国東聖杯戦争 (歩弥丸)
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大序『英霊の闘争』

サーヴァントの戦力は近代戦の一軍にすら匹敵する。それを争わせるならば、それはもはや闘争の域を超えて『戦争』なのだ。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。

今回は特段これ自体にストーリーがあるわけではなく、サーヴァントたちの戦闘シーンの予告・オープニングというべきものです。


『戦争は銃火器の時代だ。最早剣や弓や槍で争う時代ではない。まして魔術など』と人は言う。

 それが通用するのは、我々が只人の領分で暮らしているからだ。一つ隠蔽の皮を捲れば、そこには只人ならざる者たちが、前時代から続く方法で戦う姿を見ることが出来る。

 

 ※ ※ ※

 

 女が、少女の生血を啜っている。啜る銀髪の女は暗殺者(アサシン)のサーヴァント。【吸血】を以て魔力を補おうというのだ。

「おい。何してンだ手前……!」

 そこに現れたる金髪の男もまたサーヴァント、狂戦士(バーサーカー)である。

「私が『民』に何をしようと、勝手でしょう?」

 言うなり暗殺者は軽く手を振る。すると、狂戦士の足下から虎挟みが、鉄杭が、鞭が……様々な拷問道具が生き物のように襲いかかる。

 が、狂戦士はその手にした鉞で、軽々とそれらを打ち払った。

「俺の目の前で小娘を■■■■■■■■――!!」

 文字通りの意味で、狂戦士の眼の色が変わる。青から赤へ。【狂化】、狂戦士の在り様そのものを示す業である。

 狂戦士は激情のままに突進する。踏みしめた足の一歩一歩が、雷光の軌跡のように残像を残す。

「でも、足下がお留守じゃなくて?」

 暗殺者が再び手を振ると、狂戦士の足下に虎挟みが出現し、その爪先を捕らえた。

「■■■■!!」

 狂戦士は唸り声をあげると、軽くそれを捻り切った。傷にすらない僅か一瞬の足止めでしかないが、しかし、その一瞬で暗殺者には充分であった。

 その一瞬で、狂戦士の召喚主(マスター)に必殺の手段を向けるのだ。

「その若き血を私に寄越しなさい! 《幻想の鉄乙女(ファントム・メイデン)》!!」

 宝具の真名が解放され、あたかも元から其処に在ったかのように、鉄乙女(アイアン・メイデン)が虚空から現れる。それを見た狂戦士は。

「■■■■■■――!!」

 魔力を滾らせ、宝具を迎撃しに馳せる。軌跡は黄金の光となり、あたかも衝撃波が走るように、空気を揺らす。

 

 ※ ※ ※

 

 古今東西の英雄が死して英霊の座に在る。今また魔術師がそれを召喚して使役する。召喚された英霊を特に「サーヴァント」と呼ぶ。

 英霊自体がある種の幻想(ファンタズム)の結晶なのであるが、英霊の生涯を特に象徴する武装、持物、或いは概念が結実したものを特に『貴き幻想(ノウブル・ファンタズム)』、或いは『宝具』と呼ぶ。宝具の多くは英霊の生きた時代を反映し、前近代の武具又は器具の形を取る。

 

 ※ ※ ※

 

 弓騎士(アーチャー)は、職能(クラス)として遠距離攻撃を事とする。原則的には近接戦闘を行うものではない。

 その原則に忠実に、この弓騎士は遠距離からの投石を繰り返している。無論、それが可能になるのは、敵の近距離・中距離を召喚主とその手勢……人造生命体(ホムンクルス)が制圧しているからだ。

「印地打ちもこうまで威力があると! 弓矢をも凌ぎますな!」

 石が着弾するたび、地面がえぐれ、木は千切れ、爆音のような音すらする。しかし、その石は敵方の召喚主には届かない。召喚主に向かう石は、槍騎士(ランサー)がその長巻で打ち払っていたのだ。ハルバードを振るう人造生命体二体を相手取りながら、なおも降り注ぐ投石を払っている。

 膠着状態である。弓騎士は槍騎士やその召喚主に決定打を与えることが出来ずにいる。槍騎士もまた、弓騎士の投石が牽制として機能するため人造生命体達を振り払えずにいる。

 先に動いたのは、弓騎士であった。

(これより四投のうちに人造生命体達を退かせるんだ)

 簡潔に召喚主に念話を送ると、返答を待たずに投石器に一段と魔力を込め始める。

 そして一投。それは最早投石の域を超えている。木の幹を軽く蹴散らし、空気を響かせ、熱と光を帯び、爆音をあげて槍騎士の足下に着弾した。土石と熱風が起こり、地面に大穴が空き、林が薙ぎ倒される。

 人造生命体すらたじろぎ咄嗟に飛び退いたが、しかし、槍騎士は微動だにしない。自分に命中しないことを見て取り、その身で余波から主を守ることを優先したのだ。

 続けて二投、三投、四投。そのいずれもが槍騎士には命中せず、虚しく大穴を増やし轟音を立てるばかりだ。

「どうした弓騎士! もそっと拙僧に当てて見せよ!」

 挑発とも取れる槍騎士の言動に、しかし弓騎士は反応しない。――この四投こそが、宝具の発動要件であるからだ。

「――では仕方ないな」

 四投は警告であり、神の寛容を示すものであるから、敢えて外す。それで軍門に降らない相手を、五投目が神の加護を受けて撃ち殺す。それが弓騎士の宝具。

「神意に依って強敵を撃つ――《五つの石(ハメシュ・アヴァニム)》!!」

 放たれた石は、それまでの四投よりも更に強大な魔力を帯び、最早光の弾丸にも見える。だが、それを眼にしながら槍騎士はなお慌てるでもなく、直立不動のまま。ただ、一つの巻物を懐から取り出した。そして、その真名を解放する。

「鬼若忠勇譚が一景――《白紙の勧進帳》」

 突然、光弾がただの石に戻り、地に落ちた。

 

 ※ ※ ※

 

 宝具は、サーヴァントが真名を呼び解放することによって真価を示す。真名を解放しないそれはただの武具・道具にしか見えないが、一たび解放されれば英霊の偉業・奇跡の地上における再現となる。

 或いは大規模破壊、或いは即死、或いは生命奪取。威力規模の大小こそあれ、近代兵器を凌ぐ効果をもたらす兵装を、超人が振り回すのだ。只人の軍勢にどうにか出来るものではない。

 確かにサーヴァントを召喚するのは魔術師だ。魔術師とて生身の人間には違いない。限定的だが、サーヴァントを制御する手段もある。だが、結局、サーヴァントを倒せる者はサーヴァントしか居ないのだ。

 

 ※ ※ ※

 

 国東の谷間の荒れ地。恐らくは休耕田。そこに二騎のサーヴァントが対峙している。

 白馬に跨がり西洋風の鎧姿で顕れたのは騎行者(ライダー)。それに対し、日本の武者姿で顕れたのは剣騎士(セイバー)である。

「全力でお相手仕ろう」

 剣騎士はまず、粗末な(やり)を手に取る。見かけこそ粗末だが、それ自体も宝具ではあるのだろう。

「剣騎士が手鑓を?」

 軽い驚きの表情を見せながらも、二回、三回と繰り出された鑓を騎乗したまま避ける。それで間の開いた一瞬をついた。

「生憎と、貴方ほど世界中に知られた英雄でもないのでな。使える手段は全て使う!――《■■殺しの鑓》!!」

 その鑓の真価は単に突き刺すことには無かった。真名を解放した途端、剣騎士の魔力は膨れ上がり、鎧甲までも金色に染め上げる。鑓自体は姿を消す。

「霊基の格が上がった――のですか」

「応。これで単なる剣技でも対抗出来るというもの」

 剣騎士は腰に帯びた刀を抜き、騎行者に――いや、騎行者の跨がる白馬に切りかかる。

 そも、馬上の騎兵に対して剣の間合いでは不利だ。しかし鑓は先ほど使い切ってしまっている。

 前足を狙って横薙ぎに一閃。白馬は身を踊らせてこれを避ける。

 すかさず胴を狙って刀を跳ね上げる。騎行者が槍でこれを受け、剣騎士ごと刀を弾き飛ばす。しかし剣騎士もまた、難なく受け身を取って起きあがる。

 このように、馬の足を狙って斬りかかること数度。剣騎士の身体能力が上がっているとはいえ、白馬に傷を負わせるには至らない。

「なるほど騎行者――人馬一体の境地だな。戦い甲斐がある」

 剣騎士の顔には笑みが浮かぶ。

 騎兵に刀で対応しようとするなら、どうにかして馬を倒し騎兵を地面に引きずりおろす他ない。尋常の刀しかその場に無いならば。

「だが、人馬共に倒せばどうであろう?」

 そして、仮にも剣の英霊が帯びる刀が、尋常のものであるはずもないのだ。

「薙払え――《波游兼光(なみおよぎかねみつ)》!」

 真名解放とともに、剣騎士の刀から衝撃波が放たれた。聖剣ほどの神秘は無くとも、人馬を共に斬り倒すには充分だ。

 だが、騎行者とてただの騎兵ではなく、白馬もまたただの馬ではない。

「護るべき者の為に推し進む――《幻影戦馬 (ベイヤード)》!!」

 その白馬自体が宝具である。真名解放とともに白馬は聖なる光を湛え、寧ろ透き通っていくようにすら見える。

 衝撃波と、光となった騎馬が激突する。

 

 ※ ※ ※

 

 魔術師が英霊をサーヴァントとして召喚し、万能の願望器を賭けて争う。サーヴァントそれぞれが一軍或いはそれ以上に匹敵する戦力であれば、それはもはや単なる個対個の闘争の域を超えた『戦争』となる。

 それ故に、願望器――聖杯を賭けた魔術戦は『聖杯戦争』と呼ばれるのだ。

 ここに英雄の戦いと、人の弱さについて試みに記録を残そう。

 




これらのサーヴァントが何者であるかは、オリジナルサーヴァント以外はタグと宝具名でバレバレですが、物語上は続く序章第五節以降で追々具体的に示されます。

なお、このシリーズは
pawooに初出→pixivに纏めて掲出→加筆の上ハーメルンに投稿/pixivにても加筆
という順で公開されています。pawoo上では『国東聖杯戦争』のタグを検索してみてください。


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序章『開戦前夜』
序 第一節『御三家の思惑』


大聖杯が冬木から奪われ亜種聖杯戦争の横行する時代、遠坂家は聖杯戦争を放棄し、間桐家は没落し、そしてアインツベルン家は方針対立により分裂していた。その折、『大規模』な亜種聖杯戦争の噂を聞いたアインツベルンの分派は……
という感じの亜種聖杯戦争を舞台とした物語です。


 その昔、冬木という地でアインツベルン、間桐、遠坂という三家の魔術師が万能の願望器……『聖杯』を据え付けた。

英霊(えいゆう)従僕(サーヴァント)として呼び出し、他の従僕及び召喚主(マスター)と最後の一騎になるまで戦え。最後の一騎とその主には聖杯で願望を叶える権利が与えられる』

 それが(少なくとも表向きの)謳い文句であった。

 魔術師たちにとってみれば、英霊を使い魔として行使できるだけでも至難の魔術であり、その魔術式は一見の価値があると思われた。まして勝ち残ればあらゆる願望が叶うとなれば、私的な欲望から魔術研究の短絡化まで、あらゆる選択肢が手に入る。19世紀以来、それは魔術世界の注目を集めていた。

 ところが20世紀前半、戦前に行われた『第三次聖杯戦争』で異変が生じた。ナチスドイツ軍が介入し、恐らくはその手によって聖杯が強奪されたのだ。以来冬木に聖杯が顕れることはなく、また強奪されたとされる聖杯の行方も、ナチス崩壊以降杳として知れない。

 ――が、戦後暫くしてから、魔術世界にある噂が流れた。

『聖杯戦争の魔術式が流出している』

 実際、それを『見た』という者もかなりの数がおり、中にはその魔術式を実行した者もいた。それは不完全な魔術式だったようで、『魔術式を行使した結果実際に願望を叶えた』という者はいない。……居たとしても名乗り出るはずもなかろうが。

 ただ、現に『魔術式を行使して英霊を召喚した』事例はいくつも生じた。それは冬木の聖杯戦争の規定する『七騎』には遠く及ばないものの、二騎から五騎程度の英霊を使い魔として召喚できており、それ自体驚愕すべき成果には違いなかった。

 これら、冬木の聖杯戦争の規模には及ばないまでも、ともかく『聖杯を巡って英霊を召喚して争う』形態を備えた魔術戦を、魔術師たちは『亜種聖杯戦争』と呼ぶ。

 

 ※ ※ ※

 

「そもそも、亜種聖杯戦争で願望が叶うはずもないのダ。流出した魔術式とやらを瞥見したことがあるが、アレには『大聖杯の構築式』が含まれておらぬではなイカ。馬鹿馬鹿しイ」

 たどたどしい口調で、白髪赤眼の女は言った。

「尤も、今の我々にも『大聖杯の構築』を成すほどの財力(ちから)は残されておらヌ。だから私が今こうしておるわけだガ」

 女は、痩せぎすの男と向き合っている。その部屋は暗く、湿気に満ちている。窓一つ無い穴蔵であった。

「大聖杯の構築に協力せよ、という話なら付き合う気は無いぞ。そんな金も魔術も、爺様(臓硯)の消えた俺等にももう無いからな。アインツベルンの……ええと、何フィール?」

 男は、女を品定めするように見つめた。人の貌をしながらヒトから少し外れた美しさは、アインツベルンの特徴である。

「フラウフェル・イン=アインツベルンだ」

「聞かない()だな?」

「我々はな、『分裂』したのダ。あくまでも『大聖杯の再構築』に拘るアハトの群(フォン=アインツベルン)と、亜種聖杯戦争を通して『大聖杯の捜索・奪還』を目指ス我ら分家(イン=アインツベルン)に」

 冬木の聖杯を築いた三家のひとつ、アインツベルン家は『ホムンクルスの鋳造と運用』で知られた魔術師一族であるが、実の所、構成員そのものがホムンクルスであり、『群』としての思考に全体が従うのだという。

 詰まるところ、この女もまた、ホムンクルスの一体であるのだろう。それを女の容姿から見て取るが故に、男は吐き捨てた。

「ひとつ意志の下で動くはずのアインツベルンが分裂? 世も末だな」

「『第三魔法(ヘブンズフィール)の成就』という最終目的では本家も分家も変わらぬヨ。方法論で分立しただけのことダ。それに、大望が喪われて数十年も経てば対立もするというものダ。ホムンクルスならざるヒトでもそうであロウ?」

 女の表情は動かない。穴蔵の薄暗さと相まって、白磁の人形のようにも見える。

「……まあ、その前に絶望してしまう方が多いけどな。で? 要件は何だ。わざわざ没落した間桐を探しに来てまで、アインツベルン……いや、イン=アインツベルンが何を企んでる?」

 睨みつける男の目を、赤の眼が見据える。灯が揺れる。

「……亜種聖杯戦争に付き合え、マキリ。勝ち残った時の報酬(ねがいごと)はお前に呉れてやル」

「おいおい、何の冗談だ。さっき自分で『亜種聖杯戦争で願望は叶わない』と言っただろう? それが『願い事は呉れてやる』? それであんたを信用しろと?」

 男は鼻で笑うが、女は笑わない。怒りもしない。ただ、淡々と続ける。

「叶うかも知れん規模の亜種聖杯戦争が起きるのダ、マキリ。私はその話を『トオサカ』から聞いタ」

「遠坂時臣、だったか。冬木の?」

「アア。奴が言うには、九州の重霊地、『クニサキ半島』に亜種聖杯を据え付けた痴れ者がおる、そうナ」

「国東……? 確かに霊脈の規模では冬木よりも大きいが……良く管理者(セカンドオーナー)が許したもんだ」

 信じ難い、と顔に示す様にして、男は首を振った。

「その管理者が、自分でやっておるのダと、西日本の管理者たちの間で噂なのダ

 」

「その管理者、正気か?」

 魔術師がその研究を進める上で、魔力は幾らあっても足りない資源(リソース)だ。魔力には自らの身から生み出すものと外部環境から汲み出すものとがあるが、土地の有力な霊脈を管理することは、その土地においては魔力を優先的に汲み上げることが出来るのと同義である。まして重霊地となれば、たかが亜種聖杯のために霊脈を汚すなど、男の考えが及ぶ範囲では有り得ないことであった。

「さあナ。椚とか云うその管理者が何を目論むかは知らヌが、それだけの規模の霊脈なら、第三魔法は起動できぬまでも、霊脈そのものに英霊の魂を留め、魔力で因果を歪め願望を叶える位は出来るかも知れヌ」

「……願望器を争う、そういう意味では『聖杯戦争』そのものだ、と?」

「そういうことダ。そして、我々とマキリには、『優先権』があル。我々から流出した魔術式を使う限り除き得ぬ『参戦優先権』ガ」

 女は頷くが、男はなお怪訝そうな顔をしている。

「……遠坂は来るのか?」

「来なイ。奴らは聖杯戦争を捨てタ。『大聖杯が行方不明である以上、もはや我が家の魔術を窮める方が「根源」に早く辿り着く』と言い捨ておっタ。だが、今のマキリに必要なのは『根源』より『報酬』ではないカ?」

 男は溜め息をつく。なるほど、男の本拠であろうこの穴蔵も、よく見ればひび割れや欠けが目立つ。隙間風が灯を揺らす。

「少し考えさせてくれ。それと、……フラウフェル、一つお願いがある」

「何ダ」

「マキリは止めてくれ。マトウ(間桐)だ。間桐鶴野という名前がある」

「覚えておこウ。私は一旦『冬の城』に戻ル。心が決まったら、連絡を寄越セ」

 女が穴蔵の階段を登った後に、ただ、手を組んで考え込む男だけが残された。

 




新キャラ便概:

フラウフェル・イン=アインツベルン
アインツベルンの分派が鋳造したホムンクルス。本家で第三次聖杯戦争時期から計画されていた『ヒト型の小聖杯』を模して鋳造しているが、本来要求されるスペックには及ばない。(要するに:外見はアイリスフィールに酷似しているが完全に別人です)

間桐鶴野
間桐の当主。間桐の家が魔術面で没落する中、大した魔術の素養もないのに魔術の修練をさせられ(※この時点で原典設定と異なる)、そうこうするうちに経済的にも没落してしまった。(原典における僅かな出番に比べ、やや粗野な言動であるのはこのため)

このシリーズは、
pawoo上で順次掲載→pixivに纏めて掲出→加筆してハーメルンに投稿/pixivでも加筆
の順で投稿しております。pawoo上では『国東聖杯戦争』のタグを検索すれば色々出てくるかと。


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序 第二節『椚家の宿願』

国東半島に亜種聖杯を据え付けた魔術師……椚家の望み。それは戦国時代から魔術を追い求めてきた(日本国内の西洋魔術師としては)古い家の執念であった。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。


  国東(くにさき )半島は九州の東北端、大分県 にある。その地は、伝承によれば、大分県が『豊の国』『豊後国』などと呼ばれた1500年前には、既に仏教・神道の霊地として拓かれていたという。

 中世には国東半島は山岳仏教の修行地となり、『六郷満山』と総称される仏寺組織が形成され、やがてその実権を吉弘一族なる武家が掌握するようになる。一方、神道の八幡信仰においても、御神体が宇佐宮から国東半島の海岸沿いに巡幸し、最終的に海に流されるという祭礼が行われた。

 ……要するに、西洋魔術の渡来以前から国東は重霊地であったのだ。

 

 戦国時代後期になると、南蛮人と呼ばれた西洋人が九州まで航海するようになる。豊後は、当時の戦国大名・大友氏の施策の中、南蛮交易の中心地の一つになり、国東にも南蛮人の姿が見られるようになった。

 南蛮人達はそれまで日本に存在しなかった様々な技術・物品・概念を持ち込んだ。火薬と鉄砲、眼鏡、西洋医術、一神教、そして西洋魔術。

 西洋魔術はそれまでの神仏の信仰基盤に基づく諸々の呪術とは見かけも体系も異なるものであったから、人々に『伴天連(バテレン)の妖術』と恐れられた。しかし実のところ教会にとっては『異端』に属する技芸であったから、当の伴天連(宣教師)たちにとってはそのような評判は迷惑であっただろう。魔術師たちは、伴天連たちとは別個に、その研究上の興味関心によって、手付かずの霊地を求めて、或いは『表向きの稼業』の都合によって東方を目指したのだ。

 そのような中で、それまで神仏の教えに基づいた『神秘』を探求していた導師たちから、西洋魔術師に教えを請い、その魔術基盤と追い求めるもの――『根源』の存在を学ぶ者が現れた。

 

 やがて、大友家が没落し、吉弘本家も国東を去った。相前後して慶長の大地震があり、神社仏閣は物理的にも被害を受けた。六郷満山の信仰も、神道の信仰も全盛期を過ぎる。

 そうした中で、国東の霊脈を半僧の魔術師が密かに管理するようになった。

 その魔術師の家は、国東における従前の権威が或いは没落し、或いは国東を去り、或いは絶家した江戸初期に、おそらくは甘言を弄して霊脈の管理権を掌握し、その管理者(セカンドオーナー)となったのだ。

 江戸時代には、西洋魔術は教会の教えと一緒くたに『伴天連の邪教』と見なされ、弾圧されていた。それ故に彼らは、教会信徒の嫌疑を被らないよう注意深く、土着の信仰、即ち山岳仏教の一種であるかのように外形を装いながら、己が家の魔術の研究を積み重ねた。管掌する霊脈を訪ね回ればそれは外部からは峰入り行のように見えただろうし、結界術を試みればそれは外部からは注連縄を張り日本的な意味での『結界』を敷いているように見えただろう。呪文を唱えれば真言の一種であるかのように聞こえただろうし(そもそも真言も西洋魔術の呪文もインド=ヨーロッパ語族に属する言語には違いないのだ)、それで実際に病が治癒したり怨敵が呪われたりすれば『なんと霊験のあらたかな御寺か』と評判になっただろう。

 その魔術師一族は、明治に至って『(くぬぎ)』を名字とした。

 日本における西洋魔術の大半は、文明開化後に流入したものだ(遠坂のように江戸期に僅かに侵入した魔術師に師事して家を起こした者ですら、日本では古株と言われるほどだ)。そのような地において、ざっと300年は古くから魔術を修めており、それでいて地元の信を(表向きの『僧侶』の姿として)得ており、しかもその霊地は日本でも屈指の重霊地である。繁栄は約束されていた、かのように思えた。

 ――それは、自らの家門の限界を知ることでもあった。東国に後から現れた魔術師が魔法を……即ち『根源』を掘り当ててしまったのだから。

 

 ※ ※ ※

 

「結局儂の代まで諦められずに、こうしている。そして決定的な凋落が来た。儂の代で、椚の魔術は途絶える」

 法体の老人は言った。古びた草庵で、歳の割には大柄な老人と小柄な青年が向き合っている。

「椚和尚、しかし確か御寺には娘さんが居たはずでは」

「あれはな、遠縁からの貰われ子よ。事故で親をなくしてな、生家の魔術刻印を植えて手ほどきはしておるし、『表稼業(この寺)』を継ぐ分には申し分ないのだが、儂の、椚の魔術刻印には適合しそうもない」

「そう、でしたか。知らぬこととはいえ失礼しました。しかし御家と我が藤谷家は大昔に主が同じだった程度の付き合い、何故今更連絡を?」

 灯が揺れた。

 本堂から離れたこの草庵には、電線すら引かれておらず、夜の明かりは昔ながらの灯心に頼っている。

「今生のうちに『根源』を掘り当て、『第六魔法』を会得したい。御助力頂けないか、『言霊魔術』の藤谷の若当主よ」

「助力? 椚の御家の魔術を窮めて根源に至るのではなく? この若造めに和尚に教授できることなど……」

「いや、研究の助力ではない。『聖杯戦争』だ」

「聖杯戦争……ですって? あの『いかなる願いも叶う』などという胡散臭い?」

 藤谷青年の眉間に皺が寄った。

「如何にもその聖杯戦争だよ。『噂』を聞かずに此処に来たわけでもあるまい?」

「ええ、聞いてはいました。国東の椚家が、よりによって聖杯を自ら重霊地に据え付けるらしい、と。しかし、聖杯戦争で実際に願いが叶ったなどと聞いたこともない。和尚、引き返すべきです。霊地を汚す危険に引き合わない」

 青年が語気を強めて詰め寄る。床が響き、また一際灯が揺れる。しかし、椚老人はあくまで語気を保つ。

「冬木の遠坂は、知っておるだろう。儂はな、今度の企みにあたって、あそこの御当主に会ってきた」

「『第三次』以来聖杯から手を引いて、当代は魔術と武術の併修に熱心だとか」

「そう。その御当主よ。『やめておけ』とは言われたが、しかし、『聖杯は確かに願望器であり、願望が実現しないのは戦争の経過が悪いか、聖杯が完全でないかのいずれかだ』と仰っておった。口振りからすれば恐らく、今流布している『小聖杯の魔術式』だけでは足りんのだ。そもそも、ホムンクルス鋳造の大家たりしアインツベルン、北方にありし時からの蟲使いマキリ、冬木のオーナーたる遠坂が集まって行う儀式が、たかが願望を叶えることが目的であろうか? 願望器鋳造だけでが目的であればわざわざ『英霊召喚式としての小聖杯』と『別付けの魔術式』に魔術式を区分する必要があろうか? その点については遠坂の御当主もはっきりとした返事はなさらなかったが、冬木の聖杯戦争に関する他の記録から推測はできる」

「それは、どのような」

 青年は思わず声を落とした。老人も調子を合わせる。隙間風の音が大きく聞こえる。

「古き魔術の家が困難な儀式を行うからには、それは必ず『根源』を目指す行いだ。儂が思うに……願望器としての機能は英霊召喚の為の『撒き餌』にすぎない。小聖杯は『撒き餌』を提供し、英霊の魂をしばし繋ぎ止めるのみ。別付けの魔術式、恐らくは『魔法使いのごとき魔術回路』を擬似的に再現した何かに蓄積した魂を注ぎ込み、以て、魔法を駆動するというのが本命であろうよ」

 西洋魔術師が追い求める奥義、或いは真理、或いは万物の基となる一。それを仮に『根源』と呼ぶ。『根源』を得た魔術師は知られる範囲では五名しかおらず、その者達を特に『魔法使い』と言い、その行使する決して科学技術で代替されることのない魔術を『魔法』と呼ぶ。即ち、魔術の真央として『根源』を得ることは、『魔法使い』になることとほぼ同義である。

「成程。しかし和尚、それでは例え十全に聖杯が稼働したとしても『アインツベルンなりマキリなりの魔法』が実証されるだけなのではありませんか? 椚が『根源』に至るわけではないのでは?」

「そうではない」

 椚老人は即座に否定した。

「そもそも儂に『魔法駆動式』を再現できる訳ではない。それはどこにも記されておらん事だ。恐らくは、アインツベルンの秘事なのだろう。だから、『英霊七騎分の魔力を小聖杯から受け蓄積する』ところだけを再現し、その魔力をもって根源に向けた『穴』を開ける。後は儂が『穴』を獲れば椚の魔法が、君が獲れば藤谷の魔法が成り立つという寸法よ」

「無謀だ」

 藤谷青年は首を振った。

「亜種聖杯戦争で七騎召喚したなどという記録はない。魔術抜きで根源を得ても『第六魔法』には至り得ない。それに、力尽くでは魔法に至る前に、『抑止力』が来ます」

 椚老人は大笑した。

「なに、亜種聖杯だけでは六騎が限度としても、『抑止力』も倒せば七騎分になろうよ!」

「椚の名を地に落とすおつもりか、泰雪(たいせつ )和尚!」

 青年は声を荒げるが、泰雪と呼ばれた老人は気にも止めず続ける。

「それにな、儂の聞き及ぶところでは、そなたにも後はないはずだぞ、藤谷の若当主」

 老人は顔を寄せた。思わず青年は顔を下げる。

「協会の噂によれば、藤谷の……いや、そなたの、藤谷(ふじたに) 水面(みなも)の魔術に近々『封印指定』がかかるというではないか」

「いや、ですから、それは今回避するよう各方面に運動を……」

 水面と呼ばれた青年の、握りしめた拳に力が入った。

「『封印指定』はな、政治や運動で回避できるものではなかろう」

 封印指定とは、魔術として稀少・再現困難な領域に達した魔術師を、魔術協会が保護しようとする制度である。保護、といえば聞こえがいいが、要はその身と魔術刻印を協会に幽閉してそれ以上の研究継続と家門の存続を禁じてしまうということであり、指定された魔術師自身にとっては『根源』到達への道を絶たれるのと同義である。

 水面は眼を伏せた。

「その時は、隠遁するしかないかと……」

「『聖杯戦争』に賭けてみんか。儂の企みが成功すれば、『根源』を得られる機会もあるし、『願い』で事実を改変すれば封印指定を回避することもできるかも知れん」

 椚泰雪は、藤谷水面の手を取って言う。

「そなたの魔術が必要なのだ」

「……考えさせてください」

 沈黙が庵を覆い、後は隙間風と家鳴りの音がするばかりであった。




新キャラクター便概

椚泰雪(くぬぎ・たいせつ)
オリキャラ魔術師の家『椚家』の当代当主。表向きは山岳系仏教の住職であり、地域には普通に「代々続く仏僧」として受け入れられている。
子が出来ず魔術師としての直系が絶えようとする中、自分の代のうちに『根源』を手にするべく、自らが管掌する国東の霊脈に小聖杯を据え付けるという暴挙に出る。
山歩きの必要性もあってか、歳の割に大柄でマッチョ。

藤谷水面(ふじたに・みなも)
オリキャラ魔術師の家『藤谷家』の当代当主。かつて藤谷家の先祖は椚らと同じ主に仕えたこともあるらしいが、現在の根拠地は本州にあり、水面自身もそれほど泰雪と音信があったわけではない。
家の魔術『言霊魔術』は実の所『神言魔術』の言い換えでしかないのだが、水面の代である意味では到達点に至り、『封印指定』を取り沙汰されるようになった。
二十代の若さにしては小柄。

このシリーズは、
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序 第三節『間桐鶴野の逡巡』

間桐の家運は魔術世界においても、常人の世界においても傾き続けている。そんな中、間桐鶴野は、魔術回路無しに産まれた息子のために、せめて借財だけでも帳消しにしようと聖杯戦争への参加を決意する。が、底の知れない男に出会い、早くもその決意は揺らぐ……
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。


 間桐(まとう)邸の地下には穴蔵がある。そこに一人、鶴野は立っていた。

 聖杯戦争を捨て、冬木を捨て、開祖を失った間桐一族が、なお捨てられなかったものの名残が、この広大な穴蔵である。

 間桐の魔術は、(むし)を使う。しかし魔術の蟲を大っぴらに飼育すれば、隠匿違反の誹りを免れない。だから、間桐はその本拠の地下には必ず穴蔵を設けてきた。蟲の飼育にも、蟲使いの修練にも、それは必ず必要になるのだから。

 しかし今、そこには空間の広さに比べれば僅かな蟲しか居ない。ひび割れや苔も目立つ。それはそのまま、間桐の衰退を表すものであろうか。

「終わりにしないとな」

 間桐鶴野が物心ついたとき、その家は既に冬木を去っていた。それでも他に霊地を持っていたから、曲がりなりにも魔術師の体裁は保てていたと言える。

 鶴野の父も、鶴野自身も、魔術の才能には恵まれていなかった。魔術回路の数が生来少ないのである。それ自体魔術師の家としての衰えの顕れであったが、それでもなお、間桐臓硯老人は、子孫たちに蟲魔術の修練を辞めさせなかった。逆らおうにも、魔術の奥義によってか数世紀に渡り生き続ける臓硯老人に、鶴野とその父ごときの魔術では勝ち目はなかっただろう。

 曲がりなりにも家伝の魔術を修めた頃、異変が生じた。間桐の祖でありその家最強の魔術師であった臓硯老人が、忽然と姿を消したのである。

 その直後、俗世間ではバブル時代が到来した。日本中のありとあらゆる土地に投機価値が見出された。それは霊地であろうと例外にはならなかった。

 間桐累代の霊地は或いは騙し取られ、或いは脅し取られ、瞬く間に喪われた。それだけならまだしも金が手元に残ったろうが、いかんせん泡沫は呆気なく弾けた。地価は暴落し、世間のありとあらゆる金回りが滞った。霊地売却の代価が入る間もなく、買収者たちは姿を消した。こうして霊地は喪われ、借金だけが残り、間桐は俗世間においても没落したのである。

 それを傍観した父と兄を軽蔑してか、はたまた魔術に嫌気をさしてか、鶴野の弟もまた間桐を出奔して戻らなかった。そして、父も心労が祟って亡くなった。鶴野も子を持ったが、その子には魔術回路が無かった。

 間桐には、もはやこの鶴野と、幾ばくかの蟲と魔術書しか残されていない。

 家が絶えようとする時に、縁のある他家から養子を迎え魔術刻印を引き継がせる試みも魔術師の世界では珍しくない。だが、零落した間桐にはそのような伝手もなく、また、鶴野にも最早そのつもりはなかった。

 せめて、息子――慎二の代にまで、魔術世界の因縁を残さないようにしなければならない。当代で片付け、慎二は普通に俗世間で生きられるようにしなければならない。

 そうなれば、少なくとも借財を帳消しに出来るだけの金が必要だ。また、『今の間桐』に出来ることが限られていると知れば、フラウフェルの様な輩も慎二の代にはもはや寄って来ないだろう。

 鶴野の、即ち間桐の『弱小ぶり』を見せながらも、充分な金を得る。一見して矛盾する目的だが、成程、聖杯戦争ならその両方を一度に得る機会はある。フラウフェルには聖杯で願いを叶えるつもりはないのだから、ギリギリまで彼女の補助に徹して、時にはその背に隠れるように立ち回り、最後に聖杯に富を願えばよいのだ。

「……やってみるか」

 鶴野は、伝令用の蟲を手に取った。

 

 ※ ※ ※

 

 大分空港は、国東半島の東端、当時の安岐町と武蔵町の境に造られた埋立地にある。どちらの町の中心部からも外れた、空港がなければ辺鄙な土地である。

 その空港に鶴野は降りたった。

「ご苦労だったナ、間桐」

 旧式の回転式フラップの音がするロビーに、白髪の女が待ちかまえていた。眼はサングラスで隠しているが、肌と髪の人形のような白さは隠しようもない。フラウフェル・イン=アインツベルンである。

「全くだ。乗り継ぎは要るわ、飛行機は狭いわ。そちらは冬木の城から陸路だろうから、まだマシだろうけどな」

「そうでもなイ。何だあの、ホバークラフトとかいう乗り物ハ。宙に浮いているハズなのに、やたらと揺れるではないカ」

「大分市から海路か」

「ああ、流石に一般人の乗り物に便乗しておれば、神秘隠匿のために何も仕掛けられまいと考えてナ」

 大分空港自体、国東の中では椚の監視が及びにくい土地だと考えられ、それ故に合流点として選ばれた。衆人の目があるうえ、人工の土地故に霊脈が通っておらず、従って遠隔地からの霊脈を経由した魔術行使が困難になるのだ。もっともそれは外界からの魔力――大源(マナ)への接続が困難であり自らもまた魔術行使が難しくなることも意味するのであり、諸刃の剣ではある。

 現に(多少の暗示をかけているのだろうが)、通行人たちはフラウフェルの異貌を気にかけもしない。鶴野の体内に潜む蟲の感覚器を使って密かに走査してみても、使い魔の気配もしない。

 そのとき、鶴野の手に鈍い痛みと軽い熱が走った。

「……令呪か」

「聖杯に近づいたことで『優先権』が発動したようだナ。もう降りられんゾ?」

「降りたくなったら監督役にでも保護して貰うさ」

 軽口を叩きながら、鶴野は手の甲を見た。それまでは何の痣もなかったそこには、三筋の赤い紋様が刻まれていた。

 令呪とは、『万能の願望器』に釣られて召喚に応じたサーヴァントに対して、現界のための契約と引き換えに三度の絶対服従を強いる秘術である。それは、魔術師にとってはサーヴァントを召喚する権利、即ち聖杯戦争への参戦資格を得た証でもある。

「勿論、私にももう出ておるゾ。聖杯戦争の開幕は近イ。それにな、逃げようにも監督役は保護はせんゾ?」

「どういう意味だ?」

「聖堂教会に働きかけてナ、冬木に縁のある者を寄越して貰う話になっていル」

 アインツベルン一族は基本的には西欧を本拠地とするが、かつての聖杯戦争の便宜のために冬木にも『冬の城』と呼ばれる根拠地を持っている。恐らく、その関係で面識のある聖職者を『教会からの監督役』として来させて、裏で抱き込んで八百長をする考えなのだろう。鶴野はそう捉えた。

 逆に言えば、イン=アインツベルン一族が回した手は、間桐や教会だけでなく、もっと広いのだろう。そうなれば、鶴野の立場としては勝ち目も広がるというものである。

「こっちだって願いがあるからここまで来たんだ。やれるだけはやるさ」

「ならいイ。別に信用などしておらぬが、戦う気すらないのでは困るからナ」

「ところで、拠点はどうするんだ。まさか『ここ』じゃないだろうな? あっちの霊脈がないのはいいとして、ここじゃろくに大源を採れないぞ」

「心配するナ。椚の霊脈が及ばないが、『地理的な国東半島』とは言い張れる位置……『日出町』に拠点を確保してあル」

「それは結構」

「すぐ行くゾ。ホーバーフェリーの臨時便が別府まで出ていル。そこから陸路ダ」

「ホーバーじゃないと駄目なのかよ」

「奴らの霊脈を避ける為ダと言っておろウ」

 こうして鶴野もホーバーフェリーに乗る羽目になった。揺れに苦しんだのは言うまでもない。

 

 別府国際観光港から車に乗り換えた。運転手も銀髪の女で、どことなくフラウフェルに似た顔立ちをしている。

「……同系統か?」

 軽い気持ちで鶴野は疑問を口にしたが、即座に遮られた。

「そこまで答える必要があるカ?」

「いや、いい」

 日出町は別府市の北東に位置し、国東半島の南の『付け根』に当たる。国東の主峰である両子山が半島の中央に聳えるから、日出町には南面した斜面が多い。

 30分もせずに、一行がたどり着いた古民家も、そのように南面した、日当たりの良い屋敷であった。

 魔術師には似つかわしくないかもしれない、と鶴野は思う。そもそも間桐家は蟲を使う都合上、あまり日当たりの良すぎる場所は拠点にしないのだ。

「お待ちしていました」

 そこにいたのは黒髪の、筋骨隆々とした若い男。フラウフェルや運転手とは似ても似つかない、何より『作り物めいた』部分の一つもない肉体を持つ男であった。

「……何者だ? こいつは」

 鶴野が眉を顰めるより・魔力を通すよりも早く、男もまた『構え』を取った。空手、いや中国拳法の構えだろうか。つまり、男は鶴野を不審者と見定めて即座に反応したのだ。

「二人ともやめロ。我々は『同盟』して今度の亜種聖杯戦争に当たるのだゾ」

 フラウフェルと運転手が間に割って入る。

「間桐よ、先ほど話したはずだゾ。聖堂教会に話を通してある、ト」

 そうするとこの男が教会から派遣された監督役か。しかし鶴野の目には、ただの神父には見えなかった。

 そもそも聖堂教会は、『教会』の中にある秘密機関だ。教義の中では存在を許されない、或いは教義に害を為す存在、例えば悪魔や吸血鬼、度を越した魔術などを或いは狩り、或いは封印し、或いは『厳重に管理』し、敬虔な教徒の眼には触れないようにするのだ。

 無論、聖堂教会にも管理事務や儀礼を担うために、一般の神父も居る。未熟な、見習いに過ぎぬ者もいる。しかし、前線で『異端』『異形』と戦う戦士も居る。神の意志を代行するという意味で、選ばれた戦士は『代行者』と呼ばれる。

 男の鍛え抜かれた肉体と反応の早さ、何より刃のような視線は、鶴野にそのような存在を連想させた。

「代行者か?」

「今は違う」

 即答だった。今は、というからには以前は『代行者』だったのだろう。

「『第三次聖杯戦争』の監督者であった、言峰神父は知っておるナ?」

 フラウフェルが口を挟んだ。

「聞いたことはある。だけどな、『第三次』の言峰璃正師なら、幾ら何でもこんな歳じゃないだろう」

「その息子殿ダ」

 第三次聖杯戦争といえば戦中のこと、しかし眼前の男は鶴野よりも歳下にも見える。璃正の息子としても随分歳の離れた子ではある。

 璃正師は冬木の教会に『表向き』赴任していたと、鶴野は父から聞かされていた。この息子も冬木に住まっていた時期があるのだろう。フラウフェルの言う『冬木に縁のある者』というわけだ。

「しかし幾ら連中(椚家)の地脈から外れた地とはいっても、監督役をあからさまに招き入れて大丈夫なのか?」

「心配ない」言峰の息子は即座に、しかし落ち着いた口調で反論した。

「少なくとも私が此処を訪れるまで、使い魔を含めて追跡は受けていない。この屋敷の人払いの結界も破られた形跡はない」

 その言葉は、この元代行者が魔術の心得をも有することを示している。教会は基本的には魔術を異端の業としているが、代行者となればその『異端』と渡り合う都合から、魔術師や魔術協会と連絡を取り合うこともあり、中には若干の魔術を使う者も居るという。

「いや、探知されてるかどうかというか、馴れ合ってると知られたら拙いんじゃないのか? 万が一……」

「いや、間桐ヨ。この言峰には今宵此処に居て貰わねばならぬ理由があるのダ」フラウフェルが言葉を引き取った。

「此奴も召喚主(マスター)になるのだからナ」

 言峰は黙って手の甲を見せた。鶴野のものとは異なる形状だが、三の角に読める紅い線――令呪が、確かにそこにあった。

「我々とて、本当は監督役を抱き込むことが出来ればそれで足りたのダ。此奴が聖杯に選ばれたことだけは偶然なのだが、放置も出来ヌ。それで此方で用意した聖遺物で召喚させようと考えてナ?」

「『上』もそれで良いということなので、甘えることにした次第だ」

 そういうものなのだろうか、と鶴野は思う。第三次までの聖杯戦争では、御三家以外の魔術師は概ね何かしらの強い『願い』をもって参加したものだと聞かされて育った。願望器としての機能は間桐の家にとっては撒き餌に過ぎなかったが、他の魔術師にとっては切実なものであったのだろう。亜種聖杯ともなれば、『上に言われて』来た程度の動機でも参戦者に選ぶものなのだろうか。それとも。

「……ちょっと待て。『願い』は俺の報酬になるという話じゃなかったか? こいつも『願い』があるから令呪が出たということになるんじゃないのか」

「私には、そんな大それた『願い』などないよ。聖堂教会から与えられた、聖杯の名を騙るものを見極める任務がある。それだけのことだ」

 そう言われて額面通り受け取れるものではない。そもそも『報酬目当てだろう』と言われて『はいその通りです』などと答える魔術師など、駆け出しであろうが居ようはずもない。

 そうなれば言峰の答えに隠された意図を知るべきなのだろうが、その息遣いにも、体内の魔力――小源(オド)の流れにも、鶴野の観察力では乱れを見いだせなかった。

「もう良いだろウ、間桐、言峰。これから我等は儀式の支度をすル。お前達は暫く休メ」

 フラウフェルが告げた。それとともに運転手が蔵に向かう。

 考えてみれば、『大聖杯の探索が目的』『願望は呉れてやる』というこのホムンクルスの言い分すらも、どこまでが真実なのか分かったものではないのだ。

 しかも、自分の力量自体は、このホムンクルスには遠く及ばないであろう。身体能力を含めれば、代行者崩れにも劣るだろう。鶴野にも、争わずして力量差を知ってしまう程度の実力は備わっているのだ。

(……俺は、踏み込むべきではなかったのだろうか?)

 そう考えたところでもう遅いという自覚はあるから、鶴野は、その考えを頭の隅に追いやった。




キャラクター便概

間桐鶴野:
間桐家没落の過程が説明された。
聖杯戦争参戦の動機は、息子『間桐慎二』の代まで借財を残しておけない、という点にある。生育歴や口調などを原典(/Zeroにおける僅かな出番)から弄りながら『間桐鶴野』というキャラである必然性は、偏にこの点による。

フラウフェル・イン=アインツベルン:
キャラクター性に関する特段の動きは無い。
FGOにおける『冬木』アイコンの位置から、冬木は九州に位置するものと推測できる(らしいよ?)。そうすると、冬木から大分まで陸路を取ること、日出町における根拠地をイン=アインツベルン側で手配することは、それほど不自然なことでもないだろう。

新キャラクター便概
言峰璃正の息子:
鍛え抜かれた肉体と鋭い目つきを持つ偉丈夫。
皆さんご想像通りのアイツ。少なくとも『言峰四郎』ではない。
拳法使いであること、元・代行者であることは原典準拠。ただし、当然璃正から預託令呪を受け継いでいたりはしないので、原典/Zeroほど無体な戦闘力は無い。はず。

アインツベルンの運転手:
恐らくフラウフェルと同型のホムンクルス。文字通りの意味で名前はまだない。

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序 第四節『藤谷水面の決意』

椚泰雪に聖杯戦争への参戦を勧誘された藤谷水面は、己の魔術に対する魔術世界の世評、『封印指定に値するものだ』という評価に不満を覚えながらも、しかしそれを帳消しにしうる手段でもある聖杯戦争への参戦もまた、決めかねていた。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。


 藤谷(ふじたに)家は、元を(ただ)せば国学者であったらしい。水面(みなも)はそう聞いていた。

『神世の、発するだけで世界を変えていた「言霊(ことだま)」とは如何なるものであったか?』

 古典研究や神学論争を踏み越えて、『言霊それ自体の実践』を研究するうちに、藤谷の家学は次第に和・漢・洋を折衷するものに変容した。やがて術理の上では西洋魔術としての性質が強くなり、国学者たちからは異端として排撃され、魔術師の家に数えられるようになった。

『神世の力ある言葉、或いはその復元の研究』――西洋魔術ではそれを『神言魔術』と呼んだ。(もっと)も、藤谷の一族は学祖に倣って『言霊』と呼ぶ方を好んだが。

水面の代に至って、その研究はある意味では高みに至った。神世の言霊の働き、少なくともその一端を実証したのだ。

 しかし、『神言の復元』とは即ち『人理確立以前の魔術の復元』に他ならず、真に『達成』すれば当然に封印指定の対象となりうるものである。その意味では、藤谷の家学そのものが袋小路に行き着く宿命にあったと言うほかない。

 

  ※ ※ ※

 

 そして今、藤谷水面は、その家の本拠からはかなり離れた地、国東(くにさき)の山中で、小聖杯とその接続するべき霊脈の調整にあたっていた。

 

聖杯よ、聖杯よ(いとさやけき、いといつき、さかづきや)

 

 その作業は(くぬぎ) 泰雪(たいせつ)から、『参戦の決意がつかないまでも手伝って欲しい』と懇請されて手掛けているものである。即ち、言霊を用いて、小聖杯の魔力の流れを変えること。

 

その接する霊脈を(ふるるところのながれを)大聖杯として受け入れよ(さやとなし、はことせよ)

 

 それは本来であれば『魔法を再現する構造を組み込まれた、より上位の聖杯』――仮に『大聖杯』とする――に対して魔力を送り込むようにできているであろう小聖杯に、『接している国東の霊脈そのものが大聖杯である』と『言い聞かせる』魔術儀式であった。なるほど、椚の魔術でも別の手段で・時間をもっとかければ不可能ではないだろうが、水面の言霊を用いる方が効率的ではある。その間に椚和尚には別にするべき工作もあるのだろう。

 水面の言霊は、神世のそれの一端を示すとは自負するものの、実のところ神話伝説の言霊ほど強力でもなければ、即効性があるわけでもない。ただ、少しずつ(テンカウント単位で)、万物にその語る(騙る)ところを『言い聞かせる』ことで語った(騙った)方向に変えることができるだけであり、汎用性を抜きにすれば、[[rb:齎> もたら]]される結果自体は他の魔術でも再現可能なものが殆どだ。藤谷の家が求める『言霊の復元』までの道程は未だ長く遠い。

 

根を張れ( はににねをうへ)繋ぎ留めよ( いはおにとまれ)

 

 しかし、幻覚を研究する魔術師たちは、これを封印指定すべきだと強硬に主張した。

人理世界の表層(テクスチャ)そのものを改変する大魔術である。希少であり、また人理を危うくするものだ。野放しにして散逸させるわけにはいかない』

というのである。

 

満たせ(みちよ)廻せ(めぐれ)注げ(すすげ)

 

 冗談ではない、と水面は思う。確かにこれは藤谷家の成果の最大のものではあるが、しかし未だ通過点に過ぎない。人理云々は分からないではないが、そもそも、発展の余地のあるものは『封印指定』の対象にはならないはずではなかったのか?

 

 若干の雑念を交えつつも、水面が言霊を『言い聞かせ』終えると、魔力の流れる『音』の向きが変わるのを感じた。経路(パス)が小聖杯から霊脈の方向に向けても通ったのだ。

「これで――良し」

 これで、召喚までは通常通り・今まで通りに小聖杯が霊脈から魔力を吸い上げるが、聖杯戦争が実際に始まれば逆に霊脈が小聖杯から魔力を――敗退したサーヴァントの魂をそそぎ込まれるようになる。

 無論主たる霊脈自体には手は加えられていない。ただ、国東の主たる霊脈は、主峰たる両子(ふたご)山を囲むように円形に位置した、閉鎖性の高いものだ。更に、予め椚和尚が霊脈の「支流」を塞ぐ工作を施しているという。そこにサーヴァントの霊基を注ぎ込み続ければ、やがて出口を喪った魔力が霊脈の中を加速し、『根源』への大穴を開けるであろう。それが椚和尚が水面に説明した計画の概要である。

 確かに、それに足りるだけのサーヴァントさえ召喚できれば、理論上は可能だ。だが、仮に抑止力すら退けてそれを為したとしても、それは魔術で『根源』に至ったと言えるのだろうか?

「――?」

 水面の左手に鈍い痛みがあった。その手を確かめると、赤い三筆の紋様が浮かんでいる。令呪、即ち聖杯戦争の参加権である。

「和尚、さてはこうなるまで僕を引き留めるつもりで?」

 水面は未だ迷っている。

 国東の霊脈に触れるにつれ、椚和尚の計画――霊脈の規模に物をいわせて六騎、あわよくば七騎のサーヴァントを召喚し、無理矢理根源への孔を開けること――の実現性にはある程度納得するようになった。確かにそれだけの、六騎の英霊を喚べる規模の霊脈なのだ。

 願いも無いわけではない。封印指定に向けた馬鹿げた動きを撤回させることも、或いは魔術協会の目を逃れることも、『根源』への孔を開けることに比べれば容易い願いだろう。実のところ、彼自身、召喚に備えた触媒すらも持参しているのだ。

 だが、魔術師として、どうしても受け入れがたいのは、『他人の用意した手段で「根源」を目指す』ことであった。そもそも小聖杯はアインツベルンら三家の発明品であるし、それを以て無理矢理『根源』をこじ開けようというのも椚和尚の発案である。

 言霊を窮めた先、神世の言霊の先に『根源』を見出すのでなければ、藤谷の家が魔法に到達したとは言えない。それは自分の代で為せなくとも、必ず為せるはずのことである。

 そう考えればこそ、聖杯戦争による短絡化すら迷うのだ。

持ってきた水筒を開ける。水の中に魔術回路を賦活させる目的で薬草の成分を含ませた……世間一般に言うところの薬草茶(ハーブティー)である。

 一息ついて改めて見回すと、水面が普段暮らす本州とは、景色が余りに違うことに気付かされる。

 小聖杯は小さな堂の中に据えられている。そこは両子山の山中深くに位置しており、木々の緑が深い。暦の上では秋になろうというのに、蝉の声すらする。空気の匂い、土の臭い、全てが本州の山々とはまた違う。

 この山に、国東の霊脈は養われているのだ。

 鳥の声、虫の羽音、木々の葉が揺れる音、……それらに混ざって人の足音がする。近づいてくる。

 万が一、妨害者であったら厄介だ。

 そう考えると水面は、魔術回路を起こし、足音に意識を向ける。言霊を家伝とする藤谷家の魔術師は、魔術感覚を『音』として捉える。足音の主の、小源の流れを、音として聞く。

 魔力を帯びた、爆ぜるような音。ここ数日の間に、聞き覚えのある魔力だった。椚泰雪の娘――いや、養女。(くぬぎ) 紅葉(くれは)だった。

「おじさーん! 藤谷おじさーん!」

 やがて、実際の声も聞こえた。若々しく、甲高い声だ。

「……おじさんは止めてくれ。僕まだ二十代なんですけど?」

「じゃあ『おいさん』な!」

 眼前に現れて、即答。かなりの距離の山道を走ってきたのだろうに、息を切らす様子もない。この娘が如何に山に慣れているか、ということでもある。

「言ってる意味はよく分からないがそれも駄目だ!」

「はいはい、藤谷さん。……爺ちゃんから伝言があるけん」

 この娘は、師でもある義父のことを『爺ちゃん』と呼ぶ。まだ十代の紅葉と、六十代になる泰雪では、その方が自然なのだろう、と水面は思う。

「『召喚を執り行うから付き合え』ってさ」

 まるでこちらが召喚に加わると決めてかかっているかのようだ。確かにここまで請われるままに手伝いをしてきたが、それは自分の魔術技能を発揮できる場だと割り切ればこそだ。

「……紅葉ちゃんも、その、聖杯戦争を?」

「するよ」

 即答である。しかし、それに続く言葉は水面の予想外であった。

「そうせんと、爺ちゃんを止めきらんやん」

「止める? 和尚を?」

 泰雪の狙いは(手段はともかく)椚家に根源をもたらすことのはずだ。それはこの紅葉にとっても同じ事ではないのか、と水面は思う。

「止めるよ。だって、爺ちゃんのやりたい事って、結局私じゃ『根源』には届かないって事やん?」

「いや、でもそれは」

 苗字こそ同じだが、紅葉は養女で、椚の魔術刻印は受け継いでいない。仮に今後彼女が『根源』に辿り着いたとしても、椚家が『根源』を得たことにはなり得ない。魔術師として育ったからにはその程度のことは承知しているはずだ。

「だからさ、私が願いをかけるんよ」

「何と」

「『私の身に椚の魔術刻印を適合させろ』って。それなら爺ちゃんの願いも無駄にはならんやん?」

 成程、そもそも椚の魔術刻印を継続できるなら、力ずくで直ちに『根源』を掘り当てる必要はないのだ。

「……その手があったか」

 泰雪の手段が無謀だというのなら、聖杯戦争に勝ってしまえばいいのだ。願望を叶えてしまえば小聖杯の魔力は概ね空になり、『根源』をこじ開けるほどの魔力は喪われるのだから。

 そして、聖杯戦争を勝ち抜くうえでは、椚親子との共闘は有益だ。むやみに対立することはない。陣営としてまとまっていれば他の個々のマスターより優位にたてるし、椚親子を排除するとしても他マスターを倒した後でよいのだ。

「で? 来るんでしょ。召喚に。それとも聖杯戦争から降りるん?」

 差し出された紅葉の手を取った。

「そうだな。僕も準備はしてあるし、行くよ」

 紅葉の笑顔が木漏れ日に映えた。この娘は、これから魔術戦に、それも命のやりとりをするような戦いに身を投じるというのに、なんでこうも笑っていられるのだろうか、と水面は不思議に思った。それとも、その深刻さに思いがいたっていないだけであろうか?

「で、召喚は寺じゃなくて、都甲(とごう)でやるっち話」

「都甲って……豊後高田市!? 何でまた?」

 両子山の峰を挟んだ反対側の地名である。しかも、この娘、運転免許を持っていないという。

「大丈夫大丈夫、今から歩けば夜までにはつくよ!」

「徒歩かよ!」

 無論、水面も国東まで車を持ってきているわけではないし、そこまで国東の地理に詳しいわけでもない。この健脚の娘について歩くほかないのだ。さりとて、戦いの前から肉体能力付与(フィジカル・エンチャントメント)を無駄撃ちするわけにもいかない。

 当面の前途の長さを思って、水面は溜息をついた。

 




キャラクター便概

藤谷水面(ふじたに・みなも):
 その祖が国学研究から転じて西洋魔術師となったことが説明された。恐らく藤谷家の『言霊』観が本居・平田派からすれば異端だったのだろう。(ということで『神言魔術≒言霊』という作中の位置付けと国学上の『言霊』とのズレを説明したことにする)
 二十代の若さにして『封印指定』を検討されている。その『言霊』は古代言語の働きで世界の表層それ自体を操作するものであり、原理や動作自体は(某ゴドーワード師のように)強力なものであるが、如何せん(某ゴドーワード師ほどには)即効性がなく、また『やれること自体は魔術の域=技術で再現可能な範囲に留まる』ものであり、水面自身は封印指定されるほど『凄い』魔術とは考えていない。
 二十代なのだが、十代の紅葉と視点がさほど変わらない程度の低身長。

新キャラクター便概
椚紅葉(くぬぎ・くれは):
 椚和尚の養女。国東の産まれ育ちであり、やや『なまり』が強い。
 十代。高卒。山育ちと言えばいえる。恐らく運転免許は持ってない。

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序 第五節『椚紅葉の召喚』

 椚家に他の魔術師の家からもらわれてきた紅葉は、その義父・泰雪に複雑な感情を持っている。いよいよ英霊召喚を始めるに際して、彼女は義父の指示に反して敢えて狂戦士のクラスで英雄を召喚する。だが、その英雄の振る舞いも予想外なら、義父が用意した英霊もまた予想に反するものであった。
 そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。

※2018/04/29 10:45 振り仮名変換漏れの修正とともに、後書き(キャラクター便概)に若干加筆しました。本文の加筆はありません。


 (くぬぎ) 紅葉(くれは)の一番古い記憶は、燃え上がる車だった。

 両親とともに乗っていた自動車が、対向車線から飛び出してきた自動車と正面衝突した。車外に投げ出された紅葉は、これまた偶然に(・・・)木々の枝に受け止められ、いくらか骨折する程度の怪我で済んだ。しかし、前方座席に乗っていた両親は、魔術を試みる暇すらなく、加害車両もろともに火に包まれた。

 両親の様子までは思い出せない。あるいは、思い出したくないのかも知れない。しかし、その火の赤色と、そこに舞う火の精霊の印象は、確かに彼女の記憶に焼き付いていた。

 

 次に古い記憶は、公立病院の病棟で、まだ自分の体の動かないうちから、縁者たちの話す言葉。

白縫(しらぬい)の血が絶えなかっただけ僥倖であったやも知れぬな』

『そのような言い方をせずとも良かろう』

『何を言う。この娘とて魔術師として育てられていたはずなのだ』

『しかし魔術師になるかどうかは当人が選ぶべきことではないのか』

『選ぶ歳まで誰が面倒を』

『……儂が見る』

『椚の宗家が?』

 自分と関係のないところで、自分の行き先が決まっていくようで、滑稽だった。

 

 退院すると、紅葉は椚の宗家、即ち椚泰雪(たいせつ)の営む庵に引き取られた。

『始めに言っておく。椚の家と、そなたの白縫の家は、古くからこの地にある魔術師の家だった。両家の古い盟約に従い、儂は白縫を(たす)ける』

 幼い紅葉には言われた言葉の半分も分からなかったが、この初老のお坊様が両親の知り合いで、そのために自分を助けようとしている、ということは何となく分かった。

『そなたはまだ、魔術を忘れて引き返すことも、魔術を深めることもできる。どうする?』

 魔術。両親が時折見せてくれた精霊を使う技。自分にも見えるもの。それは、紅葉にとっては既に両親の遺産であり、また自分の一部でもあった……幼くして、両親は既に白縫の魔術刻印を紅葉に移植し始めていたのだ。

「わたしは、まじゅつを使う」

 はっきり答えたことを覚えている。

 

 魔術の鍛錬と日々の勤行――椚の家は仏僧という建前であったから、法事も当然行うし、そうなれば子供といえども手伝いはする――の合間に、紅葉は魔術刻印の移植を受けた。亡き親の移し残していたものを、少しずつ。遺体の損傷がそこまで大きくなかったため、移植に耐えたのだ。

『どうだろう、この子に椚の魔術刻印を移植できないだろうか』

 椚泰雪は、あるとき、刻印の移植を行う心霊手術師に尋ねた。泰雪は早くに妻を亡くしており、実子が居ないのだ。

『難しいでしょうね。そもそも元からこの子の身体には白縫の魔術刻印の一部が根付いています。加えて和尚とこの子では属性の適合性も低い』

『……そうか』

 そのときの寂しげな、哀しげな顔を紅葉は折に触れて思い出すことになる。

 どこまで行っても自分とこの男は、本当の意味では親子にはなれないのだ、と。

 

 それでも、紅葉は椚の家で育つ。椚の魔術はさほど習得できなかったが、幼少の頃から身についていた精霊魔術にかけては、魔術刻印が根付くのと歩調を合わせて上達した。白縫の家の魔術書を泰雪が回収し、そのまま紅葉に与えたことも幸いした。

 高校を卒業した年の春、泰雪は言った。

『暫く前から、御山に「聖杯」を据え付けている。儂は、ある望みを叶えるために「聖杯戦争」を起こそうと思う。そなたはどうする?』

 魔術世界で噂される聖杯戦争。年若い紅葉も小耳にはさんだことはある。聖杯は万能の願望器であり、その発動に至る過程で霊脈から魔力を吸い上げ続けるという。そして発動に際しては「英霊」をこの世に具現化させ、争わせるのだと。

 紅葉は思う。聖杯戦争を起こしたらその後、この故郷と、この義父はどうなってしまうのかと。

 国東の霊脈は枯れるだろう。そうなれば、勝とうが負けようが義父も無事では済まない。国東の霊脈を失うことは、椚家にとっては家の滅亡と大差ないはずなのだ。しかし、ここで自分一人が参戦を断っても、義父が聖杯戦争をやめることはあるまい。引き返すつもりがあるのなら、聖杯を設置する前に相談するはずだから。

 そこまでする望み、それはおそらく「魔法の実現」か「椚家の存続」。

 戦争に参戦して、義父を護り、そして早めに勝って止める。そして、自分に椚家の刻印を適合させればいい。そうすれば、義父の願いもこの身も無駄にならないし、国東が荒れ果てる前に終わらせられる。

『わかった。わたし、やるけん』

 承諾の返答をした。

 それに対して、泰雪はうなずき、言葉を継いだ。

『亜種聖杯戦争では、開催地での知名度が高いほどサーヴァントの力は増すという。そなたには、紛れもなく「日本随一」の英霊を招きうる触媒の持ち主を紹介する。琴平の社家だ。我らの勝利を確実にするため、是非とも入手してきて欲しい』

 

 ※ ※ ※

 

 そもそも吉弘(よしひろ)一族の苗字の地は両子山(ふたごやま)の東方、今で言う武蔵町吉広 (よしひろ)であるが、戦国期には両子の峰を挟んでその北西方、今の豊後高田市都甲(とごう)地区に移っていた。その常の居館である筧城は都甲の谷間近く、比較的低い位置にあったと言われ、詰めの城である屋山城はその背後の山の上にあった。

 今、この夜更けに椚親子と藤谷(ふじたに) 水面(みなも)がいるのは、筧城跡と屋山城跡の中ほど、山腹の平らな地形である。周囲に墓石や古びた仏像がある。往事は六郷満山(ろくごうまんざん)の山坊の一つだったのだろう。

「これから、召喚の儀式を執り行う」

 椚泰雪は宣言した。

「この先、ひとまず我ら三名は他の魔術師を駆逐するまでは連合してあたる、ということで宜しいな、藤谷の?」

「異議はない」

「紅葉もそれでいいな?」

「文句あったら来ちょらんわ」

 三人は頷き合う。

「和尚。一つお願いが。連合の証として、召喚後、我らの間ではサーヴァントの真名は互いに隠さないようにしていただきたい」

 真名を知れば、生前の逸話から取り得る業がわかり、時には致命的な弱点すら判明する。対決する上では、真名を知られることは命取りである。しかし、これらのリスクは共闘する上では利点にも転じうる。予めサーヴァントの(スキル)や宝具を互いに承知していれば戦術の幅が広がるし、明白な弱点があるなら互いに庇い隠し合うこともできるのだから。

「分かった。では、召喚触媒を出していただこう」

 泰雪は平素と変わらぬ風に答えた。

「僕はこれを使う」

 その声に応じて水面が差し出したのは、古びた和紙の一片。何かがかなり崩れた草書で書き付けてある。

「古筆切か。それにしては見るべき書体でもなさそうだが」

「筆者じゃない。触媒はここに書かれた『内容』だよ。これは我が藤谷家が承知している範囲で最古の『義経記(ぎけいき)』の写本だ」

「してみれば源義経を喚ぶ、と?」

「それか武蔵坊弁慶かな。この物語に縁のある英雄を引き寄せて見せる」

 それにしては縁の薄い触媒ではないか、と紅葉は思う。いくら最古でも、たかだか『それらが語られた物語』でしかなく、別に義経や弁慶の所用でもない。しかし藤谷は言霊を使うというから、或いは物語さえも『現実』にするのかも知れない。

「私はこれを」

 紅葉は古びた棒を差し出した。よく見ると片側に金輪のついていたであろう凹みが見て取れる。

「手槍か、斧……か、鉞?」

 水面の問いかけに紅葉は頷いた。

「爺ちゃんの言う通り、琴平さんから買い受けてきたけん」

「よくやった」

 優しい口調で泰雪は告げた。やはり、普段と変わる風ではない。

「で、和尚の触媒は?」

「これだ」

 それは古びた鎧袖であった。

「或る家が『殿』から賜ったという由緒の品だ。これがあれば、後はこの土地が導いてくださるだろう」

 言うと、泰雪はその鎧袖を魔法陣の中心に据えた。

「それでは始めるぞ」

 

 夜中の山中に、密かに声が響く。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 それは聖杯戦争の術式で定められた、英霊をサーヴァントとして呼び出すための儀式呪文。

「礎には我が御祖・吉弘門木太夫(かどきだゆう)■■」

 泰雪が言った。

「礎には我が御祖・吉弘白縫大尽(しらぬいだいじん)■■」

 ほぼ同時に紅葉が言った。

「礎には我が御祖・不二屋■■」

 やはりほぼ同時に水面が言った。

「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 三人は声を揃えて唱える。

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。」

 その呪文の詳細な意味合いは御三家しか知らない。聖杯に対する何らかの起動式ではあるのだろう。

「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 風向きが変わる。葉音の向きが、木々の揺れ方が変わる。いや、そのように感じられるだけで、きっと魔力の流れが変わったのだ。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 魔術師は、魔力の流れを何らかの感覚として捉える。紅葉にとっては、それは視覚の変化として感じ取られる。曖昧な風の動きから、光のような靄のような流れへと、少しずつ形を得る。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 その流れは魔法陣の中心に向かう。

 そのとき、紅葉は一つの呪文を早口で差し挟んだ。

「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 予定にない呪文に、泰雪は眼を見開く。しかし、もはや儀式を中断することはできない。

 予定を曲げて、英霊を敢えて狂戦士として召喚する。これが紅葉の決意の形であった。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 唱え終えると、魔力の渦が収束し、魔法陣の上で形を取った。サーヴァント召喚の成立である。見るからに僧兵装束の男、中世の平服のように見える男、そして臑当て・肘当てをした男。いずれも、屈強で大柄な男の姿に見える。

「方々にはサーヴァントとして召喚され、有り難く存じます。さて、ここにいる召喚主(マスター)三名は、同盟を結ぶ者。差し支えなければクラスによる仮名だけでなく真名を明かしていただきたく存じます」

 泰雪が代表して告げた。

「心配いらない。この場の人払いの結界は破られていない。他の召喚主に知られることはない」

 水面が補足した。

「では拙僧から」

 水面の魔法陣に立つ僧兵が言った。

「拙僧、武蔵坊弁慶と申す者。槍騎士(ランサー)として顕現した。宜しくお願いする」

 武蔵坊弁慶、源義経に忠実に仕え、その最期を共にした僧兵。その屈強な姿は、確かに万人の思い浮かべる弁慶そのものであった。

「召喚主・藤谷水面だ。宜しく」

「応。方々が拙僧を見放さぬ限り、弁慶として(・・・・・)力を尽くそう」

 小柄な水面と大柄な弁慶との体格差は、まるで義経と弁慶の対比そのままのようにも見える。それにしてもこの男は義経気取りなのだろうか、と思うと、紅葉にはその光景が少し微笑ましく感じられた。

「じゃあ次は俺か?」

 紅葉の魔法陣に立つ男が言った。

「俺は坂田金時だ。この時代じゃあ『金太郎』の方が通りがいいか? とにかく、こう見えても狂戦士(バーサーカー)だ。暫く世話になるぜ」

 平服の男が言った。おかっぱに切りそろえた髪は金太郎のように見えなくもないが、金髪碧眼のその様子は、およそ金太郎と聞いて思い浮かべるものではない。いや、それ以前に。

「確かに狂戦士で召喚したのに……何で喋れてるわけ!?」

 紅葉は驚愕した。狂戦士のクラスで召喚されたサーヴァントは、生前の行状に拘わらず【狂化】のスキルを付与される。筋力と耐久性の大幅な向上と引き換えに、多かれ少なかれ正気は失われ、発語すら困難になる。そう聞かされていたからだ。

「ああ、【狂化】か? 召喚主ならステータス見てみろよ」

 召喚主にはサーヴァントの能力を確認する特性が付与される。術者によって感じ方は異なるが、紅葉にはRPGのキャラクターステータス画面のように感じされる。

「【狂化】……EX(規格外)!?」

「そういうこと。俺っちの【狂化】はオン・オフできるし、オフである限りは全くの正気、ってわけ。それとな、基本的に【狂化】する気はねえから」

「なんでよ」

紅葉自身、眉根が寄るのがわかった。

「だってよ、サーヴァントが狂うって事あ、制御も戦術も無しに全魔力を使って暴れ回るって事だぜ。勿論召喚主の小源(オド)もコミコミで。そしたら、あんたみたいな小娘、あっという間に干乾びちまわあ。分かるか?」

 それくらい承知の上だ馬鹿にしやがって、と紅葉は思ったが、言葉にする前に飲み込んだ。確かに【狂化】をオン・オフできる方が戦術の幅は広がるし、必要な時に【狂化】を拒むなら、その時こそ令呪を使えばいいのだ。

「……まあ、分かる。それにしても、あんたって金太郎っち言うよりゴールデンって感じやね」

「……何だそりゃ」

「髪の毛も金ピカで、体も態度もデケえし、なんかこう、気配までゴールデンなんやもの」

 金時が呆然とするのが見えた。してやったりだ、と溜飲を下げた途端、金時はすぐに大笑した。

「違えねえ! なるほどゴールデンか! そいつぁいいな! なーんかこの肉体で金太郎ってのもピンと来ねえなあとは思ってたんだよ!! 『次』からはそれで行くか」

 つかみどころの無い英霊だ、と紅葉は呆れた。

「次は私の番で良いな?」

三つ目の、泰雪の魔法陣に立つ男が言った。

「私は立花左近将監……若き日の姿でこう名乗るのもどうかと思うが……立花宗茂だ。剣騎士(セイバー)である」

 その声を聞いた時、紅葉は我知らず(ひざまず)いた。いや、泰雪も、水面までも跪いていた。その名はこの地に生まれ、吉弘から他家に養子に行き、西国一と称えられ、そして三国に名を轟かせた英雄の名。余所にとってはともかく、この地にあっては最大の名なのである。

「よくぞこのような戦いに参じていただいた、我らが殿。私は吉弘配下・門木太夫が裔、椚泰雪と申す者。これなる娘は白縫大尽が裔、椚紅葉。そしてこれなる若者は不二屋が裔、藤谷水面」

 泰雪が述べた。

「いずれも祖を辿れば、一時(いっとき)は殿に仕えた者たちであります」

「相わかった。だが、『殿』はやめてくれないか、召喚主よ。あなたの言う名に覚えはあるが、そもそも今生のあなた方が私や吉弘の臣下であるわけでもないだろう」

 泰雪はなおも顔を伏せている。

 紅葉もまた、顔を起こせずにいる。勿論理屈では紅葉は、いや三人ともわかっているのだ。眼前の存在は、いくら当地の英雄といっても所詮サーヴァント、『英霊の座』に坐す英雄の射像でしかなく、かしずく理由はないはずなのだ。しかし、意識しない場所から『跪け』『跪くべきだ』という感情が沸くのだ。

 そもそも紅葉は、祖の名は聞いていても、祖たちが眼前の英雄に仕えていたことがあると聞かされたことはなかった。恐らく、泰雪が敢えて伝えていなかったのだろう。だから、『立花宗茂』の名は、単に地元の英雄という以上のものではなかった。それでもこの、拘束(ギアス)にも似た反応。或いは魔術刻印が、刻印に残された先祖の願いがそうしろと命じるのであろうか。

「面をあげてくれ。私は部下を募りに来たのではない。私を使い、剣とし、刃とし、戦争に勝ち抜く主を求めに来たのだ」

 剣騎士に改めて言われて、ようやく顔を起こす。

「では、そのように致しましょう。殿」

「だから、殿はやめよと」

「……では、剣騎士」

「はい、召喚主」

「微力な儂と共に戦っていただきたい」

「分かりました。私の戦いに付いて来れますかな」

「……尽力します」

 

 この召喚より前、召喚触媒を求める段階で、泰雪は『日本随一の英霊』を呼ぶ触媒を紅葉に求めさせた。

 確かに坂田金時なら「日本全土において」屈指の知名度を誇る。だが、今義父が召喚した立花宗茂であれば――「国東(或いは柳川)で戦う限りにおいて」最優の知名度がある。

 最初から、義父が最優の知名度補正を求めてこの触媒を準備していたのなら、そのために私達と宗茂の縁を隠していたのなら、私もまた捨て駒に過ぎないのではないか?

 誇らしい召喚の場にあって、紅葉の心中に翳りがさしていた。




・キャラクター便概

椚紅葉(くぬぎ・くれは):
精霊魔術の家・白縫に産まれ、両親の死によって椚泰雪に迎えられたことが示された。
高卒十代。泰雪の『亜種聖杯戦争』を行う方針には、地域と自分を蔑ろにするものとして反感を覚えながら、それを『泰雪を勝たせず、かつ椚の魔術刻印を存続させる』方向で終わらせるために参戦を決意する。
召喚したサーヴァント・坂田金時は狂化させずとも充分に強力な大英雄であるのだが、『どのような展開であっても義父のサーヴァントに勝てる』だけの性能を求めて敢えて狂化を付与した。

椚泰雪(くぬぎ・たいせつ):
紅葉を養女に迎える過程が描写された。その真意はどこにあったのか。
椚の魔術は白縫の魔術とは系統が相当に異なり、また紅葉に椚の魔術刻印を移植することも適わなかったため、紅葉に自らの魔術を教える試みはさほど上手く行っていない。
立花宗茂の召喚を確実にするため、触媒・それぞれの魔術家の縁に加えて出生地との地縁を用いた。

藤谷水面(ふじたに・みなも):
持ち込んだ触媒は『義経記』の最古の写本。それで本当に『弁慶』を召喚するアテがあったのか、それとも『弁慶』がああいう存在と分かっていてやったのか。

・吉弘門木太夫、吉弘白縫大尽、不二屋
これらマスターたちの祖。門木太夫と白縫大尽は吉弘の末流(ひょっとしたら苗字を賜っただけかも知れない)の魔術師、不二屋は戸次→立花家の御用商人。
不二屋の存在が前回の『藤谷家のおこり』と矛盾して見えるのは、単純に『商家としての祖である不二屋某』の子孫に『魔術師としての祖である国学者崩れの藤谷某』が居る、ということなのである。(この家のモデルに心当たりのある歴史クラスタにはピンとくるかも知れない程度の説明)
門木太夫だの白縫大尽だの『およそ戦国期武士の仮名としてはありそうに無い』名前なのは、『ここは真っ赤なフィクションであり実在しません』というメッセージであり筆者の意図的なものである。あと白縫大尽のモデルにも若干関連している。

新サーヴァント便概

ランサー・武蔵坊弁慶:
・属性:混沌・善/人
・能力:筋力A/耐久B+/敏捷C/魔力D/幸運C/宝具EX
・クラススキル:対魔力C+
・個別スキル:怨霊調伏A/仁王立ちB/くろがねの傅C
・宝具《白紙の勧進帳》EX/対宝具宝具/レンジ1~10
その正体に関する設定は原/ApocryphaやFGOに準拠しているが、勧進帳の宝具化など、いくつかのステータスに変更がある。

バーサーカー・坂田金時:
・属性:秩序・善/人
・能力:筋力A+/耐久B/敏捷B/魔力C/幸運D/宝具B+
・クラススキル:狂化EX
・個別スキル:神性D/怪力A/動物会話C/天性の肉体A
・宝具《黄金喰い》B+/対人宝具/レンジ1
・宝具《■■■■》C+/対人宝具/レンジ0~1
ゴールデン氏。物語上の都合により、狂化ランクの変更など、若干のステータス変更がある。
この時代に『まんが日本昔ばなし』世代だった紅葉によって召喚されたことにより、金太郎としての性質が強めだとか何とか。

セイバー・立花宗茂:
・属性:秩序・中庸/人
・能力:筋力B/耐久B/敏捷A/魔力D/幸運A/宝具EX
・クラススキル:耐魔力B/騎乗C
・個別スキル:軍略B/■■■■(■)A/仕切り直しB
・宝具《■■■■》EX/対■■宝具/レンジ0(■■■■に依存)
『(亜種聖杯戦争の知名度補正の大きさにより)国東に限れば最優最強』のサーヴァントとして召喚された本作オリジナルサーヴァント。金時や弁慶と大差のない大男(※実存している鎧から、180cm以上の身長があったと推定されている)。生前、マスターたちの祖にとっては主筋にあたり、それ故かマスターたちを畏怖させる何かがある。
知名度補正によりセイバーの能力値足きり要件を満たしているのであり、通常の聖杯戦争ではセイバーでは召喚されないかも知れない。

このシリーズは、
pawoo上で順次掲載→pixivに纏めて掲出→加筆してハーメルンに投稿/pixivでも加筆
の順で投稿しております。pawoo上では『国東聖杯戦争』のタグを検索すれば色々出てくるかと。


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序 第六節『言峰綺礼の任務』

『令呪が現れたからには願いがあるはずだ』
 その言葉に言峰綺礼は過去に思いを巡らせる。自分にとっての『願い』とは何なのか。
 しかし考えが至る前にイン=アインツベルン陣営の召喚の儀式は始まり、綺礼は一人の聖人と出会う。
 そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。


 言峰(ことみね) 綺礼(きれい)が物心ついた頃、父は既にかなりの歳で、母は既にこの世になかった。そしてもう一人、歳の離れた兄がいた。

 父は長年冬木の教会に神父として勤めており、信徒だけでなく冬木の地域社会全体で信頼を集めていた。兄もまた教会に入り、各地で修道や布教に勤めているということだった。二人とも、非の打ち所のない堅信者であった――少なくとも、綺礼にはそう見えていた。

 神の教えは、綺礼にとってごく身近で、自然に『そこにある』ものであった。にも関わらず、日々神に仕える父の姿も、神のために世界を旅し滅多に帰らぬ兄の姿も、どこか遠く感じられた。それらはまるで一枚の絵のようで、自分には触れえないもののように思えたものだった。

 

 綺礼が十代前半の頃のこと、兄が久方ぶりに冬木に戻ってきた。その日、偶々父は教会の用務で余所に赴いていて、一晩兄と二人きりで過ごすこととなった。

 二人で簡単に神に祈りを捧げ、質素な夕食を取った。その間は互いに会話はなかった。何しろ会うこと自体滅多になかったのだ。

 食器を片付け、風呂を準備する間のこと。珍しく兄の方から綺礼に話しかけてきた。

「神の救いは、あると思うか」

 ある、というのが教会の信徒としての模範的回答であろう。ただ、それは今目に見え手に触れられるようなものではない。

「何故私に訊くのだ、兄さん」

 であるから、答えに変えて質問で返した。

「いや、お前なら何というかなと思ってね」

 模範的回答を答えるのは簡単だ。ただ、それをわざわざ兄が、修道を長らく積んでいるはずの兄が訊くからには、そういう回答を望んでいるのではないだろう、と綺礼には思えた。しかしならば、何を悩むというのか。暫く黙ってから、低い声で答えた。

「兄さんの求める答えは、私に分かる筈もない」

「なら、お前の求める答えでいい」

「私の?」

 虚を突かれた。綺礼にとっての神の救い? 人類全体、教会にとって、或いは信徒にとっての、ではなく?

 父の日々の勤めを思い浮かべる。儀式を行い、信徒の告解を聞き、或いは自らの罪を告解する。それは自分にとっても救いに繋がるのだろうか?

 

 ※ ※ ※

 

(結局私は、あのとき何を答えたのだろうか?)

 召喚の魔法陣を前にした言峰綺礼は、そんなことを考えている。

 結局何を答えたのかは、覚えていない。当時の自身にとっては意識しないほど当たり前の答えだったのだろう。ただ、兄の驚いた顔だけが記憶に残っている。

 あれ以来、兄は再び修道の旅――いや、今にして思えば兄もまた聖堂教会の任務を負っているのだろう――に出て滅多に戻らない。任務の中ですら、出会うこともない。兄に『中学校の頃私は何を考えていたのか』と問うのも変な気がして、聞けずにいる。

(私にとっての救いとは何か)

 父の行いに倣えばそれが得られると思っていた。父の背を追って八極拳の套路を学び、修道院にも入った。神の教えを学び、聖堂教会に仕え、代行者の称号を得た。異端や怪異と戦った。そして、『奇跡を扱う資格』……魔術師の言うところの生得の魔術回路を見いだされるや、代行者の籍を表向き外された上で、比較的教会に近い立場の魔術師の下に『研修』に出された。

 そのいずれもある程度の成果は上げたが、にも関わらず、父の背中に追いつけた気も、答えを見いだせた気もしないのだ。

(その答えを得ることが、私の願いなのだろうか?)

 手を見ると、確かに三筆の令呪が刻まれている。聖杯戦争参戦の証であり、掛けた願いの証だ。

 しかし、『私にとっての救いを知りたい』などということが聖杯に掛けるべき願いだとは、綺礼には思えなかった。それでも。

『願いがあるから令呪を得たということではないのか』と、間桐鶴野は言った。間桐の家なら(聖堂教会に仕えるまでは『父が第三次聖杯戦争の監督者だった』ことすら知らなかった)綺礼よりも聖杯戦争に詳しいはずである。恐らく、通常は『願い』のない魔術師に聖杯が応え聖杯戦争に招くことなどないのだろう。

(私の、願い……?)

 ならば、意識すらしていない願いが別にあるというのか。

「時が満ちる。召喚を始めるゾ。『聖遺物』は此方で用意してあル」

 フラウフェルのたどたどしい口調で、綺礼の思考は中断された。

 銀髪白面の従者たちが、魔法陣の中に古びた物品を据え付ける。従者の中には、昼間の運転手も居る。恐らくは、皆イン=アインツベルンの鋳造したホムンクルスなのだろう。

 魔術師は、英霊召喚の触媒たりうる、英雄ゆかりの物品を『聖遺物』と呼ぶことがある。真正(神聖)の聖人の遺物を扱う聖堂教会にとっては、不遜極まる物言いだが。

 だが、綺礼の目の前に置かれた遺物は違った。それは、干からびた指であり、不朽体(ミイラ)であった。

「待て。これは聖人の遺体……真正の聖遺物ではないか」

「流石だナ。分かるカ」

 聖人が教会から聖人と認定されるには『奇跡』を起こす必要がある。その種類は様々であるが、最もありふれたものが『遺体がいつまでも腐らない』ことである。聖人の遺体は腐らないが故に、それ自体が真正の聖遺物として教会に奉られ、また聖堂教会によって管理される。

「分かるとも。聖人がサーヴァントとして現界するはずもないことも」

 しかしながら、教会の教えは『神の子』を例外として、『最後の審判』より以前における人の蘇り・再臨を異端として認めない。それは存在自体が人理を危うくするものであり、もし蘇る者があれば代行者は神に代わってこれを討たねばならない。少なくとも聖堂教会はそう唱える。

 聖人と言われるほどの存在であれば、原則として人の召喚に応じるはずもないのだ。

「それを可能にする術をアインツベルンは編み出していル。既に第三次で実行済みダ。父上から聞かなかったカ?」

「聞いてはいる」

 冬木の第三次聖杯戦争において、アインツベルンは勝利を確実にするべく、『裏技』を駆使した。本来『聖杯戦争で任意に召喚できるクラス』に該当しないはずの、裁定者(ルーラー)のサーヴァントを召喚したのだ。

 裁定者、それは本来は『中立の存在を欠き公正な戦争を行えない』『人理に危機が及ぶ』など、聖杯戦争に問題のあるときに、聖杯自身が『聖杯にかける願いのない英霊』――例えば『聖人』を中立の審判として呼び寄せるためのクラスである。その存在は理論上予測されており、また後年亜種聖杯戦争によって数例観測されているが、出現したのは第三次が初であったという。

 冬木の裁定者は、本来中立であるでき裁定者としての特権を駆使して勝ち残って行ったが、勝利を目前にしてアインツベルンのマスターをドイツ軍に謀殺されて敗退したという。

「……それは聖人への冒涜だと言っているのだ」

 綺礼は、フラウフェルを睨みつける。しかし彼女は事も無げに返答した。

「言峰、そなたの上長が同意の上だと言ってもカ? 聖堂教会の許しがなければ、誰が『真正の聖遺物』なぞ持ち込めよウ」

 言われてみればそうだ。聖人の聖遺物は『奇跡』を媒介するものであり、故にその大半は既に聖堂教会によって回収・秘匿され、または所在を把握した上で表の教会に奉安されている。今時、聖堂教会の目を欺いて真正の聖遺物を入手することは極めて困難だ。それこそ代行者を送り込まれ、戦闘になるだろうから。

「聖遺物を亜種聖杯戦争に持ち込むことと、『亜種聖杯戦争』なる聖遺物の名を騙る行為が延々続くこととどちらがより重い冒涜カ? 少なくとも上長の方々は弁えたゾ」

 畢竟、聖堂教会がイン=アインツベルンとの共闘を決めた理由もそこなのだろう。イン=アインツベルンは喪われた『冬木の大聖杯』を求める。『聖杯』が真正のものでない以上、聖堂教会はいい加減『亜種聖杯戦争』から手を引きたい。そこに利害の一致があるのだろう。

 仮に『冬木の大聖杯』が見つかり本来の聖杯戦争が起こり、イン=アインツベルンの勝利で終結するならば、亜種聖杯戦争は絶えるだろう。亜種の小聖杯とはいえ、大聖杯に一応は紐付けられた魔術式であり、大聖杯が真に獲得され『本来の目的』に使用されるならば、小聖杯はそのままでは稼働不可能になるはずだからだ。

 任務の理由など一々気にも留めていなかった綺礼にも、了解可能な話であった。

「もっとも、この『聖遺物』を言峰に使わせることになったのは、偶然だがナ。一族の誰か(ほかのホムンクルス)に令呪が出るなら、そちらに使わせようと思っていたところダ」

 さほど高くも無い背丈で、このホムンクルスは見上げ睨みつけるように、綺礼の目を見る。

「それとも、『聖遺物』無しで召喚してみるカ? 案外、似合いのサーヴァントが喚ばれるかも知れヌ」

「……承知した。その聖遺物、使わせて貰おう」

「それでイイ」

 次いで、フラウフェルは鶴野の方に目を移した。

「間桐には、『魂喰い』に忌避感を持たぬであろう反英雄の聖遺物を用意しタ」

「おいおい。人を襲えってことかよ」

「願いが欲しいのだろウ? その程度できぬでどうする、と臓硯老なら言うであろうナ」

 確かに、綺礼の目にも、鶴野の魔術回路はさほど整ったものには見受けられない。本数が少ないというより、混線して機能していないものが多い。使える小源 (オド)の魔力も少ないはずだ。戦術としては『魂喰い』を勘定に入れる他あるまい。

 魔術の家が衰えるときはこのようなものなのであろうか。

「……分かった。やろう」

「無論、私も『聖遺物』を使ウ。ラビの家から買い受けたものだ」

 フラウフェルの前に置かれたそれは、古い護符のように見える。いくらか聖性もあるようだ。まことに旧約期のいずれかの王の遺物だとすれば、教会にとっても聖遺物の範疇であろう。

「我々は、椚とかいうこの地の魔術師ほどには、この地を知らヌ。何が『知名度に優れて』おるのかもよく分からヌ。さればこそ、世界どこであっても優れた存在として知られているであろう英霊を招きうる召喚触媒を整えタ。後はお前たちと私の力と縁次第ダ」

 遺物があっても確実に狙ったサーヴァントを召喚できるとは限らない。逆に、遺物がなくても召喚者の心根に惹かれた英霊が顕れるとも言われる。そのあたりは通常の召喚魔術と変わるところはない。遺物は、召喚の『成功』率を引き上げるものではあるが、確実にするものではないのだ。

「分かってるよ。召喚を始めよう」

 うんざりした口調で鶴野が応えた。

 昼間の残暑が嘘のように冷めた日本家屋。その中に据えられた陣に、風とともに魔力が集まり始めた。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 三人の召喚者は、呪文を唱え始める。それは小聖杯が確かに大聖杯に連なるべきものである謂われであり、聖杯が願望器であり英霊の宿願を叶える力を持つことの説明であり、同時に聖杯の機動式でもある。……もっとも、今回、喪われた大聖杯が機動することはあるまいが。

「礎には我が祖師にして雛型、天の杯を為したる大アインツベルン」

 フラウフェルがその祖の名を告げた。

「礎には我が祖師、キエフのゾォルケン」

 鶴野が同様にその祖の名を告げた。それはいずれも、大聖杯に対して特権を有する冬木の御三家、聖杯戦争を創始した家の名乗りである。

 その間、綺礼は沈黙している。遡れば万華鏡の魔法使い(シュバインオーグ)の学統に属するという魔術師に師事し幾らか魔術を齧ったとはいえ、聖杯に対して特権を主張するほどのものには到底なり得ないからだ。

「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 大源(マナ)小源(オド)の流出を封鎖し、召喚魔法陣に魔力を充填する。

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 充填した魔力を零し、零した魔力をまた集める。そのことにより魔力の流れに指向性を持たせる。やがてそれは、纏まった容を取り始める。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 魔力の容に英霊の姿を映す。サーヴァントは、英霊そのものというわけではない。叶えるべき願いを持つ英霊が、願望器の存在に応えてその似姿を顕現するのである。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 定型の詠唱に、綺礼は一つの追加詠唱を差し挟む。

「是なるは、常世を覆す渦、幽冥を乱す孔。禍根を断たんとするならば、我が剣となり、我を盾とせよ」

 それはかつてアインツベルンが見つけた『裏技』。聖人を召喚するために、聖杯を『世界の危機』と誤認させ、裁定者を招く呪文。

 前後して、鶴野が一つの呪文を差し挟む。

「されど我は敬神の徒に非ず、護教の為に殺すものに非ず。峻山に拠らず夢煙に依らず、ただ人を弑す刃たれ」

 それは、幾たびにも及ぶ亜種聖杯戦争の中で見いだされた『ハサン・サッバーフ以外の暗殺者(アサシン)』を呼び出すための呪文。用意した触媒はある殺人者のものであるが、それだけでは『暗殺者という職能そのもの』が持つハサン・サッバーフたちとの『縁』に勝る触媒とは成り得ない。『暗殺者』と『ハサン』との縁を解除する呪文を必要とした所以である。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 そして三つの魔法陣に、三つの影が顕れる。小柄な美男子の姿、比較的大柄で精悍な男の姿、そして白髪だが若くも見える女の姿。

「ようこそ、人類史に名だたる英雄たちヨ」

 フラウフェルが声を上げた。

「君らが三人、僕らが三騎。これば、君たちは一味だと思っていいのかな?」

 小柄な男が答えた。

「如何にも、イスラエルの王たる英雄ヨ。私が召喚主(マスター)ダ」

「僕はダビデ、弓騎士(アーチャー)だ。召喚主がこうも美人だと張り切るほかないね」

 神の加護を受けて強大な敵を打ち倒し、ユダヤ人の王国を築いた預言者たる王、ダビデ。その小柄な姿は『神の加護』を受けた若き日の似姿なのだろうが、しかし、主の容貌を見て恰好を崩す様は、老境の俗に堕したダビデ王をも思わせる。

「王ヨ。言っておくが、私はホムンクルスだ。貴方が期待するような、そういう機能はないゾ?」

 フラウフェルも珍しく、表情をゆがめた。このホムンクルスでも、気を害するということがあったのか。

「そんなことはどうでもいいんだ。美しい女性が居るというだけで充分、僕はやるよ。……かなりやる」

 ダビデは値踏みするように、主の顔をまじまじと見ている。

 暫くの沈黙。そもそも、フラウフェルは自らを『女性』として見られたことすらなかったのだろう。困惑、羞恥、動揺。様々な思いが表情に次々に現れる。

「……王の戦意を疑うわけではなイ」

 その視線から眼を反らすようにして、フラウフェルは漸く答えを返した。

「それと、『王』はやめてくれないかな。今の僕はもう王でもなければ、預言者でもない。羊すら連れていない。ただのサーヴァントでしかないのだから」

「わかっタ。弓騎士、その、……視線はもう少し配慮してくレ」

 そう言いながらフラウフェルは顔を背ける。なおもダビデはその横顔を追いかける。

「美しいものを美しいものとして見て、何が悪いんだい?」

「聖杯戦争を戦う上で……魔術行使に必要な、集中力が削がれル」

 このホムンクルスはこうもあてすけに自分の意志を語る人物だっただろうか、と綺礼は思う。表情に乏しく、事務的に語るのが常であったこの女がこのように話すのならば、或いはダビデなりにこの女を変えようとしているのかも知れないとすら思える。羊の牧者であったダビデは、人の牧者でもあったのだから。

「実益にならないということだね。そういうことなら、努力はしよう。君も気になるときは、きちんと言うようにしてくれ」

「宜しく頼ム」

「王様、その辺でいいかしら?」

 白髪の、仮面をした女サーヴァントが口を挟んだ。その座する魔法陣は間桐鶴野のもの。その髪の色こそフラウフェルに近しいが、その纏う衣装の気品と、相反する禍々しい魔力は似ても似つかない。

「私はバートリ・エルジェーベト。暗殺者よ」

「なっ……?」

 鶴野は絶句する。『魂喰いを禁忌としない反英雄の触媒』と聞いてはいても、単なる殺人鬼が出現するとは想像していなかったのだろう。

「ピンと来ない? 帝国宮中風に(ドイツ語読みで)エリザベート・バートリーと名乗った方が通りがいいかしら? それとも『カーミラ』とでも?」

「……いや、知らないわけではない。確かに世界中であんたの名は知られているが……」

 バートリ・エルジェーベト、或いはエリザベート・バートリー。ハンガリーの大貴族の令嬢にして、その領内のうら若き娘たちを数百名、残酷に殺したことで知られるシリアルキラー。後世に吸血鬼創作の雛形になったとすら言われ、殺した人数だけなら彼の切り裂きジャックすら大幅に上回るが。

「その……戦えるのか?」

 鶴野の疑念も無理もないことだ。世に知られる範囲では、エルジェーベトの人生において殺した相手は、その権力を以て強いて招き入れた村人が殆どだ。戦闘どころか、騙し討ち・暗殺の経験すらない。

「そうかしら? 召喚主、私の能力を御覧になってそう言うの?」

 ただ、英霊の座にある記録は、必ずしも世に伝える『史実』の通りではない。広く知られざる隠れた事実が記録されることもある。後世の伝承や創作による尾鰭が座に『加筆』されたり、或いは英霊に対する畏れが座に『増幅』されたりもする。そもそも、この世界に在らざる平行世界の英雄すら、理論上は英霊の座に座りうるという。だから、エルジェーベトが殺人鬼の領分を超えた魔人として召喚されることも、また充分有り得ることなのだ。

「……いや、済まない」

 それを能力値の形で示されれば、鶴野も沈黙せざるを得ない。召喚主は、自らのサーヴァントの能力を自在に閲覧できるものなのだ。

「楽しみね。貴方が私をどう楽しませてくれるのか」

 仮面の上からでもわかるほどに、エルジェーベトはほくそ笑む。

 この殺人鬼にとっての楽しみとは、つまり。その意図を察した最後のサーヴァントが口を開いた。

「あまり関心しませんね。戦争とはいえ、個人の『楽しみ』を持ち込むのは」

「あら、そういう貴方だって自分の『願い』があるから喚ばれたのでしょう? 勝った後で『願い』を享受するのと、今楽しむの。何か違いがあって?」

「そういう問題ではない。もしや現世の只人を…… 」

 たちまち剣吞な雰囲気になる。そこにもう一騎のサーヴァント、ダビデが割り込む。

「戦う前から言い争ってどうするんだ。僕たちは今のところは一つの陣営だろう? 取り敢えずこちら側が勝たないことには、願いも何もない」

 これには二騎ともが黙り込んだ。召喚主が連合を組んでいる以上、まずは同盟以外のサーヴァントが主敵であり、同盟内で最後の一騎になるまで互いに争うのはその後のことである。

「それより自己紹介を続けたまえよ、聖人殿」

騎行者(ライダー)・ゲオルギウス。召喚に応じ馳せ参じました」

 聖ゲオルギウス、或いは聖ジョージ、聖ジョルジュ、聖ゲオルグ。その名は欧州各地で、その土地の発音で記憶されている。凡そ教会の普遍たる(カソリック)教圏において、その名を尊崇しない者はない。信徒を護るために龍とも戦い退けた英雄であり、また帝国による弾圧についに屈しなかった殉教者でもある。屈強でありながら優しげなその偉貌は、確かにその名に相応しく思われた。

「騎行者……?」

 しかし綺礼は疑問を口にする。聖人ともなれば死後に残す『願い』もなく、また蘇りを是としない。であればこそ裁定者として召喚する『抜け穴』を使うという話ではなかったのか。

「召喚主は貴方ですね? 疑念を持つのも無理なからぬことです。そもそもサーヴァントの身は英雄そのものではなく、この身もまた『聖ゲオルギウス』そのものではない。似て異なるものと割り切られよ。……そう考えねば、神の教えが成り立たないでしょう?」

「聖ゲオルギウス様」

 恭しく、綺礼は問いかけた。

「敬称はやめてください。そもそも聖杯戦争にあっては無闇に真名を呼ぶものではないのでしょう? ただ、騎行者と」

「……騎行者。何故貴方は裁定者として召喚されなかったのですか」

「それは私にも分かりかねます。強いて言えば、それが聖杯が割り振った役割なのでしょう」

 漠然とした答えが返ってきた。

「言い方を変えよう。貴方にも、願いがあるのか」

 問いかけると、ゲオルギウスは少し首を傾げた。

「……その答えは戦いの中で示すとしましょう。きっとその方が、召喚主にとっても宜しい」

 はぐらかされた、と綺礼は感じた。少しの間。そもそもサーヴァントとて召喚主に全幅の信頼を置くものでもあるまいし、些か聖人に対して失礼な問いではあったかも知れない。

「そういうものでしょうか」

「そういうものですよ、多分ね」

(聖人に憮然として見えただろうか)

 綺礼は努めて平静を装ったが、この騎行者に通用したかは分からない。

「もう良いカ?」

 フラウフェルが会話に割り込んだ。

「かねてからの手筈通り、ここで言峰には『監督役』としての立場に戻って貰ウ」

 そう、そもそも綺礼が国東にいる本来の理由はそこにある。『国東で行われるであろう亜種聖杯戦争の監督役を務めつつ、イン=アインツベルンの陣営に極力便宜を図れ』、それが任務であり、令呪が発現し戦争自体に参戦することとなったことは成り行きでしかないのだ。

(願いなど、どうでもいい)

(今は任務に、頭を切り替えろ)

 自分に暗示をする(言い聞かせる)。そして霊基盤と呼ばれる魔術礼装を取り出す。監督役に与えられた、召喚されたサーヴァントとその安否を把握するための器具だ。

「……召喚されたのは六騎。剣騎士(セイバー)槍騎士(ランサー)、弓騎士、暗殺者、騎行者、そして狂戦士(バーサーカー)魔術師(キャスター)が召喚される予兆はない。六騎で全てのようだ。確かに、開戦を宣言する頃合いだな」

 そして、恐らくは残る三騎は、この地の魔術師、『椚一族』に与するものなのだろう。如何に相手方に気取られずに、自陣有利の状況を作るか。それが任務上の問題である。

「では、頼むゾ」

 フラウフェルの言葉に黙って頷く。建物の外に足を向けてから、綺礼は一つ付け加えた。

「聖……騎行者、あなたはここで待機を。私が参戦していると気取られる要素は減らしておきたい」

 ゲオルギウスが同行しようとしていたのだ。

「しかし、他陣営から奇襲されたらどうします? 霊体化して同行した方がよいのでは」

「サーヴァントを使われない限りは、遅れを取るつもりはない」

「……そうまで仰せなら待機しましょう。万一のときには、令呪を」

「分かっている」

 そうして、綺礼は一人でその場を立ち去った。

(そもそも、監督役に徹する分にはサーヴァントを使う必要すらないのだ。寧ろ邪魔ですらある)

 綺礼は考える。フラウフェルらと共闘するとはいえ、本来求められているのは監督上の、戦闘規則運用上の便宜だ。情報の交換をすることはあっても、戦線を共にすることはあるまい。

(だが……もしも私が聖杯を欲するとすれば……)

 いや、考えまい。暗示を再び強くして、足を早めた。




キャラクター便概

・言峰綺礼
 中学生時代のエピソードが明かされた。恐らく、義兄が綺礼を遠ざけるようになる(この作品世界における)切っ掛けである。
 義兄の存在以外の基本的な経歴は原典と同様、のつもりで描写した。ただし、魔術師としてシュバインオーグ門流の誰かに弟子入りしたとするが、これは遠坂時臣のことではない(礎には我が祖~をやらないことで示したつもり)。また、父から余剰令呪の譲渡を受けたりもしていない。
 言峰についての解釈・設定違いがあれば、「これはApocryphaに近い剪定事象で、Fate/snやFate/Zeroとは生育環境が異なる(具体的には義兄のいる)言峰綺礼です」ということでご容赦願いたく。どうか。切に。
 堅物『に見える』綺礼と実際聖人であるゲオルギウスの組み合わせがどう転ぶか。この先愉悦に目覚めるのか目覚めないのか。いずれにせよ、綺礼が聖杯戦争と出会っている時点で/Apocrypha正史とは別世界線なのである。

・言峰の義兄
 綺礼とは相当に歳の離れた兄。聖堂教会に仕えており、その任務で世界中を渡り歩いており、日本には滅多に戻ってこない。
 本文中明記していないが、実際には義理の兄であり血縁はない。名を言峰四郎という。ということで何者かはお察しください。

・間桐鶴野
 魔術回路が少ない、というよりはグチャグチャに混線している、ということが(綺礼の心霊手術師としての視線で)明らかになった。
 召喚したサーヴァントには(その有り様はともかく)本当に戦力になるのかという点で懐疑的。精神性がカーミラに近い……わけではないのだが、カーミラを召喚できるだけの理由は一応考えてはある。が、それはまだ先の話。

・フラウフェル・イン=アインツベルン
 今回の三つの聖遺物を用意したのはイン=アインツベルンの差し金。綺礼は兎も角、鶴野はそんなにノープランでいいのか、という点については『間桐家にはもう聖遺物を買う金もなかったんだよ!』としておく。
 ダビデの(さすがにFGOのギャグシナリオほどではないが)エロ目線にどぎまぎしている。これが……人の心……? まあ、実際ダビデ美少年だしね、仕方ないね。

サーヴァント便概

・アーチャー・ダビデ
・属性:秩序・中庸/天
・能力:筋力C/耐久D/敏捷B/魔力C/幸運A/宝具B
・クラススキル:対魔力A/単独行動A
・個別スキル:聖人D/神の加護A/カリスマB
・宝具《五つの石(ハメシュ・アヴァニム)》C/対人宝具/レンジ1~99
・宝具《治癒の竪琴》B/対人宝具/レンジ1~2
 外見は基本的には若い頃、ゴリアテを倒した頃のもの(要するに:FGOと同じ)。ただし、(FGOのギャグシナリオみたいにブヒブヒまでは言わないものの)老境の好色・強欲なダビデ王の性質も帯びる。『神の加護を受けるのも、人々を治めるのも、女を愛するのも全部が僕なんだから、仕方ないだろう』とか何とか。
 竪琴の宝具化など若干のステータス変更がある。《燔祭の火焔》《聖櫃》が無いのは仕様です。

・アサシン・バートリ・エルジェーベト
・属性:混沌・悪/人
・能力:筋力D/耐久D/敏捷B/魔力C/幸運D/宝具A
・クラススキル:気配遮断D
・個別スキル:吸血C/拷問技術A/殺戮技巧(拷問具)B
・宝具《幻想の鉄処女(ファントム・メイデン)》C/対人宝具/レンジ1
・宝具《鮮血■■》A/対■■宝具/レンジ1~■■
 残虐行為をたっぷり行った後の中年エルジェーベトであり、(ExtraシリーズやFGOでお馴染みの)脳天気十代アイドル志願のエリザベートとは同一人物ベースだが別霊基。要するにFGOで言うところの「カーミラ」であり、外見(白髪・仮面含む)やステータスも基本的にはそれに準じる(が、FGOの通常戦闘モーションは考慮しないものとする)。
 アサシンの真名について作中「カーミラ」の呼び名を主としないのは「いやどちらかというとアイドル志願十代の姿のあっちが『エリザベート(リリィ)』で成人後すっかり生き血を啜った後のこっちが『エリザベート』なんじゃねえの?」という筆者の無駄なこだわりであり、実質的にはタグ通り「カーミラ」を描くものと考えていただきたい(ややこしい)。

・ライダー・ゲオルギウス
・属性:秩序・善/人
・能力:筋力D/耐久A+/敏捷C++/魔力D/幸運A+/宝具B
・クラススキル:耐魔力A/騎乗B
・個別スキル:聖人A/守護騎士A+/戦闘続行A/直感C
・宝具《幻想戦馬(ベイヤード)》C/対人宝具/レンジ0
・宝具《力屠る祝福の剣(アスカロン)》B/対人宝具/レンジ1
・宝具《汝は竜なり(アヴィスス・ドラコーニス)》B/対軍宝具/レンジ1~99
・宝具《竜殺し(インテルフェクトゥム・ドラーコーネース)》B/対竜宝具/レンジ1~10
 彼が『裁定者』として召喚されなかったことには理由があり、また彼自身の願いもあるといえばあるのだが、それはまた後の話。
 設定上のフルスペックのゲオルギウス先生を描きたくてやった。言峰と組ませたら色々おもしろそうだと思った。今は(幾ら何でも宝具多過ぎだろ……という点で)反省している。
 神性を聖人に置き換える程度のステータス変更はしている。


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序 転節『開戦の狼煙』

斯くして、亜種聖杯戦争としては最大規模、六騎のサーヴァントが揃った。言峰綺礼は召喚主達に召集の合図を出し、国東において聖杯戦争を行う上での(味方へ配慮する意図も含めた)ルールを告げる。だが、その場に七騎目のサーヴァントが顕れ、早くもその欺瞞は暴かれる。
そして召喚主は、それぞれの意図を以てその夜を越える。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。

これにて序章は完了。いよいよ第一章からは聖杯戦争が始まります。


 十月初旬の夜、前触れ無く、季節外れに数発の花火が上がった。常人にはそうとしか見えなかっただろう。

 だがそれは、実際には、魔術の徒には分かるよう魔力による信号を込めた『信号弾』であった。

『参戦各位へ。翌宵、岐部記念公園へ来られたし。ルールについて確認したき事あり。監督役』

 監督役と言えど、霊基盤で分かるのはサーヴァントの安否・職能、大凡の位置関係程度のものだ。召喚主が何者で何処にあるかまでは、偵察を重ねない限り判別できない。それに、魔術師は通常、科学技術を軽んじ機械を使うことを厭う。仮に何者が何処にあるか判別できていたとしても、召喚主達は近年売り出された携帯電話など勿論使わないし、固定電話すら怪しいものだろう。全召喚主に一斉連絡を図ろうとすれば、このような手段を用いる他ない。

 もっとも、イン=アインツベルンの陣営は、このような信号の出ることは先刻承知のはずではあるが。

 

 ペトロ岐部(きべ)殉教記念公園、という小さな公園が国見(くにみ )町岐部にある。ここで殉教したわけではないが、殉教者の出身地であることを記念して設置されたものである。

 その片隅に教会を模した小さな建物がある。公設の公園であるから無論正規の教会ではなく単なる殉教者記念館でしかないのだが、聖堂教会は今次の亜種聖杯戦争に際して監督役の本拠地とするべく、この建物を借り受けていた。

 戦国時代の往事は岐部氏という船手の豪族が住まったこの地も、今は閑散とした小集落である。夜ともなれば、公園に只人の気配は無い。……いや、人払いの結界を施したのだ。ただ、堂にだけは灯りが煌々と点っている。

 信号弾で告知した刻限に、堂内にあるのは監督役・言峰(ことみね)綺礼(きれい)と三名ほどの教会員、そして五体の使い魔であった。鳩を模したもの、折り鶴を模したもの、蜘蛛を模したもの、針金細工の犬のようなもの、そして羽虫と見えるが細部が虫とは似ても似つかぬもの。いずれもが魔術の産物であり、自然のものではない。

「使い魔五体、召喚主本人の参列は無し。一組足りないようだが、始めさせて貰おう」

 綺礼は淡々と宣言した。無論、足りない一組とは、彼自身のことである。

「聖堂教会から派遣された言峰綺礼だ。一応今回の亜種聖杯戦争について、監督役として事前に曖昧な点を整理しておいた。これから述べる取り決めに異議がある場合は、この場で意思表示するように」

 返答はない。そもそも主の意思を表示する機能のある使い魔が、この中にどれほど含まれているものだろうか。

「まず一点目。戦場の範囲だ。今回の戦争は都市で開催されないため、一都市という区画を採用することができない」

 それまでの聖杯戦争は、亜種聖杯戦争を含めて殆どが都市部を舞台としていたため、『戦闘行為をその都市内で完結させること』という取り決めが為されていた。ところが国東(くにさき)半島は都市とは言い難く、一つの自治体ですらないのでその慣習を採用し難いというのだ。

「しかし、日本行政の区画により東国東郡・西国東郡のみを戦闘範囲とすれば、霊脈の管理者に有利に過ぎる」

『国東の霊脈の管理者・椚家が自らその霊脈に小聖杯を据え付けるらしい』という事柄は、日本の魔術世界では既に噂になっている。そのことを踏まえた発言である。

「そこで、戦争の範囲としては『地理的な国東半島』を指定したい。即ち、東西国東郡だけではなく、杵築市・速見郡・宇佐郡に根拠地を設けることを許容する。戦闘を行っても差し支えない」

 返答はない。そもそも国東の主たる霊脈は両子山を巡るもので概ね東西国東郡に収まるとはいえ、その支系は疎らにこれら『地理的国東半島』全体に及んでいるのだから、椚家陣営から見ても聖杯戦争を行う上では正論なのである。更に、イン=アインツベルン陣営にしてみれば『椚家の霊脈を避けて日出町に本拠地を置く』ことを合法化する措置であり、実の所そのために聖堂教会と計画された発言なのであった。

「次に、『神秘の隠匿』について。人目を避け人家集落での戦闘は深夜に限るべきことは承知している、ということで良いか」

 やはり返答はない。魔術師にとっては常識に属することだからだ。

「今次の亜種聖杯戦争においては、人里離れた森林も多い。しかし、その多くは所謂『里山』であり、人の出入りが想定される。市街地や集落ほど厳密には取り締まらないが、人道・車道からの視線を含め、只人に感知されうる状況での魔術行使は『神秘の隠匿』を冒すおそれがあることに留意されたい」

 裏を返せば、『人目に配慮すれば昼間の山中で戦闘が起きても直ちには規制しない』という宣言である。そもそも国東半島全域において積極的に『神秘の隠匿違反』を取り締まるほどの人員は、聖堂教会から派遣されていないのであり、専ら教会側の都合ではある。これもまた、いずれの陣営にとっても許容できる範囲での『規制緩和』であるから、何の返答もない。

 加えて、実の所、『山中・林中であれば日中奇襲が可能』となれば、優位に立つのはこれまた 弓騎士(アーチャー)を擁するイン=アインツベルン陣営なのだ。

「さて、特に異議がないのならば。霊基盤に拠る限り、参戦するサーヴァントは六騎、これ以上は増加しない。これより国東における亜種聖杯戦争……」

そこまで綺礼が述べた時、突然背後に気配が出現した。

「ちと待ちよ。あんた、参戦側じゃろうが。何、中立ヅラしちょるんじゃ」

結界は破られていない。他の使い魔にも異動はない。しかし、それは突然現れた。

 風采のあがらない中年男がそこにいた。伸ばしてあるとも剃っているとも言い難い無精髭、丁髷というにも半端な長さで束ねられた髪、離れた細い両目、通ってない鼻筋、さほど高くない背丈。にも関わらず、その纏う威圧感だけはその存在が見かけ通りのものでないことを示していた。

 そもそも、結界を『破る』のではなく『発動させていない』時点で、只人どころか単なる魔術師でもないことは明らかなのだ。

「サーヴァントか!」

 綺礼は反射的に飛び退き、距離をとる。

 結界を無視するほどの【気配遮断】を可能にする職能(クラス)暗殺者( アサシン)しかないはずで、それはイン=アインツベルン陣営に在るはずだ。しかし、眼前の男は当然彼の殺人鬼と同一ではありえない。

召喚主(マスター)達よ、このにサーヴァントを遣わした者は誰だ!」

 しかし眼前の男は余裕の表情。

「語るに落つるのお、偽監督役。監督役っちゅうなら、ここは当然『暗殺者のサーヴァント』を疑う所。それを疑わんっちことは……『他に暗殺者のサーヴァントを知っちょる』ち事じゃねえか。参戦者じゃっち何よりの証拠じゃあ」

 先程まで特段動きの無かった使い魔達にも、動きが出始めた。魔力の記録(ログ)を取り始めるもの、牽制のつもりか飛び回り始めるもの、そして『説明しろ! 説明しろ!』と単純な声を発するもの。

「言峰神父、私どもが」

 聖堂教会員たちもまた黒鍵(こっけん)を構える。――それは代行者に使用を許された、刀剣様の戦闘用魔術礼装であり、それを振るう彼ら自身代行者か代行者に匹敵する戦闘要員であることを示す。だが、言峰はそれを制止した。

「無駄だ。我々だけでどうにか出来る相手ではない」

 単なる霊体であればこの場の教会員でも黒鍵と洗礼詠唱で対処出来るだろう。だが、サーヴァントは単なる霊体ではないのだ。

 しかし、最早このサーヴァントを排除する以外この場を収拾する方法はない。そして排除するための方法はただ一つ。

「令呪を以て――」

 自分もサーヴァントを呼び対抗するしかない。参戦者であることは最早暴露されたも同然であるから、躊躇う場合ではない。

 意外な返答があった。

「一画無駄になるぞ! 呼ぶんなら、儂は【真名看破】を使うち、お前んサーヴァントの名を此処に居る全てん使い魔に告ぐる!」

「――【真名看破】だと?」

 それは裁定者(ルーラー)にのみ許された最高特権。監督役にすら許されない、無条件で真名を見破る力である。

「如何にも儂ぁ裁定者じゃ。召喚主は居らん。陣営が真っ二つに分かれちょるけん、真に中立の審判が必要じゃと、聖杯が儂を此処に招いたんじゃ」

 そして、そのように顕れる裁定者は、聖杯にかける願いを持たぬサーヴァントである。

「では、……貴方も聖人なのか」

 綺礼の問いに、裁定者はまんざらでもない様子で答える。

「聖人じゃあねえけどな、殉教者の端くれではあるわな。此処の」

「此処の?」

「裁定者は名乗っても良かろうよ。ペトロ岐部、()活水(かすい)と言う」

 それはこの公園に名を冠された殉教者。この地に生まれ、ゴアからローマまで徒歩で至り、聖職となって後禁教中の日本に潜入し、ついに教えを棄てぬまま死した男である。

「裁定者として、お前が先程決めた規則(ルール)は引き継いじゃる。ただ、お前は参戦者じゃ。霊基盤を置いち、此処を去れ」

 最早、いずれに正統性があるかは明らかだ。使い魔からさえ『去れ! 去れ!』と言うものがある。恐らくは、(くぬぎ)家かそれに与する者の使い魔なのだろう。

「ひとまず退くぞ」

 努めて平静の声色を作るようにして、綺礼は左右の教会員に告げた。

「しかし、上からの命令は」

「そのままでは既に続行不可能だ。伺いを立てることになろうが、可能な範囲だけで続ける他あるまい」

『監督役の中立性』が偽りであると暴かれた以上、例え裁定者を退けて監督役を続けたとしても、「中立を装ってイン=アインツベルン陣営と裏で結託する」という方針は貫徹できないのだ。

「裁定者とて、我らと同じ神を奉じた殉教者だ。裁定に従う分には不公正なことは為されまい」

 綺礼は、懐から霊基盤を取り出し、演壇に置く。

「分かりゃあそれでええ」

 裁定者は余裕の表情でそれを受け取る。聖堂教会、いや綺礼としては、この場の『敗北』は受け止める他ない。

「おうそうじゃ、召喚主以外の聖堂教会員は、『監督役』の補助ん為に来たはずじゃろ? 召喚主以外は此処に留まっち手伝うてくれんかな?」

「それは……」

 教会員たちも言いよどむ。

「任務の範囲外だ。上に聞かねば何とも答えようがない」

 すかさず綺礼は言葉を挟んだ。

立ち去り際、足を止めて綺礼は言った。

「裁定者。次は聖杯の前でお会いしましょう」

 睨みつける視線を、軽くあしらうようにして、裁定者は応えた。

「そん前にルール破りとかが無けりゃあな」

 綺礼と教会員達が部屋を去ると、使い魔達も或いは機能を止め、或いは立ち去って行った。残されたのは、裁定者ただ一騎である。

 

 ※ ※ ※

 

 イン=アインツベルン陣営が本拠とする日出町の古民家で、フラウフェルと間桐(まとう)鶴野は、使い魔の眼を通して事の成り行きを見ていた。

「……これはどういう事だ」

 鶴野は顔をしかめてフラウフェルを見やる。

「そういう事カ。裁定者(ルーラー)が既に出現しているかラ、聖ゲオルギオス(ライダー)は裁定者としては召喚し得なかっタ」

 その表情に動きはない。相変わらず白磁の人形のようだ。

「そうじゃない。お前と聖堂教会が結託していて勝利疑いなし、という話じゃなかったのか」

「結託はするトモ。依然としてナ。ただ、聖堂教会からの裏工作が困難になっただけダ。それとも、間桐は裏工作がなければ戦えないのカ?」

 そう言われれば鶴野としても返す言葉がない。間桐の歴代に比べれば出来が悪いと自認しながら、没落を悟りながらも、そう言われてなお抗議するほど恥知らずでもない。

「どうであれ僕ら(サーヴァント)のやるべきことに変わりはない。戦って聖杯を勝ち取るだけさ。そうだろう、召喚主たち?」

 弓騎士(アーチャー)・ダビデが言う。その表情は晴れやかだ。

「簡単に言ってくれる」

 鶴野は憮然とした表情で応えた。英霊ならざる人の身としては、ましてさほど魔術の達人でもない身としては、出来ることなら安全策を取りたいのだ。その気持ちすら、否定されたように感じる。

「ユダヤの王様の言う通りよ。どうせその内わかることなのだし、寧ろせいせいしたわ」

 暗殺者(アサシン)・エルジェーベトが軽口でそれに応じる。その表情は、仮面で詳らかに出来ない。

「ところで聖人様。貴方、まさかこうなると知ってて黙ってた訳じゃないでしょうね?」

「知りませんよ。分かりようがない」

 騎行者(ライダー)・ゲオルギウスは暗殺者の方を見ずに答えた。少し眉をしかめているように見える。

「ただ、『我が召喚主はこういう事態も想定しておくべきだった』とは思いますがね」

 確かに騎行者は同行を志願していた。同行していれば、或いは裁定者に対処できたかも知れないのだ。

「少し、静かにしてくれ」

 鶴野は周りのサーヴァントたちに告げた。そして霊薬を溶かしたワインを口に含んだ。精神を落ち着けねば、明日からの戦場に立つ気力も削がれるように思えたからだ。

 

 ※ ※ ※

 

「聖堂教会まで抱き込んでるとは。何でもアリだな、冬木の御三家は」

 国東町外れの庵で、藤谷水面(みなも)は呟いた。戦いの前にそれが露呈したのは幸いだが、何とも頭の痛くなる状況だ。

「戦は戦いの前から始まっている。その点では寿永の昔(源平合戦)も今も変わりないものですなあ。寧ろこれでこそ合戦というもの」

 槍騎士(ランサー)・武蔵坊弁慶はその巨体を揺らすようにして、陽気に言った。むしろ陽気に過ぎるようにも聞こえる。

「なあ槍騎士……愉しいか?」

 であるから、水面は咄嗟に聞き返した。

「いいえ? 拙僧とて戦が恐ろしいことくらいあり申す。ただ、震えてばかりでは 弁慶の名(・・・・)が廃りましょうから、努めて笑うようにしておるのですよ」

 そう言うなり、槍騎士は水面の頬を摘まんだ。

「ほれ、召喚主殿も、も少し笑われよ。笑えば勇気も出ましょうぞ」

「って痛い痛い! そんなに引っ張るな!」

「おお、これは失敬」

 槍騎士は咄嗟に手を離す。二人の背丈は親子ほどに差があるので、水面は少しよろめいた。

「ですが、先程よりはいい感じの顔になりましたな」

「そうか?」

「そうですとも。緩みすぎも良くないですが、緊張し過ぎも宜しくない。ここももう、戦場なのですから」

 そう、もう既に聖杯戦争は始まっている。理屈の上では今すぐ奇襲されても異を唱えることは出来ないのだ。

「……そうだな。僕ももう少し礼装の支度をしよう。作業に魔力を回したい。暫く霊体化してくれ」

「承知」

 槍騎士の気配が消える。尤も、実体を消しただけであって、サーヴァントの霊体は変わらずそこにあるはずだ。

「さて……」

 水面は硯に霊水を入れ、墨を摺り始めた。集中を保ち、筆に向かう。それが彼なりの魔術礼装調整作業である。

 

 ※ ※ ※

 

 その頃、水面の居る庵とは別の、椚家の常の庫裏に(くぬぎ) 紅葉(くれは)は居る。

「何なんあの裁定者! どうせならもうちょっと聖堂教会のおっさんに喋らせればええのに!」

「それじゃこっちが有利になり過ぎるからじゃねえの?」

 顔を真っ赤にして苛立ちを露わにする紅葉に比べると、狂戦士(バーサーカー)・坂田金時は冷静だ。

「いいかい嬢ちゃん、そもそもあの裁定者がしゃしゃり出て来なかったら、この戦争のルールは言峰何とかいう『聖堂教会の男』が決めてたんだぜ? アイツがルールブックなら、そりゃあアイツと他の陣営が組んで何かしでかしても『合法』になってただろうさ。どっちかって言やあ、俺たちの方が裁定者に助けられたんだ」

「そりゃそうやろうけど……」

「俺っちの戦は、ああいや熊と相撲する話じゃなくて都での話だが、大体『鬼』が相手でな。そりゃもうルール無用、あっちがこっちを誑かせばこっちもあっちに毒を盛るってえ代物だったわけよ。……それを思えば、目に見える形で戦いのルールがあるだけマシってもんだぜ」

 紅葉が上目遣いで狂戦士の顔を見ると、語り始めよりも少しばつが悪そうに見えた。

「それよりな、言峰とかいう奴、ありゃあ多分強いぜ」

「強い?」

 あからさまな話題転換だ。余程ばつが悪かったのだろう。だが、意外な言葉だった。英霊から見て人間が、強い?

「英霊よりも?」

「そういう意味じゃねえけどな。並大抵の人間なら、いきなり知らない男に乱入されて『お前の仕事はここまでだ、出て行け』と言われちゃあ、後先考えずに抵抗するわな。それをこの男はギリギリの所で避けた。自分の力量と相手の実力を量って、今は敵う手段が無いとみて退いたんだ。こういう切り替えが出来る奴は、きっと強い」

「ふうん……そういうもんかねえ」

 頭に上った血も降りたように紅葉が言う。

「そういうもんさ。大体な、知らねえ奴は強敵だと構えておくぐらいで丁度いいんだぜ」

「まあそういうことなら……今は寝ちょこうえ」

「寝るんかい」

 思わず狂戦士も気の抜けた声を挙げる。

「もう夜更けを過ぎちょる。今から敵を探してん、夜明けまでに見つけきりゃせんわ。あんたも霊体化して、魔力回復しちょき。明日の昼間から『下見』するけん」

 紅葉は言うなり、布団も敷かずに眼を閉じた。魔術的な自己暗示もあるのか、そのまま眠りに落ちたように見える。

 

 ※ ※ ※

 

「……成った!」

 薄暗い寺の本堂。泰雪(たいせつ)の笑い顔が灯に照らされて浮かび上がる。

「何が成ったのです?」

傍らに立つ剣騎士(セイバー)・立花宗茂が問い返す。

「七騎のサーヴァントが揃ったのですぞ、剣騎士」

「それが?」

 大笑する泰雪の姿と対照的に、剣騎士は落ち着いた顔をしている。

「六騎で相争うよりも確実に、『願い』を叶えられるということです。聖杯に宿る魂の数が上がりますからな」

 泰雪としては笑わずには居られない。『亜種聖杯戦争で「裁定者を含む七騎」を顕現させる』、その状況を作るためにこれまでの全てがあったのだから。

 遠坂に聖杯戦争の詳細を訪ねる体で『国東にて大規模な亜種聖杯戦争が起きる』という情報を敢えて流す。遠坂はこのことを『冬の城』や教会に話すであろうから、冬木側三家と聖堂教会で一の陣営が出来る。それを梃子(てこ)に国東(ゆかり)の魔術師三家を束ね、もう一つの陣営とする。斯くして『聖杯戦争が二陣営に割れ、かつ公平な監督役が不在である』状況を設け、裁定者の降臨を誘発したのだ。

「ふむ……つまり召喚主は、あの裁定者をも斬ることを望むと?」

「応よ。剣騎士なら容易いことでありましょう?」

「戦う甲斐のある相手なら良いがな……岐部の一門衆ではあるようだが、切支丹(キリシタン)の坊主でしょう?」

「そう甘く見たものでもありますまい。島原の戦をお忘れか。いざとなればあれだけ死に物狂いになる切支丹が、今や世界に満ちておるのです。それらから信奉を集めれば、例え生身では坊主相応の者でしかなくとも、サーヴァントとしては無類の強さに成りかねません」

 要は、教会の魔術基盤に存在を支えられた裁定者は、知名度補正も強く働くはずだ、と泰雪は言うのである。

「……島原は気に喰わぬ戦いだったが、一理あるな」

 顔をしかめながらも、剣騎士は頷く。

「いずれのサーヴァントと戦うとしても、必ずや剣騎士が力を振るうに足りる相手でありましょうぞ」

「期待していますよ。召喚主が私をどう使うかにも」

 実際の所、泰雪は剣騎士……立花宗茂が苦戦するとは微塵も考えていない。顕れた裁定者もまた国東所縁の者であったのは少し意外ではあったが、こと舞台が国東であり戦いが亜種聖杯戦争である限り、この剣騎士に勝る英霊など居ようはずがないのだ。

(問題は……確かに殿の言う通り、儂が令呪抜きで如何に殿を使いこなせるか、だ)

 願いを叶えるだけならサーヴァント六騎の魂でも充分だ。しかし、それでは泰雪が悲願とする、『根源への孔を穿つ』ことには足りない。根源を得るには七騎の魂、或いはそれに匹敵する魔力が必要であり、そのためにはこの剣騎士にも最後は自害させる他ない。それも、ある程度の抵抗を見越すならば複数画の令呪が必要になろう。

(いや……その程度、成し遂げてみせる)

 いつしか笑い顔も消え、泰雪の口も引き締まる。

 目を閉じると、言峰綺礼らの乗る自動車が視界に入る。あの場に居た泰雪の使い魔は、そのまま綺礼の追跡に移ったのだ。綺礼が冬木側の魔術師と合流するならば、その本拠地を明らかに出来るだろうから。

 戦争である以上、出来ることは全てやる。それが泰雪のこの戦いに対する態度である。

 そう、戦争を始めた以上、勝つ以外の退路はないのだ。




新サーヴァント便概

裁定者・ペトロ岐部活水:
・属性:中立・善/人
・能力値:筋力C/耐久D/敏捷A/魔力B/幸運E/宝具B++
・クラススキル:耐魔力C/真名看破B/神盟裁決B
・個別スキル:聖人E/魔術(水)C/■■■■■B/■■■■B++
・宝具《■■■■■■■■■》C/対自己宝具/レンジ0~40000
・宝具《■■■■■■■》B++/レンジ1~100/対軍(対自己)宝具
・国東のキリシタンを奉じる豪族の家に生まれ、没落した家を出て修道に入り、追放によりゴヤに移りなお修道を続け、そこで西洋人の偏見により司祭叙任の道が絶たれていると知るや……彼は、ローマへの直訴の旅に出た。ゴヤから徒歩で。
・イスラム教圏を突っ切って現れた日本人修道士に、流石に仰天したローマ当局は、特進的に司祭の位を与えた。
・やがて彼は半ば強引に日本に出航し、漂着者になりすまして上陸に成功するや、九州から東北まで巡回し布教に勤しんだ。徒歩で。
・捕らえられ拷問にかけられても決して棄教することなく、絶命のときまで左右の信者を励ましていたという。
『岐部ペイトロは転ばず候』。困難な時代にあって(特段期待されてなかったらしい)彼が棄教せずに殉教したことは、同時代の教会にとっても慰めになったようだ。
・見栄えがよくないのは仕様です。(驚愕すべき履歴の割に教会に期待されてないのは見栄えが良くなかったのでは? と推測されている)

登場人物便概

言峰綺礼:
結果的にサーヴァント相手に単騎で対峙することになり、当初の目的である『表向き裁定役を勤めつつ裏でイン=アインツベルン陣営と結託してその戦闘を優位に導く』任務は頓挫した。いいとこ無しである。
原作キャラがオリ鯖と対峙して『いいとこ無し』ではアレなので、金時の口からフォローはさせたつもり。

名無しの聖堂教会員:
理屈上は、原作にもこういう人が居るはずなんですよね、事態揉み消しとか連絡とかの為に。描写されてないだけで。

間桐鶴野:
ワインを口にさせるノルマクリア(……ノルマ?)。
別に霊薬の基材なので水でも茶でも何でもいいはずなのだが、そこでワインを選ぶ辺りに(生育歴の関係で口調や思考は違っても)根本的には原典世界の鶴野と同じ人物なのだ、という雰囲気を盛り込んでみたつもり。

フラウフェル・イン=アインツベルン:
特に能動的な動きはない。
本来ゲオルギウスをルーラーで召喚するつもりであったことが判明した。

藤谷水面:
開戦を前に笑う槍騎士を見て戸惑いながらも、魔術礼装の調整を始める。
筆と硯で作る魔術礼装って何よ、については追々描写する予定ですが、ぶっちゃけ護符よね。

椚紅葉:
狂戦士と言峰神父について暫く談義した後、寝始めた。
まあ、即座に戦闘する気がないなら魔力の節約も大事よね。

椚泰雪:
六騎ではなく『七騎』集める陰謀が成就したとほくそ笑む。そして言峰の追尾を使い魔に行わせる。
この使い魔がどうなったのかは次の話で描写される予定です。
===
さて、オリジナルサーヴァント一体追加です。『七騎!? 亜種聖杯戦争で七騎ナンデ!?』という辺りはこの物語の構想に深く関わることであり、本話を含めた本編中で解説して参りますので、どうか御一読の上で判断頂ければ。
これにて序章は完了。いよいよ第一章からは聖杯戦争が始まります。多分来週末か再来週末に。

このシリーズはpawooで連載→pixivに掲載→加筆修正のうえハーメルンに掲載の順に展開しております。


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第一章『緒戦』
第一章 第一節『椚紅葉の探索』


斯くして、国東における聖杯戦争の開始は告げられた。
椚紅葉は、そのサーヴァントである狂戦士・坂田金時と共に、敵の本拠地を求めるべく、言峰神父の足跡を追って東国東郡内を歩く。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。

ぶっちゃけると、オリキャラ魔術師とゴールデン氏との関係性掘り下げ回です。


 ――金色の野原の夢を見た。

 嶮しい山々に囲まれた、秋の(すすき)の野原を、鳥獣たちが行進する夢だ。

 野犬、猿、狼、雉、鶉、鹿、猪、雀、烏、兎、蛇、蜥蜴。

 本来なら食物連鎖の中で食い合う関係になるであろう生き物も、そのようなことは知ったことではないと言わんばかりに、大人しく行軍に従っている。

 一面の野原に獣の行進。

 その先頭には、一頭の大きな熊。そして、その上にただ一人の人間。それは背丈や手足の付き方としては童子の姿でありながら筋骨隆々、大人の(きこり)が持つような(まさかり)を軽々と担ぐ。

 そう、この行軍の主は、ただ一人の人間の子供。それを人間と呼んで良ければ、の話だが。

「お前たち! 相撲しようぜ!」

 そう叫んで行軍を止めた、この小さな大将の顔を見れば、金髪碧眼の――

 

 ※ ※ ※

 

「って何で 狂戦士(バーサーカー)なーん!?」

 (くぬぎ) 紅葉(くれは)は叫びながら飛び起きた。

「そこは普通金太郎が出てくる所やん!? ……ってまあ、アイツも金太郎やったわ……」

「おぅ何だ嬢ちゃん、朝から騒がしいな」

 ぬっ、と紅葉の視界を覆い尽くすように現界したのは件の狂戦士・坂田金時だ。

「近えちゃ! もう少し退がりよ!」

「悪い悪い。……俺も少しばかり夢見が悪くてな」

「夢見が……悪い?」

 サーヴァントは仮初めの肉体を以て実体化可能であるとはいえ、基本的には霊体だ。生身の人間と同様の意味での睡眠は、必ずしも必要としない。『魔力の消耗を抑え回復させるために、現界を解き機能を休止させる』ことを睡眠相当の事柄と言うことはできるが、それとて人間と同じように レム睡眠に陥る(夢を見る)訳ではない。

 それが夢を見たというのなら、意味する所は一つである。

「……じゃあさっきのは……あんたと精神が同調したん?」

「そういうことなんだろうな、さっきの叫び声からすりゃあ……全く、ガキの頃の事なんざ、余り他人様に見られてぇもんじゃねえのによ」

 狂戦士は、顔を少し赤らめて視線を逸らす。

「いやいや、あんたほど『子供の頃』が知られちょる英雄っち、そげえ居らんで?」

「金時より金太郎の方が有名、ってか?」

 確かにそうだ、と紅葉は思う。足柄山で動物を引き連れ武芸の稽古に勤しむ『金太郎』の物語は、絵本でも、アニメでも、パロディとしての漫画やゲームでまでも繰り返し繰り返し見てきた。しかし、物語の最後に『都の武人・源頼光に見いだされて出世しましたとさ』と、その出世自体を『めでたしめでたし』とした後、成人した坂田金時のことは、今回の召喚に先立つ聖遺物購入交渉までは、紅葉自身も深く考えたことはなかった。

「そう……かも知れんわ」

「別にそれがいけねえって言いたいわけでもねえんだけどな、『獣の中で育った』てえのは、やっぱ『人間として育ってねえ』というのと裏表なんだよな。都に行って『人間』に会うと、どうしても手前がどんだけ『人間』と育って来なかったか意識しちまう。そういう意味じゃあ、まあ、それほど自慢したい生まれ育ちでもねえんだよ」

「ふうん……でも、羨ましいで」

「羨ましい?」

「あげな見事な野原は、国東にも無えっちゃ。それだけでん、羨ましい」

 紅葉は狂戦士の目を見上げた。吸い込まれるような碧眼。

「……そういう見方も、あるのかねえ」

「でも……あの野原、どこなん?」

「アァ!?」

 反射的に語気を強めた狂戦士の反応に、紅葉は思わず仰け反る。

「だってほら、『 足柄(あしがら)山』やないん……」

「……ああ、嬢ちゃん、アンタ本当に関東の地理を知らねえのな」

「悪いなあ」

 そもそも、彼女にとって、関東は高校の修学旅行で形だけ東京旅行をした程度なのだ。

「あのな、『足柄山』って名前の特定の山は無えんだ。 箱根(はこね)の山々のうち、北側の外輪山をまとめて『足柄』ってんだ。ギザギザした感じの山、無かったか?」

「……そういや、 阿蘇(あそ)ん山みたいなのがあった気がするわ」

 だから、九州の地理に置き換えて理解したとしても責めることはできないだろう。

「多分ソイツだよ。で、野原ってえのは、今で言う『[[rb: 仙石 >せんごく]]原』だな。要は、箱根の山の北半分くらいは俺っちの庭だった、ってワケよ」

 いつしか怒気も収まって、狂戦士の顔もどこか穏やかに見える。

「ふうん……あんた、何だかんだ言うてん、『故郷』好きなんやな?」

「そんなんじゃねえよ。俺ァただ、嬢ちゃんが余りに物を知らねえから……」

「じゃあ、御飯食べたら出るけんな。あんたは霊体化しちょき」

「いいや。俺も このまま(実体化して)付いていくぜ」

 即答。予想外の返答であった。霊体として随行しようが実体として随行しようが、サーヴァント側の知覚が働いているには違いないはずなのだ。

「……何でまた」

「そりゃあな、戦場の下見って事なら、五感全部使いてえじゃねえか。霊視だけじゃあ、イマイチ『見た』気がしねえ」

 要は、狂戦士の気分の問題なのだろう、と紅葉は承知した。霊体化させておくより魔力消費は増すが、狂戦士を『納得』させられるなら、引き合う負担だと割り切った。

「……ならいいわ。実体のまま連れて行くけん、何か『服』着ちょくれ」

「ああ、洋服な。何かあるのかよ」

「父ちゃんの昔ので良けりゃ、隣ん押入にあるけん」

 そう聞くや、狂戦士は押入の中をかき回し始めた。ああでもないこうでもない、と服を片っ端から押入の外に放り投げていく。

「ちょっと! 後で片づける身にもなりよ!」

「おう、済まねぇな。なかなかピンと来るのが無くてな……」

 もう十年以上前に亡くなった紅葉の父は、当時としてはかなり大柄な人物だった。『何が白縫の魔術の縁を持っているか分からない』という理由で、椚和尚が極力その遺品を処分させなかったので、今こうやって、金時に服をあてがうことも出来るのであるが。

「このシャツイケてるな! ……後はこのスラックスと……アクセサリも使っていいか?」

「……好きにしよ……」

 サーヴァントは召喚される時点についての適応性を『座』から授かるのだという。よってシャツだのスラックスだのという概念を『知っている』ことはおかしくはないのだが、それにしては、組み合わせが些か古いように、紅葉には思える。勿論九十年代の服は元よりこの押入には無いのだが。

「どうよこれ! イケてるだろう!」

 自信満々に着てきた組み合わせときたら、脚のラインにぴったり合わせた光沢のあるスラックスに、プリーツを強調して袖には余裕を持たせたシャツ。そこにゴールド調のアクセサリ。

「……どこんロカビリー歌手よ……」

 そもそも亡父がこの格好で出歩いてたことになるのだが、その点は紅葉も口には出さない。

 

 ※ ※ ※

 

 椚の寺域は集落からは外れた山腹にある。谷筋沿いに進むとやがて川の本流に出て、そのまま川沿いに東進すると鶴川や田深の町、要するに 国東(くにさき)町の中心部に出る。

 中心部と言ったところで、既に寂れつつある町であり、所々にシャッターが見えるような古い商店街だ。

「ここで良いのか?」

 狂戦士は眉を寄せ、言外に『人居ないじゃねえか』と言いたげな様子である。勿論、町役場もあり、開いた店もあるので、全く誰も居ないということは無いのだが。

「ええんよ。『神父』たちが海沿いに南に向うたんなら、 国東ん町(ここ)を通らんと、どこにも行ききらんはずよ」

 国見の方向から車で南行したのだとしたら、 岐部(きべ)の集落・記念公園から国東町中心部までは、国道でほぼ一本道だ。そこから安岐町中心部方面に向かうにせよ、空港方面に向かうにせよ、はたまた――そのような痕跡は見当たらないのでまず有り得ないが――川沿いに両子山方向に向かうにせよ、一旦は国東町中心部を通っている蓋然性が高いのだ。

 ここである「仕掛け」をして、併せて言峰たちの昨夜の動向を調べ、あわよくば痕跡を追跡する。それが紅葉の狙いである。

「ああ狂戦士、あんたは『眼鏡』しちょきよ」

「おう、そうだったな」

 狂戦士の眼は碧い。その点を紅葉が問い質すと『よく覚えてねェ』とはぐらかされたのだが、それは恐らく、ある種の魔眼か浄眼なのだろう。英霊として読みとれる 能力(ステータス)には特段の記載がないのだが、下手をしたら、常人相手であれば一睨みするだけでも影響のある代物かも知れない。『眼が目立ちすぎるから変装しろ』と言って、父の遺品の魔眼封じのサングラスを持たせたのだ。

 ……目立つ目立たないで言えば逆に目立つような気もしないではない。

「おや、椚さん所ん……紅葉ちゃんじゃねえかえ」

 町の老人が声をかけてきた。

「久しぶり、ばあちゃん。こっちは今、宿坊観光に来ちょる日系アメリカ人の、ゴールデン・サカタさん」

「ヘーイ! ナイステュミーチュー!」

『一般人から声を掛けられたら外国人のふりをしろ』、というのも実体化させる上での条件なのであった。

「こらまた随分派手やなあ。こげな衆も仏さん拝むんやなあ?」

「ザッツライ! アメリカ今ブッディズムブーム!」

 サカタ――狂戦士の演技をさほど気にも止めず、老人は紅葉に話しかけた。

「で? 紅葉ちゃん、最近和尚さん見かけんけど、元気しちょるかえ?」

「お陰様で。ちいと 勤行(ごんぎょう)が詰まっちょるだけで、ピンピンしちょるわ」

「勤行っち、 鬼会(おにえ)ん勤行かえ」

「それウチん祭りやねえよ。加勢はしちょるけどな?」

 取り留めのない世間話が続く。そもそも世間話とはそうしたものだし、老人相手なら尚のことだ。

「オニエ? オーガ・フェスタ?」

 そうは分かっていても暇だったのか、はたまた何か感じるところがあったのか、狂戦士が合いの手を入れた。

「どっちかっち言うと……『スピリッツ・フェスタ』かなあ? 怖え鬼、ち言うより、精霊の類なんよ」

「サカタさん……じゃったかな。国東じゃあ昔から、鬼と一緒に暮らしち来ちょったんよ。今じゃそうそう鬼も出て来んけど、『居る』ように迎えちお祀りするんじゃ」

 紅葉と老人は相次いで言葉を継いだ。国東で言う鬼は退治される存在ではない。それが彼女らの言わんとするところであった。

「オーゥ……ジャパニーズ・ファンタジー……」

 狂戦士は大仰に肩をすくめてみせる。

「――ところで婆ちゃん」

 何気ない会話の中で、密かに魔術回路を起こす。その 心象(イメージ)は術者によって違いがあるが、紅葉は『ゲーム機のカートリッジを差し替える』心象である。常人の精神性のカートリッジを、魔術師としてのそれに差し替えるのだ。

「昨日の夜、このあたりを黒塗りの車が通らんかった?」

 言葉をかけながら、自分の手を弄るように見える。その実、それは手印・サインなどと呼ばれる魔術的動作であり、発語によらず 一小節(シングルアクション)相当の魔術を喚起する手法なのであった。

「さあ。昨日の夜はテレビ見て寝たけん、外ん事は、よう知らんなあ」

「寝たのは何時頃?」

「夜のニュースの後じゃから、十時頃じゃろ」

 この老婆には見えていないだろうが、先程の魔術により、紅葉には精神の精霊が見えている。或いは、精霊に準えた形で老婆の精神が具象化して見える。その精霊も、老婆の発言を態度で肯定した。

「――そう、ありがとう。怪しい車がおるけん、気い付けてな」

 更にサインを一小節、老婆の精霊の精霊に仕込んで、別れを告げた。

 

 ※ ※ ※

 

 そのようなことを数人繰り返して、しかし特段の目撃情報は得られなかった。そのまま国道を南に歩いて、二人は国東の町を、 武蔵(むさし)町や 安岐(あき)町の方向に向かって立ち去る。

「今ので良かったのか?」

 ポケットに手を入れて歩きながら、狂戦士が疑問を示した。上背のある大男がそんな態度を取るので、猫背のようにも見える。

「そもそも昨日の神父がどこに向かったかなんて、その辺の爺さん婆さんに聞いて意味があるのか? 何か魔術を仕込んでたみてえだが……」

「ええんよ。元々、爺さんたちが見ちょったとは思うちょらん。『余所者への警戒心』を呼び起こすのが、目的やけん」

 紅葉は答えた。狂戦士がやや背をかがめていてもなお、その目線の差は大きい。

「警戒心?」

 なので、問い返す狂戦士は、自然と紅葉の顔を覗き込む格好になった。

「明らかに不審な余所者、例えば敵の魔術師を見たときに『警戒心』を引き金にして、あん婆ちゃんたちの精神の精霊が暴れる――狂乱するよう仕込んだんよ」

「なんでまた、そんなことを」

「狂乱は精神の精霊が一番激しく動いちょる状態やけん、『魅了』や『精神操作』をされるリスクが下がるんよ。勿論、『仕込んだ魔術』が発動すれば、あたしにも分かるし、駆けつけることだってしきる」

 狂戦士は、ポケットから手を出し、腕組みをして考え込む。無論、足を止める訳ではない。

「分からねえな」

「何がよ」

 紅葉は横目で狂戦士の目を睨む。

「駆けつける義理が、あるのかね? 嬢ちゃん、アンタだって魔術師だろ? 町の人からすりゃあ、『異物』って事じゃあ、余所の魔術師もアンタも大差ねえんだぜ?」

「出掛ける前、『物を知らん』ち言ったやん? 確かにあたしは、ほとんど こん半島(国東)しか知らん」

 紅葉は言って、足下に目を落とす。

「小学校も中学校も、高校もこん辺り。寺のお勤めも魔術の修行も、せいぜい行って 宇佐(うさ)あたりまで。一番遠くまで行ったんが高校の修学旅行で、次が中学の修学旅行、そん次はアンタを召喚するための『買い物旅行』よ」

「あ、いや、それが悪いって意味じゃなかったんだが……」

「少しでもよそを見れば、こん町に『無い』ものが多いことくらい、わかる。それでん、あたしはこん町が好きなんよ。山と谷と海と、寂れた町しか無くても。爺ちゃんからも余所ん魔術師からも、守りたい」

 武蔵町から安岐町に抜ける国道は、空港整備に伴って比較的新しく作られたバイパスで、安岐の中心街は通らない。その、海沿いで田圃の中を貫く人気のない直線道路を、二人は歩いている。

「和尚からも、ね……その町に叩き出されることになっても、か?」

 狂戦士は険しい表情で言う。紅葉も口を尖らせて問い返す。

「どういう意味よ」

「俺ァな、京に上ってからは『鬼』や『妖怪変化』と戦ってきたが、まあ、人に成りすました『鬼』なんかも中には居たわけよ。そういう奴が正体割れたときの、京人の態度の変わり様といったら物凄いものだった。……そもそも『鬼』が人に害を為すから仕方ねえんだが」

「でも、人を喰らいたくない『鬼』だっておるやろ。国東ん『鬼』は、そんなんばっかりだって聞いちょるけど」

「まあ、そりゃあ居たんだろうけどな……」

 狂戦士は腕組みして、天を仰いだ。

「……それでも、人を害しちゃあお仕舞いなんだよ。そうなる前に、人じゃねえモノは、人から離れた方がいい」

 何か、遠くを見ているような視線だった。

「それは、経験談なん?」

 紅葉は反射的に尋ねた。

「そんな所だ。まあ、これ以上はナシだ。まだ探すモノがあるんだろ?」

 目線を地面に下ろして、狂戦士は答えた。紅葉は同じ様に地を見ながら、言葉を継ぐ。

「魔術の痕跡を探す。っち言うても、神父がそげな物残しちょるとも思えん。探すんは、爺ちゃんの使い魔が神父にやられた痕跡よ」

 日が、[[rb: 両子 >ふたご]]山の方向に傾き始めている。

「なんでやられたと断言できるんだ?」

「爺ちゃんなら絶対、神父の車をそのまま使い魔に追わせる。それで神父の本拠地を見つけたんなら、爺ちゃんは必ず私らも動員して、今夜の内にも攻め込もうとするはずよ。でも、爺ちゃんから、あたし達に今日今まで声は掛かっちょらん。つまり、本拠地を見つける前に使い魔は始末された、っち事や。国東ん街中には使い魔が消えた痕跡も、戦闘んための『人払いの結界が掛けられた』痕跡も無かった。街ん()が『昨夜の事を覚えちょる』のが証拠や」

「成程。で、どうするんだい」

「このまま国道沿いに南を調べるんよ。安岐町や杵築ん方向に行けば、国道沿いでん人家の少ねえ所があるけんな」

 言い終えると、紅葉は走り出した。山岳の修行で鍛えた脚力と魔術による身体強化は、並外れた速度と持久力をもたらす。

「っておいおい、それはそれで目立ちすぎるんじゃねぇのか?」

 狂戦士は慌ててその速さに合わせた。サーヴァントの身には特に苦になる走りではないが、常人から見れば並外れた光景には違いあるまい。

「だったらアンタだけ霊体化すれば? ゴールデンさん」

 結局、狂戦士は霊体化しないままそれに付き従った。

 

 ※ ※ ※

 

 空港を横目に安岐町を通り抜け、旧道との交差点や空港道路との交差点を過ぎ、杵築市側に入る頃には、日は暮れて薄暗くなっていた。

 人家の途切れる界隈で、紅葉は痕跡に気付いた。

「見つけた」

 辺りに羽根が散乱している。それを狂戦士は一枚拾い上げた。

「っていうか……鳩の羽根……だよな?」

 魔術の痕跡を捜そうとして見なければ、単に鳥が車に跳ねられて死んだようにしか見えないだろう。

「爺ちゃんの使い魔、のパーツや。 爺ちゃんの家(椚家)は使い魔に鳩を加工して使うっち聞いちょる。魔術の痕跡もある」

「ふうん……しかしタイヤ痕もねえぜ? 鳥を跳ねる要領で、車で跳ね壊して逃げただけか?」

「仮にも使い魔よ? そこまでトロくねえっちゃ。でも、爺ちゃんの魔術痕はあるけど、他の魔術痕が無え。恐らく、……あの神父が、車を止めずに飛び降りた。そんで、黒鍵も使わずに体術で使い魔を仕留めた」

 黒鍵も魔術礼装であるから、発動させれば魔術痕は残るものなのだ。

「それはそれで無理がねえか?」

「あの神父は手強えっち、自分で言うたやん?」

「だからそういう『手強さ』の話はしてねえって。しっかし、憶測だけじゃ偵察の成果も無えって事になるな……。事情聴取と洒落込むか」

 狂戦士は指笛を鳴らした。すると数匹の蝙蝠が現れた。

「なあお前ら、昨日の夜中に、ここで車から飛び降りるヤツを見なかったか?」

 そして蝙蝠に話しかける。その内の二匹ほどが反応した。

 動物と意志疎通を可能にする、【動物会話】。かつて幼い日の狂戦士――金太郎が箱根の動物たちを統べたことに由来する(スキル)である。

「聞くにしても、なんで蝙蝠なん?」

 紅葉の口にした疑問に狂戦士は邪険に応える。

「夜行性で夜目の利くヤツじゃねえと見てるわけねえだろ」

 そして蝙蝠の方に向き直る。

「車は止まらなかったんだな? 降りたのはソイツ一人か?」

 蝙蝠が頷いた――ように見えた。動物と意志疎通ができると言っても、動物の側が人語を発するようになるわけでも、狂戦士と 念話(テレパシー)を行うわけでもない。動物に合わせて、その動物が意志表示できるような尋ね方をしなければならない。

「降りたヤツは、鳩に黒鍵――ああ、分からねえな? 鋭い刃先のある物で斬りつけたのか?」

 蝙蝠は頷かない。否定したように見える。

「鉄砲……こう、弾が飛び出す道具を使ったのか?」

 否定。

「魔術……火の玉とか風の弾とかは使ったか?」

 否定。

「鳩を捕まえたのか?」

 否定。

「じゃあ、鳩に殴ったり蹴ったりしてたのか?」

 肯定。

「飛んでる鳩を殴ってバラバラにしたのか」

 肯定。

「ほら、あたしの言う通りやったやろ?」

 紅葉が口を挟む。

「まあ結果としちゃあそうなんだが、……確かにこの神父、凄腕だぜ」

「どういう事よ?」

「いいか、地面に立ってる人間の頬を思いっきり殴りゃあ、嬢ちゃんの力でも青タンぐらい出来るよな?」

「そげなん、青タンと言わさずぶっ飛ばすわ」

「ブッ飛ばすかどうかは置いといてだな。天井からぶら下がってるサンドバックを同じ力でブン殴ったとして、サンドバックの皮が一発で痛んだり破けたりするか?」

「……しきらんなあ……」

「それさ。地に着いてねえ相手は、『吹き飛ぶ』だけで簡単に力を逃がせるから、殴る蹴るじゃなかなかダメージ行かねえんだ。それを、飛んでる鳩を拳でバラバラにするってんだ。何かの技なのか、単純に拳速が凄まじいのか、どっちにしたって達人の域だぞ」

「拳だけで使い魔を排除しきる達人……」

「魔術を使うまでもねえのか、それとも魔術は不得手なのかは分からねえけどな。どっちにしても、嬢ちゃん達(魔術師)の考える『魔術戦』の常識が通じねえ相手には違いねえ」

 紅葉と狂戦士が言い合う間、所在なげに蝙蝠が木の枝に留まっている。

「おうそうだ。もう一つ肝心なことを聞かねえとな。その神父……鳩を壊した男はどっちに行った?」

 蝙蝠は反応しない。

「国道沿いに東に行ったのか?」

 反応しない。

「西北に戻ったのか?」

 反応しない。

「それとも、そっちの藪の中に突っ込んで行ったのか?」

 やはり反応しない。

「……見てねえのか」

 肯定。

「動きを止められたのか?」

 反応しない。

「怖かったのか?」

 肯定。

「要は、特に『戦いを見ているつもりでもなかった』蝙蝠でも怯えるほどの殺気、か」

「まあ、……言峰神父がヤベえ相手だ、っち事は分かった、か。出来れば爺ちゃんを出し抜けるくらいの情報が欲しかったんやけどなあ」

「相手の遣り口が分かっただけでも、偵察としちゃあ上々だろうよ」

 確かに、相手の戦術を垣間見ることが出来ただけでも成果ではある。いずれ言峰神父と一戦する際には幾らか有効だろう。しかし。

「……でも、これだけなら結局、爺ちゃんは知ってることなんよな……」

 鳩の使い魔を使役していた椚和尚は、当然言峰の拳に使い魔が破壊されるまでの過程を押さえているはずなのだ。

「だよなあ? まあ、『和尚が喋ってねえハズの事を知ってる』ってだけでも意味無えわけでもねえけどよ。……どうする? ダメもとでこの先に行くか?」

 暫くの沈黙。日の暮れた国道だが、集落から外れていて街灯は少ない。空港から別府方面に向かう車は 大分空港道路(高速)を通るので、車通りも少ない。(ふくろう)の声もする。

「……なあ、梟の方が蝙蝠よりは遠くに飛ぶよな? あの梟、呼びきる?」

 紅葉が先に口を開いた。

「そりゃあ呼べるけどよ、ただ呼んでも飛ばして戻らせてから今みてえに『話を訊く』格好になるぜ」

「いいけん、やりよ。考えがある」

 狂戦士が再び指笛を鳴らすと、蝙蝠は逃げ去り、やがて梟が枝に止まった。

「で、どうするんだ」

「あたしの視界をこん梟に乗せる」

「使い魔にするのか?」

「そこまで魔術儀式に時間取れんし。あたしは本当に『視界を乗せる』だけ。あとはあんたが【動物会話】で言うこと聞かせて、飛んで貰うってわけ」

 続けて、紅葉が数小節の呪文を唱えた。すると、糸のようなものが紅葉と梟の間に結ばれた。

「つっても、魔術でヒトの視界を乗せるのなら結局『人払いの結界』には引っかかりそうなもんだけどな」

「だから、『魔術ですらない』んよ。肉体的な視界を『糸』を通して共有しちょるだけ。多分人払いにもすぐには引っかからんはずよ。呪術に近い、っち言うたらピンと来る?」

「俺っちが生きてた頃の、陰陽師の術だの狐の化かしだの、そういう類のヤツか」

「厳密にはちょっと違うんやけど、まあ、追々ね」

 そうやって、梟を飛ばす。藪に向かわせるか国道に沿わせるかは一悶着あったのだが、結局国道沿いを飛ばすことに落ち着いた。

 

 安岐町から杵築市に向かう国道は、概ね海沿いを走っている。梟は、概ねその上を飛んだ。紅葉と狂戦士は、その進路の後を、国道をゆっくり歩いている。

「なかなか、目立ったもんはねえなあ……。杵築ん中心まで飛ばしたら、山側から引き上げさせるかなあ」

 そう独り言など言っていると、異変があった。

「ん? 女の子が出歩いちょる。中学生……くらいかな……?」

「そりゃ夜遊びに行くヤツくらい居るんじゃねえの?」

「杵築の街っち言うても、こんな時間に子供の遊ぶ場所なんかねえちゃ。塾帰りにしちゃ鞄も無えし……」

「で? そりゃ危ねえだろうけど、聖杯戦争と何か関係あると思うか?」

「分からんけど、梟の視界なのにはっきり見えんのと、他に人気がしねえのが気になる。……もう一人女が出てきた? もう少し近づけて見らんと……」

 唐突に、視界が切れた。

「結界や!」

 西洋魔術と違う原理で動かすため『人払いの結界』の影響を受けにくいと言っても、いつまでも影響を受けないわけではない。そして、そのことの意味することは一つ。

「敵だな?」

「うん。急ぐで」

 二人は足を早め、杵築に向かった。




登場人物便概
椚紅葉:
精神の精霊を使って町の老人たちの精神を操作し、また梟に何やら怪しげな感覚共有の術を使用した。型月世界観の精霊魔術の体系に「精神の精霊」というのが含まれるかどうかは怪しいのだが、まあ、そこは『国東の魔術は戦国時代に渡来した西洋魔術が「隠れ」たことで変化したもの』ということでお茶を濁しておきたい。

椚紅葉の父:
金時の洋装がこのひとの服の趣味であることが(この世界観においては)明らかになった……あ、あくまでもこの二次創作の世界観においては、なんだからね!
何らかの魔眼持ちであったようだが、この話には直接関係しない。

椚泰雪:
直接は登場していないが、前回追跡に出した使い魔がすでに破壊されていることが明らかになった。恐らく、今回紅葉と狂戦士が推察したような言峰の戦闘過程は、泰雪も『見て』いるはずである。
なお、泰雪が使役したのはあくまでも『鳩のパーツを用いて作成した鳩を模した使い魔』であり、鳩そのものを直接使い魔にしているわけではない。

言峰綺礼:
直接は登場していないが、前回の最後でつけられていた使い魔を、肉体言語で破壊したことが明らかになった。多分ワンインチパンチとか勁力とかそういう奴。

登場サーヴァント便概
狂戦士・坂田金時:
ここでFGO絵でお馴染みの格好になる。平安の英霊がいきなり洋装というのもどうかなあと思い、こういうワンクッションを挟んだ次第。
【動物会話】を、この作品では「動物と意志疎通が可能だが、動物の側が念話や人語を扱う訳ではない。動物から話を訊こうとするなら、ある程度動物の知性で応答可能な範囲で尋ねなければならない」ものとして解釈している。

===
次回は多分『杵築で吸血対象を物色している』陣営の物語。その後が戦闘になろうかと構想しています。

この作品は、pawooで随時連載→pixivに加筆掲載した後に転載しているものです。
続きが気になる方はpawoo上で『国東聖杯戦争』タグを検索してみてください。


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第一章 第二節『間桐鶴野の物色』

 間桐鶴野は暗殺者の生前を夢に見、その人生に拒否感を抱く。そして彼は自陣営に促され、暗殺者に『魂喰い』をさせることにする。そのための犠牲者を物色するため、日出から杵築に向かう。
 そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。


 バートリ家はハンガリー貴族の中でも古い家で、遡ればローマまで連なるだの竜種に連なるだのという 御伽噺(でんせつ)には事欠かなかった。そもそも、そんな御伽噺に頼らなくても、近くはポーランドの王様やトランシルバニア公、ハンガリー王宮の御偉方など、バートリの一族はあちこちで権勢を誇っていたのだ。

「よくお聞き、エルジェベート。バートリの女は、美しくあらねばならない。美しくあり続けなければならない」

 母はよく、幼い頃の私に語って聞かせた。

「そうやって、殿方をバートリの側に繋ぎ止め続けるのですよ。それが貴女とバートリの家を護るのです。美しくなくなったら、いとも簡単に捨てられてしまいますからね」

 美しいとはどういうことだろう、と幼い私は疑いもしなかった。何故なら、母も、侍女たちも、兄弟たちも、私の美しさを称えてやまなかったからだ。

 ――私が私のまま、この美しさを保てばそれで良いのだ。

 幼い日から、そのような確信の中で育った。

 貴族には責任がある。その最たるものは、その家を保つことだ。だから、私にとって、家の決めた結婚に従うのは当たり前のことだった。

 夫となった人物は、ハンガリー宮中伯の息子だった。そもそも夫の家は『成り上がり』ではあったのだけど、それを言い出せばバートリの家に比べれば大抵の家は成り上がりなのだ。だから、彼方にしてみれば旧家の縁戚になり、此方にしてみればより権力に近付くことが出来るというので、互いにそれを良しとしたのだった。(それ故に私は、結婚後もバートリの家名で呼ばれ続けた)

 実際、夫はその父に恥じず、有能で勇猛だった。戦えば異教徒をよく防ぎ、政治をすればよく国内を治めた。偶に城に戻れば子も為した。

 夫の相手をし、他愛ない晩餐をし、時には道化や魔術師・芸術家などの謁見にも応じ、夫の留守中には領地を代理に視て回る。こうやって「貴族の妻」として生きるのも悪くない、と私は思った。実際、私の美しさが夫を引き止めて血を繋いでいくのなら、私の存在する甲斐もあったのだろう。

 だが、ある日、夫が若くして死んだ。その死に顔は、苦しみに歪んだまま固まっていて、生前の美しさを最早留めていなかった。

 ――人は死ぬ。

 そんな簡単な事実が、私を打ちのめした。

 死ねば、栄華も美しさも、あっと言う間に喪われる。

 嫌だ。

『私が美しくある限りバートリの家は安泰だ』と言われて育った。なら私が美しくなくなったら。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。私は――永遠が欲しい。

 

※ ※ ※

 

「……何だ、これは」

 未明に間桐(まとう) 鶴野(びゃくや)は、寝苦しさを感じて目を覚ました。二日酔いではない。霊酒で却って体調を崩すほど不心得ではない。

 余りに夢見が悪かったのである。

 その夢が何であるのかは、仮にも間桐の当主である鶴野にとっては、自明のことである。

「精神の同調……か。あの女と?」

 エルジェーベトの、あの 暗殺者(アサシン)の前半生を、駆け足とはいえ夢に見た。それは即ち、サーヴァントと鶴野との間で早くも精神の同調が成ったということである。

 だが、そのことこそが鶴野を苛立たせた。

「あんなものと、同質であってたまるか」

(思えば、 あの女(アサシン)、何処となく 臓硯翁(ジジイ)に似通っている)

 魔術師は通常、『根源』を追求して世代を繋ぐ。次の世代に魔術刻印を引き継ぎ、志を託す。

 そのような中にあって、間桐の祖たる 臓硯(ぞうけん)は、自らの寿命を引き延ばしてこの世にしがみついていた。死徒や吸血種と化した訳ではない。ただ、自らの身と魂に蟲使いの秘術を施しただけなのである。

 そのような臓硯を、鶴野や父は、『お祖父様』と仰ぐよう強要されていた。無論、実際の世代は更に数代離れている筈だ。しかし、源流刻印の持ち主が生きてそこに在る以上、そのような些事でも異論は許されなかった。

 それでいて、蟲蔵で鶴野らに鍛錬を強いる際、臓硯は口癖のように言った。

『間桐の子よ、儂に「根源」を(もたら)せ。それだけが汝等の存在価値よ!』

 今にして思えば可笑しな話である。歴代の間桐達は結局、臓硯ほどの秘術など誰も実現し得なかったというのに、この老人は、子孫に命じて自分に栄光を齎せという!

 それでも、疑うことなど許されなかったのだ。間桐の魔術刻印は即ち、臓硯の蟲の株分けたる刻印蟲でしかないのだから。

 その臓硯が、ある日突然姿を消した。

『御祖父様! 御祖父様を探せ!』

 鶴野の父などは半狂乱であったのだが、結局その姿も、その核となる蟲さえも見つけることは出来なかった。

 ただ、鶴野はその『遺言』らしき書き付けを見つけていた。

『永遠を手に入れに行く』

  臓硯の出身地(スラヴ)の言葉でそのような意味になる文章だった。

 それを読み上げると自動発火の魔術が発動し、灰と化した――故に、父はそれを読まないままであった。

(永遠なんて、糞食らえだ)

 寿命を引き伸ばし続けた臓硯翁ですら、本当の意味では『永遠』では居られなかった。だから『永遠を探す』などと宣いつつ寿命に負けて消えたのだ――少なくとも、今の鶴野はそう解釈している。

(なのに何故今になって、あんなサーヴァントと)

 誰かから奪ってまで自分は永遠で居ようとした。詰まるところ、暗殺者と臓硯翁との共通点はそこだ。そんな事をしても永遠では居られないというのに。

 今見た夢のことは誰にも、暗殺者自身にも話すまいと、鶴野は決めた。

 

※ ※ ※

 

 少し遅めの朝食が始まった。

 イン=アインツベルンが根拠地として確保した日出の古民家は、元々は純和式の建物であるはずだが、食事や茶菓を椅子とテーブルでとれるよう、居間だけは板敷きに改装してある。そこに洋式にパンとソーセージ、幾らかの付け合わせを並べ、三人のマスターが席についた。

 フラウフェル以外のイン=アインツベルンのホムンクルスは、陪席しない。幾体かがメイド然と部屋の隅に立ち控えているだけである。

(他は召使い扱い、か。元は自分もホムンクルスだろうに、あの女は貴族気取りか)

 鶴野は内心で悪態をつく。尤も、貴種を気取っていたのは、嘗ての間桐家も同様であろう。それ故に、彼にもその様な悪態はこの場で言い立てるべきことではないという程度の分別はある。

「さて、この場を借りて報告しておくことがある」

 食事に手を着ける前に、 言峰(ことみね)綺礼(きれい)が口を開いた。

「昨夜の事カ?」

 上席に座るフラウフェルが応じた。

「はい。それと、今後の対応について」

 ―― 岐部(きべ)記念公園を引き上げて移動中、国道上で使い魔による追跡を察知した。そのため、言峰が迎撃し、これを破壊した。更なる尾行を未然に回避するため、車両で走行を続ける聖堂教会員と、言峰の二手に分かれた。車両は今頃、 日出(ひじ)町と 安心院(あじむ)町の境界付近にある修道院に向かっているはずである。

 昨夜の顛末に関する報告は概ねこのようなものであった。それ自体は、鶴野にとっても想像の範囲内である。万一追跡を回避できていないのであれば、今頃は(くぬぎ)の魔術師による攻撃の一つ二つは受けた後であろうから。

 問題は、今後の聖堂教会の対応に関する説明である。

「事態の変化を受けて、今朝までに上長に連絡を取り、指示を受けた。私はこのままイン=アインツベルン陣営に参画し、亜種聖杯戦争を続行すること。その外の聖堂教会員は私の指揮下から離れ、聖杯戦争の管理に専念すること。概ねこの二点だ。他の教会員にも指示がでているはずだ」

「何を悠長な」

 鶴野は毒づいた。

「事態の急変というが、元々あんたの手違いだろうに」

「落ち度と言うか」

「そうとも。 騎行者(ライダー)が着いてこうと言うのに、あんたはそれをみすみす断った。その結果がこれ、欺瞞工作の崩壊じゃないか」

 鶴野はフォークで綺礼の方を指す。

「だいたい、あんたは霊器盤を持ってたはずだろう。 裁定者(ルーラー)が出たのも知り得たんじゃないか? この調子でどうやって『勝つ』って言うんだ? ええ?」

「確かに、騎行者――ゲオルギウスを連れていれば、未然に裁定者を倒せたかも知れない。戦わずして裁定者を説得できた可能性すら考えられる。そういう意味では、私にも判断が甘かった所はあろう」

 そう言って、綺礼は一息の間を挟み、鶴野の方に向き直った。鋭い眼光。

「しかし、そもそも霊器盤は基本七 職能(クラス)を初めとする、聖杯を求め顕れたサーヴァントのみに反応するもの。裁定者のように、聖杯を求めないサーヴァントに反応するようには出来ていない。裁定者の顕現を察知し想定しろと言う方が無理な注文ではないか」

 その語気に、鶴野は気圧された。フォークを思わず手元に戻した。

「それは言峰の方が正論だナ」

 上座に座るフラウフェルが言った。

「それより、マキリこそ。それ程勝ちたければ、まずは自分で努力するべきではなイカ?」

間桐(まとう)だと言っただろう。それに、何の努力だ」

 鶴野の返答にはさほど気を留めずに、続ける。

「そもそも私がお前にあの暗殺者をあてがったのは、奴は魂喰いを禁忌とせぬからダ。お前の魔術回路が貧弱だろうが 小源(オド)に乏しかろうが、きちんと魂喰いをさせれば充分勝ち抜けヨウ。勝てる手段があるのに、何で動かなイ?」

「大っぴらに魂喰いをさせてたら、神秘の隠匿違反になる。それこそ監督役……いや裁定者が来るだろ」

 分かり切ったことだろう、と言わんばかりに鶴野は答える。

「それはお前が努力すべきことダ。目立たぬように、目に付かぬように少しずつ喰らわせればいい。そう思うだろう、言峰ヨ」

「そうですね。そもそも魂喰いなどすべきではないが、任務上必要な範囲では目を瞑ろう。目を瞑っていられる程度であれば、な」

「やればいいんだろう、やれば!」

 声色にも態度にも厭気をあからさまにしながら、鶴野は応えた。それを綺礼やフラウフェルは、どう見たのか、鶴野には気に留める余裕も無かっただろう。

「取り敢えず、朝食は我等と済ませていケ。どの道、目立つまいとすれば夜にするしかないのだからナ」

 フラウフェルは淡々と着席を促した。それに綺礼も言葉を継ぎ、頭を下げる。

「そもそもまだ話は終わっていないのでな。座って貰えると助かる」

 形だけでも頭を下げられれば、鶴野にも座らない理由は無かった。無言で着席する。

 

「敵陣営の戦力について、調べと予想のできる範囲で説明しよう。あちらの召喚しているサーヴァントは現時点では不明だが、現時点までの噂と情報で魔術師が何者かは想定できる」

 綺礼の長口上の間、鶴野は静かにナイフとフォークを動かし、フラウフェルは音もなく茶を口に運んだ。

「まず、国東の管理者・椚家の椚 泰雪(たいせつ)。亜種聖杯を設置した首謀者と考えられる。そして、国東に入った目撃情報のある、『 言霊(ことだま)の』藤谷(ふじたに)水面(みなも)。もう一名については確実な情報は無いが、藤谷と我々以外に外部から入境した魔術師の情報も無い。消去法で椚の一門、おそらくは泰雪の養女を想定することが妥当だろう」

「椚は『類感魔術』の家だったか? 正直、戦闘向きの魔術とは思えないが……」

 鶴野が食事の手を止め、疑問を口にした。食べ物を口にしたまま喋るような不調法はしない。

「そうだな。聖堂教会としても特に注意すべき異端とは捉えていなかった。今回の件が発覚するまでは、な」

『類感魔術』は「ある事物甲に与えた出来事がその事物と魔術的に結ばれた事物乙に与える影響」を指す魔術体系である。卑近な言い方をすれば『藁人形を釘で打てばその人形に挟んだ髪の持ち主が苦しむ』ようなものであり、洋の東西を問わず普遍的に存在する基礎的な『呪い』の概念である。初学者が必ず学ぶ基礎的な魔術であるが故に、逆に家学として深めようとする家は少ない。

 そして、釘を打つ前に藁人形に髪の毛を挟まねばならないように、『呪い』を発動するためには事前に『ある物』と『呪う対象』とを魔術的に連結しなければならない。鶴野の言う通り、戦闘に使用するには迂遠すぎるのだ。

「だが何しろ、この地の、重霊地の 管理者(セカンドオーナー)だ。 大源(マナ)に限っては無尽蔵と言っていい。魔術がどうであれ、サーヴァント戦である以上、油断してはならない相手だ」

「それはまあ、そうだな」

「それに、養女の方はそもそも椚の魔術を使うかどうかも分からんだロウ? 養女と決まった訳でもなイガ」

 カップを置いてフラウフェルが付け加えた。

「それは聖堂教会としても把握出来ていない。ただ、魔術において一番の脅威であるのは、藤谷だろう。『言霊』――と称していても、あれが使うのは事実上は『神言魔術』だ」

『神言魔術』とは、まだ地上に『神』――と言っても一神教のそれではなく多神教の神々だ――が居た時代の、西暦以前の魔術である。神への信仰と神の権能を基盤とする魔術は、現代の魔術とは様々な点で次元の違うものであったという。言い換えれば、神話上の『魔術』は神言であればこそ、今日の魔術とは桁の違う、隠匿など必要とすらしないものであったのだ。

「少し前の論文発表で、『世界を作り替える』って騒ぎになったヤツか?」

「それは流石に大袈裟だろう、と上長は判断しておられるがね。魔術行使において外形的には『神代と同等の事』が出来るというだけでも充分な脅威だ。既に『時計塔』は封印指定に動いているという情報が此方には入っている。早ければ、この戦争中にも封印指定執行者が来るかも知れない」

 封印指定のかかるような魔術は、大抵、戦闘能力としても尋常の対人兵器では敵わないものとなる。であるから、それらを時計塔に持ち帰る任務を帯びた封印指定執行者は、それらを凌駕しうる超人的な能力の持ち主ばかりだ。

「それは――拙いナ。戦争が全うできヌやも知れヌ」

「それです。幸い、昨晩までの霊器盤の観測結果から、我々と相手側との相対的な位置関係は大まかには分かる。この屋敷から概ね東北東、岐部記念公園から概ね南西南から南西…… 国東(くにさき)町のうち山の方向、となるな。恐らく、元々泰雪が住職としている寺のうち一つから特段動いていないのではないかと」

「当座、冒険は避けつつ早期決着を目指すことになるカ?」

「ええ。そのためにも間桐には万全であって欲しいものだよ」

(結局そこか)

 自分が劣ることは認識すればこそ、鶴野には憮然として話の成り行きを聞くことしか出来なかった。

 

 ※ ※ ※

 

「行くぞ、暗殺者。霊体化したまま付いて来い」

 自室に戻って些か服を整えてから、鶴野は告げた。

『おや召喚主(マスター)、もう戦いに行かれるの? まだ日は高い筈だけれど』

 実体のないままであるが、召喚主たる鶴野には、暗殺者の気配が分かる。その目線が、こちらを見据えているように感じられる。

「戦いじゃない。お前の餌を仕込みに行くんだよ」

 暗殺者の目線から、目を逸らすようにして答えた。

『……つまらない男』

 暗殺者が零した言葉からも、耳を逸らすようにして、屋敷を出た。

 魂喰いは『神秘の隠匿』破りと紙一重の行為だ。万一の際にこの屋敷を怪しませないために、ある程度遠方に行かなければならない。その為の早出である。

 丘を暫く下り、駅に出る。

 鶴野は敢えて列車を選んだ。それは以前にフラウフェルが大分空港を合流の場に選んだのと同じ理屈――『人の多い場所であれば万が一敵方に知られても仕掛けられまい』という意図であった。

 だが、日豊線の普通列車の運行間隔は、疎らだ。次の列車が来るまで一時間はある。要するに、駅だからと言ってそもそも人など居ないのである。

『全く。時刻表くらい調べて来れないのかしらこの男は』

 霊体化したまま暗殺者は悪態をつくが、それに無闇に反応する訳にもいかない。一般人の眼からすれば不審な一人芝居となるだろうし、万が一敵魔術師が居るならば目標を露わにすることになるからだ。

 ただ、黙って、イン=アインツベルンのメイドたち(恐らくホムンクルス)が寄越したサンドイッチを口に運ぶ。食べながら思考を巡らせる。

(恐らく敵……椚家は元々の本拠である、国東町の寺から動いていまいということだが、だから言って 日出(ひじ)で『魂喰い』という訳にもいくまい。中間地点、それも人口のある程度ある市域がいいだろう)

 それにしても、日出の中央駅ではないとはいえ、後背にそれなりの住宅地はあるのいうのに、如何にも利用者が少ない。高校の登下校時間なら多少は違うのかも知れないが。

(田舎なのだな。利便性を考えれば自家用車で事足りる、って事か。まさか車に乗ってる一般人を襲う訳にもいくまいし、やはり 杵築(きつき)とかいう町まで行ってから学生を待つか)

『物を食べるだけの余裕があるのは悪くないけれど、もう少し丁寧に食べられないの?』

 思考に暗殺者の念話が割り込んだ。

「やらんぞ」

『今更要らないわ。それより、血の算段は出来ておるのでしょうね?』

「それを今考えてたんだよ」

『しっかり頼むわ。主の魔力だけでは、心許ないもの』

 鶴野にも自覚はあるのだが、改めて当のサーヴァントに言われると、気は良くない。それで、その一言には無言で通した。

『ああもう! 食べ散らかさない! 朝食はそれなりに丁寧に食べていたのに!』

「放っといてくれ。どうせこちとら、余り丁寧に育ってないんだよ」

『魔術師が?』

「爺様が居なくなってからは、な」

 駅に入ってきた鈍行列車は二両編成で、それでも乗客は疎らであった。

(これでは、列車内で魔術戦闘が起きたとしても、『隠匿違反』を責めることすら出来ねえんじゃないか?)

見込み違いに眉を顰めながらも、しかし今更引き返す訳にもいかない。

 秋晴れの日差しが車窓から差す。しかも、十月にもなって、この地はなお暖かい。

(上着は余計だったか……)

 後悔しながらも、しかし鶴野には上着を羽織らねばならない事情がある。魔術の蟲が宿る体の線を、隠しておきたいのである。

『主よ、日傘か日除けは無いのかしら。眩しくて敵わないわ』

 暗殺者も苦情を念話で寄越すが。

「霊体なんだから、それくらい我慢しろ」

 その程度しか返す言葉は無い。そもそも、疎らとはいえ乗客は居るのだ。余り一般客から見て不審な行動は取れない。

(まあ、地元の人間からすりゃあ、この暑さで上着羽織ってる時点で、もう不審者かも知れんがな……)

 やがて、列車は杵築駅に着いた。

 杵築駅を降りると、そこは田舎であった。

 幾ばくかの集落と小さな商店があるほかは、稲穂の揺れる田園と森ばかりが見える。本州よりは未だ暖かいのに、寒々しい感じすら受ける。

「おいおい。本当にここが杵築の中心か?」

 思わず鶴野の口から不平が漏れた。無理もない。鶴野の住んでいた範囲の常識では、ともかくも駅前に行けば何かしら『街』のあるものだったのだ。

 すると駅員から声を掛けてきた。

「お客さん。杵築の町なら、ここから大分交通のバスに乗らなきゃ」

手慣れた様子である。よく聞かれることではあるのだろう。

「バスかよ!」

 この集落では、暗殺者の望むような「若い女」は望み薄だろう。

 そう考えたから、鶴野は素直に駅員の言に従った。

 

 杵築の中心街につく頃には、昼を大きく回っていた。そこは城下町の面影を残す土地で、丘陵地にある古い武家町と、その谷側及び海側にある商人町がある。そして、海を見下ろす一番高い丘に城がある。

 バスを降りた鶴野は、谷側を歩いている。そもそも観光に来たわけではないし、『若い女』を求めるなら商業地側の方が見込みがあると踏んだのだ。

『あら、若い男と女が集団で来たわ』

 暗殺者が念話でいうので辺りを見渡すと、恐らく中学生であろう、制服の一団が歩いていた。下校時間なのだろう。

「暗殺者、少し静かにしろ。【気配遮断】だ」

『どうせ相手は一般人でしょう?』

「それでも、だ。万一にも勘のいい奴が居るとまずい。若い女の魂を喰らいたいなら言う通りにしろ」

『はい』

 暗殺者が 職能別技業(クラススキル)を発動させるのに合わせて、鶴野は魔術回路――体内の蟲に意識を回す。通常の呼吸と筋肉の動きを抑制し、蟲にそれらの駆動を任せることで、息の気配を殺しつつ密かに、一定の歩みで尾行するのだ。

 女子生徒生徒の群が数人になり、四人になり、二人になる。バラける都度、人数の少ない方を文字通り息を殺して尾行し、一人になるまで待った。

その一人が路地に入った所で、声を掛ける。

「おい」

 女子生徒からしたら、『気配も何もない所から突然声がした』ように感じられたのだろう。驚愕の余り声さえ挙げられないまま振り向いた彼女の、目線の先に鶴野が立っていた。

 鶴野は手から蟲の眼を出す。間桐の使う『蟲』は、天然自然のそれではない。魔術によって変貌させられ、魔術師と共生するように改竄された怪物だ。今出した蟲は、暗示魔術に相当する機能を持つ。

「そうだ。黙ったまま、この蟲を見ろ」

 生徒の目線が蟲に固定されられる。「看られる」ことで蟲はその機能を発動させた。鶴野の手から抜け出し、瞬く間に生徒の中に潜り込んだ。

「よし。お前は今晩、家が寝静まったら中学校の校庭に来るんだ」

「中学校の……校庭……」

 生徒は虚ろな表情で復唱する。

「そうだ。家の者が寝静まるまで、お前はこのことを忘れる」

 頷くと、生徒は鶴野に背を向けた。

『ところで、その中学校とやらはどこに有るか分かっているのでしょうね?』

 少女が立ち去ってから、暗殺者が念話で告げた。

「大体は分かる。おおかた、こいつらが歩いて来てた方向の反対側だろうさ。それに、すぐに分かる」

『どういう意味よ』

「もう何人か学校の辺りから尾行し(つけ)て、今の要領で『仕込む』からだ。どうせ一人じゃ喰い足りないんだろ?」

『……ふん、少しは頭回るみたいね』

「お前な、召喚主の事を何だと思ってやがるんだ」

 鶴野の悪態に対する返事は無かった。

「まあ、やるしかないんだ。やるにはやるから、待ってろ」

 気は進まないが、魂喰いに手を染めなければ勝てないこと程度は、鶴野も承知している。であれば、曲がりなりにも魔術の家にある者として、手は動かすのだった。




キャラクター便概:

間桐鶴野:
 エルジェーベトの夢を見て、その動機に臓硯に通ずるものを感じて嫌悪を抱く。『お前がまず働け』と周りから責め立てられるようにして、魂喰いに赴く。
 既に散々述べた通り、この物語の鶴野は、原典での『臓硯健在のもと魔術師としては期待されずに育った』鶴野とは生育歴がかなり異なる。丁寧に食べようと思えば食べられるが、意識しなければ雑な食べ方になる。そういう育ち方をしてきた男として描いているつもり。

暗殺者・バートリ・エルジェーベト:
 鶴野のことを『つまらない男』と詰りながら、その立ち振る舞いには注意せずには居られない。吸血鬼のごとき存在となろうとも、根本的には貴族の女なのだ。
 鶴野に『夢に見られた』ことは意識したのかしないのか。精神の共感の性質上全く認識しない訳はないのだが、今の所おくびにも出していない。

言峰綺礼:
 前回までの状況の説明と敵勢力に関する分析を、ブレックファースト・ミーティング(という表現が1990年代にあるかどうか確認できなかったので本文ではそうは書いていない)の形で行う。
 情報源は自分で分析しただけでなく、夜のうちに聖堂教会の上司(本文では教会用語で上長と書いている)と情報交換した結果に基づくものであろう。たぶん。

フラウフェル・イン・アインツベルン:
 朝食の席を設けた。ドイツ式料理ベースではあるのだろうが、彼女自身は紅茶派の模様。

※ ※ ※
 この物語はpawooで随時『国東聖杯戦争』タグを付けて呟いたものに、加筆修正のうえアップロードしているものです。
 待ち切れない方はpawooも御覧いただければ幸いです。


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第一章 第三節『校庭の戦い(前編)』

杵築の街にある校庭で、暗殺者・バートリ・エルジェーベトに間桐鶴野は魂喰いをさせる。一方、椚紅葉は狂戦士・坂田金時とともに、杵築に張られた『人払いの結界』の中に突入する。そうして、遭遇戦が始まる。
そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。

※戦闘・吸血場面にあたり極力直接的な残虐描写は避けていますが、全年齢対象程度の多少のほのめかし要素は含まれます。ご留意ください。


 間桐 (まとう) 鶴野(びゃくや)は、その夜、杵築(きつき)の中心部に人払いの結界を敷いた。人払いの魔術は、只人にとっては『近寄り難い』『わざわざ出掛けたくない』という感覚を無意識に置かれることに相当する。元々さほど夜遅くまで開いている店の無い町ではあるが、この日、人々は早くに休んだはずである。昼間に暗示を仕込まれた娘たちを除けば。

 月の無い夜であった。城を見上げる位置にある中学校の校庭には、真夜中の事ゆえ街灯すら射さず、僅かに星の光と校舎内の非常灯だけが照っている。そこに、一人、また一人と、娘たちがふらふらと入ってくる。

(それにしても、暗殺者(アサシン)の『好み』とはいえ、若い娘なあ……)

 考えてみれば、中学生なら12歳から居る。

(慎二だって小学生だ。そんなに変わるもんじゃない)

 子のことを思えば、進んで手を下したくはないのだ。

「なあ、暗殺者。殺すなよ」

「はぁ?」

 何を言っているのだ、と言わんばかりの反応である。

「どういう意味よ? 私のための贄なんだから、当然死ぬまで命を吸わせるものでしょう? ここまで待ったのよ! 吸わせなさい!」

 仮面の上からでも不満の表情が伝わるほどの怒声であった。

「だからな、『元気のないのが家に帰ってくる』より『死骸が出てくる』『死骸が出ないが行方が知れなくなる』の方が世間の騒ぎがデカくなるんだよ。そうなったら裁定者(ルーラー)がしゃしゃり出るんだよ。俺達だけ不利なペナルティを受けるかも知れない」

「それが? そこを何とかするのが召喚主(マスター)の役目じゃなくて?」

「だから、召喚主として考える最善手は『殺さずに少しずつ吸うこと』だって言ってるんだよ。お前だって生前に世間に騒がれた経験くらいあるだろう。分かれよ!」

「分からないわ!」

 暗殺者は言い切った。

「だいたい、人でなしと言うなら魔術師だって変わりはしないでしょう! プラハの魔術師もウィーンの魔術師も贄の二人三人平気で殺す連中だったわ。あなただってそうでしょう!」

「黙れ――」

 確かに人でなしだとは思う。蟲と共生し、生贄の生物をそれらに喰わせる間桐の魔術師は。しかし、この戦争に勝てばその連鎖から手を引くのだ。

「――令呪を以て命ずる! 『敵マスターではない女は殺すな』!」

「この……下郎の分際でッ!! ああいいわ、吸ってやる! 手始めにこの娘が命尽きるまで――」

 暗殺者は手近な中学生を引き寄せ、口を吸った。【吸血】。エルジェーベトが若い村娘たちの生き血を文字通りの意味で啜ってきたことを反映した技芸(スキル)であるが、その効果自体は直接血を飲まずとも発動する。

「命尽きるまで――!」

 相手の精気・魔力を奪取する。それが【吸血】の効果であり、血を飲むか否かは二の次なのである。

突然、暗殺者の動作が止まった。

「――出来ない! これ以上吸えない! 殺せない! この、この程度で!」

 令呪はサーヴァントにとっては絶対の命令に等しい。余程強力な【耐魔力】の技業(スキル)でも持ち合わせていれば抵抗も能うかも知れないが、この暗殺者・エルジェーベトはそのような技業を持たない。まして。

「無駄だ。そもそも令呪は間桐の秘術だ。余所の召喚主(マスター)と一緒にしてくれるなよ」

 仮にも間桐の当主が蟲魔術を併用して下した令呪が、そう容易く解けるはずもないのだ。

「しかし殺さない程度には【吸血】できてるだろう? ほら、次の娘も吸ったらどうだい」

「外道の分際でヒトの道理を押しつける……本ッ当に……つまらない男!」

 暗殺者は言い捨てた。そうは言っても、この召喚主からの魔力だけでは足りないのであるから、吸血を止める訳にもいかないのだ。

(令呪はやり過ぎたかも知れないな……)

 次の娘からの【吸血】に移った暗殺者の姿とその苛立ちを見て、鶴野は浅慮を少し恥じた。いずれ、その苛立ちが、サーヴァントからの反逆の刃に化けないとも限らないのだから。

(まあ、今ので俺程度の令呪でも逆らえないことは分かった。別に何が何でも自害させなければならない訳でもなし、最後の一角さえ使い道を誤らなければどうにかなるだろう)

 その時、違和感があった。「人払いの結界」を構成する結界蟲が、恐らくは力尽くで破壊された。そのフィードバックが鶴野を襲ったのである。

「何事?」

 召喚主(マスター)の表情を見咎めて、暗殺者もまた【吸血】の手を止めて顔を上げた。

「恐らく敵だ。お前は急いで吸えるだけ吸え」

「変な命令がなければそうしてるわよ!」

 

※ ※ ※

 

「人払いの結界が『糸』を切ってくる、っちこういう事なんや……」

 (くぬぎ) 紅葉(くれは)は、狂戦士(バーサーカー)坂田 (さかたの) 金時(きんとき)と共に杵築の町にいた。その眼前に蟲が飛んでいた。街の灯りは既に街灯以外ほとんどついておらず、月灯りもない夜のことであったが、紅葉と狂戦士の魔術的感覚はその(むし)の姿をはっきりと捉えていた。

 闇夜の普通の感覚ではただの羽虫に見えなくもないが、細部はねじ曲がり、頭にあるべき触覚は胸から出る、天然の蟲ではあり得ない姿。何より、魔力の流れがその蟲に繋がっているのだ。

「そりゃあな、結界の起点が『生きて』りゃあ、多少の自衛はするわな」

 魔術師が只人の接近を避けるために設置する結界を『人払いの結界』と総称するが、その内実には幾つかの種類がある。人が近づいたら何らかの魔術的警報を鳴らすだけのもの、人を物理的に攻撃するもの、暗示・精神操作によって近寄りがたく感じさせるもの。

「暗示結界と対人攻撃を兼ねた蟲、っち辺りやろな……来るかもとは爺ちゃんから聞いちょったけど、本当に『間桐』かぁ……」

 ――冬木の聖杯戦争を始めた三つの家がある。聖杯を用意した錬金術の大家・アインツベルン、土地と霊脈を用意した宝石魔術の家・遠坂(とおさか)、そして令呪を開発した蟲魔術の家・間桐。没落した家もあるし亜種聖杯戦争に無関心と公言する家もあるが、いずれが参戦しても『特権』を有するという話だ。充分注意するように。

 紅葉が養父から聞かされた話はその程度の内容であったが、眼前の蟲の姿は伝え聞く間桐の魔術を想起させるには充分だった。

「しかしどげえしたもんかな……倒すのは簡単やけど、倒したら結界に綻びが出るんやろうし……無視して進んでも襲って来るんやろうし……」

 紅葉が頭を悩ませる間にも、狂戦士は前に出ていた。

「おう召喚主、こんなのに関わってねえでさっさと敵を追うんだろ?」

 歩みを進めながら、さっ、と狂戦士が手を振ると、ただそれだけで呆気なく蟲は弾け飛んだ。

「ちょっと! 人の話聞いちょった? 結界破けたら街ん衆が起きてくるかも知れんので!?」

「あー……悪ィ、聞いて無かった。そこは召喚主が何とかしてくれよ」

「無茶言わんでよ!」

 蟲魔術と紅葉の使う精霊魔術とでは、全く系統が異なる。蟲を倒すことは出来ても、蟲の挙動――欠けた結界を補うことは出来ないのだ。

「しゃあねえなあ……取り敢えず『この辺だけを覆う人払い』を張っちょくわ……」

 紅葉は一つ溜め息をつくと、続いて深呼吸をした。

〔精霊よ、此処に座れ。宿れ。閉ざせ〕

 一瞬だけ人型の何かが現れた――ように、魔術感覚がある者には見えただろう。それが力の渦になり、幕になり、その場を覆った。

「言うちょくけど、蟲の張っちょる結界とは異質やけんな。長持ちはそんよ」

「分かってるよ嬢ちゃん。手早く倒して手早く撤退だな?」

「……分かってるんなら何で無闇に結界に手を出したんよ……」

 狂戦士からの答えはない。ばつが悪いのだろう。

「兎に角、さっきの女の子を探すで」

「おう、そうだな。……最悪『喰われ』るかも知れねえしな……」

 

※ ※ ※

 

 斯くして、両陣営は暗い夜空の下で出会った。

 痩せぎすの男の横に、銀髪仮面の女が居る。女は、片手に少女を抱えて、尚もその首筋に口を当てている。

 その光景を、グランドの反対側に辿り着いた金髪の大男と、幾らか小柄な女が見ていた。

 見渡せば、もう数人、別の少女が転がっている。

「……何なん、これ」

 小柄な女――椚紅葉が口を開いた。

「見れば判るだろう。『魂喰い』だよ。ああ安心しろ、殺してはいない」

 痩せぎすの男――間桐鶴野が応えた。

「殺すと裁定者が煩そうだしな……いや、お前達も

か?」

 紅葉は口の端を歪めている。拳を握っている。そして、その怒りは大男――狂戦士にとっても同様であった。

「手前……何してやがる」

「だから『魂喰い』だよ」

「お前じゃねェ!」

 狂戦士は大音声を挙げた。その声に鶴野も、紅葉さえも一瞬身を仰け反らせた。

「そこのサーヴァントに聞いてるんだよ! 答えろ!」

 徐に、銀髪の女――暗殺者の目線が、仮面の下で動いた。首筋から口が離れた。

「民草の生命くらい、私が好きに使って何が悪いの?」

高貴な者(えいれい)の命として生き続けるのよ? むしろ光栄なことではなくて? それに……殺せていないし」

 暗殺者の言う通り、確かに殺しては居ないのだろう。横たわる娘達の胸は呼吸で僅かに動いている。

「よくも――」

 だが、狂戦士の怒りを引き起こすにはそれでも充分であった。

「――俺の眼前で■■■■■■!!」

 吼えた。

 狂戦士の眼はサングラスで隠されていたが、横に立つ紅葉にはそれが見えた。蒼から赤へ。怒りに任せて唸る姿に合わせて、瞳の色が変わった。

 次の瞬間には、狂戦士は真っ直ぐに暗殺者に飛びかかっていた。

「狂戦士! 待ちよ!」

 呼び止めたが、狂戦士の耳には最早届かない。

「おっと、魔術師の相手は魔術師だ」

 鶴野は、狂戦士と紅葉の間に割り込ませるように、蟲を放った。結界を張っていた蟲とは似て異なる、羽を刃に変えたような異形の蟲だ。

 身の裏に秘めた蟲を放つ分には、特別な詠唱を必要としない。間桐の魔術の強みである。

「――邪魔ッ!」

 しかし、詠唱を省略する手段は紅葉にもある。手印を二動作ほど行うと、手に炎の精霊を纏わせた。予め用意した火箱から誘導すること・拳に纏う貌に限定することで、手印だけで火の精霊を喚起したのだ。

 紅葉は炎を拳ごと振るう。一撃目、蟲の動きが早く空を切る。だが、その避けた先に紅葉の二撃目が襲う。

〔――拡がれ〕

 炎が舞い上がり、忽ち蟲の身体を燃やした。

「蟲なら火との相性は悪いわなあ?」

 そして左構えの体勢に戻る。幾らでも掛かってこい、と言わんばかりの挑発であった。

「火の精霊魔術か。成程、翅刃蟲では燃えるな――」

 その戦闘の間に、鶴野自身が紅葉に近い位置に移動している。サーヴァント達はその更に先で争っている。

「ならば、地這蟲ならどうだ?」

 鶴野が、ダン、と強く地面を踏み鳴らした……ように見えた。否、踏んだのではない。足の裏から蟲を呼び出したのである。

 それは羽の無い、蚯蚓の類を模した蟲である。ただ、大きさと皮膚が尋常のものではない。体長は鶴野の身の丈ほど、体周も胴回りほどもある。加えて皮膚は硬質化しており、甲虫のように黒光りしていた。

 その大きさ故に、呼び出しただけで地面が揺れたのだ。

 紅葉は、火を纏った拳で蟲に殴りかかった。だが、何も起こらない。衝撃も火力も、蟲の甲殻で阻まれている。

「こりゃあ……手強そうやな……」

「手詰まりなら、此方から行くぞ!」

 鶴野の命に応じて、蟲は大きく口を開けた。

 

※ ※ ※

 

 一方、暗殺者に襲い掛かった狂戦士は、苦戦しているように見える。

「■■■――――」

 狂戦士は、幾度と無く拳を暗殺者に振り下ろしている。

 正気を喪い衝動のまま突撃した狂戦士は、確かにその分膂力が上がっている。【狂化】の効果である。しかし、正気を喪うということは、平素の判断力もまた喪っているということである。

「逞しい拳ね! だけど、見え見えなのよ!」

 振るわれる拳は、悉く暗殺者の鞭に迎撃され、振り払われていた。

【殺戮技巧】。数多の拷問具を無数の少女に振るってきた暗殺者の人生は、その扱う拷問具にすら風評を齎した。『バートリ・エルジェーベトの持つ拷問具なら、きっとどんな相手でも拷問する(苦しめる)に違いない』。それ故に、彼女自身の戦闘技術すら超えて鞭が素早く動くのだ。

 鞭の風切り音が鳴る度に、狂戦士の拳にも僅かながら傷が付く。

「■■■■――――!!」

 それでも狂戦士はなお拳を撃ち付け続ける。鞭で打ち払われ、拳が振り下ろされ、鞭で叩き落とされ、拳を振り上げ、鞭で絡め取られ。

 そして、狂戦士の拳が遂に、鞭そのものを吹き飛ばした。

「この……何て馬鹿力なの!」

 右手の鞭を飛ばされた勢いで体制を崩した暗殺者は、そのまま後ろに跳び、距離を取った。

 その間に、狂戦士は鉞を持った。恐らくそれは宝具であろうが、言葉を発することの出来ない今の狂戦士には、その真名を呼ぶことはできない。

 それでも、それは狂戦士の最も恃む得物なのだ。

 

※ ※ ※

 

 地這蟲は大きく口を開き、その顎を紅葉に打ち付けようとした。

「そげなん、喰らわんわ!」

 左に跳びそれを避ける。校庭に穴があき、土煙が舞った。

 しかしその蟲は、そもそも地中の虫を模したもの。そのまま地面に潜り、姿を隠し、そして紅葉の足下に穴を穿った。

「くっ――!」

 上空に吹き飛ばされた紅葉は、しかし諦めてはいない。数言の呪文を紡ぐ。

〔燃え立て、彼の口を穿て――!〕

 紅葉の拳から炎の姿が燃え立ち、地這蟲の口に放たれた。外装が駄目なら口の中から、と考えるのは当然であろう。

「無駄だ!」

 しかし地這蟲は口を咄嗟に閉ざし、炎を防いだ。とは言え、顎を閉ざして守りに入ったからには体勢が変わるのであり、紅葉にその牙は届かない。

その間に、紅葉は着地した。

「そげえやって守るって事は……口ん中は燃えるんやな?」

 敢えて口に出して告げた。

「フン、喰らわなければどうということもあるまい。それに――」

 地這蟲の背後から鶴野は軽口のように言い、そして付け加えた。

「――一匹だけしか使えないとでも思ったか?」

 その言と同時に、紅葉の背後からもう一匹の地這蟲が、地面を割って現れた。先程の一合のうちに、密かに呼び出していたのである。

 紅葉は、前後の地這蟲に囲まれた格好になる。

「まあ、そりゃそうやろな。結界の蟲もあれ一匹じゃ無えやろうし」

 殊更に余裕を装って答えた。

「ただ――あたしも、精霊一つしか使えん訳でも無えんで?」

 先程一匹目が突き破った地面の盛り上がりに手を付くと、それは人型に変じた。地の精霊である。

〔大地よ、割れ震え、礫となって飛べ〕

 紅葉は左手を地の精霊に当てたまま唱えた。人型を取った精霊は瞬く間に土塊の礫に変じ、砕け飛んだ。

「無駄だ! 火も通らない地這蟲に、土塊が利くものか!」

 鶴野は嘲笑う。余裕の姿だ。事実、その正面に立つ一匹目の地這蟲に当たった土塊は、装甲に掠り傷も与えずに弾け散る。だが。

〔――曲がり、敵首魁を撃て!〕

 弾けたかに見えた土塊が、突然、不自然に軌道を変えた。速度を上げて鶴野を襲った。

「チッ!」

 地這蟲を呼ぶとしても身を庇うには間に合わないだろう。鶴野は咄嗟に、身を庇うために翅刃蟲を呼び出した。

「打ち落とせ! 俺の身を守れ!」

 翅刃蟲が土を幾つか弾く。しかし弾いた土は再び宙で纏まり、蟲を無視して鶴野を襲う。

土塊が、ついに鶴野の身を襲った。

「――ッ!!」

 視界が塞がれた。鶴野の頭を土塊が埋め尽くしたのである。

「今だ!」

 紅葉は炎を纏ったままの右手を振りかざし、更に詠唱を追加した。

〔炎よ、敵首魁の脚を焼け!〕

 土塊の後を追うようにカーブして炎が飛んだ。

 しかし蟲たちにもそれはそれで感覚があり、翅刃蟲も主の危機を黙って見てはいない。炎の弾は翅刃蟲に防がれ、引き替えに蟲は焼け弾けた。

「なら、このまま!」

 紅葉が地這蟲を無視して鶴野に向かっていく体制に入ったまさにその時、地這蟲は――いや、地這蟲の発音器官を制御している鶴野は、はっきりと告げた。

『今だ! 暗殺者、殺れ!!』

 その時、紅葉は自分の誤りに初めて気付いたことだろう。間桐の召喚主だけ追いつめようとして、全体の戦況を見失っていたこと。間桐の召喚主の思うがまま戦場を分断されていたことに。

 

※ ※ ※

 

「■■■――――」

 狂戦士の口から、怒気が煙のように漏れている。鉞を右手に持ち、暗殺者の方に歩み寄る、その一足一足が土煙と共に地響きを立てる。

「■■■■――――!」

 やがてその歩みを早めると共に、地響きの間隔は狭まった。

「あら激しいのね。でも、これならどうかしら」

 その姿を認めた暗殺者は、手を軽く振った。またしても【殺戮技巧】である。しかし今度は手元に拷問鞭を喚んだのではない。

 狂戦士の足下から、突如として数本の鉄杭が生え、その足を貫こうとした。暗殺者は、拷問具であればある程度任意の場所に喚び出すことが出来るのだ。

「■■■!!」

 しかしそれらは、狂戦士の鉞の一振りで打ち払われた。

 続けざまに暗殺者が手を振ると、今度は真っ赤に燃えた焼き印が数本、中空に浮かび上がった。

「■■!?」

 それらもまた、何も灼くこともなく、狂戦士の鉞の錆となる。

「――足下がお留守じゃなくて?」

 その間に、狂戦士の足下に突如として虎挟みが生えた。

 それらは過たず狂戦士の足を捕らえた。勿論、技業で強化されているとはいえ、宝具でもないただの道具で、いつまでも狂戦士を抑えておけるものではない。

「■■■!」

 ほんの一瞬の後、虎挟みは全て引きちぎられた。だが、暗殺者にとってはその一瞬で充分だったのだ。

「来なさい我が虚名――《幻想の鉄乙女(ファントム・メイデン)》!!」

 真名を解放すると同時に、暗殺者の頭上に鉄乙女(アイアン・メイデン)と呼ばれる拷問具が姿を現した。曰く、『処女を中に詰めてその血を搾り取る』。エルジェーベトの悪名と共に喧伝されたその拷問具は、それが現実のものであろうが無かろうが、暗殺者と切り離せない宝具と化していた。

 そう、『処女の血を搾り取る』宝具である。鉄乙女は狂戦士から目を逸らすように回転した。

 今や暗殺者の目標は狂戦士ではない。間桐鶴野を追い詰めたつもりになって、こちらの戦況に目を施すことの疎かになっている、狂戦士の女主人こそが、その狙いであった。

「愚かな娘よ! その若き血を私に捧げなさい!」

 魔術師二名とサーヴァント二騎の戦闘空間は、それらが争ううちに校庭の端と端、数百メートルほどに離れていた。

 今、《幻想の鉄乙女》が宙に浮かび、紅葉の背を指してその胴を開く。そして、次第に紅葉の側に加速し始める。

 その様を認めた狂戦士は、吼えた。

『■■■■■――――!!』

 絶叫とともに加速を始めた。その軌跡は電光の如く、足音は雷鳴の如く。今や狂戦士の姿は一つの光電であった。

 

※ ※ ※

 

 鋼鉄で象られた乙女が、中空で此方を睥睨(へいげい)している。その腹を開き、鉄の棘を露わにする。

 真名を解放された宝具が、自分を、サーヴァントではなく人間を標的にしている。そのことを悟った紅葉は、死を覚悟した。

(しまった――深追いし過ぎた)

 敵の召喚主を道連れにする暇は勿論、後悔を口にする暇すらもなく、それは一直線に此方に向かい、まさに紅葉の身体を――

 ――貫かなかった。

 鈍い音がして、鉄乙女(アイアン・メイデン)蝶番(ちょうつがい)が止まった。何やら血のようなものが紅葉の身体を濡らし、幾らか虚脱感もあったが、しかし何も刺さってはいない。

 その鉄の腹が閉じるのを、紅葉のサーヴァント――狂戦士が、その両腕で押し留めていたのだ。

「……よう嬢ちゃん、無事か?」

 手や腕から血――いや、血のように見える魔力を漏らしながら、狂戦士は微笑んだ。その眼は、元の青色に戻っている。狂化が何らかの要因で解けたのだ。

「無事やねえわ!」

 紅葉は思わず、今度こそ声を上げた。

「あんたがそんなボロボロになっちゃあ……」

 

※ ※ ※

 

「何なの! 何なのあの男は!」

 すんでの所で宝具を邪魔された暗殺者としては、たまったものではない。

「構うな! そのまま狂戦士ごと殺してしまえ!」

 敵召喚主の猛攻から解放された鶴野が絶叫するが。

「それが出来れば苦労しないわよ!」

《幻想の鉄乙女》は、女性の、特に処女に対する『処刑』に特化した宝具だ。逆に言えば、男性サーヴァントに対する威力はさほどのものではない。

とはいえ、ここで宝具の手を緩めることもまた悪手だ。宝具がまさに敵召喚主の目前に居ればこそ、狂戦士の手を塞げているのだから。

「召喚主こそ、早く手を貸しなさい」

 今、狂戦士と敵召喚主は一つところに集まっており、その結果として暗殺者と鶴野はそれを挟み撃ちできる位置にいる。

「……お、おう」

 鶴野はそのことに気づき、地這蟲を再び動かし始めた。何も宝具に拘らずとも、敵召喚主を殺すことが出来れば彼らの勝利なのだ。

 暗殺者もまた、灼けた鉄棒を宙に構えた。宝具と同時にでも、牽制用の一本程度は展開できるのだ。

 

※ ※ ※

 

 今、はっきりと紅葉の眼に見えた。

 狂戦士の手は暗殺者の宝具で塞がれている。そこに、両側から地這蟲と拷問具が迫っている。

(両方とも一人で迎撃する――のは、無理だ)

 少なくとも、地這蟲の外甲を破るのは、一筋縄では行かない。先程からの苦戦で思い知っていた。

(それとも――)

 もう一つの戦法に思い至ったのと同時に。

「なあ嬢ちゃん――命令をくれよ」

 狂戦士が言った。

「全部ブッ潰してやるからよ」

 それしかない、と素直に思えた。

「ええよ! 令呪を以て命じる! 『敵ん攻撃、全部ブッ潰しよ!』」

 紅葉の手の甲の赤い筋が一筆消えるのと同時に、見かけの負傷はそのままでありながら、狂戦士の魔力が膨れ上がった。

「おうヨ!」

 狂戦士が両の腕に力を込めると、暗殺者の宝具が緩んだ。間髪入れずに、狂戦士は手に鉞を持った。

「おうおう音にも聞け足柄山の雷霆――《黄金喰い(ゴールデン・イーター)》!」

【狂化】の発動していない今、はっきりとその真名を唱えた。鉞は雷光を帯び、その大きささえも膨れ上がったように見えた。横薙ぎの一振りで、暗殺者の宝具を打ち砕いた。

「そらよ!」

 狂戦士はそのままの勢いで鉄杭を払い落とした。そして、今度は振り向き様に宙高く踊り上がり、地這蟲の脳天に鉞を叩きつけた。

 真名を解放した一連の挙動だけで、敵の動きを御破算にしたのである。

「――ざっとこんなモンか」

 崩れ落ちていく地這蟲を見ながら、狂戦士は見栄を切るように鉞を構えなおした。

「ここからが本番やけどな」

 そう。間桐の召喚主はまだもう一匹の地這蟲を残しているし、宝具を一旦破壊されたとはいえ暗殺者も健在だ。血を吸われた少女たちの安全を確保出来た訳でもない。

 この場で決着を付けるにせよそうしないにせよ、まだやるべきことは多いのだ。

「で? どこから行くよ」

「取り敢えず――召喚主から、かな。どうせ邪魔は入るやろうけど」

「いいぜ! 第二ラウンドと行こうか」

【この項第五節に続く】

 




登場人物便概

間桐鶴野
息子のことが脳裏をよぎり、つい『殺すな』などという枷を暗殺者に課してしまう。根が魔術師になれきれない点もまた三流ではあるのだろう。
蟲の同時使用もかなり負荷をかけているはずではある。

暗殺者・バートリ・エルジェーベト
彼女にしてみれば理不尽な令呪を課され、血を吸うにも殺すまで吸うことも叶わず、しかも敵サーヴァントは男で、苛つくこと続きである。
しかし敵マスターが女なら、その拷問能力は十全の効果を発揮するのだ。当てさえすれば。

椚紅葉
精霊魔術を駆使して鶴野を追いつめるが……。彼女の足を急かすのは義憤なのか、私憤なのか。まあ何だ、魔術師になれきれない奴同士の戦いではあるのだ。
あ、呪文は本来ローマ語かスペイン語で唱えてるイメージなんですが、語学学習が間に合いませんでした(おい

狂戦士・坂田金時
暗殺者のもたらした状況にブチ切れ、【狂化】する。しかしそれがマスターの危機をもたらしたことを知るや、正気に立ち返る。
なお、【狂化】は勿論のこと、眼の色の変化も捏造設定である。念のため。

暗殺者の宝具《幻想の鉄乙女》
FGOでお馴染みのアレ。エルジェーベトが拷問具としてこの『棘が内側に生えた鉄の乙女』を用いていたというのは後世の捏造ではあるのだが、余りに人口に膾炙したため、【無辜の怪物】めいてこの拷問具の存在はエルジェーベトと強く結びつけられている。
勿論、女性特効であり、処女であれば更に威力を増す。また、【吸血】の効果が付随しており、ダメージに比例して対象の魔力・生命力を奪い取ることも出来る。

狂戦士の宝具《黄金喰い》
坂田金時の鉞。振り仮名は気にするな。
元々(企画版Apoでは)宝具自体はこういう名称。雷神の魔力を帯びた鉞であり、その最大解放たる雷光を帯びた一撃が《黄金衝撃》である、みたいな感じ。

※ ※ ※
今回『前編』としていますが、四節はこれと平行して起きる別の戦いに関する話の予定です。早めに見たい方はpawooで『国東聖杯戦争』タグで随時載せておりますので、そちらもご覧ください。


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