ガールズ&パンツァー 黒森峰の白うさぎ (綾春)
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張り詰めた空気の中、引いた弓がしなり、擦れるような音をたてる。視線の先、的の正鵠を真っ直ぐに見据え、右手の指に込めた力をすっと緩めた。
刹那、耳元を掠めるような風切り音を伴い、矢が射られる。若干ブレるような軌道を描きながら山なりに飛翔した矢は、正鵠から僅かに外れた箇所に突き立った。
「よっ、お見事!」
「やっぱ瑞穂は上手だね〜」
「……茶化すのはやめてよ、もう」
一気に空気感が軽くなる。私――橘 瑞穂は弓を下ろしてジト目を向けた。
「いや、本当に上手いよ。さすが学年トップ」
「……学校ならね。全国じゃ全然」
「全国を見据えてるあたりが天才って感じ!」
「ホンモノの天才に言われたくないね」
本心で私を褒める、裏表のない少女は近江すみれ。そして私を茶化すのは山城朝日。二人共私の親友であり、同じ弓道を選択するクラスメイトだ。
手ぬぐいで汗を拭き取る。弓道はその見た目とは裏腹に全身の筋肉と体幹を求められるスポーツで、いかにも日本人が好きそうな、『わびさび』に溢れる武道だ。私はこの空気が張り詰めて全身が凍りつくような感覚と、的を射抜いた時の何とも言えない開放感が堪らなく好きで、こうして続けている。
「瑞穂に比べたら、私もまだまだ下手だわー」
「朝日は練習しないのが悪い。天才とはいえスポーツまで万能じゃないんだから」
「頑張らずにそこそこ出来るってのが私の取り柄なので」
「……あっそ」
朝日にそっけなく返し、道場を後にする。後輩たちに片付けを任せて部室へ。こういう上下関係がカタいところが、武道って感じだ。
「今日はどうする?」
「うーん……私は勉強しないと。中間近いし」
「朝日はどうするの? って聞かなくてもわかるや」
「うん、帰る。送ろうか?」
「じゃあお願いしようかな」
更衣室で着替えながら話は進む。朝日は天才肌の秀才で、すみれは努力家の秀才。互いに互いを羨み合っているようだが、それが原因で邪険な仲になったりしないのはお互いにマイペースだからだろう。
他愛もない話に区切りをつけて、部室の前ですみれと別れる。
「家まで直行でいい?」
「あー、いや、一回街まで出て欲しいかな。確かトイレットペーパー切らしてた」
「そんなおっきいの買ったら帰り大変だよ?」
「片手で持ってりゃいいでしょ」
たどり着いた駐輪場で、朝日から受け取ったヘルメットを被る。安いやつだけど、ちゃんとしたフルフェイスだ。ちょっと面倒な構造のあごひもを通して、しっかりと固定する。
「じゃ、行こっか」
「ん。お願いね、運転手さん」
空油冷のフラットツインエンジンが奏でる重厚なサウンドが体を揺さぶる。BMW製のR nine Tは1169ccという大型でありながら、手中に収まるベストなサイズで取り回しやすい――と朝日が言っていた。
夕景が橙に彩る学園艦の外周路を駆け抜ける。切る風は華やぐ潮の香り。とてもロマンチックな光景だ。左手に担いだトイレットペーパーさえ無ければ。こうも綺麗だと、少し後悔もする。
途中、朝日はR9Tを展望台の前に止めた。夕陽はその光を少しずつ弱めながら、水平線に沈みゆくところだった。カメラを向ける朝日の隣で、私はぼーっとその光景を眺めていた。
「……ねぇ、アナタ」
「えっ、はい」
突如かけられる声。朝日ではない。振り向くとそこには、私よりも少し小柄な少女。夕陽に照らされてオレンジに輝く白髪と、真紅の瞳が特徴的な、小動物のような少女だ。
どこかで見たことがある。話したこともある。聞き覚えのある、可愛らしい声だ。しかし、誰かは分からない。どこで出会い、何をしたのかも。
「瑞穂、だよね。橘 瑞穂」
「……そうだけど、あなたは?」
「私は、瑠衣。仲河 瑠衣。――覚えてないよね。そうだよね」
目を伏せる瑠衣。分かる。知っている。けれど確証を得られない私はそんなことを口には出せなかった。
「私はね、瑞穂に会いに来たんだ。覚えてなくてもいい。ひとつ、お願いがあって」
「お願い……?」
話の展開が早すぎる。けれど私は、不思議と彼女の話を遮ることが出来ずにいた。普通に考えれば、とてつもなく怪しいのだ。それでも、彼女を信じている私がいた。
「……私と、戦車に乗って欲しい」
心音が跳ね上がる。体が熱くなっていく。しばらく感じていなかった感覚だ。
戦車。私が諦めた道に、彼女は引き込もうというのだ。
二年と半年ほど前。戦車道特待生としてここ――黒森峰女学園に入学した私は、当然ながら選択授業は戦車道を選ぶことになる。自意識過剰みたいで気持ち悪いが、私の砲手としての実力は十分なものがあったと思う。
それを証明するように、二軍の隊長車砲手に抜擢された私は、ぐんぐんと知名度を上げた。きっと三年生になる頃には、隊長車砲手として活躍しているのだろうと、疑いもしなかった。
しかし、ある時。私は長期にわたって体調を崩し、練習に参加できない日が続いた。その日を境にチームに私の居場所は無くなり、戻るに戻れなくなってしまったのだ。
チームのメンバーにきっと悪気はなかった。ただ、チームを構成する大事な時期に抜けてしまったために、私の入る場所が無くなってしまっただけだ。そう納得はしても、内心はかなり傷ついた。
そうして去った戦車の道。彼女はそれに引き戻そうというのだ。
「でも、もう戦車道チームは……」
「個人的な話よ。黒森峰の戦車道チームは関係ない」
「―― 一体、何が目的なの」
「戦車に乗りたい。それだけだよ」
まっすぐに私を見つめる赤い瞳。私はすっかり射抜かれていた。
きっと、着いていけばいいのだ。彼女のこの強い意思に。
「分かった。付き合うよ」
「……! やったぁっ! ありがとう! ありがとう!!」
胸元に抱きつかれる。私は苦笑いする他になかった。
「これで、よかったの?」
「いいんだよ、これで。だけどさ」
私に問いかける朝日。ここで、私はひとつの悪巧みをする。
「戦車って、二人じゃ動かせないんだよね」
「で、私も巻き込まれたと……」
「なんか、ごめん」
私たち仲良し三人組は、黒森峰女学園の片隅、忘れ去られたような森の中に来ていた。戦車道の演習場と真逆の場所なのは偶然ではなく、狙ったものだろう。
「いいんだよ、別に。瑞穂の頼みとあっちゃ断れないよ」
「ありがとね、ほんと……」
両手を合わせて拝んでおく。宗教とか信じてないけど。
そこに、近づいてくる振動と音。無限軌道がアスファルトを踏みしめる音が、衝撃となって体に微振動を伝える。そしてその発生源は森の影から姿を現す。
少しムラのある白に塗られたボディ。無骨なシルエットを描く車体に掲げられる砲は、75mmの長砲身タイプ。
ドイツにおいて機甲師団の主力を務めたワークホース、Ⅳ号戦車。そのG初期型――F2型とも呼ばれるそれだろう。
「お待たせ。そこの方は初めましてかな」
「あっ、近江すみれです。よろしくお願いします」
「仲河瑠衣だよ、よろしく。今日からこの4人でチームだね」
すみれが少し不審がるような顔をしたのが窺えた。それもその筈だ。今日初めて会った見ず知らずの人物と突如チームを組むだなんて、疑わない方が不味い。そんな天敵を警戒する小動物のような目でこちらを見るから、私はその若草色のポニーテールを撫でるしかなかった。
「編成はどうする? 私は砲手がいいんだけど」
「私は車長しかやったことないからなー……2人はどこがいい?」
「えっ……私不器用だから、簡単なところがいいかな」
今回の編成は4人のため、通信手は簡易無線機を用いて車長が兼任する形になるだろう。となると、最もシンプルなのは装填手だと考えられる。
「装填手がいいんじゃない? 朝日は操縦手がいいだろうし」
「そうだね。運転は何でもスキだよ」
案外サラっと決まってまずは安堵。配置が決まったら、とりあえず動かしてみることになる。各々ハッチから身を滑り込ませる。
「結構綺麗にしてるね。どこから持ってきたのこれ」
「借り物だよ。元は学園からの払い下げだってさ」
車内はそこそこ綺麗に保たれており、サビなども殆ど見受けられない。ゴムやビニール系の部品に破れ等もなく、売り払えばかなりの額で売れる程度のいい状態だ。
「とりあえず動かしてみよっか。砲塔旋回、3時の方向」
「えっと……こうかな?」
砲塔旋回用のレバーを引くと、モーターによってゆっくりと砲塔が右に回る。右に90度ほど回ったところで停止した。
「装填、模擬徹甲弾」
「模擬徹甲弾……これだ」
貫徹力を下げる目的で柔らかい素材の用いられた徹甲弾。撃破判定システム用のセンサー等も搭載していない連盟非公認の汎用品だ。練習の時はこれを使用する学校が多い。
すみれはマニュアルに書かれている通り、砲弾を握りこぶしで押し込む。素早く手を引くと、閉鎖機が閉まり砲撃の準備が完了する。
「微速前進」
「ほい」
回転数が上がる。クラッチをミートさせ、軽い衝撃と共にⅣ号は対の無限軌道で地面を踏みしめ前進し始める。
「射撃用意」
何をするか一瞬で分かった。瑠衣は、初っ端から行進間射撃を行うつもりだ。車両は速度を上げ、森林の中をゆっくりと進む。車内に緊迫感が満ちる。弓道で矢を射る前と同じ、全身が凍るような緊張感。
しばし、沈黙。
「撃て!」
私の覗く照準器に的が映るのと同時に、私は砲弾を放った。75mmの凶弾は寸分の狂いもなく的へと吸い込まれていき、木っ端微塵に砕いて森の中に消えた。
余韻にビリビリと震える車内。私の手にもその名残が残る。
「うん、いい感じ。これなら心配無いね」
私も同意見だ。初めて乗って動かしてこれだけスムーズに事が運ぶなら、恐らく習熟に時間はかからない。チームの半数が経験者であることもそうだろうが、2人の対応力の高さはさすが成績優秀者といった感じ。
「ふぅ……今から勉強することが、沢山ありますね」
「私は何とかなりそう。しばらく乗ってれば不自由なく動かせるようになるよ」
「じゃあ、もう少し転がしてみよっか。戦車前進っ」
朝日がクラッチを繋ぎ、Ⅳ号は再び動き始める。先ほどよりも速いスピードで、森の中を走り抜ける。途中、瑠衣が肩を軽く蹴ることの意味も察したらしく、操縦は少しずつスムーズになってきた。
「装填、模擬徹甲弾」
「よいっ……しょ」
先ほどと同じ手順ですみれが模擬徹甲弾を装填する。閉鎖機が閉じて射撃準備が完了する。
「目標、9時の方向」
その指示を受けて、私は砲塔を180度旋回させる。電動式の砲塔旋回装置は、手回しに比べてはるかに楽である代わりに、入力を終えたあとも惰性で回ってしまうデメリットを持つ。それを考慮して、少し手前で旋回を止めた。そして微調整を手動旋回用のハンドルで行う。
「停車、射撃用意」
再び緊張感が走る。普通に喋っているときは天真爛漫でキュートな印象を受ける瑠衣の声だが、戦車に乗ると一変、鋼のように強く冷たい声になる。それが、私の緊張の弦をキツく張る。
車体の揺動が収まり、安定した。手動にて若干の修正を行う。
沈黙ののち。
「撃て!」
轟音。空薬莢が排出されて車内のカゴに落とされる。照準器を通して見る砲弾の軌跡は、若干のぶれを孕みながらも見事に的へと収束していく。
粉微塵に砕かれたターゲットは割れて地面に落下する。それを確認して瑠衣が指示を続ける。
「全速前進、模擬徹甲弾装填」
車両が動き出す。模擬徹甲弾が装填され、閉鎖機が閉まる。
「停車、射撃用意」
躍進射撃だ。同じ方向に設けられた的が視界に収まる。微調整を行い、照準を収束させる。
「撃て!」
三度、砲撃を行う。今度は的を掠めるに留まり、撃破とはならず。
「旋回しつつ後退、模擬徹甲弾装填!」
朝日がリバースギヤに叩き込み、クラッチをつないだことでⅣ号は後退を始める。レバーを非対称に操作し、旋回しつつ後退していく。その間に模擬徹甲弾が装填され、砲撃準備が整う。
「目標、照準できてる?」
「バッチリ。いつでも行けるよ」
「了解。停車後、揺動が収まり次第発砲」
車両が停車され、ぐらりと揺れた後にその揺れも収まる。微調整を終え、私はさらに引き金を引いた。
今度こそ、的は撃ち抜かれる。
「……ふぅ」
「お見事! さすが瑞穂、『昔と変わってない』よ!」
「……昔?」
「――覚えてないんだっけか。何でもないよ」
昔の話。私は覚えていないけれど、彼女とは恐らく戦友だったのだ。どこの戦車道チームで、いつ一緒になったのか……
すっかり日が暮れて、私たちは練習を終えた。初日にしては出来過ぎなほど――いや、事実出来過ぎだ。
「一緒に帰ろうよ。まだお互いに何も知らないし」
「そうだね。息はピッタリだったけど、お互いがどういう人か分かってないもんね」
夕景の町並みを歩く。黒森峰学園艦は非常に大型のものだが、その半分は森林や田畑などの自然が割り振られている。というのも、戦車道との強い結びつきの元生まれた学校であるために、その演習用地として広大な平野が必要とされたためだ。
ただ荒野を作るだけより、作物の栽培などにも使えるよう田畑とし、主にイモ類を栽培している。その為に街は学園艦中心部に集中している。
「でもこんなにちょうどいい森林、よく見つけたね」
「ずっと考えてたんだ、こうやって誰かと一緒に戦車に乗りたいって」
「なら、どうして戦車道チームに入らないの?」
朝日が投げたシンプルな疑問。私もそれは気になるが、同時に結構デリケートな話題であるように思い、ずっと避けていたのだ。その辺ずけずけと踏み込んでいけるのは、彼女の良さであり悪さ。どちらに振れるか、ヒヤヒヤしながら二の句を待つ。
「そんなの簡単。この学校にいなかったからよ」
「じゃあ、その前はどこにいたの?」
「いや、正確には黒森峰にはいた。学校には、いなかったけど」
「……? よく分かんないけど、居なかったなら入れないね」
朝日は追求をやめた。このへんの踏ん切りの良さが、彼女の間合いの取り方の特徴かもしれない。よく言うところの、心地よい距離感というやつだ。
「あっ、そうだ。好きな食べ物とかある?」
「アイスクリームっ!」
「即答だね。そんなに好きなんだ」
「うんうん。特にチョコミントは外せないよ」
「じゃあ、今から食べに行こっか。ちょっと歩くけどいい?」
「大丈夫だよ。うはー...すっごい楽しみ!」
瑠衣の魅力。天真爛漫な少女らしさと、戦車に乗った時の強く逞しい立ち振る舞い。そのギャップは彼女の少女らしさを強調し、常日頃の可愛らしさとして出力される。今の彼女は、私の知る限り最も純真無垢な少女そのものだ。
「あっ、そうだ。連絡先交換しよーよ」
「うん、いいよー。えっと携帯携帯……あった」
お互いに電話番号とメールアドレス、そしてSNSのIDを登録する。『るい』と平仮名表記のアカウントがヘッダーに設定しているのは、幼い少女と戦車が一緒に映った写真。
「これ、瑠衣ちゃん?」
「そうだよー。いつごろかな? 小学生くらい、かな?」
真っ白な髪に真っ赤な瞳。小さな背丈と柔らかな曲線を描く体が、どこかうさぎを思わせる。その姿に私は強い既視感を覚えていた。小学生の時に、彼女と同じチームにいたのだろうか? だけどこんな特徴的な少女を忘れるわけがない。
「かわいーっ。うさぎさんみたいだね」
「よくそうやってからかわれたよ。嫌な気分はしなかったけどね」
「やっぱ誰が見てもそう思うんだ。私もそう思ってた」
歩きながら話していると、目的地はすぐだ。注文して会計を済ませ、二階の席につく。
「アイス……久しぶりのアイス……背徳っ」
「好きなのにあんまり食べないんだ」
「セーブしないと……ね、ほら、大変なことに」
何を意味しているかはすぐに分かる。私は幸いそのへんの感度が低いからいいが、瑠衣の細身はこうした弛まぬ努力の結晶なのだと思うと、シンプルに羨むのも違う気がした。
「まぁ、今日くらいいいでしょ。いただきまーす」
私は丸いチョコミントのアイスを口に運ぶ瑠衣を自然と眺めていた。どこかで見た少女。だけど私はそれを覚えていない。申し訳なく思うけど、思ったところで思い出すことはできない。
「そういえば、どうして今私たちを誘ったの? 全国大会も終わっちゃったよ?」
「それがね……ここだけの話なんだけど、『ある試合』が開かれるらしいんだ……ほら、これ」
開いて見せたのはあるホームページ。そこには『第4回 UWリーグ』という表題に続いて、参加校がつらつらと並べられている。それらはどれも見たことのある名前で、黒森峰の名前を連なっていた。
「UWリーグ。全国大会への布石として、戦車同連盟非公認で行われる、[[rb:一対一 > サシ]]の試合だよ」
「へぇ、初めて聞いた。それに出ようってこと?」
「そう。今の状況からして、いい勝負くらいは出来る。……どうかな?」
誘って、練習までした後に打ち明けることに申し訳なさを感じている様子で、私たち三人は思わず顔を見合わせた。そしてクスリと笑いが漏れ、収まってから頷きを交わす。
「いいに決まってる。それに、目標があったほうが物事にはアツくなれるでしょ」
「いいの? ホント?」
そうやって何度も尋ねてくるのが小動物のようで可愛らしい。私は思わず頭を撫でていた。
「いいよ。一緒にやろうよ」
「……ありがとうっ!」
瑠衣が私に抱きつく。少し照れるけど、彼女の最大限の表現だというのは理解できた。
さて、目標は定まった。戦車に乗る覚悟も決まった。あとは、練習あるのみ。
止まっていた私の戦車道が、再び動き出す――――
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始動
UWリーグ。『Under World』の略称であり、戦車道連盟の認可を受けていない非公式試合だ。その存在意義は全国大会に向けた練習試合。フラッグ戦には制限時間が存在し、制限時間が経過してしまった時に行われる一対一の一騎打ちに向けた練習として毎年秋と春に行われる。
――って、ネットに書いてあった。
「……ふぅ」
これを探し出すのにも相当苦労した。かなり秘匿して行われている、闇リーグに近いもののようだ。しかしこれに参加する学校は大御所ばかりで、違法性は無いらしい。
にしても、こんなものを知っているだなんて彼女は何者なんだろうか。それが気になって仕方ない。彼女の名前をインターネットに打ち込んでみるが、それらしい結果はヒットしなかった。
「でも、間違いなく戦車道経験者なんだ。ならどこかに痕跡がある」
調べていく。心当たりのあるワードをどんどんぶつけていく。しかし、結果は芳しくない。
「……気にしない方が、いいのかな」
とりあえず、当面は彼女を信じよう。勿論どこかで聞き出さないといけない。だけどそれは、もっと親しくなってからでいい。
ブルーライトを注視しすぎたせいか、妙に目が冴えてしまっている。そこでふと目にとまったタンスの一段を開けてみる。昔、戦車道に全力投球していた頃に使っていた道具たちがしまわれている場所だ。
「懐かしいな。これなんて、まだ使えそう」
薄手の革製のグローブだ。指に伝わる感覚がしっかりわかるように可能な限り薄く、それでいて強く設計されているスグレモノ。
指を通してみた。高校に入った時に買ったものだからまだまだピッタリで、使い込まれていないから指を動かすたびにぎしぎしと音が立つ。
「……昔のこと、ねぇ」
ベッドに身を投げる。私は昔、何をしていただろうか。そうやって考え事をしていたら、自然と視界はとろけていく。
「もう、明日なんだねー」
「大丈夫、やれることはやったでしょ?」
「うん。怖いものなんてない」
「結束も強まったしね。きっと勝てるよ!」
早いもので、もうUWリーグはすぐそこまで来ていた。そもそも準備期間が殆どなく、これでも可能な限り時間を取ってきたつもりだ。勝利よりも楽しむことを目標に掲げ、それでいて勝ちを諦めずに努力した。
そんな大会前夜、『白うさぎチーム』は私の部屋に集まっていた。ただの宴会ではなく、ちゃんとした意味のあるパーティだ。
「さて、やること済ませちゃおうか」
言って瑠衣が取り出したのは白い服。それは厚手の耐火服で、業界ではパンツァージャケットと言われるユニフォームだ。採寸して注文していたものが届いたため、ここでお披露目となった。
「じゃーんっ、こんな感じです!」
「おぉ〜、いいねぇカッコイイ!」
簡単に言うならば、黒森峰のそれに近いものだ。黒の部分がまるっきり白になっているが、それ以外はほぼそのまま。スタイリッシュでなかなかにカッコイイ。私も好きな感じだ。
「何かモチーフとかあるの?」
「一応黒森峰の名で出る以上は黒森峰っぽさは必要だし、白うさぎだし?」
「なるほどね。まぁいい感じだと思う」
袖を通してみる。この硬い生地の感じは久しぶりだ。私は一度黒森峰のパンツァージャケットに袖を通しているため、それとほぼ同じというのが正直な感想だ。
「でも、本当に黒森峰の名前で出て良かったのかな?」
「いいんじゃない? 別に嘘は言ってないでしょ」
「それに、大々的に文句が言えるような試合じゃないから。気にしなくていいと思う」
「それもそうだね。せっかくこんなに盛り上がってるんだし、このテンションでいこうよ!」
みんなで手を重ねた。目配せをして、瑠衣に目線が集中する。
「えーっと……その……が、頑張ろうっ!」
「「「おーっ!!」」」
UWリーグは目前に迫る。幕が切って落とされようとしている。
黒森峰女学園の学園艦。その艦橋に設けられた一室で、物思いにふけっていると、ふいにドアがノックされる。
「入れ」
「失礼します」
「エリカか。どうした」
「これを」
エリカが差し出すタブレット。それに目を通して私は眉をひそめた。
「黒森峰が、もう1チーム」
「チームのメンバーに聞いても誰も知りませんでした。部外の者の可能性があります」
「そうだとしたら許されないが……いずれにせよ、今は分からないんだろう」
「はい、申し訳ありません……」
エリカはこうべを垂れるが、エリカに非はない。それに、黒森峰を騙る部外者なら大問題となるが、黒森峰の者なら特に追求するものでもないだろう。何せ今度の試合は『なかったことにされる試合』なのだから。
「とはいえ、気になるな。組み合わせ表はもう出ているのか?」
「はい、こちらに」
そこに表示されているトーナメント表では、黒森峰女学園は聖グロリアーナと当たることになっている。が、こちらは私たちだ。もう一つのチームが問題の。
「グレゴール高校……か」
「あの程度の高校に負けていては黒森峰の恥です。見定める必要があると考えますが」
「いや、その必要はない。それに――
――グレゴールには、面白い人物がいたはずだ」
無音。それは静寂よりも静かな音。
色に例えるならば、静寂は白。無音は透明。白は一見何もないように見えるが、透明はそこに何もない。よく水なんかを『澄んでいる』と表現することがあるが、それは透けて見えるその先の色を見ているだけで、透明という色の本質ではない。
私の世界に静寂は無い。代わりに果てしない無音がある。
ふと肩を叩かれた。振り返ると、身長の低い新緑色のボブヘアが特徴的な少女。彼女――スメタナは、私に向けてジェスチャーをする。所謂、手話というやつだ。
私は聴覚に障がいを抱えている。生まれつき耳がほぼ聞こえず、今でこそ補聴器によって微かな音として認識できるが、補聴器を外してしまえばたちまち私の耳には果てしない無音が広がる。
彼女は私にとって大切な存在だ。生きていく上で必要な人物であると言い換えることもできるだろう。
『おはよう、グラーシュさん。いい天気ね』
『おはよう、スメタナ。本当に、今日もいい天気』
手で言葉を交わす。耳が聞こえないから、私が何と発音したのかも分からない。それでは喋ることはままならないため、端から手話で話すようにしている。いざという時のために、筆談の用意もしている。
『そういえば、今度の試合ですけど……』
『大丈夫、準備は出来ているわ』
車庫の中では、ある車両が整備を受けていた。シュコダ製の中戦車としては限りなく完成形に近く、『ティーガーショック』以前の車両であればまともに相手をすることができる、数少ない車両。
チェコ・スロバキアの車両を扱うグレゴール高校にとって、このSkoda T-23Mは魅力的な車両だった。どちらかといえば、トゥラーンⅠと言ったほうが伝わりやすいのかもしれないが。
ハンガリーの車両、トゥラーンのベースとなったT-21の更に発展系。プラガ社とシュコダ社が手を組み作り上げたこの車両から、更にシュコダ社が自社製の新技術を盛り込んだのがこの車両であり、高い完成度を誇った。しかしながら時代的な不運から量産されることはなかった悲運の戦車でもある。
『スメタナこそ大丈夫? 今回のキーマンになるけれど』
『大丈夫です。いっぱい練習しましたから』
『そう。なら良かったわ』
スメタナは健気な後輩だが、同時に無理をしすぎるきらいがある。今回は必要に駆られて通信手として誘ったわけだが、耳が不自由な私が車長を務める以上、彼女には無理をさせるだろう。
それでも彼女は笑ってくれるから、私も堂々としていようと思う。来るUWリーグに向けて、更に戦術を練らないと。
『グラーシュさんの未来予知があれば、どんな相手も怖くないですよ!』
ふんふん、と鼻を鳴らしてスメタナが伝えてくる。まぁ、鼻息が鳴ってるのを聞いたことは無いけれど。
『えぇ、スメタナがいれば、きっと大丈夫よ』
私は耳が聞こえなくても対等以上に戦える自信がある。例え相手があの黒森峰でも。
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開戦
「ついに来たねー」
「もうちょっと練習したかったけどなぁ」
「まぁまぁ、気楽に行こうよ」
キャタピラが踏みしめるアスファルト。夏の残り香が仄かにただよう小さな山あいの街に、密かに群がる戦闘車両と、それを駆る乙女。開会式を前に町役場へ集まった参加者たちの車両が駐車場に少しずつ集まってきた。
「見覚えのある車両もいくらかいるね。有名校のやつだよ多分」
「あれはプラウダかな。聖グロのチャーチルもあるね」
「豆戦車だ……あれでどう戦うんだろ」
手頃なスペースを見つけて、朝日がⅣ号をすべり込ませる。完全に停車したことを確認してから、ハッチから駐車場へと飛び降りた。ごつりとしたブーツが大地に触れる音とともに、安定感のある地面にどっしりと足をついた。
「んーっ……空気が気持ちいいね」
「いつもは海上だからね。澄み方もちょっと違う」
「ワクワクしてきたっ! これから今までよりももっともっと楽しい試合が出来るんだよね!」
「そうだね。私もウズウズしてきた」
お祭りムードを含む公式大会とは違い、ひっそりと行われる非公式大会はどこかアンダーグラウンドな雰囲気を纏う。それ故か、参加者も普段とは違うオーラを纏っているように感じる。
その時、私の肩を叩くだれかの指。振り返ると、そこには険しい表情の少女。
「……西住さん」
「橘さん、だったか。久しいな。初めてチームを組んだとき以来か」
「その節は、どうも」
「キミも出ているとはな。それを否定するつもりはないから安心してくれ」
あからさまに身構えた私たちをなだめる様に言う。このあたり、反感を買うことに慣れているのだろう。恐らく彼女の妹である西住みほが全責任を負わされて学校を去った時にも、彼女は想像を絶する非難を受けたはずだ。
彼女の後ろに構える銀髪の少女は確か、逸見エリカ。黒森峰で、西住みほの後釜を任された2年生だと記憶している。何せこの学校で戦車道をしていたのは最初の数ヶ月だけだったから、記憶が浅いのも致し方ない。
「私たちは貴女がたの参戦を否定しないわ。けれど、これは忘れないで欲しい」
後輩とは思えないほどに、高圧的な言葉。彼女の険しい表情が、その言葉にずしりと重みを乗せる。
「黒森峰は、勝って当然の強豪チーム。泥を塗るようなマネはしないこと。それさえ守って貰えれば、あとは好きにやってくれればいい」
「お優しいんですね、副隊長殿」
「……貴女は、見たことない顔ね。名前は」
茶化した瑠衣を一瞥して、睨みつけるような顔をした。それに対し、瑠衣は笑顔のまま返す。
「黒森峰女学園3年、仲河瑠衣です。以後お見知りおきを」
「……そう、聞いたことない名前ね。覚えておくわ」
「いい戦いを期待している。お互いに頑張ろう」
「はい。いつか戦えると嬉しいですね」
「ふっ。そうだな……行こう、エリカ」
2人は踵を返して歩き始める。それをじっと見送った。
「……全く、黒森峰は血の気が多くて嫌ね」
「まぁ正直、もっときついことを言われるかと思ってたからまだマシって感じかな」
黒森峰の許可なく名前を使ってエントリーすることは、認められないことだとはちゃんと分かっている。しかし、それを咎めることもまた出来ないと分かっていた。
「さ、そろそろ開会式だよ。行こっ」
うつろうつろの開会式を終え、私たちは戦車へ戻ってきた。隣には先程までなかった戦車。角ばった無骨な装甲、長砲身と大型のシュルツェン、そしてあずき色のボディと大きく描かれたあんこうのマーク。
「……これ、大洗の車両じゃない?」
「おぉ、ホントだ。かっこいい……」
「私たちも欲しかったね、シュルツェン」
大洗のⅣ号戦車H型は、D型からの改装で生まれたニコイチ車両。対する私たちのⅣ号戦車F2型はF型の改造品で、正真正銘の進化版。しかしながらH型の方がより進んだ装備を取り入れており、総合的な性能では劣っていると思われる。
「まぁ、ともあれ。トーナメントの確認しよっか」
ムラのある白い装甲板の上にA4サイズの紙を広げる。そのトーナメント表では、初戦の相手はグレゴール高校となっていた。
「グレゴール高校……って、どんなところ?」
「チェコスロバキア製の戦車を使う、チェコ系の学校だよ。隊長は全国大会直後に代わって、今はグラーシュっていう名手だよ」
「あっ、グラーシュさんは聞いたことある。耳が聞こえないんだよね、確か」
グレゴールのグラーシュは、全国大会までは副隊長兼参謀的な立場を担っていた。彼女の戦いは、島田流を彷彿とさせる先読み戦法。まるで未来予知のように展開する。
そんな彼女の最大の特徴は、ろう障害を抱えている点だろう。耳が聞こえないという大きなハンデを背負いながら隊長に任命されるその手腕は評価が高い。聞こえないということは喋れないということでもあり、どうやって部隊の指揮を執るのかは楽しみでもある。
「チェコスロバキアっていうと……38(t)とかかな」
「分かんないけど、中戦車クラスの車両にはなるんじゃないの? 少なくともこの試合は」
「だね。私もそう思う」
チェコスロバキアは、シュコダやCKD、プラガなどの軍需産業を支える自動車メーカーを多く擁する工業国だ。故に戦車や航空機等には自国生産のものも多かったが、ドイツに併合された影響からその生産も長くは続かなかった。
記憶をたどるが、チェコの車両に中戦車が存在したかどうかがまず怪しい。計画こそあったものの生産されなかった車両は数多く存在するが、実際に作られた車両は少なく、モックアップですら完成していないものが殆どだ。
「何にしても、そんなに戦闘力の高い車両はいなかったはず」
「じゃあ、今回は押せ押せで行く感じかな?」
「そうだね。多少大胆に動いてもいいんじゃないかな」
瑠衣は地図を広げる。今回のフィールドとなる山間の小さな街は、山脈の中程に位置する盆地だ。山岳と雑木林が主な地形となっており、流れが速く深い川が中央を貫く。それに沿うように国道が貫いており、その周辺には見通しのいい田畑が続く。取り巻く山々の麓には農村が広がり、美しい棚田が広がっている。
「性能差を生かして圧倒するなら市街地で戦うべきだけど……相手からすれば、劣っていると分かっているなら真っ向から勝負することはしないから」
逡巡の後、瑠衣はマグネットを地図に置いた。
「……相手はここで、待ち伏せをかけると思う」
国道から一本外れた川沿いの細道。その中程にある竹林だ。撤退も攻撃もしやすいこのポイントは、確かに待ち伏せに非常に適している。
「確かにスタート地点から距離もないし、いいポジションだね」
「それを踏まえて、私達はこの川沿いの道を進もう」
「正面から戦闘できればラッキーってこと?」
「うん。IV号の装甲もそんなにヤワじゃないし」
75mm砲の火力は強烈だ。正面から戦うことが出来れば、押し負けることは無いだろう。
「それでいこう。うーっ、楽しくなってきた!」
「ドキドキするね。いよいよ、って感じ」
元気よく両手をあげた瑠衣。その姿に、笑いがこぼれた。
試合は二試合目。その時まで、ゆっくり英気を養おう。
日が昇り、時刻は正午前。一試合目が終了し、私達はスタート地点へとやって来た。
「準備はどう?」
「計器類、正常値。原動機の調子は至って良好。駆動系、履帯にも損傷は無し。操縦手、行けるよ」
「徹甲弾、榴弾共に40発。空包3発の計83発、予定通りに搭載しました。閉塞機の動作も正常。装填手、大丈夫です」
「砲の稼動に問題なし。照準器の微調整にも狂いはないよ」
「……こちら黒森峰女学園。準備が整いました」
咽頭マイクを手で抑え、運営に報告を上げる。その直後、打ち上げられる信号弾が、開戦の合図だ。
「じゃあ、行こう。
合図とともに走り出す。私たちの、ひと夏の思い出が。
また新しい二次創作です。ちょっとガルパンらしくない話になる予定です。戦闘は今まで通りの熱意で書きますので、応援よろしくお願いします。
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拮抗
新しいPCを用意したので執筆を再開していきたいと思います。今回はチェコ・スロバキアの車両を用いるグレゴール高校と、瑠衣率いる黒森峰の試合です。
燦々と照りつける太陽。アスファルトが陽炎に揺らめく正午の川沿いを、白塗りの戦車が駆ける。
「このまま警戒しつつ前進して、予定地点に向かうよ」
「相手は予想通りに動くかな?」
「それは神のみぞ知る、かな」
グレゴール高校の車両は未だ不明。無計画に前進することにはリスクがあるが、ある程度予測がつくなら大胆に進軍することも悪手ではない。
瑠衣は時々車内通信用のヘッドセットを外し、周囲の状況を観察している。この騒音の中で周囲の音を聴くという行為にどれほどの意味があるかは定かではないが、やらないよりはいいだろう。
「きれいな街だねー……戦闘中じゃなければ、ぶらぶら散歩しても気持ちいいだろうなぁ」
「何呑気なこと言ってるの……」
こんな時でも瑠衣はマイペース。しかし、小動物のように背伸びをし、周囲を警戒する行動は怠っていない。
「……予定変更。そこの橋を渡って、対岸の国道に出るよ」
突如、瑠衣が予定変更を告げる。朝日はそれに従い、車幅いっぱい程度の石橋に進路を変更した。
「いきなりどうしたの? なにか見えた?」
「いや、聴こえた……相手は私たちの裏をかいてる」
「聴こえるって、相手の車両の音が?」
「うん。明確な音というより、IV号のメカノイズに混ざる微妙に波長の違う音を感じたんだ」
それは感覚。勘にも近いものだろう。少なくとも私には分からなかったが、車長である彼女がそう思ったのならそうなのだろう。
IV号は進路を変える。橋を渡り国道へと進出し、より積極的に会敵を狙う挙動へ。
地面を揺らす走行音だけが響く山中。まだ見ぬ敵車両を探してひたすらに進む。
『…あれ』
『どうかしましたか?』
首を傾げるグラーシュ。何か違和感を感じている様子だ。
『敵の動きが変わった。こっちの動きがバレたかな』
『それは無いのでは? まだ見られてすらいませんし』
『でも事実進路は変わった。きちんと感じてる』
音とは所詮、空気を震わす衝撃が鼓膜へと伝わったもの。耳が効かなくとも感じ取ることは出来る。
そうグラーシュは私に語った。その感覚は健常者である私には理解できないが、理屈の上では確かにそうだ。しかし、耳で聴くよりも遥かに微妙な変化であることもまた事実だろう。
グラーシュが私に手話を送る。それは作戦用に簡素化されたもので、一つの挙動で大まかなプランが伝わるように私たち部隊の間で共通化されているものだ。
読み取れば、進路を変更するとの事。相手の更に裏をとる動きで、こちらの位置を予想したのか、あるいはこちらに反応したのかを見極めるつもりだろう。
「方位マルヨンに転進。速度上げ」
「了解」
「……おかしいな」
「どうかしたの?」
「相手の動きが変わった。見られたかな…」
「かもしれないねー。進路、変える?」
瑠衣は逡巡した。相手がもしもこちらの動きを察知して転進したのなら、このまま進むことはリスクがある。こちらもそれに合わせたプランを練る必要があるだろう。
「そうだね。もう一つ山側の道を東へ登るルートに転進で。速度も上げよう」
「了解。接敵を狙うんだね?」
「敵がこちらの位置を察知しているなら、いい位置を取られないようにマークし続けないと」
IV号も転進し、スタート地点方面へ道を変えて引き返すルートに。田の中を突っ切るリスキーなルートだが、瑠衣は相手の動きを察知しているようなのでその心配もないだろう。
「にしても、この距離でもし察知されたなら……相手も相当に鼻のキク車長だね」
「瑠衣も相当だよ。地獄耳だね」
「私の一番の特長だからね。活かさないと」
瑠衣は頭の上でうさぎの耳のようなジェスチャーをしてみせた。どうやら瑠衣は、途方もないレベルで耳が良い様子。いや、良いなんて次元ではない。はっきり言って、異常なレベルだ。
ともあれ、それが活かせるのなら強みになる。私はその聴覚を信じて照準器を覗き続けることが役目なのだから、多くを語ることはよそう。
役場に設置された何台かのライブビューモニター。それを眺める2人の少女。強者の貫禄漂う、黒森峰の隊長、副隊長だ。
「不思議な動きですね。まるで見えてるみたいな」
「とても第六感的な動きだな。相手の挙動を見切っているようにも見える」
濃いめのブラックコーヒーに口をつけ、心を落ち着ける。そしてその動きの不可解さに自分なりの考えをまとめた。
「グレゴールのグラーシュが、振動を感じることで先を読む動きをするのは下調べで知っていた。だが、仲河のあの動きはどうも見当がつかない……」
「身体的特徴でしょうか。 ただ耳が良いとか、そういう話で納得できるレベルじゃないです」
グラーシュですら、聴覚とのトレードオフにて振動を感じる特殊な感覚を手に入れている。それを健常者の仲河が得るには、途方もない努力が必要なはずだ。
「だが、何かに基づいた動きだ。そしてそれは、グラーシュと同じ第六感の類……彼女の経歴を調べるように伝えてくれ」
「は。直ちに」
立ち去るエリカ。その背中を見送り、再びモニターに目を移す。
「……仲河瑠衣。なかなかに面白い」
何度目の進路変更だろうか。未だに会敵はなく、そろそろ瑠衣の指示にも疑いを持ち始めた。
「ねぇ、本当に聞こえてるの?」
「聞こえてる。だけど、相手にもバレてる」
「相手も、こっちの位置を何らかの方法で察知してるってこと?」
「そう。だからお互いに尻尾を追い続けて堂々巡りしてるんだよ」
相手からすれば、性能で優るこちらの目の前に出るのは避けねばならない。必然的に回り込む挙動になるが、私達はそれを追っているため追いつかないのだ。
「予定を変えよう。今来た道を戻るよ」
迂回するであろうポイントを抑え、接敵を狙う。こちらの視界に捉えることが出来ればかなりの優位が取れるはずだ。
「にしても、相手はどうやって察知してるんだろ」
「耳……じゃ、ないもんね。だったらなんだろ」
「多分、振動ですね。聴覚障害を持っている方は振動に敏感だと言いますし」
「にしても、激しく揺れる戦車に乗って、よく分かるね」
エンジンや履帯が発する振動に影響され、周囲の音や振動はほぼ感じられない。それなのに、遥か遠くの音を振動で察知出来るなんて……
「考えづらい、けど、それしか考えられない」
そうでなければ、何かしらの反則技を使っているとしか考えられない。その可能性を捨てるとしたら、振動を感じているとしか考えられない。
「信じ難いけど、今はその線でいこう。進路変わらず」
敵の頭を抑える動き。膠着した試合が動き出そうとしている。
山の麓に点在する小さな集落。放棄された棚田で伸び放題になっている草の中に、T-23Mの姿が。
『ここで待ち伏せよう。狙撃でケリが付けば1番だ』
『上手くいくといいんですが…』
青々と茂る草をなぎ倒して砲を突き出した時、グラーシュは声を上げた。
「……後退!」
声を出し慣れていない彼女だが、その声音からは明らかな狼狽が感じられた。続いて車両を揺らす至近弾の衝撃。
『裏をかかれた! ……ただ、これは好機』
正面から見つめ合う展開は望むものではないが、狙撃でケリをつけられなければ接近戦しかないと覚悟はしていた。
ジェスチャーを送る。それは簡潔に『前進』を示すものだ。
T-23Mが速度を上げる。斜面を一気に降り、白塗りのIV号の懐へ。
「うわ、こっち来た!」
「ギリギリまで引き付けて! 相手の砲じゃIV号を抜くのは難しい!」
位置エネルギーを味方につけて、80km/hに迫ろうかという速度で吶喊を仕掛ける敵車両に対し、こちらは車両的優位を活かす。それは砲火力と装甲厚。
相手の砲口が紅蓮に染まる瞬間、IV号は後退した。砲弾を正面装甲で受け止め、そのまま360度回頭して背面を取る。
「貰った! 撃て!!」
私の照準は的確に敵車両を捉えていたが、僅かな車両の揺動で砲弾は空を貫いた。こちらのミスを確認して、敵車両はドリフト気味の信地旋回で向き直る。
「相手の車両はT-21系列の何か……」
「何れにせよ性能的には優ってる。ここは勝負じゃないかな」
「いや、ここは撤退戦だよ。もう一度すれ違ったらそのまま全速で離脱」
「えっ、この好機を!?」
私には理解しがたい指示だ。それに従い朝日はⅣ号を加速させる。すれ違いざまの一撃は砲塔側面を掠め、二両の距離は離れる。
「どうして、このままなら優位を活かせるのに」
「近距離での戦闘は格上相手に有効な戦術。性能的に優っているなら尚更距離を取って確実に攻撃を繰り返すべきだよ」
言われて我に返る。このマッチングで、近距離戦を望んでいるのはむしろグレゴール側のはずだ。それが頭から抜けていたのは、完全に攻め急いだ結果であると言えた。
「……了解。なら私はどうしたらいい?」
「いい具合に距離を離せたから、遮蔽を取って丁寧に狙撃していこう。距離が詰まったら再度突き放す。その繰り返しで確実に仕留めるよ」
瑠衣の能天気な性格とは打って変わって、着実かつ確実な戦術だ。棚田の石垣に車両を隠すと、被弾経始を考慮した斜め40度ほどの角度で車両を敵の視界に晒した。相手も木製の民家に車両を隠して応戦する。狙撃戦に持ち込めれば、優位に立てるのは7.5cmの巨砲を奢られたこちら側だ。
砲弾が飛び交う。お互いに至近弾を浴びせるものの決定打は与えられず、戦局は再び膠着状態へ。
『……このままじゃやられる』
グラーシュが私に手話を送る。彼女の焦りは、頬を伝う冷や汗で十分に伝わっていた。しかし、ここで攻め急ぐことは敗北へと直結する悪手だということもまた、はっきりと分かっていた。
気づけば私は、彼女の手を強く握っていた。
『こちらが動かない限り戦局は動きません。ゆっくり考えましょう』
彼女は目を丸くし、大きく深呼吸した後にいつもの冷静沈着な表情を取り戻した。
『……ごめん。焦ってたね』
汗を拭い、キューポラから顔を覗かせた。砂埃と硝煙で煙るあぜ道の向こう、僅かに見えるくすんだ白のⅣ号戦車。その姿を見つめながら彼我の差を見極める。
『――前進だ。全速で』
『了解です』
グラーシュが下した決断は、突撃であった。私には立案の素養はないが、彼女の下した決断であれば全てが正しいと思えるようになっていた。それは限りなく崇拝に近い信頼だった。
速度をあげるT-23M。Ⅳ号の放つ凶弾が掠めるものの、決定打とはならず。ついに二両が肉薄する。
接触するほどに至近。一瞬の判断が全てを決めた。
グラーシュが発砲を指示する直前、瑠衣は朝日の肩を蹴った。前進するⅣ号を捉えることができず、T-23Mの砲弾は装甲板を掠めて遥か彼方へ。
Ⅳ号は火花を散らしてアクセルターン。その砲口がT-23Mを捉えた。
上がる白旗。黒森峰女学園のダークホースたちの初陣は勝利で飾られた。
「勝った……?」
「勝ったよ、勝ったんだ」
煙る車上で呆然とする瑠衣に微笑みかけ、手を差し出す。瑠衣はその手を取って強く握ると、ぽろりと涙をこぼした。ひとつぶ、ふたつぶとその勢いを増し、ぐしゃぐしゃに崩れた顔で私に抱きついた。
「瑠衣……?」
「やったよ……私たち、勝ったんだ……!」
喜びをかみしめる彼女に、私は優しく髪を撫でることで精一杯だった。
「お疲れ様です。いい試合でした」
「あなたは、グレゴールの……」
若草色のボブヘアが特徴的な少女が声を掛ける。その後ろには長い金髪を揺らす大人びた女性が並ぶ。
「こちらが隊長のグラーシュ。私は彼女の……介助者?のスメタナといいます」
ふたり揃ってぺこりとお辞儀をする。このふたりがグレゴールの次期リーダーということだろう。
「まさかそちらも先読みをしてくるとは思いませんでしたが……いい戦術でした。こちらの動きを読み切って、車両の特性を生かして戦われた」
「こちらこそ、あなた方の適応力には驚かされました。あの状況からチャンスなんて、そうそう生み出せるものではないですよ」
瑠衣がいつも以上に丁寧な口調で伝える。それは手話に訳す時のことを考えてのことだろうか。スメタナと名乗った少女がグラーシュに手話を送る。それを見た彼女は表情を崩すと、はっきりとは聞き取れないながらも自信有りげに、自分の声で。
「ありがとう」
「彼女たち、勝ちましたね」
「あぁ。正直驚いたな」
グレゴールのグラーシュも相当なやり手だ。ただ、今回は車両的な有利と隊長同士の相性が噛み合った結果だろう。次の試合は、甘くない。
「次の試合相手は、このカードのどちらか、ということになりますか……」
「まぁ、結果は見えているな」
指揮官の実力には大した差はない。しかし車両性能で水をあけられすぎている。これでは勝負にならないだろう。
乾いた音で吠えたD5T-85BM。その照準器の見据える先で火を吹いて行足を止めるのはC.V.33豆戦車だ。
「そんなちっこいので私に勝とうだなんて無茶、最初から考えないべきね!」
キューポラから威勢のいい声で啖呵を切る小柄な少女。彼女こそが瑠衣たちの第二試合の相手であった。
その横暴な振る舞いと猛吹雪のような攻撃力。大部隊を指揮する能力においては恐らく高校戦車道の歴史のなかで最強の、『地吹雪のカチューシャ』こと、プラウダ高校隊長のカチューシャだ。
「懐に潜り込まれた時には、どうなることかと思いましたが」
「うるさいわね! 結果的に引き離して狙撃距離で仕留めるっていう本来のプラン通りなんだからいいじゃない!」
「えぇ。結果的にはいい試合でしたよ、カチューシャ」
カチューシャを諭しながらこの試合を冷静に分析するのが、カチューシャの右腕たる名砲手、『ブリザードのノンナ』。このふたりがプラウダを率いている。
「次は黒森峰、だったわね! ようやく西住流をボッコボコにできるわ!」
「いえ、次は黒森峰ですが、どうやら彼女とは関係が無いようです」
「そうなの!? つまらないわね……まぁいいわ、どうせ決勝まで勝ち上がれば戦えるわけだものね!」
プラウダ高校。強力な火砲と頑強な装甲を併せ持つソ連戦車が、次戦の試合相手になる。
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地吹雪
性能で劣るⅣ号は、T-34にどう挑むのでしょうか。
「久しぶりだな、カチューシャ」
「マホーシャこそ元気そうじゃない。今回は二軍チームも一緒なのね」
「二軍……まぁ、そういうことにしておこう」
マホーシャにしては煮え切らない返事。何か事情がある様子だが、詮索するのはよしておく。
「それに、今回はエリカに隊長を命じてある。私が出張るような大会じゃないからな」
「ふぅーん……ちゃんと勝ち上がってくるのよ。それで、カチューシャがコテンパンにしてやるんだから!」
「貴女こそ、二軍チーム如きに遅れをとらないでくださいね」
「私が負けるわけないじゃない! マホーシャが相手ならともかく、相手は見たことも聞いたこともない二軍チームでしょ!?」
仲河瑠衣。聞いたことのない名前だが、先ほどの彼女の戦いには鬼気迫るものを感じた。ある程度の警戒は必要だということは、私にも分かっている。
侮っていたら足を掬われる。それは大洗との試合で痛いほど味わった、屈辱の味だ。
「はい、お腹すいたでしょ」
「ありがと〜お腹すいてたんだよねぇ」
屋台で売られていた、お好み焼きを箸に巻きつけたような食べ物。はしまきと言うらしいが、私は初めて見た。朝日のオススメだ。
「よく知らないけど、関西でしか売ってないらしいよ。……うん、美味しい」
もちゃもちゃと食べ進める朝日。その隣ですみれは焼きそばをちゅるちゅると啜っていた。
「……瑠衣は食べないの?」
「んー……元々少食だからね、今はいいかな」
そう言いつつ、床に地形図を広げてにらめっこしている。時折赤ペンでマルをつけたり、色を塗ったり、メモを書いたり。その姿はいたって隊長そのもので、いつものユルさは何処へやら。
「私も手伝うよ。何考え込んでるの?」
「ん、ありがと。次の相手はT-34/85でしょ? あの火力に対してⅣ号の装甲じゃ物足りないから……遮蔽が取れて動きやすい箇所を探してる」
ZiS-S-53。ソ連軍屈指の名機と言えるだろう。位置づけとしてはドイツのKwK 40 L/43に近く、機動力に優れる中戦車クラスの車両に搭載される。
それに相手の砲手は屈指の名砲手、ブリザードのノンナだ。私も自分のウデには自信を持っているが、今回ばかりは及ばないかもしれない。そう弱腰になってしまっている部分はある。
「そうだね。ただ相手も機動力は相当のものだから、出来るだけ自由に動けない場所がいいね」
「んー……住宅街か、森林か……」
「走破性は、履帯の太いT-34の方が上だろうね。あんまり地形が良くないと不利かも」
「出力でも負けてるからね。森はナシかな?」
気が付けば、みんなで議論を交わしていた。やっぱり私たちは、時間は短くともチームだ。
時折冗談を交えながらの作戦会議。概ねの戦略がまとまった時には、二回戦の時間は近づいていた。
開始地点。Ⅳ号に乗り込んで時を待つ。
「大丈夫かな……今回の相手は実績もあるし」
「隊長が不安がってどうすんのさ。胸張っていこうよ」
『地吹雪のカチューシャ』と『ブリザードのノンナ』。プラウダ高校を支える2人のエースが同じ車両にいる。柔軟で圧倒的な戦術と、緻密な射撃技術が合わさり、容易い相手ではないことが窺える。
ただ、私たちだって生半可じゃない。みんなで力を合わせて練習してきた。チームワークでは負けていないはずだ。
「勝てるよ。瑠衣の戦術と、私の射撃技術と」
「私の操縦と!」
「私の装填が合わされば。どんな敵も怖くないね」
そう。戦車道とは総合力で争う武道。私たち4人と、1両。最も鍵になるのはチームワークだ。
V型12気筒のエンジンが静かにアイドリングしている。やはりドイツのワークホース。しっかりとメンテナンスしてやれば、いつまででも一緒に戦ってくれそうな安心感がある。
「……うん、やれるね、きっと!」
きりりと目尻が釣り上がる。先ほどの不安げな表情は何処へやら。いつもの瑠衣がそこにいた。
「
信号弾が打ち上がる。プラウダ高校との大一番が始まる。
「始まったね……」
あずき色のⅣ号戦車の横にレジャーシートを広げ、まるでピクニックのような雰囲気を醸し出すチーム。昨年全国大会の覇者、大洗女子学園のあんこうチームだ。
「みぽりんはどうなると思う?」
「うーん……確かにプラウダの方が実績はあるけど、あの白いⅣ号も只者じゃなかったね」
一回戦の戦闘。慎重かつ大胆な戦術と、未来予知の如き先読み。およそ初めて大会に出るチームの戦いぶりでは無かった。
「確かに。攻めと守りを高次元で両立させる、素晴らしい戦術でしたね!」
「単純明快ですが、故に突き崩すのは難しい……そういう人ですね」
こちらが引けば攻め入られ、こちらが攻めれば引きずり込まれる。状況に応じて受動的に動きを変化させることで、常に優位を得続ける、といった感じだろうか。
「カチューシャさんは基本的に大隊指揮に特化した方ですから、思ったより苦戦するかも知れないですね」
「でも今回の砲手はノンナさんですから。85mm砲との組み合わせは強力ですね」
「確かにね。単純な技術で言えば、プラウダに分がありそう」
今回は1対1の変則ルール。今までの前評判はアテにならない。
「楽しみだね……」
山を切り開いて作られた国道を、ソ連のワークホース、T-34が駆け抜ける。それも、3人乗車の大型砲塔と85mmの戦車砲を奢られた、対戦車戦闘用のT-34/85だ。
「車両性能ではこっちが有利、強気に攻めていくわよ!」
「油断は禁物ですよ、カチューシャ」
「分かってるわよ! ……全国大会で、痛い目見たし」
油断は最大の敵だ。それは雪の中での準決勝で痛いほど実感した。だからこそ、相手がいくら無名でも容赦はしない。それが王者の風格なのだと知ったから。
「敵は恐らく、安全な地帯でこちらの出方を窺ってくるはず。そこを奇襲して、一気に形成有利に持ち込みたいところね」
相手はどうやらこちらの動きをある程度予測できるらしい。目視できない状況で予測するには、振動を感じるか、耳で聞くか。あるいは本当に未来予知か。
「……現実的なのは地獄耳ね。だったら対策の施しようはある。B3地点へ向かうわ!」
指示したのは、B3地点。市街地にほど近い場所にある、川に架かる大きな橋だ。
「早い段階で相手の出方を探りたいね」
「砲、装甲、速度。全てにおいて相手の方が上だからね」
こちらが勝るところがあるとしたら、取り回しだろう。市街地や森林なんかで勝負したいが、そうは問屋が卸さないはず。如何にこちらの優位を作り出すか、相手を誘引する戦術を考える必要がある。
「安全な場所に陣取って、ひとまずは待ちって感じかな?」
安全な場所。周囲を遮蔽に、裏手を川に囲まれた町役場を選んだ。住宅街の中を突き抜けてくるのは、T-34の足では簡単ではない。
「ここなら、聞こえてから動いても十分な時間が稼げるし、射線も通りにくいからね」
T-34は、排気管の構造の関係で、後方排気による土煙がひどく上がってしまう。田畑を突っ切って来れば土煙で方角が分かるし、舗装路を進めば音で分かる。それらを確認してからでも遅くはない。
『あー、あー、聞こえる?』
「聞こえてるよ、すみれ。ごめんね無理言って」
『大丈夫だよ、心配しないで。今のところ、土煙とかは見えてないかなぁ』
降車斥候。大洗の西住さんがよく取り入れていた戦術で、敵の出方を事細かに把握することができる。プラウダ戦でもこの戦術が大いに活きた。
今回は装填手のすみれを斥候として、役場の非常階段に配置した。これで遠くまで見渡せる。
「……」
静かだ。どこかからエンジン音が少しずつ近づいているが、まだ距離はありそうだ。そもそも、もっと近づいてくれば視界に入ったり耳に入ったりするはず。
「すみれ、何か見える?」
『いや……今のところは何も』
いやに静かだ。相手も出方を窺っているのか……? だが、それだとこの少しずつ近づいてくる排気音の説明がつかない。何が起きているのか。
空を見上げ、周囲を見渡す。やはり土煙や排気煙は見えない。だとしたら……
――その時、車体を揺さぶる僅かな振動。高鳴るエンジン音が耳に飛び込んだ。同時にすみれさんが叫ぶ。
『敵襲です! 後方、用水路を上がってきます!!』
「川から……!?」
役場の裏手を流れる川。戦車が入れば隙間はほぼ無い。そんなところを遡上してきたというのか。
「確かに、川の中なら走行音は最小限に抑えられますし、川底の土が振動もある程度吸収してくれるはず」
何にせよ、相手に懐に入り込まれてしまった。非常階段を駆け下りてきたすみれを乗せ、撤退戦に入る。
「立て直すよ、全速撤退!」
「了解、飛ばすなら任せてよ」
朝日がレバーを押し込み速度を上げる。可能な限りジグザグに、自分の有利な場所を目指して逃げる。T-34が視界に入った。同時に着弾。民家のブロック塀を吹き飛ばし、土煙を上げる。
「ひぃ……すごいパワー」
「大丈夫! この街中で当てるのは無理だから!」
街路樹、ブロック塀、植え込み、電柱などの遮蔽物が多く、直線的に射線を取ることが難しい――というよりは不可能に近い。
右折、左折を繰り返しながら住宅地を突き進む。狭い場所であれなⅣ号の優れた取り回しが活かせる。対するT-34はブロック塀をなぎ倒し、直線的に突き進んでくる。時に榴弾で吹き飛ばし、民家を踏み潰しながら。
「どこに逃げるの!? 住宅街出ちゃったら負けでしょ!?」
「ちょっとリスクはあるけど、国道を横断して森に逃げよう! D3地点!」
「……なるほど、了解!」
朝日がさらに速度を上げる。アウト・イン・アウトで華麗に速度を乗せ、国道までに距離を離しにかかる。
もうすぐ国道を渡る。視界が一気に開けるここが一番のネックだ。うしろを振り返ると、T-34は急停止し、こちらに照準を合わせていた。
「躍進射撃……」
目を凝らし、耳を澄ます。敵の射撃タイミングを計る。T-34の揺動が収まる。僅かに砲塔が揺らぐ。微調整が終わり、砲が火を吹く……!
「回避っ!!」
朝日がⅣ号を旋回させる。車体背面を狙ったT-34の凶弾が後部を斜めに叩き、あさっての方向に着弾した。
揺らぐ車内。やはり装甲でいなしたとはいえ、衝撃は相当なものだ。しっかりと体を支え、退路を急ぐ。
「何とかこらえたね! 森林に入るよ!」
T-34の躍進射撃をいなしたことで、距離を取ることができた。小さな沢がいくつか流れる、やわらかな土壌の森へと進む。比較的大きな沢にかかる橋を渡る。
ここは試合前に目星をつけていた場所。南側は大きな沢がV字に流れ、北側は険しい絶壁に遮られている、三角州のような土地だ。柔らかな土壌ではT-34に分があるが、距離を詰めやすく遮蔽が取りやすいので、立ち回りやすいだろう。
パブリックビューイング会場。レジャーシートの上でおやつを食べていたあんこうチームの面々だが、その手がぴたりと止まる。
「森に逃げ込むんですね」
「そうみたい……けど、何の狙いが……?」
同じⅣ号乗りとして興味がある。市街地などの遮蔽を生かしたゲリラ戦は得意だし、実際に何度も成功させてきた。全国大会を制したときだってその戦術が上手くハマったにすぎない。
しかし今回は違う。彼女たちはあえて車両的不利を知りながら森に引きずり込もうというのだ。全国大会の決勝で私がお姉ちゃんにした一騎打ち。しかしそれとは状況が全く違う。相手は同格の中戦車。単一での性能はT-34に分があるのに。
「……楽しみだね」
ぞくぞくする。日本の戦車道に、こんな人がいたなんて。
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熱闘
国道を通過し、森へ駆け込むⅣ号。躍進射撃で仕留め損なったが、追撃の手を緩めることはしない。
「すみません、カチューシャ。仕留め損ないました」
「いいのよ、別に。それより追うわよ!」
にしても、だ。Ⅳ号にとって森林が有利とは思えない。履帯は細く、腐葉土のような不整地では機動力を発揮出来ない。立ち木で立ち回りが制限され、取り回しの良さが活かせない。その上柔らかな土壌は振動を吸収する。僅かとはいえ音も聞こえにくくなるはずだ。
「何が狙い……?」
橋を渡り、沢で隔てられた雑木林に踏み入る。その時、砲の吠える音と振動。車体を直接襲ったものではない。
後方を振り返ると、崩落した橋。再び前方に目をやると、砲から砲煙をくゆらすⅣ号の姿が微かに見えた。
「橋を崩した……ここで一騎打ちに出るつもりかしら」
この森で勝負を決めるつもりのようだ。であれば、こちらはどう出るか。
「なら、ここは距離を取りながらゆっくり仕留めるわ。左へ」
砲火力で勝るなら、ここで距離を詰めるのは愚策。去年までの私ならどうしていたかは分からないが。
「ノンナ、狙えるときには迷わず撃っちゃって。こうも射線が通らないんじゃ、私の指示を待ってたら好機を逃すわ」
「分かりました。預かります」
樹木が射線を塞ぐ。それらが完全に開ける瞬間はほんの一瞬だ。迷わず撃ち込んでいかないと仕留めることは適わない。
「じわじわと、真綿で首を絞めるように攻め込んでやるわ!」
「停車!」
眼前の腐葉土を徹甲弾が抉り取る。停車していなければ履帯を吹き飛ばされてオシマイだった。
「近づいてこないね」
「当たり前だね。近づくメリットがないんだし」
森林とはいえ、しっかりと手入れされている。今は、林業用の重機などが通るため、森林をぐるりと囲むように作られた道を周回しながら撃ち合っている状態だ。
「いつ仕掛ける?」
「急いじゃダメだよ。この作戦の意味が無くなっちゃう」
相手を閉じ込め、チャンスを窺う。全ての条件が揃ったとき、初めて攻勢に出るのだ。地図で見たデータを、目視で確かなものにしていく。
沢は森を迂回するように流れているが、枯れた沢が何本か、森の中にも流れている。それなりに大きく、深い様子だ。林業用の道路は森の中にも何本か通っている。起伏はあるが十分に走れる。
陽の差し方を意識してか、山の麓側に比べて、市街地側の方がしっかりと間伐してあり、視界が開けている。そして市街地側の方が僅かに低地になっているようだ。
「……決めた」
仕掛けるプランは決まった。あとはチャンスを待つだけ。椅子取りゲームのようにぐるぐると旋回し、機会を窺う。
「……仕掛けてこない」
焦れる。しかし焦ってはいけないのも知っている。ここで攻め急げば相手の思うツボだ。
「攻めてきたところを落ち着いて迎撃して終わり、がプランなのに……」
ずっと対角線上をぐるぐると回っている。仕掛けてくる様子もないし、何か様子見をしているようだ。
「……躍進射撃、用意!」
「仕掛けるんですね」
「ちょっとだけよ! おしりを叩いて動かしてやる!」
相手が動かないなら、窮地に追い込んで無理やり動かすのみ。しっかりと遮蔽が取れるタイミングを見計らって、躍進射撃にかかる。
「……停止!」
制動をかける。ノンナが瞬時に照準し、揺動が収まった瞬間に発砲。立ち木に当たって木っ端を撒き散らす。
「前進、続けて躍進射撃、装填急ぎなさい!」
「は、はいぃ!」
閉鎖機が閉まる。再び車両は停止、揺動が収まり砲が唸る。今度は立ち木の中をすり抜けて上手く飛翔したものの、敵を掠めるに留まる。
やはりこうも立ち木で射線が通らないと、相手も弾道が予想しやすいのだろう。的確に停車と増速で回避している。
「でも、そろそろ焦ってきたんじゃないかしら?」
「瑠衣! やばいんじゃないの!?」
確かに、少しずつ射撃の正確度が増して来ている。このまま続けるのはまずい。しかし、タイミングを見誤れば作戦は必ず失敗する。その時が来るまでは動かない。
「でも、躍進射撃してくれているのはむしろ好都合。タイミングが測りやすくなった」
「どういうこと!?」
再び砲撃。今度は眼前の腐葉土が抉られる。どんどん正確になる砲撃に、少しずつ不安が増してくる。私は経験者だからいいけど、朝日もすみれもこの大会が初めての試合。相当疲弊しているはずだ。
「そろそろ、かな」
次だ。仕掛けるチャンスがくる。
「少し速度抑えて。……次の砲撃のタイミングで」
砲がぴくりと、僅かに震えた。微調整が終わり、砲が火を吹く、そのタイミング。
「今! 突っ込むよ!」
行足を森の中へ。森林を突っ切る道へと進路を変えた。速度はめいっぱい。一気にT-34の懐に突っ込む!
「来た! 停止、遮蔽取って!」
手近な太めの木に車体を隠す。突っ込んでくる敵に照準する。
「早く装填しなさい!」
「そう言われても……」
T-34に限らず、ソ連戦車に通じて言えることだが、砲塔内のスペースが小さいのだ。故に割を食うのは装填手。砲弾を手に取り、装填する。それにも時間がかかる。
「装填完了だっちゃ!」
「撃ちなさい!」
砲撃が空気を震わす。飛翔した弾丸はやはりⅣ号を仕留めることは叶わず。打ち抜かれた大樹は倒木と化す。
尚も接近するⅣ号。次の装填は、間に合わない!
「旋回しつつ後退! 正面を晒しなさい!」
防御性能に優れる正面装甲を晒す。正面であれば受け止めることも十分に可能なはずだ。
――――来る!!!
ライブビューイング会場は騒然となる。これは、勝負が決まると。
しかし、ドローンのカメラが捉えたのは、激しい火花とともに弾かれる砲弾だった。
時が戻ったかのように湧き上がる会場。手に汗握る、一進一退の攻防だ。
「今のはすごかったね!」
「思わず息を飲んでしまいました……」
「決まったと思ったんですけどねぇ!」
今のはカチューシャさんの判断が良かった。無理に迎撃せず一歩引くことでT-34の装甲を生かした。こう言っては何だが、去年までだったら間違いなく今の一撃で決まっていただろう。
「ここから形勢逆転だね……」
Ⅳ号が追われる展開だ。猛攻を凌げるか。
「逃げるよ、転進、全速前進!」
「あいよーっ、全速!」
朝日がレバーを押し込む。履帯が柔らかな腐葉土を蹴り出してⅣ号は一気に速度を上げる。当然だがT-34も追撃をかけてくる。
「一発、一発だけでいい、躱すよ!」
「タイミング指示して! 何とかする!」
瑠衣は完全に後方を向いて、敵の砲口を睨む。その足は朝日の肩を蹴る準備をしていた。ここは完全な撤退戦。しかし、反撃の準備も同時に進める。
「装填出来たよ!」
「来る!」
瑠衣が肩を蹴る。朝日がレバーをぐんと引き、車体を右に振る。白い車体を草むらにねじ込み、緑色を付着させながらも何とか回避する。
「何とか引き離して!」
「任せてっ」
指示を受け朝日はさらに増速をかける。森を突き抜ける道路は未成道で起伏も激しい。そんな中、神がかり的な速度で駆け抜けていく。少し小高くなっている坂を上り、そして下る。ここで敵の視界から一時的に消える。ここがチャンスだ。
「今っ!」
丘を越える。ふわりと浮遊感を感じ、着地。視界が開けるも、そこにⅣ号の姿はない。
「消えた……!?」
あたりを見回す。しかしⅣ号の姿は無く。
視界の端に何かが見えたような気がして、振り向いた。そこには抉り取られた地面。まるで履帯が滑走したかのように―――
「停止!!」
炸裂音。激しい振動。吹き飛ぶ車体に、何が起こったのか瞬時に理解することは出来なかった。
ふわり、浮遊感。着地したときに私は全てを悟った。
落ち葉を被り、枯れた沢の中に身を隠すⅣ号。砲撃は履帯の奥の側面装甲を、超至近距離で打ち抜いていた。
「……はぁ」
緊張の糸がほぐれる。
「カチューシャ」
「何よ」
「いい試合でしたよ」
ノンナの朗らかな笑顔。大切な戦友のねぎらいに
「……知ってるわよ」
笑顔で返すのだった。
「……まさか本当に勝っちゃうなんて」
ジャイアント・キリングだ。全く無名のチームが、全国大会優勝経験もあるプラウダ高校の、それもエース2人の最強チームを破ったのだ。
「次の試合、勝てばあの人達と試合ですね!」
「なかなかの強敵そうだな。私も腕が鳴るぞ」
車長の立案能力、操縦手の技術が光った試合だった。最後の戦術は、操縦手の速度無しには成り立たないものだった。
「……ワクワクしてきた」
同じⅣ号戦車同士。いやでもライバル意識が芽生えるというものだ。そのためには次の試合を勝たなきゃ。
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