殆ど何も考えていないTS聖女さんのお話 (茶蕎麦)
しおりを挟む

番外話
番外話 聖女のふわふわした用語解説(現在二話まで)


 補足さんは疲れのためにお休みです。そのため、パールさんが語ってくれます。
 故に少し判りにくいかもしれませんが、申し訳ありません。


 ※要は作中人物の主観を元に書かれた設定集です。ネタバレ的な部分もありますので、出来るのでしたら本文に目を通した後にご覧になって頂けますと、嬉しいですね。


 一話

 

 

◎パール

 最初は私だね。聖女っていうのをやらせて貰っています。得意なのは人を癒すこと。髪はロングの銀。目の色は碧。ちょっと色々と大き過ぎるから、小さいままのほうが良かったな。見た目は綺麗な方なのかな。よく皆が言ってくれるから、多分。

 大体法衣を着ているよ。四色が綺麗だから、好きなんだ。

 元々は男の子、だったのかな? 私の中で彼は未だ続いているんだ。

 

◎新玉素直(しんたますなお)

 私……の中にいる子かな? 前世、だと思う。あんまり私と違わないけれど、やっぱり男の子。エロに敏感だね。私もちょっと影響されてる。ツンデレヤンデレが好きらしいね。

 時々慰めてくれるし、優しいよ。

 

◎ミード地域タアル伯領ラーブル郡のライス地区

 私が生まれ育ったところだね! 賑やかでいいところだよ。他の土地から来た人には、勾配がキツすぎとか、道が多くて分かり辛いとか言われたりするけどね。

 ミード地域全体に言えるけど、山が一杯あるから、鉱山労働者が多いかな。怪我人が多いんだよね……治すの大変!

 マーケット・タアルさんっていう人が治めているらしいよ。一度会ったことがあるみたいだけれど……忘れちゃった。

 

◎バジル

 私の弟分。何でも出来るし、すっごく優秀なんだ。五本指の魔法使いって凄いよね。

 魔法は私が教えたことをバジルなりに解釈して、なんだか大変なことまで出来るようになっちゃったみたい。『マイナス』って凄すぎるよね。でもこれ覚えちゃってから、魔物退治をするようになっちゃったのがなあ。お姉さん心配です。

 金髪を伸ばせば女の子みたいで可愛らしいのに、なんでか坊主にしているんだよね。近くで見ると、青い目が綺麗だよ。後、ちっちゃい!

 そういえば、バジルってあんまり法衣着ないなあ。あ、バジルは水色の魔法使いなので、法衣も水色のをあてがわれているの。

 普段は疲れやすい私の代わりに人を癒やしてばかりだけれど、空いた時間を、そういえば何をしているんだろう。話してくれないけれど、気になるね。

 

◎魔法

 まず、この世界には水色、火色、土色、風色の四色が動物の指に宿ることがあってね。それを染指(せんし)っていうんだ。顕れるのは人間が、どうしてだか多いね。基本的には、片手に集まるよ。

 指先っていうのは端。大抵はそこから世界に触れるよね。染まっていると、その先がマナっていう世界に溶け込んでいるのにまで触れられるんだって。そこから、色に従属するマナと物質を指先から自分の思い通りに操って世界を弄るの。それが魔法。あ、指先から色味を触手みたいに伸ばすことも出来るって、バジルが言ってた!

 染指が多いと、それだけ多くのマナを操れてそれに対する理解も深くなるらしいけれど、少ないとイマイチになっていくみたい。火色の一本の知り合いにはマッチ棒程度の火しか出せない人も居るよ。ものは使いようだけれどね!

 混色、っていうのは珍しいね。これは二つ以上の色をその手に持っている魔法使いがそう呼ばれるらしいよ。それぞれだったり組み合わせたり、便利だし二色以上持っている人は強力な魔法使いになりがちらしいよ。

 

◎聖女

 これ……パイラー神官様が付けたらしいのだけれど……ちょっと、自分が言うのは恥ずかしいね。時々こう呼ばれています、はい。

 何だか、パールは奇跡を使うから魔法使いでなく、むしろ否定する側だから……云々。よく分からないね。

 まあ、私の通り名みたいだと思って頂けると……うん。やっぱり恥ずかしいよ!

 

 

二話

 

 

◎イヌブタ

 イヌみたいなブタさん! どうしてこの世界にイヌが居ないのにイヌが付くっていうのか、疑問に思っちゃいけないよ。ひょっとしたら理由、あるのかなあ。

 短毛種、長毛種があって、丸っこくて可愛いんだ。色は、本当に色々。しゃくりで死人を出すのは、普通のブタさん。イヌブタは安全だよ。とっても賢くって、よく番犬ならぬ番ブタをやっている姿が見られるんだ。

 十五年くらいは生きるのかな? 野生の子も時々見るけど、そういう子たちは結構早くに死んじゃうんだって。

 

◎魔物

 この世にありとあらゆる生き物は、染指を持つ可能性があるらしいの。そして、人間以外が染指を持ったのを、魔物というんだ。魔従ほどじゃないけれど、魔物も魔の指示――全てを染める――に従って破壊活動をしたりすることがあって危険とされるの。知能が低い場合、破壊に走りやすいみたいだね。

 基本は敵とされて、例外的に、大人しい魔物を飼う場合もあるらしいけれど……やっぱり普通の人は恐れてしまうよね。

 

◎火色、水色、風色、土色

 この世界ではこの四色が万物の組成とされているみたいだね。マナの顕れで、染指の色はこの内のどれかに当てはまるんだよ。

 火色は、それこそ火だね。あんまりこの色を持っている人は見ないなあ。地域によっては多いみたいだけれど。使いようによっては全ての色の中で一番火力が高くなるみたいだよ。

 水色。これはバジルの色でもあるね。土色と並んで、多い色だね。水は豊富だから、使えると便利みたいだよ。お医者さんはこの色ばかり。バジルの色は、ちょっと白過ぎる気がするね。

 風色。ええと、見たことないなあ。風を操れるらしいけれど、それってちょっと凄そうな気がするよね。希少性が一番高いみたいだよ。

 土色。これはミード地域で一番多い色。メジャーだね。手を地面に触れさせて、何かする魔法使いって多いよ。神官様もこの色だけれど、あまり魔法使っているの、見ないなあ。

 

◎四塔教(しとうきょう)

 私達の教会も……一応端くれでここの教えを守っているみたい。基本は、神祖マウスって人が魔法を極めて天へと登っていったから、信仰して何時の引か彼に掬ってもらうことを目的としている宗教なんだ。学んでそれに続こうっていう、魔法学園の考えも認めては居るみたいだけれど。

 神祖の四色の指を塔と見立てて、こういう名前になったみたいだよ。

 序列とか細かいことは知らないけれど、とりあえず主教まで行くと、ビショップっていう準貴族とされるなるらしいね。パイラー神官様は、ワイズマンで特別にビショップになった凄い人なんだ!

 

◎染指(せんし)

 魔法使いや魔物の生まれつき魔に染まった指先のこと。ここから魔を指揮して魔法を使うんだ。多いほど、すっごい魔法を使えるみたい。一本違うと世界が違うって、私も聞いたことあるよ。

 因みに、切れちゃったらまたその先端から再び染まるらしいけれど……痛々しいね!

 

◎テイブル王国

 私が住んでいる国のこと。全て神祖マウスが拓いた地、らしいよ。今は、カップ・テイブルさんが治めているって。

 素直が知っている欧米のちゃんぽんみたいな感じの集まりのへんてこな国。基本標高が高めな土地らしいけど、住んでいる方からしたら分からないね。

 神祖の血脈から分かれた五大貴族が四大になったり分化したり、それに合わせて色々と波乱溢れる歴史があるみたいだね。ただ、そこまで私は知らないんだ。昔には戦争もあったみたいだけれど、今はこの国は平和だっていうことは、間違いないよ。

 

◎カーボ

 ちっちゃい頃から育ててくれて、今は補佐をしてくれている、私のお母さんみたいな人。いい人だよ。長い髪は灰色で、私とおんなじ青い目をしているんだ。

 今少しぷっくりしちゃったけど、それでも美人だよね。昔は、すっごかったよ!

 綺麗だから、四色法衣や白衣が似合っちゃうね。胸大っきいんだ。

 

◎バロメッツ綿

 木に生る羊から取れるみたいじゃないけれど……要は、綿花なのかな。

 現実のウールと木綿のいいとこ取りみたいな感じかな……え、何? 保温保湿吸水性を持ち合わせた汎用性の高いものであって……反面黴に弱く虫にも食べられるために管理が大変なんだって。テイブル王国での人気は、非常に高いらしいよ。……これ、今ある人がカンペ出してくれて読んでみたんだ! でも、確かにこんな感じだね。

 

◎ユニ

 ユニちゃん。ちょっと人相が悪いけれど、可愛いよ。その悪さも、鋭さから来ているから……つり目の美人さん、と言っても良いんじゃないかな? ショートの茶髪でお母さん譲りなのか目は青いね。

 発育は普通だね。でも普通って良いものだよ。お洒落なツンデレさん。

 オオマユの下請けに綿花等を紡いで卸しているみたい。よく、昼休みに手伝いに来てくれるよ。

 

◎ヒーター

 フェルト州、コンセント州、ヒーター州は隣国の三州。カーペット連邦の一つ、らしいよ。砂漠が多くてすっごく暑いみたい。素直の知識からすると、エジプトっぽいらしいね。

 ハイグロ山脈の山を越えたらラーブル郡の直ぐ隣、らしいけど流石に行き来が大変で向こうの品は高いね。聞く所によると、山を通れるトンネルみたいな抜け道があるとかないとか。

 

◎パイラー・ブラス

 お父さんみたいな人だね。私やバジルやモノを育ててくれた、とっても凄くていい人。神官様で、ワイズマンとビショップな姓を名乗れる準貴族様なんだ。容姿は茶髪を撫で付けていて黒目が特徴的だね。杖をついていて、右足が弱いみたい。

 二本指の魔法使いでもあるんだ。あんまり使っているところは見ないけど。土色二つだから、土色の法衣を着ているよ。

 何故か私に優しいから、あんまり甘えすぎないようにしないとね。

 

◎神官

 主に神祖に仕えて四塔教の教えを教会で広めている人のことをいう、のだと思うよ。国に任ぜられているらしいけど。教会の監督官っていうところが大きいかもしれない。

 パイラー神官様も、聖堂で色々なことを語っているよ。私が脇で治療しているのに、奇跡にも言及している時は恥ずかしかったけれど。

 

 

 




 取り敢えず、今はここまでです。
 一気に書くのは難しいので、少しずつ、更新していきますね!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 日常①
第一話 素直が聖女


 とてもいい人が居て、そのおかげで皆が幸せになる。そんなお話に出来ればいいのですが。


 彼が彼女に至るその間に思いになるほど浮かばせた考えはこの程度だった。

 

 今日は曇り、ちょっと悲しい日だなあ。あ、子供が危ない。

 これ死んじゃうなぁ……あれ?

 

 女の子になっちゃった……まあ、いいか。

 

 流石に、これでは物語にならない。補足しよう。

 

 

 

 煙の折り重なったような深い雲天の下、新玉素直(しんたますなお)は歩道を進んでいた。

 晴れを好む素直は、時折空を見てつまらなそうな表情をする。女顔であるが見目の良い彼がする憂いを帯びた面を、目に入れた者は男女関係なく注目した。

 素直は、ぬいぐるみのような男である。見た目ほど中身が無いが、ハリボテ、というにはふかふかしていて優しい。

 どこかボケた人格であるが人当たりよく好まれ、まして際立った美男子であれば素直の元に注目は多分に集まり。当然のように人気者になっていた。

 しかし、それに慣れきってしまっている素直はそんな何時もをひけらかさない。ただ、己に目に余るようなことを時たま注意するばかりで、後は軽く楽しく日々を過ごす。

 家族に恵まれ、友人は沢山。彼女とも仲良く。何不自由もなく暮らしていた素直の素晴らしき日々は、しかしこの日唐突に終わった。

 

「危ないなあ」

 

 注視すべきもの多い運転中の車内からすれば見逃してしまうものもある。だが、それにただ歩んでいてばかりの素直はいち早く気付いた。

 ガードレールで遊ぶ少年。車道と歩道の中間にて身体を楽しそうに振り子のごとくに揺らしている、そんな幼稚な姿が素直には危険なものに映る。

 年長として、止めるのは当たり前のことだと素直は思った。だから、彼を驚かさない程度にゆっくり近づいていく。その判断が、己の生死を分けることを知らず。

 

「あ」

「……っ」

 

 大きかった男児の揺れは最大になり、そして片側に大きく振られた。その方が、車道であったのは、最大の不幸であっただろう。

 落ちて転がる少年。そこに迫る、大型車両。間に合う、間に合わないとか、そんな判断をする時間はなかった。

 

「間に合え!」

 

 考えている間にことが終わってしまうのならば、その身一つで間に合わせる。長身、知らずその見ための良さを引き立てていた自身の足の長さに素直は感謝をした。

 ハードルのようにガードレールを飛び越えた彼の躍動にそれまで何も気付かなかった通りすがりの幾名は驚きの声や悲鳴を上げる。

 そんな注目を何時ものように無視して、飛び降りた際の足の負荷も気にせずむしろ痛み走るその足で踏ん張り、素直はパニックになりかけの子供を拾って乱暴に歩道へ向かって放り投げた。

 勿論、素直が子供に怒りなどの感情を持って、粗暴に扱った訳でもない。ただ、危険が近すぎたのだ。

 そう、トラックは既に真ん前に。怯えなのか何なのか、酷い顔をこちらに向ける子供のために作ろうとした笑顔すら間に合わず。

 素直は自分が死んでしまうことを、理解した。

 

 その身が発したぐしゃり、という音は素直の耳に入らなかった。痛みすら感じ取れなかったのも、幸いだったのだろうか。

 

 

 

 

「あれ?」

 

 そんな、哀れな男子の最期の全てが過去として繋がった。それを、パールという名の少女は知る。

 タアル伯領ラーブル郡のライス地区、その中でも特に乏しく貧民が暮らすスラム街にて、献身のために行脚していた四塔教のカラフルな法衣を身に包むパールは、注目の中で僅か自失していたことにも気付いて、頬を掻く。

 隣のバジル――素直が最期に見た彼にどこかよく似た魔法使いの少年――は、そんな美少女の見慣れた無警戒さに溜息を吐いた。

 

「はぁ……パール、前からオレが言っているだろ。もっと周囲を見る目を持て、って」

「そう? これでも気を付けているんだけれど……」

「それで、こうじゃあ流石に拙いだろ。ココじゃあ騙りが日常茶飯事だぞ?」

「嘘なら僕……じゃなかった、私だって気付くよ」

「自分も騙れる器用なやつだっている。お前の節穴の目じゃ信用に足りないな……って何してるんだよ、バカ!」

 

 何かを確かめるかのように、観衆の最中で自分の豊かな胸元をその手で歪ませ始めた銀髪蒼眼に、バジルは目を剥いて驚く。彼の表情を見て、やっぱり助けた子に似てるな、とのんびりと感じるばかりのパールは、狭い通りを過ぎる際に向けられる男どもの視線の色を知らない。

 

「何って……確かめてる?」

「確かめているも何も……兎に角止めろ、今直ぐに」

「はーい。うん。よく分かったから、いいや」

「自分の胸揉んで、何が分かったってんだ……」

 

 パールが痴態を止めたことを惜しむ目に絶対零度の視線を向けつつ、バジルは己の金髪坊主頭を掻きむしり言う。直ぐ下にて騒ぐ心地よさそうな金の芝を見ながら、彼女は彼の言に答えた。

 

「私はここに居るってこと」

「当たり前のこと、ようやく分かったんだな……お前幾つだよ」

「十五?」

「俺より一つ上だから、そうだな」

 

 馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど十五年もそんなことすら分かってなかったのか、と零す隣でニコニコと、微笑みが大いに咲く。少し経ち、柔和な視線に気付いたバジルは頬を赤くした。

 パールの笑顔は美しく、それこそ前の世界でお茶の間にわずか写っただけなのにネットで大人気になった素直のものにそっくりであるからには、可憐でもあり。それこそ、見慣れたバジルであっても惹かれてしまう程のものだった。

 

「ちょっとココ、不便だよねー」

「ここらは王都と違って辺鄙だからな。オレらは魔法できる分マシだが」

「でも、回復魔法でパンができる訳じゃないしなあ」

「パール、お前ひょっとして、自分がどれだけ価値のある存在だって未だ分かってないのか?」

 

 そんな照れの混じった顔の色を瞬時に変え、またバジルは呆れの形にする。器用だな、とパールは笑顔のままに思う。

 

「聖女、って言われてもなあ」

「パール、自分が基本の四色以外の魔法を使っている、その異常さまで忘れたのか? オレがお前をここに連れ出すのだって大変だったのに……」

「分かってるよ。ありがとう、バジルー」

 

 感動を身体で伝える、異世界で男の子だった過去からその癖を引き摺っているパールはその豊満をバジルにくっつけた。面倒な方になって来た会話を断ち切りたいというのもその行動にはあったが、基本的には言葉のとおりにその抱擁はありがとうを伝えたいがため。

 

「パ、パール……」

 

 素直な、しかし唐突でもある姉貴分の行動に、バジルは困る。自分の下心を純真の前で晒すのは気が引け、更には護衛なのに視界が閉ざされたことも問題だと思い。だからそっと知らず抱き返そうとするその手を動かし離そうとする。しかし、その前に自由な彼女の柔らかな身体は自ずとどこかへ行った。

 

「あ、怪我してる人発見!」

「こ、こら! 勝手に行くなよ……ってそいつはそういう職なんだよ。簡単に騙されんな。包帯は嘘だ!」

「ホント? えいっ」

「こんな日向で魔法使うなよ……ああ、人が集まって来た……」

「な、なんだぁ?」

「あれ、手応えがないなあ」

「当たり前だ!」

 

 勝手に走り出したパールは、演出したみすぼらしい姿を売りにしている男の元へと急いで向う。そしてなんとか、黄色い包帯の向こうにあるはずの無い怪我を治そうと魔法まで使い騒いだ彼女の迷惑料として件の男性に幾らかの金銭を渡し、引き連れ人だかりから逃げ出したバジルは大いにくたびれる。

 

「つ、疲れた……」

「楽しいねー、バジル!」

「本当に、お前といると退屈する暇もないな……」

 

 疲れた様子の少年と、愉快げな少女は今日も隣り合う。それが、当たり前だから。

 そんなこんなが、パールの日常。少女のそれを受け容れて、彼女の中の素直も笑った。

 

 

 




 ファンタジーやら異世界やら初めてが多いので、なにかおかしな点がありましたらどうかご指摘下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 聖女と魔物

 補足さんは今回も大活躍です!


 彼だった聖女のある日の思考。

 

 朝だー。いい天気。お勤め頑張ろう!

 疲れたー。あれ、外にイヌブタちゃんが居る。

 後ついてくるね、可愛いー。飼えるか、神官様に訊いてみよう!

 

 え、この子って魔物なの?

 

 彼女の今日は、少し特別な日になったようだ。だがしかし、やはり補足は必要だろう。

 

 

 

 大分が異なろうとも、晴れ渡る空はこの世界でも青い。火色、水色、風色、土色の四色を尊い色とする四塔教が説かなかろうが、その色は尊いものであると、パールには映る。

 

「今日はいい日だね」

「そうだな」

 

 若くして極まった薄い水色の魔法使い、バジルであってもそれは同じ感想であるようで、頷く彼に無理に合わしているような色はない。

 

「だが、少し暑くなりそうだ」

 

 しかし、バジルはその全ての指が水色に染まった右手で朝の日差しを遮りながら、ぬるい風を感じて今日の一日が気温高いものになることを予想した。それは、彼にとって望ましいことではない。

 

「バジルは暑いの苦手なんだよね。そういえば、水色の人だとそういうの珍しいって聞いたよ?」

「だな。火色の魔法使い程ではないが、水色の魔法使いは熱に強い。ただ、オレは少し薄いから……」

「氷魔法が得意なせい?」

「そうかもな」

 

 異色の水色魔法使いであるバジルは、その故を確かに知りながら、そう言って誤魔化す。パールの何の色も付いていない両手を見つめてから、白すぎる水色の指先をその手に握り込んで。

 

 両者が所属している教会に通う道すがら。対象的な金銀の大小二つが並んで歩むのは、様々な毛髪の色と身長の差異が幅広く存在するこの世界であっても中々に目立つものだった。自然、周囲の視線は集中する。そして、最終的に吸い込まれていくのは銀糸の髪を長く下ろした美人の姿。羨望嫉妬、それらすら向かえない高みの美貌に言葉は出ずに、ただ人々は感じ入る。

 そんな寄せられる感情を知らないパールは、何も考えずよそ見をしてあっちこっちに行こうとしてしまう。特に今日その癖が酷く出ているのは、空の青につられてバジルに請い普段と違う道を通ってみたのが原因だろう。変わった人に、珍しい物品、そして家の形に至るまで。どれも異世界の風景が根底にある少女には楽しげに映る。

 

「ほら、行くぞ」

「はーい」

 

 しかし、噂に聞く美人の接近によって商店の人等がたじろぐことにならなかった。その手を引くバジルのためにパールのふら付きは正されて、目が合った相手に反対の手を振ることを欠かさぬ彼女はここでも人気者に。

 

「……はぁ。どうにも損な立場だ」

 

 逆に、相手の男とみなされるバジルは、当然のように睨まれてしまうのだが。パールの盾たる彼は、日々の防波堤としての活躍まですることに気疲れして、ため息をつく。

 

 

「それじゃ、お勤めしてくるね」

「ああ。無理するなよ」

「分かってるー」

 

 やがて、教会に着いた二人は途中で別れ別れに。どこもこのくらいなのかな、と勘違いしているがテイブル王国の中でも比較的に大きな方である教会堂。その中心たる聖堂の前の方、所定の位置に座ったパールは、奥へと向うバジルを見送った。

 そうしてしばらくパールがぼうっとしていると、入り口から女の人がやって来る。少し恰幅のいい、しかし元から綺麗な方である彼女は、パールと同じく四色が目立つ法衣を着ていた。微笑み、灰色髪の女性は同僚に向かって手を振る。

 

「おはようございます、カーボさん!」

「おはよう、パール。今日も頼むわ。神官様は遅れてくるみたい」

「え? お昼に間に合いますかね?」

「食べてくるって」

「そうですかー。残念」

 

 どこか似通った部分のある、しかし血縁関係のない二人は喋りながら、これからの準備を始めた。椅子に机を整え、バロメッツ綿で出来た白衣を羽織って、身なりを確認してようやく万端。後は、患者を待つばかり。

 

「今日も頑張るぞー」

「普通の魔法使いのものよりパールの魔法は疲れやすいのだから、程々にね」

「はい!」

 

 

 

 そしてパールは多くの人の回復を望み、奇跡の力にてそれを叶えた。

 

 

 

「疲れたー」

 

 街が動き出せば人の怪我に病も起きるもの。ライス地区に散らばり拠点を持つ水色の魔法使いが細々した傷病の回復役を担っているとはいえども、パールほど癒しに特化した者はこの世界に存在しないために治療困難者の多くはここに運ばれる。そのためにお昼休憩というものは中々定刻どおりに行かなかった。

 だが、パールの手を組み合わせて望むだけで人を癒す、この世にも奇妙な魔法は存外体力消費が激しいもので。カーボが無理に疲れを見せた彼女を休ませて、バジルが足りずとも代わりを行うのは割と何時もの流れだった。

 因みに、バジルの腕は確かなものであるが、特に男共には小さな坊主が美人の代わりを行うということをこと嫌われてしまう。女性患者にはむしろ喜ばれたりもするが。

 意外と女性人気があるバジル。現在、パールの不在の隙を狙って彼に懸想しているカーボの娘、ユニが手伝い兼誘惑を続けていたりする。アピールが通じず、判りやすくあたしはあの子に勝てないのか、と歯噛みをする彼女とその行動に頭を痛める少年の様子は愉快であるが、そんなこんなは窓辺で寛いでいる少女には届かない。

 

「今日のスープは美味しかったー。リーキがとろっとろで。ただキャロブを入れてたらしいけど、それはよく分かんなかったな」

 

 バジルが精製した水を摂りながら、パールは近くの恋愛沙汰を他所に今日のお昼の味を反芻するように思い出す。ヒーター産だという古いキャロブ(いなご豆)パウダーを隠し味に入れたのだと言うカーボ手製の甘めの野菜スープは、彼女の舌にことよく合った。

 パンに乗っかったリーキ(ニラネギ)の蕩けるような柔らかさを思い出しながらパールは雑踏から離れた田畑に向いた窓を覗く。すると、その四角の中に、イヌブタが現れた。

 

「あれ。どこで飼っているワン……ブーちゃんだろう。首輪、ないなー。おお、やっぱりちっちゃいね」

「ぶー」

 

 窓からその大きめな身体を伸ばして、パールは寄ってきた小さなブタをひょいと拾う。知識の中では片手で持てる大きさのそれで成獣であると彼女も知っているが、あまりの見目に合わないその軽さは庇護欲を誘う。野生であろう割には柔らかい真っ黒な毛並みを撫でる彼女の手の動きは中々止まらない。

 この子豚に犬の間の子のような謎の平行進化を遂げている生物はイヌブタといった。この世界には犬に相当する動物はいない。代わりとして、人に馴れるこのブタの一種であるイヌブタが好んで飼われている。

 彼(確認済み)の人懐こさに感けてその愛らしさを堪能しきったパールは、次に床へと置いた。戯れに彼から離れてみると、よちよちと彼女の元へと歩んでいく。

 

「ぶ、ぶー」

「後ついてくる。可愛いー。飼えないかな?」

 

 孤児であるパールは、現在教会に貸し与えられた家屋にて同じ境遇であるバジルとともに住んでいるが、想像するに別段愛玩動物を飼うのは難しいことではなさそうだった。

 隣近所は離れている上に、部屋も余っていて。更に家の本来の持ち主である神官パイラー・ブラスはパールを溺愛している。前世飼っていたチワワを思い出し、彼女はふやけた笑みを見せた。

 このまま一緒に暮らしたいねー、とイヌブタの脇に手を入れ持ち上げながら、パールは独りごちて。そうしてまた撫でんと手を入れ替えようとしたその時に、足音が。

 パールが今いる場所は、バジル等のためにもと開かれているが元々は神官館の一部。ここに来る人物は限られていて、その中でも杖の音まで響かせる者は、一人しか居なかった。

 

「ただいま戻りました。パール、お疲れ様です」

「神官様!」

 

 パールは壮年の男性に、抱きつく。彼女の父親代わりを自認しているパイラーは杖を離し、それを喜んで受け容れた。どうにもこの子は、男性を嫌わない娘だな、と思いながら。

 

「今日は何をしていたのですか? お昼ご飯はどこで?」

「少し、偉い人とお話する機会がありまして。ついでに、お昼も一緒に食べてきてしまいました。本当は、一緒したかったのですがね」

「そうですかー」

 

 パイラーは、美しい愛娘を両手で包み込みながら、微笑む。彼はパールが天使だと、心から思っている。ニセモノの自分を本物にしてくれた、神たるマウスの遣いだと、本気で。

 だから、自分からそっと離れたパールが、自分になにかを求める際の癖、その豊満な胸を組んだ両手で抑えるポーズをしたことを歓迎する。

 

「あの……ところで神官様。さっき、可愛いイヌブタを見つけまして。この子なんですけど、飼っていいですか?」

「ふふ。少しためらっていたと思えば、そんなことですか。全く問題ありません……」

 

 我が子が動物を飼う程度のことを嫌うことなどない。もっとも求めたのがバジルであったなら難色を示していただろうが、結局認めることは変わりない。だから、野良でない印などの有無をまずパイラーが静かに確認していると、それが見つけられた。

 咄嗟に大声を上げて、パイラーはパールの手の中のイヌブタを弾く。

 

「離れて!」

「えっと?」

「このイヌブタの左腕の色が見えなかったのですか? 判りにくいですが、土色です。コレは……魔物、ですね」

「え?」

 

 弾かれ宙を舞ったイヌブタは、その土色を発揮し手近な地面を盛り上げさせて、掴まる棒とした。咄嗟であったために出来損ないの崩れ行くそれの流れに乗り、彼は問題なく地面に到達する。そして魔物は、穴の空き、土が散乱した地面を眺め、杖と二本指が土色に染まった右手を向ける老魔法使いを見つめ。

 

「ぶー」

 

 と言う。

 

 

「格好いい! やっぱりこの子が良いです!」

 

 影に隠れながらも、そんなブタの曲芸を見たパールは、感動して口からそんな言葉を発した。

 

 

「ぶ?」

「……貴方は……」

 

 そのために無用にも起きた緊張感は、台無しに。相容れない筈の魔物と魔法使いは、共に茶色い色をした先端を、顔に向ける。方や疑問のため顎に、方や残念感から頭を押さえるために。

 

 

 




 ほぼ世界観説明回になってしまいました……次は、もっとほのぼのに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 聖女と盾たる彼

 人によってはちょっと痛々しく思えてしまう描写があるかもしれません。注意してご覧になってください。


 

 先の続き、その後の彼女の記憶に残るくらいの考えはこの程度。

 

 やっぱりバジルは……ツンデレさんだね!

 ユニちゃん怖いー。

 えっと、えっと……皆、逆に考えるんだよ!

 ワァオ。

 良かった、大きくなるんだよ。

 

 皆一緒に寝よー。

 あれ、バジル、どこに行くの?

 

 あまりに途切れ途切れ。幾ら何でも、彼女はその場で考え深くして動かなさ過ぎだと感じざるを得ない。

 これではやはり、補足が必要となるだろう。

 

 

 

「ぶー……」

「何かと思えば……こんなブタ一匹で騒いでいたのか」

 

 染指一本違えば、世界が違う。そして、この世界広しといえども五本指のバジルの右に出る魔法使いはそう居ない。たとえ比較対象が同じ大気のマナを奪い合う魔法使いの天敵である魔物であろうとも、相手ではなかった。

 そう、パイラーの大声を聞きつけてやってきたバジルによって、熱を持った場は完全に、鎮静したのだ。

 

「ぶ」

「おいおい、腹見せたぞ、コイツ」

「流石、バジルですね」

「良かったー」

 

 片手を凍らせられた土色を持つイヌブタは、眼前の魔法使いの手により自分の力まで凍てつかせられたことに、何かを感じたようだった。お腹を見せて、彼はバジルに降参の意を示す。思わず、皆に笑みと安心が広がった。

 

「ふふふ。この子、格好いいだけじゃなくてやっぱり可愛いね。ありがとうバジル。ちょっと冷凍豚足とか、美味し……可哀想だけど」

「ぶぶー」

「……何言ってるんだ、お前」

 

 事態が収束に向かって安心したのだろう。微笑むパールははついでのように、イヌブタのそのぷにぷにの手から前の世界で食まれる豚足を思い出して、腹八分目のお腹に僅かにある食欲を披露してしまう。彼女の視線に良からぬ色を感じた小豚ちゃんは、バジルの足元へと逃げた。

 パールを白い目で見る一匹と一人。その前に、杖を拾ったパイラーが立つ。

 

「いや、ありがとうございました、バジル。ただの二本指でしかない私ではパールを守れるか不安がありましたので」

「ふん。オレの代わりにアイツを守ろうとした意気は買うけどさ。いい年なんだから……無理すんなよな」

「ふふ。肝に銘じますよ。バジル」

 

 笑顔のナイスミドルと、それに向かい合えない照れ顔の少年。思わず、パールの女の子らしい部分は和んだ。そうしてどうしようもない感想を持った。

 

「やっぱりバジルは……ツンデレさんだね!」

「だからさっきからお前は何を言ってるんだ……」

「何か、近頃ちょっとおかしいですよね」

 

 最近前世を引きずり気味なパールは、その場の誰にも判らぬ言葉を再び口にする。自分がよく知っている筈の彼女の謎に、男共は引き気味に。イヌブタも、空気のおかしさを感じたのか、どうかしたのかと言いたげに、ぶうと声を上げた。

 

 そんな完全に弛緩した空気の中に、やって来た者が一人。ショートの茶髪が愛らしい、バジルとパールの丁度中間くらいの身長の女の子は、やけに悪い目つきをして周囲を見渡し始めた。彼女こそ、バジルにパールの幼馴染で、カーボの娘の一人であるユニである。

 因みに、そう見えてしまうが、別段今現在意図してユニは目つきを悪いものにしている訳ではない。そんな風に彼女を演出してしまう三白眼は、何時と何ら変わっていない。つまり、彼女はそもそもそういう顔つきだということだ。

 本人は人相の悪さをよく自虐していた。だが、パール辺りはそれをチャームポイントとして捉えていたりする。

 

「皆、何があったの? 片付けはお母さんに任せて来ちゃったんだけど……」

「あ、ユニちゃん。この子がちょっと暴れちゃって……今は大丈夫だけれど」

 

 そして、事情を訊いたユニは顔色をどこか昏いものに変えて、差し出すようにパールが抱きながら向けてきたブタの頬を黙ってつつき出す。彼を見る彼女の瞳は先程よりもなお鋭い。

 

「ぶぶ?」

「へぇ……つまり、このブタちゃんが、あたしとバジルの時間を奪ったんだね。あたしの昼休みの時間、そんなにないってのに」

「ユニちゃん怖い! あまりその子、イジメないでっ」

「っ、そりゃあパールに比べたら私の顔なんて厳しくって怖いですよー。でもこの目つきは生まれつきなの!」

「あわわ。私、ユニちゃんの顔はむしろ可愛らしいと思うよー。怖かったのは行動!」

「えっ、可愛いって……そんな……」

「ユニちゃんって結構直ぐにデレるよね……」

 

 ユニがやたらと、パールいわくデレるのは、尖すぎる目をよくいじられたり面構えの険によって普段から面倒を感じたりしているから、褒められること自体に慣れていないため。

 だが、そんなコンプレックス持ちの少女の気持ちを、褒められる度に褒め返すことを習慣としているようなパールは分からない。ただ、彼女はまた照れを覗いてほくほくとした気持ちになった。

 

「……それで、どうする? 今なら簡単に処分出来るぞ」

「魔物ですからね……力を付けてしまう前に、どうにかしてしまうのが常道ですが……」

「ダメー!」

「ですが、飼うというのは危険ですよ。貴女が手を尽くしたところで魔物によって人が亡くなることは後を断たない事実からも、それは分かるでしょう」

「そ、そうですけど……」

 

 話はまた手の中の小動物へと移る。胸元へと抱きしめたその温もりを守るためもパールは必死に頭を働かせた。

 どうすれば、どうすれば。頭を捻り、首を傾げ、混乱した頭は一転するような錯覚を覚え。そうしてパールは答えを思いつた。

 

「えっと、えっと……そうだ。皆、逆に考えるんだよ! こんなに可愛いイヌブタちゃんが魔物で良かったって。皆敵だって何も考えずに殺しちゃう、魔物と距離を縮める絶好の機会だと思うな!」

「……遠い帝国には魔物が湧いて出てくる神代からあるという色付けの迷宮なるものも存在すると聞きます。そして、神祖マウスが下にした我が国の神鳥の例に似て、大人しい魔物を飼い慣らす文化もあるとか」

「そう言われてみればよく考えたら、神官サマも、神祖の行いを真似することを否定する訳にはいかないよな」

「……そうですね。これだけ今人を好いているようなのです。きっと大丈夫でしょう」

「そもそも、コイツはせいぜい一本指程度しか力がないみたいだし、悪くて怪我させられる程度だろ。そのくらいなら、パールの力借りれば直ぐに治ることだし。大丈夫だな」

「やったー!」

 

 大喜びになったパールは、床にイヌブタをおろして撫で撫で。そこに、きっと餌やりに散歩を任せられることになるだろうバジルが寄っていく。

 

「よしよし。パールだけじゃなくて、オレの言うこともちゃんときけよ……」

「ぶぅ!」

「ぐっ、がぁっ!」

 

 突然だが、ブタの動作に、しゃくりというものがあるというのを知っているだろうか。それは、自分より丈の高い動物を敵と判断した際に、鼻先を股に突っ込まして、持ち上げた挙げ句に捻るという恐ろしい行動のことだ。テイブル王国でも年間一人二人の死者を出しているこの野生からの習性として行われる男性殺しが、何故か今この場で発揮された。

 まずイヌブタの発達した硬い鼻が、座って撫でようとしたバジルの股間を強く打つ。それだけでダメージが酷いというのに、更にそこに捻りが加わったことで、最早バジルは悲鳴を上げることしか出来なかった。

 

「オウ……」

「ワァオ」

 

 一部始終を隣で見てしまった、男性の股間の痛みが分かるパイラーとパールは、思わず謎の感嘆の声を上げてしまう。

 

「バジル、痛いの? 大丈夫?」

 

 その合間に、ただその辛さを想像するしかないユニは寄って背中を、そして患部を擦ろうとした。流石にそれを、バジルは嫌う。

 

「さ、擦ろうとするなよ。ユニ……」

「小さい頃に洗いっこしたし、看護の手伝い毎日してるじゃない。今更、汚いのとか無いわよ」

「……気持ちは判ったから、退いてくれ」

 

 好きな相手の前で、異性の愛撫を受けるなど、耐えられないくらい恥ずかしいに決まっていた。だから情けなく、少しでも痛みを弱めようとバジルは魔法で回復を図りながらぴょんぴょんと跳ね始めた。

 そんな無様を複雑な視線で捉えているパールに、ユニは疑問を呈する。

 

「しかし、神官様は男の人だから共感してしまうのだろうと分かるけど、どうしてパールも真似して股を押さえているのよ……」

「ええと……何となく」

 

 まさか自分に男の時代の記憶がある、とは言えず、パールはぱっと手を離して言葉を濁した。

 やがて、交わされる言葉の失くなったことを感じたパイラーは、話を纏め出す。

 

「まあ、あの程度なら、バジルは大丈夫でしょう。あのしゃくりは、魔物云々関係ないですしね。この子を飼うのは決定です」

「良かったです! ねえ、大っきくなるんだよ!」

「ぶ」

「ですね。それこそ国旗にも描かれている、かの高名な国の守り神、ルフ・アムルゼスのように立派になってくれれば望ましいのですが……」

「ぶ?」

「……まあ、最後まで望みは捨てないでおきましょうか」

 

 果たして小豚は、その身に大望を預かれるのか。未だにぴょんぴょんしているバジル以外の話を聞いた皆は、それは無理だと考えた。

 だが、願望を受け取った魔物は、ぶっ、とどこか気合を入れた様子だった。

 

 

 ところで、この会話はバタフライエフェクトを起こして結果的に風となり、やがて何処かで何者かの鼻をくすぐることとなる。

 

『くしゅん』

「ふん。怪鳥もくしゃみをするのか」

『誰か、アタシの噂をしたんじゃないかしら』

 

 それは、正解だった。

 

 

 

「トール!」

「ぶぅ!」

「わあ、自分の名前が判るんだ。賢いねえ。賢いねえ!」

「イヌブタは元々頭いい方だし、魔物化しているなら余計だろ。そのくらい楽に違いないさ」

「そっかー」

 

 日が落ち夜を迎え。菜種油の灯火により照らされた部屋にて、二人と一匹はそれぞれのベッドの上に転がりながら団らんを楽しんでいた。

 美味しい夕飯を頂いた後の、寛ぎの時間。パールは半ばうとうとしながら愛する一人と一匹を眺める。

 パールはしゃくりの一撃でトール(イヌブタの魔物に付けられた名前)とバジルが完全に仲を違えてしまったか心配であったが、何とか杞憂に終わっていた。それは単純に、気を揉みすぎた様子の彼女を慮って彼が怒りを収めたためである。

 バジルはパールに甘い。きっと大好きで密かに想ってすらいる姉貴分のためなら、大概のことをやってしまうだろう。そう、たとえばそれが彼女の心を汚すとするなら、ひた隠しにしてでも。

 

「よっと」

「今日は皆一緒に寝よー……あれ、バジル、どこに行くの?」

「トイレ」

「そっかー」

「ぶぶー」

「判るんだな……だが、大丈夫だ。トール、お前は付いてこなくていい」

「そうだよー。お前のトイレはここにあるでしょ?」

「ぶ」

「よし」

 

 砂が敷き詰められた木箱を指し示すパールを横目にトールを一撫で。そうしてから部屋から出たバジルはそのままトイレに向うと思いきや、歩みを止めずに外へ出る。

 辺りは闇。眺めれば一体全てが等しいような、或いは全く損なわれてしまっているような、そんな恐ろしい心地が襲ってくるもの。普通の子供ならば、背を向け疾く家に逃げ帰るべきだろう。

 

 だが何を恐れることもなく、ただ独り言のように、バジルは真っ暗な空間へと声を掛けた。

 

 

「で、お前は誰だ?」

「……よく判ったわね」

 

 暗黒から滲み出て来るように現れたのは、紅い長髪の女性。ぽっかりとした彼女の黒目が、バジルを刺した。だが彼は特に何も覚えることなく、彼女の視線を柳に風と受け止めた。女性はまるで氷のような子ね、と思う。

 

「オレは、温度で大体周囲の生き物の有無が判るんだ」

「魔法使いはこれだから厄介ね」

「それで、どうする? 端々冷たいし、どうも暗器持ちみたいだが、戦う気か?」

「これは護身用。そもそも、高名な『マイナス』の貴方と戦うつもりならば、一人で来ることはあり得ない」

「そっか」

 

 淡々と会話を行うバジルに、何時もの色はない。透明に、彼は感情一つ見せずに相手を処理する。その達し振りに、女性は面白さを覚え、また噂通りであると解した。

 ミステリアス。それこそ角度によって受け取れる年かさすら不明になってしまうようなカメレオンのような女性は、ふ、と微笑んで。そして参ったと伝えるように両手を上げた。

 コイツの場合は腹を見せないのだな、とただバジルは思う。

 

「今日は影で貴方達がどんなモノなのか様子を見ておこうと考えて忍んでみたのだけれど……無駄だったわね。後で真正面から失礼するわ。パールちゃんにも自己紹介するつもりだけれど……私はアンナ。よろしくね」

「……血の匂い、ちゃんと消してから来いよ」

「肝に銘じておくわ」

 

 熱が遠ざかっていくのを確認してから、バジルは闇に背を向ける。そして彼が家のドアノブに触れたその手は、凍てついてしまうほどに、冷たいものになっていた。

 

 




 何だか不穏ですね……でも、日常メインですからきっと大丈夫です。きっと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 聖女と剣

 異世界でも、あのような論争は行われるようです。


 元々は彼であった筈の彼女は、休日もあまり多くを考えない。

 

 負けちゃったー。

 モノは凄いよねえ。

 バジルは、良かったの?

 皆、格好良くなったなぁ。

 

 美味しい!

 

 私はタケノコ派!

 

 こんなものである。これで補足がなければ、あまりに不親切であろう。

 

 

 

「えい、やー」

「ほっ」

 

 山の斜面を活かした広い放牧地にて、テイブルオークを削って作られた木刀にて遊ぶ少年少女が二人。飼育されているドードー鳥にモア、更には管理しているお爺さんの視線の先にて、剣閃は幾度も交差する。

 

「ぶー!」

 

 そして、どちらを応援しているのか不明であるが二人の動的な姿に老翁の手の中でイヌブタの魔物、トールがどこか興奮しているような声を上げた。そう、防具も付けずに剣で遊んでいる二人は、パールとバジルだったのだ。

 

「えーい」

 

 上段から斬りかかるパールの剣は苛烈である。持ち前の長身、そして男性と比べても驚くべき膂力によって型の通りに振るわれるそれは、単純に鋭く強い。間抜けな掛け声に騙されてはいけない。その一振りはたとえ木刀であっても、まともに受けてしまえば怪我では済まない、そんな威力のものだった。

 

「よっと」

 

 そんな強力を軽々とさばいていく、バジルもまた達者である。受け流し、それに長けた彼の剣は取り回しをなるだけ良くするために、短く切り取られていた。主に上方から降り注ぐ剣戟を自分に向うものから斜めに取り除いていくダガーの形は、風のように素早い。

 先から半時近く続くその剣舞。互角の腕前によって両端がピンと伸びた天秤は、だが両者が戦法を変えることにて、大いに変動し始める。

 

「よし、これからは両手でいくよー、バジル」

「じゃあ、オレは盾を使わせて貰うぞっ」

 

 今までは遊びの、遊び。なら以降は何か。それこそ、遊びで決める勝負であった。

 脇を締めて両の手に力を込めることで、パールの打ち込みは一刀にて防げる域を超える。同質で打ち合えばそれこそ刀を折れかねない威力を、バジルは展開した木の盾の丸みにて削いでいく。盾にて耐える少年に振り下ろされた豪剣は十合。盾ごと頭を割られかねない圧倒の中で、バジルはようやくそれを見つけ、笑んだ。

 

「そこだ!」

「わ」

 

 そう、バジルが発見したのは、微かな隙。振り下ろしに篭めすぎた力によって遅れた剣の引き戻し。その合間に入り込んだ彼は、パールの喉元に木剣を突きつける。これにて、勝敗は付いた。

 

「負けちゃったー」

「やっぱり、久しぶりだし、オレもパールも少し鈍っているな。せめて、モノが居てくれたら型の修正が出来るんだが……」

「騎士様になっちゃったからね。偶には、帰ってくれないかなあ」

「未だ見習いらしいが、モノならそのうち苗字を名乗ることを、許されるようになるんだろうな」

 

 もしものためにと、普段着のまま動いたことによる着崩れを直しながら、二人はもう一人の幼馴染、己等の剣の師匠について語る。選ばれ、王都に向かった寡黙な益荒男のことを、パールにバジルは大層好いていた。その、二人がかりであっても一度たりとて勝利を掴むことが出来なかった剣の美しさも含めて。

 

「モノの身のこなしならそうそう魔法に当たらないんだろうが、出ていった時のオリハルコン製で装備を固めていた姿を思い出すと、ちょっと向こうで馴染めているか心配だな」

「前だったら浪漫溢れるものだったけど、実際使ってみると綺麗なだけでしょっぱい性能だからねー」

「前?」

「なんでもない。うん。幾ら安価で軽いからって、魔法を殆ど素通りさせちゃう金属はちょっとね。下手したら木製の方が良かったりして」

「……たとえ木の玩具でも、アイツは誰にだって負けそうにないがな」

「モノは凄いよねえ。ホント、魔物が魔法使うまえに切ればいいって、そんな机上の空論本当に為せる人ってどれくらい居るんだろ」

「モノは自警団の時に魔物アホほど倒してるからなあ……オレ、魔法使ってもアイツに勝てる気しないぞ」

 

 モノは、彼らの兄貴分。パールの二つばかり年上の長い黒髪から覗く切れ目が特徴的でことストイックな男の子である。そして、パール等の類から漏れずに、彼も相当な天才肌だった。

 最強の剣士。彼を語るにはその一言に尽きる。体躯はあまりに恵まれたもので特殊なパールの全力ですら赤子同然。また彼が操るその剣技の全ては独自で磨いて完成した殆ど完璧なもの。動物にも好かれ、たとえばモアに騎乗してみれば、大会総なめしてしまうほどの無双ぶり。

 モノのそのあまりの強さは広く知れ渡り過ぎて、彼が望まずとも騎士に推挙されてしまった程だった。バジルにパールは出立の際に兄貴分が零した、その涙を忘れない。朴訥で、優しい、そんな彼が同じ境遇の自分たちを確かに好いてくれていたこと。それはあまりに嬉しくも誇らしいことだったから。

 そして、パールはもう一人の身近な天才のことも思う。兄貴分を失った時に、弟分に縋って泣いたこと、それが或いは枷になってしまったのではないかとも彼女は考えた。

 

「バジルは……良かったの? それこそ、バジルは魔法学園に行ったら、直ぐに準貴族になれたでしょ? 試験か色々と免除してくれる上に特待の待遇まで学園側が用意してくれてたっていうこと、私、知ってるよ」

「前も言ったろ。そんなのにオレは興味ないし、第一オレが向こうに行ったら誰が聖女サマを守るんだ。パールが王都に行くってのは神官サマが許さないし、オレもそれは嫌だ。オレも、ライス地区は好きだし……だからこれで良いんだよ」

「……そっか」

 

 これで話は終わりだと言わんばかりにバジルは立ち上がり、昔から遊び場として牧場を開放してくれているお爺さん――リンという――とトールの元へと歩んでいく。地に座ったまま半身を持ち上げるために置いた手に引っかかったクローバーと木剣をを遊ばせながら、パールは思う。皆格好良くなったなぁ、と。

 

 

 今日は、定期的なものではない教会の休みの日。パール等は剣士ごっこ――一般から見たら達人同士の戦闘にすら思えるレベルのもの――を楽しんでから、リン爺さんとトール等動物と一緒にお昼ご飯を食べることにした。

 騎乗用の大モア、卵食の為に飼われている小モア、そして食肉用のドードー鳥。彼らに飼料を与えてからトールを引き連れ皆で食卓へ。

 焼いた鶏肉に炒った卵を合わせ、そこに蜂蜜色のソースを掛けただけの男飯。そこに煮豆を合わせたものが、リン爺さんが作る、彼なりのご馳走である。実際、小さな頃からパール達は贅沢にも、この馴染みの味を好んでいた。

 

「美味しい!」

「コレコレ。ホント、爺さんが作る飯は、なんでか美味いんだよな。無駄に凝ったもの作ろうとして失敗してばかりいるパールに見習わせたいところだ」

「酷い言い方だけど、そうだ。リンさん、そろそろレシピ教えてよ!」

「ホホ。そうだなあ……儂も年だし、亡くなっちまう前に、パールちゃんに教えておくのがいいのだろうが……」

「そうそう」

「だが、今日もパールちゃんに掛けてもらった魔法のお陰で、後十年は長生き出来そうだから、また後で、だな」

「残念!」

 

 パールは至極、残念がる。この味の良さはソースが決め手であるのだろうが、しかし彼女が幾らその内容を訊いても、リンは教えてくれない。

 それは教えて満足されて、離れていかれるのを恐れる老人の小心が理由にあったのだが、それは長生きしてねーとほのぼのしているパールやがっついて食事をしているバジル、ましてや今ソースなし御飯を頂いているトールには分からなかった。

 

「ホホ」

 

 ただ、リンは子供に囲まれ老獪を顕にすることなく生きることの出来る今を、楽しむ。

 

 

「はぁ。満腹、満腹。よし、行くか」

「それじゃあ、ちょっと腹ごなしに散歩しに行ってくるねー。それで……あの、リンさんにトールを任せちゃって本当にいいの?」

「ああ。魔物とはいえ、コイツはただのちびっこい動物だろう? その世話に儂ほど慣れているものなどそうは居ないよ。安心しな」

「分かったー。それじゃあね、トール」

「ぶぅ」

 

そして、彼らは外に出た。青染めの寒色を並べた空は何処までも遠く、吸い込まれるほど果てしない。

 牧場の斜面からは、遮蔽物のない山々の先にそびえ立つ、名峰タケノコがよく見える。青に白が入り混じり、真っ直ぐに天を衝くその威容は、何時見ても荘厳で美しく映るもの。フリント地域の名所キノコと並び称されるハイグロ山脈随一のタケノコは、山しかないとすら言われるラーブル郡一番の名物であり、誇りでもあった。

 だからこそ、この槍のように極端な形をしている成層火山を見上げる度にパールは異端のバジルを気にしてしまう。

 

「それにしても、こんなにもタケノコは綺麗だっていうのに、バジルはキノコ派なんでしょ? ちょっと信じ難いねえ」

「オレだってタケノコが嫌いな訳じゃない。だが、キノコの笠を広げたような裾野の美しい曲線には、何時見ても胸打たれるものがあるからな……」

「一度見に行っただけなのに。よっぽど良かったんだねー」

「ああ。土産に買ったキノコが描かれた絵葉書はいまもちゃんと取ってある」

「そういえば時々、バジルの机の上に置いてあるのを見るなあ。確かに良さげではあるけど……でも、私はタケノコ派!」

「そうか」

 

 キノコタケノコ論争は、どこでも尽きることはない。まだ、地元民同士の言い争いのように最終的に喧嘩にならないだけ、二人の思いのすれ違いはマシな方だった。

 

「よーし、あっちまで競走だ! わあ、気持ちいいー」

 

 天上天下の綺麗を見れば、心も弾む。心地に任せて走り出し、山裾の涼を浴びたパールは、服に髪に、多くをたなびかせる。ブカブカの法衣は彼女に張り付いて、起伏に富んだその身体が顕になった。一度、振り向いてバジルを確認した際の彼女の笑顔は晴天をそのまま持ってきたかのような美しさである。

 

「……ったく、何処までなんだよ……」

 

 同じく、この上ない人の綺麗を見て、当然のようにバジルの心も弾んだ。しかし、パールの美しさを一番に見つめられる位置に居ながら、彼が手を出すことはない。もっとも、軽々と手を伸ばしたところで、足の早すぎる彼女には届かないのだろうが。

 とはいえ、走らなければ、隣に居続けることも出来ない。だから、バジルは負けまいと本気で駆け出す。慣れた彼に、牧場の凹凸なんて気になるものではなかった。

 

 

「それにしても、決着は後で付けるぞ……って、それは何時になるんだろうな、モノ」

 

 ただ、バジルは一番に尊敬している男との約束を思い、抜け駆けしたくなる自分を抑える。想いを、彼はその日まで凍らせ続けるのだった。

 

 

 




 自分はタケノコが好きだったりしますね。
 因みに、キノコにタケノコ、この二つの山の名前だけ日本語な理由は一応あります。決して、ちゃんとしたものではありませんが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 聖女と魔女

 五話目にして、今まで息をしていなかったあの二つのタグが活動します。ご注意を。


 今回、彼でもある彼女はしてやられる。そんな時、彼女は大体どう考えていたのか。

 

 可愛い!

 よしよし。両思いだね。

 あわわ。

 

 これくらいで、彼女のやらかしの説明になったら楽なものだ。これはまた、補足が必要に違いない。

 

 

 

 グミ・ドールランドは左手に水土水の三本の染指を持つ稀有な魔法使いである。更に平民出で名字を公言出来ている事実から判ぜられるように、彼女は魔法学園に入学することでワイズマンの地位を得た秀才でもあった。

 彼女はテイブル王国の北部をほぼ占めているミード地域のタアル伯領コブル郡のお人形屋さんの生まれである。コブル郡は名峰タケノコが名物のラーブル郡のお隣と言えば、判りやすいだろうか。そう、パール達の住むライス地区ともそう離れていない地に、少女は生まれていたのだった。

 

「でも、結構近くに住んでたのにずっと、聖女なんて、知らなかったなー。それに『マイナス』なんてのも居るなんて」

 

 紺色のショートボブを分厚い黒の外套の上で揺らしながら、グミはライス地区特有の入り組んだ町並みを、つい先程、一人でそんな遠くから来たなんてえらいねー、という言葉と共に貰った女性手製の地図を頼りに進む。

 

「ふふ。皆、ボクを見ているな。こんな田舎だと、ボクみたいな三本指の染指持ちなんて、とっても珍しいだろうからね!」

 

 低身長のバジルより尚、ミニサイズのグミは、明らかに目立っていた。その見せびらかすように胸元に寄せて顕にさせている二色の染指を持つ特異な左手より、主にその何となく危なっかしそうな幼すぎる容姿から。しかし、本人にその自覚は欠片もない。

 少し雲が多い空の元に、しかし彼女の元気は太陽のごとくに輝く。旅の疲れを若さと陽気で吹き飛ばしながら、宿を取ることも忘れて朝からグミは真っ直ぐに教会へと向う。

 四塔教の目標である空に届かんとすること、それを分かり易く示すかのように丈の高いことが教会の常ではあるが、それどころか着いて目に入れたその建物は横に広くもあった。

 

「おっきいなー」

 

 これは王都で見た建築らにも匹敵するな、とグミは思う。聖女、というのは眉唾だと彼女は思っていたが、なるほど入れ物は確かに立派なものだと感じた。

 ここの特別な施しとして行っている治療を受けるために、基本的にこの教会には並ぶほど人が集まる。しかし、早朝の今は未だ傷病を負った者がまだいないためか何なのか、中に居るのは法衣を着た健康そうな女性ばかりだった。彼女は、入り口に佇むグミを見つけて、声を掛ける。

 

「お客様……あら、見ない顔だけれどボク、何処から来たの? 魔法使いさん、みたいだけれど……」

「ボク、グミ・ドールランド。王立魔法学園から遥々ここまでやって来たんだ。出来るなら聖女と『マイナス』と会ってみたい。ボク、そいつらがここに居るの知ってるんだ!」

「……ちょっと、待ってね」

 

 小旅行の末に目標に手が届くまでに来たのだと実感しているグミは、機嫌が良い。だからか、彼女がニコニコ笑顔で言い放った言葉で灰色髪の女性、カーボが一時、考え込むような態度をとったことに気づかなかった。

 

 グミは長椅子に座り、四色が空へと上っていく様子を表しているような図柄の分厚いカリガラスのステンドグラスを眺めながら、パンツルックのその先を持ち上げ、両足をぶらぶらとさせる。

 そうして、来るべき対面の相手について色々と想像を巡らしていると、奥から右足を引きずり、杖をつきながら笑みを湛え、男性がやって来た。

 まさか彼が聖女ではあるまいし、自分と同年代というマイナスとも違うだろうとグミは考える。どうにも格好良い法衣を纏っていることから、神官さんかな、と彼女は思い、ついでに指先二本の土色を確認してから、彼の声に遅く反応した。

 

「おはようございます。王都からやってきたそうで、お疲れ様ですね。私は、この教会の神官をやっています、パイラー・ブラスと申します」

「……おはようございます! ボク、グミ・ドールランドと言います。モアに曳かれてのんびりと、ここまでやって来ました」

「そうですか……ところで、早速質問で申し訳ありませんが……誰から、私と、パール……聖女のことを知ったのですか? それなりに苦労しているので、噂の範囲はある程度操作出来ていると思っていたのですがね」

 

 言葉の終わりに、パイラーが浮かべたのは、ただの、困ったような表情。しかし、その眼光からグミは驚くほどの威圧を感じた。どうして、こうも自分が沈黙に圧されるのかは不明だ。だがしかし、彼女とて魔法学園の変わり者共と普段から付き合っているからには、耐えられないほどではなかった。

 きっと、聖女のことはパイラーが知られたくない情報だったのだ、と遅まきながら気づいたグミは、垂れ込み主の愉快げな表情の意味に気づく。しかし彼女は、その際に行った約束を破ることはしなかった。涙目で、キッと見つめ返す。

 

「それは……秘密にしろ、と」

「ふむ」

 

 いかにも子供のような存在が、自分の詰問に耐えたことを、パイラーは少し面白いと思う。そして、苦笑のままに、この子を送ってきた下手人について考えを巡らせた。

 

「なるほど。学長がいち学生に漏らす筈もないですし……そも、グミさんはどうにも最小限にしか情報を教わっていない様子。愉快犯よるものとしたら……見たところ混色のようですが、とはいえ普通は多い方を就学するもの。ならグミさんは水色の塔に所属なされているのでしょうね。或いはかの塔に棲む魔人辺りに吹き込まれたという可能性が、もしかすると、あり得ますか」

「どうして、そう思うのですか? いや、そもそも、あの魔人を知っているのは……」

「何も不思議なことはありません。私も、学園に通っていましたからね」

「そうなのですか。それでブレンドと、貴方は知己だと」

「丁度、私が在籍していた頃に、水色の塔で魔人騒ぎがありましたね。その前から彼……いや彼女なのですかね。まあ、アレとは顔見知りです。アイツ、引き篭もりの癖に噂を聞くのも流すのも好きですから。変わっていないのであれば、もしかしたら、と」

 

 元五大貴族の一つポート家の恥部、魔人ブレンド。その、容積の大きな身体を、パイラーは思い出す。水色の塔の五十階を占拠している彼なのか彼女なのか不明な不定形は、魔に最も近い存在のくせして、情報で人間を乱すことが大好きだった。不老の魔人は中身も変わらないのであれば或いは、と思ったところ、それは正解だったようだ。

 言外に、知らず情報筋を暴露したグミは、少し申し訳なさそうにして、しかし続けた。

 

「それで、秘密だったかもしれないことを知らずに暴きに来てしまって申し訳ないですけど……ボクは二人に会えませんか?」

「別段下心の無い方に知られようと一向に構いませんよ。いいでしょう。今『マイナス』……バジルは仕事で席を外していますが、聖女、パールは奥に控えています。パール、来てください!」

「はーい」

 

 そして、ようやく場に現れたパールとグミは、碧と朱の目を合わせ、そうしてからお互いの全体を認める。第一印象として、互いは互いを好みの容姿であると思った。

 美しさに、長く豊かな身体。自分の持っていないものの全てを見せつけるような姿に、しかしグミは嫌味を感じられなかった。それが内面の良さによるものであるとしたら、なるほど聖女であるのだろうと彼女も思う。

 そして、パールが好んだ理由はまた違った。大きな頭に起伏のない平らな身体。見ようによっては、グミは青いこけしに見える。そして、聖女さんは前の生からこけしが大好きだった。お土産屋さんで彼女のためにと買って、後で罵倒された前世でも経験を、懐かしく思い出す。

 

「私に魔法学園からお客様って……貴方? 可愛い! 私はパール」

「でしょでしょ! あ、ボクはグミ・ドールランド! ボクとは違ってキミは……うん。とっても美人な感じだね!」

「ありがとう。それにしても可愛いなあ……ねえ、初対面で失礼になるかもしれないけれど……少し、撫でていい?」

「うん!」

「よしよし」

「わーい」

 

 互いの性格の軽さからか、気安い接触があまりに早く起きる。隣で頭を抑える父親代わりを無視して、二人は笑顔を綻ばせた。

 

「ふふ。可愛いボクだねー。よく、こんなにも小さな身体で魔法学園なんて倍率の高いとこ、入れたと思うよ。きっと、すごい実力なんだね!」

「倍率? よく分かんないけど、ボクはとっても凄いんだ! だって、混色な上に、深度は同学年で一番。二、三年上の人にだって負けてないよ。それより先輩の人には分かんないけど……えへへ。凄いでしょ」

「凄いわー。よしよし」

「あ、顎撫でないでよ。ふわー」

「ふふ」

 

 彼女らの性格のあんまりの一致振りは、最早奇跡。猫可愛がる娘に、パイラーは最早絶句。その後も、二人の触れ合いは続いた。だがパールなりに、愛らしくとも異性と思う相手であるからには、気を遣って過度に触れてはいない。もし、恥ずかしい部分に触れてしまったら、きっと空気が変わってしまうと思って。もっともそんなことは、気の所為だったのだが。

 

 その全身の平坦さと見事なボーイッシュ振りからまずグミは女の子ではないだろうと思い、更には半端に異世界の知識で飛び級などを知っていたパールは似た制度が魔法学園にあるものと誤解し、彼女が七、八才の男児であると勘違いした。

 しかし、もしグミが彼女であることには気付くことが出来ようとも、まさか自分の一つ年下であるというのは、のんきなパールでなくとも中々思わないだろうが。それほど、グミはその身から幼稚さを醸し出しているのだ。おまけに、中身も異常なほど擦れておらず。

 将来の夢が学校の先生だったこともあるくらいには子供好きなパールは、だからついついリップ・サービスまでしてしまうのだった。それが墓穴を掘ることになると知らずに。

 

「パール、大好き!」

「私もグミ、好きだよー。ふふ。両思いだね」

「りょ、両思いって……それでもしボクとパールが付き合ったりするなんてなったら、いいの? そういうのっていけないんじゃないの?」

「まあ、今じゃあ子供と大人だから、それは拙いね。大きくなったら、別にいいんじゃないかなあ?」

「ホント!」

 

 馬が合いすぎたのか、短時間で懐きに懐いたグミは、好意を肥大化させすぎた。無邪気にも、こんなに素敵な女の子と付き合えるというのなら本当にそうありたいとまで思う。

 聖女は人を癒す。そして、壊れた部分を知らない間に癒やされてしまった人形の少女は、本気で眼の前のチグハグな女の子に惚れ込んでしまったのだ。

 磁器より透明な頭を撫でるその手の奥に男の子の角ばった腕まで幻視して、グミは言質を取ったと微笑んだ。

 

「パール……グミさんは……」

 

 パールの勘違いを察しているパイラーは、真実を語ろうとした。だが、それはグミが遮るように口にした次の発言によって潰れる。

 

「よしっ。それじゃあ今、大っきくなるね! ……んっ」

「えっ」

 

 それは、誰の言の葉か。驚きは、波紋のごとく聖堂一杯に広がった。

 自然なことであろう。何せ、グミの指先の土色に水色が混じったかと思いきや、その二色が彼女の内から広がって、少女の姿を膨らましたのだから。

 撫でつけていたパールのその手は驚愕によって離れた。だがしかし、そこまで彼女の頭は追いついてくる。何を因にしているかは明らかであるが、その魔がどう働いているのか誰にも分からないままに、彼女は女になった。

 身体をすっぽりと覆っていた黒い外套は、今やマントのようになっていて、女性性が顕になりすぎてはちきれんばかりの衣服は最早扇情を越えて完全に破廉恥だ。その細い瞳は、もう可愛らしいとはいえず、むしろ色気すら感じるほどの意を湛えている。

 パールは女性に物語の魔女を想起し、それが先程まで話していた子供と同じである事実に、めまいすら覚えてしまう。

 

「どうかな?」

「あわわ……グミって女の子、だったんだ」

「モチロン、ボクは女だよ。パール」

 

 これなら付き合えるって本当かな、と言って、グミは小悪魔のごとくにくすくす笑った。

 

 

 




 あわわ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 聖女と魔法

 魔法戦闘回、でしょうか。誰かと誰かが喧嘩してしまいますので、注意です!


 彼らしき彼女が聖女とされようとも、人間であるからには怒ることもある。その流れを、彼女が後に思い出したところ、このようになった。

 

 あわわ。

 こんなに幸せな死の危機が訪れるとは思わなかったよ。

 あわわ。

 私のために争わないでー。

 

 

 もう……止めなさい!

 お尻ペンペンの刑だよ。

 

 スカスカで、意味不明だ。最早、彼女に補足が不要になる日は来ないのだろうか。

 

 

 

「ぎゅー。ふふ。これくらいの身長なら私の方がよしよし出来るね……ふふ。綺麗な髪。パールの銀髪は、フェルト産の絹なんかよりよっぽど上等だよ」

「あわわ」

 

 パールを抱きしめたグミのその身は、正しく人体の温さに柔らかみを帯びていて、本物を感じさせるに十分なものだった。長身の聖女より魔女は高くなり線にメリハリが付き。お返しにと、愛撫をやり返す彼女の手付きは、はっきりといやらしいものだった。

 唐突に間近に現れたエロさに困惑するパールを見て逆に冷静になったパイラーは、グミに質問をする。

 

「貴方はブレンドから、その魔法を教わったのですか?」

「違います。見て覚えたんですよ」

「……それは、凄い。私はてっきり、彼のモノが魔人であるから変態出来るのであると勘違いしていましたよ」

「ふふ。ボクって天才ですからね!」

 

 前と違い、グミが張った胸は大いに震える。少し枯れ気味のパイラーは、少し盛りすぎですねという見当外れな感想を覚えた。シャツから溢れんばかりのそれは、はっきり言って、大げさ過ぎる。

 

「パール、オレらを調べに来た奴ってどんなの……痴女だ」

 

 そして、偶々件の『マイナス』ことバジルがその場にやって来たのが、場の混乱を更に助長するものとなった。少年の眉は、絡みあう女性同士を見て、歪んだ。

 端的に言って、純情なバジルは、グミのその格好に魅力を感じるより前にドン引きした。関わり合いになりたくなくて、思わず彼は疾く扉を閉めんとする。それを、パールより立派な身体つきをした彼女は、指先から発した色味にて直接ドアノブを絡め取ることで止めた。

 

「痴女っていうのは酷いなぁ……『マイナス』君」

「ふん……なんだ、よく見たら背伸びしているだけのガキか。あんまりパールに寄りかかり過ぎんなよ。お前の為にならないからな」

 

 睨み合う二人。どうにもグミとバジルは赤と青の目を合わせただけで、互いに合う部分が殆どないことに気付いたようだ。聖なるものを求める男女に挟まれ、しかしパールはのんきに感想を言う。

 

「バジル凄い。さっきまでグミが小さかったって判るんだ……わぷ」

「寄りかかる? そうじゃない。もう、パールはボクのものだ。なら、どうしたって構わないだろ?」

「胸が……当たって……苦し……」

「あ、ゴメン」

「ぷは。……はぁ、はぁ。まさか、こんな幸せな死の危機が訪れるとは思わなかったよ……」

 

 胸に挟まれ、呼吸困難。あわや、窒息の危機だった。女体に溺れて死ぬとは、もしかしたら中の素直は本望であるかもしれないが、パール自身は御免こうむりたい。だが、その一部が顕れた本心の言葉はグミの耳に届いて、彼女の心をくすぐり妖しく笑ませた。

 

「幸せ? ふふ。パールのエッチ」

「あわわ」

「何だこりゃ……パール、お前女相手に下心出してんじゃねえよ。情けない姉貴分だよ、本当に」

「むむっ、私のことは幾ら言われてもいいけど、パールの悪口は許さないよ」

「ガキに脅されて、ためらう男子が何処に居る。パールは馬鹿だ。アホの子だ」

「『マイナス』! たとえ仲良くてそれが本当でも、言って良いことと悪いことがあるんだよ!」

「地味に酷いね、二人共……わっ」

「ちょっと、下がって居てね、パール。『マイナス』。ボクは絶対に、キミにパールを返すことはないよ。両思いのボクに全てを任せるんだね」

「ふざけんな」

 

 グミは大事を自分の後ろに置いて、宣言をする。その言葉が、バジルの癇に障った。手を上げ、魔法を使おうとする彼を見て、挑発をした少女以外は慌てた。

 

「バジル、グミさん、止めなさ……」

「そう。皆、私のために争わないでー」

 

 パイラーの言を遮るように、パールは前へと出る。そして彼女は、一生に一度は言ってみたいと思っていた言葉を二生目にしてようやく言えたのだった。

 パイラーは、己が娘のその唐突な発言に、白い目を向ける。また、変なことをいう子だな、と彼は感じた。

 

 

「無駄な喧嘩など、天に居られるマウス様も望まないでしょうが、それでも訊かないのであれば仕方ありません。裏手で、なら魔法でも何でも好きにやっていいですよ。勿論十分に加減しなければ、貴方達の御飯も、今日の泊まる場所もなくなってしまうでしょうが……」

 

 悠然と、魔法を放とうとしていた二人の間に入った後、黒い笑顔と共に場を仕切り始めた神官パイラーはそう言う。彼が醸し出す妙な迫力による説得力に、借家で過ごしているバジルは勿論のこと、今更泊まる家のことを忘れていることに気付いたグミも、首を縦に振る以外になかった。

 

「わかったよ……付いてこい。格の違いを教えてやるよ」

「ふん。ボクの天才っぷりに驚くんだね!」

 

 肩を怒らせ外への扉へと一直線に向うバジルに、その後をしゃなりしゃなりと大きい姿のまま付いていくグミ。パールは、少し迷ってから二人を追いかけ始めたが、そこに低い声が掛かった。

 

「パール貴女も行くのですか?」

「もしも、が怖いので……」

「大丈夫だと思うのですが……はぁ、仕方ない。確かに貴女が居たら万が一もありませんし、良いですよ。好きにして下さい」

 

 呆れ気味のパイラーの声を後にして、パールが二人に追いついた場所は、教会の裏手。神官館との間の小道。木々に囲まれ隙間になっているその部分にて、子供の喧嘩は始まる。

 バジルは右手を上げ、パールは地に左手を向け、それぞれ敵対姿勢を取ってから順番に口を平いた。

 

「正直なところ、手加減は不得手だが……それでも、次元の差っていうのは教えられるだろう。ちょっと混濁しただけの三本程度で敵うと思うなよ?」

「ふん。才能だけの浅学さんに、ボクが負ける筈がないよ。本数の差が、絶対的な違いになるとは、思わないことだね!」

「……それが、お前の遠吠えか」

「っ!」

 

 はっきりと、先に言っておこう。グミの実力で、バジルという究極の『マイナス』に勝てる道理など、何処にもない。彼女自慢の深度ですら、底を突き抜けていしまっている彼に届くものではないのだった。

 バジルが手を動かす。それだけで四方の空間全てに一定の距離を空けて無数のこぶし大の水が創られた。それは、何の変哲もないマナを変じさせた水塊。だが、これほど多量の創造を染まった指先で指揮するだけで行ったその事実。それに、グミは驚愕を覚えざるを得なかった。

 遅れて、グミは地に手を当て、指先から己が色を伸ばしていく。そこから地を変じさせて、礫でも創ろうと思ったその時。宙の全ての水が彼女に降り注いだ。

 

「ぐぼっ」

 

 陸にて溺れ、思わずグミは地から手を離して喉元に手を伸ばす。そんな彼女の四肢を拘束するために、周囲の水は意思を持つ。そう、バジルの指揮にならい、固まり粘性を帯びて、彼女を縛したのだ。得意な氷を使わないのは、彼なりの手加減である。

 水気によってその衣服を透けさせて、その手足を固定までさせられたグミは正しくエロティックであり、パール辺りの目に毒であったが、しかし切り替え、既に心凍らせているバジルは何を感じることもない。ただ、彼は真っ直ぐに見下げて、彼女に終了勧告をする。

 

「これで終わりか? それじゃあ、オレと一緒に帰るぞ、パール」

「……ダメだよ。パールは、ボクのものだ。決してもう、渡さない! ボクは、お前の代わりになるんだ!」

「私は、誰のものでもないんだけれど……」

 

 パールのそんな意見を無視して、事態は更に進んでいく。末端の動作を奪われてしまえば、骨ある人は身動きできない。だが、魔人から変態の魔法を学んでいたグミは、自身の柔らかさを変えて拘束から脱する。魔法によって水が固められて縄のようになるのであれば、人を水のようにさせるのもまた不可能ではないのだった。

 抜け出しどちゃりと地落ちたグミは、今度こそ地に触れ、遠慮なく魔法を行使する。彼女は地面を波立たせ、その先端をバジルへと向ける。大量による攻撃。これならば、相手に白旗を上げさせることも可能だと思った彼女は。

 

「ふぅ」

「え? あれ?」

 

 指先を動かしただけで、自身に向けられた数多の土製の杭の全てを停めたバジルの姿によって、笑顔を凍らせた。白い息が、グミから漏れる。

 その後も続けざまに行った魔法の結果、瓦礫に大岩、更には水のカッターですら途中で霧散し無意味となる。

 

 これこそ、バジルの『マイナス』である。指先の染指で指揮を執り、空宙の水分を媒介にして範囲内の威力などを殆ど直接的に差っ引いて停止させてしまう、彼の固有魔法。どんな強力であろうと、指の一振りで無効化されてしまうのだ。彼の手にかかれば、たとえば、それが敵の命であろうとあっという間に停められるのだろう。それは、まるで努力の全てを否定するかの様な無敵。思わず、グミの動きすらも、止まってしまう。

 

「嘘でしょ……」

 

 パイラーの強制した、手加減。それを十二分に守り、グミの絶望を受け止めながら、バジルは誰より余裕を持って呟いた。

 

「これでいいか? はぁ……そもそも、オリハルコンの人形みたいな中身からっぽが、人間様にとって変わろうってのが間違いだったんだ」

「バジル、言い過ぎだよ……」

 

 それは、白すぎる水色の指先から冷え切った範囲内の全てを解しているバジルだからこそ、感じてしまったこと。そう、少女のがらんどうの中身を察してしまった少年は、正直にグミの無理を呟いてしまう。パールがそれを遮るのは、間に合わなかった。

 

「……ボクは……私は……人形じゃない!」

「わっ」

 

 言い合い、それはエスカレートして、片一方の心に血を流させた。癒やされかけの傷を突かれて、少女は激高する。大地は、揺らぐ。そして大いに盛り上がった。地面の津波がバジルへと襲いかかっていく。その重みは、最早普通では考えられない量である。

 

「まずまず上等だが、これくらいのプラスじゃあ、オレの前だと零と変わりない」

「ああっ!」

 

 だが、バジルは普通ではない。彼は、人間に許された最多の五本の染指持ち。故に彼は、涼しい顔をして襲い来る波ごと停めた。そして数多の粒としてその場に落とす。それを見て、狂乱したグミは暴走を始めた。

 明らかに、故があるのだろう。幾ら混ざっていても、三本では到達できない出力を持って、グミは癇癪玉のように力を破裂させる。そんな、ただの暴力の殆どを。つまり自身に向けられた部分はバジルが無効化していったが、それ以外の他に向いてしまった土や岩に水等までもは、流石に彼であろうと停められない。

 

「やばいな……」

「ああ、地面がボコボコ……あ、窓ガラスが割れて……」

 

 その被害は、間近の協会を襲う。まだ微小。しかしこのまま放っておけばどうなってしまうのか。思わず、守るためにふらふらと建物の方へとパールは向かう。

 

「……っ、パール危ない、避けて!」

 

 だがそこは、暴力の最中、魔法の効力内である。パールの危険に気付き、停まったグミであるが、魔法の結果までは留められない。幾つかの石が、彼女の元へと飛来する。盾を自称するバジルが魔法の範囲を広げることで、問題なく無力化しようとしたその時。聖女は声を荒げて。

 

 

「もう……止めなさい!」

 

 

 その結果ごと、全ての魔を無に帰した。

 

 

 冷気はあっという間にかき消え、その後熱気がやってきて。ぽん、という音と共にグミの姿も愛らしいものに戻った。そして、バジルの顔色はどんどん白く変じていく。

 

「……二人共、お尻ペンペンの刑だよ」

 

 そして、彼らにとって絶望の時間が始まる。

 

 

 

「これが、ブレンドが彼女を見出した理由ですか……やれ、窓が割れたくらいで済んで良かったですね」

 

 パチーン、パチーン、という小気味いい音が響く中でどこか遠い目をしながら、パイラーはそう呟いた。今お尻を真っ赤にしている自称天才のグミが使った魔法は異常。発揮された力は、四本指すら越えかねなかった。

 どこか壊れた内面と共に、それこそグミが当たることの出来る存在などパールとバジルの二人くらいしか居なかったろう。他で、彼女を受け止め切れる人など無い。

 

「だから、ここに寄越した……あの魔人がそこまで予測できたのだとしたら、そら恐ろしいものがありますが……っ!」

 

 パイラーが、そう考えを口に出して纏めていると、視界の端に人影が見えた。それなりに修羅場を潜っている方である彼に知られずここまで迫れた人物は、驚いて歪んだ壮年男性の顔を笑う。

 

「……ふふ。聖女とは貴方が付けたのかしら? それにしても面白い、子ね」

「ク……アンナ様。居られたのですか」

「少し前から、ね」

 

 赤い髪が愉快げに上下する。潜んでいた女性は、闇夜にバジルの前へと現れたことのあるアンナだった。

 しばらく微笑んだ彼女は、知り合いとして受け容れ落ち着いた様子のパイラーを確認してから、自分の考察を語り出す。

 

「パールが人を癒すことが出来るのは、彼女の力、『全てを望ましい状態へと戻す』その効果を用いているからね。ただ魔を、彼女は望ましいと認めていない。つまり、パールは魔――人の領分を超えるもの――を無効化してしまう、魔法使い等の天敵となり得る存在ね。聖女とは、よく言ったもの」

「……そう、感じましたか」

「大丈夫。私はパールを悪くするつもりはないわ。そう、悪くは、ね」

 

 妖しげに、アンナは微笑んで。彼女を【王】の候補に上げるのもいいかもしれない、と心の中の碑に赤色で書き留めた。

 

 

 




 聖女とは。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 聖女と家族

 今回、ちょっとほのぼの出来ませんでした……少しもの悲しいお話になっています。


 彼女が彼でもあるボーダレスであったとしても、人であるから夢を見る。

 

 お、とう……さん。

 

 どうしてわたし達におとうさんやおかあさんは、居ないのかな?

 神官様!

 なら、わたしが魔法を使うよ!

 

 生きて……おとうさん。

 

 夢中にて、彼女は何を見たのか。補足しなければ、きっと分からないことだろう。

 

 

 

「うう、パールったら激しかった……お尻、痛い」

「グミったら本当に反省してるのかな……ひょっとして、回数が足りなかった?」

「そ、そんなことないよっ!」

 

 自分の言葉の意味も分かっていないくせして無駄に意味深にさえずるグミに、上から怒気の篭った視線が降り注ぐ。怒り心頭のパールに対してしまっては、流石の魔女も型なしだった。

 パールの言葉を受けて、慌てて平らなお尻を隠すグミ。その後ろで金髪坊主も、同様のポーズを取っていた。恨みがましく、バジルは溢す。

 

「どうしてオレまで……痛え」

「バジルは焚き付けすぎ。グミじゃなくたって、あれは怒るよ」

「正当な仕返しの範ちゅうだったと思うが……はいはい、分かった。ゴメン、ゴメン」

 

 笑顔で片手を持ち上げるパールに、バジルも白旗を上げざるを得なかった。おざなりな跳ねっ返りの少年の謝罪を、彼女は鷹揚に認めてあげる。

 

「よしよし。それじゃあ戻ろうか……あれ……」

「どうしたの?」

「……そろそろ、きたか」

 

 全てを水に流し、後は神官から説教を頂戴するため直ぐ側の帰路につこうとしたその際に、パールの身体はふらつき揺らぎ始めた。突然のことに驚く、グミ。それに対して、バジルは冷静であり、いつの間に後ろに回ったのか、気付けば倒れんとする彼女の身体を押さえていた。

 

「ね、ねえ、パールに何が起きてるの?」

「こいつ、重! それは、な……あの魔法、いや『奇跡』による消耗のせいだ……つまり……」

「酷いわ、バジルー。大丈夫よグミ。簡単に言えば、私、ただすっごく疲れて眠いだけだから……ふぁ」

「わっ、危ない」

 

 だが、小さなバジルであっては、パールの長身を上手く支えることなんて出来やしない。それよりもっと小ぶりなグミが必死に落ち行く身体を掴んでも、引き上げることは無理だった。

 

「パール。お疲れ様です」

 

 あわや総倒れとなってしまいそうになったその時に、支える力はぐんと増して、聖女の身体は安定する。パールの両脇に手を差し込んで慣れたように持ち上げる壮年の神官、パイラーは彼女にとても優しげな瞳を向けていた。

 もうろうとした中、その黒色に何を覚えたのか、パールは閉ざされようとする口にてあの日のような言葉を紡いだ。

 

「お、とう……さん」

 

 呟き。そうして、聖女は夢を見る。

 

 

 

 それは、パールが聖女と呼ばれていない過去。彼女がただの、銀色の少女であった頃。夢中に、そんな昔のとある日が、流れていく。

 

 その日、パールとバジルは手を繋いで、モノとパイラーの帰りを待っていた。聖堂の中。オレンジ色の斜光がステンドグラス越しに降り注いで、彼らを染める。

 お互いに淡く一体になったような心地を覚え、ついパールは普段は決してしないだろう疑問を口から溢れさせてしまった。

 

「ねえバジル。どうしてわたし達におとうさんやおかあさんは、居ないのかな?」

「……オレには、居たよ」

「そうなの?」

 

 少女と少年の丈は今よりずっと近く。だから疑問を呈したパールの隣で、バジルの表情が歪んだのは、彼女にも確りと見て取れた。

 

「父さんに母さんは、オレが珍しい魔法使いのタマゴだからって、さらわれそうになったところを助けようとして殺されたんだって。……神官サマが教えてくれた」

「そう、なんだ……」

 

 バジル本人とて半分も理解できず、消化しきれていない話を聞き、パールは手を組んで黙祷をする。彼女はそのことを覚えていなくても、死を知っていた。それは、虚しく、悲しいこと。だから、分からず未だ向かい合えない少年の家族のためにもと、少女は涙を溢す。涙の故が分からずに、幼い彼は困惑する。

 

「パール?」

「ぐす……大丈夫。モノは、家族に捨てられた、って言ってたね。わたしも、そうなのかな」

「分かんないな。オレだったら、パールを捨てたりしないけど。だってパールはいいヤツ、だし……」

「ありがとう」

 

 拭うことで落涙が少女の手元で煌めき、踊る。笑顔で抱きつくパールの温もりを受けたバジルの心は判らずとも僅かに、ときめいた。

 冷え切っていた少年の心は、寄り添われることで次第に柔らかみを帯びるようになり始めている。何時しか彼が隣にある愛を知るために、パールは必要な存在だった。

 それを知らずに、暮れる日の中彼らが小さな手のひらで繋がっていたその時、入り口の方から僅かな音が響いた。

 

「モノ……と神官様?」

 

 振り向いたその先、そこには既に早い成長を遂げていたモノの姿があった。彼は、誰かに肩を貸しているようである。その相手が見慣れたパイラーであることに彼女が気付かなかった故は、一つ。

 

「どうしたの? 二人共、真っ赤だよ」

 

 そう、助けるために染まったモノどころではなく、胸元と足元の包帯からおびただしい量の血液を吐き出しているパイラーは酷く、赤かったから。どうして。どうなってしまうのか。それが、パールには理解できない。理解したくない。

 だが、一度同じ色が流れたことで両親を失くしているバジルは、死の影を敏に察した。走り、彼はパイラーの元へと寄っていく。

 

「神官サマ!」

「バジル……ですか」

「血が……神官サマも死ぬのか?」

「そう、かもしれませんね。ふふ、これも因果応報といったところでしょうか……」

「どう、したの?」

 

 遅れて、パールもパイラーの元へと向かう。そして、少女は彼の顔色のあまりの白さに気付く。

 

「簡単に言うと、襲われました。辛うじて、モノが相手を追い払ってくれましたが……何の魔法によるものでしょうね。傷が……塞がらないのですよ」

「神官様!」

 

 それに染まることも厭わずに、パールは血まみれのパイラーに寄り添うために身を寄せる。身体が揺れたことで僅かに痛みに苦しんだが、しかし彼は少女を想って微笑んだ。

 

「はは。私は幸せ者です。愛する者に看取って貰って、逝けるのですから。こんな幸せ、ただ周囲の信頼を得るためにと貴方達を保護した時には、想像も出来ませんでした……」

 

 パイラーの独白。それは本当である。彼がはじめ、教会前に捨てられた赤子を育て出した理由は、人格者と周囲に思われ、不審がられている新参者の自分がいずれ信頼されるようになるため。その先の数多の金貨を思い、信心の欠片もなかった神官は、ゆくゆくは己の駒にもなるだろうとモノを拾い育てた。

 だから、二人目の孤児、パールをパイラーが面倒を見る理由など本当はあまり無かったのだ。だが、少女はあまりに泣かなかった。手が掛からない、こんな子ならば居てもいいかと彼は思い、引き取り育児係に任せることにして。そして何時か、赤子であった彼女が何を望んでいたのか、組み合わせていた手が気になり戯れに触れた時に、孤独だった男は知ったのだ。

 他人は、温かいのだと。

 

 最初は少し、思うことを始めて。そうしたら、気になって。やがて、認めるようになり。そして、それらが害されるのを嫌がるようにまでなった。

 それはあまりに自然なことで。だから何時しか、他人のバジルが男共にさらわれそうになっていた、そんな貧民街では偶にある様な光景を認められずに、割って入ることで彼を助け出して。そして、死に行く少年の両親の遺言を、受け取る。そんな大変すらいとわない人格者に、知らず自身が変じていたことに、パイラーはずっと気付けなかった。

 彼らのために零した涙は、五本指の魔法使いを自然に手に入れるための嘘。バジルを撫でつけるその手の優しさも、手駒を懐かせるための演技。

 そう思い込んでいたパイラーは、最期を前にして、自らの過ちにようやく気付く。

 未だ完成には程遠い剣技と身体で獅子奮迅の活躍をして、三人もの魔法使いを撃退することに成功したモノ。普段表情一つ変えない彼が涙を流し、自分を求め抱きしめてくる様子に、確かに愛を覚えたことを切っ掛けにして。

 

「皆、私を殺した者を恨まないであげて下さいね……私は、何も、彼らを恨んでいませんから……」

 

 それは、優しく変じたパイラーの遺言。自分を害そうとした魔法使い等は、恐らくバジルをさらおうとした一味が寄越したのだと彼は判じていた。自分に、両親二人の死。バジルが復讐の道に走る要素は揃っている。

 だが、それは嫌だと思ったパイラーは、ただ愛する者の幸せを願って、優しい嘘を口にする。彼から、赤く、流れる血は止まらない。

 

 パイラー・ブラス。偽金だった神官は、その最期に自らを輝かして、生涯を終えようとしていた。

 

 だが、親の死を認める子など居るものか。これまで沈黙を守っていたモノはここで初めて口を開ける。そして、パイラーの冷えゆく身体を抱きしめたまま、バジルに向かって、頭を下げた。

 

「……お願いだ、バジル。怖いかもしれないが……魔法を使ってくれ。教会付きの魔法使いも既に、匙を投げている。父さんを助けられそうな魔法使いは、お前しか居ないんだ。助けて欲しい」

「そ、そんなこと言われても……オレには分からない……治すって、どうやるんだ?」

 

 自分がそれで狙われたことを知っているから、バジルは魔法から避けるように今までを生きてきていた。故に、自分の冷たい手で大切なものに触れたらどうなってしまうのかを知らない。だから、全てが台無しになってしまうことを恐れて、彼はパイラーにその危険すら孕んだ水色の手を向けることは中々出来なかった。

 しかし、思いはある。自分の小心を嫌い、涙を滲ませ悔しがる、そんなバジルを、彼女は優しく包んだ。

 

「バジルは出来ないんだね……なら、わたしが魔法を使うよ!」

 

 兄にも無理で、弟には出来ない。ならば、自分の出番。そう思って、少女は無理を通そうとする。

 

 この世界では、魔法の才能は先天性に左右されるもの。生まれた時からら四色のどれかに染まっていなければ、魔法を使うことが出来ないというのは、常識だった。

 だが、そんなことは知ったことかと、少女は無力の手を組み合わせて、願う。

 

 出来ないことを可能にするのだ。そのためにたとえ、自分がどうなっても、わたしがわたしでなくなってしまっても、それでもいい。愛するもののためなら、自分なんて消えてしまっても、いいのだ。だって、わたしは愛するために生まれたのだから。なら、愛するもののために、何もかもが失われてしまっても、構わない。

 

 天に、願い。そんな彼女のために、満月から光が降りる。その姿は正に、聖なるものだった。

 

 

「生きて……おとうさん……」

 

 

 

 そして、奇跡は起きて、パールの願いは叶った。叶って、しまったのだ。

 

 

 

「ん……」

「ぶー」

「あ、トール。ふわぁ」

 

 よく寝てから、目を覚ましたパールは、鳴き声と物音から今横たわっているベッドの下にトールが跳ねていることを判じた。あくびを一つ。息を吐き捨て。そうして、大切なものまで彼女は宙に溶かした。

 

「んー、大事な夢を見た気がするけど……なんだか【忘れちゃった】ね」

「ぶぅっ」

「わ、凄いね、トール」

 

 失くし、そうして土色を用いてはしごを創り、器用によじ登ってきたトールを構うことで忘れたことすら忘れ、ゆっくりと時を過ごしていると、ノックの音が聞こえた。

 どうぞとパールが招くと、馴染みの茶色髪を最初に、あの時の後から必要となった杖を突き、パイラーが姿を現す。彼の表情は、酷く穏やかなものだった。

 

「どうですか? 体調は大丈夫ですか?」

「平気です。神官様こそ、ここ最近お忙しそうにしてますけど、お身体は大丈夫ですか?」

「ええ。お陰様で。時折、足が痛むことはありますが、それくらいで」

 

 気を付けてくださいね、というパールの言葉にパイラーは笑顔で分かりましたと返す。父と子の和やかな対話。しかし、その幸せな時間は僅かばかり、途切れる。

 

「そういえば、神官様は何時怪我をしたのでしたっけ。どうしてだか、私、ど忘れしてしまいました」

「どうして、でしょうね……」

「ボケちゃったのですかねー」

 

 あははと笑って、自分の中にあるはずのないものを考えさらったために、一瞬だけ、パイラーが痛ましい顔をしたことにパールは気付くことが出来なかった。

 

「ふふ」

「あはは」

 

 そして、互いを思い、微笑みが交わされる。その後、僅かに流れた沈黙の中、バジルとグミの騒ぐ声が、はるか遠くに聞こえた。

 

 

 




 この辺り、裏設定にするつもりだったのですが、力足りずに今回使うことになってしまいました。
 期待はずれでしたら、申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 聖女と友達

 これが、彼らの日常です。


 彼女は少女で、男子。そんな存在が果たして、友達付き合いを上手く出来るのだろうか。

 

 ツンデレっていうのはね。

 え、グミって一個下だったの?

 

 犯人は、おっぱい。

 

 グミは可愛い、女の子だよー。

 

 

 まるで不可思議だ。また、補足をしなくてはいけないだろうか。

 

 

 

「わ……パール。またあんた人をたぶらかしたの?」

「そんな、人聞きの悪いことを言わないでよ、ユニちゃん。ただ昨日、友達が増えただけだよ」

「パール~」

「小さな女の子をそのでっかい胸で抱きしめながらそんな寝言、あたしによく言えるわね……その子、どこの子よ……」

 

 癖で茶色いショートの髪先を左手で遊ばせながら、ユニはその生まれつき鋭い目つきを呆れによって歪ませる。その際、大手洋服問屋オオマユに卸す麻糸を紡ぐ仕事に普段から就いているために疲れさせてしまっている指が少し痛みを訴えたが、気取れられることなく、むしろそれに逆らうかのように、反対の指をピンと伸ばしてパールに甘える子供を指した。

 

「ん? ……わっ」

 

 指差された子供、グミはやっと部屋に人が増えたことに気付いたのか、パールのふかふかの胸元から顔を話して、ユニを見上げる。そして、ひょろっとしていて人相の大分悪い少女の様子に驚く。

 そんな姿は、あまりに幼稚なものに映った。

 

「随分と乳臭い子ね……」

「そういうお姉さんは、酷く悪魔的な人だね」

「なん、ですって!」

 

 そんな子供が何を喋るかと思いきや、その小さな口から突いて出たのは罵言である。むしろ、憤るユニには、怖ーい、とパールに再び抱きつき出すグミの方が小悪魔に見えた。

 

「あはは。大丈夫だよ。グミ。ユニちゃんは内面天使だし……外見だってよく見たらツンデレっぽくて可愛い感じだよ?」

「ツンデレ?」

「ツンデレっていうのはね、人の前だとツンツンしてるけど、二人に……」

「ああ、もう! またあたしに変なことを言って、それを広げようとして。そんなにあたしをからかうのが楽しいの?」

 

 再び、可愛いという言葉に照れるユニ。幾らパールに似たようなことを言われようとも普段が普段なために中々免疫が作られないのは、彼女の不幸か。

 

「可愛い子は、イジメたくなっちゃうからねー」

「もうっ!」

「何となく、ツンデレっていうのが分かったような気がする……」

 

 ぼそっと、グミは呟く。確かに、トゲと照れの出し入れを繰り返しながら顔を真っ赤にしているユニは愛らしい。両手で至上の柔らかみをモミモミしながら、パールに抱かれる少女はこういうメリハリがあるのもいいな、とこっそりと趣味を広げていた。

 

「モノが帰って来ないと思ったら、何て話をしてるんだよ、お前ら……」

 

 そこに、ようやくの昼休みとなったバジルが木製トレイに乗っかった昼食と共に事務所兼食堂なこの部屋へとやって来る。持ってきたその品目は、二つずつ。少食の彼には多いだろうその量を見て、パールは呟く。

 

「あ、バジル偉い。ユニちゃんのお昼も持ってきたんだ」

「そりゃあ、無償で手伝ってくれる貴重な戦力を労わないのは、ダメだろ……」

「ありがとうバジル! 大好きー」

「こ、こら止めろ。まだ飯置いていないから危ない!」

「……バジルもツンデレって感じだね。あむ」

 

 平素は少しはにかみ屋であるバジルは、少しへそ曲がりなことを言うが、そっぽを向くそんな態度ごと、彼はユニに抱きつかれる。こっそりと、彼の分のジャガトマト(ジャガイモの実から派生したプチトマトのようなもの)を一つ頂きながら、グミはくっつき合う少年少女は似た者同士であると評した。

 

 

 

「……なるほど、パールの様子を見に来たら、グミが居たから、驚いて誰か訊いたらからかわれた、と」

「ちょっと、あたしも言い方に難があったのかもしれないけど、酷いよねー」

「ユニちゃん反応が良いから……」

「面白かったー」

 

 お昼御飯を終え、事態を話し合って。様子を見に来たパイラーが口にした、患者が来るまで皆さんゆっくり休んで下さい、という言葉に甘えて彼らはのんびり休憩時間を満喫する。彼らは、方や小さいグミが大きいパールの膝に居座り、方や大きめのユニが小さめのバジルに纏わりついて、中々対照的な絵面を見せていた。

 

「それにしても、この辺りでは見ない顔だし……きっとその指、珍しいだろうから近くの生まれだったらあたしが知っていても不思議はないだろうし。グミって何処の子なの?」

「そうだよね。最近自信失くしちゃったけど、ボクみたいな二色持ちってすっごく珍しい天才の筈なんだよね。ボクは、ここの隣のコブル生まれ。最近まで魔法学園に居たんだけどパール達の話を聞いて、気になって遥々やって来たんだ」

「え、魔法学園……ってことは準貴族なの? フルネームは?」

「グミ・ドールランド。ドールランド姓は屋号から取ったんだ」

「へー……」

 

 ユニは、こんなに飾らない爵位持ちは中々見ないな、と内心思う。そもそも、色付きの人間ですら、余り見ないというのに混色とも言われる二色持ちなど、彼女は初めて見たくらいである。パールに対するあまりの懐きぶりも鑑みて、この子は珍獣ね、と判じた。

 

「って、よく考えたら学園通えているってことは、同世代ってこと? グミ、貴女って幾つなのよ!」

「十と四っつ」

「まさかの同い年!」

「え、グミって一個下だったの?」

「……マジかよ」

 

 そして、グミの年齢を聞いて、小さくない衝撃が辺りに走る。ケラケラと皆の表情の変化を笑って楽しんでいる小粒な少女が自分たちと大差ない時間を生きてきていたというのは、驚きだった。

 その幼さに、故がないことはない。人形だった時間を抜かせば、少女は確かにあまり生きていなかったのだろう。だが、そんなことを知らないパール達は、ただびっくりしてグミを囲むのだった。

 

「……なんかコイツ、未だ何か隠していそうだな」

「グミったら驚くことばかりだね。まるでびっくり箱!」

「わっ」

「パール……アンタが驚かしてどうするのよ」

 

 急に手を挙げ身じろぎした座椅子に、グミもまた驚く。パールの無邪気さもまた、特異といえばそうだった。

 

「そういえば、どうしてグミはパールに懐いているの?」

「あ、バカ……」

「それはねー。恋しているから! ぎゅー」

「あわわ。またおっきくなっちゃった」

「せっかく落ち着いてたのに、刺激するなよな……」

「えー……」

 

 ユニが少し尋ねた、それだけで再度びっくり箱は炸裂する。ぽん、と二色がグミを覆ったと思えば、彼女は変態し、また少女は女になった。

 これには、非常識に幼馴染達のせいで慣れていると自認しているユニも目が点である。

 

「はぁ……きっと魔法、なんだよね。どっちの姿が本当なの?」

「ちっちゃなボクだよ!」

「そう……」

 

 取り敢えず、恋云々は放っておいて、ユニはそれだけ聞いて、納得した。こんな発達しきったエロ女が子供な性格をしていたら、犯罪的であるから、まあその方が正しくていいのだろうな、と。

 

「それにしても、グミ。まだお前は諦めてなかったのか……」

「負けちゃったから、パールをボクのものにするのは諦めたよ。……でもボクが、パールのものになるのはいいでしょ?」

「詭弁だな……まあ、相手がその気だったら別にいいが。しかし、その相手は今にも気を失っちまいそうだぞ?」

「ううー……犯人は、おっぱい……ガク」

「あー、またボク、やっちゃった!」

 

 彼らを相手に、シリアスはあまりに長持ちしない。自分の大きさを忘れ、甘えるグミの胸により再び窒息させられたパールは、とても幸せそうな顔をしていた。

 

 

 

 やがて時は過ぎ。パイラーの呼びかけにて、寝込んだパールの代わりにバジルは治療に勤しみ始め、休み時間を終えたユニも仕事場に戻って。聖女のもとに残ったのは、グミ一人きり。

 

「うへへ……」

「ふふ、だらしない顔。普段はとっても、綺麗なのにね」

 

 隣に残った友達の存在を感じて安心しきっているのか、仮眠用のベッドに転がったまま、にへりとパールは笑む。その愛らしい歪みを、まるで大人のような表情をして、小さく戻っている筈のグミは認めた。そして、彼女は自嘲する。

 

「バジルに停められて、良かった。そもそも、ボクなんかが、こんなに尊いものを手にすることなんて、出来るはずがなかったんだよ。ボクは……私は……創られた人形に過ぎないのだから」

 

 勿論、グミは組成から何まで、人間である。だが、彼女がそう扱われていた時間はあまりに少ない。それこそ、自分が自由意志を持った人であると感じられるようになるまでは、まだまだ足りず。

 捨てられず、名前に入れたその呪い。少女の四肢は、未だに糸で繋がれていた。

 そうして自分の言葉で暗く眼差しを落としたグミは、しかし聖女の言葉によって再び顔を上げることとなる。

 

「うーん……グミは可愛い、女の子だよー……」

「ふふ。寝言まで、優しいんだね」

 

 寝耳に入れた声の暗さを嫌ったのか、パールは寝言で知らず知らずの内に、少女を慰めていた。寝ても覚めても他人を思う。そんな、どこまでも綺麗な彼女の有り様に、グミは喜んだ。

 

「好きだよ……やっぱりボクはパールが大好きだ」

 

 人の形を自由にする少女は、しかし心のかたちを変えられずに。ただ、ずっとパールのことを愛おしく思う。

 

 彼女の内の男の子を、真っ直ぐに見つめて。

 

 

 

 




 ちょっと不完全なほのぼのでしたねー……うむむ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 聖女と薬毒

 毒にも薬にもならない。
 目指しているお話はそっちなのですが、今回は毒にも薬にもなる彼女のお話となります。


 

 薬に毒。それは二人分の彼女にも効くものだろうか。聖女は彼女と出会う。

 

 よろしくお願いしますね、アンナさん。

 何だかすっごくいい匂いがする。

 あわわ……って、大体バジルって一緒の部屋で寝てるよ?

 

 あわわ、修羅場?

 二人共、喧嘩はやめてー。

 

 

 それは静かに注入される。しかし気付けない彼女の代わりにも、補足は必要だろうか。

 

 

 

 今日は、休日。患者の入りや、パールの具合などを鑑みて不定期となっているそんな一日ずつの空白に、入り込んできた人物が一人。急にも、彼女は生活圏へと現れる。

 長い赤髪を腰元で弾ませて、黒い瞳を柔和に細めた年齢不詳の女性は、パイラーに連れられて、この借家の住人パールにバジル、そしてしばらくの間泊めさせて貰っているグミを目の前にして、自己紹介をした。

 

「はじめまして。今回は、宿泊場所にこの家を使わせて頂けるということで、嬉しいわ。私はアンナ。見ての通りのか弱い女性で、交易商をやっているわ。年齢は、秘密。……あ、荷物の大部分は然るべき場所に預けてあるから、安心してね。いたずらに場所を取ってしまうことはないから」

 

 にこりと、何時もの怜悧さを曲げて場に溶け込まんとしている女性、アンナは三対の視線を十分に集めたことに満足する。誰かの白い目すら喜んで、彼女は何も知らないフリをした。

 

「唐突のことで申し訳ありませんが、そういうことです。アンナさんはクラーレ地域の生まれ。つまりは私と同郷でして知り合いなのです。その縁から、街中で偶々お会いしたアンナさんに、もし宿にお金を使われるのがお嫌でしたら、宿泊にここはいかがかと紹介したのです。黙っていたのは……少し、勝手でしたね」

 

 アンナに合わせて、パイラーもすらすらと嘘をつく。坊主頭の少年から自分に向けられた強い視線を無視して、申し訳ありませんねと、心にもない言葉すら口にした。

 

「元々、ここは神官様のお家ですから気兼ねすることはありませんよ。私、パールです。よろしくお願いしますね、アンナさん」

「ええ、よろしくね。パールちゃん」

 

 隣に並んでいた少女二人は、バジルの視線など知る由もなく。ただ、優しげなお姉さんを歓迎する気持ちになる。まず、パールが先んじて、手を伸ばした。細い指先同士が、絡み合う。

 結ばれた二つの手をキツい視線でバジルは見つめるが、しかし無事にそれらは離れて。むしろ、それから怪しいアンナではなく、パールの方が謎の行動を取り始めた。周囲の空気を大きく吸い込んでから、彼女は疑問を呈す。

 

「何だかすっごくいい匂いがする……香水を付けているのですか?」

「香水? 少し前に焚いた乳香を浴びていただけ、なのだけれど……」

「お洒落ですねー……わ」

「乳香! くんくん。ホントだー。ボクは、グミ・ドールランド。ボク王都以外で、初めて乳香の匂いを嗅ぎましたよ。お金持ちなんですねー」

「お仕事で使うから偶々、手持ちがあって贅沢に使ってみたの。少し、教会にも送らせて貰ったから、機会があったら、皆で楽しんでね」

「わーい」

 

 諸手を挙げて喜ぶ、グミ。良い芳香を好む、その気持の理解は半々に、パールはただ少女の喜ぶ様を微笑んで嬉しがる。

 そんなパールの純真をくすりと笑い、残った会話を交わしていない一人に向かってアンナは薄いニセモノの表情を向けた。絶対零度の視線を浴びて尚変えることなく、むしろ嘘を深めてから、毒を秘めた彼女はバジルに向かって口を開いた。

 

「こんにちは、バジル君」

「……少しぶり、ですね」

「ふふ。他の子もそうだけれど、敬語は使わなくても構わないわよ。特に私とバジル君二人の仲なら、ね」

「……はっ、一夜だけの関係で、何言ってやがる」

「わー、大胆発言だー」

「あわわ……って、大体バジルって一緒の部屋で寝てるよ? 何時そんなことが?」

 

 苛つきが高まりすぎたのか、珍しく、自ら誤解されかねないような言葉をバジルは発した。それに驚き、グミとパールは混乱を来す。

 あまり理解しないで反応しているグミは兎も角、思春期を二つ繋げてしまっているパールはピンクな想像をしてしまったが、しかしよく考えれば寝室が一緒なバジルが他所で泊まっているようなことはないことに気づく。あれ、と首を傾げて銀髪を揺らす少女の横で、注意が飛んだ。

 

「こら、バジル。なんて口のきき方を……」

「大丈夫よ、パイラーさん。むしろ、少しの間だけ、自由に喋らせて貰えないかしら」

「はぁ。アンナさんが、よろしいのでしたら……」

 

 親代わり、ならば目上に対するキツい放言を許すわけにはいかなかった。だが、相手に笑顔で許されてしまっては、パイラーも鉾を収めざるを得ない。そも、全てを知っている彼がアンナに逆らうことなど、出来ないのだが。

 

「ふふ。何だか勘違いさせちゃったみたいね。ただ少し前に、夜の散歩がかち合った際に二人でお話をしただけ。そうでしょ、バジル君」

「そうだな。今日は護身具、持ってきていないのか?」

「ええ。何しろ、こんなに優しい場所に、危険があるはずもないのだから」

「よく言う……」

 

 言葉を交わす、二人の距離は近く。視線で意まで交換しているバジルとアンナは、傍から見れば深い関係であるようにすら見えた。

 グミはその僅かな胸元を押さえながら、弟分の普段見ない態度に困惑しているパールの目を見て、小さく溢す。

 

「うう、何かボク、ドキドキしてきたよー」

「すっごく仲いいよね……これはもしかしたらもしかする? あ、でもそうだとしたらユニちゃんが可哀想!」

 

 たまらず、きゃー、と奇声を上げる、パール。うっとうしそうに姉貴分の無様を横目で見つめたバジルは、弁解をした。

 

「聞こえているぞ。仲がおかしく思えるだろう理由は、オレがコイツに遠慮をしていないからっていうただそれだけだ。その必要がないから、な」

「信頼だと、受け取っておくわ」

「その逆だがな」

「ふふ。聞こえないわー」

 

 耳を押さえてそう言うユーモラスなアンナを見て、パールとグミはただバジルがツンデレをこじらせているだけだと、勘違い。安心して、彼女らは笑みを交わす。

 そして、何やら周囲を見回し始めたアンナに、パール等は首を傾げた。

 

「そういえば、飼っているというブタちゃんはどこかしら? 彼にも、挨拶をしておきたいのだけれど」

「えっと、その子は……」

「大丈夫です。トールのことは既に話しています。魔物であることも、承知ですよ」

「なら、人が来るっていうから隠しておいた意味、なかったね。出てきていいよー」

 

 パールの呼び声に反応して、床の一部が、揺れる。

 トールは土色の魔物。魔法使いと同じく、自分の色と似通ったものを自由に出来る彼は、土による迷彩も可能であった。伏せて、地面の膨らみのように化けていた彼は、自分に付いた土を弾いて現れる。

 

「ぶぅ」

 

 と、彼はアンナをつぶらな瞳で睨みつけながら、鳴いた。そして、とてとてと彼女の足元まで寄っていく。

 

「ふふ、中々愛らしい魔物ね……実は飼われている魔物、何匹か見たことがあるのだけれど、主人の言をあれほど守れるくらいに従順な貴方みたいなのは中々居ないわよ?」

「ぶぅ!」

 

 目を細め、イヌブタを見つめるアンナを、パールは和やかに認めた。これなら仲良く出来そうだな、と。

 だが、実はトールは足元で、怪しい相手に向けてしゃくりをしようと狙っていたのだ。だが、その隙もなく、ただ上から下に動物を見るばかりのアンナにそれを行うのは無理なことだったが。

 

「ふふ。少しの間だろうけれど、仲良くしましょうね」

「ぶぅ!」

「あはは。元気な返事だね、トール」

 

 危険を嗅ぎ分けた結果、絶対に無理、と叫んだトールのイヌブタ語は、誰にも解読されることなく、虚しく響いた。

 

 

 

 それより、しばらく。歓迎されたアンナは、何を起こすこともなく、ただ笑みながらパール等の中に溶け込み続けた。皆でお昼御飯を食べて、そうして出先で行われた無駄にレベルの高いバジルとパールのちゃんばらを眺めたりして。

 アンナが、皆が食べ始めるまで中々食事に手を付けなかったり、牧場でリン爺さんがバジルに気をつけろよ、と耳打ちしたりする不穏はあったが、決定的な事態は中々起きなかった。

 そして、日が落ちて。これまで監視を続けるバジルの前で何が起きるようなこともなく。バジルとパール、そして現在はグミも居座っている彼らの私室にて、ベッドの上に座しながらアンナは、ただあくびを一つ行った。

 

「ふぁ。眠くなって来たし、そろそろ部屋に戻らないと。でもその前に、トイレ行きたいな……バジル君、付いてきてくれない?」

「はぁ? 場所は教えたし、男のオレより女同士の方が……」

「そう、ならパールちゃんと……」

「いや、やっぱりオレが付いていってやるよ」

「ぶぅ?」

「後は頼んだぞ、トール」

「ぶうっ!」

 

 そして、二人並んで部屋から出た彼と彼女は、窓ガラスの厚みに歪んだ月光に照らされながら、歩む。影法師は前後に二つきり、少しだけ揺れながら先へ先へと進んでいく。

 以前のような暗中でもなく、相手が武器を持っていないことは熱で確認済み。守るべき聖女も、部屋にて魔女等に守られているのであれば、もう無理に気を張ることはない。そう、バジルは考える。

 満月の下で、狂うものもある。果たして、彼のその判断は正しいものだったのだろうか。

 バジルは先頭を歩んでいたアンナが振り向いた際の、作られた笑顔の質が先程までと異なっていたことに、気付くことが出来なかった。

 

「バジル君」

「何だ?」

「ん」

「っ!」

「……ふふ、痛い、なぁ」

「汚えな。何、しやがる……!」

 

 唐突に行われたアンナのその行動に、バジルは激高する。あっという間に近寄られ、そして頬に触れられて、そして重ね合わされた唇。覚えてしまったその感触が、あまりに気持ち悪いものであり。

 バジルは、噛みちぎったアンナの唇の一部を吐き捨て、彼女を睨みつけた。

 

「キス?」

「何でそんなこと……っ」

 

 その手の水色が騒ぎ出す。だが、バジルが凍らしアンナを停めてしまう前に、彼女はまたこの上なく、彼に近づいて。そして、少年の唇をつん、と突いた。

 

「また接近を許しちゃった。そんなに簡単に人を信じていると……大切な聖女さんを守りきれないわよ?」

「てめえ!」

「日常はキミには、温か過ぎるわ」

 

 彼の間近、凍える温度の中で、アンナは断言する。聞き、バジルは苦味より苦いものを、嚥下した。

 

 

 そんなこんな。大体の事態を、聖女と魔女は見ていた。

 会話の仔細は聞こえずとも、見て取れたバジルのその剣幕だけで、驚くべきものがある。隠れてグミとピーピングをしていたパールは、口を押さえながら言葉を漏らす。

 

「あわわ、修羅場?」

「……一方的だし違う、かな」

「グミ?」

「何だか、ボクにはあの人、強めのお薬って感じがするよ……」

 

 悪い人じゃないといいのだけれど、とグミはぶるりと震えた。そんな、少女の恐れに、パールはなんと言えばいいか分からない。

 

 薬も強め過ぎれば総じて毒に変わる。そのことを、パールは知っていた。もしかしたら、そうなのだろうか。だが、そんな予想からは目を背けて、今にも喧嘩を始めそうな二人に走って近寄る。

 

「二人共、喧嘩はやめてー」

「……パールか」

「ふふ……」

 

 そして、聖女は事態が決定的にならないように奮闘した。強すぎるバジルの視線から庇うために背中の後ろに隠した彼女の笑みの甘さの毒々しさに、薄々気付きながら。

 

 

 




 果たして、アンナは何者なのでしょう?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 素直とマイナス

 ちょっと今回はあのタグを意識しました!
 なんと彼、再登場です。


 彼女の中の彼は、盾たろうとする彼を思う。だから、今回表に出た。

 

 そんなに引っ付いたら、逆に危ないよー。

 バジルは、もっと自分を大事にするの。

 

 仕方ないなぁ。バトンタッチ、だね。

 

 だから、彼女が考えたのはこれくらい。後は補足にて語ろう。

 

 

 

「バジルー。そんなに引っ付いたら、逆に危ないよー。恥ずかしいし」

「……お前がどう思おうか、知ったことか」

「むむっ、ボクを差し置いて、ずっとパールを独り占めして。バジル、ズルい!」

「……他人にどう思われようが、知ったことじゃない」

 

 診療時間を終えた後の、暮れ始めの買い物道中。銀の少女に、金と青がぴたりと張り付く。周囲はそれを微笑ましく、姉弟か友達同士の交わりと見るものも多い。だが、彼彼女らと懇意にしている商店の者などは、少し奇妙に思う。それは、何時もより、パールとバジルの距離が近すぎることから。

 照れ屋のバジルがパールの側で冷たい表情をしているのは、異常なことだった。鉱山帰りにそんな様を目撃したボーラー等は、仲に進展があったにしてはどうもおかしいと仲間と噂すらしている。聖女と彼は、夕飯時の話題になるくらいには有名だった。

 

「むう。どうしてこんなに頑固に育っちゃったのかな? お姉さん悲しい」

「ふん……」

「全く、アンナさんにキスされたことがそんなにショックだったの? でも、だからってパールを束縛するのは、バジルらしくないな」

 

 ボクじゃないんだし、とグミは繋げた。自分の子供を自覚している辺り、中々に厄介である。そこら辺を、普段のバジルなら突っ込むところであるが全てを無視して、ただ冷たく言い放つ。

 

「オレらしさ、か……そんなものは、必要ないんだ」

 

 盾に必要なのは、装飾よりも強度。そんな事実を、バジルは思い出す。日々を楽しむこと、それすら今の彼には無駄なものに思えた。

 そんな、ひねた弟を、姉は許さない。間近の丸い顔をぴしゃりと両手で挟んで、パールはバジルと目を合わせる。

 

「……何だよ」

「ダメ。バジルは、もっと自分を大事にするの。守ってくれるのは嬉しいけれど、それで貴方の今が損なわれてしまうのを、私は許せない」

「お前が許さなかろうが、オレはお前を守る」

 

 真っ直ぐな言葉は、しかし氷の少年の心を動かすところまで行かない。愛を知って、尚それを拒絶するのは、どれほどの痛苦なのだろうか。しかし、その痛みを、バジルが表すようなことはない。

 

「バジル……」

「……お前を守れなかったら、オレは……それこそただの『マイナス』だ。それだけは、嫌なんだ」

 

 それは、少年の本音。自分の臆病故に肩代わりさせてしまったことで、パールの多くを失わせてしまった、そのことに対する後悔は、深い。それこそ、幾ら努力し魔道を極めようとも、そのトラウマが癒えるようなことはなかったのだ。

 

「そんなこと……わ」

「ったく……」

 

 そんな暗く沈んだバジルの上で、氷の花が咲いた。それは、少し離れて様子を望んでいたグミが放った魔法を彼が防いだ結果である。

 はらりはらりと、水から氷に変じた花状の魔弾は解けて宙に消えていく。季節外れの粉雪を被りながら、バジルは下手人の方へと向いた。

 

「……何すんだよ」

「空中に水が含まれていることをイメージするといいってパールに教えてもらったから、バジルの真似して水を撃ってみたけど……やっぱり、停められちゃったか。頭冷やさせるの、失敗!」

「オレは、これ以上なく冷えてるぞ」

 

 おどけるグミの前でも、バジルは何も変わらない。魔女の冷たい目を幾ら受けようとも、固く凍った意思は動かなかった。そのつまらなさを嫌って、彼女は言葉を放る。

 

「ふん。そんなニセモノの冷たさにのぼせているようじゃダメだね……結局、バジル、自分のことしか考えていないじゃない。そんなヤツ、ボクは知らないよ!」

「……ああ、そうかよ」

 

 それは、痛撃。バジル本人も、守らんとするその全てが、自分の満足にパールを付き合わせているだけと、そう思わないことはなかった。しかしその辛さでも少年は動かない。

 自分の苛立ちに耐えきれず、走り去るグミ。それを見送るバジルの目の色は薄い。仕方がないと、彼は静かに思うばかりだ。

 パールの法衣の袖の端を掴みながら、バジルは姉貴分をついと見上げる。彼女は揺らぎ一つないその碧に心細げな少年の思いを幻視した。

 

 ここまでバジルがこじらせた原因は、明らか。アンナの、このままでは守りきれない、という指摘のためだった。幾ら、口にした本人をパールから離そうとも、不安は拭えなかった。それもそうだろう、既にバジルの中に、アンナの毒は染み付いてしまっているのだから。

 

「はぁ」

 

 暮れの先に夜を覗いて、パールは早い解決が肝要と思う。だが、思いついた最後の方法に、彼女は乗り気になれなかった。

 自分では思いをそのままぶつけるより他に、言葉が浮かばない。それで無理なら、自分以外に頼むしかないのだろう。そう、パールは思う。自らの力不足が、どうにも悩ましいところだが。

 

「でも、仕方ないなぁ。バトンタッチ、だね」

「ん?」

「……はは。おお、柔らかいね」

 

 妙なことを呟いたと思えば、急にパールはぽんと、バジルの頭に手の平を乗せた。

 彼女がおっかなびっくりに、撫でる手は優しい。だが、それが何故かバジルには不快だった。しかし僅か顔を歪めてされるがままで、しばらく彼は待った。

 そして、しばらく後に、手が止まって。向けられた笑顔の違いに、バジルはそれを確信する。

 

「……よしよし。よく頑張ったね」

「……パールがオレを撫でることはない。一度嫌がってから、ずっとそうだ。誰なんだ、お前」

「素直だよ。よろしくね」

 

 昼と夜の間、目抜き通りに人も通らぬ隙間の時間。逢魔が時に、あり得ざるものが顕になった。

 どこか怯えた視線を向ける少年の前にて、彼女の中の彼は、綻んだ。

 

 

 

 

「スナオ……それが、あの時からパールに混じり出した異物の名前か」

「うーん……異物というか、前世というか、何というか……」

「前世?」

 

 前の世。この世界この時代では、あの世すら定義不足でふわふわとしたものであるからには、輪廻転生など早々理解できる代物ではなかった。よく分からないという表情をしたバジルの前でパール、いや素直は不明な説明を始める。

 

「そう。少し前まで、一挙に失くなってしまったせいで、今と前が混濁しているような、そんな感じになっていたんだ。ようやく最近になって、ちゃんと繋がることが出来たみたいだけれど」

「……なるほど。だから近頃パールの口から意味不明な言葉が出るのが増えてきたんだな」

 

 幸い、バジルの頭の回転は、それほど悪いものではなかった。つまりコレは、異物でなくパールに元から入っていたもので、自分のせいでそれが引っ張りだされてしまったのだろう。彼は、そのように解した。

 

「つまり……オレのせいで、もう、パールは戻れない、っていうことか」

「はは。馬鹿だねー、バジル君は」

「違うのか?」

「ううん。大体合ってるよ。ただ、その感じ方は間違ってる」

 

 人生は真っ直ぐ一本道で、戻れることなんて殆どないのにね、と言いながら、素直はパールの顔でふんわりと笑んだ。どきりと、バジルは胸を痛める。

 

「どういうことだ?」

「あのね。バジル君はマイナスに捉えすぎ」

「その、どこが悪いんだ」

「それって、彼女の覚悟を、そうなってまで助けようとした思いを、キミは否定してるんだよ」

「なっ」

 

 思わぬ言葉に呆気にとられたバジルの前で、自己犠牲が正しいっていう訳でもないのだけれどね、とまだ素直は繋げる。

 

「人生に選択肢なんて、ない。この子、パールはこうなるしかなかったんだ。だから、僕と混ざった後でも一切後悔はしていないよ。それを勝手に悲しむのは、僕が許さない」

 

 その断言は、誰より聖女の心を知っているがためのもの。誰よりもパールを想った言葉を受け、苦し紛れに、バジルは言う。

 

「……よく、口が回るもんだな」

「この子、普段あんまり深く考えたりしないから、僕が考えるしかないんだよねー」

 

 僕も考えるのは得意じゃないんだけれど、と胸に手を当てながら、その中の素直は言う。

 

「皆に手を伸ばすことが本来許されない僕は、だから内でずっと考えていたんだ。折角の機会だし、言葉に嘘入れない。ただ、好きなバジル君のためを思って語ったんだ」

「好き、か。初対面の相手そう言われると、何だかむずかゆいな」

「お、いい表情になってきたね」

「そう……か」

 

 はたと今気付いたかのように、バジルは自らの微笑に手を当てる。だが、これも当たり前の変化かと、彼は思う。自虐するのがパールの想いを汚すことになるなら、一切することはない。ならば、目の前の関係薄い筈の初対面相手に好きを伝える変人を、笑う方がいいだろう。

 

「はは……ありがとう。お前のお陰で、オレは罪人ではないことに気付けた」

「そっか」

「なら、あがなおうと必死になることはない。オレだって死ぬまでパールを守ると決めていたりするが……そのために、オレの人生まで使う意味はないんだ」

「うんうん。ひょっとしたら、アンナさんだって、そのことに気付いて欲しかったんじゃないかな? 薬が強すぎただけで、さ」

「それは……どうだかな」

 

 流石に、あんまりな決めつけには言葉を濁さざるを得ない。やけに人を信じすぎる、無垢なところはパールと変わらないのだな、とバジルは思う。素直のその、姉貴分と少し違った笑顔に、彼は惹かれる。

 場が和んだその途端、くらりと素直が揺らいだ。それに伸ばしたバジルの手は、制された。

 

「おっと。あり得ない筈の僕が表に出過ぎたね。ちょっと疲れたよ……」

「戻るのか?」

「失くなる訳じゃないけど、また一つに戻るよ」

 

 僅か、困ったような笑み。思えば、素直は現れてからこの方、バジルのために笑ってばかりだった。喪失感が、胸に来る。

 

「待て。確か、スナオって言ったよな?」

「うん」

「オレ、お前も結構好きだよ」

 

 バジルは素直を男と知らない。だから、はにかんだその笑みは、気になる女の子に向けたもので。

 

「……ありがとう」

 

 だから告白を受けて、少し複雑な表情をしながら、素直はそう答えた。来る雑踏に紛れるように、彼は、消えていく。

 

 

 

「……ふふふ。私を薬にしてしまうとは、やるものね」

 

 彼も、面白い。バジルに見つからぬよう人に紛れ込みながら、アンナはそう呟いた。

 

 

 




 うじうじは一回でお終いです。
 アンナさんは何を知っているのでしょう?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 マイナスと熊の手(または薬毒と王)

 少し、新たな試みを。


 

 今回、彼でもある彼女は、主役たり得ない。ただ、相も変わらずここにある。

 

 あわわ。アンナさん、頭下げさないで下さいよ!

 治しましょうか?

 わっ、何か格好いい。

 

 だって今、幸せですから!

 

 果たして聖女の輝きは、闇を照らすのか。それは、補足してみなければ、分からない。

 

 

 

 贅を凝らした中にて、愛に抱かれ夢うつつ。濃い赤毛の少女は、この世のものとは思えないくらいに上等なお屋敷のベッドの中で、母の温度に包まれ安堵していた。

 誰もが羨む、そんな幸せの中。しかし少女の耳は優しさでくすぐられることはない。冷たい声が、ただ彼女の内へと響いていく。

 

「……貴女も私も出来損ない。愚かなあの人だって、何も変わらないわ。だから、どれだけ尊い血を持とうと、王になることなんて出来やしない」

 

 母は、自分の手に張り付く、子供の指先を包み込みながら、そう語る。薄い肌色同士が重なり合うその様子が、どうしてだか、どこか淋しげだった。

 

「でも、そんな私達は、王を選ぶことが出来る」

 

 うたうように、紅色の母は、そう言う。相変わらずの冷たい音色の中に、僅か熱が篭ってきたような、そんな感を少女は覚えた。

 

「私には無理だった。でも、貴女は誰よりも素晴らしい、王を立てるのよ」

 

 そのためにも貴女は、全てを認めなさい、と母は告げる。

 

「そして最後は、毒すら呑み込む、毒になるの」

 

 私のようにね、と言って、母は子を覗き込む。黒々と、洞穴が少女を見つめる。うとうとと、細い目を凝らして受け取った恐るべきその漆黒を、彼女は羨ましくすら思った。

 そして、これが母の遺言になるとは思わず、安心しきったままに、睡気に呑まれて少女は眠る。だから、その後にあったものと覚えている言葉は、彼女の心が創ったものか。

 

「おやすみなさい。ふふ……愛しているわ。幸せになりなさい」

 

 いかにも母と子の間に有り得そうな、そんな言の葉。しかし、一葉もそれが彼女の前に落ちることはなかった。少女は一度も言われたことのない、そんな言葉を、ずっと望んでいたのに。しかし、そんなものはあり得なかったのだ。

 

 

 だって、本当は。

 

「眠るのね。はは……この世に呪われなさい、私の憎悪の結晶よ」

 

 そんな呪言で、寿がれていたのだから。

 

 

 

「ごめんなさい、バジル君とパールちゃん。余計なお節介で、貴方達を困らせてしまったみたいで」

 

 その声は、どこか冷たさを孕んでいたが、真摯な思いをたたえているようにも聞こえる。

 パールより少し低い位置にあった、豊かな赤髪蓄えた頭が下がった。それを、バジルは当然のように受け容れるが、しかパールはそうはいかない。

 

「ふん」

「あわわ。アンナさん、頭下げさないで下さいよ!」

 

 バジルは完全にアンナを敵と見ているが、しかしパールは全くそう感じていなかった。銀髪を乱し、聖女は年上だろう女性の謝罪に右往左往し、やっと上がった顔にほっと一息。

 偶々合った深い黒目を、綺麗と受け取った。

 

「やっぱり、許してもらえないかな。それでも……少し、言い訳をさせてもらえる?」

「はっ。さあて、どんな嘘が飛び出てくるんだろうな……ぐおっ」

「バジル! どうぞどうぞ。アンナさんの行動に、私達も理由がないなんて思っていませんから!」

 

 その大きな胸でろくなことを言わないバジルの頭を押さえ、パールは先を促す。顔を真赤にする少年を見て、アンナは微笑みながら言う。

 

「ありがとう。どうして私がああいうことをしたか、簡単にいうと……それは」

「それは?」

「バジル君が可愛かったから、ね」

「はぁ?」

 

 真っ赤な嘘にすら思える素っ頓狂な発言によって、バジルの注意はアンナへと移る。彼女は、疑問の視線を指先で誘導して、口元に持っていった。

 

「必死に守らんとするその背中が可愛くて、ね。つい押してみたくなっちゃったの。そしたら……ふふ。ワイルドだったわよ」

 

 そして、アンナは紅と共に傷口を舐める。艶めかしいそれに、バジルは眉をひそめた。だが、バジルはいやらしさをまるきり受け取らず、ただその痛みの心配をする。

 

「あ、痛そう……治しましょうか?」

「せっかくのパールちゃんの申し出だけれど、嫌よ。何せ、これはバジル君が私の身体に刻んでくれた大切なものだから」

「変態め……」

 

 発言の、そのろくでもなさから、疑念から軽蔑へとバジルがアンナを見つめる視線は変わっていた。勿論、それは彼女の思いの通り。

 一度触れて柔らかい赤髪を跳ねさせてから、何やらアンナは手持ちのバッグから紙袋を取り出す。辺りに何やら、ぷんとほどよく焼けた肉の匂いが広がる。

 

「でも、それで貴方達を必要以上に困らせてしまったのは申し訳ない、と流石に私も思ったの。それで。私、訊いたのよね。どうすればバジル君が許してくれるかな、って。パイラー神官に」

「ふん。オレをそう買収出来ると……」

「はい。アブラグマの手」

「本当か……マジだ。わーい!」

 

 眼の前で広げられたペパ(カミガヤツリの茎を加工した紙のこの世界での呼び名)の中身を見たバジルは、態度を急変させた。それは、確かに少しソテーやら加工された様子の彼が知る熊さんの手だったから。

 アブラグマ。それはハイグロ山脈の高地に棲む弱肉強食の頂点。やけに油分を蓄えたその肉はバジルの好物であり、また故あってタケノコに挑んだ際に彼を助けた思い出深い食材資材でもある。代わりになってくれるモノが居ない今となってはパールの守護を優先させるために遠出は出来ず、狩りすることなど望めなく。そんな中、こと世に中々出回らない珍味である手の平の部分を食べることの出来る機会が巡ってくるとは、彼も夢にも思っていなかったのだ。

 そんな男の子の欲望は更にバジルの心を曇らせる。ここまで好きなものがあるとは知らず、パールは胸の下から抜け出した彼を見る目を瞬かせた。

 

「バジル?」

「でけえ。コレ、かなりの大物から取ったもんだな。毛ちゃんと抜いてあるし、それに何だか柔らかそうだな……」

「面倒な下ごしらえも大体済ませて貰っているわ。……コレは誠意になるかしら?」

「なるなる。許してやるよ! うまそー」

 

 快諾。意外とバジルはちょろかった。

 紙袋を奪い取り、バジルは慌てて水色の指先から色味を伸ばして戸を開けたと思いきやそのままアンナの部屋から走り出す。充満していた香は逃げ出し、辺りには沈黙が降りた。

 呆気にとられたが、取り敢えずは、とパールは姉貴分として貰い物の心配をする。

 

「良いんですか? 高かったのでは?」

「値段は気にしないで」

「そんなわけには……」

「お金は巡るもの。何時か戻ってくるけれど、バジル君の機嫌を取れるのは、今しかないから」

「わっ、何か格好いい」

 

 大人は凄いなー、と思いながらパールは両手を叩く。アンナも、心なしか自慢気だ。そんな緩い雰囲気の中に、青こけしが飛び込んでくる。

 彼女、グミはバジルの持ち物に驚いて、現場だろう場所へと向かったのだ。周囲を見回し、そして彼女はアンナと目を合わせ、直ぐに下へと逸した。

 

「何か、でっかな手を持ってバジルが……アンナさん……ここ、アンナさんの部屋だから、当然か……」

「あら、グミちゃん」

「アレ、与えたの貴女ですか?」

「そうだけれど……」

「やっぱり……お父様と一緒だ……ズルい人ですね!」

 

 その反抗心は、人形だった頃の思い出から湧いて来る。毒々しさは、似通うもの。甘さこそ、骨を抜くための基本である。それを思い知っているグミは、何かアンナがバジルに対して企んでいるのではと、勘違いした。

 だから、そう言ってグミは逃げ出す。狂喜乱舞して出ていったバジルを、心配して追いつくために。

 これは、アンナも正味、予想外であった。彼女は少女の恐れほど、バジルを利用尽くそうと思っては居ないから。

 

「今度はこっちに、嫌われちゃった、かな?」

「アンナさんなら直ぐに、打ち解けますよー」

 

 そう口にしたパールの言葉は軽い。だがしかし、まるでそれを受けとめるためのように、アンナは目的へと向く。

 聖女の心和ます微笑みに、快いものを感じてしまっていることに気付きながら。

 

「ねえ、パール。貴女は何か欲しいものはある?」

「欲しいもの……ないですね!」

「本当?」

 

 それは、正に意外。私利か、そうでなくても聖女らしくパールは皆の幸せなどを望むものかと、アンナはそう勘違いしていた。

 だが、パールは続ける。

 

「だって今、幸せですから!」

 

 今、とは何時か。それは、自分と居るこの時間のことなのだと、アンナは遅れて気づく。

 それはただの戯言ではない。間違いなく、少女は今を全身で楽しんでいる。そう、アンナが理解できたのは、曇り一つない彼女の瞳から。

 きっと、パールは余計なことは何も考えていないのだ。だから、ただ今ここにあることを喜べる。それは、とても幸せなことで。眩いほど美しくもあり。

 

「そう……」

 

 そんな心を毒々しく、歪めたい。アンナはそう思ってしまう。それは、歪んだ性根に寄るもの。だが、それをアンナは呑み込んで。

 

「ならこれからもっと、皆で幸せになるといいね」

「はい!」

 

 それこそ、パールが聖なるままに天上にまで届けばいいと望み、そして、何時しか彼女に全てを引き上げて貰うように、願う。

 雑念一つなく、聖女に匹敵する程に薬毒は純にそう思うのである。何しろ、アンナの欲しいものなど、借り物のそれしかないのだから。

 

 

 

「美味い!」

「美味しー、ぷるんぷるんだ!」

 

 そんな問答が起きているとはつゆ知らず。ソテーしごま油をベースに作ったソースで味付けした熊の手。それを分け合い、口に入れたバジルとグミは、その美味を称え合う。

 彼らの脳裏は舌で蕩ける肉を味わうことに夢中になって。

 

「わ、グミとバジルが抱き合ってる」

「そういう仲、だったの?」

「ちっちゃい子の抱擁を見てると、何だか和みますねー」

 

 感動を分け合うためにくっつき合うことまで始めた彼らは、パールとアンナの目に入り、揶揄までされるが。

 

「この、舌の上で旨味となって消えてしまう、それが最高なんだが勿体無いな! なんて贅沢だ!」

「何ていうんだろ。甘くもあるし、それでいて塩辛さを容れていて……こんなお肉ボク、初めてだよ!」

 

 そんな最愛と疑念の声すら、届かないようだった。

 

「あはは」

「ふふ……」

 

 流石に、これにはパールだけでなくアンナも、心から笑ったようである。

 

 

 




 混ぜこぜにしてしまいましたが、ほのぼの……と暗い話。果たしてどちらが印象に残るのでしょうか。
 バジル君は、アブラグマが色々な意味で大好きです。毛皮でぬいぐるみを作って隠していたりしますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 聖女と告白

 また実験的で特別な回です。
 ちょっと補足さんが頑張ったので、新事実がぽんぽんと出てくるかもしれません。


 彼を内に秘めた彼女は自分がどう思われているか、それを知らない。自覚しない。

 

 ごめんなさい。

 こんなの、っていうのはないよお。

 ボーラーさん!

 

 私は馬鹿じゃなーい!

 

 今回は、その多くを語ってみよう。今まで省いてきていた彼らの思いを補足することで、判ることもあるに違いない

 

 

 

 ライス地区はハイグロ山脈の山裾からポート川に至るまでをその範ちゅうとした、タアル伯が治めている土地の中でもそれなりに人口の多い地区である。高低差の激しいその広い土地は豊富な自然に恵まれていた。

 オリハルコンを中心とした金属資源の採掘を仕事とする人間、川辺にて水車を用いた製品加工に従事する職人や川魚を捕らえて卸して生活の糧を得ている漁師などが集まることで、ライス地区の中心街は昼から夜にかけて大変に賑わうようになっている。

 自警団等によって、ある程度の治安は保たれているとはいえ、怒号ともとれるほどの喧噪や半ば暴力的なまでの客引きなどは無くなりようもない。狭い中に人が集えば自ずと険が出て、騒動もよくよく起きる。拳の応報なんて、可愛らしいもの。刃傷沙汰に沸くことすらあった。

 だが、そんなある種の無法地帯のような場所にも、美点一つないという訳ではない。多種が飽和しているその様子はまず、面白い。それに、時に衆目笑わせる道化が現れたり、思いもよらぬ奇態が巻き起こったり、他にも思わぬドラマが生じたりもする。

 そして今、中心街の真ん中にて、悲恋が生まれた。

 

「ごめんなさい」

「そっか……そりゃあ、そうだよな。あはは。ゴメン」

 

 月の銀を糸にしたかのような、美しい髪が左右に振られたことで、辺りには様々な感情が巻き起こる。青年の告白は、玉砕に終わった。

 面白い見世物だったという喜色に、残念だという思いに、ざまあみろという侮蔑。多くのざわめきの中、しかし誰も告白の結果について異論を述べようとするものはない。そう、少女の拒絶に、周囲の大体は納得していたのだった。

 それほどに、愛を受け容れなかった彼女、パールは浮世離れした美しさを湛えていたから。青年の諦めの言葉を受けてから少し経ち、聖女の果肉の如くに柔らかそうな唇が、再び開けられる。

 

「別に、私、ビーニーが嫌いとかそういう訳じゃなくて……その気が起きないのに、はいとは言えないというか……」

「いや、それ以上は言わないでくれ。俺が、惨めになる」

 

 少女の困惑も、笑窪と同じで愛らしい歪みにしかならない。青年、ビーニーにはパールの平凡な法衣姿すら、神聖この上ないものに映る。

 その美を見上げるのは苦ではない。パールが自分より長身なのも当たり前のことだろう。聖なるものが天に近いのは自然なことだ。そうまですら、ビーニーは思う。だから、彼女の時間を奪い、慮られることすら恥ずべきことだと、彼は考えた。

 もはや崇拝に近い感情。それは、この場の多くに共有されていた。何しろ、度を越えて美しい少女はその心根まで綺麗なものと周知されているのである。そんなものが、現し世にあるとは、誰も思えなかった。

 パールはその故をもっともらしく語られたために、パイラーが考え広めたものと勘違いしているのだが、聖女という呼び名は、彼女の有り様を見た者が称えるために口にしたことから自然に生まれたもの。

 素直の時点でアイドル顔負けであるならば、パールはもう偶像そのものだ。対するに正しい態度は、身分をわきまえ、離れて頭を垂れること。

 だがしかし、その美しさばかりで人集りに穴を空けているパールのその隣で、少年を嘲る小さな姿があった。それは勿論、バジルである。

 

「ふん。なら、こんな野次馬の注目の中でフラれたのは、惨めじゃあないってことか?」

「バジル……いや、確かにそうだな。そもそも、パールの目にはお前やモノばかりが映っているというのに、もしかしたらと考えてしまった俺は、最初から惨めったらしい男なんだろう」

「こんなのを、そこまで想ってしまう時点でオレには惨めに思えるがな」

「もう、バジル……ホント、ビーニーに冷たいんだから! それに、こんなの、っていうのはないよお」

 

 パールとバジルは夫婦漫才を繰り広げ。そして、ビーニーは二人の世界を直視できず、頭を下げるかのように視線を下ろした。

 一見で、彼らは恋人や兄弟、せめて親しい友人同士の様に見えるだろう。二人だけを切り取れば、微笑ましくすら思えるかもしれない。世界が違う。それは判っていたことだ。パイラーが育てた孤児三人は、誰も彼もが特別で。そして、結びつきが強かった。物語の登場人物のような彼らを、少年はただ羨望で見つめていたばかり。

 それこそ、嫉妬からバジルに悪口と石を投じたことすらある、そんな自分がパールによく思われている筈はなかったのだと、ビーニーは思う。

 そんな、青年の傷口を見てはいられずに、げに恐ろしき五本指の魔法使いに口を出した、大柄の中年男性が一人。そんな勇者の姿に、知らず辺りは湧く。彼、ボーラーは鉱山で働くものなら誰もが知っている身近な有名人。なるほどこの人ならば、と考える者は多かった。

 そんな注目を感じながら、どうしても覚えてしまう『マイナス』という呼び名が付くほどの魔法使いに対する恐れを隠し、平気を装ってボーラーは大声を張る。

 

「ったくバジル坊は惨めというが……そんなこたぁねえぜ。誰が何と言おうとおいらが認めるさ。そもそも、女を振り向かせようとするのが、どうして恥ずかしいんだっての。ビーニー、お前は男らしかった!」

「親方……」

「ボーラーさん!」

「おっさんか……また熱苦しいのが出しゃばって来たもんだ」

 

 パールは知り合いのおじさんの登場を歓迎するが、そんなボーラーの中の弱気も見通して、バジルは冷たい目を向ける。彼のそんな氷点下の視界に入った全ては停止したかのように、沈黙した。

 どうしようもない青さに内心怯えを感じるのを認めながら、数多い弟子の一人でもあるビーニーを乱暴に撫で付けて、彼のためにボーラーは揶揄する。

 

「……そんなバジル坊は、随分と冷てぇな。パール嬢ちゃんが取られそうになったのが、よっぽど嫌だったのかい?」

「そんなことはない。ただ、ムカついただけだ」

「何がだ?」

「お前らの誰もが、この馬鹿のことを理解していないってことにな」

 

 そして、周囲の温度は消えた。それはマイナスの魔法が使われたと、そう勘違いしてしまうくらいの殺気をバジルが、発したからだ。こいつが居さえしなければ、という悪意に慣れている彼は、だが純にもそれを気にしてしまい。そして、何よりパールに向けられる悪意なき隔意に対して敏感だった。

 誰もが、死を彼女に匹敵する程よく知る少年の意気を恐れて沈黙する中で、それこそ呑気にパールは口を開く。

 

「私は馬鹿じゃなーい!」

「いて」

「バジルのバーカ!」

 

 ぽかりと、絶対零度の少年の頭を遠慮なく叩いて、聖女はふざける。そんな様もまた彼らの理解の外のもの。またまた少女は人々の遥か高みにあるものだと勘違いされていく。バジルの望みとは正反対に。

 

 

 

 グミ・ドールランドは美少女である。小さく忙しない、その動きの全てが愛らしい。思わず魔のものと疑ってしまうかのような、人々についつい親愛を寄せられてしまうような魅力が彼女には備わっていた。

 だから、グミがそこら中で可愛がられるのは、当然とすら言えた。青い短髪をふりふり、辺りを見回しながら彼女はつい先程知り合ったばかりの女性に手を引っぱりながらライス地区を疾走する。

 

「ま、待って、グミちゃん。もう少しゆっくり駆けて……」

「チョコさん、足おそーい」

「グミちゃんは小さいからいいのだろうけど、人の隙間を縫うのは私には大変で……」

 

 まるで二人は親子のよう。そこに、魔法使いと一般人の間にある、隔意は見当たらない。いや、既に出来るものならばグミを娘にしたいと思っている女性、チョコは童女のその左手に秘められた危険性を忘却していた。

 それ程までに、少女は魔なのである。

 

「なら、休もうか。ボクも、ちょっと疲れちゃった」

「助かるわ……はぁ。私にもグミちゃんみたいな子供が居たらなぁ……でもこればっかりは授かりものだからねえ」

「チョコさん、子供いないの?」

「ボーラー……旦那さんのことね。彼は沢山子供が欲しいって言っていたのだけれど……今じゃ、彼のお弟子さんのお世話をするので手一杯。でも、一人くらいは……」

 

 ある程度走って落ち着いたグミは、道端に置いてあった木の椅子に勝手に座り、もう一つの空いたところをぽんぽん叩いて、チョコに休憩を促す。そこに座した彼女は、知らず身の上話を呟いていた。出会ったばかりの少女に、自身の深みを語るその異常さに、まるで気づくことなく。

 

「なら、今だけボクを、子供だと思えば?」

「嬉しい……けど……」

「お母さん!」

「グミ!」

 

 ひっしと抱き合う二人。それは正しく、子と母の構図。その後も、ごっこ遊びは加熱していく。撫でて、つついて、距離はどんどんと近くに。しかし、チョコの黒髪を弄りながら膝の上に寝転がるグミを見て、はたと彼女は思う。

 

「あれ、そういえば私達、何時何処で出会ったの?」

「ふふ……そんなの、気にしないでいいじゃない。お母さん」

 

 そして、チョコはぞっとした。髪の根元。こんなにも近くに、水色と土色の二色があることに。笑顔の少女に惑わされて、どうして自分はこうも急速に砕けてしまったのか。何時も守っていたはずの厳格さは、果たして何処に。

 

 お人形遊びは、童心でなければ楽しめない。だから、彼女が我に返ったここで、お終いだった。

 ぴょんと、飛び降り離れたグミは、後ろ姿のまま、チョコの疑問を聞く。

 

「グミちゃん……貴女は何なの?」

 

 それに対する答えは一つ。首だけ振り返って、斜めに世界を見ながらグミは言う。

 

「ボクは、天才なんだよ」

 

 魔法少女は、くすりと笑った。

 

 

 

「聖女にマイナス。そして魔人のお気に入り。更には、未来の勇者までここに居たというのだから……怖いものね」

「そう、思いますか」

 

 それは神々しさの演出のため。教会には採光部が多かった。四塔教に暗黙の了解として認められている、光に溢れるこの無名の教会にて、アンナはパイラーの前で内の恐れを告白する。

 

「あり得ない、そんな全てがここに集まっている……果たして、これからどんな特別な何が起きようとしているのかしらね」

「それは判りません……ただ」

「ただ?」

 

 黄金の神官は神に近いほど尊い血の持ち主の前で勿体振ってから、予言をする。一つばかりの、確信を持って。

 

「その特別をすら、あの子は日常にしてしまうのでしょうね」

 

 言い、一歩窓辺に近づいて。そして彼の姿は光に溶けた。暗がりに、アンナだけを残して。

 

 




 ちょっと今回は、地の文多めなこの作品以外での普段の書き方をしてみました。
 意外性と驚きを届けることが出来ましたら、嬉しいです。

 ただ……そろそろ、ほのぼのに回帰したいところですね!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 聖女と苦労人

 今回は、ほのぼのになったでしょうか?


 

 彼を湛えた彼女は、新たに彼女の友を迎える。魔法使いなのに、あまり使えない彼を前にして、特に何を考え喋るのか。

 

 私、グミがお金使ってるところ、一回も見たことないや。

 ミディアムさーん!

 

 ヤンデレっぽいね。

 ば、爆発しちゃった!

 

 奇怪な発言しかない。これで補足が絶えれば、散漫の集まりになってしまうだろう。それは、あまりに認めがたい。

 

 

 

「なるほど。ウィークデイさんは、中々学園に帰ってこないグミが気になってやって来たのですね。……それにしても、どうして便りでなく自らの足で確かめに来たのか、聞いてもいいですか?」

「はは。何だか付いたばかりの苗字で呼ばれるのはどうにも慣れないな。ミディアム、でいいよ。それで、どうして、かい? まあ、簡単に言えば、妹分が気になってどうせ確かめるなら小旅行も兼ねて直に、っていうことかな」

「アンタ、アイツの兄貴分やってるのか……大変だな」

「はは。そうだね、バジル君、で良かったかな。うん。そうなんだ。グミは、昔はドードー鳥のように大人しかったのだけれど、何時しか元気になってからは、わたしを振り回してばかりでね……学園に同期入学をしてからは、尚更だったよ」

 

 パールとバジルの隣にて、金のショートヘアの柔和な顔立ちの男性、ミディアム・ウィークデイはそう語る。互いが間近の友の友。それを知った彼らの距離は初対面にしては近い。それは、彼が言の通りに、魔法学園に在籍している魔法使いであることも大きだろう。

 右手中指に一本の水色しか持っていない彼が、恐れを感じていないのは、本当は変なことではある。だが、持ち前の性格もあるが、更には両手に六本もの染指を持つ魔人ブレンドを知っていたミディアムに、五本指のバジルに対する驚きに禁忌感は、それほどなかったのだ。

 

「あれ、ということはグミと同じ階なのですか? 失礼かもしれませんけど、ミディアムさんは彼女と十は離れていそうなお兄さんに見えたので」

「はは。よく言われるよ……家の事情でね。パールさんにバジル君は、オオマユって知ってるかな?」

「知ってます! ここいらで一番大手の洋服屋さんですよね。絹糸が王国で一番安いって評判です。その下請けさんに、友達が麻糸紡いで出していたりしますよ」

「まさか……」

「わたしは本来そこの跡取りでね。続く家のゴタゴタで、中々学園行きを認めてもらえなかったんだ。はは、それこそ二十四にもなってからだよ。因みにグミの家……シトラス人形店とはわたしが幼い頃から家ぐるみで懇意にさせて貰っていたね」

「へー。苦労なさったのですね」

「ってことは、アンタ、下手な貴族よりも金持ちなんだな……」

「いや、もうすっぱり家を出る時に、お金とも離れたからね。赤貧とまではいかなくても羽振りはグミと大して変わらないよ」

「そういや、アイツも本当は小金持ちの筈だったな……」

「私、グミがお金使ってるところ、一回も見たことないや。物をねだっているのは見たけど」

「はは。あの娘らしい」

 

 滞りのない、会話。近しくない相手には愛想を見せることがないバジルにしては珍しいくらいに、口を挟んだその話は続いていく。どうにも、聖女にすら世の中にこんな綺麗な女性もいるのだろうと認めてしまう、そんなミディアムの価値観も察して、少年は何だか親近感を覚えたようだ。そのため、彼に険は何もなく、むしろ楽しそうですらあった。

 それが珍しい事態であることを知らず、学んで染み付いてしまった笑顔を絶やさぬミディアムは、歩むその先に、小さな影を発見する。霧雨の中、佇むグミ。それを見つけた彼は大きな声で、彼女を呼んだ。

 

「グミ!」

「あ……嘘。ミー兄?」

「そうだよ。わたしはここまで遥々、君を……」

「そうか。ボクを連れ戻そうとやって来たんだね……返り討ちだよ!」

「え、ちょっと、待っ……」

「問答無用! 新技、泥水弾!」

「はは……なんて大きさだ。ああ、コレは……後で総洗濯だな……ぶっ」

「ミディアムさーん!」

 

 そして、グミはミディアムを、学園に連れ戻そうとする魔の手先と勘違い。そうして、地面から吸い上げた泥水を玉として彼にぶつける。

 モアの高さにすら匹敵する程の大きさのそれに呑まれ、ミディアムは一瞬で埋まる。パールの悲鳴が、辺りに響いた。

 

「なるほど妙な親近感、覚えた訳だ……」

 

 そんな無様が何処かで見たように身近であって。アイツも俺と同じ貧乏くじを引くタイプだな、とバジルは独りごちた。

 

 

 

 それは、朝の始まりから小雨滴る一日。流石に、一々雨粒を魔法で固定したりするのはバジルが疲れるばかりであるし、山近くで天気が変わりやすいとはいえ、大量生産されていない傘を用意するほどの雨でもない。ヤギの毛織物、赤い頭巾に四色ショールでパールはあいにくの天気に対応し、ヤギ革製の帽子にコートを着用しているバジルと共に身体を動かせない重体の患者の治療に向かった。

 無事、老人の回復を見届け、そしてしきりに彼らが持たせようとするお礼を何とか突き返すことに成功し、帰る矢先にパール等はミディアムを見つける。そのひょろ長い身体が、人通り少ない道中、雨中にて大変目立っていたから。

 少しうろうろとしていたミディアムに、パールの親切心は刺激され、そうして話を聞いたところ奇遇と知ったのである。そう、彼が求めてそのために動いていたとはいえ、広いライス地区の中でグミを見知った者と早々に出会えたのは、幸運だった。

 

 とはいえ、その後もそれが続くものではなかったが。探していた妹分の手により泥に埋まったミディアムは、発掘されて教会で安堵中。哀れにも、全身の泥を落とすためにバジルに冷水を被せられたことで、着ぶくれした今もぷるぷると震えて。

 そんな不憫な兄貴分の前で、お尻を押さえながら、グミは謝罪した。

 

「ごめんなさい……ミー兄……」

「いや、この通り大丈夫だから、もう気にしていないよ。むしろ、叩かれたお尻は大丈夫かい?」

「ひりひりする……」

 

 パイラーに寄る説教に、パールのお尻ペンペン。それを頂いたグミに、普段の勢いはない。少し暗い様子のまま、少女はミディアムにおねだりをする。

 

「ねえ、ミー兄。ボク、もう少しここに居たい……」

「いや、休学すればいいと思うよ?」

「それ、いいの?」

「まあ、普通は難しいけれど、グミの成績なら許されるみたいだ。ウーロン先生に聞いておいたから、間違いないよ」

「そう、なんだ……やった」

 

 本来の休暇を越えて、戻ってこないグミ。それを心配したミディアムは、遥か東の海からやって来たのだというどこか不思議な魅力のある先生に、退学の処置等について訊いていた。何だかウーロンの自分を見る目が少し怖かったが、それでも覚えていた情報で少女が喜びを見せてくれたのだから、逃げずに我慢した甲斐があったと、思う。

 

「それで、どうしてそんなにこの場に留まりたいと思ったんだい? グミに春が来たっていうならわたしも嬉しいんだけれど……」

「ふっふ。よく聞いてくれました! その、通りだよっ」

「お、ということはバジル君辺りと……」

「違うよ、ボクが愛しているのは、パール!」

「……なんてこったい」

 

 ミディアムは同い年らしい、小さなバジルとグミの淡い恋物語を期待していたのだが、返ってきたのはとんでもない現実。恋慕を思い出したのかくねくねする妹分に、彼はドン引きする。

 

「お召し物、洗って来ました……あれ、何があったんですか?」

「いや、悲しい事実が……」

「パール!」

「わっ」

「だから、一々パールにくっつくなって。お前は虫か何かか」

「本当、なんだね……」

 

 ああシトラス人形店、跡継ぎどうなってしまうのだろうね、とミディアムは呟く。別段、彼は同性同士の恋愛を拒絶はしない。ただ、これが、はしかのようなものでなければ大変だな、とは考える。

 そうして、少しミディアムがどれほどの情があるのか観察していると、喜色にとろとろになったグミと目が合い、彼女はおもむろに、尋ねてきた。

 

「そう言えば、ミー兄。レーちゃん、元気だった?」

「レアは……そうだね。道々寄ってみたのだけれど、元気すぎた。危うく、監禁されかけてしまって……」

「よく判らないが、アンタ、苦労してるんだな……」

「分かってくれるかい?」

 

 異常な単語に、バジルはミディアムが遭ったのだろう大変を察する。その、気遣いの言葉を受けて、微かであるが、二人は互いに友情が生まれたことを感じた。

 だが、よく分からなかったパールは、更に訊く。

 

「レア、さんってどういう方なんです? 恋人さん?」

「いいや。妹なんだけれど……あの娘は少し、情が深すぎて」

「レーちゃん、普段はツンツンしているのに何かあったら異常に過保護になるんだよね……それこそ、俺から離れるなって。管理されちゃうの。こういうの、ツンデレじゃなくて、なんていうんだろう」

「程度が分からないけれど、何だかヤンデレっぽいね……」

 

 ミームに疎いはずであった素直は、何故かどこから知ったのだろうヤンデレツンデレを好んでいた。そのため繋がっているパールが想起出来た、ハイライトの消えた瞳で愛を語る少女の姿。それが、レアの実体にとても即しているものであるとは、彼女が彼女に合うまで、分からなかった。

 

 会話に湧く中。そこに、ギイ、という音を立てながら入り口の大扉を開けて、聖堂に入って来た者の姿があった。茶髪に、度を越えて悪い目つきの蒼眼。彼女は、ユニだった。

 

「休み時間になったから来たんだけれど……今日は人居ないね……あれ、そこのすっごく包まれちゃってる人、誰?」

「ユニちゃん。この人は、ミディアム・ウィークデイさんっていうの。ユニちゃんなら知ってるかな、元オオマユの人なんだって」

「ミディアム……ってあの? わっ、有名人だ!」

 

 ミディアム・ウィークデイは魔法学園に在籍しているワイズマンではあるが、それ以上に洋服問屋オオマユの跡取りとして大いに活躍したことから、地元と同業の者に多分に知られている。それこそ、大店の業態を改善し、大衆のために方向性を変えたその原因が彼であるということは、本人が思っていた以上に有名であったのだ。

 パイラーの冬物服で膨らんだミディアムの前で、こういう顔なんだ、と三白眼を細めてユニは笑顔になった。

 

「出会えたって言ったら、ミディアム……ウィークデイさんのこと語ってた卸しの偉い人、驚くと思います。会えて良かったです!」

「はは……こんなわたしを喜んでくれるのは、どうも嬉しいね。後、わたしはミディアムでいいよ」

「はい……わっ」

 

 その時。ズボンを重ねすぎて垂れた裾。それを踏んで足を滑らしたユニの身体は倒れ込む。間近で起こった危険。それに薄い水色の染指しか持っていない魔法あまり使えないなミディアムは身体を張る他に選択肢を持たずに。

 

「危ない!」

 

 だから、ユニを庇うために、身体を下にするように同じくミディアムは倒れ込む。覚悟していた分、痛みは僅か。むしろ、どうしてだか顔に確かな柔らかさを感じ。

 そして、目を開けたミディアムは意外な豊満を見た。

 

「あ、ありがとうございま……きゃ」

「あ……」

「す、すみません。胸、押し付けちゃって……ミディアムさん?」

「ぶ」

 

 思わぬトラブルに一気に顔を真紅に染めたミディアムの顔から、血の花が咲く。大変な惨劇が、起きた。

 

「え」

「ば、爆発しちゃった!」

「落ち着け、鼻血吹き出しただけだ!」

 

 血が飛散し、慌てる周囲。間近で散華させられた、ユニはこと悲惨である。誰も、気絶したようである、そんなミディアムの容態すら、慮ることは出来なかった。

 ただ、この場で一番に馴染みの彼女は補足する。

 

「ミー兄、女の子に免疫がないっていうか……あれだけモテたのに全然作られていないっていう、変わった人、なんだよね……気にしないようにしているみたいだけど、触れられたらもう、ダメ」

「ああ、コイツも変なヤツ、だったか……」

「ぶぅ」

「居たのかトール……いや、お前も変なヤツの一だからな?」

「ぶぅ……」

 

 悲しむ、トール。この日、ミディアムがダメにした衣服は七組を数えた。

 

 

 




 別名伏線ばら撒き回……となれるでしょうかね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 魔物と親心

 きっとほのぼの、トールさん回です!
 彼はどうして共にあるのでしょう。


 これは、彼なのだろう彼女が飼っているものと勘違いしている、魔物に対して今回語ったこと。

 

 トール、おりこうにしているんだよ?

 わ、トールが笑ってるよ。

 

 もう、駄目じゃない、トール。

 

 この全てがとても優しく受け容れられた故を、誰が察せるだろう。補足しなければ、判らないものと、そう思う。

 

 

 

 元々、トールは、野生のイヌブタの中で頂点の座をほしいままにしていた、唯我独尊な心を持っていたブタである。生まれつきその右の蹄に土色を持っていたことは、少し小ぶりな身体であることを差し引いても、随分なアドバンテージだった。

 マナに届き得るその指の先から魔素を引っ張り込んで、掴め得る染指と同色にてこの世の道理を染め変えていく、それが魔法。先天的であるということは、それが出来て当然ということ。トールは兄弟等と遊ぶことで自然と魔法を学んでいった。

 たとえば、隠れんぼから、迷彩の魔法に、地に落ちた匂い物質を集める魔法を彼は身につける。鬼ごっこからは、地を弾いて加速する魔法に、色味を伸ばして自由に動く方法を得た。そして、天敵だった風色のカラスとの戦いにて、ツブテ飛ばし攻撃に土壁による防御までも思いつく。

 そんな魔法の全てを覚えておける上等な頭も含め、トールは周囲にあまりに図抜けた天才と持ち上げられ続けていた。それは思わず、寂しくなってしまうくらいに。

 

「ぶぅ……」

 

 何も考えず、尊敬を受け取るだけ受け取れていれば、楽だったのだろう。だがしかし、トールは疑問に思ってしまったのだ。これでは、魔法が自分ではないか、と。だから、群れから離れて孤独を好むようになった。

 

 そして、悩める子イヌのようなブタは、ある日、出会う。

 

「あれ。どこで飼っているワン……ブーちゃんだろう。首輪、ないなー。おお、やっぱりちっちゃいね」

 

 何も考えてなさそうに、自分に能天気な笑顔を向ける、太陽のような女の子と。

 

 

「トール、おりこうにしているんだよ?」

「ぶー!」

「良い返事。賢いね!」

「そりゃ、魔物だしな。マナに刺激されてるから、バカにはなれない。トールは多分、パールよりは賢いんだろうな……」

「バジルー……今日のご飯は、パセリニンジン丼ぶりね」

「それだけは止めろ」

 

 青空に浮かぶ雲が鮮やかな一日。パールとバジルは、トールに留守を任せて仕事に向かおうとしていた。普通ならば、動物を離して家に残すのは心配が残るものだが、トールは魔物。ただの動物と比べたら、だいぶ賢い。それこそ、あまりものを考えないパールでは勝れるか怪しいくらいに彼は道理を弁えていた。そこら辺をからかったバジルは、聖女の怒りを買ってしまったが。

 パセリニンジンとはその名の通り葉がパセリで根がニンジンの食物。実に、可食部が豊富な食材だが、その実パセリの癖が全体に行き渡ってしまっていて、好き嫌いが分かれるので有名だった。

 即答の通りに、バジルはパセリニンジンが大嫌いだった。だが、こっそり残ったそれの処理をさせられているトールは当然のように好んでいる。思わず彼は、子供な味覚の少年を笑った。ブタさんは、人間ならばよほど美味に味付けされていなければ、誰だって丼ぶり山盛りのニンジンは御免こうむることを知らない。

 

「ぶ、ぶっ、ぶ」

「わ、トールが笑ってるよ」

「何がウケたんだろうな……しかし人間様のマネごとしている動物って少し不気味だな……っと。もう、そうはしゃくりを喰らわないぞ」

「ぶうぅ……」

「残念がってる……トールは、バジルのことどう思っているのか、イマイチ分からないところがあるね」

 

 バジルに嘲られた。こんなような時のために編み出した新技術、ジャンプしゃくりがその螺旋の回転ごとマイナスによって停められたトールは、非常にそのことを悲しく思う。

 パールは理解出来ていないが、バジルを見たトールの中に常々沸き起こっているのはライバル心である。賢い魔物が、お腹を見せたのは当然、嘘だったのである。

 だがバジルは、飼いブタに自分が同等と思われていることをつゆ知らず。魔法を解除してから手を振りパールを連れて出ていく。

 まあいいや、と切り替えたトールは挨拶を忘れなかった。

 

「それじゃあな」

「行ってくるねー」

「ぶぅ!」

 

 バタンと、閉まったドアを見て、そしてくるりと反転。とてとてと、トールは寝所へと向かう。彼が行き来しやすいように、扉という扉が広げてある、そんなパールの心遣いをありがたがりながら、小さな足をちょこちょこ動かして。

 そして、パールのベッドの足元に辿り着いたトールは、染まった指先からリボンのように色味を伸ばして木製の骨に括り付けてから、それを縮めることによって一気にベッドの上へと登った。

 

「ぶー」

 

 そして、トールは安心した。今日は休養日。人間界の都合など知らない彼は勝手に決めて、快い匂いに包まれ眠ろうとする。だが、それを待たず、大きなその耳元で、声が響いた。

 

「わ」

「ぶ!」

 

 それは、驚愕。ブタらしく鼻も良ければ耳も良い、そんな彼の注意をすり抜け、少女の声が。その不明に驚き、声の方へと向いた彼の目に入ったのは、グミの姿だった。

 

「ふふ、誰もいないと思った? 残念、ボクが居ました!」

「ぶぶぅ!」

「へへー。今日は、トール。君で遊ぼうと思っていたんだよね。一緒に散歩、しよっ!」

 

 頬ずりを受けて、トールはその豊かな黒色を総毛立たせる。どうしてかが分からないまま、不明な存在に触れられるのは、誰だって怖い。

 実は、グミは魔法を使っていた。彼女は、足音を水のクッションで消し、そして匂いを変態させて隠してトールに忍び寄ったのだ。混色三本とはいえ大分疲れるだろう、パレットまで使った高度な平行魔法を一向に苦と思わず行ったそのバイタリティは、確かに恐るべきものがあった。

 

「ぶー……」

「さあ、行くよ……って、自分で染指を隠すように、手に包帯巻いてる。器用だねー」

 

 ブタさんの驚き顔に満足して、グミはトールを外に引き連れんと持ち上げる。仕方ないと思った彼はスカスカの胸元で、色味を伸ばして机に置かれていた包帯を引き込んだ。そして、左腕に巻く。

 パールが一度ちゅーにびょーみたい、と形容したその格好は生活圏に魔物が現れたことを知らせて周囲を恐れさせないための、トールの何時ものものだった。意外と、彼はこの装いを嫌っていない。

 

「あ」

 

 そして、首輪を付け、綱で引かれながらトールはグミと外に出た。だがしかし、清々しい空気を味わう前に前に、目の前にふくよかな女性の姿が。

 ドアに鍵を刺そうとしていた様子だった彼女は、安心させるため、柔らかに微笑んだ。

 

「あ……見当たらないから家に居ないか見てきて、って頼まれたから来たのだけれど。良かったわ。グミちゃんはトール君と元気してたのね」

「カーボさん!」

「ぶぅ!」

 

 そう、大きめな四塔教の法衣を着た女性、彼女はユニの母、カーボであった。グミはその娘へ遺伝しなかった優しげな顔立ちをじっと見つめてから、にぱりと笑って言う。

 

「わー。カーボさん、遊んで、遊んで!」

「ぶぅうっ」

 

 子供のように騒ぎ出す、グミ。自分では足りないのか、と鳴くトールの前で、カーボの笑顔の色が少しだけ、変化した。

 

「ふふ。私には魅力とかそういう人間的なものは、あまり通用しないわよ?」

「……やっぱり、あそこに居る人は皆特別なんだね。残念!」

 

 ただ、酸いも甘いも知り尽くしていただけ。しかし、その量が十分に特別であった。絶望の淀みの如くに内面が安定しているカーボは、何一つ心動かされることもなく、魔女の表の変化を笑顔で迎えた。

 

「それじゃあ、ボクはトールと散歩してくるって、パール達に伝えといて!」

「分かったわ。気を付けてね、グミちゃん。ばいばい」

「じゃあね!」

「ぶー!」

 

 そして、意外とつまらなかったカーボと分かれ、一匹と一人は歩み出す。彼らは足取り軽く、道を自由に行ったり来たり。散歩であるからには目的などなくても構わないのだろうが、その実無駄に歩みながら、人に紛れつつ、グミは探していた。

 そして、裏道でようやく見つけた看板に喜んで、彼女はしゃがんでからトールに耳打ちをする。

 

「ここだ……ふふ、トール今日は驚かしデイだよ。一緒に突っ込もう!」

「ぶぅ!」

 

 乗っかるトール。そして、彼らは酒場に突貫した。中に居たのは二人。若年のマスターは突発的な事態に、何か隠し武器でも出すためか手を後ろに回し、大人の女性は特産の蜂蜜酒を呑み込みながら、目をゆるりとグミ等に向けた。

 そんな女性を発見して、グミは言う。

 

「アンナさん、見っけ!」

「ぶっぶ!」

「……あら。どうして私がここに居ると分かったの?」

「ふふ。ボクの情報網を舐めないことだね」

「ごめんな、アンナさん。俺、ここがアンナさんのお気に入りだって、グミちゃんに教えちゃってたんだ……」

「もう、トリルビーさん。勝手なネタバレはダメだよ!」

 

 拍子抜けして、空手を遊ばせたマスター、トリルビーにぷんぷんと怒りを見せるグミ。そのコミカルさを受け止め、だがしかしもう彼が少女を気安く思うことはなかった。

 

「ふふ。情報をただで売ってしまって良かったの? 信用問題じゃない?」

「グミにしてやられてたってのは、後で気付いたんだが……まあ、良いだろう。どうせアンナさんは俺のことなんて、端から欠片も信じちゃいないだろうしな」

「あらあら。皆、私をどういうものだと見ているのかしらね」

「ボクには、何か虫を食べてた草に見えるね!」

「ぶっ!」

 

 つまりは、食虫植物。お前は約束破りな非道い植物に似ているのだという悪口を言ったグミは、お小言を恐れて、直ぐに逃げ出す。トールも尻尾を巻いて、後に続いた。どうやら彼も同意のような言葉を吐いたようである。

 バタンと閉まる扉。だがしかし、怒りも何も、アンナはグミが現れて後去ってからも何一つ動的な反応を見せない。

 酒の中の多くの甘みの影に苦味を受け取り味わってから、アンナはポツリと呟く。

 

「ふふ。その程度に見られているのであれば、成功かしら」

「おお、怖い怖い」

 

 本当に身震いしているのを隠しながら、自らの身体を抱くようなポーズを取ってそう調子に乗った風にしているトリルビーを眺め、そしてまた薬毒はただ事実を落とす。

 

「私はもっと、狂った存在だから」

 

 酒毒を呑み込んで、真面目に語られた不明瞭な内容。これには、情報屋トリルビーも、何も言えなかった。

 

 

 

 そして、嫌いを精一杯驚かすという目的を済ましたグミは、トールと共に屋台を冷やかしたり、自ずと友達となった子供達と身体一つで出来る遊戯を楽しんだりして、時間を潰す。

 子供達の親に面倒を見てくれてありがとうと言われたことを喜んでから、そうしてグミ達は、そろそろ頃合いだろうと教会へと向かう。

 向かう道は、目的の彼らの帰り道でもあったようだ。遠くから、互いを確認しあったグミとトールにパールやバジルにミディアム等は駆け足で寄り合う。

 そして、一方は表情が見えるくらいになってから、繰る足を遅めたが、グミとトールは構わず駆ける。そして、少女は言った。

 

「ミー兄! ボクを抱きとめて!」

「グミ……いや、駄目だ。わたしは君でも鼻血出してしまうかもしれない!」

「ミディアムさん……」

「最低の兄だな……」

「なら、ボク跳びつくのやーめた」

「ぶぅ!」

「な、止まらず、跳びついてくるのは君なのかトール……ぐほぉ!」

「お前は、一日一回は不幸に巻き込まれなければ気が済まないのか、ミディアム……」

 

 そして、ミディアムの長身に投げ槍のようにトールの硬い鼻先が吸い込まれていく。流石に股間に当たるようなことはなかったが、その上、水月の位置に見事に衝撃を入れた彼は、痛みにうずくまった。

 

「ぶぅ」

 

 そして、どうしてだか、トールは勝ち誇った。どうも彼は、大きて見た目的には迫力のある相手と、何時か白黒付けたいと思っていたようで、見事ミディアムを下せたものと、満足した様子である。

 勿論、そんな勝手を飼い主が許す訳がない。ぺしんと、その偉そうな頭を叩いて、パールはイヌブタとその目を合わせて、叱った。

 

「もう、駄目じゃない、トール。貴方は私よりも賢いんだから、きっと相手が痛いって分かってやったんでしょ? 謝りなさい」

「ぶぅ……」

「自分でイヌブタ以下と認めたよ、この女……」

「もう、茶化さない!」

 

 真剣で静かな聖女の怒りに、やんちゃなトールも頭を下げて暗い声を出す。人でなしの彼は、人間を傷つけるのを、駄目とは思えない。ただそれで、パールの心に険が出来てしまうのであれば、止めようと考える。子供程度の知能しか持っていない彼が、長くそれを肝に銘じておけられるかどうかは、微妙なところだが。

 

「はは、気にはしないよ。好意のあまり、ということにしておこうじゃないか」

「ぶぃ……」

「ミディアムさんが優しくて、助かったね。もう、人の嫌がること、しちゃ駄目だよ?」

「ぶぅ!」

「判ったみたいだな……しかしコイツ、どうしてパールの言うことは確りと聞くんだ?」

 

 バジルはもっともな、疑問を呈す。異なる種、異なる価値観。それが、どうして寄り添えるのか。流石に、トールが懐いているのがパールの人徳によるものだけでないと、彼も気づいていた。

 

「ぶぅ」

 

 だが、そんなのは当たり前だと、トールはイヌブタ語で疑問に答える。

 

 

 

「格好いい! やっぱりこの子が良いです!」

 

 トールは、大きな少女が目を輝かして自分を選んだ、選んでくれた、そんな言葉が発された際の危なげな稚気を決して忘れない。

 一度それを受けて感動をしたトールは、考えた。この胸に沸き起こった思いは何かと。そして、答えは軽く出た。

 ああ、自分はこの可哀想な子供を、守ってあげたいのだ、と。だから群れへ連れて行こうと暴れ、そして捕まった結果寄り添うことを選んだ。

 子の言うことを聞いてあげるのは、親の定め。当然のように、トールはパールの言葉を認める。

 

 

「ふふ。トールは可愛いねー」

「ぶー」

 

 パールが撫でる手の平。その高い熱を、彼は優しく受け取る。子の愛撫を嫌う親などいないのだ。

 

 

 




 聖女、負けを認める。

 これもある種の勘違い、なのでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 聖女と異端

 パールさん、お仕事っぷりを披露します。


 彼と彼女な聖女は、異常である。だが、それは果たして世界の異端とすらなってしまうものなのか。

 

 ちょっと、疲れましたー。

 またかあ。

 

 ミディアムさんも私のこと、馬鹿にしてる。

 良く分からないー。

 

 あはは。

 

 こんなのが、そんな大層なものか。それは、補足するまでもなく、判るのかもしれない。

 

 

 

 手を組み合わせる。それは、何に願うポーズなのか。普通ならば、神祖か四柱か、或いは魔にだろうか。だが最低でも、今それを行っているパールは誰の助力を頼ったことはない。

 願いは叶える。奇跡は顕すのだ。他の人にそれが無理なら、私がこの無力の手で、掴んであげよう。だって、それらが現実にならないっていうのは悲しいことだから。

 そう、聖女は思うのだ。

 

「ふぅ……多分、治ったと思います」

「い、痛くない。ありがとう、ありがとう聖女様!」

 

 奇跡は、この世にあると示され、そして先程まで折れた腕に涙を零していた駆け出しの漁師、キャスケットはパールを仰ぐ。少し、額に汗をしながら、自分に笑顔を見せる美しい聖女を前にして、彼は感謝と敬意を限界まで膨らませる。

 ここで治してもらえるまで、不意に船体に当たって弾き返ってきた櫂が当たり、見事に二つに曲がった腕が痛くて辛くて仕方がなかった。神祖様はどうして自分にこんな不幸を見舞わせたのだろうか。あまりの痛苦に、キャスケットはそんな不敬な考えまでしてしまったくらいだ。

 キャスケットのぶらりと垂れ下がった腕を見て、居合わせた同業の殆ど皆がこれは容易く治せるものではないと、そう悟った。万能に近い魔法であっても、人を治すというのは非常に難易度が高いもの。治療のために水の魔法使いの診療所に通ったところで、かかる時間は数ヶ月。きっと痛みはマシになるだろうが、完治までは自然治癒と大して変わらない期間が必要になるだろうことは、明らかだった。それに、必要となる金銭は膨大。とても、漁師なりたてが払えるものではない。

 だが、その場で一人取り乱さなかった、急な腹痛にて教会まで足を運んだ際に聖女に遭ったと触れ回ったことがある男、ベレーは彼女ならばもしかしたらと、キャスケットの前に蜘蛛の糸を垂らす。それに、困窮していた彼がとびつくのは当然の成り行きと言えた。

 もとより、名無しの教会に人を癒す聖女が居るということは、同じライス地区内でも少し離れたポート川周辺にまでだって周知はされていた。だがしかし、多少の怪我病気は、近くの診療所でお金を払えば治して貰えるもの。更には医師たる水色持ち達は口々に色すらない者が起こす奇跡など眉唾ものだと語るのだ。更に、そこから、無名の教会への批判へと続いていくのが常の流れだった。故に、遠く実態を知らないキャスケットは、身近の医者を信じて聖女をまるで信じていなかった。

 だが、それは、なんて愚かなことだったのだろうと、キャスケットは今思う。

 

 治療の全てが施しで、そしてその献身の真剣さ。片手で治療を終わらせる者たちと違って専心して、パールは行っている。その、なんと眩いことか。

 自分のために必死になっていたキャスケットは、生まれて初めて、ここまで他人のために自分を削らせる人間を見たのだ。それが、異常でなく神聖なものに映るのは、パールの持つ独特の雰囲気のためか。儚さに柔らかさ。相反するそれらを全て含めた彼女はどこまでも彼方の者だったのだ。気持ち悪いとはとても、思えない。

 パールを天の使い、或いは天そのものとすら感じ入ったキャスケットの隣で、どこまでも平坦な心のまま、カーボは優しく問う。

 

「ちょっと、確認のために触っていい?」

「はい、看護師様」

「よし、ちゃんと骨はくっついているね。筋の腫れもすっかりひいてるわ。これなら、大丈夫」

「やった……やった! 骨折を治す間に稼ぎがなくなってしまうのが怖かったのですが……いや、それ以上に痛いのがとても大変でした。それを本当にこんなに簡単に治してくれるなんて……これで直ぐに仕事に復帰出来ます!」

「良かったですー」

「簡単、ではないのだろうけれど……まあ、いいかな。キャスケット君。無理は、禁物だからね」

「分かりました! 本当に、本当に、ありがとうございます。この御礼は、必ず!」

 

 要りませんよー、と手をふりふり口にするパールに大きく頭を下げて、キャスケットは聖堂から出ていく。彼を見送ってから、奇跡を起こした少女は、大きく息を吸い込んでから、言う。

 

「うう。ちょっと、疲れましたー」

「休む?」

「多分、あと軽い人一人くらいなら大丈夫かな、と思います」

「ふうん。……顔色見る限りだと、確かにそれくらいで終わりにしないといけなさそうね。自己診断も出来るようになったみたいで、結構結構」

 

 朝から昼を過ぎた今。休みも挟んで診たのはもう十人を超えている。キャスケットの怪我はその中でも一番の大きめなもので、パールがその痛みを否定し切るのは非常に苦労なものだったのだ。

 他に誰も居なくなったからと、パールが白衣を開けたその胸元に汗がぽとり。つうと、肌の奥に流れていった。どうにも、今の彼女の様子は、だらしなくもどこか艶っぽい。確かに、自分の様子も省みられなくなって来ているようだからそろそろ限界だなと、カーボは思う。

 

「カーボさんは患者さんの前でも私が疲れていると情け容赦なく止めに入ってくれますからね……面倒かけてしまうくらいなら、自分から申告した方がいいかな、と思うようになりました」

「それは助かるわ。じゃあ、次で終わり……あれ」

「パール。ミー兄がまた怪我しちゃった!」

「またかあ……」

「申し訳ないね……ただ、今度は少し酷いんだ。転んで、肩をはずして……ぶ」

「またミー兄が爆発した!」

「あ、胸元開けたままだった」

 

 そうして、次にやって来たのは、グミとミディアムの二人。どうやら、彼らは遊びや見学をしにやって来たという訳ではないようで、痛そうに肩を押さえる兄貴分の為に、妹分が扉を開けて助けている様子が見て取れた。

 そして、ミディアムが自身の負った怪我の詳細を語ろうと、治療してくれるのだろうパールの様子を見た後直ぐに、彼は鼻血を噴出させる。流石に、女体が苦手な彼に、豊満過ぎるそれを一部分でも見せてしまうのは良くなかった。いけないいけない、と服のボタンを掛け始める聖女の横で、カーボは少し困った顔をする。

 

「聞きしに勝る、苦手ぶりね……我が娘のお気に入りの洋服を台無しにしてくれたのは、これか……」

「その節は、申し訳ありません……後で、妹経由で上等なお洋服をお送りします……いてて」

「そこまでして頂く必要はないのだけれど……まあ、問答をしている暇はないわね。最後の患者はどうやら貴方になりそう」

「よろしくお願いします。パールさんにカーボさん」

「直ぐ治しちゃいますねー」

 

 ミディアムはこれ以上鼻血をこぼさないように上を向いたまま、治療は開始される。まず、治すことが出来るはずのパールは飛び散った血液を拭うために、バジルから水を貰いに駆け出していく。その代りに、カーボが彼へと寄ってくる。

 それを、上方から不思議に思ったミディアムは、カーボの次の行動に驚かされた。それこそ、痛いくらいに。

 

「それじゃあまず、嵌めましょうか」

「へ? ぎゃ!」

「わ、いたそー」

「虚を付ききれなかったわね。ごめんなさい」

 

 ちっとも、申し訳無さを見せずに、カーボは言う。そう、彼女はその太めの力強い腕を使って、一気にミディアムが外した腕を嵌め直したのだ。脱臼、そのために傷ついた靭帯が無理でないとはいえ戻されることで痛み発信し、彼は悲鳴を上げた。

 これは虚とか、そういうレベルでない激痛だと、ミディアムは思う。

 

「はい。我慢して我慢して。人間でしょ?」

「そ、そこは、男の子だから、とかじゃないんですか? ……いたた」

「男の子だけ我慢させるのは、不平等じゃない。それに、人間ならどんな痛みも耐えきれるはずよ」

「無茶苦茶な理屈ですよそれ……うう……」

 

 だがしかし、こんな無慈悲な行動であっても、全てはパールの補助のため。聖女たる彼女であれば、痛み無く骨を動かし治すことも可能であるが、そこまでさせるのは彼女に大きな負担になる。ならば、痛みぐらい患者に負担してもらおうというのが、カーボの考えである。

 そこには、これくらいの痛みは大したことないという人生経験豊富過ぎるカーボの価値観も原因であるが。そこに、ミディアムは突っ込みを入れる。

 

「痛み、かあ……」

 

 だが、カーボの口にした、痛みという言葉が妙に魔女には気になった。たとえば絶対不信に至る程の、痛み。そんなものもあるのだろうかと、グミは思った。

 

 

 

 そして、再び手を組み合わせて、パールは奇跡を叶える。額から一筋の汗を垂らしながら、しかしごく短い時間で、彼女はミディアムを痛みから救った。

 確かめるように、肩をぐるりと回し、何の問題もないことを知ってから、ミディアムは独り言のように語る。

 

「グミに引っ張られて治療して貰うんだ、ってパールさんの元に連れて行かれた時は祈って貰うばかり、つまり気休めにしかならないと正直思っていたんだ……これはあり得ないことだね」

「そうですか?」

「と、いうよりはあり得てはいけないこと、か」

 

 助けられておいてこう言うのは駄目なんだろうけど、と言いながらもミディアムは驚きと複雑な思いを隠しきれない。そう。四塔教を信じ、魔法を絶対唯一と学んでいる彼に、パールの奇跡は理外にあった。

 それは、即ち異端。なるほどこの教会に名前がない所以の一因は彼女にあるのかと、ミディアムは考える。

 

「魔法以外の方法があってはいけない……その筈なんだ。勿論、人の営みから生まれる便利は、神祖マウスも否定していない。だが、これは……」

「教えにないもの、でしょうか?」

「パイラー神官!」

 

 ミディアムが一時悩み始めた、そこに当然のように現れたのは、パイラーだった。彼はゆっくりと杖をついて、やって来る。天の助けと、彼は来訪を歓迎した。それが、さらなる苦悩の始まりと知らず。

 

「パイラー神官。不勉強なわたしは、不安に思います。便利とはいえ、邪道を許してしまっていいものなのかと。勿論、貴方がパールさんにこの力を振るうのを許しているのには、何らかの故があるのだとは思いますが」

「……パールの力については、神祖が教えを残し忘れたのだ、と私は解釈しています」

「……へ?」

 

 聞きようによっては不敬であるような言葉が聞こえ、ミディアムは驚く。それが、神官の低い声によるものであるのは尚更に。万能である筈の神祖に、傷を認める人間など、彼は初めて見たのだった。

 

「いかにも有り得そうだと思いませんか? だって、あの人、相当なバカじゃないですか」

「……神官?」

「然るべき時になってから、人を掬う……って具体的には何時なのですか。後に残すなら、ちゃんと教えておけばいいでしょうに。後、自分が天まで登った方法を、言葉にして伝えられなかった辺りかなりの感覚派であるのだと、私は睨んでいます。多分、あの人実際に居たらパールに似ていますよ」

「え、え! そんなこと、神官が思って良いのですか? パールさんに似てるとか……それ、相当馬鹿にしていません?」

「ミディアムさんも私のこと、馬鹿にしてる……」

 

 パールの言葉は、最早聞こえない。奇跡どこかこれこそ、あり得ないとミディアムは思う。神官というのに、敬うべき神祖を自分と同等に下ろしているなんて馬鹿にしすぎではないかと、年月に少し頭が固くなっている彼は思った。

 だが、驚きすぎて愉快な表情をしているミディアムの前で、パイラーはいたずらっぽい表情をしてから更に語る。

 

「そんなこんなをパール云々を除いて幼い頃に所属していた教会にて正直に語ったところ、袋叩きに遭いました。どうしてでしょうね?」

「いや……申し訳ありませんが、当然かと」

「そうでしょうか? 私は、確かに、一時地に居た筈の神祖を一人と考えられない彼らを哀れと思いますけれどね」

 

 尊敬とは、全て認めてから生まれるものと、私は解しています、とパイラーは繋げる。

 明らかに、異端の考え。だがしかし、それがミディアムには分からなくもなかった。原理主義者には、それこそ殺されそうな異見だけれど、とも思いながら、得心持った彼は笑って喋り出す。

 

「はは。なるほど、この教会に名前がない筈です。貴方にとっては、名前を奪われようとも、一つなのですね」

「そうですね。認められない彼らに認められないのは、それこそ当然でしょう。何一つ、気にすることはありません」

「そして、パールさんも一時地にいる同じ一人であると、貴方はそう考えていますね?」

「どうでしょう、ね」

 

 そこまでは、流石に言えないのか、と出来れば全てを知りたかったためにミディアムは少し残念に思う。歩み、パールを近くにして神官は、微笑む。

 

 魔法によって天に昇り、王から神となった神祖マウス。何時か信仰する地の全てを天へと導いてくれるという彼を一人とするのであれば。今ここにいる魔法でない何かを使うパールも当然のようにまた一人なのだろう。それこそ、神官にとって彼女と神祖は近いものと、考えているのではないか。そう、ミディアムには思えてならなかった。

 

 神を人とするのならば、ならばパイラーは何に仕えているのだろうか。それが、商売よりも学びを選んだミディアムには気になって仕方がない。

 

 

「うーん? 良く分からないー」

「大丈夫、パール。ボクにも意味不明だったよ!」

「なら、私も分からなかったということにしておきましょうか」

 

 真意を探りパイラーを見つめるミディアムの横で、そんな会話が聞こえて来る。思わず、脱力した彼は、笑んだ。まあ、判らないことの一つがあってもいいかと。

 それが、友達のためになるのならば、尚更のこと。

 

「結局、わたしも、分からなかったです」

「私も、同じく。自分のことなど本当には分かっていませんよ」

 

 人を思って、不明を許す。それこそ、優しさなのかもしれない。綻びは、次第に繋がっていく。

 

「あはは」

 

 そうして出来上がったは、笑顔で不明を喜ぶ謎の一団。それを、不幸にも彼は見てしまう。

 

「ええ……分かんないって喜んでるって何だよ。ついにパールが感染るようになっちまったのか、アレは……」

「ぶー……」

 

 そして、分からない、とトールは彼の言葉でバジルの言に答えた。

 

 

 




 怖くても、手をつなぐのです。
 後世にたっぷり後付けされていますが、マウスさんは、全知全能ではありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 バジルとしろくま

 くまさんです。


 一番強いのは誰か。それは男の子が特に喜ぶ題目であるようにも思う。それが、女の子に混じった男の子であってもきっと。

 

 私すっごく羨ましいです!

 私はあまりやりたくないけれどねえ。

 

 

 良かった……本当に、良かった。

 

 しろくま、果たしてそれは何なのか。今回、その補足の多くをバジルの記憶から借りよう。

 

 

 

 日々を忙しく過ごしていても何時か休みは、必ず訪れるもの。それがなければ、生きるのは辛い。だから、パール等は存分に休暇を楽しむのが常であったが、しかしあまりに発奮し過ぎた後の昼過ぎの今。彼らは遊びの小休止を挟んでいた。

 牧場にて草の上に座って、涼を覚えながら会話を交わす。何やらアンナと出かけていったユニを除く最近よく一緒に居る、パール、バジル、グミ、ミディアムの四人は仲を深めながらゆっくりとしていた。

 そんなある時、無警戒に寄ってきた小さなドードー鳥を可愛がりながら、今思い立ったかのように頬に二色を当てて、グミはバジルに声を掛ける。

 

「ねえ、バジル。君はボクに勝ったよね」

「ん? まあ、そうだな」

「おお。グミに勝るとはやっぱり強いのだね、バジルは。わたしは深度も足りず、理解も足りず、どうして階長をやっているのだ、と言われてしまうくらいの弱さだから、少し羨ましいね」

「でも、ミディアムさんは頭いいですし、それに魔法でお空に絵を描けるじゃないですか。その絵の才能も含めて、人を楽しませられる力なんて、私すっごく羨ましいです!」

 

 少し、話は逸れていく。だが、きっかけを作ったグミは、それを笑顔で認める。水を空に付けて、紺碧をキャンバスとする、ミディアム考案のその魔法は、彼の絵心と合間って綺麗なもの。兄貴分の美点、知恵の深さと心の繊細さがよく表れた、お絵かき魔法は多くの者、特に妹分である彼女は好きだったのだ。それが、褒められるのは、嬉しい。

 先にも、その剣での戦いぶりを見ながらミディアムが水色だけで描いた、空に浮くパールとバジルの姿に、グミが土色で塗料を乗せて色付け、共に楽しんでいた。そんな、上手に切り取られ、美しく描かれていた彼らの共作は、漫画やキュビズムの知識もある聖女さんの中の素直の心も動かした程だ。

 

「はは。わたしは一芸特化なんだよね。あまりない、出来ることを伸ばすことだけはした。でも、その程度かと学園の皆には馬鹿にされていたよ」

「そこまで出来ないのに、あいつらミー兄のこと馬鹿にするんだよねー。何か、困ったら頼りにする癖して」

「まあ、年上だから、下に見るのも頼られるのも仕方ないのだろうね」

 

 どうしても、年齢による認識の差とういうものは生まれ、自分と同じ年上など、からかいの種になりがちで。だから、弄くられるミディアムの姿をグミは大層嫌っていた。

 何となく、バジルは共感を覚える。

 

「ミディアムに才能があるっていうのは知っているし、向こうでもミディアムが苦労しているというのはよく分かった。まあ、頑張れよ。応援くらいしてやるから」

「バジル、ありがとう」

「で、結局。グミ、お前は何が言いたかったんだ?」

「あ、そうだ。……ボク気になっていたんだよね。上には上があるっていうのはバジルのお陰で分かったんだけれど。でも、果たしてそこが天辺なのかなって。やっぱり、バジルってここらで一番強いの?」

 

 天才。その自負はまだある。だがしかし、何時かは自分も本当に神祖のように天に届けるのか。それが、気になる。神ではなくまだバジル一人なら対抗も可能では、そう思わなくはないから、グミは訊いてみる。

 しかし、返答は意外なものだった。

 

「そんなことはない」

 

 そう言った、バジルの目は遠く空を向いている。

 

「第一、下手したらオレ、パールにも負けるぞ?」

「……そっか。パールは魔法消せちゃうから……」

「疲れちゃうから、私はあまりやりたくないけれどねえ」

「消せる? どういうことだい?」

 

 ミディアムに詳しく教えたら、また面倒が起きるだろう。だから、それはまた後で、とグミは言い、そうして彼女は続きをねだる。

 

「それじゃあ、パールが一番なの?」

「そんな訳無いだろ。人間なら、間違いなくモノが最強だ」

「モノは、ねぇ……」

 

 パールもまた、遠い目をする。モノ、その名前だけで、彼らには一定の諦観を与えるのだった。愛してはいるが、それでもその背は大きすぎたのだ。

 

「前に名前だけ聞いたけれど……魔法使いなの?」

「いや、無色の剣士。オレらの幼馴染で、現在は騎士見習いみたいなことやっているらしいな。どうも、口数と一緒で便りも少ないから、今どうしているかは不明だが」

「え? ……うーん。分からないなあ。ひょっとしたら、モノって魔法があまり効かないっていう、真鉄で装備を固めているような人なのかな?」

「ぜんぜん違う。そもそも、あんな重くてバカ高いものを隙間なく纏える人間なんて、ほぼ居ないだろ。まあ、アイツやパールの馬鹿力なら重さの点だけはクリアできるかもしれないが……」

「え、じゃあどうやってバジルの魔法をその人は防ぐの?」

 

 どう考えても、周囲の世界ごと停めてしまう、そんなバジルに対するのは、その全てを防ぐ意外の方が見つけられなかった。だがしかし、現実は小説より奇なり、である。意外な方法で、モノは勝るのだ。

 

「簡単に言うと、だな。モノの剣だけはオレにも停められない。そもそも、あいつは疾すぎるし上手すぎる。指を振るう前に落とされちまうよ」

「え……ボクの思いっきりの魔法でも停められるのに?」

「斬られちまうんだよ。ホント、ありえん」

 

 それは、理屈を超えた何か。最早超常現象の類である。世界を斬る。そんなことをやってのける人間は、モノしかいない。

 

「魔法使えないのに、魔法より凄いこと出来る人、多すぎでしょ、ここ……」

「わたしもそう思う」

「ミー兄も、凄い人だからね?」

「そうか?」

 

 グミは、微妙な表になった。魔法で商売経営は出来ない。そんなの分かりきったことだ。それが、あまりに上手であれば、尚更価値がある。そう、彼女は考えている。

 だが、とりあえず、話はこれで終わりなのだろうと、グミは思った。コレ以上のとんでもなんて、出やしないだろうと。

 

「じゃあ、モノって人が一番なんだね」

「…………いや」

「え、他にも誰か居るの? ボク、自信なくしちゃうよ」

「誰、じゃないな。そいつは、人間じゃない」

「ええ? 何それ!」

「私も初耳だなあ、どんなのなの、それ」

 

 だが、まだまだ爆弾は落とされる。強いものは強いものを知るのだろうか。果たして人間以外の最強とは、何か。少し期待して、グミ達は身を乗り出して、バジルの言葉を待つ。

 

「しろくまだ」

 

 その名前を聞いて。ごくり、とパールだけ、何故だか喉を鳴らした。

 

 

 

 バジルは、登山が好きである。そもそも、生まれたときから近くに山があった。ならば、そこに手を伸ばしてみたいと思うのは自然なことで。また、苦難の果てに、山頂を足に敷く際の感動は、たとえようもなく素晴らしいものだった。

 何度、危ないからと、パールに止められたことだろう。だが、それを無視してバジルは登り、挙げ句攀じった。そうして、己の魔法に助けられながらハイグロ山脈の、目に入る山の殆どを単独登頂成功させた恐るべき少年は、無謀にも名峰タケノコに挑んだ。

 だが、パールの知る、エベレストをすら越えるその先鋭。標高二、三千メートル程度の高さを登り降りしていたばかりのバジルは、当然のように途中で力尽きた。

 

「くそ……こんなところで、止まっている暇は、ないってのに……」

 

 今回バジルが誰もが恐れるタケノコに、夏の今とはいえ無謀な登攀を開始した故は、あった。毛皮の奥にて震えている自身の染指。パイラーが調べたその特異な水色の所以。それが、この名峰にあったのだ。

 タケノコの雪の中にあったマナとバジルの染指の色が、完全に一致した。それはつい先日に教わったこと。そんなことは、まずあり得ない。人と同じく、色もそれぞれ違うもの。だがもし、同じというのであれば。それは、自然が彼を同色に染めたのでは、とういう疑いに繋がる。つまり、五本も指が染まった、その不幸とも幸運とも取れぬ定めの原因はこの山にあるのだと冷えた少年は知る。

 この時、パール守るために必死だったバジルは、矢も盾もたまらず突貫した。自分の力が最強でないのはモノの存在にて思い知っている。ならば、もっと自分の魔法が長じるように、自分に力を授けたのだろう山に行けばさらなる進化があり得るのでは。

 そう、切羽詰まっていた彼は、勘違いしたのだ。

 

「ぐるる……」

 

 吹雪の中に倒れ込んでいたバジル。そこに、獣が訪れた。ずんぐりとした、黒いその巨体の生き物はアブラグマ。山々にて命の連鎖の天辺に居る存在である。

 

「丁度良かった」

 

 だが、簡単に、無慈悲にも、バジルは彼の命ごと『マイナス』の魔法で停めた。やはり、合うのだろう、指先で動かすのに簡単に追従してくれるタケノコのマナは、アブラグマの魂の在り処ばかりを冷やしきったのだ。

 

「それでは、いただこうか」

 

 そして、始まったのは、少年によるクマの解体ショー。軽い、小ぶりのオリハルコンのナイフを用い、手慣れた様子で、切り分けていく。どんどんとあらわになってくる肉のぬくとさで暖を取りながら、次第に気温で端から凍りついていく血だらけの肉を頂いていく。

 

「っ」

 

 ただでさえ美味い。更に、極限の状態という味覚を押し上げる要素。それによって、ぽろぽろとバジルは泣いた。

 自分が生きているという実感。それをひしひしと受け取り、バジルは満足を覚えていく。だが、それを認められず、彼は涙を拭い、再び歩み始めた。

 

「まだ、何も掴めていない……行かない、と……」

 

 そう、呟き。一歩を踏み出して。そして、バジルはそれを見上げた。

 

「白い……」

 

 吹雪の中、多くが白く染まる。だがしかし、それは全てより尚真っ白だった。それは、クマなのだろう。きっと、形から見ると、アブラグマの変種で間違いない。しかし、その大きさを見ると、そんな認識すら疑わしく思えてしまう。

 

「……でっか過ぎだろ」

 

 それは、張り出した岩棚に座していた。だが、果たして大きなその岩が彼の存在に耐えられている、それは不思議なことだった。なにせ、そのクマらしき生き物の大きさは、素直が知るヒグマを十頭縦に重ねて、ようやく届くか届かないか、といった程のサイズを誇っているのだから。

 いつの間にか、そこに居た獣は、今気づいたのかバジルの方を見。おん、と吠えた。

 

「っつ……」

 

 それだけで、辺りの雪や空気、挙げ句はマナすら弾け飛ぶ。何処の何にしがみついたのか、バジルは吹き飛ばされなかったが、しかし轟音に耳はがんがんと痛み、そして恐怖に最早身体は動かない。

 そして、のそりと、白いクマは歩みだす。彼の周りに、追従するバジルの指と同色のマナが、渦を作った。

 そこで、ようやくバジルも気づく。このバケモノは、魔物でもあるのだと。しかし大きな指の、そのどちらも染まった様子がない。全身が、白くはあっても、それだけ。

 つまり。

 

「はは。全てが……染まってやがる」

 

 染指の暴走にて、身体の中心へ向かって染まってしまい、魔従という魔に操られてしまうような存在も、居る。それを鑑みるに、指より染まることも、あり得るのだろう。

 だがしかし、これは度が過ぎた代物だが。ごうごうと、彼に従うマナは、音を立てている。

 

「オレ、死ぬな」

 

 ドスンと、ゆっくり一歩を落とし続けるこの魔物が自分の何を気にしているのか。きっとそれは、先に同種を殺していた、その業に、だろう。

 復讐、ならばそれを受け容れるのは道理。経験のあるバジルは、そう思う。思うだけで、己の死までは認められはしなかったが。

 だから、彼はその巨体に『マイナス』を掛けた。ゆっくりとした接近で、時間はたっぷりあって、またその全身は隙だらけ。故に、大きく差っ引けた筈なのだ。

 

「おおっ!」

 

 だが止まらないそれに向け、バジルは咆哮を上げる。目がかすむくらいに、本気になったバジルの『マイナス』は、きっと大山鳴動ですら停められるだろう。それほどの、力なのに。

 

「そもそも魔物は、相性が悪いが……やっぱり、これだけ従えている規模が違うと、オレなんて、無力か……」

 

 ただ、あるだけでバジルの魔法は弾かれる。そして、どうしても停められないことに、少年は音を上げた。どうしようもなく、死は近寄ってくる。暴風のように、マナの奔流が彼の頬に当たった。

 

「ああ、強く……なりたかったなぁ……」

 

 ただ、涙と共に最後にそう思い。そして、辺りに轟音が響いた。

 

 

 

 バジルであっても無力であったという自然の話。荒唐無稽な、事実。それを受けて、沈黙が降りた。一度止まった彼の口。しかし、認められず、気になったグミは先を促す。

 

「え……その、何。しろくま? それとバジルはどうなったの?」

「何も。それで終わりだ。力尽き、起きたらオレは晴れた天の下に居た。しろくまの姿はどこにもなかったよ」

 

 それで終わり。どうも締りが悪く、座りも悪い。もしや嘘では、とグミは思う。だが、彼女が何か言う前に、バジルに飛び付く姿があった。

 

「バジル!」

「おおっ」

 

 それは、勿論パールである。大きなその身体を受け止めて、バジルはよろめく。

 

「良かった……本当に、良かった。生きていてくれて、本当に、ありがとう!」

 

 ただ、パールは、バジルを想ってそう言った。辺りに、優しい空気が流れる。

 

「ま……正直眉唾かもと思っていたけど……うん。そんな顔が出来るなら、どうも本当っぽいね」

「ん? オレ、何か変な顔してるか?」

 

 思い出す度に、震えを来たせる恐怖のためか、バジルは語る度に表情を暗くしていた。だが、パールに抱きしめられている、今は違う。

 

「とっても安心したような表情をしているよ」

 

 良かったね、とグミも言った。それに追従したミディアムもまた、笑顔で。

 そして、バジルは思い呟く。

 

「ああ、弱いままでも生きていて良かったよ」

 

 良かった良かったと、涙を溢すパールの背に五本も染まった手をぽんぽんと当てて。ただ彼は、幸せな今に浸る。

 

 

 

 

 ごう、とタケノコの山頂に風が拭く。それに身体揺るがすことなく、彼は誰よりも強く孤独に立って。

 くうんと、鳴いた。

 

 

 




 しろくまさんは、すっごい愛らしい見た目をしていますが、とってもでっかいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 グミと人形

 今回はグミさんを。
 主に過去話、ですね。


 今回はグミのもの。そのため、男の子に引っ張られている女の子が言葉にまでした思いは数少ない。

 

 あ、バジルの布団でグミが寝てるよー。

 忘れちゃったなあ。

 私には、どっちも魅力的な女の子にしか思えないけれど。

 

 果たして、どうして彼女は人形であったのか。それは、補足してから、理解してもらう必要のあることだろう。

 

 

 

 お気に入りの衣服。それは、誰にだってあるだろう。一張羅、とまではいかなくとも、好みの柄や装いのものを着回し続けている者も、多い。そこに、新たを混ぜて、古いを捨てて、循環させていく。そんなサイクルを、グミ・ドールランドも続けていた。

 偶に早起きして、服に手をかけながら、グミは思う。

 

「うーん。ミー兄の鼻血で駄目になっちゃった服の代わりが、そろそろ欲しいところだなあ」

 

 先にアクシデントもあったが、更に今回は小旅行のつもりで居着いてしまったのであれば、持って来た服のみではバリエーションに乏しくなってしまうのも仕方なく。だが、そろそろお洒落心を抑えきれず、グミも散財をしたくなってしまったようだ。

 

「これは、流石に奢ってもらう訳にはいかないし、ゆっくりと選びたいし……うん。買いに行こうかな」

 

 これまではふざけて、屋台のおじさん等にねだって、お菓子やらをコソコソと無料で食んで満足していたが、当面の生活費としてパール達に渡したお金以外にも、とうとう必要が出たようだ。金貨二枚を必要な資金として、彼女は魔法で癒着を解いた、普段は開かずの大鞄から取り出す。オオマユで売られているような上物でなければ、このくらいでまずまずが買えるだろうという目算で、少女は神祖の図柄が浮かんだそれを弾いて遊ばす。

 

「出来たら、ある程度伸びやすいのがいいな……あんまり、きっちり織られていないの、選ぼう。……うーん。でも、色々と出掛けてるけど、美味しそうなところをフラフラしてばっかりで、服屋さんのチェックしてなかったね。女の子として、駄目だったかな、ボク」

 

 グミは、だから、パールにも女の子として見られなかったのかな、と言葉を落とした。美味しいものが沢山あるからと、活気のあるマーケットばかり好んでいた彼女は、個人商店の有様をイマイチ知らない。きっと、珍しく高いものばかり売っている青空市場よりも、そっちの方が良いだろうし、更に店によっては掘り出し物もあり得そうだ。

 分からないなら人に聞く。そうパールから教わっていたグミは、自分用の貰い物で埋まり始めた部屋から出て、教授してくれた人物の元へと向かんとし始めた。鼻歌を奏でながら、色味で金貨を遊ばせて元気よく。

 

「ふ~ん、ふ~ん。パールは自分のお部屋かな?」

 

 途中で誰に出くわすだろうか、それもグミには楽しみだった。まだ朝の時間。仕事に出るには少し早い。ならば、パールにバジルに、トールは何処かにいて、それと道々出くわし、会話を楽しめるようなことだってあり得るだろう。気を遣っているのか何を考えているのかあまり家内に居ない、アンナは気にしない。これでミー兄ちゃんが遠慮せずに泊まってくれればな、と言いながら部屋までの短距離を浮かれていた彼女だったが、結局誰と顔を合わせることもなかった。

 今日は少し起きるの早すぎたのかなと不思議に思いながら、グミは扉を開けて、パール等の私室に入っていく。

 

「ありゃ、居ないや」

 

 しかし、そこにも誰の姿もなかった。活動しているパールの姿も、ましてや予想していた眠っている様子のバジルも見当たらない。トールも、彼らと同じく行動しているのか、影形もなかった。

 今が、トールの早朝散歩の時間と知らないグミは、それを不思議に思うが、だがふと思い付き、彼女は悪く笑う。

 

「ふっふー。これは、お部屋探しタイム!」

 

 そう、誰も居なくて、何時ものように施錠もされていない、これはイタズラのチャンスといえばそうである。勿論、お金や貴重品を損ねたり盗んだりすることなどをグミが狙っている訳ではない。ただ、彼彼女の恥ずかしい物などがあれば、面白いと彼女は思う。

 パールのそういうものがあれば嬉しいが、しかし開けっぴろげなあの性格で秘密を隠しているなど中々考え難い。きっと大きくて遊べるだろう彼女の服やブラジャー等を探るのも面白そうだが、取り敢えずはバジルの私物を、と彼のベッドへと向かった。

 

「あれ……お、これは何かあるね」

 

 そして、鞄の後ろに、どうも隠しているようなものをグミは見つける。意外と整頓されている一角に、不自然に積まれた物々の下から箱を彼女は取り出した。

 

 

「何だろう、コレ……あ」

 

 そして、オークで作られた木箱を開けてみるとそこに安置されていたのは、二つ。

 先ずグミの目を引いたのは大きな手製であろう不格好なクマのぬいぐるみ。そして、その隣に置かれていたのは。

 

「人形、だ」

 

 男の子と女の子、黄とグレーの毛糸、恐らくは金と銀のつもりだろう髪が植えられた、二つの不織布で作られた人の形がそこで手を繋いでいた。ああ、これはパールとバジルを模したものであると、ひと目でグミは理解する。

 四つのボタンで出来た瞳が、グミを見つめた。

 

「助けて、あげないと……」

 

 どうしてだか、それに感情移入してしまったグミは封ざれていたことを嫌って、その二体を取り出す。

 そして、それらを強く抱きしめてから、彼女は言った。

 

「寂しかっただろうね……ああ、二人だったのだから、そうでもないのかな」

 

 私じゃないのだから、と歪に魔女は笑む。

 

 

 

 その所以は、愛だった。閉じ込め、着飾らせ、与え続ける。まるで、人形のように少女を扱ったそれに、悪意は更々なかったのだ。

 それはもう、大事である。ただでさえ、可愛い我が子。小さく生まれてしまった彼女。土に水の色を与えられ、神に祝福された娘。それに夫婦が出来る最大を施すのは、ある自然なこと、とはいえた。

 だが、その結果は過ぎたるもの。愛の形は歪んで、グミはそれに取り囲まれる。人形さんでいなさい。それは、人形を愛して店まで作り上げた彼らの、最愛から零れた言葉。だが、それは少女に対して呪いとなった。

 何もしなくていい。どんな苦からも、私達が遠ざけてあげるから。そう語る、二人の家族愛に、グミの生来からの魔性の魅力が影響していない筈はない。

 言葉も満足に喋れず、親の顔と部屋、そして四角い窓からの外の景色しか知るものはなく。喜びの顔が見たいからと、部屋に増えていく送られた物品に、美味しいはずの親子三人での食事。それが、何より無色透明なものだった。

 愛によって、不幸も他人に寄る幸福だって、遠ざけられるそんな日々。それがつまらないとも知らずに、グミはただ座って日々を過ごし。そして小さいままに齢を十数えたその年。

 初めて、父母以外の人間に出会った。

 

「おお、開いたな……あれ何だこの座ってるの……人形?」

「に、ぎょ?」

「喋った!」

 

 開かずの扉をそこらの釘で開けて、グミの前にまで侵入してきたのは、少年のような、少女。

 金髪のボブがよく似合う、男勝りな彼女は、レアと言う。グミの今の髪型に影響していたりするその髪型が、驚きに逆立つ。

 その気の強さから、レアはグミに恐怖まで覚えることはなかったのだろう。むしろ興味津々に、ふりふりな上等過ぎる衣服を纏った人形の少女に話しかける。

 

「子供だったのか。俺、レアって言うんだ。お前は?」

「レー?」

「ん? 何か、遅いなお前。まあいいか。そうだ、俺は大問屋オオマユの当主補佐、ミディアム兄の妹、レアだ!」

「レー」

「はは。そこそこ大きいのにあまり喋れないのか? 全く、シトラスのおっさんおばさんは何教えてんだよ。そうだなレーだけじゃ、何だか変だ……レーちゃん、と言ってみな」

「レー、ちゃ?」

 

 無理に、兄と離れるのが嫌だと、シトラスとオオマユの商談に付いて来てから抜け出して探検の挙げ句にグミを見つけたレアは、舌足らずな彼女の言葉を受け、何やら快感を覚えたようだ。

 普通な胸元を押さえ、もう少し近づきたいと、レアはグミに尋ねる。

 

「おお、愛称みたいで嬉しいな。うーん何だこの気持ち……それで、お前の名前は?」

「グミ」

 

 自分の名前。そればかりは、よくよく二人が口にするから、覚えていた。そればかりは流暢に、グミは伝える。

 

「グミ、か。よし、覚えたぞ。グミも覚えたよな。ならこれで、俺とグミは友達だ!」

「とも?」

「そう、友達なんだ。苦楽を共にして、笑い合う、そんな二人が、友達だ」

 

 あはは。とレアは快活に笑うが、しかしグミにはさっぱり内容も意味も分からない。ただ、良く分からないがどこか魅力的なそれを繰り返し呟く。

 

「く、ら?」

「分かんない……つうか、知らないか? うーん。よしよし」

「わ」

「気持ちいいか? これが楽だ……そして」

 

 レアは一時撫でて喜ばせた手を離し、そう言ってから、軽めに柔らかなグミの頬を抓る。

 そして、その痛みがグミという少女を生むことになった。

 

「これが、苦だな……って、わ!」

「ぅわ、わーん!」

 

 そして、初めての刺激を受けて、二度目の産声が上がる。この屋敷では久方ぶりに響く大きな、子供の泣き声に、多くの人間が集まってきた。

 

 

 やがて、始まった騒動は、二方の子供を想う言葉によって大変に拗れていく。方や、異常な育て方だ、娘の行動は悪くなかった、と非難し、方や我が家の方針に口を出されるいわれはない、その娘を出せと言い張り、喧々囂々。

 このままでは、両者にとって悪いことが起こってしまう。それを誰もが感じ取った時。

 

「やめ、て!」

 

 立ち上がり、使われていなかった喉元を再び酷使し、大声を出して今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうだった当主の間に、彼女は割って入った。

 そう、人形であった筈の少女は、目から涙を零しながら、皆が苦しそうになっている今を嫌ったのだ。知ったばかり、でもそれが嫌なものであるのは思い知っていたから。

 そんな想いが、判った。判ってしまったからこそ、皆、押し黙る。そこに居合わせたのは、尊い少女のそれを、汚すことの出来ないような大人ばかりだったから。

 そして、同じ子供の代表として、彼女も声を荒げた。

 

「そうだ。皆、止めろよ! 俺が悪いんなら、それで仕方ないだろ。叱って、それで俺が謝る。そうして、後は仲直りすれば良いんだ。いいだろ? いいよな……だって、俺、新しく出来た友達と離れたくない!」

「レー、ちゃ」

 

 思いの丈は、感情は、言葉になって溢れ出す。グミと同じくはらはらと、涙を流しながら語るレアの思いは、辺りに通じていく。

 そして、それはグミを愛して止まなすぎて失敗してしまった、そんな両親の膝を屈させた。思いの深さなど関係ないのだ。なにせ、どちらが正しい愛か、レアはまざまざと感じさせてくれたのだから。

 ごめんなさいと、涙ながらに両親は皆に、特にグミに謝って。そうして皆はそれを理解して。

 だから、その時の謝意と今までの愛を理解出来なかったグミ本人以外に、しこりが残るようなことはなかった。

 

 

 因みに、である。元々身内に対する愛情が深いレアであったが、この日から彼女もグミの魅力にしてやられてしまう。

 魔法を使ったグミを天才だな、と褒めて可愛がり。長い髪を暑苦しいな、と切ってからその一部を集めて。そうして手ずから言葉に勉強に文字を教えてあげたレアに懐く少女を彼女は中々離さなくなった。

 

「この子は、俺のものだ! 兄ちゃんにも、渡さねぇ……いや、兄ちゃんも誰にも渡さねぇからな……」

「わぷ。レーちゃん……」

「アホか。さっさと家に帰すぞ」

「チッ。流石に兄ちゃんには実力行使出来ないな……後で、隠し部屋でも作るか……」

「聞こえているぞ」

「あはは……」

 

 そうして、強く抱きしめられ頬ずりされながら、困り顔になるグミ。もう、誰から見ても笑顔でもある彼女はただの幸せな子供のように見えた。

 そう、グミが内にある冷えた心を私とし、今の活動的な心をボクとして、分けて本心を隠してしまっていることを誰にも気付くことはない。

 

 

 

「あ、バジルの布団でグミが寝てるよー……あれ、ぬいぐるみに……その人形」

「コイツ、勝手に出してやがるな……」

「バジル、そんなところに隠していたんだね。懐かしいなあ……あれ、でも何時それ作ったんだけ。忘れちゃったなあ」

「オレが来て、間もなくだ。結構前だな」

「ふうん……」

 

 何時しか、感傷を覚えて過去に戻ったグミは、眠り出していた。その胸に、人形を二つ、大事そうに抱きしめて。パールは、出自を思い出せなくとも自分の形が愛されている様子を見て何だかほっこりとした。バジルの、少し悲しげな瞳に気付かずに。

 

「あ、涙の跡があるよ」

「コイツも……まあ何か色々とあったみたいだしな」

「そっか……」

 

 魔法の影響で多少は、その内の空虚が判った。だがしかし、語られずに全てを知るなどあり得ない。バジルは、ただ感じた物悲しさを思い出し、少し後で優しくしてやろうかと思う。だが、大事に隠していた人形を引っ張り出したことは、許さない、と考えつつ。

 

「人形、か……」

 

 そして、パールもバジルを他所に、思い、言う。

 

「私には、どっちも魅力的な女の子にしか思えないけれど」

 

 素直もそう思ってるし、と独りごち。パールはグミの青髪を撫で付けた。

 

 

 




 ある程度、伏線回収出来ましたでしょうか?
 レアさんは、中々素敵な人です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 素直とアスク

 素直くん、災難です。


 今回は、素直がまた表に出る。だから、彼なのかもしれない彼女の出番はこれくらい。

 

 随分と遠くから来たって聞いたけど、こっちにはもう慣れた?

 相変わらず、おてんばだねえ。

 二人共、ありがとうね。

 

 本当に、一部分だけ。ならば、殆ど全ては補足によって描かれるべきなのだろう。

 

 

 

 そこに届くまでに亡くなってしまったが、聖女の中の少年、素直にも夢があった。自分を幸せにしてくれる皆と幸せになりたかったというのが、一つ。そして、パールにまで影響するくらいに、少年は未来のために貢献できるからと、教師になることを望んでいたりもした。因みに、一度たりとて女の子になりたいということを彼は考えたこともない。

 だが、そんな全ては過去である。素直は、一度途切れて、偶々続きの中身が失くなったために引っ張り出されてしまった前世に過ぎなかった。だから、皆の中に入りたい、という気持ちがあろうとも、彼にそれを叶える気持ちはない。

 幾ら愛おしかろうと、どれだけ、言葉を尽くしたかろうとも。それでも、自分はもう終わっているのだ、と素直は心に蓋をし続ける。

 途中で終わってしまったが、それまでずっと、人と比べて幸せに生きていたことは良く素直も分かっていた。だから、彼が次は皆の番だと、人のためになりたいと思うのは自然なことで。そして、自分はそれだけでいいのだと、勘違いしてしまったのは、死を受け止めた諦観に拠るのだろうか。

 バジルの時のように、パールでも出来ない人助けを自分が可能だと判じた時ばかりに素直は現れる。また他にも、聖女が酷く困れば助けに入るだろう。だがつまるところ、よっぽどのことがない限り、彼は出てくるつもりはなかったのだ。

 

「お父さん!」

「えー?」

「パール、お前何時男になって、子供作ってたんだ……」

「しょうげきのじじつ!」

「ぼ、僕、何もやっていないからね!」

 

 そう、こんな時でもなければ。

 

 

 

 パールは、子供が好きである。まず、やわっこく、あったかで、小さくて、愛らしい。無邪気や、稚気や、悪気でさえも、手頃であって包みやすくて嬉しかった。それに、何より彼らは彼女の抱擁を嫌がったり恥ずかしがったりしないのだ。

 人間好きなパールが十分に愛でられる存在、それが子供。だから、向こうから近づいて来た時、彼女は存分にそれを歓迎する。

 

「パールお姉ちゃん!」

「わ、ヌベルちゃん。そういえば、随分と遠くから来たって聞いたけど、こっちにはもう慣れた?」

「うん!」

「パール、パール」

「わわ。裾を引っ張った駄目だよ、シアンちゃん。相変わらず、おてんばだねえ」

「えへへ」

 

 お仕事を終え。パールが洗濯物を取り込んでいる際に、二人の子供が現れた。ぴょんぴょんと跳ねながら、彼女の周りでニコニコと笑んでいる彼女らは、ヌベルとシアン。年齢を訊かれた時に片手を一杯に開けて、きゃっきゃ言いながら、五つと答えるのが大好きな、仲良し二人組だった。

 生来、少し浅黒い肌をしているヌベルと、よく外で遊んで日を浴びているのに、真っ白なシアンは好対照だ。他は愛らしさも性格も、そんなに変わらないのだけれど、と思いながら、大体干し終えたパールは二人に構い出す。

 存分に追いかけっこを楽しんでから、そうして疲れて休み始めた彼女らのために前世からの知識も引っ張って色んな歌を、歌ってあげて。やがて、おねむになった彼女らをバジルと共に背負って、そうして彼女らの家へと送ってあげる。それが、大体のパターンであった。

 

「あれ、あの娘誰?」

「……ん? 誰だろ?」

 

 だがしかし、眠い目を擦りながら、ヌベルは生け垣の隙間からこちらを覗いている少女の姿に、気づいて瞳を大きく開く。遅れて気づいたシアンも、その自分より一回り大きな、だがそれでも十は行かないだろう娘の姿を見つめて目を覚ました。

 遅れて、気づいたパールは、その少女に向かって、優しく声を掛ける。

 

「君、どうかしたの?」

「っつ……」

 

 だが、綺麗なパールの声を聞き、見つかったことを知った彼女は脱兎のごとくにその場から逃げ出していく。あっという間に、ピンク色の長髪が、たなびいて消え去っていった。

 

「あれ、驚かしちゃったのかな……私、そんなに怖い顔してた?」

「パールはいっつも綺麗だよ?」

「そーだよー」

「ふふ。二人共、ありがとうね。ヌベルもシアンも、何時だって可愛いよ」

 

 少女らが口にした綺麗。それはお世辞でも何でもなく、ただの嘘のない事実を口にしたばかり。だが、自分を褒めてくれたと思ったパールは彼女らを同じく褒めそやす。

 聖女に幼い頃から容姿を認められていた。そのことを自信にして、ヌベルとシアンは将来王都でも有名な劇団で活躍することになるのだが、そんなこんなは現在誰も予想出来ない。

 だから、ただ明日の嵐を予見することも出来ずに、パール達はバジルがやって来るまでの間、笑い合った。

 

 

 そして、翌日のほぼ同刻。珍しく洗濯を手伝ってくれた、バジルとグミと談笑している際に、また件のピンク髪の少女は現れた。そして、急に彼女はお父さん、と彼女に抱きついたのである。

 その挙げ句、バジルに男を疑われた素直が、思わず出て来てしまったことを、果たして誰が責められるだろう。

 

「えっと、お父さん……って言っているけど、君のこと僕、知らないんだよね。お名前は?」

「アスク……」

「そうか、アスクちゃんていうんだ……ごめんね。やっぱり覚えがないなあ」

 

 ひっしと抱きしめて来る少女を前に、パールではなく、素直は困る。びっくりして引っ込んでしまった聖女さんの代わりをしなければいけないという事実も含めて、中々に。

 

「僕、ってことはスナオかお前……どうして出てきた」

「えっと……何となく?」

「スナオ……そっか、スナオって言うんだ……」

 

 そして、パールと居た時にはただの友達家族という感を強く出していたバジルとグミが、妙な視線で自分を見てくることにも、素直は困惑した。何だか妙に照れくさそうなバジルはともかく、ぶつぶつと、何やら呟いているグミを見ていると不安にもなる。

 だから、取り敢えず安全そうな、アスクに向かって彼なのか判らない素直は語りかけた。

 

「えっと。アスクちゃんは、お父さん、っていう意味を知っているの?」

「……多分」

「お父さんっていうのはね、一番近くの男の人のことなんだ。それを考えると、僕とは違うよね。ほら、どう見ても、僕は女の子でしょ?」

「……自分の胸を揉むなよ……」

 

 見せつけるように大きな胸元を揉みながら、素直は自分の女性性を強調する。頭上でぐんにゃりと歪むそれを見て、アスクは首を振った。

 

「一番近く……あたしに今、一番近くなのはお父さんだよね」

「これは一本取られちゃったね……でも、僕が女の子っていうことは判るよね。だから、僕はお父さんじゃないよ」

「あたしには……そう、見えないけど」

「待った。離れろ」

「バジル君?」

 

 無意識に、少女を撫でようとする、その手。そこに、バジルによる待ったが掛けられた。奪い取られていく、パール、彼女いわくお父さんの手の平を見ながらも、アスクは嫌に平然としていた。

 

「気づくのが遅れてすまん……コイツ、暗器の固まりだ」

「きゃはは! とうとうバレちゃった。バレちゃった! ごめんね。父なる人!」

「ええっ?」

 

 そして、少女は狂喜する。そして、くるりと回って、一笑。スカートを広げてアスクは淑女の挨拶をした。

 

「あたしは、アスク。アンナの異母姉妹よ。よろしくね」

「お前ら一族は、初めて会う人を驚かさなければ行けない決まりでもあるのか?」

「うーん。そんなことはないと思うけど。ただ、その方が効率的だよね」

「……効率?」

 

 訝しがるバジルを前に、アスクの笑みは、頬を歪めて笑窪を醜くし。そして、彼女は再び狂笑を上げた。

 

「きゃはは! だって、混乱の中の方が仕留めるの、簡単でしょ?」

「あ、あれ?」

「スナオ!」

「ど、どうしちゃったの?」

 

 そして、崩れ落ちる、聖女の身体。自由もなく、力も入らずに、素直もパールですらも自分を動かすことが出来なくなっていた。

 騒然となる、一団。そこに、駆けてくる姿があった。赤髪を振り乱しながら、やって来た女性は、アンナだった。

 

「アスク!」

「あら、お姉様の登場ね。まあ、挨拶はこれくらいでいいでしょう。父なる人。あたしは、また貴方と会えることを期待しているわ」

「逃がすか!」

「この人に、何をしたのっ」

 

 そして、逃げ出そうとするアスクに向かって、容赦なく魔法を行使しようとするバジルとグミ。しかし、それは彼女が懐から取り出した瓶を目にしたことによって止まる。

 

「毒を入れてあげただけだよ。はい、これが解毒剤」

「渡しなさい!」

「お姉様。ふふ。あげますよ」

「投げやがった……ちっ」

 

 姉の剣幕の前でも、アスクは狂った笑顔のまま、解毒剤と申告したものを明後日の方に放り投げた。

 それが本当かなんて判らない。だが、もしかしたらは捨てられない。だから、バジルはマイナスを止めて、遠くに飛んでいかんとする青い瓶に向かって色味を走らす。

 

「バジル、そっちは任せた。ボク、この子やっつけるよ!」

「ふふ。実は、こっちこそ本物だよ。ほらっ」

「わわっ」

 

 そして、代わりにグミがやっつけんとするが、しかしそれもするりとかわされる。何せ、もう一つ、小瓶がアスクの懐から現れ、それが投じられていったのだから。もしもを恐れ、グミはそれに向かう他になかった。

 残るアンナが聖女の助けに向かってしまえばこれで、誰も追いすがる者はない。悠々と、アスクは逃げんとする。

 

「父なる人、それじゃあね!」

「待った」

「わ。まだ喋れるんだ。それで、何かな?」

 

 そして、容態を診ようとするアンナの腕の中で、素直はアスクに向けて言葉を放つ。それは末期の言葉を収集するのが好きな彼女であるからこその振り返りだったのだろうか。

 恨み言を楽しみにしていたアスクは、しかし、次の言葉に目を丸くする。

 

「……僕のことでは、泣かなくていいからね」

「っ!」

 

 それは、きっとパールでも判らない。きっと素直でしか判ぜなかったこと。笑うアスクの涙の跡に気づいたのは、きっと一人きり。それはこれからずっと。

 一度足は止まった。だがしかし、悪心は止まらない。再び駆け出したアスクの姿は、直ぐに遠く消えていった。

 

 

 

「うーん。身体が動かなくなってきた……」

「スナオ! 解毒剤、どうだったの?」

「……どっちも中身は水ね……バジルくん、解毒は出来る?」

「出来ないことはないが……何によるものか判らないと、流石に……」

「それじゃあ、私がやりましょうか……恐らく、あの娘の使った毒の解毒剤は持っているわ。これから使うけれど……信じて貰える?」

 

 そして、今更本気でアンナは頭を下げる。真剣に、それこそ主の命のために、乞い願った。

 それは、良い子達には真っ直ぐ伝わる。バジルもグミも、仕方なしに頷く。

 

「人の不信を楽しんできたような奴を、信じるとか、どれだけオレはアホかと思うが……アホは伝染るんだな。今だけ信じる。頼んだ」

「頼んだよ!」

「ありがとう」

 

 そして、アンナがカラバル豆から採った秘伝の薬が処方される。筋弛緩を起こしている聖女も、それを水と共に何とか飲み込めたようだった。やがて、そのまま身体を休ませた彼女は、呼吸を次第に安定させていく。何時しか、そのまま眠ってしまった。

 その様を見て、アンナも胸に手を当て、言う。

 

「ああ、良かった」

「本当だよー。良かったよお」

「全くだ。今回ばかりは、助かった」

「妹が動いたのは私のせい、かもしれないわよ?」

 

 アンナがパールを助けたことと同時に、それは、きっと間違いのないこと。直々に姉が働いていたことを裏から察して、アスクはここにやってきたのだろう。

 どうして素直の毒殺を謀ったか。そこまでは不明であるが、だがしかし、アンナの存在がアスクを刺激したのであれば、そこに責任がないとはいえない。

 

「お前がそれを謀った訳でもないんだろ? それに、本気で動いた今回に嘘がなかったことは知っている。ス……パールを助けたのは、間違いなくアンナ、お前だ。だから、オレは感謝するよ」

「ボクも。何考えているか分かんなかったけれど、意外といい人って分かって良かった」

「ありがとう」

 

 だが、少年少女達は、そう思わなかった。アンナの本気を察して、二人はそこに想いを垣間見ている。少し勘違いしながらも、それがパールのためのものと判じたからには、許さざるを得なかった。そう、薬毒はここで認められる。そのことが、嬉しくない、訳がない。

 しかし、予想外にて得た金貨にアンナは笑顔を見せず。ただ、じっとパールの中の素直を見つめて、彼女は呟く。

 

「あの言葉はきっと、正しかった。必要なものだった。貴方は、貴方様は……もしかしたら、あの娘ですら、救えるのかもしれないのですね……」

 

 或いは私も、救われて良いのでしょうか、という言葉までは出なかった。

 

 

 




 毒。
 不穏は、平安を手に入れられるのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 アンナとカーボ(または氷の家と嘘つき)

 たとえ泥々でも、きっと。


 汚れても、それでも生きていけるものだろうか。乙女で男な彼女が聖なるものとされているのも、よく考えると不思議なものである。

 

 珍しい。アンナさんとカーボさんが一緒にいる。

 よいしょっと。

 あ、こんなに濡れてたんだ、気付かなかったなあ。

 

 今回も、彼と彼女に出番がある。聖女の考えだけではそれも不明だ。補足なければ氷が溶けるかどうかも、判らない。

 

 

 

 アンナはそれなりに、凹凸に溢れた人生を送ってきたと思っている。苦の味は舌に残る程親しみがあった。だがしかし、それでも世の中で自分は幸せな方だと薬毒は理解してもいる。生まれに、見目に、能力。その全てが突出したものであれば、ある程度の幸は約束されたようなもの。主な窮地をそれらでくぐり抜けてきた自負のある彼女は、そう思う。

 ただ、優れていればそれだけ、平穏は遠ざかるもの。騒動の種は常に身近にあって、気を抜く暇などこれまでなかった。

 

「それを思うと、今はそれなりに幸せ、なのかしらね」

 

 ドードー鳥の鳴き声が遠くに響いて、青空に雁が模様を作る。眼下には、少年少女が無警戒に遊んでいた。

 今までにない、平凡な日常に埋没しながら、アンナは呟く。人に紛れるために用意した仕事に身分。騙すために行っているそれらが、存外心地良い。ましてや、気を張る必要のない子供達を見つめるばかりの日々は意外と面白いものだったから。

 

「でも、それは本物ではない。ずっと偽物のままでは、何も生まれないでしょうね」

 

 だが、それが本来によるものでなければ、それは元に戻る際に消え去ってしまうもの。続けて頂くには、自分の本当と天秤に掛けた結果、平凡を取らねばならないだろう。

 だがしかし、アンナは生来の自分に、誇りを持っている。故に、この状態は砂上の楼閣。何時かなくしてしまう、夢のようなものであると分かってはいた。

 

「果たしてこれは、いい夢なのかしら」

 

 アスクの騒動の結果、今までよりずっと近くに居ることが許されたために、遊ぶパール等らの、その表情までが見て取れるようになっている。その楽しそうな様子に、知らず自分の口の端が上がっていることに気づく。

 彼らが楽しんでいるのは、ただの日々。元来のアンナにとっては、唾棄すべき停滞。痛苦なき、真っ平ら。向上の余地は、そこにはない。

 だが、日常こそ心を育むものとも、アンナは判じていた。聖なる所以は、人々を愛せるほどに日々隣にあるからだろう。自分の胸元にも、僅かながら彼らを愛する心が芽生えているのが分かった。

 それが、思ったよりも心地いいのが、困ったところ。

 

「はて、さて。このままだと好きになってしまいそう。そうなると……大事を壊そうとしたアスクには痛い目を見て貰わないと、気が済まなくなってしまうわね」

「あらあら。好きでもないのに、見つめていたのですか? 物好きですね」

「カーボ……それは駄目かしら?」

「ふふ。それじゃあ、私と一緒になってしまいますよ」

 

 その時、達した察知を掻い潜り何時接近したのだろう、青空の下に仄暗いアンナの元へ、粘って動かない心を持ったカーボが訪れた。異形な心が二つ並んで、微笑み合う。

 正直なところ、アンナは自分よりもどうしようもない、そんなカーボを見てからずっと気になっていた。これは何か、と。肉が付きすぎてしまったようだが、しかしその昔は大層美しかったのだろう一児の母に、彼女は質問をする。

 

「ねえ、貴女はパールをどう思う?」

「何も。ただ、彼女の周りは幸せそうだな、とは考えますが」

 

 笑顔のままに、上からの質問に対し、カーボは本音で答えた。ベビーシッターとして昔から誰よりも優しく母のように接してくれている彼女の、こんな言葉を聞いたらパールはどう思うか、アンナは少し思う。きっと聖女は良い風に捉えてしまうのだろうが、薬毒はそうは考えられなかった。

 

「カーボ。貴女は救えないのね」

 

 静かに地獄に囚われたままのカーボは、幾ら日常に身を置こうとも、幸せに染まることが出来ない。天の助けすら、彼女に歓喜を呼び起こさせるものではないのだろう。アンナでさえ、いや未だ彼女は夢見る少女であるからこそそれを、哀れに思うが。

 

「ふふ。私なんて、救われなくても良いのです」

 

 だがしかし、ダイヤに成れなかった女性、カーボは感じず、笑顔で断言する。

 

 

 

「珍しい。アンナさんとカーボさんが一緒にいる……あ、カーボさんが手を振ってくれた」

「ま、しばらくアンナは伝手と自力を使って全力でオレ等を守る、って言っていたからな。こういうこともあるだろ」

「……カーボさん、ね。もう、二人共、手を休めたら駄目じゃない」

「悪い悪い」

 

 パールとバジルは、母親代わりの登場に、少し湧く。そのために遊びの手が止まったのを、グミは少し嫌がった。

 今回、休みの日を全部使って行おうとしている彼らの遊びは、少し大掛かりなものとなっている。教会の庭を用いて、バジルが魔法で氷を創って提供し、それをグミが二色で染めて、パールが運ぶ。そんな皆の働きによって、出来つつあるのは立派な氷の家。

 暑いから、ちょっとバジルの魔法で楽しもうよ、というパールの提案は、行き過ぎて家造りにまで辿り着いたようだ。因みに、設計を担当したミディアムは、ユニと一緒に買い出しに出掛けている。

 

「よいしょっと」

 

 そのための人手不足も、聖女さんのスーパーパワーで何のその。パールは自分より大きな屋根の一部を軽く持ち上げて、はしごを歩んだ。

 

「それにしても、パールは力強すぎだよね。ボク、欠片も持ち運べそうにないんだけど」

「オレも一緒だ。どうも、奇跡が影響して、馬鹿力が育まれたみたいなんだが……」

 

 大を小が自由にする。その美と相まって、正にパールは物語の中の生き物である。ひょいひょいと色付き氷塊を持ち上げ、サボり始めた二人を知らずに聖女は遊びに真剣になっているようだ。手袋越しでも感じるのだろう、つめたーいと溢しながら片手で自重の三倍以上ありそうな氷の柱を持ち上げた少女の姿を見て、グミもついつい苦笑いをする。

 

「ホント、パールって魔法要らずだね」

「……信じられるか? このパールよりも、モノの方が力持ちだったって」

「えー……」

 

 そして、そんな目の前のコミカルよりも尚伝説的な存在が、ここには確かに居たという事実。それに、グミはめまいすら覚える。ぷるぷる揺れる眼福を見上げてしまい、目を伏せてから、バジルは言う。

 

「バジルってどうしてそんなに力ないの、って言われた時の、オレの気持ちが、お前には分かるか?」

「男の子の自信ホーカイだね。可哀想なバジル……」

「はぁ。分かってくれたか……」

 

 好きな子に、本心から弱さを疑問に思われる。そんな災難は、少女であってもごめんだ。非力がトラウマになってしまっている、カツラを被れば女の子とすら見えてしまうバジルは、故にこそ英雄的な程男性なモノに勝てる気がしなかった。

 

「あー。バジルとグミ、遊んでちゃ駄目だよ! グミこそ、手を休めちゃ駄目じゃない」

「いやこれ、遊びなんだが……」

「パール、本気になっちゃったみたいだね。……あ、なんだかエッチだ」

 

 そして、ようやく小さな子たちの動きのなさに気づいたパールは注意をする。それが、少し的外れであったのは、ご愛嬌。そして、バジルが辺りを冷やすことを忘れたためにびしょびしょになっていた氷に触れたことによって、彼女は服を濡らして透けさせてもいる。密着した法衣に下着のラインが垣間見える、そんな姿はエロティックだった。

 

「おい、パール。そんな格好してると、ミディアムが見たらまた、鼻血出すぞ……」

「皆、冷えたら美味くなりそうな物を買ってきた……ぶ」

「ミディアムさーん!」

「遅かったか……」

「あ、こんなに濡れてたんだ、気付かなかったなあ」

 

 折り悪くそれを目にしてしまったミディアムの悲惨に気付かず、パールは少し自分を振り返る。だが、恥ずかしがらないのは、男性と一時混ぜこぜになってしまっていたからか。胸をただの脂肪と捉える、彼女の視点は残念である。

 

 

「……賑やかだね」

「お前は……」

「アスク」

 

 そんな騒動のおり。混乱の間にまた、彼女は現れる。今度はアンナも間に合いパールの前に立って守る格好を取り、バジル等も彼女を警戒した。笑顔でいるのは、それこそ聖女様だけである。

 

「あ、アスクちゃんだ。結局、お父さんって何だったんだろ。父なる、とか言われてもよく分かんなかったよ」

「お前……毒で死にかけたってのに……」

「死にかけたのは、素直だよ? それに、彼はもう許してるし、それなら、私も許しちゃうよ」

「お前はどうしようもないな、ホント……」

「あの人本当に、許しているんだ……」

 

 人の生け垣の内で、アスクに手を振るパール。バジルはたしなめたが、彼女は、これっぽっちも先の瀕死を気にしていない。その時、自分ではなかったために実感がないのもそうだが、そもそも今こそを大切にしている聖女は、単純に自分が見た毒使いの少女の姿を信じているのだ。

 前に居るのは、涙を堪えた独りぼっち。パールは痛く打たれたからとはいえ、それに石を投げるような人間ではないのだ。

 そんな甘さに、アスクは狂喜する。

 

「きゃはは! なら、良いんだね。許されるなら、あたし、何度でも繰り返しちゃうよ!」

 

 嗤う、哂う。果たして彼女は、何を笑っているのだろう。

 涙の跡にそれを知っている、彼はだから再び今をよっぽどと考えて、現れる。少女の目の色が僅かに変化したことに気づいたのは、遠く眺めていたカーボだけだった。

 

「……嘘つき。本当は、一緒に遊びたいんだろ?」

「ん、お前は……」

「……父なる人」

「あはは。もう、パパでいいよ。だって、アスクちゃんは多分、それを求めているんだろう?」

「違う! あたしは……」

「アスク」

 

 優しい声色におびやかされ、そしてアスクは自分の名を呼ぶ、姉の怜悧な視線によってびくりと震えた。次は何を言うのだろうと、口元だけ笑み内で泣きながら、彼女はアンナを下から見上げる。

 だが、予想に反して、姉の声は急に優しげなものになった。

 

「素直になりなさい」

 

 その短い言葉は、アスクの胸に刺さった。

 

「僕が素直だけどね!」

「お前は黙ってろ」

「あいた」

「きゃは……は、ぁ、あああああ!」

 

 そして、シリアスな中で吐かれた素直の下らない言葉に思わず笑んでしまってもう、アスクはあざ笑うことが出来なくなった。そう、姉と彼が自分を包んでくれたその幸せで、もう自分の不幸を笑えない。だから、少女は感情を爆発させる。

 

「ああああ、あたしを、あたしを、幸せにしないで!」

「何を……っ!」

 

 自虐すら出来ない幸福の中。アスクは地団駄を踏む。そして、悲鳴のように声を上げ続ける彼女が投じたのは、真鉄の鏃。魔法の通りがあまりに悪いそれは、バジルのマイナスを通り抜けて真っ直ぐに、聖女の眉間へ吸い込まれるように飛んでいく。

 同道の姉さえ遅れた速さのそれは。

 

「スナオ様っ」

「全く。危ないなぁ」

「ミディアムさん……」

 

 アンナが身を挺すその前に、ミディアムが止めた。彼は、水を含ませた糸を魔法で動かして、鏃を絡め取ったのだ。

 

「ふぅ。わたしにはこれくらいしか出来ないのだけれど、頑張って練習した甲斐があったよ」

 

 曲芸的な技術を披露したミディアムの額には汗。構えていたとはいえ、あの速さを捉える自信はあまりなかったようである。

 だがそんなことは判らないアスクは、自分の全力が止められてしまったことに、大きく狼狽した。

 

「なんで……なんで、皆邪魔するの。あたしを不幸のままにさせてよ! そうじゃないと……そうじゃないと……」

「そうじゃないと、もがいていたことが馬鹿みたい、かな?」

「カーボさん」

 

 そして、アスクの言葉を継いだのは、意外にもカーボだった。彼女は、少し寂しそうにして、しかし別段心動かすこともなく、それでも想って言う。

 

「大丈夫。怖くても、貴女は幸せになれるよ」

「お前……」

 

 何時かの誰かのように優しく、カーボはアスクを認めた。彼女は全部分かって語っている。それが、少女にも理解できた。

 先に光が垣間見え。だから、少し落ち着いて、アスクは言う。

 

「……お父さん」

「なんだい?」

「あたしは何時か、貴方の命を貰うから」

 

 それが嘘だと知って、しかし彼は糾弾することなく。

 

「楽しみにしているよ」

 

 素直は大騒ぎの中、暗器を用いて上手に逃げ行くアスクの笑顔を見ながら、そう言った。

 

 

「あ……」

 

 そして、一度振り返ってみると。氷の家は、何時の間にか溶けていた。

 

 

 




 少しも揺れなくても、それが空の言葉であっても、人を幸せに出来る。
 そう、信じているのです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 ユニとパイラー

 今度は真っ白です。


 

 今回の大体は過去。だから、彼だとも思える彼女は、多くを知らない。

 

 とっても可愛いのに。

 大事にするんだよ、バジル。

 仲いいなあ。

 

 蚊帳の外にも、情が通っている。過去には聖女の手も届かない。そんな二つを補足してみよう。

 

 

 

 ユニは、バジルのことが大好きである。ある時からずっと続いているそれの始まりは、しかし出会いのその日ではなかった。

 ユニとバジルは、七つの頃にカーボの手引きで出会っている。両親を殺された不信、一年経って、それから少しは彼も周りを見ることが出来るようになった今が、頃合いだろうと。だが、細身と髪の長さから薄暗い少女のようにも見えた険のある子供を見て、普通の子供であった彼女は不気味に思い母の影に隠れてしまった。

 初対面で視線も会話も交わることがなかった二人。彼彼女らが関わりを持ち始めたのは、パイラーが杖を突き始め、パールがひと月近くも寝込んだその時からである。

 雨の中、何時もの水色法衣のまま家にまで来訪をした、しかしよく見ると坊主頭に変わっていたバジルに呆気にとられたユニは、彼が開いた口から出た言葉にもまた驚かされる。

 

「……頼む。オレが誰よりも強くなれる方法を、教えてくれ」

 

 それは、周囲の誰もがバジルにそうなることを望まなかったこと。しかし、自分のせいで大好きな姉が倒れてしまったのだと思い込んだ彼には、守るために誰より強くなることが必要なのだと勘違いした。

 バジルは聞いて回って、しかしそれでも誰も方法を答えてくれない。それは、可哀想な彼を思うが故のこと。子供の無茶に、耳を貸してくれる大人なんて、居なかったのだ。

 だがもし、相手が同じ子供であれば。そう思ったバジルはこうして一度行ったことのある近くのグミの家まで、足を運んで頼み込んだのだった。

 

「そんなこと言っても、分かんないよ……」

「お前しか、頼りになる人が居ないんだ。頼むよ……」

 

 しかし、そんな男の子の内心を解せるほど少女の中身は熟れていなくて、だから下がった頭に正直なところ面倒だと思う。適当な言葉で呆れて帰って貰おうと、ユニは考えた。

 

「誰よりも、っていうことは皆とおんなじことをやってたらきっと無理だよね。他の人と違うことをすればいいんじゃない?」

「なるほど……やってみる!」

「あ……」

 

 だがその言は、バジルの琴線に触れてしまう。男の子は走り出して雨中に消え、ユニは自分の言葉の軽さを少しだけ後悔した。

 

 それから、バジルの噂が少しずつ増えるようになっていく。曰く、やんちゃ坊主共と喧嘩をして魔法も使わずに平らげた、曰く、ポート川の水で出し物をし始め神官にげんこつを落とされた、等など。そして次第に馬鹿げた内容の中に、自警団に最年少で入ったことや、血だらけになって魔物を倒した、等の危険なものまで混じり始める。これには、きっかけを作ったのだろうユニも後悔を覚えた。

 聞くに、もう子守は半分お役御免になっているようだが、親代わりは続けている自分の母カーボもバジルの無軌道ぶりに手を焼いているそうだ。流石に注意はしておかないと、と焦ったユニはバジルの元へ赴く。現在パールと神官らが住んでいる神官館へと教会を通らず一人、彼女は向かった。

 そして、玄関を開けたパールはユニを出迎える。

 

「あの、バ、バジル君、居ます?」

「うん? 貴女、誰かな?」

「あれ……パールさん。あたしのこと、分かりません? ユニです」

「ごめんね、ちょっとある日から、記憶がごちゃごちゃになってて……わ、怒らないで!」

「怒ってませんよ。ブサイクなこれが地です」

 

 ユニはそれこそ少し、むっとした。可愛がってくれたパールに忘れられてしまったことに少し悲しみ覚え、眉を歪めただけで、この反応である。幾ら自分が悪い顔をしているとはいえ、本心を別に取られてしまうのは、残念だった。

 

「ん? ひょっとして悲しんでくれたの? ありがとう。それとごめんね勘違いしちゃって」

「いえ……」

「ユニちゃん、だっけ。自分をブサイクなんて言わないで。貴女、ちょっとキリッとしているだけで、とっても可愛いのに」

「っ!」

 

 だから、下げて唐突に上げられたユニは顔を真っ赤にする。彼女は多くの照れと共に、ああ、そういえばパールさんはこんな人だった、記憶がぼんやりしても変わらいのだ、と実感をした。

 

「そんなことはない……ですよ……あ、あの。バジル君は何処ですか?」

「ふふ。その年で敬語を使えるのはおりこうだと思うけど、私とそんなに変わらなそうだし、窮屈そうでもあるから結構だよ。それで、バジルだね。あの子は、少し前に出ていったけれど、直ぐに戻るって言ってたよ。ちょっと、一緒に待とうか」

「そ、そう……」

 

 そして、ユニは神官館の入り口近くの客間に通される。その端に横たわるベッドを発見して、彼女は少し目を大きく開く。

 

「あ、ゴメンね、片付けてなくて。これ、バジルのベッド。子供三人おっきくなって来たから少し神官館も手狭になってきているし、もうちょっと私が年を重ねたら、神官様が持っている、少し離れたお屋敷に住むことになるみたいだけれど……今はちょっと不格好に利用させて貰ってるの」

「はぁ……」

 

 ユニは、パールの説明に上手く応答出来ないまま、感嘆の声のようなものを漏らして、柔らかなソファに座る。久しぶりの上等なそれの感触を懐かしく思いながら、ああこの綺麗な女の人もちゃんとここで生きて暮らしているのだな、とぼうと思った。

 

「……パール、ユニが来てるんだな」

「あ、モノ」

「こ、こんにちは、モノさん」

「ん。さんは要らないぞ。敬語もなしで頼む」

「うん。それでいいなら……」

「ん。それじゃ、俺は稽古に行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

 そして、もう一人、物語的な存在が奥から現れ、挨拶をしてから去っていく。三本指の魔法使いが居る一団をその剣のみで撃退し、神官を守ったというモノの話は、周知されている。パールの美しさもそうだが、以前よりがっしりとして威圧感を増している彼に、ユニはタジタジになった。

 

「今帰ったぞー」

「あ、バジルだ」

「も、もう、もっと早く帰ってきなさいよ!」

「な、なんだお前」

 

 だから、ちょっと追い詰められていた彼女は助けを求めるようにバジルに詰め寄る。ユニは、その隣でツンデレだと目をキラキラとさせているパールを知らない。

 彼らが落ち着くまで、少し掛かった。

 

「で、ユニ。どうしてお前、ここに来たんだ?」

「それは……」

 

 改まって訊かれて、ユニは口ごもる。貴方を心配して来たのだと正直に言うのは、中々に恥ずかしい。語れないままに、先にバジルがしびれを切らした。

 

「ったく。急に黙って、お前、何なんだよ……ホント、何しに来たんだ?」

「むっ。何しに来たって、アンタのためよ!」

「そうなのか?」

「そうなのよ」

「で、オレのために、お前は何をしに来たんだ?」

「えっと……それは……」

「まただんまりか……」

「さ、察しなさいよ!」

「分かるか!」

 

 大声を上げながら、ぴたりと合った息。お互いツンツンしているが、バジルとユニの相性が悪いというようなことはなさそうだ。その有り様を見て、パールは隣で頬を緩めながら言う。

 

「二人はお友達、なんだねー」

「いや、オレらこれで会ったのが三回目くらいなんだが……」

「なら、よっぽど相性がいいんだねえ」

「そ、そんなことないわよ!」

「ふふ。それに、皆バジルの手を見て気を引かせてしまうから、ユニちゃんみたいな人って、珍しい」

「え、そうなの? だって、バジルはバジルでしょ? そう、子供なんだから無理、しちゃ駄目だよ」

「……ふふ、大事にするんだよ、バジル」

 

 バジルが頬を掻きながら発したああなのかうんなのかよく分からない唸り声のような承諾の声を聞き、ユニは首を傾げる。彼女には、パールの優しい瞳の故も判らなかった。何せ、人がなんであろうが人だと彼女は知っているのだから。

 その、他に対する平等性は母親由来のものであり、本来ならば異常とされても不思議ではないもの。だが、顔で怖がられてしまうユニは同年代と深く関わることが少なく、その内を知られることはなかったのだ。

 擦れていない、白。パールにだって、それは綺麗に思えた。

 これ以降、想い人に彼女を大事にしようと言われたのもあり、バジルはユニに構うようになる。

 

「ユニ」

「何よ!」

「どうしてお前は最初から喧嘩腰なんだよ……」

「……私をからかおうとしていたんじゃないの?」

「ちげえよ」

 

 最初は、互いにつんつんと探り探り。

 

「バジル!」

「どうしたんだよ、ユニ」

「あのね、割の良い糸紡ぎの仕事、見つかったんだ!」

「あー……時間が取れるようなのが良いって探してたな、そういや。でも、幾ら良いと言っても稼ぎ、それほどではないんじゃないか?」

「いいの。バジル達と一緒にいれるもの!」

「そうか……」

 

 そして、この人なら大丈夫だと判じた一方が大いに近寄り盛り上がって。

 

「……すまない」

「謝らないでよ。あたしも、悪かったんだ。バジルがパールのこと好きだって知ってたのに、困らせちゃって」

「……そんなことは、ない」

 

 やがて触れ合うほどに寄り過ぎたことで、互いに傷つき。

 

「バジル!」

「だから、なにか持っている時にくっつくなって!」

「仲いいなあ」

 

 それでも仲良くバジルとユニは、共にある。そのことを喜ぶパールの目の前で、親愛の表現は存分に咲く。彼女は、彼が大好きだから。

 汚泥は大事に何も知られることなく、純白を育てた。無垢ならば、低刺激を存分に楽しめるだろう。なら、彼女が幸せになるのは当然なのだろうか。今日もユニは、思い叶わないことを知りながらも恋に親しんで、笑っている。

 

 

 

「神官様」

「ああ、ユニですか。こんにちは」

「こんにちは」

 

 そして現在、お昼に多めに取っている仕事休みを用いて、ユニは何時もの通りに教会へとやって来た。今日は、偶にある多くが不幸に遭っていない喜ばしい日なのだろう。聖堂に人影はちらほらあるが、それはまばらで。診療台には道具が乗っているばかりで、パールにカーボの姿もない。彼らの代わりに傷病人の手当てを行っている大好きなバジルも見当たらなかった。

 きっと、今は皆で昼食中なのだろう。そして、一番偉いパイラーがお留守番。中々に面白い教会だなと、ユニは思う。

 

「神官様、きっとお昼ご飯をまだ食べていらっしゃらないですよね。恐らくは舌に合わないのでしょうけれど、空腹を紛らわすためにも何か軽いパンでも持ってくれば良かったです」

「ふふ。今日はもう、貴方のお母さんが作った御飯を頂いています。それにユニ、私は貴方が料理上手であることは知っていますよ。バジルがよく語っていますからね」

「あ、そうだっだのですか。うーん、恥ずかしい。バジルも口が軽くって!」

 

 杖をついたパイラーの隣に立ち、ふと彼を思って話しかけてみたが、しかし実は既に満腹と聞き少しユニは恥を覚えていやいやをした。バジルが自分を褒めていたという事実も含めてそれは中々続く。神官は、俗にもそれを面白がった。

 

「あ、そういえば、一度も訊いていませんでしたね。神官様はお母さんと、何処で出会ったのですか?」

「……カーボとは……貴方のお父さんとの関係で、少し縁があったのです」

「へぇ。そうなのですか。知らなかったです。お母さん、お父さんのことなんて、全然言わないからなぁ」

 

 どこの誰だったかも知りませんよ、と言うユニに、僅かにパイラーは胸を押さえる。そうしてから直ぐに、彼はそれが身じろぎだったのだというように動揺も含めて笑顔で隠した。

 

「お父さん、どんな人だったのでしょう……気軽に言えないような、人だったのかなあ……神官様、もしご存知でしたら……いや、言い難いことでしたら結構ですけれど」

 

 片親しか知らないユニが、もう一方を知ろうと思うのは、当然のことだろう。だが、それを知るものも語るものも今まで現れたことなく。一番に繋がっていた筈の母が彼のことを黙っていては、分かるはずもなかった。

 その一部でも教えて貰えるならと、こわごわユニはパイラーに尋ねる。

 

「……カーボが黙っているであれば、詳細は語れません。何時か、彼女が機会を伺っているのかもしれませんからね。ですが語れるところを喋りますと……彼は今もご存命で、立派な方です。安心、して下さい」

「そうなのですか! それが知れただけでも良かっです! お父さん、元気なんだー」

 

 ユニの極端なつり眼が優しく歪む。パイラーの言葉を本気で受け取って、大喜び。何時か会えるかな、と少女は夢膨らます。

 向かい合えずに、そのまま横で見つめる嘘つきなパイラーは、こっそりとため息を吐く。

 

 

 それは、不幸。纏わり付いた全てが最悪。心なかった時のパイラーですら彼女に手を差し伸べざるを得なかった程に、カーボは酷い悪意の中で浮かんでいた。そんな、どうしようもない物事の中から生まれたのがユニであったのは、唯一の彼女の幸運だったのかもしれない。

 立派なはずがない。アレは悪鬼ですら逃げ出す悪徳だった。生きてなんて居ない。自分が現し世に生かしておかなかったから。

 自分に一時この世の全てを見捨てさせた、そんなものがユニの父親であっていい筈がない。パイラーは一時、真剣にカーボと少女を思い、過去を消すように自分が父親になろうかと告白したことだってあった。

 

「……本気、だったのですがね」

 

 玉砕し、もう何年経つだろう。未だ多くの未練を持ちながら、パイラーは想い人の子の笑顔の横で、届かぬ声量にてそう溢した。

 

「あーあ」

「……どう、しました?」

「いえ、どうせなら、神官様がお父さんだったら良かったのに、って思ってしまいまして……あ、でもこんなの不敬ですよね」

 

 何も知らないユニは、だからこそパイラーを綺麗に思い、彼を望んだ。本当なら仇と言われても仕方ない、そんな関係であるというのに、それでも今恐る恐る少女は一番に望ましい男の人として自分を見上げている。その、何と嬉しいことか。

 一度、目頭を拭い、そうして真っ直ぐユニの前に立ち。

 

「いいえ。そんなことはありませんよ」

 

 何隠すことなく本心から、パイラーは笑んだ。

 

 

 




 その笑顔が曇ってしまうのならば。

 大人になるのは悲しいことなのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 ミディアムとレア

 素直くん、大変です。


 

 男性として彼女と付き合う予定であった彼は、彼女となって生きている。そのことは、悲劇か喜劇か。

 

 今までにないくらいの大爆発だよ!

 私なんてちっちゃいものだね。

 変心?

 

 あわわ。

 

 消去法が正しいとは限らないのかもしれないが、彼は心に決めたようだ。それに至る愉快な事態を、補足してみよう。

 

 

 

「ミー兄!」

「どうしたグミ……ぶ」

「あわわ。今までにないくらいの大爆発だよ!」

「だからその姿で行くなって言ったってのに……」

「ぶー」

 

 それはあいにくの雲天の一日。分厚い雲のために暗ったくも涼しくて過ごしやすい中で、あり得ない程の露出をした大きめなグミが唐突に出現し、ミディアムに鼻血を噴出させた。

 ミディアムは水の塔の魔人が変態の魔法を行使出来るということは知っている。だが、それを妹分が真似てエロティックに昇華していたことまで分かるはずもなく。だから彼女に振り向いた筈が、バジルと聖堂の奥の部屋から現れた彼の苦手な大人の女が肌を大いに露出させている様を見てしまって、過去にも類を見ないほどの出血をしたのだった。

 

「あー……グミ、なのかな?」

「分かっても鼻血だらだらさせちゃうんだね。これ以上は可哀想だから、戻ろ」

 

 しかし、落ち着いてよく見てみれば、女性のその様はグミの女性性を異常拡大させたものと思えば納得出来るくらいに面影があって。だが、それでも彼の正直な身体は動悸を治めてはくれない。ぽん、とグミが元の体に戻ったことで、嘘のようにそれは止んでくれたが。

 

「お掃除、お掃除ー」

「水は用意できたぞ」

「ぶー」

 

 そして、最近何時ものことになってしまったその飛散を、あっという間に片付けていく、パール等。布巾で拭ったり、魔法で流したりし、そして最後の片付けはトールがする。鼻に綿の一部を入れて止血しているミディアムは、自分の不出来に改めて申し訳なさを覚えた。

 

「すまない……」

「大丈夫、もう慣れちゃいました」

 

 そう、実際大したことではないのだ。血を流して暴れる人の治療だって、パールにとっては日常。ちょっと血気盛んな男の人の出血くらいでは、多少驚きを覚えるだけだった。

 

「大っきくなったボクなら大丈夫かな、って思ったんだけど……ダメだったねー」

「お前の場合、露出があまりに多いからな……変わりぶりが酷くてむしろ刺激が強過ぎたんだろ」

「おっぱいを隠せば良かったんだね、残念!」

「ぽよんぽよんだったからねえ。あれと比べたら、私なんてちっちゃいものだね」

「パール、だからお前も自分の胸を揉んで確かめるな。ミディアムが上を向いて堪えてるぞ」

「あ、ごめんなさい」

「いや、大丈夫。こちらこそいやらしい目で見て申し訳ない」

 

 パールの豊かな胸が持ち上げられて、弾む。それによって、ミディアムの胸も嫌に弾んでしまう。彼はそれに、嘘の弁解をした。

 そんな上を向いている彼の虚言を知らず、パールはふと、何かを考えついたようで口に手を当てる。

 

「そうだ、思いついたから、やってみようかな……」

「何だ?」

「よし、グミがチェンジしてみたのなら、私もチェンジしてみますね。よーし。変身……じゃないね。変心?」

「お前、まさか……スナオに……」

「ふぅ……うん、僕だよ」

「スナオだ!」

「わっ」

 

 変心、と言っても外目には特に何も変わらずに。だがしかし、その実パールは確かに代わっていた。それを敏にグミは感じ取って、飛び付く。ちびっ子の抱擁に微笑み撫でる素直を見て、ミディアムは言う。

 

「え? 何も変化しては……うん? でも何だかパールさん、雰囲気が少し変わった感じがするね?」

「まあ、ちょっと気持ちを切り替えた、そんな感じに思ってくれればありがたいです。それで、実験してみようかと」

「実験っていうのは、もしかすると……」

「大したことはしませんよ。手を繋ぐだけです。それくらいなら、鼻血は出ませんよね? ちょっとやってみていいですか?」

「ま、まあ、その程度ならば」

 

 先端での接触程度では大したことは起きないと分かりつつも、最近の不幸癖から少し及び腰になりつつミディアムは差し出された手の平にゆっくりと自分の一本の水色が目立つ手を伸ばしていく。そして、それは細く柔らかな指に絡め取られた。

 

「はい、ぎゅっ」

「ん? ええと……あれ、なんともない。……おかしいなあ」

「あはは。平気なんですね」

「何でだろうな。スナオって何か特別なのか?」

「……やっぱりねー」

 

 その事態に訝しがるのは、男性陣ばかり。女性に触れられたのに何ともない。痛む程の胸の動きミディアムには感じ取れなかった。実に落ち着いている。だから、そのまま離れずに彼はスナオを見つめられた。

 今までになく近くで、その彼岸の美しさに、ミディアムは感じ入る。

 

「……この状態のパールさんは、スナオさんと呼べばいいのかな?」

「まあ、あまりならないですけど、見かけたらそう呼んでいただければ、と」

「それは困る」

「はい?」

 

 スナオは首を傾げるが、ミディアムは真っ直ぐ見つめたまま。割と整ってはいても、中身とは同性である相手の熱視線を嫌がり、そんな内心を隠すようにほにゃりと彼は笑む。

 そうして、そんな愛らしさが、ミディアムの口を勝手に動かせた。

 

「わたしがこうも胸動かされない女性は、スナオさんしかいないのだから。出来るなら、わたしと結婚して欲しいくらいだ」

「あははー……冗談ですよね」

「いや、冗談では……っ」

 

 ミディアムの告白のような言葉は、最後まで続かない。それは、扉を勢いよく閉められた、その大音によってかき消されたから。その下手人、肌が少し浅黒く、しかしどこかの誰かさんに似た柔らかさを持ちながらも、鋭く視線を尖らせる少女。その名前を、彼は呆けたようにしながら紡ぐ。

 

「レ、レア……」

「兄ちゃんが、告白……それもグミじゃなくて見ず知らずの、女に……」

「わー、最悪のタイミングでレーちゃんの登場だ……」

 

 そう、彼女こそミディアムの妹、レアであった。大好きな兄に会いに来た彼女は、偶然的にも告白のような場面に遭遇して、心を乱させる。そうして、乱れた心は最終的に昂り怒りとなった。

 強く、情の強いレアは素直を睨み付ける。

 

「こんなの、なかったことにしねえと……そうだ、コイツをやっちまえば……」

「ミディアム。お前、物騒な妹を持ったな」

「いや、バジルはどうしてそんなに落ち着いているんだ……レア、鋏とはいえ、刃物を人に向けるんじゃない!」

「うっせえ! 檻に入ってもくれねえ上に、勝手に人生の墓場に入ろうとしちまう兄ちゃんの言うことなんて聞くもんか!」

 

 中々に珍妙な兄妹喧嘩を見つめるバジルの目は白い。それもそうだろう。一般人がどれだけ暴れようとも、聖女を守る自信が彼にはある。ただ、こんな残念な妹も居るのだな、とは思う。

 ミディアムに否定され、興奮していく、レア。それが頂点に達しようとした時に、二人の間に割って入る、小さな姿があった。勿論それは共通の妹分、グミだった。

 

「レーちゃん」

「どくんだ、グミ! そいつ殺せねえ!」

「ダメだよ。スナオはボクの愛する人でもあるんだから」

 

 そして、愛する妹もまた、レアに爆弾を落とす。あまりに真剣な声色に事実と知った彼女は、ふらりふらりと、よろけだす。

 

「な、なんてこったい……」

「レ、レアさん?」

「テメエ、グミまでたぶらかすとはなあ……両刀とは恐れ入る……だが、負けねえぞ!」

「わあ。僕、何だがとんでもない勘違いされているぞお……」

「オレなんてなあ、兄ちゃんのこと、十年よりも前からずっと好きだったんだからな! ……わっ」

 

 対抗心から飛び出した、そんなトンデモな言。それを放ったレアは、湿った糸でぐるぐる巻きにされる。やったのは明らかだ。自分の兄を恐る恐る見上げると、無表情に自分を見下げているのが分かった。

 

「……レア」

「な、何だよ兄ちゃん」

「少し、頭を冷やしなさい」

「耳打ちされた通り、水たっぷり創ったが……本当にぶっかけていいのか? まさか濡れた妹相手に鼻血出さないよな?」

「実の妹に興奮するような兄なんて、あり得ないよ。そして、実の兄に好意を持つ妹なんて、駄目駄目だ。遠慮なく、やっちゃってくれ」

「分かった。それじゃあ行くぞ」

「えっと、何なんだよその冷たそうな大量の水……え、お前、指五本も……ひぇ……ぶわっ!」

 

 そして、バジルの右手の色に驚きを覚えた、その途端にレアはとんでもない量の水を頭からジャバリと被るようになる。怒涛は、しかし床に落ちずにそのまま宙に消えるように分解されていく。器用な少年の魔法の腕を見、感心しながらグミは素直に抱きついたまま、言った。

 

「レーちゃん、これで落ち着いてくれたら、少しは話が出来るかな? スナオはどう思う?」

「はぁ。何とも。ただ、少し表に出ただけなのに、どっと疲れたよ……」

 

 そして、ため息を吐いた素直は、パールの顔に少し憂いを帯びさせていて。故に、遠く見ていたバジルの胸をギャップで撃ち抜いたりもしていた。

 

 

 

「あははー……オレ、勘違いしちゃってたわー。アレ、兄ちゃんの冗談だったなんてなあ」

「レア」

「ごめんなさい」

 

 嘘でごまかされた後に、促されてレアは艶のある長い白髪を頭ごと下げる。それを笑顔で受け止め、聖女は応じた。

 

「あはは。まあ、実害何もなかったし、いいよ」

「そっか……オレ、刃物向けたってのに……お前、良いやつだな!」

「私は、パールっていうんだ。謝罪よりも、レアちゃんが仲良くしてくれると嬉しいな」

「おうっ。パールな。オレはお前が気に入ったぞ!」

 

 手を差し出すパールに、それを掴んで上下に降るレア。シェイクハンドは非常に大げさで、長く続いた。

 やがて二人は離れ、レアがバジルに向かった後に、ミディアムがパールに語りかける。

 

「これは……スナオさんからパールさんに、戻ったのかな?」

「そうですよー。素直、面倒になるからって隠れちゃいました」

「ちょっと残念だね……」

 

 明らかに、ミディアムのその思いが深いものであることに、パールは気付かず、彼女はレアを目で追った。

 レアはバジルに近づき、その手をまじまじと見ていた。

 

「それにしても、五本指か……すげえなあ」

「……そんな目で見られるのは、珍しいな」

「いや、だってテイブル王国でも五本は殆ど居ないっていうじゃんか。神祖ですら四本だって聞くぜ。客や兄ちゃんで魔法使いには慣れているるけど、特別なのにはやっぱり驚くもんだよな!」

 

 愛するものも、世界で数少ないもの。それこそ、希少を大事に思う心がレアにはあった。だからこそ、五本の次元違いの危険を彼女はただ凄いものと認めた。

 

「面白いやつだな……」

「名前教えてくれよ。兄ちゃんの友達みたいだけど、出来るならオレも懇意にしたい」

「バジルだ」

「オレは、レアだからな。ちゃんと覚えておけよ!」

 

 笑顔を交わす、彼彼女。そこに、口をとがらせいじけた表情をしながらやって来たグミが口出しをした。

 

「レーちゃんは、直ぐに人と仲良くなるなー」

「そりゃあ、オレは基本的に人間好きだからな。それよりグミ。こんな近くに居たってのに、コブルの実家に顔も出さないで……どうせ、学園に飽きたからって遊び呆けてたんだろ?」

「ううん。ただ、パールから離れたくなかっただけ」

「こっちはマジかよ……」

 

 悩むように頭に手を当ててから、次にレアは口に手を持って行き、まあ、全部オレのものにしたら何の問題もないか、と今度は怪しげに呟き出す。彼女の好きなものを逃さずに居られない独占欲はどうにかならないものかと、グミも思う。

 

「ま、いいや。それで兄ちゃん。母さん達が呼んでたぞ。そろそろ便りだけじゃなくって顔も見せなさい、って」

「そうか……まあ、頃合いだよな。学園にも報告してあるけど、そろそろ戻らないとわたしが退学になってしまうかもしれないし。後数日後、王都へ戻る前に、そっちに行くよ」

「それと、そろそろ恋人の顔も見せなさいって」

「これは……まあ、少しは明るい話題を持っていけるかな」

「そこでパールを見るんじゃねえよ、スケベ野郎」

「いや、わたしはスナオさんを見ていたんだが」

「一緒だろ」

 

 何を考えているんだとでも言わんばかりのバジルの顔を見て、少し何か考えてから、ミディアムはパールに再び向かい合う。その時胸に感じるものを覚え、やはりと思った。

 

「違う、とは思うが、まあ良いか……」

「ミディアムさん?」

「わたしは後数日でさようならをしなければならないけれど……後で、スナオさんには上等なドレスを送るよ」

 

 わたしを忘れられないくらいに素晴らしいものをね、と繋げるミディアムは、どうにもキザな様子である。それに、パールは少し引く。

 

「多分、着ないと思いますけど……」

「何、ならその日まで取っておいてくれればいいから」

「あわわ」

 

 意味を察知し、パールも流石に真っ赤に。だが疲れて眠っている素直に確認取れずに、勝手にそれを拒否することも出来ず。お陰で、後々、厄介な方に事態は進んでいてしまう。

 

「あれ、実は兄ちゃんマジっぽい? いや、初めて見るレベルの美人だけどさ、兄ちゃんにグミに、どれだけパール、モテるんだよ。でもこりゃパールを使ったら全員オレの側に纏めるのも夢じゃないな……」

「そんなの、泡沫の夢にしとけ」

「あいた」

 

 ぽかりと、バカなことを言うレアを右手で叩いて、バジルはせっかく仲良く出来そうだったのにミディアムも最終的には敵になるのかと、内心残念に思った。

 

 

 

「兄ちゃん……パールには何ともなく触れられた、っていうのはマジか?」

「ああ」

 

 その後、レアを中心に皆と仲を深めてから、夜になって宿屋で兄妹二人きり。ミディアムは妹に今日に起きた事実を語る。それが奇跡的であることを知っている少女は、思わず口にした。

 

「それ、変だろ。だって兄ちゃんって……」

「まあ、変でも良いさ。これが最後のチャンス、とでも思っておくよ」

 

 あの日から、壊れてしまった胸元。それを染指で押さえ、ミディアムは続けた。

 

「少しのきっかけで歪んでしまったわたしが、異性を愛せる最後の機会だってね」

 

 女性性に過度に危険を覚える。結果鼻血となるために下心と間違われていているそれが、起きない女性は、ミディアムには家族以外で初めてだった。

 もしかしたらこれが遅めの初恋。二十四にもなってからそれを今更始めてみようかと、彼は思う。酷く、理性的に。

 椅子にだらしなく座り、そんな兄を横目で見ながら、レアは溢す。

 

「……正直、兄ちゃんってオレ以外だと男と結婚するしかないって思ってたよ」

「それは心外だな……」

 

 男色もアリだけれどな、と言うレアに、流石にミディアムは危機感を覚える。こんなに変な妹を貰ってくれる人は果たしているのか。見た目と能力以外は、酷すぎるこんな女の子を。

 

「……最悪、バジルに押し付けるか」

 

 目下、バジルを最大の候補として考えて、お兄ちゃんは妹の前でため息を吐いた。

 

 

 




 レアさん、これでも仕事の時は人が変わったかのように有能だったりします。
 胸が高鳴らないのが、恋。こう思う人は珍しいのではないのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 パールと日常

 第一章、これにて終了です!


 

 彼と地続きの彼女は、それ以外に殆何も考えていない。それとは、何か。

 

 ぎゅー。

 おかえりなさい、って言って貰えるの嬉しいよね。

 今日も、良い日だねー。

 だって、優しいもの!

 

 よし、頑張るぞー。

 

 これだけで、分かる人も居るだろう。だが補足は不可欠のものだと、わたしは信じている。

 

 

 

 拍車をかけられ、大モアの高い背が勢いよく鳥車を牽いていく。窓からこちらにずっと手を振る二人に、パールとバジル、そしてグミは応じてまたねと大声で返す。下った末に曲道で見えなくなるまで、ミディアムとレアとの別れを彼らは惜しみ続けた。

 晴天の旅立ちに絶好の日和にて、街道外れに三人と、一匹はそのままぽつねんと。ミディアムとの思い出を思い出しながら、しばらくの間何もない遠くを皆で眺めていた。

 やがてぽつりと、パールが会話の端を発する。

 

「行っちゃったねえ」

「だな。……グミ、本当に、付いていかなくて良かったのか?」

「子供じゃないんだから、ボクがミー兄達に付いていってあげなくても大丈夫だよ!」

「いや、そういう意味じゃなくてだな……」

 

 僅かに心配気なバジルの言葉に、グミは冗談で返した。あまり、真剣になりたい気分ではないのだろう。彼女は笑む。

 それでも、バジルは顎を掻きながら、正しい続きを欲した。誤魔化すのを諦めたグミは、観念したように言う。

 

「実を言うと寂しいけど……でも、ボクはここに居ることを選んだんだ。家に帰るのは、もうちょっとパールに元気を貰ってから、だね」

「そうか」

「ぎゅー」

「わっ。どうしたの、パール」

 

 明かりが消えた、グミに抱きつくパール。フカフカに、彼女は埋もれる。聖女の表情はあまりに優しい。まるで、愛おしいという想いが顔に書いてあるようだった。

 

「元気、幾らだってあげるよ。それでグミが家族と仲良くなれるなら。私はあまりお父さんお母さんって知らないけれど、それでも帰れる家があるのは幸せなこととは知っているよ。おかえりなさい、って言って貰えるの嬉しいよね」

「パール……」

「実は私、グミのお父さんお母さんが好きをこじらせて大変になったのは聞いてるんだ。それが直ってもぎくしゃくしてしまっているみたいだけれど、きっと、ほぐれた後も好きは変わらないと思うの。後でただいま、ってしてあげて」

 

 知らない。だからとはいえ、考えないということはなかった。育ての親だけでなく、実の親も居てくれたらどれだけ良かったのだろうと、パールは思う。素直の記憶で、その温かさを知ってからは、尚更のことだった。

 しかし、パールはグミが羨ましいとは、思わない。それは、今の幸せを認めているから。満ち足りた皿は、ただ隣人を愛する。そして、自分は無理でも人が努力でこれから更に幸せを得られるなら、その手伝いを厭うことはないと、聖女は思うのだ。

 だから、ありったけの意を篭めてパールは微笑んで。そうして、安心させるために、元人形姫を包み込む。グミは、言った。

 

「……考えとくね」

「それでいいよ。私と違ってグミは賢いんだから、きっとそうしてくれたら間違いないもの」

「悲しい事実だな」

「もう、バジルは何時も馬鹿にするんだから! トール、やっちゃって!」

「ぶぅっ」

「いて」

「ふふっ」

 

 トールに鼻で小突かれ、バジルはすねを押さえる。痛そうにしてしゃがむ少年の隣で偉そうにしているブタさんがどうにもユーモラスで、グミもパールの胸の中で微笑んだ。

 やがて、もういいよ、というグミに従ってパールは彼女を離してから、伸びを一つ。そうして、彼女は首を振る。

 

「ふぅ。何だか考えすぎたから、頭疲れちゃった」

「大丈夫?」

「あれだけで、かよ……」

「気を晴らすためにも、ちょっと、走ろう! わー」

「ったく、肉体派な聖女サマだなあ……」

「ま、待ってよー」

「ぶ!」

 

 言い、パールは走り出した。肉体が最早超人の領域である彼女が一度本気を出したら、きっとどこぞの剣士でもなければ追いつかないことだろう。だが、当然のように聖女は周囲の走る速さに合わせる。

 運動に慣れていようが、幾らお転婆だろうが、歩幅の小さなバジルにグミが駆けるのに優れている筈もない。彼らの必死と同じくしても息も切らさず、パールは周囲を見つめた。

 

「皆、元気そう! 今日も、良い日だねー」

 

 そして、聖女は今日も微笑むのだ。

 

 空の青に白い山嶺を突き刺すように聳えるハイグロ山脈。そして遥か高みのタケノコの下に、人々は生きている。連絡用の鐘塔以外にさして高い建物のない、しかし勾配の急な土地に張り付くようにして暮らす彼らは、抜けるような青空の元であっても高みを望むことなど殆どなく、ただ前を向いて過ごしていた。

 だから、目の前に自然に生まれた最高の美の果実が現れてしまえば、思わず頭を下げてしまうのは当たり前のことなのかもしれない。子供と動物を連れて走る聖女を、誰も見下げやしない。物語の一場面を見たかのように感じ入りはするが、一人たりとてそこに自分を入れることは出来なかった。

 けれども、聖女は孤独ではない。何せ、彼女を見つめる多くが思っているのだ。全てに親しもうとする彼女の幸せを。それ以外【殆ど何も考えずに】人の幸せを願っている少女の手で、幸せにしてもらった人々。彼らは確かに触れず崇めていようとも、それでも愛だってそこにはあったのだ。

 

「ああ、聖女様。私達が元気であるのは、貴女様のお陰です……」

 

 誰かの声は、パールの耳に、届かず消えた。だが気付かずとも、彼女は前へと進む。殆ど何も考えずとも、大体を叶えてしまう万能の奇跡の力を癒やしのために使って。

 

「今日は、誰の助けになれるかな? 急がないとね!」

「はぁ、はぁ、まだ速くなんのかよ……」

「お、追いつかないよー」

 

 そうしてそろそろ仕事の時間であることを思い出し、パールの足が奏でるリズムは早まる。背後で、悲鳴のような声が上がった。

 

「あ、ゴメンね。でも、そろそろお仕事に行かないと」

「はぁ……そんなに、お前は削らなくても良いんだぞ?」

「削ら? よく分かんないけど、大丈夫! そんなにお仕事、辛くないから」

「バジル、ボク、眩しいよ……」

「能天気も、過ぎればこんなのになるんだな……」

「ぶぅ……」

「ん? ひょっとして、私バカにされてる?」

「いや。太陽を馬鹿にする奴なんて、そうは居ないだろ」

 

 真っ白に輝く少女に目を奪われながら、バジルはそう言う。何時か自分の目が潰れてしまわないように、願いつつ。

 はっきりと、パールの仕事は過酷である。近ければ、それだけ奇跡は叶うもの。そうであるのであれば、日々その力を用いて人の治療をしている彼女はどれだけの痛みに触れたのだろう。

 誰彼の死の淵にて、誰よりも苦しみを目にしながら、パールは手を尽くしてきた。その白磁の手にて流れる血を押さえながら涙を流したことだって、一度や二度ではない。聖女の奇跡を持ってしても届かずに、命を掬うのに失敗したことも多々あったのだ。

 それでも、その度にどれだけ悲しんでも彼女は何時だって前を向いて戦い続ける。血に吐瀉物を汚れと思うこともなく、暴言や悪口を悼むこともなく、ただひたすらに彼らの幸せを願って。

 一途。なるほど、だから普通ならば投げ出す仕事も辛くはないのだろう。余計なものなどなく、純。パールはその輝きで人を照らす。そして、明るくなったことに喜ぶのだ。

 そんな自分を知らずに、考えもせず、聖女は空を見上げた。

 

「太陽かー。私、太陽好きなんだよね。素直も一緒らしいよ。それはそうだよね。だって、優しいもの!」

「はぁ、そうか?」

「そうだよ。だって、自分を燃やして、周囲を動かしているなんて、凄い。尊敬しちゃうなー」

 

 少し、先行してからパールは手を開いて、陽光を浴びる。振り向き様の動きで、少女の銀髪が広がり、キラキラと輝いた。光沢のない四色の法衣ですら、光って見える。

 疲れもあるのだろうが、その言葉を聞いたグミはこと微妙な顔をして小さく感想を言う。

 

「かんっぜんに、それってパールのことだよね」

「毎日、水鏡創って自分の姿を見せてやっているんだがなあ」

「ぶうぅ」

 

 グミとバジルの言葉も、我が子ながらちょっと足りていないな、とトールにも言われていることを知らずに、パールは再び前を向く。そして、彼らは再び揃って駆け出す。

 

「ちっ。『マイナス』に、魔女か……」

 

 観衆の一人。誰かの声は、本人へと届いた。だが、それに気を取られる程に、二人は真面目ではない。

 一体何人の人間が、聖女の周囲に居座る多くの染指を持つ魔法使いを恐れたことだろう。その数多の視線を、グミとバジルは知っている。今だって、目で嫌煙の思いを語られていることだって気づいていた。

 だけれど、彼らは聖人でもなければ聖女でも勿論なく。だから、大好きから離れてやることなんて、考えもしなかった。指先が傷をつけるのは、当然。高みにある彼らが、下々を思いやる必要なんて、あまりないのだろう。

 

「ま、きちんと聖女サマの前に立てるなら考えてやってもいいがな」

「邪魔こそ惹かれるから、困ったものだけれどね」

 

 だが、それでも彼らは彼女が望むものを少しは認めるようになっていた。自分の魔に右往左往される程度の人々であっても、悪くは思わない。ただ、そういうもので、尊くなくても醜くても、そこにあってくれるのは喜ばしいことだと。そこまでは、思えども流石に天の邪鬼なバジルにグミは口には出さない。ただ、そう考えるだけだ。

 

「あ、アンナさんだ。おはようございまーす!」

「マジであいつ、商人やってるぞ……」

「わあ。びっくりだね」

 

 そして、また聖に魅入られた邪が一人、人に交じる。振られた手に振り返し、去っていくパールの姿を目で追いながら、アンナは日常に埋没する。

 

「我が王様は、元気ね」

 

 金勘定は、別段得意ではない。けれども、決して苦手でなければ、多少の儲けを出すことは不可能ではなかった。だがしかし、アンナは損して人の笑顔を取ることを覚えてしまっている。

 今までアンナは考えてこなかった。掬われるべきは、どこまでか。そのことを、アンナはこの地にて肌で知った。

 

「少しは、居るのね」

 

 日々の中で、彼女はずっと聖を目で追い続ける。だが、その視界に微かに何かが混じるようにはなってきたようだ。

 

 

 そして、聖女はゴールへと辿り着く。その場の誰より早く、パールは彼へと飛び込んだ。

 

「おかえりなさい」

「ただいまです、神官様!」

 

 この子の反抗期は何時来るのだろうと内心戦々恐々としながら、パイラーはパールを抱き留める。そして、誰より近く少女の満面の笑みを見て。

 

「……数多間違って来て、良かったです」

「どういうことですか?」

「なんでもない、独り言ですよ」

 

 本心から、全てが今の幸せに繋がるのならそれで良かったのだと、思った。それが多くを踏みにじることだったとしても、パールの幸せに繋がったのならば、どうでも良いと。

 パイラーは、ただ聖女のもとに仕える。

 

 

 

「よし、頑張るぞー」

 

 やがて聖堂で用意を済まして白衣の腕をまくり、聖女はカーボの隣で発奮を始めた。パールが日常を謳歌している、そんな時。

 

 

「次は、何処に向かおうかな?」

 

 クラウン・ワイズが率いるサーカスは放浪しながら血の雨を降らし。

 

 

「この洞は……何かの遺跡なのか……ひっ」

 

 迷い込んだ者を飲み込みながら、人知れずにダンジョンは、脈動して。

 

 

「コア様……」

 

 そして、コアは信徒に願われる。

 

 

 日常の外で、世界は動いていた。だがそんなことを、パールは殆ど考えることもなく。

 

「ん? 頑張ってね、かあ」

「スナオか?」

「うん!」

 

 ただ、性を転換してしまった彼と交じりながら、自分のお話を紡いでいくのだった。

 

 

 




 大体、消化できたでしょうか。そして伏線もばら撒き、続いて、第二章サーカスが始まります。
 戦闘多々になって以前と雰囲気が異なってしまうかもしれませんが、出来ましたらよろしくおねがいしますね。

 もうちょっとだけ(力尽きるまで)続くのです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 サーカス
第二十三話 聖女と魔従


 第二章、開始です!


 男の子を知る彼女は、それも助けようとする。魔従とは果たして、いかなるものか。

 

 真鉄は魔法効かないっていうのは凄いけど、鉄より重いのがなぁ。

 皆、無事なのですね!

 頑張った方がいいでしょう?

 

 良かった。

 

 だがこれはさきがけ。切っ先は鋭くなくても、刃は恐ろしい。その一部でも、補足してみよう。

 

 

 

 鐘塔の足元にて騒ぎが起きて、その結果、街に鐘が鳴り響く。回数とその意味は、決まって周知されている。一度ならば、人による事件事故、二度になると火事で、三度になるとその他災害の知らせ。そして今回、四度も鳴ったということは。

 真昼のおり、神官館にて黙って知らせに聞き入っていたパイラー等は、意味を察して話し出す。

 

「この回数は……魔物のようですね」

「何だか、四回なのはおんなじだけど、自分の家の方のリズムとも王都のリズムとも違うね」

「旅人や新参者は、このライス地区独特のリズムが何を意味するのか勘違いしたりして困るみたいだな。どうして、統一させないんだろうな……」

「それは、私にも不明なことですね」

 

 しかし、魔法使いでもそれなり以上な三人が、人に見つかってそれを逃してしまう程度の魔物に怯えるようなことはない。むしろ、グミ以外は自警団に参加しているために、この連絡が来た際に見回りを行う義務すらあった。

 とりあえずは、教会周辺を見て回ろうと、三人は特に焦らずしかし早足に裏口から入りそのまま聖堂へと向う。まず、一番に大事なものの無事を確認しようとした三人だったが、しかしそれは空振った。

 

「見回りですか、お疲れ様です」

「カーボさん、だけか……パールの姿がないな」

「パールは何処へ?」

「あの子は、私が止める間もなく急いで外に出ちゃいました。物騒にも、飾ってあったアレを持って」

「おいおい。非常用に置いてある、真鉄の剣がないな……」

「え、パール、魔物退治に行っちゃたってこと? 大丈夫かな」

 

 剣を帯びて、不明になる。それは明らかに抜け出して戦わんとしているということだろう。その強さを知っているが、けれども不明な相手に怪我でも負わされたらことだとグミは考える。

 そんな呑気の横で、バジルとパイラーは険しい表情になった。

 

「もしかしたらこれは……相手が魔従なのかもしれませんね」

「前も、こんなことがあって、アイツ、知らない間に魔従やっつけてたけれど……なんでか、助けられなかったって、泣いてたな」

「ホント? 危ないし……それに、泣いちゃうほど嫌な思いをすることになるなら、止めないと」

「探しに、出ましょうか……カーボさん、後は頼みました」

「はい、神官様」

 

 従順な、そんなカーボの笑顔を寂しそうに見つめてから首を振り、パイラーはバジルとグミを急いで追う。しかし、杖をつかなければいけない自らの足の進みの遅さに、彼は自嘲し、年下の彼らに向けて頭を下げた。

 

「私は足がこれで追いつけないでしょうから、頼みますよ」

「分かった。だが家三つ分は探知出来るとはいえ、オレだけじゃあ、先に見つけるのは少し厳しいな。グミ、お前に何か手はあるか?」

「ふっふー。天才のボクに任せるんだね。とあっ」

 

 偉そうにしてから、グミは舗装路の横、雑草溢れる地に手を当てる。すると、そこからぼこぼこと地が持ち上がり、形になる。そこに充填されるは、水。見目がどうにも愛らしい、人型の泥はそうして出来上がる。

 やがて、地から生えた数多の人形は、グミの指揮に従って各々動き出していく。あっという間に、彼らは四方に散っていった。

 

「ボクはこの程度の大きさなら、魔法人形を百は操れるからね。闇雲に探すパールと違って、直ぐに見つけられると思うよ。行くぞー。人海戦術だー」

「凄いですね……」

「……ふうん。ならオレも、少し広く観てみるか」

 

 そして、対するようにバジルは空に右手を向ける。気持ちを空へと伸ばし、それだけで彼の探知範囲は軽く倍になった。気軽にこんなデタラメが出来る辺り、流石は五本指といったところだろうか。

 ついバジルは、思惑を口にする。

 

「これなら流石に、パールがオレ等より先に魔従とかち合うようなことは、まず無いだろうと思うが……」

 

 それは、当然だろう。パールが何となくで動いても、魔物に当たることは殆どない。方法を確り持っている彼らが、聖女か魔従のどちらかを見つけられる可能性は、高い。

 

「しかし何か、忘れているような、そんな気がしますね……」

 

 パイラーは呟く。彼らにも誤算は、あったのだ。探すのなら、存外人より獣のほうが優れているもの。そう、すっかり彼らはトールの存在を忘れていた。

 

 

 

「真鉄は魔法効かないっていうのは凄いけど、鉄より重いのがなぁ」

「ぶぅ?」

「大丈夫だよー。ほら」

 

 それ使えるのか、とでも言いたげなトールの視線に応じるように、そう口にしながら、パールはびゅんびゅんと身の丈ほどある大剣を振る。鼻先を動かしながら、中々パワーのある子どもだと、イヌブタは少しおののいた。

 今回、誰よりも先に魔従に気づいたパールは口笛でトールを呼んだ。それに応じて地面からもこもこと現れたブタさんを汚れも気にせず彼女は抱きしめ、そして魔従の探索を頼んだのだ。

 鼻を地にこすらす。それだけで広い範囲を嗅いで判ずることが出来るのが、ブタの鼻の良さであるが、そこに更にトールはアレンジを加えていた。土色に染まった蹄は地に落ちるニオイ物質を先取りして集めていく。そうして多くを彼は知るのだった。

 

「ぶ!」

「見つけたんだ、よっし。行くぞお!」

 

 そして、顔を上げたトールは走り出し、それにパールは並行する。明らかに相当な重量であるだろう剣を背負いながら、すばしっこいブタと共に走っている少女の姿は人の目を惹く。だが、それを全く気にすることなく、彼女は現場へと到着した。

 トールが見つけた魔従のいる場所。それは家々の合間の袋小路。よしよしをしてから、暗がりへ向かおうとするパールの前に、奥からふらりと女性が現れた。鮮烈な赤色の髪が目立つ、彼女はアンナだった。

 

「アンナさん!」

「ぶ?」

「パールも追ってきたのね……配下の者がここまで魔従を追いやったのだけれど……仕留めるまでは行かなかったわ。因みに、貴女が聞きたいでしょう、人的被害は今の所ないわよ」

「そうですか。良かった。皆、無事なのですね! ありがとうございます!」

 

 そう言って、微笑む聖女に、アンナは実は私の部下が自警団に入っているから仕様もなしにね、とうそぶく。ついと後ろを向いてから、やがて彼女は顔を真面目なものにする。

 

「この先だけれど……ただ、少し危険ね。厄介な風色。暗器なんて簡単に散らされてしまう。とても私が手伝えるような相手ではないわ」

「そうですか。分かりました」

 

 風色、それは珍しいとパールも思う。だが、それで怖じることはない。助けてという悲鳴は、未だに止まないのだから。

 先へ進むその背に、声がかかる。

 

「ねえ」

「どうしました?」

「私は止めないけれど。パール、貴女が一人で危険を犯してまで戦う必要はあるの? もし負けてしまったら、多くの人が悲しむとういうのに」

「それは分かっている、つもりです。でも、今回は、今回こそは助けてあげたいんです! きっとこの子を掬えるのは私一人だけでしょうから」

 

 結局、自分勝手なのはどうしようもないですよね、と言いながらも、パールは迷わず歩みだし、そうして一度振り向いてから、とても上等な笑みを作った。

 

「それに、私は特別なんだから、頑張った方がいいでしょう?」

 

 奇跡が、当たり前に起きれば良いのですけれど、と言いながら聖女はお付きのブタを連れて行く。先が死地であるかなんて、パールは気になるものではないのだろう。ただ、彼女はやるべきことを成す。

 

「……これはこれで、王らしいのかしらね」

 

 人払いは済んでいるかしら、と配下の監督に向かうかたがたアンナは聖女の言葉を呑み込んでパールを認めた。ふんぞり返るばかりが、王ではないからね、と独りごちながら。

 

 

 

「……やっぱり、苦しんでいる子だった」

「ぶ」

 

 そこにあったのは、大きな影。袋小路に居たのは小モアだった。多分に茶色く丸い身体が愛らしくも思える。しかし、普通ならば大人しい筈の動物の目は歪み、そしてその全体は左足から染まりに染まっていた。

 

「魔従、かあ……嫌だよね。壊すの」

 

 指の一本の風色が侵食し、モアを変態させている。魔従。魔に従わされた、哀れなもの。彼に、自我など何処にもない。あるのは、命令を叶えるための五体ばかり。

 そう、ここまで染まってしまえば、全てを壊して魔に還せ、という魔からの命令に魔従は背くことが出来ないのだ。生きていたいのが動物であるのならば、破壊衝動に染まって強制されるのはきっと嬉しいことではないだろう。

 そして、それをどうしてだかパールは解してしまう。助けて助けて、という泣き声を聞いて、パールはここまでやってきた。

 

「……今、貴方を開放してあげるから」

 

 そして、剣を縦に構えて、パールは魔従と対する。彼女の大粒の青い目が、きゅっと、真面目に前を向いた。

 

「グアッ」

 

 敵対。壊せ。その上からの命令。それに動かされて、魔従モアは、近づき助けようとしているパールに対して、魔法を使う。そして彼は風を操った。

 風色。それは大気やその流れを自由に出来る、魔の色。今回、足先から触れた空気を不可視の弾としてモアは発した。

 魔従モアは、ただの一本の魔物ではない。侵食され力を拡張してしまった、そんなバケモノ。常なら人を害せる程度にならない筈の彼は、今や大きな脅威と化していた。

 その速度、そして不明さ。攻撃が来たと思えばもう遅く、防ぐに遅れるのは自然なこと。ましてや、パールは風色と出会ったことすら初めてだった。故に、彼女は剣を盾にすることを遅らせて。

 

「ぶう」

「トール!」

「ぶ、ぶぅう……」

 

 以前、風色カラスの魔物と縄張り争いをしていた愛ブタが創ってくれた土壁に助けられた。パールの歓声を他所にして、敵に一撃で防御に罅を入れられた事実に、トールは少し驚きを覚える。そして、続けざまに飛来してくる空気のツブテ。保たないと思った彼が、全力を用いて新たに厚い土壁を創ろうとした、その時。

 

「ありがとう。でも、もう一回見て分かったから、大丈夫!」

「ぶ!」

 

 なんと、パールは剣を構えながら前に出た。驚き遅れたトールを他所に、続いて飛んできた、見えない筈の魔弾は四つ。幾つかは防げたが、一発は壁を貫き少女の元へ飛んでいく。一つ当たれば、きっと命はない。イヌブタが我が子を思って魔法を行使しようとした、その時。

 

「えーい」

 

 崩れ、多く土が散る中で、煌めきが起こった。それによって、魔弾は断たれ、威力を失う。トールは謎の事態に驚いたが、しかし下手人たるパールは笑んでその結果を受け止めた。

 

「よしっ。斬れるね。これなら奇跡の力に頼らなくてもよさそう」

「グア」

「わ、一杯。えいえーい!」

「ぶぶう!」

 

 そして、パールは大剣にて通常ならば見えないはずの魔弾の群れと相対する。気の抜けるような掛け声に、しかしその剣閃に隙はない。ひと度少女が踊れば、無数すらゼロと消えた。

 その事実に、先程数の暴力に追われつつもその魔法にて多数の人間を追い返したモアは魔従と化した部分で驚きを覚える。どうして、人に見えるはずのないものを、こうも容易く少女は防ぐのか。染まった部分で彼は恐れながら考える。自分の染まりきらない大多数が、剣舞を行う聖女に助けを求めて喜んでいることを無視しながら。

 

 魔従に分かることではないが、パールは、優れている。人としてでも聖女としてでもなく、肉として飛び抜けて。特別に生まれたモノではなく、後天的にパールは肉体を加速度的に向上していった。それは、その身に隠れた奇跡の力が影響している。

 保つために、身体には常に力がかかっているもの。それに全てに超回復が行われるとしたら。全身の筋肉はきっと、とんでもないことになってしまうだろう。

 

「えーい」

「グワ!」

 

 そして聖女の姿が魔従の間近にまで迫っても無駄は、続けられる。

 凝らした目で探る。眼筋優れすぎた彼女の目は、空気の揺らぎすら解す。そして、剣を動かすその身は、あまりの速度で動くのだ。纏う四色を揺らがせながら。

 結果、曲がった一線にて斬れていく数は五つ。それがほぼ同時に行われるために、魔弾が幾ら十を超えようとも、無意味だった。

 

「グ……」

「疲れてきたのかな?」

 

 そして、あり得ないスピードで身体を動かし続けたパールよりも先に、モアの方が音を上げ始めた。魔法、それは指を更に伸ばして行う無理。それを続ければ、あっという間に疲れていくのは道理だろう。ある程度の疲れならば勝手に癒やされていく聖女のタフさには及ばない。

 ふらりふらりとしてきた、モア。だが、魔は勝手にも限界な全身を動かそうとする。魔法でだめなら、ならばこの大きな身体でぶつかれば。

 

「グアー……」

 

 そうしようと動こうとした足は、何時の間にか土で固められていた。そして、土が色を覆っていく。魔従の視線の先で、ブタが顎をしゃくった。

 

「ぶぅ」

「いいね、トール! これで無力化出来た。後は……私が治してあげる!」

 

 そして、モアにパールは抱きつき。暴れる彼の首に腕を回し、そして両手を組み合わせ、彼女は願った。自分の力で叶えるために。

 

「もう、辛くなくなるように……貴方をいじめる魔なんか、やっつけてあげるから」

「グ、ア……」

 

 

 

 その後奇跡は起き、モアは命令から開放されて、魔従からただの魔物になった。

 

 

 

「良かった……」

 

 彼の安心を感じたパールは頭を預けられながら、そう言って微笑んだ。

 

 

 

「おかしいな。あっちに居たはずの仲間が居なくなっちゃった」

 

 殺された訳ではなさそうだけれど、と首を捻る少年が一人。だがしかし、それはただの年若い者ではない。彼が踏みしめ平気にしている、数多から流れた血液からも、それが判る。そう、彼は人でなしだった。

 

「なんだろ、否定された? そんな感じだ……嫌だねえ」

「グルル……」

 

 人のものであるだろう、真白い腕を噛み砕きながら見上げる混色した魔従の狼を撫でながら、何時ものように一人、道化の彼は呟く。

 壊れた家の梁に座し、そうして右手を彼は口元に持っていった。その手には火色、水色、土色の三色が。そして、大蜘蛛の魔従の手を戯れに握る左手は、風と風と水と土の四色が混じり合い、上だけ裸の身体にまで伸びている。

 

「……そうだね。遠いけれど、気になる。我々の手で壊しに行こう」

 

 そんな彼の独り言に応じて、歓声のような、数多の魔従の鳴き声が轟いた。

 それを当たり前のように受け容れて、半身マーブル模様の彼は笑む。

 百を超える魔従は彼に向かって頭を下げる。魔に従わせられたものであれば、それこそヒトガタの魔と言っても良いだろう魔人にとっては隣人と同じなのかもしれない。ましてや、彼が同じ魔従であれば。

 

 災厄の『融和』の魔人、クラウン・ワイズは一歩踏み出し。数多の魔従はそれを追う。

 

 人の死の海を越えて、サーカスは動き出した。

 

 

 




 サーカスがやって来ます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 マイナスと火色

 これはまだ、先触れに過ぎません。


 

 彼と一緒な彼女である少女は、その始まりに何を思うか。果たして、日常はどうなってしまうのだろう。

 

 バジルは山登り、大好きだからねえ。

 人、なんだよね。

 

 どうもありがとう!

 

 サーカスの指先が届く。血に汚れたそれで触れられて、聖なるものでいられるか。それは、補足なしで伝えられないだろう。

 

 

 

 サーカス。それは、テイブル王国、カーペット連邦及び周辺諸国において、恐れられている現在進行的なおとぎ話である。まるで全てが反転したサーカスのようにクラウン・ワイズと、数多の魔従は縦横無尽に壊して遊ぶ。それらが大陸で暴れ始めて、百年は下らない時が経っていた。最早サーカスと言えばこの恐ろしい魔の者たちのことを指すと、意味がすり替わる程、意識され続けたものだった。

 道化兼座長が開催するは、惨劇。七本もの染指を持った魔従の魔人の指揮によって、百以上の魔従は文明を人間毎破壊していく。大人子供も、男女も魔法使いであろうがなかろうが、同じ魔従以外の全てを平等に殺し尽くすのが、彼らだった。天に昇った神祖と入れ替わるようにして現れたのだとされるサーカスの一団は、年月で衰える事なくずっと惨劇を作り続けている。それは、指揮しているクラウン・ワイズが沈着(最深まで染まり不老にまで届いた状態)にまで至ってしまっているということが大きい。膨大な年を経て入れ替わりがあろうとも、核が変わらなければ不滅と同じ。

 テイブル王国ではこれまでずっとサーカスは、災厄の代名詞、だった。

 

「……サーカス、怖いねー」

「でも、ここ数十年は王国ではサーカスの被害がないって聞くけど」

「山の向こう、ヒーターや北方を彷徨っているっていう話はあるな。だとすると、こっちにまで来ないってことはきっと山が邪魔になってるんだろうな。キツい勾配に助けられたか」

「クラウン・ワイズって、山が嫌いなのかな?」

「いや、面倒は避ける、それが野生の当たり前ってだけなんだろう。多分山登りを面倒臭がってるんじゃないか? オレとは随分異なる価値観だ」

「バジルは山登り、大好きだからねえ」

「山登りっていうのは人間サマでも用意が要る、高等な楽しみだからな。魔従といっても殆どは登りきれないだろうから避けてるんじゃないか?」

 

 暮れきる少し前、暗さを帯びた周囲に逆らうでもなく、パール等は自宅に帰って一室にて暇を潰していた。方やペットを可愛がり、方や色味でなにやら訓練し、方や古い本を読み。

 グミが皮紙で出来た本を読み解いてから、溢したサーカスという言葉。しかし、それによって直ちに緊張が走るようなことはなかった。それもその筈。バジル等は、サーカスの被害に遭い極度にそれを恐れていた世代の孫に当たる程に離れた存在である。そして、王国から離れ久しいとされているおとぎ話に胸踊らせるくらい、彼らは子供でもなく。

 だから、せいぜいサーカスを原始的存在と捉えて面白がるばかり。恐怖を、半端に強い彼らは知らなかった。

 むしろスリルをきゃっきゃと楽しみながら、グミは顎に指を当て、言う。

 

「バジルの考察、面白いねー。それならここに来ることはないのかな。ハイグロ山脈って王国の西部から北部、そして東部の殆どを囲ってて随分と長いし」

「山向うは他国だからなあ。それこそ、理由がなければサーカスなんてきっと王国には来ないだろ」

 

 多くの識者が同じように解していた、バジルの考えは正しい。クラウン・ワイズは苦労を望まない。仲間思いの道化師は、他が損なわれるのを許そうとも、懐く動物達が疲れてしまうのは許せなかったのだ。

 故に彼らは破壊という義務に従うばかりで低みを道すがらただうろうろとしていた。だが、此度サーカスには目的が出来てしまう。そう、我々を否定するものの否定を、と。

 

「なんだか災害みたいだけれど……でも、人、なんだよね……」

「魔人が人間ならな。ましてやクラウンは魔従だから、ヒトとは言い難いな」

「ボク、一人だけ魔人知ってるよ!」

「マジか。どんなのだった?」

「染指六本の太ったおじさんだったよ。頭なでてくれた!」

「それだけ聞くと、人間っぽいな……」

 

 人の限界まで来しまっていると自覚しているバジルは、自分以上はもうヒトとして括れないことに気づいている。だが、そんなことを知らないグミは、水色の塔にて出会った魔人、ブレンドを思い出して微笑む。人でなしと排斥されるべき魔人にしては、随分と安定しているその様にどこか親近感を覚えて。その内の怒涛を知らず。

 

「魔人、かあ」

 

 そんな、曖昧な区別を眺めて、パールは悩む。害するのならば認めず、退けてしまって良いものか。魔人にもいい人はいるのではないかと、彼女は夢想する。

 

「っ……」

 

 だがそこに悪夢が混じる。急速に感じ取れたのは、あんまりなまでの悲痛の意。業に悲しむ、心。それがパールの内に唐突に感ぜられて。

 

「また……魔従?」

「ん? 何か感じたのか……っ」

「ぶぅっ!」

「え、魔法人形が……」

 

 思わず起き上がった、パール。追従した彼らも、ほぼ時を同じくして異常を覚えた。魔の匂いに、感じる辺りに急速に広がる高熱。そして、グミが周囲の警戒のために常置している一体の魔法人形の反応が途切れ。

 

「火だ!」

 

 その言葉を、果たして誰が口にしたのか。気付けば紅蓮が窓から扉からなだれ込んでいた。融解焼失、あまりの高温は生半可な遮蔽物すら意に介さない。

 

「キッキッキッキ」

 

 その時、大鷹の高い鳴き声が周囲に響いた。蕩けるほどの火炎が、天から降り注ぐ。

 

 

 

 それは、サーカスの一。先んじて破壊を始める先鋒。クラウン・ワイズが率いる決して数が多いわけではない、空飛ぶものの中でも特別な存在がこの大鷹だった。

 

「キッキッ!」

 

 赤い目を光らし、彼は警戒を続ける。その最中でも、足元に取り付けられた火打から起こした火から端を発し、それを増幅させた火焔を大鷹は止ますことはなかった。

 何しろその鋭い目で遠くから見て取れた中に、五本もの染指を持つ存在もあったのだ。火色の四本指という特別な魔従である彼であっても、それは危険と感じるもの。だから、家屋を倒壊させその息の根を止めるまで、大鷹は攻撃を止めることはない。

 あまりに賢く、強い。そんな魔従の大鷲は、右の爪を火色に大きく肥大化させていた。とんでもなく巨大なそれは、最早飛ぶのに邪魔なものでありそうだが、それを意に介することもなく火を降らしながら一棟の家屋の周囲を飛び続ける。夜空に、火色が浮かび、それを遠くから判じたのか、鐘塔から鐘が二回ほど鳴り響いた。

 

「キッ」

 

 人々のざわめきを聞きながら、しかしそちらに大鷹は向くことすらない。自立出来ない不幸と自分の行いから沸き起こる悲しみを押し込めながら、魔に従うその身体は座長の言を守り、目標を確実に破損させんと動き続ける。執拗く、補足されないよう周りながら。

 

「キッキッキ」

 

 再び上がったその鳴き声はまるで笑みのようだ。あそこだねと、クラウン・ワイズが指さしたその方その場所丁度にあった建物。それはもう、間断なく浴びせられた熱によって半壊しはじめている。中の方は熱が通り難かろうとも、空気を上手く得られない中は生物にとってより悲惨であるに違いない。

 これは、仕留められたか。そう、魔従が考えるのも無理はないだろう。

 

 

「――――死ね」

「ピ」

 

 だが、そんなことはあり得ない。通りよく罵言が辺りに流れたかと思いきや、大鷹が沢山与え続けた筈の火どころか周囲の熱すら瞬時に消えて。そして、彼の熱も奪われていた。

 断末魔の声を上げられたことすら、奇跡。魔従はその生命すらあっという間に差っ引かれて、地に墜ちた。

 

 

 それからしばし。一転、冷え切った壊れかけの家屋から三人と一匹の姿が現れる。当然のことながら、それはパールにバジル、グミとトールである。彼らはおっかなびっくり入り口だった洞から出、崩れた全景を目の当たりにした。それに、一番がくりとしたのは、先程見事な『マイナス』を披露した彼である。

 

「マジかよ……範囲広げるの遅すぎたか……鷹か何かの魔従だったか。アレ、随分と高く飛んで動いてやがったから捕捉が遅れて……クソっ」

「まあまあ、バジル。仕方ないよ、こればっかりは運がなかったんじゃないかな……私もあの子も、運がなかったんだよ、きっと」

 

 早さが足りなかったことに気を落とす、バジルの肩に手を置くパールもその悲しみの色を隠せていない。出来れば、殺さずに助けたかった。だが、文字通り自分の手では届くものではなく。彼に頼む他になかったのだ。

 だが、いたずらに悲しみに暮れる訳にはいかない。隣にまだ無力を嘆く者が居るのだから。

 

「パール……こんな時にボク、何も役に立たなくてゴメンね」

「ぶぅ……」

 

 半焼けの匙を持ちながら、グミは言う。足元のトールもどこか申し訳なさそうだ。向かう火焔の中にて彼らも頑張ったが、それでも全てを炎から守ることなど出来なかった。

 

「そんなことないよ、グミ。バジルが全力で『マイナス』するまで私達と壊れていく家屋を水と土で守ってくれたのは貴女なんだから。トールも大事そうなものに土をかけて守ってくれたんでしょ? 本当に、有り難いよ」

「わぷ」

「ぶっ」

 

 私こそ何も出来ていない、という言葉を呑み込んで、パールはグミを強く抱きしめる。それには、大丈夫と直に伝えて胸の音で安らいで、という意も篭められていた。

 もっとも、胸に包み込まれたグミは息を苦しくさせてばかりだったが。その足元で、トールは少し笑んだ。

 そんな愉快を横目で見て、少し気を取り戻したバジルは、今回と前回の事態を思う。

 

「ったく。何なんだろうな……この、魔従の連続は。本当にただ運が悪いのか、それとも……」

「バジル?」

「ぷはっ はあはあ……もしかしたらサーカスが来てる、とか?」

「流石にそれは勘ぐりすぎと思うが……おわっ」

「バジル! 良かった、無事だったんだ!」

「ユニちゃん……」

「あらあら。これは、直すまで住めないわね」

「カーボさんも」

「わわ。他にも野次馬っぽい人が一杯来たよ!」

「ぶぶ」

 

 そして、火事の知らせと立ち昇った火焔を見て、少し離れたお隣さん達が水等を持ってやって来ていた。無事に火が消えていて家の者も見て取れたことで上がる安堵の声や火の見当たらないことを不思議に思う唸り声等などで、周囲は騒々しく。そして、遠慮して一向に縮まらない輪に、飛び込む者も出てきた。恐れつつも嫌いではないバジル等を心配してやって来た大柄のその男性は、ボーラーである。

 

「大丈夫か! おお、皆揃ってて大丈夫そうだな……しっかし、先程の火はどうなっちまったんだ?」

「ボーラーか……オレが消したんだ。だからもう平気だって、皆に言っておいてくれ」

「……バジル坊の言葉だろうが、簡単にそうか、とは言えねえな。どう見てもお前さんん家、ボロボロじゃねえか。おいらの家なら、狭っ苦しいが一夜くらいなら三人と一匹、泊められなくはないぜ?」

「有り難い申し出だが……」

「おいおい、子供が遠慮するもんじゃないぜ」

 

 そして、バジルとボーラーは、話し合う。遠慮に、敬愛。互いを思って譲らない二人。中々纏まらないその話の途中に、感極まったような声が急に轟いた。

 

「皆、心配してくれて来てくれて、どうもありがとう!」

「わ」

「ぶう」

 

 彼らが持って来た灯火以外に何もない、そんな暗い中に明るい聖女の感謝が響いていく。そして、それは多くの心を和まして、笑顔にさせた。

 

 

「助かりましたね。誰も怪我はない様子で……しかしこれは」

「……嫌な予感がするわね。少し手を使って辺りを探ってみるわ」

「アンナ様……頼みました」

 

 杖をつきながら、遅れてやって来た、パイラー。遠くから大勢を見つめる彼のその足元には四本もの太い染指を持った魔従の亡骸が転がっていた。その直ぐ側にて、死体をずっと検分していたのだろうアンナは顔を上げずに、呟く。

 

「蛇の道は蛇。任せなさい」

 

 その言に救いを覚えて、パイラーはきっと狙われたのだろう聖女のためにも頭を下げた。

 

 

 




 一つだけでこの惨事で、後百以上が残っていて、その中心にはクラウン・ワイズが居るのです。
 ……はてさて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 人々と歌

 人々は、それを聴いて少しだけ立ち止まります。


 優しい男の子を見習った彼女は、少なくとも精一杯考えた。そして、戦うことを決める。

 

 どうして、ですか?

 私は、ここの皆が好きです。

 

 私は私の心に殉じることが出来るのならば、本望です。

 

 たとえそれが間違いであっても、彼女はそう言った。それにどれだけの人が応えるのか。補足して、物語りたいと思う。

 

 

 

「パール。出来るなら一時だけでもこの地から離れてはくれないかしら?」

 

 それは、急遽。パイラーにバジルとグミが呼び出されて、独り部屋に残っていたパールの元に訪れたアンナの第一声は、それだった。

 アンナの真白い肌に汗が一滴。それに気づいたパールは、その急ぎ様と声色から切迫した事態を感じ取る。

 

「どうして、ですか?」

 

 しかし、ここから離れろ、とは直ぐに受け容れられる内容ではなかった。思わず、パールはアンナに質問してしまう。それに、赤色の頭を振ってから、安心させるように笑みを作って彼女は応えだした。

 

「言葉を濁す時間ももったいないわね。端的に言うと、サーカスがこちらに来ているの」

「サーカス……皆に教えないと!」

「待って」

 

 その言葉が本当かどうかくらい、目の色で分かった。あまりの真剣に慌てて危険が迫っていることを喧伝しようとするパール。それを、手を取ってアンナは止めた。

 力の強い自分を停止させられる程に篭められた力。そこに、パールはアンナの本気を受け取る。彼女は黒色の瞳に、複雑な感情を見た。

 

「今回の情報を得るために、私の部下が二人、犠牲になったわ」

「え……それは……悲しい、です」

「私も悲しい気持ちではあるわ。けれども、彼らが命をかけてまで、得た情報。それを私は決して無駄には出来ない。あの子を守って下さい、という彼が遺した最期の言葉を叶えなくては、私は遺族に合わせる顔がない」

「あの子、って私のことですか?」

「そうね……随分と、顔を変えて二度話しただけの貴女のことを気に入っていたようよ。風色と土色の彼、アレーはね、今回の仕事を誇りに思っていた。だから、彼は幾ら身体を食まれようとも報を送ることを決して止めなかったの」

「……なんて、こと……」

 

 絶句して眼を湿潤させ始めたパールの隣で、アンナはひと度だけ目を瞑る。

 アンナにとって、彼らは便利な道具であった。だが道具に愛着を持つのもまた、人だろう。それを損じられたことに対する憤りは大きい。ずる賢く働く頭を捨てて今直ぐにでもサーカスに挑みたい。だが、そんな思いを塞いでも、彼女はパールを守ることを選んだ。

 再び目を開け、そして涙溢れようとしたパールの目尻をアンナは拭う。

 

「まだ、泣かない。パール、前を向きなさい」

「……はい」

「私も、亡きアレーだってパール、貴女だけを守ろうと思っていた。そのために、他が邪魔になりそうであれば、私は他に気を回すことはないとも考えているわ。混乱で貴女を失い、損ねてしまう可能性が出てしまうのであれば。それを私は認めない」

「アンナ、さん」

「私だって、この街を嫌っている訳ではない。むしろ、好きだわ。汚れも程々に、上辺はとっても澄んでいて。こんなところ、他には中々ないでしょう」

「ならっ!」

「でも、サーカスのことを伝えたら、確実に混乱が起きてしまう。惑う人々程邪魔なものはないの。少しでも遅れてはあのバケモノ達からは逃げ切れない。だから、せめて、平穏の中で先んじでもしなければ……きっと私は貴女を守れないの」

 

 それは、王国どころか連邦に帝国等諸国を見て回ったアンナはよく知っていたこと。群れは、利点と共に悪点も孕む。多数は纏まりに失敗すれば反乱し、一方向に向いすぎた感情は、往々にして爆発するものだった。それが恐れであれば、尚更のこと。

 サーカスが来るという情報は、広まればきっと人々に暴動を起こさせる。それは邪魔だ。何せ、アンナが本心から助けたい人など、今の所一人しかいないのだから。

 そして、大切で大事なそんなパールは、しかしアンナの静止を振り切った。

 

「アンナさん、私を想ってくれてどうもありがとうございます。でも私、それだけは出来ません。私は、ここの皆が好きです。だから、そのために戦いもせずに、自分のために逃げることなんていうのは決してしません」

「……そう。やっぱりパールはサーカスと敵対する気になってしまったのね」

「はい。……ずっと、思っていました。魔に操られて、永遠望まないことをさせられ続けるなんて、どんなに悲しいのか、って。今まで関わることがなかったから、サーカスを救う機会なんてないと考えていましたが……でも、これから向かい合うのです。なら、救えずとも話すことくらいなら出来るかなって、そう想像してしまったら、もう……」

 

 聖女は、目を伏せる。サーカスは不幸を内に秘めて、笑顔を見せるようなそんな二律背反な存在だとパールは思っていた。彼女はそれが、とても哀れだとも感じている。だから、出来るならば掬ってあげたいと、そう思うのだ。

 ため息を呑み込んで、アンナは喋りだす。

 

「……甘っちょろい、理想ね。クラウン・ワイズは対して理解できるような、そんな生易しいものではない。それに、数多の魔従が行く手を阻むわ。幾らパールが奇跡の力を持っていたところで、向かい合える程の近くに届く前に力尽きて、きっと殺される」

「それでも、私は決めてしまいました。可能性がなくとも、私は私の心に殉じることが出来るのならば、本望です」

「そう……」

 

 誰かのために、聖女は考え言葉を絞り出す。それはどうにも澄んだものであって、ただ呑み込むには少し純粋過ぎて辛いものがあった。

 だが、アンナはその言を受け取り、頷く

 

「以前の私ならば、絶対に貴女を許しはしなかった。……けれども、私も弛んでしまったのね。……いいでしょう。皆に伝えなさい」

「あ、ありがとうございます!」

「そうして全体を巻き込んで、戦うわよ」

 

 アンナの瞳の黒色に炎が灯る。弔い合戦は望むところ。他を利用するのは彼女の得意だった。

 偶には他を頼るのもいいでしょう、とうそぶいてから、アンナは微笑んだ。

 

 

 

 安さのみが売りの飯屋。粗悪な硬い鳥肉を頬張るのを苦にしないような貧困層が集まる、そんな食事処。そこの一角にて大体が黒く汚れた衣服を纏う一団があった。それは、ボーラーが率いる鉱山労働者達である。

 その多くが、柄の悪さから平素からざわめきを起こし続けているような、そんな彼ら。だが、少し前にやって来たバジルと我らが親方が真剣に行っていた会話。その内容が今発表されるということで、全員は固唾を呑んでいた。

 

「バジル坊からお前らに凶報だ。サーカスが来る、とよ」

 

 それは、あまりに端的な情報。サーカス、つまりは地震などより余程恐ろしい災害が来るということに、多くの驚きと疑念の声が上がった。

 だが、ボーラーはその喧騒を一喝する。

 

「黙んな! ……いいから、落ち着け。魔人がなんだ、魔従がなんだ。お前らはもっと恐ろしいもんを見てきたじゃねえか。……まさか、鉱山労働で、一度も死の恐れに触れなかった奴らが居る訳、ねえよな。思い出せ、あの真っ暗を」

 

 実感の篭ったその言に、一同は押し黙る。原始的な掘削や労働に危険は隣り合わせ。そして、数多く広がる洞の暗さに死の恐怖を覚えなかった者はなく。確かに、姿の見えない魔人よりもずっと恐ろしいものはある、と彼らは思った。

 

「は、結構結構。まだまだアレが目の前に迫って来たってことじゃねえ。なら、判るよな。おいらたちがどうすればいいか」

「に、逃げないと……」

「ボネット、馬鹿かテメエは! こんな時でもお前は、臆病風に吹かれやがんのか!」

「ひぃっ」

 

 何時ものように怒られる、そんな根性なしの男に、笑みを見せるものもちらほら現れる。場が多少和んだことを感じ、ボーラーは語りを続けた。

 

「……いいか。おいらはバジル坊に聞いたんだ。お前はどうすんのか、ってな。戦うってよ。まあ、これは当たり前なのかもな。アイツは怖いもの知らずみてえなところがあるからなあ」

 

 何時かバジル坊が無理して消えちまわないか、おいらは怖いな、とボーラーは続けて呟く。彼には、親心が多少なりともあった。

 

「だがな。それなら、パール嬢ちゃんはどうすんのか、っておいらは気になっちまってな。訊いたんだ。するとな……嬢ちゃんも戦う気なんだって、よ」

「そんな! あの人は、……戦いのような、そんな血生臭い場に出るべき人じゃない!」

「素っ頓狂なことを言うもんだなあ、ビーニーよ。お前は良いことばかり耳に入れて、悪いことは知らんぷりなところがあるな。少し目覚まさせる必要があるか? お前さん、パール嬢ちゃんが、魔従を二匹もやっつけたことのある凄腕だってことも知らんと見える」

 

 存外有名な事実を知らなかった青年に、白い目が向けられる。それで告白したのか、という揶揄も飛んだ。だがしかし、驚きにビーニーはそれらに上手く反応することが出来なかった。

 

「あの、剣を振るのすら難儀していた、パールが……」

「昔のことはおいらも知らねえ。だが、今のパール嬢ちゃんは立派なもんだって、それはおいらもお前らも知っているだろう」

 

 ボーラーの言葉に、誰もが頷く。そして、一人が思わず思いを言葉に出した。

 

「聖女様……」

「そうだ。バジル坊は、どうにもパール嬢ちゃんを崇めるのを嫌っているみたいだが……仕方ないだろ。何せ、あの方はおいら達の希望だ」

 

 ボーラーは、他の誰が、こんな汚い俺らの手を取ってくれるってんだ、と続けざるを得なかった。

 

「この中でも、聖女様の手で救われた奴は多いよな。ちょいと運が悪かったのは、バジル坊に治して貰っていたりするが、それを施しにしてしまうあいつらの太っ腹の凄さがお前らに分かるか?」

「……分かりますよ! パールはもう優しすぎて雲上人だけど、バジルの奴だって、治療は苦手って言いながら額に汗して俺らを……無力の時に石を投げたことだってある俺を、真っ直ぐ見て助けてくれた! 他の医者なんて、魔法使いなんて、俺らのことなんて下に見るのが当たり前なのに。その感謝すら受け取らない、受け取とってくれずにただ治って良かったって言ってくれたアイツを、俺は一生嫌えないです!」

「ビーニー、良く言った! 幾ら金持ってたって、もっとお金が欲しいのが人の普通だ。世の医者が悪徳なんじゃない。アイツらが善良過ぎなんだ!」

 

 涙と熱狂が、その場に溢れる。確かに想っているのであれば、感動は通じるもの。彼らはどうしようもなく、パール達が好きだったのだ。

 

「お前ら、聖女様達の力に、なりたいか?」

 

 その場に怒号のような、様々な肯定の言が轟いた。

 

「なら、穴を掘るんだ。今回は、縦にな。仕留めるのは、無理かもしれないが……奴らをバラバラにして、足止めするための落とし穴を沢山な! 何、勝手が少し違おうが、おいら達が何時もやっていることだ。こればっかりは、バジル坊にだって劣らないだろう!」

「親方。ぼく、罠の作り方知っています。お爺さんが貴族様に教わったのを聞いていて……」

「おお、それはありがてえ。良くそれを教えてくれた、ブルトン! 勝手に森に入ってしまうことになろうが、これは非常時だ、お目溢し願おう! 今日はお終えだ。皆、勝手にしな!」

 

 端にいた小太りの男の背を叩いて、ボーラーはその場で仕事終わりを告げた。そして、彼らは器具を持ち出し、勝手にも森を掘り返して危険の立て札を針山のごとくに刺していく。だが、その行動は確かにサーカスの妨げになって。

 戦いたい他の人々の背を押すことにも繋がっていった。

 

 

 

 ボーラー達が発奮している中。サーカスの噂は、急速に街中へと広がっていく。猟奇的なおとぎ話と昔の悲惨を知る者たちの恐れ、災害の情報に不安はどうしようもなく高まり。そうして、爆発するその寸前。暴徒が溢れるそれより少しだけ、早くに。

 彼らは歌を聴いた。

 

「らーらー」

 

 それは、高みから響き渡る。見上げた者にも何処からそれが届いて来るのか判らない。ただ、素晴らしきそれは、天から送られたのに、間違いはなかった。

 それに、歌詞などない。いや、きっとそんな華飾など要らないのだろう。ただ、思いの丈が綺麗に、優しく響いていく。

 

「あーあー」

 

 誰が先に何人構わず逃げようとした足を停めたのだろう。それは判らない。だが、間違いなく、人々はその歌によって釘付けになっていた。見上げて目を瞑り、僅か彼らは思う。それだけで、良かった。

 何しろ、一息さえ吐ければ、人は我に帰ることが可能だから。

 

「らーらー、らー」

 

 そして、少女の歌は何より高く大きく響く。人々を焦がすそれは明らかに、魔性。だが、曲がりなりにもそれは何処までも人を想って歌われたもので。だから、高らかに張り上げられるその声を誰も不快に思うことはなかった。

 

「あーあー、らーらーららーらー」

 

 一時だけ、魔女は人のために歌う。その天才を使い、人を獣とさせないために。勿論、聖女でない彼女がそこまでするのは、自分が愛する者のため。

 

「らー、あー」

 

 これは、パールの中の彼のための、愛の歌。歌詞がないのは、口にするのが恥ずかしいため。だがそれでも、皆を、ひいてはあの人を幸せに出来るならば嬉しいと、彼女は思う。頭に流れるその美しい曲調を、転がるような美声でグミは流していった。

 そして、最期に鐘塔の上で頭を下げてから、魔女は微笑んで歌を〆る。

 

「らーらっ……皆、聴いてくれて、ありがとう!」

 

 

 果たして最後の感謝の言葉は届かずに消えた。やがて歌によって創られた魔境から、人々が我に返り。その内の一人が、呟きを始めて。そしてそれらは連鎖的に続いていった。

 

「……逃げ……逃げて……いいのか、本当に? ここには大事なものが、一杯あるってのに」

「綺麗な歌だったな……サーカスにライスが荒らされたら、あれも、もう聞けるか判らないのか」

「怖い、怖いな……でも、慌てて怪我してもたまらない、か」

「……教会に、行きましょう。この噂が本当かどうか、教えて貰えるはず」

 

 恐れに統一されかけていた群衆は、感動の後に、見事にバラバラになった。次第に三々五々、避難の準備をするものも、噂の確認するものも、日常を守ろうとするものも、別れていく。

 そんな全てを、グミは塔の高みの端に座して足をぶらぶらさせながら見下げ続けた。やがて、彼女の元まで昇ってくる足音が辺りに響く。

 

「グミ」

「バジル。そっちは、どうだった?」

「はぁ……半々、だな。だが自警団でも実力が上の奴らは全員戦うと言ってくれた」

「そうなんだ。良かった」

 

 街中を走り回ったのだろう、汗だくでそう語るバジルはどこか満足げだった。誰かを頼り、それが受け容れられる。そのことが存外嬉しかったのだろう。

 

「後は、あまり役に立ちそうではないが、何とか騎士サマの手も借りて……」

「そうだ。モノって人の力は借りられないの?」

「今領主サマの元で指導を受けているそうだからな……最速で頼むと向こう行きの知り合いの御者に頼んで文を送ってはみたが……明日までには間に合わないだろうな」

「そっか」

 

 ついとバジルとグミが見上げた空はまだ高く青いが、それは明日も同じものになるであるだろうかは、疑問だった。

 そう、魔の手は直ぐ近く。山を降りて向かって来るサーカスの本体は一日足らずで着くだろうという目算がされていた。果たして眼下に展開している人々のどれだけが、逃れ抗い生き延びられるだろう。

 

「ボクも、戦うよ。ライスは好きだし……それに、ここで食い止めたら、お父様とお母様にまで、被害が行くことはないだろうから」

「そう、だな」

 

 愛憎は半々。それでも愛してはいる存在を思うグミを眩しそうに見て。そうして、バジルは震える手を握り込んでから明日は魑魅魍魎で溢れるだろう森に勇んで入っていく男共を見送りながら。

 

「助かるよ……ホント」

 

 そう、言った。

 

 

 




 心ない魔の前にて、多くの感情が表れました。
 その想いは、報われるのでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 サーカスと挑戦者

 前哨戦の始まりです。


 

 彼を秘めつつ、彼女はサーカスに何を期待するのか。決して、それは悲劇ではないだろう。

 

 ごめんね、バジル。

 むしろ喜んでる?

 

 サーカスに、挑戦する彼ら。果たして、刃は道化師にまで届くのだろうか。その軌跡を補足していこう。

 

 

 

 サーカスには、数多の動物が存在している。魔に従わされた多種の獣の群れは異様であり、それが一様に目的を共有しているのが恐ろしい。魔という、基本カラー。全てを還すために、彼らは人間の破壊を続ける。

 山裾の、森林の奥。そこにサーカスは集中していた。そして、それは目的のために動いている。

 クラウン・ワイズにより束ねられた彼らは、ヤギも子猫も魔従として一丸となってライスの地に食いつこうとしていた。

 

「来るよ!」

「ぶー」

「任せろ」

 

 だが、それに抗うものの代表、その最高戦力が先鋒としてサーカスに対する。人間。それを感じた魔従は一重に魔法を使い出す。それは、否定を否定するため。

 礫、炎、疾風、氷塊。あまりに多種の攻撃。それらは、総じて威力に優れていた。力があれば、そもそも壊すに工夫は要らないのだ。一つで人を殺傷するに足り、人々に向けてそれらが放たれたとしたら、虐殺という結果になるだろう。

 四色が混濁して、周囲は正しく色々に染まる。大小合わせた力の数々は、最早美的なほどに鮮烈だった。こんなもの、ただの魔法使いに受け止めきれるものではない。

 

「ま、これくらいなら、な……全部差っ引ける」

 

 だが、バジルはただ者ではない。魔人以外の人間に許された、最高の位階、五本指。そして、その中でも深度に理解は異常な程高められている。

 そう、バジルの深みに獣程度が届くものではない。マナの引っ張り合いに負けた全ては温度を奪われ、墜ちていく。生命すら凍らさせられ、次々と地獄の底へと。

 炎の猿猴は威嚇の鳴き声を断末魔のものとさせ。深みの水色猫は変じる前に凍らさせられ。突貫した混色のキツツキはバジルの領域に穴を開けることは出来なかった。

 マイナスにマイナスをかけた結果、虐殺は反転する。この場では正しく、彼らは人に狩られる害獣だった。

 今のところは十把一絡げ。ならば、気にするべきは隣かと、バジルは泣きそうなくらいに表情を暗くしているパールを見つめ、言う。

 

「大丈夫か、パール?」

「ぶう」

「やっぱり苦しいよ。悲しみがどんどん、響いてくる。……でも、私には彼ら全部は助けられない。だからごめんね、バジル。貴方にこんなことをさせて」

「……気にするな」

 

 幾ら気負っていても、気が進まない。パールの言うとおりにこんなことは嫌だとバジルも思わなくはなかった。

 パールは同じく思うくらいに動物を愛してしまっているが、バジルだって動物好きな方だ。出来るなら、仲良くしたいと思う。だが、そんな子供の望みは魔によって引き裂かれる。爪を向けられれば、対さずにはいられないのだ。

 

「コイツらは、敵なんだ」

 

 向けられるその全ての目に瞋恚を覚え、バジルは思わず目を瞑りたくなる。本当に、パールの言うとおりに彼らの内に、悲しみは隠されているのだろうか。それほどまでに紡ぎ出される殺意はリアルだった。

 そして、害するために必死になり始めた、そんな獣達は工夫を始める。正面からで届かないのであれば、後ろから。飛べるものは空にて攻撃を加えるのもいいだろう。だめなら地を掘ってでも倒すのだ。

 何しろ、目的の聖女は直ぐ目の前にあるのだから。

 

「休むに似たり、っていう奴か」

 

 だが全ては無駄だ。空も地も領域内の全てをバジルは探知し、凍らせ尽くす。指先を振るうことすら稀に、彼はサーカスを圧倒した。

 そして、停まる魔従達。幾ら魔にせっつかれようとも頭があるならば、考える。こんなバケモノ相手にどうすれば良いのかと。

 だが、魔従らに考える時間などない。奇しくも敵に回ったイヌブタの魔物が、血に手を当てて石礫を投じてくるのだから。低い殺傷力。しかし、避けずには居られないそれに、掻き回されて統制など取れなくなっていた。

 

「ぶう」

「トール、助かる……そういや、パールが助けたモアの魔物はアスクが勝手に乗って一緒に逃げてしまったそうだな」

「ロー、上手くアスクちゃんを逃してあげられたら良いんだけれど」

「あ……そういや、アイツ腐っても風色の魔物だから他より早いだろうし、モノへの連絡に使えなくもなかった……いや、無理か。それこそアスクくらいのちびっ子じゃなけりゃ、小モアには乗れないな」

 

 会話し思案する様子のバジル。しかし、その何処にも隙などない。彼の周りは減算死地。ならば、ここは避けねばなるまい。クラウン・ワイズの命を無視して目の前の獲物を見逃し、本能に任せて逃げんとする魔従も現れ始める。

 

「逃がすか」

 

 それを、バジルが『マイナス』の範囲を広げて引き殺そうとした、その時。

 

「危ない!」

「なっ」

 

 凄まじい威力の風の刃が真一文字に辺りを裂いた。多くの魔従まで斬ったそれは、死地すら二つに分ける。突然のことに起きた混乱に乗じて、サーカスは別れていく。

 バジルと自分の盾にした真鉄の剣越しの衝撃にびりびりと手のしびれを感じながら、パールは呟いた。

 

「この子……悲しんでない……むしろ喜んでる?」

「グルル……」

「同格のお出ましか……」

 

 銀色が、ゆったりと現れる。豊かな毛並みを流しながら、狼はただその青い視線を向ける。それに、トールは身体を強張らせてしまった。あまりの格の違い。それは、彼の持つ指先の鋭さとその風色の多さに顕れていた。

 

「あおん」

 

 たったそれだけの鳴き声で、事態は動き出す。残る魔従は彼に全てを託してその場から消えて行き、バジルは真っ直ぐ見つめてそれらを追うことはなかった。

 この世界のイヌ科、特に狼は孤独で、人に懐かない。だが、果たして魔人にはどうなのだろう。五爪の風狼。それは、芯からクラウン・ワイズに仕えていた。

 

「コイツも『マイナス』を斬りやがんのか……」

 

 頬に流れた一筋の傷。そこから滴り落ちた血を舐めてから、バジルは言う。だが、衝撃はそれほどない。絶対でないことは、モノとしろくまによって、思い知らされているのだから。

 だから、この震えは敵となるものが現れたという歓喜から。そう思いたいバジルは、パールの手をぎゅっと握った。

 

 

 

 一概に自警団、とはいっても、そこにはモノのような剣士もバジルのような魔法使いも、あるいは口ばかり働かせる者やただの力自慢すら在籍していた。まさしく、玉石混合。だがそれなりの規模のあるライス地区には教会の孤児たちのような至玉ほどではなくとも、中々に戦える者だって存在していた。

 同じく、騎士というのもピンからキリまで優劣が存在し、魔法が使える者が多数である中、剣槍以外に使えないような者だって居た。

 

「ジャワ。頼んだぞ」

「おう」

 

 だから、自警団のナンバースリーと、こんな辺境に回された下っ端騎士には、実力に大きな差がある。それでも、二人は共に魔従の群れに挑んでいくのだ。その信念から。

 

「オラオラ!」

「熱いな……」

「たりめえだろ。俺は熱い!」

 

 ジャワは、左手に火色三本を持った、単色の魔法使い。バジルという目標が出来てから工夫を凝らし、パールから意見を取り入れたりして向上させた炎弾の威力は、自警団随一である。

 特性の火打手袋から火焔を出して、三指に集中させてから打ち出すそれ。小粒ではあるが炎弾は連射性に篭められたマナの密度に、更には温度。それらが優れていた。

 だが、命中性はジャワ本人の才能の無さからイマイチである。しかし、それならば数で補うと、向かい来る魔従達に向けて彼はやたらめったら撃ち続ける。的の多さから、大体当たるが熱すぎるそれに、横で構える騎士様が、思わず苦言を呈してしまうのも、仕方のないことだろう。

 

「来たな」

「任せた」

「おう」

 

 だが、そんな高機能な砲台も、撃つのに邪魔にならないためにと遮蔽物を置くことも無ければ狙われるのは当たり前。飛んでくる魔法。しかし、それは騎士、ノッツ・ベーカリーの手によって払われる。その手には、鈍色に光る盾があった。

 

「高かったんだろうなあ、それ」

「まあな」

 

 金より価値があるとも言われる、真鉄の盾。自分の守りのために有り金と残りを年賦で支払いを続けているそれを、今回ノッツは持ち出していた。騎士として鍛えた身体は、薄手の盾くらいなら、自由に動かせるのである。

 ジャワに迫る魔の全ては、ノッツがシャットアウトするのだった。

 

「これくらいないと、安心できないからな」

「お陰で俺は安心だ。ボーラーが掘ってくれた穴の効果はイマイチだが、それでも進みが遅くなっているから、楽に魔従を倒せるな。これなら、ひょっとしたらバジルの魔物殺しのスコアを超えられるか?」

「ふん……」

 

 もし、ジャワの火の魔法が強力な砲になるのであれば。それを守り続けさえ出来れば、際限なく周囲を焦土に出来るだろう。だから、既に穴だらけで台無しになっている森を彼らが自分の戦場にするようになったのは、当然だったのかもしれない。

 

「さて、しかしどこまでいけますかねえ……」

「これも仕事だ。旗色が悪くなるまでは、戦うさ」

 

 冷静に、ノッツは呟く。既に、生きた森すらジャワは焼き始めている。本来なら騎士たる彼は、仰ぐ領主の地での蛮行を止めなければならないのだろう。逃げた森番を捕らえることすら必要であるのかもしれない。

 だが、ノッツは自分のやりたい仕事ばかりを取った。そう、人々を守ることこそ、本分であることを信じて。

 

 

 

 バジルの痛撃に、ジャワの砲撃。それによって大きく数を減らしたサーカスの一団であるが、しかしそれでも人の住む街に辿り着かんとする全てが失くなったわけではない。

 再び集ったその数は、十を越えた。一でも、街を壊すに足る。魔従はライスの地に悲劇を生み出そうとしていた。

 

「させない……」

 

 だが、その前に暗い、小さな影法師が現れた。小さく溢した彼女は、魔に染まった二本の指を動かし、無謀にも同等が多数集った魔従の群れに敵対する。

 

「……ここは、モノが帰ってくるところ」

 

 愛する者の帰る場所を守る。勝手にそれを使命としている、ちょっとメルヘンチックな彼女はミルク。その生来の身体の弱さから、自警団に入ることすら出来なかった薄幸の少女である。

 そこに、牙持つ者共が走り寄っていく。そのうち射程に入る、そんな時に。長髪に埋もれるようになっているミルクは、言った。

 

「人間を、なめるな」

 

 味方の数を越えていようが、関係ない。魔法で欺瞞し、数で勝れ。これが、自分よりも高位の相手ではそうはいかないだろうが、見るかぎり、そんな敵の姿はない。安心して、彼女は魔法を指揮する。

 

「えい」

 

 愛らしい掛け声に応じて、地面から持ち上がるは、数え切れない程多くの土の手。大小様々な人の先端の模型。それらは、自ずと動いて周囲を掴もうとする。それが木であろうが、人であろうが、魔従であろうとも。

 勿論、大半が野生の獣であり機敏な魔従は、それを上手く躱していく。だが、種族柄遅いものや反応に遅れたもの等はその部分を掴まれて。強く強く、握りつぶされる。それは、分厚い人食いムカデの甲殻すら割った。

 

「えい」

 

 そして、ミルクの攻撃は続く。魔の刺激を受けて賢くなっているとはいえ、彼らが悪さをするには人間ほどに工夫が足りない。悪意の長たる人は、時に恐ろしいものを考えつくのだ。

 

「くらすたー」

 

 そして、フルフリ衣服の女性は地に手を当てて、魔従等の周りの土を飛散させる。その全てが散弾。多くの魔従はその身体に傷を作る。再起不能になったものも、居るようだ。

 

「あ、あれ?」

 

 だがしかし、全滅させるに、ミルクの魔法はえげつなくとも少し威力が足りなかったようである。残る五匹は、真っ直ぐに彼女へと向かう。次の魔法は。再び手を動かそうとした、その時。

 

「う、動かない……」

 

 彼女の左手は、蜘蛛の糸にてきつく捕らえられていた。ミルクは、その存在を想像すら出来ていない。だから、ただでさえ白い顔を蒼白にして、硬直する。

 

「しゃ」

 

 そう、まさか水土二色四本も染まった足を持つ、巨大な土蜘蛛が地面から来たるなんて、普通は思わないだろう。

 

「あ……」

 

 そして、ミルクの活躍は、終わる。地から這い出た大きな形が彼女を覆い。

 

「バトンタッチ!」

 

 そして、横面から、グミに弾き飛ばされた。汚汁を噴出し、距離を取る土蜘蛛。それを頼りにするように集った五匹の魔従。

 グミは、そんな奴らを無視して哀れにも小水漏らして泡を吹いて気絶したミルクのために上着をかけてあげてから。

 

「これからは、ボクの番だ!」

 

 そう言い、周囲にマナをたぎらせた。少女のあまりに魔に親しいその様子を訝しむ単眼を他所にして。

 

 

 




 ミルクさん……後で彼女はもっと、残念な目に遭います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 水土蜘蛛と風狼

 彼らと、言葉は交わせません。異形で違うもの、なのですから。


 彼と生きる彼女は、抗うために戦う。掬えない現実に零れ落ちそうな涙を堪えて。

 

 えーい。

 だ、大丈夫なの、バジル?

 これ以上は、無理だよ。

 

 それでも、最悪はやって来る。果たしてその風は、逆風だったのだろうか。

 

 

 

「それにしても、こんな人が居たなんて、ね。話に出なかったから分かんなかったなー。お陰で段取りが無茶苦茶になっちゃったよ」

 

 曇り空の下、蜘蛛を見ながらグミは、足元に気絶していて、そのために守ってあげなければいけなくなってしまったミルクに思わずそう溢す。

 本来なら、あえて魔従をギリギリまで招き寄せ、第一波として自警団を中心とした魔法使いの手によって魔法を要塞化した街の入り口付近で降らして、そうして突破された後は皆の手によって複雑にさせた街にてゲリラ戦を行うのが流れの筈だった。

 それが、誰の目も外に向いていた最中にふらりと内から出て行ったミルクのせいで、台無しになったのである。グミが彼女の救助に間に合ったのは、単に近くに隠れていたからであった。

 

「まあ、この人のお陰で、こんなのが釣れたんだから悪くはなかったかな。知らずに地面を移動されて後ろに回られたらボクでも危なかったかも」

「チチ」

 

 この世界では昆虫が長命で大型化しやすいもの、とはいえ自分の身長よりも大きな蜘蛛なんてグミもこれまで目にしたことはない。キチン質を鳴らした摩擦音が聞こえてくるほどの巨大。更に、右側の足四本に水土土水の四色を持って、それで身体の半分を染めている魔従であることなど、その黒く尖った毛と単眼、更に王冠のように伸びた謎の気管を含めて、虫取りが嫌いではない魔女であっても不気味に思うものであった。

 この、さしずめ水土蜘蛛は、地面から現れている。それは、この魔従は自在に存在を隠せるということ。今この場で倒さなければ何時不意を突かれるか、分かったものではない。四本の染脚といい、恐ろしい相手であり、むしろその存在を確認出来たのは、幸運といっていいのかもしれなかった。

 

「さて、向こうは四つだけれど、関係はないね。ボクは何しろ、天才だから!」

「チチチ!」

 

 逃さず、倒す。その意をグミは操る魔で顕した。颶風の如くに、少女の周囲でマナがざわめく。彼女は恐るべき天賦を、動物たちの前にて見せつける。

 指によって力に限度はあると言われている。確かに、操ることの出来る深さに規模はその数にて変わってくる。だが、それが全てでないのは、明白だ。何しろ、天に昇った、昇れた神祖マウス・テイブルだって諸説あるが基本的には四本指の魔法使いであるとされているのだから。

 そう、愛されるべきグミの天才は、届かない筈のマナすら自分の助けにしてしまう。本来の三本指での限界を軽々しく踏み越えた彼女の力に、蜘蛛の頭の中も驚きで一杯になる。

 それを恐れ、地を矢に、水を凝らして飛ばしてグミに攻撃を始めた仲間を無視し、水土蜘蛛は後方へと、跳んだ。

 

「え、逃げた?」

 

 そのすぐ後に、グミの大魔法は行われた。それは、平原の殆どをなめる、マナの流れ。魔女の魅力にやられた地面は津波となって、半端な魔法に魔従の身すらも呑み込んだ。

 

「チチチチ」

 

 後退して、怒涛から逃れた水土蜘蛛。彼は、グミの異常さを解しつつ、脚で地を捏ね出す。そうして、また後から合流してきた二匹の仲間も無視し、マナを用いて水を混ぜながら急速に泥を広げていく。そして出来上がるは、彼に従うマナで創られた泥地。水のレーザーによって凪がれていく同じ魔従達に守られながら、それは完成した。

 

「むむっ。泥の上で偉そうにしちゃって。でも、厄介だね。キミの周囲は確かにボクでも動かせそうにない」

「チッチ」

 

 言いながら間断なく水弾を飛ばすグミであったが、しかし全ては蜘蛛に従う泥の触手によって防がれる。泥の飛沫を浴びながら、どうにも水土蜘蛛は笑っているようだ。

 

「けれども、厄介者程度で、天才に及ぶものではないんだよ! ふふ、必殺技、行くよー」

「チ……」

 

 しかし、水土蜘蛛の鳴き声は止まった。それは、グミが地につけた手に応じて隆起した地。その大量が人型を取って手を伸ばして来たことによって。水が混ぜられたそれは、太い腕を持つ巨人となり、そうして高らかに彼女は呼びかけた。

 

「いっけー。ボクの『ゴーレム』!」

 

 巨大も巨大。その高さは教会を越え鐘塔にすら並ぶ。人型であることはグミが共感を覚え易いがため。彼女が伸ばした手に合わせてパールが名付けた『ゴーレム』は、その手を地に振り下ろす。

 

「チチ」

 

 そして、それだけで巨体は水土蜘蛛を彼の土地から追い出した。先から四脚によって受け続けている生半可な魔法などでは、泥の身体には通用しない。何とか持ち前の俊敏さにてひらりと逃げ出した蜘蛛だったが、しかしそこに追撃がやって来る。

 

「ふっふー。この人の魔法は参考になったね。いっくぞー」

 

 グミは地に手を当てたまま。そうして水土蜘蛛が飛び降りた彼女がマナで操っている地からタイミング良くミルクの如くに土の手を伸ばしていく。今度は自動でなく彼女が意のままに操っているために、流石に数多の腕から蜘蛛も逃げられなかった。

 

「そしてすかさず……くらすたー」

 

 グミは真似して昇華までさせる。間断なく、水土蜘蛛を捕まえた千手は爆発を起こす。それは、間近で撃たれた散弾。さしもの巨大生物でも、腹に数多穴を開けられてしまえば、もう駄目である。

 

「チ……」

 

 だが脚の大部分はもげ、汁を滴らせながら、それでもグミの元へと歩む。頭の上の土色を揺らしながら、彼は諦めない。しかし、染まっていない三脚しか残っていない状態ではもうどうしようもなく。苦し紛れに飛ばした糸は『ゴーレム』に防がれて。むしろ手繰られそのまま彼は地に叩きつけられた。

 

「わ、近くに落としちゃったから汁が飛んできたよ……あ、この人にかかっちゃったねえ……びちょびちょだ」

 

 潰れた身体は、汁を飛ばす。ぬとぬとしたそれがかかったミルクは、ただでさえ不憫な様子を更に酷いものにさせていた。スナオなら興奮しそうだな、と思いながらグミがまた駄目になった上着と彼女を回収しようと動いた、その時に。

 蜘蛛の一部もまた、動き出した。

 

「え?」

 

 それは、水土蜘蛛の頭の中に住み着いていたもの。菌は並んで形になり、動物と魔に認められた。そのため得た自由を、彼は侵略に使う。

 そう、土色のその身を変形させながら冬虫夏草は機敏にその触腕を伸ばす。目的は、次の寄生相手。穴から入り、一気に脳を台無しにさせ支配してしまうそれは、間近のミルクへとしゅるりと向かう。

 

「ダメ!」

 

 だがしかし、グミの伸ばしたその左手が間に合うことはなかった。

 

 

 一陣の風が、吹く。

 

 

 

 疾風と、剣閃、そして水流。三者によって交わされる攻撃は周囲を裂き、破壊して。それでも誰一人致命打を受ける者は居なかった。

 そう。パールとバジルの二人がかりであっても、トールが地を耕して援護射撃を行っていても、それでも五爪の風狼には届かなかったのだ。

 

「えーい」

「ぐる」

「クソッ」

 

 風爪五本の大狼。考えうる中の最速に対して、二人も工夫を行っている。パールは前にてその動体視力を活かして攻撃を捌き続け、地抉る水の流れを龍として周囲で動かすバジルは、それによって狼の動きを著しく制限した。

 だが、そこまでしても、真鉄の剣は空振って、龍の顎は空を切ってしまう。それほどまでに、森を我が物として疾走する風狼は疾すぎるのだった。おまけに、その魔法の一撃は真鉄にすら影響を与える威力。太刀が歪んできたことを、パールは感じる。

 攻撃方法は、マナで形成する鎌鼬ただ一つ。だが、それだけで彼には十分なのだ。たった一種類だけで世界を壊せる。

 

「この子、強い……」

「単純で、どうしようもないな、コレ」

 

 そして二人、前後になる。どうしても、パールに守られる形になってしまうバジルであるが、しかしそんな自分を省みている暇などなかった。当たりさえすれば大狼ですら身を削らせるだろう勢いを持つ長大な水龍を辺りにくまなく流しながら、周囲を見渡す。しかし、彼では高速に移動する狼の影すら掴むことが出来なかった。

 そんな中、眼前にまで動いたパールの腕の近くで火花が散る。どうも、また助けられたようで、バジルは吐きたくなった、ため息を呑み込んで、言う。

 

「一か八か……パレット……行くぞ」

「ぱれっと?」

「並行魔法だ。五本指だと負担が大きくいからな……失敗したら四散するが、まあどのみちこのままだと五体を散らすんだ。構わないだろ」

「え、そんな……待ってよ、バジル」

 

 物騒な言葉に、パールは整った眉をひそめる。確かに、捉えられない相手など、どうしようもないだろう。だが、正直なところ彼女は動きに目が慣れてきていた。次近寄ってきたらきっと、と口にしようとした、その前に。

 

「待たない」

 

 自分と彼女の疲労を知っているからこそ、バジルは苦手な掛け合わせを行使しだした。

 それは、秘中の秘の業。魔人ブレンドが天才グミだからこそ教授したその技術を、こちらの分野では凡才であるバジルはまた聞きで知ってから研究し、今ここで無理に用いた。

 

「があっ……」

 

 あまりの負担に、バジルは吠えざるを得ない。涙までも零し始めた彼に、パールも守るために動きながらも、驚き慌てる。

 魔法は、基本的に一つの目標へ叶えるために、用いるもの。願いに向かって一直線。二股なんて普通はあり得ない。だが、強欲な者たちは、一遍に二つを出来ないか、そう考え出した。それによって編み出されたのが、このパレットである。

 指をそれぞれ別方向に動かす。確かにそれは、器用な人であれば可能であるかもしれない。だが、それが巨大な力を孕んでいるのであれば、難易度はぐんと増す。

 魔法を発露せずに取っておきながらもう一つ魔法を放つ時に同時に行使するという荒業。普通ならば、取り置く概念すら理解できない。だが、バジルには判った。それは、五つ指の力を端に集めておけばいいのだと。だが、その身に暴れる力は、彼を侵す。

 

「だ、大丈夫なの、バジル?」

「ダメだな……」

「え、え?」

 

 そして、その場に崩れ落ちるバジル。同時に周囲を巡っていた龍も消えた。

 

「わん!」

「ぶっ!」

 

 そんな間隙を逃すほど風狼は鈍いものではない。トールの注意に応じて構えるパールに数多の風を纏いながら全力で彼は突貫して。

 

「不完全だ。だが……これでも殺せるか」

 

 そして、彼と彼女とイヌブタ。それ以外の周囲の全ては停止した。『マイナス』に『マイナス』を足して、もうどうしようもなく足りなくなった、そんな一切合切は。

 

 

「消えろ」

 

 

 バジルが白く染まったその手を閉じたのに合わせて、砕け散った。魔も何も、伽藍堂になった狼は、音もなく崩れ去っていく。

 

 やがて周囲には静寂が訪れた。

 

「え……こんな……あ、大丈夫、バジル?」

「疲れた……毎日相当鍛えてたんだが、それでもこれはキツい」

「ぶう」

 

 無常を示すかのようなあんまりの強力に瞠目したパールであったが、そのまま崩折れて動かないバジルに心配も始め出す。返事が出来ることに安心を覚えたが、汗を滝のように流す彼を見て、一息つくことは出来ない。

 

「バジル、戻ろ。これ以上は、無理だよ」

「いや、最大戦力を倒した今が好機だ。有象無象に守られているばかりなら、パールの奇跡とオレの魔法を使えばきっと……」

 

 二人の間に起きる問答。しかしそれを続けることは無理なことだった。だって。

 

 

「あおーん!」

 

 

 のしりと、もう一匹の五爪の風狼が現れ、手向けるかのように吠えたのだから。

 

「は?」

「まだ、おんなじ子がいたの?」

 

 驚くのは当然。それは果たしてどれだけの確率なのか。兄弟で同じく五爪に風色を持って、魔従に至るなんて。幾ら彼らが双子であったとしても、考えられないことだ。

 だがしかし、そんな現実は目の前にて牙を剥いていた。そして。

 

 

「ふうん。キミが、我々を否定している人間かい?」

 

 

 辺りのマナが歓喜に暴れる。彼の周りでは、全ての色が顕になった。魔人の一言一言が、人を殺す重みとなる。裸の上半身が、マーブル模様に揺れ動く。

 

「我々も、キミを否定するよ」

 

 それは、青年の真白い肌に涙のメイクを歪めて、笑顔で言う。神の資格を持とうともそれを投げ捨て、クラウン・ワイズは何処までも滑稽に。

 

 この世に地獄を創り出す。

 

 

 




 そして、同じ形の別のもの。クラウン・ワイズの登場です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 ミルクとモノ

 機、です。


 彼も彼女も今は同じであるが、果たして他もそうなのだろうか。せめて、似ている者は。

 

 はじめまして。

 それがなんと……ただです!

 嬉しいじゃないですか!

 

 きゃ。

 

 彼女は、どうなってしまうのだろうか。果たして、彼は間に合うのか。疾く、補足しよう。

 

 

 

 ミルクは、モノのことを愛している。それは、少し暗ったく歪んでいるが、それでも恋愛の体は保っていた。全部は深すぎる故、だったのかもしれない。

 生まれてから、ずっと少女には何かが欠けていた。土色の染指二つ、というこの世からの贈り物であっても、それを埋めることは出来ない。ミルクは、よくよく体調を崩した。

 

 病弱少女はうなされながら、多くを夢に見た。見たことのない過去、それは【前世】と呼ぶべきか。自分ではない自分が、元気に生を謳歌している、そんな姿をミルクは多く望んでいく。

 きらきらとした、数々の欠片達。それに、次第にミルクは打ちのめされていった。共感できない、自分と似て非なる自分。まるで己は、強制的に見せつけられる、生き生きとしたそれの影であるような気がした。

 その夢見に広がる世界以外の、ミルクの世界は狭いもの。会話するのも関わるのも、祖父に、両親の三人ばかり。後は、時折窓辺に来る一羽のカラスに彼女は話しかけもしたか。彼の爪の一つが風色をしていても、少女は特に気にしなかった。ただ、旅人に尋ねる。今日は何処まで行ってきたの、と。返事が返ってくることは一度もなかったが。

 そんな、多くがベッドの上での生活の中で、外の素晴らしさを見せされて、何になるだろう。ミルクにとって、前世は自分の不足を無理に知らせられる毒にしかならなかった。

 だが、それでも一つ、気になってしまうことがある。それは、前の自分が添い遂げた相手のこと。別段格好良くも、賢くもなく、ただ身体は強かったようである彼。それは、果たしてこちらにも居るのだろうか、と。

 別に、またあの人と仲良くなろうとは考えない。しかし、出来ればまた会いたいと思うくらいにはミルクに身近な存在だった。それ程、夢の中で頻繁にいちゃつきを見せつけられたから。

 

 

 時々自分の不足に崩れ落ちながらも、緩やかに時は過ぎていく。それは、ミルクが、身体つきに女らしさが増してきたことに自覚を始めた頃だったか。噂を、訊いた。魔法を斬る剣士。それを実際に見たという祖父は興奮した様子で口にした。その名は、モノというらしい。強い人。それが、彼に対する初めての印象だった。

 だが、それから英雄と病弱が少しも関わることなんてなく。忘れた頃になって、彼らは出会うのだった。聖女様の護衛の人間、として。

 

「はじめまして。私はパールと言います。ミルクさん、今日の体調はいかがですか?」

「そこそこ。……隣の人は?」

「モノだ」

「それだけ?」

「ん」

「もう、モノったら、ホント、必要な時以外は口数少ないんだから。ミルクさん、安心して下さいね。彼は私の家族で、出歩くのに心配して付いて来てくれただけなんです。最近は物騒みたいですからねえ」

「そうなんだ」

 

 街の現況を聞き、なるほどと頷くミルク。筋肉質で大きな、モノ。だが、どうしてだか圧迫感は受けなかった。気後れしてしまうくらいに美しいものの後ろに、静かに佇む隆々。静かな人だな、と思った。

 そして、ミルクは治療を受ける。白磁の手は、彼女の前で組み合わさった。

 

「え? 身体が……軽い」

「ふぅ……ちょっと、少ないのを私が埋めました。勝手が違うかもしれませんが。これである程度は動けるようになるかと」

「……治療費は?」

「え?」

「きっと、高いんでしょ?」

 

 ミルクもまた、聖女に助けられた一人である。だが、感謝より先に、恐れが彼女には湧いた。ライスの医師全てがさじを投げた、自分の体。診てもらうそのためだけの支払いによって、家が小さく変わってしまった事実は、少女にはあまりに重いものだった。だから、余計な心配までしてしまうのだ。

 

「ふっふー。幾らくらいだと思います、奥さん?」

「奥さん?」

「今なら、モノの笑顔まで付いてきますよ!」

「勝手に付けるな」

「それがなんと……ただです!」

「……ホント?」

「本当だ」

 

 あまりの疲労感に、テンションが上がってしまったパールを押さえつけ、モノが代わりに口にする。その内容を、上手くミルクは理解出来なかった。

 

「え、どうして? こんな……誰にも出来ないこと、なのに」

「あれ? 私は別にいいのですけど、そういえばどうしてなんでしょう?」

「パール、お前が忘れるなよ。それは誰にも出来ない特別、だからだ。父さん……神官はこのパールの奇跡の力を神の贈り物と定義した。それを、商売にする訳にはいかない。万人に分け与えるべきもの。だから値段は付けられないんだ」

「神の、贈り物……」

 

 ミルクはパールを見て、繰り返す。この綺麗な人は、確かに天からやって来たのだと言われてみれば、頷けてしまう。或いは、彼女は神に触れているのか。そうとすら思う。

 

「へー、そうだったんだー」

「はぁ……前も言ったんだが、それも、建前だ」

「……建前?」

「パールが出来るだけ皆を助けてあげたい、と言った。先の屁理屈はそれを叶えるための後付けだ……父さん、パールに甘いんだよ」

「へえ……」

 

 頬を掻き、少し恥ずかしがるモノ。そこにミルクは親近感を覚える。なるほどこの人達も、俗で人間なのだな、と。しかし、と彼女は続けて思う。

 

「……でも、そんなこと、私に言っていいの?」

「良いだろう、な」

「どうして?」

「そんな、世を斜に見ている人間に、神云々を語ってもあまり実感がわかないだろうからな」

 

 モノは黒眼で真剣に見つめながら、そう断言した。少し、ミルクは胸を痛める。

 

「ミルク、お前を助けたのは、神の手でなくあくまで人の手だ。生まれつきに苦労させられただろうお前を、決して人間は見捨てない」

「そう、なんだ……そう、だったんだ」

「良いこと言うね、モノ。そうですよ。最低でも、ご家族に私とモノはミルクさんが自分で立てるようになるまで、手助けします。コレ一回で治すとはいかないですけど、何度でも、私は来ますから」

 

 それは、どれほどの人間愛か。当たり前のように、聖女は言った。

 今更、溢し過ぎた涙は流れない。だが、それでも感動はする。ミルクは胸いっぱいになるものを受け取って、また疑問を口にした。

 

「……どうして、ここまで?」

「だって、知っている人が幸せになってくれたら、嬉しいじゃないですか!」

 

 パールの断言は、嘘一つなく。ミルクはここでようやく安心できた。もう、恐れるものは狭い世界の何処にもなく。太陽によって世界は照らされ、鮮やかに色づいた。

 

「ありがとう」

 

 胸から溢れた思いは笑顔になる。それを喜び、パールと、モノも笑った。

 

 

 その後、パールとミルクは友達になった。そして彼女らは次第に仲を深めて。最終的には、互いの秘密を打ち明け、曖昧な前世の話で盛り上がるようにもなる。

 ある程度の健康を手に入れ、世界を広げたミルク。その中でも、一番の友達と言えるような者はパールだった。そして、気になる男子も、一人出来た。

 

「モノ……今日は、居ないんだ」

「ふっふー。私も剣の腕を上げて、もう一人でも大丈夫だって言われたの。だから、こうして私だけミルクちゃんの家に遊びに来たんだ」

「そう……」

 

 教会とミルクの家には距離がある。だから、護衛も必要だったのだろう。だが、パールが安心を勝ち取った今、わざわざ遠くまでモノが付き合う必要はないのだろう。その事実が、悲しいと少女は思った。

 

「……私、悲しいんだ」

「どうしたの、ミルクちゃん?」

「嫌だ、嫌だよ……モノが離れるの、嫌」

 

 それは、今まで自覚をしていなかったこと。ずっと、会えば会話を交わす程度の間柄。情を過度に交わしたことなどなく。だが、確かに彼女の中に、モノは息づいていたのだった。

 それは、前世の彼を彷彿とさせる、思案に下げた時の瞳の暗さや、くしゃりとした笑顔の癖、そんな相似を見つけていたということにも因はあったのだろう。まさか、とミルクは思わないこともない。

 そして、そんなことだけではなく、言葉少なに真実のみを語る、単純で強いモノの心にも惹かれる部分が多々あったのだ。熱を見つけ、側でよろけた自分を抱きとめてくれた、その腕の力強さにも胸をときめかせていた。

 思い返せば、愛しか覚えない。失いかけてはじめて、ミルクは自分の恋に気づいたのだ。

 

「私、モノが好きなんだ……」

「ミルクちゃん……」

 

 ミルクは、それに自覚する。こうして息をするだけで思い積もり、折り重なって形を変え。それが面白くて。そして、少女は愛の深みに溺れる。

 

「キス……したくなっちゃった」

「えっと?」

「行ってくる」

「……ミルクちゃーん!」

 

 途端に走り出す、ミルク。パールは出遅れ意外な速さに見失い。やがて、教会までの、半分の距離にて息も絶え絶えの彼女は保護された。聖女に抱きとめられながら、それでも彼女はうわ言のように、口にして求め続ける。

 

「モノ、モノ……」

「あわわ……リアルヤンデレさんだ……」

「どうしたんだ、二人共、こんなところで……わ」

「モノ、大好き!」

「ええ……」

 

 通りがかりのモノはミルクを確りと受け止めて。しかし彼女が口にした内容までは受け止めきれなった。カア、と一羽のカラスが鳴いた。

 

 

 それからずっと、ミルクの心は変わらなかった。好きだが愛してはいはないと拒絶されても、忘れて自由になってほしいと遠くに行かれてしまっても、彼女はモノを想う。

 洗ってあげるからと半ば奪い取って得たモノの訓練着をそのまま今も密封保管していたり、夜な夜な安心を求めてこっそりとパール宅の彼の部屋だった所に時々侵入してベッドに寝転がっていたり(勿論バジルにはバレている)もするが、ミルクはこれまでその帰りをひたすらに待ち続けた。ほぼ同遇のユニともまずまず仲良くしたりして。

 

「あ……」

 

 だがそんな日常も長くは続かない。モノが守った街を自分も護ろうと奮起して、ミルクは負けた。

 

「ダメ!」

 

 そして、グミの助けの手も届かないまま、ミルクは土色の冬虫夏草に襲われて。彼女の全ての思いは壊されんとしていた。

 触腕が、耳元に伸びる。鋭い先端にてそのまま鼓膜ごと脳が貫かれんとした、そんな時。

 

「カア」

 

 一陣の風が吹く。風を槌と打ち出してから、黒い影は消えた。その一撃に、菌の狙いは逸れ。

 

「……危なかった」

 

 そして、間断すら許さずに全てを斬り裂く暴風が訪れ、バケモノキノコは粒ごと斬り殺された。

 

「……モノ?」

 

 目を薄く開けたミルクは、自身の惨状を知らずに、汗だくの想い人を見上げる。

 

 

 

 それは、まるで曲芸。パールの全開の剣閃を、クラウン・ワイズはただ避ける。ひょいひょいと、身軽に魔法一つ使うことなく、あざ笑うように。

 

「えい、やー」

「クハハ! 魔法を使えないのは、初めてだ。こんなに惨めなんだね」

 

 いや、実際は使わないのではなくクラウン・ワイズが魔法を使うことをパールが否定し続けているがために、使えないのだった。だが、それだけで、不老のバケモノを無力化することは出来ない。魔法など無くても、マナが次にどうすればいいのか彼にが教えるのだ。次々のその先まで分かっていれば、幾ら速かろうとも意味はない。有利にさせるその程度には、道化師は魔に愛されていた。

 

「絶好の機会、なのになあ……くっ」

「ぶう」

「ぐるる」

 

 脂汗を滴らせ、奇跡を行うその負荷に今にも気を失いそうな、そんなパールを目にしながらも、立ち塞がる風狼をバジルは打倒できない。多重に展開した氷盾は、一重に壊された。

 その大きな体。決して、戦うだけが能ではないのだ。長命な五爪の風狼は人間の結束を甘く見ない。ましてや、兄弟を殺した相手ならば尚更だ。二人と一匹を分断し、それをそのまま続けていく。窮鼠の一撃を恐れ、深追いもして来ないそのやり方。先の同種よりも遥かにやりにくい相手だった。

 千日手。時間は、決してパール達の味方をしない。だがそれでも、機は必ずやって来る。彼らは、彼女を信じているから。

 

「えーい」

「おっと」

 

 そして、パールの全力によって飛散した地面。それにクラウン・ワイズがたたらを踏んだ、その際に。

 

「放て!」

 

 狙うは挟撃。察されぬようにとんでもない遠回りをしながら、背後から別隊として、彼女は味方を引き連れやって来ていた。そう、アンナが率いる、一団は暗に殺すことを得意としていて、それを今回も発揮するのだ。

 誰知らず、今のために引き絞っていた弓はとき放たれて、天から数多の真鉄の鏃が降り注ぐ。

 

 

「ああ、危ないな」

 

 

 だが、命中する筈だった矢はかざした手に全て溶け、道化師の一部と消えた。魔を否定する真鉄毎、彼は呑み込む。

 その内にまで、奇跡など届かない。人型の魔は、魔の法を世界に敷く必要すらなく、無敵だった。

 クラウン・ワイズは『融和』する。どんな攻撃もその身に届かずに呑まれて。その容積を溢れさせるのだ。

 

「きゃ」

「パール!」

 

 そして、否定は否定された。クラウン・ワイズから溢れた一部によって、パールはその手毎剣を弾かれる。鮮血が、零れた。

 

「うん? もう、否定は出来ないのかな?」

 

 そして、倒れる聖女。そこに集まり盾とならんとするアンナ達。

 

「このっ!」

 

 届かぬ手を伸ばすバジルを前にして。

 

 クラウン・ワイズの魔法が放たれた。

 

 

 




 前の世とは。地獄はどこに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 抵抗と否定

 本当は、死なせたくは、なかったのです。


 

 二人が一人で一緒の彼と彼女は取り残された。そうして、言う。

 

 待って!

 

 伸ばした手は、届かない。だから、掬えないのだ。

 

 

 

 人は、死を察知した後に、何を成せるのだろう。果たして、意味は残せるものなのか。

 シャフトは、クラウン・ワイズの魔法に、死を覚悟した。遅れて聖女を護らんとした彼は、誰より前にて盾になることになってしまう。だから、火色に風色二本の魔法使いは目の前にて創られる『黒』の様子の全てが見て取れた。

 集まる四色。それらが混濁して一体となり『融和』した、それが『黒』の正体。大きさは、人の頭より大きい程度だろうか。速度も矢よりは遅い。見知った大魔法と比べると、それは小粒。だが、篭められた力は恐らく全てを凌駕するのだろう。そんなものが、炸裂もせずに向かってくる。

 避ける。それをまず思いつく。サイズから予想するに、攻撃範囲はきっと狭い。風色で自分の身体を飛ばせば、助かる可能性もあった。だが、それは駄目だろう。

 シャフトは後ろを見た。四人の腕利きの同僚に守られて、敬愛すべき主のアンナは暗器を展開して立ち向かいもせずに、ただ気絶した聖女を抱きしめ庇っている。その後姿に、何時もの厳しさは何処にも見当たらない。悲痛さは、ひしひしと感じられたが。

 

「ここで、死ぬか」

 

 だから、シャフトは不退転を決める。機能から人に変化した主を歓迎して、それを生かすために。

 シャフトは昔のアンナのスパイシーな有り様に惚れて付いてずっと来たのだという自覚がある。だが、最近の人間なりかけな女性に仕える喜びも中々だったと、そうも思った。半ば道楽とはいえ商売で稼いだ売上の全てを彼女が教会に寄付した時は、おかしくなってしまったかとすら考えたが。

 

「全部、持ってけ!」

 

 命がけで、それでも足りるとは思えない。染指一本で世界が違うというのならば、七本指というのは最早異次元だ。だが、どうせなら、やってみるのも悪くない。

 命を奪うばかりで無意味だった、この生。せめて最期は意味あるものにしてみせよう。奪う方が楽な魔法で大事な人を守って終われるならば、中々だ。

 そう思い、シャフトは今までに行わなかった全力で指を伸ばした。攣って、裂けて、離れて。それでも先へ。命を足してでも、深みに触れろ。

 

「ここ、か……」

 

 そして、彼は底まで届かせる。ただの人には出来ない、これが魔法使いの悪足掻き。ニヤリと笑んで、一度きりの魔法を轟かせた。

 それは、味方が撃った弾幕をも呑み込む、爆炎。威力は、中々。そしてこれは先の『黒』に対して圧倒的な向かい風となるに違いなく。

 この渾身の魔法は、無理な行使の反動に臓腑を爆発させ、それだけで死に向かっているシャフトにせめて時間稼ぎになったのではという希望を持たせるに十分なものだった。

 だが。

 

「はは」

 

 風に多少勢い滞ろうと、その進みは変わらない。むしろ、向けられた魔法を無にするどころか呑み込んで融和して、それは大きくなって、黒々と。

 周囲に絶望を広げながら『黒』は、シャフトの乾いた笑みごと全てを食んだ。

 

 

 シャフトは、失敗した。そして、他も無駄と消える。魔に対するものとされる、真鉄も呑み込まれてしまうのであれば、それは最早何で止めるというのか。むしろ攻撃の度に容積を増やし、あっという間に『黒』は巨大と化して今や地すら削っている。

 逃げなければ、いけない。誰かが『黒』に背を向けるアンナに手を差し出した。しかし、彼女が受け取ったそれはそれこそ手の平だけ。時遅く、彼の身体は既に呑み込まれていたのだ。

 

「あ……」

 

 触れた手。誰かの亡骸の一部。それすらどんどん呑み込んでいく『黒』に、アンナの上げた瞳は黒く、堕ちる。守れない。私は、彼に彼女を王に出来ないのか。

 それだけは、嫌だったのだけれど。と、盾にもなれずに、アンナはつうと涙を流して。

 

「お姉様!」

 

 だから。ロー(パールが救った風色一爪の小モア)に乗ったアスクが自分とパールの身にぶつかることに覚悟する暇もなく、アンナは衝撃のまま、転がっていった。

 

「ア、アスク……」

 

 そして、四つは回転してから止まり。アンナは振り返る。それはそれは、乱暴だったけれど、それでも命を助けてもらったのであるから、感謝をしたくて。だが、彼女の目の前に倒れていたアスクは。

 

「痛い……痛いよ、お姉様……」

 

 その足、二つを欠けさせていた。

 

「アスク!」

 

 諾々と流れていく血を許せず、疾く近づいてアンナは袖を引きちぎってから駆血を行う。

 そうしてから、アンナは気付く。これは、呑まれたのではなく、斬られたのだと。もう通り過ぎて森を呑み込んでいる『黒』の道筋の中にあったのだろう、ロー。もしかしたら彼が、アスクを助けるために、呑まれながらその鐙に引っかかっていた足を魔法で斬ったのではないか。

 そう、理解しつつ、逃げるためにべそをかいているアスクをアンナは持ち上げようとして。その時に声を、かけられた。

 

「どこに行くんだい? まだ、我々の出し物は始まったばかりなのに」

 

 男のような女のような、老人のような子供のような、混じって不快な声色が、そう言う。

 首を返す暇なんて、ない。暗器を投げつけ転がりながら、アンナはパールの元へと飛び退る。先まで彼女の有ったところに、黒々と穴が空いた。

 

「クハハ! 身軽だね。それじゃあ、次だ!」

 

 額から、ずぶずぶと真鉄の針を呑み込みながら、クラウン・ワイズは狂喜する。

 そして、今度は十、二十、次々と。どんどんと『黒』が精製されて。縦横無尽な線の如くに撃ち出される。

 

「っ」

 

 勿論、そんな大量を避けることなど叶わない。だから、どうしようもなく、アンナもアスクも、その後ろで倒れるパールも呑まれて消える、筈だった。

 

 

「殺したな……!」

 

 ぱん、という破裂音。それと共に数多の異次元を、バジルは差っ引いた。血だらけの体を、動かして彼は吠える。

 

「オレの前で……パールの前でっ」

 

 もう、バジルの前に敵はない。後は、道化師ただ一人。五爪の風狼に対する一か八かの突貫は、成功していたのだ。

 襲い来る刃の数々。バジルは肌に食い込んだ風が身体を通り抜ける前までに、それを全てゼロにした。そして、距離を取ろうとした狼を怒りに任せて凍らし、砕く。彼への哀れみなど、知るものか。痛みを我慢し、彼は突き進む。

 

「許せる、ものかっ!」

 

 パレットの負担が何だ。自分の命が何だというのか。そんなものより、大切なものがあったのに。それを自分は守ることが出来なかった。人の絆は、そうそう絶やしていけないもの、だったのに。

 大好きを救えなかったバジルは、悔し泣きを落としつつ、掛け値なしの本気を発揮した。

 

「なんだ、キミ」

 

 そして、道化師はもう、笑えない。地が死ぬ、空が死ぬ。彼の周囲の魔すら、死んだ。

 

 動物を殺して平気だというのに、人間を少し損ねたばかりで激昂する相手。そんな下らないものは、よく見るものだ。だが、そんな不条理がここまでの脅威に膨れ上がるとは、彼は一度も思わなかった。

 

 調合板には、同じ色がずらりと並ぶ。そして五つの水色が、一筆によって流れていく。やがて、巨大な顔料は大きなうねりとなって、上等な絵画すら害した。

 

「――死ね」

 

 それは、巨大なばってん。

 まず先にバジルが倒れ。そして、クラウン・ワイズは粉々に割れた。

 

 

 

 バラバラになった、クラウン・ワイズは考える。ああ、ここまで否定されたのは何時ぶりなのか、と。

 こうまでなっても、クラウンは、死ねない。老いもせずに、彼は魔によって生かされる。それが辛いと、思い続ける部分も確かにあった。

 生まれつきの、魔従で、魔人。人と深く交わったことなど一度もない。言葉が通じるのも、人のそれが未だ神の手によって分かたれていないというだけ。誰かに、話し方を教わったという訳でもないのだ。

 だが、それでも。こうまで人を求めてしまうのは。たとえ、魔に囁かれて彼らを損ねるためだとしても、否定するためだけだったとしても、否定されたとしても。それは、自分が人の子だからではないか。

 そう思いたかっただけ、なのかもしれない。誕生したのは、幾年ほど前のことだろう。もう、自分が人の間から生まれたという確かな証などない。母の顔を思い出せも、しないのだ。ひょっとしたら、彼はただのクラウン・ワイズという現象なのかもしれなかった。

 

「……いや、我々は生きている」

 

 だから、殺すのだと、発声機関の再生にまでこぎつけたクラウンは言う。

 生きることは、殺すこと。だが、こんなにも殺さなくても良かったのに、と思わずにはいられない。長々と生き続ける意味などないというのに。

 それでも、衝動的に身体は動くのだ。止められず、泣けども笑えども、サーカスは続いていく。滑稽な道化師は、プロットに則って。

 だから今も、クラウン・ワイズは前にも後ろにも【何処の世界にもない】地獄を創るために、起き上がった。

 そして、損ねるために起こした顔は、見つける。この世の中で、何より鋭い人間の姿を。

 

「ん」

 

 太い腕を緑髪伸ばした頭に回し、こんな筈ではなかった、とでも言うように悲しげな表情をしているモノを見て。ようやく安心したかのように若々しい老人は言った。

 

「キミが、我々の死か」

「ああ」

 

 モノが帯びているのは、笑ってしまうほどに、小さな剣。だが、それが彼に見合った素晴らしいものであることをクラウンは疑わない。

 あれは我々(神)をも殺せるものだ。

 

「待って!」

「……お願いだ、待たないでくれ」

「分かった」

 

 望むことこそ、最期の抵抗。

 そして、モノは聖女の静止を聞かずに、クラウン・ワイズの介錯をする。

 

 

 

 一度くらい、貴方も正しいと言って欲しかったと不相応にも思いながら、サーカスは露と消えていった。

 

 




 延々と続いたサーカスの興行は、死への彷徨いだったのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 涙と笑顔

 サーカス編、終了です!


 

 彼はあまり泣かなかったけれども、それを秘めた彼女はどうなのか。

 

 うああ、わあぁん!

 皆辛そうなの、ヤダ……。

 あは、ぐす。うう……。

 

 あは、もうモノ、ふざけないでよ!

 

 泣いた後には、笑顔が咲くのか。それは、補足してみる価値があると思う。

 

 

 

「うああ、わあぁん! うううぅう……」

 

 パールは涙を流す。自分が気を失っていた間に起きた多くの痛みに悲しみに、とうとう堪えられずに。しかし彼女は、濡れる視界を閉ざすこともなく、手を組み合わせることも止めなかった。

 死してしまったものは、いくら悲しんでももうこの世にはないのだ。だから、彼らの復活は望めない。あまりに、それは悔しいことで。だが、傷ついてしまった者を救うために、パールは決して崩れ落ちずに休むことはなかった。

 

「ぐす……ぐず……ううぅ……」

 

 パールの美しい顔は、涙に汚れて崩れている。だが、それが醜いものとはならない。容姿を忘れ、懸命に思う彼女は足掻きすら人の目を惹く。そう、誰から見ても、その必死はあまりに、悲痛だった。

 

「パール」

「モノ……ぐす、治さないと。うぅ、痛いの、嫌だよ。皆辛そうなの、ヤダ……」

「ん。そうか」

 

 全身を崩れさせ辛うじて生きているばかりのバジル、そして足の痛みに涙するアスクの前で、パールは必死に自分の力に願う。少女は、利己的だ。辛いのは嫌で、皆が辛いのも許せなくて、だから否定する。

 それは人間らしくて良いのだろうと、モノは認めた。

 

「だが、パール、お前は余計なことまで考えているだろう?」

「だって、だって、私、助けたかったのに……ぐず、クラウンも苦しんでいたって分かっちゃったから、だから、解き放ってあげたかったのに……」

「それは、俺がやった。パールがそのことで悩むことはない」

「モノが言っていることも分かる、分かるんだ。でも、でも……死んで、欲しくなんてなかったよお!」

 

 それは、慟哭。身勝手にも、パールは疲れ果てた老人にも、生きることを望む。もう会えないのは、認めたくなかった。幸せにすることが出来ないというのは、辛い。何より悲しいのは、嫌だった。幾ら通じ合えなくても、認められなくても、彼女はそれが亡くなって欲しいとは、とても思えなかったのだ。

 

「だったら、向かい合うことを躊躇うんじゃなかったな」

「ぐす、本当に、そう、だった……」

 

 どうしてそのことを知っているのだろう。モノの言に対して、パールは頷いた。

 その、通りなのだ。対したところで殺傷しないように末端を狙ったからこそ、クラウン・ワイズにああも簡単に避けられてしまい、結果止めることが出来なかった。奇跡の力ならば、魔で出来た身体に傷をつけることだって不可能ではなかっただろうに。

 殺してでも止める、そんな気概が足りずに、パールは負けた。本来、殺されていてもおかしくないのに皆の力で生き延びられた、そのことを喜ぶべきなのだ。そのくらい、彼女も分かっている。

 

「皆が、生きていてくれて、私を生かしてくれて、嬉しい。ありがとう。本当に、ありがとう……うぅ、でもでも、悔しいんだ。あとちょっと、だったのに……」

 

 もう少しで、抱き留められた。パールには聞こえていたのだ。『融和』していた彼の悲しみも。きっと奇跡であっても道化師を人に戻すことは出来なかった。それでも、人の温かみを教えてあげることくらいは、可能だったろうに。

 

「ぐす。小突いて、間違っていたんだよ、って教えてあげることくらい、やりたかった……」

 

 サーカスの行いを肯定なんて、出来ない。被害を受けた人々のためにも、後悔を覚えさせるのは、必要なことだっただろう。でも、それでも、もし彼らが生まれ変わったら。それを含めた皆の明日が少しでもいいものであればと、願うのだ。

 どこまでもパールは、強欲だった。

 

「パール。お前は本当に、戦うのに向いていないんだな。魔物相手には食べるのと同じ生きるためだと言って馴らしてやったが、魔人相手だと、そうはいかないか」

「モノ?」

「戦いにもしかしたら、はないんだ。否定するなら、全部しろ。隣人と思うからこそ、辛いんだ」

「で、でも!」

 

 モノの言葉を受けて、パールは困る。否定するのが辛いのは、当たり前じゃないかと。だって、何時だって彼女は辛い。こうして、奇跡の力を使って傷を否定するときまで、ずっと。

 パールは、対するのに向いていない。それは間違いなかった。だから、笑んで、モノは言う。

 

「勝ったんだ。笑え。そうしたら、皆も笑える」

「でも……」

「ビターエンドを否定するな。皆が、悲しくなる。……お前も頑張った、皆も頑張った。それで今がある。十分じゃないか」

 

 足りないと泣くのは向いていないよ、とモノは語る。それに感じ入り、彼女は再び、満ち足りた。

 

「あは、ぐす、あはは……そう、だね。これでも、良かったんだ。助けてくれた皆、ありがとう。あは、ぐす。うう……」

「泣くのか笑うのか、どちらかにしろよ」

 

 モノに撫で付けられながら、泣いて笑って、そうしてようやく今を認める。一日の終りを認めなければ明日へ行けない。だからパールは悲しみを尽くして。そうして、ようやくただ皆の幸せを願えるようになったのだった。

 

 

 

 後から後からを、次から次からで叩きのめして。ジャワとノッツは獅子奮迅の活躍を続けた。途中から応援もやって来て、それらと組み合わせた魔法は四本指の魔従すら退けて。

 援軍、グミと敵影が失くなったことにハイタッチしてから、彼女が勇んで森へと向かいだしたことを、彼らは止めなかった。少女が自分らより余程強いということを既に認めているから。

 

「行ってくるねー」

「おう」

「聖女様を、存分に助けてあげてくれ」

「モノが行ったから、多分大丈夫だと思うけれど」

「先のあの後ろからの風が、モノだったのか……すわ背後からの攻撃かと思って驚いたぜ」

「少しは、大きな影が見えたが……いや、一度手合わせしたけれども、やはり彼は全く全力ではなかったのだな」

 

 じゃあね、と消えていく少女を見届けてから、自警団と騎士団の二人は、背を合わせて座り込んだ。互いに疲れは、もう限界。魔法の使いすぎでジャワの指からはもう煙も出ず。重い盾振るったノッツの腰は最早痛みを越えて笑っていた。

 

「随分と、煤けたな」

「はっ、そう言う騎士様も、同じだぞ?」

「ふ、そうか」

 

 数多の木々や動物を燃やしたために、黒くなった互いを見て、二人は笑う。苦労を相手の有り体で確認しながら、上出来な結果を思った。

 

「結局……魔従の一匹たりとて落とし穴の一帯は越えて来なかったな」

「他所に向かった魔従らはどうなったか分かんないが……人間様々ってところかねえ」

 

 ジャワがなるだけ、それを損ねて来そうな土色や水色持ちを先に狙ったため、というのもあるだろう。だが、人々の手によって作りあげられた防衛線は結果的に最後まで保たれて、サーカスの多くを押し留めた。

 グミの報告から聞くと、街の被害も殆どないようで。対策をする時間を作ることが出来た、一報をもたらしてくれた何者かに、ジャワ等は心中にて深く感謝をした。

 

「後は、クラウン・ワイズか……」

「ぶっちゃけ、サーカスの怖さってのは、魔人の強さに拠っているからなあ。モノでも勝てるかどうか」

「ま、彼でだめなら仕方ないだろう。すっぱりと諦められるさ」

「はっ、違いねえな」

 

 伝説に対するのは、物語られるべき人間。きっと、この大騒動も、モノのお話の一部になるのだろう。そう、二人は思う。何しろ、彼らは聖女の優しさと同じくらいに、剣士の強さを信じているのだ。

 そして、不安はもういいかと、疑問をノッツは語りだす。

 

「それにしても、街ではないなら何処に行ったのか……魔従の数は予想された半分くらいしか見当たらなかったな」

「五十足らずだったなあ……正直、大部分がライス地区を荒らして回っているんじゃねえかと思ってたが……それもない、と」

「報告すべきことが、一つ出来たな」

 

 事前情報と、噂から、サーカスの魔従は百より多いと考えられていた。だが、クラウン・ワイズに従う彼らはここに来るまでにあまりに数を減らしている。山を越えて来たのだろう、その負担で数を減らしたのだとしても、半分以下というのは不思議なことであった。

 今はその不測が味方になったが、しかし次はどうなるか判らない。サーカスからすら魔従を誘った何か。それが何か、彼らは気になった。

 

「まあ、上司の前に出るまでに、アンタの首が繋がっていればいいがな」

「……本当に、な」

 

 今まで命令違反は殆どして来なかったほぼ白い身とはいえ、この灰の土地と化した森の責任をどうとればいいか。自分の命で済むなら、むしろ安いものだとノッツも思わないでもない。他に累が及ぶ前に、実行者の確保はしておこうかと、そうも考えた彼だったが。

 

「ま、今日はありがとうな、騎士様!」

「……ノッツでいい」

 

 しかし、グローブ越しの強い握手に友情を感じてしまい、言い訳を考えるのが先だな、と未来をノッツは投げ出した。

 

 

 

「パール!」

「わっ……グミ……」

「良かった、生きててー……ね、どうなったの?」

 

 一直線に向かい、パールに抱きつく、グミ。涙の跡を察しながらも、それでも心配から彼女は疑問を呈する。

 

「クラウン・ワイズは、倒した」

「モノ……それって、ホント?」

「ん。間違いない」

 

 その場で一番に元気な、モノがそれに答えた。本当は、それはおかしなことであるが。アスクが駆るローの案内に付いていき、大モアと見つけた野生のモアを乗り継いで、それも潰れてしまった後は自分の足で駆け、遙かなる距離をゼロにした彼。

 そんな途中で倒れていても何ら不思議ではない道程をこなして尚、疲労の色すら見せないモノはやはり、群を抜いた存在だった。

 

「この剣で斬ったからな」

「えと……その剣……何か、凄そうだね……」

「貰い物だ」

 

 判りやすく示そうと音もなく、モノが鞘から取り出した短剣。それに、グミは魅入られた。くねって集まった不思議な刃紋。それが、素直の知識ではダマスカス鋼と判じられるものであるとは、彼女には判らない。

 

「誰から貰ったの?」

「タアル伯から」

「ええっ! どうやって、何で、どうして?」

「落ち着け」

「落ち着けないよ!」

 

 幾ら強くて凄くても、モノは一般人の筈。それが、伯爵と知り合っていて、物を頂ける程に関係を深めているとは、流石にグミはびっくりである。当然、バジルを背負い、グミを首からぶら下げている、パールもこれには驚いた。

 

「ええっ、閣下と、どういう関係があるの、モノ」

「簡単だ。娘さん……レディ・バブを助けたことがあって、その縁で」

「どういう時に助けたの?」

「拐われた時に、偶々居合わせてな。どうにもバブには気に入られてしまって困っている」

「わ、すっごく主人公っぽいよ、この人」

 

 どっかで聞いたー、と騒ぐグミに、悲しみ燻らせながらも、ああモノならば出来るだろうし、やるだろうなともパールは思う。

 そして、驚きの発言をモノは続けた。

 

「そういえば、それもあってか認められて、俺は叙勲されている」

「っていうことは……私と同じ?」

「お前も準貴族なのか? 言い忘れていたが、俺のフルネームは、モノ・ディリートだったりする」

「聞いてないよ、そんなことー」

「そういえば、文に書いてなかったし、言っていなかったな」

「酷いよ、お兄ちゃん!」

 

 少し調子を取り戻して、パールは冗談めかして普段と違う呼び方をする。それを聞き、何故かモノは目を輝かした。

 

「何だか、新鮮な響きだな……もう一度、言ってくれ」

「ヤダよ!」

「そう言わずに……」

「何だかモノ、気持ち悪い!」

 

 何時もと違う。久しぶりの再会にタガが外れているのもあるのかもしれない。だがしつこいモノに、パールはそう言ってしまう。

 

「気持ち悪い……」

「あ、ゴメンね、モノ」

 

 そして、モノはどうしようもないくらいに落ち込む。想い人にそう評されてしまえば、そうなってしまうのも仕方のないことかもしれないが。

 だが、その情けなさに、グミはくすりと笑う。

 

「何だか、最強の騎士様も、パールにはかたなしだねえ」

 

 それは、全てが終わったからだろう。悲しみも随分とあったけれども、それでも笑顔を失くす理由にはならない。

 

「あは、もうモノ、ふざけないでよ!」

 

 災厄を越えて、再び皆に笑顔が生まれる。

 

 

 

 その洞は、深い。故に誘わずにはいられないのだ。

 

「ぐるる」

「コロコロ」

 

 サーカスの一部をも呑み込んで、それは今も広がり続けている。

 

 

 




 そして日常に、戻っていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 日常②
第三十一話 聖女と剣士


 あの論争に、新たなライバルが登場します!


 

 知らず傷ついたりもしている彼を内蔵した彼女は、弱くない。ただ、周りがもっと強かった。

 

 えい、やー。

 既に斬ってたんだね。

 

 やっぱりタケノコが一番だね!

 何か、引っかかるなあ。

 

 頑張って幸せに生きないとね。

 

 でもだからこそ、頑張れるのだろう。再び始まった、彼女の日常を補足してみようか。

 

 

 

「えい、やー」

「よっ」

「ん」

 

 牧場にて、三人が剣を走らせる。上段から振り降ろされたパールの剣、下段にて払われるバジルの短剣、タイミングを外した筈のそれらは全てモノの一刀のもとにて打ち払われた。カン、という木剣がぶつかり合う音が、一度だけした。

 

「すごーい」

 

 グミは、その絶技を観覧して、そう言う。モノは二人の師であり、兄である。そして、何より本職の剣士であり、騎士と認められた存在だった。とはいえ、曲がりなりにも、パールは魔従を倒せる腕前であり、バジルは彼女にごっこ遊びでとはいえ勝率で上回っている程、というのに。その二人がかりであっても、一つも通じることはない。むしろ、強さに速さは、技術だけにて笑わているようだ。

 

「くう。前よりモノ、凄くなってるよお」

「オレらの力が落ちたにしても、これは異常だろ。完全に、見切られてる上に、ナメられてる!」

「俺も少しだけ、揉まれたからな」

 

 軽く剣を弾いていく木刀に、渾身も速度もない。ただ、凄まじい練度は見受けられたが、それだけ。明らかに、モノはその力の一部も出していないようだった。彼の涼し気な表情は変わらず続いて。息すら乱さずに、ただ二人の前に、立ち塞がり続けた。

 

「強いよお」

「はぁ、はぁ……掠らせも、出来ないぞ……」

「バジル、俺に一度も当てられなかったら、バジルちゃんの刑な」

「うおおおお!」

「わあ、バジルが急に本気に!」

「ん」

「くっそ、当たんねえ! モノ、お前オレがあの格好している時の目、こえーんだよ!」

「愛らしいものをじっと見つめて、何が悪いんだ?」

「オレをそんな目で見るのが、おかしいんだっての! パール、お前も手伝え!」

「はーい」

 

 そして、あわや女装をさせられるという憂き目に遭いそうになったバジルは、一転して本気を出し始める。一刀から、そこに盾を持ち出しパールと共に打ち込み、そして挙げ句彼は魔法まで使い出す。

 

「わー」

「ぶー」

 

 だが、そんな全てを、神速をもってしてモノは斬り捨てていく。観覧者には軌跡しか判らないそれに、太い水龍は一撃のもとに卸されて、返す刀でバジルの盾と剣は飛ばされ、入ると思われたパールの上段からの一撃は。

 

「……やっぱり、モノはすごいなあ。既に斬ってたんだね」

「ん」

 

 パールが持つ刀身の半ばからが勝手に飛んでいったことによってモノに掠ることもなく終わった。綺麗な断面を見せる自分の木の剣を見ながら、彼女は感嘆する。

 

「まだまだ。オレの指は付いているぞ!」

「頑張るな。そこまで嫌なのか?」

「そこまで嫌だよ!」

 

 手を止めたパールの後ろにて、魔法を指揮するバジルは負けを認めない。女装なんて、もう嫌なのだ。似合ってしまうのが、とても困る。むくつけき男の告白を受けたトラウマが、彼を走らせた。

 少し白さが増した五指に従う魔は数多。瞬く間もなく三百六十度全てに配置された氷の魔弾は鋭い威力を湛えていた。思わず、パールも言う。

 

「わあ、本気だね、バジル」

「面となったマナをも一刀で壊してしまうのが、近頃のモノのあり得ないところだが……この数なら……或いは、もしかしたら、ひょっとしたら、どうだろうな……」

「自信ないんだね!」

「当たり前だ。コイツ、オレが殺し損ねたクラウン・ワイズだって斬ってるんだからな。えい、ヤケだ!」

 

 そう言い、一度でなく段階と速度を分ける小細工を施しながら、バジルは百どころではない氷塊をぶつける。捻転しながら先端を向けるそれは、普通ならば過剰過ぎる攻撃だろう。ついつい、モノは呟いた。

 

「誰も、俺の心配をしないのだな」

「そりゃあねえ」

 

 最強故に心配られないのが、当たり前。だがモノは少し寂しくも思った。感傷で、剣筋が鈍るほど、彼は甘い存在ではないが。

 一刀で卸すのが無理なら、相手の数に間に合うほど振ればいい。それくらいなら、あまりに恵まれたモノであれば楽だ。ここまで工夫されていると、少しは面倒であるが、それだけ。彼は、点を越えて、線の集まりすら甘く、面攻撃とすら思えるそれを、瞬時にて刈り続けた。

 

「終わりだな」

「あわわ。全部、先っちょだけ斬られてるよ!」

「甘いな」

「何?」

 

 そして、今までのバジルであれば、それで終わりであるために、気を抜いた、モノ。しかし弟分は知らぬ間に新たな技術を手にしていた。並行魔法、パレット。それを彼はここで使う。

 

「うわ、パレットまで使うんだ……ホント、女装嫌なんだねー」

 

 そんな、グミの声を、バジルは聞かなかった。ただ、彼は兄貴分に全力をぶつける。

 

「降れ!」

 

 そうして、バジルは殆ど間断なく斜め上方から水の矢を放って続けた。斬るに難いそれ。粒ではない流れの連続。本当ならば避けるのが簡単なのだろうが。

 

「受けて断とう」

 

 ここにて年上の挟持と度量を、モノは見せた。剣にて、彼は全てを飛沫と化させる。

 剣風、それは本来大したものにはならない。人と剣の間を風で埋めて斬り裂くなど、フィクションばかりのことである。その筈だった。だが、剣持つ者が只人の範囲を大きく逸脱してしまっていたら、それも或いは可能にならないだろうか。人間の手は意外と長い。物語ばかりの現象を、現実にて起こせる者が現れた。魔法染みた風にて、矢の全ては斬り落とされる。

 

「これで、終わりだな」

「ああ……」

 

 瞬く間もなく、喉元に突きつけられた、木剣の丸み。それは、これっぽっちも安心に繋がらない。自分の全てをそれにて受け止められてしまったバジルは、両手を挙げて降参をした。

 モノの鋭い瞳と、バジルの丸い目が合い、そうして言葉が交わされる。

 

「用意はしておく。明日、頼むぞ」

「マジかよ……」

 

 これにてバジルちゃんが、約束された。

 

 

 

「ホホ。少し前まで魔法には逃げて回っていたモノが、こうも強くなるとはなあ。儂も驚いたぞ」

「リン爺さん。魔法が来る前に斬ればそれで良かったのは、もう今や昔のことだ。騎士団ともなると、勝手に動けず初動に遅れることもままあったからな。努力した。一度『マイナス』は斬っているから……後は慣れだった」

「努力や慣れでどうにかなっちまうのなら楽なもんだが……まあ、誇らしいなあ」

「モノは、リンさんの御飯で育っているもんね!」

「ん。ここに来るとほっとする」

「ホホ。それは嬉しいもんだ」

 

 食卓にて、牧場の老翁、リンお手製の御飯を頂く四人。殆ど何時もと同じ、少しパンが高いものに変わっているくらいの内容を、特にモノは微笑みながら楽しむ。

 そっちの才もあるようで、無闇矢鱈に懐いてモノに寄って来てしまうドードー鳥にモアをトールは魔法で止めていて不在。よだれを垂らしながら、突かれどんどん穴が開いていく土の防壁を直し続けている最中である。どうにも彼は、サーカスの際にあまり役に立たなかったことを反省していて、こういうところでポイントを稼ごうと頑張り中のようだ。

 

「お肉、おいしー! これ、どうやったの?」

「ホホ。そりゃあ秘密だ。何しろ、パールにすら教えていないんだからなあ」

「ホント?」

「うん。リンさん、ちっとも教えてくれないの。だから私、中々料理上手くならないんだー」

「パールの料理は基本的には美味しいけれど……その、時々アレだよね」

「和風って名付けているのは大概アレだな」

「うーん。再現って難しいよねえ」

 

 もっと良い調味料欲しいなあ、と口にするパール。どうにも彼女は食にあまり拘りを持たないモノにすら苦言を呈された、アレンジを止める気はないようだ。

 その後も、皆は美味しい美味しい、と言いながら残さずにお昼を平らげて。そうしてパールが、大方ガタが来ているリンの身体を治療している際に、不覚を取ったトールが鳥の群れから逃げて来るようなトラブルはあったが、基本的にはほのぼのと一日は流れ。

 

「ホホ。今日もいい日だなあ」

「ぶう」

 

 トールを抱いて撫で付けながら、自分よりも動物を従えるのが上手なモノを眺め、リンは平凡な幸せを実感するのだった。

 

 

 

 暮れ始めた空を眺め、しかし特に急がずに。彼らは赤い空に突き刺さるタケノコの威容を眺めていた。その時ぽつりと、パールが口にした言葉から、波紋は広がる。

 

「やっぱりタケノコが一番だね!」

「いや、二番だ」

「キノコ好きだねえ、バジルは。グミはどう?」

「ボクもタケノコ派だよ。やっぱり一番大っきいって凄いよね!」

「キノコも裾野の広さは随一なんだが……モノはどうだ?」

 

 己の美観の違い。それを語る三人。次第に真剣になっていくそれに、キノコタケノコ論争の深さを感じざるを得ない。勿論、モノも二大名峰の素晴らしさは知っていた。

 今も見上げて仰ぐことの出来るタケノコの白と青のコントラストの美は類ないものである。幼少時に見たキノコの笠の広さもまた、大地に根付くその強さが印象的でまた深いものに思えてならない。だが、一番を挙げるとするのであれば、モノにも別の意見があった。

 

「俺は……スギノコだな」

 

 それもまた、名山の一つ。タケノコにキノコのビッグネームに霞んでいるが、その緑深き山の独特な形には根強いファンが付いている。

 この意見には、皆もなるほどと思わざるを得なかったようだ。この場の誰もが旅行した際に近くで見たことがあるスギノコは、タアル伯領の中心ロック郡にあるのだから、そこで過ごしていたモノに愛着があっても不思議ではないのだろう。

 ここからでも、少しはその形が見て取れる。首を長くして、バジルは見上げた。

 

「スギノコか……渋いな。だがオレの場合、一度禿山になった後に杉ばかりが植林されたんだっていうあの鋭い緑の山容よりも、その麓の村の印象が強くてなあ」

「何か、変なお菓子売ってるよね! 美味しいけれど、高かったよー」

「俺はあれ、好きだな」

「スギノコ……村……お菓子……うーん。何か、引っかかるなあ」

 

 うんうん頭を悩ませる、パール。その内で、素直は何かを納得させていた。

 硬く細長いパンにキャロブパウダーをまぶしたスギノコ付近の名物であるそのお菓子は、後々大量生産社会になった際に改良される。そして、一世を風靡しお菓子といえばこれ、とまで言われる人気商品となるのであるが、流石にそんな未来まで見通せる者など、聖女の中の人を含めてまで、ここに居はしなかった。

 

「まあ、いいや」

「パール、寝るなよ服、汚れるぞ」

「やっぱり、パールは大っきいなあ、ボクと違って自然にこうだから、タケノコ並に凄いよね!」

「いや、同意をさせられても困るんだが……」

 

 まあ自分程度が考えても仕方がないや、とクローバーの上に寝転がるパールに、周囲はざわめく。慣れたバジルは服の心配をし。大きな二つの丘を確りと見つめておきながら、知ったかぶりをするモノに、グミは意外とずるい人だなと思う。

 しかし、そんな周囲を知らずに、聖女は笑んで。

 

「私は余計なこと考えていないで、頑張って幸せに生きないとね」

 

 未だに痛みを引きずりながらも、そう言えた。

 

 




 バジルちゃんは次に。
 スギノコ名物のお菓子は、さくさくしていて美味しいみたいですよ!
 半分以上かかっているキャロブパウダーはチョコレートっぽい風味がするそうで人気なようです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 バジルちゃん

 なんということでしょう。


 

 彼を厭わずにずっと容れられている彼女は、意外と凄い。慣れている、というのもあるのだろうが。

 

 わ、すっごく可愛い!

 すべすべー。

 

 私は認めるよ。

 

 翻してみると、自分に女性性を受け容れられるという男性はきっと、少ないだろう。嫌がる彼女っぽい彼。どうも混乱してしまうが、その辺りを補足していこう。

 

 

 

 十四。それは、性差がはっきりしてくる年頃である。男の子と女の子は、意識も見た目も判りやすく違っていく。

 それを思うと、バジルは少し異端である。遅れているというか、既に完成してしまっているといえばいいのだろうか。何が気に食わないのか、常に顔に作られている険を除いてしまえば可愛らしいばかりの男の子。それこそ、髪型変えただけで、女の子にも見えるくらいの中性ぶりである。

 とはいえ、バジルは坊主頭。その短き髪を直ぐに伸ばすことは出来ない。だが、逆に考えれば、乗せるカツラを自由に選べるということ。モノが買ってきたという高価そうな出来の良い幾つかの内から、くるくるな一つが選ばれ、セットされた。

 

「これでバジルちゃんの出来上がり! わ、すっごく可愛い!」

「笑おうと思ったが、似合うな……何ていうんだ、この髪型」

「なんだろ……カーリースウェル?」

「複雑な名前だ……だが、何かバジルちゃんの顔立ちにこれ以上なく似合っているな」

 

 化粧一つ付ける必要すらなく、カートルを羽織って金の長髪流しただけで、もはやバジルちゃんは可愛い女子である。苛立ちに鋭くされる青の瞳も、アクセントとなってカールした髪型の中で映える。

 思わず、真っ直ぐ前で見つめていたグミは、その身を崩折れさせた。

 

「ボク、バジルちゃんに負けたかも……」

「何落ち込んでるんだよ、グミ! クソ、だから嫌だったんだよ。似合わなくなってくれてたら嬉しかったんだが……身長も、ずっと変わんないし、せめてヒゲでも生えてくれりゃあなあ……」

 

 悪態をつく、バジルちゃん。しかし、勢いでカツラを取ったり服を脱いだりしないのは、生来の生真面目さによるのだろうか。ただぷんぷんしているばかりの少女の形に、パールもほっこりである。

 

「可愛い……」

「ヒゲ、生えてないのか……」

「お前ら……ああ、そうだよオレはお子様だよ! っ、何すんだよ……パール!」

「すべすべー」

「このっ」

「わあ」

 

 子供が怒っても、怖くはない。普段からそうであったが、しかし愛らしさばかりが強調された今であっては尚更のこと。つるつるお肌に触れることで、パールはご満悦。その手を振り払って、少し涙目になったバジルちゃんに、モノは頬に少々の熱を覚えてしまう。

 

「……ひょっとして」

「どうした、グミ。そんなに可哀想なものを見たような顔して」

「いや、だってバジルちゃんってひょっとしたら結構前に、沈着にまでたどり着いていたのかな、って……」

「沈着?」

 

 首を振る、バジルちゃん。その様は、グミより余程、人形らしい。普段の幾ら外で騒いでも一向に焼けてくれない肌の青白さが、まるきり少女美に繋がっている辺り、どうにも彼は性別を間違えて生まれてしまったのではとすら思えた。

 

「学園行ってないと知らないよね……それでも、あのさ。クラウン・ワイズが不老だったっていうことは知っているでしょ?」

「まあ、大分無理している感じだったが、アイツは伝説の長さの割に確かに若かったな……もしかして」

「そう、沈着っていうはね。解釈の停止。底への到達。水色なら染めきってしまったっていう感じかな。まあ、そんな風にして肉体まで不変の域まで行ってしまった魔法使いのことを言うの。長い学園の歴史でも数人しか居ないらしいけど……」

「それに、オレがなっていると?」

「多分。……良かったね、バジルちゃん。きっと最年少記録だよ!」

 

 かくいうグミも、沈着にまで至っている存在を魔人ブレンド以外に知らない。サンプル不足で確かではなかった。だが、成長に性徴、それは老いに至るまでに必ず踏まなくては行かない段階である。その前で足踏みする生き物などそうは居ないだろう。そして、その深い指先の水色を思うに、きっと間違っていないと彼女は考える。

 

「良いわけ、あるか!」

「わっ」

「予定だとモノに並んでいるはずだってのに、未だパールの胸元程度で、そしてバジルちゃんとまで扱われて、それが、それがずっとだと!」

「あわわ。バジルちゃん、抑えて。辺りがひゃっこくなっちゃってるよお」

「す、すまない。だが……それはないぞ、本当に……老いず、最悪一人になっちまう。そんなん、人間じゃねえ……」

 

 怒り、悲しむ。まるきり子供のそれだが、しかし今回度が過ぎた。怒りに周囲の温度は消え、そして悲しみに彼女、いや彼は長い髪を広げて項垂れる。次第に、しゃくりあげる声が聞こえ出し、流石に見ていられなくなったパールは、バジルちゃんを抱く。

 

「大丈夫だよ、バジルちゃん」

「そう、か?」

「うん。成長しなくても、老いずに私を置いていってしまうとしても、私は認めるよ。大好き」

「パール……ぐす」

「ん。オレは、バジルちゃんを置いていく気なんて更々ないぞ。何、長く生きればいいだけだろう。身体の強さなら自信がある」

「……モノ」

「なあに。ボクもバジルちゃんに負けずに、直ぐに沈着なんて行っちゃうよ。腐れ縁は、末永く、だね!」

「グミ……ありがとう!」

 

 そして、輪は狭まる。精一杯に腕を伸ばして抱こうとするバジルちゃんに、周囲の皆はされるがままになった。

 バジルちゃんが零す涙は、煌めきに変わり。背に回された華奢な腕はしかし筋張らずに、パールらに確かな柔らかみを与えた。胸元が寂しいが、それだけでその美しさを損ねることにはならない。

 黙っていればパールの妹と言ってもなんら遜色ない、そんな愛らしさを見て。

 

「ぶう……」

 

 これは確かにバジルちゃんだなあ、とトールも彼なりに口にした。

 

 

 

「落ち着いた?」

「……ああ。はは。少し、恥ずかしいな。ちょっと、オレ、表で頭冷やしてくる!」

「え」

 

 涙を流しきってからは、はにかんで。少女、ではなく少年は顔を朱くした。家族と友達に甘えたことが、改めて思えば恥ずかしかったのだろう。今日の自分はどうにも女々しいな、と考えながら、バジルちゃんは家から外へと足を踏み出していった。

 とてもとても魅力的な、自分の愛らしさと装いを忘れて。

 

「あ」

「これは、なんつう……」

「……可憐だ」

 

 涙に、少し険が抑えられた、その顔。憂いと共に見せられた可憐に、彼らは魅入られる。パールと違い、確かに知性を感じられるのもまた、良く映るのだろう。

 バジルちゃんは、サーカスと魔従が減った謎についてモノ等と突き詰めた話をしようとやって来ていたジャワとノッツにその美麗を見られてしまった。

 

「あ、こ、これは違……」

「ほらよ」

「ハンカチ?」

「お前さん程の美人に、涙は似合わねえよ」

「ジャ、ジャワ?」

「お、俺のこと知ってくれていたんだな。ちょいとナリは小さいが、こんなに可愛い子にまで知られているとは、嬉しいねえ」

 

 女装姿を見られ、どうなじられてしまうかを恐れたバジルちゃんであったが、それは杞憂に終わり。むしろそんな様をすら愛されてしまい、至近の愛の篭った目に鳥肌を立たせることにすらなった。

 

「そんなに詰め寄るな。怯えているぞ、ジャワ」

「騎士サマ?」

「ふむ。ジャワは小さいと言ったが、それは正しくないな。彼女は抱きしめるのに丁度いい大きさ、と表した方が正しいだろう。」

「ふうん。ノッツは幼女趣味かい」

「違う。だが、これほどの美しさの華、多少育ちが足りなくとも、愛でるに支障はあるまい」

「へっ、それは違いねえ」

 

 狙われている。それに、ここに至ってようやくバジルちゃんは気付く。確かに、野性的なジャワは男から見ても中々に格好良いとは思えるし、持ち前の冷静沈着さがそのまま顔になったように綺麗なノッツも思わず嫉妬してしまうくらいにはいい男と言えるだろう。

 だが、あくまでそれは同性としての評価。異性として捉えるならば、論外極まりなく。お尻を押さえながら、バジルちゃんはその場から逃げ出した。

 

「お、犯される!」

「こ、こら。なんつーことを言う嬢ちゃんだ!」

「少し、怖がらせてしまったか……いや、残念だ。タイプだったのだが」

「お前さん本当にアレなのな」

「いや、だからそれは違う。後二年程待てば、あの子はきっと、凄いことになるぞ?」

「……それは否定できないな」

 

 そして、未来のあり得ない美人の姿を、二人は思う。描かれた美人はやけに豊満だった。男共の欲は深い。

 

「……こっちに逃げてどうすんだよ、オレ……あ」

 

 そして、家の中を目指さずに、明後日の街中の方へ走って行ってしまったドジなバジルちゃん。彼、でいいのか、まあその珍しい髪型に愛らしい姿は人集りによって圧される。装飾としてまるで手を怪我してしまったから巻き付けたかのように、上手に染指に施された包帯のおかげで、その姿を誰も恐れることなく。むしろ魔的な魅力を抑え切れていない少年に、多くが魅了された。

 

「きゃあ。何この娘……可愛い!」

「うわ、ちっちゃけど、完璧な美人さんね……ホント、どこから来たの?」

「パールさんとは違うのに……何だこの胸のときめきは……」

「……綺麗だ」

「なんだ。随分と、ちっちゃい頃のバジル坊に似てる娘だなあ」

 

 ボーラーの核心に近い言葉は、その場の誰にも届かない。何しろ、既にバジルちゃんに誰もが夢中になってしまっていたのだから。ただ、対面の彼女っぽい彼を焦らせるのに一役買ったが。

 

「オ、オレは可愛くなんてなーい!」

 

 そう言い、バジルちゃんは人混みの中を、その小ささを利用して走り抜けていった。後に続けた者はなく。ましてや大柄のボーラーは尚更。故に確かめは、出来ない。だがしかし、その声色から彼女が彼であることは判ぜたようだ。

 

「坊……何してるんだよ……」

 

 どうしてこうなった。それは、本人が一番思っていることだったかもしれない。

 

 

 街中を走り回り、そして、消えた美少女は謎になる。噂は、次第に伝説的なまでの尾びれを付けて周囲を巡っていく。

 

 件のバジルちゃんはカツラを脱いで、ふてくされ。

 

「もう、絶対! 女装しねえ!」

 

 枕に顔を埋めながら、そう言った。

 

 

 




 グミ程ではないですが、バジルちゃんもまたある種の天才なのです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 聖女と恋愛

 恋愛。


 

 男の子が女の子と共にあって。果たしてそれで、視界は歪まないものだろうか。

 

 そうだよ!

 スコーン美味しいね!

 

 私と完全に異なる性なんて、ないしなあ。

 

 それは、お茶会の最中で出た、独り言。二人の間に遠慮なく入る、聖女の様子を補足してみよう。

 

 

 

 ミルクとユニは、大の仲良しである。多少の年の差など、なんのその。むしろ彼女らは友達どころか姉妹のようにもして、仲を深めていた。

 最初は、パールを伝手にして出会った二人。だが、彼女たちは、縁を繋げてくれた聖女こそ最大の恋敵であるということに次第に気づいていく。互いが敵にならないのであれば強敵相手に手を組むのも、自然の流れだった。暗さに恐さ、己にコンプレックスを持っている者同士ということもミルクとユニを近づけた要因かもしれない。後は、単純に馬が合ったというのもあるだろう。

 だから、こうして大きめなミルクの家で紅茶を飲みながら二人だけの時を過ごすことだってあるのだ。だがそのティータイムも、片一方には気休めにもなっていないようだ。ミルクはうなだれながら、とんでもない言葉を口にする。

 

「死にたい……」

「そんなこと言ったら駄目だよ、ミルク」

「……ユニは、バジルに……見られたことないでしょ」

「あたし、子供の頃に、お漏らし見られたことあったよ? 大きくなってからは、流石にないけれど」

「なら、この年になって粘液付きで醜態を見られた私の気持ちは、分からないでしょうね……」

 

 想い人の前で醜態をさらす。その事実は、助けて貰った感動を飲み込んだ後自分の有様を見てからずっとミルクの内に、どすんと横たわった。

 魔の冬虫夏草からミルクをその剣で救った後間もなくモノは走り去って、残ったは言い訳一つさせて貰えなかったびしょびしょの少女とグミばかり。そして魔女も、剣士の姿を追いかけるように去ってしまって、彼女は一人取り残された。

 あんまりだと、ミルクが孤独に泣いてしまったのも、仕方のないことだっただろう。

 その後、人が来て家まで連れて行ってくれたが、ミルクは救助してくれた男性が臭い、と口にしたその時のやってしまったというような表情を忘れられなくなった。それは、軽いトラウマに。

 今もミルクは部屋に香を焚いたり、茶を飲み込んだりして健気にも良い香りを必死に取り込んではいるが、それでも臭っていないか心配に思っていたりもした。

 

「ミルクは心配しすぎだと思うな。だって、あのモノだよ? 逞しさに全力な、あの男の子だからね。むしろ、濡れて服透けて下着見えてる、ラッキー、くらいにしか思わなかったんじゃない?」

「……それはそれで嫌だ」

「まあ、確かに嫌だけど。でも、絶対に、モノはミルクの汚れた姿を見たくらいで嫌いにはならないと思うよ」

「どうして?」

「いや、だって以前ミルクが寝床に忍び込んで騒動になった時も、あの人許してたじゃない……」

 

 それは、ミルクが恋を自覚して直ぐのこと。昼間、ベッドに謎の膨らみを見つけたモノが、皆を呼んで中身の確認をしたことがあった。

 偶々居合わせたユニも、恐る恐る付いて行き、一斉のせでシーツを剥ぐ。果たしてその中にいたのは、溢れんばかりに覆う髪の毛量がなければ色々と見えてしまいそうなくらいにスカスカに改造された下着姿のミルクであった。

 注目の中でいやんとしなを作った痴女の姿を、未だにユニは忘れられない。

 

「懐かしい。あの時決めるつもりだったのに……残念だった」

「残念なのは、ミルクの頭の方よ。半裸で夜這い……昼から待機していたから昼這い? まあそれをしておいて、今更汚物に塗れた姿を見られたことくらいで、悩むなんて」

「それも乙女心」

「断言できるわ。あんたは、穢れすぎてるから、乙女とはいえない」

「……ユニって、時々酷いよね」

「正直なだけよ」

 

 言ってから、ユニは白磁の器からコンセントから手に入れたという高い茶葉の渋みを頂き、側に置かれたリンゴジャムがかかったスコーンを口に入れた。香りに味。そして友達と居る昼下がりというシチュエーション。話題以外、本当に素晴らしいのにな、と彼女も思わずにはいられない。

 そう考えていたところ、ミルクはその半分隠れた目を真剣にして問いだした。

 

「……なら、正直に現状を言える? 私達は駄弁って、何をしているのか」

「それはもう。片思いをしている者同士、傷の舐め合いをしているっていうところじゃないの?」

「ぺろぺろ」

「本当に舐めるなっての!」

「……ユニ。目、怖い」

「これは元から!」

 

 しかし真面目は長く続かず、グダグダに。頬を舐めた年上の女を引っ叩く面倒を被らせられた上に、容姿をなじられてユニはぷんぷんである。しかし、構わずマイペースにミルクは続けた。

 

「……それで、ユニの方は、何か進展はあった? 私みたいに後退してない?」

「うーん。あたしの方は、足踏み中、かなあ。サーカスのこともあったし、近頃はろくにバジルと話せてないよ」

「そう……モノとバジルの周りに女の子が増えたみたいだし、私達、ピンチかもね」

「女の子、って……グミのこと? それなら、大丈夫じゃないかなあ。あの娘……パール狙いらしいし」

「わあお。流石パール。女からもモテだしたか……あの子に集まる好きの一つ一つを金貨に替えられたら、王国一の大金持ちになれそうだね」

「そうかもね」

 

 何だかんだ、私も恋愛とまでいかなくても好きだし、と思いながらも、ユニはバジルの一番の好きまでパールに向かってしまっている現実に、嘆きたくなる。彼女が嫌な奴だったら、大いに立ち向かえたのに、と思わなくもない。

 紅茶から立ち昇り、くゆる、湯気。それに手を入れ、しかしユニは握りつぶすようなことはしなかった。どうせ無駄だし、自分に乱すことが出来ないのも知っているから。

 ため息を吐き。ユニと似たようなことを考え、そしてミルクはもう一つの憂慮を話し出す。

 

「それに、グミだけじゃないんだ……パール達の家から出てきた美少女というのも気になってる」

「あー……彼女、ねえ」

「ユニは何か知っているの?」

「大丈夫。あの子はミルクの敵にはならないよ。モノじゃない、好きな子が居るから……認めたくないけれど」

「ふうん」

 

 可憐で噂の彼女が、バジルちゃんであると、ユニは知っている。逃げる姿を目にしているし、何時も目で追いかけている想い人が幾ら変装しようと見破れない筈もなく。

 あたしより可愛いじゃないか、と内心怒りを覚えながらも、バジルの名誉のためにも正体を語らないことにはしている。察するのはどうぞご勝手に、と思うが。

 何となく判じたミルクはしかし藪を突かずに、二人の時によく零す、胸の内のもやもやの一番の解決策だけを口にした。

 

「早く、誰がパールとくっつくのか、ハッキリとして貰いたいところ」

「モノもバジルも、私達みたいに告白すればいいのに」

「……男の子は変なところで臆病」

 

 そう。バジルもモノも、明らかにパールが好きだ。張り裂けそうな胸中であろうに、どうして、それで今を大事に出来るのか。本人の口から確かにそうだと知っているユニとミルクは、特にそう考えてしまう。

 家族と、恋人。その天秤が何時逆に傾くのか、それを待つのも中々に疲れるものだった。

 

「……もう一つ、ハッキリさせておきたい大事なことがある」

「何?」

「パールは誰が好きなのか」

「さあ。どうせあの子、皆が好きなんじゃない?」

「そうだよ! あーん」

「あ……本人」

「全く、パールったら挨拶もノックもなし?」

 

 バタン、ぽよん。そんな風にオノマトペも騒々しく、噂をした影は現れる。人の気も知らずにニコニコと元気に笑いながら、パールは最後のスコーンを遠慮なく自分の口に放り込んだ。

 

「もぐもぐ……スコーン美味しいね! こんにちは、二人共。ゴメンね、いい匂いがしたからノック忘れて入っちゃった」

「いい匂い……そう。嫌な臭いはしない?」

「うん? くんくん。何か色々混じっているけど……どれもがとっても心地良いよ!」

「だって」

「良かった……もう、臭くないんだ」

 

 パールは、嘘は言えない純真、或いは馬鹿な子であるとミルクはある種信頼どころか信仰すらしていた。だから、その笑顔の断言は本当で。聖女のおかげで自分の陰りが一つ消えていったことを理解する。ぎゅっと、彼女は自分の手を握る。

 それを見て薄く、他人から見たら酷薄なように笑みながら、ユニはパールがどうしてここに来たのか、その経緯が気になり訊いてみた。

 

「それにしても、パール。貴女はどうやってこの秘密のお茶会を知ったの?」

「秘密だったの? ミルクちゃんのお母さんが教えてくれたんだ。ユニちゃんといっしょにお話しているみたいだけれどせっかくだから貴女も来たら、とまで言ってくれたよ」

「お母さん……」

「フォームさん、口が軽いなあ」

 

 娘と違って根から明るいミルクの母、フォーム。その認識の雑さに、ミルクとユニは苦笑い。そして、もとより笑んでいたパールに、次第に彼女らの笑顔は合い始め。

 

「あは」

「ふふ」

「はは」

 

 少女等がそれぞれの愛らしい顔を突き合わせて笑うことで、少し時間が費やされた。

 

「ふふ……そういえば、パール。貴女って好きな人居るの?」

「勿論異性で、ね」

「ええ? 急にそんなこと言われてもなあ……うーん。考えたこともないや」

 

 そして、間をおいて、核心に迫る疑問がついに呈された。しかし、それに対する答えは、酷いもの。だがどうにも間違いなく、それは嘘ではない。異性愛を、考えたこともないと言う聖女は少し穢れなさ過ぎる。

 何だか、ミルクには首を傾げるパールが眩しくすら見えた。

 

「……この子、本当に思春期を越してきたのかな?」

「多分、迎えてもいないんじゃないかな……愛は一杯で、恋はない。謎の生き物ね」

「酷いなあ……でも、ホントに、皆大体好きだからなあ……あ、家族の皆は男の人の中でも特に好き!」

「それは当然……」

「本気で皆、って言っているのがまた、困るわ」

「ええ……この答えでも駄目なの?」

 

 駄目に決まっている、という異口同音に、パールはびっくり。そしてあわわと口にしだす。そんな困った聖女様を見る目は、しかし優しい。

 稚児と敵対する者など、そうはいない。情愛受け取れない子供に、どう嫉妬すればいいのだろう。だから、ミルクもユニも、余計な寄り道はせずに、全力で想い人に対してぶつかれるのかもしれない。

 

「ま、なるようになれ、ね」

「何だろうと、私のやることに変わりはない」

 

 そう、ただ花々は唐変木達に、恋愛を示すことばかりを必要としていた。何時か受け取って貰う、その日のために私は変わらずここにいるよと、彼女等は彼らの隣で示し続ける。

 

「早く貰ってくれないかなあ」

「私はむしろ、奪いたい」

 

 ただ、少女達のそのいじらしさは少し、重かった。

 

 

 

「うーん。私と完全に異なる性なんて、ないしなあ……」

 

 困惑の最中。パールが誰にも聞こえない声量で放ったその言葉は、宙に消えた。

 

 

 




 パールさんにとっての異性とは誰なのでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 聖女と貴族

 レディ……とは。


 

 それは、男に女な変態さんの新たな出会い。本物との対面。

 

 わ、変態さんだ!

 大変態さんじゃないですか!

 ワイルドですねえ……。

 

 果たして貴族とは。だが異常なだけでも、ないようだ。詳しく、補足していこう。

 

 

 

 生まれながらの高い位置。自分の能力によって高みに居る者は、パールもよく見ていた。だが、親の身分を誇示して胸を張っているような相手は、あまり見てこなかった。

 ライス地区は、辺境。故に、ナイトやビショップより上の立場の者などがわざわざ足を運んでくるような機会はあまりなく。偶の出会いすら逃してしまえば、後は中々高位の人々に触れることなどなかった。もっとも、お忍びの相手とは深く関わっていたりもするが。

 まあ、そんな風にして準貴族と毎日会っていても、上の貴族様のことは想像してばかりだったパール。偏っている素直の知識から高飛車な人が多いのだろうな、と勝手に思っていた。

 しかし、実情は違う。

 白化個体の大モア二体に牽かれた鳥車から降り、きょろきょろしたかと思えば、モノの大柄な姿を認めて、ぱっと顔を明るくして。そうして、少女は走り寄り。大声でトンチキなことを叫んだ。

 

「モノ様! 私を罵ってくださいまし!」

「わ、変態さんだ!」

「おう、貴女も中々言いますわね! 辺境の辺境へ足を運んだ甲斐がありますわ!」

 

 呆気に取られるパールの目の前で、おっほほ、と豪奢なドレスで地味な容姿を飾り立て騒々しくしている彼女は、バブ・タアル。辺境伯、マーケット・タアルの娘である。慌てて追いかけるように鳥車から出てくる御付きの者たちを他所に、バブは私に注目してくださいとでも言わんばかりに大声を立てた。

 

「それにしても美しいですわね。貴女。ともすれば、私よりもずっと美人ではありませんか。私は、バブ・タアル。貴女の名前は?」

「わ、変態さんは貴族様だったのですね。失礼しました。私は、パールです」

「パール! モノ様が愛しているという、あの! 何ということでしょう。モノ様を求めて足を踏み入れた直ぐ先が敵前だったとは。幾ら私でも、思いもよりませんでしたわ!」

「わあ、この人、何だか楽しい」

 

 百面相に、一人芝居。品をキラキラとさせながら、バブは踊るように手を広げる。周囲に展開しているメイドらしき二人の女性と正に執事というような老人はそんな面白い少女を止めずに、むしろ微笑ましそうに見つめていた。

 

「……レディ・バブ。相変わらずだな」

「レディは、要りませんわ。相変わらずのいけずですのね。モノも」

「さして好きでもない相手に絡まれたら、意地悪くなりもする」

「んー、スパイシー! やっぱり、モノは最高ですわ!」

「だ、大丈夫ですか?」

 

 白い雲が青に通う、そんな平凡な天気のもとにキラキラと。しかし、そんな麗しのレディも、モノの言葉を受けて急に、びくんびくんとし始める。驚く、パール。しかし頭の病気かな力を使った方が良いかな、と寄らんとした彼女にさっと現れた執事、ホープがそれは無用と言葉をかける。

 

「はじめまして、私はホープと言います。早速ですが、パール様。察するに、貴女はその持ち前の力でバブ様を助けようとしているのでしょう。ですが、それは無用です」

「あ、はい。そうなのですか。でも、どうしてバブ様は……悪口で……」

「罵詈雑言をご自分の良いように転換して興奮に繋げていらっしゃるだけです。気にしないでください」

「ええ! 気にしますよ、それ! 大変態さんじゃないですか!」

「うーん。パールの口撃も、中々響きますわねえ。おっほほ!」

 

 これで欲求不満も解消ですわ、と教会の前で暴れるバブ。何事かと寄って来た観衆の周りで今度は一回転。ラメを輝かせ、鬱陶しそうにしているモノの前で彼女は踊った。こんな無様を保護者の方々が止めずに、嬉しそうにしている当たり不可思議である。

 何事かと騒ぎに治療の手を止め現れたバジルと、裏で遊んでいたグミも出てきて、バブのその派手さに瞠目して、言う。

 

「何だこの……宝石着ているメス猫みたいな女は……」

「偉そうだけど、何だかおマヌケな感じがするねー」

「新手の魔法使いさん達も辛辣!」

 

 大喜びで、バブはその放言を歓迎した。満面に悪口で笑顔になる彼女。身分を気にする、とか、そういう云々以前の人としてアウトな存在を見たバジルとグミは、怯えた。

 

「ええ……何だコイツ……」

「ボク、初めてみたよ、こんな人……」

「この人が、モノの言っていた、バブ・タアルさんなんだって」

「ということは、この人がレディ・バブ? 何だかがっかり……」

「その冷たい視線が嬉しい!」

「ひえ。怖いよー」

 

 またびくんとする、バブ。変態の謎行動にグミは怖がる。そんな少女の前で、レディは態度を一転。急に育ちの良い少女となって、注意を始めた。

 

「……ですが、貴女。私や鷹揚なお父様にはそれでも構いませんが他の貴族様相手にはもう少し表現を選んで口のきき方を考えた方が良いですわよ」

「そ、そうなんですか……はい、分かりました」

「おほほ。そのような風で、良いのです」

「色んな意味で、凄いな……」

 

 急に大人しくなり、淑女然としたバブの言いなりとなったグミを見て、バジルはそう零した。もう、彼女は先程の変態ではなく、どうみても良いところのお嬢様。貴族らしさを洗練さで魅せつける少女に、何だか狐につままれたような気持ちになった。

 だが、そんな変な女の前で、モノは平常運転。気にせず、声をかける。

 

「ん。落ち着いたか。それで、どうしたんだ、バブ。レディのお前がわざわざ来るなんて、ただ事ではない」

「んんっ。察しの悪いお人ですわね。目的は明白。そして、私が始めに来たのは、貴方様を追いかけるがあまり先行してしまっただけのこと。娘の私が居るということは……」

 

「ま、俺も居るわな。ようモノ。そして、他のパイラーの子等は、久しぶりだな。魔女の嬢ちゃんははじめまして、か」

 

 その美しい発声は、上から下に、響き渡る。モノとパールの間くらいの上背をした、あまりに高貴な様相の男性の到来に野次馬は割れた。そして彼は一つ付いた土色を見せつけるように手を振る。猛禽のように野性味した顔が緩む。

 

「閣下……」

 

 バジルのその言葉に、周囲に緊張が広がった。空白を埋めるかのように次々にお世話の者や警護の者が集まる。唐突な貴人の到来に誰一人驚きに湧くことすら出来ずに、沈黙が広がった。

 

「マーケット・タアル様……」

 

 ずきりと頭が痛む。だがそれ以上何も感じることなく、ただ出会ったことのあるはずの人を見上げるパールを、マーケットは真っ直ぐに見つめていた。

 

 

 

 マーケット伯の来訪には、パイラーが応答した。噂を聞き人が集って止まなくなってしまった教会から逃げるように神官館に集まったパール達。そこに、何故かバブはしずしずと付いてきた。家族の場所に入ってくる、伯爵令嬢と従者。それを、バジルは少し不愉快に思う。

 

「それでどうして、付いてきたのですかね、お嬢様は」

「何しろ、愛するお父様は、ブラス様とお話し中。従者達と語るのは、向こうでも出来ます。出来るなら、噂に聞く貴方方とお話をしてみたいと思いまして。……それに見知らぬ土地に来たのに、身内と籠もるばかりでは、つまらないですわ!」

「ん。猫を脱いだか」

「人間裸が一番、ですわ! 本当はこんな重い服、今直ぐにでも、脱ぎ散らかしたいところです!」

「レディ・バブはワイルドですねえ……」

 

 大人しい令嬢の殻を放り投げて、下品を口にするバブに、ついついパールはそんなことを言ってしまう。どうにも、親しみやすい貴人だな、と思わざるにはいられなかった。

 

「パール。人前では良いかもしれませんが、こういう余所者の目のないところでは私のことは、バブ、と呼び捨てにして貰えませんか? 勿論、他の方も同様に」

「えっと。バブ、ちゃんじゃ駄目ですか?」

「ちゃん付け! 新しいですわ!」

「バブ、テンション高いなー」

 

 親しげな呼び名に興奮するバブに、ドン引きするグミ。敬称を直ぐに放り捨てた辺り、流石に少し、彼女に慣れてきたようだ。

 もうすっかり慣れっこであるモノは、何一つ臆すことなく、頬を赤くしているお嬢様に話しかけた。

 

「バブ。伯爵様がやって来たのは……やはり、サーカスのためか?」

「それはそうですわ! サーカスが故郷にやって来たから騎士の修練を休む、という置き手紙だけで、私達が納得出来ると思いまして? お父様は、一時大規模な派兵も検討したのですよ! おまけに、事後報告も解決したの一報以外何もなしに、モノはそのままライスに居着いてしまいますし……」

「地味にボク並に無茶苦茶やっているね、モノ」

「俺に礼を求められても困る」

「モノは、先輩騎士から最低限も教わらなかったのですか! もうっ」

 

 また猫を被ってから、至極真っ当に、バブは怒る。その場の皆は、モノに白い目を向けた。ちょっと、それにお嬢様は羨ましそうにする。

 

「まあ、事の次第と話の詰めは、お父様とブラス様がやって下さいますでしょう。その間、私は遊びたいですわ! 下々の方々は普段、何をなさっているのでしょう? 楽しそうなのは大鳥ごっことか、でしょうかね。さあ、モノ、私に拍車をかけてくださいな!」

「誰がやるか」

 

 そして、バブはまた変態を顕にした。自分にお尻を向ける令嬢に、モノは頭を押さえる。正直なところ、彼は高貴な女性に憧れというものがあり、そして覚醒前の彼女のことを確かに仰いでもいた。

 だが、今やこのざまである。

 

「この令嬢、ホント酷いな」

「どうしてこんなにドエムさんなんだろう……」

「よく訊いてくれました! そう、それは私が魔法使い四人組に誘拐されたその時から始まりましてね……」

「あ、長くなるなら良いです」

「残念ですわ!」

 

 びくんと、雑な扱いに大喜びするバブ。そんな有様を、彼女をよく知る従者達は嬉しそうにしている。ホープ等は、目の端に涙を浮かべてすらいた。よく分からないパール等に、その感動は不気味である。

 

「ま、これでもバブはかなりマシになったのだろう」

「これで!」

 

 驚くパール。近くの大声で受けた鼓膜のダメージに、バブは身をくねらした。こんなに酷い彼女。しかし、その告白を聞いたモノには、こんな手のつけられなさですら、可愛いものに思えた。

 

「悪、か……」

 

 主に一人によって起こされている喧騒の中、バブがそこから外れて良かったな、とモノは思った。

 

 

 

「……そういう事の次第です」

「ったく、困ったな。アンナ様に、アスク様まで絡んでいて、おまけにパイラーが程々に隠しておきたいパールががっつり話の中心に居る、と」

「筋書きは、一応考えておきましたが……」

「いや、いい。大体は誤魔化せるだろう。ただ、その分モノを矢面に立たせるぞ?」

「それは、どうしようもないでしょう。ありがとうございます」

 

 人を捌けさせ、聖堂に二人。パイラーとマーケットは秘密の会話をしていた。サーカスの消滅という、大きな話題。その中心地となった、ライス、ひいてはタアル領は今や注目の的だ。流石に、こうしてある程度情報をつめるために直に顔を突き合わせることは、必要だったのかもしれない。

 

「ま、構わねえよ。俺は何もしていないし、何も出来なかった。……同階だった恩あるお前に、してやれることなんて、むしろこれくらいしかないのが残念なくらいだ」

「それでも、ありがとうございます」

 

 そして、話を終えた二人は、僅かに空気を緩めて旧交を温め合う。そう、二人は元々魔法学園生で、土色の塔の同階。仲は元々、良好なものだった。

 

「それで、お前を救った聖女様は、未だにお戻りにならないのか?」

「そう、ですね……」

「俺を知らない目で見ていたのは、少し寂しかったな……」

 

 だから、こうして少し踏み入った話も出来る。哀れな父親に同情し、マーケットは複雑な表情をした。

 

「まあ、サーカスを迎えても、未だにお前らは生きている。それなら、これから幾らでも取り戻せるだろう」

「そうだったら、良いのですがね」

「ま、そう思え」

 

 肩に手を置き、マーケットは優しく言った。以前から普通に変わった友も、全く嫌いではないから。

 そして、一つ、友としてやるべきことを終えた伯爵は、もう一つの大事を口にした。

 

「それとな、学者が兆候を見つけた。どうも、ライスに『迷宮』があるようだ」

 

 あまりの真剣に、空気は変わる。それは、新たなる波乱の幕開けか。事態の大きさを飲み込んで、パイラーは目を鋭くさせ、言った。

 

「終わりが、始まってしまうかもしれませんね……」

 

 真に思って、神官は目を瞑る。そして、ひたすらに想った。どうかそれでも彼女に幸せを、と。

 

 

 




 バブさんは、公私はきちっと分けられます。
 だから多分、これでも大丈夫なのでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 聖女と変態

 ストレートな題名にしてしまいました。


 

 内の彼は表立つ彼女の中に隠れてやり過ごす。それほどに、彼女達は嵐だった。

 

 よく寝たなあ。

 ミルクちゃん……。

 

 お尻ぺんぺんだよ!

 

 そして二人は惹かれ合う。敵対し、競い合わないだけ、マシなのだろうか。その辺りを補足してみよう。

 

 

 

 朝焼けの空の朱に彩られる世界に、鋭い風音が連続して響く。所作に音が遅れる、そのあまりの業を行っているのはモノである。少しひやりとした朝の空気を裂き、彼は地を踏んで辺りの靄を消し飛ばした。そして、自然再び周囲に集ってくる湿気に彼はまた対す。

 モノは、それこそ誰も起きていない早朝から、剣を振るっていた。彼の強靭な肉体にあっては、数時間程度の睡眠ですら休みすぎ。近頃、ただの刃金では肉に傷がつくことすらなくなって来てしまった程の、己の身体の異常さに慄きながら、剣士はただ真鉄を舞わせる。それだけで、最適を越えた先へと進めるのであるから、天才という称号すらもはや青年には生温いのだろう。

 バケモノを狩るためのバケモノ。モノは自分をそう思っていた時期もあった。自分なんて、人じゃないのだから、と。親にすら認められなかったその天才は、異才は、少年には重かったのだ。

 

「ん。少し鈍ったか」

 

 そんな昔の恥ずべき自分を思い出し、剣筋に曇り程度の僅かな虚を見つけ、モノは呟く。だが、一々止まることはない。彼は自分の弱さを既に呑み込んでいた。そんな成長のために必要だった言葉をふと、思い返す。

 

「幾ら戦うのが得意でも、自分を戦わせ過ぎていたら、疲れちゃうよ、か」

 

 さして特別ではない、そんな言葉。それが何より輝いているように思えてならないのは、自分に必要だった時に寄り添うように掛けられたものであるからか。そう、モノは疲れていた。その剣によって敵を否定することに。

 自分は正義でも偉くもないのに、ひと度振るえば、問答無用で相手を断てる。それが、とても楽すぎて、そして得意すぎて。あまりにそうすることを必要とされてしまい。まるで自分が剣になってしまったような気持ちにすらなり、知らず人を傷つけて。それでも、聖女は内面を求められないがために膿んでしまったモノを抱きしめた。

 優しさを忘れた、少年。そんな鋭すぎるモノだって、パールは受け止め、愛していた。だが、そうあることが辛いなら、止めようよと、彼女は諭す。私は敵じゃあないのだから、私の隣では休んで、と。

 

「俺が人間であるのなら、それはパールのおかげだ」

 

 バジルと出会う前の、二人。特別ではなかった少女。だが、それこそ聖なることではなかったか。虚飾の側にて、それでも人を思えたパール。そんな奇跡にこそ助けられたモノは、だからこそ思うのだ。

 

「変わろうが、代わろうが、それでも愛そう。だって、それもパールという人間なのだろうから、な」

 

 モノは、知っている。もう、パールが前の彼女ではないことを。混じってしまっていることだって判じていた。だが、そんな特別を含めて、そういう人であったのだと認めよう。

 人間は生き物だ。成長を含めて、もとより違い続けなければ生きてはいけない。それに何より、この胸にある愛おしさに、変わりはないのだから。モノは、そう考える。

 

「お兄ちゃん、か」

 

 だから、パールから貰ったその言葉は、嬉しくも、苦かった。それこそ思わず無様に再び欲してしまうくらいには、胸元が不明になってしまったのだ。

 

「ん。それでも、今は良いか」

 

 頼られているとそう考え、剣を薙ぐ。空気に悲鳴を上げさせ、そうして時間と負荷程度では鍛えることにすら繋がらないモノのただの暇つぶしは、終わった。

 

「ん。トールか。おはよう」

 

 日は明るくなって平等に辺りを照らし。そうして皆の一日が始まるのだろう。それを何時ものように迎えるモノは、最近馴染みになった彼に挨拶をした。

 

「ぶう」

 

 器用に土色の付いた方の手を挙げて、トールは応える。何となく魔物は、眠ることすら許されない青年の強さを、少し可哀想に思う。

 

 

「ふわ。よく寝たなあ」

 

 やがて、誰かさんも起き上がり、また日常は始まった。

 

 

 

「お父様は帰り、ホープ等には哨戒を命じました。さあ、親もお目付け役も居ない今がチャンスです。モノ、お襲いになって!」

「誰が襲うか。バカ」

「バカ……んんっ、才女と呼ばれることに慣れきってしまったこの身には、非常に新鮮です!」

「朝からバブちゃん、すっごいテンションだね……」

「っていうかコイツ、ひょっとしなくても能力高いのか」

「でもバブ、何かそんな感じするよね。普段はちゃんと、気品はあるし」

 

 魔従によって家を台無しにされてしまったがために、昔のようにさして大きくない神官館で過ごしているパール等の慎ましい暮らしの中にレディ・バブは再び騒々しく現れた。

 今度は黒色を基調としたシックなドレスを身に纏い、しかし一つも落ち着いたところなくバブは揺れ動く。だが、言葉は兎も角その所作に下品な部分がないのは、やはり育ちと素養の違いが出てしまうものか。彼女にはこと洗練さがあり、綺麗といえばそうなのだろう。顔は派手ではないが、その分だけ黙っていれば例えば王前だろうが馴染めるに違いない。

 だが、どこに出しても恥ずかしくない、そんな見た目であろうとも、どこであろうと恥ずかしい言を披露してしまっていては、台無しだった。

 

「おっほほ。グミは私の素晴らしさに気づいている様子ですわね。そう、この高貴……一度損ねてみたくはなりません?」

「いや、全くそうは思わない」

「くっ、獣性のない、真にモノは紳士ですわ! ですが、その距離感がまた私を昂らせます!」

「どうすればいいんだ……」

「どうしようと酷いんだね……」

 

 意味不明な誘惑を行い。それを放置しようとも、勝手に興奮している。何とも困った令嬢だ。何時の間にか控えているメイド等が、その有り様を微笑ましそうに眺めているのが、またよく分からない。

 

「一回叩いてやれば目が覚めるんじゃないか?」

「やった。そうしたらこうなったんだ」

「ああ。壊れちゃったんだ……」

 

 モノは力強いから、と言いながら、グミは残念なものを見る目でバブを見下げた。それがまた相手を喜ばせるのだから、堪らない。その場の皆は無敵かこいつ、と思わずにはいられなかった。

 

「ええ、ええ! 私は既にモノへの愛に壊れていますわ! モノの全てを受け止める、そんな狂った覚悟すらもっています。さあ、さしあたっては、その太い腕から溢れんばかりの野性を私に振りまいて下さいな! ぺちんぺちんと、お願いします!」

「要は、俺に叩いて欲しいだけか」

「結局、そっちに繋がるんだね……」

 

 発奮して頬を差し出すバブに、脱力するパール。げんなりと、そんな気分が繋がっていく。愉快を、過剰摂取気味。流石に優しい彼彼女だろうが、呆れ返ってしまう。

 しかし、その最中で元気なバブが、またひと暴れしようとした時に。寝所へと続く扉が開けられ、彼女は現れた。モノが先程脱いだばかりの訓練着を抱いて。

 そう、バブよりも尚黒くて、暗い。そんな少女は、ミルクだった。

 

「……ふん。レディと言えどもその程度? 片腹痛い」

「な、なんですの貴女は! そしてその衣服からはモノの匂いがしますわ! 貴女、盗人ですわね!」

「……これは、マーキング。野生では当たり前の行為。愛の狩人には時に原始に返ることも必要」

「は、何という目に鱗のお言葉! 貴女やりますわね!」

「また変態が出たよ!」

「ミルクちゃん……」

「モノの部屋に忍び込もうとしていたから、オレが捕まえておいたんだが……逃げ出したのか」

「バジル、迷惑をかける」

「いやホント、どうしてお前に惹かれるのはこんなんばっかなんだろうな……」

 

 バジルの嘆きも当然だろう。何故かモノに向けられる愛は、こぞって気持ち悪い。バブも大概であるが、ミルクに至っては、ただの変質者である。盗人ではなく、保管している一着以外は、楽しんでからちゃんと洗って返すあたりがたちの悪いところ。普段は、彼女もしっかりとしているのだが。

 

「反省させるために捕まえても、法が追いついていないから、無罪放免なんだよね」

「……私は最先端のグレーゾーンを走っている」

「っつ、素敵ですわ! 貴女のお名前は? 私は、バブ・タアルです」

「ミルク。よろしくね、バブ」

「よろしくおねがいしますわ!」

「ああ、やっぱり変態は同調するのか……」

「どうすんの、モノ?」

「知らない」

「あーあ。ふてくされちゃった」

 

 そして、当然のようにバブはミルクを気に入ってしまう。二人は並んで、微笑む。新たに出来上がったばかりの友情を歓迎できないのは、どうしてか。モノは、全てを忘れて窓から見える空を見上げた。

 それを見てからパールは動く。まずミルクの腕の中のモノの服を取り上げてから、そうしてため息を吐いて、言う。

 

「はぁ。でも、こうして私に見つかったということは、分かっているよね。ミルク」

「……仕方ない。一時の迷いが止められない私が悪い。駄目と知ってやっている私に禊は当たり前。嫌われないだけ、マシ」

「なら結構。さあ、お尻ぺんぺんだよ! バジルとモノは、あっち向いて!」

「モノになら見られても……あうっ!」

 

 そうして、パールは刑を執行する。ぺろんとミルクの白いお尻を出してから、真っ赤になるまでそれを叩いて、反省を促す。暴力は好きではないけれども、躾を厭うことには繋がらない。

 パールも年上相手に何をやっているのだ、とは思わなくもないが。

 

「う……羨ましいですわ! モノ、私にもあれを!」

「指を咥えて、ただ見てろ」

「ああ、つれない。ですがそれも!」

 

 そして、当然のようにバブもそんな反応を示して。変態達のせいで、空気はぐだぐだになった。

 

 

 

「……バブ。貴女、今求めているけど、元々は人嫌いだった、でしょ」

「分かりますか。ミルク、貴女は慧眼ですわね」

「貴女の目、見たことがある。光が点いたばかりの暗黒」

「あらあら。意外と、人生経験豊富なようですわね」

「それはもう、一生分上乗せされているから」

 

 皆が捌けた隙。その間に、お尻をさすりながら、ミルクはぽつりと言った。落ち着いた様子のバブは、しかしどの言葉であっても驚くには値しないと受け止め、笑む。その懐の深さに、ほうと見知らぬ人生を見た少女は嘆息した。

 

「別世界、ですか。確かにあって、それは作用している」

「……バブ?」

「それを利用してあげようと思いましたが……今はもう行いません」

「……なるほど。貴女は真に、賢しいのね」

 

 それは、高みから世界のつまらなさを眺めて出来た、膿み。広がり、黒く濁った全ては、この世の全てを侵そうとしていた。だがそれは、止められる。愛すべきモノの手によって。

 そんな正義が勝ったのが嬉しくて、今日もバブは弾けるのだった。

 

「そう。本当は、私は悪役令嬢だったのです」

 

 バブは、ミルクに向かう。告白に微笑む彼女は、どうにも不透明だった。

 

 




 終わってから、変態して始まる。
 モノ、実は色々と救っていました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 聖女とクラーレ

 二人目、です。


 

男の子と同調した女の子は、ずっと思っていた。あの子は大丈夫なのかな、と。

 

 やっぱりアンナさん達って凄かったんだね。

 恩人なんだね。

 良かったー。

 

 その答えは、ここに。彼女の未来がどうなっていくのか。足掻く姉を中心にして、補足しみたいと思う。

 

 

 

 上等の、際まで。最もではないが、それでも素晴らしきものばかりの空間。暗ったい色を主にした家具に壁には、しかし重い印象はない。優美な曲線ばかりで構成された一室は、正しく女性的。黒の濃淡は、格調の高さを示して身分の高さを示している。

 そんな、高貴な者の居場所にて、黒白二色に柔らかく包まれながらアスクは眠っていた。足を欠損してから、もう四日は経っている。ふっくらとした頬に赤み差し、寝息を立てる彼女に苦痛に苛まれている様子はない。パールに素直の願いは届いて、確かに少女を癒やしていた。

 

「はぁ……」

 

 ゴシック調な天蓋付きのベッドの端に座しながら、姉、アンナはため息を吐く。哀れに残念、その全てが彼女に後悔を残した。

 サーカスが残した、その傷跡は深い。特に貴重な暗部戦力を用いて矢面に立ったアンナの私設部隊はほぼ壊滅。幾ら彼女が頭を下げつつ頑張ろうとも責任など取りきれるものではなく。暫くの間は、土地にて謹慎させられることを余儀なくさせられた。

 勿論アンナは、パールに素直、ひいてはライス地区どころかテイブル王国の危機を救った、部下と自分の奮戦を後悔などしてはいない。長年の知り合いの多くを亡くした喪失感は、勿論あるが必要な犠牲であったと割り切る。聖女の元へは、自分の代わりの者を送ることは許されたことだし、王建の件も問題なさそうだった。

 

「でも、流石に妹が犠牲になったのは、悔しいわ」

 

 しかし、アンナは目の前に横たわるアスクの、その痛みを認めることなんて出来なかった。素直のために聖女が名付けたローという風色のモアに跨がりモノへの伝令を中心として八面六臂の活躍をした、彼女。その結末が、両足首から下を失う、というものであっては報われない。

 

「彼が無事ということを知った時は、嬉しそうに笑っていたけれど……」

 

 アスクの両足は完治し、しかし損なわれた部分は戻らずに肉付いて丸く。そんな自分の両足を撫でながら、彼女は、あの人はあたしが殺すのだから無事で良かった、とパールの中の彼が生き延びたことばかりを良しとした。ねじ曲がった少女の愛が報われたことは、確かに良かったのだろう。

 だが、その良貨だけで、アンナは喪失を認めきれなかった。籠の中の鳥。それを嫌って外に出て、今回の事態を招いてしまった、アスク。果たして、その身の艶の一部を失ってしまった小鳥はどうなってしまうのだろう。価値が落ちたと、捨てられてしまうのが、流れだろうか。勿論、姉として利用価値の下がった彼女の弁護はした。だが、それでも、もう今までのように少女は大切にはされないのだろう。

 

「……私みたいになりたい、と言っていたこともあったわね」

 

 一族としての訓練を行う前の無邪気であったアスクの姿を、思い出す。身内への情の足りないアンナですら、愛したその姿。大体が変貌してしまった今も、その思い出ばかりは大事にしていた。

 確かに現在、アスクも同じように孤独にはなった。だが、アンナより、彼女の未来はきっと辛いものになるであろうことは間違いない。捨て駒。妹がそんな扱いをされないためにも姉の自分が頑張らなければならないのに。

 

「アレは、それすら許さないのね」

 

 上に立つ愚か。彼女らの父親はそんな存在だった。求めるのは力。そのために過ちを続ける男。アンナがそこから離れて、自分を広げるために旅を続けたのも当然だったのかもしれない。

 

「彼女を……頼りましょうか」

 

 このままでは、アスクは切り捨てられて、自分は、新たな籠の鳥候補とされてしまう。そんなことは許されない。自分の全ては王のため。だから、ここで奇貨を使うことを、アンナは決断した。

 彼女へと送る文の内容を考えながら、去りゆく前に一撫でを忘れずにして。身動ぎするアスクを優しく見つめて。

 

「大丈夫。きっと、リボンなら。毒にしかならない、今のクラーレを変えてくれる」

 

 そして、薬毒たるアンナ・クラーレは、サーカスの魔人によって出来た傷を塞ぐために、一本指の魔人を頼る。人でなしとの境界『素』たる彼女。アスクのために、切った鬼札。それはかもしたら、王国の歴史をすら、変えていくのだろう。

 

 

 

「なるほど。サーカスによってアスク様は、足を損ねる程のお怪我をなされてしまったのですね……」

「ん。知り合い、だったんだな」

「ええ。仔細は隠しますが……あの方は私などより余程高貴なお方。大いなる輝きの一つである彼女が治らない程の大怪我を負ってしまったのは、とても悲しいですわ」

「わ、やっぱりアンナさん達って凄かったんだね」

「おおよそ隠せてはいたが……どうにも、行動と金の出所に不信なところがあったし、育ちの良さが隠しきれていなかったからな。やっぱり貴族サマだったんだな」

 

 上等なものではないが、貴重な茶を呑みながら、神官館でお話し中。明日には発たなければいけないバブに、パールらはサーカスと対した際の一部始終を語った。その中で、少なく済んだ被害者の内の一人、アスクの話をしたところ、令嬢は大きく悲しみをその面に出す。

 社交界の最中にて見たことのある、格上の少女。固くも笑顔を送ってくれた、アスクを思い、バブは目を瞑った。

 

「えー、ボク、気付かなかったよ!」

「ぶー……」

「え、トール、ひょっとして、慰めてる?」

「グミ、お前はイヌブタにまで憐れまれているのか……」

 

 そして、変態淑女が大人しくしているその横で、グミが残念さを表し、それを飼いブタに慰められるという事態が起きる。パールですらおかしいと思っていたことすら判らなかった、その危機感のなさは、少し幼稚過ぎていた。

 

「案内されたばかりの俺にも、ただの子供には、見えなかったが……」

「あ、モノはアスクちゃんのおかげでサーカスに間に合ったんだよね。そう考えると、本当に彼女は恩人なんだね……」

「出来れば、見舞いくらいはしてやりたいが……」

「バブ。殆ど全てを知っているだろうお前はどう思う?」

「そうですわね……気持ちは分かりますが、今はかの家に向かうのは止めた方が良いと思います。アスク様程の方が傷ものになった。それはそれは、お家も大騒動になっているでしょうから」

 

 バブはそう言うが、しかし彼女であってもクラーレ家の蠢きがどうなるか、判らないところがある。聡明とされる当主、ジョージ・クラーレがどんな判断を下すのか。まさか、軽い駒とすることはないだろうが、とは思う。しかし、あの家の暗さは、想像の埒外にあるところがあった。

 外れた元五大。大きければそれだけ、茫洋不明に、暗黒を孕むものだろう。

 

「私があの時、足を戻せてあげられれば、なあ……」

「パール。気を落とすな。お前はあくまで否定をすることしか出来ない。それ以上を望むな。そもそも再生なんていうのは人の手に余る。戻って、それが正しい訳がない」

「そっか……」

 

 もう少し、なにかしてあげられたら。そういう当たり前の思いを、奇跡の力を持ってしまっているパールは余計に持ってしまう。だが、それは不相応なもの。モノが指摘し彼女は確かに受け止めた。

 

「奇跡、ですか。聞き及んだところを総合して思うに、とてつもない力のようですが」

「ん。要は何だかよく分からない否定の力だ。パールは傷や病気、そして魔法を否定するのに使っている。そのまま力として与えることも、不可能ではないみたいだが……」

「力といっても、私から離れるとちょっと人を元気にさせたり弱ったところを支えたりする、そのくらいにしかならないんだ。……奇跡と言っても、深かったり重すぎたりしたら、助けられない、その程度のものだよ」

「なるほど。素晴らしくも万能ではないのですね」

 

 バブは頷く。想像の通りだと、思いながら。それが、あくまで人の範ちゅうの異能であることを、彼女は先に予想していた。もしそれが別世界の作用であれば、と。

 

「残念です。私のこのほっぺに継続的にずくずくとした痛みを与えてくれるような、そんなことはやはり出来ないのですね……」

 

 そして、あわよくば異能の私的利用をしてみたいというバブの思いは、露と消えた。だが、その望みの解消法を、グミは考えついてしまう。

 

「そんなの、甘い物いっぱい食べて、虫歯になれば良いんじゃない?」

「それですわ!」

「パール、バブの性癖の否定は出来ないか?」

「うーん。これはこれで、アリじゃないかな、って私は思っちゃうし、そもそもそんなことやったことないしで、きっと無理だね」

「懐が深いというのも、考えものだな」

 

 変態も、いたずらに他を傷つけるようでなければ、あってもいいと思えてしまう。気持ち悪いなんて、考えもしない。それは実に、パールらしい見方である。あまりに平等すぎて、モノは少し不満に思う。

 

「おっほほ。有り難いことですわね。これで理解者が一人増えましたわ!」

「バブちゃん。別に、私は理解しているわけじゃないよ。ただ、あるのは仕方ないなあ、っていう感じで……」

「パールって、油蟲にも同じようなことを言ってたよね」

「私はゴキブリと同列!」

 

 そして、その無闇な優しさはバブを傷つけ、悦ばせた。早速弊害が表れ、モノは頭を抱える。

 

「……話を戻そう」

「そうだ、そうだ。アスクちゃんの話だったよ。ねえ、バブちゃん。今忙しいなら、何時どうやって私たちは感謝を伝えればいいのかな?」

「難しいですわね……最悪、今回のことで縁が途絶えるという可能性もあり得るでしょう。私にも、伝手らしい伝手はありませんし……困りましたわ」

「……それなら、大丈夫かもな」

「バジル?」

 

 それは意外なところからの、言葉。これまで黙っていたバジルは、気まずさに頬を掻きながら、意図して黙っていた訳ではなくてな、と言い訳と共に言う。

 

「昨日の夜、探知に引っかかった奴がいてな。出向いた先にいたのはダンベル、っていうオッサンだったんだが……そいつは、どうもアンナの部下らしいんだ。しばらく近くに居るから挨拶代わりに俺と顔を合わしたらしいが……これ言うの、忘れてたな」

「そうだ。その人に、言伝して貰えば良いんだ! 良かったー」

 

 バジルの言を聞き手放しで喜び出す、パール。眠ったままアンナがアスクを連れて行ったために、ありがとうと言えなかった、そのことは、彼女にとってそれなりのストレスだったようだ。反するように、その内容を受け取ったバブは僅かに曇る。

 

「ダンベル、ですか……」

「何か、知っているの?」

「……いえ、何でも」

 

 だが、バブは微笑んでそれを隠す。同姓同名もあり得るだろう、と自らに思い込ませながら。しかし彼女は知っている。同じ名前を持つ凶状持ちの男の、恐ろしきその悪事の内容を。だが毒々しいそれを呑み込める存在を想像できずに、令嬢は黙す。

 

「ん。大丈夫だ」

「モノ?」

「俺がいる」

「そう、ですわね」

 

 僅かに懐いた不安。それも、モノの手により吹き飛んで、後は談笑とバブはその場をかき乱すことに専念した。

 

「安心したら、お尻を叩いて貰いたくなりましたわ!」

「そんな、お腹が空いた、みたいに……」

 

 

 

「さて、恩は、返さないとね」

 

 そして後、リボン・ビアは色味一つない腕に大きな鎚を抱えながら、ヒーターから起った。

 

 

 




 彼女は、どんな魔人なのでしょう?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 聖女と悪役

 彼女の悪役令嬢とは。


 彼を含んだ彼女は、悪になりかけた彼女の歴史を知らない。それを知っているのは剣士一人ばかり。

 

 バブちゃんには勝てないけどねー。

 なら、好きなの?

 バブちゃんの元気の秘訣が明らかに!

 

 彼女が見たそれは果たして全てなのか。残る部分の補足が出来たら、いいのだが。

 

 

 

 世界は美しい。そのことを、バブ・タアルは知らなかった。

 父母に少し年離れた兄は優しく、使用人は何違えることなく敬意を持って接してきて。豊富と綺麗によって箱は満たされ、自分の中にも金山を発見し。バブがただの愛を知る令嬢になるには、何の不足もなかった。

 だが、しかし上手に育つに、少女はあまりに痛みを知ることがなかったのだ。誰一人たりとて、自ずと判ることだろうと、何一つ試練を与えることもなく。そして、才女の芽が育ちつつあったバブは壁を覚えることなく、ずっと。やがて、不足に奪われることを恐れぬ令嬢は、小さな暴君となり。そして、そこでようやく彼女は初めて母の手により怒られたのだ。

 

 それは、愛故の鞭。言葉の痛みに、頬に感じる強い熱。真剣に向けられた目は鋭くも、しかし確りと焦点合わされていて。それら全てが、あまりにバブには衝撃だった。

 ああ、悪くあれば自分は見て貰えるのだと、そう彼女が錯誤したのも仕方ないくらいに、遅れた痛みの思い出はバブに強く根付いてしまう。それからは、より悪辣に。それを思って生きてきた。最初は見つかる度に喜んでいたが、しかし途中からそれを構って欲しいがための行動と気付いた周囲から生温く認められるようになり。

 そうして、バブは気付くのだ。倫理に囚われているからこそ、彼らの険は甘くなってしまうのだ、と。どうしても、醜悪にならねばなるまい。強く、あの目で自分を見て貰うためには。変わらぬ愛に飽き、変化を望んだ彼女は、それしか方法を知らないばかりに、そう考えてしまう。

 そんな間違いを犯しながら、しかしその悪の萌芽は確かに育っていく。窓辺の小鳥の足を折って、それを自ら治して育てることで、周囲を欺く背徳感に浸り。使用人一人ばかりを詰ることで、次第にその娘の扱いが悪くなっていきその愛らしい笑顔が曇っていく様を観察して日記に認め。社交界へのデビュタントにて自分に惚れた男の子をそそのかし、彼が道を外していくことを楽しみにして。

 このようにして、悪の華は成長していった。暗く、誰も見えないところで。

 

 徐々に蕾開かせていたそれが、加速度的に勢いを増したのは、さらなる悪徳を求めて父、マーケットの書斎にバブが忍び込んだ時から、だろうか。そこで彼女は異世界というものを、知った。

 時代と固定概念に囚われぬ賢者が綴ったそれは、あまりに斬新なものであり。マーケットすら半信半疑に受け止めざるを得なかった。だが、それを同じく才を持つバブは真実と捉えて。そうして、思いつくのである。この世界の壊し方を。

 強いものと弱いもの両者をぶつけ合ったら、どちらが壊れるかなんて、自明なこと。そして、自分のゆりかごの崩壊を望むなんて、なんて悪いことなのだろうとバブは考えた。それこそ、これを成した時には、誰も彼もが自分をあの目で睨みつけて止まなくなるだろうと、そうも思う。

 

 バブのことを才女、と誰かが称した。それは、異口同音に、繋がっていく。あたり前のことだろう。何せ、彼女は知りすぎて、他より深まりすぎた。故に、程度を合わせるのなど朝飯前。その人より僅か上で佇み受け止めることで、多くが令嬢を尊敬した。そして、そんな要らない注目をバブは強かに利用する。

 多くの人間は、パトロンを欲っするもの。大きなことを成し遂げたいのであれば尚更。そして、魔法使いの殆ど多くは選民意識を持ち、自分を理解して欲しいと思っている。だが、相手が小さければ、その手を取ることない傲慢さも、彼らにとっては普通のこと。

 ならば、助けになりたいと語る才ある令嬢とされるバブが、近寄ってきたら彼らはどう思うか。自然大概が、歓迎した。そうして多くの魔法使いを手懐けた彼女は、動き出す。

 

 神祖マウス。天へと昇ったとされる、四本の異色の染指を持つ国造りを成した王。そんな四塔教の広告を、バブは意味あるものに変える。

 天とは何か。それは異世界のこととバブは理解する。そして、四本。つまりは火色水色風色土色の四色を合わせることに、世界を壊して繋げる法が生まれるものと、彼女は信じた。色を合わせるのか、それともマナを食い殺して孔を開けるのか。どちらにせよ、世界の一部でも破壊する方法が分かれば、全てを台無しにするための期待が湧く。

 そして集めた魔法使いを騙してそれを行うために、バブは一つ演じる。それは、囚われの姫の真似事。どうせ、悪い結果にしかならない実験。ならば、それを行ったものが悪で、自分が付き合わされたとすれば、自分に酌量の余地が生まれさらなる次へと繋げる猶予まで出来るだろう。

 そして、そんな浅はかのために、自分を信奉する者二人を使って誘拐の演技を行い、やがて一人実験場へと彼女はやって来た。

 

「え……嘘でしょう?」

「嘘は、お前だろ」

 

 そうしてそこで見たのは、凄惨。全ての色が赤の中で台無しになった上で、愚かだった筈の男が笑っている。その目を、見てバブは初めて本当の、悪を知った。

 

「いや、ですわ……」

 

 バブは、怯える。試しによって台無しになる筈だった彼の二本の水色が、あまりに恐ろしいものに思えた。そんな少女らしさに何も感じ入りもせずに。そして、男は簡単に、目的を口にする。

 

「俺はな。姉さんを自殺に追いやった、お前をずっと殺したかったんだよ」

「ど、どうして、今……」

「お前は、気付かなかったのか。今が一番無防備だぞ?」

 

 彼はバブが辞職にまで追いやった、メイドの弟。それが後の自殺に繋がったのだと思いこんで、男は復讐の機会を狙っていた。

 だが、何時も、四本指のホープか最低二人の魔法使いに守られていたバブを殺す機会を中々見つけることは出来なかった。だから、指を咥えて男はずっとバブの周囲を見つめていたのだ。そこで、募集を発見し、彼は染まった方の手を挙げる。条件に合う魔法使いだったから、付け入られたのだった。

 そして、疑念の目で見れば、どうにも笑顔が怪しいバブの手伝いをしながら、男は機を探った。そうして、今日。お付きを振り払ってくると言った彼女の言を信じて、こうして邪魔な同格の魔法使い達を後ろから刺すという凶行を彼は行ったのである。

 瞋恚が、肌を刺す。どうしようもない悪意、バブはこんなものまで望んでいなかった。

 

「や、やだ……」

「姉さんは、お前の日記を持っていた。お前は、姉さんが幾ら止めてと言っても止めなかったみたいだな」

「そんな、こんな、誰にも認められないところで私が……」

「はん。注目がお望みか。なら、見た者全てが目を逸らしてしまうくらいに無様に、殺してやるよ」

 

 多くを魅せたドレスは動くに邪魔で、威厳の一助になっていたヒールに足を取られて。バブは男の手に押さえられて、地に顔を擦り付ける。自分の無様に泣く彼女を、冷たい目しか見つめない。それが、嫌で喚こうとした口は、強い力で閉ざせられた。

 

「騒ぐな。死ね」

 

 そう言い、男はバブが執着していた魔法すら使わずに、尖った杭一つで彼女の人生を終わらせようとした。無慈悲に、振り降ろされたその手は。

 

「ぎっ」

「……話は聞いた。だが、後悔してもらう前に、死なせる訳にはいかないな」

 

 あまりに鋭い一閃によって親指と武器だけ舞った。助けの手は間に合ったのだ。そのまま助け手、モノは男に当て身を食らわし上手に気絶させ、手錠で自由を奪う。そして、彼はバブを助け上げた。

 

「ん。大丈夫か?」

「え、ええ……どうして、貴方は、ここが……」

「執事に指示されて、な」

「……察されていたのですね」

 

 その胸の内の全てまでは判らない。だがホープは今回の企てを知っていた。だからこそ、腕利きを放っていたのである。その一人がモノであったのは偶然で、彼がこの場を任されて救えたのは幸運だった。

 

「それで、噂と大分違う悪いあんたは、それでも反省しないのか?」

「分かりますか」

「ああ。お前は後悔していない。ただ冷静に、次を考えているばかりだ」

「参りました。そうです。私は、確かに悪徳を成そうとしていますわ。……貴方は、どうされますか? その男を開放すれば、止めることは簡単ですわよ」

「そんなことは、しない」

 

 そう言い、モノは男を担ぎ上げる。そのまま連れて行く気なのだろう。バブのエスコートなど考えもしていないようで、慌てて彼女は死体ばかりが残った独りぼっちの空間から逃げ出す。

 

「何故、ですの? 私は悪役に成ろうという令嬢です。それに既に……」

「人を死なせてしまった、か?」

「はい……」

「死んだ者の思いなんて、他にしか判らない。それに、もう終わってしまったことだ」

「冷たいのですね……」

「ん。剣なんて、そんなものだ」

 

 むしろ、意外とお前が温かくてびっくりしているよ、とモノは言った。それに、びくんと、バブは肩を上げて反応する。

 

「私が温かい……正気ですか? 私の心はこんなにも冷え切っていますのに」

「誰と比べた。人の熱に感じる、そのくらいで冷え切っていると、俺は思えない」

「人の熱……そんなもので、私が溶けるものですか?」

「大丈夫だろう……俺は知っている。人は、温かいよ」

 

 その時、少女は美しいものを見た。世界で最も鋭い刃金の銀。それが、自分のためにほころぶ瞬間を。そして、バブは気づくのである。険だろうが何だろうが変わるのは、素敵だ。そして、最硬だろうと変わらぬ世など何処にもなく。彼の優しい目に、彼女は胸を傷ませた。それが、存外心地よく。

 ああ、全ては無常で。世界はこんなに、美しかったのだとバブはようやく気付いたのだった。

 

 

 

「パール! 私、負けませんからねー!」

「色んな意味で私、バブちゃんには勝てないけどねー」

 

 それはしばしの別れの時。鳥車から顔を出すバブが発する大声に、パールは応答した。元悪役令嬢は、笑顔で聖女と向かい合い、そうして離れていく。そのことが、モノには殊更嬉しいことに思えた。

 

「あ、モノ笑ってるよ」

「ホントだな。きっと、うるさいのが居なくなってせいせいしたとでも、思ってるんじゃないか?」

「そんなことはないぞ」

 

 そんな喜色はグミとバジルの横槍にて薄まる。少し憮然として、モノは言った。

 

「俺は、バブのことは嫌いではないからな」

「なら、好きなの?」

「パール……恋愛的な意味では、違うな」

「残念!」

 

 悲恋の重さを知らず、笑顔でこれからに期待かなあ、と雑に思うパール。自分への恋にも気付かないそんなあり方こそ、残念だった。

 

「でもホント、すっごい元気な人だったよね。どうしてあんなに騒いでいられたんだろ」

「それは、簡単な答えがあるな」

「おお、バブちゃんの元気の秘訣が明らかに!」

 

 疑問を呈したグミの横で、モノの答えにわくわくし始めるパール。苦笑して、その期待に向けて彼は答えを伝えた。

 

「誰だって産声は、うるさいよ」

 

 そう言って、少年は笑顔を見せる。飾り一つない素の表情に、やっぱりモノは格好いいな、とパールは思った。

 

 

 

 透き通り抜けるような青空のもとに、二頭の大モアに曳かれて大きな車輪が回る。ゆるりと進む鳥車の中はそれほど揺れない。だから、お尻の痛みを感じることもなく、それをつまらないと思いながら、バブは呟く。

 

「モノは、変わりませんでしたわね。いえ、パールの前では変わっていましたか。意外と恋には盲目なのですね」

 

 もう既に、バブに笑顔はない。少女に素は二つ。皆のための一つを終えて、もう一つがここに顔を出した。黙って、彼女の独り言を従者は聞く。

 

「良い子ですわね、素晴らしい。ですが、私は彼女に敵愾心を持ちましたわ。当たり前ですわよね。恋の障害なのですから」

 

 冷静なその心は、一部が溶けても多くは残った。その残滓が、うごめいて、言う。

 

「負けないものを、手に入れましょうか。差し当たっては……」

 

 モノの目を釘付けにする方法。以前のようなそれではなくとも、幾つかは思いつく。何しろ、彼女には才があったのだから。

 列挙したそれにバツを付けて、そうして残りを精査して。その中でも一番難しそうなものをバブは掴み上げた。

 

「私も、似たようなものになりましょう」

 

 聖女、とは違うもの、ですがね、と少し残念そうにバブは笑んだ。

 ごとりごとりと、車輪の音は、続いていく。

 

 




 悪役崩れは、やはり余計なことを考えてしまうのでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 ケットと可憐

 果たして可憐とは。


 今回、彼でもあるのだろう彼女の出番はない。その代りに、またあの子が。

 やはり、彼は、彼女は、人を惹き付けてしまうのだろう。

 

 

 

 ケット・ウールは水色の塔の現一階生である。太く大きく生徒を容れる、百階以上あるとされるその塔の根本で彼は学んでいた。水に火に、風の色。バランス悪くも三色も持っている少年は十一歳。グミより年下という学園生の中でも一等年若い存在だった。

 ケットは、カーペット連邦のコンセント州出身である。テイブル王国の南に位置するその州は多く海に面していて、気候は温暖であり交易盛んな活気溢れる地だった。

 こと、ケットが生まれたプラグ市の街並みは、雑多が形になったような風。彼は特に露天の品揃えの変化を見るのが好きだった。隣のフェルトのシルクに、果ては東の遠国の刀まで。様々な物が並び、売り買いされていた。それを、少年は楽しみ親しみ続けて。果には、自分も何時か素晴らしき未知の品を交易にて手に入れる、海の男になるのだと、思いこむようになっていた。そんなことを許す者など、何処にもいなかったが。

 コンセントではありがちの黒髪を伸ばして纏め、潮風に棚引かせて遊ばせることを好んでいた少年は、だがしかし、自己認識と大きく違って特別だった。一色で喜ばしく、二色揃えば一族の宝として育て、三色もあれば街を挙げて大切にする。それが、カーペット連邦での常識。殆どないが、四色まで行くと最早国の宝か。それ程までに連邦において、混色の魔法使いは貴重だった。

 単色の染指の力でその方向に特化した成果を上げる。それだけでも、役立つ素晴らしいものと珍重される。だが、違う染指の色を一人で持った時の、そのバリエーションは非常に豊か。大方破壊に行き着くが、そうでなくてもその便利は相当なもの。それが、三つ。便利屋どころか、一人で様々な仕事のプロフェッショナルより役立つ。そういう人間になることが生来の指先によって簡単に想像できた。

 故に、人々はケットを危険な航海へと向けるようなことはしない。それどころか学者を首都から呼んで大切に学ばせて、そうして当たり前のように彼が学に親しむようになってから、魔法学園へと送り込んだのだった。

 

 最初は、大いに帰りたいと喚いていた、ケット。だがしかし、それでも三本指は珍しく。そして年若ければ、尚更可愛がられ。数の多い方である水色の生徒等に彼は人気になった。次第に、不平不満は少年の口から出なくなっていく。

 だがしかし、それでも上には上があった。魔に異常なまでに好かれる天才。魔的なまでに人心掌握の得意なグミは、誰からも一目置かれ、愛される。最初は驚き、次にケットは嫉妬を覚えた。二色なのに、どうしてあんなに凄くて好まれるのか。羨ましいと、少年は思う。

 だがしかし、それも長くは続かない。何しろ、グミはそんな子供の視線を放って置ける程人間に疎くはないのだから。むしろその面倒臭さを喜び、文字通り飛び付いた。

 

「ケット君!」

「わわ、な、何だよ……」

「遊ぼ!」

「え? ……わわ、引っ張らないでよ」

 

 そして、少女は少年を弄んだ。グミは、自分と居れば人は楽しいと知っていて、また信じている。そして、実際に幾ら間に険があろうともその通りになってしまうのだ。何しろ、少女の人形は、隣にあることが当然であるように感じてしまうほどに、受け容れやすい。

 走って、跳んで、魔法を遊ばせて。そうして何時の間にか二人の距離は縮んでいた。手を引かれながら、ケットは塔の周りで上階の皆に見られていることも忘れて子供の遊びを楽しんでいた。そして、彼は笑顔のグミに問われる。

 

「どう、楽しい?」

「うん!」

「それなら、良かった! 心配してたんだ。ケット君、つまらなそうな顔してたから」

「僕、そんな顔してたの?」

「うんうん。どうせ、ボクと持ってる玩具、比べてたんでしょ?」

「えっと、それは……」

 

 仲を深めた実感が、最初はケットを湧かせた。しかし、話すにつれて、少しだけ落ち着く。そうして彼は見抜かれていたという事実にバツの悪い思いをした。勝手に、そっちが欲しかったと羨む子供。それが自分であると認識したことで、少年は顔を赤くする。

 

「でも、人間ってそんなものだよ。あっちこっち、ふらふらしていて当たり前!」

「そうなの、かな?」

「うんうん。だから、良いんだよ。少し前は、ケット君はボクのことが嫌いだったかもしれない。でも……」

「でも?」

「もう、お友達だよね!」

 

 それは、少女の稚気に見せた嘘。計算高さを隠して、彼女は微笑む。だが、それを知らずにケットは応じる。満面の笑みで。

 

「うん! ありがとう、グミお姉ちゃん!」

「おお、お姉ちゃんは新しいね……うん、よろしくね、ケット君!」

 

 しかし、本物の稚気はニセモノを僅かに揺らがした。それを知らずにグミに抱きつくケットは泥だらけ。当然、少年がそうであれば少女も同様で。それから二人は泥団子になるまで身体を動かした。

 彼らは、上から物珍しく見つめる、水色の視線を知らない。

 

 

 

「それで……申し開きは?」

「痛いよ、ミー兄……」

「拳骨一つで済んで良かったと思うんだね。芝生を、ああも荒らして……上階生達からの注意でやっと気付いたが……こうも泥んこになってからでは、少し遅かったな」

「反省してます」

 

 頭にコブを作りながら、広い塔の中に作られた住居部分にて、グミはミディアムと対す。魔法を使って水で落としても全ては取れなかった泥。そのままでは駄目だろうと、叱る前に一先ず兄貴分は自分の服を二着子供達に与えた。ぶかぶかを引っ張るケットには、少女の反省の色が深く見えた、が。実際はそうではなかった。

 

「その表情は嘘か……」

「ミー兄にはやっぱりバレちゃうかー」

「はぁ。小技ばかり上手くなるなあ。わたしはシトラスの親御さんから教育を任されているのだからね。少しは、わたしの手を煩わせないでくれよ」

 

 ぺろりと赤い舌を出す少女の前に、ため息が一つ。人を見るのが上手いミディアムは、子供の嘘を見抜くことなど朝飯前だった。だから、その小賢しさも含めて叱り始める。一人に向かったそれを、ケットは嫌った。

 

「あ、あの……」

「何だい、ケット君?」

「ぼ、僕も悪いから、怒られるべきだと思うんです」

「君は、偉いねえ……グミも見習うべきだよ」

 

 そう言いミディアムはケットを撫でる。そうして驚く彼に向かって言った。

 

「ケット君は良いんだよ。何せ、初犯で、主犯ですらないからね。もう一度同じことをしたら、わたしも君をたっぷり叱るだろう。けれども、今はグミを見て、もうやりたくないなと思ってくれたら、それで良いんだ」

「そう、ですか……」

「ま、同じがいいなら、小突くくらいいいけれど?」

「ミー兄の拳骨、痛いよー」

「えっと……それは……結構です」

「うん。わたしも君を虐めたくはない」

 

 優しく、微笑むミディアム。仰がず同じ人に見る、その優しさがどうにも嬉しくて。だからそうあって欲しいという願いと共に、ケットは言う。

 

「ミディアム、お兄ちゃん……」

「おお、わたしに弟が出来たよ。嬉しいな」

「わわ。ケット君、いじらしくミー兄の裾を掴んでるよ。かわいいー」

 

 そうしてそれは快く許されて。この日。ケットには兄と姉が出来た。

 

 

 

 その後、しばらく。水の塔での生活は二人の年上と近づいてから順風満帆となり。誰彼からも可愛がられるグミという中心の側でわちゃくちゃと。楽しいことが普通となって、過ごしてきた。

 だが、それも物見遊山に五十階に棲むと周知されている大人しい魔人にミディアムに黙ってグミと会いにいった際に、変わる。

 

「君達が、新入生の粒達かな?」

 

 だらしない身体が、空に浮かんでいた。そして初対面の魔人、ブレンドからそう言われたことを、ケットはよく覚えている。だが、むしろそれ以外はぼうとして思い出せずに。ただ、あと一つ、グミがずっと笑顔だったことばかりは想起できるのだが。

 

「それじゃあね」

「ばいばい!」

「さ、さようなら!」

 

 ひょっとしたら、ケットが覚えられないくらいの難しい話をしていた、のかもしれない。それは、ブレンドから離れた後何やらグミが考え事をしていたことからも、確かであるだろう。それはそれは、難しい問題を出されたのだ。

 

「ケット、それじゃあ行ってくるね!」

「え、何処に?」

 

 そして、それから姉は何処かへ姿を消してしまい。地理も知らないテイブル王国中を追いかけ回すことも出来ずに寂しく思っていたところで、今度はしばらくしてから兄貴分が追いかけるように旅支度をし始めて。

 

「じゃあ、ケット。居場所は、魔人ブレンドから聞いた。グミを連れて帰るなり何なりしてくるから、待っていてくれ」

「ミディアムお兄ちゃん……」

 

 しかし、しばらく待っても中々ミディアムは帰って来ず。何もかもがつまらなくなり始めた頃に、ようやく彼は姿を現した。どうにも、清々しい表情をして。

 隣に他に姿がなかったことを、ケットは悲しむ。

 

「ただいま」

「……グミお姉ちゃんは、どうしたの?」

「向こうで、大事なものを見つけたみたいだ。当分、向こうにいるって」

「そう、なんだ……」

 

 聞き、ケットは落ち込む。それは自分よりも大切なものなのか。そう問いたくなる口を彼は無理に塞いだ。わがままに暴れるのは、もう恥ずかしいから。

 そんな抑圧を見て、ミディアムは少し思案してから言う。

 

「わたしはその分を、先に使ってしまったが……もう直ぐケットは休みだろう」

「うん。夏季休暇があるね」

「こっちは、どうにも四季が薄いらしいが、そろそろ暑いな。まあ、それはいい。待っていないで、一度君も追いかけてみればどうだ?」

「お姉ちゃんのこと?」

「ああ。もしかしたら……大切な何か、見つけられるかもしれないぞ?」

「大切……」

 

 その言葉を鵜呑みにしたわけではない。だが、きっかけにはなる。ミディアムも好きだ。だが、それよりもケットはグミが好きだった。それは恋ではなく、姉を慕う感情で。でも、一人っ子である少年には、大切なものだったのだ。

 

「うん。行ってみる。場所は、何処?」

 

 だからケットは、冒険の一歩を進めるのだった。

 

 

 

「んー。グミお姉ちゃんが居るってところは……ここか」

 

 少し、時間は経つ。鳥車から居りてから、ケットは疲れに身体を伸ばす。空は青く、澄み渡っていた。それが、どうにも期待感を煽る。

 

「ここがライスか。ごみごみしていて……何だかプラグを思い出すなあ」

 

 鳥車を乗り継いで、彼はライス地区にやって来ていた。急勾配に張り付くような家々。それらに加えて、雑多に並ぶ露天。斜めっているところ以外、どうにもケットは昔を思い出してしまう。果たして、ここに自分の大切になり得るものなんて、あるのだろうか。最低でもお姉ちゃんは居るという事実を鑑み、少年は笑う。

 

「ごめんよ、坊や」

「あっ」

 

 そして、弛んでいたケットは衝撃を受け取り、尻もちをつく。せっかくの期待感にケチを付けられたような気がして、痛むお尻を撫でて起き上がった少年は。

 

「……やられた!」

 

 走り去るその姿と、自分の懐の軽さからスリにまんまとやられたのであることに、ようやく気付く。途端に、ケットは犯人に向けて色味を三つ走らせた。

 

「ちっ、魔法使いだったか!」

「くっ……」

 

 それに掴まれた相手は、しかし振り切りなおも逃げんと足に力を込める。力を込めて、ケットも応戦するが、しかし彼に付いた色味は次第に剥がれていく。

 染指から色味と呼ばれる触腕を出すことは魔法使いの誰にでも可能だ。だがしかし、その握力は、持ち主の身体の出来具合によって大分変わるもの。簡単に言えば、子供の色味で大人を掴んでおくことなんて出来ないのだ。

 

「あ……」

「じゃあな!」

 

 だから、そのまま留めておくことなど出来ずに、逃げられてしまう。それは当たり前のことだった。路銀を失い、路頭に迷う。それを思って目の前を暗くしたケット。

 だがしかし。

 

「ぎゃ」

「ふん」

 

 目を離したその間に、何故か、犯人は氷漬けになっていた。そして、それが落としたケットの財布を拾い、持ってくる魔法使いが一人。その染指の多さに彼はまずドキリとし。

 

「ほら。これ、お前のだろ?」

「あ……」

 

 そして、次にその美しさに心奪われた。それは、可憐。美麗の極地。最低でもそう思った少年は、この上なく、顔を朱くした。大切に、受け取った財布を抱く。

 

「良かったな」

「あ……」

「ど、どうした?」

 

 何故か、涙が溢れて止まらない。

 そしてケットは、生涯仕えるべき、大切な人に出会ったのだった。

 

 

 




 もしかして。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 バジルちゃん・二

 勘違いです。


 彼と共感しながらも、しかし本当に彼女は男性の気持ちを解せているのだろうか。好き勝手なその手で、あの子がまた姿を表す。

 

 バジルは手が空いていた方が、気が楽でしょ?

 カツラだよ!

 わあい。

 

 バジルが叫んでる……。

 

 また、それは少年にトラウマを生んだようだ。何かちゃんと考え行動していたら、違ったのだろうか。これは、補足せずにはいられない、のかもしれない。

 

 

 

 その日、バジルは機嫌が良かった。その要因としては、一般にはそうでもないが、彼にとっては辛い夏の日差しが雲で和らいでいることが一つ。もう一つは、久しぶりに好きなパールと二人きりで街を歩けていることだった。

 バジルは、普段は人を寄せ付けないような様子も見せるが、基本的には情が深い。友や家族に喜ぶのは当然。モノやグミらと騒いでいる時間は好むところだった。とはいえ、流石に好きにも特別があって然りである。彼はパールのことが、何より大好きなのだ。

 

「買ったねえ」

「オレが持たなくても、本当にいいのか?」

「うん。これでも私には軽いくらいだから……それに、バジルは手が空いていた方が、気が楽でしょ?」

 

 二人並んで、買い物帰り。まだ街の入り口近くに寄る道程が残っているとはいえ、それでも予定していた殆どは、既に買い漁っていた。果物野菜に、小麦。そんな食料品を中心に片手では余るほどの重量を持つパールは、しかしあっけらかんとそう言った。前半の故は、彼女の持ち前の怪力のための適材適所を伝えただけだったが、後半は魔法使いなバジルへの配慮である。

 そう、染指に力の重点を置いているバジルは片手を用意してこそ安心できるのだ。それを、パールは確かに察していた。

 

「まあ、何かあった時のために、右手は空けておきたいところだが……男が女に荷物を持たせてると、外聞が悪い」

「前時代的だね。なら、ほらこれ持って!」

「ん? 何だこれ」

「カツラだよ!」

「はぁっ? なんでこんなもの……もしかして」

 

 パールが知らない間にこっそりと露天商から買っていた金のひらひら。それだけ渡されたことにバジルは困惑するが、次に嫌な予感も覚え始めた。少し前の忘れようとしていたこと。男に色目を向けられた記憶が、頭によぎる。

 

「バジルちゃんに良いかな、って思って衝動買いしちゃったんだー。気に入った?」

「気に入る訳あるか!」

 

 浪費に、勝手。それに判りやすくバジルは激するが、しかしそれでも物に当たらることはなく手の中にある忌まわしいものは安堵されたまま。真面目だなあ、とパールは思わずにはいられない。

 

「もうオレ、アレはやらないぞ」

「えー。あんなに可愛いのに。いやむしろ今も可愛いよ! バジルちゃん、可愛い!」

「だーっ、変なこと言うな! やらないものはやらない!」

「残念!」

 

 パールのおだてて乗せる作戦は失敗。可愛いと言われて喜ぶ男は少数だろうから、それもまあ当然のことだろうか。だが、曲がりなりにも褒められたということで気を悪くする訳にもいかず、バジルは少しむずかゆい思いをしながら、ロングウェーブでもさもさしたカツラをパールに突き返した。

 

「ほら、返すからな。他のを持ってやるよ!」

「えー……ちょっとだけ、一度でいいから被って見せてよ。そうしたら後でモノと一緒にねだったりしないから」

「……本当か?」

「うん! わあい。これで私がバジルちゃん独り占めだ!」

「ったく……」

 

 そうして、バジルは衆人環視の中で、間違える。何がその原因なのだろう。それは、夏の暑さによる知らない内の疲れと、何よりもその機嫌の高さがあったのかもしれない。だから、何時もならば決してやらないことをやってしまったのである。

 そう、カツラを被るだけとはいえ、人前で女装なんて、何時もの少年ならばあり得ない。

 

「んしょ、っと。これで良いか?」

「わ、まだ髪の毛がぐしゃぐしゃだよ……とかして……うん、よしっ!」

「はぁ……」

「わあ、可愛いよお! バジルちゃんは、どんな髪型でも、似合っちゃうんだね!」

「……気が済んだか? 今気付いたんだが、見られてて、恥ずかしいな。取るぞ」

「えー」

 

 パールの残念そうな声は、周囲の皆の思いの代弁か。それほどに、バジルちゃんは、麗しい。更に、どこか可憐ですらあった。髪型一つの違い、とはいえ普段から実はその実力の片鱗は覗けている。パールの影に隠れているとはいえ、女性人気がそれなり以上にあるのはその証左だ。

 目の碧が、どうにも人の目線を吸い込んで、得も言われぬ魅力をバジルちゃんは発揮する。頬を朱くして口を尖らす、その様子はとても愛らしく。流れる長髪は、相当に高価であっただけに非常に艷やかで良く似合っている。偶に着てしまった四塔教のローブがまた、その性を不明にさせた。

 そんな、どこからどう見ても少女な男子は、パールの了承を得てから、カツラを取ろうとする。律儀なところがまた愛らしく、少し勿体振ったところ。その間隙が未来を変えてしまった。

 

「やられた!」

 

 子供の大声。それが聞こえる位置に二人が居たのは、偶々。少女のような男子の焦った声色を聞き、向いた先には色味にて人相の悪い男の足止めをしている少年の姿が。大事に持っているその身なりにしては上等過ぎる財布を目にしたバジルちゃんは、男の正体がスリであることを瞬時に察する。

 

「ちっ」

「バジルちゃん!」

「分かってる!」

 

 小さな犯罪。だがそれを見逃すほどにバジルちゃんは薄情ではない。更に、自警団所属ということもある。せっかくの良い心地を台無しにされたことを含めて、犯罪者に行使した魔法の強さはそれなり以上に強いものになった。

 

「ぎゃ」

「ふん」

 

 周囲を一瞬で水浸しにし、そしてそれを凍らせその無法な自由を奪う。犯罪者に対して、バジルちゃんは必要最低限には冷徹だった。

 

「ほら。これ、お前のだろ?」

「あ……」

 

 顔以外氷漬けになった男を尻目に、落ちた財布を拾い。そうしてバジルちゃんは少年へと差し出した。コンセント州生まれの特徴であるよく日に焼けた肌をした彼、ケットは驚いた様子で少女らしい姿を見て。そうしてバジルちゃんがかけた言葉に。

 

「良かったな」

「あ……」

「ど、どうした?」

「わ、バジルちゃん泣かせちゃった」

 

 ケットは泣いた。まさかそれが、自分の可憐さに感動したものだとは思わずに、バジルちゃんは、ぽろぽろ零れ行くそれに、うろたえる。年少を脅かすつもりなどなく、だからその涙を拭ったり撫でたりすれば良いのか、混乱し。

 

「もう、泣くなよ。男だろ」

「あ……」

 

 ついつい、視線から隠すように少年を抱きしめてしまった。間近に整った顔が。そして、柔らかさに熱を覚えて胸が高鳴り。そして、何故か薫る甘くも思える匂いに異性を感じてしまったケットは。

 

「きゅう」

「あ……」

「気絶しちゃったねー」

 

 そう。年頃の子らしく鼻を伸ばすでもなく、ただ相手の尊さに耐えきれなくなって。ケットは自失することを選んだ。小さな重みを預かったバジルちゃんは、どうすればいいのか、パールと一緒にしばらく悩む。

 

 

 

「はっ」

「やれやれ。やっと起きたか……」

「わあっ」

 

 すっかり暗い空に星が瞬く。ケットが目覚めたのは、遅く、日が落ちてからのことだった。周囲を見回し、そこが宿屋の軒であることに気づく前に、直ぐ近くに一目惚れした相手と目を合わして、彼は狼狽した。

 

「すまん、驚かしたか。だが一時軒下は借りられたがそればかりでな。オレ以外に緩衝材になるものが無いから、仕方なくお前の身をオレに預けさせてたんだ。不快だったら申し訳ない」

「不快なんて、そんな!」

 

 ケットを抱きながら、スリを衛兵に引き渡し。そうしてから、少年を診る場所を探した。そうして、近くの宿屋の軒が借りることが出来、パールにこういう時に役に立つだろうモノを呼ばせてから、バジルは気絶した彼の体調を診出したのだ。流石に、子供の頭を床に置かせるのは忍びなく。膝に乗せるのは流石に恥ずかしかったから、自分の身体に寄りかからせて。そうして大丈夫であることが分かってからもずっとそのままでいたのだった。

 そんなこんなを自分に移った熱で感じ取ったのか、勢いよくケットは離れ、そうして変化を彼は確認する。それは、バジルの天辺にあった。

 

「あれ。綺麗な、髪の毛が……」

「ああ、あの時ははカツラだったんだよ……気にしないでいてくれると、助かる」

「そ、そうですか……」

 

 気にするべきではない。なるほどそれはそうだろう。女性が短髪を通り越して、坊主頭になるまで髪を切り、それをカツラで隠しているなんて、余程のことがなければあり得ない。詮索するべきではないだろうと、ケットは理解した。バジルが、バジルちゃんではないことを知らずに。

 

「そうだ。財布も取っておいたぞ。ほら。今中身確認しな……暗くて分かり辛いか?」

「いえ。これでも魔法使いの端くれ。火くらいは出せますので」

「ふうん。指の多さから出来るかもしれないと思っていたが、媒介もなしか」

「えへへ……凄い、ですか?」

「おうおう、年の割には、随分と凄いな」

 

 まるでロウソクの先端のように、ケットの火色の指から炎がちろり。それに照らされたバジルはまた幻想的に見えた。思わず、彼はつばを飲む。近い、可愛い。少し中性的な部分も見受けられるが、それを含めてミステリアスな美に思えた。

 

「おい。早く確認しないで良いのか?」

「ええと……実は、持って来たお金の把握をしていませんでした。大きいのは判るのですが……」

「小銭は全然判らないか。まあいい。ざっとは見て、重みも大体比べておけ。それで、オレが抜いていないかどうかくらいは判るだろう」

「そんな心配はしていませんよ」

「……どうしてだ?」

 

 疑問に、ケットの目とバジルの目が、合う。そして赤と青はまた、すれ違った。

 

「だって助けてくれた、じゃないですか」

「……あのな。だからって、目先の金を前に変わる場合があるだろ。善がずっと善なのは、物語の中だけ……いや、知り合いに大体変わらないのも居るが、オレは……」

「いいえ、きっと貴女も変わらないと思います」

 

 それは、信頼というよりも、信仰の類。こんなに可憐な存在が、悪いはずがない。そういった、思い込み。だがそれは、今回は当たっていた。バジルは、悪くはなれない。復讐の道にすら踏み出せなかった、そんな純真。それをケットは、見抜かずとも当てていた。

 

「初対面のお前に、オレの何が判るんだ?」

「判りません。でも……」

「でも?」

 

 眉ををひそめて首を傾げる、そんなバジルの様子を見て、ケットはその険を取ってあげたいと、真に思う。だから、こんな恥ずかしいことも言えてしまえたのだろうか。

 

「綺麗な人は心も綺麗だって、そう思いたいじゃないですか」

 

 少し気障だったかと、そう考えながら紡いだ言葉。嘘一つない文句で笑ませることが出来たらと、そういう思いでケットは言ったのだが。

 しかし、それはバジルの表情を更に歪ませる結果に終わった。何とも言えないそんな面をすら、ケットは愛らしく思う。性別の錯誤もそうだが、恋は盲目とは、このことだろうか。

 

「……綺麗……そう、見えるのか……」

「はい。貴女は嘘偽りなく綺麗で、素敵です!」

「そうか、そうか……それはひょっとしなくても、女性として、か?」

「勿論です!」

 

 真っ直ぐさは、時に残酷だ。本心からのそれは、柔らかい心を傷つけた。子供に食って掛かりはしない。だが持て余した激情に、叫ぶくらいはしないと、バジルはやっていられなかった。

 

「オレは男だ!」

 

 その悲鳴のような声は、暗闇に響いて連鎖的に数多のイヌブタを吠えさせて。多くに迷惑をかけることになった。

 

「これで、男の人……」

 

 少女ともとれる少年のローブ姿の全身を見つめるケット。彼がごくりと飲み込んだつばの音は、幸いにもバジルには聞こえなかった。

 

 

「バジルが叫んでる……」

「あ、ケットだ」

「ん。知り合いだったのか」

 

 ただその当然を叫ぶ姿は三人に見られて、後でバジルは大いにからかわれることになる。だが、その中でもずっと、ケットはバジルを真っ直ぐに見定めていたのだった。

 

 

 




 あれ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 少年と少女

 どっちなのでしょう?


 彼は同時に彼女と存在しているばかり。自在に変容出来る訳ではない。

 

 貴女、誰?

 

 だから、どちらでもないものは、違う。ならば、それは何か。それが判ぜるまでを補足してみたいと思う。

 

 

 

 ケットは、恋を知らない。十一という年の若さもあるが、貴重な魔法使いとして周囲に持ち上げられ幼心には恐れられた彼に、遠慮なく寄ってくる年近い他人などコンセントではほぼなかったのだ。魔法学園での暮らしでも、誰も彼もが可愛がってくる年上ばかりで自分と同年代の姿はなく。強いて言うならばグミが年近い方とはいえ姉とみてしまえば対になる異性とすることは出来ずに。

 だから、バジルちゃんの幼くも完成されたその容姿に理想を見て惚れたそれが、ケットの初恋だったのだろう。そしてそれは、どうしてだか未だに壊れていない。

 

 

 

 バジルと同じ屋根の下ということで、悶々と眠れぬ夜を過ごしたケットは、朝靄が降りきった頃を見計らって外に出た。ちなみにグミに強引に抱き枕にされてもいたが、絡みつく魔女のその痩身に彼が胸を高鳴らせるようなことはなかったようである。

 振り返って、ケットは神官館を振り返り見た。少し直線的でどこか威圧的な建物は、しかし人が住むその息吹のためか居るに心地悪いものではない。ただ、慣れぬためか他の要因のためか、緊張してしまったが。

 

「ふぁ……」

 

 だがもう、そこから離れた。思わず透き通る朝の空気を吸い込んで体を伸ばして、弛緩した彼は。

 

「お、ケットか」

「バ、バジル、さん……」

 

 横から声を掛けられ、再び酷く体を強張らせることになる。一番に、意識している人。それが同性であることは自分でもおかしいと思ってはいるが止められず。彼が否応なくその綺麗な顔に汗を垂らすバジルの全てを目に入れた、その時。

 

「わっ!」

 

 あまりの刺激に、ケットはその両目を閉ざした。なんと、バジルは上着を着ない上半身裸だったのである。染み一つない真白い肌が、どうにも少年の目には毒だった。相手も同じ少年であるということも忘れ、彼は顔を真っ赤にして逆を向く。

 

「ふ、服着てくださいよ! どうしてそんな……」

「いや、どうしても何も……運動して汗をかいたから、こうして拭っていたんだが。そんなにおかしいか? 夏で暑いから、ちょっと脱いだだけだぞ?」

「脱いじゃ駄目です!」

「仕方ないな……」

 

 バジルはケットの照れに、気持ち悪さと自分の不明の可能性を思う。普通に考えれば意識し過ぎである。だがそうでないのであれば、或いは少年の住んでいた場所では肌を晒すことを嫌う、そんな文化があったかもしれなかった。

 もとより別に裸身を披露して喜ぶような人間ではない。バジルは大人しく、水色チュニックを羽織った。目隠しのために顔を覆っていた手。その指の間からそれを確認して、ケットはほっとする。

 

「ありがとうございます……それにしても、こんな朝早くから運動って、何をしていたんですか?」

「モノ……昨日ケットが驚いていた筋肉の塊みたいな男は、何時も日が出る前から剣の訓練をしているんだ。戯れにそれにオレが付き合った形だな」

「モノさんは騎士様、でしたよね。魔法使いでもないのにそこまで昇れたっていうことは余程の凄腕、なのでしょうか」

「まあなあ……」

 

 郷里には存在しない、騎士に憧れてキラキラし始めたケットの赤い瞳を見て、バジルはその言葉に同意した。実際に、モノやノッツのようなただの剣士がナイトの位と認められるようなことは少ない。その少数の中でも家柄や何やらの要素が絡むのが普通であるが、真に彼らは実力で得たのであり、間違いなく凄腕といっていいのだろう。モノに至っては、凄すぎるところもあるが。

 

「ん。ケットか」

「ほら、その凄腕の騎士様の登場だぞ? ……って、お前も脱いでるのかよ。お前にとっては、汗かくほど動いてないだろうに」

「だが、暑くはなる」

「それもそうか……しかしコイツの裸見て大丈夫か、ケット?」

「わあ……すごい肉体だなあ」

 

 自分の貧弱で恥じた相手が、これほどの肉体美を見せつけられてどうなるのか。それを、不安に思ったバジルであったが、全くの杞憂だった。持たざる者は、持つ者を憎むことすらあるが、しかしただ単純に子供のケットはその筋骨隆々さに憧れる。もしこうあれば、とすら思うのだ。

 

「大丈夫そうだな……男の裸が苦手、って訳でもないのか」

「嫌だな、バジルさん。僕は女性じゃないのですから、男の人の裸身を見ることなんて、なんでもないに決まっているでしょう?」

「それはその筈だが、何か釈然としないな……」

 

 特別以外は何とも思わない。それはある種普通である。だがバジルは言外に、自分が男性以外とされているようで、少し気分を損ねた。実際、その考えは当たっているのが、困ったところだが。

 多少の、不快。だが、バジルは、年長が一々年下に険を持って当たっては良くないものと、思っている。認めて、彼はケットに訊く。

 

「まあ、出会いがアレだし、仕方ないところもあるか……で、ケット。昨日は暇がなかったから聞かなかったが、お前もミディアムと一緒で、グミの確認をしに来たのか?」

「まあ、そのつもりでしたけれど……」

「ん。何だか他にも目的があるような口ぶりだな」

「えっと……何というか明確なものじゃないのですけれど……」

「それ、ボクも訊きたいなあ」

「グミお姉ちゃん……むぐ」

「全く。抱き枕がどっかいっちゃ駄目だよー」

 

 物憂げに語るケットは、横から出てきたグミに抱きすくめられた。小さな胸元に埋もれる少年。だが彼はかなりの細身故に、バジルさんよりもどこか硬いな、と酷い感想を持ったりしている。それも知らずに、お姉ちゃんは学園で唯一といっていい程の心残りであった弟分といる時間を楽しんだ。

 

 

 

「大切な何か、ねえ……」

「ミー兄ったら、大分ふわふわしたこと言うようになったねえ。よっぽどスナオと会えたことが嬉しかったんだねー」

「スナオ?」

「ああ、それは気にしないでいいよ。まあ確かにここは結構面白いところだから、大切に思えるものも見つかるかもしれないなあ」

 

 モノはパールを起こしに中に入ったが、グミにバジルは未だ、館の前にてケットの話を訊いていた。大切な何かが見つかる。そんな言葉に惹かれて冒険したくなってしまったという少年を、微笑ましく見ながら。

 

「ミディアムお兄ちゃんは大切に思える人を見つけたって言っていたけれど……ひょっとして、グミお姉ちゃんも何か見つけたの?」

「ボクもミー兄と一緒。好きな人が出来たんだ!」

「え、誰?」

 

 グミのその言葉を聞いたケットは、思わずバジルを見る。愛らしい姉に似合いの男子。思うにそれはこの可憐な少年ではないか。その仲のいい様子から、もしかしてと思わなくもない。

 だが、無感動にバジルは言った。

 

「コイツ、パールが好きなんだと」

「もう、もうちょっと溜めを作んなきゃ駄目だよ! ケットが驚かないでしょ!」

「いや、この残念な内容で驚かないのは中々いないと思うぞ?」

「ええ……?」

 

 ケットは、バジルのその言葉を最初、嘘かと思う。大切に想うほどに好き。それくらいに同性を想うなんて、普通はありえないだろう。だがしかし、グミはそれを肯定した。少年は、混乱する。

 

「ほら、ビックリしてるぞ」

「わーい。事実は小説より奇なり作戦、成功!」

「……事実?」

「そうらしい」

「いや……おかしいでしょう! 好きな人って、普通は異性でしょ? 何か僕、間違っています?」

「おーう。普通の反応だー」

 

 ケットのへんてこな表情をグミはけらけら笑う。認められないそのことを、喜んでいるかのように。それがまた、彼には不可解だった。

 少しの間笑みを続けてから。そうして、魔女は語りだす。

 

「面白かった。あはは。たしかに、ボク、おかしいよね」

「それは……」

「でも、それが恋なんだよ。人間がただの個人に執着する。そんなこと自体が、普通じゃないもの」

「そう、なの?」

「うんうん。人は、多くと手をつなぐから人間でしょ。なら、一対一を望むのって本当はおかしいの。……番うことと人間の共存って、難しいんだ。歪んで、ちょっとおかしいとすら思えることだって出てくる。でも、それでも動物ベースな人間は、相手を求めてしまうんだよ」

「相手……」

「うん。繁栄の目的に相手、なんていうものを求めること自体が本当はある種おかしくて。なら、組み合わせの変なんて、気にするべきではないんだよ。心が求めるものこそ、大切な、本当なの」

 

 ワイズマン、賢者。それは、準貴族として認められた魔法使いに贈られるただの称号である筈だった。しかし、実に賢しく、魔女は頭を働かしている。

 その言の通り、他が認めなくても自分は知っているのだ。そんな自認していてばかりの天才にとっては、これくらいの持論の披露は当たり前なのかもしれなかった。その瑕疵に気づきながらも、煙に巻くためにグミはこんな適当を並べる。

 

「……良いこと言っている風にしているが、結局は同性愛の肯定にはなっていないぞ」

「バレちゃった!」

「大切……」

 

 それに気付いているバジルは、呆れ返るが、しかし純粋なケットはその言に深く感じ入った。

 心が求めること。それこそ大切であるのであれば。その可憐さに見惚れたばかりではなく。もしこれが一属性のみ欠けた不安定な自分が、一色を最大に持って安定している存在に寄りかかりたいと思ってしまっているがための好意であったとしても。その内の水の豊富さに、愛する海を想像して気が向いてしまっているのだとしても、それでも好きに変わりはないのかもしれない。そう、少年は思う。

 

「バジルさん」

「何だ、ケット?」

 

 そして自分に向く、碧。それが、どうにも魅惑的である。性ではなく魔として呼応する、それを恋と捉えてしまうくらいに、ケットは子供だった。そして、子供であれば、無軌道であるくらいが当たり前。だから、彼は勝手なことを言い放つ。

 

「僕、おかしくなっちゃいました。でも、バジルさんはおかしいのは嫌ですよね。なら僕、変わります。貴女のために」

「うん? 意味が判らないが……まあ、オレも変なのはもうお腹いっぱいなところだ」

「そうですよね……なら」

 

 ケットが、そう言ったかと思うと、大切を手にした少年はブレて。

 

「僕が、異性になります」

「はあ?」

 

 そうして、一途な少女に変わった。

 褐色肌は優しく歪み。ポニーテールが風に揺れる。赤い瞳は、彼女にも見える彼だけを映して。

 

「貴女、誰?」

 

 起き抜けのパールの疑問は、宙へと消える。

 

 

 




 曖昧さに共感したのでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 転換と不変

 それでも、変わらないのです。


 彼の生を参考にしてしまっている彼女は、自分から向かう恋を知らない。

 

 可愛いよお。

 モテモテだね。

 

 だからだろうか。ただその激しさを知らずに微笑ましく思うのだ。新たに咲いた一つの花のことを、補足してみる。

 

 

 

 ケット・ウールは、人差し指に水色を持ち、その隣の中指が火色に染まっていて、そして一つ離れた小指が風色の染指であるという、中々の変わり種の魔法使いだった。

 火色と水色の染指は自然に炎と水気が並ぶことがあまり類を見ないように、隣り合うことは稀である。近ければ影響し合うのは当たり前。二つの両極端な属性は揺ら揺ら変容を続ける。そして、一部がおかしくなれば全体が狂うのも流れ。クラウン・ワイズが代表的な例だが、どうにも火と水を隣に両立してしまった者は不安定になりがちとされるのだった。

 だが、そんな揺れる魔を有していながらも、ケットは常識的。魔の狂いに乗じなければ、心を無駄に騒がせもしない。その因は、育ちにあった。

 プラグ市にて潮騒を聞かずに過ごした時間は僅か。目にして聞いて、触れて。ケットがマナを多分に含んだ怒涛の大海と向き合い続けたことは、その成長に深く寄与した。揺れて溢れて暴れて、それでも変わらずにある。自分もそれと同じだと思えば、何ていうこともなかった。

 だが、それでも。そんな大海の心だろうが恋慕の傾きには耐えられずに、ケットはその身を不安定に任せることになる。そう、己の内で揺れる魔と同じくブレるように、少年は少女に変わったのだった。

 

「バジルさん!」

「柔いな……ケット、お前変体したか?」

「変体ってグミお姉ちゃんの、ですか? それとはちょっと、違いますよ」

「違う?」

 

 あ然とする周囲を他所に、女性性に振り切ったケットは、丸みを帯びたその身体を、バジルにこすり付ける。だが、彼はそ抱擁を冷静に受け止めてしまう。

 バジルは、その身体変化を真っ先に魔法によるものと捉え、冷静に観察していたのだ。しかし、それは違うとケットは口にする。流石に彼も、それには疑問を思わずにはいられなかった。

 

「僕は僕です。変わっていないですよ」

「分からないな。どういうことだ?」

「男の子に寄ることを止めただけです。ただ、それだけのことですよ」

「……なるほど、そういうことか」

 

 バジルの周りのいい匂いと思える空気を吸い込みながら、ケットは言う。その意味が解ったのは、マイナスの少年ばかり。不明な事態を黙って観覧していたパールらに一切その理由は判らない。しかし、説明の言葉一向に披露されない。

 余計に口を開くその代わりに、自らを抱きしめるその矮躯をバジルは抱きしめ返した。そうして、幽かに震える少女を撫でる。

 

「あっ……」

「怯えるな。大丈夫だ。オレはケット、お前が何だろうと嫌いになりはしない」

 

 正直なところ、理解もされずに気持ち悪がられるのが当たり前だとケットは思っていた。両性を保持していた彼女にしかしバジルは優しくする。予想外で嬉しいそれに、ぽうと少女は顔を朱くする。目の端から煌めきを零れていくことを恥ずかしがりながら。

 内の魔の蠢きを下手に受け容れ過ぎたために影響されすぎて、性すら定かでなくなってしまっている子供。バジルはケットをそう解した。少し変なことは間違いない。だが、それでも迷う幼子が震えているのであれば、優しくなだめてあげたいと思えるくらいの優しさが彼にはあった。

 だから、バジルは太陽を真似たひまわりのように、柔らかく微笑みを向けるのだ。それをケットは、はっと見る。

 

「何。オレなんてここで成長行き止まりだぞ? 変われるケットの方がむしろ普通なんだ。自信もてよ」

「はい……」

 

 可憐な花は綻んで、ケットを包む。そしてバジルの言葉に喜ぶ少女の周りに美しいものは更に集まって、まるで花束のようになる。

 

「話が良く分かんなかったけれど、ケット、女の子にもなれたんだね、すっごーい!」

「グミ、お姉ちゃん……」

「ん。便利と思うが、俺はそれだけだ。むしろ、悪く言うやつがいたら言え。俺が矢面に立ってやる」

「モノ、さん」

「ケット君は、ケットちゃんでもあるんだね。可愛いよお」

「わぷ。パールさん……」

 

 抱きつかれて、頭を撫でられて、笑顔は輝いた。

 不明を飲み込み縮んだ輪は狭く。だが、その安心の中で安堵したケットは、とても幸せそうだった。

 

 

 

「バジル……何、その子?」

「……ケットって名前だ。グミの妹分、ってところだな」

「……ケット・ウールです」

「あ、学園の子なのかな……私はユニです。宜しくね」

「……はい」

 

 そして、少し経ち、太陽は頂点付近で地を照らし付ける、そんな時刻になる。仕事を終えて、何時ものように診察の手伝いをしようと聖堂に入ってきたユニが目にしたのは、バジルに絡みつく小柄の少女の姿だった。

 珍しい褐色肌に、黒毛がよく似合い、眦の下がったその顔立ちも悪くなく純粋に彼女は愛らしい。そして、思わずユニがその悪い目つきを更に鋭くしてしまうくらいに少女とバジルの距離は近かった。自分も同じように胸元で抱かれたい、と思う。

 だが、ユニは険に怯えた子供に追い打ちをかけるような少女ではない。バジルの背に引っ込んだケットに無理に笑みを作ってから、彼女は手を振った。

 

「ユニは、オレの幼馴染だ。悪いやつじゃない。仲良くしてくれると嬉しい」

「幼馴染……」

「不本意ながら、未だその程度の関係なんだよねえ……バジルも、もうちょっと応えてくれてもいいんじゃない?」

「振った相手をいたずらに懐に入れるような男じゃないぞ、オレは」

「ふーん。そうだよね、男じゃないよね。なんてったって、バジルちゃん、だもん!」

「お前!」

 

 そして、ユニはバジルと何時ものようにじゃれ合い始める。まあやけに近いだけの子供なんて、聖女程の大した敵にはならないか、と思いながら。だがそれは大きな間違いだが。

 ケットはバジルの後ろから、その背中を強く抱きしめる。その行動によって、口論は止まった。

 

「うん? 何だ、ケット」

「やだ」

「やだ?」

 

 思わず、ユニはオウムのようにケットのその言葉を繰り返す。何が、嫌なのか。それは、直ぐに少女の口から説明された。

 

「バジルさん、他を見ないで、もっと僕を見て」

「仕方ないな……よし、ほら前に来いよ」

「はい」

 

 それは、子供の勝手なぐずり。しかし、ユニの目の前でバジルはそれを受け容れる。そうしてその身で、過剰なくらいに甘やかした。懐くのを許して、手のひらで愛撫する。彼が優しくケットを撫でるその様子はあまりに本気で、入り込む隙も見当たらなかった。思わず、ユニは臆す。だが、それでも勝手に動いた口は止まらなかった。

 

「……バジル、その子、気に入っているの?」

「甘やかしてやってるだけだ」

「ん」

「はいはい。説明終わったら、また撫でてやるよ……こっちは愛され慣れていないからか、どうにも不安定で幼く依存されてしまってな。新しく生まれたその日くらいは、甘えさせてもいいかな、と思ったんだ」

 

 思ってしまったからには、仕方ないよな、とバジルは口にする。そうして、艶のある黒髪を探った。ぽうと、ケットは頬を染める。

 詳しくは良く分からない。だがこの事態は面白くなかった。父性か母性か分からないが、バジルは親代わりをしているようだが、どうにもケットは彼に異性を見ている。そんな二人がくっついているのは、どうにも不安だった。

 だから、提案をする。

 

「よし、よく分からないけれど、それなら私も甘やかしてあげるよ、ほらケットちゃん、こっち来て!」

「いやです。よく分かっていない人に何されても嬉しくないですから」

「うーん、気難しい子!」

 

 ユニは想い人の胸板にぐりぐり頭を寄せる少女に、眉根を寄せた。子供、といえどもこれでは可愛いとは思えない。

 

「バジルなら、いいの?」

「はい、僕を一番理解していますし……何より大好きですから」

「幼子にしては不純みたいだけれど……」

「それでも、オレが離れると赤子みたいに泣きわめくしなあ」

「……バジルさんと、離れたくない。それは一日だけでも、いいんです」

「だってよ」

「むむ……」

 

 バジルは、少女の想いをはしかのようなものと思っている。それに、ケットの本当はもっと自立したものだと理解していた。だから、これは彼女のための一時保護。そう割り切って当たっている。

 確かに、察しているところの半分は間違っていない。今日一日で安心したケットは、少女として生きることと少年として暮らすことの両方を選べる自分を認めることが出来るだろう。そして、彼女は本質的には甘えるよりも甘やかす方が好きである。それも、当たっていた。

 だが勿論、ケットの想いが一過性のわけがなく。これから一日の恩を万倍返しするかのようにバジルに付き従うようになる。まるで伴侶のように近いその様子を何故か想像してしまったユニはその悪役のような顔を歪め、ぽつりと零す。

 

「強力そうな敵だね……」

「んう」

「はぁ。オレが、こんな子供なケットになびくとも?」

「余裕にしているけれど、未来っていうのは分からないよ」

 

 それこそ、自分がバジルのことを好きになることが分からなかったように、将来なんて不明なのだとユニは思う。子供は成長するし、思いは浅くも成りうるが深まることだって勿論ある。柔らかさを増していく相手の誘惑に、彼はどれだけ余裕を残していられることだろうか。それを、彼女は不安に感じる。

 

「……でも、多分敵わないんだろうなあ」

「うん?」

「なんでもない」

 

 しかし、それでも愛する人の大変困ってしまうほどの心の不変さを知っているユニは、殆ど明るい未来を予期して独りごちた。

 バジルの中の最愛の椅子。そこに座しているのは唯一人。それは、きっとずっと変わってくれない。

 一歩だけ近寄ってから、彼女は彼女に耳打ちするようにして訊いた。

 

「まあ、私はそれでも挑むけれど、貴女は?」

「僕はそれでも近くに居るよ」

「そう」

 

 そして、満足な返事を聞いて、ユニは微笑む。さあ、新たな敵手の登場だ。自分はどうするべきか。それはもう決まっているのだけれど。でも、再び走る前に、少し力が欲しかった。

 

「さて、私はバジルのやりたいことを今日も手伝いましょうか。ケットちゃんといちゃついていたけれど、仕事はちゃんとしてた?」

「そりゃあな……と言いたいところだが、仕事も何もオレが代わってから、ぱったり患者はなしだ。ぶっちゃけ暇してたから、ケットもこんなに近かったんだ」

「そう。なら私は白衣を着て清潔にしてから、どうしよう……そうだ、バジル、ちょっと良い?」

「何だ?」

「あ」

 

 そして、騒ぐ胸を押さえながらなにもない風を装い、ユニはバジルに寄り。そうして手を伸ばして。優しく優しく、彼を抱きしめた。驚くケットの横で、想い人を胸の中に埋めて、少女は愛を口にする。

 

「ごめんね、耐えられなかった。好きだよ、バジル」

「……すまない」

「それでも、いいよ」

「むう……」

 

 拒絶はしない。でも、拒んで決してそれを受け取ってくれないバジルに、それでも恋からユニは縋り付かざるを得なかった。そして、不幸にのために愛し方を忘れてしまったからこそ、不格好にも全霊で幼い子供を愛してあげてしまう彼のために、それはただ熱を伝えるだけでもいいことを教えてあげる。その側で恋するケットは、ただ取られてなるものかと少年に身体を寄せて。

 そしてバジルの胸元に花が二つもたれ掛かるようになった。

 

「熱いし、重いな……」

 

 それに少しドギマギしながらも、バジルは正直に感想を口にする。一筋、彼の額から汗が伝った。そんなことにすら、恋に盲目な少女たちは気付かない。

 

 

 

「ふふ。バジル、モテモテだね」

 

 そして、様子を見に来たパールは抱擁を見て、弟分の人気にどうしてだか鼻を高くしていた。そう、残酷にも、未だ彼女は彼の思いに気付いていない。

 

 

 




 バジルにとって、恋は熱くて重いのですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。