ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて (からんBit)
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窓際の出会い

時を操るポケモン ディアルガ

空間を操るポケモン パルキア

 

2匹のポケモンを世界征服の為に利用しようとしたギンガ団の事件は一人のトレーナーの手によって解決に導かれたかに見えた。だが、復活を遂げた伝説のポケモンの力は絶大であった。時と空間の歪みは次元の壁を超え、世界を渡り、摩訶不思議な道となった。

 

そして結びついた2つの世界。

 

一つはポケモンが草むらから飛び出し、いたるところに潜む世界。ポケモン界

もう一つは機械文明の発達により世界から不思議が駆逐されていく世界。地球界。

 

決して交わることのなかった世界が繋がってしまった。

 

2つの世界を繋ぐゲートが産まれ、その間で数多くの交流が繰り返された。人々は友好的な関係を築くべく、地道な努力を重ねた。そして、長い時間の果てに人々は相互不可侵の条約のもと平和を維持していた。

 

地球界の文明をポケモン界へ、ポケモン界の産物を地球界へ。

物流は栄え、人々の行き来は増加し、文化的交流が進んだ。

 

地球界では野球やサッカーに並ぶ勢いでポケモンバトルが繰り広げられ、プロリーグでトレーナーが(しのぎ)を削っていた。

ポケモン界では地球の技術により、空路や海路の開発が進み、各地方への交通・通信の手段が飛躍的な進歩を遂げた。

 

2つの世界は過度な干渉はせず、それぞれの世界の景観を保ったまま穏やかに交流を続けていた。

 

そんな地球界の島国、日本。

 

「おーいっ!!タクミ!そっち行ったぞ!」

「任せて!ほいっ!」

「ナイスキャッチ!!チェンジだチェンジ!」

 

ベッドタウンの住宅街の中。隙間を縫うように作られた小さな公園。そこで子供達が野球をしていた。

 

ポケモンの所持が許可されない10歳未満の子供たちにとって野球とサッカーは人気を2分するスポーツである。子供たちは2つのチームに分かれ、ゴムボールとプラスチックのバットで遊んでいた。

 

「タクミ!かっとばせー!!」

「よーっし、来い!!」

 

タクミと呼ばれた少年はバッターボックスの手前で豪快に素振りをする。

彼の髪は黒、瞳の色も黒。本名は斎藤 拓海。産まれは地球界の日本、神奈川。

テレビの中のプロ野球選手を真似たフォームで構えるタクミ。そして、ピッチャーが投げたボールに目掛けてタクミは全力でバットを振り切った。

確かな手応え。だが、ゴムボールはバットの当たり方が悪かったのか、盛大なファールボールとなって明後日の方向に飛んでいった。

 

「あっちゃぁ……」

 

もう少しでホームランかという打球だっただけにタクミは残念そうに顔をしかませる。

だが、タクミが打球の行方を追っていくうちにその表情が変化していった。

 

「あっ!やばい!」

 

タクミの顔から血の気が引いていた。

彼だけでなく、周りにいた少年達の顔色も一気に青ざめる。

打球の先には一軒の家があった。赤い屋根に白い壁のこじんまりとした家だ。最近、この場所に新しく建った家だった。

 

「入るな入るな入るな!!」

「やばいって!入るな~」

 

少年達の念は虚しく、打球はその家の敷地内へと飛び込んでしまった。

 

「あぁあ……あそこ入っちゃったよ……」

「前にガラスにぶつけてあの家の人にこっぴどく怒られたよな……」

「だから、ここで野球するのやめようって言ったじゃん」

「だって、他にいい場所ないし」

 

そんな少年達を横目にタクミは悲しそうにその小さな家の生垣を見つめていた。

あのゴムボールはタクミの持ち物であった。赤と白の色でモンスターボールの柄がプリントされたゴムボール。高価な物ではないが、母に買ってもらった大事なボールだ。このままというわけにはいかない。そしてなにより、あのボールを打ったのは自分だった。

 

「僕が取ってくるよ」

「えっ!大丈夫かよ?」

「うん、ちょっと行ってすぐ帰ってくる」

 

タクミはバットを放り投げてその家の生垣へと向かって走った。背中に友人達の期待と不安の視線を感じながら、タクミはどうしようかを考える。

表に回って庭に入れてもらうか、それともこの生垣を抜けてこっそりボールを回収するか。

 

タクミはこの家の人にひどく怒られたことを思い出した。大きな男の人に凶悪な形相で怒鳴られたのはまだ記憶に新しい。多くの少年がそうであるように、タクミもまた大人の野太い声に対して大きな恐怖を持っていた。

 

また叱られたくはない。

 

タクミは意を決して生垣の前で膝をついた。狭い隙間だが、もうすぐ小学2年生になるタクミの身体なら通り抜けることなど余裕であった。タクミは足で生垣の小枝をへし折って隙間を大きく広げ、その場所に頭を突っ込んだ。

葉を茂らせた生垣に阻まれて太陽の光が隠れる。木のトンネルをタクミは進んでいく。

 

「いてっ……ってて……」

 

タクミの頰に鋭い葉っぱが切り傷を作る。ひりつく傷を手の甲で拭い、それでもタクミは進んでいく。そして、木のトンネルは唐突に終わりを告げた。

急劇に視界が広がる。そこは広く明るい庭だった。綺麗に刈りそろえられた芝生が広がり、花壇には色とりどりの花が咲いている。タクミは生垣を抜けて立ち上がった。

 

周囲を見渡す。

 

その庭には不思議なほどに音が無かった。

人の息づかいは聞こえず、生活の雑音もない。いつもなら尽きることのない子供達の遊ぶ声もこの時ばかりは息を潜めていた。

まるで別の世界に迷い込んでしまったような感覚。タクミはその静けさが怖くなっていた。

 

タクミは左右に視線を走らせてボールを探す。

だが、自分のゴムボールはどこにも落ちていなかった。

 

「どうしよ……」

 

花壇の裏を覗き込み、生垣の下を見渡す。だが、やはり見つからない。

 

こうしてグズグズしている間にこの家の人に見つかるかもしれない。

また怒鳴られることを想像し、タクミは半ば泣きそうになりながら、もう一度庭を見渡した。

 

その時だった。

 

「このボール、探してるの?」

 

タクミは驚いて声のした方を振り返った。

 

「あ……」

 

そこには1人の女の子がいた。

家の窓を開け、可愛いらしいパジャマを着た女の子がモンスターボール柄のゴムボールを両手で持ってタクミに差し出していた。

肩で切り揃えられた色素の薄い赤髪が風に揺れ、アーモンド型の大きな瞳が優しい笑顔を浮かべていた。

だが、パジャマからのぞく肩や差し出された指はやせ細り、どこか儚げな印象を与えていた。

 

タクミはその女の子の姿に言葉を失っていた。

 

音の無かった世界に自分の心臓の音だけが妙に高鳴って聴こえていた。

世界が止まったような錯覚。それは少女の言葉で打ち破られた。

 

「これ、君の?」

 

タクミの時間が動き出す。

 

「あ、うん……ありがとう」

「いいえ。どういたしまして」

 

タクミはその女の子に引き寄せられるように近づいていった。

少年が少女に手を伸ばし、少女も少年に向けて手を差し出した。

2人の手が触れあい、ボールが手渡される。

 

その少女は嬉しそうに笑う。少年も気恥ずかしそうに笑った。

 

「あなた、ポケモン好き?」

 

少女はタクミにそう尋ねた。

 

「うん。大好き!」

 

タクミはゴムボールを本物のモンスターボールのように構える。

 

「君はポケモン好き?」

「うん。私もポケモン大好き」

「へへ、おそろいだね」

「うん、おそろい」

 

タクミは鼻の下を擦りながら満面の笑みを浮かべた。

少女もまた花が綻ぶように笑っていた。

 

タクミはズボンで掌を拭き、少女に向けて差し出した。

 

「僕、さいとう たくみ。君は?」

 

少女は一瞬躊躇うような仕草を見せる。

だが、すぐに笑顔を取り戻して少年の手をとった。

 

「……アキ……みこと アキって言うの」

 

風が吹く。

 

どこからか甘い香りが運ばれてくる。新たな旅立ちを告げる季節がすぐそこまで迫ってきていた。

 

これは夢を追い求めた少年少女の物語。

 

時に傷つき、時に打ちのめされ、地面に這い蹲ってなお、夢へと進み続けた者達の長い長い旅の物語。

 




さて、新たな物語の開幕です。

とはいえ、しばらく旅になんか出ません。ええ、そりゃもうしばらく旅になんか行きません。
これから主人公の最初のポケモンの話をして、主人公とヒロインの話をして、そっからようやく旅立つんで長い目で見守ってやってください。

ちなみにシリアス多めな予定です。
一部シリアルになりそうな気もしますが、よろしくお願いします。


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女子の部屋に行くのは気恥ずかしい

「それでは、皆さん。ポケモンキャンプの栞を配りますね」

 

教室の中に大きな歓声が響き渡った。

 

「はい、静かにしてください!」

 

先生は立場上そう言ったものの、そんな忠告は無意味であることを知っているかのように苦笑いをした。

教室の中を静まらせるのは無理だと判断した先生は生徒達に栞の束を配っていく。

 

教室内の興奮は栞が配られていくごとに勢いを増し、教室全体にいきわたる頃にはもはや収集不能な程の騒がしさになっていた。

 

「あっ!私、カノコタウイン!!イッシュ地方だよ!」

「僕はカントー地方・・・ハナダシティみたい」

「私ホウエン地方!!ミシロタウン!」

「やったー!カロス地方だ!」

 

栞の中に書かれたポケモンキャンプの行き先を口々に言い合う。

 

ポケモン界から地球界にもたらされた変化は数多くあるが、最も変わったのは小学校の教育プログラムであろう。小学5年生の子供達が1年かけてポケモン界を旅する『地方旅』のカリキュラムもその一つであった。

 

だが、10歳の子供をなんの準備もなしに旅なんかさせられないと言い張る人の多い日本。

そのために導入されたのが、小学4年生から5年生へと至る間の春休みに行われるポケモンキャンプである。『地方旅』に挑むために野宿の方法や危険に陥った時の対処方などをポケモン界であらかじめ学んでおこうという取り組みだ。

 

それは子供達がポケモン界へ踏み出す第一歩であり、そして『地方旅』へ挑むための最初のワンステップなのだ。子供達はそのポケモンキャンプで最初のポケモンをもらい、そしてそのまま各々が希望する地方へと旅立っていく。

 

教室の後ろの方の席でその栞を読み漁る少年、斎藤 拓海。

彼は自分のポケモンキャンプの行き先に目を輝かせていた。

 

「カントー地方・・・マサラタウン」

 

ポケモン博士の権威。オーキド博士の研究所で行うポケモンキャンプ。タクミには既にカントー地方の初心者用ポケモンである3匹の顔が浮かんでいた。

 

ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ

 

興奮で掌に滲んだ汗をズボンでぬぐい、タクミは友達とさっそく自分の行き先を教え合う。

 

しばらくざわめきに満ちていた教室であったが、先生は数分程間を置いてようやく静かにさせた。

 

「皆さんも知っての通り。このポケモンキャンプはポケモン界で旅をする『地方旅』のための大事な勉強の場です。毎年、このポケモンキャンプを適当に過ごしたばかりに『地方旅』の途中で倒れて、地球界に強制送還されてしまうトレーナーも多いです。初めてのポケモン界という人もたくさんいるでしょうが、皆さん真面目に取り組むように」

 

先生は口ではそう言うものの、自分の言葉が生徒達の耳に届いていないことがわかっているようだった。

 

「それでは、明日、体育館でポケモンキャンプについての詳しいお話をします。必ず栞を持ってくるように。できれば、今日は机の中に入れて帰るようにしてください。それでは、これで終わりにします。みなさん、さようなら」

 

教室内から「さようなら」の大合唱があがった。

 

だが、放課後になっても子供達の熱気は冷めることはない。むしろ、自由になったことで余計に爆発しているようだった。

 

「あぁ、どうしよ!シンオウ地方だよ。ヒコザル、ポッチャマ、ナエトルか~・・・やっぱりポッチャマかな」

「ねぇねぇ、私、カロス地方なんだけど。最初のポケモンどれがいいと思う!?」

「お前どこ!?イッシュ地方か!ってそうか、お前はもう初心者用ポケモン持ってるんだっけ?誕生日早い奴は羨ましいよな」

 

拓海はしばらく栞を熱心に読んでいたが、ふと何かを思い出したかのように時計を見上げた。

 

「あっ、やばっ……」

 

タクミは慌てて栞をランドセル代わりにしているリュックに詰め込んだ。

人気スポーツメーカーが頑丈さを追求して作った商品で、ポケットが多くて便利ということで購入してもらったリュック。『地方旅』に持っていくつもりで買ったものなのだが、身体に馴染ませる為に日頃から背負うことにしている。

 

「タクミ、もう帰るのか?」

「うん、今日はちょっと急がないと」

「そっか、じゃあ俺も帰ろうっと」

 

タクミの帰宅に合わせるように友人達もそれぞれ荷物を鞄に詰めていく。

彼らの栞は当たり前のようにそれぞれの鞄に収まっていった。

 

昇降口を降り、靴を履き替えて外に出ると穏やかな日差しに出迎えられた。

 

まだ日も高い帰り道。

 

3月に入り、春の足音が聞こえてくるかのように暖かい日が時折訪れる。今日も澄み渡った青空には燦然と太陽が輝いている。日向にいれば仄かな陽気が身を包み、そのまま心地よい眠気に誘ってくれる。だが、三寒四温という言葉がある通り、まだまだ冬の気配は残っている。一際強い北風が吹けば、襟元から冷たい風が服の中に忍び込んでくる。だが、遊び盛りの小学生にとってはそんな風すらテンションを高める起爆剤でしかない。

 

タクミは隣を歩く友人に声をかけた。

 

「ポケモンキャンプはミネジュンと一緒だね」

「だな!向こうでもよろしくなっ!いやーよかったよかった。ポケモンキャンプに1人でも友達がいてほんとうによかった!!なぁ、なぁ、最初のポケモンもう決めたか!」

 

彼の名前は峰 潤。フルネームの語感が良いのでみんなからは渾名のように『ミネジュン』と呼ばれている。彼はまくし立てるように話し続けた。

 

「タクミはまだポケモン持ってなかったよな?あれ?でも、お前の家って確かキバゴがいたよな?違ったっけ?そうだよな。じゃあ初心者用のポケモンはもらわなくてもいいのか?どうすんだ?」

 

早口で喋るのは彼の癖のようなものだった。せわしなく話し続けるミネジュンだが、彼とタクミは小学校に入学した時からの長い友人である。下校方向も一緒であるタクミにとっては彼の話し方はもう聞き慣れたものだった。

 

「キバゴは父さんが保護して一時預かってるだけだよ。だから僕は初心者用ポケモンを貰うつもり」

「へぇへぇへぇ!でっ、何にするんだ?もう決めたんだろ?」

「そうだね。やっぱりヒトカゲかな。最終進化のリザードンがカッコいいしね。ミネジュンはもうポケモン持ってるんだっけ?」

「おうおう!そうだぞ。8月に誕生日でもらったんだ。ケロマツだよ、ケロマツ!。いやー本当に学校に持ってこれないのが残念だ!って、タクミはもう会ったことあったか」

「そうだね」

「いやーこいつと遊ぶの楽しいのなんのって。早くバトルしてみてぇ!!俺さ、もう今から戦い方とか考えてさ……」

 

止まらないミネジュンの話にタクミは相槌を打って右から左に大半を聞き流す。

一度喋りだすとそう止まらない友人にタクミも辟易することは時々あるが、決して嫌いではない。長い付き合いというのもあり、タクミにとって気の置けない大事な友人である。

 

そんな話をしているうちにタクミ達は分かれ道へと差し掛かった。

ミネジュン達とは帰る方向が違うのでここでお別れである。

 

「ってなわけでさ……」

「うん、でもここまでだね。じゃあね」

「おう!また明日な!……それでさ!!」

 

ミネジュンは別れた後も他の友人達に話を続けていた。遠目に見ると友人達の横顔は彼の一方的な話に飽きているようだった。

 

まぁ、最初のうちはみんなそうなるよね。

 

タクミも彼との会話に慣れるのに2年はかかった。

タクミは去っていく友人の後ろ姿を視線で追う。

 

「………よし」

 

彼らが自分を振り返る様子がないのを確認すると、タクミは急に駆け出した。全力疾走で帰り道を走っていくタクミ。まだ春先であったが、すぐにタクミ身体中から汗が噴き出した。目に垂れ込む汗の粒を袖でぬぐい、膝に走る成長痛に顔をしかめながら、タクミはひたすらに走る。

道行く小学生が何事かと思ってタクミを見るが、そんなことは気にしない。顔見知りに見られなければそれでいいのである。

 

自宅を目前にブレーキをかけるタクミ。ドアを思い切り引っ張り、鍵がかかっているのに気づく。

 

「あと、えーと……」

 

急いで首元から下げた鍵を取り出して、慌てた様子でドアに差し込んだ。

その様子は側から見ればトイレにでも行きたいのかと思いそうなものだが、違う。

タクミは玄関に飛び込み、急いで運動靴を脱ぎ捨てる。2階の自分の部屋にリュックを放り投げ、そして再び家から飛び出そうと階段を駆け下りた。

だが、その途中で忘れ物を思い出し、急ブレーキをかけて失敗。盛大に階段を踏み外して踵のあたりを擦りむいた。

 

「いったぁ!!」

 

あまりの痛みに涙が出そうになるが、すんでのところでそれをこらえる。

 

「旅に出たら、こんなことで泣いてられないもんね」

 

滲んだ涙を袖で拭い、タクミは擦った場所を強くさすって痛みを和らげようとする。

タクミは改めて階段を登って、リュックの中からポケモンキャンプの栞を抜き取った。

タクミは栞を小脇に抱えて再び階段を駆け下りていく。靴を丁寧に履くのも億劫で踵を踏み潰しながら外へ飛び出す。

 

「おっと!!」

 

そして、鍵をかけ忘れてすぐに戻ってくる。

そんなタクミのことに気がついて、庭から2匹の生き物が寄ってきた。

 

「ウゥゥ……ワッン!」

「キバァ!」

「ちょっと出かけてくるね、ロン、キバゴ!」

 

見送りにきてくれたセントバーナードとポケモンのキバゴに手を振る。

 

「ワン、ワン!」

「キバ、キバキバァ!」

 

タクミを追いかけようとするキバゴをロンが頑張って押し留める姿を見ながら、タクミは大事な家族に手を振った。

 

道を走るタクミ。息が切れることなどものともせず、少年の持つ底なしの体力で道を走っていく。

タクミが向かったのは、近所の公園に隣接して立っている生垣のある家であった。

 

タクミはその玄関の前に立ち、息を整え、汗をぬぐった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

インターホンを押そうとして、タクミはふと周囲を見渡す。

学校帰りの小学生の中に見知った顔はいない。タクミは一息ついてインターホンを押し込んだ。

 

「はーい。あら拓海くん?もう来たの?鍵は開いてますよ〜」

 

少し間延びした話方をする女の人の声にタクミは笑顔となって、玄関のドアノブに手を伸ばした。

 

「お邪魔しまーす」

 

扉を開けた途端、空調の効いた家の空気がタクミを包む。

 

「ごめんなさい〜ちょっと手が離せなくて。上がっちゃていいよ〜」

 

家の奥から響く声に従い、タクミは靴を脱いであがる。脱ぎ散らかしたりはせず、きちんと靴を揃えて脇に並べた。タクミは勝手知ったる様子で洗面所で手を洗って、自分の目的地へと向かった。そこは玄関から続く廊下の片隅だ。目の前にドアがあり、そこにはハート型の木のプレートが下げられていた。『アキちゃんのおへや』という可愛らしい丸文字を前にタクミは身だしなみを整えた。髪を急いで撫で付け、噴き出る汗をできるだけぬぐって、待ちきれない様子でドアをノックした。

 

「入っていいよ」

 

中から聴こえてくる女子の声。少しか細いながらも、機嫌の良さそうなことがわかり、タクミの顔の喜色が濃くなる。

 

「おじゃまします」

 

タクミは逸る気持ちを抑えてドアを開けた。

 

そこはピンクの小物に満ちた女の子の部屋であった。

 

6畳程度の大きさの部屋には庭に面した大きな窓があり、そこから太陽に照らされて輝く芝生や花壇が見えていた。ベッドの隣にある小さな勉強机は綺麗に整頓され、その隣にある本棚には青空文庫や少女漫画の背表紙が並んでいる。ただ、その棚の上に並んでいるぬいぐるみは全てポケモンをデフォルメしたもので、本棚の下の段にはポケモンの図鑑や情報誌が並んでいる。それでも入りきらない情報誌が部屋のあちこちで山をなしており、女がいかにポケモンが好きなのかがよくわかる。

 

ただ、そこには部屋には女子の子供部屋という雰囲気からかけ離れているものが2つほど存在していた。

 

1つは部屋の真ん中に置かれた大きな車椅子。

 

そしてもう1つは部屋の窓際に置かれた重厚なベットだ。それは電動のリクライニングベッドで、ボタン一つで上体を起こしたり、膝を持ち上げて楽な姿勢にすることのできるベッドであった。まるで、病院のベットのような機能を持つその寝床の上に赤毛の女の子が上体を起こして座っていた。

 

「うぃっす、アキ」

「いらっしゃい、タクミ」

 

笑顔で来訪者を迎える女の子。彼女の名前は御言(みこと) アキ。

タクミはいつもの挨拶である軽いハイタッチを交わし、彼女のベットの端に座った。

 

「アキ、起きてて大丈夫なの?」

「うん、今日は調子がいいの」

 

アキはそう言って微笑む。だが、その顔色は血の気がほとんど無い。明るい日差しに照らされた彼女の素肌は蝋のように白かった。

 

「本当に?」

「大丈夫だって。タクミは心配しすぎ」

「……そう?」

「うん!」

 

声だけは元気な返事。

 

だが、タクミの顔から心配そうな表情は消えない。

実はタクミは昨日もここを訪れていた。だが、その時の彼女は体調不良で身体を起こすこともできなかった。

今日、彼女が元気なことは喜ばしいが、昨日の今日で体調が180度変わることなど有り得ない。アキと出会ってから2年。その間にタクミは色々と彼女の事情を知っていた。

 

「それで、タクミ。持ってきてくれた?」

「う、うん。はいこれ。ポケモンキャンプの栞」

 

タクミはそう言って小脇に抱えた栞を手渡す。その瞬間、アキの顔が向日葵のように輝いた。

 

「ありがとう!!これ、早く読みたかったんだ!」

 

だが、それも束の間。興奮した様子で栞を開いたアキは唐突に口元を抑えて咳き込み始めた。

 

「コホッ、ゴホッ」

「アキ!」

 

タクミはすぐ立ち上がって背中をさする

彼女の口からこぼれ落ちる咳。アキはその苦しさに身体を「くの字」に折り曲げて咳を繰り返した。

 

「……やっぱり、大丈夫じゃないじゃん」

「ゴホッ!ゴホゴホッ!」

 

何か言いたそうに目を向けてくるアキだが、咳がひどくて言葉にならない。

咳は次第に酷くなっていき、タクミは念のために近くにある洗面器を引き寄せた。

 

「ゴホッ……タクミ……それ……いらない……」

「そう?」

「ゴホゴホゴホッ!……今見せられたら……吐きそう……」

 

彼女は洗面器を見たら条件反射的に吐いてしまうこともある。

もちろん、常にそういうわけではないのだが、今日はそれだけ喉元までせりあがっているのだろう。

 

タクミは言われた通り洗面器を彼女の視界から外す。だが、万が一に備えてすぐに手元に持ってこれるような位置に置いておいた。

 

タクミは彼女の小さな背中をさすり続ける。そうしているうちに、彼女の咳は次第に収まっていった。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

まだ少し息苦しそうにしているアキ。

 

タクミは「もう平気?」と聞こうとして、その言葉を口の中だけで留める。

その質問の答えがどんな時でも「うん、大丈夫」であることを知っているのだ。

そして、彼女の言う『大丈夫』は決して信用ならないこともタクミは十二分に知っていた。

 

「タクミ、もう大丈夫だから……」

「うん……」

 

タクミは彼女の言葉を信じずに自分の目と耳で彼女のことを診る。

 

本当に咳が止まってるか?変な音で息をしてないか?顔色はどうなっているか?

 

タクミはアキの体調変化を見逃さないために見るべき場所を理解していた。

とりあえず、今は本当に大丈夫そうだった。

タクミは彼女の背中から手を離す。小学4年生の小さな掌でもわかるほどに彼女の背中はあまりに小さい。

 

「……アキ……」

「もう、本当に……こんな時にかぜひいちゃうなんてね……」

 

アキは誤魔化すように笑う。

 

タクミはその笑顔を前に言いかけた言葉を飲み込む。

 

確かにアキのここ何日かの体調不良は風邪が原因だ。

だが、彼女にとっての『風邪』は健康な人がかかる『ただの風邪』とは意味合いがまるで違う。

 

「アキ……横になりなよ……」

「ううん。平気……平気だから……」

 

アキは小さく首を横に振る。

 

「横になると……逆に息苦しくて、こうやって身体起こしてる方が楽なんだよ。本当だよ……ゴホッ!ゴホゴホッ!」

 

咳き込むアキにタクミは反射的に手を伸ばした。その手をアキはやんわりと押し返す。

 

「大丈夫……だから」

 

そしてアキはまた笑う。『大丈夫』と言って笑顔を作る。

その笑顔を前にするとタクミは何も言えなくなってしまう。

 

苦しんでいるのは彼女の方だというのに、辛い顔をしているのはタクミの方だった。

 

代われるものなら、代わってやりたい。少しでも彼女の抱える不幸を肩代わりしてやりたい。

だが、そんなことを口にしたところで彼女が喜ばないことをタクミは知っていた。

結局、タクミはかける言葉を見つけられず、唇を噛み締める。

 

「わかった……でも、辛くなったらすぐに横になるんだよ」

「うん、ありがと」

 

アキは自分の手元に落ちたポケモンキャンプの栞に視線を落とした。

 

「ねぇ、タクミ……私、ポケモンキャンプ、どこに行くことになってた?」

「え……あ……うん……アキはマサラタウン……カントー地方のマサラタウンだったよ」

「え?本当?」

 

アキはすぐポケモン栞を開いた。夢中になって自分の名前を探す。

元気を取り戻したアキに対して、タクミはまた咳が出やしないかと冷や汗ものだ。

 

「あ、あった!ほんとだ。カントー地方、マサラタウン」

 

アキとタクミは同じ小学校に在籍している。同じ学年であり、同じクラスだ。当然ポケモンキャンプの栞にもアキの名前は乗っている。もっとも、タクミは彼女と学校の教室で会ったことはなかったが。

 

「それでさ。僕もマサラタウンなんだ」

「えっ、嘘!本当だ!すっごい偶然」

 

アキは目を輝かせてタクミを見上げた。タクミもなんとか笑顔を作ってそれに答える。上手に笑えた自信はタクミにはなかった。

 

「やっぱり、行きたかったな~そしたらさ。タクミと一緒にキャンプしたり、ポケモン探したり……バトルしたりできたのにね」

「うん……」

「一緒に……行きたかったな……」

「うん……」

 

アキがポケモンキャンプに出られないのは風邪をひいているからではない。

当然、それも理由の一つには違いないのだが、メインの理由はそれではない。

 

タクミはベッドの上の彼女の足に視線を滑らせた。

桃色の寝間着から突き出ている彼女の足首はあまりに細かった。骨と皮だけと言っても過言ではない。

人一人の体重すら支えきることすらできない程に弱々しい足。それは旅どころか、日常生活すら満足に送れない。

 

タクミはベッドの隣に置いてある大きな車椅子に目を向けた。それこそが彼女の唯一の移動手段だった。

 

彼女は歩くことができない。立つこともできない。松葉杖を使うこともできない。

 

それはアキの右足の骨に巣食っている病巣のせいだった。

その病気は骨をむしばみ、神経を食い殺し、右足の膝から下をほとんど使いものにならなくしてしまった。

彼女の筋肉は本人の言うことをきかず、無理に体重をかければ骨がへし折れる。

 

そして、何よりの問題はその病は足から全身に広がる病だったことだった。

 

今は強力な薬で抑え込めてはいるが、一時期はその病はアキの腰にまで及んでしまっていた。

もし、今使っている薬が効かなくなればアキの身体はあっという間に病気に飲み込まれる。

 

今はひとまず改善に向かってはいて、病気を右足のみにとどめることができている。

だが、それで弱った身体がいきなり全快になるはずもなく、アキはこうして時々体調を崩していた。

 

ポケモンキャンプはもちろん、『地方旅』に行くことなど夢のまた夢だった。

 

そんな彼女とタクミが出会ったのは小学2年生を目前に控えた春のことだ。野球で飛び込んだボールを探して出会った。二人はポケモンの話ですぐに意気投合した。

 

それから、タクミは毎日のようにこの家を訪れるようになった。

タクミは外に出ることのできないアキのためにいろんな話をした。

 

学校での友人のこと、公園で遊んだこと、近くにあるポケモンバトルフィールドに行ったこと、高校生のポケモンリーグの決勝を見に行ったこと。

 

アキにとってはそのどれもが自分では直接目にすることができないものばかりだった。

目を輝かせて話を聞くアキにタクミは毎日声が枯れるまで喋り続けた。

笑顔になる彼女を見るのが嬉しくて、彼女の反応を見るのが楽しくて、タクミは学校で面白い出来事を探すようになっていた。

 

タクミは何度も思った。

 

彼女は悪いことなど何もしていない。

だから、きっといつか病気が良くなるに決まっている。

そしたら一緒にポケモンキャンプに行って、一緒に旅をして、一緒にポケモンリーグに出るんだ。

 

タクミはそんな未来を思い描いていた。

 

だが、2年という長い月日の中でタクミは彼女の闘病生活の苦しさを目の当たりにしてきた。

そして、タクミは『奇跡は起きないから奇跡』なのだということを幼いながらに理解してしまっていた。

 

ベッドの上で栞の注意事項などを読み進めていたアキ。

そして、彼女はポケモンキャンプの最終日の日程表のページを開いた。

そこには、キャンプ終了後の行動が個人毎に記載されていた。

 

ポケモンキャンプの次、それは『地方旅』本番である。

 

その旅程を指でなぞり、アキは静かに切り出した。

 

「タクミは……ポケモンキャンプに行ったら、もう地球界には帰ってこないんだよね……そのまま『地方旅』に行くんでしょ?」

「うん……ポケモンキャンプ最終日に飛行機で移動して、そこから『地方旅』が始まることになってる」

 

タクミは最終日にマサラタウンから最寄りの空港へ移動し、そこから『地方旅』へと向かうことになっていた。

 

「じゃあ……帰ってくるのは1年後……だよね……」

「うん……」

 

ポケモンの一つの地方を1年かけて巡る旅。それは新たな出会いが数多くある旅ではあるが、今までの友人や家族と会えなくなる時間でもある。もちろん、地球界に帰ってくることは本人の自由であり、人によっては即刻地球界に戻ってきて学校で授業を受ける生活に戻る人もいる。

 

だが、タクミがその選択肢を取らないことをアキは十分に知っていた。

 

10歳という年齢の彼等にとって1年という歳月はほとんど永遠のような長さにも感じられた。

 

「そっか……1年か……」

 

そう言って、ポケモンキャンプの栞に目を落とすアキ。彼女の前髪が目元にハラりと落ちてきた。赤毛の隙間からのぞく長いまつ毛と、憂いを帯びた瞳。今にも泣きだしそうに細められたその目を見て、タクミは胸の奥がギュッと締め付けられるような痛みを感じた。

 

「で、でも、帰ることもできるよ!」

 

タクミは彼女のベッドに手をつき、身を乗り出すようにして彼女の顔を覗き込む。

 

「ほら、別にバッチ8つ揃えるのに10か月もかからないし、上手くジムを巡れればちょっとこっちに帰ってくることぐらいの余裕はできるよ」

 

必死に彼女と元気づけようとするタクミ。だが、その顔はもらい泣きしてしまう寸前であった。

 

そんなタクミの顔を見て、アキは自分がどんな表情をしていたのかに気が付いた。

 

アキは慌てて顔をあげて首を横に振った。

 

「あ、ごめん。そうじゃないの」

「え?」

「違うの。タクミは今、一週間に4回はうちに来てくれるでしょ?」

「4回は来てないと思うよ……せいぜい、3回?」

「それってあまり変わらないよ」

 

アキはそう言ってクスリと笑った。

 

「それでね。それがなくなるのがちょっと物足りなくなるなぁと思っただけなの……だから……気にしないで」

「……気にしないでって……でも!」

「タクミ」

 

不意にアキは真剣な顔になった。タクミの目を真っすぐに見つめる彼女の瞳から不可視の圧力が放たれていた。それは10歳前の少女から放たれたとは思えない程のプレッシャーであった。タクミもその雰囲気から何かを察したのか、身を乗り出していた身体を引き、姿勢を正した。

膝を揃え、背筋を伸ばしたタクミ。両親からのお説教を受ける時ですらここまで真面目な態度にはならないだろう。

 

そんなタクミに向け、彼女はある種残酷ともいえることを言った。

 

「タクミ、私のことは忘れていいからね」

「え?」

「タクミは、タクミの『旅』をしてきて。私のことはいいから」

「それは……」

 

何か言いつのろうとしたタクミであったが、アキはそれを手を上げて制した。

 

「この病気は私のもの。タクミのじゃない。だから、タクミまで自分の足を止めなくていいんだよ」

「……」

「タクミは歩けるんだから……旅ができるんだから……だから、もっと前に……もっと遠くまで行っていいんだよ。私なんか、気にしないで」

 

彼女はそう言って笑ってみせた。

柔らかく頬をあげ、目元を細め、えくぼを作って笑ってみせた。

どこからどう見ても、完璧な微笑だった。

 

そして、それが彼女が嘘を取り繕う時の笑顔であることをタクミは知っていた。

 

目を細めるのは瞳の色を見せないため。頬をあげるのは固くなってしまっている表情を誤魔化すため。

 

わかってはいる。

 

だが、タクミにそれを指摘することはできなかった。

 

彼女が嘘をついている理由が自分のことを案じているからだということがわかっているから。だから、その嘘を暴くことができない。

 

彼女の言いたいことはわかる。

 

アキは自分に遠慮して旅を中途半端にしたりして欲しくないのだ。

 

その気持ちはわかる。タクミだって逆の立場だったら同じようなことを言っただろう。

だけど、それを受け入れられるかどうか別の問題だった。

 

「……わかった……僕は……僕の旅をしてくる」

「うん。私のことなんて気にしないで。だけど、お土産忘れないでね。あと、お土産話をたくさん」

「うん。でもさ、一年分まとめたら土産話聞く方も大変でしょ?」

「え、あ、うん……でも、いいよ、帰ってきた時にいっぱい喋れれば……」

「ダメだよ。アキは身体が弱いんだから、そんな長い時間無理させられない……だからさ……」

 

そして、タクミはもう一度アキに向けて身を乗り出し、自分が出来うる全力の笑顔を見せた。

 

「だから、電話する」

「あ……」

 

タクミがそう言うと、アキの身体が意表を突かれたかのように固まった。

 

「いっぱい電話する。新しい町についたり、新しくポケモンをゲットしたりしたら、電話する。絶対に電話する」

「そ、そんな、悪いよ。だって、そんな、大変でしょ?」

「平気さ。だいたい、母さんが毎回電話しろって言うんだよ。だから、その時に一緒にアキにも電話する。それとも、迷惑かな?」

「そ、そんなことないけど……でも、そっか……」

 

一度硬直したアキの顔が次第にメタモンのように弛緩していく。

 

「……そっか……そっか、電話か……それぐらいなら、いっか」

 

アキはどうしてもニヤケてしまう顔を隠すため、口元をすぼめて栞に目を落とした。ペラペラと栞をめくったり戻したりしていたが、その内容はまるで見えていなかった。

ただ、自分の胸に仄かに広がる、泣きたいぐらい温かな気持ちを噛み締めるのに精一杯だった。

 

そんなアキのことが手に取るようにわかるタクミはあえて別の話題を切り出した。

 

「ねぇ、アキは最初のポケモン。何がいい?」

「え?でも、私はポケモンキャンプは……」

「もしもだよ。もしも。それに、来年になったらポケモンは絶対にもらえるんだしさ!」

 

タクミは栞のページをめくり、最初の三匹について詳細が書いてあるページを開いた。

そこには、各々の地方の初心者用ポケモンのことがイラストと一緒に簡単に書かれていた。

 

「僕は断然リザードンがいいんだ!だから、僕はヒトカゲにするつもり。アキは?」

 

タクミはリザードンのように手を構えてポケモンごっこをする。

そのコミカルな仕草にアキはくすぐったそうにクスクスと笑った。

 

「じゃあ、私はフシギダネにしようかな」

「えっ?なんで?僕たちライバルなんだから、リザードンに強いカメックスにしないの?」

「だってさ、フシギダネでヒトカゲに勝てたら私の方がすっごい強いってことになるじゃない?」

「えーー!それズルくない?負けたら『相性が悪いから負けた』とか言うんでしょ」

「そんなこと言わないよ」

 

元よりポケモンが大好きな2人。2人は何度も読み返した図鑑を引っ張り出し、いつまでも語り続けていた。

 



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旅行は準備している時間もまた楽しい

春休みを目前に控えた3月の時間の進み方の遅さは毎年のように経験するものだが、今年はそれが特に顕著であった。タクミは毎日のようにカレンダーにばつ印をつけ、ポケモンキャンプの出発の日を待ち望んでいた。

 

その間も欠かさずにアキの家には通っているのだが、ここ数日はアキは風邪を拗らせてしまい、会えない日々が続いている。

 

そして、いよいよ出発を明日に控えた夜。

外は雨模様であったが、明日の天気は晴れ。ポケモン界のマサラタウンも晴れの予報。

 

タクミは自宅のリビングでリュックの中身を何度も確かめていた。

下着や着替えは最低限。寒い日の為に羽織る折り畳み式のコートと雨具を詰め込み、虫除けと寝袋も忘れない。あとは何につけても便利なロープやビニール袋。緊急時の鎮痛剤。そして大きめの水筒である。

 

「水筒には常に水を絶やさないこと……リュックには常に余裕を持たせておくこと……」

 

タクミはリュックを開いて、栞の内容を何度も読みなおしていた。

あまりに繰り返し読むので、キャンプ出発前だというのに既にページの端がヨレていた。

タクミは既に内容を諳んじることもできる程にこの栞を読み込んでいた。

 

夢中で準備を続けるタクミ。そんなタクミに後ろから近づく小さな影があった。

ソファの裏から様子を伺い、小さな手足でとことこと歩み寄ってくる。

 

「キバ……キーバ……」

 

小さな手足に、口から飛び出る程に長いキバ。ポケモンのキバゴである。

 

キバゴは足音を立てないように細心の注意を払い、タクミに気づかれないように慎重に手足を前に出す。

 

彼の狙いはタクミのリュック。

キバゴはフローリングの床を滑るように移動していく。一歩ずつ、確実に距離を詰める。そして、タクミのリュックが目前まで迫ったその時。

 

「キバゴ!また潜り込もうとしてるんじゃないでしょうね?」

「キバッ!」

 

息を飲むとはまさにこのこと。

タクミのリュックにこっそりと近づこうとしていたキバゴは驚いて後ろを振り返った。

そこにはタクミとよく似た目鼻立ちをした女性、タクミの母が腕を組んでキバゴを見下ろしていた。

 

「まったく、目を離すとすぐにこれなんだから!」

「えっ?あっ!!キバゴ!またお前は勝手に!」

「キバッ!キバキバキバァ!!」

 

弁明するかのように手と首を左右に振るキバゴ。キバゴが人の言葉を話せれば『濡れ衣だ』とでも言わんばかりだ。

 

だが、彼には前科がある。

 

わずかな隙をついてタクミのランドセルに潜り込んでいたり。

ちょっと家族で外食に行こうと思ったら、いつの間にか車の座席の下に潜り込んでいたり。

家族旅行に連れていけないからとご近所さんに預けたら、なぜかスーツケースの中に身を潜めていたり。

 

「キバゴ、だからお前は連れていかないってずっと言ってるだろ?」

「キバァ……」

 

悲しそうに項垂れるキバゴ。それを見てるとタクミの良心も少し痛みはするが、連れていけない訳があった。

 

実はこのキバゴ、タクミのポケモンではない。かといってタクミの両親のものでもない。

 

このキバゴは『野生』のキバゴなのだ。

 

ポケモン界と地球界が繋がって以降、たくさんのポケモン達がトレーナー達に連れられて地球界へとやってきた。

だが、それらは手放しに迎え入れられたわけではない。

地球の環境の中にポケモンが放し飼いになってしまえば、生態系や道路交通に影響が出るのは予想ができることだった。

 

その為、ポケモンを地球界で逃がすことは法律で固く禁じられている。

だが、多くの外来生物がそうであるように、ポケモンも心無いトレーナーによって野に放たれてしまうことが多々あった。

 

タクミの父である斎藤 佐助はそうやって野に放たれてしまったポケモンを保護し、ポケモン界に送り返すことを仕事にしている。

 

このキバゴはその作業の間に持ち前の潜入スキルでもって、システムの穴を通り抜け、斎藤家に向かう鞄の中に潜り込んでしまったのだ。

 

タクミの父は慌ててポケモン界に送り出そうとしたのだが、ここで強敵が現れた。

それがまだ幼かったタクミである。

タクミにとって初めて身近に訪れたポケモン。それを手放すことにタクミは全力で抵抗した。挙句の果てに「キバゴと一緒にポケモン界に行く!」とまで言って泣き出す始末。

 

両親もあの手この手で引き離そうとした。だが、泣いてキバゴに抱き着く我が子には勝てず、煩雑な書類を書くことを選んだのだった。

 

両親はいつかキバゴがタクミのポケモンになることを想い、『野生』の状態のままモンスターボール内に一時的に捕獲ができる『プロテクトボール』を今も使い続けていた。

 

その為、キバゴは今も『野生』としてタクミの家に『生息』している。

 

「キバァ!キバキバァ!!」

 

無理やりリュックに頭をねじ込もうとするキバゴをタクミはため息を吐いて抱き上げる。

逆ポケモンに抱き上げられたキバゴは目に涙を浮かべてタクミを見つめていた。

 

「……“つぶらなひとみ” を使ってもだめ……」

 

そもそも、キバゴはそんな技覚えない。

 

「何度も言ってるだろ?僕はカントー地方の初心者用ポケモンが欲しいんだ。最初からポケモンを持ってたらそれがもらえないの。だからキバゴを連れていけない」

「キバァ……」

「ポケモンキャンプが終わったら『地方旅』に行く前に必ずキバゴを手持ちに加えるから。だから、しばらくお留守番。いいね?」

「……キバ……」

 

項垂れるキバゴ。

 

タクミはキバゴをソファの上に乗せた。

フローリングに座るタクミとキバゴの視線が同じになる。

 

「キバゴの気持ちは嬉しいよ。僕だってずっとキバゴと一緒だったんだ。『地方旅』には必ず一緒に行く。ほんの一週間の間だけでいいんだ。我慢して」

「…………」

 

キバゴは目を潤ませたまま、小さく頷いた。理解してくれたのだろう。

タクミはキバゴの頭に手を伸ばした。

 

「キバゴ、わかってくれてありがと」

 

ツルツルの鱗に覆われた手触りのよい頭を撫で、タクミはそう言った。

 

ちょうどその時、家の電話が鳴りだした。

タクミの母が電話に出るために廊下に出て、そしてすぐにタクミを呼んだ。

 

「拓海、御言(みこと)さんから電話。アキちゃんが伝えたいことがあるんだって」

「えっ!うん!!わかった!!」

 

顔をほころばせ、廊下に飛び出していくタクミ。

すぐに、タクミの声が廊下から聞こえてくる。

 

「アキ?うん、明日……ありがと。アキこそ大丈夫?風邪、良くなった?……うん……そうだね、僕も寂しかったよ。本当さ……でも、僕が会いに行って悪くなったらやだったから……うん……うん……そうだね……うん……電話するから。絶対に電話するから」

 

タクミの話し声を聞き、両親は少し物憂げな表情をする。

 

「御言さん家……やっぱり難しいのか?」

「ええ……リハビリ程度じゃ足もなかなか……」

「そうか……身体も弱いみたいだし……可哀そうだな」

「ほんと……」

 

同じ年頃の子供を持つ者として、タクミの両親も思うところがある。

 

そして、全員の意識が逸れた瞬間。キバゴの目が怪しく光った。

例えタクミや両親に反対されても、キバゴにはまだ助けてくれる家族がいた。

 

「……キバ!」

「くぅん?」

 

セントバーナードのロン。今日は生憎の雨のため家の中に入れてもらっているロンに向けてキバゴはニヤリと笑ったのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

翌日、予報通りに天気は回復し、空は静かに晴れていた。

タクミは自室の窓を開け、早朝の湿った空気を肺の奥深くに吸い込んだ。

東の空には昨日雨を降らせた雲がまだ仄暗い色で残っていたが、頭上はもう群青色の空が夜明けに応じて明るくなっていた。

 

タクミは大きく伸びをする。目はしっかり冴えていた。

 

旅立ちの為に準備したリュック背負い、机の上に飾ってあるモンスターボール柄のゴムボールを手にする。

それを握りしめるたびにタクミはアキのことを思い出す。

 

彼女と出会ったあの日からこのボールには特別な意味が宿っていた。

 

「拓海、朝ですよ~」

「うん、すぐ行く」

 

母に呼ばれてタクミは部屋を出て下に降りていく。

リビングでは父が既に朝食をとっていた。タクミはリュックを降ろし、食卓につく。

 

「おはよ。いよいよ出発だな」

「うん」

「忘れものはないか?」

「ばっちり、何回も確認したもん」

「そうか。だが、忘れるな。ポケモン界で困ったら、必ず落ち着いて自分にできることを考えること。ポケモン達の力を借りればだいたいの困難は切り抜けられるさ」

「うん。わかってる」

 

タクミは納豆を練りながら自信を持って頷いた。ポケモン界に何度も行っている父からの助言だが、既に何回も聞かされて耳タコなのであった。

 

タクミは朝食をしっかり腹におさめ、いよいよ出発の時間が迫る。

ポケモン界に繋がる空間があるゲートセンターには小学校からバスで向かうことになっている。

集合時間にはまだ早いが、時間に余裕を持つのは団体行動の基本である。

 

というよりも、じっとなんかしていられなかった。

 

タクミは玄関で履き慣れたスニーカーに足を入れた。

 

「それじゃあ行ってきます!」

「体に気を付けてね」

「しっかりな」

「うん!!」

 

タクミは見送りってくる両親に親指を立てる。

 

「わん!」

「キバー……」

 

一緒に玄関で見送ってくれるロンとキバゴのためにタクミは膝を折る。

 

「ロン、キバゴをよろしく頼むよ」

「くぅん……」

 

耳の後ろをこするように撫でてやるとロンは気持ちよさそうに目を細めた。

 

「キバゴもあんまり無理言っちゃだめだからね」

「キバッ!」

 

『失敬な』と言っているようなキバゴの頭を撫でる。すると今度はロンが「もっと撫でろ」と言いたげに顔を摺り寄せてきた。じゃれてくるロンの相手をしながら、タクミは少しばかり家を離れる不安が胸を掠めた。だが、目の前に迫るのは待ちに待った冒険の始まりだ。

 

タクミは好奇心による興奮をバネにして、ロンから手を離した。

 

「じゃあ、行ってきます!!」

 

タクミは勢いよく表へ飛び出していく。

登ってきた朝日が世界を明るく染め上げていた。

 

光の中に飛び出していく我が子を見ながら、タクミの両親は感傷の中にいた。

 

「いよいよ、拓海も旅立ちか……」

「子供の成長って早いものね……ついこの間まで、キバゴを抱いてないと眠れなかったのに……」

「そうだな。だが、僕は旅が終わって帰ってきた拓海がどう成長しているかが楽しみだよ」

「そうね」

 

タクミの両親はそんな会話をしながら、リビングに戻っていく。

玄関にはロンが一匹、「おすわり」の姿勢のままで留まっていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

元気よく道を走っていくタクミ。

 

集合時間にはかなり余裕があるものの、身体の中に迸る熱量がタクミの身体にエネルギーの消費を求めていた。

全身を駆け巡る興奮がタクミの足を回転させていく。

 

まだ日が昇ったばかりの冬の朝。道行く人は少ない。

 

赤信号で立ち止まったタクミはその場でストレッチを繰り返していた。

身体を伸ばし、腰を回し、膝を曲げる。

 

「…………」

 

そして、屈伸の姿勢でタクミは何かを思いついたかのように動きを止めた。

タクミはしばし思い悩むような顔をする。信号が青に変わる。

流れ出した『とうりゃんせ』を聞きながら、タクミは大きく息を吸い込んだ。

 

「よし……」

 

信号が点滅し、再び赤に戻る。それを合図にタクミは学校へ行く方向とは違う道へと足を向けた。

寄り道になるが、目的地はどうせすぐそこである。タクミは走る速度を緩めることなく住宅街を駆け抜けていく。

 

タクミが足を踏み入れたのは近所の公園だった。

 

夏休みにはここで子供達が集まってラジオ体操を行う。だが、冬の朝6時前ともなれば子供たちは誰もいない。

 

タクミはその公園を突っ切り、とある家の生垣へと近づいた。アキの家である。

 

別に玄関から尋ねても良いのだが、こんな朝早くにインターホンを鳴らすのは迷惑だと思ったのだ。

タクミはリュックを脇に置き、いつの日か潜り抜けた生垣の隙間に顔を突っ込んだ。あの頃より大きくなった身体では生垣を抜けるのは一苦労だった。匍匐前進で生垣を抜け、たどり着いた景色はあの日から代り映えがしない。

 

手入れの行き届いた庭、静かな空気。ただ、一つ違うものがあるとすればそれはタクミの心情であろう。

 

タクミは足音を立てないようにアキの部屋の窓に近づいた。カーテンが閉められた窓の前に立ち、タクミは肩を落とした。

 

「……やっぱり……無理だよね……」

 

こんな朝早い時間に彼女が起きているわけがない。わかってはいたが、いざ目の前にするとやはり落胆は隠せない。出発の前に彼女に一目会っておこうと思っていたタクミの淡い期待は打ち破られた。

 

タクミは窓を叩いてみようかと窓に手を伸ばした。

 

だが、ふと考えてみる。

 

自分が眠っていて、突然部屋の窓が外から叩かれたらどう思うか。

 

怖いに決まっている。

 

他の友人なら怖がらせるのもまた一興かと思っただろう。だが、相手はアキ、しかもここ数日は風邪で寝込んでいる。タクミとしてはそんな彼女に変に負担をかけたくはなかった。

 

「はぁ……」

 

素直に諦めようとタクミが手を引いた時だった。

 

「あ……」

 

突如、目の前でカーテンが開いた。

窓越しにアーモンド形の瞳と目が合う。

部屋の中にいる彼女は目を何度も瞬いていた。

突然の邂逅にしばしお互いが静止する。

 

「や、やぁ……」

 

タクミは気まずそうに片手を上げた。その動きでアキは我に返ったのか、慌てた様子で窓に手をかけた。朝日に照らされた彼女の顔色は思ったより悪くなく、タクミは少しホッとした。

 

「た、タクミ?なにしてるの?ポケモンキャンプは?」

「いや……その……ちょっと……なんていうかな……」

 

タクミは鼻の下をこすりながら、言葉を探すように明後日の方向を向いた。

 

『1年間会えなくなるから顔を見に来た』

 

言葉にしてしまえば短く済むのに、いざアキを目の前にすると照れくさくて言いにくい。

 

「だから……えと……」

 

そんなタクミの態度にアキは何かを察したらしい。

彼女は目を柔らかく細め、窓枠に肘を乗せて庭に身を乗り出してきた。

 

「タクミ、なにしに来てくれたの?」

 

アキの口元にはからかうような笑みが浮かんでいる。そんな彼女を前にタクミは頬を赤らめた。

 

「いや……だから、風邪……良くなったかなって?」

「それで?」

「えと……良くなった?」

 

アキはクスリと笑って頷いた。

 

「うん。今日は悪くないかな」

「本当に?」

「本当だよ。信じてくれないなら聞かないで欲しいな」

 

アキは拗ねたように頬を膨らまし、そっぽを向く。

 

「あっ、ごめん……いや、でも、アキの言葉ってあんまり信用が……」

 

しどろもどろなタクミの態度にアキは思わず吹き出してしまう。

 

「タクミ、なんか緊張してる」

「そうかな」

「うん、変なの」

 

アキはそう言ってくすぐったそうに笑った。タクミは困ったように首の後ろをさすった。

なかなか本題に入らないタクミ。彼に代わりアキの方から声をかけた。

 

「タクミ、会いに来てくれたんだ」

「う、うん……」

 

自分から言い出せず、バツが悪そうなタクミ。

そんな彼を見てアキは随分と嬉しそうに微笑んだ。

 

「ありがと。もう会えないと思ってたから……本当に嬉しい!」

「うん。僕もアキの顔見れて良かった。ポケモン界行ってくるから……アキ、無理しないでね」

「わかってる。今日も朝からキチンと病院に行く予定なんだから」

「……そっか」

 

ということは顔色程体調が戻っているわけではないらしい。タクミは長居はしてはいけないと思った。

 

「アキ、もう行くよ。身体に気をつけてね」

「うん。タクミも頑張ってね」

 

タクミは小さく頷き、アキに向けて掌を向けた。そこにアキはパチンと軽くハイタッチをする。

それはいつの間にか2人の間で行うようになった挨拶の形だった。

タクミはタッチを交わしたその手を左右に振りながら、背を向けた。

生垣の前に手をつくタクミ。彼は穴をくぐる前に最後にもう一度アキを振り返った。

 

「行ってきます」

「うん、いってらっしゃい……」

 

タクミの身体が生垣の奥に消えていく。しばらくして、タクミが生垣の向こうで走り出す足音がした。その足音も次第に聞こえなくなっていく。アキは窓から入ってくる朝の空気を吸い込み、小さく咳をした。

 

外の風をその身に浴びるアキ。空を見上げれば、昨日までの雨が嘘のような青空が広がっている。

 

「ふぅ……」

 

外を眺めるアキ。いつの間にか彼女の顔からは温もりが消えていた。タクミに久々に会えた喜びが薄れ、彼をからかうことができた興奮が消え、彼女の顔に残ったのは痛みを堪えるような辛い表情だった。

 

アキが目線を下にさげれば、骨と皮だけになった自分の情けない両足がそこに横たわっている。

息を大きく吸い込もうとしても、弱り切った身体では満足に肺を広げることもできない。

 

「……一緒に……行きたかったな」

 

アキはそう呟いて自分の胸元を握りしめる。

ポケモンキャンプの栞をタクミが初めて持ってきたあの日から堪え続けてきた涙が今にも決壊しそうだった。

自分の弱い身体をここまで悔やんだのは久しぶりだった。

 

「ポケモン界……」

 

アキは小さく呟く。それは遠い世界のようで、とても近い。だが、アキにとっては果てしなく遠い。

 

その時、ガチャリと音がして、アキの部屋に彼女の母親が入ってきた。

アキは急いで袖で涙をぬぐった。

 

「アキちゃん?どうしたの、窓なんか開けて」

「えと、タクミが来たの」

「えっ!?タクミ君が!?あれ?ポケモンキャンプって明日からだったっけ?」

「ううん。今日出発だから、出発前に私の顔見に来たんだって」

「あらあら~」

 

2人の仲睦まじい様子にアキの母の頬も緩む。

アキの両親としても積極的にアキの身の回りの世話そしてくれるタクミ少年のことは憎からず思っていた。

 

「いい子ねぇ、タクミ君は」

「うん。ほんと、私にはもったいないや」

「そんなことないよ~アキちゃんだっていいお嫁さんになると思うけど?」

「や、やめてよ!そ、そんなんじゃないんだから!!」

 

アキは照れた顔を隠そうと、慌てて窓を閉めた。

 

勢いよく閉めすぎてピシャリと音がなった窓。外がまだ暗いせいか、そこにはアキの顔が反射して映っていた。

 

アキはそんな自分の顔を見つめる。

 

そこにいるのは病気に負けそうになっている1人の女の子。

病気のせいでいろんなことが出来ず、悔しくて泣きそうになっている小さな女の子。

 

アキはそんな自分にため息を吐きだした。

 

窓が曇り、彼女の顔が霞の向こうに消える。

 

アキはパシリと自分の頬を叩き、窓の曇りを袖でゴシゴシと拭った。

 

「……?」

 

アキの突然の行動に首を傾げるアキの母。

そんなことなど構いなく、アキは窓に再び映るようになった自分の顔を見つめた。

 

さっきよりはマシな顔をした自分がそこにいた。

 

「……お母さん……」

「ん?なに?」

 

アキは自分の顔の向こう側にある窓の外をへと目を向ける。彼女の視線の先にあったのはタクミが出ていった生垣の隙間。

 

あの日、彼はそこから来た。そこから来て、窓の外から私に手を伸ばし、そして今も伸ばし続けてくれている。私がいつの日か外の世界に出ていくことができるその日まで、きっと彼は手を伸ばし続けてくれるのだろう。

 

だけど、本当にいつまでも彼は隣にいてくれるのだろうか?

 

アキは布団をギュッと握りしめる。

その掌には冷たい汗が滲んでいた。

 

彼は今日からポケモンキャンプに出て、そして『地方旅』に出発する。彼はどんどん先に行ってしまう。

 

そんな彼の世界に行くにはどうしたらいいのだろうか。

どうすれば、タクミの隣にいることができるのか。

 

そのことをアキはここ数週間の間、ずっと考えていた。

 

実のところ1つだけ方法があるのだ。

タクミと同じようにポケモン界に行き、リーグに挑戦し、肩を並べる方法が1つだけあるのだ。

 

ただ、その方法を実行する決断をアキはどうしてもできずにいた。

それは10歳の女の子が進むにはあまりにも険しく酷な道なのだ。

 

だけど、今日タクミが来てくれて、タクミの顔を見て、タクミを見送って。

 

彼女はようやくその覚悟を決めた。

 

「お母さん……私決めた……」

「…………」

「私、手術受ける」

 

それは一度行ってしまえば取り返しのつかない手術。後戻りは決してできない道。

 

「私……この足……切断するよ」

 

そう言った彼女はもう泣いてなどいなかった。



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別の世界は外国より身近

小学校の校庭に停まるバスに乗り込み、向かった先はポケモン界への扉が開くゲートセンターだ。

それは都心からかなり外れたところにある。なんでそんな不便なところにあるのかというと、ゲートが開いた場所がそこだったからだ。

 

伝説のポケモンが作り出したゲートを地球界にいる人間がどうこうできるはずもなく、異世界への扉は今もその場所に設置されている。

 

「それでは間もなく、ゲートセンターに到着します。降りる準備をしてくださーい」

 

先生がバスの中で声を張り上げる。タクミは高速道路の代り映えのしない窓の外の景色から視線を戻した。

タクミはバスのリズム良い振動に眠気を覚えていたところだった。朝からテンションを跳ね上げ続けていたせいで、今頃になって疲れたらしい。

その隣には友人のミネジュンが座っている。彼は昨日よりもさらに口数が増え、止める隙すらない程に喋り続けていた。

 

「うわー!いよいよだな!いよいよポケモン界だ!タクミ、マサラタウンついたら最初に何ゲットしたい?マサラタウンの周辺ってそんな珍しいポケモンいないっぽいけど、カントー地方に生息しているポケモンなら探せばあちこちでみつかるらしいぞ!!やっぱりワクワクするよな!!俺はね、俺はね、まずはビートル!スピアーに進化させたいんだ!あとはディグダと、ゴースとズバットと……でな、でな。捕まえたら早速バトルしたいじゃん!だからさ、タクミもはやく捕まえるんだぞ。で、お前は何が捕まえたいんだ!!」

 

タクミは欠伸を噛み殺しながら、いつもの通りに適当な相槌を返す。

 

「さぁ、どうだろう。とりあえず、会ったポケモン次第かな」

 

タクミは高速道路の料金所を横目にそう言った。

 

「まぁ、そうだよな!でもさ、欲しいポケモンとかいるだろ?それともあれか?カントー地方のポケモンより他の地方のポケモンがいいのか?まぁ、俺もそう思うときはあるけどな。俺もテッカニンとかペンドラーとかバシャーモとか手持ちに加えたいなっていつも思って……って、うおおおお!!」

 

不意にミネジュンが歓声をあげた。

 

「え?なに?って、おおおおおおおお!!」

 

タクミも声をあげて窓の外に視線が釘付けにされていた。

彼らだけではない。クラス全員が歓声をあげバスの右側の窓へと目を向けている。中には立ち上がって覗き込もうとする生徒もいるぐらいだ。

 

「すげぇ!ポケモンバトルやってる!!」

 

高速道路を降りた先。ゲートセンターの周囲はまさにポケモンの聖地であった。

いたるところにポケモンバトルができるフリースペースが用意され、激しいバトルが繰り広げられている。道行く人達は皆ポケモンを連れ歩き、既にポケモン界さながらの空気だった。

 

「うわぁ!あれ見ろよ!ホエルオーだ!でっけえぇえぇ!!」

「ワタッコがバトルしてる!かわいい!!」

「ピカチュウだ!あっ!!あああああ!!でたぁあああああ!ボルテッカーだぁ!!」

 

バスが赤信号で止まったのをいいことにバトルの観戦者になる生徒達。

 

炎が揺れ、風が舞い、鳴き声が轟く。

 

身近で見るポケモンバトルはまさに大迫力だ。

タクミはポケモンのワザの応酬を見ながら、視線をそのトレーナー達に移す。

バトルフィールドの端にある四角いスペースに立つトレーナー。彼らは戦局を見渡し、ポケモンに的確な指示を出し続ける。ポケモンと共に戦い、共に成長するパートナー。

 

「僕も……いつか……」

 

タクミは自分がその場に立つ光景を想像し、掌を強く握りしめた。

 

『いくぞ!オノノクス!!』

 

巨大なライトに照らされたバトルフィールド。観客席を満たす大勢の人。巨大なバックスクリーンに映し出された自分。想像上の自分は最高のバトルフィールドでオノノクスの背中を見ていた。

そして、いざ対戦相手に目を向ける。

 

『……タクミ、勝負!!』

 

「なぁなぁ!タクミ!すげぇよな!ああいうバトル俺も早くしてみてぇ!って、どうしたタクミ?顔が赤いぞ?熱か?風邪か?こっち寄るな!感染ったりしたらポケモンキャンプが中止になっちまうだろ!!」

「風邪じゃないから安心しろ!!」

「何大声出してんだよ?どうした、なんか変なことでも考えて……」

「うるさい!!」

 

なぜか想像上の対戦相手がアキだったことに軽く戸惑いを覚えるタクミ。自然と彼女が浮かんできた自分に照れくささを感じてタクミは顔を赤くしてしまっていた。

 

ミネジュンはそんなタクミの態度に何かを察したらしく、しつこく追及しだした。

 

「あっ、もしかして女子のこと考えてた?タクミってば、エロ~い」

「違うって!」

「で、誰のこと考えてたんだよ?うちのクラスの奴か?アイバか?コトウラか?ナガミヤか?」

「だぁ!もう!違うって言ってるだろ!」

 

彼の大きな声を周囲の人が聞きつけ、タクミに襲い掛かる人数は更に増えていく。

 

「えっ?なに?サイトウくんって好きな子いるの?」

「タクミに好きな子?誰?誰?」

 

こういうものは否定すればするほどに追及が激しくなっていくもの。

タクミは根が素直なのもあり、一つ一つ丁寧に否定していくものだから猶更エスカレートしていく。

しかも、『気になっている女子』のことを考えていたのは事実なのでタクミとしては非常に分が悪かった。

 

ていうか、なんでキャンプ前に恋バナなんてしなきゃならないんだ!

そういうのはキャンプの夜にでもやるものじゃないのか!

 

タクミはそう思いながら、話題が自分から逸れるまで必死に耐えたのだった。

 

結局、バスを降りるまでタクミをからかう声は無くならなかった。だが、そんな話題はゲートセンターに足を一歩入った瞬間に一気に霧散した。

 

「おおおおおおおお!」

 

ゲートセンターに入った途端、生徒達の中から再び歓声があがった。

 

ポケモン界は身近になったとは言え、縁の無い人がそう簡単に出かけようと思える場所じゃない。ポケモン界へ行ったことのない生徒も多く、ゲートセンターに足を踏み入れるのは初めてだという人も多い。

 

タクミも父からゲートセンターの話を何度か聞いてはいたものの、実際に足を踏み入れたのは初めてだった。

 

「すげぇ……」

 

そこは巨大な空港のような場所だった。足を踏み入れた場所は3階まで吹き抜けのロビーだ。1階には様々な旅行業者のカウンターが並び、2階にはゲートへと続く出発ロビーがある。近くの案内板を見ると3階より上はレストランや土産屋、高級ブランド店のチェーンまで様々な店が入っているのがわかる。

だが、普通の空港と明らかに違うものが一つ。それは辺りを歩くポケモンの種類だった。

 

ポケモン法により、バトルフィールド以外の公共の場でモンスターボールの外に出れるポケモンには身長と体重の制限がかかっている。

だが、このゲートセンターではそれらの規制がかなり緩い。普段なかなかお目にかかれない大型のポケモンに子供達は半ば気圧されているようだった。

 

「バンギラスだ。初めて生で見たよ……カッケェ」

「上見て!上!カイリューが飛んでる……すごいなぁ……」

「あれって、ガルーラ?思ったより大きいんだ」

 

生徒達はロビーの隅に集められ、列になって座らせられた。

先生達はトイレ休憩を取りつつ、逸れた生徒がいないかを確認していく。

 

「ほへぇ……」

 

珍しく押し黙っているミネジュンの隣でタクミも言葉を失っていた。

左右どちらを見てもポケモンばかり。憧れ続けたポケモンがあまりに身近にいることにこれから踏み入れる世界の一端を垣間見ていた。

 

しばらくして、先生がメガホンを手にして生徒達に向けて声をあげた。

 

「えぇ、それではポケモンキャンプに向けて校長先生からお話があります。皆さんちゃんと聞くように」

 

生徒達の間に忍び笑いとため息が半々程の割合で漏れた。

校長先生の話が長いのは古今東西どこに行っても変わらない法則である。

 

今日も今日とてこの『ポケモンキャンプ』がいかに大切で、これを踏まえた『地方旅』がいかに今後の人生の糧になるかということをご自身のありがたーい経験談と共に長々と語ってくれた。生徒達のやる気のない目が校長先生へと注がれる。タクミも話を半分以上を聞き流し、この話が終わる時をひたすらに待った。

 

そして、誰しもが待ち望んだ瞬間が訪れる。

 

校長先生の手からメガホンが離れ、先生の元へと戻る。

 

「えぇ、これより、ポケモンキャンプへの移動のためにゲートの方に向かいます。各地方毎に出発しますので、順番に先生についていくようにしてください!」

 

生徒達の目に一斉に生気が戻ってきた。

 

「まずはイッシュ地方カノコタウンに行く人たち!立ってください!はい、それではフジシロ先生についていくように」

 

右端に座っていた数人の生徒達が立ち上がり、男の先生に従って2階へと続く階段に向かっていく。

地球界が『キャンプ地』に制定した地域は数多く、同じ地域に行く生徒は多くても7、8人だ。

タクミと一緒にマサラタウンに行くのはミネジュン以外では別のクラスの男子1人と女子2人。本来ならここにアキも加わるはずだった。

 

「…………」

 

隣に笑顔のアキがいることを想像し、タクミはまた顔が赤くなるのを自覚した。

運の良いことにミネジュンはすぐ隣を通ったジュカインに目が釘付けだった為、再度からかわれることはなかった。

 

そして、遂にマサラタウン組が呼ばれる。

タクミの周囲にいる生徒達が一斉に立ち上がる。

 

「マサラタウン組はマサ先生と一緒に移動してください」

「マサラ組はこっちだ。ついてきてください」

 

いよいよだ。

 

タクミは期待に胸を膨らませ、マサ先生の大きな背中に付き従って歩き出した。

 

そして、階段を上ったゲートセンターの2階。そこもまた空港と同じような場所だった。まずは手荷物検査場で危険物や動植物の持ち込みが無いかをチェックして、そこからポケモン界へと向かうゲートに向かう。

 

僕らはマサ先生に連れられて、団体用の検査場へと向かう。そこではタクミ達と同じようにポケモンキャンプに向かう小学生が列をなしていた。

 

タクミは列に並びながら、胸が高鳴るのを感じていた。興奮で手足に震えが走るというのは産まれて初めてだった。これが武者震いという奴だろうかと思いながら、緊張で汗が滲む掌を何度もズボンで拭う。

 

タクミの前にいるミネジュンも先程から黙りこくってしまっている。どんな時でも止まらないトーク力を見せていた友人の珍しい沈黙。その静けさがタクミの緊張を余計に高めていた。

 

「ミネジュン、どうしたの?急に静かになったけど?」

「え?そ、そうか?俺はいつも通りだけど!?」

 

上ずった声のミネジュン。

 

緊張しているのは自分だけではない。

 

タクミはそれが少し嬉しくて、勢いよくミネジュンの肩を叩いた。

 

「いよいよだね!いよいよポケモン界だね!」

「そ、そうだな!ヤッベェ、まじヤッベェ!緊張してきたぁ!そうだ、ケロマツ忘れてきてないよな!?良かったいるいる」

「ははは、ここまで来てパートナー忘れたなんてことになったら、ポケモンに滅茶苦茶嫌われそうだよね」

「そうかもな。ただでさえ俺のケロマツってせっかちで前に出たがりだしな。旅に連れて行かないとか言ったらすぐに拗ねちまうよ。まったく、面倒くさいったらありゃしないんだから」

 

ぶつくさと文句を垂れつつも、ミネジュンは随分と楽しそうな顔をしていた。

 

「そういえば、キバゴは?忘れてないか?」

「だから、キバゴは連れてきてないんだって。まぁ、キバゴ自身は何としてもついてくるつもりだったみたいだけど」

 

そんな話をしているうちに列は進み、手荷物検査の順番がやってくる。

 

「はい、ここに荷物を置いてください。貴重品や金属製品はこちらに、モンスターボールはこのケースに入れてください」

 

笑顔で迎えてくれる係の人に促され、荷物をベルトコンベアの上のカゴに乗せる。ズボンにチェーンで繋いだ財布を外して、鞄と一緒にカゴに置く。僕の前では一足先に金属探知器を通ったミネジュンが盛大にブザーを鳴らしていた。

 

「えっ?あれ?」

「引っかかっちゃいましたね。何か金属製品を持ってませんか」

「あ、これだ!ケロマツのモンスターボール。握ったまま通っちゃったんだ。すみませーん。もう一回通りまーす」

 

ミネジュンが慌てて戻ってくる。せっかちな彼らしい。

戻ってくるミネジュンを横目にタクミは金属探知器のゲートを前にする。

 

飛行機に乗る時もそうだが、このゲートを通る時はなんだか妙な緊張感がある。そのゲートを前にすると何かを試されているような気がするのだ。

 

タクミは意を決したように足を踏み出した。進みながらゲートを見上げる。金属探知器のゲートは何の音も立てずにタクミを通してくれた。

 

「ふぅ……」

 

わずかな達成感と共にため息を吐き出すタクミ。

だが、安心したのも束の間だった。

 

「すみません、この鞄はどちら様のものですか?」

 

ふと、そちらを見ると係員の女性が手にとっていたのはタクミの鞄だった。

 

「あっ、はい。僕のです」

「申し訳ありません。モンスターボールを鞄に入れてませんか?」

「へ?」

 

タクミの目が点になる。

 

「入れてないと……思いますけど」

「中身を確認してもよろしいでしょうか?」

「はい……」

 

係員の人に言われるがまま、鞄が開かれていく。係員さんは真っ先に鞄の横に付いているポケットの中を調べた。そして、そのポケットからコロリと小さくなったモンスターボールが転がり出てくる。

 

「あっ」

 

それはタクミにも見覚えのあるボールだ。薄い青と白で色分けされたモンスターボール。ポケモンを『野生』のまま捕獲する『プロテクトボール』だ。

 

「中身を確認していいですか?」

「は、はい……」

 

プロテクトボールが機械にセットされ、中にいるポケモンの情報が映し出される。

 

「キバゴ……一体……どうやって」

 

そこに表示された名前は紛れもなくキバゴであった。

 

「このキバゴは野生のキバゴのようですね。今、確認したところ保護者は『斎藤 佐助』さんということになってるようです」

「あ、は、はい……」

「お父さんですか?」

「はい」

「そうですか。すみません。ポケモン界へのポケモンの持ち込みはあらかじめ登録が必要なんです。このキバゴは預からせていただいてもよろしいですか?」

「え……あ……」

「大丈夫ですよ。御自宅の方へ責任もってお送りさせていただきます」

 

係員の人の笑顔を受け、タクミの表情は固まった。

 

タクミもその規則は知っている。

 

なにせ、このポケモンキャンプではキバゴは連れていかないと決めたのはタクミ本人だ。

審査に必要な書類も、正式な手段も、大事な手続きも全て知っている。

 

知っていた上でタクミはキバゴを置いて行くことを選んだのだ。

 

だが、家の玄関先で別れるのと、いざこの場でキバゴのボールを前にするのとでは胸の締め付けがまるで違った。

 

プロテクトボールの中からキバゴの元気な声が聞こえてきた気がした。

 

『一緒に冒険に行こう』と満面の笑みで、『俺がいなきゃ始まらないだろ』と無駄に自信満々にガッツポーズをするキバゴの姿が容易に思い浮かぶ。

 

気が付いた時にはタクミの口からは我儘が零れ落ちていた。

 

「あ、あの……」

「はい、なんでしょう」

「そのキバゴ……連れていっちゃ……ダメですか?」

 

タクミは震える声でそう尋ねた。

 

先程言われたことを理解できない程にタクミは子供ではない。

だが、それでも感情を全て飲み込める程には大人に近づけていなかった。

 

そんなタクミに対し、係員の女性は申し訳なさそうな顔を浮かべた。

 

「申し訳ありません……ポケモン界へポケモンを連れ込むにはあらかじめ登録が必要で……」

「ですよ……ね」

 

タクミは項垂れるようにして、唇を噛み締める。

 

そんなタクミの後ろに騒ぎに気づいたマサ先生が立った。

 

「斎藤?どうかしましたか?」

「実は……」

 

係員の人が現状を簡潔明瞭に説明すると、マサ先生は納得し、タクミの肩にポンと手を置いた。

 

「斎藤、辛い気持ちはわかるが、今回は仕方がない。後でお父さんにでも手続きして送ってもらおう」 

 

マサ先生はそう言って毛深い顔で優しい笑顔を向けた。

 

ここで『最初から登録しとけばよかったんだ』などと正論を叩きつけたりしないのが、マサ先生という人であった。タクミには既に反省の色が見えているので、わざわざ追い打ちをかける必要はないと判断したのだ。

 

「……わかってます」

「そうか……」

「わかってます、だいたい、最初からそのつもりだったんですから」

 

タクミは項垂れるようにして、唇を噛み締める。

だが、キバゴのことを思うと目頭が熱を帯びてしまうのは仕方のないことだった。

タクミが諦めたことを察したのか、マサ先生は係員の人に頭を下げた。

 

「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

「はい、責任をもってお預かりします。それでは送り先の住所などの手続きがありますので、こちらの書類に……」

 

タクミは差し出される書類に自分の名前や住所を書き込んでいく。

それが、キバゴとの別れの書類だと思うと、やはりこみ上げてくるものがあった。だが、ミネジュンや同級生が周りにいる手前、なんとかこらえ切った。

 

書類を書き終え、キバゴの入った『プロテクトボール』が運ばれていく。

タクミはそれが係員室の奥に消えるまでずっと見続けていた。

キバゴの鳴き声が耳奥に幻聴のように聞こえてくる。タクミは脳裏に浮かぶキバゴの瞳に何度も謝っていた。

 

『せめて……一声かければ良かったかな……』

 

そんな考えも頭をよぎったが、そんなことをすれば本当に涙が出ていただろうと思う。

 

「タクミ、行こう」

「……うん」

 

待っててくれたミネジュンに促されるようにタクミは他の生徒達の列に戻る。

マサ先生は少しホッとした表情で、他の皆は待たされたことに少し苛立つような顔をしてタクミを出迎える。

 

「よし、えーと……ポケモン界へのゲート通過が始まるまで少し時間があるからトイレに行きたい人は今のうちにな」

 

マサ先生の言葉にタクミとミネジュン以外の生徒達が荷物を置いてトイレの方に向かっていく。

待機になり、手持ち無沙汰となった時間。その間にタクミが思うのはやはりキバゴのことだった。

 

やっぱり最初から連れて行くべきじゃなかったのだろうか?

初心者用ポケモンに本当に拘る必要なんてなかったんじゃなかろうか?

 

考えれば考えるほどに後悔ばかりが浮かんでくる。

 

そうして俯くタクミの肩をまたミネジュンが叩いた。

 

「まあ、元気だせよ。最初から連れていかないって話だったじゃん」

 

ミネジュンが元気づけるかのようにそう言った。

だが、タクミは金属探知器を通る前までの陽気な笑顔を返すことはできなかった。

 

「そうなんだけど……そうなんだけどさ……」

 

タクミはキバゴのボールが運ばれた係員室を振り返る。

今にもその扉を開けてキバゴの期待に満ちた顔がのぞくんじゃないかと、そんなことを思ったのだ。

 

無理矢理ついていこうとすることに限って言えば、あのキバゴの執念は並ではない。それはタクミが一番よく知っていた。

それこそ今日だって、タクミが出かけようとするその瞬間まで隣にいたのだ。それが一体どうやってタクミの鞄に紛れ込むことができたのか。

 

タクミは飼い犬のロンが手を貸したと思っていた。

 

ロンは今朝やけにタクミの顔を舐めたがった。そうやってロンに気を取られた隙にキバゴは素早くプロテクトボールを鞄の中に忍び込ませつつ、ボールの中に入り込んだのだろう。寸分の隙も許されない綱渡りだが、キバゴならやってのけてもおかしくはない。

 

「はぁ……」

「キバァ…」

 

そこまでしてついてきたかったキバゴのことを思うと、やはりやるせない気持ちが込み上がってくる。

 

「まったく、キバゴには本当に手を焼くよ」

「本当に大変そうだな」

「キバキバ!!」

「そうだよ!!だいたいキバゴ、お前がいつもそうやって無理やりついてこようとするからいけないんだぞ!」

「キバァ!?」

 

キバゴの口が『僕が悪いの!?』とでも言いたげに大きく開いた。

 

「キバゴは大人しく家で……あれ?」

「キバ?」

 

タクミは目の前にいる存在のことを丸3秒程みつめた。

そして、ゆっくりと周囲を見渡す。どこかに自分のポケモンを見失ってしまった人がいないかを探していた。

 

きっとこのキバゴは迷子だ。そうに違いない。

 

だが、代わりに目に入ったのはマサ先生に『プロテクトボール』を渡す係員の人だった。

 

「え……」

「キバ?」

 

タクミはキバゴと目を合わせ、同時に瞬きをした。

そして、ゆっくりと二人で首を傾げる。

 

キバゴとタクミは鏡合わせの存在であるかのように同じ動きをしていた。

 

「斎藤、君のお父さんがキバゴがいないのに気が付いて、緊急で申し込みを通してくれたそうだ。キバゴは野生返還ぷろじぇくと?の一環か何かで一緒に連れていっていいんだと。ただし、オーキド博士に渡さなきゃいけないお手紙がいくつかあってだな……」

 

マサ先生がそう話しているが、そんなことタクミの耳にはもう届いていなかった。

タクミの耳に残ったのはたった一つの事実だった。

 

「え……キバゴと……一緒に行っていいんですか!『野生』のままで!?」

「お父さんが方々に頭を下げまくってくれたそうだぞ。『裏技』を使ったって言ってたけど」

「『裏技』……」

 

そんな単語を父が食事の際にチラリとこぼしていた。

 

だが、本当にそんなものがあるなんて思ってもみなかった。

 

マサ先生も係員の女性の人も呆れたように頷いた。

タクミの目が大きく見開かれた。

 

「キバゴ……」

「キバァ……」

 

タクミが両腕を勢いよく広げ、キバゴがその胸の中に飛び込んだ。

 

「キバゴ!一緒に行ける!行けるんだってさ!!」

「キバキバ!キバァ!!キバァ」

 

両手をばたつかせて喜びを表現するキバゴを全力で抱きしめるタクミ。

 

「良かったな、斎藤。お父さんに感謝しとけよ」

「はいっ!」

「キバァ!」

 

さっきまでの陰鬱な気分など綺麗に吹き飛んだタクミは満面の笑みで頷いた。

 

「良かったなタクミ。やっぱりキバゴと一緒に行きたかったんじゃねぇか」

「別に一緒に行きたくなかったわけじゃないんだよ!でも、やっぱ嬉しい!!」

「そうだよな。ポケモン持ってるのにパートナーを連れていかないなんて馬鹿な話はないもんな」

「そうとは言い切れないと思うけど。まぁ、やっぱりそうだよね」

「そりゃそうさ……だってさ……」

「ん?」

 

そして、ミネジュンはタクミの肩を叩き、親指で『一緒に行こう』と促した。

彼が指さす方向に目を向ける。

 

「あ……」

「どうせ、時間はあるみたいだしさ。さっそくさ!やろうぜ!このゲートセンターなら俺達でもできるんだろ!!そうだよな先生!!」

 

マサ先生は曖昧な顔で頷く。

引率の先生としてはあまり喜ばしくない話の流れになっていた。

 

だが、ミネジュンの気持ちはもう止まらない。

 

「ほら、立てよタクミ。実は俺やるのは初めてなんだ。タクミはどう?やったことある?」

「僕もない……初めて」

「だったらちょうどいいじゃん!ちょうどあそこ空いてるみたいだし!!」

 

そして、ミネジュンは待ちきれないように駆け出していった。

タクミはもう一度マサ先生の顔色を伺う。

 

「しょうがない……他の先生には黙っててくれよ」

 

そう言ってマサ先生はキバゴの『プロテクトボール』を差し出した。

 

「はいっ!」

 

タクミはそのボールをひっつかみ、駆け出す。

 

「キバゴ!行くよ!!」

「キバ!!」

 

そしてタクミは黄土色のマットの敷かれた長方形の空間へと駆け込んだ。

その反対側にネジュンが立ち、真新しいモンスターボールを構えていた。

 

「準備はいいか、タクミ!」

「いつでもいいよ!!」

 

ミネジュンがモンスターボールを放り投げる。

 

「行くぞ!ケロマツ!」

「ケロケロッ!」

 

青いカエルのような容姿をしたケロマツがフィールドに降り立つ。

 

「キバゴ!行くよ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴもまたガッツポーズをしてフィールドへ入っていく。

 

キバゴとケロマツがフィールドで睨み合う。

 

今まさに、二人の少年の産まれて初めてのポケモンバトルが始まろうとしていた。

 



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初バトルの味はなに?

目を輝かせながらバトルフィールドに立つタクミとミネジュン。

ケロマツとキバゴも『いつでもかかって来い』とでも言いたげに気力を漲らせていた。

キバゴはどっしりと両足を構える戦闘態勢。対するケロマツは常に足を動かして、軽快なフットワークを見せつけていた。

 

「キバゴ!初バトルだ!気合い入れて行くよ!」

「キバァ!!」

「ケロマツ!いつでも行けるな!行けるよな!ここで行けなきゃ嘘だぞ!」

「ケロッ!」

 

両者、ポケモンと共に気合い十分。

そして、バトルフィールド備え付けの自動審判プログラムが起動した。

フィールドをスキャンし、ポケモンを認識する。

 

「ケロマツVSキバゴ、バトル承認!バトル承認!」

 

バトルフィールド周囲にバリアが構築され、ポケモンのワザが周囲に影響を与えないようになる。

タクミとミネジュンのバトルを前に、バトルフィールドの周りには少なくないギャラリーが集まり出していた。

 

「おっ、ずいぶんと初々しい感じのトレーナーだな」

「なんだよ、雑魚同士の戦いじゃねぇか」

「二人共頑張れー!」

 

多種多様な声援に囲まれて、バトルフィールドに立つ二人は更にヒートアップしていく。

 

「制限時間10分!バトル開始!!」

 

機械的な定型文と同時にバトル開始のゴングが鳴る。二人の少年は腹の奥から湧き上がる熱量のまま動きだした。

 

先に仕掛けたのはミネジュンだった。

 

「ケロマツ!速攻で行くぞ!“でんこうせっか”!」

「ケロケーッロ!」

 

軽快なフットワークから急加速の突進。

一直線に突っ込んできたケロマツの攻撃はキバゴの腹部にクリーンヒットした。

 

「キバッ!」

 

吹き飛ばされるキバゴ。だが、キバゴはなんとか受け身を取りつつ立ち上がった。

 

「キバゴ!大丈夫!?」

「キバキバァ!」

「ケロマツ、畳み掛けるぞ!“はたく”で追い詰めろ!」

「ケロケロ!」

 

ミネジュンはキバゴに体勢を立て直す時間は与えまいと、更に接近戦を仕掛ける。

キバゴの真正面にケロマツが飛び込む。

 

「ケーロッ!」

 

そのスピードを乗せたケロマツの渾身の“はたく”がキバゴの頬を打ちのめした。

 

「キバゴ!距離を取って!」

「させるか!食らいつけ!ケロマツ!とことんまで追い詰めろ!」

「ケロケロッ!」

 

キバゴはなんとか後方に逃れようとするも、ケロマツがそれを許さない。キバゴが一歩下がれば二歩前に出る。三歩下がれば五歩突進してくる。

 

初バトルとは思えない積極的攻撃姿勢。

 

だが、それ以上に特筆すべきはそのスピードだった。

ケロマツは軽いフットワークからの素早い踏み込みで、確実にキバゴの懐に潜り込んでくる。

キバゴは最初の一発以降はなんとかガードできているものの、一方的なことには変わりない。

 

このままでは何もできずに負けてしまうと思ったタクミは意を決してキバゴに呼びかけた。

 

「キバゴ!受けてちゃダメだ!仕掛けるよ!」

「キバッ!」

 

キバゴは『待ってたぜ!』とでも言わんばかりに口元で笑った。研ぎ澄ましたキバゴの爪が照明の光を反射して輝いていた。

タクミはケロマツの“はたく”のタイミングを計る。ケロマツは無理に前に出てくるせいで、動きが単調になっていた。

 

「行け行けケロマツ!押せ押せ押せ!」

「ケロッ!ケロッ!ケロッ!」

 

キバゴはケロマツの攻撃を防ぎながら、タクミの声に集中する。

そして、ケロマツが深く踏み込んできた瞬間だった。

 

「今!!」

「キバッ!」

 

ケロマツの大振りの攻撃をかいくぐり、キバゴの爪が光る。

前のめりになっていたケロマツの腹部にキバゴの”ひっかく”の一撃が突き刺さった。

 

「ケロッ!」

 

狙い澄ました一発。キバゴはまだ幼いながらも【ドラゴンタイプ】のポケモンだ。その身に宿るのは圧倒的破壊力に育つ種である。ケロマツに比べて10kg近く重い体躯から繰り出された”ひっかく“。そのクリーンヒットを受けたケロマツはフィールドの反対側まで吹き飛ばされた。

 

「キバゴ!今だ!もう一度・・・」

 

追撃をかけようとしたタクミだが、ミネジュンは次の行動も早かった。

 

「ケロマツ!“あわ“で近寄らせるな!」

「ケロ!」

 

飛び起きたケロマツがフィールド全域に”あわ“の弾幕を張り巡らせた。

 

「キバゴ!ストップ!」

 

フィールドに舞う”あわ“の壁。照明が反射して虹色に輝く幻想的な世界を構築する。だが、その”あわ“の一つ一つは触れれば弾ける【みずタイプ】の小さな爆弾である。“あわ”で満たされるフィールドを前にしてタクミはキバゴの足を止めた。その判断は一見正しかったようにも見える。しかし、それはケロマツの新たな攻撃の的になることを意味していた。

 

「ケロマツ!もう一回近づけ!」

「ケロッ!」

 

ケロマツが“あわ”の隙間を縫って突っ込んでくる。周囲の“あわ”の表面にケロマツの顔が反射した。

 

「キバゴ!もう一度だ!カウンターで“ひっかく”を差し込む!」

「キバッ!」

 

キバゴは再び攻防一体の腰を据えた構えを取る。タクミはケロマツの攻撃のリズムを既に掴んでいた。

相手の攻撃タイミングを狙うことはそう難しいことではないはずだった。

 

「キバゴ・・・・今だ!“ひっかく”!」

 

タクミの指示はケロマツの出鼻を叩き落とす最高の瞬間だった。

だが、それは“はたく”を想定した攻撃であることが前提なのである。

 

「ケロマツ!“したでなめる”!」

「えっ!」

 

ケロマツから飛んできたのは“はたく”の掌ではなく、ケロマツ特有の長い舌だった。

“はたく”よりも素早い攻撃にケロマツの先制を許してしまう。キバゴの頬が舌で舐められ、キバゴの背筋に怖気が走る。

だが、その程度で止まるキバゴではない。キバゴはタクミの指示に従い、腕を振り抜いた。

 

それは確実にケロマツをとらえたはずだった。

 

「キ、キババッ・・・」

 

だが、キバゴの“ひっかく”はケロマツの体をすり抜けるかのようにして外れてしまう。

 

「よしっ!ケロマツ!“あわ”を打ち込め!」

「ケロロッ!」

 

大振りの攻撃を外され、体勢を崩したキバゴに至近距離から“あわ”攻撃がヒットする。無数の【みずタイプ】の攻撃を受け、キバゴはたまらず吹き飛ばされた。

 

「いよっしゃぁぁ!ケロマツ!決まったぜ!」

「ケロケロケローッ!」

 

拳を振り上げるケロマツとミネジュンを見て、タクミはまんまとミネジュンの作戦にはまってしまったのを悟った。

 

「そうか・・・【へんげんじざい】か・・・」

 

それはケロマツの特性の一つである。繰り出したワザのタイプに自らのタイプを変化させる特性。

ケロマツは”ひっかく“を受ける直前に【ゴーストタイプ】である“したでなめる”を使うことで、自らを【ゴーストタイプ】に変化させたのだ。そのせいで【ノーマルタイプ】のワザである”ひっかく“は外されてしまった。

 

「へへぇん!どうだタクミ!俺のケロマツ、スゲェだろ!」

 

フィールドの反対側でガッツポーズをするミネジュン。タクミの胸の奥に悔しさがこみ上げてくる。

 

確かにミネジュンもケロマツもすごい。スピードはキバゴより遥かに上だし、特性を利用した作戦も見事だった。

けど、うちのキバゴだって、ミネジュン達に負けないものを持っている。

 

「・・・キバゴ!まだいける!?」

「キバァ!!」

 

キバゴの張りのある声が響いた。キバゴは少し傷ついた身体ながらも危なげなくフィールドに立ち上がる。

 

「キバァァァァアァアア!」

 

キバゴが放つ鬨の声がフィールドに解き放たれる。

ど根性を体現した姿にギャラリーから歓声と拍手があがる。

そんな周囲の盛り上がりを他所にミネジュンは驚いたように目を見張っていた。

 

「すげぇな・・・まだ立つのかよ」

「僕のキバゴを舐めてもらっちゃ困るよ!こいつの粘り強さに何度うちの一家が降参したと思ってるのさ!!」

 

特に何か一つのことに決めた時のキバゴの粘りは半端ではない。タクミはキバゴが諦めて凹む姿を今まで一度だって見たことが無かった。

 

「だったら先制だ!ケロマツ!“でんこうせっか”!」

「真正面からだ!“ひっかく”で打ち返せ!」

 

ケロマツとキバゴがぶつかり合い、弾かれる。キバゴとケロマツはわずかな距離を取って睨み合う。

しかし、それも一瞬。常に先手を取ってきたミネジュンはここでも先に動いた。

 

「行け!ケロマツ!」

 

タクミはミネジュンの次の行動に全神経を集中した。

 

どんなに頑張っても、キバゴはケロマツにスピードでは敵わない。だったら、それを逆に利用してやる。

必ず先制してくるつもりなら、こっちは『後出しジャンケン』を仕掛けるまでだ。

 

「“したでなめる”!」

 

ケロマツの器用な舌が伸び、キバゴのガードをすり抜けてその顔を舐めあげる。

その瞬間こそ、タクミが待ち望んだ瞬間だった。

 

「キバゴ!」

 

“したでなめる”の威力は低い。キバゴであればその攻撃を受けてでも有効打が放てる。

そして、今のケロマツは【ゴーストタイプ】である。ならば、叩きつけるワザは決まっていた。

 

「“ダメおし”」

「キバァ!!」

 

キバゴの掌が黒く光る。ケロマツがワザを放った直後のわずかな隙。そこにキバゴの掌が直撃した。

 

「ケロッ!」

 

盛大に吹き飛ばされるケロマツ。

 

「ケロマツ!ケロマツ!」

「ケ、ケロロ・・・」

 

【ゴーストタイプ】に効果抜群の【あくタイプ】の技“ダメおし”。しかも、キバゴの全体重が乗った有効打だ。

 

キバゴが今までにケロマツに打ち込んだ攻撃はたった二発。だが、もとより体力の低いケロマツにとっては一発一発が非常に重い。

 

ケロマツはガクつく両足でなんとか立ち上がった。

 

「ケロマツ!まだ行けるな!」

「・・・ケロロ!」

 

意を込めて、構えをとるケロマツ。その身は体力を削られて小刻みに震えてはいたが、ケロマツの戦意はまだ折れちゃいない。

 

「キバ・・・キバァ・・・・」

 

それに対するキバゴも息があがっている。キバゴも度重なる攻撃に晒されて限界が近い。

 

「キバゴ!次で決める!」

「キバッ!」

 

爪を構えるキバゴ。

ひりつくような緊張感。

 

お互いが次の一撃が最後の攻撃になることを悟っていた。

 

バトルフィールドの中で揺れる“あわ”が弾けて消えた。

 

「“でんこうせっか”!」

「“ひっかく”!」

 

ケロマツの素早い突撃。真正面から爪を差し込むキバゴ。

 

両者がフィールドの中心で激突する。衝撃波がそよ風となってトレーナーの顔を打つ。

2匹のポケモンはお互いの攻撃をその身に受け、そのまま静止した。

お互いを支えるように立つケロマツとキバゴ。

 

そして、不意にキバゴの身体が崩れ落ちた。

 

フィールドに横たわるキバゴ。ケロマツはそれを見下ろしながら数歩後退。キバゴはもう動き出すことはできなかった。

 

試合終了のブザーがなり、審判ロボが勝敗を宣言する。

 

「キバゴ戦闘不能!ケロマツの勝ち!!」

 

バトルフィールドに貼られていたバリアが解除され、周囲から拍手が降り注ぐ。

それを浴びながらミネジュンが拳を握りしめてガッツポーズを決めていた。

 

「くぅーーーー!いよっしゃぁああ!!」

 

ケロマツもまた彼と全く同じポーズをとりながら、感情を爆発させていた。

 

「ケロケロォ!」

 

ケロマツがミネジュンのもとへ走り寄り、ハイタッチをかわす。

抱き合って喜ぶミネジュン達。

 

タクミはそんな彼らには目もくれず、すぐさまキバゴへと駆け寄っていた。

 

「キバゴ!」

「キバ・・・バ・・・・」

 

力尽き、目を回しているキバゴを抱き上げる。腕にかかるキバゴの体重が今日はやたらと重く感じた。

 

「キバ・・・」

 

腕の中で目を開けたキバゴは申し訳そうな顔をしながらも、無事を伝えるかのように小さく頷いた。

 

「キバゴ・・・ごめんね。負けちゃった」

「キバ・・・」

 

初バトル、初敗北。タクミの胸を悔しさが包み込む。

キバゴの小さな手がタクミの頰に触れる。

 

『次は勝とう』

 

そんな声が聞こえた気がした。

タクミは目に滲みかけた涙を手の甲で拭い、キバゴの手を握り返した。

 

「2人とも!ナイスバトルだったぞ!」

「キバゴもケロマツもよく頑張った!」

 

周囲からの拍手を受け、タクミはようやく過剰な程のギャラリーが周囲にいることに気がついた。

 

「あ・・・」

 

予想以上の人間に見られていることに驚き、タクミは急いでもう一度目元を擦る。

 

「おい!バトルが終わったトレーナーは握手するもんだぞ!」

「あ、そうだった」

 

少し偉そうな態度の青年にそう言われ、タクミは慌ててミネジュンへと目を向けた。

ミネジュンもまた「忘れてた」と呟いてタクミへと駆け寄ってくる。

 

「タクミ、ナイスバトルだった」

「うん・・・ナイスバトル!」

 

悔しさに烟る気持ちを振り払い、握手を交わす。

 

「けど、“ダメおし”かぁ!キバゴって【あくタイプ】の技覚えるなんて知らなかった!」

「まぁ、隠し球って程じゃないけどね。でも、【へんげんじざい】・・・厄介な特性だね」

「だろだろ?俺はまだまだ一杯戦い方考えてんだぜ!次はもっともっと面白いバトルにしてみせるからな!」

「ケロロ!」

 

ケロマツと一緒に意気込むミネジュン。

その時、フィールドの外からマサ先生がタクミ達を呼んだ。

 

「おーい、2人とも。終わったならすぐに移動だ。もうすぐ出発だぞ!」

 

タクミとミネジュンは勢いよく返事をし、自分のポケモンをボールに戻した。

 

「ミネジュン」

「ん?なんだ?」

「次は負けないからね!」

 

タクミがそう言うと、ミネジュンは顔全体でニカッと笑った。

 

「おうともさ!でも、俺だって負けるつもりはねぇぞ!」

 

ミネジュンが拳を突き出し、タクミも自分の拳をぶつける。

骨同士がぶつかる痛みが拳に響いた。

 

2人でヘラヘラと笑いながら、タクミとミネジュンはマサ先生の元へと急いだのだった。

 



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世の中いろんな人がいる

タクミ達はマサ先生に連れられ、ゲートへと向かった。

 

「ほら、見えてきたぞ。あれがゲートだ」

「おぉおおおお」

 

子供達の歓声があがる。そこは円形の巨大なホールであった。大きさは野球場以上にあるだろうか。天井は遥か高く、そこを鳥ポケモンが悠々と飛び回っていた。

 

マサ先生はそのホールの中心を指差していた。そこには小さな丘ぐらいはありそうなドーム状の物体が鎮座していた。その表面は黒と白と虹色の絵の具をかき混ぜて渦を作ったような色合いで、見ていると奥に吸い込まれていきそうな錯覚を受ける。遠近感が掴みにくいせいか、真正面から見ればそれはまさに空間を貫くトンネルのようだ。『ゲート』という名前は言い得て妙であった。

 

そのゲートに四方八方から線路が突き刺さり、葉巻状の乗り物であるリニアモーターが次々と出入りしていた。

 

「あれが、ゲートトレインだ。あの電車に乗れば、次に降りる時はポケモン界だぞ」

「おおおおお!すげぇっ!すげぇっ!」

 

ミネジュンは興奮のあまり「すげぇっ」を連呼し続け、タクミは逆に言葉を失っているようだった。

 

タクミ達はマサ先生の引率のもと、カントー地方行きのトレインに乗り込む。

ゲートトレインの中は新幹線と同じような座席が並んでいた。ただ、普通の新幹線と違うのはその重厚なシートベルトだろう。

 

ゲートの安全性は度重なる実験により保障されてはいる。だが、地球界でもポケモン界でも解析不可能なゲート。人間が手を出せない領域に突っ込むのだから安全対策は厳重に執り行われている。

しかし、万が一ゲート移動中に事故でも起きた時、こんなシートベルトなど役に立たないだろうと思う。それがわかっていても、最大限の抵抗をしてみるのが人間というものらしい。

 

そんなゲートトレインに乗り込んでいる小学性はタクミ達だけではなかった。

周囲には同じくオーキド研究所でのポケモンキャンプに参加するのであろう子供達が数多く乗り込んできていた。そのせいで、ゲートトレインの中はちょっとしたお祭り騒ぎのようだ。

 

あちこちでポケモン談義が繰り広げられ、最初にもらうポケモンや最初にゲットしたいポケモンについての話が盛り上がっていた。

 

「いよいよポケモン界だな!ポケモン界だな!!」

「うん。そうだね」

「俺さ、俺さ最初にゲットしたいポケモンがいて、カントー地方ではズバットかディグダをゲットしたいんだよ。それでさ……」

 

既に何度も聞いた話だ。

ヒートアップしていきそうなミネジュンだったが、それを制するようにマサ先生が注意を飛ばした。

 

「おい、峰!ちょっと静かにしなさい。他のお客さんもいるんだぞ」

 

マサ先生の低くてよく通る声がトレインの中に響き渡る。

その瞬間、子供達のざわめきが一気に静まり返った。

 

「あ……」

 

子供達の視線がマサ先生へと注がれる。マサ先生は勉強よりも体育の方が好きな先生だ。特に今は動きやすいジャージ姿。腕まくりをした服の袖からは筋骨隆々の太い腕が伸びていた。

周囲から畏怖と脅威の視線が集中する。それは、ポケモンキャンプに参加する子供達が『逆らってはいけない先生』の枠にマサ先生に名前を書き加えた瞬間であった。

 

だが、マサ先生もそれは慣れたもの。

 

軽く咳払いを挟み、ミネジュンへと注意を続けた。

 

「わかったか!?」

「はいっ!」

 

大人しく座席について、唇を引き締めるミネジュン。

 

マサ先生はゆっくりと周囲を見渡し、十分に睨みをきかせた後で、自分の座席へと腰を降ろした。

ゲートトレインの中の子供達の声は先程より幾分か小さくなっていた。

 

「そんなに怖い先生じゃないんだけどね……」

 

タクミは小さくそう呟いて手元の『プロテクトボール』に視線を落とした。

丁寧に磨かれたプロテクトボールの表面に自分の顔が映り込んだ。

 

反射して見る自分の顔。

 

そこには、涙をこらえて腫れぼったくなったままの瞼がまだ残っていた。

思い出すのは腕の中で力なく横たわるキバゴの姿。

敗北の味は随分としょっぱかった。

 

そんなプロテクトボールの表面に別の顔が映り込んだ。

 

「ねぇ、きみ。さっきバトルしてたでしょ?」

「え?」

 

声をかけられ、顔を上げる。

 

タクミの目の前に見慣れない男子の顔があった。彼は前の座席から背もたれを乗り越えて、身を乗り出してきていた。

彼の顔は彫りが深く、影が全体的に濃く現れた顔立ちをしていた。短めの髪はワックスでもつけているのか、綺麗に整えられており、身だしなみも随分と洒落ている。

 

タクミは『女子にモテるタイプなだな……』と、そんなことを思った。

 

ちなみにタクミの容姿ははどう転んでも『普通』という枠組みに収まる。主に寝癖がついてても気にしないような大雑把な性格が災いしている。

 

「きみ、さっきバトルしてたでしょ!?キバゴのトレーナーの」

「え、あっ、うん」

「俺はハルキ。羽根田 春樹(ハルキ)ってんだ。ポケモンキャンプに参加するんだよな?よろしく!」

「あ、うん。こちらこそ。僕はタクミ、斎藤 拓海」

「よろしくぅ!」

 

差し出された手を握り返すと、ぶんぶんと勢いよく振り回された。

 

「えと、ハネダ君は……」

「ハルキでいいよ。みんなからそう呼ばれてんだ」

「へぇ……それで、ハルキ君もポケモンキャンプに参加するんだよね?」

「もちろん!!」

 

タクミはとりあえず、当たり障りのない話を選ぼうとした。要するに『最初のポケモンは何にする?』である。

だが、それより先にハルキの方から話題を振ってきた。

 

「君の最初のポケモンはキバゴなの?それ誰かからもらったの?最初のポケモンが【ドラゴンタイプ】って珍しいよな?」

「え?ああ……まぁ、そうだよね」

 

正確には最初のポケモンというわけではないのだが、その辺りの事情は話せば長くなる。一々訂正するのも面倒だったので、タクミは適当に話を流した。こういった前のめりで話を進めてくる人の相手はミネジュンで慣れている。

タクミは半ば愛想笑いを浮かべながら、彼に話を合わせようとした。

 

だが、次の一言でタクミの表情が一気に硬直した。

 

「でも、どうせそのポケモンは手持ちに加えないんだろ?」

 

ピクリ、とタクミの身体に力がこもる。

 

「え?なんで?」

「え?使うの?ケロマツに負けるようなキバゴを?もしかしてバトルとかあんま興味ないタイプ?」

「いや、バトルは興味あるけど……キバゴは僕のパートナーだから」

「えぇ?でも、最初にもらったポケモンを使い続ける人って案外少ないらしいんだぜ。さっさと強いポケモンを捕まえて、手持ちに加えた方がいいだろ?」

「そんなの人の勝手じゃないかな?ホウエンチャンピオンのダイゴさんとか、ガラルチャンピオンのダンデさんなんかは最初に手にしたポケモンを今でも手持ちに加えてるってインタビューで言ってたよ」

「でも、それって最初にもらったポケモンが強いポケモンだったからだろ。ケロマツに負けるようなキバゴなんてさっさと手放したほうがいいって。ポケモンバトルで勝つにはやっぱもっと複合タイプを持ったドラゴンポケモンとか……」

 

ピシリとタクミのこめかみに青筋が立った音が聞こえた気がした。タクミは『大きなお世話だ』と言いだしたいのをぐっとこらえる。

 

正直、咄嗟に悪態が口からが飛び出なかっただけ、タクミの自制心は誉められるべきであっただろう。

もし同じことをミネジュンが教室で言っていたら間違いなく喧嘩になっていた。下手したら手が出ていたかもしれない。

 

今ここがポケモンキャンプに向かう電車の中で、相手は他の学校の人。決して問題を起こしてならない環境であることだけがタクミの理性を繋ぎとめていた。

 

ここで喧嘩したらダメだ。ここで喧嘩したらダメだ。

 

タクミは必死に自分に言い聞かせながら、キバゴのプロテクトボールを御守りのように握りしめていた。

 

それからもハルキはポケモンバトルについて色々と語ってくれた。だが、タクミの耳にはその内容のほとんどが届いていなかった。

 

「ってなわけでさ。キバゴにこだわるなら、別の個体を捕まえた方がいいと思うんだ。あんまり知られてないかもしれないけど。ポケモンって個体で力が全然違うんだってさ。だからやっぱ最初からバトル向きの強い奴を捕まえる方がバトルで有利なんだよ」

「へぇ……」

 

相槌が適当なものになる。それは自分が腹の底で何も納得していないからに他ならなかった。

タクミの身体の中は既に冷えきっていた。この人とは友達になりたくないと結論が出ていた。それでもなんとか話を聞く態度ぐらいは保っていられたのは忍耐強いタクミの性格のおかげだ。

 

そうこうしているうちに、席の向こうから誰かが彼の服を引っ張った。

 

「おいっ、ハルキ!先生がこっち見てるぞ!」

「あっ、ヤベ。それじゃあ、ポケモンキャンプでよろしくな」

 

ハルキの顔がすぐさま座席の向こう側へと消えていく。

背もたれの向こうから聞こえる楽しそうな笑い声がこっちを嘲笑しているかのように脳裏に響く。被害妄想だとはわかっていたが、そんなことを冷静に考えられる程にタクミは大人では無かった。

 

タクミは身体に残った熱量を吐き出そうと深く息を吸い込み、息を吐いた。

 

「はぁぁぁっ…………」

 

彼の吐息が火山の噴火のように低く鳴り響いた。

だが、腹の底に残った憤怒の感情はそう簡単には静まりはしない。

 

「タクミ……大丈夫か?」

「……なんとかね……うん、なんとか大丈夫だよ」

 

こめかみの血管が切れかかってはいたものの、なんとか理性でつなぎとめられるぐらいにはタクミは冷静であった。それでも腹の底でそれでも渦巻いている感情は本物だ。歯を食いしばらないように何度も深呼吸を繰り返すタクミ。

 

そんなタクミを横にして、ミネジュンは心配そうに辺りを見渡す。

こんな不穏な表情で喧嘩腰になっているところを先生に見つけられたら面倒なことになる。運の良いことにマサ先生は他の学校の先生と話しており、こっちを見てはいなかった。

 

ミネジュンはひとまず息を吐き出す。

そして、横目にタクミの顔を伺った。

 

ミネジュンにもタクミの気持ちは理解できた。

 

自分だってケロマツのことをあんな風に言われたら我慢できなかったはずだ。

きっと自分なら間違いなく鼻にパンチをお見舞いしていた。それを我慢できてるだけタクミは偉い。

 

ミネジュンは素直にそう思った。

 

だけど、せっかくのポケモンキャンプの出発に親友に嫌な顔をして欲しくはない。

 

ミネジュンはすぐさまタクミの肩に腕を回した。

そして、陽気な声で言った。

 

「やめろ、やめろ~もう、そんな顔するもんじゃないぞ!せっかくのキャンプなんだから、楽しんでいこうぜ。ほれほれ~」

 

ミネジュンはタクミの身体を独特のリズムで左右に揺すりながら、脇腹を指でつっついた。

 

「うぐっ……ミネジュン、今、僕はそんな気分じゃ……」

「だから、そういう気分になっていこうぜ!なぁなぁ!」

 

ミネジュンの言いたいことはわかる。だが、そう易々と気持ちが切り替わるはずもない。タクミはブスッとした顔のまま、前の座席を睨みつけていた。

それでも肩を揺らし続けるミネジュン。反応を見せないタクミにミネジュンは戯けた言葉をかけ続けた。

 

「なぁっ、その顔やめろ!笑え笑え!ほれほれ~」

「ちょっ。もう、やめろって」

 

そうしているうちにタクミの顔から徐々に険がとれていく。

 

「あんなのほっとけって。お前のキバゴが強いってのは俺が一番知ってるからさ」

「ありがと。でも、それは間違いだよ」

 

タクミは最後の一息を大きく吐き出して、唇の端で笑った。

 

「キバゴの強さは『僕』が一番知ってる」

「たしかにそうだな!」

 

ミネジュンに肩を一際強く叩かれた。その痛みが今は妙に心地よかった。

 

その時、ゲートトレインの中に安全事項を確認するアナウンスが流れる。

2人はシートベルトを確認してニヤリと笑う。

 

そして、ついに出発の時が訪れる。少しずつ加速していくゲートトレイン。身体にかかる加速度を味わいながら、タクミはプロテクトボールに視線を落とした。

 

「強くなるさ……一緒にさ」

『キバァ!』

 

キバゴの返事がどこからともなく聞こえてきた気がした。

 

ゲートトレインが動き出す。

行き先はカントー地方、セキエイ高原。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

ポケモン界へのゲートを通過し、到着したセキエイ高原。マサ先生に連れられてゲートトレインを降りると、そこは駅の終点のような雰囲気であった。背後にあるゲートは出発前と同様に不思議な色で渦巻いている。周囲の景観も基本的にゲートトレインに乗る前とあまり変わりがない。

目に見える範囲にあるものは地球界のゲートセンターを少し小ぶりにした程度のものであり、真新しいものは何も見当たらない。

それは本当にポケモン界に降り立ったのかどうか疑問を抱いてしまう程であった。

 

タクミの頭に『何かの手違いで地球界に戻ってきてしまったんじゃないか』という疑問が湧いて出ていた。

 

「……なぁ……ここ……ポケモン界なのか?」

 

タクミの後ろに続いてゲートトレインを降りてきたミネジュンが茫然と呟いやく。

 

「うん……多分……」

 

思った以上にあっけなく終わった旅に茫然としながら、タクミ達はゲートトレインの搭乗口を後にする。

やや閑静な雰囲気のゲートセンターを抜け、自動ドアから外に出る。

 

そして、その直後だった。

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

マサ先生に連れられて外に出た瞬間に生徒達の間に歓声があがる。

生徒達の声を聞き、マサ先生が小さく呟いた。

 

「俺は何度も来てるからあれだが……やっぱ、この声を聞くとポケモンキャンプに来たなって思うんだよ」

 

ゲートセンターの目の前にあったのは巨大な壁だった。

だが、それはただの壁ではない。

 

それはスタジアムの外壁だった。

 

ここはセキエイ高原。年に一度、カントー地方とジョウト地方を巡って8つのバッチを集めたトレーナーのみが参加できるポケモンリーグ。そのチャンピオンを決めるセキエイスタジアムが目の前にあった。

 

ここは『地方旅』のゴール地点であり、全てのトレーナーのあこがれの地の一つなのだ。

そして、歓声をあげる子供達を見計らったかのように声がかけられた。

 

「ポケモンキャンプにおこしのみなさん!ポケモン界にようこそ!!」

 

メガホンで拡大された声が子供達の頭上を飛んだ。

声の方を向けば、巨大な二台のバスを背に『オーキドポケモンキャンプ』と書かれたスケッチブックを掲げている男性が立っていた。

 

「はい、それでは皆さん。バスの前に学校ごとに並んでください!早く並べばそれだけ早くオーキド研究所につけますよ!!」

 

その言葉は効果絶大であった。

子供達は先導する先生たちの指示にいち早く従い、バスの前に整列する。

 

「はい、みなさん。こんにちは」

 

子供達の全力の「こんにちは」がセキエイ高原に響き、その男性は満足そうに頷いた。

 

「はい。今年も元気なトレーナーが沢山来てくれたようですね」

 

『トレーナー』

 

その響きに子供達はお互いの顔を見合わせた。それは自分達が『子供』ではなく、『一人前』の存在へと認められたかのような気がする魔法の言葉であった。

 

「私は皆さんのポケモンキャンプをお手伝いする。オーキド研究所職員のケンイチと言います。皆さんよろしくお願いします」

 

再び「よろしくお願いします」の大合唱。

ケンイチは挨拶もそこそこに、すぐさま皆をバスへと順に乗せていった。

 

子供達がこれ以上一秒も待つことができないことを重々承知しているようであった。

ケンイチは学校ごとに生徒と先生を順に乗せていく。

 

タクミ達は最初の方にバスに乗り込むことになっていた。

 

タクミはバスに乗り込みながら、横目にハルキの姿を探す。

できれば彼とはこれ以上口を聞きたくなかった。次に顔を合わせれば一度は沈めた炎が再燃することは間違いなかった。

 

運の良いことに、ハルキの学校は別のバスらしく、その姿は遠くにぼんやりと見えるだけであった。

タクミは胸をなでおろしながら、バスへのステップに足をかけた。

バスの後方の席から詰めて座り、補助席も満遍なく埋まる。

 

全員が乗り込み、最後にケンイチがバスに乗り込んだ。

先生が代表して自分達の学校の人数を数え、はぐれた生徒がいないことを確認。

それをケンイチに伝え、ようやくバスは出発の段になった。

 

「はい、それじゃあみんな準備はいいですか?」

 

生徒達は腹の底から「はーい!」と大音量で返事をする。

生徒達の声を聞き届け、エンジンが唸り声をあげる。

 

「それではオーキド研究所へと出発しまーす!!」

 

バスが動き出し、車内に歓声があがる。

 

だが、元気だった子供達のうち数名は出発してからものの30分ですぐさま大人しくなってしまった。

 

セキエイ高原からの下る道。森の隙間を縫うように作られたその道は激しくまがりくねり、バスのスピードは上がらない。

 

バスの中では乗り物に弱い数名がノックアウトされていた。

 

「うぅ……俺も気持ち悪くなってきた」

 

元気だけが取り柄のミネジュンでさえ、窓にもたれて、意気消沈している。

 

「ミネジュンって乗り物弱かったっけ」

「普通は平気なんだけど……この道はダメかも……」

 

青い顔をしているミネジュンに風を送りながら、タクミはエチケット袋を手元に用意していた。

アキの看病をしてきた経験から嘔吐物の処理に対しては割と自信がある。

 

タクミはエチケット袋を握りながら、窓の外に目をやった。

 

森の間を縫うように作られた道をバスが進んでいく。

ふと、その木々の間を大きな猿が飛んだ気がした。

 

「え……」

 

タクミは目を凝らして森の中を見る。

その時、バスがカーブを曲がる為に減速した。

 

「あっ……マンキーだ……」

 

タクミは数匹のマンキーが木々を飛び回りながら、バスを追いかけてくるのを見つけた。

ふと、目を上げれば樹林の隙間から巨大な翼を広げてオニドリルが飛び立った瞬間を目撃した。

 

地球界では専用のバトルフィールドぐらいでしか見かけないポケモン達。

それがここには当たり前のように、手の届く場所に生きている。

 

これがポケモン界。ずっと憧れ続けてきたポケモン界。

 

「本当に……来たんだな……」

 

前の席の人がマンキーを見つけたのか、興奮した声で何かを叫び出す。

タクミもセキエイ高原に到着した時と同じテンションのままであれば似たような反応をしたであろう。

だが、隣に今にも死にそうな顔をしている友人がいるせいか、タクミは地球界に残されたアキのことを思い出していた。

 

アキの青白い肌と無理に元気を演じる顔が浮かんでくる。

 

分厚いポケモンの図鑑をベットの上に何冊も広げて色んなことを話し合った。ポケモン界の世界地図を広げて2人で何度も冒険ごっこをした。

 

『あのね!ニドランって世界で初めて男の子と女の子で進化の仕方とか棘とかの形とかが違うことが発見されたポケモンなんだよ。でね、見分け方なんだけど……』

 

図鑑を隅から隅まで把握しているアキはいつも自慢気にポケモンのことを教えてくれた。タクミもそんなアキの元気な姿が何よりも嬉しかった。

きっと今ここに彼女がいれば、マンキーについて何から何まで教えてくれただろう。

興奮して窓の外を指差す彼女の姿が目に浮かぶようだった。

 

そして、その隣で自分は彼女がまた咳き込んだりしないかハラハラしているのだ。

 

「やっぱり……一緒に来たかったな……」

 

ミネジュンならすぐにアキとも友人になれただろうし、3人でする冒険はきっと面白かった。

 

「うっ……うう……うぷっ!」

 

そんな感慨もミネジュンの胃袋の限界を遠ざけてはくれない。

タクミは嘔吐の気配を悟ってすぐさまエチケット袋を開いた。

ミネジュンの背中をさすりながら、タクミは「ほらほら、全部出しちゃいなー」と気の抜けた声で言ったのだった。

 

そんな時、タクミの目の前に薬が差し出された。

その薬を持ち主を目で追いかけると、隣の補助席に座っていた小柄な女子であった。

 

「……これ……いる?」

「え?」

「酔い止め……飲んだら楽になる……」

 

タクミとは別の学校からの生徒なのだろうが、彼女の雰囲気はどこか日本人離れしていた。

肌は浅黒く、瞳はわずかに青みがかかった灰色だ。髪は絹のように滑らかなストレート。顔立ちは彫りが深くて鼻が高く、立体感が強い。

 

「えと……いいの?」

 

そう尋ねると彼女は小動物のように小さく頷いた。

 

「あ、ありがと」

 

タクミはミネジュンの吐き気が収まったタイミングで水筒の水と一緒に薬を飲ませる。

やはり、こういった介護は手慣れたものだった。

 

「うぅ……きつい……」

「薬が効いてくるまでの辛抱だから、もう少し耐えて」

「うん……薬ありがと」

 

ミネジュンもそう言って補助席の女子に頭を下げる。

ただ、その拍子に酸味のする唾を飲み込んだらしく、更に顔色を悪くさせていた。

 

これは次のエチケット袋が必要になるかもしれないな。

 

タクミはそんなことを思いつつ、薬をくれた女子の方へと目を向けた。

 

「ありがと。えと、僕は斎藤 拓海。こっちの酔ってるのが峰 潤」

「……ミネジュン?」

「峰が苗字、潤が名前。みんなもミネジュンって呼んでるからそれで呼んであげて。ちなみに僕もクラスに斎藤が3人いたから名前の方でいつも呼ばれてる。君もタクミで呼んでくれていいいよ」

「……うん……私……マカナ……江口 マカナ」

「まなか?」

「……違う……マカナ……アローラ地方で……『大切な贈り物』って意味」

 

その言葉を聞き、タクミは目を丸くした。

 

「えっ!アローラ地方!?もしかして、アローラ地方出身なの!?」

「うん……パパがアローラ地方の出身……ママはハワイ生まれの日本人……」

「えぇぇっ!!すごっ!なにそのハイブリッド!?」

 

ポケモン界と地球界のハーフに加え、アメリカ人の血も混じっているってことだ。

 

「でも……育ちは大阪……」

「えっ……えぇぇ……ってことは英語とかは?」

「……無理……でも……アローラの言葉はわかる」

「へぇ……あ、でも関西弁じゃないんだ」

「……うん」

 

マカナは少し独特の間合いで喋る女子であった。

ただ、それ以上に気になるのは彼女の表情があまり動かないことだった。ほとんど無表情と言ってもいい。それに彼女はほとんど身動きをせず、動作もゆっくりとしている。全体的に身体のパーツが小柄なこともあり、彼女はどこか精巧な人形のような印象を受けた。

 

「えと、マカナちゃん?」

「……なに?」

 

『ちゃん』付けでいいのかどうかは少し悩んだところであったが、特に彼女からは反応はなかった。

 

「マカナちゃんはポケモンとか持ってるの?」

「……いる……二匹」

「えっ!本当!!もうゲットしたの!?」

「……ゴールデンウイークにアローラに行って……そこで初めてのポケモンをもらって……そのまま二匹目もゲット……」

「へぇっ!すごい!何ゲットしたの?」

「……ヒドイデ……」

 

ヒドイデ

 

アローラ地方にいる【どくタイプ】と【みずタイプ】を併せ持つポケモンであることを思い出す。

アキと一緒に見ていた図鑑にはサニーゴの天敵だったと書かれていたはずだった。

 

「へぇ、じゃあ最初にもらったポケモンはアローラの初心者用ポケモン?」

「……違う」

「えっ?違うの?」

「……ベトベター……アローラのベトベター……」

「…………」

 

タクミにとってその返答は完全に予想外であった。

 

アローラ地方には環境に合わせて変化を遂げたポケモンがいることが情報誌に載っていた。

アローラのベトベターは普通のベトベターに比べて色が緑がかっていて、体内の毒素が強い。また、タイプも【どくタイプ】と【あくタイプ】の複合タイプになっている。

 

アローラではゴミ箱代わりに人間と共存しているらしいが、それを最初の一匹としてもらうのはどうなのだろうか?

 

「二匹とも【どくタイプ】なんだね」

「……うん……欲しかった」

「へ?」

「……私……【どくタイプ】……好き」

 

そう言ったマカナは今までの無表情の中にほんのりと笑顔を浮かべていた。

 

「【どくタイプ】……いい……見た目とか……可愛らしいし……それでいて……刺激的で……」

 

【どくタイプ】について語りだしたマカナ。

その途端に先程まで人形のように動かなかった彼女の表情に命が宿った。

話し方にこそ大きな変化はなかったが、赤みが刺した頬や、熱のこもった口調が彼女がどれだけ【どくタイプ】が好きなのかを物語っていた。

 

タクミは正直に言えば彼女の話す内容について同意できることは少なかったが、自分の好きなポケモンのことを話している人を見るのは決して苦痛ではなかった。

 

マカナの話をニコニコと聞いていたタクミであったが、マカナは我に返ったかのようにふと黙ってしまった。

 

「……あ……ごめん」

 

その途端、マカナの表情は再び人形のように冷たく、動かないものに戻ってしまう。

 

「え?どうして謝るの?」

「……私……ずっと……喋ってた……つまらないのに」

「そんなことないよ。結構楽しいって」

「……そう?」

「うん」

「……でも」

「でも?」

「……ミネジュンが……」

「え?」

 

振り返ると、放置されていたミネジュンの喉元からかなり危険な嗚咽がこぼれ出ていた。

顔色は既に青を通り越して白くなっており、どう考えても決壊寸前であった。

 

「うわぁっ!ミネジュン!!ちょっと待って!!」

 

タクミは素早く新しいエチケット袋を切り開いてミネジュンの口に当てる。

その直後、ミネジュンの口から黄色い液体が勢いよく吐き出された。

既に胃の中が空っぽになってしまっていて、胃液しか出てこないのだ。タクミはその中に赤い血が混じっていないかを観察しながらミネジュンの背中をさする作業に戻るのだった。

 

「あぶなかった……ミネジュン、吐いちゃえよ~吐くと楽になるぞ~」

 

タクミがそう言うと、再び波がきたのかミネジュンの口から再び胃液が吐き出される。

さっき飲んだ酔い止めは無駄になったかもしれないな、などと思いながらタクミはミネジュンの汗ばむ背中をさすりつづけた。

 

「……タクミ君……慣れてるね」

「まぁ、いろいろあってね。それより、【どくタイプ】ってカントー地方だとどんなのがいるの?」

「……え……」

 

再び【どくタイプ】の話を持ちだされてマカナは驚いたような顔をしていた。

だが、タクミはミネジュンの背中をさすり続けているせいでその顔を見ることはできない。

その背中を見ながら、マカナは恐る恐るといったようにポケモンの名前をあげていく。

 

「……カントーだと……ニドランとか……アーボとか」

「へぇ……じゃあ、その中でマカナちゃんが一番好きなのは?」

「え……」

 

再び【どくタイプ】のことを聞かれ、マカナの息が詰まったように押し黙った。

そして、再び口からこぼれてきたのは砂漠よりも無味乾燥な声だった。

 

「……無理して……話合わせなくていいよ」

 

自分の感情を殺し、人の感情を枯れさせる、砂のような声。

人の言葉を喋るだけの機械のようにマカナはそう言った。

 

ただ、そんなマカナのことなど気づきもせず、タクミはあっけらかんと言ってのける。

 

「別に無理してないよ。1つのタイプを極める人って他の人が見てないポケモンの見方をしている人が多いじゃない?そういう人の話ってけっこう面白いし」

 

タクミはほとんど即答するようにそう言った。

 

「……」

「だからさ、マカナちゃんが好きなポケモンの話を聞かせてよ」

「……いいの?」

「いいもなにも、僕が聞きたいんだよ」

 

タクミはエチケット袋からわきあがってくる酸味を帯びた臭いから気を紛らわせるために話を弾ませようとする。

 

そんなタクミの姿を見ていたマカナの無表情の中に柔らかさが現れた。

それは初対面の緊張感が消えた証でもあった。

 

「……うん……私が好きなのは……ベトベトン……アローラのも好きだし……カントーのも好き」

「へぇ、でも、カントーでベトベトンってどこに生息しているの?」

「それは……進化前のベトベターが……」

 

タクミはマカナの話を清涼剤にしながら、ミネジュンの吐き気が収まるのを待ち続けた。

 



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最初の三匹は誰にとっても特別

バスで4時間の道のりを経て、タクミ達はようやくオーキド研究所へとたどり着いた。

小高い丘の上に立つオーキド研究所には風車が併設され、青い空をバックに白い羽根が景気良く回っていた。ふと遠くに視線を送れば緑の葉を生い茂らせた山々が連なっている。辺りには畑が広がり、その間に(まば)らに家が立っている。良くも悪くも極めて田舎の街並みだった。

 

「やーーっとついたーー・・・」

 

一度ならず二度までも胃袋の中身をぶちまけたミネジュンはバスを降り、青い顔で空を仰いだ。

エチケット袋をゴミ袋に放り込みつつ、タクミはその背中をさする。

 

「大丈夫?」

「平気だけど、疲れた。まだなんか気分悪い・・・」

 

嘔吐はそれだけで体力を消費する。バス移動の疲れもあってミネジュンにいつもの元気はない。

生徒の中には同じように暗い顔をしている人達も見られるが、大半は期待にはち切れんばかりの顔だ。

彼らの多くはこれから初心者用ポケモンをもらい、ポケモントレーナーの第一歩を踏み出すのだ。

タクミも似たような立場なのだが、グロッキーになった友人を心配してそれどころではなかった。

 

なんとも味気ない到着になってしまったが、実際の感動なんてこんなものなのかもしれないとタクミは達観した気持ちでオーキド研究所を眺めた。

 

「薬……きかなかった?」

 

タクミ達より先に降りていたマカナがそう言って、ミネジュンの顔をのぞきこんだ。

 

「いや、でも、二回目吐いてからは大分楽になったから少しは効いたんだと思う。ありがと」

 

疲れた顔で頭を下げるミネジュンにマナカは小さく「そう」とだけ返事をした。

相変わらず口数の少ない女子である。

 

「皆さん!ついて来てください!」

 

ケンイチに連れられて、オーキド研究所へ続く階段を上っていく。

だが、ケンイチはオーキド研究所の入り口には向かわずに、裏手へと回り込んだ。

 

そして連れてこられたのはオーキド研究所の裏手に広がる、広大な緑の敷地であった。

手前に広がる草原エリア。奥には大きな森や池が見え、岩場に囲まれた砂地も顔をのぞかせている。

その中に様々なポケモン達が自由気ままに歩き回っていた。

 

そこでは、一人の白髪の老人が待ち受けていた。

 

「やぁやぁ、みんな!よく来たね!!」

 

朗らかな顔で片手をあげて挨拶してくるその人を前に子供達は元気よく挨拶を返す。

 

だが、その中で数人は圧倒されたように口を噤んでいた。

誰かと紹介されずともわかる。ポケモン研究の第一人者にて、ポケモン図鑑を最初に開発したポケモン界の権威。

彼こそがオーキド博士その人であった。

 

オーキド博士は元気の良い子供達を見渡し、破顔しながら頷いた。

 

「うんうん。今年も良いトレーナーがたくさん来てくれたようだ。さて、みんな、ここまで長い時間をかけてきてくれたのだから、もう待たされるのは嫌じゃろう?さぁ、それじゃあ、まだポケモンを持っておらん子達はケンイチ君についていってくれ。初心者用ポケモン達がいる場所に案内してもらう。もうポケモンを持って居る人はここにいてくれ。なんなら、自分達のポケモンを出しても構わんぞ。バトルがしたい人がいるならぜひやってみるといい。ポケモンバトルは自分のポケモンとの信頼関係を築く良い方法じゃからな」

 

オーキド博士の言葉に従って、引率の先生が自分の生徒を振り分けていく。

見たところ、今日初心者用ポケモンをもらう人は7割ぐらいだ。

既に自分のポケモンを持っている人達が喜々として自分のポケモンを繰り出していく中、タクミはマサ先生と書類について確認していた。

 

「斎藤、悪いがポケモンをもらうより先にこの書類のことをやってしまっていいか?これから先、落ち着けるタイミングがないんだ」

「はい」

 

タクミは横目で『初心者用ポケモンをもらいにいくグループ』を羨ましそうに見ながら、頷いた。

キバゴを無理矢理連れてきてもらった手前、我儘を言える立場ではない。

そんな時、タクミ達のところにオーキド博士がやってきた。

 

「やぁ、マサ君。今年も来たね」

「あっ、オーキド博士。ご無沙汰してます」

 

タクミの体がピシリと音を立てて硬直した。

 

「話は聞いて言るよ。確かキバゴだったね」

「はい、そうです。今回はお手数をおかけします」

 

マサ先生とオーキド博士がなにやら話をしていたが、タクミの耳にはまるで入ってこなかった。

タクミは背中に定規でも入れられたかのように背筋を伸ばし、あまりの緊張で全身を震わせていた。

 

「なるほどなるほど、こっちでの書類の準備はできておる。それじゃあ、斎藤 拓海君」

「は、はい!」

「ワシは君のお父さんとは何度かお会いしたことがあるぞ。地球界でポケモン保護をしてくれているね」

「はい!って、えっ!!と、父さんを知ってるんですか!!」

「うむ。ワシは君のお父さんが保護したポケモンを何度か受け取ったことがある。保護していただいたポケモンは無事にトレーナーに引き取られたと伝えてくれるかい?」

「は、はいっ!!」

「うむうむ。では、一度研究所の中に行くとしよう。そこで君のキバゴが病気を持っていないかどうかチェックさせてもらうよ」

「は、はい!!」

 

オーキド博士は周囲にいる助手の人にこの場を任せ、タクミとマサ先生を連れて研究所内へと向かった。

 

まだ少し緊張があるのかギクシャクと手足を動かすタクミ。

彼は『オーキド研究所』に入ることに対する胸のワクワクはあった。

 

ただ、遠くから聞こえる他の生徒達の悲鳴のような歓声を聞くと、やはりどうしてもそちらに気を取られてしまう。

 

「…………」

 

声のした方に目を向けるとそこでは、一定の囲いの中にフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメが何匹も群がっていた。

トレーナーはあの中から自分の最初のポケモンを選ぶのだ。

 

「斎藤、なにしてるんだ?」

「あっ、ごめんなさい!」

 

足を止めてしまっていたタクミは後ろ髪を引かれる想いで、オーキド研究所へと入っていった。

 

そして、タクミは研究所の応接室のような場所に通された。

 

タクミはそこで差し出された書類に自分の国籍や住所をひたすら書き続けていく。

その間にも、オーキド博士は研究所の奥でキバゴの健康診断を行っている。

 

タクミとマサ先生は書類を書き終え、出されたお茶とお菓子に舌鼓を打ちつつ、検査が終わるのを待った。

その間にも外からは子供達が騒ぐ声が聞こえてくる。ポケモンバトルの騒音もその中に混じっており、タクミは完全に落ち着きをなくしていた。

 

今すぐにでも飛び出していきたい。すぐにでもカントー地方の初心者用ポケモンをもらいたい。

 

そんな衝動を抑えつつ、タクミはオーキド博士が戻ってくるのを待ち続ける。

応接室に飾られたポッポの鳩時計の秒針が遅々として進まない様子を眺めつつ、タクミは何度も立ち上がっては窓の外を覗き込もうとしていた。

 

そして、しばらくして、扉のドアがノックされた。

タクミが勢いよく振り返ると、ドアが開いてキバゴがトコトコと入ってきた。

 

「キバゴ!」

「キバァ!」

 

跳びついてくるキバゴを抱き上げ、タクミは一緒に入ってきたオーキド博士に顔を向ける。

 

「うむ、いたって健康なキバゴじゃ。手続きもほとんど終わっておる。あとはタクミ君がモンスターボールでこのキバゴをゲットすれば全て終了じゃよ」

「え……あ……はい」

 

オーキド博士から手渡されたボールを見下ろし、タクミは口を閉じた。

 

「ん?どうしたのかい?」

「あ、あの……僕、カントー地方の初心者用ポケモンが欲しいんです。だから、キバゴをゲットするのはそのあとでいいですか?」

 

タクミがそう言うと、オーキド博士は虚をつかれたように目を丸くした。

そして、タクミの言い分に納得したのか大きく頷いた。

 

「なるほどのう、それでキバゴはずっと『プロテクトボール』で過ごしておったのか。うむうむうむ、気持ちはわしもわかるぞ。初心者用ポケモンの三匹は誰にとっても特別じゃからな。うむ、そういうことなら随分と待たせることになってしまったな。ポケモン達のいるところにいこう」

「はいっ!」

 

言うが早いか、タクミはすぐさま応接室の扉に手をかけた。

 

「博士!もう行っていいですか!?」

 

今にも駆け出しそうなタクミにオーキド博士は苦笑いを浮かべて、何度も頷いた。

 

「行こう!キバゴ!!」

「キバキバァ!!」

 

勢いよく飛び出していくタクミを見送り、オーキド博士は顎に手を当て何かを考えるように目を閉じた。

 

「さんさんと……三匹の中から……ポケモンえらび」

 

それを聞いていたマサ先生は書類をまとめながら、小さく笑みをこぼした。

 

「博士、ポケモン川柳ですか?」

「うむ、及第点かのぅ。『さんさんと』というのが3匹の初心者用ポケモンと快晴の天気を意味しており、『三匹のポケモンえらび』というのがトレーナーの旅立ちを暗示して……」

 

マサ先生は長くなりそうだな、と思いながら、窓の外から流れてくる子供達の喧騒に耳を傾けていた。

 

そんなやり取りが後ろで執り行われていることなど露知らず、タクミは研究所の牧場へと戻ってきた。

そこでは多くの新人トレーナーが自分が最初に手にしたポケモンを手に抱き、興奮した顔であちこちで自由に過ごしていた。

 

ひたすら頭を撫で続けてポケモンに少し嫌がられているトレーナー。

どんな技が使えるのかすぐさま試そうとしているトレーナー。

早速バトルに興じているトレーナー。

ヒトカゲの尻尾で少し火傷した人がいて、フシギダネが背中に背負ったタネを覗き込んで花粉を浴びた人がいて、ゼニガメの甲羅で手を挟んだ人がいて、そんな小さな痛みすら大事なポケモンとの出会いの一つの形として各々の記憶に残っていく。

 

タクミはそんな彼等を横目に真っすぐに初心者用ポケモンが囲われている場所へと向かった。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

肩で息をするタクミの目の前ではフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメが一緒くたに入れられ、思い思いに過ごしていた。

日向ぼっこしているポケモンもいれば、人間に興味津々で近づいていくポケモンもいる。

ただ、既に多くのトレーナーがポケモンを選び終え、柵の中で悩んでいるのはごく数人。

そこに囲われているポケモンの数は最初に遠目で見た時と比べて随分と少なくなっていた。

 

特にヒトカゲの数が少ない。

やはり、初心者用ポケモンの中ではヒトカゲが一番多く選ばれたようだった。

 

それはそれだけ選択肢が狭まってしまっているということ。

 

タクミは別にポケモンの個々の能力で手持ちを選ぶつもりはなかったが、それでも強いポケモンが欲しいという願望は人並みに持ち合わせていた。

 

「まだまだゆっくり選んでいいよ。時間はたっぷりとってるからねぇ」

 

ケンイチのその言葉に囲いの中にまだいた生徒が返事をした。

タクミは急いでケンイチさんのところに走り込んだ。

 

「ケンイチさん!僕も選んでいいですか?」

「えっ、ああ、うんいいよ?どうしたの、そんなに慌てて」

「いえ、中入っていいですか?」

「うん。ってあれ、そのキバゴはどこから・・・」

 

タクミは説明するのも億劫になり、一息に柵を飛び越えて中に入っていった。

キバゴも短い手足で頑張って乗り越えようとしたが、それは事前にケンイチさんに止められてしまう。

 

「こらこら、ダメだよ。悪戯されたら困るんだからね」

「キバキバ!」

「キバゴ!ちょっとそこで大人しくして!」

 

振り返りもせずにそう言ったタクミ。

だが、残念ながら今のタクミにはキバゴのことを気にしている余裕はなかった。

 

「うわぁ!うわぁっ!うわぁぁぁっ!!」

 

タクミが中に入った途端、人懐っこいポケモン達に囲まれてしまったのだ。

タクミは今こそが幸せの絶頂という顔をして、頬を摺り寄せてくるポケモンに次々手を伸ばした。

 

「うわぁっ!やっぱゼニガメの頭ってツルツルだぁ!ヒトカゲって結構あったかいんだねぇっ!さすが炎タイプ!フシギダネ!うわっ!すごっ!甘い匂いする!!」

 

どのポケモンも愛嬌があって可愛らしく、いつでも良いパートナーになってくれそうなポケモン達。

ここにいる中から選べるのが一匹というのはあまりに残酷なんじゃないかと思う程であった。

 

もうヒトカゲもゼニガメもフシギダネも全部欲しい!

なんなら、ここにいる余ってるポケモン全部くれ!!

 

とはいえ、やはり規則は規則なので最初のポケモンを選ばなくてはならないだろう。

タクミは寄ってきたポケモン達をたっぷり堪能した後、腰を上げて囲いの中にいるポケモン達をザっと見渡した。

タクミを見上げてくるポケモン達も十分魅力的なのだが、これから長い時間を過ごすパートナーなのだから慎重に選びたい。

 

とりあえず、タクミのお目当てはヒトカゲであった。最終進化のリザードンに一度も憧れを抱かない男の子はいない。

 

タクミは昼寝をしているヒトカゲやオレンの実を食べているヒトカゲの傍にも寄ってみる。

どのポケモンもタクミが近づくと、人懐っこい仕草をしてくれるのでタクミはその度に足を止めてポケモン達を撫でまわしてしまう。

 

地球界から来た初心者トレーナーの中には異常なまでに最初のポケモン選びに時間をかける人が毎年数人いる。

それは、ポケモンを吟味しているのではなく、近づいてくるポケモンを愛でるのに時間を使っているだけであった。

 

今も柵の中に残ってポケモンを選んでいるトレーナーの多くもそうであり、タクミもそんなトレーナーの一人になってしまっていた。

 

「カゲッ!カゲッ!」

 

タクミは手を上げて自分をアピールしてくるヒトカゲを衝動的にパートナーにしたくなる自分をなんとか抑えつけ、その場からなんとか腰を上げた。

 

そんな時だった。

 

「ああっ!ダメだよ喧嘩しちゃダメだって!!」

 

そんな声と同時にポケモン達の鋭い鳴き声が聞こえてくた。

 

「カゲェ!カゲカゲッ!」

「ゼェニゼニッ!!」

 

ヒトカゲとゼニガメが一つのオボンの実を取り合って睨み合っていたのだった。

きのみを置いてあった棚には既にオボンの実は残っていない。それが最後の一個であったのだろう。

 

ゼニガメとヒトカゲはお互いオボンの実を手にしたまま、引っ張り合って歯を食いしばっていた。

 

「ゼェェニィィィ!」

「カァァゲェェェ!」

「ちょっと、やめてよ!ほ、ほら、こっちにオレンの実が・・・」

 

近くにいた女の子がオレンの実を差し出すも、ヒトカゲもゼニガメも見向きもしない。オボンの実は他のきのみと比べて大きく、食べ応えがあるのでポケモン達にも人気だと聞いたことがあった。

 

そんな喧嘩するポケモン達を見て、タクミの顔色が変わる。

 

もともと、タクミはクラスでも色々なグループの緩衝材として動くことが多かった。

喧嘩に割って入ったり、言い争いの場でお互いの話を聞いたりして両者を諫めてきた。

それはタクミ本来の優しさもあるが、それ以上に10歳にしては随分と落ち着いているせいでもあった。

2年もの間、闘病生活をしている少女と過ごせば精神年齢も上がるというものである。

 

今回もタクミは両者の間に割って入ろうと動き出した。

 

その時だった。

 

「ダネッ!!」

 

鋭い"ツルのむち"がヒトカゲとゼニガメの持っていたオボンの実を叩き落とした。

 

「……あ……」

 

タクミの目の前に転がってくるオボンの実。

 

タクミはその“ツルのむち”の根元を目線で追う。その“ツルのむち”は柵の外側から伸びていた。そこには、フシギダネが不貞腐れたような顔をして寝そべっていた。

 

そのフシギダネを見て怯えたように一歩下がるヒトカゲと言い訳をするかのような態度をとるゼニガメ。フシギダネはそんな彼等を見ても表情を変えなかった。ただ、“ツルのむち”で落としたオボンの実を掴みあげ、そのまま自分の口元へと持って行ってしまったのだ。

 

 

奪ったオボンの実に大きく口を開けてかぶりつくフシギダネ。

ヒトカゲとゼニガメは目の前でオボンの実を食べられて泣きそうな顔で肩を落とす。

それは叱られた直後の子供のようで、タクミには少しだけ気の毒に見えた。

 

「……ダネ」

 

そんなヒトカゲ達の前に"ツルのむち"が伸びてきた。

 

「ダネダ……ダネフッシ……」

 

フシギダネが伸ばしてきた“ツルのむち”の先端にはオレンの実が握られていた。

 

「ダネダネ!」

 

フシギダネはヒトカゲ達にオレンの実を1つずつ渡し、最後に両者の手を取り合って強引に握手させてしまう。

ヒトカゲ達は少し残念そうな顔をしながらも、オレンの実を頬張り、お互い小さく頭を下げあった。

 

「……ダネ」

 

小さくため息を吐きだすフシギダネ。

 

その時になり、タクミはようやくフシギダネのやったことを理解した。

 

フシギダネは喧嘩の元となった食べ物を彼等から奪い取ったのだ。

喧嘩の種がなくなれば、仲直りまでは早い。

そのフシギダネは仲直りした様子を見届けて、『俺の仕事は終わりだ』とでも言いたげに“ツルのむち”をしまい、目を閉じてしまった。

 

「…………」

 

タクミはその一部始終を目を丸くして見届けていた。

ポケモンがポケモンの喧嘩を仲裁するところなんて初めて見た。

 

喧嘩を収めたフシギダネは柵の外にいる。つまり、このフシギダネは『初心者用ポケモン』ではない。

 

だけど、タクミの興味はそのフシギダネの方へと完璧に移っていってしまっていた。

タクミは柵に手をついて、そのフシギダネを見下ろす。

 

「ねぇ、君……なんで柵の外にいるの?」

 

そう言ったタクミにフシギダネはその紅い瞳を向けた。

 

「……ダネ……」

 

フシギダネは小さくそう言って、すぐに目を閉じてしまう。

そんな愛想のない様子はやはり『初心者用ポケモン』とまるで違う。

 

タクミは柵を乗り越え、フシギダネの傍にしゃがみこんだ。

 

タクミはその無愛想なフシギダネに手を伸ばす。

一瞬、手を叩き落とされるかとも思ったが、そのフシギダネは案外すんなりと身体に触らせてくれた。

タクミはフシギダネの少しざらついた手触りを楽しみながら、フシギダネの首の後ろと背中の『タネ』の間を引っかくようにこすってやる。

 

フシギダネはその部分に汚れが溜まりやすく、蒸れて痒みを覚えることが多いのだとアキが言っていたのを思い出していた。

 

タクミの触れ方が気持ちよかったのか、フシギダネの閉じられた瞼の端が少しだけ緩む。

リラックスした様子のフシギダネ。タクミはそんな様子が嬉しく『タネ』の周囲を念入りに擦ってやった。

 

そんな時、キバゴを抱いたままのケンイチがタクミとフシギダネのもとへと近づいてきた。

 

「フシギダネ、いつもご苦労さん。喧嘩止めてくれて助かったよ」

 

彼の腕の中ではキバゴが大人しく抱きかかえられている。

少し気難しいところのあるキバゴを相手に手慣れた様子のケンイチ。

ポケモンの扱いに関しては流石にオーキド研究所の職員だった。

 

「あっ!キバゴのことありがとうございます!ほら、こっちおいで」

「キバ」

 

ケンイチの腕から飛び出したキバゴはそのままタクミに飛びつき、肩へと這い上がった。

小柄ながら18kgもあるキバゴだが、タクミも昔からよく肩や背中に乗せていたので、バランスよく支える方法は身体で覚えていた。

 

タクミはキバゴの頭をポンポンと叩いて、ケンイチの顔を見上げた。

 

「あの……このフシギダネ、なんで柵の外にいるんですか?」

「ああ、それは……こいつは初心者には渡せないからだよ」

「え?」

 

すると、そのフシギダネはケンイチの言葉を聞いて何かを察したかのようにその場から立ち上がった。

 

「あっ、フシギダネ……」

 

フシギダネはわずかにタクミ達の方を振り向いた。

タクミにはその顔がなぜか泣き出しそうに見えた。

 

「フシギダネ、研究所に戻るかい?」

 

ケンイチの呼びかけには何も応えず、フシギダネは一歩、また一歩とタクミ達から離れようと歩いていく。

だが、その動きはどこかぎこちない。

 

「……あ……」

 

そして、タクミはすぐさまそのフシギダネが左の後ろ足を引きずっていることに気がついた。

 

そのフシギダネの後ろ足には酷い傷があった。皮膚を無理矢理抉り取り、肉の塊を縫い付けたような醜い傷跡。

フシギダネの左足は他の身体の動きにまるで同調せず、重石のように引きずられていた。

 

フシギダネはタクミにその足を見せつけるように歩いて行く。

その背中はタクミに『俺に期待するな』と言っているかのようだった。

 

「あのフシギダネ……足が……」

「うん、不幸な事故でね……」

 

ケンイチは喧嘩をしていたヒトカゲとゼニガメの様子を確かめ、あのフシギダネのことについて語りだした。

 

「もう一年になるかな……あのフシギダネは元々新人トレーナーのために送られてきた一匹だったんだ。でも、搬送中のトラックが事故にあって、あのフシギダネは谷底に投げ出されてしまった」

「その時に、怪我を?」

「いや、そうじゃない。谷底に落ちた時、フシギダネはまだボールの中だった。だけど、その谷底にはフシギダネの他にもたくさんの初心者用ポケモンのモンスターボールが転がってしまったんだ。あのフシギダネは自力でボールの外に出て、仲間達を必死にかき集めた。たった一匹で、寄ってきた野生のポケモンを撃退したり、川を流れていくボールを“ツルのむち”で拾いあげたり……そんな時に、更に不幸が重なった」

 

ケンイチはどこか遠くを見つめるような目をして深々とため息を吐き出した。

 

「地震だった。ポケモンが起こしたものではなく、天然の地震だ。カントー地方じゃあまり珍しくもないが、その時のフシギダネにとっては不幸以外のなにものでもない。岩場が崩れ、フシギダネを下敷きにしてしまった。一命はなんとかとりとめたが、あの足はもうどうやっても治らないそうだ」

 

タクミは自分の胸元を咄嗟に握りしめた。

そこに締め付けられるような痛みが走っていた。

 

「……ポケモンセンターや専門の病院でも打つ手がなくてね……それで、この研究所で引き取ったんだけど……今ではああやってポケモン達の喧嘩を止めてくれたり、きのみの補充を手伝ってくれたりしてるんだ……」

「そう……なんですか」

 

ケンイチはそれ以上そのフシギダネのことについては語ろうとしなかった。

タクミの肩を叩き、柵の中の方へと目線を向けさせる。

 

「さぁ、君の初めてのポケモンは決まったかい?といっても、君は本当に初めてではなさそうだけど」

「あ、あはは……」

「キバァ!」

 

キバゴが片手をあげて自分をアピールする。

タクミは調子に乗っているキバゴの頭を抑えた。

 

再び柵を乗り越えて初心者用ポケモン達の群れの中に戻っていくタクミ。すぐさまポケモン達に囲まれるが、その頭からは今のフシギダネのことが離れない。

 

トレーナーと旅立つ前に歩けなくなったフシギダネ。タクミの胸の中がざわついていた。

 

「……」

 

タクミはもう一度去り行くフシギダネを振り返った。

足を悪くしているフシギダネの歩みは遅々としており、研究所へ至る道のりの半分も進めていない。

 

怪我をしたポケモンを見るのは初めてではなかった。

 

地球界で野放しにされたポケモンの中にはそういうポケモンは珍しくなかった。

怪我でバトルが出来なくなって捨てられたポケモン。野良犬や野良猫に襲われたと思われるポケモン。車に轢かれてしまったポケモン。

 

決して『綺麗事』だけで片付けられないポケモン達。

父親の仕事を見学にいった時、タクミの父はそんなポケモン達を保護して言った。

 

『人間がポケモンを不幸にしてしまうこともある。だから、父さん達は同じ人間として、ポケモンに幸せを返してあげなきゃならないんだ。タクミもいつか、誰かの不幸を拭ってあげられるような、そんな大人になるんだぞ』

 

そして、何よりも心の片隅に引っかかることがあった。

 

『やっぱり、行きたかったな~そしたらさ。タクミと一緒にキャンプしたり、ポケモン探したり……バトルしたりできたのにね』

 

足を怪我し、上手く歩けないフシギダネ。その姿に地球界に残してきたアキの横顔が重なる。

 

『一緒に……行きたかったな……』

 

タクミは拳を握りしめた。

 

今、フシギダネに抱いてる気持ちは同情だろうか?

自分の感情は弱った他者に手を差し出したいだけの偽善心だろうか?

それとも、アキの姿を重ねてるだけの気の迷いなのか?

 

それらがタクミの心に含まれている可能性を誰も否定はできない。

だが、それと同時にタクミの優しさを否定することも誰にもできはしなかった。

 

「……キバゴ……」

「キバ?」

 

タクミは肩に乗るキバゴに静かに笑いかけた。

その笑顔でキバゴは全てを察したかのようにタクミに頷き返す。

 

タクミはゆっくりと息を吸い込み、ケンイチへと声をかけた。

 

「あの!ケンイチさん!!」

「ん?どうしたんだ?最初のポケモンを決めたかい?」

「……はい!!」

 

そして、タクミは背を向けて歩いているフシギダネへと真っ直ぐに指を向けた。

 

「あのフシギダネにしたいと思います!」

 

フシギダネが足を止め、振り返った。

フシギダネの驚きに見開かれた紅色の瞳と目が合う。

 

タクミはそのフシギダネに屈託の無い笑みで頷いたのだった。

 



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最初じゃないけど最初の相棒

「えっ!いや、ちょっ、ちょっと待ってくれ!あのフシギダネはダメだよ」

 

ケンイチが慌てて首を横に振る。だが、タクミは引き下がらなかった。

 

「どうしてですか!?あのフシギダネ、元々初心者用ポケモンなんでしょ、今もトレーナーもいないし。僕があのフシギダネのトレーナーになってもいいんじゃないんですか!?」

「いや、確かにそうだけど……」

 

ケンイチは「参ったな」と言って、頭をかいた。

 

タクミの顔から引くつもりがないことを読み取ったケンイチはどうすべきか思案する。

単純に『規則だから』で押し通しても良かったが、それでは目の前の少年は納得しないだろう。

 

彼の表情は既に覚悟を決めたトレーナーの顔であった。

 

ケンイチは腰を折り、タクミに目線を合わせた

 

「いいかい?ちょっと厳しいことを言うよ」

 

ケンイチの顔から笑顔が消える。

 

「君はまだポケモンを一度も育てたことがない。当然、バトルだってしたことがない。上手く歩けないポケモンを育てるのはとても大変なんだ。ご飯を食べさせる時だって気を遣う、バトルだって普通のフシギダネなら勝てる勝負で負けることもある。それに、フシギダネは進化するんだ」

「………」

「進化しても、きっと足は動かないままだ。今のフシギダネなら体重もそこまで大きくないし、たいしたことはないかもしれないけど。進化してフシギバナになったらどうなる?それこそ身体を動かすことだけで一苦労になってしまう。そんなポケモンを君は育てていけるのかい?」

 

それだけのことを言われてもタクミの気持ちは揺るがなかった。

 

確かに先のことは不安だった。本当に自分が育てていける自信なんてなかった。ケンイチに鋭いことを言われて実はちょっと泣きそうだった。

 

でも、それでもタクミはそんな表情など一切見せずに頷いた。

 

「……育てます」

 

タクミの後ろにフシギダネがゆっくりと近づいてきていた。

フシギダネは足を引きずりながら、不思議な生き物でも見るかのようにタクミの横顔を見上げていた。

 

「僕が責任を持って、フシギダネを幸せにします!!」

 

これ以上ないぐらいに言いきったタクミ。それでもケンイチはまだ納得していないようだった。

 

彼には初心者トレーナーがこんなハンデを背負ったポケモンを育てられるとはどうしても思えなかったのだ。

確かに今はいいかもしれない。今なら新人トレーナー特有の意識の高さと、気持ちの高揚で乗り切れるだろう。

だが、今後はわからない。タクミが途中で投げ出してしまえばポケモンもトレーナーもどちらも不幸を背負うことになる。

 

ケンイチは渋った様子で他の角度から説得を試みる。

 

「でも、このフシギダネじゃ、他のポケモンをゲットするのにも苦労する。やっぱり最初のポケモンは別のを……」

「その心配はいらんじゃろ」

「は、博士!」

 

研究所から出てきたオーキド博士が片手にスケジュール表を握りながら、笑顔でそう言った。

 

「タクミ君には既にキバゴがおる。すぐには困ることはないじゃろう」

「ですが……」

「それに、どうしてもダメであったなら、パソコンでここに送ってもらえばよい。父親の仕事を知っているタクミ君なら、ポケモンを逃がすことの問題点も理解しているじゃろ?」

 

タクミはケンイチを納得させるためにも何度もうなずいてみせる。

 

「しかし……」

「まぁ、あとは……フシギダネ次第じゃがの?そうじゃろ?」

 

その問いはタクミの方へと向けられていた。

 

トレーナーは一人でトレーナーなのではない。

トレーナーとポケモン。両者が揃ってこそのポケモントレーナーだ。

 

タクミは足元からタクミを見上げてくるフシギダネの為に膝を折った。

 

「フシギダネ……」

「……ダネ……」

 

フシギダネの目が不信感で細められる。

タクミにはそのフシギダネの気持ちがわかるようだった。

 

『どうしてこんな俺を連れていきたいんだよ?』

『俺が足を引きずってるの見ただろ?俺は足手まといなんだよ』

『あんたは俺に何を期待してんだよ?』

 

タクミはそんなフシギダネの頭に手を置いた。

 

「フシギダネ……お前も……旅に行きたいんじゃないのか?」

 

その言葉にフシギダネの目が見開かれた。

 

「旅に行く直前に怪我をして……旅立っていく仲間達をずっと見送って……辛かったよね……」

「……ダネ……」

「でもお前、優しいね。仲間達がちゃんと旅立つために手伝いまでしてさ」

「……」

「その怪我も……仲間達を助けようとしてできたんだろ?フシギダネ……もういいよ……もう、そんな不幸を背負い続けることないよ!」

 

そう言いながら、タクミの頭に浮かんでくるのはアキの顔だった。

 

彼女は歩くことができない。ポケモン界にも行けない。旅なんてもってのほかだ。

それをタクミにはどうすることもできない。何もしてあげられない。

痛みを肩代わりしてあげることも、病気を治してあげることも、彼女を背負って歩いてあげることすらできない。

 

でも、このフシギダネは違う。

 

タクミが手を伸ばせば助けてあげられるのだ。願いを叶えてあげられるのだ。

 

だったら、助けてやりたいじゃないか。

全力を費やしてあげたいじゃないか。

 

だって、僕は『ポケモントレーナー』なんだ。

 

「フシギダネ……僕と一緒に旅をしよう!!」

 

タクミはそう言って突き出すようにフシギダネに手を差し出した。

それを見て、キバゴもタクミの肩を飛び降りてその小さな手をフシギダネに差し出す。

 

「キバァ!」

 

『一緒に行こう』とキバゴもフシギダネに呼びかけていた。

 

「ダネ……」

 

フシギダネは差し出された二つの手を幻でも見ているような顔で見つめていた。

 

タクミの言葉が理解できなかった。キバゴの行動が理解できなかった。

 

だって、自分はこんな足だ。

まともに歩くことなんてできない。

"たいあたり"すらできない。

 

自分を受け入れてくれるトレーナーなんていない。

 

フシギダネはずっとそう自分に言い聞かせてきた。

 

そう思う他なかった。

 

どんなに時間を重ねても、どれだけ人の手を借りても、この足が動くことはなかった。

段差1つ越えるのに苦労するこの身体ではどんな希望を抱いても無駄だった。

 

だから、もう全てを諦めた方が楽だった。

 

だけど……だけど……

 

もし、この目の前の手が本物なら……本当に外の世界を見に行けるのなら……

 

旅立っていく仲間達を見送った後の研究所は驚く程に静かになる。

そんな場所で一人で静かに眠る日々が辛く無いわけがない。

窓から見える空の向こうを望まない日はなかった。遠くに見える山の向こうを憧れない日なんかなかった。

 

フシギダネが奥歯を噛み締める。瞳の奥から熱い塊が沸き上がってきていた。

 

「ダネ……」

 

フシギダネの”ツルのむち”が伸びる。ツルの先が恐る恐るタクミとキバゴの手へと近づいていた。

だが、そのツルはタクミの手のわずか手前で止まってしまった。

それは触れるのを躊躇っているような動きだった。触れたら消えてしまうシャボン玉を前にしているような動きだった。

 

タクミは息を殺し、フシギダネを待ち続けた。

 

フシギダネのツルがタクミの手をタッチした。

そして、キバゴの手にも軽く触れる。

 

そこに現物があるのかを確かめたフシギダネ。

フシギダネは足を引きずりながら近づいていく。

 

手の匂いをかぎ、頬を寄せる。

 

フシギダネはタクミの顔を見上げた。

涙に潤んだフシギダネの瞳とタクミの目線がかち合う。

 

そして、フシギダネの“ツルのむち”がタクミの手に絡みついた。

 

「ダネッ!!」

「うん!!一緒に世界を見に行こう!フシギダネ!!」

「ダネダッ!!」

 

タクミは我慢できず、泣きそうな笑顔のフシギダネの首筋に飛びついた。

 

「フシギダネ!これからよろしくな!!」

「ダネ、ダネフッシー!!」

 

タクミの腕や胴体にフシギダネの”ツルのむち”が絡みついてくる。

それがフシギダネの抱擁のように感じ、タクミはより強くフシギダネの身体を抱きしめた。

 

「キバッ!キババァッ!」

 

キバゴも諸手をあげて歓迎し、一緒になってフシギダネの首筋に飛びついた。

ポケモンと人間が抱き合って喜ぶさまを見て、後ろにいたオーキド博士は嬉しそうな声をあげて笑った。

 

「さて、ケンイチ君。どうするかね?」

「はぁ……こうなっては今更引き離すわけにもいかないでしょう……わかりましたよ」

 

ケンイチは腰を折り曲げて、フシギダネを覗き込む。

 

「フシギダネ……良かったな」

「ダネ!」

 

そう言って頷いたフシギダネの笑顔。

それは、この研究所では一度も見たことのない満面の笑みだった。

 

「さて、タクミ君。それじゃあ、最初のポケモンを手に入れたことだし、キバゴを正式にゲットしてくれんかのう?手続きがまだ残っておるんじゃ。急がせてすまんが、サマーキャンプの方の時間もあるしの」

「あっ、はい。フシギダネ、もういいから離して……離して……ねぇ!ちょっと!嬉しいのはわかったから離してってば!!」

「ダネ」

 

タクミはひたすら絡んでこようとするフシギダネの“ツルのむち”をなんとか引きはがし、肩で息をしながら立ち上がった。

 

「もう!フシギダネ!」

 

そう言うとフシギダネは素知らぬ顔で自分の頬の水滴を”ツルのむち”でぬぐって、生意気にもニヤリと笑ってみせた。

 

「余程嬉しかったんじゃなぁ。さぁ、これがキバゴを捕まえるためのモンスターボールじゃ」

「はいっ」

 

タクミはモンスターボールを受け取る。手に吸い付くように磨かれたモンスターボールの感触。

使い古した『プロテクトボール』とは違う手触りを確かめ、タクミはキバゴに目を向けた。

 

「キバゴ、モンスターボールだ。改めてよろしく」

 

タクミはキバゴに向けてモンスターボールを軽く放り投げた。

 

「キバッ!」

 

それをキバゴは尻尾で打ち返した。

 

「えっ?」

 

弾かれたモンスターボールは放物線を描いてタクミの胸元に帰ってくる。

 

「キバゴ、なにしてるんだよ。ほら」

「キバッ!」

 

タクミは再びモンスターボールを投げたが、またもやキバゴは尻尾で打ち返してきた。

 

「キバゴッ!」

「キバッ!」

 

今度は少し強めに投げつけたが、やはりそれをキバゴは打ち返す。

 

「もう!なにしてんのさ!キバゴ!!」

「キババッ!!」

 

そして、キバゴは何を思ったのか距離をとって相撲取りのように足を大地に叩きつけた。

 

「キバゴ?」

「キバァアアアアア!!」

 

キバゴが咆哮を上げる。

その鳴き方にタクミは覚えがあった。

 

それは、ミネジュンのケロマツとバトルをした時と同じ鳴き方。

 

「もしや、そのキバゴはバトルがしたいんではないのかのう?」

「え?」

 

タクミが振り返るとオーキド博士が興味深そうに顎に手を置いてキバゴを見ていた。

 

「キバゴは戦ってみたいのではないか?そのフシギダネと」

「あ……」

 

タクミがフシギダネを見下ろすと、困ったような顔をしたフシギダネの視線に迎えられた。

 

「……フシギダネ……やってみるかい?」

「ダ、ダネ?」

「大丈夫だよ。勝っても負けても一戦したら満足してゲットされてくれるよ。なっ、キバゴ?」

「キバッ!」

 

片目をつぶり、親指を立てるキバゴ。

 

まったく、どこでそんな仕草を覚えたのやら。

 

「フシギダネ、勇気を出して僕の手を取ってくれたなら、もう一歩踏み出してみようよ。もう一歩、前に進んでみようよ」

 

見つめ合うタクミとフシギダネ。

 

そして、フシギダネは何かを噛み締めるように頷いた。

 

「ダネ!」

「そうこなくっちゃ!!」

 

フシギダネは足を引きずりながらも、タクミとキバゴの間に歩を進めた。

 

「ダネェエエエ!!」

「キバァァアア!!」

 

その鳴き声がフシギダネ対キバゴの開戦の合図だった。

 

「フシギダネ!“ツルのむち”」

「ダネッ!」

 

フシギダネの2本の“ツルのむち”がキバゴを捉えようと左右から迫る。

だが、“ツルのむち”が届く直前、キバゴは横っ飛びに攻撃を回避した。

 

「キバッ!」

 

そのままキバゴは爪を構えてフシギダネへと突っ込んでくる。

 

「フシギダネ!避け……」

 

『避けて』

 

その指示を出そうとしてタクミは咄嗟に口を噤んだ。フシギダネは動けない。

タクミの指示が止まってしまったわずかな時間。その隙にキバゴは一気にフシギダネへと接近した。

 

「キバァァ!」

 

キバゴの爪がフシギダネへと振り切られた。

 

「ダネェェッ!!」

 

“ひっかく”をまともに受け、フシギダネが頬に切り傷をつくりながら吹き飛ばされる。

 

「フシギダネ!」

「ダネェ!!」

 

フシギダネは“ツルのむち”の伸ばして地面を掴み、姿勢を制御しつつなんとか受け身をとった。

 

「大丈夫!?」

「ダネフッシ!」

 

まだ戦意を失う様子の無いフシギダネにタクミはホッと息を吐き出した。

 

「キバァアアアアア!」

 

キバゴが自分の力を誇示するかのように咆哮を上げる。

敵にしてわかるキバゴのパワーの厄介さだった。

ただの“ひっかく”のはずなのに、加速力と体重を乗せられただけで小型のポケモンを軽く飛ばすぐらいの威力が出る。

 

あれを何度も受けるのは危険だった。

 

「フシギダネ!今度は1本だけで“ツルのむち”!!」

「ダネッ!」

 

フシギダネの『タネ』の右側から“ツルのむち”が伸びる。

今度の“むち”は迂回はせず、真っすぐにキバゴに突っ込むような軌道で攻撃した。

 

「キババッ!」

 

キバゴは既に見切っているとでも言いたげに、余裕をもって回避し、再び突っ込んでくる。

 

だが、キバゴはわかっていない。

 

既にバトルフィールドでキバゴが動ける範囲は“ツルのむち”で半分に絞られた。

そして、キバゴには遠距離攻撃はない。

 

キバゴの選択肢はその限られた範囲でフシギダネに真っすぐ突っ込むしかない。

 

だったら、狙いをつけるのは簡単だ。

 

「フシギダネ!足止めしてくれ!」

「ダネッ!」

 

その時、フシギダネの背中の『タネ』の先から大きめの『種』が発射された。

 

「キバッ!?」

「えっ?“やどりぎのタネ”?」

 

それはタクミですら想定していなかったことだった。

タクミは残しておいたもう一本の“ツルのむち”による足止めを指示したつもりだった。

だが、フシギダネは“やどりぎのタネ”をキバゴの足元に発射したのだ。

 

地面に埋まった“やどりぎのタネ”は一気に成長し、細いツタを伸ばした。

それはキバゴに絡みつき、動きを封じる。すかさずフシギダネは“ツルのむち”をキバゴに巻きつけた。

 

「キ、キババッ!」

 

“やどりぎのタネ”と“ツルのむち”に巻きつかれたキバゴは必死にもがく。

だが、動けば動く程にそれらは深く絡みつき、遂にキバゴが膝を折った。

 

自分にできることを果たしたフシギダネは誇らしげに胸を張っていた。

 

「ダネッ!」

「う、うん!よ、よくやったぞ!フシギダネ!」

 

だが、こっちは予想外の技が飛び出てきて困惑が収まらない。

 

とにかく、キバゴの動きは封じた。

“やどりぎのタネ”が体力を吸い取り、“ツルのむち”の締め付けが確実に身に食い込んでいる。

 

もう十分だった。

 

「よし!行けっ!モンスターボール!!」

 

タクミが投げたモンスターボールは今度こそキバゴの額にヒットした。

 

「キバ……」

 

モンスターボールが開き、キバゴが吸い込まれる。

モンスターボールは中でキバゴが暴れているかのように揺れ動き、中央のボタンが何度も赤く点滅を繰り返す。

 

「本当に、往生際の悪い……こういう時ぐらい素直に捕まってくれ」

 

そんなタクミの声が聞こえたかのように、唐突にモンスターボールが静かになった。

 

タクミはフシギダネと目を合わせた。

 

そして、お互いに頷きあう。

 

フシギダネは“ツルのむち”を伸ばして、モンスターボールを掴んでタクミの手元へと持ってきてくれた。

モンスターボールの中に収まっているのは妙なところで意地っ張りなことのある相棒。

 

「……フシギダネ、これからちょっと気苦労が多くなるかもしれないよ」

「ダネ」

 

肩をすくめるフシギダネに向けタクミは笑みを浮かべる。

ゲットできた喜びよりも、初めてのフシギダネとのバトルが上手くいったことの方が何倍も嬉しかった。

 

「ほんと……どこまで考えてるんだか」

 

タクミは手の中の新品のモンスターボールを見下ろす。

ボールの中でキバゴがふんぞり返っている様子が目に浮かぶようであった。



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キャンプの夜はお喋りがはかどる

フシギダネとキバゴを正式に手持ちに加えたタクミ。

 

他の新人トレーナー達も自分の最初のポケモンを決め、ポケモンキャンプは本格的にスタートした。

とはいえ、初日にすることはそのほとんどが『練習』であった。

 

新人トレーナー達は野宿用の道具を確認し、足りないものを渡され、ひたすらにキャンプの準備を繰り返す。

折り畳み式のテントを組み立て、電気式携帯コンロと鍋セットで簡易の料理を作る。

 

一通りできるようになれば次は講義の時間だった。

 

とはいえ、ポケモンバトルとか育て方の注意とかそういった話は一切出てこなかった。

オーキド博士がホワイトボードで説明していったのは旅の話だった。

 

野宿の場所の選び方、水源の確保の仕方、食料がなくなった時の対処法。

突然の雨に出会った時、方角を見失った時、危険なポケモンや変な人間に出会った時。

そのほとんどはサマーキャンプの栞に書かれていたことであったが、新人トレーナーたちはオーキド博士の話を一語一句漏らさないように聞いていた。

 

「それでは、みんなに渡したホロキャスターを起動してくれ」

 

タクミは言われるがままに左腕に付けたホロキャスターを起動した。

すると、腕の上の空間に3Dで表示されたメニュー画面が浮かび上がった。

 

「カロス地方で開発されたホロキャスターじゃが、みんなに配ったそれには他にも色々な機能がある。君たちの脈拍や体温を計測して、異常が続いた場合や君たちが身動きが取れなくなっている状況になると、SOSが近くのポケモンセンターに届くようになっておる。そのほかにも、危険に出会った場合には自分からSOSのサインも送れるぞ。困ったら遠慮なく押して構わんが、悪戯には使わんようにな」

 

タクミは初めて目にするホログラフィクを利用したデバイスに目を輝かせていた。

 

「ホロキャスターは通常の電話やメールもできるし、マップ機能も備えておる。存分に活用してくれたまえ」

 

タクミはホロキャスターを操作してカントー地方のマップを呼び出した。

カントー地方の地図は日本の関東地方に大まかな地形は似ている。

だが、タクミが覚えている関東地方とは海岸線の位置が僅かに異なる。

 

ポケモン界にはこのように、地球界と似たような地形の場所が何か所か存在している。

ポケモン界と地球界がパラレルワールドなんじゃないかと言われる所以であった。

 

「さて、長々と説明してしまったのう」

 

オーキド博士が時計を見てそう言った。既に日は傾きかけ、もうすぐ夜が訪れる。

 

「先程説明した通り、野宿の場所は明るいうちに決定してもらおう。というわけで、皆はこれから今夜の寝床と食事の準備にとりかかっておくれ。場所はこの研究所の草原エリアの範囲内。ケンタロスの群れが走り回っておる場所もあるからテントの場所選びには注意するように。なにか質問はあるかな?」

 

誰も手をあげない。

 

いくら新人トレーナーになっても日本人は日本人のままである。

 

そんな中、褐色の肌の手が皆の間から上がった。

 

「えーと、君はマカナ君だったね。なにかな?」

「……他の人を手伝ったり……手伝ってもらったり……してもいいですか?」

 

そう言ったのは行きのバスの中で仲良くなった江口 マカナであった。

 

「おう、そうそう。そのことを言うのをすっかり忘れておった」

 

オーキド博士は改めて皆を見渡した。

 

「旅は道連れ世は情けともいう通り、一人で旅をすることに拘る必要はまったくない。仲の良い人達で集まって10人ぐらいの集団で旅する人もいれば、気の合う友人と2人旅をする人もおる。助け合いは大事じゃし、一人では乗り越えられないことも仲間となら越えられることもある。明日からのスタンプラリーでは皆には好きな人と一緒に出発してもらうことにしておる。存分に協力してことにあたってくれ。ただ、今日のところはキャンプの練習なのでな、極力テント張りや炊事は一人で頑張ってくれ」

 

タクミはその言葉を聞き、すぐさま隣のミネジュンと視線を合わせた。

既に、今日のキャンプも明日のスタンプラリーも一緒に移動しようと決めていた。

 

「ポケモンが怪我をしていたり、疲れていると思ったトレーナーはいつでもスタッフの誰かに言っておくれ。ポケモンの体調管理もトレーナーの役目じゃからな。それでは解散じゃ」

 

オーキド博士がそう言うと、周囲の人達が荷物を持って立ち上がった。

 

「タクミ、キャンプの場所どうする?」

「うーん……できればあんまり遠くに行きたくないんだけど……」

 

タクミはそう言って小さくなったモンスターボールを見下ろした。

 

フシギダネは慣れないバトルをした直後で、キバゴは地球界とポケモン界で二度もバトルをしている。

ポケモン達のことを思うなら、あまり研究所から離れたところには行きたくなかった。

 

一回のバトルでポケモン達がどれほど消耗するのかの経験がない以上、安全を優先したかった。

 

「俺はそれでもいいよ」

「え?いいの?」

「うん。だってさ、この草原エリアにいるのって既にトレーナーがいるポケモンが大半なんだろ?野生のポケモンがいないんだった、あんまり遠くに行ってもしょうがないし」

「なるほど」

 

意見がまとまったところで、タクミ達は草原エリアの中でテントを張れそうな場所を探していく。

きのみがある場所はポケモンが集まってくるので避けた方が無難。

水場が近い場所がいいが、あまり近すぎると急な増水に対応できないのでこれも避ける。

 

水場から適度に離れ、ポケモン達の縄張りから少し外れた平地部。

 

タクミ達はオーキド研究所からの明かりがわずかに手元を照らすぐらいの距離にある岩場の陰にテントを張ることを決めた。

 

「フシギダネ!そっちを“ムチ”で抑えてて!」

「ダネダ!」

「キバゴ、そこに降ろして!いいよ!おっけぃ!!」

「キバッ!」

 

フシギダネとキバゴに手伝ってもらいつつ、テントを設置する。タクミは自分達で立てたテントを満足気に眺めた。

このテントは中に二人は眠れるオールシーズンテント。しかも、折り畳み傘ぐらいの大きさにまで畳める優れものだった。これはポケモン界からもたらされた繊維と合材の賜物であった。ポケモン界の『旅』に関連する道具の技術は地球界の数倍も進んでいる。

 

そんなテントを見て目を輝かせているのはなにもタクミだけではなかった。

 

「キバァ」

 

キバゴが瞳を輝かせてテントを眺めていた。綺麗なドーム状をしたテントを熱心に見つめ、キバゴは引き寄せられるように駆け出した。

 

「ダネ!!」

 

そんなキバゴをフシギダネが“ツルのむち”で素早く捕まえた。

 

「キババ!?」

「キバゴ、これから御飯なんだから、テントで遊ぶのは後にして」

「キバァ……」

 

持ち上げられたキバゴは不貞腐れたように腕を組んでいた。

 

「タクミ!水汲んできたぞぉ!」

「ケロロッ!」

「あっ、ありがと!こっちもようやく終わったよ」

 

タクミよりも手際よくテントを設営していたミネジュンはケロマツと一緒に水を汲んできてくれていた。

タクミは自分の水筒を受け取り、電気コンロを取り出して食事パックを加熱していく。

 

ポケモン達は自分達のお皿を持ち出して既に御飯が出てくるのを今か今かと待っている状態。

ケロマツはお皿を叩きながら歌いだし、キバゴもそれに合わせるようにステップを踏んでいた。

フシギダネは目を瞑って身体を伏せながらも、その歌を指揮するように“ツルのむち”を揺らしていた。

 

そんな時だった。

 

「……あ……」

 

岩場の陰から女の子が顔をのぞかせた。

 

「あっ、マカナちゃん。どうしたの?」

 

それはバスの中で仲良くなった【どくタイプ】好きのマカナであった。

 

「……あ…その……」

 

言いよどむ彼女にタクミは軽い笑顔を向ける。

すると彼女の堅かった表情がわずかに緩んだ。

 

「……そこに……テント張ってもいい?」

 

マカナはそう言ってタクミ達のテントから少し離れた場所を指さす。

 

「僕はいいけど、ミネジュンは?」

「いいよ、いいよ。全然OK!って、あっ!薬くれた子じゃん!ん?そういえば自己紹介したっけ?俺、峰 潤!ミネジュンって呼んでくれ。それとそれと、バスの中で薬もらったことのお礼を言ってなかったよな!ほんと、ありがと!あれ飲んでけっこう楽になった気もした。まぁ、ゲェゲェ吐いてたけどさ」

「……もう……お礼……言われた」

「あれ?そうだっけ?まぁ、いいや。お礼なんて何回言ってもいいだろ。というわけでほんと、ありがと。って、もう3回目になったったな。ハハハハハ」

 

マカナは立て板に水を流したように喋るミネジュンに少し面食らっていた。

彼女はバスで気分を悪くしてグロッキー状態のミネジュンの姿しか見てなかったので、その変化に驚いていたのだ。

 

「……よく喋る」

「そう?これぐらい普通じゃない?」

 

そう言って何度も食事パックの温度を確かめるミネジュン。

 

「ミネジュンはこれが普通なんだよ。せっかちでお喋り」

「そんなことないだろ。俺ってけっこう無口な方だと思うよ?ほら、今だって全然喋ってないじゃん」

「……嘘だ……」

「おっ!マカナちゃん、いいツッコミするね!タクミじゃこうはいかないもんな!タクミは一々理屈こねるから面白くないんだぞ!ボケとツッコミはリズムが大事なんだから」

「……それは……同意……」

「おっ、マカナちゃんもわかってるぅ!」

「……私……大阪から来た」

「うそぉ!?マジでマジで!?ちょっと話を……」

 

ミネジュンを放っておけば収集がつかなくなりそうなので、タクミは彼の話をそろそろ切り上げることにした。

 

「マカナちゃん、先にテント張ったら?水は僕らが汲んでくるから」

「……あ……うん」

 

ミネジュンはタクミが空気を区切ってくれた空気を無駄にすることなく、その場の流れに合わせて口を閉じた。

 

「ミネジュン、今度は僕が水を汲んでくるね」

「うーっす」

 

タクミはコンロの火を消して、立ち上がる。

 

「……あ……水は……自分で汲む」

「えっ?いいよ、僕らはもうほとんどテントの準備終わってるからさ。オーキド博士もテント張りと炊事の練習しろとは言ってたけど、水汲みも一人でやれなんて言ってないでしょ?」

「……それは……」

「というわけで水筒貸してくれる?」

「……うん……」

 

マカナはタクミの笑顔に押し切られるようにリュックに固定していた大きめの水筒を渡してくれた。

 

「んじゃ、行ってくるねぇ」

 

タクミは手をひらひらと振りながらその場を離れていく。マカナがまだ何か言いたそうな顔をしていたが、結局彼女の言葉がまとまる前にタクミは水を汲みに歩いて行ってしまった。マカナは諦めたように息を吐き、自分のテントを取り出してキャンプの準備を始めたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

日が落ち、本格的に夜になったオーキド研究所

野原には点々とテントが張られ、ランプの明かりが野原全体を照らしていた。

そんな野原の片隅でタクミ達は岩場に腰かけながら、三人で食事をとっていた。

 

「すげぇ!!マカナってすげぇハイブリッドじゃん!」

「……別に……」

 

驚くミネジュンを前にしてもマカナの表情は変わらない。だが、まるっきりの無表情というわけではなく、ほんのりと口の端に笑顔が乗っている。彼女の言葉足らずの話し方は一見すると冷たくも聞こえるが、それも彼女の個性だと思えば然程気にはならなかった。

 

「いやいやすごいって!いいなぁ、俺もせめて両親のどっちかがポケモン界出身だったらなぁ!!」

「そういえば、ミネジュンの両親ってどこ出身だったっけ?」

「おれんちは産まれも育ちも神奈川県なんだよ。じいちゃんちもすぐ近くにあるし、じいちゃんの家に行っても全然真新しさないんだよな。あっ、でもさ、近くにポケモンバトルのできる場所があってさ……」

 

タクミ達は自己紹介をしながら、友好を深めていた。

 

お喋りなミネジュンと無口なマカナ。放っておけばミネジュンが一方的に質問攻めにしそうな状態であったが、間にタクミが入って緩衝材になることで話題を上手く散らしていた。

 

彼等の足元ではポケモン達がフーズを食べながら、やはり友好を深めていた。

マカナのポケモンはアローラの環境で色の変わったベトベターと同じくアローラに生息しているヒドイデ。

 

「ベトベ……ベトベェ」

 

ベトベターはパクパクとご飯を口に運びながら身振り手振りでキバゴとケロマツになにかを伝えようとしていた。おそらく、アローラ地方のことでも話しているのだろう。

キバゴが時折驚くようなリアクションをとり、ケロマツが興味深そうに話を聞いている。

キバゴとケロマツの食事の手が止まっている隣ではヒドイデがフシギダネの足の傷の様子を見ていた。

 

「ドイデェ?」

 

フシギダネの足の傷に頭の触手でそっと触れるヒドイデ。その様子はとても『ひとでなしポケモン』と呼ばれているポケモンとは思えない。人間にも色んな性格がいるように、ポケモンの中にも色々な性格のものがいるのだ。

 

星の下で穏やかに交流するポケモンとトレーナー達。

 

ポケモン界の始めての夕食を済ませた彼等はゴミをベトベターに食べてもらい、冷え込まないうちにそれぞれのテントの中に入った。

 

とはいえ、彼等のお喋りは止まらない。テントの出入り口を近寄らせ、寝袋に入りながら彼等の夜は続いていく。

自分達の暮らしのことと。捕まえたポケモンのこと。どんな旅をしたいか、どんなポケモンを捕まえたいのか。

 

そして、どんな夢があるのか。

 

「俺は将来!プロトレーナーになってみせる!!」

 

ミネジュンは拳を握りしめてそう宣言した。

 

「……プロトレーナー……日本リーグ?」

「そうそう!俺は将来絶対にどこかのポケモンバトルチームに入ってプロトレーナーになる!!」

 

日本でもポケモンバトルは盛んに行われている。

テレビで放映されれば視聴率に直結し、年末年始に行われる高校生大会の決勝戦などは正月であることも重なって数多くの人が観戦にやってくる。

 

その中でも特に人気なのがプロリーグの試合だった。

 

7人一組のチームでシングルバトル2戦、ダブルバトル1戦、タッグバトル2戦の団体戦。年間を通じて試合を行い、最高のチームを決めるプロリーグ。

ミネジュンの夢はそのリーグに出場して、優勝することであった。

 

「……どこのチームがいいの?」

「断然、『横浜デオキシス』!!」

 

即答したミネジュンを見て、タクミは苦笑いを浮かべた。

 

「ミネジュンは『横浜』の大ファンなんだよ。名前が『スターミー』から『デオキシス』に変わる前の選手とかも知ってるし。今年は年間シート買えたんだっけ?」

「そうそう!父ちゃんがついに今年買ってくれたんだよ!だから、もうほとんど毎日『横浜』の試合を観戦に行ってる!マカナはどう?プロリーグとか好き?」

「……ママが『大阪』のファン……でも、私は……あまり」

「ああっ、やっぱり!『大阪エレブーズ』って向こうでは大人気だもんな。アウェイでの試合の時の応援すごいし、野球と一緒で熱狂的なファンが多いよな!それじゃあさ!甲子園とか言ったことある?」

「…………何回か」

「うわぁっ!いいなぁっ!高校生大会の会場もあそこだしさ!!いつか行ってみたいよなぁ!!」

 

甲子園には野球場に併設して、ポケモンバトルの会場が作られている。

野球とポケモンではオフシーズンが違うため、甲子園周辺は年間通じて人が集まるスポットになっていた。

 

「高校生で甲子園出て、プロリーグにスカウトされて、『横浜』を優勝に導く!それが俺の夢だ!!」

 

握りこぶしを作りながら声高に言い放つミネジュンにマカナは気圧されたような顔をしていた。

タクミはテントの中で横になっているフシギダネを撫でる手を止めた。ちなみにキバゴはタクミの寝袋の奥で丸くなっている。

 

「マカナちゃんは?夢とかあるの?」

「……私は……別に……」

 

マカナはわずかに目を逸らしながらそう言った。

そこにミネジュンが驚きの声をあげた。

 

「えぇっ!?ないの?なんでもいいからさ、なんか目標みたいなのないの?じゃあさ、『地方旅』はどうすんの?」

「……別に……」

「えぇっ!?バッチ集めたりしないの?コンテストとか、トライポカロンとかにも挑戦したりもしないの?それじゃあポケモンたくさん集めたりとかそういう感じ?」

「…………それは……」

 

ミネジュンに質問攻めにマカナは少し困ったように、顔を伏せてしまう。

 

「じゃあ作文とかどうしたの?『地方旅』についての目標とか作文で書かされたりしなかった?」

「…………あった……けど」

「それでいいからさ。ねぇねぇ、何を書いたんだよ。教えてくれよぅ!」

 

押し黙るマカナ。

 

彼女は相変わらずの無表情ではあったものの、本当に困っているようであった。

 

誰に対してもよく喋ってコミュニケーションをとるところはミネジュンの美徳ではあるのだが、それと同時に相手の間合いに深く踏み込んでしまう短所でもある。

今回もミネジュンが前のめり過ぎて、マカナにとっては辛い状態になっていた。

 

「ミネジュン、そろそろやめてあげなよ。マカナちゃんが困ってるだろ」

「えっ?あっ、そうだった?嫌だった?ごめんごめん!!マジごめん!」

 

両手を合わせて素早く頭を下げるミネジュン。

それを見て、マカナは何かに気が付いたかのように、急いで首を横に振った。

 

「……あ……いい……そんな……謝らなくて」

「いや、でもちょっと喋りすぎた。誰にでも言いにくいことってあるよね。うんうん」

「……違う……私が……はっきり言わなかったのが悪い」

「そりゃミネジュンと比べたら誰もがそうだよ。ミネジュンは時々はっきり言いすぎなんだよ」

「ははは、それが俺の長所ってことで」

「相手を困らせてたらそれは立派な短所です」

「てへぺろりん」

 

ミネジュンはペロリと舌を出した。

その仕草が可笑しかったのか、マカナの表情が少し緩んだ。

 

だが、それはほんの一瞬のこと。

 

マカナは何かに思いつめたような顔をして、自分のマグカップを見下ろした。

カップの中のホットミルクはランプの光を反射して、柔らかな色合いの水面となっていた。

マカナはそこに映る無表情の自分の顔を見つめる。

 

「…………ダメ……だよね……」

「え?」

「…………ん」

 

マカナは何かを決意したかのように手の中のホットミルクを一気飲みした。

 

「ぷは……」

 

そして、マカナは堅い表情で話し出した。

 

「……その……笑わないで……聞いて欲しい」

 

その言葉にミネジュンとタクミが身を乗り出す。

 

「うんうん!笑わない!絶対笑わないから!」

「僕も絶対笑わない」

 

だが、そう口にすると逆に笑顔がこみあげてくるのだから不思議なものであった。

マカナはそれを目ざとく見つけて、目を細めた。

 

「……もう笑ってる……」

 

マカナのその一言でミネジュンが堰を切ったように笑いだした。

 

「クハハハハハハハ、いや、だってさ!なんかこう!笑っちゃだめだと思うと、笑ってきちゃうじゃん!しょうがないじゃん!!」

「うん……しょうがないよね……クフフ」

 

タクミも釣られて笑ってしまう。声をあげて笑う二人。

次第にマカナも一緒になって笑い出した。それは日本人形が笑ったかのような不器用な笑顔ではあったが、笑ってくれたことには変わりはない。

 

静かな夜に彼等の笑い声が溶けていく。

 

「それで、マカナちゃんの夢ってなに?」

 

タクミのその問いに、ミネジュンも口を閉じた。

彼等はまだ笑いの残滓を頬に残していたが、真剣に話を聞くつもりである気持ちは伝わってきた。

そんな彼等を前にして、マカナは自分の夢を語りだす。

 

「……その……ジムリーダーになりたい……」

「ジムリーダー?」

「……うん……【どくタイプ】のジムリーダー……」

 

バスの中で【どくタイプ】が好きだと言っていたマカナ。

その夢は非常に納得のいくものだった。

 

「……ジムリーダーになって……それで……カントー地方のキョウさんみたいに四天王にもなれたら……なんて……」

「へぇ……どこの地方でジムを開きたいとかあるの?」

「……アローラに……リーグを作ろうて話があって……もし、リーグができるならそこでジムを開きたい……な……って」

 

マカナが語った夢をタクミとミネジュンは笑わなかった。

だが、その直後にはマカナ本人が再び硬い無表情となって視線を落とした。

 

「でも……無理……」

「え?なんで?」

「だって……ジムリーダーなれるのは……トレーナーの中でもほんの一握り……私は……多分、無理……」

 

タクミとミネジュンはふと顔を見合わせた。

そして、ミネジュンが顎で何かを促す。タクミも自分を指さしてほんのりと笑った。

 

「じゃあさ、僕の夢も笑わないでくれる?」

「……え?」

「僕の夢はね……」

 

タクミの夢。

 

それを語る前に、タクミは隣にいるフシギダネの方に目を向けた。

フシギダネは目を閉じて腹ばいになっているが、耳の動きが『話は聞いてる』と訴えていた。

 

「僕は……ポケモンリーグのチャンピオンになるのが夢なんだ」

「……え?」

 

ポケモンリーグチャンピオン。

 

その名を冠しているのは世界でもほんの数人。それは世界の頂点と言っても過言ではない称号であった。

全てのトレーナーのあこがれであり、あまりにも険しい山の頂。

 

「僕はポケモンリーグの本戦に出場して!四天王を全部倒して!そんでもって、チャンピオンにも勝って!いつか絶対に自分がチャンピオンになる。それが僕の夢なんだ!」

 

声高に言い放ったタクミ。

ミネジュンは何度も聞かされて耳タコであったが、マカナの方は目を丸くしていた。

 

「……チャンピオンって……どうやったらなれるの?」

「えぇーっと、とりあえず、現チャンピオンに公式戦で勝ち越してるのが絶対条件!それと、各地のジムリーダーの賛成多数と四天王が認めてくれることと、他の地方のリーグでベスト4に何回か入ることが必要だったかな」

「へーっ……」

「リーグのチャンピオンってことは、その地方の代表みたいなものだから。自分の地方のことも他の地方のこともよく知らなきゃいけないし、その上で強くなきゃならない。たくさん旅をして、たくさんいろんなポケモンに触れあって、そして、トレーナーの頂点に立って、ようやく『チャンピオン』の名が手に入る」

 

そう言ったタクミの目にはある種の覚悟の色が浮かんでいた。

 

タクミは今年10歳になったばかり。大人とは言えない年齢だが、それでも世間知らずの幼子ではない。

タクミは自分が向かおうとしている道がどれだけ茨の道であるかぐらいは理解していた。

 

そこを目指すトレーナーはたくさんいて、諦めた人間がたくさんいる。

自分もそうやって夢破れるトレーナーの一人になるかもしれないという思いは胸の中にあった。

むしろ、その可能性の方が高いんじゃないかとも思っていた。

人間には才能というものがあり、同じ努力をしたなら才能のある人間が上にいく。

タクミは自分に才能があると思う程には自惚れてはいない。

 

それでも、山に向かって一歩でも踏み出さなければ何も始まらない。

 

タクミのポケモントレーナーとしての人生は今日始まったばかり。

タクミは長年の友人であるミネジュンと、今日できたばかりの友人であるマカナに向けて握りこぶしを向けた。

 

「僕の夢はポケモンリーグチャンピオン!いつか絶対にチャンピオンになってみせる!!」

 

高らかに宣言するタクミ。

『笑うなら笑え!』とでも言いたげな表情だった。

 

だが、そこにいる二人は決して笑わなかった。

 

「なっ?すげぇだろこいつ。昔からずっとこういってるんだよ、『絶対にチャンピオン』になるって。笑われても馬鹿にされても、ずぅぅぅっと言い続けてるんだぜ」

「へぇ……」

 

だからタクミもミネジュンもマカナの夢を笑わなかった。

『ポケモンリーグチャンピオン』と比べれば、『ジムリーダー』も『プロトレーナー』もまだ現実味がある。

 

そして、タクミもまた自嘲するように笑った。

 

「まぁ、笑ってもいいよ。怒ったりしないから」

「……本気?」

「うん」

 

頷いたタクミの横顔をフシギダネが片目を開けて眺めていた。

 

「でも、ポケモンバトルって難しいよね。いきなりミネジュンにも負けちゃったし」

「だよなだよな!チャンピオンになるんだったら、全員に勝たなきゃいけないんだぜ。ホントすげぇよな」

「うん、すごい」

 

タクミ達は頭の中に現チャンピオンの顔を思い浮かべる。

セキエイリーグチャンピオンのワタルを筆頭に、シロナやカルネ、ダイゴなどの名だたるトレーナー達。

彼等と戦うにはまずはリーグ大会を優勝しなければならない。

ジムバッチを8つ集め、予選を潜り抜け、四天王が混じる本戦リーグを勝ち抜き、そして優勝カップの栄光と共にチャンピオンへの挑戦権が獲得できる。

 

タクミの頭の中にはテレビで何度も見たチャンピオンの試合が浮かんでいた。

 

「……なんで?」

 

ふと、マカナがそう言った。

 

「え?」

「……なんで……チャンピオンなりたいの?」

「えっ?そりゃぁ……」

 

一瞬、タクミの目が泳ぐ。

そして、タクミは慌てたようにミネジュンへと視線を向けた。

 

「ポケモントレーナーならみんななりたいじゃない?ねぇ?」

「まぁなぁ。でも、大抵の奴は無理だって思うじゃん。それに、地球界出身のリーグチャンピオンって今までいたことないし。『大統領になる』って言ってるようなもんだぞ」

「まぁ、そんな感じだよね……はははは……」

 

そう言って乾いた笑いをあげるタクミ。

その顔をマカナはじっと見つめていた。

 

「な、なに?」

「……いや……」

 

マカナは小さく首を横に振る。

 

そんな時、フシギダネが途切れた空気を繋ぐように大きな欠伸をした。

フシギダネの欠伸はタクミへと伝染り、そのままミネジュンとマナカにも広がった。

 

時計を見ればまだそう遅い時間でもないのだが、一日の移動で疲れているのもあってタクミ達はもう眠ることにした。

なにせ、明日は夜明けと同時に起きだして、スタンプラリーに出発しないといけないのだ。

3人は早めに寝ることにして、それぞれのテントの中に首を引っ込めた。

 

タクミは眠るタイミングを作ってくれたフシギダネの頭を撫でて、ランプの明かりを消した。

すぐにテントの中が闇に満たされる。だが、星や月の光は思いのほか明るく、うっすらとテントの中を見渡すことができた。

 

タクミは両腕を頭の下で組んで枕にしながら、ため息をついた。

 

「……言えないよね……」

 

それは先程の質問。

 

『どうしてチャンピオンになりたいのか?』

 

言えるわけがなかった。

そう軽々しく口にできるはずがなかった。

 

「……バトルしたい人がいるんだよ……」

 

タクミは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟く。

 

タクミの夢。

 

『チャンピオンになる』

 

それはタクミだけの夢ではない。タクミは隣のフシギダネに目を向ける。

足の動かないフシギダネ。そのフシギダネの向こう側に涙を流す少女の横顔が見えていた。

 

『足を治したい……』

 

一人の少女の泣きそうな声が記憶の底から蘇る。

 

『それで、旅をして、ジムを回って、リーグに出て、優勝するのが夢……私の夢……』

 

涙を流してそう言ったアキを前にタクミは茫然としていた。

 

あれはいつのことだったか。

 

タクミが不用意なことを言って、彼女を泣かせたのだ。

 

『願いが一つだけ叶うとしたらなにがしたい?』

 

絵本や御伽噺の世界で話題になるその質問。誰もが子供の頃に時々考えることだ。

タクミは何の考えもなしにその質問をアキにしてしまった。

それがどれだけ残酷な質問なのかもわからずに。

 

そして、アキは『足を治したい』と言って泣いたのだ。

夢を語りながら泣いたのだ。

 

未来に希望なんか見いだせず、幼くしていろんなことを諦めなければならない彼女。

自分の夢が決して叶わないものだと理解しながらも、彼女は絞り出すように夢を語ったのだった。

 

そんな彼女に向かってタクミは言った。

 

『じゃあ、僕はチャンピオンになる!!』

『え?』

『チャンピオンになって、アキがリーグで優勝するのを待ってる!僕はずっと待ってるから!!』

『でも……』

『約束!約束だからね!!僕がチャンピオンになったら、絶対に挑戦しにきてよ!足なんか治して!旅をして!ジムを回って!リーグに勝ち上がって……必ず挑戦しにきてよ!!』

『……うん……うん!!』

『約束だ!』

 

あの日絡めた小指の感触をタクミはまだ覚えている。

 

タクミの夢はタクミだけの夢ではない。

 

タクミとアキの夢。

 

そして、今それはポケモン達との夢にもなった。

 

「フシギダネ……キバゴ……頑張ろう」

「……ダネ……」

「……キバ……」

「夢は……ポケモンリーグのチャンピオンだ!」

 

タクミはテントの天井から透けて見える月に向かって手を握りしめた。

 



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これスタンプラリーじゃない、オリエンテーリングだ

翌朝、タクミは朝の冷え込みとテントから差し込む薄明りで目を覚ました。

 

早朝の爽やかな空気が寝袋の隙間から入り込み、二度寝を誘発する睡魔が追い払われる。

しかし、代わりに訪れたのは『もうしばらく布団の中でぬくぬくしてようぜ』と囁く怠惰の悪魔であった。

 

「……キバ、キバキバ!!」

 

だが、そんな悪魔も目を覚ましたキバゴには敵わなかった。

キバゴは寝袋の奥底から飛び出して、寝ぐせのついたタクミの頭をぺちぺちと叩いた。

 

「キバ!キバキバ!!」

「……キバゴ……お腹減ったの?」

「キバァ!!」

 

そんなキバゴの声にフシギダネも起きだし、前足で大きく伸びをした。

そして、こちらも同じように“ツルのむち”で御飯を催促してくる。

 

「ダネフッシ」

「キバキバァ」

「わかったわかった。起きるよ……ふあぁああ」

 

気合をいれて寝袋から這いだし、タクミはポケモンフーズの缶へと手を伸ばした。

靴を履き、外に出ると東の空にはオレンジ色をした朝日が山の隙間から顔をのぞかせていた。

 

その太陽に向かって目を細め、タクミも大きく伸びをする。

 

「……おはよ」

「あっ、おはよう」

 

声をかけてきたのはマカナであった。

彼女は寝間着のまま、岩に腰かけてポケモン達と一緒に朝日を見ていた。

 

「もう起きてたんだ。早いね」

「……ん……寝てられなかった」

 

マカナの隣ではベトベターとヒドイデが既に御飯を頬張っている。

タクミと同じでポケモンに起こされた口なのであろう。

 

「……いつもはもっと寝てるのに……」

 

マカナはそう言って自分のポケモンの頭を撫でる。

時計を見ればまだ6時前。タクミのキバゴもこんなに朝早くから御飯を食べることはない。

 

ポケモン界にきて生活リズムが変わったのか、それとも昨日の晩御飯が早かったせいだろうか。

どちらにせよ、夜明けと共に行動を開始するのが旅の基本なのでこの時間に起こしてくれるのはありがたかった。

 

「ケロッ!ケロケロッ!!」

「わかったわかった。朝飯にすっぞ。って、みんなもう起きてたのか。おはようさん」

 

ミネジュンもケロマツに急かされてテントから起きだしてくる。

こうしてポケモンキャンプ2日目の朝が始まりを告げたのだった。

 

3人は朝食を取り、テントを片付けてオーキド博士の研究所の前に集合した。

 

「さて、諸君。今日から本格的なポケモンキャンプが始まる。まずはホロキャスターのマップを開いてみてくれ」

 

オーキド博士に言われるがままにマップを開くと昨日はなかったマップが追加されていた。それはオーキド研究所の敷地を細かく示した地図であった。

その地図の中にはいくつか赤い丸で囲われた場所が点在している。

本日は森の中でスタンプラリーを行うと聞いていたが、おそらくこれがスタンプラリーのチェックポイントなのだろう。

 

ただ、そのマップを見てタクミは少し不安を覚えていた。

 

マップに点在する赤い丸はその一つ一つがあまりにも距離が離れており、その間には複数の山が連なっている。しかも、チェックポイント同士の間には道らしい道がまるでない。チェックポイントはオーキド研究所の敷地の全域に散らばっており、これを全て回るのに、一日では事足りるとはとてもじゃないが思えなかった。

 

「そこに示された赤い丸のところがチェックポイントじゃ。そして、ここで重要なことが一つ。どのチェックポイントから回るかは君たちの自由じゃ」

 

タクミはその言葉に顔をあげた。

 

「近くのチェックポイントから順に回るのもよし、遠くにある場所から先に済ませるのもよし、歩きやすい道を選んでルートを決めるのもまたよしじゃ。君たちが行う『地方旅』では自由に町を巡って旅をすることになる。これはその予行演習じゃ」

 

オーキド博士の言葉にタクミは改めて、マップへと目を向けた。

 

つまり、この敷地が『地方全体』を示していて、チェックポイントはさながら『ジム』や『コンテスト会場』といったところなのだろう。

 

「一日では回ることができんじゃろう。どこでキャンプを張るのか、一日でどれ程進めるのかを考えるのも大事なことじゃぞ。チェックポイントは全部で16か所用意した。君たちはその中の8つを回ってきてもらう。もちろん、全部回ってもかまわんぞ。制限時間は4日間。明々後日の日暮れまでじゃ。早々に戻ってきてもよいし、制限時間一杯まで野山を駆けまわってもかまわん。ちなみに、紫で区切られた場所は野生のポケモン達がいるエリアじゃ。その中では自由にポケモンを捕まえてよいぞ」

 

マップに表示された紫の場所は野山や川、岩場や洞窟などより取りみどり。

 

このスタンプラリーにはまさに『地方旅』でやれることが全て詰め込まれていた。

タクミはこの『ポケモンキャンプ』が『地方旅』の縮小版と言われる意味を本格的に理解していた。

 

どこに行くのかは自由。グループを作って移動するのも一人で出発するのも自由。何時出発するのかも何時帰ってくるのかも自由。新米トレーナー達は『地方旅』で培われるといわれる『自主性』を発揮することを既に求められていた。

 

「さて、わかったかのう?それでは最後に一言」

 

オーキド博士は大きく咳ばらいをしてトレーナーになったばかりの新人達を大きく見渡した。

 

「ポケモンは君たちの良き相棒にして、良き友となるじゃろう。この『ポケモンキャンプ』でそのことを少しでも感じて欲しい。では、これより『ポケモンキャンプスタンプラリー』を開催する!各々、自由に出発してくれたまえ!!」

 

オーキド博士がそう宣言し、引率している教師が後を引き継いで細かい注意事項なんかを述べていく。

スタンプラリー中のトレーナー同士のバトルは本日は禁止。明日以降は双方の同意があればバトルをしてもかまわないとのことであった。

 

説明が終わり、トレーナー達が三々五々に散っていく。

 

「ミネジュン……って、もう聞いてないか」

 

ミネジュンは既にマップを眺めて、紫色のエリアにいかにして素早く到達するかを考えているようだった。

ポケモンをケロマツしか持っていない彼からしてみれば、もっと沢山のポケモンをゲットすることを望んでいるのだろう。

 

タクミはミネジュンの方はしばらく放置することにして、もう一人の旅の道連れの方へと顔を向けた。

 

「…………」

 

このポケモンキャンプでなんだかんだ一緒に過ごしてきた江口 マカナ。

彼女は相変わらずの無表情のまま、どこか遠くの山を見ていた。

どこに向かうのか考えているようにも見えるし、逆に何も考えていないように見える。

一人で行きたいのか、それとも他の人と一緒に巡りたいのかさえわからない。

 

だが、そんな彼女に一言も声をかけずに出発してしまうほどタクミは薄情ではなかった。

 

「マカナちゃん。誰かと一緒に回る約束とかしてる?良かったら僕らと一緒に行かない?」

「……え」

「オーキド博士も言ってたじゃん。旅は道連れ世は情け。嫌じゃなかったら一緒にどう?」

「…………いいの?」

「うん。ミネジュンは?」

「全然おっけー!」

 

即答と同時に親指を立てるミネジュン。

だが、ミネジュンはすぐポケモン「そんなことより」と言ってホロキャスターに表示された地図を見せつけてきた。

 

「早くルート決めて出発しようぜ!俺もケロマツももう待ちきれないんだ!!」

「はいはい」

「とりあえずまず俺はここ!この森エリアと洞窟エリアに行きたい!明日からトレーナー同士のバトルができるんだから今日中に絶対に野生ポケモンのエリアに行っておきたい!俺はこれだけは譲れないからな!!」

「わかってるって。マカナちゃんはどこか行っておきたいとこある?」

「…………私は……別に……」

 

マカナはそう言ったが、タクミとミネジュンは再度問いかける。

 

「いいの?なんでも言っていいんよ」

「そうそう、俺も『絶対行きたい』って言ったけど、野生のエリアならどこでもいいし、反対側の岩場とか川岸に行きたいなら別に……」

「……いや……そうじゃなくて」

 

マカナはそう言ってわずかに視線を落とした。

顔色が変わらないので判別しにくいのだが、どうやら少し照れているようだった。

 

「……そうじゃなくて……その……私も……洞窟と森に……行きたい……」

 

そう言ったマカナの頬はわずかに上気していた。

 

「……その……【どくタイプ】……す、好きだから……その……ビードルとか……ズバットか……ゴースとかいそうなとこ……行きたい……だから……その……」

 

普段の彼女からすると随分と長く喋った。

そして、マカナは自分が注目されていることに気が付いたのかより深く顔を下げる。

 

「…………だから……そこでいい」

 

そんなマカナを見てタクミは笑みを深める。

 

最初に会った時は少し怖い印象を覚える程に感情の起伏のなかったマカナ。

だが、こうして話してみれば単なる恥ずかしがり屋な女の子である。

 

「そういうことなら問題ないね」

「ああ!やっぱり行くしかないな!タクミはいいのか?」

「僕もそれでいいよ。でも、今はどっちかというと新しいポケモンよりもフシギダネのことをもう少し知りたいんだよね」

 

タクミはそう言ってフシギダネの入ったモンスターボールの表面を指でなぞる。

 

「そっか、そのフシギダネ足が悪いんだっけ?」

「そうなんだよ。それに少し斜にかまえてるとこあるし。一筋縄じゃいかなそうでさ」

 

ミネジュンやマカナが今連れているポケモン達は既にゲットしてから時間が経っており、随分と慣れている様子が傍からも伺えた。

それに対してフシギダネとタクミはまだ出会ったばかり。

 

タクミはフシギダネのことをもっとよく知りたいと思っていた。

 

好きな食べ物や、嫌いな食べ物。普段の生活の中でどういった時間が一番好きで、どういったことが許せないのか。

ポケモントレーナーとなったからには、自分の手持ちのポケモンのことは全て理解していたいとタクミは思っていた。

 

「それじゃあどういうルートで行く?できれば山道は避けたいけど……あっ、このエリアって結構遠いね。一日で両方行けるかな?」

「…………チェックポイントを無視すれば行けそう」

「でもさ、洞窟と森の間にチェックポイントが一つあるんだよな!そこ後から行くとなると遠回りになっちまうし、ここは寄っておきたい。3日間で回ることを考えると初日に一つはクリアしておきたいし」

「うーん……でも、森のエリアから行くと山を1つ越えなきゃならないね。ここを直進してこっちの谷を通ってもいいけど、ちょっと迂回路になるし。あっ、そういえばエリアにどれぐらい滞在する?目当てのポケモンをゲットするまでいたいよね?ということはやっぱり初日に回れるのはどっちか一つに絞った方が……」

 

三人は地図に赤いラインを引いては消し、スタンプラリーのルートを考えていく。

 

こうして仲間達と進む道を考え、意見を出し合ってすり合わせていく。

そうした時間も旅の醍醐味。

 

タクミ達はしばらくの議論の末、初日に洞窟エリアとチェックポイントを一つ回り、その後は川伝いに移動していく方針とした。日が暮れれば川の近くでキャンプが張れるし、翌日は他のチェックポイントを巡りつつ森のエリアの方にも行くことができる。

 

タクミ達はホロキャスターの地図を頼りにさっそく山の峠を目指して山に入っていった。

オーキド博士の敷地内にある山は木々の間隔が広く、下草も少ない歩きやすい山であった。

道なき道をいくことから、かなり大変な道のりを想定していたタクミ達にとって、それは嬉しい誤算であった。

 

先頭を行くミネジュンが首だけで振り返りながら、声をかけてきた。

 

「思っていた以上に進めそうだな。これなら、エリアで長いこと過ごせるかも」

「……うん……歩きやすい」

 

わずかな斜面を歩きながら、タクミはふと足元を見下ろした。

 

「多分、ポケモン達の通り道なんだよ。ほら、あそこに足跡がある」

「……ほんとだ……」

「ほへぇ、何の足跡だこれ?」

 

タクミ達は足を止め、地面につけられた足跡を眺める。

 

「……なんか……犬みたい……」

「ってことはヘルガーとか?グラエナとかか?」

「いや、違うと思う」

 

タクミは周囲の落ち葉を払いつつ、足跡の深さを確かめた。

 

「この足跡は4足じゃなくて、2足歩行だし……けっこう重いポケモンだと思う。大きさからして熊みたいなのかな……ゴロンダとかリングマ……ツンベアーはこんな森の中にいないだろうし……キテルグマも違うかな……」

「えっ?どうしてそう思うんだ?」

「キテルグマの足跡には爪がないってがないのもあるけど、キテルグマは腕の力が発達してるから周囲の木をなぎ倒したりすることが多いんだ。けど、これまでの道のりでそんな木は一本もなかったでしょ?だよね?」

 

タクミがマカナにそう尋ねると、アローラにゆかりのある彼女は小さく頷いた。

 

「……アローラだと……木がなぎ倒されとるとこには近寄らない……キテルグマがいるから……」

「へぇ……って、ゴロンダとかリングマって結構狂暴なポケモンなんじゃないのか!?そんな道使ってて大丈夫か?」

「大丈夫じゃない?」

 

タクミはあっけらかんとそう言ってのけた。

 

「ゴロンダは自分より弱そうな相手に喧嘩はしないし、リングマも縄張りのきのみとかに手を出さなきゃそうそう襲ってこないよ。それに、この辺りにいるのはオーキド研究所のポケモンだし」

「なるほどなぁ……」

 

関心したように頷くミネジュン。

 

「しっかし、タクミって、本当にこういうの詳しいな」

「そんなことないよ」

「いやいや、そんなことあるって。俺足跡見ただけでそこまで考えつかねぇもん。いやぁ、本当にタクミと一緒にポケモンキャンプ来れて良かったよ!!」

 

ミネジュンに肩を思いっきり叩かれ、タクミは痛みに顔をしかめた。

 

「……なんでそんなに知ってるの?」

「え?あぁ……ポケモンの図鑑とか、雑誌とか、そういうのよく読んでたからかな」

 

誰と一緒に読んでいたかは決して言わないタクミであった。

 

タクミ達はまた山道を歩きだす。

子供の持つ底なしの体力で山道をハイペースで歩き、峠を越えてなお進む。

タクミ達はポケモンの足跡と地図を頼りにしながら、できるだけ緩やかな斜面を歩いて行く。

 

決して最短ではないが、体力を温存しながらの登山。

 

タクミ達が洞窟エリアにたどり着いた時、まだ日は頂点には達していなかった。

 

「ついたぁあ!!」

 

ミネジュンが洞窟の入り口を見つけて声を上げた。

タクミ達の目の前には巨大な洞窟が口を開けていた。

洞窟の周囲は木枠で補強がされており、中には一定間隔で電球が赤い光を放っていた。

赤い光は洞窟内の環境を暗闇に保ちながらも視界を確保できる光なのだとタクミは聞いたことがあった。

 

どうやらここは人工の洞窟であるようだ。

 

「もうここは野生のポケモンのいるエリアなんだよな!ゲットしてもいんだよな!!よっしゃあぁ!出てこいケロマツ!!」

 

ミネジュンは返事を待たずにケロマツをモンスターボールから呼び出した。

 

「ケロケロ!!」

「なぁなぁ!もう自由行動でいいか!?」

 

ミネジュンは今すぐにでも洞窟内に駆け込みたいようであった。

 

「いいけど、他の場所には行かないでよ。それと、今10時だから、12時になったら一度戻ってきて。お昼ご飯を食べてながら午後の予定を決めるって感じでどう?マカナちゃんもそれでいい?」

 

彼女は小さく頷きながらも、既にモンスターボールを構えていた。

声には出さないが、彼女もまたポケモンをゲットしたくてうずうずしているようだった。

 

「それじゃ、いってらっしゃい」

「おっしゃあぁああ!待ってろよぉ!俺のポケモン!!!」

「ケロケロ!!」

「………………」

 

声を張り上げて洞窟に突撃していくミネジュンと無言でその後ろを走っていくマカナ。

なんだかんだで息の合ってきた二人を見送り、タクミは自分のモンスターボールを掴んだ。

 

「出てきて、フシギダネ!」

「ダネ」

 

ボールから出てきたフシギダネは周囲を見渡した。

タクミの他には誰もおらず、目の前には洞窟が口を開けている。

 

「フシギダネ、そこの洞窟に探検に行くんだけど。一緒に行かない?」

「ダネダ……」

 

タクミはフシギダネとできるだけ一緒に過ごす時間を伸ばすために共に歩こうと思ったのだ。

もちろん、歩くペースはフシギダネに合わせるるもりだった。

 

「ダネ……」

 

だが、フシギダネはそも場から一歩も動こうとしなかった。

 

「フシギダネ、どうしたの?」

「ダネ……」

 

フシギダネは“ツルのむち”を伸ばしてタクミの腰についているもう一つのモンスターボールをつついた。

 

「キバァ!!」

 

キバゴがモンスターボールの中から飛び出てくる。なぜか両腕を掲げて体操のフィニッシュのようなポーズを取っての登場だった。

 

「キバ?」

「ダネダ……ダネ……」

 

そしてフシギダネはキバゴに“ツルのむち”を使って洞窟を示した。

その仕草にタクミはフシギダネが何を考えたのかを理解した。

 

つまり『洞窟を探検するならキバゴを連れてけ、俺じゃ役立たずだ』と言いたいのだろう。

 

タクミは「バカだなぁ」と呟いて、フシギダネの隣に膝を折った。

 

「フシギダネ……僕は君のペースに合わせて歩いてもいいんだよ?」

「……ダネ……」

 

不貞腐れたように顔を背けるフシギダネ。

そして、フシギダネは“ツルのむち”でタクミとキバゴを洞窟へと押しやろうとしてくる。

 

「まったく……」

 

タクミはフシギダネの前足の下に手を入れて、フシギダネを抱きかかえた。

フシギダネの体重は7kg弱。大きめのスイカと同じくらいの重量だ。

10歳の身体には少し重いが、持って運べない大きさではなかった。

 

「フシギダネ、僕は昨日言ったよね」

「ダネ?」

「僕は、一緒に世界を見に行こうって言ったんだ」

 

タクミはフシギダネを担ぎ上げ、背中のリュックと首の間に乗せて体を安定させた。

フシギダネの頭がタクミの帽子の上に乗る。

 

「フシギダネ……君も新しい世界を見たかったんじゃないの?だったら、こんなとこで『待ってる』なんて言わないの」

「キバキバッ!!」

 

キバゴも同意するように何度もうなずく。

タクミは手を伸ばして頭の上のフシギダネの頬を撫でる。

 

「それに……」

「ダネ?」

「ポケモンがトレーナーに指示を出そうなんて生意気だぞ」

 

タクミはそう言って笑う。

フシギダネは驚いたように目を開き、すぐポケモン小さく笑いだした。

 

「ダネ」

「そうそう、せっかくの冒険なんだ。笑っていこうよ」

「ダネ!!」

 

タクミの言葉がフシギダネに届いたのか、フシギダネは“ツルのむち”を伸ばしてタクミの腰と肩に巻きつけた。

フシギダネの体重が首だけじゃなく身体全体に分散されたおかげで体感するフシギダネの重量が軽くなる。

 

「ありがと、フシギダネ」

「ダネフッシ」

 

タクミは荷物を背負いなおし、洞窟へと歩き出した。

笑顔を取り戻したフシギダネと元気いっぱいのキバゴを連れて洞窟の中へと入っていく。

 

日の光の下から暗闇の中への一歩。

 

薄暗い洞窟の中ではタクミの表情を伺うことはできない。

 

だが、洞窟内の赤い光が作り出す帽子の影の下で彼の顔からは笑顔が消えていた。

 

タクミの頭の中にはケンイチさんの言葉が蘇っていた。

 

『フシギダネは進化するんだ』

『進化してフシギバナになったら、それこそ身体を動かすことだけで一苦労になってしまう。そんなポケモンを君は育てていけるのかい?』

 

進化したらこうして運んであげることもできなくなる。

 

足の動かないポケモンと一緒に旅をし、育てることの難しさをタクミは早くも実感しつつあった。

 

タクミの胸に渦巻く不安。

 

そんな時だった。

 

「キバ」

「ダネ」

 

キバゴがタクミの足を軽く叩き、フシギダネの“ツルのむち”の先がタクミの手に巻き付いた。

 

「え……」

 

二人はそれ以上何も言わない。

ただ、二人がタクミを励ましてくれていることだけはわかる。

 

そんなポケモン達の気遣いがタクミの笑顔を取り戻す。

 

『せっかくの冒険なんだ。笑っていこう』

 

タクミが直前に放った言葉が早くもタクミの元へと投げ返される。

 

「ありがとね……って、あっ!今、あそこで何か動かなかった!!」

「ダネダ!ダネダネ!!」

「キバ?」

 

フシギダネが同意するように“ツルのむち”を伸ばす。

キバゴは気づかなかったのか、首を傾げていた。

 

タクミ達の旅はまだまだ始まったばかり。

 

それは、ここから何処へだって歩いて行けるということでもあった。

 



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気に入らないんだからしょうがない

野生のポケモンが生息する洞窟エリアは思った程の広さはなく、複雑な道もなかった。

途中までは一本道だが、途中から二手に分かれ、片方は天井に穴の開いた大きな広場に続き、もう片方は反対側の出口に繋がっていた。途中に細道があったりするものの、迷うことはまずない単純な構造の洞窟だった。

ただ、細かな物陰が多く、小さなポケモン達が身を隠せるような場所がいくつもある。

ほんの小さな隙間にディグダが潜んでいたり、何気なく手をついた岩がイシツブテだったり、意識して探せばいたるところにポケモンを見つけることができた。

 

特に広場では最初に洞窟エリアを目指してやってきた他のトレーナー達があちこちでポケモンとバトルしてゲットに励んでいた。

 

ただ、タクミはそういった集団には参加しなかった。

 

タクミはキバゴとフシギダネを連れて歩きながら、野生のポケモンの観察ばかりを行なっていた。

ここにいる野生のポケモンは人間に慣れているのか、積極的に飛びかかってくることもなく、キバゴがいくら騒いでも逃げていくだけ。

歩き回る分には穏やかな冒険をすることができた。

 

ズバットが眠る細道。サンドが丸まる岩陰。パラスやパラセクトが集団で森から帰ってくるところにも遭遇した。

バトルして何かポケモンをゲットしても良かったのかもしれないが、キバゴやフシギダネが野生のポケモンを脅かさないように振る舞っていたので、タクミも敢えてバトルするようなことはしなかった。

 

「ダネェ……」

 

フシギダネは今までずっとオーキド研究所の周囲の狭い範囲しか見ることができなかった。

そんな彼にとってこれは彼の新しい世界への第一歩なのだ。タクミはフシギダネの興味の向くままに過ごさせてやりたかった。

そんなことをしている間に時間は過ぎ、約束の12時にタクミ達は元の場所へと戻ってきた。

 

「どう?満足できた?」

 

タクミが戻ってきた二人にそう聞く。

すると、ミネジュンの満面の笑みが返ってきた。

 

「おうっ!もうバッチリ!見てくれよ俺のポケモン!」

 

ミネジュンがボールを放り投げると、中からズバットとディグダが飛び出てきた。

 

「ズバッ!」

「ディグディグ!」

 

ズバットはすぐポケモンミネジュンの周りを飛び回り、ディグダはそれに追従するようにミネジュンの周りをぐるぐると回りだす。

 

「なんか、もう懐いてるみたいだね」

「ヘッヘー!まぁ、俺にかかれば、ざっとこんなもんよ!こいつらは、俺のケロマツのスピードについて来ようとした奴らなんだ!大したやつらだろ!?」

「あぁ、それで洞窟の中で徒競走してたんだ……」

 

最初にミネジュンとケロマツが洞窟内で全力疾走を始めた時は遂に頭のネジが飛んだのかと思ってしまった。

 

「それで、こいつらは何度もケロマツに勝負を挑んできてさ。そんなガッツを見せられたそりゃゲットするっきゃないよなって思ってな!お前ら、これから一緒に頑張ろうぜ!」

「ズバッ!」

「ディグ!」

 

その間も慌ただしく飛び回るズバットと動き回るディグダ。

その様子は普段から落ち着きのないミネジュンのポケモン版のようにも見える。

ポケモンとトレーナーは一緒に過ごすうちに段々と似てくると言われるが、どうやら今回は最初から似た者同士が出会ったようであった。

 

そして、そんなミネジュンとは対照的なポケモンを連れているのがマカナであった。

彼女の足元には静かにニドランが『おすわり』していた。

濃い紫色の体毛と額の鋭いツノ。ニドランの雄である。

 

「マカナちゃんはニドランを捕まえたの?」

「……うん……ズバットも捕まえようとしたけど……早すぎた……あと……」

 

マカナはふと後ろを振り返る。

 

「……あれ?」

 

マカナはキョロキョロとあたりを見渡す

 

「…………ゴース?」

 

マカナがゴースを呼び、後ろを振り返った。

 

「あ……」

 

そんな彼女の背中に黒い霧の塊のようなポケモンがくっついていた

『ガスじょうポケモン』と呼ばれるゴースだった。

ゴースはマカナの背中にぴったりと身を寄せ、タクミ達に向け音もなく笑ってみせた。

 

「……ゴース……どこ?……ゴース……」

 

それでもゴースを呼び続けるマカナ。

その声が徐々に寂しげなものになってきて、タクミとミネジュンはどうしようか顔を合わせた。

 

「……どこ……ゴース」

 

マカナの背中が項垂れる。足元のニドランが彼女の背中についたゴースを呆れたような顔で見上げていた。

タクミやミネジュンも同じような目でゴースを見やる。

 

複数の視線を受けたゴース。

最初は人をからかうような笑顔だったゴースの表情が次第に冷や汗をかいたようなものに変わる。

 

「……その……私……ゴース捕まえて……でも……いなくて……」

 

マカナが首だけで振り返りながらそう言った。

マカナの声が泣き出す直前のようになってきて、ゴースが更に焦りだす。

 

『うわっ、やばい!泣きそうだ!?どうしよう!?どうしよう!!?』

 

ゴースの声なき動揺が伝わってくる。

 

だが、そんなものゴースが飛び出てしまえば済むだけの話のはずだ。なのに、なぜかゴースは彼女の背中から離れようとしない。マカナがあまりに心配するものだから、出ていくタイミングを見失ってしまったのかもしれない。

 

なんとも間の抜けた『お化け』であった。

タクミはため息を吐き、代表して声をかけることにした。

 

「ゴース。もう出てきてあげたら?」

「……え?」

 

タクミがそう言うと、ゴースは奇妙な笑い声をあげて、彼女の背中から飛び出した。

 

「あっ、ゴース……どこにいたの……」

「ゴースゴスゴスゴス!!」

 

ゴースは最初から予定していたかのように笑い声をあげてマカナの周りを飛び回る。

 

「……この子がゴース……ちょっと困った子だけど……いい子だよ」

「そうみたいだね」

 

皆がゴースを見上げると、ゴースは気まずそうに視線を逸らしていた。

変わった性格のゴースであるが、悪い奴ではなさそうであった。

 

「……タクミ君は?……なにか捕まえた?」

「いや、僕はなにも」

 

肩をすくめたタクミにミネジュンは不思議そうな顔をした。

 

「えっ?じゃあ何してたんだよ?」

「フシギダネ達と一緒にちょっと冒険をね。な?」

 

タクミはそう言って頭の上に乗っているフシギダネの頬を撫でた。

 

「ダネ……」

 

フシギダネはタクミの頭の上で小さく頷く。

その顔はやっぱり少し不貞腐れたようなものであったが、緩んだ頬のせいで随分と説得力に欠けていた。

そんなフシギダネの顔を見て、ミネジュンとマカナも微笑む。

 

新しいポケモンを捕まえることだけが、トレーナーの役割ではない。

 

「さぁ、お昼にしよう!お腹すいちゃった」

「そうだな!俺も腹ペコ!!」

「……私も」

 

ポケモン達も同意するように鳴き声をあげる。

 

彼等はその場にリュックを降ろし、食事の準備をはじめる。

食事パックを火にかけている間、タクミは降ろしたフシギダネの後ろ脚を覗き込んだ。

 

「フシギダネ、足の調子はどう?痛んだりしない?」

 

頭の上に乗せていたので、変な姿勢になっていなかったかどうかを確かめようとそう尋ねる。

 

「……ダネ……」

 

フシギダネは自分の腰を振り、左足をぶらぶらと揺らす。

力の入らない左足は振子のように重力に従って揺れるばかり。

 

『今更これ以上悪くなるかよ』

 

そんな言葉が聞こえてきそうだった。

 

だが、タクミとしてはその油断こそが危険だと思っていた。

 

「いいかい、フシギダネ。足は動かないかもしれないけど関節は定期的の曲げたり伸ばしたりしといた方がいいんだよ?ちょっと“ツルのむち”を出して」

「ダネ?」

 

タクミはフシギダネの“ツルのむち”を左足へと持ってきて、左足に巻きつけた。

 

「ほら、こうすれば足を自分で曲げたり伸ばしたりできるでしょ……まぁ、やっぱり固まっているよね」

 

筋肉や関節は動かさないと質が固くなり、本当に動かなくなっていく。それは人間でもポケモンでも変わらない。

フシギダネがもう一度この足を動かせるようになるとは思えないが、筋肉が硬直すると血流が悪くなって足そのものが死んでしまう可能性だってある。

 

タクミはアキを長年見てきたおかげでこういった病気のことを必要以上に知っていた。

 

「フシギダネ、できるだけこうやって動かしておくことが大事なんだよ。あとはこうやって温めたりとか……」

「……ダネ……」

 

フシギダネの足の関節部分を両手でこすり、温めるタクミ。

タクミの両手から体温が伝わり、その熱が洞窟で冷えたフシギダネの身体に染みこんでいく。

 

そんなタクミの手の上に小さなキバゴの手が重なった。

 

「キバ!キバキバ!キバァァァ……」

「キバゴ、お前もやってくれるの?」

「キバ!!キバァァァ……」

 

まるで念を込めるような声を発しながらフシギダネの足をさするキバゴ。

 

「……ダネ」

 

フシギダネはそんなタクミとキバゴを不思議そうな目で見つめていた。

そして、何かを皮肉るように不貞腐れた笑みを放ちながら、フシギダネは“ツルのむち”でタクミの肩を叩いた。

 

「え?」

「ダネダネ」

「あっ!ご飯!!」

 

フシギダネに教えられ、料理パックを火にかけたままであったことを思い出したタクミ。

熱し過ぎになる直前でコンロから降ろし、タクミはホッと息をつく。

 

「ありがと、フシギダネ」

「……ダネ……」

 

タクミが撫でようとするとフシギダネは照れてそっぽを向く。

 

なんだか、こういう態度も慣れてきたな。

 

そんな時だった。

 

「あっ!タクミ君じゃん!!おーーーい!!」

「え?」

 

聞き慣れない声が洞窟の方から聞こえてきた。

知り合いの声ではない。だけど、相手はタクミのことを知っている。

 

このポケモンキャンプに参加している中でタクミの名前を知っている人は限られている。

 

タクミは声の主を予想して、眉間に皺を寄せた。

 

「タクミ君!どう?なんかポケモンゲットした?」

 

4,5人の集団が洞窟の中から日の光の下に現れる。

その先頭にいる人物はタクミが思った通り、行きのゲートトレインの中で出会った少年、羽根田 春樹(はるき)であった。

 

タクミは料理パックを地面に置き、ゆっくりと姿勢を起こした。

唇の端でなんとか笑顔を作って片手を上げる。

 

「いや、まだなんにも捕まえてないんだ」

「そうなんだ。明日になったらバトル始まるし、早めに捕まえた方がいいんじゃない?あっ、そうだ。俺が手伝ってあげようか?強いポケモンを探すコツとか教えてあげるよ?」

「あははは……それは、ありがたいね」

 

タクミはなんとか愛想笑いを浮かべながらできるだけ気分を平常心に保つ努力をした。

タクミは昨日のゲートトレインでキバゴを侮辱されたことを忘れていなかった。

 

「あっ、今からご飯なのか?」

「うん。ハルキ君達は?」

「俺達はもう洞窟の向こうで食ったんだ。これからこの洞窟で強いポケモンをゲットするつもりさ」

 

ハルキと話している間に彼の友人たちは今来た洞窟を振り返り、何を捕まえるか議論しているようだった。

 

その様子は普通のトレーナーと変わらない。

彼等だって、ポケモンに胸を躍らせる新人トレーナー達なのだ。

一方的に反感を持つのはよくない。

 

タクミは息を深く吸うことで腹の奥の熱量を沈めようとした。

 

その間に、ハルキがマカナの傍をふわふわと漂ってたポケモンに目をとめていた。

 

「って、ゴースじゃん!やっぱりこの洞窟ゴースいるんだ!?ねぇねぇ、このゴースは君が捕まえたの!?」

「……え……あ……うん……この洞窟で……」

「へぇっ!やっぱりいるんだ!!おーいみんな!この洞窟にゴースがいるってよ!!」

「えっ!マジで!?やっぱりな!思った通りじゃん!」

「じゃあやっぱり周囲のチェックポイント回ってここの近くでキャンプしようぜ!夜の方がゴースも出るだろうし!!」

 

盛り上がるハルキの友人達。

 

それを横目にハルキはマカナのゴースについて質問攻めにしていた。

 

「なぁなぁ、このゴース強いの!?」

「……え?」

「バトルして捕まえたんだろ?強かったか?珍しい技とか覚えてた?素早さとか……」

「……え、えと……」

 

あまりのペースにマカナが一歩下がる。

その隣ではニドランが静かにハルキ達を見上げており、ゴースはどうしたらいいかわからずにオロオロと揺れていた。

 

そんな彼女の態度にハルキはすぐポケモン身を引いた。

 

「あっ!ごめんごめん。ポケモンのこととなるとやっぱり気になっちゃって」

 

そう言ってハルキは「たははは」と快活に笑ってみせた。

 

「で?どうだった?」

「……この子……ちょっと……困った子だけど……」

 

マカナのその評価にハルキは首をひねった。

 

「困った子?えっ、もしかして弱いの?」

「……弱い……って……そうじゃなくて……」

 

何かを言おうとしたマカナであったが、それを制するようにハルキがゴースを見上げて言った。

 

「ああ、でも。確かに弱いかもね。ゴースって最終進化のゲンガーになると素早さが大事なんだけど。さっきからこのゴース見てたけど、煙の移動がやっぱりちょっと遅いもんね……うん、これは少し弱いゴースだね」

 

ピシリ、と空気が固まる音がした。

 

それはマカナから完全に表情がなくなったとか、タクミの顔色から笑みが消えたとか、ミネジュンの拳が握り込まれたとか、そういうことではない。

 

三人の意志が『拒絶』の二文字で一致した音だった。

 

「あっ、ねぇ、良かったら今夜一緒にこの洞窟でキャンプしない?俺達が強いポケモンの見分け方教えてあげるよ。強いゴースを一緒に捕まえようぜ」

 

ハルキは軽くウィンクをしながら、親指を立てた。

彼からすれば親切心で言っているのだろうが、その一言一言がタクミ達の神経を逆なでてしいる。

 

「タクミ君も一緒にどう?弱いキバゴだけじゃこの先困るでしょ?……って、あれ?フシギダネもいるじゃん。オーキド博士にもらったの?」

 

フシギダネに目を向けるハルキ。

タクミは咄嗟にフシギダネとハルキの間の位置に立った。

ポケモンの『強さ』を重視するハルキにフシギダネを見せれば、碌な言葉が飛んでこないことはわかっていた。

 

だが、手遅れだった。

 

彼はフシギダネの後ろ脚を覗き込んで、声をあげた。

 

「あれ……ん?……うわ!タクミ君!!そのフシギダネ交換してもらってきなよ!ほら、足引きずってるじゃん!うわ、ひっどい傷!」

 

フシギダネの様子を見て顔をしかめるハルキ。

 

タクミは奥歯を噛み締めた。『クソッたれ』と口の中で言葉が漏れる。

 

言葉の刃物を受けたフシギダネの瞳が僅かに細まる。

 

そして、フシギダネが笑った。

 

それは何かを諦めたような笑み。

 

研究所で旅立っていくトレーナー達を眺め続けていた時の歪んだ顔。

それは、一度は取り戻したはずの満面の笑顔が消えた瞬間だった。

 

タクミはそのフシギダネの顔を見て、悪態を飲み込んだ。

 

だが、ハルキの口はまだ止まらない。

 

そして、遂に彼は決して言ってはいけないことを言った。

 

「そんな不良品みたいなポケモン、返した方がいいよ!」

 

ブチリ、と何か太いものが切れる音が聞こえた。

それはタクミの理性の糸が本格的に切れた音だったのかもしれない。

 

「誰が……」

 

自分の口から零れ落ちた声。

腹の底に溜まっていたどす黒い塊を吐き出すかのようなしゃがれ声。

噴火寸前の火山が放つ黒煙のようなその呟き。

 

そして、遂にタクミが弾けた。

 

「誰が不良品だぁっ!!!」

 

タクミの怒鳴り声が辺りに響き、近くの林から数匹の鳥ポケモンが驚いたように飛び立った。

 

静まり返る洞窟前。

 

そのタクミのあまりの剣幕にハルキはもちろんのこと、ミネジュンやマカナまで呆気にとられたようにタクミの顔を見ていた。

 

腹の奥が煮えくり返っていた。頭の奥で血管が脈打つ激しい音が聞こえていた。全身の肌から汗が吹き出し、怒りに手足が震えていた。

 

「誰が!何が!何が不良品だってんだよっ!ふざけんじゃねぇよ馬鹿野郎!!」

「……えっ……いや……でも……」

「お前がなんでそんなこと言うんだよ!お前何様だよ!えぇっ!?」

 

あまりの感情の昂りにタクミの目に涙が滲む。こんな奴を前に涙を見せたくはなかったが、熱くなる目頭は止められなかった。

 

滲んだ視界に地球界にいる少女の横顔が浮かんできていた。

 

「足が動かないのが……まともに歩けないのがそんなに悪いことかよ!!!」

 

それはタクミの決して触れてはいけない逆鱗だった。

 

「いや……なにそんなキレてんだよ……泣いてるし」

「うるさい!うるさいうるさい!!」

 

タクミは手の甲で涙をぬぐいながらもハルキを睨みつける。

だが、ハルキの方はそんなタクミに身を引くばかりだった。

 

「いや……だってさ……足動かなかったらポケモンバトルでだって絶対不利じゃん……なぁ?」

 

ハルキは自分の友人達に同意を求める。

彼の友人達は急にキレたタクミに驚きながらも小さく頷いていた。

 

「だから……そんなフシギダネより、オーキド博士に別のフシギダネをもらったらいいと思ったんだよ……」

「『そんな』……『そんなフシギダネ』だと!!この野郎!!」

 

タクミが地面を蹴る。

その直後、ミネジュンがタクミの腕を掴んで羽交い絞めにした。

 

「タクミ!ちょっ、ちょっと待てって!!喧嘩すんな!」

「うるさい、離せよミネジュン!!」

「ちょっ、タクミ!どうしたんだよお前!らしくねぇぞこの野郎!暴れんなって!!いてっ!このっ!なにすんだこの野郎!!」

「……だ、だめ……ふ、二人が喧嘩しちゃ……だめ……」

 

ミネジュンとタクミの喧嘩に発展しそうになるところをマカナが止めに入ろうとする。

それを困ったように見ていたハルキ。

 

こんなことになった原因は自分にあるようなのだが、ハルキとしては酷いことを言った自覚はなかった。

 

「んだよ……」

 

ハルキも理不尽にキレられたようで気分が悪かった。

 

「ハルキ、もう行った方がいいんよ」

「このままここにいても喧嘩なるだけだし」

 

ハルキは友人達の勧めに従うように、タクミ達から一歩足を下げた。

 

「……そうすっか…………」

 

ハルキはあまり自分が悪いとは思ってはいなかったが、タクミに向けて軽く頭を下げた。

 

「なんか、悪かったね。ごめんな」

 

その言葉にタクミの目が見開かれた。

タクミの手が震えていた。

 

「……僕に謝ったってしょうがないじゃん……そうじゃないじゃん……なんだよそれ……」

 

元来た道を戻り、洞窟に入っていくハルキ。

 

彼の姿が洞窟の中に消えていこうとする。

タクミは大きく息を吸い込み、その背中に渾身の怒鳴り声を叩きつけた。

 

「ハルキ!僕と勝負しろぉぉおお!!」

 

ハルキが振り返る。タクミとハルキの目が合う。

 

「勝負?ポケモンバトルってこと?」

「そうだよ」

 

タクミはそう言ってハルキを睨みつけていた。

その後ろからミネジュンが必死にタクミを止めようとする。

 

「ちょっ、タクミ!ポケモンバトルは明日からだぞ!」

 

そんなことはタクミもわかっていた。だけど、タクミはそんな理屈を聞いていられる状態ではなかった。

 

「ポケモンバトルだ。もうトレーナーなんだろ?勝負を挑まれたら、受けるのがトレーナーだぞ」

「俺は喧嘩でポケモンバトルはしたくないんだけど?」

 

ハルキはそう言って呆れたように笑う。

 

「わかってる?ポケモンバトルって喧嘩じゃないんだよ?トレーナー同士がお互いに握手をできるようにするためのものなんだから」

「喧嘩じゃない……ただのトレーナー同士のポケモンバトルだ……どっちのポケモンが強いかを決めるバトルだ」

 

タクミはそう言って喉の奥から威嚇のように吐息を吐き出した。

 

ポケモンバトルが本来どういうものであるかなんて、タクミとて知っていた。

自分がトレーナーとして間違ったことをしようとしていることもわかっていた。

 

それでも、タクミはバトルを取り下げたりはしなかった。

 

タクミはただ認めさせたかったのだ。

 

『いらない』と言われたキバゴ。『不良品』呼ばわりされたフシギダネ。

そんなポケモン達が本当に弱いのかどうか、確かめさせたかった。

 

「ポケモンバトルは明日からだよ?」

「黙ってりゃバレないだろ」

 

ハルキがタクミの方へと戻ってくる。

ハルキの友人も彼を止めようとしているが、ハルキはその静止を振り切って再び洞窟から日の下へと出てきた。

 

「負けたらチクるのはなしだぞ」

「……誰にも言わないさ」

「あと、勝負を挑んできたのはそっちだからな?そこんとこ忘れんなよ」

 

タクミはミネジュンの腕を強引に振り切った。

それでも、ミネジュンは何度もタクミを止めようとしてくる。

 

「タクミ!バカ!この!もう!やめとけってのに!!」

「ミネジュン……ごめん……」

 

タクミはその手を振り払い、フシギダネを呼んだ。

 

「フシギダネ……行くよ!!」

「……ダネ、ダネダ」

 

だが、フシギダネはあまり乗り気のしないような顔を向けるばかりで動こうとしない。

 

今のフシギダネはタクミと共に外の世界へと足を踏み出したフシギダネではない。

心無い言葉に傷つき、研究所に1人で取り残されていた時のフシギダネに戻ってしまっていた。

 

だが、フシギダネがそんな精神状態であることすらタクミは気づけない。

 

「フシギダネ!」

「……ダネ……」

 

フシギダネはタクミの強い言葉を受け、渋々と言った顔で足を引きずりながらタクミの前へと歩く。

そんなフシギダネを見やり、ハルキは余裕の笑みを浮かべていた。

 

「それで、使用ポケモンは?」

「僕はフシギダネとキバゴだ」

「そう?まぁ、俺はポケモンをまだ一匹しか持ってないんだけど……じゃあ出てこい!ヒトカゲ!!」

 

ハルキがモンスターボールを放り投げる。

 

「カゲェ!!」

 

中から出てきたのは目つきの鋭いヒトカゲであった。

ヒトカゲはあまり戦う気のなさそうなフシギダネを見て、ハルキと同じような余裕の笑みを浮かべた。

 

「悪いけどさ。バレたくないし、速攻で終わらせるからな」

「やれるもんならやってみろよ!!」

「すぐ終わるさ」

 

洞窟の前の広場に緊張感が張り詰める。

ハルキの目は既にフシギダネの方に向いていた。ヒトカゲも冷静にフシギダネを観察し、足が悪いことを見抜いている。

 

そんな彼等に対してタクミはまだハルキを憎々しげに睨みつけているばかり。

彼の足元にいるフシギダネは戦うことを嫌がるように目を背けていた。

そんなフシギダネの方をタクミは見ようともしていなかった。

 

「フシギダネ!“ツルのむち”」

「ヒトカゲ!“かえんほうしゃ”!!」

 

フシギダネがムチを伸ばそうと身構える。だが、それより早くヒトカゲが口を開いた。

指示の声はタクミの方が早かったはずなのに、先に技を放ったのはヒトカゲの方だった。

ヒトカゲの口の奥から巨大な火柱が放たれる。

 

「ダネッ!!」

 

“ツルのムチ”の攻撃を行おうとしていたフシギダネ。

元々足が動かない上に技を出そうと硬直したタイミングで放たれた“かえんほうしゃ”。

それをフシギダネが避ける術はなかった。

 

“かえんほうしゃ”に呑まれるフシギダネの身体。

 

火が収まった時、そこには気を失っているフシギダネの身体が横たわっていた。

 

「あ……ふ、フシギダネ!!」

「勝負ありだよ。ほら、キバゴを出しなよ」

「くっ……くそっ!!」

 

タクミはモンスターボールの中にフシギダネをしまい、すぐポケモン後ろにいたキバゴを呼んだ。

 

「キバゴ!頼む!“ひっかく”だ!!」

「キバッ!」

 

真正面から突っ込んでいくキバゴ。

それをハルキは退屈そうに見下ろしていた。

 

「ヒトカゲ、“りゅうのいぶき”」

「カゲェッ!」

 

ヒトカゲの口の中に紫色に輝くエネルギーが収束していき、そして放たれた。

 

「キバッ……」

 

ドラゴンの形を象ったエネルギーの塊が広場を飛翔し、キバゴへと直撃する。

 

「キバァアアア……」

「キバゴ!!」

 

“りゅうのいぶき”という【ドラゴンタイプ】の攻撃を受けて吹き飛ばされるキバゴ。

キバゴの身体が宙に浮き、放物線を描いて落下する。キバゴはそのまま地面に叩きつけられ、数回バウンドして動かなくなった。

 

「キバゴ!キバゴ!!」

 

タクミは慌ててキバゴのもとに駆け寄り、抱きかかえた。

 

「キバゴ!大丈夫か!?」

「…………」

 

傷だらけのキバゴ。キバゴからの返事はない。

 

「キバゴ!キバゴ!!」

 

キバゴは目を閉じ、ぐったりとしたまま。

タクミはその身体を必死に揺り動かす。

 

その様子を見ていたハルキは頭をかき、ヒトカゲに声をかける。

 

「……ヒトカゲ、よくやった。戻ってくれ」

「カゲッ」

 

そして、ハルキはタクミの方に軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございました。それじゃあ、俺もう行くから」

 

ハルキはため息を吐き、仲間達と共に洞窟の奥に消えていく。

 

「キバゴ!!キバゴォ!!!」

 

タクミがキバゴを呼ぶ声がただ虚しく周囲に響いていた。

 



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負けっぱなしで終われるか

ハルキに敗れたタクミ。

 

キバゴとフシギダネは少し休めばすぐに意識を取り戻した。

辛そうにはしていたが、大きな怪我もなく、タクミは安堵のため息をついた。

ただ、洞窟の前にいればそのうちハルキが戻ってくるかもしれない。

スタンプラリーのチェックポイントのこともあり、タクミ達はその場を離れ、予定通り、川の方へと歩を進めた。

 

その間もタクミは二つのモンスターボールを握りしめたまま俯いていた。

 

「………………」

 

タクミの胸に様々な感情が渦巻く。

 

負けたくない相手に負けた屈辱。

一方的なバトルを経験した敗北感。

 

そして何よりもフシギダネとキバゴに無茶なバトルをさせてしまったことに対する罪悪感と申し訳ない気持ちが溢れていた。

 

「……ごめんな……」

 

自分の都合でバトルをさせてしまって。

余計な怪我を負わせてしまって。

 

「……ごめんな……」

 

何度もモンスターボールに向けて謝り、泣きながら歩くタクミ。

そんなタクミの前を行く二人はお互い何度も目を合わせるものの、なかなか声をかけられずにいた。

 

三人は川岸を歩き続ける。

 

そして、そろそろチェックポイントの近くに来たであろうタイミングでマカナがミネジュンに声をかけた。

 

「……ミネジュン」

「なに?」

「……なんで……タクミくん……あんな怒ったの?」

「…………」

 

珍しく口数が少ないミネジュン。

実はミネジュンも驚いていた。

 

最初はポケモンをバカにされたから怒っていたのかとも思っていたが、どうもそれだけではなさそうな雰囲気があった。

 

今までどんなに『ポケモンリーグのチャンピオンになる』という夢をバカにされようがタクミはそれを笑って受け流してきた。キバゴのことをバカにされれば多少感情的にもなっていたが、自制できるような範囲だった。そんな彼があそこまで怒り狂った姿を見たのは初めてだった。

 

確かに今までもタクミとミネジュンは何度か喧嘩してきた。

小さなことで泣きながら殴り合ったこともあった。

だけど、そんな大喧嘩もここ2年はやった覚えはない。

 

あそこまで感情をむき出しにしたタクミを見るのはミネジュンも久しぶりであったのだ。

 

どうしても譲れない何か、タクミの心の琴線を震わせる何かをハルキが言ったのだと、ミネジュンは思っていた。

 

ミネジュンは打ちひしがれているタクミを振り返る。その重い表情から彼の傷心具合が伝わってくる。冗談の一つ二つで気分が上向いてくれそうにはなかった。

 

「………………」

 

だが、ミネジュンはそんな親友が立ち直るのをただじっと待ってられるような性格はしていなかった。

 

ミネジュンは頭をかきむしり、その場に立ち止まってタクミに指を突きつけた。

 

「あぁっもうっ!!タクミ!!!」

「えっ……な、なに?」

「なにじゃないだろ!!なにじゃ!!」

 

突然声を張り上げたミネジュンにタクミもマカナも目を見開く。

付近の山々にミネジュンの声が反響して山びこになって帰ってくる。

 

「お前!このままでいいのかよ!!」

「…………」

 

タクミは唇を噛み締めて俯く。

 

良いわけがなかった。

あんなことを言われたまま、ハルキに負けたままで終わらせられるわけがなかった。

だけど、タクミにはもう一度ハルキと戦いたいとは思えなかった。

 

「……でも……悪いのは……僕の方だ……」

 

タクミは絞り出すようにそう言った。

 

ハルキは確かに暴言を吐いた。

だが、先にポケモンバトルという手段を言いだしたのはタクミの方であり、フシギダネとキバゴに『喧嘩』を肩代わりさせてしまったことは許されざる行為だ。

 

罰を受けるべきはタクミ自身であることは本人が痛い程にわかっていた。

 

「そりゃ、さっきのタクミはなんかおかしかったし。お前も悪いとこ一杯あるけど……でも!!」

 

そのことはミネジュンもわかってる。

喧嘩両成敗という言葉もあるが、今回の出来事を罪の天秤に載せればタクミの方が重い。

 

「でも!!フシギダネとキバゴが弱いと思われたままでいいのかよ!?」

「……それは……」

「それに、お前はチャンピオンになるんだろ!」

「…………」

「それなのに!負けっぱなしでいいのか!!」

 

ギリ、と音がした。

 

タクミの奥歯が鳴った音だった。

 

「いいわけない……いいわけないじゃないか!」

 

タクミは目元をゴシゴシとぬぐい、声を張り上げた。

 

「僕だって悔しいよ!ムカつくよ!ポケモンのことを一目見ただけで全部を見通してる気になってるあいつがゆるせないよ!」

「そうだ!そうだ!」

 

ミネジュンが頷きながら拳を振り回した。

その隣ではマカナも激しく頷いてる。

 

「見返してやりたいよ!ギャフンと言わせたいよ!……あいつに……」

 

目を強く閉じれば瞼の裏に蘇る光景がある。

それは、いつもベッドの上にいる彼女の姿だった。

足は動かず。身体は病気がち。タクミが彼女の部屋を訪れると彼女はいつも窓の外ばかり見ている。

 

よく泣いて、しょっちゅう弱気になって、散々諦めかけて、それでも最後は歯を食いしばって前に進もうとする彼女の姿だ。

 

タクミはそんなアキに憧れたのだ。

 

「あいつに……勝ちたいよ!!」

 

力強く言い放ったタクミ。その声が山びことなって谷底に響き渡った。

 

「なら……やることは決まったな」

 

ミネジュンがタクミの肩をポンと叩く。

そして、親指を立てて満面の笑みを見せた。

 

「これから特訓しようぜ!!」

「うん!……って、え?これから?」

「そうだよ!チェックポイントも全無視だ全無視!とにかく特訓!特訓特訓特訓だ!!」

 

ミネジュンが腕を振り回す。

 

「やるぞぉおおお!このポケモンキャンプの間に絶対にハルキのやつに絶対に勝つんだぁぁ!」

 

あらん限りの声で叫ぶミネジュン。

そんな友人を横目にタクミは自分の胸に再び熱い炎が燃え上がってくるのを感じていた。

 

「うん!やろう!!」

 

タクミは意を決したように頷き、握っていたモンスターボールを見下ろす。

 

「……よし……」

 

タクミは自分の中のこの闘志が消えないうちにボールを高く放り投げた。

 

「出てこい、キバゴ!フシギダネ!」

 

モンスターボールが開き、タクミのポケモンが飛び出してくる。

 

「キバァ!」

「…………」

 

キバゴは出てくると同時にタクミの方へ飛びかかり、すぐ肩へと登ってきた。まだまだ元気が有り余ってる様子のキバゴにタクミはホッと息を吐く。

 

「キバゴ……もう一回一緒に戦ってくれるかい?」

「キバッ!!」

「ありがと……まぁ、お前のことはあんまり心配してなかったけど……」

「キバッ!?」

 

『えぇっ!?』という顔をするキバゴの頭を撫で、タクミは『とても心配していた』方へと目を向けた。

 

「…………」

 

フシギダネはタクミに背を向け、その場に伏せっていた。

 

「フシギダネ……」

「…………」

 

フシギダネの背中を見て、先程のバトルのことが蘇る。

 

あの時のフシギダネは心無い言葉を投げつけられ、精神的に追い詰められていた。

フシギダネはバトルを始める前から既に戦える状態ではなかった。

 

そのことはタクミもわかっていた。

 

それなのにタクミは怒りに任せてバトルを慣行した。

 

「ごめん……フシギダネ」

 

頭を下げるタクミ。

 

「ごめん……フシギダネ……僕は……君のトレーナー失格だ」

「…………」

「傷ついたよね……辛かったよね……ゴメン……」

 

フシギダネの背中からは何の感情も読み取れない。

振り向いてくれないフシギダネの背中は昨日出会った時と同じ、何かを諦めた背中だった。

 

そんなフシギダネに対して何をすべきか。

 

その答えは既に心の中にあった。

 

「……フシギダネ……でも、僕は君のトレーナーをやめたりはしないから」

 

フシギダネの身体がハッとしたように震えた。

 

「僕は君を投げ出したりしない。君を捨てたりしない……君と一緒に強くなりたい!!」

「……ダネ……」

「フシギダネ……次は……勝つよ!」

 

『次』

 

その言葉にフシギダネが振り返る。

 

「……ダネ……」

 

『次』という言葉。それはフシギダネの世界にはなかったものだった。

 

フシギダネは足が悪い。

だから『できないことはできない』のだ。

 

どれだけ治療を施しても、どれだけ頑張っても同じなのだ。

今できないことは『次』もできない。

 

何度も壁にぶつかり、何度も挫折を繰り返し、フシギダネは何かをやる前から諦めることが当たり前になっていた。達観したように見えるフシギダネの態度は誰よりも臆病な心の裏返しなのだ。

 

「ダネ……」

「フシギダネ。僕は……絶対に諦めないからね!!」

「キバァァァアア!!」

 

キバゴが同意するように吠える。

 

そんな彼等を見て、フシギダネは自分を連れ出してくれた相手の本質を少し理解できたような気がした。

 

『あぁ……こいつ……そっか……』

 

輝きを放つタクミの目。その奥に宿る情熱はもう泣いて謝るだけの少年の目ではなかった。

次を見据えて壁に立ち向かっていくトレーナーの目だった。

 

『こいつ……タフなんだなぁ……』

 

フシギダネは心の中で思う。

 

『俺も……なれるかな……こいつみたいなタフな奴に……』

 

フシギダネは足を引きずりながら、タクミに面と向かう。

 

『勝てるかな……アイツに……あのヒトカゲに……』

 

フシギダネの脳裏に鋭い目をしたヒトカゲの姿が蘇る。

 

自分を雑魚としか見ていなかったあのヒトカゲ。

一発の“かえんほうしゃ“だけで事足りると余裕ぶったあのヒトカゲ。

 

アイツに勝てるだろうか。

 

フシギダネはタクミの肩に乗るキバゴへと目を向ける。

 

「キバッ!!」

 

キバゴは渾身のガッツポーズを決めていた。

既に再戦する気満々のキバゴを見て、フシギダネは唇の端で笑う。

 

『俺もなりたい。こんな身体でも逆境を吹き飛ばせるような。そんな自分になりたい……』

 

フシギダネは強く頷き、地面を踏みしめた。

 

「ダネェェ!!」

 

大きく鳴き声をあげるフシギダネ。

 

「よぉし!やるぞぉぉ!」

「キバァァァア!」

「ダネェェエエ!」

 

3人の渾身の叫び声に川岸にいたポケモンが驚いて離れていく。

タクミ達はそんなことを気にもせず、ただ腕を空に向けて突き上げた。

 

「よぉし!!俺も頑張るぜぇえ!!」

 

元気なったタクミ達の輪の中にミネジュンが入り、一緒になって腕を振り上げた。

 

「ハルキに勝つ!絶対に勝つぞぉ!」

 

そんなタクミ達を遠巻きに見ていたマカナ。

彼女は自分の手を握りしめる。その手の中に握り込んでいたのは、タクミがフシギダネを元気づけた言葉であった。

 

『僕は……絶対に諦めないからね!!』

 

マカナは意を決するように目を見開き、タクミ達の輪の中に飛び込んだ。

 

「……私も……手伝う」

「え、いいの?僕ら、このまま本当にチェックポイント全無視するよ?もうスタンプラリーなんか完全にそっちのけで特訓するよ」

「……いい……私にも手伝わせて……」

「でも、本当に無理しなくていいんだよ?これは僕の問題なんだから」

 

タクミがそう言うと、隣のミネジュンから素早く張り手が飛んできた。

 

「あいたっ」

「馬鹿野郎!タクミ!なにが『僕の』問題だよ!これはもう『俺とお前』の問題だ!」

「……それも……違う……」

「え?」

「……私も……ゴースのこと悪く言われた……」

 

するとマカナは耳を赤く染めながら、俯いて拳を肩のところまで持ち上げた。

 

「……だ、だから……その……」

 

しどろもどろになりながらも必死に自分の言いたいことを伝えようとするマカナ。

 

「……こ、これは……もう……『私達』の問題……だから……頑張る!!」

 

そう言ってマカナは、他の皆と同じ高さで腕を突き上げた。

 

そんなマカナを見て、タクミとミネジュンは弾けるような笑顔を浮かべた。

 

「よっしゃぁああ!やるぞぉおおおお!!」

「おーーーー!」

「ダネェーーーー!」

「キバァーーーー!」

「お、おー……」

 

彼等の声が山々の中に木霊して消えていく。

ポケモンキャンプ2日目。だが、彼らの『旅』が本当に始まったのは今この瞬間なのかもしれなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

研究所の書斎で次のラジオの台本を確認していたオーキド博士。

書斎の戸がノックされ助手のケンイチが入ってきた。

 

「オーキド博士」

「ん?どうかしたかの?」

「あの、ポケモンキャンプに来ている生徒達の中で何人かが、研究所の敷地のかなり奥へと進みはじめたので報告に来ました」

「ふむ……見せてくれ」

 

ケンイチはオーキド研究所の全域が表示されている端末をオーキド博士に手渡した。

そこにはポケモンキャンプに訪れている生徒達の位置が事細かに表示されていた。

 

その大半が赤いチェックポイントを回るか、野生ポケモンがいるエリアをウロウロしている。

 

だが、その中でいくつかのグループがチェックポイントとはかけ離れた場所へと向かっていた。

 

「毎年恒例じゃのう。チェックポイントなんか気にせずにただひたすらに自分のポケモンと過ごすトレーナー達」

「はい。ですが、1つ気になるグループがありまして」

「これかの?」

 

オーキド博士が示したのは川の付近から離れ、チェックポイントが散らばる範囲の遥か外側にまで歩を進めているトレーナー達であった。

 

「はい。その中の一人が例のフシギダネをパートナーにしたトレーナーです」

「なるほど、タクミ君か……この付近は岩場が多い。心配か?」

「はい。危険な場所ではないですけど、研究所から離れすぎているので、万が一ということもあります。レンジャーに様子を見させてきてもよろしいでしょうか?」

「うむ」

 

ケンイチに端末を返し、笑顔でそう言ったオーキド博士。

それと対照的にケンイチの表情はやや硬い。

 

「どうしたんじゃ?あのフシギダネを新人トレーナーに託したことがそんなに不満かの?」

「いえ、そういうわけではありません……」

 

ケンイチも最初は『無理だ』と思い、なんとか諦めさせようとした。

だが、フシギダネの花が開くような笑顔を見てしまえばそんなことを言いだすことはできなかった。

 

それは、あのフシギダネがこの研究所に来て、初めて見せた笑顔なのだ。

 

トレーナーがポケモンを選ぶように、ポケモンもトレーナーを選ぶ。

フシギダネが自分の意志であのトレーナーについて行ったのだから、そこにそれ以上口を挟むのは無粋というものであった。

 

それはケンイチも頭では理解している。

だからといって、心配せずにいられるかというとそれはまた別の問題なのだ。

 

「まぁ、様子を見てみることじゃ。ポケモンキャンプの間には答えも出るじゃろう」

「そうですね。では失礼します」

 

ケンイチは頭を下げ、書斎を後にした。

ただ、扉を閉めた時に垣間見えた彼の横顔には『心配だ』としっかり書かれていた。

 

「これも親心かのう……」

 

オーキド博士は肩をすくめる。

 

あのフシギダネがこの研究所に来てから、フシギダネを誰よりも気にかけ、世話を焼いてきたのはケンイチであった。引き取ってくれるトレーナーが見つからなければ、ケンイチがトレーナーとなっていただろう。

 

だから、フシギダネとタクミのことが心配で心配で仕方ないのであろう。

 

「……まぁ、もっとも……いらぬ心配だとは思うがのう」

 

オーキド博士は自分のパソコンを立ち上げ、ポケモンキャンプにやってきた新人トレーナー達の情報を呼び出した。

 

「サイトウ タクミ、ミネ ジュン、エグチ マカナ……さてさて、三人でこんな場所で一体何をしているのやら」

 

そして、オーキド博士はモンスターボールに記録されるポケモンのバイタルサインをチェックする。

 

そこにはタクミのポケモンが一時的に体力を落としたことが明確に示されていた。

野生のポケモンとバトルしてもこんなに消耗することはない。

 

おそらく、規則を破ってトレーナーとバトルしたのであろう。

だが、オーキド博士にはそんな彼等にペナルティを与えるつもりはなかった

 

あのルールは地球界の学校が安全策として勝手に決めたルールであり、オーキド博士としては意味のないものと思っていた。

 

学校からすれば、彼らはまだ『生徒』のくくりなのだろうが、オーキド博士からすれば彼らはポケモンを手にした時点で既に『トレーナー』なのだ。トレーナーであれば、ポケモンバトルをするのは当たり前のことだった。

 

それに、ポケモンバトルはトレーナーを驚くほどに成長させる。

その上げ幅は新人であればある程に高い。

ポケモンを手にしたばかりの彼等はもっと多くの経験を重ねた方が良いというのがオーキド博士の持論であった。

 

彼等がどんな4日間を過ごして帰ってくるのかを楽しみにしながら、オーキド博士は再びラジオの台本へと目を落とした。

 



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リベンジマッチは同じ場所で

ポケモンキャンプ5日目

 

スタンプラリーの最終日であり、今日の日没が期限である。

 

オーキド博士の敷地の中を歩き回る多くの子供達がこの4日間を濃密な時間を過ごしていた。

ポケモンを捕まえ、トレーナーと出会ってバトルし、悔し涙をぬぐいながら握手をかわす。

 

たった一日の中にいくつもの出会いと別れがある。

 

それは地球の上に立っているだけでは決して味わうことのできない冒険であった。

 

そんな中、地球の友人達とスタンプラリーを巡っていたハルキ。

地球界の友人グループと一緒に行動していたハルキは既にスタンプは8つ集め、いくつかポケモンもゲットした。ただ、ハルキの表情はまだ満足していない。彼の目当てはゴース。あちこち探し回ったが、目的のゴースだけがまだ捕まえることができていなかった。

 

「っていうか本当にここにゴースいるのかな?」

 

ハルキ達は最初に訪れた洞窟エリアに戻り、その中で目をこらしてゴースの存在を探していた。

 

「あのアローラの子が持ってたし、いるんでしょ?」

「もしかしたら最初から持ってただけなんじゃね?どんだけ探してもいないんだけど」

「他の子たちもゴースなんて一度も見なかったってさ。昼も夜も見かけたって話ないし。やっぱりいないんじゃない?」

「そうかな……」

 

ハルキは諦めきれずに洞窟を何度も往復するが、やはりゴースの煙の欠片すら見つけることができなかった。

 

【ゴーストタイプ】に分類されるゴース。その身体のほとんどはガスで構成されており、薄暗い洞窟の中ではその姿はすぐに闇の中に紛れてしまう。ゴースというポケモンの性格を把握し、探すべき場所を見極められれば捕まえるのはむしろ簡単であるのだが、そんなことがトレーナーになりたてのハルキ達にできるはずもなかった。

 

マカナがこの洞窟でゴースをゲットすることができたのは【どくタイプ】のポケモンに対する知識の深さがなせる技であった。

 

「ゴースゴスゴス……」

 

ゴースは自分の姿を探す新人トレーナー達を洞窟の天井付近から見下ろしてクスクスと笑っていた。

 

「ゴス?」

 

そんなゴース達は何かに気づいたかのように洞窟の入り口へと一斉に目を向けた。

新たなトレーナーの気配。空気中の流れを敏感に読み取るゴースはその雰囲気を感じ取り、静かに笑いながら姿を消していく。

 

「ゴース……ゴスゴス……」

 

霞んでいくゴースの身体。その中でゴースの目だけが『面白いことになりそうだ』と笑っていた。

 

ハルキ達は少し休憩しようと、洞窟の外へと向かった。

 

「ハルキ、いい加減諦めようぜ。これなら、ブリーダーからタマゴ貰った方が早いって」

「そうかもね。でも、俺はポケモンは自分の目で見極めたいんだよ……あの子がいればなぁ……」

 

ハルキはゴースを捕まえていた異国の女の子のことを思い返す。

 

あの場で彼女やタクミと一緒に行動できたならば、この洞窟でゴースのいた場所を教えてもらえたかもしれない。そうすればもっと手早く事は済んだし、余った時間でポケモンの特訓だってできたかもしれない。

 

「……ほんと、なんで怒りだしたんだろ……」

 

洞窟の中にハルキの声が反響する。

 

「何の話?」

「ほら、この洞窟で出会った奴がいたじゃん。あのフシギダネを連れてたタクミって奴」

「ああ、あの弱いポケモンを連れてる?」

「そうそう……」

「しょうがねぇよ。人って本当のことを言われると怒り出すって本当だね」

「ははは、なるほど」

 

そんな話をしていたハルキ達。

 

その時、彼等の先頭を歩いていた一人が洞窟の出口付近で立ち止まった。

 

「ん?どうした?なんかポケモンでもいた?」

「あ……いや……えと……ほら、あそこ」

 

彼は洞窟の外を指さした。

 

まだ日も高い、洞窟の外。

そこはスタンプラリーの初日にタクミとハルキがバトルをした場所だった。

 

そして、そのバトルをした時と全く同じ場所に、同じ人物が立っていた。

 

「……あ」

「……やぁ……ハルキ君」

 

そこにタクミが立っていた。

タクミの後ろにはミネジュンとマカナが控えており、その三人の誰もが真剣な目で真正面を見据えていた。

 

そんな彼等を前にしてハルキ達の足が止まった。

 

ハルキの友人達の足が止まったのは、タクミの姿がそこにあったからだった。彼等からしてみればタクミの印象はよくない。彼等はタクミのことを『突然キレる危ない奴』としか認識していなかった。

 

ただ、その中で一人だけ例外がいた。

 

ハルキだけがゾクリと肌が粟立つ感覚に足を止めたのだった。

 

タクミ達の表情は驚くほどに自然体だった。笑うでも、怒るでもなく、ただ悠然と構えている。

だが、彼等三人の目は真っすぐにハルキへと据えられていた。

 

その視線に含まれているのは敵意でも悪意でもない。

 

それは『標的』として狙いを定めた視線だった。

 

自然と掌に汗をにじませるハルキ。

そんな彼にタクミはリラックスした態度のままで声をかける。

 

「ハルキ君……この間はゴメンね……僕も怒りすぎた……喧嘩みたいなポケモンバトルもしちゃったし。ほんとゴメン」

 

タクミはそう言って腰を45度に曲げて頭を下げた。

 

「え、あ、うん……いや、僕もなんか、ごめんね……」

「うん……それでさ。ハルキ君……」

 

タクミが一歩足を前に出す。

ハルキの友人達がそれに気圧されたかのように足を引いた。

 

ハルキとタクミの間にはもう誰もいない。

 

ハルキはこの時、自分がどういう状況にいるのかに気が付いた。

 

これは俗にいう、『目と目が合ったポケモントレーナー』という状況なのだ。

 

そして、それを物語るかのようにタクミの身体から闘気が吹きあがった。

 

「もう一度……ポケモンバトルをしない?」

 

タクミの目の奥に光る強い輝き。

自分を真っすぐ見据えて逸らすことを許さない視線。

ハルキの目はタクミの視線に吸い込まれ、動かなくなった。

 

「今度は喧嘩じゃない。僕と僕のポケモン達が全力で相手をする」

「ははは……前は全力じゃなかったんだ?」

「……全力だったさ。でも、一昨日の全力と、今日の全力は違うんだ」

「え?特訓でもしてたの?」

「……まぁね」

「へぇ……って、怖い怖い!顔が怖いって!ねぇ、怒ってんの?もっと笑顔でバトルしようぜ」

 

ハルキが場を和ませようとなんとか愛想笑いを繰り返すが、タクミの表情は変わらない。

そして、タクミは静かに言った。

 

「怒ってないよ。ただね……ちょっと真剣なんだ……だからさ……」

 

タクミが自分のモンスターボールを取り出し、握りこぶし大にまで巨大化させた。

 

「だから……ハルキ君も真剣(マジ)に相手してよ」

 

そう言ったタクミの声には一切の甘えが消えていた。

彼の顔には10歳とは思えない程の強い決意が浮かんでいた。

 

『バトルして、絶対に勝つ』という覚悟。

 

遊びや練習などでは決してない。自分の持ちうる全てを叩きつけてやるという強い意志が迸っていた。

 

それを前にしてハルキの顔から笑顔が消えた。

 

ハルキは今まで何度もポケモンバトルをしてきた。

 

地球界で初めてヒトカゲをもらった時から兄と繰り返しバトルをしてきた。毎日バトルフィールドに出かけては色んな人とバトルしてきた。このスタンプラリーの間にも何度もバトルをした。

 

だが、ここまで本気で挑まれたことは一度もなかった。

 

地球界のバトルフィールドにいる人達は自分を『新人』としか見てくれず、手加減されていた。

『ポケモンキャンプ』に参加した他の人達もとにかくバトルがしてみたいと挑んでくるばかりで、『勝ちたい』と本気で思っている相手はいなかった。

 

「…………」

 

けど、目の前にいるタクミは違う。

 

彼から『絶対に負けたくない』という気持ちが空気を介して伝わってくる。彼は本気の本気で自分に勝ちに来ている。

 

ハルキは自分の足が僅かに震えるのを感じた。

 

たった10年の人生の中で、避けることのできない真っ向勝負など一度も経験したことがない。腹の奥が冷え込むような震えが走っていた。ただ、それと同時に胸の奥から1つの熱が沸き起こってくるのも感じていた。

 

『俺が負けるわけないじゃないか』

 

それは、成功体験に基づく自信。

 

俺のヒトカゲは“かえんほうしゃ”をもう覚えている。“りゅうのいぶき”だって使える。

 

同世代とのバトルで負けたことなど一度もない。

 

「いいけど……負けないと思うよ」

 

ハルキはそう言ってタクミに向けて力強く足を踏み出した。

大地を踏みしめた右足は既に震えてはいなかった。

 

「やってくれるんだね」

「もちろんさ!だって俺は……ポケモントレーナーだからな!!」

 

ハルキもモンスターボールを取り出して手の中に握り込む。

 

「ルールはどうする!?」

「使用ポケモンは2体!交代有り!!」

「OK!!それじゃあ!!やろう!!」

 

2人のトレーナーは同時にモンスターボールを投げ込んだ。

 

「まずはお前だ!!キバゴ!!」

「頼むよ!シェルダー!!」

 

フィールドに降り立つキバゴとシェルダー。

 

だが、そのキバゴの姿を見てハルキは目を丸くした。

 

「えっ!どうしたのそのキバゴの……キバ」

 

タクミのキバゴは全身に多数の擦り傷を負っていた。その鱗はところどころがひび割れ、薄汚れ、図鑑のキバゴとは似ても似つかない色合いになっていた。

 

ただ、問題はそこではない。

 

『キバゴ』というポケモンのトレードマークでもある、口元のキバが両方とも根元から折れていたのだった。

 

「君と別れてから色々あってさ。もう、あの時の僕と同じと思わないでよ!!」

「キバァアア!!」

 

キバゴが威嚇するように吠える。左右のキバが折れているにも関わらず、その声の張りは以前よりも数倍に増していた。地面に叩きつけられた両足はより力強く、体幹部の太さがわずかに増している。

 

だが、ハルキはその微細な変化には気づけなかった。

 

「……なんだ……やっぱり弱いじゃん」

 

ハルキは口の中だけでそう呟く。

 

普通のキバゴのキバは簡単には折れたりしない。

この数日間でタクミが何をしてきたのかはわからないが、あのキバゴはスタンプラリーの行程でキバが折れる程度のポケモンでしかない。

 

それに対して、ハルキのシェルダーは沢山いたシェルダーの中から豊富なワザが使えるシェルダーを選び抜いてゲットした。

 

このシェルダーが【ドラゴンタイプ】であるキバゴに負けるはずがなかった。

 

「シェルダー!先手必勝!!“つららばり”」

「シェル!!」

 

二枚貝のような姿をしたシェルダーの貝の隙間から鋭く尖った氷塊が無数に打ち出された。フィールド一杯に放たれた“つららばり”は回避など絶対にできない物量でキバゴへと襲い掛かる。

 

シェルダーの持つ特性【スキルリンク】

 

物量を主とする攻撃の量を極限まで引き出す特性だった。

 

しかも“つららばり”は【こおりタイプ】

【ドラゴンタイプ】であるキバゴとの相性は最悪だった。

 

シェルダーの“つららばり”がフィールド一杯に弾幕を張り、ハルキは勝利を確信する。

あのキバゴがこれを受け切れるはずがないと思っていた。

 

「………………」

 

迫りくる“つららばり”。

 

それを目の前にしてキバゴとタクミはこのポケモンキャンプのことを思い出していた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「……とりあえず……遠距離ワザがない……そこはなんとかした方がいいと思う……」

 

特訓を始めた最初の夜。ランプの明かりで食事を取りながら、マカナがそう切り出した。

初日はとにもかくにもバトルの経験値をあげることを考えて、3人で代わる代わるバトルしていたのだが、明日も同じことを続けるつもりは彼等にはなかった。

 

ポケモンに合わせた新たな戦術を組み立てるために、彼等は知恵を出し合っていた。

 

「遠距離ワザ?」

「……うん」

 

マカナが言うにはタクミの手持ちには遠距離で牽制として放てるワザがないのは問題じゃないかという話だった。

キバゴは完全に近接ワザしかない。フシギダネの“ツルのムチ”は中距離から近距離よりのワザ。“やどりぎのタネ”も決定打としては弱い。

 

それにハルキのヒトカゲとのバトルを想定するなら、“かえんほうしゃ”や“りゅうのいぶき”で遠距離からネチネチ攻撃されたら手も足もでなくなってしまうのは目に見えていた。

 

それがマカナの意見であった。

 

タクミは隣にいるキバゴ達に目を向ける。

食事をすっかり食べ終えたキバゴはフシギダネの背で“ツルのムチ”で模様を作って遊んでいた。

 

「キバゴ、どう思う?」

 

タクミがそう尋ねると、キバゴは話を聞いていたらしく少し首を傾げて目を閉じた。

そして、キバゴはおもむろに立ち上がって両腕を振り回しだした。

 

「……キバッ!キバッ!キバァ!!キバァアアア!」

 

シャドーボクシングのような動きをしてみせるキバゴ。

キバゴの言わんとしていることを理解して、タクミは呆れたようにため息をを吐いた。

 

「わかったわかった。お前は格闘戦がしたいんだな」

「キバキバッ」

 

気持ちが通じたことが嬉しかったのか、キバゴは飛びはねるようにしてタクミの膝に飛び乗ってきた。

 

「キバァ!!」

 

膝の上でもシャドーボクシングを続けるキバゴ。

そのスパーリングの相手をするかのようにキバゴの目の前にフシギダネの“ツルのムチ”が差し出された。

 

「キバッ!キバッ!キバッ!!」

「……ダネダ……」

 

じゃれるような2人の動きに微笑ましい気持ちになる一同であったが、問題が解決したわけではない。

 

「……でも、遠距離対策か……」

「確かに問題だよな」

 

ミネジュンも「う~ん」とうなり声をあげた。

 

「ミネジュンも必要だと思う?」

「うん。キバゴは動きが直線的だから狙い易いとは俺も思ってた。フシギダネに至っては完全に(まと)だし」

「……まぁ、そうなんだよね……」

 

バトルの為に他のポケモンを新しくゲットすれば多ければ話は別なのだろうが、今回はキバゴとフシギダネで勝たなければ意味がない。

 

タクミは膝の上で腕を前に突き出し続けるキバゴを見下ろす。

 

ボクシングのような遊びを行う2人を見て、タクミはふと思い付いたことを口走った。

 

「……じゃあさ……こんな作戦はどうかな?」

 

その作戦を告げた時の2人の顔は本当に見ものであった。

 

2人の顔には『こいつバカじゃねぇの?』という言葉が遠慮会釈なしに張り付いていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

タクミは目の前の“つららばり”を前に、ニヤリと唇の端で笑ってみせた。

 

「……キバゴ!!特訓の成果を見せるよ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴが両腕を勢いよく振り下ろし、ツメを構えた。その爪先から紫色のオーラが迸る。キバゴの腕から噴き出た力の奔流はキバゴの手を包み、腕まで広がり、紫炎のように揺らめく。

 

「いくよ!!“ダブルチョップ”」

「キバァ!」

 

キバゴが腕を交差させて頭上に振り上げる。そして、迫りくる“つららばり”に向けて一気に振り下ろした。

 

「キバァアアアアアアア!」

 

気合の裂帛と同時に放たれる“ダブルチョップ”。

 

それを見てもハルキの表情は揺るがない。

以前バトルした時に使っていた“ひっかく”ではなく、より強力なワザを身に着けてきたことには少し驚いたが、所詮は【ドラゴンタイプ】のワザ。“つららばり”を受けて終わりだ。

 

そう思っていた。

 

だが、次の瞬間、ハルキの表情が一変した。

 

ガラスが割れるような音が鳴り響く。

キバゴが腕を振り切った衝撃が風となって吹き抜けた。

その風の中に混じるのは細かく砕けた氷の欠片。

 

キバゴが振り下ろした“ダブルチョップ”が無数の“つらら”を完全に弾き飛ばしていた。

 

「キバァアアアアアアア!!」

 

例えタイプ相性が悪くとも、細く小さい氷の棘でしかない“つらら”など、キバゴの全身の駆動を一点に集めた攻撃ならば容易に打ち砕ける。

 

タクミが提案した『キバゴの遠距離対策』とは何の捻りもない、作戦と呼べるかどうかも怪しい代物だった。

 

その名も『正面突破』

 

「なっ!!そんなっ!?嘘だろ!!」

 

氷の弾幕をたった一発の攻撃で弾き飛ばしたキバゴを前にハルキの表情に焦りが生じた。

タクミの後ろで見ていたマカナとミネジュンがガッツポーズを取る。

 

「行ける!行けるぞタクミィ!!」

 

ミネジュンの声援に後押しされ、キバゴが再び“ダブルチョップ”を構えた。

 

「シェルダー!何やってんだよ!!撃て撃て撃てぇ!“つららばり”だぁ!!」

「シェ、シェル!!」

 

シェルダーが次々と“つららばり”を撃つも、キバゴの行動は変わらない。

 

「キバゴ!右側は弾幕が薄い!!そこを狙え!!」

「キバァ!!」

 

タクミの指示が飛び、キバゴは両腕に“ダブルチョップ”のオーラを纏いながら弾幕に向けて突進していく。

 

「キバキバキバキバァ!!!!」

 

迫りくる攻撃を的確に払い落としながら、シェルダーに向けて突っ込んでいくキバゴ。

 

一見するとキバゴのポテンシャルに任せた強引な行動にしか見えないかもしれない。

だが、ここまで至るのはそう簡単なことではなかった。

迫りくる攻撃の中から自分に当たるものだけを的確に弾き飛ばして走り抜けるなど、一朝一夕でできる芸当ではない。

 

タクミはこの無茶な特訓に付き合ってもらった友人2人に心の中で感謝した。

 

最初はケロマツの“あわ”の弾幕から始めた。

それから、ディグダの“どろかけ”やベトベターの“ヘドロこうげき”で慣れさせた。

 

あまりに激しい特訓にキバゴの自慢のキバが砕けるようなハプニングもあった。

 

無茶な特訓のせいで3日目の夕方にはキバゴも立っているのがやっとのレベルだった。それでも諦めずに夜通し特訓を続けた。キバゴの全身の傷だらけの鱗と折れたキバはいくつもの攻撃に身を晒し続けてできた結果だった。

 

「キバゴ!!押しきれぇえええ!!」

「キバァアアアア」

 

キバゴの“ダブルチョップ”が氷の刃を砕いていく。

氷の粒が雪のように太陽の光を反射して、キバゴの周囲で煌いた。

 

「シェルダー撃て撃て撃て!!“つららばり”だ!“つららばり”だよ!!」

「シェル!シェル!シェル!!」

 

シェルダーとの距離が近づき、弾幕の密度があがってくる。

だが、それこそタクミが待ち望んだ瞬間だった。

 

「キバゴ!!そこだ!飛べぇ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴが“ダブルチョップ”を頭上に振り上げながら、勢いよく飛び上がった。

 

「シェルダー!上だ!!上っ!」

「シェ……シェル!」

 

シェルダーが上に向けてワザを放とうとするも、二枚貝のような姿のシェルダーはそう簡単に頭上を向くことができない。

 

『シェルダーの真上は攻撃の死角なんだよ。ポケモンって変わった姿しているのもいるから、時々こんな感じで攻撃ができない場所があるんだね』

『へぇ……この本面白いね……あっ、でもキリンリキは逆に死角になる場所がほとんどないのか』

 

そんな話をしたのは、アキが入院している時だった気がする。

 

「いっけぇええええええ!!」

「キバァァアアアアアア!!」

 

キバゴが重力に従い落下する。

その両腕に纏うのは最大火力まで増幅した紫色の炎。

キバゴは身体をひねり、勢いをつけ、自分の体重を全て乗せきった一撃をシェルダーの頭上から叩きつけた。

 

地響きを起こしそうなほどの重低音が鳴る。

 

あまりの衝撃に土煙が舞い上がり、ポケモン達の姿を覆い隠す。

そして、その土煙の中からキバゴがバク転を決めながら飛び出してきた。

 

空中で2回転程したキバゴは体操選手さながらの着地を決め、両腕をクロスさせてポーズを決めた。

 

「キバッ……」

 

『決まったゼッ!』というドヤ顔を見せつけるキバゴ。

その腕には再び“ダブルチョップ”のエネルギーを纏っており、決して油断しているわけではなかった。

 

その後ろ姿を見ながら、タクミは両拳を強く握りしめた。

 

タクミのキバゴは本当に弱いのかもしれない。

遠距離ワザが嫌いな性格はきっといつか困ることになるのかもしれない。

 

実際、キバゴは特訓の過程で何度も膝をついた。

それはタクミの方が先に諦めそうになるほどだった。

 

それでも、キバゴは一度だって自分から特訓をやめたりはしなかった。

 

意地っ張りで、頑固で粘り強くて、決して諦めようとしないこんなキバゴ。

だからこそ、勝ち取れるものもあるのだ。

 

「シェルダー!シェルダー!!あぁ、ちくしょう、ダメかぁ……」

 

土煙の中から目を回して気絶しているシェルダーの姿が現れる。

 

「いっっよっしゃぁ!!」

「キバァァア!!」

 

キバゴと手を打ち合わせるタクミ。

 

1VS1のバトルでの初勝利のハイタッチ。

それはキバゴが“ダブルチョップ”を纏っていたこともあり、ものすごく痛かった。

 



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バトルの可能性は無限大

ハルキはシェルダーをモンスターボールに戻す。

 

「…………」

 

口では何も言わずにいるハルキであったが、奥歯がギリギリと音を立てる程には悔しがっていた。

 

「ハルキが……負けた……」

「ポケモンキャンプで初敗北じゃね?」

「あのボロボロのキバゴが勝った」

 

周囲でひそひそと小声でされるやり取り。

それも、今のハルキの耳には届かない。

 

大人に混じってポケモンバトルをしてきたハルキにとって敗北は珍しいことではない。

 

だけど、相手が同年代となると話は変わる。

 

ハルキの誕生日は4月2日。春に産まれたことで『春樹』という名前をもらったのだ。

同学年の中で一番最初にポケモンをもらえるハルキにとって、同級生は常に自分の後輩だった。

 

それはタクミ相手でも変わりない。

しかも相手は一度は負かした相手。

 

そんな奴に負けたことが、ハルキのプライドを刺激した。

 

「………………」

 

ハルキは頭の中で次に出すポケモンについて考える。

 

バトルを挑まれた時は新しい手持ちを試すためにシェルダーとカイロスで挑むつもりだった。

だが、このままで終わらせるわけにはいかなかった。

 

『絶対に勝つ』と挑まれたバトル。

『絶対に負けるわけがない』と高をくくっていたバトル。

 

真剣(マジ)に相手してよ』

 

タクミの言葉が脳裏を駆け巡る。

 

「行くぞ!!ヒトカゲ!!」

 

ハルキのボールからヒトカゲが飛び出てくる。

 

「カゲ……」

 

鋭い目つきを飛ばすヒトカゲ。

 

「キバッ!!」

 

それに対してすぐに臨戦態勢を取るキバゴであったが、タクミはそんなキバゴを後ろに下がらせた。

 

「キバゴ。交代だよ」

「キバ?」

「ここは……フシギダネで行く」

 

タクミがそう言ってフシギダネのモンスターボールを取り出す。

キバゴはタクミの顔を見上げ、フシギダネのモンスターボールへと視線を移した。

 

キバゴはまだ戦えた。

 

体力は十分だし、ヒトカゲ相手にリベンジを果たしたい気持ちもある。

だが、キバゴはフシギダネが自分と同じように、もしくはそれ以上に必死に特訓を積み重ねてきたのを見てきた。

 

「キバッ!!」

 

キバゴはフシギダネのモンスターボールに向け、サムズアップをしてみせる。

そして、キバゴは両腕の“ダブルチョップ”を一振りで解除し、ポテポテと走って後ろに下がった。

キバゴは観戦しているミネジュン達の間にまで下がり、ペタンと尻もちをついて手を振った。

 

「キババァ」

 

声援を送ってくるキバゴにタクミの頬に自然と笑顔が浮かんでくる

 

「……よしっ!!いくぞ!フシギダネ!!」

 

モンスターボールから飛び出たフシギダネは両足でしっかりと地面を踏みしめ、ヒトカゲに視線を定めた。

 

「ダネフッシ!!」

 

ヒトカゲはフシギダネが苦手とする【ほのおタイプ】。しかも相手は“かえんほうしゃ”を覚えていて、動けないフシギダネは(まと)もいいところだ。相性は最悪と言ってもいい。

 

それでも、タクミはフシギダネを選んだ。

フシギダネも選ばれることを望んでいた。

 

「フシギダネ……覚えておいて、今日が僕らの本当に本当の最初のバトルだ!」

「ダネェ!!」

 

気合いの入れた鳴き声を返すフシギダネ。

 

やる気満々のタクミ達。

 

だが、そんな彼らを見るハルキの方は平常心ではいられなかった。

 

「……タクミ君……」

「ん?なに?」

「……なんで、フシギダネ?なんで!?なんでそのフシギダネなの!?相性最悪で、足が悪くて、どう見ても弱っちいそのフシギダネなの!?」

 

確かに相手からすれば、舐めているとしか思えないだろう。

だが、タクミがフシギダネを繰り出したのは単にフシギダネのリベンジマッチを演出したかったからではない。

 

「決まってるじゃん。勝つためだよ!!」

 

挑発ともとれるタクミの自信に満ちた言葉。

その台詞にハルキの顔が真っ赤に燃え上がった。

 

「ふ……ふ……ふざけんなぁ!!ヒトカゲ!“かえんほうしゃ”だぁ!!決めろぉおおおお!!」

「カゲェエ!!」

 

ヒトカゲの口から火炎が噴き出る。

真正面から迫りくる橙色の熱の塊。

 

それはタクミの狙い通りだった。

 

ヒトカゲ対フシギダネのバトル。

 

相手が最初に放ってくるであろう攻撃は最初から予想していた。

ヒトカゲの対策は十分に練ってきた。次の指示も決まっていた。

 

タクミの鋭い声が飛んだ。

 

「フシギダネ!!!」

 

その声がフシギダネの身体に電流を走らせたかのように動かした。

炎に対する恐怖心も、バトルに対する苦手意識も、足が動かないという劣等感も今のフシギダネには存在しない。

 

「“やどりぎのタネ”だ」

「ダネ!!!」

 

フシギダネの背中からタネが放たれる。

だが、ヒトカゲの“かえんほうしゃ”はもう目前まで迫っていた。

 

「そんな攻撃無駄に決まってんだろぉ!!」

 

ハルキの勝ち誇った声がした。

 

「フシギダネ!」

 

タクミの指示は間に合わない。

 

“かえんほうしゃ”の炎は容赦なくフシギダネの姿を飲み込んだ。

 

“かえんほうしゃ”の熱で煙があがり、陽炎がフィールドを歪ませる。

ハルキはその炎の軌跡を見て、勝利を確信していた。

 

「……タクミ君、さっさとキバゴとバトルさせてよ」

「え?なんで?」

「なんでって……フシギダネは負けたろ!だったら次のポケモンを……」

「ん?何言ってるの?」

「だから……」

 

イライラと声を荒げるハルキ。その後ろからハルキの友人が声を張り上げた。

 

「ハルキ!!違う!!上だ!!!」

「えっ?上?」

 

ハルキは友人が指さす先を追って視線を上にあげた。

 

その瞬間、タクミの声が飛んだ。

 

「今だ!!フシギダネ!!」

「ダネフッシ!!!」

 

ハルキとヒトカゲの視線の先。

 

そこには、太陽を背にして、空中を舞うフシギダネがいたのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

スタンプラリーの初日の夜。

キバゴの『正面突破』という作戦に難色を示しながらも、ミネジュンとマカナは特訓に協力することを了承してくれた。

 

「とりあえず、キバゴはそれでいくとしてさ。フシギダネにも同じことをさせるつもりじゃないよな?」

「さすがにそれは無理だよ。いくらなんでもフシギダネにそんな無茶させたら身体を壊しちゃう」

 

タクミの台詞を聞いたマカナは『キバゴは無茶させていいのだろうか?』と思ったが、口には出さなかった。

 

そのキバゴはというと、晩御飯が足りなかったのかタクミにすがりつくように飛びはねていた。

 

「キバッ!キバッ!」

「え?まだご飯欲しいの?ダメ、流石に食べ過ぎ」

「…………キバッ!」

 

キバゴは諦めきれなかったのか、テントに向けて駆け出す。キバゴはテントのどこにポケモンフーズが置いてあるかのをとうの昔に把握していた。

ただ、タクミだってキバゴの行動原理は把握している。

 

タクミはキバゴが駆け出そうとした直後にはその足首を捕まえていた。

 

「コラ、ダメだって言ってるだろ」

「キバキバキバァッ!」

 

足から逆ポケモンにぶら下げられたキバゴをタクミは容赦なく小突く。

 

マカナはそんな2人を見て、話を戻した。

 

「……だったら、どうする?……“はっぱカッター”とか“タネばくだん”とか……覚えるまで頑張る?」

「確かにこっちも『遠距離ワザ』を身に着けるってのは悪くないとは思うけど……結局、(まと)になっちゃうって問題点は解決しないんだよね……」

「……確かに……」

 

首をひねるマカナとタクミ。

その間もタクミの腕の中でキバゴが暴れ続ける。

 

「あぁ、もう!キバゴ!いつまで暴れてるんだよ!」

 

親しき中にも礼儀あり

 

鬱陶しくなってきたタクミはキバゴを掴んだ足を振りかぶった

 

「キバッ!?」

「フシギダネ!パス!」

「ダネ……」

「おりゃああああ!」

「キバァァァァァ!」

 

激しい言葉遣いとは裏腹にふんわりと投げられたキバゴは綺麗な放物線を描いてフシギダネの“ツルのムチ”に絡め取られた。

 

「フシギダネ!捕まえといて!」

「ダネ」

 

空中で雁字搦めにされたキバゴは少しの間は逃げ出そうともがいていたが、途中で不可能だと気づいたらしい。

 

「……キバァ……」

 

大人しくなったように見えるキバゴ

だが、フシギダネもキバゴの性格はなんとなくわかってきていた。

大人しくしているのが演技である可能性を考え、絡みつけたムチを緩めるようなことはしない。

 

「まったく……キバゴは本当に」

「ハハハハ!きっとタクミに似たんだな!」

「なんでだよ!?僕はここまで食い意地張ってない!」

「いやいや、ソックリだって!ハハハハ!」

 

やんややんやと言い争う男子をマカナは微笑みながら見ていた。

 

マカナもキバゴとタクミはよく似ていると思っていた。

 

表面的な関係性だけなら『しっかり者の兄』と『やんちゃ坊主な弟』という兄弟のようにも見える。

だが、負けず嫌いであるところとか、案外周りをよく見ているところなど、内面の根本的なところはよく似通っている。

 

そんなことを思っていたマカナの肩をフシギダネの“ツルのムチ”が軽く叩いた。

 

「……なに?」

「ダネダ」

 

マカナが振り返ると、フシギダネが“ツルのムチ”で器用にポッドを掴んで差し出してきていた。

マカナのコップがちょうど空になっていたのだ。

 

「……あ……ありがとう」

「ダネ……」

「……お前……気が利くね」

 

褒めようと手を伸ばすと、照れたようにプイと顔を背けるフシギダネ。

だが、逃げるわけではないので、こちらから触れてあげれば撫でられるままになる。

つくづく素直じゃないフシギダネである。

 

「だけど……フシギダネって力持ちだね……」

「ダネ?」

 

マカナはフシギダネの“ツルのむち”へと目線を向けた。

片方の“ツルのむち”には紅茶の入ったポッドを持ち、もう片方ではキバゴを掴んだまま頭上にまで持ち上げている。

 

「……重くない?」

「ダネダ」

 

フシギダネはムチを伸び縮みさせて頭上のキバゴを振り回してみせた。

 

「キバァァァ!」

 

キバゴが悲鳴をあげて目を回していたがマカナも特に気にしない。

彼女も段々とこの扱いに慣れてきているようだった。

 

「一本でこれ……すごい……」

「ダネフッシ……」

 

フシギダネは『こんなこと大したことない』とでも言いたげな顔をして、もう一本の“ツルのムチ”を伸ばしてポッドをテーブルの上に戻した。

 

「……あの……タクミくん」

「ん?どうしたの?」

「……ちょっと気になったんだけど」

「うん」

「キバゴって……体重どれくらい?」

「えっと……」

 

タクミは腕を組んで首をひねる。

思い出しているのは頭の中に記憶している図鑑の内容ではなく、つい先日に風呂場で一緒に体重を計った時の出来事であった。

 

「この前は確か17.3kgだったよ」

「……フシギダネは?」

「えっと、フシギダネの平均体重は7kgぐらい。でも、それがどうかしたの?」

「……あ……大したことじゃ……ないんだけど」

「ん?」

「……フシギダネの“ツルのムチ”って……体重の2倍くらいのポケモンも持てるんだなぁ……って……」

「…………え?」

「……それだけ……ただ……それだけ……ちょっと思っただけ……その……あの……タクミくん?」

 

タクミの身体が固まっていた。

 

タクミの視点が地面の一点で止まっていた。タクミは指先を自分の唇に触れた姿勢で硬直している。

彼の頭の中では今まで見てきたフシギダネの姿が次々と閃いては消えていっていた。

 

そして、タクミは短い熟考の末『あること』に気が付いた。

 

「……そうか……もしかして……フシギダネ!!」

「ダネ?」

「ちょっと頼みがあるんだけど!!」

「ダネ?」

「キバ?」

 

フシギダネが首をひねり、宙に浮いたままのキバゴが目をパチクリと瞬いた。

 

「これ!!持ち上げられる!?」

 

タクミは近くにあったサッカーボール大の岩を指さす。

 

「ダネ?」

 

フシギダネは首を反対側に傾けて眉間に皺を寄せた。

『その指示に何の意味があるのかわからない』と言いたげな顔ではあったが、ひとまずフシギダネはその岩へと目を向けた。

 

「フッシ!」

 

フシギダネはその岩を見て、“ツルのむち”を引っ込めた。

 

「あ、いや。そうじゃなくて、“ツルのむち”を使って……」

 

タクミはフシギダネの“ツルのむち”がどれだけの力を発揮できるのかを知りたかったのだ。

だが、タクミがそれを言い切る前にフシギダネは別の行動へと移っていた。

 

「ダネッ!!」

 

フシギダネは“やどりぎのタネ”を岩の下にめがけて打ち込んだのだ。

 

「えっ?」

 

“やどりぎのタネ”は一気に成長し、枝を伸ばし、ツタを伸ばし、上にある岩を抱え込むような籠状の姿に成長した。

 

「ダネダ」

 

『これでいいのか?』といった表情で見上げてくるフシギダネ。

だが、タクミは目の前で起きたことを頭に理解させるのに必死で、フシギダネの声など聞こえていなかった。

 

「すごい……すごいっ!!フシギダネ!お前こんなこともできるの!?」

「ダネ?」

「じゃっ!じゃあ!“ツルのむち”で自分の身体を持ち上げたりとかできる?」

 

だが、タクミの興奮とは裏腹にフシギダネは急に痛みを堪えるような顔をした。

 

「……あ……ごめん……そうだよね……」

 

“ツルのむち”で自分の身体をサポートできるなら、最初からやっている。

それが出来ないから、フシギダネはこうして足を引きずって歩いているのだ。

 

タクミは無神経なことを言った自分を責めながら、フシギダネの頭へと手を伸ばしかけた。

 

その時だった。

 

ミネジュンが大きく手を叩いて声を張り上げたのだ。

 

「そうだよ!!その手があるじゃねぇか!!」

「え?」

「“ツルのむち”だよ“ツルのむち”!それで自分の身体を引っ張ったり、投げたりすればフシギダネだって動きながら戦えるじゃん!!」

「いや……でも、今フシギダネができないって……」

「できないんだったら、できるように特訓すればいいじゃん?」

 

タクミはその言葉にポカンと口を開けてミネジュンを見上げた。

 

「え?俺なんか変なこと言った?」

「……私も……いい考えだと思った……」

「………………」

 

タクミは再び黙り込んでしまった。

 

『出来ないことは出来ない』

 

だからこそ、別の場所に勝機を見出そうと頭をひねっていた。

 

しかし、本当にそうなのだろうか。

 

フシギダネ本当に全てのことが『出来ない』のか?

 

それは1つの先入観だった。

 

タクミは今までアキが歩けるように努力している日々を知っている。

辛いリハビリを頑張ってきた。副作用の大きい薬も使ってきた。

 

それでもアキは今も歩くことができなかった。

 

そんな彼女を見続けてきた先入観。

 

『出来ないことは出来ない』

 

その呪縛に最も捕らわれていたのは実のところタクミ本人だった。

 

「フシギダネ……やってみるか?」

「……ダネ!」

 

そして、その夜にフシギダネの方針も決まったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

宙を舞ったフシギダネは“ツルのむち”を一本伸ばし、ヒトカゲをからめとる。

 

「カ、カゲッ!」

「フシギダネ!右だ!!」

「ダネダァ!!」

 

そして、フシギダネはもう一本の“ツルのむち”を地面の『あるポイント』に向けて伸ばした。

そこには最初にフシギダネが放った“やどりぎのタネ”が一本の背の低い木へと成長を遂げていた。

フシギダネはそこに“ツルのむち”を巻きつけ、姿勢を制御しながら地面に飛び降りる。

 

そして、その反動を利用してヒトカゲを空高くに投げ上げた。

 

「カゲェエ!!」

 

成すすべなく宙を飛ぶヒトカゲ。

地面に着地したフシギダネはすぐさま次の行動へと移った。

 

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”!!」

「ダネダネ!!」

 

次々と“やどりぎのタネ”を発射し、フィールド内に何本もの木を成長させていく。

成長した木は“ツルのむち”で掴む為のポイントになる。それはフシギダネが“ツルのむち”をフックショットのように使って移動するための下準備だった。

 

“ツルのむち”を使っての移動法。

 

タクミとフシギダネはこの移動方法を練習し続けてきた。

言葉に表せば単純な移動方法かもしれないが、バランスを保ったまま一本の“ツルのむち”で身体を素早く引っ張るのは簡単なことではなかった。

 

スピードが速すぎればそのまま木に激突する。遅すぎれば地面を引きずられて要らぬ怪我を負う。

着地に失敗すれば致命的な隙になり、そもそも“ツルのむち”にかかる負担も計り知れない。

 

普通のフシギダネではきっとこの短期間でこんな曲芸のような戦い方をマスターできなかったであろう。

だが、このフシギダネは長年“ツルのむち”を手足代わりに使い、研究所の手伝いをしてきた。

その経験は決して無駄ではなかったのだ。

 

「ヒトカゲ!“かえんほうしゃ”で姿勢を保て!!」

「カゲッ!」

 

ヒトカゲは空中で“かえんほうしゃ”を放ち、その反動で体勢を整えた。

両足で着地したヒトカゲはフシギダネをにらみ上げる。

ほとんどダメージを負っているようには見えないが、今の攻防の間にフィールドの状況は一変していた。

 

既にバトルフィールドの至る所でフシギダネの“やどりぎのタネ”が成長していた。

 

「フシギダネ!回り込め!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネは右側の木を掴み、フィールドを滑るように飛んでいく。

 

「くそっ!ヒトカゲ!!逃がすな!“かえんほうしゃ”!!」

「カゲェ!!」

 

フシギダネの移動する軌道を先読みしていた”かえんほうしゃ”。

 

「フシギダネ!左側!!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネは別の木を“ムチ”を掴んで回避する。

 

「逃がすな!!そっちだ!」

「フシギダネ!真正面!!」

「ダネェッ!」

 

フィールド中を飛び回るフシギダネ。

タクミは的確に指示を飛ばしてヒトカゲの攻撃を回避させ続ける。

そして、隙あらばヒトカゲの横を通過する際に“ツルのむち”の一太刀を浴びせていく。

 

足が悪いはずのフシギダネが繰り出す『ヒット&アウェイ』

 

それは、フシギダネの“ツルのむち”の技術もさることながら、フィールドを広く俯瞰しているトレーナーの指示があってこその攻撃であった。

 

「フシギダネ!今だ!!“たいあたり”!!」

「ダネッ!」

 

外側から振子のように大回りに身体を旋回させ、フシギダネの渾身の“たいあたり”が命中する。

 

「カゲェッ」

「くそっ!!ヒトカゲ!!全体攻撃だ!!“やどりぎのタネ”を焼き払え!!」

「カゲッ!!」

 

ヒトカゲが体勢を整え、横薙ぎに“かえんほうしゃ”を放ってきた。

周囲に生えていた“やどりぎ”が次々と消し炭に代わり、フシギダネを飲み込もうと迫りくる。

 

「フシギダネ!上だ!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネは地面に向けて“ツルのむち”を叩きつけ、その反動で空中へと飛び上がる。

これがフシギダネが最初に見せた『大ジャンプ』の正体だった。

 

「ダネダァ!!」

 

フシギダネは空中で身体に捻りを加え、その勢いのままに“ツルのむち”大きく伸ばした。

身体の回転を遠心力に変え、その力を乗せてヒトカゲに叩きつける。

“ムチ”はヒトカゲの首筋に重い一撃を与えて吹き飛ばした。

 

そして、フシギダネは“ツルのむち”で衝撃を和らげつつ着地してみせる。

 

「ダネッ!!」

「よっし!!いいぞ!!」

「ダネダネ!!」

 

フシギダネの元気な声が返事をしてくる。

 

それだけ自由に動き回れることが嬉しいのだ。実際にバトルができることが楽しいのだ。

フシギダネの表情から今この瞬間こそが最高の時間なのだということが伝わってきていた。

 

そんな、フシギダネの攻撃を受けたヒトカゲ。

ヒトカゲは歯を食いしばり、鋭くフシギダネを睨みつけながら立ち上がってくる。

 

それと全く同じような表情でハルキがタクミを睨みつけていた。

 

「タクミ君……それが、この4日間で得た特訓の成果ってこと?」

「そうかもね。僕とフシギダネで掴んだ新しいバトルスタイルだ」

「“ツルのむち”で飛ぶ……いい考えだとは思う!!でも、見ろ!!」

 

ハルキは腕を大きく横に振り、バトルフィールドから立ち昇る煙を振り払った

 

「もう“やどりぎ”はほとんど焼き尽くした!!その戦法は使えないぞ!」

 

確かに先程の“かえんほうしゃ”はフィールドで成長していた“やどりぎのタネ”のほとんどを焼き払っていた。

生き残っている“やどりぎ”も消し炭のようにボロボロになり、もはや“ツルのむち”で掴むこともできない。

 

「それに、もう隙は与えない!!“やどりぎのタネ”を打ち込ませたりなんかしない!!これで振り出しだ!!ヒトカゲ!!」

「カゲッ」

 

ヒトカゲが突進の構えを見せる。

 

ヒトカゲはフシギダネが絶対に避けられない程の至近距離まで近づいて勝負をかけるつもりだった。

“ツルのむち”での移動ができなくなったフシギダネにそれを回避する手段はない。

 

これで確実に決まるはずだ。

 

少なくとも、ハルキはそう確信していた。

 

「いけぇ!ヒトカゲ!真正面から焼き尽くせ!!」

「カァァゲェエエエ!!」

 

そして、ヒトカゲが最初の一歩を踏み出した。

 

だが、既にこの時にはこの勝負の命運は全て決まっていた。

 

「フシギダネ……やっぱりお前はすごいや」

「ダネ!!」

 

次の瞬間。

 

ヒトカゲの足元から“やどりぎのタネ”が突然成長を始めた。

 

「カ、カゲッ!」

 

ヒトカゲの周囲から3つもの“タネ”が成長をはじめ、ヒトカゲの身体を雁字搦めに絡めとる。

成長したツルに手足を縛られ、ヒトカゲはその場から一歩たりとも動けずに横倒しになった。

 

それを目の前にしたハルキは今起きた出来事がまるで理解できなかった。

 

「これは……どういうこと!?」

「へへへ、実は”やどりぎのタネ”ってのは、放った後もある程度コントロールできるんだよ」

 

通常の『絡めとるツタ』のように成長させたり、岩を持ち上げる『籠のような木』にすることもできたりする。

そして、『成長しないタネ』のままで地中に埋めておくこともできる。

 

「そんなのは知ってる!でもいつ!?いつ“やどりぎのタネ”をそこに打ち込んだっていうのさ!?」

「決まってるだろ……『最初から』さ!!」

「え……」

 

フシギダネは動けなくなったヒトカゲの周囲に再び“やどりぎのタネ”をばらまいていく。

 

「僕らがずっと特訓していたのは“ツルのむち”での移動の練習だけじゃない。僕らが一番時間を費やしたのは“やどりぎのタネ”の配置の方だ」

 

いくら動けるようになったところで、“ツルのむち”の動く起点がでたらめだったら、その機動力は決して生きることはない。

フィールド全体の中でどれだけの間隔で、どの位置に“やどりぎ”を成長させるかを考えるのが一番大変だった。

 

「そんな中で一番的確な位置を編み出したのはフシギダネ本人だよ」

 

長年、研究所でお手伝いをしてきたフシギダネ。フシギダネは広い空間の中でどこに何があるか、どの程度の距離にあるのかを逐一把握して仕事をしてきた。今では一目見ただけでおおよその距離感を把握できる。

“ツルのムチ”で物を取ったり運んだりするフシギダネにとってそれは自然に身に付いた技能だ。

今となっては、フシギダネは視界の一切無いテーブルの上にあるポットですら簡単に手に取ることができる。

 

細かな気配りの効く性格と視野の広さ。

 

その二つを合わせ、バトルの為に昇華させればそれは立派な才能になる。

 

『空間把握能力』

 

それが、フシギダネが今までの経験で培ってきた能力だった。

 

的確な位置に“やどりぎのタネ”を配置し、成長していない“タネ”の場所へとヒトカゲを誘導していく。

それはこのフシギダネがこんな生き方をしてきたからこそたどり着くことができた戦法だった。

 

「このフシギダネの強さは“ツルのむち”の器用さや力強さじゃない。フィールド全体を広く把握し、自分の有利な環境にもっていく『制圧力』!それこそがこいつの力さ!!フシギダネ!!決めろ!!“たいあたり”」

「ダネェッ!!!」

 

フシギダネはヒトカゲの周囲で成長した“やどりぎのタネ”を“ツルのむち”で手繰り寄せ、その勢いのままヒトカゲに真正面から全力でぶつかった。

 

「カゲェッ!!」

 

吹き飛ばされるヒトカゲ。

 

ハルキの目の前にまで飛ばされたヒトカゲは地面に横たわり、目を回してしまった。

 

ヒトカゲはもうこれ以上戦えない。

 

誰がどう見ても戦闘不能であった。

 

「……………………」

 

横たわるヒトカゲ。まだ戦える様子のフシギダネ。

 

勝った。勝った。間違いなく勝った。

 

その実感が徐々にタクミの身体に満ちていく。

 

タクミは腹の奥から湧き上がってくる熱量を拳の中に握り込んだ。食い込んだ爪の痛みすらどうでもよかった。

身体が熱くて、目頭が熱くて、吐息が火傷しそうな程に熱かった。

 

そして、タクミは感情のままに吠えた。

 

「よっしゃあああああああああああああ!!」

 

両手を振り上げて声をあげるタクミ。

その時、フシギダネの“ツルのむち”がタクミの身体に巻き付いた。

 

「え?」

「ダネェエエエエエエエエ!!」

 

タクミの目の前に全速力で“ツルのむち”を手繰り寄せて突っ込んでくるフシギダネが迫っていた。

 

「ゴバラッ!!」

「ダネッ!!」

 

タクミの鳩尾に狙いすましたかのように頭突きをかましてきたフシギダネ。

フシギダネは満面の笑みを浮かべ、嬉し涙まで流してタクミの服に顔を押してつけて感動を表現していた。

だが、いかんせんタクミの方は止まった呼吸をなんとかするのに必死でフシギダネのことを気にかける余裕は残されていなかった。

 

こうして、タクミの初勝利は非常に『痛かった』ものとして生涯心に刻みつけられることとなったのだった。

 



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キャンプの終わりもそろそろ近い

フシギダネに突撃されたせいで一時的に呼吸が止まってしまったタクミ。

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……ぜぇっ……ちょっと、フシギダネ……どいて……」

「ダネ」

 

フシギダネが胸の上からどき、少しは呼吸しやすくなったものの、一度止まった横隔膜がなかなか動いてくれない。肺の奥に空気が入らず、泣きそうになるほどの呼吸苦を味わう。

 

そんなタクミに手を伸ばす人がいた。

 

「……ん……」

「あ、ありがと……ハルキ君……」

 

怖いくらいの無表情で手を伸ばすハルキ。彼の白目は真っ赤に充血しており、今にも泣き出しそうなのが伝わってくる。

 

「……ありがとうございました」

 

彼は不自然な程に感情を押し殺した声でそう言った。

そんなハルキに対して、タクミは息が苦しくてほとんど声にならないような状態で礼を返す。

 

「うん……ぜぇっ……ぜぇっ……ありがと」

 

そして、挨拶をするや否やハルキはすぐさま手を離し、背を向けて歩き出していく。

 

「お、おいハルキ?大丈夫か?」

「うるさい!」

「え?ハルキ、泣いてんの?」

「うるさいって!泣いてない!!」

 

ハルキはそのまま友人達に囲まれながら洞窟の奥へと歩いていき、そして遂には見えなくなった。

そして、ハルキ達の話し声が完全に聞こえなくなってから、タクミはその両腕を大きく空に向けて突き上げた。

 

「…………やった……」

 

そして、タクミはそのまま力尽きたかのように草むらの中に倒れ込む。

 

「……やった……勝ったよ」

 

両手を握りしめるタクミ。

 

本当はハルキに謝ってほしかった。

フシギダネやキバゴに頭を下げて欲しかった。

 

でも、勝った今となってはそんなことは些細なことのように思えた。

ハルキがどんな考えを持とうと、フシギダネとキバゴは強かったという事実は変わらない。そのことを知らしめることができたのだから、それで良かった。

 

それに何より、フシギダネに自信を取り戻させてあげることができたのだ。

それに勝るものは何もなかった。

 

タクミは地球界にいるアキに良い土産話ができたと思い、肩の力を大きく抜いた。

 

次の瞬間だった。

 

「タクミィイイイイイ!!!」

「キバァアアアアアア!!!」

「ダネェエエエエエエ!!!」

「ゴハッ!!」

 

タクミの頭上からキバゴとフシギダネとミネジュンがほとんど同時に降り注いできた。

 

「やったぜぇええ!勝ったぞぉおお!!ハルキの奴に勝ったぞぉおおお!!さすが俺の親友だぜ!!このこのこの!!」

「キバ!キバキバキバ!!」

「ダネッ!!」

「やめ、やめろ!いたっ!痛いって!!離れろぉお!!」

 

ミネジュンは舞い上がったエネルギーの赴くままにタクミに賛辞の張り手を何度も叩きつけてきた。

キバゴはさっきのバトルの興奮が冷めないのか何度もタクミの腹を殴り続けてくる。

フシギダネは感謝の抱擁のつもりなのか、タクミの身体を“ツルのむち”でギリギリと締め付けてきていた。

 

少し遅れてきたマカナはこの旅の中で一番の笑顔でタクミ達を見下ろしていた

 

「フフフ……嬉しかったんだね……」

「マカナ!笑ってないで止めてよ!!」

「……フフフ……わかった」

 

マカナはそう言って一番止めやすいキバゴを腕に抱いて持ち上げた。

それを見て、フシギダネも我に返ったのかいそいそとタクミの胸から降りた。

 

「タクミィイイイイイイ!俺は!俺は嬉しっくてよおおお!」

「ああもう!わかったから離れろってのぉおおおお!!」

 

結局、ベタベタとまとわりつくミネジュンを外すのが一番大変であった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

その後、タクミ達は何度も欠伸をしながら山を降り始めた。

まだ時間があるのでチェックポイントを回っても良かったのかもしれないが、連日の特訓での疲れが今更になって出てきていた。

 

「ふあぁああ……流石に眠いなぁ……」

 

タクミが何度も目を擦りながらそう言った。

 

「そりゃそうだよ。昨日なんか完全に徹夜だったしな。まぁ、その特訓の甲斐あってハルキに完全勝利だ!いやぁ、でもすげぇバトルだったな!キバゴが突っ込んでった時は鳥肌立っちゃったぜ!」

「……私も……【こおりタイプ】のワザに向けて突っ込むとは思わなかった」

 

そのことに関してはタクミもバトル中の自分の判断に苦笑いだ。

 

「いや……うん……流石に無茶し過ぎたよ。バトル中は全然気にならなかったけど、今思うと、とんでもない賭けだもんね」

「えっ!?お前あれ自信あったんじゃなかったの!?まったく躊躇いなく突っ込んでったけど」

「いや、あれはなんというか特訓でそればかりしてたから、そのまま身体が動いたというか……」

 

『正面突破』という馬鹿げた作戦。今回は上手くいったから良かったものの、毎回これをやる訳にもいかないだろう。流石にこれではキバゴの身体がいくつあっても足りない。

 

まだまだ、タクミ達はトレーナーとして歩き出したばかり。戦術の幅を広げていくのはこれからだった。

 

「……それに……フシギダネも……よく頑張った……」

「うん」

 

タクミはフシギダネのモンスターボールを手にして見下ろす。

ボールの中できっと熟睡しているであろうフシギダネ。

 

フシギダネはこの4日間、寝る間も惜しんでフィールドの作り方を考えていた。

フシギダネの特訓の半分は紙面の上で考えるようなものであっただけ、体力の限界を考慮せずにひたすら頭を回し続けてきたのだ。

 

タクミ達の睡眠不足の原因の大半はフシギダネの戦術を考えていたからだった。

 

「配置の微妙な距離感とかは全部フシギダネが自分で調整してたから。僕らの出る幕じゃなかったよね」

「でも、タクミがいたから、フシギダネはここまで来れたんだと思うぞ。正直、俺がフシギダネのトレーナーだとしてもここまで色々なこと考えてやれなかったと思う。タクミはやっぱすげぇよ」

「な、なんだよ急に……やめろよ!」

「あっ!照れてる!照れてやがる!」

「うるさい!」

 

じゃれ付き合いながら歩いていくタクミとミネジュン。

 

そして、オーキド博士の研究所が見えてくる頃になり、ふとマカナが気になっていたことを口にした。

 

「……あの……タクミ……」

「なに?」

「……タクミが怒ったわけ……聴いてもいい……」

 

マカナが躊躇いがちにタクミの横顔を覗き込む。

隣にいたミネジュンからも笑顔が消える。

 

2人は真剣な目でタクミを見つめていた。

 

その視線を感じながら、タクミは小さく息を吐き出した。

 

2人とはこの4日間、ずっと一緒にいた。

悲しみに暮れるタクミを元気付け、寝る間も惜しんでバトルの特訓に付き合ってくれた。

そんな2人に真実を黙っていることがタクミにもそろそろ苦しくなっていたところだった。

 

アキのことを話すのは秘密のノートを見せるような気恥ずかしさがあったが、タクミは全てを包み隠さずに話すことにした。

 

「うん……実はね……」

 

タクミは2人に地球界に残してきた自分の大切な友人のことを話した。

 

彼女とフシギダネを重ね合わせていたこと。

足が動かないことを言われたのが我慢ならなかったこと。

自分の抱いている本当の夢のこと。

 

「だから……えと……うん。こんな感じ」

 

そう言ったタクミは頬を少し染めながら明後日の方向へと顔を向ける。

 

「…………なにそれ……」

 

ふと、後ろを振り返るとマカナが目を大きく見開いていた。

普段からほとんど表情に変化のないマカナ。目に見える程に大きな変化が表れているのは珍しい。

 

「……なにそれ……いい話」

「そ、そうかな?」

 

マカナはそう言って何度も頷いた。

彼女の鼻息が荒くなり、頰も興奮で少し赤らんでいた。

 

「……私も……そのアキちゃん……に会ってみたい」

「えっ、ほんと?」

「……うん……友達になってみたい」

「それなら大丈夫だよ。すっごいいい奴だから」

「……ほんと?」

「うん」

 

普段から外に出る機会のない彼女。友人など数える程度しかいない。

 

タクミが友達を連れて遊びにいけばいいのかもしれないが、身体が弱く、人見知りなところのある彼女に自信をもって紹介してあげれる友人がタクミにはいなかった。タクミの友達はミネジュンをはじめとして、騒がしくて少しガサツなところのある元気な連中ばかりなのだ。

 

今までも何度かミネジュンぐらいなら紹介してもいいと思うこともあった。

だが、そう思った矢先にアキの方が体調を崩したりして、タイミングが合わなかったのだ。

 

この『地方旅』が終わる頃にもう一度検討してみようとタクミは思っていたが、なんならテレビ電話でも会わせてみるのもいいのかもしれない。

 

「……でも……会えないか……私……大阪だし」

「それなら、ホロキャスターの番号があれば連絡できるでしょ。一度、電話でいいからアキと話をしてみるのもいいし」

「……私……番号……知らない……」

「え?あっ、そういえば僕らもホロキャスターの番号も交換してないんだった。交換しようよ」

「あっ、俺も俺も!」

 

タクミ達は足を止め、その場でホロキャスターの番号を交換した。

お互いの番号を手に入れた三人。

 

その時、タクミはミネジュンが口の端にニヤニヤとした笑みを浮かべていることに気がついた。

 

「なるほどな。タクミが時々急いで帰ってたのってそのアキちゃんのところに行ってたからなんだな」

「えっ、あっ、まぁね」

「ほー……へぇー……親友のこの俺にも内緒で女子と会ってたんだなぁ?」

 

ガバリと肩を抱いてきたミネジュン。

タクミは『やっぱり来た』と思いながら、無理矢理歩き出した。

 

「さぁさぁ!早くオーキド研究所行って寝よう!僕もう疲れた!」

「まてよ〜タクミ〜お前そのアキちゃんのこと好きなんだろ〜?そうなんだろ〜?」

「さぁ行こう!早く行こう!!」

 

タクミはミネジュンの手を振り払おうとするが、ミネジュンはすぐポケモンその手を掻い潜ってタクミに腕を巻きつける。

 

「なぁなぁってばぁ!言うまで離さねぇぞぉ!!」

「いや、だから、その……大事な友達……だよ」

「つまり好きってことだろ?」

「いや、だから、好きとか、そんなんじゃ……」

「タクミに好きな子がいるんだぁ!ヒューヒュー」

「うっさい、うっさい!」

 

タクミはミネジュンの手を振り払い、オーキド研究所に向けて走り出した。

 

「あっ!逃げるなぁ!待てってばぁ!」

 

タクミを追いかけ、ミネジュンも走り出す。

そんな二人に置いていかれまいとマカナもリュックを背負い直して走り出した。

 

色々なことがあったスタンプラリーも終わりの時間が近づいてきていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ポケモンキャンプの子供達が続々と帰ってくるオーキド研究所

 

スタンプラリーを終え、早めに戻ってきたトレーナー達は皆が一様に晴れやかな顔をしていた。

自分達の力でこのスタンプラリーを乗り越え、一つのことを達成したという成功体験は子供達を大いに成長させた。スタンプを8つ集めたトレーナーには景品としてモンスターボール詰め合わせが渡されていた。

 

皆が様々な種類のモンスターボールに目を輝かせている隣でタクミ達は自分達のホロキャスターをマサ先生へと見せていた。

マサ先生はホロキャスターに表示される彼らの足跡を見て、反射的にため息をこぼしそうになった。

なにせ、彼らはこの4日間ほとんど同じ場所から動いていないのだ。これは、スタンプラリーの趣旨をまるっきり無視した行動に他ならない。

 

だが、見上げてくるタクミ達の様子を見てマサ先生は眉をハの字に曲げただけで何も言わなかった。

彼らはオーキド研究所に到着したことで一気に眠気がきたのか、立ったまま今にも眠り出しそうなぐらいに疲弊していたのだ。タクミとミネジュンの後ろにいるマカナに至っては完全に目を瞑っている。

 

そんな彼らを見て、マサ先生は説教とため息の代わりに苦笑いを浮かべた。

 

「まったく……お前らがどんな4日間を過ごしたのか作文を読むのを楽しみにしておくよ。ほら、さっさと中で休め」

「ふぁあい」

 

欠伸を噛み殺し損ねたミネジュンとタクミの返事。マカナの方は一言も発することなく無言のまま身体を引きずるようにしてオーキド研究所の中へと入っていった。

 

その後ろ姿を呆れたように見送るマサ先生であるが、その表情の中にはどこか諦めたような笑顔が含まれていた。

そんなマサ先生にオーキド博士が声をかけた。

 

「おやおや、タクミ君達も戻ってきたのかの?」

「ええ、まぁ。でも、スタンプを一個も集めてきませんでしたがね」

「ふむ、それはいかんのう。スタンプラリーは『旅』における必要なことが詰まっておるというのに」

 

そんなことを言うオーキド博士であるが、その顔は全く怒ってはいない。

マサ先生もその冗談に付き合うかのように肩をすくめた。

 

「面白がってますね。オーキド博士」

「むむっ、そんなことはないぞ」

「顔に出てますよ」

 

マサ先生がそう言うと、オーキド博士は取り繕うことをやめて笑い出した。

 

「いやいや、わしも長年ポケモンキャンプを見てきたがあそこまで徹底した新人トレーナーを見るのは初めてでのう」

「徹底?」

「うむ。これをみるといい」

 

オーキド博士は端末をマサ先生に見せた。そこに表示されたデータではタクミ達がいかにポケモン達と限界ギリギリまで自分達を追い詰めていたのかが示されていた。

 

「これは、あいつららしいと言えばそうですかね……」

「あの子たちを怒らないであげてくれるかのう。これも立派な『旅』の形の1つじゃ」

「わかってますよ。斎藤 タクミと峰 ジュンのことは1年生の頃から見てきたんです。ことポケモンにおいて、あいつらが中途半端をするような奴じゃないことは自分が知ってます……他の学校の子まで巻き込むとまでは思っていませんでしたが」

 

マサ先生はタクミ達に付き合っていた女子のデータを表示させる。

 

江口 マカナ

 

彼女の担任の先生と話をしなければならないだろう。

ポケモンキャンプが終わるまでにしなければならない仕事はたくさんありそうだった。

 

マサ先生はオーキド博士に端末を返し、研究所の方へと足を向けた。

 

「オーキド博士、子供達の様子を見てきます」

「うむうむ」

 

オーキド博士は研究所に戻っていく教師の背中を好々爺とした笑顔で見送った。オーキド博士もタマムシ大学で教鞭をとる教師の一人。マサ先生の生徒を良く見ている仕事ぶりに感心すると同時に、賞賛する気持ちを抱いていた。

 

そして、研究所の中に足を踏み入れたマサ先生は目の前の光景に再び呆れたようにため息を吐いた。

 

「まったく……お前らは……」

 

研究所には帰ってきた子供達がゆっくりと眠れるように、大広間に布団を敷き詰めていた。

だが、タクミ達3人はそこまで到達することができなかったようだった。

 

研究所に入ったところにあるロビーのソファでタクミ達はすし詰め状態で眠っていた。

 

マカナは端の方で丸くなり、タクミはソファに突っ伏すように倒れ込み、ミネジュンはソファの大半を占領して大の字で大口を開けていた。

そして、なぜかその周囲には彼等のポケモン達がソファの隙間を埋めるかのようにして眠り込んでいた。

唯一姿が見えないのがミネジュンのディグダぐらいで、残りのポケモン達はそれぞれのトレーナーに身体を寄せて寝息を立てている。

 

少し目を離した一瞬でどうしてこんな状態になったのかマサ先生には想像もできなかった。

 

だが、こんな狭い場所で寝ていては身体を痛めてしまう。

かといって起こすのも可哀そうである。

 

「さて……それじゃあ、こいつに頼むかな……」

 

マサ先生は自分のモンスターボールを放り投げた。

中から現れたのは『ぞうふくポケモン』のランクルスであった。

 

「ランクルス、彼等を運んでやってくれるか?できるだけ、穏やかにな」

「ランラ~ン」

 

ランクルスの身体を覆う特殊な液体がエスパーの波動を受けて波打った。ランクルスの放った力は子供達とポケモンを全て宙に上げ、そのまま研究所の奥へと運んでいく。

 

そんな状態でも一切目を覚ますことのない子供達に向け、マサ先生は自分が最初に『旅』に出た時のことを思い出していた。

マサ先生が子供の頃は『ポケモンキャンプ』なんてものもなく、いきなり『地方旅』に放り込まれた。

最初は戸惑うことの連続で、道に迷って何日も野宿した。ようやくポケモンセンターにたどり着いた時、マサ先生も同じように入り口のソファでぶっ倒れて眠ってしまったのだった。

 

「……やっぱり『旅』ってのはいいもんだな……」

「ランラン?」

「なんでもないさ。ランクルス……そうだ。今度、久しぶりにバトルにでも行くか?」

「ラン!!」

 

マサ先生は大広間へと子供達を運ぶ。

布団が敷き詰められたその場所ではタクミ達と同じように力尽きた新人トレーナー達が死んだように眠り込んでいた。

 



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名言は人生を豊かにする、かもしれない

ポケモンキャンプ6日目

 

長かったようで短かった『ポケモンキャンプ』も明日で終わり。

キャンプを終えて一晩熟睡した子供達。本日は終日自由時間ではあるが、その為には乗り越えなければいけない課題があった。

朝食をとった子供達はシャワーを浴びた上で大広間にて『作文』に取り掛かっていた。こういった行事の後に必ず書かされる国語の課題である。

 

400字詰め原稿用紙を三枚以上という少ないようで多い分量。誰しもが面倒がっていたが、その作文が終われば残り一日を自由に過ごせるとあれば、筆も早くなるというものだった。要領の良い人達はキャンプの間の既に作文を仕上げており、研究所内に残っている面子は昼前には4分の1以下になっていた。

 

「うぐぐぐぐぐぐ……」

 

その中でも特に悪戦苦闘しているのがミネジュンであった。

3枚目の原稿用紙に一文字でも書かれていればそれでOKが降りるのだが、ミネジュンは600文字から先に文が続かない。タクミが1000文字で作文を終了した時には既にミネジュンは全てを諦めるかのように鉛筆を放りだしていた。

 

「だぁもう!書けねぇよ!!」

「ミネジュン、もうちょっとなんだから頑張りなよ」

「って、言われてもさ!何書けばいいんだよ!!ずぅうううっとタクミと一緒に特訓してただけなんだぞ!!」

「だから、その特訓の内容を細かくかいて、僕のポケモンがどう成長したかってことを書けば2枚分ぐらい終わるよ」

「それはタクミが国語の成績良いからだろ!俺はこういうの苦手なの!!」

「でも、書かなきゃ終わんないよ。とりあえず一段落分消したら?今のラストが綺麗にまとめ過ぎててそこから新しく書くのは無理だって。ちょっと戻ってそこから話を足して。で、今のまとめ部分を繋げればいいんだよ」

「あぁ、もう!!結局、書き直しじゃねぇかよ!!」

「しょうがないって」

「しかも今時手書きなんてよぉ、パソコンだったら簡単なのに……」

「引用もコピーも簡単すぎてサボる人が多いからしょうがいないよ」

「ちくしょう!!」

 

ミネジュンは苛立ちをぶつけるように原稿用紙を投げ捨て、新しい原稿用紙をもらいにすっ飛んでいった。

 

「ミネジュンはほんとポケモン以外は全然だよなぁ」

 

そんなことを呟きながら、タクミはミネジュンが投げ捨てた原稿用紙の行方を追った。

あれに追加で文章を書き加えていくのだから、あの原稿用紙が無いと困るはずだった。

 

タクミが机の間を覗き込もうとすると、すぐ目の前に褐色肌の細い両足が見えた。

 

「……飛んできた」

 

目線を上げると、いつも以上に表情のないマカナが出迎えてくれた。目元が充血しており、今にも瞼が閉じられそうなぐらいに細められている。どうやら昼寝の最中だったらしい。彼女の手には丸められた原稿用紙が乗っていた。間違いなくミネジュンのものだった。

 

「……起こされた」

「ごめんごめん。っていうか、寝てたの?」

「……うん……朝早かったから……作文仕上げて……二度寝……」

 

それは二度寝と言っていいものなのだろうか?

 

タクミはそう思ったが、割とどうでもよい疑問なので黙っておいた。

タクミは彼女から原稿用紙を受け取り、丁寧に押し広げてミネジュンの机の上に置いておく。これ以上タクミに手伝えることはない。後はミネジュンの頑張り次第である。

 

「さてと、マカナは作文終わったんだ」

「……うん……楽勝」

 

片手でVサインをするマカナであったが、表情がほとんど変わらないこともあり、どうもチグハグな印象が拭えない。

 

「……タクミは……時間かかったね」

「ははは、作文は得意な方ではあるんだけど……今回は色々とね……」

「……そう」

 

マカナは何かを察したように押し黙り、それ以上追及してくることはなかった。

 

なにせ、今回のキャンプでは『書きたいこと』と『書けないこと』そして、『書いておかなきゃならないこと』が織り交ざっていた。その中からなんとか文をひり出し、自分の中で理屈をつけて、文章として起承転結をまとめなければならなかったのだから、なかなか難しかった。

 

「おりゃぁあああああああ」

 

後ろからミネジュンの気合の声を聞きながら、タクミは原稿用紙をホッチキスで止めて回収担当の先生に渡して、マカナと一緒に大広間を後にした。

 

研究所の外では子供達の多くが自分のポケモン達と好きなように過ごしていた。

 

ゼニガメと水遊びに興じたり、フシギダネと一緒に昼寝したり、ヒトカゲと一緒にケンタロスに追い回されたり。

ただ、その数は全体の半分ぐらいだ。残りのここにいない人達は再び山に入って野生のポケモンとバトルしたり、他のトレーナー達と切磋琢磨していることだろう。

 

タクミも本当なら後者のような過ごし方をしたいのだが、さすがに今日はやめておくことにした。

このキャンプの間にキバゴにもフシギダネにも無理をさせ過ぎた。今日はしっかり休ませてあげないと、体調に差し支える。

 

「マカナ、僕はキバゴとフシギダネに水浴びさせようと思うんだけど、マカナはどうする?」

「……行く……私も……水浴びさせたい」

「うん」

 

タクミとマカナは2人して研究所の裏手に回り、ポケモン達の水飲み場へとやってきた。

そこにある水道を借り、ホースを繋げば簡易シャワーのできあがりだ。

 

「さぁ、出てきて!!」

「……みんなも」

 

タクミがキバゴとフシギダネを呼び出し、マカナもベトベター、ヒドイデ、ニドラン、ゴースのモンスターボールを放り投げた。

 

マカナのポケモンはいいとして、やはりタクミのキバゴとフシギダネは万全とは言い難い状態だった。

キバゴの身体は相変わらずの傷だらけのボロボロ。根元から折れてしまったキバは今日の朝にポロリと落ちてしまった。

 

つまり、今のキバゴは『キバ無し』である。

 

マカナ曰く『……じゃあ、【キバゴ】じゃない……【ゴ】だ』と言っていたが、タクミは変わらずキバゴと呼んでいる。

 

フシギダネの方もいつもに比べて背中の植物の張りがない。水分不足の植物のようにタネの表面が萎びているようだった。

 

タクミは彼等に向けてホースを上に向け、シャワーのように上から水を振りまいた。

【みずタイプ】であるヒドイデや、水浴びが好きなニドランは積極的にそのシャワーの中に飛び込み、嬉しそうに飛びはねている。

ベトベターは嫌がるかと思っていたが、地面に広がるように身体を伸ばし、身体を上に向けて満足そうに目を細めていた。

 

「キバ!!キバァ!!キバァ!!!」

 

そんな中、キバゴはフシギダネの背中に乗り、両腕を広げて空を仰ぎ見るようなポーズを取る。一見するとシャワーを全身に浴びているだけにも見えるのだが、何かおかしい。

 

キバゴは時折タクミ達の方に意味ありげな視線を向け、そしてその度に大仰に再度同じポーズを取って叫び声をあげるのだ。その下ではフシギダネが非常に迷惑そうな顔をしていたが、キバゴはお構いなしだった。

 

「キバゴ、何してるの?」

「キバァ!」

「え?なに?」

 

頭をひねるしかできないタクミ。その時、隣でゴースにまとわりつかれていたマカナが何かに気が付いたかのように頷いた。

 

「……わかった……『ショーシャンクの空に』だ」

 

そう言うと、キバゴは猛烈に頷いて喜びの声を上げた。

 

「え?なにそれ?映画?」

「……うん……『You either get busy living or get busy dying』」

 

マカナは完璧な発音でそう言ってみせた。

 

「わお、さすがマカナ……で、なんて意味?」

「……日本語だと……『選択肢は2つ、必死に生きるか、必死に死ぬか』……好きな台詞」

「へぇ……っていうか、キバゴはなんでそんなの知ってるの?」

「……キバゴは普段何してるの?」

「普段?普段は家にいることが多くて……あぁ、それでか。父さん結構いろんな映画をHDに入れてるからそこから観たのか」

 

キバゴが時々、妙にキメたがるのはその影響だろう。

 

「……でも……『ショーシャンクの空に』とは……いい趣味」

「そうなの?」

「……うん……私が見た中で……2位」

「へぇ、じゃあ1位は?」

「『スタンドバイミー』。ちなみに、3位は『天使にラブソングを』4位は『メアリ』5位は『レオン』」

 

タクミもスタンドバイミーは見たことがある。

 

廃線となった線路を歩いて、4人の少年が小さな冒険に出かける物語だ。

 

ただ、タクミは他の映画は観たことがなかった。というか、タイトルからして10歳の少年少女が観るものじゃない気もする。だが、マカナのミステリアスな雰囲気からすればそういった洋画を観ていてもなんとなく納得してしまう。

 

タクミはいつか機会があれば観てみようとホロキャスターのメモ帳に記録しておいた。

 

「キバゴ、気がすんだらフシギダネから離れてあげて。迷惑そうだよ」

「キバ?」

「ダネダ!」

 

フシギダネが強い口調で注意すると、キバゴはすぐにフシギダネの上から降りて反省のポーズを取った。

片手をフシギダネのタネに置き、項垂れるキバゴ。

それが猿回しがよくやる『反省のポーズ』というのはタクミも知っていた。

 

「キバァ………」

「ほんと、お前はどこでそういうの覚えてくるの?」

 

そんなこんなで水を撒きながら、ポケモン達と戯れる。

ポケモン達が十分に水浴びに満足すれば、後はお手入れの時間だった。

 

「……ヒドイデはこっち……ニドランはそこに座って……ベトベターは寝てるならいっか……で、ゴースは邪魔するなら戻る?」

 

マカナが半目になってゴースをにらみ上げると、ゴースは涙目になってマカナの周囲で飛び回った。

 

「ゴスゴスゴスゥ!ゴースゥ!ゴスゥ!!」

 

『嫌だぁ』と全身で訴えるゴースにタクミはクスクスと笑う。

相変わらず間の抜けた『お化け』であった。

 

タクミはポケモン用の石鹼を借り、それでキバゴの鱗をゴシゴシと磨いてやる。ただ汚れを落とすだけでなく、特訓で疲れたキバゴの身体をマッサージするつもりでタオルを擦る。

石鹼の泡が汚れを浮かせ、それを拭うと、手拭がすぐに真っ黒に変わった。

 

「キバゴ……お前、ほんと頑張ったな」

「キバ?」

 

リベンジマッチの為の特訓。タクミとフシギダネの気持ちが折れることなく、こうして最終日を迎えられたのはやっぱりキバゴのひたむきな強さがあってこそだったように思う。どんな時でも、常に全力で、決して諦めない姿勢がタクミ達に勇気を与えてくれた。

 

泡の下にあるキバゴの傷だらけの鱗はそのうち治る。折れたキバも生え変わってより強いキバになる。そのうち、特訓の怪我などまるでなかったかのようになるだろう。だが、あの時にキバゴが見せてくれたそのハートの強さは決して消えることはない。

 

「お前は最高のポケモンだよ」

「キバ!」

「『選択肢は2つ、必死に生きるか、必死に死ぬか』か……いい言葉だ」

「キバ!」

 

タクミはそう言って、キバゴの頭から水をかけて泡を洗い流す。

 

「キバァ!!」

 

『完全復活』とでも言いたげにマッスルポーズを取るキバゴ。

タクミはそのキバゴの頭をポンポンと撫で、フシギダネをひざ元に抱き寄せた。

 

「フシギダネも身体洗う?」

「ダネ」

 

頷いたフシギダネは“ツルのムチ”を伸ばして、自分で手ぬぐいに石鹼を泡立てた。

 

「ダネダ~」

「はいはい」

 

タクミが水をかければフシギダネは自分で自分の身体を洗っていった。本当に器用なフシギダネである。

タクミはフシギダネが自分では見えない場所だけを拭いてあげる。

そして、最後にタクミはフシギダネの動かない足を拭いてやった。

 

凝り固まった筋肉。動かない関節。そして、大きな傷跡。

フシギダネのその足はボロボロだ。この怪我は一生消えることはない。

タクミは筋肉の血流を少しでも良くするために、フシギダネの足を念入りにマッサージする。

 

フシギダネはされるがままにそのマッサージを受けつつも、“ツルのムチ”ではキバゴとシャドーボクシングのマネごとをしていた。

 

「フシギダネ……君も忘れないでね」

「ダネ?」

「『必死に生きるか、必死に死ぬか』……フシギダネはどっち?」

「……ダネ」

 

フシギダネはタクミを見上げ、ニヤリと笑ってみせた。

 

『前者だ』

 

タクミの耳にそんな声が聞こえた気がしていた。

 

ポケモン達のお手入れが終わり、タクミとマカナはオーキド研究所の片隅に座り、一息ついていた。

 

「そういえば、マカナって『地方旅』はどこの地方行くの?」

「……言ってない?」

「聞いてないかな。っていうか、僕も言ってないか」

「……私は……カロス……カロス地方」

「ほんと!?じゃあ、僕と一緒じゃん!!」

「……そうなの?」

「そうだよ、僕もミネジュンもカロス地方を巡るんだ。ははっ!すごい偶然!!ってことは旅先でちょくちょく会うかもね」

 

嬉しそうにマカナの顔を覗き込むタクミ。

だが、マカナの表情はどちらかと言えば浮かないものだった。

その横顔はいつもと変わらない無表情であるが、わずかに目を伏せているせいでその顔色に陰りが見えていた。

 

「…………うん……そうだね……」

 

マカナの会話の間合いが変わったのをタクミは感じた。

元々、独特な間合いで喋るマカナであったが、最後の返事だけ少し躊躇うような間があったのだ。

 

「マカナ?どうかした?もしかして、僕らと一緒は嫌だったり……」

「それはない」

 

マカナはピシリとそう言い放つ。彼女にしては即答の部類だった。

 

「……タクミも……ミネジュンも……いい友達……一緒の地方なのは……心強い」

「そう?でも、なんか……悩んでる?」

「………悩んでる……うん……悩んでる……のかも……」

「かも?」

「……かも」

 

マカナの返事はどうも煮え切らない。それは彼女自身も自分の気持ちを上手く表現できずにいるせいもあった。

 

そして、マカナは不意に目の前で溶けたように眠っているベトベターに声をかけた。

 

「……ベトベター」

「ベトォ?」

「……おいで……」

 

マカナがそう言うと、ベトベターは這うようにしてマカナの足元に寄り添った。

アローラのベトベターは毒素を体内の結晶体に濃縮するため、悪臭もなく、また表面の体液の毒性も極めて薄い。地方によっては化粧品扱いされている場所もあるらしいが、色合いが毒々しいので率先して触りたいとは思えない。

 

そんなベトベターをマカナはなんの躊躇いもなく自分の膝上に乗せた。

 

ベトベターはマカナの膝に合わせて形状を上手く変え、自分の身体を安定させた。

 

「……ねぇ……ベトベター……私……」

 

何かを言いかけたマカナ。

だが、そこから先に言葉は続かず、マカナは息を飲むように唇を結んでしまった。

 

「……ベトォ……」

 

顔を伏せ、目を閉じ、落ち込んだようにも見えるマカナ。遠巻きに見ているマカナのポケモン達はそんな彼女に心配そうな視線を送っていた。特にゴースはまたもや泣きそうな顔でオロオロしており、『ちょっとしっかりしろ』と言いたくなってしまいそうになる。

 

そんな彼女の頬にベトベターが手を当てた。

 

「………ベトベトベ!!」

 

そして、ベトベターは突然両腕を広げて空を仰ぎ見た。

 

「……え?」

「ベトベ!!」

 

それは紛れもなくさっきキバゴが見せた『ショーシャンクの空に』の真似であった。

 

「……『必死に生きるか、必死に死ぬか』……」

「ベト!!」

 

肯定するように大きく頷くベトベター。

そんなベトベターに向け、マカナは強く頷いた。

 

「……うん……そうだね……」

 

そして、マカナはベトベターを自分の肩に乗せ、立ち上がってタクミの真正面に立った。

 

「マカナ?」

「タクミ……私と……バトルして……」

「……え?」

 

一瞬、何を言われたかわからずに呆けた顔になるタクミ。

 

だが、その言葉の意味を頭が認識するにしたがってタクミは自分の口角が自然と持ち上がっていくのを感じた。

 

今のマカナの顔はいつもの無表情とはかけ離れていた。

眉間にはわずかに皺が寄り、顔全体に力が入り、興奮しているのか瞳孔が開いてギラギラと輝いて見える。

それは闘志に溢れた顔だった。

 

そんな顔でバトルを挑まれたら、応えない方が失礼だ。

 

「よしっ!やろう!!」

「……ルールは1対1……私は……ベストパートナーのベトベターで行く」

「ベトベッ!!」

 

気合十分のベトベター。ベトベターの表面の緑色の液体が激しく流動しているのがタクミからもわかった。

 

「それじゃあ、こっちはキバゴだ」

「キバキバァ!!」

 

彼女が何を思い悩んでいるのかはわからない。

わからないが、その悩みを吹っ切るためにバトルを必要としているのはタクミにもわかる。

だったらこっちは彼女が全力でぶつかってこれるよう、全てを出し尽くすだけだ。

 

タクミとマカナは他のポケモン達に声援を送られながら、お互いに距離を取って向き合う。

バトルフィールドでもない、ただの野原でのバトル。

だが、気分は大歓声のスタジアム真っ只中だった。

 

キバゴが大地を踏みしめ、咆哮を上げる。

ベトベターが柔軟体操をするように身体をひねり、勢い余って周囲に体液を飛び散らせていた。

 

「……タクミ……本気で……」

「勿論だよ!!」

 

マカナとは特訓中に何度かバトルしたものの、それはキバゴやフシギダネのトレーニングがメインであり、お互いにある程度体力を温存するようなバトルをしていた。

 

本気でぶつかり合うバトルをマカナとやるのは初めてだった。

 

タクミはニヤリと笑い、声を張り上げた。

 

「行くぞキバゴ!!“ダブルチョップ”を構えろ!」

「キバァ!!」

 

キバゴが腕を振り下ろすとその両腕に紫の炎が灯った。

 

「先手必勝!仕掛けろ!!」

「キバキバァ!!」

 

真正面から突っ込んでいくキバゴ、それに対してマカナの冷静沈着な視線が刺さる。

 

「ベトベター……流して」

「ベトォ!」

「キバァ!!」

 

キバゴが一気に接敵し真正面から殴り掛かる。

だが、ベトベターはその流体の身体を生かして、攻撃をヒラリと回避した。

 

「キバキバキバァ!」

 

キバゴの連撃は止まらない。“ダブルチョップ”を纏った両腕を次々と振り切り、前に前に突っ込んでいく。

 

「ベトベター……後退して」

「ベト」

 

ベトベターはその攻撃を右に左に身を揺らすようにして回避しながら下がる。キバゴの攻撃が時折その身体を掠めるも、ダメージは軽い。キバゴの直線的な動きが読みやすいこともあり、致命打にはなかなか至らない。

だが、ベトベターも回避に精一杯でカウンターを差し込む余裕もないはずだった。

 

「………」

「キバキバキバ……キッバァ!!」

 

キバゴの“ダブルチョップ”がついにベトベターの身体の一部を削り取った。状況は間違いなくタクミ優勢に動いている。そのはずなのに、タクミはなんだか嫌な予感を覚えていた。

マカナは普段は大人しい雰囲気のある女子だ。だが、その内情には結構な熱量がある。冷静沈着にバトルフィールドを見渡し、自分のポケモンに関しては特に精通している。そんな彼女が何もせずに防御一辺倒だなんてことがあるだろうか。

 

タクミはマカナの表情をチラリとみる。眉間に皺を寄せたマカナの視線を追い、バトルフィールドを見渡しタクミは一瞬で青ざめた。

 

「キバゴ!!戻れ!!罠だ!!」

「キバ!?」

「……遅い……ベトベター……“かたくなる”!」

「ベトォ!!」

 

ベトベターを構成する体液がかたまっていく。頭の天辺からベトベターの表面を流れていた液体の流動が止まり、そのまま胴体が固定される

 

そして『地面』が固まった。

 

正確にはベトベターが後退しつつ薄く地面に張り巡らせていたベトベターの体液が固まったのだ。

無臭であり、深緑色の液体のベトベターの体液はこの草原のフィールドではあまりにも目立たない。

キバゴの両足は既にそのベトベターの沼地に取り込まれていた。

 

「キバッ!キバキバッ!!」

 

前に前に出ていたキバゴの動きが止まる。

キバゴの足がベトベターの体液と一緒に固まっていた。

 

「……ベトベター……“アシッドボム”」

「ベトベ!!」

「キバゴ!!撃ち落とせ!!」

「キバァ!!」

 

足が動かずとも腕は動く。キバゴはベトベターが放ってきた毒の爆弾を次々とその両腕ではたき落とした。

だが、それは攻撃を受け止めているだけであり、回避できているわけではない。そのダメージは確実に蓄積されていく。

ベトベターが近接攻撃を仕掛けてくれれば反撃の余地もあったが、キバゴのパワーを知るマカナは確実に距離を取って攻撃してくる。

 

このままじゃジリ貧になることは目に見えている。こちらから動かなければ勝機はない。

 

「キバゴ!!足元の液溜まりは薄い!!お前なら外せる」

「キバァァァァアアアア!!」

 

キバゴも同じことを考えていたようで、自分の足を引き抜こうと力を込める。

だが、それをすれば防御の方がおろそかになる。

 

「……ベトベター……畳みかけて!」

「ベトベ!!」

 

大きく息を吸いこんだベトベター。大量の“アシッドボム”を放つ前準備だ。

その攻撃を受ければさすがのキバゴも危ない。

タクミは足をなんとか引き抜こうとするキバゴに指示を飛ばした。

 

「キバゴ、足元に向けて“ダブルチョップ”!!」

「キバッ!!」

 

両腕を頭上でクロスに構えたキバゴ。

その直後、ベトベターの口から6発の“アシッドボム”が放たれた。

 

「ベトォォオオオオ!!」

 

毒の爆弾が迫る。キバゴの両腕の紫炎が一際強い輝きを放つ。

 

「キバァ!!」

 

強烈な一発が振り下ろされるのと、“アシッドボム”の着弾はほぼ同時。

だが、陶器が割れるような乾いた音の方が一瞬だけ早かった。

 

「キバッ!!」

 

間一髪のところで回避したキバゴはバク転をしながら、タクミのすぐ手前まで戻ってきた。初期の立ち位置に戻ったキバゴとベトベター。

そして、キバゴは鼻先についた“アシッドボム”の飛沫を左手の爪で拭い去り、カンフーのようなポーズを取った。

 

「キバァァアアアアア!!」

「……ブルース・リー……」

 

マカナがそう言うと、キバゴは親指を立てて満足そうに頷いた。

 

「はい、キバゴ、バトルに集中」

「キバ!!」

「……それにしても、なかなか突飛なバトルをしてくれる」

 

タクミはそう言って楽しそうに笑う。

それに対して、マカナの表情は変わらない。

静かにフィールドを見つめ、次の一手を熟考しているようであった。

 

タクミはベトベターの足元に目を向ける。

キバゴの足を捕らえたのはベトベターの身体の一部だ。その部分を“ダブルチョップ”で叩き砕いてキバゴは脱出した。だが、ベトベターの身体にはダメージを負った様子はない。叩くならやはり本体に当てないとだめだろう。

ベトベターの軟体には通常の打撃は通りにくいが【ドラゴンタイプ】を付与している“ダブルチョップ”なら関係はない。

 

やはり、勝つための一番の問題は『如何にして接近するか』の一点につきる。

 

「キバゴ、アクロバットに行くしかないね」

「キバ?」

 

ポケモンには“アクロバット”というワザがあるが、そんなワザをキバゴが使えるわけがない。

ここでいうアクロバットというのは、単なる地球界での用語のことであった。

 

「キバゴ、オリンピックは覚えてるだろ?体操選手みたくキメてくれる?」

 

そう言うと、キバゴは口の端でニヤリと笑い、大きく頷いた。

 

「キバァァァ!!」

「よしっ、キバゴ!”ダブルチョップ”!!」

「キバッ!!」

 

キバゴは一気に突進し、ベトベターの身体が広がる領域へと躊躇せずに足を踏み入れてくる。

 

「……突っ込んでくる……」

 

マカナの脳裏にこの数日のキバゴの特訓のことが頭に浮かんだ。

全ての攻撃を叩き落とし、正面突破で相手に突撃することに特化した訓練。

マカナはキバゴがベトベターの体液を強引に突破してくるつもりだと予想した。

 

「……ベトベター……今度は十分引きつけて」

「ベトベェ!!」

 

先程の“かたくなる”をキバゴが抜け出せたのはベトベターが広げた体液が薄く、弱かったからだ。

ベトベタとの距離が近づけばその体液も量が増え、厚みも増える。至近距離まで近づいてくればキバゴのパワーがあろうと、その足を止められるはずだった。

 

マカナは息を止め、生唾を飲み込んだ。

 

マカナはキバゴのパワーを間近で見てきた。その恐ろしさもよくわかっている。距離のあるうちに“かたくなる”で足を止めたい衝動に駆られてしまう。

その気持ちを押さえつけ、キバゴが突っ込んでくるプレッシャーに負けじと気持ちを強く張ってキバゴを内側に誘い込む。

 

「……ベトベター……まだ……まだ」

「ベト……」

 

だが、そうやって引き付けて来ることはタクミの方も予想していた。

 

「キバゴ!今だ!!」

「キバァ!!」

 

次の瞬間だった。キバゴが“ダブルチョップ”を地面に叩きつけ、跳躍した。

ベトベターの沼地を大きく飛び越え、本隊を直接狙うハイジャンプ。

 

「……え……」

 

マカナの背に一気に冷や汗が噴き出した。だが、すぐさま動揺を飲み込み、状況を冷静に確かめる。

 

「……その跳躍……届かない……ベトベター……着地を狩るよ……」

「ベトォ……」

「いいや、そうはいかない!!キバゴ、もう一度地面に“ダブルチョップ”!」

「キバァ!!」

 

キバゴは空中で身体をひねり、強引に頭から落下する。

そして、地面に身体が付く直前に“ダブルチョップ”を叩きつけた。

 

軽い地鳴りが起きた。

 

ベトベターの沼地が一瞬だけ吹き飛び、地面が見える。そして、そのままキバゴは再度空中へと飛び上がった。

今度こそ、キバゴの跳躍距離はベトベターの本体に届く。

 

「……くっ……ベトベター……弾幕を」

「ベトベェ!!」

 

空中にいるキバゴに向けて“アシッドボム”を連打しようとするベトベター。

だが、つい先程まで“かたくなる”のタイミングを伺っていたため、行動が遅れる。

 

キバゴが飛んでくる僅かな時間に放てた“アシッドボム”は2発のみ。

 

その程度の攻撃で今更キバゴが止まるはずもなかった。

 

「キバゴ!!一気に決めろ!!“ダブルチョップ”!!」

「キィィイイバァアアアア!!!」

「……ベトベター……“かたくなる”!」

「ベトォ!」

 

防御を強引に固めにきたマカナ。ベトベターはすぐポケモン身体の流動を止め、硬質化する。

 

そこに、キバゴの攻撃が刺さった。

 

「キバァァァアア!!」

「ベトォオオオオ!!」

 

全体重を乗せた“ダブルチョップ”を叩き込むキバゴ。

全身を持ってその場に踏みとどまろうとするベトベター。

 

両者一歩も引かないかに見えた攻防が膠着したのはほんの一瞬。

 

「キバァアア!!」

 

キバゴの攻撃がベトベターの体躯を突き飛ばした。

 

「ベトォ!」

 

草地の上を転がり、やや丸くなったベトベターはマカナの足元で動かなくなった。

 

沼地の上に着地し、キバゴは再びポーズを決める。

今度もやはりブルース・リーであった。

 

「キバァアア!!」

 

そうしながらも、決して目線はベトベターから外さないキバゴ。

そのベトベターの傍にマカナが走り寄り、膝をついた。

 

「……べ、ベトォ……」

 

目を回し、身体が蕩けるように平べったくなっているベトベター

そして、マカナはタクミの方を見て、静かに首を横に振った。

 

「……もう戦えない……私達の負け」

 

タクミはそれを聞き、両手の拳を握りしめる。

 

「イヨッシャ!!キバゴ!ナイス」

「キバァ!」

 

タクミとキバゴがハイタッチを決める。

 

「いってぇえええええ!」

 

タクミは今度からバトルが終わったキバゴには“ダブルチョップ”を解除させるのを絶対に義務付けようと心に誓うのだった。

 




ポケモンの小説を書くぐらいポケモン好きな人生を歩いてきたら、その人生の走馬燈のようなPVを公式が放ってきた!
『GOTCHA』を一回見て涙が出て、それからずっとリピートを続けているよ!おかげでポケモンの小説が書けない!PVで『XY』の描写少なかったから『俺が書かなきゃ!』って意気込んでんだけど、それ以上にゲームで自分の相棒達に会いたくなっちゃったんだよ!

そんなこんなでちょっとしばらく、テンションおかしいと思うので投降ペースがどうなるかわかりません。無茶苦茶投稿速度あがるかもしれないし、クソほど遅くなるかもしれません。


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思い立ったらバトルをしよう

バトルを終えたキバゴとベトベターは体力回復のためにたらふく昼ごはんを食べ、2人して野原の中に寝転んだ。

 

「ベトォ……」

「キバァ……」

 

ベトベターはとろけるように身体を広げ、日向ぼっこ。

キバゴはそんなベトベターの身体をベッドにして、大の字で転がっている。

 

タクミとマカナはそれを横目に少し遅めの昼ご飯を食べていた。

 

「……タクミ……ありがとう、バトルしてくれて」

「お安い御用だよ。というか、僕もマカナと一度本気でバトルしてみたかったしね」

 

実際、【どくタイプ】を専門に使うマカナがどういった戦い方をしてくるのかは1人のトレーナーとして非常に興味があった。

 

「それで、どうだった?」

 

その質問はバトルをする前にした話の続きであった。

何かに悩んでいたマカナ。それを振り切ろうとして始めたバトル。

だが、マカナの表情からはまだ憂いが消えていなかった。

 

「……それは……」

 

マカナのスプーンが止まる。それはバトルの前にも見せた思い悩んでいるような、落ち込んでいるような顔だった。

 

「……まだ……ごめん……」

「いや、いいよ。マカナが言いたくなったら言ってくれればいいから」

「……うん……もうちょっと……」

「うん」

 

そんな時、研究所の中からようやくミネジュンが姿を現した。

 

「あっ、ここにいたのかよ!ちょっと探しちゃったぞ!!」

「ミネジュン、随分時間かかったね」

「もう、ほんと面倒だったぁ!って、俺も腹減ったぁ」

 

作文を終えたミネジュンは研究所の中から持ってきた食事を手にタクミ達に同席した。

 

「で、なんの話してたんだ?」

「さっき、僕とマカナでバトルしたから、それについて話してた」

「えっ!!バトル!?俺もやる!俺も俺も!マカナ!俺ともバトルしてくれよ!!」

「……ごはんの後でなら」

「おっけぇい!!いよっしゃぁぁああ!!燃えてきたぁ!」

 

ミネジュンはそう言って、口の中にご飯を勢いよく掻っ込んでいく。先に食べ始めていたタクミ達より先に食べ終わりそうな勢いだった。

 

「……そんなに急いで食べると……身体によくない」

「大丈夫!大丈夫!ほら、こうやって水も一緒に飲めば問題ない!!」

「いや、ミネジュン。マカナが言っているのは喉に詰まらせるのが危ないってわけじゃなくて、よく噛んで食べないと消化に悪いって意味なんだけど……」

「そんなの時間がもったいないじゃないか!はやくはやく!バトルしようぜ!キャンプの間はタクミの特訓に付き合ってたからバトル熱が余ってしょうがないんだ!!」

「あぁ……それは、その」

 

それを言われるとタクミは強く言い返せない。

タクミの特訓に付き合わせて、ミネジュンとマカナの大事なポケモンキャンプの時間を奪ってしまったのは間違いないのだ。ポケモンキャンプは『地方旅』の前準備だ。旅をする上で大事なことが詰まっている。

それを台無しにしてしまった罪悪感はタクミの胸の奥でわずかに燻り続けていた。

 

だが、そんなタクミの感情など露知らず、ミネジュンはあっけらかんと言ってのけた。

 

「俺さ、タクミの昨日のバトルを見てすっげぇぇ興奮したんだ!!バトルって、すっげぇ楽しいんだって、すっげぇ面白いんだって、めちゃくちゃ思った!!」

「え?」

「特訓して、いろいろ試して、バトルで実践して、勝てなかった相手に勝つ!これがポケモンバトルなんだよな!これがトレーナーのバトルなんだよな!俺、マジに感動したんだ!昨日は疲れて寝ちゃったけど、今、めっちゃくっちゃバトルしたい!!」

 

目を輝かせてそう語るミネジュンを前にタクミはぽかんと口を半開きにして固まった。

 

タクミは自分の昨日のバトルはそんな大層なものではないと思っていた。

意地を張って、泥だらけになって、掬い取るようにして掴んだ勝利だ。

プロリーグや四天王戦のような感想を言われても、いまいちピンとこない話だった。

 

だが、そんなミネジュンの気持ちがわかる人もいた。

 

「……私もわかる……」

「えっ!?」

 

マカナが小さく呟き、タクミは驚きの声をあげた。

 

「……私も……その気持ちはわかる……」

「マカナもか!?やっぱそうだよな!!あれ見て燃えない奴なんていないって!」

 

盛り上がる2人にタクミは弁明するように口を開いた。

 

「な、何言ってんのさ2人とも。あのバトルはそんな……だって、喧嘩の続きみたいなバトルだし、勝ったって言ってもけっこう無茶苦茶な勝ち方だったし」

 

そんなタクミを遮るようにマカナが首を横に振った。

 

「……そんなことない……」

「で、でも」

「だって……私も……バトルしたくなった」

「え……」

「……バトルしたくなって……特訓したくなって……強くなりたいって……思った……だから……だから」

 

マカナはそう言って食べかけの食事を残してスプーンを置いた。

 

「……だから……ミネジュン」

「おう!!いつでも準備OKだぜ!!」

 

ミネジュンは既に食事を食べ終え、椅子から飛び跳ねるように立ち上がっていた。

 

「……ベトベター……」

「ベトォ!!」

 

マカナがベトベターを呼ぶと、ベトベターは身体をギュッと絞りながら、縦に伸びあがった。

 

「キバァ!?」

 

ベトベターの上に乗っていたキバゴが転げ落ちた。草原の上をゴロゴロと転がっていくキバゴをフシギダネが“ツルのムチ”で捕まえてバトルフィールドから避難させる。

そして、キバゴが目を回している間に、既にマカナとミネジュンは距離を取って向き合っていた。

 

「……ベトベター……連戦だけど……大丈夫?」

「ベトベ!!」

 

サムズアップらしき仕草をするベトベターに向けてマカナは小さく頷く。

 

「おっ!マカナはベストパートナーで来る気か?」

「……うん……タクミともベストパートナーとの1対1でバトルした」

「よし、それじゃあ俺もそのルールでいく!!頼むぞ!ケロマツ!!」

「ケロケロォ!!」

 

ボールから出てきたケロマツは気合十分に身構えた。

 

「いくぞ!マカナ!!」

「……うん!!」

 

バトルが始まる直前の張り詰めた空気。

こうなってしまえばこれ以上口を挟むのは不粋というものだった。

タクミも目の前のバトルに引き寄せられ、食事の手が止まる。

 

そして、気が付けばキバゴを降ろしたフシギダネが“ツルのムチ”を構え、2人の間に立っていた。

フシギダネは両者の準備が整ってきることを確認して、その“ツルのムチ”を勢いよく振り下ろした。

 

「ダネダッ!」

 

『試合開始ッ!』

 

例えポケモンの声が聞こえずとも、フシギダネの宣言はトレーナーの本能に響き渡った。

 

「先手必勝!!“でんこうせっか”!!」

「ケロッ」

 

やはり先に動いたのはミネジュン。

だが、それに対してマカナの指示も早かった。

 

「ベトベター、伏せて回避」

「ベトッ!!」

 

ベトベターはケロマツの高速の攻撃をひらべったく身体を縮めることで完璧に回避してみせた。

 

それを見た瞬間、タクミは思わず息を飲んだ。

 

ミネジュンのケロマツのスピードはタクミも一度味わった。生半可な反応速度で回避できるものではないはずだ。少なくとも、ケロマツの行動を『見て』からトレーナーとポケモンが反応するのであれば絶対に間に合わない。

 

となれば、マカナは『見る』前からミネジュンの行動を予想していたのだ。

マカナはミネジュンが一手目で“でんこうせっか”を出すことを最初から見切り、ベトベターと打ち合わせをしていたのだろう。

 

「ケロッ!?」

 

真下を取られたケロマツ。その無防備なボディに目掛けベトベターが攻撃態勢を取る。

 

「……“はたく”」

「ベトォッ!!」

 

真下から打ち上げるような攻撃にケロマツの身体が空中へと投げ出された。

そして、空中で身動きが取れないケロマツにベトベターは素早く狙いを定めた。

 

「“アシッドボム”」

「ベトォ!!」

 

口の中に貯めこんでいた毒素の爆弾を次々と放つ。

確実に決まると誰もが思った。

 

「ケロマツ!!ケロムースで吸い取れ!!」

「ケロッ!!」

 

ケロマツは首に巻いている泡の塊を盾のように構えた。

 

ケロマツは首回りに巻いている泡はケロマツが自身の粘液で固めて作った弾力のあるムースだ。

空気を多量に含んだムースはいわば天然のスポンジ。ケロマツはムースで水分を吸い取るように飛んできた毒素の泡沫を吸収していった。だが、それで全てを防げるわけではない。数発の“アシッドボム”がケロマツの身体を擦るように通過し、小規模な爆発でケロマツの身体をいたぶる。

 

ケロマツは致命傷だけは避けつつ、なんとか着地して後退した。

だが、毒を吸ったケロムースは最早使い物にならず、放棄せざる得ない。

次のムースをを生み出すのには時間がかかることを考えると先程の防御はもう使えない。

 

「……ミネジュン……次はないよ」

「ご忠告どうも!!でもな、俺達は止まらないんだよ!ケロマツ!“でんこうせっか”!!」

「ケロッ!!」

 

ミネジュンは愚直にも先程と同じく真正面からの攻撃を選んだ。

 

「……っ!!……ベトベター!!」

 

マカナの反応が遅れる。

 

ミネジュンが2度も立て続けに“でんこうせっか”を使ってくるとはマカナも予想していなかったようだった。

 

普通、一手目で“でんこうせっか”を完璧に見切られたのだから、同じワザを使うのは躊躇いそうなもんだ。

 

だが、ミネジュンにはそんな理屈は通じない。

『最速こそ最強』それがミネジュンの戦い方なのだ。

 

「ケロッ!!」

 

ケロマツの“でんこうせっか”がベトベターの身体に刺さる。

軟体の身体でもお構いなしの高速の突撃。防御と体力に自信のあるベトベターでも、さすがに直撃をくらえばただではすまない。

 

わずかに後退するベトベター。

そして、ケロマツはすぐさまその場から飛びのき、ベトベターと距離をあける。

ケロマツが姿勢を整えた瞬間、すぐさまミネジュンの指示が飛んだ。

 

「ケロマツ!“でんこうせっか”『イナズマ』」

「ケロロッ!!」

 

先程の直線軌道の攻撃ではない。ジグザグ走行で突撃を仕掛けてくるケロマツ。

左右にステップを刻んだだけの攻撃だが、それをケロマツのスピードで行えば、目で追うことすら困難だ。

ベトベターはケロマツの動きに対応できず、二発目の“でんこうせっか”を叩き込まれた。

 

「ベトベェ!!」

 

ベトベターは攻撃を受けた瞬間にカウンターの反撃を狙ったが、ケロマツには当たらなかった。

ベトベターが反撃の為に腕を振った時には、ケロマツは既に後退して次の攻撃に備えていた。

お手本のようなヒット&アウェイだった。

 

「ケロマツ!もう一回だ!“でんこうせっか”『イナズマ』」

「ケロッ!」

 

今度はステップの歩幅を変えつつ迫るケロマツ。

攻撃してくる方向は右か左で限定されているものの、その攻撃のリズムは先程とはまるで異なる。

 

それでもマカナは狼狽ることなく、バトルフィールドを見据えていた。

 

「……ベトベター……集中」

「ベト」

 

マカナが静かに息を吐きだした。長く、深く息を吐く。瞬きも止め、視野を狭め、身体が生理的に生じさせる雑音をシャットアウトしていく。

 

狙うは一発目と同じ“はたく”によるカウンター。

 

「ケロケロケロォ!!」

 

迫り来るケロマツ。あまりのステップの速度にケロマツの残像が見える程であった。

そして、マカナは囁き声のように静かに言った。

 

「……右!!」

「ベトォ!!」

 

ドンピシャだった。

 

“でんこうせっか”の後ろに残る光の軌道が完全にその場で止まった。

ベトベターの右腕がケロマツの腹部に叩きつけられた。完璧に攻撃が刺さった。ベトベターはケロマツを斜め上方向へと打ち上げた。『ホームラン』と形容できる程に綺麗な放物線を描いていくケロマツにマカナは指を差した。

 

「“アシッドボム”」

 

ベトベターが口に含めた毒素が散弾のように降り注ぐ。

これを防ぐ術はケロマツにはなかった。

 

「ケロマツ!!」

 

“アシッドボム”が命中し、落下するケロマツ。受け身を取ろうとしないケロマツを見てミネジュンは思わずバトルフィールド内に飛び込んだ。ミネジュンがスライディングをしながら地面とケロマツの間に身体を挟み込んで手を伸ばす。

 

だが、ケロマツはその両手をすり抜け、ミネジュンのお腹へと落下した。

 

「ぐぇっ!!」

「ケロッ……」

 

ミネジュンのお腹で目を回すケロマツを見て、フシギダネが“ツルのムチ”を振り上げた。

 

「ダネダァ!ダネッ!!」

 

その“ツルのムチ”をマカナとベトベターの方へと向けるフシギダネ。

随分と審判として様になっているフシギダネ。

新人トレーナーが数多く旅立つ研究所に長くいれば審判役をやってきたことも多いのであろう。

 

そんなフシギダネの勝利宣言を受けたマカナ。

彼女は茫然としたような顔をしながら、足元のベトベターを見下ろした。

 

「……勝った……の?」

「ベトベ、ベトベ」

 

うんうん、と頷くベトベター。

 

「……勝った……」

「ベトッ!」

 

バトル開始前と同じようにサムズアップするベトベター。

マカナはペタンとベトベターの傍に膝をついた。

 

「……ベトベター……初勝利だ」

「ベト」

 

そして、マカナはほとんど表情を変えないまま、ベトベターを力いっぱい抱きしめた。

 

「……勝った……うん……勝ったんだ」

「ベトベ!!」

 

そんなマカナを同じように抱きしめるベトベター。

マカナは自分の勝利がまだ信じられないような顔をしていたが、ベトベターの方は満面の笑みであった。

 

「ゴースゴスゴスゴス!!」

「ドヒィドイデ!」

「ニドッ!!ニドッ!!」

「……みんな……うん……私……勝ったよ」

 

マカナのポケモン達も集まってきてマカナに飛びかかるようにしてハグをしていく。

ニドランがその前足で足に掴まり、ヒドイデが肩に乗って触手で腕を抱き、ゴースが周囲を高速で飛び回って螺旋状の雲をつくる。

 

ポケモン達に囲まれたマカナ。

 

相変わらずの無表情かと思いきや、ポケモン達の隙間から垣間見えた瞳は泣き出す一歩手前のように潤んでいた。

どんな人にとっても、トレーナーとの初勝利ってのは心に残る勝負だ。

その勝利を自分のポケモン達とあれほどまでに分かち合えるというのはとても素晴らしいことだった。

 

だからこそ、タクミは非常に申し訳ない気持ちでミネジュンの背中をさすっていた。

 

「おーい、ミネジュン?」

「うっ、うぷっ!うぉぉえぇぇええええ」

「だから、よく噛んで食べなって言ったのに……」

 

腹に一撃を受けたミネジュンが先程食べた昼飯を口から逆流させていたのだった。

吐瀉物特有の酸っぱい匂いを嗅ぎながら、この臭いがマカナまで届いていないことをタクミは願うばかりであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

バトルを終え、一通りポケモン達のケアをした後は再び昼食タイムであった。

 

ミネジュンは吐き出してしまった昼食の分を埋めるように研究所の中から再び食料を確保してきた。

マカナは食べかけの昼御飯に再び手をつけ、タクミもまだ小腹がすいている気がして追加のパックを開けていた。

 

「くっそぉ……初敗北だ」

 

ミネジュンがそう言って肩を落とす。

 

「そういえばそうだったね。まともにバトルして、負けたのは初めてか」

「ちくしょう……俺の連勝伝説がたった2回目で消えちまった……」

「連勝記録って、そんなの狙ってたの?」

「生涯負けなしってカッコいいじゃん!」

 

ミネジュンはそう言ってタハハと笑った。

 

「でも、負けることは恥じゃないもんな!俺はこの『キャンプ』でそれをたっぷり学んだ。恥ずかしいのは負けることじゃない!負けて、負けたままでいることだ」

「確かに。いい教訓になったね」

「お前が教えてくれた教訓だぞ。何他人事みたいに言ってんだよ」

「いや、そんな大層なことしたつもりはなくて……」

 

タクミはそう言って苦笑いを浮かべる。

ただ、その内心ではミネジュンの言葉を深く胸の奥に刻みつけていた。

 

『負けて、負けたままでいてはいけない』

 

タクミもこの『キャンプ』でそのことを学んだ。

 

涙を流して、悔しさに打ち震えていたタクミに『特訓をしよう』と言ってくれたのは他でもないミネジュンだ。そして、そんな特訓に付き合って色々とアイディアを出してくれたのはマカナだ。

 

勝つために工夫して努力する。

 

このポケモンキャンプでタクミはトレーナーとして大事なことを学んだと自覚していた。

 

「………」

 

そんなタクミとミネジュンの会話を聞きながら、マカナは最後の一口になっている昼食を見つめていた。

 

「……負けて……負けたままでいること」

 

そう言って、マカナは意を決したかのように最後の一口を咀嚼した。

それが合図であったかのように、タクミはマカナの方に話題を振る。

 

「それで、マカナ。悩みは吹っ切れた?」

「…………」

「悩み?なんだそれ?」

「マカナがなんか悩んでたんだよ。それで、バトルしたらなんかわかるんじゃないかって思ってバトルしたんだよ」

「へぇーそうだったんだ。そんで?そんでそんで?その悩みってどうなったんだ?」

「それを今聞いたんだよ」

「あ、そっか。で?で?で?」

 

身を乗り出すようにしてマカナに詰め寄るミネジュン。

タクミもそれほど積極的じゃないが、話を聞く姿勢を取っていた。

 

実のところ、彼女の悩みというのを2人にはなんとなくわかっていた。

 

「……うん……今、決めた」

 

タクミとミネジュンが大きく頷く。

 

2人はマカナがこの『キャンプ』の前に彼女が何を悩んでいるのかを知っていた。

 

このポケモン界にきて最初の夜。

夢を語るのが恥ずかしくて、口にするのが怖かったマカナ。

それが、この『キャンプ』と先程の『バトル』を経て何か結論を出したというのなら、その答えは決まっていた。

 

「……リーグに出場する」

 

マカナははっきりとそう言った。

 

「……バッジを8個集めて……リーグに出場する……」

 

その台詞がマカナの口から出たことが嬉しくて、ミネジュンはその場で諸手を上げた。

 

「そうだよ!そうそう!せっかく『地方旅』に行くんだ!!頑張って旅して、絶対にリーグ出ようぜ!!あっ!?でも『地方旅』が一緒の地方になるとは限らないよな?」

「……大丈夫……私も……カロス地方」

「ほんとかよ!!いよっしゃいよっしゃ!!それじゃあ俺達、ライバルだな!!」

 

ミネジュンがそう言うと、マカナは少し驚いたような顔をしたが、すぐさま仄かな笑みを浮かべた。

 

「うん……ライバルだ」

「そうだ!ライバルだ!旅の間もちょこちょこ会って、バトルして、鍛えあって!そんで最後はリーグで大観客の前でみんなでバトルしようぜ!」

 

ミネジュンは目を輝かせながらそう言った。

 

タクミもその未来を思い描いてみる。マカナやミネジュンとあのセキエイリーグのような巨大なスタジアムでバトルするのだ。テレビ中継されるような大舞台でのポケモンバトル。想像するだけで胸の奥が熱く滾ってくる。

 

「いいね!いい目標だ!みんなでカロスリーグに出場するんだ」

「……うん……」

「いよっし!約束だぞ!!3人でカロスリーグに挑戦だ!!目指すは優勝!!」

 

ミネジュンはマカナとタクミに挑戦するかのように拳を突き出した。

 

「ぜってぇ、負けねぇからな!」

「それはこっちの台詞だよ!!負けるもんか」

 

タクミもミネジュンに倣うように自分の拳骨を突き出す。

 

「……私も……負けない……ミネジュンにも……タクミにも」

 

マカナも拳を固めて控えめに前に出す。

 

そして、3人はライバルらしく拳を一か所に合わせた。

ゴツンと強めに拳がぶつかる。骨と骨がぶつかったせいで予想以上に痛かったが、タクミ達の笑顔が消えることはなかった。

 



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キャンプの終わり、旅の始まり

ポケモンキャンプの終わりを告げる最後の会がオーキド研究所の前の広場で執り行われていた。

 

『ポケモンキャンプ』の終わりとはすなわち『地方旅』の始まりの儀式である。

オーキド博士の後ろには何台かのバスや大型バンが止まっており、子供達はそこから決められた地方へと旅立っていく。

 

近くの港からクチバシティに移動して別地方への船出に挑むメンバー。ワカバタウンまで車で移動して旅立っていく人達。そして、空港から遠くの地方へと向かう集団がタクミ達のグループであった。

 

タクミはオーキド博士がポケモン川柳に絡めた『ありがたくも割とどうでもいい話』を話し半分で聞き流しながらどこか遠くを眺めていた。尊敬してやまないオーキド博士であるが、ポケモン川柳という文化に関してはタクミは正直馴染めそうにはないのだ。

 

そして、最後にオーキド博士が子供達を大きく見渡してこう言った。

 

「それではトレーナー諸君……良い旅をして、良いトレーナーとなっておくれ。さぁ、君たちの冒険の始まりだ」

 

それに応えた子供達の返事は巨大な元気の塊となって山々にこだました。

 

今日、この瞬間から長い長い旅が始まる。一年をかけて、地方を巡る旅が始まる。

 

興奮に目を輝かせている人。子供だけで生活するという旅にどこかしら不安を抱えている人。今すぐにでも飛び出していきたいぐらいにはしゃぐ人。

 

様々な感情をそれぞれが抱いている。

だが、その誰もが目の前の冒険にワクワクしているという事実だけは揺るがなかった。

 

ポケモンと共に過ごす長い長い旅。

 

そのスタートが目前にまで迫っているということに誰もが胸を躍らせていた。

 

そして、それはタクミの友人達も一緒であった。

 

ミネジュンはいつも以上に煩く喋りまくっている。マカナは緊張しているのかいつも以上に口数が少ない。タクミの両隣にいる彼等の身体には驚くぐらいの熱量が宿っている。だが、2人の高揚はそんな身体的接触をせずとも、空気を介して伝わる。

 

そして、ついに決められた出発時間となった。

 

子供達が先生の先導に従って、バスへと順に乗り込んでいく。

新しい世界への旅立ちであり、1人で挑む挑戦の舞台。

あちこちで子供達が友人やライバルと別れを告げ、涙を流し、握手を交わし、夢を確かめあって拳をぶつけあっていた。

 

そんな中、タクミはオーキド博士に呼び止められた。

 

「タクミ君」

「は、はい!なんですか、オーキド博士!」

 

声をかけられて驚いたのか、必要以上に大きな声が出たタクミ。オーキド博士は苦笑いを隠しつつ、タクミに小さな封筒を手渡した。

 

「キバゴの保護を完了したとする書類じゃ。タクミ君が持っておいてくれ。とはいえ、今後必要になるものではないし、無くしたならもこの研究所に連絡を入れてくれれば代わりは出せるので、さして重要ではない。じゃが、まぁ、念のためにな。タクミ君の鞄の奥底に入れておいてくれ」

「はい!わかりました」

 

タクミは渡された茶封筒を鞄の内ポケットに差し込む。

そんな彼を見ながら、オーキド博士は好々爺とした笑みを浮かべた。

 

長年このポケモンキャンプを見てきたオーキド博士であったが、ここまで面白いトレーナーはなかなかいない。

 

傷ついたポケモンをパートナーにしたことから始まり。

『ルール』を破ってバトルして敗北し、そこから限界ギリギリまで自分を追い詰めてリベンジマッチを果たした。たった数日の間に随分とまあドラマチックな時間を過ごしたものだ。

 

確かにタクミはチェックポイントを一つも回らなかった。

数字の上では彼はこのポケモンキャンプを疎かにしたと評されても仕方がないかもしれない。

 

だが、彼とそのポケモンを見ればタクミがこのポケモンキャンプでいかに『トレーナー』として学び、成長したかがすぐにわかる。

 

オーキド博士はこうやってトレーナーが育つ時を間近で見られるからこそ、自分の研究所を『キャンプ』の開催地として提供しているのだ。

 

「タクミ君、キャンプは楽しかったかい?」

「はいっ!!!」

 

腹の底から絞り出したような返事。

オーキド博士は満足そうに「そうかそうか」と頷いた。

 

「『地方旅』も頑張るんじゃぞ。君がリーグに出場する日をワシも待ち望んでおるからな」

「はい、任せてください。僕はいつか絶対にチャンピオンになってみせます!」

 

『チャンピオンになる』

 

その言葉を聞き、オーキド博士は更に笑みを深くする。

 

不思議なことにその夢を地球界から来たトレーナーが口にすることは非常に少ない。

対して、ポケモン界のトレーナーなら多くの人間が旅立ちの日にその夢を口にする。

 

それをタクミが言葉にしたことがオーキド博士は何よりも嬉しかった。

 

「さて、タクミ君。そろそろバスに乗り込む時間じゃ。お父さんにもよろしくな」

「はいっ!オーキド博士、お世話になりました!!ありがとうございます!!」

「うむ」

 

タクミは大きく頭を下げ、皆と一緒にバスに乗り込んでいった。

 

タクミは他の皆と一緒に窓際に身を寄せ、オーキド博士やスタッフに向けて手を振る。

その中にケンイチの姿を見つけ、タクミは窓を開いて声を張り上げた。

 

「ケンイチさん!!フシギダネのこと!大切にしますから!!」

 

タクミが声を張ると、ケンイチは複雑な笑顔で手を振り返してきた。

 

ケンイチは確かにタクミとフシギダネのことが心配だった。

だが、それもスタンプラリー最後のバトルを見るまでだった。

 

フシギダネの強みを存分に生かし、弱味を補ったバトル。

そして、何より『あの』フシギダネが泣き笑いをしながらタクミの胸に飛びついていたのだ。

その記録を見せられては、ケンイチとしても彼をフシギダネのトレーナーとして認めるしかなかった。

 

「……君はもう……立派にフシギダネのトレーナーだよ」

 

ケンイチの声はバスのエンジンにかき消されてタクミには届かない。

だが、その台詞を横で聞いていたオーキド博士は「わしらもまだまだトレーナーじゃのう」と内心で思っていたのだった。

 

バスが研究所を離れ、マサラタウンから遠ざかっていく。

 

タクミ達の座席は行きのバスと同じ配置。ミネジュンが窓側で、タクミが通路側。変わったのは2人の席がバスの最後尾の5人掛けのベンチ席になったこと。そして、その真ん中にはマカナが座っていた。

 

だがバスがスピードに乗ってくると緊張していた糸がプツリと切れたように皆がうつらうつらとし始めた。マサラタウンの畦道が舗装された道に変わる頃にはミネジュンはタクミの肩にもたれかかって大口を開けており、マカナは硬直した人形のように眠っていた。あちこちの席で子供達が眠りはじめ、最初は騒がしかったバスの中も、いざ出発してみれば生徒の大部分が眠ってしまっていた。

 

行きのバスとは打って変わり、静まり返ったバスの中。

窓の向こうにポケモンが見えようと、ポケモンバトルが行われていようと、子供達は目を覚ますこともなく眠り続けた。

 

彼等がようやく目が覚めたのはトキワシティ近くの空港に到着した時だった。

 

「ふあぁ……もう着いたのか……」

 

ミネジュンが大あくびをしながら伸びをする。

 

「今回は……車酔い……大丈夫?」

 

既に起きていたマカナがそう尋ねる。

 

「え?そういえば行きは酷い目にあったな。うん、平気平気。この通り、何の問題もないさ!」

「……良かった……」

 

マカナはそう言って手元に準備していた酔い止めの薬をしまう。

目を覚ましていたタクミは2人の会話を聞きながら、マカナとの最初の出会いのことを思い出していた。

 

「そういえば、ミネジュンが車酔いしてたから仲良くなったんだったよね」

「え?そうだったけ?ってことは、もしかして、マカナと友達になれたのは俺のおかげ?マカナと一緒にスタンプラリー巡って、タクミの特訓が上手くいったのも、俺のおかげってことになるのか?」

「はい、調子のんな」

 

タクミはミネジュンの頭にチョップを振り下ろし、ミネジュンは大袈裟に痛がってみせる。

それを見て、マカナがクツクツと笑う。

このポケモンキャンプで何度も繰り返してきたやり取りであった。

 

3人はバスを降り、トキワシティの空港を見上げた。日本の国際空港規模の空港とそう大差のない施設であるトキワシティ郊外の空港。ここは各地方からの飛行機の発着所であり、カントー地方における他の地方からの玄関口でもあった。

 

ひと眠りして緊張もほぐれたタクミ達。これから乗るのが慣れ親しんだ『飛行機』ということもあり、ゲートセンターでゲートトレインに乗り込む時と比べれば然程気を張ることもなかった。

 

タクミ達はいつものように向かう地方ごとに分けられ、それぞれ担当の先生に連れられて飛行機に乗り込む。

そして、一度飛行機に乗ってしまえばもうそこからは先は監督者はいなくなる。

一応、現地ではポケモンセンターの職員が最寄のポケモンセンターにまで誘導してくれることになっているが、それ以外は全て各々の自由だった。

 

そうやって飛行機を待っている最後の時間。

タクミとミネジュンはここまで随伴しているマサ先生に声をかけられた。

 

「斎藤、峰」

「あっ、マサ先生」

 

マサ先生は仕事の時間に隙間を作って、タクミ達に声をかけた。

 

「作文読んだぞ。なかなか壮絶な『キャンプ』だったようだな」

 

ガタイの良い身体を揺らしながらマサ先生がそう言い、ミネジュンが胸を張った。

 

「そりゃもう!山あり谷ありシロガネ山ですよ!」

「なんだそれ?そんな諺あるのか?」

「知らね。適当言った」

「なんだそりゃ」

 

ミネジュンがペラペラとあることないこと喋っている間。

タクミはふと何かに気を取られたかのように明後日の方向へと目を向けていた。

 

「斎藤と峰は一緒にいたんだろ?斎藤の作文にもちょくちょく話が……斎藤?何見てんだ?」

「え、ああ、すいません。なんです?」

 

それから、マサ先生は作文の内容について少しばかり注意をして、それ以上に賛辞を送り、そして最後に言った。

 

「2人共、旅はいいぞ。先生もな10歳の時に行った。人生の宝だ」

「ええっ!先生って10歳だったことあんの!?」

「そりゃあるに決まってるだろ」

「想像できねぇ」

「まぁとにかく」

 

マサ先生はタクミとミネジュンの肩をパシンと叩いた。

 

「頑張ってこいよ」

「もちろんっすよ!!」

「行ってきます!!」

 

マサ先生は顔全体でニカッと笑い、そして他の地方にいく生徒達の方へと顔を見せにいった。

 

「……いい先生だね」

 

マカナがポツリと呟く。

 

「うん、ほんと。顔は怖いし、筋肉だるまだし、髭濃いけど。いい先生だよ」

「そうそう、家でヨメに尻に敷かれてて、娘に毛嫌いされて、洗濯物分けられてるらしいけどいい先生だよ」

「……その情報はいらなかった」

 

そうやって笑いあっているうちに、遂にタクミ達が飛行機に乗り込む時間になる。 

タクミ達が立ち上がる。

すると、それと同時に見知った顔も立ち上がった。

 

「あ……」

「…………」

 

それはハルキ達の一団であった。

喧嘩に近いようなバトルをしてしまったこともあり、お互いの間になんとなく気まずい空気が流れる。

タクミとミネジュンは愛想笑いを浮かべつつ手を振り、マカナは顔色1つ変えずに小さく会釈した。

ハルキの方は完全にタクミ達を無視して先に手荷物検査を抜けてしまう。

 

タクミ達はお互い顔を見合わせて肩をすくめた。

 

「あいつらもカロス地方だったんだな。まぁ、なかなか会ったりしないよな」

「どうだろ。それにしても、ライバルばっかりだね」

「……それが『地方旅』」

 

タクミ達は苦笑いと呆れ笑いの間ぐらいの顔をしながら、手荷物検査を抜け、搭乗口へと向かっていく。

 

その時、ふとマカナがタクミに質問をした。

 

「……タクミ」

「なに?」

「……さっきから……何見てるの?」

「え……あぁ……」

 

タクミはそれを指摘され、恥じらうようにはにかんだ。

まるで宿題で答えを写した瞬間を見咎められたような顔であった。

マカナはタクミの視線の先を追い、小首を傾げた。

 

「……公衆電話?」

「あっ、いや……その……」

「……お母さんに……電話するつもりだったの?……さっき時間あったのに行かなかったの」

「いや、そうじゃなくて……母さんにはオーキド研究所から電話してる。だから、そうじゃなくて……」

 

タクミが言いにくそうにしていると、その話を聞いていたミネジュンがポンと両手を打ち合わせた。

 

「わかった!アキちゃんだ!」

「うぐ……」

 

辛うじてぐうの音はでたタクミであった。

 

「なんだよぉ、電話するなら言ってくれよ、ここからならテレビ通話ができるんだから、俺達だって顔合わせられるじゃん」

「いや……その……それはそうなんだけど。どっちにしろ、ダメだったんだ」

「え?ダメ?なんで?」

「いなかったんだよ……留守だった」

「あ、そうなんだ。そいつは残念だったな」

「うん……」

 

タクミはオーキド研究所を出る前に電話を借りて家族とアキの家に電話をしていた。

自分の家族の方は問題なく繋がり、母と父にキバゴ共々無事なことを伝えることができた。

だが、アキの家には何度電話しても繋がらなかった。

 

タクミの記憶では今日は病院の通院予定はなかったはずだった。

だが、思い返せば『キャンプ』出発前に彼女は熱を出して寝込んでいた。

また病態が悪くなって、病院に担ぎ込まれた可能性は少なからずあった。

 

しかし、朝早くからアキの家に両親揃って誰もいないとはなかなか不穏な状態だ。家族も病院に寝泊まりしてるとなれば、それはアキの病態が本格的に悪化したことに他ならない。

 

『地方旅』に行く直前だというのに、タクミの胸にはそれが朝からずっと引っかかっていた。

 

「……心配だね」

「うん」

 

どちらにせよ、アキが本格的に体調不良に陥っているのであればタクミにできることはない。

 

そうやって思いつめるタクミ。

ミネジュンはそんなタクミの顔色をくみ取り、それ以上からかったりはしなかった。

それがタクミにとって決して荒らしてはならない大事な部分であることが、解っているからだった。

 

だから、ミネジュンは話題を変えることの方を選んだ。

 

「タクミ、向こうついたら俺とバトルしようぜ!『地方旅』に出る前の前哨戦だ!俺、フシギダネとバトルしてみたいんだ!ってか気になってたんだよ、俺のズバットなら絶対に勝てると思ってさ」

「え?……あぁ……そっか、飛んでる相手か……」

「なっ、面白そうだろ」

「それは確かに」

 

ミネジュンの気遣いに乗っかり、タクミはポケモンの方に話題をシフトしていく。

そして、そんな会話の合間に喉奥につっかえていたため息を深く吐き出した。

今は悩んでも仕方ない。もし、タクミがアキのことを気にして旅を疎かにしたら、一番怒るのはアキ本人だ。

タクミはとにかく今のこの時間を楽しもうと、笑顔を作った。

 

そして、ついに飛行機に乗る時になった。

乗り込む直前に引率の先生から「頑張れよ」と固い握手と共に見送られ、タクミ達は飛行機に乗り込む。

タクミとミネジュンは隣の席、マカナは少し離れたところに座ることとなった。

 

機内の案内や緊急時の対応のビデオを見ながら、タクミはこの『キャンプ』のことを一つ一つ思い出していた、

  

色々な出会いがあった。色々なことがあった。

ライバルと出会った。新しい友人もできた。新しい仲間ができた。

口惜しい思いもした。歓喜に打ち震えた瞬間もあった。楽しいことも沢山あった。

 

この7日間の出来事を一つ一つが鮮明な思い出として脳裏に焼き付いている。

だが、こうして『キャンプ』が終わった今。どうしてもその記憶のアルバムに寂しさを感じてしまう。

 

そこにアキの姿があればと、どうしても思ってしまうのだ。

 

そんなことを考えるのは一緒に過ごしたミネジュンやマカナに悪いのだとは思っていても、その気持ちは拭い去ることができなかった。2年前にアキと出会ってからずっと一緒にポケモン界に行くことを夢見てきたのだ。だが、今このポケモン界にいるのはタクミ一人。

 

『キャンプ』の間はそんなことを考える余裕もない程の日々だったが、いざこうして少し時間に隙間ができるとタクミの顔に憂いの影を作る。

 

けど、アキの顔を見れば、こんなつまらない悩みも霧散していくだろうとは思うのだ。

 

長い旅の間でも、彼女と少しでも会話することができれば、それもまた思い出になる。

旅先で何か見つければお土産として郵送してもいい。写真を撮って送ってもいい。

それが少しでも彼女の闘病生活の支えになってくれればタクミも楽しく旅を続けられるだろう。

 

そんなことを思いながら、タクミはポケモン界の空を行く飛行機から窓の外を眺める。

 

「……顔……見たかったな……」

 

カロス地方についたらもう一度電話してみよう。

 

タクミはそう思っていた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

カロス地方、ミアレシティ、ミアレエアポート

 

 

「タクミ!!タクミタクミ~~!!こっちこっち~こっちだってば!!こっち向いてよ!!タクミ~~~~!!」

 

 

その到着ロビーで電動車椅子に座って手を千切れんばかりに大きく振っていた少女の姿を見つけ、タクミの身体はピシリと完璧に硬直したのだった。

 



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来ちゃった!来ちゃったぁ!?

タクミは飛行機に預けたリュックが戻ってくるのすら無視してロビーに飛び出していた。

 

「アキ!!何してんのこんなとこで!えっ!?えっ!?本物!本当のアキだよね!?」

「当たり前じゃん。っていうか、タクミ、驚き過ぎだよ」

「いやだって……えぇっ!!えぇっ!!」

 

ミアレエアポートの到着ロビーで待っていた車椅子の少女。そこにいたのは地球の自宅で寝ているはずの『御言 アキ』本人だった。

 

本当なら再会を喜び、笑っておくべき場面なのであろうが、それよりも圧倒的な『驚愕』がタクミの頭を支配し、それ以外の感情と思考を停止させてしまった。顔はビックリ顔から一切動かず、頭の中はぐちゃぐちゃで、物事を順序立てて考えることすらできない。語彙を失ったタクミはひたすらに「えぇっ!?」とか「なんで!?」と繰り返すばかりだ。

 

これ以上ないくらいに狼狽え、取り乱すことになっているタクミを前にアキはクスクスと笑う。

 

こうなることはアキには想定内であった。

むしろ、想像通りの反応をしてくれるタクミを見てると楽しくて仕方がない。

最高のドッキリを仕掛けたアキは更に情報を追加していく。

 

「タクミ、私ね、一緒にリーグに出られるよ」

「はいっ!?ちょっ……えっ?どうやって!?だってアキは……」

「あっ、それとね。今、ミアレの病院に入院してるんだ」

「入院!?なんでこっちに!?ちょっ、ちょっと待ってって話がわかんないって」

「今度手術になった」

「しゅじゅつ!?しゅじゅつって何!」

「それでね…」

「ちょっと待ってって!もうダメだから、既に頭の中パニックだから!」

 

タクミはついにキャパオーバーしたかのように両手を耳に当て、頭上の一点を見上げて固まってしまった。目は点になり、表情は消え、その様子は壊れたロボットの玩具のようで、耳から煙が噴き出していないことがむしろ不思議に見える程だった。

わざと立て続けに情報を流し込んでパニックを誘発したアキであったが、タクミの思考回路が火を噴く結果になるとは予想していなかった。

 

ここまで素っ頓狂な表情をするタクミが珍しく、アキはたまらず喉の奥で笑いだした。

 

「くふ、くふふ、タクミ、面白すぎ」

「え……え……えぇ……」

 

タクミは力尽きたかのようにその場に胡坐をかいて座り込む。

車椅子に座るアキを見上げながらタクミは目を何度かパチクリと瞬かせる。

そして、ようやく目の前のことが頭の中に浸透していった。

 

アキがここにいる。ポケモン界に来ている。

 

それをようやく認識したタクミ。

 

すると、なぜか不思議と喉の奥から笑い声がこみ上げてきた。

 

「ははは……ははは……はははは……はははは!あっははっはははは!」

「くふふふ……はははは!!」

 

タクミとアキが堰を切ったように笑いだす。

 

タクミはアキがポケモン界にきていたというサプライズに笑った。

アキはタクミをたっぷりからかえたことで笑った。

 

タクミはアキが元気な姿でいることが何故か可笑しくて笑った。

アキはタクミが過剰なまでに安堵してることが可笑しくて笑った。

 

そして2人はこうしてポケモン界で一緒に立っている事実が涙が出る程に嬉しくて笑っていた。

 

「ほんと……ほんと……よかった」

 

タクミは涙ぐんでしまった目元を擦る。

 

「そんな、泣く程じゃないじゃん」

「アキだって泣いてるくせに」

「え……えへへ……だって、だってさ……なんか、ほんと、嬉しくて」

「うん……うん……」

 

夢だった。願いだった。ずっと叶わないことだと思っていた。

 

『アキと一緒にポケモン界に行く』

 

そんな、自分達が思い描いていた夢の一欠けらが拍子抜けするほどにあっけなくこんな簡単に実現してしまったのだ。

 

タクミの瞳からは後から後から涙が湧き上がってくる

それを服の袖で強引にぬぐい取り、タクミは満面の笑みで立ち上がった。

 

「アキ……」

「ん?なに?」

「僕が言うのもなんだけどさ……」

 

タクミはそう言って、左手の掌を向けた。

 

「ポケモン界にようこそ」

「……うん!!」

 

アキはその手に勢いよく自分の右手を叩きつける。

渾身のハイタッチを交わした2人はこれ以上ないくらいに笑っていた。

 

そんなタクミの傍に投げ捨てるようにリュックが投げ落とされた。

 

「うわっと!」

「タクミ!突然消えたと思ったらこんなとこにいたのか!?お前な、自分のリュックは持ってけよ!いきなりはしゃぎだしやがって、俺だっていち早くミアレシティを見たかったんだぞ!」

 

振り返れば憤懣やるかたなしと言ったミネジュンが眉をハの字にして立っていた。

その後ろではマカナが表情の乏しい顔で小首を傾げていた。

 

「……タクミ……その人……知り合い?」

「えっ、あ、ああうん、そうだよ、えと、彼女が……」

 

その時、タクミは自分の服の裾がギュッと引っ張られるのを感じた。

ふと、隣に目を向けるとアキの白い指先がタクミの服の裾を小さく掴んでいた。

 

これまでの人生のほとんどを病室で過ごしてきたアキ。

タクミと一緒にいる時は快活な態度である彼女であるが、少々人見知りをするところがある。

 

タクミはそんなアキを安心させるように歯を見せて笑い、先に2人を紹介することにした。

 

「アキ、こっちの男子が何度か話をした『峰 潤』。みんなからはミネジュンって呼ばれてる。僕のともだち……まぁ、親友でいいか」

「えっ!この人があのミネジュン?あ、あの初めまして……御言 アキです」

「ほえ?えっ!?えっ!!えええええ!!アキ?アキって、もしかしてアキちゃん!?タクミが言ってた!!えっ、なんでここにいるの?病院で死にかけてるんじゃなかったの!」

「誰も『死にかけてる』なんて言ってないだろ!!」

 

タクミが血相を変えて怒鳴り、アキの方は若干顔をひきつらせた。

 

「あ、『アキちゃん』?」

「あっ、ごめんごめん。タクミがあんまり親し気に話すからなんかもう友達になった気分でさ。ミコトさん?ミコトちゃん?」

「えと……『アキ』でいいよ。ミネジュン……でいいのかな?タクミからいっぱい話は聞いてる。『カエル事件』とか『牛乳プリン事件』とか」

「えっ!タクミ!話したのかよそれ!!」

「そりゃね。ミネジュンを語る上で避けては通れないからね」

「ほんとにあれ話したのかよ!!!……ちょっと待て……アキ、『かくれんぼ事件』と『ピンポン事件』は聞いたか?」

「え?なにそれ?」

 

その瞬間、タクミが別の意味で血相を変えた。

 

「やめろぉおおお!それは話すなよ!絶対話すなよ!!」

 

そして、慌てふためくタクミの態度にアキが目を輝かせた。

 

「えっ、なにそれなにそれ。タクミの恥ずかしい話?聞きたい聞きたい」

「いいから、聞かなくていいから!それよりも!マカナの自己紹介の方が先!話についていけなくてさっきから困ってるじゃん!!」

 

そう言ってタクミがマカナを指差したが、彼女は静かに首を横に振った。

 

「……気にしなくていい」

「いや、ここは先に自己紹介を済ませた方がいいでしょ」

「……後でいい……私も聞きたい……タクミとミネジュンの恥ずかしい話」

「マカナも興味津々かい!」

 

普段はポケモンの話にしか食いついてこないくせに、こういう時だけ生き生きとして目を輝かせるな。

 

タクミは冷や汗をかきながら胸の内でツッコミを入れつつ、ここからなんとか話題を逸らそうと頭を回した。だが、それより先にアキが動きだした。

 

「それなら近くにおいしいカフェがあるんだよ。名物のミアレガレットとミックスオレが有名なお店。そこに行こうよ」

 

アキがそう提案すると、マカナの眉がピクリと動いた。

 

「……もしかして……カフェ・ソレイユ?」

「そうそれそれ!カロスチャンプも行きつけのお店!お値段もお得だし、すっごいおいしいんだ。昼にはめちゃくちゃ混むんだけど、この時間なら空いてると思う」

「……行きたい……あ、私……江口マカナ……タクミとミネジュンとはキャンプで知り合った」

「私、御言アキ。よろしくね!」

「……こちらこそ」

 

女子2人がすぐさま打ち解けた横でタクミとミネジュンは話の流れに困惑していた。

 

「えっ、どうする?確かポケモンセンターの人が迎えに来てくれるんだったよな?無視してカフェに行ったらまずいんじゃないか?」

 

当然の疑問を口にしたミネジュンに対してタクミはそれどころではなかった。

 

「いやいやいやそれよりも僕の事件の暴露大会が始まろうとしてることの方が問題なんですけど!」

「諦めろ。ってか、俺の事件を勝手に話してたお前が悪い。タクミのも話さなきゃ不公平だ!あっ、あそこにいるのが職員の人っぽいな。俺、ちょっと聞いてくる」

「ちょっ、ミネジュン!!」

 

タクミとしては『かくれんぼ事件』はともかく『ピンポン事件』の話は本格的にまずい。

あれはまだ自分の中でも消化しきれていない程の恥ずかし事件なのだ。

ここは逃げる為になんとかしないと。

 

だが、そうやって色々と思考を巡らせている時間はなかった。

 

ミネジュンが素早く職員さんに事情を話して別行動の許可をもらい、マカナが念の為にとミアレシティの地図を検索し、アキが真っ先に音頭を取ってエアポートの出口へと向かって車椅子を動かした。

 

3人は身もだえるタクミを振り返り、手招きする。

 

「ほら、タクミ。早く早く!」と、アキが心底嬉しそうに手招きする

「急がないと混むんだってよ、遅れるなって」と、ミネジュンがグズグズしているタクミを叱るように言う。

「……ここからは遠くないけど、アキのこと考えてタクシーがいいかも」と、マカナは最早カフェの方に興味が移っているようであった。

 

タクミはもうこれ以上の抵抗は無駄と考えて、とぼとぼと歩き出した。

 

『地方旅』初日。カロス地方での最初の一歩。

夢にまで見たそれは思った以上に重い足どりになってしまった。

 

「……ま、いいか……」

 

それでも、決して叶わないと諦めていたことが現実になったのだ。

タクミは小走りでアキに駆け寄り、電動車椅子の取っ手を握った。

電動車椅子を押す必要は本来ないのだが、何か起きた時にすぐ行動できるように一緒にいる人はその取っ手を握っておいた方がいい。それが車椅子に乗っている人に対する安心感にもなる。

 

そういった気遣いにアキはタクミの顔を見上げてはにかむような笑顔を浮かべた。

 

「ありがと、タクミ」

「いつものことだよ」

 

そして、タクミ達は4人でミアレエアポートの外に出た。

 

その瞬間、カロス地方に特有の乾燥した温かな空気とカルボナーラのようなチーズの香りが鼻腔を通じて身体の中に流れ込んできた。

 

新しい世界。新しい土地。新しい旅がここから始まるのだ。

否応なしに期待に胸が膨らんでいくタクミ達を見上げ、アキは皆に呼びかけた。

 

「タクミ、ミネジュン、マカナ」

 

3人の注目を集めたアキは皆の顔を順に見渡し、顔全体で笑った。

 

「ようこそ、カロス地方へ」

 

それはこの『地方旅』が最高のものになることを予感させるような、眩しいくらいの笑顔だった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ミアレシティ、カロス地方最大の大都市であり、円形状の美しい街並みが特徴的な町だ。

中央通りにはカフェやブティック、レストランなどが立ち並び、外周付近には立派なビジネスビルやポケモン研究所、教育機関、アトリエなどが軒を連ねている。あらゆる文化、経済、情報、芸術の最先端であり、カロスの中心地として名に恥じぬ町である。

そんな町を歩けば、どんな場所からでも中央に聳え立つプリズムタワーを見ることができる。プリズムタワーとはこの町の展望台であり、電波塔でもあり、夜間にはライトアップもされる観光名所だ。そんな、ミアレシティのシンボルとも言えるそのタワーだが、その実はポケモンリーグ公認のジムだ。【でんきタイプ】のエキスパートである若きジムリーダーが守るミアレジムであるが、今は改装工事中らしく、ジム戦は休業中だ。とはいえ、まだカロスリーグの参加登録も済ませていないタクミ達にとってはあまり関係がない。

 

タクミ達はアキの案内でミアレシティでも人気のカフェである、カフェ・ソレイユで談笑に花を咲かせていた。

車椅子でも出入りが楽なテラス席でミアレガレットでちょっと早めの昼御飯。

温暖な気候と柔い日差しを受けたカフェの一時ではあるが、タクミは今すぐにでもこの話が終わることを祈っていた。

 

「でさ、そこでタクミが盛大にすっ転んでもう大惨事!」

「あははは!そんなことあったんだ」

「……そこまでやるのはなかなか」

「それで、その転び方もまぁ悲惨な転び方でさ。こういう風に前から転ぶもんだからタクミの顔にベッチャリで」

「あはははははは!だめ、だめ、もうお腹痛い」

「……くふ」

 

アキに容赦なく笑い飛ばされ、普段無表情のマカナにも笑われ、タクミは過去に戻ってバカで不運だったあの時の自分を縊り殺すことばかりを考えていた。

 

「はぁ、久しぶりにこんなに笑ったかも……タクミったら、教えてくれればいいのに、ウリウリ」

「やめて、お願い、あれはもう思い出したくない」

 

『かくれんぼ事件』も『ピンポン事件』も『チワワ突撃事件』まで暴露され、タクミはミネジュンに頼んでディグダに穴を掘ってもらいたい気分だ。だが、なによりも先にすべきことは包み隠さず全てを話したミネジュンに制裁を加えることのような気もする。とりあえず、とっておきの『迷子事件』をいつか暴露してやることを胸に刻みつつ、タクミは気になっていたことを聞くことにした。

 

「僕の話はもういいよ。それよりアキ」

「なに?ババロアは持ってないよ」

「そんなこと誰も言ってない」

 

『チワワ突撃事件』のオチを持ち出され、タクミは渋い顔をし、ミネジュンとマカナはまた声をあげて笑った。

 

「そうじゃなくて、アキもポケモンリーグ出られるって話。あれ、どういうことなの?」

「ああ、それはね……」

 

そして、アキがそのことについて説明をしようとした時だった。

通りを歩いていた女子の1人がアキに気がついて声をかけてきたのだ。

 

「あっ、アキじゃん!やっほー」

「えっ?あっ、ミーナ。どうしたの?買い物?」

 

声をかけてきたのはタクミ達と同い年くらいの女子。金髪碧眼にやや細長い顔、ソバカスが目立つせいか随分と活動的な印象のある女子であった。

 

「いや〜私はスクールに忘れ物しちゃって。アキはお茶?」

「うん」

「ん?この人達は?てっきりスクールの連中かと思ってたけど」

「この人達は私の地球界の友達なの。ほら、もうリーグの登録も始まったし」

「そっかそっか『地方旅』の人達なのか」

 

そして、ミーナと呼ばれた女子はタクミ達に向け、スカートの端を摘みながら優雅にお辞儀をした。

そういった所作が自然と出てくるあたり、カロス地方という別の文化圏にやってきたのだと実感させられる。

 

「カロス地方にようこそ、私はアキと同じクラスのミーナ。よろしくね」

「同じクラス?」

「そう、ポケモンハイスクールのバトル特進クラス」

「どういうこと?」

 

タクミが尋ねるとアキの友人のミーナは怪訝な顔をアキの方へと向けた。

 

「あれ?アキ、もしかして何も説明してないの?」

「あはは……実は全部ナイショにしてたんだ。驚かせたくて」

「へぇ~」

 

なんだか意味ありげに口角を持ちあげるミーナ。それに対してアキは何か弱味を握られたかのように目を背けた。

タクミはそんな2人の態度も気にはなった。だが、今の話の内容にどうしても聞き逃せない箇所があり、そちらの解決を優先した。

 

「アキ、今、転校って言った?」

「うん」

「転校したの!?」

「そうなの。ポケモン界にできたスクールにね、1年限定だけど」

「1年限定?どういうこと?」

「それは私がお話ししましょう」

 

全く話の内容が理解できないタクミにミーナが堂に入った態度でお辞儀をした。

まるで、大衆演劇の女優のような仕草にタクミ達の視線が一気に集まった。

 

「マカナと私が通っているポケモンハイスクールバトル特進科は1年間の数ある講義と実習をこなし。その成績に応じて通常のジムバッジと同じ効力を持つ、ハイスクールバッ巡が渡されるのです。つまり、ここで一年勉強すればこの地方を巡ってバッジを集めることなく、ポケモンリーグへの出場権が得られるのです!」

「おお~~~……」

 

彼女はダイナミックに腕や指先を動かしながら緩急をつけて、ハイスクールについて説明をした。

その一つ一つの動きは随分と洗練されており、自然と人の目を惹きつけるものであった。

タクミ達は思わず感嘆の声と共に軽く拍手をしてしまった。

 

「なるほど、それでアキはカロス地方に来たってこと?」

「うん!こっちの病院で治療を受けながら、ハイスクールに通って、私もみんなと一緒に『地方旅』に挑みたいんだ。それで、ポケモンリーグに出場する」

 

そう言って、アキはニパッと花が咲くように笑った。

すると、すぐさまミネジュンがガッツポーズを振り回して立ち上がった。

 

「おおっ!マジかよ!それじゃあ、またライバル登場ってわけで!!すげぇすげぇ、やっぱ『地方旅』ってすげぇや!どんどんライバルが増えてく!!俺達でポケモンリーグの出場者を全部埋めてやろうぜ!!」

 

大それた目標を言ってのけたミネジュンであったが、それをミーナがたしなめた。

 

「簡単に言ってくれるじゃない。言っとくけど、カロス地方のリーグはそんなに甘くないからね」

「あったり前だ!簡単じゃないから挑む価値があるんだよ!」

「あら、いいこと言うじゃん……えーと、名前なんていうの」

「俺?俺は『峰 潤』。ミネジュンって呼んでくれ!」

 

ミネジュンとミーナが自己紹介をする隣ではマカナがアキとハイスクールについての細かい話を聞いていた。

 

「……じゃあ、みんなが挑戦権を得られるわけじゃないんだ」

「うん。1年勉強して、いっぱいバトルして、リーグの出場権を得られる人は毎年4、5人だって。下手したらジムを8つ回るより狭き門」

「……そっか……でも……よかった……アキも一緒に……頑張れるんだね」

「うん!そうなの!『旅』はできないけど、私はみんなと一緒に『挑戦』ができる。それが、やっぱり嬉しいよね」

 

朗らかに笑う4人の少年少女達。

その中でタクミただ一人だけが何かを胸の奥に封じ込めているかのように堅い表情のまま強く拳を握りしめていた。



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トレーナーが旅に出れば7人のライバルあり

早めの昼食を終えたタクミ達はアキのクラスメイトのミーナと別れ、ポケモンリーグの出場登録をするためにポケモンセンターを訪れていた。ポケモンセンターはポケモンの治療やトレーナー達の集会所であり、ポケモンリーグ協会の役所でもある。ポケモン関係の事務処理の大半はこのポケモンセンターで行うことができる。

 

「はい、ここがポケモンセンターだよ」

 

アキに連れられてやってきたポケモンセンターはこの大都市に見合うだけの大きさの施設であった。

最早、小さなビル程もある巨大なポケモンセンター。ロビーには様々なポケモンを連れたトレーナーが溢れ、情報交換をしたり、ポケモンの交換を持ち掛けたりしていた。片隅にある巨大なスクリーンにはどこかの地方のポケモンバトルの様子が映し出され、白熱した実況が流れてきている。

タクミ達と同じように『地方旅』を行う新人トレーナーらしき人達も多く、タウンマップを見ながらジムやトライポカロンを巡る順序に頭を悩ませていた。

 

多種多様なトレーナーやポケモンが集うポケモンセンター

そこにタクミ達は半ば圧倒されていた。

 

「うわぁ。でっけぇ……地球とは比べもんにならねぇな。さすがポケモンの本場」

「……すごい……アローラとも全然違う」

 

ミネジュンとマカナはポカンと口を開けてポケモンセンターを見渡す。

そんな2人に向けて、アキはなぜか誇らしげに説明した。

 

「ここ、ミレアシティはカロス地方の中心地。どんなルートでジムに挑んだとしても、必ず3回以上は戻ってくることになる『地方旅』の要所でもあるんだよ。だから、やってくるトレーナーの数も半端じゃないのです」

「へぇ。それでこんなデカいのか……あっ、受付空いたみたいだ。俺、ちゃっちゃと登録してくる」

「……私も」

「いってらっしゃーい」

 

受付のジョーイさんに飛びつくように話しかけるミネジュン。

マカナその横で静かに自分のポケモン図鑑を出して無言で急かしていた。

そんな2人を見送り、タクミはアキの車椅子を人通りが少ない場所に移動させた。

 

「タクミは行かないの?」

「行くけど。それよりアキ、なんかすごいミレアのこと知ってるみたいなこと言ってるけど、アキってカロス地方に来て何日目になるの?」

「3日目だよ」

 

あっけらかんとした顔で言ってのけるアキ。

タクミは鼻からため息を噴出した。

 

「だよね」

「うん。しかも初日は入院して検査して、2日目にスクールに転校手続きとかいろいろあって、それで今日だからほとんど来たばっかりみたいなもんだよ」

「じゃあ、さっきのミーナは?」

「昨日できた友達」

「人見知りのアキが一日で友達作れるなんて、珍しいこともあるね」

「ミーナも私と同じで昨日転校してきたんだ。それで、一緒に過ごしている間に仲良くなっちゃった」

「へぇ……」

 

2人のあまりに気さくな様子から既に2か月ぐらいたってそうであったのに。

ミネジュンやマカナもそうであったが、アキは一度友達になってしまうと仲良くなるのは速いらしい。

ポケモンという共通の話題に詳しいというのはこういうところにも役に立っているようであった。

 

「でも、3日目にしてはミアレシティのこと知り尽くしてるよね」

「実はパンフで勉強しました。タクミが来るときに案内したかったからさ」

 

そう言ってアキは不器用なウィンクをしながらタクミを見上げてきた。

不意打ちの仕草に少しドキリとしながらも、タクミは平静を保つ。

 

「ありがと、おかげで助かった」

「ほんと?」

「うん。おかげで最高の旅の初日になりそうだよ」

「へへ、よかった」

 

そう言ってフニャっと笑うアキ。

もう一度心臓が高鳴る。

 

タクミはだらしなく緩みそうになる頬を引き締める為に奥歯を噛み締めた。

そして、気を紛らわせる為に全く別のことを考えようとする。

 

ポケモンキャンプでのつまんない失敗や、睡眠不足でやらかした自虐ネタなんかを思い出し、タクミは自分の心を落ち着けようとする。

 

そして、そうやって記憶を辿り、タクミは自分の胸の奥に引っかかりを覚えた。

 

「あのさ、アキ。1つ聞きたいんだけど……」

「ん?なに?」

「あのさ……」

 

だが、その時だった。

 

「タクミ君」

「えっ?」

 

突然、名前を呼ばれタクミは反射的に後ろを振り返った。

自分を名前で呼ぶ友人はアキとミネジュン、マカナだけだ。だが、彼等は基本的にタクミのことを『君』をつけて呼ぶことはない。他の友人達は自分のことを苗字で呼ぶし、そもそもカロス地方に来ているタクミの顔見知りはミネジュンしかいないのだ。

 

そんな中で、名前である『タクミ』に『君』をつけて呼ぶ人物。

 

そん相手など一人しかいない。

 

「ハルキ君」

 

そこには後ろに仲間を引き連れたハルキが鋭い眼光でタクミを睨んでいた。

一瞬、怯みそうになったタクミ。だが、すぐ隣にアキがいる。彼女の見ている前で情けない姿を晒すわけにはいかない。タクミは負の感情を胸の中に押し込めて堂々と胸を張った。

 

「ハルキ君どうしたの?」

「タクミ君、まだ出発しないの?」

「うん、ちょっと予想外の友達に会っちゃって」

「……へぇ」

 

そして、ハルキはタクミから隣にいたアキに視線を移した。

ハルキはアキの乗る車椅子に気づき、一瞬目を見開いた。

 

タクミは自分の口の中にわずかに苦い味が広がるのを感じた。ハルキとの喧嘩の原因となったフシギダネの一件。タクミが必要以上にブチキレたあの事件とアキのことを結びつけることはすぐできる。

タクミはハルキがまた余計なことを口にしたりしないかが心配であった。

 

だが、その心配は杞憂であった。

 

「……そっか……そういうことか……」

 

ハルキはそれだけを呟き、興味を無くしたようにアキからタクミへと目線を戻した。

 

「タクミ君もポケモンリーグを目指すんだろ?」

「うん。もちろん」

「俺はもうすぐにミアレシティを出る。お前より先に出る……」

「……うん」

 

タクミが曖昧に頷くと、ハルキは突然ビシリと人差し指をタクミに突きつけた。

 

「次はぜっっっったいに勝つからな!!」

 

ハルキの声がロビーに響き渡った。

 

「ぜったいに勝つから!!だから、この『地方旅』の途中で次に会ったら必ずバトルだ!!」

 

それはポケモントレーナー同士の勝負宣言。

 

ハルキの声は喧騒渦巻くロビーの中でもよく響いた。

近くを歩いていた数人が足を止め、遠くにいた人も何事かと耳をそばだてる。

その中心でハルキは目を赤く充血させ、泣き出す一歩手前のようになりながらも、悔し涙を流すまいと歯を食いしばっていた。

 

そんなハルキに向け、タクミは真剣な顔で頷き、握りこぶしを向けて応えた。

 

「もちろん!いつでもどこでも受けて立つ!!だからさ……」

 

そして、タクミは拳を開いてハルキに手を伸ばした。

 

「必ず会おう!!」

「……当たり前だ!!」

 

ハルキは駆け出すようにタクミの前に駆け込み、その手を乱暴に取った。

 

「次は負けねぇ!!俺はもっと強くなる!お前のキバゴにもフシギダネにも勝てるぐらい強くなる!!」

「僕だって、もっともっと強くなる!絶対に次も勝つ!!」

 

握手をしているうちにタクミの胸の内にわだかまっていた色々なことが溶けだしていく。

タクミは彼にフシギダネやキバゴのことを悪く言われたことなどもう気にしていなかった。

 

ハルキは『勝てるぐらいに強くなる』と言ってくれた。

 

それは、タクミのポケモンが強いのだと認めてくれた証だった。

 

お互いの手に跡が残るぐらい強く握手した2人はホロキャスターの番号を交換し、再戦を何度も誓い合った。ハルキ達は先んじてゲートステーションを出ていき、タクミは彼等を手を振って見送った。

 

彼等が自動ドアの向こうに消え、タクミはアキの方をチラリと見た。

 

「タクミ、あの人知り合いなの?」

「うん、まぁ、ライバルかな」

 

流石に『友達』とは言い難い。だが、もう嫌いな相手でもない。

競い合い、バトルを誓う相手というのなら『ライバル』という関係性が一番しっくりくる。

 

「ライバルばっかりだね」

「ライバルは多い方が絶対楽しい。アキもそう思うでしょ?」

「うん。やっぱり競い合う相手がいないとね」

 

そう言ってアキは虚空にむけて拳を振り、シャドーボクシングをしてみせる。

 

「ライバルは大事だよ。私がここまで来ようって思ったのも。タクミっていうライバルがいたからだもん」

「……うん……それで、そのことでちょっと聞きたいことが……」

 

タクミはもう一度話を切り出そうとする。

だが、どうも今日は巡り合わせが悪いらしい。

 

「あり?タクミ、登録してこないのか?」

 

ちょうどそこに戻ってきたミネジュンに話を遮られ、タクミは「あぁ、うん」と曖昧な返事をしながらトボトボと受付へと歩いて行った。

 

「どうしたんだアイツ?あっ、もしかして大事な話の途中だった?だとしたらゴメン!」

 

ミネジュンはアキに拝み手を向けるが、アキは苦笑しつつそれを否定した。

 

「ううん、違う違う。そんな大それたことじゃないの。ただ、タクミが……ね」

「タクミが?なんだ?」

「あぁ……その……」

 

アキは言葉を濁しながら、リーグの登録を待つタクミの背中をチラリと見る。

 

「……その……タクミが気を遣ってくれているだけ……それだけ」

「ん?どういうこと?」

「大したことじゃないってこと!それより、3人は今日にも出発するの?」

 

アキがそう聞くと、ミネジュンは腕組みをして歯をくいしばった。

 

「そのつもりだったけどなぁ……今すぐにでも旅立ちたいんだけどなぁ……もうちょっとミアレを見て回りたいんだよなぁ。なんか面白そうだし。ミアレジムも一目見てみたいし。ここのポケモンセンターにも一泊してみたいし」

 

おそらく、ミネジュン的には最後の1つが本音であろう。

ミネジュンの持っているポケモンセンターのパンフレットには宿泊施設の写真が乗っている。トレーナー用の一人部屋は大型のカプセルベッドだ。スペースこそ狭いものの、空調、音響、通信が完璧に備えられ、高級秘密基地のような雰囲気がある。

次にミアレシティに戻ってくるのは下手すれば数か月後だ。男の子なら一度はそこで一泊したいという気持ちはわからなくはなかった。

 

「マカナは?」

「……ブティックと……このケーキ屋いきたい」

 

マカナはミアレシティの地図を持ち出し、2か所のお店を指差した。

無表情で無関心のような顔をしておきながら、その下ではなかなかミアレシティにはしゃいでいるらしい。

 

「ふんふん。ミアレジムとブティックとケーキ屋『木漏れ日』ね。よしっ、私が案内してあげる!」

「いいのか!?」

「……ありがと」

「いいっていいって。というか、私もこんな歩くの初めてなんだけどね」

「えっ?」

 

そんな話をしているうちにタクミもリーグの参加受付を済ませて戻ってきた。

今日、ミアレシティに一泊するという提案はタクミにとっても願ったりかなったりであり、二つ返事で了承した。

 

「タクミもそれでいいの?」

「うん、僕もミアレシティを歩いてみたかったしね」

「ほんと?」

「うん」

 

アキはタクミの顔を下から怪訝な顔で覗き込む。その顔には『他に理由があるんじゃないの?』という疑問が書かれていたが、タクミはそれに気づくことなく小首を傾げた。

 

「なに?」

「……まぁ、タクミがいいならいいけど」

「えっ?」

「さぁ、いこう。ミアレは広いんだから。ぼやぼやしてたら日が暮れちゃうよ!!」

「ちょっ、アキ!?なんだよ?アキ!?」

 

アキはクルリと車椅子をその場で回転させ、ミアレシティに飛び出していこうとする。そんな彼女をタクミは慌てて追いかけた。それにミネジュンとマカナも続き、4人は再びミアレシティの喧騒の中へと飛び出していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ミアレのあちこちを歩き回り、太陽も西の空に沈みかける頃になり、タクミ達はポケモンセンターの前で一度解散なった。明日からタクミ達3人はジムを巡るために本格的に旅立つことになる。

タクミはミネジュンとマカナと別れ、アキを病院に送っているところだった。

黄昏時の赤い空に照らされて、何もかもが赤味を帯びたミアレシティ。昼間の賑やかな雰囲気はわずかに陰り、仕事帰りの人達のくたびれた背中が目立ちはじめる。

もう少しすれば、今日一日の疲れを癒すために大人達がパブやレストランに列をなすのだが、その時間にはまだ早い。昼と夜の狭間の中を車椅子を押して歩くタクミ。

 

そこからはアキの無防備な首元が見下ろせる。肉付きの悪い、今にも折れてしまいそうな肩と首。

彼女はタクミが車椅子を押してくれるのをいいことに、身体を車椅子に預け先程から寝息を立てている。

 

今日一日でミアレシティを縦横無尽に駆け回って疲れたのだろう。もともと病院暮らしで体力もないアキには少々酷だったかもしれない。タクミはその首筋に手の甲を軽く差し込み、熱が上がっていないことを確かめる。

 

「……熱はない……けど……」

 

タクミはあらかじめ聞き出していた病院へと車椅子を向ける。

ポケモンセンターからも、ポケモンハイスクールからも近いその病院は結構な大きさの施設であった。

アキが入院するような施設はいつもこれぐらいの大病院だ。タクミはアキの肩を揺らして、彼女を起こす。

 

「アキ、アキ!ついたよ」

「ん……んー……623号室」

「はいはい」

 

タクミは途中にあった自動販売機でミネラルウォーターを買い、アキの車椅子に乗せて病院の奥へと進んでいった。どんな世界にきても病院の構造というのはそう変わらない。タクミは迷路のような病院の中で標識を的確に探して、病棟のエレベーターに乗って6階のボタンを押す。

 

6階までエレベーターであがれば、ナースセンターに一声かけて外出から帰ってきたことを伝えて、病室の詳しい場所を教えてもらう。

 

手慣れたものだった。

 

そして、タクミはナースセンターから割と離れた4人部屋へと通された。

 

その部屋にはアキの他にもう一人入院患者がいるようだった。

タクミはベッドの隣に車椅子を寄せてアキを再度起こしにかかる。

 

「アキ、ついたよ」

「うん……ベッドに移して」

「いい加減目を覚ましなよ。自分でできるでしょ?」

「……うー……うー……タクミが冷たい」

「あぁ、もう、わかったよ。動かしてあげるから……この水を飲んで少しシャキッとして」

「はーい……」

 

タクミは先程買ったミネラルウォーターを渡して彼女に飲ませる。

 

「ぷは……はい、タクミ」

 

アキはそう言って、自分の両腕をキョンシーのように真っすぐ前に出した。

 

「うん」

 

タクミはアキの前に回り、その両腕の下から彼女を抱き上げる。真正面から抱き合うような姿勢になると、すぐさまアキは体重をタクミに預けてきた。タクミにもたれかかるような姿勢になったアキ。タクミは彼女の腰の下あたりに腕を回し、彼女の腰を引っ張りあげるようにして身体を持ち上げた。

彼女の腰があがり、彼女がわずかに膝を伸ばす。途端に震えだす彼女の足腰。彼女の足はこの程度の動きですら十分に行うことはできない。タクミはアキの体重の大部分を支えながら、彼女の腰を車椅子からベッドへと移した。

 

2年の間に何度もこなしてきたアキの移乗である。最初の頃は彼女と身体を合わせることに照れや恐れもあったが、2年もやっていれば最早慣れてしまっていた。

 

「……ありがと。送ってくれて。ふあぁ、疲れたぁ」

「お疲れ様。それと、案内ありがと」

「ううん、私もタクミの友達と話ができて楽しかったから」

「……うん」

 

大きく伸びをするアキ。その手首はやはり細いまま。スカートの先から突き出た足首はもはや骨と皮しか残っていない。

 

タクミはアキのベッドに腰かけ、窓の外に視線を向けた。

ミアレシティの夕暮れの中。ヤヤコマの群れが建物の上を飛んでいく。耳を澄ませば人々の喧騒に混じりどこからともなく、ポケモンの“くさぶえ”の音色も聞こえてきた。

 

タクミは手遊びをするように指を組んではほどくのを繰り返していた。

 

その時、タクミはふと視線を感じた。

 

タクミを見ていたのはアキの向かい側にあるベットの上にいる少女だった。

タクミ達よりも一回りは小さな女の子。その子は躊躇いがちにこちらの様子を伺っていた。

 

年齢的には小学校低学年ぐらい。絹のように滑らかな黒髪と目鼻立ちの整った顔。まだ幼くてもはっきりとわかる器量の良さ。わかりやすい日本美人だった。だが、タクミが目を向けていたのは彼女の容姿よりも、ベットの周囲に置かれている私物の量だった。

 

アキのベットの周囲にある私物は必要最低限だ。昨日今日入院したばかりなのでそれが当然だ。

それに対して、彼女の周囲にはおもちゃやDVDプレイヤーや可愛らしいアニメのポスターなどがあちこちに散らばっており、随分と生活感に溢れていた。

 

私物の量は入院生活が長くなればなるほどに増していく。

タクミはこの少女がアキと同じか、もしくはそれ以上の闘病生活を送っていることを察した。

 

タクミはその少女に優しく微笑みかける。

 

「こんにちは。僕はタクミ、斎藤 拓海。アキの友達なんだ」

 

タクミがそう言うと、その少女は一瞬目を見開いて、なぜか笑いをこらえるような顔をした。

 

「くく……くくく……」

「ん?あれ?僕なんか変なこと言った?」

 

振り返ると、なぜかアキも同じように笑いをこらえるような顔をしていた。

 

「アキ?」

「くふふふ、ルカちゃん。これがタクミだよ」

「……うん……わかった、この人だね」

「え?え?なに?アキ、僕の何を話したの!?」

「くふっ、気にしない気にしない」

「ちょっと!アキ!!感じ悪いよ!!」

「だから、別になんでもないって」

 

コソコソと笑う2人に対してタクミは仲間外れにされたような気分を感じてギリギリと奥歯を噛む。

眉間に皺を刻んだタクミを見て、アキは頬にニヤケ顔を残したまま、タクミの頭に手を伸ばす。

 

「そんな怒んないで。ほら、よしよし」

「ぐぅ……」

 

アキがタクミの頭をポンポンと叩く。

 

タクミとしてはその程度のことで許すわけがない。許すわけがないのだが、柔らかな手のひらで頭を撫でられるというのは何事にも代え難い安心感があるのだ。加えてアキがリズムよく手をふるたびに彼女の袖口から彼女自身の香りがふんわりと漂ってくる。

 

「それで、あの子を紹介してよ」

「はいはい。彼女は片垣(かたがき)瑠佳(るか)ちゃん。小学2年生。一番好きなポケモンはアチャモ!」

 

確かによくよく見れば彼女のベットの周囲にはアチャモのぬいぐるみが散乱している。それも5cmぐらいのキーホルダー程度の人形から等身大の本格的なものまでよりどりみどりだ。

 

「へぇ、そうなんだ。ルカちゃん……でいいかな?」

「うん」

「災難だったね。アキと同室で大変でしょ?」

 

タクミがそう言うと、アキがベットの上で「ふぇっ!?」と変な声をあげた。

 

「アキが迷惑かけてない?」

「そ、そんなことないよね、ルカちゃん!」

 

アキの縋るような視線を受けて、彼女はまたクスクスと笑って頷いた。

 

「うん、アキねぇちゃんはとっても優しいよ」

「ほらみなさい」

 

胸を張るアキであるが、タクミとしては少女の言葉に納得していない。

アキと同室になった人達の末路など、タクミは知り尽くしていた。

 

「ほんと?夜遅くまでポケモンの話されてない?聞きたくもないバトルの話とかされてない?」

「あ……」

 

アキから『しまった』といった感じの声が漏れた。

そして、そんなアキの態度を裏付けるかのようにルカの目が見事なまでに明後日の方向へと向いていた。

 

「やっぱりね」

 

予想通りの展開だったタクミはアキを半目で睨みつける。

 

「アキ、あんまり迷惑かけちゃだめだよ」

「め、迷惑なんかかけてないもん!ね?ね?ねぇ?」

「小さい子に強制しないの」

 

タクミはアキの頭に軽くチョップを落とす。

 

「あいたぁ……むぅ、別にそんな……消灯時間で怒られたぐらいだもん」

 

病院の消灯時間はどこでもだいたい10時。

確かに寝るには早い時間だ。長い夜をを持て余す気持ちはわかる。

だが、それより遅くまで起きて喋っていれば看護師さんに迷惑がかかってしまう。

 

「アキはポケモンの話になると止まらないんだからその辺は抑えてよ」

「はーい」

 

あんまり反省していなさそうなアキ。

そんな時、ふと廊下から複数の足音が聞こえてきた。

その足音はタクミ達の病室の前で止まった。

 

タクミが目を向ける。

そこに立っていたのは少し歳のいった中年の男性と、やけに目つきの鋭い少年であった。

多分、ルカの家族であろうとタクミはあたりをつけた。

 

父親の方は頬や喉元に深い皺が刻まれ、随分と老けているように見える。息子の方は見たところ年齢的にはタクミやアキとあまり変わらない。だが、眉間に常に皺を寄せ、ひたすらに目の前を睨んでいる視線からは年齢に不相応の凄味が感じられた。

 

だがそんな見た目よりも、その二人からどことなく垣間見える疲労感の方がタクミにとっては随分と印象的だった。

 

「あっ、パパ!お兄ちゃん!」

 

ルカがそう言ってベッドの端から身を乗り出す。

それを見て、男の子の方が慌ててルカの方へと駆け寄った

 

「ルカ、危ないから下がってなさい」

「お兄ちゃん。キャンプから帰ってきたんでしょ!?ポケモン貰ったの?『地方旅』にはいつ出発するの!?」

「ルカ、慌てるな。ひとつずつだ」

 

少年の声は随分と低い声だった。声変わりをする前の子供の声であるのは変わりはないのだが、声の端々に人の耳を引き寄せる深味があるのだ。

 

「ねぇ、ねぇ、最初のポケモン何もらったの?アチャモにしてくれた?」

「ああ、もちろんだ。約束だったからな」

「うわぁ!ほんと!見せて見せて!!」

「わかったから、ほら、あんまり大きい声を出さない」

 

片垣家が家族だけで話しはじめ、タクミは改めてアキに視線を戻した。

 

「そういえば、タクミはキャンプどうだったの?」

「ああ、そういえば話してなかったよね。一応新しいポケモン仲間にした。というか、最初の初心者用ポケモンだけどね」

 

そして、タクミは素早くモンスターボールを取り出し、真上に向かって放り投げた。

 

「出てきて、フシギダネ!」

「ダネフッシ!」

 

アキのベットの上に現れるフシギダネ。タクミはフシギダネの脇の下に両手を入れて担ぎ上げた。

アキとフシギダネの目線の高さを同じにし、タクミはフシギダネに話しかける。

 

「ほら、フシギダネ。この子がアキだよ。僕の大事な友達」

「ダネダ。ダネフッシ」

「へぇっ、フシギダネにしたんだ。そっかそっか、タクミをよろしくね、フシギダネ」

「ダネ」

 

フシギダネは“ツルのムチ”を器用に使い、敬礼のようなポーズを取る。

なんだか、最近フシギダネもこうやってポーズを決める癖がついてきている。キバゴの影響が出てきているようでタクミとしてはなんとも複雑な気分だった。

 

ポケモンを出したタクミ。それは必要以上の注目を集めていた。

特に反応を見せたのはルカであった。

彼女は病室に突如現れたポケモンに視線が一気に吸い寄せられていた。

 

「フシギダネ、フシギダネだ!!タクミにぃちゃん!触ってもいい!?」

 

興奮したルカがベットの端に寄り、手すりを乗り越えようとする勢いで前に出てくる。

あまりに前に出てくるものだから、前のめりに倒れそうになるルカ。

 

「ダネダッ!」

 

そんな彼女に向け、フシギダネが素早く“ツルのムチ”を伸ばした。

ルカの身体を素早く支えて、ベットから落ちないような命綱を確保する。

 

「うわぁっ!すごい凄い!フシギダネの“ツルのムチ”だ!」

 

フシギダネの“ツル”に巻かれて喜ぶルカ。

笑顔のルカにフシギダネも安堵の息を吐く。

 

こういう気遣いと判断の素早さがこのフシギダネのいいところだよな。

 

そんな思いを込めてタクミはフシギダネを片手で腕に抱き、空いた手でフシギダネの頭を撫でる。

 

「ダネ……」

 

頭を撫でるとすぐにそっぽを向くフシギダネ。

誉められても素直に喜べない性格もまた、このフシギダネの良さである。

 

「タクミにぃちゃん!フシギダネに触ってもいい?」

「えーと……フシギダネ、いい?」

「ダネ」

 

小さく頷いたフシギダネ。タクミはフシギダネを抱えたまま、ルカのベットの方へと近づいて行った。

 

「はい、フシギダネだよ。よろしくね」

「ダネダ」

 

律儀に頭を下げるフシギダネ。その頭にルカはおっかなびっくり手を伸ばした。

それをフシギダネは落ち着いた態度で受け入れる。

 

長い間、初心者トレーナーを見送り続けてきたフシギダネだ。

ポケモンに初めて触る相手を驚かせない雰囲気作りはお手の物だった。

 

「うわぁ、すごい、けっこうツルツルしてる」

「でしょ?あっ、そうだ、よかったら君も……」

 

『触ってみる?』

 

そう言おうとして、タクミはルカのベットの隣に立ち尽くしていた少年へと目を向けた。

 

だが、すぐさまタクミの身体はギョッと凍り付いた。

 

その少年はタクミが今まで見たこともない程に鋭い眼光でタクミを見ていたのだ。

 

そこに敵意はない。タクミに対する負の感情は乗っていない。

 

ただ、あまりにも深い絶望がその身に宿っていた。その目の中には光を灯さないような深い暗闇が潜み、全身からは全ての幸福など幻想であると訴えかけるようなオーラが見えそうだった。

何を考えているのかわからない彼の表情だが、その中に運命に対する憎悪や未来への失望などが隠れているような気がしてタクミは口の中に溜まった唾を飲み込んだ。

 

自分の両親に叱られる直前でもここまでは緊張しない。

教師に行き過ぎたイタズラを仕掛けた時ももう少し余裕があった。

 

それだけの圧迫感を目の前の少年は放っていた。

 

ただ、タクミはそれで折れるような精神構造はしていなかった。

そんな柔なメンタルでは赤の他人であるアキの傍に2年も寄り添うなんてことはできはしない。

 

タクミは目の前の圧に負けじと勇気を振り絞り、声をかけた。

 

「えと……こんにちは」

「………」

「僕は斎藤 拓海。地球界から『地方旅』で今日カロス地方に来たばかりなんだ。よろしく」

 

タクミはフシギダネをベットに降ろし、握手の為の手を差し出す。

 

だが、その少年はその手に見向きもせずに自分のモンスターボールを取り出した。

 

「邪魔だ……」

「え?」

 

そして、少年はモンスターボールを開く。

 

「チャモチャモ!!」

 

中から出てきたのは元気よく声をあげて飛びはねる『ひよこポケモン』

シンオウ地方の初心者用ポケモンの一匹である『アチャモ』であった。

 

「うわぁ!アチャモだ!!アチャモだ!!本物だぁ!!」

「チャモチャモ~」

 

ルカの興味がすぐさまそちらに移ったのを見て、フシギダネは小さく微笑んだ。フシギダネは自分の役目は終わったとでも言いたげに、ルカの身体に巻いていた“ツルのムチ”を外し、タクミを見上げた。

 

「ダネ」

「うん」

 

フシギダネを担ぎ上げたタクミ。

その真正面にルカの兄が立っていた。

 

「おい……」

 

鋭く、深い声で呼びかけてくる少年。

タクミは彼に向けてわずかに頭を下げた。

 

「ごめんなさい。余計なことしちゃったかな?」

「……頼んだのはルカの方だ。むしろ礼を言う。ありがとう」

 

短くそう返す少年。だが、その目はまるで笑っていない。

 

「その……」

「……片垣……龍之介(りゅうのすけ)

「え……」

 

彼はそれ以上は何も言わずに、タクミの脇を抜け、ルカのベットへと腰を降ろした。

 

「ルカ、ほら、アチャモはここを撫でられるといいらしいぞ」

「そうなの?ここ?気持ちいい?」

「チャモ!」

 

ベットに座る龍之介。

その横顔を見て、タクミはなぜか胸を締め付けられるような感覚を味わった。

 

タクミがベットから一歩離れると、すぐさま彼らの父親がタクミを追い出すかのように間に入り込んできた。

タクミには見向きもしないその父親。表情こそは見えないものの、白髪交じりの頭髪には溜め込んだ心労が見えるような気がしていた。

 

そして、ルカがしばらくアチャモと遊んだのを見計らい、父がこの病院のレストランに行くことを提案した。

 

「うん!行く!!アチャモも一緒にいいよね」

「ああ……」

「チャモチャモ!」

 

アチャモの小さな羽を握りながら手を振って出ていくルカ。

それを微笑みながら、しかし感情の読めない目で見守る龍之介。

そして、その後ろからついていく父親のくたびれた背中。

 

彼等はアキやタクミには目もくれずに病室を出ていく。

周りに気づかう余裕はなく、何かに追われるかのように憔悴しきった雰囲気。

ああいった家族をタクミは病院に通っているうちに何組か見たことがある。

 

タクミは片垣家の足音が十分に遠ざかってから小さな声でアキに尋ねた。

 

「……あの子……悪いの?」

 

アキは口の中で言葉を選らび、そして静かに呟いた。

 

「……うん……多分」

 

アキはそれ以上のことは言わなかった。

だけど、それ以上の言葉はいらなかった。

 

「……そっか……」

 

タクミはそれだけ言って目を瞑る。

 

あの子に残された時間は短いのだろう。

それはきっと、旅に出ることができない程に短いのだろう。

 

だが、それは決して他人事ではない。

 

赤く染まりゆく空に照らされ、何もかもが茜色になっていく病室。

フシギダネは気を利かせるように床に寝そべって目を閉じていた。

 

昼の喧騒が消え、夜の時間が始まろうとしているミアレシティ。

 

タクミは意を決したように口を開いた。

 

「……アキ……」

「……なに?」

「一つ……聞いていい?」

「……うん」

 

タクミは大きく息を吸いこむ。

 

「手術って……どういうことなの?」

 

どこからか、ヨルノズクの鳴き声が聞こえたような気がした。



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始まりの日、始まりの一歩

手術をする。

 

それはミアレエアポートで最初にアキが言ったことだった。

 

『あっ、それとね。今、ミアレの病院に入院してるんだ』

『入院!?なんでこっちに!?ちょっ、ちょっと待ってって話がわかんないって』

『今度手術になった』

『しゅじゅつ!?しゅじゅつって何!』

 

あの時は他にも聞きたいことが大量にあって、話を流してしまっていた。

だが、タクミの胸の中にはそれがずっと引っかかっていた。

 

「それに、スクールに通うって……本当に大丈夫なの?」

「…………」

 

そもそもアキは病気の治療を受けなければならなかったり、すぐに体調を崩したりして、学校に通えなかったのだ。そんな彼女がいくら病院から近いからと言って、スクールに継続して通うことができるとはタクミにはどうしても思えなかった。

 

彼女の病気が昨日今日で突然治るような都合のいいものでないことはタクミも知っている。

ポケモン界の医療でもその結論は変わらない。

 

『もしかして、辛い身体を押してここに来ているんじゃないのか』

『それどころか、最期だからこそやりたいことをやらせてもらってるような状態じゃないのか』

 

冷静になって考えれば考える程にタクミには悪い考えが浮かんでしまってきていた。

 

「アキ……どうなの……」

 

それは自分の死刑宣告を聞くかのように切羽詰まったような声だった。タクミはアキの方をまともに見ることができず、彼女に背を向け、自分の膝を見下ろしていた。握りしめた拳には玉の汗が浮かんでおり、自分の瞳は涙が粒を作る直前のようになっていた。

 

もし、アキの状態が悪化しているようであるならそれを聞くのはとても怖い。

だけど、聞かずにこのまま旅に出てしまうことはもっと怖かった。

 

そうやって身体を震わせ、うずくまるタクミ。その背中から伝わってくる重苦しい空気は10歳の子供が背負うものとは思えなかった。タクミは今にも不可視の重圧に潰れてしまいそうになっていた。

 

心の底から心配しているタクミの背中。

 

その背中をアキは指先で一筋、スッと撫ぜた。

タクミの背に鳥肌が立ち。背筋が一気に伸びあがる。

 

「ひゃう!!」

「あははは、『ひゃう』だって『ひゃう!』『ひゃう!』」

「アキ!!なにすんのさ!僕は真剣に……」

「ありがと。タクミ、心配してくれて」

「ん…………」

 

ずるい、とタクミは思った。

 

アキはこの世で一番自分が幸せなんだと言わんばかりに柔らかな微笑を浮かべていた。

そんな顔で『ありがとう』なんて言われたら、タクミは怒るに怒れなくなってしまう。

 

「タクミ、それ、ずっと聞こうとしてたんでしょ」

「……え、うん……」

「普通に聞いてくれればよかったのに」

「……それは……」

「気を遣ってくれたの?」

「……アキに……じゃなくて、どっちかというとミネジュンとマカナに……」

「あぁ、なるほど」

 

タクミはアキの人柄やエピソードに関しては2人にある程度話したが、病気の詳細についてはその大部分を伏せていた。タクミ自身もそれほど詳しくないということもあるが、なによりそれを知ってしまえばアキに対して『普通』に接することが難しくなりそうだったからだ。

 

アキのことは『車椅子に乗っているだけで、その他はなんの問題もない女子』という感じにしか伝えていなかった。

 

その2人の前で手術だの余命だのの話をすることは憚られたのだ。

 

「でも、タクミ。安心していいよ。手術するっていうのは『悪くなったから手術しなきゃいけない』っていうわけじゃないんだよ」

「……え」

「むしろ逆でね、私の足の病気……大分良くなっているんだ」

 

アキはそう言って自分のスカートをめくり、膝をさする。

真っ白な肌に痛々しい程に骨が突き出た彼女の膝。筋肉も脂肪もなく、細い静脈が蜘蛛の巣のように浮かび上がっている。歩くという機能どころか身体を支えることすら危ぶまれる足だ。だが、タクミはその痛々しい足から目を逸らすことはしなかった。

 

「良くなってるって、ほんと?」

「うん。薬とか、レーザーの治療で足の病気は小さくなってきてる……このまま、消えるぐらい小さくなる可能性もあるんだけど……それだと、いつ歩けるようになるのかわかんない。だから小さくなっている今のうちに手術で足ごと病気を切り落とそうってなったの」

「足を……切る……切断するってこと!?」

 

タクミの顔から血の気が引く。

まだ10歳でしかないタクミにとって、転んで足を切るだけでも相当の痛みなのだ。それが、足を切り落とすなんて話になればどれだけの痛みになるのか想像もつかない。

 

「うん、そうだよ」

「それ、大丈夫なの!?」

「大丈夫に決まってるじゃん。ちゃんとした先生が切ってくれるんだよ。それに……」

 

アキは一呼吸置き、まるで自分自身にも言い聞かせるように話し出した。

 

「ここで足を切って……病気を全部切り落として……義足にして……リハビリを頑張れば……歩くことができる。薬も副作用が弱いのに変えられるし、レーザー治療で毎日病院に通うこともなくなる……」

「でも……そんな……薬だけで病気が無くなる可能性だってあるんでしょ!!」

「あるよ……あるけど……」

「なら!!」

 

言いつのろうとするタクミにアキは静かに首を横に振った。

 

「ダメだよ、タクミ。それじゃあ、追いつけなくなっちゃうもん」

「追いつく……誰に?」

「誰って……タクミだよ」

「えっ、いや、僕はアキを置いていったりしないって!っていうか、いつも先に勝手に行こうとするのはアキの方じゃん!」

 

タクミがそう言うと、アキはくすぐったそうにクスクスと笑った。

 

「そうじゃないよ。そうじゃなくてさ……」

 

そして、アキはふと窓の外の夕焼けを見つめながら言った。

 

「私『地方旅』に行くタクミを見送って、思ったの。このまま、私がベットで寝てる間にもタクミは旅に出て、ジム戦して、リーグに出て、どんどん先に行っちゃう。タクミはチャンピオンになって私を待っててくれるって言ってくれたけど……」

 

その夢の話を持ちだされ、タクミは頬と耳元を赤くしたが、この夕暮れではその赤味にアキが気づくことはなかった。

 

「でも、やっぱり私は……私は……嫌だった。私はタクミと一緒に歩きたい、肩を並べていきたい……だから……少しでも早く歩けるようになるために私は手術を受けることにしたの。だから、タクミ……」

 

アキは不意にタクミの手を強く握りしめた。

 

「タクミ、わがまま言わせて」

「え……」

「タクミだけは……応援して欲しいの。タクミだけには『頑張れ』って言って欲しいの」

 

タクミの身体が硬直する。それは、手を握られたことで緊張したからではない。

 

『頑張れ』

 

それは、アキには言ってはいけない言葉の筆頭だった。

アキはいつも頑張っていた。頑張ってリハビリして、薬の副作用を堪え、寂しさに耐え続けてきた。

『頑張れ』と言ってもこれ以上何を頑張れというのかと思う程にアキは頑張っていた。

 

そのアキが『頑張れ』と言ってくれと頼んでいる。

 

「アキ……」

 

その時、タクミはアキの手が小刻みに震えていることに気が付いた。

指先は白くなり、冷や汗で冷たく湿ったアキの手。

 

それに気づき、タクミは自分の奥歯を噛み締めた。

 

アキだって怖いのだ。自分の決断に迷いがあるのだ。

 

手術の恐怖だってある。足を失う覚悟も決まっているかどうかだって怪しい。そして、手術をしたところで本当に歩けるようになるかどうかだって何もわからない。

不安に決まっている。怖いに決まっている。

それでも彼女は歩き出すために『頑張る』と言っているのだ。

 

「くそっ……」

 

本人がこんなにも戦おうとしているのに、他人である自分が狼狽えて泣きそうになっているなんて。

あまりに情けなさすぎて腹が立ってくる。

 

タクミはアキの手を両手で強く握り締めた。

 

「アキ!!」

 

タクミは大きく息を吸いこんだ

 

「頑張れ!頑張れアキ!頑張って、一緒に歩こう」

「うん……」

「僕はジムを巡って、バッジを手に入れて、絶対にリーグに出る。アキも頑張れ!勉強して、リハビリして、それで、アキも一緒にリーグに出よう」

「うん……うん……」

「アキは僕のライバルだろ。絶対にリーグでバトルしような!」

「うん!!」

 

アキの目から零れ落ちていく涙がタクミの両手に落ちていく。

その涙は熱くなっているタクミの体温に吸われて消えていく。

冷たく凍えていたアキの手はいつの間にか痛みを覚える程に熱くなっていた。

 

「アキ、頑張れ!!」

「うん!私、頑張る!!」

 

頑張っても頑張ってもどうにもならないこともある。

だが、タクミはつい最近それを覆したポケモンを知っている。

 

タクミは『自分は何も見てませんよ』とでも言いたそうなフシギダネをチラリと見る。

 

フシギダネはこのたった一週間で色々なものを『頑張って』克服したのだ。

 

アキだって、きっと上手くいく。

 

タクミは自分に必死にそう言い聞かせ、無理やりにでも笑っていたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ミアレシティの南側。

ペルルの噴水と呼ばれる、カロス最大規模の噴水を中心とした石畳の庭園が広がっている。その庭園を抜ければ本格的にミアレシティともお別れであった。

 

タクミ達は朝早くからポケモンセンターを出発し、病院に寄ってアキを連れだし、4人で石畳の上を歩いていた。

 

「それじゃあ、アキはまだポケモン持ってないのか?」

 

ミネジュンが驚いたようにそう言った。

アキはそもそも『地方旅』に参加する予定ではなかったから、色々と手続きをしておらず、10歳になるまではポケモン使用許可が降りないのだ。

 

「うん。誕生日がまだなんだよね。私3月産まれだから」

「ちぇっ、アキとバトルしてみたかったのにな」

「次に戻ってくるときは手続き終わってるだろうし、ポケモン貰ってると思うから、その時にね」

「おしっ!約束だぞ!!」

「うん、その時までにいっぱい勉強しとく」

 

ミネジュンと普通に話す彼女に昨日の思いつめた様子はない。

タクミは電動車椅子の持ち手を軽く握りながら、アキの顔色を伺っていた。

そんなタクミの視線にアキは当然気づいており、彼女はタクミの方を振り返って八重歯を見せるようにして不敵に笑ってみせた。

 

「タクミ、こっち見過ぎ」

「なっ!」

 

ハッキリと口に出され、タクミの頬が赤く染まる。

そして、そんなタクミを見逃すミネジュンとマカナではなかった。

 

「あれあれ~タクミく~ん、顔真っ赤だねぇ~そんなにアキと離れ離れになるのが嫌なのか?」

「そんなんじゃない!ニヤニヤするな!!」

「……タクミはミアレに残ってもいいよ……」

「マカナまで何言いだすんだよ!」

「……タクミがバッジを集められなければライバルが一人減る」

「当たり前の理屈を述べるように自然と毒吐くな」

 

マカナと随分打ち解けてきたせいか、彼女の口から辛辣な言葉が飛び出てくる割合が増えてきているような気がしていた。

 

「まぁまぁ、2人共。タクミは私を心配してくれてるんだから」

「そうだよね~タクミはお嫁さんのことが心配だもんね~」

「そんなんじゃないって言ってるだろ!!」

「はははははは!顔真っ赤だぜ、タクミ!」

「うるさい!!」

 

タクミは弄り倒されて憤慨しながらも、心のどこかで逆に安堵していた。

昨日のアキの姿をタクミは今も鮮明に思い出せる。アキがあの状態を引きずっているなら、タクミは自分が旅立ちを躊躇してしまうだろうと思っていた。

 

だが、アキはやっぱり強かった。タクミの心配は無用だったようだ。

 

そんな話をしているうちに、タクミ達は庭園の出口へとたどり着いた。庭園の境界を示す花のアーチには『良い旅を』の文字が針金を基盤にしたツタにより描かれていた。舗装された石畳はそのアーチで終わり、その外は舗装されていない剥き出しの土の道が続いている。視線をあげれば、目の前にはだだっぴろい草原。その中を蛇行することなく進む道。その道にはわずかな勾配がついており、遠くまでは見通すことができない。

 

「私はここまでかな……」

 

アキがそう言って車椅子のブレーキをかけた。

 

アキが立ち止まる。

 

タクミ達はそのまま歩き続ける。

 

タクミ達はそのアーチから一歩外に足を踏み出し、アキを振り返った。

 

「それじゃあ、ここでお別れだね」

「うん」

 

アキは小さく頷く。

そのアキに向け、ミネジュンが握手の為に手を伸ばした。

 

「そんじゃアキ、次に会った時はライバルだぜ!」

「うん。っていうか、ミネジュンさっきからそればっかり言ってるよ?」

「あれ、そうだっけ?でもいいじゃんいいじゃん!ライバル宣言は何回やったって」

「そうかな?」

「そうだって、がハハハハ!」

 

ミネジュンはアキの手をブンブンと振り回すように握手を交わした。

 

そして、次にマカナがアキと手を繋ぐ。

 

「……アキ、身体に気を付けて」

「うん。わかってるよ。マカナも旅の間、体調崩さないようにね」

「……うん……気を付ける……」

「旅のお話、楽しみにしてるからね」

「……それは……難しいかも」

「えっ?」

「……喋るの苦手」

 

至極真面目な顔でそう言ったマカナ。

思わぬ返答にアキだけじゃなくタクミとミネジュンも声をあげて笑った。

 

「まぁ、それでもいいから。旅のこといろいろ教えてね」

「……うん……ホロキャスターで時々連絡する」

 

マカナはそう言ってスッと彼女から手を離した。

 

最後にタクミがアキの前に立った。

 

「アキ」

「タクミ」

 

2人はパチンと景気の良い音を立ててハイタッチをした。

 

「頑張れよ、アキ!!」

「うん!タクミも頑張って!!」

 

2人の間にそれ以上の言葉はいらなかった。

大事なことは昨日の間に全て話した。

あとはただ、自分の道を信じて歩いて行くだけだ。

 

そして、タクミが一歩後ろに下がり、アキに半分背を向けながら歩き出す。

それを合図にミネジュンとマカナも手を振りながら歩き出した。

 

「アキ!またなぁ!」と、ミネジュンが飛びはねながら手を振っていた。

「……風邪引かないようにね」と言ったマカナであったが、その声は小さくアキには届かなかっただろう。

「行ってくる!!」と、タクミは拳を突き上げていた。

 

そんなタクミ達に向け、アキは声を張り上げた。

 

「次に戻ってくるときにはバッジをゲットしてきてよ~!みんなの武勇伝!待ってるからねぇ!!」

 

アキの言葉に返事をするように手を振るタクミ達。彼等はアキの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。アキもまた、彼等の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 

タクミ達は道に従って歩き、小高い丘を越えていく。ミアレシティが遠ざかり、プリズムタワーが青く霞んでいく。そして、町の大部分が地平の下に消えた頃、タクミ達は分かれ道へと差し掛かっていた。

 

「分かれ道だ」

 

ミネジュンがどこか嬉しそうにそう言った。

進むべき道は3つ。だが、誰も地図を広げようとはしない。

彼等はその道の先に何があるのかを地図を熟読して把握している。どの道を進んでも行き着く先はジムのある町だ。だからこそ、彼等はここで別れることに決めていた。

 

ミネジュンはその交差点の真ん中に立ち、真っすぐ前を指差した。

 

「俺はもちろんこのまま真っすぐいく!」

 

ミネジュンらしい選択だった。

 

「……じゃあ、私はこっち……」

 

マカナが右の道を指差す。

 

「それじゃあ、僕がこっちだね」

 

タクミが選ぶことになった左の道。

その先にあるジムの情報を頭の中で何度も復唱しながら、タクミは足を踏み出した。

 

「それじゃあ、みんな。またどこかで!!」

「……うん!」

「よっしゃあ!行くぜぇぇ!!」

 

彼等はしばらくお互いに手を振っていたが、すぐさま前を向いて歩き出す。

 

別々の町へと旅立っていく3人。そして、町の中に残る1人。

4人はそれぞれの別の道を行く。

だが、その到着点はポケモンリーグただ一つ。

 

困難な道だ。挫折もあるだろう。涙も流すだろう。

だが、それと同じくらい多くのことを成し遂げ、喜び、笑うだろう。

 

彼等はもう立派なポケモントレーナーなのだから。

 

「よっし!行くぞ!!」

 

逸る気持ちを抑えられず、自然と足早になっていくタクミ。

 

この道の先にあるのはハクダンシティ、ハクダンジム。

 

今、タクミの『旅』が始まったのだった。



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地球界とポケモン界の新人トレーナー

『地方旅』が始まって二日目。

ポケモンセンターとの距離を見誤り、野宿をすることになったタクミであったが、朝起きて早々に問題が発生していた。

 

「キ~バ~ゴ~~~~お前な~~~」

 

非常に渋い顔でキバゴを見下ろすタクミ。その隣では、フシギダネがこめかみに青筋を浮かべ、鬼のような形相でキバゴを睨んでいた。

 

「ダネダネダ!」

 

抗議するように吠えるフシギダネ。

そして、両者の視線に晒されているのは地面にペタンと座って明後日の方向を向いているキバゴであった。

 

「キバ……」

 

素知らぬ顔ですっとぼけようとするキバゴであるが、その隣に散らばっているオボンの実の茎が物言わぬ証拠であった。

 

「キバゴ!お前の分は1個だけだって言ってたろ!!フシギダネの分まで食べちゃって!」

「キバキバ!キバキバ!」

 

何か言い訳をしようとしているキバゴであるが、弁明の余地はない。

キバゴは間違いなくオボンを2個食べており、『傷ついた野生ポケモンに譲った』とか、『腐ってたから捨てたのだがそれを黙っている』とか、そう言った美談めいた裏話がないことは確認済みだ。

タクミが朝起きたらキバゴがテントの片隅でオボンの実を両手にもって美味しそうに頬張っていたのだから間違いない。咎められた瞬間に証拠隠滅しようとオボンを飲み込んだ瞬間までバッチリと見ている。

 

それでもなんとか誤魔化す道を探ろうとしているキバゴにタクミはかなりご立腹であった。

当然、フシギダネも自分のきのみを食べられたのだからその怒りは収まらない。

 

「キバゴ、お前は朝ご飯は抜き」

「キバァ!?」

 

キバゴが『そこまでするぅ!?』という目で見上げてきたが、当然のお灸だ。

だが、タクミは苦虫を10匹程噛み潰したような顔をして鼻息を吹き出した。

 

「と言いたいとこだけど。旅を始めて2日目でいつ野生ポケモンに出会うかわかんない。お前に空腹で倒れられたら困るから御飯は食べていい」

「キバ……」

 

安堵のため息をつくキバゴ。だが、タクミとフシギダネの留飲は下がらない。

 

「ただしキバゴ!この罰でどこかで受けてもらうからね。具体的に言うと、どっかでおやつを減らすから」

 

タクミがそう言うと、フシギダネが『当たり前だ』と言わんばかりに大仰に頷いた。

 

「キ、キバ……」

 

項垂れるキバゴを見ながら、タクミとフシギダネはほぼ同時にため息を吐きだした。

 

「さぁ、御飯にして、さっさと片付けて、さっそく出発しよう。今日中にはポケモンセンターにつきたいしね」

 

本来、昨日のうちにたどり着く予定だったポケモンセンターまではここから半日程かかる。

到着は昼頃になるので、歩みを止めるのには少し早いのだが、タクミはそこで一泊する予定だった。

 

ミアレシティとハクダンシティを繋ぐ4番道路はまだまだ距離があり。抜けるのにはまだ数日かかる。

最初の旅路ということもあり、タクミは無理はしない方針であった。

なにせ、ポケモン界の道はほとんど舗装されておらず、山を切り開いて作ったような間道のような道ばかりだ。

できるだけ起伏の少ないように作られてはいるものの、それでも峠を越えるため坂道を進むことも多い。

 

一応、4番道路とは別ルートでミアレシティとハクダンシティを繋ぐ道もあるにはある。舗装され、ポケモン除けがなされ、車が行きかうような歩きやすい道だ。地球界からもたらされた技術がふんだんに盛り込まれた交通路でポケモン界の都市間の行き来は大分楽になったらしい。だが、タクミはそういった道を使うつもりはなかった。ポケモン界に来たというのに、野生ポケモンのいない道を歩いてなんの意味があるのか、という話だ。そこを使うのはポケモンリーグ開催に間に合わなくなりそうな時の最終手段にしようとタクミは誓っていた。

 

簡単なサンドイッチの朝食をとり、終始ピリピリした空気のフシギダネとキバゴを宥め、テントを早々に片付けてタクミは再び4番道路を歩き出した。

 

空は快晴。風は軟風。間道の左右からは時折ポケモンの声が聞こえ、稀に好奇心旺盛なポケモンが顔をのぞかせる。タクミは風に流されるように飛んできたフラベベ達に手を振りながら先を急いだ。

GPS機能を搭載したタウンマップを確認しながら歩き続けていると、道の先にポケモンセンターが見えてきた。ドームのようなデザインの建物に巨大なPの文字看板が立つポケモンセンターだ。

 

『地方旅』に地球界から大勢のトレーナーが入り込んできてはいるものの、ポケモン界のジムは多く、ルートも無数にある。それに、出発のタイミングも人それぞれであることもあり、ポケモンセンターはそれ程混雑しているわけではなかった。

タクミは念のためにキバゴとフシギダネの健康チェックをジョーイさんにお願いし、その間ロビーで紙の地図を引っ張り出していた。

 

「……思ったより時間かかるな……ハクダンシティまでは予定より2日程長くかかりそうだ。ということは次のポケモンセンターの位置は……」

 

タクミはタウンマップの履歴を見ながら昨日までに踏破した距離とこれから進む距離を計算してハクダンシティまでの予定を修正していく。

 

「帰り道はどうしよう……最短ルートを歩いてきたけど、せっかくカロス地方に来たんだし、サイホーンレースとかも見ていきたいよな……それに他の道でポケモンを探してもいいし……そう考えると、やっぱこっちを通って……まぁ、帰りはジム戦に勝ってから考えるか……」

 

タクミはぶつぶつと独り言をつぶやきながら、地図に書き込みをしていく。

それから電話ボックスに向かい、両親に最初のポケモンセンターに到着したことを伝え、ホロキャスターで友人達にメッセージを送っておく。

ミネジュンからは『今は森の中で仲間をゲット中』と返信があり、マカナからは『多分、今日も野宿』と少々心配になる返事があった。まぁ、マカナのルートが最初のポケモンセンターまでの距離が一番遠いのはわかっていたことだった。

 

ちなみにアキからは『無事に着いて良かった。私は授業視聴中』と返ってきたのでそれ以上メッセージを送るのは控えることにした。

 

そうこうしているうちにキバゴ達の健康チェックが終わった。

 

「はい、あなたのポケモンはみんな元気になりましたよ」

「ありがとうございます」

 

モンスターボールを確認して、ベルトのホルスターに詰めていると、ジョーイさんが話しかけてきた。

 

「あなた、この辺じゃ見ない顔ね。『地方旅』の途中?」

「はい。出発したばかりです」

「そうなの。じゃあ無理はしないようにね。旅に出たばかりは体調を崩しやすいんだから」

「わかりました。とりあえず、今日はここに泊まります」

「その方がいいわ。それじゃあ、部屋をとっておくわ」

「お願いします」

 

身分証がわりのポケモン図鑑を渡して部屋を確保してもらい、タクミはちょっと遅めの昼食を取ることにした。

ポケモンバトルフィールドも併設されているこのポケモンセンター。

フィールドが見える場所でビュッフェ形式の昼食をとるタクミであったが、生憎バトルは誰もやっていなかった。

 

タクミの隣ではキバゴとフシギダネも食事をしていたが、朝のことが尾を引いているせいか険悪なムードが消えていない。トレーナーとしてどうにかするべきかもしれなかったが、そもそもキバゴが悪いので、フシギダネにキバゴが自分から謝るまではタクミも口を出すつもりはなかった。

 

そんな時、タクミは不意に声をかけられた。

 

「ねぇ、ここ空いてる?」

「え?」

 

見上げると、そこには半そで短パンと、軽装の少年が立っていた。

およそ同年代くらいの相手にタクミは愛想よく返事をした。

 

「いいよ」

「ありがと。いや、突然ごめんね。さっき君が『地方旅』を始めたばっかりって話してたのを聞いちゃってさ」

「それじゃあ君も?」

「ああ!俺はメイスイタウンのジャミル!よろしく」

「よろしく!僕は地球界のタクミ」

 

そう自己紹介すると、ジャミルは大きく目を見開いた。

 

「おぉお!君、地球界の人間なの!?初めて見たよ!!」

「えっ?そうなの?」

「ああ、俺の町って結構田舎でさ。ジムもないし地球界からやってくる人なんてほとんどいないんだよ」

「へぇ」

「でもさ、地球界もポケモン界も人間は全然変わらないんだな」

「そりゃね。だから、もしかしたら地球界の人とも会っても気づいてないだけなんじゃないの?」

「それはそうかも。なぁなぁ、地球界ってポケモンが一匹もいなかったって本当なのか?」

「うん、そうだよ」

「どっひゃー、マジかー……信じられないなー……あっ、でも野球とかサッカーとかはあったんだよな?」

「うん、それは僕も驚いた。まったく違う世界だったのに、流行りのスポーツは一緒で、ルールとかまでほとんど同じだったんだよね」

「そうそう」

「あっ、そうだ僕からも聞いていい?ポケモン界の学校って3種類しかないんだよね。初等学校と高等学校、それと大学」

「うん。10歳で『地方旅』に出るまで5年間の初等学校と、『旅』から帰ってきた後に入る同じく5年間の高等学校。でも、『旅』の後で学校に入るのは半分ぐらいだよ。旅の間に目標が見つかって働きだす人が多いからね」

「へぇ……でもまぁ、地球界でも学校は色々あるし、そんなものなのか」

 

お互いに知らない世界で育った者同士であり、出発したばかりの『地方旅』の仲間ということもあって、2人の話は随分と弾んだ。そして、話が終われば次にやることはトレーナー同士の暗黙の了解で決まっていた。

 

「そうだ、ここで会ったのも何かの縁だし。ポケモンバトルをやらない?」

「いいね。望むところだ」

 

タクミとジャミルは不敵な笑みを浮かべながら席を立つ。

タクミはリュックに地図を突っ込み、腕を回して肩の緊張を解いた。

 

「それで、ルールはどうする?」

 

タクミがそう聞くと、ジャミルがタクミに両手を合わせて小さく頭を下げた。

 

「そこんところなんだけどお願いがあるんだ!」

「なに?」

「俺、さっき2匹目の手持ちを加えたばっかりなんだ。だからさ、ダブルバトルってのをやってみたいんだ。いいか?」

「ダブルバトル!いいね!や……」

 

『やろう』と意気揚々と返事をしようとしたタクミの台詞が喉元で止まる。

 

「あぁ……ダブル……ダブルか……」

「ん?どうかしたのか?タクミにはキバゴとフシギダネがいるんじゃねぇの?」

「いや、うん、まぁ、そうなんだけど……」

 

タクミがキバゴとフシギダネに目線で尋ねる。

 

「キ、キバ……」

「ダネッ!」

 

どこか消極的に見えるキバゴと逆に戦意に溢れているフシギダネ。

いつもと正反対の光景に、タクミは苦笑いをした。

 

「あぁ、その、別に問題は無いんだけど……」

「ん?」

「今朝、キバゴとフシギダネが喧嘩しちゃって」

 

タクミはそう言ってバツが悪そうに笑う。

ジャミルもまた「それはお気の毒様だな」と、曖昧な笑顔を浮かべた。

 

「どうする?別に俺はダブルにこだわらないけど」

「いや、せっかくの申し出だし。受けるよ……キバゴが謝るきっかけになるかもしれないし」

「いいのか?負けても恨みっこなしだぞ」

「もちろん!」

 

タクミはキバゴとフシギダネを一度ボールの中に戻し、2人してポケモンセンター脇のバトルフィールドへと出ていった。昼をわずかに過ぎた頃合い。天気は良いが、ギャラリーはいない。それでも、タクミとジャミルにとってはバトルできるだけで最高であった。

 

「俺から行くぜ!!出てこい!ホルビー!ヤヤコマ!」

 

ジャミルが投げ上げたボールから2匹のポケモンが飛び出してくる。

 

「ホビッ!」

「ヤコヤコ!」

 

ホルビーとヤヤコマ。図鑑を開いてそのポケモン達を手早く確認し、タクミは乾き始めた唇を舌でなぞった。まだまだ『新人』のタクミ。何回やってもポケモンバトルには独特の緊張感が伴う。

 

「よし、行ってこい!キバゴ!フシギダネ!」

「キバッ!」

「ダネ……」

 

バトルとなって気持ちを切り替えたように見えるキバゴであるが、やはり横目にフシギダネの顔色を伺っている。

フシギダネもまたバトルの目つきにはなっていたが、不貞腐れているのがわかる。

こういう時はトレーナーがしっかりしないといけないというのはわかるが、正直に言えばこの2人の手綱を握り切る自信はあまりなかった。

 

やっぱりダブルバトルを受けたのは失敗だったかもしれない。

 

そんなことを思いつつも、バトルをやるからには常に勝利を目指すのが礼儀。

タクミは気合いを入れなおした。

バトルフィールドに備え付けられている審判AIが起動する。

 

「フィールドスキャン、フィールドスキャン、バトル承認、バトル承認!時間無制限!バトル開始!!」

 

ゴングの音ががなり、審判AIが旗をクロスさせる。

 

「ヤヤコマは空から、ホルビーは地面からだ!行け!!」

「ヤコッ!」

「ホビッ!」

 

バトル開始と同時にヤヤコマが空高く飛び立ち、ホルビーが自慢の耳をドリルのようにして地面へと潜り込んだ。

 

「……これは……」

 

いきなり的を散らされた。タクミは「なるほど」と呟く。ジャミルがダブルバトルを望んだ理由が分かった気がした。

 

「キバゴ!お前はホルビーを……って、キバゴ……なにしてるの?」

「キバキバ!!」

 

キバゴはなぜかフシギダネの背中に上り、頭上のヤヤコマを睨みつけている。

まるで『上は任せろ』とでも言っているつもりなのだろうが、生憎とフシギダネのこめかみの青筋は見えていないらしい。

 

「ダネダ!!」

 

スパンと音がしてキバゴが“ツルのムチ”で叩き落とされる。

 

「キバ……」

「ダネダ!!」

「……キバゴ、フシギダネ……2人とも……」

 

いきなり仲間割れ一歩手前のようなキバゴとフシギダネ。ガックリと肩を落とすタクミ。

それを見たジャミルは指示を出していいのかどうか悩んだまま、気まずい顔をしていた。

 

「えと……続けていい?」

 

気が付けばヤヤコマも低い位置に降りてきてホバリングしている。

ホルビーも地面に開けた穴から顔をのぞかせて、心配するように目を細めていた。

 

ジャミル達の優しさが今は辛かった。

 

「いいよ、続けよう」

「よ、よっし。ホルビー!“あなをほる”!ヤヤコマ!上をとれ!」

 

ジャミルの指示に従い、ホルビーは再び地面の中に、ヤヤコマは上空へと飛び上がった。

 

「キバゴ!フシギダネ!今は今朝のことは忘れるんだ!いいな!!」

「キバッ!」

「ダネ」

 

だが、ホルビーは地面の下で、ヤヤコマは空の上。こうなってしまっては、遠距離攻撃の無いタクミのポケモンは直接攻撃する術がない。ならば、狙うのはカウンターただ1つ。

キバゴはフシギダネの左後ろに回り込み、フシギダネの死角をカバーする。

 

「そこだ!ホルビー!飛び出せ!」

「ホビッ!!」

 

突如、キバゴとフシギダネの横の地面が盛り上がり、中からホルビーが飛び出した。

耳をドリルのように回転させて突っ込むホルビー。狙いはフシギダネだ。

 

「キバゴ!カバーだ!」

「キバッ」

 

キバゴがフシギダネをホルビーから守れる位置へと身体を挟み込む。

防御態勢をとるキバゴ。キバゴの耐久力ならホルビーの攻撃を受け止めて反撃できる。だが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「させるな!ヤヤコマ!“でんこうせっか”」

 

太陽を背にしていたヤヤコマが上空から弾丸のような勢いで突っ込んでくる。

 

「フシギダネ!“ツルのムチ”で受けろ!」

 

フシギダネが“ツルのムチ”を伸ばす。だが、ヤヤコマはその隙間をすり抜け、キバゴの脇腹へと嘴を突き立てた。

 

「キバッ!」

 

横からの不意打ちにキバゴの姿勢が揺らぐ。そのせいでキバゴの守りに僅かに間隙が産まれる。その守備の揺らぎ目掛けて、ホルビーが一気に駆け抜けた。

 

「ダネッ!」

 

ホルビーの攻撃を受けたフシギダネの身体が衝撃で傾いたかのように見えた。だが、フシギダネは伸ばしていた“ツルのムチ”でホルビーのドリルの切っ先を逸らし、最小限のダメージで切り抜けていた。

 

どうやら、最初からキバゴの防御など信用していなかったようであった。

 

タクミは頭を抱えたい気持ちを飲み込んだ。

 

「キバゴ!大丈夫か!?」

「キバキバッ!」

 

ヤヤコマの攻撃を受けてひっくり返っていたキバゴが飛び起きる。

その両腕には既に“ダブルチョップ”を纏っていた。

キバゴはヤヤコマの攻撃を受けた時に自分の判断でワザを使って反撃していたのだ。

 

タクミの指示なく最適な行動をしてくれるキバゴに感謝であるが、どうしても今日はキバゴを誉める気にならないタクミであった。

 

最初の攻防が終わり、ヤヤコマはすぐさま空へと逃げて太陽の中に身を隠す。

ホルビーもまた、地面に穴を空けて地中へと戻っていった。

 

「思った以上に厄介だな」

 

空と地面の同時攻撃。しかも、視界の外からの攻撃にタクミの顔が渋くなる。

ポケモン達の連携が生きてこそのダブルバトル。ジャミルは『地方旅』に出たばかりだと言っていたが、既にこの一度のやり取りだけでホルビーとヤヤコマが連携の練習を重ねていることが伺えた。

 

ポケモンに慣れているからこそ、ポケモンへの指示も素早く、バトルの組み立ても上手い。

こういう細かいところでポケモン界と地球界の人間には差が出る。

1つ1つは小さな差に過ぎないかもしれないが、バトルという場ではそれが如実に現れる。

 

だが、だからといって地球界のトレーナーだって何もできないわけではない。

 

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”だ!」

「ダネ?」

 

フシギダネが怪訝な表情でタクミを振り返る。

今のフシギダネのバトルでは“やどりぎのタネ”による戦術は主に2つだ。フックショット移動の起点にするか、罠として地面に埋め込むかだ。

 

だが、相手は空を飛んでいるヤヤコマとバトルフィールドのどこから飛び出てくるかわからないホルビーだ。今回ばかりはフシギダネで起動戦を仕掛けても利は薄い。罠としてばらまいたところで、引っ掻かかってくれるはずもない。

 

だから、タクミが想定していたのはもう少し別の使い方だった。

 

「フシギダネ!」

 

タクミは掌を地面に向け。左右に手首を数度振ってみせた。

ジェスチャーによる意思伝達であったが、フシギダネはまたもや小首を傾げる。

タクミの意図が伝わらなかったらしい。

 

「フシギダネ。だから……」

 

作戦の内容を口にするのは少々憚られたが、この際そうも言ってられない。

 

だが、タクミが喋ろうとしたその瞬間だった。

 

キバゴが素早くフシギダネに耳打ちをした。

 

「キバキバキバキバキバ……」

「ダネ?ダネダ!」

 

フシギダネは何かを察したかのように“やどりぎのタネ”を周囲に打ち込んでいく。

一見すると手あたり次第にタネをばらまいているようにしか見えず、ジャミルはニヤリとほくそ笑んだ。

 

「当てずっぽうか?それじゃあヤヤコマにもホルビーにも当たらないぜ」

 

構わなかった。タクミの目的は別にある。

キバゴがこちらの意図をくみ取ってフシギダネに伝えてくれたか否かは定かではなかったが、タクミにはなぜか確信があった。

 

「フシギダネ!ホルビーに集中!キバゴ!フシギダネの上でヤヤコマを警戒だ!」

「キバッ!」

「ダネッ!」

 

キバゴがフシギダネの上に乗る。先程とは違って、フシギダネもキバゴを払い落したりはしなかった。

 

「へぇ……」

 

ジャミルはそれを見て、嬉しそうに唇の端を持ちあげる。

 

「ちゃんとタクミの指示なら聞くんじゃん」

 

バトルの前は自信なさそうにしてたタクミ。だが、一度バトルになるとポケモン達はちゃんとタクミの指示を聞く。ジャミルはタクミがちゃんとトレーナーしているのを見れたのが自分のことのように嬉しかった。

 

「だけど、だからこそ、手加減はしないぞ!ホルビー!もう一度“あなをほる”」

 

ジャミルの指示に地中でホルビーが狙いを定める気配が伝わってくる。

空を見上げればヤヤコマが既に臨戦態勢だ。

 

「……さぁ……どうなるかな……」

 

問題は自分の戦術が上手くいくかどうか。

 

「ダネ……」

 

フシギダネもホルビーが飛び出した瞬間を狙おうと、気を張り巡らせる。

ヤヤコマの監視はキバゴに一任する。キバゴならタクミが指示を出さなくても、迎撃してくれる。

 

地響きの音に耳をすませ、フシギダネと呼吸を計る。

そして、フシギダネの右側の土が盛り上がった。

 

「フシギダネ!右だ!!」

「遅いぞ!ホルビー!突っ込め!」

 

先程と同じように耳をドリルのようにして、飛び出してきたホルビー。

完全にフシギダネの死角を狙った攻撃。まともにくらえば一撃もあり得る速度だった。

 

だが、そこで計算違いが起きた。

 

ホルビーのスピードが地面を突き破った瞬間に急激に減速したのだ。

 

「ホビッ!?」

「えっ!?なんだ!?ツタ!?」

 

ホルビーの身体に無数の木の根が絡みついていていた。それは網のようにホルビーを捕らえ、地面に縫い付けるかのようにしてホルビーの動きを封じた。

 

それはタクミが撃ち込ませた“やどりぎのタネ”だ。

 

フシギダネはタネを地面の表層ギリギリの場所に網のように成長させていたのだ。ホルビーが地面の下から飛び出してきた瞬間を絡めとる罠だ。

タクミの指示を完璧に把握してくれたキバゴに感謝をしつつ、タクミは指示を飛ばす。

 

「フシギダネ!!“ツルのムチ”」

「まずい!ヤヤコマ!フォローしてくれ!」

 

ヤヤコマがホルビーに絡みついた根を外そうと突進してくる。

 

「フシギダネ!ヤヤコマが先だ!キバゴを打ち上げろ!」

 

キバゴがフシギダネの上から軽くジャンプし、フシギダネの“ツルのムチ”の上に乗った。

 

「キバッ!」

 

“ツルのムチ”をジャンプ台のように扱うつもりのキバゴ。

キバゴは足に力を込め、“ダブルチョップ”にエネルギーを集中させる。

そして、思いきり飛ぼうとした。

 

「キバァッ!……キバ?」

 

なぜかキバゴは飛べなかった。

キバゴはフシギダネに足を掴まれて、空中で逆さづりになっていた。

 

「キバ?」

 

キバゴとフシギダネの目が合う。

フシギダネは斜目でキバゴを睨み“ツルのムチ”でキバゴの足を掴んでぶら下げる。

 

「ダネ……」

 

そして、フシギダネは投げ縄のように“ツルのムチ”をぶん回しだした。

 

「ダ~~ネネネネネネネネネネ!!!」

「キババァァアアアアアアアア!」

 

そして、フシギダネは遠心力が最大なった瞬間にキバゴを投げた。

 

「ダネッ!!!!!」

「キバァァァアアア!」

 

今朝の仕返しなのだろうが、少しやりすぎな気もするタクミであった。

だが、フシギダネの狙いは完璧だった。目を回しながらもキバゴは空中でなんとか姿勢を整え、ヤヤコマへと攻撃を叩きつけた。フシギダネの投擲にキバゴの攻撃力を乗せた攻撃だ。クリーンヒットした一撃はヤヤコマをフィールド外まで吹き飛ばした。

 

「キバぁ……」

「ヤコぉ……」

 

目を回しながらもフラフラと立つキバゴと、フィールドの外で動かなくなったヤヤコマ。

 

「ヤヤコマ、戦闘不能!」

 

審判AIの声を聞きながら、タクミは改めてフシギダネに指示を飛ばす。

 

「フシギダネ!ホルビーにトドめだ!“ツルのムチ”」

「ダネダ!!」

 

既に“やどりぎのタネ”でかなり体力を奪われていたホルビーはフシギダネの一撃で昏倒した。

 

「ホルビー、戦闘不能!よって勝者、キバゴ&フシギダネ!」

「よっし!!だけど……まぁ……ほんとにお前らは」

「ダネ」

「キババァ……」

 

喜ぶタクミ、少しは留飲が下がったフシギダネ、そして軽傷のはずなのに疲れ果てているキバゴ。

『地方旅』に出て最初のバトルは勝利に終わった。だが、なんとなく釈然としないタクミであった。

 

バトルを終え、握手を交わしたタクミとジャミルは再びロビーに戻ってきていた。

 

「いやぁ、タクミすげぇのな。“やどりぎのタネ”をあんなふうに使うポケモンなんて見たことないぜ」

「ありがと。でも、キバゴがしっかり僕のジェスチャーをくみ取ってくれてよかったよ」

「あの掌ヒラヒラか?あれが“やどりぎのタネ”の指示だったのか、わかんなかったなぁ。いやぁ、なんていうか『負けた』っていうより『ぶったまげた』って感じだ」

「そう言ってくれると嬉しいけど……最後のあれはね」

「ぶん投げてたな」

「ぶん投げてた」

 

タクミは自分の隣にフシギダネをおろした。

ソファの上で悠々と横になったフシギダネ。そのソファの下ではキバゴが困り顔でフシギダネを見上げていた。

 

「気になってたんだけど、どうして喧嘩になったんだ?」

「えーと、それは……」

 

タクミはジャミルに今朝の経緯をかいつまんで説明した。

 

「なるほどな、それじゃあ、ほい、これ」

「あ、オボンの実。いいの?」

「ああ。良いバトルさせてもらったからな。キバゴ」

 

そう言ってジャミルはキバゴにオボンの実を手渡した。

 

「ほれ、これで仲直りするんだぞ」

「キバ」

 

両手でオボンの実を受けてとったキバゴ。

その時、キバゴのお腹がぐぅ~と音を立てた。

 

「…………」

「…………」

 

タクミとジャミルが無言でキバゴを見下ろした。

 

『まさか自分で食わないよな?』

 

2人の目は不信感に染め上げられていた。

 

「キバキバ!」

 

さすがに心外だったのだろう。キバゴは抗議するように手をブンブンと振り回した。

そしてキバゴはオボンの実を大事そうに抱え、それをフシギダネの方へと持って行く。

キバゴはソファの上によじ登り、フシギダネの隣に座り込み。深々と頭を下げ、キバゴはオボンの実をフシギダネに差し出した。

 

「キバァ……」

「…………」

 

しっかりと反省の姿勢を見せるキバゴ。

だが、先程からキバゴの腹の虫は収まっていない。

 

「ダネ………」

 

フシギダネは溜息をつきながら、“ツルのムチ”でオボンの実を受け取った。

 

「ダネダ、ダネダネ!!」

 

そして、オボンの実をジャグリングしながら、フシギダネは厳しい声音でキバゴに問いかける。

それをキバゴは慌てて何度も頷いた。

 

「キバッ!キバッ!」

「ダネ」

 

そんなキバゴにフシギダネも矛先を収めたのか、フシギダネはオボンの実を二つに割ってその半分をキバゴに差し出した。

 

「キバ?」

「ダネ」

「キバァ!」

 

フシギダネは顔を背けながらオボンの実の半分を自分で頬張る。

キバゴも嬉しそうにオボンを受け取り、嬉しそうに頬張る。

 

それを見て、タクミとジャミルはホッと息を吐きだした。

 

「これで一件落着だな。タクミ」

「ありがとジャミル」

「礼なんかいいって。その代わり、次会った時もバトルしてくれよ」

「うん」

 

タクミとジャミルはそう言って笑い合う。

 

「それにしても、タクミって強いな。地球界のトレーナーなのに」

「え?」

「あっ、わりぃ、その、他意はないんだ、でも、なんていうかその……」

「わかるよ。地球界のトレーナーで活躍してる人ってほとんどいないもんね」

 

地球界出身のトレーナーがチャンピオンになった例はなく、四天王にすら届いた人はいない。

ジムリーダーなら何人かいるが、どれも活躍しているとの話は聞かない。

それだけ地球界とポケモン界のトレーナーのレベルが違うのだ。そのことで優越感をもって馬鹿にしてくる人間もいるし、挑発してくる人もいる。タクミはポケモン界を行き来することの多い父親からそんな話を聞かされていた。

 

「タクミはやっぱリーグを目指してるの?」

「うん、目指すはポケモンリーグ本戦出場!」

「すげぇな。でも、地球界出身の新人トレーナーでリーグ本戦に出れるのって、毎年1人いるかいないかだぞ」

「へへっ、今年は3人ぐらい入るかもよ」

「ほう、なかなか言うじゃん。応援してるぜ」

「ありがと。ジャミルはリーグは目指してはないの?」

「まぁな。俺は、この旅でカロス中にあるカフェを巡りたいんだ」

「カフェ?」

「そっ、俺は将来自分のカフェを開くことが夢なんだ。その為にカロスのあちこちを巡って最高に美味しい紅茶とそれに合うメニューを探す。俺はそのためにホルビーと旅に出ることにしたんだ」

「へぇ……」

 

誰しもが最強を目指して旅をするわけではない。だが、歩く先には必ず夢がある。

ポケモン界の人達にとって10歳の『地方旅』は自分の人生と向き合い、目標を決めるための大事な時間なのだろう。旅行気分がどうしても抜けない地球界のトレーナーとはその点が大きく違う。

地球界の新人トレーナーが結果を残せないのも、やはりそう言った心構えの問題もあるのかもしれなかった。

 

「それじゃあ、この後はミアレシティに行くの?」

「おう!もちろんだ!あそこはカフェの町だからな、巡って巡って巡りまくるぜ!!タクミはこのままハクダンシティ?」

「うん、人生最初のジムへの挑戦だ」

「そっか。じゃあ、明日の朝にはお別れだな」

「うん。でも、ジャミルに会えてよかったよ」

「俺もだ。すげぇ刺激になった。そうだ!俺の育った街で作った紅茶を持ってんだ。飲んでくれねぇか?」

「よろこんで!」

 

旅とは出会いと別れの繰り返し。

ほんの半日の間にも、交流があり、友情が産まれる。

そんな日々を積み重ねることもまた『地方旅』の醍醐味だ。

 

タクミの旅はまだまだ始まったばかり。



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ジム戦という厚い壁

4番道路を無事に抜けたタクミはハクダンシティへと足を踏み入れていた。

 

ハクダンシティはカロス地方の平均的な主要都市の1つだ。ミアレシティには及ばないが、4番道路で立ち寄った町よりかは遥かに大きい。そんなハクダンシティの町を歩くタクミの足元にはキバゴがトテトテと歩いており、ひっきりなしに周囲を見渡していた。普段はモンスターボールに入っているキバゴだがどうやら今日はタクミと一緒に歩きたい気分だったらしい。

 

そんなキバゴがタクミのズボンを引っ張った。

 

「キバ!キバキバ!」

「どうしたの?」

 

キバゴは何かに興味津々な様子でタクミを引っ張ろうとしていく。その様子は遊園地を目前にした幼稚園児のようでタクミは嫌な予感を覚えた。タクミはキバゴが引っ張っていこうとしている方向に目を向ける。

 

その途端、タクミは目を細めてすぐさま足を別方向へと向けた。

 

「そっちには行かないよ。それは後」

「キバキバ〜」

 

さすがのキバゴでもタクミを引きずる程のパワーはない。それでも諦めずにタクミのズボンの裾を引っ張るキバゴ。キバゴが行こうとしていたのはハクダンシティの街中に作られた大きな公園であった。花壇の迷路や巨大ジャングルジム、ローラースケートで遊べるサーキットなどがあり、キバゴが遊ぼうとしているのは明白だった。

 

「どんなにゴネてもダメ!ハクダンシティに着いたからにはまずはジム戦が先!終わったら遊んでいいから」

「キバ?」

 

『ホント?』と言いたげなキバゴの瞳。きゅるるん、と効果音が出そうなほどに涙を溜めた“つぶらなひとみ”にタクミは溜息を吐いた。初対面の相手ならほだされるかもしれないが、タクミはそれが演技であることを見抜いていた。映画のキメポーズを日頃から意識しているキバゴ。最近、意図的な表情を作ることにも上達してきている。

一体何を目指しているのか。

 

だが、ここでムチばかり叩きつけても仕方がない。

 

「わかった。約束する。ジム戦で勝てたら遊びに行こう」

「キバァ!」

 

諸手を上げて喜んだキバゴはすぐさまタクミ肩の上に這い上がった。

 

「キバッ!!」

 

自分と視線を合わせてきたキバゴとタッチを交わし、タクミはあらかじめ調べていたジムの方へと歩いていった。

 

なんの変哲もないハクダンシティの町並み。店先で買い物をする親子、ポケモンセンターの前で雑談しているトレーナー、塾帰りの子供達。どこにでもある普通の光景だ。

だが、これから初めてのジム戦に挑むと思うとその町並みもどこか自分を導くゲートのように見えてくる。

一歩、また一歩と歩いていくたびにタクミの心臓の鼓動が徐々に大きくなっていった。

 

不安は当然ある。まだ見ぬ強敵に挑むという期待感もある。

だが、それ以上にタクミの胸を満たしていたのははちきれんばかりの緊張感だった。

 

何もせずとも喉が渇いていき、指先が小刻みに武者震いを起こしていた。

 

ジム戦とはポケモンリーグが公認する歴とした公式戦なのだ。

正式な記録として残り、戦績としてタクミの経歴に刻まれる。

 

全ての始まりとなる第一戦目。

 

緊張するなという方が無理であった。

 

徐々に目が据わっていくタクミ。

そのタクミの横顔を見つめるキバゴ。

 

キバゴは少し難しい表情をしながら、自分の小さな掌を見下ろした。

そして、不意にキバゴがその手をタクミの頬にはたきつけた。

 

「いてっ!キバゴ!なにすん……」

 

文句を言おうとしたタクミはキバゴの顔を見て、口を閉ざした。

キバゴは腕を曲げ、力拳を見せつけるようなポーズをしながら、ニヤリと笑っていたのだ。

 

『俺に任せろ』

 

そんなことを言いだしそうなキバゴ。

タクミは笑い声に乗せて肺の中の息を吐きだした。

 

「キバッ!」

「ああ、大丈夫!やってやろうじゃん!!」

「キバァアア!」

 

気合は十分、固さは抜けた。

後は全力でぶつかるだけだった。

 

そして、タクミは博物館のようにも見えるシックな建物の前で足を止めた。

脇の看板には小さく『写真館』と書かれているが、その下にはポケモンリーグ公式印が押されており、間違いなくここがハクダンジムであった。

 

「いくぞ、キバゴ!」

「キバッ!!」

 

タクミは正面の自動ドアを開ける。

 

「ジム戦!お願いします!!」

 

開口一番にそう言うと、入り口のすぐそばにいた職員の人がニコリと笑った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

町の外に出て自然の風景とポケモンの写真を撮りに来ていたハクダンジムのジムリーダー、ビオラ。活動的な7分丈のカーゴパンツとタンクトップに身を包み、カールさせたショートカットの金髪が森の中を吹く風になびいていた。彼女は今日の写真の成果に満足気な笑みを浮かべながら、少し休憩を入れいていたところであった。

今日はジム戦の予約もなかったこともあり、久しぶりにフィールドに出て趣味であり副業でもある写真に専念していたのだ。

 

スポーツドリンクを口に含み、タオルで汗をぬぐっていたビオラ。

ふと、その時ホロキャスターから呼び出し音がなった。

 

「あれ?ジムからだ。もしもし?」

「ビオラさん、休みの時にすみません……実は……」

 

電話口の向こう側でビオラに事情を説明する職員。

 

写真館となっているハクダンジムの廊下でベンチに腰かけて顔を真っ赤にしているタクミがいた。そんなタクミの肩をキバゴがなぐさめるようにポンポンと叩き、フシギダネが頭をよしよしと“ツルのムチ”で撫でていた。

 

ジム戦というのは突然やってきて「はい、やろう」ではできない。

 

あらかじめ電話して、日取りを決め、所持していジムバッチの個数などを事前に伝えておかなければならないのだ。ジムリーダーにも都合があり、準備が必要なのだから、それも当然であった。タクミはそのことを当然知っていた。何度もポケモンリーグの概要を読み込んできたのだ。だが、ジム戦初戦というのもあり、完全に舞い上がってしまい、そのことを完全に失念していたのだ。

 

気持ちだけが早まり、突っ走ってしまった初心者トレーナーによくあることであった。

 

その結果、タクミは恥ずかしさに打ち震えながら、相棒ポケモン達に慰められるという事態に陥っている。

ちなみにフシギダネが外に出ているのはキバゴが『自分だけでは足りないだろう』と言わんばかりに勝手に呼び出した。

 

そのことを聞いたビオラは苦笑しながら「わかった、バッジは0個の新人トレーナーなのね。だったら対応できる。今から戻るね」と告げ、電話を切った。

 

ビオラはその場で大きく伸びをして、楽しそうに笑う。

 

「もうそんな時期になったか」

 

新人トレーナー達がやってくる。

それはある意味、ポケモンリーグの始まりの合図でもあった。

 

「さぁ、今年はどんな写真が撮れるかな」

 

ポケモンリーグを目指すトレーナーとポケモン。

最高の被写体のテーマを前にビオラは胸が高鳴るのを感じていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハクダンジムの中央。黄土色の土を敷き詰めたクレイバトルコートを中心に植物園のように色とりどりの木々が立ち並ぶバトルフィールド。天井の窓からは温かな光が差し込み、植物たちに太陽を届けていた。

そんな植物達の合間を【むしタイプ】のポケモン達が悠々と過ごしていた。

 

そんなバトルフィールドの観客席でタクミは時々溜息を吐きながらちょこんと座っていた。

 

「タクミ君だったっけ?ジュースでも飲みます?」

「いえ……いいです……」

「ははは、遠慮しないで。オレンジュースでいい?」

「はい……」

 

恥ずかしさに打ち震える今は職員さんの優しさが染みわたる。

そこから数メートル距離を開けた場所でキバゴとフシギダネが「やれやれ」と苦笑いをしていた。

 

差し出されたオレンジュースをチビチビとすすっていると、しばらくしてバトルフィールドの反対側の自動ドアが開いた。タクミは一目見て彼女がハクダンジムリーダーのビオラであるとわかった。

 

「遅くなってごめんね。えーと、君がタクミ君でいいのかな?」

 

タクミはピシリと立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい!予約もせずに突然来てしまって……えと、その、ごめんなさい!」

「ははは、いいのいいの。毎年のことだから」

「え?」

「毎年いるんだよ。君みたいなそそっかしい新人トレーナーがね。ジム戦、初めてなんでしょ?」

「は、はい!!」

 

タクミはバネ仕掛けの人形のように直立の姿勢になった。

ガチガチに固まった新人トレーナー。その初々しさにビオラは胸の内で笑いをこらえていた。

それは決して馬鹿にしているわけではなく、むしろ微笑ましいものとしてとらえていた。

 

だが、ジムリーダーという体面の為にビオラは不敵な表情を保つ。

 

「さて、それじゃあ。ジム戦を始めましょうか!」

「はいっ!よろしくお願いします!!」

 

竹を割りかねないような音量で返事をし、タクミは観客席から走り出した。

その途中でキバゴに手を伸ばし、フシギダネが伸ばした“ツルのムチ”を引っ掴む。キバゴは素早く肩に乗って身体を安定させ、フシギダネは背中に飛び乗って“ツルのムチ”でしがみつく。

タクミは2匹のポケモンを抱えたまま、バトルフィールドへと飛び降りた。

 

「へぇ……」

 

ポケモン達の身のこなしを見て、ビオラは気を引き締める。

今の一連の動きを見て、タクミがポケモンとの信頼関係をキッチリと築けていることに感心していたのだ。

 

新人トレーナーが陥りがちなことに、最初にいきなりポケモンを6匹手持ちに加えてしまうということがある。

 

ポケモンは生き物だ。自我がちゃんとあり、その日の体調や気分があり、好き嫌いもある。その1つ1つをしっかりと管理することは初心者には難しい。結果、6匹のポケモンにトレーナーの目が行き届かず、管理が中途半端になることが多いのだ。

そのことから最初は手持ちポケモンは3匹程度に絞った方がいいというのが一般的な通説だった。もちろん、個人差はあるし、逆にいきなり6匹から始めることで管理が上手になるという説もある。

 

一概には言えないのだが、新人トレーナーの相手をすることも多いビオラからすれば、手持ちを絞っているトレーナーの方が手強いという経験則があった。

 

「シャッターチャンスがありそうな相手ね」

 

それはビオラにとっては上級の誉め言葉であった。

 

相手のジムバッジ所持は0個。

 

その相手にふさわしいポケモンのモンスターボールを撫でるビオラ。

ビオラはタクミがバトルフィールドの内側に立ったのを確認し、審判役に付いてもらっている職員に目配せをした。

審判は頷き、ジム戦前の口上を述べ上げた。

 

「これより、チャレンジャータクミ対ジムリーダービオラのハクダンジム、ジム戦を始めます。使用ポケモンは2体。どちらかのポケモンが全て戦闘不能になった時点でバトル終了になります。ポケモンの交代はチャレンジャーのみ認められます」

 

ジム戦の決まり文句。

 

それを聞きながら、タクミは自分の感情がスッと落ち着いていくのを感じていた。

恥をかいて、間を開けたことで余計な緊張が抜けたのかもしれなかった。

 

「よしっ!」

 

気合いを込めるタクミを前にビオラはモンスターボールを手にした。

 

「いい表情ね。チャレンジャーはそうじゃなくっちゃ!さあ、行くわよ!アメタマ!!」

 

ビオラがフィールドにモンスターボールを投げ込む。

現れたのは【みず】と【むし】の2つのタイプを併せ持つアメタマだった。地球界のアメンボのような姿のポケモンであり、その両足で水面を滑るように動くとされている。だが、今のアメタマは土の地面の上でも滑らかに動いていた。図鑑の中だけではわからないことにいきなり出くわし、タクミは唇を舐める。

やはり、ジム戦。強敵には間違いなかった。

 

タクミは足元にいるフシギダネに呼びかけた。

 

「ここが【むしタイプ】のジムだから少し不安だったけど……相手は悪くない、頼むよ、フシギダネ!!」

「ダネ!」

 

フシギダネは頷き、後ろ脚を引きずりながらバトルフィールド中央へと歩いて行く。

その歩き方の不自然さにビオラに眉が跳ねる。

 

「あら?そのフシギダネ、怪我してるんじゃないの?」

「ええ、そうですよ。でも、気にしないでください!」

「ダネダ!!」

 

声を張り上げるフシギダネ。そのフシギダネの足の付け根に古い傷跡を見つけ、ビオラは「なるほど」と心の中で呟く。

 

足が悪い相手。そこを攻めるのはアンフェアという人もいるかもしれないけど、ポケモンバトルである以上相手の弱点を狙わないのは逆に失礼だ。それに、タクミとフシギダネの表情を見るからにそのことは百も承知という顔をしている。

 

だったら、ビオラはジムリーダーとして自分の全てをもって立ちふさがるだけだった。

 

ビオラは再び審判に目配せをし、頷いた。

 

「それでは!試合はじめ!!」

 

審判が手を振り上げる。

 

「フシギダネ!!“ツルのムチ”!」

「ダネッ!!」

 

素早く伸びた“ツルのムチ”。フシギダネがワザを出すまでの時間が今まで以上に短くなっていた。

アメタマを捕らえようと伸びる“ムチ”。だが、当然そのまま掴まるわけがない。

 

「アメタマ!かわして!!」

「アメッ!!」

 

アメタマは短いサイドステップを二度行って勢いをつけ、地面の上を一気に滑り出した。

 

「逃がすな!追うんだ!!」

「ダネダッ!!」

 

フシギダネの“ツルのムチ”が変幻自在に伸びる。

回り込み、打ち下ろし、薙ぎ払う。だが、その攻撃の全てをアメタマは回避してみせた。

 

「いい攻撃だけど、起点が1つなら回避は簡単よ!!アメタマ!“シグナルビーム”!」

「フシギダネ!飛べ!!」

 

アメタマの頭の突起から打ち出された“シグナルビーム”

フシギダネは“ツルのムチ”で大ジャンプをして、回避してみせた。

そして、それはただ攻撃を避けただけに留まらない。

 

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”だ!」

「ダネ!」

 

フィールドを俯瞰できる位置に飛んだフシギダネ。これは“やどりぎのタネ”を的確に配置する為の大ジャンプでもあった。打ち込んだ“タネ”が成長して木になればそこを“ツルのムチ”によるフックショットの起点にすることができる。“ムチ”で動き回る戦術の為にもこの位置取りを取ることは重要だった。

フシギダネの“タネ”がフィールドのあらゆるところに埋め込まれる。“タネ”は埋め込まれた瞬間にすぐに成長を始めて背の低い木へと至る。だが、打ち込んだ“タネ”の一部は成長せずに地面に潜んだままであった。

 

ビオラはその2種類の“タネ”があることに気づいた。

そしてすぐさまその意図を悟り、ビオラはすぐさまアメタマに指示を飛ばした。

 

「アメタマ!止まって!!」

「アメッ!」

 

フィギアスケーターのように一回転して勢いを殺して止まるアメタマ。

既に成長をはじめている“タネ”は目くらまし、真の狙いは動き回るアメタマに罠の“タネ”を踏ませて絡めとることだろう。

 

だが、狙いがわかっているのなら対処方はある。

 

「アメタマ!フィールドに“れいとうビーム”」

「っ!!まずい!!」

 

タクミの背に鳥肌が立った。

だが、もう遅い。

 

「アメッ!!」

 

アメタマの背の突起から放たれた“れいとうビーム”。フィールドを覆うネットのように伸びた“ビーム”は瞬時に土のフィールドを氷のフィールドに変えてしまった。

 

「ダッ、ダネッ!」

 

着地したフシギダネの足が滑る。

だが、それ以上にまずいことになっていた。

フィールドが氷に覆われては、“タネ”が育つことができない。この際、氷の厚さや重さは問題ではない。“タネ”が育つための最低限の温度が足りないのだ。

既に成長しきった“タネ”は氷などに負けはしなかったが、罠として埋め込んだ“タネ”はもう使えない。

『手』を1つ封じられたのは間違いなかった。

 

「アメタマ!!畳みかけるわよ!フシギダネの左側から回り込んで!!」

「アメッ!」

「それは読んでる、フシギダネ!薙ぎ払え!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネの左足が悪いのだからそちらを攻めてくることは予想がついていた。

フシギダネは“ツルのムチ”を伸ばし、自分の左側を薙ぎ払った。

 

“ツルのムチ”がアメタマに直撃する。

 

「アメッ!!!」

「アメタマ!大丈夫!?」

「アメッ!」

 

飛ばされたアメタマであるが、ダメージは軽そうだった。

相性的には威力はトントンだ。でも、氷の上ではフシギダネの踏ん張りがきかずにワザの威力が出ない。逆にアメタマは土の上よりも滑りが利き、衝撃を受け流しやすくなっている。

アメタマは素早く体勢を立て直し、攻撃準備を整えた。

 

「アメタマ!“シグナルビーム”!」

 

完全に直撃コースのビーム。これを真正面からは受けてはならない。

だが、今のフシギダネに左右への回避は無理だ。そもそも足が悪いうえに氷上では更に動きが取れない。

だったら残された選択肢は上しかない。

 

「フシギダネ!もう一度飛べ!!」

「ダネッ」

 

再び“ツルのムチ”で大ジャンプをするフシギダネ。

 

「そう、あなたは上に逃げるしかない」

 

ビオラがそう呟く。

翼を持たないポケモンが何の支えもない空中に飛び出すというのは身動きを封じられるのと同じことだ。

 

「アメタマ!“ネバネバネット”」

「アメッ!!」

 

アメタマの突起から蜘蛛の巣のような粘着性のある弾丸が放たれた。

 

「フシギダネ!“ツルのムチ”で防げ!!」

「ダネッ!」

 

数十発程放たれた“ネバネバネット”が壁や天井に張り付き、蜘蛛の巣のようなネットを形作る。

フシギダネは自分に向かってきたネットを“ツルのムチ”でなんとか撃ち落とした。だが、ネットが“ムチ”に絡みつき、動きが鈍くなっていく。

 

このままではマズい。なんとか“ムチ”が動けるうちに勝負を決めなければならない。

 

「フシギダネ!“タネ”を掴め!!一気に地上に降りろ!!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネは“ムチ”を一気に伸ばし、地上の“タネ”を掴む。そして、フシギダネは左右に攻撃を回避しながらアメタマに迫った。“ネバネバネット”を放つために足を止めていたアメタマにフシギダネが強烈な“たいあたり”を見舞った。

 

「アメッ」

 

仰け反り、回転しながら滑っていくアメタマ。

ダメージは与えたが、この状況が有利になったとは思えなかった。

フシギダネの真骨頂は自分に有利なフィールドを形作る盤面制圧力だ。だが、そのフィールドの主導権が完全に相手に奪われている。とにかくこれを奪回する手を考えなければならない。

 

「なにか、なにか方法は……」

 

タクミは必死に頭を回す。しかし、その時間を与えてくれる程ポケモンバトルは悠長なものではない。

 

「アメタマ!反撃よ!“シグナルビーム”!」

「フシギダネ!もう一度ジャンプを!」

「ダネッ」

「遅い!!」

 

いつもなら間に合うタイミングであったが、“ツルのムチ”は“ネバネバネット”を受けて、重く、鈍くなっている。それでは間に合わない。フシギダネは“シグナルビーム”の直撃を受けた。

 

「ダネェッ!」

 

吹き飛ばされ、フィールドの外まで弾き出されるフシギダネ。

フシギダネは仰向けに寝転がり、そのまま目を回してしまった。

 

「フシギダネ!戦闘不能!アメタマの勝ち!!」

 

審判が宣言し、フシギダネの負けが決まった。

 

「……ありがと、フシギダネ。ゆっくり休んでくれ」

 

タクミはフシギダネをボールに戻す。

 

次のポケモン。

 

頼れるのは一匹しかいない。

 

「キバゴ、頼んだぞ」

「キバッ」

 

キバゴは氷の上に恐る恐るといった感じで足を乗せた。地球界で育ったキバゴ。神奈川では時折雪が降ることがあっても積もるのは稀だ。アイススケートに連れて行ったこともないので、凍った地面など経験したことはない。

それでもキバゴはバランスを保ちながら、氷の上に立った。

 

「キバゴ!行けるか!?」

「キバッ!!」

 

親指を立てるキバゴ。今はそれが強がりじゃないことを祈るばかりだった。

 

「試合開始!」

 

旗が振りあげられ、タクミの指示が飛ぶ。

 

「キバゴ!!まだフシギダネの“タネ”が生きてる!!飛び乗れ!!」

「キバッ!」

 

キバゴは両手も使って氷を滑り、成長して背の低い木に育った“タネ”によじ登った。

 

「キバゴ!“タネ”を渡って近づけ!!」

「キバッ!!」

 

キバゴは忍者のように木々の間を飛び、一気にアメタマまで接近した。

 

「アメタマ!かわして!」

「アメッ!」

「逃がすな!キバゴ!右の枝だ!!」

「キバッ!」

 

アメタマはフィールドを縦横無尽に飛び回る。だが、キバゴもタクミの的確な指示によりアメタマの先へ先へと移動していく。アメタマはキバゴを完全に引き離すことができない。それだけ、タクミの指示が正確なのと、フシギダネの“タネ”の配置がよかったのだ。

 

「やるわね!アメタマ!“れいとうビーム”」

 

距離を開けることを諦めたビオラはアメタマに攻撃指示を出す。

だが、それこそタクミが待ち望んだものだった。

 

「キバゴ!“ダブルチョップ”!!」

「キバァァ!!」

 

【こおりタイプ】のワザ。本来なら苦手であるはずの攻撃に対してキバゴは正面から突っ込んだ。

“ダブルチョップ”を纏った両腕を構え、一気にアメタマに向けて飛び込む。“れいとうビーム”を左腕で受けつつ、右腕を振り上げる。キバゴは足を止めたアメタマに向けてその右腕を大きく叩きつけた。

 

「キィィバァァアアア!!」

 

氷の粒が混じった粉塵があがり、キバゴとアメタマの姿が消える。

そして、いつものようにバク転をしながら飛び出してきたキバゴは、キメポーズと共に着地し、そのままスッ転んだ。

 

「キバババババッ!」

「何やってんだよ、お前は……」

 

今回は足元が氷の地面だったことで足を滑らせてしまったが、キバゴの勝利宣言には変わりなかった。

それを示すように粉塵が晴れると、そこには気を失ったアメタマが倒れてた。

 

「アメタマ!戦闘不能!キバゴの勝ち!!」

「よしっ!ひとまず一勝!!」

「キバァッ!!」

 

フシギダネの残してくれた“タネ”のおかげでなんとか戦える。

“れいとうビーム”を一発受けたが、体力はまだ十分にある。

 

まだ、勝ち筋は死んでいない。

 

タクミは何度も自分に言い聞かせた。

 

「へぇ、やっぱり、君。なかなか見どころあるじゃない」

「ありがとうございます!」

 

試合前の固さはどこへやら。ごく自然体に返事をするタクミにビオラは嬉しそうに笑う。

だが、その笑みはすぐさま好戦的なものに変わった。

 

「でもね……この子を越えられるかしら!!行くわよ!ビビヨン!!」

 

そして、ビオラのモンスターボールから出てきたのは紫色の羽を持つビビヨンであった。

 

「キバッ!」

「次の相手はビビヨンか……」

 

羽根を持ち、【むし】と【ひこう】を併せ持つビビヨン。

タクミは空を飛ぶ相手に奥歯を食いしばる。キバゴもまた『こりゃまずい』というようにうなり声をあげた。

今のキバゴは氷のフィールドで思うように身動きの取れない。それに対して、ビビヨンは空を飛んで氷のフィールドの影響を受けない。それに加え、三次元的に攻撃を仕掛けてくる相手はキバゴにとって極めて厄介だった。

 

「さすがに、自滅するような戦術は取ってこないか」

 

あわよくば次のポケモンは氷のフィールドに対応できなければいいな、とほんのわずかに期待していたタクミであったが、相手はジムリーダーだ。そう簡単にはいかない。

 

だが、それと同時にフシギダネを先発して良かったとも思っていた。

キバゴを先発していたら、相性の悪い【くさタイプ】のフシギダネでビビヨンを相手にすることになっていた。

 

「行くわよビビヨン!“ねんりき”!」

「ビビッ!」

 

ビビヨンの“ねんりき”が発動する。サイコエネルギーでキバゴの動きを止め、更にその身体を持ち上げようとする。キバゴの身体が見えない糸に宙づりにされるように浮かび上がっていった。

 

「キ、キバッ!」

「キバゴ!狼狽えるな!“ねんりき”ぐらい振りほどけ!!」

「キバ!」

 

キバゴは縫い留められていた身体を強引に動かした。足を強張らせ、筋肉を怒張させ、腕を震わせながら身体を広げていく。そして、キバゴの力が臨界点を越えた瞬間、キバゴを縛っていた戒めが弾け飛んだ。

 

「キィイィイイイイイバァァアアア!!」

「えぇっ!うそっ!」

 

“ねんりき”の力から解放され、氷の床に降り立つキバゴ。

キバゴはビビヨンを挑発するように手招きをしてみせた。

だが、氷の上では足元がプルプルと震えており、とても絵になるものではなかった。

 

「キバゴ!もう一度木の上に移動するんだ」

「キバッ!」

 

キバゴは両腕をついて、這うように移動して木の上へと移動しようとする。

だが、ジムリーダー相手にはそれすら簡単にはいかない。

“ねんりき”でのパワー勝負では不利であることを悟ったビオラはすぐさま次の指示を飛ばした。

 

「ビビヨン、作戦を変えるわ!“かぜおこし”!」

「ビビッ!!」

 

ビビヨンの羽根から強力な風が吹き出した。

それは、木を登りかけていたキバゴの身体を直撃する。

 

「キバッ!」

「キバゴ!こらえろ!!」

 

成長した“タネ”が風に煽られて揺れる。

キバゴはなんとかしがみつこうとするが、凧のように風に弄ばれるしかできない。

 

「キ、キバ……キバ……」

 

風はやむ気配はない。ビビヨンは体力が続く限り風を叩きつけ続ける気だ。

そして、キバゴの握力に限界が訪れた。

 

「キバァァアアアアア!」

 

キバゴが風に吹かれ、フィールドの端まで飛ばされる。

そして、飛んだ先にあったのは先程アメタマが発射していた“ネバネバネット”

蜘蛛の巣のような粘着性の糸に叩きつけられ、キバゴの身体が糸にまみれ、壁に磔にされた。

 

「キ、キバ!キバァア!!」

「キバゴ!早く動くんだ!!」

「キバァ!!」

 

だが、それは先程の“ねんりき”から抜け出した時のようにはいかなかった。

“ねんりき”相手なら膂力を用いて全力のパワーを発揮できたが、“ネット”は逆にもがけばもがく程に糸が身体の動きを鈍らせる。出鱈目に暴れるキバゴはその糸から抜け出せない。

 

そこに、ビビヨンの攻撃が迫る。

 

「ビビヨン!“ソーラービーム”!!」

「ビィィィィ!!」

 

【くさタイプ】最大威力の一撃。

 

それがキバゴを直撃した。

 

「キバゴォ!!」

「…………キバ……」

 

キバゴがその場に落下する。

 

「キバゴ!!キバゴ!!」

 

何度も名を呼ぶ。だが、タクミは心のどこかでわかっていた。

キバゴにはもう立ち上がる体力などないのだと。

 

「キバゴ!!」

「……キバ………………」

 

わずかに顔を上げたキバゴはそのまま気を失うように目を閉じた。

 

「キバゴ!戦闘不能!ビビヨンの勝ち!よって勝者!ジムリーダー、ビオラ!!」

「…………」

 

無情なる審判の宣言。

タクミはそれを聞くや否や駆け出し、すぐさまキバゴを抱き上げた。

 

「キバゴ………」

「キバ……キバキバ……」

 

うわ言のように声を上げ、両腕を動かそうとするキバゴ。

まだ戦おうとしているキバゴをタクミはギュッと抱きしめた。

 

「キバゴ、もういい……もういんだ。もう、終わったんだ」

 

その言葉が聞こえたかのように、キバゴは身体からフッと力を抜ける。

 

「…………ありがと」

 

タクミはキバゴをボールに戻し、掌をグッと握り込んだ。

熱くなった目元を袖でぬぐい、振り返る。

 

そこにはビビヨンを従えたビオラが不敵な顔で立っていた。

彼女が言わんとしていることはわかっている。

 

『これで終わり?』

 

そんなわけがなかった。

 

「……ビオラさん……また来ます……また、挑戦します」

「ええ。いつでも歓迎するわ。次はちゃんとアポイント取ってきてね」

「はい……」

 

痛いところをつかれたような苦笑いを浮かべながら、タクミはその場に背を向けた。

背が丸まらないように背筋を締めあげ、首を必要以上に上に向け、速足にならないようにしながらタクミはジムを出ていった。

 

「ふふ、なかなかいいトレーナーじゃない。ね、ビビヨン」

「ビビッ」

 

新人トレーナーの第一ジム戦。

初戦の突破率は3%とも5%ともいわれている。

だが、ビオラの体感では、アメタマを突破できるトレーナーが10%といったところだ。

そして、ビビヨンに勝ったトレーナーはここ最近記憶にない。

だが、2戦目、3戦目を経るごとに見込みのあるトレーナーはしっかりと強くなっていく。

新人トレーナーとは誰もが眠れる原石なのだ。その石が輝きを放つ時にこそ、最高のシャッターチャンスが訪れる。

 

「タクミ君か……さてさて、彼はどうかな」

 

ジム戦の壁を越えられず、ポケモンリーグ挑戦を諦めていくトレーナーも決して少なくない。

彼はどこまで到達できるのか。

 

ビオラは自分の首から下げているカメラを無意識のうちに撫でていた。



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ほんの些細なことだけど

ハクダンシティのポケモンセンターに駆け込んだタクミ。

キバゴとフシギダネをジョーイさんに預け、タクミは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

治療が終わるまですることもない。

タクミはポケモンセンターのロビーに座り、大きく肩を落としていた。

 

思い起こすのは当然先程のジム戦であった。

 

「負けた……のか……」

 

手元にジムバッジがなく、ポケモン達が全員ジョーイさんに預けられているこの状況。

 

負けた以外に答えがなかった。

 

簡単とは思っていなかった。負ける可能性だってあることはわかっていた。

実際、地球界、ポケモン界問わず『地方旅』の初ジム戦でジムバッジをゲットできる人などほとんどいないのだ。

 

だが、それでもタクミは『勝てるかも』と漠然と思って勝負に挑んでいた。

 

具体的な根拠などない。宝くじを買ったら『当たるかも』と誰もが考えるように、楽観的に、そして短絡的にそう思っていた。

そして、その結果がこれである。自分は特別な存在でもなんでもなく、当たり前のように負けた。

自分はそこらにいる一般トレーナーの一人であり、物語の主役になどなれないのだと思い知らされている

 

頭の中にはキバゴとフシギダネが敗北したシーンが何度も繰り返される。

 

結果だけみれば2対2のバトルで後一歩のところまでは行った。後はビビヨンさえ倒せればバッチはゲットできるというところまでは進めたのだ。

 

だが、タクミにはそれを『惜しかった』と考えることはできなかった。

 

あのビビヨンを相手に勝利するビジョンがまるで見えてこないのだ。

 

タクミはずっと頭の中で戦術をいくつも組み立てている。

アメタマを攻略し、ビビヨンを攻め落とすイメージを何度も作り上げようとする。

だが、その全てが今日の敗北シーンで締めくくられてしまう。

 

「……はぁ……ほんと……」

 

そして、なによりタクミの心を凹ませていたのはビオラさんが全力ではなかった、ということだった。

 

ジムリーダーは相手のバッジの数に応じて使用するポケモンの練度を変えてくる。バッジ0個の初心者トレーナーが相対するポケモンは相応のレベルのポケモンなのだ。ジムリーダーは本来もっと強い。そしてその上にいる四天王は更に強く、頂点に立つチャンピオンはそれ以上に強い。

 

上を見ればそこに至る為の道のりはあまりにも長かった。

 

最強を目指して旅立つトレーナーの多くが、こうして最初のジム戦で自分と世界の距離をまざまざと思い知らされる。

 

「……はぁ……」

 

最初のジムであるビオラさんでさえこの強さ。

 

ポケモンリーグに挑戦するにはこの壁を8つも越えていかなければならない。

ポケモンリーグ受付開始から予選登録締め切りまでおよそ10カ月。バッジ1つ取るのに1か月かけても2か月は猶予がある計算になるが、それだけの時間があったとしても、トレーナーの半分以上はバッジを8個集められずにその年を終える。地球界から来ているトレーナーに至っては最初のジム戦で心を折られ、リーグ挑戦を諦めて『地方旅』の残り時間を地方を巡る観光旅行に切り替える人もかなりいるぐらいだ。

 

ジム戦という壁はそれだけ高くて分厚い。

 

そして、勝つためには特訓するしかない。

 

だが、ここには『特訓だぁ!』と言って励ましてくれる友人や、的確に『これが足りない、あれが足りない』などと助言してくれる友人はいない。自分で先程のバトルに向き合い、足りないものを見つけださなければならないのだ。

 

だが、それは思った以上に難しいものだった。

 

アメタマが作りだした『氷のフィールド』と“ネバネバネット”によるトラップ。あれはまさにタクミがフシギダネとやろうとしていることの発展型であった。フィールドを自分の有利なものに作り変え、相手に不利な状況を無理やり押し付ける。

本来であれば相手のフィールドを塗り替えてしまうのが最適解なのだが、今のフシギダネにもキバゴにもそれを実行する手札がない。

 

ならば、残された方法はあのフィールドを攻略することだけだ。

そして、それが一番難易度が高い。

 

自分の手札はキバゴとフシギダネ。しかもフシギダネの方は足が悪いこともあり、タイプ以上に相性が最悪だ。“ネバネバネット”にしたって最初の粘液弾の回避は可能だが、壁や床に張り付いた“ネット”にビビヨンの“ねんりき”や“かぜおこし”で叩きつけられたら防ぎようがない。

 

他にもアメタマのスピードや空を飛ぶビビヨンの対策など、考えなければならないことはいくらでもある。課題はたくさんあり、足りないものも多すぎる。

 

もはや、どこからどう手をつければいいのかもよくわからなくなってきていた。

 

「…………」

 

タクミはポケットの中のホロキャスターを握りしめた。

無性に友人達の声が聞きたかった。

 

ミネジュンはポケモンを探し回っているらしく、次の町にまだたどり着いていない。マカナは真っすぐに次の町に向かっても到着するのに時間がかかる。2人が町に着くのはせいぜい明日だ。2人にはまだ時間的にも心理的にも余裕がある。話す時間はあるだろうし、ジム戦について相談することもできる。

 

だが、タクミは友人達に『ジム戦負けました、一緒に対策考えて』と無遠慮に聞けるほどに面の皮が厚くはなかった。

 

ミネジュンやマカナは多分何も気にせずに手伝ってくれるだろうとは思う。

タクミだって2人に頼られたらどんな状況であろうとも力になってやりたいと思う。

だが、タクミももう1人のトレーナーなのだ。プライドもあるし、意地もある。

 

最初のジム戦くらい自分の力だけで突破してみせたかった。

 

だが、考えが行き詰っていることに変わりはない。

 

アメタマの対策とビビヨンの対策。

 

アイディアはいくつか思いつくものの、考えれば考える程に頭の中でこんがらがってしまう。自分の持つ手札を確認するつもりが、いつの間にかただの皮算用になり果てる。しまいには荒唐無稽な計画ばかりが頭に浮かぶようになっていた。

 

「……ふぅ……」

 

タクミはホロキャスターのメモ帳に書き出した策を改めて読み直し、溜息を吐いた。

 

「……ダメだ……」

 

書かれている内容は取り止めのないものから、現実不可能なものまで選り取りみどりだ。

唯一自分の中で有用と思えるのは『基礎体力強化』ぐらいのもので、具体的なものは何も決まってはいなかった。

 

タクミはホロキャスターを机に投げ出すように放り投げ、大きく伸びをする。

 

頭の中をリセットするつもりで目を閉じたが、考えは止まることなく巡っていく。そのうち、『今から町の外に出て、対策になりそうなポケモンを捕まえに行こう』とも考えてしまっていた。アメタマは【みずタイプ】ではあるものの“れいとうビーム”はキバゴにもフシギダネにもきつい。ビビヨンに至ってはフシギダネは相性最悪だ。

新しい手札を加えるというのは決して悪い手ではない。

 

だけど、タクミはどうしてもキバゴとフシギダネでの勝利に拘りたかった。

甘い考えだとも思うし無駄な時間を過ごしているだけな気もする。

だけど、今日は最初で最初のジム戦だったのだ。

まだ時間はあるし、ポケモン達の伸び代は未知数だ。諦めるにはまだまだ早すぎる。

 

それに、新しいポケモンを手持ちに加えたところで、そのポケモンの実力を十全に引き出さない限りはビオラさんには勝てないだろうという現実的な問題もあった。

 

タクミは付け焼き刃に頼るよりも、今の手持ちのポケモンの力をより伸ばしていった方が結果的に近道になりそうな気がしていた。

 

だが、結局のところ、それが本当に正しい選択なのかどうかは誰にもわからない。

 

「……はぁ……」

 

こんな時、誰かからアドバイスが欲しいと心底思うのだ。

 

しばらく、無言でポケモンセンターの天井を眺めていたタクミ。

なにかを考えているようでその実何もアイデアが浮かんではいない。

ぼんやりと過ごすタクミの瞼が次第に下がっていく。旅の疲れやジム戦での心理的疲労もあってか、タクミはそのまま眠り込んでしまった。

 

日は次第に傾いていき、人の出入りも減ってくる。ジョーイさんも裏に引っ込んで出てくる気配はなく、夕刻の町の喧騒もポケモンセンターの中までは届かない。カチコチと時計の秒針が鳴る。人のいなくなったポケモンセンターのロビーにはその音がやけに大きく響いていた。

 

そんな時だった。

 

タクミのホロキャスターから突如呼び出し音が鳴り響いた。

 

「んあっ!!」

 

静寂を突き破る音にタクミはバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。

寝ぼけた目をこすり、自分がどこで寝ていたのか数舜で把握し、音の発生源を探す。

 

「電話!?電話!」

 

机の上にあった自分のホロキャスターに飛びついたタクミ。慌てていたタクミは通信相手の名前も見ずに通話の開始ボタンを押す。そしてタクミはホロキャスターに映る相手の顔を見て、目を見開いた。

 

「アキ!」

 

電話先はミアレシティで療養中のアキであった。

彼女は車椅子に乗り、病院のフリースペースと思われる場所からテレビ電話をかけてきていた。

 

「やっほータクミ。電話しちゃった。今いい?」

「う、うん!大丈夫だよ!」

 

タクミは口元の涎を袖でぬぐい取り、急いで姿勢を正した。

だが、充血した瞳と腫れぼったい瞼を隠すことはできない。

 

「あっ、ごめん。もしかしてお昼寝中だった?」

「うん、でもよかったよ。ちょうどそろそろ起きなきゃいけないところだったし」

「そう?」

「うん」

 

タクミの声は不自然な程元気だった。愛想笑いを浮かべ、身振り手振りも多い。

そんなタクミの態度に少し小首を傾げるアキ。

 

「どうしたのタクミ?何かあった?」

「え、いや、その、大丈夫だよ……」

 

どこかバツが悪いタクミは曖昧な言い方をしてしまう。

 

そんなタクミの様子をやはり不審に思いながらも、アキはタクミの後ろにある窓の外にある程度大きな町が映っていることに気が付いた。

 

「あっ、タクミそこポケモンセンター?どこかの町に着いたの?」

「あ……あ、うん……」

 

その話題に至り、タクミは苦虫を数匹噛み潰したような顔をした。

それでもアキを相手に嘘をつくことができないタクミは正直に白状した。

 

「今日、ハクダンシティに着いたんだ」

「えぇっ!ハクダンシティ!!ジムがある町じゃん!タクミ、もうジム戦した!?勝った!?勝ったの!?」

 

画面の向こうで目を輝かせて画面を食い入るように見ているアキ。

その期待に満ちた顔が今のタクミにはかなり堪えた。タクミは奥歯を強く噛み締め、唇の端をギュッと結ぶ。

 

『負けた』

 

たった一言なのにアキを前にするとそれを口にするがどうしても憚られた。

 

負けることは恥ではない、と人は言う。負けて悔しがるのは当たり前だ、と人とは言う。

だけど、やっぱり恥ずかしくて悔しくて、言葉にするのは難しい。

 

それでも、相手はアキだ。自分の最初のライバルで、夢の対戦相手で、大事な友達だ。

そんな彼女を相手に見栄を張ることはできない。

 

タクミは喉の奥から絞り出すように呟いた。

 

「……負けた……ジム戦……負けた」

「あ………」

 

アキの顔色が一気に沈み込んだ。

そんなアキを見て、タクミは掌を握り込んだ。

 

身を乗り出すようにしていたアキは、はしゃぎ過ぎた自分を諫めるように顔をホロキャスターから離し、一言「そっか」とだけ呟いた。

アキはまるで自分が負けたかのように口を真一文字に結び、悔しそうに目を閉じた。

 

どこからか、鳥ポケモンの鳴き声が聞こえてくる。

それが電話の向こう側から流れ込んできたものなのか、すぐ後ろの町並みの中から聞こえてきたのかはわからなかった。

 

「そっか……タクミでも……勝てないんだね」

「僕なんて特別でもなんでもないんだ。そう上手くいかないよ」

「そう……なんだね」

 

タクミの視線が自然と下がっていく。

アキにもそんなタクミの悔しさが手に取るようにわかる。

 

「……ジムリーダー……強かった?」

 

その問いにタクミは無言のまま2回頷いた。

 

「そっか……やっぱり簡単じゃないんだね」

「うん」

 

一緒に誓った夢。やはり、それは果てしなく遠く険しい道のり。

10歳の少年少女にとって、その現実は重い。

 

その重みを実感し吐息が重くなる。目の前の壁の厚さに踏み出す勇気が出なくなる。

 

そんな中、アキはニヘラと笑ってみせたのだった。

 

「でも、良かった!」

「え?」

 

悪戯好きな小悪魔のようにアキは歯を見せて笑う。

 

「タクミに先を越されなくてよかった。だって、私なんてついこの間授業始まったばっかりなんだよ。手術の準備もあるからちょっとバタバタしてるし。タクミがそんなポンポン進んでたら私が追いつけなくなっちゃう。だから良かった」

「……それは……」

 

タクミは何か言葉を続けようとした。だが、上手く言葉が出てこなかった。

『無理に気を遣わなくていい』とか、『自分なんかがそう簡単に先にに行けるわけがない』とか、ネガティブな言葉がついそこまで出かかっていた。だが、やはり明確な言葉としては出てこない。アキの笑顔がそういった後ろ向きの感情を心の中から追い出してしまったかのようだった。

 

何度か口をパクパクとさせていたタクミ。

 

そして、タクミはそんな馬鹿みたいなことをしている自分に気づき、自嘲するように笑った。

 

タクミは大きく深呼吸をして肩の力を抜き、アキと同じようにニヘラと笑ったのだった。

 

「なんだよそれ。僕が負けたのが嬉しいの?」

「嬉しいわけじゃないけど。『良かったな~』って思ってるのは本当」

「それって、やっぱり喜んでるんじゃない?」

「そんなことないって。タクミが負けたのはやっぱり悔しいもん」

「どうだか。アキって結構性格悪いもんね」

「えぇ~~!なにそれ!」

 

唇を尖らせるアキ。タクミはそんなアキの顔を見て顔を綻ばせる。

 

アキは決して本気で言っているわけではない。当然、タクミだってそのことはわかっている。

わかっているからこそ、アキも明け透けに物を言い、タクミも気軽に言葉を返せる。

 

それがたまらなく心地よかった。

 

「……ありがと、アキ」

「え?何か言った?聞こえなかったけど」

「別になんでもないよ……それより、さっき手術の準備って言ってたけど……決まったの?」

「え……」

 

一瞬、アキが怯んだような顔をした。

だが、本当にそれは一瞬だけでタクミでなければ見落としてしまう程の変化だった。

アキは先程と同じようにニヘラとした笑顔を保ちながら言った。

 

 

「3日後だよ。3日後の朝からになった」

「そっか……」

「うん、検査とかお手紙とか色々大変」

「……そっか……」

 

手術で病気と一緒に足を切り落とす。義足をつければ歩けるようになるが、切った足はもう二度と戻ってこない。

一度決断したとはいえ、怖くない訳がない。

でも、アキが我慢をして笑顔でいるのなら、そこに話を向けるのは彼女に悪い。

 

「あっ、そうだ手術で思い出した。私ね、最初のポケモン貰ったんだよ!」

「え?なんで手術で思い出すの?」

「手術の日取りが決まった日に最初のポケモン貰ったの。だから思い出した。それでね……この子が私の最初のパートナーだよ!!」

 

アキが画面外までモンスターボールを投げ上げた。

モンスターボールが開く音がして、白い光と共にポケモンが現れる。

アキの膝の上にチョコンと現れたのは橙色の鱗を持ったポケモンであった。

 

「カゲェ!」

「あっ、ヒトカゲだ。ヒトカゲにしたの?」

「色々と艱難辛苦があってね……結局、この子になったの」

「あ、うん……へぇ……」

 

アキの表情から察するにどうやら自分でヒトカゲを積極的に選んだのではなさそうだった。

カロス地方で初心者用ポケモンを貰うのなら、ハリマロン、フォッコ、ケロマツのどれかのはずだ。なのに、カントー地方のポケモンになること自体が既にイレギュラーだ。

ポケモンを貰いに行くときに何かトラブルにでも巻き込まれて遅れてしまったのだろうか。

他の初心者用ポケモンが既に貰われて、余りもののヒトカゲになったとか、確かにありそうな話だった。

 

「でも、今はヒトカゲに会えて最高だって思ってる。ねっ、ヒトカゲ」

「カゲッ!」

 

無邪気な様子でハイタッチをかわすアキとヒトカゲ。

とにもかくにも、パートナーとの仲が良好なようで何よりだった。

 

「今日はタクミにこの子を紹介したかったんだ。ヒトカゲ、彼がタクミ。私のライバルだよ」

「カゲッ!」

「よろしくヒトカゲ、バトルの時は手加減しないからね」

 

タクミがそう言うと、ヒトカゲは楽しそうに諸手をあげて喜んでいた。

 

「元気なヒトカゲだね」

「うん。タクミのポケモンは元気?」

「あっ、そういえばポケモンセンターに預けたまんまだった。待ちくたびれてるかも」

「アハハ、キバゴがお腹すいて暴れだすんじゃない?」

「かもね。今日はジム戦頑張ってくれたし、御飯は増量かな」

「それがいいかも」

 

そう言うと、ヒトカゲが何故かピシッと手を上げた。

 

「カゲッ!カゲッ!」

「えっ?ヒトカゲもご飯増やして欲しいの?」

「カゲ」

「だ~め。今日は、昼食べすぎたんだから今日の晩御飯はおかわりなしだよ」

「カゲ~~」

「媚びてもだめ」

 

タクミはそんなアキとヒトカゲの様子を微笑ましく見守る。

2人のやり取りがタクミがキバゴとやる掛け合いによく似ていたのだ。

特にご飯攻防戦の時は毎日のように似たような会話をしている。

 

どうやらこのヒトカゲはキバゴと同じぐらい食いしん坊らしかった。

 

結局、今回はヒトカゲの粘り勝ち。ヒトカゲはアキからもらった菓子を味わいながら、膝の上に座りなおしていた。

 

「もう、ヒトカゲったら」

「ハハ、でも、仲良さそうだね」

「うん。まぁね。でもさ、なんか、逆になっちゃったね」

 

アキはそう言いながらヒトカゲのきめ細かな鱗を撫でる。

 

「え?逆?なんのこと?」

「覚えてる?タクミがポケモンキャンプの栞を持ってきてくれた日」

「え?……あっ、思い出した。そういえば、あの時は僕がヒトカゲが欲しいって言ったんだっけ」

「そうそう、それで私がフシギダネがいいって言って」

「そうだそうだ。思い出した」

 

ポケモンキャンプの栞が配られたあの日に2人で最初のポケモンについて語り合ったのだ。

ほんの1か月程度前のことなのに、今となっては遥か昔のことのように感じる。

 

アキはそれが感慨深いことのように視線を落とした。

 

「最初に選んだポケモンはあの時と逆になったし。私はポケモン界に来て手術になったし。ほんとに、あの時のことを考えると信じられないよ」

「そうだね。でも、それは悪いことじゃない。それに………」

 

ふと、タクミの表情が固まった。

突然、会話を止めたタクミにアキに怪訝な顔をする。

 

「タクミ?どうかした?」

「……ちょっと待って……ちょっと待って……今、アキなんて言った?」

「え?『私はポケモン界に来て手術になった』って……」

「違う、その前」

「最初に選んだポケモンは……あの時と逆になった……って、言ったけど……」

「………………………」

 

タクミからの反応はない。タクミはテーブルの上の一点を瞬きすらせずに凝視していた。

目を見開き、顎に手を当てるタクミ。その瞳の奥ではタクミの脳みそがフル回転していた。

今までの考え方が次々と崩れていき、新たな可能性が見えてくる。今までバラバラだったピースが頭の空白地帯に次々と埋まっていく。止まっていた頭の中の神経回路が順に点灯していく。

 

そして、全ての答えが1つの糸で繋がった。

 

「…………そうか!そうだったんだ!逆にすればよかったんだ!」

 

タクミは手を打って立ち上がる。

光明が見えた気がした。

 

耳の奥で拍動が響き、息が無駄にあがる。興奮で頬が高揚し、心臓が馬鹿みたいに高鳴っていた。

そして、タクミはホロキャスターをひっつかみのカメラを限界まで近づけた。

 

「アキ!ありがとっ!!見えた!!見えたよ!!」

「え?私、なんにもしてないけど」

「いや、アキのおかげだ!電話してくれてありがと!本当にありがと!!」

「だから、なんにもしてないって」

 

苦笑いをしながらそう言ったアキだが、その内心では結構嬉しかったりしていた。

 

意図はしていなかったものの、自分の言葉がきっかけになってタクミが何か切っ掛けを掴んだ。そして、タクミが心の底から自信に溢れたように笑っている。それがたまらなく嬉しかった。

 

タクミはじっとしていられずにその場で立ち上がった。

 

そして、タクミは自分の心臓に握りこぶしを押し付けた。

 

浮わついた感情を無理矢理静めるために大きく深呼吸し、タクミは真剣な顔でホロキャスターの向こうにいるアキの顔を見つめた。

 

「アキ、手術は3日後だったよね」

「うん」

「……手術が終わるのって何時頃かわかる?」

「えと、始まるのが10時で。手術自体はそんなかからないんだけど麻酔から覚めるのにも時間がかかるから、3時ぐらいになるって言ってた」

「そっか……」

 

タクミは心臓に当てていた握りこぶしをホロキャスターに向けた。

 

「アキ、僕も、その日に挑戦する。アキの手術の日に僕もジム戦に再挑戦する」

「……え……ほんと?」

「うん!僕は頑張る。頑張って勝つ!だから、アキも頑張って」

「うん!!」

 

アキはタクミを真似るように拳を突き出した。

なぜかヒトカゲもアキを真似て手を突き出していた。

 

「負けんなよ、タクミ」

「負けるもんか!麻酔から起きたら電話してよ。ジムバッチ必ずみせるから」

「うん!楽しみにしてる!!」

「アキ!頑張って!」

「タクミもね!頑張れ!!」

 

そして、2人は頷きあい、突き出していた拳を開いた。

電話越しのハイタッチをかわし、二人はほぼ同時に通話を切った。

 

タクミは一呼吸の間、暗転したホロキャスターの画面を見つめていた。

だが、次の瞬間にはすぐさま行動を開始し、ポケモンセンターの受付でキバゴとフシギダネのモンスターボールを受け取った。

 

「よしっ!出てこい!キバゴ!フシギダネ!!」

 

投げ上げたボールの中からキバゴとフシギダネが飛び出してくる。

 

タクミはその2人を見下ろし、唇の端を持ち上げて言った。

 

「キバゴ!!フシギダネ!!遊ぶぞ!!」

「ダネ?」

「キバ?」

 

小首を傾げるキバゴとフシギダネを前にタクミは不敵に笑っていたのだった。



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これで負けたら男が廃る

その予約が入った時、ビオラは唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。

その日に向けて、自分のカメラを念入りに手入れし、ポケモン達の体調もバッチリ整えた。

ジム戦をする時は常にやっていることだが、ここまでワクワクしているのは久しぶりだった。

 

そして、ジム戦の当日。

 

予約の時間に合わせてフィールドに立っていると、予定のキッチリ5分前に彼は現れた。

 

最初に来た時とは足取りからして違う。自分の進むべき道が最初から見えているかのような躊躇いのない歩み。緊張感を保ちながらも、決して強張っていない手足。目元には自信が満ち、引き締まった口元には強い負けん気が浮かんでいた。そして何より彼の全身から燃え上がるような熱量を感じていた。

 

絶対に今日勝つんだという気概、やる気、覚悟。

 

ビオラは一目見ただけで悟った。

 

もう彼は既に『初心者トレーナー』ではない。

 

「来たわね」

「はい!今日こそは勝ちます!!」

 

タクミはそう言って、握りこぶしを見せつけてきた。手の中には既にモンスターボールが握られている。手垢のついたモンスターボールだ。新しいポケモンを捕まえてきたわけではないらしい。

そのことが、ビオラの期待を更に高める。

 

「いいね……いいわね!!」

 

最高のシャッターチャンスが訪れそうな雰囲気をひしひしと感じるビオラ。

ビオラの手には既にアメタマのモンスターボールが握られていた。

 

タクミはバトルフィールドまでの残り数歩をダッシュで駆け抜け、フィールドに降り立った。

 

ビオラが目で審判に合図を送る。

 

「これより、チャレンジャータクミ対ジムリーダービオラのハクダンジム、ジム戦を始めます。使用ポケモンは2体。どちらかのポケモンが全て戦闘不能になった時点でバトル終了になります。ポケモンの交代はチャレンジャーのみ認められます」

 

前回と同じ口上。そしてそれが終わるや否や、ビオラはすぐさまモンスターボールをフィールドに投げ込んだ。

 

「お願い!アメタマ!!」

 

やはり最初のポケモンはアメタマ。

アメタマは地面を左右に滑り、臨戦態勢を取る。

 

「やっぱり、アメタマ……」

 

予想通りの初手。

 

タクミは口の中に溜まった生唾を飲み込んだ。

 

対策は立てた。作戦も考えた。実行するための特訓もした。

 

勝算はある。だが、勝負に『絶対』はない。

 

タクミは一度大きく深呼吸をした。

 

それでも、今日勝たなきゃ男が廃る。

 

タクミはアキの不安そうな笑顔を思い出し、腹に力を込めた。

 

「行くぞ!キバゴ!!」

 

投げ上げたモンスターボールからキバゴが飛び出てくる。

 

「キバキバッ!」

 

やる気たっぷりに吠えるキバゴ。

それを見てビオラはニヤリと笑った。

 

「あら、初手はキバゴなの?私のアメタマが【こおりタイプ】のワザを使えることを忘れたわけじゃないでしょうね?」

「もちろんですよ!わかった上で『逆』にしたんです!!」

「へぇ、じゃあ魅せてちょうだい!あなたのバトル!!」

 

張り詰めた闘争心。その火が最高潮に達した瞬間を待っていたかのように審判が旗を振り上げた。

 

「試合開始!」

 

先にしかけたのはタクミだった。

 

「キバゴ!一気に間合いを詰めろ!“ダブルチョップ”!」

「キバッ!!」

 

ゼロから一気に加速してアメタマに迫るキバゴ。その瞬発力にビオラは一瞬面食らった。

 

「はやい!でもっ!!アメタマ!ステップでかわして」

「アッ!!」

 

アメタマは最小限の動きで回避する。その直後、キバゴの攻撃が地面に突き立った。

一発目の攻撃は外れた。だが、キバゴの目はアメタマの移動先を確実にとらえていた。

ステップで素早く間合いを詰め、二発目の“ダブルチョップ”を繰り出す。

 

「アメタマ!“れいとうビーム”」

「アァッ!!」

 

頭の触覚に冷気が収束し、“れいとうビーム”が放たれる。キバゴは【ドラゴンタイプ】だ。当然【こおりタイプ】のワザを使ってくるだろう。そのことはタクミも予想していた。

 

「キバゴ!地面だ!地面に向けて“ダブルチョップ”!!」

「キバッ!!」

 

地面に叩きつけたチョップが土埃を巻き上げ、ビームを遮った。

 

「地面を掘ってビームを防ぐ気?だったら、これでどう!!アメタマ、氷のフィールドを作って」

「アッ!!」

 

“れいとうビーム”が地面に次々と打ち込まれ、地面が音を立てて凍っていく。

 

「キバゴ!逃げろ!!」

「キバキバキバ!!」

 

フィールド全域に降り注ぐ“れいとうビーム”をキバゴは必死に回避する。

地面を転がり、ダイブし、バク転まで駆使してキバゴはなんとか全てのビームを回避した。

だが、キバゴはタクミの目の前にまで後退してしまう。

フィールド全域は既に氷のフィールドに塗り替えられた。アメタマはその中央で優雅に滑っている。遠距離攻撃のないキバゴはアメタマに近づくしかないが、足場の悪いこのフィールドで先程よりもスピードの上がったアメタマに接近するのは至難の技だ。

 

そんなキバゴとタクミに向け、ビオラは腰に手を当てて言った。

 

「やっぱり、フシギダネを先発にした方がよかったんじゃない?」

 

フシギダネには中距離に対応できる“ツルのムチ”がある。最初に“やどりぎのタネ”を使えばフィールドの主導権を完全に取られることもなかった。

 

だが、タクミはゆっくりと首を横に振った。

 

「いいえ、『逆』ですよ」

「逆?」

「はい!『逆』なんです!!キバゴ!突っ込め!!“ダブルチョップ”!!」

「キバァッ!!」

 

両腕に紫の炎を纏ったキバゴは助走をつけ、氷のフィールドに踏み込んだ。

 

「アメタマ!!迎え撃って!!“れいとうビーム”」

「アッ!!」

 

地面の上にいた時よりも数段上のスピードで移動しながら攻撃を繰り出すアメタマ。足場を失ったキバゴでは対応できない。

 

そのはずだった。

 

「キバゴ!加速だ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴが地面を蹴る。爪の先で氷を僅かに掴んで蹴りだし、もう片方の足で華麗に氷上を滑っていく。

そのスピードに“れいとうビーム”が置き去りにされた。

 

「えっ!!」

 

キバゴの遥か後方に着弾する“れいとうビーム”。キバゴは更に加速し、アメタマへと迫る。

 

「アメタマ!かわして!!」

「アッ!」

「逃がすな!右だ!」

「キバッ!」

 

キバゴは身体を傾け、“ダブルチョップ”を氷の地面に添わせる。紫色の炎が氷の上を走り、キバゴの後ろにバックファイヤーのような軌跡を残した。足を外側に蹴りだしながら滑らかなコーナリングでアメタマを追跡するキバゴ。

 

「アメッ!!」

 

背後に迫るキバゴに驚き、別方向に逃げようとするアメタマ。

だが、既に加速が十分に乗ったキバゴからは逃げられない。

 

「キバァアアア!!」

 

スピードの乗った渾身の“ダブルチョップ”がアメタマを捉えた。

 

「アァッ!!」

「アメタマ!!」

 

キバゴはそのまま止まることなく駆け抜け、フィールドを大きく回ってタクミの前で止まる。

その綺麗なブレーキの足さばきを見て、ビオラはキバゴの動きが格段に良くなった理由を悟った。

 

「そういうことね。あなた達、ローラースケートで練習したのね」

「その通りです!」

「キバァ!!」

 

この町にあった公園のローラ―スケート場。ポケモンも一緒に遊べるローラースケートがあったことが幸いだった。キバゴはこの数日の間、毎日のようにローラースケートで遊び、滑る感覚を身につけていた。

 

それは相手に氷のフィールドを作られることを前提とした作戦。

相手のフィールドを打ち破るのではなく、利用する戦術だった。

そして、この戦い方を実行するには足が動かないフシギダネでは分が悪い。だからこそのキバゴ先発だった。

 

タクミはタイプ相性ではなく、戦い方の相性で有利を取りにきたのだ。

 

全ては『最初のポケモンを逆にする』という発想から生まれた作戦であった。

 

「キバゴ!もう一度だ!!“ダブルチョップ”!!」

「キバァ!!」

 

キバゴは炎を纏い、再び氷を蹴って加速していく。

 

「アメタマ!降り注ぐような攻撃じゃかわされる!真正面から“れいとうビーム”!!」

「アッ!!」

 

ビオラはその観察眼でもってキバゴがターンを苦手としていることを見抜いていた。

さすがに数日の特訓では自由自在に移動はできない。なればこそ、突っ込んでくるキバゴに対して面のような攻撃で対応する。

 

回避は不可能と判断したタクミ。その際の選択肢はやはりいつもと一緒。

 

「キバゴ!片腕で受け止めろ!!」

「キバァアア!!」

 

キバゴは左腕の“ダブルチョップ”を盾のように構えて“れいとうビーム”を受け止めた。前回のバトルでも似たようなことをやっていたが、やはりキバゴはこうやって戦っている時が一番安定する。

 

いつもの作戦『正面突破』である。

 

キバゴは左腕を凍らせながら一気に間合いに踏み込み、その凍った腕をアメタマの頭上に叩きつけた。

 

「キバッ!!」

 

更にその上から右腕の“ダブルチョップ”を重ねて叩き込む。二発目の攻撃は左腕の氷を割り、アメタマに強烈な衝撃を浴びせた。

 

「くっ!アメタマ!距離を取って!」

「アッ!」

 

氷を滑り、一気に間合いを取るアメタマ。

 

「接近させちゃダメ!!“ねばねばネット”」

「アッ!!」

「キバゴ!!飛んでかわせ!!地面に“ダブルチョップ”を叩きつけろ!」

「キバッ!」

 

キバゴは地面を弾き、その反動で大ジャンプを繰り出す。

アメタマの“ねばねばネット”がそのキバゴを狙って次々と打ち込まれる。

キバゴは自分に当たりそうなものだけを“ダブルチョップ”で撃ち落としていく。

 

キバゴを外れた“ねばねばネット”は天井や壁に張り付き、蜘蛛の巣を形成していった。

 

その時、タクミとキバゴはお互い目を合わせて何かを確認するかのように頷きあった。

 

着地したキバゴは間髪入れずに再び空中に飛び上がる。

 

「アメタマ!チャンス!!“ねばねばネット”!」

「アッ!」

 

キバゴ相手には生半可な攻撃では強烈なカウンターを浴びる。だからこそ、ビオラはキバゴの動きを封じることを選んだ。キバゴは“ねばねばネット”をなんとか受け流すが、その身体には粘性の高い糸が次第に付着していく。

 

“ねばねばネット”で動きが鈍くなってきているキバゴ。

 

だが、タクミの目はそのキバゴを見ていなかった。

タクミはキバゴを含めたフィールド全体を俯瞰するように視野を広げていた。

 

「よしっ!キバゴ!着地と同時に加速しろ!!」

「キバッ!」

 

キバゴは瞬時に“ダブルチョップ”のパワーを全開にする。手の先だけでなく、肩にまで紫炎を纏い、キバゴは氷の地面へと盛大に着地した。氷の欠片が飛び散り、霜が煙のように舞い上がった。

 

「キバゴ!アメタマに向けて突っ込め!!」

「キバッ!!」

 

だが、手足を“ねばねばネット”に絡み取られたキバゴの動きは鈍い。

 

「アメタマ!これならかわせる!回避行動!」

「アッ!!」

 

氷の上を滑るアメタマ。スピードが十分に乗らないキバゴでは追いつけない。キバゴもコーナリングでなんとか追い詰めようとするが、一度開けられた間合いはなかなか詰まらない。

 

「アメタマ!囲い込むように周りながら“れいとうビーム”!!」

「アッ!!」

 

フィールド全域を一杯に使って距離を取りながら、アメタマは“れいとうビーム”の照準をキバゴに合わせた。

そして、アメタマは動きながら“れいとうビーム”を放つ。一撃で決めるつもりはない。少しでもキバゴが受けに回って足が鈍れば、遠距離攻撃で確実に削り取れる。

 

当然、その危険性はタクミも十分に理解していた。

 

度重なるイメージトレーニングではそのやり方で何度負けたかわからない。

 

「キバゴ!地面を削れ!!“ダブルチョップ”!!」

「キィバァアア!!」

 

キバゴは片腕を氷に突き立て、強引にブレーキをかける。

そして、もう片方の腕を全力で地面に突き刺し、地面を一気にひっくり返した。

氷が割れる音と共に、冷気で一塊となった土が空中に掘り起こされる。

 

そこに“れいとうビーム”が突き刺さった。土の塊が瞬時に氷の塊に代わり、一回り大きくなる。

 

「しまった!」

 

この時、ビオラの表情に初めて焦りが見えた。

キバゴが作り上げた氷塊。それはキバゴの身体を完全に隠す程の盾になる。

 

「キバゴ!一気に近づけ!!」

「キバァア!!」

 

氷塊を押しながら滑るキバゴ。アメタマの“れいとうビーム”が当たるたびにその氷塊は更に大きさを増していく。大きな塊が迫ってくるプレッシャーにアメタマの足が止まった。

 

「キバゴ!!蹴り込め!」

「キィバァ!!」

 

動きの止まったアメタマに向け、キバゴが氷塊を蹴り込んだ。

 

「アッ!アッ!アッ!」

「アメタマ惑わされちゃだめ!!飛んでかわして!」

「アッ!!」

 

滑ってきた氷塊を飛び越えて回避したアメタマ。

 

ビオラはそこに勝機を見出していた。

 

キバゴは勝負を焦って盾となる氷塊を手放した。

今のキバゴになら今度こそ“れいとうビーム”が刺さる。

ビオラとアメタマはキバゴを狙おうと攻撃態勢に入った。

 

だが、想定外のことが起きた。

 

「アメッ?」

「あれ!キバゴがいない!」

 

フィールドから忽然と姿を消したキバゴ。氷のフィールドに姿形もない。頭上にもおらず、土の中に潜った形跡もない。

だが、タクミだけはキバゴの姿がしっかりと見えていた。

 

「今だ!!“ダブルチョップ”!!」

 

アメタマの動きを封じるために蹴り込まれた氷塊。その死角からキバゴが飛び出した。

 

「キィバァァアア!!」

 

宙に浮き、身動きの取れないアメタマ。その身体をキバゴの爪が確実にとらえた。

 

「アッ!」

 

キバゴの渾身の一撃にアメタマが吹き飛ばされ、氷のフィールドに横たわる。

ひっくり返って目を回すアメタマを見て、審判がフラッグをあげた。

 

「アメタマ!戦闘不能!キバゴの勝ち!」

「よっし!!まずは一勝目!!」

「キバキバァ!!」

 

ガッツポーズをするタクミの前にキバゴが華麗に滑り込んで勝利のVサインを掲げる。

 

ビオラはそんな二人の姿に満足そうにほくそ笑む。

 

氷のフィールドをこんなに短期間で攻略されたのは久しぶりだった。

 

間合いを開けられた時の対策も練られているし、こちらのリアクションを予想している節もあった。タクミがこの短い日数でアメタマに対する対応をかなり詰めてきていることが伺えた。

 

自分に対してキッチリ対策を立て、予想外の方法を取ってくるトレーナー。

それはビオラにとっても良い刺激になる。

 

これこそ、『地方旅』の壁として君臨するジムリーダー冥利に尽きるというものだった。

 

ビオラは次に繰り出すビビヨンに対してタクミがどう対処するのかを見るのが既に楽しみでしょうがない。

 

「さぁ、行くわよ!!ビビヨン!!」

「ビビィ!!」

「キバゴ!ここまでは予定通りだ!腹括っていくぞ!!」

「キバァ!!」

「試合開始!!」

 

先手はビビヨンが取った。

 

「ビビヨン!“かぜおこし”!!」

「キバゴ!もう一個土塊を取り出せ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴは再び爪を地面に突き立て、霜で凍った土塊を掘り起こした。

それが“かぜおこし”の風を受けて凝結し、更に硬くなっていく。

キバゴは掘り起こした穴の中に隠れながら、ビビヨンの“かぜおこし”を耐えていた。

 

「へぇっ、塹壕とは考えたわね」

「こんなの序の口ですよ!キバゴ!そいつ投げつけろ!!」

「キバァ!!」

 

力任せに土塊を投げるキバゴ。向かい風の中、ビビヨンめがけて土の塊をぶん投げるその膂力は大したものだが、流石に力任せの攻撃に当たる程ビビヨンは遅くない。

 

「ビビヨンかわして!」

「ビビィ!」

「まだまだ!キバゴ!もっとだ!当たるまで投げつけろ!!」

「キバッ!キバッ!キバッ!!」

 

風が吹くことで土塊がより固くなることを利用して次々と投擲するキバゴ。

“かぜおこし”を緩めることなくひらひらと回避するビビヨンであるが、このまま地面を掘られ続ければフィールドに死角が増え、相手が一方的に有利になっていく。

ビオラはこのままキバゴとの根競べをするより、状況を打開する方を選んだ。

 

「ビビヨン!“ねむりごな”!!」

「えっ!!“ねむりごな”だって!?」

 

タクミの顔に動揺が走った。前回のバトルではビビヨンはそのワザを使ってこなかったのだ。想定外の攻撃だ。それに瞬時に対応できる程、今のタクミに余裕はなかった。“ねむりごな”はビビヨンの舞い上げた風に乗り、瞬時にフィールド全域にばらまかれた。

 

「しまった!!」

「キバァ……」

 

“ねむりごな”をもろに吸いこみ、瞼が閉じていくキバゴ。

キバゴはそのまま耐える様子すらなく、一気に睡魔の波に飲まれていった。

 

「キバゴ!!」

 

昨晩は十分に睡眠をとってもらったのだが、ここ連日の特訓の疲れは着実にその身体に蓄積している。

気持ちのよい眠気にキバゴはまるで逆らうことができなかった。

 

「ビビヨン!“ねんりき”!!」

「キバゴ!起きろ!!」

 

キバゴはビビヨンの“ねんりき”で宙に浮かされ、そのまま壁に叩きつけられた。当然、叩きつけられた場所はアメタマが貼った“ねばねばネット”の上だ。だが、それが普通の壁だろうと天井だろうと結果は変わらない。キバゴは気持ちよさそうに眠りながら、張り付けにされていた。

 

「キィバァゴォ!!起きろぉおお!!」

 

タクミがいくら声を張り上げようと、キバゴは器用に鼻提灯を作って眠っている。

なんだか『眠らされている』というよりも、そもそも起きる気力がないんじゃないかとまで思える熟睡っぷりだった。

 

「ビビヨン!“ソーラービーム”!!」

「ビビッ!!」

 

エネルギーのチャージに時間のかかる“ソーラービーム”であるが、キバゴが寝てしまっているこの現状ではどそれを防ぐ手段はない。

 

「ビビィィ!!」

 

ビビヨンが放った最大威力の“ソーラービーム”がキバゴを直撃した。

 

「……キバ……」

 

鼻提灯から煙を噴きだし、キバゴはコテンと目を回した。

 

「キバゴ!戦闘不能!ビビヨンの勝ち!!」

 

審判の宣言を聞き、タクミはキバゴをモンスターボールに戻した。

 

「ありがと、キバゴ。お膳立ては……まぁ、十分とはいえないけど」

 

本当は、もう少しキバゴで氷のフィールドに穴を空けるつもりだったのだ。

フィールドの構築は『不十分』。だが『最悪』ではない。

タクミはキバゴがビビヨンと戦う前に負けてしまう可能性まで考慮していた。

 

それに比べればこの程度は許容範囲だった。

 

「頼むぞ!!フシギダネ!!」

「ダネダネッ!!」

 

繰り出されたフシギダネにビオラは想像通りだとでも言いたげに唇の端を持ち上げた。

 

「やっぱり最後はフシギダネなのね」

「もちろんですよ。僕はこいつらと最初のジムを突破します!!」

「ダネフッシ!!」

 

気合十分のフシギダネ。フシギダネは【くさタイプ】だ。そのため、ビビヨンの隠し玉であった“ねむりごな”は効果がない。だが、【むしタイプ】と【ひこうタイプ】を持つ相性不利なビビヨンにわざわざフシギダネをぶつけてきたのだ。何か策があると考えてしかるべきだった。

 

「さて、どうするのかしら?」

「どうするって、もちろん……」

 

タクミはニヤリと不敵に笑う。それにシンクロするようにフシギダネもニヤリと笑う。

 

「勝ちます!!」

「ダネダ!!」

「面白い!かかってきなさい!!」

「ビビィ!!」

 

「試合開始!!」

 

ジムバトルもいよいよ佳境であった。

 



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決着!ジムバトル!!

お互いのポケモンが1体ずつダウンして臨むラストバトル。

その火蓋が切って落とされた。

 

「試合開始!!」

 

審判の旗が掲げられるタイミングを待ちきれなかったようにタクミの指示が飛んだ。

 

「フシギダネ!!“ツルのムチ”!!」

「ダネダ!!」

 

フシギダネは“ツルのムチ”を一気に伸ばす。

だが、ビビヨンは風に揺れるような華麗な動きでその攻撃を回避してみせる。

 

「残念だったわね!ビビヨン!“かぜおこし”!!」

「ビビィ!!」

 

ビビヨンの羽根から放たれる強力な風。舞い上がる砂や氷の粒が風の刃となってフシギダネに襲い掛かる。

ジムの中を吹き荒れる風に照明が揺れ、窓ガラスがガタガタと不穏な音を立てる。

 

その風の中でタクミは笑う。

そして、フシギダネも笑う。

 

全ては予定通りだった。

 

「フシギダネ!飛べぇ!!」

「ダネダ!!」

 

その時、フシギダネがまるで空を駆けるように飛んだ。

 

「ビビッ!!」

 

風や重力を無視してフシギダネがビビヨンめがけて一直線に突進してくる。予想外の“たいあたり”でビビヨンは完全に意表を突かれ、真正面からそれを受けてしまう。ビビヨンに激突したフシギダネはそのまま空を駆け抜け、空中で半回転する。そして、フシギダネは『天井』に『逆さま』に静止した。

 

「えっ!」

 

“ツルのムチ”で身体を支えることもなく、他のポケモンに支えてもらっているわけでもなく、フシギダネが天井に足を付けて真上からビビヨンを見下ろしている。

 

「いったいどうなって……」

 

そして、ビオラは気づいた。そのフシギダネの足の先に白い粘性の物質がついていることに。

 

「そうか……“ねばねばネット”!!」

 

アメタマが放った“ねばねばネット”は先程のバトルで無数に放たれた。その一部は壁や天井に張り付いてネットを形成している。フシギダネはそこに自分を固定しているのだ。

 

「でも、最初に空中を駆け上がったのは……あっ!!」

 

ビオラは周囲を見渡して驚くべき事実に気が付いた。“ネバネバネット”が広がった壁や天井の一部に巨大な土の塊がくっついていたのだ。それは、先程キバゴがフィールドから担ぎ上げて、ビビヨンに投げつけた土塊だ。

 

フシギダネはその土塊をフックショットのポイントにして空中を移動したのだ。

 

「……まさか……」

 

アメタマが“ねばねばネット”を放った時、キバゴは2度も不用意に宙へ飛び上がった。

あれは、“ねばねばネット”を壁や天井に付着させて次のバトルの布石にするためだったのだ。

地面を削って土塊を作ったのも、当たりもしないのに土塊を投げてよこしたのも、全てはこのフシギダネの戦いの為。

 

「やられたわね」

 

フィールドを自分の有利な状況にもっていき、バトルの流れを掴む。それが、ビオラのバトルスタイルだった。だが、今回はそれを完全に利用された。

 

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”」

「ダネ!!」

 

フシギダネは天井に張り付いたまま、地面に向けてタネを打ち込んでいく。

氷が張られたフィールドではタネは育たないが、今のフィールドにはキバゴが空けた穴がある。“タネ”はすぐさま成長を遂げ、フックショット用のポイントにある。

空中には土塊が固定されており、地面には“やどりぎ”が成長を遂げた。これだけ揃えばフシギダネは“ツルのムチ”で三次元的に自由自在に移動できる。

 

「行くぞフシギダネ!!」

「ダネェ!!」

 

これは初見殺しの一発技だ。次に同じ戦術を使ってもビオラは確実に対応してくるだろう。そうなれば、こんなに綺麗にフィールドを作れる機会は巡ってこない。このチャンスを逃せば勝利はとんでもなく遠のいてしまう。

 

だからこそ、タクミは今回の1戦に全てを注ぎ込むつもりだった

 

この一戦で絶対にバッチを手に入れる。

 

フシギダネとタクミの目にはその覚悟が燃えていた。

 

「フシギダネ!!“ツルのムチ”!!」

「ダネダ!!」

 

次々とフックポイントを掴み、縦横無尽にフィールドを飛ぶフシギダネ。

 

「ビビッ!ビビッ!」

 

ビビヨンはそのスピードに対応できず、狙いを定めることができない。

 

「フシギダネ!そこだ!!“たいあたり”!!」

「ダネダ!!」

 

ビビヨンの隙を見逃さずタクミの指示が飛ぶ。フシギダネはその指示を信じてビビヨンの懐に飛び込む。

 

「ビビッ!!」

 

ビビヨンの背後からフシギダネが激突した。そのまま重力に従って落下していくフシギダネ。

だが、フシギダネは地面に墜落する前に“ツルのムチ”を伸ばして上昇していく。

 

「ビビヨン!フシギダネの動きに惑わされないで!!まずは動きを止める“ねんりき”!!」

「そうはさせるか!フシギダネ!!“はっぱカッター”」

「ダネッ!」

 

フシギダネが放った“はっぱカッター”は風を舞うようにビビヨンに飛んでいく。だが、その目的はダメージを与えることではない。大量のはっぱを宙に漂わせることによる煙幕だった。

そのせいで、ビビヨンは“ねんりき”に集中することができない。フシギダネは周囲を飛び回りながら“はっぱカッター”をばらまいていく。

 

そしてついにフシギダネの姿が木の葉の陰に消えた。

 

「フシギダネ!そこだ!!飛び込め!!」

「ビビヨン!上よ!!」

「ビビッ!」

 

真上に飛び出したフシギダネ。太陽の光とフシギダネが被り、ビビヨンの動きが一瞬止まった。

 

「フシギダネ!“ツルのムチ”」

「ダネェッ!!!」

 

放たれた2本の“ツルのムチ”がビビヨンの羽根に絡みついた。

 

「ビビッ!!」

「しまった!!」

 

完全に羽根の動きを封じられた。これでは“かぜおこし”を使うどころか空を飛ぶことすらままならない。

 

「フシギダネ!!“たいあたり”!!」

「ダネェ!!」

 

“ツルのムチ”を引き寄せ、全身でもってぶつかっていくフシギダネ。

羽ばたくことのできないビビヨンはそのまま地面に叩きつけられた。フシギダネはその前足でビビヨンの羽根を抑えつける。マウントポジションを取ったフシギダネは素早く“ツルのムチ”を解除し、振り上げた。

 

「そこだぁ!!たたきこめぇぇええええ!!!」

「ダァァァ!ネネネネネネネネネネネネ!!!」

 

“ツルのムチ”の乱打、乱打、乱打。

 

目にも止まらぬ速度で“ツルのムチ”を叩きつけるフシギダネ。

総合格闘家のラッシュのように打ち下ろされる“ツルのムチ”。だが、タイプ相性の問題で1発1発の効果は薄い。

 

そんなことは百も承知だった。

 

だが、今のビビヨンは羽根を動かせず“かぜおこし”を使えない。連打の中では集中力のいる【エスパータイプ】の“ねんりき”も使えない。

 

ビビヨンがワザを使えないこのタイミングこそがフシギダネが勝利をもぎ取る唯一のチャンスであった。

 

だから、ここで勝ちきるしかないのだ。

 

「いけぇえええええええええええ!!」

「ダァァアアアネェエエエエエエ!!」

 

雨あられのように打ち下ろされるフシギダネのラッシュ。

舞い上がる土埃が太陽を覆い隠し、フィールドに影を作った。

 

その時だった。

 

「そこまで!!」

 

審判の声が響き、フシギダネのラッシュが止まる。

 

「ダ、ダネ!?」

「え?なんで……」

 

まだビビヨンの戦闘不能の宣言は出されていない。

 

それなのに試合が止められた。困惑するタクミとフシギダネ。

そんな2人を見て、審判がはにかんだように笑いながらフィールドを指差した。

フィールドの片隅。そこに一枚のタオルが投げ込まれていた。

 

「これ以上バトルを続けてもビビヨンはそのマウントポジションから抜けられないわ」

 

ビオラがそう言いながら、バトルフィールド内に足を踏み入れる。

フシギダネとタクミは『マメパトが豆鉄砲をくらった』ような顔のまま固まっていた。

 

「だから、タオルを投げ込んだの。ふふ、言っている意味がわからないかしら?」

 

そして、ビオラは両手を肩の位置まで持ち上げた。

 

「私達の負けよ。フシギダネ、ビビヨンから足をどけてくれる?」

「ダ、ダネ……」

 

フシギダネがぎこちない仕草で足を上げると、その下でビビヨンが安堵したようにため息を吐きだした。

 

「えと……つまり……その……もしかして……」

 

タクミがまだ信じられないように呟く。

そんなタクミの顔をビオラはパシャリと悪戯のように写真に撮り、微笑んだ。

 

「ええ、そうよ」

 

ビオラは目で審判に合図を送った。それに応え、審判が旗を上げる。

 

「ビビヨン!TKO《テクニカルケーオー》!フシギダネの勝ち!!よって勝者、チャレンジャータクミ!!」

 

タクミはその宣言を聞きながら、茫然とビオラの顔を見つめていた。

その視線は次第にフシギダネの方へと向かう。フシギダネも同じように茫然とタクミの顔を見返した。

 

「……勝った……」

「ダネ……」

「勝ったのか?」

「ダネ?」

 

始めは実感の得られなかったタクミ。だが、それは地の底から吹き上がるマグマのようにタクミの中に膨れ上がった。

 

「……勝った……勝った!……勝ったぞ!!フシギダネ!!」

「ダネダァ!!」

 

フィールドに飛び込み、フシギダネに駆け寄るタクミ。

タクミは飛びかかるようにフシギダネの足元に滑り込み、フシギダネを抱きしめた。

 

「やったぞ!!やったぞ!!フシギダネ!!」

「ダネダ!!ダネダァ!!」

 

右腕でフシギダネを抱き、左腕を振り回し、喜びを爆発させるタクミ。

フシギダネも“ツルのムチ”を勝利の拳だと言わんばかりに天に向かって突き上げていた。

そのうち、キバゴもモンスターボールの中から飛び出してきてタクミの頭の上でガッツポーズを決める。

 

「キバゴ!!やったぞぉ!!お前も頑張ったなぁ!!」

「キバキバァ!!」

 

タクミは空いた左腕でキバゴを胸の中に抱きしめる。

皆で顔を近づけ、満開の笑顔で雄叫びを上げる。

 

ビオラはそんな彼等をパシャリとカメラの中に収めた。

 

「タクミ君。いいバトルだったわ。久しぶりに熱くなっちゃった」

「ありがとうございます!!」

 

タクミはフシギダネとキバゴを降ろし、ビオラの前で直立する。

 

彼が待ち望んでいるものを悟ったビオラ。ビオラが頷くと審判役をしていた職員が専用のトレイに乗せたバッジを持ってきた。それは茶色の甲殻を持つ甲虫の姿を象ったバグバッジ。

 

「さぁ、タクミ君。受け取って」

「はいっ!!

 

タクミは喜びで震える手でそのバッジを掴み取った。

 

「……くぅううううう!!」

 

バッジを胸元に抱き寄せ、言葉にならない声をあげるタクミ。

キバゴがそのタクミの肩に飛び乗り、フシギダネが“ツルのムチ”で背中にくっついた。

 

「キバゴ!フシギダネ!見てくれ、これが俺達の最初のバッジだ」

「ダネ!」

「キバキバ!」

 

タクミは涙で潤む目で顔をあげ、ビオラに向けて腰を90度に腰を曲げるお辞儀をした。

 

「ビオラさん!ありがとうございました!」

 

ビオラは最高の笑顔を浮かべるタクミに向けて、カメラをもう一度構えた。

 

「タクミ君、どう?初バッジの記念に1枚」

「いいんですか!?お願いします……あっ、そうだ!すみません、写真撮るなら一つお願いが……」

「ん?なに?」

「実は……」

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

タクミは夕暮れ差し込むポケモンセンターのロビーで大口を開けて眠ってしまっていた。ソファの背もたれに体重を預け、寝息を立てるタクミ。その隣にはフシギダネが寝そべり、膝の上ではキバゴがお腹を丸出しにして眠っていた。タクミもキバゴ達も昨日は十分に睡眠時間は取っていたが、ジム戦前の緊張でその眠りはかなり浅かった。それに加えて全身全霊で一つのバトルに挑んだ後なのだ。疲労困憊で寝落ちしてしまうのもさもありなんという具合だった。

 

ジム戦が終わって、ポケモンセンターに帰ってきたのが14時頃。そこから、キバゴとフシギダネの体調をチェックして貰い、モンスターボールが戻ってきたのが15時半。軽いオヤツを皆で食べている間に寝落ちしてしまい、時刻はもう18時に差し掛かるところであった。

 

その時間になってもまだ鳴ることのないホロキャスター。アキからの連絡はまだない。

もし、タクミが起きていたらヤキモキして非常に長い時間を無為に悩んで過ごすことになっていただろう。そう考えると、睡魔に襲われたこの状況は悪くなかったのかもしれない。

 

ヤヤコマの鳴き声が聞こえ、子供達が帰路につく。

 

そんな時、不意にホロキャスターの着信音が鳴った。

 

その瞬間、タクミはバネ仕掛けの人形のように跳ね起き、ホロキャスターを掴みあげた。まるで最初から起きていたかのような反射神経であった。

 

「もしもし!アキ!?」

「残念でした〜俺で〜す」

 

ミネジュンの最高にムカつく顔がホロキャスターの画面の中に浮かんでいた。

 

「もう、タクミってばそんなにアキのこと好きなの〜?本当、お熱いんだから〜」

 

タクミは無性にホロキャスターごとミネジュンの顔を叩き割りたい衝動にかられたが、すんでのところで思いとどまった。

 

「それで、ミネジュン。なんの用?」」

「あっ、そうそう、実は面白いもん見つけてさ。タクミに見せてやろうと思って。ジャーン!見ろよこの脱け殻!キレイだろ実はこれなんと……」

 

タクミはあまりにどうでもいい話題に反射的にホロキャスターの通話を切った。

 

再度なり響く着信音。

 

「もしもし?」

「なんだよタクミ。これはお気に召さなかったか?じゃあじゃあ、これならどうだ!この光り輝く尻尾を俺がどうやって見つけたかについて……」

 

タクミはもう心底面倒になってホロキャスターの通話を切った。

 

3度目の着信音。

 

タクミはうんざりしながら。電話を繋いだ。

 

「はぁ……もしもし……」

「……あっ……タ、タクミ……その、だ、大丈夫?」

 

聞こえてきた女の子の声にタクミは電流が走ったかのように背筋を伸ばした。

 

「あ、アキ!!」

 

電話の向こうには病院のベットに背中を預けてるアキがいた。

タクミは慌てて首をブンブンと横に振り、今のため息をついた姿の印象を払拭しようとする。

 

「アキ!大丈夫!大丈夫だよ!僕なら全然大丈夫だから!」

 

立ち上がり、両腕を振り、必死に元気であることをアピールするタクミ。

だが、アキは俯いて疲れ切っているタクミの姿を見てしまった。

アキからすれば今のタクミの姿は完全に『ジム戦に負けた後の空元気』にしか見えなくなっていた。

 

「タクミ、その、だ、大丈夫だよ!私との約束なんて、そんな、気にしなくて」

「アキ!違うから!最初のテンションはちょっとミネジュンの相手で疲れただけで……」

「いいのいいの。また、かけ直すよ、えと、30分ぐらい後で」

「違うって言ってるじゃん!勝った!勝ったよ!勝ったから!約束守ったから!待って待って!今、バッチ見せる!あ、あれ、あれ?そうだ!カバンの中だ!ちょっと待ってて!」

「タ、タクミ!いいんだよ。別に今日じゃなくても、その、明日でも、1週間後でも」

「だから違うんだって!切らないで、電話切らないで待っててよ!!」

 

その後、タクミは飛ぶような勢いでバッチを取ってきて、必死の形相で身振り手振りまで加えてバトルの詳細を一手ずつキッチリ説明し、自分がいかにして勝利をしたのかを息を切らしながら話したのだった。

 

「ハァ、ハァ……信じてくれた?」

「うん、うん、わかったわかった。もう、信じたって。疑ってゴメンね」

 

アキは少し困ったように笑いながらそう言った。タクミが約束を守り、バッチを手に入れてきたことは当然嬉しかったが、さすがにこうも滝の如く話を聞かされては食傷になってしまう。

 

なんだか、あんまり感動的とは言えない報告になってしまった。

 

タクミとしては本当はもっとキチンと段取りをして、順序よく話し立てて、お互いに喜びを分かち合いながら発表するつもりだったのに全てが台無しである。タクミは今度ミネジュンに会ったら絶対にぶん殴ると心に決めた。

 

タクミは今日一日の体力を全て絞り出したかのような顔でドスンとソファに腰を下ろす。

そして、タクミはようやくアキの体調のことを切り出すことができた。

 

「アキの方はどう?手術終わったばかりでしょ?体調大丈夫?」

「うん。大丈夫。無事に手術終わったよ。でも、まだ麻酔が効いてて腰から下の感覚がないんだ」

 

アキはそう言いつつ、布団に覆われた左足をさする。布団を被った足の膨らみは反対側に比べて明らかに短い。

本当に足を切断したのだと実感して、タクミは足の裏にムズムズした感覚が走った。

 

「でも、こんなに遅い時間になって。難しい手術だったの?」

「あっ、それは全然関係ないよ。実は緊急手術が先に入っちゃって。私の手術が後回しになっちゃったんだ。スタートが遅くなったぶん、終わるのが遅くなっちゃって。実際、手術にかかった時間は予定よりも早いぐらいだったよ」

「そう……なんだ」

 

タクミは喉の奥で言葉を選ぶように、何度か唾を飲み込む。

そして、一番聞きたかったことを尋ねる。

 

「それで、本当に……病気は取れたの?」

 

問題はそれだった。アキの体を蝕む病。その大元が取れてこそ、本当に手術した意味があったと言えるのだ。

医者の腕を信じないわけではないが、どうしてもそのことを聞かずにはいられなかった。

 

その質問にアキは少し俯きがちに言った、

 

「……わかんない」

「え?」

「まだ、わかんないんだって。これから切った足を顕微鏡でもっと詳しく調べて、それからじゃないとわかんないんだ」

「そう……なんだ」

 

タクミは両手を合わせて強く握りしめる。

 

「でもね……」

 

ふと、アキの病室に光が刺した。雲の切れ目から赤い夕焼けが差し込み、アキの顔を照らす。

陰影のはっきりとついた顔。影と光のコントラストの中、アキの瞳が一際強い力を放ったように見えた。

 

「でも、これで……やっと、タクミと同じスタートに立てた……」

「……」

「タクミはもう先に行っちゃって、バッチも手に入れちゃった……でも、私追いつくから……絶対に追いつくから」

 

そして、アキは画面に向けて拳骨を突き出した。

 

「だから、待ってろよ!タクミ!!私はもう……タクミのライバルだ!」

 

眩しいぐらいのアキの不敵な笑顔。

 

胸の奥がキュッと締め付けられたような気がした。

 

タクミは自分の胸元を握りしめ、俯いた。タクミはそのまま肩を震わせ、かすれたような笑い声をあげる。

 

それを見て、アキは拳を下ろし、不貞腐れたように頬を膨らませた。

 

「な、なにさ、タクミ。私、変なこと言った?」

「ううん、そうじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

 

タクミは目尻に溜まった一滴の涙を袖でぬぐい、顔をあげる。その時のタクミは頬が痛くなるぐらいに笑っていた。

 

「ただ……アキが……元気になって良かったなって」

「あ……」

 

アキがハッとしたような顔をした。

 

アキは当然この手術に不安があった。何度も弱音をこぼし、タクミに強さを分けてもらおうとしていた。

タクミもそれに応えるように毅然として、決して涙を見せないように強く振るまっていた。

 

だが、タクミだって怖かったのだ。

 

アキの手術が上手くいかないんじゃないかと、アキの病気は治らないんじゃないかと、ずっと怖かった。

それでも、アキが怖がっているのなら自分が支えないといけないと、少しでも気分を楽にしてあげたいと思ってきた。

 

そんな押し込めてきた不安がようやく軽くなったのだ。

この涙は心の重石をのけて、浮き出てきた上澄みの涙だった。

 

「……タクミ……」

「ん?」

「その……えと……」

 

アキは少し言葉を探すように視線を彷徨わせた。

そして、何かを決心したかのように前を向いた。

 

「……ありがと」

 

たった一言の言葉に込められた万感の思い。

 

だけど、タクミにはその一言で十分に伝わっていた。

 

「どういたしまして。だから、これでチャラだ。これからは、もう、ライバルだ!」

「うん!!」

 

タクミはテレビ電話越しに拳を突き出す。

それに応えるようにアキも拳を突き出した。

 

聞こえないはずのゴツンという音が聞こえた気がした。



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サイホーンレース開幕

ジム戦から一夜明け、タクミはビオラのいるハクダンジムに朝早くから訪れていた。

 

「ビオラさん、こんな朝からごめんなさい」

「いいのよ。私もこれからフィールドワークに出かけるし。それで、はい、頼まれてたもの」

 

ビオラはそう言ってタクミにフラッシュメモリのようなものを渡した。

タクミはそれを受け取り頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「お安い御用よ。それで、タクミ君は次にどこのジムに挑戦するか決めてるの?」

「いえ。でも、一度ミアレシティに帰ろうかと思ってるんです。友達の手術が終わったばかりで、少し様子を見に行きたくて」

「そうなの?ってことは次に挑戦するのはミアレジム?あれ?まだ改装中だったっけ?でも、ミアレに帰るなら帰り道はスミル村の方を通ったらどう?」

「スミル村?」

「ええ、ちょうど数日後にサイホーンレースの大会があるの。あまり大きな大会じゃないけど、本格的なレースだし、飛び入りもOKの大会だから、カロス地方の思い出にどうかと思って」

「それいいですね!行ってみます!ビオラさん、本当にありがとうございました!!」

 

タクミは深々と頭をさげ、待ちきれんばかりに大通りを駆け出していく。

次の旅が待ちきれない様子はやはり新人トレーナーそのものだ。

 

ビオラは手元のカメラのデータを眺めた。

 

タクミの試合前と試合後の写真。それらをパラパラと眺め、ビオラはタクミがキバゴとフシギダネに飛び乗られて喜びをわかちあっている写真を映し出した。

 

「今年のコンテスト……これで行こうかしら」

 

本人の許可はジム戦の後でとったので、割と本気で考えているビオラであった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハクダンシティからスミル村へと旅立って数日。ミアレからハクダンシティへと向かった時とは桁違いに整備されていない凸凹の道を歩くタクミ、森の中でポケモンに度々出会うものの、積極的にゲットしたりはせずに軽く交流を深めては別れを繰り返すような旅をしていた。

 

そうして森の中を歩き続けていたタクミはふとロープで区切られた道にたどり着いた。

 

地面を削り、森の中に平坦な道を作ったようなその道はタクミが今まで歩いてきた道と比べても格段に踏み固められているようだった。

 

地図を見るとそろそろスミル村の近くまで来ている。方角的にはこの道を歩いて行けば到着しそうだが、ロープを乗り越えてその道に降りるのは少し憚られた。

 

「うーん……入っちゃダメだから区切ってるんだよな……」

 

とりあえず、下の道には降りずにロープを辿っていってみようかと思っていた時だった。

道の向こうから砂埃を上げて何かが走ってきているのが見えた。それと同時に、大量の重い足音が大地を踏み締めるような重低音がきこえてくる。

 

「なんだろ?」

 

背伸びをするように道の奥を覗き込む。次第に砂埃の先頭が見えてきた。

 

「あっ!サイホーンだ!」

 

一丸となって道を駆けてくるサイホーン。

その背にはライダースーツに身を包んだ人が乗っており、手綱を操ってサイホーンを走らせていた。

 

「うわぉ!すごい!本物のサイホーンレースだ」

 

それは、カロス地方で行われるメジャー競技の1つ。

サイホーンに乗ったトレーナーが舗装の無い山道を走り抜けていくレース競技だ。

 

サイホーンを操るトレーナーの技量や手綱さばきによっても明確な差が出る種目であるが、多くの人達が楽しみにしているのはやはりサイホーンだ。

 

サイホーンの頑丈で重厚な体躯。それを支える岩のような蹄。鍛え上げられて脚力は【いわタイプ】とは思えない程のスピードを出す。地球界の競馬程のスピード感はないが、クロスカントリーのような荒れ道をそのパワーでもって踏破していくサイホーンに魅せられる人達は多い。

そういうタクミもサイホーンレースの力強さに興奮する1人だ。男の子にとって『世界最速』は『世界最強』と同じぐらい魅力的な称号だ。パワータイプのレースに気持ちが昂るのも当然であった。

 

タクミは少しでもよく見ようと木の上によじ登った。

 

サイホーンレースは6人で同時にスタートして競われるレース。今、先頭集団にいるのは4人。

目を凝らせば砂埃で煙る視界の向こうにうっすらと2人のサイホーンレースが見える。

そんな、サイホーン達の先頭には最近ガラル地方で開発されたロトムの入ったドローンが飛び交って映像データを送っていた。

 

タクミの真下にあるコースはとても複雑なカーブだ。

一度右に曲がった道はすぐに左へとカーブする。その角度はヘアピンカーブに近く、間違いなくここはサイホーン達が仕掛けるのにもってこいの場所であった。

 

タクミはホロキャスターのカメラ機能を呼び出し、これを映像に収めようとした。

 

サイホーン達がコーナーへと突っ込んでくる。

最高速度では曲がり切れない。サイホーンのライダー達がどこで減速を仕掛けるかお互いに牽制し合う。それと同時に最善のコースを取る為にサイホーン達が相手を押しのけようと左右で激突する。彼等の身体がぶつかるたびに岩がぶつかるような重低音が響き渡った。

 

まさにレースの駆け引きの醍醐味が全て詰まっていた。

 

タクミはホロキャスターの画面では飽き足らず、数秒ごとにカメラの映像と実物の姿を見比べていた。

 

そして、コーナー直前にサイホーン達がわずかにスピードを落とした。

アウトインアウトのコースを取る為にサイホーン達がアウトコースに身体を寄せる。

 

その時だった。

 

砂埃の中から小さな影が飛び出した。

 

「………えっ?」

 

それはサイホーンと比較するとあまりに小さな影だった。

完全な球体のような姿。空色の皮膚。そして、弾力のありそうな身体がサイホーン達の隙間から突然現れたのだ。

 

「あれは……ゴマゾウ?」

 

鼻を身体に巻きつけ、一つのボールのような姿となってゴマゾウがサイホーンレースに混じって転がっていた。

サイホーン達が減速し、ゴマゾウだけがそのままの速度でコーナーに身体を差し込んだ。

 

「ダメだ!そのスピードじゃ……」

 

ゴマゾウは砂を撒きあげながらドリフトを決め、強引にコーナーを曲がっていく。

だが、そのスピードが産み出す遠心力で身体がコーナーの外へと流れていく。

 

「パオォオォオオ!!」

 

ゴマゾウは雄叫びをあげて遠心力を強引にこらえるように身体を傾けた。

ギャリギャリと地面に轍が刻まれ、砂利が巻き上がる。

そして、ゴマゾウはついに最初のコーナーを駆け抜けた。

 

「曲がり切った!?でも、この後はキツイ左だ!減速しないと壁に激突するぞ!」

 

最初のコーナーだけであれば、本来なら減速せずとも乗り越えられる。だが、サイホーン達が減速したのはその後に続く左のヘアピンカーブの為だ。コーナーとコーナーの間が短く、減速して立て直すスペースがないからこそ、彼等は最初のコーナーの前で減速したのだ。

 

それを無視して、強引にコーナーを曲がったゴマゾウ。

彼はかなりのハイスピードで次のコーナーへと侵入してしまった。

 

「いわんこっちゃない!!スピードが乗りすぎてる!ぶつかるぞ!!」

 

ゴマゾウは全力でドリフトを決めている。だが、それでも壁際に押し付けられていくゴマゾウ。このままだと曲がり切れずにコーナーの壁に正面衝突だ。タクミはもうホロキャスターなど見てはおれず、身を乗り出すようにしてゴマゾウの行方を追った。

 

その瞬間、ゴマゾウが二度目の咆哮を上げた。

 

「パァァオオオオオオオ!!」

 

そして、雄叫びと共にゴマゾウが跳ねた。

 

弾力のある毬のように地面から飛び上がるゴマゾウ。そして、ゴマゾウはその回転を殺さぬまま『壁』に着地した。

 

「……バカな……『壁走り』だと……」

 

壁の砂利を巻き上げ、ゴマゾウが『壁』を走り出す。遠心力とスピードで壁に吸い付くように走るゴマゾウ。だが、ゴマゾウの身体は重力に引かれるように次第に壁からずり落ちていく。地面に落ちれば壁と地面の2か所から摩擦を受けることになり、スピードは極端に落ちてしまう。

 

コーナーを最高速のまま駆け抜けるには、壁を走り切るしかないのだ。

 

ゴマゾウが地面に激突するのが先か、コーナーを脱出するのが先か。

 

ゴマゾウは身体を70度近くまで傾けて、重力に抗う。

だが、あと少しというところで不意にゴマゾウの身体が揺れた。

固い石か何かを踏んだのだ。一気に壁からずり落ちていくゴマゾウ。

 

もうだめかとタクミが思ったその時だった。

 

「パァァァオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

3度めの絶叫が鳴り響く。

 

ゴマゾウが強引に回転数を上げた。

 

一時的に加速し、遠心力が復活する。そしてゴマゾウは一気にコーナーを突破した。

 

「おおおおおおお!!!すごい!越えてった!!」

 

タクミは思わずガッツポーズをした。

 

「パオォ!!」

 

ゴマゾウは後続を振り切り、そのまま加速して引き離していく。

1人飛び出したゴマゾウは独走状態のまま、村の方へと消えていった。

 

「はぁ……」

 

タクミは震える手を抑えながら、感嘆の吐息を漏らした。

 

「いや……凄いの見ちゃった……」

 

ホロキャスターにもバッチリ記録が残っており、再度見返すとなんとも芸術的なコーナリングだった。

『壁走り』を前提とするならコーナーへの侵入角度もスピードコントロールも完璧だ。

あのゴマゾウは余程このコースを走り込んでいるに違いなかった。

 

しかし、タクミには一つ疑問が残る。

 

「なんでサイホーンレースにゴマゾウが混じってんだろ?」

 

至極まっとうな疑問を浮かべつつ、タクミは鞄を背負いなおしてスミル村への道を歩いて行った。

 

サイホーンレースのコースの脇を進んでいき、峠を一つ越えると真下にスミル村が見えてきた。

コースはその峠を激しく蛇行しながら下っていき、最後には大きなカーブを経てスミル村の中央に位置する牧場のホームストレートへと続いている。

サイホーンレースの真っ最中のスミル村はまさにお祭り騒ぎだった。牧場を中心に屋台や出店が立ち並び、あちこちに横断幕やペナントが飾り付けられている。中央には巨大なスクリーンが設置されドローンロトムの映像が大迫力で映し出されている。熱の入った実況と観客の歓声が峠のてっぺんまで聞こえてくる。

 

タクミは祭りに乗り遅れまいと、急ぎ足で峠を下っていった。

 

村の入り口にはポケモン界の警察機構の代表一族であるジュンサーさんがバイクに乗って警戒にあたっていた。

タクミは頬を少し上気させながら元気よく挨拶をした。

 

「こんにちは!ジュンサーさん」

「あら、こんにちは?その荷物の大きさはもしかして『地方旅』の途中?」

「はい!ここでサイホーンレースがあってるって聞いて見に来たんです」

「そう、ならいいタイミングね。これからレースの準決勝2戦目が始まるわ。明日には飛び入り参加の人達のレースもあるし、決勝戦もある。スミル村を楽しんでいってね」

「はいっ!!」

 

タクミはホロキャスターのカメラを起動しながら、スミル村へと飛び込んでいった。

流石のお祭りとあって、サイホーンレースの合間に色々なイベントが催されていた。メリープの早刈り競争や、卵運びの障害物レース、カビゴン対人間10名の大食い対決なんてものもやっていた。タクミはキバゴとフシギダネをボールの外に出し、屋台で買ったホットドッグを一緒に頬張ったり、モーモーミルクで作ったソフトクリームに舌鼓を打ったりしながら祭りを堪能していた。

 

そして、今日のラストイベントはサイホーンレース準決勝2レース目だ。

 

6人で同時に走り出して順位を競うサイホーンレース。1回戦、2回戦、準決勝、決勝とレースは4回。それぞれのレースでの上位2名とタイム上位者の数名が次へと進めるシステムだ。レース毎にサイホーンの乗り換えは自由であるが、登録できるサイホーンは2匹までだ。そのサイホーンをどのように乗り換えていくのかも各々戦術があり、サイホーンレースの醍醐味でもあった。

 

タクミは観客席に座り、入り口で貰ったパンフレットに目を通しながら、大盛りポテトフライをキバゴ達と一緒につまんでいた。

 

「キバゴ、フシギダネ。今日はお祭りだ。好きなだけ食べていいからね」

「キバァ」

「ダネダ」

 

普段は体調管理の為にポケモンの栄養バランスには気を遣っているが、今日は何も気にせずに甘いもの、あげもの、塩分の高いものと健康など度外視した食べ物を食べまくる。地球界と違って祭りでもあまり割高設定になっていないのもまたタクミの財布のひもを緩くする。

 

サイホーンレースが始まる時間が近づき、次第に観客席に人が集まってくる。

席が埋まってきて、タクミはキバゴを頭の上に、フシギダネを膝の上に移動させた。なお、フライドポテトの器はフシギダネが“ツルのムチ”で器用に支えてくれた。

 

そして、ついに準決勝が始まった。

 

一斉に走り出すサイホーン達。スタートから飛び出て仕掛けるか、上り坂で引き離すか、体力を残して下り坂で勝負にかけるか。そういったライダー達の様々な思惑を乗せたサイホーンの走りが暑苦しい程の実況者を副音声にして繰り広げられる。

 

砂塵が舞い、大地を抉り、それでいて時にクレバーな立ち回りでレースを進めるライダー達。

 

途中で1位と2位が後続を引き離し、流しに入ったのは少し残念だったが、3位の選手がタイムで決勝に残るためにギリギリのラインでコーナリングをしていく様子はなかなかに迫力があった。

 

だが、正直レースの内容など割とどうでもよかった。タクミはレースを見ているうちに、今すぐにでもサイホーンに乗ってみたくなっていたのだった。

 

レースが終わり、参加者達に拍手を送る頃にはタクミはすぐさま観覧席を抜け出していた。キバゴとフシギダネを抱えたまま飛び入り参加の受付へと走り込み、すぐさま『貸しサイホーン』達のいる牧場へと移動した。

 

「キバゴ、フシギダネ。2人ともそこにいてよ」

「キバキバ」

「ダネ」

「フシギダネはホロキャスターもよろしく」

「ダネ」

 

2人はポケモン用巨大クッキーを分け合いながら柵の外でタクミを見守る。ホロキャスターを渡されたフシギダネはタクミの要望通り“ツルのムチ”でホロキャスターを高く持ち上げ、タクミの姿を動画で撮影していた。

 

ジャージに着替えたタクミは係員の人に連れられるままサイホーン達がわんざか集う牧草地へと足を踏み入れた。

 

「サイホーンは真正面から近づくと、敵対していると思って警戒します。かといって、後ろから近づくと蹴飛ばされます。サイホーンに寄る時は必ず横から。ゆっくりと近づいて手で触れてあげてください」

「はい……うわぁ、すご、固いのにちゃんと温もりがある」

「【いわタイプ】のポケモンに触るのは初めてです?」

「はい!なんか不思議な感じ。見た目は完全に岩なのに、ちゃんと生きてるんだ」

「すごいでしょ。この感覚に魅せられて【いわタイプ】専門になるトレーナーも多いんですよ」

「へぇ……乗ってもいいです?」

「はい、乗る時はこっち側から足をかけて……」

 

タクミは教えられるまま、サイホーンに跨る。手綱も鞍もつけていないのにサイホーンの背中はピタリとタクミの身体が収まった。

 

「うわ、なんか不思議な感じ。視線が普段より高くなるからからかな。なんか、変な感じ」

「そうでしょ」

「なんだろ、なんかすごい……『嬉しい』じゃないけど、『楽しい』?いや違うな……なんかすごいふわふわする感じがする」

 

タクミのその反応は係員の人が欲しかった反応であった。

係員は満面の笑みで大きく頷いた。

 

「サイホーンに初めて乗った方は皆さんそう言うんですよ。実はですね、人間が赤ちゃんの時にハイハイをしている状態から立って歩けるようになった時に上昇する高さの比率と、サイホーンに乗った時に上昇する視線の高さの比率がほとんど同じなんですよ。ですから、今感じている感動というのは、人間が初めて立ち上がった時の感動と同じなんです」

 

それを聞いたタクミの眉が跳ねた。

 

「……初めて……立ち上がった時?」

「はい!サイホーンに乗った時の感動というのは、見える景色が変わり、見える世界が変わった時の感動と同じなですよ!」

 

ニコニコとそう言った係員。

 

彼はきっとより深く感動したタクミの表情を期待したであろう。

 

だが、今回はタクミは彼が期待する反応をすることはなかった。

 

タクミはスンと落ち着いた表情でゆっくりと周囲を見渡した。

 

『見える景色が変わり、見える世界が変わった時の感動』

 

タクミは今この瞬間にも自分の足で立とうとする大事な友人へと思いを馳せる。

彼女の手術は成功したが、傷が安定するまではまだまだかかる。そこから義足の調整を行い、本格的にリハビリができるのはもっと先だ。

 

彼女が1人で立つことができるのは一体何時になるのか見当もつかないが、その時に彼女はきっとこんな気持ちになのだろうか。

 

そんなことを思ってしまったタクミは視線を落として、サイホーンの頬を軽く叩いた。

 

「ありがと、サイホーン」

「サイ?」

 

首をかしげるサイホーンに向け、タクミはニパッと笑い、サイホーンから飛び降りた。

 

「すみません。他のサイホーンにも乗ってみていいですか?」

「あっ、はい、いいですよ。明日乗るサイホーンを今のうちに吟味してみてください」

 

人間の指紋がそれぞれ異なるように、サイホーンの背中の突起もそれぞれ異なる。タクミの身体にその突起が合わなければ乗るのは断念しなければならない。だが、タクミはどちらかといえばサイホーンの性格で選びたいと思っていた。タクミはサイホーンの間を渡り歩き、職員が食事をあげる手伝いをしながらサイホーン達に触ってコミュニケーションを取り、跨った時の反応をみていった。

 

そして、いよいよ明日乗るサイホーンの候補を3匹ぐらいに絞った。

 

「うーん、どうしようか……フシギダネ、録画している映像見せてよ」

「ダネダ~」

 

フシギダネはモーモーミルクを飲み干して口元に白い髭を付けながら返事をしてくれた。

 

タクミはホロキャスターを受け取り、自分が乗っている時のサイホーンの足さばきや視線に注目して見ていく。

そして、ホロキャスターの動画を見ていくうちに、ここに来る前に録画した映像が再生された。

 

それはタクミが偶然出くわしたサイホーンレースの映像。

 

それを見て、タクミはふと思い出したことを係員に尋ねた。

 

「すみません」

「はい、なんですか?」

「あの、準決勝の第一レースかな?ここに来る途中でサイホーンレースのコースに突き当たって、そこでレースを直に見たんですけど。その時、ゴマゾウがコースを走ってたんです。あれは選手だったんですか?」

「ああ、あのゴマゾウね」

 

そう言うと、係員の人は眉間に皺を寄せながら苦笑いを浮かべた。

 

「いや、あれは選手じゃないんですよ。いつの頃からかな、あのゴマゾウはどこからか別の場所からやってきて、あのコースに住み着いちゃったんです」

「住み着いている?」

「そうなんです。もともと走るのが好きな奴だったみたいで。それで、このコースを気に入っちゃったんですよ。普段から毎日のようにコースを周回して、ドリフト決めてコーナーを攻めて、まるで自分のホームグラウンドみたいに使ってて」

「へぇ。でも、そんなことしていいんですか?」

「まぁ、一日中走ってるわけじゃないし。向こうもこちらに出くわしたらキチンと止まってくれるのでそこまでは……ただ、走るのが好きで、当然競い合うことも好きなようで、こうしてサイホーンレースがあると勝手に乱入してくるんです」

「へぇ……」

 

スピード狂という奴だろうか。

 

タクミにも身近に『スピードこそ最強』みたいな考え方をしている友人がいるのでその感情は理解できなくもなかった。

 

「トップと競り合うと、インコースをブロックしてきたりしてタイムに影響が出ちゃうこともあるんで、こちらとしてはやめさせたいんですけど」

「そのゴマゾウって『野生』ですよね。ゲットとかできないんですか?」

「村としては、ゲットしたいんですけど……ただ、レーサーの人達がそれに納得してくれなくて」

「え?妨害されてるレーサー達が?」

「はい。実はあのゴマゾウ……今のところサイホーン相手に無敗なので」

「マジですか」

「マジです。やっぱ日々走ってるからかコース取りとか、加減速の匙加減が絶妙に上手いんですよ。それでレーサーの方々もサイホーン達も『負けたまま終われるか』って闘争心燃やしちゃってしまって」

「なるほど……」

「そのおかげで、今ではちょっとした名物になってますけどね。ゴマゾウが参戦した時の会場の盛り上がりは凄いですよ」

「それでサイホーンとかメリープに混じってゴマゾウのぬいぐるみが売られてたんですね」

 

そんなゴマゾウの話をしていると、いつの間にか一匹のサイホーンがタクミの隣に並んでいた。

それはタクミが吟味していた3匹のうちの1匹で、他のサイホーンより負けん気が強そうな態度が目立つサイホーンであった。

 

「サィ!サィ!!」

「ん?どうしたんだお前?」

「サイサイサイ!!」

 

そのサイホーンは何かを訴えかけるように顔を上下させ、前足で地面をかいた。

闘争心を剥き出しにしているような、威嚇しているような態度であった。

 

だが、タクミは不思議とそのサイホーンから敵意を感じなかった。

タクミはサイホーンを落ち着かせるようにその頬を撫でる。

 

「なんだお前、ゴマゾウの話題が気にくわないのか?」

「サイィ!」

 

身震いするように顔を振るサイホーン。

そんなサイホーンを見て、職員が苦笑いを浮かべた。

 

「そのサイホーンはゴマゾウの遭遇率がやけに高くてね。何度もレースでゴマゾウに負けちゃってるんだ。ずっとリベンジするために頑張ってるんだけど、なかなかねぇ……」

 

本職のレーサー達ですら手玉に取るゴマゾウだ。

牧場で普段は畑を耕す手伝いをしているサイホーンでは勝てるわけもないだろう。

 

だが、そういう理屈がわかっていても勝ちたいという意志を捨てることが出来ない奴もいる。

 

タクミはそのサイホーンのツノを撫でた。

 

「お前、あのゴマゾウに勝ちたいのか?」

「サィ!!」

 

このサイホーンの目が憎々しげに細められる。どうやら随分と煮え湯を飲まされているようであった。

タクミはそのサイホーンを見て、ニヤリと笑い、サイホーンの頬を手の甲で軽く叩いた。

 

「よっし、サイホーン。明日は僕と一緒に走るか!?」

「サイッ!!」

 

サイホーンが頷き、鼻先のツノを突き出した。

タクミはサイホーンの意図を察し、そのツノに拳をぶつけた。

 

「よろしくね、サイホーン!」

「サイッ!」

「ゴマゾウが現れるといいね」

「サァイッ!!」

 

夕焼けが迫る牧場。

 

レースは明日の朝一番。

 

タクミはの胸はワクワクで一杯であった。

 



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その頭文字はD!

祭りの朝は全ての物事が慌ただしく過ぎていく。

そんな言葉を体現したかのように、飛び入り参加の大会のスタート時間は瞬く間に訪れた。

 

「さぁー!始まりました!!本日も張り切っていきましょう!スミル村!サイホーンレース、ドリームカップ!!」

 

観客席から歓声があがるが、その大きさは昨日の準決勝と比べると4割減といったところだった。

飛び入り参加の初心者レースだから仕方がないとはいえ、少し寂しい気もする。だが、逆に超満員に見られるというのも恥ずかしいのでこれぐらいでいいのかもしれない。

 

そんなことを思いながらタクミはサイホーンレースのスタート地点でサイホーンに跨っていた。

 

乗っているのは昨日選んだサイホーン。

 

タクミはそのサイホーンの頬を叩いて、声をかけた。

 

「サイホーン、ゴマゾウとレースできるといいな」

「サィッ!!」

 

気合が十分に入っているサイホーンであるが、それと同時に『ゴマゾウの話題を出すな』と言っているような憤怒の感情も読み取れる。あまり煽りすぎるのも逆効果かもしれないと思い、タクミはこの辺で発破をかけるのをやめておくことにした。

 

「ダネダァ~」

「キバキバ!!」

 

観客席では昨日と同じように屋台の食べ物を頬張っているキバゴとフシギダネがいた。

フシギダネには昨日に引き続き、ホロキャスターを預けていた。

タクミは彼等の応援に応えるように片手を振り上げた。

 

会場のスピーカーからは昨日に引き続き、熱心な実況とクールな解説がその場を盛り上げていた。

 

「続いて背番号4番!隣のセモレ村よりの挑戦だ!特殊ルール『ガムテープデスマッチ』にて最強!!ダブクラ選手~!!」

「手綱と右手をガムテープで固めて行う危険なレースですが、片手でサイホーンをコントロールする技術の練習には最適という意見もあります。けっこう健闘するかもしれませんね」

「なるほど!そして、背番号5番!我らがスミル村よりの挑戦者!キラークー選手!」

「キラークー選手ですか。意外ですね、普段の付き合いは悪い方だと記憶していましたが。33歳、独身、仕事はまじめでそつなくこなすが、今ひとつ情熱のない男。悪い奴じゃあないんですが、これといって特徴のない影の薄い男ですね。ちなみに手持ちのポケモンは『マルマイン』『ゴローニャ』『マタドガス』」

「これはこれは“だいばくはつ”が好きそうなレーサーの参戦だぁ!このレースを彼はどう彩ってくれるのでしょうか!!そして、ラスト背番号6番!!地球界出身!『地方旅』にてこのスミル村を訪れてくれた旅のポケモントレーナー!タクミ選手!!!」

 

今度は客席に呼びかけるように手を振ると、意外な程に大きな歓声があがった。

 

「おぉお!!ジムもないこの村によく来てくれたぞぅ!少年!!」

「『地方旅』のトレーナーが来てくれるなんて、宣伝に費用回したかいがあったな!!」

「祭りを楽しんでいってねぇ~!!」

 

ポケモン界のこういう小さな村では外からの旅人が来てくれることは珍しいのだろうか。

だが、確かにサイホーンレースなんていうイベントが無ければタクミもこの村に寄ることはなかった。

こういったイベントに『地方旅』のトレーナーが訪れるというのはそのまま世間の認知度の指標になっているのかもしれない。

 

歓迎ムードの中でタクミは手綱を握りなおし、サイホーンにしっかりと腰を据えた。

 

「サイホーン、ゴマゾウとレースしたい気持ちはわかるけど。まずは目の前に集中だ」

「サイッ!」

 

サイホーンの目がニュートラルな状態であることを確かめ、タクミは腿を締め上げる。

 

そして、レースが始まる。

 

「それでぇわぁああ!!ドリームカップ!飛び入りレース……レディイイイイイイ……ゴォーーー!!!」

 

フラッグが振り下ろされ、一斉にサイホーンが走り出す。

 

「行くぞ!サイホーン!!」

 

スタート直後の横1列の大混戦。最初のコーナーでインコースを制することができるかどうかはレース全体の流れすら決定づける重要なセクションだ。だが、そこで前に出るかどうかは人による。一番前にいることで全開のスピードでコーナリングをする戦い方もあれば、あえて後ろにつき、前の選手を風よけにして体力を温存するという戦術もあ。

タクミはここで先頭に出るつもりであった。タクミのポジションは一番アウトコースの6番目。インからは一番遠い。だが、タクミはこのサイホーンなら行けると踏んでいた。

 

「サイホーン!強引にでもいい!ここで前に出るぞ!!」

「サァイィ!!」

 

サイホーンのピッチがあがる。わずかに前に出たサイホーンは鼻先を内へ内へと差し込んでいく。コース全体を斜めに突っ切るようなライン取り。他のサイホーン達はタクミに進路を塞がれる形になる。

普通のモータースポーツやレース競技ならその時点で他の選手たちは減速を余儀なくされるだろう。だが、これはサイホーンレース。身体全体で進路を塞ごうとするタクミ達に向け、先手を取ろうとしていた他の選手たちが加速した。

 

「外からだと!なめてんじゃねーぞ!外からいかすかよ!」

「このレースのスタートは……ダブルクラッシュと行こうぜ!!」

 

タクミ達の横っ腹に突進してくる他のサイホーン。彼等はタクミ達にたいあたりをかましてでも強引にインコースを狙ってくる。 1人だけレースが始まったばかりだというのにクラッシュを狙ってる奴もいた気がしたが、きっと気のせいだろう。

 

「サイホーン!ビビるな!!死ぬ気で突っ込め!!」

 

既にコーナーに差し掛かっているサイホーン。

大きくアウトコースからコーナーに侵入したことで完璧なアウトインアウトのライン取りが可能になっている。タクミのサイホーンは他の追随を許さぬ速度でのコーナリングを慣行した。

 

タクミ達につっかけようとしていたサイホーン達の鼻先が、タクミ達の背後を通過する。

タクミ達は地面を滑るようにしてコーナーを曲がり、減速することなく駆け抜けた。

 

「おぉっと!いきなりタクミ選手が前に出たぁ!!サイホーンレース初心者のトレーナーがいきなりトップに躍り出る!波乱の幕開けだ!!」

「いよっし!いいぞサイホーン!!」

「サァイ!!」

 

闘争心が高く負けず嫌いなこのサイホーンのポテンシャルに賭けたタクミであったが、その賭けは見事的中だった。後続はタクミに無理につっかけようとしたために逆にコーナーで減速してしまい、タクミとは距離が離れた。これではタクミの後ろにつき、風よけにすることもできない。

 

他の選手たちがタクミに追いつくためにペースを上げてくる。直線に入り、加速してくる後続の気配を足音で感じながらタクミはニヤリと笑った。

 

最初のコーナリングから完璧に狙い通りだ。タクミはわざと最初に勝負を仕掛けることでこのレースを強引に高速レースへと引き上げたのだ。

 

なんでこんなことをしたかって?

 

理由はない。強いて言えばお祭りだからだった。

 

「サイホーン!さぁ、峠越えだ。一気に行くぞ!!」

「サァイ!!」

 

大地を踏みしめる蹄。躍動する体躯。そのスピード感を一身に感じてタクミは峠を一気に登っていった。それに追いつこうと後続も更に加速していく。1人クラッシュして5人に減ったサイホーンレース。それは本戦でもなかなか見ないようなハイスピードの戦いになりつつあった。

 

そんな過熱した空気を1匹のポケモンが嗅ぎつけていた。

 

「パオン?」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

タクミを先頭としたレースは折り返し地点である峠を越え、下り道に差し掛かろうとしていた。

タクミと後続達の間にはちょうどサイホーン2匹分の差が開いている。後続のレーサー達はこの距離を保ったままタクミに追いすがる。前半は力を溜め、後半に巻き返しを狙うつもりだろう。

 

「さぁ、サイホーン。ここからが本番だ。なんとか逃げ切るぞ」

「サイッ!」

 

走りながら返事をしてくれたサイホーンの背中の棘を軽く叩く。

下り坂で加速が乗るサイホーンであるが、タクミはもう速度に関しては一切指示を出していなかった。道をほとんど覚えていないタクミよりも、この村でたびたびレースに参加しているこのサイホーンに加減速を任せた方がまだマシだった。その分、タクミはコーナリングに全神経を集中していた。サイホーンのスピードは既に初心者の大会平均を遥かに超える速度に到達している。その分、カーブへの侵入角度やコース取りがシビアになってきており、タクミの手綱捌きがかなり重要になってきていた。

 

手綱と目の前のコースに集中するタクミ。

だからだろうか、タクミの耳にはこの場に混じった不協和音を聞きとることができなかった。

 

タクミはサイホーンが跳ね飛ばす泥に頬を汚しながら、下り坂を疾駆していく。

 

そして、ふと見覚えのある景色にでくわした。

 

それはタクミが初めてこの村を訪れたときにたどり着いた場所だった。加速の乗る直線から右へのカーブ、そしてすぐさまキツイ左のコーナーが待ち受けているS字カーブ。そこでタクミはゴマゾウの華麗なるコーナリングを見たのだった。

 

そんなことが頭をよぎる。意識の中にレース以外の邪念が混じる。それを人は『集中力が切れた瞬間』と呼ぶのだ。

だが、今回はそれがプラスに働いた。タクミは自分の耳にサイホーンとは別の足音が混じっているのに気付いたのだ。

 

リズミカルな4つ足の足音じゃない。重量が軽く、断続的な地鳴りのような足音。

それはまるでタイヤを転がしているかのような音だ。

 

後ろを振り返る。後続達はなぜかペースを落として走っている。先程までの順位と大きく変化があり、コーナーで誰かが勝負を仕掛けた後のようだった。

 

そして、その視界の端に土煙が映り込む。

 

タクミのサイホーンが跳ね上げている土煙とは別の粉塵。

 

タクミの肌に鳥肌が走った。恐れをなしたわけではない。むしろ逆だ。あまりの興奮に全身の毛が逆立ったのだ。

 

「この粉塵は僕のサイホーンが出しているものじゃない……まさか……いるのか……そこに!!」

 

タクミは身体を捻り、視線を右へと滑らせる。

 

そこに、タクミのサイホーンと並走するかのように水色の球体が転がっていた。

 

「ゴマゾウ!!」

「サァァイッ!!」

 

一目見た時からその走りに魅せられていたタクミ。

何度もレースで煮え湯を飲まされたサイホーン。

 

タクミとサイホーンの気持ちが一気に燃え上がった。

そんな彼らの闘志を感じたのか、ゴマゾウは一声吠えた。

 

「パオォオン!!」

 

加速するゴマゾウ。そこに付き合うように速度をあげるサイホーン。

 

ゴマゾウのやり口は知っている。

 

サイホーンにはできない速度でこのS字に侵入し、壁走りで強引に突破していくのだ。

あの時に見た芸術的な走りがタクミの脳裏にフラッシュバックする。

 

ゴマゾウに自由自在に走られては、パワータイプのサイホーンに勝ち目はない。

 

だったら、やることは一つだった。

 

「サイホーン!前を塞げ!ゴマゾウに前に出させるな!」

「サァイ!!」

 

サイホーンは強引にゴマゾウの前に身体を差し込み、コースをブロックする。

体格が倍ほども違うゴマゾウとサイホーン。サイホーンの体躯があれば、相手より体半分が前に出ているだけで動きを封じることができる。

 

タクミは最初の右カーブできっちりゴマゾウを抑え込んだ。

 

「パォッ!パォオオオ!」

 

『前をどけ!』と言わんばかりに吠えるゴマゾウ。

だが、タクミは何度もゴマゾウの位置を確認して、その前をブロックする。

 

カーブを曲がり切り、続いて左カーブへと差し掛かる。

サイホーンは先程と同じようにインコースを塞いだ。

 

サイホーンはコースの端の壁に鼻先を突っ込まんばかりにスレスレの位置を走る。ゴマゾウは砂利を跳ね上げながらその後ろを追随する。

 

ゴマゾウは『壁走り』を使おうとしない。

 

いや、正確には『できない』

 

あの壁走りは最高速度でコーナーに突っ込むことでその遠心力を用いて壁に張り付く技術だ。

タクミは先手を打って最初のカーブでゴマゾウを抑え込んだ。そのせいでゴマゾウはスピードに乗り切れず、壁走りを慣行することができなかったのだ。

 

S字コーナーを越え、前に出ていたのはタクミだった。

 

「よっし!」

「……パォォ……」

 

思ったようなコーナリングができずフラストレーションの溜まった声をあげるゴマゾウ。

それに対してタクミはニヤリと口元で笑ってみせる。

 

「サァイ!!」

 

サイホーンがそんなタクミを窘めるように吠えた。

 

「わかっているよ。油断はしないさ!」

 

タクミは手綱を握りなおし、次のコーナーへと集中していく。それをゴマゾウが追跡する。

ゴマゾウは隙さえあればインコースに頭をねじ込もうと虎視眈々と狙っていた。

 

「サイホーン!絶対にインを開けるなよ!」

「サィ!!」

 

コーナーのインに身体をピッタリと寄せるサイホーン。

ゴマゾウからすれば強引にでも身体をねじ込みたいところだ。だが、ゴマゾウとサイホーンとの体重差は3倍だ。まともに当たればゴマゾウの方がただではすまない。

アウトコースから抜こうにも、大回りするコーナリングではサイホーンは抜けない。直線での速度も互角であり、ゴマゾウは前に出ることはできなかった。

 

ゴマゾウとのバトルに集中しているためタクミのスピードが落ちてくる。だが、正直タクミはもはや後ろのことなど気にしていない。後続に追いつかれようが、追い抜かれようが、今はただゴマゾウとのこのレースに集中していたかった。

 

「パォォ!」

 

ゴマゾウの吠え声がたびたび耳に届く。

 

前に出れない苛立ちのようにも聞こえるが、タクミにはなぜかゴマゾウが笑っているような気がした。

それも最高にこのレースを楽しんでいるような笑い声だ。

 

タクミは全身全霊でコーナーに挑む。ゴマゾウは一瞬でも隙がないかどうか狙い続ける。

この緊張感と身体の奥を浮かせるような興奮には覚えがある。

 

「まるで……ポケモンバトルみたいだ……」

 

タクミはそう呟き、次のコーナーの為に手綱を引いた。

 

森の中のコーナーを抜け、スミル村が見えてくる。

ここからは一気に山道を下っていくヘアピンカーブの連続だ。先程までコースの両脇に切り立っていた土壁はなくなり、山からの景色が一望できるようになる。

 

風が一段と強くなり、タクミの顔から熱を攫っていく。

その風に実況席からの声が届いてきた。

 

「さぁ、先頭はタクミ選手!!その後ろには我がスミル村の暴れん坊!下り最速のゴマゾウがピタリと張り付いている!両者森林エリアを抜けた!続いて挑むのは下りの5連続ヘアピンカーブ、通称『アルベガ坂』!!ドリームカップ終盤!ゴマゾウとの勝負の行方はまだまだわからないぞぉ!!」

 

例えヘアピンカーブでもやることは変わらない。

両側の壁もなくなり、ゴマゾウの『壁走り』もなくなった今、タクミはサイホーンを操ってひたすらにインコースに身体を差し込んでいく。

 

コーナーを一つかわす。二つかわす

 

ゴマゾウは前を行くサイホーンの足跡をたどるように、ピタリと背後についてくる。

 

三つめのコーナーへと差し掛かる。

 

ヘアピンカーブを曲がる瞬間、サイホーンが荒い息を吐きだした。スタートからハイスピードで走ってきたのだ、そろそろ体力的にも厳しい。だが、サイホーンの目はまるで死んでいない。背後のゴマゾウに絶対に勝つんだという意地が気力となってサイホーンの身体を駆動させていた。

 

タクミはその気持ちに応えるべく、手綱を必死に握りしめる。

 

3つ目のコーナーを抜け、ラスト2つ。

 

その瞬間だった。

 

タクミの背筋に電撃のような怖気が走った。

 

タクミは思わず背後を振り返る。一瞬だけ後ろを見て、ゴマゾウの位置を確認し、すぐさま前を向く。

 

ゴマゾウは変わらずタクミ達の後ろにピタリと吸い付いている。

このまま、前をブロックしていけば絶対に負けない。

そのはずなのに、なぜか言い知れぬ不安がタクミに襲い掛かってきていた。

 

そして、そんなタクミに気が付いたかのようにサイホーンが鳴き声をあげた。

 

「サイッ!サイッ!!」

「サイホーン!?どうしたんだ急に?」

「サイサイッ!サイッ!!」」

 

何か警告をするようなサイホーン。だが、タクミはこのサイホーンに昨日会ったばかりだ。鳴き声1つではサイホーンの感情などわからない。

 

だが、1つだけはっきりしていることがある。

 

「なにかが……来る!!」

「パオォオオン!!」

 

背後のゴマゾウから底知れないプレッシャーが放たれた。

 

サイホーンがコーナーに侵入する。身体を横に滑らせながら坂を下り、一気にコーナーを駆け抜ける。ドリフトのようなライン取り。インコースは決して開けないように意識しながらタクミはコーナーを曲がった。

ゴマゾウは常にその横を同じようにドリフトしながらピタリと寄せてきている。

 

だが、突如、ゴマゾウが加速した。

 

「なにっ!!」

 

コーナーを曲がりきる前の加速。明らかにアクセルをかけるタイミングが早すぎる。曲がれるわけがない。

 

そのはずだった。

 

「パォオオオオオオオオ!!」

 

ゴマゾウが小さく跳ねる。

実況の声が響いた。

 

「おおぉおおおおおお!!遂に出たぁぁぁぁあああああ!!!」

 

ゴマゾウが宙を飛ぶ。インコースの更にイン。カーブの内側をショートカットしてゴマゾウの身体が空中を走る。ゴマゾウはそのままサイホーンの鼻先を飛び越え、タクミ達の前へと着地した。

 

タクミは抜かれたのだ。

 

「パオォオオ!!」

 

喜びを爆発させるように叫ぶゴマゾウ。歯を食いしばるサイホーン。

 

タクミには何が起きたのかわからなかった。

 

そのタクミの耳朶にスピーカーで拡大された実況が突き刺さる。

 

「高低差の大きいアルベガ坂特有のヘアピンカーブ。だからこそ実現可能な……」

 

そして、第5コーナー。

 

ゴマゾウが再びコーナーの内側をショートカットするかのように飛んだ。

 

 

 

「掟破りのゴマゾウ走りだぁ!!」

 

 

 

「ゴマゾウの柔らかな身体と、最適なバランスがあってこそのライン取り。通常のサイホーンではあの速度でジャンプなどできない。この走りで、ゴマゾウはこのアルベガ坂で何度も強敵を破ってきました。下り最速の異名は伊達ではないですね」

 

解説を聞きながら、ゴマゾウに遅れて第5コーナーを曲がるタクミ。

 

「くそっ!やられた。あんなワザを持っているなんて!!」

 

前を行くゴマゾウ。ゴマゾウは先程までの意趣返しと言わんばかりにサイホーンの身体をブロックしてくる。

無理にでも鼻先を突っ込んでこじ開けたいところであったが、サイホーンの体力も限界に近い。対してゴマゾウは前半走ってない分だけパワーが有り余っている。ここで身体をぶつけ合うような勝負は不利だ。

 

だが、レースはもう終盤も終盤。

 

あとはスミル村までの直線と、ゴール直前の左カーブしかない。

 

タクミは前かがみになって少しでも空気抵抗を減らしながら、サイホーンに声をかける。

 

「サイホーン!頼む!頑張ってくれ!ここでラストだ!ラストまでに全てをかける!!」

「サイッ、サイッ、サァアアアアイ!!」

 

タクミはサイホーンに預けていたスピード管理も担う。

手綱を握り込み、タクミは最後の賭けに出た。

 

タクミとサイホーンは気力を振り絞るようにしてこの最後の直線でゴマゾウを抜きにかかったのだ。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

スミル村のレース会場にはゴマゾウが出たということで大勢の人が押しかけていた。

しかも、初心者レーサーがいい勝負をしているとあって、なかなかの盛り上がりであった。

 

熱気に包まれる会場に、更に熱を帯びた実況の声が響き渡る。

 

「さぁ、アルベガ坂からの最後の直線。その最後にタクミ選手とゴマゾウが挑むのはゴール直前の左カーブ。2つカーブが合わさったようなこの複合コーナーは、かつて数々の名勝負を生み出してきました!いよいよこのドリームカップもクライマックスだ!!先頭は変わらずゴマゾウ!ゴマゾウです!!サイホーンは全力疾走するが抜けない、抜けないぞぉ!!体力はもう限界か!?タクミ選手が抜けるポイントはもう最後のコーナーしかない!!タクミ選手、ラストの直線でまだ加速する!加速して並ぼうとする!!間もなくこちらの会場からも2人の姿が見えてくる!!!」

 

牧場の端にある小さな雑木林。木々の葉がタクミ達の姿を覆い隠す。2人の姿はここからでは見えない。

何度もサイホーンレースを見てきた観客の注目は一つ。ストレートを抜けたとき、どちらがインコースを取っているかだ。

 

直線での加速はサイホーンに分がある。

 

必ずこの直線でサイホーンはゴマゾウに並んでくる。

 

鼻先をねじ込んで強引にインコースに入るか。それとも、ブロックを抜けられずアウトコースに弾かれるか。

当然、有利なのはインコース。

 

全ての勝敗はこの雑木林を抜けた2人に位置取りにかかっていた。

 

「毎回恒例!!ラスト200m!ドローンロトムが離れます!!現在の先頭は変わらずゴマゾウだ!!さぁ、カメラが離れてからの10秒間、雑木林で波乱が起きるか!?さぁ、どっちだ!?タクミ選手はどちらから出てくる!?インか?アウトか?」

 

 

一瞬の静寂。

 

 

そして、サイホーンとゴマゾウが同時に雑木林から飛び出した。

 

タクミは……

 

「アウトだとぉおおおおおお!!」

 

アウトコースに弾かれていた。

ゴマゾウがぴっちりとインを塞いでいて、入り込むことができなかったのだ。

 

ゴマゾウとサイホーンが並ぶ。コーナー手前。2人は同時にコーナーで身体を横滑りさせていく。

 

両者の速度が同じなら、当然インコース側が前に出る。

 

「ゴマゾウが前に出たぁぁぁ!!コーナーではインコースが有利だ!!」

 

このままコーナーを曲がりきればゴマゾウの勝ち。

 

そう誰もが確信した瞬間だった。

 

「パッ、パォォッ!」

 

ゴマゾウの身体がアウトコースに流れ出したのだ。

 

「おぉぉぉと!!ゴマゾウが外に膨らんでいく!!これは、これは……スピードが乗りすぎているんだ!!!」

 

ゴマゾウのコーナーへの侵入速度が速すぎた。最後のストレートでタクミの速度に煽られ、加速がつきすぎた。そのスピードではドリフトで速度を抑えきることができない。

 

前に出ているゴマゾウがアウトコースへと大きく膨らみ、インが開いた。

 

そこにサイホーンが身体を差し込む。

 

「タクミ選手がインを刺したぁぁ!ラインがクロスするぞぉおおお!!!」

 

サイホーンは度重なる疲労でもうそこまでのスピードは出ない。出ないようにタクミは直前のストレートで最後の体力を使い果たさせたのだ。だからこそ、最後のコーナーを最善のルートで抜けることができる。

 

「いけぇぇえええええええええ!!」

「サァァアアアアアイイイイッ!!」

「パォオオオオオオオオオオオ!!」

 

気力を振り絞り、突っ込んでいくタクミ達。

 

疲れながらも、最短距離を突っ走るサイホーン。

身体が揺れながらも強引に最高速で突っ込んでくるゴマゾウ。

 

そして、両者がコーナーを抜け、ゴールへと走り込んだ。

 

「ゴォオオオオオオオオオオオオオオオル!!」

 

会場から歓声があがる。指笛が吹き鳴らされ、クラッカーが盛大な音を立てた。

それに負けじと実況がマイクが壊れんばかりに叫び続ける。

 

「勝ったのは、勝ったのは……!!!タクミ選手だぁあああああ!!タクミ選手です!!ついに、ついに、ゴマゾウの無敗神話が破られたぁぁぁあああああ!!」

 

タクミは音割れしている実況を聞きながら、大きく息を吐きだしてサイホーンの上から転がり落ちた。

タクミは疲労困憊で、荒く息を吐きだしながらサイホーンに背中を預ける。

サイホーンもまた四肢を投げ出し、腹ばいになってその場でゼェゼェと喘いでいる。

 

「勝った……勝ったぁぁぁぁ……」

「サィ……」

 

大きく両腕を伸ばすタクミと満足そうに笑うサイホーン。

自然とタクミの顔も笑顔になる。

 

初めてのサイホーンレースであったが、最高に楽しかった。

それは本格的にサイホーンレースを学んでみたいと思える程に楽しかった。

 

「ありがと、サイホーン」

「サィ」

 

タクミがサイホーンの顔に手を伸ばすと、サイホーンがその手をペロリと舐め上げた。

一回のレースで相棒のようになってしまったサイホーンであるが、残念ながらこいつは牧場のポケモンだ。

既に主人がおり、ゲットするわけにはいかない。交換を提案しようにもタクミのポケモンは2体だけで、渡せるようなポケモンもいない。

 

「キバァ~~」

「ダネダネ~」

 

キバゴとフシギダネが観客席から手を振っている。

タクミが手を振り返すと、周囲の観客の歓声が一層高まった。

 

「ははは、すごい、人だな……みんな見てたのかな……」

「パオン!!」

 

ゴマゾウの鳴き声が聞こえ、タクミは驚いて視線を自分の足元に降ろした。

 

「パオン!パオン!!」

 

それは、先程まで熱戦を繰り広げていたゴマゾウだった。

そのゴマゾウががタクミの前で何度もその場で飛びはねて何かをアピールしていた。

 

「え?なんだ?」

 

困惑するタクミ。

 

そんなタクミ達の様子に実況の人達が気が付いた。

 

「おぉっと?これはどういうことだ?ゴマゾウが、タクミ選手に猛烈アピールだ」

「もしかしたら、ゴマゾウはタクミ選手にゲットされたがっているのではないでしょうか?彼はバトルで負けました。負けた野生ポケモンは相手を主人と認めることがあります」

「なるほどぉ!?さぁ、後の決断はタクミ選手にゆだねられたぞ?」

 

その実況を聞きながら、タクミは目を丸くした。

 

「ゴマゾウ、そうなのか?」

「パォン!」

 

ゴマゾウは大きく頷いた。

 

「いいのか?俺達はレースばかりはしてられないぞ。旅をして、バトルをして、目指すはチャンピオンだ。それでも……一緒に来てくれるか?」

「パォン!!」

 

『望むところだ』

 

そう言われた気がした。

 

タクミは勢いよく立ち上がり。空のモンスターボールを取り出した。

 

「よし、ゴマゾウ!これからよろしくな!」

「パォッ!!」

 

タクミはゴマゾウに向けてボールを投げる。

ゴマゾウは自らそのボールに鼻を当て、ボールの中に吸いこまれていった。

ボールの中央が2回程点滅し、そして動かなくなる。

 

その瞬間、観客席から今までとは桁違いの歓声があがった。

 

「おぉっと、びっくりしたぁ……」

 

スミル村の隠れた名物であったゴマゾウの不敗神話。その物語の結末を見届けることができた人達がタクミに応援の言葉を投げかけてくる。

 

「タクミ選手!!ゴマゾウをよろしくなぁ!」

「『地方旅』頑張ってねぇ!!」

「お前、名前覚えたからな!!絶対カロスリーグ出場しろよ!!」

 

タクミは温かな声に応えるようにゴマゾウを捕まえたボールを掲げて手を振った。

 

「ありがとうございます!!頑張ります!!」

 

こうして、タクミはこの村で新たな仲間を迎えたのだった。

 

 

その後も祭りはまだまだ続き、タクミはゴマゾウを含めた皆で様々なイベントを堪能した。

ラストのドリームカップ決勝も観客席の最前列で観戦した。

 

ゴマゾウは大人しくしてくれるかと思ったが、やっぱりラストレースを飾りたかったらしく、飛び入りで参加しにいった。だが、ゴマゾウは下りからの途中参加ではなく最初のスタートからの参戦だったので峠の登りでサイホーンのパワーについていけず、大きく差を開けられてしまった。結局、ゴマゾウは最後までその差を詰めることができず、引退試合としてはこれはこれで良さそうなレースであった。

 

タクミ達は遅れるゴマゾウに苦笑しつつも、ドローンロトムが映すトップ集団の映像にはしゃいだ。

 

「うおお!行け行け行けぇぇええ!!」

「キバキバキバァアアアアア!!」

「ダネフッシィ!ダネダァ!!」 

 

峠を越えてから下りでは1位と2位が5回もポジションを入れ替えるという大激戦だった。

ラストの下りで両者が揃って転びかけるアクシデントもあったが、そのリカバリーが勝敗を分けた。

 

優勝は副業で豆腐作りを営むレーサーが飾った。

 

タクミも飛び入りレースの優勝賞品として技マシンの詰め合わせをもらい、サイホーンレースは大盛況のうちに幕を閉じたのだった。



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キモリを追え!森の中の追跡劇!

ハクダンシティからミアレシティへと向かう道のり。スミル村を通る為に随分と大回りの道になってしまったが、収穫はあった。

タクミは足元で歩幅を合わせて歩いているゴマゾウをチラリと見る。

 

「パオ~パオパオパオ~パ~オオ~パオパオ~」

 

ゴマゾウは陽気に鼻歌を鳴らしながら短い尻尾を左右に振りながら歩いていた。

走ることが好きなゴマゾウはモンスターボールの中よりも、外を歩くことの方が好きらしい。

そして、それはゴマゾウに限った話ではなく、キバゴもフシギダネもしょっちゅう外に出ようとしてくる。

 

1度に2匹連れ歩くのはタクミとしては目が離せず気が気でないので、今日はゴマゾウ以外は我慢してもらっていた。

 

タクミはゴマゾウの鼻歌に自分の鼻歌を被せながら森の中を歩く。

カロス地方の穏やかな空の下、湿度の低い風が時折森の中を攫っていく。

何の障害もないはずのミアレシティへの道のりだった。

 

そのはずだった。

 

「あっ……」

「パオ?」

 

タクミ達が森の中で足を止める。

彼等の目の前が巨木に塞がれていた。

 

「木が倒れてる……迂回は……茂みが高くてちょっと面倒だな」

 

道を塞ぐように横たわっているのはとんでもない大きさの大樹であった。

木の幹の太さがタクミの身長を僅かに超え、樹皮の厚みも半端ではない。樹全体はまだ水々しく、つい最近折れたようであった。

 

頑張れば乗り越えることもできそうであるが、一人で上に登るのは少し大変そうであった。

タクミは足元のゴマゾウに声をかけた。

 

「ゴマゾウ、これ登れる?」

「パオッ!」

 

ゴマゾウはすぐさまその場で鼻を身体に巻きつけるようにして丸まり、転がりだした。

一気に回転速度をあげ、勢いをつけて飛び上がり、ゴマゾウは難なく大樹を乗り越えていった。

 

「パオッ!」

「さすが、ゴマゾウ」

 

サイホーンレースに混じって山道を走り続けて鍛えた身体にこの程度は障害にすらならないようであった。

タクミはゴマゾウに鼻で引っ張り上げてもらいながらその巨木の上に登る。

 

タクミは反対側に飛び降り、その巨木を振り返る。道の上に横たわる巨木は明らかに旅人の邪魔になる。

 

「これ、どかした方がいいよな?」

「パオパオ!」

 

タクミの言葉にゴマゾウも同意する。やけに鼻息が荒いところを見ると『これじゃ道を思いっきり走れじゃないか』とでも考えていそうであった。

とはいえ、この大木をタクミ一人で動かすのは無理だ。キバゴやフシギダネに協力してもらっても難しいだろう。

ひとまずポケモンセンターにでも連絡しておこう。

 

そう思ってタクミがホロキャスターを起動したその時、森の中から人の声がした。

 

「あれ〜こっちに来たと思ってんだけどな。見失っちまったかな〜?」

「ケロケロ〜」

 

聞き覚えのある声とケロマツの鳴き声。

タクミは驚いたように声のした方を振り返った。

 

「ん?あれ!タクミじゃん!」

「ミネジュン!?どうしてここに!?」

「どうしてって、俺はこれからハクダンジムに行く途中だよ。ちょっと珍しいポケモン見つけて森の中を追っかけてたんだ。まぁ、見失っちまったんだけどさ」

「えっ、ってことは1個目のジムバッジは……」

「もちろん!」

 

ミネジュンは満面の笑みでリュックからバッジケースを取り出した。

そのケースの左上には水滴と水面の波紋を象ったバッジが飾られていた。

 

「へっへー!どうだ!ロマジムのアクアバッジだ!タクミもバッジゲットしたんだろ?」

「うん、ちょっと待って」

 

タクミとミネジュンはお互いに手に入れたバッジを見せ合う。

 

「これがハクダンジムのバグバッジ」

「おぉっ!!すげぇ、で、ジムリーダーは強かったか!?」

「うん。初戦は負けちゃってさ。2回目でなんとかゲットしたよ」

「なんだよそれぐらい。俺なんか4回も挑戦しちゃったぜ」

「4回も!?それにしてはここまで戻ってくるの早くない?」

「そりゃ、毎日挑戦したからな!4日でゲットだ!そっから一直線にここまできた!早く次のジムに行きたいからな!」

 

親指を立ててウィンクするミネジュン。その行動力とスピードは流石である。

 

「それよかさ、そのゴマゾウ、お前のポケモンなのか?」

「うん、ついこの間ゲットしたんだ。ゴマゾウ、彼はミネジュン。僕のライバルだよ」

「パオ〜!」

 

鼻を振り上げて挨拶するゴマゾウ。ミネジュンはゴマゾウの鼻と握手した。

 

「よろしくな、ゴマゾウ!」

「ケロケロ!」

 

ケロマツとも握手させたミネジュン。その時のミネジュンの横顔は既にウキウキとしたものに変わっていた。彼が次に言わんとしていることがタクミには手に取るようにわかる。案の定、ミネジュンは目を爛々と輝かせてタクミの方を向いた。

 

「なぁなぁ!今、時間あるか!?」

「言うと思ったよ。バトルだろ?」

「さっすがタクミ!俺のことよくわかってるぅ!」

 

その提案はタクミにとってもありがたかった。

まだゴマゾウと本格的なバトルをしていないのだ。ここらで一つバトルをするのも悪くはなかった。

 

「この先に俺がキャンプ張ってんだ。そこまで行こうぜ」

「うん」

 

タクミとミネジュンは木の倒れていた場所から少し歩き、開けたところに移動した。

話もそこそこにして、タクミはミネジュンと距離を置いてさっそく向き合った。

 

「ゴマゾウ!初バトルだ!気合いれていくぞ!」

「パオパオ!」

「それじゃあこっちはコイツだ!出てこい!ツチニン!」

 

ミネジュンが投げ込んだモンスターボールからツチニンが姿を見せた。

乾燥した白い外骨格を持つ【むしタイプ】と【じめんタイプ】を併せ持つツチニンだ。

 

「ツチッ!」

「ツチニン?へぇ、新しくゲットしたんだ」

「おうよ!普段は静かな奴だが動き出すとすげぇんだぜ!」

 

タクミはポケモン図鑑でツチニンのデータを調べる。普段は土の中で生活するポケモンらしいが、ミネジュンが仲間にしたのだからスピード狂であることは間違いないという確信があった。

 

「面白い!いくぞミネジュン!」

「あぁ!」

 

バトルのゴングもない野良バトル。バトルはいつも通りミネジュンから始まった。

 

「ツチニン!先手必勝だ!“どろかけ”!」

「ツチッ!」

 

地面を掘り起こし、泥状にしてぶちまけてくるツチニン。

いきなりの遠距離攻撃。だが、タクミが驚いたのはそこではない。

ミネジュンが指示してから、ツチニンがワザを繰り出すまでの間がほとんどなかったのだ。

ミネジュンといえばポケモン自身の『移動スピード』を重視していると思っていたので、こういうタイプのスピードで勝負してくることに意表を突かれた。

ゴマゾウは頭から泥を被り、視界を塞がれる。鼻で器用に目元を擦るがゴマゾウの視野は極端に狭くなった。

 

「畳み掛けるぞ!ツチニン、“つじぎり”!」

「ツチッ!」

 

ツチニンがその場から一気に飛び上がった。助走も溜めも作らない一瞬の跳躍。外骨格の内側に筋肉を持つ【むしタイプ】独特の挙動だった。だが、タクミもその動きは読んでいた。タクミとて【むしタイプ】のジムであるハクダンジムをフロック(偶然)で突破してきたわけではない。

 

「ゴマゾウ!“まるくなる”!」

「パオッ!」

 

鼻を畳み、完全な球体になるゴマゾウ。そこにツチニンの“つじぎり”が刺さった。

だが、ゴマゾウはサッカーボールのように吹き飛んだだけで、大きなダメージはない。

 

「ゴマゾウ!そのまま“ころがる”だ!」

「パオン!」

 

ゴマゾウは着地と同時に回転数をあげ、一気にツチニンへと迫る。

泥で視界を防がれているゴマゾウだが、その狙いは極めて正確であった。

 

それもそのはずで“ころがる”最中のゴマゾウは周囲の認識を視覚に一切頼っていない。

そもそも高速回転している状態では目視で周囲を確認することなどできない。ゴマゾウはその敏感な嗅覚でもって相手の位置を特定していた。

 

「ツチニン!ジャンプだ!」

 

ツチニンはキレのあるジャンプでゴマゾウを回避しようとした。だが、今回はミネジュンのせっかちが裏目に出た。ミネジュンの指示が早すぎて、ゴマゾウに対応する時間が生まれたのだ。

 

「ゴマゾウ!そこだ!飛べ!」

「パオン!」

 

ゴマゾウが跳ねる。タクミのタイミングも完璧だった。

ゴマゾウは空中にいるツチニンに寸分の狂いもなく衝突した。

落下するツチニン。なんとか受け身はとったもののそのダメージは大きい。

 

「大丈夫か!ツチニン!」

「ツチッ!」

「ナイスだゴマゾウ!」

「パオン!」

 

ゴマゾウは歓喜を表現するかのようにその場でコマのように回り続ける。

“ころがる”の回転速度はなお上がる。ワザの威力も回転数に応じてまだまだ上がる。

計測したことはないが、最高速度に達すればきっと1時間で11000回転ぐらいできるとタクミは誰かから教えてもらったかのように確信していた。

 

「そのゴマゾウ、なかなかやるな」

「ミネジュンのツチニンもね!でも、まだまだこんなもんじゃないでしょ!」

「あったりまえさ!いくぞツチニン!」

「ゴマゾウ!迎えうつよ!」

 

ツチニンが構え、ゴマゾウがその場でピッチを上げて空回しをする。

そして両者が飛び出そうとした。

 

その時だった。

 

「キャモ?」

 

近くに樹木からポケモンの鳴き声がした。反射的にタクミとミネジュンの視線が向く。

その視線の先、一本の木の幹にキモリが張り付いてオレンの実をもぎ取っていた。

 

「…………」

「…………」

 

一瞬の静寂。

 

そして、次の瞬間。

 

「いたぁあああああああああああ!」

 

ミネジュンが奇声をあげた。

 

「キャモッ!?」

 

キモリが驚いて森の中に逃げ込み、すぐさまその後を追ってミネジュンが駆け出した。

 

「えっ!?ミネジュン!?」

「ごめんタクミ!バトル中止だ!バトル中止!!」

「えっ?えぇっ!?」

「俺!この森でずっとあのキモリを探してたんだ!ここで絶対に捕まえたいんだ!バトルはまた後で!!」

「ちょちょっ、ちょっと待って!ゴマゾウ!行くよ!」

「パオン!」

 

タクミは自分のリュックを掴み上げ、すぐさまミネジュンの後を追う。ゴマゾウは回転を止め、4足で走りながらタクミの横を並走する。ミネジュンの背中にはいつの間にかケロマツもツチニンもくっついていた。どうやら、あのキモリはミネジュンのポケモン達にとっても最優先目標のようだった。

 

「ミネジュン!どういうことなの!?」

「この森であのキモリを見かけたんだけど、あいつ、うちのケロマツより早かったんだ!」

「うそっ!?」

「マジなんだよ!逃げるキモリを追っかけたケロマツがスピード負けした!あんなスピード、なかなかお目にかかれない!だから俺、絶対あいつ仲間にしたいんだ!」

「ケロケロッ!」

 

気合のこもった声をあげるケロマツ。その瞳に闘争心が宿っていることを見ると、どうやらケロマツは純粋にキモリに勝ちたくて追跡をしているらしい。

タクミは頭上で枝を渡っていくキモリの背中へと視線を向けた。確かにキモリの動きは素早い。だが、キモリの動きはどこかぎこちなかった。キモリはなぜか両手を使わず、何かを抱えているような姿勢を保っていた。

 

ふと、追っかけていたキモリの胸元から何かがこぼれ落ちた。

 

「いてっ!」

 

落ちてきたものがミネジュンの頭に直撃する。

 

「大丈夫!?」

「平気だ!ってなんだこれ?オレンの実?」

 

そういえば、先程もキモリはオレンの実を集めていた。

あの両手の中に抱えられているのはオレンの実なのだろうか?

 

タクミはそんなことを考えながら、キモリを追う。

 

追われる側であるキモリはタクミ達が付いてきていることにもちろん気が付いていた。さっきからなんとか引き離そうと頑張っているが、両腕が塞がっている状態ではスピードをあげられない。木の枝を飛び移りながら、キモリは意を決したように振り返った。

 

「キャモ!!」

 

そして、キモリは口から大量のタネを弾丸のように吐き出した。

 

「“タネマシンガン”だ!!」

 

タクミがいち早く察し、ミネジュンがすぐさま対応する。

 

「ケロマツ!“あわ”だ!」

「ケロッ!!」

 

ケロマツが放った“あわ”の弾幕にキモリの“タネマシンガン”が突き刺さった。

“あわ”が“タネマシンガン”を相殺して弾け飛ぶ。

水滴が飛び散り、森の中に虹をかけた。だが、それ以上に“タネマシンガン”の威力が強かった。タクミ達は弾け飛んだタネに足を止められてしまった。

 

タクミ達が再び顔を上げた時、既にキモリは森の奥へと姿を消してしまっていた。

 

「はぁ、逃げられた……」

 

肩を落とすミネジュン。ケロマツとツチニンも同じように目線を地面に落とした。

あれだけ動きの素早いキモリ。一度森で見失ったら追跡はできない。

 

だが、タクミはそうは思っていなかった。

 

「いや……もしかしたら追いかけられるかもしれない」

「え?」

「ミネジュン、さっきのオレンの実をもらえる?」

「う、うん。ほい」

 

タクミはオレンの実を受け取り、それをゴマゾウに見せた。

ゴマゾウはタクミの意図を察したのか、その実の自分の鼻で摘み、スンスンと臭いを嗅いだ。

 

「ゴマゾウ、臭いを追えるかい?」

「パオン」

 

自信満々に頷くゴマゾウ。

 

「このオレンの実にはキモリの臭いも混じっている。大量に抱えたオレンの実とキモリの臭い。それを追いかけていけば、キモリにたどり着くさ」

「そっか!すげぇぜタクミ!!やっぱり持つべきものは友達だぜ!だけど、あのキモリは俺がゲットするからな!」

「わかってるって。さっさと捕まえて、バトルの続きをしよう!」

「おうよ!!」

「パオ!パオパオパオ!!」

 

臭いを嗅ぎつけたのかゴマゾウが皆を呼ぶ。

ゴマゾウは鼻を高く持ち上げ、空気中に漂うキモリの臭いを確かな足取りで追跡していった。

タクミ達はそんなゴマゾウに付いて森の中を歩いていく。

キモリはタクミ達を撒く為に時折方向転換をしながら進んでいく。

 

そして、辿り着いたのはタクミがよじ登って乗り越えた巨木が倒れている場所だった。

 

「あれ?ゴマゾウ、戻ってきちゃったけど」

「パオパオ?」

 

ゴマゾウも首をかしげる。だが、匂いは確かにこっちの方に続いているようであった。ゴマゾウは道を跨いで反対側の森を鼻で示した。

 

その時、ミネジュンが何かに気づいたように話し出した。

 

「そういえば、最初にキモリを見失ったのもここだったな」

「そうなの?」

「そうそう、それで探し回ってる時にタクミに会ったんだよ」

「ああ、あの時……」

 

確かに最初にミネジュンに会った時、彼は何か探し物をしているようであった。

 

「でも、なんで二度も同じ道を辿って逃げたんだ?この先に何かあるのか?」

「かもね……ん?どうしたのゴマゾウ?」

「パオパオ!」

 

ゴマゾウが何かに気づいたかのように立ち止まっていた。

タクミ達が駆け寄るとゴマゾウは倒れた木の根本の臭いを嗅いでいた。

 

「ゴマゾウ、この木がどうしたんだ?」

「パオ!パオパオ!!」

「ん?……ん~…何か言いたがってるんだけど……わかんないな」

「パオ~……」

「ごめん、ゴマゾウ……あっ、そうだ!」

 

タクミはすぐさまキバゴのモンスターボールを取り出した。

 

「キバキバッ!」

「キバゴ、ゴマゾウの言ってることを通訳してくれるか?」

「キバ!!」

 

キバゴはゴマゾウと一言二言会話して、驚いたように頷いた。

 

「キバキバキバ!?」

「パオパオ!」

「どうしたんだキバゴ?」

 

そして、キバゴはタクミ達を振り返り、両腕で何かを挟むような動作をした。

キバゴはその両腕で折れた木の幹を掴むような動きを繰り返す。

 

「えっ、もしかして。この木……誰かに折られた!?」

「キバキバッ!」

「ポケモンに?何か挟むことに長けたポケモン……」

「キバ!」

 

キバゴは自分の頭のツノと両腕、顔芸を駆使してポケモンの姿を表現する。

その形態模写をタクミは素早く読み解いた。

 

「わかった、カイロスだ!!」

「キバキバッ!」

 

頷くキバゴと満足そうな顔をするゴマゾウ。どうやら正解だったらしい。

ほとんど以心伝心のようなタクミとキバゴを見てミネジュンが感心しつつも、ちょっとヒクような顔をした。

 

「タクミとキバゴ、ほんとすごいな」

「まぁ、伊達に長く付き合ってないよ」

「なんかキモイ」

「そこまで言う!?」

 

とりあえず、そのことは置いておき、タクミ達は本題に戻った。

 

「カイロスがこの木を折った?こんなところにカイロスが生息してたっけ?」

「いや、さっきからポケモン図鑑で調べてるけど、カイロスなんてこの辺にはいないはずだ」

 

だが、図鑑の生息域というのも完璧に信頼できるわけではない。

群れから追い出されたり、人の手によって逃がされたりで、野生のポケモンの中には通常と異なるところに居を構えているのもいるのだ。

 

「でもさ、ゴマゾウはなんでそのカイロスが気になったんだ?」

「確かに……どうして?ゴマゾウ?」

「パオン!!」

 

そして、ゴマゾウは自分の持っているオレンの実を持ち上げた。

すぐさまその隣でキバゴがもう一度カイロスの形態模写をする。

 

「もしかして、カイロスと一緒にオレンの実の臭いがするってこと?」

「キバッ!」

「パオン!」

 

キバゴとゴマゾウが2人で器用に〇を作った。正解だったらしい。

 

「オレンの実の臭いがする巨木を倒したカイロス……」と、タクミが呟く。

「大量のオレンの実を持って逃げたキモリ……」と、ミネジュンが呟く。

 

2人は目配せをする。

 

「何かある……のかな?」

「あるだろうね……なんか、面白くなってきた!」

「だね!」

 

冒険盛りの10代。タクミ達は不敵に笑いながら、再びキモリの追跡を再開した。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

森の中を飛び回っていたキモリは追いかけてくる相手がいないことを確かめ、安堵のため息を吐いた。

誰だか知らないが、このオレンの実を渡すわけにはいかなかった。

 

「キャモ……」

 

キモリは腕の中に抱えた大量のオレンの実を見下ろし、ため息を吐く。

 

『なんでこんなことをしてるんだろ?』

 

そう思うものの、答えは決まり切っている。

 

『僕が弱いから……だよね……』

 

キモリは暗い目をしながら、オレンの実を抱えなおし、再び森の中を飛んでいく。

キモリが向かった先はこの森で一番の大樹であった。それはキモリがこの森で産まれる遥か以前より存在していた大樹だ。強大な嵐も、空を焦がさんばかりの山火事でも決して倒れることなくポケモン達の拠り所となっていたこの森の中心的な場所。

 

誰にとっても大事な樹。

 

だが、今はそこに余所者が住み着いていた。

 

キモリはその大樹の近くで木から地面に降りた。

巨大な樹を中心に広場のような空間が広がっているその場所。樹の根本には大量のオレンの実が山のように積まれていた。

 

「キャモキャモ……」

(持ってきました……)

 

キモリがそう呼びかけると、その大樹の上から大きな影が飛び降りてきた。

地響きを産むようなズシンとする音がして、そいつが着地する。

鋭い目と力強い2本の顎。キモリはその大きな顎を見て、身体に震えが走ったのを感じた。

 

「カイ……」

(遅いんだよ……)

 

それはカイロスであった。

こいつはつい最近、どこからか別の森からやってきた。そして、瞬く間にこの森を締め上げてしまった。弱いポケモン達の居場所を踏み荒らし、逆らうものは容赦せずにぶちのめし。この地を支配して、他のポケモン達に税のように自分の好物であるオレンの実を集めさせている。しかも、他のポケモン達が食べるのに困るぐらいの量を独占している。

 

そんな横暴を許しておくわけにはいかないと多くのポケモンが立ち上がった。

 

だが、その結果は手痛い敗北であった。

 

もともとの森の主であったダーテングもカイロスから受けた傷が今も治らずに森の奥で療養を余儀なくされている。

 

そして、キモリもこの森を守る為に戦ったポケモンのうちの1人であった。

キモリは皆と一緒に戦い、そして負けた。

キモリはカイロスに締め上げられ、踏みつけられ、そして自分の住処であった木を切り倒された。

打ちひしがれたキモリはカイロスに従うことを選んでしまった。

 

傷は時間と共に癒える。住処などまた探せばいい。だけど、一度折れてしまった心を立て直すのは非常に難しかった。

 

キモリは震える体をなんとかこらえ、両腕のオレンの実をその場に置いて引き下がろうとする。

 

「カイ!カイロ!」

(おい!待ちやがれ!!)

「キャモ!?」

(なんです!?)

 

カイロスはオレンの実の個数を数え、そしてキモリを鋭い目で睨みつけた。

 

(決められた数より一個足りねぇじゃねぇか!!どういうつもりだ!)

(そ、それは。途中で落としてしまって……今すぐとってきます)

(そういうこと言ってんじゃねぇ!お前、一個足りねぇのわかってて持ってきやがったな!?俺をだますつもりだったのか!?)

(ち、違います。僕は、そんなつもりじゃ)

(うるせぇ!俺は今むしゃくしゃしてんだよ!!)

 

カイロスがそう言って頭の上の顎をカシャカシャと鳴らした。

 

(てめぇ!!容赦しねぇ!そこ動くなよ!!)

 

頭を前に向けて突進してくるカイロス。

その顎に挟まれた痛みはまだ記憶に新しい。

 

キモリの身体が恐怖にすくみ、硬直する。キモリの目の前に鋭い顎が迫る。キモリは歯を食いしばり、強く目を閉じた。

 

その時だった。

 

「ケロマツ!!“でんこうせっか”!」

「キバゴ!!“ダブルチョップ”!!」

 

真横から突撃してきたポケモンが2体。

ケロマツとキバゴの攻撃が同時にカイロスに突き刺さり、吹き飛ばした。

 

カイロスは砂埃をあげながら、茂みの中に叩き込まれた。

ケロマツとキバゴは見事に着地を決めて、素早く戦闘態勢を取る。

 

キモリは目の前に突然現れた味方に目を丸くしていた。

 

「間に合ったな!!」

 

ミネジュンがそう言ってキモリの前に滑り込んだ。その肩にはまだツチニンがくっついている

タクミもすぐさまその隣に並ぶ。足元ではゴマゾウが役目を終えたオレンの実を口の中に放り込んだところであった。

 

「っていうか、ミネジュン。いきなり攻撃しちゃったけど。良かったのかな?」

「あったりまえだろ!このキモリは俺が仲間にする!つまり俺のポケモンだ!そのポケモンを攻撃しようとしてくるなら、敵でいいだろ!!」

「まぁ、それでいっか……」

 

タクミはそう言いながらもカイロスが確保していた大量のオレンの実を見据えていた。

 

「どっちにしろ、あんなにオレンの実を1人で独占しているような奴は許しておけないね」

「そうそう!その通り!!」

 

ミネジュンがバトルの態勢に入ると同時に肩のヌケニンも飛び出し、ケロマツの隣に並ぶ。

ゴマゾウもオレンの実を食べて満足したのか、身体を丸めて周囲を軽く一周して身体を温めた。

 

「カイロ!カイロカイロ!!」

 

威嚇してくるように顎を打ち鳴らすカイロス。

4対1だというのにまるで怯む様子がない。

 

確かにタクミ達もこのカイロスは手強そうな気配を感じていた。

 

「キャ、キャモ?」

 

キモリは突然目の前に現れた味方に困惑していた。

 

彼等は自分のオレンの実を狙っていたんじゃなかったのか?

 

そんなキモリの疑問の声が聞こえたわけではなかったが、ミネジュンはキモリの方を振り返って言った。

 

「キモリ!ここに来る途中で住処(すみか)の木を倒されて困ってるポケモン達が何匹もいた!あれは、このカイロスがやったことで間違いないんだな!?」

「キャ、キャモ……」

「頷いたな。間違いないんだな!!タクミ!!」

「ああ!これで、許しておけない項目が1つ増えた!!」

 

彼等の身体から闘志が吹き上がる。

 

それを目にしたキモリは目を疑った。

 

戦うつもりなのか?あのカイロスを相手に?

 

だが、キモリの目からは彼等のポケモン達があのカイロスに勝てるとは到底思えなかった。

あのカイロスには森で一番強いと称されていたダーテングですら勝てなかったのだ。

 

それなのに、あんな小さな身体のポケモン達で勝てるはずがない。

 

だが、キバゴやケロマツの目にはまるで不安な様子などない。

彼等の目は絶対的な支えがあるかのように自信に満ちていた。

 

「カイィィィィ!!」

 

鬨の声をあげるカイロス。

 

「ミネジュン!来るよ!!」

「おう!ケロマツ!“でんこうせっか”!ツチニン“つじぎり”!」

 

再びケロマツが攻撃をしかける。続いてツチニンが何の予備動作もなしに飛び出した。

 

「ケロッ!」「ツチッ!」

 

2匹の攻撃をカイロスは最低限の被弾で受け流す。彼等の攻撃はカイロスの頑丈な外骨格に阻まれて大きなダメージは与えられない。だが、そんなことは織り込み済みだ。

 

ミネジュンの隙を埋めるようにすぐさまタクミが仕掛けた。

 

「ゴマゾウ!真正面から“ころがる”だ!!」

「パオン!!」

 

カイロスに全力でぶつかっていくゴマゾウ。その攻撃をカイロスは両腕で抑え込んだ。

本来なら回避したかっただろうが、ケロマツとツチニンの攻撃で足が止まっていたのだ。

ゴマゾウの攻撃は完璧にカイロスの真芯を捉えた。

 

「キバゴ!“ダブルチョップ”」

「キバッ!!」

「って、バカ!!上から行くな!!」

 

いきなりジャンプしようとするキバゴに慌てて指示を飛ばしたタクミであったが、もう遅かった。キバゴは両腕を振りかぶって飛び上がり、カイロスの真上から攻撃を仕掛けようとしていた。だが、カイロスの頭にはその自慢の顎があるのだ。カイロスに頭上からの攻撃はご法度だ。

 

カイロスはゴマゾウの“ころがる”攻撃を支えながらもキバゴを挟み込もうと身構えた。

 

このままじゃ、キバゴの攻撃は通らない。

そう判断したミネジュンが素早く次の手を打った。

 

「タクミ!フォローする!ケロマツは“あわ”だ!ツチニンは“どろかけ”!」

 

ケロマツが放った“あわ”に泥状になった土が降り注ぐ。それにより空中に土色の泡が大量にばらまかれた。

即席の目くらまし。キバゴの姿が完全に隠れる。

 

「カイッ!?」

 

その時、初めてカイロスの顔に動揺が現れた。

そこを見逃すタクミではない。

 

「ゴマゾウ!11000まできっちり回せ!!」

「パァァアアアオオオオオオ!!!」

 

一気にフルスロットルに回転力をあげたゴマゾウ。

その回転力でカイロスの両腕を弾き、加速したパワーに任せゴマゾウは全身をカイロスに叩きつけた。

ゴマゾウの攻撃にカイロスの身体が仰け反り、顎の先がわずかに逸れた。

 

「キバゴ!!全力でいけぇ!!」

「キバァァアアア!!」

 

泥泡の煙幕を突き破り、キバゴの全力の“ダブルチョップ”が振り下ろされる。

 

「キバァァアァア!」

「カッ……」

 

まずは右腕の攻撃。だが、キバゴの全体重を乗せた【ドラゴンタイプ】のワザのエネルギーは生半可なものではない。その上にキバゴの2発目のチョップがダメ押しで叩きつけられる。

 

その衝撃はカイロスを貫通して地面にまで達し、地面にヒビを入れた。

 

キバゴはすぐさまジャンプして距離を取り、ゴマゾウも一時離脱して戻ってくる。

ケロマツとツチニンもいつでも次の攻撃を行えるように身構えていた。

 

「カイ……カイ……」

 

それでも、カイロスの意識は完全に飛ばなかった。

だが、カイロスは腰が抜けたかのようにキバゴ達から後ずさる。

 

それをタクミとミネジュンは怖い顔で見下ろした。

 

「お前、この森で暴れてるらしいな」

 

ミネジュンがそう言いながら指をぽきぽきと鳴らす。

 

「森のルールを守れない奴はこの俺がボコボコにしてやる。覚悟はいいか?」

「カイッ!カイッ!!」

 

頭を下げて許しを請うカイロス。だが、タクミは取り合わなかった。

 

「お前は……そうやって頭を下げた奴らをどうしてきた?まぁ、もっとも、あのキモリの態度を見れば一目瞭然だけどな」

「…………」

 

頭を下げた姿勢のまま固まるカイロス。

 

これだけ脅せば大丈夫だろうか?

 

そう思い、タクミとミネジュンが顔を見合わせる。

 

だが、彼等がカイロスから目線を逸らした瞬間だった。

 

「カイロッ!!!」

「えっ!!」

 

カイロスが突然飛びかかってきた。

 

カイロスが頭を下げている。それはつまり、一番の攻撃手段である彼の顎が一番敵の近い位置にあるということ。彼は頭を下げていたのではない、その姿勢がカイロスは最短最速の攻撃態勢だったのだ。

 

「しまっ!!」

 

狙いはミネジュン。カイロスはトレーナーを潰す気なのだ。ケロマツもツチニンも反応が間に合わない。ミネジュンに巨大な顎が迫る。タクミも油断してしまっていた。ミネジュンの身体は驚愕に硬直してしまっている。

 

カイロスの顎の間にミネジュンの身体が挟まりかけた。

 

その刹那。

 

キモリの痛烈な蹴りがカイロスの身体を吹き飛ばした。

 

「キャモ!!」

 

ミネジュンの前に滑り込んできたキモリの足がギュッと地面を掴む。

蹴り飛ばされたカイロスは地面を転がりつつも受け身を取り、口の中の泥を吐き捨てた。

 

「カイ……」

 

奇襲を失敗したカイロスは憎々しげな顔でキモリを睨みつけた。

キモリに蹴られた程度ではダメージは薄い。だが、それ以上にカイロスはそのプライドを傷つけられていた。

 

キモリの心は以前、完膚なきまでにへし折ったのだ。いわば、キモリは既にカイロスの恐怖の奴隷だったはずだ。実際、ついさっきまでキモリの目に戦う意志は欠片も残っていなかった。

 

その相手が突然牙を剥いてきたのだ。

 

それがカイロスにとっては不愉快で仕方がない。

 

シャカシャカと威嚇の音を鳴らすカイロス。

キモリはその音に少し震えながらも、決して引くことなくカイロスを睨んだ。

そのキモリの目にはしっかりと闘志が宿っていた。

 

そんなキモリの背中をミネジュンは驚いたように見つめていた。

 

「キモリ……助けてくれたのか?」

「キャモ……」

 

キモリはミネジュンを一瞥し、再びカイロスへと視線を向ける。

 

カイロスが頭を下げて許しを請うた時、それは騙し討ちで相手を倒す手段だということをキモリは知っていた。それはこのカイロスが最初にこの森にやってきた時にダーテングを倒した方法だったのだ。唯一その時の様子を知っていたキモリはカイロスが頭を下げた時点で既に動きだしていたから、ミネジュンを守ることができたのだ。

 

キモリは自分でもなんで戦うつもりになったのかわからなかった。

 

キモリはカイロスを見据えながら、ミネジュンの手持ちポケモンであるケロマツやツチニンを視界に収める。キモリと同様の体格程度しかない彼等。だが、彼等はトレーナーの指示の下であのカイロスを圧倒していたのだ。

 

その姿に勇気づけられたのか?自分にもできるかもしれないと思ったのか?

 

いや、違う。

 

情けなかったのだ。

 

森に住んできた自分が何もせずに怯え、外からきたポケモンに守られている自分が情けなかったのだ。

 

「……キャモ……」

 

キモリは震える足を踏みしめ、ミネジュンの方を振り返った。

 

「キャモ!!」

「お前……一緒に戦ってくれるのか!?」

「キャモ!!」

「よしっ!キモリ!この卑怯者を完膚なきまでに叩きのめすぞ!!“でんこうせっか”!」

「キャモ!!」

 

その瞬間、キモリが痛烈な加速をした。

 

「カイッ!!」

 

その攻撃は見事にカイロスの腹に突き刺さる。そのワザのキレにタクミもミネジュンも目を丸くした。

最高速度だけを見ればケロマツにも勝るとも劣らない。加速に力はわずかに劣るが、それでも最速に達した時のスピードは目で追うことも困難な程であった。

 

「すげぇ……キモリ!一気にいくぞ!!“タネマシンガン”!!ケロマツは“あわ”、ツチニンは“どろかけ”だ」

「キャモ!!」「ケロッ!!」「ツチッ!!」

 

3種の攻撃がカイロスに迫る。

 

「カイロォオオ!!」

 

カイロスは『調子に乗るなぁ!』とでも叫ぶかのうに自分の顎を振り回し、攻撃を受け切った。

だが、これは囮。本命は既にカイロスの頭上へと迫っていた。

 

「キバッ!!」「パォン!!」

 

キバゴとゴマゾウがカイロスに飛び乗った。

 

「カイッ!?」

 

カイロスは暴れ、キバゴとゴマゾウを振り払おうとする。

だが、彼等はまだ未熟とはいえパワータイプのポケモンの進化前だ。そう簡単に抜け出すことはできない。

 

「キバゴ!ゴマゾウ!!そのまま抑え込め!!」

 

キバゴとゴマゾウは全身に体重をかけて顎にのしかかり、カイロスを顔から地面に組み伏せた。

もがくカイロスであるが、キバゴとゴマゾウががっちりとその身体を抑えこんでいて動けない。

 

その上からゆっくりとキモリ達が迫る。

 

「さぁて、カイロス。覚悟はいいな?」

「今度はちゃんと反省するまで頭を下げてもらうからね」

 

ドスの効いた2人分の声が頭上から聞こえ、カイロスはピタリと動きを止めた。

だが、それは先程と違い、恐怖により固まっただけであった。

その証拠にカイロスの全身から玉の汗が浮かんでいた。

 

キモリが一歩前に出る。ケロマツがキラリと目を光らせた。ツチニンが前足をシャカシャカと鳴らす。

 

タクミとミネジュンはこのカイロスに反省させるにはまず徹底的に痛めつけて自信をへし折ることが大事だとの結論に至っていた。

 

タクミとミネジュンは顔を見合わせ、頷きあう。

 

「お前ら!やっちまえ!!」

 

ミネジュンの号令と共に彼等がカイロスに襲い掛かった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「もう二度と乱暴するなよぉおお!!」

「キバァァアアアア!!」

「パォオオオオオオ!!」

 

森の奥に逃げていくカイロスを怒鳴り声で見送り、タクミ達は鼻息を強くならした。

カイロスがいなくなったことで森のポケモン達が恐る恐るといったように大樹の傍へと集まってくる。

その中には傷ついたダーテングもおり、彼が指揮を執るようにしてカイロスが集めたオレンの実を皆に分配していた。

 

キモリはそのダーテングの手となり足となり、ポケモン達にオレンの実を配っていく。

 

野生のポケモン達の上下関係や共存関係というものをタクミとミネジュンは興味深く眺めていた。

 

「へぇ、やっぱりこういうところでも、強いポケモンっていうか。まとめ役みたいなのがいるんだな」

「だね。縄張り争いとかがあるってのは知ってたけど、実物ははじめて見たよ」

 

タクミはそう言いながらその光景をホロキャスターの映像フォルダに収めていく。

 

オレンの実を受け取ったポケモン達はきのみを抱えて新たな住処を探しに森の中へと戻っていく。

大樹の下に残ったのは怪我をした数匹のポケモンであった。きっとカイロスに痛めつけられたのだろう。この樹は森の中で単独で生活できそうにないポケモンが助け合う避難所のような場所なのだろう。

そんな場所を占拠していたカイロスの悪行っぷりがよくわかるというものであった。

 

その時、不意にダーテングがキモリと共にタクミ達の方を向いた。

 

ダーテングは『森の神様』とも言われることのあるポケモンだ。

そのダーテングの鋭い目で睨まれ、タクミ達の背筋が自然とピシリと固まった。普段は口の軽いミネジュンですら、気軽に声を出せずにいた。その圧力に彼等のポケモン達も“へびにらみ”でも喰らったかのように全身の動きが止まった。

 

そのダーテングはキモリを舎弟のように従え、ゆっくりとした歩調でタクミ達に近寄ってくる。

 

「ど、どうも……」

 

ミネジュンが震える声で挨拶をして片手をあげる。

だが、ダーテングがギロリと睨むと、ミネジュンがそのままの姿勢で凍り付いた。

そんなミネジュンの様子を見て、ダーテングは一瞬反省するような顔をした。

キモリがそんなダーテングに呆れたように声をかける。

 

「キャモキャモ」

(ほら、そんな顔だと、怖がられるんですよ)

「ダーテン……」

(仕方あるまいこういう顔なのだ……)

 

タクミ達にはダーテングとキモリの会話は聞こえなかったが、彼等のポケモン達はその限りではない。

キバゴやケロマツ達はその会話を聞き、率先して前に出た。

 

「キバキバ?」

(なんかよう?)

 

キバゴが軽い口調でそう聞く。怖いもの知らずといか、躊躇がないというか。

そんなキバゴの豪胆な態度にダーテングが小さく笑った。

 

「ダーテン、ダー……」

(ああ、今回は助かった。礼をいう)

 

ダーテングはそう言い、団扇のような手元の中からいくつかのきのみをタクミ達に差し出した。

タクミ達は差し出されたきのみに目を丸くした。

 

「え?これ、僕達が受け取っていいの?」

「ってことは、このダーテング。お礼を言ってるのか?」

 

タクミとミネジュンはそれがわかると途端に笑顔になり、喜んでそのきのみを受け取った。

きのみの中には割と珍しいものもあり、ホクホク顔のタクミ達。

 

その時、ミネジュンがきのみの中から不思議な石を拾い上げた。

 

「あれ?なんだこれ?」

 

ミネジュンが持ち上げたのは大きめのビー玉ぐらいの鉱石だった。

黒曜石のような黒い色の鉱石であるが、表面の一部が割れ、中から虹色の光が漏れていた。

 

「綺麗だなこれ。2個あるから1個ずつでいいか?」

「うん」

「アキにお土産ができたな」

「うるさい」

 

そう言いつつもタクミはその鉱石を大事なものをいれているリュックのポケットの奥にそっと入れた。

 

そうやって喜んでいる二人の顔を見て、ダーテングは安堵したように息を吐きだした。

 

 

そんなダーテングにケロマツが声をかけた。

 

「ケロケロ?」

(あのカイロス、放っておいて良いのでしょうか?」

「ダー、ダーテン……」

(問題ない。我が全快であればあの程度容易い)

 

実際、ダーテングが負けた原因は最初の騙し討ちによるものだった。

お互いに全力の1対1であればダーテングはあの程度の相手に負けはしない。

 

「……ダーテン……」

(……それより……)

 

ダーテングは自分の隣にいるキモリの背中を軽く押した。

キモリは軽くつんのめりそうになったが、なんとか踏みとどまる。

キモリは驚いたようにダーテングを見上げた。

 

「ダーテン……」

(言いたいことがあるんだろ……)

「キャモ……」

(それは……)

 

躊躇うような顔をするキモリ。キモリは何度も瞬きをし、縋るような目でダーテングを見上げた。

だが、ダーテングはそれ以上は何も言わない。

 

決めるのはお前だ。

 

無言のうちにそう訴えかける。

 

キモリはしばらくそのダーテングの横顔を見上げていたが、何かを決断したかのようにその目を前に向けた。

 

「キャモ!!!」

 

そして、キモリはミネジュンとタクミの前に立ち、腰を落として片手を前に差し出した。

 

「キャモキャモキャ!!キャモ!!」

「え?どうしたんだキモリ?」

 

威勢よく何かを訴えるキモリ。これは旅のダーテングが他の森を通過するときにやる『仁義を切る』というものだ。それは『自己紹介』と『自分の売り込み』を併せた挨拶なのだが、それを理解したのは彼等の中ではキバゴだけであった。

 

キモリの言っていることはわからない。

ただ、キモリが何を伝えようとしているのかは言いたいかはすぐにわかった。

 

「キモリ、もしかして、一緒に来たいのか?」

「キャモ!!」

 

キモリは頷いた。

 

キモリはもっと強くなりたかったのだ。

 

今回の出来事でキモリはそれを実感していた。

 

カイロスに力で抑えつけられ、守りたいものも守れずに折れてしまった自分。

そんなカイロスを相手に五分に戦うポケモン達を目の当たりにして、キモリはトレーナーの元で戦えば強くなれるんじゃないかと思ったのだ。だからキモリはこうして森を離れ、彼等に付き従う決断をしたのだった。

 

「タクミ、今回は……」

「はいはいわかってるよ。ミネジュンがゲットしなよ」

「恩に着るぜ!!!キモリ!俺と来るか!!」

「キャモ!!」

 

闘志あふれるキモリ。その頭に向け、ミネジュンは自分の想いを叩きつけるようにモンスターボールを投げ込んだ。モンスターボールは5回程点滅し、静かになる。

 

「イヨッシャァア!キモリゲットだ!!早速出てこい!!」

「キャモ!!」

 

飛び出したキモリはミネジュンの前に立ち、すぐさまダーテングに深々と頭を下げた。

 

「キャモ!!」

(お世話になりやした!)

「ダーテン!!」

(半端やるんじゃねぇぞ!)

 

気合の入った別れの挨拶をかわしたキモリとダーテング。

そして、ダーテングは大きな動作で身を翻し、大樹の方へと戻っていった。

 

森の中でポケモン達を束ねるダーテング。

タクミとミネジュンはその背中に何か感じるものがあり、ピシリと直立して頭を下げた。

 

ふと、風が吹く。

 

顔を上げた時、ダーテングはどこにもいなかった。

 

「すげぇプレッシャーのあるポケモンだったな……」

「うん、リーダーって感じ……」

 

タクミとミネジュンは一呼吸置き、その大樹に背を向けた。

 

「よっしゃ!タクミ!タクミ!!さっそく戻ろうぜ、そんでバトルだバトル!キモリの初戦を飾ってくれ!!」

「わかったよ。でも、とりあえずにキャンプに戻ろう。ここはポケモン達の憩いの場みたいだし」

「わかってるって。だけどさ、このキモリの動き見たろ!もう俺、ワクワクが止まんなくてよ、こいつを生かす作戦を考えようと思ってるんだけど、タクミも一緒に考えてくれよ。それと、ハクダンジムのこともっと教えてくれ!!」

「はいはい」

 

キャンプ地へと戻っていくタクミとミネジュン。

 

そんな2人を木の上から見送るダーテング。

 

彼等の旅はまだまだ、まだまだ、続く。



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幼馴染の関係はいつだってこんな感じ

リアルが忙しくて大分間が空いてしまいました。
多分、まだまだ忙しいかも。


ミネジュンと別れたタクミはミアレシティへと戻ってきていた。

ミアレシティから『地方旅』を始めてから既に3週間が過ぎていた。ジムバッジを集めるペースとしては順調であるが、タクミはあまり余裕とは感じていなかった。

 

最初のジム戦を突破するのにも随分と苦労した。今後、もっと苦戦するようなジムにぶち当たることを考えたら、バッジを8つ集めるのは結構ギリギリになりそうだった。

 

とはいえ、それでもアキの様子を見に病院に行くぐらいの時間はある。

 

ポケモンセンターで部屋を確保したタクミはその足でアキが入院する病院へと向かっていた。

ただ、そこに向かうタクミの顔には少々渋い顔が張り付いていた。

 

その理由は、つい直前のホロキャスターでの通話のせいであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ミアレシティのポケモンセンターで一息ついたタクミはミネジュンとマカナの2人と電話をし、改めて彼女の足の手術のことを話したのだった。

 

『そっか……タクミの『嫁さん』にそんなことがあったのか』

「誰が嫁さんだ!そんなんじゃないって言ってるだろ!!」

『でも、好きなんだろ~ひゅ~ひゅ~!』

「うるさい!」

 

口笛を吹いてからかってくるミネジュンの通話画面を反射で切りたい衝動を抑えるのには苦労した。

そんななか、マカナがいつもと変わらない無表情で尋ねてきた。

 

『……アキちゃん……そんな悪かったんだ……知らなかった』

「うん」

 

わずかに目を伏せるマカナ。

 

『……タクミ……教えてくれてありがとう……』

「いや、そんな」

『……でも、できればもっと早く知りたかった」

「え……」

 

すると、ミネジュンも唇を尖らせて話に入ってきた。

 

『そうだぞ!なんでそんな大事なこと黙ってたんだよ。言って欲しかったぜ』

「……それは……」

 

タクミも旅の間の電話で何度か話を切り出そうとはしていた。

だが、正直なところタクミには彼女のことをなんと伝えればいいのかわからなかったのだ。

 

ミネジュン達にしてみれば、出会ったばかりのアキが『手術をして、足を切り落として、人生の岐路になる選択をした』なんて言っても現実感も実感もわかないだろう。2年間付き合ってきたタクミでさえ『足を切断した』という事実がどこか空虚に聞こえているぐらいなのだ。

 

そんな状態のタクミがミネジュンやマカナに口でいくら説明しても混乱するだけだと思ったのだ。

だけど、手術が無事に終わった今となっては一言ぐらい教えておくべきだったのかもとも思う。

 

そんなタクミの内心を見透かしたようにミネジュンは言った。

 

『タクミは俺達にアキと友達になって欲しかったんだろ?だったら色々教えてくれよ。隠し事するな、とは言わねぇけどさ。何も知らされてねぇのはあんまいい気分しないぜ』

 

マカナも「うんうん」と何度か頷いて同意してくる。

 

『……タクミの気持ちもわかる……けど……あんまり見くびらないで欲しい』

「……それは……」

『……少なくとも私は……知りたかった……」

 

眉間に皺を寄せるマカナ。不満そうに下唇を突き出すミネジュン。

 

「ごめん」

 

そんな二人にタクミは素直に頭を下げたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

そんなことがあったこともあり、タクミは少々複雑な顔でミアレシティの病院を見上げた。

 

タクミもミネジュンも本当にアキのことを親身になって考えてくれている。それが嬉しくもあり、信用しきれていなかった自分が恥ずかしくもあった。友人として彼等を紹介したのは自分なのに勝手に妙な気を遣って距離を置こうとするとはなんとも酷い矛盾だ。

 

タクミは反省の意味も込め、自分の側頭部を小突いた。

 

昼過ぎの病院は入る人より出ていく人の方が多い。タクシーの群れに次々と人が吸いこまれていき、中には町を走るゴーゴートの背中に乗って帰る人もいる。ポケモンに担いでもらって介護用タクシーに乗り込む気品のあるお婆ちゃんを横目に、タクミは病院へと入っていった。

 

総合受付でアキの病室を教えてもらい、病棟のエレベーターに乗って上にあがる。

 

受付の人から伝えられた部屋番は623号室。

それは手術前に彼女が使っていた場所と変わらない。

 

つまりアキは前回と同じようにナースステーションから離れた大部屋にいるということ。それは、急変する可能性が比較的低い患者ということを意味している。 

 

だが、どうしたって嫌な想像が頭を巡るのは止められなかった。

タクミはエレベーターの中で小さくため息を吐き出した。

 

タクミには病院という場所に良い思い出などなかった。

 

病院に寝泊りしているアキに会いに行って、楽しかったことなどほとんどない。

真っ白なシーツの上に横たわるアキはいつも、酷く苦しんでいた。

 

息をするのもダルそうなアキ。

気分が悪くて苛立っているアキ。

死にたくないと静かに泣いていたアキ。

 

彼女のそんな姿が脳裏にフラッシュバックする。

  

病院は『病気を治す場所』として多くの人が考えている。だが、タクミにとって病院というのは『病気が悪化した時に対応できるように見守る場所』としての意味合いが強い。

 

そしてそれと同時に『人が人生の最期を過ごす場所』でもある。

 

タクミは6階にエレベーターがたどり着く電子音を聞き、それらの考えを頭の中から振り払った。

 

だが、それは過去の話だ。

 

アキは手術を乗り越えた。病気は快方に向かっている。そんな後ろ向きな考え方をする必要はもうないのだ。

 

タクミは大病院独特の匂いの無い空気を吸いこんだ。換気と掃除が徹底されている証拠だ。

タクミは病院の廊下を歩いていく、途中で荷物の運搬をするタブンネとすれ違い、ゴチルゼルがエスパーワザを駆使して点滴の準備をしているナースステーションに一声かけてアキの病室へと急ぐ。

 

廊下の突き当りの4人部屋。

 

表の電子版でアキの病室であることを確認し、タクミは表の扉を3回ノックした。

 

「アキ、いる?」

 

そう声をかけた瞬間だった。

 

「タクミ!?」

 

すぐ隣のカーテンがいきなり開いた。

 

彼女の艶のある赤毛がふわりと舞い上がり、袖口の広い寝間着の裾が揺れる。ベットから身を乗り出すようにしてカーテンを開けたアキは今にも走り出していけそうな程に元気な姿をしていた。アーモンド形の瞳には力がみなぎり、以前より少しふくよかになった頬と温もりのある血色は彼女の体調が向上している証拠であった。

 

突然の邂逅に驚いたタクミであったが、彼女のその姿にすぐに表情が柔らかくなる。

 

「元気そうだね、アキ」

「うん!まだ包帯は取れないけどね!でも、こんなに体調がいいの久々!!」

 

少し上ずった声で話す彼女は今まで病院で出会った中で間違いなく一番のハイテンションであった。その声音でタクミには彼女が体調を偽っていないことがわかる。彼女の腕には点滴が繋がれてはいるものの、全身の状態は悪くはないようだった。

 

「タクミ!時間あるでしょ!?」

「もちろん」

「OK!上の階にいこ!レストランがあるの!!話したいことが沢山あるんだ!」

 

アキはそう言いながら何気ない仕草でベッドサイドから自分の足を降ろした。

 

その瞬間、タクミはわずかに自分の身体が硬直したのを感じた。だが、タクミはポーカーフェイスを貫き、ニコニコとした顔を崩さない。

 

タクミが目撃したのは彼女の左足。

 

アキの左足には厳重に包帯が巻かれていた。足の付け根から膝までびっしりと巻かれた包帯は、着ぶくれしたように膨らみ、本来の足より2倍の太さがあるようであった。

 

だが、何よりも目を引くのはその膝から先だ。

 

やはり、というか。当たり前、というか。

 

アキの左膝の下より先。その部分がなくなっていた。

 

それを見た時、タクミが感じたのは痛烈な違和感だった。

本来あるべき場所にあるはずの肉体がない。語弊を恐れずに言えば、それは騙し絵を見ているような非現実感があった。本来の足を何かが覆い隠しているような感覚。まるで目の前のことが虚構の中の出来事のような気がしてしまう。それが率直なタクミの感想であった。

 

タクミはそのアキの姿に多少なりともショックを受けていた。だが、それで取り乱すことはしなかった。タクミはこういった状態の人を見るのは初めてではなかった。地球界でアキのいた病棟には少なからずこういった患者がいた。見慣れているとまではいかないが、ある程度の心構えができるぐらいの経験はあった。

 

タクミは平然とした態度でアキに接する。

 

「アキ、車椅子借りて来るね」

「ありがと!!」

 

タクミは部屋を出て、廊下で仕事をしていたナースに声をかける。

折り畳み式の車椅子を持ってきてもらい、手慣れた手つきで車椅子を開いた。

点滴台やチューブが引っかからないように車椅子をベットサイドに入れると、アキは抱っこをせがむかのように両腕を突き出した。

 

「はいっ!タクミ!!はやくはやく!」

「はいはい」

 

タクミはいつも通りに脇の下から彼女を支えて彼女の体を持ち上げて、車椅子に移す。

身体を密着させる移乗の補助動作も慣れたものだったが、彼女の体重は以前よりも少し軽くなったような気がした。それが、失った足の重さなのかどうかはタクミにはわからない。

 

車椅子に彼女を移動させたタクミはブランケットを渡し、彼女の膝から下を覆った。

 

「さぁタクミ!最上階にレッツゴー」

「おっし!……って、僕に車椅子押させる気?自分で動かしなよ」

「あっ、足がいたい!いたいいたい!いたいよぉ~手術したとこがいたいよ~!!」

 

膝を押さえて悶えるアキに対してタクミは斜目を向ける。

 

アキが自分から「痛い」と訴えているうちはまだ平気というのがタクミの感覚だ。

本当に痛みが激しければ、アキはむしろ黙る。黙って『薬が欲しい』とだけ言ってくる。そして『痛みはどう?』と問いかけると喋るのも億劫そうに『大丈夫』とだけ返してくるのだ。

 

そもそも全く深刻そうじゃない声音で訴えてこられても信じろという方に無理がある。

だが、それで完全に嘘だと言い切れないのも事実であった。

長い付き合いであるが、相手のことを100%理解しているわけではない。

 

タクミは眉間に皺を寄せてアキを見下ろした。

 

「……アキ、本気で言ってる?だったら、レストランは無しにするよ?」

「ごめんごめん、冗談だって。でも、タクミが素直に押してくれないのがいけないんだよ?」

「僕のせいだっての?」

「うん」

「即答するな」

 

そう言いながらもタクミは車椅子の取っ手を握る。

甘やかしている自覚はあるが、アキにせがまれて断れたことなど皆無なので今更な気もする。

タクミは点滴台をアキに支えてもらいながら、車椅子を動かし、病室の外へと向かう。

 

その時、タクミはふと気になったことがあり病室を振り返った。

 

目を向けたのは、アキと同室だった少女。片垣(かたがき)瑠佳(るか)のベット。

タクミは人の気配のない静かなそのベットを一瞥する。

 

「タクミ?どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

「あ……もしかして……本当に怒った?ご、ごめん」

「あっ、そうじゃないって!!いいよ別にこれぐらい!!」

「あっそう?良かった良かった!それじゃあタクミ、ついでにこれも持ってくれない?」

 

ケロリとした顔で点滴台を渡してきたアキに、タクミは本気で険しい顔を向けながら歩き出した。

 

静かになった623号室。

 

そんな部屋の片隅に青白い炎がポツンと灯る。

 

「モシ……モシ……」

 

ごそごそと蠢く影。部屋の空調に揺れる炎。鬼火のような不確かな光が病室内の闇の中に影を作る。

その小さな火はしばらくの間仄かな光を放っていたが、いつの間にか跡形もなく消えていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

病院の最上階にあるレストラン。テラス席もあるその屋上にはポケモンバトルができるスペースが設けられており、入院患者の娯楽として開放されていた。

 

今日はトリトドン対ラッキーというお互いにひたすら回復をし続けるという、あまりに不毛なバトルが行われていた。そんなバトルよりはタクミの旅の話の方が数倍刺激的であり、アキは目を輝かせてタクミの話を聞いていた。

ハクダンジムの詳しいバトルの話やゴマゾウとのサイホーンレース、旅の間に出会った人達のことなどをタクミはホロキャスターの写真を見せながら話していた。軽食を終えた後もドリンクバーでひたすらに粘り、タクミはせがまれるままに口が疲れるまで喋り続けた。

 

「へぇ、いい旅をしてきたんだ」

「うん。初めてのことばかりだったけど。すごい楽しかった」

「ふぅん。あっ、これ!」

「え?なに?」

「これこれ!タクミ、すごい変な顔してる!」

 

それはタクミがサイホーンに乗る練習をしている時にフシギダネが撮った一枚だ。

サイホーンを全力で走らせているせいで顔は風圧で歪み、半目になり、顔を真っ赤にしていて物凄く間抜けな顔になっていた。

 

「うぇっ!なにこれ!こんな写真あった!?消して消して!!」

「えぇ、やだよ。だってこれもタクミの立派な思い出じゃない!」

「そんな思い出いらないって!」

「だ~め~」

 

アキはその写真にロックをかけて、個別に暗証番号まで設定した。

タクミのホロキャスターだというのにお構いなしである。

 

「あっ!もう!!」

「タクミ、あとでその写真メールで送ってね」

「やだ!!」

 

タクミはアキが設定した暗証番号に当たりをつけ、解除を試みる。思った通り、暗証番号はアキの誕生日であった。

 

「もうばれちゃった……っていうかタクミ解くの速すぎるよ」

「アキが単純なの。はい削除」

 

不細工な写真を消し、タクミは再びホロキャスターの画面をアキに渡した。

アキは少し不服そうな顔をしながら、画像フォルダを次々と流していく。

 

そして、ふとタクミの撮った写真とは別に大量の画像が入ったフォルダを見つけた。

 

「あれ?タクミ?これなに?」

「あ、ああ……それは……えと……その……お土産でいいのかな?」

「お土産?これが?」

「うん、開けてみてよ」

 

アキは言われるがままそのフォルダを開いた。

 

その瞬間、ホロキャスターの画面いっぱいに大量の写真が並んだ。

 

「……え……これ……」

 

その写真のどれもが、森や湖などで過ごすポケモンの写真だった。木漏れ日で昼寝しているポケモン、水浴びをしているポケモン、花の蜜を集めているポケモン。それは、街中では見られない野生のポケモンの自然な姿の写真だった。

 

「ハクダンジムのジムリーダー……ビオラさんなんだけど、有名なポケモン写真家でもあるんだ。その人にお願いして写真集とかに使わない没作品になった写真のコピーを貰ったんだ……」

 

バトルの後にタクミがビオラさんにした『お願い』はこれのことであった。

『病気で旅に出れない友達に野生ポケモンの姿の写真を見せたい』

そして、ビオラさんは快くそれを引き受け、翌日に写真のデータを渡してくれた。

 

「ほら、アキはハイスクールに通うけど。やっぱり、旅がしたかっただろうなって思って……だから、少しでもその気持ちを味わって欲しくて写真を……その……アキ?」

 

タクミは彼女から反応がないことに気づき、チラリと彼女の顔を見る。

アキはタクミのことなど忘れたかのようにその写真に釘付けになっていた。

 

ビオラさんから貰った写真は失敗作とは思えない程に躍動感に満ちていた。そのどれもがポケモン達の生活や挙動をそのまま抜き出してきたかのような作品ばかり。写真の一枚一枚からその場面の風の匂いすら漂ってきそうであった。少し衝撃を与えれば映ったポケモン達が動き出すんじゃないかと思えてしまう。

 

それは、病院の中では決して見ることのできない『野生』という世界。

町の中では感じることのできない『冒険』という空気。

 

アキはすぐさまそれに夢中になっていた。

 

目を見開き、興奮に吐息をわずかに荒くし、わずかに震える手で写真を一つ一つ見ていく。

 

タクミはそのアキの様子に安堵するように息を吐きだした。

どうやら、お土産は喜んでもらえたらしかった。

 

タクミはアキと自分のグラスを持ってそっと席を立った。

ドリンクバーで自分用のコーラとアキの好きなピーチジュースを注いで席に戻る。

アキはタクミの動きに気づかない程にのめり込んでいるいるようであった。

 

タクミはコーラをチビチビとストロー吸いながら、バトルフィールドで“じこさいせい”と“たまご産み”のループを繰り返すバトルを眺めていた。

 

しばらくして、アキが突然顔をあげた。

 

「タクミ」

「ん?」

 

ようやく終わった泥沼の持久戦に見切りをつけ、タクミは空になったグラスから口を放す。

バトルフィールドではそれぞれのトレーナーが2体目のポケモンを繰り出して、グライオン対エアームドとかいう更に不毛なバトルを続けていた。

 

「あの、この写真は?」

「えっ?あっ、それね……」

 

アキが画面いっぱいに映していたのはタクミがハクダンジム戦に勝った時の写真だった。

ジムリーダーのビオラさんが直接撮影してくれたその写真には満面の笑みを浮かべるタクミがキバゴとフシギダネを抱えて映っていた。

 

「ハクダンジム戦に勝った時の写真だよ。そういえば貰ってなかったな。そこに入ってたのか」

「これがタクミのジム戦初勝利の写真なんだ。そっか、これも貰っていいの?」

「えっ、別にいいけど……それいる?」

「いるよ!!」

「そう?別にいいけど、落書きとかしないでよ」

「しないよ。っていうか、私、そんなに信用ない?」

「いや、まぁ……あんまり言葉に信用はないよね……あはは」

「むぅ……」

 

笑って誤魔化すタクミにアキは不服そうに頬を膨らませた。

 

「それより、そのメモリ、アキへのお土産だからさ。ホロキャスターから抜いておいて」

「えっ?いいの?メモリごともらっちゃって。私コピーだけでもいいよ」

「いいのいいの。旅の間に要領満杯のメモリなんて持っててもしょうがないから」

「それもそうだけど……ほんとにいいの?」

「そもそもこれはアキの為にもらってきたんだから。受け取ってよ」

「……あ……」

 

タクミは有無を言わせずホロキャスターからメモリを引き抜き、アキに押し付けるように手渡した。

アキは受け取ったメモリを困ったように見つめていたが、最終的には手の中にギュッと握り込んだ。

 

「その……タクミ、ありがと」

「これぐらいお安い御用さ。って言いたいとこだけど、僕はビオラさんに『写真ください』って頼んだだけだけどね」

「ううん。そんなことないよ。タクミの気持ち、嬉しかった」

「そ、そう?」

「うん!」

 

アキは顔全体をほころばせ、目を細め、頰にエクボを作って笑っていた。

それはまるで、大輪の花が夏の日差しの中で花開いたかのよう。

 

彼女の顔を見てタクミの呼吸が喉の奥で一瞬だけ止まる。今のアキはタクミがこれまで見てきた中でも飛びっきりの笑顔をしていた。

 

「う、うん、まぁ、うん……」

 

タクミはなんだか照れ臭くなって唇を変な形に曲げながら顔を背けたのだった。

 

それからも、タクミのポケモン達の話を続ける2人。

 

コーラに飽きたタクミはミルクたっぷりのコーヒーを持ってきて、ピーチジュースに飽きたアキは砂糖とレモンを入れた紅茶を飲みながらまだまだレストランで粘る。

 

タクミの話が大方終われば次に水を向けられたのはアキの方の話だった。

タクミもポケモンハイスクールの話や、アキが最初にヒトカゲをゲットした経緯とかの話を聞きたかった。

 

だが、その話をする前にタクミには聞いておかなければならないことがあった。

 

「アキ……ちょっと聞きにくいことなんだけど」

「手術のこと?」

 

タクミは神妙な顔で頷いた。正直に言えばそんな話など後回しにして、有耶無耶にしてしまいたかった。

ただ、彼女の病気の話で中途半端なことをして、良い結果になったことなど一度だってないのだ。

 

聞きたくないことは最後には回さない。

 

それがタクミがアキの闘病生活を一緒に過ごして学んだことだった。

 

アキは唇をキュッと結び、自分の失った左脚をさする。

 

「手術のことはあんまり覚えてないよ。手術の部屋に入って、ベットに寝て、マスクの空気吸ってたらだんだん身体がポカポカしてきて、気が付いたら終わってた。手術の後も痛み止めをいっぱい使ったから少し痛いぐらいですんだし」

「少しってどれぐらい?」

「病気が一番ひどい時の1/3ぐらいかな」

 

それはアキの病気が進行し、神経にまで病気が及んでいた時だ。

あの時はアキがあのまま死んでしまうんじゃないかと思えるぐらいに衰弱していた。

その頃のことを思えば、今こうしてレストランに座って同じ目線で話ができるのは本当に奇跡みたいなものだった。

 

「それで、歩けるようになるにはどれぐらいかかるの?」

「うーん、まずはこの傷が良くならないとって言われてる」

 

アキは包帯に包まれた足の先端に触れる。大量のガーゼと包帯でガチガチに固められた足先は触れたところで大して感覚はない。

アキの腕に繋がれた点滴からは今も痛み止めの薬が流されており、傷の痛みはほとんど感じない。それでも、骨を切り落とし、皮膚を切り裂いた手術をしたのだ。今も夜遅くに不意に強い痛みが訪れることがあった。

 

「この傷がよくなって。切った骨が落ち着いて。縫っている糸を取って。病気が残っていないことを確かめて。時間を置いて新しく病気が出てこないことを調べて。それから、少しずつ体重をかけていくんだって」

「そっか……」

 

改めて聞くと本当に険しい道のりだった。

多分、それはタクミがバッジを8個集めることなんかよりもずっと大変なことなのだろう。

だが、アキは手術を乗り越えたのだ。病気も快方に向かっている。

今のアキの顔には辛そうな感情は見えない。

 

タクミはその気持ちを後押しするように、歯を見せて笑った。

 

「それじゃあ、リハビリいっぱいしないとね」

「うん。でも、ほんとキツイんだよ……もう右脚のリハビリは始めてるけどさ。こいつったら本当に役立たずなんだから」

 

アキは残った右脚をぺちぺちと叩く。右脚にまで伸びていた病気は既に消えているが、今まで寝たきりで使ってこなかった足に筋肉などついてるはずもない。そんな骨と皮だけの右脚で彼女はこれから自分の体重の半分以上を支えていかなければならない。

 

そのためには時間をかけて少しずつ筋肉を増やしていくしかないのだ。

 

「でもね、タクミ」

「ん?」

「私は……大丈夫だよ」

 

タクミはその台詞に目を細める。

 

彼女の『大丈夫』はいつも信用がならない。

 

辛い身体で強がる時、酷い体調を隠す時、心配をかけまいと誤魔化す時。

 

いつだって彼女は『大丈夫』と返事をして仄かに笑うのだ。

 

それが彼女なりの優しさであり、それと同時に彼女の意地でもあった。

悲劇のヒロインになりたくない。タクミとは常に対等な友達でいたい。

そんな、気持ちがわかるからこそタクミはずっとその『大丈夫』という言葉に騙されるフリをしてきた。

 

だからタクミは彼女の『大丈夫』に身構えてしまう。

 

だが、今回はそんな心配は不要であった。

 

アキは笑っていなかった。笑って自分や他人を誤魔化そうとしていなかった。

彼女の瞳にはこれから先の道を自分の力で歩いていくんだという強い意志が込められていた。

そんな彼女を見て、タクミは身体の力を抜くように息を吐きだした。

 

「そうみたいだね」

「うん!」

 

タクミは憑き物が落ちたかのように顔の力を緩めて笑う。

それにつられて、アキもバカみたいにヘラヘラと笑う。

 

「じゃあ、この話はおしまいにしよう。それじゃあアキ、最初のポケモンを貰った時のことを教えてよ。なんでヒトカゲにしたの?」

「そのことは私も話したいんだけど。もう少し後にしない?」

「え?」

 

アキは窓の外を指差した。

 

そこではツボツボ対オーロットという迷勝負がようやく終わりを迎えていた。

 

「私のポケモンの話は、私のポケモンがどんなバトルをするのかを見た後の方が良いと思わない?」

 

タクミの顔に力がこもっていく。心臓から流れ出る血がアドレナリンを全身にドバドバと送り込まれる。

身体に熱が入り、鼓動が高まり、タクミは好戦的な笑顔を浮かべた。

 

「へへっ、そうだね、やろう!」

 

八重歯を見せて笑うタクミに向け、アキも不敵な微笑を浮かべる。

 

「タクミはもうバッジをゲットしてるみたいだけど、私が怯むと思わないでよ」

「当たり前さ。アキを相手に油断なんかできるもんか」

 

タクミは彼女がどれだけポケモンの図鑑や雑誌を読み込んできたかを知っている。

彼女のポケモンやバトルに対する知識量を侮れるわけがなかった。

 

「それじゃあ……」

「バトルしよう!!」

 



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その心臓の高鳴りはきっと恋じゃない

まだまだリアルが忙しい……
また、更新が少し空くかもしれません。


バトルの宣言をしたものの、2人してバトルフィールドに駆け込むわけにもいかない。

タクミはアキの車椅子を押し、彼女をバトルコートへと連れて行った。

 

「アキ、ここでいい?車椅子のブレーキかけるよ」

「うん、OK!」

「それでモンスターボールはどこ?」

「車椅子の下にボールケースが入ってる」

「あったあった。はい、どうぞ。点滴引っ掛けないでよ。手はこっち握って。寒くない?上着いる?」

「平気。ミアレってあったかくていいよね。雨もあんまり降らないし。日本より過ごしやすい気がする」

「それもそうだね」

 

タクミはアキの点滴台が風に煽られないように高さを調整し、車椅子の隙間に挟んで固定する。

手慣れたものであった。

アキのバトルの準備をしっかりと整え、タクミはようやくバトルコートの反対側へと向かった。

 

「アキ!バトルは何回目?」

「へへへ、実は初試合!!」

「だと思ったよ」

 

彼女はポケモンを貰ってからすぐに手術となった。

その後は病院で寝たきりだったのだから、バトルをする暇などあるはずがない。

 

「ルールはアキに合わせるよ。好きに決めて」

「ほんとっ?それじゃあ、えと、一番強いコでバトルしよ!!」

「OK!」

 

タクミは迷わずにモンスターボールを選んだ。

 

アキは手元のボールケースを見下ろす。

最初のポケモンを貰って3日後には手術になったアキ。だが、アキは諸々あって既にポケモンを3匹連れている。だが、その誰もがバトルしてゲットしたわけではない。

 

これが正真正銘の初バトルなのだ。

 

しかも、その相手はタクミ。

 

アキは手にしたモンスターボールをギュッと握りしめた。

 

アキの脳裏に『あの日』のことがフラッシュバックする。

 

タクミのボールが部屋に転がり込んできた『あの日』

窓から飛び込んできたボールを握った感触は今も覚えている。

 

病気に蝕まれ、友達を作ることもできず、ただベットの上で不安に押しつぶされそうになっていた頃。目の前は真っ暗で、未来なんかどこにもなかった。公園で子供達が遊ぶ声を聞いていたのも、手が届かない世界への憧れと羨望でしかなかった。

 

『あの日』私は世界のことを嫌いになりはじめていた。

 

そんな時に、彼は窓からやってきた。

 

そこから世界が広がったのだ。

 

タクミと出会い、一緒に戦う仲間ができた。追いかけたい背中ができた。未来の先にある夢が見えた。

だから辛い治療を乗り越えてきた。大きな決断を乗り越えることができた。そして夢への第一歩を踏み出すことができた。

 

そんなタクミとポケモンバトルができる。

 

ずっと憧れていたポケモンバトル。ずっと望んでいた相手とのバトル。

 

燃えない訳がなかった。

 

アキは自分の胸に手を当てた。

 

その掌の下では心臓が今までにないぐらいに速いリズムで鼓動を打っていた。まるで胸の中に火のついた薪を入れられたかのように身体の奥から熱が溢れてくる。動いてもいないのに背中が汗ばむ。吸い込む息が足りないような気がして、何度も深呼吸を繰り返す。

 

リハビリを頑張った後でもここまで身体が熱くなったことはなかった。治療が上手くいった時もここまで気持ちが昂ったりしなかった。

 

こんなに心臓が強く、激しく動いているのはもしかしたら産まれて初めてなのかもしれなかった。

 

アキは自分の心臓の上をギュッと握り込んだ。

 

「ねぇ、タクミ。全力疾走した時って、こんな感じなのかな」

「え?」

「心臓がバクバクしてる。頭の奥がドクドクする。こんなの……こんなの初めて!!」

 

アキはそう言って目をギラギラとさせながら、八重歯をむき出しにして笑った。

 

『笑顔』というのは本来、他者に対する威嚇の表情だったという。

アキの今の笑顔はまさしくそれだった。

無邪気さの中に秘められた好戦性。理性の外れかかった闘争の表情。

そんなアキの姿を見るのはタクミも初めてだった。

 

「……いい顔しているじゃん……」

 

タクミは口の中だけでそう呟く。

 

今までと違うアキの姿。それは彼女が本当に大きなことを乗り越えたことの象徴のような気がした。

それがあまりにも嬉しくて、タクミは声を殺してクツクツと笑う。

 

そんなタクミにアキは自分のモンスターボールを突き出した。

 

「タクミ!!全力で来てね!!」

「あったりまえだ!!」

 

タクミも同じようにモンスターボールを前に突き出す。

そして、2人はほぼ同時にフィールドにモンスターボールを投げ込んだ。

 

「お願い!ヒトカゲ!!」

「行くぞ!キバゴ!!」

 

フィールドに立つヒトカゲとキバゴ。

 

「キバァ!!」

「カゲェ!!」

 

タクミは『ヒトカゲ』相手のバトルは初めてではない。ポケモンキャンプでのハルキとのバトルはそう忘れられるものではない。だが、タクミはあの時のことは完全に頭の外に追いやることにした。

 

あのバトルは経緯のこともあり、あまり自慢できるものではない。それに、彼とのバトルがアキを相手に参考になるとは思えなかった。

 

アキのヒトカゲはハルキのヒトカゲと比べて随分と体付きが違ったのだ。

 

「カゲッ!」

 

軽くステップを踏み、シャドーボクシングを繰り返すヒトカゲ。

足腰の動きといい、肩の筋肉の発達具合といい、アキのヒトカゲからは接近戦の匂いがプンプンしていた。

そんなヒトカゲを相手にするなら本当はキバゴは相応しくない。中距離から戦えるフシギダネかタイプ相性の良いゴマゾウで戦うのがベストだった。

 

だが、タクミの顔には後悔も不安もない。

 

今のタクミにはこの瞬間にできる最高のバトルがしたいということしか頭になかった。

 

タクミとアキの間に火花が散る。お互いのポケモン同士も目が合い、バチバチと火花が散る。

そして、2体のポケモンがフィールドに出たことにより、審判AIが起動する。

 

「ヒトカゲVSキバゴ、バトル承認!バトル承認!制限時間なし!」

 

無機質なAIの声。

だが、そんなことは今は何も気にならない。お互いがお互いのことしか見ていない。自分のポケモンの声を聞くことしかできない。

 

きっとここが大歓声のスタジアムでも彼等は同じであっただろう。

 

アキが渇いた唇をペロリと舐める、タクミが口の中に溜まった唾を飲み込んだ。

 

「バトル開始!!」

 

バトル開始のゴングが鳴る。

 

「キバゴ!“ダブルチョップ”!」

「ヒトカゲ!“メタルクロー”!」

 

キバゴとヒトカゲはその指示を最初から待っていたかのように、一気に飛び出した。

紫炎の“ダブルチョップ”と白銀の“メタルクロー”がフィールドのほぼ中央で激突する。

 

「キバァァァ!」

「カゲェェェ!」

 

真正面からのぶつかり合い。小手先のテクニックを駆使するつもりなど毛頭ない。全身の駆動を全て使い、相手にワザを叩き込む。ただそれだけだった。

 

「カゲェエエエ!」

 

ヒトカゲの爪がキバゴの両腕を内側からこじ開けていく。

 

「キバァアアア!」

 

キバゴの下肢がヒトカゲを押し込もうと前に出る。

 

ヒトカゲがわずかに後退し、キバゴの防御が崩れる。

 

どちらにせよ、この膠着状態は長く保たない。

 

先に動いたのはタクミの方だった。

 

「キバゴ!ターンだ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴは左腕を外し、右足を軸にその場でターンを決めた。それはスケートやダンスのような華麗なものではない。格闘家が地面を強く踏み込むようにキバゴは足の爪でがっちりと地面を掴み、腕を畳んで高速で回転した。そして、その遠心力を右拳に集約させる。

 

「キバッ!!」

 

下半身の駆動力を込めた鋭い裏拳だ。一瞬で振り抜かれた裏拳はヒトカゲに防御の隙すら与えずに側頭部に突き刺さった。攻撃を受けたヒトカゲの身体が流れ、足が揺らぐ。

 

だが、ヒトカゲの目はその程度で怯みはしなかった。

 

「ヒトカゲ!尻尾!!」

「カゲェ!!」

 

ヒトカゲは揺らいだ体重の移動を利用して、足を大きく振り回してその場でターンする。

ヒトカゲは遠心力を利用し、先端に炎を灯した尻尾での打撃で反撃を狙った。

 

「キバゴ!止まれ!!」

「キバッ!」

 

追撃しようとしていたキバゴはギリギリのところで足を止める。炎の先端がキバゴの頬を掠める。攻撃を回避することはできたが、ヒトカゲの回転はまだ止まらない。ヒトカゲは振りぬいた尻尾のエネルギーを殺すことなく、足を踏みかえる。ヒトカゲはブレイクダンスのように身体を回し、そのまま左腕の“メタルクロー”をフックパンチのような軌道で振り抜いた。

 

「カゲッ!!」

 

ヒトカゲの“メタルクロー”がキバゴの横っ面をぶち抜いた。

 

「キバゴ!怯むな!!」

「キバァ!!」

 

ヒトカゲの攻撃は派手だったが大振りだ。攻撃直後の隙も大きい。腕を振り切ったヒトカゲは勢いを殺しきれずにキバゴに身体の側面を向けていた。

最高の反撃のチャンスだった。

 

だが、その直後、タクミは虫の知らせのような鳥肌を覚えた。

 

「キバゴ!ガードだ!!」

「キバァ!」

 

キバゴが“ダブルチョップ”を纏った両腕をクロスする。

次の瞬間、ヒトカゲの尾が怪しく揺らめいた。

 

「ヒトカゲ!“ドラゴンテール”!!」

「カゲッ!」

 

アキの指示が飛ぶ。

 

回転の勢いの乗ったヒトカゲの尻尾。その先の赤い炎が勢いを増し、青白く変色する。

【ドラゴンタイプ】のエネルギーを纏った炎が燃え広がり、尾の全体を包み込んだ。

ヒトカゲは大きく足を踏み出し、身体を半回転させてキバゴに向けて尾を振り切った。

 

雷鳴のような音が鳴った。

 

それは、強力な【ドラゴンタイプ】の攻撃がぶつかり合った時に生じる特有の黒い火花。

 

苦手なタイプの攻撃を下から突き上げるように受けたキバゴ。キバゴの身体が浮き上がり、数メートル程吹き飛ばされる。キバゴは両足と両手で着地し、顔を上げる。派手に飛ばされたが、防御が間に合ったおかげか、ダメージは少なかった。

 

ヒトカゲは回転を止めることなくステップを刻み、少し距離を取って足を止めた。

大きく股を開き、両腕を胸元の前で構えるヒトカゲはまるで歴戦の格闘家のようなオーラを纏っていた。

 

「キバァ……」

「カゲェ……」

 

睨み合うヒトカゲとキバゴ。

ひり付くような空気がその場を満たす。

 

緊張の糸が張り詰める。キバゴとヒトカゲはすり足でじりじりとお互いの間合いを詰めていく。

日本刀での立ち合いのように、一瞬でも先に攻撃を叩き込もうとする両者。

タクミとアキの呼吸が自然と小さく、浅くなっていく。全神経をフィールドの間合いに集中する。

 

「………」

「………」

 

息が詰まる程の緊迫感。

 

そして、張り詰めたものが切れる。

 

「キバゴ!!」

「キバァ!!」

 

キバゴが飛び出した。一瞬でトップスピードに乗り、低い姿勢から突撃する。

ハクダンシティでのローラースケートの練習がキバゴの脚力を数段向上させていた。

その脚力に合わせたタクミの指示。遠すぎず、近すぎない位置からの突撃。

 

まさしくドンピシャであった。

 

一気に懐まで潜り込んだキバゴはその勢いのまま左腕をヒトカゲの腹部に叩き込んだ。

 

「カゲェ……」

 

ヒトカゲが呻き声をあげる。たが、ヒトカゲはすぐさまキバゴの腕へと手を伸ばした。

 

「ヒトカゲ!捕まえて!」

「カゲッ!」

 

ヒトカゲはキバゴの左腕を引き寄せ、関節を極めつつ脇で締め上げた。

 

「“メタルクロー”!!」

「カゲッ!!」

 

キバゴは腕関節を極められた。逃げられない。片腕ではガードもままならない。

 

「キバゴ!キバで受けろ!!」

「キバッ!!」

 

キバゴが自慢のキバを“メタルクロー”に合わせた。

バキンと激しい音がしてキバゴのキバがへし折れ、宙を舞う。

 

これはチャンスだった。

 

「キバゴ!そいつを蹴り込め!!」

「キバァッ!!」

 

キバゴは地面を蹴り、身体を回して強引に関節技を外した。そして、そのキバをボレーシュートよろしく蹴り込んだ。折れたキバは見事にヒトカゲの眉間を直撃した。

 

「えぇっ!そんなのあり!?」

「ありに決まってるだろ!!キバゴ!!追撃しろ」

「ヒトカゲ!ターンして“ドラゴンテール”!」

「カゲッ!!」

 

ヒトカゲは身体を大きく回し、蒼炎を帯びた尻尾を叩きつけようとする。

だが、タクミもキバゴもその攻撃が来ることは予想していた。

 

「キバゴ!!尻尾に“かみつく”だ!!」

 

その指示にキバゴはニヤリと笑い、その大口を開いて尻尾に飛びついた。

 

「あぁんぐ!」

 

キバゴはヒトカゲの尻尾の根本に完全に食いついた。

 

「カゲェッ!」

 

その痛みにヒトカゲは驚き、その場で小さく飛びはねる。

姿勢を崩したヒトカゲ。

その瞬間、タクミの指示が飛んだ。

 

「キバゴ!!そのままヒトカゲを持ち上げろ!!」

「ィィバァア!」

 

キバゴは顎の力でヒトカゲの重心をズラし、浮いた片足を担ぎ上げるようにして抱え上げた。

 

「ヒトカゲ!暴れて!逃げて!!」

「キバゴ!ヒトカゲを叩きつけろ」

 

キバゴは軽く飛び上がる。

キバゴの顎の力と首の力を使い、膂力と重力を掛け合わせてヒトカゲを頭から地面に思いっきり叩きつけた。

 

「カゲッ……」

「ヒトカゲ!逃げて!!追撃が来る!」

「そこだキバゴ!“ダブルチョップ”!!」

 

ダメージで動けないヒトカゲに向け、キバゴが大きく飛び上がった。

 

「馬鹿!!」

 

タクミの叱責が飛んだ。

 

「キバゴ!!不用意に飛ぶんじゃないって何度言ったらわかるんだ!」

「キバァアアアアアア!!」

 

だが、もうキバゴの動きは止められない。

 

「ヒトカゲ!“メタルクロー”を構えて!!!」

「カ、カゲッ!」

 

ヒトカゲは痛む身体を引きずりながら、片腕だけに自分の力を集中させる。

右腕のみに力を集約された鋼の爪。

 

ヒトカゲは頭上に迫るキバゴの動きに全神経を研ぎ澄ませた。キバゴの腕の動き、ワザの揺らめき、身体の隙。その全てを観察し、自分の中の反撃のイメージを頭の中で固める。ただし、攻撃のタイミングだけは計らない。それは自分がやらなくてもいい。

 

そして、アキの声が飛ぶ。

 

「今っ!!」

 

落ちてくるキバゴに向け、突き刺すようなヒトカゲの“メタルクロー”が放たれた。

間合いを完璧にとらえた一撃。キバゴの左腕を外側に弾き出し、狙うはその急所である眉間。

 

「キバッ!!」

 

バキンと再び音がした。

 

キバゴのもう片方のキバが折れた音だった。

 

キバゴは先程と同じようにヒトカゲの攻撃を自分のキバで受けたのだった。

攻撃が逸れ、有効打に至らなかったヒトカゲの一撃。

その伸びきった腕をキバゴは引き寄せながら、“ダブルチョップ”をヒトカゲの腹部に叩きつけた。

 

腕に蓄えられていた全てのエネルギーがヒトカゲの身体を突き抜ける。

ヒトカゲの目が強く見開かれる。

 

「カゲ……」

 

キバゴが腕を引く。ヒトカゲの身体が倒れていく。

そして、ヒトカゲは重力に逆らうことなくフィールドの上に横たわった。

 

審判AIがフラッグを上げる。

 

「ヒトカゲ戦闘不能!キバゴの勝ち!」

 

その宣言が響き渡る。

 

「キバァアアアアアアアア!!」

 

キバゴの勝利の咆哮が響き渡る。

 

だが、それに続くトレーナーの歓声は聞こえなかった。

 

タクミは緊張の糸が切れたかのように大きく息を吐きだしていた。

タクミはその時になって自分が呼吸を止めていることに気が付いた。

 

「……勝った……」

 

タクミは何時間も続いた戦いが終わったかのように両拳を握り込んで頭上に掲げた。

 

「キバ!キバキバキバ!!」

 

キバゴがタクミの足元にまで戻ってきて、ハイタッチをせがむように小さく飛びはねていた。

タクミはそのキバゴを細目で見下ろし、しゃがみこんでキバゴと視線を合わせる。

 

「キバゴ、お疲れ様」

 

タクミはそう言ってキバゴの頬をムニムニと撫でまわした。

 

「キィバァ……」

 

くぐもった声を出しながら『それほどでも~』と調子に乗った表情をするキバゴ。

タクミは一層目を細め、キバゴの頬を両側に引っ張った。

 

「キバッ!?」

「キバゴ!勝ったからいいものの!最後の大ジャンプはいらないでしょ!!普通に最短距離で“ダブルチョップ”を叩き込んでたらもっと安全に勝てたでしょうが」

「キバ~キバ~」

 

タクミはキバゴの頬をもみくちゃにしながら、持ち上げる。

 

「反省してる?」

「キバキバキバキバ」

 

潰されながらも殊勝な顔で何度も頷くキバゴ。

 

「じゃあもうしない?」

「…………」

「なんで返事をしないんだお前は」

 

タクミは疲れ果てたような長いため息を吐き出した。

 

キバゴの無駄に大技を繰り出したがるこの性格はどうしたものだろうか。本当なら無理にでもやめさせるべきなのだろうが、キバゴにとってこれはテンションを最高潮に保つために必要なものなのだ。キバゴのバトルのリズムを保つのにも一役買っているし、難しいところであった。

 

頭を悩ませるタクミ。その傍にアキが自分で車椅子を動かして近づいてきた。

 

「タクミ、キバゴは大丈夫?」

「え?あぁ、うん。平気みたい」

「キバァ!」

 

キバゴの両側のキバは折れてしまった。だが、キバゴは元気に片手をあげてアキに挨拶をする。

 

「よかった。それとタクミ、バトルありがと」

「こちらこそ。アキのヒトカゲは?」

「こっちも平気。怪我もないよ。ほら」

 

アキが促すと、ヒトカゲは車椅子の後ろから顔を出した。

どうやら、アキの車椅子を頑張って押してくれていたようだった。

そのヒトカゲは『元気だよ』と宣言するかのように片手をピシリと上げた。

 

「カゲ」

「そっか、よかった」

 

タクミの手の中からキバゴが飛び降り、ヒトカゲに向けてトテトテと歩み寄る。

そして、キバゴは自分の爪を握りこんでヒトカゲに突き出した。

 

「キバァ!」

 

それに応えるようにヒトカゲも自分の爪を握りこむ。

 

「カゲッ!」

 

そして、ヒトカゲはキバゴの拳に自分の拳をゴンと叩きつけた。拳がお互いの力のせめぎ合い、プルプルと震える。接近戦にこだわりのありそうな両者。何か通じ合うものがあったらしかった。

 

そんなポケモン達をアキは微笑ましく、タクミは若干呆れ笑いで眺める。

そして、アキは改めてタクミに手を差し出した。

 

「タクミ、ありがと。良いバトルだった」

 

タクミはアキに応え、その手を握り返す。

 

「こっちこそ!すっごい楽しかった」

 

そして、二人はお互いの手の熱に苦笑いを浮かべた。

 

「タクミ、すっごい手汗」

「アキだってめちゃくちゃ手が熱いじゃん。熱あるんじゃないの?」

 

タクミは何気なくそういった。

アキは昔からことあるごとに熱を出していたので、よく冗談でそう言っていたのだ。

だが、そんなタクミの一言にアキは八重歯を見せて笑った。

 

「あるよ。あるに決まってるじゃん。だって、だって、こんなに……嬉しいんだから!!」

 

アキは顔をしわくちゃにして、目尻に涙を光らせて、歯をむき出しにして笑った。

 

「だって、タクミとポケモンバトルできたんだよ!ずっと、ずっとやりたかったバトルができたんだよ!!」

「……そっか、そうだよね」

「私、絶対にできないって思ってたんだよ……私、このまま何もできずに、やりたいこともできずに、死ぬんだって思ってた……でも、出来たんだよ!」

「うん」

「私、ポケモントレーナーになれたんだ!本当になれた!私、ポケモントレーナーになったんだよね」

「当たり前だろ。だって、今バトルしたとこじゃないか」

「うん!!」

 

タクミはそう言って、ニヒヒと笑う。アキがもう一度くしゃりと笑い、その拍子に大きな雫が零れ落ちた。

アキは握手していた手を離して、大きく手を掲げた。

タクミもすぐさま彼女の意図を察して自分も手を振り上げる。

 

「タクミ!ありがと!!」

「アキ!ほんとに頑張ったな!」

「うん!!」

 

ハイタッチの乾いた音が病院のバルコニーに鳴り響く。

 

泣くように笑う2人に向け、キバゴとヒトカゲが祝福のように諸手をあげていた。

 



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病院に幽霊が出ないのはむしろ不自然?

タクミはアキの車椅子を押して病室へと戻ってくる。

 

「そんなこんなで妊婦さんを病院に連れて行って、迷子を送り届けて、トリミアンを探してたらもう夕方でさ。研究所に行ったらケロマツもフォッコもハリマロンも他のトレーナーが連れていっちゃって。次の初心者用ポケモンが来るのも3日後だし。それで、研究所に残ってたこのヒトカゲを貰うことになったの」

「まったく、アキらしいと言えばアキらしいや。それで、その時に一緒に連れまわしたイーブイがなんで手持ちに?」

「後でわかったんだけど、このイーブイ、研究所から逃げ出したコだったの。懐かれたから貰っちゃった」

「なるほど。あとの1個のモンスターボールにはなにが入ってるの?」

「コイキング!」

「……え?」

「だから、コイキング。私の担当の先生が入院してきたトレーナーの人に配ってるの」

「え?コイキングを?」

「釣りが趣味でいっぱい持ってるんだって」

「へぇ……」

 

医者といっても色んな人がいるらしい。

 

「あっ、そういえばさっきのバトルだけど。ヒトカゲが“ドラゴンテール”を使えることって、もしかしてバレてた?」

 

それは最初にヒトカゲが“ドラゴンテール”を放った場面の話だ。

キバゴに背を向けたヒトカゲは一見すると、隙だらけに見えた。追撃すれば間違いなく大ダメージを与えられるような大きな隙だ。

だが、タクミはキバゴに防御の指示を出していた。

 

「バレてたというか……アキがあの場面であんなに隙の大きい攻撃をさせるのに違和感があってさ。誘っているような気がして防御姿勢を取らせたんだ。正解だったみたいだけど」

「そこでバレてたか」

「でも、尻尾の遠心力を使って攻撃を連打していくバトルスタイルはすごいと思うよ。リズミカルだから反撃はしやすい気はするけど」

「それは今後の課題かなぁ。あっ、そうそう。キバゴの『あれ』も最初から考えてたの?」

「『あれ』って?」

「攻撃をキバで受けて折って、そのキバを蹴り込むやつ」

「ああ、『あれ』ね。さすがにあれは練習できないよ。ほとんど偶然」

「えっ!?あれ、偶然なの!?」

「うん」

「で、でも、かなり自信もって指示してたみたいだけど」

「いやぁ、キバゴならできるかなぁって」

「………」

 

アキは言葉を失う。

彼等はあの一瞬の攻防の間に今まで一度もやったことのない特殊な攻撃の指示を出して、完璧に意思疎通してそれを実行してしまったのだ。やる方もやる方だが、指示する方もする方だ。

タクミとキバゴの間にある信頼関係は最早テレパシーの域に達しているんじゃないかと思えてしまう。そこまでいくと『感心する』を通り越して若干気持ち悪い。

 

アキはそんなことを思い、目を細めた。

 

「アキ、なんか失礼なこと思ってない?」

「そ、そんなことないよ」

 

タクミにジト目で睨まれ、アキは慌ててそっぽを向いた。

アキの下手くそな口笛にタクミはため息を吐いた。

 

タクミはアキの車椅子を押し、静まりかえった病室にアキの車椅子を入れる。

ベッド横で車椅子を止めると、アキは自然な仕草で両腕を突き出した。

 

「んっ」

「はいはい」

 

タクミは流れるようにアキを抱え、ベットに彼女を移した。タクミはアキの身体の位置を整え、薄手のタオルケットを彼女の身体にかける。

 

「アキ、身体は平気?」

「うん。でも、やっぱりちょっと疲れたかな……」

「そりゃそうか」

 

ほとんど寝たきりであったアキにとっては一度のポケモンバトルでも随分と体力を消費したことだろう。

タクミはあまり長居してはアキに悪いと思い、すぐさま立ち上がった。

 

「アキ、ちゃんと休みなよ。また来るから」

「えっ!?タクミ、もういっちゃうの!?」

「『もう』って、大分居たよ?それに、僕がいたらアキも休めないでしょ」

「そりゃそうだけど……私は大丈夫なのに」

「…………」

 

確かにアキの顔色は悪くはない。だが、悪くはないだけで彼女の頬はのぼせあがったように赤くなっている。慣れないバトルでテンションが上がり、自分の不調に気づいていない可能性もある。

 

タクミとしてはアキにはできるだけ休んで欲しかった。だが、拗ねたように唇を尖らせるアキを無碍にするのは少し心苦しい。そんなタクミの葛藤を見抜いたかのようにアキは情に訴えるように拝み手を向けてウィンクをしてきた。

 

「タクミ、もう少しだけお願い。その……えと……スクールの授業でちょっとわからないところがあって……」

 

その仕草にタクミの心臓が不規則に跳ねる。

タクミは声が裏返らないように注意しながら口を開いた。

 

「アキがわからないことが、僕にわかるとは思えないよ。それぐらいアキも知ってるでしょ」

 

タクミは平静を装うために一度呼吸を整え、腰に手を当ててアキを見下ろした。

 

「そんなに話し足りないなら素直に言ってくれていいよ。もうしばらくいるから。だから、嘘なんかつかないで」

「……うん……ありがと……あと、ごめん」

「いいよ。アキの我儘には慣れてる。ただし、あったかくすること。汗が冷えるといけないから」

「うん」

 

アキは促されるまま足元に丸められていた布団を手に取り、それを腰まで引き上げた。

 

その時だった。

 

「うわっ!!!!」

 

アキの声が裏返った。

 

「うわっ!わわっ!わぁーーー!!」

 

アキがバサバサと布団を剥ぎ取る。アキは布団をできるだけ遠くに蹴飛ばし、少しでもそこから離れようと身をよじった。

 

「どうしたの!アキ!!」

「布団の中に何かいる!?虫!?虫かも!!」

「えっ!!ちょっ、アキ!危ない!!」

 

アキは片足を失い、身体の重心がずれている。しかも、彼女は寝たきり生活のせいで筋力がそもそも少なく体幹が非常に弱い。そんな状態で激しく動いたものだから、アキが身体のバランスを崩すのは必然だった。アキの身体がベッドの端に傾き、そのまま重力に従って倒れていく。

 

「あ……」

 

咄嗟にタクミが動いた。

タクミは車椅子をはねのけながらアキの隣に滑り込み、彼女の身体を胸元で抱きとめた。

だが、タクミの姿勢もあまりよくない。仰反るような姿勢になったタクミ。足の踏ん張りがきかない状態ではアキの勢いを殺しきれない。

 

そして、タクミの身体がズルリと滑った。

 

タクミの身体が背中から倒れ込む。自分が転ぶことを覚悟したタクミはアキだけは絶対に守れるように彼女の肩を強く抱きしめた。

 

「ダネェ!!!!」

「コイッ!!!!」

 

タクミのモンスターボールからフシギダネが飛び出す。

アキのモンスターボールからもコイキングが勝手に出てきた。

 

だが、彼等の飛び出した位置では間に合わない。

 

タクミは迫りくる衝撃に備えるように筋肉を硬直させた。

 

その瞬間だった。

 

「モシッ!!!!」

 

タクミとアキの身体が宙で止まった。

 

「えっ?」

 

それより一拍遅れてコイキングがタクミの下に飛び込み、フシギダネのムチがタクミの身体に巻き付いた。

 

「ダネ?」

「コイコ?」

 

ムチに重さを感じないフシギダネが首をかしげる。クッションになる覚悟であったコイキングが何事かと跳ねる。

衝撃に備えていた2人もいつまで経っても床に激突しないことに気づき、恐る恐る目を開けた。

 

「あ、あれ?私達……浮いてる?」

「うん。でも……なんで……」

「もしかして、タクミってサイキッカーだったり……しないか」

「しないよ」

 

ならば他に超能力の発生源があるはず。

タクミとアキは浮かんだ姿のまま、超能力の源を探した。

 

それはすぐさま見つかった。

 

アキのベッドの上。くしゃくしゃになった布団を被った1匹のヒトモシがいた。なぜか頭の炎が灯っていないヒトモシ。そのヒトモシは目を虹色に光らせてその短い手を空に掲げ、タクミ達に念力を送っていた。それは“サイコキネシス”という【エスパータイプ】のワザだ。

 

だが、まだ小さなヒトモシの力では人間2人の体重を支えきれない。

タクミ達の身体は不規則に上下し、風に流されているかのように揺れていた。

 

「モシ……モシ……」

 

ヒトモシは辛そうに顔をしかめながらも、なんとか“サイコキネシス”を保とうと力を振り絞っている。

次第に呼吸が荒くなって行くヒトモシ。

 

その様子にアキが真っ先に気がついた。

 

「タクミ!フシギダネを!」

「そうだった!フシギダネ!しっかり支えて!!」

「ダネッ!」

 

フシギダネはすぐさまムチを一気に引き絞る。

それを見届けたヒトモシは力尽きたかのように“サイコキネシス“を解除した。

 

次の瞬間タクミとアキに重力が戻ってきた。

 

ズンとフシギダネのムチに重量がかかる。

突然の重力にタクミの身体が落ち込む。だが、タクミの尻は地面と激突することなく、コイキングの身体に阻まれた。タクミは手早く立ち上がり、アキをベッドの上に押し上げた。

 

「フシギダネ、コイキング、ありがと!アキ、怪我してない!?どこか捻ったりとかしてない!?」

「うん、平気」

「よかった……」

 

アキの無事を確認したタクミはすぐさま自分のクッション代わりになってくれたコイキングを抱えあげる。

 

「コイキング、平気かい?」

「コイコイッ!」

 

『なんてことはないさ』と言うかのように、コイキングは誇らしげに自分の身体をヒレでぺチンと叩いた。

その隣で、アキがタクミの身体に巻かれていたフシギダネのムチを手に取った。

 

「フシギダネもありがと」

「ダネダ」

 

フシギダネは『たいしたことはしてない』とでも言うようにプイッと横を向き、タクミの身体からムチをほどいた。それでも、アキの手を払い除けないところが、どうも素直ではない。

 

照れるフシギダネは何か気を逸らすものを探すようにあちこちに視線を向ける。

そして、何かに気が付いたかのように声をあげた。

 

「ダネダッ!」

 

その視線をアキが追う。

 

「どうしたのフシギダネ……あっ!タクミ!ヒトモシが!」

「えっ!?」

 

コイキングを車椅子に乗せてあげていたタクミは急いでベッドを振り返った。

 

ベッドの上にいたヒトモシ。

 

そのヒトモシは荒い息でバタリとその場に倒れていた。

 

「モシ……モシ……」

 

呼吸は先程よりも更に荒くなり、蝋のようなその身体は冷や汗をかくようにわずかに溶けている。

タクミは急いでヒトモシを抱きかかえた。

 

「うわっ!なんだこれ!冷たっ!!」

 

そのヒトモシは【ほのおタイプ】とは思えない程に冷え切り、まるで氷の塊のようであった。

 

「そ、そんなはずはないよ!!ヒトモシの身体はいつも40度ぐらいはあるはずだよ!!」

「でも!本当に冷たい!これ、まずいんじゃないのか!?」

 

アキはハッとしてすぐさま自分のタオルケットをタクミに差し出した。

 

「タクミ、これ使って!」

「うん」

 

ヒトモシの身体にタオルケットを撒いてやる。ポケモンでも人間でも体温を保ってあげないと危険なのはきっと変わらない。それに、頭の炎が消えているのも気にかかる。どちらにせよ、人間の病院では対応ができない。

 

「急いでポケモンセンターに……」

「ちょっと待って!ここからならプラターヌ研究所の方が近いよ!!」

「プラターヌ研究所……」

 

それは、カロス地方を代表するポケモン研究家であった。

世界で最初にメガシンカエネルギーの解析に成功した博士の名前はタクミも何度も雑誌で見ていた。

 

「わかった、案内できる!?」

「うん!!私、ちょっと研究所に電話してみる!!」

「フシギダネ!ヒトモシをお願い!!」

「ダネダッ!!」

 

フシギダネはタオルケットでくるんだヒトモシをムチで受け取った。

すると、その一連を見ていたコイキングが素早く飛びはね、器用にベッド脇の戸棚を開いた。

 

「コイコイッ!」

 

コイキングは尻尾でアキの上着をタクミに投げてよこした。

 

「ありがと!お前、気が効くね」

「コイッ」

 

コイキングはそれ以上自分にできることはないと、自分でモンスターボールの中心部を押しこみ勝手にボールに入っていってしまう。

 

真摯な奴だなぁ……

 

タクミはそんな感想を抱いたが、それを口にしている暇はなかった。

タクミはアキの肩に上着をかけ、電話をかけているアキの身体を素早く車椅子に乗せた。

 

ホロキャスターの電話機能で会話するアキは真剣な顔で数度頷き、通話を切った。

 

「タクミ、すぐに来ていいって!」

「よしっ、行こう!ヒトモシは……」

「私が抱いていく。フシギダネ!」

「ダネダ!」

 

足の悪いフシギダネは移動では遅れてしまう。

フシギダネはヒトモシをアキに手渡し、こちらも自分からモンスターボールの中に戻っていった。

 

「タクミ、行こう!」

「わかった!!」

 

タクミは決して走る速度にならない程度のスピードで廊下を急ぎ足で駆けていく。

運の良いことに、ナースステーションにはちょうどアキの主治医がおり、事情を話したらすぐさま外出許可をもらえた。

 

急いで礼を言い、タクミとアキはエレベーターに飛び乗った。

 

「どうやって行く!?タクシー乗る!?」

「車じゃ入れない近道があるの。タクシー捕まえるより歩いた方が速い」

「わかった」

 

タクミはエレベーターが開くと同時に車椅子を押し込み、アキに案内されるまま病院の裏口から外に飛び出した。そのまま職員用駐車場の出口から敷地の外に出て、細い路地を二本抜けると、そこはもうプラターヌ研究所の裏口であった。確かにこれなら車を使うより早い。

アキはインターホンを押すのこともせずに、裏口の戸を叩いた。

 

「博士!!私です!アキです!ヒトモシを連れてきました!!」

 

すると、待っていたかのようにすぐさまドアが内側に開いた。

顔を出したのは中年ぐらいの男性だった。体つきは細く、それでいてやや筋肉質な腕をしていた。あまり手入れされていない無精ひげと芸術的な癖毛も相まって仕事中毒者のような雰囲気がある博士であった。

 

「待ってたよ。さぁ、入って」

 

彼は深味のある優し気な声でそう言った。

タクミは促されるままにアキの車椅子を押し込んだ。

 

「アキくん、連絡のあったヒトモシは?」

「この子です!博士!お願いします!!」

 

アキは胸元に抱えたヒトモシを差し出した。

プラターヌ博士はヒトモシの体温や頭の部分を観察し、すぐさま表情を引き締めた。

 

「すぐに治療に入ろう。2人とも、こっちへ」

「はい!」

 

プラターヌ博士はすぐさま研究所の奥へとタクミ達を案内した。

そこはポケモンセンター並の治療設備の整った部屋であった。

 

そこでは既に半縁のメガネをかけた女性が機器を何時でも使用できるように準備をしていた。

 

「ソフィー!ヒトモシの保温を最優先。それと並行して検査をいくつか出すよ」

「はいっ、博士!」

 

ヒトモシは保温ベッドの上に寝かせられ、ポケモンの治癒能力を高める治療を施される。

その間にも博士はヒトモシの身体の蝋のような部分を少し採取して、検査機にかけて叩き出された数値を怖い顔で睨みつけていた。博士はそのデータをもとに治療方針を変更し、新しい薬を用意してヒトモシの口に含ませる。

 

その様子をタクミとアキはガラスで隔てられた待合室で固唾を飲んで見守っていた。

 

そして、しばらくしてプラターヌ博士が額の汗をぬぐいながら出てきた。

 

「博士!ヒトモシは!?」

 

アキが切羽詰まったようにそう尋ねる。

そんなアキを安心させるかのようにプラターヌ博士は表情を緩めて笑った。

 

「ひとまず、命は危険はないよ」

「本当ですか!?」

「ああ、あのまま放置していれば危険だったけどね。このまま治療していけば、じき回復するだろう」

 

プラターヌ博士はそう言って、2人の視線を誘導するように治療室の方へと目を向けた。

保温室の中のヒトモシは規則的な寝息を立てており、頭の炎も復活していた。

顔色も良くなっており、タクミとアキは安堵の息を吐きだした。

 

「君たちがすぐに連れてきてくれたおかげだよ。良い判断だったね」

 

博士にそう言われ、タクミとアキは笑顔で顔を見合わせる。

 

アキが片手をあげ、タクミはその手に向けて自分の手を振りぬいた。

 

パチンといい音が鳴り響いた。

 

その後、タクミとアキはプラターヌ博士に案内され、応接室へと通された。

そこではショートヘアの白衣を着た女性が既に紅茶の準備を整えていた。

タクミ達は促されるままにソファに座る。

 

プラターヌ博士は白衣のポケットに手を突っ込みながら、ドサリとソファに腰かけた。

 

「さて、アキくんはついこの間ぶりだね。手術が無事にいって何よりだよ」

「ありがとうございます。いただいたヒトカゲは大事にしてます」

「うんうん。それで、君が……」

 

タクミは話を振られ、慌てて自己紹介をした。

 

「は、はい!自分はタクミです。サイトウ タクミです」

 

タクミは背筋を伸ばし、固い声で挨拶をした。あまりに緊張している様子にアキがクスクスと声を殺して笑っていた。

 

「そうか。やっぱり君がタクミくんか。僕はプラターヌ。このカロス地方でポケモンの研究者をやっている。よろしくね」

「はい!よろしくお願いします!!」

 

差し出された手を握ると、プラターヌ博士は思ったよりも強い力で握り込んできた。

タクミがそれに応えるようにしっかりと手を握り返した。

プラターヌ博士はニコニコとしながら手を離し、タクミ達に紅茶を勧めた。

 

「君のことはアキくんから聞いているよ。『地方旅』をしているんだって?」

「はい。とりあえず、パッチは1つゲットしました」

「マーベラス。この時期に最初の1つをゲットしてるとは上出来だ。カロスリーグに君が出場してくることを願っているよ」

「ありがとうございます!!」

 

カロス地方でも1,2を争う研究者にそう言われ、タクミは興奮に顔を赤らめた。

そして、話が一区切りついたのを見計らい、アキが話をヒトモシの方へと戻した。

 

「それで、博士。あのヒトモシはどうしてあんなことになっていたんですか?」

「おっと、そうだった、その話をしていなかったね」

 

博士は口をつけた紅茶を一口飲み、すぐさまカップを置いた。

 

「あのヒトモシは栄養失調さ。単に言えば空腹だったんだ」

「え?つまり……腹ペコ?」

「そういうことだね」

 

タクミとアキは顔を見合わせた。

お互いの顔に疑問符が浮かんでいるのを確認し、タクミはプラターヌ博士に質問した。

 

「えと、つまりあのヒトモシはご飯を食べてなかったってことですか?」

「『ごはん』というよりは『エネルギー』だがね。ヒトモシの頭の炎が消えていたろ?」

「はい」

「あの炎は一説には『人の魂を吸ったエネルギーで燃えている』と言われているんだ『ヒトモシは命を食べて栄養にしている』とね」

 

物騒な話にタクミとアキは息を飲んだ。

 

なにせ、ヒトモシが発見されたのは病院のど真ん中だ。

当然、周囲は病人だらけ。体力の低い人や命の瀬戸際で頑張っている人が大勢いる。

その中にそんなポケモンがいたというのはかなり問題なのではないだろうか。

 

そんなタクミ達の懸念を感じ取ったプラターヌ博士はそれを払拭するかのように両手を広げて笑った。

 

「だが、それはあくまで迷信だ。最近発表された論文ではヒトモシ系列のポケモンを連れていたトレーナーの寿命が減ることはないと結論がついている。現存する記録では幼少期からヒトモシをパートナーにしたトレーナーの最高寿命は115歳だ」

「それはそれですごいですね」

「他にも、ヒトモシを傍に置いて体力測定を行った研究などもあるが、それでも大きく運動能力が下がることはなかった。むしろ、ヒトモシに応援してもらうことで測定結果がよくなったトレーナーもいたぐらいだしね。病院の中であってもヒトモシが周囲に影響を与えることはないよ」

「へぇ……」

 

世の中にはいろんな研究をしている人がいるものである。

 

「でも、それじゃあ、ヒトモシの頭の炎は何を燃やしてるんです?」

「いい質問だ。その答えは『魂』だよ」

「え?でも、いま……」

「研究では『寿命』や『体力』を吸って炎を燃やしているわけではない、としか結論が付けられていない。なにを燃やしているのかは依然謎のままだ。ただ、ヒトモシがなにかしらを燃やすことでエネルギーを得ているのは間違いない。だから、わからないうちは古来よりの言い伝えに従って『魂』という言葉を使っているんだよ」

 

タクミとアキは納得したような、そうでないような表情で曖昧に頷く。

 

「そういう表情になるのも無理はない。なにせ研究者の間でも意見が分かれるところだからね」

 

ならば、そういうものなのだろうか。タクミは無理矢理納得するようにしようとした。

だが、ここでアキが食い下がった。

 

「でも、ヒトモシが野生で生息する場所って、霊園だったり廃墟だったり、基本的には人間がいないところですよね。そんなところでヒトモシは誰の『魂』を吸っているんです?」

「鋭いところをつくね、アキくん。確かに誰もいないところでは人の『魂』は得られない。だが、とある見解がある。ヒトモシが吸っている『魂』とは『感情』のことではないか、とね」

「感情?」

「霊園、廃墟、墓地……どれも様々な人の強い感情が残りやすい場所だ。在りし日の想い、残された人の想い。他にもそう言った場所に立ち入った人の恐怖心なんかも立派な強い感情だ。ヒトモシはそうやってその場に生まれた感情を吸ってエネルギーにしているんじゃないかと考える人もいる。彼らが人間を驚かせようとする理由としても筋が通っている」

「………なるほど」

 

アキはまだ完全には納得していないような顔をしていたが、ひとまずそれ以上の議論を止めた。

なにせ、重要な話はそこではないのだ。アキは今回のヒトモシの件について話題を戻した。

 

「それじゃあ、あのヒトモシが『腹ペコ』っていうのはどういうことです?病院なら、普通にたくさんの人がいますよね」

「その通りだ。だが、あのヒトモシはもしかしたら『感情』を食べるのが下手なのかもしれない」

「え?」

 

アキとタクミの頭に再び疑問符がともる。

 

「さっきも言った通り、ヒトモシは『魂のような何か』を栄養にすることができるというのは間違いない。だが、洞窟や森に生息する野生のヒトモシは普通にきのみや山菜なんかを食べて生活している。そんなヒトモシが突然人間の町に現れたらどうなると思う?」

「……えと……どうなるかな?タクミわかる?」

「え~……う~ん……」

 

頭をひねる2人にプラターヌ博士はヒントを出した。

 

「君たちは目の前にいきなり見たことのない料理がポンと置かれたらどうする?材料もわからない、作り方もわからない、挙句の果てにフォークもナイフも置いてないので食べ方もわからない。そんな食事を食べられるかい?」

「それは、食べたくないですね」

 

タクミはゲテモノ料理ばかりが並ぶ食卓を想像し、渋い顔をした。

そして、アキはそのヒントで答えに気が付いた。

 

「そっか!つまり、ヒトモシは『魂』の食べ方がわからなかった?」

「その通り」

 

プラターヌ博士はそう言ってお茶受けのクッキーを頬張った。

 

「地球界から来た君たちには意外に聞こえるかもしれないが、野生のポケモンが町の中に入ってくることはほとんどないんだ。ゴミを食べるヤブクロンや下水に住むベトベターとかの元々町に住むポケモンを除いてね」

 

タクミとアキは小さく頷いた。

 

町中にイノシシやクマが出没するニュースのある地球界の感覚からすれば、町と森の間に高い壁や掘りがなければ野生のポケモンが迷い込んでくることは普通にありそうだった。

 

「その理由に関しては諸説あるけど。とにかく、野生のポケモンは町という場所にそもそも慣れていないんだ。彼等は町中では食べ物を得ることも、安眠することもできない。だから、たまに野生のポケモンが迷い込んで、栄養失調で倒れて担ぎ込まれるというのはそう珍しい話じゃないんだよ」

「へぇ……」

 

タクミとアキは納得したように頷いた。

 

その時、プラターヌ博士の胸元のPHSが音をあげた。

 

「ソフィーくんか。何かあったか?……うん……わかった、見に行こう」

 

プラターヌ博士は紅茶を更に一口のみ、席を立った。

 

「ヒトモシが目を覚ましたそうだよ。君たちも来るかい?」

「はいっ!」

「もちろんです!!」

 

タクミとアキは紅茶の中身を一気に飲み干す。そして、タクミは更にテーブルの上のお菓子を一口で食べ、数個をハンカチで包んだ。

 

「タクミ?なにしてるの?」

「ん。ちょっとね」

 

タクミはそのお菓子をポケットに入れ、アキの車椅子の持ち手を握る。

プラターヌ博士の後に続きながら、タクミはふと思い出したようにアキに声をかけた。

 

「ところでアキ、プラターヌ博士に僕のこと話してたの?」

「ふぇっ!?な、なんで?」

 

アキの身体が不自然に跳ねた。

 

「いや、博士が僕のこと知ってたみたいだったから……って、なに?その態度?」

「い、いやぁ、その……と、友達がいて、『地方旅』に出てるって話しをしたぐらいだよ?」

「そうなの?」

「そうそう!」

 

なんだか不審な態度のアキであるが、彼女が自分の陰口を話すとは思えない。

失敗談をネタにされた可能性はあるが、その程度で場の笑いが取れているなら別に構わない。

 

それじゃあ何を話したのだろうか?

 

追求すれば多分アキは喋るだろう。なんならプラターヌ博士に直接聞けばいい。

ふと、アキを見下ろすと彼女の耳はなぜか真っ赤に染まっていた。

 

「………」

 

チラチラとタクミの様子を伺うように振り返るアキ。

タクミは渋い顔をして自分の髪を意味もなくかきあげる。

 

そして、タクミはしばらくしてため息を吐き出した。

 

「………ま、そういうことにしとくよ」

「べ、別に何も喋ってないって!」

「はいはい、そうだねそうだね」

 

軽く流すタクミにアキは「うぐぐ……」と言葉を濁した。

疑われたままなのは癪なのだが、追求されないことには感謝している。

そんなところだろう。

 

 

悶絶するアキと苦笑いするタクミ。

そんな2人を振り返りながらプラターヌ博士は『本当に仲がいいんだなぁ』などと感想を抱いていた



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いろんな炎を燃やして

治療室の窓から中を見るタクミとアキ。

ヒトモシは保温ベットの上に起き上がり、きのみのジュースを美味しそうに吸っているところであった。頭の炎もしっかりと紫色の炎を灯し、幸せそうにチューチューと音を立ててジュース飲むヒトモシは見ているこっちが幸せになりそうな笑顔であった。

 

「元気になってる。良かったね」

 

タクミはそう言ってアキを見下ろす。

アキもタクミを見上げ、フニャッとした笑顔で頷いた。

 

「うん。良かった。タクミがいてくれたおかげだね」

「僕は何もしてないって」

「そんなことない。タクミがいなかったら私だけでプラターヌ研究所には行けないもん」

 

アキはそう言って、包帯が硬く巻かれた自分の足をペチペチと叩く。

 

「ほんと、役立たずなんだから」

 

アキはそう言うが、タクミは自分がいなくてもアキならなんとかしてヒトモシをここに連れて来ただろうという確信があった。ただ、それを指摘してもアキは決して肯定してはくれないだろう。だからタクミは別の方向からアキにフォローをいれることにした。

 

「でも、アキがプラターヌ博士に電話してくれたからスムーズに治療ができたんだから。やっぱりアキがいて良かったんだよ」

「そうかな?」

「そうだよ。アキのおかげさ」

「うーん……でもなー……まぁ、そういうことにしとこうか」

 

そう言いつつも満更でもなさそうに頬を染めるアキ。

 

そんな時、プラターヌ博士が窓をコンコンと叩いた。

 

「2人とも中に入ってきていいよ。ヒトモシに会いたいだろ?」

「はいっ!」

 

2人同時に返事をして、タクミは車椅子を押して治療室へと足を踏み入れた。

 

「モシッ!」

 

ヒトモシはタクミ達を見つけると慌ててジュースをその場に置き、タクミ達に向けて深々と頭を下げた。

 

「モシモシ、モシ」

 

どうやらお礼を言っているらしかった。

そんなヒトモシの態度にタクミ達は柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「いいんだよヒトモシ。元気になって良かった」

 

そうタクミが言うと、アキも「うんうん」と頷く。

 

「私達も“サイコキネシス”で助けてもらったしね。ありがとうヒトモシ」

 

アキはそう言ってヒトモシの額の部分を指先でこするように撫でてやる。

ヒトモシは照れたように笑いながらくすぐったそうに身をよじらせた。

 

「モシモシ……」

「ははは、可愛いなぁこのコ。ねぇ、抱っこしていい?」

「モシッ」

 

ヒトモシはそれぐらいお安い御用とでも言うように両手を掲げた。

アキはすぐさまヒトモシを両手で抱え上げ、腕の中に抱き込んだ。

 

「うわぁ、あったかい。湯たんぽみたい」

「モシ?」

 

ヒトモシはアキの様子に少々困惑しながらも、頭の炎を極力小さくしていた。ヒトモシの頭の炎で火傷しないようにしてくれたのだろう。だが、そもそもヒトモシの炎は何かに引火する類の炎ではないし熱も持っていない。だからその炎でアキが火傷することはないので、単なるヒトモシの気遣いなのだろう。

 

最初の態度といい、真面目というか律儀というか。

 

「アキ、僕もヒトモシを撫でていい?」

「あっ、そうだよね。タクミも撫でたいよね。ヒトモシ、いい?」

「モシ」

 

ヒトモシは自分の顎をクイッとあげ自分のおでこを突き出す。『ここを撫でてくれ』という意思表示なのだがろうが、一々仕草が可愛らしい奴だった。

タクミはヒトモシの額の部分に手を置き、サワサワと撫でる。

 

「ヒトモシ、お腹すいてるんだろ?これ食べる?」

 

タクミはそう言ってポケットから先程ハンカチに包んだお茶請けのクッキーを差し出した。

 

「モシ?」

 

ヒトモシは差し出されたそのクッキーをしげしげと眺め、小さな手で1つを掴み上げた。

ヒトモシの身体の大きさと比較するとクッキーが随分と大きく見える。ヒトモシはそのクッキーの端を躊躇いながら一口齧った。

 

クッキーを咀嚼するヒトモシ。

 

そして、ヒトモシは更に一口食べ進む。口の中で頑張ってかみ砕き、飲み込み、またもや一口食べる。ヒトモシはしばらく夢中になってクッキーを齧り続けた。

そして、一個目のクッキーを全て食べ終わると、ヒトモシは目を輝かせながらタクミの方を見上げた。

 

「モシッ!モシモシッ!」

 

両手をあげてタクミにクッキーをせがむヒトモシ。

 

「気に入ったか?」

「モシッ!」

「それはよかった。ほら、お食べ」

「モシモシッ!!」

 

手にしたクッキーを幸せそうに食べるヒトモシ。

 

それを見ているとこっちまで幸せな気分になるようであった。

 

その時、ふとアキが呟いた。

 

「そういえば、このヒトモシはどこから来たんでしょう?」

「あ、確かに……プラターヌ博士、ミアレシティの近くにヒトモシが生息している場所はあるんですか?」

 

タクミがそう尋ねるとプラターヌ博士は少し困ったように頭をかいた。

 

「カロス地方にはヒトモシが生息している地域はいくつかあるが、どこも1日2日で行ける距離にはないんだよ」

「え、それじゃあ誰かがゲットしてるポケモン?」

「いや、一応それも調べたんだが、このヒトモシは間違いなく純粋な『野生』のヒトモシだ」

「そうなんですか……」

 

タクミはクッキーを夢中になって食べているヒトモシへと視線を戻した。

 

「なぁ、ヒトモシ」

「モシ?」

「お前、どこからきたんだ?」

 

するとヒトモシは途端に目尻をハの字に垂れされた。

 

「モシ……」

「……もしかして、わかんないのか?」

「モシ……モシ……」

 

ふと、ヒトモシの頭の炎が大きく揺らいだ。風に揺れるような変化の仕方ではない。ヒトモシの炎が何かの形に変化しようとしていたのだ。ヒトモシの炎は何かの映像作品かのように、道を走る車の姿を見事に再現してしまった。

 

「これは……車?」

 

タクミが首をかしげる。

 

「違う、荷台があるよ。トラックじゃない?」

「えと、つまりトラックでなら帰れる場所に故郷があるってことか?」

「そうじゃないと思う。多分、トラックの荷台かなにかに間違って乗っちゃってここまで運ばれてきたんだよ。そういうことだよね?」

 

アキがそう言うと、ヒトモシは項垂れるように頷いた。

タクミとアキは捨てられた子犬を撫でるようにヒトモシの頭を順に撫でていく。

 

そんなタクミ達の様子を後ろで見ていたプラターヌ博士が小さな声で「マーベラス……」と呟いた。

 

「頭の炎で影絵を作るヒトモシには会ったことがあるが、ここまで明確に炎を操れるヒトモシは初めてみた。ソフィー、記録を撮っておいてくれるかい」

「もう撮ってます」

「相変わらず仕事が早いね」

 

そんなプラターヌ博士のやり取りには気づかず、タクミ達はヒトモシの炎の表現に頭を悩ませていた。

 

「それじゃあどこから来たかなんてわかんないよな……」

 

ヒトモシの頭の炎は形を変え、複数のヒトモシが並んで踊るような姿になっていた。

だが、その炎は涙でぼやけるように朧げになり、そのうちただの炎へと戻っていってしまった。

 

「モシ……」

 

今にも泣き出しそうな声になるヒトモシ。

そんなヒトモシの背中をアキがさする。

 

「ヒトモシも仲間のところに帰りたいよね」

「モシ……」

 

ポロリとヒトモシの瞳から青い色の涙がこぼれ落ちる。

リノリウムの床に落ちたヒトモシの涙は蝋のように固まり、床に雪の花のような模様を作った。

 

涙をこぼして俯くヒトモシを前にタクミとアキはお互いの顔を見合わせた。

『助けてあげたい』と訴えるようなアキの目がタクミの『なんとかしてあげなきゃ』と決断した目とかち合う。

その2人の目が合った時、2人は自分達が同じことを考えていることを悟った。

 

タクミが『わかってるよ』とでも言うように精悍な顔つきで頷き、アキが『お願い』と頼むかのように拝み手を向けた。

 

そして、タクミはヒトモシの前に膝をつき、優しい声で声をかけた。

 

「ねぇ、ヒトモシ」

「モシ?」

「ヒトモシが良ければなんだけど……僕と一緒に来るかい?」

「モシ?」

 

ヒトモシはタクミの言ってることがいまいち理解できなかったのか、炎を操って頭上に疑問符を浮かべた。

 

「ヒトモシ、僕は今『地方旅』の最中なんだ。カロス地方を回って、色んな土地でジムバッチを集める旅をしている」

「……」

「だから、もしかしたら旅の間に君の故郷にたどり着くかもしれない。ヒトモシの仲間達に出会えるかもしれない」

「モシッ!?」

 

ヒトモシの頭の炎が感嘆符に変わる。

 

「それに、ヒトモシの仲間が見つからなくても、僕達がいる」

「モシ?」

「ヒトモシ。僕にはキバゴとフシギダネとゴマゾウって仲間がいるんだ。君の故郷の仲間とは比べられないだろうけど。それでも、みんないい奴らだ。一人でここにいるよりは少しは寂しさも紛らわせられると思う……だから、僕らと一緒に旅をしてみないか?」

 

タクミはそう言ってヒトモシに向けて手を差し出した。

それはまるで、姫をエスコートする王子のような仕草だった。

 

そんなタクミの姿を間近で見て、アキは脇腹にむず痒い感覚が走ったのを感じた。

 

「むぅ…………」

 

アキはタクミを直視できずに、窓の外に目を向けた。

 

多分、タクミ本人はカッコつけているわけではない。

自分の姿をあまり客観視することができていないだけだ。

2年の間、闘病生活に付き合ってもらったアキはタクミのこういった行動を度々目撃してきた。

その度にちょっとドキドキしたり、ドラマのワンシーンみたいでワクワクしたり、ものすごく元気づけられたりしてきた。

 

タクミがこういった行動が自然に出てくるのは、間違いなく自宅で映画を数多く見てきた影響なのだろう。だが、それ以上にタクミ本人の天然さが多分に含まれている気がする。

タクミのキャンプや旅の話を聞いた時も、アキにはタクミがこういうムーブをあちこちでやってきたというのが容易に想像がついていた。

 

「……タクミとキバゴってほんと似てるよね……」

「えっ?どうしたの急に?」

「ちょっと思っただけ。それより、ヒトモシ。どうかな?タクミと一緒に行く?」

「モシ……」

「一応、私と一緒にこの町に残ってもいいんだよ?でも、それだと仲間のところには連れていってあげられないから……」

 

アキがそう言って自分の左足へと目を落とす。

ヒトモシはそんなアキを見上げて、首を横に振った。

 

「モシモシ」

 

ヒトモシは『気にしなくていいよ』とでも言うようにアキの膝をポンポンと叩き、頭の炎を赤十字のマークへと変化させた。『早く良くなってね』と言われたような気がして、アキはクスリと笑った。

 

「ありがと、ヒトモシ」

 

気を遣ったつもりが逆に気を遣われてしまったようだった。

 

そして、ヒトモシはタクミの方を改めて向き直る。

 

ヒトモシはタクミの目を真っすぐ見つめ、身体を90度きっかり曲げて頭を下げた。

 

「モシ!」

「そっか、それじゃあ……」

 

タクミはヒトモシの手を握るために手を近づける。ヒトモシはタクミの指先に触れ、小さな手でキュッと握りしめた。

 

「これからよろしく、ヒトモシ」

「モシモシ!!」

 

握手を交わすタクミとヒトモシ。

ヒトモシの頭の炎が楽しそうなダンスを踊るかのように揺れていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その後、ヒトモシの健康チェックも大きな問題はなく、タクミはアキの膝の上にヒトモシを乗せ、プラターヌ研究所の正面玄関で博士に向けて頭を下げていた。

 

「プラターヌ博士。色々とありがとうございました」

「ああ。タクミ君、旅の間に困ったことがあったらいつでも電話するといい。相談にのるよ」

「はい、ありがとうございます」

「アキ君も今はポケモンの世話は大変だろう。何かあったら遠慮なくここに来ていいからね」

「はい。その時はお世話になります」

 

タクミとアキはプラターヌ博士と助手のソフィーに見送られ、研究所を後にした。

既に外は薄暗く、町の街灯が明かりを灯していた。沈みかけた夕焼けと一番星が輝く夜空が同居する時間帯。紅色と群青色に染まった薄闇の世界にカフェテリアの店内から洩れる光と音楽が新たな太陽のように輝いていた。

 

「お腹すいた……タクミ、どこかで食べていかない?」

「僕はいいけど。病院をそんなに空けていいの?夕飯とかって出るんじゃない?」

「うーん、そうなんだよね。電話で相談してみようかな……」

 

アキが病院に電話をかけている間にタクミはのんびりとミアレシティの夜の街を歩く。

夜のとばりが降りたミアレシティは昼間に比べてストリートミュージシャンの姿が目立ち、仕事終わりの人達がテラス席で軽く一服しながら流れてくる陽気な音楽にチップを投げ渡している。日本ではあまり見ない光景が巡る町並み。タクミはそんな通りを歩きながらギターのリズムに肩を揺らしていた。アキの膝の上のヒトモシも「モシ~モシ~」と鼻歌を鳴らし、タクミも足先でリズムを取りながら歩いて行く。

 

「タクミ、外で食べてくる許可もらったよ」

「そっか。それじゃあどこいく?何食べたい?」

「タクミにお任せ」

「いいの?激辛店行くよ」

「ええっ!それはちょっと……うぅ……で、でもタクミが食べたいなら……」

「冗談だよ。でも、調べながら歩くのは危ないからアキが調べてくれると助かるんだけど?」

「それはそうだね。で、何食べたい?」

「そうだな。せっかくミアレに来たし、この前食べられなかったコース料理が食べれるお店とか」

「いいね!それじゃあドレスコードのいらないファミリーレストラン的なお店で……」

 

そんな時だった。

 

「あれ?アキさんじゃないですか?」

 

ふと声をかけられ、アキが顔をあげる。

そこにいたのは丸眼鏡をかけたタクミ達より少し年上ぐらいの少年であった。

彼は作業着のような空色のツナギを着て、身の丈に合わぬ巨大なリュックを背負っていた。

 

そんな彼を見てアキが驚いたように声を上げた。

 

「あれっ!シトロンさん!?奇遇ですね。今日はユリーカちゃんは一緒じゃないんです?」

「はい。今日は父さんが帰ってきてるので、夕食のお手伝いをしています。僕は足りない材料があったのでその買い出しに」

「そうなんですか」

「はい。アキさんのヒトカゲの様子はいかがです?あれから、バトルしてみました?」

「しましたしました!シトロンさんのアドバイス通りに尻尾の攻撃も試してみて、負けちゃいましたけど、すっごい楽しかったです!」

「それはよかったです」

 

朗らかに笑うツナギを着た少年。

そんな彼に向け、アキは頬を僅かに染め、興奮したように矢継ぎ早に話を進めていく。

 

「あっ、そうそう。ハイスクールの授業もwebで受けられてます。画面も凄い綺麗で。デバイスの調整、本当にありがとうございました!」

「いえいえ、お役に立てて何よりです。それより、ベン先生はお元気でしたか?」

「ベン先生……あっ、あの小太りの先生ですか?授業はいくつか聞きました。まだ、基本だけですけど」

「そうですか。面白い先生なので、ハイスクールに直接赴いた時は話をしてみるといいですよ」

「そうしてみます。それと、この前教えていただいたことなんですけど……」

 

楽しそうにハイスクールの話を進める2人。タクミはアキがここまで他人に積極的に話をしている姿を始めて見ていた。アキとタクミの付き合いはほとんど自宅か病院に限定されていたので、アキが不特定多数の人と喋っている姿などなかなかお目にかかることもなく、アキの知り合いとはタクミとも自然と顔見知りなのである。

 

だから、アキがタクミの知らない男子とこうして話をしているのを見たことがなかった。

 

タクミは少し虚を突かれたような顔をして、アキと丸眼鏡の少年の会話を聞いていた。

 

「それで、シトロンさんの方はどうなりましたか?まだ時間がかかりそうなんですか?」

「はい。申し訳ありません。まだ、改装工事に日数が必要みたいで。もう『地方旅』も始まっているのに非常に心苦しいばかりですが」

「大変ですね。あっ、そうそう、少しデバイスのことで聞きたいことがあって」

「はい、なんですか?」

 

矢継ぎ早に流れていく会話にタクミは入ることができずにいた。

 

とはいえ、これは悪いことではなかった。

 

アキは元々は喋ることが好きなのだ。人見知りするところはあるだけで、一度知り合いになってしまえばよく喋る。

 

それに、今までのアキの交友関係の狭さを憂いていたのはタクミの方だ。このポケモン界に来て知り合いが次々と増えているのは悪いことではない。

 

だから、別に悪いことではない。

 

タクミはそう思いながら、手持ち無沙汰の時間を埋めるように今日の夕食の店を自分の手で探す。

 

だが、その時になってタクミはなぜか自分の指先がわずかに震えていることに気が付いた。

 

「…………あれ?」

 

思ったように指が動かない。やけに手汗が噴き出ている。

タクミは自分のシャツの胸元を握りしめるようにして手汗を拭きとった。

震える指先をなんとか抑え込み、無言でミアレシティのレストランを調べていく。

 

そんなタクミをアキの膝に乗っていたヒトモシが不思議そうに見上げていた。

 

アキと丸眼鏡の少年は随分と話し込んでいたが、ようやく話が一区切りついたのか、アキがタクミの方を振り返った。

 

「タクミ!」

「ん?なに?」

 

アキはテンションが上がっているのか浮かれたような顔をしていた。

それに対してタクミは随分と気分が落ち込んだような顔になっていた。

 

「紹介するね。こちら、シトロンさん」

「シトロン……」

 

タクミはその名前を口の中で反芻する。どこかで聞いたことのある名前だった。だが、なぜか頭の中の記憶領域はまるで仕事をしてくれず、その名前の出元を探すことができない。

思考停止してしまっているタクミに向け、シトロンは小さく会釈をした。

 

「はじめまして、シトロンといいます」

「あ……はい、はじめまして」

 

タクミは遅れて頭を下げる。そして、顔をあげるとシトロンは見るからにお人好しそうな顔でニッコリと笑っていた。その笑顔からはまるで悪意や隔意は感じない。誰から見ても誠実な好青年である。

 

だが、そんなシトロンを前にしたタクミの表情は妙に硬かった。

 

アキはそんなタクミの様子に気が付かず、興奮して早口になりながらシトロンのことを紹介していく。

 

「シトロンさんはハイスクールを卒業してリーグに挑戦したこともあるトレーナーなんだよ。言うなれば私の大先輩」

「いやぁ、そんな、大先輩なんて。自分は家の手伝いが忙しくて『地方旅』が出来なかっただけですから」

「そんなことないですよ!ハイスクール卒業してリーグに挑戦した人は大勢いますけど、ジムリーダーにまでなった人はごく数人なんですから」

 

アキの台詞にタクミの眉が跳ね上がる。

 

「えっ!ジムリーダー」

「そうなの。シトロン大先輩はね。ミアレジムのジムリーダーなの」

 

タクミは喉の奥から溢れそうになった感嘆の声を無理矢理飲み込んだ。

ジムリーダーの強さをタクミは既に経験している。

 

タクミは一応ジムリーダーであるビオラさんに勝利したが、あれは『ジムバッジ0個』のトレーナーを相手する程度に手加減しているポケモンでのバトルであった。ビオラさんの実力はもっと遥か上であることはタクミもわかっていた。

 

そして、目の前のタクミとそう歳の変わらなさそうな人がそれと同等の実力を持っているという。

 

タクミは急に乾きだした口の中を湿らせるかのように生唾を飲み込んだ。

 

「私達とあんまり歳変わらないのにもうジムリーダーなんて、すごいよね!!」

「いえ、そんな大したことでは。それに、自分はまだジムリーダーの中でも弱輩ですし」

「あっ、思い出した。もう一つシトロンさんに聞いておきたかったことがあって。私とタクミの共通の友達で、ジムリーダーを目指してる人がいて……」

 

その後も、しばらく立ち話をしていたが、最後にはシトロンの電話が鳴りだしたことでお開きとなった。

電話の向こう側からは「お兄ちゃん、なにしてるの!?ユリーカお腹すいた!」と甲高い声が聞こえ、シトロンはその相手に向けひたすらに平謝りを繰り返していた。

 

「すみません。お使いのこと忘れてました。僕はこれで」

「あっ、お引き止めしてしまってすみませんでした。ユリーカちゃんによろしく伝えておいてください」

「はい。それでは」

 

シトロンは大きなリュックを背負いなおし、慌てた様子で通りを駆けていった。

そんな彼にアキはニコニコと手を振る。タクミはその後ろ姿をどこか気にくわないところがあるかのように睨みつけていた。

 

そんなタクミに気づかず、アキは早口のままシトロンをまるで自分のことのように自慢した。

 

「シトロンさん、ほんとすごいんだよ。私が初めて学校に行った時に先生とポケモンバトルしてて、先生負かしちゃったんだもん!『もうこの学校で教えられることはないですね』とか言われて、でもシトロンさんも『いえいえ、自分はまだ成長の途中です』って、その目もすっごいキラキラしててさ。ジムリーダーになってもまだまだ努力してるんだなぁって。すごいなぁって」

「へぇ……」

「ハイスクールって講義とテストで『ジムバッチ何個分』ていう資格が手に入るんだけど。ミアレジムのジムバッチとか持ってたら7個分の資格でいいんだ。だから、私も機会があったらシトロンさんに挑むつもり。きっと強いんだろうなぁ」

「そりゃ……強いだろうさ……」

 

淡泊なタクミの返事にアキはようやく違和感を感じた。

アキはタクミを振り返った。だが、タクミはタウンマップに目を落としており、アキの方を見てはいなかった。

 

「タクミ?」

「アキ……晩御飯、ここなんかいいんじゃない?」

「ん?あっ、うん!ここ、お父さんとお母さんと一緒に行ったことあるんだけど、お店の雰囲気も気楽だし、いいと思う」

「そう……じゃあ行こう」

「う、うん……」

 

アキは車椅子をタクミに任せ、背もたれに寄り掛かる。すっかり夜になったミアレの町並み。アキはヒトモシの頭をほとんど無意識に撫でながらタクミの顔色を時折伺う。下から見上げたタクミの瞳はどこか鋭くなっているような気がした。

 

「タクミ……なにか、怒ってる?」

「え?いや、そんなことないけど」

 

途端にすっ呆けたような顔になるタクミ。アキを見下ろすタクミの顔には険はなく、眉間に皺もない。

 

「そう?ごめん、私の気のせいだったみたい」

「うん。だいたい、怒ることなんて何もないでしょ」

「いや……その……私、ちょっと長話しちゃったし」

「何言ってんのさ、ずっとアキの病院生活に付き合ってたんだよ。待つのは慣れてる」

「う、うん……そうだよね。いいの、勘違いならそれで」

「ほんとだよ」

 

タクミはそう言って前を向く、アキも膝の上のヒトモシへと目を落とす。

ヒトモシはタウンマップを広げ、興味深そうに町並みを眺めている。頭の炎がその地図を再現しているのは意識的なのか無意識なのかはわからないが、どちらにせよ器用なものであった。あまり再現度が高くない地図にアキは苦笑いをして、ヒトモシの頭をまた撫でる。

 

だが、どうしてもタクミのことが気になるのか、時折タクミが目の端で見える程度に振り返る。

前を向くタクミの顔は確かに怒っているようではない。それでも、何か思い詰めているような目線の鋭さだけは変わらない。

 

タクミがこんな顔をすることは珍しい。何か悩みでもあるのだろうか?

 

アキとしてはできれば相談に乗ってあげたかった。今まで色々と助けてもらったタクミが困っているのなら、アキとしては全力でできることをしてあげる所存であった。

 

とはいえ、タクミが喋りたがらないことに踏み込んでいいものだろうか?

アキ自身もタクミに相談して楽になったこともあるし、逆に聞かれなかったことで安堵した経験もある。

 

では、今回はどうすべきだろうか。

 

アキはしばらく悩んだ末、1つの答えを出した。

 

「タクミ、そういえば私が初めてハイスクールに行った時のこと話してなかったよね」

「そういえば。あぁ……そうだ、ハイスクールのこと聞きたかったんだよね。どういう感じなの?」

 

アキの答えは『聞かない』であった。

話題を逸らし、タクミを悩みから遠ざけて気分転換させてあげようというものであった。

それは一見上手くいったようだった。アキと話すタクミはすぐにいつもの穏やかな表情に戻り、声音もいつもと変わらない。

 

アキは自分の答えに安堵しつつ、身振り手振りを交えてハイスクールのことを話しだす。

 

「だから、ハイスクールも普通の学校と変わらなくて、算数とか理科とかの授業もあるんだよ。体育は私は無理だし、社会はカロス地方の歴史だったり、国語は聞いたことない本ばっかりだけど」

「へぇ、でも面白そう」

「それで、学校を周っている時にシトロンさんに会ったの」

「……へぇ……」

 

タクミの声のトーンが一段階落ちた。それと同時に目元にピシリと音を立てる程にはっきりと鋭い皺が刻まれた。一瞬でタクミの表情筋が硬直し、彼の身体から威圧感が吹き上がった。

 

アキの笑みが固まる。

 

「……あれ……」

 

それは地雷を踏み抜いたような感覚

アキの額から汗がツゥーと流れ落ちていった。

 

「シトロンさんね……へぇ……そんな凄いトレーナーなの?」

「そ、そうだね……うん……やっぱりジムリーダーだし、【でんきタイプ】のスペシャリストって言われてるぐらいで……」

「へぇ……」

「あっ、でも。ハイスクールに来た時は機械修理の仕事してたの。ハイスクールの審判AIロボット。20台全部の整備をやってたみたい」

「20台!?えっ、ハイスクールってそんなにバトルコートあるの?」

「あ、うん。バトル特進クラスだけじゃなくて、最近はコンテストバトル用のバトルフィールドとかも造設されたとかでコートの数を増やしたんだって」

「コンテストバトルか。ホウエン地方発祥の特殊バトルだよね。あれは流石にあんまり興味ないよね、一度やってみたい気はするけど」

「う、うん……」

 

いつの間にかタクミの眉間の険が消えていた。

 

そんなタクミの様子に今度はアキが眉間に皺を寄せた。

 

浮き沈みするタクミの顔色。

 

アキは今までの会話を思い出していく。

 

タクミが険しい顔をしている時。普通の顔をしている時。それらを頭の中で比較していく。

 

「……………あ」

 

そして、アキは一つのこと察した。

 

「タクミ………もしかしてさ……」

「な、なに?」

「その……シトロンさんともっと話したかった?」

「え?別に……」

 

素の声で即答し、目線を背けるタクミ。

それを見たアキはすぐさま前を向き、タクミから表情を隠した。

 

アキは緩んでいく頬を揉みほぐし、にやけていく口元を抑え込み、ほんのり上気していく顔を両手で覆った。

 

「へぇ……へぇ、へぇ!そうなんだ!タクミ……そうなんだ!」

「ん?なに?」

「別に!さぁ!はやく行こ!!」

「う、うん……」

 

アキはブランコをこぐように足を振り、タクミを催促する。

その顔には心底嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。



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目が冴えた夜って余計なこと考えるよね

ミアレシティの町の片隅にあるレストラン。ドレスコードもなく、家族連れも来るような敷居の低いレストラン。バリアフリー化もなされており、車椅子で入ることも問題ない。タクミがそういう店を選んだのだから、当然であった。

タクミとアキは慣れないナイフとフォークでの食事に少し苦戦しつつも美味しい料理に舌鼓を打つ。

テーブルの上でヒトモシがキャンドルランプの役割を勝手に演じていること以外は地球界のレストランとそう変わらない光景であった。

 

そんな店でアキと2人で御飯を食べる。

見ようによってはロマンチックに見える光景かもしれないが、タクミの顔には渋い顔が張り付いていた。

それもそのはずで、先程からアキの話題の選択がシトロンの話ばかりなのだ。

 

「それでね、プリズムタワーの中も少し見学させてもらおうと思ったんだけど、今改装中らしくてね……」

 

前菜を食べている間はせいぜい【でんきタイプ】のポケモンの話とか、ジム戦の話ぐらいの話題であったのに、それが徐々にシトロンの話にシフトしていったのだ。

 

タクミとしては別にシトロンの話をすることはやぶさかではない。

カロス地方で『地方旅』をするのなら、何度も通ることになるミアレジムのジムバッチはぜひとも手に入れたいところ。そのジムリーダーの情報であればどんな些細なことでもいいから集めておきたい。

 

だから、シトロンがハイスクールの先生達と連戦連勝した時の話とかは是非とも聞いておきたい話の筆頭であった。

 

「……そのときにレントラーの“ワイルドボルト”が直撃してね。ジムリーダーの本気ってあそこまで威力でるんだね」

 

それなのに、なぜかタクミは今すぐアキの話題を別のものに変える方法をずっと探していた。

 

「アキ……その……」

「ん?なに?」

 

アキがわざとらしいぐらいの満面の笑みを向けてくる。彼女の笑顔は今の話題を絶対に変えるつもりがないことを言葉以上に物語っていた。その完璧な防壁を前にタクミは言葉をせき止め、別の台詞を吐かざるおえなくなる。

 

「お水……いる?」

「うん!」

 

店員を呼び、水を注いでもらうタクミ。美味しい食事をしているはずなのに、タクミは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

そんなタクミの顔を楽しそうに眺めるアキ。

このレストランの食事は『頬が落ちる』程には美味しいわけではないのだが、アキの顔の筋肉は緩みっぱなしであった。

 

まるで対照的な両者の顔色。

それを眺めながらヒトモシはサービスで出してもらったポフィンに舌鼓を打っていた。

 

「へへへ……」

「アキ、なんでそんなに嬉しそうなの?」

「んー……ふふふ、なんでだと思う?」

「………なんでって……なんで?」

「教えない」

「………」

 

アキは悪戯が成功したかのように笑い、タクミの口元がより強く結ばれる。

そんなタクミの顔を見続けるのもそれなりに楽しいのだが、この辺りが潮時だろう。

なにせ、次の料理はメインディッシュだ。それをタクミには美味しい顔で食べてもらいたい。

 

アキは一息つき、話題を変える為にグラスの水に口を付けた

 

「タクミ、ここのお水美味しいでしょ」

「え、ああ、うん。そうだね。少し甘いというか、口に柔らかいというか」

「このお水ね、ミアレの西にある『地つなぎの洞窟』ってところで取れた天然水なんだって。タクミもそこ通る予定ある?」

「『地つなぎの洞窟』?んー……えーと、通るよ。その洞窟を通ってショウヨウシティのジムに挑戦するつもり。ただ、コウジンタウンにも行きたいなって思ってて」

「コウジンタウン?あそこにジムはないよね?」

「うん。でも、そこにポケモンの化石の博物館とか水族館とかあるから、ちょっと観光に寄りたいなって思ってて」

「えっ、そんなのあるの!?」

「うん。アキ、水族館とか好きでしょ?だから何かお土産とか買ってくるよ」

「いいの!?えっ、でも寄り道して大丈夫?」

「それぐらいの余裕はあると思う。まぁ、今後もジムで苦戦することもあるかもしれないけど。でも、せっかくカロスに来たんだから、他にも回ってみたい場所もあるし、例えば……」

 

それからの話題はこれからのタクミの旅の行く先の話が中心になっていった。

メインディッシュが運ばれてくる段階ではタクミの眉間の皺も消え、デザートが来る頃には不機嫌だったことなど忘れたかのようにいつもの温和なタクミが戻ってきていた。

 

レストランでの食事を笑顔でしめくくり、タクミ達は会計を済ませて夜のミアレの空気を吸いこんだ。夜風が涼しいミアレの町。町に流れる音楽がポップなギターの音から静かなジャズミュージックに変わり、夜がより深まったように感じる。だが、これでも時計の針はまだ20時前だ。

 

タクミ達は少し膨れたお腹を抱えて、病院へと戻る道を歩く。

街灯の明かりの中、アキはタクミの顔を時折見上げて、思い出したように笑っていた。

 

「アキ、今日はなんかやけに機嫌がいいね」

「そりゃそうだよ。タクミが会いに来てくれたんだもん」

「その答えは……ずるい……」

 

タクミは口の中で言葉を濁す。アキは上機嫌にヒトモシの頭を撫でてながら、夜でも明るいミアレの空を見上げていた。

 

タクミが病院の表玄関まで来ると、アキは膝に乗せていたヒトモシをタクミへと手渡した。

 

「はい、タクミ。ヒトモシのことよろしくね」

「え……あ、うん。でも、なんでここで渡すの?病室まで送るよ」

 

タクミがそう言うと、アキは首を横に振った。

 

「ここでいいよ。今日はタクミのこと一杯振り回しちゃったし」

「そうかな?今日はバトルして、ヒトモシ連れてって、晩御飯食べただけだし、そんなに振り回された感じしないけどな……なんなら、去年の今頃の方がよっぽど酷かった」

「……藪蛇だった……その、あの頃のことは……私も悪いと思ってて」

「ふふふ、もう気にしてないよ」

 

タクミは眠そうなヒトモシを両腕で抱えなおし、首をひねる。

 

「で、どういう風の吹き回し?いつもなら『ベットまで送れー』とか『移乗手伝えー』とか言うくせに」

「んー……」

 

アキは少し悩んだ仕草をした後、ニヒヒと笑った。

 

「タクミが気づいてないなら言わない」

「え?どういう意味?」

 

まるで会話の意味がわからないタクミ。そんなタクミを見て、アキはくすぐったそうに笑った。

 

「いいのいいの。それより、タクミ。明日にはもうミアレを出るんだよね」

「それは、うん。ミアレジムが改装中ならこの町にいても仕方ないしね。明日にはコボクタウンに向けて出るつもり」

「……そっか……じゃあ、ここでお別れになるのかな」

「え?明日があるじゃん」

「へ?明日?」

「うん、明日は朝からここに寄るつもりだったけど」

 

当たり前のようにそう言われ、アキの方が逆に面食らってしまった。

 

「え、明日も会いに来てくれるの?」

「うん」

「あー……そっかー……そっかー」

 

そういえば『ポケモンキャンプ』に出発する日も、最初にミアレシティを旅立った時もタクミは朝からアキに会いに来ていた。そのことを思い出し、アキは腕を組んでと唸り声をあげた。

 

「どうしたの?アキ?」

「うーん……来てくれるのは嬉しいんだけど……でも……でもなぁ……」

「ん?」

「……よし」

 

アキは何かを決めたように両手を打ち鳴らした。

 

「じゃあ!また明日!」

「え?あ、うん。えっ!?ちょっと待って、何か言いたいことありそうな雰囲気だったけど違うの?」

「うん、あるにはあるよ。でも、今日はここでいいの」

「ん?」

 

首を反対側に捻るタクミ。ヒトモシがそれを真似るように同じ方向に首を傾けた。

そんなタクミにアキは片手をかざす。

いつものハイタッチの合図。タクミは長年の習慣に添ってその手に自分の掌を打ち付けた。

 

「それじゃあ!また明日!」

「うん……また明日……」

 

アキは軽快に車椅子をターンさせ、病院の中へ入っていく。

それを見送り、タクミは怪訝な顔のままポケモンセンターへと向かう。

 

2人の感情を感知しているヒトモシの炎が風に吹かれたように揺れ動いていた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ポケモンセンターについたタクミはあらかじめ予約していた自分の部屋へと入っていった。

秘密基地のようなカプセル型の大きめのベットの中にヒトモシと荷物を置き、シャワーを浴びて戻ってくると、ヒトモシはすでに枕元で寝息を立てて眠ってしまっていた。

 

穏やかに眠るヒトモシをボールに戻すのがなんとなく忍びなくなり、今日は外で寝かせておいてやろうと思うタクミ。タクミは暖色の光を放つライトをつけながら、ベットの中に潜り込む。

 

扉を閉めれば、ベットの中は高級テントのような雰囲気に早変わりする。

空調も照明もボタン一つであり、音楽の再生機器まで揃っているベットは本当に自分の秘密基地のようであった。

 

だが、ここに泊まるのも2度目ともなれば既に慣れてくる。

タクミは頭の下で腕を組み、ぼんやりと天井を眺めつつ頭を空っぽにする。

 

旅の疲れもあるし、今日はヒトモシ関連でバタバタと忙しかった。

実際、身体は疲れている。このまま目を瞑ればそのまま簡単に眠りに落ちることができるだろう。

 

そのはずなのに、タクミの目は妙に冴えていた。

 

一息ついて、落ち着いて、もう後は眠るだけの時間。

そんな時に思考の中に割り込んでくるのはいつだって胸の奥でひっかかっていることなのだ。

 

タクミが考えていたのはジムリーダー、そして四天王や現チャンピオンのこと。

 

タクミは何かを思いついたかのように、ベットに備え付けられているタブレット端末を引き出し、動画サイトからポケモンリーグの映像を検索した。

 

ジムバッチを8つ手に入れ、予選を勝ち抜いた者だけが挑戦できる本戦リーグ。シード権を持つ四天王を始め、実力者が集い、ジムリーダーも自分の実力を試す為に時々混じることもある。

 

タクミはカロス地方のリーグ戦の中から一人のジムリーダーの出ている試合を探す。

 

「……この人だ………」

 

タブレットの青白い光に照らされてタクミの顔が真剣味を帯びる。

画面に映っていたのはカロス地方、ミアレジム、ジムリーダー。

【でんきタイプ】のスペシャリスト、シトロンの試合であった。

 

レントラーのを筆頭に様々な【でんきタイプ】のポケモンを操るシトロン。スピードで翻弄するバトルをしたかと思えば、マヒをばら撒きながらテクニカルに立ちまわることもある。そうかと思えば、時には真正面からの力押しで挑んだり、突拍子もない意外な戦術で盤面をひっくり返してくることもある。そして、その全てが的確で効果的であった。

 

ポケモンとの呼吸も完璧であり、この若さでジムリーダーをやっているだけのことのあるトレーナーであった。

 

彼は10歳で初の『地方旅』でポケモンリーグに挑戦し、2年続けて本戦リーグに出場している。ジムリーダーに任命された3年目はリーグ戦に出場はせず。そして、4年目に堂々と再度参戦し、四天王にあと一歩のところまで迫る大奮闘であった。

5年目である今年はジムリーダー業に専念するためにリーグへの挑戦はしないとのこと。

 

タクミはシトロンのインタビュー記事を流し読みして、ため息を吐きながらタブレット端末を暗転させた。

 

タブレットを脇に置き、再び頭の上で手を組んで天井を見上げる。

なんとなくその天井に手を伸ばす。カプセル型のベットとはいえ、さすがに身体を起こさないとその天井に手は届かない。

 

タクミは諦めたように手を下ろす。

 

「はぁ……」

 

もう一度ため息が零れ落ちた。

 

シトロンの去年のリーグ戦を見る限り、その実力はやはり本物であり、今のタクミではどう逆立ちしたって勝てそうになかった。

『地方旅』を始めてまだ1か月も経っていない新人トレーナーなので当たり前といえば当たり前なのだが、理屈だけで納得できるならこうもモヤモヤとした気持ちを抱えることはない。

 

タクミはむず痒いような気がする胸元をかきむしる。

 

ポケモンバトルではまず勝てない。ポケモンハイスクールの卒業生であるなら勉強も当たり前にできるであろう。機械工作が得意でアキがweb授業を受けやすいように色々調整してもらったともレストランの雑談で詳しく聞かされた。人当たりも良さそうで、朗らかな人柄で親しまれているらしい。

 

そして、何より彼はこのミアレシティに住んでいる。

アキがいるミアレシティに住んでいる。

 

「……………いや、だから何だってんだよ!!」

 

タクミは外に声が漏れないだろうギリギリの声量で声をあげた。

 

自分が何に苛立っているのか、なんでこんなに焦燥を感じているのかまるでわからない。

ムカつく理由など1つもない。シトロンさんは立派なトレーナーで、アキに良くしてもらって、嫌う理由なんて何一つない。

 

ないのだが、なぜか無性に腹立たしいのだ。

 

「あぁ、もう!」

 

腹の奥から熱が沸きだし、身体が驚くほどに熱くなり、背中に汗がにじむ。

タクミは眠れそうになくなった気分を沈める為にベットの外へと飛び出した。

ホテルのようなポケモンセンターの廊下を歩き、自動販売機で水を買い、下へと降りていく。

 

夜も更け、人の疎らになったポケモンセンター。

 

中央のロビーではごく数人が居座り、それぞれに自分の時間を過ごしていた。

タクミはスリッパの音をパタパタと鳴らしながら、ロビーを歩き、誰もいない一人用のソファに深く腰を落とした。

 

「はぁ……」

 

腹の奥に灯った淡い色の炎。消えるか消えないかの熱量でありながら、ずっとタクミの内側を炙り続ける。

それがどういう意味をもつのかをタクミ自身が理解できていなかった。

理解はできないが、この炎を放置してはいけないことだけは頭ではなく、心が理解していた。

 

だからこそ、タクミはこのまま何もせずにミアレシティを後にすることはどうしてもできそうになかった。

 

タクミは『地つなぎの天然水』を飲み、再び頭上を見上げた。

3階まで吹き抜けになっているポケモンセンターの天井は、タクミの遥か頭上にある。

最早手を伸ばしてみる気力もわかず、タクミは脱力したようにソファに身体を沈めた。

 

「よしっ!」

 

そして、タクミは何かを決めたかのように身体を起こした。

 

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

病室に戻ったアキは静かな部屋で看護師に介助してもらいながら、ベットへと移った。

 

「アキちゃん、ヒトモシは大丈夫だった?」

「はい。プラターヌ博士にばっちり治療してもらいました。それで、そのままヒトモシはタクミが……えーと、友達がそのまま連れていくことになりました」

「そう。あの子がタクミ君なのね。そういえば、前に一度来てたことがあった?」

「はい、タクミは『地方旅』に出たばっかりのトレーナーなんです!この間も……」

 

アキは体温や血圧の測定をしてもらいながら、できるだけ小声で話す。

アキの同室者である片垣瑠佳が既に眠っているような気がしていたのだ。

アキのように長年入院生活を送っていれば、同室の人達の気配でその人の大まかな状態を感じ取るぐらいはできるようになっていた。

 

アキの検査の結果、血圧はいつもよりやや高めだった。体温もやや高めで心拍もやや高め。

その数値を見て、看護師はニコリと笑った。

 

「久々の外出は随分と楽しかったみたいですね」

「はい。楽しかったです。色々と嬉しいこともありましたし」

 

アキは頬をわずかに染めてそう言った。

 

その後、アキは看護師さんに包帯の様子も見てもらい、『問題なし』の保証を貰ってから布団の中に入り込んだ。

 

アキは布団の中で自分のモンスターボールを手の中で握りしめる。

 

「………えへへ……」

 

アキはモンスターボールを抱き枕のように胸元に抱きしめた。

布団をかぶり、目を閉じるがどうも眠ることができそうにない。

 

目を閉じれば今日の出来事が映画のようによみがえってくる。

 

初バトルは本当に最高だった。タクミとの実力差がハッキリわかってしまうバトルではあったが、昔から想像することしかできなかった夢の1つを叶えられたのだ。結果は敗北であったが、そこは大事なことじゃない。

 

これでようやくタクミと同じ目線に立つことができたのだ。

 

今までは自分は見ているだけしかできない、助けられる存在でしかなかった。

それがようやく対等に渡り合えるものを手に入れられたのだ。

 

今日のバトルはその証明だった。

 

もちろん、1度バトルができただけで満足するつもりはない。

ハイスクールで学び、バトルして、ポケモンリーグでタクミとバトルしてみせる。

アキはその決意を込めて、自分のポケモン達のモンスターボール一つ一つを握りしめた。

 

そして、アキはハイスクールのことから連想するようにシトロンのことを思い出した。

 

「くふふ」

 

正確にはシトロンのことではなく、シトロンの話をしている時のタクミの顔を思い出していた。

話題をシトロンのものにすると、わかりやすく苦虫をかみつぶしたような顔になるタクミ。ジムリーダーの話だから気になることはあるのだが、できれば話題にして欲しくないような複雑な表情。

 

そんな顔をさせるのが楽しくて仕方がなかった。

 

「ねぇ、ヒトカゲ……これって、そういうことだよね」

 

モンスターボールに声をかけても返事はない。

だが、モンスターボールの中から『知らねぇよ』というような呆れた声が帰ってきたような気がしていた。

 

「タクミも嫉妬するんだね。ふふ、シトロンさんに嫉妬してくれたんだよね」

 

自分とジムリーダーが仲良く話していたことだけでそんなに妬いてくれるとは思わなかった。

タクミが自分にそんな気持ちを抱いてくれているということが、純粋に嬉しかった。

 

なぜなら、タクミの態度を見ていると時々わからなくことがあるのだ。

 

タクミは自分のことを『気の毒な少女』としか見ていないのではないかと思うことがある。

困っている人がいたら助けるように、怪我をしている人がいたら手を差し伸べるように、そういった誰もが持つ当たり前の善意で自分の傍にいてくれるのではないかと、不安になることがある。

 

色々と世話をしてくれたことには感謝している。それこそ、言葉では表せないぐらい感謝している。

だからこそ、タクミがもしそういう『ただの善意』で接してくれているだけなら、それはもうしょうがないと諦めるしかないとも思っていた。

 

今まで散々迷惑をかけ、嫌な気分にさせ、我慢させてきたのだ。

 

傍にいてくれるだけでほとんど奇跡なのだ。そんな私がタクミに『私を好きになって』と言う資格はない。言ってはいけないのだと常に思っていた。

 

もし、そういうことが言える日がくるとするなら、それは本当の意味でタクミと肩を並べることができた時だと思っていた。

 

それまでにタクミの心が離れてしまえば、やっぱりしょうがないと諦めるしかないのだ。

 

私の胸に宿る小さな小さな初恋はそれだけ儚いものでしかない。

 

だが、そんな不安を蹴飛ばしてくれる今日の出来事である。

 

嫉妬を覚えてくれているということは、つまり、そういうことなのだろう。

 

「………まぁ、逆かも……しれないけど」

 

ジムリーダーであるシトロンさんに『アキだけが仲良くしている』という状況に嫉妬している可能性だ。

ポケモンが好きで『地方旅』をしているタクミならば、決して有り得ない話ではない。

 

「……タクミ……」

 

こうして名前を呟いてみるとわかる。

 

自分の中心には常に彼がいるのだと。

 

タクミはまた明日旅に出てしまう。次に出会えるのは2か月後か、それとも3か月後か。

下手をすればもっと長い期間会えないかもしれない。

 

アキは身体を起こし、テレビの下にある引き出しを開いた。

 

その中にあるものを確かめ、アキは自分の頬を叩いた。

 

「……よしっ!」

 

そして、アキは意を決したようにテーブルのライトをつけ、何やら作業を始めたのだった。




随分と時間があいてしまいました。
ちょっと、半端じゃないぐらい年末年始が忙しすぎてダウンしてました。
そして、まだしばらくこの忙しさが続く。

しばらく本調子には戻らないかも。

気長に待っていただけると嬉しいです。


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考えることはだいたい一緒

東の空から太陽が顔を出す。明け方の清涼な空気が日の光を浴びてオレンジ色に輝く。町の人間はまだ大部分の人が温もりのある布団の中にいる時間帯。

 

そんな時間であろうともポケモンセンターのロビーは既に賑わいを見せ始めていた。

 

トレーナーと呼ばれる人達の朝は早い。トレーナーは旅の間、夜明けと共に起きだして活動を開始するのが常だ。例え街中でもその習慣が抜けるわけではない。もちろん、ポケモンセンターに泊まった日は平気で昼まで寝ているトレーナーもいることにはいる。だが、タクミは今のところ寝過ごす予定はなかった。

 

人が行き交うロビーで朝食を食べ終え、部屋で荷物を詰めなおし、靴紐をしっかり結んでリュックを背負う。

いつでも出発できる用意はできている。だが、タクミはロビーの真ん中でソファーに腰を下ろしていた。

数分毎にホロキャスターで時間を確かめ、時間の進みの遅さに苛立つようにパタパタと足を動かす。

 

病院の面会が可能になるのは9時から。

今はまだ8時前であり、アキの迎えに行くにはまだ1時間以上もある。

 

これだけ時間があるのなら、何か別のことでもして有意義に時間を使いたいところであったが、どうにもタクミはその場から動く気がしなかった。

 

タクミは自分のポケットに潜ませているものに服の上から触れる。

 

「……これで良かったのかな……でもな……」

 

少し腫れぼったい瞼を擦りながらタクミはぶつぶつと独り言を漏らす。

昨晩に思いつきで作業を始め、深夜のテンションのままに準備を進めた。

だが、一夜経って頭が冷静になってしまうと、途端に自分の行動があまりにも馬鹿らしく思えてきてしまったのだ。

 

「うう……なんでこんなことしてんだろ……昨日の夜はグッドアイデアのように思えたのになぁ……」

 

タクミはこれから自分のやろうとしていることを頭の中でシミュレートしてみる。

そして、すぐさま悶絶して頭を抱えた。

 

「……あぁ、どうしよ……やっぱりやめようかな」

「なにが?」

「なにって……」

 

タクミは自分の独白に返事があり、驚いて後ろを振り返った。そこにはタクミが今から会いにいくつもりだった少女が車椅子に乗って首をかしげていた。彼女は空色の丈の長いワンピースを着ており、襟元や裾の小さなフリルが彼女の雰囲気によくマッチしていた。肩には小さなポーチをかけ、所謂『よそ行き』の格好である。

 

唐突に現れた彼女にタクミは面食らってしまった。

 

「うえっ!アキ!?」

「おはよ」

「おはよう……じゃなくて!!なんでここに!?」

 

慌てふためくタクミの様子にアキは悪戯が成功したかのように八重歯を見せて笑った。

 

「病院が開くの待ってたら遅くなるでしょ。だから私が迎えに来たの」

「えっ、それって大丈夫だったの!?」

「あんまり大丈夫じゃなかったけど。ちょっと無理言った」

 

アキはそう言って親指と人差し指で何かをつまむ仕草をした。

 

「そんな……時間なんていいのに。っていうか、これ電動車椅子じゃないじゃん。車とか大丈夫だった?」

「もちろん」

 

ピースサインをするアキであるが、タクミは少し怪訝な顔をする。

 

「でも、アキ、やっぱりこういう時は僕が迎えに行くよ。色々と不便だったでしょ?」

「少しね。でも、ミアレエアポートに迎えに行くよりかは全然楽だったよ」

「それは……確かに」

 

思い返せば、あの時、彼女は1人で空港に来てタクミを出迎えてくれた。

そのことを考えればポケモンセンターなど目と鼻の先の距離だ。

 

「でも、僕としては……」

「心配?」

「そりゃね」

「だよね。私も不安だったし」

 

誤魔化すように笑うアキ。タクミはふとその表情に違和感を覚えた。

眉間に僅かにシワが寄っており、目元が強張っている。思えば声もどこか硬い感じがする。

 

「アキ、何か緊張してる?」

「えっ!い、いやいや、そんなことないよ!ないないない!」

 

アキはタクミの視線から逃げるようにその場で車椅子をクルリと反転させた。

 

「タクミ!ほら!行こ!歩きながら話そう」

「え……まぁ、いいけど……」

 

タクミは彼女の車椅子を押してミアレの町並みに出て行く。

ふと、アキを見下ろすと、彼女はしきりにポーチに触れて中身を確認しているようであった。

 

タクミはその彼女の仕草にドキリとする。その様子は今の自分の行動とよく似ているのだ。

タクミはアキへのプレゼントをポケットに忍ばせている。そして、自分も先程からずっと服の上から中身がきちんと入っていることを確かめていた。

 

タクミの胸の中に淡い期待が鎌首を持ち上げる。

 

何かプレゼントをもらえるのだろうか。

 

そのことを自覚した途端に手汗が2割増しになって掌から噴き出た。緊張感は更に倍だ。

タクミは気分を落ち着けようと何度も深呼吸をする。

 

珍しく会話の少ない2人。

 

ポケモンセンターから町の外に出るゲートまでの距離は然程遠くない。すぐに町の出口が見えてくる。

 

町のゲートを見つけ、タクミの歩調が急にゆっくりとしたものになった。

アキも自分の車椅子のペースが落ちたことに気づく。

 

そのことについて、2人は何も言わない。

 

お互いにこのまま永遠にゲートに辿りつけなくても構わないと思っていた。

そして、そんな彼等の願いを叶えるかのように、横断歩道の信号機が赤に変わる。

 

目の前を流れていく車の群れ。

 

そんな時、ふとアキが口を開いた。

 

「タクミ、次にタクミが帰ってくるまでに、私、もっともっと強くなるから」

「え?バトルで強くなるってこと?」

「うん。でも、ポケモンバトルだけじゃなくて、トレーナーとしても、人としても……強くなる。タクミに負けないぐらい」

「え?僕?僕はそんな強くないよ?僕より強い人なんて他にいくらでもいるんだから、そっちを目標にしらたいいじゃん……例えば……」

「シトロンさんとか?」

「う、うん……」

 

卑屈な顔で頷くタクミを視界の隅で捉え、アキは喉の奥で声を殺して笑った。

 

「確かにシトロンさんは強いよ。でも、強すぎて目先の目標にするのは遠過ぎるよ。私の目標はいつだってタクミだよ」

「………」

 

タクミが持つ車椅子の持ち手がわずかに震えた。

その動揺を感じ取り、アキはまた喉の奥で笑う。

 

タクミはきっと今頃顔を真っ赤にしているだろう。振り返ってその茹で蛸みたいになった顔を見たいところであったが、今日のところは我慢しておくことにした。

 

アキの予想通りに耳元まで赤くしたタクミは自分の心臓を落ち着かせる為に何度か深呼吸した。

朝のまだ涼しげな風を吸い込み、タクミはなんとか頭を冷やす。

 

「アキは……」

「ん?」

 

『もう十分強いよ』

 

タクミはそう言おうとして、言葉を口の中で止めた。

 

タクミからすれば手術という大きな決断に踏み切ることができたアキの強さは純粋に凄いと思う。もし、自分が同じ立場であったらきっと決断を誰かに委ねてしまうだろう。両親や医者に任せて言う通りにしてた方が楽だし、その方が自分が直面している問題から目を逸らせるからだ。

 

それでもアキはそれに立ち向かい、自分で道を決めた。

 

その決断力を備えたトレーナーが弱いわけがないのだ。

 

だけど、タクミがそれを話したところで決してアキは首を縦には振らないだろう。彼女は変なところで強情なところがある奴だというのはタクミがよく知っていた。

 

「……やっぱり……なんでもない……」

「えぇ、そこまで言って止めちゃうの?なになに?」

「いいよ、別に、なんでもないって」

 

納得いかなさそうなアキであったが、タクミは飲み込んだ言葉を吐くつもりはなかった。

 

そうこうしているうちに信号が青に変わる。

 

タクミ達はゲート前の横断歩道を渡る。町の出口であるゲートまではもうすぐそこであった。

 

タクミはそのゲートを前にして、車椅子から手を離した。

タクミはアキの車椅子にブレーキをかけ、アキの前に立つ。

 

「それじゃあ。アキ、手術は上手くいったけど。元々病気しがちなんだから無理はしちゃだめだよ」

「わかってるって。お母さんみたいなこと言わなくていいよ。タクミも怪我しないでよ」

「うん」

 

道行く人達が立ち止まった2人を何事かと覗き見ながら通り過ぎていく。

ある人は首をかしげ、ある人はその空気に頬を緩め、ある人は興味を持つことなく歩いていく。

 

そんな周りの視線などまるで存在しないかのように、タクミもアキもお互いの瞳を見つめていた。

 

「こうやってタクミを見送るの。もう3回目だね」

「そうだね……それじゃあ、行ってくるよ」

「うん。行ってらっしゃい」

 

そう言って黙りこくるタクミとアキ。

2人はいつもこういった場面ではハイタッチを交わしていたが、今はお互いに手をかざそうとしない。

タクミはいつまでも歩き出そうとせず、アキも車椅子のブレーキを外そうとしない。

 

まだ、話が終わってないのだ。

 

タクミは手に汗をにじませて、鳥に気を取られたかのように空を見上げた。アキは唇を真一文字に結びながら、アスファルトの砂粒を数えるように俯いて行く。

 

横断歩道が青に変わり、音楽が流れ出す。行きかう雑踏が波の音のように2人の脇を流れていく。

横断歩道が赤に変わり、車が流れ出す。タクシーを含めた車の音が2人を飲み込んで駆け抜けていく。

 

もう一度横断歩道が青に変わり、赤に変わった。

 

そして、遂に2人は意を決したように視線を戻す。

タクミとアキの瞳がかち合う。

 

「アキ!」「タクミ!」

 

ほぼ同時だったが、わずかにタクミの方が声をかけるのが早かった。

2人は苦笑いを浮かべ、お互いに向けて手を差し出した。

 

「あ……アキからでいいよ?」

「いいのいいの。私はたいしたことないから。タクミからでいいよ」

「えっ?あ……う……うう」

 

タクミは身体を縮こまらせ、顔をかくすように自分の前髪に手を突っ込んだ。

もう一度遠慮して、アキに手番を回してみても良かったが、これ以上は自分の心臓が持ちそうになかった。

さっさとやって楽になってしまおう。

 

タクミはそう思い、自分のポケットから一通の便せんを差し出した。

 

「はいっ!これ!」

「え?」

「その、えと、手紙と……プレゼント……」

 

アキはその手紙を受け取る。

確かに便せんの中には指先ぐらいの大きさの品物が入っていた。

 

「これ、読んでいい?」

「だめ!!絶対だめ!後で読んで、後で!!目の前で読まれたら死ぬ!!」

「じゃあ読も」

「アキっ!?」

 

タクミが止めようとする前にアキは素早く便せんを開き、手紙を取り出した。

真っ白な味気の無いレポート用紙にタクミの癖のある字が並んでいる。

少々悪筆ではあるが、決して雑ではなく、相手に読ませようと丁寧な文字で書かれていた。

 

『御言 アキへ

 

 僕とアキが出会ってから随分と時間が経ったと思うけど、こうして手紙を書くのは初めてになるね。直接話せば早いとは思うんだけど、なんとなく自分の言葉を形にしておきたくてこうして手紙を書くことにしました。

 まずは手術の成功おめでとう。アキがこのポケモン界に来て手術をするって話を聞いて最初は驚いた。でも、アキが僕との夢を覚えていて、そこに向かって進んでいこうとしていることを知って、僕はとても嬉しかった。思えば、僕とアキが出会って色んな話をしてきたよね。夢のこと、僕のこと、アキのこと、学校のこと、病院のこと、そしてポケモンのこと。変に意固地になって喧嘩になったこともあったけど、それも全部含めてアキとの時間はとても楽しかった。アキがいたから、僕は自分の夢を見つけられたし、ポケモンバトルで強くなろうと思った。その為にいろんな勉強をして、努力するようになった。僕は君の姿を見てきて、本当に『頑張る』という意味を教えてもらった。今の僕が僕でいられるのはきっとアキがいたからだと思う。

 僕はアキと出会えて本当によかったと思っている。これからもよろしく。次に会う時にはまたバトルしよう。ハイスクールに通っても身体に気を付けて。

 

P.S 旅の途中でダーテングから貰った石を同封します。進化の石とかではないけど、7色に光る綺麗な石です。高価なものじゃないので、適当に飾ってみてください。

 

斎藤 拓海より』

 

アキは手紙に目を通し、「えへへ……」と笑った。

タクミはアキを直視できずにその場で悶絶している。

 

「タクミ……ありがと!!」

「あ……えーと……うん……」

「えへへ……」

 

アキは丁寧に手紙を折り畳み、便せんの中にしまう。

そして、便せんの中にあった石を見つけた。

それは黒曜石のような色合いの固い石だった。だが、その黒い石はあくまで結晶を覆う鎧だ。タクミが真にプレゼントしたかったのはその中身。その黒い石の一部には亀裂が入っており、その中からは7色に輝く鉱石の光が漏れている。

 

綺麗な石だ。だけど、アキにとってはそんな石よりもタクミからの手紙の方が何倍も嬉しかった。

 

「そっか……そっか……私も、タクミの役に立ててたんだ……」

「え?」

「えへへ、いいの!それじゃあ、タクミ。はい、これ」

「え?」

 

そして、アキは一通の便せんを取り出した。

タクミは手汗にまみれた掌をズボンでぬぐい、その便せんを受け取る。

 

若草色の柔らかな色合いの下地に唐草の模様とピンク色の花が彩られた綺麗な便せんであった。

裏はモンスターボールのシールが貼られ、綺麗な文字で『タクミへ』と書かれていた。

そして、中には指先ぐらいの大きさの品物が入っている感触があった。

 

「タクミにお手紙書いてみたの。旅の間に読んでね。ここで読まれると恥ずかしいし」

「えぇ……それ、ズルくない……」

 

目の前で手紙を読まれたタクミからすればあまりにも理不尽な要求だった。

だが、自分の手紙を読まれた直後で心臓がまだバクバクと唸り声をあげているのだ。この状態でアキの手紙なんて読んだらそれこそ心臓が破裂するかもしれない。

 

タクミは要望に従い、その封筒を上着の内ポケットにいれた。

 

「わかった、後で読むよ」

「ありがと。でも、なんか私達、考えること似てるね」

「だね……」

 

今日一番の緊張が抜けた2人は肩の力を抜いて笑い合う。

 

そして、いつものようにアキが手をかざした。いつものようにタクミがそこに掌を打ち付ける。

 

「じゃあ、またね」

「うん。また」

 

タクミが踵を返し、ゲートへと向かう。

アキは最後まで見送ることをせずにすぐにブレーキを外してタクミに背を向けた。

 

旅のゴールはまだ遠い。タクミもアキも振り返ることなく、自分の目の前の道を進んでいった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

『拝啓 斎藤 拓海様へ

 

 タクミ、いつもありがとう。本当に感謝してます。今日はその気持ちを言葉にしたくて手紙を書きました。

 タクミと出会ってから今まで、ずっと私はタクミに助けられてきました。よく思い出すのは私が病院で点滴の薬を使っていた時のことです。副作用が辛くて、治るかどうかもわからなかった時です。あの時に、タクミが毎日のようにお見舞いに来てくれた時のことを私は忘れません。私が辛いときには楽しい話をしてくれて、笑わせてくれて、前向きな気持ちを忘れないようにしてくれました。私の気分が悪い時にはすぐに色々と世話を買ってでてくれました。恥ずかしい時もあったけど、タクミが真剣な顔をしているから私も安心してタクミに色々と任せてしまいました。我儘も沢山言ってしまいました。その時の癖で今も我儘を言ってしまうこともありますが、時々は叱ってくれると嬉しいです。そんな私に辛抱強く付き添ってくれたことはどんな言葉でも感謝しきれません。私がここまで頑張ってこれたのはタクミが傍にいてくれたからだと思います。

 タクミに出会えて本当によかったと思っています。これからも、よろしくお願いします。何かあったら電話してください。私で力になれることがあったらなんでも協力します。また、バトルしましょう。身体に気を付けて。

 

P.S イーブイが拾ってきた綺麗な石を同封します。ポケモンが拾ってきたた石は旅の御守りになるらしいです。

 

御言 アキより』

 

 

 

タクミは便せんの中に入っていた石を取り出し、太陽にかざした。

赤とも青とも黄色ともいえる不思議な色合い結晶。河原から拾ってきたような歪な形状こそしているが、綺麗な石であった。

 

タクミはそれを便せんの中に戻し、リュックの内ポケットの奥深くにしまい込んだ。

 

 

「……よしっ!!」

 

頬を叩いて気合を入れ、タクミは歩いていく。

 

ミアレシティを出てほんの数メートルの地点での出来事であった。



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金持ちの考えることはわかんね

ミアレシティから然程遠くない町。コボクタウン。

太陽は天高く輝き、陽気は春先のよう。そんな中、タクミは屋台で買ったフランクフルトを頬張りながら、町の中を巡っていた。

 

どこにでもある田舎町。唯一の名所はショボンヌ城という古い城。内装は無料公開されているが、その実態はやる気のない博物館だ。案内板も質素なもので、一度でも行けば二度訪れる必要性は感じなかった。

 

なんだか町興しの残り香のようで、漂う哀愁が一層引き立つ。

 

一通り名所らしきものを見たタクミ。本当ならこの町で一泊していくつもりであったのだが、なんだか時間がもったいない気がして、素通りしようかと考えていた。すぐ近くに大きな農園があり、きのみの直売をやっているそうなのでそっちの方も気になっている。

 

タクミはフランクフルトの串をゴミ箱に投げ入れ大きく伸びをする。

町の真ん中の広場では子供達がポケモン達と遊んでおり、のどかな光景が広がっている。

大通りの端には大きな資材や重機などが並んでいるが、どうやらイベントという雰囲気ではない。

 

どこにでもある普通の田舎町。タクミは町の写真を何枚か収め、そのままコボクタウンを後にした。

 

そして、タクミはそのまま7番道路へと足を踏み入れた。

7番道路は別名リビエールラインとも呼ばれており、川沿いに真っすぐな道が続いている。起伏もなければ、障害物もない。気持ちのよい直線は多くの人がサイクリングを楽しむ場所として有名であった。

 

コボクタウン自体には名所はないのに、その周囲には名所がいくつも固まっているというのもなかなかに皮肉な話であった。

 

タクミは欠伸を噛み殺しながらリビエールラインをのんびりと歩いていく。

こうも気持ちのいい日だと、どこか道の片隅でひと眠りしたいところだった。

タクミはホロキャスターの時計を覗き込む。

 

そろそろ昼食の時間だし、どこかでランチでもして、そのついでに皆で昼寝しようか。

最近、フシギダネのタネの近くで寝ると随分と寝つきが良いのだ。アロマかマイナスイオンでも発しているのかもしれない。

 

タクミは気の抜けた欠伸を繰り返す。

 

そんな時だった。

 

タクミは道の反対側から見知った顔が歩いてくるのを見つけた。

 

「あ……タクミ」

「マカナ?どうしたのこんなとこで」

 

そこにいたのは【どくタイプ】のジムリーダーを目指しているマカナであった。

この陽気の中彼女は褐色の肌に汗一つ浮かべていない。マカナはいつもの無表情のまま小さく片手を上げて挨拶をした。

 

「……久しぶり」

「久しぶり?まぁ、久しぶりになるかな」

「……タクミ、バッジゲットおめでと」

「マカナもね」

 

タクミはマカナとも度々連絡を取り合っていたので、お互いがジムバッジを一つずつ手に入れたことは知っていた。彼女が手に入れたのはカロス地方の【どくタイプ】のジム。彼女もまた2回目のバトルできっちりジムバッジをゲットしており、旅の経過としては順調であった。

 

「それで、マカナはこんなところで何してるの?コボクタウンに用事?それともミアレまで戻るの?」

 

タクミがそう尋ねるとマカナはフルフルと首を横に振った。

 

「……パルファム宮殿に用事」

「パルファム宮殿?観光?」

 

マカナはまたフルフルと首を横に振った。

 

「……この道の先、通れない」

「え?そうなの?」

「……だから、ポケモンの笛を貰ってくる」

「へぇ〜……え?なんで」

「……それじゃあ」

「え?あ?うん。じゃなくて!ちょっと待って!」

 

タクミの脇をスッと通り過ぎて行こうとするマカナの手をタクミは素早く掴んだ。

 

「……タクミ、大胆」

「ちょっと待って。その反応は想定してなかった」

 

タクミは顔色一つ変えないマカナに表情を硬くする。

彼女は確かに魅力的なところもある。だが、残念ながらそういった方面にタクミの感情が揺れ動くことは今のところない。

 

タクミにとって彼女はあくまで友達の位置づけだ。というよりも、タクミの感情の大部分を占拠している相手は既に別にいる。自覚の有無はさておき、そこに割って入れる人間はそうそういないのが現状であった。

 

タクミはマカナが足を止めて振り返ってくれるのを待ち、彼女の手を離した

 

「とにかく少し説明して。僕もこの道の先に行こうとしてるから、通れないのは困るんだから」

「……わかった」

 

マカナは7番道路の先を指さした。

 

「……この先に橋があって、そこにカビゴンが寝てる」

「それで通れないの?」

「……人は通れなくはない……乗り越えていけるし、端っこ歩いて抜けられる」

「え?じゃあなんで?」

「……橋そのものが修理中」

「あっ、そういうこと」

 

そういえばコボクタウンの西側に土木建築用の資材が積まれていた。

あれは橋の修理用のものだったらしい。

 

「……工事の人が簡易の橋をかけてくれるっていってるけど……カビゴンが邪魔で機材が動かせない……だからポケモンの笛がいる」

「それでパルファム宮殿に行くところなのか。でも、なんでマカナが?」

「……私がポケモントレーナーだから」

「ん?それってどういう……」

「……それじゃあ」

「だから待ってって」

 

再びマカナの手を掴んで止めるタクミ。

 

「……タクミ……大胆」

「もう反応しないからね。っていうか、僕の反応見て楽しんでない?」

 

タクミがそう言うと、マカナが唇だけでニヤリと笑った。

目元や顔色は一切動かさないのに、口の端だけが持ち上がる笑み。

 

タクミは一瞬、西洋人形が動いたかのような不気味な雰囲気を感じ取った。

 

「……タクミの反応が楽しかったから……ごめん」

「い、いや。いいけど」

 

小さく頭を下げるマカナ。少し胸がドキドキしているタクミ。断言できるが、間違いなくこの胸の高鳴りは恋ではなかった。

 

マカナはタクミを手招きして、パルファム宮殿へ向けて歩き出した。

 

「……タクミも来てくれると嬉しい……私だけだと不安だった」

「今度はちゃんと説明してくれるんだよね?」

「……うん」

 

マカナの隣を歩きながら、タクミは彼女の話を改めて聞いた。

 

どうやら、このリビエールラインには時々カビゴンが昼寝にくるのだそうだ。日陰のなく、風通しの良い通りは恰好のお昼寝場らしい。だが、サイクリングロードの邪魔になることが多く、カビゴンが来るたびにポケモンの笛で起こすことになっている。

 

そして、そのポケモンの笛が問題なのだ。

 

「……ポケモンの笛はパルファム宮殿の御嬢様が持ってる……」

「御嬢様?」

「……うん……女性だから御嬢様……男性だったら御子息……」

「とにかく、その宮殿のコが持ってるんだね」

「……そう……それで、どうしてかわからないけど、バトルに勝てないと笛を貸してもらえないことになってる」

「それでポケモントレーナーの出番ってわけか」

「……そう……私1人だと、負けたら困る……だからちょうどよかった」

 

確かに、そういうことならタクミとしても付き合うのはやぶさかではない。

パルファム宮殿までは7番道路からそう遠くない。コボクタウンから出て、北の道に進めばすぐに標識が行き先を教えてくれる。

 

最初に出迎えてくれるのはパレの並木道と呼ばれる木立のトンネルだ。木漏れ日が作る幻想的な光の揺らめきの中を涼やかな風が吹き抜けていく。パルファム宮殿へと向かう玄関口であり、この場所だけで随分と念入りに整備がなされていることが伺えた。

 

「……すごい道……」

「だね。カロスでも有名な観光地なだけはあるよね」

「……うん……あっ、見えてきた」

 

タクミ達は並木道を抜ける。

すると、今度は視界が一気に広がった。

 

大きな青空をバックに煌びやかな金と品の良いレンガ色の建物が聳え立っている。その周囲を囲うのはくすみ一つない白色の城壁。見える範囲の芝生はミリ単位で切り揃えられていそうな程にきっちり刈り込まれていた。空の青と芝生の緑を背景に白と赤と金が奇跡的なバランスで同居した宮殿。それは最早一つの芸術作品と言っても過言ではなかった。

 

「…………」

「…………」

 

思っていた以上の絶景に圧倒されて言葉を失うタクミとマカナ。

城壁の周囲には大勢の観光客が城壁の外から写真を撮っていた。

 

「……すげぇなぁ……」

 

タクミはその場で足を止め、ホロキャスターを使ってパシャパシャと写真を撮る。

だが、マカナの方はすぐに衝撃から立ち直り、スタスタと歩いて行こうとする。

 

「……タクミ、行こ」

「あっ、ちょっと待って。とりあえず記念撮影しない?せっかくここまで来たんだし」

「…………」

 

タクミがそう言うと突然マカナの眉間に皺が寄った。

思わぬ表情の変化にタクミの方もギョッとする。

 

「えっ?どうしたの?」

「……写真……苦手」

「え?そうなの?」

 

確かに世の中にはそういう人がいるというのは聞いたことがある。

写真映りが悪かったり、そもそも自分の姿を形に残すのが生理的にうけつけなかったりと色々な理由があるらしい。

 

「なら、しょうがないか」

 

肩を落とすタクミ。それを見たマカナは少し痛みをこらえるような顔をした。

そして、何かを諦めたかのように小さく頷いた。

 

「……でも……まぁいい……撮ろ」

「え?いや、無理しなくていいよ?」

 

マカナは首を横に振る。

 

「……写真は苦手……でも、思い出は大事」

「まぁ、そりゃそうだけど……っていうか、なんで苦手なの?」

 

タクミは首を傾げた。

 

そんなタクミに向け、マカナは一層表情を無くした顔で斜目を向けた。

 

「……知りたい?」

 

ゾクリ、と肌が粟立った気がした。

 

表情を読ませない視線。生気を失った顔。

真昼間だというのに周囲の気温が下がったような錯覚。

マカナはタクミから目を逸らす。彼女の表情が見えなくなる。

 

「……撮ってもいいよ……でも……私……写真に映れないから」

「…………え?」

 

普段より数割増しで会話の間を開けるマカナ。

タクミの額から冷や汗が滴り落ちた。

 

「……昔は映ってた……けど……もう映らない……もう……」

「…………あの……マカナ?冗談だよね?さすがにね」

「…………」

「なんで黙るの!?」

「……タクミ……撮るよ」

「ちょっと待って!ちょっと待って!その雰囲気で写真撮る準備進めるのやめて!怖いの苦手なんだから!!」

 

そんな騒ぎがあり、タクミは少し引き攣った笑顔でマカナと写真を撮ったのであった。

ちなみに、写真にはきちんとマカナの姿が映っていた。

彼女曰く「緊張して無表情になるから苦手」とのことであった。

 

確かに写真の中のマカナはいつも以上に表情がなく、面でも被っているかのような顔になっていた。証明写真でももう少し生気がある。

 

「……タクミ、ホラー苦手なんだ」

「苦手なの!苦手だけど……アキがホラー好きでさ……色々一緒に見せられて余計に苦手に……」

「……悪循環」

「っていうか、ホラー好きな人ってなんでああいう映画で爆笑できるの?本当にあの感性だけはわからない」

「………」

 

マカナは何かを言いかけようと口を開く。

 

マカナの考えでは、おそらくアキはホラーを見て笑っているのではない。

ホラーを見て怖がっているタクミを見て笑っているのだ。

なにせ、タクミはいい反応をしてくれる。

 

だが、マカナはそれを伝えるか吟味する。

そして、結局口を噤むことにした。

 

今のタクミは十分面白いので、変なことを言ってタクミが反応を変えて欲しくなかったのだ。

 

「……とにかく、入ろ」

「うん……」

 

少し消耗しているタクミを連れ、マカナはパルファム宮殿へと入る。

 

だが、その段階でかなり入場料を取られる。こちらは旅を続ける為に宮殿に入るのが必要不可欠だというのに、金がかかるというのはいかがなものかと思う。だが、こればっかりはゴネても変わらない。

 

ポケモンの笛を手に入れなければ話が始まらないのだ。

 

タクミ達は料金を支払った後に、そのことを宮殿の老執事に告げた。

すると、彼は「かしこまりました」とだけ述べて、裏のバトルコートへとタクミ達を案内した。

 

パルファム宮殿のバトルフィールドは迷路のような生垣に囲まれた庭の真ん中に据えられたクレイコートだった。やはりこのコートもしっかり手入れがなされており、ポケモンジム並の整備具合であった。

 

そして、タクミ達が周囲の豪華なベンチや装飾品の像を眺めていると、唐突に笑い声が聞こえた。

 

「おーっほっほっほっほっほ!!!」

 

何事か、と思ってタクミ達がそちらに目を向ける。

 

「あなた達ですのね!わたくしのポケモンの笛を奪おうとする下賤な輩というのは!!」

 

声高にそう叫び、ケバケバしい扇をタクミ達に向けてくるタクミ達より年下そうな女の子。

ヨーロッパの貴族がパーティに着ていそうな大量のフリルの付いたドレスを着て、その頭にはどでかいティアラが乗っている。目鼻立ちは整っている方ではあるが、高慢そうに人を見下す視線がなんとも人の印象を悪くさせる。艶のある赤髪を縦ロールにしている彼女はまさしく『ザ・御嬢様』という人物であった。

 

彼女は4人のメイドを引き連れ、バトルフィールドを見下ろせる場所に威風堂々と立っていた。

 

「わたくしはアリー姫。あの笛はわたくしのものですわ。あなた達に渡すつもりはありませんのよ!」

「えっ!?」

 

それでは話が違う。

 

タクミとマカナは顔を見合わせる。

だが、お互い困惑した顔をするばかりで答えは出てきそうにはなかった。

マカナが不思議そうな顔で首をひねるの。

 

喋るのが苦手なマカナでは話が進まないと判断し、タクミは代表して自分が話をすることにした。

 

「あ、あの。僕らはポケモンバトルに勝てたら笛を貸してもらえるって話を聞いてきたんですけど……違うんですか?」

 

そう言うと、彼女は驚いたように眉を吊り上げ、扇で顔の半分を覆った。

 

「あら!?なんですの?わたくしにポケモンバトルを挑む?この庶民は何言ってるんでしょうね!おーっほっほっほっほっほ。わたくしに勝てるはずないのに、おーっほっほっほっほっほ!」

 

その御嬢様が高らかに笑い、メイド達もそれに合わせて笑いだす。

理由もなく人に笑われるのはあまりいい気分ではない。

だが、タクミは我慢して律儀に話を続ける。

 

「えーと、それで、バトルは受けてくれるんですか?」

「当然ですわ。わたくしちょうど退屈していましたの。遊び半分で付き合ってあげますわ。ほんと、わたくしってなんて慈悲深いんでしょう!」

 

自画自賛する彼女に従い、周囲のメイド達が呼応したように彼女を誉める。

なんというか、見ているだけで腹の底が煮えついてきそうな光景であった。

 

割と我慢強い方であるタクミであるが、それにもある程度の限度がある。

タクミは既にこのアリー姫という御嬢様が嫌いになりはじめていた。

 

険しい表情をするタクミの服の裾をマカナが引っ張った。

 

「……タクミ、どうする?どっちがバトルする?」

「僕が行きたいとこだけど……なんか、荒れたバトルになりそうな気がする」

「……じゃあ、私が行く……」

「お願い。なんか僕が付いてきた意味がかなり薄くなっちゃったけど」

「……話進めてくれただけでも助かる……ああいう人と会話苦手……」

 

マカナの場合、会話が苦手なのはアリー姫相手に限った話ではないような気もするタクミであった。

とにかく、マカナのバトルということでタクミは観客席まで下がることにした。

バトルの審判はAIが務めるかと思っていたが、先程の執事が審判席に立った。

 

「それではご用意はよろしいですか?」

 

老執事は皺に隠れた細い瞳で両者を交互に伺う。

アリー姫は既に隣にトリミアンを準備していた。

 

カロス地方に主に生息しているトリミアンは真っ白な毛深い体毛を持つポケモンだ。その毛皮と凛とした立ち姿が非常に美しく、毎年その体毛をいかに美しくカットするかで品評会が開かれるようなポケモンだった。

 

アリー姫のトリミアンもきっちりトリミングがされており、その佇まいも堂に入っている。

 

「このトリミアンちゃんは今年の品評会で最優秀賞を飾った素晴らしいトリミアンですわ!さぁ、この美しさの前にひれ伏しなさい!!」

 

扇でマカナを指すアリー姫であるが、マカナの方は相変わらずの無反応であった。

タクミから見ればバトル前の少し興奮した顔であることがなんとなくわかったが、初対面の人からすれば流石に判別できないだろう。タクミだってマカナの顔色を完璧に把握できているわけではないのだ。

 

彼女は少し考えた末にモンスターボールをフィールドに投げ込んだ。

 

「……お願い、ヒドイデ」

 

マカナが選んだのはヒトデナシポケモンといわれるヒドイデであった。毒々しい青色の触手に紫色の棘が生えている、ヒトデのような姿のポケモンだだが、タクミはそのヒドイデが見た目に反して心優しいコであることを知っている。

 

タクミはアリー姫の取り巻きメイドに負けないように声を張った。

 

「ヒドイデ!頑張れ!!」

「ドイ……」

 

ヒドイデが照れたように頬を染めながら、パタンと触手でタクミに返事をする。

なかなか()い奴だ。

 

「……ヒドイデ……集中」

「ドイ」

 

ヒドイデは『わかってますよ』と言わんばかりに身体をリラックスさせるように身体を捻る。

ヒドイデの触手がふわりと浮き上がった。

 

「それではこれより、トリミアン対ヒドイデの試合を始めます。双方よろしいですな?」

 

執事に最後の確認を取られ、マカナは小さく頷いた。

 

「それでは……試合開始!!」

 

先制攻撃をしかけたのはトリミアンの方であった。

 

「トリミアン!“たいあたり”ですわ」

「トリッ!!」

 

トリミアンが真正面から突っ込んでくる。その加速力はなかあなかのものであった。

ミネジュンのケロマツなどとは比べる程でもないが、流石に品評会で最高評価を得ただけはあってその筋肉の付き方も半端ではなさそうであった。

 

だが、パワーとスピードに任せた単調な攻撃こそマカナが捌き易い相手の代表格であった。

 

「ヒドイデ。地面に“かみつく”」

「ドイ」

 

マカナの指示に一切の疑問を持たず、ヒドイデはわずかに身を屈めて、全身の触手を地面に噛みこませた。

ヒドイデの身体が完全に触手で覆われ、完全な1個の岩と化す。

そうして、地面にくいついたヒドイデに向け、トリミアンが突撃をかました。

トリミアンが全体重をもってヒドイデにぶつかり、激しい衝突音が鳴る。

 

だが、ヒドイデはその場でびくともしない。

逆にトリミアンの方が弾き飛ばされた。

 

「えぇっ!なんですのそれ!!」

 

驚きの声を上げるアリー姫。傍から見ていたタクミも同じような感想を抱いていた。

 

『そんなのアリか?』と誰もが思うだろう。

 

タクミとマカナが最初にバトルした時にも彼女ベトベターの“かたくなる”を随分と突飛な使い方をしていた。ポケモンバトルの創意工夫に関して言えばマカナの発想力には恐れ入る。

 

「相変わらず、面白いバトルする……」

 

タクミの目はヒドイデのバトルに釘付けになる。最早タクミには彼女を応援する気持ちが吹き飛んでいた。

今のタクミは自分のライバルのバトルを研究しようとするトレーナーでしかなかった。

 

「……ヒドイデ……“どくばり”」

「ドイ」

 

ヒドイデはその場で飛び上がり、触手を花のように開きながら頭の先から毒の棘を飛ばす。

 

「トリミアンちゃん!“コットンガード”!」

「トリィ!!」

 

トリミアンの体毛が一気に増幅して“どくばり”を絡めとった。

あれでは針先が相手の身体にまで届かない。

 

「そのまま“チャージビーム”」

「トォリィ!!」

「まずい!!」

 

タクミが思わず声を張り上げた。“チャージビーム”は【でんきタイプ】のワザだ。【みず】と【どく】を併せ持つヒドイデには効果抜群だ。

 

「……ヒドイデ……準備はいい?」

「ドイドイ」

 

ヒドイデは既に全てを察しているかのように触手をパタパタと振る。

 

「“チャージビーム”発射!」

「トリィ!」

「……今……」

「ドイ」

 

チャージビームの発射に合わせ、ヒドイデが“どくばり”を一本放った。

相手の動きが止まった一瞬を正確に狙ったカウンター。その一本の“どくばり”がトリミアンの首筋に刺さった。そこはトリミングによりトリミアンの体毛が覆っていない場所であった。

 

その直後、ヒドイデにトリミアンの“チャージビーム”が命中した。

攻撃を受けて飛ばされるヒドイデ。

それを見て、アリ―姫は高らかな笑い声をあげた。

 

「おーっほっほっほっほっほ!いかがですか!?わたくしのトリミアンちゃんの“チャージビーム”のお味は!」

 

まるで勝利したかのようなアリー姫。だが、マカナはそう易々と相手のペースには乗らなかった。

というか、マカナのペースを崩せる人などこの世にいないような気もする。

 

マカナは淡々とヒドイデに次の指示を出した。

 

「……ヒドイデ……“じこさいせい”」

「ドイ」

 

あっという間にヒドイデの傷ついた身体が再生する。

 

「くっ、小生意気な。ですが、トリミアンちゃんのパワーはあがっていきますわよ!トリミアンちゃん!もう一度“チャージビーム”ですわ!!」

「……ヒドイデ……もういい、かわして……」

「ドイドイ」

 

真正面からの攻撃をヒドイデはクルリと身体をターンさせて回避した。その動きは海中で漂う海藻のように捉えどころがあく、極めて不規則だ。触手をフワフワと揺らしながら攻撃を回避するヒドイデの動きをトリミアンはとらえられない。

 

「きーっ!!ヒラヒラヒラヒラと!トリミアンちゃん!距離をつめますわ!“たいあたり”!」

「……ヒドイデ……体毛に向けて“どくばり”」

 

その動きは読んでいたとばかりにマカナの指示が飛ぶ。

ヒドイデは“どくばり”を素早くトリミアンに打ち込んだ。

だが、その狙いはトリミアンの本体ではない。

 

ヒドイデは“コットンガード”で肥大化していたトリミアンの体毛を地面に縫い付けた。

 

「トッ、トリッ!!」

「トリミアンちゃん!!」

 

脚の動きを完全に止められ、トリミアンがフィールドの中央で立ち止まる。

 

「……これで反撃はない……時間も十分……ヒドイデ“ベノムショック”」

「ドイドイ!!」

 

ヒドイデの頭の先端から多量の毒液が噴き出た。

その液体がトリミアンの身体を直撃する。吹き上がる紫色の瘴気がトリミアンを包み込み、トリミアンが膝をついた。

 

「ト、トリッ……」

「トリミアンちゃん!?どうしましたの!?まだ、戦えるはずですわよね!」

 

それほどのダメージはないはずだった。トリミアンがこのバトルで受けた有効打は先程の“ベノムショック”一発だけだ。なのに、既にトリミアンの体力は限界のようになっている。

狼狽えるアリー姫やメイド達。だが、タクミは既にこのバトルの行く末がわかっていた。

 

マカナが“チャージビーム”のカウンターで打ち込んだ“どくばり”

あれがトリミアンを毒状態にした。そこからマカナは攻撃を回避して時間を稼ぎ、毒をトリミアンの全身に巡らせた。そして、確実に動きを止めてから、存分に“ベノムショック”を浴びせたのだ。

 

“ベノムショック”は強烈な毒液であるが、それ以上に危険なのは『気化』することであった。その毒の瘴気を吸い込めば、体内の毒が増長してダメージが倍増する。

 

動けないトリミアンにそこから逃れる方法はなく、ものの見事にマカナの術中にはまったのだ。

 

「……ほんと、厄介なバトルをする……さすが【どくタイプ】の使い手だ」

 

タクミはそう呟く。

 

その間にもマカナは無表情にヒドイデに“じこさいせい”を命じて体力を完全な状態にまで戻して万全を期していた。あえて接近してとどめを刺しに行かないところも、マカナらしい戦い方であった。

 

「あぁっ!トリミアンちゃん!!しっかりしてぇ!!」

 

そして、毒に蝕まれたトリミアンがダウンする。

それを見た執事は「うむ」と頷き、ヒドイデに向けて手を向けた。

 

「トリミアン、戦闘不能です。ヒドイデの勝ち」

「……ヒドイデ、お疲れ」

「ドイドイ」

 

まるで疲れていなさそうなヒドイデはピョンピョンと地面を跳ね、マカナの頭の上に乗った。

 

「……ヒドイデ、そこ好きだね」

「ドイドイ」

 

フィールドではトリミアンが担架に乗せられ、アリー姫の指示の下ですぐさま宮殿の中に運び込まれていた。

タクミとマカナはそんなアリー姫に歩み寄る。

 

「……タクミ……交渉よろしく」

「まぁ、そうなるとは思ってたけど。わかったよ」

 

タクミはマカナの代わりに一歩前に出た。

 

「アリー姫でしたよね。ポケモンバトルに勝ちました。約束通りポケモンの笛を貸してください」

「…………フン」

 

アリー姫は鼻を鳴らし、扇で口元を隠した。

 

「……あの。アリー姫?」

 

タクミはその時になり、バトル前にきちんと約束をしていなかったことを思い出した。

アリー姫は『勝ったらポケモンの笛を貸す』とは一言も言っていないのだ。

 

これはマズったかな……

 

タクミがそう思った矢先であった。

 

「アリー姫。ポケモンの笛をお持ちしました」

「ありがと」

 

メイドの一人が素早くアリー姫にポケモンの笛を差し出したのだ。

そしてアリー姫はタクミ達に向けて、丁寧な手つきでポケモンの笛を差し出した。

 

「約束の品ですわ。これを使ってカビゴンを起こしてあげてください。わたくしもリビエールラインが通行止めの状況は憂いておりました。わたくしに勝てるトレーナーであれば起きたカビゴンを御することもできるでしょう」

「へ……え……あ……その、どうも」

 

先程とは打って変わって殊勝で貞淑な態度になったアリー姫。

その変化にタクミは度肝を抜かれていた。

 

「なにか?」

「あっ、いえ……その、随分と態度が先程と違いますので……」

 

アリー姫に釣られて丁寧な言葉遣いになるタクミ。

隣のマカナも同意するように何度も頷いていた。

 

「先程は失礼しましたわね。わたくし、少し訳がありまして、少し高慢で自己中心的な態度を取らせていただいておりましたの。不愉快であったでしょう?」

「はい……あっ、いえ、その……」

 

反射的に同意してしまったタクミは慌てて言葉を否定しようとする。

それをアリー姫はクスクスと上品に笑ってくれていた。

 

「いいんですわ。事実ですもの」

 

そんなアリー姫にさすがのマカナも疑問を口にした。

 

「……なんで……」

「ん?どうかなさいました?」

「……なんでこんなことを?」

「それはですね………『愛』の為ですわ!!」

 

なぜそこで『愛』っ!?

 

タクミとマカナの表情が怪訝に歪められた。

 

「カビゴンがリビエールラインを塞げば、ポケモンの笛が必要になる。そして、多くのトレーナーが私にバトルを挑みに来るのです。そこで私が高慢な態度を取って勝ち続ければ、きっとそんなわたくしを見かねて『ある方』がわたくしを叱りに来てくれるのです!!」

「は、はぁ……」

「あぁ、わたくし忘れませんわ。本当に世間知らずで傲慢だったわたくしを本当の家族のように心配し、叱ってくれたあのお方……シトロン様……」

「しとろんさま……えぇ、シトロンさん!?ミアレジムの!?」

「そうなんですわ!これはわたくしとあの方の『愛』の形なのです!!」

「えぇ……」

 

それで、愛が伝わるのだろうか。

 

「もちろん、ラブレターも毎月欠かさず送っておりますし、夕食に来ていただいた時には成長したわたくしの姿もお披露目しておりますわ。でも、そうではないのです!わたくしの欲しい『愛』は違う!わたくしはまた叱りに来て欲しいのです!その『愛』をわたくしに向けて欲しい!それがわたくしの願い」

「……その考え、わかる……」

「わかるの!?」

 

唐突に同意したマカナにタクミは驚きの声をあげた。

 

「……私も……どちらかといえば『愛されたい』タイプ」

「そうなの?いや、正直、どうでもいいんだけど」

「……タクミは『愛したい』タイプ」

「どうでもいいでしょそこは!!」

 

とにかく、ポケモンの笛を借りることができたので、これ以上この宮殿に用事はなかった。

カビゴンを起こすまではメイドの一人が同行してくれることになり、終わったら彼女に返却すればいいとのことであった。

 

そして、別れ際にアリー姫はマカナに握手を求めた。

 

「マカナさんでしたわね」

「……はい……」

「あなた、お強いですわね。もし、よろしければこの先のバトルシャトーを訪れてはいかがですか?」

「……バトルシャトー?」

「はい。紳士淑女がバトルを楽しむための施設ですわ。トレーナーには爵位が与えられ、位に応じて様々な特権を得ることができますの」

「……ふぅん……」

「興味ありませんか?そちらの……タクミさんでしたね。あなたはいかがです?」

「話は聞いています。でも、僕はどちらかと言えばまずはジム戦の方が大事なので」

「なるほど。ですが、爵位は持っておくに越したことはありませんわ。邪魔になるものでもありませんし。これは推薦状です。よろしければ立ち寄ってみてください」

 

そう言ってアリー姫は2通の推薦状をメイドからタクミ達に渡させた。

 

「いいんですか?」

「一番下の爵位は会員証みたいなものですのでから。ある程度の人格者であるトレーナーであれば十分ですわ」

「……人格者?」

 

マカナは自分がそんな出来た人間だろうか、と首をひねる。

 

そんなマカナにアリー姫はまたクスクスと笑った。

 

「わたくしの最初の態度に我慢して言葉を荒げたりしないお方であるなら立派な人格者ですわ」

「……なるほど」

 

納得しかできない理由であった。

 

タクミとマカナはそういうことなら、と推薦状を受け取った。

 

「それではごきげんよう。お二方の今後のご活躍を期待しておりますわ」

「あ、ありがとうございました」

「……した」

 

タクミとマカナは手を振るアリー姫に見送られ、パルファム宮殿を後にした。

ちなみに入場料はアリー姫の父親が決めたことなのでどうにもならないそうであった。

 

「変わった姫様だったね」

「……金持ちの考えることはわからない」

 

タクミとマカナはお付きのメイドに聞こえないように小声でそんなことを話したのだった。



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ライバルを『強敵』と書いても『友』とは読まない

橋の上のカビゴンをマカナと共に起こすことができたタクミ。

タクミとマカナはコボクタウンで1泊し、翌日には応急的に修理された橋を渡って、リビエールラインを歩いていた。

2人の目指す次のジムは別であったが、道が分かれるまでは一緒に旅をすることにしていた。

 

マカナと歩くリビエールラインは昨日と変わらずに心地の良い快晴であり、どこか眠気を誘う。

サイクリングに励むトレーナー達を横目にタクミ達はのんびりと川沿いを歩いて行く。

 

マカナとの旅は彼女がほとんど喋らないこともあり、沈黙が苦にならない。

少し寂しい気持ちもあるが、このまま2日間は一緒に過ごすのだから喋らなくても済むぐらいがちょうどいいのかもしれなかった。

 

そんな時、ふと道の途中に不思議な建物が見えてきた。

 

それは、川の上に建てられた城のような建物だった。

 

「あれが、バトルシャトー?」

「……多分そう……」

 

それは重厚な石づくりの建築物であった。全体的に色褪せたくすみを感じる外観であったが、それはショボンヌ城のような歴史の果てに忘れ去られた遺跡ではない。要所要所には工事を繰り返したような痕跡があり、建物全体がまだ新陳代謝を繰り返して生き続けていることが外観からも伝わってきていた。

 

マカナがタウンマップの情報と照らし合わせながらその施設のネット記事を読み上げる。

 

「……古くは騎士の決闘から始まる伝統ある1対1によるバトルを行う施設……紳士淑女による社交場の意味あいもあり……情報交換の場所でもある……だって」

 

その記事には具体的なバトルの作法などが乗っており、マントを纏ったトレーナーが互いにモンスターボールを合わせて挨拶をする様子などが乗っていた。

 

「うわ!すごいマント!かっこい!」

「……トレーナーのことは『ナイト』って呼ぶって、書いてある……」

「ナイト!?へぇ、いいねいいね!」

 

タクミも10歳の男の子。

ナイトだのマントだのには無条件で目を輝せる年頃である。

そんなタクミをマカナは冷めた目で見上げていた。

 

「な、なに?」

「……ふふん」

「……鼻で笑われた……」

 

なんだか釈然としない気持ちを抱えながらも、タクミとマカナはバトルシャトーの入り口へと向かった。

表のゲートには『バトルシャトー その強さ 爵位で示せ』と書かれており、いかにもバトルを競い合う雰囲気が伝わってくる。

歴史の重さを感じる樫の扉の前に立つと赤外線センサーにより、扉が自動的に開いた。

一歩中に入ると、そこは古びた外観とはうって変わり、真新しい大理石で飾られたロビーが広がっていた。

 

そんなロビーで1人のメイドがタクミ達を出迎えてくれた。

 

「バトルシャトーへようこそ。地球界からいらしたタクミ様とマカナ様ですね。アリー姫よりご連絡はいただいております。ようこそおいでくださいました」

 

正確に45度のお辞儀をキッチリと決めるメイド。

パルファム宮殿にもメイドはいたが、彼女達はどちらかと言えばアリー姫の取り巻き役というか、友人と言った意味合いが強い人達であった。

 

それに対して、目の前にいるのはもっともっと洗練された人物だった。

一挙手一投足に至るまで全てを完璧にこなし、その動きは常に優雅で無駄がない。

近年の『使用人』としてのメイドではなく、かつて『貴族の付き人』として仕えていたメイドの姿そのものであった。

 

アリー姫の話からもっとフランクな場を想像していたタクミとマカナは身体を硬直させて、ぎこちなく頭をさげた。

 

「ど、どうもよろしくお願いします」

「……よろしく……お願いします」

「よろしくお願いいたします。それでは、推薦状をお預かりいたします」

「は、はい!」

 

タクミとマカナは背負っていたリュックからゴソゴソと推薦状を取り出し、そのメイドに手渡した。

こんな高級ホテルのロビーみたいな場所で旅で汚れたリュックを下ろすのには少々恥ずかしい気持ちもあったが、今更そんなことを言いだしてもどうにもならない。

 

タクミとマカナは自分達が場違いなところに迷い込んできてしまったような気がしていた。

 

メイドは推薦状を手に持ち「確かにお預かりいたしました。少々お待ちください」と言って、再び完璧なお辞儀を決めてロビーから出ていってしまった。

タクミとマカナはその雰囲気に気圧されたようにソワソワとした時間を過ごす。

 

だが、メイドはものの数十秒でロビーに戻ってきた。

 

「タクミ様、マカナ様。ご案内いたします。お荷物はこちらでお預かりいたします。お二方はこちらへどうぞ」

 

タクミとマカナはメイドの完璧な微笑に促されるままに荷物を預け、ロビーの奥へと進んでいった。

大理石が続く掃除の行届いた廊下。タクミとマカナはそんな廊下を土で汚れたスニーカーで歩いていることすら罪悪感を覚えてしまう。

長い廊下ではこの施設を利用している他の人ともすれ違ったりもしたが、その誰もが最低でもジャケットと綿パンという恰好で、少なくともドレスコードに引っかからない程度には着飾っていた。

 

対するタクミは動き易く丈夫であることに定評のあるジーンズにTシャツと上着というどう考えても社交場には向かない恰好だ。マカナも7分丈のカーゴパンツとシャツだ。その上からゆったりとしたポンチョのような丈の短い上着を着ているが、フォーマルな場には向いていないのは変わらない。

 

針の筵の上のようなタクミ。マカナはあまり気にしてなさそうな顔をしていたが、タクミはたまらずメイドにそのことを尋ねることにした。

 

「あ、あの……」

「はい、なんでございましょう?」

「あ、いえ、その。僕達……こんな格好でいいんですか?」

「はい。構いませんよ。ここはナイトの方々……つまり、トレーナーの方々の社交場です。よほど常識から逸脱した格好をされては困りますが、『旅装束』というものはむしろ歓迎されるものですよ」

「そうなんですか?」

「はい。タクミ様もマカナ様も立派なお姿と思います」

「…………」

 

逆に誉められてしまった。メイドの人は立派な大人な女性ということもあり、タクミは少し頬を染めてしまう。

 

「……ふふん」

「……また鼻で笑われた……」

 

だが、マカナ相手だとそう腹が立たない。

 

「これからご案内いたしますのはナイトの方々が集まる『サロン』になります」

「『サロン』?」

「はい、そこではポケモンの情報交換をしたり、バトルのお相手を選ぶことができます」

「……誰とでもバトルできるの?」

「いえ、同じ爵位を持つ方とだけとなっております。爵位は下から『バロン』『ヴァイカウント』『アール』『マーキス』『デューク』『グランデューク』となっており、バトルの勝敗によって上の爵位への昇進が決められます」

「なるほど。じゃあ、僕達は一番下の『バロン』ってことなんですか?」

「はい、その通りでございます。ですが、タクミ様は『バロン』、マカナ様は『バロネス』と男女で呼び方が変わります」

「へぇ……」

「不特定多数の方にバトルを挑みたいときは自分の爵位を含めて名乗りをあげてください。『受けても良い』という方がいらしたら。白い手袋が投げられます。それを拾えばバトルが成立です」

「……パンフレットにも書いてた……昔の騎士の作法……」

「はい、その通りです。ここでは古き伝統を重んじ、ポケモンバトルで騎士道の精神を育んできたのです。相手を尊重し、互いに高め合う。そのような極上のバトルを提供できるよう我々は努めております」

 

そのメイドの言葉はどこら誇らしげに聞こえた。

 

洗練された態度も、澱みのない言葉遣いも、一朝一夕で出来るものではない。

彼女がこの施設の雰囲気や伝統を本当に大切にして守ってきているんだというのが伝わってくる。

 

タクミは少しずつここでのバトルが楽しみになってきた。

 

なんとなく流されるように来てしまったバトルシャトーであるが、こういう経験はなかなかできない。

アリー姫には良い施設を紹介してもらったようだった。

 

そして、メイドは廊下の奥の扉の前に立ち、丁寧な手つきで扉を開けた。

 

「こちらが、『サロン』になります」

 

そこは大きな吹き抜けのホールであった。革張りのソファがいくつも並べられ、観葉植物が景観を損ねないように規則的に並べられている。壁際にはカウンター席もあり、裏の棚にはいくつものジュースやコーヒーの瓶が並べられ、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。2階にもアンティーク調の家具がチラチラと見えており、まるで本当に貴族や騎士のいる世界に入り込んでいるかのようであった。

 

だが、不思議なことにそこには誰一人トレーナーがいなかった。

 

メイドはタクミ達に先んじて一歩中に入り、ふと窓の外に目を向けた。

壁一面に張られた大きな窓が開き、テラス席にギャラリーが立ち並んでいた。

 

「どうやら、今ポケモンバトルの最中のようです。ご覧になりますか?」

「はいっ!」

「……はい」

 

タクミとマカナはメイドに案内されるまま、テラス席へと出た。

人垣の向こうで戦塵があがり、ポケモンバトルをやっている気配が伝わってくる。

タクミ達はポケモンバトルを覗き見ようと、人垣の割れ目からバトルフィールドを見ようとした。

 

その瞬間、一際大きな爆音があがり、感嘆の声と何かを非難するかのようなため息が同時に沸き上がった。

 

その場の空気からバトルが終わったのことが伝わってくる。

 

タイミングが悪かったようだった。できればバトルシャトーのバトルというものを最初から見てみたかった。

肩を落とすタクミであったが、ふと周囲の人達の反応が気になった。

 

ギャラリーからの拍手はまばらだったのだ。

賞賛の声もなく、バトルを称える雰囲気もない。

誰もの目にも困惑の色が浮かんでおり、知人と顔を見合わせては批判的な声音で喋り合っていた。

 

なんだか不穏な空気であった。

 

タクミは周囲のトレーナーの声に耳をそばだてた。

 

「あのトレーナー、これで9戦9勝か……朝から休みなく、とんでもないな」

「次のバトルで勝利すれば『ヴァイカウント』の称号を得られるとはいうが、たった1日で……」

「ですが、あれはもう……『ナイト』ではありませんよ。作法も礼儀も無視して、ただバトルをするためだけにここに来ているような態度で……」

「『地球界』から来たトレーナーはこれだから」

 

他の意見も概ね同じものであった。

 

要するに、滅茶苦茶強いトレーナーがバトルシャトーの趣旨や伝統を守らずに、ひたすらバトルを続けているらしかった。

 

タクミもその話を聞き、眉間に皺を寄せた。

このバトルシャトーがどれだけ大きな想いで守られてきているのかを知ったばかりだ。

それを荒らすなんて、トレーナー以前の問題だ。

 

一体どんな奴だ?

 

タクミはなんと人の垣根をかき分けて、バトルフィールドがよく見える位置まで移動しようとする。

そして、その人物を見つけてタクミは目を見開いた。

 

「……あれは!」

 

見覚えのある顔だった。

 

一度見たら忘れない程の鋭い眼光。落ち窪んだ眼窩とやつれた頬。そして絶望を宿した光を灯さない瞳。

 

「片垣……龍之介……」

 

タクミがアキの病室で出会ったトレーナーであった。

彼は片垣瑠佳という病気がちな妹にアチャモを見せにきていた。

あの時に見た優しく細められた瞳と酷い倦怠感を伴った横顔はあまりに印象的だった

 

タクミはアキを通じて、彼の妹がもう長くはないのではないかという噂を聞いていた。

 

彼はバトルフィールドに立つワカシャモを一瞥し、白いマントを翻した。

 

「次は誰だ……勝負しろ」

 

彼の声はまるで声変わりを終えた青年のように低く、重厚な響きを伴っていた。

その声に反応する人はいない。ここにいる誰もが彼に気圧されたかのように身を引いていた。

 

そんな中、モノクルを付けた初老の男性がスッと前に出て、彼に向けて会釈をした。

 

「リュウノスケさま、差し出がましいようですが、あなたのポケモンは連戦により疲弊しております。ここで少し休憩などを挟んではいかがでしょうか」

 

その人が言う通り、龍之介のワカシャモは既にボロボロであった。

呼吸も荒く、毛並みもボロボロだ。全身から汗が噴き出ており、今にも膝をつきそうな程にダメージが蓄積しているのが傍から見てもわかる。

 

だが、彼はそんな意見をすぐさま一蹴した。

 

「こいつらに休憩など必要ない。それは俺が一番よくわかっている。そもそも、俺はこいつ等を追い込む為にここに来ているんだ。さっさとバトルをさせろ!ここはバトルをする施設だろ」

「……左様でございます、しかし……」

「俺の爵位は『バロン』!名はリュウノスケ!誰かいいないか!!俺とバトルする奴はいないか!!」

 

龍之介は忠告を完全に無視してギャラリーに向けて問いかける。

 

そんな彼の目を見てタクミは自分の息が僅かに止まるのを感じた。

 

殺気を孕んだ目だった。戦うことしか望んでいない目だった。強くなることしか見ていない目だった。

彼の強い意志を宿した目は他者を射抜いて、動きを止めてしまう。

爵位こそ最も下の『バロン』でありながら、その威圧感だけはこの場の誰よりも強かった。

 

「……タクミ……」

 

ふと、服の裾を引っ張られ、タクミは我に帰った。

 

「あ、マカナ。えと、なに?」

「……同じ『爵位』じゃないとバトルできないんだよね」

「え、あ、ああ、うん」

「……私達『バロン』と『バロネス』」

「え、あぁ、まぁ、今日来たばかりだから間違いなく一番下の爵位だし……って、マカナ、まさか、バトルする気?」

「……ダメなの?」

「いや、別にダメってわけじゃないけど……」

 

この場の空気でよくもまぁその発想に至るもんだ。

相変わらずマイペースというかなんというか。

 

感心するような、呆れたような顔をするタクミ。

そんなタクミの反応が理解できずに小首をかしげるマカナ。

 

タクミは自分の全身の筋肉が脱力していくのを感じた。

そして、タクミは大きく息を吐きだし、髪をかき上げた。

 

確かにマカナの考えも間違ってはいない。

相手が誰であろうと、バトルを挑んでくるトレーナーがいるのなら、それに応えるのもまたトレーナーだ。

 

それに……

 

「マカナ、あのトレーナーのこと知ってる?」

「……え?知らない……タクミは……知ってるみたいだね」

「うん。ちょっとね。だからさ……先に僕にやらせて」

「……うん……わかった……じゃあこれ」

「え?」

 

マカナはタクミに白い手袋を渡してきた。染み一つない綺麗な手袋であり、旅の持ち物としてはあまりに綺麗過ぎる。

 

「マカナ、これどうしたの?」

「……さっきメイドさんから借りた」

 

動きの一つ一つは割とゆっくりなのに、行動だけは早いな。

 

タクミ顔を半分程ひきつらせながらその手袋を受け取った。

 

マカナと話していると終始ペースを取られる。

それは決して悪いことではないのだが、これからポケモンバトルを挑もうと思っているタイミングでそれに巻き込まれるとどうもアドレナリンが沸き上がってこない。

 

タクミは大きく深呼吸して気持ちをリセットし、ギャラリーをかき分けて前に出た。

 

テラスより一段低いところにある円形のバトルフィールド。

タクミが龍之介を見下ろすと、彼もまたタクミを見つけて目を細めた。

 

「お前は確か……足の悪いフシギダネの」

 

そう覚えられているのには少々思うところはあるが、タクミは口を挟まなかった。

タクミは白い手袋を彼に向けて投げつけた。

手袋は風に揺られつつも、龍之介の足元にまで飛んでいった。

 

「僕の名はタクミ……斎藤拓海……勝負、受けさせてもらう」

「……ふん」

 

龍之介は手袋を拾い上げ、顎で対面を示した。

『さっさと降りてこい』という意味だろう。

 

だが、タクミはそれに従うつもりは毛頭なかった。

 

タクミは他人に指示されてバトルフィールドに立つつもりはない。タクミは自分の意志で、自分のタイミングでバトルに挑むつもりだった。

 

タクミは自分達を案内してくれたメイドさんに声をかけた。

 

「あの、すいません。これって僕もマントするんですよね?」

「はい。こちらをお召しください」

 

既にメイドさんの手元に準備されていた白いマント。

タクミはそれを羽織り、肩で止める。

マントには様々な称号を示す飾り付けがなされており、随分と重い。だが、重くて当たり前なのだ。このマントの飾りには一つ一つに意味がある。昔の『ポケモントレーナー』の証の意味を持つものや、旅をする身分を示す通行証であったりする。もちろんこれはレプリカだが、だからといって積み重ねられてきた歴史の価値が消えることはない。

 

タクミはその重みを身体で感じ、龍之介を改めて見やる。

 

この歴史を無視するような態度を取る龍之介に対してタクミは少しばかり怒りを覚えていた。それと同時に、自分と同じ地球界のトレーナーがこんなことをしていることが少し悲しかった。

 

だが、タクミには彼の行動に少しだけ同情する気持ちがあった。

 

タクミだってアキの余命が宣告された日には彼のような顔になるだろう。一刻も早く強くなってアキの夢を叶えてやりたいと思うだろう。

 

彼が妹とどんな約束を交わしているのかは知らない。だけど、『地方旅』に出向く兄に向けて、ポケモンが好きな少女がどんな要望を言うのかなんて想像は簡単だった。

 

なぜなら、タクミも似たようなものを抱えて、この『地方旅』に挑んでいる。

 

強くなりたいという気持ちもわかる。焦る気持ちもわかる。

その決意も、覚悟も、タクミにはわかり過ぎる程にわかる。

 

だからこそ、タクミは一度彼とバトルをしたかった。

 

当然、こんなのはただの旅の途中のしがないバトルの一つだ。

日記帳や個人のバトルログに記録として残る程度のバトルだ。

 

だが、いつか、きっといつか雌雄を決めなきゃいけない時が来る。

お互いが同じ目標を抱いているのならタクミと龍之介はその一つの椅子を奪い合う定めになる。

 

タクミは龍之介の目を、龍之介がタクミの目を見る。

 

タクミはマントに身を包み、ゆっくりとバトルフィールドに降りていく。

そして、タクミはトレーナーの待機位置に入り、ボールを構えた。

 

「……早くしろ」

「ちょっと待ってよ。せっかくバトルシャトーに来てるんだよ。一回ぐらいこれやらせてよ」

 

タクミはそう言ってモンスターボールを前に突き出した。

お互いにバトルに使用するポケモンのモンスターボールを突き出し、フィールドの真ん中で突き合わせる。

それがバトルシャトーでのバトルの慣わしであった。

 

「茶番だ」

「そうかもしれない。でも、ここにいる人達にとっては茶番じゃないんだ。だから、少しは周りに合わせる努力を見せてくれてもいいんじゃない?」

 

だが、タクミの言葉は龍之介には届かなかった。

 

「……時間の無駄なんだよ。さっさとポケモンを出せ」

 

龍之介はそう言ってタクミを指差した。

彼から譲歩する気はないらしい。

その頑なな態度にタクミの方が折れた。

 

「……わかったよ。頼むよ!キバゴ!!」

「キバァ!!」

 

ボールから出てきたキバゴは直立し、手刀をレイピアのように構え、必要以上に爪先立ちでシュッとした姿勢を取っていた。

多分、『ナイト』のつもりなのであろう。一瞬で周囲の状況を把握してアドリブ繰り出してくるキバゴの演技力は大したものだが、その場の空気は決してそれを賞賛してくれるものではなかった。

 

キバゴもその雰囲気を察したのか、すぐさま戦闘態勢を取った。

 

「キバゴ、わかってる?」

「キバ」

 

いつも以上に落ち着いた返事。

キバゴは身体の力を抜き、その場で軽く跳ねる。

睡眠も食事も十二分に取って万全の状態のキバゴ。

 

それに対するワカシャモは今にも倒れそうな程に疲弊している。

連戦を経て体力の落ちた相手。普通に考えれば負ける要素はないように見える。

 

だが、なぜかタクミの肌には先程からピリピリとした感覚が走っていた。

まるでジム戦を前にした時のような緊張感。

 

身構えるタクミ。

 

そんなタクミを龍之介は睨み、奥歯を噛む。

 

「……タクミ……だったか?」

「うん」

「お前、チャンピオンになるんだってな」

「…………」

 

『チャンピオン』

 

その台詞にギャラリー達が色めきたつ。

 

新人トレーナーがそれを口にするのは珍しくはないのだが、地球界出身のトレーナーがそれを目標にしているのはやはり珍しいという認識であった。

 

「そうだよ。僕の夢は……ポケモンリーグのチャンピオンだ」

 

なぜ彼がそのことを知っているかを尋ねるつもりはない。

彼の妹はアキと同室だ。アキは人見知りするところはあるが、基本はお喋り好きなのだ。話が伝わっていても何ら不思議ではなかった。

 

「そうか。悪いがそれは無理だ」

「無理で無謀で無茶な夢だってのは僕だってわかってるさ。笑うなら笑っていいよ」

「笑いはしない。でも無理だ。お前のポケモンの育て方ではチャンピオンになんかなれない」

 

タクミは奥歯を噛み締める。

そんなことは知っている。誰よりも日々実感している。

 

だが、言葉にされて突きつけられると嫌なものだった。

 

「それは、君に言われるまでもなく知っている。でも僕はチャンピオンになる!」

「キバァアアア!!」

 

キバゴが同意するように吠えた。

 

そんなタクミとキバゴに龍之介は息をするのも苦痛のような顔をした。

 

「チャンピオンになるのはお前じゃない……行けワカシャモ」

「シャモ」

 

格式も伝統もかなぐり捨てたバトル。

バトルシャトーへの冒涜だとは思う。出禁になるかもしれない。せっかく紹介してもらったアリー姫の顔に泥を塗ることになるかもしれない。

 

そうは思うが、タクミの腹は既に決まっていた。

 

「キバゴ!先制する!“ダブルチョップ”」

「キバァァア!!」

 

“ダブルチョップ”を纏って突進するキバゴ。直線的な突撃に龍之介は素早く指示を出す。

 

「ワカシャモ受けろ」

 

その指示にワカシャモが懐を大きく開いた。

 

その指示にタクミの方が驚いた。

既に満身創痍のワカシャモ。そのワカシャモに回避でも防御でもなく、攻撃を呼び込む選択肢を取るなど完全に想定外であった。

 

「キバァ!」

 

キバゴはワカシャモの懐に飛び込み、腕を振り切った。ワカシャモの腹部に渾身の一撃が突き刺さる。ワカシャモは目を白黒させ、口から火の粉を飛び散らせる。その一発で昏倒してもおかしくない程のダメージだった。

それにも関わらず、ワカシャモはその場から一歩たりとも引かない。ワカシャモは一息で意識を引き寄せ、キバゴに視線を合わせる

 

「“つばめがえし”だ」

「シャモ!!」

 

ワカシャモが素早く足を踏み込み、その爪先が光を放った。だが、初動が遅い。

 

「キバゴ!ガード!」

「キバ!」

 

キバゴが“ダブルチョップ”を眼前に構えた直後、ワカシャモがサマーソルトキックのようにバク転をしながら“つばめがえし”を放った。

 

激しい衝突音が響く。

 

キバゴのガードがわずかに弾かれ、ワカシャモはキックの勢いを利用して後退した。

 

キバゴのダメージは頬に少しのかすり傷。だが、ガードした腕が僅かに痣になっている。

 

タクミはその一撃の重さに戦慄を覚えていた。

 

着地したワカシャモは自分のワザの衝撃で片膝をついて呼吸を荒げている。そんな状態での攻撃なのにキバゴの両腕のガードを弾いたのだ。

もし、ワカシャモが全力だったなら今の一撃で決まっていたかもしれなかった。

 

これは間違いなく一筋縄ではいかない。

 

優勢なはずのタクミの額に汗が滲む。

それに対し、龍之介はワカシャモに向けて叱責の声を飛ばしていた。

 

「何をやっている。何の為に奴を間合いの内側にいれたんだ。今の一撃は当てれたはずだぞ……立て!」

「シャ、シャモ……」

 

ワカシャモが息も絶え絶えになりながら立ち上がる。

 

タクミはその龍之介のバトルに苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

 

他人のポケモンとの関係性について何か口を挟む筋合いはタクミにはない。

だけど、心は『もうやめろ!』と叫びたがっていた。

目の前のワカシャモは彼が病院で妹に合わせていたアチャモが進化した姿だ。

 

あの時の無邪気に懐いていた頃を知っているだけに、今のワカシャモへの扱いは余計に許容しずらいものがあった。

 

「ワカシャモ、“にどげり”」

「シャモ!」

 

ワカシャモがキバゴの懐に飛び込んだ。蹴り上げるような一撃がキバゴの腹に突き刺さる。

 

「キバッ!」

 

身体を浮かされたキバゴにさらに二撃目の槍のような鋭い足刀が叩き込まれた。

ガードが間に合わない程の蹴り。

キバゴが吹き飛ばされ、タクミの表情に焦りが浮かんだ。

そんなタクミ達に向け、龍之介が追撃の指示を出す。

 

「畳みかけろ。“かみなりパンチ”」

「シャモ!」

「キバゴ!潜り込め!!」

「キバッ!」

 

キバゴは姿勢を低くして相手の“かみなりパンチ”の下に潜り込もうとした。

タクミはそこからカウンターで“ダブルチョップ”を叩き込むつもりだった。

 

だが……

 

「遅い」

 

ワカシャモの攻撃が予想以上に素早く、鋭かった。キバゴが身を落とすよりも先にワカシャモの拳が届く。

キバゴの顔面に“かみなりパンチ”がクリーンヒットした。

 

「キバァ」

 

キバゴのキバの片方が折れる。

 

「追撃だ“つばめがえし”」

「シャモ」

「キバゴ!『キバ』を蹴り上げろ!」

「キ、キバッ!」

 

回し蹴りのモーションで“つばめがえし”を放ってくるワカシャモ。

そのワカシャモの顔面に向け、キバゴは折れた『キバ』を蹴り上げた。

顔の、特に目に向けて蹴りこまれた『キバ』。眼球への攻撃に対して反射的に庇う姿勢を取るのは人間もポケモンも変わらない。

 

そのはずだった。

 

「無視しろ」

「……シャモ」

 

龍之介の指示にワカシャモの声に覚悟が宿った

ワカシャモはその『キバ』が眼球を掠めそうになるのも構わずに突っ込んだ。

ワカシャモの後ろ回し蹴りがキバゴを再び蹴り上げる。

 

やはり攻撃の回転速度が上がっている。

 

そこでタクミはようやくワカシャモの特性に気づいた。

 

「このワカシャモのスピード……【かそく】か……」

「遅い。何もかも。ワカシャモ、“ストーンエッジ”」

「シャァモ!」

 

ワカシャモが地面を強く踏みしめた。

その瞬間、青く輝く岩が地面から次々と突き上がった。

 

「キバァアア!」

 

“ストーンエッジ”に打ち上げられたキバゴ。その頭上に飛び上がったワカシャモが回り込んでいた。

 

「“つばめがえし”」

「シャモ!」

 

“つばめがえし”を纏った足先を振り上げるワカシャモ。

そして、ワカシャモは強烈なかかと落としをキバゴに叩きつけた。

キバゴは受け止めようとはしたものの、その衝撃を全て殺しきることはできない。打ち下ろされるキバゴ。その真下にはまだ先程の“ストーンエッジ”によって作り出された岩の尖塔がまだ存在している。

 

キバゴは岩の塊に凄まじい勢いで叩きつけられた。

 

「キバァッ……」

 

“ストーンエッジ”が砕け散り、噴煙があがる。

 

「キバゴ!!!」

 

煙の中にキバゴの姿が隠れる。だが、あれだけの連撃を受けてキバゴが立てるとは思えない。

 

着地したワカシャモは少し警戒するようにその噴煙を見つめてはいる。

だが、両腕は膝の上に乗せられ、手足が疲労で震えていた。

バトルの継続も困難な程に疲弊しているワカシャモ。

 

それでも、勝利は勝利だ。

 

「……ふん……」

 

龍之介は不満を吐き出すように鼻を鳴らす。

 

「……この程度で疲労困憊か……まだまだだな……」

 

ワカシャモをボールに戻そうとする龍之介。

 

「お待ちくださいリュウノスケ様」

 

不意にバトルの審判を務めていた初老の男性が龍之介にそう言った。

 

「なんだ?流石にもう次のバトルは要求しない」

「そうではありません。ですが、そのままワカシャモを戻されますと、リュウノスケ様の敗北になりますが、よろしいですか?」

「………なに?」

「バトルはまだ終わっておりませんぞ」

「…………っ!!ワカシャモ!飛べ!!」

「シャモ!」

 

ワカシャモが転がるように身を翻す。

その直後だった。

 

「キバァァァアアアアア!!」

 

地面の中からキバゴが突然飛び出した。

アッパーカットのように突き出した爪はワカシャモをとらえることこそできなかったが、キバゴの目力はまだ健在だった。

 

「これは……“あなをほる”か!!」

「その通り!キバゴ!!ワカシャモは動けない!一気に間合いを詰めろ!」

「キバァアアア!」

 

“あなをほる”は【じめんタイプ】のワザ。ワカシャモに対しては効果抜群だ。

だが、このワザは地面に潜る関係で常に一手遅れてしまう。疲労がたまっているワカシャモに休憩の時間を与えてしまえば不利になると思い、タクミはこのワザをあえて温存していた。

 

タクミは最初からワカシャモの隙をずっと窺っていたのだ。

 

もちろん、キバゴが“あなをほる”を使うまでに倒される可能性もあったが、タクミはキバゴのタフネスに賭けたのだ。

 

そして、タクミは賭けに勝った。

 

“あなをほる”を直撃させることこそ出来なかったが、今度こそキバゴはワカシャモの懐に入り込んだ。

超近距離での打撃戦。しかも、誘い込まれたのではなく、自分から踏み込んだ距離。

 

ここはキバゴの間合いだ。

 

「キバゴ!“だめおし”!」

「キィバァアァア!」

 

相手が【かそく】持ちである以上、時間をかけるのは悪手。

最早“ダブルチョップ”のエネルギーを溜める時間すら惜しみ、威力が低くても最速で出せるワザを連続で繰り出していく。

 

1発目は回避された。2発目は防御された。だが、3発目は頬を掠めた。

 

守勢に回されたワカシャモに龍之介の顔に初めて焦りが浮かぶ。

 

「……くっ……これは……」

 

度重なる連戦がワカシャモの足にきていた。今のワカシャモには蹴りワザである“つばめがえし”や“にどげり”は放てない。“かみなりパンチ”を打つ為の足腰の余力もない。

 

「…………」

 

最早、ワカシャモにこのキバゴを引き離す方法はない。

この状況が続けば間違いなく敗北する。

 

そんなワカシャモだが、勝ち筋はまだ残っていた。

 

だが、龍之介としてはこんな公式戦でもない場所でこのワザを使いたくはなかった。

これはとっておきのワザだ。ましてや相手はポケモンリーグでぶつかる可能性のある相手だ。ここで、手の内を明かす必要性は薄い。

 

「キバァアァア!」

「シャモ……」

 

キバゴの深く踏み込んだ一撃がワカシャモに突き刺さり、大きく後退させた。

 

龍之介の手に力がこもる。

 

ここで切り札を晒す理由はない。

 

龍之介は何度も自問自答を繰り返す。

 

「キバゴ!追撃だ!真正面から最短で突っ込め!」

「キバァァァ!」

 

このワザを使う理由はカケラ程もない。

 

絶対にない。

 

 

 

だけど、自分よりも弱い奴に負ける理由はもっと無い。

 

 

 

 

龍之介は意を決した。

 

「ワカシャモ!“フレア……ドライブ”!!」

「シャモォオオオオオ!」

 

ワカシャモの全身が燃え上がる。ワカシャモは炎を身に纏い、気合の裂帛と共に立ち上がった。

 

それを見て、タクミも覚悟を決める。

 

次の一撃がラストショットだ。

 

「ワカシャモ!一撃で決めろ!」

「キバゴ!カウンターを気にするな!一気に踏み込め!!」

 

キバゴが加速する。ワカシャモの炎が渦を巻く。

 

そして、キバゴが残り数メートルの間合いを一歩で埋めた。

ワカシャモは炎の化身となり、全身全霊の突撃のパワーを跳躍のような一歩に凝縮した。

 

フィールドの中央で双方が激突する。

 

火の粉が舞う。風が吹き荒れる。

 

「キバゴ!」

「………!」

 

しばらくして暴風が収まり、目を庇っていた2人が顔をあげる。

 

フィールドの中央。

 

そこに、キバゴとワカシャモの姿があった。

両者は仰向けに吹き飛ばされて目を回していた。

 

キバゴもワカシャモも起き上がってくる様子がないことを確認し、審判が下される。

 

「両者戦闘不能。よってこの試合、引き分けといたします」

「引き……」

「……分け」

 

タクミと龍之介がお互いに目を合わせる。

 

その時だった。

 

パチ……パチ……パチ……パチパチパチパチ

 

パラパラとした拍手が起きた。その音は次第に大きくなり、そして最後には両者を称えるような盛大な拍手が巻き起こっていた。

 

その拍手に龍之介は眉間に皺を寄せつつも固い仕草でお辞儀をする。

タクミも『ナイト』っぽく、右手を胸の前に置きながらお辞儀をした。

 

タクミと龍之介はそれぞれポケモンをボールに戻す。

そんな2人に審判を務めていた初老の男性が柔らかな笑みを向けていた。

 

「お二人共よいバトルでした」

「ありがとうございます」

「………」

 

元気の良い返事をするタクミに対して、龍之介は言葉を返さず不機嫌な顔のままであった。

 

「リュウノスケ様は今回のバトルで『ヴァイカウント』の爵位の昇進となります。贈呈式を行いますのでどうぞこちらに」

 

龍之介の態度は決して『ナイト』としては相応しいものではないかもしれないが、最後のバトルに対する興奮は間違いなく本物であった。その熱意を見て、他の『ナイト』達も昇進に異論を挟むことはなかった。

 

だが、やはり一番気乗りしていないのは龍之介本人であった。

 

「……そんなものはいらない」

「よろしいのですか?上の爵位となればいくつかの特典が各地の施設で得られることになりますが」

「そのことは知っている……だが、俺には時間がないんだ。特典を利用するつもりはない。それに、ワカシャモはもう今日はバトルができない。俺がここにいる意味は1秒たりともないんだ。失礼させていただく」

 

龍之介はマントを剥ぎ取るように外し、それをメイドに押し付けようとする。

その態度にタクミも眉間に皺を寄せる。

 

「龍之介君……ちょっとそれはあんまりにも、『爵位』は持っていて邪魔になるものでもないんだし、せっかくなんだから」

「俺はお前みたく観光半分で『地方旅』に挑んでるんじゃない」

「僕だって別に遊びでやってるわけじゃない。それはここにいる人達も同じだ。それを汲んでやるやることぐらい……」

 

その時だった。

 

「……待って……」

 

突然、タクミと龍之介の間にマカナが現れた。

その出没っぷりは幽霊か忍者のようであった。

 

「うわっ、マカナ!いつの間に!?」

「……さっきからいた……それより、タクミと……えと、りゅうのすけ君でいいのかな?……昇進式……やって」

 

マカナはいつもの無表情のまま淡々と龍之介に向けてそう言った。

 

「なんだお前……なんで俺がお前の命令を聞かなきゃならない」

「……ごもっとも……私の命令は聞く必要はない」

「…………そうだろ」

「……うん……だから、昇進式やるべき」

「おい、話を聞いていたか」

 

龍之介が眉間に皺を寄せて睨みつけるがマカナはまるで動じない。まぁ、彼女がこの程度で動じるとはタクミは思っていなかったが。

それにしてもなんで突然そんなことを言いだしたのだろうか。

 

話が進まないのでタクミは間に入ることにした。

 

「マカナ、順を追って説明して。なんで龍之介君に昇進式やって欲しいの?」

「……別に私は見なくてもいい」

「『私は』?え?じゃあ、誰が見たいって言ってるの?」

「……アキと瑠佳……」

 

直後、タクミと龍之介は丸々5秒の間固まった。

 

「……は?」と龍之介の目が点になっていた。

「……え?」とタクミの顔が怪訝な表情で固定された。

 

「なんでそこで瑠佳の名前が出てくる!?お前、妹と知り合いなのか!?」

「ちょっと待ってマカナ。なんでそこでアキの名前も出てくるの!?」

「……ホロキャスターで映像送信中……ほら……」

 

そして、マカナがホロキャスターによるテレビ電話の画面をタクミ達に見せた。

 

「やっほー!タクミ!すごいバトルだったね!!マントもかっこいいし、今度は最初から見せてよ、ほら、あの『よきバトルを』ってやつ」

「お兄ちゃん、元気~!?すごいよすごいよ!お兄ちゃんたった1日で『ヴァイカウント』になったんでしょ!これから昇進式なんだって!?ねぇねぇっ、それって何時からやるの!私も見たい!!」

 

直後、タクミと龍之介は丸々2秒の間固まった。

 

そして、タクミはギギギギと錆びついた歯車のようにゆっくりとマカナの方へと顔を向けた。

 

「……マカナ……もしかしてバトル実況してた?」

「……うん……面白そうだったからアキに見せてた……タクミがかっこつけて『よきバトルを』とかキメ顔すると思ったから」

「相変わらずいい趣味してるよね、マカナ」

「……それほどでも……」

 

無表情で小首をかしげるマカナ。タクミは皮肉で言ったのだが、通じていないのか、それとも通じた上でこうなのか。

 

そして、話について行けていないのが龍之介だ。

 

「待て、それでなんで瑠佳が出てくる」

「……アキと瑠佳は病室同じ……たまたま一緒にいて……アキが龍之介君に気づいて一緒に観戦してた……龍之介君の態度の悪さを見せられて妹さん可哀そう」

「……っく!」

 

皮肉を放たれ、図星を刺された龍之介であったが、すぐさまマカナの言い分の違和感に気づいた。

 

「ん?ちょっと待て、それは時系列がおかしいだろ。バトルが始まってから実況してたのなら俺の悪い態度は見てないはずだ」

「……バレた……」

「……コイツは……」

 

こめかみをピクピクとひくつかせる龍之介。

そんな彼を見上げ、マカナはスッと目を細めた。

 

「……君も悪いことしてるとは……思ってるんだね」

「なっ………」

 

龍之介が言葉を失う。

 

彼は口をパクパクと動かすが、言葉にならない。

 

そんな龍之介の手からマカナはマントを奪い取り、再び彼の肩にかけなおした。

 

「……悪いことしていると思っているなら……最後くらい良いことして終わろう」

「…………」

「……瑠佳ちゃんにも……いいとこ見せるべき」

「…………くっ……」

 

龍之介は反論する言葉が見つからなかったのか、大人しくマカナの手でマントの留め金を付けられるままになっていた。

 

そんな龍之介を見てタクミは「おお……」と口の中だけで呟く。

マカナのマイペースはこんな相手にも通用するのかと驚いていた。

 

それから、龍之介はここに集まっていた人達や施設の人達に大きく頭を下げて謝罪し、『ヴァイカウント』への正式な昇進式に出席した。

バトルフィールドの中央で『ヴァイカウント』のマントを授与される龍之介。

マカナはホロキャスターでその様子をアキ達に生中継し、タクミもその龍之介に拍手を送った。

 

正式に『ヴァイカウント』へと昇進した龍之介。

 

彼は式が終わるとすぐさま、マントを返し、テラス席へと上がってきた。

 

彼は憎々しげな表情でマカナを睨みつける。

だが、マカナがチラッとホロキャスターを見せると、すぐさま怯んだ表情になった。

咳ばらいををしてその空気を誤魔化した龍之介はマカナに向けて渋い顔をした。

 

「それは……まだ瑠佳と電話が繋がっているのか?」

「……ううん……さっき、検査があるって言ってたから、通話は切った」

「なっ!!」

 

それじゃあ、ホロキャスターを強調したのは完全なブラフだったわけだ。

 

マカナは本当に精神的なペースを握るのが上手いと思う。

もしかしたら天然なだけなのかもしれないが、どっちにしろ相手をするとなれば厄介なものであった。

 

「……お前、名前は……」

「……人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀……」

「……片垣だ……片垣龍之介だ……」

「……マカナ……江口マカナ……」

「まなか?」

「……マカナ……ハワイの言葉」

「…………」

 

龍之介の顔から『なんでハワイの名前なんだ?それにどういう意味の言葉だ?』と質問したがっているような気配が伝わってくる。

だが、これ以上彼女のペースに付き合ってられないと判断したのであろう。彼は自分自身の好奇心を飲み込むことを選んだ。

 

彼は前髪をかき上げるようにして気持ちをリセットし、タクミへと向き直る。

 

「…………」

「…………」

 

2人の間に走る緊張感。バトルは引き分けに終わった。だが、タクミも龍之介もこれが対等な引き分けだとは思っていなかった。

 

「……斎藤……タクミ。お前、本当にチャンピオンを目指しているのか?」

「もちろん」

 

タクミは即答する。

 

「……残念だったな。お前の夢は叶わない」

「…………」

 

そして、龍之介はサロンの出口へと足を向けた。

 

「チャンピオンになるのは俺だ……」

 

タクミはその背中を見送る。

今のタクミには彼に言い返せるだけの言葉の持ち合わせがない。

 

『サロン』の扉を開き、出ていくこうとする龍之介。

 

その足が突然止まった。

 

「……なんだ!!」

 

マカナが彼の腕を掴んで引き留めていた。

 

「……せっかく会ったんだから……ホロキャスターの番号教えて」

「いやだ!だいたい、俺は観光気分やお友達との仲良しこよしで旅をしているわけじゃ……」

「……わかった……瑠佳ちゃんに聞いておく……私とタクミの番号は登録しておいてね……」

「だから話を聞け!!」

 

そんなマカナと龍之介の様子をタクミは『相変わらずだなぁ』と呑気な感想を抱いていた。

 

龍之介が去り、『サロン』の賑わいが戻ってくる。

タクミとマカナはカウンター席でジュースを飲みながら一息ついていた。

 

「それにしても……マカナって結構人見知りするタイプだと思ってたけど、龍之介には凄いグイグイ行くね」

「……そう……かな?」

「自覚なし?」

「……『地方旅』が始まってもうすぐ1か月になる……」

「そうだね」

「……さすがに……初対面の人は怖くなくなってきた……」

「そりゃ……そうか」

 

旅なんて新しい出会いと別れの連続だ。他者とコミュニケーションをとらなきゃならない瞬間なんてごまんとある。そんな中で引っ込み思案な態度など取ってはいられないのだろう。

 

「……私はむしろ……学校の友達の方が……」

「え?」

「……あ……ううん……なんでもない」

 

一瞬、マカナの顔にほんの少し憂いの色が浮かぶ。

だが、彼女の顔色が変化したのは本当に僅かなことで、タクミには多少の違和感程度にしか映らなかった。

 

マカナはオレンジジュースを一口飲み、話題を変える。

 

「……それより……さっきのバトル……凄い良かった」

「そう?僕としては反省点しかないバトルだったけどね」

「反省?」

「……うん」

 

タクミは小さくため息をついてピーチジュースを煽る。

 

「先入観だったな……ワカシャモの特性を読み違えた」

「……え?……どういうこと?」

 

タクミはテーブルの上に指を置き、コップから垂れた雫で円を描いた。

 

「最初にワカシャモがキバゴの攻撃をわざと受けたでしょ。あれで龍之介君は【もうか】を発動させたいんだと思ったんだ」

 

【もうか】とはワカシャモが持つ特性の1つで、体力が著しく落ちると【ほのおタイプ】のワザの威力が格段に上がるものだ。

 

「だから、相手のリズムが加速していってるのに気づかずに対応が遅れた。もっと早く……せめて“にどげり”をくらった時に気づけていれば、あの勝負は、勝ててたかもしれない」

 

この際、ワカシャモが連戦後で疲弊していたことについては正直どうでもいい。

ポケモンリーグのバトルは6対6か3対3だ。ラスト1体同士の戦いになったら、相手のポケモンが疲弊している状況などザラにあるし、その逆もしかりだ。

 

結局、バトルで大事なのは最後の判定の瞬間に勝っているか否かなのだ。

 

「……なるほど……そうだったんだ」

「そう思うと、やっぱり心残りが多いバトルだったよ。でも、次は負けない」

 

タクミはそう言って机の下で握りこぶしを固めた。

 

『チャンピオン』という称号を笑われることは多々あった。

無理だと言われたことも無数にある。

 

だが、ライバル宣言をされたのは始めてだった。

 

同じ夢を追う者。たどり着けるのは誰か1人。

 

タクミはもっともっと強くならなきゃならないことを自覚した。

 

「……タクミ……ついでだから……私のデビュー戦に付き合って」

「デビュー戦?」

「……そう……『バロネス』としてのデビュー戦」

「あっ……」

 

そういえばタクミはバトルをしたが、マカナのバトルシャトーでのバトルはまだであった。

それに、彼女と再会してからまだ一度もバトルをしていない。

 

「いいよ。やろう」

「……うん……ていっ」

 

マカナはタクミのテーブルの上に白い手袋を投げつける。

 

「準備は早いね」

「……うん……最初から付き合ってもらうつもりだった」

「なるほど」

 

タクミはその白い手袋を掴み上げる。

カウンターの裏にいたバーテンダーがそれを見届けて、了承したかのように頷いた。

 

「……タクミ……映像をアキに送っていい?」

「まぁ、いいよ。カロスの伝統行事だもんね。アキも見たいだろうし」

「……うん……あっ、そうだ……私が勝ったらさ……」

「うん」

「……タクミがアキに書いた手紙の内容教えて……」

「ぶふっ!!!ま、マカナ!何で知ってるの!?」

「……私が負けたらアキの手紙で手を打つから……」

「どっちに転んでもマカナの損になってないじゃん!ダメダメダメ!そんな賭けはしない!」

 

タクミとマカナはそんなことを話しながらマントを身に纏い、バトルフィールドに降りる。

 

「それじゃあ……」

「……うん、よきバトルを」

「よきバトルを!」

 

フィールドに繰り出されるゴースとヒトモシ。

ケラケラと笑いながら漂うゴース。威嚇するように頭の炎を猛らせるヒトモシ。

バトルシャトーの真剣な空気が彼等の戦意を高揚させていく。

 

「ゴース、“あやしいひかり”」

「ヒトモシ“おにび”だ」

 

相手を惑わすような光がフィールドを満たしていく。

 

 

そんな日々を過ごしながら、彼等の旅は続く。

まだまだ続く。

 



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洞窟の奥には闇がある

新年度で色々と忙しくて時間があいてしまいました。
多分、まだまだスローペースが続きますが。

ひとまず続きはしますので、よろしくお願いします。


7番道路から8番道路に向かう途中にある『地つなぎの洞穴』

とはいえ『地球界』からもたらされた掘削技術により、今や『洞穴』とは名ばかりのただのトンネルへと変わっている。野生ポケモンとの住処を壊さないように考慮された工事がなされてはいるが、歩きやすいのは非常に助かる。

 

その洞穴の途中でタクミはマカナと別れることになった。

マカナは8番道路に向かう出口には向かわずに、別の方角に抜けてジムを目指す予定だった。

 

「それじゃあ、またどこかで」

「……うん……次こそは勝つ」

 

バトルシャトーでの敗北をまだ引きずっているマカナに苦笑いを返し、タクミとマカナは手を振って洞穴の中で別れた。

『地つなぎの洞穴』は然程の距離もなく、すぐに抜けることができた。

 

「うわぁ!海だ!!」

 

『地つなぎの洞穴』を抜けた先は岩山の中腹であった。

薄暗い洞穴を抜けた先には視界一杯に広大な海原が広がっていた。

大きく息を吸いこめば濃厚な潮の匂いが鼻腔に流れ込む。

太陽を反射してキラキラと煌く水面では時折、ポケモンが大きく水面から飛び上がり跳ねる高さを競っているかのようであった。

 

大きな船が水平線の近くに見え、タクミはなんとなく大きく手を振ってみた。

当然船からタクミが見えるわけではないし、気づいたところでタクミにはわからない。

それでも、なんとなくはしゃいでみたくなったのだ。

 

タクミはその海を右手に見ながら岩山を下る。

山のふもとにはコウジンタウンが見えている。

日はまだ高く、一泊を決めるにはまだ早い。

かといって水族館や博物館を巡るには少々時間が心許ない。

 

「……どうしようかな……先に化石発掘所の方を見てこようかな」

 

旅にも慣れてきたタクミ。食料や水にはまだ余裕があり、コウジンタウンに今日泊まる必要はない。だったら、今日はコウジンタウンを素通りして先にポケモンの化石の発掘現場に向かってみようかと思う。

今日は野宿して、明日は朝一番に化石発掘の見学をする。そのまま引き返してきてコウジンタウンで観光しながらもう一泊。それからショウヨウシティに向かう。

 

頭の中で今後の予定を立てながら、タクミは岩肌の目立つ道を歩いて行く。

砂利の多い道で足を捻らないように注意しながら、潮風を浴びるタクミ。

 

タクミは頭の中のプランを反芻し、タウンマップを確認して予定を決めていく。

 

「よしっ、やっぱり化石発掘の方を先にしよう」

 

そうと決めたら善は急げであった。

タクミは足を速めて岩山を下山し、その足で化石発掘で有名な9番道路へと向かうことにした。

9番道路は別名『トゲトゲ山道』とも言われる険しい山岳地帯だ。山全体が地盤が隆起してできた山であり、古い地層が地表近くに出ているので古代のポケモンの化石が大量に見つかるという。ポケモン界全体でみても有数の化石発掘現場だ。

 

『地球界』出身のタクミからすれば、『化石』というのはそれだけで心が躍るワードであった。

 

テレビで見た『ジュラシックパーク』のワクワク感を体感したことがあるならわかるだろう。

現在では姿を見ることができない、古代の巨大な生き物たちが復活して地表を練り歩いている姿はいつだって鳥肌を誘発する。続編はただのパニック映画になってしまったのは残念だったが、摩天楼とティラノサウルスの1枚絵だけで全てお釣りが来ると思っているので自分は全肯定派である。

 

というわけで、古代のポケモンの化石なんて聞かされた日にはそりゃ一目見てこなければならないと、タクミはカロス地方を巡ることが決まった時からここに来ることは予定していた。

 

だが『現実は小説よりも奇なり』と言うように『ポケモン界』は化石からポケモンを復元する技術を確立させつつあるというのだから本当に驚きだ。

その技術が転用されればいつか地球にも本物の『ジュラシックパーク』が現れるのかもしれなかった。

 

そうやって妄想の翼を開いていたタクミは重要なことを見落としていた。

 

タウンマップの片隅に描かれたお天気マーク。

 

旅先の天気予報をチェックしなかったタクミの頭上には文字通りの暗雲が立ち込めていたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

山道を歩いていたタクミはふと頭上に何かが落ちてきた感触を感じて空を見上げた。

そこに横たわる黒い雲をみつけ、タクミは「ヤバっ」と呟いた。

 

慌ててタウンマップの天気予報を確認すると、ここら一帯は今夜にかけて大雨の予報になっていた。

 

ただの雨ではなく、雷や海風が吹き荒れる嵐の予報だ。

 

「うわっ!これヤバいんじゃ……しまったな……」

 

既に雲行きは非常に怪しくなっており、見上げた空ではゴロゴロと稲光が走っていた。

海辺と険しい山が隣接するこの地域は上空の風が強いせいか、非常に天気の移り変わりが激しい。

 

雲が外海から一気に流れ込んできて、暴風雨が吹き荒れることも珍しくないのだ。

 

タクミは今まで歩いてきた道を振り返る。

 

今すぐここから引き返せば嵐が来る前にコウジンタウンにたどり着けるだろうか。

だが、既に風が強くなってきており、この中で岩山を下っていくのは非常に危険だった。

かといってこんな岩肌にテントを張ろうものなら嵐に吹き飛ばされてしまう。

 

ポケモンセンターは近くになく、タクミは「ヤバイヤバイヤバイ、どうしよ」と繰り返し呟いていた。

 

何か近くに雨風を防げる場所はないかとタウンマップを幾度も滑らせるタクミ。

 

そんな時、タブレットにポタリと雫が落ちてきた。

 

「あっ……降り出した……」

 

タクミは雨合羽を素早く羽織り、とにかく下山しようと来た道を戻っていく。

だが、この『行き』と『帰り』というのが非常に問題だった。

 

道を往復するときに『帰り道』で迷う人は割と多い。

『行き』というのは目的地があり、道順をある程度把握しながら歩く。

逆に『帰り』というのは一度歩いた道と油断する。だが、『行き』と『帰り』では周囲の見える景色がガラリと変わる。ランドマークとしていた目印や曲がり角の雰囲気も大きく変わり、結果的に道を間違えてしまうのだ。

 

そして、タクミも嵐が近づいてくる焦りと、雨に煙った視界で方向感覚を失い、来た時とは別の道へと迷いこんでしまった。雨で液晶が濡れるのを嫌い、タウンマップを頻繁に確認できなくなったのもその一因であった。

タクミが「おかしい」と気づき、再びタウンマップを取り出したのは道を間違えてかなりの時間が経った後であった。

 

風は次第に強くなり、時折身体が吹き飛ばされそうになるような突風が吹く。

 

「……ヤバイな、これ……あっ!!洞窟だ!!」

 

タクミは岩山にぽっかりと空いた洞窟を見つけ、そこに飛び込んだ。

そこは高さも横幅も十分な洞窟だった。周囲には人の手で補強したような痕跡はあるが、どれも古びて錆びついている。おそらくかつて化石発掘の為に掘られた横穴であろう。タウンマップに載っていないところを見ると、破棄されて大分経っているのかもしれない。

 

とりあえず、地面は乾燥しており、落盤なんかの危険性もなさそうだった。

なによりも、少なくとも雨風は防げる。

 

タクミは雨合羽の水滴を払い、ランプを取り出した。

入り口付近では風が少し吹き込んできそうなので、少々奥にテントを張るつもりであった。

 

ランプを片手に奥へと進んでいくタクミ。その洞窟は奥に行けば行くほど広がりを見せ、思った以上に深そうであった。

 

途中、横道にイシズマイやテッシード達が固まっているのを見つけた。

野生のポケモン達が生息しているなら、命の危険はないだろう。

だが、これ以上奥に行くとポケモン達の縄張りに入る。

 

「ごめんね、今日は一緒に過ごさせて」

 

タクミはポケモン達にそう一声かけ、探検を中止して引き返す。

野生のポケモン達の住処から少し戻り、タクミはその場にテントを張った。

 

「はぁ、良かったよかった……ひとまず、ここで一晩明かせそうだ……」

 

タクミはコンロに火をつけ、ポケモン達を呼び出す。

 

「みんな、出てきて」

 

キバゴ、フシギダネ、ゴマゾウ、ヒトモシが次々と現れる。

 

キバゴは登場するや否や大きく欠伸をし、フシギダネは洞窟内にいることに気づいて首をかしげていた。

ゴマゾウはキョロキョロと周囲を見渡して走り回るスペースが無いことに落胆し、ヒトモシはぴょんぴょんとタクミの身体に飛び乗ってきた。

 

「みんな、今日はここで野宿だ。外が嵐になっちゃってさ、とにかくご飯にしよう」

 

方々から返事があがり、タクミは皆の為に晩御飯の支度をはじめようとする。

既にフシギダネが“ツルのムチ”を伸ばして器の準備をしたり、ヒトモシが“サイコキネシス”で料理道具を取りだしていた。

 

最近はこの2人がよく食事の準備を手伝ってくれる。

その間にキバゴとゴマゾウがぶつかり稽古のようなことをして自主トレに励んでいるのが最近のタクミの食事時の光景であった。

 

そんな時、ゴマゾウがその大きな耳をピクリと動かした。

 

「パオ?」

「キバキバ?」

 

ゴマゾウの“ころがる”を受け止める準備をしていたキバゴが疑問の声をあげる。

ゴマゾウは洞窟の奥に向けて鼻を伸ばし、目線を細めた。

 

「パオ!パオパオ!!」

 

ゴマゾウは何かを警戒するような足取りで洞窟の奥へと足を進める。

ランプの光が届くギリギリの距離で、ゴマゾウは空中の微かな臭いを嗅ぎ取ろうと鼻をあちこちに向ける。

 

「キバ……」

 

ゴマゾウのその様子に何か危険を感じ取ったキバゴ。キバゴはゴマゾウをガードするように前に出る。

キバゴはいつでも戦えるような体勢を取り、洞窟の奥に目をこらしていた。

 

「ゴマゾウ、キバゴ、ごはんの準備が……あれ?どうしたの2人共」

 

温めた食事パックの準備を終えたタクミが2人の後ろに立つ。

そんなタクミに向け、ゴマゾウが振り返った。

 

「パオパオ!パオ!」

「何か危ないポケモンでもいるのか?」

 

ゴマゾウのその様子に危機感を覚えたタクミはすぐに食事パックを置き、目線を鋭くした。

洞窟の奥を照らそうとランプを取ろうとしたが、それより先にヒトモシが頭の炎を強く輝かせながらタクミの肩に乗ってきた。

 

「ありがと、ヒトモシ」

 

懐中電灯の代わりを買って出てくれたヒトモシに礼を言い、タクミは洞窟の奥を凝視する。

外の嵐は更に激しくなっており、ここから外に出ていく選択肢は取れない。

もし、この奥に凶悪なポケモンがいるのなら、何かしら対処をしておかないとおちおち身を休めることもできない。

 

「フシギダネ!念のためにここに残っておいてくれ!それと、僕に“ツルのムチ”を」

「ダネ!」

 

フシギダネはタクミの身体に“ツルのムチ”を巻きつけ、テントの傍に腰を下ろした。

この洞窟は一本道だとは思うが、もし複雑な坑道のようになっていたら道に迷ってしまえば本当に出られなくなってしまう。この“ツルのムチ”はそのための命綱だ。もし“ツルのムチ”が伸びきってしまったら、手持ちのロープをそこに繋ぎ、更に奥へと進むつもりでいた。

 

「ゴマゾウ、何か奥にいるんだな?」

「パオ!」

 

ゴマゾウは強く頷き、耳をパタパタと上下させた。

 

タクミはヒトモシの青白い炎で周囲を照らしながら洞窟の奥へと再び足を進めていく。

先程と違い、キバゴが先頭を歩きゴマゾウが周囲に気を巡らせながらの探検。

少し歩き、タクミは先程見かけた小さなポケモン達の姿が見えなくなってることに気が付いた。

 

やっぱり何かおかしい。

 

「ゴマゾウ、何か匂うのか?」

「パオパオ……パオ」

 

ゴマゾウは首を横に振り、耳を再びパタパタと上下させる。

 

「耳?そうか、音か」

 

タクミは足を止め、洞窟の中で耳を澄ます。

それと同時にゴマゾウとキバゴも足を止めた。

 

タクミの耳に届くのは雨の音、風の音。洞窟の外から聞こえてくる音は次第に激しくなってきている。だが、その音に混じって洞窟の奥から岩と岩がぶつかるような破砕音が微かに聞こえてきていた。

 

「……確かに……なんだろう、バトルか何かしているのかな……」

 

この洞窟に人の気配はなかった。であれば、野生のポケモン同士の小競り合いかもしれない。

どちらにせよ、一度この目で確認しておくべきだった。

 

寝てる間にイワークにテントを踏みつぶされたり、バンギラスに襲われるようなことになったりしたら洒落にならない。もし、洞窟の奥にそういう大きなポケモンがいるならテントの場所を移す必要があった。

 

「……慎重に行くよ」

「パオ!」

「キバ!」

「モシ!」

 

ヒトモシが頭の炎をより暗く、青い色へと変えた。

しっかりと周囲を照らせるが、目立ちにくい色。

潜入するならもってこいの光源だ。

 

タクミはヒトモシの頭を撫でつつ、再び歩き出す。

 

次第に破砕音がハッキリと聞こえるようになってくる。

 

タクミは警戒心を増し、洞窟の壁に手をつきながら一歩一歩確かめるように進んでいく。

 

だが、突然キバゴが何かに気づいたかのように走り出した。

 

「キバッ!」

「キバゴ!僕から離れるな!!」

 

キバゴはその命令に従わず、一気に洞窟の奥へと走り抜けていく。

そして、一瞬遅れてゴマゾウが身体を丸めた

 

「ゴマゾウ!?お前も一体何を……」

「パオン!!」

 

ゴマゾウも一声鳴き、“ころがる”状態で洞窟内を疾駆しはじめた。

 

「ゴマゾウ!キバゴ!あぁ、もう!ヒトモシ!“おにび”を洞窟の奥に放って!ゴマゾウはともかく、キバゴの感覚は視界頼りだ!光源を確保する!」

「モシっ!!」

 

もはや、野生のポケモンに見つかるだのなんだの言ってられなかった。

ヒトモシはタクミの指示に従い、青白い“おにび”を数発洞窟の奥に向けて発射した。

 

青い光に照らされる洞窟内。

 

先行するキバゴとゴマゾウの頭上を“おにび”が通り過ぎ、唐突に広い空間を照らした。

 

「モォォォッシッ!!」

 

“おにび”が空中で炸裂した。

花火のように弾けた“おにび”は小さな炎となってその空間全体を青く染め上げる。

その世界に大きな影が映り込んだ。

 

「あれは……イワーク!」

 

いわへびポケモンのイワークだ。そのイワークはその尻尾を洞窟の隅にある岩に何度も何度も叩きつけていた。

 

「キィバァアァア!」

「パォオオオオオ!」

 

そのイワークに向け、キバゴとゴマゾウが突撃する。

 

「パオン!!」

 

ゴマゾウが丸まったまま飛びはね、イワークの胴体にぶち当たった。

イワークの身体が大きく歪む。

 

「イワァ!」

 

イワークがゴマゾウに気づき、標的を変えた。

その直後、キバゴの“ダブルチョップ”がアッパーカット気味にイワークの顎を撃ち抜いた。

 

「イワァァアア!!」

 

着地したキバゴ達はそのままイワークが攻撃していた岩を守るように陣取った。

 

「キバキバ!」

「パオン!」

「イワァァァ!」

 

イワークが威嚇するように吠え声をあげる。

その時になり、タクミもようやくキバゴ達に追いついた。

 

“おにび”によって照らされたこの広い空間は複数の横穴に繋がる巨大なホールであった。

方々に散らばった残骸から、ここが化石発掘が去れていた時に荷物運搬の中継地点であったことが伺えた。

そして、その錆びついたトロッコや線路の間には巨大な蛇が這ったような痕跡が続いている。

 

ここはこのイワークの縄張りなのだ。

 

「……あいつら、一体何を……」

 

タクミはキバゴやゴマゾウが野生のポケモンに理由もなく襲い掛かる奴らじゃないことぐらい知っている。

勝手に先行してイワークを攻撃したのなら、相応の意味があるはずだった。

 

「あっ!ヒトモシ!あの岩の後ろを照らしてくれ!!」

「モシッ!!」

 

ヒトモシは再び複数の“おにび”を放った。

新しい光源が産まれ、岩の裏の影が消える。

 

「あれは……」

 

そこに一匹のポケモンが縮こまっているのが見えた。

小さな身体と頭部から生えた巨大な顎。

タクミは確認のためにポケモン図鑑を取り出す。

 

「やっぱり、クチートだ!」

 

そのクチートは身体を小さくして岩陰で震えていた。

イワークは縄張りに入ってきたあのクチートを攻撃していたのだ。

 

どちらが悪いかと言えば確かにクチートが悪いのだろう。だが、それで震えているポケモンを見殺しにしてやれる程キバゴもゴマゾウも冷血な性格はしていなかった。

 

「キバァ!!」

「パォン!!」

 

戦闘態勢を取るキバゴとゴマゾウ。

こうなっては仕方ない。

 

タクミも腹を決めることにした。

 

「ゴマゾウ!スピードで攪乱する!!“ころがる”だ!」

「パォン!」

「キバゴ!そこ動くなよ!イワークの攻撃からそのクチートを守れ!」

「キバッ!」

 

ゴマゾウが本領発揮とでも言いたげにこの空間の中を走りまわりながら、イワークに身体をぶつけていく。

山道で鍛えに鍛えたスピードでヒット&アウェイを行い、ゴマゾウはイワークの体力を確実に削っていく。

 

「イワ……イワ……イワァアアアア!」

 

イワークが吠え、その身体から複数の岩石が射出された。

それはフィールドに降り注ぎ、ゴマゾウの行く手を遮る。

 

「“がんせきふうじ”か!ゴマゾウ!お前ならかわしきれる!コーナリングテクを見せてやれ!!」

「パオパオ!」

「キバゴ!クチートに向けて飛んでくる奴を弾き飛ばせ!“ダブルチョップ”!」

「キバァ!」

「ヒトモシ、ゴマゾウを援護だ“ほのおのうず”」

「モッシィ!」

 

ゴマゾウが小まめなドリフト走行で“がんせきふうじ”を回避していく。回転速度を維持したままイワークに迫るゴマゾウ。

 

「パォォン!!」

「イワァアアア!」

 

イワークが迎撃しようと“アイアンテール”を光らせたその瞬間、ヒトモシの“ほのおのうず”がその視界を覆った。

 

「イワッ!!」

 

“うず”の中に閉じ込められたイワーク。巻き上がる炎の壁で周囲が見えない。

その隙に、ゴマゾウが一気に回転数を上げていく。

走り回るゴマゾウ、そしてタクミはここぞというタイミングで指示を出した。

 

「そこだ!ゴマゾウ!!」

「パォオン!!」

 

回転が最高潮に乗ったゴマゾウ。その回転力で炎の壁を突破しながら、ゴマゾウはイワークの胴体に強烈な“ころがる”を叩き込んだ。

 

「イワッ!」

 

身体を大きくよじりながらのたうつイワーク。

 

「ヒトモシ!あいつを追い払うよ!“ナイトヘッド”!!」

「モォォォォシィィィ!!」

 

怨念のこもった幽霊のような声をあげ、ヒトモシが頭の炎の中から黒いエネルギーを飛ばす。

それはイワークの周囲に降り注ぎ、噴煙をあげた。

 

「モォォォォシィィィ!!」

 

『うらめしや~~』と聞こえてきそうな程の迫真の鳴き声を加えながら攻撃するヒトモシ。

それがイワークにはさぞ恐怖に映ったのであろう。

 

「イワッ……イワッ!」

 

イワークは命あっての物種だと言わんばかりに“ナイトヘッド”に追われて横道へと逃げていった。

イワークの這いずる音が聞こえなくなり、タクミはようやくホッと息をついた。

 

「ふぅ、とりあえずなんとかなったか……」

 

タクミは大きく息をつき、ベルトに巻き付いてたフシギダネの“ツルのムチ”をポンポンと叩いた。

心配してくれているフシギダネにきちんと伝わればいいのだが、多分大丈夫だろう。

 

「ヒトモシもお疲れ様」

「モシモシ」

 

タクミは岩の上で呪術師のように両腕を広げているヒトモシを抱き上げて、肩に乗せる。

ゴマゾウもタクミの傍にドリフトブレーキで停止し、鼻と耳をパタパタとさせて勝利を喜んでいた。

 

「うん、ゴマゾウもありがと。お前が最初に気づいてくれたんだろ?」

「パオパオ」

 

タクミは膝を折り、ゴマゾウを労う。

とにかく危険は去った。後は襲われてたクチートの様子を見るだけだ。

 

「キバキバ。キバァ!」

 

キバゴは両腕の“ダブルチョップ”を解除し、岩陰の裏に震えているクチートに声をかけていた。

 

「クチ……クチ……」

「キバキバ、キバキバ……キバ?」

 

クチートは岩の後ろから動かない。

 

そんなクチートをキバゴが覗き込んだ。

タクミはポケモン達を連れ、キバゴ達に近寄る。

 

「キバゴ、クチートの様子はどう?怪我とかしてる?」

「………キバ………」

「ん?キバゴ?」

 

 

キバゴがなぜかその場に固まっていた。

 

 

何か、様子がおかしい。

 

 

「キバゴ?」

 

動かないキバゴに業を煮やしたのか、ゴマゾウが軽い足取りでキバゴの肩を小突いた。

 

「パオパオ!」

「……キバ……キバキバ!キバキバキバ!!」

 

キバゴは突然我に帰ったように身体を震わせ、慌ててタクミ達に何かを訴えてくる。

そのキバゴの顔色が真っ青だった。

 

「キバゴ?」

 

明らかに只事ではない。

 

嫌な予感がした。

 

タクミは駆けだし、岩陰を覗き込んだ。

 

そこにいたのはやはりクチートだ。

 

そのクチートは岩壁に顔を押し付けてこちらに背中を向け、頭から生えた顎でキバゴやタクミ達を威嚇していた。

だが、その威嚇も口を開けているのがギリギリという様子で顎全体が震えている。

これでは相手を怖がらせるどころか、『近づかないでください』と訴えかけるので精一杯だ。

 

いくら臆病なポケモンでもこの怯え方は尋常ではない。

 

「クチート、大丈夫。安心して。ここにはもうお前を傷つける奴はいないから。大丈夫だよ。大丈夫」

「……クチ……クチ……」

 

タクミはクチートを刺激しないように手を伸ばす。

 

「クチィ!!!」

 

途端、大きく開かれていたクチートの顎が強烈な勢いで閉じられた。歯がぶつかり合って赤い火花があがった。

 

「あっつ……」

「パオン!」

「やめろゴマゾウ!大丈夫だ!火花が掠っただけだ!!」

 

この熱量は通常の顎の攻撃じゃない。今のは“ほのおのキバ”だ。

確か、通常はクチートが覚えない。このクチート、珍しいワザを覚えてるな。

 

それにしても……

 

タクミはチラリとキバゴに目を向ける。

 

こういう時に真っ先にタクミを庇ってくれるはずのキバゴが微動だにできずにいた。

 

キバゴは一体何を見たというんだ?

 

タクミの背筋に冷たい汗が流れ落ちた。

 

「クチート、大丈夫だからね」

 

タクミはしゃがんで膝をつき、すり足でゆっくりとクチートの隣に近寄る。

タクミは震えるクチートの顎を手の甲で少しどかそうとする。

 

「クチッ!」

 

顎がピクリと動き、タクミはすぐさま腕を引っ込めた。

 

だが、クチートは再び顎を開いて攻撃してくることはなかった。

 

「…………」

 

タクミは改めてクチートの顎に触れ、その頭に触れ、落ち着かせるようにクチートの頭を撫でる

 

「クチート。大丈夫だよ。大丈夫。お腹すいてない?後で御飯一緒に食べようよ」

 

柔らかな声でクチートに語り掛けるタクミ。

その声音がクチートをほんの少し安心させたのだろうか。

クチートがわずかにタクミを振り返った。

 

「……やっとこっちを向いて……ん?あっ、これか」

 

そのクチートは顔に黒い襤褸布がまとわりついていた。その布はクチートの両目の部分を覆い、ずり落ちた鉢巻きのようになってしまっている。おそらく、襤褸が絡まって取れなくなったのだろう。

 

これでは周囲が見えずにイワークの縄張りに入ってしまうのも仕方ない。

必要以上に怯えているのもそれが原因だろう。

 

「待ってろ。今取ってやるからな」

 

タクミはそうしてその襤褸布に手をかけた。

 

襤褸布はクチートの顔にピッタリとくっつく程に締め付けられており、よくもこう器用に絡まるものだと感心する。タクミはその襤褸布を外してやろうと布の端に爪を立てる。

 

「…………」

 

だが、タクミの爪は襤褸布の端に少し引っかかる程度で上手く力が布に伝わらない。

端っこがペラペラとめくれるばかりで一切ズレない襤褸布。

 

「……ん?」

 

タクミは首をかしげ、本格的に力を入れようと腰を据えて両手でクチートの頭を抱えた。

 

「クチート……ちょっとごめんね」

 

クチートの襤褸布の端に指をかけ、めくり上げようとする。

 

 

だが取れない。

 

 

ずらし上げようと力を籠める。

 

 

 

だが取れない。

 

 

 

 

幾重にも巻かれた布を一枚ずつはがそうとする。

 

 

 

 

 

 

だが、やはり取れない

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

タクミの胸の中に嫌な予感が膨れ上がっていた。

 

タクミは襤褸布の全体像を視野に入れる。

 

結び目はどこだ?少しでも隙間があるところはどこだ?

 

タクミはその襤褸布に掌全体で触れ、そしてその感触に覚えがあることに気が付いた。

 

「なんだよこれ…………なんだよ……」

 

タクミの吐息が荒れる。心臓が高鳴り、頭の奥で血流がドクドクと音をあげていた。

 

「なんだよこれ!!」

 

洞窟の外で鳴り響いた雷鳴がこの場所まで聞こえてきた。

 

「こんなの、こんなの……」

 

あまりのことに言葉が出ないタクミ。

タクミはクチートの襤褸布のわずかな隙間に指をいれ、強引にはがそうとする。

 

「クチッ!!!」

 

痛みがあったのか、クチートは強引にタクミを顎で突き飛ばそうとする。

だが、タクミは強引にクチートを胸元に抱き寄せた。殴られようが、歯を立てられようが、まるで気にしなかった。そもそも、最早このクチートにタクミを押しのけるだけの体力は残っていなかった。

 

「……っ!!クチート……」

 

タクミは歯を食いしばり、その布切れを外そうと躍起になる。

 

それでも剥がれない黒い襤褸布。よくよく見ればそれは土で薄汚れたハンカチか何かだった。

それが、クチートの目をべっとりと覆って外れない。

 

外れるわけがなかった。

 

その襤褸布に染みついた乾燥したプラスチックのような感触。

それには覚えがあった。

『地球界』で少し複雑なプラモデルに挑戦した時に触れたものだ。

 

それは……

 

 

 

 

それは、『瞬間接着剤』の感触だった。

 

 

 

 

どこの誰かはわからない。

 

だが、間違いなく言えることがただ一つ。

 

これは、どこぞの『人間』が『悪意』をもってこのクチートの目を潰したのだ。

 

「くそがぁっ!!」

 

タクミの悪態が洞窟の中に響き渡った。

 



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やれることをやるしかない

クチートの襤褸布を外そうとするタクミであったが、すぐにその手を止めた。

その布はべっとりとクチートに接着しており、これ以上強引にはがせばクチートの皮膚や眼球を傷つけてしまいそうだった。

 

タクミは弱々しく暴れるクチートを担ぎ上げる。

 

「ちくしょう……ちくしょうが!!」

 

いつかららだ?いつからこのクチートは暗闇の中でこの洞窟を彷徨っていたんだ?

目を覆う襤褸布の風化具合からしても、昨日今日の話じゃない。こんな状態じゃ、食べ物や飲み水の確保だって簡単じゃなかったはずだ。

 

とにかく、一刻も早くポケモンセンターに連れていかなければならないことは確かだった。

 

「ゴマゾウ!入り口まで走れ!その途中にいる洞窟内の野生ポケモン達は全部追っ払え!!」

「パ、パオン!」

「ヒトモシ、出口まで走る!光源は任せた!」

「モシッ!」

「キバゴ!野生ポケモンが出てきたら勝手に応戦しろ!僕らを守ってくれ!」

「キバッ!!」

 

タクミは両腕でクチートを抱え、フシギダネの“ムチ”を辿るように走り出した。

腕の中のクチートはタクミが走り始めると、突然糸が切れたかのようにぐったりとしだした。

意識を失い、力が抜けたのだろう。眠った赤ん坊のようにズシリと腕にかかる重みが増す。

 

タクミはクチートを抱えなおし、飛ぶようにして洞窟を駆け抜けた。

 

タクミが入り口付近に戻ってくると、ゴマゾウから事情を聴いていたフシギダネが既にタクミの鞄から応急手当に仕えそうな道具をポンポンと地面に並べ立てていた。

 

だが、タクミはそのフシギダネの気遣いを無視して洞窟の出口へと走った。

 

洞窟の外は酷い嵐だった。

 

木々が横殴りの風に激しく揺れ、足元は洪水でも起きたかのように水浸しだ。雷が激しく鳴り響き、この中で岩山を下るなんて自殺行為もいいところであった。

タクミは少しでも山を下れる可能性があるのなら、荷物を捨てて雨合羽だけで雨の中を突撃しようとしていた。

だが、目の前の大嵐はそんなタクミの足を止める程の勢いで世界を荒らしまわっていた。

 

「くそっ……どうする……」

「クチ……クチ……」

 

熱っぽい呼吸をするクチート。それなのに、クチートの身体は徐々に冷たくなっていっている。

体温が下がると危険だということはヒトモシの一件で十分すぎる程にわかっている。

 

「……こうなったら一か八か……」

「ダネッ!!」

 

乾かしていた雨合羽を纏おうとしたタクミ。そのタクミの手をフシギダネの“ムチ”が止めた。

 

「フシギダネ!止めないでくれ!一刻も早く行動しないと!!」

「ダネダ!!!」

 

フシギダネはタクミを制するように吠え、腕を捩りあげた。

 

「いててて、フシギダネ!やめろ!!止めるなって……ぐあっ!!」

 

きっちりと関節を極められたタクミは痛みから逃げる為に地面に倒れ込むしかなかった。

 

「くそっ……フシギダネ!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネが再び“ムチ”でタクミの腕を持ち上げた。タクミの視界に強引に腕を持っていくフシギダネ。その行動に疑問を感じたタクミは自分の腕についている道具を見て、ハッとした。

 

「あっ、そうか!ホロキャスターのSOS!!」

「ダネダ」

 

『ようやく気付いたか』と言いたげなフシギダネに一言礼を言い、タクミはすぐさまSOSボタンを押した。

1度の呼び出し音ですぐさま通信が繋がった。

 

「はい、こちらポケモンレンジャーです。事件ですか?救命ですか?」

「救命です!!」

 

タクミは咄嗟にそう言った。

 

「わかりました。治療が必要なのは人間ですか?ポケモンですか?」

「ポケモンです!」

 

だが、タクミが状況を伝えようとする前に、電話の相手は早急にこちらの会話を断ち切ってきた。

 

「わかりました。今、あなたがいる場所を教えてください」

「え、えと……」

 

タクミはタウンマップを開き、自分の正確な位置を把握する。

 

「えと、9番道路から少し外れた山道です……えと、ここはエルンホルンの麓ですかね……」

「わかりました。9番道路ですね。では、最寄の担当官にお繋ぎします。少々お待ちください」

「は、はい」

 

そして、ホロキャスターからの通信が待合音に変わった。

そのわずかな間がタクミの心に落ち着きを取り戻させていた。

 

「はい。こちらポケモンレンジャーです。まずはお名前を教えてください」

「はい!タクミです。斎藤拓海、『地球界』出身です」

「はい、タクミさんですね。いかがしましたか?」

「あ、すいません。えと、そのクチートを見つけたんです。それも顔に接着剤みたいなもので布が張り付けられていて、かなり衰弱しているんです。ポケモンセンターに連れていきたいんですが、この嵐で立ち往生しちゃって」

「わかりました。そのクチートは野生のポケモンですか?」

「野生です」

「はい、それで、あなたは今どこにいますか?」

「今はエルンホルンの麓にある洞窟です。そこでキャンプをしようとしていて、クチートを見つけたんです」

「わかりました。では、これからあなたにクチートの体調のデータを送っていただきます。ポケモン図鑑はお持ちですか?」

「はい!」

「では、これからこちらの手順に従ってください」

 

タクミは通信先から聞こえてくるポケモンレンジャーの指示に従い、クチートの健康状態をポケモン図鑑で調べていく。ポケモン図鑑にはクチートの体温や脈拍、呼吸状態や栄養状態なんかの数値が表示されていく。ポケモン図鑑には様々な機能が内包されていることは知っていたが、こんなこともできることは知らなかった。

 

タクミはその数値を相手に伝え、指示を待つ。

 

「わかりました。タクミさん。落ち着いて聞いてください。現状の嵐の中ではタクミさんのいる場所まで我々が到達するのは非常に困難です」

「……はい」

 

それは半ばわかっていたことだったが、今のタクミにはその言葉は死刑宣告と同等の重さがあった。

だが、無理なものは無理なのだ。

 

「そしてクチートですが。データを見る限りでは栄養失調をきたしています。できるだけ素早い栄養補給が必要です。タクミさん。ポケモンフーズはお持ちですか?」

「はい、あります」

「水やその他の食料はありますか?」

「えと……水は十分あります。それと“きずぐすり”と“どくけし”と“まひなおし”と……」

 

タクミは自分の手持ちの食料や道具、それと一緒に連れているポケモンのことも伝えた。

それらを聞き、通信先のポケモンレンジャーが『よし』と頷く気配があった。

 

「わかりました。それでは、こちらの指示を聞いてください。繰り返しになりますが、クチートに目立った外傷はないのですね?」

「はい!」

「わかりました。それでは、まずはクチートの保温をお願いします。クチートを毛布でくるみ、テントの中で……」

 

その後、タクミはそのポケモンレンジャーにクチートの応急処置的対応を教わった。

意識を失った相手への水分補給の方法や、消化のしやすいポケモンフーズの加工法、危険時のバイタルサインなどなど。

タクミはそれをホロキャスターのボイスメモに記録し、それと同時に『地球界』の学校でもらった“旅のしおり”の緊急時の欄外に簡単なメモとして残しておいた。

 

「それでは、タクミさん。クチートの状態が更に悪化した場合は、いつでもご連絡ください」

「はい」

「嵐は今日の明け方にはやみます。明日、またポケモンセンターへとクチートを連れていってください」

「はい!ありがとうございました」

「わからないことがありましたら、またご連絡ください」

 

その言葉を最後に切れる通信。

 

そして、タクミは意を決したように立ち上がった。

 

毛布でぐるぐる巻きにしたクチートを自分のテントの寝袋の中に寝かせて、保温を行う。

そして、クチートの口元に湿らせたタオルを当てた。口の中は体内の環境に非常に近く、湿らせてあげるだけでも十分な水分補給になる。

 

タクミはついてきたフシギダネにそのタオルと、飲み水を張った鍋を渡した。

 

「フシギダネ、クチートのことを頼む。何かあったらすぐに知らせてくれ」

「ダネ!」

 

フシギダネは“ツルのムチ”をくねくねと躍動させながら、力強く頷いた。

 

「キバゴ、水が大量にいるかもしれない。これを持って雨水をためてきてくれる?風で飛んでくる枝とかに気を付けて」

「キバ!!」

「ヒトモシ、フシギダネと一緒にテントの中に。少しでもクチートを温めてやってくれ」

「モシ!」

「ゴマゾウ!お前は僕を手伝って。クチートの為にきのみのスープを作る」

「パオン!」

 

とりあえず、クチートはすぐすぐ命の危険が訪れる状況ではないらしい。

バイタルサインの細かい数値の意味などわからないタクミには、ポケモンレンジャーの判断を鵜吞みにするしか方法はない。

 

今のタクミにできるのは、その判断を信じてクチートの為に少しでもやれることをやってあげることだった。

 

しかし、クチートの目に布を張り付けるなんて、一体全体誰がやったのだろうか?

何の理由があってこんなことをしたのかなんかわからない。

正直、知りたくもない。どうせ、まともな理由なはずがないのだ。

 

だけど、人間の悪意でポケモンが傷ついたことには変わりがない。

タクミは同じ人間としてこのクチートを救う義務があると感じていた。

 

タクミはゴマゾウにきのみを潰してもらい、その隣で固形ミルクや保存食のチーズを使ってスープを作っていく。

地球界で多少なりとも料理を覚えていて良かったと思う。

人生できることが多いにこしたことはないようだった。

 

「キバキバ!」

「キバゴ、水の確保ありがとう。その器はヒトモシに頼んでお湯にしてもらって。それと、次はそっちの器に雨水をためてきて」

「キバッ!」

「ゴマゾウ!次はこっちのポケモンフーズを細かく砕いて」

「パオパオ!」

「フシギダネ!できれば“ムチ”を一本ちょうだい!これ持ってて!!」

 

タクミはテントの中から伸びてきた“ムチ”に食材を乗せた皿を持ってもらいながら、鍋の中をかき混ぜていく。そのタクミの顔はどこまでも真剣だった。

 

しばらく、コンロのガスの音とスープが煮える音だけが洞窟内を包む。

そして、スープに十分にトロミが出てきたのを確認し、タクミはそのスープを器によそう。

 

「ふぅ……これでよし。ゴマゾウ、フシギダネ、ありがとう。キバゴ!水はもう十分だからもう戻ってきて」

 

手持ちの器の全てに並々と雨水をためてくれたキバゴを労い、タクミはキバゴにタオルを投げ渡した。

キバゴはシャワーを浴びた後のようにずぶ濡れの身体をタオルで拭く。自分で届かない場所はゴマゾウに拭いてもらいながら、キバゴはペタンと尻もちをついていた。

 

タクミがテントの中に入るとフシギダネがチラリとこちらに視線を投げてくる。

 

「フシギダネ、クチートの様子は?」

「ダネダ……」

「モシ……」

 

フシギダネが険しい顔をして、ヒトモシが顔を落とした。

タクミはもう一度ポケモン図鑑を開き、クチートの体調を確認する。

 

「……っ!!」

 

タクミの身体が硬直した。

さっきより状態が悪くなっている。

 

ポケモンレンジャーの人に教えてもらった危険域にはまだ遠いが、それでも悪い方向に進行していることは間違いなかった。

 

タクミは寝袋の傍に膝をつき、クチートの身体に手を置いた。

 

ヒトモシがしっかり温めてくれているので、保温はできているようだがその身体全体にじっとりとした冷や汗が滲んでいる。温めているはずなのに、クチートの身体全体は小刻みに震え続けており、タクミは「くそっ」と小さく吐き捨てた。

 

「クチート……起きれるか?スープを作ったんだ。飲めるか?」

「……クチ…………」

 

クチートの身体がわずかに身じろぎする。それが意識を取り戻したのか、寝返りをうっただけなのかもわからない。タクミはスプーンでスープをすくい、それをクチートの口元へと持っていく。

 

「クチート、食べるんだ。栄養のつくきのみを入れてるんだ。食べてくれ……」

「……………」

 

クチートの口の中にスープを注ぎ込む。だが、スープは入れる傍から口の端からこぼれていき、クチートをくるむタオルに吸いこまれていく。

 

「………クチート……頼む……頼む」

「……クチ……」

 

その時、クチートの喉元が少し動いたような気がした。

 

「クチート!?」

「……クチ……」

「そうだ、食べるんだ。食べれば元気になる」

「……………」

 

タクミがクチートの口元にスープを再び持っていく。

クチートはその香りに釣られるように首を少し動かし、口の先でスープに触れた。

目が見えないから触覚で食べ物を探しているのだ。

 

「………クチ―ト……」

 

タクミは根気強くクチートがスープを飲むのを待った。

そして、クチートが一口スープを飲む。

 

「……いいぞ……クチート……」

 

タクミはもう一度スープをクチートの口元へと持って行った。

だが、クチートは動かなかった。

 

「……………」

「クチート?」

 

タクミはスプーンを更に戻し、クチートの身体に触れる。

クチートの身体の震えが止まっていた。息が先程よりも一段と荒くなっていた。クチートの身体から噴き出す汗が先程とは桁違いに増えていた。

 

「………これは……」

 

タクミはスープの入った皿を乱暴に床に置き、再びポケモン図鑑を取り出してバイタルをチェックした。

そこに表示される数字を見て、タクミの顔が一気に青ざめた。

 

「………ヤバイ!!」

 

タクミは素早くSOSコールを押した。

今度は仲介役を経ることなく、直接先程のポケモンレンジャーへと繋がった。

 

「はい、ポケモンレンジャーです。タクミさんですね?何かありましたか?」

「クチートが!クチートの状態が……!!」

 

そして、クチートの数字を伝えようとしたその瞬間だった。

 

一際大きな雷が落ちた。

 

稲光から音が鳴るまでには非常に時間がかかったが、それでもタクミの臓物に衝撃を与える程の大音量だった。

どこかで雷が落ちたのだ。その落ちた場所はタクミにはわからないし、ここから遠いなら正直どうでもいい。

 

だが、問題はそこじゃなかった。

 

その強烈な雷が周囲の電子機器を一時的に麻痺させたのだ。

 

タクミは通信の切れた画面を絶望的な顔で見下ろした。

その後も何度も通信を試みるが、ホロキャスターは雷の電磁波か何かでバグを起こしたらしく、正常に機能しない。

 

ポケモン図鑑は無事であったが、それでわかることといえば悪化を続けるクチートの体調だけだった。

 

「ちくしょう!!」

 

タクミはホロキャスターを撒いた手を地面に振り下ろした。

ゴッと鈍い音がして、タクミの拳に痛烈な痛みが走る。

だが、タクミにはそんな痛みすら些細なことにすぎなかった。

 

ポケモン図鑑に表示されたバイタルサインが危険域に入り、警告音が虚しく響く。

 

タクミは意を決して、テントを出ていく。

 

「ダネ……」

「モシ……」

 

フシギダネとヒトモシがテントの出入り口からタクミの背中を心配そうに見送った。

 

「キバ?」

「パオ?」

 

キバゴとゴマゾウがタクミのただならぬ気配を察し、その後ろをついていく。

 

タクミは洞窟の外の嵐を見に来ていた。

 

この嵐は明け方には過ぎていくらしい。

タクミは頭の中で小学校の理科の授業で習った天気の話を思い出していた。

 

『台風というのは常に同じ向きで回っています。だから、最初に台風が来たときの風向きと、台風が終わりかけの時の風向きが逆になるんですよ』

 

洞窟の外の風向きは、最初と完全に逆になっていた。

雨脚の強さは変わらないが、雷の頻度自体は減っており、横殴りの風も突風とは呼べない程度に落ち着いてきていた。

 

クチートを見つけて飛び出そうとした時はよりはまだ希望のありそうな空模様。

 

タクミはその嵐を睨みつけ、踵を返した。

タクミはキャンプの前に戻り、クチートの為に作ったスープを5等分する。

きのみやポケモンフーズを使った栄養満点のスープだ。消化もいいし、人間が食べても同じぐらい身体に良い。

タクミはそれを器に注ぎ、自分の前に並べた。

 

「みんな……ちょっと来てくれ」

 

タクミが声をかけると、ポケモン達はゆっくりとした足取りで自分達の器の前に整列した。

彼等にはタクミがこれから何を言い出すかわかっているようだった。

 

「みんな……僕はこれから、この山を下る……」

 

テントの中からポケモン図鑑がバイタルの危機に延々と警告音を鳴らしていた。

 

タクミは自分の大切な仲間達の顔を順に見渡していく。

 

「キバゴ、フシギダネ、ゴマゾウ、ヒトモシ……みんな、力を貸してくれ」

「キバ!」「ダネ!」「パオ!」「モシ!」

 

一斉に頷き返す仲間達。

 

タクミは誓いの盃を飲み干すかのように、自分の目の前のスープを一気に煽る。

それに倣い、ポケモン達もスープを一気に飲み干した。

 

「行くぞ!みんな!」

「キバァ!」

「ダネェ!」

「パオン!」

「モッシ!」

 

タクミ達は僅かに弱まった嵐を前に、覚悟を決めた。

 

タクミは荷物のほとんどをこの場所に置いて行くことにした。

この嵐の中ではクチートを抱えるだけで手一杯だ。余分な荷物を持つ余裕はなかった。

運の良いことにタウンマップは生きており、タクミはそれをビニールで包み、ロープでくくって首から下げる。

夜の森を嵐の中で進んでいくのだ、地図を失えば命取りになる。

 

タウンマップが首から落ちないことを確認したタクミは以前やったようにフシギダネに背中に張り付いてもらった。フシギダネは“ツルのムチ”をタクミの腰や肩に巻きつけてハーネスのようにして身体を固定する。

そして、今回はタクミの胸元に毛布でくるんだクチートを縛り付けてもらった。

クチートを絶対に落ちないように抱え、できるだけ負担の少ない姿勢で固定する。

これならばタクミが少し前傾姿勢を取ればクチートを雨風から守ることもできる。

タクミは胸元にクチートを抱き、背中にフシギダネを背負ったままその上から雨合羽を被った。

 

ヒトモシはキバゴに抱えてもらい、ゴマゾウはいつでも走り出せるように鼻息を荒げている。タクミは緩みかけていた靴紐を結びなおし、目の前の嵐を睨みつける。

 

タウンマップ通りならば、真っすぐに森を抜ければコウジンタウンまでは然程の距離はない。

だが、夜の森の中で道なき道を行くのは流石に危険すぎる。少し迂回路になるが、すぐ近くに森の中に作られた間道がある。そこを通れば希望はある。

 

タクミは胸元の熱を帯びたクチートの吐息を聞き、毛布の上からクチートを撫でる。

 

「クチート……ちょっと我慢してくれよ……すぐにポケモンセンターに連れていってやるからな」

 

そして、タクミは小さく「行くぞ!」と呟き、嵐の中に飛び出した。

 

「パオォオオン!!」

 

ゴマゾウが身体を丸めて転がり、道の上の水たまりを勢いよく弾き飛ばしていく。

ゴマゾウの嗅覚はポケモンの中でもトップクラスだ。雨が降っていても、人間の通り道の匂いを見失うことはない。

タクミはゴマゾウに道を先行してもらい、道案内を頼んでいた。

 

結果は予想以上だった。この嵐の中でもゴマゾウの身体は目立つ。泥を弾きながら転がっていくゴマゾウは良い目印だった。

 

タクミはタウンマップを時折確認しながら、衝撃が胸元にいかないように走る。

風向きは生憎の向かい風。目に飛び込んでくる雨粒を何度も拭いながらひたすらに走る。

途中、ゴマゾウが泥だらけの案内板を見つけてくれたおかげでタクミは迷うことなく森の中の間道へと進むことができた。

 

入り込んだ間道は今までの道と比べても一際酷いものであった。

 

おそらく、この道はタクミがキャンプを張ったあの発掘場所へ向かう道であったのであろう。だが、この道はあそこが閉鎖して完全に役割を失った。昔は踏み固められていた地面は下草が生え放題になっており、タウンマップを見ていなければすぐに道に迷いそうになる。

 

正直、ゴマゾウが先行して下草を踏みつぶして道を作りなおしてくれなかったら、間違いなく迷っていた。

 

「モッシ!!」

 

ほとんど真っ暗な夜道、特に森の中に入ってからは世界の大部分が闇の中であった。その中をヒトモシが次々と“おにび”を飛ばして明るく照らしていく。タクミも予備の懐中電灯は持っていたが、片手はタウンマップで塞がり、もう片方の手はクチートに揺れがいかないように支えている。こんな状況では懐中電灯は使えない。タクミは光源を全てヒトモシに任せることにしていた。

 

【ほのおタイプ】のヒトモシは雨の中は辛い。

それでも、ヒトモシは顔色一つ変えずに数メートル毎に炎を飛ばして道を照らしてくれる。

“おにび”に照らされた森の中の間道はまさに地獄への道案内のような演出であったが、今のタクミとってはそんな恐怖を煽りそうな景色も目に入っていない。

 

今のタクミの頭にあるのは一刻も早くポケモンセンターに駆け込むことだけであった。

 

その時、一際強く風が吹いた。

 

木々が揺れ、タクミの足が止まる。

 

「キバァ!!」

 

その瞬間、何かを察したキバゴが吠えた。

 

先行していたゴマゾウが止まり、ヒトモシが“おにび”を放とうとしていた手を止めた。

 

「キバァ!!(何かに掴まれ!!)」

 

すぐさま、皆が行動に移った。

 

一拍置いた後、強烈な風が吹きすさぶ。

 

森の中だというのに吹き抜ける風がまるで弱まってくれていない。それだけこの嵐が強いのだ。ゴマゾウが近くの木に鼻でしがみつき、キバゴはヒトモシを抱えて少しでも風の影響を落とそうと地面に伏せていた。タクミも腰を落とし、風に耐えようとする。

 

だが、この中で一番表面積が大きいのが人間であるタクミだ。

タクミの身体が風に煽られて浮き上がった。

 

「うっ、うぉっ!!」

「ダネッ!!」

 

その時、フシギダネが“ムチ”を伸ばし、手近な木にしがみついた。

 

「フシギダネ!」

「ダ、ダネ!!」

 

片側の“ツルのムチ”で木にしがみつき、もう片方の“ツルのムチ”でなんとかタクミを支えるフシギダネ。

だが、いくら“ムチ”のパワーが高いからとはいえ、限界はあるのだ。

 

「ダ、ダネ……」

 

フシギダネの身体がタクミの背中からずり落ちていく。それと同時にクチートの身体の固定も緩みそうになる。

タクミはクチートだけは落とすまいと胸元を強く抱きしめた。

 

「モッシ!!!」

 

不意に、タクミの背中にかかる重さが消えた。

一瞬、フシギダネが落ちたのかとも思ったが、すぐにフシギダネの身体が浮遊していることに気づいた。

 

それは、ヒトモシの“サイコキネシス”だった。

 

そして、ヒトモシが【エスパータイプ】のワザに集中できているのは、キバゴがヒトモシの身体をこの暴風の中でもしっかりと支えているおかげだ。

 

「キバゴ!ヒトモシ!ありがと!!」

 

その強風はすぐに止まり、タクミはフシギダネに“ツルのムチ”を巻きなおさせた。

 

その時だった。

 

タクミの頭上でバキバキと木が割れるような大きな音がした。

 

音に釣られてふと上を見上げる。

 

目の前に大きな闇があった。

 

それは、太い木の枝だった。枝葉を大量につけ、視界を覆うぐらいに茂った太い枝がタクミ目掛けて落ちてきていた。

 

「くそっ!!」

 

胸元を庇って丸くなったタクミ。

その枝は他の木々に引っかかりながらも真っすぐに落ちてくる。

直撃する、と思われたその直前。

 

小さな影が飛び上がった。

 

「キバァァァ!!」

 

闇の中を2閃の紫の炎が走り抜けた。十字を切るように放たれた炎がその枝を切り裂く。

キバゴの“ダブルチョップ”がその枝を4つに焼き切り、吹き飛ばした。

 

「キバゴ……助かったよ」

「キバキバ!」

 

キバゴは頷き、再びヒトモシを抱えて走り出す。

ゴマゾウもタクミ達の無事を確認して先導を再開した。

 

コウジンタウンへの道のりももう半分。

タウンマップ通りなら、もうすぐ舗装された道路に出る。

 

タクミは痛む脇腹を殴りつけ、乳酸の溜まりだした足に悪態を吐きながら山道を走り続けた。



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嵐の夜に水滴が落ちる音がする

「ハァ、ハァ、ハァ……ハァ……ハァ……」

「ダネダ!?」

「だ、大丈夫……まだ、走れる」

 

ゴマゾウの先導に従い、ヒトモシの炎に視界を確保してもらいながら森の中を足を止めることなく走り続ける。

先程のような強風は消えたものの相変わらず風は吹き遊び、雨足は衰えることなく容赦なくタクミ達に降り注ぐ。

冷たい水滴が容赦なく体力を奪い、濡れた服が身体を徐々に重くしていく。

足は冷え切り、指先の感覚は途中から無くなっていた。息をするたびに肺と喉が張り裂けそうになる程に痛みを放ったが、それでもタクミは走り続けた。

 

途中から地図を確認する余裕もなくなり、ポケモン達の励ますような声だけがタクミの意識を繋ぎ止めていた。

 

だから、森の向こうに人工の灯りを見つけた時には本当に生き返ったかのような心地だった。

 

「見えた!皆んな!もう少しだ!」

 

ポケモン達の絞り出すような返事を聞きながら、タクミは足を滑らせないようにより注意深く走り続けた。

 

ようやく、森を抜け、アスファルトの舗装された地面を靴裏が踏みしめる。コンクリートの道という存在の有難みを全身で感じながら、タクミは足を緩めることなく町の中を駆け抜ける。夜も既に遅く、町には街灯の明かりのみで人家の光はその大部分が消えていた。こんな時間でも仄かに光を放つ看板は病院かコンビニかポケモンセンターのどれかだ。

 

タクミはずぶ濡れの体を引きずりながら、ポケモンセンターの緊急用の出入り口に飛び込んだ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、す、すみません!!誰か!誰かいませんか!!」

 

静かな廊下で声を張り上げるも、奥からは返事がない。

すると、すぐさまタクミの隣で呼び鈴がなった。

 

「えっ!?」

「ダネ」

 

フシギダネが“ツルのムチ”で呼び鈴を押してくれたのだ。

 

「ありがと、フシギダネ。見えてなかったよ」

「ダネ」

 

フシギダネは“ツルのムチ”をほどき、スルスルとタクミの背中から滑り降りていく。

 

焦りすぎて視野が狭くなっていた。夜も遅く、寝ている人も多い。騒ぐべきではなかったのだ。

 

タクミは大きく深呼吸をした。

胸に抱いたクチートは今も気を失ったままだが、きちんと呼吸はしている。体温の低下も最小限で済んでいる。楽観視できる状況ではないが、少なくとも『間に合った』のだ。

 

その時、ポケモンセンターの奥からプクリンを連れたジョーイさんが現れた。

 

「お待たせしました。どうかしましたか?」

「あ、あの、すいません。野生のクチートなんですけど。助けてください」

「クチート?もしかして、あなたタクミ君?」

「えっ?あ、はい!そうです!!」

「ポケモンレンジャーから連絡があってたのよ。もしかしたらここにクチートを運び込むかもしれないって……ということは、あなた。本当にこの嵐の中、山を下りてきたの!?」

「はい。ポケモン達に手伝ってもらいながらですけど」

 

タクミ達の後ろではキバゴ達が濡れた身体を乾かすためにヒトモシの炎に当たっていた。

タクミに大きな怪我はなかったし、ポケモン達も特に傷を負うこともなかった。

 

だが、それはあくまでも結果論に過ぎない。確かに、ポケモンの力を借りて救助活動を行うことは多い。しかし、タクミはまだ地方旅に出たばかりの少年なのだ。そんな彼がこの嵐の中で夜の山道を駆け下りてくるなんて一歩間違えば大事になっていた。

 

ジョーイさんは眉間に激しく皺を寄せた。

 

「なんて危ないことを……」

「すみません。でも、クチートの状態が悪くなって。診ていただけますか」

 

タクミが胸元のクチートを持ち上げる。何よりもポケモンを優先させようとするタクミの行動にジョーイさんは溜息を吐いた。

 

「わかりました。お説教は後にしましょう。レンジャーの隊員から話は聞いています。急いで治療を開始します」

「はいっ!!お願いします」

 

タクミはプクリンが持ってきていたポケモンの保護ケースの中にクチートを横たえた。

プクリンは気合を入れるかのように身体を膨らまし、駆け足でポケモンセンターの奥へと駆け出していった。

 

「クチ―ト……」

 

奥の治療室の明かりが灯れば、もうタクミにできることはない。

 

後はただ、待つだけだった。

 

「モシ……」

「ん?どうしたヒトモシ?あっ……僕の服か……はっくしょん!!」

 

濡れた服は急速にタクミの体温を奪い、身体を冷やす。

だが、残念なことに着替えは全て山の洞窟に置いてきてしまった。

 

「モッシィィィイイ……」

 

ヒトモシは頭の炎を強めて、タクミを温めようとしてくれている。その気持ちは大変うれしいが、ヒトモシのパワーではさすがに火力が足りない。

 

「ヒトモシ、ありがと。でも大丈夫……ロビーに行こう、シャワーを借りて、そこにタオルぐらい置いてあるだろ」

「モシ……」

 

ヒトモシは役に立てなかったことに肩を落とした。

タクミはそんなヒトモシの頭をポンポンと撫でる。

 

「そういや、お前をプラターヌ博士のところに担ぎ込んだ時もこんなことしたな」

 

ヒトモシと出会った時も、瀕死の野生ポケモンの為に奔走した。

だが、あの時と今では危機感も悲壮感も、そして自分の感情もまるで違った。

タクミはクチートのことを思い、拳を握りしめた。

 

そんなクチートを気にしているのはタクミだけではない。

 

タクミのポケモン達もクチートのことが心配なのか、身体を乾かすのもそこそこにタクミと同じようにポケモンセンターの奥に意識を向けていた。

 

だが、それもタクミが二度目のくしゃみをするまでだった。

 

「ダネダ!ダネダネ!!」

「うん、ごめん、フシギダネ。シャワーを借りてくるよ」

 

ここで風邪をひいてダウンすれば、『地方旅』でかなりの遅れになってしまう。自分の体調管理も立派なトレーナーの仕事である。タクミはポケモンセンターの案内板からシャワー室の場所を見つけて、入っていった。

ロッカーが並ぶ脱衣所で服を脱ぎ、タクミは自分の胸元にフシギダネの“ムチ”で縛られた跡を見つけた。

 

フシギダネが絶対にほどけないようにギチギチに締め付けてくれていたのだろう。

 

タクミはわずかに痒みのある“ムチ”の跡を爪でひっかきながら、シャワールームに入っていった。

 

頭から温水を浴び、タクミは両手を壁につけた。

雨風に晒されて冷えた身体にはシャワーのお湯が心地よかった。

 

タクミは1人で立っていることが億劫になり、両手を壁につけて体重を預ける。

身体がまだ興奮しているせいか呼吸を止めてみても息苦しさがまるで訪れず、不思議な高揚感が身体を満たしていた。

 

身体が次第に温まっていくにつれ思考が鈍っていく。

タクミの頭の中は空になり、落ちていくシャワーの水滴を意味もなく眺め続けていた。

 

排水溝へと続く水の流れを目で追いかけ、意味もなくそこに唾液を落としてみる。

 

身体を動かす体力はもうない。思考を回せる気力もない。

喜怒哀楽の感情を表現することも忘れ、タクミはぼんやりとクチートのことを思い出した。

 

ゴッ、という鈍い音がした。

 

タクミの拳が冷たいタイルを殴りつけていた。

 

それはシャワーの音に阻まれて誰にも届かない。

 

タクミはシャワーを止め、外に出て『ご自由にお使いください』と書かれた籠に入ったタオルを手に取った。

そのタオルで身体を拭き、湿った下着にドライヤーをかけてできるだけ乾かしてもう一度それを着こむ。まだ少し濡れていて冷たかったが、先程と比べれば身体が温まっているぶんまだマシであった。

 

タクミは服の裾をまげて楽な格好にしながら、ポケモンセンターのロビーへと戻ってきた。

 

タクミは自分のポケモン達が寝そべるソファの端に腰かける。

どうやらそこは空調が当たりやすいところのようで、柔らかく温かな風がどこからか吹き込んでいた。

 

タクミは少し前傾の姿勢になりながら、両手を強く握りしめた。

そんなタクミの膝をキバゴがポンポンと叩いた。

 

「キバキバ」

「うん、大丈夫。ちょっと疲れただけだ」

 

キバゴは半目になってタクミを見上げた。

その目からは『疲れてるなら休めよ』という言葉が口よりも雄弁に物語っていた。

だが、それと同時にキバゴの顔には『こいつは言っても聞かないしな』と書かれていた。

 

自分のことをよくわかってくれているキバゴをタクミは膝の上に抱き寄せた。

 

「キバゴ……」

「キバ?」

「また、こんなんだよ。こんなんばっかだよ」

「……キバ……」

 

神はいつだって不公平だ。運命はいつも不幸しか運んでこない。

 

そのことをタクミはアキと長い闘病生活で嫌と言う程味わってきた。

 

世の中は理不尽で、不条理で、不公平で、誰にもどうすることができないことばかりだ。

どれだけ祈ったところで、神様も仏様もサンタクロースも助けてはくれなかった。

どれだけ空に向けて祈っても、どれだけ地面に頭をつけて頼み込んでも、誰もアキの不幸を消してくれることはなかった。

 

タクミはいつからか祈ることをやめてしまった。

 

タクミに出来ることはない。

 

それでも、タクミは願いを口にせずにはいられなかった。

 

「負けるなよクチート。こんなところで、負けちゃだめだ。クチート……頑張れ……頑張ってくれ」

 

カチコチと時計が動く音はほんの微かなもの。外の嵐は次第に弱まり、雨音も風の音も消えていく。

ロビーの中にはフシギダネ達の雑談のような声だけがやけに大きく聞こえていた。

 

時計の短い針が1つ数字を越え、2つ数字を越え、そして3つ目に差し掛かりそうな時だった。

ふと、ポケモンセンターの奥から疲れた顔をしたジョーイさんが現れた。

 

タクミはその姿を見つけて素早く立ち上がった。膝の上にいたキバゴもすぐさまタクミの肩へと駆け上がる。

 

ジョーイさんはタクミ達を見つけて『まだ起きてたの!?』という顔を浮かべたが、すぐさま『もう大丈夫』というように仄かに笑いながら小さく頷いた。

 

「っ!!」

 

タクミはいても立っていられずにすぐさまジョーイさんに駆け寄った。

 

「ジョーイさん。クチートは!?」

「大丈夫よ。一命はとりとめたわ」

「良かった……」

 

肺の中の空気を全て吐き出す勢いで安堵するタクミ。

タクミのポケモン達も一斉に大きく息をついた。

 

だが、タクミはすぐさま何かに気づいて顔をあげた。

 

「それで、目の方は?」

 

その瞬間、ジョーイさんの顔が曇った。

 

なんだか嫌な予感がした。

 

「……タクミ君、君はどうしてクチートがあんな状態になったかわかる?」

 

その問いにタクミは息を呑む。

 

答えはわかっている。

 

わかっているのだが、それを口にするのには覚悟が必要であった。

 

「……あれは、当然何かの拍子に張り付いたとか、偶然あんなことになったとか、そんなことじゃない……」

 

歯の隙間から声を絞り出すようにタクミはそう言った。

 

「あれは……誰かが、人間が……」

 

それ以上の言葉はタクミは続けることができなかった。身体の奥から噴き出る憤怒で声がどこまでも荒れていきそうだったのだ。こんな時間に強い声を上げるわけにはいかず、タクミは歯を食いしばって耐えていた。

 

そんなタクミにジョーイさんは同意するようにため息を吐き出した。

 

「そうね。あれは……人間の仕業……接着剤でポケモンの目を塞ぐなんて……立派な犯罪よ」

「やっぱりあれは接着材だったんですか!?」

「ええ。なんとか顔から布を剥がすことはできたんだけど……接着剤の成分が……目に入っていたらしくてね……」

「え……それって……」

 

タクミが目を見開く。それはタクミが考えていた最悪のシナリオだった。

 

「タクミ君、落ち着いて聞いてね……残念だけど……あのクチートの右目はもう視力が戻らないわ……」

 

タクミの背筋に鳥肌が走り抜けた。

 

「そ、そんな……」

「だけど、左目は無事で済んでいる。それが良かったというべきかどうかは……」

 

ジョーイさんがやるせない想いを吐き出すようにため息を吐いた。

 

「くそがっ!!」

 

タクミは歯を食いしばったまま、我慢できずに地団太を踏み鳴らす。

 

「なんで!?なんでそんなひどいことができるんだ!!」

「わからないわ……ただ……」

「ただ?」

「あのクチート……多分だけど……トレーナーに捨てられた可能性が高いの……それに、廃坑にいたことを考えると……」

 

廃坑にポケモンを捨てる。それは、まだわかる。クチートはもともと砂地や荒地に生息している。

ポケモンのことを思えばそこに捨てるのはまだ慈悲がある方だ。

だが、わざわざ目隠しをした上で道の入り組んだ廃坑に捨てるとなるとその意味は大きく変わる。

 

タクミはその意味に思い当たり、言葉を失いかけた。

 

「まさか……置き去りにする為に?追いかけてこれないように!?確実に捨てる為に目を潰したっての!?」

 

ジョーイさんはタクミから目を逸らしながら僅かに頷いた。

 

「おそらく」

「っ!!!」

 

言葉が出なかった。

 

最早、怒りなど通り越し、信じられないという感情しか沸いてこなかった。

追いすがっている自分のポケモンの目に接着剤をつけて目隠しをして、洞窟の中に置き去りにして捨てたトレーナーがこの世界に生きているという事実が信じられなかった。

布の襤褸具合から見ても、クチートが捨てられたのは昨日今日の話じゃない。その間に改心して、戻ってくることもしなかったということは、本当になんにも感じなかったのだろうか?

罪悪感の一欠片たりとも感じなかったのであろうか?

ポケモンにそんなことをして、のうのうと毎日飯を食って生きているのだろうか?

 

本当にそいつは『人間』なのか?

 

タクミは頭をガシガシとかきむしった。

 

「なんでだ!なんでだよ!?」

 

理解ができなかった。認められなかった。信じられなかった。

 

そして、そんな悪意に晒されたクチートが不憫でならなかった。

クチートはあの闇の中で自分のトレーナーを探して、ボロボロになりながら坑道を歩き続けていた。目を潰され、食事も満足に取れずに、他の野生ポケモンに痛めつけられながら、あの坑道で生きていたのだ。

 

「なんで……そんなことができるんだっ!!」

 

遠くで雷鳴が轟く。一際強い風が窓を打ちつけた。

 

タクミは自分の荒ぶった感情に耐えられなくなったかのようにその場に崩れ落ちた。

両膝をつき、手をついて身体を支える。

手足がガクガクと震えていた。今まで自分が一人で立っていられたことが不思議なくらいに手足に力が入らなかった。

 

俯くタクミ。その目から涙が零れ落ちた。

 

涙が止まらなかった。

 

クチートが受けた痛みも不安も恐怖もタクミにはわからない。

わからないが、クチートのことを想うと、涙が次々と溢れてくる。

 

「……こんなの……ひどすぎる……」

 

クチートは何も悪いことはしていないはずだ。それなのに、なんでそんな仕打ちを受けなければならないんだ。

 

窓の外から聞こえる雨の音が一際強くなったような気がした。

 



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温もりという居場所

ポケモンセンター

 

ポケモンリーグ公認のポケモン専用の医療施設であり、ポケモン関連の事務手続きを行う役所でもある。

そして、ポケモンセンターの大きな特徴としてポケモンをモンスターボールごと他の場所に転送するシステム網が構築されているという点があった。医療施設の宿命として、重症なポケモンが大量に搬送されてくる可能性は常にある。それを転送システムを用いて他のポケモンセンターに分散できるという点は人間の病院では真似できないシステムだ。

 

だが、こと野生ポケモンの保護という観点となると話が変わってくる。

 

ポケモンを『野生』のまま保護できるプロテクトボールが地球界で開発されたが、そのボールのシステムは通常のモンスターボールとは大きく異なる為、転送システムに乗せられない。その結果、傷ついた野生ポケモンの治療に関しては現場でしか対応ができない。

 

だが、その『対応』と言うのが口で言うほど簡単ではない。トレーナーに管理されているポケモンは多少の誤差はあれど、均一化された食事や生活環境の中にいるため、一般的な治療法で事足りることが多い。

 

だが、野生ポケモンは違う。

 

まず、ポケモンは地域ごとに食生活がまるで違う。とある地域では特定のきのみしか口にしないポケモンがいたり、ある地域ではポケモン達が普段食べている植物のせいで一部の薬の効果が薄いことがある。

その地域にいる野生ポケモンの生態を事細かに把握するのはポケモンセンタースタッフの必要条件であり、その地域特有の民間療法を学ぶことは必須条件なのだ

 

ポケモンセンターのスタッフに親族が多いのはそれが理由であった。

 

そんなこともあり、『野生』であるクチートは他のポケモンセンターに転送されることもなく、コウジンタウンのポケモンセンターで眠っていた。

 

24時間体調をモニターしている集中治療室ではプクリンやラッキーが入れ替わりで休憩をとりながら目を離すことなく治療にあたっている。

 

そんな集中治療室の隣の廊下。そこに置いてあるソファに寝転がり、毛布にくるまっているのはタクミであった。

泣き疲れたせいかその瞼は赤く晴れ、全身は今も力が入っているかのように固い。吐息の深さから見るに眠りは浅く、熟睡には程遠いようであった。

 

硬いソファの上で寝ていることもあるが、それ以上に感情の置き場を失ってしまったのが響いていた。

目を閉じても気分の悪い夢ばかりが頭を過ぎて度々目が覚めるし、小さな物音にも過敏に反応してしまう。

今のタクミはクチートのことが気になって落ち着いて眠ることもできなかった。

 

窓の外は昨夜の嵐が嘘のように晴れ上がり、雲一つない空に太陽が登ろうとしていた。

朝日が赤く輝く頃にはポツポツとトレーナーが起きだし、ポケモンセンターが賑わいを増していく。

 

タクミは明け方から寝たり起きたりを繰り返していたのだが、『地方旅』で身に付いた生活習慣はそう簡単に抜けなかったようで、いつも通りの時刻に身体を起こした。

 

ガラス窓の向こうにいるクチートに目を向けるが、クチートはうつ伏せになってベッドに眠ったまま。クチートが起きだす気配はない。集中治療室にも日の光が差し込むが、右目を覆うように巻かれた真新しい包帯が猶更痛々しさを増すだけであった。

 

タクミは力尽きたように再びソファに倒れ込む。

 

「人間の悪意ってのは、どこの世界でも変わらないんだな……」

 

地球界でもニュースには人間の所業とは思えないような事件が時々報道される。

ポケモン界で旅をして、そんな世界から解き放たれたような気がしていたが、そんなことはなかった。

 

どんな場所であろうと人間がいる以上はその誰しもが悪意に染まる可能性を持っている。

心底善性に満ちた『良い人』なんてこの世に存在せず、利己的な欲望を隠して人は生きている。

 

そんな人間の醜い一面に触れたせいか、タクミは思った以上に消耗していたようだった。

 

今日は坑道に置いてきた自分の荷物を回収に行かなければならないのだが、そんな気力はほとんど湧いてこない。それに、無理して今日明日に取りに行く必要性もない。

 

タクミはクチートがある程度元気になるまではこの町を動く気はなかった。ポケモンリーグの制限時間など知ったことではなかった。タクミはこんな状態になったクチートに背を向けて次の目標に向かっていける程に切り替えの上手い人間ではない。

 

タクミは久しぶりの二度寝でもしてみようかとソファの上で再び目を閉じた。

 

意識が沈んでいくタクミ。

 

それからどれぐらいの時間が流れたかはわからない。

 

少しの間眠ったような気もするし、瞬間的に叩き起こされたような気もする。

 

わかったことはタクミの眠りが警報のようなけたたましい警告音によって一気に覚醒させられたことだけだ。

 

「なに!?なになに!?」

 

顔を上げた瞬間、タクミの目の前の強化ガラスにプクリンの丸い身体が叩きつけらた。

『バァン!』という激しい音がして、窓ガラスは強く震える。それでもヒビ一つ入らないのは流石だったが、そこに身体を強く打ち付けたプクリンはただではすまない。強化ガラスの向こう側で目を回したプクリンがズルズルと力無く滑り降りていった。

 

その窓の向こうはクチートが寝かされていた集中治療室。

 

その中には数匹のプクリンが集まって、戦闘態勢を取っていた。

彼等の中心にあるのは一つのベッド。そのベッドの上にクチートが立っていた。

 

「クチ……クチ……クチィイイイイ!!」

 

クチートは全身についていたコードを引きちぎり、満身創痍であるはずの身体を引きずり、片目しか開いていない瞳を血走らせ、全身全霊をもってプクリン達を威嚇していた。

 

プクリンが近寄ろうとするたびにクチートは頭部から伸びる巨大な顎を振り回して攻撃を加えてくる。

その牙が宙を舞うたびに火の粉が舞い、熱を放つ。

 

「クチート!落ち着いて!ここにあなたを攻撃するものは何も無いわ!」

 

ジョーイさんも駆けつけてきたが、興奮したクチートは聞く耳を持たない。

 

「仕方ないわ、眠らせる。プクリン、“うたう”よ!」

「プク!プ~ププリプ~~ププ、プププ~♪」

 

歌でクチートを眠らせようとするプクリン。だが、タイミングが悪かった。

プクリンが唄い出した直後、クチートはベッドから飛び降りつつそのベッドを殴りつけたのだ。

衝撃で吹き飛ばされたベッドが唄い出したプクリンを直撃した。

 

「プクゥ!!」

 

騒然とする集中治療室。興奮したクチートは何かを探すように周囲に目を走らせていた。

 

出口を探しているのかとも思った、どうも様子がおかしい。

クチートは周囲を見渡し、何度も何度もジョーイさんのところで視点を止めているのだ。

 

クチートは『人』を探していた。

 

その様子を見たタクミの背に鳥肌が走り抜けた。

 

「……クチート……お前……まさか……」

 

タクミの手に力がこもった。握り込んだ爪が手に食い込む。

 

「……まさか……まだトレーナーを探しているのか……」

 

食いしばった歯の奥から声にならない音が漏れた。

 

こんな目にあわせられ、こんなに酷いことをされたのに、まだそのトレーナーに縋ろうというのか。

 

タクミはいてもたってもいられず、その場から駆け出した。

 

集中治療室ではクチートが最早手が付けられなくなっていた。

クチートは顎を振り回しながら、“アイアンヘッド” や “ほのおのキバ” でひたすらに暴れ続けていた。

 

だが、本来であればクチートにはそんなことができる体力など残されていないはずだった。

 

おそらく、目が見えているせいだった。

 

長らく視覚を閉ざされた状況にいたのに、突然目が見えるようになった。しかも、目覚めたのは見知らぬ場所。

 

クチートはあまりの衝撃でパニックになっているのだ。

 

最早自分の体力が落ちていることも理解できていない。無茶なことをすれば本当に命が危ないかもしれないということもわかっていない。あるのはただ、暗闇の中でもずっと探し続け、縋り続けた一本の心の糸だけだった。

 

クチートは何度も何度も何度も部屋の中を見渡し、人影を探し続けていた。

差し込む日の光に眼が焼かれようと、潰された右目が疼こうと、クチートは愚直なまでに自分を捨てた相手を探し続ける。

 

『ここはどこ?マスターは……マスターはどこにいるの?探さないと……置いていかれちゃう。追いかけないと……追いかけないと……』

 

目の見えない坑道での日々の中、クチートにとってはその思考だけが支えだった。

その気持ちがある限り動き続けて、生きることができた。

 

クチートは今もその行動原理に突き動かされていた。

 

自分のトレーナーの姿を追い求めるクチート。視線を不気味な程に素早く動かし、人影を探す。

だが、この場所に自分の望む姿はない。だったら、この場所にいる意味はなかった。

 

集中治療室の出口を見つけたクチートはそこに突進した。

 

「プクリン!!クチートを外に出しちゃダメ!!」

「プクゥ!!」

「プクリン!!」

 

プクリンが立ち塞がり、壁となる。

 

「クチィィイイイイイイ!!」

 

クチートが命の灯火を燃やすかのように叫ぶ。

クチートの頭部から伸びる顎が銀色に輝き、硬直した。

 

クチート渾身の “アイアンヘッド”。クチートは2体のプクリンの間に滑り込んだ。

右側のプクリンに“アイアンヘッド”を叩きつけたクチートは素早く足を踏みかえて、左側のプクリンにも一撃を見舞う。

 

吹き飛ばされて集中治療室の壁に叩きつけられたプクリンはそのまま動かなくなった。

 

扉に突進するクチート。

 

だが、クチートがドアの自動ドアの反応範囲に入る直前。

 

扉が外側から開いた。

 

「クチート!」

 

タクミが集中治療室へと飛び込んできた。

 

「危ないわ!!下がって!!」

 

すぐさまジョーイさんの叱責が飛んだが、タクミはその忠告を無視した。

タクミはすぐさまクチートに向けて突っ込んだ。

だが、今のクチートの目にはそのタクミはただの障害物にしか映らない。

 

「クチィィイ!!」

 

“アイアンヘッド” を振りかぶるクチート。

クチートの顎が振り抜かれ、バッドがフルスイングされたような風切り音がタクミの側頭部に迫る。

 

「キバァ!!」

 

その “アイアンヘッド” が “ダブルチョップ” に遮られた。

 

タクミの背中に巧妙に隠れていたキバゴが飛び出したのだ。

 

攻撃を止められ、動きも止まるクチート。

タクミはそのクチートに向けて手を伸ばした。

 

「クチート!!」

 

タクミはクチートの腕を取り、一気に胸元に抱き寄せた。

 

「クチッ!?」

「フシギダネ!!“ツルのムチ”!」

「ダネダ!!」

 

廊下にいたフシギダネの “ツルのムチ” がタクミとクチートを雁字搦めに絡めとる。

タクミの腕にも “ツル” が食い込む。暴れるクチートの蹴りも腹に突き刺さる。だが、そんな痛みなどものともせず、タクミはすぐさま次の指示を飛ばした。

 

「フシギダネ!“ねむりごな”!!」

「ダネ!!」

 

そして、タクミはすぐさま大きく息を吸い込み、止めた。

その直後に、フシギダネの眠気を誘う“ねむりごな”が頭上から降り注ぐ。

相手の脳に働きかけて動きを鎮静する “ねむりごな”。その粉を一定量吸いこめば、人もポケモンも溶けるように眠ってしまう。

 

タクミも寝てしまっては本末転倒であるが、息を止めたタクミと興奮状態で呼吸の荒いクチートではどちらが先に眠りにつくかは明白だった。それに、例えタクミが先に寝落ちたとしてもフシギダネの“ツルのムチ”が絶対にクチートを逃がさない。

 

タクミはクチートを抱きしめながら、痩せ細って軽くなってしまったクチートの輪郭を確かに感じていた。

 

こんな身体になるまで、どれだけの間まともな食事をしていないのだろう?

どれだけの野生ポケモン達と戦って、ボロボロになってきたのだろう?

 

タクミはそのクチートをより強く抱きしめた。逃がさないように締め上げているわけではない。タクミはただ、自分の気持ちが腕を通してクチートに伝わることだけを願っていた。

 

もう暴れなくていい。もう探さなくていい。もう戦わなくていい。

今は傷を癒して、穏やかに生きてくれればそれでいいんだと伝わって欲しかった。

 

「……クチ……」

 

“ねむりごな” を大量に吸いこみ、甘い眠気に誘われるクチート。

なんとかその眠気に抗おうとするが、ただでさえ体調が回復していないクチートには至難の技だった。

 

クチートの唯一開いている左目が徐々に閉じられていく。

 

意識が途切れ途切れになり、暴れる力も徐々に弱まっていく。

 

そして、クチートは力尽きたかのようにタクミの胸板に頭を乗せた。

 

『ダメだ……寝たら……ダメだ……ダメ……なのに……』

 

クチートの思考は緩慢になり、自分が何をしていたのかもわからなくなっていく。

 

『……あれ?……なんで……ダメなんだっけ?』

 

心の支えにしていた強い気持ちは睡魔に抑え込まれて消えていき、感情だけで持たせていた身体が泥のように重くなっていく。

 

『……でも……ここ……あったかい……』

 

坑道の岩肌とは全然違う。モンスターボールの中とも違う。

熱いぐらいの温もりと、ドクン、ドクンと響く心臓のリズム。

 

『……なんだろ……これ……とっても……とっても……気持ち……いい……な……』

 

クチートの小さな手がタクミの服を掴み、頬がタクミの胸板にすり寄る。

そして、クチートの意識は深く深く落ちていく。

 

「すぅ……すぅ……すぅ……」

 

静かに寝息を立てるクチート。眠りについたクチートを見届けたタクミは止めていた息を大きく吐き出した。

 

その時、タクミの周囲を舞っていた“ねむりごな”が吹き飛ばされた。

 

「パオン!!」

 

ゴマゾウがタクミの周囲で高速で転がったことで粉を吹き飛ばしたのだ。

 

「ありがと、ゴマゾウ。フシギダネもね」

「パオン!」

「ダネダ!」

「それとキバゴは……寝てるか」

 

タクミの背中にくっついていたキバゴはモロに“ねむりごな”を吸いこんで既に床に落ちて大の字で眠りこけていた。

 

「相変わらず間抜けな顔だ」

 

そう言いつつ、タクミは鼻提灯を膨らませるキバゴの頭を撫でた。

 

タクミは“ツルのムチ”を解除してもらい、腕の中のクチートを覗き込む。

穏やかな顔で眠るクチート。その小さな手は意識が落ちた後もタクミの服を離していなかった。

たったそれだけのことが、タクミは泣きたくなるぐらいに嬉しかった。

 

その時、ジョーイさんが凄まじい剣幕でタクミに迫ってきた。

 

「タクミ君!大丈夫!?怪我はない!!」

「はい、クチートは大丈夫ですよジョーイさん」

「違います!!あなたのことを言っているのです!!」

 

タクミはジョーイさんに肩を掴まれ、ギョッとした。

 

「えっ?僕ですか!!」

「当たり前です!!暴れているポケモンの前に出るなんて!!大怪我するところでしたよ!!」

「で、でも、ああしないとクチートが外に出て……」

「集中治療室の扉はロックをかけることができるんです。プクリンは既にロックを作動させてました。あなたが外から扉を開けるまではね!!」

「えっ………」

 

タクミの背中から冷や汗が噴き出す。

 

「じゃ、じゃあ、僕は……」

「まるっきり無駄なことで怪我しかけたんです!!嵐の中を駆け下りたこともそうだけど、タクミ君は無茶しすぎです!!」

「ご、ごめんなさい」

 

今回ばかりはタクミに弁明の余地はなかった。

タクミは項垂れるように頭を下げる。

 

本気で反省している様子のタクミにジョーイさんは溜息を吐きだした。

 

「まぁ、クチートを素早く鎮められれたから、今回は良しとしましょう」

「あ、ありがとうございます」

「タクミ君。クチートを渡してくれる?」

「はい………あっ……でも」

 

タクミの服をがっちりと掴んだままのクチート。タクミとしてはこの状態のクチートを引き離すのは少々憚られた。

 

その気持ちはジョーイさんも同じようだった。

 

「そうね。そのコが落ち着いているなら今はその方がいいかもしれないわね」

 

今のクチートに必要なのは身体よりも心が安らげる時間だ。

人肌に触れあっている方が良いのであればそれをわざわざ引き剥がす必要はないだろう。

 

「タクミ君が良ければ、クチートはそのまま眠らせてあげていい?」

「はい。自分は大丈夫です。むしろ、役得なぐらいですよ」

 

タクミはそう言ってクチートを抱えなおした。

 

「タクミ君、あなたはこの町にはどれぐらいの滞在予定なの?」

「ホントは1日で抜ける予定だったんですけど、こうなったらしょうがないです。クチートが落ち着くまでは滞在するつもりです。『地方旅』も大事ですけど、ここでこのクチートを捨て置けないですからね」

 

このままこのクチートを見捨てたら、自分が一生後悔するであろうことをタクミは容易に想像がついた。

 

『人間がポケモンを不幸にしてしまうこともある。だから、父さん達は同じ人間として、ポケモンに幸せを返してあげなきゃならないんだ。』

 

タクミは自分の父親が言っていた言葉を思い出す。

社会見学の時に第三者として父の仕事を眺めていた時とは違う。

実際に当事者としてそんなポケモンに関わり、タクミはその言葉が血肉になって自分の中を巡っていくのを感じていた。

 

「あっ、でも、荷物坑道に置いたままなんですよね。どうしよう……」

「それならさっきポケモンレンジャーから連絡がありましたよ。持ってきてくれるそうです」

「えっ、あの坑道に誰か行ったんですか?」

「昨日、君との受け答えを担当してくれた人がね。気になって坑道に向かってくれたらしいわよ。荷物とテントを適当にまとめて持ってきてくれるんですって」

「良かった……それじゃあ、改めて部屋をお借りしていいですか?」

「ええ、ちょっと待っててね」

 

ジョーイさんに部屋を取ってもらったタクミ。

 

タクミは集中治療室の外の廊下でポケモン達の御飯や諸々のことを済ませ、少し広めの4人部屋へと通された。

元々ジムもない町のポケモンセンターなので、泊まるトレーナーも少ないのであろう。

ベッドはどれも空であり、ジョーイさんもできるだけ相部屋にならないように取り計らってくれるそうだった。

 

タクミはクチートを抱えたまま器用に服を着替える。

 

シャツだけはクチートが握り込んでいるのでそのままにしながら、タクミは2段ベッドの下の段にボスンと倒れ込んだ。

 

すぐさま眠りに落ちそうになるタクミであったが、なんとかモンスターボールを開け、自分のポケモン達を呼び出した。

 

「みんな、またちょっと寝る。というか、一緒に寝よ」

「モシ」

「パオン」

 

タクミがそう言うと、ヒトモシとゴマゾウはすぐさまタクミのベッドに飛び乗ってきた。

ちなみにキバゴは呼び出した時点でタクミの枕元で寝ていた。

 

「フシギダネは?一緒に寝ない?」

「ダネ……」

 

こういう時に照れてしまうフシギダネである。

だが、タクミが手を差し出すと「しょうがねぇなぁ」とでも言いたげな顔でタクミのベッドに上がってきた。

タクミは枕元のキバゴをそっと横にどけ、自分の頭を枕に乗せる。

クチートを抱えるように横向きになると、タクミの肩口にヒトモシが身体を滑りこませた。

腰のあたりではゴマゾウが既に丸くなっており、フシギダネはタクミの身体に寄り掛かるように横になった。

 

「みんな……おやすみ……」

 

タクミ達は嵐の夜を抜けた疲れを癒すように眠りに落ちていった。

 

ポケモン達に囲まれての二度寝は最高に温かく、最高に気持ちが良かった。



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ポケモン歓談悲喜こもごも

クチート達と二度寝の快楽をむさぼったタクミは昼過ぎにボチボチと目を覚ましだした。

 

最初は寝ぼけていて、時計を何度も確認した。短針と長針を見間違えてないかとか、時計が傾いていないかとか、様々な勘違いの可能性を潰して、タクミはようやく自分が12時を回るまで眠り続けた事実を受け入れた。ここまで寝過ごしたのは『地方旅』が始まって初めてのことだった。

 

普段ならポケモン達が昼ご飯をせがんでくる時間だが、キバゴ達も熟睡したままである。

やはり彼等も随分と疲れていたのだろう。

 

タクミは胸元にしがみついているクチートに視線を落とす。

クチートはその小さい手でタクミのシャツを掴み、静かに寝息を立てていた。

 

痛々しい包帯に触れようかとも思ったが、起こしてしまうことが憚られ、タクミはそのままの姿勢で少し身じろぎをした。

そのタクミの動きに真っ先に気づいたのはフシギダネであった。

 

「ダネ?」

「フシギダネ、おはよ」

 

タクミとフシギダネは他のポケモン達を起こさないように小声でやりとりする。

 

「眠たかったらもう少し寝てていいよ?」

「……ダネ……」

 

フシギダネはその場で軽く伸びをして、再びゴロリと横になった。

ただ、眠っている雰囲気はない。それどころかその瞳は常にタクミを見据えている。

いや、フシギダネが気にかけているのはタクミというよりも、その胸元にしがみついているクチートの方であった。

 

「…………ダネ……」

 

フシギダネは何かを警戒しているかのように自分の“ツルのムチ”を伸ばす。

 

「フシギダネ……お前、またクチートが暴れ出すと思ってるのか?」

「……ダネ……」

 

『そりゃそうだろ』とでも言いたげに目を細めるフシギダネ。

 

タクミはそのフシギダネの頭を撫でる。

 

「ありがとな、フシギダネ。その時は憎まれ役を頼むよ」

「……ダネ……」

 

ふと、タクミの肩にポケモン1匹分の体重が乗ってきた。

 

「うおっ……ゴマゾウか……お腹すいたのか?」

「パオン……」

 

気の抜けた声を出すゴマゾウはタクミの肩に鼻と顎を乗せて体重をかけてくる。

お腹がすいて力が出ないのが、誰の目から見ても明らかであった。

 

「ごめんな。もうちょっと待ってくれるか?クチートを起こしたくなくてさ」

「パオン……」

 

ゴマゾウの鼻がパタパタと揺れる。『わかってるよ』という台詞が聞こえてきそうだった。

 

不憫には思うが、今のタクミにはどうしようもない。携帯食料が入っている鞄は坑道に置いてきたし、ポケモンセンターでポケモンフーズをもらうにはタクミのポケモン図鑑による身分証明がいる。

 

それはゴマゾウにもわかってはいる。わかっているが、行動せずにはいられない程にお腹がすいているのだろう。

 

タクミは慰めるようにゴマゾウの顎の下を撫でる。

 

キバゴは鼻提灯を膨らませて眠ったまま、ヒトモシも頭の炎を消してピスーと寝息を鳴らしている。

タクミは3度寝でもしようかと大きく欠伸をして、意識を再び睡魔の内へと沈めていく。

 

そして、タクミがまた夢の中へと溶け込んでいったところであった。

 

フシギダネとゴマゾウが軽く目配せした。

 

『わかっているか?』

 

フシギダネが目線だけでそう問いかける。それに対してゴマゾウは『わかってるわかってる。だからそう睨むな』とパタパタと鼻先を振った。

 

フシギダネは“ツルのムチ”をクチートの傍へと持っていく。

ゴマゾウもまた身を乗り出して、クチートへと鼻先を向けた。

 

「ダネダ(起きてるんだろ?)」

「パオン(ちょっとお話しようぜ)」

 

フシギダネとゴマゾウはできるだけ威嚇にならないように注意しながらクチートにそう声をかけた。

すると、クチートはゆっくりとその左目を開けた。憂いを帯びた瞳でクチートはゴマゾウとフシギダネをチラリと確認した。

 

彼らの声の掛け方は決して友好的なものではなかったが、それでも彼らの顔色はこちらを心配しているようなものであった。

 

クチートはキュッと身体を丸め、小さく呟いた。

 

「クチ(……ごめんなさい)」

「ダネダ?(開口一番なんだ?)」

「クチ、クチクチ……(私、あなた達の主人に酷いことをしました)」

「パオパオ、パオン(気にすんな。うちのご主人が勝手にやったことだ)」

「ダネダ、ダネフッシ。ダネダネ(そうだ。こいつはこういうお人好しなんだ。お前が気に病むことはない)」

 

フシギダネとゴマゾウにこんなことを言われているとは露知らずタクミは小さく寝言を呟いた。

 

「うぇあぁ……」

 

意味など欠片もない寝言にフシギダネがため息をつき、ゴマゾウが呆れたように笑った。

 

「クチ………(あなた方が、助けてくれたんですよね)」

「ダネダ(俺達っていうより、こいつがな)」

 

フシギダネがそう言って“ムチ”でタクミの肩に布団を引き上げた。

 

「クチ……(はい、覚えてます)」

「パオパオ?(意識あったのか?)」

「クチ……(なんとなくですが……)」

 

とはいえ、クチートが覚えていることはほとんどなかった。

先の見えない暗闇の中。イワークの縄張りに入ったらしく、痛めつけられて気を失ってしまった。

 

そして、その後のことは朧気にしか覚えていない。

 

人間の声、腕、心音、熱。

 

誰かが自分を抱えて荒い息で走っていることはわかっていたし、冷え切った身体にはその熱がとても心地よかったのはよく覚えていた。

 

クチートは久しぶりに視力を取り戻した左目で自分の目の前にいるトレーナーを見上げる。

 

「クチ……クチ……(どうして……助けてくれたんでしょうか)」

「ダネダ、ダネダネダ(さっきも言ったろ。そういうお人好しなんだよ)」

「パオパオ(そうそう、迷子のヒトモシを引き取ったりな)」

 

話題にあがったヒトモシは相変わらず寝息をたてて眠ったままだった。

起きている間は気遣いのできるいい奴だが、少々第6感が鈍く、ねぼすけなので、寝ている間に物音で起きてくることはない。

 

クチートはそんなヒトモシへと視線を向けたが、すぐさま俯いてタクミのシャツに顔をうずめる。

 

昨夜のことは曖昧な記憶しか残っていない。だが、流石にこの体温と匂いには覚えがある。これは自分を強く抱きしめてくれた身体だ。

自分を守り、助けてくれた人の温かさだ。

 

それなのに、そのシャツから顔をあげたクチートの目は暗く沈んでいた。

 

「クチ……(やっぱり、私のマスターじゃないんですね……)」

「…………」

「…………」

 

フシギダネとゴマゾウは曖昧な表情で顔を見合わせた。

フシギダネは研究所で色々なトレーナーとポケモンの出会いと別れを見てきた。

ゴマゾウは小さな村ではあったが人とポケモンが共に生きていく場所を間近で見てきた。

 

その中で『捨てられたポケモン』に出会うことも時々経験していた。

 

だからこそ、フシギダネとゴマゾウはクチートに自分達から声をかけたのだ。

 

どうせお人好しのタクミのことだ。ここまで深入りしてしまったクチートのことを放っておくわけがない。そして、今後一緒に過ごすというのなら自分達がフォローをしなければならないこともある。それにはあらかじめクチートのことを知っておく必要があった。

 

そして、その役目は多かれ少なかれ『人間の悪意』に触れたことがあるポケモンの方がいい。

フシギダネとゴマゾウは自分達でそれを担うべきだと結論づけたのだ。

 

ゴマゾウとフシギダネはお互いにどちらが話を切り出すかを目線で問いかける。

ゴマゾウが鼻でチョイチョイと自分を指すが、フシギダネも首を振って自分に“ムチ”の先端を向ける。

そして、無言の対話の後、最終的にフシギダネが『憎まれ役』になることにした。

 

なにせ、その役割はタクミ直々に頼まれているのだ。譲るわけにはいかなかった。

 

フシギダネは“ツルのムチ”でクチートの肩をたたいた。

 

「ダネダ、ダネダ(聞いていいか?お前の過去に何があったんだ?)」

 

クチートは答えない。ただ、一層その身体を固くしただけだ。

 

それでもフシギダネは根気よく話しかける。

 

「ダネフッシ、ダネダネダ(言いたくないなら別にいいけどまた突然暴れたりされたら困る。お前を信用しないわけじゃないけどせめて……」

「クチ(話します)」

 

固く、短い声にフシギダネは目を細める。

 

「クチクチ……クチ(あなた達は命の恩人です、お話します。ですがつまらない話ですよ)」

「パオン(それなら慣れてる)」

「ダネダ(ああ、うちのキバゴの話のつまらなさは格別だ)」

 

思わず愚痴がこぼれるフシギダネとゴマゾウ。

 

キバゴはよく今まで見てきた映画の内容を話すのだが、その話し方があまりに下手くそなのだ。

自分の印象に残っているシーンを飛び飛びで話すために時系列があっちこっちに飛ぶ。しかも擬音ばっかりで感覚的に話すもんだから内容が非常に理解しにくい。

 

そんなことを言われているとは露知らず、キバゴは小さく寝言を呟いた。

 

「きぃあぁ……」

 

タクミと瓜二つな寝言にフシギダネとゴマゾウがこらえきれずに笑った。

クチートも状況を忘れそうになって小さく笑い声を漏らす。

 

そして、クチートは気を取り直したように目を閉じた。

瞼の裏に蘇ってくるのはマスターとの旅の記憶。

 

決して楽しい旅ではなかったが、それでも大切な日々であったことは変わらない。

 

他のポケモンに襲われているところを助けてもらった。一緒に旅を始め強くなれと言われた。期待をかけられた。その気持ちに応えて褒めてもらえたこともあった。だが、マスターの気持ちに応えられないことが増えた。叱咤を受けて辛い日々を過ごした。そのうち失望された。

 

「クチ……(私が悪いんです……)」

 

モンスターボールの中で過ごす時間が延び、バトルに出されることもなくなった。

それでも一度マスターと決めた相手だ。どこまでも付いて行くつもりだった。

 

研究所に仲間が転送されて手持ちのメンバーが入れ替わる中、自分は随分と長く一緒にいた。

まだ見捨てられていないのだと思っていた。期待がかけられているのだと思った。

 

だが、実際のところそんな大それた理由ではなかった。

 

ただ、マスターが手に入れた唯一の『石』がクチートにしか使えないというだけだった。

 

「クチクチ……(私はメガシンカが出来なかったんです……)」

「ダネ……」

「パオン?」

 

瞼がピクリと痙攣するフシギダネ。よくわからないような顔をするゴマゾウ。

クチートは彼等の表情が見えない。

ただクチートの耳朶にかつて言われた心無い言葉が幻聴になって響き渡っていた。

 

『くそっ!せっかく石はあるってのに!使えない奴だな!』

『ほら!どうしたんだよ!!どうしてメガシンカしないんだよ!!』

『お前はもういらない!ついてくるな!!』

『よしっ、じゃあこれは特訓だ!!目隠しをしたまま俺を見つけろ!お前が本当に俺に相応しいポケモンならどんな状況でも俺を見つけられるはずだ!ここにいて100数えてから俺を探しに来い!俺のところまで戻ってこれたらまた一緒に旅をしてやる!じゃあ頑張れよ!!』

 

そして、クチートは接着剤を顔に塗りたくられ、置いていかれたのだった。

 

ただでさえ暗い坑道の中だ。視界を閉ざされては昼か夜かもわからない。孤独と冷気に心と体を蝕まれ、空腹と渇きに苛まれながら足が動く限り洞窟を進み続けた。岩の表面に浮かぶ塩分をなめとり、泥水を啜って、冷え切った地面の上で浅い眠りにつく。

 

限界を感じたのも1度や2度ではなかった。

 

このまま諦めて地面に倒れこんでしまえば楽になるのではないかと何度も思った。

マスターのところに戻ることを諦めてしまえばこれ以上無駄に歩き回る必要もない。飲水が手に入る場所でゆっくりと目隠しが剥がれるのを待てば良かった。

 

だが、それは出来なかった。

 

自分が捨てられたことを認めてしまえば、自分が無価値な存在なのだという事実を認めることになる。

 

それは空腹や喉の渇きなどとは比較にならない程の苦痛を伴う。

 

野生として生きていた頃は何も感じなかったであろうことだ。だが、一度でもトレーナーの下につけば、一度でも誰かから認められる喜びを知ってしまえば、その孤独には耐えられなくなる。

 

満腹を知らない頃なら空腹に耐えられるのと同じだ。

一度あの充足感を味わってしまったら、もう戻れない。

 

だから、自分のトレーナーを探し続けた。もう一度自分の確固たる存在意義を与えてくれるあの場所に戻りたかった。

 

だが、例え自分のトレーナーを見つけることができたとしても彼が再び暖かく迎えてくれることなどない。そんなことはわかっていた。わかっていても、縋ってしまったのだ。縋っていたかったのだ。

 

そして、その結果がこれだった。

あの時、このトレーナーが助けてくれなかったら本当に命を落としていただろう。

 

クチートの全身に力がこもった。

 

命を助けられ、ポケモンセンターで治療を受け、目隠しも外れた。

だが、ずっと望んでいた外の光の中には見知った顔は一つも無かった。

 

もう、受け入れるしか無かった。

 

自分は捨てられたのだ。

 

クチートの瞳から涙が溢れた。

坑道で彷徨っている間には一度も流さなかった涙が次から次へとこぼれ落ちていく。

その口から小さく嗚咽が漏れだし、クチートはタクミの懐に顔を埋めて声を押し殺した。

 

フシギダネとゴマゾウはそんなクチートを困ったように見つめるしか出来なかった。

 

別に泣くことはいい。泣きたいときは泣けばいい。辛いのだと、苦しいのだと、我慢せずに吐き出せばいいのだ。それを誰も笑わないし、迷惑にも思わない。

 

クチートもそれは分かっているはずなのだ。

 

分かっていながら声を押し殺して涙を隠す。

 

我慢してきて、我慢しすぎて、我慢することが当たり前になると誰しもがこうなってしまう。

それは人もポケモンも変わらない。

 

フシギダネはため息を喉奥で止める。

 

フシギダネからすれば『随分と歪んじまってるなぁ』思わざるおえない。

フシギダネ自身も足のせいでいろんなことを我慢してきたから、気持ちはわかる。

そして、自分も声をあげて泣くことができないタイプなんだとも思っている。

 

だからこそ、わかることがあった。

 

このクチートが抱える痛みを真に癒せるのは自分達(ポケモン)ではなく、コイツ(人間)なのだということだ。

 

フシギダネはいつの間にか目を開けていたタクミを見上げ、“つるのムチ”をユラユラと揺らした。

 

『自分の役目は果たした』と言わんばかりのフシギダネに向け、タクミは小さく頷いた。

ポケモン達が話していた会話の内容なんてタクミにはわからない。

だけど、自分の胸で声を殺して泣いているポケモンにしてあげることなど一つしかない。

 

タクミはクチートの体を包み込むようにそっと抱きしめた。

 

「クチ……」

 

涙を流して熱を持ったクチートの身体。洞窟で抱えた時よりは体力が戻ってきている証拠だろう。

ただ、クチートの身体には癒えない傷が残った。そして、心にもまた癒えない傷が残っている。

 

どうしてこう、世の中ってのはままならないのだろうか。

 

タクミはやり場のない怒りや残酷な世界への失意を抑え込み、力が入りすぎないように気を付けながらクチートを胸元にしっかりと引き寄せる。

 

「…………」

 

タクミはクチートの背中をポンポンとリズム良く叩く。

 

言葉は出てこない。

 

『泣いていい』とは言えない。涙を見せないようにしてきた奴にそんなことは言えない。『声をあげていい』なんて言えない。必死に耐えて頑張ってきたのを無に帰すような慰めはタクミにはできない。

誰にも見られたくない泣き顔はある。誰にも見せたくない心の傷はある。

 

タクミはかつてアキが病床にいた時のことを思い出しながら、クチートの頭を抱え、より深く胸元に抱き込み、布団をかけてクチートの表情を覆い隠した。

 

そして、タクミはポツリと呟いた。

 

「……ごめんね……」

「……クチ?」

「ごめんね……もっと……もっと早く君を見つけてあげられたら……よかったのに」

「…………」

 

声に涙を滲ませるタクミ。

 

その震える声音が何よりもクチートの心の琴線に触れた。

 

どこまでも優しすぎる謝罪にクチートの涙腺が決壊する。

 

クチートはタクミのシャツを強く顔に押し当てた。

 

「………っ……っ…っ!」

 

涙で濡れていくシャツ。その涙の冷たさがいつか無くなるのを待つように、タクミはずっとクチートを抱きしめ続けた。



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僕は馬鹿なのか

涙を流しきったクチートはどこか身体の強張りが抜けたようになっていた。

目は泣き過ぎて腫れぼったくはなっていたが、固い表情は消えて少しだけ笑顔を見せられるようにもなっていた。

 

とはいえ、それはあくまでも表面上のことだろう。

 

クチートの心に刻まれた傷が一度や二度涙を流した程度で簡単に消えるとは思っていない。

ただ、クチートがそれを見せないようにしているのならそれを尊重してやるのもまた優しさだろう。

 

頑張って耐えてる人間に必要以上に手を貸すのは相手の努力を否定することになるとタクミは知っていた。時には『手を差し出さない』という優しさもある。大事なのは相手が限界が近づく前にキチンとそれに気づいてやれることだ。

 

そして、そのことに関してはタクミはかなりの年月を試行錯誤して過ごしてきている。

 

タクミはアキを相手にしていた時のことを思い出しながらクチートに接することにしていた。

 

時刻は既に昼過ぎ。泣き止んだクチートと一緒に遅めの昼ごはんを食べたタクミとポケモン達。

タクミ達は人もポケモンも今まで食べ損ねた分を取り返すかのように猛烈な勢いで食事を掻っ込んでいった。食べ盛りのタクミは勿論、朝飯を食べ損ねたゴマゾウとキバゴは鬼気迫る形相であった。

そんな中、クチートは少し小食気味なこともあって控え目な量で良かった。

 

だが、ここに予想外の強敵が現れた。

 

ヒトモシである。

 

「モシモッシ!」

「クチ……」

 

ヒトモシがクチートの皿に山盛りの御飯を追加したのである。

タクミのポケモンの面々はフシギダネも含めてやや大食らいなので、平均的食事量が実は多い。

その感覚のままヒトモシはクチートに御飯をよそったのである。

 

「モシモッシ!」

「……クチ……」

 

完全なる善意でニッコリ微笑むヒトモシ。『たぁんとおあがり』という一欠けらの不純物を含まないその笑顔を前にしてクチートは引きつった笑みを浮かべつつ、御飯を食べていった。

 

一通り食べ終え、腹いっぱいで満足そうな面々。

少々辛そうな顔をするクチート。

 

「……クチ……」

「モッシ?」

「クチクチ……」

 

食事の量が多かったのなら残せばいいのに、多少苦しんでも食べきってしまうのはやはりこのクチートの性分だろう。

タクミは世話焼きのヒトモシがお節介になっていたことに後から気づき、少し反省した。今後は注意しようと頭の中のメモ帳に書き留めておく。

 

そして、一息ついたとこでクチートは改めてタクミのポケモン達と顔合わせをすることになった。

 

「キバキバ!キバァ!!」

「……クチ」

「キバキバ!」

 

クチートと握手をしてその手をブンブンと振り回すキバゴ。そのテンションの高さにクチートは困惑しているようであったが、拒絶する程ではなさそうだった。

 

「キバキバキバ!キバァ!!」

 

キバゴは何度も自分の胸をバンバンと叩き、自己アピールを繰り返す。

『困ったらいつでも頼ってくれ!』とでも言っているのだろうが、そんなキバゴをタクミやフシギダネは斜目で見ていた。確かにバトルや咄嗟の時の判断力は優れているキバゴであるが、日常生活で頼りがいがあるかと言われると非常に疑問である。

 

なにせ、キバゴは旅の間にしょっちゅう盗み食いを企み、その度にフシギダネかタクミが制裁を加えている。

そのキバゴがまるでリーダーのように振舞うのを見るのは少々引っかかるものがあるタクミであった。

 

「まぁ、いいや。クチート。とりあえず、ここにいるのが僕の仲間達だよ」

「クチ……」

「まぁ、いきなり仲良くしろとは言わないから。追々ね」

「…………」

 

タクミがそう言うと、クチートは何か困ったことがあるような顔でタクミを見上げてきた。

 

「ん?どうしたのクチート?」

「………クチ……」

 

クチートは何かを言おうと口を開いたが、結局それ以上何かを続けることなく口を噤んで俯いてしまった。

 

「ん?クチート?」

「キバ?」

 

タクミとキバゴがクチートの顔色を窺うが、クチートはやはり何か言いたいことを抱えたままで何も言おうとはしなかった。タクミはゴマゾウやヒトモシにも目線で問いかけてみたが、両者とも首を傾げるばかりでわからない。

 

誰もが疑問符を浮かべる中、フシギダネだけはそのクチートの『悩み』に気づいていた。

ただ、フシギダネは『それを教える必要はない』とでも言うかのように知らんぷりを決め込む。

 

「ダネダ、ダネダネ?」

「ん?何、フシギダネ?」

「ダネ?」

 

フシギダネは“ツルのムチ”で窓の外と部屋の隅に置かれているタクミの荷物を指した。

その荷物は今朝方レンジャーの人が届けてくれたタクミの荷物だ。

中身は既に整理されており、いつでも旅に出発できる用意はある。

 

タクミはフシギダネの質問を察し、首を横に振った。

 

「いや、フシギダネ。今日は旅に出発しないよ」

「ダネ」

「うん。今日は『地方旅』はお休み。だからさ、コウジンタウンの観光に行こうよ」

 

タクミがそう言うと、すぐさまキバゴが目を輝かせてタクミの肩に飛び乗った。

 

「キバキバァ!」

 

握りこぶしを突き上げて『出発進行!』と声をあげるキバゴ。

そんなキバゴにフシギダネが『やれやれ』と首を横に振り、ゴマゾウがケラケラと笑う。ヒトモシはニコニコとした微笑みを浮かべて急いで昼食の片付けに取り掛かっていた。タクミはヒトモシからお皿を受け取り、立ち上がった。

 

フシギダネは『なら今日は休んでる』と言いたげに自分からモンスターボールの中に戻り、ゴマゾウはヒトモシを鼻で掴んで自分の背中に乗せた。

 

そして、タクミはクチートに向けて手を差し出した。

 

「クチート、一緒に行こうよ」

「……クチ」

 

一瞬、何を言われたかわからないという表情をしたクチート。

そんなクチートに向けて、タクミは満面の笑みを向けた。

 

「観光だよ、観光。せっかくのいい天気なんだからさ。部屋に閉じこもってるなんてもったいない。歩くのがきついなら抱えてあげるけど、どうする?」

 

クチートはタクミの言葉の意味を噛み締めるように息を飲む。

 

「……………」

 

押し黙ってしまうクチート。

 

タクミはクチートが答えを出すのを待つ。

 

そして、クチートはほんの少しだけタクミに向けて手を伸ばした。

 

「……へへっ」

 

タクミはそのクチートの手を引き、一気に胸元に抱え上げた。

クチートの平均体重は11.5kgと言われているが、このクチートは明らかにそれより軽かった。

タクミがクチートを向かい合わせになるように抱っこする。クチートを左腕に乗せて腰かけてもらうように体重をかけてもらい、右手でクチートの背中を支えて安定させる。

 

キバゴは肩から飛び降り、タクミが持っていた食器を受け取る。

 

「よし。それじゃあ、しゅっぱーつ!」

「キバァ!」

「パオン!」

「モシッ!」

 

楽しそうに腕を振り上げて声をあげるタクミとポケモン達。

 

そして、タクミ達は何かを期待するかのようにクチートの方に目線を向けた。

 

「…………」

 

困惑した目をするクチート。

 

それはクチートの世界にはなかったものだった。野生の時は常に1人だった。前のトレーナーと一緒に過ごした時にもこんな要求はされたことがなかった。

 

クチートはタクミやポケモン達の行動を1つずつ目で追う。

 

期待に満ちた視線。

 

今までクチートが向けられてきた『期待』と言えば、『やるべきことをやれ』というある種の脅迫を伴うものだった。だが、今クチートに向けられているのは陽だまりの中にいるような温もりだ。

 

クチートはおずおずと小さな腕を持ち上げた。

 

「……クチ……」

 

それを見てタクミ達はより一層笑みを深くする。

 

「よっしゃ!行くぞぉ!!」

「パオン!」

「モッシ!」

「キバァ!」

「……クチ…」

 

タクミ達は行進曲(マーチ)でも唄い出しそうな勢いでコウジンタウンへと繰り出していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

コウジンタウンは表向きは観光の町だ。だが、その実態は学問の町でもあった。

当初は海に棲むポケモンの研究が始まり、水族館が出来て発展した。だが、調査中にポケモンの化石が見つかり、さらに学問の幅が広がった。訪れる学者の数が大きくなると連鎖的に関わる人間の数も増えていく。町は大きくなり、水族館や博物館に展示されるデータも充実する。

 

そうやって次第に有名になっていったのがこのコウジンタウンである。

 

観光を産業にしているだけあって、町中にはお土産を売る店が目立ち、観光客と思われる人の姿も目立つ。

その中には地球界から来たであろうトレーナーのグループもいるようだった。やけに女子が目立つのは、近々この辺りでトライポカロンが行われるかららしい。

 

道行く人のうわさ話に耳を傾けながら、タクミは名物の化石クッキーを食べ歩きする。

 

「パオパオ!」

「モッシ」

 

ヒトモシが“サイコキネシス”でクッキーの袋を皆の間を行ったり来たりさせ、キバゴやゴマゾウが遠慮なしにそれをつまんでいく。

 

「キバキバ!」

「パオン!!」

「こら、二人共、あんまり食べ過ぎちゃだめだからね!クチートとヒトモシも食べるんだから!」

 

一応、モンスターボールの中にいるフシギダネの分は最初に確保しているが、油断はならない。

タクミにはキバゴがフシギダネの分のクッキーを狙っているような気がしていた。

 

「ったくもう……」

 

溜息を吐きながらもタクミは胸元のクチートをチラリと見降ろした。

クチートは手に取ったクッキーを珍しい食べ物であるかのようにキラキラとした目で見つめていた。クチートはクッキーを小さく齧りながら、その甘さに唇の端を緩めている。

 

『甘いものが好きなのかな……』

 

タクミはそんなことを考えながら町の中の主要な観光名所を巡っていった。

 

化石研究所では復元されたポケモン達が暮らすエリアを見学した。

 

キバゴがアマルルガにちょっかいをかけて怒らせてしまい、凍らされてしまうなんて一幕もあった。タクミ達はヒトモシに溶かしてもらうキバゴを見ながら呆れたように笑った。

 

その後は、化石の復元現場を見せてもらったり、発掘体験をさせてもらったりとなにかとイベントの絶えない時間を過ごした。

 

化石研究所を出る頃には既に夕方になっていたが、日が沈んだら沈んだらで別の楽しみもある。

ここの水族館は夜も遅くまで営業しているのだ。普段はなかなか見ることができない夜間の海の世界。

 

所謂ナイトアクアリウムというやつだ。

 

タクミ達はブラックライトでライトアップされた神秘的な夜の水槽を堪能した。

 

ランターンやチョンチーの幻想的な光に見とれ、メノクラゲ達の神秘的な揺らめきに目を見張り、ネオラント達の人をリラックスさせるような色合いに肩の力を抜く。

いつもは煩いキバゴもその場の空気に呑まれたように感嘆の声を漏らすにとどまっていた。

 

そして、タクミ達はその水族館の最奥へとやってきた。

 

それは、カロス地方最大の水槽。容量500L。深さ7m。一つの水槽に50種類ものポケモンが同居している。

様々なポケモン達が緩やかな流れのある円形の水槽の中で波に揺られていた。

水槽の底の方で眠るポケモン。月明りが届きそうな水面近くで眠るポケモン。夜の方がむしろ自分達の時間だと楽しそうに泳ぐポケモン。

 

圧倒される、というのはこういうことなのだろうと思った。

 

まるで、本当に海の底に足を踏み入れてしまったのではないかと思える程の臨場感。

ブラックライトだけという薄闇の環境がその感覚を更に助長する。

 

タクミは目が後4つ程欲しいという欲求にかられた。見たいものが多すぎて、視界が足りなすぎる。様々なポケモンの動きを追っているうちに瞬く間に時間が過ぎていくようだった。

 

タクミは水面近くを悠然と泳ぐマンタインの影を追いかける。

 

そんな中、タクミは自分の服がギュッと強く握られているのを感じた。

 

「ん?……クチート?」

「………」

 

タクミの服を掴むクチート。タクミはクチートを抱えなおして、その顔を覗き込もうとする。

だが、クチートはタクミの視線を避けるようにその顔をタクミの胸元に埋めていた。

 

どうしたのだろうか?気分でも悪いのだろうか?

 

呑気にそんなことを想っていたタクミだったが、ふとクチートの肩に目をやる。

その肩が何かに怯えるように小刻みに震えていた。

それを見た瞬間、タクミは息を飲んだ。

 

「キバゴ!ゴマゾウ!先に行くよ!」

「キバ?」

「パオン?」

 

タクミは一目散に走り出した。水槽に見向きもせずに水族館の廊下を駆け抜け、向かった先は通路から離れた休憩所。自動販売機が立ち並び、ソファの並ぶ休憩所。白い蛍光灯の明かりの下でタクミはソファに座り、クチートの頭を抱えるように胸元に抱きしめた。

 

「クチート……ゴメンな……」

 

クチートの背中や肩や手は驚くほどに冷たくなり、全身に冷や汗が噴き出ていた。

タクミは自分を戒めるように唇を噛み込んだ。

 

僕は馬鹿か……考えればわかることだろ…

 

「そうだよね……暗いとこは……嫌だよね……」

「………」

 

あれだけのことがあったクチートだ。闇が怖いのは当たり前だった。

 

タクミは自分の考えなしの行動に心の底から反省する。

クチートも普通の小さな水槽が並ぶ通路なら平気だっただろう。他に気を紛らわせられるものもあるし、キバゴやゴマゾウが時折間抜けな声をあげていた。

 

だが、あれだけ深くて大きな水槽だ。タクミでさえ、暗闇の中に吸いこまれそうになる感覚があった。

それをクチートが感じればどうなるかぐらい想像がついても良さそうなものであった。

 

タクミはクチートを安心させようとするかのようにその背中をポンポンと叩く。顔を押し付けてくるクチート。涙こそ流れてはいないようだが、その顔が恐怖に引き攣っていることはクチートの顔を見ずともわかる。

 

そんな時、ポン、と音がしてタクミの腰のモンスターボールからフシギダネが飛び出してきた。

 

「……ダネダ」

 

すぐさまキバゴとゴマゾウも駆けつけてきて、ヒトモシがタクミの傍に飛び移ってくる。

 

「モッシィィィィィィ」

「うん。もうここは明るいから、これ以上照らさなくていいよ」

「モッシ……」

「キバキバキバ!!」

「そうだね、クッキーでも食べようって……それ、フシギダネの分でしょうが」

「ダネダ」

「え?いいの?」

「ダネ」

「パオン?」

「って、ゴマゾウの分も食べていいの?……って、それ、ヒトモシとクチートの分の残り……」

「パオン!」

「まったく……」

 

昼間のクッキーを取り出したポケモン達。静かに賑わいを見せる彼等であったが、その声すらクチートには届いていないようだった。タクミは冷えきったクチートを温めるように、その身体を擦ってあげる。

 

キバゴ達は思い思いにソファの上に登り、いつも通りに過ごしていた。

ゴマゾウと戯れ合うキバゴ。ヒトモシの頭の炎で影絵を作って見せるフシギダネ。

タクミはこんな時でも笑顔を絶やさない仲間達を頼もしく思いながらクチートを待ち続ける。

 

そのうち、クチートの体の震えも落ち着いてくる。

タクミはクチートの体の力が緩んだのを見計らい、声をかけた。

 

「クチート、気分はどう?」

 

クチートはタクミの胸元から少し身体を起こし、小さく頷いた。

だが、その視線の先は虚ろのままだ。目隠しを去れていた時と同じように何も見えていない瞳だ。

それでも、クチートの小さな手はタクミの服の裾を握り込んだままだ。

 

『もう闇の中に置いて行かれたくない』『もう孤独の中に戻りたくない』

 

クチートの痛いほどの気持ちがその手から伝わってくる。

 

あんな体験をした後ではこうなってしまうのも仕方がない気がした。

 

タクミはフシギダネが差し出してくれたクッキーを受け取り、クチートに手渡す。

 

「……クチ……」

「いいんだよ。お食べ。フシギダネもいいって言ってるし」

「ダネダ」

 

渋々、と言ったように頷くフシギダネ。

クチートはその言葉に従うかのようにクッキーを咀嚼する。

 

ただ、それでもクチートは昼間に見せてくれたような仄かな笑みすら見せてくれなかった。

 

タクミは出かかった溜息を鼻息にしてゆっくりと吐き出した。

フシギダネもそんなタクミに同調するように長く、深く鼻息を吐く。

 

クチートの心の傷はタクミが思っていた以上に深く、重くクチートに刻まれているようだった。

 

だけど、焦る必要はない。

 

タクミは自分に言い聞かせるようにして気持ちを切り替える。

 

この『地方旅』の1年だけじゃ足りなくても、そこから先にだって時間はいくらでもある。今はただ、クチートの小さな手を離さないようにしてあげることだけが、大事だった。

 

「クチート、もう帰ろうか?」

 

そう言うと、クチートは小さく息を飲んだ。

『自分のせいで観光が中断になる』とでも考えていそうな顔だった。

実際問題、そろそろいい時間なので切り上げるタイミングであったのだが、クチートからはそう捉えることはできないだろう。

 

何か他に言い訳はないだろうか。

 

そんなことをタクミが考えた次の瞬間だった。

 

キバゴの腹の虫が盛大に悲鳴をあげた。

 

「…………キバ……」

 

顔を赤くして照れた仕草をするキバゴ。言葉を失うクチート。

 

そして、キバゴの腹の虫は2割増しの音量で再度鳴り響く。

 

「はいはい。キバゴが腹ペコなので。帰りますか」

「キバ~」

 

『参ったなぁ~』というキバゴに、ゴマゾウやヒトモシが斜目になってペシペシと張り手を入れる。

先程までクッキーの大半を食べつくしておきながらまだ腹の減るキバゴに呆れているのだ。

 

タクミはクチートを抱えなおして立ち上がる。

 

「さて、帰るか」

 

ポケモン達の返事を聞きながら、タクミはキバゴと目配せをする。

キバゴから不器用なウィンクが飛んできて、タクミもこっそりと親指を立てる。

 

「……ほんと、いい相棒だよ。お前は」

「クチ?」

「気にしない気にない。さっ、帰ろう」

 

そして、タクミ達は夜の水族館を後にしたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

街灯に照らされた街中、星と月の光に照らされながら海沿いの道を行く。揺らめく波に反射して白い煌きが海を彩り、絶え間なく続く波の音がどこか眠気を誘う。

先頭はキバゴ。その後ろにヒトモシを連れたゴマゾウ。

最後にクチートを抱えたタクミが付いて行く。その足元にはどこか不貞腐れたような顔でフシギダネが足を引きずりながら歩いていた。

 

キバゴ達はフシギダネに合わせて歩幅を緩め、じゃれ合いながら道を歩いて行く。

 

「キバキバ!」

「パオン!」

「モシ!モッシモッシ!」

「ダネダ……」

 

何を言っているのかわからないが、キバゴとゴマゾウが馬鹿なことを言って、ヒトモシがツッコミ、フシギダネが頭痛を覚えているのはわかる。

そんな彼等をクチートは不思議な生き物でも見るかのような目で見つめていた。

 

「………クチ……」

「そんなに奇妙かい?クチート」

「クチ」

 

ポケモンを連れ歩き、友人達と近くのコンビニにでも出かけるかのような気安さで戯れる。

そんな関係性はクチートが今まで経験したことのないものだった。

 

「トレーナーとポケモンの間にはいろんな関係性がある。友達だったり、家族だったり。もっと温かな関係も、もっと冷たい関係もある。でもねクチート」

「……クチ」

「結局のところ、相手を尊重するかどうかなんだよ」

 

タクミはキバゴ達のことを下に見たことはない。

 

ポケモンバトルにおいてはキバゴ達は確かに駒の1つであり、勝つための戦術の為には捨て石にすることもあるだろう。だけど、タクミはポケモン達の人格や意志を否定したことはなかった。

 

「相手が何をしたいか、何をしたくないのか、何が嫌いで何が好きか……それを理解して、付き合っていくことが僕はトレーナーとポケモンの最低限のラインだと思っている」

「……クチ……」

 

タクミはアキとの闘病生活でそれを嫌という程に味わってきた。

相手のことを理解しない善意は押し付けでしかなく、相手に理解が及ばない行動は悪意になりうる。

タクミは幾度となく失敗を繰り返し、そのことに思い当たったのだ。

 

「だからクチート。僕は君のことが知りたい。そして、君にも僕のことを知って欲しい」

「……クチ……」

「尊重するってのは、一方的なものじゃダメなんだ。僕がキバゴ達のことを理解して、キバゴ達も僕のことを理解して、そうして僕らは本当に相棒になっていくんだと、僕は思う」

「……クチ……」

 

クチートはその言葉にふと昔のことを思い出した。

 

『あの頃の私はどうだっただろうか?』

『マスターがやりたいことは『メガシンカ』だった。でも、それ以外のことはどうだっただろうか?』

『マスターは負けることが嫌いだった。それはわかる。それ以外は……わかるだろうか』

『マスターは私のこと……何かわかってくれていたのだろうか?』

 

そうやって昔のことに気持ちを引っ張られ、沈んでいくクチート。

そんなクチートの頭にタクミはポンと手を置いた。

 

「クチ」

 

クチートの意識を引き戻したタクミは少し乱暴にクチートの頭を撫でる。クチートの頭がぐらぐらと揺れ、迷惑そうに目が閉じられる。

そして、遂に我慢が限界になったのか、クチートの顎がグワッと開いた。

 

「クチッ!」

「へへっ、ごめんごめん。もうしないから」

「クチッ!」

 

そして、クチートは何かに気が付いたかのようにタクミの顔を見上げた。

 

「うん、そうだよ。怒っていい、文句を言っていい、我儘を言ってくれ、クチート。それで、喧嘩しながら仲良くやろう」

「……クチ……」

 

だが、やはりクチートは困惑した顔のまま。

 

『そう簡単にはいかないか』

 

タクミはそう思いながら、今度は優しくクチートの頭を撫でた。

 

そうこうしているうちにポケモンセンターへとたどり着く。

タクミ達はそのまま食堂に直行し、ヴィッフェ形式の夕食を食べつくす。

 

そして、昨日泊まった部屋に戻ってきた。

 

「なんだかんだ疲れたな~明日からまた『地方旅』だし、さっさと休もうか」

 

ポケモン達から同意の声があがり、タクミは皆のモンスターボールを取り出そうとした。

 

「さてと、それじゃあ……」

 

そして、タクミは上着のポケットに手をいれ、そのまま固まった。

 

「あれ?……ん?……どこいった?」

 

タクミは自分の上着にセットしているモンスターボールを探った。

 

だが、おかしい。

 

「ちょっ、ちょっとゴメン!クチート」

 

タクミはクチートを下ろし、もう一度上着を確認する。

 

だが、何度そこを探してもそこにはモンスターボールが4つしかなかった。

 

タクミの手持ちは今5匹。1個足りない。

 

誰かのモンスターボールを落としたのか?

 

嫌な汗が流れるタクミ。

 

そんなタクミをキバゴ達は不思議そうな顔で見上げていた。

 

「やばい!みんな!モンスターボールがない!誰かの奴がなくなって……」

 

タクミは上着をひっくり返し、もう一度モンスターボールを全部取り出して確認する。

キバゴとゴマゾウも『それは大変だ』とタクミの上着を叩いたり、臭いをかいだりしてモンスターボールを探す。ヒトモシには念のためにリュックの中身を1つ1つ取り出してもらった。

 

そんな中、フシギダネが今日一日の中で最大のため息を吐きだした。

そして、フシギダネはヒトモシがひっくり返した荷物の中から新品のモンスターボールをタクミに投げつけた。

 

「ダネダ!」

「いてっ。フシギダネ、何を……」

 

新品のモンスターボールを見つめるタクミ。

そのボール見つめ、タクミはクチートへと目を向けた。

 

「…………あ」

 

タクミはポカンと口を開けて固まった。

 

「クチ……」

 

クチートが『やっぱり、気づいてませんでしたか?』という顔で苦笑いを浮かべていた。

 

「あぁ……そうか……そういうことか……それでクチートは一日中、ずっと不安そうな顔してたのか……」

「クチ」

「ごめんね。かんぜっんに忘れてたよ……まだ、ゲットしてなかったね」

 

そう、タクミはまだクチートを正式にゲットしていなかったのだ。

 

そりゃ一緒に観光旅行しててもどこか他人行儀にはなるし、これからのこととか話しても微妙な表情になるに決まってる。クチートからしてみれば、タクミと一緒に旅をする保証も理由もなかったのだから。

 

キバゴとゴマゾウが『あれ?そうだったっけ?』という顔になり、ヒトモシがポカンとした表情で炎を左右に揺らした。

タクミはなんだかドっと疲れが出たような気がして、崩れ落ちるように両手をついてクチートに頭を下げた。

 

「クチート。すっごい今更で、すっごい間抜けなんだけど……」

「……クチ……」

「僕と、僕達と一緒に旅をしてくれない」

 

タクミは神棚にでも捧げるかのようにモンスターボールを差し出した。

 

「…………」

 

クチートはそのモンスターボールを自分の手で抱える。

ピカピカに磨かれた新品のボールにクチート自身の顔が映り込んだ。

 

片目が潰れ、目は落ち窪み、痩せ細った顔。

 

それでも、そんなクチートはほんの少しだけ笑えていた。

 

「クチ……」

 

クチートはそのモンスターボールの真ん中に自分のおでこをコツンと当てる。

クチートがモンスターボールの中に吸いこまれ、一度だけ揺れ動いてすぐさま静かになる。

 

「……はぁ、まったく、僕って奴は本当に馬鹿なんだから」

 

タクミがそう呟くとフシギダネがしみじみと頷いた。

 

「クチート、出てきて」

「クチ」

 

モンスターボールから出てきたクチートは少し冷や汗をかきながらも頑張って苦笑いを浮かべていた。

モンスターボールの中は快適とはいえ、暗くて狭いというのは有名な話だ。ほんの一瞬でもクチートにはきつかっただろう。

しばらくはクチートは連れ歩くしかないかなと思いつつ、タクミはクチートに向けて手を差し出した。

 

「クチート、これからよろしくね」

「クチ」

 

握り込んだクチートの手は初めて出会った時と比べて随分と温もりが戻ってきているようであった。



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Side School 学校という場所 前編

御言アキはミアレシティの病院のベッドで目を覚ました。

 

モゾモゾと布団から這い出し。カーテンをわずかに開けて窓の外を見れば、朝焼けが東の空に赤い光を残している。まだヤヤコマも寝ている時間ではあるが、アキにとってはもう起床時間だ。白いシーツに包まれた固めの布団から身体を起こし、寝ぐせのついたままの髪を手櫛で軽く整えた。

 

ふと、その拍子に髪が一本引き抜けた。

 

朝日に照らされた赤毛。

それを見て、アキは嫌なことを思い出した。

 

「はぁ……」

 

重苦しいため息を吐き、もう一度ベッドに横たわる

 

脳裏に浮かんでいたのは治療のために一番強い薬を使っていた時のことだ。

薬の副作用が酷くて。髪が抜けたことがあった。体中の毛という毛が全て抜け落ち、スキンヘッドにまでなった。ニットの帽子を常に被り。カツラをつける生活を余儀なくされた。ただ、元々が赤毛だったせいもあり黒髪のカツラの違和感が酷いのだ。タクミはそのことを笑ったりはしなかったが、自分自身の姿が醜くなったという感覚はどうしても消えなかった。

 

「……あぁ、もう、なんでだろ……」

 

カロス地方にきて、手術を乗り越え、ポケモンハイスクールのオンライン授業を受け出してから早2週間。

なぜか最近、病気が一番辛かった時期のことをよく思い出す。

傷の状態も順調に進み、退院の日程をそろそろ決めようかという話になっている。

なのに、アキは日に日に自分の心が不安定になっていくのを感じていた。

 

退院したら、本格的に学校に通うことになる。そこに不安があるのだろうか。

それもゼロではない。ゼロでは無いが真の理由ではない。

 

本当の理由はアキ自身が一番よくわかっていた。

 

「…………どうなるの……かな……」

 

切り取った病気の検査結果が出たと昨日主治医から教えられた。

そも説明が今日の夕方からある。

 

『完治』という言葉。それが、アキの心を重くしていた。

 

物心ついてすぐの頃から付き合ってきた病気だった。

足が痛くて走れなくなり、歩けなくなり、立てなくなった。

この病気が発覚した頃はそんなに深刻には考えていなかった。それが1年経ち、2年経ち、病気は悪くなる一方で強い薬の副作用で苦しむ日々だった。

 

『この薬ならよくなる』

『この治療法なら痛みが和らぐ』

『順調に行けば6か月ぐらいで軽くなる』

 

そう言った期待の言葉はことごとく裏切られてきた。

大人の言葉を信用できず、1人で苦痛に耐え続け、このまま死んでしまうんじゃないかと絶望していた。

 

病気そのものは切除してしまったものの、心に刻まれたトラウマはそう簡単に消えてはくれない。

また、裏切られるかもしれないという不安が黒い淀みのように胸の奥でわだかまり続けていた。

 

アキは戸棚の上に置いてあるホロキャスターに手を伸ばした。

スマホのように小型化されているホロキャスターから『メッセージ』のアプリを呼び出す。アプリを起動すると、一番上にタクミとミネジュン、マカナの入ったグループが表示されていた。

 

ミネジュンからはポケモンをゲットするたびに写真が送られてくる。

マカナは日常のどうでも良さそうな呟きが流れてくる。

タクミはあんまりメッセージを残してくれないが、1回1回が丁寧に言葉を綴ってくれているのがわかる。

 

「………」

 

アキはその画面を数秒見つめ、画面を暗転させてしまう。

タクミ達は今もこのカロス地方のどこかで野宿をして、朝の空気を吸っているに違いなかった。

そんな彼等の気分に水を差すようなことを言いたくはなかった。

 

しばらくすると、朝の検査の為に看護師さんがやってきて腕から血を採って帰っていく。

昔はよく泣いていた採血も今となっては毎日でも平気だ。別に痛いのが好きというわけではないのだが、泣いても喚いても検査は絶対にやらなくてはいけない身体なので、抵抗しない方が楽なのだと気が付いたのだ。

 

パン主体の朝食をほぼ無心となって食べ終え、歯を磨いて顔をおしぼりで拭い、寝癖を本格的に整えた。左脚は今日も包帯でぐるぐる巻きにされているが、少しずつ保護しているガーゼの量は減ってきている。切り落とした足の先に義足が付くのはまだ先の話になるが、それでも快方に向かっているのは間違いなかった。

それから、ベッドの上でもぞもぞと着替える。今日は白のTシャツとサロペットスカートの組み合わせ。

なんとなく画家のような気分になりながら、アキは看護師を呼んで車椅子に乗せてもらった。

本当は一人でも移れるのだが、介助してもらえるならそちらの方がいい。

 

アキはリュックを背負い、ホロキャスターをポケットに突っ込み、「よしっ」と気合をいれる。

 

今日はポケモンハイスクールでの授業に直接出席する。座学だけならweb授業で単位を得られるのだが、実技となるとそうもいかない。

そして、今日は本格的なポケモンバトルの講義が行われる。タクミ以外とのはじめてのバトルだ。

 

今日は色々なことがある。色々なことが決まる。

 

病院からポケモンハイスクールまではせいぜい3ブロック先で、大した距離もない。

だが、ずっとベッドの上にしか居場所のなかったアキにとってそれは広い世界へと出ていくことに他ならなかった。

 

タクミ達の『地方旅』と同じように、アキの『旅』も今日ここから始まるのだ。

 

そうやって、気合を入れて病室を後にした直後だった。

 

「アキ、今日は体調大丈夫?授業受けれそう?」

「アキ!迎えに来たヨ~」

 

母とミーナが既にナースステーションで待っており、タクミ達のように『独り立ち』というわけにはいかなかった。

 

「お母さん、私1人で行くって言ったでしょ」

「もちろん。でも、見送りくらいいいでしょ。吐き気はない?トイレは行った?ハンカチ持った?」

「お母さん!!」

 

小学1年生じゃあるまいし。しかも、今は友人のミーナの目の前なのだ。アキは耳まで真っ赤にして声を張り上げた。

 

「はいはい。でも、気をつけてね」

「わかってる。ミーナ、行こ」

「OK!車椅子握った方がいい?」

「うーん……」

 

アキは一瞬思考をめぐらせる。

 

「いや、いいよ。自分で押していく」

「そう?疲れたら言ってね。すぐに押してあげるから」

「ありがとう」

 

アキはそう言って車椅子の車輪の外側についている持ち手を握った。

廊下を進み、エレベーターに乗り込み、診療でごった返すロビーを抜ける。

 

車が行き交うカロスの町。

 

アキは天井より遥かに高い青空を見上げて、目を細めた。

外の世界はアキにとっていつも光が強くて眩しい。

 

「アキ?どうかした?」

「ううん、なんでもない。行こっか」

 

アキはミーナに適当に話題を振りながらポケモンスクールへと向かった。

 

ポケモンスクールは円形のミアレシティの外側に位置していた。

 

地球界で言うところのゴシック建築に似た様式の建物だ。ミアレシティのポケモンスクールの歴史は古く、遡ればポケモントレーナーが『ナイト』と呼ばれていた時代にまで記述があるという。建物自体は長い歴史の中で何度も改修工事を行なっており、古びた外装とは裏腹にその中身は最新の設備を取り揃えたカロス地方有数の教育施設だ。

本棟の中には500人は入れる巨大な講堂から、50人単位の小さな教室まであり、様々な授業体系に対応できるようになっている。屋内バトルコートを15面、屋外バトルコートを30面も取り揃えており、それに加えて芝生や巨大水槽などの特殊なバトルフィールドまである。もちろんバトルに関する施設だけではなく、ブリーダーやコーディネーターの為の教室や、果ては大学進学の為の勉強部屋まである。

 

まさにポケモントレーナーに必要な全てが取り揃えられている場所だった。

 

アキもここには何度か来ているのだが、今だにキャンパスを歩くだけで気圧されたような気分になる。

 

『うう……学校か……学校……』

 

そもそも、アキはこうも不特定多数の人間が大勢集まる場所というところに来たことがなかった。

病院内は人口密度的には高い場所かもしれないが、病棟にいる限りだとほとんど人の出入りはなく、大勢の人間がいることを意識することは少ない。

 

アキは何度か大きく息を吸い込んで緊張をほぐそうとする。

 

だが、落ち着こうとすればするほど周囲の人間が自分を見ているような気がしてくる。

アキは車椅子を押す自分の手に嫌な汗が滲んでいくのを感じた。

 

そんなアキにミーナが心配そうに声をかけた。

 

「アキ、大丈夫?なんか顔色悪くなってきてない」

「平気平気、えと、教室はどっちに行けばいいの?」

「午前はバトルのお時間。んで、午後の3限目は講堂で講義。4限目は3-B教室だね」

 

ミーナはそう言ってニヤリと笑った。

 

「これでやっとアキとバトルできるね」

「うん。お手柔らかにお願いします」

「へへん、ポケモンバトルは勉強してるだけじゃ勝てないってのを私が教えてあげるんだから」

「それはそうだけど、ミーナはもう少し予習復習ちゃんとした方がいいよ。3回の小テストで合計13点とかは流石に笑えないと思う」

「笑って!そこは笑って流して忘れて!」

 

ちなみにアキの小テストの合計点は284点。同期の中で2位の成績である。

アキの人生はベッドの上の方が圧倒的に長く、勉強する時間はたんまりあったが故の好成績であった。

 

「じゃあ、今日の4限目のライブ先生の小テストは大丈夫そう?」

「へ?小テスト?あったっけ?」

「先週言ってたじゃん。みんながスタートで躓いてないかどうか確かめるって」

「…………」

「出そうなポイント教えてあげようか?」

「お願い!アキ!!助けて!!」

 

アキは涙目になって肩を掴んできたミーナに苦笑いを浮かべた。

 

アキはミーナに車椅子を押してもらいつつ、膝の上で教科書を広げてライブ先生の講義の内容で重要そうなポイントを幾つか彼女に教えた。

 

「ふむふむ、OK!とりあえず、ポケモンのタイプ相性の歴史の重要人物を覚えておけばいいんだね!最初の分類者はオーキド博士!」

「うん、それで、タイプ相性表は絶対に頭に叩き込んどいて」

 

そんな話をしているうちにミーナがアキを連れてきたのはこのスクールのバトルコートであった。

カロス地方ではスタンダードなクレイコートが20以上も整列している様を見るのはなかなかに壮観であった。まだ始業前だというのにパッと見渡すだけで10を数えるコートで既にバチバチにバトルが繰り広げられている。

 

ポケモンが好きなアキにとってはそれだけで気分が高揚してくる光景であった。

 

「ほんと……ここ何時来ても誰かバトルしてるね」

「そりゃそうでよ。皆、ポケモンリーグを目指してるんだから」

「うん、ここにいる人たちはみんなライバルなんだ」

 

ミーナはチラリとアキの顔を盗み見る。

 

アキはいつも朗らかで陽気に振る舞うことが多い。だが、今日はその頬に人並以上の好戦的な笑みが浮かんでいた。

 

その表情を見て、ミーナは背筋にわずかに震えが走ったのを感じた。

ミーナはアキと友人になってからまだ日が浅い。彼女のバトルすら見たことがない。だが、彼女のポケモンに対する知識量はポケモン界で生まれ育った自分以上に深い。

 

ミーナはこのポケモンハイスクールで彼女が一番のライバルになるんじゃないかと感じていた。

 

そんなミーナが思うことは1つだ。

 

今すぐ、アキとバトルがしてみたい。

今すぐ、自分の力をぶつけてみたい。

 

だが、ミーナが声をかけようとした瞬間、予鈴のチャイムが鳴り響いた。

連絡事項は掲示板とメールにて伝達されるので、ホームルームなどのないポケモンハイスクール。

時間になれば前置きなどなく講義が始まってしまう。

 

ミーナの燃え上がった闘争心は行き場をなくし、渋い表情として顔に現れた。

 

「それで、ミーナ。集合場所はどこ?」

「……案内するよ~」

「ん?ミーナ?なんか変な声してない?」

「べつに~」

 

ミーナはアキの車椅子を押して集合場所へと移動した。

そこではアキ達と同年代の少年少女達が30人程度集まっていた。

 

アキが所属しているクラスはポケモン所持が許される10歳を迎え、ポケモンリーグ初参戦の子供たちが参加するジュニアクラスだ。ポケモンハイスクールにおいて、ポケモンリーグへと進出する人数が一番少ないクラスでもある。

 

ポケモンハイスクールは主に『地方旅』に出られない人たちの集まりだ。そんな人達が規定の講義を受け、実技を経て、ポケモンリーグへの挑戦権を得る。アキ達が所属するジュニアクラスの他にはシニアクラスというクラスもあり、そこには何回もポケモンリーグに出場したことがある人や、本戦リーグに進んだことのある猛者が集まっている。

そんな人たちを押しのけてポケモンリーグの参加枠を勝ち取らなければならないのだから、10歳の彼等がいかに狭き門に挑んでいるのかがわかるだろう。

 

そんな彼等の間にクラスメイトとしての仲間意識は希薄だ。

当然、仲の良い友人グループぐらいはあるが、クラス全体の統一感は皆無に等しい。

彼らにとってクラスメイトとは夢を同じくする同志であると同時に、強力なライバルなのだ。

 

そんな中、突然現れた車椅子の少女は注目を集めた。

 

左足にガチガチに包帯を巻きつけ、好戦的な瞳を隠そうともせず、にこやかに笑いながら現れた赤毛の彼女。

 

アキが現れた瞬間、クラスメイトの間に小さな呟きがこぼれた。

 

「あれが地球界のアキって人だよね」

「ずっとwebで参加してて、小テストで常に満点近いって話だ」

「でも、所詮地球界のトレーナーだろ。地球界のトレーナーはもう何年も本戦リーグに出ていない」

「……まぁ、一応チェックしておくか……強敵にはなりそうにないけどな」

 

アキに向かう視線は興味本位なものから不躾なものまで選り取り見取りであった。

アキは細く息を吐きだし、自分の気持ちを整える。

 

『大丈夫だ……大丈夫……』

 

生まれてこのかた、学校といえば病院の中の学級ぐらいで大多数の授業など受けたことのないアキ。

ここまで大勢の視線に晒されたのは始めてだった。

 

アキは自分の腰に下げてあるモンスターボールに触れ、気持ちを落ち着ける。

 

例えこの場に味方が誰もいなくても、自分には心強い仲間がいる。

一緒に強くなっていこうと決めたポケモン達。今この瞬間も『地方旅』で頑張っているミネジュンやマカナ。

そして、絶対に追いついてみせると心に決めたライバルであるタクミ。

 

アキは1人で戦ってる訳ではない。

アキは揺らぎそうになる自分の心に喝を入れた。

 

そんな時、車椅子を押していたミーナが声を上げた。

 

「やっほー、ナタリー、トマ」

 

アキは急発進した車椅子に一瞬身を固くした。

車椅子に身を預けている身としてはいきなり動き出されるのが一番怖い。

タクミや家族に車椅子を押してもらってるときは必ず声掛けをしてくれるので、こんなことはない。

ミーナはそういう点をまだよくわかっていなかった。

 

少し冷や汗を流すアキに気づくことなく、ミーナは車椅子を押して自分の友人グループに合流した。

 

「ハーイ、ナタリー、今日も元気そうね」

 

そう言ったのは長い黒髪を一本に束ねた少女であった。黒髪といっても日本人とは違い、顔の掘りが全体的に深く、色濃い眉が特徴的な女の子だ。

 

「紹介するね。彼女がアキ。地球界からこっちに来たトレーナーよ」

「へぇ、あなたが噂の。アタシはナタリー。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

「あはは、固くならなくていいよ。ミーナから話は聞いてる。ずっと病院暮らしだったなんて大変だったんだねぇ」

「……う、うん……まぁ、いろいろと」

 

アキはこういう時に人見知りしてしまう自分が恨めしい。

 

やや頬を赤くするアキ。

 

そんな彼女にもう一人のミーナの友人が声をかけた。

 

「君が、アキ……この間の小テストは君に負けた」

「へ?」

「僕はトマ……よろしく」

「よ、よろしく」

 

トマは褐色の肌と薄茶色の短髪をした男子であった。フレームの薄い眼鏡をかけてはいるがその奥には吸い込まれそうな青い瞳があった。彼はアキを見下ろし、『貴様には負けん』とでも言いだしそうな視線で睨みつけてきていた。

 

次の瞬間、トマの頭がナタリーの平手で盛大にひっぱたかれた。

 

「いった……」

「おい、トマ、いきなり威嚇するんじゃない。彼女が困っているだろ」

「僕は威嚇などしていない。ただ、ライバルとなるトレーナーに対して相応しい態度を取っていただけだ」

「もっともらしい理屈捏ねるんじゃないよ!あんたはただこの前のテストで負けたのが悔しいだけだろ!」

 

もう一発頭をひっぱたかれ、トマはナタリーから距離を取った。

 

「ポンポンたたくな。脳細胞が死ぬ」

「フン、その方がいい。頭蓋骨の中にスペースができて余裕も生まれるだろ」

 

険しい顔をするトマを無視し、ナタリーはアキに向けてウィンクを飛ばして肩をすくめた。

 

「悪いね。トマの奴が勉強で負けたのはこの前の小テストが初めてだったんだ。それで、あんたを敵視してるんだよ」

「あ、そうなんだ……じゃあ、彼が主席なんだ」

 

勉強に自信があったのはアキも一緒だった。

3回の小テストも手ごたえは十分であり、1位も十分に狙っていたのだ。

それが、2回も2位に終わったのはアキとしても不本意であった。

 

そんな負けん気を顔に浮かべたアキに向け、ナタリーが楽しそうに口角を持ち上げた。

 

「おっ、なんだいなんだい。あんたもやる気なのか?いいね、バチバチしてる奴は好きだよ」

「え、あ、顔に出てた?」

「ああ、バッチリとね。なるほど、ミーナが言う通り、面白そうなやつだな」

 

そうこうしているうちに本鈴が鳴り、講義が始まった。

最初はポケモンバトルの基本的なルール説明の解説からだった。その中にはカロスリーグにおけるルールの話も盛り込まれていた。

 

カロスリーグに出場するにはバッジを集めるか、その他の方法で出場権を獲得するかだが、出場権を得られたからと言ってすぐさま本戦リーグに出場できるわけではない。

 

まず、カロスリーグでは2VS2の予選がある

その年の参加人数にもよるが、例年通りであれば5回から6回勝利すれば本戦リーグに出場できる。

本線リーグは20人によるトーナメント戦。人数が中途半端なのはシード権を持つトレーナーが4人いるからだ。

 

本線リーグの準々決勝から参戦してくる4人のトレーナー。

 

それが四天王だ。

 

彼等はカロス地方を勝ち上がってきた強力なトレーナーと準々決勝で戦い、そして大概は四天王だけの準決勝が始まる。

本線リーグに出場してくるのは実力者ばかりのはずなのに、それを毎年当然のように切り捨てていく。

それだけ、四天王というのは圧倒的強さを持っているのだ。

シード権を持っているのは権力者故の特権ではなく、『やるまでもなく勝敗が決まっている』という強さの証明でしかなかった。

 

まぁ、そんな先の先の話など今のアキにはどうでも良かった。

 

今はただ、一刻も早くバトルをしてみたかった。

 

そして講義が終わり、バトルの時間が訪れる。

今日は成績に関与しない模擬バトルであり、好きな相手との1対1の勝負を時間の許す限り行うこととなった。

 

そして講師が各々に任せた瞬間だった。

 

アキの両肩にズンとミーナが体重をかけた。

 

「さぁ!アキ!バトルしよう!」

「うん、やろう!!」

 

お互いの瞳が熱く燃えていた。

 



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Side School 学校という場所 中編

ポケモンハイスクールに実際に通うことになったら真っ先にミーナとバトルをする。

それは2人の間の約束であった。

アキは車椅子を押して、バトルフィールドのトレーナーサークルへと入る。

対面にはミーナが不適な笑みを浮かべて立っていた。

 

ナタリーとトマはバトルをせずに観客席から2人のバトルを見届けるようであった。

 

「さぁ、アキ!!勝負だよ!」

「うん!」

 

アキとミーナはそれぞれモンスターボールを構え、フィールドに投げ込んだ。

 

「お願い!イーブイ!」

「行くよ!フォッコ!」

 

アキが選んだポケモンはイーブイであった。このポケモンはアキが最初にヒトカゲを貰った時に一緒に受け取ったポケモンであった。

 

「ブィッ!!」

 

イーブイは全身の毛を逆立たせ、尻尾を跳ね上げる。

少しでも自分の体を大きく見せる為の威嚇行為だ。それだけでイーブイのバトルに対する熱意が伝わってくる。

 

対してミーナが選んだポケモンはフォッコ。

カロス地方で初心者トレーナーが最初に貰うポケモンの代表格のうちの1匹だ。

 

フォッコは尻尾に刺していた小枝をポリポリと食べ、耳から火の粉を噴出した。

 

両者共にやる気十分。

 

審判AIが起動し、バトル開始を宣言する。

 

「試合開始!!」

 

先手を取ったのはフォッコの方であった。

 

「フォッコ!“ニトロチャージ”!」

「フォッ!!」

 

フォッコが全身に炎をまとい、突っ込んでくる。

それに対してアキも応戦する。

 

「イーブイ!“でんこうせっか”!」

「ブィ!!」

 

静止した状態から一気に最高速度へと加速したイーブイ。フィールドを一直線に駆け抜けるとき、イーブイの尻尾の白い毛がテールランプのように白い残像となる。

 

速度を上げたフォッコとイーブイが一直線上に相対する。

 

「フォッコ!正面突破だよ!吹っ飛ばせぇ!!」

「フォッ!!」

 

四肢に力を入れて更にスピードを上げるフォッコ。

最高速度のまま間合いを詰めるイーブイ。

 

アキの指示はなく、両者は真正面からの力比べをするかのように見えた。

だが、フィールドの中央でポケモンが激突する寸前。

短く、的確なアキの指示が飛んだ。

 

「右!!」

「ブィ!!」

 

イーブイとフォッコが衝突する数舜前にイーブイが急激に方向転換した。

最高速度を維持したままほとんど直角に向きを変える荒業だ。

イーブイはフォッコの攻撃の軌道から逸れ、“ニトロチャージ”をやりすごす。

 

「フォッ!?」

「くっ、フォッコ逃がさないでもう一回“ニトロチャージ”」

「させない!そこっ!!」

「ブィ!!」

 

イーブイはフォッコが方向転換するタイミングを狙って“でんこうせっか”で突撃する。相手の攻撃の出鼻を挫く、これ以上ない一撃だった。

 

だが、このフォッコはその程度で根をあげるようなポケモンではなかった。

 

「フォッコ!負けるな!押し返せ!!」

「フォォォッ!!」

 

フォッコは自身の纏う炎を更に吹き上がらせ、地面を蹴り上げた。

先ほどより更に速度の上がった“ニトロチャージ”。

炎の威力も手伝い、フォッコがイーブイを弾き飛ばした。

 

「イーブイ!受け身を取って!着地と同時に“でんこうせっか”」

「ブィ!!」

 

イーブイは飛ばされた勢いを殺さないように肩から着地し、地面を転がるように受け身を取る。そして四肢が地面に着いたと同時に再び最高速度まで加速した。だが、今度は馬鹿正直に真正面から突撃などしない。

 

「攪乱する!動いて動いて!」

「ブィブィ!!」

 

イーブイは不規則にバウンドするラグビーボールのように縦横無尽にフィールドを駆け巡る。

いくらフォッコが“ニトロチャージ”で加速を重ねても、これでは相手を捉えることは至難のだ。

 

「くっ、フォッコ!スピードじゃ追いつけない!フィールドいっぱいに“ひのこ”をばらまいて!」

「フォッ!!」

 

フォッコは体を震わせ、体毛の隙間に小さな火花を発生させ、それを一気に霧散させた。

巨大なねずみ花火のように“ひのこ”をまき散らすフォッコ。フィールド全体が発火したかのように赤く染まった。その様はまるで炎の霧のようであり、この中を飛び回れば全身に炎を浴びることになる。

 

イーブイは動きを止めざる終えない。

 

だが、その瞬間こそアキが待っていたものだった。

 

「足を止めたね!!イーブイ!“シャドーボール”」

「ブィィィ!!」

 

イーブイは“ひのこ”を受けながらも、全身の毛を逆立たせながらエネルギーを口元に収束させる。

出来上がったのは夜を溶かし込んだ色の球体。バチバチと黒いスパークを放ちながら、“シャドーボール”が完成する。

 

「発射!!」

「ブィィ!」

 

放たれた“シャドーボール”はフィールドを横切り、フォッコに直撃した。

“シャドーボール”が炸裂し、噴煙が立ち上る。

 

「しまった、フォッコ!!大丈夫!?」

「コホ……コホ……」

 

砂煙の中からフォッコが咳をしながら転がり出てくる。

 

「イーブイ!間合いを詰めて!」

「ブィィ」

 

イーブイは噴煙の中を駆け抜け、一気にフォッコに肉薄する。

 

「そこっ!“でんこうせっか”」

「ブィ!!」

 

超子近距離からの一撃。

フォッコは再び吹き飛ばされ、フィールドの外まではじき出された。

 

「フォッコ!!」

「……ふぉ……こほ……」

 

倒れるフォッコを確認し、審判AIがフラッグを上げた。

 

「フォッコ、戦闘不能、イーブイの勝ち!」

「いやったぁああ!イーブイ!!」

「ブィブィ!!」

 

イーブイは喜びを爆発させるようにその場で2度飛び跳ね、アキに向かって駆け出した。

 

「ブィィ!」

 

イーブイはアキの胸元に飛び込み、膝の上で胸を張る。

『褒めろ、褒めろ』と言いたそうなイーブイの頭をアキは思う存分撫でまくった。

 

「やったやった、よくやったイーブイ!!」

「ブィ~」

 

尊大そうな顔つきで綺麗な毛並みをワシャワシャにされるイーブイと歯を見せて笑いながらイーブイの全身を撫でるアキ。

 

その様子を観客席からナタリーとトマが見ていた。

 

「ほーアキもなかなかやるじゃん。トマはどう思う?」

「彼女は終始自分のペースでバトルを進めてました。“シャドーボール”という隠し玉には少々驚きましたがね」

「それ対してミーナは少し動きが固かったね。ちょっと緊張してたかな」

「確かに、“ニトロチャージ”での加速にこだわりすぎていたようにも見えました」

 

お互いに今のバトルの感想を語り合うナタリーとトマ。

そうこうしているうちに、ポケモンをボールに戻した2人が観客席の近くまで寄ってきていた。

 

「ナタリー、トマ。次は2人がバトルしなよ」

 

目元を少し赤く腫らしたミーナが2人に呼びかける。

 

「いいのかい?ミーナとアキでもう一戦してくれても私達は構わないよ。だろ?トマ」

「ええ、というか僕たちは既に何度も野良バトルをしてます。今更やっても結果は見えています」

 

メガネをクイっと持ち上げたトマ。そんな彼の言い方にアキは口を挟んだ。

 

「結果が見えてるって、もしかして、皆んなの中で誰が一番強いかもう大体決まってるの?」

「ええ、もちろん。この3人で一番強いのは……」

 

そしてトマは台詞を切り、ズレてもいないメガネを鼻筋に押し付けた。

それと同時にミーナが大きく胸を張り、ナタリーも親指で自分を指し示した。

 

「僕ですね」

「私」

「アタシだね」

 

3人の声が綺麗に重なった。

そして、3人の視線が交差する。

 

トマがもう一度メガネをクイッと持ち上げた。

 

「あのですね2人とも、僕はこの3人でのバトルの戦績を全て記憶しています。戦績では僕が2人に勝ち越しています。強いのは僕です」というトマにすかさずミーナが反論する。

「何言ってんのさ!トマはここんとこ連敗続きじゃん!私に2連敗、ナタリーに4連敗中のくせに最強なんて烏滸がましい。っていうか、私、ナタリーにも現在3連勝中なんですけど〜」そう言ったミーナにナタリーが鼻息荒く捲し立てる。

「ふざけたこと抜かしてんな。あの3戦はエース勝負じゃなかったろ。エースでの1対1でなら、私の勝率は7割近い。一番強いのはアタシだ」

 

バチバチと火花を散らす3人。

アキはそんな彼等の対抗心剥き出しの様子に「おー」と小さく声を上げた。

こういった『勝ちたい』という欲求をストレートにぶつけ合う文化はアキの周りには無かったものであった。

 

そもそも、アキの周囲にいたのはポケモンバトルをできる年齢まで生きることすら大変な人ばかりであったのだ。唯一の例外がタクミであったが、彼の剥き出しの闘争心を見たのもこの前の初バトルが最初であった。

 

「なんなら今ここでもう一回最強を決めようじゃんか」

 

ミーナがそう言ったが、その言葉にはナタリーとトマが首を横に振った。

 

「ミーナのエースは消耗してるじゃないか。今、バトルしても結果は見えてるよ」

「そうです。それに……」

 

トマがチラリとアキに視線を送った。

 

「あれ?私がいると問題?」

「そういう訳ではありませんが……僕達はアキのことを何も知りません。そんなアキの前でバトルを行なって一方的に情報を晒すのは、フェアではないように思うんですよ」

「それは……」

 

いくらなんでも気にしすぎではないだろうか?

 

アキは内心でそう思った。

これから1年間、ここで幾度もバトルすることになる。ポケモンリーグが始まる頃にはもうお互いに相手の大部分の情報を持っているだろう。最初の数試合、それも評価に関係の無い自由時間の試合の勝敗にまで情報戦をする必要があるのだろうか?

 

まぁ、考え方は人それぞれだ。

 

「それじゃあ、私とバトルしない?それならフェアでしょ」

「確かに、それなら構いませんね。それじゃあナタリーがお先にどうぞ」

「おい!トマ、どこまで情報収集に徹するつもりだお前は」

「いえいえ、レディファーストですよ」

「ったく、都合の良い時だけ紳士ぶりやがって。まぁ、いいや。アキ、アタシとバトルしようや」

「うん!」

 

バトルの経験が未熟なアキとしてはどんな相手でもバトルができるのは願ったり叶ったりだ。

そして、いざもう一戦と意気込んだ時だった。

 

「おい、ちょっと待ってくれよ。そこのバトルフィールドは俺達が使うんだからな」

「え?あっ、それはごめんなさ……い……」

 

声の方に振り返ったアキの言葉が尻すぼみになる。

そこにいたのは男子と女子数人のグループ。その中心にいたのはアキと同じ東アジア系の顔をした男子であった。彼等はアキ達に向けて薄い寒い微笑を浮かべていた。

 

ただ、アキが言葉に詰まったのは相手の圧力に怯んだ訳では無い。

彼等の背後に使われていないバトルフィールドがいくつも広がっていたからだ。

他に幾らでも使えるバトルフィールドがあるのに、わざわざアキ達のフィールドを使いたいと言い出した。

 

明らかな嫌がらせ行為であった。

 

そんな彼等に向けて真っ先にミーナが噛み付いた。

 

「なんだよ、あんた達。バトルしたいなら隣のフィールド使いなよ」

「隣は俺達が予約済みなんだよ」

 

集団の中の1人がそう言ってニヤニヤと笑う。この様子なら他のフィールドを使えと言っても無駄だろう。

彼等の目的はポケモンバトルではなく、アキ達の妨害なのだ。

 

アキは車椅子をくるりと回し、彼等を睥睨する。

 

学校という場だとイジメが問題になるニュースは度々耳にするがこうも簡単に出会えるとは思わなかった。

アキはどうしようかと思い、自分に友人達を見渡す。

ミーナは眉間に皺を寄せてわかりやすく怒っている。トマは心底面倒そうに身を一歩引いていた。ナタリーは、ちょっとのっぴきならない表情になっていた。

 

「くだらないことしやがって……」

 

先程までの朗らかで姉貴分的な彼女とは打って変わり、低くドスの効いた声がナタリーの口元から漏れる。

彼女の指がゆっくりと握りしめられ、関節がパキパキと音を立てた。

 

「ナ、ナタリー。暴力はダメだよ」

「あん?」

 

チビりそうなぐらい怖い顔で睨まれた。元々の彫りが深い顔の造形が強い陰影を残し、般若のような顔になっていた。

正直、嫌がらせの標的にされたこと以上にナタリーのことが恐ろしいと思った。

 

とにかく、今の状況を何とかしなければならない。正直、アキとしてはこんな連中に付き合う時間は無駄でしか無い。

下手にぶつかるより、身を引いた方がいい。

 

アキは車椅子の車輪に手をかけた。

 

「みんな、他行こう。バトルフィールドは他にもあるんだし」

 

だが、そんな弱腰な姿勢は味方のはずの友人女子2人が決して許さなかった。

 

「あぁん!?こいつらから逃げるのか!?」

「そうだよ!アキ!引くことないって。っていうか、ここで退いたらずっと続くよ!殴られたんなら、殴り返さなきゃずっと負けっぱなしになる!」

「で、でも……」

 

今まで狭い人間関係しか持ってこなかったアキ。アキが我儘を言って、自分を押し通していけたのは今までタクミだけだったのだ。

こういった場でどうしたら良いかなどわからず、逃げてしまうのは仕方のないことであった。

 

そんな逃げ腰の彼女を見てアジア系の彼がせせら笑った。

 

「見ろよ。やっぱり地球界のトレーナーってのはこんな程度なんだよな」

 

ピタリとアキの手が止まった。

 

「だよな。バトルしようとしてもすぐに何か言葉を濁して逃げやがる。トレーナー同士、目があったらバトルするのが挨拶みたいなものなのにな。挨拶もできない礼儀知らずばかりだ」

「そうそう、『地方旅』に来たって言っても、ただの観光旅行だろ?そんなんだから本戦リーグにも出場できない」

「やるだけ無駄なんだよねぇ。まぁ、ポケモンスクールに通うのも同じぐらい無駄だと思うけど」

「地球界のトレーナーにバトルフィールドは似合わないんだよ」

 

アキが目を見開き、ジロリと彼等へと視線を向けた。

それを見て、ミーナがニヤリと笑い、ナタリーが「ふん」と満足そうに鼻を鳴らした、一歩引いていたトマは眼鏡を押し上げてメモ帳を開いた。

 

アキは車椅子をその場で勢いよく反転させ、彼等の前へと出る。

 

「そんなに強いの?ポケモン界のトレーナーってのは?」

 

その問いに彼等は声をあげて笑った。

 

「当たり前だろ?お前、ポケモンリーグ見たことある?地球界のトレーナーが本戦に進んだことなんて一度だってないんだぞ。地球界のトレーナーなんて雑魚だ」

「へぇ……じゃあ、私に負けてるあなたは雑魚以下だ」

「あ?何言ってんのお前?」

 

彼等はアキの言葉の意味がわからないという仕草をした。

そんな彼等にアキは穏やかな表情を崩さない。

 

「小テストで私に勝ってるのってトマだけなんでしょ?地球界から来た私に成績で負けて、よく大口が叩けるよね」

「お前、馬鹿じゃねぇの?座学と実技は違うんだよ」

「じゃあ試してみる?」

 

アキはモンスターボールをスルリと取り出した。

 

「あなたの言うことが本当なら、地球界のトレーナーの私には絶対に勝てるよね」

「面白ぇ」

 

彼は『ノッてきたな馬鹿が』という顔でアキを見下ろす。

それをアキはいつもと変わらない笑顔で受け止めた。

 

「俺が勝ったら、もう二度と俺に逆らうんじゃねぇぞ」

「嫌です」

 

アキはそれだけをサラリと言って、さっさとトレーナーサークルへと進んでいった。

挑発を流された彼は友人連中に小突かれながら、トレーナーサークルへと入っていく。

 

「ったく、あいつら……」

 

アキの隣にミーナが並び、鼻息を強く吐きだした。

 

「アキ、加減することないよ。思いっきりやっつけちゃえ」

「ミーナ。バトルは喧嘩じゃないんだよ」

 

アキは平常心を保ったままのような声でそう言った。

すると、背後でナタリーが唾を吐き捨てる音が聞こえた。

 

「アキ、そんな優等生地味た建前なんか聞きたかないよ。本音と本気でぶつかってこそのポケモンバトルだ。腹の内をさらけ出せ」

「そうだそうだ!ナタリーの言う通りだ!」

「……みんなにとってのポケモンバトルってそんな感じなんだ……」

 

どうやら、地球界とポケモン界のトレーナーではバトルに対する意識が随分と違うらしい。

地球界は少しポケモンバトルを神聖化しすぎなのかもしれない。

 

ただ、アキとしてはあまり感情をバトルにぶつけるつもりはなかった。

 

そもそもアキは思考と感情を切り離すのは得意なのだ。

運命に対する行き場のない怒りも、先の見えない絶望も、全部飲み込んで生きてきた。アキにとってこの程度の感情など胸の奥に閉じ込めておくのに造作もない。

 

ただ……

 

「…………」

 

アキがモンスターボールを握り込むと、モンスターボールが強く熱を帯びた。

それが自分の掌の熱だと自覚するのに随分と時間がかかった。

 

『地球界のトレーナー』

 

アキにとって、その条件に一致する相手はほとんど限定される。

 

「……私がどうこう言われるのは別にいいんだよね……別に……」

 

アキは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。

 

「でも……」

 

アキには夢がある。苦しい時も辛い時もそれを支えに生きてきた大事な夢だ。

 

タクミと一緒に語り合った夢だ。

 

「私の……私達の夢を馬鹿にするのだけは……許さない……」

 

アキは静かに燃える心の火をモンスターボールの中に移すかのようにモンスターボールをコツンと自分の額に当てた。

その瞬間、ヒトカゲのモンスターボールが一際強く揺れた気がした。



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Side School 学校という場所 後編

アキは相手の出方を待つことなく、素早くモンスターボールを投げ込んだ

 

「行け!ヒトカゲ!」

「カゲェ!!」

 

同時にポケモンを選ぶことが推奨されるバトル開始。

先にモンスターボールをフィールドに投げ込むのは所謂ハンディキャップとされていた。

対戦相手がそのポケモンを見て相性有利なポケモンを選べるからだ。

 

アキは当然そんなことを知った上でヒトカゲを繰り出した。

 

そもそも、イーブイは先のバトルで消耗しているし、もう1体はバトルに不向きなコイキングなので選択肢がないのだ。

だが、例え選択肢があったとしてもアキは同じことをしただろう。

 

それはミーナやナタリーにはアキの『挑発』と映った。

 

『自分の方が圧倒的に強い。だからハンディキャップをやる』

 

そんな意思表示に見えたのだ。

 

だが、アキを小馬鹿にする彼からすればそれは『無知』に映った。

 

『ポケモンバトルの基礎も知らない馬鹿』

 

そんな認識の違いが彼の笑みをより趣味の悪いものに変える。

 

「んじゃ、ちゃっちゃと片付けるか。行け、ゼニガメ!」

「ゼニィ!」

 

【ほのおタイプ】と相性の良い【みずタイプ】

奇しくもカントー地方の初心者用ポケモンでのバトルになった。

 

審判AIがいつもの口上を述べる間、アキはふと気になったことがあってミーナに一つ質問をした。

 

「ねぇ、ミーナ。彼って名前なんていうの?」

「ああ、あいつ?あいつはリヨン。うちのクラスのカースト頂点だってさ。くだらない」

 

ミーナは苦虫を10匹程まとめて嚙み潰したような顔をした。

 

「ポケモンバトルの腕前じゃなくて、人間関係とコミュニケーション能力だけでクラスの中心気取っちゃって、馬鹿みたい。まぁ、そこそこ実力あるみたいだけどさ」

「へぇ……」

 

そこにナタリーが更に補足を加えた。

 

「アキ。お前が勝てばあいつの牙城は一瞬で陥落する。リヨンのチームはバラバラになるだろうし。一気に過ごしやすい1年間が手に入るぞ」

「ふふ、それはいいこと聞いた」

「勝算は?」

「どうだろうね。まぁ、見ててよ」

 

アキはそう言って胸の中に溜まった息を強く吐きだした。

 

バトル前の程よい緊張感はある。余計な感情はヒトカゲがバトルフィールドに持っていってくれた。

タクミと初めてバトルした時のような高揚感は当然ない。だが、逆にそれがアキに冷静にフィールドを見渡す余裕を生み出していた。

 

そんな彼女らの遥か後方。観客席でメモ帳を開いていたトマは眼鏡を押し上げ、目を細めていた。

 

「試合開始!!」

「ゼニガメ!速攻で終わらすぞ!“みずてっぽう”!」

「ガァメェ!!」

 

口をすぼめた鋭い水流。

確かにヒエラルキーの頂点を自称するだけあり、その鋭さは通常のトレーナーと比べても一線を画するものであった。

 

「右!」

「カゲッ!」

 

だが、それをヒトカゲは紙一重で回避する。

通り過ぎた水流はアキの目の前でバリアに阻まれて霧散した。

 

「…………」

 

それに対して眉一つ動かさないアキ。

相手の顔を見ればわかる。リヨンはわざとアキを狙ったのだ。

だが、ゼニガメにそんな指示を出していた様子はなかった。

 

となれば、明白だ。

 

彼はいつも最初の一発は相手のトレーナーを狙うような軌道にして狙っているのだ。その良し悪しはこのさいどうでもいい。

とにかく、最初の攻撃はデモンストレーションだということだ。

 

アキは瞬時に相手のワザの威力の想定を更新する。

 

「ゼニガメ!連射しろ!」

「ゼニィ!!」

 

“みずてっぽう”の連続攻撃。先ほどより短く、連射するような弾幕。だが、そのスピードもパワーもアキの想定内であった。

 

この程度、タクミのキバゴなら『正面突破』だろうな……

 

そんなことを思いながら、アキはクスリと笑った。

 

「だけど私は……ヒトカゲ!“えんまく”」

「カゲェ」

 

ヒトカゲの口から黒い煙が噴出される。

一瞬で身を覆い隠すほどの巨大な煙幕。

 

そこに“みずてっぽう”が次々と突き刺さっていくが、手ごたえはない。

ヒトカゲの放つ“えんまく”はその間も少しずつ広がっていき、フィールドの半分を覆う程になった。

 

「はん!浅知恵だな!ゼニガメ!“こうそくスピン”で吹き飛ばせ!」

「ガァメメメメメメメ!!!」

 

ゼニガメがは手足を引っ込め、その場で高速で回転を始める。

その回転が巻き起こす風が竜巻のように吹き荒れる。

 

「行け!!ゼニガメ!!」

「ガァメェ!!」

 

ゼニガメは回転をしたまま、“えんまく”へと突っ込んだ。ヒトカゲの放っていた噴煙が瞬く間に風に押されて霧散していく。“えんまく”が晴れ、何もないフィールドにヒトカゲの姿が浮かび上がる。

 

「そこだ!“みずてっぽう”」

「ガメ!!」

 

その攻撃は寸分たがわずヒトカゲを捉えた。

真正面から“みずてっぽう”を受けるヒトカゲ。両手を交差させて防御姿勢を取るが、それだけでは相性の悪い攻撃を受けることはできない。

 

「カゲッ……」

「ヒトカゲ!耐えて!」

「ゼニガメ!畳みかけろ!」

「ガメガメ!」

 

ゼニガメが放つ水流がヒトカゲの体を傷つけていく。効果は抜群だ。

 

「うわ、うわ!アキ、ヤバいって反撃しないと!」

「アキ!なんで受けに回る!前に出ろ!」

 

ミーナとナタリーが焦ったように声をかけるが、アキは動かない。

アキは手に滲んだ汗を拭うこともせずにフィールドを凝視していた。

 

ヒトカゲは度重なる攻撃に膝をつく。ヒトカゲの尻尾の先の炎が風に吹かれた蝋燭の炎のように弱まる。

 

「…………」

「はん、やっぱ雑魚だったな。ゼニガメ!とどめだ!」

「ガメェ!」

 

ゼニガメが大きく息を吸い込んだ。

 

その瞬間、ヒトカゲは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ヒトカゲの尻尾の炎が一気に吹き上がる。ヒトカゲは地面を“メタルクロー”で掴み、腰を上げ、クラウチングスタートの体勢となる。

 

そのわずかな立ち位置の変化にリヨンは気づかない。

 

「ゼニガメ!“みずのはどう”!」

「ガメェェェェ!」

 

特大の威力の一撃。

 

自分を誇示したい人間程、見た目が派手なワザを好む。

 

アキはこの瞬間に全神経を集中させていた。

 

「……今!!」

「カゲッ!!」

 

ヒトカゲの足が地面を強く蹴り上げた。

猛禽類を思わせる程に深く沈み込んだ超低空走法。

ヒトカゲの全体重を乗せて、前へ前へと突き進む瞬間的なダッシュ。

長い尻尾によりバランスを保つことができるヒトカゲならではの走り方であった。

 

ヒトカゲはその一瞬のダッシュで“みずのはどう”の下をくぐり抜けてみせた。

 

「なっ!?」

 

リヨンが狼狽えた時にはもう遅い。

ヒトカゲは一気にゼニガメの懐に飛び込んだ。

 

「“メタルクロー”!」

「カゲェ!!」

 

突進力そのままにゼニガメの腹部へと“メタルクロー”を叩きつける。

頑丈な甲羅でクローの斬撃は阻むことができても、その衝撃は確実にゼニガメの体を貫いた。

 

鈍い音がして、ゼニガメの瞳孔が一気に広がった。

 

「ゼニガメ!“みずてっぽう”で追い払え!」

「ガ、ガメ!」

「無駄!ここはもう、打撃戦の間合い!」

「カゲェ!!」

 

ポケモンバトルに限らず、遠距離攻撃で大事なのは狙いを正確につけることだ。それは人間だって一緒。例えば、人が拳銃を持つ敵に相対した時の対処法として、狙いをつける前に接近して無力化するというがは各国の特殊部隊で教えられる。

 

ゼニガメのように口からワザを放つタイプの攻撃は視線と射線がほぼ一致する。それは視認できればほぼ確実に当たるというメリットであるが、この至近距離では話が別だ。ゼニガメがヒトカゲの動きを追いながらワザを当てるのには余程の熟練していなければできない。

 

それでもなんとかヒトカゲに顔を向けようとするゼニガメ。

 

「ヒトカゲ!回り込んで!」

「カゲェ!」

 

ヒトカゲは素早くゼニガメの側面に回り込み、フック気味の“メタルクロー”をゼニガメの顔面に叩きつけた。

 

「ガメッ……」

 

ゼニガメの“みずてっぽう”が明後日の方向へと飛んでいく。

そこにヒトカゲは正拳突きに似た鋭い打撃をゼニガメの腹に叩き込んだ。

 

「ガメッ……」

「“ドラゴンテール”!」

「カァゲェェ!!」

 

ヒトカゲはその場で鋭く回転する。ヒトカゲは後ろ回し蹴りの要領でその尻尾をゼニガメの顔面に叩きつけた。

なぎ倒され、地面に叩きつけられるゼニガメ。

 

「ヤバい……ゼニガメ!“こうそくスピン”だ!近づけるな!距離を取れ!」

「ガメッ!」

 

手足を引っ込め回転を始めるゼニガメ。

 

「遅い……」

 

それをするなら最初に接近されたときにするべきだった。

アキは容赦なく次の指示を飛ばす。

 

「ヒトカゲ!“メタルクロー”」

「カゲッ!!」

 

回転するゼニガメの甲羅に向け、ヒトカゲは回転を相殺するように“メタルクロー”を叩きつけた。

 

「なっ!」

「ガメッ!」

 

回転を殺され、動きが止まる。

隙だらけになるゼニガメ。

 

ヒトカゲが動き出す。アキの指示を聞く前から次の指示がわかっているかのようにワザの初動に入る。

アキもまた、最初からヒトカゲの次の行動を予測していたかのように指示を出す。

 

「“ドラゴンテール”」

「カゲッ!」

 

ヒトカゲの尻尾が青白いエネルギーを帯びる。

ヒトカゲは前方宙返りをし、踵落としのようにその全体重を乗せた一撃をゼニガメの甲羅に叩きつけた。

 

激しい地鳴りのような音がして、ゼニガメが地面にめり込む。

 

ヒトカゲは受け身を取りつつ、素早く立ち上がり、残心の姿勢を取る。

もしゼニガメが起きてきたらすぐさま追撃をするつもりであった。

 

「ゼニガメ!ゼニガメ!起きろ!!!」」

 

リヨンが額に汗を浮かべながらゼニガメを呼ぶ。

彼は既に自分の背後にいる自分のグループの連中から冷たい視線が突き刺さるのを背に感じていた。

 

あれだけ大見得を切って負けるわけにはいかないのだ。

 

「ゼニガメ!まだやれんだろ!“みずのはどう”だ!うてよ!!!うて!!」

「ガ、ガメッ!!」

 

ゼニガメはまだ動けた。

ゼニガメは身体を回転させ、ヒトカゲから距離を取って起き上がる。

 

「ガメ……」

「行けぇぇ!!」

 

起死回生の一発になるはずだあろう、衝撃波が放たれた。

 

【みずタイプ】のエネルギーを波に変換して撃ち抜く“みずのはどう”は例え“メタルクロー”で防御しても貫通してヒトカゲにダメージを与える。

 

だが、それはゼニガメが全力でワザを放てた場合に限るのだ。

 

ヒトカゲの度重なる腹部への攻撃はゼニガメがワザを放つのに必要な体力を明確に奪い取っていた。

 

「ヒトカゲ、“メタルクロー”」

「カゲ」

 

放たれた“みずのはどう”をヒトカゲは“メタルクロー”で切り裂いた。

“みずのはどう”は相手を『こんらん』状態に陥らせることもあるものであるが、ワザそのものが霧散してしまえばその限りではない。

 

「ガ、ガメ……」

「そ、そんな……馬鹿な……」

「ヒトカゲ!トドメ!」

「カゲッ!」

 

ヒトカゲは先ほど見せた短距離ダッシュを用いて一気に間合いを詰め、棒立ちのゼニガメを“メタルクロー”で切り裂いた。

ゼニガメの脇を走り抜け、振り返って再び残心。

 

だが、今度こそゼニガメが立ち上がってくることはなかった。

 

「ゼニガメ!戦闘不能!ヒトカゲの勝……」

「ふざけるなぁぁあぁあ!!」

 

審判AIの勝利宣言を覆い隠すようにリヨンが叫ぶ。

 

「そんなわけあるか!まだだ!まだ勝負は続いてる!次だ!次のポケモンで……」

「おい、もうやめろよリヨン」

「うるっさい!このまま引き下がれるか!」

 

グループの他の奴らに止められるリヨン。

だが、バトルの前と違い、彼等のリヨンに対する扱いは酷く粗雑だった。

 

なにせ、終わってみれば随分と一方的な試合であった。

 

アキが行ったバトルを総括すれば『苦手な相性のワザを全て受け切り、その上で勝利した』という結果になった。しかも、先にポケモンを繰り出していたのはアキの方。

誰がどう贔屓目に見ても言い訳の余地のない完全な敗北であった。

 

試合前に散々煽り散らしていたこともあり、いい面の皮であった。

 

だが、その原因が誰にあるかといえばやはりリヨン本人であっただろう。

 

もし、リヨンが最初から油断せずに“みずてっぽう”ではなく、“みずのはどう”をメインに使っていたなら違う展開もあった。当然、その場合はアキも別の対処法を取っていただろうから一概には言えないだろうが、少なくともここまで一方的な試合にはならなかったし、アキが勝ちを拾えたかどうかもわからない。

 

実際にバトルをしていたアキからすればそう感じる程にゼニガメのポテンシャルはあったのだ。

それはアキの腹の奥をウズウズさせる程のものだ。

 

『今度は全力のゼニガメとバトルしてみたい』『次はタイプ相性のないイーブィでバトルしてみたい』

 

アキの本幹にあるトレーナーとしての熱量がそんな想いを抱かせていた。

本当なら、リヨンと握手をして感想戦でもして次のバトルの約束をしたいところであったが、向こうにその余裕はないだろうし、握手などもっての他だろう。

 

何より両隣の『味方のはずの友人女子2人』がリヨンに左指で下品なポーズを送っているので、そんなことを言いだせる雰囲気ではなかった。

 

「イェーイ、あぁ~スッキリした!アキ、最高!」

「ありがと」

「っていうか、やっぱ強いね。アキ」

「そうかな?」

「そうだよ、ね、ナタリー」

「ああ、強い。だからこそバトルしがいがある。ちょっと休んだら予定通り『このフィールド』でバトルしような」

「うん」

 

とりあえず、アキとしてはナタリーが朗らかに笑ってくれていることが一番の安全材料であった。

アキはトテトテと戻ってきたヒトカゲを膝に抱き上げた。

 

「ヒトカゲ、お疲れ様」

「カゲ」

 

アキは傷ついたヒトカゲの鱗に触れないように注意しながらヒトカゲの頭を撫でてあげた。そんなヒトカゲの頭を女子2人もヨシヨシと撫でる。

 

「いやぁ、よくやったよくやったヒトカゲ。はい、私からはオボンの実をあげよう」

「おっ、それじゃアタシからは傷薬を貸してやる。使いな」

「ありがと。はい、ヒトカゲ、腕だして」

「カゲッ!!」

「あっ、こら!逃げようとするな!薬苦手は直さないとダメ!ヒトカゲ!」

 

じゃれ合う女子3人。

 

それを観客席で見ていたトマは渋い顔をしながら、自分のメモ帳に視線を落とした。

そして、ブツブツと自分の思考を整理するように言葉を紡ぐ。

 

「ヒトカゲは強かった……防御に対する反応もいいし、攻撃のセンスも高い……あの格闘技を思わせるワザの振り方はどこから学んだのか……だが、()()()()()()()……」

 

トマはコンコンコンと自分のこめかみを叩いた。

 

「なんなんだ……彼女は……」

 

ミーナとのバトルでもリヨンとのバトルでも見せたギリギリでの回避からカウンターに転じるバトル。

 

当たり前ながら、トレーナーの指示を聞いてポケモンが行動を開始するにはそれ相応のラグが生じる。

例えトレーナーが完璧なタイミングで指示を飛ばしたとしてもポケモンの行動はコンマ数秒遅れるのだ。しかも、ポケモンは生き物だ。バトルの状況や集中力によってそのラグのタイミングはズレて然るべきだ。

 

それなのに、彼女はあまりにも的確にカウンターを決める。

 

「どういう集中の仕方をすればそんな芸当ができるんだ……」

 

トマは自分の背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。

 

このポケモンスクールでミーナやナタリーを抜いて、一番危険なライバルになるかもしれない。

 

そんな予感がひしひしとしていた。

 

「彼女にも……手の内は見せない方がよさそうだな……」

 

トマはそう言ってパタンとメモ帳を閉じたのだった。



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最近流行のボルダリング

コウジンタウンから隣のショウヨウシティまでは然程の距離はない。海沿いに砂浜を歩いていけば割とすぐだ。

クチートを正式に仲間にしたタクミ。クチートは砂浜というのに慣れてないらしく、歩くたびに足の沈んでいく砂浜におっかなびっくり歩いていた。

 

「クチート、大丈夫?疲れない?」

「クチ」

 

クチートは真剣な顔で頷き、タクミに遅れないように小走りで付いてくる。

タクミはそんなクチートに微笑みかけながら、砂浜を歩く。

この地域は外洋を流れる温暖な海流のおかげで一年中穏やかな気候が続いている。カントー地方とは違い日が高くのぼっても然程気温も上がらず、何よりカラッとした湿度で過ごしやすい。

 

波の音をBGMに浜を歩いていくと、太陽が傾く前にはショウヨウシティに到着することができた。

 

ショウヨウシティはコウジンタウンと町の作りはよくにている。西側に起伏に富んだ岩山があり、東側には海が広がっている。だが、その雰囲気はコウジンシティとは随分と異なる。コウジンシティが研究中心の文科系の町だとするなら、この町は体育会系の町だ。

この町には起伏に富んだ地形を利用したサイクリングコースや、岩山を自分の肉体だけで登るフリークライミングなどが盛んに行われている。

 

「ゴマゾウが喜びそうなコースだなぁ……」

 

タクミは町の入り口の案内掲示板でサイクリングコースを確認しながら、そう呟いた。

できるなら思いっきり走らせてやりたいところだが、流石に一般人が走っている中にゴマゾウ1人を放り込むわけにはいかない。やるとするならタクミも自転車で並走してあげるべきなのだろうが、今日は少し勘弁してもらうことにする。

 

タクミはこの町のポケモンセンターで手早く部屋を確保し、目的の場所に電話をかけた。

 

「もしもし、自分は地球界から来たタクミと言います。『地方旅』をしているポケモントレーナーです。ジム戦の予約をお願いします」

 

そう、この町にはジムがある。

【いわタイプ】の使い手。ショウヨウジムリーダー ザクロ

 

2回目のジムバトルということもあり、少々気持ちは落ち着いているが身体の奥が浮つくような緊張はしょうがない。そう簡単に慣れるものではないのだ。

 

「はい……わかりました。明日ですね。はい。よろしくお願いします」

 

タクミはホロキャスターの通話を切り、大きく息を吐きだした。

 

「クチ……」

「ん?どうした?クチート」

 

タクミはどこか不安そうな顔をするクチートを膝の上に抱き上げる。

 

「……クチ……」

「なんだ?バトルが不安なのか?」

「クチ……」

 

タクミはクチートの頭を優しく撫でる。

だが、クチートの身体の硬さは抜けない。

クチートとはまだ過ごした時間も然程長くない。クチートの感情を十全に感じ取ることはタクミにはできなかった。

 

そんな時だった。

 

「キバァ!!」

 

自分からモンスターボールから飛び出したキバゴが、床の上でスーパーヒーロー着地をきめた。

 

「キバゴ?何しに来たの?」

「キバキバキバ!!」

 

キバゴは何事か吠えて、オリジナルのヒーローポーズを決めた。

そんなキバゴにタクミは胡乱気な目を向けた。

 

どうせ大したことではないだろうなと思いながらタクミは一応聞く姿勢だけは保つ。

 

「キバッ!」

 

キバゴは自分の胸元をドンと叩いた。

 

「クチ……」

「キバ!キバ!!キバッ!!!」

 

一言毎に自分の胸元を叩くキバゴ。

 

「クチ?」

「キバッ!」

 

おそらく、『ポケモンバトルは自分に任せろ!』と豪語している。

 

クチートが来てから、キバゴは妙に先輩風を吹かせたがっている。

タクミとの付き合いが一番長いキバゴであるが、そのキバゴはタクミのメンバーの中では末っ子感がある。

最初の仲間が少し達観しているフシギダネで、その後加入したゴマゾウもヒトモシもある程度しっかり者であるので、遊び好きで悪戯好きのキバゴの立場が一番下になりやすい。

 

そこにクチートが来たものだから、先輩っぽく振るまいたくてしょうがないのだ。

 

だけど、キバゴの案にはタクミも賛成であった。

 

クチートの視力が回復してまだ数日と経っていない。

昨日の夜もタクミが傍にいないと震えて眠れないような有様だ。

 

そんな状態のクチートをポケモンバトルには出せないし、出したくない。

 

「キバァァアアア!!」

「はい、静かにして」

 

タクミは気合の裂帛をあげるキバゴに容赦なくチョップを振り下ろした。

 

「キバ……」

「まったく……でも、クチートが明日のことを考えなくていいっていうのには同意するよ」

「クチ?」

 

見上げてくるクチートにタクミは笑顔を見せた。

 

「明日はクチートは見学。お前の仲間達がどれぐらい頼もしい奴らなのかよく見てくといい」

「……クチ……」

 

タクミはそう言いつつ、ザクロのデータを調べる。

 

ザクロのデータはあまり多くない。ポケモンリーグでの出場はジムリーダーになる以前ばかりだ。その当時から【いわタイプ】の使い手であることは変わりないが、バトルスタイルにあまり一貫性がなく臨機応変な戦い方が目立つ。

 

ただ、ザクロさんの検索をすると先にボルダリングに関する記事が大量に出てくるのはいかがなものだろう。

ザクロさんは『地球界』でも有名なボルダリングの選手でもあり、オリンピック出場経験もある。

色々な意味で予想ができない相手だった。

 

タクミは深呼吸して、明日のイメージトレーニングに励んでいた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

翌日

 

 

タクミは静かな朝のコウジンタウンで、東側に広がる岩山の中腹に来ていた。

目の前に広がる大きな洞窟の入り口。天然の岩肌と肌を撫でる湿った風。ここが、コウジンジムであった。岩山に自然にできた洞窟の内部を改築して作ったジムだ。

 

タクミは背中に乗っているクチートに向けて手を伸ばした。

 

「クチート、今からここに入るけど、平気かい?」

 

洞窟の中には明かりがともってはいるものの、一応聞いておく。

 

「クチクチ!」

 

クチートの返事は元気だ。タクミの後頭部を掴む手にも変な固さはない。

ならば、余計な心配はいらないようだ。

 

「クチート。今日は応援よろしくね」

「クチ」

 

クチートに声援をもらえればタクミにも他のポケモン達にも気合が入るだろう。

タクミは自分の緊張をほぐすために唇の端を持ち上げて笑ってみせた。

 

「よし、行くぞ!!」

「クチ!」

 

ジムの入り口で職員の人に話しかけ、ジムバトルのフィールドにまで案内してもらう。ジムの内部は自然の洞窟をそのまま使っているためどこか寒々しい印象を受けるが、廊下に置かれている装飾品はどちらかといえばスポーツジムのような雰囲気であった。

 

そして、長い廊下を抜けて案内されたのは巨大なホールであった。

洞窟の中にできた巨大な空洞。天井は大分昔に崩落したのか、穴が開いて空が見える。その中央に巨大な岩の塔があった。高さは20mはあるだろうか。3段に分けられた岩山は一分がボルダリングコースになっていた。白い壁面に色とりどりの石が張り付けられている。それらを掴んで壁を登っていき、最後の石に手をかけて数秒キープすればゴールになる。それがボルダリングのルールだ。

 

だが、タクミの目的はあくまでジム戦だ。

それなのに、いきなりそんなものが目前に現れたので、タクミは反応する言葉を失ってしまっていた。

そんなタクミを横目に職員は唐突に声を張り上げた。

 

「ザクロさん!今日のチャレンジャーが来ましたよ」

 

タクミはその職員が声をかけた方向へと視線を動かす。塔のようなボルダリングコースの頂上付近。そこで命綱を付けずに壁を登っている男性が1人いた。その彼が声に応じ、片手片足で身体を支えながらタクミを振り返った。

 

長くスラッとした手足に爽やかな笑顔。身体が動かしやすいような体幹にフィットする服装とハーネスをつけた姿はジムリーダーというより、『クライマー』という称号の方が似合いそうであった。

 

その彼はタクミの姿を見つけて軽く片手をあげた。

 

「ショウヨウジムへようこそ。チャレンジャー」

 

その細身な体躯からは想像できないよく通る声が洞窟内に響いた。

タクミもそれに負けないように声を張り上げる。

 

「よ、よろしくお願いします!」

「うん。元気な返事だ。さぁ、登ってきてください」

「えっ?」

「ジム戦のフィールドはこの上なのです。このジムに挑戦するチャレンジャーの皆さんにはこの壁を登ってもらうことにしてもらっています。可能であれば、タクミ君も挑戦してみてください」

「壁を……登る?」

「勿論、無理だというのならエレベーターもあります。壁を登らなかったからと言ってジム戦を受けないわけではありませんし、途中でギブアップしても構いません。選択は自由です。タクミ君は挑戦しますか?」

 

『挑戦』

 

その言葉に奮い立たないトレーナーはいないだろう。

タクミは今度こそ心の底から湧き上がってきた感情のままに笑った。

 

「もちろん!登ります!」

 

その返事にザクロは満足そうに頷いた。

 

「わかりました。頂上で待っていますよ」

 

そして、ザクロは残り数mの距離を一気に登り切り、姿が見えなくなった。

 

「それでは、念のために命綱をつけましょう。こちらへどうぞ」

「はい、お願いします」

 

ボルダリングの壁は3つの段に分けられ、途中で休憩ができるようになっていた。それぞれのコースの下には分厚いマットが敷かれているが、変な落ち方をしたら怪我をしてしまう。その為の命綱であった。

タクミはリュックを下ろし、上着を脱ぎ、ボルダリング用の靴に履き替え、クチートを頭の上に乗せた。

 

その様子に職員が目を丸くした。

 

「タクミさん、もしかしてそのまま登るんですか?」

「はい、そのつもりですけど……あれ?もしかして、ポケモンの同伴はルール違反ですか?」

「いえ、そういうわけではなく……」

 

クチートの平均体重は11.5kgだ。このクチートはそれと比べるといささか軽そうには見えるが、それでも結構な重量であることには変わりない。

それを頭の上に乗せてこの岩壁を登っていくつもりであるタクミに職員は驚いたのだ。

 

「重くないんですか?」

「普段からこれより重いポケモンがよく頭の上に乗ってきますので」

 

タクミはキバゴのことを思い出し、苦笑いを浮かべる。

気の向くままに頭に乗ってくるキバゴは18kg近い体重がある上に好き勝手に動くので非常に首が疲れる。それと比べれば自分である程度バランスを取ってくれるクチートの方がまだ楽であった。

 

「わ、わかりました。タクミさんがいいのであれば。それでは簡単にボルダリングのコツを教えておきますね」

 

そう言って、職員は一番低い位置の壁にタクミを連れて行った。

 

「こちらが初心者用のコースになります。ボルダリングは腕の力だけで登ろうとするとすぐに疲れてしまいます。コツは足で登ることです」

「足?」

「はい。指先はこの石、『ホールド』に引っ掛けるようにして持ち、足で身体を持ち上げていくんです」

「へぇ……」

 

職員の人はボルダリングの基本を自分で実践しながら教えてくれる。

ジム戦直前ではあるが、真新しいスポーツを教えてもらい、その緊張がどこかへと飛んでいく。

 

「それでは、頑張ってください。困ったら声をかけていただければお手伝いしますよ」

「わかりました」

 

タクミは滑り止め用のチョークの粉を手に付けて、最初の『ホールド』に指をかけた。そして、足を一番下の『ホールド』にかけて、言われた通りに足で勢いをつけて次の『ホールド』に手を伸ばす。リズム良く壁を登っていくと、不意に『ホールド』の間隔が伸びた。次の『ホールド』まで手を伸ばしても届きそうにない。勢いをつけて飛びあがれば移れる可能性もあるが、そんな危険な賭けが必要になる壁が『初心者用』なわけがない。

 

「え、えと……どうしよ……」」

「クチ!」

「え?あっ、あっちなら届くな。よっと!」

 

クチートに教えられた『ホールド』に手を伸ばし、少し右端に寄りながら壁を登り切る。

 

「なるほど、闇雲に登っちゃダメなんだな……ふぅん」

 

タクミは手足をパタパタと振って疲れをほぐしながら次の壁を見上げる。

石と石の間の距離を目測で計り、ルートを決める。

 

「よしっ……」

 

タクミは再びチョークの粉をつけて、壁を登っていく。

1段目でコツを掴んだのか、身体の動きはスムーズだ。

それに加えて、登りやすいルートを的確に選ぶことができていたために、楽々と登っていく。

 

やり方を把握することができれば最後の3段目の壁も然程難しくはない。

 

タクミは上だけを見据え、自分の目指す石にだけ注意を払う。

次第に頭の中から余計な緊張や不安なんかが抜け落ちていく。

考えるのは目の前の壁だけ。目を向けるのは次の一歩のみ。

 

そして、タクミは最後の石に手をかけ、一気に身体を壁の上まで持ち上げた。

 

「………ふぅ」

 

壁の上にたどり着いたタクミ。目の前にはこれからジム戦を行うバトルフィールドが広がっているが、タクミはそこを見ていなかった。

タクミはそのバトルフィールドに背を向け、自分が登ってきた高さを確かめる。

なかなかの高さだ。高所恐怖症の人なら足がすくむであろう距離はある。だが、その高い壁を自分の力だけで登ってきたのだ。

 

その達成感は()も言われないものがあった。

 

そんなタクミの隣に壁の上で待っていたザクロが並んだ。

 

「どうですかタクミ君。壁を登った感想は」

「そう……ですね……」

 

タクミは今度は下ではなく。周囲を見渡す。

洞窟のホールとはいえ、視線が変わると見える景色の雰囲気も大きく変わる。

下にいた時には巨大に感じてたホールもここまで登ってくれば、天井も意外と低く、何より真上に見える真っ青な青い空が少し近づいたような気がした。

 

「……何かを乗り越えるって……やっぱり気持ちいいなって思いました」

「そうですか、それは良かったです」

「あの、ザクロさん、一つ聞いていいですか?」

「はい、なんでしょう?」

「どうして、チャレンジャーに壁を登ってもらってるんです?」

「そうですね……」

 

ザクロは一呼吸置き、タクミの方へと向き直った。

タクミもそれに応じるようにザクロと面と向かう。

 

「タクミ君は壁を登る時、何を考えていました?」

「えと……次に掴む石のことと、上に登ること……壁のことを考えていました」

「なるほど、良い答えです」

「え?」

「自分が乗り越える壁に全身を使って向き合い、越えていく。それはチャレンジャーとしての心意気そのものといえるでしょう。タクミ君は今、一つの壁を乗り越えました。そして、次は私という『壁』に立ち向かうことになります。私はチャレンジャーであるトレーナーに今一度、その気持ちに帰ってこのジムに挑戦してもらいたいのです」

「……チャレンジャーとしての心意気」

「はい。といいつつも、実はボルダリングの宣伝も兼ねているんですよ。まだまだ、マイナースポーツの域を出ませんからね。楽しんでいただけてればいいんですが」

 

そう言って少し苦笑いを浮かべるザクロ。

タクミも釣られて声を出して笑った。

 

「さて、では、そろそろジム戦と行きましょうか。休憩は必要ですか?」

 

その問いにタクミは首を横に振った。

 

「いえ!必要ありません!!」

 

タクミがそう言うと、ザクロは真剣な顔をして頷いた。

すると、先程までの柔和な表情が消え、天然の巨岩のような物々しい雰囲気が垣間見えた。

その目は『強者』として対戦相手を受け止める目ではない。彼もまた1人のチャレンジャーとして、こちらに挑戦してこようとする目だ。

 

成る程、とタクミは唇を舐める。

 

やっぱり彼は間違いなく【いわタイプ】のジムリーダーのようだった。



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テンション上げて行こうぜ!

バトルコートに立ったザクロとタクミ。

所定の位置についたタクミであったが、観覧席に人影を見つけ、そちらに視線が向く。

そこでは数人のトレーナーがタクミ達のバトルを見学に来ていた。

 

おそらく、ジムの門下生だろう。

 

各ジムには大概はこうしてジムリーダーを目指したり、自分を鍛えたりする目的のトレーナーが所属していることが多い。

とはいえ、タクミには観客の有無で緊張するようなメンタルは持ち合わせがない。

むしろ、チャンピオンを目指すぐらいなら観客が多いほど燃えて然るべきだった。

 

そんな中、審判がいつもの試合前の口上を述べる。

 

「これより、チャレンジャータクミ対ジムリーダーザクロのショウヨウジム、ジム戦を始めます。ジムリーダーの使用ポケモンは2体。対してチャレンジャーは手持ちのポケモン全てを使ってバトルをしていただきます」

「へぇ……えっ!?えっ!?」

 

タクミは聞き間違いかと思って審判を2度見した。

 

「全部!えっ、今僕の手持ち5体いますけど、全部使っていいんですか!?」

 

その問いには審判ではなく、ザクロが答えた。

 

「はい。それがこのジムのシステムです。手持ちのポケモン全てを使って、私にぶつかってきてください」

「…………」

 

揺るがぬ意志を示すザクロ。タクミはその自信を前にして、生唾を飲み込んだ。

 

【いわタイプ】とはタイプ相性の中でも比較的弱点が多く、不利を背負うことが多いタイプだ

チャレンジャーによっては6体全てを【いわタイプ】に相性のいいポケモンで固めてくることぐらい当然のようにやってくるだろう。

 

このジムリーダーはそんなチャレンジャー達を今まで壁として弾き返してきたのだ。

 

やっぱり、一筋縄じゃいかないだろう。

 

気持ちが一瞬引けてしまうタクミ。隣にいたクチートがそんなタクミの微細な感情の揺れを感じ取った。

 

「クチ……」

 

心配そうに見上げてくるクチート。その視線に気づき、タクミは自分がどんな顔をしていたのかを悟った。

ネガティブな感情はトレーナーからポケモンに伝染する。

 

トレーナーの気持ちが鈍れば、ポケモンの動きも鈍る。

逆に、トレーナーの気持ちが昂っているなら、それだけポケモンも応えてくれる。

 

「………ダメだな」

 

タクミは飲まれかけていた気持ちに気合を入れなおした。

 

「安心しろ、クチート」

 

相手は格上。

 

そんなことはわかってる。わかった上で挑みに来たのだ。

気持ちで負けている暇なんかカケラもない。

 

「必ず勝つ!!勝ってバッジを手に入れる!」

 

タクミはそう言って唇の端で笑ってみせる。クチートはそんなタクミを信じるように真剣な顔で頷いてくれた。

 

そんなタクミ達の表情に満足したのか、ザクロが視線で審判に続きを促した。

 

「バトルはどちらかのポケモンが全て戦闘不能になった時点で終了になります。ポケモンの交代はチャレンジャーのみ認められます。よろしいですか?」

「もちろんです!よろしくお願いします!」

「はい、それでは始めましょうか!!」

 

ザクロはおもむろにフィールドにモンスターボールを投げ込んだ。

 

「イワァァァアアア!!」

 

出てきたのは巨大な岩が連なった姿をしたポケモン。イワークだ。

 

「クチッ!!」

 

クチートがイワークの鳴き声と振動に驚いて、タクミの背後に飛び込んだ。

 

「クチート?……あっ、そっか……イワークはしょうがないよな……」

 

クチートが彷徨っていた坑道にはイワークが生息していた。多分、襲われたのも1度や2度じゃなかったのだろう。しかも、ザクロが出したイワークはあの時に出会ったイワークより2回り程大きい。クチートが怖がるのも無理のない話だった。

 

「クチート、怖いなら観客席にいてもいいんだよ?」

 

タクミの言葉にクチートの身体が一瞬硬直する。

 

そして、クチートはフルフルと首を横に振り、より強くタクミのズボンにしがみ付いた。

意地でもタクミの隣でバトルに参加するつもりらしかった。

だけど、顔をズボンに押し付けて蹲っているクチートはどこからどう見ても『大丈夫』ではない。

 

「タクミ君?そのクチートは大丈夫なのですか?」

「はは、気にしないでください。このコはちょっと……リハビリ中で……バトルには出すつもりはないんです」

「そうなんですか?てっきり私は【いわタイプ】対策で連れてきているのかと思ってました」

 

クチートは【はがねタイプ】だ。【いわタイプ】とは相性はいい。

だが、それだけではバトルをさせる理由にはならない。

 

「違います。今日は、コイツに僕達の全力を見せる為に連れてきたんです!」

 

タクミはそう言って、上着のポケットからモンスターボールを取り出した。

 

「それじゃあ、まずはお前だ!頼むぞ!!フシギダネ!!」

「ダネダ!!」

 

フシギダネが三肢に力をみなぎらせて現れる。

 

「なるほど、フシギダネですか……」

 

ザクロは素早くそのフシギダネの左後脚の動きが悪いことを見抜いた。

だが、そこを指摘することはしなかった。既にバトルは始まっている。ならば、後はお互いに全力を費やすだけだ。

 

「それでは!試合開始!!」

「イワーク!先手を取ります!!“ラスターカノン”」

「イワァアア!」

 

動きが悪いフシギダネに対して遠距離攻撃。

誰しもがそれを狙う。だからタクミも既に対策は終わっている。

 

「フシギダネ!“ツルのムチ”!」

「ダネッ!」

 

フシギダネの十八番。“ツルのムチ”を使っての高速機動が早くも動き出した。

本来なら“やどりぎのタネ”などによる下準備が必要なムチによる高速機動であるが、ここは岩のフィールド。起点となるポイントはいくらでもある。

 

だからこそのフシギダネの先発だった。

 

イワークの初撃を回避したフシギダネはそのままフィールドを飛び回る。

イワークはそのまま“ラスターカノン”を連射したが、フシギダネを3次元的に対応できない。

 

「ほう、なかなかのスピードですね。イワーク、こちらも加速します“ロックカット”」

「イワッ!」

 

“ロックカット” 自分の身体の余分な岩を削り落とし、移動に最適化することでスピードを上げるワザだ。

相手に速度を上げる手段があるのなら、フシギダネの機動に追いつかれるのも時間の問題になる。

 

だが、タクミは焦りそうになる自分の気持ちを抑え込んだ。

 

「フシギダネ!いつも通りだ!“やどりぎのタネ”!」

「ダネフッシ!」

 

フシギダネはより高い位置に飛び、背中から複数の“タネ”を発射した。

 

それはフシギダネの全ての動きの起点。フシギダネのバトルの戦術は全てこの“タネ”が握っている。

ザクロはそのフシギダネの“タネ”がフィールド全体にばらまかれようとしていることに気づき、眉をひそめた。

 

「イワーク、それを着弾させてはなりません!“アイアンテール”」

「イワァ!!」

 

イワークが一瞬でとぐろを巻いた。その尾が光り、鋼の輝きを宿す。

そして、蛇のようにギリギリと身をよじったイワークがその身体に宿した力を一気に解放した。

“ロックカット”で加速した体捌きと、長い体躯を生かした“アイアンテール”

周囲全てを薙ぎ払うような軌道で振り抜かれた尾はその風圧だけでタネを四方八方に吹き飛ばした。

 

「くっ!」

「ダネッ!」

 

フシギダネがその風圧に煽られてバランスを崩して着地する。

フシギダネがばらまいた“やどりぎのタネ”はフィールドの四角に吹き飛ばされてしまう。

予定の位置から大きく外れた“やどりぎのタネ”にタクミは奥歯を噛み締める。

 

 

「なるほど、その“やどりぎのタネ”が本来のフシギダネの動きの起点なのですね。ですが、あなたにフィールドの主導権は渡しませんよ!イワーク、もう一度“ラスターカノン”」

「イワァ!!」

「フシギダネ!“ツルのムチ”だ!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネは素早く“ムチ”による高速機動に移ったが、イワークの動きはさっきより一段階ギアがあがっている。

スピードの差は縮まってくるだろうし、時間が経てばそれだけ相手がフシギダネの動きに慣れてしまう。

 

回避だけをしていては勝てない。

 

「フシギダネ!飛び込め!“ツルのムチ”」

「ダネッ!!」

 

フシギダネは“ラスターカノン”を低空起動で回避し、一気にイワークの足元に滑り込んだ。

そのまま身体を捻り、渾身の“ツルのムチ”をアッパーカット気味に叩きつけた。

 

“ツルのムチ”は綺麗にイワークの顔面に入った。決定的ではないが、確かに大きなダメージを与えた。

 

だが、これは大きなミスであった。

 

ザクロは待っていたのだ。

 

フシギダネがイワークに接近してくる瞬間を。

 

「イワーク!そこです!“がんせきふうじ”!」

「まずい!フシギダネ!飛べ!!」

 

だが、フシギダネは攻撃の直後で体勢が整っていない。

直後、イワークの周囲に巨大な岩が浮かび上がり、フシギダネめがけて降り注いだ。

 

フシギダネを中心に雨あられと降り注ぐ大小の岩の塊。

直撃だけは避けたが、フシギダネの身体が岩に囲まれてしまう。

 

「ダネ……」

 

フシギダネの“ツルのムチ”の射線が塞がれた。

これではフシギダネは“ツルのムチ”を伸ばして移動することができない。

唯一、逃げられる場所は真上だけ。

 

だが、そこには……

 

「イワーク!“アイアンテール”」

 

真上に陣取ったイワークが巨大な尾を振りかぶった。

もう回避も防御も間に合わない。

フシギダネの目が敗北を覚悟したかのように細まる。

 

「フシギダネ!!“やどりぎのタネ”!!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネの背中のタネが光った次の瞬間、フシギダネの周囲を覆う岩ごとイワークの“アイアンテール”が叩き潰した。

 

「フシギダネ!!」

 

砂煙が収まり、イワークが尾を上げる。

その下では潰されて気絶しているフシギダネがぐったりと腹ばいになっていた。

 

それを見た、審判が旗を上げる。

 

「フシギダネ、戦闘不能。イワークの勝ち!」

 

まずは1敗。タクミはモンスターボールをフシギダネに向け、ボールに戻した。

 

「……サンキューフシギダネ。いい仕事だったよ」

 

タクミはフィールドを見渡す。

既にフィールドはイワークの“がんせきふうじ”により、大量の岩で覆われている。

だが、まだ隙間は広く、『走り抜ける』ことぐらいは容易だ。

 

「……頼むぞ、ゴマゾウ!!」

「パオン!!」

「相性有利できましたか。後々辛くなりますよ」

「ご忠告ありがとうございます!でも、残念ですが、このゴマゾウ!!【じめんタイプ】のワザは使えないんですよ!!」

「えっ?」

 

ザクロの眉が跳ねる。

そして、審判が試合を再開した瞬間、タクミの指示が飛んだ。

 

「ゴマゾウ!!“ころがる”だ!!」

「パォォン!!」

 

ゴマゾウは軽く飛び上がり、身体を丸めて一気にフィールドを駆けだした。

“がんせきふうじ”でフィールドが制限されていようとおかまいなしだ。

むしろ、そんな複雑なコースを楽しむかのようにゴマゾウはドリフトで砂利を跳ね上げながらイワークに接近していく。

 

「なるほど、それで懐に飛び込むつもりですね。ですが、イワーク“がんせきふうじ”」

「イァアア!」

 

再び頭上から降り注いでくる岩石。匂いのない無機物の岩を相手にゴマゾウの鼻では感知できない。

だったら、それを回避させるのはトレーナーの役目だ。

 

「ゴマゾウ!右に曲がれ!!」

「パオン!」

「左40度!!」

「パオン!!」

「最後は右!!S字フック!!」

「パォオオオオオ!」

 

振り注いてきた岩を完全に回避イワークに迫るゴマゾウ。

だが、イワークも闇雲に“がんせきふうじ”を落としていたわけではない。

その真の狙いは“がんせきふうじ”でゴマゾウが向かってくるルートを一本に絞りこむことであった。

 

いかに相手のスピードが上であろうと、来る方向さえ限定してしまえばその迎撃は容易い。

 

「イワーク!“アイアンテール”!」

「イワァ!!」

 

“ころがる”で突っ込んでくるゴマゾウに向けてイワークが“アイアンテール”を振りかぶる。

だが、ザクロは一つ計算違いをしていた。

 

ゴマゾウはまだ『最速』ではない。

 

「ゴマゾウ!!回せ!!」

「パォオオオオン!!」

 

ゴマゾウの回転数が一気に跳ね上がった。

その時、はじめてザクロの顔に焦りが浮かんだ。

 

「なにっ!!」

 

ゴマゾウが巻き上げる粉塵が倍になり、加速の伸びは最早目で見て反応できる速度を越た。ゴマゾウはイワークの“アイアンテール”が振り切られるより先にイワークの懐に飛び込み、イワークの身体に着地した。

 

「ゴマゾウ!!そのままイワークの身体を駆けあがれ!!」

「パォン!!」

「イワーク!振りほどいてください!!」

「イワァ!!」

 

のたうち回ろうとするイワーク。

だが、きっちりとトルクの乗ったゴマゾウの足回りはイワークの身体に吸い付くようにその身体を駆けのぼった。そして、ゴマゾウはその回転の勢いを殺さずにイワークの横っ面に全身でぶつかっていった。

 

「イワァァァ!!」

 

激しい衝突音と共にイワークが仰け反り、吹き飛ばされる。

 

「イワーク!!」

 

イワークの巨体を吹き飛ばすパワー。加速の乗ったゴマゾウにとっては朝飯前であった。

イワークはフィールドの隅に設置されていた岩に叩きつけられて目を回した。

 

「イワーク!戦闘不能!ゴマゾウの勝ち!!」

「よっし!いいぞ!ゴマゾウ!!」

「パオパオパオ!!」

 

ゴマゾウはまだまだ走り足りないかと言うかのようにフィールドを転がり続けていた。

 

「クチィ……」

 

あの巨大なイワークが倒れる姿を見て、足元のクチートが恐る恐るというように身を乗り出してフィールドを覗き込もうとしていた。

タクミは手を伸ばして、そんなクチートの頭を撫でた。

 

「見たかクチート。お前の仲間はこんなにも強いんだぞ」

「クチ……」

 

クチートが久しぶりに『肌で感じる』トレーナー同士のポケモンバトル。

しかも、誰しもが持ちうる全ての力で挑むジム戦だ。

 

傍から見ているだけで場に満ちた緊張感で胸が張り裂けそうになる。

 

だけど、クチートの『瞳』に映るタクミとゴマゾウはそんな時間を楽しんでいる様子であった。

 

「いいぞ、ゴマゾウ!でも、油断するなよ!レースは最後の最後までわからないんだ!」

「パオパォ!」

 

だが、クチートの『目』にはそんなタクミ達の姿は届いていなかった。

クチートがバトルの場で思い出すのは『勝たなきゃいけない』という押しつぶされそうになる重圧感だけだった。

 

『なんでお前は勝てないんだ!メガシンカだ!メガシンカしろって言ってるんだ!!』

 

幻聴のような雑音。雑音のようにノイズのかかった冷たい記憶。

クチートの胸がドクリと不規則な跳ね方をした。

クチートはタクミの服の裾を掴み、再びその背後に隠れてしまう。

 

「クチート?」

「………」

 

タクミからはクチートの表情は見えない。だけど、その手が小刻みに震えているのだけはハッキリとわかる。

 

やっぱりイワークは怖かったのだろうか?

 

クチートの過去を知らないタクミにはそれぐらいしか思い当たる節がない。

タクミは少しでも気休めになればともう一度クチートの頭を優しく撫でた。

 

ザクロはイワークをボールに戻し、腰に手を当てる。

 

「なかなかの加速ですね。驚きましたよ」

「コイツの自慢なんです。別に素のスピードはそんなに速いわけじゃないんですけど。加速が乗ってきたらそう簡単には止められませんよ!」

 

そう言っている間にもゴマゾウはフィールドを所狭しと走り回っている。

無駄に体力を消費しているだけにも見えるが、ゴマゾウの動きのキレを保つにはむしろ走っている方がいいのだ。

 

「いいですね。それでは……お願いします!チゴラス!!」

「ガァオ!!」

「チゴラス?」

 

タクミは珍しいポケモンに眉をひそめた。確か化石から復元に成功したとされるポケモンのうちの一種。地球界で言えばティラノサウルスやアロサウルスなんかと似たような特徴のあるポケモンだ。頑丈で大きな顎と牙を持ち、【いわタイプ】と【ドラゴンタイプ】を併せ持っている。

 

「……強敵だな」

 

チゴラスはフィールドに散った岩の中でも一際大きな岩の上に立ち、フィールドを見渡していた。

 

「チャレンジャー、ポケモンの交代はしますか?」

 

審判の質問にタクミは首を横に振る。今の加速がついてるゴマゾウを引き戻すのは明らかに悪手だ。

 

「さぁ、タクミ君、今度はこの壁をどう乗り越えますか?」

「……色々な方向から攻めてみたい気持ちはありますが……ゴマゾウはどんな相手にもやることあんまり変わらないんです!」

 

審判が再び試合開始を宣言する。

 

「ゴマゾウ!“ころがる”だ!!」

「パォオン!!」

 

岩の合間を縫うようにフィールドを駆け抜けるゴマゾウ。

既に障害物の位置を把握しているゴマゾウ。

ゴマゾウは真正面からは攻め込まず、チゴラスの周囲を円形に回り、攻め込む隙を伺う。

 

「そのスピードはなかなか厄介です。ですが止める方法はある!チゴラス!“がんせきふうじ”」

「ガァオ!!」

「こっちも使ってくるのか!」

 

チゴラスの“がんせきふうじ”は先程のイワークのものとはワザのキレが1段上であった。しかも、チゴラスはゴマゾウを直接狙わず、ゴマゾウが走るルートを閉ざすような位置に岩を的確に落としてきた。既に幾度の“がんせきふうじ”でコースが制限されているこの現状。一度でも足を止めて回転を殺してしまえばもう一度ここまで加速を乗せることは不可能だ。だったらその前にダメージを通すしかない。

 

「ゴマゾウ!岩場から飛べ!!」

「パオン!!」

 

ゴマゾウは岩場をジャンプ台代わりに飛び上がり、一気にチゴラスに接近した。

 

「真正面!!“ころがる”だ!!」

「パオン!!」

「チゴラス!“かみくだく”!」

「ガァァッ!!」

 

突撃してくるゴマゾウ目掛け、チゴラスが大きく口を開いた。

そして、ゴマゾウの回転する身体をチゴラスはその大顎で受け止めた。

 

「ゴマゾウ!回転を緩めるな!」

「パォォオオ!!」

「無駄です。チゴラス!締め上げなさい!!」

「ガァァアアアアアアアアアァアォオオン!!」

 

ゴマゾウの回転とチゴラスの顎がぶつかり合い、火花が散る。

回転で顎を弾こうとするゴマゾウ。顎を閉めて回転を殺そうとするチゴラス。

歯医者のドリルのような不協和音が周囲に響く。

 

だが、その音はある瞬間を境に止まった。

 

「パ、パオン!?」

「なにっ!」

 

ゴマゾウの回転が殺されたのだ。

 

「チゴラス!そのままゴマゾウを叩きつけてください!」

「ガァァアオン!!」

 

チゴラスは咥えたゴマゾウを岩場に向けて叩きつけた。

 

「ゴマゾウ!!まだやれるか!?」

「パオ!」

 

まだ余裕な顔で立ち上がるゴマゾウ。

だが、完全に回転を止められてしまった。

“がんせきふうじ”で制限されてしまったフィールドで最高速に乗せるのは至難だった。

ここは、一度仕切りなおした方が得策だった。

 

だけど……

 

一瞬、タクミが逡巡する。

 

その隙を逃すジムリーダではない。

 

「チゴラス“ドラゴンテール“」

「ギャァアアア!!」

 

チゴラスの尾に竜の鱗のようなエネルギーが満ちる。次の瞬間、チゴラスはその強靭な脚力でゴマゾウの懐に飛び込んだ。

 

「ギャォオ!!」

「パオッ!!」

 

チゴラスの攻撃を顔面で受けたゴマゾウはその衝撃で大きく仰け反り、後退した。

 

「ゴマゾウ!!!」

「パ、パオ……」

「くそっ!戻れゴマゾウ!!」

 

タクミはモンスターボールのレーザーを当ててゴマゾウを手元に戻した。

 

「ごめんなゴマゾウ……余計なダメージをもらっちゃった」

 

ギリ、とタクミの奥歯がなった。

 

バカなことをした。

 

タクミは握り拳を固めて自分の側頭部を強めに小突いた。

 

タクミはゴマゾウを交代させることを躊躇ってしまったのだ。

 

それは『このバトルが2対2の同数でのバトルだったなら』と考えてしまったのだ。

 

これがジム戦ではなく、ザクロさんとの正式なバトルであったのならゴマゾウが戦えなくなった時点で試合終了でタクミの負け。ゴマゾウを交代させるということは、すなわち対等なトレーナーとしては負けを認めることだった。

 

だから迷ったのだ。このままゴマゾウで勝ってしまいたいと欲をかいたのだ。

 

そんな、自分のくだらないプライドと見込みの甘さで判断が遅れた。

トレーナーとして未熟もいいところだった。

 

タクミは悔しさに力がこもりそうになる。

それを、深呼吸をすることでなんとか落ち着かせていた。

 

「タクミ君」

「は、はい」

「君は随分と『上』を見ているようですね」

「え?」

「私に、同数のポケモンで勝ちたかったですか?」

 

見透かされている。だったら、変に平静を装う意味もないか。

 

タクミはそう思い、負けを認めたかのようにため息を吐いた。

 

「そうですね。僕は今『ゴマゾウが負けたら、ザクロさんに負けたことになる』と思いました。それで判断が遅れて、行動も遅れました」

「なるほど、ジムリーダーにただ勝ってバッジを手に入れる。それだけがあなたの目標ではないのですね」

「はい。僕は……全力のジムリーダーに勝てるトレーナーに……この世界の誰にも負けないトレーナーになることが夢なんです」

 

タクミのその返事に観客席にいた門下生達が僅かにどよめいた。

その言葉の意味するところは一つしかない。

 

「……『チャンピオン』ですか……」

「はいっ!!」

 

タクミの澱みの無い返事にザクロは満足そうに頷いた。

 

「……険しい壁です。それは今日のジム戦よりも、君がこれから出会う数多くの障壁よりも、遥かに高い壁です」

「だからこそ!越えがいがある!!」

「……ふふふ、いいですね。ですが、それで目先の『ホールド』を見失っては元も子もありませんよ!!」

「わかってます。つまんない拘りはもう捨てました。もう迷いません!!」

 

タクミの沈みかけた気持ちが復活してくる。

唸るように激しく音を鳴らす心臓の鼓動を聞きながら、タクミは次のモンスターボールを握った。

 

勝負はまだまだこれからだ!!



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VSチゴラスー死闘ー

「頼むぞ!ヒトモシ!!」

 

タクミはヒトモシをフィールドに繰り出した。

 

「ヒトモシですか」

 

【いわタイプ】には相性不利の【ほのおタイプ】を選んだタクミ

だが、観客席にいる門下生からのどよめきは少ない。

 

チャレンジャーに手持ちのポケモンを全て使うことを許可しているのなら、こういうことも多々ある。

地方旅を越えていくトレーナーなら様々なタイプのポケモンを手持ちに加えるのは定石であるし、そういったポケモンは早めに捨て駒として使うのも当然の戦術であった。

 

とはいえ、今回のバトルにおいてタクミには『捨て駒』なんて概念はない。

 

「ヒトモシ!攪乱していくぞ“ナイトヘッド”」

「モッシ!!」

 

突如、ヒトモシの小さい身体から漆黒の(とばり)が吹き上がった。それはヒトモシの体躯からは想像できない程の瘴気。“ナイトヘッド”はフィールドを覆いつくし、空すら塞ぎ、逃げ場のない闇と化した。

世界が夜に変わったかと錯覚する程の広範囲攻撃。ドーム状に広がった“ナイトヘッド”が一気にチゴラスに迫る。

 

あまりの攻撃に息を飲む客席。

 

それに対してジムリーダーであるザクロは冷静に状況を読み切っていた。

 

「チゴラス、これは目くらましです。“がんせきふうじ”」

「ギャオ!!」

 

チゴラスが放った“がんせきふうじ”はいともたやすく“ナイトヘッド”の夜霧を振り払った。

 

ヒトモシの能力ではこれほどの広範囲攻撃は本来無理だ。無理を通すためには何かを犠牲にするしかない。つまり、この“ナイトヘッド”は通常の攻撃よりもより薄く、威力が弱い。見た目が派手なだけのこけおどしだ。

 

だが、タクミにとってはその『こけおどし』こそが本命だった。

 

「……やはり隠れましたね……」

 

ザクロが呟く。

 

“ナイトヘッド”が消え、光が戻ったフィールドではヒトモシの姿が消えていた。

フィールドには大量の“がんせきふうじ”により、岩がいくつも転がっており、死角が多い。

“ナイトヘッド”は単なる目隠し。真の狙いはヒトモシの姿を隠し、位置を把握できないようにすることであった。

 

「チゴラス!匂いで追えますか?」

「ギャモ!」

「そんな暇は与えない!ヒトモシ!“おにび”!!」

「……モッシ……」

 

突如、あちこちの岩場の影から青い炎が浮かび上がった。

“ナイトヘッド”で隠れた際に仕込んだ“おにび”の群れだ。

 

それが一気にチゴラスに向けて迫った。

 

「チゴラス!岩を盾にして回避を!」

「ギャオ!」

 

四方八方から飛びこんでくる“おにび”を紙一重で躱すチゴラス。

 

その間にもヒトモシは岩場の影を縫うように接近し、その隙に死角に新たな“おにび”を仕込んでいく。

 

そして、十分に接近したヒトモシは岩の隙間からチゴラスを視界にとらえた。

 

最初に放った“おにび”が全て回避され、チゴラスがまた鼻を利かせようとする。

だが、既にヒトモシはチゴラスを射程内に収めていた。

 

「ヒトモシ、“サイコキネシス”!」

「モッシ……」

 

ヒトモシの腕から不可視のエネルギーが放たれ、チゴラスの身体を縛り上げた。

チゴラスの身体の動きが止まる。

 

「よっし!捕まえた!!」

 

思わず拳を握り込むタクミ。

 

だが、次の瞬間。

 

「ギャァァアアアオ!!」

「モッシ!?」

 

チゴラスが暴れたと思った刹那、チゴラスの身体を覆っていたサイコエネルギーが一瞬で吹き飛ばされた。

チゴラスは何かワザを使ったわけではない。純粋なパワーのみで拘束を打ち破ったのだ。

 

「なにっ!」

「侮ってもらっては困りますよ!チゴラス!2時方向の岩の裏です!!“ドラゴンテール”」

「ギャァァアオ!!」

「ヒトモシ!逃げろ!」

 

だが、タクミの指示が間に合うはずもない。

 

チゴラスはヒトモシが隠れていた岩を突き破り、その勢いのまま“ドラゴンテール”をヒトモシに叩きつけた。

 

「モシッ!!」

 

ヒトモシの真芯を捉えた一撃。

ヒトモシの頭の炎が消える程の衝撃。

間違いなく一撃必殺だ。

 

だが、タクミは『タダでやられるものか』と声を張り上げた。

 

「ヒトモシ!“おにび”!」

「……モッ……ッシ……!」

 

ヒトモシの意識が飛びそうになる一瞬。ヒトモシは最後の力を振り絞り、タクトを振るった。

岩場の裏に仕込んでいた“おにび”が浮かび上がる。

それは磁力に吸い寄せられるようにチゴラスに向けて殺到した。

 

「グギャッ!!」

 

青白い炎の“おにび”は自由自在な軌道を取れる代わりに熱量は低い。

派手に着弾はしたものの、チゴラスには大したダメージは入っていないだろう。

 

そのタクミの予想を裏切ることなく、“おにび”の火の粉が消えた後にはチゴラスがその強靭な足で大地に立っていた。

身体には火傷が残ってはいるものの、その戦意は健在だ。

 

「……モシ~……」

 

対してヒトモシは岩場に叩きつけられて目を回している。それを確認して審判がフラッグを上げる。

 

「ヒトモシ、戦闘不能!チゴラスの勝ち!!」

「戻れ、ヒトモシ!」

 

タクミはモンスターボールにヒトモシを戻す。

 

「ありがとな。ヒトモシ」

 

ダメージこそほとんど入れられなかったが、チゴラスに火傷を与えただけで十分だ。

これで少しはチゴラスの攻撃の勢いも落ちる。

 

だけど、“サイコキネシス”が一瞬で破られたのは想定外であった。

ヒトモシの“サイコキネシス”はタクミのパーティーの中でも上位のパワーを持っていた。

それはタクミのキバゴでも抵抗することが精一杯というレベルだった。

 

それをこのチゴラスは一瞬で打ち破った。

 

「流石、ジムリーダー……」

 

チャレンジャーに手持ち無制限のルールを提示してくるだけはある。

生半可なポケモンは最初からいない。

 

タクミは手の中の汗をズボンでぬぐう。

だが、何度掌をこすりつけても後から後から冷や汗が出てくる。

 

タクミの手持ちは既にダメージを負ったゴマゾウと【ドラゴンタイプ】のキバゴ。

 

チゴラスの底の見えないパワーを目の前にして一気に追い詰められたような気分だった。

その時、ふとタクミは自分の服の裾が引っ張られるのを感じた。

 

「………………」

 

クチートがタクミの服を引っ張っていた。

だが、それはクチートがタクミを呼んでいるわけではなかった。

 

クチートはバトルフィールドを凝視しながらタクミの服を強く掴んでいただけだった。おそらく、無意識で身体に力が入っているのだろう。

 

「クチート……」

「クチッ……」

 

クチートは服を引っ張りすぎていたことに気づいたのか、慌てた様子で手を離した。

 

「……お前やっぱり……バトルが怖いのか?」

「クチクチクチ!」

 

クチートは必死に首を横に振る。

 

「クチッ!クチッ!」

 

クチートは戦えることをアピールするかのように自分の顎をカチカチと鳴らした。

 

『いざとなれば私も出ます!』

 

そんな視線がタクミを見上げてくる。

 

タクミは一瞬、その誘惑に負けそうになった。

 

クチートは【はがねタイプ】と【フェアリータイプ】を併せ持つポケモン。

【いわタイプ】と【ドラゴンタイプ】のチゴラスにはあまりに有利だ。

 

クチートがバトルできれば勝利はグッと近くなる。

 

そんなことはわかっている。

 

タクミは息を大きく吐き出した。

 

「だけどさ……それじゃあ、ダメだよ……ダメなんだよ」

「クチ……」

 

タクミは手の汗を拭くのをやめ、次のモンスターボールを手に取った

 

「大丈夫だ、クチート。僕を信じろ!行くぞキバゴ」

「キバァ!!」

 

タクミが選んだのは同じ【ドラゴンタイプ】のキバゴであった。

キバゴはいつものスーパーヒーロー着地を決めて、ポーズを取る。

今日は観客席にカメラが回っているのでアピールもより大胆に決めてみせた。

 

そして、キバゴはタクミの方を振り向いた。

 

「キバッ!」

 

キラリンと自分のキバを光らせるキバゴ。そのあまりに見事な光っぷりにタクミは目を細めた。

おそらく太陽の位置から角度を見定めて光を綺麗にタクミの方向に反射させて見せたのだろう。

そういう計算だけは素早いキバゴである。

 

「クチ……」

 

呆気にとられるクチート。

苦笑するタクミ。

 

だが、そのキバゴの間抜けなカッコつけでクチートの毒気は抜けたし、タクミの追い詰められたような焦燥感も少しは緩和した。

 

「……ったく……どこまでわかってやってんのやら」

 

タクミは気を取り直してキバゴに戦闘態勢を取るように指示した。

 

「ほう、同じ【ドラゴンタイプ】ですか」

「はい。こいつがうちのエースです。そうは見えないかもしれませんけど」

「キバァァァ!!」

 

キバゴは自分の存在を強調するかのように吠える。

そんなキバゴに呼応するかのようにチゴラスも吠えた。

 

「キバァァァアアア!」

「ギャァァアアアア!」

 

同じ【ドラゴンタイプ】同士、大口を開け、あらんかぎりの声をあげてお互いを威嚇する。

そして、緊張がピークに高まったのを見計らったかのように審判の声があがった。

 

「試合開始!!」

「キバゴ!懐に飛び込むぞ!“ダブルチョップ”」

「キバァ!」

 

キバゴが岩の上を飛び跳ねてチゴラスまで接近する。

 

「チゴラス!迎え討ちます!“ドラゴンテール”」

「ギャァオ!」

 

チゴラスも負けじと岩の上を飛び移りながらキバゴめがけて突進してくる。

 

「キバァァア!」

「ギヤァオオ!」

 

両者がフィールドの中央で激突した。

【ドラゴンタイプ】同士の攻撃がぶつかりあった時の独特の黒色の火花が散る。

せめぎ合いは一瞬。両者は弾きあい、距離を取って向かいあった。

 

パワーは互角。

 

その事実にタクミは戦慄した。

 

火傷を負い、3戦目に入っているチゴラスと、完全な状態のキバゴが互角なのだ。

あのチゴラスがいかに強いかの証明だった。1対1の勝負では太刀打ちできなかったであろう。

 

「……ほんと、ヒトモシ様々だ……キバゴ!牽制する!岩を殴り飛ばせ!!」

「キバァ!」

 

キバゴは“ダブルチョップ”を纏い、ビール瓶を横薙ぎにするかのように岩を叩き割ってチゴラスに向けて吹き飛ばした。

 

「チゴラス!岩の後ろに逃げ込みなさい!」

「ギャオ!」

 

チゴラスは先程のヒトモシのバトルと同じように、岩を盾にした。

 

「キバゴ!チゴラスを釘付けにしろ!どんどん撃ち抜け!!まずは右の岩!!」

「キバキバキバ!!」

 

次々と岩を殴りつけ、散弾のように吹っ飛ばしていくキバゴ。度重なる攻撃にチゴラスの足が止まる。

 

「キバゴ!真正面の岩だ!特大のをかませ!」

「キィィィバァアァア!!」

 

キバゴは野球のバッターのように全体重を片足に乗せ、そのまま大きく一歩を踏み出した。

足腰のパワーを腕に乗せ一気に振り抜く。キバゴの“ダブルチョップ”は目の前にあった特大の岩石を粉々にして吹き飛ばした。

 

そのあまりの弾幕にチゴラスは岩の裏に身体を引っ込めざるおえなかった。

 

嵐が過ぎ去るのを待つチゴラス。

 

そして、岩が全て地面に落ち、一瞬の静寂が訪れる。

 

「チゴラス!下です!!」

 

ザクロの指示が飛んだ。

チゴラスが僅かに体を捻る。

 

一拍遅れて、チゴラスの真下からキバゴが飛び出した。

キバゴは“あなをほる”で真下からアッパーカットを叩き込もうとしていたのだ。

 

「キバッ!?」

 

渾身の打撃を外したキバゴ。

身体が伸びきり、無防備になっている胴体に向けチゴラスの攻撃が迫った。

 

「“ドラゴンテール”です!」

「ギャオ!」

 

チゴラスはその場でクイックターンを決め、尻尾を振り抜く。

キバゴもガードしようと動いていたが、あまりに距離が近すぎる。

 

絶体に間に合わない。

 

その時だった。

 

「ッ!!」

 

攻撃しようとしていたチゴラスの動きが一瞬鈍った。火傷の痛みだ。

それはコンマ数秒程度のわずかな隙。

 

だが、その僅かな時間が明暗を分けた。

 

「受け流せ!」

「キバッ!!」

 

キバゴは“ダブルチョップ”を“ドラゴンテール”に添わせるように振り切る。キバゴの身体が“ドラゴンテール”の上をコマのように回った。ダメージを最小限で済ませたキバゴは素早く受け身を取って着地し、地面を蹴った。

 

一足一撃の距離。

 

ここはキバゴの間合いだ。

 

「キバゴ!“ダブルチョップ”!!」

「キバァ!」

「チゴラス!ジャンプです!」

「ギャオ!」

 

迫るキバゴの一撃。上に飛んで間合いから外れようとするチゴラス。

チゴラスの強靭な両脚のジャンプ力は確かに見事だったが、この間合いで無傷で逃げられる程にキバゴの攻撃は鈍くはない。

 

キバゴの“ダブルチョップ”はチゴラスの脇腹を確かに貫いた。

 

「ギャォ……」

 

歯を食いしばり、間合いを取るチゴラス。

 

「キバゴ!逃がすな!追撃だ」

 

タクミの指示とほぼ同時にキバゴがチゴラスに突っ込む。

 

タクミには今の一発でわかったことがあった。

 

チゴラスのパワーは確かにキバゴを上回る。

だが、至近距離でインファイトならキバゴの方が速い。

間合いの内側に捉えれば手数の差で勝ちきれる。

 

タクミに見えた勝利のビジョン。

 

だが、ジムリーダーはその見通しを許す程甘くはなかった。

 

「チゴラス!そこです!“りゅうせいぐん”!」

 

“りゅうせいぐん”

 

そのワザの名を聞いた瞬間、タクミの背筋が凍った。

それは【ドラゴンタイプ】の中でもトップクラスの威力のワザだ。

 

「まずい!キバゴ!!」

 

キバゴはチゴラスを追うあまりに直線的な行動になっていた。

 

チゴラスはそのキバゴを真正面から睨みつけ、大口を開けた。

口の中に揺らめく青白い炎。【ドラゴンタイプ】のエネルギーの塊が隕石のように燃えている。

 

それは巨大な砲弾のように、放たれた。

 

まるで煌く星空のような色合いで、土砂降りの如く襲いかかってくる“りゅうせいぐん”

 

キバゴは咄嗟に両腕を眼前に構えたものの、その物量と威力に吹き飛ばされた。

 

「キバァァァ……ッ!!」

 

渇いた音がしてキバゴのキバが片方折れる。

 

「キバゴ!!大丈夫か!?」

「キッ、キバァ……」

 

片膝をつき、それでも親指を立てて『まだやれるぞ』とアピールするキバゴ。

だが、今のダメージは決して軽くない。

追加でもう一発でも攻撃を受ければ間違いなくダウンする。

 

「キバァッ……」

 

それでも、まだ立てる。

 

立てるということは戦えるということだ。

 

「キバァァア!!」

 

両脚で立ち上がり、吠えるキバゴ。

 

それを見て、ザクロは唇の端で笑う。

 

「まだ立ちますか」

 

余裕の笑みではない。

 

“りゅうせいぐん”は使うポケモンの消耗も激しく、使えば使う程に威力が落ちていくワザだ。

ザクロとしてもここ一番でしか使わない切り札だった。

 

それを使わされた上でキバゴのダウンを取れなかったのはザクロとしてもかなりの痛手であった。

 

キバゴはあの至近距離での攻撃にも関わらず、直撃しそうな“りゅうせいぐん”をいくつかを叩き落としていた。普通のところなら8発は“りゅうせいぐん”を浴びるというのに、キバゴがくらったのはせいぜい3発。

 

「とはいえ、【ドラゴンタイプ】相手ならそれでも十分なんですがね」

 

本当になぜ立っていられるのか不思議であった。

 

体力は最早限界だろう。足腰にも震えが来ている。既に表情を取り繕う余裕もない。

 

それなのに、キバゴの目は死んでいないのだ。

 

今のキバゴを支えているのはおそらく、純粋な気力。

つまり、単なる『ド根性』だけで立っている。

 

何がそこまでキバゴを駆り立てるのだろうか?

 

相対している【ドラゴンタイプ】への闘争心か、トレーナーと共に勝利を勝ち取らんとする執念か。

 

それとも……

 

ザクロはチラリとタクミの足元にいるクチートを視界の端にとらえた。

 

「エース……ですか……」

 

キバゴとチゴラスが睨み合ったまま円を描くように間合いを計る。

 

「キバァ……」

「ギャォ……」

 

お互いの間には“がんせきふうじ”で落とされた岩がまだいくつか残っており、直線的な攻撃はできない。

 

にらみ合いが続けば、消耗を重ね、火傷を負っているチゴラスに不利だ。

逆に言えばタクミは時間を稼ぎに徹してもいい。

 

もちろんそれはザクロにとっても百も承知であった。

 

「チゴラス!“ドラゴンテール”!」

「ギャオ!」

 

それは一瞬の出来事であった。

 

岩と岩の隙間。わずかにできた一本道を縫うように一気にチゴラスが間合いを詰めた。

 

「くっ、キバゴ!!迎え撃つぞ!前に出ろ!」

「キバァァ!!」

 

出遅れたキバゴは相手の攻撃を迎撃しようと腕を大きく振りかぶり、走り出す。

先制を許したことでチゴラスの方が加速が付いている。だが、キバゴも負けじとより強く、より足を深く踏み込んで加速していく。

 

お互い脇目も降らずにお互いに向けて突進していく。

最早、正面衝突を見据えたチキンレースだ。

2体のポケモンの足音が地鳴りのように響き渡る。

 

彼我の距離が残り数メートル。

 

「キィィィバァァァア!!」

 

攻撃の間合いに入る直前。キバゴが地面が抉れるほどの脚力で一気に突っ込んだ。

今までに見たことがないほどの加速で一気に懐に飛び込むつもりなのだ。

それは、キバゴの執念が限界を突破した瞬間だ。

 

だが……

 

「チゴラス!尻尾を地面に!!」

「ギャモ!!」

 

突如、チゴラスが“ドラゴンテール”を突然地面に突き立てた。

砂が舞い上がり、チゴラスの突進が止まる。

 

「キバッ!?」

「しまった!」

 

チゴラスの突進はフェイント。

タイミングをズラされ、キバゴの踏み込みが届かない。

勢いは行き場をなくし、キバゴの足がたたらを踏み、身体がよれる。

キバゴは無防備な姿のまま、チゴラスの目の前に投げ出された。

 

「そこですチゴラス!“りゅうせいぐん”!!」

「ギャァァアアモォ!!」

 

超至近距離から放たれる“りゅうせいぐん”。

多少の防御などものともしない高威力の【ドラゴンタイプ】の攻撃がキバゴに突き刺さった。

 

「キバゴ!!」

 

黒い火花が飛び散り、紫煙が上がる。

 

その戦塵の中からキバゴが再び飛び出してくることはなかった。

 

「キバァ…………」

 

フィールドに横たわるキバゴを審判が確認し、フラッグが上がる。

 

「キバゴ!戦闘不能!チゴラスの勝ち!」

「……くっ……」

 

これで遂にタクミには後がなくなった。

 

キバゴを戻し、最後のモンスターボールを取り出すタクミ。

 

残るはゴマゾウのみ。

 

「……………」

 

真剣な顔でゴマゾウのモンスターボールを額に当てるタクミ。

祈るような、覚悟を決めるようなタクミの姿。

 

泣いても笑ってもこれが最後のバトル。

 

ジム戦もいよいよ最終局面であった。

 

そして、タクミは託すようにモンスターボールをフィールドに投げ込んだ。

 

「行け!ゴマゾウ!」

「パオパオ!!」

 

傷を負いながらも、まるで初登場のように跳ねてみせるゴマゾウ。

 

ただの強がりだ。

 

だが、最高の強がりだった。

 

その姿に応えるようにタクミは唇の端で笑ってみせた。

 

「…………」

 

だが、この状況下。

 

誰しもが視線を向けてしまう存在がある。

 

ザクロも、審判も、そしてジムの門下生達もその存在を無視はできない。

 

「…………クチ……」

 

クチートの身体が一際強く震えた。

 



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『使わない』と『使えない』には天と地の差がある

クチートの心臓が脈を打つ。

 

 

――――――――――ドクン――――――――――

 

 

 

それは聞きなれた心臓の音のはずだった。

 

 

 

――――――――ドクン、ドクン――――――――

 

 

自分の心臓の音。

 

暗闇の中で生きていた頃はその音ばかりがやけに耳に響いていた。

だが、その鼓動だけが自分が生きている証明でもあった。

 

だが、今やその音がとてつもなく自分を追い詰めようとしてくる。

 

 

 

――――――ドクン、ドクン、ドクン――――――

 

 

 

「チャレンジャーは本当にこのままあのクチートを出さないつもりでしょうか?」

「いや、それはさすがにないんじゃないか。あまりに相性有利だし」

「でも、最初に『このクチートは出さない』って……」

「心理戦だった可能性もありますよ。前にもいたじゃないですか、バトルで使用するポケモンを4体って言って最終的に6体使ってきたチャレンジャーとか」

「うーん……チャレンジャーはピンチだし。出さない理由はないと思うんですけどね」

 

 

 

――――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン――――

 

 

 

無意味な程に研ぎ澄まされた第六感がいくつもの声と視線を拾ってくる。

 

自分を見つめる目、自分に期待する声。

 

そして、何よりもクチート本人が、自分の存在価値をわかりすぎる程にわかっていた。

 

 

 

――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン――

 

 

 

相手は【ドラゴンタイプ】と【いわタイプ】。

しかも、消耗している相手だ。万全の状態の自分が出れば、勝ちの目は高い。

 

自分が出なければいけない。自分が活躍しなければいけない。

 

 

私は……私は……私は……戦わなければならない。

 

 

戦って、証明しなければならい。

 

 

自分の存在価値を

 

自分がマスターに付き従っている意味を

 

自分が『使える』ポケモンであることを

 

 

今は絶好のチャンスなのだ。絶対に勝てるバトルなのだ。

 

 

だけど……もし……負けたら……

 

 

 

『ったく、使えねぇな』

 

 

 

クチートの脳裏に冷たく、乾いた声音がよみがえる。

 

「クチ……クチ……クチ……」

 

過呼吸になりつつあるクチート。

 

手足が震えていた。全身が恐怖に強張っていた。

 

 

クチートはそんな自分を叱咤するように自分の顎で自分の足に嚙みついた。

 

 

ザクリと深く牙が体に食い込んだ。

喝を入れるだけにしては明らかな過剰な一撃。

それなのに、クチートは痛みを感じなかった。

 

だが、震えが止まった。

 

今のクチートにはそれだけで十分だった。

 

「ク、クチッ!」

 

クチートは意を決するようにタクミの服の裾に手をかけようとした。

 

その時だった。

 

「試合開始!!」

 

審判の宣言がなされて、ジム戦が再開される。

 

「ゴマゾウ!“ころがる”だ!」

「チゴラス!加速が乗る前に叩きます!“ドラゴンテール”」

 

バトルフィールドから地鳴りのような轟きが聞こえる。

ゴマゾウとチゴラスとの激突が空気すら震わせてクチートのところまで届いてくる。

 

「くそっ!ゴマゾウ!体制を立て直せ!!」

「させませんよ!“がんせきふうじ”」

「……これ以上はまずい……ゴマゾウ!!突っ込め!“がんせきふうじ”を撃たせるな!!」

 

ゴマゾウがチゴラスに突っ込んでいく。

だが、その直後にチゴラスがワザを放つための体勢を変えた。

 

「かかりましたね!“ドラゴンテール”!」

 

ゴマゾウのくぐもった声がフィールドに響き渡る。

 

「ゴマゾウ!大丈夫か!?」

「勝負を焦りましたね。これ以上ゴマゾウが走るスペースを減らされては困る。だから、“がんせきふうじ”を仕掛けようとすれば、決着をつけに来ることは予想できていました」

「くそっ……ダメか……ダメなのか……」

 

タクミの食いしばった口の隙間からそんな声が漏れる。

 

いよいよ後がなくなってきた。

 

クチートは再び震えはじめた自分の足を叩く。

 

「クチッ!クチッ!」

 

今、動かなければ、動かなければいけないのだ。

 

そうじゃなければ、私は、なんのために、なんのためにここにいるんだ!

 

もう、この震える手ではタクミの注意を引くには足りない

 

クチートは自分の顎を持ち上げる。

大きな牙をむき出しにして、タクミの腕へと噛み付いた。

 

「ゴマ……うわっと!クチート!?どうしたんだ!?」

 

ゴマゾウに指示を出そうとしていたタクミの意識がバトルから切れる。

 

「パオ?」

 

指示が途中で止まり、ゴマゾウも思わずタクミを振り返ってしまう。

 

張りつめていたバトルの空気がその一瞬で途切れた。

タクミとゴマゾウの高まっていた集中力も一気に霧散してしまう。

 

それは、真剣勝負の場ではあまりにも大きな隙だった。

 

唯一幸運だったのはその緊張感の喪失がジムリーダーにまで及んだことだろう。

 

「ギャモ?」

「タクミくん?どうしました?」

「す、すみません。ちょっと待ってください……クチート、どうしたんだ?」

 

審判もまたこの状況に困惑しているのか、バトルを中断すべきかどうか悩んでいるようであった。

 

タクミは申し訳なさそうに皆に頭を下げ、クチートを見下ろした。

 

日の光を受けて影になるタクミの顔。

そのタクミを見上げ、クチートは声を張り上げようとした。

 

 

自分がバトルに出ると、自分が勝ってみせると

 

 

そう訴えかけようとした。

 

 

「ッ…………!!」

 

 

クチートの動きが止まる。

 

 

「やっぱり、クチートがバトルに出てきそうですね」

「あんまり褒められた状況じゃないけど。まぁ、やっぱり順当だな」

「ザクロさんの状況はこれで俄然厳しくなりましたね」

「あのクチートはメガシンカはできなさそうだけど、どんなバトルを見せてくれるのか」

 

 

クチートの身体に突き刺さる視線と声。

 

期待の目、期待の声。

 

それが失望に変わる瞬間の冷たい痛みが幻痛のようにクチートを貫いた。

 

そんなクチートの耳にタクミの声音でとあるセリフが再生された。

 

 

 

『ったく、使えねぇな』

 

 

 

もちろん、タクミはそんな言葉は一言も発していない。

 

だけど、クチートの耳にはそんな声が聞こえてしまったのだ。

 

 

――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ――

 

 

クチートの心臓が早鐘のように胸を打ち続ける。

 

 

「ッ………!!ッ………!!ッ………!!」

 

 

呼吸の仕方を忘れてしまったかのようにクチートの喉が詰まる。

 

 

「クチート?どうした?クチート!!」

「パオ?パオパオ!!」

 

クチートの左眼の瞳孔が開いていく。

だが、その目には何も見えていない。

 

クチートの視界には何もなかった。

 

タクミの姿は影に消えた。タクミの声は心音がかき消した。

 

今のクチートに見えているのは過去幾度となく繰り返し、打ちのめされてきたバトルの記憶だけ。

大きな炎、鋭いツメ、強烈な拳。

過去の恐怖に飲み込まれ、トラウマに呑まれたクチートの目は夢の中を漂うかのように揺れる。

 

「クチート!!」

 

世界を震わせるようなタクミの強い声がした。

 

一瞬で意識を現実に引き戻されたクチート。

 

クチートの目に映ったのはタクミの黒く、大きな影。

周囲にあるのは幾度となくトラウマを刻み込まれたバトルフィールド。

 

それは、クチートに自分がバトルの最中であるかのような錯覚を与えるには十分だった。

 

潰れたはずの右眼から涙が溢れ落ちた。

 

 

「ッ…………!!」

 

 

 

耐えられるはずがなかった。

 

心が耐えられるわけがなかった。

 

 

クチートは遮二無二に逃げ出した。

 

目を閉じ、耳を塞ぎ、手負いの獣のように走り出す。

 

 

だが、忘れてはならない。

 

 

ここは岩山の天辺に作られたバトルフィールドなのだ。

 

「クチート!!待て!!行くな!!」

 

タクミはすぐさま後を追う。

大事なジム戦であることも完全に頭から抜け落ち、トレーナーサークルから飛び出してクチートを追いかける。

だが、バトルフィールドの断崖まで距離にして10メートルもない。

 

先に飛び出したクチートに追いつけるわけがない。

 

「クチートォォ!止まれぇぇぇ!!」

 

タクミは喉が枯れそうな程に叫ぶ。

だが、クチートには届かない。

 

「クチートォ!!」

 

クチートが崖から飛び出すまで数秒も残ってない。

 

人間の足では間に合わない。

 

そして、クチートの足が崖の外へと踏み出した。

 

「クチッ!」

 

クチートの身体が傾き、落下し、崖下へと消える。

 

「クチートォォ!!」

 

手を伸ばしても届かない。

 

その時

 

タクミの脇を水色の球体が駆け抜けた。

 

「パォォォォン!!」

 

“ころがる”の勢いに乗ったゴマゾウがフィールドを一呼吸で横切った。

地面が焼け焦げる程の加速の乗ったゴマゾウが崖から飛び出す。

 

「パァオォオオオオン!!」

 

間一髪だった。

 

ゴマゾウの鼻先がクチートの足に絡みついた。

だが、勢い余ったゴマゾウもまた崖から飛び出している。

 

クチートと一緒に落ちていくゴマゾウ。

 

「ゴマゾォォ!!」

 

だが、ゴマゾウがその身で稼いだ数十センチの距離が生死を分けた。

崖の端からヘッドスライディングで飛びついたタクミの手がゴマゾウの後ろ足を掴んだのだった。

 

「ぐぐぐ……ゴマゾウ!大丈夫か!?」

「パオン!」

 

クチートを鼻でしっかりと引き寄せたゴマゾウは比較的元気な声で返事をする。

そのことに安堵の息を漏らしたタクミは背筋を使いながらゴマゾウを引っ張り上げた。

 

「ふぅ……助かった。ありがとうゴマゾウ」

「パオパオ……」

 

ゴマゾウもクチートも無事だ。

 

だが、それは怪我が無かったというだけのこと。

 

真の問題は解決したわけではなかった。

 

「クチ……クチ……」

 

クチートは自分のしでかしたことを悟ったのか、痛々しいまでのか細い声でタクミの胸元に縋り付いてきていた。

 

『ごめんなさい』という謝罪

『もうしませんから』という涙声

『だからどうか捨てないでください』という悲痛な叫び

 

それらが否応なしに聴こえてくる。

 

「……クチート……お前……」

「パオ……」

 

タクミがクチートの体を支えるように抱き、ゴマゾウが慰めるようにクチートの頭に鼻先を乗せる。

 

タクミは自分の見立てが甘かったことを痛感していた、

 

タクミは伝わってると思っていた。

自分がクチートに期待する役割をクチートも理解してくれているものと思っていた。

 

だが、クチートとはまだ出会ったばかりなのだ。

 

既に一心同体のキバゴとは違う。

色々と達観しているフシギダネとも違う。

性根が大らかなヒトモシとも違う。

少し能天気なゴマゾウとも違う。

 

責任感が強くて、抱え込みやすくて、真面目すぎるほどに真面目で酷く臆病なクチートなのだ。

 

「クチート……ごめんな」

「クチ!クチ!」

 

首を横に振るクチート。

まるで自分が全面的に悪いのだと訴えているようだった。

 

「パオン……」

 

タクミがいくら頭を撫でても声をかけてもやはりクチートは首を振り続ける。

ゴマゾウも同じように何度も声をかけ、頭を撫でてくれたが、クチートは泣き続けるばかり。

 

今のクチートには下手な慰めも、優しい言葉も届かない。

 

「…………」

「…………」

 

タクミとゴマゾウの目が合う。

 

「パオン!」

 

ゴマゾウが何かを決意したように小さく頷いた。

それに応えるようにタクミも頷く。

 

今の自分達がクチートの為にしてあげられることはたった一つなのだとタクミもゴマゾウもハッキリと理解した。

 

タクミはクチートを胸元に抱えたまま立ち上がり、トレーナーサークルへと戻っていく。

目に強い光を宿したゴマゾウもまた、バトルフィールドへと戻っていく。

 

「クチート……お前をバトルに出さないのはお前が『使えない』からじゃない」

 

タクミは諭すようにそう言った。

 

ジムリーダーであるザクロはトレーナーサークルを飛び出して心配そうにこちらに駆け寄ってくれていた。

門下生や審判もクチートを心配して集まってきてくれている。

 

タクミは彼等に無事を伝え、バトルを再開してくれるよう頭を下げた。

 

「よろしいのですか?後日仕切り直しても私は構いませんよ」

「いえ、このまま継続させてください。お願いします」

 

確かに時間を置けばクチートの心の傷も少しは癒えてくれるかもしれない。

そうすればジム戦でのバトルも望めるかもしれない。

 

でも、それではダメなのだ。

 

タクミは今この場で証明しなければならければならないのだ。

 

その強い意志を宿した瞳を受け、ザクロはを笑顔で頷いた。

 

「わかりました。そこまで言うのなら続けましょう」

「ありがとうございます!」

 

深々と頭を下げたタクミ。

試合が再開され、タクミとザクロは再びトレーナーサークルの中で向かい合う。

タクミはもう一度クチートに声をかけた。

 

「クチート、もう一度言うぞ……お前はここで見ていろ」

「……クチ……」

「お前の仲間は……僕の仲間は……僕達の仲間はこんなところで負けやしない!」

 

「試合再開!」

 

審判の掛け声と同時にゴマゾウが丸まって駆け出す。

フィールドの岩の間を抜け、一気にチゴラスに迫ろうとする。

 

「ゴマゾウ!一気に飛び込め!“ころがる”だ!」

「させませんよ!チゴラス “がんせきふうじ” です!」

 

彼我の距離は数メートル。

ゴマゾウの加速が乗れば “がんせきふうじ” が放たれる前に攻撃が届く。

“がんせきふうじ”を止められる。

 

だが、それはザクロも百も承知の事柄だ。チゴラスは “がんせきふうじ” の初動に入りつつも、すぐさまワザをキャンセルし、近接格闘戦に移行できるように準備をしていた。接近してきたゴマゾウをパワーでねじ伏せるつもりだ。

タクミもそれは読んでいた。タクミは相手が近接戦闘に体勢を変える瞬間を見極める為に全神経を集中していた。

 

だが、このフィールド内でただ1人だけ。

 

それぞれの思惑を全て無視し、行動している者がいた。

 

それはゴマゾウ本人だ。

 

「パオォォン!」

 

チゴラスへと突っ込むかに見えたゴマゾウ。チゴラスまで残り3メートルという距離。

その時、ゴマゾウは突然跳ね上がり、空中に身を躍らせたのだ。

 

「ギャモ!?」

「なにっ!?」

「えっ!?ゴマゾウ!?」

 

それはタクミでさえも予想外の行動であった。

空中では当然加速はできない。回転は死に、失速し、四肢を宙に広げたゴマゾウは完全に無防備になった。

 

これでは “がんせきふうじ” の的だ。

 

その時だった。

 

「っ!」

 

タクミの目を鋭い光が貫いた。

真上の太陽から差し込んだ光が一瞬ゴマゾウの体で煌めいたのだ。

 

「えっ……」

 

宙にいるゴマゾウが何かを身に纏っていた。

ゴマゾウの周囲から靄のように冷気が流れ出す。

その身体に浮かんでいたのは白い礫のような氷の欠片。

 

「パァァアオォオオオオ!」

 

ゴマゾウの身体からその礫が目にも止まらぬ速度で放たれた。

そのあまりの速度に見ている側からは白いレーザー光線のような軌跡しか捉えられない。

銃弾のような氷の欠片が次々とチゴラスに突き刺さり、動きを完全に止める。

 

「ギャ、ギャモォォ!」

「チゴラス!」

 

そのワザをタクミは知識では知っていた。だが、知っていただけでゴマゾウが使えるなんて思ってもみなかった。なにせ、このゴマゾウはタクミと出会ってから今まで “ころがる” しか使ってこなかったのだ。

 

こんなワザが仕えるなんてタクミには知る由もなかった。

 

「…… “こおりのつぶて” ……」

 

氷を放ち終え、着地したゴマゾウは欲求不満を示すように地面を足で掻き、タクミを左眼だけで振り返った。タクミだけを真っ直ぐに見据えた鋭い目。

 

『走ることこそ信条の俺が足を止めるワザを放つ』

『その意味を履き違えてくれるなよ』

 

そんな視線を受け、タクミは自分の背に鳥肌が走り抜けた気がした。

 

「………ゴマゾウ……わかった……お前の覚悟!確かに受け取った!」

 

歯を食いしばるようにそう叫んだタクミにゴマゾウはニヤリと笑う。

ゴマゾウは一瞬だけクチートに優しい視線を向け、前を向いた。

 

「ゴマゾウ!回り込むぞ!右側のコースを抜けろ!l

「パオン」

 

ゴマゾウは再び丸くなって転がっていく。だが、その加速は普段よりも格段に遅く、いつでも “こおりのつぶて” を放てる体勢であった。

 

「くっ、ゴマゾウにこんな隠し球があったとは!チゴラス射線を切るんだ!岩をばら撒け! “がんせきふうじ” !」

「ギャモ!」

 

チゴラスの周囲に無数の岩が浮かび上がる。

 

「まぁ、そう来るよな。だけど……そろそろのはずなんだよ……ゴマゾウ!そこで止まれ!」

「パオ?」

 

ゴマゾウが止まった場所は多くの岩に囲まれたポイントであった。当然、チゴラスまでの射線は通らない。

一見すれば、“がんせきふうじ”から身を隠す位置のようにも見えるが、その位置はタクミが最初から狙っていた場所であった。

 

いや、正確には『フシギダネが戦闘不能になった後』から狙っていた場所だった。

 

「まだか……まだか……」

「隠れても無駄です!チゴラス“がんせきふうじ”」

「ギャァァモォォ!」

 

“がんせきふうじ”が降りそいでくる。

 

それとほぼ同時にフィールドに変化が起こった。

 

ゴマゾウとチゴラスの間にあった岩の下からピョコンと小さな植物の芽が生えたのだ。

 

「そこだ!ゴマゾウ!!真っすぐ突っ込め!!」

「パオン!!!」

 

ゴマゾウは何かを悟ったかのように目の前の岩に向かって直進する。

頭上からは“がんせきふうじ”が迫る。目の前には岩の壁が立ちふさがる。

一見、無謀な突撃にしか見えない。

 

だが、次の瞬間だった。

 

ゴマゾウの目の前の岩が植物によって持ち上げられた。

ゴマゾウはその岩の下に滑り込み、“がんせきふうじ”を回避する。

 

「えっ!!!」

 

それは最初のフシギダネ戦から仕込んでいた“タネ”

フシギダネがやられる直前に放った“やどりぎのたね”が今になって成長を遂げたのだった。

岩を持ち上げるように成長した“やどりぎのたね”。岩の下に新たな走行ルートが現れる。

 

ゴマゾウとチゴラスの間を遮るものはもう何もなかった。

 

「ゴマゾウ!“こおりのつぶて”!!」

「パァァオオオ!!」

「チゴラス!ガードです!」

「ギャモ!!」

 

ゴマゾウの体に浮かび上がった氷の欠片が凄まじい連射速度で放たれ、次々とチゴラスへと襲い掛かっていく。

 

「いけぇぇええええええ!!」

「パァオォオオオオオオ!!」

 

全身全霊をもって攻撃を撃ち続けるゴマゾウ。

チゴラスが“こおりのつぶて”に押されて下がっていく。

防御姿勢を取っていても容赦なく撃ち込まれる氷の弾丸にチゴラスは遂に耐えられなくなった。

 

チゴラスの体が浮き上がり、吹き飛ばされ、岩に叩きつけられる。

 

それでもまだ、チゴラスの目は死んでいない。

 

チゴラスの口が開き、その内側で青い炎が燃え上がる。

 

“りゅうせいぐん”の初動だった。

 

「させるか!!“ころがる”だ!!」

「パァァァオン」

 

直後、チゴラスの口から“りゅうせいぐん”が放たれた。

だが、既に3発目の“りゅうせいぐん”

放たれた隕石の量は最初の1/8程度だ。その密度ならかわせる。

 

ゴマゾウは華麗なるドリフトを連続で決め、隕石群を回避して一気にチゴラスに突っ込んだ。

全体重を乗せた“ころがる”がクリーンヒットする。

 

その衝撃はチゴラスを突き抜け、背後の岩にまでヒビをいれる。

ミシミシという不吉な音が鳴り、遂にはその岩が砕け散った。

 

ゴマゾウはチゴラスを背後の岩ごとぶっ飛ばしたのだ。

 

吹き飛んだチゴラスは大の字に横たわり、動かなくなった。

 

「パォ……パォ……パォ……」

 

ペタリと尻もちをつくゴマゾウ。

山道で鍛えた無尽蔵のスタミナを持つゴマゾウも流石に限界であった。

 

一瞬の沈黙。

 

そして審判がフラッグを上げる

 

「チゴラス、戦闘不能。ゴマゾウの勝ち!!よって勝者、チャレンジャータクミ!!」

 

タクミのクチートを抱く腕に力がこもる。

 

「………クチ………」

 

クチートがタクミを見上げる。

 

「パオ」

 

ゴマゾウが仰向けに寝っ転がってヘラヘラと笑っていた。

 

「いよっしゃあぁああああああ!!」

 

タクミの雄たけびがジムの中に響き渡った。

 



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風に吹かれながら

ショウヨウシティにはサイクリングコースがある。岩山を駆け上がるような長距離コースからお手軽な短距離コースまで様々だ。その中でも一番過酷なのはサイホーンレースでも使用されることもある街全体を一周するコース。町の北側からスタートし、西に広がる砂浜の中に作られたオフロードコースを走りながら町を半周。後半はオンロードでの山登りセクションだ。幾度の急カーブを繰り返しながら東側の岩山を上っていき、最後は直滑降のロングストレートを経てゴールする。

 

タクミはそのコースをレンタルした自転車で走りながら海から吹き付ける風を感じていた。背中ではクチートが気持ちよさそうに風に揺られ、隣にはご機嫌のゴマゾウが併走していた。

 

「ゴマゾウ、ペース上げなくていいのか?」

「パオパオ~」

 

ゴマゾウは『気にすんな』という感じの返事をしながらタクミとのんびりとしたスピードで走ってくれていた。サイホーンレースのスピードに慣れているゴマゾウからすればタクミの風景を楽しむような走りはいささか『ぬるい』走りに感じるはずだ。なんだか付き合わせているような気がするタクミであったが、ゴマゾウがご機嫌なので気にしないことにした。

 

実のところ、ゴマゾウからすればこのコースはあまり好きではなかったのだ。

 

砂浜が中心のオフロードコースもコーナリングが要求されるヒルクライムも馬力でコースをねじ伏せるサイホーンレースの醍醐味が詰まったコースだ。

ダウンヒルでのテクニカルなレースで馬力の差を補ってきたゴマゾウにとって、このコースはあまりに相性が悪く、いまいち燃えない。

 

レースの進行方向が逆であったならまだ少しは昂ったかもしれないが、それを言っても始まらない。

 

「パ~オパオパオパオ~♪」

 

鼻歌を歌いながら転がっていくゴマゾウ。

今のゴマゾウはジム戦で疲れた体を癒すためのクールダウンで走っている。もともと走ること自体が好きなゴマゾウにしてみればこれで十分であった。

 

タクミはそんなゴマゾウを横目に昨日のジム戦のことをなんとなく思い出していた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「はい、これがショウヨウジムに勝った証、ウォールバッジです」

「ありがとうございます」

 

手にしたバッジが空からの光でキラリと輝き、満面の笑みの自分の顔を反射して映していた。

 

「それにしても、最後の“やどりぎのタネ”には驚きましたね。途中、キバゴが“がんせきふうじ”で落ちてきてた岩を砕いて飛ばしてきてたのは、“タネ”をしかけた周囲の邪魔な岩を処理していたんですね」

「はい!あの岩が持ちあがった時に空間が広がらないと意味がないですからね」

 

タクミはバッジケースにウォールバッジをしまいながら、そう言った。

 

「“タネ”を仕掛けたのはフシギダネの最後の瞬間かな。だとすると、細かい指示を出していた様子はなかったけど、最初から予定していたことだったのかい?」

「いえ、その……完全にフシギダネ任せでした」

 

タクミがそう言うとザクロの眉がわずかに跳ねた。

 

「ということは、タクミ君はフシギダネがどんな“タネ”を仕込んだのかわかってなかったのかい」

「ええ、でも、フシギダネがあの状況で“タネ”を使うなら他に選択肢はないとは思っていました。むしろ、問題だったのは『いつ』“タネ”が成長するかってところの方で……思ったよりも時間差があって、結構困りましたけどね」

 

タクミとしてはキバゴ戦ぐらいで発動してくれることを望んでいた。

そのタイミングを決して見逃さないようにキバゴの立ち位置にはかなり注意を払っていた。

 

だが、フシギダネが設定した“タネ”の成長速度は思ったよりも遅かった。多分、とっさのことで上手く調整できなかったのだろう。

 

「そういう意味ではクチートが一旦中断してくれたのは結果的に良かったってことなんですけど……あれは、すみませんでした」

 

タクミは少し苦笑いをしながら頭を下げた。

 

「いえいえ、怪我がなくて良かったです。それにしても……」

 

クチートはタクミが勝利をした後に気絶するように意識を失った。

今はゴマゾウの体を枕にして眠っている。

 

よっぽど気を張り詰めていたのだろう。

 

「クチートのことは心配ですね。このままでは立ち向かう壁に押しつぶされてしまいます。時には壁に背を預けてゆっくり休むことも大事なのですが。そのことをきちんと伝えてあげられれば……」

 

ザクロはそう言い、自分のモンスターボールの表面に手を置いた。

 

「ポケモンと心を通わせる。言葉にしてしまえば簡単ですが、それは風が岩を削り取るような長い時間と根気が必要です。私とて自分のポケモン達と十全に付き合えているとは思っていません。いえ、むしろそんなことはできないのかもしれません。人は……同じ種族の人とすら完璧に心を通わせることなどできないのですから……」

 

そう言ったザクロはどこか遠くを見るような眼をした。

 

タクミにはザクロが何を言わんとしているのか少しわからなかったが、門下生であるジムのトレーナーの顔にはわずかにニヤけ顔が浮かんでいた。ザクロには想いを寄せるトレーナーがいて、きっとその彼女のことを考えているのだろうと誰もがわかっていた。

 

ザクロは一息ついて視線をタクミに戻した。

 

「タクミ君、ポケモンセンターには電子書籍の図書館があります。ポケモンのメンタルケアに関する書籍もあるでしょうから、読んでみるのもいいと思いますよ」

「わかりました。ありがとうございます」

「それと、私が言うのは少し違う気もしますが、クチートのことを大切にしてあげてください」

「もちろんです!」

 

タクミはそれだは絶対に約束ができると思いながら、頷いたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

直滑降の直線に差し掛かり、タクミは頭を目の前のコースのことへと切り替えた。急降下の坂道を一気に駆け下り、平地の直線で減速しながらオフロードコースへと入っていく。さざ波の音がより近くなり、照り付ける太陽の光が波間に反射して揺れている。涼しげな潮風に吹かれ、クチートの顎がポニーテールのように揺れているのを背中越しに感じながらタクミはクチートに声をかけた。

 

「クチート、気持ちいいか?」

「クチ!」

 

肩口に顔をのぞかせているクチートが笑顔で頷く。

その表情からはバトルの時の切羽詰まったような強張りは見えない。

 

ジム戦での勝利がクチートの心の重荷を少しでも軽くしてくれているならそれでいいが、全快というわけには当然いかないだろう。

 

わずかにカーブする道をゴマゾウと一緒に走る。

少しずつ潮が満ちてきているのか、コースの一部が水没している。

引き潮の時と満ち潮の時でサイホーンレースで必要な脚質が変わるのもこのショウヨウシティのレースでの特徴らしいが、ゴマゾウにはあんまり関係なさそうであった。むしろ、走りながら海水浴ができることを楽しんでいるような節まである。

 

コースが波間に入っていく。

その時、タクミの顔にゴマゾウがわざと跳ね上げた水飛沫が飛んできた。

 

「ゴマゾウ!こら!!」

「パオパ~オ~」

 

ゴマゾウは反省する様子もなく、タクミの前を煽るように走る。

 

「こいつ……」

「パオパ~オ」

 

悔しかったら抜かしてみろよ。

 

そんなしたり顔が見えた気もしたが、タクミは軽く笑うにとどめて自分のペースを維持していく。ゴマゾウはそんなタクミに水飛沫を容赦なく浴びせていく。当然、クチートの顔にも水飛沫がかかる。

 

「クチ!」

「パオパオ!」

 

クチートとゴマゾウが楽しそうに鳴き声をあげる。

 

2人がなんと言ったかタクミにはわからない。

 

だが、最後には背中のクチートがクスクスと忍び笑いを漏らしていたので良しとしておく。

 

「越えるべき壁に背を付けて休むことも大事……か」

 

タクミはザクロさんに言われた言葉をつぶやいてみる。

 

そういった考え方はタクミにとって新鮮なものではない。タクミは数多くの壁にぶつかり続けてきた女の子のすぐ傍にいたのだ。こういった状態の時に焦ってもいい結果が出ないことは重々承知している。だが、改めて他者から言葉にしてもらえるといささか心が楽になるのも事実であった。

自分のやり方は間違ってないんだと他者に肯定してもらえている。それは自信を持って足を進めるには大事なことなのだ。

 

タクミは大海原を横目に昨晩夜更かしして読んだポケモンのメンタルケアの本のことを考える。

 

その本の最初の第一節はこうだ。

 

 

『人はポケモンとは言葉を交わすことはできない』

 

 

ポケモンは人の言葉を理解しているし、人もポケモンの仕草や声音で大まかな意思疎通を図ることはできる。

だが、いざ心の問題となると『大まかなに把握』するだけでは足りない。

 

人とポケモンのメンタルケアの一番の問題はそこである。

 

心療内科では患者と1時間でも2時間でも語り合って問題を詳細に突き詰めていく。患者の心を数値化したり、症状を体系化するために心理テストなども使う。治療法に対するある程度のガイドラインというのも存在する。それでも、患者の心の問題を全て浮き彫りにすることはできない。

 

人と人でさえそれなのだ、相手がポケモンとなればその難度は更に跳ね上がる。

 

メンタルケアの本の中には色々な対処法や、治療の体験談なんかが数多く寄せられているが、どの本もその基本は大体一緒だ。

 

トレーナーが寄り添い、ポケモンにとって最善してあげられるように注意深く観察してあげること。

 

タクミに今できることはクチートが少しでも楽しく生きていくことができるように環境を整えてあげることだけだ。

 

ただ、具体的にどうするかについてはまだ模索中であった。

 

クチートが過去の経験で心に負った傷はいくつもある。

 

タクミはその中でもクチートの一番の問題はバトルに対するトラウマだと思っていた。

目隠しされた状態で洞窟を彷徨い、野生ポケモンに襲われ続けてきたのだ。誰かと相対して立ち向かうバトルを怖がってもしょうがないと思っていた。

 

だが、そうではなかった。

 

ザクロさんとのジムバトルでクチートが何よりも恐れていたのは対戦相手のポケモンでもバトルの雰囲気でもない。

 

ゴマゾウがピンチになった時、クチートはバトルに出ようとしていた。タクミの役に立とうとしていた。バトルが本当に怖いならあそこまでバトル中に気を引こうとしない。

タクミの胸に縋り付いていたのも崖から落ちたことが怖かったわけじゃない。あれはタクミに迷惑をかけたことを謝っていた。

 

クチートが過去に受けた壮絶な体験。

 

その中でもクチートにとって一際深い傷になっているのは『トレーナーに捨てられた』という現実なのかもしれないとタクミは考えていた。

 

クチートの心にはトレーナーの役に立たなければならないというある種の強迫観念があるように見える。

役に立たないといけないからバトルに出たがる。バトルに出ようとするからトラウマで心を抉られて失敗する。失敗したからより役に立とうと焦ってバトルに出たがる。

 

完全なバッドスパイラルだ。

 

その負の連鎖を断ち切るには一度完全にその輪から離脱しなければならない。

 

それはわかっている。わかっているのだが。

 

タクミの思考はいつもここで止まってしまう。

 

「クチ!」

「どうしたクチート?」

「クチクチ!」

「ん?あっ、ラブカスの群れか。綺麗だな」

 

沖合で何体ものラブカスが波間から飛び出してはその身体に陽光を煌めかせていた。

その光景はまるで、光るハートが波と一緒に踊っているようであった。

クチートはタクミの頭の上にまでよじ登り、その景色に目を輝かせていた。

 

タクミは少し自転車のペースを落とす。それに気づいたゴマゾウも回転速度を落として並走してくれた。

 

砂浜を抜け、オンロードに戻ってくる。

ポケモンセンターの前を曲がり、再び山道へと差し掛かる。

 

既にタクミはこのコースを8週しており、足にも少しずつ乳酸が溜まってきている。

だが、そうそう根を上げるタクミではない。

 

「しゃおらぁぁ!」

「パォォォオン!」

「クチクチ〜」

 

気合を入れるタクミとゴマゾウ。それを応援するクチート。タクミは青春小説の1ページみたいだと思いながらペダルを漕いでいく。

 

「クチ〜クチ〜」

 

『マスター、頑張ってくださ〜い』

 

そんなクチートの声が聞こえてきそうだった。

 

応援してくれている今のクチートの声に陰りはない。

タクミはクチートにはずっとこんな穏やかなまま過ごして欲しい。

 

ただ、それは無理な話だった。

 

今のクチートに必要なのはバトルをしない環境だ。

 

バトルを想起させれば、クチートは必ず自分の価値について考える。それはクチートの気持ちを急かせてしまう。深く思い詰めてしまえばジム戦の時のようなことも起きるだろう。

 

しかし、そういうわけにもいかないのだ。

 

タクミは旅をするポケモントレーナーであり、ポケモンバトルは日常と言ってもいい。

道端で他のトレーナーに勝負を仕掛けれられることもあるし、ジム戦にだって挑んでいかなければならない。

モンスターボールの中にいればいいのだが、残念ながら今のクチートにとって狭くて暗いモンスターボールの中は地獄とそう変わらない。博士に預けることも考えたが、半ば人間不信のクチートにとって、今のトレーナーであるタクミから離れればまた『捨てられてしまった』と感じてしまうだろう。それは絶対に避けたい。

 

結局、クチートを救うにはバトルをせずに旅をするしかないという結論に至る。

 

 

もちろん、そんな芸当が出来るわけがない。

 

 

クチートのことは大事だ。だが、自分の夢も大事なのだ。

天秤にかけることなどできない。

 

だからこそ、タクミの思考はいつもここで止まってしまう。

 

ただ……そんな堂々巡りの思考を繰り返しているうちに少し見えてきたものがあった

 

「なぁ、クチート……気持ちいいか?」

 

坂を登りきり、少し息を上げながらタクミはクチートに話しかける。

 

「クチ!」

 

嬉しそうに頷くクチート。

その笑顔が嬉しくてタクミも気合を入れてペダルに力を込める。

 

「おっしゃ!ゴマゾウ!あと2周だからな!」

「パオパオ!」

 

海から吹き付ける風を感じながら、タクミは下り坂を駆け下りていく。

 

飛ばされまいとしがみ付くクチートの体温を感じながら、タクミは風の音に自分の溜息を混ぜ込んだ。

 

その瞬間、ゴマゾウが小石でも踏んづけたかのように小さく跳ねた。

 

『ため息がでかいぞ』

 

そんな声が聞こえた気がした。

 

「まったく……」

 

耳ざとい奴だ。

 

どうしてこう、うちのパーティには一癖も二癖もあるポケモンばかりなのだろうか。

 

タクミは今度こそ盛大にため息を吐きだしたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その夜、タクミは久々に友人達と連絡を取っていた。

 

ミネジュンが全員の近況報告とジム戦の進み具合について聞くために声をかけたのだ。

 

タクミはポケモンセンターのロビーの一角でソファに陣取ってホロキャスターを起動していた。シャワーを浴びた後のわずかに湿った髪が涼しげな夜風に揺られている。タクミの膝の上には自分に寄りかかって眠るクチートの頭が乗っていた。

 

ホロキャスターのテレビ電話には、ミネジュン、マカナ、アキの3人に自分を加えた4人分の顔が映っている。

 

『へぇ、そんなことがあったのか。やっぱいるとこにはいるんだな、そんな悪い奴が』

 

そう言ったミネジュンはタクミと同じくどこかのポケモンセンターのロビーにいるようであった。

遠くでポケモンバトルで盛り上がっているのか、電撃の光が時々画像に映り込んでいた。

 

『でも、ある意味ラッキーだよな。タクミが天気予報見てなかったお陰でそのクチートは助かったんだから』

「おかげでひどい目にあったけどね。嵐の山を駆け下りるなんて二度とやりたくないよ」

『そりゃそうだ。で、クチートの目は治せないのか?』

「うん。クチートの右目は角膜っていう目の一番外側の膜が腐ってたらしい。もう光を感じることぐらいしかできないんだって」

 

タクミはそう言って肩を落とした。

 

『……そんなことするなんて……同じ人間とは思えない』

 

体感気温が2℃程下がりそうな底冷えする声を放ったのはマカナであった。

彼女の背後にはテントの天井が見えており、彼女は野宿中であったようだ。

薄暗いテントの中でギラギラと瞳を光らせるマカナはそのまま邦画のホラー作品に使えそうな迫力があった。

 

『……許せない……犯人は捜せないの?』

「そもそも、クチートがあの洞窟にどれだけの時間いたかもわからない。でもクチートの目を覆ってたハンカチの様子と目の状態を見る限りはここ数ヶ月の話じゃないと思うって、ジョーイさんは言ってた。もし『地方旅』で来てたトレーナーだとしたら去年のトレーナーになる。それぐらい時間が経ってると特定は無理だろうって」

『……そう……残念』

「それに……特定したとしても……それでクチートの目が治るわけでもないしね」

『……でも、それはそれ、これはこれ……報いを受けさせる』

「まぁ、うん、そうだね」

 

マカナの鬼気迫るような怒りにタクミの方がタジタジであった。

そもそも、タクミはあまり復讐については考えていない。今はクチートのことだけで手一杯だ。

 

タクミはのひざ元でクチートが寝返りをうつ。その拍子にクチートの小さな手がタクミの服を掴んだ。

 

「…………」

 

こうなると、クチートは目が覚めるまで服を離してくれない。

タクミはクチートが眠りやすいようにその体を軽く抱き上げた。タクミのホロキャスターにクチートの姿が映り込む。

 

その様子を見て、アキがクスリと笑った。

 

『でも、クチート、安心して眠れてるんだね』

 

アキは病棟の共有スペースで電話をしていた。ナースステーションの蛍光灯の明かりが仄かに映り込んでり。

 

「うん。ただ、僕から離れるとすぐに不安になるみたいで」

『四六時中一緒ってこと?それってタクミの方は大丈夫?』

「まぁ、それほど困ったことはないよ。一回寝ぼけて噛みつかれたことはあったけど」

 

それ以降、クチートは自分の顎にバンドを巻いて眠るようにしてもらった。

 

『それにしても、そうか……難しい問題だね』

 

腕を組んで眉間に皺を寄せるアキ。

そこにミネジュンが口を挟んだ。

 

『なぁ、そういうのってカウンセリングとかしたら治せないのか?』

 

その質問にはアキが答えた。

 

『私も病気のことでカウンセリングは受けたことあるけど、専門家でも話をしただけでその人の心の病気を治せるわけじゃないんだよ』

『そうなのか?えっ?じゃあ、カウンセリングって意味ねぇの?』

『そういうわけじゃなくて、えーと、心の病気ってのもいろいろあって、脳の電気信号の異常とか、ホルモンとかが乱れてたりとか、トラウマによるものだったりとか、自意識の成長過程の問題とか、いろいろ複雑で。薬とかリハビリとか色んな治療を総合的にやっていって、カウンセリングっていうのはその治療の方法の一つにすぎないっていうか、それだけだと意味がないというか、えーと、うーん……』

『あぁ、わかった、とにかく複雑なんだな』

『そうまとめられるのも、なんか違う気がするけど』

 

その時、ふと何かに気づいたかのようにマカナがタクミに声をかけた。

 

『……タクミ……タクミはクチートにもうバトルはさせないの?』

「そこなんだよねぇ、問題は……」

 

溜息を吐くタクミにミネジュンが怪訝な顔をした。

 

『何言ってんだタクミ。クチートはバトルできねぇんじゃないの?っていうか、そんな状態なら、バトルなんてさせない方がいいと思うぞ』

「それもわかってる。だけど、クチートはバトルそのものが怖いわけじゃいんだよ」

『あれ?なんかさっきと言ってること違わねぇか?クチートはバトルができないんだろ?』

「できないとは言ってないよ」

『んん?』

 

納得できなさそうなミネジュン。

その隣の画面ではアキが真剣な顔で頷いていた。

 

『タクミ、クチートは『捨てられるのを怖がってる』って言ってたよね』

「うん」

『じゃあ、やっぱりクチートが怖いのは『役に立たないこと』なんだね』

「そうだと思う。バトルが怖いんじゃなくて、バトルに負けて、失望されるのが怖いんだ。まぁ、イワークにはそれとは関係なくトラウマありそうな気がするけど」

 

クチートに関してタクミの認識がズレた原因はそこであった。

ザクロさんの初手がイワークで、それに対してクチートが過度に怯えたからそう錯覚したのだ。

思い返してみればクチートはチゴラス戦ではあまり怯えた様子はなかった。やはり、イワークが単純に怖いのだろう。

 

「だから、本当に大事なのは、クチートに僕を信頼してもらうことなんだ。『何があっても僕はクチートを見捨てない』そのことをクチートがわかってくれるまで、気長に付き合うしかないんだ」

『なるほど。それじゃあ、クチートはバトルした方がいいね」

「……やっぱり、そう思う?」

『うん』

 

真面目な顔で頷くアキ。その隣の画面でミネジュンが怪訝な顔で首を傾げていた。

 

『ん?ん?どういうことだ?2人だけで納得してないでこっちにも教えてくれよ。なんでクチートにバトルさせた方がいいんだ?』

『簡単な話だよ。クチートが怖いのは『トレーナーに捨てられること』だから、どんなバトルをしても、どれだけ負けても、タクミが絶対にクチートを捨てないトレーナーだってことを心でわかってもらう。その為にバトルをしていくってこと』

『ああ、なるほどな。でもさ、それって結構強引な方法じゃねぇのか?クチートは耐えられるのか?」

「どうだろう。まぁ、ジョーイさんとも少し相談したんだけど。いきなり野生ポケモンや他のトレーナーとバトルするのはやめた方がいいっていうのは言われた。仲間内での練習試合から少しずつ慣らしていくことになるだろうね」

 

クチートは先のジム戦でタクミの苦戦に対して身を乗り出して来た。

勝利に対して自分が貢献できると、自分の価値をアピールしてきた。

 

「きっと、クチートは自分に確固とした居場所が欲しいだ」

『……居場所……』

 

マカナが何かをかみしめるように呟く。

 

「自分の価値が認められる場所が欲しい、自分が誰かの為に貢献することができる場所が欲しい……クチートは……強くなりたいんだと思う……」

 

だから、タクミがいくら口で説明しても、どれだけ行動で示しても、一緒なのだ。

クチートが今の立ち位置に納得しない限りは意味がないのだ。

 

『となると、タクミの責任は重大だね』

 

アキがそう言って微笑みかけてきた。

タクミはその言葉に自嘲するように頷く。

 

「うん。ポケモンの強さを十二分に引き出すのはトレーナーの役目だ。そして、居場所を与えてやるのもやっぱりトレーナーの役目だ」

 

タクミはそう言ってクチートの頭をゆっくりと撫でる。

クチートは鬱陶しそうに眉間に皺をよせ、よりしっかりとタクミの服を引き寄せて丸くなった。

 

『なるほどな。よっしわかった。タクミ!もしクチートのバトル相手が欲しかったらいつでも言え!最悪、八百長でもなんでもしてやるぜ!これはバトルじゃなくて治療だからな!』

「ありがと、まぁ、もう少し地道にやってみるよ」

『……なにかあったら私にも相談して……多分、場所的に私とタクミが一番近い……』

「うん、ありがとマカナ」

 

タクミはもう一度自分の役割を胸に刻み、一呼吸を置いて話題を変えた。

 

「それで、アキの方はどう?学校は慣れた?」

『うん、大分過ごしやすくなったよ。それでね、ジャーン!見て見て!これがこの前ゲットしたスクールバッジ!!これでジムバッジ1個分だよ!』

「おおぉぉおお!!やったじゃん!」

 

窓から緩やかに流れ込む夜風に吹かれながら、その日は随分と夜遅くまでしゃべり続けてしまったのだった。



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どこにでもあるトレーナーの夜

ショウヨウシティを後にして北へと向かうタクミ。ショウヨウシティより続く10番道路は通称『メンヒルロード』と呼ばれている。今歩いているのは普通の峠道であるが、あと山を一つ越えれば巨大な石が幾重にも並んでいる光景が見えるはずだった。一つ一つの岩が小さな家ぐらいの大きさがあり、それが規則正しく一定の間隔で並んでいる不思議な場所だ。誰が、何の目的で作ったのかは今も判明しておらず、多くの歴史学者が今も研究にいそしんでいる。その光景を目にすることができれば次の目的地であるセキタイタウンまでもう少しだ。だが、峠にあるポケモンセンターまではまだ距離がある。タクミはそれ以上進むことはせず、今日は野宿することにしていた。

 

暗闇が怖いクチートを仲間にしてから、タクミは日が傾く前に早めにキャンプを張るようにしていた。

 

一通りキャンプの準備を整えたタクミは自分の手持ちポケモンを出し、自主トレに励む。

 

「ゴマゾウ!“こおりのつぶて”!キバゴ!足を止めろ!回避禁止!真正面から叩き落とせ!」

「パオパオ!」

「キバァァァ!」

 

ゴマゾウは丸くなって転がっている状態では“こおりのつぶて”を放つことができない。走行姿勢を解除して四肢で立つ戦闘姿勢に移るのは当然隙になる。その隙をできるだけ短くするにはとにかく練習しかない。

 

ゴマゾウはキバゴの周囲を走りつつ、ランダムなタイミングで“こおりのつぶて”放っていく。

 

「ゴマゾウ!丸くなるまでにもたついてる!ダメならペース落とせ!」

「パオパオ!!」

 

ゴマゾウは『これ以上のんびり走れるか!』と抗議するかのように声を張り、タクミの指示など聞かずに加速していく。

 

「こら!ゴマゾウ!!」

「パオッ!!」

 

そんなスピードでスムーズに回転状態から歩行姿勢に移行できるわけもない。ゴマゾウが“こおりのつぶて”を放とうとした瞬間、ゴマゾウは地面に顔から激突する羽目になった。

 

「ゴマゾウ!大丈夫か!?」

「パ……パオ……」

「まったく……」

 

“こおりのつぶて”を使うようになってもゴマゾウの走り屋としての精神はまるで変わらない。

ショウヨウジムで勝利した時に貰った“がんせきふうじ”のワザマシンを使おうとした時も小一時間説得する羽目になった。

 

ゴマゾウからすれば自分が走るフィールドに障害物を置くなど言語道断であったのだろう。そこでタクミは“がんせきふうじ”は障害物ではなく、コースなのだと力説した。つまり、“がんせきふうじ”でフィールドを自分だけの最高のレース会場に変えるのだと説明したのだ。

それでも納得してもらうのに随分と時間がかかったが、最終的にフシギダネにいくつかコース案を提示してもらってようやく納得してもらった。

 

本当に妙なところに強い拘りのあるゴマゾウであった。

 

ただ、そんなゴマゾウが自分の信念を曲げてまでしてジム戦で“こおりのつぶて”を使ってくれたのだから、仲間のことは大事に思ってくれているのだろう。

 

タクミは練習風景を見学するクチートをチラリと見る。

 

クチートはフシギダネとヒトモシに挟まれながら、おやつのポフィンを齧りつつリラックスしている様子であった。

 

練習とはいえ、一応はポケモンバトルだ。

拒否反応が出ないかどうか気がかりではあったが、どうやら大丈夫なようだ。

 

「これぐらいなら平気なのか……ってことはやっぱりジム戦みたいな本気のバトルの雰囲気が苦手ってことに……」

「パオ?」

「あっ、ごめん。練習を再開しよう」

「パオン!」

「キバァ!」

 

再びキバゴの周囲を旋回しながら“こおりのつぶて”を放つゴマゾウ。

 

氷の閃光が夕焼けに照らされて深紅のラインを刻んでいく。

その光を一身に受けるキバゴは先のジム戦で折れたキバが抜け落ちた直後であり、『キバなしキバゴ』の『ゴ』である。

 

ちょっとのっぺりとした顔になったキバゴは両腕で“こおりのつぶて”を叩き落していく。ただし、今回は“ダブルチョップ”を纏ってはいない。タクミは弾幕を受ける練習中に限って“ダブルチョップ”の使用を禁止していた。

 

キバゴが近接戦闘での正面突破を望むのなら、殴り合いに耐えうるだけの体力と相手の遠距離攻撃を弾き飛ばせるだけの耐久力が必要になる。その為に成長の伸びしろの高い今の時期に徹底的に鱗の一枚一枚まで鍛え上げるつもりであった。

 

「キバ……キバ……」

「キバゴ、息があがってるけど、いったん休むか?」

「キバァァァァ!」

「よし、いい気合だ。練習続行!!」

「キバァッ!!」

 

ゴマゾウとキバゴの特訓は日が沈み、“こおりのつぶて”が完全に視認不可になるまで続いた。

 

その後、皆で夕食の時間だ。

元々、キャンプの仕事はフシギダネやヒトモシにも手伝ってもらっていたが、最近ではクチートも少しずつ仕事を覚えてきている。食事の準備を色々と手伝ってもらいながらタクミ達は「いただきます」の大合唱と共に夕食を味わう。

 

今日のタクミの御飯は豆のスープと玄米のおにぎりであった。

 

ポケモン界で驚きだったのはこちらでは白米よりも玄米の方が好まれるということであった。

よくよく聞けば、玄米とは完全栄養食というもので、一日に必要な食物繊維やビタミン、ミネラルなどが接種できるらしい。旅の食事に好都合ということで多くの人が好んで食べることから随分と普及しているそうだ。社会の勉強で日本の米がポケモン界に輸出されるようになってから、国内の米の生産量が随分と様変わりしたとか習ったのを覚えている。

 

タクミとしては細かいことはどうでもいい。ただ、ポケモン界でも米が食べられるということに感謝である。

 

後片付けを終えたタクミはホロキャスターに入っていたゲームを起動した。

 

「フシギダネ、今日もやるか?」

「ダネフッシ」

 

タクミは折り畳み式の小型チェアに座り、胸元にフシギダネを抱き上げた。

2人して重なるように座りながら、タクミはホロキャスター内のチェスのゲームを選択する。

 

「はい、昨日は僕が勝ったから今日はフシギダネ先行どうぞ」

「ダネ……ダネ!」

 

フシギダネは“ツルのムチ”で器用にホロキャスターを操作して駒を動かしていく。

最近、タクミは夜になるとよくこうしてフシギダネとチェスに勤しんでいた。

ただ闇雲に打つのではなく、相手の手を何手も予想して打つ。

 

フシギダネの基本的な戦い方は“やどりぎのタネ”による盤面の制圧だ。

 

“ツルのムチ”による高速移動も、“やどりぎのタネ”を使った罠も結局のところ盤面を操作するための手段の一つに過ぎない。

フシギダネのバトルで必要なのはいかにして相手をこちらの戦略に引き込めるかだ。

 

その為にタクミとフシギダネは先の展開を読む思考力や視野を広げる意味も兼ね、こういったボードゲームで遊んでいる。まぁ、半分以上は単純にフシギダネと遊びたいだけなのだが。

 

「……ダネ……ダネ!」

「うっ……うう……そうきたか……」

 

鋭い位置にビショップの役割をするスリーパーの駒を置かれ、タクミが唸る。

動かすべきはナイトのシュバルゴか、それともここはクイーンのサーナイトで攻めに転じるか。

駒の位置を確認し、2手ぐらい先の動きをなんとなくで予想しつつ駒を動かす。

 

「ダネ?」

 

『いいの?』

 

フシギダネがニヤリと笑って振り返る。

 

「ダネ!」

「あっ!やばっ!ちょっ、ちょっと待った!」

「ダネダネ~(待ったなし)」

「ちくしょう、あぁっ、えと……」

 

そんなタクミとフシギダネのやり取りの傍ではヒトモシが“おにび”を操って空中に様々な図形を描いていた。

 

丸を作ったり、それを放射状に展開させたり、らせん状に回転させたかと思ったら球体に形を整えたり。

それはヒトモシのウォーミングアップであった。

 

ヒトモシは頭の炎を操って自分の影を大きくみせ、両手を広げた。

 

「モシ~~~」

 

そのヒトモシを光り輝かせるかのように“おにび”がヒトモシの周囲に漂う。

 

「キバキバ!」

拍手をするキバゴ

 

「パオ~ン!」

足踏みを鳴らすゴマゾウ

 

「クチ?」

何が始まるのかわからずにキバゴとゴマゾウの間でペタンと座っているクチート

 

ヒトモシは大きくお辞儀をした。

 

その直後、ヒトモシの背後から巨大な影が吹き上がった。

 

「クチッ!」

 

クチートは驚いて、隣にいたゴマゾウに身体を寄せた。

 

「パオパオ(“ナイトヘッド”だよ、あいつの舞台さ)」

 

ゴマゾウはそう言って、クチートの頭を鼻先でポンポンと叩いて安心させようとする。

クチートが驚いている間にヒトモシは“おにび”を操り“ナイトヘッド”で作った暗幕に青い光を投射した。そして、ヒトモシは更に“サイコキネシス”を操って影を生み出すための障害物をくみ上げた。

 

暗幕の中に巨大な影を浮かび上がる。

 

それはまさに黒い巨人。

 

ヒトモシの数倍はあるであろう巨大な影がヒトモシに襲い掛かろうと迫ってくる。

ヒトモシはそれに怯えるように数歩下がる。

だが、次の瞬間ヒトモシの手に無数の“おにび”が群がった。“おにび”はヒトモシの手から一直線に並び、剣のような姿になる。

 

ヒトモシが腕を振る。それに合わせて“おにび”がムチのように伸びて音を立てた。

ヒトモシが手元で小さく炸裂させた“はじけるほのお”の火花の音だ。

 

その音に合わせて、影の巨人がのけ反り、怯む。

だが、巨人はその両腕を何度も振り回して反撃してくる。

 

迎撃、攻撃、追撃、迫撃

 

殺陣のような攻防の末、ヒトモシのムチが巨人を遂に圧倒した。

 

巨人はムチに押されて後退し、そして逃げ出した。

 

「モッシィイイイ」

 

ヒトモシが威嚇するように吠え、そして観客を振り返った。

 

「モシ」

 

礼をするヒトモシに対してキバゴが再度拍手を飛ばす。

ゴマゾウも地面を鳴らして歓声をあげる。

 

クチートは目の前で行われた一人舞台をポカンとした目で見つめていた。

 

「クチ~………」

 

クチートは感心するような、呆けたような声が漏れる。

 

“サイコキネシス”と“おにび”であそこまでスムーズに影を動かす技術はすごいと思う。

“おにび”を自分の武器にする演出をすると同時に影まで動かして躍動する舞台を作るのもすごい。

ワザを4つも同時に使用して、何の問題もなく進んでいるところも驚異的だ。

舞台全体の流れも割とスムーズで、ところどころのヒトモシの怯えたり、立ち向かったり、勝ち誇ったりする顔芸もいい味を出している。

 

ただ、そんな全部の感想を吹っ飛ばす程にクチートが思っていたことは一つ。

 

『ヒトモシ、これ、何の意味があるの?』

 

何の意味もない。

 

単なるヒトモシの趣味である。

最初は自分の頭の上の炎を操って色々と絵巻物語のようなものを作っていたが、いつの間にかこんな大仰な影絵の劇まで作るようになっていた。このまま行けば舞台デビューでもするんじゃないだろうかという勢いだ。

 

とはいえ、タクミだけはそんなヒトモシの器用なワザ使いにニヤリと笑っていたのだった。

 

「ダネ~」

「…………」

 

盤面は割と笑えない事態にはなっていたが。

 

口元を真一文字に結び、唸り声をあげるタクミ。

 

そんな時だった。

 

「あ……すみません……」

 

ガサガサと茂みをかき分けて見知らぬ人の輪郭がヒトモシの青い炎の中に浮かび上がった。

タクミはチェス盤の手を止め、そちらに目を向ける。

 

そこにいたのは20代ぐらいの男性であった。細身で長身ながらも体つきは随分としっかりとしており、体全体に十分な筋肉がついていることが伺えた。顔つきの立体感が強く、短く切り揃えた髪は暗闇でもわかるほどにブロンドに輝いている。服装は黒い帽子に白い襟のないシャツ、そして黒のコードジャケット。木製の杖を持ち、その先端には巾着袋とモンスターボールが結び付けられている。

 

その特徴的な装いにタクミは目を見張った。

 

彼の服装はカロス地方の旅行パンフレットで見たことがある。

それは、とある職業の人間が旅をする時の服装のそのままだった。

 

「もしかして、『旅職人』の方ですか?」

「はい……私の名前はヴァルツ……手工業の大工を目指して旅をしている者です」

 

そう言って彼は手にした杖でトントンと地面を突いた。

 

「申し訳ありません。この辺りで野宿できる場所を探してまして……よろしければ共に一晩過ごしても構わないでしょうか?」

 

彼の声は長い旅で焼けたようにやや掠れ気味ではあったが、声音そのもに深みがあり、人を安心させる響きがあった。ただ、それ以上に彼の身に纏っている『旅職人』の装束は過去から続く伝統に裏打ちされた『誠実』の証そのものなのだ。

 

タクミはフシギダネを抱えながら直立し、「どうぞどうぞ」と散らかしていた荷物を一箇所に纏めて場所を開けた。

彼はタクミのテントからある程度の距離を置いたところに遮熱シートを敷き、その上に簡易テントを素早く建てた。ワンタッチで設置と収納ができる高級なタイプだ。珍しいテントを目の当たりにしてタクミは目を見張った。

 

「あ、あの……よければお水をお貸ししましょうか?水源まで少し遠いですし、もう暗いから危ないですし」

「いいのですか?」

「はい。僕はポケモンが大勢いるのでいつも余分に水を汲んでるんです。遠慮せずに使ってください」

「では、お言葉に甘えて……」

 

彼はそう言ってタクミが汲んできた水を分けてもらい、食事の準備を始めた。

水を沸かして携帯食料に注ぎ込む。そして、彼はタクミに向けてそのお湯の入ったケトルを掲げた。

 

「紅茶があるんですが、いかがですか?水のお礼です」

「いいんですか?ではお言葉に甘えて……」

「はい。砂糖とミルクは?」

「両方たっぷりお願いします」

「わかりました」

 

ヴァルツはニコリと笑い、食事と一緒に紅茶の準備も始めた。

 

タクミは彼と椅子を並べて座り、紅茶を味わった。

以前、将来喫茶店を開くことを夢見る少年ジャミルからも紅茶をごちそうされたことがあった。今回味わう紅茶はその時に飲んだものよりも香りの種類こそ少なかったが、濃厚な味わいが乗っていた。

 

「あの、ヴァルツさんは大工さんを目指してるんですよね」

「はい、大工になるにはマイスター試験を通過する必要があるのですが、その為に3年と1日の修行の旅が必要なのです」

「3年も……一度も故郷に帰ってないんですか?」

「ええ、故郷の周囲50kmに戻ることは禁じられています。他にも通信機器の使用は禁止。公共交通機関の使用も推奨されていないんです。ポケモンを1匹だけ連れて旅をして、様々な土地の技術や知識を学ぶ、それが大工の修行の旅なんですよ」

「へぇ、大変ですね……寂しかったりしないんですか?」

 

タクミがそう聞くと、彼は子供のような顔で楽しそうに笑った。

 

「君は旅をしてて寂しいことはありましたか?」

「あ……いえ、自分はホロキャスターでいつでも連絡が取れますし、それに、ポケモン達がいますから」

「はい。私も一緒です。私にもパートナーのドテッコツがいます。彼と一緒だったから寂しさを感じたことはありませんでした」

 

彼はそう言って杖にぶら下げていたモンスターボールに軽く触れた。

 

そのモンスターボールを見て、タクミの好奇心がゾクリと疼いた。

その視線を感じたヴァルツはクスリと笑った。

 

「バトルしてみたいですか?」

「えっ、あっ、いえ、その……お疲れなら、全然そんな……」

「いいですよ、バトルしましょう」

「えっ!」

「ここで出会ったのも何かの縁です。バトルもまた修行の一環ですしね」

 

『バトルをしよう』と言われ、興奮しないトレーナーはいない。

タクミは興奮に目をぎらつかせる。

だが、すぐさま冷静になりクチートの方へと視線を向けた。

 

「クチ……」

 

ビクリ、とクチートの体が震えた。

 

「あっ……」

 

視線が合ったので、バトルに選ばれると思ったのだろう。

クチートの足が震えている。だが、クチートは右手で大腿の部分をつねって震えを止めようとしていた。

 

「クチ……」

 

クチートが覚悟を決めたように前に出る。

 

どうする?このタイミングで他のポケモンを選べば、クチートはまた『自分は役に立たない』と思うことになる。かといって、バトルに出すわけにもいかないし……

 

そんな時、唐突にキバゴがタクミに向けてとびかかった。

 

キバゴの頭突きがタクミの腹にヒットする。

 

「ゴフッ!」

「キバキバキバッ!キバキバァ!」

 

吹っ飛ばされたタクミの腹の上に馬乗りになり、キバゴが何度も跳ねる。

バトルに出ようとアピールするキバゴ。タクミはこめかみをひくつかせて立ち上がった。

 

「お前、バトルしたいの?」

「キバッ!!」

 

両腕を折り曲げてマッスルポーズを取るキバゴをタクミは一瞥し、容赦なく言い放つ。

 

「だめ」

「キバァ……」

 

ガーン、という効果音が聞こえてきそうなキバゴ。

タクミはため息をつき、他のポケモン達が笑い声をあげる。

 

空気がやわらぎ、クチートの覚悟を決めた顔も戸惑い交じりのものに変わる。

 

その瞬間を逃さずタクミはクチートに笑いかけた。

 

「クチート、君もダメ」

「ク、クチ」

「というか、今日の出番はもう決めてる。おいで、ヒトモシ」

「モッシィ!!」

 

ぴょんぴょんと跳ねてた前に出てくるヒトモシ。

タクミはキバゴを足で小突きながら、フシギダネの方へ押しやる。

 

「フシギダネ、キバゴをよろしく」

「ダネダ」

「キバ~……」

 

バトルに向かうタクミ。そのタクミに向け、キバゴから不器用なウィンクが飛んでくる。

タクミはそれを投げ返すような仕草をした。

 

「ほんと、気の使い方がどんどん上手くなるなあいつ」

「モシモシ」

 

ヒトモシも同意するように頷いた。

 

「エースとしての自覚ができてきたってことかな」

「モシ?」

 

ヒトモシは『そうかな?』と首を傾げた。その頭に灯した炎は昨日キバゴがつまみ食いしたオボンの実の形になっていた。

タクミは喉の奥で笑いながら改めてヴァルツさんの前に立つ。

 

「よろしくお願いします!」

「ええ、よろしくお願いします。それでは行きますよ、おいで、ドテッコツ」

 

ヴァルツさんが杖をトンとつくと、杖の先に括りつけられたモンスターボールからドテッコツが飛び出した。

 

「行くぞヒトモシ!“サイコキネシス”」

「モッシ!」

 

ヒトモシの目が怪しく光り、超能力が相手を拘束しようと襲い掛かる。

 

「ドテッコツ、鉄骨を投げつけなさい」

「ドテェェェ!!」

 

ドテッコツはいきなり携帯している鉄骨をぶん投げた。

 

「まずい!下がれ!」

「モッシ!」

 

ヒトモシが後ろに飛び跳ねた直後、先ほどまでヒトモシが立っていた場所に鉄骨が突き刺さる。

 

「ドテッコツ、“みやぶる”です。そのまま間合いを詰めましょう」

「ドッテ!」

 

ドテッコツが前に出てくる。投げた鉄骨を拾い、それをそのまま振り下ろした。

通常の打撃攻撃。【ゴーストタイプ】のヒトモシなら回避する必要すらない。だが、今のドテッコツは“みやぶる”で確実にヒトモシの実体を捉えてくる。

 

「ヒトモシ!もう一度“サイコキネシス”だ!」

「モッシ!!」

 

“サイコキネシス”で鉄骨を頭上スレスレで受け止めた。

 

「モッシィイイイ!」

「ドッテェェェェ!」

 

鉄骨の重量に筋力を上乗せした攻撃。いくらヒトモシの“サイコキネシス”でも相手を止めるのが精いっぱいだった。

 

「ドテッコツ、“いわおとし”」

「ドッテェィ!」

 

ドテッコツが足を強く踏み込む。地鳴りのような音と共に巨大な岩が更にヒトモシに向けて降り注いだ。

 

「くっ……」

 

畳みかけるような攻撃にタクミの頭の中で思考が一気に巡る。

 

“サイコキネシス”の範囲を広げるか?

ダメだ。これ以上攻撃範囲を広げれば鉄骨を止められなくなる。

だが、攻撃は【いわタイプ】甘んじて受けるなどもっての他だ。

身をかわすか?だが、“サイコキネシス”は集中が乱れれば危険だ。

 

どうする?どうする?

 

その時、タクミの脳裏に先ほどのヒトモシの影絵の劇が浮かんだ。

 

「ヒトモシ!目の前に“はじけるほのお”!」

「モッシ!」

 

ヒトモシは“サイコキネシス”を使いながら自分のすぐ傍に“はじけるほのお”を生み出した。

球体に圧縮された炎は炸裂弾のようにはじけ飛び、ヒトモシ諸共吹き飛ばした。

強引に距離を取ってドテッコツの攻撃範囲から離脱するヒトモシ。

 

振り下ろされた鉄骨が地面をえぐり、落ちてきた岩が障害物となる。

 

ヒトモシは“はじけるほのお”で顔に付いた煤を払い落とした。

 

「ほう、肉を切らせて骨を守りましたか」

「今度はこっちの番だ!ヒトモシ!“おにび”」

「モシ!」

 

ヒトモシの周囲に“おにび”の青い炎が浮かび上がる。

 

ヒトモシはそれを四方八方からドテッコツに向けて殺到させる。

 

「…………」

 

それをドテッコツはまるでそよ風のように受け止める。

火傷を負うことを意に介さない様子。トレーナーであるヴァルツさんもまるで対応する素振りがなかった。

 

「攻撃を受けた……まさか、しまった!!ヒトモシ!距離を取れ!!“ナイトヘッド”」

「モシ?」

「遅いです。ドテッコツ!もう一度鉄骨を投擲」

「ドッテェェェイ!」

 

ドテッコツの投擲。だが、その攻撃スピードが先ほどよりも格段に上がっている。

ヒトモシはなんとか回避したものの、地面に突き立った鉄骨が巻き上げた土砂を浴びて怯んでしまった。

 

「ドテッコツ、“アームハンマー”」

「ドッテェェィ」

 

再びヒトモシに向けて鉄骨が振り下ろされる。

 

「モッシ……」

 

“サイコキネシス”の構えを取るヒトモシ。

 

「受けちゃダメだ!ヒトモシ!かわすんだ!」

「モッシ!?」

 

ヒトモシの行動が遅れた。

だが、最初から避ける準備をしていても一緒であったろう。

ドテッコツは目にも止まらぬ速度で鉄骨を振り下ろした。

ヒトモシは回避するこも、防御することもできずにその直撃を受けた。

 

ズゥン!と重い音がしてヒトモシが叩き潰される。

 

ドテッコツが鉄骨を持ち上げると、その下ではヒトモシが荒い息を吐いていた。

 

「ヒトモシ!間合いを開けろ!下がるんだ!」

「モッシ……」

 

距離を開けるヒトモシ。

ドテッコツは火傷によって負った傷を舐めながらも、その表情は余裕綽々である。

 

「特性の『こんじょう』だ。忘れてた」

 

状態異常になると、攻撃力があがる特性だ。

“みやぶる”を覚えていたこともあり、このドテッコツ、交代要員なしで戦うことをある程度前提としている。

 

「なるほど……手ごわいな……でも!!ヒトモシ!“ナイトヘッド”を打ち下ろせ」

「モッシィィィ!!」

 

突如、ドテッコツの頭上から“ナイトヘッド”が打ち下ろされた。

ヒトモシが先の攻撃の最中に夜闇の中に潜ませていた“ナイトヘッド”だ。

 

黒いエネルギー波を受けて膝をつくドテッコツ。

 

「畳みかけろ!!“はじけるほのお”」

「モッシ!」

「ドテッコツ、鉄骨を盾に」

「ドッティ!」

 

撃ち込まれた“はじけるほのお”はドテッコツの鉄骨に防がれて霧散する。火の粉が飛び散り、方々に松明のような明かりが生まれた。周囲に強い光が生まれれば、光と影のコントラストがより際立つ。

 

そして、光が色濃くなればより闇も強くなる。

 

このフィールドこそ【ゴーストタイプ】の独壇場だ。

 

ドテッコツが鉄骨の裏から顔を出した時には既にフィールドの状況は一変していた。

 

「ヒトモシが消えた!?」

「ドテ?ドテ?」

 

フィールドから姿を消したヒトモシ。

ドテッコツの“いわおとし”により障害物が増えたことで隠れる場所はいくらでもある。

 

「ヒトモシ!“はじけるほのお”!!」

「モッシ!」

「ドテッコツ!左です!!」

「ドテッ!」

 

ドテッコツが攻撃を回避しようと飛ぶ。

だが、それを待ち構えていたかのように闇の帳が吹き上がる。

 

「“ナイトヘッド”」

「モッシ!」

 

黒いエネルギー波に弾かれたドテッコツ。更にそこに“はじけるほのお”の余波が襲い掛かる。

左右に乱され、ペースを握られたドテッコツ。

そのトレーナーであるヴァルツは敵の位置を探ろうと視線を巡らせた。

 

「いました。ドテッコツ!右側に岩の影です!!」

「ドッティ!」

 

ドテッコツは鉄骨を振り回し、右側の岩を吹き飛ばした。

 

だが……

 

「えっ!“おにび”!?」

 

そこにいたのは“おにび”と土塊で作られたヒトモシの擬態人形であった。

 

「ヒトモシ!“サイコキネシス”!!」

「モッシィイイイ!!」

 

突如、ヒトモシが光の中に現れる。

完全に不意をついたヒトモシはドテッコツをサイコパワーで拘束し、地面に叩きつけた。

 

「ドテッ!!」

 

効果抜群の攻撃。

“ナイトヘッド”と“はじけるほのお”のダメージもあり、ドテッコツはその場で目を回してしまった。

その様子を見て、ヴァルツはため息を吐きだした。

 

「どうやら、私の負けみたいですね」

「いぉっし!!ありがとうございました!!」

 

タクミは小さくガッツポーズをして、頭を下げた。

2人は歩み寄り、握手を交わす。

 

「流石に本職には勝てませんか。お強いですね」

「いえいえ、ドテッコツも強かったです。というか、自分もまだまだ未熟ですね特性のことが頭から抜け落ちるなんて。あっ、キズぐすりありますか?良かったら使います?」

「大丈夫ですよ。ストックはあります」

 

2人はバトルで傷ついたポケモン達の傷を癒しつつ、焚火を囲む。

 

「ヴァルツさんはずっとカロス地方をめぐっているんですか?」

「いえ、私はカロス地方のもっと北東の方まで足を延ばしていました。修行の期間も終わり、故郷に帰るところだったんです……今日は先を急ぐあまり、森の中で立ち往生してしまいましたが」

「そうだったんですね。あ、あの、カロス地方の北東ってどんなところでした?どんなポケモンがいましたか?」

「ポケモンの話ですか……私は大工仕事の修行ばかりだったからあまり詳しくありませんが、それでもいいですか?」

「はい!」

「そうですね……」

 

タクミは彼からカロス地方の北東。雪と森に溢れる土地のことについて興味津々に聞いていた。

 

旅の語らいは続く。

 

旅が続く限り続いていく。



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意志の力を信じるのは勇気がいる

幾重もの巨大な石が規則正しく並ぶ道『メンヒルロード』と呼ばれるこの道はこのカロス地方の中でも有名な観光地の一つだ。

 

高さ10mぐらいはありそうな巨大な石が巨人が五目並べでもしたかのように並んでいる。その長さ、セキタイタウウンを中心に実に10km。今歩いている道は然程長い道のりではないものの、それでも2、3kmは続いている。

 

タクミはそんな石の間に作られた整備された道を歩いていた。

巨石に囲まれた旅路はそのあまりの圧迫感に自分が小人になったような錯覚を覚えてしまう。縮尺が狂った世界に踏み込んでしまったような感覚は幼き日に読んだガリバー旅行記を彷彿とさせる。

 

これは写真の中の世界を眺めるだけでは届かない世界だなぁ。

 

タクミはそんなことを思いつつ、その不思議な景色に視線を走らせていた。

 

その頭の上にクチートが乗っており、タクミの首の動きに合わせて左右に揺られている。クチートはタクミのリュックの上に足をつけ、体重をかけてきている。首に負担をかけないタクミのよじ登り方はキバゴ直伝である。そのお陰で身体にかかる負担はかなり楽だ。そもそもキバゴの体重が18kg近くもあるのでクチートぐらいならまだ軽い方であった。

 

クチートの体重も最近になってようやく11kg台に乗った。クチートの平均体重と比べればまだまだ軽いが、少なくとも誤差の範囲内に入る程度には戻ってきている。クチートの右目の包帯はまだつけたままであるが、もう次の町に着くころには外せるだろうというジョーイさんのお墨付きもある。

 

身体の傷だけはようやく落ち着きを取り戻してきている。

 

もちろん、それだけじゃあ意味がないのだが……

 

「クチー……」

「クチートはここに来るのは始めてか?」

「クチ」

 

小さく頷いたクチートの左目には周囲の景色が反射して煌めいていた。

 

その時、タクミはふと疑問に思った。

 

そういえば、クチートは以前のトレーナーとどこを旅してきたんだろう?

この辺りに来たことがないのなら、自分と同じように『地つなぎの洞穴』を抜けるルートを取ったのだろうか?でも、砂浜の経験はなかったから、海沿いの道は歩いていないのだろう。あっ、でも、当時は別に暗いところが苦手なわけじゃないだろうからモンスターボールの中か。場合によっては砂浜を知らずに道を抜けている可能性はあるか。

 

そんなことを考えながら石の間を歩いていくタクミ。

 

そして、一つ丘を越えると、更に不思議なモニュメントが見えてきた。

 

これまでの『メルヒンロード』に並んでいた石よりも更に大きな巨大な一枚岩。天を貫かんばかりに聳え立つ大きな岩が3つ程、均等な距離感で円形に並んでいた。謎のパワーを放つとか、未知のエネルギーが眠っているとか、そんな数々の逸話がありながら、結局のところ観光名所以上に役に立つことはなく、今も多くの人が何かの御利益っぽいエネルギーを受信しようと集まってきている。

 

そうやって『石』に肖った町こそが、タクミの今の目的地。

 

セキタイタウンだった。

 

「見えた見えた、今日はあそこに一泊だぞクチート」

「クチ!」

「顔の包帯も取ってもらわないとな」

「……クチ……」

 

少し嫌そうな顔をするクチート。

 

開かない右目のことになるとクチートの表情は一段と曇る。

奥底に刻まれた心的外傷(トラウマ)はそう簡単に消えてはくれないのだ。

 

タクミは背中に乗っているクチートの頭を器用に撫で、再び歩き出した。

 

 

『静かな石は多いに語る』

 

 

そのキャッチフレーズ通り、この町は石による産業で起きた町だ。

元々はこの『メルヒンロード』の研究者が集まってできた集落だったが、付近の山から『進化の石』や希少な鉱石、家具などに使われる上質な石が取れることがわかり、人が更に集まって町になったとされている。

その為か、この町には石材の加工品が多い。

町の入り口には大きな石のアーチがあり、公園のベンチは石製、土産物は石にまつわるものばかり。さらに『進化の石』を扱う専門店すらある。

 

そんな石の町をタクミはポケモンセンターに向かいながら歩いていく。

 

『地方旅』のシーズンということで、道行くトレーナーの数は多く、観光向けの表通りにはそれなりに賑わいがあるようだ。その中でも特に盛況なのは『進化の石』の店であった。様々な種類のポケモンを進化させることができる『進化の石』はトレーナーにとって避けることのできない買い物だ。店先には旅の途中と思われる人たちが色々と悩んみながら石を選んでいる様子が伺えた。

 

通常の進化の石の相場は1個3000円。誰しもが買える額であるが、気軽に手を出すのは少し悩むお値段だ。

 

タクミにも『闇の石』でシャンデラに進化するヒトモシがいるが、ランプラーにすらなれていない今のタイミングで買う必要もないと思っていた。『進化の石』の値段を考えると、旅で飛んだり跳ねたりしているうちに壊れでもしたら勿体ない。いざとなればミアレシティにも売っている店はあるのでそれで充分だった。

 

むしろ、タクミが気になっていたのは……

 

「あ……」

「クチ?」

 

タクミはふと土産物屋の店先で足を止めた。

そこに並んでいたのは石でできたポケモンの彫刻であった。よくよく見れば通りのあちこちに石の彫刻を取り扱った店が並んでいる。

小さいものはキーホルダーぐらい、大きいものにになるとティッシュ箱ぐらいの大きさになる。作り込みも様々で、デフォルメされた簡素なものもあれば、細部に至るまで掘り込まれて今にも動き出しそうなものまで。商品の種類も飾りの置物を始め、時計が埋め込まれたものや箸置きに鉛筆立てに普段使いできそうなお皿まで色々だ。どれも一つ一つが職人によって作られたものらしく、一番安いので800円程度。少し良いものを買おうとすると値段がすぐさま跳ね上がっていく。

 

タクミは店の奥に飾られた1/1サイズの石の彫刻に苦笑いを浮かべた。そのお値段なんと80万円と既に土産物の値段ではない。

 

意匠となっているポケモンは『地方旅』のトレーナーを狙い撃ちにするためか、この地方の初心者用ポケモンである、ハリマロン、フォッコ、ケロマツのものが多い。その他にはどの地方でも人気のピカチュウやこの町の周囲で見かけるポケモンが目立つようだった。

 

その中でも特にプッシュアップされているのがイーブイだった。

 

「……流石に『進化の石』を取り扱っている町だもんな」

 

イーブイは『進化の石』により様々な種類のポケモンに進化する。

この町のマスコットにはうってつけなのだろう。

 

「………うーん………」

 

タクミは店先の商品を見比べて目を細める。

真剣な様子で商品を見つめるタクミにクチートは首を傾げた。

 

「クチ?」

「ん?ちょっと待っててねクチート……」

 

タクミはイーブイの小さな置物を手に取り、眉間に皺を寄せた。

一番安いデフォルメされたイーブイの彫刻はお行儀よくタクミの手のひらの上でおすわりしている。

 

「……でもなぁ……あんまり実用的じゃないもの渡してもなぁ……とはいえ、病院生活だと箸置きは使うタイミング少ないし……時計はちょっと手が出ない値段するしなぁ……普通の天然石も扱ってるけど、健康祈願のお土産はもう腐るほど渡してるし……髪飾りは……髪短いしなぁ……」

 

タクミは口の中だけで独り言を呟きながら彫刻を棚に戻して、店先から中を眺める。大きいリュックを背負ったままでは貴重品の多い店の中に入るのが躊躇われたのだ。ポケモンセンターに荷物を置いてくればいいのだが、タクミは自分に『少しだけ、少し見ていくだけ』と言い訳してその場を動かない。

 

「クチー………」

 

クチートはそんなタクミの様子に開いている左目を細めた。

 

「……うーん……どうしよっかなぁ……」

 

タクミが悩んでいたのは当然アキへのお土産であった。

 

タクミのリュックの奥底には既にコウジンタウンの水族館で買ったマンタインの意匠の入った金属製の栞が入っている。

せっかくの『地方旅』。アキにも旅気分を幾らかでも分けてあげれられたらとタクミは新しい町に着くたびに土産物をよく物色していた。とはいえ、あまりに大量に渡すのはアキに気を遣わせてしまう。タクミはこれまでの経験から多くても3個ぐらいが限度だろうと思っていた。ミアレシティに次に帰る時までに通る町を考えるとこのセキタイタウンは土産物の最有力候補であった。

 

おあつらえ向きにアキの手持ちにイーブイがいることは把握している。

次に会う時には進化している可能性もあるが、最有力候補はやはりイーブイ。

 

自分で買える範囲となると、やはりデフォルメされた品が一番候補なのだが。

 

「……あれもなぁ……これもなぁ……」

 

そうやって土産屋の前で唸り声をあげるタクミ。

 

そんな彼に声をかける一団がいた。

 

「あっ、あれ?タクミ君?」

 

名前を呼ばれて顔をあげるタクミ。

 

声がしたのは大通りの方。

 

そちらの方を向いたタクミは小さく「ゲッ……」と声を漏らした。

 

「……やぁ、ハルキ君……」

 

大通りを4人組のグループで歩く少年達。その先頭にはキャンプでタクミと浅からぬ因縁ができたハルキがいた。彼は白い歯を見せてタクミに向けて大きく手を振っている。この旅で一際日に焼けたのか、彼の顔の掘りはより色濃くなっており、より精悍な印象が産まれていた。

 

とはいえ、タクミはあんまり彼の容姿の変化には興味がない。

タクミはただ頭上のクチートのことを思い、少々顔を強張らせた。

 

「タクミ君!元気だった!?ジムバッジは順調?」

「まぁ、一応ね。とりあえず2個」

「おっ、いいペースじゃん!」

「ハルキ君は?」

「俺?俺は3個!!いやぁ!ゴーストバッジは苦労したよ!」

 

朗らかに会話するタクミとハルキ。

だが、その内心でタクミは戦々恐々としていた。

 

いくら握手して水に流したとはいえ、彼がフシギダネに放った心無い言葉の数々のことを忘れることはできない。彼に悪気がないのはわかっているので、タクミとしてもあまり彼を嫌いたくはない。だが、それとこれは別問題だ。今、療養中のクチートを前にして、彼に余計なことを言われると非常に困るのだ。

 

そんなタクミの気持ちを知ってか知らずかハルキは当然のようにクチートを指さした。

 

「それで、その子は?タクミ君の新しい手持ち?」

「まぁ……ね……」

「ふぅん……包帯してるね」

「うん……」

 

その時、ハルキの目がピクリと痙攣したように動いた。

タクミは乾いた唇を湿らせるように口を結ぶ。

 

わずかな沈黙の後、ハルキは呆れたような口調で言った。

 

「タクミ君はさ?なんなの?マゾなの?縛りプレイ好きな人?」

 

ギリギリな台詞だった。

タクミはクチートがハルキの言葉の意味が理解できずにいることを願い、首を小さく横に振った。

 

「……色々あったんだよ。色々」

「あぁ……まぁ……色々か……」

 

少し語気を荒げたタクミにハルキはわずかに身を引いた。

彼としても『弱いと決めつけていた相手に真剣勝負で負けた』あのキャンプの出来事は忘れたい類の出来事だ。変にクチートのことに言及して恥をかくのはもう懲り懲りであった。

 

「色々あるなら、まぁ、しょうがないよね」

 

ハルキはタクミを生温かい目線で見つめてそう言った。

 

彼はミアレシティでタクミがアキと一緒にいるところを見ている。

きっと彼はタクミのことを『ハンデを負ったポケモンを放っておけない底抜けのお人好し』だと思っているのだろう。

とはいえ、接近戦しかしないキバゴ然り、足が悪いフシギダネ然り、このクチート然りで、タクミとしても反論の余地はない。

 

だが、タクミの手持ち全てにアキが関係あるわけではない。

 

「言っておくけど……このクチートに関しては『彼女』は関係ないからね」

 

タクミが釘を刺すようにそう言うと、ハルキはバツの悪そう顔をして手をぶんぶんと振った。

 

「あ、いや、そういうつうもりで言ったわけじゃなくて……その……ま、まぁ、いいじゃんいいじゃん!っていうかタクミ君は今日どうするの?この町は素通り?」

 

露骨に話を逸らされた。

 

ただ、あのまま話を続けていれば喧嘩に発展しかねないので、タクミとしてもありがたいところであった。

タクミも無意味に波風を立てたくはない。

 

『っていうか、こっちの事情を深く知らないのにあんまり人の関係性について口を突っ込まないでよ』

 

タクミは内心でそうぼやきながら、微笑で建前を取り繕った。

 

「いや、今日はここのポケモンセンターで一泊の予定だよ」

「それじゃあ時間あるな。なぁなぁ、いつでもいいからさ、ここにいる間にバトルしないか?俺、すっげぇパワーアップしてるんだぞ。今回はリベンジだ」

「……それは……いい提案だ」

 

タクミとしても彼とのラストバトルがあんな喧嘩紛いのバトルであったことに心残りがあったのだ。

それを上書きするにはもう一度バトルをするのがベストだった。

 

「OK!何時がいい?俺たちはこれからちょっと周辺回ってポケモン探してくるんだけど」

「だったら夕方かな。5時ぐらいなんてどう?」

「了解!それじゃあ、またあとでね」

 

ハルキはそう言って、友人を引き連れて町の外へと歩いていく。

町の喧騒の中から彼と友人達の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。

 

「ハルキ、あれって、アイツだよな。キャンプの」

「ああ。今度こそ絶対に負かしてやる」

「ハルキがそんな躍起になるのって珍しいな。でも、このタイミングでバッジ2つなら楽勝だろ?お前の方が成長してるって」

「それはどうかなぁ」

 

『頼むからそういう会話は十分に距離が離れてからやってくれよ』

 

タクミは小さくため息をこぼして、リュックを背負いなおした。

 

「クチッ!」

「あっ、ごめんクチート。大丈夫!?」

「クチクチ……」

 

リュックに足を乗せていたクチートはバランスを崩してタクミの後頭部に強くしがみ付いてきていた。

 

「ああ、ごめん。つい……」

 

今まではタクミの頭上はキバゴの特等席であったので、その感覚で身体を動かしてしまった。

クチートは再度自分の体をリュックの上で安定させて、一息つく。

 

「クチ」

 

『気にしないで』と言うような顔のクチート。包帯の無い左目は強張った筋肉でなんとか笑顔を浮かべていた。タクミは自分の側頭部をげんこつで軽く叩く。

 

「旅の疲れもあるんだから、さっさとポケモンセンターに行くべきだったね。行こうか」

「クチ」

 

ポケモンセンターに向けて歩き出すタクミ。

 

タクミは肩口から顔をのぞかせるクチートをチラリと見やった。

 

「…………?」

 

なんだか、クチートがお土産屋から離れることに喜んでいるように見えた。

 

「クチ?」

「あっ、いや、なんでもないよ」

 

小首を傾げたクチートの表情は普段と変わらず、タクミはすぐさまその考えを打ち消す。

 

気のせいだろ、と自分に言い聞かせて。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ポケモンセンターでクチートの治療のために、タクミは奥の部屋へと通されていた。それは別に特別なことではなく、クチートの包帯の処置のために毎回行っていることであった。普通ならポケモンの処置はジョーイさん達に一任するのだが、クチートだけはそうもいかない理由があった。

 

クチートは今もタクミと離れると状態が少し不安定になるのだ。

 

それは人間でいうパニック障害に近いものだった。

 

タクミがいない空間にいると、心拍数が異常をきたしたり、過呼吸になったりすることがある。

トレーナーの姿が見えないことに対する恐怖。『捨てられた』という心の傷が癒えていない証拠であった。

 

だが、タクミとしてもそれを苦痛に思うことはない。むしろ、クチートの治療にはタクミもできる限り同席したいぐらいだった。

 

タクミはクチートを膝の上に乗せ、その頭の包帯をプクリンに外してもらう。

一枚一枚丁寧にほどかれていくクチートの包帯。それ程厳重に巻かれているわけではないので、包帯はすぐにほどけた。

 

タクミは露わになったクチートの右目をのぞき込む。

 

薬品で変性したクチートの右目。その上下の瞼は焼き溶かされたゴムのような質感になっていた。皮膚には一切の張りがなく、ひび割れのような皺が幾重にも連なっている。筋肉は使われなかったことで萎縮してしまい、瞳全体が落ちくぼんで影になっている。動かない瞼の隙間からわずかに薄目が開いており、白く混濁した瞳がチラリと見えていた。光を感じることはできても、何も見ることができない瞳だ。

 

「プク~」

 

プクリンはその瞳にライトを当て、状態を観察する。

クチートの右目は清潔にされていて目ヤニなども溜まってはいない。

 

最初の頃はどれだけ清潔にしていたも、皮膚は赤く腫れあがり、目ヤニで包帯がドロドロになってしまうぐらいに炎症が起きていた。

 

それをタクミが毎日目薬を差して包帯を取り換えてあげていたのだ。

 

献身的な介護に関してはお手の物のタクミ。どうやら効果は出ているようであった。

 

プクリンは一通り状態を観察した後、すぐさまジョーイさんを呼んできた。

ジョーイさんの最終チェックも終わり、クチートは晴れて包帯という拘束からの解放が言い渡された。

 

「良かったなクチート」

「クチ……」

 

包帯が取れたのは確実に前進だった。

 

だが、クチートの表情はなぜか浮かない。

 

「クチート?」

「…………」

 

クチートは右目を自分の手で覆い、左目でタクミをチラリと見上げた。

 

「クチ……」

「ん?どうかしたのか?目がまだ痛いのか?」

 

ゆっくりと首を横に振るクチート。

そしてクチートはタクミの視線を避けるように少し俯いてしまった。

 

「クチート?どうしたんだよ?」

 

そんなクチートの様子を見て、ジョーイさんがクスリと笑顔を浮かべた。

ジョーイさんはひざを折り、クチートと視線を合わせる。

 

「そうよね、クチートちゃんも女の子だもんね。眼帯があった方がいいかな?」

「クチ……」

 

小さく頷くクチート。

 

「タクミくん。ダメですよ。女の子の傷をのぞき込むようなことしちゃ」

「えっ、いや、だって……そもそも、毎日目薬刺してあげてたんだから今更……ってわけにはいかないか……」

 

そういえばそうだった。タクミは胸の内で反省する。

 

タクミにも経験があった。

 

当然、アキとの看病生活での経験だ。

 

最近はあまり気にしなくなっていたが、アキと出会って半年ぐらいは彼女も自分の骨と皮だけの足を見られることは酷く嫌がっていた。

自分の弱いところを見られて喜ぶ奴はそういない。

 

タクミは自分の気遣いが足りなかったことを詫びるようにクチートの頭を撫でる。

 

「ごめんな。無神経だったよ」

 

クチートは無言で撫でられるままになっている。その表情は伺いしれないが、あまりいい顔はしていないだろうというのは予想がついた。

 

「それより……もう一つ謝らないとかなぁ」

「クチ?」

「ああ、いや……まぁ、うん……なんでもないよ……なんでもないよ」

 

実はタクミはクチートがメスであることに気づいていなかった。

最初にゲットした時に確認し忘れたままズルズルここまで来てしまっていたのだ。

 

タクミは深く深く反省する。

 

ちなみにキバゴ、フシギダネ、ゴマゾウはオスで、ヒトモシはメスである。

 

クチートはジョーイさんに頭の大きさに合わせてもらった眼帯をつけてもらい、ようやく顔をあげた。

そのクチートを抱き上げ、タクミはジョーイさんに頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「はい。目薬はもう差さなくてよさそうだけど。もし、また目ヤニが多くなってきたら使ってあげてね。有効期限は今年いっぱいは持つから」

「わかりました。お世話になりました」

「お大事にね」

 

タクミはもう一度頭を下げて診察室を後にする。

その頃には預けていたキバゴ達のモンスターボールも戻ってきており、タクミはポケモンセンターの裏にあるバトルフィールドに移動してポケモン達を全員呼び出した。

 

「キバキバ!キバキバ!」

 

クチートの包帯が取れたことを自分のことのように喜ぶキバゴ。

大げさに諸手を上げて祝福するキバゴにつられ、ヒトモシとゴマゾウも声を上げた。

 

「ダネ……」

「フシギダネも一緒に喜んであげなよ。クチートもその方が嬉しいと思うよ」

「ダネ」

 

フシギダネはチラリとクチートの視線を確認する。クチートはキバゴ達に迫られてあたふたしており、

こっちを見ている余裕はなさそうだ。それを見て、フシギダネは自分の“ムチ”をシャドーボクシングでもするように動かした。

 

『バトルできなきゃ、治ったことにはならないだろ』

 

そんな目でタクミ()め付けるフシギダネ。

 

「まぁ、そうだね……」

 

『手持ち』へと加えられたポケモンの行動原理の1つに承認欲求というものがある。

 

バトルをして、勝利に貢献する。

コンテストやトライポカロンに出て、観客を魅了する。

ポケスロンに出て、上位の成績を残す。

 

そのどれもが、トレーナーに認めてもらうことに帰結する。

 

クチートはバトルに出たがっていた。勝利に貢献したがっていた。

トレーナーに自分の価値を認めてもらいたがっていた。

 

その想いが強いのは、一度トレーナーに捨てられたからこそだろう

 

自分の価値を否定されたのだから、もう一度自分の価値を証明しなければならない。

単純な話ではあるが、クチートにとっては大事なことなのだ。

 

その為にも『勝利』というものはクチートに必要なピースであることは間違いないだろう。

 

そして、タクミのチームの中で同じような経験をしているのが、このフシギダネだった。

 

足が悪くて、旅に出られなかったフシギダネ。

初バトルに負け、意気消沈して心が折られそうになっていた。

 

あのキャンプでフシギダネのリベンジマッチを勝利で飾ることができなかったら、フシギダネもまた心的外傷(トラウマ)の痛みに苦しみ続けていたかもしれない。

 

そんな経験があるからこそ、フシギダネもクチートのことを放っておけないのだろう。

 

「フシギダネ、頼めるかい?」

「ダネダ」

 

フシギダネは自分の左足に“ムチ”を巻き付けて曲げ伸ばしをする。

最近はそれがフシギダネにとって大事なウォーミングアップになっていた。

 

「クチート」

「クチ?」

 

クチートはゴマゾウの背中に乗せられ、ヒトモシの色とりどりの“おにび”の花火に祝福されていた。

そのクチートは小首を傾げ、タクミを見上げる。

 

「クチート、軽快祝いだ。バトルをしないか?」

「クチ……」

 

クチートの左目が大きく見開かれた。

 

ゴマゾウの瞳がスンと静かになる。ヒトモシの浮かべていた“おにび”が青白い光に沈み込む。

その中でキバゴだけが、まだ口元に笑顔をたたえていた。

 

「キバキバキバ!!」

 

キバゴは突然バトルフィールドに飛び出し、両腕に“ダブルチョップ”を燃え上がらせた。

 

「キバァァァ!!」

「キバゴ」

「キバ!!」

「燃えてるところ悪いけど。今日はお前の出番ないから」

「キバッ!?」

 

キバゴは驚愕に顔をのけ反らせ、両腕の“ダブルチョップ”を必死にアピールする。

 

「ああ、うん。確かにな。お前の“ダブルチョップ”は【フェアリータイプ】のクチートには効果ないから、お前とのバトルは安全だよ」

「キバキバ!」

 

激しく首を縦に振るキバゴ。確かに相性を考えればキバゴ相手はクチートとしては一見良さそうに見える。

 

「けど、お前。盛り上がってきたら絶対に“あなをほる”使うだろ」

「…………キバ……」

 

キバゴの目が泳いだ。タクミはため息を吐く。

 

クチートにタクミの指揮下で十分に戦わせるとなると、対戦相手のポケモンにタクミは指示を出せない。そこまでタクミは器用にはなれなかった。その為、対戦相手には自己判断でワザを出してバトルをしてもらうわけだが、そういうバトルではキバゴが一番信用がならない。

 

キバゴもキバゴなりに考えて動いてくれているのはわかっている。色々と気を回して立ち回ってくれていることも理解している。

 

だが、ことバトルに熱が入ると手加減を忘れるのだ。

 

タクミにはキバゴが白熱して“あなをほる”を使ってクチートを仕留める未来がありありと見えていた。

ついでに、決めポーズを付けた瞬間に我に返って青い顔をするキバゴの様子もありありと浮かぶ。

 

というよりも、クチートの最初の対戦相手は最初から決まっている。

 

「バトルの相手はフシギダネだ。クチート、やってみるか?」

「クチ……」

 

クチートは入念に左足を曲げ伸ばしするフシギダネをチラリと一瞥する。

そんなクチートをフシギダネは静かな瞳で見返した。

 

「…………」

 

フシギダネはその視線を無視するように、ゆっくりとフィールドの中央へと歩いていき、クチートを振り返った。

 

フシギダネは四肢を大きく広げ、僅かに身体を沈み込ませた。

フシギダネの目線が鋭くなり、戦闘態勢に入ったことが否が応でも伝わってくる。

 

「クチ……」

 

クチートが生唾を飲み込んだような音がタクミの耳に届いた。

クチートの左目がフシギダネからタクミの方へと移る。

 

不安に揺れるクチートの瞳。わずかに滲んだ涙に恐怖が垣間見える。

タクミはクチートを安心させるために精一杯の笑顔を浮かべていたが、同時に奥歯を強く噛みしめてもいた。

 

『なんだよ。やっぱり普通に怖いんじゃないか』

 

クチートの心的外傷(トラウマ)の一番大きな傷は『捨てられること』であることはほぼ間違いないし、イワークに対して特別な恐怖感があるのも確かだ。

だからといって、バトルに対する心的外傷(トラウマ)が皆無というわけではないらしい。

 

タクミは迷う。

 

このままバトルをさせていいのだろうか?

もう少しクチートの様子を見るべきではないのか?

今ならまだ間に合う。今ならまだ止めることができる。

 

タクミはそう思い、口を開きかけた。

 

「クチ!」

「……っ!」

 

だが、タクミが何かを言うより前にクチートがバトルフィールドに向けて一歩踏み出した。

タクミは喉の奥にまで迫っていた言葉をなんとか飲み込んだ。

 

そして、タクミはニヤリと口角をあげ、友人をゲームに誘うような口調でクチートに声をかけた。

 

「やるか」

「クチ!」

 

クチートがタクミの前まで速足でやってくる。

 

「クチ!!」

 

クチートは自分の顎を一振りして背中に回し、フシギダネへと視線を合わせた。

その身体に震えはないが、足に力が入っているかどうか微妙なところだった。

 

タクミは眉間に皺を寄せる。

その時、突如キバゴが声をあげた。

 

「キバァァア!!」

 

まるで自分がバトルをするかのような強い雄叫び。

既にフィールドの外にいるキバゴであったが、その声量にタクミの体がビクリと震えた。

 

「……そうだな」

 

タクミは自分の頬を叩いた。

トレーナーが不安になってもしょうがない。

 

今、クチートがやると言っているんだ。それに応えることだけを考えるべきだ。

 

「行くぞ、クチート」

「クチ!」

 

これがクチートとタクミの初バトルであった。

 



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瑠璃か玻璃かはたまた金剛石か

審判AIは起動しない。トレーナーが2人以上いないと起動しないのだから当然だ。

その代わりを受け持ったヒトモシが“おにび”をフィールドの真上で破裂させた。

 

その音を合図にフシギダネが仕掛けた。

 

真正面からの“ツルのムチ”だ。何の捻りもない一直線の攻撃。

 

「クチート!横っ飛びにかわせ!」

「ク、クチ!」

 

クチートは素早く“ムチ”の軌道から飛びのいた。

 

だが、早すぎる。

 

タクミの声に過剰なまでに即座に反応したせいで、フシギダネには攻撃の軌道を修正する時間が産まれてしまった。

 

「ダネ……」

 

フシギダネは容赦なく“ムチ”の軌道を変化させ、“ムチ”をクチートの体の真芯へと叩きつけた。

 

「クチッ!」

 

打撃を受けて下がるクチート。

クチートは顎を支えにして膝を折ることなく、耐える。

“ツルのムチ”は【くさタイプ】のワザ。クチートへのダメージは少ない。

 

そのはずなのだが……

 

「クチッ……クチ……」

 

たった一発の攻撃でクチートは息を荒げ、肩を上下させていた。

体力を削られたわけではない。

体に力が入り過ぎていて呼吸が浅くなっているのだ。

 

「クチート!落ち着いて深呼吸だ」

「ク、クチ……」

 

クチートは大きく息を吸い込もうとする。だが、それは結局ポーズだけ、全然息を入れることができていない。

 

「……ダネ……」

 

フシギダネはクチートの呼吸が整うのを待つように“ムチ”を止める。

フシギダネは指示を求めるかのようにタクミに目線を向けた。

 

タクミの眉間に皺が寄る

 

思った以上にクチートの動きが硬い。

精神的負担も目に見えて重そうだ。

 

継続するか?中止するか?

 

だが、たった一度の攻防だけで諦めてしまうのは逆にクチートの傷口を抉る結果になりかねない。

 

タクミはクチートの顔色を伺う。

クチートの左目にはまだ力が入っている。バトルの意志はある。

 

タクミはもう少し様子を見ることにした。

 

「クチート!“アイアンヘッド”!」

「クチッ!」

 

クチートが前に出る。直線的な突進だ。

 

だが、遅い。

 

足腰の筋力の問題ではない。足がまともに地面を蹴れていない。

 

前に出るのを恐れている。

 

「……ダネ……」

 

そんなクチートに向け、フシギダネは容赦なく“やどりぎのタネ”を放った。

 

「クチート!足を止めろ!打ち返せ!!」

「クチ!」

 

放物線を描いて飛んできた“やどりぎのタネ”をクチートは“アイアンヘッド”で迎撃する。

銀色に光った顎を振り回し、“やどりぎのタネ”を叩き落していく。

 

戦えているように見えるが、顎の振りが必要以上に大振りだ。強く顎を振ろうとして、逆に身体が振られているのだ。

 

それでもクチートは“タネ”を全て迎撃してみせた。

 

「クチート!地面に向けて“アイアンヘッド”」

「クチ?」

「いいから、一発叩き込め!」

「ク、クチッ!」

 

クチートはその場で軽く飛び上がり、顎を地面に叩きつけた。

 

その振動で地面に埋まりつつあった“やどりぎのタネ”が浮き上がる。

 

どさくさに紛れて地雷のようにフシギダネが設置した“やどりぎのタネ”だ。

絶対に仕込んでくると思っていた。

 

「クチート!“タネ”の場所はわかったか?一気に肉薄する!」

「クチ!!」

 

場所が把握できた“タネ”なら怖くない。

クチートは正確に“タネ”の場所を回避しながらフシギダネへと迫る。

 

「ダネ……」

 

その時、フィールドの四隅から一部のタネが成長を遂げた。

クチートを狙ったものではない。フックショットの座標だ。

 

フシギダネは“ツルのムチ”を伸ばして成長した“タネ”を掴んで移動を開始した。

距離を開けられたクチートはフシギダネになんとか追いつこうとする。

だが、“ムチ”による三次元的な移動に付いていくのは至難だ。

 

「ク、クチッ……」

「クチート、落ち着け!まずはフシギダネの移動先を……」

「ダネッ!」

 

フシギダネが“ツルのムチ”を横なぎに叩きつけた。

しかも右側からの攻撃。そこは右目の視界を失ったクチートの死角となる場所だ。

 

「クチッ!」

 

顔を殴られ、クチートの体がぶれる。

そして、踏み出した先には既に“タネ”が埋め込まれている。

 

「ク、クチッ!!」

 

クチートが踏み込んだことにより“やどりぎのタネ”が成長し、クチートの手足を絡め取った。

 

「……フシギダネ……容赦ないな……クチート!“ほのおのキバ”で振り払え!」

「ク、クチッ!」

 

クチートは顎を打ち鳴らし、火花を散らす。そして赤熱した顎を振り回し、なんとか“やどりぎのタネ”を焼き切った。

 

「ダネダ!」

 

だが、その隙を逃すフシギダネではない。

フシギダネは3次元的機動を繰り返しながら、“ツルのムチ”の連打を浴びせてくる。

 

「ク、クチッ……クチッ……」

 

攻撃にさらされ、丸くなって縮こまってしまうクチート。

左目を閉じ、頭を抱えて、幼子のように身を守るしかできないクチート。

 

「……ダネ……」

 

そのあまりの痛々しさにフシギダネの顔が歪む。

だが、フシギダネは胸を掠める罪悪感を嚙み潰して攻撃を重ねた。

 

「クチート!目を開けるんだ!クチート!」

「ク、クチ……」

 

クチートは左目を腕で庇いつつ、顔を上げる。

その瞳には涙の粒が浮かんでいた。

 

痛みの涙か、バトルに対する恐怖か、それとも今の状況はタクミの知らないクチートの心の傷を抉ってしまっているのだろうか。

 

わからない。止めるべきか?続けるべきか?

 

タクミは奥歯を食いしばり、指示を飛ばした。

 

「クチート!“ムチ”を掴むんだ!フシギダネを引き寄せろ!」

「……クチ……」

 

クチートは顎を開いて“ムチ”を捕まえようと振り回す。

だが、クチートの大振りな動きではフシギダネの多彩な“ムチ”を捕まえることができない。

 

それはフシギダネの技術もさることながら、クチートが攻撃に対して身を引いているのが一番の原因だった。クチートは相手の攻撃に過敏に反応し、体が硬直している。あれでは攻撃に対応することなどできはしない。

 

「……くそっ……」

 

それはきっと視野を奪われた中で生きていかなきゃならなかったクチートの条件反射なのだろう。視界がなく、すぐに逃げられないクチートにとって、物音や攻撃の気配にすぐさま防御姿勢を取るのは当然の反応だ。その習慣が今も染みついている。

 

タクミが飛び回るフシギダネに目を向けると、フシギダネもこちらを見ていた。

両者の視線が交差する。

フシギダネは目線でタクミに質問を投げかけていた。

 

『まだ続けるのか?』

 

タクミは奥歯を食いしばる。

 

クチートの臨界点が近いのはわかっている。

 

だが……

 

「クチート!地面に向けてもう一度“アイアンヘッド”だ!」

 

地面を打ち抜く意味はない。

それは、タクミがクチートの体力を推し量る為の行動だった。

 

ワザを放つ力が残っているのか?

動く気力はまだあるのか?

 

そして、クチートはそれに応えた。

 

「クチ!!」

 

クチートは顔をかばいながらも地面に“アイアンヘッド”を叩きつけた。

地鳴りのような音がした。埋まりかけていた“やどりぎのタネ”が再び浮き上がる程の衝撃。

クチートにはまだ力がある。

 

タクミはフシギダネに向け、小さく頷いた。

 

フシギダネは頷き返し、狙いをクチートの右側に集中していく。

死角に対して攻撃を集めるフシギダネ。自分も左足というハンデを背負っているからこそ、クチートに対しても厳しくその弱点を責める。

 

「……フシギダネなりの愛のムチか……」

 

滅多打ちになりつつあるクチート。

 

とはいえ、フシギダネのスタミナだって無限大ではない。

 

必ず、攻撃が途切れる瞬間が来る。

そのタイミングはタクミが一番よく知っていた。

 

「クチート!今だ“ほのおのキバ”だ!」

「ク、クチッ!」

 

フシギダネの“ツルのムチ”の動きが鈍った一瞬。

そこをタクミは逃さなかった。今度はタイミングもバッチリだ。

 

クチートはようやく“ツルのムチ”捕まえた。

 

「ダネッ!」

「よし、クチート!そのままフシギダネを叩きつけろ!!」

「クチッ!!」

 

クチートが大きく顎を振り回そうとする。

 

「っ……」

 

タクミは唇を真一文字に固める。

 

必要以上の大振りの行動。それは十分に大きな隙だった。

 

フシギダネはそのクチートの大振りの顎に合わせ、“ツルのムチ”を更に伸ばした。“ムチ”をたわませることで、力を逃がしたのだ。

大きく顎を振ったクチートはその力の行く先を無くして、大きくバランスを崩した。フシギダネはその隙に体制を立て直し、もう一本の“ムチ”を伸ばす。

 

「ダネダ!!」

「クチート!“ムチ”を離せ!!」

「ク、クチッ!」

 

顎を離そうとするクチートであったが、もう時すでに遅く。フシギダネの“ムチ”に絡め取られてしまった。顎を縛り上げられ、両足を拘束されたクチートはその場に倒れ込むことしかできなかった。

 

フシギダネはクチートの隣に着地する。

 

「……ク、クチ!クチ!」

 

“ツルのムチ”から抜け出そうとするクチート。

そんなクチートにフシギダネはゆっくりと近づく。

 

「ダネ……」

 

“ムチ”を振りかぶるフシギダネ。

ギュッと目をつぶって体を強張らせるクチート。

 

そして、フシギダネは“ムチ”の先端でクチートの額をコツンと突いた。

 

「……クチ?」

「……ダネダ……」

 

目を開けたクチートの額をフシギダネは再度コツンと突く。

クチートを叱るように2回、3回と突っつくフシギダネ。

 

そして、クチートの額が赤くなってきたのを見計らい、フシギダネはクチートを“ムチ”から解放した。

 

これ以上はバトルを続けることはできない。

 

フシギダネは左足を引きずりながらフィールド傍の木陰へと歩いていく。

その背中を見送り、タクミはバトルフィールドに入っていく。

 

起き上がったクチートは意気消沈といった顔で自分の額を抑えていた。

タクミはそんなクチートの傍にしゃがみこむ。

 

「クチート。お疲れ様」

「……クチ……」

 

目を伏せるクチート。

攻撃のほとんどが【くさタイプ】であったこともあり、クチートのダメージは大したことはない。

フシギダネも手加減してくれたので怪我らしい怪我もなかった。

 

唯一目立つのが赤くなったクチートの額ぐらいなもので、クチートはしきりにそこを自分の手でこすっていた。

 

そんなクチートの頭をタクミは優しくなでる。

 

「よく頑張ったよ。クチート」

「……クチ?」

 

涙目になってタクミを見上げるクチート。

そんなクチートの顔に思わずタクミは噴き出した。

 

「クチート、お前な、なんでそんな不安そうな顔してるんだよ」

「クチ……」

「最初のバトルなんてこれぐらいでいいんだ。気長にやっていこう」

 

タクミが満面の笑顔でそう言うとクチートの瞳からポロリと雫が落ちていった。

一滴は二滴に、次第にボロボロと涙が次々と溢れだしていく。

右目からも漏れているのか、クチートの眼帯が湿っていく。

 

「……クチ……クチ……」

 

俯き、何事かを繰り返すクチート

 

それが『ごめんなさい』とかいう、つまらない謝罪じゃないことをタクミは祈るばかりだ。

タクミとしてはクチートには『ありがとう』と言って欲しいのだ。

 

「キバキバァ!」

「パォォオン!」

「モッシモシモシ!」

 

そんなクチートの周囲に他の仲間達が飛び込んできて、取り囲む。

励ましているのか、慰めているのか、それとも両方か。

 

タクミはクチートを彼等に任せ、木陰で休んでいるフシギダネの方に向かった。

 

「……フシギダネもお疲れ様」

「ダネ……」

「それで、はい」

 

タクミはフシギダネの前に座り込み、手を出す。するとフシギダネは無言で“ムチ”を一本差し出してきた。

その先端にはクチートが“ほのおのキバ”で噛みついた痕が軽い火傷になって残っていた。

 

「……ありがとね。今回も憎まれ役を任せることになっちゃった」

「……ダネ」

 

『気にすんな』とでも言うようにフシギダネが肩を揺らす。

タクミは手持ちの軟膏をフシギダネの“ムチ”に塗っていく。

 

念のために後でジョーイさんに診てもらうつもりではあるが、怪我の治療は初期対応が大事なことはトレーナーにとって常識だ。

 

「なかなか難しいね……」

「ダネダ」

 

クチートの先はまだまだ長そうだった。

 

「クチート自身がバトルを求めなければ、いくらでもやりようはあるんだけどな……」

「……ダネ……」

 

ポケモンの生きる道はバトルだけではない。

コンテストを始めとした他の道だっていくらでもあるし、それこそタクミとしては旅の仲間が一人増えているだけで十分なのだ。クチートが喜ぶ顔を見るのは純粋にうれしいし、キバゴ達も世話を焼ける相手ができて喜んでいる節がある。

 

だが、クチートはバトルで活躍したがっている。

 

今はそれを尊重してやるしかない。

 

「…………それにしても……」

 

タクミはフシギダネの“ムチ”についた傷を見つめる。

その視線を嫌うようにフシギダネはパチンとタクミの手を叩いて、“ツルのムチ”をしまい込んでしまった。

 

「いって……フシギダネ……」

「ダネダ」

 

ニヒルに笑うフシギダネにタクミは苦笑いを返す。

 

「……強いは……強いんだろうな」

「ダネダ」

 

流石は、一度別のトレーナーに育てられているだけのことはあるというわけだ。

 

フシギダネの“ムチ”についた傷は思ったより深かった。これ程のダメージはタクミの他のポケモンでは決して作り出せない。キバゴでさえここまで深くはフシギダネにダメージを入れられない。

 

以前のトレーナーは確かにクチートに酷い仕打ちをして捨てた。だが、それまではクチートを一線級にするつもりで鍛えてはいたようだった。今のクチートは体重が戻ってきたばかり。パワーだって全盛期より幾分も落ちている。それでも、一噛みでこれだけの傷を作るのだから、余程しっかり育てていたのだろう。

 

「あの洞窟を目隠しでも生き抜けたのには理由があるってわけだ……」

「ダネ」

「……でもな……今のクチートに真正面きってのバトルをさせるのはなぁ……」

「ダネダネ」

 

フシギダネは自分の背中から“やどりぎのタネ”を3発程発射し、それを“ツルのムチ”を2本出してジャグリングしてみせた。

 

「お前、そんなことできたの?」

 

目を丸くするタクミにフシギダネは『そうじゃねぇだろ!』とでも言いたげに声を荒げた。

 

「ダネ!ダネフッシ!」

「わかってるよ、お前みたく搦め手を使った方がいいってことだろ?でもな……手持ちのワザマシンじゃなんとも……」

 

サイホーンレースの副賞でもらったワザマシンで残っているのは“ほえる”とか“まもる”とか汎用性の高いワザばかりだ。“あなをほる”はキバゴで十分に役立ってもらっているが、他のワザマシンでクチートの戦術の幅を広げるのは難しそうだった。

 

「……さて……どうするかなぁ……」

 

タクミはフィールドの真ん中に座り込むクチートに目を向ける。

ヒトモシがその頬の涙をぬぐい、キバゴが背中をさすり、ゴマゾウがよしよしと頭を撫でている。

 

そんな時、フシギダネは“ムチ”を一本伸ばして時計を示した。

ちなみに、“タネ”は“ムチ”1本で3つを回している。

 

「ん?あぁ、そろそろハルキ君との試合の時間か。それじゃあ、いっちょやりますか」

 

タクミはひとまず考えを後回しにして、大きく伸びをした。

クチートに言った通り、時間はあるのだ。

焦らず、一歩ずつ。

 

まずはクチートのバトルの精神的な硬さを抜いてあげることから始めよう。

 

そう思っていると、ポケモンセンターの中からハルキが現れて片手をあげた。

 

彼の友人達の姿はない。一人で来てくれたことにタクミはホッと息を吐く。

 

ハルキを含めた彼等のことは別に嫌いではないが、どうにも会話のリズムが合いそうにないのだ。話の内容というか、言葉選びがどうにも肌に合わない。

 

タクミは自分のポケモン達を呼び寄せてフィールドを空ける。

 

木陰に皆を集めたタクミは予め予定していたメンツに声をかけた。

 

「キバゴ、ヒトモシ。出番だ」

「キバァァァ!!」

「モッシィィ!!」

 

キバゴは先程バトルができなかったことでフラストレーションが溜まっているようだった。そんな気持ちを発散するかのように大きくガッツポーズを取る。ヒトモシもそれに合わせるように頭の炎をマッスルポーズのように変化させた。

 

やる気は十分。

 

先程のフシギダネVSクチートのバトルがいい具合に彼等の熱量を上げてくれているようだった。

勇み足でフィールドへと飛び出していく2人と一緒にタクミもフィールドへと戻る

 

トレーナーサークルに入る前にタクミは木陰で休む面々に声をかけた。

 

フシギダネは変わらず手遊びのように“ムチ”1本でジャグリングを続け、クチートはまた額をさすっていた。ゴマゾウはいざとなれば自分も参加できるのをアピールするかのように地面を前足でかいていた。

 

タクミはそんな仲間達に片腕をあげる。

 

クチートにもう一度見せてやるのだ。

 

自分の仲間がどれだけ便りになる存在なのかを。

 

「よっし、それじゃあタクミ君。あの時と同じ2対2でいいね!?」

「もちろん!今回も……勝つ!!」

「勝負だ!!」

 

そして、審判AIが起動し、バトルが宣言されるのであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「納得いかない……」

 

タクミはバトルフィールド傍のベンチに座り、ふてくされたかのように顎に握りこぶしを当てていた。

 

「……負けは負けだけど……なんか釈然としない……」

 

タクミは奥歯をギリギリと噛みしめる。

その肩をフシギダネがポンポンとねぎらうように叩き、ゴマゾウが膝に鼻を置いてさすってくれている。

クチートはなんかオロオロとしたようにタクミの前で右往左往して、時折励ますようにガッツポーズを取って見上げてくる。

 

ハルキとの1戦。

 

結果は2-0の惨敗だった。

 

シェルダーから『みずの石』で進化したパルシェンと、『やみの石』で進化したギルガルドが相手だった。

 

石で進化するポケモンはトレーナーの意志で進化のタイミングを選べる都合上、トレーナーによっては早急に進化させることもある。戦術とか成長能力とか色々と理屈はあるが、決定的な『定石』というのはなく、今も議論が続いている分野だ。

 

ハルキがこの町に寄った理由を考えればわかることであったが、彼は自分のポケモンをできるだけ早いタイミングで成長させたかったらしい。タクミのポケモンはまだ誰も進化を経験していない。基礎能力が1段も2段も上の相手にタクミのポケモン達は手も足も出なかった。

 

とはいえ、ヒトモシも3段階目の進化には石が必要なポケモンだ。ギルガルドとは条件としては五分なのだから、それ程理不尽な話でもない。ハルキの育て方がタクミを上回っていたというのが現実だ。

 

だが、理屈と感情はいつだって別ものなのだ。

 

頭では自分が負けた理由などわかっているが、どうしても『ズルい』という感情が先んじてしまうのは無理のないことだった。

 

そんな時、ハルキがポケモンセンターから戻ってくる

 

「タクミ君、ほい」

「ありがと、ハルキ君」

 

タクミはハルキから投げ渡されたジュース缶を受け取った。

とりあえず、炭酸爆弾は仕込まれておらず、タクミが開けた炭酸ジュースは「プシュ」という子気味の良い音を立てて開いた。

 

彼が来たことで、フシギダネがゴマゾウとクチートを連れて先程の木陰へと場所を移していく。

相変わらず気遣いのできる奴である。

 

「いやぁ、快勝快勝。前回の借りはこれで返したからな」

「何回も言わなくてもわかってるよ。これで1勝2敗だ」

「とりあえず俺の勝ち越し」

 

タクミは口を真一文字にして、ジュースを半分程一気に飲み込んだ。

 

「っていうかさ、タクミ君は石で進化するポケモン連れてないのにどうしてこの町に来たの?観光?」

「まぁね。ちょっとお土産を買うためにね」

 

実のところ、純粋にジムのある町だけを巡るのならこの町はスキップできるのだ。

 

前回のジムバトルをしたショウヨウシティからもう一度『地つなぎの洞穴』を抜けると川に出る。

バトルシャトーが建っていたあの川だ。

あの川を通る連絡船に乗れば、一番手近にあるジムのある町『シャラシティ』まで一気に進むことができる。

 

このセキタイタウンに寄るトレーナーの多くは進化の石目当てか、観光か、もしくはトライポカロンの会場になった時にパフォーマーが訪れるか。あとはセキタイタウンとシャラシティを繋ぐ『写し見の洞窟』に用事がある場合ぐらいで、本来なら『地方旅』にはあまり含まれない町なのだ。

 

タクミはアキのお土産を買うために少々観光目当ての遠回りのルートを通っている。その為、他のトレーナーが『地方旅』で使うルートから外れているのだ。

 

「ハルキ君たちは石目当てだったの?」

「ああ、俺の仲間達も含めて石で進化するポケモンが全部で8体もいるんだ。次のショウヨウジムのことを考えてもここでポケモンを一気に強化しておきたいからな!そして、その強さはしっかり確認できた」

 

ニヤリと白い歯を見せるハルキにタクミは渋い顔を隠さず黙り込む。

 

「タクミ君も相変わらずあのフシギダネで頑張ってるんだ。あのフシギダネ連れてジム戦突破できるなんてすごいよ」

 

彼にフシギダネを蔑む意味合いない、はず。

ないはずなのだが、どうしても言葉遣いにどこか引っ掛かりを覚えてしまう。

最初の第一印象が悪かったせいもあるのだろうが、タクミは心のどこかでため息をつく。

 

これさえなければ、彼は社交的だし、明るいし、バトルも強いしで、タクミとしてももう少し愛想笑いを減らして接することができるのだが。

 

「ありがと。結構、苦戦したけどね。ザクロさんも強かった」

「あっ、その話聞きたい。どうだった?」

「結構ギリギリだったよ、バッジの数が違うから出てくるポケモンは違うんだろうけど、最初のイワークは……」

 

その後、タクミはハルキと今まで戦ってきたジム戦についての情報交換をする。

タクミが一通り話し、次はハルキの番。

 

タクミの最初の質問はこうであった。

 

「それで、ハルキ君が一番苦戦した相手は?」

 

それに対するハルキの答えはほぼ即答であった。

 

「そりゃなんといってもシャラジムだよ」

 

そう言ったハルキの表情は珍しく硬いものであった。

彼は空き缶に力を入れて凹ませようとする。10歳の握力じゃ軽く凹むぐらいしか変化しないが、彼の(りき)みがこちらまで伝わってきた。

 

「シャラジムのジムリーダーは『メガシンカ』を使うんだ」

「……メガシンカ……」

 

それはカロス地方で発見された『キーストーン』『メガストーン』と呼ばれる2種類の石を媒介とする新たなポケモンの可能性だった。

 

『進化を超えた進化』とされる『メガシンカ』は、その限界を超えたポケモンの進化だ。身体が成長し新たな姿となる通常の進化ではなく、バトル中のような極短時間のみで発現し、その後はそれ以前の姿に戻る。そして、メガシンカを遂げたポケモンは、通常の進化ではありえないパワーを発揮することができるようになるという。

 

「メガルカリオ……強敵だったよ」

 

彼が生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

 

「俺達の中でジムバッジを手に入れることができたのは俺だけだった……俺と一緒に旅しててジム戦をやってるのは3人なんだけど、3人とも初戦はボコボコでさ。1か月間、シャラシティで特訓を重ねた。それでも俺以外の2人はメガルカリオを攻略できなかった」

「それ以上粘らなかったの?」

「俺は『いい』って言ったんだけど、2人はこれ以上は旅を遅らせられないって。もし、2人がポケモンリーグを目指すのなら今後は途中で別れることになるかもしれない。それか……」

 

ハルキは両手で缶を握り潰そうと力を込める。

 

缶の形が変形した。

 

「……もう、2人は……諦めてるのかもしれない……」

「え……」

「それだけ、圧倒的だったんだ……もし、この先、ジムリーダーがあれ以上の強さになるんだったら、どこにいっても勝てないんじゃないか……あいつら、そんな感じのことを少し話しててさ……」

「…………」

 

それは他人事ではなかった。

ジム戦の分厚い壁に阻まれ、心を折られてしまうトレーナーは決して少なくない。

 

自分や他の友人達がいつその障壁にぶつかるかは誰にもわからないのだ。

 

「メガルカリオは……スピードもパワーもテクニックも……全てが桁違いだ。俺はヒトカゲが土壇場でリザードに進化してくれて、メガルカリオが対応できないうちに畳みかけてなんとか倒すことができた……だけど、多分もう一回やったら……」

 

ハルキはもう一度缶に力を込める。

 

ハルキの力ではそれ以上缶を変形させることはできなかった。

 

「バッジは3つめが鬼門って言われている……そこでジム戦のレベルが跳ね上がるって……タクミ君は次が3つ目だろ」

 

タクミは無言で頷いた。

 

「ライバルにこういうこと言うのもなんだけどさ……」

 

ハルキは缶をゴミ箱に放り投げた。

空き缶は見事な放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれた。

 

「頑張れよ」

「うん」

 

タクミはジュースを飲み干し、ごみ箱に投げ込んだ。

缶は一直線にゴミ箱に吸い込まれ、派手な音を立てた。

 

「ただでさえ、タクミ君はハンデあるポケモンばっかりだから、きっとキツイ勝負になるよ」

「…………うん」

 

だから、なんでそういうことを言うかな。

 

タクミはやっぱり一言以上多い彼の会話に奥歯がムズ痒くなるような感覚を覚えるのだった。



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洞窟の中は危険がいっぱい

ハルキとのバトルを終えたタクミは彼に誘われるまま彼の友人達と夕食を共にしていた。

 

「そこでハルキのリザードが相手のルチャブルをぶっ飛ばしてさ」

「ルチャブルが“フライングプレス”を使うタイミングが下手くそなんだよ」

「そもそも、手持ちポケモンがルチャブルだけだから、そこピンポイントで抑えればいいんだよね。よくあれで13連勝とか言いふらしたたもんだよ」

「あははは……」

 

タクミは愛想笑いで疲れた頬を休めるように冷水を口の中に流し込んだ。

 

タクミはいい加減、自分がどうして彼等が苦手なのかわかってきた。

この人たち、陰口というか、相手を貶す言葉が多いんだ。

 

タクミはアキという色々と特殊な友人がいるせいか、言葉遣いにはかなり気を使うことが習慣になっている。そのタクミからすれば彼等の言動は少々乱暴なのだ。

 

とはいえ、タクミは苦手な人を相手に愛想笑いで乗り切るのやり方も心得ている。身に着けた理由はやはり『アキという友人』の影響が大きい。

 

タクミはひたすら聞き役に回り彼等の旅の話に適度に相槌を打って聞き流す。

 

できれば何か席を外す言い訳が欲しいところであるが、タクミのポケモン達は少し離れた場所で適当に遊んでいる為期待できない。

昼間見せたフシギダネのジャグリングが皆の興味を引いたのか、クチートとキバゴを中心にフシギダネの“タネ“でジャグリングの練習していた。クチートが夢中になって遊んでいるのは微笑ましいのだが、それはそれとして助け出して欲しいのがタクミの本音であった。

 

夜も更け、彼等の話題が次第に身内ネタになり始めた時、気を使ったかのようにハルキがタクミの方にも話題を振った。

 

「タクミ君はこの後は『映し身の洞窟』を抜けるんだよね?」

「え……うん」

 

今、このタイミングで話を振るか……

 

身内ネタで盛大に彼等が盛り上がっている時に関係の薄い自分の話など、場を白けさせるだけだ。

実際、彼等は会話のリズムが狂ったかのように唐突に静まり返っていた

 

タクミは自分の話題をなるべく避けることにして、会話がハルキ達だけで成り立つように話題を選んだ。

 

「まぁ、そうなんだけど。ハルキ君達は『映し身の洞窟』は通らなかったの?」

「うーん、通ったといえば通ったけど……連絡船で洞窟の中の水路を抜けただけだからなぁ。そういやミキタカはなんか船内の解説を熱心に聞いてたよな」

「えっ?あぁ、うん。まぁ、聞いたけど。あんまり面白いとこじゃなさそうだったな。もうちょっとなんかあってもいいと思ってたんだけどよ。もうほとんど覚えてねぇや」

 

具体的な話が何も出てこない。タクミは自分の眉が動きそうになるのを食い止めるのに随分と精神力を使った。

 

「あっ、でも、そこの職員さんに面白い話聞いたぜ」

 

ミキタカと呼ばれた少年は唐突に声を落としてそう言った。

 

「あの洞窟、結構怪談が多いんだってさ」

「え……」

 

ハルキ達が全員呆れたような顔をした。

それとは対照的にタクミの背筋が凍る。

 

「え?マジ?」

「あぁ……お前……『合わせ鏡』って知ってるか?」

「え?『合わせ鏡』ってあれでしょ、鏡を向かい合わせる……」

「ああ、『地球界』でも『合わせ鏡』は危ないんだ。夜中の2時に『合わせ鏡』に写った7番目の顔は自分の死に顔になるって言われてる。実際、俺の兄貴の友人が試したことがあるんだ……そしたら……」

「……ごくり……」

 

ミキタカの怪談話はやけに迫力があり、タクミは途中から完全に逃げられなくなってしまっていた。

ただでさえホラーは苦手なのに、なんでこんなことに。

 

「……その顔だけ、シワクチャの爺さんの顔だったんだ……顔は真っ白で、目が片方濁ってて……そしたら、自分の死に顔が……ニヤリって笑って……その死に顔がゆっくり鏡を越えて近づいてくるんだ。後6つ、5つ、4つ。死に顔の自分とすれ違うたびに他の像の自分も死に顔になっていって……そして、そいつは2つ前で止まるんだ。鏡に写ってるのは反射した自分の顔と、その後ろにいる死に顔……そして、そいつが手を伸ばして……」

 

ポンとタクミの肩に誰かの手が乗った。

 

「っ!!っ!!!!っ!!!!!」

 

タクミは『合わせ鏡』のオチに盛大にビビり散らし、ハルキ達にこっぴどく笑われることになったのだった。

 

「ほんと!もう!僕、ホラーダメなんだって!!」

「ビビりだなぁ。だったら先に言えよ」

「言うタイミングなかったじゃないか!」

 

タクミは気恥ずかしくなり、喉奥から意味のないうめき声を放つ。

 

「それで話を戻すけど『映し身の洞窟』には変な逸話が多いんだってさ」

「また、ホラーじゃないよね」

「違う違う……なんていうかな、ホラーっていうより都市伝説?あの『映し身の洞窟』って鏡みたいに光る鉱石が多くって、そこら中が鏡だらけみたいな洞窟らしいんだけど。その中に、別の世界を映す鏡があるとか」

「別の世界?」

「パラレルワールドっていうの?まったく自分と同じ姿だけどまるでキャラの違う自分が鏡の中にいたとか」

「え?」

「他にも『合わせ鏡』ばっかりの部屋があって、姿が反射するごとに自分の過去や未来の姿が見えるとか」

「へぇ」

「あとは『鏡の世界に入った』って話もある。誰もいない全てが反転した世界に入り込んだとか」

「ふぅん……」

「まぁ、やっぱり都市伝説だよな」

「確かにそうだね。そんな出来事がしょっちゅう起きてたら、話題にならないわけがない。やっぱり眉唾ものの話なんでしょう」

 

タクミがそう言うと、ハルキ達がなんだか楽しそうな顔でタクミをのぞき込んだ。

 

「な、なに?」

「……ビビってる?」

「違う!!!」

 

タクミは顔を真っ赤にして珍しく声を荒げたのだった。

 

翌日。

 

タクミはポケモンセンターのホールの片隅にあるお土産屋でモンスターボールをベルトに固定するための留め金を買っていた。イーブイを(かたど)った石の意匠が施されている商品を買い、ご満悦な表情で鞄の奥底にしまい込む。

 

これはハルキに勧められたものであった。

 

アキに渡すお土産に悩んでいるという話を聞いた彼に教えてもらったのだ。

モンスターボールの留め金はトレーナーの必需品なので、大通りの土産屋よりもポケモンセンターでの取り扱いが多い。土産を買う時はいつも外の店ばかり巡っていたタクミには完全に盲点であった。

 

タクミがホールの中央に向かうと、既に旅支度を終えたハルキ達が待っていた。

 

「それじゃあ、俺たちはもう行くよ」

「うん。また会ったらバトルだからね。次は追いつく」

「ああ、タクミ君はその時までにもうちょっと強くなってくれよ」

 

なんでお前が上から目線なんだよ、と言い返したいのグッとこらえる。

タクミは笑顔で応じながらもカチンときていた感情を抑え込む。

実際にバトルで負けているのだから言い訳の余地はないのだ。

 

タクミは最後まで愛想笑いを貼り付け、彼等が出発していくのを見送っていった。

彼等がポケモンセンターの自動ドアをくぐって姿が見えなくなるのを見届け、タクミはようやく大きく息を吐きだした。

 

「……はぁ……」

 

タクミはドッと疲れたような気がして近くのソファに座り込む。

すると、それに気づいたクチートがタクミに寄ってきた。

 

「クチ?」

「ん……大丈夫……よしっ!!」

 

タクミは勢いよく立ち上がり、クチートを抱き上げた。

 

「行くか。クチート」

「クチ!!」

 

健気にガッツポーズをするクチート。

 

タクミがこれから向かうのは『映し身の洞窟』。

『洞窟』というのはクチートのトラウマだ。

できれば、避けるのが賢明なのかもしれないが、クチートはやる気だった。

 

「……クチ……クチ……」

 

クチートはタクミの腕の中でガッツポーズを繰り返していた。

 

タクミにはその腕の動かし方には覚えがあった。

 

「それ、キバゴに吹き込まれたのか?」

「……ク、クチ……」

 

照れたように頷くクチート。

タクミはその頭をガシガシと撫でまわす。

 

「クチ……」

「へへへ、さぁ、行こうか」

「クチ!!」

 

それは、タクミが今まで聞いてきた中で一番元気な返事だった。

 

顔の包帯も取れ、最初のバトルもこなし、仲間達とも少しずつ交流が増えている。

それはきっとクチートに良い影響を与えてくれている。

 

そう思えるだけの良い声だった。

 

タクミは少しだけ晴れやかな気持ちでポケモンセンターを後にしたのだった。

 

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

『映し身の洞窟』はあちこちに鏡面のある不思議な洞窟であった。その鏡面も折れ曲がったり歪んだりしているせいで空間がねじ曲がったように見える。そのせいか、空間の広がり方を錯覚しやすい。

 

何気なく壁に手をつこうとして、何もない空間を素通りしてしまう。

バランスを崩して伸ばした手が思いもよらないところで鏡面に阻まれる。

 

今だって自分がどれほどの大きさの空間にいるのかをタクミは正確に把握できないでいる。

細い廊下で鏡に囲まれているのか。それとも本当はもっと広い空間に立っているのか。

 

自分と物理世界の境界線が狂ってしまったかのようだった。

 

『別の世界に入り込んだ』という噂話が聞こえてくるのも頷ける話だ。

 

ただ、洞窟の中だというのに閉塞感がまるでないのは今のタクミにとって救いだった。

光源が1つあればそれを幾度も反射して洞窟を照らすため、ランプ1つで随分と先まで照らすことができる。そのこともあって、洞窟の中は妙に明るい。

 

クチートは閉塞感に怯えることもなく、むしろ興味深そうに周囲を見渡していた。

 

タクミは詳細な洞窟内のマップをホロキャスターに表示する。

 

地球界からもたらされた土木技術により、この洞窟には安全なルートが確立されている。

要するにシャラシティまで真っすぐ続く直線通路があるのだ。

タクミは当初はこの道をできるだけ素早く通過するつもりだった。

 

理由はもちろんクチートの為だ。

 

「クチート、この洞窟は平気なのか?」

「クチ」

 

クチートは小さく頷いた。

 

「クチクチ」

「ん?下りたいのか?」

「クチ」

 

タクミは乞われるがままにクチートを地面に下ろす。

クチートは髪を振り払うように自分の顎を後ろに流し、テクテクと壁際まで歩いていった。

 

「……クチ……」

 

手近にある鏡面に手をつき、眼帯をした自分の顔を眺めるクチート。

 

「クチート?」

「…………」

 

クチートは眼帯を持ち上げて、自分の顔を確認していた。

鏡に映っていたのは酷く歪んだ皮膚と落ちくぼんで光を失った瞳。

 

「……クチ……」

 

クチートは眼帯を下ろし、うつむいてしまう。クチートは鏡を見るたびにそうやって自分の傷を確認している。

きっと、時間が経てば少しでも傷が治ってくれるんじゃないかと期待しているのだろう。

ほとんど不可能に近いとわかっていても、願わずにはいられない。

 

タクミはそんなクチートを抱き上げた。

 

「気にするな……と言っても無駄かもしれないけど……気にするな」

「クチ……」

 

やっぱり、自分の顔に酷い傷が残っているのにはそれなりにショックのようだった。

 

「とはいえ、お前本当に平気そうだね」

「クチ?」

 

今のところクチートに変わった様子はない。むしろ鏡で自分の顔を見ようとするぐらいの余裕がある。

 

「なぁ、クチート。少し奥に行ってみるか?」

「クチ?」

「もしかしたら新しいポケモンと出会いがあるかもしれないしさ、ちょっと遠回りしてみようよ」

「……クチ」

 

タクミが指差したのは本来この『映し身の洞窟』にあった道だ。細い横道も多く、野生のポケモンも生息しているルート。やや複雑な道のりではあるが、マップ通りに進めば抜けるのに一日かからない。

 

洞窟の奥に野生のポケモンの気配を感じ取ったクチート。

クチートはほんの一瞬だけ身を引くように体を強張らせたが、それをすぐに飲み込んだ。

クチートは自分を抱いているタクミの腕に触れ、タクミがベルトに固定しているキバゴやフシギダネやゴマゾウやヒトモシのモンスターボールに目を滑らせた。

 

いざとなれば仲間がいる。

 

クチートはガッツポーズを取って頷いた。

 

「……クチ!」

「よし、行くか」

 

そして、タクミはリュックを背負いなおして、『映し身の洞窟』の奥へと入っていったのだった。

 

『映し身の洞窟』はそれほど狭くはない洞窟であった。天井は高く、道幅も広い。そもそも、以前はこのルートしかなかったのだから、道はある程度整備されていて当然なのであった。直通通路ができた後も、旅をしているポケモントレーナーは野生のポケモンがいるこちらのルートを通ることも多いと聞く。

だが、連絡船という別方向の移動手段ができたこともあり、この洞窟を通るトレーナーはめっきり減っているようだった。その証拠に、タクミは誰一人としてトレーナーとすれ違うことはなかった。

 

それが良いのか悪いのかは置いておき、十分な時間をポケモンの探索に充てられそうなのは有り難かった。マップにはポケモンが生息している細かい横道なども描かれており、タクミは本来のルートを外れながらそういった道を覗いていく。

 

「意外といないもんだな……」

 

タクミは細道の奥の方をランプで照らしてため息を吐いた。

大分積極的になってきたクチートもタクミの足元を一緒に歩きながら岩を持ち上げていた。

 

「クチ……」

「って!クチート!それ!」

「クチ?」

 

クチートが持ち上げていた岩が「ゴロリ」と音をたてた。

 

否、それは鳴き声であった。

 

クチートが持ち上げていた岩には小さな足がついていた。

 

「それはダンゴロだ!!」

 

ダンゴロは昼寝を邪魔されたのを怒るかのように、ゴロゴロと威嚇音を鳴らしていた。

 

「……クチ……クチ……」

 

ダンゴロの威圧感にふつふつと冷や汗をかくクチート。

 

「クチート!ダンゴロを投げろ!!」

「ク、クチ!」

 

大慌てでダンゴロを投げ捨てるクチート。クチートはタクミの背後に逃げ込もうと駆け出した。

だが、それよりもダンゴロの体内に赤いエネルギーが溜まるのが早かった。

 

「ゴロゴロ!!」

 

ダンゴロの身体の中央にある窪みから拳骨大の石が放たれる。

 

“うちおとす”だ。

 

タクミは素早く自分のモンスターボールに手をかけた。

 

「キバゴ!!」

「キバァ!!」

 

間一髪であった。キバゴがクチートとダンゴロの間に割り込み、出現と同時に“うちおとす”を弾き飛ばした。

 

キバゴはクチートがタクミの後ろに逃げ込んだのを目の端で確認する。

 

「キバァ!?(だいじょうぶか!?)」

「……クチ(はい)」

 

弾かれた“うちおとす”は近くの鏡面に当たって跳ね返り、キバゴの足元へと落ちてきた。

 

「キバァ………」

 

ダンゴロを睨みながら、息を細く、長く吐きだすキバゴ。その吐息の端々にキバゴの殺気が漏れていた。

 

『俺の妹分に何してくれとんじゃぁ……』

 

キバゴは全身に強烈なまでの怒りのオーラを纏わせて両腕を構えた。

あまりの迫力に、ダンゴロの動きがピタリと止まる。

 

ダンゴロが威嚇音を止めた。それだけでなく、既に及び腰だ。

そんなダンゴロに向け、キバゴが堂々と足を踏み出し、足元に転がってきていた“うちおとす”の石を踏み潰した。

 

石とガラスを同時に割ったような音が響いた。

 

キバゴが足をあげると、“うちおとす”の石はぐしゃぐしゃに砕かれた破片となってしまっていた。

 

「キバ」

 

キバゴが爪でその砕かれた石を指さす。

 

『次はお前だ……』

 

任侠物の映画も見ているせいか、表情の作り方が完璧だった。

 

「ゴロォ……」

 

ダンゴロはそのキバゴの雰囲気に押されて、洞窟の奥へと逃げ去っていった。

 

「キバァ!!」

「キバゴ!深追いしちゃだめ」

「キバァ!!」

 

抗議の声をあげるキバゴにタクミは首を横に振る。

 

「そもそも、昼寝を邪魔したのはこっちだ。追いかける必要はない」

「キバ」

 

キバゴは不満そうにパチンと指を鳴らす。

だが、すぐに気持ちを切り替えたのか表情を緩めた。

眉間から皺を消し、キバゴはクチートに声をかける。

 

転んでないか?怪我はないか?いつでも俺を頼れよ?

 

大げさな身振りでクチートを気遣うキバゴは本当に兄貴分として頑張るつもりのようであった。

 

まぁ、キバゴがどう頑張ってもチーム内の精神的柱はフシギダネになりつつある。

フシギダネが長兄、キバゴが末弟という図式は変わることはないだえろう。

 

「クチクチ」

「キバァ~」

 

頭を下げて礼を言っているクチートを前にキバゴはだらしない顔で鼻を膨らませていた。

 

「キバゴ……ボール戻る?」

「キバ!!」

 

キバゴは両腕を組み、仁王立ちしてタクミを見上げていた。

 

「お前がクチートを守るのか?」

「キバキバ」

 

キバゴは胸を張り、ポンと自分の胸を叩いた。

 

「はいはい、それじゃあ任せたよ」

「キバキバ!!」

「そのやる気が空回りしないといいね」

「キバ!!」

 

『当たり前だ!』とガッツポーズを決めるキバゴであるが、タクミとしてはこういう浮足立っている時のキバゴが一番危ないと思っていた。

 

タクミは鼻歌を歌って歩き出したキバゴの背後でクチートに耳打ちをする。

 

「クチート、キバゴのこと、ちょっと注意しといてくれる。頑丈は頑丈だから守る必要はないけど、不用意に飛び出しそうだったら捕まえといて」

「クチ」

 

クチートは小さく笑って頷いた。いい笑顔だった。

 

タクミは気を取り直すようにリュックを背負いなおして、キバゴの後を歩いていく。

クチートは先ほどのこともあり、タクミのズボンを握りながらタクミの後ろを歩いていく。

 

「……ん?」

 

タクミはふと足を止めて天井を見上げた。

 

「クチ?」

「キバ?」

「あっ……いや……」

 

タクミはもう一度天井を見上げる。

そこには歪な形をした結晶が様々な色となって煌めていた。

 

「なんか視線を感じた気がして……気のせいかな……」

 

鏡の光を錯覚しただけだろう。

 

タクミはそう結論付け、再び歩き出していった。

 

洞窟の奥へと進んでいくタクミ。

静かな洞窟の中に彼等の足音とキバゴの鼻歌が響いていく。

 

「キ~バ~キ~バ~キッババ~」

「クチ?」

「有名なロックバンドの曲だよ。映画のタイトルにもなった」

 

鼻歌に合わせてシャドーボクシングのように腕を振るキバゴ。

 

そんな時だった。

 

「……クチ……」

 

真っすぐな通路の真ん中でクチートが唐突に立ち止まった。

クチートに意識を配っていたタクミも一緒に立ち止まる。

キバゴだけが2人に気づかずに鼻歌を鳴らしながら進んでいく。

 

「どうした?クチート?」

「……クチ……」

 

クチートが不安そうな顔でタクミの顔を見上げてきていた。

 

「クチート?どうしたんだ?気分でも悪いのか?」

 

クチートは首をブンブンと横に振る。

タクミにはそのクチートの素振りがどこか焦っているように見えていた。

 

クチートはタクミの服の裾を握り込み、左目を閉じた。

 

「……クチート?」

 

クチートは顎を地面につけて、意識を集中している。

 

「…………キバゴ」

「キバ?」

 

前を進んでいたキバゴがようやく振り返り、キョトンとした顔を浮かべた。

 

「キバゴ、そこ動くな」

「キバ?」

「ついでに喋るな」

「……」

 

両手で自分の口を押えたキバゴ。

 

タクミはクチートのことを待つ。

 

『洞窟』の中で『両目を閉じたクチート』

 

それは、かつてあの坑道でクチートが彷徨っていた時と同じ状況。

つまり、周囲の危険を音と振動で感知していた頃と同じ状況だ。

 

クチートがなんでそんなことをしているのかはわからないが、タクミの中で警鐘が鳴っていた。

 

「…………」

「…………」

 

5秒、10秒、15秒

 

静かな時間だけが過ぎる。

 

そして、唐突にクチートが何かに気づいたかのように目を見開いた。

 

「クチッ!クチッ!!」

 

クチートが慌てたように今まで歩いてきた道を指さしながらタクミの服を引っ張る。

 

「どうした?戻るのか?」

「クチクチ!!」

 

クチートが顔をこわばらせながら何度も頷く。

タクミはすぐさま決断した。

 

「キバゴ!走れ!!」

「キッ、キバッ!?」

 

タクミはクチートを抱えあげ、元来た道を駆け戻る。

その後ろからキバゴもダッシュでタクミを追いかける。

 

「クチート、これでいいんだな!?」

「クチッ!クチッ!」

 

肯定するようにタクミの身体にしがみつくクチート。

 

その直後、キバゴが雑巾を絞ったかのような悲鳴をあげた。

 

「キバァァァ!?」

 

キバゴの声に驚いてタクミも背後を振り返る。

そして、タクミも悲鳴を上げそうになった。

悲鳴はなんとか飲み込んだが、喉の奥からひっくり返ったような声が出た。

 

「なんだあれ!?走れキバゴ!!」

「キバァァァァァァア!!」

 

キバゴは目をまん丸に見開き、全身から汗を拭きだしながらタクミに追いついてくる。

 

「クチート!しっかり掴まってて!!」

「クチクチィ!!」

「キバァァア!!」

 

タクミ達の背後。『映し身の洞窟』に岩の津波が起きていた。

 

「メレシーの大群って……なんだこれぇぇぇえ!?」

 

『ほうせきポケモン メレシー』

 

メレシーは『映し身の洞窟』に生息しているポケモンだ。普段は地中に埋まっていることが多く、全体的に臆病で、気性も穏やかなポケモンのはずだった。

 

それが、なぜか知らないが、大量の集団で通路を押し寄せてきていた。

耳を慌ただしくばたつかせ、目を白黒させて我武者羅に地面を飛び跳ねて突っ込んでくるメレシー。まるで、何かから逃げるかのように続々とやってくる。

 

10体や20体ならまだなんとか『可愛らしい』の括りに入れることもできるかもしれないが、それが地面を覆いつくさんばかりの大群となれば話が違う。

 

メレシーが跳ねる音は重なって轟音のように洞窟に響く。足の踏み場の無い程の大群は“いわなだれ”すら小川のささらぎにしか見えない。土石流という単語が頭に浮かぶ程の『メレシー雪崩』。

巻き込まれたらただで済まないのは火を見るより明らかだった。

 

「ぬぉぉおおおおお!!」

「キバァァァァァァ!!」

 

ピッチをひたすら上げて走り続けるタクミ。他のモンスターボールを取り出す余裕もない。というか、誰を出してもこのメレシーの大群を退けることはできない。

 

だが、いつまでも逃げ続けるわけにはいかないのも事実。

 

「キバゴ!どこでもいい!!横道に飛び込むぞ!」

「キバァァアア!!」

 

タクミがそう言った直後、通路の先に鏡の岩に囲まれたような細い横道が見えた。

 

「キバゴ!あそこだ!!」

「キバァァァ!」

 

タクミが指差した先をキバゴも把握する。

キバゴがスピードを落とし、タクミの背後についた。

 

「キバゴ!気をつけろよ!」

「キバァ!」

 

キバゴの最優先事項はタクミ。最悪、自分が盾になるつもりなのだ。

 

少なくとも、タクミよりもキバゴの方が頑丈なのだから合理的な判断には違いない。タクミにもそれはわかっていた。だが、実際にキバゴを危険にさらすのは断腸の思いだった。

 

「くそっ!!」

 

キバゴを無事に避難させたいのなら、トレーナーである自分が先に安全を確保しなければならない。

 

タクミは歯を食いしばり、横道へと駆け込んだ。

足からスライディングするように横道に逃げ込むタクミ。

タクミはすぐさま自分の背後に手を伸ばした。

 

「キバゴ!!」

「キバァァァア!!」

 

メレシーの群れはキバゴのすぐ後ろまで迫っていた。

だが、これなら間に合う。

 

タクミがそう思った直後だった

 

キバゴの尻尾に1匹のメレシーがぶつかった。

 

「キバッ!?」

 

キバゴがバランスを大きく崩し、宙に投げ出される。

 

「キバゴ!!!」

 

タクミが手を伸ばす。だが、届かない。

キバゴがメレシーの津波の中に消えていく。

 

タクミは身を乗り出そうとするが、滑り込んだ勢いのせいで身体が流れる。

手が届かない。

 

「キバゴォォオオオオ!!」

 

その時、タクミ腕の中からクチートが飛び出した。

 

「クチィィィ!!」

 

クチートはタクミの腕から飛び出し、顎を伸ばし、キバゴの伸ばした手に嚙みついた。

タクミは力を込めてクチートの腕をガッシリと掴んだ。

 

この感覚には覚えがある。

 

タクミの脳裏にクチートを助けたゴマゾウの背中がよみがえる。

 

「うぉおおおおおお!!」

 

キバゴとクチートを一気に引き寄せ、横道の奥へと引っ張り込む。

 

「クチィィ!!」

「キバァァ!!」

「のわぁぁ!!」

 

だが、引っ張った勢いがあまりに強すぎた。

タクミ達はその勢いを止めきれず、ゴロゴロと横道の奥へと転がっていく。

 

周囲を鏡に囲まれた道。

 

タクミ達の姿が幾重にも反射して重なる道。

 

合わせ鏡の道の奥へとタクミ達は転がっていく。

 

タクミの腕に光っていたマップのアイコンに不気味なノイズが入り込んだ。

 



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伝説との接触

「……おかしいな……」

 

タクミはマップを開きながら、何度目かもわからないセリフを吐いた。

 

「キバァ?」

「クチ……」

 

不安そうに見上げてくるポケモン達に苦笑いを返し、タクミはもう一度マップを確認する。

 

タクミはキバゴとクチートを連れて『映し身の洞窟』を歩き続けていた。

 

メレシーの大群から逃げる為に細道の奥へと入ってしまったが、地図上ではその道はシャラシティの出口近くに繋がっている。タクミはそのマップを頼りにここまで歩いてきた。

 

だが、なんだか様子がおかしい。

 

「……………」

 

タクミはマップの現在地と周囲の景色を確認する。

 

タクミが歩いてきた道はやけに十字路の多い道であった。それは別に珍しいことではないが、直角に道が交わっているのはやはり違和感があった。まるで誰かが整備したんじゃないかと思える程だ。

 

それに加えて、今まで歩いてきた道に比べて妙に鏡が多い気がする。しかも平面の鏡がやけに多い。

今までの道では鏡は変形したり、曲がっていたりして綺麗な像を結ばなかった。

それが、この横道に入ってからというもの、やけに鏡に映った自分と目が合う。

 

そのせいか、タクミは誰かに見られているような感覚が常に体に付きまとっていた。

 

なんだか変な気分だった。

 

「……クチ……」

「ん?どうした?クチート、疲れたか?」

 

クチートは小さく頷いた。

キバゴがクチートの肩に手を置き、その顔をのぞき込む。

 

「キバァ?」

 

肩を貸そうか、と聞いているようであったがクチートは小さく首を横に振った。

タクミは時計を確認する。

 

時計は11時過ぎを指している。

今日は朝からポケモンセンターを出発し、9時頃に『映し身の洞窟』に入ったので、まだ2時間程度しか経ってない。

体感ではもうもう少し長くこの洞窟にいるような気もしていたが、思っていたよりも時間の進みが遅い。

 

「ちょっと早いけど昼の時間にしようか。この先に広い空間がありそうだし、そこで休もう」

 

タクミはそう言って十字路を右に曲がり、それにクチート達も続く。

 

マップを確かめながら歩いていくタクミ。

 

次の十字路を左に曲がり、次の十字路を直進。

 

「……ほんと、やけに十字路が多いよな……」

 

自然にできた洞窟にしては不自然だった。だが、そこを疑ってもしょうがない。

タクミはマップに従い、次の十字路を曲がろうとする。

ここを曲がれば休めそうな場所までもう少しであった。

 

「……えと……この道を右に……」

 

その時、マップに一瞬ノイズが走った。

 

「…………ん?」

 

マップをずっと見ていたタクミはふとその場に立ち止まった。

 

「クチ?」

「キバ?」

 

突然立ち止まったタクミにクチートとキバゴが足を止める。

 

マップにノイズが走ったことは別にいい。

 

この洞窟に来てからマップに時折ノイズが走るのはタクミも気づいていた。

 

だから、問題はそこじゃない。

 

ノイズが走った前と後で何かマップに違和感を覚えたのだ。

わずかな一瞬に何かが入れ替わったような感覚。

視界が変化したような違和感。

 

だが、マップに変わったところはない。

 

気のせいだろうか?

 

タクミはその時、ふとマップの片隅に表示されている時計に気が付いた。

 

そして、その顔が凍り付く。

 

「…………え……」

 

タクミの背中に震えが走った。

 

「………あれ?……え?」

「キバ?」

 

顔を青くしていくタクミの顔をキバゴが不思議そうな顔で見上げていた。

 

「………どうなってんだ……これ……」

 

マップの右上に常に表示されているデジタル時間。

 

その数字が『10時前』になっていた。

 

「……なんで?なんで?え?」

 

タクミは自分の記憶をたどる。

間違いなく、先程確認した時は11時を過ぎていた。だからこそ昼ご飯にしようと発言した。間違いない。

 

なのに、時間がズレている。

 

いや、時間が戻っている、

 

「……なんだこれ……エラー?」

「キバッ!?」

「いてっ!!キバゴ!?なにすんだ!?」

 

タクミは背後から蹴りを浴び、慌てて振り返る。

そこではキバゴが腰に手を当て、憤懣を露わにして、タクミを睨み上げていた。

 

「キバキバ!!」

「えっ?一人で慌てるなって言いたいの?そりゃ、でも……キバゴに何かできる?」

「キバキバ!」

 

キバゴは『失敬な!』と言いたげに顔をしかめ、模範的な深呼吸の動作をした。

 

「……なるほど……まぁ、確かにそうか……」

 

タクミはそんなキバゴに倣うように目を閉じ、深呼吸をする。

 

自分の心臓の音がやけにうるさく聞こえた。

 

そうだ、こういう時こそ落ち着かなきゃ。

落ち着いて考えろ。

時計が自分の認識とズレていただけだ。

思い返してみれば、先ほどの時刻が本当に11時過ぎだったのか確信が持てない。

時計を見間違えただけの可能性だってある。

 

タクミはゆっくりと目を開けた。

 

目の前に鏡があった。

 

そこに映る自分の顔は随分と青ざめていた。不安が顔に色濃くでており、こんな状態ではまともに時計を確認することもできなさそうだった。

 

タクミは自分の顔を緩めようと頬をもみほぐしながら、落ち着け、と自分に言い聞かせた。

 

別に迷子になったわけじゃないんだ。時間がズレていただけ。だったら、マップに従っていけば……

 

 

 

「……………………………あれ?……」

 

 

 

 

タクミはゆっくりと頬をもんでいた手を下ろし、もう一度鏡に映った自分を見る。

 

見つめ返してくるタクミの顔色が青を通し越して白くなっていた。

 

タクミは慌ててその鏡に駆け寄る。

 

「…………なんでだ…………なんで……()()()()()()()()()()()()()()

 

タクミは十字路を曲がった。

そして、立ち止まり、振り返り、目を閉じた。

 

なのに、なんで目を開いたら目の前に『鏡』がある?

本来なら反対側の道が続いているはずじゃないのか!?

 

タクミはもう一度、今進もうとしていた道を振り返った。

 

 

そこに鏡があった。

 

 

「なっ!!!」

 

鏡には色を無くし、驚愕した自分の顔が映っている。

そんなタクミの背後にも鏡がある。

合わせ鏡の中に無限の世界が続いていた。

幾重にも重なっている自分の身体。

 

その奥で何かが動いた気がした。

 

「うわぁぁぁああああぁぁぁああああ!!」

 

慌ててその場から飛びのいたタクミ。

 

「キバァ!?」

「クチッ!?」

 

突然の取り乱しっぷりにキバゴとクチートが駆け寄った。

 

タクミは荒い息で状況を整理しようとする。

だが、頭がまるで回っていなかった。

 

「戻るぞ2人とも!!ここ、何かおかしい!!」

「キ、キバ……」

「クチ……」

 

タクミは慌てて立ち上がり、マップを見ながら来た道を戻ろうとする。

ここまで歩いてきた道はマッピングしている。

 

十字路ばかりの道でも戻れるはずであった。

 

タクミは冷や汗が滲む掌を拭いながら、足早に来た道を戻っていく。

 

その時、また再びマップにノイズが走った。

 

「っ!!!」

 

タクミの身体が硬直する。

 

「………これは………どうなって……」

 

時計は10時前で変わらない。

 

なのに……

 

「日付が……三日前に戻ってる……」

 

タクミはマップから顔を視線を上げる。

 

「っ!!!」

 

目の前に鏡あった。

 

悲鳴をあげそうになる口元を押し殺し、タクミは後退する。

 

ドン、と壁にぶつかった。

 

今まで真っすぐに歩いてきたはずなのに、後ずさって壁にぶつかった。

 

まさか、と思って振り返る。

 

鏡だった。

 

また、タクミは合わせ鏡の真ん中に立っていた。

 

「………なんだこれ……なんだこれ!?どうなってんだよ!!」

 

叫んでみても声は左右の道へと流れていくだけで木霊することもなく消えていく。

 

そして、その時タクミは鏡の中の自分の姿に違和感を覚えた。

 

自分の服装が変わっていた。

 

タクミは慌てて自分の今の服を確かめる。

だが、それは今朝方ポケモンセンターを出た時と寸分の狂いもない。

なのに、合わせ鏡の中の自分の姿だけがわずかに変わっていた。

 

タクミは自分の足元へと目を向け、そしてさらに肝を冷やした。

 

鏡の中のクチート。

 

その右目に包帯が巻かれていたのだ。

 

「クチート!!これを見てくれ!?」

「クチ?……クチッ!!?」

 

クチートは慌てて自分の右目に触れる。

だが、そこに包帯はなく、昨日もらった眼帯がぶら下がっている。

 

「……昨日……包帯が取れたのは昨日……まさか……これって3日前の……」

 

タクミは合わせ鏡の中の自分の姿を見つめる。

 

「これは……過去の姿……どうなってんだ……」

 

タクミはふとマップへと目を向ける。

タクミは今まで来た道を戻ってきた。だが、その道は鏡になり、道は左右にしか残っていない。

 

そして、マップが指示しているのは右の道。

 

「…………」

 

鏡にぶつかるまでは間違いなくマップの指示は直進のはずだった。

それが、いつの間にか変わっている。

 

何が起きてるんだ。

 

ここは『映し身の洞窟』の奥深く。だが、電波は通じており、SOS通信は届く。

押すべきか?押してなんと説明する?今の状況を客観的に説明して誰かが信じてくれるだろうか?というか、そもそも、レスキューはここに来れるのか?

 

タクミはもう一度鏡を見る。

 

合わせ鏡の中に幾重にも自分の姿が連なっている。

 

その鏡の奥に一瞬、桃色の光が見えた気がした。

 

「…………?」

 

その光にタクミは見覚えがあったような気がした。

タクミは鏡に映る角度を変え、その桃色の光をよく見ようと鏡に身体を寄せた。

合わせ鏡の奥に幾重にも続いていく無限の世界。その7番目の位置に何かいる。

 

「……キバゴ……あれ見えるか?」

「キバ?」

 

キバゴが別の方向からのぞき込もうとする。

だが、その桃色の光はいつの間にか消えてしまった。

 

タクミはしばらくその鏡の前で粘っていたが、やはりその光をもう一度見ることはできなかった。

 

「…………クチ……」

 

不安そうな顔でタクミの顔を見上げるクチート。

タクミはもう一度深呼吸をする。今度は目を閉じることはしなかった。

 

とにかく、今はどうするかだ。

 

道は2つだが、問題はマップに従うか否かだった。

マップに従っていけばセキタイタウンに戻れることになっているが、まるで信用がならない。

マップに逆らって進むべきだろうか。

 

「…………ん?」

 

その時、タクミはまた何かの視線を感じた。

 

タクミは天井の方に目を向ける。そこには割れた結晶が様々な景色を乱反射していた。

 

「…………」

 

『視線を感じた』というのはその光による錯覚と考えるのが自然だろう。

だが、タクミは今感じた視線の『色』が気になった。

 

タクミの視界の隅に確かに桃色の光が映ったような気がしたのだ。

 

「やっぱり……何かいるのか?何かが……僕らを……見ているのか?」

 

その時だった。

 

鏡に興味を深々になっていたキバゴが鋭い声をあげた。

 

「キバキバァ!!!」

 

キバゴがタクミに向けて“ダブルチョップ”を腕に纏わせた。

 

「キバゴ!?」

 

キバゴは既に戦闘態勢に入っている。

それと同時にクチートも何かに怯えたようにキバゴの背後に飛び込んでいた。

 

タクミはキバゴが自分に向けて攻撃を仕掛けることはないと信じている。

だったら、問題はタクミじゃない。

 

タクミは自分の背後に何かいることを悟った。

 

「…………」

 

タクミは自分の額に球の汗が浮かんでいるのを感じた。

 

「キバァ!!」

 

キバゴがタクミに向かって駆け出す。

タクミはすぐさまその場から転がるように前に飛び出た。

 

キバゴと紙一重ですれ違い、躱しざまにキバゴがタクミの背中を蹴って加速する。

 

「キバァァ!!」

 

キバゴの“ダブルチョップ”が何かを固いものを叩いたような音がした。

それと同時にタクミの視界に桃色の閃光が映り込む。

 

タクミは地面を転がりながら姿勢を整え、振り返った。

 

「………なっ!!」

 

言葉を失うタクミ。

 

目の前にポケモンがいた。

 

だが、そのポケモンをタクミは今まで見たことがなかった。

 

カロス地方に行くとなった時、カロス地方に生息するポケモンの大部分は頭に入れた。

だが、その知識の中に目の前のポケモンはなかった。

 

「…………なんだ……メレシーじゃない……なんだ……なんなんだこのポケモンは……」

 

少女のような姿の上半身と額のピンクダイヤモンド。頭部の結晶はまるでティアラのように煌めいている。下半身は岩塊だが、その中にもピンクダイヤモンドが一部露出している。

ただ、何よりも特筆すべきなのはそのピンクダイヤモンドの身体が生み出す桃色の輝きだった。

 

洞窟の中でタクミのランプに照らされただけの貧弱な明かりの中でもはっきりとわかる程にその輝きは別格だった。生き物の温もりと宝石の強さが溶け込んだような光。太陽の輝きとも月の光とも違う。それはまるで、生命の根源から放たれたような光。宝石など興味のないタクミでもその輝きの美しさははっきりと理解できた。

 

あまりの美しさに思わず思考が停止してしまったタクミであったが、そのポケモンにキバゴが吹き飛ばされてようやく我に返った。

タクミは足元に転がってきたキバゴの背中を支えた。

 

「キバゴ!?大丈夫か」

「キバキバ……」

 

キバゴに怪我はない。ひとまず安心するタクミであったが、再度そのポケモンの姿を見てタクミは再度驚愕した。

 

「無傷!?キバゴの全力の攻撃なのに!?」

 

キバゴの攻撃は直撃したように見えた。だが、そのポケモンの身体には傷1つついていない。

そのポケモンは悠然とした輝きを放ちながら、洞窟の中でわずかに浮遊している。

タクミは震える手でポケモン図鑑を起動する。

 

ポケモン図鑑は僅かにノイズを走らせた後、検索結果を示した。

 

「……ディアンシー……世界の洞窟で目撃されているポケモン……メレシーの女王ともいわれているが詳細は不明……」

 

図鑑に示された内容はそれだけだった。

生息地もタイプも何もかもが不明。

 

「……まさか……」

 

タクミの背筋に先ほどまでとは別種の鳥肌が走り抜けた。

タクミは震える手でホロキャスターのカメラを起動して写真を撮った。

 

「…………これが……伝説のポケモン……」

 

タクミはまるで神にでも出会ったかのように尻込みし、膝を折った。

 

ポケモントレーナーの中には伝説のポケモンや珍しいポケモンを追い求めて世界を巡る人達がいる。

有名どころでいえばスイクンを追いかけ続けるミナキなどだ。

 

タクミにはそういった手合いに興味はなかったが、今納得できた。

なるほど、伝説に魅せられるトレーナーがいるのも頷ける。

 

それ程までに目の前のディアンシーというポケモンの存在感は圧倒的だった。

こんなもの一目見てしまえば、もう一度出会いたい、可能ならばゲットしたいと思うに決まっている。

 

タクミは自分の懐にある空のモンスターボールのことを考える。

目の前にいる伝説のポケモンが大人しくゲットされてくれるとは思えない。

だが、こんなポケモンを前にして『ゲットしたい』という願いはポケモントレーナーとして抗い難い誘惑だった。

 

タクミは生唾を飲み込みモンスターボールに手を伸ばそうとする。

 

その直後だった。

 

ディアンシーが腕をタクミに向けて振り上げた。

 

次の瞬間、タクミが触れていた空のモンスターボールがひしゃげた音を立てた。

 

「っ!!」

 

驚いて腕を引き抜くタクミ。冷や汗の滲む指先で恐る恐るモンスターボールを取り出すと、それは見るも無残に圧壊していた。

 

「…………」

 

ゲットしよう、なんて気持ちが根こそぎ奪われていく。

伝説のポケモンがゲットされないのはそれ相応の理由があるということだった。

 

だが、疑問は残る。

 

ディアンシーは一体全体何をしにここに来たのか?

 

タクミはディアンシーの瞳を見据える。

ディアンシーは慈悲深い女神のように温もりのある目でタクミを見返していた。ディアンシーからは気迫や戦闘意欲は見られない。だというのに、放たれるプレッシャーはそこらの野生ポケモンとは比較にならない。

 

タクミは乾燥した唇を舌先で舐めて湿らせようとしたが、口の中の唾液は根こそぎ消え去っていた。

緊張と圧迫感で声が喉の奥に絡まって出てこない。

そんなタクミとは対照的にキバゴはディアンシーに戦う意志がないのを読み取ったのか、落ち着いた様子でディアンシーを見上げていた。

 

「キバ?」

 

恐れ知らずのキバゴがディアンシーに話しかけた。

 

ギョッとするタクミを他所にキバゴはテクテクとディアンシーに近づいていく。

肝が据わっているとかそういう次元ではない。

タクミはキバゴのあまりの大胆さになんとか声を取り戻した。

 

「キ、キバゴ!!戻ってこい!」

 

キバゴはタクミの言うことなど聞く耳をもたず、ディアンシーのすぐそばまでやってきて首を傾げた。

 

「キバァ?」

 

そんなキバゴにディアンシーは一瞬だけ笑ったような顔をした。

そして、ディアンシーは優雅な仕草で腕を持ち上げ、指を差した。

 

その先にいたのはクチートであった

 

「クチッ……」

 

慌ててタクミの後ろに隠れるクチート。

ディアンシーはフワフワとタクミへと近づいていき、そのまま横を通り過ぎて洞窟の奥へと進んでいく。

そのディアンシーの後を追ってキバゴが洞窟の奥へと向かう。

 

「キ、キバゴ!?」

「キバキバ」

 

キバゴは『さっさと来い』とタクミを手招きする。

 

「…………」

 

洞窟の奥へと進んでいくディアンシー。

このままでは見失ってしまう。だが、モンスターボールを破壊できるような力を持つ伝説のポケモンに付いて行って大丈夫なのか?しかもここは誰も通らないような洞窟の奥だ。本当に……

 

そんな迷いを断ち切るかのようにキバゴが前を向いて歩きだしてしまった。

 

「キバゴ!!」

 

キバゴを放っておくわけにはいかない。タクミはクチートを抱き上げてすぐさまキバゴの横に並んだ。

 

「キバゴ……大丈夫なのか?」

 

声を落とすタクミにキバゴは小さく頷くだけだった。

今のキバゴに浮足立っているような様子はない。

 

むしろ、バトル中のように気を張り詰めているのを感じる。

 

危険は承知している。それでも、ディアンシーに付いていく方がいいと、キバゴは考えているのだろう。

腹を括っているキバゴ。それを見て、タクミは自然と自分の臍に力が込もるのを感じた。

 

今は、キバゴの直感を信じよう。

 

そう思いながらタクミはディアンシーの後を追うことにした。

 

ディアンシーは真っすぐな通路を進んでいく。

その通路にはところどころ綺麗な鏡面が並んでいた。

そのどれもが合わせ鏡になっていた。

 

「…………」

 

タクミは歩きながら横目にその合わせ鏡を見ていく。

 

鏡に映る自分やキバゴやクチートの姿がどんどん時間を遡っていた。

 

1つ合わせ鏡の前を通り過ぎるごとにキバゴのキバが伸びたり折れたり縮んだり。

クチート顔にはある時から包帯がなくなり、襤褸布が張り付いた。その襤褸布も1つ鏡を経るごとに汚れが消えていく。

 

タクミの服装もどんどん変わっていき、ポケモンキャンプの頃や、それ以前の小学校に通っていた時の服装へと戻っていく。

 

もちろん、自分自身の姿は変わらない。鏡の中の世界だけが時間を逆行していく。

 

「……ディアンシーは……どこに連れていくつもりなんだろう」

 

ホロキャスターのマップ上ではタクミは既に岩の中を歩いていることになっていた。

こうなってはもうマップは役に立たない。タクミはホロキャスターのマップを完全に終了させた。

 

そして、しばらく歩いていたところ、通路の向こうに強い光が見えた。

 

「………ん?」

 

ディアンシーのピンクダイヤモンドの温かみのある輝きではない。

もっと透明で、もっと鋭利な、別世界から漏れ出てきたかのような輝きだった。

目を細め、洞窟の奥を見る。

 

そこに大きな空間が広がっていた。

 

ホールのように広がった場所の中央に岩で作られた簡素な台座のようなものがあり、その上に光り輝く巨大なダイヤモンドが乗っていた。

 

タクミはディアンシーに導かれるままにそのホールに足を踏み入れる。

 

その直前、通路の最後の合わせ鏡。

 

 

そこに映ったクチートの顔からは襤褸布が外れていた。

 



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過去へと続く合わせ鏡

台座の前でディアンシーはタクミ達を振り返った。

 

タクミの目の前にあるのは台座に乗ったダイヤモンドと巨大な鏡だ。

 

「…………」

 

タクミは吸い寄せられるようにその台座の上を見つめていた。

 

不思議な光だった。この場所の光源はタクミのランタン型ランプのみのはず。だが、そのダイヤモンドは自らが強い光を放つかのように白銀の光を反射している。

その光は無機物の単一なようでありながらも、有機物特有の不規則性や柔軟性を内包していた。言うなれば隣にいるディアンシーの身体を構築しているピンクダイヤモンドと一緒だ。刃物のような鋭利な光でありながら生きているかのような鼓動を放つ不思議な金剛石。

 

まさに『生きた鉱石』だ。

 

ダイヤモンドのプレッシャーに固まるタクミ。

そんなタクミをよそにキバゴはディアンシーに声をかけた。

 

「……キバキバ?」

 

そこには普段の能天気な様子は欠片もない。キバゴの声音はむしろ威嚇のような響きがあった。キバゴの両腕はいつでも戦闘態勢に移行できるような位置にあり、瞬時に動くために踵は常に半分程浮いていた。

 

伝説のポケモン相手にしても引くことをしないキバゴ。

相対するディアンシーは仄かにほほ笑んだままだ。

 

「…………」

 

タクミはキバゴがディアンシーの相手をしてくれている間に自分の呼吸を落ち着けていった。

 

キバゴがタクミに向けて片手を軽くあげる。

 

正確な言葉など、タクミとキバゴの間にいらない。

キバゴとの顔色と声音だけでタクミは彼が心配してくれているのがわかる。

 

タクミはキバゴの背中に自分の足を軽くぶつけて返事とした。

なんとなく、キバゴが笑ったような気配が伝わってきた。

 

タクミはこの時ほどキバゴのことを頼もしく思ったことはなかった。

 

タクミは腕の中のクチートを守るように抱えなおし、ディアンシーへと視線を合わせた。

 

ディアンシーはそんなタクミとキバゴに向けて満足そうに頷いた。

そして、ゆっくりと腕を動かし、鏡の前を示した。

 

「そこに……立てばいいんですか?」

 

ディアンシーの表情は揺るがない。

悠然とした態度のまま、タクミを導いている。

 

「…………」

 

タクミはわずかにキバゴの背中を小突いた。

 

キバゴはタクミの意図を察したかのように、動きだす。

タクミが鏡に向かって歩き、キバゴはタクミとディアンシーの間に立つような位置を保ち続ける。

 

ディアンシーの目的はわからない。

 

なんで自分達の前に現れたのか?なんでここに連れてきたのか?このダイヤモンドと鏡には何の意味があるのか?

 

だが、タクミには1つの確信があった。

 

タクミはダイヤモンドの台座の横を通り過ぎる。

 

ディアンシーと同じような『生命の力を感じるダイヤモンド』

それに、ここまでに見てきた『時間を戻る合わせ鏡』。

 

この2つがあれば、ダイヤモンドの正体を予想するのは容易い。

 

「……ディアルガのダイヤモンド……だよね……多分……」

 

時を司ると言われている伝説のポケモン。

この不思議な『合わせ鏡の道』もディアルガの力だと言われれば納得がいく。

 

だったら、そのダイヤモンドの輝きを直接反射している鏡は何を見せるのだろうか?

 

タクミは台座の奥にある鏡の前に立った。

 

「…………」

 

だが、タクミは視線をディアンシーから外さなかった。キバゴもだ。

モンスターボールを粉砕するような力を持ったポケモンを相手に警戒するなという方が無理がある。

 

そんなタクミ達に向けディアンシーは数メートル下がり、両腕を広げた。

『何もしませんよ』というアピールなのだろう。

そしてディアンシーはもう一度鏡の方を指さした。

 

「キバ」

 

キバゴが小さく呟く。『俺が見張っている』と言っているのはすぐにわかった。

タクミはその言葉を信じ、その大きな鏡へと目を向けた。

 

それは姿鏡というにはあまりにも大きな鏡だった。試着室に備え付けられているような鏡よりももっと大きい。タクミの全身どころかこのホール全てが視界に収まる程の大きさだ。

その鏡の中にはクチートを抱えたタクミ本人が映っていた。

 

何の変哲もない鏡。

 

そう思った矢先だった。

 

突然、タクミの視界を白い光が覆った。

 

「えっ!?」

 

その光はタクミの背後から放たれた。

ダイヤモンドが放つ強い光。それが鏡に反射してタクミの目に飛び込んできたのだ。世界が真っ白に塗りつぶされる。あまりの強い光に網膜が焼かれたように熱を持つほどだった。

 

「っ!!」

「クチッ!!」

 

タクミは咄嗟に自分とクチートの目を覆う

 

だが、その光はものの数秒で収まった。

 

タクミは恐る恐る目を開ける。

 

「………今のは………一体………」

 

タクミは後ろを振り返る。台座の上にあるダイアモンドは今までと変わらずに鋭い輝きを放っていた。

 

その時だった。

 

タクミの視界に動くものが映り込んだ。

 

タクミは自分の動体視力に従い、反射的にその動くものを目で追った。

 

タクミの視線の行く先は目の前の鏡の中。

 

 

「……なんだ……これ……」

 

 

タクミは愕然とする。

 

目の前にあったはずの鏡。

 

最早、そこには自分の姿は映っていなかった。

自分だけではない、その鏡にはキバゴも、ディアンシーも、台座の上のダイヤモンドも、そして『映し身の洞窟』すらも映っていなかった。

 

そこに映っていたのはどこか別の洞窟だった。

 

『映し身の洞窟』とは似ても似つかない岩肌に囲まれた洞窟。

そこで誰かがポケモンバトルをしていた。

 

タクミではない。背丈はタクミよりも低く、頭に被っている帽子には見覚えがない。背負っているリュックもタクミのものとは違う。

 

何もかもが見覚えのない景色だ。

 

タクミは目を凝らして、その鏡に映った景色をよく見ようと一歩踏み出した。

 

すると、そこでバトルをしている誰かの姿が一歩近づく。

 

「っ!これって……」

 

タクミが一歩近づけば、相手もまた一歩鏡に近づく。

次第にその場面がはっきりとわかるようになってきた。

 

だが、タクミは見ず知らずのトレーナーを見てはいなかった。

タクミが見ていたのはそのトレーナーよりも手前。

 

そこに、この景色の中で唯一見覚えのある存在がいた。

 

タクミは息を飲み、自分の腕の中を見下ろした。

 

「クチ…………」

 

タクミに抱えられたクチートの身体が石造のように固くなったのを感じた。

 

「これって…………」

 

鏡の中でクチートがバトルをしていた。

 

右目の包帯もない。眼帯もない。傷もない。

その代わり、クチートの頭部にある顎の付け根に七色に輝く宝石が結い付けられていた。

 

「……クチート……君なの?」

「…………」

 

クチートからの返事はない。だが、クチートの大きく見開かれた左目の瞳孔が激しく揺れている。

 

間違いない。

 

「これは……クチートの……過去の姿」

 

タクミのクチートを抱く腕に力がこもる。

タクミは鏡に更に一歩近づいた。

クチートの姿がより近づき、その後ろで指示を出しているトレーナーの顔もはっきりとわかる距離になる。

 

「じゃあ……こいつが……」

 

タクミの胸の奥がざわめき、鳥肌が立ちあがる。

 

タクミは鏡の前で立ち止まった。

既にトレーナーの一挙手一投足がわかる距離にまでその姿は近づいていた。

 

鏡の中から声は届かない。

だが、その口の動きと行動から何をしているのかはなんとなくわかる。

 

『クチート!“アイアンヘッド”だ!』

『……クチッ!』

 

クチートは誰かとバトルしていた。

その相手の姿は鏡には映ってこない。

 

ただ、クチートが攻撃の為に前に出ればトレーナーの姿は遠のき、クチートが後退すればトレーナーの姿も再び近づいてくる。

 

この鏡はクチートの姿を追いかけている。

 

「……そうか……これはあくまでも『鏡』……クチートの姿を映しているのか」

 

タクミは自分の声が震えていることに気づいた。

だが、なにが自分を動揺させているのかはわからない。

 

不可思議な現象に怯えているつもりはない。

クチートの過去を覗き見ている罪悪感はあまり感じない。

ポケモンの未知の力に興奮できる状況ではない。

 

ただ、タクミは自分の全身が意図せぬ熱に覆われていくのを感じていた。

 

腕の中のクチートはピクリとも動かない。

瞼すらピクリともせず、瞳孔は開いたまま固定さている。

 

そんなクチートの様子を気に掛ける余裕はタクミにはなかった、

 

タクミは鏡の中のバトルの様子を見守る。とはいえ、心のどこかではこの結末を既に悟っている自分がいた。

 

鏡の中のクチートが吹き飛ばされ、トレーナーの足元へと転がっていく。

クチートは全身に酷い手傷を負わされ、顔を歪めていた。

 

『立てっ!立てクチート!!くそっ、こんな相手にボロボロにされやがって!!』

『クチ……』

 

クチートは震える手足でなんとか起き上がろうとする。

だが、既に膝は笑い、腰が砕けている。

KO直前のボクサーのようにおぼつかない足取り。

顔は腫れ上がり、右足の地面の付き方がどこかおかしい。左肩の傷がひどく、さっきから腕があがっていない。もう見るからにバトルの続行は不可能だ。次の一撃が取り返しのつかない致命傷にだってなり得る状態だ。

 

それでも立ち上がったクチートをトレーナーが見下ろす。

 

『メガシンカさえできれば……楽勝なんだ……こんな奴……』

 

そして、彼は懐から何かを取り出した。

 

それは七色に輝く親指大の小さな石。

 

それを見て、タクミの身体から汗が一気に吹き上がった。

 

「……おい……何をする気だよ!やめろ!それ以上クチートにバトルさせるな!!!させちゃダメだ!!」

 

タクミの声が届くわけがない。

 

トレーナーは苦々しい顔でクチートへと指示を飛ばした。

 

『クチート、メガシンカだ。メガシンカしながら“アイアンヘッド”だ!!』

『ク、クチ……』

「やめろ!!やめろやめろやめろぉ!!!」

 

満身創痍のクチート。

普通のポケモンなら心が折れて地面に倒れこんでもおかしくない。

 

だが、タクミは知っている。

 

このクチートの不器用さを、愚直さを、強さを、脆さを知っている。

 

そして、この後の結末を知っている。

 

クチートはトレーナーの指示に従い、相手に向かって突っ込んでいく。

 

顎を“アイアンヘッド”で硬質化させ、右足を引きずり、片腕を必死に振り、倒れ込むように走っていく。

 

だが、その頭に飾り付けられた宝玉が光を放つことはなかった。

 

クチートは迎え撃たれ、かち上げられ、地面に叩きつけられた。

追撃を受け、ボロ雑巾のように吹き飛ばされ、クチートは息も絶え絶えに横たわる。

 

そんなクチートに近づいていく一対の足。

 

トレーナーがクチートを無感情な瞳で見下ろした。

乾いた、冷たい声が聞こえた気がした。

 

 

 

『ったく、使えねぇな』

 

 

 

 

鈍い音がした。

 

タクミの拳がそのトレーナーの顔面を殴りつけていた。

鏡は鉱石に近い素材だったのだろう。鏡面に傷はついていたない。先ほどの音はタクミの拳の骨が放った音だった。握りしめた拳の中で爪が皮膚を裂いていた。鏡に打ち付けた拳骨の皮が切れていた。

 

タクミが噛みしめていた奥歯が不吉な音を立てる。

 

身を焦がすほどに血潮が熱を帯びていた。脳を焼く程に激情が全身を巡っていた。

呼吸が止まるような窒息感と腹の中がひっくり返らんばかりの嗚咽感。

手足が震え、こめかみの筋肉がひくつき、瞼が痙攣する。

 

タクミは胸の奥から吹き上がるどす黒い感情を制御できなかった。

それは今までの10年の人生で経験したことのない程に圧倒的な激憤であった。

 

「うぅぅっっっっっ!!!!!」

 

拳の激痛と憤怒の感情に煽られるように歯の隙間から声が漏れ出す。

 

やり場のない感情を発散させるかのようにタクミは鏡に額を打ち付けた。

あまりの衝撃に額の皮膚が避け、血が滴り落ちる。

それに気づいたクチートが我に返ったようにタクミを見上げた。

 

「ク、クチ……」

「……っっっ!!……ぅっっっ!」

 

行き場のない怒りが収まらない。

自分の中にこれ程までに感情が溜まっていたのかと驚く程だ。

 

クチートに出会った時はクチートの身体のこと以外のことを考える余裕はなかった。

クチートにされた仕打ちを聞いたときもクチートの受けた傷に涙を流すだけであった。

クチートのトラウマを実感した時もその心の傷の深さを思い遣ることばかりしていた。

 

タクミはいつもクチート本人のことばかりを気にかけていた。

 

それでも、身の内に溜まっていた激憤は決して消えていたわけではなかった。

心の器に蓋をして、クチートのことにばかり心を砕き、いつでも柔和な笑顔を崩さなかった。

 

それがトレーナーの姿を見たことで器の底が抜けた。

 

「うぅうぅぅぅぅぅ……」

 

額から溢れた血が鏡を伝って赤黒い涙のように滴り落ちていた。

 

いつだって、強い感情を抑え、辛抱強くあることを心掛けていたタクミでも、我慢ならないことはやっぱりあるのだ。

 

「あぁあああああああぁああぁあっっ!!!」

 

言葉にならない叫びをあげるタクミ。

 

再び顔を上げたタクミ。

 

いつの間にか、目の前の鏡は普通の鏡に戻っていていた。

 

鏡の中には涙と出血で顔をぐちゃぐちゃにした少年が鬼の形相で自分を睨みつけていいた。

そんな自分の姿すら憎らしく、タクミは再び声を張り上げた。

 

「うぁぁぁあああああああああ!!」

 

再び頭突きをしようとするタクミ。

 

「ク、クチッ!!」

 

止めようとするクチート。

 

その直後、タクミの後頭部をキバゴが蹴りぬいた。

 

「キバァァ!」

 

勢いがつく前に鏡に顔面を打ち付けたことでダメージそのものは少なかったが、その代償としてタクミは鼻を強打することになった。

 

「ふがぁぁぁ!!」

 

不意の激痛に膝を折って鼻を抑えるタクミ。

生暖かい感触がして鼻血が出ていることを悟る。

 

怒りで血圧が上がっているところに鼻を打ち付けたので血管が切れたのだろう。

 

額からも血が流れ続けているし、殴った拳はズキズキと痛むしで、タクミはようやく我に返ることができた。

 

タクミは力なくその場に座り込み、クチートを抱えていた腕を解く。

 

「……くそっ……くそっ……」

 

我を忘れる程の嵐は過ぎ去ったものの、それでも乱れに乱れた胸の内はそう簡単には元には戻らない。

脳裏にトレーナーの顔が焼き付いて離れない。傷だらけのクチートの姿がチラチラとフラッシュバックする。

 

そのたびにタクミは力ない拳で鏡を叩く。

 

ゴン、ゴン、という音がホールの中に虚しく反響する。

 

その間もタクミの額や鼻からは血が流れ続けている。

だが、今はそうやって頭に上った血を抜いてしまいたかった。

この冷たい洞窟に自分の熱量を吸い取って欲しかった。

 

そうでもなければ今のタクミに感情を抑えることなどできなかった。

 

その間に、キバゴがタクミの背中に上り、リュックの中からタオルを引っ張りだして額の傷へと当てる。

クチートは近くの岩を持ってきてタクミの拳を少しでも冷やそうとした。

しばらくすれば鼻血も下火になってきて、止まってくる。

 

それでも、タクミの感情は鎮まらない。

 

「……あぁ……クソっ……」

 

心のエネルギーを全て使い果たさんばかりの怒り。それと同時にどうしようもない虚無感と脱力感が襲ってくる。普段怒り慣れていないせいか、身体の方が先に疲れ切ってしまったようだった。

 

「……はぁ……」

 

クチートがどうしてトレーナーに捨てられた経緯に関しては想像の域を出なかった。クチートが抱える心的外傷(トラウマ)も正確なところは把握していなかった。

 

だが、今回のことである程度はっきりした。

 

「……メガシンカ……か……」

 

タクミがその言葉をつぶやくと、クチートの身体がわかりやすい程に硬直した。

 

トレーナーがメガシンカをさせようとバトルを繰り返し、結局メガシンカができずに捨てられたと考えるのが自然だろう。

 

タクミは目の前の鏡へと目を向ける。

 

鏡の中からは一瞬で数年分年を取ったかのように疲れた顔のタクミが見返してきていた。

もう、そこに過去は映らない。

タクミは自分の鼻の周囲で固まった血を拭いとる。

 

割れた額からの出血は派手だったが、傷は然程深くなかったようでキバゴがタオルで抑えてくれたことで止まっていた。タオルは血まみれになったが、それはもうしょうがない。

指の第一関節は曲げ伸ばしするたびにちょっと痛むので軽い打撲はあるようだが、骨は折れていなさそうだった。

 

「……はぁ……」

 

溜息ばかりが零れ落ちていく。

過去は過去だ。今更どうすることもできない。

だが、やるせない気持ちが残ることはどうしようもなかった。

 

そんなタクミに向けてディアンシーがふわふわと近づいてくる。

 

「ディアンシー……」

 

ディアンシーの顔からは先ほどまでの柔和な表情は消えていた。

代わりにそこにあったのは後悔と沈痛を合わせたような静かな瞳だった。

 

「…………」

 

もう、今更ディアンシーに対する警戒心は沸いてこない。

 

ただ、疑問は残る。

 

「ディアンシー……なんで君は助けてくれたの?」

 

『助ける』

 

その表現が正しいかどうかはわからなかったが、それでもタクミはそう感じたのだ。

今も苦しみ続けているクチートを『助ける』為にディアンシーはクチートの過去を見せてくれた。クチートの心的外傷(トラウマ)の根源を見せてくれた。

 

少なくとも、タクミにはディアンシーの行動はそういう意図に見えた。

 

「…………」

 

ディアンシーは首を小さく横に振った。

 

そして、タクミには思いもよらない行動に出た。

 

ディアンシーがクチートに向けて頭を下げたのだ。

 

「え…………」

「クチ?」

 

何かを詫びるように、何かを謝罪するかのように、ディアンシーは深々とクチートに頭を下げていた。

だが、クチートもその行動に驚いているようだった。クチートにも思い当たる節はないようだ。

 

とはいえ、ディアンシーの態度は本当に真に迫るもので、伊達や酔狂での行動ではなさそうだった。

 

長い時間をかけた謝罪の後、ディアンシーは哀しげに目を伏せながら顔をあげた。

 

「……えと……ディアンシー……君は……いったい……」

 

その時、タクミはディアンシーが両手で抱えているものに気が付いた。

 

「それっ!!まさか!」

「……ッ!?」

 

タクミが息を飲み、クチートが怯えたように身を引く。

 

ディアンシーの両手に握られていたのは七色に輝く宝玉。

それは紛れもなく先ほど過去の鏡で見たメガストーン。『クチートナイト』そのものであった。

 

「それが、過去にクチートが付けていた……いや……違うもの……か?」

 

鏡の中で見た『クチートナイト』の色合いが微妙に違う気がする。

鏡の中の『クチートナイト』は七色の中でも黄色の色合いが強かった。だが、今ディアンシーが抱えているものはどちらかと言えばオレンジ色の色味が主体だ。光の当て具合による変化かもしれないが、よくよく見ればその『クチートナイト』は切り出したばかりの原石のようであり、完全な球体ではない。

 

「……でも……言いたいことは……わかった気がするよ……」

 

タクミは手をついて立ち上がり、ディアンシーの前に立つ。

今のディアンシーは裁きを待つ罪人のように身を縮こまらせていた。

出会った時の圧倒されるほどの存在感も今は感じない。

 

「……君が……前のトレーナーに『クチートナイト』を授けたの?」

 

ディアンシーは小さく頷いた。

 

タクミは天を仰ぎ、息を吐く。

 

『メガストーン』は今も謎が多い鉱石だと聞いていた。

そもそもが滅多に見つからない物なのだが、なぜかそれは不思議とポケモントレーナーの前に現れる。

洞窟の片隅で、道端の茂みの中で、時には水の底で。多くのトレーナーはそれを『偶然手にした』というが、偶然ばかりが積み重なっていく経験談はやはり不自然な印象が拭えない。

 

だが、それはポケモンが相手を選んで渡しているのだとしたら?

 

「…………」

 

もちろん、全てが全てそうなのではないのかもしれないが、少なくともこのディアンシーがあのトレーナーに『クチートナイト』を授けたのは間違いないようだった。

 

「…………」

 

タクミはディアンシーの抱える『クチートナイト』を前にして言葉を失っていた。

トレーナーとポケモンの絆が織りなす新しい進化と称されるメガシンカ。

両者より密接に結びつけるはずの新しい力が逆に不和の原因となり、不可逆な傷をクチートに残す結末になった。

祝福のつもりで与えたものが逆に呪いと化してしまったのだ。

 

もしそうなら。本当にそうなら。

 

ディアンシーはどれ程までに苦しんだことだろうか。

 

ディアンシーがいつこのことに気づいたのかはわからない。

最初から見守っていればとっくに気が付いて何かしらの手を打ったはずだ。

だとすれば、自分の失態に気づいたのはつい最近なのだろう。

 

取り返しのつかない事態に自責の念に苛まれ、タクミをここに呼び寄せたとなればこの状況にも説明がつく。

 

これはディアンシーのせめてもの贖罪なのだろう。

これでクチートに新たなトレーナーと再スタートをしてもらいたいのだろう。

 

「…………」

 

だが、タクミはこの差し出された『クチートナイト』を前に躊躇してしまう

 

自分は以前のトレーナーのようなことはしない。それは自信を持って言える。

 

だが、クチートはどうだろうか。

 

タクミが『クチートナイト』を所持していればクチートはまた気負ってしまう。

『メガシンカしなければならない』と、『期待に応えなければならない』と、きっとまた自分を追い詰めて傷ついてしまう。

 

今、タクミは『メガストーン』と対になる『キーストーン』を持っていないのでいらぬ心配ではあるのだが、どんな『偶然』が起きてタクミのもとに石が転がってくるかもわからない。

 

その時のクチートのことを考えればやはり簡単に「はいそうですか」と受けるわけにはいかなかった。

 

やはり、断るべきか。

 

ただ、クチートの望みはあくまでもバトルで活躍して自分の価値を示すことだ。

ならばメガシンカという選択肢はクチートの未来にとっても大きな意味を持つ。

パワーアップはできる時にしておけ、という言葉もあるし受け取っておくべきなのだろうか。

 

思考を巡らせ、動きが止まるタクミ。

 

そんな時であった。

 

「キババ♪キババ♪キババァ!!」

 

タクミがわずかに逡巡した一瞬。

その一瞬でキバゴがディアンシーの腕からメガストーンを掠めて取っていた。

 

「ちょっ!キバゴ!!」

「キバァァァァ!!」

 

キラリンとメガストーンを掲げて得意げになるキバゴ。

キバゴのキラキラした瞳を受け、タクミはキバゴが完全に明後日の方向の勘違いをしていることに気が付いた。

 

「……キバゴ、一応言っておくけど。その石じゃ『メガキバゴ』にはなれないからな」

「キバ!!キバァァ、キバァァァァ!!」

 

背伸びをして、大きく首を伸ばすキバゴ。

 

「……ついでに言っておくけど、オノノクスに進化しても『メガオノノクス』にはなれないからな」

「キバッ?」

 

『マジで?』

 

という顔をするキバゴ。

 

タクミはゆっくりと頷いた。

 

キバゴは大慌ててでディアンシーを振り返り、身振り手振りで違う石を要求しようとする。

 

「キババ!キバババ!!キバァァァ!!」

「…………」

 

困ったような顔をするディアンシー。

タクミはやれやれと肩をすくめた。

 

「キバゴ、そこまで」

「キバァァァ!!」

 

タクミはキバゴの首根っこを掴んで引き寄せる。

 

「そもそも、世界中探しても『メガオノノクス』なんてメガシンカは確認されてないの。オノノクスに対応するメガストーンなんて聞いたこともない。多分だけど、存在しないんだ。お前にメガシンカの可能性はないの。諦めなさい」

「キバァ…………」

 

肩を落とすキバゴ。

タクミはそのキバゴが握っていた『クチートナイト』を掴み上げた。

 

タクミはその石を見下ろし、クチートへと目線を向ける。

 

「ク、クチ……」

 

クチートはタクミの視線を怖がるように目を背けた。

 

「…………そっか」

 

ならば、それが答えだった。

 

タクミは『クチートナイト』をディアンシーに突き返した。

ディアンシーは驚いたように目を見開き、タクミを見上げる。

 

「ディアンシー、気持ちはわかった。でも、今はその石は受け取れない」

「…………」

「まだ僕はクチートと心を通わせているとは思っていない。クチートと確かな絆を結べているとも思っていない。僕らはまだ出会ったばかりなんだ」

「…………」

「僕らが持っていても宝の持ち腐れにしかならないし、クチートの成長の選択肢をメガシンカ一本に絞ることになる。だから、今の僕にはいらない」

「…………」

 

ディアンシーは静かにタクミを見つめ返すばかり。

その瞳からは何の感情も読み取れなくなっていた。

 

とりあえず、タクミは沈黙は肯定と受け取ることにした。

 

「……でも、もし……もし、またディアンシーが僕らを見つけて、ディアンシーのお眼鏡にかなうだけの実力と絆を僕らが持っていたら、その時にまたその石をもらえると嬉しい。ただ、その時はメレシーの大群をけしかけるのは無しにしてよね。あれ、結構怖かったんだから」

 

タクミがそう言うとディアンシーはクスリと笑顔を見せた。

 

「って、やっぱりあの大群は君の仕業だったのか……」

「……ッ!!」

「ごめんね。カマかけさせてもらったよ。いや、次は絶対にあれはやめてよ。本当に本当に命の危機を感じたんだから」

 

ディアンシーは困ったように苦笑し、もう一度謝罪の意図を込めて頭を下げたのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

タクミは再びディアンシーに案内されるがままに『映し身の洞窟』の中を歩いていく。

ディアンシーを先頭に、次にキバゴが続き、クチートを背に乗せたタクミが最後尾だ。

 

クチートは出発と同時にタクミのリュックの上に座り込み、それ以降一言も発していなかった。クチートは自分の顎を顔の前に当てて顔を隠してしまっている。ひとまず泣いてるわけではなさそうなので、タクミは声をかけなかった。なんとなく、その方がいい気がしたのだ。

 

タクミは手持ち無沙汰にタウンマップを確認してみる。相変わらず岩の中を歩いていることになっているが、もう今更である。タクミは電子の画面から目を離す。タクミ達が歩いている通路は今まで以上に横穴が数多くある道であった。一人で歩けば間違いなく迷うような場所だ。

 

どうやらここは各洞窟の連絡通路のような場所らしい。

その証拠に、歩いている間にディアンシーの周りにはメレシーがどこからともなく現れては消えていく。彼らは何か言伝のようなものを請け負っていたり、ピンクダイヤモンドや鉱石を運んでいるようであった。

 

「……ねぇ、キバゴ」

「キバ?」

「今、僕ら、伝説のポケモンの生態を目の当たりにしているよ」

 

その道の研究者なら卒倒するような出来事なのかもしれない。

だが、キバゴは『それって食えるの?』みたいな顔で首を傾げるばかりだ。

 

「アキがいたら、どんだけ興奮してただろうね」

「キババ」

 

キバゴに『確かに』という同意の首肯をもらい、タクミはクスリと笑った。

 

しばらく歩いていくと、ようやくタウンマップに表示される場所まで戻ってきた。

最後に屈んで歩かなければならないような場所を抜け、タクミは本来のルートへと帰ってくることができた。

 

「やっと戻ってきたな。出口もすぐそこだ。ディアンシー、ここまで案内してくれてありが……」

 

タクミがお礼を言おうと振り返る。

そして、言葉を失った。

 

「あれ?」

 

目の前には穴1つない岩肌がむき出しの壁があった。。

ディアンシーと共に歩いてきた細道が、最初から存在しなかったかのようにきれいさっぱり消えている。

 

「……あ……え?」

 

もう一度タウンマップを見ると、タクミは通常のルートを歩いて洞窟を抜けたことが記録されていた。

タクミが撮ったはずのディアンシーの写真もいつの間にか消えている。内ポケットをまさぐっても壊れたモンスターボールは1つもない。

 

ディアンシーと出会った出来事の証拠となりうるものが全て消えていた。

 

「これは……なんというか……」

 

時間でも消し飛ばされたかのような感覚。洞窟の中で過ごした時間は消え去り、『映し身の洞窟を抜けた』という結果だけが残ったような。

 

「ディアンシーの力か……それともディアルガの力か……どっちにしろ、とんでもないな」

 

タクミはもう苦笑するしかできなかった。

 

証拠が全て消えてしまっては誰にこの話をしても信じてくれないだろう。

夢でも見てたのではないかと言われれば否定することもできない。

 

あいにく、この世には夢や幻覚を見せて人間をからかう存在がいくらでもいるのだから。

 

「でも……」

 

タクミは自分の拳を見下ろす。

 

擦過傷になった皮膚、赤く腫れた指の根本、ズキズキと痛む骨。

額の傷に触れれば傷の盛り上がりを感じることができる。

 

あの出来事は決して夢ではない。

 

「キバ!!キバキバ!!」

「ん?どうしたキバゴ?」

「キババ!!」

 

キバゴが興奮して持ち上げたのは小さな石。

タクミはそれを受け取り、ニヤリと笑った。

 

それはメレシーを象ったピンク色の石だった。ピンクダイヤモンドじゃないが、綺麗な石であった。

 

「引換券か、予約券か、それともただのお土産か……でもま、また会えるといいな」

「キババ!!キババ!!」

「一応もう一回だけ言うけど『オノノクスストーン』なんてもんはないから、いくら期待しても無駄だよ」

 

タクミがそう言うと、キバゴは「ガーン」という効果音が聞こえてきそうな顔をした。

顎をぱっくりと開け、そのまま項垂れて落ち込むポーズ。

 

相変わらず演技が上手い奴である。

 

タクミはその石をポケットに滑り込ませた。

 

その時、タクミは背中でわずかにクチートが身じろぎをしたのを感じた。

 

「…………クチート?」

「…………」

 

クチートからの返事はない。

 

だが、クチートが自分の顎にうずめていた顔をあげてくれた。

 

「……クチ」

 

クチートはするりとタクミの背中から降りる。

 

「…………」

 

タクミは片膝を付き、見上げてくるクチートと視線をできるだけ合わせた。

クチートの左目は揺れていたが、タクミを真っすぐに見ていた。

クチートの赤い瞳孔にタクミの姿が反射して映っている。

 

きっと、自分の瞳にもクチートの姿が真っすぐに映っているんだろうなと、タクミはなんとなく思った。

 

瞳と瞳の合わせ鏡だ。

 

けど、この合わせ鏡に過去は映らない。

 

「……クチート……君にとってあの過去は……期待に応えられないことは……『メガシンカ』は……怖い?」

 

クチートは最初は首を横に振ろうとした。

だが、少し思いとどまった後に素直に頷いた。

 

「……そっか……」

 

たったそれだけのことが、タクミには何故かとても嬉しかった。

クチートが『素直』に『怖い』と『嫌だ』と言ってくれたのが嬉しくてたまらなかった。

 

「……そっか……そっか!」

 

タクミはクチートの頭をワシャワシャと撫でる。

あんまり大雑把に激しく撫でるのでクチートの身体がぐわんぐわん揺れた。

クチートが文句を言っても無視して無理矢理撫で続けるタクミ。

 

「クチッ!クチクチッ!」

「っへへ」

「クチィィ!!」

 

だが、遂には振り払われ、そっぽを向かれてしまった。

 

「クチート、もうちょっとだけ」

「クチッ!!」

 

クチートは顎をタクミに向けて開き威嚇してきた。タクミはそんなクチートに噛みつかれながら強引に後ろから抱き上げた。

 

「クチート。そうだ、それでいいんだ」

「……クチ……」

 

タクミは歩き出す。肩を甘噛みしてくるクチートの顎が妙に心地よかった。

 

「抱え込まなくていい。我儘言ってくれていい。君は一人じゃない。僕もいる、キバゴもいる」

「キバァ!」

 

キバゴも一緒に歩き出す。

 

「フシギダネも、ゴマゾウも、ヒトモシもいる」

 

仲間を呼ぶたびに腰のモンスターボールが揺れた気がした。

 

「皆いる。仲間がいる。頼ってくれて嬉しいよクチート」

「クチ」

 

クチートが素直に頷く。

 

やっぱりそれが何よりも嬉しくてタクミは弾けたように笑った。

 

「さぁ、行こうか!もう出口はすぐそこだ」

「クチ!」

「キバァ!」

 

タクミは足早に『映し身の洞窟』を後にする。

明るくも暗く、夢現の境界も曖昧な不思議な洞窟を抜ける。

その先に広がっていたのは澄み切った青空と深い色をたたえる青い海。

 

その2つの青を繋ぎとめるかのように聳え立つ『マスタータワー』

 

そこが、タクミの次の目的地。

 

 

「シャラシティだ!」

「クチ!!」

「キバ!!」

 

 

3つ目のバッジをかけたジム戦はもう目の前だった。



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前哨戦!相手はジムリーダー?

投稿が遅くなりました。

色々と環境が変わって大変だったもので。次の話はまた時間がかかりそうですが、気長にお待ちいただければ幸いです。

まぁ、前置きはさておき、ここからはこの物語の中で個人的に一番好き勝手するポイントです。さぁ、さぁ皆さん、覚悟をキメてご照覧あれ。



シャラシティはカロス地方によく見る海沿いの町と同じく、海沿いに続く岩山に段々状に作られた町並みだ。だが、1つ特徴があるとすればこの町のどこからでも見える『マスタータワー』の存在であろう。

元々シャラシティは半円状に入り組んだ砂浜に作られた町だ。その円の中心地点にレンガ造りの巨大な塔が立つ島がある。町と島は干潮の時にだけ現れる道で繋がっている。所謂『トンボロ現象』と呼ばれるものだ。

その島に建設された石造りの塔こそが【かくとうタイプ】のジムである、シャラジムであった。

 

シャラシティでの夜。

 

タクミはポケモンセンターの一室で窓を開け放ち、夜風を浴びながら夜海に浮かぶ『マスタータワー』を眺めていた。『マスタータワー』は『メガシンカ発祥の地』と呼ばれる観光名所でもある。島の中にはレジャー施設を併設した宿泊施設やジムの門下生のトレーニング施設なんかもあり、それらの明かりがまだ島を照らしていた。

 

タクミの傍らにはクチートがゴムで自分の顎を縛って寝る準備をしている。ベッドの中には既に『今日はモンスターボールの外で寝たい』と駄々をこねたキバゴが鼻提灯を膨らませて熟睡していた。

 

タクミは窓際に腰かけ、手元のホットミルクを口に運ぶ。

 

タクミが思い出していたのは前の町で出会ったハルキとの会話だった。

 

『メガルカリオ……強敵だったよ』

『メガルカリオは……スピードもパワーもテクニックも……全てが桁違いだ』

『バッジは3つめが鬼門って言われている……そこでジム戦のレベルが跳ね上がるって』

『ライバルにこういうこと言うのもなんだけどさ……頑張れよ』

 

タクミは幾度となく繰り返した深呼吸をもう一度行う。

 

タクミはホロキャスターを見下ろし、メッセージを見返す。

ミネジュンからメッセージが届いていた。ミネジュンは今日3つ目のジム戦に挑戦した。そして、なすすべもなく敗北した。

送られてきたメッセージはミネジュンにしては驚く程に短く、淡泊なものだった。長年友人をしてきたタクミからすればかなりの異常事態だった。

 

それだけ大敗したのだということが、その短いメッセージから伝わってくる。

 

タクミはホロキャスターを暗転させ、再び『マスタータワー』を視界に収める。

 

タクミもジム戦の予約は取れた。日付は明後日、朝9時からジムバトルになった。

本番まであと2日もあるというのにどうも眠れない。

 

気持ちを落ち着ける為にホットミルクを作ってきたものの、どうも効果は乏しいようだった。

 

「……クチ?」

 

クチートが『眠らないの?』と言いたげにタクミを見上げてきた。

 

「……うん……寝るよ。寝るけど……」

 

タクミはホットミルクのコップを置き、クチートに手を伸ばした。

クチートを抱え上げ、膝の上に乗せる。

タクミはクチートの顎に自分の口を押し付け、また出そうになったため息を飲み込んだ。

 

「……緊張してるみたいだ」

 

これ程、緊張しているのは初めてかもしれない。

学校の発表会とはわけが違う。初めてのジム戦の時は興奮の方が勝っていた。アキに手紙を渡す時も緊張したがあの時の緊張とは少し種類が違う気がする。

 

気持ちが押しつぶされそうな圧迫感。喉がつぶれそうな窒息感。胸の奥に勝手に溜まっていく空気を吐きだす為にため息を繰り返す。

 

なんでこんなに緊張するのか?

 

理由は明白だった。

 

「……ハルキ君が偶然で勝利できる程の相手……なんだよね」

 

タクミとハルキの戦績は1勝2敗。今この瞬間の実力ならおそらくハルキの方が上。

そんなハルキが苦戦したという相手に勝てるのだろうか。

 

そんな不安がタクミの心と体を硬直させていた。

 

「…………ダメだ。余計なことばかり考える。今はとにかく寝よう」

「クチ」

 

タクミはホットミルクを飲み干し、水洗いとお手洗いを済ませてベッドに入り込む。

キバゴを脇に押しのけ、クチートが自分の懐に入り込むのを確認し、タクミはタイマーがセットされているかどうか最後にホロキャスターを確認した。

 

「ん?」

 

ホロキャスターには新たなメッセージが入っているランプがついていた。

アキ、ミネジュン、マカナの3人からのメッセージだ。

 

タクミはそれを読み、思わず吹き出した。

彼らが送ってきたメッセージは示し合わせたかのように寸分違わず同じものだった。

 

『ジム戦、頑張れ』

「……ありがと」

 

タクミは手早くそれだけを打ち返し、目を閉じたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

早朝9時。

久しぶりにゆっくりとした朝を迎えたタクミはキバゴの我儘を受け、シャラシティのレジャー施設へと足を踏み入れていた。『マスタータワー』のある島の中にあるレジャー施設。キバゴの目当てはポケモンと一緒に滑れるローラースケート場であった。キバゴはハクダンシティでローラースケートを経験したが、どうやら気に入ったようだった。

 

「キバキバ!」

「はいはい、わかってるから」

 

石造りの重厚な色合いの『マスタータワー』に見下ろされたスケート場。

キバゴは既にローラースケートを履いてコートで滑っている。

フシギダネやゴマゾウ、ヒトモシも誘ったが、ゴマゾウは『普通に転がる方がいい』とパス、ヒトモシは『興味なし』とのこと、フシギダネは一度経験しているので『もう二度とやりたくない』との態度であった。

というわけで、タクミは唯一付き合ってくれることになったクチートの足にローラースケートを履かせていた。

 

「クチート、きつくない?」

「ク、クチ……」

 

不安定な足元に膝を震わせるクチート。

そのクチートの手をタクミは優しく握ってコートの中へと引っ張っていく。

 

「ほら、こっちの足を蹴って……そうそう、まずはバランスを取ることから……」

「キバキバ~」

 

そんなタクミとクチートを煽るように周囲をぐるぐる回るキバゴ。

時折、変顔をかましてくるので間違いなく確信犯だ。

 

「キバゴ……お前な……」

「キババ~キババ~」

 

タクミが凄むとキバゴは素早く加速して遠くへと逃げていく。

なんだか、前回やった時と比べて格段に上達しているような気がする。

相変わらず、ヘンな技術ばかり成長が早い。

 

「ク、クチ……クチ……」

「おっ、クチートも結構上手いじゃん。ほら、手放すよ」

「クチクチクチクチ!!!」

「いや、大丈夫だって、ほら、ほら!」

「クチ~!!」

 

タクミが手を放す。クチートは頑張ってバランスを取り、不格好ながらもスッと滑ることができた。

一歩だけでも自分の力で滑ることができたクチートをタクミは受け止める。

 

「上手いじゃんクチート」

「クチ……」

 

クチートに少し恨みがまし目で見上げられ、タクミはクツクツと笑った。

タクミは今度はクチートを引っ張りながらコートの外縁をゆっくりと滑っていく。

クチートは次第にコツをつかみ、3週程周っている間に手放しでも滑れるようになっていた。

 

「どう、クチート、楽しい?」

「ク、クチ……」

 

まだ、滑ることに集中しすぎでていて楽しむ余裕はないようであった。

そんなクチートの隣をキバゴがバック走で走ってくる。

 

「キバッ!キバッ!キバッ!」

 

しかも足をクロスさせながらステップまで刻んでいる。

 

「……お前、本当に上達早いね」

「キバキバ~」

「でも、その才能は多分使いどころないよよ」

「キバッ!」

 

『そんなことないだろ!』と抗議するキバゴである。

確かにハクダンジムの氷のフィールドを突破するのにあたり、キバゴのこのスケート技術がなければ難しかった。だが、この先、スケートのバック走なんて技術を使う場面はなさそうだった。

 

そんなタクミの内心をキバゴはタクミの表情で察したようだった。

 

「キバキバッ!!」

 

キバゴは自分を親指で示し、ドヤ顔と共に加速していく。

何か新技を見せてくれるのだろう。

 

そして、キバゴは大きく足を踏み切った。

 

「キバァァァァア!!」

 

キバゴが見せたのは美しいまでの3回転ジャンプであった。フィギュアスケートの選手のように手を巻き付けてクルクルと回転するキバゴ。その軸にブレはなく、華麗なジャンプであった。着地が決まれば周囲から拍手が沸くレベルだ。

 

「キバッ!!キババァ~」

 

着地が決まれば、の話だが。

 

キバゴはジャンプの勢い余って制御を失い、そのまま隣で滑っていた人と接触してしまった。キバゴがぶつかった人はそのままバランスを崩してしまう。

 

「キバゴ!!あのバカ!!」

 

タクミは青ざめてすぐさま駆け出そうとした。

 

だが、予想外のことが起きた。

 

キバゴがぶつかったその人は綺麗にステップを踏んで体制を立て直してみせたのだ。その上、転びそうになったキバゴを受け止めてくれた。素晴らしいバランス感覚だった。

 

「おっとっと、こら、ここでは危ないトリックは禁止だよ」

「キバ~……」

 

その人の腕に支えられて項垂れるキバゴ。

タクミはすぐに我に返り、ローラースケートで滑りこむ。

 

「すみません!!」

 

キバゴがぶつかった相手は長い金髪をトライテールにした女の子だった。身長はタクミより少し高く、やや細身に見えるが、二の腕やふくらはぎにはしなやかな筋肉がしっかりと盛り上がっていた。タクミよりも少し年上であろうか。彼女は道着のような上着と動きやすいミニスカートにスパッツという出で立ちであった。

 

タクミは彼女に全力で頭を下げる。

 

「ごめんなさい!怪我はないですか!?」

「だいじょうぶだよ、ちょっと当たっただけだから」

「良かった。キバゴ!!お前も謝りなさい!」

「キバ……」

 

萎れた顔で頭を下げるキバゴ。

タクミももう一度彼女に頭を下げた。

 

「すみませんでした!」

「あははは、そんな気にしないでって。それよりそのキバゴ、面白い動きするね。さっきの回転ジャンプは君が教えたの?」

「え?いえ、キバゴがいつの間にか勝手に編み出していて……」

「へぇ……」

 

彼女は膝を折り、キバゴに視線を合わせる。

 

「君、スケート好きなの?」

「キバァ!」

 

キバゴは片手をあげて笑顔で返事をする。

 

「あはは、面白い子だね」

「面白いのはいいんですけど、すぐに羽目を外すんです。さっきは本当に……」

「いいの、いいの、もう気にしないで。私はむしろこんなにローラースケートが好きなポケモンがいるのが嬉しいんだ。『ポケモンと一緒にローラースケートができる』って触れ込みは沢山出してるんだけど、実際にやってるポケモンってほとんどいなくてさ」

「ああ、確かに……」

 

タクミが周囲を見渡してもポケモンが滑っている様子は確認できない。

ハクダンシティのローラースケート場でも、一緒に滑っているポケモンは極端に少なかった。

そもそも、スケートシューズに制限があって、できるポケモンの種類が限られる。イワークとかケムッソ用のシューズなんて作りようがないからしょうがないのは理解できるが。

 

「ローラースケートはさ、体幹のバランス感覚を養ったり、地面に力をしっかりと伝える為の足腰の鍛錬だったり、体重移動のいい練習になるのに。おじいちゃんったら、『遊びにあまりうつつを抜かすなよ』だってさ。私のパートナーのルカリオもローラースケート靴見せたら逃げ出すんだよ。酷いと思わない?」

「あはは……」

「それに比べて、キバゴの楽しそうな滑り!」

「キバ~」

 

彼女はキバゴの頭をワシャワシャと撫でて立ち上がった。

そして、彼女は目をキラキラと輝かせてタクミの方へと視線を向けた。

 

「ねぇね、君さえよかったらこのキバゴとバトルさせてくれない!?」

「えっ!?」

 

その提案にタクミは少なからず驚いた。

 

「僕は……いいですけど……いいんですか?」

 

正直、タクミにとっては願ったりかなったりであった。

 

だが、本当にいいのだろうか?

 

煮え切らない様子のタクミに対して彼女はキョトンと首を傾げた。

 

「ん?何か問題ある?」

「あ、いえ……いいなら、いいんですけど……じゃあ、やりあましょうか」

「ほんと!?やったやった、向こうにバトルフィールドがあるの!すぐにやろう!」

「あっ、はい……」

 

タクミは彼女と一緒にバトルコートへと移動し、トレーナーサークルで向かい合う。

ただ、流石にキバゴにローラースケートを履いたままバトルはさせられない。タクミはキバゴの靴を脱がせる為にしゃがみこんだ。

タクミはその間にも彼女の様子を盗み見る。彼女は屈託のない笑顔でウキウキとタクミを待っていた。

 

「……気づいてないのかな……」

 

準備を終え、タクミがトレーナーサークルに立ち、それを待っていたかのように彼女が高らかに名乗りを上げた。

 

「私はコルニ!!相棒は……この子」

 

投げ込まれたモンスターボールから彼女のパートナーが現れる。

 

現れたのはタクミの予想通りの相手であった。

 

青を基調とした毛並み。2足歩行の獣人のような出で立ち。

はどうポケモンのルカリオ。

 

「バウッ」

「さぁ、ルカリオ!気合入れていくよ!!」

「バウ」

 

ルカリオは左手を前に掲げ、右手は腰のあたりに落とした構えを取る。

タクミは足元のキバゴに視線をチラリと送った。

 

「……キバゴ、わかってるな」

「キバ」

 

キバゴが親指を立てて、タクミにウィンクを返す。

そして、すぐにキバゴの顔から笑顔が消えた。

生半可な相手じゃないことを悟ったのだろう。

 

実のところ、タクミは一目見た時から彼女の正体に気づいていた。

 

彼女の容姿をタクミは知っている。

 

それは、ここに来るまでに何度も繰り返し見たバトル映像に映っていた。

 

そう、今、目の前にいるのはタクミの明日の対戦相手。

彼女はシャラジムのジムリーダー、コルニ。

 

「……相手はジムリーダーだ……最初から出し惜しみは無しだ」

「キバキバッ!!」

 

キバゴ一気に加速して空中前転を決めながらバトルフィールドに飛び込んでいく。

着地を決め、ポーズを取り、吠える。

 

「キバァァァア」

 

声のノリもいい。絶好調の証だった。

 

「自分はタクミです!よろしくお願いします!」

「うん!よろしく!!」

 

はっきりと名乗ったが、やはり反応がない。

 

やっぱり、僕がチャレンジャーだってことに気づいてないのだろうか?

 

一応事前に電話連絡して名前は伝えているのだが。

 

タクミの中に一瞬葛藤が沸きあがる。

 

やっぱり申し出るべきだろうか?

こっちだけ相手のことを知っていて、バトルするなんてフェアじゃない気がする。

 

その時、タクミは産まれて初めて天使と悪魔の囁きというものを実感した。

 

『正直に名乗るべきですよ』と語りかけてくる天使

『このまま黙ったまま情報収集しちまえ』と囁く悪魔

 

タクミは数秒の自己弁護の末、神様と仏様とアキに謝罪の言葉を口の中でつぶやく。

タクミは小さな罪悪感と共にそれ以上の言葉を飲み込んだ。

 

コルニはこのルカリオを『パートナー』とまで言及している。そして、その言葉に裏打ちされるだけのプレッシャーをタクミは既に感じていた。おそらく、目の前の相手は明日、最大の敵となる。

 

この『壁』を超えるのは生半可なことではない。

 

色々と想いはあるが、バトルの間だけは全部忘れる。

明日のことも、相手がジムリーダーであることも、全部忘れる。

今はただ、全身全霊を持って当たるのみ。

 

タクミの拳に力が宿る。

 

それと同時に審判AIが起動した。その間にタクミは深呼吸を一度だけ行った。

 

「試合開始!!」

「キバゴ!“ダブルチョップ”」

「キバァァァ!」

 

タクミの指示とほぼ同時にキバゴの両腕に紫炎が灯る。

地面を砕かん勢いで飛び出したキバゴは一気にルカリオへと肉薄した。

 

キバゴの苦手な戦い方は距離を取られる中遠距離戦だ。ルカリオには遠距離攻撃である“はどうだん”がある。それを撃たれる前に間合いに踏み込む。

キバゴに勝機があるとすればここしかない。

 

鬼の形相で肉弾戦の間合いへと詰め込んだキバゴ。

そんなタクミ達に対してコルニの顔には心底楽しそうな好戦的な笑顔が浮かんでいた。

 

「いいね!そうこなくっちゃ!!ルカリオ!前に出て“はっけい”!」

「バウッ!」

 

ルカリオが飛び出し、掌に青い炎のような“波動”が揺らめいた。

両者はフィールドのほぼ中央で肉薄する。お互いが足を止め、ワザを打ち合う。ルカリオとキバゴの足が交差するレベルの接近戦。このクロスレンジこそキバゴの距離だ。キバゴの右腕の“ダブルチョップ”が低い位置から最速の軌道で繰り出される。

 

ルカリオの方が遅い!届く!

 

タクミがそう確信した瞬間だった。

突如、キバゴの右腕の紫炎が霧散した。

 

「キバッ!?」

「えっ!?」

 

キバゴの攻撃が逸れた。

 

ルカリオの“はっけい”だった。

ルカリオはキバゴの身体を狙ったのではない。

ルカリオはキバゴの“ダブルチョップ”で伸びた腕を真横から“はっけい”で狙ったのだ。

 

攻撃を受け流され、バランスを崩したキバゴ。そこに目掛けてルカリオの第2

の“はっけい”の追撃が迫る。

 

「キバゴ!伏せろ!!」

「キバッ!」

 

キバゴはその攻撃を身体を低くして回避する。

 

「ルカリオ!水面蹴り!!」

「バウッ!!」

 

ルカリオは“はっけい”を躱された後隙を埋めるため、流れるような動きで水面蹴りを繰り出した。

それは“波動”を伴わないただの蹴り技。ワザではない攻撃なので当然威力は低いが、それゆえに攻撃の出が早い。

 

「キバゴ!もっと下だ!!」

「キバァ!!」

 

『水面蹴り』は地上スレスレの回し蹴り。

それを下に回避する方法は1つ。

 

キバゴは瞬時に地面に手をかけ、土の中にもぐりこんだ。

 

「バウッ!?」

「へぇ、やるじゃん」

 

“あなをほる”は【じめんタイプ】のワザ。

【はがねタイプ】のルカリオに効果はバツグンだ。

 

だが、それはもちろん、当たればの話だ。

 

「…………」

 

タイミングを見計らおうとするタクミ。

 

それに対してルカリオとコルニに迷いはなかった。

 

「ルカリオ、わかる?」

「バウ」

 

ルカリオは呼吸を整えながら自分の身体を巡る“波動”を感じていた。呼吸も、瞬きも、心臓の鼓動すら自らの意識下に置き、自身の中の“波動”の揺れを極限まで沈めていく。波風1つ立たぬ静かな心、木石のように微動だにしない体。たどり着いた境地は明鏡止水の世界。

わずかな風の流れも、大地の底から湧き上がる脈動も、今のルカリオにとっては全てが掌の中の出来事に等しい。

 

“波動”という“揺れ”を止めたルカリオの身体。

それが他者が発する“波動”を明確に浮かび上がらせる。

 

次の瞬間、キバゴがルカリオの背後に飛び出した。

そこに、ルカリオがノールックで放った裏拳を叩き込んだ。

 

「……ッ!!」

 

ルカリオの手の甲についた鋭い突起がキバゴの顔面に突き刺さる。

キバで防御することもできない、強烈な一撃。

コルニの自信に満ちた笑みがより深まる。

 

だが、それはキバゴとタクミにとっても想定の範囲内だった。

 

「キバゴ!!今だ!!」

「キバァッ!!」

 

ルカリオが他の人やポケモンの持つ“波動”を読み取っているのは知っている。

視界外からの不意打ちは通じないのもわかっていた。

 

だからこそ、キバゴに“あなをほる”を指示したのだ。

 

ルカリオの一撃は必要経費。むしろ、裏拳一発で済んで儲けものだった。

 

鋭い一撃をくらったかに見えたキバゴ。そのキバゴはその裏拳を強引に掴み、体を上へと持ち上げた。拳の上に逆立ちになり、全身の駆動と“あなをほる”で飛び出した勢いで、ルカリオへととびかかる。そのままルカリオの肩を踏み台にして、再度ルカリオの背後へと回り込んだ。

 

「キバァァアッ!!」

 

そして、キバゴは両腕に纏った“ダブルチョップ”をルカリオ目掛けて連続で叩き込んだ。

横なぎの左チョップ。ボディブローの軌道で放つ右フック。そして、足に“ダブルチョップ”を纏わせての回し蹴り。

 

流れるような3連撃がヒットする。その攻撃は先程ローラースケート場でキバゴが見せた3回転ジャンプのように一切体幹がブレていない。全てが有効打となりうる攻撃だった。

 

だが……

 

「ルカリオ!前蹴り!」

「バウゥ!!」

 

槍のような鋭い前蹴りがキバゴの顎を蹴り上げた。

かちあげられ、体が伸び切るキバゴ。

 

「くっ……」

 

キバゴの連撃はルカリオにガードされていた。

 

「“はっけい”!!」

「バァウ!!」

 

ルカリオが強く踏み込む。一瞬でルカリオの全身を巡る“波動”がその右の掌に凝集した。陽炎のような青い“波動”が掌底からキバゴの無防備な腹部に叩き込まれた。

 

先程とは比べものにならない破裂音が響く。

 

「…………ッ!!」

 

キバゴが声にならない悲鳴をあげる。キバゴが吹き飛ばされ、フィールドの真ん中から端まで吹き飛ばされた。

 

「キバゴ!!」

 

仰向けに地面に叩きつけられたキバゴ。

受け身を取ることもできず、大の字になって横たわる。

 

「キバゴ!大丈夫か!?」

「キッ……キバッ……」

 

キバゴの手足の動きが鈍い。

身体の中心にモロに“はっけい”を食らってしまった。

ルカリオに叩き込まれた“波動”がキバゴの体力以上に身体の動きを鈍らせている。

 

だが、キバゴの目はまだ死んではいなかった。

 

左腕の“ダブルチョップ”の紫炎はまだ消えておらず、足腰にはまだ力が残っている。

 

「キッ、キバァ……」

「バウ」

 

それに対してルカリオは残心の姿勢を取ったまま距離を詰めようとはしてこない。

キバゴの体力があるうちは最後の一瞬まで油断するつもりはないようだった。

 

「キバゴ!“あなをほる”!」

「キバァ!」

 

キバゴは地面に飛び込み、ルカリオへと迫る。

今度はタイミングを計るような駆け引きなどしない。

 

一直線にルカリオに突っ込み、最速で攻撃を届かせる。

キバゴは深く潜ることはせず、地面に痕跡が残る浅さで一気にルカリオに接近する。

そして、ルカリオまでの距離が1mを切った瞬間、キバゴは水から跳ねる魚のように地面から飛び出した。

 

だが、そのスピードもルカリオとコルニにとっては想定の範囲内でしかなかった。

 

「ルカリオ!絡め取って!」

「バウッ」

 

ルカリオはキバゴの攻撃を掌底を当てて受け流し、そのままキバゴの腕を掴んで地面に叩きつけた。

 

「キバッ!!」

「くっ!」

 

腹ばいになるキバゴ。その頭上にルカリオの足が掲げられる。

その足先には凝集し、青い球体と化した“波動”の塊が光っていた。

 

「ルカリオ!“はどうだん”!」

「バウッ」

 

キバゴの背に踵落としのように“はどうだん”が叩き込まれた。

 

「なっ……」

 

その一撃にタクミは驚愕した。足で“はどうだん”を撃つルカリオなんて聞いたことがない。

 

「キバゴ!距離を取れ!」

「キッ……キバァ……」

 

キバゴが脱出すると同時に“はどうだん”が放たれ、砂煙をあげた。

キバゴはなんとか後方に飛ぶことに成功したが、ルカリオはそんなキバゴにピッタリとくっ付くように距離を詰めてきた。

 

「なっ……」

 

ルカリオはまるで社交ダンスでも踊っているかのように自然な動きでキバゴを間合いに捉え続ける。しかも、その間合いはクロスレンジのわずかに外。キバゴが反撃に移るには一瞬以上の隙が産まれ、ルカリオが追撃を加えるには絶好の距離。付かず離れずのこの距離はあまりにも危険な立ち位置だ。

 

「ヤバい……キバゴ!」

 

だが、タクミが次の指示を出すより早くコルニの指示が飛ぶ。

 

「ルカリオ!“インファイト”!」

「バウッ!!」

 

ルカリオの両腕がオレンジ色の光を帯びた。ルカリオが踏み込んだ一歩が青い衝撃波となって地面を駆け巡る。

 

もう、回避はできない。

 

「キバゴ!!キバで受けろ!!」

「キッ!バッ!」

 

キバゴが足の爪をガッチリと地面に食い込ませ、迎撃の姿勢を作る。

全身を一本の槍と化し、歯を食いしばったキバゴ。

そこに“インファイト”の初撃が叩き込まれた。

 

キバゴの白いキバと赤熱した拳がぶつかり合う。

 

白熱がせめぎ合ったのは一瞬。

 

キバゴのキバが不吉な音を立てだす。

 

「キ、バァァァ……」

「ウワォォォォォン!!!」

 

遠吠えのような雄叫びと共にルカリオの両腕がより強い光を放つ。

 

そして、その拳がキバゴのキバを叩き折った。

 

拳はその勢いのままにキバゴの顔面に突き刺さる。

 

その直後、既に反対側から次の拳が迫ってきていた。

 

キバゴはそちらもキバで受けようとしたが、今度はせめぎ合うこともできずに叩き折られた。

 

キバを折られ、攻撃を防ぐ手段を失った。そのキバゴに息もつかせぬ猛攻撃が叩き込まれていく。5発、10発、20発。カウントすることが無駄に思える程の高速のラッシュが続く。

ルカリオの両腕の回転速度は次第に上がっていき、その拳は赤熱した鋼のような色へと光り輝く。

 

「フィニッシュ!」

「バゥォッ!!!」

 

アッパーカットのように叩き込まれた拳がキバゴを跳ね上げる。

打ち上げられたキバゴは放物線を描き、フィールドに背中から落下する。

がらんどうの肉体が地面にぶつかる音がした。

 

数舜遅れ、叩き折られたキバが落ちてくる。

 

カラン、カランと味気ない音を最後にフィールドは静まり返った。

 

そして、審判AIが最後の宣言を行う。

 

「キバゴ!戦闘不能!ルカリオの勝ち!!」

「やったね!!ナイス、ルカリオ!」

「バウゥ!」

 

コルニがピースサインを送り、ガッツポーズを返すルカリオ。

そんな2人を目に入れることなく、タクミはすぐさまキバゴへと駆け寄っていた。

 

「キバゴ!キバゴ!大丈夫か!?」

 

最後の落下でキバゴは一切受け身が取れていなかった。

危険なダメージを受けてないかが心配だった。

幸いにもキバゴに大きな怪我はなく、タクミが抱き上げるとすぐに薄目を開けた。

 

「キバァ……」

「キバゴ……良かった」

 

だが、折れてしまったキバの断面がなかなかに痛ましい。

今日は一晩ポケモンセンターだろうなと思いながら、タクミはキバゴをモンスターボールに戻した。

 

「ふぅ……」

 

一息つき、タクミはコルニに向けて頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「うん、ありがとね。いいバトルだったよ」

 

ローラースケートで滑ってきたコルニと握手を交わす。

 

「いや~やっぱりいい動きするよ君のキバゴ。“あなをほる”からの3連“ダブルチョップ”の流れは綺麗だったし、私のルカリオじゃなかったら間違いなくあれだけでバトルの優勢が決まってたね」

「ありがとうございます」

 

『だけど、『あなたのルカリオ』に効果的じゃなかったら意味がないんですけどね』

 

タクミは口元まで出かかったその言葉を飲み込む。

 

「ねぇ、ねぇ、タクミ君だっけ?この後時間ある?良かったら……」

 

その時、ルカリオがコルニの腕を引っぱった。

 

「えっ?ルカリオ、なに?」

 

ルカリオが顎で近くの時計を示した。それにつられてコルニが時計を確認した瞬間、その顔に一気に冷や汗が噴き出した。

 

「えっ、もうこんな時間!?うわっ、ヤバ!おじいちゃんに怒られる!」

 

コルニはタクミの手をもう一度ブンブンと振り回し、急ぎ足で言葉を継いでいく。

 

「ごめんごめん!私もう行かないと!今日は本当にいいバトルだったよ!うん、明日のいい予行演習になったし!あっ、そうだ、明日もここ来るでしょ?」

「……え……あ、ええ、まあ、はい……」

「そうだよね!そうだよね!うんうん!それじゃあ、また明日!」

「……あ、はい……」

 

コルニはタクミの手を放し、ルカリオと一緒に勢いよくジムに向けて駆け出して行った。

タクミはその後ろ姿に手を振りながら、首を捻る。

 

「……やっぱり、僕がチャレンジャーだって……気づいてた?」

 

ルカリオもメガシンカを使わなかったし、やっぱり手札を晒すのを嫌ったのだろうか?

 

「クチ……」

「あっ、クチート……」

 

タクミは寄ってきたクチートを胸元に抱き上げ、コルニが向かっていった『マスタータワー』を見上げた。

 

「……どっちにしろ、かなりの強敵であることは間違いない」

「クチ」

 

タクミの握り込んだ拳の中に冷たい汗が滲んでいた。

 



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大きな背中は漢の証

タクミは『マスタータワー』の真正面に位置する海岸に来ていた。足元にはいつものクチート。既に朝日は登り、空は快晴。タクミも睡眠はバッチリで、ポケモン達もキバゴを含めて絶好調だ。真っすぐに『マスタータワー』を見つめるタクミに気負いはない。

 

そんなタクミの意志を感じとったかのように、道が現れる。

 

潮が引き、海の中に砂の道が浮かび上がってくる。最初は遠浅の砂の海岸でしかなかった場所に、一本の道が形作られていく。人を導くように現れた道に向けてタクミは足を踏み出した。乾いた砂浜と違い、湿った砂地は足が沈むことなく力を地面に伝えてくれる。

 

蹴りだす足が前に出る力を与えてくれる。

その大地の反発を感じながら、タクミは『マスタータワー』の島へと足を踏み入れた。

 

昨日観光で来た時も感じたが、こうして『マスタータワー』の目の前に立つと圧倒される程の高さに身が引き締まる。

 

もちろん、塔の高さだけで言えば、東京タワーやスカイツリーの方が上だ。

ただ、そういうことではないのだ。

重厚な石造りの塔が持つ重みと、積み上げてきた歴史の高さがタクミに訴えかけてくるのだ。

 

『ここに強敵がいる』

 

タクミはギリと自分の拳がきしむのを感じた。

 

そんな時だった。

 

「おや、随分早いな」

 

それは大人の男性の声であった。

 

タクミがその声に振り替えると、目の前にジャージ姿の初老の男性が立っていた。頭の髪は少し寂しい感じがするが、豊かな眉毛が随分と目を引く。それに、初老というのはあくまで顔の印象であって、その立ち姿や服の上からでもわかる筋肉の付き方などは老人のそれではない。背筋は定規でも仕込んでるんじゃないかと思える程に真っすぐに伸び、めくり上げた腕や足の裾からはしなやかな筋肉が盛り上がっている。

 

「君が今日の挑戦者のタクミ君だね」

「はい!!今日はよろしくお願いします!」

 

タクミも背筋を伸ばし、屹立した。

 

「そうか。ワシはコンコルド。このジムの師範だ」

「よろしくお願いします……えっ?師範?それは……ジムリーダーじゃないんですか?」

 

このジムの『ジムリーダー』はコルニのはずだ。

だが、『師範』と言えば道場の頂点たる人であろう。

 

『ジムリーダー』と『師範』が共存しているジムなんてあるのだろうか?

 

怪訝な顔をするタクミにコンコルドがクツクツと笑う。

 

「ははは、皆そう言うのだ。だが、ワシは間違いなく『師範』だ。ジムリーダーはワシの孫でな。もうすぐ戻ってくると……おお、来た来た。あれがこのシャラジムのジムリーダーだ」

 

コンコルドが『マスタータワー』の隣の施設を指さす。

そこから、金髪のトライテールをなびかせて一人の女の子が走ってきていた。

 

その人をタクミはもう知っている。

 

「おじいちゃん!今日のジム戦の撮影機材だけど、って、あれ?昨日の……」

「おはようございます」

「え?あれ?そういえば、君の名前って……確か……タクミ君だから……」

 

その瞬間、彼女のトライテールがビコンと跳ね上がった。

 

「えっ!タクミ君が今日のチャレンジャーだったの!?」

「やっぱり、気づいてなかったんですね」

「えっ!!えぇっ!!じゃ、じゃあ、タクミ君は私のこと知ってたの!?言ってよ!!」

「いや……その……」

 

気まずそうに苦笑いをするタクミと髪を逆立てるコルニ。

 

そんな2人を交互に見てコンコルドは眉間に皺を寄せた。

 

「なんだコルニ。もう彼と会っていたのか?」

「うん!昨日のローラースケートの時にね!もう、言ってくれればいいのに!!」

 

憤るコルニであったが、コンコルドの眉間の皺はより深くなっていく。

 

「彼はその時に名乗りもしなかったのか?」

「え?」

 

コルニの表情が固まる。

 

「いや、名乗った、けど……」

「コルニ、お前がローラースケートに出かける前には既にチャレンジャーの名前は伝えていただろ?憶えていなかったのか?」

「えぇと……ぁあ……その……あっ、私!ジム戦の準備してきます!」

 

どうやら形勢不利を悟ったらしいコルニは踵を返して戻っていった。

そんな彼女の後姿にコンコルドがため息をついた。

 

「まったく、修行が足らんな」

「あはは……」

 

タクミとしては愛想笑いを返すしかできなかった。

 

コンコルドはタクミを促し、『マスタータワー』の中へと案内してくれた。

 

「さっきのがワシの孫のコルニだ。見ての通りまだまだジムリーダーとしての自覚が足りん」

「は、はぁ……」

「すまんな。チャレンジャーに聞かせる愚痴ではなかった」

 

『マスタータワー』の中でタクミを最初に出迎えてくれたのは巨大なメガルカリオの石造だった。

 

「うわぁ……」

「クチ……」

 

吹き抜けになっている『マスタータワー』内部。そのど真ん中に鎮座している巨大な石造は朝日を浴びて静かに佇んでいた。セキタイタウンで見た土産物屋の石の置物とはまるで違う。あれもあれで今にも動き出しそうな精巧な作りだった。この石像も同じように動き出しそうな印象を受けるのだが、その本質はまるで異なる。

 

セキタイタウンの石が生きて見えたのは『微に入り細を穿つ』技術によって生みだされたリアリティだ。『今にも動き出しそう』という感想も『石像が動き出しそう』という意味だ。

 

だが、これは違う。

 

石像の作り自体は荒々しいものだ。それなのに、これには石の中に魂が込められているような気迫があった。その石の内側に生身の息吹や熱を秘めているような感覚。今にも中から本物のメガルカリオが飛び出してきそうな、そんな荒々しい存在感がある。

 

「……すごい……」

 

それしか言葉が出ないタクミ。

自分が目にしている物の衝撃が大きすぎて、語彙が消えてしまっていた。

ただただ圧倒されるというのはこういうことを言うのだろう。

 

そんな彼の様子にコンコルドはニヤリと笑っていた。

 

「さて、見ほれるのもいいが、ジム戦のバトルフィールドはこっちだぞ」

「は、はい!」

 

タクミはコンコルドに案内され、一階にあるバトルフィールドへと通された。

フィールドはオーソドックスなクレイフィールド。だが、その部屋の雰囲気はやや異質であった。

フィールドの周囲は堀に囲まれており、周りの壁はすり鉢状になっている。出入り口はトレーナーサークルの後ろに1か所ずつあるだけで、観客席すら随分と高い場所に位置している。

 

まるでこのフィールドから外に出ることを拒むかのような作りになっていた。

 

フィールドの周囲の堀自体はは金網で塞がれているものの、なんだか、バトルフィールドというより『闘技場』という言葉が似合いそうな場所であった。

 

「ここが我がシャラジム自慢のバトルフィールドだ」

 

そう言われ、タクミは乾燥した口の中を湿らせる為に舌を動かす。

 

「なんだか……少し、怖い感じがします」

「ふふふ、そうだろう。ここは我が先祖が代々真剣勝負を繰り返してきたフィールドでもあるのだ」

「先祖?」

「この土地が『最初にメガシンカが観測された地』だというは知っているか?」

「は、はい。パンフレットで読みました」

「うむ、我が一族はその最初のメガシンカを行った者の末裔とされている。我々は代々この始まりの地を守る使命を請け負ってきた。今となってはジムリーダーと形は変わったものの、その使命は今も果たされ続けている。このバトルフィールドはその戦いの歴史が刻まれている場所なのだ」

「…………」

 

タクミは自分の踏みしめている地面へと視線を下ろす。

足裏で地面を擦ると、踏み固められた土の力を感じることができた。

この土の下には無数の強者の汗と涙が染み込んでいるのだ。

 

「どうだ?このフィールドは?」

 

そう問われ、タクミは胸元を握りしめる。

 

「……武者震いが……します」

「ほう?」

「バトルが……俄然楽しみになってきました!」

 

自分が遥かなる歴史の延長線上に立っている。それを聞いて興奮しない男の子はいない。タクミは自分の拳を掌に叩きつけた。

 

「気合が入りました!改めて、今日はよろしくお願いします!」

「うむ。さて、我が不詳の孫はまだかの?」

 

コンコルドがそう言った直後、バトルフィールドの観客席の方に人が入ってきた。

 

「早く早く!カメラそっちとそっちにセットして!」

「まったく、昨日のうちにやっとけよ」

「すみません!先輩!これもお願いします!!」

 

観客席に入ってきたのはコンコルドと同じデザインのジャージを着た数人の男性だった。

年齢層は20台ぐらいの青年からタクミより少し上ぐらいの少年まで。おそらくジムの門下生だろう。

 

「タクミ君だったかな。このジムでは全ジム戦を記録しているが、撮影してかまわんかね?」

「はい。問題ないです」

 

そして、そうこうしているうちにバトルフィールドの反対側からローラースケートを履いたコルニが駆け込んできた。

その姿を見た瞬間。タクミの隣に立っていたコンコルドから一喝が轟いた。

 

「コルニ!時間を過ぎているぞ!チャレンジャーを待たせるとは何事か!?」

「ごめんなさい!でもでも、おじいちゃんが朝から急に特別メニュー始めるのにも問題があったんじゃ……」

「あれぐらい定刻内にこなさんか!!それと……」

「あぁ、もう!わかりました!ごめんなさい『師範』」

 

なんだか、コンコルドさんの方がジムリーダーらしいなと思うタクミであった。

 

そんなタクミの肩をコンコルドがポンと叩いた。

 

「審判はワシが務める。良いバトルを期待しておるぞ」

「……はい!」

 

タクミはクチートと共にトレーナーサークルへと足を踏み入れた。

 

「……クチ?」

 

クチートがタクミを心配そうに見上げてくる。

そんなクチートにタクミは歯を見せて笑う。

 

「大丈夫だ。今の僕は落ち着いているよ。クチート、今日は応援頼むよ」

「クチ」

 

ガッツポーズを見せてくれるクチート。

ようやく、クチートもバトルに対する焦燥感が抜けてきているようだった。

だが、今日はクチートのことを構ってはいられない。

 

とにかく目の前の相手に集中だ。

 

シャラジムのジムリーダーであるコルニはローラースケートのホイールを鳴らして、トレーナーサークルへと入った。

 

「昨日の帰りに『また明日ね』って声かけた時はこういう展開になるとは思ってなかったよ」

「僕はわかってましたけど」

「まぁ、いいや。今日はいいバトルをしよう!いや、今日『も』いいバトルをしよう」

 

コルニは竹を割ったようなカラリとした声でそう言った。

そんな彼女に向け、タクミも声を張り上げる。

 

「はい!よろしくお願いします!!」

「いいね。でも、悪いけど、今日は昨日の私とは違うよ!!いいね!?」

「もちろん!!」

 

タクミは自分のベルトに結んでいるモンスターボールに触れる。

コルニがどんなポケモンを出してこようと、今回先発するポケモンは決まっていた。

 

コンコンドルが審判台に立ち、準備は全て整った。

 

「これより、チャレンジャータクミ対ジムリーダーコルニによるシャラジム、ジム戦を始める。使用ポケモンは3体。どちらかのポケモンが全て戦闘不能になった時点でバトル終了だ。ポケモンの交代はチャレンジャーのみ認められる」

 

その口上が終わるか終わらないかのうちにコルニがいきなりボールを投げ込んだ。

 

「お願い!コジョフー!」

「コジョ!」

 

出てきたのはぶじゅつポケモンのコジョフー。

小柄な体躯ながら、素早い連続攻撃を得意とする格闘タイプのポケモンだ。

 

「よし、これなら」

 

タクミは予定通りのモンスターボールを取り出す。

 

「行くぞ!フシギダネ!!」

「ダネ!」

 

フィールドに降り立ったフシギダネ。その体躯には力が漲っており、背中のタネも瑞々しい。気力が充実している証拠だ。

 

「フシギダネ、役割はわかってるね?」

「ダネダ……」

 

『言われるまでもねぇ』

 

そう言ってニヒルに笑っているフシギダネの顔が見えるようであった。

 

「よし、作戦通りにいくぞ」

「ダネ」

 

フシギダネが前足を強く地面に食い込ませ、全身に力を込めた。

それと同時にフラッグが振り上げられた。

 

「試合開始!!」

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”」

「ダネ!!」

 

先手必勝と言わんばかりに速攻で動き出すフシギダネ。

瞬時にタネをばらまき、フィールド内にフックショットのポイントを無数に作り上げる。

フシギダネの機動力を上げる大事な下準備。

 

それに対してコルニは様子見などはしなかった。

 

「コジョフー!“グロウパンチ”」

「コジョ!!」

 

コジョフーは散らばる“やどりぎ”を鋭い拳で振り払いながら一気にフシギダネに近づいていく。フィールドに育った“やどりぎ”など無視した直線的な動き。

 

コルニがフシギダネの足のことに気づいているかどうかはわからない。

だが、タクミがやることは変わらなかった。

 

「フシギダネ!右2番!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネは“ツルのムチ”を伸ばし、コジョフーと距離を取る。

何度も試行錯誤を重ねた末タクミとフシギダネは設置する“タネ”の位置を番号で把握する程に煮詰めていた。

 

「攻撃に移るぞ!“ツルのムチ”を伸ばすんだ」

「ダネ!!」

 

フシギダネは移動しながら、鎌のように“ツルのムチ”を伸ばし、コジョフーの頭を薙ぎ払おうとする。

 

「コジョフー!ガードして!!」

「コジョ!!」

 

両腕を十字に交差させるクロスガード。だが、加速の乗ったフシギダネの“ムチ”はそう簡単には止まらない。“ムチ”の先端部分を最高速度で叩きつけ、フシギダネはコジョフーのガードを弾き飛ばした。

 

「コジョッ!!」

「っッ!!なかなかやるね!」

 

フシギダネはすぐさま別の“タネ”にツルを伸ばして縦横無尽にフィールドを飛び回る。

中距離を保ちながら次々と“ムチ”を叩きつけていくフシギダネに対して、コジョフーはフィールドの中央に貼り付けにされた。

 

「コジョフー!状況を変えるよ!“スピードスター”!」

「コジョ!!」

 

コジョフーが腕を振る。その軌道に合わせ、星が光った。

次の瞬間、目にも止まらぬ速度で星の形をしたエネルギー弾が放たれた。

“スピードスター”というワザの真骨頂はワザの初動の速さによる命中率の高さだ。

 

「フシギダネ!!止まれ!!」

「ダネ!」

 

タクミは回避は不可能と判断し、フシギダネを着地させる。。

だが、タイミングが悪かった。

 

「ダネッ……」

 

着地したフシギダネの左足にモロに体重がかかる。

 

普段から立体機動をする際には進行方向には注意をしているが、どうしても危険なタイミングというものはゼロにはできない。今回は相手の反撃タイミングを見誤ったタクミのミスだ。

 

足の痛みに顔をしかめるフシギダネ。そこにコジョフーの“スピードスター”が突き刺さった。

ただ、“スピードスター”の威力はそこまで高くない。

この程度ならダメージとしては軽い。

 

本当に危険なのはこの次だった。

 

「コジョフー!“とび膝蹴り”!!」

「コォッッジョォォォ!!」

 

足を止めたフシギダネに向け、これ幸いとコジョフーが突っ込んでくる。

フシギダネの左足はまだ砕けたままだ。

 

「フシギダネ!“ムチ”で防御だ!」

「ダネ……」

 

フシギダネは“ムチ”を顔の前に構えて防御しようとしが、間に合わない。

コジョフーは地を這うように突進し、防御の下をくぐりぬけた。

フシギダネの眼前でコジョフーの踏み込んだ足が地面を抉った。コジョフーは瞬間的に筋力を爆発させ、飛び上がる。超至近距離から放たれた“とび膝蹴り”がフシギダネの顎をかちあげた。

 

「ダッ……ネ……」

 

フシギダネの顎があがり、体が仰向けにひっくり返りそうになる。

“とび膝蹴り”の勢いのまま空中に躍り出たコジョフーは既に次の攻撃の初動へと移っていた。

 

「コジョフー!“グロウパンチ”!!」

「コジョ!!」

 

飛び上がったコジョフーの右腕に赤い光が宿る。跳ね上がったフシギダネの頭部に目掛け、振り下ろしの右(チョッピングライト)を叩き込もうとしている。

 

「……ダネッ!!」

 

だが、その連撃は既に読んでいた。

今度はフシギダネの“ムチ”の防御が間に合う。

 

「フシギダネ!受け流せ!!」

「ダネフッシ!!」

 

フシギダネはコジョフーの腕を“ツルのムチ”で絡め取り、そのまま後方へと放り投げた。

パンチの威力を利用した投げ。コジョフーは自らの勢いを殺すことができずにフィールドの端まで放り投げられた。コジョフーは受け身を取り、反転して再び構えを取る。

 

だが、既に両者の間合いは離れた。

 

再び間合いを詰めようとするコジョフー。

それをさせまいとタクミの指示が飛ぶ。

 

「フシギダネ!“ツルのムチ”!!」

「ダネッ!」

「コジョッ……」

 

動きの出鼻を挫くようにフシギダネの“ムチ”が一気に接近した。“ムチ”の細かい連打がコジョフーに襲い掛かる。ジャブを刻むような小さな連続攻撃を積み重ね、コジョフーをフィールドの端に貼り付けにする。

 

タクミは次の指示のタイミングを計る。

 

フィールドの端に追い詰められたコジョフーがこの場から脱出する方法は3つ。

先程と同じように“スピードスター”等の射程のある攻撃でフシギダネを怯ませるか、強引にダメージを受けながら前に出るか。それとも……

 

「コジョフー、脱出して!!」

「コジョ!!」

 

そう、左足の力が弱いフシギダネは左側の攻撃の威力がわずかに弱い。その方向に逃げるのは確かに有効だ。

 

だが、もちろんそれはタクミもフシギダネも十二分に把握している。

 

「フシギダネ!!そこだ!!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネの“ムチ”が伸びる。それはコジョフーの脇を抜け、隣のフックポイントを掴んだ。

フシギダネは一気に“ムチ”を引き寄せ、瞬時に間合いを詰めた。

 

「“とっしん”!!」

「しまっ……コジョフー!避けて!!」

 

もう遅い。

 

今のコジョフーは脱出することを優先して防御の構えが緩んでいた。

 

 

タクミが防御を崩したのだ。

 

その為にこの場所にコジョフーを放り投げた。その為に細かい連打でコジョフーの動きに即応できるようにした。その為に最初に的確に“やどりぎのタネ”を設置した。

 

全てはこのタイミングを待っていたからだ。

 

「ダァァネェエ!!」

「コジョッ!!」

 

なんとか左腕だけで防御しようとしたコジョフーの体幹にフシギダネの渾身の“とっしん”が突き刺さった。

コジョフーは肘をフシギダネに立てて、少しでもダメージを返そうとしていたが、その程度ではフシギダネの勢いは止まらない。

 

フシギダネの攻撃はコジョフーをフィールド外まで弾き飛ばした。

このフィールドでは『リングアウト』の判定はないが、それでも十分なダメージだ。

コジョフーは壁に叩きつけられ、目を回したままズルズルと重力に従って落下していった。

 

「コジョフー、戦闘不能、フシギダネの勝ち!!」

 

判定を聞き、タクミは大きく息を吐きだす。

 

「ダネ……ダネ……」

 

肩で息をするフシギダネであるが、その目元にはまだ力が残る。

ただ、その目に宿っている強い力は単純な体力の余裕によるものだけではない。

 

タクミにはわかっていた。フシギダネの荒い息遣いに交じる興奮の色と喜びの感情が痛い程に伝わってきていた。

タクミはチラリと隣のクチートを見る。タクミの予想通り、クチートもまた何かに興奮するように息を詰めていた。

 

過去2度のジム戦ではフシギダネは本来の力を発揮させては貰えなかった。

 

ハクダンジムでは1戦目は氷のフィールドで思うように動けず、2戦目はキバゴのお膳立てがあった。

ショウヨウジムでは“やどりぎのタネ”を封じられ、思うように戦えなかった。

 

もちろん、今までの勝利にフシギダネの力は必要不可欠だった。

 

だが、その中でも『ジムリーダーとの1対1』という状況での勝利はやはり特別なのだ。

ただでさえハンデを背負っているフシギダネにとってこの勝利は何事にも代えがたいものであったのだろう。

 

同じくハンデを背負うクチートがそのフシギダネの背中を熱を持った左目で見つめている。

フシギダネはその視線を感じているだろうか。

 

胸を張って次のバトルを見据えるその背中のタネが今日は一段と大きく見えていた。



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全霊を賭けて挑め

初戦を制したフシギダネ。

フィールドには十分に育った“やどりぎのタネ”が残り、フシギダネが縦横無尽に動き回る環境は整っている。

体力は十分とはいえないが、それ以上に今のフシギダネには気力が満ちている。

 

出だしとしては最高の立ち上がりだった。

 

だが、どこで何が起きるのかがわからないのがポケモンバトルだ。

タクミもフシギダネも油断はなかった。

 

それに対するコルニの笑みも揺らぐことはない。

コルニは普段とは違う様相になったバトルフィールドを見渡し、タクミに声をかけた。

 

「タクミ君、なかなかやるね。フィールドそのものを変えちゃうとは」

「これが僕らがたどり着いた戦い方なんです。このために、日々積み重ねてきました。」

「なるほど、それが君達の功夫(クンフー)なんだね」

「え?カンフー?これは別に中国拳法じゃないですけど……」

「あははは、違う違う。でも、まぁ、いっか」

 

コルニがチラリと審判であり、祖父であるコンコルドへと目線を向けた。

コンコルドは頷き、次のポケモンを出すように促した。

 

「それじゃあ、次は……ゴーリキー!お願い!!」

 

コルニが選んだポケモンはゴーリキー。

ゴーリキーはサイドチェスト、ダブルバイセップス、モストマスキュラーと次々にボディビルのポーズを決めて張り詰めた筋肉をアピールしてきた。

 

その見事な筋肉にタクミは一瞬だけ意識を奪われた。

 

鍛え上げられた肉体は芸術に匹敵すると言われているが、人の心を奪うという意味では決して過言ではない。引き締まり、盛り上がり、奇跡的な黄金比率を保ったゴーリキーの肉体にタクミは状況を忘れて「ナイスポーズ」と叫びたくなってしまいそうになった。

 

「これは……強敵だ……」

 

そう呟くと、フシギダネが斜目を向けてきた。

 

「……ダネダ……」

「わかってるよ、集中してるって」

 

目ざとい奴め。

 

だが、タクミは自分がいい具合にリラックスしていることを自覚した。

 

「タクミ君、ポケモンの交代はどうするかね?」

「ポケモンの交代はしません!このまま続行します!!」

「うむ……では、試合開始!!」

 

試合開始の宣言が響く。

 

だが、フシギダネは先程とは違い、ジリジリと相手の様子を伺った。

 

コジョフーのバトルスタイルは軽快な動きで速攻をかけて肉薄し、反撃を覚悟で突っ込んでくるスピードインファイターだった。それに対して、ゴーリキーはゆっくりと距離を測りながら間合いを読んでじっくり戦うバトルをする。

 

タクミはあらかじめコルニの公式戦のデータでそのことを学び、対策を立てていた。

 

とはいえ、やはり想定と実践では感覚が大分違う。

コジョフーとの一戦でも、防御が間に合うと踏んでいたタイミングで攻撃を受けた。

どれだけ対応策を施しても一方的な試合にすることができない。

 

対面してわかる、ジムリーダーとしての強さだ。

 

ゴーリキーはファイティングポーズを取り、軽快なステップを踏みながらフシギダネに近づいてくる。

タン、タン、タンというリズミカルな足音と共にゴーリキーがフシギダネを中心に円を描くように動きまわる。常にフシギダネの左側へと回り込みながらも、間合いを少しずつ詰めていく。

 

フシギダネも“ツルのムチ”をゆらゆらと揺らしながら、時折“ムチ”先を飛ばす。だが、それはあくまでも牽制とフェイント。ゴーリキーの足元を掠める程度の軽い攻撃。本当は機動戦を仕掛けて中距離から“ムチ”を使って安全に戦いたいところなのだが、それはできない相談だった。

スピードアタッカーのコジョフーと違い、ゴーリキーはパワータイプだ。その腕力で“ムチ”を掴まれればフシギダネの機動力は地に落ちる。それだけは絶対に避けたい。

 

このバトルでは“ムチ”を使った機動戦は逃げに使うしかできない。

“ムチ”をが不用意に使えない以上、フシギダネの戦い方は限定される。

 

「さて……どこまでやれるか……」

 

タクミは唇を舌で湿らせた。

 

ジリジリと詰まるゴーリキーとの距離。だが、ある瞬間にゴーリキーの動きが止まった。

その刹那、コルニの指示が飛んだ。

 

「“グロウパンチ”!!」

「ゴリ!!」

 

ステップを踏んでいたゴーリキーが一気に距離を詰め、フシギダネを射程距離内に捉えた。

その両腕が赤熱した力を纏っているのを確認し、タクミの指示が飛ぶ。

 

「フシギダネ!“ムチ”で弾け!!」

「ダネ!!」

 

拳を握っている間は“ムチ”を掴まれることはない。

フシギダネは突っ込んできたゴーリキーの拳を外に弾きつつ下がる。次の攻撃も外に受け流し、3発目の拳は“ムチ”をクロスさせて受け止める。

 

「フシギダネ!押し出せ!!」

「ダネ!!」

 

フシギダネは右足で地面を蹴り、体ごとゴーリキーの拳を押し返した。

両者の間合いがわずかに離れる。

 

「“ローキック”!!」

「“やどりぎのタネ”!!」

 

“ローキック”のような蹴り技は拳よりもリーチが長い。パンチを意識させてから、間合いの遠い下段蹴り。見事なコンビネーションだったがフシギダネはそれを“やどりぎのタネ”を急成長させて絡め取ろうとした。

 

だが、見立てが甘かった。

 

「ゴリッ!!!」

 

ゴーリキーの右足が成長した“タネ”に当たる直前に止まった。

ゴーリキーはそのまま足を踏みかえ、左足の“ローキック”を繰り出した。フシギダネはそれに反応できない。

 

「ダッッ!!!」

 

フシギダネの瞳孔が一気に収縮した。

ゴーリキーの蹴りがフシギダネのフシギダネの右前足の肩口に突き刺さった。

ゴーリキーの丸太のような大腿筋から放たれたパワーが右足の筋肉の起始部に叩き込まれ、フシギダネの右前足が痙攣する。

 

「フシギダネ!“タネ”をばらまけ!!」

「ダ……ネ……」

 

フシギダネは自分の周囲に“タネ”をばらまいて即席の壁にする。

 

「ゴーリキー!下がっちゃダメ!!“きあいだま”」

「ゴォォォリィィイイイ!!」

 

ゴーリキーが試合前と同じようにモストマスキュラーのポーズを決める。

だが、それはアピールによるデモンストレーションではない。目的は全身の筋肉のエネルギーを一点に集める為。そして、闘気の塊がゴーリキーの真正面に現れる。

 

「ゴリィィィィィイイ!!」

 

作り上げられたオレンジ色のエネルギー弾。

 

それが“きあいだま”

 

制御が難しいワザだが、足を止められたフシギダネに当てるのは造作もない。

ゴーリキーは胸の前で作り上げられた“きあいだま”を押し出すように放った。

 

闘気によって作られたエネルギー弾が“やどりぎのタネ”によって作り上げた壁を濡れ紙のように突き破り、その奥にいたフシギダネに直撃した。

 

「ダネェッ!!!」

 

吹き飛ばされた、フシギダネが宙に舞う。

 

「ゴーリキー!!とどめの“ちきゅうなげ”!!」

「ゴリッ」

 

空中のフシギダネを捕まえようとゴーリキーが飛びあがった。

 

「ダネ……」

 

ゴーリキーがフシギダネの身体を掴み、姿勢を整え、フシギダネの腹側から四肢の関節を極める。

“ちきゅうなげ”は相手を捕まえ、自らの肉体の全体重をかけて相手を地面に叩きつけるワザだ。関節を極めることで受け身も取らせず、相手の真芯を確実にへし折る。

 

このワザの前では相性差も体格差も関係がない。

 

「…………へっ」

 

だからこそ、必ずフィニッシュに持ってくると思っていた。

 

「フシギダネ!!今だ!!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネは素早く“ムチ”を伸ばし、ゴーリキーの体幹を捕まえた。

 

「ゴリッ!?」

 

フシギダネは四肢の関節を極められても、まだ“ムチ”という第5の手足がある。

そして、フシギダネの関節を極めるには絶対にゴーリキーは腹側から組み付き、フシギダネを背中から叩きつけるしかない。

 

だったら、背中のタネの発射口は常に地面に向いている。

 

「フシギダネ!“やどりぎのタネ”」

「ダネッ!!」

 

地面に向かって大量の“やどりぎのタネ”をばらまくフシギダネ。

 

「今更無駄だよ!もう“ちきゅうなげ”の体勢は決まってる!!“タネ”をクッションにしたところで……」

「いいや!!まだだ!左4番!!」

「ダネッ!!」

 

ゴーリキーの胴体を掴んだ“ムチ”は一本。

まだ“ムチ”はもう一本ある。

 

フシギダネの頭の中にはフィールド中に設置したフックポイントが常に頭に入っている。

例えどんな姿勢だろうと、例え目をつぶっていようと、フシギダネがタクミが指定したポイントを外すことはない。

 

フシギダネが真っすぐ伸ばした“ムチ”は当然のようにフックポイントに当たり、フシギダネの姿勢を変えた。

 

「ダァネェェ!!!」

 

更に胴体を掴んでいた“ムチ”を強引に引き寄せてゴーリキーと体勢を入れ替える。

フシギダネが上、ゴーリキーが下。

 

「これは……ゴーリキー!逃げて!!」

「ゴリッ!?」

「いいや!逃がさない!!」

「ダネェェ」

 

フシギダネは両方の“ムチ”を素早くゴーリキーの身体に巻きなおした。

四肢を縛り、動きを封じる。

 

そして、そのままフシギダネは大量の“やどりぎのタネ”の育った草のベッドにゴーリキーを叩きつけた。

 

「ゴーリキー!抜け出して!“グロウパンチ”!」

「ゴリ!!ゴリ!!」

「逃がすなフシギダネ!!絶対に逃がすな!!」

「……ダネ……ダネ……」

 

ゴーリキーに絡みついていく“やどりぎのタネ”。だが、ゴーリキーは強引に腕を振り回して“やどりぎのタネ”を引きちぎり、フシギダネの顔面に“グロウパンチ”を叩きつけていく。フシギダネの“ムチ”で縛り上げているはずなのに、それすらねじ伏せるパワー。フシギダネの“ムチ”ではゴーリキーのパンチを止められない。

 

“グロウパンチ”の威力は次第に増していく。

 

“やどりぎのタネ”がゴーリキーの体力を奪うのが先か、ゴーリキーがフシギダネをノックアウトするのが先かの勝負だった。

 

「耐えろ!耐えてくれ!!フシギダネ!」

「ダ……ネッ……」

 

フシギダネの頬に赤みが増し、瞼が腫れ上がり、瞳が揺れ始める。

それでもフシギダネは“ムチ”を緩めない。

 

「ゴリッ!ゴりッ!ゴリッ!」

 

既にゴーリキーは“やどりぎのタネ”の半分以上を強引にちぎり捨てた。

だが、確実にその動きは鈍り始めている。

 

「もう少しだ!フシギダネ!!絶対に“ムチ”を緩めるな!!」

「ダ……ネ……」

 

タクミは声を張り上げて、フシギダネを鼓舞し続ける。

隣ではクチートも応援の声を上げていた。

 

「クチィィイイイイイイ!!」

「ダネ……」

 

それが届いたかはわからない。

 

「ゴリッ、ゴリッ……ゴり……」

「ダネ……ダネ……ダネ……」

 

わからないが、無駄ではなかったとタクミは思う。

 

「ゴリ……ゴリ…………………」

「ダネ……ダネ……ダネェ……」

 

ゴーリキーの腕の回転が鈍る。

 

動きが緩慢になり、拳の光が失われていく。

 

その時だった。

 

「ゴォォオリィィィイイ!!」

 

ゴーリキーが声を張り上げ、フシギダネに“グロウパンチ”を叩きつけた。

 

「…………」

「…………ゴリ……」

 

頬にめり込んだ“グロウパンチ”がズルリと重力に従って滑り落ちた。

 

次のパンチはもう飛んでこなかった。

 

「……うむ、ゴーリキー、戦闘不能、フシギダネの勝ち!!」

 

コンコルドのフラッグがあがり勝者が決まる。

それを聞き届け、フシギダネがゴーリキーの身体の上からゴロゴロと転がり落ちた。

 

「フシギダネ!!」

「クチッ!!」

 

思わず、フシギダネに駆け寄るタクミとクチート

 

フシギダネは力なくフィールドに横たわり、薄目になってタクミを見上げていた。

 

「ダネ……」

 

フシギダネの顔には自嘲するような歪んだ笑みが浮かんでいた。

ある意味、いつも通りのフシギダネの姿だ。

その様子にタクミはどこか安心したようにホッと息を吐く。

 

「お疲れ、フシギダネ」

「ダネダ……」

 

タクミがフシギダネの頬を撫でる。

殴られ続けて熱を帯びたフシギダネの頬にタクミの緊張で冷たくなっている手はちょうどいい。

フシギダネは気持ちよさそうに目を細め、そのまま目を閉じた。

 

「クチ!?」

 

クチートが心配そうにタクミを見上げる。

タクミはそんなクチートを安心させるように微笑んだ。

 

「大丈夫だよ。眠っただけだ……」

 

“やどりぎのタネ”でゴーリキーから体力を吸い取っていたからこそなせる持久戦だった。

だが、それでもフシギダネの身体を限界まで酷使することになってしまった。

 

タクミはフシギダネをモンスターボールの中に戻す。

フシギダネの戦闘不能は宣言はされていないが、これ以上のバトルは不可能だ。

 

タクミはそのことをコンコルドに伝え、正式に戦闘不能としてもらった。

 

「ありがとうございます」

 

頭を下げ、トレーナーサークルに戻っていくタクミ。

コンコルドはその後ろ姿を見ながら意味深な笑みを唇の端に浮かべた。

 

「……あのフシギダネ……ふぅむ……」

 

タクミはトレーナーサークルに再び立ち、改めてコルニを見据えた。

 

ジムリーダーの手持ちを2体立て続けに倒した。

今までであれば順調な戦いぶりに体が興奮していただろう。

 

だが、タクミの腹の奥は氷でも埋め込まれたかのような底冷えた緊張感が横たわっていた。

手汗は止まらず、唇は渇いたまま。浅くなった呼吸を誤魔化すように深呼吸を繰り返す。

 

「タクミ君、やるじゃない」

「いえ。ここまでは……ある意味予定通りです」

 

少しフシギダネがダメージを多く貰い過ぎた結果ではあったが、少なくともタクミの想定に大きな狂いはなかった。

フシギダネは十分に自分の役割を果たしてくれた。

 

問題はここからなのだ。

 

「へぇ、私の手持ち2体をフシギダネだけで完封する気だったんだ。でも、ここから先は……」

 

コルニが最後のモンスターボールを投げ込む。

現れたのは当然。

 

「バウッ!」

「計算通りにいくかな!?」

 

コルニのベストパートナー

 

ルカリオ

 

その姿を見た瞬間、タクミの背筋に強烈な悪寒が走り抜けた。

 

その腕に備えられたルカリオナイトが照明の灯りを反射してギラリと光を放っている。メガシンカは確かに脅威だ。

 

だが、()()()()()はこの際関係なかった。

 

ルカリオの雰囲気が昨日とはまるで違っていた。

 

全身から立ち昇る闘気は野良バトルの比ではない。

立ち姿は一切の妥協すらなく、付け入る隙など見いだせない。

 

何よりも、ルカリオをルカリオたらしめる『波導』の脈動が違いすぎる。

 

ルカリオの内に秘めているはずの波導。それがその身に収め切ることができず、青いオーラのように溢れ出している。熟練のルカリオのトレーナーになればルカリオの波動を見ることができると言われる。だが、全くルカリオに触れたことのないタクミにもその波導が見えるというのはやはり尋常ではなかった。

 

昨日のバトルが戯れであったとは思わないが、今日のこのバトルに賭けるルカリオの気迫は文字通り桁が違う。

『地方旅』のトレーナーにとってはジム戦は一大イベントだ。ただ、それと同じぐらいジムリーダーにとってもジム戦というのは特別なものなのだ。

 

その『強さ』を真正面から叩きつけられ、タクミの背筋に冷たい汗が流れ落ちた。

 

手が緊張で強張る。喉の奥が張り付いてしまったかのように潰れる。動揺を抑えきれずに視界が揺れる。

 

それでも、タクミは一歩たりとも足を下げることはしなかった。

 

タクミは大きく息を吸い込み、啖呵を切る。

 

「数の有利は一旦忘れる!これが第一戦だ!!」

「クチッ!!」

「行くぞ!ヒトモシ!!」

 

タクミのモンスターボールが開き、中からヒトモシが現れる。

頭の炎は爛々と輝き、全身の蝋のような身体は既に高温に保たれている。何もかも燃やし尽くしてやらんとする熱気がタクミまでも届いてきた。その熱がタクミの固まった手足に力をもたらす。

 

「ヒトモシ!フシギダネはしっかりここまでバトンを繋いでくれた!」

「モシモシ!!」

「気合い入れるぞ!」

「モッシィィイ!」

 

普段以上に炎を昂らせるヒトモシ。青く、力強く燃える炎が天井の照明を上回る光量を生み出し、フィールドに新たな影を作り出す。

そんなヒトモシの熱量はコルニの闘志にも火をつけた。

 

「いいね!私も燃えてきた!行くよルカリオ!」

 

コルニのローラースケートがカチャリと音を立てた。

コルニの踏み込みとルカリオの踏み込みがリンクする。

そして、両者の腕に光る虹色の宝玉が強い光を放った。

 

虹色の光を放つ2つの石。

 

その光は撚り糸のように寄り合い、絡み合い、一筋の軌跡となって両者を繋ぐ。

 

「命ッ、爆発!!」

 

コルニの掛け声に合わせ、ルカリオの吠え声がフィールド中に響き渡った。

光が急激に膨らみ、ルカリオを包み込む。

そして、虹色の光は唐突に花火のように弾け飛んだ。

 

燐光の中から現れたのは一回り大きくなったルカリオ。いや……メガルカリオだった。

 

胴体部分の黄色い体毛は増量され、逆立つものとなり、四肢の黒い毛並みは流れる模様となって身体の随所へと走り抜けている。襟足のような後頭部の黒い帯状の器官の先端は赤く変色し、両手足の金属製の突起は先端がより鋭く、強固になっている。

 

だが、何よりもその印象を大きく変えているのがその目元であった。

 

ルカリオの時にはその瞳は丸みのある青い色を湛えていた。それは静かな湖面のように穏やかな心と物事を冷静に見定めようとする氷のような意志を感じた。

 

だが、メガシンカを経たメガルカリオの瞳からはそのような理性は全て消し飛んでいた。そこにあるのは、情熱的な衝動と暴力的にまで高まった闘争本能。それらを巻き込み、今にも爆発せんとする巨大な炎が赤い瞳の中で踊っていた。まるで、燃え盛るガーネットだ。

 

「っっ!!」

 

タクミは震える自分の太腿を捻り上げた。

痛みを飲み込み、歯を食いしばり、メガルカリオを睨み返す。

 

怯んだら終いだ。呑まれたら負ける。臆せば死ぬぞ。

 

タクミは映画で見たヒーローの鼓舞を頭の中で繰り返し、大きく息を吸い込んだ。

胸を張り、拳を握り、一歩前に踏み出す。

 

「勝負だ!メガルカリオ!」

「モッシィィイイイイイ!」

 

VSメガルカリオ

 

その決戦の火蓋が切って落とされた。

 

「試合開始!!」



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VSメガルカリオー自分の持ちうる全てをー

メガシンカを経たルカリオを前にヒトモシの炎が揺れていた。

風などない。メガルカリオの燃え盛る魂がヒトモシの魂魄を揺らめかせているのだ。

 

それ程の威圧感。それ程の存在感。

 

今までの相手とは格が違う。

 

そんな相手に受け身で勝てるわけがない。

ならば先手必勝。

 

「ヒトモシ!サイコキネシス!!」

「モッシィィィィ!」

 

ヒトモシの瞳が妖艶な輝きと共に揺らめく。

フィールドを覆い尽くすように放たれたサイコパワーがルカリオを捉えた

 

その瞬間だった。

 

「ルカリオ!」

「バゥァァ!!」

 

メガルカリオが地面を蹴った。

見えたのはそれだけだった。

 

タクミは油断などしていなかった。

瞬きをした覚えもなかった。

全身全霊で、全ての五感をもって、極限の集中状態で挑んでいた。

 

なのに、メガルカリオは既にヒトモシの眼前に移動していた。

 

「モシッ……」

「え………」

 

驚愕を言葉にする間もなくルカリオがヒトモシを蹴り上げた。

ヒトモシが浮き上がり、瞳が裏返る。

 

ズン

 

と、地響きがした。

それはルカリオが強く足を踏み込んだ音だった。震脚と呼ばれる強烈な踏み込み。それとほぼ同時にルカリオの腕の先に青く光る骨状の棍棒が現れる。

 

「“ボーンラッシュ”!!」

 

コルニがワザを指示したのと、ルカリオの打撃音が響いたのはほぼ同時であった。

ルカリオの腕から槍のように突き出た“ボーンラッシュ”がヒトモシの身体に突き刺さる。

その先端から赤黒い“波導”が閃光となって飛び散り、落雷のような音と共にヒトモシが吹き飛んだ。

 

「モッ……」

 

あまりの衝撃にヒトモシの頭の炎が一瞬だけ消える。

意識が飛びかけてる証拠だった。

 

「ヒトモシ!!」

「モッシ!!!」

 

タクミの呼びかけにヒトモシの瞳に光が復活する。

ヒトモシはバランスを崩しかけたが、なんとか受け身を取って着地をする。

だが、ヒトモシが顔をあげた時には既にルカリオが至近距離まで踏み込んできていた。

 

「もう一度!“ボーンラッシュ”!!」

「バウッ!!」

 

ルカリオは両手で青く光る骨状の棍棒を持ってヒトモシに迫る。

ルカリオは“ボーンラッシュ”を棒術のように使い、下から掬い上げるような軌道で振りぬこうとした。

 

“ボーンラッシュ”は【じめんタイプ】のワザだ。

【ほのおタイプ】のヒトモシにこれ以上の直撃はまずい。

 

だからといってこの近距離戦で集中力を必要とする“サイコキネシス”は出が遅すぎる。

 

だったら……

 

「ヒトモシ!“シャドーボール”で受け止めろ!!」

「モッシ」

 

ヒトモシは顔の真正面に“シャドーボール”を浮かばせる。

そこに“ボーンラッシュ”が直撃した。

 

“シャドーボール”が爆発し、黒い稲妻が飛び散った。

 

その衝撃の威力に“ボーンラッシュ”が押し返された。

だが、至近距離での“シャドーボール”の爆発はヒトモシも無事では済まない。

 

「モシ……」

 

ヒトモシの頬に黒い煤が傷のように残る。

“ボーンラッシュ”の直撃を受けるよりかは幾分かマシとはいえ、ダメージは小さくはない。

もちろん、それはコルニもわかっていた。

 

「ルカリオ!畳みかけるよ!!連打連打連打!!」

「バウバウバウゥァアアアアア!!」

 

ルカリオが“ボーンラッシュ”を2分割し、双棍のように構えた。リーチを短くし、その分回転率を上げる気であった。

 

「ヒトモシ!小さくていい!“シャドーボール”で受けろ!!」

「モッシ……」

 

ヒトモシは“シャドーボール”を周囲に浮かせ、盾のように構える。

だが、そんな盾など構わずにメガルカリオは攻撃をしかけてきた。

 

“ボーンラッシュ”を受けて“シャドーボール”が次々とはじけ飛びヒトモシが後退していく。

 

“シャドーボール”の爆発は確実にヒトモシの身体にダメージを残していく。それに対してルカリオは“ボーンラッシュ”のリーチ分の余裕があり、ほとんどダメージはない。

 

このままではジリ貧だ。

 

タクミもそれはわかっているのだが、反撃の糸口がまるでつかめない。

 

「ラッシュの速度が速すぎる……」

 

メガルカリオの連撃は『目にも止まらぬ速度』というものを体現していた。

 

打ち下ろし、突き込み、振り払う。

 

その一つ一つの動きが異様なまでに速い上に、コンビネーションの全てがスムーズに繋がっている。最初の一撃が既に次の攻撃の準備態勢になっており、打ち込んだそばから次の攻撃が迫りくる。予備動作の隙も、攻撃後の隙も、全てがコンマ数秒以下の世界だ。そこに攻撃を差し込むこむ余裕などあるわけがなかった。

 

そうこうしているうちに、遂にメガルカリオの速度がヒトモシを上回った。

 

「モッシ……」

「バウワァァァ!!」

 

メガルカリオの“ボーンラッシュ”が“シャドーボール”の隙間を縫ってヒトモシに直撃したのだ。

ヒトモシが攻撃で怯み、“シャドーボール”が途切れる。その瞬間を見逃すメガルカリオではない。

メガルカリオは再び“ボーンラッシュ”を長柄武器のように接続し、ヒトモシを突き上げた。

 

「モッ……」

 

ヒトモシが中空に浮き上がった瞬間に、メガルカリオが大きく身体を捻った。

 

メガルカリオが大きく踏み込み、足裏が大地を揺らす。強い踏み込みの反作用が地面から跳ね返り、その力を身体を捩じることで一点に凝集していく。メガルカリオは全身の“波導”と共に重力の力を足から腕へ、腕から“ボーンラッシュ”の先端へと注ぎ込んでいく。

 

「“ボーンラッシュ”!!!」

「バウァアアアアアァァアア!!!」

 

全身の駆動を使ったフルパワーの“ボーンラッシュ”。

その先端のトップスピードは音速を超える。

 

だが、踏み込みが大きい。

 

攻撃の直前、そこに一瞬だけ隙が産まれていた。

 

それをタクミはずっと待っていた。

 

「“はじけるほのお”!!」

「モッシ!!」

 

ここまでこらえにこらえていた対ルカリオ戦用のヒトモシの切り札。

 

通常の攻撃ではあのメガルカリオを捉えることはできないことは最初からわかっていた。だからこそ、タクミは相手が大技を狙う隙をずっと待っていたのだ。“はじけるほのお”は【ほのおタイプ】。この一撃が決まればバトルの流れが変わる。

 

ヒトモシが両手を掲げる。頭の炎が赤く吹き上がり、1つの球体となった。

既に攻撃の挙動に入っているメガルカリオではこの攻撃は回避できない。

 

決まる。

 

「モッシィィイィイイイイイ!!」

 

ヒトモシは頭上の火体を投球するようなモーションでメガルカリオに向けて放った。

内部で爆発を繰り返す巨大な火球がメガルカリオを吞み込んだ。

 

直撃だった。

 

“はじけるほのお”は命を焼き尽くさんばかりに燃え上がり、フィールド全体を茜色に染め上げる。

【はがねタイプ】のメガルカリオにはこの攻撃は効果抜群だ。

 

行ける。

 

タクミがそう思った次の瞬間だった。

 

突如、その炎の中からメガルカリオが躍り出た。

 

「え…………」

 

メガルカリオの全身が赤黒く染まりあがっていた。全身を走る黒いラインが赤く変色し、その全身を巡る“波導”が稲光のような燐光を放つ。四肢の金属製の突起は真っ赤な光を放ち、毛並みの先から火の粉が舞う。

 

メガルカリオは確かに炎の中に呑まれていた。

 

呑まれていたはずなのに……

 

「バウァアアアアアァァアア!!!」

 

メガルカリオは一切怯むことなくその炎を振り切った。

 

「モッ…………」

 

攻撃の挙動は変わることなく、大上段に振り上げられた“ボーンラッシュ”は一瞬でヒトモシに振り下ろされた。

 

ヒトモシが地面に叩きつけられる。激しい地鳴りと共に砂ぼこりがあがる。

 

「モッ!!!」

 

その砂ぼこりの中に青い炎が見えた。ヒトモシの意識はまだある。

タクミはすかさず指示を飛ばした。

 

「“おにび”!!」

 

もうダメージを与えることは諦めた。だが、次につなげる為に少しでもメガルカリオの動きを封じる。

 

ヒトモシの指先が動き、土煙の中に複数の青い炎が浮かび上がった。

それらは瞬時に四方に飛び去り、メガルカリオを中心に半球状の包囲網を作り上げた。

例え土煙で視界が悪くとも、ヒトモシのワザの操作技術は衰えない。

 

大振りの攻撃の後隙目掛け、“おにび”がメガルカリオ向けて殺到した。

 

逃げ道はない。

 

だが……

 

「メガルカリオ!“はどうだん”!!」

「バウッ!!」

 

メガルカリオが胸元に“波導”を集め、それをその場で放った。

凝縮された赤黒い“波導”がルカリオの胸元で爆散する。

そこに込められていたエネルギーが暴風のようにフォールド全体を揺らし、その衝撃が“おにび”を消し飛ばした。

 

「うそ……だろ……」

「モッシ……」

 

ヒトモシは既に動けない。

横たわるヒトモシに向け、メガルカリオは足を振り上げた。

 

「“ボーンラッシュ”」

「バウワッ!!!」

 

足先に複数の“ボーンラッシュ”が現れ、鎧のように組み上がる。

メガルカリオはそれを踵落としの要領で振り下ろした。

再び粉塵があがり、ヒトモシの姿がその中に消える。

 

「…………くそ……」

 

判定を待つまでもなかった。

 

既に砂埃の中でヒトモシの青い炎が消えていた。

 

粉塵が収まり、コンコルドがヒトモシの姿を確認し、フラッグが掲げられた。

 

「ヒトモシ、戦闘不能。メガルカリオの勝ち!」

 

タクミはヒトモシをボールに戻し、自分の額にコツンと当てた。

 

「ごめん、ヒトモシ……何もさせてやれなかった」

 

だが、“はじけるほのお”は確実に当たった。

メガルカリオの毛並みは煤に汚れており、ダメージは確実に入っている。メガルカリオは“波導”をより暴力的に進化させていることもあり、防御能力はそれほど高くない。決して無視できるダメージではないはずだ。

 

まだ勝機はある。

 

「頼む、ゴマゾウ!!」

「パォン!!」

 

ゴマゾウのメインウエポンは【いわタイプ】の“ころがる”と【こおりタイプ】の“こおりのつぶて”だ。だが、ゴマゾウにもこの日の為に切り札を用意してきた。

 

それが、タクミが考えうるメガルカリオに対する唯一の勝ち筋であった。

 

対メガルカリオにおいて、キバゴではメガルカリオの得意な中近距離戦闘に対して近距離戦しかできない点で荷が重い。フシギダネでは圧倒的なスピードの攻めに対して足のハンデが大きすぎる。ヒトモシは全体的にワザの初動が遅く、決定打を与えるのは難しいと思っていた。

 

だけど、このゴマゾウなら。

 

こいつなら……

 

「勝つぞ。ゴマゾウ」

「パォッ!!」

 

短く、鋭い返事。

 

タクミは奥歯を食いしばり、頬を歪めて笑ってみせた。

 

「試合開始!!」

「ゴマゾウ!!“こおりのつぶて”!!」

「パォン!!」

 

ゴマゾウはその場で“こおりのつぶて”を瞬時に発射し、すぐさま丸くなって急発進した。

 

「“ボーンラッシュ”で迎え撃つよ!!」

「バゥッ!!」

 

メガルカリオは“ボーンラッシュ”を2分割し、双棍にして“こおりのつぶて”を迎撃する。“こおりのつぶて”は視認できる速度ではないのだが、メガルカリオは当たり前のように打ち落としていく。氷の欠片が瞬時に塵に変わってはじけ飛ぶ。

 

「ゴマゾウ!!もう一度だ!!」

「パォン!!」

 

ゴマゾウはフィールドを走り回って位置を変え、再度“こおりのつぶて”を発射する。

やはりそれも全て迎撃されるが、ここまでは想定内。

 

ゴマゾウはメガルカリオが“こおりのつぶて”を対処している間に再び移動。メガルカリオを中心に円を描くように動き回りながら、もう一度“こおりのつぶて”を打ち込もうと停止した。

 

「ルカリオ!こっちも前に出るよ!!“ボーンラッシュ”!!」

「バウワッ!!」

 

ゴマゾウが足を止めた瞬間だった。

メガルカリオが“ボーンラッシュ”を投擲してきた。

 

「ゴマゾウ!!下がれ!」

「パォッ!」

 

ゴマゾウがバックステップで後ろに飛んだ直後、その場に“ボーンラッシュ”が突き立った。

投げ込まれた“ボーンラッシュ”は十字にクロスした形状になっていて、もし一瞬でもゴマゾウの動きが遅ければ“ボーンラッシュ”がゴマゾウの身体を地面に縫い留めていた。

 

メガルカリオに対して足を止めたらそれだけで終わる。

 

戦慄するタクミに対してコルニは攻め手を緩めない。

 

「ルカリオ!一気に接近!!近距離戦に持ち込む!!」

「バゥゥアアアッ!!」

 

ルカリオが地面を蹴る。そして、次の瞬間にはゴマゾウの正面に移動していた。

先程のヒトモシ戦でも見せた超高速移動だ。

 

だが、“はじけるほのお”で体力を削られている今の状態ではトップスピードでは動けていない。

その動きならばタクミも反応できる。

 

「ゴマゾウ!!“ころがる”だっ!!」

「パォォン!!」

「“はっけい”!!」

「バウワッ!!」

 

メガルカリオが踏み込み、“はっけい”を放つ。

それをゴマゾウは丸まった身体で辛うじて回避した。

“はっけい”の指先が、球体となったゴマゾウの身体を滑り、空を切る。

 

ゴマゾウは一気に加速し、メガルカリオの足に一撃をかました。

 

「ッッッ!!!」

 

相性の都合上、たいしたダメージはない。だが、大事なのはメガルカリオが次の攻撃に移ろうとした瞬間の出鼻を挫いたことにある。

 

その一瞬でゴマゾウは一気に加速した。

 

先程までの“こおりのつぶて”を発射する為に速度を落としていた回転とは違う。

ただ、ひたすらにスピードを追い求め、野山を駆け回り、自分より馬力のあるサイホーン達に果敢に挑みに続けていた頃のフルパワーの加速だ。

 

フィールドに砂ぼこりを巻き上げながら、縦横無尽に駆け回るゴマゾウ。

 

いくら相性が悪かろうと、その最大まで加速した“ころがる”の威力はバカにならない。

 

「ルカリオ!!ゴマゾウを止めるよ!“はどうだん”!!」

「バウワッ!」

「ゴマゾウ!左からくるぞ!!」

「パォォンン!!」

 

ルカリオの両の手から次々と放たれる“はどうだん”。

だが、“はどうだん”はゴマゾウの後方に着弾し、まるでゴマゾウを捉えられなかった。

 

「よしっ!!」

 

タクミが小さくガッツポーズをする。

 

1つ、予想が当たった。

 

“はどうだん”は相手の“波導”を読み、動きを先読みするからこそ外れないとされる。

だが、メガルカリオがいくら相手の動きを読んだところで、ゴマゾウのトップスピードの計算が狂えばその攻撃は当たらないのだ。

 

何せこのゴマゾウはレース上がり。

 

バトルの為に育てられたゴマゾウとはそのスピードは一線を画する。

 

「えっ、今の当たらないの!?ルカリオ!相手が速い!回り込んで!!」

「バウワッ!」

 

コルニはこのままゴマゾウに好きに加速させるのは危険と判断した。既にかなり加速が乗っており、遠距離攻撃の“はどうだん”を当てたところでその勢いはもう止まらないと考えたのだ。だったら、前に回って強引にでも足を止めさせる。

 

メガルカリオは持ち前のスピードでもってゴマゾウの前に立ちふさがる。

 

「“ボーンラッシュ”!!」

「バウッ!!」

 

メガルカリオは足を踏み込むと同時に、長い“ボーンラッシュ”を出現させた。

攻撃の初動とワザの初動を同時に行い、“ボーンラッシュ”完成と同時にゴマゾウに叩き込む算段だ。

 

今度はゴマゾウの加速を計算に入れたドンピシャのタイミング。

 

だが、この速度でも『後出しジャンケン』ができるのがこのゴマゾウなのだ。

 

「ゴマゾウ!ドリフトだっ!!」

「パォッ!!」

 

ゴマゾウが生きてきたのはコンマ1秒以下のスピードの世界。

そこで自分より体格のあるサイホーンとの競り合いに勝ってきた。

そんなゴマゾウにとってはこのスピードは対応範囲内だ。

 

ゴマゾウは“ボーンラッシュ”が触れる直前に、キレのある体重移動で僅かに身体を滑らせる。

 

メガルカリオの目からはゴマゾウの“波導”が突如変化したように見えたであろう。先読みしていたはずの未来が急激に変化し、“ボーンラッシュ”が空を切る。

 

ゴマゾウは再度メガルカリオの足に一撃を加えて離脱する。

 

「っ……やるね……」

「バウッ……」

 

2度も同じ方法で出足を挫かれたメガルカリオの目にフラストレーションが溜まっていた。

熱くなってくれればそれはタクミの思う壺であった。前のめりになってくれればより付け入る隙が増える。

 

だが、ことはそう簡単にいかなかった。

 

「ルカリオ!あのスピードを無暗に追ってもダメ!集中!!」

「…………バウッ!!」

 

メガルカリオがその場に足を据えた。

 

その瞬間、再び場の空気が変わった。

 

荒々しく滾っていたルカリオの“波導”が収束していく。メガ進化の影響で、外に漏れでる程に増幅されていた“波導”が鎮まっていき、全てがメガルカリオの体内へと集まっていく。

衝動と本能を抑え込み、波導と脈動を操り、力の全てを一撃に込める。

 

刃のように研ぎ澄まされた“波導”が身を切るような殺気となって放たれる。

 

タクミは身体に鳥肌が走るのを感じた。

 

コルニはゴマゾウに対して先手を打つことをやめた。

メガルカリオはゴマゾウの“ころがる”を真正面から受け、それを叩き潰すつもりなのだ。

 

「………………」

 

タクミは舌打ちしたいのをグッとこらえた。

 

実はフィールドにはフシギダネが埋めた地雷式の“やどりぎのタネ”が埋まっていた。“波導”を読むメガルカリオにはそんなものお見通しであろうが、ゴマゾウが足を弾いて動かすことで強引に踏ませられる可能性はまだ残っていた。

 

だが、今足を止められたらその可能性はない。

本当はもう少しダメージを重ねたかったが、こうなってはもう他に取る手段はない。

 

「……やるしかない……」

 

そのタクミの小さな呟きが聞こえたのか、ゴマゾウが更なる加速を見せた。

妨害されることなど考えない、全力全開の回転でゴマゾウの身体をトップスピードまで押し上げる。

 

回転が風を裂き、メガルカリオに静止させられた空気に風を送り込む。

 

『静』と『動』がぶつかりあい、フィールドの緊張感が極限まで高まった。

 

「……ゴマゾウ!!“ころがる”だっ!!!」

「パォォオオオオオオ!!」

 

フルスピードまで加速したゴマゾウが標的をメガルカリオに定め、突進していく。

 

「ルカリオ!!構え!!」

「バウッ!!」

 

メガルカリオの左手に“波導”が収束し、赤い光を放つ。

 

ゴマゾウが土煙を上げながら迫る。

ルカリオが大地を蹴る。

 

ゴマゾウが最後の力を振り絞り、ルカリオの胸の中心目掛けて飛び跳ねる。

ルカリオの掌底が風切り音を鳴らしながら振り切られる。

 

ゴマゾウの回転とルカリオの掌底が激突した。

 

轟音が鳴り響いた。

 

衝撃が風となり、フィールドの砂を巻き上げる。

 

ルカリオの掌底がゴマゾウを受け止めていた。

だが、ゴマゾウの回転は止まらない。

 

ルカリオの赤い“波導”がゴマゾウのに押されて散り散りになっていき、ゴマゾウの回転がその掌底を削り取る。摩擦熱でルカリオの毛並みが燃えあがり、ルカリオの腕が震えた。

 

「パォォオオオオオオォォオオオオオオオオ!!!」

「バゥアアアアアアァアアアァァァァァアア!!!」

 

気合の裂帛が相手を押し返さんと放たれる。

 

そして、次の瞬間。

 

 

 

ゴマゾウの回転が止まった。

 

 

 

「バゥ……」

 

メガルカリオが息をつく。

 

 

 

刹那

 

 

 

タクミの指示が飛んだ。

 

「ゴマゾウ!!“しぜんのめぐみ”!!」

「パゥゥアアアアアアアッ!!!」

 

ルカリオが顔をあげる。その時には既にゴマゾウは口の中に隠していた『キーのみ』を鼻先に掲げていた。

 

それは旅のトレーナーなら持っていて当たり前の『きのみ』。どこにでもあり、タクミも以前ダーテングの森でも貰ったこともある。これは昨日ポケモンセンターで買い求めた『きのみ』だが、問題はそこじゃない。

 

“しぜんのめぐみ”というワザは持っている『きのみ』を消費して放つワザだ。

 

このワザは使う『きのみ』により威力とタイプが変化する。

 

『キーのみ』を使ったワザのタイプは

 

 

 

【じめんタイプ】

 

 

 

ゴマゾウの本来のタイプと同じタイプであり、なおかつメガルカリオの弱点。

 

“ころがる”の間は別のワザは挟めない。だが、相手にワザを止められたらその限りではない。

 

だから、タクミは初めから“ころがる”は相手に接近する手段として割り切った。

メガルカリオに接近し、ゴマゾウの回転を止めさせ、そこに真の切り札を叩き込む。

 

「いけぇぇぇぇえええええええ!!!」

「パォォオオオオオオォォオォ!!!」

 

鼻先に掲げた“しぜんのめぐみ”をゴマゾウは至近距離で叩き込んだ。

 

桃色と土色が交じり合った閃光がルカリオの胸元で爆発する。

 

ゴマゾウはその場から後方に飛び、着地する。

 

「パォ……パォ……パォ……」

 

荒い息を繰り返すゴマゾウ。

 

こちらも、全力疾走の“ころがる”を最大威力の“はっけい”で迎撃されたのだ。ダメージは大きい。

 

だが、それ以上に戦果をあげることができた。

 

「ゴマゾウ、よくやった。これで……これでっ!!」

 

タクミは巻きあがる戦塵へと目を向ける。

その中にメガルカリオの立ち姿が浮かんでいた。

 

「倒れろ、倒れろ倒れろ倒れろっ!!!」

 

願望が口をついて出る。祈るように拳を握る。目尻に涙が浮かびそうだった。

 

持ちうる手札は全て切った。

自分の考えうる全てを使い切った。

 

 

 

これで勝てなければ……

 

 

 

「バゥアアアアアアァアアアァァァァァアア!!!」

 

メガルカリオの咆哮が轟く。

 

「えっ…………」

 

メガルカリオが放つ赤い“波導”が戦塵を吹き飛ばす。

砂煙の中からいまだ目に強い光を宿したメガルカリオが現れる。

 

右の手掌は火傷のように擦り切れ、胸の中心の毛並みが乱れ、全身の毛先は焼け焦げたように縮れていた。

 

だが、その四肢の力は健在。全身を流れる黒い模様からは“波導”が溢れ、全身からは再び荒々しいオーラが漏れ出ていた。

 

メガルカリオが地面を踏みしめる。

 

ズン

 

という振動がタクミの腹に響いた。

 

「ルカリオ!“インファイト”!!!」

「バゥアアアアアア!!!」

「ゴマゾウ!逃げろ!“ころがる”だ!!」

「パゥァッ……」

 

ゴマゾウが丸くなろうとする。だが、圧倒的に動きが鈍い。

メガルカリオが眼前に迫り、動き出そうとするゴマゾウを大きく蹴り上げた。

 

「パォッ……」

 

それでも攻撃から身を護ろうと丸くなるゴマゾウ。

 

だが、無抵抗のポケモンなどメガルカリオにとってはパンチングボールに等しい。

 

ゴマゾウに“インファイト”のラッシュが叩き込まれる。

反撃などできるはずもなく、ただただ打ちのめされるゴマゾウ。

 

タクミも、ゴマゾウも、歯を食いしばるしかできない。

 

「フィニッシュ!!」

「バウァア!!!」

 

コルニの掛け声と共に最後の一撃が叩き込まれた。

ゴマゾウが吹き飛び、タクミの脇を抜け、フィールドの壁に叩きつけられる。

 

タクミは俯き、ただ判定を待つ。

 

もうゴマゾウが戦えないのは誰よりもタクミ自身がわかっていた。

 

「ゴマゾウ、戦闘不能。メガルカリオの勝ち!よって勝者、ジムリーダーコルニ!!」

 

メガルカリオが勝利の遠吠えを放つ。

コルニが勝利を喜ぶ歓声をあげる。

ジムの門下生からまばらな拍手があがる。

 

それをタクミは悔し涙に震えながら聞いていた。

 



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転んだ後はいつだって痛みとの戦いだ

負けた。

 

また負けた。

 

このポケモン界に来てから、タクミは幾度となく負けてきた。

最初のキャンプでハルキに負け、ハクダンジムで負け、そしてまたここでも負けた。

 

だが、今回の負けはタクミにとって相当に応えていた。

 

今回のバトルでタクミは全てを使い切ったのだ。

 

相手を研究し。

持ちうる手札を全て揃え。

最高のバトル運びを行い。

狙い通りの展開を通し。

 

そして負けた。

 

タクミとポケモン達が精魂全てを注ぎ込んだ上で余力を残させたまま負けたのだ。

 

『ジム戦は3つ目が鬼門』

 

その言葉通りに、タクミは目の前で巨大な鉄の門が閉ざされたような感覚に陥っていた。

 

ポケモンセンターのソファに座り、俯くタクミ。

今回ジム戦に出たポケモン達はジョーイさんに既に預けている。

そんな彼の傍らではクチートが心配そうに様子をうかがっていた。

 

クチートはタクミに対して何度か声をかけようとしてきた。

だが、そのたびにクチートをキバゴが止めていた。

 

「クチ……」

「キバキバ」

 

キバゴは静かな目をしたまま何度も首を横に振る。

 

今はそっとしておいてあげよう。

 

タクミとの付き合いの長いキバゴがそう言えば、クチートはそれ以上食い下がることはできなかった。

クチートはタクミの隣でソファに腰かけ、キバゴは腕を組んだまま目を閉じる。

 

クチートとキバゴに『自分がバトルに出ていれば』という感情はない。

キバゴは既にルカリオに完敗している。クチートもあのメガルカリオに真っ向から戦って勝てると思う程思いあがっていない。

 

やはり、今回のジム戦は負けるべくして負けたのだ。

 

戦術とか、ワザとか、駆け引きとか、そんなことを話す以前に圧倒的なポケモンのスペックに負けた。

その証拠に、今回のメガルカリオは終始真っ向勝負しかしてきていない。

 

正面からタクミ達を迎え撃ち、そのパワーとスピードとタフネスで完全に圧倒してみせた。

 

「……………」

 

タクミは奥歯を強く噛みしめる。

 

全霊を込めて挑んだ。勝つつもりでいた。

 

それは2度目がないと思っていたからだ。

 

今回有効打になった“はじけるほのお”も“しぜんのめぐみ”も相手が警戒を緩めた瞬間を突いて当てたワザだ。次のバトルでは当然コルニも相応に警戒してくるだろう。

 

そうなっては次の攻撃は当たらない。

 

「くそっ!!!」

 

タクミの拳が自分の大腿に打ち下ろされる。

 

だが、何よりもタクミが悔しいのはそんな巨大な壁を前にして自分が折れかかっているということだった。

 

相手が強ければ強い程燃える。

 

少年漫画の主人公のような熱意が自分の中にまるで沸いてこない。

タクミの頭の中には既に近隣の別のジムのことが浮かんでは消えていた。

 

「違う、違う違う!!くそっ……くそっ……」

 

他のジムリーダー相手なら初見のワザが通じるかもしれない、という甘い誘いが心に忍びよる。

それをタクミは幾度となく痛みをもって撃退した。

 

タクミの目指す先はチャンピオンだ。誰にも負けない存在だ。そこを目指す道のりの上で、強い相手を避けて、勝てる相手にだけ挑んでいては絶対にたどり着けない。

 

だから、ここから逃げ出すわけにはいかない。

 

それだけは譲れないのだ。

譲ってはいけない、タクミの夢だ。

自分とアキの夢だ。

 

なのに、ともすればそれを投げ捨てようとしている自分がいる。

 

それが、何よりも腹立たしくて、悔しくて、そして情けなかった。

 

「…………ちくしょう……」

 

時刻は夕方。

 

タクミのホロキャスターには幾度か連絡が入っていたが、タクミはどうしてもそれを取ることができなかった。打ちのめされ、折れかかっている自分を友人には、特にアキには見せたくなかった。

 

タクミが大きく息をつき、顔を上げた。

 

それを待っていたかのようにキバゴがクチートの背を叩き、クチートがすぐにタクミに向けて飲み物を渡した。

 

「クチ……」

「……ありがと、クチート。それとキバゴも」

 

タクミは貰った飲み物を一気に飲み干した。涙で抜けた水分が喉の奥には心地よい。ただ、タクミは彼等の気遣いに笑顔を浮かべようとして失敗した。凝り固まった頬の肉は歪な形しか作れず、その隙に零れ落ちた涙が筋を作る。自分がぐちゃぐちゃの泣き顔を浮かべていることは鏡を見なくてもわかる。

 

「……ダメだな……」

 

タクミはゴシゴシと涙を拭い、立ち上がった。

 

「…………暗くなる前に少し歩こうか……」

「キバ」

「クチ」

 

キバゴとクチートは小さく頷き、タクミと共に歩きだす。

ポケモンセンターを一歩出ると外は茜色の世界だった。

 

水平線の向こう側に沈みかけた太陽が赤い夕陽で世界を染め上げていた。

夕飯時を前にして、道行く人々は我が家へと向かう中、タクミは海岸へと向かうことにした。

 

理由は特にないが、こんな時に散歩するな海岸だろうと思ったのだ。

少なくともドラマや映画の登場人物達は気分を落ち着ける為にそうしていた。

 

タクミは影になりつつある『マスタータワー』を見ながら、シャラシティの町中にある階段を降りて行った。

海岸沿いの斜面に段々畑のように作られたこの町はどの場所からでも海岸を見下ろすことができる。

 

海岸に人影はほとんどなく、ポツン、ポツンと取り残されたような人達も帰り支度をしている雰囲気が伺えた。

 

ふと、タクミはそんな海岸の隅で走っている人影を見つけた。

隣ではポケモンらしき影も一緒になって走っている。

 

その人たちは海岸でのトレーニングをしているようであった。

 

夕闇の中ではそれが誰なのかはわからない。ただ、ジムのある町でポケモンのトレーニングに精を出している人は大体がジム戦に挑戦する人だ。タクミはどこか親近感を覚えた

 

その人に少し話でも聞いてみようかと、タクミは海岸へと近づいていく。

 

そして、その人が連れてるポケモンの姿が鮮明になってきた。

 

連れているのは2足歩行のポケモンばかり。

 

その走り姿と大きさから大体のポケモンが想像できた。

 

「……あの4つ腕はカイリキーだ……で、あの振袖みたいな腕はコジョンドの腕だね……」

 

全力のダッシュを繰り返し、わずかなインターバルを置いてまた走り出す。

一切手を抜くことなく、最後の最後まで出し切るダッシュは極限まで自分を追い込んでいるようだった

 

「じゃあ、横にいるのはコジョフーかな……それと、あれは……ゴーリキーで……」

 

ポケモンのシルエットを追っていたタクミ。

 

突然、その喉奥に言葉詰まった。

 

「………っ!」

 

タクミの目が大きく見開かれ、足が止まる。

 

「キバ?」

「クチ?」

 

キバゴとクチートが不思議そうに立ち止まり、タクミの顔を見上げる。

 

そして、息を飲んだ。

 

強張ったタクミの表情。緩んでいた目元には力がこもっており、噛みしめた奥歯がギリと音を立てたのがキバゴの耳にも届いた。瞬きすら忘れたかのように見開かれた瞳の奥には憤怒にも近い感情が乗っていた。

 

その視線の先。

 

海岸で走るトレーナーに向け、タクミは駆け出した。

 

階段を2段飛ばしで駆け下り、階段の半ばぐらいから一気にジャンプして飛び降りる。転げ落ちるような速度で町を駆け下り、タクミは砂浜のすぐ上にまでたどり着いた。タクミは海岸との境界となっている手すりに手をかけ、身を乗り出して砂浜を見下ろした。

 

この距離になればもう見間違えることはない。

 

そのトレーナーはトライテールをなびかせて、ポケモン達と幾度となく短距離ダッシュを繰り返し続けていた。

 

「ぃよっし、みんな!!あと10本!!行くよ!!」

 

ポケモン達から元気な返事があがり、合図と共に砂浜を駆けていく。

 

そこに、コルニがいた。

 

タクミとのジム戦を午前中にこなしたコルニが、その日のうちに海岸でポケモン達と自主トレに励んでいた。

コルニが連れているルカリオの毛並みの先は今も先端が焼け焦げたままで、間違いなくタクミとバトルを経たルカリオだった。

 

彼女らは全身から熱気を放ち、汗を飛び散らせながら歯を食いしばって短距離ダッシュを繰り返す。

その気迫たるや、バトルの時となんら変わりはない。

 

「…………すごい……な……」

 

タクミが呟き、手すりを握っていた手に力がこもる。

だが、それと同時に膝を支える力が抜け落ちてしまう感覚もあった。

 

「…………はぁ……」

 

吐息が自然とため息に変わり、強張った筋肉が弛緩していく。

 

まだまだ駆け出しの自分と若手ながらもジムリーダーを張るコルニ。

 

近いように見えてあまりにも大きい力量の差。

最早、羨望や嫉妬といった感情も湧いてこない。

 

タクミはただただ脱力するばかり。

タクミはその場で俯き、うずくまるようにして、手すりに額を付けた。

 

「……すごいな……ほんとうに……」

 

そんな時だった。

 

「ん?あれ?タクミ君じゃない?おーーいっ!!タクミ君!!」

 

ダッシュを終えたコルニがタクミに気づき手を振ったのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ぷはぁーっ!!いやぁ、練習後のスポーツドリンクは格別だね!!」

「すみません。御馳走になってしまって」

「いいのいいの。トレーニングする時はいつも多めに持ってきてるんだから」

 

タクミは砂浜へと続く階段に腰かけていた。キバゴとクチートは砂浜に降り、コルニのポケモン達とじゃれ合っており、ここにはトレーナー2人しかいない。2人の手にはそれぞれコルニが持ってきたスポドリの容器が握られている。

 

コルニはタクミの隣にドサリと腰を下ろした。

今日は海岸ダッシュを経たこともあり、いつものローラースケートは身に付けておらず素足にスニーカーを履いていた。

 

「それにしても今日のバトルは良かったよタクミ君!久々に冷や汗かいたもん」

「ありがとうございます。でも、負けちゃいましたし」

「いやいや、私だって結構ギリギリだったんだよ。タクミ君のポケモンがもう1体残ってたらどう転んだかわかんなかったね」

「…………」

 

暗に『3対3のバトルでは負けない』と言われたような気がした。

 

タクミはコルニの横顔を盗み見るが、彼女は『いやぁ!今日は良い一日だった!』という表情を崩していない。きっと他意はないのだろう。

 

タクミはネガティブな思考に陥っていることを自覚し、スポドリを一気にのみ込んだ。

酸味のきいたスポドリはタクミが地球界で飲んできたものよりも甘味が少なく、さっぱりとして飲みやすかった。

 

「タクミ君はどうして海岸に?散歩?」

「ええ、そんなとこです。コルニさんは自主トレですか?」

 

タクミがそう言うと、コルニは『その質問を待ってた』と言わんばかりに身を乗り出してきた。

 

「そう!そうなんだよ!!おじいちゃんがさ『今日の試合はなんじゃ!相手のワザに2度も不意を突かれよって!!もう一度鍛えなおしてこい!!』って特別メニュー渡してきてさ!!もうこっちもヘトヘトだってのに!」

「あはは……って、あれ!?マスタータワーへの道がもう海の中に沈んでません!?帰れるんです!?」

「ああ、平気平気。道が沈んだのついさっきだから、まだ歩いて渡れる。っていうか、おじいちゃんが『この程度のメニューに時間をかけるようなら泳いで帰ってこい』ってさ。酷いと思わない?」

「なかなかスパルタですね」

「でしょっ!他にもね……」

 

それからコルニは祖父に対する愚痴を次々と並べたてていった。大体が時折追加トレーニングを課せられらることに対する不満であった。タクミはその一つ一つに丁寧に相槌を返していく。

 

だが、その話は次第にトレーニングの詳しい内容へと移行していった。

 

「まぁ、【かくとうタイプ】のバトルは基礎体力が全ての基礎なのは間違いないし。砂浜ダッシュは効率よく地面に力を伝える練習と体幹のトレーニングに持ってこいってのもわかる。でも、だからってこんな日までやることないでしょ。それに、不意を突かれたことに対する特訓だったらもっと座学的なさ……」

 

段々と止まらなくなっていくコルニ。

そんな時、タクミはふと呟いた。

 

「…………やっぱり、すごいですね……」

「ん?なにが?」

「いや……その……」

 

タクミは視線を落とし、自分の握りしめた拳を見つめる。

 

「ジムリーダーはすごいなって……ジム戦の後もそんなにトレーニングしてて……僕は……やっぱり、基本的な鍛え方が全然足りないんだ……って、思って」

 

タクミはそう言って歯を食いしばる、出し切ったはずの悔し涙がまた溢れてきそうだった。

タクミは前髪を払うフリをして涙を拭おうとする。

だが、隣にいるコルニにはバレバレであった。

 

コルニはスポドリで一口喉を潤し、タクミの顔を下からのぞき込んだ。

 

「もしかして、落ち込んでる?」

「あ……いえ……その」

「あははは、いいのいいの、負けてヘラヘラしてるより、負けて悔しがって落ち込む方が自然なんだから。それとも、もう諦めた?別のジムに行く?」

「いえっ!!それはしません!!」

 

タクミは即答で言い切った。

 

それだけは、それだけはできなかった。

 

ポケモンリーグ予選まではまだ8ヶ月ある。

1か月に1つジムバッジを手に入れる計算でも2か月の猶予があるのだ。

本当に時間が足りなくなってきたら別のジムも選択肢として考えるが、今はまだその時ではない。

 

タクミは自分に言い聞かせるように胸の内で何度も繰り返す。

 

「僕は……逃げたくないんです」

 

自分の夢から、目の前の強敵から、過去の約束から、逃げたくない。

 

だが、そう思えば思う程に自分が追い詰められていくように心臓の鼓動が速くなる。

 

自信がないのだ。

 

最長でも2か月のトレーニングでコルニのルカリオに勝てるようになれるのか?

例え勝てたとしても、その遅れがジムバッジを集めるのに致命的な時間のロスになってしまうのではないか?

 

そういった雑念がタクミの胸を揺さぶってくる。

 

だが、タクミはそれらを全部飲み込んだ。

 

「僕は、必ず、コルニさんからバッジを手に入れます」

「ふぅん……」

 

そんなタクミをコルニは楽しそうに眺める。

 

「で、タクミ君は私に勝つためにどうするつもり?」

「それはトレーニングを重ねて……」

「具体的には?」

「それは……」

 

言葉に詰まるタクミ。

 

今のタクミにはまだ具体的なプランはない。とにかく今は根本的な体力増強を行う必要があると感じていた。

 

ただ、それでコルニのルカリオに勝てるかというと、難しいだろうというのはタクミにもわかっていた。

コルニだって毎日のようにこうやってトレーニングして鍛えている。

 

生半可な特訓ではその差を詰めることはできない。

 

押し黙ってしまったタクミ。

そんな彼を横目にコルニは大きく伸びをした。

 

「タクミ君。昨日と今日、君のバトルを2回見て思ったんだけど。タクミ君はすっごい難しいことしてると思う」

「え?」

「タクミ君は『ポケモンがやりたいバトル』をやらせてるんだなと思った。『ポケモンバトルに勝つバトル』じゃなくてね」

「どういう……ことですか?」

 

タクミは眉を(ひそ)めた。

 

「僕は、別に負けるつもりでバトルしてるわけじゃ」

「あはは、そういう意味じゃないよ。うーん……なんていうのかな」

「戦い方が間違ってるってことです?」

「いやいや!そんなこと言ってるわけじゃないの!!」

 

コルニは慌てて手をブンブンと横に振った。

 

「えーと、つまりね、タクミ君はポケモンの個性や特徴を活かして戦ってるでしょ?」

「それは……まぁ、そうですね……」

「うんうん、で、そういう戦い方をするトレーナーっての確かにトップ層にもいる。だけど、それってすっごい難しいことなんだよ」

「難しい……」

「うーんと、えーと、普通はトレーナーに合わせてポケモンが動くけど、タクミ君の戦い方はポケモンにトレーナーが合わせるっていうか、えーと、ほんと、どう言ったらいいのかなぁ……こういう時、おじいちゃんならこうピシッと言葉にしてくれるんだけどなぁ」

 

コルニは自嘲するような笑顔を浮かべて「たはは」と誤魔化すように笑った。

 

「どう説明したらいいのかなぁ……うーん……」

 

コルニはスポーツドリンクを飲み干して立ち上がる。

彼女は砂浜に飛び降り、夕陽を背にタクミを振り返った。

 

「よしっ!タクミ君。明日時間ある?」

「え?あ、はい。ありますけど」

「うんうん!じゃあさ、もし良かったらうちのジムに見学に来ない?」

「えっ!?」

 

突然の申し出にタクミの顔が固まった。

 

「ジムのトレーニング風景なんて見たことないでしょ?それを見れば私が言いたいこともわかるかなって思うし。あと、単純にいい勉強にもなると思うんだよね。それに、私のルカリオがどんなトレーニングを積んで、どういうバトルを目指しているのかを知るのはタクミ君にとっても損はないでしょ?『敵を知り、()を知れば百戦危うからず』ってね」

「あ、あの、それ『己を知れば』です」

「そうなの!?あー……まぁ、とにかくさ。タクミ君が良ければ一回見に来なよ。ちょうど明日はお誂え向きのイベントもあるし」

「イベント?」

「まぁ、それは来てからのお楽しみってことで。来てみる?」

「いいんですか?」

「ジムリーダーの私が言ってるんだよ?いいに決まってるじゃん」

「…………」

 

タクミは少しばかり考えるように口の中で唸り声をあげたが、どちらにせよ損はないと思い、頷いた。

 

「そう……ですね……じゃあ、明日」

「OK!それじゃあ明日『砂の道』ができたら『マスタータワー』の横のジム施設に来てよ。多分、その時間なら『おかみさん』が案内してくれるから」

「あ、はい」

「じゃあ、また明日ね!みんな!帰るよ!!」

 

コルニは自分のポケモン達に呼びかけてすぐさま砂浜を駆け出していった。

タクミはそんなコルニが遠ざかる前に立ち上がり、大きく息を吸い込み、声を張り上げた。

 

「コルニさん!!」

「ん?」

 

コルニが立ち止まり、タクミを振り返る。

 

「なんで……なんでそこまでしてくれるんです?」

「ん?ん~…………理由って言われると、あれだけど……」

 

コルニはピッとタクミを真っすぐ指さした。

 

「君とのバトルが楽しかったから……かな」

「え……」

「それじゃあねぇ~!それと、明日来るなら朝ごはんは抜いてきてね!その分、水分はしっかりとってくること~!」

「あ……」

 

コルニは呆気にとられるタクミを残し、『マスタータワー』に向けてバシャバシャと海水を散らしながら走っていく。

 

一人海岸に残ったタクミ。

その横顔を照らす夕焼けが沈む。

 

「キバ……」

「クチ?」

 

そんなタクミをキバゴとクチートが見上げる。

 

「…………」

 

タクミはコルニの姿が見えなくなるまで砂浜で彼女を見送っていた。




大変長らくお待たせいたしました。

随分と時間が空いてしまいました。

ここから始まるコルニとの再戦までの流れは少年編での大事な中盤部分。
起承転結における『転』の部分ですので再度プロットを練り直していました。
そして、それプラスでリアル事情も重なってしまい、なかなか筆が取れない毎日でした。

ここからなんとか元の投稿間隔に……戻せればいいかなぁ……なんて思ってます。

もしかしたらまたしばらく空くかも……


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GYM体験日記

翌朝、完全に回復したフシギダネ達のモンスターボールを腰に下げ、タクミは潮が引くのを待って『マスタータワー』へと向かった。

 

まだ、朝日が昇って間もない時間帯。

町に人影はほとんどなく、たまにすれ違うのは郵便物を抱えて階段を上り下りしている配達員ぐらいであった。

 

群青色の空に照らされた町に人気《ひとけ》はなく、聞こえるのは波が打ち寄せて砂を攫う音だけ。海へと吹き下ろされる風を受けながら、タクミは砂浜へと降り立つ。

『マスタータワー』へと至る道はまだか細い線のような姿であり、今にも波にさらわれてしまいそうだ。完全に潮が引いてから渡るべきなのかもしれないが、タクミは湿った砂浜を踏みしめて『マスタータワー』へと足を速めた。

 

既に3回目となるこの道。

 

一回目はただの観光でコルニと前哨戦を行った。

二回目はジム戦でコルニに挑戦した。

 

そして、この三回目の来訪。

 

「……何が、待っているのかな」

「クチ……」

 

タクミは隣を歩くクチートと一緒に『マスタータワー』の島へと足を踏み入れた。

 

と、この時までのタクミは僅かな緊張感をもちつつも、少し呑気に構えることができていた。

 

だが、それもコンコルドに見つかって『ジム体験』の名の下に砂浜ランニングに参加させられるまでだった。

タクミは荷物を置く暇もなく、すぐさま道着に着替えさせられ、何がなんだかわからないまま、いきなり砂浜のトレーニングへと駆り出されたのだった。

 

シャラシティの遠浅の海。引き潮の時間には『マスタータワー』の周囲は砂浜に様変わりしていた。朝焼けが照らす道場裏手では門下生が準備体操をしていた。そこには当然コルニも来ており、彼女はタクミの顔を見てニヤリと笑った。

 

「おっ、タクミ君。予定通り来たね」

「あ、は、はいっ!」

「違う!!この場では返事は『押忍!』」

「お、押忍!!」

「よし、それではタクミ君!走れるポケモンは全部出したまえ!!」

「えっ?あっ、はい……じゃなくて、押忍!!」

 

タクミは言われるがままにキバゴとゴマゾウを繰り出した。そこにクチートを加えた3体と走るつもりになっていたタクミ。ただ、フシギダネは足が悪いことを説明したら理解してもらえたが、ヒトモシはお目こぼしをもらえなかった。

 

「えっ!!ヒトモシも走るんですか!?」

「そりゃそうだよ。走れるでしょ?」

「えっと……走れる?」

 

恐る恐るヒトモシに尋ねたタクミであったが、ヒトモシはなぜか一番やる気になっていた。

 

「モッシ!!」

 

頭の炎をメラメラと燃やすヒトモシ。タクミは曖昧な顔で頷くしかなかった。

キバゴは「それでこそ我が同士」という顔でウンウンと頷き、ゴマゾウは“ころがる”の禁止を既に言い渡されており不満顔。その中でクチートだけが、『タクミ』の方を心配そうに見上げていた。

 

とはいえ、タクミは既にいっぱいいっぱいで、そんなクチートの視線に気づくことができなかった。

 

タクミの準備も整い、コルニが皆の注目を集めるようにパンパンと手を叩いた。

 

「さぁさっ!体験生がいるからって、ペース落としちゃだめだよ。それじゃあ、今日も元気に朝ラン行ってみよー!!」

「押忍!!」

 

コルニの掛け声と共に門下生達の返事があがる。

門下生は総勢6人。彼等は皆自分のポケモンを出していた。

流石にメガルカリオの総本山だけあり、全員がルカリオかリオルを連れていた。その他には様々な種類の【かくとうタイプ】ポケモンが並んでいたが、門下生はどれだけ多くても3体までしかポケモンを連れていないようだった。

 

タクミがそんな風に周囲の様子を観察できていたのはいざ走り出す前までだった。

 

「ぜぇ、はぁっ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「キバッ、キバぁ、キィ……バァ……」

 

ポケモンとトレーナーが同時に走り出してから数分。タクミは荒い息で喘ぐように呼吸しながら、ランニングのペースについていくのに必死だった。その足元にいるキバゴも今にも気絶しそうな呼吸で走っている。

 

そもそも、タクミは持久走は得意ではない。

もちろん、短距離走だって別に得意ではない。

 

運動会でリレーの選手に選ばれたこともないし、学校の持久走大会でも13位とクラスの真ん中よりちょっと上ぐらいだ。タクミは運動は苦手ではないが、別に得意でもないごくごく平均的な10歳だ。

 

そのタクミがいきなりこんな『プロ育成の最前線』みたいな場所のトレーニングについていけるわけがないのだ。

 

「モシ、モシ、モシ、モシ」

「クチ、クチ、クチ、クチ」

 

そんなタクミとキバゴに比べて他のポケモン達の呼吸は乱れない。

クチートは以前に他のトレーナーの下でトレーニングを積んできているので体力の貯蓄がある。ヒトモシの平坦な足が砂浜に沈み込まないので走りやすいのか、その足取りは軽い。

 

とはいえ彼等も全体のペースが速いのもあって、余裕はない。

 

そんな中で一番余裕をかましているのはやはりゴマゾウであった。

 

「パオ、パオ、パオ、パオ」

 

タクミ達の中で一番先頭で走るゴマゾウは“ころがる”がないのだけが不満とでも言うように、砂浜の上を四肢で力強く踏みしめて彼等のスピードについていく。

 

次第に集団から遅れ始めるタクミ。

そんなタクミに気が付き、コルニが声をかける。

 

「タクミ君!!自分のペースでいいから!3週だよ、頑張ってね~!!」

「お、お、押忍……」

 

タクミはこの時、初めて今日のノルマを聞かされた。

1周がどれだけあるかもわからないが、現時点では1週目の半分も終わっていない。

軽い絶望感がタクミを包み込む。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」

「キバァ……キバァ……」

 

円形の島の周囲を巡るランニングコース。集団との差は少しずつ開いていき、次第に前を行く人たちが見えなくなっていく。

 

「ぜぇ……ぜぇ……なんで……ポケモンのトレーニングで……トレーナーも……走る必要があるのさぁ……」

 

周囲の目がなくなり、基準とする併走相手もいなくなり、次第にペースが落ちていくタクミ。呼吸に余裕ができ、恨み言が口をつく。

砂浜に足を取られるため、身体は全然前に進まない。肺が痛みを覚えて鼻の奥に鉄の臭いが混じる。ふくらはぎは悲鳴をあげており、尻から太腿にかけての筋肉に乳酸が溜まり切っている。

 

「はぁ、はぁっ、はぁっ、っっ!あぁっ!」

 

自分が一緒に走る意味があるのか?

なんでこんな苦しいことしなきゃいけないのか?

 

理不尽なランニングトレーニングに疑問と不満が吹き上がる。

 

そして、1つの誘惑がタクミの頭の中に浮かんだ。

 

それは、この苦しみから解放される最も簡単で、安易な手段。

 

 

 

『……もう歩こうか』

 

 

 

 

その瞬間、タクミは奥歯をガチリと噛みしめた。

 

「ぬぁぁああああああっ!!!!」

「キバッ!?」

 

タクミは声をあげ、身体を前に傾けて無理矢理走り続けた。

倒れこむように身体をつきだし、少しでも足を前に出す力を得ようと地面を蹴る。

 

一瞬だけ加速したタクミの身体。

 

キバゴを置き去りにし、クチート達を抜き、ゴマゾウと併走する。

 

だが、前かがみになることで気道が塞がり、そのペースはすぐに落ちていく。

それでも足を止めることだけはするまいとタクミは走り続けた。

 

「パオ……パオパオッ!!」

 

そんなタクミの姿に呼応するようにゴマゾウがペースをあげて一気にタクミの前に出る。

 

「クチ、クチ、クチッ!!」

「モッシィ!!」

 

クチートとヒトモシも同じくペースをあげてタクミを追い抜いていく。

結局、先頭に立ったのはほんの一瞬。タクミはキバゴの位置まで下がっていき、そのまま最後尾に取り残される。

 

タクミは顔をあげ、声を振り絞った。

 

「先に行けぇっ!!絶対、走り切ってやる!!」

 

その声にゴマゾウが返事をした。

 

「パオッ!!」

 

ゴマゾウはニヤリと笑い、一人だけペースを上げた。

ゴマゾウはタクミ達を置き去りにし、前の集団を追いかけるように走っていく。

あっという間にタクミ達を引き離したゴマゾウの後ろ姿を見ながら、タクミは顔を上げて大きく息を吸い込んだ。

 

「すぅぅ……はぁぁ……ぬあぁぁぁぁっ!!」

 

がむしゃらになって走り続けるタクミ。

酸欠になった脳は次第に考える力を失っていく。

 

このトレーニングに対する疑問も、バトルに負けたことへの悔恨も、これから先の不安も、全部頭から押し出し、タクミは走り続けた。

 

「うぉおおおおおお!!」

「キバァアアアアア!!」

 

最終的にタクミはコルニ達に1週遅れにされながらも島の周囲を走り終えた。

 

「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」

「キバ…………………」

 

タクミは顔を真っ赤にして砂浜から上がる階段に倒れ込む。息も絶え絶えになりながらなんとかスポーツドリンクを口に運ぶが、味などまるでわからなかった。その隣ではキバゴが横たわり、ゴマゾウに水をぶっかけられている。

 

「クチ……クチ……」

「モシ……モシ……」

 

クチートとヒトモシも肩で息をしながら、ポケモン用のスポーツドリンクをゴクゴクと飲み干していく。

 

息切れで身動きとれないタクミ。そんなタクミの頭上から影が差した。タクミが見上げると、階段の上にとても楽しそうに唇を歪めるコンコルドが立っていた。

 

「さて、タクミ君。早朝ランニングお疲れ様、と言いたいところじゃが、この後はすぐに午前練じゃ。はやくせんと終わってしまうぞ」

「お、押忍……」

 

タクミは震える足に力を込め、歯を食いしばって立ち上がる。タクミは起きる気力のないキバゴの足を掴んで引っ張り上げ、クチート達を連れて階段を上がっていった。

 

「キバゴ、自分で、歩いてよ」

「キ……バ……」

「くそぉ、フシギ、ダネ……」

 

タクミはフシギダネをボールから出し、キバゴを投げ渡した。

 

「フシギ、ダネ、キバゴを、頼む」

「ダネダ……」

 

フシギダネはキバゴを“ツルのムチ”で絡め取って持ち上げ、自分の主人を見上げる。タクミは過呼吸で顔を真っ赤にし、疲労困憊で目を血走らせたままだ。フシギダネはそんなタクミに向けて“ツルのムチ”の左右を合わせて合掌とした。

 

タクミはコンコルドに連れられて『マスタータワー』の隣に併設されている施設へと向かった。

 

古き時代の建築物である『マスタータワー』とは違い、近代的なデザインのその施設は傍から見れば普通のトレーニングジムと変わりない。外見は3階建てのビル。1階の窓から中をのぞき込めば室内のポケモンバトル場や数々のトレーニング施設が並んでいる様子が伺える。だが、タクミは既にそんなことに気を回している余裕はなかった。

 

「ほれ、少しそこで休むといい」

「……は、はい……」

 

タクミが連れてこられたのはジムの裏手にある水道だ。そこにホースをつなぎ、水を頭から浴びる。冷たい水道水が髪の中にこもった熱を洗い出し、首筋から流れ落ちる水流が身体を冷やしてくれた。

びしょ濡れになってしまったが、火照った体にはそれがちょうど良い。

 

荒々しく水浴びをしたタクミは、ついでにキバゴにもホースを向けた。

フシギダネがすぐさまキバゴを投げ捨てる。キバゴは受け身を取りながら転がっていき、大の字になって横たわる。そんなキバゴに向け、タクミは勢いよく放水を開始した。

 

「キバ………」

「ほら、キバゴ!口開けて」

「キバァ…………」

 

大きく顎を開けたキバゴの口の中に水道水を流し込む。

キバゴは喉を鳴らしてゴクゴクと飲み干し、ある程度のところで口を閉じた。頭から放水を堪能し、小さな手で顔を洗う。キバゴの鱗で水飛沫が跳ね、朝焼けの中に虹を作り出していた。

 

そして、ある瞬間を境にキバゴが飛び起きた。

 

「キバッ!」

 

今のキバゴには流石にポーズを決める余裕はない。だが、タフさが売りの【ドラゴンタイプ】。流石の回復力だ。

 

「……キバゴ……行ける?」

「キバッ!」

 

そんなタクミ達を見て、コンコルドが声をかける。

 

「さて、そろそろいいかの?」

「押忍!お待たせしました」

「キバキバッ!!」

 

タクミは腰をほぼ直角に曲げてお辞儀をして、自分の頬を叩く。

 

コルニがどういうつもりでタクミをこの地獄に連れ込んできたのかはわからない。

わからないが、せっかくジムのトレーニングに参加させてもらうのだ。

吸収できるものは全て吸収してやるつもりだった。

 

「うむ、では行こう」

「押忍ッ!!」

 

タクミは道着の帯を締めなおし、コンコルドに連れられて屋外のバトルフィールドへと案内された。

 

そこでは不思議な光景が広がっていた。

 

「…………ーーっ!ハッ!ヤァッ!!…………ーーっ!ハッ!イャァッ!!!」

 

バトルフィールドに横一列にトレーナーが並びになり、その後ろにポケモン達が列を作って並んでいる。

ポケモン達は皆、先頭のトレーナーと同じ動きを繰り返していた。

 

足を踏み込み、掌底を突き出し、上段蹴りを放つ。

腕と脚を盾のように構えて後退し、カウンターのように掌打(しょうだ)を放つ

円を描くように流動的に腕を動かしたと思えば、槍のように鋭い直線的な蹴りを繰り出す。

防御から攻撃へ。攻撃から防御へ。

それらの一連の動きは全てが連動しており、相手の攻撃への対処と次のこちらの攻め手となる動きが1つの流れの中で完結している。

 

それはいわゆる武道の型の動きであった。

 

「やめぃっ!」

 

コンコルドの一声で門下生達は一斉に動きを止めた。

彼等は右拳と左掌を胸の前で合わせ礼を行った。

 

コンコルドは咳ばらいをして、タクミの背中をバシンと叩いた。

 

「朝に言った通り、今日はジムの体験者がおる。トレーニングにも参加させるので、皆よろしく頼むぞ」

「押忍!!」

 

コンコルドも門下生もその声にはピリリとした緊張感が漂っている。

タクミは自分を鼓舞するように拳を握り、頭を下げた。

 

「挨拶が遅くなりました。地球界から『地方旅』でカロス地方を回ってます。タクミといいます。今日はよろしくお願いします!」

 

タクミが礼儀正しく45度に腰を折ると再び「押忍!」と返事があった。

 

「それでは、タクミ君には早速ウチのトレーニングを行ってもらおう。コルニ、教えてあげなさい」

「おっ、押忍!!」

「では、各々!ポケモン組手、はじめ!!」

 

コンコルドの指示と共に、門下生がすぐさまフィールドに散らばっていく。

 

「『ポケモン組手』?」

 

それはタクミにとっても聞きなれない単語だった。

タクミはポケモン界についてある程度調べたし、ポケモンのトレーニング方法の本も何冊か読んだことがある。だが、そんな組手の名前は聞いたことがなかった。

少なくとも一般人が目にするようなパンフレットやサイトに載っているものではないものだ。

 

「タクミ君、こっちこっち」

「え、あ、はい……じゃなくて、押忍っ!!」

 

タクミはコルニに手招きされるまま、フィールドの片隅に移動した。

 

「ランニングお疲れ様。でも、本当に走り切ったんだ」

「え……もしかして、1週か2周で良かったんですか?」

 

馬鹿正直に走る必要なかったのか、とタクミはがっくり肩を落とした。

 

「君が音を上げればそうしてもよかったんだけど。まぁまぁ、走り切れたことに意味があるんだから」

「そうなんですか……でも、最初のトレーニングに参加できなかったし……」

「え?あぁ、型の稽古?それはいいんだよ。どちらかというとここからが本番だしね」

「本番?あ、あの、コルニさん、『ポケモン組手』っていったい……」

「ん?見ればわかるよ。ほら、始まる」

「え……」

 

コルニが他の門下生達へと視線を向けた。

 

次の瞬間だった。

 

「バウワッ!!」

「イヤァァッ!!」

 

激しい打撃音が響いた。肉と肉、骨と骨がぶつかり合う鈍い音。

ルカリオの上段突きを門下生の掌底打が受けていた。

 

だが、彼等の攻防はまだ終わらない。

 

ルカリオが間合いを詰めて門下生の顎を目がけて前蹴りを放った。鋭い風切り音が響く程の蹴りだった。一瞬、直撃したんじゃないかと錯覚したが、相対していた門下生は最小限の動きで上半身を反らして回避した。だが、ルカリオの前蹴りはすぐさまかかと落としに変化して振り下ろされた。門下生はそれを腕でガードして受ける。その直後にすぐさま門下生が踏み込み、中段の正中突きを放った。ルカリオはそれを最小限の動きで捌く。そして、門下生が拳を引くのに合わせてカウンターのようにルカリオの掌底打が叩き込まれた。

 

「ぐッ!!」

 

ルカリオの一撃と共に青い波導がほとばしり、門下生の腕に軽い火傷のような痣を残した。

 

その迫力にタクミの全身に鳥肌が走り抜けた。

 

「今のは“はっけい”……コルニさん……これって」

「ふふん、これがウチのジムの強さの秘密。『ポケモン組手』だよ」

「人間対ポケモンの組手ってことですか?そんな無茶な」

「そう思う?でも、【かくとうタイプ】のトレーニングとしては割とメジャーだよ」

「そうなんですか?」

「うんうん」

 

それはタクミの知らない世界だった。

だが、【かくとうタイプ】のジムリーダーの大半が筋骨隆々だったり、格闘技を習熟しているというのは有名な話だ。

 

ポケモン相手にガチで殴り合うトレーニングをしていても不思議ではないのかもしれない。

 

タクミはそう思い、半分程納得しかけていた。

 

そんなタクミに向け、コルニは茶化すような口調で言い放った。

 

「でもこれが、タクミ君に足りないものだよ」

「…………」

 

タクミは丸々2秒程固まった。

 

そして、目をまん丸に見開いてコルニの方を見上げた。

 

「え?」

 

その反応にコルニは笑い声をあげた。

 

「あはは、そういう反応になると思った」

「えっ!?いや、だって……え?これが?」

 

コルニはここでトレーニングをすれば『ポケモンバトルに勝つバトル』がわかると言っていた。

だが、タクミにはポケモンと本気でぶつかり合うことがバトルの勝利に繋がるという構図がわからない。

例えそれが有効だとしても、それはせいぜい【かくとうタイプ】の話だけなのではないだろうか?

 

絶句するタクミ。

 

そんなタクミにコルニは「まぁ、ものは試しだよ」と言い放った。

だが、タクミからすれば冗談ではなかった。

タクミは格闘技などやったこともない。ルカリオの打撃など受けられるわけがなかった。

 

「いや、でも……僕は、ルカリオも連れていないですし」

「それなら……」

 

コルニが何かを提案しようとしたその時、コンコルドが横から口を挟んできた。

 

「それなら、そのフシギダネでよい」

「え?」

 

コンコルドは大きなかごを持って現れた。その中にはミットのようなものが入っていた。コンコルドはそれをタクミの目の前にドンと置いた。

 

「タクミ君、このミットをつけてフシギダネの“ツルのムチ”を受けてみるといい」

「え……」

「フシギダネはタクミ君のミット目掛けて“ムチ”で攻撃するんじゃ。いわゆるミット打ちじゃな。それならできるだろう」

「それは……それなら……」

 

フシギダネの“ツルのムチ”ならタクミもおおよその動きの癖はわかっている。それこタクミ側が攻撃の場所を指定していいのなら攻撃を受けることもできるだろう。

 

かごの中にはミットの他に腕や足に巻くプロテクターも入っており、タクミは念のためにそれらを全て身に付けた。両手両足に完全武装を施し、最後に自分に手に合いそうなサイズのミットを手にはめ込んだ

 

タクミは映画で見た『ボクシングトレーナー』のようにミットをバシバシと叩く。

 

「タクミ君、ミット打ちでは君が攻撃を受けるだけではいかん」

「え?」

「自分がポケモンになったつもりでフシギダネにも攻撃を仕掛けるんじゃ。寸止めでいいが、しっかり当てるつもりで蹴りやパンチを放ってみるといい」

「……えっ……あっ、押忍!!」

 

コンコルドに睨まれ、声を張って『押忍』と叫ぶタクミ。

そして、タクミはフシギダネと相対する

 

「フシギダネ、準備はいい?」

「ダネダ……ダネダネ」

 

なんだか不満そうな声を出すフシギダネ。

タクミも正直不満を漏らしたかった。

 

タクミは横目でチラリとコルニとコンコルドの2人を確認する。

2人は腕組みをしてタクミとフシギダネを静かに見つめており、止めるつもりは毛頭ないようだった。

 

もう逃げられないことを悟ったタクミは覚悟を決め、両手のミットをもう一度バシバシと叩いた。

 

「とにかく、やるだけやってみよう!だから全力で来て!!」

「…………ダネ」

 

『まぁ、命令ならしょうがない』

 

そんな顔をしながらフシギダネが“ツルのムチ”をニュルリと伸ばした。

タクミはボクシング映画のポーズを思い出しながら、ミットを構える。

フシギダネとの距離はおよそ10m

 

“ツルのムチ”のリーチが一番活かせる中距離戦だ。

 

「右手!!」

「ダネ!!」

 

タクミが身体の正中に構えたミットに向けて、フシギダネの“ツルのムチ”が伸びた。

身体の真芯に叩き込まれる“ツルのムチ”。それをタクミはミットで真正面から受けた。

 

バシンと激しい音がして、腕で受けた衝撃が腹まで響く。

 

「ぐっ……」

 

思ったより一撃が重い。身体が宙に浮きあがるんじゃないかと思う程の衝撃だったが、ミットのおかげもあって痛みは少ない。タクミはすぐさま左腕を構える。

 

「左手!!」

「ダネ!!」

 

もう一本のムチが横から迫った。タクミはそれをミットを掲げて受け止めようとする。

“ムチ”は弧のような軌道でタクミの左手のミットに吸い込まれた。

 

再びバシンと激しい音がして、振動が足まで響く。

 

これも十分に重い一撃だった。

ポケモンのワザをまともに受ける機会はなかなかないが、この一撃なら間違いなく有効打になると確信できる。

 

だが……

 

タクミはジンジンと衝撃を受けた両手を見下ろし、首を傾げる。

 

「……フシギダネ、もう一度だ。今度はもっとペース上げていくよ!」

「ダネ!!」

「右!」

 

フシギダはタクミが構えた正面のミットに“ツルのムチ”を叩き込む。

 

「左!」

 

もう一本の“ムチ”がタクミの左側から迫った。

 

次の瞬間だった。

 

タクミが一気に間合いを詰めた。

 

「ダネ!?」

 

タクミは一番威力の高い“ムチ”の先端の攻撃を外し、間合いの内側へと踏み込む。タクミはダメージらしいダメージを負わないまま、フシギダネの真正面へと滑り込んだ。

 

「おらぁっ!!」

 

そして、タクミは喧嘩慣れしているようなコンパクトな蹴りをフシギダネ相手に振り抜いた。

 

「ダ、ダネッ!?」

 

慌てて飛びのくフシギダネ。蹴りは回避されたが、タクミはすぐさま切り返してもう一度間合いを詰める。フシギダネの左足が悪いのは当然わかっているので、タクミはその弱点を責めるように動き回る。

フシギダネの足のことをこの世で一番気にかけているのはタクミ本人だ。だからこそ、どうすればフシギダネに負担がかかるのかは知り尽くしていた。

 

タクミは左右に動きながらミット打ちの場所を指示していく。

 

「右のミット!!」

「ダ、ダネッ!ダネダッ!!」

「こっちこっち」

「ダネッ!」

「次こっち!」

「ダネッ!」

「ほいっと!!」

「ダッ!!!」

 

タクミはフシギダネの着地と攻撃のタイミングが重なった瞬間、再び蹴りを放つ。

その蹴りはフシギダネの頬に軽く当たった。蹴りは振りぬかれることなく、寸止め気味のものだったのでフシギダネにダメージはない。

 

だが、肉体的ダメージはなくとも、精神的なダメージは別だった。

 

「…………」

 

フシギダネはタクミに攻撃を当てられたことにしばし茫然となっていた。

そして、フシギダネは口の中に溜まっていた唾をペッと吐き捨てた。

 

「……ダネダ」

「……うわ、眼が本気になってる。フシギダネ……その……加減はしてね」

「ダネ」

 

酷く低い声での『ダネ』という返事にタクミの頬がピクピクと痙攣する。

フシギダネは四肢を広げて身体をわずかに沈み込ませた。

 

完全な戦闘態勢だ。

 

それだけ、タクミに蹴られたことがショックだったのだろうが、いくらなんでも殺気を放ちすぎであった。ミットの中でタクミの手に冷や汗が浮かんでいた。

 

「フシギダネ……ミット目掛けて殴ってよ」

「ダネ」

「じゃあ、右!!」

「ダネッ!!」

 

スピードに乗った“ツルのムチ”。先程までのものよりも格段にキレのある攻撃がミットを捉えた。スパン、と子気味のよい音がなり、フシギダネはすぐさま“ムチ”を手元に寄せた。

 

「左!!」

「ダネッ!」

 

再び、スパン、と景気よくミットが鳴る。

フシギダネは再び“ムチ”を素早く手元に戻す。

その引き際を狙って、タクミは再び前に出て蹴りを放とうとする。

 

だが、サポーターで包まれたタクミの足蹴りはフシギダネは“ムチ”に迎撃された。

 

バチン、という激しい音が鳴り、タクミの蹴りが弾き返される。

 

すぐさま、タクミが叫ぶ。

 

「右!!」

「ダネッ!」

 

まだ体勢が整わないタクミ目掛けた一撃。フシギダネの“ツルのムチ”はタクミが顔前に構えたミットに吸い込まれた。再び激しい音が響き、タクミが数歩後退する。

 

「左足!」

「ダネッ!!」

 

フシギダネはすぐさまタクミの足を狙って追撃をする。

だが、今度はフシギダネ側が遅れた。

 

タクミは足を引いて、攻撃を空振らせた。

そして、そのまま軸足を踏みかえて鋭い前蹴りを放った。

その蹴りはフシギダネの眼前でピタリと止まった。

 

「ダ……ダネ……」

 

驚愕に目を見開くフシギダネ。

タクミは足を引き戻しながらまたミットを構えた

 

「………フシギダネ、次行くよ」

「ダ、ダネッ!」

 

タクミとフシギダネの視線が交差する。

彼等は幾度となくミット打ちを繰り返した。

 

バシンバシンと音が鳴り、タクミの声にも熱がこもっていく。

フシギダネ対タクミという奇妙なポケモンバトルはしばらく続き、最後はコンコルドが「やめっ!」と叫んで止めたのだった。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

「ダネッ、ダネッ、ダネッ」

 

肩で息をするタクミとフシギダネ。フシギダネとタクミの息も後半には大分合ってきており、最後の方には普通のバトルで行われるスピードに近い動きでの攻防だった。

初めてのトレーニングとしては上々に見える仕上がりだ。

 

ただ、なぜかタクミとフシギダネの表情はどこか暗かった。

 

「さて、タクミ君。どうじゃった『ポケモン組手』は」

「……どう、とは少し言いにくいんですけど」

 

タクミはミットを外しながら、思考を巡らせる。

 

足りないものが見えた気がした。

必要なものが見えた気がした。

 

幾つかの情報が頭の中にはある。

だが、今はそれらは感覚的なものであり、具体的な言葉に繋がらない

 

喉奥まで言葉が出かかっているのに、口にできない。

そんなもどかしさがタクミの中に渦巻いていた。

 

「あ、あの、コンコルドさん……いえ、『師範』」

「ん?なにかね?」

「申し訳ありません。今度はキバゴと『ポケモン組手』をやらせてください」

「よかろう。やってみるがいい」

「押忍!!よしっ、キバゴ!!」

「キバァッ!」

 

そして、タクミとキバゴの『ポケモン組手』が始まった。

 

「キバゴ!!足が下がってるよ、それに遅い!!」

「キバァッ!!」

「次!」

「キバッ!」

 

キバゴが地面から飛び上がっての三連コンビネーションキックを放とうとする。

だが、その蹴りの途中でタクミのミットが素早くキバゴの頭を叩いた。

地面に叩き落されたキバゴが頭を抱えて恨みがましそうな目でタクミを見上げた。

 

「……繋ぎが遅いよ」

「キバァ……」

 

キバゴはキックやチョップ主体の攻防を続けるも、先程のフシギダネと比較して圧倒的にキバゴの被弾が多い。それは、タクミがキバゴの動きを高いレベルで把握しているからでもあったが、それ以上にキバゴの動きに問題がある。

 

「ハァッ……ハァッ……」

「キバァ、キバァ、キバァ」

 

ある程度のところで再びコンコルドの声がかかり、トレーニングが中断される。

他の門下生達が3体目のポケモンとの『ポケモン組手』を始める中、タクミはコンコルドにミットを外すように言われた。

 

「うわ……」

 

ミットを外した掌を見て、タクミは顔をしかめた。

フシギダネやキバゴの攻撃を受け続けて、その掌は赤く腫れあがっていた。

 

「いてて……」

「ほれ、これで冷やすといい」

「あ、ありがとうございます」

 

タクミの前に差し出される水の入ったバケツ。タクミはその中に自分の手を突っ込んだ。

掌が心臓の拍動に合わせてジクジクと疼く。熱を持った手に冷えた水が心地よかった。

 

「キバキバ?」

「ダネフッシ?」

「いや、平気。大丈夫だよ」

 

心配そうに見上げてくるキバゴ達に向け、タクミは苦笑いを返した。

 

そうやってタクミがバケツで手を冷やしている間も、他の門下生達はバシバシと拳をぶつけ、腕を交わし、蹴りを合わせていた。寸止めなどしない、防具もつけないフルコンタクトの組手だ。

 

だが、彼等の手足は遠くから見ても腫れは少ない。

タクミは水の中につけたままの自分の手を見つめる。

 

しばらくして、『組手』が再びコンコルドに止められる。

門下生達は続いて普通のポケモンバトルを始めた。

 

こっちも本気のぶつかり合いだ。

 

ルカリオVSルカリオ

コジョンドVSゴーリキー

リオルVSルチャブル

 

様々なカードが組まれ、【かくとうタイプ】同士のバチバチの肉弾戦が繰り広げられる。

タクミはフィールドの隅に座り込み、バケツの冷たさを味わっていた。

普段であれば率先してバトルに飛び込んでいくのだが、そんな様子は微塵もない。

 

タクミは彼等のバトル、特にルカリオの出てくるバトルを食い入るように見つめていた。

そして、門下生やコルニ達が一通りバトルを終え、午前の練習が終わった。

 

タクミはバケツから手を引き上げた。掌はまだ赤みを帯びていたが、握って閉じることぐらいをできるようには回復していた。

 

そんなタクミに一人の門下生が声をかけてきた。

 

「押忍!タクミ君!自分はカケルと言います!!」

「おっ、押忍!」

「今から昼食なので、自分がシャワールームなどを案内します!」

「あ、ありがとうございます!!」

 

カケルと名乗った彼は門下生の中でも一番若いようであった。『地方旅』を終えたばかりの初々しさがまだ残っており、タクミよりも少し上ぐらいのトレーナーであった。

 

タクミはそのカケルに案内されポケモン達を連れてジムへと戻っていった。

ジムの奥のシャワールームで手早くシャワーを浴び、道着を新しいものに着替える。汗でぐしょ濡れのパンツだけはどうにもならなかったが、脱ぎ捨ててノーパンで過ごすにはタクミの羞恥心が耐えられなかったので履きなおすしかなかった。

 

キバゴ達も水浴びで汗を軽く流し落とし、タオルで拭いてやりながら皆の毛艶や肌の状態を確かめる。

 

「ふぅ、さっぱりしたな、みんな」

 

タクミがそう言って仲間達を見下ろすと元気な返事があがった。

 

そんなタクミはシャワー室を出たところで濃厚な味噌汁と炊き立てのご飯の香りに迎えられた。同時にポケモン達も刺激的なポケモンフーズの香りを嗅ぎ取った。

 

彼等の腹の虫が一斉に泣き出した。

タクミは匂いに誘われるままにタクミ達はジムの2階へと階段をあがっていった。

 

そんな時、ふとタクミの頭上から声が降ってきた。

 

「おっ、ようやくあがってきたね。タクミ君」

 

階段の上。そこにコルニが牛乳瓶を片手に楽しそうに唇を歪めていた。

 

コルニはいつものトライテールをポニーテールに結いなおしていた。

うっすらと汗を浮かべ、紅潮した頬。シャワーあがりのコルニの姿は健康的な美しさと年相応の可愛らしいが同居していた。それはタクミですらドキリとさせるような色気があった。

 

「あっ、そっ、その、今日はありがとうございました」

 

タクミは少し上擦った声になってしまった自分の喉を恨めしく思いながら、頭を下げた。

 

「なんのなんの。これぐらいお安い御用よ……それより、答えは見つかった?」

 

コルニがそう言って小首を傾げる。

 

それは昨日の海岸で話しをした内容

 

「『ポケモンがやりたいバトル』じゃなくて『ポケモンバトルに勝つバトル』」

「うん、それそれ。なんとなくわかった?」

 

コルニが満足そうな笑顔でタクミをのぞき込んでいる。

 

だが、タクミはその視線を避けるように俯き、押し黙ってしまった。

 

「……あ、あれ?……もしかして、全然掴めなかった?」

「あっ、いえ、そうじゃないんです!」

 

タクミは慌ててコルニを遮った。

 

「わからなかったわけじゃないんです。その、なんとなく答えは見えてるんですが……その……なんというか……」

「あっ、もしかして、タクミ君も言葉にできない?わかるよ。私もそういう『言語化』?っていう奴?そういうのすごい苦手で、ルカリオの指示もこう『いけぇーっ!』とか『やちゃえーっ!』ってなっちゃって」

「いえ、そういうわけでもなくて」

「……あ、あれ?……」

 

ことごとく出鼻を挫かれるコルニ。

だが、タクミはそんな彼女を気にする様子もなく、ポツリポツリと自分の言葉を確かめるよう喋っていく。

 

「僕らに足りないものは見えた……と思います。だけど……その……足りないものをどうやって埋めるかって問題があってですね……」

「そっちか。まぁ、それはひとまず置いといて、とりあえずタクミ君の出した『答え』ってのを聞かせてよ。答え合わせしよ?」

「あっ、はい……じゃなくて、押忍!」

「よろしい」

 

コルニが嬉しそうに鼻を鳴らした。なんだか、先輩風を吹かすのを楽しんでるだけのようにも見えるが、タクミは黙っていることにした。

 

「えと……僕らに足りないものは……」

 

そんな時、部屋の奥から恰幅の良い女性が顔を出した。

 

「コルニ!ここにいたのかい!?と、そこにいる子はあれかい?今日の体験者かい?」

 

声量が大きく、よく通る低めの声にタクミの言葉が遮られた。

 

その人は割烹着を身に付け、頭に手拭を巻いていた。

その人の姿はタクミは今朝方チラリと見ている。彼女がこのジムの『おかみさん』だった。

 

タクミは慌てて頭を下げた。

 

「お、押忍!今日はお世話になります!挨拶が遅れました、タクミと申します!今日はよろしくお願いします!」

 

タクミの馬鹿正直な固い挨拶に『おかみさん』は声をあげて笑った。

 

「あはははは!私はジムの関係者だけど、トレーナーじゃないからそんなかたっ苦しくならずに、普通にしていいよ。素直な子だねぇ」

「え……あ……その……は、はい……」

 

タクミは気恥ずかしくなり、頬を染めた。

 

「さぁさ、こんなところで油売ってないで、昼御飯の時間だよ」

 

『おかみさん』がそう言うと、コルニが嬉しそうに拳を突き上げた。

 

「おっすぅ!!『おかみさん』私もう腹ペコ~!」

「あんたはいつも腹ペコだねぇ、体験君もお腹すいてるだろ」

「あっ…………はい……」

「だったらさっさと食卓につきなぁ!御飯はたんまりあるからね!」

「はいっ!!」

 

思えば朝から何も口にしていない。

意識したら急に空腹感が増してくる。

 

『おかみさん』とコルニち連れられてやってきたのは、巨大なダイニングであった。

普通の学校の教室ぐらいはあるんじゃないかと思えるダイニングに20人ぐらいはに座れる長机が置かれていた。その長机は部屋の半分程度のスペースを埋め、残りの半分はポケモン達が食事をとる空間になっている。そこには今朝方一緒に走ったポケモン達が行儀よく座って食事を待っていた。

 

ただ、なんとなくその部屋には空白が目立つ印象だった。

 

これだけの大きさの食堂に対して門下生が6人しかいない。コルニやコンコルド、タクミを含めても長机の席は半分程度しか埋まらない。ポケモン達の為の空間も半分以上は遊ばせているような状況だった。

 

そんなリビングはタクミが顔を出すと、大きな拍手で迎えられた。

 

「おっ、今日の主役のおでましだ!」

「いいガッツだったぞ、新人」

「おい、まだ入門決まってないから新人はないだろ」

 

歓迎ムードのリビングに向け、タクミは慌てて頭を下げた。

 

「あっ、ありがとうございます!午後もよろしくお願いします」

 

タクミが礼儀正しく45度に腰を折ると一際大きな拍手があがった。

 

「うむうむ、タクミ君。今日の君はお客さんだ。こっちに来なさい」

「あっ、はい」

 

タクミは長机の上座にあたる方、コンコルドの隣の席に案内された。

 

「さぁさ、あんたたちはこっちだ」

「キバァ?キバキバ!!」

 

タクミのポケモン達は『おかみさん』がポケモン達のいるスペースに連れていった。

『おかみさん』は山盛りにしたポケモンフーズが乗った大皿をポケモン達の前にドンと置いた。

 

「シャラジム特性ポケモンフーズだ。お口に合うといいんだが……まぁ、ダメでも頑張って食べとくれ」

 

そう言った『おかみさん』にタクミのポケモン達は元気に返事をした。ただ、タクミのポケモン達の中には偏食家はいないので、その辺りの心配は必要なかった。

 

そうこうしている間にタクミとコルニが席につき、コンコルドが咳ばらいをして場が静まる。

 

「さて、タクミ君。シャラジムの食事の基本は『玄米』『味噌』『豆』と決まっておる。とはいえ、地球界出身のタクミ君には馴染み深いかな?」

「お、押忍!!で、でも、これ豆なんですか?」

 

タクミの目の前にあったのは山のように積み上げられたハンバーグであった。

 

その問いに答えたのは『おかみさん』だった。

 

「そうさね。豆とオニオンをメインにした豆のハンバーグだ。たっぷりおあがり」

「食は身体を作る。ポケモントレーナーにとって身体は資本じゃ。食事もトレーニングだと思え」

「お、押忍!!」

 

タクミの返事にコンコルドは鷹揚に頷いた。

そんな祖父を前にして孫娘は『また始まったよ』とでも言いたげに肩をすくめていた。

コンコルドはそんなコルニを黙殺し、両手を打ち合わせた。

 

「では、いただきます!」

 

それに続くように「いただきます」の大合唱がおこり、各々が好きなように大皿から食べ物を奪い取っていく。ただ、地球界出身のタクミからすればそれは少し普通の食事風景とは異なっていた。

 

手づかみで食べられる玄米のおにぎりはライスシートに包まれてバスケットに入っている。味噌汁の具材は玉ねぎとキノコでそれを皆はスプーンを使って口に運んでいた。ハンバーグはナイフとフォークでの食事だ。食事内容は『和』のテイストなのに、ここは間違いなくカロス地方なのだと認識する。なんとも不思議な和洋折衷の中でタクミは他の門下生に負けないようにおにぎりやハンバーグを自分の皿に取り分けては片っ端から口に詰め込んでいった。

 

『食事も……トレーニング……』

 

タクミは頭の中でそう繰り返しながらハンバーグを頬張る。

デミグラスソースがきいた豆ハンバーグは適度な塩加減もあわさり、最高に美味しかった。



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足りないもの

適度に身体を追い込み、シャワーを浴びて火照った体を冷やし、温かい食事で腹を満たせば、次に襲ってくるのは睡魔である。古今東西の伝説を紐解いてみてもその悪魔に勝った例は記録されていない。

タクミは与えられた客室に通されるや否や、そこにあったベッドに倒れこみ、スイッチが切れたかのように速攻で夢の中へと旅立っていった

 

そして、昼寝をはじめて約2時間。時計が14時を指す頃になるとジムのあちらこちらから人が起きてくる気配がしてくる。

タクミもホロキャスターの目覚ましに従い、身体をムクリと起こした。

 

「ふぁぁ…………」

 

タクミは寝ぐせのついた髪に手をやりながら、大きな欠伸をした。

周囲を見渡し、自分の状況を確認する。

あまりに爆睡してたので今自分がいる状況を見失っていた。

 

「あっ、そっか……シャラジムに来てたんだっけ……」

 

タクミはホロキャスターの時間を確認する。

昼寝は15時までとされていたが、余裕をもって15分前にタイマーをセットしていたのだ。

 

タクミは喉の渇きを覚え、静かな足取りで部屋を出ていこうとする。

他のポケモン達もまたタクミの傍で爆睡しており、皆目を覚ます気配はなかった。

 

タクミは階段を降りて、ダイニングの方へと向かった。

ダイニングに備え付けてあるドリンクサーバーから冷たい水を紙コップに注ぎ込む。

ドリンクサーバーには張り紙がしてあり、『紙コップは1人1日1個』との注意書きと共に黒のマジックペンが置いてあった。

 

タクミは飲み干した紙コップに『タクミ』と名前を書き入れて棚に戻しておく。

 

そんな時、キッチンから出てきた『おかみさん』と目が合った。

 

「あら、タクミ君だっけ?ちゃんと昼寝したかい?」

「あっ、はい」

「だろうね。すごい寝ぐせがついてるよ?」

「あはは……」

 

髪をちゃんと乾かさずに寝てしまったのもあって、タクミの頭には枕の跡がそのままの形で残っていた。

 

「ちょうどよかった。今、お茶入れたとこなんだ。付き合うかい?」

「いいんですか?」

「構うもんかい……っていうか、他の子達には内緒にしといてくれよ?」

 

『おかみさん』はそう言って口に指をあててウィンクを飛ばした。愛嬌のある仕草は彼女の体重が20kg程軽かったら世の男達を釘付けにしたはずだった。だが、今の『おかみさん』は頬にも腹にも大量のお肉をつけており、コアなファンにしか受けは良くないだろう。

 

タクミにもそんな性癖は持ち合わせがないが、とりあえず屈託のない笑顔で「はい」と頷いておいた。

 

タクミはダイニングの端に座り、出された紅茶とクッキーを頬張る。

 

「いやぁ、ダイエットしないとは思うんだけど、午後の昼下がりのお茶(アフタヌーンティー)だけはやめられなくてねぇ」

「『3時のオヤツ』ですね。うちの母さんも同じこと言ってました」

「へぇ、『地球界』ではそんな言い回しをするのかい?」

「まぁ、大体一緒かと」

 

そんな取り留めのない話をしながらお茶はすすむ。

そんな折、タクミはふと気になったことを尋ねた。

 

「そういえば、シャラジム特性ポケモンフーズってどんなのですか?」

「ん?そうさね。使ってるのは豆と小麦粉とミルクをベースにしていくつかのきのみを潰して……」

「え?手作りなんです?」

 

そんなタクミの疑問を『おかみさん』は笑い飛ばした。

 

「決まってるじゃないか。ウチは【かくとうタイプ】のジムだよ。力負けしないためにも、身体はしっかり作らなきゃ。そりゃ、市販のポケモンフーズでもいいけど。ウチの子らはみんなリオルかルカリオを連れているだろ。単純に身体を大きくすればいいってもんでもないし、市販のものを調合して調整するぐらいなら、作った方が手っ取り早いんだ」

「…………なるほど……」

「身体が資本のポケモンバトル。そして、身体を作るのは食事。『師範』も言っていたろ。『食事もトレーニング』だってさ」

「そう……ですね……」

 

タクミも雑誌などでポケモンフーズの作り方や調整の仕方などは知識とは知っていた。

だが、旅の間はポケモンセンターがポケモンフーズを提供してくれている。ポケモンセンターのフーズはバランスのとれた完全食であり、トッププロにも愛用している人が多い。

その為、タクミも『こだわる必要はないか』と考えていた。

 

だが、それはこの『地方旅』を始める前までの話だ。

 

「…………」

 

タクミはクッキーを手に取り、考え込む。

 

タクミのポケモン達はどう考えても『普通』の枠組みからずれた戦い方をしている。

 

接近戦にこだわるキバゴにはよりパワーがいる。

フシギダネは自重そのものが負担になることがある。

ゴマゾウは身体のバランスが一番大事だ。

唯一まともなバトルの形をしているのがヒトモシであるのだが、ヒトモシはヒトモシで実のところかなりの小食だ。

 

ポケモンの食事に対する考え方は改めなければならないのかもしれない。

 

そんなことを考えているタクミの思考を読み取ったかのように『おかみさん』はほほ笑んだ。

 

「そうさね。あんたのポケモンこそ、食事には気を使わなきゃらならんねぇ」

「えっ!?なんで知って……僕のバトル見てたんですか?」

 

そう言うと、『おかみさん』は流れるような仕草でまたウィンクを飛ばしてきた。

 

「直接は見てないけどね。昨日の夜に皆がここでミーティングしてたんだよ。ジム戦の後はいつもそうさ。録画したビデオで勉強会だ」

「そうなんですか」

「【かくとうタイプ】のジムリーダーってのはどうしても相性の悪いポケモンとバトルすることが多いからね。その中で、コルニのバトルはみんなの勉強になるんだよ。苦手な攻撃の防ぎ方、いなしかた、反撃の仕方。不利な状況でいかに負けないようにするかってのが、ジムリーダーの腕の見せ所だ。コルニが若くしてジムリーダーの資格を手に入れられたのはその辺りが格段に上手いからだねぇ。うちの子らはみ~んなジムリーダーを目指してるから、その為には日々の研究が大事なんだろう」

 

そして、『おかみさん』は優雅な仕草で紅茶を飲み干し、クッキーをまとめて4個ぐらい一気に頬張った。

 

「おっと、もうこんな時間だ。見つからないうちに片づけるとしようか。タクミ君は午後の自由時間はどうするんだい?」

「そうですね……皆さんの自主練でも見学しようかな……って」

「そうかい。それなら、マスタータワーのバトルフィールドに行くといい。今日は『師範』が希望者を募って手合わせしてくれる日だ。勉強になるだろよ」

「本当ですか!?」

 

タクミは自分の紅茶を一気に飲み干し、素早く立ち上がった。

 

「行ってみます!紅茶ありがとうございました!!」

 

タクミはそう言うが否や一目散にダイニングを飛び出していった。

 

「……若いねぇ……」

 

『おかみさん』はそんなことをつぶやきながら、最後に残ったクッキーを頬張った。

 

部屋に戻り、キバゴ達をモンスターボールに戻したタクミはクチートを連れてすぐさまマスタータワーのバトルフィールドへと向かった。

 

タクミが昨日ジム戦をしたバトルフィールド。

昨日は冷たく重い雰囲気に閉ざされているように感じた場所であったが、今日の空気はまた一段と重い。

 

肩にのしかかるような湿り気を帯びた重鈍な風。稲光のように鋭い緊張感が迸っていた。

立つコンコルドが立っており、腰を動かして準備運動をしているところだった。

 

「タクミ君、来たか。今呼びに行かせようと思ってところだよ。ここはあれだから、上の観客席に行くといい」

「は、はい!!じゃなくて押忍っ!」

 

タクミは一度バトルフィールドを出て、マスタータワーの2階へと向かった。

昨日は下から見上げていた観客席。フィールド全体を大きく見渡せる特等席だが、石の壁に囲まれていることもあり随分と寒々しい印象を受ける。そこではコルニがビデオカメラを設置しているところだった。

 

「おっ、タクミ君、間に合って良かったよ。もうすぐはじまるよ」

「押忍っ!」

 

タクミはすぐさま手すりに近づき、身を乗り出すようにしてフィールドを見下ろした。

ついてきていたクチートもその背中によじ登り、タクミの頭の上から同じようにフィールドを見下ろす。

 

コンコルドが立つのはジムリーダー側のトレーナーサークル。

対する挑戦者側には門下生が全員並んで、順番待ちをしていた。

皆が一様に固い顔をしていたが、その中に僅かな興奮が見え隠れしていた。

 

「コルニさん、バトルのルールはどんなルールなんです?」

「おじいちゃんとのバトルは基本1対1だよ。毎月2回開催してるんだ。一応、この日はジムリーダーの私とも対戦権利があるんだけど、みんなおじいちゃんとばっかりバトルしたがるんだよね~」

「やっぱり、『師範』の方が強いんですか?」

「いやっ!違うよ!今は絶対私の方が強いって……一応……一応、ここ最近の10回の勝敗は6勝4敗で勝ち越しているし……」

 

コルニがそう言った直後、コンコルドがバトルフィールドから叱責を飛ばした。

 

「コルニ!1対3の変則バトルで勝ったのを勝利数に加えるな!それを除けばワシとお前の戦績は3勝7敗じゃろ!!それと、トレーニング中はワシのことを『師範』と呼べぃ!」

「押忍っ!!『師範』、失礼しました!」

「ビデオカメラの録画を忘れれるなよ」

「押忍!!」

 

コルニがやけくそのように叫ぶ。

だが、コルニがその直後に小さく「地獄耳め」と呟いたのをタクミは聞き逃さなかった。

 

そして、コンコルドと門下生達とのバトルが始まった。

 

コンコルドが繰り出したのはバシャーモ。

それに対して門下生はルカリオを繰り出した。

 

両者は同時にメガシンカを行う。

ポケモン達が竜巻のような光の奔流に飲み込まれ、次の瞬間にはフィールドの中央で拳が激突していた。

メガルカリオの波導とメガバシャーモの火炎が渦となってフィールド内に広がる。上階の観覧席にいても両者の闘気が肌を焦がさんばかりだ。

 

「メガルカリオ“きあいパンチ”!」

 

メガルカリオが懐に飛び込んだ。地面を踏み抜いた衝撃だけでジム全体が揺れたんじゃないかと錯覚するほどの震脚。大地を踏みしめ、跳ね返ってくる反作用の威力を全て拳に乗せ、アッパーカット気味にメガバシャーモの顎を狙う一撃。

 

決まる

 

と、タクミが息を飲んだ瞬間だった。

 

「メガバシャーモ!! “ブレイズキック”」

 

メガバシャーモの蹴りがメガルカリオの肘を内側から蹴りぬいた。

拳の威力が死に、メガルカリオの動きが止まる。

メガバシャーモはそのまま相手の身体を支点にして、更にもう一撃“ブレイズキック”を振り抜いた。

その蹴りはメガルカリオの顔面にクリーンヒットした。

 

ただでさえ相性の悪い【ほのおタイプ】のワザ。

それを最高の角度から最大限の威力で叩き込まれた。

 

メガルカリオはフィールドの半分程の距離を吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。

 

試合終了だ。

 

コンコルドのメガバシャーモのメガシンカが解かれ、トレーナー同士が礼を交わす。

 

「…………」

 

タクミはその一連の攻防をつぶさに見ながら、思考を巡らせていた。

タクミが今日の午前中でみつけた『答え』。

タクミのバトルに足りないものの『答え』がそこにあった。

 

それからも次々に門下生が姿を見せ、コンコルドにバトルを挑んでいく。

だが、最終的に彼等がコンコルドのポケモンに有効打を与えることは一度もなかった。

 

全てのバトルが終わり、礼が交わされたのを見届け、タクミは大きく息を吐きだした。

 

「……すごいな……」

 

流石にジムの『師範』なだけはあった。コルニより強いというのも頷ける。

 

「タクミ君。おじいちゃ……『師範』とバトルしなくていいの?今日は時間があるから挑戦させてもらえると思うよ」

 

確かにそれは魅力的な提案だった。強者とのバトルは例え(かな)わなくても得られるものは多々あるというのはタクミもわかっている。

 

それはわかっていたが、タクミは静かに首を横に振った。

 

「ほう、挑戦せんのか、タクミ君」

 

コンコルドの声が聞こえ、タクミは反射的に背筋を伸ばした。

振り返ると、ちょうどコンコルドが観覧席まで上がってきたところであった。

 

「ワシはいつでも大歓迎じゃよ」

「あ、いえ……今日は遠慮しておきます……」

「ふむ、昨日までの君なら率先にバトルに挑んできただろう?どういう心境の変化じゃ?」

「そうですね……なんというか……今の僕じゃ得られるものすらなさそうで」

「ほう」

 

実力差がありすぎるとか、相性が悪いとか、そういう問題ではない。

今、コンコルドとバトルしてもコルニとのバトルのリプレイにしかならないことがわかりきっていたのだ。

 

もし、コンコルドとバトルを望むのなら、それは今の自分の課題を乗り越えてからだ。

そうでなければいたずらにポケモン達に負担を強いることにしかならない。

 

タクミはそう考えていた。

 

その意図を知ってか知らずか、コンコルドは満足そうに頷いた。

 

「さて、タクミ君。今日のジム体験。どうじゃった?」

「…………勉強になりました」

「その顔だと、何かに気づいたようじゃな」

「…………はい」

 

今日一日、ジムのトレーニングを経験してわかったことがあった。

その中でも、やっぱりタクミにとって衝撃が大きかったのはやはり『ポケモン組手』だった。

自分のポケモンの攻撃を受け、自分の身体で直接ポケモンを攻撃し、実際に『対戦相手』になってみてはっきりしたことがあった。

 

『ポケモンバトルに勝つバトル』とは何か。

 

その答えは……

 

 

 

 

「僕のポケモンはディフェンスが圧倒的に弱い」

 

 

 

 

タクミがコンコルドを見上げると、彼は表情の読めない硬い顔でタクミを見据え、頷いた。

 

「うむ……その通りじゃ……原因はわかっておるかな?」

「……僕のポケモンはかなり個性的です。それは、個性を生かさなければバトルができない程に個性的です。僕は今までその個性を伸ばすようなバトルのトレーニングを積んできました」

「その通りじゃ……じゃが、自分達の得意分野を伸ばすのは決して悪いことではない。バトルにおいては平均的な能力を持つポケモンよりも、突出した能力があるポケモンの方が有利を取れることが多い。しかし、タクミ君はそれにあまりにも特化しすぎている。それゆえに君はポケモントレーナーとしての基礎的な部分を鍛え損ねている」

「基礎的な部分?」

「ポケモンのワザを出し、相手のワザを受け、その中でいかにして有利を取っていくかという『ダメージレース』という考え方じゃ」

「あ………」

「本来なら、そのポケモンバトルの基本中の基本の形をトレーナーは普段のバトルの中から学ぶ。そして、攻め手だけではなく、ダメージを減らす『防御』『受け』の技術を自然と会得していく。じゃが、タクミ君は違う。バトルが個性的すぎてその部分を鍛えることができずにここまで来てしまったのじゃ」

 

タクミは納得したように頷いた。

 

タクミのバトルは常に自分達のペースに相手を巻き込むことから始まる。キバゴの超近接戦だったり、フシギダネの盤面制圧だったり。相手を自分の土俵に引きずり込んで強引に得意なバトルスタイルへと持ちこみ、そもそも純粋な殴り合いをさせない。

 

ポケモンの弱点を補うのではなく、強みを生かす戦い方だ。

それは決して弱いバトルスタイルではないが、それだけでは勝てない相手がいるのも事実だ。

 

特に真正面から小細工なくぶつかってくる相手には極端に被弾が増えるのは過去のバトルを振り返っても明らかだ。

 

今のタクミに必要なのは『ポケモンバトルに勝つバトル』。

つまり、『負けないように立ち回るバトル』だ。

 

「…………」

 

黙り込み、再び考え込むタクミ。視線は完全に足元の一点で固定され、手足は微動だにしない。

そんなタクミを見下ろし、コンコルドはニヤリと笑った。

 

「……さて、タクミ君」

「はい」

「今日はもういい時間じゃ。ここでの試合はもうないし、一旦帰るとするかの」

「……あ……はい」

 

確かに外を見れば太陽はいい具合に傾いていた。

気が付かないうちに随分と時間が経っていたようであった。

 

タクミはコンコルドやコルニと共に闘技場を後にし、撮影機材の荷物持ちをしながらジムへと戻っていった。

 

そして、タクミはすぐさまジムを立ち去ることにした。 

 

「えぇ~!!晩ご飯まで食べていけばいいじゃん!!」

「すみません……できるだけ早く頭の中をまとめたいんです」

 

実際、タクミの頭の中は今も混乱の最中にあった。

 

今回は単なる『ひらめき』ではない。

今までのバトルに全く新しい『軸』そのものが産まれてしまったのだ。

その為のトレーニングやら、バトルスタイルやら、考えなければならないことは山程ある。

 

今はとにかく少しでも考える時間が欲しかった。

 

タクミは道着を返し、いつもの旅装束に着替えなおしてジムの出入り口で頭を深く下げた。

 

「それでは、コルニさん、ジムのトレーニングに誘ってもらって、ありがとうございました!!」

「ん~……まぁ、しょうがないか。それじゃあ、また挑戦待ってるね」

「それと、コンコルドさん、アドバイスありがとうございました」

「うむ」

 

コンコルドは言葉少なく頷いた。

 

タクミは駆け出すようにジムから出ていく、その後をクチートが追いかけていった。

その後ろ姿を最後まで見送っていたコルニとコンコルド。

 

タクミが『砂の道』を駆けていく様子を遠目に見ながら、コンコルドがふと呟いた。

 

「コルニ、タクミ君のことどう思う?」

「いいトレーナーだと思うよ。ポケモンとの信頼関係も厚いし、それにあのポケモン達の個性的なバトルスタイルは好きだなって」

「ああ、ワシもそう思う……」

「また挑戦してくるのが楽しみだね。あぁ、もうお腹ペコペコ!!」

 

大きく伸びをしてジムの中へと戻っていくコルニ。

 

その時、コンコルドがふと呟いた。

 

「なぁ、コルニ……もし、『もし』だが……」

「ん?」

 

振り返ったコルニ。

 

祖父の目は今もタクミの後姿を追いかけていた。

 

「もし、彼が――――――――」

 

その後に続いた言葉にコルニは最初は驚き、目を見開いた。

 

そして、少しの沈黙の後に呆れたように笑った。

 

「おじいちゃんったら、そんなことになるわけないじゃん。時間を考えてよ」

「どうかな……ワシは……彼ならやりかねないと思っておるぞ。その時は規則を曲げても良いと思っている」

「えぇっ!?そこまでする!?まぁ……『もし』そうなったら面白そうだし、『ジムリーダー』としても許可しましょう。まぁ、ないと思うけど」

 

コルニはそう言ってジムの奥へと引っ込んでいく。

 

わずかに赤く染まりはじめた太陽の下、コンコルドは視線をジムの隣の塔に向ける。

夕焼けの光を受けてそびえ立つ『マスタータワー』。

コンコルドにはその『マスタータワー』がなぜかいつもより輝いているように見えていた。



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思い立った日が吉日なら、その日以降は全て凶日

今回のサブタイトルは漫画『トリコ』に出てくる台詞です

好きな言葉です。


「…………」

 

タクミはポケモンセンターに帰り着き、そのまま部屋のベッドに寝っ転がっていた。

 

窓の外には水平線の向こう側へと太陽が今にも沈みかけている。

タクミは夕食も食べずに寝っ転がり、ポケモン達は部屋の中でポケモンフーズを食べながら、そんな主人の様子を遠目に見つめていた。

 

タクミはポケモンセンターが貸し出してくれるタブレット端末に手を伸ばし、顔の前に持ち上げる。

そして、再生するのはジム戦に挑む前に幾度どなく繰り返してみたコルニの試合の映像であった。

 

メガルカリオのバトルを今日の経験を踏まえて見ると、確かに見えてくるものがある。

 

メガルカリオはポケモンの中でも体力や防御に秀でたポケモンではない。

それでありながら相手の攻撃を受けつつも、粘り強く戦えているのは相手の有効打を受け流す技術や、攻撃に対する反応速度が高次元でまとまっているからだ。

それは一朝一夕でできあがるものではない。長い間に積み重ねた経験値がそのままメガルカリオの戦いの中に落とし込まれている。

 

タクミは画面を暗転させ、タブレットを机の上に戻した。

 

両腕を頭の上で組み、再び天井を見上げるタクミ。

 

その頭の中に巡っていたのは今日の出来事ではなかった。

タクミが考えていたのは『地方旅』に至る前のことであった。

 

ポケモンバトルに憧れ、『旅』を夢見て、強敵達との闘いを思い描きながら過ごした日々。

 

その中でも特に色濃く残るのはいつも彼女と過ごした時間であった。

 

「…………」

 

タクミはホロキャスターを持ち上げ、自分の大事な友人の名前を画面に表示した。

アキからは昨日にも幾度か着信があったが、その全てを無視している。

メールだけで簡単に負けたことは説明しているのが、それでも電話してくるあたり彼女が心配してくれたことが伺える。

 

そんな電話をことごとくスルーしたので、若干彼女に電話するのは少々気まずい。

 

だが、こういう時に変に時間を置くと臍を曲げられてしまう。

悪いのはこちらなのだから、早々に詫びを入れるべきだろう。

 

タクミは勢いをつけて起き上がり、ホロキャスターを起動した。

 

幾度の呼び出しの末、アキの顔が画面に浮かび上がった。

 

「……もしもし」

「もしもし」

 

第一声からわかる不機嫌そうなアキの『もしもし』である。

 

「なんかよう?」

「その……ごめん。昨日、電話無視しちゃって」

「べつにー……いいんですよー……メールで『ジム戦負けた』ってだけはちゃんと伝わりましたからねー……」

 

唇を尖らせ、斜目を向けてくるアキ。

やっぱり少し拗ねているようであった。

 

「えと……その」

「私の電話に出たくなかったんでしょー……」

「まぁ……うん」

「なんで?」

 

鋭い声音で差し込まれた『なんで?』にタクミの喉奥が詰まる。

ここで下手なことを言えば、彼女の拗ね具合が3割増しになるのは目に見えている。

 

タクミは誤魔化すことなく、答えるしかない。

だけど、本当のことは流石に口にできない。

 

『夢を諦めかけていたから』

 

そんなこと、言えるわけがなかった。

だからタクミはほんの少しだけ嘘をつくことにした。

 

「……泣いてるところを……見られたくなかったです……」

「タクミの泣き顔なんていまさら……」

 

次の瞬間、ホロキャスターの向こうでアキの顔から表情が消えた。

 

「あ……」

 

アキは何かを言おうと口を開き、それを呑み込み、また口を開いた。

 

彼女は幾度か言葉を吐きだそうとしたが、その全ては音になることなく腹の中に呑まれていった。

最終的に彼女の口から出てきたのは重苦しいため息だった。

 

そして、アキは一言だけ呟いた。

 

「…………ばか」

「ごめん……」

 

僅かな沈黙が流れる。

しばらくして、アキが我慢ができなくなったように声を張った。

 

「ばかっ!!そんなの気にしないでよ!だって……だって……」

「ごめん……」

「……気にしないでよ……そんなの……」

「ごめん」

「ばか」

「……ごめん」

 

心の底から絞り出したような謝罪と、泣きだす一歩手前のような罵倒。

 

幼き頃の小さな夢。

 

誰もが思い描く夢想が現実の重みを持ち始めた今、彼等もまた幼いままではいられない。立ちふさがるいくつもの壁、遥か遠き茨の道のり、それらを前にして『それでも』と歯を食いしばって前に進める者はそう多くない。諦めかけたタクミを責めることはできない。アキの方にもタクミを縛るつもりなど毛頭なかった。

 

だが、あの日交わした『約束』は今も2人の強い原動力なのだ。

アキが大きな決断を乗り越えてポケモン界に来たことも、タクミが幾度となく壁に立ち向かっていくのも、全てはその夢が2人の根底に大きな柱として打ち立っているからだった。

 

『諦めない』

 

それが、2人の力だったはずだった。

 

「……それで……もう、大丈夫なの?」

 

アキはタクミの顔を吟味するように画面に顔を寄せた。

 

「まぁ……うん。それで、ちょっと電話してるところ」

「わかった……じゃあ、もう私も気にしない」

「うん……ありがと」

「その代わり、貸し1つだからね」

「わかった。お土産買って帰る」

「ならいい」

 

それは形だけの落としどころだった。既にお土産など幾つも買ってある。

アキもそれは知っていたし、タクミも追加のお土産を買うつもりもない。

 

そんなこと2人の間ではいつものことであった。

 

アキは気持ちを切り替えるように机の上に腕を置き、そこに顎を乗せた。

タクミもベッドの上に寝転がり、枕の上にホロキャスターを置く。

 

「それで、シャラジムで負けたんだよね?」

「うん。やっぱり、ジム戦は3つ目が鬼門っていうのは本当だったね。メガルカリオ相手に手も足も出なかった……いや、戦えはしたかな。でも4対3ぐらいのハンデがないと勝てそうにないけど」

「ふぅん。それで、何か考えがあるの?」

「うん。とりあえず、とっかかりというか、強くなる方法は見えたかな。実は今日……」

 

タクミは今日のジム戦での出来事を簡単に説明した。

 

「なるほど……ディフェンスか……それは確かにそうかも」

「アキもそう思う?」

「うん。ちょうどその辺りのレポートが私の今の課題なんだよね」

「課題?」

「うん。ポケモンバトル中の戦術についてのレポート提出。こっちの学校ってレポートの宿題が多くてさ。日本の学校とは全然違ってびっくり」

「へぇ……」

 

宿題と言えば漢字の書き取りや計算ドリルなどが多い日本人からすれば意外な話である。

 

「っていうか、レポートって何書けばいいの?感想文みたいな?」

「ううん。全然違う。図書館とかで色々調べてそれを自分なりにまとめる感じ?序文、本論、結論って順番が基本で」

「へぇ……」

 

残念ながらタクミにとっては全く未知の世界だ。

小学校でレポートの宿題などやったことがない。一度、社会の授業で他の国について模造紙にまとめる課題をやったこともあったが、結局馴染みのない話だった。

 

ただ、ルーチンワークの宿題よりは幾分も楽しそうな話である。

 

「それで話を戻すけど、ちょっとアキに聞きたいことがあってさ」

「私に?」

「うん。前にアキの家で読んだポケモンの雑誌にトレーニング方法とかって乗ってたよね。そのことなんだけど」

「ちょっと待って、その手の話なら昨日宿題のために病室に持ってきてた本があるから」

 

その直後、画面の向こう側でガツンと激しい音がした。

ホロキャスターの画面が大きく揺れ、その直後にはアキが歯を食いしばりながら前かがみになっていた。

 

「いっっつぅ……!!」

「だ、大丈夫!?」

「へ、へいき……いたくはないんだけど……振動が……響いて……うぅっ……やっぱり今日は良くない一日だ……」

 

そして左足をさすりながら画面の前から姿を消した。

キコキコと車椅子を動かす音と共に遠くからナースの話し声が聞こえてくる。

 

何も映らない画面を見ながらタクミはふと疑問が浮かんだ

 

「……あれ?……いま、どこぶつけたんだろ?」

 

音と仕草からして左足を机にぶつけたのだろうが、アキにはその『左足』がない。

もう義足ができたのかもしれないが、車椅子に乗ってたなら義足は付けないと思う。

 

そんな疑問をよそに、アキは何冊もの雑誌の束を膝に乗せて帰ってきた。

 

「それが資料?」

「うん、古い論文よりも、こうした新しい学説の方が色々吟味されてていいんだって。それで、何が聞きたいの?」

「うん……実は……」

 

タクミは頭の片隅に残っていたトレーニング理論についていくつか質問した。

アキは長年本を読む習慣がついてることもあり、ポケモンに関する知識は豊富だ。ただ、そんなアキでもやはり持っている知識には限界があり、限定的な資料では答えられないものもあった。

 

「うう……わかんないなぁ……」

「そっか……この辺りのことは難しいよね……」

「……ごめん……学校で図書館を探せばわかると思うけど」

「いや、いいよ。こっちこそごめんね。僕がポケモンセンターのデータベースで探せばいいだけの話なのに」

「でも、それ時間かかるでしょ?だから私に聞いたんだよね?」

「まぁ、うん」

 

ポケモンリーグに挑戦するための時間は限られている。

ゼロの状態から資料を探して、トレーニングを組み立て、メガルカリオの対策をして、勝利の為の試行錯誤を繰り返すとなると時間がいくらあっても足りない。

 

そもそも、根本的にコルニと自分のポケモンの基礎体力が圧倒的に違うことは今朝の砂浜ランニングでも思い知っている。

 

だが、1つだけ。たった1つだけ案があった。

 

タクミが抱える複雑な課題の数々を効率的にこなす方法が1つある。

 

それはあまりに突拍子もない方法であり、何よりも、失敗すればポケモンリーグへの挑戦すらままならなくなる可能性があった。

 

それはできれば避けたいというのが本音だ。

タクミはそう思って、知識量の豊富なアキに助言を求めたのだ。

結果としてはあんまり選択肢は増えなかったが。

 

タクミは難解なパズルを前にしたかのように表情をしかめる。

 

そんな時、「トントン」とホロキャスターから音がした。

アキがタクミの注意を引くためにマイクを叩いた音だった。

 

「ねぇ、タクミ。なんか、考えてる?」

「え?そりゃあ、考えることは沢山あるし」

「あっ、そうじゃなくて、えと……タクミ、何か迷ってる?」

「う、うん」

「やっぱり」

 

アキは歯を見せ、シシシッと笑った。なぜか嬉しそうなアキ。そんな彼女を前にしてタクミは首を傾げた。

 

「なに?」

「へへへ~……それじゃあ、そんなタクミに私から……私にしかできないアドバイスをします」

「アドバイス?」

「うん。『私にしかできない』アドバイス」

 

アキは『私にしかできない』というのを何度も強調した。アキはおもむろにホロキャスターを持ち上げ、ホロキャスターを天井に向けて掲げた。身体を大きく背もたれに預け、自分の全身が映るようにカメラを向ける。

 

彼女の顔も、身体も、手足も、その全てがホロキャスター内に映り込む

 

「……タクミ……決断は絶対に早い方がいい……」

「っ……!!」

「決断のためにいっぱい調べて勉強するのはいい。いろんな人に話を聞くのもいい……でも、そういう調べ物が全部終わったんなら……もう決めるだけだっていうなら……だったら、自分の気持ちが少しでも傾いている方向に転がった方がいい。それも、できるだけ早くね」

 

ホロキャスターのカメラに映る彼女の身体。

細い腕は相変わらず不健康な程真っ白で、赤い髪はシャワーを浴びた直後でまだ少し湿っていて、上気した頬は仄かに上気していて、そしてラフな短パンの下には今も包帯が巻かれた左足がある。

 

「決めて、動けば、進める。迷って止まっていた時間が全部無駄だったんだって思うぐらい何もかも一気に進んでいく……私は……そうだった」

「アキ……」

「これでもね、私、少し後悔してるんだよ……タクミがポケモンキャンプに行く前に……もっともっと前に手術を受けることを決められていたら、きっと私も一緒にポケモンキャンプに参加する方法もあった……もっと早くスクールに入学して勉強できた……」

 

アキはそう言って、再びホロキャスターを机の上に戻した。

 

「悩んで悩んでいろんな情報をかきあつめた後、決断を先延ばしにしてて迷っちゃってた時間が今は……とっても、惜しい……」

「…………」

「タクミ……決断と行動は……絶対に早い方がいい!」

 

アキはそう言って両手を握り込んだ。

 

アキの手術は今後の人生を左右することになる程の大きな手術だった。それを受けると決めたアキの覚悟は並大抵のものではなかった。そんな決断を乗り越えた『アキにしかできない』アドバイス。

 

それは、タクミが心を決めるのに十分すぎるものであった。

 

「……アキ、ありがと」

 

タクミの瞳に力が宿る。全身に気力が戻ってくる。タクミは両腕の拳でベッドを叩き、その反動で起き上がった。

タクミのポケモン達が『何事か!?』という顔をしたが気にしない。

 

「アキ!ありがと!うん……決めたよ!!僕は――――――――」

 

タクミは画面に向けて、強く宣言する。

 

その内容を聞き、アキは最初は目を丸くしたが、すぐさま大口を開けて笑いだした。

 

「あははは、すごい!!凄いや!!でも、それってアリなの?」

「わかんないけど。ダメだったらその時にまた考える!とにかく決めた!」

「おっけー!!決めたなら行っちゃえ!!」

「うん!でも、ミアレシティに戻ってくるの大分先になるかもしれないね」

「あぁ……そっか……うん!でも、強くなって帰ってくるんだよね」

「当たり前だ!!」

「なら、私ももっともっと強くなる!!」

「うん、次あったらもう一度勝負しよう!」

「もちろん!!」

 

2人はヘラヘラと馬鹿みたいに笑う。

遥か彼方の夢を追いかけるにはそれぐらいでちょうどいいと言わんばかりだった。

 

「それじゃあね、アキ、体に気を付けて」

「タクミもね」

 

タクミはカメラ越しにハイタッチを交わして通話を切る。

 

「みんな!!御飯は食べた!?」

 

タクミは勢いよくベッドから飛び降り、自分のポケモン達に向けて呼びかける。

各々から返事があがり、空っぽの器が掲げられる。

 

だったらもう、ここに用はない。

 

「行くよ!みんな!!」

 

タクミは器を回収してリュックに詰め込み、他の荷物も手早くまとめだした。

タクミのポケモン達も先程のアキとの通話を聞いていた。タクミのこれからの行動は予想済みと言わんばかりに自分達からボールへと戻っていく。ヒトモシは楽しそうに、ゴマゾウはニヤリと笑いながら、フシギダネはやれやれといった具合にボールに吸い込まれ、抗議するように僅かにボールを揺らした。

 

窓の外に広がる空は既に群青色。太陽も水平線の先にわずかな半円を残すばかりだ。だが、そんなことでタクミの行動は止まらない。タクミは旅立ちの準備を終え、強張った顔のクチートを肩に担ぎあげ、やる気満々のキバゴを連れ、部屋を飛び出した。タクミは驚くジョーイさんにチェックアウトを告げ、そのままポケモンセンターの外へと駆け出す。

 

夜の闇に覆われんとするシャラシティ。

海岸線が朧気に町明かりに照らされ、その先に灯のようにマスタータワーが煌めいている。

 

タクミは階段を駆け下りていき、海岸へと降り立った。

 

「…………」

 

海岸の中央。真正面にマスタータワーを見据え、タクミは波打ち際へと足を進める。

既にマスタータワーへの砂の道は満潮の下に沈んでいる。

 

 

だが、道は必ずそこにある。

 

 

タクミは大きく深呼吸をしてそのまま足を踏み出した。

波が跳ね、スニーカーの靴裏が湿った砂地を踏みしめる。

 

まだ潮が満ちて間もない時間帯。今ならまだ走り抜けられる。

 

「行くぞ!!」

「キバァァ!!」

「クチッ!!」

 

タクミはそのままマスタータワーへと向けて走っていく。

 

1度目は観光、2度目は挑戦、3度目は体験

 

そして4度目は……

 

 

 

 

 

「たのもぉおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

タクミはまだ明かりのついていたジムの前で声を張り上げた。

荷物は投げ捨てるように脇に転がり、びしょ濡れのスニーカーとジーンズのまま、タクミはジムの前で仁王立ちしていた。隣ではキバゴとクチートも堂々とした態度で直立している。

 

ジムの1階ではトレーニングをしていた門下生達がおり、彼等が「何事か」と顔を出してくる。

 

「あれ?昼間の……タクミ君でしたよね?」

「どうしたんです?忘れ物ですか?」

 

タクミは大きく深呼吸して再び声を張り上げた。

 

「自分は『地方旅』中のトレーナー!地球界のタクミです!師範をお呼びいただきたい!!」

 

声変わりの前の甲高い声だが、そこに宿る気迫はまるで道場破りかジム戦を挑むかのような雰囲気だった。門下生達の顔色が変わる。

 

『ジム戦なら予約が必要』『こんな時間から挑戦はできない』『アポなしで来るのは失礼じゃないか』

 

そんな理屈を並べ立てたところで目の前のこのトレーナーは引かない。

それがはっきりとわかるだけの覚悟がタクミの目に宿っていた。

 

タクミの行動に半ば気圧されていた門下生達。

 

そんな彼等を押しのけて、ジムの中からコルニが姿を見せた。

 

「……タクミ君……何か用?」

 

言葉少ないコルニ。

コルニは既にジムリーダーとしての顔をしていた。

 

「師範は今、ちょっと手が離せないの。私が代わりに聞くよ。タクミ君、何の用?」

 

固く、感情の読めない淡々とした言い方に責めるような響きが混じる。

タクミも自分が不躾な来訪者であることはよくわかっていた。

叱りを受けて当然、門前払いされてもおかしくない。

だが、それで引く程度ならこの夜闇の中で海に沈んだ砂の道を駆けてこなど来ない。

 

タクミの気持ちは揺るがない。

そして、トレーナーが揺るがなければポケモン達も動かない。

 

タクミは大きく深呼吸をして、その場に正座した。

 

「…………」

 

キバゴとクチートも同じく膝を折る。

 

「…………」

 

それを見下ろすコルニの表情は固いまま。

 

タクミはその目を真正面から見つめ、両手をついて頭を下げた。

 

 

 

 

 

「お願いします!!僕を……このジムに入門させてください!!!」

 

 



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修行編が好きなのって自分だけ?

更新が遅くなって申し訳ありません。

まぁ、皆さん予想していたと思いますがパルデア地方に遠征しておりました。
いやぁ、今回のポケモンは最高でした。めちゃくちゃ楽しかったし、今なお現在進行形で楽しんでおります。

それにしても……

しゃぁっ!オノノクスがアイアンヘッド覚えたっ!!
くくく……これで、にっくきミミッキュを確定一発にできますよ。
なにっ!?テラスタル!?

ではでは、余談はここまでにして本編どうぞ


 

「お願いします!!僕を……このジムに入門させてください!!!」

 

頭を下げたタクミを前にして門下生の間に一気にざわめきが広がった。

 

「ええっ!?でもタクミ君!?入門って……マジで?」

「門下生になるってこと!?『地方旅』はどうする気!?」

「っていうか、いいんでしょうか?彼、【かくとうタイプ】のポケモン持ってないですよ!?」

 

それに対してコルニの表情は揺るがない。

頭を下げたタクミを見下ろし、静かな声で問いかける。

 

「……タクミ君。ここは【かくとうタイプ】のジム。【かくとうタイプ】のポケモンをより深く理解し、鍛える為の場所。中にはジムリーダーを目指す人たちだってここにいる。その中に、【かくとうタイプ】のポケモンを持たないタクミ君を入れるわけにはいかない……昼間許可したのはあくまで『体験』のみ……君を門下生として受け入れることはではできない……それはわかってる?」

「わかってます」

 

タクミは即答し、地面に穴を掘らんばかりに額を砂地にこすりつけた。

 

「その上で、無理を承知でお願いします!僕をこのジムで修行させてください!!」

 

キバゴとクチートもタクミに倣い、頭をより深く下げた。

コルニは自分の髪の先をチラチラと弄る。

苛立ちとも、諦めともとれるような態度だが、頭を下げたままのタクミにはそんなコルニの様子はわからない。

コルニは小さくため息を吐き、タクミに再度質問をした。

 

「タクミ君、どうしてそこまでこのジムにこだわるの?」

「……ここに……全てがあるからです」

「全て?」

「はい!!」

 

タクミが顔を上げた。

その彼の目にはギラギラとした闘争心が宿っていた。

 

「あなたに勝つための全てがあります」

 

防御の技術を含めたポケモンバトルの基礎を鍛える環境も、食生活に関するアドバイザーも、何よりも日々コルニのルカリオを最も近い場所で研究することができる。

タクミはコルニに教えを請いに来たのではない。コルニに勝つ為に学びに来たのだ。

 

これが、タクミなりに考え、悩み、そして導き出したゴールへの最短距離なのだ。

 

「あなたに勝つために……僕を鍛えてください!!」

 

それは、見ているこちらが恥ずかしくなる程に純粋で真っすぐな宣戦布告。

それが伊達や酔狂ではないことは疑うまでもない。

 

コルニはジムの隣に聳える『マスタータワー』へとチラリと目を向けた。

夜の月明かりの中でぼんやりと浮かび上がった『マスタータワー』。

その上階のバルコニーに人影が見えていた。

 

このジムの入門には『師範』と『ジムリーダー』の許可がいる。

だが、コルニにはコンコルドがどう返事をするかを既に知っているのだった。

 

コルニは腰に手を当てて、タクミを見据える。

その顔は既に年相応の少女のものに戻っていた。

 

「まったく、だからってわざわざ日が沈んでから来なくてもいいんじゃないの?」

「……失礼とは思いました。でも、僕はコルニさんに勝つまではこのジムに居続けるつもりでここに来ました!だけど、『地方旅』も諦めるつもりもない!だから1日だって惜しいんです!明日から、いえ、今夜からこのジムの一員として自分も修行をつけてもらいたいんです!!」

「わかったわかった……まったく、おじいちゃんの言った通りだ……」

「え?」

「いやいや、こっちの話」

 

そして、コルニは少しだけ悔しさを滲ませたような顔をして、言った。

 

「しょうがない、許可しましょう」

「本当ですか!?」

「もちろん。こうなったら、追い返すわけにもいかないからね」

「あ、あ……ありがとうございます!!」

 

ゴンと音がして、タクミが額を地面に叩きつけた。

 

「はいはい、立って立って、それじゃあみんな。新しい仲間だよ。世話してあげてね。後、誰か『おかみさん』に一言伝えてきて。今日から仲間が一人増えるってね」

「押忍!!」

 

そして、タクミは門下生達に連れられてジムの中に入っていく。

コルニは彼等と一緒にジムに戻っていきながら、もう一度『マスタータワー』を振り返る。

既にバルコニーから人影は消えていた。

 

「おじいちゃんには……敵わないな……」

 

コルニは昼間のコンコルドとの会話を思い出す。

 

『もし、彼が……『今日』のうちに入門したいと言ってきたらどうする?』

『おじいちゃんったら、そんなことになるわけないじゃん。時間を考えてよ』

『どうかな……ワシは……彼ならやりかねないと思っておるぞ。その時は規則を曲げても良いと思っている』

『えぇっ!?そこまでする!?まぁ……『もし』そうなったら面白そうだし、『ジムリーダー』としても許可しましょう。まぁ、ないと思うけど」

 

本来はタクミの入門は認められない。

明日以降タクミがここに来ても、『入門』は認められなかっただろう。

 

だが、タクミは『今日』の間にやってきた。

日が沈み、砂の道が沈み、それでも波しぶきを蹴飛ばしてやってきた。

 

「……本当に……面白くなりそうだ……」

 

コルニはそう呟き、ニヤリと笑ったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

新人の案内は一番若手の門下生の仕事。

というわけで、昼間にもタクミを案内してくれたカケルがタクミの指導役に選ばれた。

彼は自室で休んでいたらしく、話を聞いて目を丸くしていた。

 

「タクミ君!?本当に昼間来たタクミ君ですか!?」

「はい……じゃなくて、押忍!!よろしくお願いします!!」

 

彼は癖のある赤毛と薄い青い瞳をした少年だ。

タクミよりも僅かに背が高く、肩幅や足腰ががっしりとしているのはこのジムでの修行の成果だろう。

彼は呆気にとられたような顔をしていたが、すぐさま人好きのする笑顔になった。

 

「ひやぁ……じゃあ本当に入門したんですね……いやいや、まぁ、とにかく、こちらこそよろしくお願いします!同じ門下生になったのですから、我々はライバルでもありますが、仲間で、家族です!先輩として、兄弟子として色々教えましょう!」

「押忍っ!!」

 

門下生として生活するなら共同施設の掃除や洗濯などのジム内のルールがあり、タクミは早速メモを取りながらジムの生活を覚えようとしていた。集団生活なので決まり事はそこそこあったが、それほど変わったルールはない。日本と違うとすれば、年功序列的なルールが一切なくジムリーダーを含めて全員が持ち回りで仕事を行うのが実にカロス地方らしい。

それに、各々に個室が与えらえているというのも驚いた。こういう施設の門下生達は大部屋で過ごすものだと思ったからだ。

 

「昔の門下生が多かった頃は部屋が足りなくて、4人部屋が当たり前だったらしいですけど、今はこんな人数ですからね。皆さん個室ですよ」

「そうなんですね」

「タクミ君の部屋は昼間過ごしたあそこを用意をそのまま使ってください。明日、『おかみさん』が色々整えてくれるそうです」

「わかりました」

 

その後も昼間は案内されなかった場所をいくつか周った。水回りや倉庫、地下の訓練場などなど。

そして、最後に道着が並ぶウォークインクローゼットへと通され、タクミはジムの一員として改めて道着を手渡された。

 

「さて、タクミ君。君が明日ではなく、今夜からジムに来たということは、一秒でも早くトレーニングに参加したいから、ということで間違いありませんか?」

「もちろんです!!」

「でしたら、施設の案内はここまでです!まずは私達の基礎中の基礎からお教えしましょう!!20分後に裏のフィールドでお待ちしております!!」

「押忍っ!!」

 

タクミは自室に飛ぶように駆け込み、服を脱ぎ捨てる。

 

「…………」

 

股下を履き、道着に袖を通し、気合を入れるかのように白い帯を締める。

 

タクミは鏡の前に立ち、自分の姿をもう一度見つめる。

昼間と同じ服装。

だが、その心持はまるで違う。

 

タクミは自分の頬をバチンと叩いた。

 

「……よしっ!」

 

タクミはもう一度自分に気合を入れなおす。

 

コルニに勝つまでジムの門下生となる。

もし、このジムを突破できなければ自分の『地方旅』はここで終わる。

時間をかけすぎて他のジムを回る時間がなくなればそれで詰みだ。

 

焦りはある。実のところ迷いもあった。自分が選んだこの選択が正しい自信なんてない。

 

それでも、もうタクミは踏み込んだのだ。

ならば後はどんな泥道だろうと突っ走るだけだ。

 

「……オフロードが得意な奴ならいるしね」

 

タクミのその声に答えるようにゴマゾウのモンスターボールが揺れた気がした。タクミはニヤリと笑い、気合十分のキバゴとクチートを連れてジムの裏口へと向かっていった。

 

既に日の沈んだシャラシティであるが、裏のフィールドはジムから漏れる蛍光灯の明かりで満たされていた。タクミは長く伸びる影の先に、先輩となったカケルがいることに気が付いた。

彼はホロキャスターに表示された時計を見て、ほほ笑んだ。

 

「ふふっ、ここまで12分。ウチのジムには遅刻に罰則はありませんが、できるだけ時間は守るのがモットーです。明日からもこの調子でお願いしますよ」

「押忍っ!!」

「いい返事です。よっし、それじゃあ、ウチのジムの基本中の基本から」

 

そしてカケルはフィールドの片隅にタクミ達を連れて行った。

 

そこには不思議なオブジェクトが並んでいた。

 

「…………?」

 

30cmぐらいの太さの丸太が地面に突き立っていた。高さはだいたい100cmを少し超えるぐらい。それが等間隔に7本程並んでいる。その丸太は長い時間を風雨にさらされたせいか、表面が滑らかになっており、片面だけが表皮が剥げて木目が剥き出しになっている。カケルはそれに手際よくクッションを巻き付けていく。タクミは見よう見まねで同じようにクッションを巻いていくが、その間も頭の中には疑問符が並び続けていた。

 

これに拳の打ち込みでもするのだろうか?

だが、タクミ達はまだ拳の握り方すら習っていない。

いきなりこれを殴ったら手を方を怪我をするのではないだろうか。

それに、ただパンチを打つだけだというならフシギダネやヒトモシやゴマゾウはどうしたものか。

 

そんなタクミの疑問をよそにカケルは丸太から10cm程度の距離を取って、腰を落とした。

 

「タクミさん。よく見ててください」

「えっ?カケルさんがこれ使うんですか?」

「はい、ウチのジムはポケモンとトレーナーが一緒に鍛えることが当たり前ですから」

 

そういえば、早朝ランニングも型の稽古でもトレーナーとポケモンが一緒になってトレーニングをしていた。

 

「今日からはタクミさんもこれをしてもらいます。これがウチのジムの全ての基本……ですっ!!!」

 

次の瞬間だった。

 

カケルが勢いよく足を蹴り出した瞬間。空気を裂くような激しい破裂音がした。

それはカケルの身体が丸太にぶつかった衝撃で放たれた打撃音だ。

カケルは10㎝程度という短い距離を一気に詰め、自分の胸筋部分を叩きつけるように全身で丸太へとぶつかっていったのだ。

 

相手に向かって全身をぶつける攻撃。

 

ポケモンのワザの中で最も基本的で最も初歩的な攻撃方法。

 

「……『たいあたり』……これが、ウチのジムの基本です」

 

タクミは呆気にとられたような顔で固まる。

 

「門下生が最初に学ぶのはこれです。型を覚えたり拳の握り方を覚えるのは二の次。さぁ、タクミさん。全てのポケモンを出してください。一緒に『たいあたり』を学びましょう」

 

キラリンと白い歯を見せていい笑顔をするカケルの方を見て、タクミは背筋に一筋の汗が流れ落ちるのを感じた。

 

その様子をジムの中から見つめるコルニはトレーニングで流した汗を拭いながら楽しそうに笑う。

 

「さぁ、タクミ君。君はこのジムのやり方についていけるかな?」

 

かつては大勢の人間がいた痕跡があるこのジム。

それが今や6人の門下生を残して廃れてしまっているこの現状。

タクミはそのことについてもう少し深く考えるべきだったのかもしれないと今更ながらに考えていた。

 

「…………大丈夫だろうか……」

「大丈夫に決まってます。まずは怪我をしないような身体のぶつけ方からちゃんと教えますので。フシギダネとゴマゾウは元々覚えるワザですので問題ないでしょう。キバゴとクチートはリオルと同じやり方でいいですかね。ヒトモシは……どうしましょう……ひとまず、ヤンチャムのやり方で試してみますか?」

「モッシ!!」

「ふふふっ、やる気がありそうで何より。さぁ、タクミさん。君もですよ。こちらに来てください」

「お、押忍っ!!」

 

その後、タクミ達はひたすらに丸太に向かって身体をぶつけ続けた。

 

「キバ……キバ……」

「キバゴ、顎が下がってますよ、顔を上げて!」

「クチッ!!」

「クチート!あなたはあと半歩前に出るイメージで!」

「モッシ!!」

「ヒトモシ!飛び込んじゃだめです。ちゃんと踏み込んで!」

「ダ、ダネ……」

「フシギダネ!足が悪いことを私は考慮しませんからね!もっと強く!」

「パォォォンン!!」

「ゴマゾウ!力任せにぶつからない!もっと足先を意識して!!」

「こ、こう!?」

「タクミさん!おっかなびっくりぶつかってもしょうがないですよ!もっと足を蹴り上げて!」

「お、押忍っ!!」

 

彼等のトレーニングは夜が更け、消灯時間ギリギリまで続いたのだった。

 




最新作についてタクミのパートナーにインタビュー

・ゴマゾウさん、ドンファンの古代と未来の姿についてどう思いますか?

「イダイナキバ、あの背中のスパイクは強そうだ。トルクの効く回転はオフロードで真価を発揮する。イダイナキバがレースに出ていたら、オイラはヒルクライムでは体力の温存に徹する。あの巨体でダウンヒルのコーナーは厳しいだろうからそこでタイムを縮める。できればそこで一気に勝負を決めたい。コーナーで差し切れるかが全てだ。テツノワダチは明確なオンロードでの直線強者だ。顔を見ればわかる。オイラとは走る舞台が違うからあんまり勝負の話はできないけど。もし、オイラがサーキットレースに出るならやっぱりコーナリングで差をつけにかかるね。その為にも前の位置は譲れない。勝負はスタートポジションを決める前日のタイムアタックだね、でも、後ろにつくことになったら……」 

以下、レースについて長くなったので割愛


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千里の道の一歩目

電子音が鳴る。

 

夜明け前のシャラジムの一室。窓の外はまだ真っ暗で東の空が仄かに青く染まり出した頃合い。だが、ジムの朝は早い。

早朝ランニングから始まり、軽い朝食、午前錬、昼食、昼寝、そこから当番に従って家事の手伝いの時間だ。身体が空いているならば自由時間として自主練も可。

とにかく、昼食までのタイムスケジュールはほぼ固まっており、それらをこなす為にもベッドからいち早く起きなければならない。

 

ならないのだが……

 

「………ぐっ……ぅぅぉ……」

 

身体が異様なまでに重い。

 

起き上がろうとすると背中から腰にかけて筋肉が悲鳴をあげ、手足が鉛にでも変わってしまったかのように重い。足は稼働することを拒否するかのように曲げ伸ばしするだけで軋み、両腕の筋肉はわずかに熱をもって腫れあがっている。

考えてみれば昨日も朝から早朝ランニング、ポケモン組手、『たいあたり』の練習をこなしたのだ。極度の筋肉痛と軽い打撲が全身を覆っていた。もはや立ち上がるどころか、ベッドから起き上がろうとすることすら困難であった。

 

「………ぅぁ………ぐぉぉっ……」

 

それでも気力を振り絞ってベッドから起き上がってみるものの、それで身体が楽になることなどなかった。むしろ重力に逆らうことが、あまりにも辛い。

 

ジム初日。否、昨日入門したから二日目だが既にタクミは後悔していた。

 

「せめて、明後日ぐらいから入門すればよかったかも……」

 

タクミはそう呟きながらキバゴ達をモンスターボールから出して叩き起こしていく。

フシギダネはいつものように不機嫌そう、ヒトモシは寝ぼけまなこを擦りながら、ゴマゾウはむしろやる気まんまんで、クチートはいつも通りにシャキッとしている。

だが、彼等に共通しているのは「今日もトレーニングだっ!」という意気込みに満ちた視線だった。

 

新しい環境と『コルニに勝つ』という明確な目標があるポケモン達のモチベーションはかなり高いようだった。

 

そして、その中で一番強い瞳でタクミを見上げてきたのが、キバゴであった。

 

「キバッ!!」

 

普段なら絶対にまだ寝ている時間。

朝方は決まって朝食の時間まで寝ているキバゴが今にも走り出したいと言わんばかりに身体を動かしている。

 

「…………」

 

タクミはバチンと自分の頬を強く叩いた。

 

「っっし!!!」

 

へこたれている時間はない。

後悔している暇もない。

 

今は一分一秒を削ってでも強くなるんだ。

その覚悟でここに来たんだ。

 

タクミは道着に袖を通し、窓を開けて外の静謐な空気を胸の奥にまで吸い込んだ。

潮の香りをたっぷりと含んだ風は頭の奥をスッキリとさせてくれた。

 

「よしっ、行くか………っぅぐ………」

 

だが、いくら気合を入れても痛みが消えるわけではないのだ。

タクミは重い身体をなんとか引きずりながら早朝ランニングへと出かけていった。

 

砂浜には既に皆が揃っており、各々が準備体操をしていた。

 

「おっ、タクミ君、ちゃんと起きれたね」

 

コルニがそう言ってニヤリと笑う。

 

「もちろんです。一日だって休んでられません」

「でも、筋肉痛でしょ」

「……押忍」

「ははは、大体、みんな2日目のランニングは自分との闘いだから。そうだ、朝は寝てる間に身体の水分が抜けてるから、走る前に水分補給をしっかりね」

「押忍!」

「さぁて、それじゃあ今日も元気よく行ってみよーっ!!!」

 

そして、2日目のランニングが始まった。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

足の筋肉痛は動き出してみたら案外気にならなくなったが、それはそれとして体力が1日で伸びるわけがない。しかも、疲労は確実に蓄積している。タクミは昨日よりも早い段階で集団から振り落とされていった。

 

キバゴも同様にタクミと同じくズルズルと後ろに下がっていく。

 

「くそっ……くそっ……」

「キバァ……キバァ……」

 

踏みしめた足先が昨日よりも深く砂に沈むように錯覚してしまう。

それ程に身体が前にいかない。

 

ゴマゾウもクチートもまだ先頭集団について言っている。

ヒトモシがわずかに遅れていたが、それでもタクミ達よりは前だ。

 

「くっ……」

 

1周目が半分を過ぎたころから右脇腹も痛みだした。

 

タクミの顔が歪み、視線が落ちる。

 

何重苦かもわからない2日目のランニング。

朝方の決意が既に揺らぎかける。

 

そして、腹の奥から出てくる言葉はいつも1つに収束する。

 

『なんでポケモンのトレーニングでトレーナーも走る必要があるのさぁ』

 

だが、いくら理不尽を力説したところで何の意味もない。

タクミは重い手足を振りながら走り続ける。

 

「タクミさん、顔をあげましょう。顔を下げると喉が詰まって余計に苦しいですよ」

「おっ……す……」

 

一周遅れにされた時にカケルにそうアドバイスを受け、タクミは強引に顔をあげる。

だが、息も絶え絶えで身体は一歩踏み出すごとに左右に揺れ、頭もグラグラと揺れる。

呼吸を整えるどころか、走る体裁を整えることだけで精一杯だった。

 

タクミがなんとか2周目を走り終えた時には既に他の人達はもう走り終わってしまっていた。

誰もいないゴール。タクミの目の前に続くのは地獄の3週目。

タクミは『もう2周で切り上げてしまいたい』という欲望を振り切るのに一際強い精神力を使うはめになった。

 

「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ……」

「キバ……キバ……キバ……キバッ……」

 

それでも、隣で走るキバゴの前でトレーナーが努力を投げ捨てるわけにはいかない。それだけを心の支えにしてタクミはなんとか2日目のランニングを走り切った。

とはいえ、今日は迎えてくれる人は誰もいない。

砂浜から階段をあがっていけば、タクミのポケモン達が水分補給用のドリンクを持って待っててくれていた。

 

タクミとキバゴはそれを喉を鳴らして飲み干し、身体を引きずるようにして裏手のトレーニング場へと向かった。

 

そこではコンコルドの指導の下、昨日と同じようにジムのトレーナー達が型の通りに身体を動かして突きや蹴りを繰り出していた。

 

「走り終わったか?」

「押忍」

「よし、ならタクミはそっちだ」

「押忍」

 

コンコルドに指差された先はトレーニング場の片隅。

タクミが教えてもらったことは唯一のこと。

 

一定間隔で並んだ丸太。

 

タクミは昨日教えてもらった通りに距離をあけ、構える。

 

「ぃゃぁああああああああ!!!」

 

自分に喝を入れるように叫び、タクミは丸太に向けて『たいあたり』をぶちかます。

そんなタクミ続き、ポケモン達も次々と丸太にぶつかっていく。

 

『闇雲にやってちゃダメですよ。しっかり体重移動と踏み込みを意識して』

 

カケルに昨日言われたことを思い出すものの、今のタクミではそんなことを考える余裕はなかった。

もちろん、頭の片隅には指導の内容は残っている。

 

足先の向け方、踏み込む位置、蹴り足の加減、体幹の意識。

 

だが、今はそんなことを考えられる程に脳に酸素が回っていない。

タクミにできるのは我武者羅に目の前の丸太をなぎ倒すつもりでぶつかることだけだった。

 

「ぁあああっっああぁああああ!!」

「キバァァァアァアアァァア!!」

 

タクミに釣られるようにキバゴも声を上げ、他のポケモン達も叫びだす。

 

「ぜぇっ、ぜぇぇっ……ぬぅああぁっぁああああ!!」

 

10本『たいあたり』を繰り返し、少し身体を休めて再開。

胸に青あざを作り、膝をぶつけて擦りむき、トレーニングシューズの中には肉刺ができてすぐさま潰れた。嫌な湿り気を帯びた足先を再度踏みしめ、痛みに顔を歪ませながらとにかく丸太に向けてぶつかり続ける。ばすん、という気の抜けた音しかならないクッションを汗で濡らし、タクミ達は他の皆の型が終わるまで『たいあたり』をやり続けた。

 

「やめっ!!」

 

コンコルドの掛け声と共にジムトレーナー達が型の動きを止める。

タクミもがっくりと肩を落とし、動きを止める。

滝のように滴り落ちる汗粒が地面を濡らしていく。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……はぁぁっ……」

 

最後はほとんど丸太にもたれかかるようになりながらの『たいあたり』になっていたタクミ。

当然、既に足の動きもおぼつかない。

だが、休んでいる余裕はない。

 

この後に続くトレーニングは昨日と同じく『ポケモン組手』だ。

 

「あっ………」

「ダネっ!!」

 

足がもつれ、ふらついたところをすんでのところでフシギダネに支えてもらった。

 

「ダネダ……」

「ありがと、フシギダネ、大丈夫、大丈夫だから……」

 

タクミは顎に流れ落ちる汗を拭い、皆のトレーニングに合流しようとする。

いくら10歳の体力が無尽蔵とはいえ、普通の山道や旅の間のトレーニングとは身体にかかる負担の度合いがまるで違う。

 

流石にこのまま続けることは難しいだろうというのはポケモン達だけでなく門下生ですら思うところであった。

そんなタクミの様子にコンコルドは眉間に皺を寄せた。

 

「タクミ」

「押忍」

 

門下生になったからにはお客様扱いはなし。

コンコルドの鋭い視線が突き刺さる。

 

「『ポケモン組手』、できるな?」

 

『できるか?』という質問ではなく、『できるな?』という強制力を帯びた台詞。

タクミは奥歯を食いしばる。

 

「……押忍」

「声が小さい!!」

「押っ忍!!!!」

 

やけくそ気味の返事。

コンコルドはそれだけ声が出れば大丈夫だろうと言わんばかりにタクミから視線をそらした。

 

「うむ、さっそく取り掛かれ。ほれ、他の皆も始めろ」

「押忍!!!!」

 

タクミは重い手足を強引に動かしてプロテクターを装着していく。

そんなタクミにだけ聞こえるような声でコンコルドが小さく呟いた。

 

「…………同情が欲しいか?」

 

その瞬間、タクミの心の中で何かが切れた音がした。

 

「……っ……っっっ……ん゛んんっ!!!」

 

胸の内で百万語が渦巻く。言いたいことが滝のように溢れかえりそうになる。

今すぐこのプロテクターを脱ぎ捨てて、このトレーニング場を去れば全て解決するような気がしてくる。

 

何でこんな苦しい思いしなきゃいけないんだ?

何でこんなに耐えなきゃいけないんだ?

何を我慢しているんだ?

 

腹の奥から悪魔のようなどす黒い声が響いてくる。

 

もうやめたい。やめて逃げ出したい。

 

涙が溢れそうだった。

 

そんなタクミを心配そうにポケモン達が見上げるが、彼等には何もできない。

全てはタクミが選び、タクミが決めることなのだ。

 

タクミの口の奥から嗚咽が漏れる。

涙が溢れかえりそうになる。

 

その瞬間だった

 

 

 

「………………」

 

 

 

ふと、タクミの表情が変わった。

 

「…………?」

 

こっそりと様子をうかがっていたコンコルドの眉が僅かに跳ねる。

 

コンコルドはこれまで多くのトレーナーを門下生として受け入れてきた。だが、昨今の時代ではコンコルドのやり方に付いてこられるトレーナーは減っていった。1日でやめてしまうトレーナーも珍しくはない。

 

タクミは見込みがありそうだったが、『この程度のトレーナー』などは過去にごまんと見てきた。

その大半が恨み言と文句を垂れながらこの島から出ていくのだ。

 

だが、タクミの今の顔はコンコルドが見てきたトレーナーの誰とも違っていた。

 

今の現状を受け入れて折り合いをつけた顔ではない。

心が折れて、覚悟も気力も根こそぎ投げ捨ててしまおうとしている顔でもない。

考えることを止めて怒りにまかせて行動しようとしている顔でもない。

 

今のタクミはただ何か強敵に挑むかのような顔になっていた。

 

「……くそっ……負けるか……」

 

タクミはゴシゴシと涙を拭い、顔をあげる。

タクミは痛みをこらえるように顔をしかめながらも、確かな足取りでプロテクターを装着した。

そして、トレーニング場に立ち、両手をキバゴに向けて構えた。

 

「……キバゴ!!来い!!」

「……キバ……」

「大丈夫だ!僕のことは気にするな!!来い!!!」

「……キバッ!!キバァァァァ!!」

 

キバゴがタクミのミットに目掛けて攻撃し、タクミも必死に応戦していく。

足に力を込めるたびに潰れた肉刺が焼けるように痛み、攻撃を受けるたびに腫れあがった掌が軋みをあげる。

 

「…………くっそ痛い……ぬぅぁぁぁあっ!!」

 

それでも、タクミは手を引いたりしない。

キバゴが打ち、タクミが受ける。

 

激しい打撃音がリズミカルに響く。

 

タクミは痛みに顔をしかめながら、地球にいた頃に思いを馳せていた。

 

思い出していたのは病院の一室での出来事だった。

 

歩行器やランニングマシンが並ぶ病院のリハビリ室で、歩く練習をする彼女の傍にタクミはいた。

片足は病に犯され体重をかけられない。だが、健康な方の足には定期的に負荷をかけないと足の筋肉や神経が死んでしまう。例え健康になったとしても歩けない身体になってしまう。だからこそリハビリを続けるのだ。

 

だが、その当時のアキは病状が進行し、将来歩くことすら絶望視されていた。

目標どころか、明日の自分すら見えない中で未来の為に努力するなんてことができる人間なんてそういない。

 

それでもアキはいつだって前に進んでいた。

 

球の汗を浮かべ、泣きそうになりながらも必死でリハビリを繰り返していた。

転んで、立ち上がって、また転んで。

声をかけることしかできないタクミに時折何か言いたそうな目を向けて。

実際、時々八つ当たりして、喧嘩して。

 

あの時、アキはこんな気持ちだったのかもしれない。

 

「でも……アイツは……諦めなかったんだ……僕がここで……こんなことで……」

「キバァァァアアアアアア!!」

「うっっ!!!……くっそぉぉぉおお!!立ち止まってられるかぁぁああああ!!」

 

隙の大きなキバゴの攻撃を受け止め、その頭を叩いてはじき返す。

キバゴは地面に押し倒され、勢い余って大の字になって転がった。

そんなキバゴに向かってタクミは荒い息で吠える。

 

「キバゴっ!!何回そうやってカウンタ―食らってんだ!攻撃をもっと鋭く、短くするんだ!!」

「キバッ……」

「次、フシギダネ!!来い!」

「ダネフッシ!!!!」

 

もう迷わないと決めた。

この道を進むと決めた。

今はただ、全力で走り抜けるのみ。

 

「フシギダネ!!連撃が甘い!!これなら余裕で近づけるぞっ!!」

「ダネダァァ!!ダネフッシ!!」

 

ムチがしなり、ミットが音をたて、タクミ達の吐息が交じり合う。

 

それを横目で見ながらコンコルドは嬉しそうに口角を持ち上げていた。



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歩く人がいるからそこに道ができる

年度末が色々と大変でこんなに時間がかかってしまった。
また少しずつ更新速度を戻していければいいなと思ってますが、できるかな……


午前錬を死ぬ気でこなし、昼食をひたすらに腹の奥に詰め込んだら、もう身体も心も限界だった。

ほとんど歩く死体(ウォーキングデッド)状態になりながら部屋に戻り、そのままベッドに倒れ込んだ。

一瞬で眠りに落ちたタクミはそのまま寝息すら立てずに惰眠を貪った。

 

そして、本来起床予定の15時になってもまだ眠っていた。

タイマーが5分程鳴り続けてもピクリとも動かない。

それ程に深く眠り続けるタクミを起こす者はいなかった。

 

フシギダネ達はもちろんタイマーに気が付いていたのだが、今のタクミを叩き起こすのは流石に憚られらた。そのまま寝かせてやることが優しさと思い、フシギダネ達はそのまま一緒に昼寝を満喫していた。

 

結局、タクミが起きたのは4時頃にカケルが様子を見に来てくれた時であった。

 

タクミは慌てて飛び起き、目覚まし時計とフシギダネに一通り理不尽な文句を垂れてから道着を再び身に付けて飛び出していった。

 

「す、すみません!わざわざ起こしに来てもらって……」

「いいんですって。最初は僕もそうでしたから」

「え?カケルさんが?」

「はい」

 

昨日と同じくトレーニング場の片隅で丸太の前に立ち、タクミとカケルは丸太にクッションを巻き付けていく。

 

「僕もここに来たばかりの時はランニングで一周遅れにされるし、2日目の午前はトイレに逃げ込んで練習サボったし、4日目とか家事当番なのに昼寝で寝過ごして先輩に代わってもらったしで、散々でした。今思えばよく逃げ出さなかったなぁと思います」

「カケルさんも、そうだったんですね」

「はい。でも、今のタクミさんの顔を見て安心しました。ここを辞める人は大体2日目の顔を見ればわかりますから」

「そういうもん……ですか?」

「はい」

 

カケルはこのジムでは一番の若輩にあたる。

彼の後に入ってきた人がいるとしても、その全てが辞めていったということだ。

 

「さて、またやりますよ。『たいあたり』」

「押忍……」

 

タクミは昨日教わった通りに丸太の前に立つ。

朝方とは違い、昼寝して体力はある程度回復した。まだ打撲や筋肉痛はあるが、全てが嫌になるぐらいにキツい程の状況ではなかった。

 

だが、タクミには少し期待があったのだ

新しいことを教えてもらえるんじゃないかという期待だ。

 

「あの……これいつまでやればいいんです?他にも型とか、別のトレーニングとかを覚えなくていいんですか?」

 

昨日は夜も遅かったこともあり『たいあたり』だけしか教えてもらえなかったが、今日は時間もある。皆が朝やっている型やその他のトレーニング方法も教えてもらえるんじゃないかと思っていた。

なのに、やることはやはり『たいあたり』

新しい環境で新しいことを身に付けるつもりで来たのに、教えられているのが丸太にぶつかり続けるだけというのは流石に不満も不安も出てくる。

 

だが、そんなタクミをよそにカケルはあっけらかんと言い放った。

 

「さぁ?どうでしょう?」

 

何の感慨もなく言い放たれた言葉にタクミは言葉を失った。

 

「……え……『さぁ?』って……」

「残念ですけど」

 

カケルは丸太を平手でパシンと叩いた。

 

「このジムではこの『たいあたり』がある程度のレベルに達しないと次はありません。つまり、いつまでやればいいのかは、タクミさん次第ということです。僕から言えるのはそれだけです」

「…………」

「不満ですか?それとも、後悔しています?」

 

タクミは一瞬胸をよぎった薄暗い感情を素早く振り払う。

 

『こんなのアキの味わった苦しみに比べればなんてことない』

 

「ないです。それよりも、そんなことを考えている時間の方が惜しいです。始めます!!」

「あっ、今日は使う丸太は3本にしてくださいね。隣で僕のポケモン達も一緒にやりますから」

「押忍!!」

 

タクミはキバゴとヒトモシを隣に並べて、丸太の前に立つ。

カケルはリオルとヘラクロスを繰り出した。

 

そして、タクミ達はカケルの合図と共に再び丸太に向けて『たいあたり』を始めた。

 

足の裏は肉刺が潰れたばかり。足腰は筋肉痛だか打撲だかわからない痛みで支配されている。全身の身体の重さは今も健在。それでも心持ちが違えば動きも変わる。

根性だけでぶつかった朝の『たいあたり』よりは少しは身体の動きを意識することができている。

 

だが、タクミはすぐさま自分の未熟さを思い知ることになった。

 

それは『音』であった。

 

「リオッ!!リオッ!!リオッ!!」

「ヘラッ!!ヘラッ!!ヘラッ!!」

 

リオルとヘラクロスが丸太にぶつかる度に空気が裂けたような破裂音が響き渡る。

それに対してタクミやキバゴ達がぶつかってもプロテクターはスポンジを押しつぶした時のような腑抜けた音しか出てこない。

 

体躯の問題じゃない。

 

ヘラクロスはまだしもリオルの体躯はキバゴとそう変わらない。

それより遥かに上背も体重もあるタクミでさえそんな綺麗な音を出すことはできなかった。

 

音が重要とは思わないが、やはり綺麗な音が鳴っている方が威力が高い『たいあたり』ができているような気になるのだ。

 

「………………」

「ん?どうしました?」

「あっ、いえ……その……いい音が鳴るなって思ってですね……カケルさんの時も強い破裂音がしたのに……何が違うんでしょう?」

 

タクミはもう一度構えをとり、丸太にぶつかる。

だが、鳴るのはパスンという気の抜けたような音だけだった。

 

「カケルさん、何かおかしなところがあるなら教えてください」

 

タクミがそう言うとカケルは何故か小さく笑ったのだった。

 

「え?何か、僕変なこと言いました?」

「いえいえ、ただ……残念ながら今のタクミさんは『おかしなところ』しかないですよ」

「え?」

「いいですか?もう一度見せますよ」

「あっ、ちょっと待ってください!!」

 

タクミはすぐさまホロキャスターをヒトモシに向けて放り投げ、動画の撮影をお願いする。

こういう時に思い出すのは『ポケモンキャンプ』のことだ。

 

ミネジュンやマカナと一緒に一勝するためだけのトレーニングに費やしたあのキャンプ。

キバゴやフシギダネのバトルの動きを確認するのに、動画を取ることでより客観的に判断することができる。こうすれば休憩時間にも見返すことができるし、何よりも比較材料を残すことが大事なのだ。

 

全てはマカナからの受け売りであったが、こういう時にこそ実践すべきなのだ。

 

タクミはもう一度カケルの『たいあたり』をつぶさに観察する。

昨日の夜から今日の昼まで、既に3桁は軽くこなした『たいあたり』。カケルから教えられたポイントは実践しているつもりではいたが、それはあくまでも『つもり』でしかない。実際に上手くいっていないのだからやはりどこかが違うのだ。

 

カケルは半歩の距離で構えを取る。腰を落とし、肩幅に足を開き、上体を起こし、胸を張り、右足を半歩後ろに引く。次の瞬間、カケルは地面を強く蹴り込み、大きく足を踏み出した。蹴り足で産んだ突進力を更に自らの足でその地に縫い留め、体幹の筋肉で支えて丸太に向けて叩き込む。カケルが丸太にぶつかった瞬間に強烈な破裂音が響いた。

 

「っ!!」

「ふぅ……いいですか、昨日も言いましたが大事なのはインパクトの瞬間です。蹴り足も、踏み込みもそのための準備にすぎません。必要なのは丸太に当たる瞬間に筋肉の駆動の全てを集めることにあります。そうすればこのようにプロテクターの中の空気が一気に抜けて強い音がします」

「なるほど……」

 

確かに改めてみると自分の『たいあたり』とは全然違う。

足捌きも、踏み込む位置も、身体の動きもまるでなっていない。

まだまだ自分の『たいあたり』が完成形には程遠いことはわかった。

 

だが、ここで1つ疑問が湧いてくる。

 

「でも、これって、ヒトモシはどうしたら……」

 

2足歩行のキバゴやクチートはまだいい。

4足歩行であるがフシギダネやゴマゾウはそもそも『たいあたり』を覚えるから基礎はできている。

 

だが、ヒトモシばかりはそうはいかない。

 

そもそも足がないのだ。

蹴り足も踏み込みもどうにもならない。

何か方法がないかとカケルの方に視線を向けたが、その返事は無情なものであった。

 

「それはタクミさんが教えるんですよ。ヒトモシのトレーナーはタクミさんでしょ」

「…………そう、ですよね」

「それに、僕も自分の修行がありますし、ずっと付きっきりにはなれません。ポケモン達の指導はタクミさんがしなければなりません」

「……押忍……」

 

それはそうだ。鍛えるべきはあくまでポケモン。そして、ポケモンの指導はトレーナーの仕事だ。タクミが『たいあたり』のやり方を早くマスターしてポケモン達に教える立場にならなければならない。

 

「…………あ……そっか……だからトレーナーも同じように鍛えるんですね」

 

そう言ったタクミにカケルは満足そうに頷いた。

 

「そうです。トレーナーが身体でやり方を覚えれば、ポケモン達に指導するのにも幾分か伝えやすくなります。ポケモンはあくまでポケモン。種類によって筋肉のつき方も動かし方もまるで違う。中にはどうやって動いているのかすらわからないポケモンもいます。そんなポケモン達を指導する時に自分という基準があれば応用をきかせる足掛かりになります」

「……あぁ……なるほど……そして、トレーナーがトレーニングをこなすには最低限の体力がいる。だから早朝マラソンに繋がる……」

「その通り」

 

言われてみれば確かに納得のいくことばかりだ。

何の説明もないのはいかがなものかとも思うが、逆に言えばこれぐらいは自分で気づいてもらわないといけないということでもあるのだろう。

 

タクミはジムの隣に聳え立つマスタータワーを見上げた。

 

石造りの塔は長い年月を潮風に晒されながらも悠然と構えたままの姿を晒している。

その塔の持つ意味をタクミはこの時ようやく理解したのかもしれない。

 

「このジムは過去に幾人もの著名なトレーナーを輩出してきたカロス地方有数のジムです。そして、ジムという制度が産まれる前からここはルカリオのトレーナーの聖地としてトレーナが日々鍛えあっていた場所……長い年月のなかで磨かれ、練られてきたトレーニングに無駄なことなどありません」

「………そう……ですね……」

 

タクミは自分の掌を見下ろす。

今朝の『ポケモン組手』の時に掌にも肉刺ができていた。

肉刺を重ねて皮膚が分厚くなるように、この土地には過去のトレーナー達が流した汗が地層のように幾重にも折り重なっている。

 

それが『伝統』というものなのだろう。

 

タクミはこのジムの一端に触れたような気がして、すぐさま首を横に振った

たった一日で感じ取れる程ここの伝統は浅くはない。

そんな自分の思い上がりを誤魔化すように、タクミはカケルに笑いかける。

 

「カケルさんはこのジムが好きなんですね」

「ええ、タクミさんにもここが好きになってもらえると僕も嬉しいです」

「……押忍」

 

タクミはもう一度カケルの『たいあたり』を動画で確認し、自分の動きを近づけようと意識づける。

 

「続けます!ヒトモシ!僕の『たいあたり』も動画で撮っといて」

「モッシ!!」

「ヒトモシの代わりにクチート。隣にきて」

「クチ!」

「10回やったらフシギダネとゴマゾウに交代」

 

タクミは丸太の前に立ち、地面を蹴る。

 

まだ綺麗な音が出るには程遠いが、今朝よりは少しマシな音が出るようにはなっていた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

丸太を打つ鈍い音はこのジムに新人トレーナーが来た時の風物詩。

 

身体の力が十全に伝わらなければ強い音は鳴らない。

インパクトの瞬間に筋肉を締めて打撃力を上げなければいい破裂音は鳴らない。

 

紙袋を潰したような抜けた音が次第に高音に代わっていく過程こそが、このジムの新人の成長具合そのものであった。だが、ここ数年はその心地よい破裂音が聞こえる前に途絶えてしまうのが常であった。

 

『ついていけません』『自分には合わないみたいです』『こんな時代錯誤なことやってられるか』

中には夜中に海を泳いで逃げ帰った者もいた。

 

だが、今回は期待できそうであった。

 

マスタータワーの頂上でルカリオやバシャーモと精神統一をしていたコンコルドは潮風に乗って届くタクミの音を聞きながら、静かに目を見開いた。

 

「…………ふむ……」

 

まだ燦々と輝く日輪の下でコンコルドはその音の機微を聞き分ける。

 

「……これは……ぅうむ……」

 

瞑想から心を乱すコンコルドに周囲のポケモン達から叱責の視線が突き刺さる。

 

「そんな目で見るでない、これはこれで大事なことなのじゃ」

「バウッ……」

「わかっておるわい」

 

コンコルドは「真面目な奴め」と呟き、再び瞑想に戻っていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

タクミとポケモン達が丸太を撃つ音は日が沈むまで辺りに響き続けた。

カケルは既に自分のトレーニングの為に引き上げており、ここにはタクミ達しかいない。

タクミは自分の動きを動画で確認しながら、幾度となくカケルの『たいあたり』と見比べて修正を繰り返していた。あのあと、やはり感覚がつかめず、カケルに頼み込んで今度は上半身を脱いでやってもらった。それを見ればいかに下半身と上半身の動きが連動しているのかがよくわかる。

 

タクミは自分の動きを一つ一つ確かめながら何度も丸太へと身体を当てていた。

 

「っし!!……ふぅ、これで10セット……でも……やっぱり、こう……違うな……どこだろう……やっぱり足の筋肉かな……体幹の筋肉も関係あるかもしれないけど、こればっかりは何度もやって修正しないといけないし……ヒトモシ、また頼むよ」

「モシッ」

「今度はここの筋肉。よくタイミングを見て、お願い」

「モシモシっ」

「よっし、休憩終わり。行くよ」

 

タクミは他のポケモン達に声をかけ、再び丸太の前に立つ。

10回1セットを10セット。1セットのインターバルはきっちり1分。

これを繰り返して既に何回目かはもう数えていない。20を超えたあたりから数えるのをやめてしまった。

 

だが、それほど無茶な数をこなしたわけではない。時間にして半日にも満たない。

それにしてはタクミの上達は驚く程に早かった。

 

「ゃぁっ!!やぁっ!!やぁああっ!!」

 

別にタクミは武道の経験者ではない。格闘技のセンスがあるわけでもない。

それなのに、タクミの『たいあたり』は今朝と比べものにならない程に良い『音』が出るようになっていた。

 

タクミの成長が速いのは唯一『たいあたり』のトレーニングから外されたヒトモシが担っていた。

 

「ヒトモシ、次は、少し、動きを緩めて」

「モシッ!」

 

ヒトモシはカケルの『たいあたり』の動画を手元にあげて片手をあげる。

その手に集めたサイコパワーが向かう先はタクミの身体であった。

 

「モシー………」

「よしっ、次っ!!」

 

1分のタイマーが鳴ると同時にタクミ達が『たいあたり』へと向かっていく。

その瞬間にヒトモシのサイコパワーがタクミの身体を動かした。

その力はそれ程強いものではない。タクミの力でも簡単に抗える程度の弱い力だ。

 

その弱い力でヒトモシはタクミに『お手本』の動きをなぞらせた。

手足の動き、踏み出すタイミング、丸太に身体を当てる場所。

言葉の指示よりもわかりやすく、身体に覚え込ませるにはこれ以上ないという程に効率的。

 

タクミはその動きに沿いながら体を動かし、筋肉に意識を集中する。

時には踏み込みの位置をヒトモシに任せ、時には自分の意思で足を蹴り上げ、一回ごとに丸太の放つ音に耳を傾けて修正を繰り返す。

 

「はぁっ、はぁっ……」

「モッシ!!」

「うん、そう、だね。そろそろ、晩御飯の、時間か……はぁっ、はぁっ……ふぅぅっ……」

 

尻もちをつき、大の字になって寝っ転がる。

夕焼け空には一番星が輝いていた。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

息を整える為にゆっくり、大きく呼吸をする。

 

そんなタクミを心配そうにポケモン達がのぞき込んできた。

 

「大丈夫だよ。それより、みんなごめんね。まずは僕がしっかりと『たいあたり』をマスターしてみせるから……みんなの指導はその後だ」

「キバキバッ!!」

 

キバゴが代表して返事をして、それに合わせて皆も頷く。

 

だが、タクミは気づいていなかったが、既にキバゴもクチートも『たいあたり』で良い音を鳴らしだしていた。隣にタクミというお手本に近づいていく存在がいるのだ。それを真似ることで彼等もまた成長を続けていた。

 

「……疲れたなぁ……」

 

実質の初日なのに筋肉痛だけは2日目という最悪の一日をなんとか乗り越えることができた。

だが、明日に待っているのはより強い筋肉痛と炎症だろう。

何せ昨日とは『たいあたり』をこなした数が違う。既に胸やふくらはぎの筋肉が熱を帯びている。

 

「おっと……クールダウン、クールダウン……」

 

タクミはポケモン達と一緒に筋を伸ばしながら、身体を動かす。

 

「たくみく~ん!!そろそろ上がらないと晩御飯に遅れますよ~!!」

「わかってま~す!今クールダウン中で、すぐ上がります~!!」

 

呼びに来てくれたカケルに返事をして、タクミはポケモン達とジムへと戻っていく。

 

「キバキバッ……」

「はは、僕もお腹すいたよ」

「モッシ」

「あぁ……ごめんね、ヒトモシのトレーニングはまた少し考えるから」

「パオパオ……」

「そっか、転がってないから欲求不満か……うん、後で砂浜に降りよっか」

「クチクチ?」

「え?あぁ、足は少し痛むけど大丈夫」

「ダネフッシ」

「わかってるって。寝る前にもストレッチするよ」

 

タクミはそのままポケモン達と一緒にシャワーを浴び、夕食へと足を運んだ。

食卓には道着から部屋着に着替えた門下生達が勢ぞろいし、厨房から料理を次々と運び出していた。

タクミもすぐさま手伝いに参加し、皆揃って夕食へと並ぶ。

 

今日の夕食は玄米ご飯、きのみのスープ、大量のコロッケ、ピクルスサラダであった。

 

「おっ、タクミ君、2日目はどうだった?続けられそうか?」

「はい、なんとか」

「ははっ、そんだけ食欲があるなら大丈夫そうだな。ほれほれ、食え食え」

「ありがとうございます!」

 

先輩たちに勧められるがままに夕食をたらふく食べるタクミ。

彼等はタクミを気遣う様子を見せながらも、遠慮なしにタクミに絡んでくる。

上下関係の薄いカロス地方ならではのフランクな雰囲気にタクミもあまり遠慮なく言葉を返していく。

 

歓迎されているムードを感じるのはタクミとしても悪い気分ではなかった。

 

だが、タクミとしては言葉の端々に『辞めないよな?』という不可視の圧力がかかっていることは気になった。もちろん、タクミはもう絶対に折れないことを胸に誓った。このジムで修行を積むという決断を覆すつもりはない。

 

ないのだが、やはりそう圧力がかかるとやはり気になる。

昼間にもカケルが自分の顔色を窺っていることもわかっていた。

 

タクミはどこか居心地の悪さを感じながら2日目の夕食を終えたのだった。

 

食後の後片付けを終えて少し一息入れた後、タクミは短パンとシャツというラフな格好にサンダルをつっかけてジムの外へと歩き出す。ゴマゾウが鼻歌を鳴らしながら一歩前を行き、隣にはおやつのきのみを抱えたキバゴが並ぶ。キバゴが落としたきのみはその後ろに続くフシギダネが拾っていき、背中に乗せたヒトモシはホロキャスターの動画を熱心に見ている。クチートはタクミが胸に抱え上げ、向かった先は海岸線だった。

 

「ゴマゾウ、行ってきていいよ」

「パオパオォオオ!!!」

 

タクミが言い終わるより前にゴマゾウは元気よく砂浜で“ころがる”に興じにいった。ゴマゾウが通った後が砂浜にわずかなラインとなって残っていく。朝よりも近づいた海岸線を眺めながら、タクミは階段に腰を下ろした。キバゴは隣にペタンと座り、大口できのみを食べ始める。フシギダネはきのみでジャグリングをしながらも他の仲間達に投げ渡していた。

 

さざ波の音とポケモン達が色々と話し合う声だけが砂浜に流れる。

タクミにはポケモン達の言葉などわからないが、声の調子などからなんとなく何を話しているのかは想像がついた。

 

フシギダネがキバゴの食べ方が汚いと文句を言い、キバゴが気にすんなよと笑い、クチートが両者をなだめ、ヒトモシは適当に相槌だけを返している。

 

いつもの野宿の間と変わらないやり取りだ。

 

「ふぅ………」

 

タクミは膝の上にクチートを乗せたまま、背中を階段に預ける。まだほんのりと暖かい階段の石からは強い潮の香りと少しばかりのカロス地方の太陽の匂いがした。

 

「よっ!」

「あっ、コルニさん。すみません!」

「そのままでいいよ。隣いい?」

「はい……じゃなくて、押忍」

「あはははっ、今は普通に返事していいよ」

「押忍……じゃなくて、はい」

「ふふっ、はいこれ。喉乾いたでしょ?」

「あっ、ありがとうございます」

 

タクミは渡された給水用のボトルに口をつける。入っていたのはスポーツドリンクではなく、ただの水であった。今日一日汗を流し続けたのもあって身体は軽い脱水気味だ。仄かに火照った身体にはその冷たい水がやけに美味しく感じた。

 

タクミは寝転がったまま、星空を見上げる。

まだ日が沈んで間もないこともあってシャラシティはまだ明るい。

星もそれ程見えないのだが、タクミは別に星を見たかったわけではなかった。

 

「どう?タクミ君、このジムはやっていけそう?」

「……そうですね……」

 

タクミは勢いをつけて身体を起こす。その拍子に落ちそうになったクチートを抱えなおし、タクミはその頭に自分の顔を乗せた。

 

「なんとか……やっていけそうです。まぁ、今日はついていくだけで精一杯でしたけど」

 

辞めたくなった瞬間が幾度もあったことは口にしない。

 

「そっかそっか。いやぁ、ごめんね。この質問、いろんな人から何度も聞かれてるでしょ?」

「ええ……はい……」

「うちのジム。最近は入門者がなかなか長続きしなくてね。もって1週間、早い人だと1日でやめちゃうからさ」

「あはは…………」

 

タクミは明確な返事ができず、愛想笑いをするに留めた。

確かにここのトレーニングの意味を理解できなければ、モチベーションが保てなくなるのもわかる気がした。

ただ、タクミ自身もまだ『たいあたり』を続ける理由はわかっていない。

今は、自分の動きが少しずつ正解に近づいていくのがわかる楽しさがある。『音』という明確な結果も現れてくる。ただ、明日も明後日もこの『たいあたり』を続けさせられたら自分がモチベーションを保てるかどうかは自信がなかった。

 

とはいえ、そうでなくてもこのジムでタクミにはやるべきことがいくらでもあった。

 

1つはメガルカリオの研究だ。タクミは食後にコルニのジムバトルの映像を片っ端からホロキャスターへとダウンロードしていた。今、ヒトモシが熱心に見ているのもルカリオのバトルだ。ルカリオ、ひいてはメガルカリオへの対策を練るという意味でもこのジムに居続ける意味はある。

 

それに、食事に関してもそうだ。キバゴ達が食べているきのみはこのジムでは普段使わない種類のきのみだ。タクミにはポケモン達それぞれにあった食事のレシピの研究も進めるつもりでいた。その為にもキバゴ達には味の好みをより細かく把握してもらっている。今度『おかみさん』の時間が空いた時にポケモンフーズの作り方を教えてもらうことになっている。

 

一歩ずつじゃ間に合わない。2歩でも3歩でも1日のうちに進まないといけないのだ。

 

タクミは海岸線のさざ波をみつめながら、決意を新たにする。

 

「……ふぅん……いい顔してるね」

「え?そうですか?」

「うん。これなら心配いらないかな」

 

コルニは立ち上がり、腰を伸ばしながら大きく伸びをした。

 

「さぁて、ストレッチして寝るかなぁ……タクミ君も早く休みなよ。『良く鍛え、良く休め』うちの標語の一つだよ」

「標語?」

「うちのジムの目標みたいなもん。『良鍛良休』、『心技体』、『一心同体』、この3つを収めて免許皆伝の称号が与えられるの。私もそこに至るにはまだまだでさ」

 

タクミはそれを聞き、渋い顔をした

 

『心技体』はまだわかる。格闘技とかでも良く耳にする言葉だ。

『一心同体』もわかる。ポケモンとトレーナーのコンビネーションのことだろう。

『良鍛良休』という四字熟語は初めて聞いたが、言っている意味はわかる。

 

ただ、コルニはそのどれもが高いレベルにあると思う。

それでもこのジムに積み重ねられてきた伝統の中ではまだ先は長いということなのだろう。

 

タクミの遥か先を行くコルニですらまだ道半ば。

では、自分の前にはどれだけのものがあるのか。

 

タクミは焦る自分を戒めるように拳を掌に叩きつけた。その音は一周してきたゴマゾウの地響きにより掻き消えた。

 

「うわぉ、もう一周してきたんだ。流石に“ころがる”と早いね。それじゃあタクミ君お先に」

「お疲れ様です」

 

タクミはコルニがジムへと戻っていったのを見届け、再び背中を階段につけて夜空を見上げる。

 

「…………2日目……か……」

 

タクミはヒトモシに手を伸ばして、自分の胸元に抱え込む。

 

「ヒトモシ、最初から見ていい?」

「モシ」

 

タクミはゴマゾウが満足するまでコルニのジム戦の動画を見続けたのだった。

 




最新作についてタクミのパートナーにインタビュー その2

・ヒトモシさん、頭にろうそくがある者同士、後輩のボチとは仲良くなれそうですか?

「うん!ばっちりいけそうだよ!!なにせ今回はDJまでやる子までいるらしいじゃん!?音楽ってのは僕の考えるステージの中にはなかった要素だし、しかもラップなんて……うぅぅ、なんかインスピレーションが沸いてきそうだよ!!僕もパルデアに行きたかったな!だって、テラスタルだよ!テラスタル!!あの輝きは絶対にステージの上で映えるよ!!!やるなら何タイプがいいかな、真っ赤な炎を灯したほのおテラス、火と水という矛盾を孕んだみずテラス、意外性を生むくさテラス、恐怖をあおるゴーストテラス、新たなキャラ付けとなるフェアリーテラスも選択肢に……」

 

ヒトモシが自分の世界に入ってしまったのでインタビューはここまで


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『才能』なんて言葉はいらない

ジムで過ごす日々が3日、4日と続いていく。そして5日目ともなれば初日の筋肉痛は消えており、次第に身体の方も慣れだしてくる。だが、体力というものは1日2日で急激に伸びてくるものでもない。全身の打撲や炎症も1つ治ってはまた1つ新しいものが増える。足裏の肉刺は潰れた翌日には新しい肉刺が同じ場所にできていく。今日も今日とて全身に痛みを抱え、1週遅れにされながら早朝ランニングを走り切り、丸太の前で『たいあたり』を繰り返す。

 

練習場の片隅でひたすらに丸太に『たいあたり』を続けるタクミとポケモン達。

 

タクミはヒトモシの“サイコキネシス”に補助を頼み、その動きをキバゴやクチートが真似し、更にそれに合わせてゴマゾウやフシギダネが自分なりに『たいあたり』を改良していく。彼等の中でタクミを中心に統一感が現れてきていた。『たいあたり』の質も少しずつ上昇しており、音も『破裂音』と呼んでも差し支えない段階まできていた。

 

「…………やめっ!!」

 

いつも通り型の稽古が終わり、『ポケモン組手』が始まる。

だが、タクミはコンコルドから許可を取り『たいあたり』を続行していた。

 

「よし、10セット目!!」

 

コンコルドはその成り行きを遠目に見つめながら、眉間に皺を寄せた。

午前錬の終わりの時間が訪れてもタクミはまだ『たいあたり』を続ける。

 

「……ふぅ……ヒトモシ、もっかい動画見せて」

「モシッ!」

「…………うん……ヒトモシ、もう一回お願い。動かすのは足だけでいいから。上半身は自分でやる」

「モッシ!!」

「よしみんな。もう1セットで終わりだ!出し切るぞ!!」

 

ポケモン達の返事を受け、タクミは再び丸太にぶつかっていく。

ラスト1セットなら止めるわけにもいかず、他の門下生達は引き上げて昼食のメニューへと関心を移していた。

 

その中で、コンコルドだけが、タクミの『たいあたり』を見つめ続けていた。

 

「ふぅむ……」

「おじいちゃん、どうしたの難しい顔して」

「コルニ、今は『師範』と呼べ」

「押忍!師範!……で、どうしたの?」

 

形だけはかしこまったものの、振る舞いは孫娘のまま。

コンコルドは胸の内で『修行が足りんのう』と呟き、午後からみっちりしごいてやることを心に決めた。

 

とはいえ、それを悟られるとコルニは何かにつけて回避しようとする。コンコルドは表情を変えぬまま眉間の皺の原因について話しだした。

 

「タクミじゃよ……」

「え?」

「タクミは……いや……今は良いか」

「えっ?なに?そんな思わせぶりな言い方して」

「気になるなら自分の目で確かめことだ。さっ、昼飯の時間じゃ……」

「えぇっ?なにさ……って、もうタクミの修行終わってるし……」

 

今度はコルニが眉根を寄せた。綺麗な眉の間に深い皺が刻まれたその顔はどことなくコンコルドによく似ており、血縁の力というものを感じさせた。

 

「あれ?コルニさん。どうしたんですか?変な顔になってますよ?」

 

練習場から戻ってきたタクミがそんなことを言った。

コルニはそのタクミの顔を同じ顔で睨みつけ、「なんだろ……」と呟いた。

 

「え?な、なんのことです?」

「いいのいいの。それより、タクミ君は前に格闘技とかスポーツとかやってた?」

「いえ、何も。せいぜい友達とサッカーや野球をしたりするぐらいでしたけど、それが何か?」

「別に……気にしないで」

「お、押忍……」

 

タクミもコルニも喉に骨が刺さったような顔のまま、ジムの中へと戻っていく。

 

昼食を取り、昼寝をした後、本来な午後の自主練の時間であるのだが、今日のタクミにはやることがあった。

 

「ふんふんふ~ん」

 

タクミの今日の仕事はシャワールームの掃除であった。

シャワールームは人数の割りに広々としていた。昔の人数が多かった頃の名残だろう。今となっては全員が同時に入っても余裕がある。シャワーは6機あり、奥にはタイル張りの大浴場もある。昨日の夜は疲れてシャワーだけで済ませてしまったが、今日こそはどっぷりと肩まで温まってやる。タクミは気持ちよく風呂に浸かる未来を想像しながら熱心にデッキブラシを動かした。

 

大人数が使うシャワールームは確かに広いが、ポケモン達と一緒にやればそう大変でもない。タクミはホロキャスターからお気に入りの音楽を流しながら、ヒトモシとフシギダネの力を借りて掃除していく。

 

ちなみに、こちらのシャワールームは男性用であり、女性用の方はもっとこじんまりしているらしい。そちらは『おかみさん』がポケモンと一緒に毎日掃除しているとのこと。

 

「ふぅ、これでよし!」

 

水垢を綺麗に洗い流し、排水溝の髪の毛も捨て、綺麗になったシャワールームを見ながらタクミは満足そうに頷いた。

丁寧にこなしたので少々時間がかかってしまったが、ある意味でいい休憩時間になった。

 

タクミは掃除道具を片付けて、ヒトモシを頭に乗せ、フシギダネを胸元に抱きかかえて大広間に戻っていった。大広間で休憩しているはずのキバゴ達を連れて午後の練習だ。

 

そんな時、ふと広間の中から人の声が聞こえてきた。

ただ、それは『声』というより『叫び』に近いものであった。

 

『アチャー!!アチョー!!キェェィヤァァァア!!』

『コジョォォオオオ!!コジョッ!!コジョォォ!!』

『アチャチャチャチャチャチャチャァァアアア!!!』

「ん?……あ……」

 

大広間に置いてある大画面テレビ。

 

そこに門下生が2人程並んで映画を見ていた。背景からしてポケモン界で撮影された映画だろう。黄色いスウェットを着た男性がヌンチャクを持ち、ルカリオと一緒にド派手なアクションで敵をなぎ倒してシーンであった。

午後は自由時間なのでポケモンの休息もかねて映画を見ているのは何の問題もない。

 

問題があるとすれば、そのテレビの真ん前の位置を陣取り、間抜け顔でかぶりついているタクミのキバゴである。しかもその両脇にはクチートとゴマゾウを従え、一番いい席を占有していた。

 

いくら上下関係が厳しくないからと言って自分のポケモンが先輩たちを押しのけていい席を抑えているのには流石に看過しかねる。かといって、クライマックスシーンに割って入ってキバゴ達をどかすのもどうかと思う。

 

どうしたものだろうか?

 

ただ、音楽の盛り上がり的にみてもおそらくラスト数十分だろう。もうすぐ終わるのだからちょっと見ていこうかと思い、タクミは皆から少し離れた場所の椅子に腰かけた。

 

映画では主人公とルカリオのコンビが悪役とコジョフーのコンビとの最終決戦に挑んでいた。主人公とルカリオが入れ替わり立ち代わり格闘技を繰り出していく様は確かに見ものであった。カンフー映画特有の早回し映像とキレのある動きは良い意味でハッタリが効いていて劇団のサーカスを見ているように心地いい。ルカリオと主人公が“ボーンラッシュ”を受け渡しながら交代で連撃を加えていくシーンは芸術的ですらある。最終的には主人公が悪役をKOして警察に引き渡し、約束をすっぽかされたヒロインとの追いかけっこで終わるという、なんともコミカルな映画であった

 

「ふぅ、やっぱり、ポップ・リーが主役の映画はいいなぁ。アクションシーンの切れが違うよ」

「キバキバ!キバキバァ!!」

「おっ、キバゴもわかるか?」

「キバァ!!キバァ!!」

「その動きは前半の格闘シーンか。確かにあそこはやられ役と主人公の呼吸が絶秒だもんな」

 

いつの間にか先輩達と意気投合しているキバゴである。

熱心に語り合う彼等は放っておくとして、付き合わされたクチートとゴマゾウはどうだろうかというと、こちらもそれなりに楽しんでいるようであった。

クチートは映画というものを始めて見たのか、最後のエンドロールまで見入っており、ゴマゾウはNGシーンを見ながらケラケラと笑っている。

 

「なんていうか、みんなキバゴに趣味趣向が似てきたよね」

「ダネダ」

 

『俺は違うぞ』と言いたげなフシギダネの頭を撫で、タクミは彼等が映画を止めたところで声をかけた。

 

「みんな、トレーニングに行くよ」

「おろ?タクミ君も見てたのか、こっちに来れば良かったのに」

 

ポケモン達だけでなく先輩達も驚いて振り返ったところを見るに、随分と映画に夢中になっていたようだった。

 

「いえ、今来たとこです。ラストシーンだけしか見れてないんですよ」

「そうなのか?しかし、君のところキバゴは随分と映画が好きなんだな」

「あははは、地球界では映画を見るのがこいつの一番の楽しみでしたからね」

「キバァ!!」

 

諸手をあげて同意するキバゴをタクミは手招きする。

 

「そうなのか、ここのHDにはいろんなアクション映画が入ってるからな。自由に観ていいぞ。練習熱心なのもいいが、適度な休息も大事だからな」

「押忍!!『良鍛良休』ですね!」

「そうだ。あっ、タクミ君。ついでだし『たいあたり』がどれぐらいできるようになったか俺達が見てやろうか?」

「いいんですか!?」

 

タクミはここしばらくはカケルとタイミングが合わなかったこともあり、ほぼ一人で稽古を続けていた。

動画があるので然程大きく動きがズレているとは思わないが、そろそろ他の人から指導も欲しいところであった。

 

「ああ、俺達も午後練に行くところだしな」

「そうそう、それに5日目になってもやめる気配のない貴重な後輩だからな。大事にしないと」

「あははは……」

 

5日目になってもまだ逃げだす心配をされているあたり、このジムの門下生がどれ程辞めやすいのかを物語っていた。

 

タクミ達はお茶菓子を片付け、道着を締めなおして外の練習場へと移動していった。

 

「それじゃあ、行きます……」

 

タクミはいつも通りに丸太の前に立つ。

今回は先輩達が見ていることもあり、ヒトモシの補助はなしだ。

タクミはキバゴ達と共に横並びになり、ヒトモシに合図を任せた。

 

その時、ふと通りかかったコンコルドが足を止めた。

 

「ふむ、午後錬か?」

「し、師範!?お疲れ様です」

「えっ!?」

 

タクミが驚いて振り返るとコンコルドはルカリオとバシャーモを連れて立っていた。

 

「師範!?どうしてここに?」

「砂浜でコルニの奴に修行をつけておってな。今その帰りじゃ」

「なるほど……」

 

耳を澄ませば遠くからコルニがポケモン達と一緒に砂浜ダッシュをしているような声が聞こえる。どことなく師範への恨み言のような声も混じっているようだが、それらは波と風の音に呑まれて判然としなかった。

 

「さて、タクミ。修行の成果を見せてもらおうか」

「お、押忍!!」

 

一瞬、タクミの背中に嫌な汗が流れた。

 

コンコルドに見られた上での『たいあたり』。

ここに来て5日間。ひたすらに繰り返してきた練習の成果があがっていなければ、これまでの時間を無駄にしていたことになる。

 

ポケモンリーグ挑戦までの日数を計算すれば、このジムで修行が行える期間は長くて2か月だ。

それを過ぎれば期日までにバッジを8つ集めるのがかなり厳しくなる。

その中での5日間は非常に貴重なのだ。

 

それを無にしないためにタクミは腹をくくる。

 

「……ふぅぅ……はぁぁ……」

 

大きく深呼吸をつき、全身の力を抜く。

緊張は当然ある。だが、ポケモンバトルと一緒だと思えば余計な強張りも取れてくる。

 

タクミは構えを取り、すり足で立ち位置を調整する。

ヒトモシに目配せを送ると、ヒトモシの頭の炎が一際強く燃え上がった。

 

「モッシ!!」

 

合図に合わせ、タクミは地面を蹴りぬいた。

次の瞬間、強烈な破裂音が轟いた。

 

ポケモン達とのも合わせて合計4つの音が一糸乱れぬまま重なり、激しい音となって響き渡る。

タクミはすぐさま距離を取って再び丸太に向き直る。

 

「モッシ!!」

 

ヒトモシの合図と共に再び前に出る。

足先が地面を掴み、足裏が大地を抉る。

そうして産まれた突進力を踏み込みと同時に叩きつける『たいあたり』。

 

たった5日間ではあるが、寸暇を惜しんで鍛え続けたその動きは何も考えずとも正確な姿をなぞることができる。それでも完成にはまだ遠い。体幹がぶれる、筋肉の動きも揃っているわけではない、蹴り足の力も踏み込みの位置も改良の余地はいくらでもある。

 

だが……

 

「ふむ……」

「おぉ……」

「スゲ……」

 

 

タクミの『たいあたり』は経験者から見ても8割方完成していた。

 

「…………思った通り……良い姿勢じゃの」

 

コンコルドが小さな声でつぶやく。

門下生である2人もタクミの『たいあたり』の完成度に息を飲んでいた。

 

未経験者が『たいあたり』を覚えるにあたり、本来であればここに至るまでに最低でも2週間はかかる。

タクミがヒトモシの“サイコキネシス”を補助に使っているのは既に門下生を含めた皆が知っていることであったが、その程度で簡単に上達できるものではない。その証拠に、過去にアサナンを連れたトレーナーが似たようなことをしたが、それでもコンコルドから許しが出るまで10日はかかった。

 

下半身の突進力をエネルギーのロスなく上半身に伝えるというのは簡単なようであまりにも難しい。

 

ヒトモシの合図と共に5回目の『たいあたり』を繰り出したタクミを見ながら先輩達がうめき声に似た感嘆の声を漏らした。

 

「うわ、今のいい動きでしたね……」

「タクミ君、格闘技経験とかないんでしょ?……天才ってやつでしょうかねぇ」

 

だが、その意見をコンコルドはバッサリと切り落とした。

 

「いや、タクミは天才なぞでははない」

「え……」

「『天才』というものが『産まれる前から天が与えた才能』だというのなら、タクミにそんなものはない」

 

コンコルドは今までに幾人もの格闘家とトレーナーを両立している人間に出会ってきた。彼等の中には本物の天才と呼ぶべき人物がいた。だが、タクミにその類の才能がないことは一目見た時からわかっていた。

 

「じゃあ、この成長の速さは一体……」

「それは、あやつの目じゃよ」

「目?」

「うむ」

 

タクミは7回目の『たいあたり』に入る。

足の筋肉を意識し、腰に力を込め、姿勢を動かさぬようにぶつかっていく。

既にコンコルド達の話し声など聞こえていない。見えているのは目の前の丸太のみ。

まさに、集中力の塊であった。

 

「タクミはずっと動画で筋肉の動きを注視しておった。筋肉の動きを観察して研究し、ヒトモシを用いて再現をさせていた」

 

コンコルドがタクミの『たいあたり』の練習風景を覗くと、彼は何度も動画を確認して、その動きの細部まで目を光らせていた。足、腰、腕の大きな筋肉の動きを覚え、ヒトモシに細かく指示を出しては修正を繰り返す。その類稀なる観察眼が練習の質を大幅に上昇させていた。

 

「あ奴は……他人が歩いたり走ったりする身体の動きに対して人一倍敏感なのじゃ。他人の身体を注意深く見る『癖』がその目に染みついておる。」

「『癖』ですか?」

「うむ。その『癖』は確かに『才能』かもしれんが。それは決して天から授けられた贈り物(ギフト)などではない」

 

タクミの10回目の『たいあたり』

 

全てを出し切るつもりで繰り出した一撃は一際大きな音を轟かせた。

 

タクミは息を切らしながら、鋭い目つきでコンコルドを振り返った。

コンコルドはそんなタクミに向け満足そうに頷いた。

 

「タクミ!今より次の修行に進むことを許可する!!」

「押忍!!!ありがとうございます!!」

 

タクミの返事と一緒にポケモン達も頭を下げる。

 

「お前ら、タクミに型を教えてやれ」

「押忍!!」

 

コンコルドがそう言って背を向けた途端、後ろから歓声があがった。

 

「やったぞみんな!!」

「キバキバァ!!」

 

タクミがポケモン達に飛びつかれながらはしゃいでる様子が背中越しに伝わってくる。

 

コンコルドはニヤリと笑い、コルニの様子を見に砂浜へと足を延ばす。

 

「よっし、15本目終わり……みんなお疲れ~」

「バウッ!!」

「くあぁ~……疲れたぁ~……」

 

コルニが大の字になって砂浜に寝転がる。

すると、すぐさまコルニのポケモン達もその横に倒れ込み、瞬く間にコルニはポケモン達に囲まれてしまう。

 

そんな孫娘を見ながら、コンコルドは胸の中で呟く。

 

もし、トレーナーに『天才』なんてものがいるとしたら、それはとても単純なことだ。

それは、ただ『ポケモンに好かれる者』というだけだ。

 

コンコルドは大きく息を吸い込んだ。

 

「こらぁぁっ!!コルニ!!ダッシュを終えた後はすぐにクールダウンに入らんか!!」

「うわっ!!おじいちゃん!!いつの間に……おっす!今やります!!」

「まったく……」

 

コンコルドは鼻息を激しく噴き出し、踵を返してジムへと戻っていった。

 




最新作についてタクミのパートナーにインタビュー その3

・フシギダネさん、新しい御三家の草タイプの後輩ができたわけですが、もうお会いしましたか?

「ニャオハのやつだろ……お調子者で困ってるよ……ったく、何かにつけて絡んできやがって。せわしなく動き回るから面倒見るこっちも忙しくてしゃぁねぇ。この前なんか手品を覚えたとかで披露してたけど、間違って毒素のあるキノコを呑み込んで真っ青になってたぞ……お前に胞子は無毒だろうが……はぁ、気苦労ばっか増えやがる……」

 

溜息が増えるフシギダネさんにお茶をおごる約束をして今回のインタビューは終了


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2週間で身体つきって結構変わるよね

『型』もしくは『形』

 

空手を代表とする格闘技において技を順番に繰り出して動きを練習する一人稽古だ。

もちろん、それはただ闇雲に技を繋げるのではなく、眼前に対戦相手を想像して行う。いわばシャドーボクシングのようなものだ。

 

シャラジムが教えている『型』は全部で数十種類。

 

だが、毎朝ランニングの後にやっている『型』は全部で8種類。

 

タクミが教えられた『型』はその8種類であった。

 

日輪が天頂に輝くシャラジムの練習場。ジリジリと肌を焼く暑さをものともせず、タクミはゆっくりと構えを取った。

 

両足を前後に軽く開き、両脚の踵を浮かせる猫足立ち。背筋を伸ばし、重心は尻の真上に置く。右手は腰の横、左手は前に伸ばして掌を開ける。

 

「イヤァーーーーーッ!!」

 

足を踏み出し、右手掌底を叩きつける“はっけい”の動き。

腕を振り上げ、続けざまに左手の掌底打。

足を振り上げて前蹴りを放ち、直後に大きく踏み込んで右側に1撃。

裏拳のような動きで腕を振り、中段に向けて一発。

 

教わった動きを次々と繰り出すタクミの額には球の汗が浮かんでいた。

 

必死の形相で気合の声を挟みながら身体を動かす。

およそ1分に渡る『型』を終え、タクミは元の構えに戻って残心をとる。

隣ではキバゴとクチートが同じ動きを真似ていた。フシギダネは“ツルのムチ”を掌や足に見立てて付き合っている。ゴマゾウの冷やかしとヒトモシの念力による補助を受けながらタクミは次の『型』へと移っていく。

 

次の『型』は、攻撃よりも受けを重視する動きが中心だ。続いて蹴り技主体の『型』、足運びを多用する『型』と、続けざまに繰り出される技の動きは淀みない。

 

タクミがジムに来てから既に2週間が経過していた。

『たいあたり』を習得した時と同様、ヒトモシのサイコパワーで補助をしてもらいながら、タクミは『型』の動きを既に8割方自分のものにしていた。

 

だが、それはただ全体の形《かたち》が整ってきたというだけだ。動きを真似しただけの型では力の伴わない空っぽの拳を繰り出しているかのような感覚はどうしても拭えなかった。

 

ただ、たった2週間であるが、タクミの身体にも少しずつ変化が出てきていた。

 

相変わらず朝は1週遅れにされる日々だが、それでも少しばかり集団に食らいついていけるようになってきた。

今日の朝はカケルとデッドヒートを繰り広げることができ、初めて『カケルにだけ』は一周遅れにされずに済んだ。

 

旅をするよりも数段激しい運動に手足の筋肉がわずかばかり増し、手足にメリハリがついてきた。タンパク質と炭水化物のバランスの良い食事は余分な肉をそぎ落とし、丸みのあった頬に堀りができている。全体的に見れば僅かな変化であったが、それはタクミの印象をより鋭いものにしつつあった。

 

タクミは次々と『型』を繰り出していき、最後は棒術を搦めた『型』を繰り出して終わりとした。

 

「ーーーーっ……」

 

息をゆっくりと吐きながら最後の残心。

 

『型』とは目の前に対戦相手を想定して行うものであるが、タクミが想定している相手は実のところメガルカリオではなかった。

 

「…………ヒトモシ、もう一回だ」

「モッシ……」

 

タクミはもう一度ヒトモシに頼んで補助をしてもらいながら『型』を繰り返す。

 

ここはメガルカリオ修行の総本山。

 

そんな土地で生み出された『型』というからにはルカリオの動きを元にしていた。ルカリオの動きを人間用の『型』に落とし込み、それを下地にしてコジョフーやカイリキーなどの他の【かくとうタイプ】のポケモン達へと発展させる。

 

それがこのジムのトレーニングの本質であった。

 

今はまだキバゴ達も『型』の動きを真似るだけでその動きを自分達のものにできてはいない。というよりも、【かくとうタイプ】でもないキバゴ達が本当にこの『型』を活かせるとはタクミも思っていなかった。

 

だが、この『型』を覚えることには大きな意味がある。

この型の動きをもとにすれば『タクミ』が『ルカリオ』になれる。

 

2度目の『型』を終え、タクミは自分のポケモン達を振り返った。

 

「よし……キバゴ!」

「キバッ!!」

 

タクミは両腕にプロテクターを巻き、厚めのバンテージを手に巻いている。

 

これからやるのは『ポケモン組手』だ。

 

だが、もうタクミはミットを使っていない。

 

キバゴとタクミが向き合い、視線が交差する。

 

「キバゴ、来い!」

「キバッ!!」

 

キバゴが地面を強く蹴った。

 

そして……

 

「キィィ……バァァ~~……」

 

キバゴがゆったりとした動きでタクミに向けて走り込んできた。

キバゴが踏み込み、突き上げるような動きでタクミの正中線を狙う。それをタクミは脛でブロックして、振り下ろすような掌底を放つ。キバゴがそれを受け、腕の引きに合わせて負けじと反撃を狙う。

 

その全てがスローモーションのようなゆっくりとした動きの中で行われていた。まるでお互いの動きを確認しながら踊る初心者のペアダンスのようであった。

 

「キィ~……バァ~……」

「キバゴ、毎回言うけど、掛け声までスローモーションにしなくていいんだぞ」

「キィ~バァ~」

 

ふざけてるわけではないのだろうが、どうにも締まらない。

とはいえ、2人の表情は真剣そのものであった。

 

タクミは『型』の動きをベースに、時折ヒトモシの念力でより『ルカリオらしい動き』を再現してもらいながら『ポケモン組手』を行っていた。

 

「“ボーンラッシュ”」

 

タクミがそう呟くと、ヒトモシが棒術用の棒をタクミに投げ渡した。両端に砂袋のカバーがついている訓練用の棒だ。

 

タクミは棒術を駆使してキバゴの動きを封じる。

 

キバゴはタクミの動きを見切り、棒を足蹴にして抑え、そのまま懐へと飛び込んだ。だが、その時には既にタクミは迎撃態勢に入っていた。

飛び上がったキバゴの身体に合わせてタクミの掌底打がキバゴの頭へと迫った。

 

「キ~バっ!!」

 

タクミの掌が固い感触に触れる。掌底はしっかりとキバゴの前腕で止められた。

 

ゆったりとした動きの中での攻防なのでキバゴの反応が間に合って当然だが、今までのキバゴであれば回避からのカウンターを狙っていただろう。そこに防御という選択肢が増えたのは純粋に一つの成長であった。

 

このジムでの修行が明確な形になって表れている。

 

キバゴはすぐに距離を取り、再び攻撃の構えを取る。

だが、タクミはもう構えを解いていた。

 

残念ながら時間切れだった。今日はこの後に大事な予定がある。フシギダネとも『ポケモン組手』をするつもりなのでそれ程時間を取ることができないた。

 

「キバキバ……」

「やっぱり“ボーンラッシュ”を相手に懐に入る時はもう少し工夫しないとだめだね。今のままじゃ、むしろ誘い込まれる」

「キバッ!」

「うん、明日また少し別の方法を試そう。次、フシギダネ」

「ダネフッシ!!」

 

フシギダネが“ツルのムチ”を構える。

 

再びゆっくりとした動きでの攻防が始まる。

 

このスピードでの『組手』が実践の練習になるかどうかと言われると、タクミには自信がなかった。メガルカリオの攻撃はこの数倍は素早く、鋭い。現在のスピードで対応できるようになっても意味があるとはあまり思えない。

 

だけど、これ以上のスピードで『組手』をするのはポケモン達はもとより、タクミ自身が対応できない。

 

通常のスピードでルカリオの動きを再現できるほどにタクミはまだ『型』に成熟していなかった。

 

だから、今できる練習はこれが精一杯なのだ。

 

だが、1つ良いこともあった。

 

「次、クチート」

「クチッ!!」

 

クチートのことであった。

 

タクミはクチートと向き合う。

 

「クチッ……クチッ……」

 

クチートは軽く身体を動かしながら筋を伸ばす。

その瞳に揺れはなく、顔色は落ち着き払っている。

 

ここはポケモンバトルのフィールドでもなければ、観客の一人もいない稽古場の片隅。そして、クチートが相対するのは『ポケモン』でなく『人間』だ。付け加えると、通常のバトルとはかけ離れたゆっくりとした動きという制限もある。

 

そんな特殊なバトルを『ポケモンバトル』と呼称することができる人はいないだろう。

 

だからこそ、クチートはいつになくリラックスした様子で首を回した。

 

クチートは頭から伸びる顎を大きく振り、タクミ目掛けてゆっくりと叩きつけた。

 

タクミはそれをガードして、蹴りを放つ。クチートはそれを回避し、踊るような動きで再び顎を別角度から叩きつける。タクミはそれを腕でガードして、“ボーンラッシュ”へと移行する。だが、リーチを稼ぐ動きをしてもなかなかクチートの動きを捉えることができない。

 

まさに縦横無尽だった。

 

その顎はポケモンバトルとなれば“アイアンヘッド”になるし“ほのおのキバ”になる。時折、クチート自身の手足で攻撃してくるのは“ふいうち”になりうる。

 

片目を失い、視野と遠近感を失った上でもその動きは洗練されている。

クチートの動きは明らかにキバゴ達とは一線を画していた。

 

これだけの運動能力を備えているのだから『メガシンカ』できたならどれ程に強力な戦力になるのか

 

タクミはそんな期待を抱かずにはいられなかった。

決して口になどしないし、おくびにも出さないようにしているが、どれだけ自制していてもそう思わずにいられない程にクチートのバトルセンスは抜きんでていた。

 

タクミでさえこうなのだから、元々所持していたトレーナーの期待はそれ以上だったのだろう。

 

だが……

 

「クチッ!!」

「クチート!!大丈夫か!?」

 

クチートは自分の顎の重さに振り回され、バランスを崩した。やはり、長い間洞窟を彷徨っていたことがクチートの運動能力に影を落としている。

 

「クチート、怪我はないか?」

「クチ……」

 

尻もちをつき、はにかむように笑うクチート。

 

「そっか、良かった……」

 

タクミは心から安堵する。

 

怪我がなかったことではない。

 

失敗しても笑うことができるようになったクチートの心に安堵していた。

 

『ようやく』だった。

 

クチートと一緒に旅をするようになって、既に1か月になる。

旅の時も、眠る時も、四六時中傍にいて、根気よくクチートの一つ一つの恐怖に付き合ってきた。そして、ここに来て『ポケモン組手』を繰り返すことで、模擬バトルの経験を重ねていったことがクチートにとって大きなプラスに働いていた。

 

まだ動きは硬い面もある。他のポケモンとバトルをさせると怯えて身体が動かなくなる。緊張の為に余計な力が入り攻撃が大振りになる。

 

だが、クチートは失敗することを怖がらなくなってきていた。

 

バトルの面では前進しているとは言い難いが、それでもクチートの中から『トレーナーに捨てられる恐怖』というのが消えつつあるのは確かだった。

 

このジムに来て得られるもは多数あったが、この『ポケモン組手』によるクチートの変化こそがタクミには一番嬉しいことであった。

 

「ちょうどいいや。今日はここまでにしよう」

「クチ」

 

素直に頷き、当たり前のようにタクミに背負われるクチート。以前だったら、『自分が転んだせいで特訓が終わりになってしまった』と自分を責めていただろう。自分の背中で体重を預けてくれるクチートの体温を感じながらタクミは優しく微笑んだ。

 

例え顔つきが多少変わっても、その笑顔は変わらずタクミ本人のものであった。

 

その時だった。

 

「……頼もう」

 

聞きなれた声にタクミの眉が跳ねる。

振り返れば練習場の片隅に黒髪を潮風なびかせた友人が立っていた。

 

「えっ!?マカナ!!?」

 

青い空と海岸線に彼女の浅黒い肌と頭に乗せた麦わら帽子が予想以上に絵になっており、唐突に彼女の身体が纏うエキゾチックな空気を再認識させられる。

 

だが、そんなことよりもタクミには彼女の先程の第一声の方が問題だった。

 

「って、『頼もう』って言った!?シャラジムに挑戦するの!?」

「……違う……冗談」

「なんだ、そっか。っていうか、なんでここに!?」

 

彼女と最後に会ったのは7番道路から8番道路に向かう途中にある『地つなぎの洞穴』で別れたキリだ。時々、画面越しに近況を伝え合ってはいたが、実際に顔を合わせるのは久しぶりだった。

 

彼女と別れたのはクチートと出会う前だ。たった1ヶ月少しの間ではあったが、マカナは髪が伸びたこともあって随分と大人びて見えた。

とはいえそれは外見だけであり、中身はいつもと変わらぬ彼女であった。

 

彼女は独特の間を置きながら、「武者修行中」と言った。

 

彼女は──感情が声にほとんど乗らないのでわかりにくいが──どうやら今の自分の現状にあまり満足していないようであった。

 

「武者修行……ああ、そう言えば、しばらくトレーニングに専念するって言ってたっけ」

 

彼女は僅かに眉間に皺を寄せ、コクンと頷いた。

 

「……打倒……メガガルーラ」

「ああ……」

 

マカナの今挑戦しているジムは【ノーマルタイプ】のジムなのだが、そのジムリーダーが使ってくるのがメガガルーラだったというのは前に聞いていた。メガガルーラと言ったらカロス地方最強のメガシンカとの言われる程に強力なポケモンだ。そのジム戦はメガガルーラ1体に対して挑戦者が3体のポケモンを使えるシングルバトルだというのにマカナはまるで歯が立たないらしいのだ。

 

マカナは根本的な基礎能力の上昇のため、旅を続けて様々なトレーナーに挑み、武者修行に明け暮れていた。

 

「マカナもキツそうだね……」

「……うん……タクミも……打倒メガルカリオ……調子は?」

「……まぁ、ボチボチかな……手応えはあるんだけど」

 

ゆっくりとではあるが、進んでいる自覚はある。

ただ、シャラジムはゴールではなく、通過点でしかないのだ。

あまりメガルカリオの攻略にだけ躍起になるわけにもいかなかった。

 

「問題は時間だね」

「……そう、いつだってそれが問題になる……学校のテストでも株取引でも……ポケモンバトルにだって時間は常に問題になる……」

「誰かのセリフ?」

「……うん……Black Rocketって漫画のセリフ」

 

聞いたことない漫画であったが、深くツッコムことはやめておいた。

 

「それにしても、シャラシティまで足を延ばしてくるなんて、結構距離あったでしょ?」

「……うん……でも、いいトレーニングになってる……今、18連勝中……ぶい」

「すごっ……」

「……それで……近くに来たついでだからタクミの顔も見に来た……本当に【かくとうタイプ】のジムに入門したのかも確かめたかった」

「え?疑ってたの?」

「……ツッコミ待ちかと……誰もツッコミ入れなくて……オチがつかなくて……逆に驚いた」

 

その辺の思考回路は流石に大阪の育ち故であった。

 

「……でも……その道着……似合ってる?」

「なんで疑問形なのさ。まぁ、まだ馴染んではないよね」

 

タクミは少し頬をかきながら仄かに頬を染めた。

このジムに来て2週間であるが、鏡で見る自分の道着姿は『服に着られている』感じが否めない。他の門下生達と比べても道着から垣間見える筋肉や手足の質感が全然違うのだから仕方ない面はあった。

 

「マカナはその麦わら帽子どうしたの?」

「……これ……くじ引きの景品……別に悪くないから被ってる」

「あ、そうなんだ」

 

言われてみればマカナが自分から麦わら帽子を買い求める姿は想像できなかった。

マカナとタクミの付き合いは時間にしては短いが、時折ホロキャスターで友人達と画面後しに集まる時には常にマカナも顔を出している。彼女の行動パターンをタクミはなんとなく把握しつつあった。

 

「マカナにはよく似合ってると思うよ」

「……私を褒めても……何も出せない」

「いや、別に見返りを求めて言ったわけじゃないって」

「……じゃあ、いらない?」

「何が?」

「アキの自撮り写真」

「え…………」

 

ピシリとタクミが固まった。

 

なんだそれは?自分にはそんな写真などほとんど送られてきたことなんかない。アキは自撮り写真を送るぐらいならテレビ電話で顔を見ながら話しをしたがるタイプだ。でも、マカナにそういうのを送ってるのか?相手がマカナだから?同性だから?それともマカナが会話が苦手なタイプだから自撮り写真でコミュニケーション取ってるの?いや、っていうか、もしそうだとして、だからなんだって話だよ。アキの自撮り写真欲しいかっていう話だし。いや、欲しいか?欲しくないと言えば嘘だけど、マカナに送られてきた写真を本人の許可なく貰うわけには……

 

と、一瞬で悶々とした考えに呑まれたタクミ。

マカナは目を左右に泳がせて同様するタクミを前に満足そうに頷いた。

 

「……欲しい?」

「……ぐっ、ほ、欲し……くない!!!」

 

結局、『アキ本人の許諾なしに受けとるのは良くない』という結論に至ったようであった。

 

「良かった……渡せるのは持ってないから」

「持ってないの!?」

「……うん……でも、タクミを狼狽えさるのは楽しかった」

「……相変わらずだね」

「……それほどでも」

 

相も変わらない無表情の顔の下で何を考えているのか本当に読めない。怒りが沸くよりも先に脱力感が来る。マカナと顔を合わせるといつもペースを握られてしまう。

 

タクミが諦めたようにため息をついたそんな時、背負っていたクチートがタクミの背から飛び降りた。

 

「……クチ……」

 

クチートはタクミの道着の裾を掴み、タクミの後ろからマカナの様子を伺った。

 

「……それが噂のクチート……」

「ああ、うん。そうだよ。何度か話したクチート。クチート、彼女はマカナ。僕のライバルで友達」

「……クチ……」

 

マカナはクチートと目線を合わせるように膝を折り、クチートの左眼をのぞき込んだ。

だが、クチートはそんなマカナの視線を避けるようにタクミの背後に隠れてしまった。

 

「…………クチ……」

「クチート?どうしたの?」

 

タクミの頭に疑問符が浮かんだ。

クチートは確かに色々と精神的に不安定なところはあるが、決して人見知りする性格ではなかった。

むしろ、ポケモン相手よりも人間を相手にする方が緊張が少ないぐらいだ。

そんなクチートが明確にタクミを盾にして、マカナに距離を取ろうとしている。そんなクチート見ることは初めてのことだった。

 

そんなクチートに向け、マカナは相変わらずの無表情のまま右手を差し出した。

 

「……私……マカナ……よろしく」

「…………」

 

それに対してクチートは応えない。タクミの背後から視線だけを向けている。

 

「クチート?」

 

やはりタクミの頭の中に疑問符が浮かぶ。

 

クチートはマカナのことを怖がっているわけではなさそうだった。

それなら、クチートはもっと明確に怯える、もしくは顎を使って威嚇する。今のクチートはそのどちらでもなく、『警戒している』という表現がしっくりくる。

 

「クチート、この人は大丈夫だよ?」

「……クチ……」

 

クチートはタクミを見上げた。その左眼にはやはり怖がっている様子はない。クチートは僅かに目を細め、顎をカチカチ鳴らしながら再びマカナへと目を向けた。

 

そして、渋々といった様子でマカナと握手した。

 

「……うん……よろしく」

「……クチ……」

 

握手を終えたマカナは「よっこいしょ」と言って立ち上がり、タクミを一瞥した。

 

「……ふふんっ」

「えっ!?なんで鼻で笑われたの!?」

「……なるほど……タクミはそのタイプなんだ……」

「何の話!?」

「……うん……こっちの話……クチート」

「…………クチ……」

 

マカナが話しかければ返事をするが、クチートはやはり愛想がよくない。こんなクチートは初めてであった。

 

「……大丈夫……私のことは安心していい」

「クチ?」

「……ライバルは……別にいるから」

「クチッ!??」

「え?え?え?ライバル?何の話!?」

 

タクミそっちのけでクチートとマカナの話が進んでいく。

 

「……クチート……真のライバルについて知りたい?」

「クチクチッ!!」

「……うん……ちょっとこっち来て」

「クチッ!」

「えっ!?ちょっと、クチート!!なんで急にマカナに抱っこされに行ったの!?さっきまでの態度はなんだったの!?」

 

マカナは腕に抱えたクチートにだけ見えるようにホロキャスターの画像を見せ始めた。

 

「……これが……クチートのライバル……」

「……クチー……」

「……見たことある?」

「クチ」

「ちょっとマカナ!!クチートに何見せてるのさ!?クチート!?その殺気のこもった眼はなに!?」

 

小さく頷いたクチートは何かを考え込むように俯き、マカナの腕から飛び降りた。

 

「……クチート……よろしく」

「クチッ!!」

「固い握手してないで何の話しか教えてよ!!」

「……ダメ……女の友情」

 

マカナはそう言って両手でバツ印を作った。その足元でクチートも同じポーズをタクミに向けていた。

 

「えぇぇ……なんか急に仲良くなってるし……」

 

何がなんだかわからないタクミを尻目にマカナとクチートはアイコンタクトを交わして頷き合ったのだった。

 

その後、タクミとマカナはお互いの近況をかいつまんで話しながらジムへと戻っていった。

だが、向かった先はジムそのものではなく、隣のマスタータワーだ。

今日は月に2回の師範かコルニのどちらかと1対1のバトルが挑める日なのだ。

 

タクミが昼寝もせずにトレーニングをしていたのはそれが原因だった。

 

タクミの今日の対戦相手はもちろんコルニ。

ルカリオとキバゴの対戦予定であった。

 

「……勝てるの?」

 

クチートを胸に抱いたマカナがそう言った。

その疑問は至極最もである。

それに対するタクミの答えは決まっていた。

 

「今は無理」

「……えー……」

 

マカナは目を細めながら気の抜けた声を出した。

 

「っていうか、勝つ見込みがあるなら正式にジム戦挑んで次の町に向かってるよ」

「……それもそうか……」

「今日はとにかくどこまで差を詰められたのかを見る。ただ、正直なぁ……」

 

ここに来てから学んだのは『たいあたり』と『型』のみ。

『型』の動きでルカリオ対策を進めてはいるものの今のところ不十分なものでしかない。

 

コルニとの距離が開いているとは思わないが、ちゃんと縮まっているかどうかはわからなかった。

 

たどり着いたマスタータワーのバトルフィールドでは既に門下生達が師範とバトルを進めていた。

上階からの観客席にマカナを案内すると、ちょうど師範のバトルが佳境に差し掛かっているようであった。

フィールドの中央ではコジョンドと師範のバシャーモが激しい音を立てて近接戦を繰り広げていた。

 

「コジョンド!!“とびひざげり”」

 

コジョンドがバシャーモの顔面を狙った“とびひざげり”を放った。回し蹴りのような軌道で放たれた一撃。だが、バシャーモはそれを両腕でガードし、すぐさま反撃に転じた。

 

「バシャーモ!!“ブレイズキック”」

 

足を真上に突き上げるような鋭い前蹴りがコジョンドの顎先を蹴り上げた。強烈な攻撃にコジョンドの顔が跳ね上がったかに見えた。

 

「コジョッ!!」

 

コジョンドの目はまだ生きている。コジョンドは身を反らせることで蹴りの威力を受け流していた。コジョンドはその蹴りの勢いを利用してバク転で距離を取ろうとする。

 

刹那、その上空を怪鳥の影が覆った。

 

コジョンドの着地際。その瞬間を狙ったバシャーモが既に踵落としの要領で“ブレイズキック”を叩き込まんとしていた。コジョンドは受け身を取ることができず、真上から蹴りを打ち込まれた。地響きのような轟音と共に“ブレイズキック”の炎が火の粉を散らす。コジョンドはその強烈な蹴りに目を回し、そのまま試合は終了となった。

 

「……すごい……蹴り」

 

マカナにしては珍しく、声に感情が乗っていた。

だが、タクミにはそんな感想に反応している余裕はなかった。

 

思った以上に試合の順番が進んでいた。おそらく、師範が門下生達を瞬殺していったのだろう。

 

「まずい、もう行かなきゃ。マカナ、クチートをよろしくね!また後で!」

「……うん……行ってらっしゃい」

「クチー」

 

クチートからの『頑張って』という声援を受け、タクミは階段を2段飛ばしで駆け下りていく

そして、下のフィールドにたどり着いた時には既に師範はいなくなっていた。

 

待っているのはタクミの現在の打倒目標

 

タクミは明るいフィールドの一歩手前で立ち止まった。

 

大きく息を吸い、吐きだす。

 

タクミは腰のモンスターボールに触れる。返事をするように揺れたキバゴのボールの動きを指先で感じ取り、タクミはフィールドへと足を踏み入れた。

 

「……来たね!タクミ!」

「押忍!!今日はよろしくお願いします!!」

 

右拳を左手掌に合わせ礼をする。これは「抱拳礼《ほうけんれい》」という相手に強い『敬意』を示す礼の仕方だ。カロス地方のものではなく、シャラジム特有のものらしいが詳しいことはタクミも知らない。ただ、タクミにとって今日この時にこの礼を行うことは最早必然だった。

 

「まだ2週間だけど、修行の成果を見せてよね」

「もちろんです!!行くぞ!キバゴ!!」

 

タクミがボールを投げ込み、キバゴが姿を現した。

キバゴも先程タクミが行った「抱拳礼《ほうけんれい》」の姿勢を取っていた。

 

「……キバ」

 

いい集中力であった。

 

そのキバゴを見てコルニは唇の端に笑顔を乗せる。興奮気味な好戦的な笑み。

 

「いいね。行くよ!ルカリオ!!」

「バゥワァァアアアア」

 

フィールドに飛び出し、気合の裂帛を上げるルカリオ。

 

両者のポケモンが出そろい、観客席から声が上がる。

 

「タクミ!!緊張すんなよ!!緊張は筋肉を強張らせるぞ!!」

「あんまり特別なことをしようとするな!!いきなり『型』を実践に落とし込める奴なんていないからな!!」

「タクミさん!!今日は自分のバトルを心掛けてください!!」

 

タクミへの応援が声高に響き渡る。

その中にマカナの「がんばれ~」という声とクチートの「クチ~」という声援もあったのだが、流石にタクミが聞き取ることはできなかった。

 

「ちょっとみんな!タクミばっかり応援し過ぎじゃない!?」

「コルニはたまには負けろ!この前もチャレンジャーの心へし折りやがって!」

「あれは……あれは……うん、やりすぎたよね~……」

 

つい3日前にやってきたバッジ4つ保持のチャレンジャーを完膚なきまでに叩きのめしたコルニのビデオを思い出し、タクミのこめかみが痙攣する。あまりに一方的すぎる結末は今思い出しても鳥肌が立つ。

 

「はぁ……まぁ、いいや。タクミ、今日はメガシンカ無しってことでいいんだよね?」

「押忍!!……今日は、あの公園でのバトルの再戦です」

 

ジム戦前日のルカリオVSキバゴ戦のリベンジ。

つまりこれは次のジム戦への前哨戦なのだ。

 

その意図を理解したコルニは唇の端で笑う。

 

「なるほど、それじゃあ……」

「よろしくお願いします!!」

 

ルカリオが構えを取る。

 

そして、キバゴもまた構えを取った。

両足を前後に軽く開き、両脚の踵を浮かせる猫足立ち。背筋を伸ばし、重心は尻の真上に置く。右手は腰の横、左手は前に伸ばして掌を開ける。

 

タクミと共に覚えた基本の『型』。

 

それは当然、ルカリオと同じ構えだ。

 

 

「試合開始!!」

 



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あの日からの距離

「試合開始!!」

「キバゴ!“ダブルチョップ”」

「キバァァァ!」

 

タクミの指示とほぼ同時にキバゴの両腕に紫炎が灯る。

キバゴは地面を蹴り上げ、大地を砕かん勢いで飛び出した。

 

そんなタクミ達に対してコルニの顔には心底楽しそうな好戦的な笑顔が浮かんでいた。

 

「いいね!そうこなくっちゃ!!ルカリオ!前に出て“はっけい”!」

「バウッ!」

 

ルカリオが飛び出し、掌に青い炎のような“波動”が揺らめいた。

両者はフィールドのほぼ中央で肉薄する。

ルカリオとキバゴの足が交差するクロスレンジの距離。

 

キバゴの右腕の“ダブルチョップ”が低い位置から最速の軌道で繰り出される。

ルカリオの“はっけい”もまた鋭い機動で差し込まれる。

 

何かが爆発したかのような強烈な破裂音が響いた。

 

「キッ……バッ……」

「バウッ……」

 

ルカリオの“はっけい”をキバゴが腕でガードしていた。

 

「いいねっ!!ルカリオ!“はっけい”!連打を上げるよ!!」

「キバゴ!!遅れるな!!“ダブルチョップ”!!」

「キバッ!!」

「バウッ!!」

 

ルカリオが腕を振り、キバゴはそれを最小限の動きでガードする。

 

ルカリオの腕の回転速度は上がっていく。

だが、キバゴは揺るがない。

ルカリオの動きを目で追い、的確にガードを重ねて攻撃の直撃を避ける。

その間にも細かくステップを刻んで位置を調整し、決してルカリオから距離を開けない。

 

少しでも間合いを開ければ“ボーンラッシュ”や“はどうだん”で一方的に攻撃される。近接格闘技しか持たないキバゴでは対応ができない。

 

だが、ルカリオの攻撃はガード越しにも“波導”となって内腑へと伝わってくる。守勢に回りっぱなしでは決して勝てない。

 

それはタクミもわかっていた。

 

不意に、キバゴが身を沈めて“はっけい”を回避した。

ルカリオの身体が更にキバゴに隣接する。

 

「キバゴ!!そこっ!」

「キバッ!」

 

キバゴは足を地面に強く叩きつけた。めり込む程に強く踏みしめた足裏で砂地を掴み、一歩未満の距離を最大限の脚力をもって突進する。下半身で生み出したエネルギーをそのまま腰の動きを通して増幅し、上半身への打撃力へと変換する。

 

全身の力が拳の一点に集中する。

 

そして、キバゴの鋭い“ダブルチョップ”がルカリオの正中を捉えた。

 

 

 

衝撃が走った。

 

 

 

「ほう……」

 

観客席で見ていたコンコルドが思わずといった様子で自分の髭を触っていた。

 

「バウッ………」

「っ!!!」

 

あまりにも強烈な一撃だった。飛び散った紫炎が観客席に到達したと錯覚するほどの破壊力。ルカリオはそのあまりの衝撃に目を見開き、その口から唾液とも消化液ともとれる液体がこぼれた。ルカリオは【はがねタイプ】だ。【ドラゴンタイプ】の“ダブルチョップ”の威力は半減しているはず。それでも、数歩後退させられる程の一撃。

確かに、ルカリオの体重が前に乗っていた。その最悪の瞬間にカウンターを食らったのだからその衝撃は通常の倍はある。

 

だが、それにしたって威力が高すぎる。

 

そのことに一番動揺していたのは当の本人達であった。

 

「………っ!!」

「キバッ………」

 

自分の腕を見下ろすキバゴ。掌を見つめ、ひっくり返し、そしてタクミを振り返る。

キバゴの大きな目が動揺と興奮に彩られていた。

 

タクミもキバゴも何か特別なことをしたわけではない。

 

『たいあたり』と『型』

 

全身の筋肉を余すことなく使い切る突進である『たいあたり』

効率的に身体を動かして無駄な力を使うことなく拳を振る『型』

 

その効果が今この場に現れていた

 

「…………へへっ」

「キババッ」

 

タクミとキバゴが同時に頷き、前を見る。

 

「行くぞっ!!」

「キバッ!!」

「距離を詰めろ!!」

「キバァァァア!!」

 

後退したルカリオに向け、キバゴが前のめりになる。

 

「ルカリオ!“はっけい”!」

「バウッ!」

 

腹を抑えて立ち上がったルカリオが再び構えを取る。

その瞬間にキバゴの“ダブルチョップ”が襲い掛かった。

 

だが……

 

「バウッ!!」

「キバッ!?」

「あっ……」

 

キバゴの攻撃が逸れされた。

 

ルカリオの“はっけい”だった。

ルカリオはキバゴの“ダブルチョップ”で伸びた腕を真横から“はっけい”で弾いて攻撃を逸らした。

 

そして、伸び切ったキバゴの身体に返しの“はっけい”が突き刺さる。

 

「キバァァアアア………」

「ばか……」

 

相手が怯んでいると思っての直線的な突撃。

せっかく学んだ『型』の動きを完全に放棄した突進。

そんな動きでは“波導”を読むルカリオに見切られて当然だった。

 

吹き飛ばされ、間合いを開けられながらキバゴは頬を拭って再び“ダブルチョップ”を構えた

 

「キバ!!キバキバ!!」

「キバゴ、後でお説教な」

「キバァ……」

 

項垂れるキバゴ。

反省はしているようだった。

 

その瞬間、観客席にいたコンコルドから活が飛んだ。

 

「こらっ!タクミ!!試合中に和むな!!」

「お、押忍!!」

「キバ!!」

 

構えを取るキバゴ。

 

それを見て、コルニとルカリオは大きく息を吐きだした。

身体の内にこもる熱量を噴き出し、滾る血潮を沈めていく。

 

「ルカリオ、わかってる?熱くなっちゃダメだよ」

「バウッ」

 

コルニは自分達の欲求を胸の中に押し込む。

 

キバゴは強くなった。

あの公園での前哨戦の時よりも確実に強くなった。

 

ジム戦ではルカリオVSキバゴの勝負はなかった。

次にタクミがいつジム戦を挑んでくるかはわからないが、その時にキバゴを選出してこない可能性は大いにある。キバゴと全力で戦えるのは今回がラストチャンスなのかもしれない。

 

コルニは戦ってみたかった。『メガルカリオ』でキバゴと戦ってみたかった。

 

左拳にはキーストーンがある。

ルカリオもメガストーンを装備している。

 

やろうと思えばいつでも『メガシンカ』ができる。

 

コルニは突き動かされるような衝動を抑え込む為に奥歯を噛みしめる。

 

今回のバトルはルカリオVSキバゴの約束。

それを反古にして、これ以上立場を悪くするのはいかんともしがたい。ただでさえアウェー環境なのだから、次はブーイングが飛んでくる。そして何より、祖父からの追加トレーニングを受けるのは勘弁願いたかった。

 

コルニは砂浜で地獄の短距離ダッシュをやっている自分を思い出し、なんとか頭をクールダウンをした。

 

「ルカリオ!“ボーンラッシュ”!」

「キバゴ!来るぞ!!」

「キバッ!!」

 

ルカリオは棒状にした“ボーンラッシュ”をキバゴに向けて振り下ろした。

キバゴはそれをガードし、相手の間合いの内側に入り込もうとする。

 

「“ボーンラッシュ”!!」

「バウッ!」

 

ルカリオはすぐさま“ボーンラッシュ”を2分割して棍棒状にしてキバゴを迎え撃つ。

キバゴはその連打を潜り抜けることができず、打ち据えられて間合いに入れない。

 

「もう一回!“ボーンラッシュ”」

「バウッ!!」

 

ルカリオは“ボーンラッシュ”を接続して再び棒状にして横薙ぎに振り切った。

 

「キバゴ!伏せろ!!」

「キバッ!」

 

キバゴはその攻撃を身体を低くして回避する。

 

「ルカリオ!水面蹴り!!」

「バウッ!!」

 

ルカリオは流れるような動きで水面蹴りを繰り出した。それをキバゴは自分の足でブロックした。

ルカリオの身体が止まる。だが、その隙を埋めるようにコルニの指示が飛んだ。

 

「“はどうだん”!!」

「バウワッ!!!」

 

ルカリオが右拳に“はどうだん”を纏った

この至近距離では狙いを定めて『撃つ』よりも直接『ぶつける』方が確実で早い。ルカリオは右拳の先に“はどうだん”を保持したまま、頭を狙った右フックを放った。

 

「身体を捻れ!!」

「キバッ!!」

 

キバゴは身体を捻り、攻撃を回避する。

その直後、ルカリオの後ろ回し蹴りがキバゴの腹にヒットした。蹴り飛ばされたキバゴは無理に耐えることはせず、地面を転がって衝撃を逃がし、再び構えをとった。

ただの蹴りなので威力は低い。問題は再び間合いを開けられてしまったことだった。

 

「“はどうだん”は囮で、蹴りを当てるのが狙いだったのか」

「キバァ……」

 

コルニとルカリオはニヤリと笑い、再び“ボーンラッシュ”を構えた。

キバゴは『型』通りの構えを取るものの、その両腕に“ダブルチョップ”の紫炎を纏わせることはしなかった。

 

「キバゴ……やっぱり厳しいね」

「キバッ……」

 

キバゴが小さく頷いた。

 

この短い時間でタクミは1つの確信を得た。そして、それはキバゴもわかったらしい。

 

『キバゴではルカリオに勝てない』

 

それはどうしようもない事実であった。

キバゴは至近距離での近接格闘戦に拘っている。だが、それは本人の主義だけが理由ではない。その間合いじゃないとルカリオを上回ることができないからだ。

 

距離を少しでも開ければ“ボーンラッシュ”で常に先手を取られ、“はどうだん”を含めた強力な一撃を狙われる。そして、その距離ではキバゴには打てる手がない。

 

ならば“あなをほる”で強引に間合いに入るか、鋭いダッシュで間合いの内に入り込むしかない。

だが、それも“波導”で動きを先読みしてくるルカリオ相手には厳しいものがある。

 

『やっぱり、キバゴはジム戦では出せないのか』

 

タクミはキバゴに“ダブルチョップ”を指示して再び攻勢をかけさせる。

だが、ルカリオの“ボーンラッシュ”に阻まれて有効打を与えられる距離に入れない。

相手の攻撃に対するガードの意識が上がったことでかなり粘り強く戦えるようになっているが、結局のところ守っているだけでは勝てないのだ。

 

次第に押されはじめ、キバゴは無理な攻めを余技なくされる。

 

キバゴはルカリオの大振りな“ボーンラッシュ”を虎の子であるキバでの防御で受け止めた。首の力で“ボーンラッシュ”を止め、両腕が使える状態で強引に間合いの内に入り込んだ

 

そして、キバゴがルカリオの腹部を狙おうとした瞬間だった。

コルニが“インファイト”の指示を飛ばした。

キバゴは『入り込んだ』のではなかった。

『誘い込まれた』のだ。

 

それは、『キバゴVSタクミ』の練習でもよくあるキバゴの負けパターンだった。

 

「バウワァァァアアアアアアア!!!!」

 

1発、2発、3発と連打が撃ち込まれていく。なんとか防御するキバゴの両腕をすり抜けるように拳が顔面に、ボディにと次々と差し込まれていく。

 

キバゴは持ち前のタフさで足を踏ん張ることができた。だが、膝は震え、肩で息をする有様にまで追い込まれた。両側のキバにもヒビが入り、今にも捥げ落ちそうになっている。今の状態から反撃できたとしても一撃のみ。それでは今のルカリオへの致命打へは至らない。

 

なにより、ここで完膚なきまでに叩きのめされると困るのはタクミの方だった。

 

なにせ、明日もトレーニングは続く。なんならこの試合の後にも反省を兼ねたトレーニングをしたい。

 

タクミは躊躇いなくタオルをフィールドに投げ込んだ。

 

「キバゴ!TKO(テクニカルケーオー)!ルカリオの勝ち!!」

 

キバゴがそれを聞き、両腕を下ろした。

 

「キバァ……」

 

キバゴは溜息を吐きだした。それを見て、タクミも息をつく。

 

キバゴは構えを解き、再び右拳を左手掌に合わせた「抱拳礼(ほうけんれい)」をする。

タクミも同じく「抱拳礼(ほうけんれい)」をして頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「キバキバ!!」

 

キバゴがそう言った途端、キバが二本ともポロリと落ちたのだった。

カランコロンと音を立てて転がっていくキバを拾い上げ、タクミはキバゴの頭を撫でた。

 

「まだまだ、修行が足りないな」

 

タクミがそう言うと、キバゴと目が合う。

 

『お互いにな』

 

そう言われた気がした。

 

さて、どうしたものだろうか。正攻法ではやはり難しい。となると、搦め手を取れるヒトモシとフシギダネはやはり確定。後はやはりゴマゾウか。“ボーンラッシュ”や“はどうだん”を強引に突破して打撃を叩き込むにはゴマゾウの突進力に頼るしかない。たけど、それだと前回の勝負の二の舞だ。ゴマゾウは瞬間的なパワーに限ればパーティ内最強だ。だが、その一撃ではメガルカリオを倒せないのは前回のバトルで実証済み。メガルカリオの体力を削り切るには継続的に有効打を積み重ねていける連打力が必要だ。可能性があるのはフシギダネの“ツルのムチ”。このジムでのトレーニングでフシギダネのパワーもあがっているとは思うが、フシギダネは踏み込みに一番重要な“後ろ足での蹴り足”が弱い。決定打に繋がる攻撃はできない。

 

では、どうするか?

 

頭の中でいくつもの疑問が巡る。

だが、後ろ向きな気持ちはなかった。

 

タクミは自分の掌を見下ろす。たった2週間の間にキバゴ達との組手を繰り返して肉刺が潰れて皮膚が重なり、既に分厚くなり始めている。

 

キバゴの放った強烈な一撃。

 

あの時に感じた空気の震えが今も肌に残っている。

確実に成長している。

後はどこまで時間を詰めれるか。

 

タクミは「抱拳礼(ほうけんれい)」を返してくれているコルニとルカリオを見やる。

両者の顔には『不完全燃焼』とわかりやすく書いてある。

 

だが、残念ながらこれはジム戦ではないのだ。

燃え尽きるまで拳をぶつけ合うのはまた今度。

 

今はまだ、熱を溜めておけよ

 

タクミは自分の心臓の上を拳で叩く。激しく胸骨を打つ心臓は今にも暴れることを望んでいるようだった。そして、そう思っているのはタクミだけではない。

 

「キバッ……」

 

既に拳を握り、『たいあたり』の踏み込みを繰り返しているキバゴ。

 

『キバゴはルカリオに勝てない。今は、まだ』

 

ゴマゾウの打撃力、ヒトモシの攪乱力、フシギダネの空間制圧力、そしてキバゴの連打力

 

ピースはある。青写真はまだ見えない。

だが、今日の一戦はその為の試金石として十分な役割を果たしてくれた。

 

後はどこまで詰めれるか。

 

タクミは観客席から顔をのぞかせているマカナとクチートを振り返った。

 

「ぶーーーー………」

「クチーーー………」

「なんでブーイングされてるんだろ……」

 

無表情のマカナと困惑した顔のクチートにブーイングされながらタクミはその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

夕食時、いつもの面子にマカナ達を加えた面子での晩御飯となっていた。

 

「クチッ!!?」

「だから、普段はブーイングはしちゃだめだからね」

「クチクチクチ!!」

 

両手で口を塞いで何度も頷くクチートの頭を撫でまわし、モモンの実を手渡す。

 

「マカナ……クチートに変なこと教えないでよ」

 

タクミは右隣りのマカナを斜目で睨む。

マカナは丁寧なフォーク使いで豆腐のステーキを頬張っていた。カロス地方の豆腐ステーキは初めて食べたけど、デミグラスソースに合っていて結構美味しかった。

 

「……クチートが……不満そうだった」

「だからって……教育に良くないよ」

「……クチートは……もうちょっと自分を出した方がいい」

「わかるけど。わかってるけど、もう少しやり方ってのがね……っていうか、クチート不満だったの?」

 

クチートにそう尋ねると、モモンの実を食べていたクチートは急いで首を横に振った。

 

「不満だったんだ」

「クチッ!?」

「はははっ、クチートの隠し事はわかりやすいよ。もしかして、試合に出たかった?」

「………クチ……」

「だから、まだ焦っちゃダメだって。でも、いつか、必ずね」

「クチッ!!」

 

そう言って拳を握るクチートの顔に焦りはない。

 

「ダネダァ!!」

「ほら、クチート。フシギダネが呼んでるよ。ぼやぼやしてたら、キバゴにご飯食べられるよ」

「クチ!」

 

クチートはニコリと笑って、ポケモン達が集まる方へと歩いていく。

 

最近、本当にバトルに対する怯えや緊張の色が見られなくなってきた。

クチートの再デビューも近いのかもしれない。

 

「…………クチートはジム戦出さないの?」

「流石にね。まだ、リハビリ中。出せたら……どうかな……」

 

タクミはクチートが一体どういったバトルの組み立て方をするのかをまだ把握できていない。

 

「クチートの顎の使い方のキレはいいし、緩急のつけた動きもいい。多分、防御と攻撃をバランス良く兼ねた近距離戦がメインに組み立てられそうだけど……メガシンカができないとパワー不足感は否めないし、少し戦い方は工夫しなきゃだなぁ……」

「……タクミのポケモン……そんなのばっかり……正攻法から離れてばっかり」

「搦め手と毒ワザで沈めてくるマカナにだけは言われたくない」

 

タクミがそう言うとマカナは素知らぬ顔でフライドポテトを三つまとめて口に放り込んだ。そんなマカナの隣からコルニが声をかけてきた。

 

「マカナちゃんも『地方旅』の途中なんだよね」

「……はい……今は打倒メガガルーラでトレーニング中……です」

「あぁ、メガガルーラかぁ……この辺にもちょくちょく来るよ。『打倒メガガルーラ』、対策は順調?」

「……まだ……でも……次は……確実に……落とす」

 

サラリと言い放ったが、最後の言葉には殺気にも似た威圧感が乗っていた。

マカナもまた、乗り越える壁を前に熱量をあげている最中だ。

だが、いつまでもうかうかしてられない。この3つ目のジムを乗り越えれば『地方旅』の1/3の行程は終えたことになる。もう『旅が始ったばかり』などとは言ってられない。

 

タクミもマカナも時間との勝負が始まっているのだ。

 

マカナの熱量に当てられたようにタクミのフォークを握る手にも力がこもった。

 

そんな2人の様子をコルニは全く察知できていないように明るい声で話し続けた。

 

「ねぇねぇ、今のジム攻略したら次はウチのジム来なよ。マカナちゃんのポケモン、バトルするの面白そうだし」

「…………考えておきます」

「うんうん!考えておいて!!」

「……タクミよりも……先に挑んでみせます」

 

カチンとくる物言いだったが、現状否定する手札がないので食べ物を口に詰め込むことで沈黙を保った。

 

「それで、マカナちゃんは明日にはもう町を出ていくの?」

「……はい……あ……良ければ……ジム門下生の人達と……もう少しバトル……したい……」

 

マカナがそう言うと、テーブルの反対側で数人の門下生がギクリと身を強張らせた。

今日、タクミのバトルが終わった後にマカナにバトルを申し込まれた面々であった。

マカナの実力に見合ったポケモンでのバトルを行ってもらったが、簡単な言い方をすれば『圧勝』であった。毒を打ち込み、のらりくらりと時間を稼ぎ、相手を動けなくさせる。まさに『毒沼』のような戦い方だ。その為、毒でダウンしたポケモン達用に『おかみさん』が調達してきたモモンの実が今日の食卓にあがっていた。

 

タクミも以前バトルシャトーでマカナとバトルした。

マカナのバトルはその時と根本的な戦術は変わっていない。

だが、その動きは以前よりもより『深く』なっていた。

 

野良バトル18連勝中というのは伊達ではなかった。

 

「そっかそっか。それじゃあ皆、明日の午前練の時に何人かバトルしてあげてね」

 

ジムリーダーとしての指示に門下生が「押忍っ!」と答える。

だが、皆の顔からは『勘弁願いたい』という気持ちが全面に出ていた。

 

まぁ、持久戦を挑んでくるマカナを相手にすると精神力がゴリゴリと削れていくのだから気持ちはわかる。しかも、バトルに負けたら師範から追加トレーニングのおまけ付きだ。『ジムリーダーを目指すのならどんな相手にも五分以上のバトルをせんか!!』というお叱りはごもっともであるが、マカナを相手にした後の追加トレーニングはなかなかに心理的にキツイものがあった。

 

「そういえばタクミ君とはバトルしないの?」

「……うん……バトルしたい……タクミ、明日どう?」

「いや、明日と言わず今晩でもいいよ。夕食の後にでも。ねっ、みんな!?」

 

タクミのポケモン達から元気な返事があがる。

バトルの疲れのあるキバゴも頬にたっぷりとご飯を詰め込みながら諸手を挙げて立候補している。

 

最近、タクミは夕食を食べた後にも追加のトレーニングに励んでいた。

朝練、午前練、午後練だけではまだ足りないと感じていたのだ。

 

「……いいの……ならやろう」

「よっしゃ!!」

 

テーブルの端から師範であるコンコルドの鋭い視線が飛んできた。例えタクミであっても、負けたら追加トレーニングが待っているというわけだ。

 

負ければ……ね……

 

タクミは口の中でそう呟き、頭の中で戦術を組み立てていく。

 

そんな時、コンコルドがコルニに向けてサラリと衝撃的な言葉を言い放った。

 

「ああ、コルニ。明日、ジム戦が入ったからの」

「へぇ~………えぇっ!!明日!?」

 

タクミとマカナのバトルを見学するつもりでいたコルニは突然の申し出に声を張り上げた。

 

「えっ!!明日!?そんな急な!!」

「安心せい。トレーナーのジムバッジ所有数は2つじゃ。今のタクミ君への調整と一緒でよい。それなら一晩でできるじゃろ」

「うぇぇっ……」

 

ポケモンのコンディションを大事な試合に向けて整えるというのはトレーナーなら誰しもがやることだ。

ただ、モチベーションであったり食事量であったり、その日にキッチリとベストコンディションに持っていくのはなかなか難しい。

 

だが、一流のジムリーダーであるならばそれぐらい一晩でこなせ、というコンコルドからの課題であった。

 

残念ながらコルニにはタクミ達のバトルを見学する余裕はなさそうだった。

 

「返事は?」

「押忍!!それで、おじいちゃん。ジムバッジ2つってことは『地方旅』の人?」

「ああ、タクミ君達と同じ、地球界からの『地方旅』参加者じゃ……えーと、名前は……」

 

タクミはマカナ相手に誰を選出するか考えていた。

マカナもご飯を食べ終えたアローラベトベターを膝に抱え上げて頭を撫でていた。

 

そんなタクミ達の耳朶に聞き覚えのある名前が突き刺さった。

 

「名前は……リュウノスケ……これが顔写真じゃ」

 

タクミとマカナの視線がそちらに向かう。

不機嫌そう皺の寄った眉と寄った殺気だった目がホロキャスターの淡い画面に浮かび上がっていた。

 

『チャンピオンになるのは俺だ……』

 

バトルシャトーでの出来事が脳裏によみがえる。

それは間違いなく、タクミと少なからず因縁のあるトレーナー『片垣 龍之介』その人であった。

 




最新作についてタクミのパートナーにインタビュー その4


・クチートさん、フェアリー、はがねタイプ複合でポニテツインテの女の子とキャラ被りまくってる後輩デカヌチャン一族について一言

「え?えと、私は主人の為に私の役割を全うするだけですので、その、あまり、意識することはないのですが……そ、そうですね。強いてあげるとするならば……あのハンマーは一度持ってみたいです。えっ!?あれ100kg近くある疑惑が……持てるかな……メガシンカしたらもしかしたらもしかしたら……メガシンカ……か……」

意気消沈したクチートを見かけたタクミに説教くらったのでインタビュー終了


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対策の仕方は人それぞれ

翌日。

 

朝の空気はいつもと変わらなかった。昨日のトレーニングが響いて両腕が重いのも、階段を降りるだけで腿に痛みが走るのもいつものこと。毎日のランニングをして、稽古をして、食事をする。ジム戦前のピリピリとした緊張感を抱いていたのはタクミのみ。他の門下生はもちろん、マカナまでいつもと全く同じなので、タクミの方が逆に浮いているぐらいだった。

 

タクミ達は午後の自主練も適度に切り上げて、マスタータワーの方へと向かった。

他の門下生達は中で撮影機材の準備をしている。タクミとマカナは今日のチャレンジャーと顔見知りということもありバトルフィールドへの案内を頼まれたのだ。

 

そして、約束の時間となり、砂の道を渡って彼がやってきた。

 

相変わらずの鋭い眼光。落ち窪んだ眼窩とやつれた頬は本当に寝ているのかどうかを疑う程だ。肉付きの悪い顔は骨が浮き上がって影を作り、瞳すらも覆い隠す。だが、それすらも眼窩の奥に居座る闇の色にはかなわない。光を灯さない瞳には相応の理由がある。

 

タクミはギリと拳に力がこもるのを感じた。

 

彼を見ると、病室にいる彼の妹の顔が頭をよぎる。

アキと笑顔で話をして、ポケモンのことになると目を輝かせていた1人の少女。

 

あの子の病気のことは何も聞いていない。

アキですら何も聞いていなかった。

ただ、タクミは漠然と察していた。

 

あの子は決して快方に向かっていないのだということが……

 

龍之介がバトルシャトーで身を削るようにしてバトルをしていた姿を見て、タクミはどうしても思わずにはいられないことがあった。

 

自分は何かの歯車が違えば彼と同じ目をしていた。

 

龍之介はタクミとマカナを見つけ、知人に会ったとは思えないような形相をした。眉間の皺が一層深くなり、唇が捲り上がって歯を剥き出しにした。誰がどう見ても威嚇の表情。小さい子が見たら十中八九泣き出すであろう恐ろしさだ。

 

だが、そういうことに一切物怖じしない人がここにいる。

 

「……龍之介……久しぶり」

「……お前……マカナ……」

「……うん……名前覚えてた……凄い」

 

龍之介のこめかみがヒクつく。

 

「お前の名前は忘れねぇよ……ホロキャスターで通話する度に思い浮かんじまう。それと、タクミか……なんだその恰好は?」

「…………」

 

一瞬、なんと答えたものか迷った。

 

『3個目のジムが突破できず、修行中』

 

端的に言えばそうなのだが、それを彼に告げるのは何となく悔しさがあった。

彼のバッジ所持数はタクミと同じ2個。だが、今日抜かされる可能性は多いにあった。その彼に自分がこのジムで足止めされていることを言うのはなかなかに難易度が高い。

 

ただ、そんな感情が渦巻いたのはほんの一瞬。

タクミは一息で胸中のわだかまりを吐きだし、肩をすくめた。

 

「3個目のジムが突破できず、修行中」

「…………」

 

今度は龍之介の方が押し黙った。

彼の僅かに険しくなった目元から、これから挑むジムへの警戒心が現れる。

 

「…………それで入門して、ジムリーダーの近くで研究か……」

「お察しの通りだよ。だから、君がコルニのバトルを少しでも長く見せてくれると僕は嬉しい」

「……ふん」

 

彼は鼻息を吐きだし、マスタータワーの方を顎で示した。

 

「お前らは案内役なんだろ?さっさと連れてけよ」

「押忍!じゃあ、案内させていただきます!」

「……まずは……食堂はこっち……」

「そんなもんは別に案内しなくていい!!」

 

マカナが早速マスタータワーの隣にあるジム施設へと誘導しようとしていた。

声を荒げる龍之介に対してもマカナは本当にいつもと変わらない。

 

人をからかって遊ぶ、いつものマカナであった。

 

「……ちなみに……こっちでは古今東西の格闘技の資料の閲覧もでき……」

「いいからバトルフィールドに連れてけ!!」

 

極めて好意的に解釈すれば、龍之介の緊張をほぐそうとしているように見えなくもない。だが、やっぱりからかって楽しんでいるだけだろうというのがタクミの総評であった。

 

龍之介を案内し、タクミ達はいつもの観覧席へ。

撮影機材は準備済み。クチートはマカナとすっかり仲良くなり、今日は彼女の腕に抱かれていた。

 

タクミはジム戦というものをチャレンジャーではない視線で見るのは初めてだった。もちろん、コルニのジム戦の映像は幾度となく見返してきたが、こうして生の空気を味合ったことはない。

 

眼下に広がるバトルフィールドを眺めるこの場所にはいつもとはまた違った緊張感があった。

ジム戦の張り詰めた空気は間違いなく存在する。だが、触れるものを切り裂くような鋭さはない。

身体の中に走る興奮とは裏腹に頭の中は冷静すぎるほどに冴えている。

 

岡目八目とはよく言ったものだと感心する。

 

ジムリーダーのコルニと龍之介がフィールドに立つ。

タクミは一息入れて、観覧席から龍之介を見下ろす。

 

「……頑張れ」

 

大声で応援してやる程の義理はない。

それでも、同じ夢を持つ者同士だ。

胸に抱える感情も似たようなものを持っている。

 

ライバル

 

「…………」

 

一瞬、アキの全てを諦めたような笑顔が脳裏をよぎった。

 

「龍之介!!!」

 

観覧席の柵に乗り出し、声を張り上げた。

龍之介が何事かと顔を上げる。

彼の薄暗い瞳と目が合った。

 

その奥に沈んでいる何かに向けて呼びかける。

 

「頑張れ!!!」

「…………」

 

迷惑そうな顔をされるのはわかっていた。それでも、叫ばずにはいられなかった。柵を握るタクミの手に汗が滲む。その隣に音もなくマカナが並ぶ

 

「………ガンバ」

 

静かな声がフィールドに反響する。

 

彼からの返事は舌打ちただ一発のみ。

 

彼が一歩前に出る。龍之介の顔がバトルフィールドの照明の光に照らさてハッキリと見えた。顔を上げた証拠だった。

 

「これより、チャレンジャーリュウノスケ対ジムリーダーコルニによるシャラジム、ジム戦を始める。使用ポケモンは3体。どちらかのポケモンが全て戦闘不能になった時点でバトル終了だ。ポケモンの交代はチャレンジャーのみ認められる」

 

そして、間髪入れずにコルニがいきなりボールを投げ込んだ。

 

「お願い!コジョフー!」

「コジョ!」

 

出てきたのはぶじゅつポケモンのコジョフー。タクミの時と同じだ。

それに対して龍之介の表情は変わらない。

 

「行けっ、テッシード」

「テッシ……」

 

龍之介が出したポケモンはとげのみポケモンのテッシードだ。卵型の体型に棘が突き出たテッシードは器用にバランスを取ってフィールドに直立していた。フィールドの真ん中に棒立ちしたテッシードは瞳を細め、コジョフーを見据えていた。

 

「試合開始!!」

 

試合開始の合図と同時にまず仕掛けたのはコルニであった。

 

「まずは牽制!“スピードスター”!」

「コジョ!!」

 

コジョフーがその腕から星型のエネルギー弾を飛ばし、中央のテッシードを狙う。

それに対し、龍之介は動かない。動かないテッシードの狙いを外すコルニとコジョフーではない。

テッシードに“スピードスター”が次々と突き刺さる。

 

「…………」

「…………」

 

だが、【はがねタイプ】を持つテッシードにとってはその程度の攻撃などダメージにすらならない。

打ち込まれた“スピードスター”は僅かな光の粒子となってはじけ飛んでいく。

テッシードは揺るがぬ表情のまま、身体を回転させて走り回るコジョフーを視線で追っていた。

 

テッシードが動かなければコルニはこのまま遠距離から攻撃を当て続けることもできる。コルニとしては【かくとうタイプ】のジムリーダーとして不本意な戦い方であるが、勝負事として割り切っている。

 

もちろん、龍之介が何もしければ、の話だが。

 

「テッシード……“ねをはる”」

「テッシ……」

 

テッシードがその身体から植物の根のようなものを伸ばしだした。根の先は地面に喰いつき、縫い留め、テッシードを固定する。

自ら動くことを止めたテッシード。だが、“ねをはる”というワザはそれらのデメリットを補って余りある効果があった。

 

「……あのバトルフィールドの土って栄養豊富だと思う?」

 

マカナの疑問にタクミは首を捻る。

 

「わかんない……でも、体力の回復はできているみたいだよ」

 

テッシードは“根”から水分や栄養素を吸い上げ、自らの体力へと変えていた。“スピードスター”により多少傷ついた身体がみるみるうちに回復していく。

龍之介は続けざまにテッシードに指示を飛ばした。

 

「……“ミサイルばり”」

「テッシ……」

「コジョフー!!よけて!!」

「コジョッ!!」

 

テッシードのトゲが光りだし、細かい針となって飛んでいく

コジョフーはそれを大きく飛び跳ねて回避した。コジョフーのアクロバティックな動きをテッシードは目線だけで追い続ける。

 

「もう一度だ。“ミサイルばり”」

「コジョフー!撃ち落として!!」

 

もう一度放たれた“ミサイルばり”はコジョフーの動きを先読みするかのように正確な位置に放たれた。

コジョフーはその攻撃を腕の振りでなんとか払いのけ、フィールドに着地する。

 

「コジョフー!止まっちゃダメ!動きまわって!」

「コジョッ!!」

 

動き出したコジョフーの後を“ミサイルばり”の攻撃が追いかける。

 

「“スピードスター”!!」

「コジョ!!」

 

コルニは“スピードスター”で牽制を加えていくも、状況は先程までと大きく異なっている。

テッシードは“ねをはる”で体力を回復しながら攻撃を続けている上に“ミサイルばり”の狙いは間違いなく正確になりつつあった。コジョフーもその全てを回避することはできない。数発の攻撃を受けることは覚悟しなければならず、ダメージは更にコジョフーの動きを鈍らせる。

 

このままではコルニのじり貧だった。

 

ならばコルニの取る手段は1つ。

 

「コジョフー!接近するよ“グロウパンチ”」

「コジョッ!!」

 

コジョフーが地面を強く踏み込んだ。

土がめくりあがる程の脚力。砂浜ダッシュで鍛え上げた足腰の力を存分に生かし、コジョフーが急激に進行方向を変えた。

あまりに激しいステップにテッシードも動きを追い切れない。

 

コジョフーはその後も2度の強烈な切り返しを駆使し、テッシードを一気に射程距離に捉えた。

コジョフーの右腕に赤い光が宿る。

 

「コジョォォッ!!!」

 

コジョフーは雄叫びと共にテッシードに向けて右ストレートを振り抜いた。

 

「テッシッッ!!」

 

テッシードが毬のように跳ね飛ばされた。だが、テッシードは地面に“根”を張っている。地面に張り巡らされた“根”はテッシードを縫い留める強靭な糸だ。その糸がテッシードを元の場所へと引き戻した。

 

「テッシ……」

「コジョフー!畳みかけるよ!!“グロウパンチ”の連打連打連打!!」

「コジョッ!!コジョッ!!コジョッ!!」

 

戻ってきたテッシードを“グロウパンチ”で殴り飛ばし、更に戻ってきたところを殴りつける。テッシードは完全にサンドバッグ状態だ。コジョフーの腕に灯った赤い光はより鮮やかな鮮血の色になり、一線を超えて黒い炎へと変色していく。一撃毎に攻撃が上がる“グロウパンチ”は今や重い黒炎のようになってテッシードを殴りつけた。

 

そして、強く踏み込んだ“グロウパンチ”が一際激しくテッシードを弾き飛ばした。

“根”が千切れんばかりに軋み声をあげる。だが、“根”は決して切れることなくテッシードを再びコジョフーの目の前に引きずり下ろした。

 

「……………………」

「………テッシ……」

 

だが、龍之介は動かない。

 

その様子を観客席で見ていたタクミとマカナ。

2人は同じことを思い出していた。

 

「……ねぇ、タクミ」

「うん。あの時と同じだ」

 

バトルシャトーでタクミと龍之介がバトルした時のことだ。

ワカシャモとキバゴのバトルで、ワカシャモはキバゴに攻撃を確実に当てる為にタクミを懐まで引き入れた。その為にキバゴからの攻撃を無防備に受け入れ、そして強烈な反撃を叩き込んできたのだ。

一方的に攻撃を受けているだけに見える龍之介がこのままで終わるはずがなかった。

 

「コジョフー!!トドメの“とびひざげり”!!」

「コォォッジョッ!!」

 

戻ってくるテッシードに狙いを定め、コジョフーが飛び上がった。

 

その瞬間、テッシードの目がギラリと光った。

 

「テッシード!!“まもる”!」

「テッシ!!」

 

テッシードがトゲを身体の内側に引っ込み、テッシードの身体が1つの鋼色の鉄球となった。

 

「コジョッ!?」

 

コジョフーの攻撃がテッシードの身体を滑るように流れる。テッシードは“根”に引き寄せられるように地面に転がり、コジョフーは自らの勢いを殺すことができぬまま地面へと激突した。

 

「コジョッ!!」

「コジョフー!!」

 

最大火力まで増した攻撃力がそのまま自分の身に帰ってきていた。

傷だらけの身体で身体を起こそうとするコジョフー。

その背後にテッシードが忍び寄った。

 

「テッシード!“アイアンヘッド”!!」

「テッシ……」

 

テッシードは大きく飛び上がり、頭部を下に向けてコジョフー目掛けて落下した。

テッシードの硬化した頭部がコジョフーの背中に突き刺さる。

 

度重なるダメージにコジョフーはそのまま目を回してしまった。

 

「コジョフー!戦闘不能!テッシードの勝ち!!」

「……凄い」

 

タクミは観覧席の縁を握りしめる。

 

その内心では龍之介のバトル運びに舌を巻いていた。

 

テッシードはほぼ1撃でコジョフーを仕留めた。

本来であれば“とびひざげり”の自傷ダメージと“アイアンヘッド”だけではコジョフーは倒せない。だが、テッシードには特性の【てつのトゲ】がある。身体から伸びた無数のトゲ。コジョフーがテッシードの身体を殴る度にそのトゲはコジョフー自身の身体を傷つけていたのだ。

 

当然ながらコルニもそのことは察していた。

 

だが、“グロウパンチ”で火力をあげていけば必ずテッシードを打ち破れると思ったのだろう。

あの“まもる”が無ければ間違いなく“とびひざげり”で決まっていた。

 

いや、違う……

 

「……龍之介……“とびひざげり”を誘導していた」

 

マカナの意見にタクミも頷いた。

 

「おそらくね。テッシードはほとんど動きが取れないように()()()。あれなら“とびひざげり”で決めたくなる気持ちはわかる。でも、龍之介はそれを待ってたんだ」

 

“ねをはる”で伸ばした“根”が逆に妨げとなってテッシードの動きを封じているように見えていたが、あれも誘いだったのだ。実際、テッシードの“根”は随分と融通が利くようだった。

最後の“アイアンヘッド”の際にテッシードは大きく飛び上がったが“根”がその行動を妨げていたようには見えなかった。

 

サンドバッグ状態になっていたのは最初から龍之介の計画の内だったのだ。

 

「……相変わらず……だな……」

 

敢えてポケモンがダメージを負うようなバトルを展開し、肉を切らせて骨を断つ。

龍之介の冷静な瞳が真っすぐコルニを見据え、テッシードが表情を読ませぬ上目遣いでコルニを睨んでいた。

 

「やるね!よっし、それじゃあ次はゴーリキー!!お願い!!」

「ゴリッ!!」

 

華麗なるマッスルポーズを決めて出てきたゴーリキーはポージングを繰り返す。

相変わらず見惚れる程にキレのある筋肉であった。

 

「試合開始!!」

 

龍之介はやはり先手では動かない。

先に動いたのはゴーリキー。

 

「ゴーリキー!!“グロウパンチ”!!」

「ゴリッ!!」

 

ゴーリキーが軽いステップを経て、一気に接敵する。

鋭いダッシュでテッシードの前に飛び込んだゴーリキーは鋭い左ジャブを放った。

 

「テッ……」

 

“グロウパンチ”を宿した赤い拳がテッシードの真芯をとらえる。続いて放たれた右ストレートがテッシードを見事に殴り飛ばした。飛ばされたテッシードは再び“根”に引っ張られてゴーリキーの眼前へと戻ってくる。

 

だが、それが演技だというのは最早一目瞭然であった。

 

コルニも当然それを理解した上で、戦術を考えているはずだ。

 

「ゴーリキー!!もう一度……」

 

再びゴーリキーが拳を構える。

今度はラッシュの構えだ。

 

テッシードに余計なことをされる前に一気に“グロウパンチ”で火力をあげて決めるつもりなのだろう。

コジョフーの時と同じバトルの流れだ。

 

だが、これはある意味仕方がないことでもあった。

 

一切動かず、反撃すらしてこないテッシードに対して、コルニのバトルスタイルが取れる選択肢は少ない。逆に言えばそういった相手には“グロウパンチ”で強引に突破できるのだ。

 

火力をあげ、物理で殴る。

 

シンプルが故に対策が難しい。

タクミはそれに対してフシギダネの変幻自在の攻撃で的を絞らせない戦い方で挑んだ。

 

だが、龍之介の方法はもっとシンプルだった。

 

龍之介はテッシードがゴーリキーに殴られる直前、たった一つ指示を出した。

 

「……だいばくはつ」

「テッシ……」

 

それは予め決めていたのではないかと思える程にスムーズな動きだった。

テッシードはゴーリキーに殴られた瞬間、わずかに身体を沈み込ませた。ゴーリキーの腕をかいくぐり、その懐にもぐりこんだ。次いで、白い閃光と豪快な炸裂音がフィールドを満たした。白い煙があがり、爆風は観覧席にまで届いた。

 

「…………」

 

観覧席にいたタクミ達でさえ、目を覆う程の暴風。

フィールドにいた龍之介とコルニは腰を落として身を庇っていた。

コルニは流石に微動だにしなかったが、龍之介はよろめいてしまう。

 

それ程の爆発だった。

 

「ゴーリキー!!」

 

コルニの声に返事はない。

 

捨て身の大技“だいばくはつ”を超至近距離で受けたゴーリキーは勢いよく吹き飛ばされ、フィールドの壁に叩きつけられていた。

 

「…………ゴリ……」

「…………テッシ……」

 

フィールドの真ん中で目を回すテッシード。

ゴーリキーもまたズルズルと地面に滑り落ち、目を回していた。

 

相打ちだった。

 

「……容赦ない……」

 

マカナがそう呟いた。

タクミもその意見に同意だった。

 

コンコルドが両者のポケモンを見比べ、フラッグを上げた。

 

「両者戦闘不能!!」

 

タクミは自分の息を緩める。

 

ここまで、タクミと龍之介の戦績は同じ。

ポケモン1体でコルニのポケモンを2体戦闘不能にした。

だが、その内容はまるで違う。

 

龍之介のバトルはタクミと比べて試合時間にして半分にも満たない。

まさにあっという間の決着だ。

しかも、その全てが龍之介が想定するままに進んだ。

 

バトルが長引けば長引く程にトレーナーにも当然負担がかかる。

集中力が乱れれば指示が遅れる。指示が遅れればポケモンの不利に繋がる。

短く、テンポの良い勝利というのはトレーナーのコンディションを良好な状態のまま次に繋げられる。

 

龍之介のバトルはまさに理想的な流れといえた。

 

だが、タクミはおそらく同じことはできない。

タクミはマカナに抱かれているクチートをチラリと見た。

 

タクミはバトルで相手を誘いこむことはあっても、あえてポケモンにダメージを受けさせるような戦術は取れない。相手の攻撃をノーガードで受けたり、自滅ワザを指示したり、そういうことはできない。

 

もちろん、そういうバトルスタイルを否定はしない。

 

「否定はしないけど。僕にはできないな……」

「……タクミはそのうちやりそう」

「えっ!?」

 

驚いて振り返る。

だが、マカナの顔色は変わらない。いつもと変わらぬ無表情の中で、瞳だけが西洋人形のように光を反射していた。

 

「……タクミは……きっとそのうちやりだす」

 

彼女の雰囲気は常に変わらない。とはいえ最近は少し彼女の声音を判別できるようになってきた。彼女が冗談を言ったり、からかったりしている時がなんとなくわかるのだ。

 

ただ、今のは彼女が本気で言っているのか冗談で言っているのかがまるでわからなかった。

 

「マカナ……それって……」

「……次……始まるよ」

「えっ!?あっ!!」

 

フィールドには既にルカリオが立っていた。

それに相対する龍之介のポケモンは……

 

「ワカシャモから先に出すのか……」

 

フィールドに立っていたのはワカシャモ。

タクミとバトルシャトーで対戦したあのワカシャモだ。

 

「…………」

 

ふと、龍之介がこちらを見上げた。

 

思った以上に鋭い視線。『睨まれた』という表現が正しい。そこに含まれた敵愾心には覚えがあった。

バトルシャトーでのポケモンバトルの時だ。

 

彼がワカシャモに“フレアドライブ”を指示した時、陽炎立つフィールドの向こうからあの目が見つめていた。

 

タクミは目線から逃げるものかと目尻に力を入れる。

その時、メガ進化の光がフィールドを包み込んだ。フィールドにメガルカリオが立ち、光が収まった時、龍之介の視線は既に真正面を向いていた。

 

VSメガルカリオ

 

誰にとってもやはりここが大一番。

 

その勝負が始まった。

 

「試合開始!」

「ワカシャモ!!ブレイズキック!!」

 

この時、初めて龍之介がバトルの口火を切った。

 

「シャモ!!」

 

ワカシャモが一瞬でトップスピードまで加速する。

対するコルニの戦い方はタクミの時と変わらない。

要するに、正面からの打ち合いだ。

 

「メガルカリオ!!ボーンラッシュ!!」

「バウッ!!」

 

メガルカリオが地を蹴った。

だが、タクミ達には蹴った瞬間に舞い上がった土埃のみしか見えない。

瞬間移動としか思えない程の超加速。

 

メガルカリオはワカシャモが蹴りのモーションに入るより早く、その懐に飛び込んだ。

 

メガルカリオは中段に構えた、ボーンラッシュをそのスピードに乗せて振り切った。

 

「…………っ!!!」

 

ワカシャモが痛烈な打撃を受け、声もあげられずに弾き飛ばされた。

 

「なっ…………」

 

流石の龍之介も目を見開く。

 

その気持ちはタクミにも痛い程わかった。

 

動画で確認しているのと、生のバトルで見るのとではまるで意味が違う。

動画は主に俯瞰の視点で見ており、フィールド全体を幅広く見渡せる。

動画だけなら、メガルカリオが動く瞬間を見定めて回避行動をとれば避けられるように思うのだ。

 

だが、フィールドで真正面にメガルカリオを見据えると、そのタイミングを計ることはほぼ不可能であった。それは視認しにくいというのもあるが、それ以上にコルニのメガルカリオが攻撃の予備動作を極限まで減らしているという理由が大きかった。

 

メガルカリオの基本となる『型』の構えからのダッシュ。非常に単純な動きでありながら、その緩急の動きに素人の目では反応ができない。

 

自分のポケモンにタイミングを伝えるなど、間に合うわけがないのだ。

 

「シャモッ!!!」

「ワカシャモ!相打ちでもいいから蹴りをいれろ!」

「シャモ……」

「行け!もう一度“ブレイズキック”!」

「シャモッ!!」

 

ワカシャモがメガルカリオ目掛けて飛び込む。

 

「ルカリオ!正面からの殴り合いなら受けて立つよ!“ボーンラッシュ”」

「バウッ!!」

 

メガルカリオも前に飛び出る。

再びメガルカリオが瞬間移動と見間違うスピードでワカシャモの眼前に踏み込んだ

 

「バウッ!!」

「シャモ……」

 

ボーンラッシュの一撃がワカシャモの腹に刺さる。

だが、ワカシャモはそこから引かなかった。

足裏で地面を掴み、その場で攻撃を受け止める。

 

“ボーンラッシュ”は【じめんタイプ】。タイプ相性で不利な攻撃だ。ダメージはバカにならないはずなのに、ワカシャモは冷や汗を浮かべながらその場でこらえた。

 

ワカシャモはその“ボーンラッシュ”を掴み、引き寄せて“ブレイズキック”を叩き込んだ。

メガルカリオはそれを『波導』を乗せた掌底で弾き飛ばした。

 

だが、龍之介にはそれで充分。

足が交差するクロスレンジでは“ボーンラッシュ”は使えない。

 

「ワカシャモ!畳みかけろ!」

「距離が近い!ルカリオ!“はっけい”」

「シャァァモッ!!」

「バウワッ!!」

 

お互い足を据えてのインファイト。だが、メガルカリオの方が速い。

メガルカリオの“はっけい”がワカシャモの真芯を捉えた。

 

「っっ!!!」

 

だが、ワカシャモは目を白黒させながらも、決してその場から下がらなかった。

足裏が地面をガッチリと掴んで離さない。ワカシャモの脚力があるからこそできる芸当だった。

 

「……シャモッ!!」

 

ボロボロになりながらも放った“ブレイズキック”。

流石のメガルカリオもワザを放った直後の攻撃を完全に回避することはできない。

 

タクミも、マカナも、龍之介すらそう思っていた。

 

だが……

 

「シャモッ……!」

 

“ブレイズキック”が空を切った。

炎の軌道は宙に火の粉の線を残し、すぐさま消える。

ワカシャモには一瞬、メガルカリオが消えたように見えたであろう。

 

だが、メガルカリオはそこにいた。

メガルカリオはワザを放った直後に大きく上体を屈めて“ブレイズキック”を回避していた。

 

「ルカリオ!水面蹴り!!」

 

メガルカリオはそのまま水面蹴りを放ってワカシャモの足先を地面から突き飛ばす。

バランスを崩したところに、強烈な前蹴り。ワカシャモの顎を跳ね上がった。

 

「……まずい!」

 

タクミが思わず声をあげた。

 

それはこのジムにいる間にも何度も見た動きだった。

顎を蹴り上げ、無防備になった腹部に目掛けて強烈な一撃を見舞う。

コルニの黄金パターンだ。

 

「そこっ!!“インファイト”!!」

「バウワァァッ!!!」

 

メガルカリオの両拳が光を帯びる。踏み込んだつま先が地面を抉り取る。満ち満ちたメガルカリオの波導が赤黒い稲妻となって周囲に飛び散った。

 

掛け値なし。メガルカリオのフルパワーの一撃だ。

 

勝負あった。

 

そう、誰もが思った。

 

だが、龍之介はそう思っていなかった。

 

「…………ワカシャモ」

「シャモっ!!」

 

ワカシャモの眼はまだ死んでない。

度重なるダメージに意識が飛びかけていようとも、その瞳の奥には常に炎が燃えていた。

 

「シャモォォ!!」

 

ワカシャモが突然、炎を纏った。

 

「ワカシャモ!“フレア……ドライブ”!!」

「シャモォォ!!!」

 

炎が翼となり、鎧となって、ワカシャモの身体を包み込む。

その炎の中にメガルカリオが突っ込んだ。

 

メガルカリオの連撃が放たれる。

 

痛烈な打撃音が響き渡り、ワカシャモが炎の中から叩きだされた。

 

「……シャ……シャモ…………」

 

全身に打撃痕を受け、満身創痍。

それでもワカシャモは幾度か立ち上がろうとした末に沈んだ。

 

「ワカシャモ!戦闘不能!メガルカリオの勝ち!!」

 

ワカシャモが残した炎の鎧が消え去り、中からメガルカリオの身体が現れる。

全身に走る黒いライン状の毛並みが『波導』により赤く染まりあがっていた。

 

タクミは息を飲む。

 

このジムで幾度となくルカリオのバトルを観てきたからこそわかる。

ルカリオの纏う『波導』がこれ以上にない程に高まっていた。

燃え盛る炎を錯覚させるような闘気。鋭い刃のように研ぎ澄まされた集中力。

 

それは、コルニのメガルカリオに幾度となく逆転勝利を決めた際に見られた状態だった。

 

だが、逆に言えばメガルカリオはそれだけ追い詰められているということ。

直撃しなかったとはいえ“ブレイズキック”と“フレアドライブ”を受けた。2度の【ほのおタイプ】の攻撃が確実にメガルカリオの体力を削っているのだ。

 

「……龍之介…………まさか……」

 

勝てるのか?勝つのか?

 

だが、龍之介はワカシャモという【ほのおタイプ】の切り札を失った。

 

次の手があるのか?

 

その龍之介はワカシャモをボールに戻した。

そして、次のポケモンを投げ込む。

 

「……あれは……」

「……行くぞ、タツベイ」

「タッツ!!」

 

フィールドに立った青いドラゴン。

“いしあたまポケモン”のタツベイ。

 

磨き抜かれたその頭部が照明の松明の炎を反射して揺らめいていた。

 

龍之介VSコルニ

 

いよいよ最終決戦だった。

 

「試合開始!!」



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人もポケモンも進化しなければならない



遅くなりました。

おそらく察することができるとは思いますが、ハイラル地方へ行ってました。
いえ、それだけなら別になんとかなったはずなのですが、CIV6という電子麻薬を購入したのがまずかった。もうなんか色々そっちのけで寝不足になる日々を過ごしてしまった。

とにもかくにも、頑張って書いていきます。
どうか生暖かい目で見守ってください


ではでは本編へ




フィールドに立った青いドラゴン。“いしあたまポケモン”のタツベイは『試合開始』の合図と共にすぐさま仕掛けた。

 

「タツベイ!!寄るぞ!!」

「タツ……」

 

タツベイが腰を落とす。

 

次の瞬間、強烈な蹴り足が地面の土を巻き上げた。

一直線の強烈な加速。そのスピードはメガルカリオには遠く及ばないが、同じ【ドラゴンタイプ】のキバゴよりも速い。

 

タツベイというポケモンは総じて強靭な足腰を持っているとされている。

空に憧れ、飛び立つことを夢見て走り回り、自然のうちに鍛えられるのだ。跳躍の為の足回りをダッシュ力に転換したタツベイのスピードは決して侮れるものではない。

 

だが、相手はそのスピードの権化。

 

体力を削られた上でなお、メガルカリオの方が圧倒的に速い。

 

「こっちも行くよ!!ルカリオ!“ボーンラッシュ”」

「バウワッ!」

 

メガルカリオが光る棍棒を取り出し、タツベイを迎え撃つ。

 

「タツベイ!!“ずつき”」

「……タッ……ツ!!!」

「ルカリオ!打ち返して!!」

「バウッ!」

 

タツベイがメガルカリオに向けて頭から飛び込んだ。だが、あまりにも直線的な攻撃だ。メガルカリオは的確に“ボーンラッシュ”でそれを迎撃する。

 

「タツ………」

 

タツベイは頭部を“ボーンラッシュ”で殴られ、ダッシュの勢いを殺された。

頑丈な頭部ではそこまでのダメージはないものの、メガルカリオに攻撃が届かない。

 

「タツベイ!何度でもだ!周り込んで“ずつき”だ」

「タツ……」

「いいね!!受けて立つよ!“ボーンラッシュ”!!」

「バウッ!!」

 

タツベイが再び頭部からメガルカリオに突っ込み、メガルカリオがそれを撃ち返す。

その度に激しい打撃音が響き渡り、火花が飛び散る。いくら頭部が頑丈とはいえ、何度も打ち返されればダメージは免れない。それでもなおタツベイはメガルカリオの懐を目指して突き進む。フェイントを入れ、左右に揺さぶり、“ボーンラッシュ”をかいくぐろうと必死に身体をねじ込んでいく。

 

そこに勝機があると言わんばかりだ。

 

タクミの手に汗が滲んだ。

 

タクミはこのジムに来て休憩時間には常にメガルカリオのビデオを観て研究を進めていた。だが、タクミにはわからなかった。龍之介がタツベイに執拗なまでの“ずつき”を繰り返す作戦に勝機があるとはとてもじゃないが思えなかった。

 

だけど、龍之介には見えているのだ。

 

彼のコジョフーやゴーリキーのバトルを観れば、彼が対策を練ってここに来たことは間違いない。龍之介にはタクミが見つけることができなかった勝ち筋を見出しているのだ。

 

だが、このシャラジムのジムリーダーはその目論見通りに事を運ばせはしない。

 

「ルカリオ!タツベイを引き剥がして!!」

「バウッ!!」

 

強烈な一撃が見舞われ、タツベイが吹き飛ばされる。

 

「追撃!“はどうだん”」

「バァァァァゥウゥゥワァァァァァ!!!」

 

メガシンカ前と比べて一回り巨大な“はどうだん”が仰向けに飛ばされたタツベイを直撃した。

 

「タッ……ツ…………」

 

激しい衝撃波と爆風。その中からタツベイがはじき出され、フィールドに叩きつけられた。

度重なる“ボーンラッシュ”と先程の“はどうだん”により既にタツベイは満身創痍だ。

それでもなお、タツベイは歯を食いしばって起き上がった。

 

「タツベイ……やるぞ」

「……タッ……ツ……」

 

相手に背を向けることなく、メガシンカを真正面に見据えて立つタツベイ。

それを見て、コルニが興奮したように声をあげた。

 

「なかなかやるね。いいね。熱くなってきた!!ルカリオ!!こっちから行くよ“ボーンラッシュ”!!」

「バウッ!!」

 

メガルカリオが駆け出す。だが、やはりメガルカリオにも多少なりともダメージはあるようだった。先程と比べてダッシュが遅い。瞬間移動と見間違わんばかりだった突進力は落ち、確実にその動きが視認できる。

 

タツベイはそれに立ち向かおうと腰を深く落とした。

 

そして……

 

タツベイと龍之介の眼がギラリと光った。

 

「………タツベイ!!“かえんほうしゃ”!」

「タァァァツゥゥ!!」

 

一閃

 

フィールドを業火の如き炎が横切った。

 

「バウッ!?」

「しまっ……」

 

直撃だった。

 

攻撃態勢に入っていたメガルカリオでは“ボーンラッシュ”でのガードも間に合わず、その炎に一気に飲み込まれた。フィールド全域に広がる熱気が上昇気流を作り、観客席まで風を吹き上げた。

 

「…………まさかの特殊ワザ」

 

マカナがそう呟く。彼女は強風に煽られても微動だにしていない。

タクミの方は熱風を浴び、思わず後方に飛びのいたところだった。

 

「……くっ!あっつ!!」

「……接近戦は……布石だったみたい」

「だね!実際、僕も意識から抜け落ちた!!」

 

それは心理的隙だった。

ワカシャモという近距離格闘戦の直後に“ずつき”を繰り返すタツベイを出されたら、近距離戦主体の戦い方だと思うのが普通だ。

 

だからこそ、コルニとメガルカリオの反応が遅れ、“かえんほうしゃ”の直撃を受けたのだ。

 

だが、炎一発で倒れる程にはメガルカリオは甘くない。

 

“かえんほうしゃ”の直撃から数秒。炎の中からメガルカリオが飛び上がった。その毛並は毛先が焼け焦げ、頬は燃えカスで汚れている。それでもなお、メガルカリオは瞳を欄々と輝かせて宙を舞った。伸ばした“ボーンラッシュ”で棒高跳びのような挙動で、タツベイの頭上を取る。

 

タツベイはそのメガルカリオの姿を追い、もう一度口を開いた。

それに対し、メガルカリオは“ボーンラッシュ”で防御の姿勢を取る。

 

“ボーンラッシュ”は【じめんタイプ】だ。メガルカリオの技量をもってすれば、“ボーンラッシュ”で【ほのおタイプ】の攻撃を散らすことは容易い。例えメガルカリオが空中で身動きが取れなくとも“かえんほうしゃ”程度なら確実に防ぐ。

 

このまま再び中近距離戦へと持ち込まれれば。満身創痍のタツベイではもう距離を取れない。そうなればコルニの勝利は決定的になる。

 

 

 

 

そう、次弾が“かえんほうしゃ”であれば、の話だが。

 

 

 

 

「……タツベイ……“りゅうせいぐん”」

 

その指示が飛ぶとほぼ同時にタツベイの口腔内が青紫色に光り輝いた。口の中で燃えているのは炎ではい。【ドラゴンタイプ】のエネルギーの塊。

 

「タァァァツゥゥゥゥゥ!!!」

 

タクミもショウヨウジムで一度経験した“りゅうせいぐん”。

最高峰の破壊力を持つ【ドラゴンタイプ】。

特殊ワザの最強格だ。

 

タツベイが放った“りゅうせいぐん”はあの時のジム戦と比較しても遜色のない威力だった。

タツベイの口から放たれた“りゅうせいぐん”は隕石状のエネルギー弾と化して、メガルカリオへと襲い掛かった。

 

「……ッ!!!」

 

1発目の隕石は弾き飛ばした。2発目は“ボーンラッシュ”で辛うじて打ち返した。だが、3発目が腹部に命中した瞬間に形勢が決定した。体勢を崩したメガルカリオの身体に次々と“りゅうせいぐん”が突き刺さり、メガルカリオが宙へと打ち上げられる。

 

「バウッ………」

「ルカリオ!!」

「タツベイ!!とどめだ!“かえんほうしゃ”!!」

「タァツゥゥ!!」

 

再び放たれた放たれた“かえんほうしゃ”が更にメガルカリオを頭上へと打ち上げた。

メガルカリオは数秒に渡る滞空時間を経て地面へと叩きつけられた。

 

「ルカリオ!!」

 

コルニの呼び声が響く。

 

一瞬の静寂。

 

そして、虹色の光と共にメガルカリオのメガシンカが解除された。

 

「メガルカリオ戦闘不能!!タツベイの勝ち!!よって勝者、チャレンジャーリュウノスケ!!」

 

観客席から拍手が起こる。

龍之介に勝利の声はない。

ただ、彼は無言でタツベイをボールに戻し、小さく息を吐きだしたのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

ジム戦を終え、龍之介にはこれ以上この場に留まる理由はない。

彼は受け取ったバッジをすぐに懐に仕舞いこみ、立ち去るつもりであった。

 

だが、そう簡単にはいかなかった。

 

「おい!聞いてるのか!?認めないぞ!なんで俺が!?」

 

砂の道を前にして龍之介はマカナ相手に声を荒げていた。

そのマカナは既に麦わら帽子をかぶり、旅立ちの支度を済ませていた。

 

龍之介の次に目指すジムがマカナと同じ【ノーマルタイプ】のジム。

それならばと、マカナが龍之介の旅路に同行を申し出たのが始まりだった。

 

「……私と一緒なら……道案内できる……お得」

「そんなもの地図があればどうとでもなる!!次のジムまでお前と一緒に行くなんてまっぴらだ!!」

「……じゃあ……勝手についていく……」

「ふざけるな!!なんで俺がお前と!?俺は仲良しこよしで旅を楽しんでる余裕はないんだ!」

「……私も別に……龍之介に……楽しいお喋りは期待してない……無理だろうし」

「ぐっ……」

「……でも……バッジ3つのトレーナーと毎日バトルできるのは大きい……相手が龍之介でも我慢できる……それに……私の知るメガガルーラの情報……欲しくないの?」

「…………………」

 

龍之介から反論の言葉は出てこない。

ただ、喉の奥に詰まった百万語を噛み潰すような不穏な歯ぎしりだけが聞こえてきていた。

 

相変わらず人を自分のペースに乗せるのが上手いな。

 

と、タクミは他人事のように思いながら苦笑いを浮かべていた。

 

龍之介が言い渋る間に、マカナはジムを振り返り、旅立ちの挨拶をした。

 

「……皆さま……一晩お世話になりました」

 

マカナは見送りにきた門下生や『おかみさん』達に頭を下げた。

コンコルドはそんなマカナに向けて柔らかくほほ笑んでいた。

 

「うむ。次は挑戦者としてくるがよい」

「……はい……メガガルーラの後にでも……」

「君の戦い方はコルニにとっても良い勉強になる。歓迎しよう」

「……恐悦至極です」

 

そして、マカナはタクミに抱かれたクチートの頭をワシャワシャと撫でた。

 

「……またね……」

「クチ!」

 

『次はバトルしよう』

 

マカナがそう言いたそうにしていることをタクミは察する。

そして、おそらくクチートもそれを察した。

だが、クチートはもう項垂れることはしなかった。

 

「クチ!!」

 

クチートは握りこぶしを作り大きく頷いた。

 

「…………うん」

 

マカナはもう一度クチートの頭をクシャリと撫でた。

 

「…………よし……龍之介……行くよ」

「お前を待ってるんだ!!」

 

龍之介は言った直後にすぐに踵を返して、砂の道へと向かっていった。本気でマカナの同伴が嫌ならば待たずにさっさと出発してしまえばいいのに。こうして彼女を待っていたのだから、龍之介も律儀というか、真面目というか。

 

「……じゃあ……タクミ……またね」

「うん、また」

「次も勝つ」

「うっせ。これで1勝1敗だ」

 

タクミはそう言って鼻を鳴らした。

マカナはそんなタクミを鼻で笑い、揺れるような足取りで龍之介の後を追っていった。

 

本土へと戻っていく2人の背中。

2人分の足跡が砂地に刻まれ、2人は次の町へと向かっていく。

先を行く2人を前に、自分はここに留まったまま。

 

「アキもこういう気持ちだったのかな」

 

タクミの手に力が篭りそうになる。

その瞬間、タクミはすぐさま足を踏み出し、真正面に正拳突きを叩き込んだ。

自分の中の迷いを拳に乗せて殴り飛ばす。

 

タクミは静かに息を吐き、そのまま基本の『型』の動きを始めた。

隣のクチートもタクミの感情を察したのか、その場でタクミの動きに同調する。

 

打ち込み、突き上げ、蹴り上げ、振り下ろす。

 

強く踏み込む。足先が砂埃を舞い上げた。

全身の突進『たいあたり』の力を足先で踏みとどめ、その威力を臍下でもう一度溜め込む。その力を背中から肩、腕、拳へと乗せて叩き込んだ。

 

空気を打つ乾いた強い音がした。

 

タクミは大きく深呼吸をした。

 

「すぅー……ふぅー………」

 

気持ちを落ち着けるための深い呼吸。

足を両肩の広さに開き、意識を集中する。

全身の意識を臍下に一度集め、そして再び広げていくように指先の力を抜いていく。

身体の脱力が凝り固まった感情を解きほぐす。

 

この残心までこなしての『型』だった。

 

胸の内の余計な感情を鎮めたタクミは微笑を浮かべてクチートを振り返った。

 

龍之介のジム戦はタクミのジム戦とそう大きく違いはなかった。

 

『最初の2体をできるだけ最小限の犠牲で倒し、メガルカリオに全力を注ぐ』

『相手の意識を別の方向に逸らし、隠し玉の一撃を叩き込む』

 

違いはただ一つ。

ポケモンの練度。

 

「……クチート……また少し『組手』しようか?」

「クチ」

 

タクミはいつものようにメガルカリオの動きを再現し、クチートへと相対していく。

脳裏には先程見たばかりのメガルカリオの動きが染み付いている。ヒトモシの補助がなくともタクミの一撃一撃は普段のものよりも一段と鋭い。

 

タクミはクチートとの『組手』を終え、そのままモンスターボールを放り投げてキバゴやフシギダネとも『組手』を行っていく。

 

今日の『組手』は誰もが熱がこもっていた。

 

キバゴの一発が重い。フシギダネのムチ捌きのキレが良い。クチートも動きが随分と積極的だ。

攻防の中で触れ合う皮膚から火傷するほどの熱が伝わってくる。何度も『組手』を繰り返し、タクミのゆったりとした動きは次第に加速していく。キバゴやフシギダネもそのスピードに合わせるように速度が乗っていく。次第に過激になっていく『組手』の中でタクミの拳がキバゴを捉え、フシギダネを蹴り抜く。それと同じようにタクミもキバゴやフシギダネに手痛い攻撃を差し込まれる。

 

打ち身と擦り傷だらけになりながら、滝のような汗を流し、それでもタクミは『組手』を繰り返す。

ゴマゾウは熱に乗せられるように砂浜でランニングへと行ったきり戻ってこない。ヒトモシの頭の炎は皆の気合いを燃料にしているかのように煌々と燃え上がって周囲を照らしていた。

 

日が暮れた後もヒトモシの炎に照らしてもらいながらひたすらに時間を積み上げる。足裏の肉刺が潰れようと、腕の肉が腫れあがろうと、タクミは気にしない。というか気にならなかった。脳の奥から噴き出たアドレナリンが痛みを忘れさせていた。

 

夢中になって『組手』を続け、最後にキバゴのアッパーカットに対してカウンターを叩き込んだ。

 

「キバッ………」

「しゃぁっ!!……ハァ、ハァ、ハァ……ハァ……」

 

キバゴとタクミはその場に仰向けに倒れ込んだ。

 

フシギダネは少し離れた場所で腹這いになって休んでる。

ヒトモシは度重なる"サイコキネシス"と頭の炎で疲弊して溶けた蠟燭のようになっていた。

ゴマゾウはいつの間にか戻ってきて荒い息でひっくり返っている。

クチートはそのゴマゾウのお腹に顎を乗せ、背中を預けていた。

 

誰しもが全てを使い果たしたかのように倒れていた。

 

晩御飯の時間など既に過ぎている。ジムの方からまだ明かりはついてるから消灯時間にはなっていないだろう。

 

だが、もう時間などどうでも良かった。

自分の心臓の音とポケモン達の呼吸を聞いている今の時間がとても気持ち良かった。

 

「……はぁ……ほんとに……」

 

タクミは自分の手を空に向けて伸ばす。

星空が輝く空は馬鹿げているほどに澄んでいた。

 

そんな時、ふとホロキャスターの着信音がした。

辺りを見渡せば、給水ボトルの横にタオルと共に置かれた自分のホロキャスターが友人からの着信を告げていた。

 

タクミはヨロヨロと起き上がり、ホロキャスターを手にとって石段に腰掛けた。

 

「よっ、ミネジュン」

「タクミタクミタクミ!!聞いてくれよ!!勝ったぜ勝った勝った勝ったぁっ!!!」

 

思わずホロキャスターを遠ざけてしまうほどの大声量。

何の話かを詳しく聞くまでもない。

 

これで、ミネジュンも難関と言われる3つ目のバッジを手に入れたのだ。ミネジュンは隠しきれない興奮のままにバトルの内容を事細かに伝えてくれるのを聞きながら、タクミは汗で冷えた道着を脱ぎ捨てた。

 

タクミは話を半分程度聞き流しながらも時折相槌を挟んで聞き役に徹した。

 

そのうち、キバゴ達がフシギダネの指示のもとジムへと撤収していく。本当はクールダウンしなければいけないのだが、フシギダネに任せておけばその辺も大丈夫だろう。

 

タクミはすっかりリーダー役が板についたフシギダネにアイコンタクトを送り、そのままミネジュンと話し込んだ。

 

しばらく話を聞き続けて一区切りついたら、今度はミネジュンの質問ターンだ。

ミネジュンはタクミの学ぶ『型』に強い興味を持った。

 

まぁ、男なら誰でも好きだ。

 

「すっげー!じゃあ、タクミはもう拳法家なのか!?カンフー使えるのか!?」

「あれってカンフーじゃなくて、本当の呼び方は功夫《クンフー》らしいよ」

「えっ!?そうなの?」

「うん、練習とか鍛錬とか訓練の蓄積のことなんだって。だから、今の僕は『功夫を積んでる』って感じ」

「へぇ~っ!!でも、ヤバい!タクミと喧嘩したらもうかなりヤバい!?」

「喧嘩は……まぁ、確かに」

 

喧嘩の為に教わったものじゃないので、あまり気乗りはしないのだが少なくとも相手より先に拳を正中線に叩き込める自信はついてしまった。

 

「でも、それって本当なら【かくとうタイプ】に活かす為のトレーニングなんだよな?他のポケモンに活かせるのか?」

「まぁ、キバゴの攻撃力が上がったのは確かだよ」

「うへぇ、ただでさえキバゴの攻撃きっついのに、まだ攻撃力上がるのかよ」

「次は会うときを楽しみにしといてよ」

「なぁに『当たらなければどうということはない』ってやつよ。俺のスピードについてこれねぇさ」

 

確かに、先のミネジュンのジム戦の話を聞く限りまたもやスピードが上がっているようだった。

 

「っていうかさ、キバゴ以外のポケモンの役に立つのか?」

「まぁ、さっきも言った通り、メインは『対メガルカリオ』の動きの研究だからね。それと、『組手』で防御技術を培って粘り強く戦うことで、レベルアップしている手応えはある」

「へぇ……でも、勿体なくね?せっかく『型』を覚えたのに使えないなんてさ」

「まぁ……フシギダネは"つるのムチ"で少し恩恵があるけど」

 

とはいえ、フシギダネ、ヒトモシ、ゴマゾウはあまりにも身体の構造が違う。『型』を使った攻撃はなかなかに難しい。

クチートはいいのだが、正直に言えばクチートは手足を使った攻撃はあまり使わない

タクミとしては少し勿体ないとも思っているが、ほとんど精神修行と割り切っていた。

 

「でもさ、この先はどうなんよ?」

「先……ね……」

 

フシギダネが進化して成長すれば主力ワザは"つるのムチ"ではなくなる。

キバゴも進化してオノノクスになれば、手足を使った打撃は使わずに顎を用いた攻撃に変わる。

 

今の『型』を使った攻撃は使わなくなる

 

ここでの修行をもっと有効に使いたい気持ちはある。

だが、なかなかに難しいというのが現実だった。

 

「だってさ、『格闘技を使うポケモン』って絶対に強いぜ!!せっかくなんだからなんなないのか?技一個でいいからさ!」

「技か」

 

ポケモンの『ワザ』ではなく、格闘技の『技』

 

「そういうのないか聞いてみろよ!もしかしたら役に立つかもしれねぇぜ!!」

「そうだね、師範にちょっと話してみるよ」

「そうそう!何事も行動が大事だぞ!!」

「へぇへぇ、肝に銘じときますよ」

 

タクミはその後、少しばかり当たり障りのない話をして通話を切った。道着を肩に担ぎ、ジムへと戻っていく。時計を見れば消灯時間まではまだ少し余裕があった。

 

自分では徹底して特訓したつもりだったが、思ったほど追い込んでいたわけではなかったようだった。こういうのが一人で鍛えるということの難しさであった。

 

タクミはシャワーを浴びて、水を飲みに食堂へと上がる。

 

食堂にはいつものようにトレーニングを終えた先輩方がたむろしていた。ビデオ機材から取り出したHDが繋がっているところを見ると今日のジム戦の研究会でもしていたようだった。とはいえ、研究の時間は既に終わってテレビ画面は既にアクション映画になっていた。

 

先輩方は何度も見た映画なのか、目線も耳も半分程度しか注目していない。彼等の意識はもっぱら手元の携帯端末にあった。その中でテレビを熱心に見ているのはやはりタクミのポケモン達。キバゴ達は画面前の一番良い空間を5匹で陣取っていた。

最近では最早見慣れた光景だった。

 

「おう、タクミ。冷蔵庫の中に『おかみさん』がお前の分の晩飯用意してくれてるぞ」

「おぃっす、あざまぁす」

 

2週間過ごしたことでタクミの先輩に対する態度も随分と気の抜けたものになっていた。

 

タクミはキッチンの大型冷蔵庫の中を覗き込む。食材が所狭しと詰め込まれ、その間を縫うように1人分の食事がラップに包まれて置いてあった。

タクミはそれを取り出して、食堂に運ぶ。せっかくなのでタクミも映画が見える席を陣取った。

 

流れていたのは地球界で撮影された映画だった。日本でも有名なアクションスターが放つカンフー映画。この俳優が作る映画はあまり人死がないので、子供から大人まで楽しめるような作品だった。コミカルかつスピーディなアクションが次々と繰り出され、その度にキバゴの声援やクチートが息を呑む音が聞こえてきた。

 

「いただきます」

 

タクミは手を合わせて、一人で黙々とフォークを進めていく。

アクション映画特有の打撃音をBGMにしながらも考えることはやはり先程のミネジュンとの会話だった

 

オノノクスに進化した時、攻撃の手段は手足から顎に変わる。

そうなった時にも使える「技」があればいいのだが、格闘技というものは頭部を正中から動かさないのが基本なのだ。

 

頭が動けば体幹が揺れる。体幹が揺れれば力が逃げる。力強い打撃を放つには頭はできるだけ同じ軸にあるべきなのだ。頭を振って攻撃するオノノクスとはあまりにも相性が悪い。

 

「頭を揺らす格闘技なんて聞いたことないしな………」

 

タクミはそう独り言《ご》ちる。

晩御飯を食べ終え、食器を洗って食堂へと戻ってくると映画もいよいよクライマックスのようだった。

 

『ふははっ、『川は時に船を運び、時に船を沈める』か。お前にそんな力はないっ!!』

 

悪役がそう言い放ち、奮起した主人公がラストバトルに挑んでいく。

主人公が身体のリミッターを外し、驚異的な身体能力で次々と打撃を繰り出していく。

 

 

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 

 

 

ゾクリ、と

 

肌に粟がたった。

 

 

 

 

 

「…………………あった……」

 

 

 

 

タクミがそうつぶやく。それが聞こえたのか、キバゴが画面から目を放した。

タクミとキバゴの目が合う。タクミはキバゴが自分と同じことを考えていることを悟った。

 

タクミはすぐさまコンコルドに直談判に向かった。コンコルドは普段はマスタータワーの一室で寝泊まりしているらしく、タクミはジムを飛び出し、月明かりに照らされたマスタータワーを駆け上った。消灯時間ギリギリであったが、コンコルドは快くタクミに応じてくれた。

 

「はぁっ、はぁっ、師範!すみません、こんな遅くに」

「ふっ、構わんよ。タクミが思いついたら即行動する人間だということは良く知っている」

「きょ、恐縮です。それで1つ、教えて欲しいことがあるんです!!」

「うむ、言ってみよ」

「押忍!!実は…………」

 

そして、タクミは自分の『思いつき』を話した。

それを聞き、コンコルドは一瞬だけ唇の端を緩めたが、すぐさま眉間の皺を一際深いものにした。

 

「…………うむ……結論から言うと……可能じゃ」

「本当ですか!?」

「ああ……しかし、生半可なことじゃないぞ」

「覚悟はできてます」

「…………今後、君のバトルが大きく変わる決断だ。バトルスタイルが歪めば致命的になりかねない。ものになるのにも時間もかかる。それでも、やるか?」

「……はい……」

「……地方旅を諦めることになってもか?」

「はい」

 

即答だった。

 

夜闇に浮かび上がるタクミの横顔。今のタクミの視線の先にジムバッジは見えていなかった。ましてや、『地方旅』でのポケモンリーグ出場のことすら度外視していた。

 

なぜなら、タクミが真に目指している場所は『チャンピオン』ただ1つ。

その為ならば例え1年を棒に振ってでもここで新たな力を手に入れるつもりだ。

 

その覚悟を見て、コンコルドは今度こそ口角を釣り上げてニヤリと笑った。

 

「よかろう!しかし、わかっていると思うが。これまで通りとはいかんぞ」

「押忍っっ!!!!」

 

タクミの声がマスタータワーに響き渡る。

 

 

翌日。

 

朝のトレーニングをこなしたタクミは昼食を終え、昼寝もせずにすぐさまマスタータワーへと向かう。そこから夕食まで一度も戻ってくることなく、夕食の後も消灯時間ギリギリまでマスタータワーに引き篭もる。

 

そんな日が、1日、2日と続き、1週間になり、2週間になる。

 

タクミのジムで過ごす時間が刻々と増えていく。

 

それでもタクミはコルニに挑むこともせずに修行へと明け暮れ続けた。

 



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Side school 学友は仲間でライバル その1

御言アキはホロキャスターのメール画面をぼんやりと眺めていた。

 

ここは、ポケモンスクールの中庭であった。

風通しも日当たりも良好な中庭は天気の良い日には多くの人間がポケモンと一緒に過ごしている。今日の天気は快晴。お昼の鐘が先程鳴り響いたところだ。中庭は多くの人々で賑わいを見せていた。

アキはそんな中庭の片隅にいた。大きな木の下にベンチが設置された休憩所だ。アキはそのベンチの隣に停めた車椅子に座っていた。膝の上にはサンドイッチの入ったランチバスケットを置き、傍のベンチにはイーブイが丸くなって昼寝をしていた。

 

アキはイーブィの毛並みを無意識に触りながら、メールを流し読みしていく。

メールで送られてきているのはどれもが友人達の近況だった。

 

ミネジュンは数日程前に3つ目のジムを突破した。傷だらけのゲコガシラと一緒にバッジを掲げている写真は見ているこちらも気持ちよい気分にさせてくれる。マカナも1週間程前にメガガルーラを攻略したそうだ。その2日後には龍之介もジムを突破し、彼はこれでバッジ4つ目である。

 

彼の仏頂面とマカナの無表情が並んだ写真を眺め、アキは難しい問題を目の前にしたかのような顔をした。

実は、アキは片垣 龍之介のことを良く知らなかった。

彼の妹である片垣瑠佳のことは同じ病室であったこともあり、仲良くしているが、その兄である龍之介とは直接喋ったことはほとんどない。

 

とはいえ、マカナのジム突破は嬉しいニュースだし、瑠佳にとっては龍之介のジム突破は嬉しいニュースだ。

 

だから、アキの懸念事項は1つだった。

 

それは一番の友人でもあるタクミのことであった。

 

彼がシャラジムに入門してから早くも1か月半の時間が経過した。

だが、タクミはある時を境にほとんど連絡をよこさなくなった。

 

メールの返事も淡泊なものになり、向こうから電話をしてくれる頻度も減った。時折、こちらからも電話もしてみたがそもそも出てくれないか、出ても酷く疲れている様子のことが多かった。自然、電話をする機会は減り、最近ではマカナとの方が通話することが多くなってきていたぐらいだ。

 

アキはタクミから送られてきた最後のメールを眺める。もう3週間も前のメールだ。

そこに書かれていたのは『無理しないようにね』という短いながらもこちらを気遣う言葉だった。

それに対してアキは『今が無理のしどころだから』と返事をしておいた。既読はついたものの、タクミからの追加の返事はなかった。

 

本気でジム戦に向けて特訓を積んでいるのだろう。

 

タクミがそこまで集中したいのならそれを邪魔したくない。だが、タクミがキツいのなら励ましてあげたい気持ちもある。

 

ただ、その思いはは本音でもあり、建前だった。

 

結局のところ、アキの心の根っこににあるのは『寂しい』というネガティブな感情だった。

 

「私って……束縛系だったのかなぁ……」

 

アキはイーブイの頭を撫でながらそう呟く。

イーブイは少しばかり耳を震わせたが、返事をくれはしなかった。

 

アキは小さく溜息を吐き出した。

アキは流し読みしていたメールの中の一通に目を止めた。

 

「ホントにもう……全部マカナのせいだ……」

 

渋い顔で開いたのはマカナからのメールだ。

マカナがシャラジムで撮ったタクミやジムの人達とのメールなのだが。

 

なぜかタクミ単独で写っている写真がない。タクミは常に2人で写っている。ある『女の人』と一緒に写っている。

 

「シャラジム、ジムリーダー……コルニさん……」

 

アキは写真の中の溌剌とした女性を見て、唇を真一文字に引き絞った。

【かくとうタイプ】のジムのジムリーダーらしい、健康的で引き締まった手足。女性でも見惚れる程に整ったプロポーション。高揚した頬と輝くような瞳。それに似合う明るい笑顔はまさに真夏の太陽のようだ。

 

アキは自分の赤毛の先を指先で撚り合わせ、大きく溜息を吐いた。

 

自分の体つきはお世辞にも健康的とはいえない。皮下脂肪こそないものの、痩せてるというよりは『やつれている』という印象の方が強い。肌は白いがそれは持ち前のものではなく日の当たらない生活が生み出した不健康なものだ。さらに性格に関して言えば決して『明るい』わけではない。こんなことを考えてることからもわかる通り、元気な自分を取り繕ってるだけの陰気な人間なのだ。

 

自分とコルニでは持っているものが違いすぎる。

 

「……マカナめぇ……こんな写真ばっかり……」

 

マカナに悪気はない。

 

マカナは単にタクミの近況の写真を送ってくれただけだ。別にタクミとコルニさんの間に何かあることを匂わせてる訳ではないし、そのことについて何か言及した訳でもない。

 

だからこれは単なる八つ当たりである。

 

別に本気で怒っているわけではない。

 

ないのだが、こうして気持ちの矛先をズラすというのはメンタルコントロールに重要なのだ。それが長年の闘病生活で得た経験であった。

昔はよくタクミに矛先を向けていた。体調が優れない時、病状が悪化した時、ひどい時はお母さんがお菓子を買ってくれなくてタクミに当たったこともあった気がする。

 

今にして思えばタクミはよく耐えてくれていた。

 

もちろん、タクミも怒り返してくることもあったので、そのたびに喧嘩してきた。

 

何度も、何度も、喧嘩してきた。

 

だけど、どれだけ喧嘩した後でもタクミは傍に居続けてくれた。

タクミはずっと『耐えて』くれていた。

 

だからこそ、自分はもうこれ以上タクミの負担にはなりたくなかった。

タクミが連絡来れなくても我慢する。タクミがジムリーダーと仲良くしてても気にしない。

 

そう、思うことにした。

 

「はぁ……天罰かなぁ」

 

前にタクミと一緒に過ごした時。私がシトロンさんと仲良くしているところを見てタクミが少し拗ねたことがあった。私はそんなタクミの嫉妬をわかった上で色々とからかった。あの時と逆の立場になった途端に自分が不機嫌になっていては世話がない。

 

アキはメールの画面を閉じ、大きく伸びをする。

 

やめよう。今はそうでなくてもナイーブになっているというのに。

アキはイーブィを撫でる手を止め、タブレット端末を取り出して電子化した参考書に視線を落とした。

 

そして、ほどなくしてアキが待っていた人達が顔を見せた。

 

「アキ!!ごめん!待たせた!!」

「ううん、いいよ。どうだった、2人共?」

「私は……まぁまぁだったけど……」

 

アキがこの場所で待っていたのは、スクールでできた2人の友人であるミーナとナタリーであった。

ミーナは金髪碧眼とソバカスが特徴的な女の子。彼女は眉間に深い皺を寄せたまま隣のナタリーに視線を送る。

ナタリーは長い黒髪を一本に束ねた掘りの深い鼻筋が目立つ女の子。彼女はこの世の終わりだとでも言いそうな顔で俯いていた。

 

「終わった……もうダメだぁ……」

 

ナタリーはそう言って力尽きたようにベンチに崩れ落ちた。

その様子から先程の模擬テストの結果は聞くまでもないようであった。

 

「まぁ、まぁ、ひとまず答えの擦り合わせしようよ。それから復習と対策をね」

「それより飯だ!!めしぃ!!」

 

ナタリーは胡坐をかき、肩にかけていたウェストポーチからハンバーガーを取り出してかぶりついた。ほとんどやけ食いであった。

ミーナとアキはそんな彼女の様子に顔を見合わせて笑い合い、一緒に昼食へと取り掛かった。

 

 

ポケモンスクール

 

 

『地方旅』に出れない人たちがポケモンリーグに出場する為の方法の一つだ。

アキが所属しているのは『初年度バトル科』。10歳の少年少女が集うこのクラスはカリキュラムに沿って講義を受け、単位を取得し、テストをクリアすることでジムバッジと同等の力を持つ『スクールバッジ』を取得できる。

 

そして、今日は3つ目のスクールバッジ取得の試験の為の模擬テストだった。

 

筆記と実技に分けられる試験だが、今日は筆記のみのテストだった。アキは模擬テストを早々に終わらせたので早めに抜けて昼食で日向ぼっこをしながらテストの復習をしていたのだ。

中庭の一角で昼食を取るアキ達の近くをテストから吐きだされた学友達が通り過ぎていく。

 

「アキ、午後空いてるか?ちょっとバトルして欲しいんだけど。“あなをほる”の対策を試したくてさ」

「あっ、ごめん。午後はナタリーに付き合う約束で。明日の朝一は講義ないけどそこじゃダメ?」

「OK!約束な。フィールドはまた連絡するよ」

 

「ミーナ!掲示板に名前張り出されてたよ!なんかやらかした?」

「違う違う。今度、実家帰った時に地元でジム戦するからその手続き」

 

「ナタリー!落ち込むなよ~俺も3割しか書けてなんだからさ!」

「一夜漬けバカのお前と一緒にするなぁっ!!アタシはこれでもこの日の為に準備をだなぁ……あぁっクソォっ!!」

 

気さくに声をかけてくれる学友達。

アキはここ数ヶ月の間で多数のクラスメイト達と良好な関係を築けていた。

 

ただ、その中でも例外というものはある。

 

その時、アキのクラスメイト達の中のグループの一つがアキ達の近くを通り過ぎていった。

彼等はアキ達のことを親の仇のような憎々しげな視線を叩きつけ、ついでのように片手で品のない仕草をして去っていった。

彼等の中心にいたのは東アジア系の顔をした男子、リヨン。

 

アキの登校初日。彼等のトップであるリヨンとポケモンバトルで負かしたことで彼等はカースト上位から転げ落ちた。とはいえ、元々クラスを牛耳っていた連中だ。やはりポケモンバトルの実力はあるし、クラスで最大のグループを形成していることは間違いなかった。

 

だが、クラスの勢力図は大きく変わった。

 

アキを中心にミーナ、ナタリーが友好の輪を広げ、対等な人間関係を構築していったことでクラス全体からカーストの枠が取り払われていったのだ。それに加えて、リヨングループ内から離れた者も多数いた。彼等の影響力が相対的にも絶対的にも減ったことで、リヨンのグループがグループ外の人間にちょっかいをかけたりすることが激減した。

 

ただ、負けたリヨンはあいも変わらずグループのトップのままというのはアキからすれば驚きだった。

 

『他の人達を黙らせるぐらいポケモンバトルが強いというのもありますが、実家が太いという噂もありますからね。少し注意して観察していましたがグループ内で彼を排斥するという動きは見られませんでした』

 

そんなことを言っていたのはここにいないもう1人の友人であるトマであった。

トマは褐色の肌と薄茶色の短髪をした男子だ。フレームの薄い眼鏡と鋭いブルーの瞳が特徴的な彼は今日この場にいない。模擬テストをアキより先に片付けた彼は多分どこかで1人で勉強しているに違いなかった。

 

アキはサンドイッチを食べ終え、イーブィを膝の上に移して今日の模擬テストの内容を参考書で確認する。

 

今回の『ポケモン学』の課題は3つ。

 

『以下のポケモン相性表を全て埋めよ』

『ポケモントレーナーが所持するポケモンのタイプを統一することの利点を述べよ』

『対戦相手のポケモンはボスゴドラである。現在自身の所持するポケモンで行うバトルでの展開について説明せよ』

 

後は通常の『算数』『国語』である。

『算数』は日本のものとほとんど変わらないのだが、問題を全て方程式で解くのは驚いた。日本で言う『つるかめ算』とかの文章題も全部方程式で解くのだ。確かに合理的であるのだが、相応に難しい。

『国語』は基本的にポケモン学と同様に論文問題ばかりなのも新鮮だった。

新しい学校での新しい勉強。それそのものは楽しくもあるのだが、テストとなるとやはりプレッシャーの方が大きい。

 

実際、今回の模擬テストは自信がなかった。

『相性表』と『タイプ統一』に関しては参考書の内容そのままで良いのだが、『バトル』に関してはアキ自身のバトル経験値の低さが露呈していた。

 

「いやいや、アキ、そのバトル展開は無理あるよ」

 

ミーナにそう言われ、アキの背に一気に冷や汗が吹き出した。

 

「えっ!?だって、基本的なボスゴドラの戦い方はこうだし……」

「そうじゃなくて、ボスゴドラが“がんせきふうじ”使ってるのに、後半機動力勝負はダメだよ。だってフィールド岩だらけだよ」

「あ………」

 

アキはこういった『バトル的視野』が狭くなることがあった。こればかりは実践での経験がものを言う。

 

「うーん……なかなか難しいね」

「アキ!お前だけが頼りなんだ!頼むから次席の座は守ってくれよ!主席トマ、次席リヨンとか、アタシはやだぜ!」

 

ナタリーにそう言われたが、こればっかりはどうしようもなかった。

 

こういう時、実際に色んな場所でバトルを繰り返してるタクミの話を聞きたいと強く思う。

ミネジュンやマカナとも話をするのだが、彼等は戦い方があまりにもアキとかけ離れていて参考にしにくい。

 

そして、話は最初の話に戻る。

 

タクミと話がしたいなぁ……

 

アキは手遊びのようにイーブィの耳を捻り、パシンと尻尾で叩かれたのだった。

 

 

 

―――――― ※ ―――――― ※ ――――――

 

 

 

ポケモンスクールのバトルフィールド。

アキはフィールドに横たわる自分のポケモンに指示を出した。

 

「コイキング!!“たいあたり”!!」

「コイコイッ!!」

 

コイキングが反動をつけて地面から飛び跳ねる。大きく飛びあがった身体が日輪に照らされて輝き、ヤンチャム目掛けて急速に落下していった。

 

「コイコイッ!!」

「チャム……」

「ヤンチャム!“あてみなげ”!!」

「チャム!!」

 

ナタリーの指示に合わせ、ヤンチャムが動き出す。

ヤンチャムは一歩前に出て、コイキングの打撃を受け止めた。そのままコイキングの身体を両手でつかみ上げ、身体全体を巻き込むように大きく身体を捻り込んだ。

 

「コイッ!」

 

その瞬間、ヤンチャムの腕からコイキングの身体がすっぽ抜けた。

 

「チャム!?」

「コイコイッ!」

 

コイキングは尾びれでヤンチャムの背中を叩いて跳ね上がる。ダメージはない。ただの“はねる”だ。

コイキングはそのままフィールドへと落ちてくる。コイキングは元気よく左右に跳ねながら、アキに向かってアピールを重ねていた。

 

「コイキング、ナイス!」

「コイコイッ!」

 

嬉しそうに瞳を細めるコイキング。

 

それに対してヤンチャムとナタリーは渋い顔だった。

 

「ぬぁぁっ!また失敗か!!アキ!もう一回!もう一回頼む!」

「おっけー。コイキング、もう一回お願い」

「コイコイッ!」

 

ポケモンハイスクールの午後。

アキのクラスは今日の午後に講義がない。

 

多くの生徒達は自習をしたり、こうしてポケモンのトレーニングに割り当てている。

アキはナタリーの要望で彼女のポケモンであるヤンチャムのトレーニングに付き合っていた。

 

相手のワザを受け、投げを返す“あてみなげ”。

やや難易度の高いワザであり、タイミングを取るのが難しい。

ナタリーは直近に迫る3つ目のスクールバッジを獲得するためにこのワザの習得を狙っていた。

その為、アキはダメージの低いコイキングの“たいあたり”で練習に付き合っていたのだ。

 

次の3つ目のスクールバッジ獲得の為のバトルは3対3のバトル。

アキの手持ちは今のところヒトカゲ、イーブィ、コイキング。

バトルに向けてコイキングを進化させたいところなので、こうしてバトルの経験を積ませているのだった。

 

とはいえ、現状の選択肢が乏しいのは問題だった。

 

バトルのことはもちろん、『ポケモン学』の論文問題でも自分の手持ちを参照する問題があるので選択肢が多いに越したことはない。

 

やはり、ポケモンをゲットしたいところなのだが、やはりネックとなるのがこの足だった。

 

アキは自分の左足をさする。

まだ、歩くことのできない足だ。

車椅子を押しながら、野生のポケモンが襲ってくるフィールドに出るのは危険すぎる。

 

それは自他共に認める事実だった。

 

「……やる気はあるんだけどなぁ……」

 

アキはコイキングが何度も“たいあたり”でヤンチャムに突撃していく様を見ながらそう呟いた。

 

「コイコイッ!!」

 

コイキングは今日も元気にフィールドを跳ねまわっていた。

 

 

 

進化の兆しは見えない。

 

 

 

アキとナタリーはそのまま日が傾くまでトレーニングを続け、最終的にはヤンチャムの咥えた葉っぱがしなり、コイキングの跳ねる高さがいつもの半分ぐらいになったところで終わりを迎えた。

 

「いやぁ、ありがとなアキ」

「私もありがと。ナタリーのおかげでコイキングも順調だし」

 

アキとナタリーはフィールド脇のベンチでペットボトルの水を飲みながら、大きく息をついた。

ポケモン達はボールに戻り、この場で聞こえるのは方々から聞こえてくるバトルの音だけだった。

 

「次の試験までに進化できそうなのか?」

「どうだろ。あんまり自信ないな。コイキングは……進化する気満々みたいだけど」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「最悪、2対3でなんとかするしか……あとはコイキングのやる気にかけてみるか……」

 

これもまたアキが少しばかりナイーブになっている原因の一つだった。

試験にはまだ時間がある。それに、例えここで試験を落としてもリーグに出場できる可能性はまだ残る。試験は計2回までは落とす余裕がある。それに、スクールバッジとは別に普通にジムバッジを得ることができれば試験を落とせる余裕が更に増える。

 

とはいえ、一発で通っていきたいのも本音だった。

 

友人達は順調に3つ目のバッジを入手した。それにアキも続きたかった。

何よりも、タクミが手こずっている今でこそ彼に追いつくチャンスなのだ。

 

「……アキ、やっぱり新しいポケモンをゲットする必要があるとアタシは思うよ」

「そうだよね……でも……」

 

アキの手に汗が滲む。ペットボトルを握る手に力が入る。

 

『怖い』

 

その感情は隠すことができなかった。

 

車椅子に乗っていれば咄嗟に動くこともできない。野生のポケモンに襲われた時に逃げられない。

自分のポケモンは信頼している。それでも、不測の事態というのはいつだって起こりうるのが『野生』というものだった。

雑誌やテレビ越しに感じるフィールドはアキにとってあまりにも未知の領域だった。

 

こういう時、タクミがいればきっと付き添ってくれた。タクミがいれば安心してポケモンゲットに出かけられた。

 

だけど、ここにはタクミはいない。

呼び出すことなんてできるわけがない。

 

だから、『怖い』

 

「私……フィールドに出たことなくて……」

 

アキは消え入りそうな声でそう言った。

ナタリーは「失言だったか」と思ったが、後の祭りだった。

 

「……そっか……そうだよな……地球界にポケモンは野生で生息してないもんな」

 

こっちに来る直前まで入退院を繰り返してきたアキが外の世界に出渋るのも無理はない話だ。

それは考えればわかること。わざわざ言わせてしまった自分が恨めしい。

 

ナタリーは考え無しに条件反射で口を開いてしまった自分の短慮さを反省する。ナタリーは眉をひそめ、自分の髪をかき上げる。

 

「じゃあさ、アタシと一緒に行くってのはどうよ?」

「え?」

「アキが良ければさ、アタシは付き合うよ。座学みてもらってる礼もしないといけないしな」

「でも……私……その……こんな足だから、迷惑かけるかもしれないけど」

「バァカ……」

 

ナタリーはそう言って、アキの頭を小突いた。

 

「他の人だと迷惑かけっからアタシが行くって言ってんだ」

「あ………」

 

ナタリーはそう言って歯を見せてニカッと笑った。夕焼けに照らされたその顔は堀の深い目鼻立ちと合わさり、随分と様になっていた。

 

「ありがと、ナタリー」

「いいってことよ……っていうか、せっかくだからアイツらも誘うか。ポケモンゲットって言ったら断らないだろ」

「そうだね。っていうか、ミーナに黙って行ったら後で怒られそう」

「違いないね。トマの奴はぶつくさ言いそうだけどな」

「だね」

 

アキはナタリーがホロキャスターでメールを送るのを横目に、自分のホロキャスターを見下ろす。

 

「…………ダメだな……私……」

 

いつまでもタクミに頼ってばかりでいるわけにもいかない。

タクミも1人で頑張っているんだ。

 

アキは自分の掌を見下ろす。

 

幾度となくタクミとハイタッチを繰り返してきた手だった。

ハイタッチの時に響く乾いた音と甘い痺れを思い出し、アキはその手を握りしめる。

 

「よしっ!!がんばろ……」

「おっ……ミーナはOKだってさ……トマの奴は……うわ、あいつ場所指定してきやがった……」

「トマらしいね。どこ?」

「あぁ……えーと……ったく、座標で送るなよ……えーと……あ、わかった……『21番道路』……げぇ、ここかよ」

「遠いの?」

「ちょっとな……ミアレシティから出てる船で川を下って行ける場所だ。まぁ、逆に言えば船を使えばアキでも行けるってわけ……確かに、アキが一番遠出できる場所はここか……近場は別に今すぐじゃなくていいし……時間に余裕がある今の内に行っておくってのはありか……くっそー……でもトマの奴の意見に従うの癪だなぁ……」

「まぁまぁ……」

 

アキも調べてみたが、確かに案外遠い。

 

調べてみると、カロス地方の川は日本の川とは比べ物にならない程に川幅が広く、流れが穏やかなのもあり、宿泊施設を備えた船で行くリバークルーズも人気のようだった。よくよく見ればカロス地方の東側は川のほとりにある町が多く、一週間かけて色んな町を巡る旅行なんかもあるらしい。

 

2階建ての白い船。豪華な個室とお洒落なレストラン。カロス地方の風を感じながら川を下る優雅な船旅。

 

そんなお洒落な旅を夢想していたアキの隣からナタリーが端末をのぞき込んできた

 

「……アキ、そんな高級クルーズ船に乗る気か?」

「えっ!あっ、違うけど……こういうのもあるのかなぁ……って」

「そういうのはボーイフレンドとの旅行にとっとけ。アタシらが使うのはこっち」

 

そう言ってナタリーが見せてくれたのはビジネスホテルのような狭い客室が並ぶ簡素な船だった。船は随分と縦長の平べったいものであった。川を下る以上、橋を通過しなければならないので高さが確保できず、縦に伸ばす他ないらしい。

 

昼過ぎに船に乗って、到着は翌朝。そのまま、21番道路で過ごし、夕方に船に乗って翌日の昼に帰ってくる。それが最短コース。週末の休みを利用するなら0泊3日の弾丸旅行になりそうだ。だが、そんな慌ただしいスケジュールでもアキの胸は高鳴った。

 

アキにとってこれは『冒険』なのだ。

 

「ほら、この4人部屋を1つ取って行けばアタシらでもアキを手伝えるだろ」

「え、悪いよ。そこまでしてもらわなくても……」

「いいって、いいって。ってか、聞いたことなかったけど、車椅子生活ってどういうとこが不便なんだ?」

「え……えと……そうだな、やっぱり移動の時とか……」

「ふんふん……」

 

ナタリーは時折相槌を入れながらアキの話を聞いてくれる。

アキはそんな彼女に少しばかり遠慮しつつも、日常生活のことについて話を続ける。

 

それは初めての経験だった。

 

アキにとって自分の世界は病院と自宅の2つだけだ。その世界にいる人間は家族と医療関係者、そしてタクミだけだ。

 

ただ、そんな世界はもう終わったのだ。

 

アキは閉ざされた世界から飛び出し、新しい場所に踏み出した。

そこでできた新たな友達。その人に自分のことを話し、弱味を晒す。

 

それは、気恥ずかしくもあり、遠慮する気持ちもあり、そして少しばかり胸の沸く気持ちだった。

 

自分の存在が他の人に疎まれることなく受け入れてもらえる。

『少し変わった慣習』程度の認識で扱ってもらえる。

 

人の輪に入っていける。

 

それはアキにとって心の底から喜ばしいことだった。

 

「なるほどな……それぐらいならアタシ達がフォローできんな。いよっし、週末は『冒険』だ。へっへ、楽しみになってきた!」

「うん!!」

 

少しばかりの遠出。子供達だけでの小さな旅。

アキは『地方旅』の一端に触れられたような気がして胸が激しく脈打つのを感じていた。



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Side school 学友は仲間でライバル その2

いざ初めての冒険へ。

 

だが、ことはそう簡単ではなかった。

 

0泊3日なら『冒険』というよりは『旅行』のようなものだ。

準備そのものは短期入院の準備とそう変わりはなく、森の奥に入るつもりもないので重装備も必要ない

鞄に最低限の着替えと捕獲用のモンスターボールときずぐすりなどの治療具を詰め込めばそれで充分だ。

 

だから、問題はそこではなかった。

 

問題となったのはアキの両親だった。

 

「野生のポケモンに直接襲われたらどうするの!?」

「車椅子が横倒しになったり、動かせなくなったりすることだってあるんだぞ!」

「まだ歩くリハビリもできてないのに、そんな危ないことしないでちょうだい!」

「行きたい気持ちはわかる。わかるから、行くなとは言わない。誰か大人のトレーナーに付き添いをお願いしよう」

 

 

反論の許されない2時間にもわたるお説教。

 

久しぶりだった。

 

両親の気持ちはわかる。心配なのも当たり前だし、過保護とは思わない。実際に『野生』という場において私の身体は危険が高い。

 

ただ、私は教師やレンジャーといった大人達と一緒に行くのは気が進まなかった

 

 

 

 

私は足が動かない。だから危ない。

 

 

 

 

そんなことはわかっている。頭ではわかっている。だが、心はそうはいかないのだ。

 

家の中で他の子達が遊ぶ声を聴きながら何度走り回る夢を見たことだろうか。

テレビの中に映る広大な景色を前に何度自分の足を殴りつけただろうか。

何度この足を恨んだか、何度この足を嘆いたか。

 

この足のせいで数え切れない程に涙を流してきた。

 

それでも、ようやくここまで来たのだ。車椅子という限定的な環境ではあるが、自分の意思のまま、自由に行動できるところまで来たのだ。

 

これでやっと私は私の『夢』が見えるところまで来たのだ。

 

私の『夢』

 

町を出歩いて、学校に通って、ポケモンバトルをして……そして……『旅』をして、ポケモンリーグに挑戦して、タクミと肩を並べて、バトルをする。

 

それが私の『夢』だった。

 

『ポケモンリーグに出る』という目的はある。それも『夢』の一部だ。

だが、私にとってはその過程の全てが『夢』なのだ。

 

一時は絶対に届かないと思っていた『夢』なのだ。

 

だから、今回の『旅』は胸が躍った。タクミ達の『地方旅』には程遠いけど、これは間違いなく私にとっての『旅』なのだ。野生のポケモンと出会い、自分のポケモンを鍛えるという『夢』の一部だ。

 

だからこそ、私は私の『旅』を大切にしたかった。

子供達だけで線路の上を歩いて冒険に行くような、そんな『旅』がしたかった。

 

 

 

 

 

それが私の我儘だ。

 

 

 

 

 

そして、私に『我儘』を言う資格はない。

 

 

 

 

わかっていたことだった。

 

そうでなくても両親には散々迷惑をかけてきたのだ。

私は色々と注意事項や約束事を大量に聞きながら(大半は私が今まで学んできた内容の焼きまわしだったが)、タクミならなんと言うだろうかと考えていた。

 

『危ないからダメだ』と否定するだろうか。

『僕が同行するならいいけど』と戻ってきてくれるだろうか

『いいじゃないか、楽しんできなよ』と手放しで喜んでくれるだろうか。

 

そこまで考えて、私はため息を吐いた。

 

きっとタクミは難しい顔をしながら、『わかった。気を付けて』と言うだろう。

不安も心配も全部押し殺して、私の決断を尊重してくれる。

 

それが無責任と言う人もいるかもしれない。

私が欲しい言葉をかけているだけだと思われるかもしれない。

 

だけど、タクミはそういう人なのだ。

 

最後の最後には私の決断を信じて後押ししてくれる。

そういう気遣いばっかりする人なのだ。

 

その気遣いにずっと甘えてきた身には、こうした両親のお説教をはなかなかにきつい罰であった。

 

 

結局、大人のトレーナーが同行することを条件に両親は許可をしてくれた。だが、試験が近づいていることもあり、『旅』は今週末しかタイミングがない。そんな突然の『旅』に同行してくれるトレーナーを見つけるのはなかなか至難の業になりそうだった。

 

 

 

と、思っていたのだが……

 

 

 

「それでは皆さん!乗船しましょう!」

 

青い空の下、川岸で穏やかな微風を浴び、白い船を目の前に、私達の『旅』の水先案内人がとびっきりの笑顔で待っていた。

 

柔らかなパーマのかかかった金髪。

大きな丸メガネ。

青いツナギと巨大なリュックサックがトレードマークのトレーナー。

 

ミアレジム、ジムリーダーのシトロンさんがそこにいた。

 

アキが病院で遠隔で授業を受けていた時から電子機器の調整で良くお世話になった人であり、この町でアキのことを良く知る1人でもあった。

 

誰も文句のつけようのない人選であった。

 

彼の前に整列した私達。シトロンさんはそんな私達を大きく見渡した。

その直後、私は勢いよく手をあげた。

 

「シトロンさん!質問です!!」

「はい、アキさん。なんでしょう」

 

シトロンさんはニコニコとした顔のまま、アキを指差した。

 

「今日はありがとうございます。それで、ユリーカちゃんは来ないんですか?」

「はい、今日はユリーカはお留守番です。お父さんの仕事の手伝いでコボクタウンに一緒に行っています」

 

続いて、ミーナが手を上げた

 

「はい、シトロン先生!」

「はい、ミーナさん、なんでしょう」

「来てくれてありがとうございます。でも、ジムは良かったんですか?」

 

ミーナがそう言うとシトロンは困ったように頬をかいた。

 

「あー…………実は今、ジムはお休みしているんですよ。ちょっとしたトラブルで……」

「え?そうなんです?でも、プリズムタワーはいつも通りでしたけど」

 

ミアレジムのあるプリズムタワーは町の中心にある大きな電波塔だ。

ミアレシティの有名なランドマークであり、カロス地方の名所の一つでもある。

その塔は昨日も今日も輝かしい光を放っていて、特に問題があるようには見受けられなかった。

 

「いえ、電波塔としての役割はお父さんが別回路で動かしているので問題ないんです。問題は、ジム戦の方でして……あ、いえ、この話はいいんです。またにしましょう」

「はい、シトロン先生!」

「はい、ナタリーさん、なんでしょう」

「アキは今回電動車椅子使ってますけど。これってシトロンさんなら改造できます?」

「できますけど……やりません。変に手を加えて、事故が起きたら大変ですから。その分、今の車椅子で可能な範囲でポケモンゲットを目指せるよう僕がフォローします」

「はい……シトロンさん……」

「はい、トマ君、なんでしょう」

「……ジム戦してください」

「それは、また日を改めて予定を立てましょう。今回は『旅』に集中します。他に質問はありませんか?」

 

手はあがらなかった。

 

「それでは、出発しましょう!」

 

シトロンの音頭に合わせ、アキとミーナとナタリーの腕が高く上がった。

トマだけは眼鏡をクイッと動かしただけだったので、ナタリーに小突かれたが。

 

「おい、トマ。ノリ悪いぞ」

「……それを僕に期待してますか?」

「してねぇよ。してねぇけど、旅の間にお前のノリが悪けりゃこうしてアタシが小突き回す」

「やめてください」

 

そう言いながらもトマはナタリーとじゃれつきながら船へと乗り込んでいった。

アキも電動車椅子のレバーを倒して、乗船する。アキが動きだすと、シトロンは自然とその後ろに立って車椅子のフォローをしてくれた。アキはそんなシトロンに頭を下げた

 

「ありがとうございます」

「いえいえ、これぐらい」

「いえ、そうではなくて……今回の『旅』の引率を引き受けてくださって……」

「おぉっと!待ってくださいアキさん!」

 

シトロンはそう言って大げさな仕草でメガネを光らせた。

 

「僕はあくまでも皆さんの『旅』の同行者です。『保護者』でも『引率者』でもありません」

「…………え?」

 

それを言われ、アキは目をパチクリとさせた。

 

「僕も少しフィールドワークには行きたいと思っていましたから。今回のお話はまさに『渡りに船』でした。なので僕も『旅』の一員です。それに、僕と皆さんはそれほど歳も離れてませんし、皆さんがよろしければ『旅』の仲間と思っていただければ僕も嬉しいんですが……」

「はい……はい!ありがとうございます!こちらこそよろしくお願いします!」

「はい、よろしくお願いします……ですので、アキさんから前の皆さんに『シトロン先生』はやめてくれるよう言ってくれませんか……どうにもこそばゆくて」

 

シトロンはそう言って頬を染め、身もだえる仕草をした。

アキはクスクスと笑いながら、「後で言っておきます」と伝えた。

 

「……あの、シトロンさん」

「はい、なんでしょう?」

「……その……ありがとうございます」

 

3度目の礼。

 

その意図するところを察し、シトロンは今度こそ「いえいえ、どういたしまして」と返した。

 

「僕もわかりますから」

「え?」

「子供だけで『旅』をしたい、という気持ち……僕も……よくわかります」

 

シトロンはそう言って少しだけ遠くに目を向けた。

それは、何かを懐かしむような、遠くに行った友人を想うような、そんな瞳だった。

 

「『旅』は良いですからね……」

 

含蓄のこもったそんな一言が零れ落ちる。

シトロンの瞳は水面の揺れる光を映し、輝いていた。

 

「アキさん。この『旅』いいものにしましょう」

「はい!!」

 

そんな時、一番乗りで乗船したミーナが声をあげた。

 

「アキ!シトロン先生!甲板に行ってみましょうよ!!」

「うん!!でも、荷物置いてからにしようよ!」

「ミーナさん、『先生』はやめてください~……」

 

そうして始まった旅は(つつが)なく進んだ。

 

だが、その全てがアキにとっては初めての経験だった。

 

クルーズ船の甲板で浴びる風も、眼下を流れていく川の飛沫も、どこからか飛んできた青い花びらも、その全てが新鮮だった。

 

「あぁ……気持ちいい……」

 

アキにとって『世界』というものは病院と自宅しかなかった。

大きな手術の為にそこに『ポケモン界の病院』が増えた。

『ミアレシティ』が増え、『プラターヌ研究所』が増え、『ポケモンスクール』が増えた。

 

そして、今日アキは『旅』を自分の『世界』の中に加えたのだ。

 

これと同じ空の下をタクミも、ミネジュンも、マカナも歩いてきた。

同じ場所ではないけれど、同じことをしている。

 

アキはようやく友人達に肩を並べることができたように感じたのだ。

 

その後は、そのまま流れる景色を眺めたり、青空の下で勉強会を開いたり、シトロンを質問攻めにしたりと楽しい時間を過ごした。そうこうしているうちに日が暮れ、夕飯を取り、アキ達は4人部屋へと戻ってきていた。

 

今回の船旅は客が少なかったようで部屋は空きが多く、アキ達が抑えた4人部屋は3人で使うことができた。ただ、トマとシトロンは個室ではなく大部屋で雑魚寝をするとのことだった。

トマが言うには『他人と同室なんて絶対に無理。だったらまだ割り切って大部屋の方がマシ』とのことだった。

 

「いやぁー食べた食べた……」

 

ビュッフェ形式の船上レストランで腹を膨らましたミーナがベッドに倒れ込んだ。

 

「ミーナすごいね。船酔いとか怖くないんだ」

「ぜーんぜん平気だよ。カロスの船はあんまり揺れないからそうそう船酔いしないんだから。というか、アキ全然食べなかったけど大丈夫なの?」

「いや、結構食べたよ。もうお腹いっぱい」

 

アキはそう言って自分のお腹を撫でる。

肉も脂肪も薄い腹周りのせいで、少しばかり指を押し込めば膨れた胃の感覚が指先に触れた。

それ程までにアキの身体は薄い。

 

そんなアキにナタリーが眉をひそめた。

 

「アキはもうちょと食べた方がいいんじゃないのか?」

「そうかな……そうかも」

 

だが、車椅子生活のせいで身体のエネルギー消費が極端に少ないのだ。

なんなら場合によっては食事は朝夕だけで十分だと思えることもある。

むしろ今日は食べ過ぎたぐらいだったのだが、それでも一般的な女子からしても小食らしい。

 

「んっと……アキはシャワーどうする?」

「この旅の間はやめとく。タオル濡らしてきてくれる?」

「了解ッと、ベッド移るよね。手貸そうか?」

「ありがと」

 

アキは身体を支えてもらいながら片足で立ち、ベッドの端に腰を下ろした。

何気ない動きであるが、『片足で立つ』という行為ができるようになったのはつい最近の話だった。

 

長い年月使ってこなかった足の筋肉がようやく『立つ』という当たり前の機能を取り戻しつつある。ここまで来るのも大変だった。リハビリをいくらこなしても、遅々として成果は得られない日々の中でようやく得られた進化。

 

この『片足立ち』を披露した時の両親の喜びようは輪をかけて大きかった。一時は『二度と立てなくなる』と言われていたのだ。両親からすれば奇跡の一端のように見えてだろう。

 

それでも、義足を使って『歩く』という段階までは回復していない。

 

まだまだ先は長いのだった。

 

アキはお湯で湿らせたタオルを受け取り、2人がシャワーを浴びに行くのを見送った。

 

アキはベッドに腰かけ、左足に巻いた包帯をゆっくりと外していく。包帯を外していくと、その下から足を保護するカバーが現れた。半透明の足のカバーを外す。

 

「……んー……やっぱりちょっと蒸れるね」

 

白い肌にミミズ腫れのように走る手術痕。しっとりと湿った肌をタオルで拭い、アキは太腿を拭いていく。

 

細い腰から伸びる骨と皮だけの足。その足は『元々、膝があった場所』の10㎝程上の部位に大きな傷が走っていた。大きなリング状の傷。そこが、アキが手術をして足を切断した場所だった。

 

その傷を境に『足』が変わる。

 

肉付きも、質感も、太さも全てが変わる。

 

傷よりも下の部位。

 

アキが足を切断した場所から、『足首』が生えていた。

 

それは間違いなく本物の『足首』だった。アキ自身の『左足首』だ。『踵』も、『土踏まず』も、『足の指』も、全てそのままの『足首』。しかも、普通のつき方ではない。アキの足首は180度反転していた。『踵』が前側、『足の指』が背中側になって繋げられた足。

 

それは一見すると酷く歪なものに見えた。

 

アキはその足をなんの躊躇いもなく、タオルで拭いていく。

 

繋げられた『足首』は血が通っているようだったが、動く気配はない。筋肉はついているが、神経は繋がっていない。

 

これは決して珍しいものではなかった。

 

 

アキの病気の根源は『膝』だった。そこから病気が進行して広がりを見せていたが、薬や放射線で病気を抑え込み、『膝』だけに押し戻すことができた。

だから、切り落とす必要があったのは『膝』だけだ。そのため、アキが行った手術は『膝』の部分だけを切り落とし、『足首』をそのまま『太腿』に繋げる手術だった。

 

もちろん、足の大部分を切断しているため、短くなった左足でそのまま歩くことはできない。

 

なので、この『足首』の使い方は別にある。

これは『膝』の代わりなのだ。『足首』を逆につけることで『踵』を『膝』の代替品とする手法だった。膝が『ある』のと『ない』のとでは義足の種類が大幅に変わり、歩く機能の回復が段違いに速い。

 

『歩く』という未来がグッと近づくのだ。

 

それは、『医療の勝利』というよりも、『アキの勝利』だった。

 

長い幼少期の間に辛い治療に耐え続け、病気を『膝』に押し戻した。

痛みに泣き続けた日も、吐き気で何も食べれなくなった日も、本当に何もかも捨ててしまいたくなった日も、決して無駄にはならなかったのだ。

 

逆さまに繋がったこの『足首』は間違いなく、歩き出す為の『足』だった。

 

 

だが、何も知らない人に見せると驚かれるので普段はこうしてわからないようにカバーと包帯で隠してはいる。ただ、ここから先はそうもいかないだろう。ミーナもナタリーも夜更かしする気満々なようだったし、その間またカバーをつけるのは少々煩わしい。

 

「…………隠すことじゃないけど……あんまり見てて気持ちいものではないし……タオルで覆っておこうか……」

 

自分自身でも見た目に慣れるのに時間がかかったのだから、2人には刺激が強すぎるかもしれない。

 

「……あ……そういえば、タクミにも見せたことないか……ちょっと写真とって送ってみようかな……」

 

アキはホロキャスターのカメラ機能を使って足全体が映るように自撮りしてみる。

映った写真は足全体は撮れていたものの、前髪が変なかかり方をしていて心霊写真のようになっていた。

 

「……う……消そ消そ」

 

こんな写真を送ったら、ホラーが苦手なタクミの精神に悪い。

少なくとも、ジム戦に集中してるタイミングで送るものではない。

 

「ふぃー……さっぱりした」

「ただいまー」

 

そんな時、2人が帰ってくる。

 

「あ、おかえり」

「おう…………アキ…………え……」

「ん?………あ……」

 

2人の視線を追い、アキは自分の左足が何も隠されることなく光の下にあることに気が付いた。

ミーナもナタリーもアキの足を見て、完全に固まっていた。

 

やっぱり、初めて見る人には刺激が強かったようだった。

 

「…………その……とりあえず、説明させて」

「う、うん」

「わかった……」

 

この日、アキは友人2人に自分のことを少しばかり話した。

病気のこと、闘病生活のこと、手術のこと

かいつまんだ内容ではあったが、2人は真剣に聞いてくれた。

 

 

一通り話を終えた頃にはもう随分と夜が更けてしまっていた。

 

「そっか……大変だったんだね……」

 

ミーナがホットミルクを片手にしんみりとした様子で呟いた。

 

「うん……でも、今はもう元気いっぱいだから!!」

 

アキはそう言って両腕を掲げてマッスルポーズ(フロントダブルバイセップス)を取る。

もちろん、魅せる筋肉も脂肪もついていないのだが、笑顔だけは本職のボディビルダーにも負けないものであった。

 

「ぐすっ……ぐすっ……」

「もう、ナタリー……泣かなくてもいいじゃん」

「だってよ……そんなことがあったなんてアタシ知らなくて……」

「やめてってば~……もう、別に泣いて欲しくて話したわけじゃないんだから~……」

「ごめん……わかってる……けどよ……」

 

アキはポンポンとナタリーの背を叩く。ナタリーは目を真っ赤に腫らしながら、アキに向かって握り拳を向けた。

 

「アキ……頑張ろうな……絶対、一緒にポケモンリーグ出場しような!」

「もちろん。でも、それならナタリーはまずもうちょっと勉強しないとね」

「うん……アタシも頑張る……頑張る」

「…………も~……泣き止んでよ……」

 

アキは苦笑いしながら、ふと思ったことがあった。

 

 

 

そういえば、『頑張る』って言葉、平気になったな

 

 

 

昔はその言葉はアキにとって禁句だった。

 

アキには耐えることしかできなかった。あらゆることを耐え続け、我慢し続け、頑張り続けていたアキにこれ以上『頑張れ』という励ましはただの苦痛でしかなかった。

 

でも、いつからかアキは『頑張れる』ようになっていた。

頑張って、成果が得られるようになったからだろうか。

 

いや、違うか……

 

 

『頑張れ!頑張れアキ!頑張って、一緒に歩こう』

『アキは僕のライバルだろ。絶対にリーグでバトルしような!』

『アキ、頑張れ!!』

 

 

きっと、あの日。

タクミとポケモン界で再会したあの日。

手術に不安になっていた自分の背を押してタクミが『頑張れ』と言ってくれたあの日に、きっとこの言葉は禁句ではなくなった。

 

そんなことを思い、アキは柔らかく笑った。

 

そんな時だった。

 

ミーナが突然しみじみとした顔で言い放った。

 

「しかしまぁ、そんな辛い時期を支えてくれたタクミのことを好きになるのは仕方ないか」

「ふぇっ!!?」

 

一瞬でアキの頬が真っ赤に染まった。

 

「……タクミ?誰だ?」

「あぁ、そっか。ナタリーは会ったことなかったっけ。今のアキの過去話には1人欠けてる人がいて……タクミっていう今『地方旅』しているトレーナーで、アキの幼馴染で、アキが好きな男子で……」

「わぁーーっ!!わぁーーっ!!わぁーーっ!!」

 

突然、恋バナに発展した話題を打ち消そうとアキが声を張り上げる。

 

だが、ナタリーは既に興味津々だった。

彼女の涙は引っ込み、顔には既に好奇心が張り付いている。

もちろん、ミーナも同じだ。

 

「おやおや~ちょっとしたカマかけのつもりだったんだけど、やっぱその反応ってことは~……」

「違う!!違うから!!」

「おいっ、アキ!!なんだよ水臭い!!そのタクミの話も聞かせろよ!!いつから知り合いなんだ?どれぐらい仲良いいんだ?写真あるか!?」

「待って!!ちょっと待って!!タクミの写真見せるのは良いけどこの流れでは出したくない!!」

 

 

女子が3人寄れば(かしま)しい。

 

それはどの世界でも共通のようだった。



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