宇宙色の髪 (実里生)
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前編

作業BGM/嘘つき魔女と灰色の虹(そらる) etc.


 僕の五感は、絵具に溺れている。

 

 高い空を視たことがあるし、風の音を聴いたことがあるし、花の香を嗅いだことがあるし、清い水を味わったことがあるし、人の肌に触れたことがある。

 そんな知覚の線は収斂しながら染まりゆく。

 高い空には薄紫色が滲んだ。風の音はオレンジ色に融けた。花の香は真っ赤に染みた。清い水はエメラルドグリーンが流れた。人の肌に触れると、桜のように焼ける。

 フィルターを通って色鮮やかに染まりゆく。

 まるで、絵でも描くように。

 

 

 

 

 

 テレビで特殊な技能を持つ人間の特集が組まれることがある。

 それは天国と交信し霊と話せるとか神の声が聴こえるとかの心霊現象にまつわるもの、見えるもの全てが数式に変換される視覚を持つなんて脳の神秘に迫るもの、他には身体能力も思考能力もずば抜けたわかりやすい天才とか。

 ――そういう天才が持つ特殊な感覚は、一体どんな色なんだろう。

 いつか小説で読んだ台詞曰く、特殊な視界を持つ人は、一般人とは付いているチャンネルが違うのだと。みんなと同じ番組を観ていれば輪に混ざれるけれど、知らないから話を合わせることすらできない。

 天才は孤独だというけれど、きっとそれはここに起因している。

 見ているものが違うのではなく、見られるものが違う。

 普通という基準に合わせないのではなく、その基準が見えないから合わせられない。

 だからきっと、僕が天才と出逢うことは無いのだと、出逢えたところで打ち解けることは出来ないのだろうと。大して興味も抱けないほど遠い彼らに対して、僕は漠然とそう思っていた。

 

 今、この瞬間までは。

 

 彼女は、人気のない教室の窓を開けていた。

 外の天気は大荒れだ。間断無く篠突く雨を、唸る風が散らかして暴れている。

 そんな春の嵐を一身に浴びているのが彼女だった。

 

 篠ノ之束。人呼んで、手に負えない天才。

 

 こちらに背を向けて、制服も床も長い髪もずぶ濡れになりながら、それでも身じろぎ一つしない彼女について知っていることは実のところほとんど無い。

 強いて挙げるなら他人に対して酷く無関心、というか傍若無人であること、フィクション以外では中々見かけないとても長い髪に、僕はマゼンタ色の印象を受けるということくらい。

 その髪にしたって、たった今上書きされた。

「…………宇宙」

 強い風雨に晒されて乱れる()()、これまではマゼンタ色に見えていたその髪が、今は全く違って見えた。

 どんな物でも受容して気にも留めず、光を孕みながら神秘と共に膨れ上がっていく、数多の色を宿した黒。

 まるで、宇宙みたいな黒髪に。

「……ぁ、…………っ」

 どっ、どっ、どっ、と心臓が爆ぜ続ける。

 名画が破り捨てられて、即座に更なる名画へと書き換えられていくのを見ているような、暴力的なまでに美しい光景だった。

 次第に()()がせり上がって来ている。凄絶な風巻(しまき)は純白とクリアブルーに色付いて、なおも深まる宇宙色の向こう側は炎のような橙で。

 眼前に描かれたそれは、世界の終わりだった。 

「わっ……!?」

 持っていた本を落とした音で僕はハッと我に返る。世界の終わりが掻き消えて、ときどき色相がブレるだけの見慣れた知覚を取り戻した。

 ……ただし。思わず上げた声が大きかったせいで、篠ノ之にも気付かれてしまったらしい。

 窓の側にあった机は引っくり返って床は水浸し、滅茶苦茶になった髪もそのままに振り返った顔には、ただ不快感だけがあった。

 唯一消えないマゼンタがうねりを増して色を深めていく。

「…………ハッ、なに? 見るからに馬鹿そうな顔しちゃってさ。私がこんな真似してるのがおかしい?」

 心底苛立たしげな藍色の声に射抜かれた。評判通り他人への思いやりとか無さそうな態度、剥き出しの悪感情が帰ってきてギクリとした。

 僕はただ、雨に打たれる姿に見惚れていただけだ。だがこんなにも不機嫌な人に向かってそれを言ったところで、火に油を注ぐだけな気がしてならない。

 あーだのうーだのと言葉を探すこと少々。何故か律儀にも待ってくれた篠ノ之に言い訳をするのも嫌になって、結局本心をそのまま伝える事にした。

「その、髪が」

「なに? 聴こえるように喋ってよ」

「か、髪を見てましたっ!」

 外から入る強風の音と恥ずかしさを振り切るように叫んだ。

 すると、篠ノ之は先程の不機嫌さを少しだけ引っ込めた。それから何の感慨も見て取れない無表情で、独り言のようにぼそりと言う。

「……髪? ああ、これ」

「……風に靡くのが、綺麗でっ。見惚れてました!」

「ふーん」

 僕が勝手に叫び声までレベルアップさせただけとはいえ、聴こえるようにと言っておきながらその返事はあまりにも無体じゃないか……?

「お前みたいな奴からしたら珍しいのかもね」

 俯いた僕の耳が青を受け取った。

 少し棘が落ちて色合いが淡くなった、言ってしまえば好意も悪意もない無感情の声に首を傾げる。

「珍しい……?」

「違うのかよ。そうでもないと、あんな場面をまじまじ見たりなんてしないだろ」

「……まあ、そうかも。そこまで深い色の黒髪なんて、初めて見たから」

「は?」

「え?」

 篠ノ之は街中で猿でも見たかのように目を丸くした。

 いや、確かに焦げ茶とかではない純粋な黒髪は珍しいけれど……そこまでのものかな?

 首を傾げていると、乱れた髪を更にかき乱した彼女は声を紺色に荒げる。

「……おい、もっかい叫べ」

「な、何をでしょうか……?」

「お前が、見た、髪の色! 風下なんだから私の声は聴こえるだろ、ちゃんと聴けよ! どいつもこいつも耳付いてないのかよ!」

「理不尽すぎる……!」

「はぁ!?」

「聴こえてんじゃないかよぉ! ああもう、黒髪が綺麗だと思ったんですーっ!」

 僕は恥を忍びつつも再び叫んで。

 篠ノ之はぴしゃりと窓を閉めて。

 二人揃って間抜けな顔になった。

「……くろ?」

「……黒」

 ここを開けろと言わんばかりに窓を叩く風。さっきよりはずっと静かになった教室に、素っ頓狂な薄紅色の声はよく染みた。

「……詳しく」

「え、これ以上に……?」

「どんな黒髪に見えるの、私の髪」

「どんな? ……んー、どんな、かぁ」

 篠ノ之束は天才だとかなんとか聞いたことがある気がするけど、人から見える印象とかが気になるお年頃なのは僕らと変わらないのだろうか?

 言葉は選びつつも、また思ったことをそのまま告げた。

「……じゃあ、僭越ながら。焦げ茶とかじゃなく完全な黒髪で、しかも不思議なくらい艶があるのに、かつらみたいな不自然さがない。人の髪じゃなくて、えーと……」

「…………」

「……もしも、宇宙を(くしけず)って伸ばすことができたら。そうしたらきっと篠ノ之の髪みたいな色になるんだろうなって、思った」

 言い切った。

 言い切ったけど、死ぬほど恥ずかしい……!

 心なしか視界が桜色になっていくのを自覚しながらうじうじと後悔していたが、ふと、篠ノ之からの反応が無いことに気付いた。

 さっきまでの僕みたいに俯いた彼女は、何やら震えている。

 瞬間蘇る、彼女の髪に関するポエミーな感想。多分赤かったであろう僕の顔は、たった今真逆の色に切り替わったのだと自分でもわかった。

「あ、あの……篠ノ之? もしかして、というか僕もしかしなくても変なこと言ったよね!? ごめん、決して変な意味ではなくって」

「…………ふ、ふふっ」

 ……笑っ、た?

「ふふっ、ふ、あははははははははははっ! う、宇宙みたいって、ぷふっ、どんな色なのさ!」

 朝日の色に近い、薄く透き通った金色が弾けた。

 大笑いながら息苦しそうにお腹を抑え、目尻に浮かんだ涙を拭う他愛もない仕草が、何だか小さな子どものようにあどけなく見えた。

 一頻り笑って息を整えた篠ノ之は、さっきまでの不機嫌面はどこへやら。人懐っこいにこやかな表情で僕に言う。

「よーし、気が晴れた! 誰か知らないけどありがとうっ」

「知らなかったのか……」

「うん。だから教えて欲しいな」

「……名字は一文字で(つむぎ)。名前は秋の水って書いて秋水(ときなか)

「トキナカ! 捻った読みだね。……それにしても『紬』で『秋水(しゅうすい)』か。うんうんっ、運命的だあ!」

 何に納得しているんだろう? 朝日色が赤みを増していくのが眩しくて目を少し細めていた僕へ、篠ノ之は更に深まった笑顔と共に右手を差し出した。

「これから君はとーくんだっ! とーくん、私は君が知りたい。だから……」

 自信満々で話していた篠ノ之が突然表情を暗くした。

 その顔は、良かれと思って失敗した子供が叱られるときの顔に似ている気がする。

 ――ただのクラスメイトでしかなくても、そんな顔を見ていて良い気分のやつなんていないよな。

「あ……」

「篠ノ之の事はよく知らないし、これで合ってるのかもわからないけれどさ」

 噂では大層な天才なのだと聞いている。また他人には酷く無関心で、少しでも関わろうとすれば素気無くあしらわれると。傍若無人な振る舞いで、凡人のことなど気にかけないのだと。

 でも僕は噂しか知らない。

 彼女のことはそれ以上、何も知らないのだ。

 だから。

「僕も、君が知りたい。それなら友達になるのが一番だと思うんだけど……どうかな?」

 握られた手を呆けた顔で見た篠ノ之は、莞爾とした笑顔を浮かべた。

 

 もう完全下校時刻も近いので、教室を大雑把に片付けた僕らは昇降口へ向かっていた。

 今にもスキップし始めそうな足取りで数歩先を行く篠ノ之は、「あ、そうそう」とこっちを向いた。

「とーくんさ、さっき私のこと宇宙みたいな黒髪って言ったじゃん」

「……それ掘り返すの? 結構恥ずかしいんだけど」

「嘘はついてない?」

「え? ……もちろんだけど。嘘つく理由も特に無いし」

「ふぅーん……ねえ、とーくん」

「んー、ってうわっ!? 篠ノ之、何を――」

 反応する間もないくらい一瞬で僕の耳元まで顔を寄せて、

 

「私の髪ね、マゼンタ色なんだよ。知ってた?」

 

 ――心臓が止まった。

「んふふ、それについても明日じっくり聞きたいから……今後ともよろしくね」

 そう、蠱惑的に囁いて。

 不思議の国へアリスを連れ去る兎みたいに、篠ノ之はぴょんこぴょんこと走り去っていく。

 それを追いかける余裕もない僕は立ち尽くして、やがて壁に寄りかかるようにへたりこんだ。

 雲間から除く日で夕焼けた校舎内。橙色の上にノイズじみた荒い灰色――強い焦燥と後悔の入り混じった色が、べったりと塗りたくられていく。

「…………、……いや、だって、マゼンタが地毛だとは思わないじゃん……」

 誰に言い訳したってもう遅いのだが、そうぼやかずにはいられなかった。

「見間違えたことなんて無かったから油断した……どうしよ」

 天才は持っている感覚のチャンネルが違うという。

 だが、天才同士ですら分かり合えるとは限らないように。一般人でも妙なチャンネルのついてる奴はいるのだ。

 僕の五感は、絵具に溺れている。

 見えるもの、聞こえるもの、五感を通して受けとる全てが色付いて見える。

 そんなチャンネルが僕には備わっていた。

 

 

 

 

 

「おはようとーくん!」

 玄関のドアを開けたら薄紅色だった。

 ニコニコと陽気な顔の篠ノ之だった。

「…………え、なんでいるの」

「お迎え! ふふーん、束さん直々のお迎えなんて宝くじ特等よりレア物だからね。スルメばりに噛み締めるべきだよっ」

「いやいや待って待ってそうじゃない、君天才なんだからこっちの意図くらいわか……あ」

「うん。君凡人だけど、こっちの手段くらいわかったでしょ? なら言うまでもないよねー」

 悪辣ににやける篠ノ之が、高校のクラスメイト以前に天才だということを思い出した。

 この人と話してると血の気が引くのにも慣れそうだなぁ、なんてくだらない事と一緒に出てきた答えを返してみる。

「……あえて聞くよ。ハッキング?」

「フロー、イング、ストーン!」

「天才の褒め言葉って随分斬新なんだね……」

 流石って意味でいいのかな。

「もういっこ。何でハッキング? 他にも手段あっただろうに」

「…………さぁ?」

 ニヤケ面を更に深めてはぐらかされた。

 ……もしかして住所はついで、というか僕の素性を洗う一環で手に入れた情報なんだろうか?

「最後にひとつ、別に怒ったり嫌ったりはしないから聞かせてほしいんだけど」

「なにかな?」

「どこまで知った?」

「…………そうだね、歩きながら話そっか。長くなりそうだし」

 長くなりそうなほど掘り尽くしたのか……。

 誰かと登校するのは何気に初めてだということに気付いてちょっとドギマギしながら、僕らは自分たちの出逢った場所へ向かった。

 

「どこまで、って一言でまとめると全部なんだけどさ」

 見も蓋もない物言いから、成果の発表は始まった。

「私さ、頭の中にゴミ箱フォルダがあるんだよ。興味ない人間の情報はそこに放り込んで、必要なことだけ記憶する。そうじゃないと溢れちゃうし」

「もうのっけから意味分かんないんだけど……まあいいや、自己暗示で脳機能カスタマイズとかそんなとこだろうし。ごめん、続けてくれる?」

「おや、結構惜しいね? ……まあつまるところ、どうでもいい他人のことを全く記憶してない訳じゃないんだ。同じクラスにはちーちゃん――私の親友もいるし、あの子が関わってる有象無象がどんな連中なのかくらいは把握してるよ」

「篠ノ之の親友、か。そっちは社交性あるの?」

「クラス委員長やってられるくらいにはね。ちーちゃんそんな立場だから、どこでどんな迷惑被るかもわからないし。クラスメイトの自己紹介のときは私いなかったから知らないけど、周りの話し声から、そいつらの性格くらいはざっくり把握してたんだよ」

 他人嫌いという噂は知ってたけど、口振りから察するに嫌いなんじゃなくて人だと思ってないなこれ。

 思わず頬が引き攣る。

「……献身的だね。ウサギみたいだ」

「ちーちゃんのためなら火に身を投げることも吝かじゃあないかなっ!」

「……ところで、また話の腰を折るけど」

「いーよ、凡人はそういうもんだって知ってるし。何?」

「ちーちゃん、って可愛らしいあだ名だけど、まさか織斑のことなの?」

「そうだよ?」

 なんともミスマッチ。

「あの人がそんな呼び方を許すイメージ無いなぁ……よっぽど仲良いんだね」

「いえーっす! そう、私とちーちゃんは最大の理解者にして親友っ、盟友、共犯者なのだあっ!」

「盟友まではギリギリわかるけど共犯者とは……」

 ぴしりとした姿勢、刀のように鋭い雰囲気。真面目な狼って感じの織斑が共犯者とは、一体どんな関係なのやら。

 目を輝かせる篠ノ之に再び謝って、本筋の続きを促した。

「おほん。どこまで話したっけ?」

「本当にごめん、もう口挟まないから」

「はーいはい。それで、同じクラスにいるのは大体どんなやつで、ちーちゃんの足を引っ張る可能性があるかどうかは知ってたんだ。……とーくん以外」

「えっ」

「すごいね、ゴミ箱フォルダから記憶引っ張り出してもとーくんの情報がろくに無かったんだよ。誰とも話してなかったらボッチがいるって噂が出るはずだから、それなりに人付き合いはしてたんだよね?」

「……それなり。うん、それなりには」

「多分ほんっとーにそれなりでしかないもんだから、誰の印象にも残ってないんじゃないかな」

「ちょっとそこの川に身投げしてもいいかな」

「まだ死んじゃだめ」

 まだって。

 その二文字があまりにも冷淡だったので男泣きに留めた。

「そういう訳で一から調べ直そうと思った、っていうのが経緯だね」

「さいで……」

 いくら篠ノ之が美少女とはいえ、ボッチだったお陰でお近づきになれたのだと喜べるほど悲しい感性はしていない僕だった。

「で、どこまでかっていうと」

「うん」

「まずとーくんの家族構成とか口座番号とか、そういうデジタルな手法で保存されてる記録は全て」

「そこまでやって『まず』なの……?」

「うん? うん。手段が無ければ作ればいいんだし、これくらいならそんなに手間じゃないよ」

 恐ろしさは乾いた緑青色をしているのだが、それが色濃すぎてそろそろ篠ノ之の顔が見えなくなってきた。

 サビまみれの篠ノ之は、大真面目な真鍮色の声で続ける。

「とーくんクイズとかあったら余裕で全問正解できると思うよ? あ、でも『二年前の高校入試初日、国語の問題を二十分で解き終えた秋水君がシャーペンをしまって鉛筆を取り出したときの心境を答えなさい』とか言われたら無理かも。主観的な情報は日記でも見なきゃ知りようがないし」

「そっかー。ねえ、ついでに調べてほしいことがあるんだけど」

「ん? なにかな」

「僕のプライバシーの居所」

「――それはね、心の中にあるんだよ」

「誰の? それもしかしなくても篠ノ之の心の中だよね、僕の中からはいなくなってるやつだよね? あの、ちょっと? せめてこっち向いて?」

 しょうもないことを話しながら、ふと思う。

 篠ノ之はこうやって、冗談混じりに雑談するようなごく普通の女の子なのに。その相手になり得る織斑という友人だって同じクラスにいるのに。

 どうして彼女の噂には、明るいものがまるで無いのだろう。

 

 教室に着く頃には、馬鹿話がすっかり満開だった。

「まだ小三だって言うのに剣道場では格好良く竹刀を振るってるんだけどね、練習が終わって胴着を脱ぐ瞬間は小さく『ぷはっ』って言って、そのあと気恥ずかしそーにキョロキョロするんだよっ! 周りに誰もいなくってもそうするのがTHE乙女って感じでもう可愛くって可愛くって」

「妹好きだなぁ篠ノ之。鬱陶しがられない?」

「だいっじょーぶ! そもそも顔合わせてないからね!」

「あれ、急に犯罪色強まったよ?」

 なんて妹自慢を聞きながら扉を開けると、教室はシンと静まり返った。

「……え、何ごと?」

 誰も彼もテロ現場に出くわしたかのような驚愕一色の面持ちだ。無数の色が濃く混ざり過ぎて若干気持ち悪い。

 特に織斑なんて、普段のクールビューティさをどこかにすっ飛ばし目に見えて動揺している。

「……お、お前、誰だ? 本当に束か?」

「あ、ちーちゃんおっはー! 大丈夫? 私以外の何に見えるのさ」

「赤の他人に話しかける時点で束である筈がないだろう! 誰だお前は!」

「ごもっともだけど失礼すぎないかな!? 私だって友達には相応の態度を取るよ!」

「……………………友達?」

「ごめん、そこで僕の方を見られてもちょっと困る」

 軽く吐き気がしてきたので一人に焦点を絞る。織斑の整った顔に困惑と猜疑が入り混じると、どうやら明るい緑が浮かぶらしい。知りたくなかった。

 油性絵具をパレットでぐちゃぐちゃにしたみたいなさっきの絵面よりは幾分マシだけど、ホウ素を放り込まれた炎みたいな色に包まれる美人もそれはそれで見たくないよ。

「織斑、篠ノ之が誰かに話しかけるのってそこまで珍しいの?」

「珍しいなんてものじゃない。これでも小学生からの付き合いだがな、こいつが誰かに友好的な態度を取った相手なんて、数えようとすれば片手で事足りるくらいしか見たことがない」

「……最低でも六年、長く見積もれば十年くらいあって片手?」

「そうだ。だからこれは、ちょっとしたどころじゃない珍事だよ」

「……あぁー」

 昨日の大惨事な教室を思い出せば納得の行く話だった。

 織斑の率直な評と僕の相槌を聞いた篠ノ之は、垂れ目をわざとらしく吊り上げながらぷくっと頬を膨らませた。

「しょうがないじゃんかー、有象無象の凡人共が束さんに追いつけないのが悪いんだよ。どいつもこいつもちょっとは頑張れよ」

「ほう? ならそいつは違うと?」

「さぁて、どうだろ。これからわかるかなぁって感じ」

 ……もしかしてすっごい過大評価されてるのでは?

「あの、僕は別にそう大した人間ではな」

「そうだとーくん、例の話の続きだけど」

「いんだけ……ど……」

「紬と言ったか? 諦めろ。こいつは友人の話ですらあんまり聞かない」

「そうする……で、続きって妹の話?」

「昨日言ってた話」

「…………」

「昨日? 束、昨日こいつと何かあったのか?」

「おっとちーちゃん嫉妬ですかな? 心配しないでよー私はいつだってちーちゃん一筋なん」

「心配はしているが、それはお前ではなく紬をだ。何かされたらすぐに言えよ、この知識しか詰まってない頭に拳骨を落とすくらいはしてやれる」

「ありがとう織斑……じゃあ早速一つ、頼みごとをしてもいいかな」

「む、なんだ。もう何かされていたのか? それなら……」

「いやいやいやいやちーちゃん!? まだ何にもしてないよ私!」

「うん、何もされてないよ。頼みっていうのは拳骨じゃなくてね」

 怪訝な顔をする織斑はクラス委員長だ。こんなことを言うのも心苦しいけど、見逃してくれないと困る。

 できるだけ申し訳無さそうな色になるよう気を付けながら、僕はその頼みごとを打ち明ける。

「僕らと一緒に、今日の授業をサボってほしい」

 

 

 

 

 

「…………くっ、く、くふふふっ」

 誰にもバレないよ、と篠ノ之のお墨付きを頂いた空き教室についた途端、それまで無表情を貫いていた天才はとうとう声を漏らした。

「ぶっ、あーっはははははははははははっ! 無理、ちーちゃんに向かってサボり頼むとかおかしいってははははははがふっ!?」

「いい加減にその口を閉じろ……!」

「ゔぇっ、ごほっ、げほっけほっ…………ぷふ」

「束ェ!」

「あ゛ーっ待ってちーちゃん待って首はまずい! アイアンクローは頭にやるべきで首にやったらそれ絞殺以外の何者でもないよちーちゃん!? って頭でもちーちゃんのは痛いからヤダよ!? 助けてー! 助けてとーくーんっ!」

 襲い来る織斑に押し倒されつつも、その手をしっかり掴み抵抗する篠ノ之。

 鮮烈なエメラルドグリーンに染まった必死の懇願が鼓膜を打つが、昨日の嵐に負けず劣らずの暴威を纏う織斑に対抗する術を持たない僕は無力だった。

「ごめん……ホントにごめん篠ノ之……流石に不特定多数には知られたくなかったんだ……ッ!」

「口封じのためにここまで持ち込んだなら天才だって認めてもいいかな! もうこの時点でそう認めてもいいから早く助けてーっ!?」

「ぐぉぉ、ぉ、ぉ、ぉあああ……束ェ……私の、手を、離せェ……!」

「ヤダヤダヤダ無理無理無理! 離したら死ぬよ殺意が満ち過ぎてるよ未だかつてないほどガチの目してるよ! まだなんにもしてないのにぃ!」

「私だけに迷惑を掛けるならまだ良い……だが無辜の民を巻き込むとは見下げ果てたぞ……!」

「ちーちゃんも大概人の話聞いてないよね、てかどの立場からの台詞だよあまりにも大上段から来てるよ! とーくん! 全ての元凶のとーくんヘルプミーっ!」

 剣道部である織斑の身体能力が凄まじいのは知っていたので、それに対抗出来ている篠ノ之の耐久性を信じて彼女にスライディングキックをかましたところで事態は収束した。

 

「……紬。お陰で溜飲は下がったがな。流石に頭へスライディングはどうなんだ……?」

「ごめん。僕そこまで運動得意じゃないから、狙い通りの場所に蹴り入れたりとかできないんだ」

「ぶっちゃけちーちゃんに首締められるよりは、とーくんの貧弱キックの方が断然マシだから構わないよっ! グッジョブ!」

 友達の頭を蹴って褒められたのは人生で初めてだ。軽く引く。

 一方、あれだけ殺意剥き出しにしておいて何事もなかったかのようにすまし顔の織斑は、腕組みしながら神妙に頷いた。

「束があそこまでやられても怒らないあたり、どうやら本当に友達らしいな」

「すごい判断基準だ……」

「それで、不特定多数に知られたくないという事は裏を返せば、束の友人である私には話しておこうと言う訳か」

「うん。悪いね、付き合わせて」

「お前は謝ってばかりだな? 別に構わないが、もっと気楽にしてくれて良い。普段バカのわがままに付き合わされているからな、腰が低すぎても調子が狂う」

「……わかった。じゃあ、ありがとうって言うことにするよ」

「それでいい」

 男前だなぁ姉御よ。

 見惚れる僕に、篠ノ之は一つ咳払いをした。

「じゃあとーくん、質疑応答に入ろうか。ちーちゃんはちょっと待ってね? 私も目星はついてるけど正確にはわかってないし、何より一緒に聞いてればわかるだろうから」

「おっけ」

「束が分からないこと、なぁ。……まあ、わかった」

 形から入るタイプなのか、篠ノ之はそこら辺に積まれた椅子をこちらに寄こしてきた。

 カウンセリング宜しく向かい合って座る。

「ててんっ、問一。君は今、私の髪が何色に見えてる?」

「……ちょっとグラデっぽいマゼンタと、光がちらつく宇宙みたいな黒。混ざるんじゃなくて、違う色が重なって見えてる」

「色眼鏡で左右違う色を見てるような感じ?」

「……そうだね。多分それに近いと思う」

「ちなみにちーちゃんのは?」

「うーん、篠ノ之みたいな神秘的なものじゃないけど、漆みたいに綺麗な黒だ。それとガスバーナーの外炎みたいな青……織斑の地毛は黒の方だよね?」

「ああ、その通りだが……どういうことだ」

 そりゃあ困惑するよね、普通は髪の色なんて一目瞭然なんだろうし。

「問二。さっき教室でみーんな驚いた顔してたけど、あれはどう見えた?」

「……篠ノ之、イラストソフトとか使ったことある?」

「使った事はないけど知識ならあるよ。それで絵描けって言われたら使えると思う」

「じゃあ話が早いな。下描きのレイヤーの上に、別のレイヤーで色付けるだろ? 黒やら焦げ茶やらの髪、顔や首には肌色、その後に背景とかなんとか」

「うんうん」

「さっき見えたのはそんな感じの着色レイヤーと、それから別のレイヤーで適当に油っぽい質感の色を掻き混ぜたものを高速で切り替えまくってる感じ」

「……うわぁ、なんか想像したら気持ち悪いね。汚いものと普通の景色を交互に見せられるんだ」

「しかも高速だからだんだん混ざって見えてくるし、しばらくすると懐疑心とか出てきて変な色がもっと変な色になるし。結構グロテスクで吐きそうになる」

 流石に十八年生きていれば多少は慣れるものだけど、あれだけの人数だといまだに駄目だ。

 吐き気がぶり返してきて口元を押さえている内に、織斑が秘密の内容に思い至ったらしい。

「……つまりお前は何かを見ると、実際のものとは違う色も見えるのか?」

「惜しい。正確には五感全部」

「うぁーちーちゃーん、もう答えちゃったよ。とーくんもさらっとネタバレしちゃうし! ……でも、そっか。それなら多分」

「篠ノ之?」

「とーくん、問三。ちょっと一回立って、ちーちゃんの前に」

「あ、はい」

「従順だな紬……」

 逆らっても仕方がないし……。

 プライドとか欠片もない僕に、篠ノ之はまだ質問、というか指示をしていく。

「よし、その場で正座」

「かしこまりました」

「……なあ束。必要なのはわかるがな、ここだと、その、スカートの中見えないか?」

「大丈夫、とーくんあんまり背高くないけどそこから見えるほどでは無いから。……姿勢良くしてれば」

「紬、気を抜くなよ。私がお前を殴り倒さないためにもな」

「怖過ぎて気抜けないから安心してよ」

 黒い錆のような色がじわじわ滲んでくるので必死に背筋を伸ばした。

「次は……ちーちゃん、適当にパンチ」

「えっ」

「わかった」

「えちょっ、躊躇いとか無ひいっ!?」

 目で追えないくらい素早く、そして後ろ足の膝が床につくほど深く踏み込んだ織斑は、とんでもない風切り音を轟かせながら拳を打ち出した。

 ……僕の耳をギリギリ掠めるように。

「まさか。本当に当てたりはしないさ」

「威力高過ぎて少しも安心できない……!」

「私だって気を抜けないと言われても安心できなかったよ。お互い様だ」

 ぐうの音も出ないがカチカチと鳴る歯の音は出た。芯から震えおののいていると、恐怖の大王シノノーノはさらなる指令を下した。

「とーくん、今のには色感じた?」

「……一応。黒錆っぽい色と、あと殴られる瞬間はドドメ色」

「そっか。ちーちゃん、限りなく同じ動作でもう一回パンチいける?」

「心掛けはしよう。また外せばいいのか?」

「わかってるねー、流石ちーちゃん。ツーといえばフー!」

「カーだろ、痛風なんぞなってたまるか。では紬、もう一度行くぞ」

「よ、よよよよっ、よし! こい!」

 ズバァッ、とえげつない風切り音に乗って弾けるレモンイエロー。

 ……あれ?

「今度は何色だった?」

「…………黄色。レモンイエロー」

「うん、大体わかったよ。とーくんは共感覚、シナスタジアって言葉は知ってるよね?」

「……もちろん」

 シナスタジア。

 それは何かを見たときに認識している実際の色とは別の色――例えば篠ノ之の髪を見て黒を想起したり、音や匂いのような視覚以外の情報に色を感じたりする特殊な知覚現象のことだ。

 僕のは多分それなのだろうと思って、一時期調べていたことがある。

 そう説明すると篠ノ之は手間が省けたと笑い、織斑は気まずそうに顔を逸らした。

 ……こんなの調べようと思わなければ知りようがない類の知識だし、知らなくてもしょうがないよね。うん。

「例えばアルファベットのAという字に色を感じるシナスタジア持ちでも、一人はそれに赤を、もう一人は青を感じることがあるそうなんだ。だけど、いつどんなタイミングでどの文字を見せても、その文字に対して認識する色が変わることはないらしい」

「ふぅむ……つまりは、一般的な五感に加えてもう一つの感覚が付いているようなものか? だから個人差こそあれど、見えているものが全くの別物になることは無い」

「そうなる。実際シナスタジア持ちには、色の想起を始めとした特殊な知覚を便利だと思ってる人が多いみたいだし」

「だけど、とーくんの場合は五感……というより、印象に色がついてるっぽいね。だから、同じような場面でも違う色が見えたり、逆に全く違う場面で同じ色が見えたりする」

 ……あぁ、五感じゃなくて印象に対して付いてたのか。

 他人事みたいに頷く僕を見て、織斑が不思議そうにする。

「さっきから伝聞形が多いな」

「……だって僕、他のシナスタジア持ちと違って、これを特別便利だと思ったことないしね。ちゃんと調べようとしたことはなかったんだよ」

 少なくとも友達を作るのには邪魔でしかなかった。

 

『トキナカくん、りんごは水色じゃないよ』

『せんせーっ、トキナカくんがまたウソついてるー!』

『あれサクラだよ、緑色なわけないじゃん!』

『ウソばっかり。みんなと違う色が見えるって、さっき言ってたのと違う色言ってるじゃん』

『ウソつき』

 

「……知覚現象っていうこの上なく主観的なものを証明するものは、本人の証言しかない。その証言が二転三転するんじゃ信用できないよね」

「うん? 信用できるよ?」

 篠ノ之は不思議そうな顔をしていた。

「…………いや、篠ノ之。話聞いてた? 客観的な証拠が出せないのに変なこと言うような、傍目にはウソツキにしか見えない奴を頭から信じられる奴なんて」

「うーん、まあそういう子に心当りがないわけじゃないけど。私が否定したいのはそこじゃないよ」

「……客観的な証拠なんて、ってところ? いやそれこそまさかでしょ」

「そっか、とーくんは私のことあんまり知らないのか。……そっかそっか! ならば見せつけねばなるまい!」

 不敵に笑う篠ノ之は、ガツン、と椅子に片足を掛けて。

 

「私が! 天! 才で! あることをーっ!」

 

 掲げた指を高らかに鳴らした瞬間それは光り輝き、()()()()()()()()()()()()()()()()()P()C()、更には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()まで出現した。

 

「――はぇっ!? えっ、何今の!? 格好良いっ!」

「へっへーんそうでしょ、そうでしょ!?」

「指パッチンでアイテム呼び出すとかロマンだよロマン! すごい、すごいよ篠ノ之!」

「ふわーっははははは! もっと! もっと褒めて! 褒めて伸ばして宇宙まで!」

「篠ノ之すごい! 最高! 時空一!」

「いえーいっ! ……ごめん、ちょっと恥ずかしくなってきた。それにまだ前座だし」

「前座? これ以上があんの!? 見たい見たい!」

「私はとっくに恥ずかしい……」

 織斑の消え入りそうな声で正気に戻った僕、高校三年生。

 この場で一番恥ずかしい生命体は静かに土下座した。

 

「昨日さ、私の髪色について耳打ちしたでしょ?」

「あ、そういえば。ビックリしたよあれ」

「はははー! ビックリさせるのが目的だったからね」

 そう言って篠ノ之はPCを起動し、何やら抽象画じみたテイストの風景が画面に……ん?

「……ねえ篠ノ之、これ僕の視界にそっくりなんですけど」

「そうだよ! とーくんの視界を傍受してるからねっ!」

「ど、どうやって……?」

「昨日の去り際、ビックリさせた瞬間にナノマシンをぶち込みまし」

「ふんっ!」

「ダッ」

 織斑の拳骨は隕石のような威力だった。

 そのまま倒れ伏すことすら許さんと言わんばかりに首根っこを掴み、織斑拷問官は篠ノ之を締め上げる。

「お前、人の体に奇妙なものを入れたり、勝手に改造するような真似はやめろと、何度も、言った、よなぁ……!」

「ちーちゃんストップ……酸素、酸素が、束さんのジーニアス脳みそに酸素がいかない……知性失われちゃう……」

「織斑落ち着いてっ、ここで殺したら話が聞き出せないっ」

「とーくんも酷いよ!?」

 織斑がノータイムでここまで殺しに行くような所業してる篠ノ之が一番酷い、というのは言うまでもないと思う。

 閑話休題。

「ごほ、ごほっ……それじゃあ続きだけど」

 クラス委員長様の鋭い眼差しを浴びながら、篠ノ之は表示されている画像をぺちぺちと叩く。

「このナノマシンはね、とーくんの視覚情報をモニタリングしてるんだ。大脳皮質の電気的活動を読み取って記録する、要はB(ブレイン)C(コンピューター)I(インターフェース)に近い概念だよ」

「SF映画なんかで機械を使わずにインターネットへ繋いだり、電脳空間に意識を送ってそこで情報を見聞きするシーンはよくあるが……あんな感じか?」

「そうそうそれそれっ、ちーちゃん冴えてるぅ!」

 織斑は満更でもない薄紫の顔をした。

「とーくんはさっき、客観的な証拠がないって言ってたけど……手段がないなら作ればいい。私は君を信じる手段を、ここにちゃーんと用意した。だから……」

「束」

「……いいんだよ、ちーちゃん。どう転んでもこれっきりにするから」

 昨日、篠ノ之の手を取ったあのとき。

 あのときも、こうして言葉を切った。

 彼女は今、その言葉の先を口にする。

「……だから。束さんのこと、認めてくれる?」

 期待と恐怖の色の太極図、原色の赤と青の螺旋がゆっくりと回る視界。

 ――篠ノ之の色は、なんだか不思議で、とても純粋だ。

「篠ノ之は、すごい。素敵な人だ」

 視界が薄桃色になるくらいの感謝と、少しの気恥ずかしさを詰め込んで。

「ありがとう。認めるもなにもとっくに僕の完敗だ。おみそれしました」

「……えへへ、そっかー。ふふ、束さんは……天才だから、ねっ。常勝無敗なのだぁっ」

 篠ノ之は褒められた子供みたいに照れくさそうに泣いて、織斑が何も言わずに彼女を抱き締めた。

 僕は背を向けた。泣いてるところなんて、誰も見られたくはないだろうから。

 

「とーくん。もうこっち向いていいよ」

 泣いて、泣いて、やっと泣きやんだ篠ノ之に呼ばれて振り向く。

「えいっ!」

「うぐっ」

 抱きつかれた。

 ……抱きつかれた!?

「あのっ篠ノ之!? 篠ノ之さん!? なにしてんの!?」

「ちーちゃん、今何色?」

「水色……いや、ほのかに橙が混ざっているな。さしずめ暮れかけた午後の空か」

「ふぅーん? 体温のイメージ……いや、あくまでも勝手に想起されるだけだから、一般的な色のイメージとは結びつかないのかな? ……ねぇ、とーくん? 今どんな気持ち?」

「いやもう何がなんだか……!」

 男心を弄ばれつつも役得過ぎて振りほどけない複雑な気持ち、とは流石に言えない。

 はぐらかしたら、目と鼻の先にある篠ノ之の顔は悪辣に歪んだ。

「……ふーん? ほらほらとーくん、胸板に押し当てられてるこれ、何かわかる?」

「…………」

「――束さんはおっぱいが大きいのです。知ってたかな?」

 耳元で囁かれて、背筋にぞくりと電流が走った。 

「……おや? にひひ、とーくんも男の子だねぇ。ちーちゃーん、今は何色だったー?」

「一瞬だけくすんだ丹色になったな。ちょうどお前のとこの鳥居の色に近い」

「興奮は鳥居の色、と」

「分析するのやめて!?」

 R18すれすれの漫画みたいなイジメられ方をしていると、篠ノ之は抱きついたまま色鉛筆の金みたいに真面目な声色で言う。

「だめだよ、いっぱいする。君のその目を、私はもっと知りたいんだ」

 思わずまじまじと彼女の顔を見る。

 どことなくデフォルメされた羊を連想させる、愛らしい笑顔をしていた。

「一緒に色んなところに行こうよ。色んなものを見て、色んなものを聞いて、触れて、嗅いで、味わって。そうして感じる色を、君が見てる世界を、私も知りたいんだ」

「……なんだか、プロポーズみたいだよ? それだと」

「……はっ!? だ、駄目よワタシ! ワタシにはちーちゃんという心に決めた生涯の伴侶がいるもの!」

「誰が伴侶だ」

「あぅっ」

 ぺしりと織斑に叩かれる篠ノ之は楽しげで、織斑もどことなく穏やかな表情で。

 彼女らと見る景色はどんな色なのか、僕も少しだけ気になった。

「……うん、悪くないかもしれないね」

 呟くと、篠ノ之はいたずらっぽくニンマリした。

「篠ノ之、それとできれば織斑も。僕と一緒に、色んな景色を見てくれる?」

「……いや、ただでは頷けんな」

「えっ」

「うんうん、そうだねぇちーちゃん。何事にも対価は必要だよね!」

「えぇっ、頼んできたの篠ノ之なのに!?」

 これ断られたら僕がただただ恥ずかしい奴になるじゃん、などと怯えていたら、織斑が仕方ないなとでも言いたげに溜め息をついた。

「名字ではなく名前で呼べ。それが対価だ」

「篠ノ之も織斑も、私たち以外にいるもんねー?」

「ああそうだな、いずれ紹介せねばなるまいし、いつまでも名字では紛らわしい」

「……まったく、二人揃って男前な」

 僕の立つ瀬がないじゃないか。

 立ち上がって、僕はおもむろに両手を上げる。

「束、千冬。これからよろしく」

「ああ、よろしくな。秋水」

「よろしくねっ、とーくん!」

 ぱしん、と軽やかにハイタッチして。

 僕らは今日、友達になった。

 



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中編

作業BGM/神様(nano.RIPE) etc.


 それは、二年前の記憶。

 

『姉さんは、どうしてものを作るのですか』

 

 私の妹、箒ちゃんはそんなことを尋ねて来た。

 篠ノ之家は神社であり剣道場。私はどちらにも興味は無かったので好きに生きていたが、妹は生まれたときから神事と武道に触れて育った。

 インスピレーションの赴くまま、凡人にときどき邪魔されながら発明に勤しむ姉。少々頑固だけれど、ひたむきに剣を振るい努力する妹。幼い彼女は正反対な性格の私を、どういうわけか尊敬してくれていた。

『うん? どしたの箒ちゃん、藪から棒に』

『ヤブ……?』

『あーごめんごめん、いきなりどうしたの、って意味』

『……今日学校で、将来の夢という題の作文を書きました』

『おぉーっ箒ちゃんの夢! 聞きたい!』

 価値観が違いすぎて両親とすら折り合いの悪い私を、妹はただ姉として見てくれた。天才であっても、価値観が違っても、変わり者な姉として。

 そんな可愛い妹の夢だ。気になって当然だろう。

 だけど実際ねだってみると、彼女は少しだけ自信なさげに俯いた。

『……私は、姉さんみたいにすごくない』

『そうかなぁ』

 私にとっては鬱陶しいだけでしかないあの有象無象どもと、学校ではまあまあ上手くやっているらしい。それだけでも十分すごいことだと、私は素直に思えた。

 ……いっくんを狙うメス犬どもには睨まれてるみたいだけど。とはいえ何されるかわかんないし、自分を磨くより蹴落とすことを考えるような塵芥に箒ちゃんが好かれても困る。

『でも、そんな私だからこそ目指せるものもありました。……篠ノ之流を、そして神社を私が継ぐこと。そのために頑張るのだと、私は書きました』

『アレの跡を追うのかぁ。束さんなら嫌だけど……でも、箒ちゃんはそうしたいんだね?』

『はい。……それに』

『それに?』

『……私が篠ノ之をちゃんと取り仕切っていれば、姉さんは誰にも文句を言われずに自由にしていられると。そう思いましたから』

『箒ちゃん……いとうつくしっ!』

『わぷっ!?』

 たまらずハグ。

 ……私がなに考えてるかとか、どうしてもの作ってるのかとか、なんにも知らないのにね。

 よくわかんないなりに正面から受け止めようとするところは、ちょっと同門のいっくんに似てきたかな?

 箒ちゃん。

 私の家族。

 唯一家族だと思える妹を抱きしめたまま、私はおもむろに口を開いた。

『束さんがどうしてものを作るのか、って聞いたね』

『……はい』

『むかーし、むかーし……ってほどでもないかな? もしかしたら箒ちゃんは覚えてるかも。一度ね、わざわざ星空を観に行ったことがあるんだ』

『え、姉さんが?』

『その反応は失礼じゃないかなぁー?』

『んぅっ、あの、姉さ、むね、あっいや息が……』

 マイたわわで口封じしつつ。

『まー箒ちゃんの言うとおり、私一人じゃ絶対行かないよ。ちーちゃんと一緒だったんだ』

 まだ私たちが中学生の頃。道場で箒ちゃんを初めて見たちーちゃんはその名前を知って、『そういえば、彗星は箒星とも言うらしいな』なんて呟いたのだ。

 それが切っ掛けで、私はちーちゃんに連れられて彗星を見に行った。二〇〇五年の一月、プレアデス星団に接近したマックホルツ彗星だった。

『妹の名前の星くらい見に行ったっていいんじゃないかー、なんて言うもんだからね。それに普段お金に苦労してるちーちゃんが、珍しく向こうから遊びに誘ってくれたのが嬉しかったし』

 ちーちゃんの生活の援助をしていたのがアレ……父親だったから、もしかしたらその差し金だったかもしれない。

 でも、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

『びっくりしたよ。論理や数式だけじゃ導き出せない「経験」っていう解は、こんなにも綺麗なんだって』

 人生で三つしかない私の感動経験。

 今も私を突き動かす、三つの原点。

『だからね、箒ちゃん』

 その内の一つ。

 二年前の記憶。

『私がものを作るのは、もう一度彗星に……宇宙に触れたいから。色々作ってるのはその言い訳かな?』

『言い訳、ですか? 宇宙に行きたいというのは素敵な夢ですし、言い訳なんてしなくても……』

『ううん』

 箒ちゃんを置いて夢へ向かって走り始める、その少し前の記憶。

『必要なんだ。どうしても』

 箒ちゃんに嫌われる前の記憶。

 

 

 

 

 

「どういう風の吹き回しだ」

 機嫌良さげに跳ね歩く篠ノ之束を睨めつけて、織斑千冬は詰問するような口振りで言った。

「あいつ――秋水(ときなか)にあそこまで入れこんでいる理由が、あの共感覚だけだとは思えない。目的はなんだ?」

 放課後となった今、件の少年はここにいない。まずは普段の景色を知りたいからと、束は彼を一人で帰らせた。

 まるでモルモットを放し飼いするかのように、至極あっさりと。

「――言うまでもないことだと思うけどさ。とーくんに仕込んだナノマシンはね、ただ視覚をジャックするだけじゃないんだよ」

 くるりと振り返った束は、セメントで固めたような笑顔だった。

「シナスタジア持ち、特に色を想起するタイプはそこまで珍しくないけど、ああやって何もかもに感じるってレベルまで行くとまあまあレアなんだ。だから脳波もバイタルも全部チェックしてる。それに何かこっちの不利益になりそうな動きがあったら、いつでも筋肉への信号を遮断して動けなくさせられるようにプログラムしてあるよ」

「……あぁ、お前ならそれくらいしているだろうな。だが、それならなぜ渾名で呼んでいる」

「……あだ名?」

「お前が渾名で呼ぶのは身内だけ。肉親である箒のことは名前で呼んでいるが、私と一夏のことは渾名で呼んでいるな」

「……そうだね。あだ名、あだ名かぁ。ちーちゃん、名前ってなんだろうね?」

「……は?」

 話の流れを打ち切って、束はそんな疑問を口にした。

「名前は親からの最初の贈り物らしいね。まだ何色にも染まっていない可能性を、かくあれかしと最初に定義するおまじない」

 束さんはそんなの信じちゃいないけど、なんて茶化すようにしながら、しかしその目はあまりにも真剣だった。

「私はね、ちーちゃん。凡人のことなんてどうだって良い。愚者のことだって知ったことじゃないよ。でも、害悪だけは無視できない」

 それは、濁った痰。

 火事の煙を吸ったような煤けたものを吐き捨てる、そんなどす黒い嫌悪の声だった。

「私がちーちゃんの名前もいっくんの名前も呼ばないのはね、その名前をつけたのが二人の両親だからだよ。私だって姉なんだ、家族の大切さくらいはわかる。両親とはどうしようもなく相容れないけど、それでも見限らないのは箒ちゃんの両親でもあるからだ。アレらも箒ちゃんを愛しているからだ。――私は、()()()両親を知ってるんだよ」

 だから、

「ちーちゃんを、いっくんを、愛すべき子供を捨ててどこぞに消えたゴミ共が残した名前なんて、私は呼びたくないんだ」

「そう、か。……つまり、秋水もそうなんだな?」

「うん、両親に捨てられてる。理由はお察しの通りかな? 躊躇なくサボったりしたのも、それで怒る保護者がいないからだね」

「……待て、保護者すらいないのか?」

「一応、どっかの孤児院の院長の名前がいろんな手続きには使われてるよ。でも交流自体は殆ど無いみたい。生活は手切れ金として渡された親戚の遺産とかに頼りつつ、無理のない範囲でアルバイト。ちょうど今、本屋でレジ打ってるみたい。……あ、混雑してる。色がごちゃごちゃ混ざって気持ち悪いことになってて、そのせいかバイタルもちょっと乱れてるね」

 常にこんな視界で生きてるんだねぇ、なんて暢気に言う束を見て、千冬はふと思い出した。

 いつか、束が今以上に腐っていたことがあった。世界が面白くない、既知ばかりで色褪せて見える、いっそ地球さえも飛び出せたら――そんなことを言っていた頃が。

「もしかして、羨ましいのか」

「別に。ただこういう知覚がIS、というかハイパーセンサーを使うときにどんな弊害をもたらすかってデータが欲しいだけだよ。……でも、そうだねぇ」

 モニターに目を落としていた束は視線を上げて、珍しくどこかアンニュイな表情で言う。

「私がいつかISのこと、夢の話をちーちゃん以外に話す日が来るとしたら……それはとーくんなのかもしれないね」

「そこまで言わせるか。初対面のときに何かあったのか?」

「なーいしょ!」

 にひっといたずらっぽく笑う姿は、兎というよりは猫のようだった。

 そんな彼女を見る千冬は、これ以上は聞けそうもないと溜め息をついて話を変えた。

「昔から思ってはいたが、お前は存外ロマンチストだな」

「束さんが?」

 千冬は眩しそうに目を細めていた。

 両親に捨てられ、頼れる親戚もなく、幼い弟と共に今日まで生きてきた彼女にとって、束が言うところの『正しい家族』というのは幻想でしかない。援助を申し出てくれた篠ノ之夫妻のような善人はとても稀有な存在であることを、彼女は承知していた。

 おそらく彼女だけではなく、世の中そんな真っ当な親ばかりではないことなど、実感とまではいかずとも誰だって知っている。

「人の根底にあるのは悪性ではなく善性なのだと、そう信じていなければ生まれない姿勢だよ。お前の身内贔屓、他人嫌いは」

 もっとも善だと信じているのではなく、そうでなければ人ではないと言う方が正確かもしれないが。そう付け加える千冬から慈愛に満ちた目を向けられた束は気不味くなり、拗ねたようにふいっとそっぽを向いた。

「……そういうんじゃないよ、束さんは馬鹿が嫌いなの。凡人が凡人なのはわかりきってるからまだ許せるけど、その上足の引っ張り合いするような奴は見てらんないってだけで」

「そういえばお前、不思議の国のアリスみたいな童話以外だと漱石も好きだったな。吾輩は猫であるとか、よく読んでいただろう」

 反論とも言えない反論をさえぎって千冬が笑った。

「……それがどうしたっていうのさ」

「漱石のこゝろにこんな台詞がある。当然お前も知ってるだろうが」

「…………」

「精神的に向上心のない者はばかだ、とな。初志貫徹しないもの、決意をあっけなく翻すもの、お前が嫌いな馬鹿というのはそんな奴だろう? ……Kのように板挟みの果てに自決すらしてみせるようなら、お前にとってはまだマシなのだろうがな」

「……束さんはあの作品、そんなに好きじゃないんだ。ただの凡人でしかない(わたくし)は別にどうでもいいけど、恋の一つで生き方すら揺らいだKも、仕方がなかったんだって言い訳に終止する先生も嫌いだった」

 束は思い出すのも不快だと言わんばかりに眉を顰めた。

「Kは特にだよ。死んじゃったらどうにもならないのに」

「……お前でも、死ぬのは嫌か」

「いつか死ぬのは構わないよ。でも、それは夢を叶えてから」

 束は今、個人で宇宙へ飛び出すためのマルチフォーム・スーツ――ISことインフィニット・ストラトスの開発に邁進している。千冬も束の発明品に対する使用料の一部をアルバイト代として、テストパイロットとしてその開発に携わっていた。

 側で見ていたのだ。束がISにかける思いは自分が一番知っていると、そんな自負が千冬にはあった。

 なので、次の一言に彼女は度肝を抜かれた。

「そういえば、ISを学会で再発表するという話はどうなった? 具体的にいつ、とは聞いていなかったのだが」

「ん? もうやったけど?」

「……………………なに?」

「だから、もうやったの。あのときは束さんがわかるようにしか書かなかったから今度はちゃんと馬鹿でもわかるようにレイアウトまで考えてやったのに見向きも」

「おい束、私は聞いてないぞそんな話!? いつだ、いつやった!」

「一昨日」

 絶句する千冬を尻目に愚痴は続く。

「次の日愚痴聞いて貰おうと思って珍しく学校行ったらちーちゃんバイトでいないし、そんなことにも思い当たらないとか束さん結構まいっちんぐだぜー、と思って腹いせに教室水浸しにしようと思ったらとーくんに見つかるしもうほんっと散ざ……あ、でもとーくんのことに気付けたのは幸いだったかな」

 ぶちぶちと文句は言いつつも予想よりずっと大人しい様子の束に、千冬は不発弾を扱うように尋ねる。

「……大丈、夫、なのか?」

「大丈夫じゃない」

 千冬は彼女が自分の夢をどれだけ大切にしていたのかを知っている。普段から素っ頓狂な発明に振り回されていてもなお、自ら手を貸してまで応援したくなるくらいには。

 悲痛な表情で絶句する千冬に、束は続ける。

「まったく、全然、これっぽっちも大丈夫じゃないけど……うん、馬鹿を相手にするのは、なんか、もう疲れちゃった」

 からん、と。

 心の底が抜けて感情が落ちた人間はこうなるのだろうと、そんな風に思わせられる表情を束はしていた。

「そうだ、答えてなかったね。私がとーくんにちょっかいかけたのは息抜きだよ。あんな馬鹿どもに私のISを無理やり認めさせるよりは、ずっと面白そうだし」

 彼女はそう言って笑みのような形の無表情を作り、千冬は後悔の砂を噛み潰した。

 

 

 

 

 

 きっと、私は期待したんだ。

 無限の(インフィニット)成層圏(・ストラトス)という名前の夢が理解してもらえることを。

 宇宙船なんて小さな部屋から飛び出して、手足を広げて広大な星の海を泳いで、遥かな彗星に手を触れる、そんな夢が理解してもらえることを。

 そしてそれを私という一個人が作れるのだから、人間に秘められた可能性は、世間にのさばる凡人どものが見せているような程度ではないのだということを。

 だから地道に発明品の発表を続けて実績を作り、先日のあの学会に至るまで他人の前に出続けた。

 学究の徒が努力していない筈がない、それに二度目なのだ、あるいは。そんな願いは、期待と呼ぶのが一番合っている。

 でも。

 その結晶を奴らは結局認めてくれなくて。どうしようもないほどの怒りと、初めて徒労感なんてものを覚えたりして。

 期待するのには疲れちゃった。

 だから、これは息抜きなんだ。

 私みたいに頭脳が優れているわけでもなければ、ちーちゃんみたいに身体能力が飛び抜けているわけでもない。ただちょっと変わった知覚を持つだけの、なんの変哲もない凡人の彼に興味を抱いたのは。

 いつもなら地下のラボにこもって発明に勤しんでいるのに、こうして駅前で待ち合わせなんてしているのも。

 不思議の国のアリスがコンセプトなのは変わらないけど、いつもよりは人混みに紛れやすい服装を選んだのも。

 ただの息抜き。

 きっと、それだけのはずだ。

 

「さぁとーくん! どこに行こうか!」

 

 開放されてない春の海に駆け出して水上で朝日を見たり、ISにも使ってるPIC技術の応用で空中散歩をしてみたり、そうこうしているうちに半月経って。

 ちーちゃんには言えた本心を、どうしてか彼には言えていなかった。

 今日も今日とで叫んだ私に、とーくんは弱腰な抗議から入る。

「あの、束。平日なんだけど。どこ行っても補導不可避なんだけど」

「よーしとりあえず街に出よう!」

「ほんっとに話聞かないね!?」

 現在私の左眼にはコンタクトレンズのように、特殊なホログラムによって脳波やバイタル、そして視覚情報――つまるところ例のとーくん丸裸モニターがそのまま映されている。

 ……ゆえに、束さんはわかってるのだよ。口ではあーだこーだ言ってるくせに、こうやって手を引かれて連れ回されるのは満更でもないと思ってることを。

「内緒だけどね」

「なにが?」

「なんでもなーいっ」

 どうやら今の景色はキラキラした碧に見えているらしい。これからどこに行くんだろうという期待と……心配? 何に対してだろう。

 どこへともなく歩きながら素知らぬ顔で聞いてみる。

「とーくん、なんか不安そうだね」

「不安? ……あー、不安といえば不安かも」

「どうしたのさ。束さんと一緒ならゴーエニホウェアドゥーエニシングだよ? なんにも気にすることなんて」

「なぜに英語? まあそりゃあ束ならどうにかするんだろうけれども」

 とーくんはちょっとどもって、私の左眼には恥じらいを示す数値と薄い蛍光レッドが映る。

「……僕のせいで連れ回してるんだしさ。なんかあったらって思うと、少しはね」

 君も女の子だし、と言われてきょとんとする。

 迂闊に遠出して私が怪我をしたりするようなことがないかとか、そんなことを心配しているらしかった。

 おかしくって忍び笑い。

「今更だし、私やちーちゃんにする心配じゃないよねー、それ」

「……笑うことないでしょ。良いじゃん別に、友達の心配くらいしたって」

 彼はむすっとした。背があまり高くないとはいえ、十八歳の青年がする仕草としては幼くて面白い。

「というか、そんな風に心配する割には束さんの頭思いっきり蹴っ飛ばしたよね」

「あっ……そのー、咄嗟だったものでつい考えなしに」

「嘘でしょ」

「うぐっ」

 脳波にも出てるけどそれ以上に顔に出ている。

 やがて観念したのか、とーくんは渋々口を開いた。

「…………僕の親のことは、知ってたっけ」

「なんとかって孤児院で育ってそこの院長が保護者ってことになってるけど、そいつとの交流がほぼほぼ断絶してるってところまではね」

「……そ。なら、これはまだかな」

「うん?」

「僕の両親、血の繋がった肉親と暮らしてたときのことはろくに覚えてない。孤児院にいたときのことが、覚えている限り最古の記憶なんだけど」

 少し、驚いた。

 ちーちゃんがそうなんだけど、捨てられた子供はその親のことを話したがらない。そんな奴らのことを口にもしたくないというのもあるみたいだし、ともすれば不幸自慢みたいに受け取れるから情けなくて嫌だ、ということらしかった。

 でも、とーくんの口振りも脳波も視界の色も酷くニュートラルで、親に対して思うことが一切ないのだとわかった。

 隠しごとがバレたから、説明のために仕方なく話しているだけでしかないという語り口。

「なんかね、親に虐待食らってたせいか、暴力を振るい合うのが当然だと思ってたみたい。殴られるのも殴るのも怖くなかったし、痛みは痛いんだってことを知らなかった」

 痛みは痛い。

 箒ちゃんに嫌われた日を、思い出した。

 慕ってくれたあの子との齟齬。極めて単純な、相互の不理解によるもの。

 ――ただ尊敬だけがあった瞳が、次第に化物を見る目になっていく。

 そんな変化に気付けたのは、あの子にいいとこを見せようと剣術をやってみたときだ。箒ちゃんの稽古姿を眺めて覚えた篠ノ之流を、見様見真似で構えてみせたとき。

 戯れにした立ち合いが終わってみれば、彼女はもう目も合わせてくれなかった。打たれてもいないのに胸が痛かった。 

 ちーちゃんが友達から親友になった日を、死闘とも呼ぶべき大喧嘩をした日を思い出した。

 そりゃあもうボッコボコにされたけど、殴られた顔やお腹だけがひたすらに痛かった。

 痛みは痛い。

 真っ向から向き合うために血みどろになるまでやった大喧嘩より、お互い理解する気なんて少しもなかった、防具をつけての軽い打ち合いの方がずっと痛かった。

 だってそれは、拒絶でしかないから。

「今は十八年生きたなりに学習して、暴力はいけないことだっていう当然の倫理も身についた。だけど、多分抜けきってないんだ。ほとんど原体験みたいなものだから」

 原体験というのは、思想形成の核になるものだ。

 ……あらゆるものに色がついて見えるのなら、初めて見た色は拒絶の色だったのかな。

「そうだ、束。話を戻すけど」

「……あっ、どこに行こうかって話だったね」

「うん。行きたいところはないけど、ちょっとやりたいことができたよ」

「なになに? 孤児院にいたそいつに復讐してやりたいとか?」

「しないよ。……君の原体験を聞きたい。なんでものを作るのかとか」

 何でもとは言わないけど、お互いのことを知ろうとしてこそ友達だと思うから。そう言って笑う彼に、私は語ってみることにした。

 私の目的は息抜きだから、普段しないことをするのもありだ。

 それに建前上は彼の目について知りたいからってことになってるんだから。

「いいよ。私の夢の話はどんな色なのか気になるし」

「……そうだった、視界ジャックされてるんだっけ」

「ふっふっふー、最初は胸の方に視線が行きかけては頑張って逸らしてたね?」

「申し訳ない……」

「許して進ぜよーぅ。だから耳かっぽじって聞くといいさ、天才の誕生秘話を!」

「誕生秘話!」

「私の原体験、もの作りを志したきっかけと言える感動経験は三つあるんだ。最初は妹、箒ちゃんが私の玩具で笑ってくれたとき。次はちーちゃんと初めて喧嘩したとき。最後は――」

 かつてちーちゃんと一緒に歩いていた道を歩いて、懐かしい話をする傍ら。

 脳裏を掠めるのは二つの情景。

 一つは先日、二度目となるISの発表――それも以前よりずっと詳細で、ちゃんと勉強してるならわかるよう解説まで丁寧に入れた論文によるものだ――を手酷く扱き下ろされたこと。

 夢の結晶が、受け入れてもらえなかったこと。

 もう一つは――

 

『はぇっ!? えっ、何今の!? 格好良いっ!』

『篠ノ之すごい! 最高! 時空一!』

『ありがとう。認めるもなにもとっくに僕の完敗だ。おみそれしました』

 

 期待するのは疲れたけど。

 とーくんなら、認めてくれるのかなぁ。

 

 

 

 

 

 教室について鞄を置くと、何ごとかを話していた二人の男子生徒に声をかけられた。

「なぁー、オマエ紬だっけ? あの篠ノ之と仲いいんだよな」

「え?」

 僕はもう高校三年生、中には三年間同じクラスの人もいたりするのだけれど、束に指摘された通りこれっぽっちも目立たない生徒だった。

 ……いや、正直に言ってしまおう。本を読んでばかりで休み時間には図書室にこもる、ろくに会話もしない根暗な生徒だった。

 そんなやつが、よりによって滅多に学校に来ない天才と話しているところを目撃されて、もう半月。こうなるのも当然だったのかもしれない。

「そりゃあ、友達だし」

「トモダチ……? あ、じゃあさ。聞きたいことがあんだけど」

「なに? 悪いけどそこまで何でも知ってるわけじゃ……」

 千冬という絶大なカリスマを誇る委員長がいない。

 彼女と束の関係を詳しく知る人間もおらず、いたとしてもまだホームルームには早い。生徒の数はまばらだ。

 そして何より――束は彼らにとって、画面の向こうのように他人だった。

 

「やっぱ具合イイの? あいつ」

 

「…………っ、……は?」

 耳どころか、脳機能全部を疑った。

「だから、あいつ胸でかいしケツ丸いしぜってーエロいだろ? な、どうなんだよ」

「バッカおまえ、ケツは大体どの女子も丸いだろ。……でも気になる。あいつ裏口入学したんだろ? そういう噂聞いたことある」

「マジかよ、ずりぃ!」

 喉が乾いていく。

 頭の中が筒になったみたいに空っぽだ。目の前の誰かの声がするりと通って反響し、ススみたいな色に染まる目を裏側から押し出そうとする。

 ……何を言っているのか、わからない。

「ろくに授業出なくても進級してるし、やっぱそういうことしてんだよな?」

「校長とか理事長とか全部まとめて、って聞いたことあるわ。あー、でも俺篠ノ之だったらオッサンの使用済みでも」

「……れ」

「はぁ?」

「黙れって言ってるんだッ!」

 僕は――

 僕は、忘れていた。

 束にまつわる噂は、彼女の無関心さについてしか知らなかったことを。

 ああ、そりゃあ広まらない。こんなゲスな話、品性が欠片でもあればできるもんか!

 襟首を締め上げて、壁に押しやって、この後どうなったって知ったことじゃない。

「グッ……ってぇなっ」

「お、おい紬っ」

「お前、その話を僕にしていいと思ったのか。彼女の悪い噂を、その友達である僕に向かって言っていいと、そんなふうに思ったのかよ!」

「な、にムキに……なってんだ……!」

「答えろ!」

「別にどうでもいいだろこんくらい! あんな怪しいやつ、噂して何がわりいんだよ!」

「何が悪い……? 本気で言ってるのか? じゃあ教えてやるよ、悪いのはお前のその性根だ!」

「……ッ、てめえこそっ、織斑や篠ノ之の腰巾着だろうが! どうやって取り入ったのか知らねえけどよ、てめえみたいな根暗野郎にできることなんてそう大したもんじゃねえんだろ!?」

「ああそうだよ、僕にできることなんてたかが知れてる! 取り柄なんてない、何で友達になってくれたのかだってわかんないよ。でもなぁ!」

 痛みは痛いんだって知っている。束にだって偉そうに喋ったよ。

 だから、どうか。来てくれるなよ。

 今にも、これを殴りそうなんだ。

「あの子への悪意を、謂れのない中傷を、聞き捨てる理由にはならないだろぉっ!」

 

「秋水」

 

 ゾッ、と背筋が凍った。

 炭の色に満ちていた視界が、極点を包む雪のように漂白された。

 教室の扉を開け放ち、竹刀を持った羅刹女がそこに立っていた。

 呼ばれたのは僕の名前だけれど、その秋水(ことば)がよく似合う凛とした声は……真っ赤に、真っ赤に、海でさえ冷やすには足らないくらい焼けた、刀の色をしていた。

「もう、充分だ。あいつは今日来るつもりがないようでな、代わりに礼を言う」

 

 織斑千冬が、そこにいた。

 

「ありがとう。あいつを知って、そこまで声を荒げてくれる奴も珍しい」

「……珍しい、かぁ。他のはどこの誰だろうね」

「さぁな。少なくとも私ではないよ」

 片手にただ持っていた竹刀がするりと持ち替えられる。自然体からより自然な形に。

 真剣だとしたらいつでも抜いて切り捨てられる、そんな形に。

「――私はただ、素っ首落としてやりたくなるのを抑えるだけで精一杯だ」

「お、織斑……!? おま、部活は」

「無い。今日は自主練をしていただけだからな、遅刻しないよう早々に切り上げたよ。……どうやらこの判断は正解だったらしいな」

 こつ、こつ、こつ、と千冬はゆっくり近付く。

 その表情はひどく穏やかで、口元には笑みすら浮かべはじめたのに――その全身、足音、伸びる影に至るまでが、熱い刀の赤のまま変わらない。

「あれでも私の親友でな。事実を言われるのは構わんが……無根の嘘を吐かれては、こちらも撤回されるまで抗議する他あるまいよ」

「い、いやでもあれは……」

「ほう、釈明があるか。ならば職員室でも、生徒会室でも、生徒指導室でも……どこだっていい、担任立ち会いのもとじっくり聞かせてもらう」

 そう言って、千冬は二人の男子の襟首を掴み引きずっていった。

 他のクラスメイトは一連のやり取りを擁護もせず、かと言って否定もせずにそそくさと席に戻っていく。嵐が吹き去ったあとの荒れ地と晴天に安堵するのに近い、妙な落ち着きと一緒に僕も着席した。

 ――さて。何ごとも一段落ついてホッとすると、しょうもないことが気になり出すのは人の性だと思うんだけれど。

「……もしかして僕、すっごい恥ずかしいことをしてたのでは……?」

 

 いうまでもなく恥ずかしい生き物をしていたらしいことは、帰りに訪れた篠ノ之神社で突き付けられた。

 束が映像を流しながらしれっと言う。

「いやぁ……とーくん越しにとんでもない汚物を見せつけられたけど、音声は届いてないから実はよくわかってないんだよね。ちーちゃんさ、今、この場で、状況説明とかできたりしない?」

「音声が届いていなかったのなら仕方ないな。今、この場で、秋水と共に説明してやろう」

「おぉ! それなら精確さが増すねぇ」

「どうか勘弁してくださいっ!」

 一瞬で謝ると、千冬がにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。君意外とからかうの好きだね! 薄々わかってたけど勝てる気がしない。

「……まあ、お前は知らなくていいことだよ。私と秋水だけでいい」

「むぅ、仲間はずれみたいで面白くないんだけど……というかちーちゃんちょっと昨日までよりとーくんに心許してる? とーくんもとーくんでなんか好感度上がってるっぽいし」

「さぁ、な」

「それ事実だけど肯定も否定もしないときの『さぁ、な』だよちーちゃん!? なに! なにがあったの!?」

「言わん」

「ごめん束、こればっかりは言いたくない……」

 あんな聞くに堪えないもの、どんなにねだられたって教えてたまるものか。

「……結構ストレスかかってるみたいだし、本気で言いたくないみたいだし。うん、しょうがないか」

 思ったよりあっさり引き下がってくれてありがたい。

「とーくん、疲れてるっぽいし帰って大丈夫だよ? なんならちーちゃんが送ってくし」

「……束、せめて自分も行く素振りくらい見せろ」

「や、そこまでは大丈夫だよ。じゃあ悪いけど帰るね」

「うんっ! また明日ーっ」

「あぁ、またな」

「また明日、二人とも」

 夕暮れの中で手を振って、鳥居をくぐって帰路につく。

 一人だ。

「下校中に寄り道とか、ましてや誰かと遊ぶとか。夢だったよなぁ」

 影法師がゆらりと伸びて先を行こうとするので、置いて行かれないように少し早足になる。

「……明日も会えるように、さっさと帰って休まなくっちゃ」

 僕なんかと一緒にいて楽しそうにしてくれる、二人の友人のために。

 

 

 

 

 

「束」

「んぃ? なにーちーちゃん」

「もういいぞ。足音も聞こえない」

「…………」

 二人だけになった境内。

 千冬の言葉が合図になったかのように、束の顔はみるみる赤くなっていく。

 数秒後には湯気を上げた。

「……んぁぁぁぁああああああああああっ! どうしようちーちゃん! 結構恥ずかしい! というか照れる!」

「だろうな。お前はあそこまで直球で庇われたことなんてないだろう」

 束が今日学校に行かなかったのは、秋水の五感全てを自分にフィードバックする……つまり、彼の目に反映される色を構成する光や音を、全て自分で体験しようと思い立ち実験していたからだ。

 要するに。

 彼女は秋水と全く同じものを聞いていた。

「……なんで、あそこまでオープンに受け入れてくれるんだろうね」

「あいつなら聞けば答えてくれそうだがな」

「そうだけどぉー……」

 賽銭箱の前で膝を抱えて唸ったかと思えば、横に倒れた勢いのままよく掃除された境内を転がる。

 ここのところよく見かける天才らしからぬ姿は、千冬にとって中々に愉快なものだった。

「なぁ、束」

「……どしたのー、ちーちゃん」

「息抜きはできそうか?」

「……そだね。息抜き、できたかなぁ」

「なんだ歯切れの悪い。少し前までは鬱陶しいくらい自信に溢れていたくせに」

「鬱陶しいは余計ですぅー。……ねえ、ちーちゃん」

「なんだ、束」

 おもむろに起き上がり、一人不思議の国のアリス、といった衣装を緩慢にはたいて立ち上がった束の目に、常人離れした知性の光はいささか弱く……しかし、人間味に溢れた感情の色があった。

「もしも。もしもとーくんにISのこととか全部、ぜーんぶ話したら。受け入れてもらえるかな」

「……お前は()()が宇宙へ飛び立つためにISを作った。私もその可能性に夢を見たから協力した」 

「…………」

「お前があいつを()()だと思えるなら、話してみるんだな」

「……話してみるよ。私は、とーくんなら人だと思えるから」

 束は決心した。

 人間にもう一度期待してみようかと、そう思い直した。

 

 それが裏切られるのは、半月後のことだ。

 



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後編

作業BGM/ルナ(はるまきごはん) etc.


 闇の中に溶けた影がある。

 

「――篠ノ之束。女、十八歳。

 家族構成は父、母、妹。

 実家は神社兼剣道場。どちらにせよ歴史は()()()より長い。

 他人に対しては排他的に接しようとしていますが、せいぜい子供の癇癪程度。身内として扱っている織斑千冬、織斑一夏、篠ノ之箒、紬秋水への偏重ぶりもやはり子供じみたものです」

 そこ自体はなんの変哲もない会議室だった。

 ただし明かりはなく、真っ暗な中で一人の女が淡々と資料を諳んじている。

「小学生の頃に偽装した身分で投資を開始、稼いだ資産を元手に調達した材料で工房を作成。

 その後は年齢的に学会への参加を認められなかったため買収した研究員を名代とし、三六〇度に対応した特種視覚センサーやリアルタイム演算による慣性操作装置などの発明品を順次発表。

 成果が認められ参加権を手にしてからは、それらを統合した宇宙開発用マルチフォーム・スーツ『インフィニット・ストラトス』、略称ISの理論を自ら公開。中学二年生でのことです」

『フンッ、忌々しい』

 ザラついた機械的な音声がどこかから響く。

 それはさながら、しゃがれた老人の声だった。

『小娘の妄想で宇宙なんぞへ出て行かれては、儂らの売り物は使えなくなるではないか』

「ご安心を。先日、高校三年生となった彼女は再びISの理論を解説付きで発表しましたが、あまりの荒唐無稽さに失笑される有様でしたので」

『あら、残念。深海へ突入しての隠密的艦隊破壊作戦だとか、はたまた人間大という小柄さを利用した奇襲作戦とか、実現すれば使いみちは色々あったのに』

『実現すればだろう。あまりに常軌を逸した理論だ、鵜呑みにはするな』

『しかしこの……ハイパーセンサーと、PICだったか? 量子変換技術までは技術が足らぬが、それ以外なら十分に再現可能だ』

「……では、計画は実行に移しますか?」

『うむ』

『とはいえ、いきなり篠ノ之束を狙うのも迂闊ですね』

『織斑千冬は周囲との関わりが深いだけでなく、かの天才の親友なだけあって相当な身体能力だ。生半可な兵では返り討ちに遭うのが関の山』

『後で揉み消しやすくするためにも、直接彼女らの弟妹(きょうだい)を狙うのも得策ではありませんね』

「……ということは、やはり?」

『ああ、狙い目は彼だ。頼んだぞ』

 ノイズに塗れた声は、ひ、ふ、みっつ。

 やがてそれらは消え去っていき、一人部屋に残された女――スコール・ミューゼルは優美に微笑んだ。

「――ご随意に」

 

 

 

 

 

「我が聖域、『吾輩は猫である(なまえはまだない)(仮)』へようこそ!」

 篠ノ之神社の鳥居を、ただ束と共に通っただけ。

 そのはずなのに、目の前には機械の国が広がっていた。

「……すっごい」

 僕はこてこての文系脳で、理工学にはさっぱり明るくない。

 だから、すごいパソコンなのかもしれない大きなタワーも、整然と繋げられた緻密な配線も、無機質な扉の格納庫も、ショーケースに収められた機械類も、一歩引いてみると謎めいた乳白色でひと揃いに染まっている。

 煩雑さのない、確かな芯のもとに扱われる機械たちだった。

 ……それはさておき。

「カッコ仮?」

「カッコ仮。安直にIS開発ラボとかじゃつまんないし、かと言って無名なのも嫌だったしね」

 恥ずかしげにそういった束は、いくつかあるモニターの一つ――僕の秘密を明かした日、魔法のように現したディスプレイをちらりと見て言う。

「……とーくんさ、箒ちゃんやいっくんには会った?」

「え、まあさっき挨拶くらいは。どうしたの?」

「実はね、どんな色だったかとーくんの口から聞きたくって、視界の共有切ってたの。録画はずっと回してたんだけど」

「なんとまあ……」

 光栄というか、いじらしくて可愛いというか。

 そんな彼女は、何ごとか躊躇うような面持ちでぽつり。

「だから聞かせて? お話しようよ、とーくん」

「……わかった。お話しよう」

 僕らは友人だけれど、何もかも知っているなんて口が裂けても言えやしない。まだ一ヶ月にも満たない付き合いだ。

「話さなきゃ、分かり合えないもんね」

 自分のことを棚上げして、僕はそういった。

 束は笑ってくれた。

 

 隣り合って座る。肩にことりと僅かな重みが乗ったけれど、二人とも気にしない。乳白色の国をぼんやり眺めている。

 一夏くんの話からしよう、と僕は言った。

「透き通ったコバルトブルーだ。真昼の空みたいな色だった」

「ほほーぅ、青かぁ。束さん的には白のイメージだったんだけど」

「一夏くん自身じゃなくて身につけるものだったら、白はすっごい似合うと思う。きっと空や海みたいになるよ」

「海に白波、空に入道雲。まさに夏かな?」

「そうそうそんな感じ。……あ、そうだ」

「うん?」

「目元とか髪のくせとか、細かいところが千冬に随分似てた。姉弟なんだねぇ」

「そう、そうなんだよ! 私が昔『もしもちーちゃんが男の子だったら』って考えたときの姿そのまんま!」

「夢見ましたか」

「見ましたっ! 初めて会ったときびっくりして、最初からこのテンションだったし!」

「ちなみにその時は二人おいくつで」

「私が十二歳、いっくんが三歳!」

「……もしかしてその妄想、ゆりかごから墓場まである?」

「え、当たり前じゃん」

「うおーぅ……」

 箒ちゃんの話も聞きたい、と束は言った。

「大人しくて、ちょっと人見知りなのに……炎。千冬の青い炎とは違う、もっとギラギラした真っ赤な炎だった」

「かっこいい……流石は箒ちゃん、立派な大和撫子だよ……」

「剣道も頑張ってるし、これから強く綺麗になっていくんだろうね。あ、そうだ束。一つ聞きたいんだけど」

「ん、何かな?」

「箒ちゃん一夏くんに惚れてるでしょ」

「大! 正! 解!」

「応援してあげたいなー。稽古終わりにタオル持って駆け寄るのが初々しくって」

「わかる、すっごいわかるよとーくん……私いつもここから見てるんだけどもー空気ピンクにしたい欲とこの清純さを保ちたい欲がせめぎ合っ」

「そういえば『僕は束と千冬の友達なんだ』って自己紹介したんだけどさ。束とのところで警戒されて、千冬のってところで安心されたよ」

「あの、とーくん? それ言わなくっても良いやつじゃない?」

「それが『是非お伝えください』って言われちゃって」

「うわーん!」

 昔の話を聞かせてほしい、と僕は言った。

「呂律はどうしても回らなかったから流暢でこそなかったけど、小説を読めるくらいに言葉を覚えたのは二歳くらい」

「早っ」

「ふっふーん。更に更に、数学に興味を持ったのが幼稚園に入れられた頃。ミレニアム懸賞問題ってあるでしょ?」

「……うん。名前くらいは僕でも知ってる」

「パソコンの使い方を覚えて、高校数学まではあっという間だった。そこからは毎日毎日、その懸賞問題の証明に勤しんでた。研究の初期費用はそこから」

「すごいなぁ……僕そのくらいのとき何してたっけ」

 昔の話を聞かせてほしい、と束は言った。

「とりあえず親には捨てられた」

「お、おう……」

「で、孤児院に放り込まれたんだけど。視界のことを信じてもらえなくて、説得のために絵を描いたりしてた」

「絵かぁ、束さんはあんまりやったことのない分野だ。得意なの?」

「そうでもない。目前の風景を精確に描ける、ってほどでもなかったし、この視界のまま色をつけたから気味悪がられたよ」

「視界のまま……もしかして、二重に重なってる色相をそのまま描いたの?」

「そう。当然ただの絵の具だから、混ざったらどうなるかなんて言うまでもないんだけど……馬鹿だったなぁ」

「……馬鹿じゃないよ。誰かに理解してもらうための行動が、馬鹿なもんか」

「……そっか。君にそう言ってもらえると、そんな気になるよ」

 夢の話を聞かせてほしい、と僕は言った。

「ついてきて」

 私の夢を教えてあげるよ、と束は言った。

 

 ラボは思った以上に広く、最初に入った部屋から出ると長い廊下があった。

 なんてことない足音が澄んだ響きになる。今は不思議の国のアリスの衣装を着ている束だけれど、きっとガラスの靴だって履きこなせるに違いない。

 少し先を姿勢よく歩くシンデレラは、足音みたいによく通る声で語る。

「歩くのっていい気分転換になるんだ。馬鹿のせいで集中力切れたときとか、何か新しいものを作りたいときとかはうろうろ歩くんだよ」

「おー、クリエイターっぽい」

「ちっちっち、確かに創造的だけどね。束さんはいついかなるときでも、天才的で十全に完全な、この世でただ一人の篠ノ之束という人間なのさ! 肩書じゃあ私を縛ることはできないねっ」

「……ふふっ」

「む、なにさ。笑わなくてもよくない?」

「なんでもない」

 アリスでもシンデレラでもない。今僕の目の前を歩いているこの子は、等身大の女の子なんだ。

「そうだよな、束は束だ」

「……うん。そうだよ。私は私」

 メタリックなウサ耳をつけた、ドレス姿の女の子。

 とても頭が良くて、人の好き嫌いが極端な女の子。

「ついた。ここだよ」

 僕の大事な友達、篠ノ之束の夢。

 

「宇宙開発用マルチフォーム・スーツ、無限の成層圏(インフィニット・ストラトス)

 

 ――そこに、『白』が、いた。

 白。真っ白。飾り気のない、無の色。眩しいほどの純白を纏ったそれが、束の夢。

 

「これで宇宙に行きたい。……どうかな、とーくん」

 

 誇らしげに胸を張る彼女へ、僕が答えることなんて決まってる。

「……僕さ、完全な白、って生まれて初めて見たよ。二つの視界で全く同じ色をしてる」

 それはきっと、彼女の純粋さの証左なんだ。

「誰に憚ることもない、最高に素敵な夢だ」

 あまりにも眩しいから、笑うように目を閉じてしまった。

 いつかこれが空を飛んで、大気を抜けて、やがて宇宙へと旅立つ姿が鮮明に浮かぶようで。

「……ありがとう、束。君の夢を見せてくれて」

 僕なんかが友達でいいのかってくらいの、あまりの格好良さに参ってしまった。

「おみそれしました」

「……とーくん」

 ふわり、と束が抱きついて来る。

 僕も彼女を抱きしめた。

「……ありがとう」

 そんな声が聞こえた気がした。嗚咽をこらえるような小さな泣き声には耳を塞いで、顔を見ないように抱きしめた。

 束を抱きしめた。

「初めて逢ったとき、私の髪の事を宇宙みたいだって言ったよね」

「言ったね。今でもそう思ってるよ」

「そっか。……ねえ、一つだけ約束したいんだ」

「なにかな」

「……いつか」

「…………」

「いつか、本物を見せてあげる。私の隣で、本物の宇宙とこの髪を、見比べてほしいんだ」

「……うん。君さえよければ、僕も隣にいたい」

 

 

 

 

 

「ちーちゃん! 一人で大気圏突破してダイビングよろしく技キメながら再突入するのと適当な人工衛星煽って回るのとどっちが良いかなっ!?」

「まずは落ち着け」

 親友のあまりにも高すぎるテンションに、織斑千冬は思わず頭を抑えた。

 友人である少年が昨日、自分たちの弟妹に会ったとは千冬も聞いた。ついさっきのことだ、忘れるはずもない。

 それからどうしたんだ、と。

 そう聞いてしまったのが運の尽きだったと彼女は後悔した。

 当然のごとくアイアンクローを食らい落ち着いた束は、ギラギラと活力に満ちた顔で言う。

「いかにしてISの成功をとーくんにプレゼントするか一緒に考えて!」

「……息抜きは、もういいのか?」

「もう充分! それよりも、早くISが飛んでるところを見せたいんだよ!」

 ……ああ、良かった。

 そう言いかけて恥ずかしくなり、千冬は僅かに顔を背けた。

「ISを見せたのなら、そのときにお前が身につけて飛べばよかっただろうに」

「駄目だよちーちゃん、白騎士はちーちゃんが装着する前提で作ってるんだから」

「それだけこだわるならアイデアも自分で考えた方がいいんじゃないか」

「だって、ISは私とちーちゃんの作品でしょ? 二人で作ったんだから二人で見せようよ」

「…………」

 二人で作ったのだから二人で考えたい、というのは当然の心理ではある。

 しかしそんな真っ当なものを、しかも束から示されたことに内心驚きつつ……一抹の寂しさにも気付いた。

 ――お前も、少しずつ成長するんだな。

「束」

「ん? なぁに、ちーちゃん」

「……いや、なんでもないさ。気が変わった、私にも少し考えさせろ」

「やったーっ! ありがとうちーちゃん!」

 この場に件の少年はいない。束は夢に賛同してくれた彼に、その成果をサプライズ形式で見せつけようと考えたからだ。そのために千冬は道場で稽古を終えた後、着替える間もなくラボへと拉致された。

 普段なら拳骨の一つも落とすところだが、上機嫌に昨日のことを話す束を見て毒気を抜かれてしまったし、もうそんな気にはなれそうもない。

 千冬はわざとらしく溜め息をついた。

「月に行って、石かなにかを拾ってくるのはどうだ?」

「あー、ちょっといいかも。夢を応援してくれたお礼に月の石とか、ロマンチックだねぇ」

「使われなくなった人工衛星のエンブレムを剥がして、持ち主の国へ送り付けるのは」

「ちーちゃんそういう意趣返し好きなの? でも悪くないね!」

「すまない、取り下げる」

「なんでっ!? あ、じゃあこういうのは? 世界中のミサイルの制御権かっさらって適当な海上へ撃ちまくるでしょー、それをちーちゃんが全部撃ち落とすの!」

「却下だ馬鹿者!」

「あだっ!? ……えへへ」

「なに笑ってるんだ……」

 呆れたように言いながら、千冬も笑顔になっていた。塞ぎ込んでいた友人が元気になって嬉しいのは、彼女だって同じことだった。

 

「うぅーん、結構案が溜まってきたね」

「馬鹿な内容も多いがな……」

 ノートに書き込んでいた案のひとつひとつを眺めていると、実現する気があるのかとさっきの自分を問い詰めたい気分になってくる千冬だった。もっとも、束の方が余程荒唐無稽な案を出しているが。

「お前の案は全て実現可能なのか?」

「うん、もちろん」

「……なら、何も言うまい。この中から選ぼう」

「そだねー、あんまり多すぎても困るし。……よし! とーくんのバイタルでも見よう!」

「は?」

「きゅうけーいっ!」

 立ち上がってパタパタと走り去っていく束を見送って、ISプレゼン案と銘打たれたノートに目を落とした。

「……昔の束だったら、さっきのミサイルの案みたいなのを迷わず選んでただろうな」

 彼女は天才的な頭脳を持って生まれた代わりに理解者に恵まれず、人と心で触れ合うことがあまりに少なかった。

 人のことを省みられる精神性ではなかったかつての彼女なら、どんなに危険な方法でも気にせずに行っただろう。

「今度、秋水になにかくれてやるかな。一夏に料理でもさせるか」

 くつくつと笑う。ああ、その場に自分と、束もいて、賑やかに食事でもできたなら――

 

「……え?」

 

 それは、少し離れたところにいる束の声だった。

 

「えっ、なにこれ。どうしたのとーくん、とーくんっ!」

「なんだ束、何があった」

「とーくんのバイタルがおかしいっ、この時間までなんてことないのに、いきなり気絶してる!」

「なにっ!?」

 ディスプレイを見る束は蒼白になっていた。千冬が駆け寄ると、うわ言をこぼしながら分析をしている――彼女が初めて見る、恐怖に満ちた顔で。

「……多分これ脂溶性の静注……いやでもこの成分はプロポフォールじゃなくて別物? だけどこんな強すぎる薬効なんて何に」

「落ち着け束! 今お前が冷静さを欠いたら何もわからなくなるぞ!」

「ッ……とりあえず、なんかやばい麻酔薬射たれてるっぽい!」

「わかっ……いや大丈夫なのか!?」

「例のナノマシンを薬の分析と中和に回してるからギリギリ大丈夫! 少なくとも後遺症が残るほどの影響は出ない!」

「……状況は、意識を失ったときの様子はわかるか」

「場所はうちに来る途中の道。意識を失う寸前の視界を録画してあるけど、ただ普通に歩いてるだけなんだ。怪しい人物とか一切写ってない……写ってないけど、それが返って怪しい。病気で倒れるなら予兆があるし、何より薬物の反応なんて出るはずがない。

 断言するよちーちゃん。これは拉致、誘拐だ」

 明確な犯罪、それも命を脅かすレベルの事件。

 天才、超人であろうとそんな非日常に慣れているわけではない二人の少女は、夢なら覚めてほしいと思うほどの緊迫感を味わっていた。

「……どうするべきだ、私は」

「それを考える。……まずは情報を集めるよ。何をするにしてもまず、動くのは私からだ」

 束が、つい、と両手を上げる。

 ピアノの鍵盤に手を置こうとするピアニストか、あるいはオーケストラの指揮者のように。

「ごめん、ちーちゃん。どうでもいい話をさせて。落ち着きたいから」

「いくらでも聞く。お前が楽しげに薀蓄を話す姿は、私も嫌いじゃない」

「……ありがとう」

 彼女はその一言を合図に両手を打ち下ろして。

 機械の国の住人たちが一斉に双眸を見開いた。

「……束さんね、天才だからだいたいどんな分野でも結果を出せるんだ。電子工学でも医療でも何でもね。

 でも全部が同じくらいにできるわけじゃなくて、相対的には得意不得意があるの。不得意なのは文学とか心理学で、得意なのが量子力学と電子工学――とりわけナノテクノロジーの分野。その応用がこんな感じ」

 束を包み込むように現れる無数の青いホログラムは仮想キーボード。目の色は白く輝き、その中を小さな文字が嵐となって吹き荒れている。

「今はメインの量子コンピュータを動かす仮想キーボードを操作するのと同時に、頭の中でキーボードを叩く指先をイメージしてそれをホログラムで投影、ハイパーセンサーを応用したARカメラで読み取って操作してる。

 早い話、分身して複数のコンピューターを同時に操作してるんだ」

 指先は淀み無く動き続け、今この瞬間も世界中の情報からたった一人の少年を探していた。

「ナノマシンの役割はホログラムの投影とか通信の中継とか、色々ごった煮で空気中に散布してる。ある程度指向性を持たせた上で飛ばしてるから吸い込んだりすることはほぼないし、体内に取り込んだところで代謝で排出されるから害はない。安心してね」

「いま心配しているのは秋水の安全とお前のメンタル、それから私にできることがあるかどうかだ。気にするな」

「頼もしすぎてキスしたくなっちゃうよ」

「まっぴらごめんだ」

「そりゃ残……念!」

 キーボードが消えて、整理された資料が二人の眼前に投影される。

 それはある衛星写真と、一つの組織について。

「とーくんが攫われる瞬間の写真を見つけた。すごいよね、〇・三ミリ解像度、言い訳のしようもないくらい()()()()()()()()を持ったレンズで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()をずぅっと監視してたよ」

「……は? 軍事レベル……監視だと?」

「アメリカでは数年前まで五十センチ精度より鮮明な衛星写真の公開が禁止されてた、って言ったらわかるかな。しかも解禁されたときでさえ二十五センチ精度、二桁は切らなかったのに」

 束の声から感情が消えていく。

「ちーちゃん、私がハイパーセンサーを発表したときのこと、覚えてるかな」

「……ああ。超々高解像度、かつ全方位に対応したレンズを用いて星間距離を割り出し、宇宙空間での遭難に備えるためのものだと……まさか」

「現行技術じゃコンマレベルの衛星写真なんて、どうあがいたって撮れないよ。

 ……私が中一のとき、今から五年前に開発したハイパーセンサーでも使わなきゃね」

 彼女はかつて、ISに搭載されているハイパーセンサーやPICの雛形とも呼べる技術を発表していた。

 当時はまだISというプロジェクトの発進段階、必要そうな技術のみを先んじて開発していたため、ただ『宇宙産業に使えそうな発明』として発表したのだ。

「ちーちゃん。私ね、ついでに調べたんだ。ハイパーセンサーを使った遭難対策もPICを使ったロケット発射時の反動制御も、宇宙産業には()()()活かされてない。センサーは敵基地を探すカメラや弾道ミサイルの照準、PICはそういう大型兵器の反動制御。

 どっちも白騎士に搭載してるものよりずっと劣るけど、それでも宇宙産業には十分活用できるはずなのに」

「束……」

「それにね、ちーちゃん」

 彼女に従う機械の方がずっと人らしく思えるほど、それは無機質な声だった。

「その組織、亡国機業(ファントム・タスク)って名前みたいなんだけど。第一次大戦頃から武器作ってばらまいてる、いわゆる死の商人ってやつ。

 今の時代でも人操って物操って、少しでも技術が発展したら武器に変えて戦場を売り歩いてる。私の発明を一番最初に軍事転用したのもこいつらだ」

 束の声から感情が消えていく。

 束の脳から理性が消えていく。

 束の心から全てが消えていく。

「……どうして」

 ただ一つ――激情を除いて。

 

「どうして、こんなことにばっかり頑張るんだよぉ!」

 

 内側から爆ぜる怒りが、そんな絶叫になった。

「これだけのことができるなら宇宙にだって行けただろ、もっとすごいことだってできたかもしれないだろ!」

 彼女とて知らないわけではない。今も世界のどこかでは戦争が起きていて、誰かのためを思って編まれた知恵が人を殺していることくらい。

 それでも、それでも期待をしていた。

「どうして人を食い物にすることばっかり考えるんだよ、どうして誰も上を見ないんだよっ、なんとか言ってみろよ、この獣どもがぁ!」

 それを裏切られた怒りが、涙すら焼いていた。

「……もういい、もうたくさんだよ。お前らが人間だなんて認めない」

 彼女にとって人間とは優しく、美しく、ときに我儘で、隣人を愛する生命体だ。

 だが、世に蔓延るこれこそが人間だというなら。

「もう、人間なんてしらな――」

「束、そこまでだ!」

 半ば条件反射のように、千冬は束の胸ぐらを掴んだ。

 それだけは決して言わせてはならないと、そんな声に突き動かされるままに。

「それ以上は絶対に言わせん。他ならぬお前だけは絶対にだ。その言葉は束、お前自身の今日までを全て否定する言葉だぞ!」

「……るっさいなぁ! ちーちゃんに何がわかるの、私の作ったものが、愛した夢が、全部無為にされる気持ちがわかるの!? 住む場所も料理も、ISのテストパイロットって仕事も、全部、全部全部全部全部人から与えられてるくせに!」

「ああそうだ、私は何もかも人に与えられて生きている! 篠ノ之家や一夏がいなければまともに生きていけんだろうさ。だがなぁ!」

 千冬は互いの額を打ち付けるように、心のうちを相手へと流し込むように顔を近づけて――今にも泣きそうな顔をした、頭でっかちで、純粋で、誰より愛情深い親友の目を見て叫んだ。

「お前が人間を否定したら! お前をただの女の子(にんげん)と呼んだ秋水に、どんな顔をして会うんだ!」

「……それは」

「あんな連中を受け入れろとは言わん。獣のような輩を許せとも言わんさ。だが人間そのものの否定はさせん! それをしてしまったら、秋水に人と呼ばれたお前も、お前に夢を教えられたあいつも否定することになるぞ!」

「…………」

 俯いて人形のようにふっと力が抜けてしまった束を、千冬は優しく抱きとめた。部屋にこもりがちで折れそうなほどに細い体躯は、かすかに震えている。

「束。()の情報は、そこに映っているもので全部か」

「…………まだ、いくつかあるよ」

「ならば見せろ。やることがあるのでな」

「……奇遇だね、ちーちゃん。私も頼みたいことがあるんだ」

「なんだ。これでも忙しい、手短にしてくれよ」

「うん、わかってる」

 長い、長い深呼吸を、ひ、ふ、みっつ。

 顔を上げた束の目には、確かに光が灯っていた。

「ちーちゃん、お願いだ。

 ……一緒に、私の友達を助けてっ!」

「――ああ、承ろう」

 

 

 

 

 

「とーくんが攫われた理由の見当はついたんだ」

 空間投影された資料を指しながら、束は少しだけ早口に言う。

「どう考えてもISしかない。考えたくもないけど、兵器として運用すれば核なんて目じゃない性能になるよ。そもそもどうしようもない悪環境でも問題なく動けるように、って作ったんだし」

「敵は詳しい性能を理解できているのか?」

「まず無理、わかってもせいぜい表面的な部分だけかな。いくつかは私が発見した理論だし、開発だって私レベルのナノテクノロジーは必要だよ。色々役割持たせたナノマシンでパーツ構成してるから」

 淡々と『兵器としてのIS』を分析していく。

 死の商人、武器とその使い時を売る者の立場を――他人の気持ちを考えて、束は結論を出した。

「敵がISを商品として扱うに当たって必要なのは在庫。だけどそれを作れる人は私以外いないから、まず欲しくなるのは私の知識だ」

「……つまり敵の目的は、その前段階。お前を引き込むための人質か」

「だろうね。ちーちゃんもいっくんも箒ちゃんもそれなりに周囲と関わりがあるけど、とーくんはそのへんびっくりするくらい希薄だったし。万が一死なせたところで揉み消しが楽だとか、そんな理由だと思うよ」

 隣のホログラムへ視線を移す。途端、束は忌々しそうに顔を顰めた。

「……で、こいつだよこいつ。このハゲオヤジ。ISを発表したときの出席者を全員洗ったら、こいつだけ過去の主観情報がゼロだった」

「主観情報?」

「子供の頃に書いた作文とか、誰かと撮った写真とか、そういう公的じゃない超個人的な情報を勝手にそう呼んでる。要は、本人しか知らないような情報のこと」

「……作られた経歴通りなら残っているはずの痕跡が一切ないのか」

「そう。まあ束さんでもなきゃ掴めない尻尾だし、しまい忘れるのも仕方ないよね。間抜けで助かったよ」

 束は言わずもがな、千冬もそれなり以上に頭脳明晰だ。残りの資料にも目を通し、その全てを記憶していく。

 確認を終えて千冬が舌打ちをした。

「死の商人という時点で予想はしていたが、政治家も絡んでいるか」

「残念ながらね。結構高い位置にいるみたいだし、警察とかにも圧力はかけられる……というか公的機関のお偉方とはべったり癒着してるから、真っ当に通報とかするのは無意味だと思う。握り潰されておしまい」

「そうだな、真っ当にやればおしまいだ。……だが、手はあるんだろう?」

 千冬はにやりと笑った。

 束もそれに笑い返した。

 まるで子供がイタズラをするように気軽で、それでいて洒落にならないくらい悪辣な笑みを二人は浮かべていた。

「もちろんだよ、ちーちゃん。とびきり派手で、ちょっと博打で、死ぬほど危ない方法がある」

「……聞かせろ」

「なぁに、やることは単純だよ。

 ――ちょっと、世界規模のテロを起こすだけだから」

 あまりにも思い切りの良すぎる提案に、二人して切羽詰まったときの友人が思い浮かんだ。

 

「初めてISを発表したときにね、腹いせに毎日毎日ナノマシンを散布してた時期があるんだ。大気成分をいじって光や音を操作することで幻覚を見せられるナノマシン――五感で受け取る主観的世界を実世界から切り離す、ってテーマだったからワールド・パージなんて呼んでる技術だけど」

「なんてことをしているんだお前は……」

 千冬でさえ把握していなかった悪事である。

 全てが終わったら拳骨だ、と心に決めながら続きを促した。

「これ、世界中のあらゆる軍事施設に仕込んでるんだ。敷地をまるっと覆うように、そこそこな量が宙を舞ってる」

「……風で飛んだりしないのか?」

「多少は。まあISに載せてる量子変換機能とかをどこまで小さくできるか、って研究も兼ねて作ったから、離れすぎると勝手に変換されて元の場所に帰ってくるんだけど」

「……もう何も言わん。それにテロの手段も予想がついた」

「おお? 言ってみ言ってみ!」

「敷地内の人間に幻覚を見せ、知らず知らずのうちにミサイルを打たせるとか、そんなところか」

「ざっつらーぃ! 以心伝心だねちーちゃん!」

 千冬からすれば方法すらよくわからない異次元の手段だが、それでも束ならどうにかするのだろうという信頼もあっておおよそ納得できた。

 しかし、一つだけ引っかかるものがある。

「……お前の見解だと秋水は人質なんだろう。流石にそこまで派手なことをしてしまったら、あいつが危険なんじゃないか」

「大丈夫、その前に電波ジャックして声明を出すよ。『私の技術を悪用する者たちが軍事基地をジャックしたという情報を掴んだ!』みたいな。で、それを逆探知させて交渉の場に立つ」

「お前の名は通用するか?」

「当っ然。天才の束さんは、IS以外でも名が知られているからね!」

「ならば良し。私は白騎士に乗ってミサイルの処理だな」

「うん。流石に通常弾頭以外は飛ばさないし、全部海を狙うけど……とーくんが気にしそうだし、絶対に死傷者を出さないようにできる?」

「私はお前の親友だぞ? やれるさ」

「やだ、かっこいい……濡れる……ッ!」

「ミサイルの前に貴様を殺ってもいいんだぞ」

「申し訳ありませんでしたっ! ……ふふっ」

「……くくくっ、大丈夫そうだな」

「うん。やろうか、ちーちゃん」

「ああ」

 

 

 

 

 

 遠くで爆発するような音が鳴った気がして、僕は目を覚ました。

「ぐ……」

 頭痛が赤く割れて、額を抑えようとしたら腕が動かない。そこでやっと縛られていることに気付いた僕はのろまなんだろうか。

 椅子に縛り付けられているらしい。でもどうして……?

 恐怖がひやりと凍みて震える。腕を締め付ける痛みも、分厚い猿轡の感触も、全身を包む倦怠感も吐き気がするくらいリアルだ。

 ……だけど、そのリアルさが返って明晰夢でも見ているような気にさせてくる。今の僕は案外冷静で、そしてどうしようもなく間抜けだった。

 

「お目覚めかしら、紬秋水」

 

 闇の中に溶けた影がある。

 深い、深い、深海のような群青。暗闇と混ざりあって増していく淀みに目が慣れて、その影が人であると気付いた。

 バチバチと弾ける火花みたいに橙色……いや、豊かな金色のロングヘア。胸元の開いた真っ赤なドレスを着た美しい女性。

 だけれど纏っているのは、どうしようもなく濁った白。束のラボで見た機械の国を、ぐちゃぐちゃに汚したような色だった。

「明かりはないけど窓があるし、夜景の欠片で私がここにいることくらいわかるわよね? 初めましてミスター、私はあなたを攫った者よ」

 赤紫色の妖艶な声だ。愛の言葉を心から言える人の色。この上なく状況にそぐわない声を聞いて、これが話術として身につけたものであると確信する。

 こいつは、(ぼく)を殺せる女だ。

「完全な暗闇にすると、人って発狂しちゃうのよ。だからほんの僅か、顔が見えるか見えないかってくらいの明かりで我慢して頂戴ね」

「ァ、お……ェ……!」

「あぁ、猿轡を噛ませたままだったわね。失礼」

「がぁッ、ぐ、ぅぅ……」

 謝りつつもただ殴られただけだった。外してはくれないらしい。

 不明瞭な視界の中、濁った影はゆらりとズレて小さくなった。硬いものがズレる音がしたから、多分、座ったんだと思う。

 ……どういう、つもりなんだ?

 僕の心を読んだわけではないのだろうけれど、ちょうどよく答えが返ってきた。

「紬秋水、貴方は人質よ。魔法のような発明の数々を生み出した天才、篠ノ之束女史を招聘するためのね」

「……ォ、えィ……?」

「そう、招聘」

 人を攫ってまで人質呼ばわりまでしておいて『招聘』だなんて、随分笑えない冗談だ。

 引き攣った笑いが口の端から漏れて、腹に蹴りを貰った。長い足をお持ちらしい。

 えずく僕を鼻で笑って、ご丁寧な解説が続く。

「彼女が発表したIS、実現すればそれまでの兵器は全てお払い箱になるかもしれない。そこまで言われるほどの大発明よ。今のうちに関連する技術を独占すれば、その利益は果たしてどれほどのものか……って話らしいわ」

 それは。

 それは、彼女の夢を、踏み躙るということか?

 あの真っ白で純粋な夢を、お前の色みたいに?

「……何よ、その目は!」

「ごほっ!?」

 もう一度蹴られた。椅子が倒れて頭を打った。

 女は立ち上がって僕を見下ろしている。

 知ったことか。

 あの子の夢が、そんな風に穢されてなるものか。

「むざむざ捕まって無様に縛られて、挙句足蹴にされているようなグズが、どうして私にそんな目を向けるの!」

 頭を踏みつけられた。何度も何度も。ピンヒールじゃなくてよかった。

 どうでもいい。

「あなたは今、女史が嫌う無能どもと同じように彼女の足を引っ張っているのよ! 私達に捕まって利用されている餌の分際でッ、身の程を知りなさい!」

「ごァッ、ガ、ぁ……」

 そうだ、怒れ。頭に血を昇らせろ。

 わかっている。僕が捕まらなければ、きっと束は夢を目指せたのだ。僕が邪魔をしているのだ。

 視界の群青が濃さを増す。

 怒ってくれ。もっと、もっと、理性が飛ぶくらい。

「……チッ」

「かはっ」

 乱暴なサッカーボールキックを最後に、女は冷静さを取り戻してしまった。

「……なによ、あなた。人質(じぶん)を殺させて交渉を破綻させる気だったの? 本当に一般人かしら」

 バレてしまった。となると、いよいよ僕は束の邪魔をしているだけになる。

 猿轡があるから当然舌も噛み切れない。

 ……今この場で死ぬのは、ちょっと、無理そうだ。

 諦めがついた僕を見て、少しパステル調になった赤紫の声で女が講釈を垂れる。

「親友である織斑千冬でもその弟でも、あるいは女史の親族……とりわけ溺愛している妹でもよかったのだけれど。あなたが一番適任だったから使わせてもらうことになったのよ」

「…………」

「助かったわ。あなたなら万が一死んだところで、悲しむ人は少なそうだし。妹や織斑姉弟よりは付き合いも浅いから、すぐ割り切ってくれるでしょうね」

「…………ォ」

 ――そうか。

 無差別に一人選んだわけじゃなくて、はなから僕を狙ってくれたのか。

 唯一の親友である千冬でも、最愛の家族である箒ちゃんでも、妹の思い人である一夏くんでもなく、僕を。

 死んでも替えが利く、路傍の石みたいな僕を。

「…………あぁ、ィ、ぁ……」

「フフ……せいぜい、見捨てられないことを祈りなさい」

 得意げだ。まさか、それで心が折れると思ったのだろうか。

 僕は束が夢にかける思いを知っている。あれだけのものを作り上げて、宇宙に行くと宣言したのだ。

 こんな奴らの口車になんて乗るもんか。

 きっと()()()()くれるはずだ。

 お前らの思い通りになんて、絶対に上手くいくもんかよ。

 睨む僕を涼しい顔で受け流すようになってしまった女は、退屈になったのかぽつりとひとりごちた。

「それにしても、さすが天才ね。もともとこちらから交渉を持ちかける予定だったのに……なんてことしてくれるのよ」

 ……なんの話だろうか?

 顔がこっちを向いたようだが、教えてくれる気はさらさらないようだ。当然だけれど。

「……ん? 何かしら」

 アラームのような音が鳴って、女は受話器を取るような動きをした。僕の盗み聞きを警戒したのか離れていく。

「はい、こちら…………、……はぁ!? 逆探…………!? ……、…………!」

 なんだろう、焦っている……?

「全員に通達、早急にここから逃げて! あとは手筈通りに……起きなさい!」

「お゛ぁっ、ん、ぷはぁ! ……え、なんで猿轡を」

「繋いで!」

 

『急がなくてもいいよ。もう、とっくに全部知ってる』

 

 ぱっと明かりがついた。強い光に目が眩んで頭の奥が痛む。

 それでも一瞬、慣れ親しんだ宇宙が見えた。

『やあやあやあ! もすもすひねもすー、繋がったかな? 繋がってるよね! 少なくとも私の目には、薄汚い年増の姿が見えてるよ』

 友達の声がする。

『こんばんは、亡国機業(ファントム・タスク)実働部隊モノクロームアバターのリーダー、スコール・ミューゼル。私は……挨拶するまでもないかな?』

「篠ノ之、束ェ……!」

『はーいせーいかーい。とーくん大丈夫!? すぐ助けるからね!』

 束の声がするから、目を開けなくちゃ。

「束、いるの?」

『いるよっ。すぐ近くにいる!』

「……そっか。束が側にいるなら、死ねないなぁ」

 まだ目はチカチカしてよく見えないし、瞼の裏はパレットみたいになっているけれど、そこにいるなら。

 束の前では――あんなに綺麗な夢を描く人の前では、死ねない。

『さぁ、スコール・ミューゼル。とーくんの視界からお前がやったことは全部見ていたし、口の動きから何を言ったのかもわかったし、お前がとーくんを攫った主犯であることも、お前が亡国機業においてはあくまでもただの実働部隊でしかないことも、なんなら本来私とこうして交渉する権利だってないこともぜーんぶ知ってるけど……その上で言おうか。

 お話をしようよ。

 私は人間だからね、知恵つけた猿相手でも、対話くらいはしてあげる』

 やっと目を開けられた。

 僕の身長より縦幅が高そうなモニターには、真っ白な背景と一人の少女。

 春の嵐を浴びていたあのときの少女と、同じ顔をした友達が映っていた。

 世界が終わる、宇宙色。

『私の要求は一つだけ――今すぐにとーくんを返せ』

「そう……ですか。ならばこちらも、最初に要求を明かしておきましょう」

『ふぅん。言うだけならタダだ、言ってみなよ』

「……篠ノ之束女史、貴方と提携してISの生産を」

『なんのために』

 重く、強い語気でぶった斬った。

『……が、抜けてるねぇ。何かしてほしいときは正確な要求をしようよ。特に、赤の他人が相手なら』

 まー束さんも人のことは言えないけどねっ、なんて僕の方へお茶目に舌を出す彼女は無敵だった。

 対して屈辱に美貌を歪める女――スコール・ミューゼルは、それでも怒りに身を任せず理性で動いた。

「失礼しました。……では、付け加えます。

 ISが単騎、少人数での宇宙開発が可能であるほどの性能を持つとしても、現行の宇宙産業にそれを受け入れる土壌がありません」

『まったくもう。もっと頑張れってのにさー』

「……なので、まずその取っ掛かりとして兵器としての運用を望みます」

『……ふぅん』

 茶々を入れたり高圧的に切ったりと銃で撃つような対話をしていた束が、とうとうスコール・ミューゼルの言葉をまともに聞いた。

『……戦争から育ったコンピューター技術が、やがてアポロ11号を飛ばしたように?』

「ええ。まずは受け入れられるところから、我々と共に始めてみませんか」

 僕を攫った奴ら――亡国機業の要求は、結果だけ見るなら渡りに船だ。

 でも、兵器として使うということは。

「ISで人を殺すのか……?」

「……紬秋水、黙りなさい」

 モニターに映る束は笑顔だ。不思議なくらい穏やかで、青とオレンジのグラデーションがずっと奥まで伸びている。

「束、僕のことはいいんだ。君の夢はISで空を飛ぶこと、宇宙へ飛び立つことだろう!? 決して、ISに人を殺させることじゃないはずだ!」

「あなた、いい加減に――」

 

『とーくん』

 

 壮大な音楽の中で一番インパクトのある瞬間が無音であるように。

 どんなに荒れ狂う台風だって、その目はいつも凪いでいるように。

 たった一言、優しく僕の名を呼ぶ声が、とても大きく聞こえた。

『大丈夫だよ、とーくん。なーんにも心配いらないんだ』

 今、気付いたことが一つある。

 モニターに映る彼女は、スコール・ミューゼルには苛烈だけれど。

 僕に対してはずっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()笑顔を浮かべていなかったか――?

『ねえ、スコール・ミューゼル。少しは不思議に思わないの?』

「……何がです」

『私は最初に全部言ったよね。お前に私と交渉する権利が無いことも知ってるって。その上で、お話しようかって』

「…………それが」

『不思議に思いなよ。なんで私が交渉権のないお前と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()お前と、こんな呑気に話していたと思う?』

「……ッ、まさか!?」

 風切り音が二つ走って。

 上から下へ押し潰すように壁をぶち抜いて。

 冷えた刀色が、炎のような白を纏っていた。

 夜景を背に立つ、白い騎士。

 

「――迎えに来たぞ。秋水」

 

 フルフェイスのメットを消した僕の友達は、残心を取りながら微笑んだ。

『ちーちゃん……かっこよすぎない? てかまだ座標送ってから三秒も経ってないんだけど』

「ちょうど真上にいたのでな。壁一面を削ぎ落とすように落下してきた」

「めちゃくちゃかっこいいね千冬……僕が女だったら惚れてた……」

「呑気なことを言っている場合か」

「ええ全く、随分呑気ね!」

 衝撃で髪が軽く乱れたスコール・ミューゼルが、僕の側頭部に拳銃を突きつけた。

『あっ』

「紬秋水は確かに交渉材料ではあるけど、別段大切なわけじゃないわ。ここで殺したって代わりがいる。あなたたちの弟妹を狙うのもいいかしら?」

 束がすっごい間抜けな顔をしている。それは多分僕もだ。

 だって、少しも怖くないから。

 千冬が刀を持ち変えていたから。

 片手にただ持っていた刀がするりと持ち変えられていた。自然体からより自然な形に。

 いつでも抜いて敵を切り捨てられる、そんな形に。

「秋水、動くなよ」

「もちろん。千冬、殺さないでよ?」

「ああ、もちろん」

「織斑千冬、あなたが何をしようったって――」

 

 ふっと、風切り音。

 

「……な、ぁ……!?」

 千冬が瞬きより早く、スコール・ミューゼルの片腕を切り落とした音だった。

「許せよ束。命は断たん、人も斬らん。だが、義手の一つくらいは取らせてもらう」

『いいよー別に。流石にそれはコラテラルダメージってもんだし……おぉ!? すごい、人間はそこまで生き汚くなれるんだねぇ!』

 束が煽る。

 落とされたスコール・ミューゼルの片腕からは、血ではなく機械のパーツが弾け飛んでいた。

「あなたたち……よくもやってくれたわね……!」

『……ちーちゃん、もういいや。とーくん連れて帰ってきて』

「ああ。秋水、大丈夫か?」

「うぉっ、とと……ありがとう千冬。せいぜい座り疲れちゃったくらいかな」

 器用に椅子だけを砕いてくれた千冬に担がれながら、僕は怒りに震えるスコール・ミューゼルを見る。

 髪は乱れて、ドレスはぼろぼろで、義手とはいえ片腕も切り落とされた。

 なのに、どうしてまだ逃げない?

「……篠ノ之束」

『……なに呼び捨てにしてくれてんの。様とかつけろよ』

「不思議に思わなかったのかしら? ……私があなたと交渉するにあたって、失敗したときの逃亡手段は考えていないのか、って」

『……げっ!? ちーちゃん、とーくんと早く離脱して! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』

「なぁっ……!?」

 ――そこからは、スローモーションみたいに見えた。

 千冬が僕を抱え直して。

 束がディスプレイの向こうで泡を食って。

 夜景がびっくりするくらいに朝焼けた黄金色で。

 

「また会いましょう、天才ども」

 

 スコール・ミューゼルが切り落とされた腕を自ら踏み抜いた。

 僕の意識があったのは、そこまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前という奴は……」

 現在地、病院。

「思い切りのいい奴だとは感じていたがな、いくらなんでも友の夢のために死のうだなんてのは愚の骨頂だ。そんなこともわからなかったか」

「大変申し訳ございませんでした……」

 全身に包帯を巻かれ全治一ヶ月を宣告され、命は大切にという至極当たり前のことで友達に叱られる高校生がいた。

 僕だった。

「……正直、ああやって捕まった時点で詰みだと思ってて。僕のせいで束の夢が穢されるか、それともその場で殺されるかって二択なら、その、後者の方がマシかなー、なんて……思った次第でございまして……」

「馬鹿者。友を犠牲にしてまで目指す夢に価値があるものか」

 ケイでもそんなことはしないだろうよ、とかぶつくさ言いながら林檎に刃物を滑らせる千冬。

 ……ケイって誰だろう?

「できた。そら、食え」

「…………あの、千冬さん? これはなに」

「……ウサギだ。いいから食え」

「いやこれウサギはウサギでも解体後っていうか」

食え

「…………ハイ」

 視界から何から一切合切赤く塗り潰されたのは初めてです千冬様……。

 無残に斬殺されたウサギを悼むように食べながら、砂を噛んだ顔でそっぽを向く解体犯に尋ねる。

「ウサギといえば、束は?」

「あー、束か。あいつは……逃げた」

「えっ」

 えっ。

「先日の件、あるだろう」

「……白騎士事件?」

「その呼び方はやめろ……!」

 白騎士の搭乗者は薄桃色の炎をふしゅーっと噴き出した。

 中二臭いからと恥ずかしがる姿が中々可愛らしいのだが、迂闊にからかうと竹刀で両断されかねないので我慢しているのだ。一応。

 ごめんごめんと謝って続きを促す。

「はぁ……束はあのとき、亡国機業が日本へ向けて撃ったミサイルを迎撃するべくISを派遣した、という声明を出したんだ」

「え、それ逃げるようなことなの? むしろ褒められそうなもんじゃ……」

「ああ。実際、世界的テロリストに立ち向かった英雄扱いになっているよ。

 ただその影響で……箒がな、今まで仲が悪かった反動もあってかなり懐いてくれているらしい。一夏もヒーローだなんだと持て囃したりなぁ。家族も他人も揃って讃えてくるから、こそばゆくって耐えられないんだそうだ。

 自信家なくせに褒められ慣れていないからな、あのウサギは」

「なんともまぁ……」

 らしいといえばらしいのだろうか。

「もっとも、お前と顔を合わせづらいのもあるのだろうが。最後のあの瞬間、少しも取り乱さなかったのはお前だけだったしな」

「…………ん? どういうこと?」

「お前が病院に担ぎこまれた後な。いっちょ前に罪悪感でも感じているのか、見舞いもせずに帰ったんだ、束は。

 それでも心配でバイタルの記録を見ていたら、お前があの瞬間、少しも焦っていなかったことに気付いたらしい」

「あぁー……そんな話かぁ」

「どうせ『束が作ったISに抱えられてれば、爆発くらいはどうにかなる』とでも思っていたんだろう」

「……他力本願すぎた?」

「言っただろう、褒められ慣れていないと。作者以上に作品(IS)のことを信じてもらえたのが、嬉しいやら悔しいやらってところじゃないか」

「ふぅーん……」

 哀れなリンゴウサギをもう一口。

 

『うん? 信用できるよ?』

『君が見てる世界を、私も知りたいんだ』

『……馬鹿じゃないよ。誰かに理解してもらうための行動が、馬鹿なもんか』

 

『大丈夫だよ、とーくん。なーんにも心配いらないんだ』

 

「僕が束を信じられないはずないのになぁ」

「……秋水、その言葉はちゃんと本人へ言ってやれよ?」

「…………やだよ、恥ずかしい」

 今度は僕がそっぽ向いた。

 

 一ヶ月って早いもので、千冬が来たり来なかったり、ときどき一夏くんたちが顔を出すうちに過ぎ去ってしまった。

「……結局、束は来てくれなかったな」

 寂しくないと言えば当然嘘になる。ちょっと住み慣れてしまった病院を出て、空元気のように伸びをした。

 

 僕の五感は、絵具を泳いでいる。

 

 高い薄紫色の空をオレンジの風が駆け抜けた。

 どこかから赤い香りがして、釣られて歩いているうちにエメラルドグリーンの川に出る。

 統一感なんてまるでない視界は、とっくに慣れたはずなのにどこか物足りない。

「……篠ノ之神社でもいこうかな」

 遠くてもわかりやすい、立派な鳥居を目指して歩こうときびすを返して――

「……ん?」

 耳鳴りのような銀色。低いところを飛行機が飛んでいるんだろうか、と頭上を見た。

 

 なんか人参が飛んでる。

 

「……は!? 人参!?」

 とうとう色だけじゃなくて虚像まで作り始めたか、と自分の脳に絶望していると、空飛ぶ人参はよりによって僕の真上で止まりやがった。

 ……ん? あれ、人参って、もしかして。

『…………ーんっ』

 予感を裏付けるように、何かが聞こえる。

『……ーくーんっ』

 遥か上空から降り注ぐこの声は、きっと。

「とーくーんっ!」

 不思議の国のアリスみたいな格好の、うさ耳をつけた友達の声だ。

「束! 君、どうし」

「でゅわっ!」

 ……大好きな友達が目の前まで落ちてきたと思ったら。

 スーパーボールみたいな挙動で()()()空へ跳び上がっていった。

「とーくんゲットだぜぃえあーっ!」

「なんでえええええぇぇぇぇぇぇぇ…………」

 僕は空を飛ぶ半透明なパステルグリーンを知った。

 多分、鳶に攫われる油揚げの気持ち。

 

「ふぅ……久しぶりっ、とーくん!」

「……久しぶり、束」

 唐突なキャトルミューティレーションによって割とグロッキーだけど、天真爛漫な笑顔を見たら、なんかどうでもよくなった。

「元気そうでよかった」

「ぅ……そ、それは束さんの台詞だよ! 攫われるし、煽ってボコられるし、爆発寸前でも焦らないしぃ!」

「束の作ったISを、千冬が装備して守ってくれてたんだよ? 絶対に大丈夫だって、そんなの」

「……っ、……」

「僕が束を信じられないはずないでしょ」

「…………〜〜〜〜っ、生意気ぃ!」

「痛い!?」

 鳩尾に頭突き……!?

 ……頭突き? 鳩尾に?

「束?」

 ぎゅっと、力いっぱいに抱き締められていた。

「…………とーくん、返しなさい」

「な、なにを?」

「ちーちゃんとビミョーに良い雰囲気だったり、箒ちゃんやいっくんにデレデレしたり、そんな病院内の映像をとーくんアイで見た束さんの心配を、返しなさい」

 そう言ってもっと力を強める束に、初めての感情が芽生えた。

 胸の奥がこそばゆくて。

 それがどこか暖かくて。

 なんだか息が詰まって。

 だから、束を抱きしめ返した。

「……よくできましたっ」

「ありがとうございます」

「うん、胸を張りなさいっ。良くできたとーくんにはご褒美があるからね!」

「……ご褒美?」

 褒美があるとは。

 いったい何がもらえるのやらとそわそわしていると、顔を上げた彼女にくすっと笑われた。

「とーくん、忘れたの? 約束してたでしょ」

「約束……え、まさかこの人参って」

「そう、そのまさか!」

 

 機械的な天井が、床が、僕らがいたはずの空飛ぶ人参が透明になっていく。

 

 そ宇宙だった。

 

 こんなにも真っ暗なのに、遥か遠くから無数の星明かりが届いている。

 すぐ近くに地球がある。青かった、なんて言葉も出ないくらい綺麗だ。

 ここが、ここよりもっと先が、束の夢なんだ。

 

「約束したよ、私の隣で宇宙を見るって。……それで、どう見える?」

 子供みたいにキラキラした表情で言う。

「私が夢に見た場所は、目指した場所は、これから向かう場所は――君の目には何色に見えてるの?」

 

 

 

 

 

 僕の答えを聞いた束は宇宙色の髪を震わせて、いつまでも笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 




 夢のお話はこれにてお終いです。
 ありがとうございました。


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