TS転生少女はくそびっちじゃないです+こぼれ話 (薄いの)
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TS転生少女はくそびっちじゃないです

障子越しに陽の光の降り注ぐ部屋。

そこは、周囲には開かれたままの画用紙に散らばるクレヨン、まさに子供部屋といった様相の場所だった。

不釣り合いなものがあるとしたら、ひとつだけ。

 

それは、来年から小学生になる二人の幼児。

 

片や年齢に見合わぬ鋭い眼光を宿した男の子であり、片やふわふわとした柔らかそうな黒髪から一束のアホ毛を屹立させた女の子である。

 

障子戸の枠に腰掛ける男の子。

彼が足を組む様は年齢不相応に似合っており、不思議と慣れに似たものを感じさせている。

 

「ねぇ、あたし――……じゃない、おれの言いたいこと、わかります?」

 

男の子の言葉は部屋を照らす日差しを凍てつかせるような冷たさを秘めていることが女の子にはありありとわかった。

 

「……あの」

 

弱弱しく声を上げたのは女の子の方だった。

彼女は、小さな体で正座のまま、腕ごと全身を前に投げ出すようにして伏していた。美しい――とは、言い難い、だがどこか慣れを感じさせる土下座であった。

 

「あ゛?」

 

「ぴぃっ!?」

 

蛇に睨まれた蛙。

足を組み、幼い少女を睨む、これまた幼い少年に。

堪らず少女の喉から悲鳴が漏れた。

 

「……顔をあげていいです」

「あ、あいっ」

 

男の子の声に、恐る恐る、といった様子で顔をあげる女の子。そして、その頭上で優雅に踊るアホ毛。

 

男の子は小さく、どこか吐き出すような様相で呟いた。

 

「……『わたしがおとなになったらあなたのおよめさんになってあげるね!』」

 

少女の口元がひくり、と引き攣って額から一粒の冷や汗が伝うのが彼にははっきりと分かった。

 

「おうちがおとなりさんどうしで、おさななじみで、なんだかんだで恋人になって、同棲してて?深夜におうちがもらい火の火事になって、気持ちよさそうに爆睡キメたまま煙吸って気絶してる彼氏引き摺って逃げようとして間に合わなくて?――ふたりとも死んじゃって?目が冷めたら並行世界っぽいのに生まれ変わってるし、なんかあたし、男の子になってるし?」

 

「……きびしい人生だった」

 

男の子から目を逸らしながら白々しい声音でぼやく女の子。

 

「ぶっちゃけ死んだこと気づかなかったでしょ。今なら怒んないからいってみ?ん?」

 

「ぜんぜんきづかなかった!!」

 

――どやぁ!

と言わんばかりにまったいらの胸を張って弾かれるように叫ぶ女の子の姿に男の子はその整った顔立ちにうっすらと青筋を浮かべた。

男の子は『きっと脳みそが小さくなってるからこの子はこんなにアホっぽいんだ』、時間の流れがこれ(あほのこ)を直してくれると自らに言い聞かせているが、残念ながら元からこんなん(あほのこ)である。

 

「あたs――、、おれはさ、おとなりさんがすぐにこ、恋人の……その、恋人の生まれ変わりだってすぐに分かったけどどうよ?こうみえてさ、じゃっかん運命感じちゃって、いつきづいてくれるかな、とかちょっとおろかにも乙女てきな、どきどきしながら期待しちゃってたんだけど?」

 

「ぜんぜんきづかなかった!!」

 

「なんちゃってロリ、そのアホ毛ぶち抜くぞ」

 

「ぴぃっ!?」

 

頭を押さえて、瞳に涙を浮かべて後ずさるアホ毛ロ、――女の子。

傍から見ると女の子をいびる男の子というDV染みたこの行為、この先十年、二十年と続いていくのだが、現時点ではそのことを薄々察している男の子と野生の本能で勘づいている女の子共々なんとなく理解していた。歪んだ信頼関係である。

 

「でさ、待ってたらさ。『わたしがおとなになったらあなたのおよめさんになってあげるね!』ですよ。元は男だったとはとても思えない感じの、むっっっだに愛らしい顔で、どういうことなんです?ねぇ?」

 

「たしかに、われながら父、母ともにたぐいまれな、うでのいい造型師につくられたものだと、おもう」

 

「おのれは美少女フィギュアかっ!そして、問題はそこじゃないっ!」

 

ほう、とどこか熱っぽい吐息を吐き出した女の子に向けて男の子は叫んだ。

半眼でジトっとした視線を女の子に向け続けると、彼女は居心地悪そうに口元を歪める。

 

「いや、まぁ……でも、切り替え早すぎじゃないです?――まぁ、わかりますよ。前世は前世でさ、今を生きる為にどこかで割り切んないといけないのはさ、今は何歳でしたっけ?」

 

「わたし、ごさい!!」

 

「よぅし、いきの良い五歳児だ。中身が二十代後半の男だと考えなければそれなりにいけますね。で、なんでこんなあざといセリフ吐いたんです?」

 

「……あたま、良さそうだったから、いまのうちにこなかけとこうかなって」

 

「おい、薄情浮気ロリクソビッチ」

 

「ひどい……。わたしは……こんどは、ひとりで、生きていくつもりだったから、でも、ひとりが、つらくなった時のために、なにかしておきたかった、だけ」

 

「―――あっ」

 

女の子は表情に影を落として小さな声でそう言った。

その姿はどこか弱弱しく目を離せばどこかへ消えてしまいそうに男の子からは見えて、自然に声が漏れた。

 

思えば、昔から自分にくっついてくるような寂しがりやな子だった。幼い頃の記憶に想いを馳せる彼の口元は小さく笑みをかたどっている。

 

「……どうしてもさびしくなったら、むりやり。寝取りも辞さない、かくご、だった」

 

「おい、薄情浮気ロリクソゲスビッチ」

 

「ほんとうに、ひどい」

 

女の子の姿に弱弱しいとかそんな儚い過去の幻想を重ねていた、さっきまでの自分を殴り飛ばしたい気分だった。

 

「仮にも元男なのに子供とはいえ男の子相手にそのセリフを吐ける精神性が一番ひどいのかもしれないですね。恋愛観が歪みすぎじゃないですか」

 

前世(まえ)は、恋する前に、愛してたから」

 

「…………ねぇ、それ、言ってて恥ずかしくなんないんですか」

 

『あんまり』、と女の子は答えると小さく首を傾げて微笑んだ。

純粋に、心からの笑みを見たのは生まれ変わってからは初めてかもしれない。

不意の攻撃を受けて、若干苦々しい顔をしながら胸を高鳴らせてしまった男の子はどこか逃げられない宿命というか、かといって新たな世界の男どもに女の子(これ)を放流する気にもならない諦めの悪い自らの性根とか諸々を自然と受け入れてしまっていて、思わず溜息を吐いた。

 

「言われてみれば、ちょっかいだすの、たしかに女の子でもよかった。ううん、むしろ女の子がよかった。男と女、倫理観はいつもわたしの足をひっぱる。非常にないすな、助言」

 

「外してはいけない(たが)を外してしまった感があります」

 

「さすがのわたしも、男の人に純潔を奪われるのは心が折れる、かもしれない。それなら女の子の方がきずが少なくて、すむ」

 

「そういえば、精通って何歳ぐらいでしたっけ?ちなみに何歳ぐらいでした?」

 

「覚えていない。というか、ちょ、ちょっとなにいってるか理解できななにゃい」

 

「今回は貰う側ですね」

 

男の子はこれまで見たことないくらいに怯えと恐怖を顔と震える声音で表現する女の子の姿に若干の興奮を禁じえなかった。

 

「損する側に回っただけですよ」

 

「むり。こわい。それはさすがにあたまぶんぶんはろーゆーちゅーぶ。ぶんぶん」

 

「それは違う人ですよ」

 

男の子は青い顔で首をぶんぶんしている女の子の髪にそっと手を添えるとふわふわの髪の毛を優しく撫で始めた。――下種な笑みを浮かべながら。

 

「中身がこれなら罪悪感を感じないで前は出来なかったスク水も体操服でも出来ますね」

 

「……わたしたち、わかれたほうがいいとおもう」

 

「無理矢理がいいんですかね」

 

「女の肉を裂いて血と涙の海にわたしをしずめたいという趣向は、ちょっと、かなり、困る。マジで」

 

「マジでって言葉を通算三十年近くあなたと過ごして初めて聞きました。死ぬほど似合わないですね」

 

「そこにふれないでほしい」

 

呆れたような言葉を放つ男の子へと彼女は真っすぐな視線を向けた。

若干の涙を溜め込んだ瞳、熟れた林檎のように紅潮した柔らかそうな頬、珍しく不満そうなジトっとした視線。

 

「……余生かな、とおもったら、延長戦だったのでもう少しがんばろうかな、って気になってたのに」

 

「そうですか」

 

「うん」

 

「じゃあ、キスからはじめましょう。大丈夫ですよ。これは練習ですから。子供同士の他愛ないじゃれあいだからセーフです」

 

そっと肩に添えられた手から感じる見た目以上の力に女の子の表情が引き攣った。

怯えの表情を向けてくる彼女の姿を見て、男の子はにっこりと笑って見せると女の子の目が絶望に濁った。

 

「まって、――まってほしい、それは犯罪者のりく―――ちょっ、――ちゅ――ぁぁぁ――んっっ――――!!」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

やや癖っ毛の黒髪をボブにして、穏やかそうな気質を思わせる垂れ目。瞳の色は夜の色。

中学指定のブレザーに身を包み、同じ年頃にしてはやや発育過多な胸元に深紅のスカーフを結んだ身の丈は小さいもののそれをロリ巨乳に昇華させた美少女がそこに在る。

 

それに対して彼は深く溜息を吐いた。

 

「育ちすぎじゃないですかね」

 

「わたしの造形師の腕はやはり一流」

 

「だから、美少女フィギュアかおのれは」

 

「年頃の少女に美少女フィギュアうんぬんの話題はモテない」

 

「女にモテてもどうすればいいんですかね……」

 

「わたしも男にモテても割りとしんどい……実際顔じゃなくて胸に視線が向いているとむかむかするより微妙に気持ちが分かるだけ、割りと純粋に悲しい」

 

学ランに身を包んだ少年とブレザーに身を包んだ少女。フレッシュな年代のはずの二人がそのフレッシュさと相反する鬱々とした瘴気を部屋全体に撒き散らしている。

これが学園屈指の秀才カップルで通っているのだから始末に負えない。

 

ちなみに、過去子供部屋であったこの部屋は少女の部屋になっている。

綺麗に整頓された学生机とやや無機質じみた色気のない白と黒ばかりの色彩が多い。

こういったところは性別というより少女の元来の淡泊な性根が表れているのかもしれない。

 

「ロリ巨乳とかいうマニア向け商品が持て囃される世の中なんて」

 

「……累計三十年以上連れ添った恋人をマニア向け商品と扱き下ろさないでほしい」

 

「マニア向け商品のお陰で漫画みたいな思春期男子特有のリビドーみたいなものが処理出来てるから同級生の青臭い感情もいまいちわかんないんですよね。男の人っぽい人生の機会損失してるんでしょうか、これ」

 

「ちょっとわたし、たまにあなたのこと自分の過去と比べても想像を絶する変態さんすぎて、なんで愛してるのかわからなくなりそう」

 

少女の瞳に広がる夜の闇に雲がかかって、濁り、どす黒いものが混じり始める。

一体少女の過去になにがあったのかは誰にも分からないが、ニューゲームで持ち越したただでさえ少なかった男性意識的なものを大きく抉り取っていったのは想像に難くない。成人向けされちゃうようなことがあったり、現在進行形で進んでいるのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 

「そういう自分だって後輩ちゃんといちゃいちゃしてるじゃないですか。うーわー、浮気ですよ。びっちびっちー!」

 

「……び、びっちではない!」

 

「なんかボディタッチ多いじゃないですか、あの子、なにも感じないんですか」

 

「おっぱい大きいとおもう」

 

「正直」

 

「もしかしたら、わたしたちはどちらかくらいは歯に衣を着せたほうがよいのかもしれない。傍から聞かれたら会話内容が汚れているのではないかとおもう」

 

今更である。

少女は髪の毛と性格と脳みそがゆるふわなので、そういった会話のタイミングと場所のコントロールは大体少年の方が取っている。

 

そして、脳みそがゆるふわでロリ巨乳の超絶美少女というだいぶ救いがたい属性を奇跡的に兼ね備えてしまった選択肢一個間違っただけでエロ同人待ったなしの少女の在りように少年はかなり本気で気を揉んでいる。気づかぬは少女ばかりである。

 

「わたしだけあれこれ言われるのも不快。そもそもの話、そちらも――」

 

少女はむすっとした表情で少年を睨み、口を開こうとして、ぱく、ぱくと口を上下させて、やめる。若干少女の顔色は悪く、思わずといったように口元に手をやってえずくように震えた。

 

「――――なんでも、ない」

 

「おい、こら!なにを想像した!一体なにを想像した!」

 

「わたしは、人の性癖には寛容でありたかった」

 

「察しが付いたけど今のあたしにそういう趣味はない!接触があってもそういう目で見るのはやめろ!」

 

「この体になって初めてそのジャンルに踏み込んだ時、ふと、過去のわたしと今のあなたの絡みを想像してしまった時にわたしは自分の限界を知った」

 

「なんで想像しうる限り最悪に近い地雷を最初に踏み抜いてトラウマにしてるんだよ!」

 

「……わたしは今の体でも前のあなたを好きでいられる自信がある。なのに、逆だと……結構、大分……かなりきつい。わたしは、わたしの狭量さを心底軽蔑する。――ごめんなさい。ごめんなさい。……ごめんなさい」

 

深く、深く世にはびこる性癖の暗黒面に堕ちていく少女。アホ毛も萎れているあたり、芸が細かい。

本人がかなり本気で言っているあたりが割りかし笑えないし、なまじ性別逆転して生まれ変わっちゃったミラクルが発生しちゃった時点であんまり笑い飛ばせないあたりどうしようもなく救いがたかった。

 

愛されているのは嬉しい。

そもそも想定してない感じのそびえたってはいるけど特にこっちを邪魔してないような障害を一人で勝手に乗り越えて謎の成長を遂げていることも含めてどうしようもなく愛らしいと少年は女の子であり、少女であり、一人の女であった頃から思うのだ。

 

だが、愛され方が非常にヘビィでファンタジーで冗談で誤魔化しにくすぎたことから少年は半月ほど苦悩する羽目になったが、結局は強引にエロいことしたり、しなかったりする感じでごまかした。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「人の妹を誑かしてどうするつもりなんですかね」

 

「わたしとて、今回ばかりはびっち言われても浮気者言われても受け入れる覚悟」

 

「ほう」

 

「最悪、薄情浮気ロリクソゲスビッチまではぎりぎり泣いて済ませるつもり」

 

「泣いてるんですがそれは」

 

「実はわたしは十年単位で昔に言われた悪口でも忘れないタイプ」

 

「知ってた」

 

合法ロリは執念深い。

それはともかくとして、そう、ロリは順調に歳を重ね無事合法に――ではなく、合法ロ――いや、少女は高校卒業を控える時期にあった。

 

「うちの愛しの妹が全く懐かないんですけど」

 

「兄としての能力不足を悔いた方がいい」

 

「納得いかない」

 

「お姉ちゃんと呼ばれるのは、なかなか胸にきゅんと来るものがある。感無量。最悪、義姉ちゃんと呼ばれるためだけにあなたと結婚してあげてもいい」

 

「義姉ちゃんと呼ばれる前にお母さんって言われるようにぽこぽこ孕ませてやろうか、この似非ロリ」

 

「定職に就いたらいいよ」

 

「……えっ、あっ、はい」

 

かなり下種な冗談のつもりで吐いた言葉があっさり受け入れられて自分を見失いかける。

そんな有様の彼に対して彼女は特になにも気負っていない様子でなんとなく納得がいかないのが彼であった。

 

「わたしたち二人だけの一人っ子同盟から勝手に離脱したことを妬んでいるわけではない」

 

「あー。うん。まぁ、兄弟姉妹の存在は(ぜんせ)からずっと憧れだった時期はありますけどね。逆恨み全開すぎでは?」

 

「正直に言えば精神の穢れのない子どもというだけで割りかし癒し」

 

「我々が言うからこそ恐ろしいほど説得力のある言葉」

 

「昔、五歳くらいから発言がR-18に両足沈めてるような男の子の知り合いがいた、ので」

 

「身に覚えがないです」

 

「わたしはやっぱり義妹と結婚することにした」

 

「妹に彼女を寝取られる超展開。そもそもまだおまえの義妹じゃない」

 

「わたしには、そのジャンルは需要があるかもしれない」

 

「おれにも、ギリギリ需要がある」

 

「…………」

 

「おいっ、なんで無言で後ずさったんだよ!冗談!冗談だろうが!」

 

少女は『えっ、なにこの人実の妹相手に欲情しちゃってんの』みたいな信じられないとばかりの視線を向けている。少女は(ぜんせ)から義妹派であった。だからといってアニメ版とか漫画版とかで実妹がなぜか義妹になってたりするとそれはそれでもにょっていたのだが、その話は特に関係ない。

 

「義妹に奪われるわたしに興奮しているのか、わたしを奪っていく義妹に興奮しているのか、奪われた後の展開に興奮しているのかで対応を変えなければいけない」

 

「妹に奪われるおまえに興奮しているって言ったら」

 

「許す」

 

「おまえを奪っていく妹に興奮しているといったら」

 

「許さない」

 

「……奪われた後の展開に興奮しているって言ったら?」

 

「わたしと握手」

 

彼がこよなく愛する少女は一体自分をどこに連れて行こうとしているのか。

真顔で差し出してきた掌を無言で押し返す。

 

「くそびっち」

 

「くそびっちではない。男性に対してこれ以上ないくらい理解のある優しい彼女。周りに自慢するといい」

 

「知り合いにはロリコン扱いされてるんですがそれは」

 

「『わたしがおとなになったらあなたのおよめさんになってあげるね!』って言われたからおれが大人にしてやったぜ、げへへ、とか言えばいい」

 

「言う機会がないことを切に祈りたい」

 

「出来れば結婚式のスピーチで言ってほしい」

 

「ケーキではなく新郎にブチ切れた親族が集団入刀浴びせていくスタイル」

 

「きっと、親族が遺族になる瞬間が見れる」

 

くすくす、と鈴を転がすように彼女は笑う。

それを目を細めて眺めていた彼は努めて真剣な表情を作り、真っすぐに彼女へ視線を向けた。

 

「おれはどっかの薄情者とは違ってやすやすと死なないし死なせないから安心して欲しいな」

 

彼女は目を丸くして、数度、瞬きを繰り返して――。

 

「今度はうっかり寝過ごして死なないように頑張る」

 

心から幸せそうな笑みを浮かべ、正面から彼の首元に勢いよく抱き着いた。

 

「ここはどう考えても唇を重ねる場面だと思ったのですけど」

 

若干不満そうな声が耳元から聞こえる。

それに、彼女は浮かべていた笑みを深めて、いつかどこかで言ったような、いつも通りの空気の読めない発言をなぞるのだ。

 

 

 

 

 

「ぜんぜんきづかなかった!!」

 

どこまでも楽しそうに、幸せでたまらない、というように。




◇少女
火災で死んだらしいが寝過ごして死亡。
本人的には朝起きたら幼児化してたぐらいなので、悲壮感薄め。
自分が死亡したことは知らないが特に当時のニュースになかったので元居た世界じゃないくらいは理解していたらしい。
半身だと思っていた幼馴染が居ない世界で割りかしやけっぱちに生きようとしてたらしい。
髪の毛と性格と頭脳がゆるふわ。ロリ巨乳。

◇少年
煙吸って気絶してる少女(元・男)放置して一人で逃げるより引き摺って駄目そうなら一緒に死んでやるかなと思ってた覚悟決まってる系の人。
少女以外の前では敬語で話すが少女の前で興奮したり、油断していると前の口調と一人称(あたし)が混じったりする。少女を使って今のうちにできること()は大体した自信がある。

◇後輩ちゃん
おっぱい。

◇妹(義妹)
お姉ちゃん(お義姉ちゃん)呼びを仕込んだのは少年。


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TS転生少女は小学生ですがくそびっちじゃないです

優しく耳を打つ小さな吐息の音色がどこかから聞こえる。

からから、と、どこか近所の家の窓の開く気配と音がする。

その気配に、モノが良いのか、どことなく質の良さそうな木材の使われたベッドの上で眠る幼い女の子が僅かに身じろいだ。

 

女の子の枕元に放り出されている、やや型の古いモデルのスマートフォン――女の子が父親が買い替える際に目覚まし時計の代わりに欲しいとねだり、貰った通信、通話用のSIMカードの抜きとられた若干使用傷の付いたそれ。

 

自分の衣服すら殆ど親に物をねだったことのない、昨今訪れている物質社会において非常に珍しいくらい物欲のない彼女の“おねだり”に父親も母親も最初は目を丸くしていた。

 

『こんなものが欲しいのか?もっと別に欲しいものがあるなら言っていいんだぞ』

 

『お父さんのつかってたものだから、ほしい』

 

『…………お、お父さんの使ってたものだから?』

 

父親の声音は震えていた。

女の子はいつも通りの無表情で小さく頷いて、言葉を繰り返した。

 

『お父さんのつかってたものだから』

 

父親は逆に心配になるほど滅多にわがままを言わない、よくできた娘からの直球ストレートに一撃で堕ちた。

というか、泣いていた。恥も外聞もないとばかりに号泣していた。母親はなぜか貰い泣きしながら父親の肩にそっと手を添えていた。

 

――しかし、当の娘は両親の反応に人生でそうないほどに心底ビビって貴重な涙目を披露していたのだが。実際、目覚まし時計という名目で貰って、こっそり自宅のWifiを使って家族に内緒でネットサーフィンでもして遊びたいなと思っていたくらいだから多様な機能も性能の高さも要らないし、衣服の類は前世(ぜんせ)と比べれば多すぎるくらいだと思っていただけである。

 

むしろ唐突に訪れた両親号泣という大惨事に複雑な事情(ぜんせ)を抱える出来損ないの娘であるところの自分がなにか家庭崩壊の引き金でも引いてしまったのかと、むしろ女の子の方が深刻に泣きそうだった。

悲しいすれ違いである。

 

そんな大惨事を引き起こしたことがある、いわくつきのスマートフォンが目覚まし代わりのオルゴールの音色を奏で始めたが、すぐに、それを女の子の指先が止めた。

 

女の子は、幽鬼のように空間を滑るかのように上半身を起こすと、小さくぺこりと首を垂らす仕草を見せる。

 

「おはよ、……ございます」

 

――おっ、おはようございます。――……ではなく。明らかに寝ぼけている様子の少女は普段からどこか眠たそうな印象を見るものに与えるその瞳でどこか遠くを見つめている。十秒ほど上半身だけベッドから起こしたままうつら、うつらと船を漕いでいた女の子はベッドに腰かけたまま、もそもそと淡い桜色のパジャマの上半身から脱ぎ始め、これまた床に一式揃えてあった着替えを身に着け始める。

 

顔を洗い、主人の言うことを微塵も聞きやしない強情な癖っ毛と、もはやどうにもならないと諦めの領域にあるアホ毛相手に格闘しながら身だしなみを整えて、両親と食事を済ませる。

 

女の子の全身を捉えて尚、余裕のある大きな姿見の前に立つ。ふわりと柔らかそうな癖のある黒の髪を肩まで伸ばし、鮮やかなみずいろのランドセルを背負った可愛らしい女の子の姿がそこに在る。女の子の過去の記憶に刻まれていた赤色以外の水色のランドセルという選択肢は本人的にはかなり、この現代で幼い少女として生きる、という一世一代レベルの壮絶な覚悟と三時間四十二分の長期戦を以って選択されたのだが、両親の反応は割りかし淡泊であり、女の子は地味に傷ついた。実際のところ三時間四十二分は両親を疲弊させるには十分すぎる時間であっただけで、特に娘に関心がなかったわけではない。

 

そして、女の子は今日もどこか慣れた足取りで隣家へと足を運ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「おはよう、ございます」

 

「はい。おはよう」

 

小さく一礼して、礼儀正しく挨拶してくる女の子に対して、とてもではないが、三十代には見えない快活そうな印象を受ける女が少しだけ笑って挨拶を返す。

 

「……でも、ごめんね?うちの子、一回起こしたんだけど二度寝してるのかなんなのか二階から降りて来なくて、準備終わったらそっちのおうちまで迎えに行かせるから」

 

彼女が困ったように言うと、女の子がふるふると首を振る。

 

「起こしてくる……きます」

 

取ってつけたような敬語を残してひょこひょこと階段の段差を跳んでいく。

女の子が跳ねる度にスカートが危うげに翻っているのはこの子くらいの歳ならば、まだ指摘するのも酷だろうか、と苦笑いで見送る。

女の子はどこか冷たい印象を思わせる言葉数の少なさでこそあるが、その印象とそぐわない穏やかそうな顔つきと時折斜め上を行く言動、そして異様なまでの面倒見の良さを発揮するので若干電波け……味わい深い性格をしているのだと彼女は理解していた。別にオブラートに包んだわけではない。

 

 

 

女の子の目の前には仰向けになったままベッドに転がって眠りこける男の子の姿。

その手には、作動を止められた目覚まし時計を掴んでおり、目覚まし時計による目覚めと男の子の母による目覚めの二重の目覚ましを乗り越えた後であり、それでも尚眠り続けているというなかなか深刻な寝起きの悪さを証明しているようだった。

 

そして、少しだけ思案してから、男の子の耳元に唇を寄せて囁く。

 

「……おきて。……おきるといい。あさがきた。……ゆめにひたるじかんは、おわり」

 

ぴくり、と男の子がわずかに反応を示したのだが、そのことには女の子は気づかなかった。

 

「そろそろ目をさましたほうがよいと、わたしはおもう。……きいている、きこえている?ねぇ――」

 

――くすくす。

堪えるような、女の子が飲み下そうとするようなちいさな、ちいさな、笑い声。

 

「―――そろそろじかんが、たりなくなってしまう……かもしれない?」

 

どことなく、その声は湿度を含んでいるというか、湿り気を帯びているというか。甘く、粘着質なものを含んでいる。囁きを伝える空間と音の波が一緒に混じりあい、一緒になって溶けていく様はどこか退廃的な、立ち止まる理性も、引き返す足場すらも溶かしていく毒の雫のようにすら感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ぁぁぁァァァッッッっっっ!! 寝てる人の耳元で生声添い寝CDっぽく甘く囁くのやめろやァァァぁぁぁ!!!」

 

男の子、吠える。

 

彼はまるでバッタのような見事な跳躍を見せて起き上がり、ベッドの壁際まで這うようにして後ずさった。

顔つきは先ほどまで熟睡していたとは思えないほど赤く、吐く息が荒い。

 

対する女の子は無表情で平常運転である。

そして、ほぅ。と息を少しだけ吐いてからひとこと。

 

「おきた。……せっかくこんどは、ふつうに起こそうとおもったのに」

 

「そりゃ、起きるわっ!!」

 

「わたし、添い寝CDは十代の頃にいっかい、聞いたけれど、はいりこめない感じで、あきらめた。でも、環境音のとかはねつきがよくないときとか、いい。おすすめ」

 

「そんなニッチな話は聞いとらん!つーか、それは体質の問題だろっ!」

 

「今日はまねっこなので、こんごの進展は、わたしの努力にかかっていると、おもう。ダウンロード販売サイトでお金がとれるくらいになったら、……ちょっとやりきった感、あるかも?」

 

「マジモンの小学生がやると変な付加価値付きそうだから絶対やんな!やんならあたしにやれや!」

 

「じょうだん。今日みたいにびっくりしてどこかぶつかると、あぶないからやめとく」

 

「…………そう。……そうですか」

 

一瞬にして、鎮火を通り越して、やや沈んだように口調ごと様変わりする男の子の様子に女の子ははて?とばかりに首を傾げた。

そして、なにかに気づいたようで、自らもベッドに乗り上げる。膝で這うように男の子に近づく。

 

「……えっ、なにっ。なんです!?」

 

二人の距離が縮まる。

男の子の声がうろたえるように少しだけ裏返った。そして、そんなこと意に介さぬとばかりに男の子の顔に自らの顔を近づけていく女の子。顔と顔が密着するような距離。女の子の鼻先が男の子の口元に触れそうになる。

 

「……おさけのにおいは、しない。少なくとも泥酔は、してない」

 

「なぜにわたくしがお酒なのでしょう。わたくし未成年のお子様なので、酒類は嗜みませんの」

 

「口調、へん」

 

「朝っぱらから人の耳元で艶っぽく囁き始める人間に口調を咎められるの結構納得いかない」

 

「二回起こされて三度寝する手のかかるお子様は、なにされても、擁護できないとわたしはおもう」

 

「正論すぎてぐうの音もでない」

 

「パジャマのズボン、足が片方しか入ってない。シャツはボタンがほとんど外れてる」

 

「お恥ずかしい」

 

「昔から深酒すると、家でいつも、脱ぎ散らす」

 

ジトッとした目をした女の子の視線に男の子は堪らず居心地悪そうに目を逸らす。

 

「……今回は寝相が悪いだけなので。お酒は大好きだけど流石にこの歳じゃ無理。禁酒してます」

 

「残り十数年の禁酒期間」

 

「そう言われると滅茶苦茶長く感じるんですけど。……つらい」

 

「なにはともあれ、非行少年になってなくて、よかった」

 

「流石にそこまで堕落してないです」

 

「ズボン履いてから言ってたらもっとせっとくりょく、あった」

 

「い、今から着替えるしっ!着替えますしぃっ!準備終わったらまた迎えに行くから待っててください!」

 

「うん」

 

女の子は無表情で頷いて見せると、男の子のベッドから飛び降りる。

そして、ゆったりと男の子に背中を向けて、部屋の外へと足を進めていくのだが、ふと、思い出したように口を開いた。

 

「……あと、十数年。やっぱり長い、ね」

 

「え?まぁ、そりゃそうでしょうよ」

 

前世(まえ)で先にプロポーズしとけば、よかった。……後悔、先に立たず?」

 

閉じていく扉の向こうに消えていく女の子の顔はややアンニュイ気味な、付き合いの長い男の子でなくては分からないくらいに小さく、本当に少しだけ困ったような顔をして口元だけで小さく微笑んでいるように見える。

 

そして、扉は僅かな音を立てて閉じられた。

 

 

 

 

 

 

「あら、なんかさっき、凄い叫び声が聞こえてきたけどあの子、どうやって起こしたの?」

 

「すこしだけ、こえ、かけたら起きました」

 

「やっぱり同い年の女の子に起こされるのは流石に恥ずかしいのかしらね」

 

「そう、かも?」

 

少しして、隣家の女の子の自宅へと消えていく、その後ろ姿に彼女は小さく手を振る。

母親である彼女としては、あの不思議な女の子と息子との縁が出来るだけ長く続くことを願わずにいられない。その感情は、家庭に対する暖かな充足感に似たものを彼女に与えるのに充分なもので――。

 

 

 

 

 

 

 

 

『こっちだって!何回!死んだって!あいして、愛してるからぁぁぁァァァ゛!!!ああああ゛ぁ゛ぁぁァァァ゛!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

などと考えていた柔らかな気持ちが彼女の愛息子の絶叫と、ベッドの上で暴れてでもいるのか、ドッスンドッスンという二階から響く鈍い衝撃音が掻き消した。

 

「……あの子、学校できちんとやれているのかしら。普通の子として」

 

彼女の未来に対する不安は重苦しい溜息に変わった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

彷徨う掌は次なる獲物を物色するように踊る。

既に本日三度ほど犠牲者(おんなのこ)を喰らっていて尚、貪欲に。

小学校は(クソガキ)の狩場であった。

 

周囲の普通の小学生男子生徒と(クソガキ)に特に違いがあるわけでもなく。

それでも、(クソガキ)はすれ違い様に犠牲者(おんなのこ)のスカートをめくりあげて、――泣かすのだ。

あわよくば犠牲者(おんなのこ)に構って貰えることを至上としながら。

 

もうちょっと歳を重ねてたり、精神的に早熟だと全然シャレにならないことに気づくのだが、世の中こんなもんである。

 

視線を探るようにして見渡せば本校舎と旧校舎を結ぶ渡り廊下に一人の少女の背中が映る。

ゆったりとしたポロシャツに紺のスカートの落ち着いた服装。

離れた場所からでも見える屹立したアホ毛。

時刻はすでに放課後で、人の通りも殆どなく、時折近所の中学校から吹奏楽部の練習の音が聞こえてくるくらいだ。

 

(クソガキ)が個人的に気に入らない無駄にモテるクールぶったイケメン野郎といつも一緒にいる女であった。明らかに男の子(イケメン)のお気に入りであることは公然の事実であるくせに、それでも男の子(イケメン)は女にモテるのだ。『むしろそういう一途なところがいいよね』ってなんだよ。ふざけんなよ。世のモテないほうの男子に欠片でもいいから視線をくれてやってくださいおねがいします。

 

クソガキは激怒した。あの邪知暴虐な男の子(イケメン)を除かねばならんと。

でもあの男の子(イケメン)はなんか目つきが鋭くて恐いからとりあえず女の方のスカートを捲るのだ。

 

クソガキは走り出した。『女とツルむとかダッセーの!』とか最初は言ってた仲間たちが最近になって段々色気づきはじめたことへの危機感とか身内での若干アウェーな空気とかを振り切るように。

 

駆け寄り、近づく女の子の背中に真っすぐに手を伸ばす。

その紺のスカートに届きかけた指先は――。

 

横から差し出された、不思議な世界の生き物図鑑(第三刷)に突き刺さった。

その、幼児や子供向けに製作に携わった人々の想いを乗せた物理ダメージに非常に強い学研とか講談社染みた異様な防御力(ハードカバー)(クソガキ)の指先を曲がっちゃいけない方向に捻じ曲げた。

 

指先から迸る激痛、横から突然沸いてきやがった目つきの恐い男の子(イケメン)、そこでようやく不思議そうに振り返り、(クソガキ)の姿を認める女の子。

 

「ぉ゛。ぉぉ、ぉ゛……」

 

――スカート捲り阻止されて突き指しました。超痛いです。

 

そうとも言えない彼は脂汗を浮かべながらゆっくりと、歩き去っていく。その背中には周囲の変化に取り残されそうになっている者特有の哀愁に似たなにかがあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……すごい。なんだかとても、小学生みたい」

「スカートを狙われた感想がそれって凄いですよね」

 

ほう、とどこか感嘆したとばかりの言葉を放つ女の子と対照的にどこか呆れた様子の男の子。授業で使った図鑑を図書室に返却しに行く途中だったようでその後を当たり前のように付いていく。

 

「いつのじだいも、あんな子がいると、感嘆する。あなたも、よく狙われてた」

 

「……あの、恥ずかしいからその話やめてくれません?」

 

「いや」

 

「……あ、はい」

 

どうやら女の子の中に眠る『あの頃のあなた』フォルダに火が付いたようであった。

なまじ楽しそうにしていて、その笑顔で語るのが自分のことであるだけ、男の子としてもいまいち強く言えないものがあった。

 

「あなたは気が強かったから、みんな、かまってもらえると思ってた」

 

「あれってそういう理屈なんですか。やっぱり」

 

「度胸試し、にも近いかも。……あとは、身内の、ノリ?」

 

「身内ノリで被害を受けていたという衝撃の事実」

 

からから、と横開きの扉を開いた先には少しだけ埃っぽい匂いのする図書室。

カウンターと大きな長机が大量に設置された部屋には人の姿はなく、閑散としている。

仕方なく、返却用と書かれたラックに男の子は図鑑を入れ、振り返りがてら、男の子は女の子の姿をまじまじと見つめ、そのスカートの先を指先で摘まんで、少しだけ持ち上げた。

 

「もしかして、なにか、間違えた?」

 

女の子は少しだけ慌てた様子で自分の衣服へと目をやるが、特に乱れがあるわけでもない。

 

「いや、せっかくだからスカート捲ってみようかなと思いまして」

 

「ちょっと、なにがせっかくなのかがわからない」

 

心底困惑した様子の女の子に対して彼女のスカートの端を摘まんだままの男の子。傍から見ると当の女の子が言葉だけの、抵抗の動きを見せないせいで非常に倫理的に宜しくない光景である。

 

「あの、……まって」

 

そして、前世(ちょっとまえ)まで自前で身に纏っていたものだからこそ、性的な意味合いをいまいち感じていない男の子が恐ろしく冷静な、人によっては冷酷とまで感じる顔でしゃがみこんで、異性のスカートを覗き込まんばかりの位置で握りしめて真顔で上へ下に上げ下げしている光景。

 

「……ぱたぱたしないで、かぜが……つめたっ……んっ」

 

放課後の夕陽の差し込む小学校の図書室。校庭で野球少年たちの掛け声が聞こえる中で。この瞬間、彼は国でも有数レベルのヤベェショタになっていた。

 

「ぉ、わ、り。……そろそろっ、おわりっ!」

 

眺める。実際のところ、活発だった過去の己とは違う、未だ筋肉の薄い太腿(ふともも)脹脛(ふくらはぎ)。擦り傷ひとつない綺麗な膝小僧。決して下品ではないが、豊かに脂の乗ったそれらに男の子は内心感動している。出来れば触りたい。ちなみにパンツはみずいろで水玉模様(リボン付き)だった。

 

「ランドセルもみずいろだったしみずいろ結構好きだよね」

 

「っ……!……ッ……ッ……――っっ!?」

 

男の子が無意識で叩き込んだ言葉のナイフの非情な一撃に女の子が言葉を失い、過去一度としてなかったほどの羞恥に耳まで赤くする可愛らしい歳相応の少女のような姿を目撃して、男の子は空に描かれた鮮やかな夕陽に今日という日の実りの多さを感謝した。

 

「またやろうね」

「もう、やんない!!」




◇少女
片割れ(元・女)と同棲してた頃の記憶を彷彿とさせてて顔には出さないけど毎日楽しい。
前世は下戸で呑めなかったので少年(大)といつか一緒にお酒を呑むのがひそかな夢。
今世の肝臓の活躍に多大な期待を寄せている。

◇少年
今世では片割れ(元・男)の顔面偏差値が急上昇したことによって前世から患っていた持病が急速に悪化している。
今度、時間があるときにまた囁いて欲しいが自然に頼めるタイミングを伺っている。

◇少年母
今年は初詣の際に少年をお祓いにも連れて行った。

◇クソガキ
実は子供向けバスケットクラブに通っていたが突き指によって休んだ。
突き指の理由を「早朝の極秘特訓」と説明しており意識高そうでムカつくという理由から仲間内での距離が更に広がった。


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TS転生少女はいつだってくそびっちじゃないです

――少し前まで、彼女は隣の家に住む彼女のことを血の繋がった本当の姉だと思っていた。

 

小学校の書道で見た、(すずり)に溜まっていく(すみ)のような静謐(せいひつ)な瞳。困ったように小さく微笑む姿がやたらと似合うのがどうしようもなく好きで、わざとわがままを言って困らせたりもした。

 

彼女は知らない。

 

小競り合いの絶えない、半ば喧嘩仲間に片足を突っ込んでいるような実の兄も。

若干不思議系が入ってはいるものの優しく、穏やかで面倒見の良い未来の義姉も。

 

兄の元は女で、義姉の元が男の生まれ変わりであると。

 

だけれど、彼女にとっては生まれてから十数年ともに過ごした時間だけが間違いなく正しいもので、結局のところ、彼女は兄と将来の義姉をもつ、ただの妹だった。

 

「いいか。妹よ。これはおまえの兄としての助言。恋人は早いうちに見つけるんだ。学生服っていうのはな。――卒業しちゃったらただのコスプレ。コスプレになる前にいちゃついて、コスプレになってからいちゃつく。二度美味しい。むしろ二度目が美味しい。やっぱり幼馴染はいいぞ。おれは何回死んでもこの持論を変えるつもりはない。滑り台行きでも、負け属性でもないんだよ。おまえのお義姉ちゃんは正直、ずぅっと昔からぼんやりおっとりしててそこはかとなくエロかった」

 

「ああ゛ぁ゛ぁ゛!聞きたくないったら聞きたくなぁい!おねーちゃんを汚すなぁっ!お兄ちゃんの変態!死ね!うっさぁいっ!」

 

「おまえが『おねーちゃん、おねーちゃん』ってやつの腰に抱き着いてた頃にはおれはもうおまえのお義姉ちゃんのスカートの中に顔を突っ込んであの柔らかそうな太腿を脳みそに焼き付けてた」

 

「へんなこと想像させんなァッ!私の綺麗な想い出をお兄ちゃんの欲望で汚さないでっ!ああああ゛ぁ゛ぁぁァァァ゛!!!」

 

「叫び方までそっくり。……兄妹だからか?昔のおれ(あたし)にそっくりなのは因果なものまで感じるわ。ふふっ」

 

「“ふふっ”ってその全然可愛くない顔でむっっだに可愛らしく照れるとこじゃないしっ!おねーちゃんの顔真っすぐ見れなくなるじゃんかっ!それに私、お兄ちゃんに似てないしっ、似てたら似てる部分死んでも変えるっ!あああ゛ぁっ!もうぅっ!さいあくっ!」

 

TS転生者の兄とTS転生者の将来の義姉の板挟みにあってしまったどちらかというと平凡な側に立つ妹ちゃんは、血なのか宿命なのか、言動と中身がなんとなく兄に似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん。うーん……」

 

こたつの上に広げられた『冬休みの宿題』と銘打たれたそれと向き合いながら小さな女の子が唸っている。だが、無情なことにそんなことをしたところで、彼女の前で広げられた『冬休みの算数ドリル』とやらのページは埋まらないのだが。

 

「うぼぁー」

 

彼女は突っ伏すようにして上半身をこたつの天板の上に横たえる。

その様子に反応したのは、女の子の真横でこたつに同じように足を入れた、彼女の未来の義姉であった。少しだけ目を細めて、女の子の髪を壊れ物でも扱うように漉くように撫でる。まるで、長年そうしてきたかのような、……まぁ、実際そうなのだが。経験に基づいた手つきは非情に心地よいものであり、彼女が物心つく前から慣れ親しんだものであった。

 

「にゅへぇ♪」

 

突然愛を叫びだしたりはしないものの、残酷なことに、実の兄に似てしまったのか感情を発露する機能のエラー発生頻度の高い彼女は怪しい笑い声を漏らしている。

 

「……もうちょっと、頑張ろう?」

 

「はぁい」

 

突っ伏していた顔を挙げると、女の子の顔が露わになる。

彼女は、背中まで伸ばした少し固めの髪質の髪と家系の特徴なのか、ややキツい印象を受ける吊り気味の目元。

 

そして、来年に高校受験を控えた兄と未来の義姉を持つ普通の女の子である。

 

かつ、かつ、と。

鉛筆が紙面の上に轍を刻んでいく音。

時刻はまだ午前八時。窓ガラスの向こうを覗き込めば、肌に突き刺さるような冬の乾いた風が吹いている。

時折、静かな空間に満ちている鉛筆の走る音が止まれば、女の子が宿題を潰していくのに付き合ってくれている義姉がぽつり、とヒントを呟く。

 

ほぅ、と小さく息を吐き出し、その言葉に理解を得た彼女は再び鉛筆を走らせた。

 

この義姉は言葉数こそ多い方ではないが、言葉に無駄が少ない分だけ必要なところを引っこ抜いて教えるのが上手い。その点、素のスペックが肉体面含めて頭一つ抜けているせいで、教えを乞うのにいまいち気が引ける兄と違うところであったが、その印象付けは、兄が『活発で陽気で頭が良く、運動も出来る女の子』であったような前世(むかし)から延々と続くたった一人の相手に向けられた『完璧超人なあの子の恋人』という名の壮大な虫除け(マーキング)なのだが、ここにその人生掛けたある種、狂的ともいえる愛情表現を知るものはいないし、それが知られることを本人も望みはしないだろう。

 

「おねーちゃん、あきたー」

 

ぽい、と鉛筆と一緒に体を投げ出して、再びこたつの上に上半身を転がす。

女の子の努力の結晶である宿題を巻き込んでくしゃくしゃにしてしまわないためか、鉛筆の先で怪我することを憂慮したのか、倒れこむ前にはそれらが普段からおっとりとした印象のある義姉にさらっと回収されていた事実に女の子の頬が思わずにやついた。

 

「うぇへぇ。これが分かりあっているということなんだよね、おねーちゃん」

 

「飽きっぽいところも、それはそれで、かわいい」

 

女の子の両肩に義姉の掌が添えられて、揉み解すようにして動く。

 

「あーうー。よいぞ、よいぞぉー。ねぇちゃんやぁ、もっと強くやってくれたまえよぉ」

 

「……なんだか一気におじさん臭くなったよう、な?」

 

当然の話だが、普通の女子小学生に凝るような肩があるわけもなく、ただくすぐったいだけなのだが、兄との言葉の剣を突き刺し合うようなコミュニケーションとは真逆の義姉と過ごす時間は地味に貴重なものであった。大抵が(よけいなの)がくっついてくるだけに。

 

「おねーちゃんが一番かわいいよ」

 

「わたしは学校でも地味な方」

 

微かに笑って見せる義姉の姿に女の子もまた、苦笑いで返す。どうせ兄のガードが堅いだけなのだろうということは間違いなかった。というよりも、兄妹は二人とも、というか家族含めて基本的にこの義姉あっての生活であり、兄妹に関しては人格の構成要素の中々の部分を義姉が占めているので万が一、億が一にでも兄が義姉を捨てて他の女に乗り換えて、義姉を世間に放流でもしようものなら彼女の両親はマメで世話焼きな“上の方の娘”を失い、妹は義姉を失い、とりあえず腹いせに兄には石を抱いてから沈んで詫びてもらう必要性が出てくるので長男まで失ってしまう。

 

家庭崩壊のホームドラマと魔女裁判の中世ファンタジーが同時発生してしまうのだ。

 

義姉を失う可能性が減る分には大歓迎なので、本人が“地味な方”だと思っている分にはそれはそれでいいのかもしれなかった。少しだけ可哀そうな気もするが、ちっちゃくておっぱい大きいゆるくて優しい義姉にふやけきるほどにダダ甘に甘やかされる妹というポジションは万が一にでも失う訳にはいかなかった。ついでに兄の10年後生存率も若干上がる。

 

 

 

 

 

「……ふぁ、来てたなら起こしてくれたらいいのに」

 

執着心の強い兄妹の妹の方がそんな腹黒いことを考えていると、つい先ほどまで妹の脳内パラレルワールドで市の防火水槽に沈んで鯉の餌になったばかりの兄が二階の自分の部屋から彼女が宿題を広げていたリビングへとあくびを漏らしながら降りてくる。

 

「チッ、起きてきやがった」

 

――おねーちゃんが起こさなければ休日はいつも昼前まで寝てやがる癖に。くそが。

心で恐ろしい悪態をつきながら妹は兄へと完璧な妹スマイルを向ける。

 

「今、おまえ、愛するお兄ちゃんに舌打ちしなかった?あと、なんか一瞬すげぇ悪意を向けられた気がしたんだけど」

 

「おはようっ!お兄ちゃん!」

 

「……おはよう。なんかお兄ちゃんは朝から妹の笑顔がいまいち信じられないんだよなぁ」

 

水面下で静かな戦いが起きているのだが、気づかぬはロリ巨乳ばかりである。

 

何事もメリハリが大事。

そう言わんばかりに、義姉はテレビのリモコンを弄り始める。

基本的に、彼女は甘やかしてなんぼの性格であった。

 

「おはよう。こんなにかわいい妹がいるのにそんなこと言ったら、バチが当たる」

 

心底羨ましいとばかりに、眉を顰める義姉の姿を見て、心底嬉しそうににやけている実の妹の姿を目撃し、兄は育て方を間違ったかと若干の後悔する。

いや、そもそも義姉と呼ばせてしまったことから既に失敗だったのか。自分と性格が似たからって好みまで似なくてもいいだろうに、と。

 

妹のことは可愛がってはいるものの、似ているだけどこか、かつての自分を彷彿とさせるその姿が、やけに心に刺さるのだ。そうやって女の子として、子犬同士がじゃれあうような日々をずっと、ずっと過ごしていたのはおれ(あたし)であったはずなのに。と、そんな気持ちがどこかから湧いてくるのだ。

 

妹と並んでこたつに足を入れている彼女だけが変わらない。どうして変わらないでいられるのか不思議で溜まらない。目を細めて、少しだけ視界を塞げば“あたし”が愛した穏やかで、優しく、顔はそこまで良くなかったけど、ほどほどに背が高い“彼”が“彼女”と重なる。

 

虫が明かりに自然に惹かれてしまうように彼の足は引き寄せられる。

彼はテレビに視線を向けている愛する彼女に近づいて、こう声を掛けた。

 

「おら、足開けやっ!」

 

「ぶふぅっ!っどぉっ!ああ゛っっぶなぁっ!?」

 

妹は兄が義姉に唐突に掛けた下種っぽい言葉に、思わず口に含んでいた緑茶を噴出した。

そして、『冬休みの算数ドリル』やらには噴出したそれが被害を及ぼさなかったことに安堵している。

 

「ん…………こう?」

 

その点、言われた当人の方は特に動じることなく、こたつに入れていた体を少し引いて、足を広げてこたつとの間にスペースを作る。身に着けていた長めの青空の色をしたフレアスカートで誂えられたスペース、股の間に、あろうことか彼はどっかと座り込んだ。

 

「なんにも見えない」

 

「な、なにやってんの?お兄ちゃん……?とうとう頭が……」

 

ただでさえ小柄な少女の股の間に座り込めば、当然少女の視界が彼の背中に完全に塞がれることは想像に難くない。そして、兄の頭の中身を割りと真剣に心配する妹。

真面目に失礼であった。当の本人の兄も、独占欲から来る、言いようのない衝動に身を任せてしまっただけであった。しかも、妹に見られていることもあってか、羞恥を募らせ始めて耳まで赤くなっている。

 

 

 

少しして、耳障りのいいくすくすと囁くような笑い声が彼の背中から聞こえてくる。

 

「……えいっ」

 

次に彼が感じたのは、両の肩に添えられた小さな掌の熱、そして背中の側に導くように引き込む力だった。

彼は思わず、といった様子で、まるでリクライニングシートにするように背後の少女の体にもたれかかる。

 

背中に感じるのは、小柄でありながら女性的な柔らかさを秘めた既知であり、ある意味未知のもの。

そのはずなのに、どうしてだか酷く懐かしく、安心するものに触れているような不思議な感覚に涙が出そうになる。

 

「もっと寄りかかっていい。……座高が高いのも、厄介。もっと体をこたつに沈めなくてはわたしはテレビが見えない」

 

彼の両の脇のあたりからほっそりとした手が差し込まれ、あばら骨のあたりで組むように彼は抱きしめられた。小柄な彼女に肩から腰のあたりまでを預けるような、どう見ても不格好な姿。辛うじて彼の首元から顔を出せるようになった、彼女の吐息が彼の耳元をくすぐる。

 

「……覚えてる?」

 

耳元から聞こえる小さな問いかけ。

彼は声を出したらなにか大切なものが溢れ出してしまいそうで、ただ、小さく頷いた。

 

「あなたの、特等席。……けど、ごめんね。わたし、ちっちゃくなっちゃったね。かっこわるいね」

 

「……元々、カッコよくは、なかったよ」

 

辛うじて、絞り出すように出した言葉はやけに皮肉じみていた。

 

ずっと、ずぅっと長いこと、長いこと。何年も、何年もこうやって過ごしてきた。

 

少しだけ体の大きな“彼”の腕の中で、“彼女”がソファーに、座椅子に、カーペットに腰掛けながらテレビを見て、漫画を読んで、特に意味なんてなく、携帯電話を弄っていたような記憶ばかりが、なぜだか色鮮やかに頭の中に蘇る。

 

「……そんなことないはず」

 

「どーだろね?」

 

傷ついたとばかりに、少しだけ眉を顰める彼女が面白くて、彼は意味ありげな意地の悪い笑みを見せた。

 

「なぁんか、実の兄が顔真っ赤にして照れてるの気持ち悪いんですけどー。ここに小学生の妹が居るんでやめてくれませんかー?」

 

もはや大好きな義姉を奪われた妹のジトッとした視線すら心地よい。

兄はもはやそんな心境であった。

 

「妹よ」

 

「なに、変態のお兄ちゃん。おねーちゃんのおっぱいを背中一杯に感じられて幸せなの?」

 

なるほど。と、兄はまた一つ納得した。

世間一般の常識に照らし合わせるとそういうことになるらしい。

 

「お小遣いあげるから今日はお外で遊んでおいで」

 

「ちょっと、おねーちゃんになにする気だ。なにしちゃう気なんだ、ねぇ」

 

これまで一度も見たことのないような、晴れやかな笑顔で財布ごと差し出す兄の姿に妹は心底恐怖した。なにが起きるのかは分からないが、なぜか、義姉が壊されてしまうような嫌な予感が止まらなかった。

 

「わたしは今日はこのまま、映画でも借りてこのまま見たい」

 

どんな時でもマイペースを崩さない彼女の言葉に兄と妹が「ふっ」と息を吐いて、空気が弛緩する。彼としても、彼女が自分の胸元でしっかりと結んだ手で、過去を現在に刻み直すのは望むところであったというのもある。

 

「おねーちゃん。じゃあ映画一本見たら、次は私がお兄ちゃんの場所と交換する」

 

「残念ながらここは恋人の特等席だっておまえのお義姉ちゃんが言ってたんだよ」

 

「わたしも抱き心地の良さそうな妹ちゃんの方がいい」

 

「わぁい!」

 

「こらこらこら!特等席言ったじゃん!こう見えて今日は何十年に一度レベルで珍しくカッコいいこと言ってたから泣きそうになったんだけど!」

 

余りにも堂々たる恋人の裏切り行為。

なまじ抱き心地に関しては改善の余地がなかった。

 

「特等席は収益が安定しなくて今年から家族席になった」

 

「世知辛い」

 

「利益にならないものは淘汰されていく世の中。駄菓子屋とか、残るのは竿竹屋だけ」

 

「その話題はよくない」

 

くすくす。とさきほどと同じ、彼にとっては愛しくてたまらない鈴を転がすような声が聞こえるのと一緒に、抱きしめられていた腕の熱が離れていく。

 

気づけば既に立ち上がった彼女が彼へと手を差し出していた。

 

「早く借りに行かなくては見に行く時間がなくなる」

 

なんとなく面白くなくて、差し出された手を無視して彼は立ち上がろうとする。

 

「……わたしは妹ちゃんと結婚することにした」

 

「わかった!くっだらない意地張りました!ごめん!」

 

「やっぱお兄ちゃんって弱いよね……」

 

ややブスッとした彼女の手を握って立ち上がる。

そして、彼女は空いた方の手で未来の義妹の手を握って、家を出て歩き出した。

 

「……今日のわたしは両手に華。くそびっち言われてもほどほどに許してしまう」

 

少なくとも兄は華ではないのではないか、妹はツッコミを入れようとしたが、本人が楽しそうだったので野暮なことを言わないあたりは歳不相応に大人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛してるよ」

 

唐突に、右手と左手を両の手とも繋いでいた少女に言葉が掛けられた。

 

「わたしも――」

 

少しだけ目を丸くした彼女は、喜色を露わにしながら答えようとして、少しだけ口を止め、言葉を変えた。

 

「わたしは両方愛してる」

 

そう言うと彼女は、年齢にこそ差はあるが、片手は女の子と結ばれた手と、片手は男の子と結ばれた手。

左右に繋がれたそれを両方とも、少しだけ持ち上げる。

 

その言葉の、本当の意味が分かるのは二人だけ。

 

少女はずっとずっと昔から“あたし”が、“おれ”が恋し続けた、穏やかで、静かなものを宿した瞳で微笑んだ。そして、少しだけ彼を見つめてから、妹へと視線を向ける。

 

「……ね?」

「ねー」

 

彼の愛する彼女と彼の愛する妹が楽しそうに視線と、確認の合図を交わしている。

思わず、といった感じで、彼の口元からは苦笑いが漏れていた。

 

「くそびっち」

 

「くそびっちではない。わたしは、割りと一途」

 

もはや疑う余地などあろうはずもなく。

 

彼の中の“おれ”も”あたし”も本人曰く『割りと一途』な、収まるべきところに収まったようだった。






本編終了です。
ここまでお付き合い頂き感謝致します。


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こぼれ話(冬のお話・バレンタインでも~)

・『TS転生少女の冬のお話』

 

 

 

物腰は柔らかく、どこか静かなものを秘めた(まなじり)

現代の小学生らしからぬ、どこか穏やかな、見方によっては世界をどこか俯瞰的に見るような退廃的とも言える雰囲気を纏う少女。

彼女は数多の葛藤の末に相棒としたみずいろのランドセルを背負い、歩みを進めている。

 

TS転生少女、現在小学生。

 

季節は二月半ば。

未だ吹き付ける朝の冷たい風が少女を打ち、その身を震わせている。

 

「……なんだこの生き物」

 

どこか呆れたような、溜息とともに吐き出される言葉。

言葉の主こと、彼女の相方である少年は共に登校するために自宅の前で忠犬のごとく少年を待っていた少女をどこか冷たい目で眺めている。

 

「わたしのあらたな、登校ふぉぅむ」

 

だが、やや眠たげな目をした少女は少年の嘲るような視線に負けることはなかった。

両の腕を水平に伸ばし、どやぁ、と自信満々の笑みを浮かべる。

 

伸ばされた腕、といっても掌どころか指の先から垂れ下がるのはコートの袖であった。

ドヤ顔の少女が身に纏うのは成人男性用のメンズコートであろう、と少年はあたりを付けたし、事実それは間違っていない。

 

それなりにモノが良いものなのか、恐らくは彼女の父親のものであろう紺色のどこか品の良さを感じさせるはずの男性用のビジネスコートの袖はぶかぶかどころか指先からも零れ落ちているし、丈に至っては彼女の身に着けたスカートを完全に隠して、少女の膝下まで届いている。

 

もはやコートを羽織っているというよりもコートを巻き付けているような有様であった。

 

「なんでそんな珍妙な恰好してるんです?」

「さむいっ!」

「ド直球」

「女性は体温保つきのうが高いって、うそ。ほんとでも、その分の薄着でちょうまいなす。すくなくとも、わたしはしんじない」

「お分かり頂けましたか」

 

少年は前世(かこ)を想い静かに首肯した。

あと十年彼女だか彼だかっぽいのがそれに早く気付くことが出来ていたらと思わないこともないが、だからといってそれで前世(かこ)今世(いま)も外面と体裁を整えることに手を抜くつもりもないのでそんなに変わらないな、と考え直す。

 

「この身をさくようなさむさ。わたしはかんがえた」

「ほう」

 

尚も自信ありげに語る少女へと適当に相槌を打つ少年。

その目は相も変わらず胡乱げだ。

 

「袖あまりのおんなのこはかわいい」

「せやろか」

「つまり、わたしの袖があまるとかわいい」

「清々しいまでの自画自賛」

「わたし、両親ゆずりの造形にだけはぜったいの自信がある」

 

基本的に謙遜というものを好まない少女は少年の前では滅多に冗談すら言わない、小ざっぱりとした生き物であった。

 

「中身も好きだよ」

「…………そ、……そう。……ありがと」

 

少女は一瞬だけ体を強張らせ、逃れるようにわずかに視線を逸らした。少しだけ頬が緩んでいるあたり照れているのだろう。朝からよいものを見た、と少年もまた小さく笑みを浮かべた。

 

意図せず弛緩してしまった空気を振り払うように少女は小さく咳払いをする。

 

「つまり、今のわたしはかわいいと、あたたかいを両立した存在。あなたもついでにわたしに萌えていい」

「本人に許可されると素直に萌えられないんですが」

「わたし、本人だけど萌えられる」

「上級者かな?」

「わたし、これでもようやくまだのぼりはじめたばかりだから」

「でも、男坂からは確実に転げ落ちましたよね」

「……わたし、人生の落伍者」

「落伍して隣のレーンに落っこちた感じですよね」

「ぐう悲しい」

 

遠い目でどこか彼方へと視線を向ける少女。

哀愁を漂わせる女子小学生の背中という大変貴重な姿を目撃した少年は放っておけばそこいらの電柱に引っ掛けて勝手に転びそうな、その駄々余りの袖を引っ張って少女を自宅に引きずり込むと少女のコートを引ん剥き、変わりに自分の予備のコートを着せた。

 

マーキングとか匂い付けとかそういう意思は一切ない。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

・『TS転生少女はバレンタインでもくそびっちじゃないです』

 

 

 

少女がコートを引ん剥かれる出来事から数日後の2月14日。

つまりはバレンタインデー。

世間的にTSした女の子とか女装した男の子とか、あとは女の子とかその他諸々が想い人へと自身の感情をチョコに秘めて贈られる日であった。

 

学校帰り。時刻は夕暮れ、隣りあって歩みを進める少女と少年。

どちらも顔立ちの整った二人であるだけに、意図せずとも絵になる組み合わせである。

 

 

 

並んで歩くちびっこ二人のうちの少年。

彼は先ほどから少女から向けられる、どこかジトっとした視線へと気づいていた。

 

彼が手に下げた紙袋からは無数のラッピングされた色とりどりのなにかが顔を覗かせている。ありていに言えばチョコレートである。恐らくはいくつかは後々の対応に困るような本命のものであろうものも混じっているのだろう。そして、その中には未だ少女のものは収まっていない。

 

結論から言えば少年はモテるのである。

頭も良ければ運動が出来て、空気も読めれば外面もいいのである。

それも他の男子にはない、明確に歳を喰……、落ち着き払った態度とクールな相貌が小学生女児たちに大人な男性の面影を見せていた。

 

そして、先ほどからずっと向けられている少女から少年に向けられる嫉妬の視線。

少年は思わずニヤついてしまいそうな頬を意識して引き締める。

彼から嫉妬することは数えることも馬鹿らしいほどあっても、逆となると中々に珍しいことであった。別に愛してないとかではなく発露の仕方が違うだけではあるが。少年が囲っているなら少女は沈めているだけである。

 

そして、ややムスッとした表情のままの少女はようやく口を開いた。

 

「わたし、生まれてから一度もそんなにチョコもらったこと、ない!」

「そっち視点での嫉妬かい!女の子的な視点で嫉妬しろや!」

 

出来ればこう、独占欲的なものを発揮してくれれば少年も大手を振って喜べたものを。とはいえ、少女の片割れが漫画みたいなチョコの貰い方をしている事実に衝撃を受けないハズもなかった。現に少女は現在も“ぐぬぬ”顔で唸っている。

 

「……では、女の子っぽいはなしをする」

「ほう。ではどうぞ」

 

仕切りなおすかのような少女の言葉に少年は頷いて見せた。

言外にはよ今年のチョコ寄越せや、という態度を見せながら。

その態度に当然のように思い当たることのある少女は苦い顔をした。

 

「現代少女には友チョコという文化がある」

「前世少女にも友チョコという文化があったんですがそれは」

「わたしもその例外ではない」

「まぁ、でしょうね」

「わたしがおんなのこに贈り物をわたすという状況が限りなく自然とできているということ」

「話題の雲行きが怪しい!」

「つまり……わたしにとってのバレンタインはたくさんのおんなのことの疑似うわきシチュエーションを愉しむイベントなのでは……?」

「発想が邪悪すぎるわ!くそびっち!」

 

思わず、といった様子で少年が叫ぶ。

瞬間、頬になにかが触れる感触。やわらかくて、あたたかいもの。

少年の首元に滑り込むように少女がその頬に口付けていた。

 

そして、やや慌てたように首元から離れた少女は照れ臭そうに笑ってみせながら少年の手へと丁寧に包装され、真っ赤なリボンで結ばれた化粧箱を押し付けるようにして渡す。

 

 

 

「――くそびっちではない。わたしは今年も本命一筋……です」

 

 

 

普段はおっとりぼんやりとした少女の耳まで真っ赤に染めたままの精一杯の笑み。

それだけを少年の脳に強く、深く焼き付けて、やがて羞恥に耐え切れずに逃げるようにして少女は走り去っていく。

 

暫しの思考の空白。

焼き切れた理性の再起動が図られて数秒後。

 

「…………会話を誘導された」

 

――もう一度。

もう一度あの照れた顔を拝まなければ、勿体ない。

少女を追うべく走り出した少年が彼女を捕獲するまであとすこし。

捕獲された少女が赤ら顔をいやいや、と両の掌で隠しながら悶えるまでもうちょっと。

そして、更に先へ、ずっと先へと続いていく。



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もしも話(IFのお話)

 ◇

エイプリルフール!続かない!


 ◇


 

 

 

―――囁くような唄声が聞こえる。

 

 

 

 

 

真っ黒な煙と、ちろちろと燃え盛る炎が舌を見せたことを覚えている。

 

てのひらから零れ落ちたことだけは、とうの昔から知っていた。

煙と炎にまかれて、静かに"あたしたち”は終わりを迎えたはずだった。

 

てのひらへと視線をやる。

そこには、もう、(すす)で黒く汚れたてのひらではなく、かといって、長年心を交わした相方の服の襟を掴んでいるわけでもない、確かに血の通った少女のてのひらがある。

 

「……はぁ」

 

思わず溜息が零れ落ちる。

溜息の主は若干不機嫌そうな表情でブレザーの裾を摘まみ、胡乱げな目でそれを見た。

 

身に纏うのはとうに通り過ぎたはずの青春の証であるブレザーにチェックのスカート、胸元に真っ赤なネクタイ。肉体年齢的に全く問題はないのだが、精神的にはコスプレ感が拭えない、『二回目』の女子高校生生活。

 

――そう、あたしは、もう一度生まれなおしてしまった。

 

大事なものを取りこぼしたまま、喪ったものの大きさを、胸の奥にぽっかりと空いたその虚空を確かに実感しながら、生まれ落ちてしまった。

 

両親には申し訳ないけれど、そんな益体もない話を伝えられるわけもなく、だけれど理解だけは本人が誰よりもしている。そんなアンバランスな心を抱えて。

どこか空虚な心持ちのまま、少しだけ怠惰な、無気力気味な少女として二度目の人生を過ごしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

―――ハズだった。

なんてこともなく、繰り返される日々。

それが底のほうからひっくり返される日が来ることを、予想なんてできなかったけれども、いつかそんな日が来ることをずっと、ずっと望んでいたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと自宅へと歩みを進める。

そして、スクールバッグから自宅の鍵を取り出し、鍵穴に差し込むタイミングで、ちいさな、耳元で囁くような唄が聞こえてきた。

 

どこかで聞いたような、脳裏に掠るようなそんな歌詞だ。

少しだけぼんやりと、思考を巡らせる。答えは案外すぐに見つかった。

 

「あぁ。前世(まえ)の世界のだったかな」

 

同じようで、この世界は少しだけ違う。

この世界には煙にまかれていった彼女も、相方も居ないし、元居た我が家もない。

そして、この歌はこの世界のものではない。

だからこそ、この先には居るのだろう。

 

差し込んだ鍵を回し、玄関の扉を開けるのと同時に唄声が鮮明になる。

鍵をスクールバッグに再びしまい込む彼女の口元はわずかに緩んでおり、先ほどまでのどこか不機嫌そうな雰囲気はなりを潜めていた。

 

自然とはやまる足、リビングの扉を急くようにして開く。

 

その音に、ぴくりと反応を示すのがひとり。同時に、唄が止んだ。

思わず勿体ないことをしたかな、という気持ちが彼女の胸によぎった。

 

どうやら洗い物をしていたらしく、キッチンに立ってかちゃかちゃと食器を触れ合わせる音を立てており、なぜかその頬には食器洗い洗剤の泡がついていた。

 

「ほっぺ、ついてるよ」

 

その姿に苦笑いすると、その姿に歩み寄り、再びスクールバッグから取り出したハンカチで頬を拭ってやると、頬に泡を付けていた"女の子”は目元を細めくすぐったそうに笑った。

 

「おかえり」

 

女の子は少しだけ困ったように微笑み口を開いた。

そう、女の子であった。

……どうしようもなく。

 

穏やかそうな柔らかい目元とややくせっけのある髪の毛。

彼女としては前世(むかし)から親の顔より見ているつむじのあたりから屹立するアホ毛。

 

「ただいま」

 

考えれば考えるほどどこか釈然としないものがある。

――しかし、なぜにこんなことになってしまったのか。

 

「……なんか」

 

それは誰にも分らないが、目の前に居るのは紛れもなく女の子であった。年頃で言えば小学校低学年といったところだろうか。

女の子の頬を拭っていたハンカチをしまいこんでいた彼女はなにかを言いかけて、詰まる。

視線は洗い物を終えてタオルで手を拭っている女の子の足元へと向かう。

 

そこには風呂場用のプラスチックの椅子があった。

シンクまで届くには身長が足りなかったのだろう。

 

「なんか虚しいものがあるよね」

 

女の子は、少しだけきょとん、とした目をした後に口元を笑みの形にする。

胸元に片方のてのひらをやり、胸を張って小さく自慢げな吐息すら吐いてみせる。

 

「……わかっていない。幼いおんなのこが、生活能力のひくいひとり身にあれこれせわをやく。身体的なよわさをかかえながら。これがさっこんのとれんど。どうしようもないおれがとつぜんやってきたおんなのこに尽くされるというしちゅえーしょん」

 

前世で恋した彼が今世で幼女ですが、わりかし堪能していた。

 

そんな、ラノベのタイトルでも滅多にないような出来事が目の前で起こっているし、ゆるふわアホ毛ロリは平常運転であった。

 

一体誰がこんなことを予想するだろうか。彼女が家庭での会話でなんとなくで聞き流したお隣さんの家に女の子が生まれたという話。

そこからしれっと五年以上後から生まれてきてくださりやがって、なにも知らない彼女に生前の彼女を見て、懐いてくる幼女に彼が元々持っていたトンチンカンな言動を見た彼女が正解を探り当ててしまったときの虚しさといったらない。実際ちょっと泣いた。

 

また会えたことは嬉しくとも、なぜ女の子なのか。

今後を考えれば考えるほど頭が痛くなった。

 

「そのシチュエーションって普通尽くされる側に感情移入するのでは」

「わたし、わりと妥協できた」

「できちゃいましたか」

「できちゃった」

 

相も変わらずトンチンカンである。

しかしながら、この独特の空気になによりも落ち着いてしまうのは彼女のどうしようもない(さが)であった。

 

「というか、独り身って、普通にあたし家族居るし」

 

女の子は、一瞬だけ真剣な光を瞳に宿し、すぐにそれを隠してみせた。

もっとも、隠して見せたつもりでも隠しきれたかどうかまでは分からないが。

「じゃあ」と、言葉を繋ぎながら、女の子は再び視線を投げかけてくる。

 

「……ついでに、わたしと結婚しよう?」

 

目の前の幼い女の子が首をこてん、と傾げて少しだけコミカルに笑って見せる。

冗談か本気か。

 

きっとここで『いいよ』と答えたら穏やかに笑ってみせて、『いやだ』といったらまた、同じように笑ってみせるのだろう。

不思議な確信があった。

 

そして、『いやだ』と本気で言えばきっとゆっくりと、ゆっくりと離れていく。

彼女の新たな人生から。

変わらぬ穏やかな瞳で見守ってくれるだろう、彼女の行く先を。

内心なんて微塵も感じさせないで。

 

彼女にそっちのケはない。

だけれど、目の前の女の子をどうしようもなく欲してしまう。

 

握りしめて、零れ落ちて。

何年も何年も、無気力な日々の中で、ずっと欲してきたものだから。

 

「……あたし、女子高生。あなた、小学生女児。傍から見たらあたしどう見える?」

 

女の子は眉尻を顰めて沈黙。

少しの時間の後、再び口を開いた。

 

「ロリコンのレズ」

「ごめん、自分で聞いといてなんだけど直球で返されてちょっと傷ついたわ……」

 

二週目系女子高生の心に突き刺さるロリコンのレズという残酷な十字架。

その十字架は易々と彼女を社会的死へと導いてくれるだろう。

 

だからこそ。

 

「また今度ね、また今度」

「……なんだか、ハーレム系主人公みたいなこといってる。ひゅうひゅう」

「モテる女子高生はつらいんだよ」

「……いい、ね。もてもて?」

「幼女に死ぬほど愛されて眠れない」

「きっと前世の徳が足りてない」

「今日で一番のブーメラン」

「わたしのは足りすぎてて、おんなのこになってる」

「まさかのボーナス枠にあたしは驚愕を隠せない」

 

二人の視線が少しの間交わって、お互いに小さく笑って見せる。

 

不思議で珍妙な日々になるだろう。

そう思わずにはいられない。

 

だけれど、これから先に続く日々はきっと明るく、楽しいものになるだろう。

そんな、どこか確信に満ちた予感があった。



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もしも話(IFのお話) part2

 ◇あらすじ
今日も実質エイプリルフール

少年くん(現在JK)
少女ちゃん(現在ロリ)


 もしも、明日生まれ変わったとして、新しい誰かとして生きていけるだろうか。

 

 と、まぁ。そんな考えてもどうしようもないことを、一瞬だけ考えて、やめる。

 

 世の中は“あたし”の考えるよりずっと理不尽で、謎だらけで、少しだけ、ほんの少しだけ素敵なのである。……たぶん。

 

 

 

 もはや殺人的、とまでいっていい熱気が立ち込める今日この頃、いかがお過ごしだろうか。

 

 アスファルトから放射される熱光線に、恨みがましい瞳を向けながら、あたしは(かぶり)を振った。しかも、なまじ午前中に雨が降ったものだから、湿気混じりのソレはもはや不快の一言で済まされる域をゆうに超えている。

 

 かつ、かつ。と、ローファーの踵がアスファルトを叩く音が響く。

 

 忌々しい湿気を放つ水溜まりに密かな敵意を向けていると、水溜まりの中の"あたし”も見返すようにこちらを睨み返していた。

 

 溜息をひとつ。

 

「……おっかしいなぁ」

 

 遺伝子配列から違う別人に生まれ変わった。苗字も名前も変わったはずなのになぜなのか。

 

 もうちょっと……こう、……ねぇ? 柔らかい感じのヴィジュアルの女の子になれなかったものか。相も変わらず目つきはどこか世の中斜に見てる感じの冷たい印象を持たれるし、なまじ中身はその印象に伴っていないつもり、伴わせていないつもりではあるので苦労する。世の中絶対間違っている。

 

 一瞬、脳内にやたらぽやっぽやした顔をしやがっている幼い女の子の顔が浮かんで、……先ほどより強く頭を振る。――ダメだ。アレのことを深く考えたって疲れるだけだ。

 

 いや、まぁ、あの子もアレで苦労しているのだろう。……苦労してるよね? 完全順応してないよね?……滅茶苦茶苦労しやがれ。

 

 脳内で呪詛を吐きながら、歩みを進める。

 今回で、女子高生生活も二回目。間もなく高校生活累計五年目に突入しそうになっている。どういうことだ。勘弁して欲しい。

 

 ただでさえ、「やったー! 人生ニューゲームだー! 次こそ人生TRUEエンド目指すぞー!」とかそういうあれじゃないのだ。どっちかというと散々……さんっざんっ! 本当にさんっざん苦労して辿り着いたTRUEエンドの途中からNORMALエンドのスチルを回収しているような状態だ。誰が得するんだろうか、この状況。

 

 こちとら、きゃいきゃいとするイマドキ女子高生を横目に、やたらめったら進化しまくった現代のアプリ群相手に四苦八苦しなければいけないのだ。なぜ神様はこの界隈の機能を「iモード」あたりからここまで進化させてしまったのか。メッセンジャーアプリあたりでお腹いっぱいだ。心底恨みたい。だいたい、こういう電気の玩具のはあたしじゃなくて――。

 

 延々と浮かんでくる恨みつらみを水溜まりの中の自分に吐き出す。

 

 ―――早く家帰って涼もう。

 あたしはまた一つ、溜息を吐き出して、高校からの帰路を辿り始めた。

 

 

 ◇

 

 

 

 なぜ。なぜなのか。

 やっとのことで帰宅し、自らの部屋の扉を開いたあたしは心の中で自問自答をした。

 

 柔らかそうな黒髪と、やや眠たげな眉尻。見覚えのある、見覚えしかない女の子だった。

 彼女はどこにでもあるような、学生用の勉強机に向かい合い、あたし愛用のオフィスチェア(わざわざ抱き合わせにせずに買った、だいぶお高い感じのお尻痛くならないやつ)に腰掛けていた。

 

 しかし、気になることに女の子の小さな額にはなにかが入っているのか妙に膨れたタオルがねじりハチマキのように巻かれている。……なんだあれ。すっごい気になるというか、端的に言ってダサい。なまじ容姿だけは可愛らしい女の子してるだけに違和感がすっごい。

 

 女の子は、部屋に入ってきたあたしへと、一瞥視線をくれるとやや首を傾げて口を開いた。

 

「おかえり」

 

「……ただいま」

 

 なんで人の部屋におるねんとか、自分のキャラを見失ったツッコミが出そうになったのを喉元で飲み下して答える。

 

 しかも、よく見れば勉強机に乗っているのはこの子の小学校の宿題かなにかなのか、漢字ドリルが広げられていて、恐ろしく綺麗な漢字の羅列が綴られていた。控え目に見てもお子様レベルの書き取りではない。

 

「……もう少し手を抜いてやったら?」

 

「……じぶんよりもあきらかに字の上手い子どもの採点をするかんじの、社会のきびしさを教育実習生にあじわってもらおう、かなって」

 

「鬼かな?」

 

 教育実習生を玩具にする幼女とか嫌すぎる。

 

 というか、この娘、元・書道経験者である。行書体からMSゴシックまで書けるらしい(後者がなんなのかは知らない)。というかあれこれ手を出すサブカル男だったので、絶対使い道なさそうな資格とかの方が嬉々として勉強するタイプだった。サブカルクソロリとかいう時間と年齢の問題で普通なら絶対生まれ得ない珍生物の姿がここにあった。

 

「さっきから気になってたんだけど、そのおでこに付けてるのってなに?」

 

 女の子はひとつ頷くと、額に巻いていたタオルの結びを説く。

 

「……あっ」

 

 聞き逃してしまいそうなほど小さな声。

 

 それと同時、タオルの隙間からごろごろと幾つも保冷剤が転がり落ちてきた。そして、それをせっせと拾い集めていた女の子は、なにを想ったのか、そのままデスクの下に潜り込み、プラスチックの風呂桶らしきものを引っ張り出してくる。よく見れば桶の中は水と氷に満たされている。

 

 そして、それを自分の足元に置き、彼女は再び椅子に腰掛けた。

 

「……これを……こうして……」

 

 彼女は膝の上にタオルを広げ、その上に保冷剤を乗せてえんどう豆のようにタオルでそれを包み、額にくくりつけ、素足を氷水の張られた桶へと。

 傷一つ、日焼けすらない、どこか人形のようで、紛れもなく幼い少女のものである肌色が足先からゆっくりと、氷水へと沈んでいき、その冷たさに女の子はぷるぷる、と背中を震わせた。……なんだろう。なんかそこはかとなくエロ……。

 

 ゴスン。と。あたしは衝動的に額を壁に叩きつける。―――あたしにそっちのケはない。―――あたしにそっちのケはない。―――あたしにそっちのケはない。……よし。

 

「……だ、大丈夫……?」

 

「全然へーき。ちょっと躓いて頭ぶつけただけだから」

 

「……そう?」

 

 珍しく割りと本気の声音で心配されて少しの罪悪感。

 

 しかし、いくら中身が愛した男だとはいえ、現在は紛れもなく幼女であるし、この道を誤れば紛れもなくロリコンで、待ち受けているのはあたしの刑務所生活しかない。しかも手を出した相手が妹の友達である。妹(小学生)の友達に手を出すヤベェロリコンの姉とかいう肩書だけで並みの犯罪者じゃ敵わなさそうな称号を手にしてしまう。

 

「一人だけ全力で涼みやがってからに。しかも他人様の部屋で」

 

 図太いとしか言いようがない。エアコンを付けずに氷水張る手間とか含めて絶対面白がってやったとしか思えない。

 

 小さく氷水の張られた桶に波紋を描いていく足先、保冷剤の詰め込まれたタオルを額にぐるぐると恰好悪く巻いているどうしようもなくだらしないことこの上ない。生活感に溢れすぎて普通の子どもから大きく逸脱してしまっている。

 

「……あくまで、わたしひとりのために他人の家の電気代をあげないためのしょせーじゅつ」

 

 絶対嘘だ。あたしが帰ってきたらこれ見よがしに見せつけてやろうと思って準備してたに違いない。元々、こういうどうでもいいようなことへの手間は惜しまないタイプだった。

 

「すずめて、あと、女子高生の美少女がただでさえおがめる。ありがたや、ありがたや?」

 

 幼女に口説かれるという貴重な経験。

 しかも言っている本人に世辞とか口説いているとか、そういう意識がない。ただ単に好きだから好き、可愛いから可愛いと、微塵も表情を変えずに言う生き物だ。

 

 一緒に居てこれほど楽でいられる生き物もそういない。ただし、現在ロリという致命的欠点を抱えてはいるが。

 

「……幼女相手にそういう気持ちにならないから」

 

「…………ざんねん、むねん」

 

 ぱしゃ、ぱしゃ。

 そんな音がして、女の子の足先に跳ね上げられた氷水が少しだけ桶の中で跳ねた。

 

「……では、また今度……聞くことにしておく。……あと、キープも、可」

 

 フラれたというのに、女の子はさして気にしていないといいたげに口元を小さく笑みの形へと変えて、ほにゃり、と柔らかく笑ってみせる。

 

 なぜに中身がアレだと分かっていてもなお、なにかこみあげてくる感情があるのか。しかも額に保冷剤を包んだタオルを括り付けているような訳のわからない女の子に、だ。

 こんな感情を抱いてしまうあたしが悪いのか。それともやっぱりどうしようもなく重ねて見てしまっているのか。

 

 明日のあたしはロリコンじゃないあたしで居られるのか。

 そもそも中身はロリじゃないからその指摘はあたらないのではないか。違法性はあっても情状酌量の余地は大いに残されているのではないか。

 

 ロリがロリじゃなくなるまで待てばロリの時から魅力を感じていてもそれが例え、相手が妹(小学生)の友達でもロリコンではないのではないか。というか、そもそもロリがロリじゃなくなるまであたしはこのロリの攻勢に屈せずにいられているのか。

 

 

 あたしに待ち受ける未来はどこまでも先行き不明であった。





 ◇

馬鹿が付くほど素直に好き好きする子すき。


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???話

「うあ゛ぁぁぁぁ」

 

とてもでは行儀がよいとは言えないだらしのない声。

カーペットに腰掛けていた男は太腿にずっしりとした重みを感じる。

スマートフォンを指先で操作していた男の両の腕の間に潜り込む小さな頭。

 

「ふぅ」と、腕の間に潜り込み、我が物顔で自身の膝に腰掛けてきたそれを一瞥して、男は小さく溜息を吐いた。

 

「……前が見えないんだが」

 

――なんとなく、どこかでこんな出来事があったような。

そんな微かなデジャヴュを感じながら男は手元のスマートフォンをスリープ状態にして、自身の膝に居座る少女を半眼で見やる。

 

歳の頃は中学生ほど。

肩まで伸ばした真っ直ぐな黒髪をポニーテールにした客観的に見て、整った容姿の少女。

 

「んー」

 

聞いているのか、いないのか。

少女は気のない返事を返し、抱えていた“訳あり割れせん450g!”と派手なラベルの張られた袋の開け口をまたうんうんと唸りながら右へ、左へ、と引っ張っている。

 

どうやら開封に苦戦しているらしい。

男は再びの溜息。

 

「……ほれ、貸してみ」

 

膝の上の少女から摘まみ上げるように袋を取り上げると開封し、それを再び少女の手に戻してやる。

 

「きゃあきゃあ、とーさんカッコイイー」

 

「そうだろう。お前の父さんはモテモテだからな」

 

「なに言ってんの。そろそろ自分の歳考えなよ」

 

「急に素で返すのやめろ。それと、父さんは普通に年齢的にも若いから」

 

「でも同い歳なのにかーさんの方が若いじゃん」

 

「あれは絶対どっかで人魚喰っただけだから。あれを普通だと思ってたらお前大人になってから絶望するからな」

 

「でもさ、私ってほら、遺伝子に自信あるし」

 

目の前の娘は薄い胸を誇らしげに張りながら、小さく鼻で息を吐き出す。

良くも悪くも、仕草や言葉の端々が自分や妻に似ている、あるいは似てきている事実になんとも言い難い感情が渦巻く。

 

少女はふと、バックライトの消えたまま父親の手に握られていたスマートフォンに鏡のように映る自分の姿に目をやり、じっとそれを見つめている。

 

「むむむ」

 

スマートフォンの保護フィルム越しに見る自分の顔。

小さな唸り声を漏らしながら、頬をこねくり回すように両の掌で弄ぶ。

暫しそれを繰り返した後、再びの唸り声。

 

「んー。でもさ、あれだよ。顔とか似るならとーさんよりもかーさんに似たほうが得だったよね」

 

「………………いやいやいや、そんなことないだろ」

 

「なんで今無駄に長考したの?私、女の子だしかーさんに似たほうが得じゃん」

 

「長考してないし。悔しくないし。いいじゃん、おまえ割りと美少女っぽいじゃん」

 

「でも、目つき悪いじゃん」

 

「目つき悪いんじゃなくてクール系なだけだから、これ」

 

「……な、なんでそんなに必死なの?……それでもまぁ、ふふん。ぽいじゃなくて紛うことなき美少女なんだよなぁ。顔はとーさん似だけど」

 

「だから、父さん似はネックじゃないから。美点だから。誇れよ」

 

キリリ、と表情を改めたキメ顔を向けてくる父へ少女が送る視線は冷たい。

 

「あとその茶目っ気あるところかーさんに似てるじゃん。同い年の時のかーさんと違って致命的に胸とか足りな――」

 

「それ以上言ったらとーさんの膝でおせんべ喰い荒らして欠片撒き散らすから」

 

「やめろ」

 

「ふん」と一つ鼻を鳴らしてそっぽを向く娘。

そして、ゴリゴリ、と元気に海苔の巻かれた煎餅を噛み砕いている。

それを眉を顰めて眺める父。

 

「……海苔がおれの膝に散ってるんだけど」

 

「欠片じゃないからセーフ」

 

「反抗期かな」

 

「このくらいなら可愛いもんじゃん。それに、とーさんにしかやんないし」

 

「むしろかーさんにやれや」

 

「かーさん喜ぶじゃん。可愛いもんどころか本当にめっちゃ可愛がってくるしめっちゃ構ってくるじゃん」

 

「あれは、そうやって懐の中で人を腐らせていく生き物だから」

 

「それじゃ、やっぱり私ダメになっちゃうじゃん!」

 

「どうせならどっぷり母さんに浸からせてから全寮制の学校にでも叩き込んでやろうかと思ってるんだが。はよ巣立てや」

 

「愛娘になんの恨みがあるというのか」

 

「娘ではあるけど、愛してるかどうかは諸説あるよな」

 

「ないよっ!愛してっ!娘の私を愛してよっ!」

 

「そのセリフはドラマみたいで恰好いいね」

 

「うにゃぁー!」

 

カリカリ、とズボンの繊維に爪を立てて猫のような唸り声をあげる娘。

『……なんか機嫌悪そうな、ふてくされたみたいな顔があなたみたいで可愛い』

そう妻が評した娘の顔付きは、前世(まえ)の女を指したのか今世(いま)の男を指したのか。しかし、まぁ、どちらにも似ているような、どちらかというと彼の妹に近い印象を受けるものであった。

 

「ファザコンかよ」

 

「……だったとしたらなにが悪いというのさ」

 

娘はぶすっとした顔をして、半眼で父を見上げる。

この直球しか投げられないというか、好意を隠さないあたりは母親に似たのか。それでも一応羞恥の心はあるのか、頬がやや赤みを帯びているようだった。

 

「うっわ」

 

「うっわって!なんかすっごい嫌そうにうっわって言った!いいじゃん!娘じゃんっ!可愛がってよっ!」

 

「母さんに娘のと一緒におれの洗濯物洗わないでくれって連絡しとくわ」

 

「なんでっ!?というか、そういうのって私のセリフじゃん!ちょっ、なんで本当に電話しようとしてるのさ!」

 

「ファザコンが別の洗濯物に移るじゃん。それで干してるそれが風に乗ってパンデミック起こしたらどうすんの。責任取れんの?」

 

「取んないよ!そもそもなんないし、ゾンビウイルスでもないしっ!……あと、ファザコン舐めんなァッ!」

 

娘の腕が流れるようにして動くと、次の瞬間、父の手にあったスマートフォンが娘の掌に納まっていた。

どうやらひったくられれる瞬間に発信されたのか液晶に映るのはダイヤル画面。

そこに映る「117」という数字と、流れ出す無機質なカウント音、そして読み上げられる現在時刻。これすなわち時報。

 

「う。う……うがぁぁぁっ!」

 

叩きつけるように父の膝に投げ込まれ、返還されるスマートフォン。

娘は猫のようなしなやかな動きで父の膝の上から抜け出し、駆け出すようにリビングの外へと繋がる扉の方へと数歩足を踏み出してから、ふと思い出したように振り返る。

 

 

 

「と、とーさんのあほぉー!お、おばかっ!」

 

 

 

そして、散々父親に玩具にされた哀れな少女こと、娘はぴーちくぱーちくと貧困気味な語彙の捨て台詞を叫びながらリビングから飛び出していった。

残されたのは若干意地の悪い笑みを浮かべていた父、そして置き去りにされた“訳あり割れせん450g!”だけであった。

 

リビングの開かれた窓際で、父は膝の煎餅カスを払い、袋から半分に割れた醤油煎餅を一つ取り出し、齧りながら掌でスマートフォンを弄ぶ。なんともなしに、メッセンジャーを起動して『幸せとはなんぞや』とだけ打ち込み、相方に送信した。半ば答えを求めない、手慰みのようなものではある。

 

そろそろ三枚目の煎餅に手を掛けよう、といった時に返信が返ってくる。

本文はなく。ただ写真だけが添付されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには、目元に指先をやり舌を出して液晶のこちら側に「べぇ」と挑発の姿勢をとる娘とその娘を膝に乗せて少し苦笑いを浮かべながらも、娘と同じく小さく舌出す妻の姿があった。






◇娘
自称ファザコン。
ぞんざいに扱われても内心喜んじゃう系の面倒くさい女の子。
さくしゃのしゅみ。

◇少女(母)
大人になったこの娘が見たいような見たくないようなの葛藤の末セリフと出番の消えた不憫な子。

◇少年(父)
散々使った覚えのある少女の学生時代の制服を娘が遊びで着て見せに来た時がここ数年で一番気まずかった。


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TSえんじょい少女

厳しい冬が過ぎ去った春先においても吹き付ける風は未だ冷たく、それは夜の闇の深さも相まって窓の外は過酷な世界な気がした。

 

時刻は深夜二時。

その日は静かな夜だった。

雲のない夜の空に、満月が美しい輪郭を描いて佇んでいる。

 

一番小さな蛍光ランプが灯った、静かな部屋の中で寝息を立てているのは少年。

すぅすぅ、と寝息を立てていた彼はふと腕に力を感じて、違和感を覚えた。

続いて感じたのは手首への熱と圧迫感だった。

 

沈んでいた意識がゆっくりと浮上していく。

 

半ば無意識的に腕を動かそうとする。

しかし、なにかに縫い留められているようにそれが動くことはなかった。

 

 

 

―――金縛り。

 

そんな言葉が少年の脳裏をよぎった。

 

思わず唾を飲み込む。

未だにベッドへと押さえつけるようにして感じる手首の熱、そして力。

 

こわごわと。

その表現がしっくりと来るような動きで、瞼を開いていく。

 

眠りに就く前に閉めたはずのカーテンが開かれていた。

夜空から零れ落ちるような月の灯りが部屋に差し込んでいて、思った以上に視界は明瞭だった。

 

それは月灯りを受け止めるようにして視界に飛び込んでくる。

 

どことなく眠たそうな、いや、時刻から言えば正しいのかもしれないが、とろんとした瞳。

空気をふんだんに含んだメレンゲのような柔らかな黒髪。

いまいち感情の伺えない平時の表情を浮かべた少女がそこに在る。

 

すぐ目の前に少女の顔があった。

残り数センチという距離。

 

少女の手によって少年の両の手首は顔の横で手首ごとベッドに押し付けるように拘束されていた。

手首に感じるのは押し付けられた少女の掌の熱だ。

 

少年を正面からベッドに押し倒すような体勢だった。

夜の闇を溶かしたような瞳が真っすぐに自らを覗き込んでいる。

 

緊張によるものか、ひどく喉の乾きを感じる。

喉元までなにかの言葉が出かかったようで、結局は霧散していった。

 

薄っすらと少女の口元が小さな曲線を描いて笑みを浮かべ、その小さな身じろぎで少女の纏う真っ白なシャツの胸元で揺れる血液のように深い紅色のネクタイが視界に入る。

 

そして、少女は冷たい夜の空気に溶かすようにその唇で言葉を紡いだ。

 

 

 

「いまのわたしの姿、えろ漫画の十二ページ目くらいのヒロイン」

 

「その喩え、多分あたし(おれ)、一生わかんない!」

 

先ほどまで眠りに就いていたという状況と、軽いパニックにより、一人称の乱れる少年。

だが、それを指摘するものは幸いこの場には居なかった。

 

視線と視線が交差する。

眠気の残滓に引きずられるように、目元を擦ろうとして、未だ少女に手首を抑え込まれていることを思い出した。

 

「というか夜中にどうやってうちに入ったの」

「……わたし、鍵もらってる」

 

少女が首に掛けていたらしい赤いアクリル紐を手繰るとシャツの胸元から見慣れたシリンダー鍵が出てくる。

 

――いやいや、なんで貰ってんだ。

そんな言葉が喉元まで出かけたが、無理矢理飲み込んだ。

 

深く考えたら酷く疲れる気がしたからである。

 

そんな諦めの最中に居た少年はふと、少女が天井を見上げて、顔を両手で覆っていることに気づいた。

いつの間にやら、少女の掌には小さなケースらしきものが握られていた。

 

数秒の沈黙。

その後に少女はゆっくりと顔を覆っていた掌を降ろし、見上げていた顔を少年へと真っすぐに向けてくる。

 

窓から差し込む月灯りの中で妖しく光を放つルビー。

それはまるで月灯りを呑み込むような、少女の深紅の瞳だった。

 

「……今宵のわたしは、血に飢えてる」

 

観察してみれば、少女が握っていたのは、ソフトコンタクトレンズのケースであり、あまり目が良くなかった前世(ぜんせ)の少女が愛用していたものに似ていた。別に今世(いま)、目が悪いわけではない少女の手際には確かな慣れを感じた。

 

「カラコンかな」

 

「そのことについて、触れてはいけない」

 

困ったようにふるふる首を左右に振る少女を見て、少年はようやく平常心を取り戻した。

 

しかし、よくよく言われてみれば、白のシャツも胸元の赤いネクタイも夜の怪物というか吸血鬼とか、日常的に手に入るものの中ではそれっぽいものを選んで着ているような気がしないでもない。

 

「……ちなみに、満月が近くなると目が赤くなるヴァンパイア……という設定」

 

「その唐突な厨二病、やってて恥ずかしくない?」

 

「わたし、ヴィジュアルが良ければだいたいのことは許されると思う」

 

「開き直り方が俗すぎてなんかいっそ清々しい気すらしてきたわ」

 

少年はああだこうだ、とジトっとした視線を少女に向けながら一通りツッコミを入れていく。それに対して少女は時折自らの唇に人差し指を当て、会話のボリュームを下げていく。

 

 

それは、夜の静寂の中で静かにじゃれあうような、いつもとは少しだけ違うけれど、いつも通りに繰り広げられる暗闇の中の歓談だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

隣家へと消えていく小さな影が見える。

少年が窓から眺めていることに気づいたのか、影は小さく手を振ったように見えた。

 

「……真夜中に起こしおってからに。しかも、いたずらにしても無駄に芸が細かいし」

 

愚痴を零しながら少年が手元を小さく振ると、見えているのかいないのか、少女の影が自宅の中へと消えていった。

 

「……というかあれだ。あれは遊びすぎじゃないですかね。……色々と。……はあ。……あーっ、寝直そ」

 

シャッと音を立ててカーテンを閉め、ベッドに潜り込み意識して目を強く閉じて、頭から毛布を被れば眠りはすぐそこにある。

 

「……でも」

 

眠りに落ちる直前、ふと言葉が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

「…………お互い様かもね」

 

ただ、カーテンが閉まる瞬間、窓ガラスに映っていた自分の顔はどうしようもなく楽しげだった。

そんな気がする。

 



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