奴隷回想 - Armagh 95 (紙谷米英)
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奴隷回想【プロローグ】
【プロローグ】
――いらっしゃい。外は冷えるでしょ、どうぞ入って。さ、コートを頂戴、雪を落とさなきゃ。――なあに?――ばかね、気にしないで。ここでは貴女がお客様、私は夫の留守をあずかる女主人。悪いけど、四の五の言わず従って貰うわ。――ん、宜しい。役得は受け取っておけばいいの。若い時間は限られているんだから。
――リビングはこっち……って、知ってるか。全く、あの人の性癖で使用人根性が染み付いちゃった。……ああ、嫌味じゃないのよ。何だかんだで楽しんでるしね。――はー、あの次男坊も良いお嫁さんを貰ったもんだわ。――おまけにお世辞も上手い、と。ほんと、うちで雇いたいくらい。さ、上座はこっち、どうぞ座って。紅茶でいい?――ん、ルフナの良いのが入ったの。ちょっと失礼するわね。その辺の物は好きに弄ってくれて構わないから。えーと、菓子の在庫は……オウ……ねえ、やっぱり緑茶でいい?
――お待たせ。ごめんなさいね、こっちの都合で緑茶にしちゃって。まさか〈とらや〉の羊羹しかないとは……。湯呑みは熱いから気を付けて。ん?――主人が目を盗んで食い荒らしてるの。最近また脂肪を蓄えてるから、こっちで管理してるのに。帰ってきたら、玄関を跨がせずに減量ね。
ああ、ごめんね、文句ばかり言っちゃって。それで、私に聞きたい話って?まあ、概ねの予想は付いてるんだけど。――んー、成る程ねえ……『北』でのあいつってのは想定してたけど、あの人の当時も含めてか……。――ん?やあね、こんな事で謝らなくていいの。それに、少数精鋭だって人間だもの。重荷は分散して運ぶものでしょ?そろそろ、貴女にも背負って貰うわよ……って、全然苦じゃないって様子ね。ま、それくらい芯が強くてよかった。じゃないと続かないもの、クラプトンの女房なんて。ちょっと長くなるから覚悟しなさい。幸い、当の本人らは明日まで帰らないし、時間はたっぷりあるもの。妻兼使用人同士、ゆっくりやりましょ。ほら、羊羹が乾燥しちゃうわよ。長期戦に備えて、脳に糖分も与えなきゃ。あ、あんこ平気?――ならよかった。
さあて……見栄張って請け負ったものの、私も現地にいた訳じゃないから伝聞でしかないんだけど……そうねえ、まずは主人の状況から始めましょ。歴史の授業でもなし、肩の力を抜いて聞いて。あいつ、あの名前になって二十年近く経つのね……。あの人にとって忘れられない、一九九五年の出来事よ――。
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