レガリア (kuraisu)
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主戦派の聖地

ふとしたことから思いついたネタを膨らませてみただけのもの。
この話含めて、二話か三話で完結すると思います。


「本船はまもなく惑星ヴァラーハ中央宇宙港に着陸します。御忘れ物のございませんよう、ご注意ください」

 

 まもなく目的地に到着することを告げるアナウンスがスピーカーから聞こえてきて、宇宙船の乗客である三人の若者達は雑談を中断させた。全員まだ中等学校の学生であり、その容姿には幼さが色濃く残っている。

 

「いよいよヴァラーハか。怖いなぁ」

 

 不安気にそう呟く少女に、大柄の少年が反応した。

 

「まだ言うのかよファティマ」

「あなたたちが気にしなさすぎるのよ。解放記念日のヴァラーハには過激な人たちが集まるって前調べしたじゃない」

 

 ヴィシュヌ星系の首星ヴァラーハは三億の人口を抱える有数の都市惑星であるが、それ以上に自由惑星同盟領内において、もっとも主戦派の勢力が強いとされる惑星として有名であった。どれくらいかとヴィシュヌ星系政府が祝日と定める解放記念日には自由惑星同盟中の有名な主戦派勇士が集うと評されるほどである。

 

「俺らが普通だよ。そりゃあ、さすがに俺でもアネクドートがヴァラーハ星系政府首相をやってるってなら不安になるかもしれねぇけど、もう三五年も昔の話だろ? それに写真や動画で見る限り、どうみても普通の街だったじゃないか」

「オギョン、実際に行くのとは話が違うわ。それにあの頃なら、父さんがまだ……」

 

 そう言われてオギョンはバツの悪そうな顔をした。ファティマの父は二年前に帝国軍との戦闘で戦死しているのである。だから彼女が反戦派的な思想に惹かれるのも無理からぬといえたが、オギョンはそれでも個人的な信念からか、または少しでも不安をやわらげようとしたのか、抗弁を試みた。

 

「その、こういうのは言いたくないんだけどさ。だからって、主戦派のことを嫌う必要はないと思うんだ。もちろん、ファティマが戦争が嫌うのは当然だし、俺だって死にたくないから戦争は嫌だよ? だけどだからって軍人さんたちが戦うのをやめたら俺らは帝国に虐げられるだけじゃないか。ほら最近なんかよくニュースに出るハゲ頭の政治家だって言ってるじゃん。『故郷の平和のため戦うか、奴隷として生きるか』だって。で、俺は奴隷になるのは絶対嫌だ」

「それはわかるわ。でも、その二択しかないと決めつけてしまっていいの? 戦う以外に解決の道があったら、父さんは戦死せずにすんだんじゃないの……」

 

 そう言われてはオギョンとしては閉口せざるを得ない。彼個人は好戦的なところがあったが、親友に対して無理に主義主張を押し付けるような汚い部分はなかったし、感情論ではファティマに同意していたからである。

 

 気まずい空気が流れ、黙って二人の話を聞いていた気弱そうな丸眼鏡をかけた少年が、申し訳なさそうに声をかけた。

 

「ごめんファティマ、僕が『コルネリアスの大侵攻』をテーマにしたいなんて提案した僕が悪いんだ」

「……ラザフォードのせいじゃないわよ。それにその時は私も興味持って賛成したんだし、お互い様よ」

 

 ラザフォード、オギョン、ファティマの三人は、自由惑星同盟の首都星ハイネセンの小さな街クラムホルスにある、クラムホルス中等学校のクラスメートである。彼らがヴァラーハに向かう目的は夏休みの課題研究のテーマとして決めた宇宙暦六六八年五月から第二四代銀河帝国皇帝コルネリアス一世が自ら軍を率いて同盟領に攻め込んできた時のことを研究テーマに定めてしまったのである。

 

 このテーマに決まったきっかけはラザフォードが戦争映画にドハマりしたことである。そしてそのまま現在の戦争に興味が向いたのだが、六八二年にフェザーン自治領(ラント)が成立して以降の帝国との戦争の記録にはあまり興味関心を持てなかった。彼が好んだのは国家の存亡がかかっているような総力戦の戦争を描いた戦争映画なのである。

 

 そして自由惑星同盟が挙国一致体制の総力戦をしていた時代など、リン・パオやユースフ・トパロウルが活躍したダゴン星域会戦とコルネリアス一世の大親征の脅威に晒された時代程度である。というのも、総力戦体制は自由を束縛するものであって同盟憲章に反する行為であるという、同盟の理念的な問題もさることながら、総力戦体制に対する同盟人のイメージが最悪だからである。

 

 というのも、銀河帝国初代皇帝ルドルフがまだ連邦の国家元首兼首相に過ぎなかった頃、宇宙海賊をはじめとした反社会武装勢力撲滅を掲げて総力戦体制を敷き、社会のあらゆる面で統制を強めて強大な権力を握って銀河連邦を簒奪した歴史から、同盟人は軍を優遇する総力戦の拡大と長期化はルドルフを生み出す道であると幼い頃から教育されてきたからである。

 

 だから同盟の例では総力戦の記録はその二つしかなく、そして長期的に展開されたなるとコルネリアス一世の大親征の頃しかなかった。その時の帝国軍の侵攻開始は六六八年の五月のことであり、帝国軍が同盟領から完全撤退したのが六七〇年九月のことである。約二年間、同盟領内を戦場として、祖国存亡をかけた総力戦を同盟は繰り広げたのである。

 

 現在が七二〇年であるから、ほんの半世紀前のことである。それなのにその当時のことについて自分達があまりよく知らないのは考えてみればおかしいことだ。そう考えたラザフォードは夏休み突入前に研究課題のテーマを『コルネリアスの大侵攻』にしようと提案し、軍事的なことに興味津々だったオギョンは賛意を示し、ファティマも多少興味があったので賛成した。

 

 彼らが所属するクラスの先生は中等学校の生徒がそのテーマで研究する難しさを懸念し、やんわりと別のテーマにしたらどうだと説得しようとしたのだが、ラザフォードとオギョンが熱心にこのテーマでやりたいと主張したので、結果として生徒の自主的意識を尊重することになったのである。

 

 しかし学校の先生が考え直しを勧めただけあって、『コルネリアスの大侵攻』をテーマにした研究は資料が膨大で中等学校生徒が理解できないような難解な代物も多くあった。情報収集と理解に苦しんだが、惑星ヴァラーハの星系政府では、半世紀前に惑星ヴァラーハから帝国軍の支配から解放した八月二一日を“解放記念日”と定め、毎年大規模な式典が行われているのだという。

 

 ひとまずそれを見物してみようか、ということで三人の意見はまとまり、家族を説得して少年少女だけで三泊四日のヴァラーハ旅行にしゃれ込むことになったのである。もっとも、惑星ハイネセンから惑星ヴァラーハへは一日二本しかでない定期直通便を使っても、三〇時間の長旅で宇宙船で一日寝ることになるので、惑星ヴァラーハにいられるのは二〇日と二一日の二日間だけであるが。

 

 惑星ヴァラーハに到着して真っ先に三人は予約していたホテルを探し出して、チェックインした。慣れない場所であるから早いうちに安らげる場に行きたいというのもあったが、街の様子に不安を禁じ得なかったからである。

 

「街中にあんなに反帝国的なスローガンを大量に掲げるなんて、信じられないわ」

「ああ、俺もちょっと怖くなってきた」

 

 ファティマの言葉に、オギョンが同意した。街中のいたるところに『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』と書かれた垂れ幕がかかっていたのである。他にもとにかく露骨なほど帝国への敵意を剥き出しにした横断幕が街灯から吊り下げられており、ハイネセンっ子としては異常を感じずにはいられないものだった。

 

「『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』は、たしか星系政府の標語だったはずだよ。アネクドートが首相だった時に定めたとか」

 

 ラザフォードがハイネセンで調べた情報を脳内から引っ張り出して言った。

 

「でもそいつって民衆から独裁者扱いされて地位を追われたんだろ? なのになんでそんな奴が決めた標語がいまでも使われてるんだ?」

「僕もわからない。てっきりアネクドートが失脚した時に、星系政府の標語も撤回されたんだと思ってたんだけど……、なんだかんだで解放の英雄なわけだし、民主主義を護ろうって呼びかけること自体は間違ってないから、撤回する必要はないって考えたのかな?」

「なんか納得できないな……」

 

 レオニード・アネクドート。ヴァラーハ出身の人物であり、彼の生家が国父ハイネセンの長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加した名家であって祖国を守護する気持ちが強かったレオニード少年は、国家意識から士官学校に進学して同盟軍人たる道を選び、コルネリアス一世の大侵攻の時代には少佐になっていたという。

 

 同盟軍は大軍をそろえ、かつてのダゴン戦役会戦の如くに帝国軍を壊滅させんとしたのだが、コルネリアス一世の軍事的才能と指揮旺盛な帝国軍を前に同盟軍は惨敗を喫し、国境付近の有人惑星の守護を諦めて撤退を決定した。その時にアネクドートは上官に対して「民衆を護らない軍になんの存在価値が?!」と叫んで階級章を床にたたきつけ、脱走。故郷ヴァラーハで有志を募ってレジスタンスを結成し、帝国軍の軍事支配を覆すべく抵抗活動を行ったのだという。

 

 帝国軍撤退後、ヴァラーハの民衆の熱狂的な支持を得て、ヴァラーハ星系政府の首相となり、多大な戦災を被った故郷の再興に大きな役割を果たしたのだが、アネクドートの政治手法はとにかく強権的なものであり、また故郷を蹂躙した帝国に対する憎悪がとても強かった。それがゆえ、『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』を星系政府の標語に定め、占領中に帝国軍に協力した者達や帝国で優遇されたことがある亡命者に対する公然とした迫害を実施したのである。

 

 このことは星系外から批判されたが、帝国軍の蛮行に苦しんだヴァラーハの民衆は帝国軍協力者への断罪を望んでいたし、「自分達を見捨てて逃げた連中が終わってからなにを偉そうに」と反論されると、軍事上やむを得なかったと言えど、それが事実であるだけに同盟中央政府は沈黙せざるをえなかった。

 

 だが、帝国への憎悪も時間とともに徐々に冷めていき、解放から一〇年以上もたつと帝国軍協力者に対する断罪より星系政府の強権的やり口への不満の方が民衆の間で強くなってきた。それでもアネクドートの帝国への憎悪はまったく変わっておらず、不満を持っている民衆を宥めて首相の座を維持して亡命者や帝国軍協力者に対する迫害政策を継続しようとしたが、それと前後して重病を患ってしまい、これ以上政務を執るのは身体的に無理があると自覚して辞任した。ゆえに辞任の理由はあくまで自分の体調の問題であって、強権的な政治手法や迫害政策の実施に対する謝罪の言葉は一切なかったとされている。

 

 これに対してアネクドートを無責任と評価する記録を見たが、ヴァラーハの星系政府がまだアネクドートが掲げた標語を高らかに掲げていることを考えると、同じ自由惑星同盟だというのにハイネセンとヴァラーハではアネクドートに対する評価が異なるらしい。そう、ラザフォードは考えた。

 

「とりあえず、解放記念資料館に行ってみようよ」

 

 その提案に、やや戸惑いの表情を浮かべつつもオギョンもファティマも頷いた。自由なる祖国が帝国軍の軍靴で踏み荒らされた屈辱の記憶が風化しないよう、その頃の写真や記録が残されている資料館が設置されている。ここに来るまでは同盟首都にある国父ハイネセンの行いの記録がある記念館と同じ性質のものと考えていたのだが、現地にくると本当にその程度のものであるのか疑問を覚えずにはいられなかったのである。

 

 その不安は解放記念資料館の受付員の対応で、解消されるどころかより膨れあがった。

 

「きみたち、年齢はいくつだね?」

「一五歳。ハイネセンのクラムホルス中等学校の三年生です」

「保護者はどこだい?」

「いません。私たちだけでヴァラーハにきましたので」

 

 そう言われて受付員の人はかなり困った顔をした。

 

「入れていいのかな? 別に年齢制限とか規則にないけど、けっこうアレなのが……でもわざわざハイネセンから来た子を追い返すのもなあ……。うん、まあいいか」

 

 そんな意味深なことを言われたので、ラザフォードたちはかなり身構えたのだが、実際に解放記念資料館に入ってみると普通の資料館だった。特に帝国に対して攻撃的な内容は見受けられず、客観的かつ公平に物事が分析されているとハイネセンの辺境育ちのラザフォードはパッと見た感じ思った。そして三人と一緒に年表順に写真や映像があるコーナーをまわった。

 

 宇宙暦六六八年五月、度重なる臣従要請に対しまったくといっていいほど交渉の意思を見せなかった同盟政府の対応に激怒したコルネリアス一世は武力による懲罰を決意し、大軍を率いて同盟領に侵攻開始。同盟軍は迎撃するかまえをとり、正面から激突したが帝国軍に惨敗。遅滞戦闘を繰り広げつつも、戦力不足から国境周辺星域の一時的放棄を決定。帝国軍は同盟領内の地理を正確に把握していなかった関係上、情報収集と補給の意味もあって軍事的空白地帯となった周辺星域の有人惑星を占領していき、情報収集につとめた。七月には惑星ヴァラーハも帝国軍の占領下におかれる。

 

 一〇月に大まかな同盟領の星図を把握したコルネリアス一世は、もともと同盟政府が防衛時における後方拠点とするべく開発を進めていたこともあって設備が充実していた惑星ヴァラーハに占領区統括府を設置し、その長である統括府最高司令官にツェレウスキー帝国元帥を任命した。

 

 ツェレウスキーは戦術家としてはいまいちパッとしない人物だが戦略眼を持つ軍政家であり、統治者としては冷酷非情だがバランス感覚に優れていた。彼は占領統治の成功失敗が、そのまま前線で指揮を執り続ける皇帝陛下の生死に直結することを自覚していた。彼は最高司令官に任じられたその日に、以下の命令を全占領区に通達した。

 

「この皇帝臨御の大遠征が成功するか否かは、後方の安全を確保し、前線に物資を送るわれわれの働きにかかっているといっても過言ではない。そのためにわれわれが為さなくてはならないことは、なんといっても、この地域の軍需経済面における能力を帝国軍のために活用しつくすことが第一義である。それを実現するためにはわれわれの支配を受け入れぬ抵抗者の抹殺と、それを民衆に賞賛させることが必要である。これを達成するために民衆に占領前より良い生活を提供するのだ。はっきりいうと、戦争終結まで民衆が帝国のために働けるように飴を与え続けるのだ」

 

 民衆侮蔑を隠そうともしていない内容だが、ツェレウスキーの施策は柔軟性に富み、民衆への配慮に優れていた。帝国軍は権力者や富裕層、同盟軍将校に対して容赦しなかった一方、それ以外の労働者や同盟軍兵卒に対しては慈悲をもって対処し、彼らから不満の声があがればすぐさま問題解決のために行動したのである。その迅速かつ的確な対応に帝国軍の統治も悪いことではないのかもしれないと民衆が思い始めるほどであったという。これほどの成果をあげたのは、ツェレウスキーが遠征に先立って銀河連邦時代の資料を読み漁っていたからであり、民主主義体制をよく研究し理解していたためとされている。

 

 しかし翌六六九年二月に同盟軍から脱走したレオニード・アネクドートが故郷ヴァラーハでレジスタンス組織を結成し、帝国の要人や帝国軍協力者を暗殺する様になってくると事情は異なってきた。ツェレウスキーは自分のお膝元でこのような蛮行が行われることを許容するわけにはいかなかったし、また、そういった行為が市井に漏れて民衆の間でも反帝国意識が育ってきているのを見過ごすわけにはいかなかった。

 

 ツェレウスキーは六月一五日に融和的な手法から恐怖政治的手法へと統治方針を大転換した。これはアネクドートのレジスタンス組織による犠牲者が三桁に突入し、これを防止するのと民衆に対する融和的姿勢を並行させて実施していくのは無理があるという判断もあったが、コルネリアス一世の帝国軍本隊が同盟軍残存勢力とドーリア星域にて接敵し、またしても圧勝したという報告を受け、同盟征服は目前であると確信し、多少混乱してでも維持さえできればよしと断じたのである。

 

 かくしてレジスタンスがだれかを暗殺すると、帝国軍はその現場付近の住民一〇〇〇人を報復として処刑していくようになった。さらにレジスタンスの一員を捕らえるとその周辺の住民も「帝国への叛逆者を匿った」として殺戮してまわるようになった。これが繰り返されるようになって恐怖心から帝国への反抗心を砕かれ、レジスタンスを通報する人物が多数出たのは確かだが、このまま死ぬなら帝国に一矢報いてやるとレジスタンス組織が人員面で増強されるようになったのも確かであり、結果としてツェレウスキーの方針転換は正しかったとも間違っていたとも言い難い。

 

 だが、現実的に言って帝国の同盟征服は目前であったから、アネクドートのレジスタンス活動のような小局的行為では大勢を覆せようはずもなかった。もしその年の暮れに帝国で宮廷クーデターが発生しなかれば、同盟は帝国に征服され、増強された治安部隊によってアネクドートは拘束されるか射殺され、展望なき犯罪行為を行った愚か者の一人として歴史に名が刻まれていたであろう。そういう観点から見れば、アネクドートは幸運な人間であった。

 

 同盟首都ハイネセンを目前にして、宮廷クーデターが発生したことを知ったコルネリアス一世は激怒したが、その頭脳は冷静に状況を分析し、帝国本国への撤退という結論を素早く出した。しかしこの時点では同盟領からの完全撤退までは考えておらず、皇帝の威厳にかけて、シャンプール=ヴィシュヌのラインを遠征の成果として確保し続けるつもりであった。

 

 しかし勝利を目前に驀進していた帝国軍は突然「撤退」などという命令を下されて派手に困惑し、戸惑った。敵の謀略かと疑って前進を続けた帝国軍艦隊すら存在した。この隙を同盟軍は見逃さず、全軍をあげて突出した敵軍の各個撃破にのりだし、帝国軍に多大な損害を与えた。この大戦果にいまだ帝国の占領下にある民衆も勇気を与えられ、各惑星で帝国軍に対する暴動が頻発する事態が発生した。

 

 六七〇年にツェレウスキーも支配星域を放棄して帝国本国に撤退する他になしと考えるようになったが、そのために占領区統括府が立案した計画が最悪の代物であった。二月二六日、悪名高いコンキスタドール命令が発せられた。その原文が以下のものである。

 

「銀河帝国政府は全宇宙唯一の政府であり、人類を統治する資格をこの宇宙で唯一保持している合法的政府である。即ち、今回の遠征は不法な政府の統治下にあって共和主義の迷妄に苦しむ人民を解放し、正しき秩序を回復せしめることにあった。遺憾ながらわれわれの力不足により、撤退やむなきに至りつつあるが、それでもその目的を忘れ、ただ撤退することなどありえない。一人でも多くの人間を解放し、ひとつでもおおくの物資を正しき秩序のために活用されるべく、われわれは為すべきことを為さなくてはならない。すべては不可能であっても可能な限り、この使命は遂行されなくてはならない」

 

 要約すると『奪えるものを奪えるかぎり奪え』という趣旨の内容であり、あまりの非道な内容からコンキスタドール命令と俗に称されている。この命令が発せられる前と後で、帝国軍は戦争犯罪のが数百倍にはねあがったとまでいわれており、帝国軍が本国に完全撤退する五か月間、いまだ帝国軍の占領下にあった諸惑星の同盟人は地獄を味わった。被害総額一兆ディナールを超えるといわれるほどの大略奪が実施され、数百万の同盟人が帝国本土へと強制的に連れ去られた。そして一億七〇〇〇万人以上の民間人が公然と認められた略奪に熱狂する帝国軍に虐殺された。

 

 この命令を発したツェレウスキー帝国軍元帥が撤退中に同盟軍の追撃を受けて戦死したことが、かすかに犠牲者の慰めとなったが、膨大な犠牲と悲しみの前ではあまりにも虚しいものであったという。

 

「どうして、どうしてこんなことができるの……?」

 

 ファティマが愕然とした調子で呟いた。彼女の視線は、コンキスタドール命令後に起きた帝国軍の暴虐をまとめた映像に釘付けになっている。監視カメラが偶然、勇気ある同盟人が決死の覚悟で、帝国軍が報告のために、理由はさまざまであるが、当時の暴虐は解説付きの記録映像として編集され残されていた。

 

 帝国へ強制連行されそうになった同盟人が撮った映像がある。宇宙船の荷台にまるで荷物のように詰め込まれ、帝国軍人たちが監視をしている。まだ幼い少年が立ち上がって抗議の声をあげると、帝国軍人たちが凶悪な表情を浮かべ、彼女に対して鞭を振った。それを止めようと立ち上がった青年男性は、別の帝国軍人に察知されてブラスターですぐさま撃ち殺された。この宇宙船は同盟軍に拿捕されて連行されそうになった同盟人は解放されたが、暴行を受けた女性はそのまま衰弱死した。

 

 帝国軍が略奪している様子を街灯の監視カメラがとらえていた映像がある。銃で家の住民を脅し、家屋から金目の物をを輸送車の荷台に積み込んでいく。士官と思しき人物が銃で怯え固まったいる住民を見回し、女性を指さした。すると兵士らはその女性を両腕を掴んだ。住民たちがさすがに顔色を変えて連れていかれれそうになっている女性に近づこうとすると兵士たちがいっせいに住民を射殺する。彼女はおどろき叫んだが兵士たちに力ずくで無理やり黙らされ、さっき金目の物を積んでいた時と同じように輸送車の荷台に乗せた。……彼女がその後、どうなったかなど想像したくもない。

 

 帝国軍が自ら撮影したらしい処刑の映像がある。まるで作業のように三〇人の人間を次から次へと射殺していく。その三〇人の中には年老いた老婆や、まだ初等学校に通っているかも怪しい子どももいる。彼らは全員、帝国軍の占領統治に反抗した罪で処刑されたというが、年老いた老婆や五歳前後の子どもが、死に値するだけの帝国への反抗行為をしたというのだろうか。

 

「こりゃあ……」

 

 オギョンも言葉を失っている。『コルネリアス一世の大侵攻』の末期には、帝国軍の残虐行為が多数あったという話は歴史の授業で知ってはいた。だが、それだけだったということを思い知らされた。この資料館には多くの帝国軍の蛮行の具体的解説とその物証が保存されており、それがこれが作り話ではなく現実にあったことなのだということだということを訴えかけてきていた。

 

「こんなことがあったなら、アネクドートが同盟政府から強権的だと批判されているのに、ヴァラーハの民が熱狂的に支持してたってのもわかる気がする」

 

 帝国軍の暴虐がもっともはげしかった時、同盟市民を守ることを使命としていたはずの同盟軍は同盟政府の判断でヴァラーハを含む国境周辺星域を見捨てており、実際にその時に民を護るべく奮闘したのはアネクドート率いるレジスタンス組織である。多少強権的な政治手法に反感を持ったとしても、肝心な時に自分達を守ってくれなかった同盟政府なんかの言い分など聞く耳持たなかったのではないか。

 

 これほどの仕打ちを受けたのなら、帝国を憎むアネクドートとヴァラーハの民にそれほどの乖離があったとは思えない。当時の民衆はアネクドートが推進した同盟憲章に抵触する迫害政策をむしろ望んでいたのではなのか。――当時? ラザフォードの脳裏に、街中に翻っていた『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』の垂れ幕のことが浮かんだ。

 

 ひょっとして、当時、ではなく、今も、なのか? 思い浮かんだ疑問と恐怖――いや、期待か?――を確かめたくなり、あたりを見渡し、三〇代くらいの中年職員を見つけて声をかけた。

 

「すいません」

「どうしました?」

「僕たちはハイネセンから来たんですけど、ヴァラーハではこういうこと、学校で習ったりするんでしょうか?」

「いいや、コルネリアス一世の大侵攻に関して学校で習うことはハイネセンの学校とさして変わらないんじゃないかな。少なくとも、自分は学校でこういうことについて具体的に習った記憶はないな。新聞で主戦派の団体が子どもたちのためにも学校で習わせるべきだって主張して、こんな残虐非道を幼子に解説するほうが人格形成に悪影響があると星系議会で反対されたって記事も見た覚えがあるし」

「じゃ、じゃあ、知らべようと思わなきゃ、普通は知らないことなんですか」

 

 ラザフォードの問いに職員は目を丸くして、ついで苦笑した。

 

「いや、この星に生まれた人間なら誰だってそうだと思うけど、少なくとも自分は物心つく頃にはそのときに何があったのか知ってたよ」

「え、どうして……?」

「どうしてって、両親が占領時代の生き残りだからね。帝国軍が撤退した時、父親が一九歳で、母は一七歳で、その頃がどれだけ暗くて悲惨な時代だったかを幼い頃からよく聞かされたからね」

 

 ラザフォードはおどろいたが、考えてみれば当然のことだ。帝国軍がこの惑星を占領統治していたのは、ほんの五〇年前の話なのだ。それなら、今働いてる人たちの両親がその時代を生き抜いてきた人たちであるのは当然ではないか。現実にあったことだと理解してなお、ラザフォードは現在と過去を結び付けられていなかったのである。

 

 しかしだとしたら、学校で帝国軍の非道を学ぶよりより根深いことになる。ラザフォードは気になっていた疑問を口にした。

 

「帝国が憎いですか」

「なに?」

「帝国が憎いですか。僕はこれまで帝国打倒だとか叫んでるのを聞いたことが何度かありましたが、現実味のないことだと思ってました。ルドルフが銀河連邦を簒奪して民主主義を踏みにじったせいで、僕たちの祖先が帝国で奴隷として虐待され、国父ハイネセンと共に新天地に脱出できなかった奴隷たちは今なお残っている者達は圧政に苦しんでいるから解放しなくてはならない、そんな遠い昔や建前論で戦争するなんて馬鹿らしいと思ってたんです。でも、実際に帝国がこんなことをやっていたと知って、帝国を赦せないと思うようになったんです。会ったこともない人間を憎むのはいけないことだと父から教わったんですけど……」

「そりゃ、君の父親が正しいな」

 

 予想外のことを言われてラザフォードは目をギョッとした。職員はそれを見て、遠い昔の恥ずかしい思い出語るように目を逸らしながら言った。

 

「私も小さい頃、帝国を憎んでいたよ。両親から帝国軍の残虐非道ぶりをずっと聞いてきたんだからな。帝国には悪魔が住んでいると思っていたし、悪魔どもは一人残らず皆殺しにするべきだと友達と言いあったもんさ。そのほうが世のため人のためだと本気で信じていたよ。でもな――」

 

 職員の声にはほろ苦いものがあった。

 

「二三歳の時に徴兵されて、本当に本物の帝国軍と殺しあうようになって、投降した帝国軍人と軽く接したりしている内に思い知らされたよ。帝国人どもは悪魔ではなくて、同じ人間だったんだって。同盟人と同じように帝国人も銃で撃たれたら死ぬし、捕虜になったら自分達の銃に怯えてビクビクしてた。ちょうど、この資料館の映像で脅されている民間人のように。二年間兵役を終えて民間に戻ったら、なんともいえない虚しさを襲われて悟ったよ。よく知りもしない相手を憎んで殺しあうことほど愚かしいことはない。仕事か義務と割り切って人殺しやってる奴のほうが、人間として万倍マシだろうとね」

 




原作であれだけ主戦派の勢い強いってことは、ドイツがポーランドにやったくらいのこと同盟は帝国にされてんじゃね?
でも帝国が同盟領の大きく占領してたことなんてコルネリアス一世の大親征くらいしか……。よし、ちょっと妄想しよう。

その結果、なんやどえらいことになってしまいましたが、意外と形になったので『地球教勝利END』同様、短編二次小説として書き起こしてみる気になりました。


P.S.
ヴァラーハはハイネセンよりイゼルローン回廊やエル・ファシルに近い惑星って設定なのにハイネセンから定期直通便で一日半って早すぎだろうと思うのですが、
夏休みに中学生が片道何週間の旅をするってさすがにどうよ?という物語的都合でやたらと定期直通便の移動速度がおかしいことになってますが、おゆるしください。


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世代を超えて受け継がれ

なんかごちゃごちゃしてる感じがするが、自分の力量ではこれ以上簡単にまとめられない。


 ヴァラーハの街並みや解放記念資料館での出来事は、ハイネセン育ちの都会っ子には衝撃的なことであったこともあり、昨日はそれで疲れていたのでそのままホテルのベッドに転がり込んで三人とも寝てしまい、翌朝六時に起床した。式典は九時からであるので、そうとう早く起きてしまったことになる。

 

 ファティマは何やら深刻そうな顔をして「ちょっと一人で考えたいことがあるの」と述べたので、ラザフォードはハイネセンで調べて気になっていたことをオギョンと一緒に確認しに行った。

 

「半信半疑だったけど、本当なんだなぁ」

 

 ホテルの一室でラザフォードはため息をついた。その部屋の名前は『武器保管庫』といい、中にはブラスターやビーム・ライフルのような重火器、装甲服や炭素クリスタルの斧など、同盟軍が使用しているのと大して変わらない装備が保管されていた。フロントの受付の人に「武器の確認ができますか?」と聞くと、普通にこんな部屋に案内されたのである。もし昨日に解放記念資料館に行っていなければ、この程度の驚きではすまなかったろう。

 

 約五〇年前。解放後にヴァラーハ星系政府首相に就任したレオニード・アネクドートは、六七一年初頭に『抑圧的な専制乃至(ないし)は独裁権力に対する人民の抵抗権行使のための妥当な技術習得及び行使時における諸事項に関する法律』という長ったらしい正式名称の法案、通称自衛法を星系議会に提出した。

 

 それは惑星内の高等学校の講義に軍事訓練の科目を設け、全市民の兵力化を目的とした法案であり、各家庭にブラスターとエネルギー・パックを配給し、公共施設にはビーム・ブラスターやミサイル、戦車の類を常備させて要塞としての機能を持たせることを目的としていた。

 

 同盟軍少佐であったアネクドートはまず優秀といっていい参謀将校であり、豊富な戦略・戦術知識を備えていたから、あの状況だとヴァラーハを含む有人惑星放棄は当然の戦略的判断であったと理解していた。有人惑星を放棄しなくては同盟軍は兵力を集中できずに帝国軍に各個撃破されてしまっていただろうし、そうなれば同盟軍は瓦解し、自由惑星同盟は帝国軍に滅ぼされ、全人類は神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝コルネリアス一世の名の下にひれ伏すことになっただろう。

 

 そうならなかったのはひとえに同盟軍が非情だが理性的な判断を下して粘り強く逆転の機会を伺い続けたからなのである。それに帝国本国で宮廷クーデターが発生しただけでは、帝国軍はイゼルローン回廊からほど近い星系は再度の大侵攻のために確保するつもりであったというから、同盟軍が最低限の犠牲で戦力保持に成功していたからヴァラーハの解放もなかったろう。だから同盟軍の行動は戦略的には正しかったといってよい。だがそのように理解できても、納得できるかは別の話だ。

 

 アネクドートは同盟軍の「人民を守護する軍隊」というお題目を信じて士官学校の門をくぐったのである。だが「どのような御題目を掲げようとも軍隊である以上敵軍に勝利することを目的としており、畢竟無辜の人民の生命を守る事は二の次、三の次である」ということを第一次ティアマト会戦での惨敗とその後の同盟軍の行動で理解した以上、長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加した名家出身者として、祖先から続いた精神に反する軍人であり続けるなど彼には不可能であった。

 

 そうしたアネクドートの戦略的分析からくる郷土防衛のために必要不可欠な措置としての法案を作ったのだが、星系議会はあっさりとこの民主国家として問題がありそうな法案は一週間ほどの審議で二、三の条項の修正がされただけで可決した。というのも、当時の惑星ヴァラーハに限れば、反対意見が存在する余地がなかった。

 

 公正な選挙による結果ではあったが、当時の星系政府の主要ポストはアネクドートが率いたレジスタンス出身者が独占しているに等しい状態であったし、星系議会も八割の議席をレジスタンス出身者が確保していた。彼らは帝国軍占領下の抵抗時に慢性的な軍事兵器及び人員不足に悩まされたトラウマに囚われていた。同盟軍は撤退時に戦力保持に務めて可能な限りの軍事兵器を持ったまま徹底してしまったし、残った軍事兵器は帝国軍が接収してしまったため、人員補充は体力だけはある素人を帝国軍当局の監視の目を欺きながら戦士として育てはなくてはならなかったし、最初に持ち込んだわずかな武器以外は帝国軍からの鹵獲を前提にせねばならなかった。レジスタンスはそんな劣悪な状況だったのである。故に彼らはまた帝国軍が襲来し、同盟軍に故郷が見捨てられるような事態が到来しても惑星全体が抵抗運動ができるような環境を欲していたのである。

 

 それでも残り二割の議席は占領中に他惑星に避難していた者達であったから、かつて帝国議会でルドルフの劣悪遺伝子排除法に異を唱えたハッサン・エル・サイドのように、法案に反対意見を述べることができたかもしれないのにそれをしなかった。というのも帝国軍占領統治に抵抗すらできないおのれの無力さを呪ったヴァラーハ市民たちは、新世代には自分達のような苦難を味あわせないために自衛の術を身に着けさせるべきであると考えが圧倒的市民権を有していたために、民が軍事的に無力であることを肯定するような考えの持ち主に共感するはずがなく、星系議会議員選挙でそんな政治家に票をいれるわけがなかったから、残りの議員もレジスタンス出身者と政治思想に多少の違いはあれど、大まかな方向性――好戦的な主戦派であること――は一致していたからであり、市民の武装化を拒むべき理由がどこにもなかった。

 

 この件に関して同盟中央政府から「軍事訓練が全高等学校の必須教育にし、全家庭にブラスターを配給するなど、軍国主義的、全体主義的な政策ではないか」と抗議があったが、アネクドートは市民に向かって「帝国軍占領の経験でヴァラーハ市民は学んだ。自己の権利を守れる武力を持たないなら、自己の権利を放棄しているに等しいということを」という趣旨の演説を行い、ヴァラーハ民衆の圧倒的賛意を示したという事実を突きつけられると、中央政府はそれ以上強弁できなかった。

 

 そして翌年には『民主防衛共和隊法』が制定され、民主防衛共和隊が創設された。客観的に見て民主防衛共和隊は純然たる軍隊組織以外の何物でもなかったので、軍隊の二重構造を生み出しかねないことを危惧した同盟中央政府や他星系政府から「同盟憲章で星系政府は独自の軍事力を保持してはならないとある。憲章違反ではないか」と抗議されたのだが、ヴァラーハ星系政府はのうのうと「民主防衛共和隊は帝国軍占領下におけるレジスタンスの魂を継承する惑星上にのみで活動する自衛的組織であり、これは同盟憲章にて保障されている人民の抵抗権の具体化であると我が星系政府は認識している。よしんば抵抗権の具体化として認められなかったとしても、民主防衛共和隊が航宙戦力を保有していない以上、民主防衛共和隊は軍隊ではない。遠征能力が皆無な以上、同盟検証によって星系政府に保有が認められている警察力の一種と見做すのが精々で、これを軍隊というのは飛躍しすぎとしか言いようがない」という凄まじい理屈の公式見解を展開してお茶を濁した。

 

 民主防衛共和隊は帝国軍占領下におけるレジスタンス活動を念頭においた訓練や志願者民間人への軍事訓練を主任務としており、そういった意味ではレジスタンスの魂を継承する惑星上にのみで活動する自衛的組織であるという星系政府の公式見解もまったくの嘘でもなかったが、もうひとつの任務としてアネクドート政権時代の抑圧機構として機能し、『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』のスローガンの下、旧帝国人、帝国軍協力者、中央集権論者、親帝国論者、反戦運動家などに対する迫害の主戦力となったという。

 

 もちろんこのような状況を同盟中央政府は憂慮し、直接介入による人権問題の解決法を考えもしたがそれは実行されなかった。ヴァラーハは帝国国境に一番近い、億単位の人口を抱える都市惑星である。必然、同盟軍が遠征のさいに利用する重要な後方拠点として活用されており、もし中央政府の介入によってヴァラーハの反中央感情が爆発するようなことがあれば、後方の不安を抱えた状態で対帝国戦争をしなければならなくなる。後方の一大拠点が不安定な状況で戦争をするなど悪夢に等しい。同盟憲章に違反する深刻な人権問題があることは認めるが、()()()()()()()()()()だけで補給路の不安定化に繋がりかねないことをするなど帝国軍相手に奮戦している前線の将兵らへの裏切りに等しい方策は絶対に不可であるという軍部の主張を退けられなかったためである。軍の主張が至極もっともであるが故、同盟中央政府はヴァラーハ星系政府に対して批判声明を出しこそすれど、事実上黙認するしかなかった。

 

 長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加した名家出身者としての自負が、ルドルフが行ったような政府の弾圧による人権蹂躙を正当化するなどラザフォードからすればひどい皮肉としか以前には思えなかったのだが、このヴァラーハの過去と蔓延している空気を知ってからはまた別の感慨がある。同盟軍に見捨てられ、やってきた帝国軍に蹂躙されたこのヴァラーハの民にとっては、銀河帝国のみならず同盟中央政府も怒りの矛先であったのだろう。だから同盟中央政府の影響力強化を唱える中央集権主義者も迫害の対象とされたのだ。

 

 ただ民主防衛共和隊も徐々に腐敗していき、六八〇年代にもなると飼い主である星系政府のコントロールを跳ね除け、たんに気に入らない人間に私刑(リンチ)をくわえるような事件が多発したこともあってヴァラーハの民衆からも反発を受けるようになり、アネクドートが辞任した後に誕生した新政権によって『民主防衛共和隊法』は破棄され、それに代わる法律として『民間防衛法』が制定され、民主防衛共和隊は無数の民間防衛組織に分割された。しかし、それでも自衛法は今なお健在であった。というのも、ヴァラーハの民衆は、解放から五〇年にわたって一度も帝国軍に占領されなかったのは全住民が予備兵力たりえるため、占領の困難さを帝国軍が考えずにはいられなかったからと思っているからである。

 

「さすがにこれはちょっとな……」

 

 一緒に武器庫を見学していたオギョンが複雑そうな顔をする。彼は帝国に対して好戦的なところがああったが、あくまで首都星ハイネセンにおける常識的な範囲での好戦さであって、市民全員が二線級の兵士たりえることを求める法律がまかりとおっているヴァラーハを肯定できるほど好戦的な思考はしていない。

 

「でも気持ちとしてはわかるよ。記念資料館の記録だとヴァラーハ星系警備隊も軍中央の命令で帝国軍と一戦すら交えずに撤退したっていうし、自分達の力でなければどうにもならないって気持ちが強いんじゃないかな?」

「そりゃあ、そうだろうけどよ。だからといって住民全員が兵士になっちまうようなのを同じ国の人間だと俺は思いたくないな」

「前線にそれなりに近い都市惑星と平穏な首都惑星じゃ感覚は違ってしかるべきだよ。あれだけのことがあって、ここが首都と大して変わらない空気の街ならそれこそ異常だと僕は思うよ」

「でも昨日はここは異常だってお前は言ってたじゃないか」

「それはヴァラーハのことを知識としてしか知らなかったからだよ。当時の苦難を経験した両親に育てられた人たちが今、大人になって社会を動かしてるんだから、むしろ当然なんじゃ」

「でももう半世紀前のことだろうが。第一、その理屈が通じるならどうして長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)を乗り越えた先達たちは、奴隷時代の苦難の経験からここみたいに自由惑星同盟を国民皆兵の国家として設計しなかったんだ? どう考えてもおかしいだろ」

 

 真顔でそう言い返したオギョンに、ラザフォードは今更のことのように気づかされた。自由惑星同盟は帝国領の極寒のアルタイル星系第七惑星で労働に従事していた四〇万の奴隷たちが、自由の天地を求めて五五年間宇宙を漂流した末にバーラト星系第四惑星を見出して建国した国家である。既にそのときには指導者アーレ・ハイネセンをはじめ半数以上の犠牲者を出していたというが、それでもグエン・キム・ホアをはじめとした最初からいた人たちは健在だった。彼らは当然、帝国での奴隷労働の過酷さを覚えていただろうし、帝国への憎悪からヴァラーハと同じような国家として建設していてもおかしくなかったのではないか。

 

 そう考えた時、ラザフォードはの背筋に寒気が走った。ということはなにか。ハイネセンの建国期とヴァラーハの再建期における諸条件にさほどの違いがないのだとすれば、いったいどうしてこれほどの差がでたというのか。その原因はいったいどこにあるのだろう?

 

「……たしかにそうかも」

 

 もしかするとおかしいのはこのヴァラーハではなく、ハイネセンのほうではないのか。同盟建国の物語は小等学校にすら通っていなかった頃から、大人たちから繰り返し教えられた。圧政に苦しんだ共和主義者たちが半世紀の逃避行の末に建設した自由の国。しかし今考えてみると抽象的なことしか思い出せず、具体的にどのようにして自由惑星同盟という国家を建設していったのかについての知識はさっぱり教えられた記憶がない。これってかなり怖いことではないのだろうか。

 

 ラザフォードはそうした恐怖心を告白したが、オギョンは馬鹿らしいと切って捨てた。国父アーレ・ハイネセンをはじめ、連邦時代の民主共和政治を夢見た者達が作り出した国なのだから、連邦を再現したような国家として自由惑星同盟が建設されたのは当然ではないかと。

 

 なるほど理屈としてはオギョンの意見はあっているだろう。しかしそれならこのヴァラーハとて、帝国軍の占領支配を受けるまでは首都惑星ハイネセンとそう変わらぬ文化の惑星だったはずなのだ。長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加した四〇万人全員が民主主義者だったとしても、帝国の圧政の恐怖を拭い去れるようなものではないだろう。……歴代皇帝の中で開明的といわれるほうのコルネリアス一世の時代の占領統治でさえ、あのような悲劇を生んでいるのだから。

 

 『武器保管庫』で長々と議論している内に長い時間が流れ、心配になってやってきたファティマに怒鳴られたので、二人の少年はぶすっとした顔をした。彼らとしては、朝起きた時から深刻な顔をして考え事をしているファティマに気を使って部屋から出ていたのだから、理不尽だと思ったのである。

 

「それにもう八時よ。早く行かなくちゃ」

 

 なにか言い返してやろうとオギョンは、ファティマのその一言に出鼻をくじかれた。ラザフォードもびっくりして壁にある時計を見ると、たしかに短針が八時をしめしている。どうやら夢中になって二時間も議論に熱中していたということだ。これではファティマが怒るのも当然であった。

 

 彼らは急いで星系政府官邸前にある自由大広場に向かった。大広間の中心には一辺が五〇メートルもある巨大な立方体の大理石が安置されている。この大理石は五〇年前にこの惑星上で帝国軍に殺された二〇〇〇万人を弔う慰霊碑で、建設命令をだしたアネクドートが「数字だけでは犠牲者の無念が伝わらない」と注文をつけたため、星系政府が把握している分の犠牲者の名前と年齢がびっしりと刻み込まれいるのである。

 

 式典を見物しに来た人の数は多すぎてラザフォードは億単位の人間が来ているのではないかと思ったが、見物客の幾十人かが大きな旗をかかげていた。その旗のデザインは全部違ったが、見覚えがあるハイネセンの主戦派団体の旗を見かけたので、おそらく全部主戦派団体の旗だろうと見当をつけた。

 

「これより、七二〇年度の解放記念式典を始めます。国歌斉唱!」

 

 司会者の、アナウンサーみたいに無味乾燥で個性を感じさせない音声がスピーカーから流れた後、いつもの自由惑星同盟の国歌『自由の旗、自由の民』の勇壮な高揚感にあふれたメロディーが流れてきた。

 

「友よ、いつの日か、圧政者を打倒し、解放された惑星の上に自由の旗を()てよう。

吾ら、現在(いま)を戦う、輝く未来のために。吾ら、今日を戦う、実りある明日のために。

友よ、謳おう、自由の魂を。友よ、示そう、自由の魂を。

専制政治の闇の彼方から、自由の暁を吾らの手で呼び込もう。

おお、吾ら自由の民。吾ら永遠に征服されず……」

 

 幼き頃から慣れ親しんだ国歌であるが、これほどの大人数で熱唱する現場に居合わせたことがなかっためか、まったく別の曲のように思え、国歌斉唱後にラザフォードは気持ち悪い気分を味わった。オギョンやファティマも同意見だったようで、顔を見合わせただけで同じことを思っているのが感じ取れた。

 

 続いて犠牲者に対しての黙祷の時間が一分間続いた。オギョンは持ち前の反骨精神から、こっそりと木嫁忠に目をあけてまわりを伺ったが、見えた限りでは全員真剣に黙祷を捧げていたので、気まずい気分になって目を閉じた。これが学校行事とかなら、すぐに自分と同じようにふざけている奴を見つけられるのにと思いながら。

 

 黙祷が終わると、一人の男が慰霊碑の前に設置された。演説台に一人の男が登壇した。温和そうな顔をした黒人であり、政治家というよりは小等学校の優しい先生といった印象があった。パリッとしたスーツを着こなしており、とてもよく似合っている。

 

「星系政府代表のハルファス首相閣下より挨拶があります」

 

 スピーカーからまたしても人間味に欠けた式典進行の言葉が出てきた後、ハルファスは一度咳払いをして演説をはじめた。落ち着きがあって、理性的な声であった。

 

「親愛なるヴァラーハ市民諸君。われわれの愛する故郷が帝国の専制的な占領支配から解放されてから、今日で五〇年の節目を迎えるに至りました。この五〇年間、ヴァラーハは民主主義と自主独立の精神を堅持しつつ、偉大なる解放英雄レオニード・アネクドートの力強い指導による再建の時代を経て、われわれ市民がみずからの意思で故郷を発展させていき、現在では占領前を遥かに超える繁栄がヴァラーハにあります。しかしながら、我が父や母を苦しめた非自由と不平等の象徴であるゴールデンバウム王朝はいまだ健在であり、二五〇億の人民が専制支配の下、かつてのヴァラーハ市民と同じような呻吟苦難の中にいるのです」

 

 ハルファスはそこで一旦演説を止め、聴衆を見渡した。

 

「同盟全体では一億七〇〇〇万の、この惑星上だけで帝国軍によって最低でも二〇〇〇万の無辜の生命が理不尽に奪われた屈辱の時代を実際に経験した人も少なくなってしまいました。私自身、当時はまだ幼子であって、その頃の記憶は非常にあいまいなものであり、私個人としては再建時の辛苦のほうが印象深い。しかしながら、それで占領時代に受けた傷が忘れさられ、屈辱の記憶が風化することでは決してないのであります。なぜなら自由の国では過去の悲劇を隠蔽するような権力悪は駆逐されるからであります。にもかかわらず、人間としての道理を弁えない一部の自称平和主義者は銀河帝国との対等な和平による平和を主張します。仮にそのような形で平和を齎されたとしても、古代の偉人が『自分が使う金を子孫に返させるようなやり方は、未来に対する詐欺だ』と述べたのと同じで、われわれ自身が解決すべきである課題をわれわれの子孫に押し付けることを意味するのです」

 

 聴衆から「そうだ! その通りだ!」という叫びが飛び、割れんばかりの拍手が響いた。ラザフォードとオギョンは不快そうに首を傾げるばかりであったが、あろうことか、ファティマが他と一緒になって拍手していたので驚いた。彼女はこういう演説を、毛嫌いしていたのではなかったか?

 

 「民主主義による宇宙統一は、この銀河に生きる人民にとって一時も後回しにできない人類至上の課題であり、宇宙平和を確立する上で避けては通れない道なのであります。そうである以上、平和的手段による戦争の終結を試みるとしても、帝国が今までに行ってきた非人道的犯罪行為を心から謝罪・反省し、民主主義を簒奪して犯罪的な利己的な専制政治を開始したルドルフとゴールデンバウムの血統を自ら否定することは和平における最低条件でありましょう。それを無視して自称平和主義者たちが『平和のため』とか『戦争を終わらせる』とか言いながら和平を主張しても、それはゴールデンバウム王朝に弾圧された何億もの共和主義者、長征で失われた二四万の人命、そして帝国軍の侵略を防ぐために戦死した同盟軍人ならびに虐殺された同盟市民の無数の遺骸を踏みにじって唾を吐きつけるに等しい行為であるのみならず、銀河の反対側で帝国が二五〇億の人民の自由と権利を抑圧していることを認めるということに他ならないのです」

 

 ここでハルファスは初めて感情的で、憎々し気な調子で言った。

 

「帝国との和平を主張する反戦派どもは、あまりにもわれらの祖国において自由が普遍的なものであるあまり、それを実感していないのだろう。自由世界と専制世界の違いを理解していないのだろう。彼らは一度でもいいからこのヴァラーハに来てみるがいい。われわれが一人の自由な人間であると主張するだけで、帝国軍は皇帝に忠誠を誓わぬ叛逆者として殺しまわった過去を目を逸らさずに直視してみるがいい。私の後ろにある慰霊碑の、ただ普通に生きていただけで帝国軍に虐殺された者達の名を直視してみるがいい。この事実を知ってなお、虐殺者ツェレウスキーを英雄として高揚し、行われた虐殺のすべてを『正義はなされたが完遂されなかった』と喧伝し続ける帝国と仲良くやっていこうと主張を(のたま)えるというなら、そいつらは人間の尊厳と矜持を放棄した恥知らずどもであるに違いない」

 

 ハルファスがここで言葉を切ったので、ここでまた群衆の叫びが爆発するのだろうと感じたが、意外にも不気味な沈黙が流れたのでラザフォードは困惑した。辺りの様子を伺うと人々が小刻みに体を震わせていた。最初は帝国への怒りのためと思ったが、怯えた表情を浮かべていることから、この不気味な沈黙の意味を悟った。

 

 ヴァラーハの民の帝国への敵意は恐怖の裏返しなのだ。いつの日か、また帝国の絶対的専制支配下におかれるのではないかという恐怖、支配下に置かれた自分たちの一切の人間としての権利を剥奪され、家畜同然の存在として収奪と抑圧に怯えて暮らすことになるのではないかという恐怖である。コルネリアスの大侵攻の時は一度は見捨てられとはいえ、同盟が一丸となって反帝国の旗幟を鮮明にし、戦意を失わずに一致団結して戦い続けてくれたために、ヴァラーハは、ひいては国境周辺星域の有人惑星群は解放されのだ。しかし、今の同盟にそれを期待するのは難しい。

 

 帝国が抑圧的な専制国家にして非民主的な犯罪国家であることが改善されていないにもかかわらず、長引く戦争に疎みはじめた前線から程遠い安全な同盟諸惑星では犠牲になっていく兵士の多さから反戦的講和論がそれなりの支持を集めるようになっているというではないか。つまりは他者の自由を剥奪して、自分たちの平和と安全を謳歌したいというわけか。それは敷衍(ふえん)していけば、自領内の国境周辺星域とて自分たちの惑星の平和と自由が保証されるのであれば、喜んで帝国に切り捨てるということを意味するのではないのか。

 

 ゆえにヴァラーハはいっそ過剰に思えるほど主戦論を声高に主張するのだ。ハルファスの言うような『人間の尊厳と矜持を放棄した恥知らずども』の反戦論が主流になれば、平和とか反戦争とかの美名のもと、自分たちの暮らす惑星が見捨てられるのではないかと心配でたまらない。いや、売り飛ばさなれなくても、いつまた征服帝のような皇帝が誕生して同盟を国家存亡の危機に陥った時、「国家存続のためには帝国との妥協は仕方ない」とすでに占領下にある惑星を見捨てる形で講和するなんてしかねない空気を中央には感じる。なんとしてもそれは阻止せねばならず、ゆえに帝国支配から解放されてから現在に至るまでヴァラーハ星系政府は惑星をあげて自由惑星同盟の世論を主戦的なものに誘導するべく努力してきたのだ。見捨てられないために。

 

「永久にぞ輝く銀河の民の自由が為! 二五〇億の人民を専制支配から解放する為! 国父アーレ・ハイネセンの自由と民主主義の精神、そしてレオニード・アネクドートらレジスタンスの抵抗運動の精神を継承し、虐殺され嘆きの石碑に名を刻まれた二〇〇〇万の無辜の民衆の魂たちに胸を張って誇れるような自由と平和を手にするべく、民主主義の旗幟を高く掲げ、人類社会の分断を一日でも早く終止符をうつべく、これからも力強く闘いましょう!」

 

 ハルファス氏はそう勢いよく言い切って演説が終了させた。聴衆の爆発的賛意の声と割れんばかりの拍手を見届けるとハルファスは満足そうに一度頷いて降壇した。

 

 その後も何人もの演説者――著名な主戦派活動家、占領時代の生き証人、元同盟軍高級軍士官――等が登壇して演説したが、ほとんど同じパターンの繰り返しだった。演説者が帝国の圧政による犠牲の膨大さを語り、占領時のレジスタンスの抵抗活動を讃え、反戦派の主張は帝国支配の犠牲者の尊厳を踏みにじっていると批判し、民主主義と自由のための戦いに勝利しようと主張する。そして聴衆はそれに熱狂的に賛意を示す。

 

 最初こそそれなりに興味深く拝聴していたラザフォードだったが、主張の方向性に違いが見えないものだからうんざりした気持ちが芽生えてきた。彼らの主張には一理あるとは思うが、だからといって反戦派を全否定できるようなものではないのではないかと子ども心に思うのである。

 

 普段であれば三人組の中でこの手の感慨を抱くのはファティマの役目なのだが、本当にどういうわけか彼女は先ほどから演説者たちの主張に肯定的なように見える。元から好戦的な思考を持つオギョンも主張の激しさにおおいに戸惑っているようだが、基本的には賛意を示しているとみて違いない。まわりの聴衆もほとんどそうであるに違いなく、ラザフォードを疎外感を感じずにはいられなかった。

 

 一〇人前後の演説が終わった後、再び星系首相ハルファスが登壇した。

 

「どれほどの惨劇の上に今の時代があるのかをわれわれは忘れず、我が星系政府は専制支配の犠牲者の無念を晴らすために職務を続けることを誓います。この誓いを持って、本年度の解放記念式典を終了したいと思います」

「――最後に星系歌『自由解放の賛歌』を歌います。どうかご唱和ください」

 

 司会者の無感情の声がスピーカーから聞こえた後、どこか陰気だけども勇ましくて昂揚感を煽るメロディーが流れだし、広場にいた全員がいっせいに起立したのでラザフォードたちも驚きつつも、まわりにつられて一緒に立ち上がった。

 

「たとえいま故郷が鉄鎖に縛られていようとも! 我らは決して専制者の奴隷には戻らじ!」

 

 『自由解放の賛歌』は帝国軍の占領下にいた時代にレジスタンスたちが愛唱した抵抗歌(プロテスト・ソング)であり、解放後はヴァラーハ星系政府によって星系歌に指定され、それ以来ヴァラーハでは人口に膾炙した歌である。

 

 フライング・ボール・プロリーグのヴァラーハ代表チームが試合前に歌っているのをラザフォードたちも立体TVなどで聞いた覚えがあるので、おぼろげながらハイネセンから来た三人組も歌うことができた。ヴァラーハ代表チームが決勝まで進んでハイネセン記念スタジアムで試合をした際に、だいぶ物騒な歌詞で一時ハイネセンでも有名になっていた星系歌である。

 

「父よ、母よ、我らが兄弟姉妹よ! 聞こえないか、天地に(とどろ)く叛逆の雄叫びが!

同胞たちが流した尊き血が為! 我らの胸に復讐の炎が灼熱の如くに燃え滾る!

英雄的闘争と流血の末、専制者を逐い必ずや我らが故郷は解放されるだろう!!」

 

 作詞者は不明である。というのもいつからかレジスタンスの間で歌われるようになった抵抗歌であり、解放後に星系歌に指定するにあたってレオニード・アネクドートが名乗り出るように告げたのだが、レジスタンスのだれも「自分が作った歌だ」と主張しなかったためである。

 

 このことからアネクドートは帝国軍の凶弾に倒れた者達のだれかが作った歌であると考え、星系政府の公式資料には作詞者の欄に「名もなきレジスタンス」と表記されている。アネクドートが意図していたかどうかは不明だが、この情緒ある作詞者の設定が『自由解放の賛歌』の神秘性を高め、民衆からも好まれる一因となった。

 

「とどまることなく敵を倒し歩み続け、地に伏した同胞の亡骸を踏み越えて進軍を続ける!

永久にぞ輝く銀河の民の自由が為! 全宇宙をひとつに結ぶその日まで!!」

 

 この歌が終わると各所から「民主主義万歳! 共和国万歳! 帝国の専制者に死を!」という叫びが三連して、式典は終了した。広場から離れていく旗を持った軍服みたいな改造服を着た大人が「最近は随分と融和的になったな。今までなら反省しようが赦さんって感じだったのに」と同じ服を着た相手にぼそりと呟いていたのを聞き取ってしまい、ラザフォードはそれが冗談だと思いたかった。

 

 いろいろと衝撃的過ぎることが多すぎた現地研究の旅だった。手に入れた情報を夏休みの課題研究の成果物としてまとめるのは大変だとラザフォードはホテルに戻る道を歩きながら思った。先生が他のテーマにするべきだとやんわり仄めかしてくれたのも当然だと今なら理解できる。

 

 ホテルまでの道でファティマとどういうふうに研究成果をまとめるべきかについて話し合った。その際、いつも会話に割り込んでくるオギョンが不気味に黙り込んでいることが気になったが、たんに疲れているのだろうと思った。しかしホテルについてもずっと黙っているので、ファティマが心配そうに尋ねた。

 

「どうしたのオギョン。黙り込んでるなんてあなたらしくないわよ」

「らしくない? そりゃおまえのことじゃないのか」

「私?」

 

 ファティマが不思議そうに首を傾げたので、オギョンがイライラした顔をした。

 

「式典の時のおまえの態度のことだよ。ああいう教条主義的な主戦論を嫌っていたのに、なんで演説に拍手してたんだ?」

「それは僕も気になった。どうしてだい」

 

 それも毎回とかどう考えてもおかしいだろうとオギョンは言った。それはラザフォードも気になっていたことではあるので同調して問いかけると、ファティマはなにか難しいことを考えているように眉根を寄せながら答えた。

 

「どうしてって言われても……。うまくまだ自分でも整理できていないのだけど、彼らが言っていることは当然だと思ってしまうの。たしかに、あんなふうに戦争しかとるべき道はないって叫ぶのはどうかと思うわ。父さんみたいに戦争のために犠牲になる兵隊さんたちがいるのだから……。でも、帝国が過去を反省しない限り、ここの人たちは絶対帝国を信頼するわけがないわ。帝国は『正義』の名の下にこの惑星の人たちの家族や友人を殺戮したことを過去の栄光としているのよ? ここの人たちが人間らしい感情を持っている以上、そんな非道を為した帝国の下につくことなんて、認められるわけがないじゃない……!」

 

 銀河帝国皇帝とよく省略されるが、正式名称は『全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝』という。その名の通りすべての宇宙は皇帝の領土であり、人類のすべては皇帝の臣民であると銀河帝国では建前の上では規定されており、そのために自由惑星同盟のことも『叛乱勢力』と呼称し、国家であると公式に承認したことはない。そして始祖ルドルフからの伝統を国家の基盤にしている銀河帝国の正統性を堅持するためにも、その基本姿勢が変わることはゴールデンバウム王朝が崩壊でもしないかぎりはありえないだろうと同盟では認識されている。

 

 そのため、同盟政界における反戦派の主張は『フェザーン形式での講和』である。フェザーンは形式的には帝国の一自治領であって貢納の義務も負っているが、内政及び外交では完璧な自治権を獲得しており、実質的な意味では独立国であるといってよい。なれば、自由惑星同盟も銀河帝国の自治領もしくは朝貢国になり、帝国はその見返りとして同盟の主権を認めるという形式での講和の形をとれば、平和を実現することが可能である。既に戦争がシーソーゲームを思わせるような膠着状態に陥って久しく、双方がこの不毛な戦争を継続する理由が国家の正統性を維持できないという理由でしかない以上、帝国も形式で妥協して実質的利益をはかるのが賢明だとわかるはずだ。

 

 そうした反戦派の主張にファティマは共感していたのだが、このヴァラーハを筆頭に同盟領各地でおこなわれた蛮行が正義であると喧伝し続けている帝国の下に形式的とはいえ同盟が臣従しなくてはならないのかと考えると、どうにも抵抗感を感じずにはいられなかった。

 

「……それにここで起きたことを知って思ったの。父さんはこういうことがあったと知っていたから職業軍人になったのかしら、って。私たちにヴァラーハのような悲劇を味あわせたくなかったからなのかなって。父さんが軍人なのは当たり前だったから、今までなんで父さんが軍人になったのか考えたこともなかったの」

 

 ファティマが朝から苦悩していたのはそれが原因だったのかと二人は納得した。そしてラザフォードは静かに内心で確信した。自分のちょっとした興味から始まった短い旅であったが、この旅の意味は研究成果を学校で発表して終わるようなものではなく、もっと後々の人生にまで影響が出るに違いないと。




後味悪いけどこれで「レガリア」は完結です。
原作読んでて思ってた「なんでアムリッツァで大敗したあとでも同盟で主戦論が支配的なの?」という疑問を、自分なりに理屈付けてみようとしたのが本作ですので、それなりに満足できました。

しかしこれ書いてて思ったのですが、長征グループは偉大です。
帝国で奴隷として酷使された苦しみを忘れていなかったでしょうに、子孫に帝国への恨みを植え付けようとしなかったのですから。
……いや、そういうことをしてしまうと思ったから長征の最初から居たグエン・キム・ホアは権力の座に就こうとしなかったのでしょうか。

P.S.
話はこれで終わりだけど、捕捉のあとがきを投稿します


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あとがき(+α)

あとがき

まず最初に本作を読み切っていただきありがとうございました。

 

前話のあとがきにも書きましたが、なんで同盟の主戦論ってあんなに根深いんだろうなと疑問に思ったのがきっかけだった。そして『リヒテンラーデの孫』を書いている時に、気分転換で同盟側の話も書きたいなと思ったことでとりあえず設定だけ書き込んでたら、けっこうな量がたまったので、一作つくれそうだなと。

ルドルフ大帝の頃の描写やクロプシュトック侯爵領事件での描写から、ゴールデンバウム王朝の軍は敵に対しては虐殺略奪ヒャッハーなクオリティであることから、コルネリアス一世の時代もそうだったのなら絶対主戦論が根深い原因ここだろと思いました。

コルネリアスが率いた軍隊は統率があって精強だったといいますが、だからといって虐殺や略奪をしない紳士的軍隊であるとは限らないわけで……(現実のナポレオン率いるフランス軍とか前半戦は圧倒状態だったヒトラー率いるドイツ軍とか)。

それにラインハルト時代の帝国軍とて、ラグナロック作戦時に双璧が補給が滞った場合、不本意だが現地から物資を略奪して将兵らを食わす可能性について語りあっていたので、優勢だったときはともかく劣勢になったらやむにやまれぬ理由や将兵のストレス発散目的で虐殺や略奪が行われてそうなぁ、と。

とまあ、そんな妄想の産物がこのレガリアです。帝国軍によってひどい目にあった世代は「帝国の脅威の前に無力だった自分達の惨めさを次の世代には味あわせたくない」という優しさから帝国への憎悪を露わにし、子供らにも帝国がどんなに残虐な存在か伝え、憎むべき敵であり倒さなくてはならないのだと教えるのでしょう。感情論といえばそれまでですが、一面では間違いなく真実なのですから。

――そういう観点からいえば、民主主義と自由の精神、そして帝国という脅威の存在は伝えたけども、帝国を憎むようには強要しなかったアーレ・ハイネセンやグエン・キム・ホアら長征第一世代の人たちは聖人かなにかですかね? 奴隷時代にそうとうひどい目にあってきたでしょうし、帝国側から反省や謝罪の言葉があったわけでもなく、帝国を滅ぼしたわけでもないというのに。

たとえ滅ぼしても地球は絶許なフランクールほどではなくても、ラグラン・グループの地球への憎悪・反感と同じようなものを長征グループが帝国に対して持っていても不思議ではないと思うのですが、そういう描写が見当たらないんですよねぇ。長征グループの描写が少なすぎるというのもありますが。

ただ、そんな長征一万光年に参加した人たちの末裔が、ユリアンの祖母みたいな存在になっているのかと思うと歴史の皮肉というかなんというか……

 

以下、自分が同盟側の話書いてみたいなーと思って溜め込んでた設定の数々を整理したもの。ツッコミどころが多いかと思いますが、よかったら読んでみてください。

 

 

 

作中時代の登場人物

+ラザフォード

本作の主人公的ポジションにいた人物。思想的には中立中庸。

自国が今も戦争をしているということを頭では理解していたが、戦争をどこか遠い世界で起きているできことであるような感覚しかなかった。しかしそれはラザフォードに限らず、国境周辺星域以外ならどこでもそうである。

……というより、原作でも自由惑星同盟の市井って戦時色が薄いんですよねぇ。ルドルフの反省から民主主義・自由の精神を尊んでいるからなのかもしれませんが、総力戦体制が敷かれていたとはとても思えないし、戦時にしばしば発生する強権政治もやってなかったようですし。

 

ヴァラーハへの研究旅行で悲劇が未来の歴史に及ぼす影響の大きさを感じ、それを物語風にして一般化したいという思いから歴史小説家を志し、いくつかの著作を発表して大衆人気を獲得する。大学卒業後、流通会社の管理職に就職したがそれでも歴史小説家としての一面は捨てなかった。

二九歳の時に軍隊に徴兵され、激戦地に配属されて三一歳で戦死した。葬式では彼の著作のファンたちが千人近く集まって若すぎる作家の戦死を深く悲しんだ。

 

 

+オギョン

ラザフォードの親友。いわゆるあまり細かく物事考えておらず、直感で鋭いことを言う。ある意味、三人組で一番普通の人間っぽいかも。

思想的には主戦派だが、それは若さゆえのスリルを好む傾向の現れであり、信念の欠片もない薄っぺらなもの。冒険心と好奇心は強く、喧嘩っ早いが、後々まで影響が残るようなことは絶対嫌というタイプである。

本作では過激な主張をするまではいっていない主戦派の代弁者として設定した。

 

ヴァラーハへの研究旅行で軍事偏重的過ぎる過激論は好まなくなったが、感情的には主戦派寄りでありつづけた。二六歳のときに徴兵されたが、戦死の可能性を少しでも下げるべく良心的兵役拒否権を行使して衛生兵として勤務。その経験から傷痍軍人に深い同情心を抱くようになり、傷痍軍人援護団体に所属して彼らの生活支援に熱心な人生を送った。なお、相思相愛の恋人を見つけるまで、結局言い出せないまま終わった初恋を忘れられない状態が続いていることに苦悩していた。

 

 

+ファティマ

ラザフォードの親友。情が深く心優しい性根の女性。父親が戦死してから物静かになったので親友二人から気遣われている。父の死に悲しむ自分みたいな子を増やしたくないという思いから、思想的に反戦派寄り。

しかしその反戦寄りな思考は幼さ故というべきか「とにかく戦争をやめれば戦死者がいなくなる」という安直なもので、『すべての宇宙、すべての生命は我らが皇帝陛下の所有物』とどこぞの白色彗星帝国みたいなことを怒号する銀河帝国との戦争をどう終わらせるかということはまったく考えておらず、その点にオギョンは言語化できない疑問を抱いていた。

 

ヴァラーハへの研究旅行で実際の帝国軍の無茶苦茶ぶりを知って反戦という考えに深い疑問をいだくようになり、しばらく苦悩していたようだが、大学生時代には「父親もこの自由の国を守ろうとして崇高な死を遂げたんだ」という結論に辿りつき主戦派に転向する。

有力な主戦派代議員と結婚して夫の政治活動を支える傍ら、主戦派系民間団体の支援に尽力した。その関係で傷痍軍人援護団体にいた親友オギョンとはよく会ったが、彼から時折なんともいえない視線を向けられることを不思議に感じていたが、彼に恋人ができてからそういうことがなくなったので、独り身故の結婚した相手への劣等感の発露だったのだと思い込んでいる。

 

 

+ハルファス

ヴァラーハ星系政府首相。解放記念式典で演説をした。

演説で繰り返し『銀河帝国が過去を反省しないかぎり講和はありえない』という趣旨のことを述べており、実はアネクドート以降の歴代星系首相の『共和国万歳! 帝国を滅ぼせ!』なスタンスと比べると比較的穏健派だったりする。

というか、ヴァラーハだと過去の惨劇を忘れない方針をずっととってきたため、民間レベルまで主戦派の勢いが凄すぎることもあり、反戦派的政治家が星系選挙で勝利することがまずありえない。

広島や長崎で「日本は核武装すべきだ!」とか言っている政治家がいたとして、そいつを県民が知事に選ぶわけがないだろうなレベル。

 

 

 

五〇年前の登場人物

+コルネリアス一世

ゴールデンバウム王朝第二四代銀河帝国皇帝。通称『征服帝』『元帥量産帝』。

先帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世を超える皇帝になってみせるぜと自ら指揮を執って自由惑星同盟を滅亡寸前に追い込んだ凄い人。あるいは開祖ルドルフを除いて最高の軍事的天才だったとか原作で称されるのは伊達ではない。趣味は将来有望な軍士官に元帥号を前払いの感覚で無節操に授与すること。

原作ではハッキリしていないのですが、ハイネセン目前まで迫ったということはそこまでの同盟領をほぼ占領下においていた&ラインハルトの時代でも帝国は同盟領の地理をイゼルローン回廊周辺しか把握していなかったということは、そうとう同盟領で抵抗活動激しかったんじゃないかなーと思って本作こんな扱いになった。すまん!

 

 

+ツェレウスキー帝国元帥

征服帝の親征に同行した五八人の元帥の一人であり、撤退時に戦死した一五人の元帥の一人という設定のオリキャラ。能力的にはオーベルシュタインとキャゼルヌを足して二で割った軍人というイメージで作者は書いてたので、元帥の地位に申し分のない能力の持ち主であったと思う。

親征時に統括府最高司令官に任命され、占領地における統治の全責任を負い、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応し、占領地を安定させることに貢献した。しかしアネクドートのレジスタンスの跋扈に対処するために徐々に統治から柔軟性は失われていき、最終的に恐怖政治的な統治を敷いた。しかし臨機応変さは失われることはまったくなかったので、弾圧手法の巧みに用いてレジスタンス苦しめた。

宮廷クーデターが起きた後も主命に従って占領地の維持をはかったが、加速度的に悪化していく戦況から独断で占領地の放棄を決定。コンキスタドール指令を出して計画的大略奪を起こし、これ以上は無理と考えたところで徹底したが、撤退判断が遅すぎたために同盟軍追撃部隊の攻撃で戦死した。

コンキスタドール指令で略奪した資金の莫大さは同盟領遠征で失った国費を僅かばかり補填し、かつ、国境周辺地域の経済崩壊&治安の不安定化で同盟軍の帝国領本土への侵攻を困難なものとするのに一役買った。

また彼は文武両道の人物で、武官ばかりか文官からも信頼されており、未来を嘱望された人物であったことから、彼の死を嘆く帝国上層部の人間は多かった。コルネリアス一世もその例外ではなく、そうした関係からツェレウスキー帝国元帥は忠臣として国葬に伏された。このことが同盟主戦派――特に一番被害がひどかったヴァラーハの民――を激怒させたのはいうまでもない。

 

 

+レオニード・アネクドート

本作の裏主人公、というより、最初はこのキャラを主人公にして話を作ろうとしたけど無茶苦茶長くなりそうだし、原作キャラほぼいない話になりそうだったから、昔語りでいいやと思って変えたので、ある意味では本当の主人公である。

出身が『長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)』に参加した名家であり、自由と人命を尊ぶ民主主義を誇るべきという教育を受けて育った。そのためアネクドートは「民主主義の世界を護るぞ」という理想主義的意志から軍人となり、本人の有能さと実家の権威もあってすっごいスピードで少佐にまで昇進した。

しかし第一次ティアマト会戦で同盟軍は帝国軍に大敗し、同盟政府は国境周辺を切り捨てる決断を下したことに激怒し、有志十数名と共に同盟軍から脱走。故郷ヴァラーハに潜伏し、レジスタンスを結成して抵抗活動を繰り広げた。

目に見える場所で血を流して抵抗活動をしていたことや国境周辺星域を見捨てて撤退した同盟軍との対比、そして長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加した名家出身という貴種性もあって、「自分たちを見捨てずに帝国軍と戦い続けるレジスタンスの指導者、偉大な解放英雄」として帝国軍占領下のヴァラーハの民から崇敬されるようになっていく。

そうしたヴァラーハの民からの限りない賛美の声は、アネクドートの理想主義的で強硬な一面を強め、解放後の選挙でヴァラーハの星系首相に任命された時には「故郷を救うのは私の使命! それを邪魔するのは民主主義の敵!」という主観の強い独善的な正義を振りかざすようになり、民主主義を口で唱えながら帝国軍協力者や反戦派、自身の政権を脅かす政敵を排除する民主防衛共和隊を設置して思想・言論の自由を制限する全体主義傾向が強い体制を確立させ、自身に権力を集中させる独裁者と化した。

これだけなら「権力の甘い蜜で堕落した元英雄政治家」で終わっただろうが、複雑なことにアネクドートは非常に有能な統治者であったので集中された権力を建設的に行使してヴァラーハの再建に尽力し、インフラや福祉制度の配備、経済の発展等々民間生活の向上に余念がない開発独裁体制であったことや、アネクドート本人は星系政府から出る給料の七割を返上して質素な生活を送くるという潔癖さを示したために民衆人気が衰えることがなかった。

しかしヴァラーハが繁栄すれば繁栄するほど増えていく仕事量の膨大さから、アネクドートは徐々に部下の手綱を制御しきれなくなっていき、汚職官僚が蔓延るようになっていき、政権末期には民主防衛共和隊の隊員が個人的に仲が悪いだけの人間に暴行を加えるほど腐敗がひどくなっていた。

アネクドートはそれでも部下の統制を取り戻して独裁政権を維持しようとしたが、統制を取り戻そうとしている最中に重病を患ったこともあって首相を辞任。そして辞任一年後に病死した。

間違いなく名指導者だが、民主主義国家の政治家として問題がありすぎるためにヴァラーハ以外での評価は批判的な見解が多い。いっぽう、ヴァラーハの民の評価は郷土の英雄にして再建の功労者と極めて高く、それらを考慮したヴァラーハ星系政府の公式評価は「功績七分、誤り三分」としている。

ちなみに首相就任後自らに課した故郷再建の使命完遂のためにずっと忙殺されたため、女性からよく求婚されたが家庭を顧みる余裕がないと本人が思っていたこともあって、結婚どころか愛人を持とうとすらしなかった。そのため子息もなく、彼が長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に参加したアネクドート家最後の家主ということになる。

 

余談だが、アネクドートは作者のレジスタンス出身の政治家に対するにわか知識を混ぜ合わせて作ったキャラです。有名どころだとド・ゴール、チトー、毛沢東とか。

それと完結してから思ったことではあるが、贅沢はしてないがルドルフと同種の人間みたいにも思える。ただアネクドートの場合は皇帝に即位する前の終身執政官時代に病に倒れてしまっただけで。もし病に倒れなかったら後継者を育成して独裁体制の永続化をはかったのだろうか。

 

 

 

登場用語

+コルネリアス一世の大親征

作中では同盟視点で書いてるので大侵攻と表現している。

自由惑星同盟がいつから亡命者を差別するような体質になったのか考えた時、同盟領の多くを帝国に占領されたこの時が国民意識の形成につながったのではないかと思う。

初期の頃の同盟は亡命者を歓迎してたことが原作で書かれている以上、変容期があったと思うので。

 

 

+レジスタンス

帝国軍占領地で後方攪乱を行った抵抗組織の総称。実は統一された組織ではなく、大量のレジスタンス組織があったが、占領区統括府のお膝元で暴れまわったレオニード・アネクドートのレジスタンス組織が有名になりすぎたこともあり、その武勇にあやかってレジスタンスの士気高揚をはかるために多くのレジスタンス組織が実質はないが、形式的にアネクドートの最高指揮権を認める形式をとっていた。

同盟軍撤退後も人民生命の守護の為に戦った勇者たちであるとして、レジスタンス出身者は帝国軍占領地の住民から尊敬されることになった。

しかしツェレウスキーが占領政策を恐怖政治的なものに転換した原因がレジスタンスの跳梁跋扈にあり、しかも宮廷クーデターとそれによって生じた隙を見逃さなかった同盟軍の反撃がなければレジスタンスは間違いなく壊滅したであろうことを冷静に考えると、レジスタンスが抵抗活動を繰り広げたために、かえって占領民の生活が苦しくなった側面があったりする。

解放後、レジスタンス出身者の多くが活動地で栄達した。特にヴァラーハではアネクドートの独裁政治を強力に支える中心勢力となった。

 

 

+抑圧的な専制乃至は独裁権力に対する人民の抵抗権行使のための妥当な技術習得及び行使時における諸事項に関する法律

通称、自衛法。六七一年初頭にヴァラーハ星系議会で可決された法律である。

スイスや韓国、旧ユーゴのようにすべての市民に兵士としての能力を身に着けさせる法律。

レジスタンスたちの武力万能主義的な思想の産物と見られがちだが、ヴァラーハ全市民の帝国軍占領時代のトラウマによる産物といったほうがよく、今度帝国軍が占領されても自分で自分の身を守るための力を身に着けるためにヴァラーハの民衆多数がその法案成立を歓迎し、現在でも住民から大規模な反対運動が発生しないことからもわかる。

ちなみにやたら法律の名前が長い理由は、同盟憲章の条文に抵触する恐れがあることをアネクドート以下星系政府中枢が把握していたので、同盟憲章で認められた「抵抗権」の範疇におさまるものであると屁理屈をこねる必要があったため。

 

 

+民主防衛共和隊

六七二年にヴァラーハ星系政府保安部に設置された準軍事組織。はっきりいうと軍隊。

公的には民間防衛組織とされているが、完全無欠の軍隊なので「星系政府が軍隊を持つなんて憲章違反だ!」と同盟中央政府のみならず、ある意味お仲間であるはずの国境周辺星域の星系政府からも批判されたが、とうのヴァラーハ星系政府は「航宙戦力がないから軍隊と定義するには戦力がない」とか「どっかに遠征するための部隊じゃないんだから警察力の一種だよ」とか、いつかの時代の極東の島国のような恐るべき論理で正当化した。

公的に定められていた仕事は有事の際に備えての民間人の避難及び抵抗訓練を行うことである。しかし実態はアネクドートの私兵集団であり、星系政府中枢の意向で反戦派、同盟中央集権論者、帝国軍協力者、解放後にやってきた帝国人への迫害を実施し、アネクドートの政敵を闇に葬る秘密警察的役割を果たしていた。

八〇年代になると権力に胡坐をかいて腐敗して暴走するようになり、ほとんど暴徒の集団と化していた。

アネクドート辞任後に誕生した新政権により、民主防衛共和隊の明文化されない特権は剥奪され、地域ごとの民間防衛組織に分割されて消滅した。

 

 

+惑星ヴァラーハ

作者が考えたオリジナルの惑星――とは言い切れない。

実は道原版の漫画に登場していた惑星で、アルテミスの首飾りが配備される予定だったが、帝国領遠征の損害を補填するために配備が中止されたって描写しかありませんが。

首都の次に配備されるような惑星なんだから前線に近い都市惑星かよほど経済規模の大きい惑星なのだろうかと考え、前者の考えを採用して本作の舞台として設定した。

もし道原版ヴァラーハも本作のような惑星だった場合、「首都にだけそんな高性能な防衛システム設置するなんてまた俺たち国境周辺星域を見捨てるつもりなのか!!」のような文句言いまくって配備権を獲得したものと思われる。

 

本作ではダゴン戦役以前に入植がはじまった惑星であり、一番最初の入植者にアネクドート家もあるが、当時はたまたま偶然イゼルローン回廊を抜けてきた漂流者や宇宙海賊の類を除けば、ほとんど全部長征に参加しているので当時は別に名家というわけでもなかった。

順調に開拓が進んでいたが、ダゴン戦役後に亡命者が大量にやってきたので住民の数が急増。一気に億単位の人口を抱えるようになり、一番最初の入植者たちが地元の名士的な扱いをされるようになる。

コルネリアスの大侵攻で帝国軍の占領下におかれ、統括府が設置されてツェレウスキー帝国元帥の占領地運営の中枢となる。いっぽう、同盟軍から離脱したレオニード・アネクドート率いる一派がヴァラーハでレジスタンスを結成し、抵抗運動を開始。

レジスタンスの跋扈に占領統治は徐々に過酷さを増していき、帝国軍の優勢が崩れて劣勢になってくるとツェレウスキー帝国元帥はコンキスタドール指令を発令。帝国軍の大規模略奪が実施されて同盟全体で一億七千万の人命が失われたが、一惑星で二千万もの人命が奪われたのはヴァラーハだけである。

解放後、抵抗活動を通じて有名になったレオニード・アネクドートが星系首相に就任。制度こそ民主的形式が保たれたが、アネクドートの定めた方針に反対すると私兵集団である民主防衛共和隊に排除されるという独裁的政治手法をとる。アネクドートは人民生活の向上とインフラ整備、経済発展に力を注ぎ、専制国家だったら間違いなく良き領主と称されるような治績を残した。

無論、この権威主義的独裁政治は同盟中から批判されたのだが、ヴァラーハ星系政府は別に民主的諸制度を改変したわけではなく、星系政府の恣意的な法解釈と運用手法で独裁権力を創出したため、民主的な制度的外観は残されていたことと、対帝国戦争における一大後方拠点である立地をたくみに利用してアネクドートは独裁体制を継続した。

しかしこの独裁体制は良くも悪くもアネクドートの個人的才幹によって支えられており、ヴァラーハの再建が進むにつれて彼の目の届かないところで政府諸機構が腐敗していった。そして六八五年に腐敗して諸政府機関への民衆の反発の高まり、そのタイミングでアネクドートが重病を患ったために「病による政権運営の困難」を理由に辞任し、一五年間の地方独裁政権に終止符をうった。

後継の新政権は独裁的権力集中反対を標榜していたこともあって、アネクドート政権の在り方を批判したが、それでも「ヴァラーハ解放・再建の功績はだれも否定できない」としてアネクドートを全否定せずかなり擁護した。というより、民衆人気が凄すぎたので否定したくても否定できなかったというべきか。

またアネクドートが民衆に植え付けた銀河帝国及び反戦派への嫌悪と憎悪は、後継政権もバリバリの主戦派だったこともあって、その点に関しては特に問題視されることはなく、現在に至る。

 

 

+自由解放の賛歌

かつてアネクドートらレジスタンスが愛唱した抵抗歌(プロテスト・ソング)にして、ヴァラーハの星系歌。

作詞者は不明であり。唯一わかっているのは、レジスタンスのだれかが作詞したことだけ。そのことから『名もなきレジスタンスの歌』ともいわれることがある。

ヴァラーハでは自由惑星同盟の国歌である『自由の旗、自由の民』と並んで民衆に親しまれている歌であり、ヴァラーハの民にとってこの歌は帝国への怒りを忘れないための歌である。

自由要素どこ?って感じで歌詞が物騒なのは、自由フランスの『自由の歌』を参考にしたため。

いや本当にあの歌の歌詞すごいよ? 「暗殺者よ、素早く敵を殺せ」とかどう考えても悪役の……

 

「たとえいま故郷が鉄鎖に縛られていようとも! 我らは決して専制者の奴隷には戻らじ!」

「父よ、母よ、我らが兄弟姉妹よ! 聞こえないか、天地に轟ろく叛逆の雄叫びが!

同胞たちが流した尊き血が為! 我らの胸に復讐の炎が灼熱の如くに燃え滾る!

英雄的闘争と流血の末、専制者を逐い必ずや我らが故郷は解放されるだろう!!」

「とどまることなく敵を倒し歩み続け、地に伏した同胞の亡骸を踏み越えて進軍を続ける!

永久にぞ輝く銀河の民の自由が為! 全宇宙をひとつに結ぶその日まで!!」

 

 

 

本作の年表

+三一〇年+

ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河帝国皇帝に即位。

+四七二年+ 

アーレ・ハイネセンによる長征一万光年開始。

+五二七年+ 

長征一万光年終了。自由惑星同盟建国。

+五〇〇年代末期+

惑星ヴァラーハへの入植がはじまる。最初期の入植者にアネクドート家の名がある。

+六四〇年+ 

ダゴン星域会戦。同盟軍大勝利。帝国から大量の亡命者がやってきて人口急増。

 

+六六八年+

五月 三度の臣従の要請に対して交渉すらする気がない同盟にコルネリアス一世が激怒。

帝国軍侵攻開始。第一次ティアマト会戦で同盟軍が大敗。国境周辺星域を放棄。

七月 帝国軍がヴァラーハを占領

十月 帝国軍ヴァラーハに占領区統括府を設置。長にツェレウスキー元帥を任命。

+六六九年+

二月 レオニード・アネクドートがヴァラーハでレジスタンス組織を結成。

六月 レジスタンスの跋扈によりツェレウスキー元帥が統治法が融和姿勢から強硬姿勢に。

?? 帝国で宮廷クーデターが発生。

コルネリアス一世、同盟完全征服を諦めるも一定の占領地を確保をはかる。

+六七〇年+ 

初頭 同盟軍の大反撃の勢いが止まらず、ツェレウスキーは占領地の放棄と完全撤退を決める。

二月 統括府がコンキスタドール命令を発す。この命令のために同盟全体で大量の犠牲者が出る。

八月 二一日に同盟軍がヴァラーハを帝国軍から奪還。

?? 選挙の結果、レオニード・アネクドートが星系首相に任命される。

+六七一年+ 

『抑圧的な専制乃至は独裁的権力に対する人民の抵抗権行使のための妥当な技術習得及び行使時における諸事項に関する法律』、通称自衛法が制定される。

+六七二年+

『民主防衛共和隊設置法』が制定される。この頃から星系政府の主導で旧帝国人、帝国軍協力者、親帝国論者、反戦運動家を迫害するようになる。

+六八五年+ 

強権的政治運営に不満を抱く民衆の不満の高まり、そして重病を患ったこともあってアネクドートが辞任。

新政権発足。民主防衛共和隊が解体され、いくつかの民間防衛組織に分裂する。

新政権は強権的統治の改善に努めたものの、それ以外は特に問題視しなかったので自衛法などは継続。

+七一五年+ 

ハルファスがヴァラーハ星系政府首相に就任。

+七二〇年+

本作の時代。ラザフォードら三人組が中等学校の夏休みの課題研究のためにヴァラーハへ。

 

+七三〇年+

ブルース・アッシュビーら七三〇年マフィアが士官学校を卒業。

+七三八年+

ファイアザード星域会戦。七三〇年マフィアの伝説が始まる。

+七四五年+ 

第二次ティアマト会戦。アッシュビー戦死。七三〇年マフィアの伝説が終焉。

+七九六年+ 

アスターテ星域会戦。ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムによる銀河英雄伝説本編が幕をあげる。

 

 

 



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