもそうですけどぉ。む〜」

「それにね、ラル。多分ユリさんは僕らと同じ……」

「ねえ、ラルにラドー! ちょっと聞きたいんだけど……」

「おっと。はいは〜い! 今行きますよ〜!」

 

 ラドが言いかけた言葉もまた、喧騒に紛れ歓楽街の空気に容易く溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 世界が消えてしまうかもしれない。それをまるで感じていないような賑やかな空気に、自然とジュンペイの心は浮きたった。

 このまま誰にも傷つけられることなく、大好きな人と一緒に過ごしていく日々を夢想する。今はまだ実現していない夢でも、その大好きな人が一緒に生きられる道を探してくれているのだ。だから自分たちは今、ここに居る。

 悪い「もしも」は今忘れよう。どうせ可能性を考えるなら、幸せな「もしも」を考えてそれに向かって動く方が建設的だ。

 

 そんな前向きで暖かな気持ちを抱いていた時だ。

 ……温まった気持ちに水を差すような、嘲りを含んだ声が耳に届いたのは。

 

「よう、久しいな腐敗公。あの毒々しい臭さがねぇってのも、変なもんだが」

「!」

 

 不躾な言葉と声にばっと振り返る。

 突然の正体看破。それを成した相手を見てジュンペイ、そしてリアトリスたちはしばし言葉を失った。

 

 アリアデスに負けない長身と立派な胸板を有した筋肉で覆われた体。光すら吸い込んで反射を許さない、闇を塗り固めたような黒髪の男だった。目だけが爛々と得物を狙う獣の様に輝いており、それが現在まっすぐにジュンペイへと向いている。

 だがそんなただ者ではない様子を漂わせる男は……現在両手にドルダムを含めた屋台料理をこれでもかと装備しており、服はゆったりとした観光用の民族衣装だ。頭には何やら珍妙な面をつけているが、どうやら屋台で売っているドラゴンを模した名物品らしい。

 明らかに温泉郷を満喫しているその姿に、一瞬対応を迷う。その間によく知った声が耳に届いた。

 

「ちょっとちょっとちょっと! ザリーデハルト殿!! 俺もう荷物持てませんよ!! まだ買う気ですか!?」

 

 人ごみをぬけてきたのは、両手いっぱいに荷物を抱えている男。積み重なったそれに顔こそ見えないが、男が誰なのか……彼を良く知るリアトリスが、観光満喫男と見比べながらぽつりとつぶやいた。

 

「…………オヌマ?」

 

 

 

 温泉街での夜は、まだ長そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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45話 腐敗公と魔皇

 不躾に声をかけてきた男に戸惑いながらも、その相手を追ってきたのが知り合いだと分かるとリアトリスはすぐさまそちらに詰め寄った。

 

「ちょっとオヌマ! これってどういう……げっ」

「やぁ」

 

 しかし言いかけて更に見知った顔があると気づくと、カエルをつぶしたような声が喉の奥からこぼれる。その反応を特に気にしたふうでもなく、朗らかに挨拶をしてきたのは赤髪の元上司。

 できれば今後一生会いたくない人間であり、上司の立場を思えばそれはけして叶わぬことではないはずなのだが……何故か一年も経たないうちでの再会である。嬉しくない。お前は王族だろうさっさと国に帰れ。

 

 その元上司、エニルターシェの横でため息をついているのは、腐れ縁のオヌマだ。どうやら持ち前の大雑把さも、自国の第四王子に振り回されてすっかりなりを潜めているらしい。この間リアトリスの実家で会った時もだが、その表情には苦労の色がにじみ出ている。

 それとは反対にエニルターシェの表情は満ち足りており、肌艶も妙に良い。身に纏っているのは貴族然としたものでなく、声をかけてきた黒髪の男同様にゆったりとした民族衣装。手にもった工芸品で、ひらひらと顔に向けて風をそよがせている。

 エニルターシェはアリアデスにも軽く手を挙げて挨拶するが、当の老魔術師の目は鋭く漆黒の男に向いていた。

 

 この場合件の男に関して詰め寄るならば当然こちらだと、リアトリスは赤髪の奇人に矛先を向ける。

 

「あああ、もう! あんた帰ったんじゃなかったの!? しかも妙にツヤツヤしよってからに!」

「おや、わかるかい? 泥を顔に塗る美容法があると聞いてね。先ほど試してみたのだよ。これが存外よかった」

「え、なにそれやってみたい……じゃなくて! なんつーもん連れてきてんのよ!!」

「それを腐敗公を連れ歩いてる君が言う?」

「っさい! 揚げ足取るな!」

 

 リアトリスが勢いよく指さした先には例の男。

 先ほどオヌマがザリーデハルトと呼んでいたが……その名が意味するところを、リアトリスは知っている。うまく隠してはいるが男は明らかに魔族。そして嫌な想像とは、たいていこうでなければいいな~と思う事こそ当たるものだ。

 そして自分の予想を裏付けるように、見れば師が警戒態勢に入っている。見た目は普通だが、体に刻んだ魔術紋に淀みなく魔力を巡らせているようだ。

 

 十中八九、リアトリスの予想は的中しているのだろう。

 

 

 

 

 焦るリアトリスを尻目にしながら、男……ザリーデハルトは気にせず目当ての相手に向き合う。

 

「俺が誰だか思い出せないか?」

 

 その問いかけにジュンペイは眉間に皺を寄せながら、目の前の気配と合致するものを知っていたので嫌々ながら口を開く。

 

「……この間、俺にちょっかい出してきた奴だろ」

「この間?」

「えっと……本体の方」

「ああ」

 

 ちょっかいとやらに覚えがないリアトリスが疑問の声を発したので、報告してなかったことに若干の後ろめたさを感じて答えるジュンペイ。

 

 少し前に腐朽の大地に坐するジュンペイ本体に、上空から不躾な攻撃を仕掛けてきたのがこの相手だ。

 魔術を学び魔力の規模をいくらか測れるようになっていたジュンペイは、その攻撃がいかに強力なものかを理解していた。本体にとっては軽くあしらえるものだったが、その脅威は先日のリアトリスとアリアデスのぶつかり合いを超える。

 ジュンペイはリアトリスとの出会いを始め、その後他の人間と交流を持つことで失っていた対話の意志を取り戻した。実際レーフェルアルセの三人組相手には攻撃されても反撃しなかったのだが……そんなジュンペイが、瞬時に排除に値するとみなし撃退した者。

 しっかり叩きのめしたつもりだったが、ここまでぴんぴんした姿で現れられるともう少し強めに殴打して良かったのかもしれない。

 

(しかも今の俺は本体じゃない。くそっ、ミスった)

 

 そんな内心の焦りを悟られないよう、出来るだけぶっきらぼうに平坦な声で返したジュンペイに、ザリーデハルトは眉尻を下げる。

 

「おいおい、さみしーな。それも合ってるが、俺は結構古い知り合いだぜぇ?」

「知り合い?」

 

 そんなものいた試しがない。ジュンペイはずっと一人ぼっちだった。

 見えすいた嘘に眉根を寄せるジュンペイだったが、ザリーデハルトは少し考えるそぶりを見せ……。前触れなく大股の一歩でジュンペイに近づくと、腰をおって耳元に顔を近づけた。

 

 色香を含む粗暴な声が、ジュンペイの耳をうつ。

 

『くっせぇ寄るな!』

「!!!!!」

 

 途端にくしゃっとジュンペイの顔が歪む。

 そのまま涙目で男を指差し……少しの間を置いた後、わなわなと震えてから絶叫した。

 

 

 

 

「お前かーーーーーー!!!!」

 

 

 

 

「やっと思い出したか? 嬉しいね」

 

 満面の笑みでせせら笑うザリーデハルトに対し、ジュンペイは顔を真っ赤にしてかつての屈辱を思い出しぷるぷる震えていた。そしてジュンペイから過去の話を聞いていたリアトリスも、男がジュンペイにとってどういった相手かを察する。

 ジュンペイはかつて魔物の自分も魔族なら受け入れてくれるのではないか、と魔族の王に会いに行ったことがあるという。その時のおざなりな追い払い文句が、さきほどのあれだ。

 傷ついたジュンペイはそれ以降あまり魔族領に近づかなくなったので、人間領に腐敗公の侵食を広めた間接的な元凶でもある。

 

「う……わ。あー……。そういう」

「あの……?」

 

 状況を見守っていたユリアが説明を求めるように見てくるが、あいにくその余裕はない。

 悪いと思いつつ、リアトリスはユリアを置いてずいっと前に踏み出た。

 

「お?」

 

 ザリーデハルトが今初めてリアトリスを認識した、とばかりに目を向ける。

 その態度が気に食わずおもいきり顔をしかめたリアトリスは、ジュンペイの肩を掴んで抱きすくめるように魔族の男から引き離した。

 

「どうも、妻です」

「ははっ」

「どういう笑い!?」

 

 フンっと鼻息荒く自己の立場を名乗れは鼻で笑われた。思わず内心に留められず、口から文句が飛び出る。

 

「いやいや、悪いな。馬鹿にしたわけじゃなくて、単純に面白くてよ。絵面が」

「面白いってそれ馬鹿にしてるじゃない」

「あ? そうか? そうかもな。あっはっは! けど俺をかる~く倒せるあの腐敗公がこんな可愛い姿でよぉ、嫁さんに守られてるとか! うける!」

「っぱ馬鹿にしてんじゃないのよ!! あと"それ"大きな声で言わないでくれる!?」

「それ? ああ、呼び方か。大丈夫だろ。誰も聞いちゃいねぇし、聞こえたとしても信じねぇよ。そのかわいこちゃんの正体が、あの大魔物だなんて。知ってる奴なら話は別だがな」

 

 幸いザリーデハルトが言う通り人の賑わいが功を奏しているのか、周囲で腐敗公という単語に反応している者はいない。男を見ている者もいるが、話す内容よりその見た目に意識が向いているようだ。

 

「……あいつの度胸というか考え無しさというか、すげぇな……。今さらだけど」

 

 ザリーデハルトの正体に気付く素振りを見せながらも臆さないリアトリスに、オヌマが関心半分呆れ半分の視線を送る。

 

「それを君が言うのかい? オヌマ」

「俺は慣れないと精神的にもたなかっただけで、初対面からあの勢いでつっこんでく無謀さはないです」

 

 ゆるく首をふってエニルターシェの指摘をかわすと、さてこの後どうするのかとオヌマは渦中の人物たちを眺める。ここ数日でザリーデハルトがこの程度で気分を害することのない性格だと知っているため、すぐさまここが戦いの場になるようなことは無いと思うが。というか、思いたい。

 

 いいようにからかわれてむすっと顔をしかめたリアトリス。その腕の中に居るジュンペイは涙目から一転……嫁の言葉に「妻……妻……ふへへ」と顔を赤らめながらもじもじにやけていたが、はっと我に返ってザリーデハルトを睨んだ。

 

「おっと、そう睨むなって。くくっ、腐敗公殿はなかなか表情が豊かでいらっしゃる。……ああ、そういや俺、名乗っていなかったな。これはこれは、失礼を」

「別に俺の事臭いって追い払った奴の名前なんて知りたくない」

「そんなの俺だけじゃないだろ?」

「あんなひどくて雑な言い方、お前とリアトリスにしか言われたことない!!」

「私も!? いやまあ、臭いって言ったけど、ごめんて」

 

 偽名を使う事も忘れて叫ぶジュンペイは、過去を思い出したのか再び涙目だ。

 よほど心に傷が残っているらしい。

 

「とりあえず聞けよ。俺の名はザリーデハルト。魔……」

 

 言いかけて、ふとザリーデハルトの視線が周囲に向く。その先に居たのは事の成り行きを見守っていた温泉郷の案内人……亜人のラドだ。

 視線がかち合うとザリーデハルトとラドは互いに大きく目を見開いたが、それも一瞬のこと。すぐさま表情を取り繕ったラドが、持ち前の調子の良さを発揮してずいずい間に入ってきた。

 

「おやー! 随分な男前だね。それも三人! 君たちの知り合い?」

 

 問われたリアトリスは言葉につまる。会話をどこまで聞かれていたか分からないが、どう説明したものか。

 

「お知り合いなら立ち話もなんでしょう? せっかくこんな場所で会ったんだから! 良き偶然には良き場所を。いい店案内するよ」

「へぇ、気が利くな。ならせっかくだ。案内してもらおうぜ?」

 

 リアトリスもジュンペイも「はぁ?」と出かけた声をぐっと飲みこんだ。

 両名とも、理解しているのだ。現状では目の前の相手に戦いを挑むことがいかに無謀か。

 

(ザリーデハルト……魔皇、ザリーデハルトか。ほんと、にやにや艶々しながら、なんて相手を連れてくるのよあいつは)

 

 ぎっと睨む先は赤髪の男。いつの間にか購入したドムダルを頬張りながら、くつろいでいるさまがいかにも憎らしい。

 

 この相手はリアトリスとアリアデスが本気を出し、魔王を倒した実績のあるユリアが居たところで難しいだろう。そういう"格"の手合いだ。

 そして唯一その魔王をあしらえるジュンペイは本体でなく分身体。

 

 相手がジュンペイの分身体を倒す事が目的ならば、この状況はもう詰みである。

 現状で分身体が消えた場合どうなるかは分からないが……分からないだけに、避けたい。そのためにわざわざ魔力消費を避けてここまで来たのだから。

 

 ならば相手の思惑はどうあれ、すぐに事を構える意志がないのなら一時その誘いに乗る方が得策。納得はしかねるが。

 ザリーデハルトはそんなリアトリスの内心を察したのか、ひらひらと手を振る。

 

「あー。そんな緊張するな。本体ならともかく、分身相手の弱いものいじめなんてダサくてつまらねーことはしねぇから」

 

 この言葉から、相手が今のジュンペイにどれほど力があるかを見抜いていると察する。緊張感は緩むどころか増すばかり。

 どこまで信じていいものやらと眉根を寄せるが、それを捕捉するようにエニルターシェがドムダルを咀嚼し飲み込むと口を開いた。

 

「彼の言葉に嘘はないと、私が保証しよう」

「信用しろって?」

「ふむ……まあ、疑うのは無理もない。けどね、私はもう私の立場でのやるべきことを済ませた。だから後は世界がどうなるかなんて他人任せでいいのさ。今は寛ぎの遊び期間だね。彼は遊び仲間といったところだよ」

「ほんっと食えないわねあんた」

「ふふっ、そうかい?」

 

 のらくらかわすように受けごたえるエニルターシェに沸々と湧いてくる怒りを向けながらも、リアトリスはジュンペイと頷きあう。

 

「……ラド、ラル。案内してちょうだい」

「はいよ~!」

「ではでは皆さん、こちらへどうぞ~!」

 

 陽気に了承する亜人兄妹の案内で、どこぞの店へ向かう事に決まった。

 

 しかしその前に、と。

 ジュンペイはリアトリスの腕をほどいてか前に踏み出し、ザリーデハルトをその碧眼で見つめた。その圧は本体である大魔物の単眼を思わせる。

 

「俺はともかくリアトリスに何かしたら、俺は誰に何を言われようとあの大地から本体でここに来てお前を殺す」

 

 抑揚のない声で語るジュンペイのそれは本気だ。淡々と何をすればこうなるという事実を並べている。 

 ほとんど無力な分身体とは思えぬほどの威圧感に、魔族の王は満足そうに笑った。

 

「いいねぇ、その目。狙われてるのは自分だって自覚あるだろうに、優先させるのは嫁ってか。……けど言った通り、弱い者いじめはしねぇよつまんねーから。あんたのことも俺はもし倒すなら本体の方って決めてる。エニも言ってただろ? 俺は遊び仲間だって。もっと気楽にかまえようぜ」

「ふん」

「そう邪険にするなって。クク。ま、でも立場が逆転してる状態ってのは気持ちのいいもんだな。先日はコテンパンにされたから特に」

「そう」

「ん~?」

 

 そっけない態度のジュンペイにあごを擦りながら考え込むザリーデハルトは、数秒おいてから目を三日月形に細める。

 

「ところで、そんな愛する嫁さんとの仲はどんな様子だ? 人の姿になったんなら出来ることも増えただろ」

「え? ま、まあそりゃ手を繋いだりとか、まあ。隣で寝たりとか」

 

 急に威圧感が消え去りモジモジしだしたジュンペイに、ザリーデハルトはにんまり笑みを深めると……爆弾を落とす。

 

「お、寝たのか! じゃあ子作りはしたんだな?」

「んなぁ!?!?!?」

 

 予期せぬ言葉の爆弾はジュンペイの心の許容量を軽く吹き飛ばし……本日一の、大爆発を巻き起こした。

 リアトリスはその横で「うちの子に何聞いてくれてんだこの野郎」と言わんばかりの形相である。

 

「なんだよ、初心だな。人に触れるようになったんだろ? 夫婦だろ? なら気になるだろうが。その様子じゃまだのようだが」

「あ、う、その、だな! そうだけど、いやそうだけど!? 俺、ちょっとした事故というかなんというかで、こんな姿だし、そういうのは、もっと別の姿になってからっていうか、なれてからっていうか、えっと」

「姿? 性別の事か? 年齢の事か? そんなもの抱くのに関係ねぇだろ。あんたに子が作れるかは知らんが」

「ななななななななッ」

 

 可哀そうなほどに狼狽するジュンペイに、ザリーデハルトはさらに追撃をしかけた。

 

「でも、あれか。不定形の魔物だもんな、あんた。俺達みたいな生き物の生殖方法なんて知らないか。なら」

 

 言いながら男はジュンペイのおとがいに手をかけ顔を上向かせる。

 

「嫁さんの代わりに俺が教えてやろうか?」

 

 言った瞬間、ザリーデハルトの手は激しく弾き飛ばされた。

 

「ほほほ、魔皇とも呼ばれる方がこんなお戯れをおっしゃるだなんて。私、知りませんでしたわ」

 

 平手を振り抜いた体勢で、こめかみにぴくぴくと青筋を立てているリアトリス。一応笑顔こそ形成しているが、ほがらかさは一切感じ取れない。

 

「なっ! あいつが我慢を覚えた……!? 拳でなく平手で、しかも笑顔と敬語だなんて……!」

 

 あれを成長といってよいのか? と突っ込む者は残念ながらこの場に居ない。

 何故ならそれを口にしたオヌマと同じ気持ちか、もしくはリアトリスとザリーデハルト達の距離感を掴み損ねて傍観しているラドたちのような者しか居ないからだ。

 

「一応相手の力量を考えてか、それともジュンペイくんに配慮してか。ふふっ、後者なら妬けるね。きっとリアトリス一人なら、相手が誰でも飛び出たのは拳だよ」

 

 エニルターシェはそう笑うと、己の遊び相手に声をかけた。

 

「ザリーデハルト殿、あまりからかわないであげてほしい」

「そんなこと言いつつお前も楽しんでるだろ、エニ」

 

 手を弾かれたことなど気にしたふうもなく、ザリーデハルトはニヤニヤと笑ったまま身を引いた。

 リアトリスはそのことに人知れず安堵の息を吐きながらも、ジュンペイの手をぎゅっと握る。

 

(こ、こいつら……! 強さとか立場どうこうでなく、単純に性格が嫌!!)

 

 これから目の前の連中と飯を囲うのかと思うと食欲が減退したが……。

 

 

 

 ぐ~~~~。

 

 

 

『………………』

 

 

 

 疲労を溜めたリアトリスの体は、場にそぐわない腹の虫の鳴き声をあたりに響かせたのであった。

 

「あはは! ドムダルだけじゃ足りないか。さぁさ、どんな仲かは知らないけど、まずは美味しいご飯を食べよう!」

「ですよぅ! お腹がすいていると気が立ちやすくなりますし」

「ぐ……!」

 

 ラドとラルから微笑ましそうな笑顔を向けられ、リアトリスは拳を握り羞恥にふるえる。

 

「ははは! じゃあさっさとうまい飯屋に案内してもらうとするか」

「お任せあれ~」

 

 

 

 こうして長きの時を経ての邂逅と、思っていた以上に早い再会を果たし。人間、魔族、魔物、更にはそこに亜人をも加えたごちゃまぜの一行は、食事処を目指して夜の温泉街を練り歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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46話 夜天引き裂く流星

 何故だか共に飯を囲うべく、どこぞの店へと案内されている途中。ユリアは先ほどから言葉を発せずに……しかし警戒を一瞬たりとも怠っていない老魔術師を窺う。

 案内人のすぐ後ろを陣取ってずんずん進んでいく魔族の男について尋ねたいが、エニルターシェに絡まれているリアトリスとジュンペイに声をかけるのはどうも憚られた。

 そのため隣を歩くアリアデスに質問しようと思ったのだが……。

 

「あの、アリアデス様?」

 

 するとザリーデハルトと名乗った魔族に向いていた視線が、そのままユリアに降りてくる。筋骨隆々の長身から見降ろされるだけでも迫力を感じるが、それに加えて今その眼光は鷹の様に鋭い。その迫力にユリアの肩がビクッとはねた。

 

「ああ……すまないね」

 

 するとアリアデスは申し訳なさそうに目元を緩める。それにほっとしつつ、ユリアはザリーデハルトを見た。

 

 

「……アリアデス様。あの男について、窺っても?」

「君なら気づいているのではないかな?」

「ええ。ですが、あまりにも……」

「見抜くか。こう言われるのは嫌だろうが、元聖女様だけあるね」

「確かにその称号は忌々しいですが、事実その力があるからこそわかるのだとも感じています。私の力は魔族に対して特化したものらしいので」

「そうだったね。……さて、奴についてか」

「……」

「魔王ザリーデハルト。魔皇とも呼ばれる、魔族の王の一人だよ。腐敗公ほどでないにしろあれも特異な存在だ」

「魔皇、ですか」

 

 似て異なる言葉の響きを吟味するように口内でころがす。

 近づかれるまで、声をかけられるまで。気づかなかったのがおかしいほどに……ザリーデハルトという男は凝縮された魔の力を宿していた。男を中心に広がり重々しく伸し掛かる力の圧で、少しばかり息が苦しい。

 それ以上の力を持つはずのジュンペイに対してはその見抜く力……というより、警戒心が強化されたような感覚が発揮されないのは、ジュンペイが魔族でなく特異な魔物だからだろうか。

 

 ともかく、男の脅威度だけは嫌でも肌で感じとってしまった。

 

「実際に統率しているわけではないが、魔王数人分の力を持つことから畏敬の念と共に他の魔王からそう称されている。僕も見るのは初めてだが」

「す、数人分」

 

 ユリアはかつてルクスエグマの聖女として戦った、魔王ゲーテザハルを思い出す。あれを普通の魔王の基準とするならば、いかに魔族相手に特化したユリアの力でもザリーデハルトに抗う事は出来ないだろう。

 何しろ聖女ユリアの補助を得て、大国ルクスエグマの……思い出したくもないが、実力だけならば極上の猛者たちが集まって、ようやく一人倒せたのだ。

 

 それが数人分とは。気さくな振る舞いが逆に不気味で恐ろしい。

 

「それが目の前にいるだなんて悪夢ですね。……情けない。私、さっき一言だって間に入っていけませんでした。リアトリスさんはあんなに堂々としていたのに」

「正確に脅威を感じ取っているということだ。情けなく思うことは無い。それにリアトリスの場合は……ふむ。いや、これに関しては後で本人に言おう」

「?」

 

 言葉は少ないが落ち着いたアリアデスの声に、ユリアは少し気分を持ち直す。

 ……深く息を吸い背筋をのばして、腹に力を込めた。

 

(しっかりなさい、城ケ崎優梨愛。私はこの世界に居る限り、一番に信じるものを決めたもの。依存するだけじゃないわ!)

 

 かつて流されるままに呑まれ、翻弄された異世界の少女。しかし今彼女が踏み出している一歩一歩は全て、彼女自身が選んだものだ。

 差し出された手を掴んだのも今度は確かに自分の選択。それに恥じない自分であるためにと、ぐっと拳を握って顔を上げた。

 

「ジュンペイくんに、負けていられませんものね」

 

 少しばかり強がりを含んだ笑顔を浮かべ、少女は歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 ラルとラドに案内された先は歓楽街を抜けた一角。彼らは立ち並ぶ建物に入るでもなく、少し外れた薄暗がりを行く。

 導かれたのは石橋から流れ落ちる温泉滝の裏。そこには崖の下部にぽっかりと口を開けている入り口が存在した。

 中に入ればもとは坑道だったという先ほどのラドの説明通り、複雑に道が入り組んでいる。案内されたおかげで迷う事はないが、これは確かに観光客には不向きな場所だ。いたるところに扉のついた道をくねくねと進み、階段も随分と上らされた。

 そしてようやくたどり着いた店らしき場所は、扉に色硝子がふんだんに使われた独特の外装。

 扉を押し開けて中に入れば外からでもわずかに感じられた、食欲をそそる料理の香りと客の賑わいが押し寄せてくる。ずいぶん繁盛しているようだ。

 

「こちら、地元民のが多いんだけどね。僕らとしちゃあ、一番のおすすめ店だよ!」

 

 胸を張って店を紹介するラドに、リアトリスは少々眉尻を下げて申し出た。

 

「ごめんなさい。少し内々の話になるから人に話を聞かれないような席だと嬉しいのだけど……そういうのって、頼める?」

「あ、はいはい。了解ですよぅ。なら店主にお願いしてみますね」

「俺達もそこらで酒でも飲みながら待機してるから、どうぞごゆっくり~」

「悪いわね」

 

 案内人の心遣いをありがたく受け取る。少しすると色香漂う女性が出てきて、ニコリと笑って奥の席へ案内をしてくれた。効けば彼女が店主だという。

 料理についてはエニルターシェが小袋を店主に差し出して「この額でおすすめの料理と酒、酒以外の飲み物を人数分」と妙に慣れた様子で注文をしていた。

 

「ふんっ。迷惑料として奢られてあげるわ」

「私の歓待を素直に受け取ってくれるのは嬉しいが、迷惑料は酷いのではないかな? まだ何もしていないのに。差し向けると言った刺客は、結果的に君たちの助けとなっているようだし。むしろ感謝してほしいかな」

 

 ちろりとアリアデスを見るエニルターシェ。この男の「お願い」でリアトリス達を襲撃した老魔術師は、ひとつため息をつくのみで傍観に徹している。

 

「あんたと連れの存在そのものが迷惑なのよ自覚なさいよ」

「言うなぁ、お前の嫁さん。俺けっこう凄い奴なんだが、だいぶ雑に扱われたぞ」

「…………」

 

 つんつんとした態度のリアトリスと、むすっと黙りこくるジュンペイ。警戒心増し増しの夫婦を、赤髪と黒髪の男二人は面白そうに眺めている。その様子から「方向性は違うが似た者同士」という感想を抱いたのは、少し遠巻きに見ているユリアとオヌマだ。ちなみにこの両名の距離感は開いたまま。お互いリアトリスの村で少し顔を見た程度で言葉もかわしていない。加えてユリアの男嫌いを思えば当然である。

 その似た者同士の視線をうけてますますリアトリス、ジュンペイ夫妻の態度が尖るが……いざ案内された席を目にすると、二人はぱっと顔を輝かせた。

 

「わぁ! いい眺めねぇ」

「そっか、ここってさっき見上げてた崖の中腹なんだ……」

「緊張してるのかしてないのか分からないなぁ、お前ら」

「ぐ……」

「う……」

 

 思わずはしゃいでしまった事を恥じるリアトリスとジュンペイ。こちらはこちらで似た者同士だ。

 

 天井からつるされていた幾枚もの天幕を抜けると、その先は歓楽街の明かりと喧騒を眼下に望める特等席だった。

 床から伸びる大きな長方形の穴がぽっかり開いていて、涼やかな夜風が吹き込んでいる。しかしその風が強すぎたり寒すぎるということもないので、なにかしら細工が施されているのかもしれない。

 艶やかな石のテーブルの背は低く、籐で編まれた背もたれ付きの長椅子にはたっぷりとクッションが敷き詰められていた。

 どうやら背もたれに身を預けながら、足を延ばして座れる仕様のようだ。

 

 席に座ればさっそくとばかりに料理と陶器の瓶が二本運ばれてくる。給仕によれば瓶の中身は果実酒と茶とのことだ。

 

(い、いくら出したのかしら)

 

 その迅速な対応にどうも最近金に困ってばかりだったからか、エニルターシェが店主に渡した袋の中身が気になるリアトリスである。

 が、そんな場合ではないと首を横にふった。

 目の前に居るのは格上の"敵"である。誘いに乗って猶予を設けたはいいが、今のところまったくいい案は浮かばない。

 

 だがこのままでもいられないと、リアトリスは直球に聞いてみることにした。

 この辺りがリアトリスが散々腹芸が出来ないとオヌマなどに言われれている理由であるが、それは本人も理解している。変に引き延ばして自体が悪化こそすれど、良くなることは無いだろう。

 

「それで? こんな寛いじゃってるけど、あんた達はこの後私たちをどうしたいわけよ。事を構える気はないって言うけれど、声をかけてきたって事は用があるんでしょう」

 

 椅子に腰かけ腕を組むと、正面を見据えて問うリアトリス。対面に座ったザリーデハルトが喉の奥で笑った。

 

「お、それ自分で切り込んでくるのか」

「生殺しみたいな状態は嫌いなの」

 

 腹が減っては何とやら、とばかりにしっかりと運ばれてきた料理を口に押し込みながら、リアトリスは目の前の相手から視線を外さず言い切る。内心この肉美味いな、などと考えているのは内緒である。

 

「ふむ……どうしたい、か。いざ聞かれると少し困るな。なぁ、エニ」

「はぁ?」

 

 だが相手側の反応はどうも煮え切らない。不満たらたらの顔でリアトリスがテーブルに頬杖をついて睨む。どう考えても格下の態度ではないが、敵と認識している相手のため威嚇しているようだ。

 

「う~ん。強いて言うなら、夫婦仲を見物しに?」

「はあぁ~?」

 

 煮え切らないどころか「馬鹿にしているのか」と問いたい返答である。こちらはいつ襲われるかと内心戦々恐々としているだけに、リアトリスの機嫌はますます下降する。態度はどう見ても戦々恐々などという殊勝なものではないが。

 だが相手はその様子さえ楽しんでいる風で、態度も口調もあくまで鷹揚。それだけに自分達の焦りが際立つようで気に入らない。

 同じ席にこそついたものの、アリアデス、ユリア、オヌマの三人は口を開かず"見"の体勢に入っていた。

 

「言った通り、この腐敗公に戦いを仕掛ける気はない。分身相手ならどう考えても俺が勝つからな。……にしても、遠隔操作出来る分身か。それも力が弱いとはいえ長期間維持できるってのは、素直に凄いな。腐敗公殿は素の強さはもちろん、魔術にも優れてるってわけか。恐れ入るね」

「これはリアトリスの魔術だよ。凄いのは俺じゃなくて、俺の嫁。魔術の先生なんだ」

 

 魔皇の賞賛に対し、ジュンペイはすかさず否定する。それに対しザリーデハルトは意外そうに眼を見開いた。

 

「あ? そうなのか?」

「オヌマには聞いていたが、素晴らしいね。リアトリスは戦闘と同じくらい魔術開発も得意だったが、魔力の消耗が激しい腐朽の大地で新しい魔術を開発したと知った時は驚いたよ。ふふっ、ザリーデハルト殿。腐敗公の可愛らしい姿も、私のリアトリスが施した魔術だよ」

「「誰がお前のだ誰が!!」」

「はは、息が合ってるな。へぇ……そうか。嫁先生ってわけだな」

 

 二人してエニルターシェへ噛みつく様子を興味深そうに観察すると、ザリーデハルトは瓶ごと酒をあおり喉を湿らせた。

 

「美味いな、これ。……話は戻るが。俺達は純粋な見物人だ」

「接触してきたくせに傍観者を気取る気?」

「おいおい、何かされて困るのはそっちだろ? わざわざ煽るなよ。短気だし不器用だなぁ、お前」

「ぐっ」

 

 初対面の魔王にまで短気を指摘され、言葉に詰まるリアトリス。屈辱である。

 

「世界の存続がかかってるとくれば、人間と協力してでも腐敗公は倒さなくちゃならねぇ……と思うのが普通。いいこと教えてやるが、実際もう国は連携して動き出しているぞ。腐朽の大地とその分身体ちゃん。それぞれを倒す方向性で部隊が組まれ始めている。先日、魔族と人間が協力できる実績も出来たことだしな」

 

 ザリーデハルトのもたらした具体的な情報にリアトリスの眉根が寄る。魔皇は気にせず言葉を続けた。

 

「分身体を狙う方としちゃ生け捕りが最良だろうな? 意識の繋がってる分身から本体を討つすべを探るには」

「…………」

「腐敗公分身体の情報はすでに共有されている。正確な絵姿が無くても、そのちゃちな変装程度じゃいずれたどり着かれるだろう。そんな中で俺たちが何百年も勝てず、恐れてきた腐敗公殿がどう立ち回るのか。こんなもん見学して楽しまねぇのはもったいないだろ!」

 

 あまりにもあけすけな言いざまに、リアトリスもジュンペイも言葉を失う。見たところ含むものはなさそうだが、鵜呑みにするにはひどく雑な理由だ。

 そんな中、ザリーデハルトを補足するように口を開いたのはエニルターシェである。

 

「彼の言う事は本当だよ。なにしろ私が遊び仲間にさそった相手だからね」

「妙に説得力あるのが嫌だわ」

「ふふっ、そうかい? いやぁ、彼に声をかけてよかったよ。世界を天秤にかけてまでの娯楽に乗ってくれる相手はそう居ない」

 

 エニルターシェはそこで言葉を区切り、新たに運ばれてきた料理を優雅に口に運ぶ。聞いている側としてはもどかしいが、空腹を刺激される料理を前にリアトリス達もしっかり食べているのでお互い様だ。

 この場で緊張し料理に手を付けていないのはオヌマくらいだったりする。彼は隅の方に控えつつ、どこかぐったりした様子で場を見守っていた。

 

「ザリーデハルト殿は人間、魔族を合わせた中でも個人戦力では最強の部類。そんな彼が分身体であるジュンペイ殿をどうにかするのは簡単だろうが、それではつまらないだろう? だから他の魔王や人族が彼に助けを乞う前に私が遊び仲間に引き入れたのさ。つまり私は君たちにとって恩人といえるのではないかな」

「それもあるだろうが、お前はそっちが建前だろ」

「?」

「すっとぼけるなよ、王子サマ。今ならもうわかってるって」

 

 ザリーデハルトはうっそりと笑むエニルターシェの首を太い腕で引き寄せると、人差し指で示す。

 

「こいつ、明日世界が終わるなら何したい? って質問に対して「好物を腹いっぱい」って言うような奴だぜ。実際に聞いたことは無いが」

「そんなに食い意地は張っていないよ。けど、そうだね。量はいらないから極上を味わいたいと思っているかな」

「それが食い意地だってんだよ。それでもって、その極上が俺ってわけさ。こいつが俺に声をかけた理由なんてそんなもん。笑えるだろ?」

 

 自分本位極まりない。

 リアトリスは自分の事を棚に上げて、目の前の男二人を半眼で睨む。

 

「呆れた……。悪趣味もそこまでいけば大したものよ」

「君からそう言ってもらえるのは嬉しいね」

「うっさいわ。……けど魔皇ともあろう者が、自分をご馳走扱いされて納得してるってわけ?」

「楽しませてくれりゃあ腕一本くらいやってもいいさ。というか、前払いでやった」

「は!?」

「見ての通りもう戻ってるけどな」

「素晴らしかったよ! 是非他の部位も食べてみたいね」

 

 ドン引きである。

 リアトリスは恍惚とした表情を浮かべるエニルターシェに、かつて魔族の肉を食えと笑顔で差し出された時のことを思い出す。そこで蓄積していたものが溢れてぶん殴ることになったのだが、あの時正しく抱くべき感情は怒りでなく今のような気持だったのだろう。そう、今さらながら理解した。

 価値観の根本が違う相手に抱く怒りのなんと無駄な事か。

 「うわっ」と言って引くべきだったのだ。

 

 せっかくの料理を前に失せた食欲を空しく思いつつ、リアトリスは気分を変えるべく爽やかな風味の茶を豪快に煽った。

 

「この貪欲さ笑っちまうぜ。……それで、俺達の目的は話したぞ。満足か?」

「素直に納得できないんだけど……」

「わがままな奴だな。あ、そうそう」

 

 

 

 ザリーデハルトはなんでもないように、人差し指を立てついっと大窓の外を見る。そして遮るものがなく風が吹き込んでくるそこへ……指先から蛍火のように淡い光をひとつ放った。

 光はあっという間に天へと駆け上がり宵闇に吸い込まれて消える。そしてすぐ次の瞬間。

 

 昼間のように大地を照らす閃光が、夜の天幕を引き裂き空を蹂躙した。

 

「なっ!!」

 

 閃光は瞬く間に数多の流星へと姿を変え放射状に天を駆ける。すわ火山の噴火か大災害かという光景に人々が動揺する前に、それは美しい奇跡へと姿を変えたのだ。

 だがリアトリスとアリアデスは、そこに込められた意味を正しく読み取っていた。

 

「信号の魔弾か。あれほどの規模は初めて見るが」

 

 アリアデスがその術の効果を見抜く。ただでさえ目立つ光だが、そこには見る者が見ればわかる具体的な情報が詰め込まれていた。流星となり今頃世界中の空を駆けているそれは、見たものに情報を与えているだろう。

 そう。ザリーデハルトが放った光は他者へ何かを伝えるためのもの。そして今この場で男が誰に何を伝えるのかと考えてみれば、選択肢はそう多くない。

 

 腐敗公はここにいるぞ。そう伝えたのだ。

 

「やってくれる」

 

 舌打ちとともにリアトリスがザリーデハルトを睨むが、件の魔王は悪びれた容姿もなくテーブルに頬杖をついて笑みを浮かべている。

 

「俺自身は手を出さない。けど、何もしないとは言ってないだろ? もう一度言うが大抵の奴らは三年で世界が終わると言われたら必死さ。その必死な連中をどうやって退けるか、是非見せてもらいたいね」

 

 にやにやと嗤うザリーデハルトに歯ぎしりしつつ、せっかく到着した温泉郷も味わう猶予は少ないなとリアトリスは頭の中で予定をくみ立て直す。

 そしてひとつ頷くと、ジュンペイの手を取った。

 

「行きましょ」

「逃げるのか? はは! せっかく素晴らしい観光地にたどり着いたってのに可哀想に」

「元凶がしゃあしゃあとうっさいわ!! というか、逃げないわよ」

「ん?」

「今すぐ動こうが結果は大して変わらない。なら今日はいい宿のふかふかの寝具でゆっっっっくり休むわ。逃げるよりまず体力回復した方が効率的」

「いくら効率的でもこの状況じゃ休まらないんじゃねーの?」

「余計なお世話よ。じゃ、私たちはお暇させてもらうわ。あなたたちはせいぜい料理を堪能してくるのね」

 

 言って、バサッと髪をかきあげ外套を翻すとリアトリスはずんずんと出口へ向かう。

 

「あれ、もう話はいいのかい?」

 

 外の光景に気づいているのかいないのか。入り口近くで飄々と話しかけてきた案内人を一瞥すると、リアトリスはすぐさま要求する。

 

 

「あんたが案内できる中で一番いい宿紹介してちょうだい!」

「お、景気がいいねぇ! いいよ。お任せあれ」

「ふむ。……使う金額は僕への借金だと忘れていないね?」

「わ、分かってます!」

「ならいいが」

 

 しっかりとアリアデスに釘を刺されつつリアトリスはジュンペイとユリアを見る。

 

「……ということで今日は普通に休もうと思うんだけど、いい?」

 

 強引に決定した割にはどこか自信なさそうに問うてくるリアトリスに、ジュンペイとユリアは顔を見合せた。

 

「俺はいいよ。ここまでずっと考えて引っ張ってきてくれたし、疲れただろ。猶予があるなら休むべきだ」

「そうですよぅ。もしすぐに逃げる必要あるなら、あなたはそうしているはずでしょうし。私たちの負担を考えてということならお気になさらず。むしろ色々と決定権を委ねて楽させてもらってる側ですから、休んで貰えるならそっちの方が嬉しいです!」

「あんた達、いい子ね……。あの頭沸いた連中に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ」

「あ、その言い回しこちらにもあるんですねぇ」

 

 ユリアはやっとリアトリスに意識を向けて貰えたのが嬉しいのか、横を陣取って腕をからめる。それを見たジュンペイもまた、負けじと反対側の腕に抱きついた。

 

「とにかく。ここに来た目的を果たせないまま逃げる訳にも行かないしね。今日を休んだら、あとは巻いてくわ。幸いとっかかりはもうすぐ側にいる訳だし」

 

 言いつつ案内人のラドとラルを見る。意味深に見られて首を傾げる亜人兄妹にリアトリスは頭を下げた。

 

 

 

「お願い。明日、あなた達の集落に案内して欲しいの」

 

 

 

 

 

 

 



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47話 温泉宿の夜1

 ラドとラルは亜人の集落へ案内してもらいたいというリアトリスの申し出を、あっさり了承してくれた。

 なんでも彼らとしても、せっかくなら報酬として求めているジュンペイの歌をそこで披露してほしいらしい。

 

「きっとみんな喜びますよー! あ、人数はそう多くないから緊張しないでくださいね」

「ドラゴンの血を引いてる者はみんな歌が大好きだからね」

 

 そう言って笑う亜人兄妹を見て、これはジュンペイにはまたおめかしをしてもらわないとなぁと考えるリアトリスである。

 なんだかんだと随分わがままを聞いてもらっているし、報酬は相手が出来るだけ満足するものでありたい。偽名なども使ってそこそこ慎重に接していた相手だが、現状での好感度は高かった。さきほどまで好感度底辺の連中と一緒に居たから余計にそう思うのかもしれない。

 歌を教えるのはユリアで歌うのはジュンペイなので、リアトリスに出来ることは歌い手のジュンペイを最高に可愛く飾り立てることだ。見た目の華やかさはとても大事である。

 

「まあ夜も更けてきたし、今日は宿屋でゆっくり休んでよ。さっきの店で待ってる間に知り合いに頼んで連絡しといたから、ちゃんと部屋は取れてるよ」

「うふふ! ばっちりいいお部屋にしてもらいましたからねぇ~。さすがにお値段は張りますけど!」

「お願いしたのはこちらだもの。構わないわ」

 

 実に優秀な案内人の手腕に、疲れのたまった体は宿屋に期待を高める。

 リアトリスは「任せなさい」とばかりに胸を叩いて頷くと、後ろを振り返った。

 

「師匠、よろしくお願いします!」

 

 いい笑顔で言い切ったリアトリスの脳天に、「少しは遠慮をしなさい」というお言葉つきで、ずっしりと重い金貨入りの袋が振り下ろされたのはそのすぐ直後である。

 

 

 

 

 

 

 

「いたた……。師匠ったら容赦ない……」

「こう、もう少し謙虚な態度だとよかったかもしれませんねぇ」

 

 クスクス笑いながらユリアがリアトリスの頭に手をかざして回復の力を使う。そこには立派なタンコブが出来ていた。

 

「いいな、ユリアの回復の力……」

「うっふっふー。でしょ~」

 

 片膝を抱えて羨ましそうに見ているジュンペイは、結局ここに来るまでに魔術以外の戦う方法を思いつかなかったことを悔いていた。

 先ほども魔皇相手にはったりをかましてみたはいいが、その脅しにどれほどの効力があるかは怪しい。実際軽く流され、不得手とすることでからかわれるに終わったのだから。

 もし実行しジュンペイが腐朽の大地の外へ本体を出したならば、ザリーデハルトどころか全ての生物に対しての恐怖なのだが……色々不確定要素がある今、おいそれとできる事でもない。

 

 案内された宿は薄青い石壁で出来た見た目涼やかな建物で、通された部屋は広い。アリアデスのみ別室となっており、現在部屋に居るのはリアトリス、ジュンペイ、ユリアだ。

 いい部屋を取ってくれたというのは本当のようで、この個室には部屋専用の温泉も用意されている。宿の者によればその他に、屋内と屋外それぞれ宿泊客共用の温泉もあるとのことだ。

 

「……ありがと、ユリア。もういいわ」

「そうですか? 痛かったらすぐに言ってくださいね」

「ええ」

 

 かざしていた手をもどしそれを少し眺めた後、ユリアはにっこり笑う。そんな彼女に礼を言うと「さて」とリアトリスは体をのばす。

 

「これからのことだけど……」

「あ、待ってください」

「んぇ?」

 

 出鼻をくじかれリアトリスの体勢がガクッと崩れる。

 

「リアトリスさん、まずはゆっくり休みましょう! 露天風呂行って来たらどうですか? お部屋のお風呂も素敵ですけど、今の時間なら貸し切り状態ですよって宿のお姉さんも言ってましたし、どうせなら広い方で!」

 

 にこにことリアトリスの肩を揉みながら「お疲れですね~」と提案してくる少女に、緊張の糸がほんの少し緩む。

 

「あー……そうね。うん、かたっ苦しい話の前に癒されましょうか」

「私はジュンペイくんに明日のための歌を教えるので、よかったら先に行っててください」

「いいの? 歌に関しては、確かに私に出来る事なんてないけど……あなたたちも疲れてるでしょ」

「いいんですよぅ。どうぞどうぞ、温まってきちゃってください。ジュンペイくんにはちゃ~んと覚えてもらいますから、あとで聞くのを楽しみにしていてくださいね!」

「そっか。なら先にお湯を堪能させてもらってるわ」

「ごゆっくり~」

 

 半ば強引にリアトリスを送り出すと、ユリアは「さて」とジュンペイを振り返った。

 

「ジュンペイくん」

「お、おう。新しい歌だな。すぐ覚えられるといいけど……頑張る」

 

 突貫工事でどれほど覚えられるだろうかと心配そうにしながらも、意欲を見せるジュンペイ。しかしユリアはその脳天にチョップを振り下ろした。

 

「うわ!? な、なにするんだよ!」

「うふふ、つい。……ええと、歌ですね。そこは今夜死ぬ気で頑張ってもらうとして、さぁさぁ早くお風呂の準備をしてください」

「風呂ぉ?」

 

 準備しろと言いながらユリアは先ほど宿の者から受け取っていた寝間着用の民族衣装やら、体をふく布などジュンペイにどんどん押し付けていく。

 

「でもって、リアトリスさんのところへ行ってください」

「は、はぁ!? だ、だから! 俺は一応自覚は男なの! 一緒に入るとか、そんな」

「心にチンコついてんだったらさっさと行けって話ですよ」

「ちん……ッ。ユリアお前もう少し言葉選びに恥じらいとかさぁ!」

「だまらっしゃい! んなもん今どうでもいいんです! ……私じゃ、ダメなんですから」

「……?」

 

 それまでの勢いは何処へやら。少しばかりしゅんと落ち込んだ様子のユリアに首を傾げていると、むにっと頬をひっぱられる。文句を言おうかと思ったが、そのままもにゅもにゅと遠慮なく揉まれるので言い出せない。

 

「ジュンペイくんも気づいてるんじゃないですか? リアトリスさんが今、すっごく疲れてるって。見ました? さっきの自信なさそうに、申し訳なさそうに私たちを見た顔! 大丈夫ですよって言ったら、すごくほっとしてたじゃないですか。いつも自信満々なリアトリスさんが!」

 

 こくこくと頷く。確かにジュンペイもそれは気になっていた。

 ジュンペイとユリアとて現在の状態がいかに追い詰められているものなのか理解しているつもりだが、それよりリアトリスの様子が気にかかった。ほんのわずかな変化だが、常が常だけに目立つのだ。

 

「本当は……本当はですよ! 私が行って、励ましたりしたいんです。でも、今回は夫のジュンペイくんに譲ります。リアトリスさんに必要なのは君ですから。……今は! ですけどね!」

 

 ぷんっと頬を膨らませる少女は本当に悔しそうだ。

 

「……お風呂や温泉って、気分をほぐして話しにくい事も話せてしまうものなんですよ。せっかくだし、色々話してきたらどうですか。……あ、そうそう。なんでもここは濁り湯っていって、お湯の色は白いそうです。中に入っちゃえば、恥ずかしくないですから」

「……わかった」

 

 これ以上断るのは譲ってくれたユリアに失礼だなと、ジュンペイは頷いた。その頬が赤いのは揉まれたからか、それともやはり恥ずかしいからか。ジュンペイ本人にも分からない。

 

「あ、気持ちいいからって緩みすぎて腐敗公の姿にもどっちゃだめですよぉ~?」

「わかってるって!」

 

 しっかり釘を刺して茶々入れも忘れないユリアに、ぽりぽりと頬をかいたジュンペイがもごもごと口の中で言葉を転がす。

 

「……ありがと、ユリア」

「お礼を言われるようなことではありません。リアトリスさんのことを考えて、ですもの。それとお歌の練習もあること忘れないでくださいね!」

「ん。がんばる」

 

 

 

 

 ユリアに背を押されて温泉に向かおうとするジュンペイだったが、廊下で誰かが壁にもたれて立っていることに気付く。薄暗がりでも一目で誰か分かるのは、その鍛え抜かれた筋肉のおかげだ。

 

「アリアデスさん」

 

 声をかければ件の相手はゆったり近づいてくると筋肉で包まれた肉体をかがめ、ジュンペイに視線を合わせる。

 

「リアトリスの所へ、かい?」

「ふぇ!? あ、その! そそそそそそそそそうなんですけど別にやましい気持ちとかじゃなくて純粋に温泉入るだけっていうかもう遅くで人も居ないって言うし、その!」

 

 ユリアに後押しされてなんとなくいいような気がしていたが、いざ女湯に入ろうとしていることが他の者に認識されると慌ててしまう。自分の正体を知っている相手ならばなおさらだ。

 

「ああいや。別に君が女湯に入ることに特にいう事はないんだが」

「……それはそれで複雑です」

「ふふ、そうかい。……なに、もし馬鹿弟子の所へ行くのならひとつお願いしたくてね」

「は、はい。なんでしょう?」

 

 アリアデスのお願い、それもリアトリスに関することということでジュンペイは緊張に体を強張らせる。その様子がおかしかったのか、アリアデスはわずかに笑んで緩やかにジュンペイの頭を撫でた。

 

「具体的に何を、というわけではないんだが……ね。あの子を頼むよ」

「え」

「あれで根は真面目なんだ。しかもそれにも馬鹿がつく。……背負うものが出来ても背負っている自覚も無ければ、分かっても下せるほど器用じゃない。修行で僕がどんなに岩を積み上げても自分で下すことはなかっただろう? そんな感じさ」

 

 温泉郷に来るまでの道で、アリアデスがリアトリスに課した修行を思い出す。

 確かにこけたり躓いたりして落とすことはあったが、きついから自分でおろす……などという事はなかった。不満は垂れ流していたが。

 

「状況は変わったが、僕はまだ今の立ち位置を変える気はないよ。もう少し君と弟子がどうするのか見守るつもりだ。けどおせっかいをしすぎる気も無い。だから夫である君に頼もう、とね。ジュンペイくん自身がそれどころではないだろうが」

「いえ。確かに大変なことになってるんだろうけど、俺はリアトリスが居ればそれで。……だから、うん。任されました!」

 

 ふんす、と鼻息荒く小さな胸を張って頷く。

 嫁の第二の父ともいえる相手に頼まれてしまった。これは緊張もするが、同時にとても嬉しい事だ。ともすればアリアデスも自分の魂を刈り取るべく動いてくる者なのだが……そんな事は今、気にすることではない。

 

 

 

 老魔術師にひとつ頭を下げると、ジュンペイは今度こそ浴場へ向かうのだった。

 

 

 

 

 



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48話 温泉宿の夜2

 しんっと静まり返った廊下をぺたぺたと歩いてゆく。

 生き物の気配はするものの、そのほとんどは夜闇の(しとね)に身を委ねているようだ。どうやら他の客たちは寝静まっている模様。

 宿の者に聞いたところザリーデハルトが使用した魔術による流星を、魔術師でない一般人は「奇跡の光景」として受け止めひどく沸いたようだ。その興奮が疲れとして作用したのか、今日はいつもより早く寝室へと人が引いたとのこと。

 それに加えてずいぶん遅くに無理を通してもらったのだから、この時間に人がいないのは当たり前かもしれない。

 ラドたちには出会って早々に世話になりっぱなしである。

 

「ちゃんと歌の練習もしなきゃな。お礼だし」

 

 灯されている照明も最低限。というより、ほんのりと壁自体が一部光っているようだった。どういった材質の物なのかリアトリスに聞けばわかるかもしれない。

 新しい場所に行くたびに目新しいものがあり、無知が既知へと変わってゆく。その感覚は甘美で、出来ればもっともっと知りたいし教えてほしい。

 

 どんな状況でも、リアトリスが居ればそれは可能なんじゃないかと思っていた。力だけはあるくせにひどく落ち込みやすい自分を、強引に引っ張ってくれる彼女が居れば。しかしそこに甘えすぎていた、という自覚も確かにあって……。

 ユリアに言われるまで、背中を押されるまで。行動できなかった自分がもどかしい。

 

「ここかな?」

 

 宿の内部を少しだけ迷った後、なんとか浴場らしき場所へとたどり着いた。引き戸を開けて中へと入ればそこは脱衣所。奥の方に大きな扉が二つ、別々の場所に備えられている。

 ひとつは屋内の浴場。一つは外へと続く扉で、その先には露天風呂があるそうだ。名前の通り、天が露になった風呂である。

 説明文を薄暗がりの中、指にほんのり魔術の光を灯してなぞるように読み取った。この程度ならば使っても魔力量に問題はない。

 

(文字を読めるのも、リアトリスのおかげなんだよな……)

 

 しみじみと考えに耽りながらするする服を脱いで畳んでゆく。こうした些細なことも全て教えてもらった。

 ……この少女の体に関しては、一年ほどほぼ丸裸で過ごしていたので裸体に関して思うところはない。

 

 旅に出た後……今まで捕らわれてきた腐朽の大地という場所から出た後に目にしたものは、もちろん全て素晴らしかった。今までいくら手を伸ばそうとも溶け腐り、届かなかったものに触れられたし囲まれたのだから。

 しかしジュンペイの視界はそこへ行く前、リアトリスと出会った時に色づいていたのかもしれない。

 文字や魔術、生活知識。それらを教えてもらった、二人きりの一年間。本来生物など存在できないその場所での暮らし。

 リアトリスに負担をかけたことは今でも心苦しいが、目の前に存在してくれる。話しかけてきてくれる。見てくれる。……手を握ってくれる。

 そんな相手が出来た時点で、実情はともかくジュンペイの心は腐朽の大地と、腐敗公の体という楔から解放されていた。そう思える。

 

 

 そんな相手に、自分はまだなにも返せていない。

 

 

「な、何話そう」

 

 いざ直前になると情けない言葉が転がり落ちるが、ぷるぷると顔を横に振って両手で頬を叩く。

 

「俺は、リアトリスの旦那さん! よし!」

 

 なにがよしなのか自分でもよく分からないままに、しかし気合だけは入れて外へと続く扉に手をかけた。

 そのとき、視界の端に揺れた自分の髪色に気付く。

 

「あれ……もどってる?」

 

 きらりとわずかな光源を照り返すのは黒髪でなく金髪。リアトリスが魔術の上掛けをした心ばかりの変装が解けている。

 ジュンペイは首を傾げながらも、今度こそ扉を開けて外気に身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのころ。

 リアトリスは露天風呂に誰もいないのをいいことに、内にためていたものを吐き出していた。

 

「あー! ……もう。最低」

 

 状況そのものに対して、ではない。リアトリスの言う最低、の前には「私」とつく。

 

 ぐりぐりと眉間や額をもみほぐすと、リアトリスは勢いよく湯船に顔を突っ込んだ。そのまま重々しいため息を湯の中に落とす。この感情もろともすべて溶けてしまえばいいのに、と思いながら。

 

 

 刃を交えることはなかったが、先程の状況は相手が寛容だっただけ。リアトリスの態度も面白がられはしたが、ああいった状況でその態度が適切かと言えば零点を振り切って下方へ転落する。落第生だ。

 昔からの悪癖である短気は封印すれば爆発時にそれまで築き上げてきたもの全てを壊し、解放したらしたで再度の抑制がなかなか出来ない。

 被害を被るのが自分だけならいい。どんな状況になったって自分を棚に上げまくって、誰が相手でも噛みついて胸倉掴んでやる。

 しかし今回は自分だけでなく周りまで巻き込みかけた。その事は思っていた以上にリアトリスへのしかかる。

 そのうえで相手はリアトリスが無意識下で目をそらしていたことまで、ご丁寧に突きつけてきてくれたのだ。伸し掛かる重りはその分、重量を増していた。

 

 

 

 ああして食事を挟んでの対談は今までもあった。というか、何か行動する時の起点に必ずそういった機会があった気がする。

 

 オヌマに金を借りに行ったとき。アリアデスに挨拶に行ったとき。ジュンペイを家族に紹介し、元上司に今の世界の情報を突きつけられたとき。

 

 そして先ほどの、魔皇との対談。

 

 

 

 昔なじみのオヌマ、信頼する師であるアリアデスに対した時や、忌々しく思うもののそこそこ性格を理解をしているエニルターシェの時とは違う。

 初対面のジュンペイに襲い掛かった時は、それこそ自分一人だった。だから無謀ともいえる賭けに全てをぶちこめたし怖いとも思わなかった。

 

 だが性格も実力も未知数の格上を前にして、大事にしたいと思う相手を横にしての横柄な態度は軽率の極み。しかもそれに考え至ったのは、こうして一人になって考える時間が出来てからだというから笑ってしまう。笑えないが。

 こんな感情をうちに抱えていることに気づきもせずに、迷惑な連中に怒りだけを募らせていた先ほどまでの自分がいかに滑稽か。

 

「あああ……ああ~!」

 

 油断すれば口から情けない声が絞り出される。とても連れ達には聞かせられないが、今はまだ湯につかったばかり。歌の練習をしている彼女たちは、まだ今しばらく来ないだろう。

 そのことに安心して再度湯に顔面を浸ける。吐き出すため息は全てぶくぶくと空気の泡となって、リアトリスの顔を包み込んだ。

 

(のぼせそう……)

 

 いっそ湯だってなにも考えられなくなった方が、今は楽なのかもしれない。

 

 

 

 リアトリスの世界は広いようでいて、その視野は狭かった。それを今嫌というほど思い知らされている。

 

『世界を天秤にかけてまでの娯楽に乗ってくれる相手はそう居ない』

 

 エニルターシェの何気ない言葉が脳裏によみがえる。いや、あの王子の事だ。意図的かもしれない。

 今、その天秤とやらを手にしているのはリアトリスだ。なにしろ現在名実ともに世界の中心となっている腐敗公ジュンペイが信頼を寄せているのだから。

 リアトリスの望み次第でこの状況をどちらへ傾けることも出来る。しかし天秤をもって立っている場所は、腐朽の大地へ落とされた時のようなぎりぎり崖っぷち。その崖から落ちるとなれば、天秤がどちらに傾いたとしても他の誰かが道連れだ。その誰かは世界全ての人間か、周りの親しい相手全てか。

 …………余裕などありはしない。

 

 自分は慢心していなかったか? 世界最強の魔物を連れ歩いていたことに。自分の才能に。

 特に後者など容易く組み伏せる相手などたくさんいるくせに、烏滸がましくも。

 

 そんな自分らしくもない考えを抱いてしまう事自体に、心の奥の部分がざらついた。それはけして開けてはいけなかった箱の蓋を持ち上げ覗いてしまったような……そんな感覚。

 気づいてはいけないもの。それを認めてしまったら、きっと自分は馬鹿みたいに弱くなってしまう。それだけは分かる。

 

「駄目ね。やっぱり疲れてるんだわ。……考えないといけないのに。ああ、もう!」

 

 考えないといけないのに、考えたくない。

 リアトリスはそんな矛盾を抱える自分にイライラしながら、少し落ち着こうと息を深く吸い込んだ。

 

 

 肺には温泉から立ち上る湯気と共に、夜気が流れ込んでくる。見上げれば星を張り付けた夜の天幕。

 

 

 現在リアトリスが入っているのは屋内でなく、ユリアにおすすめされた露天風呂だ。湯はとろりとした乳白色で、これは温泉郷入り口で見た魔力がもたらす現象でなく、温泉そのものにとけこんだ成分の色だという。

 心なしか肌がしっとりつるつるしてきたようで、少し気分が浮ついた。

 

「ふふふん。時間があれば、あの馬鹿上司の言っていた泥の美容法も試してみたかったわね。あ~あ。もっと観光したかった。結局、地元でも観光地でも全然遊べてないわ」

「そうだね。俺も一緒に、もっと色んなところ見て回りたかった」

「ね~。声かけるにしても、空気読んでもう少し後に……。…………」

 

 つい返事をしてしまったが、はたと気づく。今受けごたえをしたのは誰だろう。

 いや、分かってはいるのだ。なにせ毎日聞きなれている声。

 ただその人物がこの場に現れることに違和感があり、一瞬思考が停止する。

 

「ジュンペイ?」

「……あ、うん」

 

 ざぁっと強い風が吹き抜け、一瞬湯気の膜が取り払われる。

 薄明りの中でもその蜂蜜のような、黄金のような眩い巻き毛は艶やかに輝いて見えた。

 

 愛らしい少女の見た目をした旦那様は、恥じらうように体の前を布で隠しながら露天風呂の淵に立っている。

 そういうところがいちいち乙女なんだよな、という感想を抱きつつ見上げる形だったリアトリスはしばし固まった後、あることに気が付く。そのままこちらは乙女とはなんぞや? という勢いよく立ち上がった。

 

「あれ、黒髪どうした!? うっそやだ私としたことが気が緩んでた!? ちょっと待って今すぐにかけなお……」

「うわあああああああああ!? り、リアトリス!! 立たないで! 立たないでー! 見えちゃうから!!」

「いや何を今さら。ここに来たのはジュンペイでしょ? お風呂よ。裸に決まってるじゃない」

「そうだけど、そうだけどー! ううううう」

 

 裸体の嫁から必死に目をそらすと、ジュンペイはわたわたと髪を結いあげてからお湯の中に飛び込んだ。

 

「わぶっ」

 

 跳ねた湯をもろに受けた嫁を気にする余裕が無いのか、ジュンペイはそのまま縮こまるようにしてリアトリスに背を向ける。

 リアトリスにそのつもりはないが、この場合こういった反応をするなら自分ではないか? と思わなくもない。

 

「あんた……なにがしたいの?」

「……リアトリスとお風呂に入りたいけど恥ずかしいから裸は見たくない」

「それって嫁として私はどう受け取るべきなのかしら……」

「わ、わかんない」

 

 自分で入って来ておいて分からないとは。

 

 リアトリスは首を傾げつつも、とりあえず湯に肩までつかることにした。

 自分が立っていては、この旦那様はうまく話せないようなので。

 

「お湯の中、入ったわよ」

「ご、ごめん」

「いいけど」

 

 おずおずと振り向いたジュンペイはリアトリスの体が湯に隠れたことを確認すると、ゆっくりそばへ寄ってきた。どうにもお湯の濁り具合を確認し、うっかり見えてしまわないよう位置を探っているらしい。

 おもしろい生き物だなぁというような気持で、リアトリスはその様子をしばし見守った。

 

 

 

 

 

 

 

湯が露天風呂に流れ込む音や、ちゃぽんっと跳ねる水音が耳に届く。

 

「………………」

 

 湯に身を預けながら、ちらりとジュンペイを見る。リアトリスの視線の先でぱくぱくと口を動かしている旦那様は、そういう動きをする玩具みたいで愛らしい。先ほどからずっとこんな調子だ。

 リアトリスはそのまま自分から「どうしたの?」と問うことなく眺め続けた。時間は流れる。

 

「あ、……」

「あ?」

 

 小首を傾げる。これは少し意地悪だろうか。

 

 そのまま数秒が経ち……。形になりかけた不格好な言葉は、ため息となって小さな唇から吐き出された。

 

「ダメだな、俺……。頑張るとか言っておいてこれだもんな」

「あら、やっと喋ったと思えば独り言?」

「ち、違くて!」

 

 慌てたように前のめりになるジュンペイに、リアトリスはクスクスと笑った。その様子にへにょっと眉尻を下げながらも、ジュンペイもゆるく笑う。

 

「……リアトリスをさ、励ませる言葉を探してたんだ」

「励ますって……私、そんなに落ち込んだような顔してた?」

「落ち込んでるっていうか、疲れてると思った」

 

 それを聞いてリアトリスは内心ほっとする。今こそ驚きにより持ち直しているが、先ほどまでらしくない落ち込み方をしていた。それが他者に悟られていたとするなら、リアトリスとしては非常に恥ずかしい。

 我ながら見栄っ張りだなとは思うが、こういった面が自身を支えているのもまた事実として受け止めている。ゆえに、それを悟られないように何でもないような声を出す。

 

「ふぅん。それで、優しい旦那様は疲れてる私を労って、元気づけに来てくれたと」

「ん。でもいざとなったら、何て言っていいか分からなくなっちゃって。だってリアトリスが疲れてる原因、俺だしさ」

「それは」

 

 その言葉にはムッとなって眉根を寄せるが、リアトリスが何か言う前にジュンペイはぶんぶんと顔を横に振る。

 

「あ、待った! ええと、後ろ向きな意味じゃなくて! 事実として、言ってるだけ。ここで俺が落ち込んでもリアトリスは元気にならないし、俺なんか見捨ててくれていいよみたいなこと言っても、怒るだろうし。というか嘘でもそんなこと言いたくないし! これがわがままだとしても、俺はずっとリアトリスと一緒に居たいから!!」

 

 叫ぶように必死に言葉を絞り出したジュンペイは、虚をつかれたように目をぱちくりさせているリアトリスを目にしてはっと我に返る。そして頭を抱えた。

 

「うわああああ! 俺の馬鹿! 結局自分のことじゃん! こんなこと言うつもりじゃなくて、もっと気の利いた……」

「ふふふ」

「……リアトリス?」

「ふふ……あはっ、あはははははははは!」

 

 先ほどと違い大きく口を開けて笑い出したリアトリスに、今度はジュンペイが目をぱちくりさせる。

 今自分はとてつもなく身勝手で、とてもじゃないが励ますなんてお世辞でも言えないことを叫んだのではなかっただろうか。しかし嫁は楽しそうに笑っている。

 

「あはは……ごえん、ごめん。いやぁ。結構私の事を理解してくれてるんだなぁとか、なんか私に似てきたなーとか思ったら、おかしくなっちゃって。……別に気の利いた言葉なんて期待してないわよ」

「うっ」

「あ、悪い意味じゃないのよ。だってあなた私よりずっと年上だけど、ずっと一人でいたんだもの。一年そこらで気の利いた事言えるようになってたら、逆に生意気って思うわ」

「それはちょっとひどくない!?」

「ひどくない。だって私だって気の利いたことなんてこれまでの人生でろくに言えたこと無いのよ。だから早々に先を越されたら悔しいじゃない。……それより私は、一緒に居たいって言ってくれたことの方が嬉しいし元気出るわ」

「そんなことで? だってこれは俺の……」

 

 言いかけた時、ジュンペイの鼻先が指ではじかれる。

 

「わぷ!?」

「自分のわがままだって? 馬鹿言わないでよ。私もあなたと居たいって思ってるわ。世界に喧嘩売ってもいいって思えるくらいにはね」

 

 ぱちんっと片目を瞑って笑いかけてくるリアトリスは頼もしい。しかしジュンペイはほんの少し……本当に少しだけ見えた陰りに気付く。

 そのまま言葉を探しあぐね……ほんの少し、ちゃぽちゃぽ湯の中を移動した。

 

 陣取ったのはリアトリスの真横。体の位置は先ほどより近い。

 

「リアトリスってさ」

「うん」

 

 ようやく励ましの言葉とやらを思いついたのかな? と、少し楽しみに思って相槌を打つ。

 だが。

 

「見栄っ張りだよね」

「はぁ!?」

「わわわわわ! こっち向かないで!!」

 

 予想とは違う方向で、しかも先ほど自分でも思っていたことを言われてつい勢いよくジュンペイの方に体を向ける。その際に湯が波打って胸元が見えそうになり、ジュンペイはぎゅっと目と瞑ってやり過ごした。

 

 目を瞑ったことで暗くなる視界。すると不思議なもので、緊張がするりとほどけて言いたかった言葉が見つかった。

 これを逃してはいけないと、リアトリスが何か言う前に……ジュンペイは思いっきり、自分の気持ちが詰まった言葉を解き放った。

 

 

 

 

「もっと頼ってよ」

 

 

 

 

「…………。え?」

 

 

 うっすら目を開けば、きょとんとした嫁の顔。

 真っ赤になっているだろう自分の顔が想像できて「締まらないな」と落ち込みながらも、やっと言えた言葉にジュンペイはへにゃりと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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49話 恋とはどんなものかしら

 

「たよる……」

 

 短い言葉だというのにかみ砕けていないのか、リアトリスは珍しくもどこか舌足らずに繰り返す。

 

「うん。だって俺……いや、俺達のことなのに、リアトリスは自分から俺にどうしてほしいって一言も言わないじゃん。ちょっとした事はともかくとして。確かに分身体の俺は今、魔力の節約をしてることもあって出来ることは少ないけどさ。俺はリアトリスの旦那さんだよ? 守られる子供じゃない。リアトリスがこの姿に思い描いた、理想の娘なんかじゃない」

「あ……」

 

 目から鱗とはこのことか。

 リアトリスは言われて初めて、世界最強の大魔物に対しての自分の振る舞いに思い至る。

 

 いや、分かっていたつもりだった。だがそれはまさしくそう思っていたつもりにすぎなかったようで。

 娘が居たらこんな感じがいいな~という理想をたっぷり詰め込んだ外見は、思った以上にリアトリスを盲目にしていたらしい。

 

 人外魔物を美少女にしたうっかりは、更なるうっかりを呼んでいたというわけだ。

 

「リアトリスは最初、自分の事も利用していい代わりに俺の事も利用するつもりだったでしょ。理想の夫になれって要求してきてさ。まあ、隠してなかったし俺もそれを受け入れた。なのになんで今は、それをしてくれないの。今の俺がまだ導かれる立場だとしても、未熟だとしても……もっと利用して。もっと頼って。疲れてるなら疲れたーって言って、寄りかかって。見栄なんて張らなくていいよ」

 

 そこまで一息に言い切って、少し間が空く。

 次に告げられた言葉は懇願にも似て、しかしどこまでも真摯な響きを伴っていた。

 

 

 

「俺は引っ張ってもらうんじゃなくて、リアトリスの隣を歩けるようになりたいよ」

 

 

 

 言いながらジュンペイはおずおずと手を湯の上に出し、リアトリスの方へ差し出す。

 誘われるがままにリアトリスはその手を握った。

 

「だから俺、恥ずかしくってもお金を稼げた時は嬉しかった。ちょっとは役に立てたかなって」

 

 はにかむように笑ってリアトリスの手を握るジュンペイは何処からどう見ても可憐な美少女であるが、その中にはわずかに背伸びした少年の姿が見えた気がした。

 

「リアトリス……は、さ。俺の事、好き?」

 

 視線を顔より下に落とさないように気を付けているのか、手を握ったまま潤むように輝く碧眼がまっすぐにリアトリスを射抜く。

 それに少しドキリとしつつ、咳払いして茶化すように答えた。

 

「なによ改まって。というか、好きでもない相手にさっきみたいなこと言わないわ。一緒に居るために、世界に喧嘩を売ってもいいとかさ。好きよ」

「んー……。でもそれ、単純にリアトリスが世界の態度が気に入らないってのも入ってない?」

「うぐ……」

 

 なかなかに痛いところを突かれた。

 その前提にはジュンペイが大事に思えるからこそというものがあるので、単純に気に食わないから世界相手にも喧嘩を売るという無謀な試みではないのだが。

 以前も考えたがもしこの事態の渦中がジュンペイでないのなら、リアトリスは一個人でなくさっさと自分の住む世界を取っている。

 

 しかし本人からそんな風に言われると、図星を突かれたような気になって一瞬言葉に詰まった。

 その様子を見たジュンペイは怒るでもなく、「わかってる。ちゃんと俺を大事に思ってくれてるからだよね」とクスクス笑ってあっさり流す。

 

 からかう側とからかわれる側。先ほどまでと立場が逆転している。

 

「……まさかジュンペイにからかわれる日が来ると思わなかったわ」

「ふふふん。俺だって成長してるんだよ? 立派な先生のおかげでね!」

「むむ……」

 

 笑い方まで少し自分に似たようで、少し唸る。これを世間は似たもの夫婦とでも呼ぶのだろうか? と考えながら。

 しかしリアトリスは、ふと先ほどの問いかけに対して考える。

 

(そういえば……。ちゃんと言った事って、あったっけ?)

 

 ジュンペイはすでにその言葉を幾度か口にしてくれている。 

 だが、自分は?

 

 リアトリスが何やら考え始めた事に気が付くと、ジュンペイは握っている手をわずかに顔に寄せた。

 湯にぬれていることもあるのだろうが、温泉のおかげか乾燥気味だった嫁の手はしっとりしている。

 

「ごめん、からかって。……もう一度、聞いていい?」

「……どうぞ?」

 

 互いにほんの少しの緊張の後、言葉がひとつ落とされる。

 

 

「リアトリスは俺の事 好き? 好きだとしたら、その好きって恋?」

 

(質問が二つに増えた……)

 

 

 その問いかけに、リアトリスは頭を抱えたくなった。

 

 分かっているのだ。どういった気持ちで聞かれているのかは。しかしリアトリス自身どう話せば正しく言い表せるのか分からないのである。

 若気の至りの錯覚、と割り切った数少ない恋愛経験しかないこの身が恨めしい。

 

 そこまで考えて、はたとジュンペイに話していないことがあったなと思い至る。

 話すつもりはなかったし、この場面で話すのもどうかと思うが……。今はなんとなく話してもいいかなという気分になっていた。

 

「ねえ、ジュンペイ。そういえばあなたに言ってないことあったわ」

「言ってないこと?」

 

 え、今? とでも言いたげな不満顔に少々気まずくなるが、この瞬間を逃せば話す機会は無いだろう。別にわざわざ話す必要もないのだが。

 ただこれは温泉でほぐれた心と、この真摯な旦那様に少しでも誠実でありたいと思ったリアトリスの心の表れである。

 

「うん。嘘ついたとかじゃなくて、言ってないこと」

 

 なんとなく嫌な予感がしたジュンペイは、ちゃぽっと乳白色の湯に顔の半分ほどまで沈む。目で何やら訴えてくるジュンペイを見て数瞬迷うも、ここまで言って今さらやめるのもな……と覚悟を決めて口を開いた。

 

「あのね、腐れ縁でも間違いないんだけど……。オヌマって、学生時代の恋人だったのよ」

「ちょっと待っててあいつ溶かしてくる」

「ちょいちょいちょい」

 

 一瞬の間もおかずざぱっと湯から立ち上がり全裸のまま出ていこうとするジュンペイを、リアトリスが握ったままの手を引っ張って後ろから羽交い絞めにする。

 ……そんな体勢になれば当然、当たる所が当たるわけで。

 

「ぎゃみゃぁぁぁぁああああああ!?」

「あ、ごめん」

 

 猫が潰されたような悲鳴をあげるジュンペイをぱっと離し湯に沈みなおすリアトリスだったが、その手はしっかり旦那様の手を握ったままだ。

 背中全体でしっかり嫁の柔らかい色々を感じてしまったジュンペイは、真っ赤な顔で大人しく湯船に戻る。ちなみに涙目だ。

 

「…………ほんと?」

 

 話の続きを促してきたので、リアトリスもそれに応える。

 

「ええ、忌々しい事にね。私はまあ、なんというか。人と接することに関して結構不器用でね?」

「うん」

「そこで素直に相槌打たなくても!」

「だって今この瞬間がすでに不器用だよ! なんでこのタイミングでって思ってるもん俺!」

「ぐっ。まあ、あれよ。初対面の時私とオヌマの関係気にしてたでしょ? あの時、別に嘘ついたつもりはなかったけど……。なんとなく今言った方がいいような気がして!」

「…………」

 

 ジュンペイからの視線が刺さる。だがこのまま中途半端に終わらせる方が座りが悪い。

 リアトリスはこほんと咳払いした。

 

「え、えーとね。田舎から出て王都の魔術学校に入学したころは、とにかく不安ばっかりよ。家族から短気を起こすんじゃないぞってのも言われてたし、慎重だったわ。……その結果あまり友達できなかったわけ」

「あまり? 全然じゃなくて?」

「なんでそこでもつっこむの!?」

「だってオヌマもシンシアさんも、リアトリスは友達少なかったって言ってたし……」

「それちゃんと覚えてるのね! ああもう……まあいいわ。で、まあ人見知りに加えて私って優秀で天才かつ勤勉な超優等生だったから孤立しちゃったのよね。表情も我ながら暗かったわ」

「そこでちゃんと自分を上げるのがリアトリスだよね」

「事実を述べているだけよ! ……で。まあ私だって寂しいと感じる心があるわけよ。でもってオヌマの奴はあの調子じゃない?」

 

 言われて初対面時の事を思い出す。ジュンペイが腐敗公だと知っても気さくに接し、手首を解かし落としたにも関わらず笑顔で接してくれたし世話も焼いてくれた。性別確認のために股間を触るという暴挙はやらかしてくれたが。

 

 だが、いい奴ではある。

 

「優しくされて、うっかり。ころっと。ちょろいわよね私も」

「別れたのはなんで? アリアデスさんの弟子争いをしたから?」

「浮気」

「やっぱり溶かしてくる」

 

 ぎゅっと眉根を寄せたジュンペイにリアトリスはけらけらと笑う。

 

「いいのいいの。当時散々叩きのめしたもの。それでも縁が続いてるのは、我ながら不思議だけどね。お金借りたり、なんだかんだ世話にもなったし」

「でも……!」

「そういう奴なのよ。あいつ、悪気無くそういうことするし、複数の女に粉かけてるからね。いい奴ではあるけどそういう無神経さがほんと嫌。恋人なんてもってのほかで、腐れ縁くらいがちょうどいいわ」

 

 ふんっと鼻息荒く言い切ってから、肩をすくめてジュンペイを見る。

 

「……とまあ、自分の唯一の恋愛経験を掘り起こしてみたわけだけど」

「ゆいいつ……」

 

 喜んでいいのか、たった一人でも自分以外の恋人がいたことに嘆けばよいのか。

 複雑な心境を顔に滲ませるジュンペイを横目に、リアトリスは空を見上げた。露天風呂から立ち上る湯気が天の闇にゆるりと溶けて消えていく。

 

 

 

「恋とはどんなものかしら」

 

 

 

 まるで歌劇の一節の様に、言葉を並べる。

 

 

 しばし無言の時間が流れ、先に口を開いたのはリアトリスだった。

 

「私はジュンペイのこと好きよ。でもね、これが恋かどうかって言われるとわからないの」

「…………。わかってる」

「そう? あ、そうだ。逆に聞くけれど、ジュンペイの持つ気持ちは恋なの? あなたは私に恋してる?」

「恋だよ! 俺はリアトリスの事が好きだ!」

「愛でなく?」

「え……」

「アリアデス様や私の家族の前で。あなたは私の事、愛してるって言ってくれたわよね。でも愛って恋なのかしら」

「ええ? うーん、えーと」

 

 以前ユリアにリアトリスに恋をさせてみろ、と煽られはしたもののジュンペイ自身が抱く感情が果たして恋なのか。いざ問われると、考えてしまう。自分でもアリアデスに対しリアトリスに惚れてもらえるよう頑張るなどと宣言していたが、そもそも恋とは?

 何百年も嫌悪以外の感情を向けられたことが無いのだ。好意的な感情の違いなど、ジュンペイが種類を把握し言い表すにはあまりにも経験が乏しい。

 

 しかし……。

 

 少し迷った後、ジュンペイはリアトリスの手を自分の胸元にぺたりと添える。薄っすらとしたふくらみの、やや下のあたり。

 そこでドクドクと脈動する鼓動が、リアトリスの手に伝わった。

 

「恋だし、愛だよ。……これでわかってくれると、嬉しい」

「お……っと」

「なに、その声」

「いやぁ~……。ちょっと、予想外というか」

 

 もにょもにょとごまかすように目をそらすが、その頬にジュンペイのもう片方の手が添えられ、ゆっくり正面に戻される。

 

「リアトリスが俺を大事に想ってくれてる。今はそれでいいよ。恋とかそういうのは、そう思ってくれるまで俺が頑張るだけだし。でも俺からの気持ちは知っててほしい。本当にわかってる? リアトリスが俺にくれたものの大きさ」

 

 自ら問いかけた言葉で逆に迷ってしまった事が恥ずかしい。

 そう思いながら、ジュンペイはリアトリスに告げた。

 

 

 

「これだけは胸を張って言わせて。俺はリアトリスのことが大好きだって」

 

 

 

 息をのみ、しばし固まる。

 そのまま少しして……リアトリスは笑みを浮かべた。おそらく本人も自覚していないが、彼女が生きてきた中で一番甘やかで、柔らかな笑顔。

 一瞬の事で、すぐにいたずらっ気を含んだそれに代わってしまったが。

 

 

「じゃあ、私からも愛してると伝えていいかしら? 旦那様」

「ふぇっ」

「恋かどうかわからなくても、愛しているわ」

 

 いざ正面から言われると、それまでのやや凛々しい様子は何処へやら。

 ジュンペイは慌てふためく美少女にもどってしまった。

 

「あはは! ちゃんと言ったこと無かったもんね。そっか~。そんなに慌てちゃうか~」

「リアトリス!」

「ふふふ。……あのねジュンペイ」

 

 今度はリアトリスがジュンペイの頬に手を添える。

 

「これが恋になってもならなくても、きっと私は今の行動を後悔しない。でも、これからはちょっぴり頼らせてもらうわね?」

「ちょっとと言わず、たくさん頼ってほしいんだけど……」

「気持ちはね! まぁ今その体で無理スンナっていってんのよ」

「それはそうだけどさぁ」

 

 頬を膨らませるジュンペイの子供じみた仕草に少し安堵しつつ、はたと気づいた。

 

 ジュンペイは心臓の鼓動を伝えてあなたに恋してると示してくれた。なかなかに情熱的だ。

 だけど何かおかしいような……。

 

 

「…………。はぁ!? 心臓!?」

「あ、そうそう」

 

 

 ジュンペイはばつが悪そうに頬をかくと、何でもないように言った。

 

 

 

 

「どうも今は俺の中核、これみたい。弱点、できちゃった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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50話 揺りかごの歌

「私の意地っ張り。見栄っ張り。自分だって寂しいくせに」

 

 しんっと静まり返った部屋の中、一人ごちる少女は膝をかかえた。

 その口調はこの世界に来てからなかなか顔を出さない、一番の素の部分。

 

「でも……やっぱり放っておけないんだよなー」

 

 零れ落ちるのは紛れもなく本音で、誰も居ないからこそ口にできる秘め事だ。

 

「あーあ。まったく、私ったら優しすぎだし、空気読めすぎ~」

 

 ごろごろ寝台の上で転がって、最後にもう一言呟いた。

 

 

 

「……二人とも、早く帰ってこないかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、お帰りなさーい! ゆっくり温まれました?」

 

 部屋に戻ったリアトリスとジュンペイを出迎えたのは、寝間着に着替えたユリアだ。

 寝間着は宿が用意してくれたもので、リアトリス達も同じ格好である。通気性が良くさらりとした生地の民族衣装は裾の長い貫頭衣で、腰のあたりを幅広の帯で巻く仕様だ。

 にっこり笑ってぱたぱたと近づいてきた少女に、リアトリスもまた「ただいま」と笑いかけた。

 

「ええ! 気持ち良かったわ。公衆浴場とはまた趣が違うわね。……そういえば戻ってきちゃったけど、ユリアはこれから行くの?」

「私は部屋のお風呂に入りましたから大丈夫ですよぅ。……さっ! ジュンペイくん。今からお歌の練習ですよ~」

「おう!」

 

 元気に答えるジュンペイとは裏腹に、元気は元気なもののやや微妙な顔でそれを見るリアトリス。

 目聡いユリアがそれを見逃すはずもなく……。

 

「ちょっと」

 

 むんずとジュンペイの肩をひっつかみ、そのまま部屋の隅へずるずるひっぱっていく。

 

「ジュンペイくん。まさか自分だけいい思いして、励ましそびれたんですか!?」

「い、いや。そうじゃなくて……」

 

 こそこそと耳元に口を寄せ問い詰めるユリアに、どう切り出したものかとジュンペイは曖昧な表情を浮かべた。

 伝えねばならない重要事項があるものの、自分ではっきり自覚したのもついさっき。リアトリスに話す事でようやく実感を伴って受け止めたばかりなのだ。

 ……リアトリスが気にしているのは、そのあと自分が言った言葉の方かもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻る、少し前。

 

 

 胸の下にリアトリスの手の当てさせたまま、ジュンペイは自分でも確認するように語る。

 

「多分、これが出来たのは世界に捨てられたって思った時。リアトリスのおかげで体温も五感もある分身体だけど、心臓は無かった。これまで気づかなかったのが不思議。……いや、そうでもないかな? やっぱり俺って、前世人間だったのかなって。これがある感覚を普通に受け入れてたし、多分ある状態を知っていた。そんな感じがする」

「……それが核だって、弱点だって。わかるの?」

「なんとなく。多分これをどうにかされちゃったら、俺は腐敗公でなくなって消えちゃうんじゃないかな」

 

 ジュンペイはあっさりとそんな事を言うが、かなり重大である。

 

「それは本体の方に移動できたりしない?」

「多分……できる。『有る』って自覚したばかりだし、まだ出来そうって予想でしかないけど」

 

 それを聞いて少しほっとする。もし移動が無理ならば、本体が残っていようがこのジュンペイの分身体が討たれた時点でさよならだ。

 加えてもしこの分身体が魔力切れで消えた場合も、いよいよ分からなくなった。これまで通りなら本体である腐敗公へ意識が戻るだけだったが……今のところ未知数。大丈夫だったとしても現在腐朽の大地は本体討伐のために組まれた軍が囲み始めているはず。となれば、再度リアトリスが腐朽の大地でジュンペイに合流するのも難しい。

 

 

 弱点の顕現。

 これまで不確定要素としてきた、世界樹からのジュンペイ自体への干渉。それは実に分かりやすい形で表れていたというわけだ。

 

 

 しかし今ジュンペイが伝えたいのはそのことでないようで、金色のおくれ毛を顔周りに纏わせながら俯き……心臓の、核のある場所により強くリアトリスの手を押し当てた。

 

 少女の顔をした旦那様が顔を上げて微笑む。そこに潜む感情は憂いか、希望か。

 

「もし本当に駄目だったとき。その時はリアトリスがこれを壊して。他の誰でもなく、リアトリスが。これは俺のわがままと……きっと何もできなくなった時。俺が唯一、君に出来る贈り物だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あんな言われ方したら、頷くしかできないじゃない)

 

 もし湿っぽくてうじうじした後ろ向きな感情でそれを言われていたのなら、リアトリスはジュンペイの頭をひっぱたいていた。 

 だが彼はあくまで真摯に前向きに、リアトリスへの想いと共に語ってくれたのだ。

 

 頼ってほしいと言われたり、目から鱗が剥がれたり、愛だの恋だの語ってみたり。挙句の果てには弱点出来ちゃいました、もしもの時は君がこれを壊してね、ときた。

 色んな意味で濃密な時間だったと言える。

 

(……うーん。にしても、核か。不定形の魔物だから当然あるとは思っていたけど、自立して動く分身体はあくまで切り離した体の一部。そんなものあるとは思わなかったし、ジュンペイが言うように今までは無かった。どう考えてもレーフェルアルセでの、あの日が境よね)

 

 今のところその心臓……核については、意識を移す要領で本体である腐敗公に収める事に成功したようだ。が、それは油断するとすぐこちらの分身体に引き戻されそうになるとか。

 おそらくだが、ジュンペイの意識、魂というべきもの。それに寄り添おうとしているように思える。

 

 その辺のことをジュンペイは簡単ながらユリアにも説明したが、そうなんですかとあっさり納得された。それよりもう時間も無いということで、歌の練習をしようと割り切った彼女は豪胆である。それなりに動揺しているので、リアトリスはユリアを尊敬した。

 

 核。心臓。今まで不死といえた腐敗公に出来てしまった、明確な弱点。

 これにより歴史上不可能とされてきた腐敗公討伐が現実味を帯びてしまった。今は自分達しか知らない事実だが……。

 

「どうにかしてやるわ」

 

 パンっと顔を手で挟み込んで、リアトリスは気合を入れなおすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳に心地よい旋律が響く。

 

「……うん。いいですね」

「やった!」

 

 頷くユリアにジュンペイが嬉しそうに両手をぎゅっと握って拳を作る。

 

 先に寝ていろと言われたものの、血行が良くなった体に眠りの波が訪れるのはもうしばし後だろうと、リアトリスは長椅子に寝そべりながら異世界の歌に耳を澄ませていた。

 

 意外にも歌の練習はジュンペイが見せた驚異的な集中力により、短時間で五曲ほどを覚えることに成功した。

 以前との違いは何かとぼんやり考え……そういえば、この温泉郷に来るまでジュンペイはアリアデスの指導を受けていたのだったと思い出す。

 短い期間ではあったが、それはジュンペイの全体的な理解力を上げているようだった。

 

 ずっと先生として指導してきた身としては、相手がいかに自分の師とはいえ少し悔しいリアトリスである。

 

「びっくり。音程と歌詞の内容は完璧ですねぇ……」

「あとは繰り返してけば、なんとか聞ける形にはなるかな?」

「ええ、おそらくは。今の時点でもかなり良いです」

 

 素直な褒め言葉にジュンペイは嬉しそうに笑みを深めると、ひとつ提案をした。

 

「だったら、夜も遅いしユリアも寝てよ。俺は寝なくて平気な体だし、夜の間は繰り返して練習してる。ちょっとうるさいかもしれないけど」

「いえいえ、いい子守唄になりますよ。……ふぁ。じゃあお言葉に甘えて、私たちは寝させてもらいましょう」

 

 あくび交じりのユリアの声に呼びかけられて、こくりと頷くとリアトリスも長椅子から身を起こす。温まった体がゆるりと温度を下げてゆき、心地の良い歌のおかげもあってほどほどに眠い。なにより蓄積された疲労がずるずると眠りの海へと意識を引き込もうとしていた。

 部屋に用意されている背の低い寝台には、寝間着と同じくさらりと触り心地の良い布で作られた布団が敷かれていた。そこにのそのそ潜ると、当然の様にユリアが横に滑り込む。

 

「……。ユリア、寝台は三つあるわよ?」

「ここがいいんですぅ~」

 

 薄い寝間着に包まれた体をそっと寄り添わせたユリアに、リアトリスは「まあ、今さらよね」と軽く息を吐くにとどめて好きにさせる。

 ちなみにいつもなら真っ先に文句を言いそうなジュンペイであるが、今はむむむと眉根を寄せながらも口を噤んでいた。

 

「……さっきは世話になったからな。今は、まあ。何も言わない」

「ふふふ。良い子ですね~。よ~く分かってるじゃないですか。そうです、今度は私がリアトリスさんを独り占めする番です!」

 

 途端にご機嫌になったユリアだったが、ものの数分で健やかな寝息をたて始めた。その様子にリアトリスは少女の黒髪を梳くように撫でる。

 

「この子も疲れてたのね。……当然か」

「ほらほら、リアトリスも寝て」

「はぁい」

 

 ジュンペイに急かされ、リアトリスもまた目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少しあと。

 

 リアトリスは何故か旦那様に膝枕をされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リアトリスは休むと言いつつその実、夜の警戒を怠る気はなかった。何故ならばこの温泉郷にも流星の信号を見た魔術師はいるのだから。

 自分なら相手の寝込みを襲う。絶対襲う。

 流星のごとき魔弾はリアトリス達も目にしていたが、その時点では実際の内容は読み取れなかった。そのためもしかすると信号の中心地であるここの魔術師も同じように内容は読み取れず、腐敗公ジュンペイがここに居ることを知らないかもしれない。

 だがもしかするとは、あくまでもしかすると、でしかないのだ。希望的観測である。

 現時点でどの程度の情報が拡散されたのか分からないため、警戒しておいて損は無い。

 

 もちろん休むところは休む。

 これはアリアデスの元にいた時身につけた技術なのだが、リアトリスは体を休めて脳だけ起きているという状態を作り出すことが可能だ。

 

 

 だが。

 

 

「頼って欲しいって、言ったよね?」

「う……」

 

 その状態はあっさりジュンペイにバレてしまい、釘を刺される。リアトリスの狸寝入りは分身体とはいえ世界最強の大魔物様には通じなかったらしい。

 

「この体だと性能は低いし感知の範囲も狭いのは分かってるよ。でもまったく出来ないわけじゃない。リアトリスは今夜、絶対寝なきゃダメ。よ~く休んで」

「うう……」

 

 縮こまるようにして布団に顔を隠すリアトリスだったが、宵闇の中であるというのにジュンペイの視線がまっすぐに突き刺っていることが気配で分かる。

 リアトリスも夜目はきく方なので多少の輪郭はわかるが、おそらくジュンペイにははっきり見えているのだろう。

 

「あ~あ。さっき言ったばかりなのに、頼ってくれなくて悲しいなー」

「ご、ごめんなさい」

 

 珍しくしおらしいリアトリスである。

 

 さっきの事もあってか、どうも今日のジュンペイは少し大人びて見える。その印象もすぐ二転三転するのだが、リアトリスはとても今さらながら……経験が乏しいとはいえ、相手は長くの時を眺めてきた存在なのだと実感した。

 

 利用し利用されたらいいと思っていたくせに、自分はいつの間にか嫁だから先生だからと言いながら、ずいぶんな保護者面をしていたらしい。

 理想の娘の姿にしてしまった弊害なものの、その見た目にふさわしく中身が可愛いから仕方ないとも思う。思うが……。

 

(いざこう来られると、どうしていいか分からなくなるものね。いや、私が疲れてるだけかしら?)

 

 う~んと眉間に皺を寄せていると、ぐいっと指で押され皺がのばされる。

 

「ぬぁ」

「リアトリスが頼ってくれないなら、俺から頼ってもらいに行こうかな」

「……はい?」

 

 言葉の真意を問い返す前に、もそもそとジュンペイが座ったまま移動してくる。陣取った位置はリアトリスの頭の上あたり。

 そしてユリア側を動かさないよう、器用にリアトリスの頭の下から枕を抜き去った。その代わりとばかりに、柔らかくて温かいものに後頭部が沈む。

 

「…………んん?」

 

 なすがままにされ、これはどういうことかと白く小さな(かんばせ)を見上げる。見上げるというより、仰向けのリアトリスの視線がまっすぐ進む先にそれはあった。

 

「ん?」

 

 ジュンペイが首を傾げるのに合わせて金の波が零れ、打ち寄せてきた。もしくは金の檻。そんな風に称せてしまえそうな、艶のある長い巻き毛がリアトリスの顔を囲うように垂れている。少しくすぐったい。

 

「リアトリスが眠れるまで、このまま子守唄を歌ってあげるよ。練習だけどね」

「それは、まあ。贅沢だわね……」

「でしょ?」

 

 くすりと笑ってジュンペイは小さな声で異世界の旋律を紡ぎ始める。温かく柔らかな枕と慈しみが込められた歌声は、まるで揺りかごの中にいるようだった。

 魔法でも使われているのかと思うくらい確実に、気を張っていたリアトリスから力が抜けて意識が眠りの底へと沈んでいく。

 

 

 

「おやすみ、リアトリス」

 

 

 

 その声を最後に、ぷつりと意識が途切れる。

 

 次にリアトリスが目にしたものは、外から差し込む朝日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知らないはずの旋律を、知らないはずの言葉を、ひとつひとつ紡ぐたび。

 ぷくぷくと水底から浮かんでくる気泡のように、知らないはずの記憶が自分の中にあることに気付く。

 

 それはすぐに弾けてしまうけれど、繰り返すたびにいくつかは水面へとたどり着いてジュンペイの中へと吸い込まれていく。

 まだはっきりとした形にはならない。だが確かにそれは自分の記憶の、魂の底に沈んでいたものなのだと分かった。

 

 

 『           』

 

 

 今の自分でない自分の声が何かを言った。それは願いだ。

 

 

―――― 俺の願いは叶ったのかな。

 

 

 どこか他人事のように考えている間に、記憶の泡はぱちんと弾けた。

 

 

 

 

 

 

 



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51話 朝のひと時

 リアトリスが危惧していた襲撃は結局起きなかったようで、体は温泉と十分な睡眠のおかげで非常に軽い。

 もともとリアトリスはアリアデスの元で、肉体疲労を伴う過酷な修行を乗り越えた者。ゆえに純粋な回復力には優れているし、腐朽の大地で生き抜ける程度のタフさはある。

 それでも自分で思っていた以上に疲れていたようで、休むことでやっと自覚した。当のリアトリスが一番驚いている。

 

 自分の体の状態くらい把握できるものと思っていたが……。

 

(それ含めて、視野が狭くなっていたってことかしら)

 

 気分も上向いているし、思考の巡りも良いように感じる。

 

「おはよう、リアトリス」

「おはよう……」

 

 朝日に黄金の髪をキラキラさせながら微笑む、愛らしい旦那様のおかげもあるのだろう。起きたときはもとの枕に戻されていたが、彼の膝は寝具として非常に優秀だったし、子守唄は極上だった。

 そんなことを考えながらぼ~っとしていると、ぴょこぴょこ髪の毛を揺らしながら近づいてきたジュンペイに下から覗き込まれる。

 

「食堂が開いてるようだけど、行く? それとも何か貰ってこようか?」

「んー。選びたいから、食堂へ行こうかな。……っと、その前に髪の毛どうにかしないとね。無いよりましな程度の変装だけど、金髪だと余計に目立つ」

 

 なにしろ黄金をそのまま溶かしこみ、太陽の光を封じ込めたような極上の巻き毛だ。黒髪でもジュンペイの美貌は目立つが、至宝のごとき碧眼に眩い黄金が合わされば、どうあってもそれ以上に見たものの記憶に焼き付いてしまう。理想を詰め込みまくったと断言できる、術者リアトリスが思うのだから間違いない。

 どうも昨日は気が抜けて髪色を変える魔術が解けてしまったらしい。人化を保つ方の術には影響が出ていないあたり、完全に油断しきっていたわけでもないのだが。

 今度はもう少し念入りに魔力を練り、ジュンペイの髪の毛を梳いて結い上げながら術をかけなおしていく。

 

「ふぁふ……。おはようございます~」

 

 そうしている間にユリアが起きてきて、自分が一番最後らしいとわかると寝ぼけ眼のまま身支度をはじめた。

 

「ユリアもいらっしゃい。髪の毛、整えてあげるわ」

「え」

「え!!」

 

 リアトリスに髪を結われ上機嫌だったジュンペイの困惑の声と、ユリアの嬉しそうな声が重なる。

 

「わぁい! いいんですか? じゃあじゃあ、お願いしちゃいます!」

 

 るんるんと跳ねながら近寄ってきては、ジュンペイの隣に座ったユリア。無事に魔術の上掛けを終えたリアトリスはそのままユリアの髪の毛を整えに移る。

 それを名残惜しそうに視線で追っていると、ユリアと目が合った。

 

「歌の最終仕上がりはどうですか?」

「あ……ああ、うん。多分いい感じ。でも自分だと分からないから、聞いてもらっていいか?」

「もちろん」

 

 少しの緊張をはらみながら教わったばかりの歌を紡ぎ始める。

 初めて知るはずの歌。しかしジュンペイはこうして繰り返すたびに、少しずつ記憶の蓋が開かれていくような感覚を覚えていた。同じものは知らなくても、似たものは知っている。否、知っていたような。

 その感覚は昨晩よりも鮮明になりつつあった。

 

「…………うん。いいですね」

「よかった」

 

 頷くユリアにほっと息を吐き出す。

 亜人の集落へ行く目的は別にあるが、案内人へのお礼を怠るつもりはないのだ。下手な歌を聞かせずにすみそうで安堵する。

 

 

 

 その後食堂でしっかり朝食を腹へ詰め込んでいると、「おはよう」と親し気に声がかけられる。亜人兄妹のラドとラルだ。

 ちなみにアリアデスだが、すでに食事を済ませ宿の外で鍛錬をしているらしい。

 

「おはよう! 昨日ぶりね。色々無茶をお願いして悪かったけど、おかげで最高に休めたわ! いい宿だった」

「そう言ってもらえたら十分さ。紹介したからには堪能してもらわないとねぇ」

 

 気さくに笑うラドの表情は人懐っこく、初対面時には胡散臭げだった笑顔に親しみを覚える。

 歌という対価が彼らにとってどれほどの価値を持つのかわからないが、食事処に宿屋と無理を聞いてもらった。そのお礼をする時間くらいあってもいいだろうと、リアトリスは「来るにしても出来るだけ遅く来い!」と、まだ見ぬ襲撃者に圧をかけるのだった。

 

「さっそくだけど集落へ案内頼める? もう荷物の準備も終わっているし、このまま行けるわ! もちろんお礼の歌もばっちりだから安心してね」

「それは嬉しいな! けど……うーん」

「……どうしたの?」

「いや、すぐにかーと思って。昨日帰ってから集落の奴らに話したら喜んじゃってさ。朝から歓迎の準備するってはりきってたんだよね」

「か、歓迎?」

 

 まさかの歓待っぷりである。

 

「昨日案内したのなんてほんっとうに一部でしたし、わたし達も名所めぐりした後にご案内する気でしたからねぇ……。まだ準備が整ってないんじゃないかなって」

「それは、その。ごめんなさい?」

「いやいや、謝らなくていいよ~。うーん。でもそしたら、ちょっと行って伝えてくる。すぐ戻るからそれまでこの辺見ててもらっていいかい?」

「無理をお願いしているのはこちらだもの。構わないわ」

 

 本当ならばこのままラドたちにくっついて行きたいが、急く気持ちを抑えて頷く。

 

「よかった~。そしたら、今の時間朝市が開かれてます。そこを見ていてはどうでしょう~」

「へぇ! ならそうさせてもらおうかしらね」

 

 ラルの提案に乗ることにしたリアトリス達は、いったん集落へ戻る案内人たちを見送る。そして宿の者に見送られ、朝市へと繰りだすのだった。

 

 

 

 ざわざわと活気と喧騒に満ちているのは、歓楽街の中心に位置する開けた場所。昨日見た常設の屋台とはまた違った活気を感じる。

 円形の広場となっているそこは昨日なにもなかったが、今はひしめく様に露店が商品を並べていた。

 屋台と何が一番違うかといえば、こちらでは食材など生活に直接必要そうなものが売っていることだろうか。おそらく観光客より住民のために揃えられた品が多いのだろう。

 

 もちろん、調理されたものが無いわけではないが。

 

「これ美味しいわね」

「うふふ、食後にこのボリュームは罪の味です」

 

 先ほど朝食を食べたばかりだというのに、揚げ菓子につられたリアトリス達。三つ編み状の生地が棒に突き刺さり、こんがりきつね色に揚げられた上でたっぷり砂糖がまぶされている。

 食後に食べる甘未としてはなかなかに重いが、これがまあ美味しい。先ほど元気に売り子をしていた子供たちから買ったものだ。

 

「呑気だなぁぁお前ら!?」

 

 そんな彼女らに声をかけてきたのは、今日は一人で出歩いているらしいオヌマだ。なかなかに激しいツッコミは人の視線を集める。

 

「あら、おはよ」

「おはよう。……じゃなくてだな。はぁ」

「朝から辛気臭いため息ねー」

「お前は朝から図太いなー」

「うっさい。朝から図太いってどういう言い回しよ」

「そのまんま」

 

 皮肉交じりでありながら自然と挨拶を交わした二人を、じ~っと睨みつける視線がひとつ。ジュンペイだ。

 この男が昔リアトリスの恋人だったのか、と。新たな事実を知ったばかりの厳しい視線がオヌマへと突き刺さった。

 

「おいおい。ジュンペイ、そう睨むなって。別に襲ったりしないから。今は息抜きの時間」

 

 そんなつもりで睨んだわけではなかったのだが、肩をすくめるオヌマから疲労を色を感じて少し眉尻が下がる。

 

「オヌマ、なんか疲れてるな」

「おう。おうおうおう! わかってくれるか! やっぱりお前は優しいなぁジュンペイ! そうなんだよ。めちゃくちゃ振り回されてんだよ。アルガサルタ帰るかと思えば、あの王子様さぁぁぁぁ~!」

「なによ、こんなお守り程度可愛いもんじゃない」

「一緒に戦場連れていかされてたお前にとっちゃそうかもしれないけどな! けど魔王の居城にぽんと連れていかれた俺の身にもなってみろよ」

「まあ、それは……ご愁傷様。よかったわね死ななくて」

「生きた心地はしなかった」

 

 軽口を叩きつつも、オヌマは特にリアトリス達に用があってここに来たのではないらしい。どうにも聞けばオヌマを始めエニルターシェ、ザリーデハルトはすでに数日この温泉郷に逗留していたのだとか。

 この朝市の時間だけが、朝食を長くゆっくり楽しむエニルターシェと、寝汚い魔王ザリーデハルトから解放される瞬間らしい。

 つまり、本当にただの息抜きだ。

 

「昨日一緒に居た二人、亜人だろ? さっそくドラゴンに渡りをつけるとか運のいい奴」

「ここに居るかどうかなんてわからないけどね」

 

 訪れる場所の予想をつけられていた時点で、リアトリス達の目的を察していたのだろう。なのでリアトリスもまた特に驚くことなく流す。

 

 オヌマはそっけないリアトリスに「本当にその図太さどうやって形成されてんだ」とぼやきながら、後方で見守っていたアリアデスに一礼する。ユリアにはささやかな愛想笑いだけむけると、次いでジュンペイに視線を合わせた。

 

 出会った時から変わらない……否、変装なのか黒髪になっている点だけ違うが。しかし他は特に変わらない様子のジュンペイがきょとんと見上げてくる。そのあどけなさを見てしまうと腐敗公である事実が霞んでしまいそうだ。

 だがその幼げな表情が、なんの心境の変化かぐっと眉根に皺を寄せてオヌマに鋭い視線を向けてきた。そういえば先ほどもそうだったか。

 オヌマはしばし考え込み……はたと気づく。

 

 これは危害を加えられることを危惧して、というより……。

 

「あ、もしかしてリアトリスから聞いた? そっか嫉妬してんのか~。なるほどな~」

「ふん!」

「いって!?」

「溶かさないだけましだと思え!」

 

 思いっきりジュンペイに足を踏まれたオヌマが足を抱えてぴょんぴょん跳ねる。

 魔力こそ現在使えないが、分身体の身体能力はなかなかのもの。本気で踏まれたらかなり痛い。

 

「……世話になったし、なにもしてこないならこの程度で許しといてやる」

「あはは……」

 

 腕を組んでぷいっと顔をそむけたジュンペイにオヌマは苦笑する。

 もしもリアトリスとオヌマが円満に恋人として進んでいた場合、こうしてリアトリスとジュンペイが出会うことは無かった。それを思えば自分は恩人では? などと思うものの、それを口にするほどオヌマも愚かではない。

 自分の嫁の昔の男、などと分かればこの嫉妬も当然のものといえる。

 

 しかしここでもう一度会ったのも何かの縁と、オヌマはジュンペイの肩を叩いた。

 

「いい具合に行ったらさ、どっか遊び行こうぜ」

「え」

 

 虚をつかれたようにジュンペイがオヌマを見る。

 

「もしかすれば、これで会うのは最後かもな。なんか今さら刺客して来いとか言われなさそうだし。でも、もし。この状況をどうにかできちまったら、俺はリアトリスの旦那としてでなくて男友達としてお前を遊びに誘うよ。嫁の愚痴なら聞くぜ?」

「なに言ってんのよあんた」

「で!? 夫婦そろってすぐ手や足出るのやめろよ!」

 

 リアトリスに後頭部をひっぱたかれたオヌマを見つつ、ジュンペイは嫉妬した自分の器が小さいように思えて口をまごつかせた。だが少し考え……きゅっと唇を引き結ぶと、両端を持ち上げて勝気に笑ってみせる。

 

「おう! そん時は今度こそ、かっこいい男の姿になってるからな! お酒だってきっと飲める!」

「はは。楽しみにしてるぜ」

 

 満足そうにジュンペイの返事を聞くと、オヌマはあっさり人ごみに消えて去っていった。

 声をかける時もあっさりならば、去る時もあっさりな男である。

 

 だがジュンペイはリアトリスへ向けるものとは別の感情に気付き、少々憮然としつつ呟いた。

 

 

「これが友愛……ってやつなのかな」

 

 

 

 

 

 

 しかし和やかな雰囲気でいられたのはそこまでだった。

 意外と長く楽しめたと思えばいいのか、それとも短く感じればいのか。

 

 

 

 ドォンッ

 

 

 

「!?」

 

 温泉郷全体に響き渡るような重々しい音がこだまし、同時に衝撃波が突風のように街中を駆け抜けた。それは屋台や露天商が広げた品物やら布やらを派手に吹き飛ばし、めちゃくちゃにする。

 アリアデスがしばし目を瞑ったかと思うと、薄く目を開きその鷹のように鋭い視線を遠方に向けた。

 

「乱暴な……。これは結界への攻撃だね。温度調整とは別の、魔物用の護身結界が揺れている」

「ええ。結界に阻まれたというより、結界の網に絡まっちゃって無理やり引きちぎった感じですね。不器用か。それにずいぶんと大きな気配。……多分ですけど、私が一度倒して復活してきた魔族かと。遅かったと思うべきか、早かったと思うべきか」

 

 アリアデスに答えながら、やはりのんびりし過ぎたのだろうか? と考えるリアトリス。しかし昨日までの疲労度を考えるとあてもないまますぐ逃げる方が悪手だったし、事情を知らないラド達にこれ以上無理を通して夜間に集落へ連れて行けなど申し出たら、それこそ断られていたかもしれないのだ。

 

 昨日の自分の判断を肯定し、そしてすぐに落とし前をつけるべくリアトリスは肩を鳴らす。自分の尻は自分でぬぐわなければ。

 

「ジュンペイ、ユリア」

「はい」

「おう」

 

 緊張した面持ちの二人にリアトリスは気安く笑いかけた。

 

「温泉郷に迷惑かけるわけにいかないし、外でさくっと戦って来るわ。あなた達は先に集落へ行って、上手いことドラゴンが居ないか聞いてきてちょうだい。あわよくば生命樹の種についても。師匠も、お願いできますか?」

 

 それを聞いて真っ先にくってかかってきたのはジュンペイだ。

 

「待ってよリアトリス!! 昨日、頼って欲しいって言ったのに! 一人で行く気!?」

「そうですよ! 私も戦えます!」

「今、まさに頼ってるじゃない。だってこれでモタモタしていて本懐を遂げられなかったらそれこそここに来た意味も留まった意味もないわ。だからあなた達には現状での最優先事項をお願いしているの。このまま外のやつが中に入ってきて温泉郷が混乱に陥っても駄目。ならここは私が足止め、あなた達が情報収集で最適解よ。足止めを監視者の師匠にお願いするわけにもいかないしね」

 

 つらつらと理由を述べられて思わず頷いてしまいそうになるが、それにしたとて一人でなど何が起こるか分からない。

 そうユリアとジュンペイが渋っていると、後ろから不思議そうな声がした。

 

「ユリアちゃんにジュンペイくん、リアトリスちゃん。それが本名?」

「あ」

 

 いつの間にか戻ってきていたラドが、首を傾げてリアトリス達の名前を繰り返した。

 まずい。些細なことかもしれないが、ここで少しでも信用を無くす事態はよろしくない。

 

 しかし。

 

「愛称で名乗ってくれてたんだ! いやぁ、嬉しいなー。そんなに親しみを覚えたくれていただなんて!」

 

 楽観的に受け止めたラドに思わずがくっと体制を崩しそうになる。いや、助かるのだが……。

 

 確かにリア、ユリ、ジュンと、略しただけの超単純偽名なので愛称と言われたらそうだ。むしろあまり意識していなかったが、リアトリスに至っては本名であるリーアに近いくらいである。

 ともあれ、ラドとしては悪い印象を持たなかったようだが……ふと、この事態に呑気に構えている様子が気になった。

 見回せば商品を吹き飛ばされた店の者や観光客は今の衝撃波に騒然としており、なんだなんだと慌てふためいている。

 だというのにこの男、ラドはにこにこ笑顔のままで自然体。

 亜人は体の強靭さも魔力も人間より強く、一個体の寿命も若い時間も長い。優男然としたラドも、見かけによらず慌てないだけの実力と経験を備えていてもなんらおかしくは無いが……。

 

「なんか騒がしいけど、まあ温泉魔術協会の人らがなんか対応してくれるっしょ。それより準備ができたからもう案内できるよ。ラルは向こうで待ってる」

 

 しかし今は迅速な行動が求められる。ラドの態度が気になったが、いざとなればその辺りはアリアデスがなんとかしてくれるだろうと申し出に頷いた。足止めをお願いするわけにはいかないが、そういったところはしっかりあてにするリアトリスである。

 

「お願いするわ。私は少し用事があるから遅れて行くけど……」

「用事? 今じゃなきゃダメなの。慣れない場所で、しかも周りが慌ててる中動くのは危ないよ」

 

 真っ当なことを言われてしまい、自分の予感は杞憂かなと思いつつリアトリスは入り口に向かって歩を進めた。

 

「今じゃなきゃダメなの。悪いわね」

「そっかそっか。まあ、深くは聞かないよ。じゃあ君たちは案内しちゃうけど、いいかい?」

 

 ラドの言葉にユリアとジュンペイはもどかしそうにリアトリスとラドを交互に見るが、リアトリスの昨日と打って変わっていつもの自信を漲らせてずんずん歩いて行く様子に覚悟を決めた。

 戦うばかりが、頼られるということでは無い。今はリアトリスが望んでいる成果を出す時だ。

 

 信頼と情報を得る。それが今、二人の役目。

 

「でも危なくなったら逃げてよね、リアトリス!」

「もちろんよ! 逃げ足には自信あるもの。いい感じにあしらってくるわ!」

 

 ほーっほっほと高笑いのまま周囲から奇異の視線を集め、リアトリスは雑踏に消えた。

 

「危なくなったらねぇ……」

「あっ! そ、それは」

 

 心配のあまりせっかく不信感を持たないでくれているラドに余計な情報を与えてしまった。が、ラドはそれ以上何も言わず「こっちだよ」と案内のため踵を返した。

 

 

 

 ジュンペイ達は何か腑に落ちないものを感じながらも、その後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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52話 追いかけっこ再び

 リアトリスは肩をこきこきと鳴らしながら、靴を囲うように風の魔術を編み上げる。温泉郷という場所と星幽界の境界が薄いためか、それは常に比べ非常に滑らかに行えた。

 そのままトーン、とひとつ飛び上がる。すると逆巻く風は音もなくリアトリスを上空へと押し上げた。

 瞬く間の出来事に、おそらくそれを視認した者はいない。飛び上がった後のリアトリスは、地上から豆粒の様にしか見えないだろう。

 

(初めてやったけど、ん。いい感じ)

 

 連日にわたり移動のための風魔術を多く使用していたこと。更にはきっかけとして、師を相手取った縦横無尽の戦闘経験。それが頭の中で考えていた理論に結び付き肉付けがされ、新たな魔術の公式へと相成った。リアトリスがそれを結実させたのはつい今朝の事である。

 十分な休息の後、ぽんっと頭の中で生まれたのだ。

 世界規模で見てしまえば当然更に才ある者から劣りもするだろう。だが彼女は自己評価だけでなく、紛れもない天才だった。それもまた事実。

 

 新たな魔術により足を踏み入れることを許された方向は縦のみ。横の移動となれば大気を巡っている魔力の支流が今まで通り邪魔をして飛行とまではいかないし、滞空時間もわずか。だが限りなく飛行に近いものを作れたのではないかとリアトリスは考えている。

 少なくとも、これならばわざわざ足場を作らずとも腐朽の大地の崖もなんなく攻略できるだろう。

 

 

 ともあれ、今はその成功を喜んでいる場合でもない。

 上空へと身を躍らせたリアトリスは眼下に望む光景の中……ひときわ異質なものに目を向ける。

 

 

 かつてレーフェルアルセの集落で対峙した蛇のような下半身、節足動物のような足を持つ魔族。それが温泉郷入り口の門の手前で文字通りとぐろを巻いていた。

 この距離から視認出来るその大きさは、以前見た時より更に大きくなっているように感じる。

 そんな場合ではないが日常生活に支障はないのだろうかと疑問に思う。最初に対峙した時は、全長はともかくリアトリスとそう変わらない体躯だったはず。それがいきなりあんなに大きくなれば、不便なことも多いだろう。

 

「やっぱりあいつか……」

 

 見れば魔族が来たであろう方向は、その巨体が一直線に抜けてこられるように整えられたような……否、魔族が自らの体で無理やり整えてきたであろう、障害物の一切がなぎ倒され破砕された山路。

 どうやらかなりの力技でここまで来たようだ。もし以前のように人間の協力者がいたとしても容易についてはこられまい。

 ルクスエグマの天馬隊が残っていれば違ったかもしれないが、以前その天馬は壊れたアリアデスの館の修繕費、慰謝料として売っぱらっている。

 先日気勢を上げて再度挑んできたアッなんとかは新たな天馬を引き連れていたようだが……上空から見回す限り、それらしき影は無い。

 魔族は一人、先行してきたと見て良いだろう。

 

 魔族は魔物避けの結界ごと入り口石門を破壊したようだが、結界はそこそこ複雑に構築されたものだったらしい。蜘蛛の巣に絡まった羽虫のように、魔族は結界の残滓で身動きを鈍くされていた。それもまた引きちぎろうを蠢いているが、余計に絡まっている。

 もともと結界にそんな絡まるような効果は無いのだが、これは巨体が仇となったと見てよいだろう。中途半端に強化された結果があの様では、実力はたかが知れている。

 

 さてどうしたものかとリアトリスは腕を組む。

 

 体調は良好。魔力はそこそこ。気力は絶好調。

 しかし相手は謎の復活を遂げてきた未知数の敵。侮りすぎるのも良くはない。

 

「……うん。まずは、ここから引き離しましょうか」

 

 リアトリスは手を前に付きだし構える。そのまま文言を紡ぎ詠唱を始めると、ふわりと彼女の腕に絡みつくように二体の小竜が顕現した。

 竜たちはするすると腕の先へと移動し、たがいに身を絡ませ合う。すると竜は硬質な質感を伴い変化していき、やがてリアトリスの手には大きな白銀の槍が収まった。

 

「何はともあれ、先手必勝ってね!」

 

 言うなり、急降下。

 槍を構えたリアトリスは犬歯をむき出しにして笑いながら、魔族に向かって落雷のように強襲を仕掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここの坂を上れば集落だよ」

「みなさ~ん! ようこそー!」

 

 坂の上から大きな声で呼びかけ手を振るラルに、ジュンペイとユリアも手を振り返す。

 

 リアトリスと別れたのち、ほどほどに観光名所を案内しようとするラドを急かして集落まで案内をしてもらった。

 亜人の集落は少々複雑な自然の道を進んだ先で、歓楽街からは結構な距離があった。亜人たちの身体能力をもってすれば多少険しい道でも問題ないらしいが、その立地のせいか人間はほとんど来ないらしい。

 ラドは立派な体躯を持つアリアデスはともかくとして、見た目だけは可憐なジュンペイとユリアを気遣った。が、二人ともこの程度の道など苦にするはずもない。温泉郷に至るまでに通ってきた道の方がよほど険しかった。

 

「さて……」

 

 ジュンペイ達が坂を上り始めた事を確認すると、ラドはゆったり来た道に体を向けそのまま歩き出した。

 

「? 何処に行くんだ?」

「ちょっと買い出しを頼まれててさ。案内し終わったら行こうと思ってね~」

「途中で買ってくればいいのに……」

「だって君ら、ほんのちょびっとな名所の案内もそこそこに集落まで連れてってくれって言うじゃないか。そんなに急ぐなら寄り道も悪いと思ってさぁ」

「う……! それは、ごめん」

「あ、怒ってるわけじゃないからいいよぉ。まあさくっと行ってさくっと帰ってくるからさ。仲間たちの歓迎を受けて待っててよ」

 

 そう言って笑ったラドは、ひらひら手を振って来た道を軽快な動きで戻って行った。その姿はあっという間に見えなくなる。

 あまりの速さにユリアはぽかんと口を開けた。

 

「早いですね……」

「亜人は身体能力でいえば、魔族をしのぐ者もいるからね。人族と比べたら明らかに能力値は高い。……。しかし彼は……」

「ほらほら、皆さん早く行きましょう~。みんな楽しみに待ってますよ!」

 

 何か言いかけたアリアデスの背中を、坂の上から降りてきたラルがにこにこ笑顔のままに押す。その腕の力は華奢な見た目のわりに強い。アリアデスも特に抵抗するでもないので、なすがままに押されている。

 そうなれば彼の前に居たジュンペイとユリアは、迫ってくる筋肉の壁を前に進むしかないわけで。

 

「リアトリス……」

 

 ジュンペイは一度嫁が向かったであろう方角を見たが、ふるふると頭をふって集落へ顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。

 愛らしい旦那様の心配などよそに、リアトリスは絶好調だった。

 

 

「がァっ!!」

 

 

 身動きままならない魔族の背に、白銀の槍が突き刺さる。

 

 巨体に対してその槍はあまりにも小さい。だがリアトリスがぐんっと体重をかけ、突き刺さった位置からざりざりと魔族の背中を削り下降するものだからたまらない。

 槍の穂先はもとの姿が竜のためか鋭利な鱗をびっしり纏っており、それらがつける傷は見た目以上に複雑だ。よく切れる剣で一思いに切られた方がよほど痛くないだろう。

 魔族は人間に近い上半身もところどころ鱗で覆われているが、リアトリスは上手い具合にその隙間を突いた。狙いを定めた位置に見事に攻撃を決めるあたり、戦いへの慣れを感じさせる。

 

 突然の巨大魔族の襲撃に入口付近で慌てふためいていた旅人が、その勇姿に歓声をあげた。

 実のところ魔族は世界を守る? ために腐敗公を狙う者であるので、彼らやこの世界の生き物にとって現状真の敵はリアトリスと言えるのだが。

 

「ふん、間抜けが! 結界にひっかかってんじゃないのよ。ばーかばーか」

「貴様ァァァァ!!」

 

 一度目の大敗、二度目の逃走。魔族にとってリアトリスは新たに帯びた使命など関係なく怨敵に他ならない。

 血走った目がリアトリスを捉えると、下半身の筋肉を大きく震わせる。すると鞭のようにしなる蛇の胴体がリアトリスを襲った。節足動物のごとき足が地面をえぐり支えとしているため、その威力は高い。

 だがリアトリスはひらりとそれを避ける。

 

「ジュンペイ、ユリア! 今のうちに逃げなさい!」

 

 そして仕込んでいた魔術を発動させると、振り返って今ここに居ないはずの二人の名を呼んだ。

 敵の攻撃を眼前に視線をはずす愚行。だがリアトリスがそれをしてまで気にかける相手を察すると、魔族は怨敵の視線の先を追った。

 門前湖の向こう側……無残にも魔族の移動で瓦解している橋を越えた先に、小さく動く人影が二つ分。それは紛れもなく本来魔族が追い求めるべき腐敗公の分身と、以前も見かけたその仲間の少女だった。

 

「チィッ、囮か! 小癪な!!」

(あ、助かる~。こいつめちゃくちゃ単純だわ……)

 

 あまりにもあっさり信じてくれたので少々拍子抜けする。冷静さを奪う意味もあって手痛い傷を負わせてやったのだが、もう少し疑われると思っていた。

 現在逃げるそぶりをしているジュンペイとユリアだが、当然ながら本人達ではない。順調に行っていれば、二人は今頃亜人の集落だ。

 リアトリスは魔族の視線がそちらにむいている隙に後ろへ飛び距離を取るが、どことなく動作がぎこちない。よくよく見ればその動きは、片足のみによるものだと分かるだろう。

 

 ……というのも、靴に隠しているが今のリアトリスには、片方の足首から下が無いからだ。

 偽物のジュンペイとユリアは、切り離して遠隔操作しているリアトリスの足首に幻影魔術をかぶせたものである。

 

(動き辛いし戦いながらは神経使うけど、その辺は魔術の補助でどうとでもなるしね。なにより手だと見えるし目立つ)

 

 そういった判断の元、ジュンペイに施している分身を動かす魔術ともとを同じくするそれで魔族をかく乱する。

 現在の目的は倒す事でなく、この目立つ襲撃者を温泉郷から引き離すことなのだ。

 

「あんたの相手はこっちでしょ!!」

 

 まずそのために偽物を偽物と気づかせてはいけない。リアトリスは我ながら迫真の演技だと自画自賛しつつ、炎の魔術で魔族の傷を軽くあぶってやる。するとすぐさま魔族は牙をむいてリアトリスに襲い掛かってきた。

 その攻撃をひょいひょい避けながら、徐々に温泉郷から引き離していく。結界に絡まっていた魔族も引くことで解放され動きが早くなっているが、それでも攻撃はなかなかリアトリスに当たらない。

 小さい的ということもあるが、単純にリアトリスが早いのだ。彼女の周囲を風の魔力が補助している様を見て、魔族は忌々し気に舌打ちした。

 

 リアトリスは逃げる二人をかばうふりをしつつ、頭の中にアグニアグリ山脈の地図を展開させた。さて、どこへ逃げたものか。

 最良は山脈から逃げたものと思わせつつ身を隠せるような場所。そうすればリアトリス一人なら温泉郷へどうとでも戻れるし、ジュンペイ達との合流も可能なのだが。

 

「下山……すっか!」

 

 そのためには山の上をうろうろしていても無駄だろうと、リアトリスは大胆な下山を決意する。

 何故大胆かといえば、目指すべき場所に定めたのは垂直に近い崖のためだ。山路を足で下るよりよほど早くて良いように思える。

 

 追い詰められたふりをして、偽物のジュンペイ、ユリアともども落ちてしまえばいい。まっすぐに下へと続く崖の高度はかなりのもので、遠回りして追いつこうとすれば時間がかかる。あの魔族も後を追って飛び降りてくれば話は別だが、その時はその時だ。

 リアトリスならば着地に問題は無いし、相手は崖下で死体が見つからなければ他へ逃げたと思い込むだろう。少なくともこのままじりじり攪乱しているより効果を見込めるはず。

 

 

 

 そうと決めると、リアトリスは切り立った崖を目指して移動を開始するのだった。

 

 一対一の追いかけっこは、もうしばし続く。

 

 

 

 

 

 

 

 



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53話 銀鱗の魔将

 

 リアトリスは逃げる。

 その逃げ足は片足首を切り離しているとは思えないほどで、巨体の魔族がその体格差をもっても追い付けそうで追いつけない、絶妙な距離を保っていた。

 後ろでなにやら喚きながら追いかけてきているが、いちいちそれを聞いてやれる余裕はない。

 偽物もとい足首を遠隔操作しつつこの距離を維持するのは、けっこう大変なのだ。

 

 

 

 しばらくすると、目的としていた崖にたどり着いた。

 幻影を被せた足首は遠回りしてこちらへ向かうよう操作している。頃合いを見て飛び出させ、共に崖下へ落ちるつもりだ。

 

 リアトリスは踵を返し、手にしていた穂先が血に濡れたままの槍を大きく振りかぶり追ってきていた魔族に投げる。が、それは容易に避けられて空に吸い込まれていった。

 魔族は攻撃を避けたことに笑みを浮かべるが、ふとして「なんだあの投擲力は」と不気味そうにリアトリスを見た。人間の、しかも女性の膂力ではない。それは先ほど背を裂かれた時も感じたことだ。

 しかしすぐに追い詰めているのはこちらだと思いなおす。一度は負けた相手だが、逃げるという事は自身を脅威と感じているということ。

 魔族本人は気づいていないが、その思考には力を増したことで生まれた慢心が多分に含まれている。負わされた背中の裂傷もいつの間にか回復しており、そういった部分もまた自信へとつながっているのだろう。

 

 

 そんな魔族からのこちらを軽んじる視線を受け止めつつ、リアトリスはチラと背後を振り返る。その先には眼下の景色がかすむほどの絶壁。

 腐朽の大地に落とされた時を思い出してあまりいい気分ではないが、今度はそれを自分で飛び降りるのだから笑ってしまう。

 

「ふんっ、追い詰められて頭がおかしくなったか?」

「そういう意味で笑ってんじゃないわよ。言う事がいちいち三下臭いわね」

「何!? 私は世界樹から腐敗公を倒す使命を与えられし者。それを三下扱いとは……」

「ん~?」

 

 どうにも聞き捨てならない言葉が聞こえた。そういえば以前も「世界の刺客として蘇った」とか言っていたような。

 しかし流石に捕縛して聞き出すほどの余裕はない。このままうまい具合にぺらぺら話してもらえればよいのだが……さすがに相手側も、そう親切にはしてくれないようだ。

 

「囮のつもりだろうが、無駄だ!」

「そうかしら? 現にあなたは囮につられて来ているわけだけど」

「馬鹿者め。私が一人だと思ったか?」

 

 魔族の言葉にリアトリスの眉がピクリと動く。

 その時だ。

 

「!!」

 

 何処からともなく飛来した分銅付きの鎖がリアトリスの体に絡まりつく。それも一つではない。複数だ。

 たまらず地面に身を倒すと、ざくざくと地面を踏みしめる長靴の音が響く。

 

「他愛ないな」

 

 そう嘲笑を浮かべるのは先日も目にしたばかりのルクスエグマの天馬騎士。アッなんとかである。

 ちなみにアッセフェルトという名前だが、リアトリスはすっかり忘れていた。彼女の記憶力はけして悪くないどころか非常に良い方だが、覚えておく必要のない事は積極的に記憶から放り捨てていく。記憶容量がもったいないからだ。

 頑張って思い出せばすぐに名前は出てくるが、今のところは思い出していない。

 

「でかい目印に釣られたのは私の方か……」

 

 そう言って地面に倒れ伏したままため息をつくと、アッセフェルトは傲慢な笑みを浮かべた。

 

「理解が早いな。しかし元宮廷魔術師であり元将軍と聞いているが、この迂闊さ疑わしい。特に将軍とは笑わせる。とても兵を率いる器には思えんが」

「それお前だけには言われたくないわ」

「何!?」

 

 何、もなにもユリアを目的に襲撃した時、予告も無しにアリアデスの館を吹き飛ばしたのはこの男である。その軽率な男に迂闊などと言われるのは屈辱だ。

 

「……まあいい。お前はこの魔族だけ来たと思っていたようだが、我ら天馬隊も共に夜中ここまで飛ばしてきたのだ。信号を発した相手が気に食わぬが……世界の危機を前に魔王もなにもないからな。あの悪女と腐敗公の分身は我々の仲間が追っている。無駄な囮役、ご苦労なことだ。……なぜあんな化け物どもにそこまで執心するのか理解に苦しむが」

 

 連れを貶す言葉にぴくりとリアトリスのこめかみが動くが、息を吐き出すとその事には触れずアッセフェルトを見上げる。這いつくばらせたリアトリスを見る男の視線はいかにも愉快そうだ。

 以前はジュンペイ一人に大敗を期したアッセフェルト達はリアトリスと直接戦ったことは無い。警戒していないわけではないが、まんまと捕獲したと油断しているのだろう。それを「追い詰めたのは自分だ」とでも言いたげに、少々気に食わない面持ちで魔族が見つめている。

 

「思い込みが敗因ね。そりゃ天馬だからって、必ず空に居るとは限らない。私がつられるのを待って出てきたと。……それに天馬にしたって、まさか一晩で駆けつける奴らが居るとは思わなかったわ」

「ふはははは! 己の愚かさを思い知っているらしいな。我々としてはとうに逃げたと思っていた獲物がとどまっていたどころか、こうして自ら出てくるとは思っていなかったぞ!」

 

 少々棒読みの節があるリアトリスの言葉も気持ちよく受け止めたのか、アッセフェルトはそのまま聞かれてもいないことをべらべらと喋り続ける。魔族などよりよほど口が軽い。

 リアトリスはこの男に対し、更に「軽率」という評価を深くした。

 

「最速を誇る我らがこの魔族と共に先行したが、今ここには腐敗公を捕縛すべく我らがルクスエグマの精鋭に加え他国の戦士たちも向かっている。……いくらでたらめな強さを誇るとはいえ、それに囲まれてしまえばあの分身とて歯が立つまい」

 

 ジュンペイに負けた時の記憶がよほど根深く残っているのか、その辺に関しては慎重なようだ。先ほど「追っている」とは言っていたが、いざ捕縛するとなればその仲間たちが到着してからだろう。

 現在は位置を掴むにとどめている、といったところか。

 

(まあ、それは私の足首なんだけども……)

 

 すかすかの靴の中身にも、遠隔操作している足首の幻影にも、特に気づかれていない様子。

 しかしあまり長く切り離してもおけない。ジュンペイのような特例を除き、この術で長い事体の部位を切り離しているとそこが壊死してしまう。

 

 ので。

 

(派手に暴れて攪乱してとんずら! やっぱこれよね。隙を挟んだら、まさかと思ってはいたけどあちらの現状戦力も姿を現してくれたし。これでとりあえずの懸念はなくなった)

 

 リアトリスは舌なめずりをすると、目を細める。その表情に魔族が反応するが……少し遅かった。

 

 腐敗公の花嫁を拘束していた鎖がはじけ飛ぶ。それを成したのはいつの間にか顕現していた白銀の小竜。

 

 もしこの場にリアトリスを腐朽の大地まで輸送したアルガサルタの兵士たちが居たならば「その程度であの女を拘束できるわけないだろ馬鹿が!!」と彼らを罵倒していただろう。

 なにしろリアトリスは当時魔術でがちがちに固められた拘束具と、鎖どころか分厚い鉄で出来た頑丈な檻をもってやっと拘束されていたのだ。それも一度、輸送中に破っている。

 そんな彼女にとってこの程度の不意打ちは、脅威になりうるものではなかった。

 

「なっ」

 

 アッセフェルトをはじめ彼の連れていた騎士及び魔術師であろう面々が一瞬驚くが、すぐに切り替えて再度の拘束を図ろうとする。しかし自重を捨てたリアトリスはすでに行動を終えていた。

 

 リアトリスは将軍という地位を持つが、それは"魔将"。兵を率いる将とは異なる意味合いを持つ。

 人をまとめ上げ率いるなどという芸当を、リアトリスのような人間関係不器用者が出来るはずもない。

 

 

 

 アルガサルタでは一個人で「一軍」となりうる存在が魔将の地位を賜るのだ。

 

 

 

『氷雨のごとく降り注げ』

 

 高速で詠唱を終えるリアトリスの締めの文言のみがアッセフェルトらの耳に届く。

 その時すでに魔術は完成していた。

 

 リアトリスが指を鳴らすと、空に白銀が閃く。それは先ほどリアトリスが投擲した槍だったもの。

 風の魔術をまとい上昇を続けていたそれが効果切れで落ちてきたところを狙い、リアトリスが新たな魔術を付与したのだ。

 術者が指を鳴らすと槍はばらりと解けて鱗になる。それらは鋭利な光を纏っており、上空より無数の刃となって魔族やアッセフェルト達に降り注いだ。

 その広範囲攻撃は銀鱗の魔将、もしくは銀麗のリアトリスの二つ名で呼ばれた彼女が得意とするものである。

 

「ええい! 忌々しい!!」

 

 巨体の魔族が真っ先にそれを自らの尾で薙ぎ払おうとするが、薙ぎ払った部位に鱗が深く突き刺さる。深さでいえば大したことのないものだが、いかんせん数が多い。魔族の顔が苦悶に歪んだ。

 人間側はどうかといえば、魔術師が率先して結界術を使うも端から腹を押さえてうずくまっていく。それは何故か。……上空へ向けて前方のみの結界を構築した魔術師を真っ先に狙ってリアトリスが接近、拳を叩き込んでいったからだ。

 剣や盾で細かく鋭利な鱗の雨をあたふたと防いでいた騎士たちはその光景に啞然とする。

 

「お前、魔術師じゃ!」

 

 言いかけたものが、下から顎を拳で突きあげられ後方に吹き飛んだ。

 

「まあ、もう少し数揃えてきてたら良かったわよねって」

 

 拳を突き上げた体勢からすぐさま後方へと反り、跳ねるように移動したリアトリス。彼女がそれまでいた場所を巨大な拳が叩き潰す。外れた攻撃に、上半身を乗り出すように前へ突き出していた魔族がぎりぎりと歯ぎしりした。

 

「っと」

 

 避けた先。着地点を、炎を纏った槍がかすめる。それも紙一重で避けたリアトリスは手に氷の魔術を纏わせ、逆にその槍の柄を掴んでみせた。

 

「へぇ。魔術付与された槍か。今日はいいもん持ってきてるじゃない。この間もこういうのあれば、もっと剥いだ身ぐるみにいい値段ついたのに」

「貴様……!」

 

 槍を掴まれた相手……アッセフェルトは憤怒に顔を歪めながらも、槍を回転させリアトリスの手を振り払う。その手腕にリアトリスはふむとひとつ頷いた。

 

「魔王ゲーデザハルを倒した戦士の一員だっけ? さすがにこの中では抜きんでているわね」

「当たり前だ!! 貴様、余裕を持っていられるのも今の内だけだぞ!!」

「へいへい」

「~~~~!!」

 

 適当な返事が気に食わないのかアッセフェルトがいきり立つが、リアトリスとしてはこの辺でいいかな、という気持ちでいた。

 暴れるのはここまで。すでにまともに相手をする気はない。

 この場で彼らを殲滅する必要はないし、むしろ出来てしまっては困るのだ。ほどほどに削ったうえで「温泉郷以外へ逃げおおせた」と思わせたい。彼らは目撃者として、後から来るであろう戦力をひきつれてよそへ行ってもらわねば。

 魔族においても未だ世界樹の影響を受けた未知の相手に変わりない。深追いして真の実力が覚醒しました、なんてことになっては困る。あしらえている内にさっさと逃げてしまうのが良いだろう。

 

 リアトリスは追い詰められているふうを装いながら、じりじりと崖の方へ向かっていく。ここからは再度、演技の時間だ。

 

 そしていよいよリアトリスが崖から飛び降りようとした時だ。

 

 

 

『あれ~? 応援は特に必要なかった感じ?』

 

 

 

 崖下から強風と共に現れた何かが、轟音と共に目の前の敵を薙ぎ払った。

 ようやくこの気に食わない女を追いつめたぞ! と、リアトリスの演技に目を輝かせていた人間が棒きれのように吹き飛ばされていく。

 それを成した大きな質量を受け止められたのは、巨体の魔族ただ一人。

 

「…………は?」

 

 予定外の事態に「く! なかなかやるわね。この私もここまでか!」などと臭い演技をしていたリアトリスから素の声が零れる。

 そんな彼女は現在なにやらとても大きな影に覆われており……おそるおそる振り返れば、かち合う視線。

 

「……ええ~?」

 

 それを見た後も、リアトリスの口から出るのはただただ困惑の声だった。

 

 

 

 

 

 



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54話 遊覧飛行

 

 頬を撫でる冷たい風を感じながら、リアトリスはしばし「わー、綺麗な景色ー」と思考を放棄していた。雲を眼下におさめるほどの高度は生まれて初めてだ。

 そんな彼女に気さくな声が、重々しい鳴き声に重なって投げかけられる。

 

『いやー、ごめんごめん。なんか大変そうだったから助けに来たんだけど、余計だったねぇ。リアトリスちゃんって強いんだ』

「気持ちは嬉しいというか……ええ。まあ、助かったというか……」

『ほんと? ならよかった!』

「あはは……」

 

 曖昧な笑みでかえす相手は現在リアトリスの下に居る。というか、リアトリスを乗せて大空を飛んでいる。

 稀有な体験だ。できれば翼をもつ種族でなければ不可能な空の遊覧を楽しみたいところだが、あいにく今その余裕はない。

 

「あなた、亜人じゃなかったのね」

『下手にドラゴンって言うと地元じゃ崇められるし、他では警戒されるから。亜人以上に心象良くないらしいんだよー』

(あ、うん)

 

 森のように色深い鱗に手をかけながらリアトリスは心の中で頷く。彼女自身もまたドラゴンに対しては厄介者という認識をもっていたからだ。

 黒々とした角は太く巨大で、先の方でわずかに枝分かれしている。瞳は人を装っていた時の金緑から、金色へと変化していた。体躯はジュンペイの腐敗公の姿や追っ手の魔族ほどではないが、かなりのもの。薄紫の被膜が張る翼は力強く羽ばたき、堂々と宙を泳いでいる。後ろを見れば、鱗に覆われた胴体の先で長い尾がゆらゆらと揺れていた。

 

 

 リアトリスは現在、彼女がお目当てとしていたドラゴンの背に乗っていた。

 しかもその正体は先ほど別れたばかりの知り合いときている。

 

「と、とりあえずお礼を言っておくわ。ありがとう、ラド」

 

 そう。……このドラゴンの正体はラドなのだ。

 

 

 

 自分にとって非常に都合の良い事態を、リアトリスは未だ飲み込めないでいた。

 

 

 

 

 

 

 先ほど適度に追っ手の勢力をそぎ、かく乱のため崖から飛び降りての逃走を図ろうとしたリアトリス。

 その時、崖の下から巨大な影が躍り出た。

 

 それは太い尾で襲撃者を薙ぎ払ったかと思えば、自分よりも大きな魔族に炎の吐息を吹きかけると、呆気にとられていたリアトリスをくわえて宙に舞い上がった。

 しかもご丁寧にリアトリスが遠隔操作していた足首も回収済みときている。

 傍から見れば幻惑の魔術により、ジュンペイとユリアがその背に乗っているように見えただろう。だがリアトリス視点では、自分の足首がドラゴンの背中に張り付いているのだからぎょっとした。懸命に落ちないよう均衡をとっている足首が妙に愛しく思えたものである。現在はもとの位置……リアトリスの足に収まっているが。

 

 途中から戦闘に意識を裂いていたこともあるが、ラドがリアトリスのもとまで来るのが早すぎた。足首を回収された事に気づく間もない。

 追っ手たちの前でリアトリスの襟首をくわえたラドは、そのまま何周か上空を旋回したのちにアグニアグリ大山脈から離れる進路へと飛び去った。それがつい先ほど。

 口にくわえられたまま下の景色が霞むほどの高さをぐるぐる回られてさすがのリアトリスもしんどかったが、それもようやく治まってきたところである。

 

 

 襲撃者側からしてみれば突然現れたドラゴンが目的の人物を掻っ攫ていったわけだが、果たして彼らはこの後どう動くだろうか。すぐに考えられるものとしては直接逃げたドラゴンを追うか、もしくはドラゴンに縁のある亜人の集落を調査するか。

 ……といっても、今の彼らにすぐに動くだけの機動力はないだろう。

 襲撃者達の数はそう多くなかったうえに、リアトリスの猛攻とラドの追撃で魔族以外はかなり負傷したはず。そこから立て直して行動に移すにはそれなりの時間が必要だ。

 遠隔操作していた偽のジュンペイ達を追っていた別動隊も居るのだろうが、どちらにせよ統率していたのはアッセフェルトのはず。その彼も先ほどラドの尾に吹き飛ばされていた。……司令官が負傷したとなれば、少なくとも人間側の動きは鈍くなる。

 

 気になるのは自己回復能力を備えた魔族の動きだが……。

 

(あの単純さなら、こっちを追ってきてそうね)

 

 相手が悠々と空を飛翔するドラゴンだとしても、目の前で獲物を横取りされたのだ。一晩でアグニアグリ山脈まで駆けてきた執念でもって追いかけてくることは容易に想像できる。

 

 だがラドはこのままアグニアグリ山脈を去るつもりは無いようで。どうも遠回りをして、亜人集落へとリアトリスを連れていってくれるのだとか。

 ご丁寧かつご親切にも、襲撃者の目を欺く手伝いをしてくれたのだ。

 

 だがリアトリスとしてはラドがわざわざ隠していた正体を明かした理由も、会って間もない自分たちにこうまでしてくれる理由も分からない。感謝はすれど不気味でもある。

 しかしジュンペイ達と合流するために亜人の集落へは向かわねばならないので、今は大人しくその背に揺られていた。

 

「…………」

 

 それでも黙っていると、どうにもむず痒く座りが悪いリアトリスは口を開いた。

 

「……。どうして正体を現してまで助けてくれたの? 隠してたんでしょう」

『ん? 僕はね、縁を大事にするんだよ。せっかくの知り合いに死なれたら悲しいじゃない。昨日だって物騒な相手に喧嘩腰だったしねぇ」

「あなた、あれのこと知ってるのね」

『ちょっとね。それなりに長く生きているから。……向こうも覚えてるっぽかったのは意外だけど』

 

 そういえば見間違いかと思ったが、ラドと魔王ザリーデハルトは互いを見てわずか驚いた風だった気もする。顔見知りだったのか。

 

『実の所、昨日はひやひや話を聞いてたよ』

「うっ。それは自分でも反省を……って、話聞いてたの!?」

『ドラゴンは耳が良いんだ』

「……料理屋でのことも?」

『個室での会話? ごめんごめん。ちょっとだけ聞いちゃった。あはは~』

 

 つまり全部筒抜けである。相手もそれを隠すどころか素直に肯定してくるものだから、リアトリスの肩が落ちた。

 

 ……そうとなればジュンペイが腐敗公であることも知っているはず。そのうえでこの親切はいったいどういうことだろうか。

 ジュンペイが腐敗公であると、信じているのかいないのか。だが魔王が直々に出向いた相手となれば、その信憑性は増すはず。

 となれば彼もこの世界に住む生物として、いくら歌を気に入っていようがジュンペイに対し好意的に接することは難しいはずだが……。

 

 どうにも掴めない異種族の思考に、リアトリスは頭を悩ませるのだった。

 

 

 

 そのまましばし空の遊覧飛行の後、ラドは大きく旋回してアグニアグリ山脈へと戻ってきた。

 上空からでは周りの景色に同化して分かりにくかったが、ラドが高度を下げていくと徐々に建物の輪郭が露になる。あそこが亜人の集落らしい。

 その中のひときわ大きな建物の前に、ドラゴン姿のラドでも着陸できそうな空間がぽっかりあいている。彼はそこに砂煙を上げながら降り立った。

 

「あ、とと様~。おかえりなさーい」

『たっだいま~』

 

 すると小さな影が駆け寄ってくる。見ればそれはラルで、リアトリスは今の呼び名に疑問符を浮かべるが……すぐに合点がいったように頷いた。

 

「とと様……父様ね。兄妹ってのも嘘か。……え、というかラルってラドの娘?」

「あ、」

 

 ラルは背中に乗るリアトリスに今気づいたようで口元を押さえる。ラドはと言えば、特に悪びれる様子もない。

 

『まあまあ。その辺は君らも偽名使ってたし~色々秘密もあるようだし~。お互いさまじゃない?』

 

 軽い調子で痛いところを突かれ、リアトリスとしては苦笑するしかない。意図はどうあれ自分達の事情を察した上で、今まで知らないふりをしていてくれたという事なのだから。

 色々便宜を図ってくれた恩もある。警戒はすれどその警戒をする資格が自分たちにあるのかといえば疑問だ。

 

 …………まあそれはそれとして、少々思うところがある。それは。

 

「ラド。あんた娘の前でユリアに告白したの?」

『あっと! そこ突っ込んじゃう!? いやいやでもさ、僕今は独り身だし……』

「惚れっぽいんでしょ? これまでも何度も似たようなことやってきたんじゃないの娘の前で。…………。もしかして兄妹のふりもそのためとか?」

『う……』

「独り身ってんなら別に悪いとは言わないけど……。娘側の心理としたら、複雑よね」

『たはは……』

 

 リアトリスは自分でも今ここでそれを突っ込むのはどうかと思ったが、つい呆れと共に言葉がこぼれ出る。ラルはと言えば兄妹のふりがバレたことについては「まあいっか」とすませることにしたようで、リアトリスの言葉にこくこくと頷いていた。

 そしてしげしげと自分の父を下から見上げる。

 

「とと様がドラゴンの姿になるの久しぶりに見た〜。これを見ると、やっぱりにい様じゃなくてとと様よねってなるわ。かっこいいもの!」

『それじゃ普段の僕がカッコよくないみたいじゃないか』

 

 娘の言葉にやや不満そうなラド。

 

「カッコ悪くは無いけど、やっぱり威厳的な物が足りないのよぉ、とと様は。フツーに兄妹として振る舞えるくらいには無いわ」

『ええ~』

 

 ドラゴンの巨体をしゅんっとすくめるラドに、背中に乗っていたリアトリスはつるっと滑り落ちそうになりあわてて体勢を整えた。

 このまま乗っていてもなと、リアトリスはそのままラドの背中から飛び降りる。そしてきょろきょろと周囲を見回した。

 ……ほどなくして、お目当ての声が耳に飛び込んでくる。

 

「リアトリス!? 無事でよかった! けど、まさかドラゴンまで見つけてきたの!?」

 

 ラルに続き大きな建物の中から出てきたジュンペイの姿に、無事到着していたことにまず安堵する。

 次いでさてこちらの説明はどうしたものか……と後ろのどでかい相手を振り返った。探すも何も、この温泉郷に到着した時点で自分たちは目的の相手に出会って、しかも向こうから声をかけられていたわけだが。

 ドラゴン姿のラドはリアトリスにじ~っと見つめられ、何を思ったのか恥じらうように身をくねらせた。

 

『あ、ごめん。今ちょっと人になるから後ろ向いててもらっていい? 別に全裸を見られるのはやぶさかではないんだけど』

「後ろ向いてるわね」

 

 やぶさかでないなどと言われても困る。リアトリスは駆け寄ってきたジュンペイをぽすっと受け止めると。そのまま視界を遮ってラドが見えないよう背を向けた。

 

「歌は上手く歌えたかしら?」

 

 ジュンペイの顔を手で挟み、自分に向けて固定しながらリアトリスが問う。ジュンペイはむず痒そうにもぞもぞするも、こくりと小さく頷いた。

 

 ちなみにジュンペイの格好だが、現在町で興行もどきをしたときの服に着替え麗しく飾り付けられている。

 宿で着替えてそのまま行動すると目立つため、集落についてから着替えようということになっていたが……どうやらユリアが良い感じに着飾らせてくれたらしい。

 もとは歌に関して手伝えないリアトリスが張り切ろうとした部分だが、その出来栄えは素材を抜きにしても素晴らしいもの。さすがだな、とリアトリスは舌を巻いた。

 そのユリアはどこだろうと、リアトリスが建物の方に視線を彷徨わせた時だ。

 

「きゃあああああああああああああああああああああ!?!?」

「あ」

「え、何。どうしたの」

 

 丁度出てきたユリアが笑顔で手を振りながら駆け寄ってきたのだが……間が悪かったらしい。

 リアトリスは彼女の視線の先と、悲鳴の理由を察した。

 

「何全裸でほっつき歩いてるんですか変態ですか!?」

「全裸ぁ?」

 

 リアトリスに視界を遮られているジュンペイとしてはユリアの言葉の意味がわからない。分かろうとしても「ドラゴンはそりゃ全裸だろ」としか言えない。

 相手がラドだと知らないジュンペイにとって今リアトリスの後ろに居るのは、全裸の変態でなく探し求めていたドラゴンなのだ。

 

「いやいやいや!? ユリアちゃんこれは違くてね!?」

「ちゃん付で呼ぶんじゃないですよ!!」

「ごめんなさい!」

「今! 今服を着させますから!」

 

 顔を手で覆いながら叫ぶユリアにラドとラルの弁明が聞こえるが、ラドがドラゴンから人化する瞬間を丁度見逃したらしいユリアとしては全裸の変態がなにか喚いている、としか受け取れない。

 ちょうどリアトリスの体勢がラドに背を向けてジュンペイを守るように抱えていることも、誤解に拍車をかけた。

 

「もうもうもうもうもう!! リアトリスさんになんてもの見せようとしてるんです!? その上迫ろうって腹ですか!? 私に告白しておいてなんて尻の軽い! というかリアトリスさんは私の大事な人です!! そんな変態的な言い寄り方、このユリア・ジョウガサキが許しません! かくなるうえは私が直々に再び成敗を……」

「ユリア、ユリア」

「なんですかリアトリスさん安心してくださいあの変態は私が沈めます」

「誤解するのも無理はないけど、ちょっと待った。よ~しよしよしよし」

 

 いきり立つユリアを落ち着かせようと、どうしたものかと迷った末にリアトリスはユリアの顎の下を撫でた。猫じゃないんだから、と突っ込む者はこの場に居ない。そしてその効果はてきめんだった。

 

「ふひゃ~ん」

 

 妙な声をあげながら、ユリアの表情が途端にとろける。やってはもたもののその変わりようにリアトリスは「ここまでタラしこめる自分の魅力が怖いわ」と自画自賛しながら慄いた。

 

 

 

 ユリアをなだめつつそろそろいいか? と着替え終わったであろうラドを見る。

 

「あら」

 

 その姿にリアトリスは目を見開いた。

 ラドは亜人と装っていた時の姿に戻っていたが、今は明らかにその特徴が異なる。

 尖った耳はそのままに、小さかったツノはもとのドラゴンの姿を彷彿とさせる大きく立派なものに変化していたし、肌はラルにはない鱗が所々散見される。口から覗く犬歯は鋭く、柔い肉など簡単に食いちぎれそうだ。

 瞳の色もよくよく見れば金緑から金色へと変化している。髪の色は変わらず緑だが、より濃い色合いになっているよう思えた。ドラゴンの時と同じ色だ。

 

「ああ、これ? 普段は人化の深度を深めてるんだよ。結構疲れるんだけど、生活するにはこのままだと不便でねー」

 

 よく見ればその手も鱗に覆われて長く鋭い爪が伸びている。

 確かに人ほどの器用さは見込め無さそうな姿だ。すくなくとも人寄りの生活をする上では。

 

 

 

 ともあれユリアが落ち着いたようなので、リアトリスはこほんと咳払いする。

 

「少し話を……」

「おや、ラド。帰ったのか」

 

 説明をしようと口を開けば、その出鼻をくじかれる。

 見れば今度はアリアデスと並んで一人の老人が建物内から出てくるところだった。白髪交じりの草色の髪をいくつもの三つ編みにして結い上げている。なかなかに洒落た髪型だ。

 

「あ、じじ様。ただいま~」

「おかえり。ふふふ、この子の歌はお前の言う通り素晴らしいものだったぞ」

「でしょでしょ? あ、ジュンペイくん。僕にも聞かせてもらっていいかなぁ」

「え。あ、ああ。それはもちろん……んん? ラド?」

 

 ラルに服を着せてもらったラドが何事も無かったように老人の元へ駆け寄ると、声をかけられたジュンペイが疑問の声をあげる。その視線はラドと、先ほどまでドラゴンが居たはずの場所をきょろきょろと行き来していた。だが今その場にはあれほど大きく存在感のあったドラゴンの影も形も無い。

 となれば相手の今の姿や、似たような状態……魔物から人間へと変化しているジュンペイも予想がつくわけで。

 

「リアトリス。もしかして……」

「ええ」

 

 リアトリスはひとつ頷く。

 

 

 

「ラド。彼が私たちが探していた種族……ドラゴンよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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55話 亜人集落

 リアトリス達が戻る少し前。

 

 

 亜人の集落へ到着したジュンペイ、ユリア、アリアデスは一番奥の建物に案内された。

 他の家屋もそうだが、茶色い土で組まれた壁には鮮やかな染料で模様が描かれている。それを「美術館みたい」と称したのはユリアだ。

 

「何度か温泉郷に来たことはあるが、僕も亜人の集落は初めてだな。あの模様にはなにか意味がこめられていたりするのかい? 魔術文字とは違うようだが」

「魔除けだとか昔語りをもとにしたものですねぇ」

「ほう……興味深い。人口はいかほどかな」

「えーとですね。わたしとにい様を含めて三十人くらいですよぅ」

「三十ですか。思っていたより少ないですね……?」

 

 といっても、普通の集落の人数が分からないユリアとしては、それが本当に少ないのかはよくは分かっていない。相槌代わりに素直な感想を述べただけだ。

 

「わたし達は子供を残せないので。たま~に親たちがよそ様でこさえた子供を連れてきて、人口が増える感じですからねー」

 

 さらっと述べられた事実にジュンペイとユリアが目を見開く。そこにアリアデスが補足をした。

 

「亜人は一世代限りの種族なのだよ。ドラゴンの強い力を受け継ぎ長命だが、同種間でも他種族と交わっても子供は残せない」

「そんなことが……。あの、なんだかすいません」

「あはは! 謝られるようなことじゃないですよぅ。そういう種族ってだけなんですし。恋が出来ないわけでもなし!」

 

 気まずく感じたユリアが思わず謝ると、ラルはからからと笑って流す。本当に気にしていないようで、彼女はそのまま案内をした建物についての説明を述べた。

 

「ここは村で一番長生きしている、わたしたちの長が住む家でして。わたしはじじ様って呼んでます。お世話する人もよく出入りするし、催しや集会もここでやるから広いんですよ」

「じゃあここで……」

「そう! ぜひぜひ、歌を披露しちゃってください!」

 

 ぱあっと笑みを浮かべひとつ跳ねたラルが、そのままくるくる回って着地した。楽しみな様子を全身で表現されて、自信がないわけでないのに少々しり込みするジュンペイである。思っていたより期待がでかい。

 

「じじ様~。例の人たち連れてきましたー!」

 

 ラルが元気な声で呼びかけながら中に入っていくと、ざわざわと複数の人の気配がする。部屋の入り口と思しき垂れ下がった分厚い布を持ち上げると、金緑色の瞳が一斉にジュンペイを見た。その迫力に思わず一歩さがる。

 

「おお、よくいらした。みなも楽しみにしていてな。歓迎の準備はやや間に合わなんだが、よかったらもてなされてくれんかね」

 

 集まっていた亜人らの注目に怖気づくジュンペイに朗らかに声をかけてきたのは、若者が多い中で唯一年配と称せる年齢の男性。アリアデスほどではないが、老いてなお矍鑠(かくしゃく)としている。声もよぼつくことなく明朗だ。

 彼は自らの名をメヌドと名乗った。

 

「は、はい、よろしくお願いします……!」

 

 緊張した面持ちで答えれば、その場に集まりなにやら準備をしていた亜人たちが一斉に話しかけてくる。

 

「あなたが歌を歌ってくれるの? わぁ、かっわいい!」

「な! これは歓迎のしがいもあるってもんだぜ!」

「普段人こないもんね~、ここ。まあ来られても困っちゃうけど、まったく来なくてもつまんないっていうか」

「おいおい、わがままを言うな。お客人。なにもない集落だが、歓迎するぞ! いやはや、実は私も年甲斐もなく楽しみにしていてね!」

「よく旅してるラドやラルも知らない歌ってんだからすごいよね! 僕もたのしみ!」

「あたしも! あたしも!」

「お姉ちゃんもかわいいねぇ」

「二人とも黒髪だけど姉妹なの?」

「わわわっ!? いや、俺とユリアは別に姉妹じゃなくて……」

「お嬢ちゃん、自分のこと俺って言うのか? わはは! それもまた可愛らしい!」

 

 挨拶をしながらぎくしゃくしていると、亜人たちが我も我もと話しかけてくる。どうやらここの住民たちはみなラドとラルように非常に人懐っこいらしい。それとも珍しい客人に気分が高揚しているのだろうか。少し離れた場所にあるからかもう少し閉鎖的な空間を想像していただけに、少し意外だ。

 ジュンペイが人に埋もれて抜け出せなくなりそうだと見ると、ユリアがすかさず「せっかくなので専用の服に着替えたいんです。どこかお部屋を貸していただけますか?」と申し出た。それは快く受け入れられ、別室へと案内される。

 着替えの手伝いを申し出られたが、それは丁重に断った。

 

 やっと人の視線から解放されてジュンペイが一息つく。

 

「はぁ……。びっくりした」

「すっごく期待されてますねぇ」

「プレッシャーかけんなよ」

「そんなつもりじゃないですってば。さ、着替えますよ。ばんざ~いしてください」

「自分で脱げるし!」

 

 服を脱がせるところから世話を焼く気らしいユリアに顔を赤くして吠えると、ジュンペイは少々疲れた様子で服を脱ぎ始めた。

 

「な、なあ。やっぱり色々聞くのは歌った後の方がいいよな?」

「ですね~。そっちの方が聞きやすいです。あまり早く済ませるのもあれですし、せっかく歓迎の準備もしてくれているんです。ここは前半と後半で分けましょう」

 

 着替えたジュンペイの顔に化粧を施し、髪飾りを使って華やかに髪の毛を結いなおしているユリアは手を動かしながら頷く。

 

「分ける?」

「本来お礼をすべき相手の一人、ラドさんがまだ帰ってきていないでしょう? だから先に皆さんにお聞かせしてから、あとは彼が返ってきてからってことにして一度歓待をお受けするんです。その席でさりげな~く情報収集しましょう」

「な、なるほど!」

「んもう。しっかりしてくださいよ~? そんな様子でよくリアトリスさんに頼ってくれなんて言えましたね~」

「うっ」

「こらこら。真に受けない! ちょっとからかっただけですよ。君がこういうの慣れないの知ってますもん。だからジュンペイくんは、お歌をがんばってください」

 

 ユリアはにっこり笑う。

 

「とびっきり可愛くなってね」

 

 ジュンペイは分かってはいたものの、顔をひくつかせた。

 

 

 

 

 その後着飾られたジュンペイは緊張の中、亜人たちの前に現れた。

 愛らしく美しいその装いに、男女両方から感嘆のため息が零れている。種族関係なく見惚れられるとは本当に見た目は飛び切りに良いな、とジュンペイは複雑な面持ちで自らの外見の良さを自覚する。正体は誰かと話す事すら出来なかった世界の災厄……醜悪な魔物だというのに。

 

 ぺこりと頭を下げたジュンペイは、無意識に胸の前で手を組む。現在の核たる心臓もどきの鼓動を感じながら……ひとつひとつ、言葉を異世界の調べにのせはじめた。

 それは亜人たちの心を見事に掴んだようで誰もが聞き入るが……途中から以前興行を行った町とは様相が異なり始めた。早くも曲調を覚えたのか、何人かが思い思いに楽器を取り出して即興で範奏をつけはじめたのである。これにはジュンペイもユリアも驚いた。

 

 ラルもまたその一人で、木で出来た棒を二本。曲に合わせて小気味よく打ち鳴らし、ジュンペイの前に躍り出て見事な舞いを踊り始めた。

 それは歌い手であるジュンペイの意識を散漫にすることなく気分を高めていく。

 舞いは実に優美で美しく、それでいて身体能力を活かした凄まじい躍動感。

 

(た、楽しい。お祭りみたいだ)

 

 明るい曲調の歌に更に弾みがつくのを感じながら、ジュンペイはそんなことを考える。そしてふと、無意識下でまた体験したことのないものの単語を使っていることに気が付いた。

 

 祭り。そんなもの、当然知らない。

 だというのに耳の奥に祭囃子が聞こえてくる。

 

(祭囃子って、なんだっけ)

 

 ぽつりと心に落とした疑問に波紋が広がり、心が震えた。それは昨晩の記憶の泡より強いもの。

 それは新たな記憶を呼び起こす。

 

 

 

『今日は特別だよ』

 

 

 誰かの声が秘め事のようにささやいた。

 

 

『よかったね、許可もらえて』

『うん!』

 

(!)

 

 声に受けごたえをしたのは誰だ。

 

(くらくらする)

 

 いざなう。いざなわれていく。記憶の底へ。

 

 歌の高ぶりと楽器の調べ、優雅な舞いが一体となってある種の儀式めいた空間となっている。周りの者は純粋に楽しんでいるだけだが、ジュンペイの意識だけがふわふわと浮いていた。

 体は歌を見事に紡いでいるし気持ちもこもっているが、ジュンペイの意識がもうひとつそれを見降ろしているような感覚。

 今まで朧気だったそれが形を持ち始めた。

 

 

 

 白い天井。

 

 心配そうな顔。

 

 水の入った袋が吊るされていて管が伸びている。

 

 細くて白い枝のような腕。

 

 

 

「!!」

 

 そこで大きな銅鑼のような音が響き、ジュンペイの意識は一気に現実へと引き戻された。だが今思い出したものは記憶から消えることなく、確かにつかみ取った感覚がある。

 背中をひとつ、汗が流れた。

 

「おいおい、さすがに音がデカいぞ! 嬢ちゃんが驚いちまっただろ」

「ごめんごめん」

 

 目の前では今の大きな音を奏でたらしい打楽器と、その奏者が申し訳なさそうにジュンペイに頭を下げていた。

 

「あ、気にしないで。……その、みんな色々演奏してくれて楽しかった」

「そっか! そりゃよかった!」

 

 ジュンペイの言葉に嬉しそうにする亜人たちに自然と笑顔になる。リアトリスが心配だし緊張もしていたのに、今は高揚感で体がぽかぽか温かい。

 

「ふふ。そろそろ休憩してはどうだね?」

「……あ。そ、そうですね」

「素晴らしい歌をまだまだ聞きたいからね。疲れてしまっては、それもできないだろう。続きはラドが帰ってきてからにしよう」

 

 うまい具合に乗せてもらったというか乗せられたというか。思ったより長い間歌っていたようで、最初に前半と後半で分けようと言っていたユリアすら時間を忘れていたようだ。

 二人して長老メヌドの言葉に慌てて頷く。

 

 

 そしていよいよ情報収集をするぞ! と意気込んだ時であった。

 

 

「おや、噂をすれば。どうやら帰ってきたようだね」

 

 長老がそんなことを言うものだから、空気を吸いがてら外へラドを迎えに出たジュンペイ。

 だがそこに居たのはラドでなく、思っていたよりずっと早く再会した自分の嫁と……自分たちが目的とし、探し求めていたドラゴン。

 その後ドラゴンの正体をユリアと共に聞かされて、というか実際に目にして「と、灯台下暗し?」と二人で顔を見合わせた。

 

 

 

 そして一通り驚き終わったころ。……様子を見ていた長老が、笑みを深めながら声をかけてきた。

 

 

「して、お客人。ドラゴンになにをお求めかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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56話 長老メヌド

 ドラゴンと人。

 その相の子である亜人と呼ばれる種族が住む集落の長、メヌドはかつてない緊張を覚えていた。

 

 ……というのも理由は先日まで娘と共に気ままな二人旅を楽しんでいたドラゴン、ラドが帰還したところから話は始まる。

 否。異常事態はすでに数日前から始まっていた。

 

 

 

 数日前。この温泉郷をこともあろうに魔族の王が訪れたのである。それも人間を伴ってというのだから驚きだ。

 軽い魔物避けの結界など効力が発揮されるはずもなく、人に扮した彼は悠々と温泉郷の門をくぐってきた。存在感はあるがどうやら意図的に正体を隠しているらしく、おそらくこの温泉郷でその存在に気付いたのはメヌドだけだろう。

 

 メヌドはドラゴンだ。

 が、すでにその長い寿命の中でも老い衰えた存在。

 

 現在は自分たちドラゴンの子である亜人を装って隠居生活を送る身である。

 ドラゴンは若い時間も長く、メヌドのように見た目に老いが出るまで年を重ねたドラゴンは長老級、などと称されもするが……大層なのは呼び名だけで、他の生物に等しく老いは力を弱くする。

 魔王、それもかなりの力を有する相手だ。万が一戦うようなことになれば叶わぬだろう。これがただの魔族なら話は別なのだが、王ともなれば無理だ。

 ドラゴン信仰こそあれどここは人族の領域。人と魔は交わらぬという太古よりの絶対的不文律により、本来ならば魔族の王が大人しくしていることなどないはずだが……。緊張しながら観察を続けるメヌドの心配をよそに、数日経てど呑気に観光をしているだけだった。

 

 メヌドは老いこそしたが、その分若いドラゴンには使えぬ力を持っている。その場を動かずして遠方を覗き見ることが出来る、千里眼ともいえる力だ。

 気配を感知してより数日。それを魔王だけにむけ観察を続けたが……結果として路頭に終わった。喜ばしいが、拍子抜けと言えば拍子抜けである。

 

 魔王が人の領域でくつろいでいる。

 そのこと自体が異常事態であるが、人に害をなさない理由そのものには心当たりがあった。

 

(ふ~む。やはり聞いていた通りか。人と魔族の魂の垣根が消失しておる)

 

 メヌドは少し前に感じた世界全体が震える様もまた、自らの能力によって感じ取っていた。

 

 ゆえあってドラゴンはこの世界に属さないものとされている。ドラゴンと交わって生まれた亜人もまた同じ。そのためこの世界に生きるもの全てが感じたであろう異変を、メヌド達は正確に知ることが出来なかった。

 だがメヌドには長老として集落の我が子らを守る責務がある。よって情報の収集は必須。

 分からないならば聞けばいいと、よくよく世話になっている温泉魔術協会の人間に異変についてをすぐさま聞きに出向いた。

 

 

 聞いた異変の内容がまた驚きである。

 世界の三分の一を生き物の住めない土地へと変え君臨していた()の大魔物、腐敗公には世界そのものを転生させるための役割があったというではないか。

 

 しかもその腐敗公に不具合が生じた。世界が正しく転生を果たすために、現在世界樹から生きとし生けるもの全てに腐敗公の魂を刈り取れ、という命令が意識に刷り込まれているらしい。

 今の腐敗公では役目を果たせぬから、新しい存在に挿げ替える……そういうことなのだろう。

 

 して、副産物ともいえるのが魔族と人族の境界の消失だ。

 この二種族はより優れた者が残るよう交わらず、争うことを魂の根底で決められていた者達。だが腐敗公という強大な存在を刈るために協力が出来るよう、誰もが知らないままに連綿と紡がれてきた呪いともいえるそれが現在消えている。

 

 温泉魔術師教会の者達の中には引退した大物が何人か紛れている。その彼らが正しく世界樹から刷り込まれた共通認識を分析し言語化した内容のため、メヌド自らがその「共通認識」とやらを感じ取れなくとも信じるに値する情報だ。

 そしてここ数日、裏付けとして魔王が人の中で悠々と寛いで知る様を見せつけられているわけだが……。

 

 

 

 そんなさ中、若くはあるがこの集落では唯一自分と同じドラゴンであるラドが帰ってきた。

 

 

 

 帰って早々に若い女に声をかけている様子に「そのうちまた一人増えるかの」と集落の人口や、さてそうなれば誰に子育てを手伝わせよう……などと考えていた。魔王については気になるが若く強い同族が帰還したことに安堵もしていたのだ。

 だが。

 

(ん? んんんんんんん!?)

 

 メヌドの感知に妙な気配がひっかかる。それはラドが声をかけていた女性の仲間らしく、見た目は大変に愛らしい少女だった。メヌドがもう三百歳ほど若かったならば将来を見越して求婚していただろう。とんでもない美女になる、と。

 だがその少女の気配は異質極まりなかった。更に言うなれば件の少女ほどでないにしろ、ラドが声をかけていた女性もだ。

 

 メヌドは嫌な予感を覚えつつ、人に擬態していた魔王の正体を見破った時のように千里眼の力を強めた。その際彼女らと共にいた老魔術師が反応していたが、その程度問題ではない。

 問題。大問題は、その後だ。

 

「ふ、腐敗公じゃとぉぉぉぉ!?」

「うわっ。長老。どうなさいましたか? 腐敗公?」

 

 千里眼を切るなり叫んだ長老メヌドに、丁度夕餉を届けに来ていた側付きの者が驚いた。しかしメヌドとしては今知った事実を説明する余裕はない。

 

(ど、どういうことじゃ! なぜ腐朽の大地の外に腐敗公が!? しかもあんなかわいこちゃんに……! いや、いや見た目で騙されるでないぞメヌドよ。あの気配、昔好奇心で見に行った時と同じじゃ。間違いない。我らのように人化の術を身に着けたのか!? )

 

 ひとりブツブツ話し出したメヌドに「そろそろボケたのかな……」と言いながら退室していく付き人。文句を言う暇はない。

 見たところその力は非常に弱く、本体そのものでないのでは、と予想をつけたがそうだとしても一大事である。千里眼は便利な力であるが、あらゆる情報を得られるほど便利でもない。……現時点では、判断に要する情報が少なすぎた。

 

 

 魔王と腐敗公がよりによって何故そろって温泉郷に。

 その疑問はのぞき見を更に続け、彼らが接触したことで魔王が腐敗公に用があった、という事だけは理解した。

 だが魔王は腐敗公を攻撃するでもなく、一緒に食事をした後「腐敗公の分身はここにいるぞ」という内容を含んだ信号の魔弾を拡散するにとどめている。腐敗公を倒す仲間を集めるためだろうが……分身ならば自身のみで倒すことも捕縛することも可能だったはずだ。少なくともメヌドの見立てでは。

 疑問はさらに深まる。

 

 極めつけは夜遅くに集落へ帰ってきては、自分が声をかけていた少女たちの正体も知らずに「聞いて聞いて。僕たち、とっても可愛い歌姫と知り合ったんだ~! 僕らも知らない歌を教えてくれる! この集落へ来たいって言うから、せっかくだしみんなの前で歌ってもらおうかなって」などとのたまう同族である。

 しかも夜も更けていたというのに大声で言うものだから、集落中にあっという間にその話は広まった。

 亜人たちは親であるドラゴンの特性を受け継いでおり、その好みもまた似ている。……つまり歌や音楽が大好きなのでだ。

 旅に出ていた仲間が帰ってきたと思ったら楽しそうなことを言うものだから、その場の空気はあっという間に「じゃあせっかくだけ歓迎しなきゃね!」というものに変わっていた。メヌドは頭をかかえた。

 

(しかし……)

 

 ここで長であるメヌドが「否」と言えばこの賑やかさもおさまるだろう。だが気になるのは相手が「ここに来たい」と申し出ている事。亜人という種族が居る以外、特段観光する場所も無いこの場所に。

 そうなると考えは絞られてくる。腐敗公ら一行が求めているのは場所でなく、人。もしくは種族そのもの。

 

「ドラゴンに用向きか……?」

 

 メヌドはふむと頷いた。

 

 実のところ、世界がどうなろうともメヌド達ドラゴンや亜人にとっては深刻な問題ではないのだ。むしろ壊れたら壊れたで先達が悲願としていた事が叶うかもしれない。逆に無事ならこれまでの生活を送るだけ。

 

 魔王の放った信号で少しもすれば腐敗公を狙う者達が集まってくるだろう。温泉魔術協会の者達へは下手に手を出せば危険だと伝えて何もせぬよう留めてあるが、最初から討伐を目的をしている者達は違う。

 となれば話す機会は明日を置いて無いはずだ。加えて腐敗公とは違うが、ラドが言い寄っていたもう一人の黒髪の少女も気になっている。

 

 厄ネタとして拒否することも容易いが……メヌドとてドラゴン。好奇心は強い。

 

 

「ここはひとつ、話を聞いてみようかの。あれだけ楽しそうに観光していたんじゃ。接待して心象をよくすれば、悪いようにはせんだろう」

 

 

 そう結論付け、歓迎を許可した。とんでもない存在を連れて来たラドにはもう少々話を聞きたくあったが、自由気ままな青年ドラゴンは早々に自分の家で寝てしまっていた。

 自分も気ままに過ごしていた若いころを思うと言いにくくはあるが、少々頭の痛いメヌドである。

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

 

 

 

 

 世界最強の大魔物を、なんとか余裕の面持ちで長老たる風格を保ったまま歓迎したメヌド。内心はとても緊張している。

 さてどう話を切り出したものか、と思っていたところに丁度正体を露わにしたラドが帰還した。

 

 メヌドはここだ! とばかりに問いかけを放つ。

 

 

 

 

「して、お客人。ドラゴンになにをお求めかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長老視点


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57話 金眼が見通すモノ

 ドラゴンに何を求めるか。

 

 直接的にリアトリス達に目的を訪ねてきた老人は、ややあって「ああ、失礼」と首を横に振った。その後ろからはなんだなんだ、とばかりに中に居た他の亜人たちも姿を現し始める。

 メヌドはそれをちらと見やると、リアトリス達に中へ入るよう促した。

 

「挨拶もそこそこに申し訳ない。わしはメヌド。ここの長をしておりまする」

「ど、どうも。リアトリスです」

「なにやらお疲れのようだ。どうぞ中へ。腰を落ち着けて話しましょうぞ」

 

 言ってから老人はしばし考えあぐねる仕草をみせ、近くの若者に人払いを頼んだ。亜人たちは新たに訪れたリアトリスにも興味津々といった様子だったのだが、長の言葉を優先して渋々ながら建物を後にしていく。

 ジュンペイに対して口々に歌のここがよかった! と言ってから出ていくので、ジュンペイとしてはむず痒い。

 

 建物内へ案内される途中、道すがら長老がラドに問いかけた。

 

「……さて、ラドよ。それにラル。昨日は聞きそびれたが……腐敗公をお連れした事。何か考えあってか?」

「!!」

「腐敗公? そういえば昨日のお兄さんたちがそんな冗談を言っていたけど……」

 

 長老メヌドの言葉に首を傾げたのはラルだ。その様子からラドから彼が料理屋で盗み聞いたリアトリス達の会話、事情を聞いていなかったことが窺える。後ろでは正体を知られていたことに驚いだジュンペイが身を固くしていた。

 

 更に言うなればメヌドが今ラドに問いかけたところを見るに、彼はラドから話を聞かずしてジュンペイの正体を看過していたことになる。

 そのうえで歓迎の意を示していた。……これはどういった意味合いを持つのだろうか。ラドの真意も測りかねているというのに、疑問は増える一方だ。

 

 ジュンペイの正体を隠したまま話を聞こうとしていたリアトリス達だったが、思っていた以上に相手が有している情報が多い。

 実際に居るか分からなかったドラゴンに会えたこと自体は僥倖なのだが、これはあまりよくないなとリアトリスは緊張を深める。

 それに対してドラゴンの青年はどこまでも自然体だ。

 

「え? ああ。そういやジュンペイくんて腐敗公なんだっけ? 昨日あのお兄さん達と話してたよねぇ。冗談かなーって思ってたんだけど、じじ様が言うなら間違いないね。本当だったんだ!」

 

 ラドは軽い調子で言うが、それもどこまでが本当かいまいちわからない。

 何故かといえばジュンペイの呼び方だ。本名を知ってから気安くリアトリスとユリアをちゃん呼びしていたラルだが、ジュンペイはくん付け。それは「花嫁」をもらう立場の腐敗公を雄と認識し、ジュンペイの正体が正しく腐敗公であると知ったうえでのものではないだろうか。

 

 リアトリス達が困惑していると、長老メヌドが手に持っていた杖でラドの尻を思い切りひっ叩いた。予備動作無しの非常に素早い動きである。

 

「いったぁ!?」

「馬鹿者! お前もそう若くないのだからもう少し思慮というものを深く持て! 考え無しにお連れして良い相手ではないぞ!」

「僕はまだ若いよ! それにじじ様も連れてきていいって言ったのに!」

「三百歳超えてりゃドラゴンでも若者とは言わん! お連れすることは、まあ……了承したがそれとこれとは話が別だ。わしはお前になにか考えがあったのかを聞いとる。声をかけている相手の正体を知った時、ひやひやしとったのだぞ。見ていたこちらの身にもなれ」

「ええ~? だって僕はジュンペイくんが本当に腐敗公だなんて確信してなかったわけだしぃ~」

「どうだか。あと、かわい子ぶるな。ラルならともかくお前では可愛くもなんともないわい」

「そんなぁ」

 

 不満そうなラドにリアトリス達から「これが三百歳を超えているのか?」という視線が突き刺さった。そして次に視線を向けられたのはジュンペイである。

 各人から向けられる視線には「あ、でもこっちは五だか六百年だか生きてたな」という意味合いが込められており、ジュンペイとしては年齢にそぐわなくて悪かったな、と頬を膨らませるしかない。そういった仕草がまた幼く見えるのだが。

 

「そういえば、あなたもドラゴンなんですか?」

「ん? ああ。そうじゃよ、お嬢さん」

 

 ユリアが問いかけると吊り上げていた眉毛をゆるりと下ろし、老人は穏やかに肯定した。

 そして静かに腕を組んでいるもう一人の老人、アリアデスを見る。

 

「そちらの御仁は気づいていたようじゃが」

「確信まではありませんでしたよ。ラドくんの方はもしや、とは思っていましたが……あなたは彼以上に隠すのがお上手だ」

「ほっほ。これでもそやつの倍は生きておりますからの」

 

 つまりこの老人。否、老ドラゴンは六百歳ほどということ。同い年くらいなんだ……と考えてしまい、ジュンペイは更に複雑な気持ちになった。

 リアトリスとアリアデスはといえば、下手をしたら腐敗公が現れる以前の旧世界を知っている相手ときて目をむいていた。……当たりどころか、大当たりである。

 

「どうぞ、話はこちらで。ささやかながら歓迎の準備をしておりましたでな」

 

 メヌドはそう言うと広間へとリアトリス達を案内した。ジュンペイが歌を披露した部屋とはまた別のようで、広い円形の机には亜人たちが用意してくれた歓迎の料理が並んでいる。

 大立ち回りをした後だけに、朝しっかり食べたにもかかわらずリアトリスの腹の虫が鳴きかけた。だが昨日と違い、気合で抑え込む。自分を褒めたい。

 

「……はぁ。それにしてもお前、その程度の気持ちで連れてきたのか。やれやれ」

 

 腰かけるなり再度ラドへの小言を述べるメヌドだったが、ラドに反省したような様子は見られない。

 

「だって僕としては素敵な歌を歌う子だなぁ、仲良くなりたいなぁって声をかけただけだし。ね? ラル」

「う、うん。というかね、とと様? 腐敗公ってどういうこと? わたし、それについては聞いてないよ?」

「あ~……。だって、話の内容が内容だけに、ね。どこまで本当かってのも分からなかったし。これはホント、ホント」

「どうだかのぉ~」

「ねぇ~」

 

 娘と長老からジト目で見られてラドは逃げ道を探すようにして視線を彷徨わせた。そしてばちっとジュンペイと視線がかち合うと、手を叩いて「さぁ!」と言わんばかりに手を広げた。

 

「君たち、僕らドラゴンに聞きたいことがあるんだろ? なら答えるからさ。そっちの事情も聞かせてくれない? ここまできたなら、隠しっこなしで」

 

 ラドの言葉にリアトリスはしばし考えるが、どちらにせよ魔王との対談は聞かれているのだ。彼はそれを含めたリアトリス達の事情を整理した上で話してほしい、と要求しているのだろう。

 どうも長老とラドたちの間に認識の齟齬があるような気がしてならないが、もしこれで話を聞けるならば安いものだ。

 一度は追っ手を撒けたが、あまり温泉郷へ長居も出来ない。緊張感はとけないが、ここで下手にまごついても損するだけだと割り切る。

 

「……わかったわ。お願いする立場なのはこちらだしね」

 

 リアトリスはひとつ頷き、この温泉郷へ来た目的を簡潔に語った。

 

 

 

 ひとつ。腐敗公であるジュンペイが世界から排除されないための方法を求めている事。

 ふたつ。そのための手がかりになる情報を、魔族でも人間でもない、理の外に居るであろうドラゴンが持っていないか知りたかった事。

 みっつ。実際の手段として用いようと考えている、生命樹の種を所持していないか聞きたかった事。

 

 最低限に絞った事情の説明と、彼らに訊ねたいことをかなり簡略化してまとめた。

 その他はメヌドが腐敗公がなぜそんな姿なのか、何故魔王が居るのかなど質問をし、それに答える形となった。

 

 

 

 話しの途中で分かった事がある。

 

 どうやらラドとラルは腐敗公が世界転生の要となる存在だと知らなかったようなのだ。少し前に変な気配はしたが、世界全ての知恵ある生き物に共通認識として刷り込まれた情報……それらは受け取っていないと。

 それについては長老メヌドが補足をしてくれた。

 

「お察しのようだが、我らはこの世界の理の外に居る。仲間外れと言った方がよいかの。……ゆえにその情報を自分たちだけで知りうることは不可能なのじゃよ。わしは知り合いに聞いて、およその理解はしているが」

「じゃあラド達は今初めてジュンペイの、腐敗公の役割を知ったわけか」

 

 目の前の愛らしい歌姫が原因で、三年で世界がなくなってしまうかもしれない。それを初めて知った彼らはどう受け止め、どんな目でジュンペイを見るだろうか。

 だがリアトリスの懸念をよそに、ラルは人差し指を唇にあてて首を傾げた。その様子に嫌悪の感情は見られない。

 

「う~ん。そうなりますけど……共通認識ですかぁ。聞いただけじゃよくわからない感覚ですね。多分それを受け止めていたら違うんでしょうけど、話だけで聞くと奇妙な感じです」

「ああ……」

 

 なるほど、そうなるわけかとリアトリスは頷いた。

 

 自分の家族を含めた人族、魔族の知恵ある生き物達は、知識不足による違和感を刷り込まれた認識によって理解、納得へと変えていた。ラルのようにそれが無いものにとって、表面だけの話を聞いただけでは飲み込めないのが普通なのだろう。

 リアトリスもまた、肝心の異変の時にジュンペイと接触していたからか共通認識の刷り込みを完全に受け取れた状態ではなかった。だがリアトリスは魔術師である。その辺は知識と、オヌマ、エニルターシェらから話を聞いたことで補完が出来ている。

 長老メヌドも同じく知人からの知識を得ていたようで、その辺がラド達との間に認識の齟齬があると感じた理由だったらしい。

 

「ええと。世界が消えちゃう可能性だっけ? なら僕らにはあまり関係ないかなぁ」

「はぁ?」

 

 考えを巡らせていると、ラドが何でもないように言うものだから思わず声が出る。住む場所そのものが自分たちごと消えることを関係ないとは、流石にそれはないんじゃないか? と。

 しかしながら、リアトリスの驚きをよそにメヌドはそれを肯定した。

 

「うむ。むしろなったらなったで、ドラゴン全体にとっては歓迎すべきこと。まあそうならなくとも構わぬわけだから、わしらにとってはどちらでも良い事なのですじゃ。だからというわけでもないが、我らにあなた方と敵対する意思はないのですよ。……これは最初に言うべきことでしたな」

「ええ!?」

 

 自分が原因で世界が消える。そんな重荷を背負っていたジュンペイにとって「歓迎」の一言はこの集落に招かれた時以上の驚きだった。

 

「俺が言うのも変だけど、住む場所ごと消えちゃうんだぞ? 大変なことだし、焦ったりしないの? それに俺の事が怖くない?」

 

 驚きのままにぱたぱたと手を動かしながら問うジュンペイに、ラルがくすっと笑う。

 

「ピンと来てないってのもありますけど、こ~んな可愛い子を怖がるのはわたしにはちょっと無理ですよぅ」

「それは! 俺が今こんな姿だからで……」

 

 それ以上どういって良いか分からず、ジュンペイは肩をすくめて口をもごもごとさせた。

 見た目もあるが、そういった仕草や言動が人に脅威を抱かせないのだと気づいていないのは本人ばかりである。

 

 そんなジュンペイに気を遣ったのか、ラドがことさら明るい雰囲気を作った。

 

「ともかくジュンペイくんがどんな存在でもさ、僕は純粋にこの子の歌を楽しみたかったんだよ。それ以外に関わった理由なんて無いし、連れてきたのはここへ来たいと言われたから。以上!」

「ふむ。まあそこに惹かれるのも無理はないが……。わしも先ほどの時間は実に楽しませていただいた。相手が腐敗公であることなど、一瞬忘れてしまうほどに」

 

 目を細め満足げに頷いたメヌドは、ちらとユリアを見た。

 

「お嬢さん。あの歌を腐敗公に教えたのはあなただと聞いているが」

「え、ええ」

 

 長老の金緑の瞳が金色に染まりユリアを、そしてジュンペイを見つめる。魔術的な気配にリアトリスが身構えるが、それをアリアデスが制した。

 

「害あるものではない」

「ですけど……」

「おお、失礼。わしの眼は便利での……遠方や、外見だけでは分からないことも見通せる。この距離ならば、なおのこと」

 

 メヌドはあごを撫でると何かを納得したように頷いた。

 

「どうやら"あなた方"は……我らと同じ外来種のようだ。ラドとラルが惹かれた最大の理由はそこだろう。現にわしを含め、他の子らもずいぶん魅了された。歌には世界の香りがよく混じる」

「あ、やっぱり? 僕にはじじ様みたいな力ないから確信は無かったけど……」

「そこまで気づいとったのならもっと分かりやすい部分の正体も見抜けるようになれ」

「はぁい」

 

 外来種。

 

 新たな言葉に異世界から召喚された聖女と、推測段階ではあるが同じく異世界の魂をもつ可能性のあるジュンペイが身を強張らせた。

 リアトリスの戻りが予想以上に早く、頼まれていた情報収集が出来ていなかった事に気まずさを感じていた二人だが、いざ提示された情報は予想外のもの。

 世界の法則を、理を外れた存在であるドラゴンとはなにか。そこから手がかりを手繰るつもりだったが……まさか自分たちに関わることを言い当てられるなど思いもしない。

 

「あの。お話を聞かせていただいても?」

 

 意を決してリアトリスが長老を見る。

 気になることばかりではあるが、敵対する様子もなく人払いまでしてくれたのだ。推測するよりも直に聞いた方が早い。

 

「もちろん。何をしてやれるでもないが、昔語りをする程度ならばできますじゃよ」

「知らない情報を聞かせてもらえるだけで助かるわ。そのためにここへ来たんだもの」

「ほっほ。それはよかった。腐敗公が世界から排除されないための方策などわかるべくもないが、我らの話の中に糸口がみつかるかもしれないと……貴女はそうお考えなのだろう」

「ええ」

「ならば語りましょう。どうせ同族以外には語る機会など無い話。それをお聞かせできるなら、わしにとっても喜悦となりますゆえ……」

 

 

 

 うっそりと笑った老人の瞳には、永くの時を生きた英知が垣間見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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58話 ドラゴンの語り部 ★

 アリアデスはゆったりとした面持ちの老ドラゴン、メヌドをしばし観察する。表面上は落ち着いているようだが、アリアデスの眼にはひどく緊張しているように見えた。

 服の上からでもその動作で筋肉の張り方、強張りを見抜き判断する。おそらくこの場ではアリアデスにしか出来ない芸当だろう。リアトリスはアリアデスにしてみればまだまだ観察眼は粗雑。気づけまい。

 逆に相手が有している情報で緊張してしまっている。それも無理はない事だが、これはまだまだ鍛えなければならぬようだなと嘆息した。

 ……その機会があれば、だが。

 少なくともアリアデスは、その機会がある未来を願っている。

 

 老ドラゴンの緊張も無理はない。腐敗公とは本来、ドラゴンとて緊張せずに相対するなど不可能な相手。それでも迎え入れたのは、おそらく好奇心が勝ったか。

 憶測ではあるが、あながち間違ってはいないだろう。ドラゴンとはそういう生き物だ。

 

 アリアデスも弟子が連れて来た相手でなければ、初対面時、腐敗公ジュンペイを前に緊張を強いられただろう。……だが己の課す修行をやり遂げ若くして宮廷魔術師となったリアトリスを、呆れる割合の方が多いもののアリアデスは信用している。

 その信用している部分というのが、利己的なくせに根が庶民で分不相応の大望など抱かず、才能に起因する察知能力、本能ともいえるそれで己にとって本当に危険な物には手を出さないだろう……という、本人が聞けば不満げな顔をしそうなものだ。最終的に王子をぶん殴り処刑台送りにはなったが、王宮という伏魔殿ではその本能でもって最も湿った部分は上手く回避していたように思える。不器用さと天秤にかければ生きやすさはとんとんだが、なかなか出来る事でもない。

 アリアデスにしてみればそういった人間だからこそ、安心して家名及び新たな名前、己の技術を授けられたのだが。

 

 才能がありそれを自分で信じて疑わず、かといって途中で満足せず己を高めることに積極的。根は意外と真面目でよく慢心はすれど傲慢にはなりそうでならない……それがリアトリス・サリアフェンデという人間だ。

 弟子試験を勝ち抜いてきた事を抜きにしても、そんなリアトリスだからこそアリアデスは弟子として育てた。そこには確かな"信"が存在する。

 

 なればこそ、弟子が一年見極め信頼したジュンペイを受け入れ、こうして今も見守るにとどめている。

 

 もちろんあらかじめ予告してあるように「生かしたまま世界を保つことが不可能」と判断した場合は、己の命を賭してもジュンペイの魂を刈り取るつもりだ。腐敗公の人格がいくら好ましく、アリアデスにとっての孫弟子であろうとそこを曲げる気はない。

 これは現在その在り方を許容し、見守っているアリアデスの責任でもある。

 

 

 そして生き残れる未来を願えど、別れの時は遠からず来るものと思っていたが……。

 

 

 しかし、どうだろうか。

 解決への糸口となる情報の収集などリアトリスは軽く口にしていたが、確率は雲をつかむに等しい。だというのに彼女らはこの短期間で目的のドラゴンへとたどり着いた。

 それも長老級。……大当たりも良いところだ。

 

 これは元から住んでいたから会えただろう、ということではない。きっかけが無ければ老ドラゴンは自らの正体を明かさなかったはずである。

 この手合いの雰囲気は、隠居した者が持ちうるもの。集落を尋ねたところで名乗ることは無かったはずだ。

 

 だがまず先んじて彼女たちはもう一体のドラゴンと出会っている。その彼を引き寄せたのは歌。歌をもたらしたのはリアトリスとジュンペイが助けた異世界の聖女。更には巡り巡って、アリアデスも知らないドラゴンの歴史、異世界と通ずる縁が語られようとしている。

 運もあるだろうが、これらはリアトリス達の行動から成り立っている。アリアデスにしてみれば無鉄砲極まりない動きの数々だが、結果的にそれが流れともいうべきものを引き寄せているのだ。

 これが消極的に縮こまっていれば、なすすべなくより大きな流れに押し流されるだけだっただろう。

 ……それこそ、彼女らが相手取っているのは流れどころかそれを内包する"世界"なのだから。

 

 が、魔術師とは世界を流れる魔力の支流を読み取り選択、引き寄せてこそ一流。

 その支流の根源にたとえ世界樹があったとしても、もしそれすら上回るのだとしたら……これほど愉快なこともない。

 

(なれば、僕は今しばし見ていよう、どこまで賑やかに生き抜いてくれるのか)

 

 殿下、あなたもそういったものが見たくて魔王まで巻き込んだのでしょう? とアリアデスはどこぞで見ていると思われる自国の王子に心の中で問いかけた。

 魔族があれだけ派手に温泉郷を訪れたのだ。気配は窺えないが、動いたリアトリス達の様子を魔王の力を借りてどこぞから見ているに違いない。

 

(のぞき見のために魔王を巻き込むとは贅沢なお方だ)

 

 エニルターシェが魔王ザリーデハルトを"遊び相手"に引き込んだ目的は、他勢力が個人戦力で腐敗公に対しうる可能性が最も高いザリーデハルトの協力を得て、容易く分身であるジュンペイを制圧してはつまらないから。そしてもし世界が消えてしまうなら、その前に自分の好物を堪能したいから。……とは昨日の対談で本人と魔王それぞれから語られた内容ではあるが、その実エニルターシェの念望はもっと単純だ。

 

 本人も魔王も口にしていたが「見物」こそが単純かつ最大の目的。

 

 エニルターシェは立場や性格はどうあれ魔術師でもない普通の人間。どんなに金を使おうが、リアトリス達の同行を追う事は容易ではない。それも部下の使い魔伝えの記録で知るなどでなく、生で見るとなればなおさら。

 困難を前に走り回る自分のお気に入りと、世界最強の魔物。エニルターシェに必要だったのは、その一挙手一投足を見逃さないために協力してくれる、同じくこの余興を楽しんでくれる相手だ。

 その相手に魔王、しかも魔皇とまで呼ばれる者を引き込むことを贅沢と言わずしてなんと言おうか。そこへ至るためには相応の危険もあったはずだが、結果的にしっかり取り込んでいるあたり大したものだし度胸もある。この辺はアリアデスも素直に賞賛するところだ。

 

 エニルターシェ・デルテ・アルガサルティス。狂人ではあるが、あれも正しく人生を楽しむために生きている。

 この辺は筋肉を鍛えぬき、魔術師としてひとつの在り方へ昇華させることに美学を見出すアリアデスとも共通するところだ。嫌がるだろうが、リアトリスとも似ている。

 

 

 どう盗み見て、あるいは盗み聞いてるかは分からない。

 

 だがドラゴンが種族の歴史を語る場面など滅多にないのだ。

 それを共有できる相手がいるならば、機会があれば世界の深淵について語りたいものだと……そんなことを考えながら、アリアデスは老ドラゴンの語りに耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「理を外れている、とお考えの我々ドラゴン種とはいったいなにか。お求めの話はそれでよいかね?」

「ええ」

「では素晴らしい歌へのお礼とわしの好奇心を先に満たして頂いた対価に、語りましょう。大したことの無い話ではありますが」

 

 メヌドの言葉に頷けば、彼は茶で口を湿らせると語り始める。

 

「わしらドラゴンはな、単純にこの世界の生き物ではないのだよ。この世界に住んでこそいるが、属してはいない。"ドラゴン"という種族名も、もともといた世界の言葉ですじゃ」

 

 この世界でない場所。そういった概念は異世界から召喚されたユリアが居るため納得できた。リアトリスとしてはいずれ自ら観測して、ユリアが帰還するための術を作る予定でいる。

 だが現時点ではほぼほぼ未知の領域だ。メヌドが言う別の世界が、ユリアと同じ世界だとも限らない。

 そんな場合でもないのだが、神妙な面持ちをしつつもリアトリスは自らの好奇心がうずくのを感じていた。これも魔術師としてのリアトリスの(さが)である。

 

「僕らが別世界の出だってのは、けっこう前の世代の話だから馴染みは無いけど昔話としては聞かされてきたよ。それは他のドラゴンや亜人たちも同じだと思う。馴染みが無くても当たり前……みたいな? 別世界ってものを説明するのがまず難しいから、普通は他種族に話す事なんてないけどね」

「いつか大々的なお引越しというか、帰還? があるかもしれないよ~って聞かされて育ってきましたねぇ。家屋の模様にある昔語りも、その辺の伝承が多く記されてますぅ」

 

 ラドとラルも自分の知る知識で捕捉をしてくれるが、その中でまた首を傾げるような内容が出てきた。「お引越し」もしくは「帰還」とは、どういうことだろうか。

 ともかくその態度にはやはりジュンペイを忌む様なものは見受けられず、今話してくれている内容がその辺の理由に関わっていそうだ。

 

「ここと別の世界……話しっぷりからすると、星幽界ではないのよね? 異世界ってことは……ユリアと同じ世界から?」

「おそろいだね、ユリアちゃん!」

「気安くちゃん付けするなっていいましたよね」

「すみません」

 

 すかさず切り捨てるユリアにラドが長身をすぼめて小さくする。

 ドラゴンとしての雄々しい特徴を備える姿であまりにしおらしい態度なので、それ以上はユリアも矛を収めた。

 

「……まあいいです。好きに呼んでください」

「本当!?」

「調子にはのらないでくださいよ! こほん。あと、今のお話ですけど。別の世界といってもそれが一つとは限りませんよね? 私の住んでいた世界にドラゴンなんていませんでした」

 

 言いながらも、ユリアは空想にふけるのが好きな少女だった。今でこそ稀有な体験こそが日常と化しているが、この世界へ来る前のユリアならば自分の世界にもドラゴンがいたのかも! と瞳を輝かせていただろう。

 そんなユリアの心を見透かしたわけでもないだろうが、ラドが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「知らなかっただけかもよ? というかさ、僕らの祖先がこちらに来てしまったから、ユリアちゃんの世界からいなくなってしまったとか。そういう可能性もあるんじゃないかなぁ」

「それは……」

 

 ラドの言葉にぐっと押し黙るが、そのあたりの問答は正解を知る者などこの場に居ないため無意味。

 ユリアは「なくはない、くらいの気持ちで受け止めておきます」と言うにとどめ、メヌドに視線で話の続きを促した。

 

「現在この世界には転生の機会が訪れているのだと……そういった話でしたな。そして腐敗公が正しく機能せねば、転生叶わず内包する生命ごと消えてしまう、と」

「……うん」

 

 沈痛な面持ちで頷くジュンペイを見ながらも、メヌドは自らも確認するように言葉を続ける。

 

「ふむふむ、なるほど。我らドラゴンはおそらく、その世界転生の際に巻き込まれた存在なのでしょうな。以前のね」

「それってどういう……」

「なに。わしが父より伝え聞いていた話に、現在の状況を当てはめただけですじゃよ。腐敗公が異界の魂を持つ者であると知らなければ、この推測にも行きつきませんでしたが」

 

 メヌドは心なしか興奮しているようで、わずかに身を乗り出す。それは話を聞いているラドとラルも同じだ。

 

「じじ様、その推測って? わたしも気になる!」

「僕も僕も」

「待て待て。ええとじゃな……」

 

 あくまで本当に推測だが、とメヌドは前置くも瞳の光はどこか確信めいたものを宿している。おそらく、彼の中で何かが繋がり納得したのだろう。

 

「えー、ごほん。……わしが聞いた話によると、ドラゴンは別の世界からこの世界に引き込まれ、そのまま閉じ込められてしまったのだという」

「閉じ込められた……ですか?」

「ああ。なんでも一族丸ごと移動してしまったそうだ。そしてそのまま帰れなくなった。……世界間を移動する方法を知っていたにも関わらずな」

「それはまた、大変だったわね。というか、今の言いっぷりだと世界ってものは国のようにたくさんあるってこと? で、ドラゴンはもともとそれを行き来する方法を持っていたと」

「うむうむ、そういうことじゃ。ドラゴンの翼は本来世界をも渡りうる。実際に行ったことは無いが、本能に刻まれているらしくてな。その時が来れば出来るだろうと、そう教わってきたよ」

 

 あまり馴染みのない概念に加えて次々と新情報を述べられて、気分的にはそれこそ物語を聞いているようだ。が、彼らにとってはそれが歴史なのだろう。つまり事実。

 リアトリスはひとつひとつ整理して、己の頭に収めていった。

 

「まずドラゴン自らの移動方法でなく、別々に存在する世界が繋がり一種族まるまるが移動してしまうような大々的なほころびが出来ることなど実に稀有。奇怪極まりない。だが世界そのものの転生などと聞けば、なるほどそれかと思い至る。ふふ。実のところ年甲斐もなく、推測を交え語っている今が楽しいのですよ。昔語りをするだけのつもりが、申し訳ない」

「いいえ。そういった情報こそたくさんほしいんだもの。私だって魔術師として楽しいし、とっても助かるわ!」

「それはよかった」

 

 メヌドはそこにきて少し肩を下げる。それは気を落としたというより、肩の力が抜けたと称するにふさわしいものだった。その場で気づけたのはアリアデスのみである。

 

「これはもしかすると、なのですが。……転生の際に必要なものを別の世界から取り込むのが、今我らが生きている世界の生態なのかもしれませんな」

「せ、生態?」

「ほっほ。戯れに世界をひとつの生き物に例えてみたのですよ。神やら上位存在などで言い表すより、身近に感じるでしょう」

 

 メヌドは言うと、手元の茶に一滴なにやら小瓶に入っていた液体を垂らす。すると緑色だった茶が瞬く間に黄色に染まった。

 

「これは温泉郷特産の火山帯でも育つ茶葉でしてな。こうしてモデレの果汁を垂らすと色と風味が変わる。よければ飲んでみてくだされ」

 

 話の途中に珍しい茶を進められて、これは休憩を挟もうというのか? と感じるもそれは前振りだったようだ。

 

「我らの場合は違うが、一般的に生物は同じ血が交わり続けるとよくないことが起きる。それを防ぐための手段として、転生の際に別世界の生き物を必要とするのではないか。……なんての」

「!」

 

 メヌドの言葉にジュンペイがが目を見開く。

 

「以前はドラゴンが。今回は異世界の魂が腐敗公という転生の要となる器に。そう考えると腐敗公に縁も感じようというもの」

 

 ずずっと茶をすするメヌドであるが、ジュンペイはどくどくと中核たる心臓もどきが鼓動を刻むのを感じた。音はまるで耳元で響いているようで、落ち着かない。

 そんなジュンペイの手をリアトリスが握るが、ジュンペイはひと呼吸すると「大丈夫」と笑ってみせた。

 

「我らの場合は違う、と申しましたな。ドラゴンは他の種族に比べ長命だが、今や同族も減り人間との間に出来た子供らは子孫を残せぬ。このままならゆるやかに滅びていくでしょう」

「子孫を残せない……。考えてみればそれも生命の特性としては歪なものだったわね。それもこの世界のものでない、という証明か」

「左様。まあ自分が楽しんで生きられたなら、それで満足というのが最近のドラゴンの考えなのだが。わしら、長生きじゃし」

「へぇ。お気の毒とも思うけれど、その考え方は好きだわ。人生楽しめてなんぼよね」

「ははっ。ありがとう。……しかしじゃな。もっと前の世代はそのことに危機感を覚えていたようで、どうにか帰還する方策を探していた。その折になにやら世界をつなぐ術を生み出したとも聞くが、それも人一人を通すほころびを作るので精いっぱいだったようで。人族に適当な理由をつけて、なんとか発展させてくれと放り投げたとも聞いておる」

 

 その言葉にぴくりと反応して「まさか……」とつぶやいたユリアだったが、首を振って口を噤む。

 

「ドラゴンは滅ぶ前に自分たちの世界に帰りたかったのね。それでいつか訪れる機会に備えるため、伝承をつなげてきたと」

「ああ。そして今回の世界転生。……機会があるとすれば、ここしかあるまいな」

 

 メヌドはそう言うと、歯を見せて少年のような笑みを浮かべた。

 

「ま、そんなわけでの。正しく世界転生が行われるならそれもよし。行われず世界が消えるなら我らを閉じ込めていた蓋が消え去るわけだからそれもよし。解放されたなら、自らの翼で亜人の子らを連れて世界を渡るのみよ。……といってもの。これは祖先の悲願であって、今のドラゴンやこの世界で生まれた亜人にとってはそもそも帰ることすらどちらでも良いわけじゃ。この世界の大事を我らにはあまり関係ない、とラドが称したのはそういうことなのだよ。なにか参考になったかね? お嬢さん」

「なったような、ならなかったような……いや、待って。なんというか、整理が出来ていないの」

 

 語るだけ語ってざっくりまとめた長老にリアトリスは今聞いた話を己の中で反芻する。

 外来の種族と世界との関わりという規模の大きな話だが、要はこの世界の営みに巻き込まれたけどもう一度それがあれば自分たちはもとの世界に帰れるらしいよ! というわけだ。そこにリアトリスが知りたかったような情報は含まれているだろうか。

 

 

「あ、そいえば。生命樹の種とかって持ってません?」

 

 考えながらも、はたとそういえばこれについての返答を聞いていなかったとリアトリスが尋ねる。その調子があまりに軽く、古代文明の希少品について聞くような調子でなかったものだからかメヌドは一瞬虚をつかれたような顔になる。

 

「いや、残念ながら。存在は知っとるが、少なくともわしはもっとらんよ」

「ドラゴンは宝集めが好きだから……ってことで尋ねたんだろうけど、僕らそれぞれお宝の定義が違うからね。好みはそれぞれ。人と同じ! 一般的に宝と称されるものを好むドラゴンが多いのも事実だけど。ちなみにじじ様の宝物は女性の下着だよ」

「ラド!?」

 

 突然の暴露に泰然としていたメヌドが途端に焦り始め、ついでに各方面からじっとりとした視線が突き刺さる。

 

「ち、ちが! いやそのだな。あくまで昔の妻などにもらった合法的なものであって……」

「ああ、形見なんですね。俺もお嫁さんたちが溶け切っちゃうまで身に着けてたもの全部が大事に思えてたからわかるな……」

「…………」

 

 腐敗公ジュンペイにまさかの理解を示され、それはそれでどう反応してよいか分からぬメヌドである。

 

「……こほん。ラドよ、お前はどうなんじゃ?」

「僕も持ってないなぁ。そもそも僕はどこかに何かをためこむ性質(たち)ではないし。ごめんね?」

 

 申し訳なさそうに眉尻を下げるラドに、リアトリスは落胆を覚えながらも首を振る。

 

「希少品だもの。むしろ存在を知っていただけでも驚きだし、そこまで期待してなかったわ」

 

 もし彼らが持っていたとして差し出せる対価もない。こちらはあくまで「あわよくば」の範囲内でしかないのだ。

 

 

 

 ともあれ、情報を得ることが出来た今……目的は達した。

 活かせるかどうかはリアトリス次第である。

 

 

(世界の転生、外来種、ほころび、世界の生態)

 

 考えながらも次に脳裏をかすめるのは生命樹の種を次にどこへ探し求めるかだが……ふと。自分が何かを見落としていないか、という事に気が付いた。

 

(私はジュンペイの魂を刈り取れだなんていう命令を取り消させるために、世界樹に意識をつなげて文句を叩き込みたい。そのための方法に世界樹の力を削りだした生命樹。私が持っていた生命樹の種はすでに使用済み。人工物である種の使用は一度のみ可能。けどそれを介して私は一年生き延びるための栄養をあの腐朽の大地から得ていた。新たに使用するのは不可能だとしても上掛けの魔術で触媒にすることは可能。この温泉郷は星幽界との境が薄い。それはもしかして異世界の出身であるドラゴンが長く住んでいたから? だとすれば同じく異世界の魂を持つジュンペイ……腐敗公が長年住んできた腐朽の大地も条件は同じ。そもそもあの大地の下はどうなっている? 私は栄養を得ていたのは本当に全てが溶けこんだ汚泥からだった? …………)

 

 それは今朝、新たな魔術を生み出した時に似た感覚。

 自分の中に集めていた材料が、きっかけを伴って組みあがり、形になっていく。

 

 

 リアトリスは腕組みをしてうんうんと唸り始める。その様子にジュンペイとユリアが心配そうに様子を窺っていたが……突然、リアトリスは顔をあげた。

 

 

「……よし! 試してみたくなったことがあるわ。ジュンペイ、ユリア!」

 

 

 

 リアトリスは腰に片手を当て胸を張り、ぐっともう片方の拳を握りこむ。

 

 

 

「腐朽の大地へ戻るわよ!」

 

 

 

 

 

 舞台は再び、始まりの地へ。

 

 

 

 

 

 

 





【挿絵表示】


ほりぃさんからジュンペイのイメージイラストを頂きました!かわいい……!
ちょうど作中でしていそうな表情を頂けて嬉しいです。
ほりぃさん、素敵なイラストをありがとうございました!


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目指す未来(さき)はいつだって
59話 ドラゴン特急


 

「んー! いい眺めだわぁ!」

 

 雲を見下ろし頬に風を受ける体験を、二度目となるリアトリスは存分に楽しんでいた。自分の腰に左右からぎゅっと抱き着いている少女二人も、余裕の心でもって受け止めている。

 

 ぎしぎしと何かが軋む音がするのは、気のせいだろう。

 心なしかあばらが痛む気がしないでもないが、気のせいだろう。

 

「た、た、た、高い! ひぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

「地面が、地面があんな下……」

 

 ガタガタと震えるジュンペイとユリアはよほど余裕が無いのか、リアトリスに力いっぱい抱き着いてくる。

 怖いなら目を瞑ればいいのにと思うものの、恐怖とは「見えなくなる」ことでより増す場合もある。もしくは怖いものほど見てしまう心理。リアトリスにとって上空を移動する景色は素晴らしいものだが、この二人にはそれを味わうほどの余裕はないのだろう。生物として本来到達することの無い高さは、世界最強の魔物にすら恐怖を味合わせるらしい。

 師であるアリアデスは流石というか、どこかに掴るどころか座りすらしていない。腕を組みつつ自らの体幹だけで不安定な足場に立っていた。油断すれば真っ逆さまに落ちてしまうだろうに、そこに恐怖心はひとかけらも感じ取れない。まさに泰然自若といった様子で、リアトリスは己に最も足りていないものを見せつけられている気分だった。

 「けどそれはそれとしてどうやって立ってんのよ」と、リアトリスは恐ろしいものを見る目で師を眺める。気持ち悪いくらいに垂直に立って微動だにしない。

 

(ま、まあいっか……)

 

 考えてもまだまだ自分には師の肉体領域には踏み込めないなと諦めると(出来れば踏み込みたくないと思っているが)首を緩く振って、自分たちを乗せて雄大な空を飛翔している生き物に話しかけた。

 

「ラド! 送ってもらえて助かるわ。ダメもとでお願いしてみるものね」

『いいよぉ! 僕も腐敗公のご自宅や成長した生命樹には興味あるしね~』

 

 咆哮に似た重低音の鳴き声に重なるのは、気さくな青年の声。

 リアトリス達は現在、新緑の鱗を持つドラゴン……ラドの背に乗り、腐朽の大地を目指していた。

 

 

 

 

 

 亜人集落にて老ドラゴン、メヌドから話を聞き終わったリアトリスは、突然腐朽の大地への帰還を決めた。しかも、なんとその往路をラドにお願いしたのである。

 翼があるならよければ送ってくれないか……と。

 

 ラドは言われた直後こそ驚いたような顔をしていたが、頼んだリアトリスが拍子抜けするくらいあっさりと了承してみせた。

 本当に? 本当に大丈夫? さすがに自分でも図々しいとは思ってるんだけど、と何度もリアトリスが確認したが、ラドは『腐朽の大地に興味あるし、なにより好感度稼ぎしたいから! 好きな子を乗せて空飛ぶの楽しいだろうしね~』と、ユリアを見ながらバチンっと星が飛び出そうな勢いで片目を閉じ、いい笑顔で言ってのけられてしまった。

 どうやら彼は大人しくこそしているが、ユリアを諦めたわけではないらしい。娘であるラルから突き刺さる視線もなんのその、である。

 ユリアは眉根を寄せたが、リアトリスのためになるのなら……と共に頭を下げてくれた。リアトリスとしてはその好意に頭が上がらぬ思いである。

 

 

 ともかくそんなわけで、急遽。

 腐朽の大地へ向けてのドラゴン特急に乗ることと相成ったわけだ。

 

 

 空を飛べるドラゴンのラドにお願いをしたのには二つ理由がある。

 

 魔王ザリーデハルトの話によれば、腐敗公討伐のための軍備は整えられつつあるのだとか。

 さすがに世界の三分の一を占める腐朽の大地の淵を満遍なく埋める包囲網は難しいだろうが、それでも。人族、魔族両方を有する、世界各国から集まった精鋭が甘いものであるとも考えにくい。

 再度腐朽の大地へ入ろうとするならば、不測の事態などいくらでも予想できた。

 

 ……となれば、それらを完全にかいくぐり腐朽の大地へ入る手段として空路は非常に魅力的。なにより早い。

 

 現在空を飛ぶ際に受ける風の強さや冷たさ、空気の薄さなどを軽減する結界こそ張ってあるが、思い切り飛ばしてほしい、というリアトリスの要望に応えたラドはかなりの速度で飛んでいる。あの巨大なアグニアグリ大山脈もすでに後方へと消え去り、ぐんぐんと過ぎていく地上の景色は壮観だ。

 もしユリアに余裕があれば「まっすぐに進むジェットコースターに連続で乗っている気分」だと述べただろう。……といっても、リアトリスにじぇっとこーすたーなるものは分からないのだが。

 これは彼の好意に甘えるだけでなく、礼は再度何らかの形でせねばなるまいなと思うリアトリスである。ラドは物に執着する性質ではないと言っていたから、さて何をあげればよいのやら……と迷ってしまうのだが。

 

(う~ん。にしても、翼のある生物やっぱり羨ましいわ。今度、ダメもとでシンシアに使い魔の作り方教えてもらおうかしら。ど~しても使い魔生成ばっかりは昔から苦手なのよねぇ……。それによしんば空飛べる子を作れても、この速度を体感したらどうあっても物足りない気がする)

 

 顎に指をあてて唸るリアトリスだったが、そんな彼女に真下から声がかけられる。

 

「り、リアトリス。腐朽の大地へ戻る理由、もう一度聞いていい?」

「わ、わたしも聞きたいデス……」

 

 どうも怖さを紛らわせたいのか、ジュンペイとユリアは会話を求めているようだ。

 リアトリスはひとつ頷くと、自らも確認するように数時間前を思い出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「腐朽の大地へ?」

「ええ」

 

 目を見開くジュンペイにリアトリスはこくこく頷いて、ぴっと人差し指を立ててみせる。

 

「簡潔に、まず戻る最大の理由を述べるわね? ……あそこには生命樹とジュンペイ本体という魔力の塊があるからよ」

「え、なんだ。生命樹あるんじゃない。というか、本体? なに、このジュンペイちゃんだけじゃないの腐敗公って」

 

 リアトリスの言葉の中身に反応したのはラドで、探し求める希少品の名が出てきたからか意外そうな声を出す。

 

「あるにはあるけど、使用前の種の状態ではないのよ。もう使用済み。成長させてしまったわ」

「あれって成長させると使えなくなるの?」

「ええ。使用用途はその特異性を生かした、腐朽の大地での足場よ」

「足場!? あの腐朽の大地に足場とかあるの!? へえ~!!」

「ふふふん、すごいでしょ。史上初よ! 私が! 私が育てました! その足場を。しかもそこで一年過ごしたわ!」

「腐朽の大地で一年も!? リアトリスちゃんってすごいんだねぇ!」

「ふふふふふ……」

 

 気持ちよく驚いてくれる上に手放しに誉めるラドにリアトリスは気分を良くする。

 しかし彼の娘のラルはと言えば、疑問の方が勝っているようだ。ふわりとした髪を揺らし首を傾げる。

 

「腐朽の大地に一年……。そういえばジュンペイちゃんが腐敗公だってことは、じじ様が言うのだし納得しましたけど。……そうなるとリアトリスさんとユリアさんってなんで腐敗公さんと旅を? どういった知り合いなんですか?」

 

 ラルの質問に真っ先に胸を張って答えたのはジュンペイだ。

 

「リアトリスは俺のお嫁さん」

「まあ!」

 

 その返答になにやらラルが頬を染めてリアトリスとジュンペイを交互に見ると「まあまあまあ!」といたく興奮しながら同じ言葉を繰り返している。なにやら彼女の琴線にふれたらしい。

 

「こうして俺が外の世界をこれ以上溶かさないで歩けてるのも……リアトリスのおかげなんだ」

「へぇえ~。えーと、つまり腐敗公の花嫁ってこと? 生贄? はあぁ~。すごい。よく生き延び……ああ。そっか。腐朽の大地に足場を作ったんだったね。うんうん。……って、ちょっと待って待って。あのさ、もしかしてユリアちゃんも……」

「大丈夫。ユリアも花嫁だったけど、離婚済み。俺のお嫁さんはリアトリスだけだから」

「な~んだ、よかったー!」

 

 ジュンペイの言葉にほっと胸を撫でおろすラドだったが、その安心感を恋する相手が直々に叩き落とす。

 

「訂正しておくと私はリアトリスさんの愛人候補むしろ本妻狙いなのでそのへん覚えておいてください」

「ええ!?」

「ユリア待てよ本妻狙いっての今初めてきいたぞ!」

「ふーんだ。ジュンペイくんが情けなかったらまだまだその可能性あるんですからね~。よーく覚えておいてください。リアトリスさんも覚悟していてくださいよ!」

「あ、あはは……」

 

 ラドに負けないほどの、ユリアの世界でウインクと呼ばれているそれでリアトリスに主張するユリアに先ほどまで意気揚々と自慢していたリアトリスも曖昧な笑みを返すしかない。

 

 ……と、そこで控えめな声がかけられた。

 

「……話を戻してもらっても、よいかの?」

 

 きゃいきゃいと盛り上がり始めた若人たちを見かねて、メヌドが声をかけてきたのだ。リアトリス達の後ろでは、アリアデスが少々頬を染めながら頭を下げていた。「お恥ずかしい」と小さな声を添えて。メヌドもまた「いえいえ、こちらこそ」と頭を下げた。

 そんな年長者同士の「うちの子が申し訳ない」合戦を察して、リアトリスが気まずそうに咳払いをして仕切りなおす。

 

 

「えっと……それで、足場ね。足場。ついでだから授業がてら生命樹についても説明しましょうか。よろしくて? ジュンペイ」

「はい、先生!」

「よろしい!」

 

 茶目っ気を含ませて言うリアトリスにジュンペイも元気な声で返事でもって返す。

 久しぶりの先生と生徒らしいやりとりが、妙に嬉しく感じられたのだ。

 

「生命樹とは……」

 

 リアトリスがどうして生命樹を腐朽の大地での足場にしたのかと言えば、外装はともかくその中身である性質が世界樹と同じものだからである。

 その性質とは、星幽界と現実世界の狭間に位置し、決して触れられず……魔力を受けて育つこと。転じて、"魔力の流れの上に位置する"というもの。そんな世界樹と同じ性質をもつ生命樹には、世界中を巡る魔力の支流そのものを呼び寄せる力があるのだ。

 魔術師は用途に応じて適切な魔力の支流、属性を選択し呼び寄せてこそ一流とされるが……なんと、生命樹があれば様々な力が労せずしてひとところに集められる。

 魔術が苦手なものにとってそれは大きなことだし、更にそれを一流が使ったならその効果はすさまじい。

 

 そんな超絶便利道具こそ、生命樹である。

 

 古代文明の叡智は接触叶わなかった星幽界最大の魔力事象……世界樹からその力を引き出すことに成功し、現界物質と呼ばれる外装を付与することで、こちら側の人間が使用できるようにし生命樹としたのだ。

 外装部分はあくまでこちらの世界のもの。リアトリスが自分たちに施すものと同じ加護の結界を張らなければ、腐朽の大地では腐り溶けてしまうだろう。そうなれば留める枷を無くした生命樹に封じられた世界樹の力の一端は、霧散して世界へ還元されてしまう。……だが外装さえ残っていれば、力は残されたまま。

 魔力がすぐに枯渇してしまう特異な場所でも、自ら栄養となる魔力を支流ごと引き寄せて、枯れることなく自立してあの大地で存在できるのだ。

 

 

 ……と、そんな生命樹の説明を話し終わったところでジュンペイはしっかりメモをとったあと、おずおずと口を挟んだ。

 

 

「それで、腐朽の大地へ戻ってリアトリスは何がしたいの?」

「だいじょぶだいじょぶ。それも今から話すから」

 

 軽い調子のリアトリスに少々の不安を覚えながらも、ジュンペイは自分のお嫁さんが腐朽の大地に対して「戻る」と表現した事にほんのりと喜びを感じていた。

 

 全てのものを溶かしつくし大地や海すら侵す呪われた大地。魔術師にとっては生命線である魔力がすぐさま消費されてしまう最悪の場所。

 しかし間違いなく、ジュンペイとリアトリスが出会い、夫婦……そして先生と教え子になった、馴れ初めと思い出の地でもあるのだ。

 

 全てはあそこから始まった。

 

 リアトリスと出会ってから一年と少し。ジュンペイが腐敗公としてこの世界に現れてからの期間を思えば塵に等しいほどの短い時間。しかし、それが。今こそが。一番長くて、幸せな時間。

 

 一度、分身体が消え本体に戻ってしまったジュンペイを、リアトリスはちゃんと迎えに来てくれた。そして今度は共に戻ろうと、帰ろうと言ってくれている。それが嬉しい。

 たとえリアトリスにとってよくない場所であっても、自然と口にしてくれたことがジュンペイにとっては幸福であった。

 

 

 ……そんな繊細な旦那様の心の機微を感じ取れていないのか、リアトリスは自慢げに胸を張る。

 

「生命樹の再利用を目論んでいるわ!」

「え? でも一度種から成長させたら使えないって……」

「そう、そうなのよ。でもね。私、生き残るために必死だったのはいえ生命樹の二次使用を可能にしていたのよ! すでに! この一年間で! いや、本当になんで気づかなかったのかしらねぇ~。まあ天才といっても少しくらい欠点無いと不公平だものね。むしろこういうところが愛嬌ってものよ。完璧すぎる人間なんてつまらないもの~」

「かん……ぺき……? ……。お前は欠点だらけだが?」

「ごめんなさい調子に乗りました。なので心の底から不思議そうに言うのやめてください師匠」

 

 調子に乗りに乗り始めていたリアトリスだったが、師からの評価にスンッと真顔になった。少々心が痛い。

 

「ふむ。二次使用か。……それは一年も腐朽の大地に居たにも関わらず、お前が痩せこけていなかったことに関係あるかい?」

「ええ! そうですそうです。そうか、師匠にはお話していませんでしたね」

 

 オヌマにはさんざん愚痴ったが、そういえば屋敷が吹き飛んだごたごたがあったので全てを話す前にうやむやになっていたのだったと思い至る。……それが無かったとしても「人もろもろも溶け込んでる腐朽の大地の汚泥から栄養取ってたの? マジで?」とオヌマにドン引きされていたので話したかどうかは分からないが。

 

「生命樹を介して腐朽の大地の汚泥から栄養素だけ抜き出し、濾過して摂取していました。けど今思い出すと、少し変なんですよね」

「変とは? さすがの僕も腐朽の大地に足を踏み入れたことは無いから、お前の話を聞くしかないのだが」

「こうして安心して話せる相手が居るだけでありがたいです。なにか気づいたことがあれば補足をお願いします、師匠」

 

 アリアデスが頷くと、リアトリスは部屋の中をぐるぐる歩きながら話を続けた。

 

「一度、ジュンペイが私のためにって住処を整えてくれようとしたんですよ。ただの穴でしたけど」

「うっ」

 

 ジュンペイがずんっと気分を落ち込ませた。。リアトリスに自分が精一杯整えた住処を「ただの穴ぁ!!」と叫ばれた一年前を思い出したのだろう。今にして思えば自分でも「あれはない」と思うだけに、それを言われると辛いのである。

 

「その時、腐朽の大地の汚泥の下を垣間見ました。……侵食し続けたにも関わらず、大地そのものに溶けたようなあとはありませんでしたわ」

「ほう」

「そもそも腐敗公の役割とは、旧世界を新世界転生のための栄養に還元する事でしたよね? そして腐敗公の体にそれは蓄積されている、と。でもその体の定義が動く汚泥のごとき本体だけでなく、腐敗公が溶かしてきたもの全てだとするなら?」

「リアトリスは、腐朽の大地と呼ばれる場所全てが腐敗公の体だと。そう言いたいのかい?」

「え……そうなの?」

「ジュンペイちゃん、自分の事なのに分からないの?」

「う、うん」

 

 当の腐敗公本人が困惑しているのでラルが尋ねるが、ジュンペイとしては生まれた時から自分という存在が何なのか知らなかったのだ。これこれこうだよ、と言われてしまえば「そうなのかー」と頷いてしまいそうなほど知らない。

 

「明確な根拠まではありませんけど、あれだけ広い大地のどこに居ても捧げられた花嫁を感知できるってんですもの。自分の体に触られたからわかる、とか考えたら馬鹿みたいな感知範囲も納得かなって」

「な、なるほど?」

「ジュンペイくん。自分の事なんだからほいほい人の考え受け入れないで、もう少し考えてから納得したらどうですか? それもリアトリスさんの判断材料になるんですよ?」

「ぐっ」

 

 納得したらしたらで今度はユリアから鋭いツッコミが入った。手厳しい。

 

「……師匠は転生のための期限は三年と申されましたけど、まずその世界転生が一気にぱぱっと行われるものなのか私たちは知りません。長命種のドラゴンの長老級すら実際には目にしていないものだから、知りようもないのですが。そこでこれはメヌド様の先ほどのお話のように推測でしかないのですが、私はこう思うのです。腐朽の大地の下で、すでに転生が始まっているのでは? と」

「え!」

「……続けなさい」

「徐々に新たな大地が作られていて、私が見た汚泥の下の大地がそれ。腐敗公が溶かした旧世界の栄養を吸収して、世界の三分の一。すでに新世界へと転生している」

 

 びしっと地面を指差しリアトリスが断言する。その内容に誰もが目を見開くが、リアトリスはそのままにやりと笑った。

 

 

「だからこそ! ……おそらくこの世界で、今! 最も星幽界……及び世界樹の存在が近しい場所は腐朽の大地だわ。転生を行う要が、狭間に位置する世界樹ならば! でもって、あつらえ向きにそこには生命樹がある。私が知らないうちに新世界の栄養をかすめとるため使っていた生命樹が!」

 

 ぐっと拳をにぎったリアトリスが意気揚々と叫ぶ。

 

 

 

「あわよくば、そこから世界樹へ意識を直通よ!」

 

 

 

 あわよくば、といったところにその自信に見合う根拠があるのかないのか分からないリアトリスらしさを感じジュンペイは苦笑する。……そしてチラと隣で「さっすがリアトリスさん!」とやんややんや賞賛しているユリアを見てから頷く。

 

「可能性があるなら、やらなきゃな。――――のためにも」

 

 その声はあまりにも小さく誰にも聞かれることはなかったが、ジュンペイはぐっと前に一歩踏み出すとリアトリスのように拳を握った。

 

 

 

「わかった! 行こう、腐朽の大地へ! このままこそこそ隠れて逃げながらどうこうするより、可能性があるならそれを片っ端から! 全部やろう! 駄目だったら、また次を試せばいい!」

「お、いい勢いじゃないの旦那様!」

 

 ジュンペイの勢いが気に入ったのかリアトリスが飛び切りの笑顔を浮かべる。そんな彼女らの間には悲壮感などなく、ただただ先へ進む意志しか見受けられない。

 

「あなたの覚悟も受け取ってる。でも私の隣に居るのなら、目指す先は周りの奴らをぎゃふんと言わせる幸せ未来! そっちの覚悟もよろしくだわ!」

「おう!」

「つかみ取るわよ! でもって、全部まるっと収めてまたいろいろ観光しましょ。この温泉郷だって、まだまだ遊び足りないもの!」

「ああ!」

「よっしいい返事!」

 

 ぱぁんと片手同士と打ち合わせて小気味よい音を響かせると、そこにユリアが「私も! 私もいれてください!」と突っ込んでいった。

 

 リアトリス達の発言を、世界の危機だと駆けまわっている者達が聞けば「なんと身勝手な」と憤慨するだろう。世界全部に対して、たった一つ。魂を捧げればすべてが解決するのにどうしてそうも傲慢で居られるのだと。

 

 しかしリアトリスとしてはそれに対して、「全て丸く収めればそれが最良でしょ! 妥協するほど謙虚じゃないわ」と笑顔で返す。

 

 

 

 

「なんだか賑やかな人たちだねぇ。僕、もうちょっと見ていたくなっちゃった」

 

 それを楽しそうに眺めていたラドが、リアトリスの「腐朽の大地まで送って!」発言に頷くのは……このすぐ後の事である。

 

 

 

 

 

 



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60話 立ちふさがる者

 これは腐朽の大地を目指し始めてから、半日を過ぎたころの出来事。

 

 

 

 

 ドラゴンの金眼(きんがん)と似て異なる黄色の目が、夜闇よりも濃く暗い黒髪の下で三日月のように歪んだ。

 

「なあ、この世で一番楽しい事って知ってるか」

 

 長い爪で頬をかりかりひっかき、赤い口内にずらりと並ぶ尖った歯を覗かせながら魔王が嗤う。その傲慢かつ子供が虫を弄ぶような無邪気さを併せ持つ笑みは、なかなか神経に障るものだ。

 

「上手くいくって勘違いしてる奴を邪魔して、しみったれた顔を拝むことだよ」

 

 意外とちんけな趣味してるなこいつ、と思いながらもやられていることは笑えない。リアトリスは眉根をよせた。

 

「はあ? 魔皇ともあろう者が小物臭い」

「小物臭い趣味を全力で楽しめるの、逆に大物っぽくてよくないか?」

「知るか!」

 

 臆するものかと言葉を返すも、油断すれば頬が引きつりそうになる。

 それでも。リアトリスは自分たちの周りを囲う純黒の剣で出来た檻と、眼前に広がる人と魔族で編成された軍を前に……笑い返してやった。

 出来るものなら、やってみろと。

 

「……はんっ! 上ッッ等よ。この天才魔術師リアトリス様と、世界最強の大魔物……腐敗公ジュンペイを前に、無事で帰れるなんて思わないことね!」

 

 まあその腐敗公は今、分身体なんだけど! とは心の中に留め置いた。

 たとえこれが虚勢だとしても、虚勢と認めなければそのまま勢いになる。

 

 リアトリスが言ってることとその表情だけ見れば、どちらが悪役か分かったものではない。……といっても、この場に悪役など存在しないのだが。

 自我と自我のぶつかりあい。天秤にかかるは世界丸ごとと、たった一人。

 規模は違えど、互いに譲れないものかけている。そこに悪と正義など存在しない。ただただ、生存の覇を競うのみ。

 己の快楽を優先させた愉快犯が二名ほど紛れていることは否めないが、それも悪意ではありえなかった。

 

「はっははは! 言うねェ!」

「笑ってられんのも今の内だからな! 喜びなさい、魔王ザリーデハルト。たった今、お前が私の中でこの世で嫌いなもの最上位に躍り出たわ!」

「光栄だ」

「~~~~!」

 

 相手の余裕に歯噛みするリアトリスだったが、その手をぎゅっと握る柔らかい手の感触に横を見る。

 

「大丈夫」

 

 幼げで愛らしい容姿。しかし今はその中に確かな凛々しさが光って見えた。

 大人とまでは言えないが、それはおそらく成長と覚悟の発露。

 

「俺はリアトリスともっとずっと長く生きていきたいし……もうひとつ死ねない理由が出来た。だから、大丈夫」

 

 理由が出来たから大丈夫とは、そうなるための根拠にはなりえない。だがリアトリスにはその姿が非常に頼もしく見えた。その原因が半分は自分で……もう半分が別の理由であることに、ほんの少しの嫉妬を覚えてしまうくらいに。

 

 が、リアトリスとて先ほどジュンペイの話を聞いた今、余計に負けるわけにいかない。

 それは目の前の相手だけでなく、もっと大きな流れともいうべきものに。

 

 

 

 自分たちは今、自分たちのわがままで世界に喧嘩を売っているのだ。

 

 

 

「ふふっ、頼もしいわね。……じゃあジュンペイ。覚悟はよろしくて?」

「もちろん」

「じゃあ……いくわよ!」

 

 打ち合わせていた通り、リアトリスはこれまで慣れすぎて無意識下で行使していた術を解除した。

 

 同時に風の術を練り上げ解放し、旋風を巻き起こす。それに乗って上空へ舞い上がると……肩にぬとっとしたものが乗ったことを確認し、銀鱗の雨をまき散らしながら急降下。乱れた人と魔族の群れに突っ込んでいく。

 しかし流石腐敗公討伐に編成された精鋭たち。……攻撃に対応しつつも、すぐにリアトリスの動きを捉え逆に攻撃を仕掛けてきた。

 

 だがその攻撃は、鋭く振るわれた鞭のような何かに薙ぎ払われる。

 

 ……薙ぎ払われた武器は、全て腐り溶けていた。

 

 

 

「さあさあ溶かされたくなかったらおどきなさい! この大地の支配者……腐敗公のお通りよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラドの背に乗り、意気揚々と腐朽の大地へ向けて飛翔を続けていたリアトリス達。何にも遮られない空路というものは実に快適で、ドラゴンはこれを商売にしたらいいんじゃないかしら? などと思うリアトリスだった。

 そんな快適な空の旅も、残念ながら途中までだったのだが。

 

「そんなに急いでどこへお出かけだ? お嬢さん」

「!!」

 

 耳元で声がしてざわりと鳥肌が立つ。振り返れば間近でこちらを見つめる黄色の眼球。

 

「ッ!」

 

 すぐさま攻撃に移ろうとしたリアトリスだったが、服の首元をぐいっと掴まれて体が宙に浮く。彼女の腰に掴っていたジュンペイとユリアもまたそれに引っ張られるが、抱き着いていた腕は乱暴に蹴落とされた。

 ジュンペイはかろうじてリアトリスの脚に掴りなおしたが、あまりに突然の事で対応できず、ユリアは蹴られた勢いのままに手を離してしまう。ジュンペイが片手を伸ばすも……小柄な少女の腕では、届かない。

 

「優梨愛!」

 

 ジュンペイの叫びも空しくあやうくユリアがラドの背から滑り落ちそうになるが、それをすかさず伸びたアリアデスの逞しい腕が掴んだ。老魔術師はそのまま自分の方へ少女を引き寄せ、揺るぎない体で受け止める。

 ジュンペイはユリアがアリアデスに助けられたことを確認すると、ほっと息を吐き……次いで、お呼びではない闖入者をぎっと睨みつけた。

 

「ちょ、と!! 離しなさいよ!! あんた手は出さないんじゃなかったの!?」

「何もしないとは言ってない、とも話しただろ。というか、その発言を素直に信じてたならアホすぎて可愛いなぁ」

 

 襟首を掴まれたままバタバタ暴れるリアトリスをせせら笑うのは、魔王ザリーデハルト。今は魔族としての特徴を隠そうともせず、蝙蝠に似た八枚の翼を広げている。

 

『ちょっとちょっとー! 無断乗ドラゴンはお断りだよ君~』

「そんなつれない事言わなくてもいいんじゃないか? なあ父上」

『え゛』

 

 背中での騒ぎに気付いたラドが急停止し、突然背中に現れたザリーデハルトに文句を言うがさらりと告げられた爆弾発言に固まる。

 魔王の乱入だけでも驚くというのに、更に驚きの内容をぶち込むんじゃない!! とリアトリスは心の中で盛大に叫んだ。しかし現在、実際に突っ込む余裕はない。

 

「父……いや、今はどうでもいいよそんな事!! それよりお前、リアトリスを離せ!」

「ええ~。どうでもいい扱いするには結構衝撃の事実ってやつじゃないのか? もっと俺に興味持ってくれよ腐敗公。魔皇ザリーデハルトはどうしてこんなに強いのか! に迫る話だぞ~?」

「図々しんだよ! 俺の事臭いって追っ払ったくせに! お前になんか興味ない! 嫌いだ!!」

「おいおい。嫌いってのは、興味あるってことだぜ」

「いちいちうっせぇな!! ともかくその手を離せって言ってんだ! 溶かすぞ!!」

 

 ぎらぎらした目でザリーデハルトを見ると、ジュンペイはぐっと身を乗り出して腕を伸ばした。この距離ならば掴める。

 

(そうだよ。俺は腐敗公! 戦う手段なんかなくても、存在するだけで大迷惑の歩く大災害! 始めからこうしてやればよかった!)

 

「おっと」

 

 小さな手のひらが丸太のように太い足に触れると、瞬く間に衣服が溶け、更にはその下にある皮膚、肉が溶解し腐り落ちていく。常人ならば耐えられない痛みと光景だろうが、そこは魔王。高らかに笑うと、遠ざけるどころかジュンペイの襟首をつかんで近くに引き寄せた。

 

「よぉし! そのまま掴んでろよ。さあお二人様……ご案内だ」

「え? ちょ、なにを……きゃあああああ!?」

「うわーーーー!?」

「リアトリスさん! ジュンペイくん!」

 

 魔王ザリーデハルトは未だ自分の発言で固まったままのドラゴン、ラドの背中から八翼でもって飛び立つ。当然リアトリスとジュンペイは掴まれたままであり、なすがままに空へと連れ出された。

 

『あ、この! ちょっと待ってっていうか君本当に僕の息子!? 僕君の事は見たことあるし知ってたけどさすがにそんな』

「二百年くらい前の事思い出してみたらどうだ? ま、いいさ。今まで特に興味なかったし、いけ好かなくはあるが俺が生まれる要因となった偉大なる父上だ。これ以上関わらないよう、温泉郷に帰ることをお勧めするぜ」

 

 愉快そうに笑うと、ザリーデハルトはそのまま糸がほどけるようにばらけて消えていく。それは掴まれているリアトリス達も同じだ。

 リアトリスはそれを「短距離転移」の魔術だと見抜くが、短時間でそれに抗うすべは持ちえない。

 

「むこうの準備できたみたいだからな。本当はこんな無粋な真似したくなかったが……向かう先がどこか、わかっちまったからよ。腐朽の大地の本体にもどられちゃ、この分身体ちゃんが頑張る姿が見れなくなっちまって面白くねぇ。つーことで、ちょっと借りてくぜこの二人」

「待ちなさい!!」

 

 ユリアが叫ぶも、ザリーデハルトは笑みを浮かべたままリアトリスとジュンペイを連れて消え去ってしまう。

 

 後には混乱の渦中にあるユリアとラド、そして厳しい視線で魔王が消えた空間を見つめるアリアデスのみが残された。

 

 

 

 

 

 



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61話 彼が願ったもの。新たに望むもの

※本日12月30日二回目の更新となります。


「あの魔王野郎、人を掻っ攫ったかと思ったら放置って……」

 

 魔王ザリーデハルトに転移魔法で連れ去られた先は、なんとリアトリス達が目指していた腐朽の大地。

 毒の霧が湧き、何もかもを溶かしては忌むべき粘液になり果てた汚泥が埋め尽くす場所だ。ここがその中でどこに位置するかは分からないが……どこもかしこも同じ光景のため、そう長く離れていたわけでもないのに妙に懐かしく思える。

 リアトリスは転移後、自分たちを放り投げるなり何処かへ消えた魔王に憤慨しつつも少しほっとしていた。そのほっとしてしまう自分が情けなくて少々腹立たしいが。

 どうもちょっかいこそ出してきたが、自らが直接攻撃する、という形では手を出す気がないようだ。

 

 戯れか真実か。

 もし先ほどザリーデハルトがラドに言っていた言葉が本当ならば、あの魔王は魔族とドラゴンとの間に生まれた亜人ということになる。そういった存在も無くは無いだろうが、リアトリスが知る亜人は主にドラゴンと人との相の子。長命種同士の間で子が生まれにくいのは魔族の人口が示しているため、存在しても稀である。

 その希少な存在が魔族とドラゴン。両方の種族の特性を十全に受け継いで力を発揮したならば、魔皇とまで呼ばれる存在になった理由もわかろうというもの。

 そんな相手、出来るならご遠慮願いたい。

 

 

 

 そして……ここに放り出された時に気付いた見過ごせない事実に、リアトリスは眉間へ刻んだ渓谷を深くした。

 

「……魔力が消費されないわね」

 

 そう。この腐朽の大地の恐るべきところは、この大地での魔力消費が恐ろしく早い事。結界を張らねば全てが腐り溶けてしまうこの土地でそれは致命的だ。

 だが現在……その特性は失われている。

 

「ジュンペイに核が出来た他にこんな影響も出ていたのね……。これで腐敗公の力自体に変化なくとも、ジュンペイにとっての地の利が失われたわ。結界を維持さえできれば、誰もが万全の状態で腐敗公に挑むことが出来るもの」

「ごめん……。本体に意識を戻した時、気づかなかった」

 

 しょんぼり肩を落とすジュンペイの肩を、リアトリスは気軽な調子で叩く。

 

「そう気にしなさるなって。しかたないわよ。この影響が出たのが最近なのかもしれないし、それにもともとあなたの魔力はこの土地で消費されることなんてないもの。気づかなくて当たり前だわ」

「それは、うん。そうなんだけど」

「……というか、立てた仮説を思えば腐朽の大地で消費された魔力って、これまで全部ジュンペイのものになっていた可能性もあるわね」

「俺の?」

「ええ。というかきっと副産物、みたいな? ジュンペイが眼球に有していたたっぷりの魔力。あれって世界を三分の一溶かしつくして、抽出したものじゃないかしら。……つまり世界転生のための栄養源よ。それが大地の下の新世界へしみこむ過程で、腐朽の大地上に居る生物の魔力もひっぱられるとか。多分そんなん」

 

 リアトリスは腐朽の大地の下がすでに新たに構築されている世界である、という仮定の元に、これまで解明されなかった腐朽の大地の特性を紐解いた。

 ゆっくり研究している暇はないが、こういった考えを頭の隅に置いておくだけで証明しうる何かに遭遇した時。事実へたどり着く(しるべ)となる。

 

 発想、蓄積、実行、解析、証明。

 何かへたどり着くときは、ずっとこれの繰り返しだ。

 

「しみこむ……。まず溶かした俺がたくわえて、その俺を介して腐朽の大地に還元されていたって事? リアトリスが生命樹を使って栄養を吸い上げてたのとは逆……みたいな。……、っていうか、あれか。レーフェルアルセでやったようなことが、自動で行われていたって感じか」

「そう! それそれ。ジュンペイ、やっぱり理解力あがった? えらいわ」

「そ、そうかな? えへへ……。そっか。本来この土地でやるべきことを他の場所でやっちゃったから、ダメだって思われたんだな」

 

 照れ照れと頭をかくジュンペイに少し和みつつ、リアトリスは厳しい視線を周囲に向けた。

 

「……準備が出来たって、言っていたわね」

「それって、俺を倒すために集まってる人たちのことか」

「おそらくは。全ての国は難しくても、先んじて動いていた国……例えばルクスエグマやアルガサルタなら、そろそろ軍の編成を終えていてもおかしくないわ」

 

 そしてジュンペイ本体との合流を「つまらない」と言っていたザリーデハルトが、その本体が居る腐朽の大地に自分たちを落としていったということは……その編成は対・本体腐敗公用。

 分身へ向けられるものより質も量も勝っている事が考えられる。

 

「さすがに正面からぶつかるのはまずいわね。幸いそのど真ん中に落とすなんて情緒が無いとでも思ったのかしら。こんなところに放置されたわけだし、これを幸いにそいつらがここに来る前にとんずらしちゃいましょ。ジュンペイ。今、あなたの本体はどうしてる?」

「前に移動したところからは戻して、今は生命樹のそばにいるよ」

「お、助かるわね。目的物がまとまってるのは嬉しいわ。じゃあさっそくそこへ案内して頂戴」

「わかった」

 

 方針が決まると、周囲に気を配りながら汚泥の中を進み始める。相変わらずひどい光景だが、リアトリスも慣れたもので顔をしかめることはない。我ながらよくぞ慣れたなと感心してしまうほどだ。

 

(相変わらず臭いしねちょねちょしてるし油断すれば死ぬしで最悪だけど、変に馴染んじゃったわねぇ……)

 

 実を言うと宮廷魔術師時代の王宮魔術師寮より心地が良い。それは当然生活方面に関してではないのだが、自分を抑圧しなくてよくなった……という面では、この場所はリアトリスにとって特別な場所なのかもしれない。

 

(ジュンペイに色々教えてる時も、なんだかんだ楽しかったわよね。この子いい反応するし、賑やかで、勤勉で。魔術の才能はドベだったけど)

 

 人にものを教えるなんて初めてのことだった。しかしそれを楽しいと思えたのは、きっと生徒がジュンペイだったからだろう。

 

「……リアトリス、どうしたの?」

「え?」

「いや、なんか。俺のこと見て笑ってるから」

「……。私、笑ってた?」

「う、うん。ちょっと、照れる。いやいいんだけどさ! リアトリスの笑顔、俺好きだよ! 大好き!」

 

 あわあわと笑みを向けられていることが嫌なわけじゃないと弁明するジュンペイに、リアトリスは噴き出した。

 

「あっはは。ありがとうジュンペイ。私もあなたのそのころころ変わる表情、大好きだわ」

「!! あ、えっと、でも、俺のは。リアトリスが用意してくれたこの体が、あるからで」

「言うて、あなた腐敗公本体の時もかな~り感情表現豊かだったわよ?」

「そう……?」

「ええ。なんだこの魔物って思ったもの」

「……それは喜んでいい事なのか」

 

 今度は複雑そうに上目遣いでリアトリスを見つめるジュンペイ。

 リアトリスはますます笑えてきて、それを気力に変えて悪路もなんのそのと進んでいく。ジュンペイもまた、その横に並び進んだ。

 

 

 

 

 

 そしてしばらく歩いたころ。

 ジュンペイが少しためらう雰囲気を見せた後……リアトリスに話しかけた。

 

「リアトリス。……二人のうちに、話しておきたいことがあるんだ」

「なぁに? 改まって」

「俺の、前世の話」

「!」

 

 飛び出た単語に目を見開く。

 

「ごめん、はっきり思い出したのって亜人集落でなんだ。だからなかなか言い出せるタイミング無くて。俺話すの上手くないからさ。整理しながら、話すね」

 

 たどたどしく話すジュンペイに、リアトリスは余計な口を挟まず頷いた。

 巻き毛を揺らしながら歩くジュンペイは自分の中で何かを反芻するように頷くと……「その前に」と前置く。

 

「ねえ、リアトリス。もし俺の魂が刈り取られたとして……そこに新しく据えられるのは、誰の魂だと思う?」

「それは……。!!」

 

 言われてみて、リアトリスはすぐさま一つの可能性にたどり着く。

 

 最初、リアトリスは世界樹に命を受けたと言って復活してきた巨大化魔族が新たな腐敗公になる可能性を考えていた。だがドラゴンの長老メヌドから、世界転生の際に新たな要素を異世界から呼び込むのがこの世界の生態ではないか……という見解を得ている。

 それはあくまで推測であり、憶測。確定している事象ではないが……もしそれが本当だとしたら、この世界のものである魔族は役不足。

 

 しかしリアトリスもジュンペイも、すぐ身近で異世界から来た人間を知っている。

 

「……ユリア?」

「もしかしたら、だけど」

 

 自信なさげにジュンペイは呟くが、それに反して瞳には妙に確信めいた光を宿していた。

 

「あのね、リアトリス。実は俺、アリアデスさんの屋敷でユリアに俺がもしかしたら前世人間だったかもって聞いてから、段々と思い出してきたことがあるんだ」

「…………」

「ユリアに異世界の歌を教えてもらってから、それがはっきりしてきて……決定的だったのは亜人集落で歌った時。亜人の人たちが俺の歌に合わせて楽器を演奏したり、ラルなんかはすっごく綺麗に踊ったりしてくれたんだよ。その時に……掴んだ」

「……歌や音楽、舞いには昔から魔術的な要素が含まれているわ。土地の特性や信仰の中に自然と織り込まれた、最も身近な民間魔術」

 

 リアトリスは知らないが、ラル達の集落には模様という形で伝承を繋ぐものが存在した。その中には踊るような形も存在していたことを、今ここに居ないアリアデスに聞けばわかるだろう。

 

「彼らの踊りの中に、いつか訪れる帰還についてとか。メヌドさんが居なくなったら詳しい事が分からなくなってしまうような、ドラゴンの失われつつある記憶を亜人の中に呼び覚ますものがあってもおかしくないわ。それとジュンペイの前世が知る世界の歌が合わさって、作用したのかもね。……って、ごめんなさい。続けて?」

 

 リアトリスはついついジュンペイの話をさえぎってしまった事を反省し、続きを促す。

 

「大丈夫だよ。俺もなんでだろう? って思ってたから、今のリアトリスの話を聞いてちょっと納得できた。えっと……それで、続き。その時からひとつひとつ、今まで曖昧だった何かが俺の中で記憶という形に変わっていった」

 

 ジュンペイは長い睫毛で縁取られた目を伏せ、深く呼吸する。

 

 

 

「俺の名前は、岸沼純平」

 

 

 

 それは異界の響き。

 

「キシヌマジュンペイ……」

「岸沼が家名で、純平が名前。リアトリス、すごいよ。直感で俺の本当の名前を見つけてくれていたんだもの」

「そ、そうだったの。へぇ~。私の名づけ力もたいしたものね!」

「うん。……ありがとう、リアトリス。俺も忘れてた名前を、今の俺につけてくれて」

 

 言いながらジュンペイは歩くリアトリスに寄り添い、腕を組んでそっと身を寄せた。少々歩きにくいが、どうもその声が震えている気がしてそのままにさせる。鼻をすするような音も聞こえたが、ここは見ないでやるのが情けというものだ。

 といっても、そこから悲しみは感じられない。万感がこもっていると言えばそうだが……リアトリスの感性が麻痺しているでもなければ、歓喜の色が多く含まれているように感じる。

 

 名前とは力だ。本来の名を取り戻すということは、けして小さなことではない。

 リアトリスは意図せずして、それを旦那様への最初の贈り物にしていたらしい。

 

 

 

 

 鼻をすする音が消えてから、少しして。

 

「岸沼純平は、まだ十一歳だった。今はその何百倍も生きてるのに、子供っぽいのはそれでかな」

「…………」

 

 だった。という言葉に察するも、リアトリスはジュンペイの肩を抱き寄せるにとどめて続きを待つ。

 

「体が弱くて、家にいる時より病院で過ごすことの方が多かった。誰になにもしてあげられない。迷惑かけるばかりで、なんにもできなかった。きっと家族はそんなこと思ってなかっただろうけど、それでも俺は、それが嫌だった。つらかった」

 

 段々と他人の記憶を見たような話しっぷりから、自分自身の事を語る調子に切り替わって行く。

 

「まあ、そんなことはよくて」

「そんなことって」

「いいんだ。それでね。……時間が全然あわないし、違っているかもしれないけど」

 

 リアトリスはここからがジュンペイが本当に話したかったことだろうなと察した。自分の前世を語るだけでなく、彼には今……他にも伝えたいことがあるのだ。

 

「俺にはよくお見舞いに来てくれる従姉弟が居た」

「従姉弟?」

「うん。俺一人っ子でさ。その従姉弟の姉ちゃんも同じだったから……近くに住んでたこともあって、よく気にかけてくれてた。……それでその人。名前、あいつと同じなんだ」

 

 

 

 城ケ崎優梨愛。

 

 

 

 その名を口にしてからは、堰を切ったかのようだった。

 

「それもさ、見た目も似てるんだ。似てるんだよ、あいつ。俺の記憶の中に居た人に。俺は優梨愛ねえちゃんって呼んでた。よくお見舞いに来てくれて、優しいけど変な本をお見舞いに押し付けていく、従姉弟のお姉ちゃんだった。一度外出の許可を貰えた時はお祭りにも連れて行ってくれたんだ。楽しかった。……楽しかった! でも、でも。なんでなんでなんで! なんであの人がこっちにいるの! 死にかけてたの! 辛い思いをしてたの! うっかりしたら死なせてた。そんなの嫌だよ、俺」

「うん」

 

 話の内容に驚かないではないが、リアトリスはただ頷いてジュンペイを正面に抱き込んだ。そのまま「うん」と繰り返して背中を撫でる。

 

 そしてリアトリスは、つい最近聞いたばかりの話がかちりとはまった感覚を覚えた。

 

 

■■■

 

 

『この世界に呼ばれる前、従姉弟が居たんです。五歳年下の男の子で、実はその子もジュンペイって名前だったんですよ。あんなにつっこみ気質じゃなかったけど、どことなく性格も似てる気がして。とっても素直というか、純真というか。……あ、見た目はもちろん全然違いますよ~』

『同じ名前……。へぇ』

『珍しい名前じゃないんですけどね。まあ、だからこう……もしかして私と同じところから来た魂なんじゃないかなって仮説を立てた時から、名前の事もあって親近感を覚えるところはあったんです。だから放っておけないのかなって。まあ百年単位で生きてる大魔物相手に感じる感覚じゃないですが』

『その従姉弟とは仲良かったの?』

『ええ、それなりに。私一人っ子だったし、可愛くて。よく私秘蔵のお宝も読ませてあげていました』

 

 

■■■

 

 

(異世界とこの世界で、時間の流れが同じだとは限らないものね……)

 

 気づいてしまった事実は無情な現実を突きつける。

 ……ほぼ確信に近いが、もし二つの話が噛み合い、同じだった場合。リアトリスがユリアを元の世界にもどす術を作り出しても、そこにはもうユリアの知る人間はいないかもしれないのだ。

 それほどのズレが、世界と世界の間に存在している。

 

 加えてこの世界と同じく多くの人間が生きる中、何故ユリアがルクスエグマの召喚対象に選ばれたのか。そういったものを考えた時「血縁」という繋がりは大きく作用する。それはおそらく相手が生まれ変わっていたとしても。

 しかも縁が繋がっている対象が世界最大の力を持つ腐敗公であるならば、それはもう確率の問題で無くなるのだ。

 ユリアのいた世界でこの世界と最も縁があったユリアが召喚術式で呼ばれた事。それは偶然でなく必然に他ならない。

 

 段々落ち着いて来たジュンペイはリアトリスの腰に腕を回して抱きしめると、ひと呼吸おいて口を開く。

 

「えっと……どこまで話したっけ」

「いいわ。ゆっくり話して。ちゃんと聞いて、私が頭の中で繋げるから」

「……ありがとう」

 

 

 ジュンペイはわずかに笑んでから頭に浮かんだことをそのまま述べる。

 

 

 

「…………俺ね、岸沼純平は、最期にこう願ったんだ。誰かの役に立ちたかったって」

 

 ぽつりとこぼされた言葉は、切なる願い。

 

「自分の命に意味が、理由が欲しかった。……ずっと、ずっと。死ぬ瞬間まで」

 

 

 

 

「……!」

 

 それは次の生で誰からも嫌われる災厄の魔物となるには、あまりにも純粋な願いではないか。

 その存在が世界の転生という多くのを救うものだったとしても、結果が今のジュンペイならば……たった一人で長きにわたり諦念と孤独、悲しみの泥に沈んでいた魔物の真実だとするならば。

 

 

 

 それは、あまりにも。

 

 

 

 リアトリスはふつふつと腹の奥底で煮えたぎってくるものを感じた。

 

「その時だよ。直接言葉で聞いたわけじゃないけれど、なら自分たちを助けてくれないか? 契約してくれないかって意志が俺に語り掛けてきたのは。今思えばそれが世界樹だったんだと思う」

 

 リアトリスの呼吸が荒く、浅くなっていく。

 

「俺は頷いたよ。だってこのまま何もできないで消えちゃうなんて嫌だったんだ。なんでもいい、誰でもいい。役に立ちたい。俺を忘れないで。覚えていてもらえるなにかにしてほしいって」

 

 そこが、我慢の限界だった。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああ!?」

「り、リアトリス!?」

「なに、その。なにそれ。はああああああああ!? ふざっけんじゃないわよ世界!! 世界が何よ世界樹が何よクソボケじゃないふざっけんじゃないわよ!! 感情ねーのか! まあないんだろうけど!! ああ~。……ああーーーー!! もう腹立ちすぎてクソしか語彙出てこないわよもう本当にクソ!! 純粋な願いを抱いて逝こうとしてた子供の感情弄んで、なんなの!? ひっぱってきたと思ったら腐敗公て!! ちょ、はあ!? 私が生きてる世界ってそんな馬鹿なの!? 胸糞悪い! あああああーーーー!! もう!!」

 

 はじけ飛んだ理性。リアトリスの感情はこの腐朽の大地に落とされたばかりの時と比べるべくもなく高ぶり、荒ぶっていた。

 

「リアトリス! 気持ちは嬉しいけど落ち着いて!?」

「落ち着いてられるわけないでしょ!! あんたもっと怒っていいのよ!! そうしないならその分私が怒るけど!!」

「えっと、なんかリアトリス見てたら色々ふっとんで逆に落ち着いてきた! でもとりあえずおちつこう!? ばたばたしすぎて腰まで泥に埋まっちゃってるから!!」

「……あら、本当」

 

 指摘され冷静になれば、なるほど確かに汚泥に体の半分までもが埋まっている。どうやら地団太を踏みすぎたらしい。全く気が付かなかった。

 リアトリスの腰に抱き着いていたジュンペイは現在、沈みかけている嫁を必死になって引っ張り上げようとしていた。

 リアトリスは底なし沼のように体を飲み込んでくる汚泥から、ジュンペイの手を借りてひーこら言いながらなんとか抜け出す。衣服は当然ぐちゃぐちゃであるが、そこはもう今さらだと諦めた。

 

「……えー、ごほん。ごめんなさいね、あなたも感情の整理が出来ていないでしょうに、その前で取り乱して」

「取り乱すっていうか……ははっ」

 

 気まずそうに視線を逸らすリアトリスに、ジュンペイは先ほどまでの感情の高ぶりは何処へやら。朗らかな笑いが口から零れた。

 

「ありがとう、リアトリス。俺のために怒ってくれて。でも俺はそれで十分」

「十分って……」

「十分だよ。あのね、俺も悲しいし怒りたい。なんでこんな形で前の俺の願いが利用されたんだって。詐欺もいいところだよ。……でもこうして今リアトリスが目の前に居てくれる。それだけでもう、俺にとってはおつりがくる幸せだ。だからいいんだよ」

 

 リアトリスはなおも何か言いたげだが、その不満顔を背伸びしたジュンペイが両手で潰すように包む。

 

「むぎゅ」

「あのね、リアトリス。色々話はしたけど、俺の事はこの際どうでもいいんだ。当事者が何をって感じだけど。でも今重要なのはもっと別」

 

 ジュンペイの碧眼に力強い光が灯る。

 

(……綺麗だな)

 

 この瞳ばかりは、リアトリスの理想でもありながらもとの腐敗公と同じ色を保っているのだ。

 蒼天をぎゅっと詰め込んで、宝石のような光をちりばめた碧い瞳。

 

「もしユリアが次の腐敗公になる可能性があるなら、俺は絶対に消えられない。大好きだった優梨愛ねえちゃんにこんな役割を押し付けたくないもん。リアトリスにいざとなったら君が俺の核を壊してなんて言ったけど……リアトリスにユリア。消えるにしちゃ、そのあとの未練が多すぎる。せっかく世界最強の魔物なのに、こんなのってある? 俺はリアトリスが言う幸せ未来、絶対に欲しくなった。それが今の俺の望み」

「……なら、ジュンペイが腐敗公のままどうにかするしかないわね」

「うん」

 

 ぎゅっと拳を握る小さな姿が、その在り方が愛おしい。自然とそんな考えが過る。

 リアトリスはひとつ深呼吸すると……胸を張って、どんっと拳で叩いて見せた。

 

「ま、当然そのつもりだったけど! 今の話を聞いたらますます張り切っちゃうわ。だって私の幸せ未来計画には、あなたたち二人ともがいるんだから!」

 

 浮かべるのは自信に満ちた満面の笑み。そこに憂いは存在しない。

 

「……うん! 頼りにしてるよ、俺のお嫁さん」

「まっかせなさい! この超天才魔術師リアトリス様にかかればちょちょいのちょいよ!」

 

 

 条件は決して良くない。可能性も低い。

 それでもこの不条理に大人しく頷いてやるものかと、脚を踏み出し拳を突き出す。

 

 

 ……そんな彼女らに、遠方から迫る影が見えた。

 

「おっと。……どうやら大人しく先へは行かせてくれないようね。まあ当然かしら」

「……あ。そういえばリアトリス」

「ん? なに?」

「最初の頃さ。他者へ使う魔術は自分に使うより大変なんだって言ってたよね。もしかして、俺にかけてる……髪の色変えどころか、人化の術とか解除すればさ。……リアトリスの魔力消費っておさえられる?」

「………………」

「リアトリス?」

「……………慣れすぎて、忘れてた」

「リアトリス……」

 

 旦那様から突き刺さる呆れの視線に気まずさを覚えながらも、確認する。

 

「それを聞くって事は、解除していいの?」

「うん。というか、そっち方が俺は戦いやすくない? 小さいけど、触手はいっぱい出せるし」

「ジュンペイがいいならいいけど……」

「いいよ。だって俺が大好きなお嫁さんが、俺を怖がらないでいてくれることを知ってるもの」

「……強くなったわねぇ、あんた」

「おかげさまで。先生が図太いからね」

「余計な一言があるのはオヌマの影響かしら?」

「オヌマの影響は特に受けてないよ! その言い方だと俺がリアトリスとオヌマの子供みたいだからやめて!? リアトリスの夫は、俺!」

「ごめんごめん。その発想は無かった」

 

 そんな軽口を叩きつつ、真っ先にうつのは逃亡の一手。

 だがそんな彼女らの眼前に、身の丈の五倍ほどもある剣が連続で突き刺さっていく。それはリアトリス達を攻撃する気はないようだが、剣が作り出す形状からその用途はわかりやすい。

 

 これはリアトリスとジュンペイが逃げられないように形作られた……檻だ。

 

 

 ばさりと聞こえた音と共に、差し掛かる影は八枚翼。

 

 

 

 

「なあ、この世で一番楽しい事って知ってるか」

 

 

 

 

 

 嘲笑う魔王を前に、リアトリスとジュンペイは並び立つ。

 その眼前には次第に多くの人間、魔族が集まり始め、背後に魔王特製の檻の存在もあることから逃亡は容易ではない。

 だがこの大地の支配者は誰だ、頭が高いぞ控えおろう! とばかりにリアトリス達は進みだした。

 

 

 

 

「さあさあ溶かされたくなかったらおどきなさい! この大地の支配者……腐敗公のお通りよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 




そして前話冒頭へ


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62話 それぞれの行進

 昼間でも薄暗い腐朽の大地。

 時刻はすでに夕刻に近づいてきたため余計に暗く感じるが、現在その場所では様々な魔術光やそれに照らされた武器、防具などが閃き、暗い土地にわずかばかりの明かりと喧騒を与えていた。

 

 

「っ、こいつ……速い!」

「魔術師の方は無視しろ! 肩に乗る腐敗公のみを落とすのだ!」

 

 駆ける中で耳がいくつかの声を拾うが、たいていが混ざり合ってリアトリスの耳には音として届く。聞こえたとしても気にかけている余裕はないのだが。

 途中炎で編まれた網がリアトリスを捕らえようとするが、そこにいくつもの触手が伸び網の穴一点へと入り込む。そして……放射状に開いた。すると瞬く間に網は炎、魔力もろとも霧散し消失する。

 よってリアトリスの行く手を遮るものはない。

 

 それを成したモノは大きさこそ違うが、これまで災厄の象徴とされてきた流動体の魔物……腐敗公。

 彼は嫁を守れたことに、それが笑みだと気づくものはいなかったが『ふふん』と自慢げに笑ってみせた。

 

 自分の体もなかなかのものだ、と。

 

「腐敗公自身の魔力耐性か……!」

「邪魔よ!」

「ぐっ!!」

 

 ジュンペイの触手に慄いていた魔術師を蹴倒しながらリアトリスは進む。

 

 現在彼女が対峙しているのは人と魔族が混ざった大規模の軍であるが、混ざった……といっても本当に二種族が入り乱れているわけではない。それぞれ編成された軍が並んでいる。

 魔将として戦ってきたリアトリスの目から見ても精鋭揃いだが……しかし。全てを馬鹿真面目に相手してやる気など無いし、協力体制をとれるようになったからといってそれは意識の話。

 量で押す傾向にある人族と、個で押す傾向にある魔族。それが噛み合うにはまだまだ時間がかかるだろう。そこの隙間を突くのが、リアトリスとジュンペイの活路だ。

 

「ジュンペイ! 右右左右左下!」

『わかった!!』

 

 移動と突進力に全魔力を注いでいるリアトリスは方向のみを見極め、叫ぶように指示を出す。するとリアトリスの肩、首、後頭部にまとわりつくようにくっついている、魔物姿になったジュンペイが触手を伸ばして迫りくる攻撃を武器ごと溶かし薙ぎ払った。

 単純にこれの繰り返しであるが、リアトリスがどんどん進んでいくため相手側は情報を共有する前に二人と遭遇し、あしらわれ、その背中を見送ることとなる。

 

 身軽で少人数だから大人数の相手を翻弄しやすい。

 ……事実を並べてみれば、なるほどと頷く者もいるだろう。だが実際にこの光景を前にすれば「馬鹿な」と言う者がほとんどのはずだ。

 

 肩に腐敗公を乗せているとはいえ、単身。……武装し敵意を向けてくる数千の相手へつっこむなど、正気の沙汰ではない。

 しかもこれは先方だ。リアトリスは知らないが、後続として腐朽の大地に向かっている軍が合流すればその数はさらに膨れ上がる。急ごしらえで温泉郷にやってきたアッセフェルト達とは違うのだ。

 まず間違いなく、常人ならばその光景だけで身動き一つできなくなる。飲み込まれ、すりつぶされることなど誰の目にも明らかなのだから。

 

 だがリアトリスをはっきり目で捉えることに成功した者は、武器を向けながらもその表情に戦慄する。腐敗公でなく、たった一人の魔術師相手にだ。

 

「笑ってやがる……」

「あらやだ、私に見惚れているのかしら? ごめんなさいね。既婚者なの!」

 

 腐敗公の触手が攻撃を防いでるとはいえ、それも万全ではない。体のそこかしこに細かいながら傷を作り、しかしリアトリスは笑っていた。闘争心がむき出しになった獣のような笑顔のため、とても見惚れられるような可愛いそれではないのだが。現にその顔で話しかけられた者は一瞬すくみ、その間にジュンペイの触手でぶちのめされ汚泥の上に転がることとなった。

 本人にその気がなくとも、威嚇としては完璧な作用である。

 

 

 

 が。……この場にはそんな笑顔を好む、もの好きが二人ほど居た。

 

 

 

「うんうん、頑張っているねリアトリス。私の可愛い魔術師」

「それ、お前のじゃない! って突っ込んでもらうためにわざと言ってないか?」

「それも否めないけど、本心ですよ?」

「さよかい」

 

 軍勢の統率された編成を歪めながら進む一本線を見下ろしながら、脚を組んで悦に入るのはエニルターシェ。脚を組んで座るにあたって利用しているのが、八枚翼の羽ばたきで空中に留まり胡坐を組んだ魔王の脚というのだから、贅沢かつ怖いもの知らずである。

 合流したザリーデハルト付きの魔族が「こいつマジか」という顔でエニルターシェを見ているが、本人はそんな視線なんのそのだ。

 

 ちなみにザリーデハルトがジュンペイに溶かされた部分はまだ完治しておらず、ぐずぐずとした肉片を晒しているため先ほどからエニルターシェの熱い視線を集めている。少しでも油断したら指ですくってぺろりと食われてしまいそうだ。

 さすがにそんなことをすればザリーデハルトはともかく側近が黙っていないので、謙虚に視線を送り臭いを嗅ぐだけに留めているようだが。

 

「それにしても戦況の見極めが恐ろしく早いな。綻んだ隙間を的確に抜けていきやがる」

「そうだろう! リアトリスには多くの戦場を経験してもらったからね。私も連れて行った甲斐があるというものだよ」

「ご自慢ってわけだ。うっきうきに話すじゃねーの。……こりゃあしみったれた顔は早々に拝めそうにないな?」

「だから言ったじゃないか。簡単に折れるような子ではないよと。むしろ追い詰めれば追いめるほど、反動でいい爆発力を出してくれる。私はそれを見るのが好きなんだ。ふふふふふ」

「エニって俺より性格悪いなぁ」

「魔王閣下直々の賛辞、光栄です」

「耳の穴詰まってんのかお前。褒めてはねぇよ」

 

 リアトリスの苦労などなんのその。観戦としゃれ込んでいる二人を見れば、リアトリスの血管は引きちぎれるだろう。すでにいくつか切れている状態かもしれないが、その血が沸騰し口から火を噴くなんてこともやってのけるかもしれない。

 

「にしても、流石ではあるが甘いぜ。今んとこ誰も殺してない」

「いや、それはただの結果だろう。この軍は一人一人が精鋭。そう簡単にやられる人材ではないし、効率重視で進めばその相手に止めを刺している暇も無いさ」

「はぁん、なるほどね。けどまあ……こっちのが面白くはあるよな。退けたとはいえ数が減ってるわけで無し。あとからまた追われる。どこまでもつかな」

 

 どこから取り出したのか、温泉郷名物肉まんじゅう、ドルダムに噛り付きながら愉快そうにザリーデハルトが戦場を一望する。

 

 今のところ勢いで突っ切っているが、それが少しでも弱まればすぐさま呑まれるだろう。

 リアトリスは天才的な魔術師であるが、人間である。現在この大地で急激な魔力消費はおきないにしろ、体力も魔力もそう長くはもつまい。

 これは個としての戦闘における強さというよりも、持久力の問題だ。

 

「私としては走り切ってくれることを期待するね」

「でもそしたら、腐敗公本体にこいつら蹴散らされるのを見るだけだろ」

「ザリーデハルト殿は、この軍勢でも腐敗公には足りないと?」

「分かり切ってること聞くなよ。少なくとも本体を相手にするなら、最低限魔王全員出張って来いって話だな。魔術師一人と分身に翻弄されてる連中が勝てる相手じゃないさ」

 

 ザリーデハルトにとっては眼下の軍など子供の遊びに等しい。腐敗公本体にとってはなおさらだろう。

 それでも魔術師一人と腐敗公といえど分身には過剰だが……。

 

「しかしザリーデハルト殿。彼女らがただ身を守るためだけに、本体と合流するとも思えないのですよ。これは半ば私の面白勘なのですが」

「面白勘ってなんだよ」

「こうしたらもっと面白くなるのではないかな? という事に関して働く勘ですよ。貴方の所を訪れた時もそうでしたね。……というわけで」

 

 エニルターシェは悪戯っぽく笑い、口元に人差し指をよせる。

 

「彼女たちが無事これを抜けられたら……なにをするか、あとは見届けてみませんか?」

「この程度ならどうにかするだろうって思ってる言いっぷりだな」

「ははは」

 

 明確に答えず笑ってみせるエニルターシェに、ザリーデハルトは嘆息する。しかしその口端は持ち上がっていた。

 

 

「じゃあその場合は。消えるも残るも一人と一体にかかっている、この世界を賭けた大博打。せいぜい見物させてもらおうかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はやく、はやく見つけてください。お願いですから、りあとりすさんと、じゅんぺいくんを!」

『う、うう~ん。そうしてあげたいのはやまやまなんだけど……』

 

 背中を弱い力でぺちぺちと叩きながら訴えてくるユリアの声は弱弱しく、見なくとも泣いていることが分かった。

 

 魔王ザリーデハルトがリアトリスとジュンペイを連れ去ったあと、ユリアは魔王へ向けた鋭い声の勢いはどこへやら。崩れ落ち、それを支えるアリアデスの腕の中で半ば恐慌状態に陥った。少し落ち着いてからは、こうしてラドにリアトリス達を探してくれと幼子のように訴えるばかりである。

 

 ラドとしては先ほどの魔王の発言などより、こちらの方が気になっている。

 何といったってほぼ一目ぼれに近い形で好きになった女の子だ。その相手が泣いているなら、気にしない方が無理というもの。

 ……もしあの魔王が本当にラドと魔族の女性との間に出来ていた子供でも、あれだけ立派に成長しているし認知しろ! なんて話ではないだろう。相手もこちらにさして興味はなさそうなのだ。戯れにそれを口にしたのは、リアトリスとジュンペイを連れ去る際に邪魔をされたくなかったからだろうか。

 ともかく言われた通り温泉郷へこのまま帰る気など無いし、変に気にすることもあるまい。

 

 そんな事より今はユリアだ。出来るなら役立って少しでも好感度を稼ぎたいところなのだが、ラドとしては転移した相手を探す方法など持ち合わせていない。

 

『どこへ行ったかなんてわからないし、闇雲に探してもねぇ……う~ん』

「……おそらく腐朽の大地方面ではあるだろう。魔王は準備が出来た、と言っていたからな」

 

 唸るラドの背で口を開いたのは老魔術師、アリアデスだ。

 

「ありあですさま……」

「だが、あそこは広い。それに僕も足を踏み入れたことの無い領域だ。……その内か、外か。どこに移動したのかもわからない」

「それで……いいです! というか、そうだ。そうですよ! リアトリスさん達なら、きっと目的地である生命樹にたどり着います。私達は先にそこへ行って待っていればいいんです!」

『ユリアちゃん、場所分かるの?』

「う……」

 

 希望を掴んだようにぱっと表情を明るくしたユリアだったが、ラドの言問いかけに肩を落とす。ジュンペイもリアトリスもいない今、それは少し難しかった。

 

「……生命樹ほどの存在感があるならば、近づけばわかるだろう」

「! 本当ですか!」

「ああ。それにあの大地で生命樹の光は目立つ。近くまで行きさえすれば、空から視認も可能だ」

『そうなの? ならこのまま行こうか』

「…………! ありがとうございます」

 

 心からの礼だった。

 

 アリアデスとラド。二人としては無理に腐朽の大地へ行くこと無く、このまま離れてもなんら問題はないのだ。だというのにユリアの要望に応えて、無事かもわならないリアトリスとジュンペイの元へ行こうとしてくれている。

 

 

 アリアデスにとって二人は弟子でも、手助けはせず見守るにとどめる存在。連れ去られても積極的に魔王の手から取り戻す事などしないだろう。

 ラドに至っては深いかかわりもなく、ただ興味をもった相手……という程度。ユリアには恋という好意を向けてるようだがそれも魔王と対する懸念がある今、付き合ってくれる材料になりうるのかは分からなかった。

 

 

 ……そんな二人が協力してくれるほど、それほどに今の自分は無様なさまを晒したのだろうか。と、そこに思い至ったユリアの頬がかっと熱くなった。恥ずかしい。

 

 

 ユリアは実のところ、リアトリス達と離れて自分がここまで動揺するとは予想外だった。

 状況を俯瞰的に捉えて、空気を読んで、笑顔で可愛く強かに、それでいて飄々と。それが今の自分だとユリアは思っていたのだ。……だがそうあれたのは、近くに手を差し伸べてくれたリアトリスと、もとの世界で仲の良かった従姉弟に似たジュンペイがいたからにすぎない。……その従姉弟とは、ユリアがこちらへ来る前に永い別離をしてしまったのだけれど。

 

 側に居させてほしい好きな人に、自分を慕ってくれた従姉弟に似た頼りない子に。頼られたい。見栄を張りたい。

 そんな気持ちがユリアの根底を支えていた。

 

 召喚した馬鹿どもに騙された自分はもういない。リアトリスの隣に相応しい人間になるのだと意気込んで……その実、本当に芯の部分では弱かったのだと思い知った。拠り所を失えばこんなにも脆い。

 …………弱いというより、寂しいのだ。この誰も頼れる相手のいない世界で、唯一の居場所がリアトリスとジュンペイのそばだった。

 それは温泉宿で二人と出会ってから初めてひとりきりになった時、自覚したことではないか。何を今さら。

 

(ああ、情けないな。弱いなぁ、私。リアトリスさんの隣に立てるようになりたいって思いながら、やっぱり縋ってるだけだったのかな。離れてしまった今、すごく不安。二人の心配をするより、自分が感じる寂しさでうろたえてるんじゃない。もう、もう! かっこわるい)

 

 後ろ向きに考えるだけ時間の無駄よと、心の中でもう一人の自分が鼓舞するもそう簡単な話でもない。このままではうまく合流できたとして、今後自分はリアトリス達の側に居ていいのかも分からなくなる。

 もちろん一緒に居たいし、リアトリスもジュンペイも受け入れてくれるだろう。

 

 だが、自分で自分が許せないのだ。温泉郷でも、今も。

 魔王相手に動くことのできなかった自分が!

 

 何が聖女だ。外付けで用意された虚構の称号でも、ユリアにはそれにふさわしい力が備わっている。

 ならばたとえ敵わなくとも、あの魔王相手に一発叩き込んでやればよかったのだ。だというのに自分は大事な人たちが連れていかれるのをむざむざ見送っただけ。何も出来ていない。

 

(ああ、情けない情けない情けない!!)

 

 止めたはずの涙がじわっと浮かんでくるし嗚咽も収まらない。アリアデスは静かに見守るのみで、それがユリアにとってはありがたいと同時に気まずかった。なんとも身勝手な感想である。

 

 自分は今、誰に何をしてほしいのだろう。

 

『ユリアちゃん、ユリアちゃん』

「……なんですか」

 

 歯を食いしばって嗚咽をこらえていると、ラドが声をかけてきた。

 

『ちょっと提案というか、お誘いというか?』

「なんなんですか早く言ってください」

 

 せっかく良くしてくれている相手だ。それはユリアもわかっているし、出来ればこんな態度はとりたくない。しかし自分に恋情らしきものを向けてくる異性など余計に信じられないのも事実。

 

 信じられない。

 

 それが「男嫌い」という形で表に出ていることを、ユリアはとっくに自覚している。

 どうせ裏切られるなら、性別というカテゴリで区切って全部嫌ってしまえばいい。そんな雑な考え方だ。アリアデスのような年長者は問題ないが、若い男ともなればどうも身構える。

 

(あ、でもこの方も年齢だけならアリアデス様以上か……)

 

 ぼんやり考えながら泣きはらした目で緑色の鱗を見る。

 かつては空想していたファンタジー世界でドラゴンの背中に乗って空を飛んでいる。だというのに隣に慣れた体温がないだけでこんなにも空しい。

 

『こんな時に言うのもなんだけどさ。世界が生まれ変わるにしろ、消えるにしろ。その時が来たら多分僕らはもとの世界に旅立つんだと思う。……よかったら、その時一緒に来ないかい?』

「…………え?」

『君も僕らと同じ外来種でしょ? ならどうかなって』

 

 世界を渡るという話のわりにデートに誘うみたいな気安さだな、とユリアは言われた事を考える。

 

 ラド達ドラゴンが戻る世界が、果たしてユリアの世界と同じかと考えると可能性は低い。だとしてもこのままこの世界に居ても、今後ますます情けない自分を自覚するだけかもしれない。

 自分などいなくとも、リアトリスとジュンペイならうまくやるだろう。リアトリスはもちろん、ジュンペイも頼もしく成長してきている。心さえ育てば、あとは無敵の腐敗公。今の問題を解決出来たら、幸せな未来などいくらでもつかみ取れるだろう。

 もともとユリアは絶対に必要というわけでなく、好意で仲間に加えてもらった身だ。

 

「……………」

 

 そこまで考えて、ユリアはバチリと紫電のように弾けては滾り始めた心の底を感じとる。

 

 

 

「……嫌です」

 

 ぽつりと一言。

 

「嫌です!!!!」

 

 続いて大きな声で。

 

「私は、私はリアトリスさんやジュンペイくんと一緒に居たいです!」

 

 叫んだのは隠しようもない本音だった。

 

 

 

 弾けた紫電は反発心。この誘いに乗るのもいいかもなと考えた瞬間、弱っていた心の中でそれが息を吹き返した。

 

 確かに自分が情けないのは事実だ。しかしジュンペイを散々焚きつけてきた自分が、このまま別の場所に逃げてしまってはその情けなさは倍ドンで足りない。おそらく一生後悔することになる。

 もし帰れるとするなら、それはユリアがこの世界で信じると自分で決めたリアトリスがその術を開発してくれた時だけ。

 稀有な機会ではあるのだろう。しかしそれに容易に乗るようでは、ユリアは絶対リアトリスに誇れる自分になれはしない。

 

 そんなのは嫌だった。

 

『そっか』

 

 叫んだユリアに対しラドは気を悪くする風でもなく、ただそう返す。そのことにはたと我に返ったユリアはしばし考え込み……おずおずと問うた。

 

「あの、もしかして。元気づけようとしてくれました?」

『ん? なんのことかな。僕は仲間とはぐれて心細くなってるユリアちゃんの心に付けこもうとした、わる~いドラゴンだよ』

「自分でそういうあたり、逆に見え透いていますね。……怒らせて元気づけるのは、あまりスマートとはいえませんが。でも的確なあたり、人の本質を見抜く目には長けているようです。伊達に長く生きてないってことですか」

 

 そこまで話してから、つらつらとひねくれた言い方で返してしまう自分に気付いてユリアは咳払いする。……そう。自分は結構、ひねくれものなのだ。

 

 そんなひねくれた心をなだめ……しばらく間をおいてから。

 自分などよりよほど飄々としたドラゴンに、少々照れた様子で告げた。

 

 

「ありがとう、ラドさん」

『……! 名前、呼んでくれたねー!』

「だからって調子には乗らないでくださいよ」

 

 少々ほだされはした。だがしっかり釘をさすことも忘れずに、ユリアは遠くを見る。

 そこには黒くよどむ大地が徐々に姿を現し始めていた。

 

 

 

「待っていてくださいね、リアトリスさん。ジュンペイくん。ユリア・ジョウガサキ……参ります!!」

 

 

 

 

 

 

 

 



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63話 目指す未来(さき)にはいつだって

 リアトリスは連続した思考を繰り返す。

 その目と身体能力でもって迫りくる剣戟や槍の突きを避け、更には揺れる魔力の支流を感知。魔術師たちが次にどんな攻撃を放ってくるのか読み切ってジュンペイに触手で振り払う指示を飛ばす。

 魔術で補助しているが、体が軋む足が重い。腕が持ち上がらなくなりそうだ。わずかな瞬きの間に攻撃が来るため目もほとんど見開きっぱなし。おそらくひどく見苦しく充血しているに違いない。口も乾いて張り付きそうで、喉はがらがら枯れかける。心臓ははち切れんばかりにドクドク鼓動を刻んでおり、寿命が削れているような感覚だ。

 

 しかしその身体的負荷はリアトリスの勢いを弱くするまでに至らなかった。追い詰められれば追い詰められるほど意識は研ぎ澄まされ、思考は熱を帯びながらも清んでいく。

 

(もう逆に笑えてくんのよね!)

 

『リアトリス、大丈夫?』

 

 ジュンペイが問いかけてくるも指示する以外に応える余裕はない。それをジュンペイも分かっているのだろうが、それでも聞かずにはいられなかったらしい。それほどにリアトリスの今の姿は鬼気迫っている。

 

 止まらない、止まらない、止まらない。

 

 リアトリスは脚を止めず走り続ける。これからもっと大きなものに挑もうというのに、こんな物理的な邪魔に負けてなるものかと。

 時に兵士の股下を潜り抜け、時に同士討ちを誘発させ、時に跳躍し上背の高い魔族の丈をも飛び越えて異形の体から繰り出される攻撃も際どくかわしていく。

 ジュンペイも一度聞いたきり、あとはリアトリスの指示と自らの意志で防御と攻撃を繰り返すことに集中する。その意識はリアトリスにひっぱられるように研ぎ澄まされ、小さな体から伸びる触手の数はおびただしいものとなっていた。

 

 本人は気づいていないが、ジュンペイの溶解能力はここにきて「自ら溶かす」という意識を強く持ったことで進化していた。同じような現象はリアトリスとの修行を経て外の世界を経験した体験が、本体に還元された時におきている。……その進化、成長は兵たちの結界を突き抜けて、薙ぎ払った武器を腐食させているところから伺えた。

 リアトリスが自身にかけている、ジュンペイや腐朽の大地の汚泥から身を守る結界と同じもの。それを当然、魔力消費という特性が無くなったとはいえ、依然として全てを溶かしつくす汚泥をたたえたこの土地でかけていない者などいない。

 それを突破してくる……相対する者にとって、それは相手がいくら小さかろうとも恐怖に繋がった。

 だからこそ、それを察した者は腐敗公の力の前に及び腰となる。どんなに剛の者でも"溶かされて"死ぬことに恐怖を覚えずにはいられない。それでもすぐに持ち直して新たな武器を手に立ち向かうあたり彼らは強いのだろうが、その一瞬の躊躇いこそがリアトリスが突き進んでいく助けとなっていた。

 

「どけどけどけどけどけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 

 声も枯れようというのに、リアトリスは更に腹の底から気力を振り絞る。腐敗公の力だけでなく、そういったリアトリスの気迫もまた、わずかながら猛者たちをひるませた。

 

 

 

 

 だが、限界とは気力だけでどうにかなるものでないこともまた……変えようのない事実。

 

 

 

「!」

 

 一瞬だった。

 ほんの一瞬膝が砕け……そのまま前に倒れこむ。

 

『リアトリス!!』

 

 殺到する攻撃はジュンペイに向かっているというのに、彼はリアトリスを覆うようにして粘体の体を広げてかぶさる。そこに触手で迎撃する余裕はない。

 

 誰もが「やった」と思った。

 

 ――――しかしこの場にユリアが居たならば、「それはフラグってやつですよ! お約束の!」と言っていたかもしれない。

 

 

 

 

「舐めるなァァァァァ!!!!!」

 

 

 

 

 叫喚呼号。

 リアトリスは顔を上げると、真下にここ最近で極端に練度が上がった風の魔力を繰り出した。そういえば初めてここに落とされた時も、落ちた時死なぬよう、この術を使ったのだったなと思考の一角……妙に冷静な部分で思い出す。

 

 荒れ狂う突風はリアトリスを真上へと押し上げた。

 その刹那の判断が間に合わなければ、現在核を本体に戻す余裕のなくなっているジュンペイは魂を切り裂かれていただろう。

 リアトリス以外ジュンペイに弱点、核が出来ていることを知る者などいないのだが、腐敗公の力を前に「生け捕り」するほどの余裕を持ち合わせてない敵対者は、全力で仕留めるつもりの攻撃をしかけていた。

 それが決まれば……彼らが真に恐れる腐敗公本体にとっても致死。それを間際で避けて見せたのだ。

 

 ……だがリアトリスの起死回生の一手は、大きな隙へと繋がってしまう。

 

 空中に躍り出たリアトリスはまさに的。

 これまで乱戦の中使えなかった弓矢や遠距離魔術が味方の犠牲を気にすることなく使えるのだ。リアトリスもそれが分かっていたからこそ、ここまで必要以上の跳躍を封じてきたが……。さすがに今、そこまで考える余裕はない。

 上空に至り、眼下の見降ろすところでようやくその考えに至った。

 

「しまっ!!」

 

 しまった。そう思うも……もう遅い。

 魔術が、そしておそらく弓矢がこちらを狙っている。

 

 それでも目だけは閉じない。なにか、なにかないかと刹那の思考の間に活路を探す。しかしこの空中でそんなものがあるはずも……。

 

 しかし、リアトリスはある一点を捕らえた。

 

 

 

 

「あったぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 叫んだ直後。リアトリスはさらに続ける。

 

 

「ジュンペイ、触手!! あっちに!!!!!!!!」

 

 その続く言葉の前。リアトリスが叫んだ瞬間わずかな間であったにも関わらず、意図を反射の域でくみ取ったかのようなジュンペイの触手は……すでに遠方へと伸びていた。

 

 その先にあったものは。

 

「「え?」」

 

 余裕磔磔と見物を決め込んでいた、魔皇ザリーデハルトとアルガサルタの第四王子エニルターシェ。

 この短時間で精度と速度を発達させたジュンペイの触手は、彼らが気づいたときにはすでに。その体を捕まえており……引き寄せる。

 あまりの不意打ちに抵抗する暇も無い。

 

「うおおおおおおおおおおおお!?」

 

 魔術と矢が空中のリアトリス達を狙って殺到した時。それらを防いでみせたのは、引き寄せられた魔王ザリーデハルトその人である。

 腕を無造作に薙ぎ払った先から発された、術にする前の魔力の乱流が、迫っていた魔術も矢もなにもかもを吹き飛ばす。

 そして押し返されたそれらに眼下は阿鼻叫喚の図となった。自分たちが放った術もろもろが丸ごと返ってきたのだから当然だ。

 

「あははははははははははははははははは!!」

 

 混沌とした戦況の中、実に楽しそうな笑い声が響く。それは赤髪の奇人、エニルターシェだ。

 現在ジュンペイの触手にザリーデハルトごと簀巻きにされて、宙から真っ逆さまに落ちている途中なのだが……そんなもの関係ないとばかりに大笑いしている。

 

「あはははははははは!! ね、ね! 面白いでしょうザリーデハルト殿! あははははは! まさかこうくるとは!」

「ここで笑えるお前、人間にしとくの惜しいわ!」

 

 共に真っ逆さまに落ちる中でザリーデハルトは最大級の呆れと賛辞を遊び仲間におくり、そして触手の先……まんまと見物にしゃれ込んでいた自分たちをまきこんだ相手を見る。

 

 しかし。

 

「ほーっほほほほほほほ! ざまぁみさらげほごほがはっ!!」

 

 ザリーデハルトらをを指差し高笑いするという所業をやってのけながら、リアトリスは落下しながら盛大にせき込んでいた。そこに着地を考えている様子はうかがえない。

 

「これは見上げた根性だって褒めるべきか……? それとも素直に馬鹿って言うべきか」

 

 このまま落ちたとして、ザリーデハルトや腐敗公の耐久性を持ってすれば死ぬことはない。だが人間であるリアトリスとエニルターシェは別だ。だというのに何故双方ともが笑っているのか、これがわからない。

 この時初めて魔皇とも呼ばれる最高位の魔王が、それまで呆れはすれど余裕は失わなかった表情を困惑という感情で染めた。

 その胸中は「なんだこいつら」という気持ちで満ち満ちている。

 

 

 

 リアトリスは見物人を気取っていた憎たらしいあん畜生どもに一矢向きいた気になって笑っていたが……はたと冷静になって下を見る。

 研ぎ澄まされた感覚が体感時間を引き延ばしているようで、妙にゆっくりと感じるが……落ちていく先は跳ね返された魔術と矢で乱れた軍の中。しかも飛び上がった高度が高度だけに、いくら下が固い地面でないにしても無事ではすまない。

 二度目の「しまった」が脳裏をよぎる。

 

 その時だ。

 

『間に合った……!』

 

 ジュンペイのそんな発言が耳に届いたと思った瞬間……真下の汚泥が盛り上がりはじめた。

 何事かと見守っている内に、落下の最終地点まで達することなく、もりあがった汚泥に受け止められる。……否。それはただの汚泥などではない。

 ぐちょっという音を立てて受け止められ、一瞬リアトリスの息が詰まる……と同時に鼻の奥に凄まじい悪臭が満ちた。だがそれに顔をしかめる間もなく流動体のそれが弾力をもちはじめ、リアトリスの体を表面へと押し上げ始める。

 

「……ぷはっ」

 

 次にリアトリスが空気を体内に取り込んだ時。

 目の前にあったのは、巨大な碧眼であった。

 

「……ジュンペイ!?」

「あ……やべ」

 

 驚くリアトリスとの他。いつの間にか小さな分身体のジュンペイが消えていたために、解放されたザリーデハルトはエニルターシェを抱えて飛翔しながら冷や汗をたらりとこぼす。

 

「え……あんたまさか、戦いながら本体の方も動かしてたの!? しかも、え、泥の中を移動してきた……!?」

『リアトリスが腐朽の大地そのものが俺の体みたいなものだって言ってただろ? だから出来るかなって。あのままじゃリアトリスの体力がもちそうになかったから』

 

 それを聞いてリアトリスは、この旦那様の方が自分などよりよほど状況判断に優れていたのだなと思い知った。

 彼はそれを判断した後、リアトリスと共闘しながら現実的な活路を……自分という最大の武器を呼び寄せていたのだ。

 だがジュンペイの声はどこか浮かない。

 

『……でもごめん。さっきは呼び寄せる本体にも意識を裂いてたから、咄嗟に守る動きしか出来なかった。リアトリスが上に逃げてくれなかったら、俺はあそこで消えてたよ』

「ぎ、ぎりぎりだったのね……。っと、あれ?」

 

 ふらりとリアトリスの体が傾く。

 無理もない。張り詰め続けていた神経が一気に緩んだのだ。

 

『リアトリス。俺の眼を』

 

 せめて魔力だけでもとジュンペイが促すが、頷くも今のリアトリスには眼球の近くまで移動する力も残されていない。急にがくがくと筋肉が震えはじめ、思うように動けないのだ。

 それは恐怖によるものでなく、単なる体の活動限界。これまでの無茶を思えば当然である。

 

 それを察してかジュンペイはリアトリスを乗せた巨大な触手を動かし、最も眼球に近い場所まで寄せた。

 好意に甘えてリアトリスはジュンペイの眼球……魔力の塊に噛り付く。するとほとんど枯渇していた魔力が一瞬で回復するのを感じた。

 推測した眼球の正体を思えばこそ当然とも言えるが、やはり実際に体験すると効果のすさまじさを実感する。

 リアトリスは意識が途絶え気絶するなどという最悪の無様を晒す前に、すぐに回復した魔力でもって、負った傷の回復にまわした。疲労ばかりは消え去らないが、それは仕方がない。

 

 

 この魔力の塊も世界が転生すれば無くなってしまうのだろうなと、ふと思う。

 だがその事に関しては大した衝撃を受けることは無かった。その膨大な魔力を操る術を身につけさせ、自分の幸せ未来計画に利用しようと考えていたにも関わらずだ。

 その事実は特に反発することなくリアトリスの中にすとんと落ちて収まった。

 

 

 そんなことを考えている内に下の方が騒がしくなる。

 見ればジュンペイの本体を囲い、持ち直したらしい軍が攻撃をしかけていた。しかし本体にもどったジュンペイはそれを歯牙にもかけず、体を軽く動かして汚泥の波を引き起こす。それは容易く最も近くに居た者達を飲み込んだ。

 

(ああ……。あれきっついわよね)

 

 出会ったばかりの頃それを体験しているリアトリスは、余裕が出来たこともあってそれを同情の目でもって眺める。が、こうなればあとは当初の目的へ向かうだけだ。

 

「ジュンペイ! このまま蹴散らして生命樹に向かうわよ。どうせこの土地でついてこられる奴なんて……」

 

 言いかけて、リアトリスが空をばっさばっさと八翼で飛ぶザリーデハルト達を見た。

 

「………………」

「………………」

 

 視線がぶつかり合うも、互いに無言。片や冷や汗交じりに笑顔を浮かべ、もう片方は疲労が滲むも満面の笑み。

 ちなみに前者がザリーデハルト。後者がリアトリスである。

 

「……自由にさせたまま後をついてこられても面倒ね」

「おっと。俺の事は気にしなくていいぜ」

「ほほほほほほほほほほほほほほ! 倒すなら本体の腐敗公だ~なんて言ってたのは誰かしら? ずいぶん及び腰じゃないの! だっさ!!」

「お前気持ちいいくらい腐敗公の威を借りてんな!?」

「旦那様を頼ってるだけすけど~? さあジュンペイ、やっちゃってちょうだい!」

『はいはい』

「え、なんでそんな感じ!?」

 

 先ほどまでの瀕死の様子は何処へ消えたのか、腐敗公本体へと戻ったジュンペイを背に胸を張るリアトリス。それに対し魔王と腐敗公双方から呆れのこもった視線を向けられたことに本人は不服そうだが、ジュンペイとしては呆れつつも安心している。

 

『いや、リアトリスだなぁと思って。ふふ。さっき本当に死んじゃうかもと思ってさ……だから、なんていうか。ほっとした。……さてと』

 

 お嫁さんに頼られたとあらば張り切らないとな、と。ジュンペイは分身とは比べ物にならない大きさの触手でもって、魔王とそれに抱えられるリアトリスの元上司を捕らえる。本日二回目の簀巻きの出来上がりだ。

 殺す気まではないため、結界を突破するような溶解力はもたせていないが。

 

「おや、ジュンペイ殿は優しいですね。邪魔者を殺さなくて良いので?」

「おいエニ」

 

 捕らえられた上にいつ命を奪われてもおかしくない状態。だというのに、エニルターシェは未だ楽しそうだ。これならまだ魔皇のほうが人間味があるし感性が合いそうだ、などとリアトリスは感想を抱く。

 

『うん。だって俺は俺が生きたい、幸せになりたいってわがままで動いてる。この人たちも生きたいから俺を倒さなきゃならないだけだ。だから誰も悪くないし、それなら俺は出来るだけ命を奪う事なんてしたくないよ。……お前たちはちょっと、わからないけど。でも殺してしまうのは、なんか……後味悪いし』

 

 

 死ぬのって寂しくて怖いんだ。

 

 

 そうぽつりとこぼされた、十一歳の少年の心がこめられた呟きは近くに居たリアトリスだけが拾っていた。

 

「なあエニ。腐敗公ってお前より倫理観しっかりしてないか?」

「失礼な」

 

 ジュンペイの言葉に顔を見合わせた愉快犯二人であるが、リアトリスとしてもここはジュンペイの気持ちを優先させたい。

 

「下手に野放しにしても何するか分からなくて不気味だし……うん。このまま連れて行きましょう」

『いいの?』

 

 リアトリスが選択するも、ものすごく嫌そうな顔で言うのでジュンペイが問う。

 それに頷きながら、リアトリスは眉間の皺をほぐして挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「ええ。見物人を気取っているなら、そのまま見ていてもらおうじゃない。世界との喧嘩をね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!! リアトリスさーーーーん!」

「ユリア! それに師匠に、ラド。え、来てたの!?」

「そりゃ来ますとも!」

 

 リアトリスの言葉にユリアが頬を膨らませる。

 生命樹までの道を一路辿ってきたリアトリス達は、近づくにつれて生命樹の白い光が何やら緑色のものを反射していることに気付く。

 それは生命樹を止まり木にしているドラゴン姿のラドのようで、物珍しそうに生命樹を尾で撫でていた。

 

『お、暫定息子くん。あんな連れ去り方しておいて逆に捕まってんじゃーん、かっこわる!』

 

 リアトリス達の様子を見て瞬時に状況を理解したらしいラドがここぞを愉快そうに笑った。

 

「育ててもらった覚えはないが、俺の性格ってもしかして父上譲りか?」

『? え、どこが』

「うーん。……適当さとかおちょくりかたとか。そんなところじゃないですか?」

『ユリアちゃんひどい!?』

「…………。ジュンペイ、そこでなんで私を見るの?」

『いや……。適当さっていうか、雑なのはリアトリスもそうだよなって』

 

 まさかこの場面でそう言われるとは思わず、しかもそれに少々どころでない衝撃を受けたリアトリスは「は、花嫁修業的な事したほうが良いのかしら?」などと、微妙にずれたことを考えた。

 そんなリアトリスに、駆け寄ってきたユリアが抱き着く。

 ユリアの体からは生命樹にも似た白く清浄な光が発されており、それらはすべてリアトリスへと吸い込まれていった。

 

「こんなに無茶して……」

「えっと、わかる?」

「わかります!」

 

 ぎゅっと抱き着いてきたユリアの震える声と肩が濡れる感覚に、ずいぶん心配をかけたようだと思いながらリアトリスはその背中を撫でた。今日はよくこんな事をしているな、と考えながら。

 

「でもご無事でよかった……。ごめんなさい。私、あの時なにも出来なくて」

「いいのいいの。ぜ~んぶあれが悪いんだから。ユリアが気にすることは一つも無いわよ。なぁに? ジュンペイの気にしいが移ったの?」

 

 少々茶化しながら言うと、珍しく「リアトリスさんの馬鹿」というお言葉をもらってしまった。

 それに対し謝りながら、リアトリスはこの少女の事を考える。もしリアトリスが世界と世界を繋ぐ術を開発出来ても、けしてもとの生活にはもどれないだろう城ケ崎優梨愛という女の子の事を。

 

(これは……うん。はっきり覚悟を決めるべきかしら……!)

 

 そんな思考が過る中。

 

「いやいや、賑やかだね。ここが腐朽の大地のど真ん中とはとても思えない。ところでアリアデス。リアトリス達は何を思ってここへ戻ってきたんだい?」

「それを僕に聞くのですか、あなたは」

「だって何をするのか分かって見ていた方が楽しいじゃないか」

「ならば僕は口を噤みましょう。もう宮廷魔術師ではありませんからな。殿下を喜ばせるために何かする必要はありませぬ」

「…………。アリアデス、もしかして怒っている?」

「そんなことはありません」

 

 筋骨隆々の老魔術師は表情も雰囲気も静かなもので、弟子のリアトリスのように分かりやすい怒りの波動は発していない。だが話しかけたエニルターシェは赤いつり目を更に鋭く細める。

 

「いや、だが君の筋肉はいつもよりしなやかさを欠いて固くなっている。それは私への怒りを抑えているからでは?」

「!! 殿下……あなたは」

「アリアデスが宮廷魔術師長を辞してから僕もそれなりに君の美学を理解しようと思ってね。まだ君の上半身を常に露出させて過ごす趣味は理解できないが、以前よりは筋肉のついての理解は深まったよ」

「殿下……!」

「そっちはそっちで新たな親交を深めないでくださいます!? あの師匠。私今でこそぴんしゃんしてますけどこいつらのせいで死にかけてたんですけど!!」

「そういった事も含めて覚悟の上だろう。腐敗公と歩むと決めたのはお前だよ」

「そうですけどぉぉぉぉ!!」

 

 ここにきて師と怨敵が語りだしそうな雰囲気を察し割って入るも、筋肉で心境を見抜かれたのがよほど嬉しかったのか。アリアデスはリアトリスが今無事なこともあり、こんな場合でも弟子を擁護せず公平に勤めた意見を述べた。王子側に寄らなかっただけまだましだろうかとは、弟子の悲しい無理やりの納得である。

 

「それより、何かするんだろう? 早く見せておくれよリアトリス」

「生かすにしてもその口縫い付けてやった方がいいかしら……」

 

 生殺与奪を握られておきながらこちらへ要求を投げつけてくる神経に、リアトリスはついに理解を放棄した。とっくに放棄していたつもりだったが、話に少しでも付き合うそぶりを見せたら負けなのだと。ようやくその考えに至る。

 だからこそ乗ってしまっている現時点で駄目なのだが。

 

『リアトリス』

 

 ぐったりと肩を落とすリアトリスにジュンペイが声をかける。リアトリスは現在生命樹側に足場を移していたため、その単眼と姿がよく見えた。

 未だ臭いことに変わりないし見た目も最悪と言ってよい。こんな娘がいたらいいな~という姿を模した姿の見る影もない。

 だというのに、初対面時散々こき下ろしたリアトリスはすでにその姿に対する嫌悪感をもっていない。それは先ほどまで大きさこそ違えど、魔物姿となったジュンペイを肩に乗せていたことからもうかがえる。

 むしろこの姿でも可愛いと感じるようになっていた。

 

「むしろ味っていうか、二つ姿があるのもお得……みたいな?」

『り、リアトリス? なんのこと? それより例の実験やってみよう。もし駄目なら次の事考えないといけないし』

「…………。あんた、私よりしっかり現実見据えてるわね」

 

 言われてみればそうだと、現状何も解決していないことを思い出すリアトリス。

 先ほど魔王と王子に啖呵を切っておきながら、なんだかんだと無事に危機の第一波を真逃れたことに安心していたようだ。

 だがこういったリアトリスの詰めの甘さを補ってくれる。そんな存在がこの旦那様ならば。

 

 

「頼りになるわね」

 

 

 頼りにしている、でなく頼りになる。

 そう言われたジュンペイは、腐敗公の体を歓喜で震わせた。その折に発生した汚泥の波がザリーデハルトとエニルターシに汚泥をかぶせるが、この場でそれを気にするものなど誰もいない。

 

 

 

 

 始まりは最低最悪。今もたいして状況自体は変わっていないし、むしろ悪化しているようにも見えるだろう。

 

 しかしどうにもこの先、悪い方へ転がる未来が見えないのだ。

 リアトリスにとって共に歩むジュンペイこそがその活路となっている。それは有する力でなく、存在そのものを指し示す。

 

 これが恋になるかどうかはまだまだ分からない。

 だが愛とか恋とか言葉に当てはめなくとも良い気もする。

 

 

 

 

――――ただ、目指す未来(さき)"に"はいつだって。

 

 

 

 

(あなたが居るのよね)

 

 

 

 

 

 リアトリスは生命樹に手を添えた。

 意識を研ぎ澄まし、魔力の支流を、星幽界を。……存在を認知しながらも、けして触れることのできない世界樹へとむける。

 葉に七色の光をさざめかせる生命樹とは違い、その体全てに様々な色が混在し、星幽界と現実世界の狭間に揺蕩う世界樹。しかし今はその境が非常に薄くなっているように思えた。

 

 ここまでくれば推測はすでに確信。リアトリスはジュンペイへと手を伸ばす。すると腐敗公から一塊の汚泥が離れ……それが少女の姿をとった。煌めく金糸のごとき髪をゆらめかせ、少女はリアトリスの手を握る。

 言われずとも、共に挑むぞと言われていることが分かったからだ。

 

 それを後方へと下がった元聖女が。元宮廷魔術師長が。魔皇が。王子が。ドラゴンがみつめる。

 

 

 

 

「さあ、たっっっっぷりと文句を聞いてもらいましょうか、世界樹!」

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ 腐敗公と嫁先生 ★

「なんで……なんでこんな事になっちゃったんだよーー!!」

 

 甲高い声が草原に響き渡る。

 

「だってジュンペイ。あなた、自分で人化の術使っちゃったんだもの……」

「俺はてっきり! リアトリスがまた! 姿を変えてくれたと! ばかり!!」

「いやぁ……さすが腐敗公っていうか。悔しいけど成功すれば私の数倍出来がいいわね。質量のおさまりも完璧。すごいわ! さすが私の旦那様ね!」

「今そういう事を言ってるんじゃなくてぇぇぇぇ!! 褒めて誤魔化そうとしないでよ!」

「ばれたか……」

「言っておいてなんだけど、せめてもう少し隠そうとして!? うううううううううう!!」

 

 リアトリスは目の前にうずくまる金色のつむじを前に、さてこれ以上はどうやって声をかけようかと考えあぐねた。これはなかなかの難問である。

 

「おかしいとは思ったんですよねぇ……。分身っぽくなって離れた後、本体の方が綺麗さっぱりいなくなっちゃったんですもん」

 

 頬に手を添えて首を傾けるユリアにジュンペイに涙目が突き刺さるが、それもすぐに伏せられる。

 現在ジュンペイは膝を抱えてそこに顔を埋めるという体勢をとっているが……そこには今までと違う変化があった。

 

 黄金を溶かしたような豪奢な巻き毛に、鮮やかな碧眼。

 そういった特徴は変わらないものの……これまでと明確に違うものがあった。

 

「ジュンペイ……なんでも考え方ひとつよ! ほらほら、立ってみなさいよ。良かったじゃない! 今のあなた、私より背が高いわ!」

「だーかーらー!!

 

 

 

「俺は男の姿が欲しかったの!!」

 

 

 

 現在のジュンペイは、妙齢の女性の姿へと変化していた。

 

 

 リアトリス達の試みが成功したのかどうか、といえば。……それは十分成功の内に入るだろう。

 ただその当事者に、思いがけない結果がついてきただけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異世界で望む生を得られなかった少年の魂。その最期の願いは、またしても望まぬ結果をもたらした。以前の寿命を十全に生きられた場合に比べても有り余る、必要以上の時間を与えられたにも関わらずだ。

 

 世界丸ごとを生まれ変わらせるシステムの中核。あるいはそれを世界の生態と表現した者もいるが、ともかくそれが少年へ新たに与えられた命。

 

 少年は誰かの役に立ちたかっただけで、できれば感謝されたかった。それを自分の生きた証にするために。

 だが新たな生は生まれたその瞬間から忌み嫌われるものだった。……一人の花嫁と出会うまでは。

 

 彼女の手を取り外へ飛び出した、腐敗公と呼ばれた魔物。彼は花嫁が望む理想の旦那様になるための旅の途中、前世の記憶を取り戻す。

 どうして、何故と思いもした。更には自分の存在が以前大事だったものを巻き込んだことに憤りもした。しかしその時すでに彼は生きる(しるべ)を手に入れていた。

 嘆くだけでは手に入らないものをつかみ取るため……彼は花嫁の横に並び立つ。

 

 

 

 

 

「……どう!?」

「何が」

 

 手元の紙に書かれているであろう内容をつらつら述べた相手を前に、どこか幼さの残る愛らしさを有した美女が低音で凄む。ただ元の声が高いのか、どう低く出そうとしても本人が思うような声は出ない。

 

「何がって……必要なくなった知識の継承の代わりに、腐敗公の物語を伝えていこうかな~と思って」

「余計なお世話だし必要なくても受け継いでけよ! ラドが言う知識ってドラゴンの事だろ!? 自分の種族がこの世界に生きた証的な感じで! 残せよ! 自分の実の娘まで見送って居残りした変わりドラゴン、お前しかいないんだから!」

「ええ~? でもこっちの方が面白いよ。……あとラルの事は言わないで。好きな人が居るから残るならとと様ひとりで残ってねってフラれたんだから。娘の成長が嬉しいけど辛い」

「面白さで決めるなー! それと好きな女目当てで残ったお前が落ち込める立場かよ!」

 

 ムキーッ! とでも擬音が付きそうな勢いで椅子から立ち上がった美女……ジュンペイを前に、ドラゴンの青年ラドは眉尻を下げて飲み物に口をつける。

 

「どうしたのジュンペイ?」

 

 そこに声をかけたのは台所から料理をもって出てきた、ジュンペイよりずっと薄く、くすんだ金属じみた色合いの金髪をゆらす女性……リアトリスだ。

 

「聞いてよリアトリスちゃん。せっかく腐敗公を主人公にした小説でも書いて語り継いでいこうとしたのに、書き出しの出来について答えてもらえないんだ」

「いや、あんたは今や世界でたった一匹のドラゴンなんだからそっちの伝承やらを語り継いできなさいよ……」

「だよね!」

「それにジュンペイについてはもうユリアが張り切って書いてるわ。なんかマンガ? ってやつで」

「優梨愛ねえちゃああああぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 リアトリスの発言を聞くなりジュンペイがどたどたと階段を上っていく。おそらく二階のユリアの部屋に行ったのだろう。

 

「おーい。なんか騒がしいけどよ。なんかあったか?」

「あ、やほやほ。オヌマ―。聞いてよ。実はね……」

 

 家の扉が無造作に開き、その向こうから無精ひげにくせっけの男が顔を出す。事情を聞いた彼はラドに三度目になる「自分の種族の記録を残せ」と提案した。

 

「なんでみんなそう言うかな……」

「貴重だからだろうが。お前の他に知ってる奴居ないんだから。つーか俺が読みてぇから文字にして」

「ええ~?」

 

 ラドは不満そうにぶすくれるが、すでに自分の愛しい女性が書いているならしかたがないと、腐敗公を主人公にした小説は諦めるという。そうじゃない。それとは別に書いてくれとオヌマが食い下がるが、ラドは気分が乗らない様子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リアトリス達が世界樹という、自分たちが住む世界の大本を作る何かに直談判をしてから一年の時が経過していた。

 

 

 腐朽の大地での大立ち回りを演じた後、リアトリスは生命樹を通じて世界樹にこちらの意志を届けることに成功した。

 内容は「今の腐敗公が旧大地に栄養を与えてしまったのは、知らぬが故の事故である。というか駄目なら駄目と最初に教えておけふざけるな。今すぐ腐敗公の魂を刈れなどという命令を共通認識から削除しろ」である。

 本来の内容はもっと長く、更に言えば文句がつらつらと添えられているのだが……。長いゆえにリアトリスも自分で一字一句覚えているわけでなく、あとで仲間に伝えた内容がそれだった。要点のみのまとめである。

 

 だが成功した。といってもそれが容易だったわけではない。

 

 世界樹にはいわば人格というものがない。というよりも、リアトリス達とは価値観が違うのだ。上位存在ともいえるものだけに、当たり前と言えば当たり前なのだが。

 

 だから感情論ではどうともならず、求められたのは対価と利益。……価値観が違う割に、提示内容は現実的である。

 

 その命令を取りやめたら世界にどんな益があるのか。それを示せという意志が返ってきた。

 おそらくだが、生命樹を生み出した古代文明が滅びた理由。それが世界樹に由来するものであったなら、彼らは対価となるものを差し出せなかったのだろうとリアトリスは考えている。

 循環に関わる世界樹の力を削りだしただけの益を返せなかった古代文明は、いわば世界樹にとっての害虫。これ以上力を取られてしまっては困ると……駆除された。

 

 

 さて困ったと、リアトリスは頭をひねった。価値観の違う相手を前に差し出せるものはなにかと。

 しいて言うなら「前に間違っちゃったのは、説明が不十分だったからだよ。ちゃんと知った今なら、役目をちゃんと果たせるよ」という……正常な状態に戻ることが対価といえば対価だ。だが相手はそれで満足しないからこそ更なるものを求めてきている。

 もとはそちらの説明不足じゃないかと怒りたくもあったが、価値観の違う相手にこちらの熱量でぶつかっても空回るだけ、というのは嫌というほど思い知っている。そのためリアトリスはそれ以上突っかかることなく……対価を探した。その方が手っ取り早いと。

 

 そしてリアトリスは閃いた。

 

 

――――世界樹が望む世界転生が無事に終わったなら、相手も満足するのでないか? と。

 

 

 それは最初の提案と似ているようで異なる。提案でなく、実績として示したうえで「ほら出来ましたよ」と結果論をつきつける、少々乱暴な方法だ。

 しかしこれ以上に答えらしきものが見つからぬ以上、それを実行するしかない。それにリアトリスには確信があった。

 

 

 

『その膨大な魔力を操る方法、この超天才元宮廷魔術師リアトリス様が教えてあげる! そして私に相応しい夫になりなさい!』

 

 

 以前リアトリスが腐敗公ジュンペイに持ち掛けた提案。彼はそれを飲み、今まで勤勉にリアトリスの教えを吸収してきた。腐朽の大地での授業こそドベを烙印を押すほかないものだったが、実戦を経験してからの成長は目覚ましい。

 

 今のジュンペイならきっと世界転生を自然に任せる以上に上手く速やかに行える。リアトリスの確信はそれだった。

 ……本来なら単なる部品でしかない腐敗公が、その膨大な魔力を操る感覚を身に着けているのだ。きっと出来る。

 

 現にリアトリスが生命樹に触れる前、ジュンペイは自らの意志で人化を果たした。非常に難しい術なのだが、ジュンペイはラドがドラゴンから人へ。人からドラゴンへ変異する場面を何度か目撃している。そのおかげかなと思いつつ、人化が出来るなら魔術操作におけるリアトリスの合格基準を花丸で満たす。実行を決意するには十分な材料だった。

 

 人化で選んだ姿が何故嫌がっていた少女の姿なのかな~と、思わなかったでもないが。

 それが本人が無意識に行ったものだったと知るのは……全てが終わった後のこと。人化の術で変化した姿は固定され、他の術者が行使しない限りその姿以外になれはしない。

 

 

 つまり。リアトリスなどが別の術を生み出さない限り……ジュンペイのこの世界での性別が決定した瞬間である。

 

 しかも無事に役割を果たせたご褒美なのか。それとも偶然か。

 世界樹がもともとの腐敗公が有していた力でないにしろ、役割を果たしたジュンペイに魔力を残し……その力が少女から成人女性へ人化の姿を成長させたというおまけつき。

 ジュンペイとしてはどうせなら、見た目そのままでいいから男にしてほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優梨愛ねえちゃん、なんでそんなの描くんだよ! 俺恥ずかしいんだけど!」

「あらあら純平ったら! 大丈夫ですよぉ。恥ずかしいのは最初の内だけですから!」

「恥ずかしい事に変わりはないんじゃん! 慣れっていう妥協を俺におしつけないで!」

「で、でも! 身内のみに留めますから~」

「信用できない。優梨愛姉ちゃんこの前シンシアさんに自分で描いた漫画見せてたじゃないか。あれシンシアさんが感動して広めちゃったでしょ」

「でもあれは純平を題材にしてないし……」

「一度形にすれば広がる可能性がゼロでなくなるの! ほら、原稿渡して」

「い~や~で~す~!」

 

 階を隔てているのに聞こえてくるやり取りは、本人たちにとってはどんなものでも聞いている側としては和むもの。リアトリスは自然とひとこと呟いた。

 

 

 

 

「平和ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+++++++

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ行くぞリアトリス!」

「はいはい。ふふ、懐かしいわね。こうして二人で居るのは」

 

 リアトリスとジュンペイ、ユリアは事が終わった後。人知れずのんびり田舎暮らしを楽しんでいた。一部の人間を除きそれを知る者はおらず、悠々自適の生活だ。

 

 とても楽しいものを見せてもらったからとエニルターシェがいらないというのに押し付けていった、名目上「世界を救った謝礼金」とされる大金は全てオヌマとアリアデスへ借金の返済だと渡してしまった。金に罪はないが、素直に受けとれるほどリアトリスも素直な性格ではなかったからだ。

 ……そのため裕福ではないが、そこは快適自由な生活を望むリアトリス。自分や共に住む二人の力も活かして、しっかり地盤を整えて稼いでいる。

 

 リアトリスが望んだ『美味しい物を食べて、いい物を着て、いい場所に住んで、いい暮らしがしたい。自分の実力を認めさせたい』。そんな普通の域を出ない望みは、全て叶ったといってよいだろう。

 

 だが現在。そこにはもう一つ望みが加わった。

 

 

――――旦那様の願いを叶えてあげたい。

 

 

 リアトリスとしては今のままでもいい。だが自分のためにどうあっても男性の体が欲しいらしいジュンペイの願いを、叶えてあげたくなったのだ。

 

 

 

 

 

 

「けっこう深いな……。俺がつたって下りてくから、リアトリスは乗って?」

「そう? ならお願いするわ。崖の途中がどうなってるかも観察したいしね」

 

 ジュンペイの希望を叶えるにはリアトリスが人化の術を発展、もしくは新しい術を生み出す必要がある。だが今の生活ではどうも刺激が足りないのか、上手い具合に発想が出てこないのだ。

 

 ……となれば。

 

 刺激するためになにをするかといえば、最も手っ取り早い方法は旅である。リアトリスは以前の旅の中でも、それまでは考えつきながらも実現に至らなかった術を開発していた。その経験を思えばこそ。

 

 それに新婚旅行も結局は中途半端なままだった。

 ……ので、リアトリスは発想のために刺激を求めて。ジュンペイはリアトリスが新しい術を開発した時すぐに実行できるよう、更なる魔術の修行を求めて。

 新婚旅行を兼ねた修行旅を、再開したのである。

 

 

 

 そして目的地としたのは……"元"腐朽の大地。

 

 

 現在は新たに生まれた世界の象徴と言わんばかりに、世界の三分の一が未知の魔境へと変化していた。

 

 

 

 人族と魔族との垣根はなんと取り払われたままだったが、その代わりといわんばかりに。現在はその場所から未知の脅威が湧いて出ては、在来種はそれの対処に追われる日々となっている。

 危険こそあるものの完全に未開の地であるそこへ行けば、刺激は十分に得られるだろう。

 

 

 

「それにしても美少女が美女になったわりに、本性は変わらなかったわねぇ~。あっはは。相変わらず臭いし」

『臭いって言わないでよ慣れても傷つくから!』

「ごめんごめん」

 

 そう言いながらリアトリスがぷにぷにとつつくのは、魔物の姿……かつては腐敗公と恐れられた、ジュンペイのもう一つの在り方である。その体は元腐朽の大地への続く垂直の崖に張り付き、ゆっくり下方へと向かっていた。

 

 眼球にたくわえられていた魔力は以前と比べるべくもなく少ないが、それ以外の特性はそのまま。臭いしどろどろしているし触手は出すしだいたいなんでも溶かせる。

 変わった点と言えばなにかを溶かし腐らせる能力を、完全に本人の意志で制御できるようになったことだろうか。今では「スイッチのオンとオフを切り替える」みたいに出来るらしい。リアトリスにとってなじみのない表現だが、そうしたものからジュンペイとユリアのもといた世界の話をきくのも、現在の楽しみのひとつである。

 

 

 そのユリアだが、ジュンペイたっての希望でこの旅には連れてきていない。それは新婚旅行を邪魔されたくないというよりも、純粋にジュンペイが前世の従姉弟であったユリアを心配するがためだ。……邪魔されたくないという思いが、ちょっぴり無いわけでもないが。

 

 

 

 

 が、それにユリアが気づかないはずもなく。

 

 

 

 

「こらーーーー! 愛人の私を置いていくなんてどういうことですかーー!」

『ごめーん! 僕じゃ止められなかったーー!』

 

 崖を降りる中で聞こえてきた声に、リアトリスとジュンペイは顔と単眼を見合わせる。

 ……ラドにユリアを口説くチャンスをやろうと任せてみたが、ダメだったようだ。半ば予想していたことではある。

 ユリアはドラゴンに変化したラドの背に乗り、リアトリスとジュンペイに追いついた。

 

「仲間外れは嫌です」

 

 すねたように言うユリアに、リアトリスとジュンペイは素直に謝る。

 

 

「じゃあ、これからは四人旅ね。ふふっ。腐敗公とドラゴンの背中に乗って魔境探索か。なかなか楽しそうだわ。……ラド。あなたはこの旅で、ユリアに恋させることが出来るかしら?」

「もう、リアトリスさんのいじわる! 何度だって言いますけれど、私はリアトリスさん一筋です! 男嫌いとかそういの全部置いておいて、リアトリスさんが好きなんですってばー!」

『…………』

『…………ラド、がんばれ』

『君もね、ジュンペイくん。まだ恋愛対象とは言い難いんでしょ』

『言うな……!』

 

 

 

 わいわいと賑やかな一行が赴くのは神秘の魔境。

 彼らが何を目にするのか。それはまた、別のお話。

 

 

 

 

「まだまだ色々教えてね、俺の嫁先生」

 

「ええ、喜んで。旦那様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【腐敗公の嫁先生(完)】

 




ここまでおつきあい頂きありがとうございました!


【挿絵表示】

今回で本作は完結となりましたが、にぼしみそさんより素敵なお祝い絵を頂きました。
二人の笑顔が最高すぎて、最後まで書ききれたんだなという実感が湧いてきます。ジュンペイがリアトリスに持ち上げられて笑顔で笑いあってるシチュエーションにもぐっときてしまう……!
にぼしみそさん、この度は素敵なお祝い絵をありがとうございました!



■2022/5/28追記

にぼしみそさん、ほりぃさんより素敵なイラストを頂いたので掲載させていただきました!お二方に心よりの感謝を。


【挿絵表示】

にぼしみそさんより。青空に金髪が映える最高に可愛いジュンペイ。感謝……!金髪をなびかせる風がこちらまで伝わってくるようです。



【挿絵表示】

ほりぃさんより。元気いっぱいの笑顔が愛らしいジュンペイ!こんな風に元気いっぱいに生きていってほしいという親心がくすぐられます。


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