鬼の目にも涙【完結】 (トマトルテ)
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一話:伊吹萃香と食えない男

「こんな時間に山を歩いてるなんて危ないねぇ、鬼が出ても知らないよ?」

「誰だ?」

 

 太陽も沈み、今は闇が支配する世界。(あやかし)がうごめき始める時間。

 夜となれば人は家に籠るのが鉄則。だというのに、1人の男が暗い山道を歩いていた。

 そこへ、声をかける何かが現れる。

 

「伊吹萃香―――鬼さ」

 

 その何かはニタリと牙の生えた口を吊り上げ、男の前へと姿を現す。

 背は童女と言っても差し支えない。しかし、少女の目は力強く見る者に格の違いを教える。

 何よりその頭に生える二本の角こそが、鬼という強者である証であった。

 

「鬼か、俺は鬼には用がない。悪いが先に行かせてもらう」

「ククク…剛毅だねぇ、あんたは。でも、私は今酒のつまみを探している最中なんだ。丁度いい所に活きの良い(さかな)が来たんなら逃がす手はないね」

「俺を食うか。人からは食えん奴だとよく言われるんだがな」

 

 鬼だと正体を明かしたにもかかわらず、全く表情を変えない男。

 そんな姿に萃香は面白そうに笑い、目を細める。

 

「鬼の胃袋を舐めてもらったら困るよ。骨だって融かすんだ。煮ても焼いても食えなくてもしっかり消化してやるさ」

「それは困ったな。今食われるのは不味い」

「そう言いながら、あんたは逃げないね」

「鬼相手に逃げきれるわけがない。走るだけ時間の無駄だ」

 

 それだけ聞けば男は鬼を前に生を諦めているように聞こえる。

 しかし、対峙する萃香から見れば全くそのようなことはない。

 男の瞳はまるで生を諦めていない。ただ、ひたすらにこの先の道に進むことだけを考えていた。

 

「ふーん、時間に追われてるってやつかい?」

「その通りだ。母が危篤という知らせを受けてな。こうして夜道を急いでいるわけだ」

「なるほどねぇ……」

 

 萃香はジッと男の瞳を見つめる。鬼は嘘が大嫌いだ。

 故に閻魔とまでは行かずとも、嘘を見抜くことには長けている。

 そんな嘘を見抜く鬼の目が男の心の底まで透かすが、それでも男は動じない。

 

「嘘じゃあなさそうだね」

「なら、早く通してくれるとありがたいんだが?」

「そいつは無理な相談さ。鬼の目にも涙と言うけど、今の私は面白い人間に会えてご満悦なんだ。あんたをただで離す気はないよ」

 

 ニヤニヤと牙を見せながら笑う萃香に、男は疲れたように溜息を1つ吐く。

 

「はぁ……そういう言葉は可憐な女子(おなご)に言われたかったもんだな」

「失礼だね、私も可憐な女子だよ」

「可憐な女子は人を食ったりしないだろ」

「女子だって誰かを馬鹿にしたくなることだってあるさ」

 

 お互いに皮肉を言い合うように語り合う人間と鬼。

 この調子では、いずれ夜が明けてしまうかもしれない。

 そう思った男は、声に力を入れてある提案を切り出す。

 

「鬼、ここは1つ賭け事をしてみないか?」

「へぇ……人間が鬼に勝負を挑むかい」

 

 人間から鬼へと挑まれる勝負事。他の妖怪であれば断ることもあるかもしれない。だが、鬼が断ることはない。鬼は強い。そして、勝負事を好いている。故に人間から勝負を挑まれれば真っ向から受けて立つ。自らが強者であることを自覚しているが故に、小細工などはせずに横綱相撲を取る。

 

「ま、条件次第だね」

 

 といってもこの伊吹萃香という鬼は、嘘はつかぬともズルをしたりはするのだが。

 

「まず、方法はこの小銭を投げて表裏どちらが出るかで決めるものだ」

「ククク…鬼に力じゃ勝てないから運に頼るのか。まあ、良いよ」

「そして、俺が負けたら命を獲れ。お前が負けたら金輪際俺に手を出すな」

「うーん……金輪際は長すぎるかな。せめて、あんたが母親の元からここに帰ってくるまでだね」

「なら、それでいい」

 

 やけにあっさりと条件を下げることを許可した男に、萃香はおやっと思う。

 ここに帰って来るまでなのだから、母の見舞いが終わった後に萃香が男を殺すのは自由だ。

 その言葉の裏の意味に気づかぬ男だとも思えない。

 

 しかし、母親が危篤という事実を考えれば、急いで受け答えがいい加減になることもあるか。

 そう結論付けて、勝負へと頭を戻す。

 

「じゃあ、お前が小銭を投げろ」

「私が? いいの?」

 

 さらに予想外の行動に萃香は思わず目を見開いてしまう。

 小賢しい人間のことだから、小銭を投げる時にイカサマの1つや2つはしてくると思っていた。

 しかし、男は全てを鬼に委ねると言うのだ。

 

「鬼は嘘を嫌うらしいからな。まさか、自分の手で(・・・・・)イカサマをしたりはしないだろう」

「……ハ、言ってくれるね」

 

 男が挑発するように告げると、萃香は獰猛な笑みでそれに応える。男の企みはイカサマをすることではなく、イカサマをさせないことだったのだ。確かに鬼の力をもってすれば風を巻き起こしたり、声で空気を振るわせたり、地面を揺らすことで小銭の裏表を自由に選ぶことが出来る。

 

 もし、男が自分で小銭を投げて小細工を企んだのなら、萃香は自身の能力を使ってほんの少し(・・・・・)のズルを行っていたかもしれない。だが、自分の手で投げるのならそのようなことはしない。何故ならば、それは卑小な人間相手に鬼である自分が勝てぬと思うことと同義だからだ。

 

 相手に勝つため小細工を練るのは自身を弱者と認めること。

 ならば、強者である鬼は小細工をしてはならない。

 

「いいよ、お望み通りに全てを天に任せてやろうじゃないか!」

「ああ、こいつで対等だな」

 

 男から勢いよく小銭を奪い取ると萃香はニィっと唇を吊り上げる。

 それに釣られるように男も楽しむように笑う。

 

「そっちから選びな、人間」

「俺は表だ、鬼」

「じゃあ、私は裏だね。さあ、どっちが出ても恨みっこなしだよ!」

 

 キーンと、甲高い音を立てて小銭が萃香の手から打ち上げられる。

 高々と天へと上がった小銭は重力に従い地面へと落ち、コロコロと転がっていく。

 そして、ピタリと男の足元で止まる。

 

 

「表だ。俺の勝ちだな」

 

 

 ニヤリと勝ち誇った笑みを見せつけるように男は笑う。

 

「ちぇ……私の負けか。今夜の酒は不味くなりそう」

「1人しんみりと呑むのも悪くはないぞ?」

「私は勝利の美酒を味わいたかったんだよ。……まあ、今日ぐらい我慢するか」

 

 足元の小銭を拾う男を眺めながら肩をすくめる萃香。

 しかし、その顔には言う程の険はない。

 久々の人間との関わりで彼女も結構満足しているのだ。

 

(それに、この人間が母親の元から戻ってくれば勝負は無効だ。その時にまた遊ぶさ)

 

 これで終わりではない。鬼は目を付けた人間を簡単には離さないのだ。

 

「ではな、俺は行かせてもらう」

「ああ、精々他の妖怪に食われるんじゃないよ」

「鬼が人を心配するとはな。明日は槍でも降るか」

「ホント、あんたは失礼だね。こんな可愛い女の子が心配してあげてるんだから喜びなよ」

「その女子が俺の命を狙っていなければ素直に喜べたんだがな」

 

 皮肉気な言葉を最後に残して男は足早に去って行く。

 その後ろ姿を見ながら萃香は思う。

 

「……せっかく目をつけたんだ。逃げられないように見張っておこうか」

 

 彼女の『密と疎を操る程度の能力』を使えば、目に見えぬ霧となって男を監視することなど容易い。鬼から逃げたのだ。母の危篤という緊急事態でもなければ、二度とこの山に来ることもないだろう。

 

 しかし、それでは困る。逃がす気はないのだから見張って逃げられないようにしよう。

 最悪、この場所にすぼめてやれば良い。

 

 そう考えて、萃香は男の後をコッソリとつけるのだったが。

 彼女の予想は良い意味で裏切られることとなる。

 

「……素直にこの山を戻ってくるなんて予想外だよ。妖怪に食われるって思わなかったの?」

 

 母を看取り、葬儀を終えてきた男は何食わぬ顔をして萃香と出会った山に戻ってきた。

 流石の萃香もその危機感の無い行動に呆れて、心配するようなことを言ってしまう。

 だが、しかし。男はそれに対して人を食ったように返すのだった。

 

「まさか―――怖い鬼さんが守ってくれていたからな」

 

 その言葉に萃香は思わず言葉を失う。

 

「……気づいてたの? 私が見張ってることに」

「いや。ただ、ここに戻ってくるまでという条件付きで見逃したのなら、妖怪らしく人間を信用せずに見張ると思っただけだ。そうすれば、他の妖怪は鬼であるお前を恐れて姿を現さないだろうからな」

「だから、あの時簡単に条件を下げることを呑んだのか……」

 

 いけしゃあしゃあと語る男に萃香は呆れ果てる。

 この男は妖怪という存在を信頼していないが、信用しているのだ。

 鬼である萃香が自分の獲物をそこらの妖怪には渡すはずがないと。

 手を出そうとすれば追い払うと信じて、護衛役としてみせたのだ。

 

「さて、これで賭けの約束は果たされたな。どうするまだ俺を食うか?

 まあ、その場合は、またお前に賭けを挑ませてもらうがな」

 

 そして、この堂々とした言いっぷりである。

 力は無くとも鬼に堂々と勝負を挑み、自らの命を懸け金にする度胸。

 常に酒に酔っている自分以上に酔狂と言わざるを得ない。

 

「……まったく、あんた本当に食えない人間だね」

「よく言われる」

 

 だから、萃香は鬼らしくあっぱれと目の前の人間を認めてやるのだった。

 

 

 

 

 

 それからどういう訳か鬼と人間の交流は続く。

 酒を酌み交わしたり、男の家の修繕を萃香が手伝ったり、単純に話をしたりした。

 

「お前、いつまで俺に付きまとう気だ?」

「もちろん、あんたを食うまで」

「食えないって自分で言っただろ。腹壊すぞ」

「あんた相手ならお腹を痛めてもいいよ」

「はぁ…あん時にもっと上の条件を飲ませればよかったな」

 

 それは一言で言えば腐れ縁。萃香が本気になれば、瞬きをする暇すらなく男は殺されるだろう。別に、あの時の賭けでの約束は既に果たされているのだから、いつでも男を襲うことは可能だ。だとしても、それをせずに萃香はダラダラと男と関わり続ける。

 

 男をその腹の中に収める時があるとすれば、正々堂々と賭けに勝った時と彼女は決めていた。男の方もそれを理解しているのか、あれ以来萃香との勝負を避けて賭けの誘いをのらりくらりと躱すことにしている。

 

「あんたも大分老けたねぇ。ついこの間まで若造だったのに」

「お前は変わらんな。俺と2人で村に出たら爺と孫に間違われるだろうよ」

「アハハハ! 若く見られるのはいいけど、そこまで行くと流石に勘弁だね」

「全くだ。こんな恐ろしい孫娘なんて欲しくはない」

「おい、こんなに可愛らしい女子に対してそれはないだろ」

「出会う度に、命を懸け金にした博打の誘いをしてくる奴のどこが可愛らしいんだか」

 

 2人の関係性は変わらない。されど、時は流れる。男は自然の流れに従い老けていく。

 鬼だけが何1つ変わることなく残酷な時間を目に焼き付けていた。

 

「なぁ…鬼」

「……なんだい、人間」

「初めて俺達が会った場所に連れてってくれ。悪いが、もう足が上手く動かないんだ」

 

 さらに時は流れ、やがて男に終わりの時が間近に迫る。

 その時になって、男は萃香にお互いが初めて会った山に連れて行ってくれるように頼んだ。

 萃香は二つ返事で了承し、男を背負ってその場所まで向かった。

 その背にかかる、命のあまりの軽さから来る動揺を決して悟られないようにして。

 

「着いたよ。けど、こんな場所で何をするって言うのさ」

「それゃあ、賭けに決まってるだろ。お前が勝ったら俺を食って良いぞ」

 

 あの時から随分と時間が経っているというのに、変わらない挑発的な笑みを見せる男。

 萃香の方も思わずその顔につられて獰猛な笑みを見せる。

 男を食うことにはもうそれ程執着していない。

 ただ、男と勝負できることは彼女にとって何よりも楽しいことだ。

 

「いいよ。それで、あんたが勝ったら何を望む? 鬼の財宝? それとも別の何か?」

「そうだな、特に必要なものは……ああ、すぐ必要になりそうなものがあったな」

 

 男は萃香の問いに、人を食ったような表情で答える。

 

「俺の墓を作ってくれ。豪勢なやつでな」

「な……」

「鬼の作った墓に入る人間など前代未聞だろ。そうすりゃ、俺は後世まで語り継がれるだろうよ」

 

 萃香が目を逸らそうとしてきた、死という現実をさらりと告げた男は懐から小銭を取り出す。

 それはあの日使った小銭と同じものだった。

 

「さて、今回は俺が投げさせてもらうとしよう。お前はどっちを選ぶ?」

「……裏だ」

「あの時と同じか。いいぞ、俺は表だ」

 

 男が小銭を構える。

 そして甲高く、しかしどこか弱々しい音を立てて宙へと飛ばす。

 

「おい、人間!」

 

 しかし、その瞬間に萃香は気づく。

 男が特定の面が出るようにイカサマをして投げたことに。

 ショックだった。何だかんだ言ってこの男は正々堂々と勝負をすると思っていた。

 

 しかしながら、その淡い信頼は裏切られたのだ。

 萃香は怒りを隠そうともせず、感情のままに能力を使う。

 そうして、男が出そうとした面の逆が出るように調節してみせる。

 

「残念だったね、人間。その程度のイカサマなんて鬼には通用しないよ」

「……そうだな。残念だ」

「さあ、鬼相手に嘘をついた愚かさを私の胃袋の中で悔い続けな」

「いや……お前の腹の中じゃないさ」

 

 さあ、どうやって落とし前をつけてやろうかと牙を打ち鳴らす萃香。

 だが、男の方は心底残念そうな顔をして小銭の方を見つめるばかりである。

 一体裏になった小銭に何があるのかと、苛立ち気に自身も目を向けた所で萃香は目を見開く。

 

「あれ? なんで小銭が表に…」

 

 確かに自分は男が出そうとした面を逆にしたはずだ。

 男が勝つには表を出すしかないのだから、当然表の逆は裏。

 そこまで考えた所で萃香はハッとする。

 

「あんた……まさか、初めからイカサマで裏を狙ってたのか」

「ん、まあな……」

 

 萃香の問いに、どこか気まずそうな顔をして頷く男。萃香は男が自分がイカサマを妨害するのを見越して、初めから裏を狙っていたのかと思ったが、どうやら表情から考えてそうではないらしい。どういうことかと、目で問いかけてみると観念したように男は口を開く。

 

「最初から俺はお前に勝ってもらうつもりだったんだよ」

 

 男の言葉が萃香には理解出来なかった。

 鬼が勝利を人間に譲ることはあっても、人間から譲られることなどあり得ない。

 故に彼女は怒声を上げる。

 

「何でだ!? 何でそんな下らないことをした! 鬼が譲られた勝ちを喜ぶと思ってるのかッ!」

 

 その怒鳴り声のあまりの大きさに、山中の鳥が逃げるように飛び立っていく。

 しかし、怒鳴られている当の本人である男は全く動じることなく答える。

 

「どうせ死ぬなら、惚れた女に食われて死ぬのも悪くないって思っただけさ」

 

 寂しそうに、それでいて心の底から安心しているような声を出す男。

 反対に告げられた方の萃香は先程の怒声が嘘のように黙り混む。

 

「なあ、鬼。酒のつまみに俺を食ってはくれねえか?」

 

 自分の命をやっても良いと思う程に男は萃香に気を許している。

 だが、その事実に喜ぶべきか、悲しむべきか分からずに彼女は無言で瞳を震わせる。

 

「お前の血と肉になって、一緒に生きて行くってのも悪くない」

 

 反対に男はどこまでも穏やかな瞳で萃香を見つめている。

 ただの人間が見つめているだけ。

 だというのに、鬼である彼女がその視線に耐えることが出来ず、子供のように叫び散らす。

 

「ふざ…けんな…ッ! 骨と皮ばかりの老いぼれなんざ、誰が好き好んで食うかよッ!!」

 

「そうか……鬼にも食えないもんがあるんだな」

 

 血を吐くような萃香の叫びに、男は本当に残念そうに息を溢す。

 その仕草がどうしようもなく気に触って、彼女は音が鳴るほどに歯ぎしりをする。

 

「だったら、お前に遺せそうなもんは言葉ぐらいか……一回しか言わねえから良く聞いときな」

 

 そんな萃香に仕方のない奴だと男は小さく笑い、最後の力を使って声を絞り出す。

 

 

(あい)してる、萃香」

 

 

 実に身勝手な言葉だった。

 最後の最後に初めて彼女の名前を口にし。

 相手が何かを言うのを待つことすらなく、男は瞼を閉じて。

 そうして、2度とその目を開くことはなかったのだから。

 

「……鬼を愛してるだって? 勝手なことを言うのも大概にしなよ。相手の返事を聞くこともせずに眠りこけるなんて身勝手過ぎる…ッ」

 

 萃香は男の肩を揺する。しかし、反応はない。

 分かっている。相手はもう自分の声が届かない場所に行ってしまったことぐらい。

 だとしても、声の限りに叫ばずにはいられなかった。

 

「ふざけるな! 返事ぐらい返させろよ!! 何1人で満足して逝ってるんだ!? ほんの5文字の言葉ぐらい聞いていけよッ!!」

 

 慟哭の声は天を、地を震わせる咆哮へと変わる。

 彼女の声だけで木々はへし折れ、山の獣は全て逃げ出す。

 そして、その声は村に住む人間の耳にも届き、鬼の怒りに身を震え上がらせる。

 

「ふざけるな! ふざけんな!! ふざけんなよッ!!」

 

 有らん限りの声で叫ぶ。

 されど、その声が男の耳に届くことはない。

 一晩中、否、丸一日、声が枯れるまで叫び続けても結果は同じだ。

 

「人間……」

 

 やがて、疲れ果てて叫ぶのを止めた時、鬼は嘘のようにか細い声を溢す。

 

「鬼は約束を守る。賭けはあんたの勝ちだ。だから、墓を作ってやるよ。ただし、イカサマをしようとしたんだ。お望みの立派な奴は作ってやらない。……私だけが知ってる小さな墓にするさ」

 

 萃香はそうポツリと呟くと、男の亡骸を抱えて山の頂まで登っていく。

 山頂に着くと、彼女は言葉とは裏腹に自らの手で丁寧に穴を掘る。

 そして、傷つけないように細心の注意を払って亡骸を穴の中に埋めるのだった。

 

「名前も刻んでやるもんか。私だけが分かればいい」

 

 今の自分がどんな表情をしているのかを忘れるように、萃香は忙しなく鬼でなければ動かせないような大岩を男の墓の上に運ぶ。

 

「……でも、何も刻まないのも寂しいか」

 

 萃香は憂いのある瞳で、岩を見つめる。やがて、何かを決めたように頷くと、その堅すぎる爪で岩に5文字の言葉を彫り込む。そして誰にも、いや、墓の下にいる男以外には見えないように文字を刻んだ面を地面につける。

 

「うん、これでよし。しょぼい墓だけど文句があるなら言い返してきな」

 

 そう言って見るが、返事があるはずもない。

 萃香はその事実に寂しそうに目を細め、出来たばかりの墓に酒をかける。

 

「……今日は旨い酒が飲めそうにないからあんたにやるよ」

 

 瓢箪の中が空になるまで酒をかけると、男から顔を隠すように萃香は背を向ける。

 

 

「たく……最後の最後まであんたは食えない男だったよ」

 

 

 最後に酒とは違う温かな水滴を一粒だけ地面に零し、鬼は霧となって消えていくのだった。

 




次は華扇ちゃんで一本書いてみようかなと思ってます。
それでは感想・評価くださると嬉しいです!


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二話:茨木華扇の一夜の過ち

淫ピという不名誉な名前を払拭したくて華扇ちゃんの過去話を書きました(棒)
もう、淫乱ピンクなんて呼ばせない!(キリッ)


「もし、そこの釣りをしている貴方(あなた)

「ん? えーっとお嬢さんは? 僕に何か用でもあるのかい」

「私は茨木(いばらき)華扇(かせん)。用…と言えば用ですね。妖怪が人間を喰らうという用があります」

 

 人里から大きく離れた山の渓流。

 そこで、釣りをしていた男の前に1人の茨木華扇と名乗る少女が現れる。

 

 花のように艶やかな桃色の髪。同じ色調の宝石のような瞳。

 身に纏うは胸元に一輪の花を咲かせたチャイナドレスのような赤の服。

 左の手首には、自らを縛れるのは己の信条のみと顕示するように鉄の鎖をはめている。

 

 そして何より、少女の頭にある2本の角(・・・・)が彼女が鬼ということを示していた。

 

「へぇ、妖怪(ようかい)が僕に用かい(ようかい)

「……貴方、私の角を見て何も思わないのですか」

「立派な2本の角だね。でも、寝返りをうつのが大変そうだ」

「なるほど……貴方は鬼である私に喧嘩を売っているのですね?」

 

 妖怪と出会ったというのも関わらず、ダジャレをかましてくる男に華扇は青筋を立てる。

 しかし、それでも男は雲のように掴めない顔を浮かべるだけで、逃げる素振りすら見せない。

 

「喧嘩なんて売らないさ。僕が売るのは釣った魚ぐらいなものだよ」

「そういう態度を喧嘩を売るというのですよ」

「へぇ、勉強になったよ。じゃあ、喧嘩を売ったんだから何か勝負をしないとね」

 

 男の勝負をするという言葉に、華扇はまたもや面を喰らってしまう。

 鬼は人攫いと称して人間に勝負を挑むのが大好きだ。

 しかし、こんな風に勝負になったのは華扇としても初めてである。

 

 そもそも、喧嘩を売る気が無かったのなら謝るのが普通だろう。

 やはり、この男は自分をおちょくって喧嘩を売っているに違いない。

 そう思って男を見つめるが、その瞳には戦意が欠片もないのだから不思議なものだ。

 

「まあ、鬼はどんな勝負も真正面から受けて立ちます。ですので、貴方が提案するものを受けて上げましょう。喰べる側から喰われる側への譲歩ですよ?」

 

 だが、今は気にする程のことではない。鬼はどんな勝負も真っ向から受けて立つ。そして、その圧倒的な力を振るい、人間や他の妖怪を蹴散らしてきたのだ。今更、少々おかしな人間を相手にしたところで何も問題はない。

 

「それじゃあ、どっちがより多く駄洒落(ダジャレ)を言えるかで勝負しようか」

「え?」

 

 問題はないはずだったが、目が点になる華扇。

 

「じゃあ、僕から行くね。布団(ふとん)()飛ん(とん)だ。はい、次はお嬢さんだよ」

「え、え? えーと……カ、カエル(かえる)がひっくり返る(かえる)?」

 

 どんな勝負も受けると言った手前、逃げられずにダジャレを言ってしまう華扇。

 それと同時に自分は何をやっているんだという、凄まじい羞恥心が襲い掛かってくる。

 

「あははは! 面白いダジャレだね。僕も頑張らないと、新郎(しんろう)心労(しんろう)

 

 しかし、そんな彼女の気持ちなど知らないとばかりに、男は次々にダジャレを繰り出す。

 

「ね、ネコ(ねこ)寝込(ねこ)んだ!」

 

 なので、華扇もダジャレを返して行くしかない。

 そして、その度に恥ずかしさでゴリゴリと精神が削られていく。

 妖怪は精神的な攻撃に弱い。そのため、寒いダジャレを言う度に華扇はダメージを負っていく。

 

「うーん…ありきたりだな」

「貴方のダジャレも大して変わらないでしょう!?」

 

 それだけでも辛いのに、たまに男が真顔で講評するものだから羞恥心が倍プッシュされる。ワザとやっているのだとしたらこの男は物凄く性格が悪い奴だと、華扇は頬を赤らめながらに思う。そんな状況で、ダジャレ勝負は続いていく。

 

「お金はおっかねー」

「ぞ、象だぞう!」

「店頭で転倒する」

「虎が捕らわれた!」

「56点」

「微妙な点数をつけられた!?」

 

 真顔で多種多様な寒いダジャレを放ってくる男。

 顔を真っ赤にしながら、自分にとって身近な動物系のダジャレを言っていく華扇。

 勝負は最初の内は拮抗していたが、続けば続く程に豊富なレパートリーを持つ男が有利になる。

 そして、遂に。

 

(さかな)割かな(さかな)いと。さあ、お嬢さんの番だよ」

「う…っ。言おうと思ってたのが言われた」

「さあ、どうしたんだい? もう出ないのかい?」

「…………ま、参りました」

 

 ネタが尽きてたっぷり10秒程、鬼がこんな負け方をしていいのかと悩んだ末に華扇は負けを認める。思いもよらぬところから精神攻撃を受けまくったのもあるが、勝負は勝負。それを否定することは鬼である彼女にはできなかった。

 

「きょ、今日の所は見逃してあげます! しかし、またこのような人間が来るべきでない場所に顔を出すのなら覚悟をしておくのですね!」

 

 しかし負けたことで羞恥が一気に襲ってきたのか、華扇は顔を真っ赤にして一目散に逃げだす。普通は鬼や妖怪に勝った人には、財宝や武器が与えられるのだが今の彼女にそんな余裕はない。

 というか、刀でもあげた場合は『駄洒落丸』などという名前が付けられて、恥ずかしい逸話と一緒に後世まで語られてしまいそうなので却下である。

 

「……面白いお嬢さんだったな。さて、釣りの続きでもしようか」

 

 華扇が涙目で逃げ出していったのを見送り終えた男は再び竿を手に取る。

 

 鉄臭い味のするつばを、咳と共に地面に吐き捨てながら。

 

 

 

 

 

「やあ、また会ったね、お嬢さん」

「……覚悟をしておきなさいと言ったのを忘れたのですか?」

「忘れてないさ。でも、覚悟をしておけば来てもいいんだよね?」

 

 後日、男と華扇は再び川で出会うこととなった。

 鬼である自分を全く警戒していない男の姿に、華扇は頭を抱えたくなるがすぐに切り替える。

 

「へぇ…覚悟しているということは、食べられても良いということかしら」

「物騒だね。人と妖怪でも喰う喰われる以外の関係を築いたっていいじゃないか」

「フン、鬼は人を食う。それ以外の関係はないわ。そもそも、食われる覚悟以外に何か覚悟することがあるとでも?」

「君はせっかちだね、まあいいや。鬼は勝負が好きなんだろう? だから、勝負を挑む覚悟さ」

 

 勝負という言葉に、微妙な顔をする華扇。

 本来ならば喜んで受け入れるところなのだが、この前のダジャレ合戦を思い出したのだ。

 そのため、彼女はこの前の二の舞とはならないように尋ねてみる。

 

「……一応聞いておきますが、勝負内容は?」

「ダジャレは…この前やったからやらないよ? だから、そんな嫌そうな顔をしないで欲しいな」

「べ、別に嫌そうな顔なんてしてないわ。私も同じ勝負は飽きると思っただけよ!」

 

 あの勝負はもうコリゴリだと思っているのがバレて、何とか誤魔化そうとする華扇。

 男はそんな彼女の仕草に苦笑しながら、釣竿を2本取り出す。

 

「今日の勝負はこれさ」

「釣り…ですか。まあ、それなら」

 

 華扇は取り敢えず、恥をかくようなものでないことにホッと息を吐く。

 

2時間(一刻)の間に、どっちがより多くの魚を釣れるかを勝負しよう」

「構いませんよ。得手としているわけではないですが、全くの素人というわけでもありませんし」

「得意じゃないのかい? だったら僕は10匹釣ったらやめるよ」

「……は?」

 

 しかし、男の次の言葉を聞き流すことが出来ずに怒りの瞳孔を向ける。この男は今、鬼に対してハンデをつけると言ったのだ。誇り高い鬼がそのような舐められた真似をされて怒らないわけがない。

 

「鬼相手に人間が譲歩…? 笑えない冗談を言うのね」

「怒らせたかい? でも、僕は職漁師だ。この道においては玄人だと自負しているよ」

「玄人も素人もないわ。私は鬼で、貴方は人間。私があなたを食べる捕食者側よ。上位の存在に対して下位の存在が譲歩するなんてあり得ない」

 

 男のハンデ宣言に華扇は2本の角を強調し、牙を剥き出しにして威圧する。

 妖怪はその実力に関係なく人間を下に見ている存在だ。

 特に鬼はそこに力の象徴である誇りが絡み、下に見られることをこれでもかとばかりに嫌う。

 故に売られた喧嘩は全てお釣りまでつけて買うという性格になるのだ。

 しかしながら、男はその性格を知ってか知らずかさらに鬼の地雷を踏む。

 

「でも、前の勝負は僕が勝者なんだから、僕の方が上の存在だよね?」

 

 プツン、と華扇の中で何かが切れる音がする。

 

「ふ、ふふ…ふふふふふ…! いいでしょう。そんなに言うのなら好きなようにやりなさい。ですが、私は手を抜きません。倍の20匹…いえ、100匹は釣って吠え面をかかせてあげます!」

「そうかい、楽しみにしてるよ」

「ええ、私も貴方が泣いて許しを請う姿を見るのが今から楽しみだわ」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりに会話を交わし、華扇は男から釣竿を奪うように受け取る。

 そして、竿が軋み上げる程に強く振るって川の中へと糸を飛ばす。

 男の方も、その様子を笑って見ながら静かに糸を垂らす。

 

 こうして、鬼と人間の2回目の勝負が始まった。

 

「よっ、まずは1匹目」

「…………」

「うん、2匹目だね」

「………!」

「おっと、今度は2匹同時で一気に4匹だ。今日は運が良いや」

「……ッ」

 

 それは圧倒的な勝負だった。

 中々釣れずに段々とイライラとした態度が醸し出されてきている華扇。

 その反対側で、まるで魚の方から釣られてくるかのようにあっさりと釣り上げる男。

 釣りに詳しくない者でも分かる。素人と玄人の差というものが。

 

「さ、竿を交換してもいいかしら」

「同じものだから変わらないと思うけど、どうぞ」

 

 しかし、自分達鬼は上位の存在だと言ってしまった手前、それを認めることは出来ない。

 なので華扇はまるで人間が竿に何か細工をしたのだろうとでも、言うように交換を求める。

 それに対して、男は本当に何もしていないので簡単に交換に応じる。

 

「よし、これで10匹目だ。それじゃあ、僕は昼寝でもしているから頑張って」

「ま、またふざけたことを…!」

「それじゃあ、お休み」

 

 それでも結果は変わらない。男はあっという間に10匹の魚を釣り上げると、宣言通りに釣るのをやめる。そして、鬼の目の前で無警戒に横になってすぐに寝息を立て始めるのだった。

 

「な、なんで釣れないの?」

 

 遂には男が使っていた餌に変えて、場所も男が釣っていた場所に変える華扇。

 だというのに、彼女の釣竿には全くと言っていい程当たりがないのだ。

 普段釣りをする時だって、こうも釣れないことはない。

 

 彼女は焦りと混乱で竿を握る手に広がる汗を何度もふき取る。

 加えて、幾度となく場所や餌を変えて釣ろうともがくのだったが、全て水の泡となるのだった。

 そして、2時間(一刻)が経ち、男が目を覚ます。

 

「ふわぁ……おはよう。それで魚は釣れたかな?」

「…………」

「ん…ああ、やっぱりボウズか。気にしなくてもいいよ、良くあることだから」

「……に、人間に慰められるなんて」

 

 華扇の籠を見て、中に何も入っていないことを確認すると男はポンと彼女の肩を叩く。

 そんな鬼としてあまりにも情けない自分の姿に、思わず華扇は涙ぐむ。

 

「というか、やっぱりってなんですか。何か私が間違いでも犯していたの?」

 

 それと同時に、男のやっぱりという言葉が気になり食いかかる。

 

「んー…知りたい? じゃあ、釣った魚でも食べながら話そうか」

 

 それに対して男はのんびりといた口調で答え、近くから乾いた落ち葉や木の枝を拾い始める。華扇はそうした男の全く緊張感の無い態度に、ひょっとして自分は妖怪として脅威に見えていないのかと思い悩んでしまうが、すぐに切り替えて自分も焚火の燃料を集め始める。何のことはない、彼女も魚が食べたかったのだ。

 

「よし、焼けたよ。はい、どうぞ」

「ありがとう…ございます」

「それで、君が魚を釣れなかった理由だったね」

 

 焼けた魚を華扇に渡して、自身も頬張りながら男は話す。

 それに対して、華扇の方も負けたためか大人しく魚を咀嚼しながら話を聞く。

 別に食べ物に夢中になっているわけではない。

 

「まあ、理由は簡単だよ。君が足るを知らなかっただけさ」

「足るを知る……」

 

 華扇の言葉に頷き、男は続ける。

 

「自分の身の程を知り、多くを求め過ぎないことだよ」

「足るを知る者は富む……老子の言葉ね」

「そうなのかい? 僕は釣りの師匠から教わったんだけど、偉い人の言葉だったんだね」

 

 幾ら金があっても満足をすること知らなければ、その者の心はいつまでも貧しい。

 あれが欲しい、これが欲しいと際限のない欲望に突き動かされるのではなく。

 自らの内面へと目を向けて、今持っているものに満足をすることこそが真の幸福なのだ。

 そんな中華の偉人である老子の言葉を、華扇は魚と共に苦々し気に噛みしめる。

 

「まあ、話を戻すけど、魚は個よりも種を守る生き物なんだ。自分が釣られることで仲間が助かるなら喜んで釣られてくれる。だから、僕も必要な数しか釣らない」

「それで、最初から10匹と決めてたのね……」

 

「僕と君の違いは釣りの技量以上に、必要以上に釣ろうとしたかそうでないかだよ。種としての生存を考えるなら、100匹を釣ろうとする竿ではなく、10匹しか釣らない竿の下に行くのは自然なことだろう?」

 

 そう言って、男は新しく焼けた魚を華扇に渡す。

 まるで、今あるものだけで自分は満足していると彼女に伝えるように。

 

「僕はもうお腹いっぱいだから後は食べていいよ」

「貴方はまだ、一匹しか食べてないでしょう?」

「昔から胃が弱くてね。たくさんは食べられないんだよ。僕はもう満足さ」

 

 気の抜けた笑みを向けられ、華扇は悩んだ末に魚を受け取る。

 勝者が酒を呑めと言えば、敗者は断れないのと同じ理由だ。

 別に、良い具合に焼けた魚に目が眩んだわけではない。

 

「足るを知る…ね。鬼は貪欲だから一生理解できない考えでしょうけど」

「分からないのなら、僕に釣りで勝つのは一生無理だろうけどね」

「む…言うわね、弱い人間の癖に」

「言うさ。強い鬼に勝ったんだから」

 

 売り言葉に買い言葉。だが、先程とは違い剣呑な空気は流れていない。

 華扇はクスクスと笑い、男も穏やかな笑みを浮かべる。

 

「人間……じゃあ呼びづらいわね。貴方の名前は?」

「僕かい? 僕は天道、天道(てんどう)守治(しゅうじ)だよ」

「天道ね。じゃあ、今度からそう呼ばせてもらうわ。私のことは華扇と呼んでいいわよ」

「華扇だね、綺麗な響きだ」

 

 お互いの名前を交換し合う人と鬼。そうして2人の関係は続いていくのだった。

 

 

 

 

 

 だが、人と妖の関係が長く続くはずもない。

 いや、もっと言えば彼の時間は他の人間よりも短かった。

 

「ちょっと天道! 貴方、血を吐いてるじゃない!?」

「ああ……生まれた時から体が弱くてね。持病みたいなものさ、華扇が気にすることじゃない」

 

 定番になった川での釣り勝負をしている際に突如として、吐血した天道。

 慌てて華扇が、何事かと助け起こすが当の本人は気にした様子を見せない。

 病魔がその体を蝕んでいるのだとしても、天道はいつも通りの笑みをみせるのだ。

 

「気にすることじゃないって……どう考えても普通の状態じゃないわよ」

 

 それが何故だか、妖怪であるはずの華扇の心を無性に荒れさせる。だから彼女は、その苛立ちの根源を消すために天道の病を治そうとする。

 

「……そうだ。私の『茨木の百薬枡』でお酒を呑めば貴方の病気は治るわ」

「へぇ、便利なものを持っているんだね。でも、僕には使わなくていいよ」

「どうして…? 病気を治したくないの?」

 

 しかし、彼女の申し出に対して天道は首を横に振る。

 その理由が分からずに、食って掛かるように問い詰める華扇。

 彼女のそんな姿に天道は驚いたように目を見開くが、すぐに気の抜けた顔で笑う。

 

「足るを知れ。僕は僕の天命に満足している」

 

 病弱な体に生まれた不幸も、人より長く生きられぬ運命も関係ない。

 天道は全てに満足し、あるがままに全てを受け入れているのだ。

 だから、抗うということをしない。

 

 彼は人間ならば、否、命を持つ全ての存在が持っている生への執着が希薄なのだ。

 

「僕は何も求めない。与えられた天命とこの体があれば他には何も要らない」

「本当に……それで後悔はないのですか?」

「ああ、後悔のしようがない。僕は恵まれ過ぎている程に恵まれている。今だって鬼と仲良く時間を過ごせるなんて夢のような体験をしているしね」

 

 鬼と人間。本来は相容れぬはずの存在が並び合っている奇跡を天道は喜ぶ。

 その余りにも眩しすぎる姿に、華扇は目を逸らして小さく吐き捨てる。

 

「……仲良くはないでしょ」

「そうかい、それは残念だ。人間と妖怪が一緒に笑い合うのも素敵だと思うんだけどね」

「幻想ね。人と妖怪が共存なんて出来るわけがないわ」

「僕は出来るって信じてるよ。ま、湿った話は終わりだ。いつものように楽しい勝負をしよう」

 

 何事もなかったように釣りに戻る天道。華扇はその後ろ姿に何か言葉をかけようと口を開くが、結局声は出てくることはなく唇を噤むのだった。人間の生き方に鬼である自分が口をはさむ理由はないと自分の心に嘘をついて。

 

「鬼と人間は喰う喰われるだけの関係…この勝負だって私が天道を食べるためにやっているだけ」

 

 鬼が人間如きに心を乱されるわけにはいかない。ただの餌に惑わされるな。

 人間と妖怪がただ平和に過ごすことなどあってはならない。

 鬼の矜持を守るために華扇は鬼の証である角を触りながら、心の中で何度も繰り返すのだった。

 

 何度も、何度も、何度も。心の奥底から湧き上がる否定したいという気持ちを押し殺して。

 

 そうして、彼女は無為に月日を過ごしてしまう。

 

「華扇……また釣り勝負をしよう。今日こそは僕に勝てると良いね」

「貴方…っ。そんなによろよろな人間が…ッ…鬼に勝てるとでも?」

「あははは……今度ばかりは負けて食べられるかもね」

「天道…貴方は……」

 

 月日は残酷に天道という人間を蝕んでいた。ある夜に華扇の前に姿を現した時、彼の命は既に風前の灯火であった。それでも彼はいつものように気の抜けた笑みを浮かべて、華扇へと勝負を挑む。華扇の心に何かとてつもなく熱いものが溢れ出しそうになるが、彼女はそれを無理矢理押し留める。

 

「いいわ、始めましょう。今日こそあなたを食べてあげるわ」

「ははは、期待しているよ」

 

 そして始まる最後の勝負。

 すると、どういう訳か開始早々に華扇の竿は大きくしなりドンドン魚が釣れて行く。

 逆に、いつもなら真っ先に釣る天道の竿には全く当たりがない。

 

「……なぁ、華扇」

「……なにかしら」

 

 ポツリと、水面にしずくを落とすように天道が声を零す。

 

「君と出会ってから楽しかったよ。色んな勝負をしたり、話をしたりして」

「…………」

「人間と鬼が一緒に笑い合える夢が見れて楽しかった」

 

 天道の目が自分の方を向いているかも分からない。

 しかし、それでも華扇は顔を上げることなく黙って川の流れだけを見つめていた。

 

「でも…夢は夢だ。いつかは目を覚まさなきゃいけない」

 

 静かな声だった。

 頭の中に直接語り掛けているのではと思う程にか細い声。

 だとしても、華扇の耳は一言一句聞き逃すことなく天道の声を吸い込む。

 

 

「ありがとう、華扇。君と過ごした日々は、僕にとってどんな財宝よりも価値のあるものだった」

 

 

 ただのあなたが傍に居てくれる。それだけで全てが満たされた。

 

 そんな言葉に華扇は声が出なかった。何かを言葉を返さなければならないのは分かる。

 しかし、何を言えばいいのか、自分が何を言いたいのかが分からない。

 何かが壊れて変わるのが怖くて、心で暴れ狂う感情に名前を与えることが出来なかった。

 だから。

 

「……そう」

 

 そんな気の無いような言葉を返すことしか出来なかった。

 

「さようなら……親愛なる鬼さん」

 

 トポン、と。最後の声と共に天道の竿が川に落ちる音が辺りに響く。華扇がそれに吊られて、恐る恐る顔を上げるとそこには眠るように目を閉じる天道があった(・・・)。もう、目を覚まさない何度も見たことのある人の死体が。

 

「これで……勝負は私の勝ちね。約束通り貴方を食べてあげるわ」

 

 華扇は立ち上がると、熱にうなされたようにフラフラと天道の下に行く。

 

 

「いただきます」

 

 

 そして、彼の体に残った温もりを確かめるようにその首筋に牙を立てる。

 

 コリリ、コリリと骨を齧る音が静かな川べりに響く。

 ズルリ、ズルリと血を啜る音が背筋を這うように反響する。

 ゾブリ、ゾブリと肉をはむ音がえも言わぬ不気味さを醸し出す。

 

 妖怪が人間を喰らう。この時世ならばどこでも見られる当たり前の光景。

 だが、しかし。1つだけ違う点がこの光景にはあった。

 

「違う…違う…どうして…? 人間を食べているのに…どうしようもなく飢えていく…ッ」

 

 華扇は髪の毛の一本すら無駄にしないように丁寧に男を喰らっていく。

 しかし、幾ら彼を喰らっても何も満たされない。心に空いた穴はぽっかりと空白のまま。

 食べれば食べる程に、どうしようもなく心が飢えていく。

 

「……足り…ないの…足りないッ…足りないッ!」

 

 頬から口元にかけベットリとした赤黒い血をつけた鬼。

 本来ならば、喜悦に染まっているであろうその顔は、今は耐えきれぬ喪失の痛みに歪み。

 その瞳からは―――血の涙が止めどなく滴り落ちていた。

 

「いくら食べても貴方が足りない! 何も満たされないッ! 貴方が―――傍に居ないッ!!」

 

 血に塗れながら鬼は慟哭の声を上げる。

 その形相は愛する者を失った人間にだけ許される表情、絶望を浮かべていた。

 

「やっと…やっと分かった…! 私は貴方を食べたかったんじゃない…ッ。

 鬼と人間の関係なんてどうでもよかった! 鬼の誇りも要らなかったッ!

 私はただ―――貴方と一緒に居られればそれだけでよかったんだッ!!」

 

 今の今まで隠し、押し殺してきた愛という感情が決壊したダムのように溢れ出してくる。

 一度溢れ出したそれはもう止まらない。嗚咽(おえつ)と涙と共に次々と零れ落ちていく。

 『足るを知れ』。ただ、男と共に生きることで満足しておけばよかった。

 華扇は血溜まりの中に1人沈みながら己の過ちを吐き出す。

 

「どうして天道の言葉を信じなかったんだろう。鬼と人間が共に生きていく道だってあったはずなのにッ。彼の伸ばした手を掴んでいれば何かを変えられたかもしれない…! そうすれば、彼だってまだ生きてくれていたかもしれないのにッ! 寿命を延ばしてくれたかもしれないのにッ!!」

 

 血を吐き出すような、懺悔と後悔が延々と続いていく。

 誰も止められない。ただ1人の鬼が自らを糾弾し続ける痛々しい光景だけが流れる。

 

「ああ…そっか…こうなった理由は単純。私が……鬼だったからだ」

 

 一頻り叫び疲れた時、それまでの叫びが嘘のように華扇は凍る程に静かな声を出す。

 

「鬼だから一緒に居られなかった。鬼だから人間の言葉を受け入れられなかった。

 そう…そうよ。私が鬼だったからこんな結末になっちゃったのよ。

 もっと人間に…人間を知ることが出来さえすれば……だから」

 

 今度は狂った般若のような笑みを浮かべながら華扇は笑う。

 そのまま、彼女はおもむろに自らの2本の角(・・・・)に手をかける。

 そして。

 

 

「―――私は人に近づきたいッ!!」

 

 

 力づくで鬼の象徴である自らの角をへし折ってしまうのだった。

 

「天道…せめて貴方の見た夢を。人と鬼が共に笑い合えるような幻想を実現させて見せます。そうすればきっと……貴方の居ない飢えも満たされるはずだから」

 

 角のあった場所から噴き出す鮮血が、体中を赤く染め上げるのも気にせず華扇は歩き出す。

 彼女の姿は、どこまでも、どこまでも失った男の幻影を求め彷徨い続ける悲しき幽鬼。

 それこそが今の茨木華扇という少女だった。

 

「こんなことを言う資格はありませんが、どうか見守っていてください天道。

 ……愛する男を喰らってしまった―――大悪党を」

 

 そう、男が入っている自らの腹に向かって呟き、彼女は大粒の血の涙を流すのだった。

 




血塗れで涙を流しながら角をへし折る華扇ちゃんが思い浮かんだので書きました。
次回はこれのハッピーエンドバージョンです、お楽しみに。それでは感想・評価お願いします。


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二・五話:茨木華扇の一夜の過ちIF

IF√です。前の話の男の最後の言葉からの分岐となります。
前回の余韻を吹き飛ばすつもりで書きました。どうぞ。


「ありがとう、華扇。君と過ごした日々は、僕にとってどんな財宝よりも価値のあるものだった」

「あ……」

 

 ただのあなたが傍に居てくれる。それだけで全てが満たされた。

 

 天道の言葉を聞いた瞬間に、華扇の中の鬼の誇りや人を食うという本能が壊れていく。

 溢れ出す激情が彼女の意地を押し流し、ずっと心の底にあった感情を表層に押し上げる。

 抗えぬ感情。誇る者も、憎む者もいる。しかし、それを小さなものだと言えるものは居ない。

 

 その感情に人は―――愛という名をつける。

 

「……待って…お願いだから置いて行かないでください…!」

「華扇…?」

 

 自覚した。自覚してしまった感情を隠し通すことなんて出来はしない。

 失いたくない。愛した人間が死ぬなんて華扇には耐えられなかった。

 だから、彼女は天道の下へと一目散に駆けていく。死神が彼を攫って行ってしまう前に。

 どうしても伝えないといけない言葉があるから。

 

「死なないで! どんなことをしてでも生にしがみついて!」

「生にしがみつく…?」

「そうよ! 死ぬことに満足しているなんて言わないでッ!」

 

 驚き竿を川に落とす天道の前で、華扇は『茨木の百薬枡』を取り出す。

 そして、その中へ零れる程に勢いよく酒を注ぎこむ。

 もちろん彼女が飲むためではない。天道に呑ませて病を打ち消すためだ。

 

「さあ、これを飲んでください! 貴方が死にかけているのは寿命ではなく、病のせい。それならば、病気さえ治せば貴方はまだ生きていられる!」

 

 百薬枡を天道の目前に突き付けて、声を震わせながらに叫ぶ華扇。

 そんな彼女の必死な姿に天道は目を見開くが、やがて寂しそうな笑みで首を横に振る。

 

「ありがとう、君の気持ちは素直に嬉しいよ。でも、僕はこれでいいんだ。全てに満ち足りている。これ以上に望むことなんて何もないんだよ」

 

 足るを知る。天道は穏やかな顔でこれ以上は何も求めないと言う。

 満ち足りた人生が終わるだけだ。何一つとして後悔はないとゆっくりとまぶたを落とす。

 そうして、目覚めることの無い眠りに落ちようとする。

 だが。

 

「うるさい! 生きろッ! 私を置いて死んだりするなんて許さないッ!!」

 

「――ッ!?」

 

 天道の口には、甘く芳潤な匂いのする酒が流し込まれる。

 息をしようとすれば、否応なしに酒を飲み込まなければならない状況。

 その余りに強引な行為に驚いて彼が目を開くと、そこにはさらに驚くべき光景が広がっていた。

 

 お互いの息を感じられる程に近づいた顔。

 リンゴのように赤く染まった頬に、それを彩る細く長いまつ毛。

 そして何より、決して離さないとばかりに交わった淡い桃色の唇。

 

 端的に言えば、華扇は天道に接吻をしていたのである。

 

「口…移し?」

「求めて…私を求めてよ……」

「なん…で…そこまで」

「私を望んで。共に生きたいと望んで」

 

 百薬枡に入れた酒を口に含み、それを口移しで天道に強引に飲ませる華扇。

 当然、天道は抵抗しようとするが鬼の膂力で腕を抑えられては身動きが取れない。

 その間にも華扇は、彼の口内で百薬枡の酒を全て押し込もうと激しく舌を(うごめ)かせる。

 

「私は貴方が傍に居れば何も要らない。でも、貴方が消えたら永遠に満たされない」

「で、でも僕は…自分の人生に満足しているんだ」

「知っているわ。だから、私と生きることを求めて。幾ら貪っても足りないと求め続けて」

「君と生きることを……」

 

 華扇が自分の想いをぶつけると、天道は逃げ場を求めるように目を右往左往させる。

 だが、そんなことを欲深い鬼が許すはずもない。

 

「―――私だけを見て」

 

 再び熱い酒の口移しを行う華扇。

 今度は先程よりも深く。何より、与える側だというのに相手を貪るように唇を重ねる。

 もはや、相手の病気を治すという目的を覚えているのかすら怪しい。

 ただひたすらに、彼女は目の前の愛する男を求めていた。

 

「愛しています。貴方が居さえすれば他の全てが要らないと思えるほどに」

「華扇……」

「お願いだから生きてください。貴方の居ない世界なんて私には耐えられない…ッ」

 

 華扇の瞳から一筋の涙が流れ落ちる。

 ガラスのように輝くそれは彼女の心を反射しているようで、偽りなどなく透き通っていた。

 

「困ったな……女の子の涙には弱いんだ」

 

 だから、天道も覚悟を決めたように静かに呟き、彼女の涙をその指で拭いとる。

 そして、そのまま腕を伸ばして『茨木の百薬枡』を掴み、中の酒を一気に飲み干すのだった。

 

「天道…! ありがとう…ありがとうッ」

 

 その望んだ光景に彼の隣では、華扇が嬉しそうな顔で今にも泣きそうな声を零している。

 彼はそんな彼女に恥ずかしそうに首筋を掻いていたが、やがてポツポツと語り出す。

 

「……今まで、寿命を延ばすことは邪悪だと思っていたよ」

「それはどうして?」

 

 長く生き続けることが悪だと語る天道に、華扇が問いを投げかける。

 

「ただ長く生きることを望むのは暴食と同じだ。食べ足りない(生き足りない)食べ足りない(生き足りない)と満足することを知らない。足るを知らない人生なんて、どれだけ長く生きたとしても何1つとして満たされない。無為に人生を過ごしているだけだ。それは傍から見れば酷く醜い。……そう、思っていた」

 

 遠くを見つめるように天道は語っていく。

 彼は今まで人生の美しさこそが、満ち足りた心につながると思っていた。

 それも間違いではないだろう。しかし、それだけではないと今ならばわかる。

 

「でも、今ようやく分かったよ。生きるということに良いも悪いもないんだ。ただ生きたいと願う。それこそが生命の輝きを生み出すものだったんだ」

 

 鬼のように誇り高く生きる。人間のように美しく生きる。

 大悪党のように醜く生きていく。全ての生き方に上等も下等もないのだ。

 生きている。ただそれだけで、生命は宝石のように光輝くのである。

 

「醜くてもいいんだ。天に逆らうことになっても構わない。ただ僕は―――君と生きたい」

「……私と共に生きることを…望んでくれるのですか? 本当の本当に…?」

 

 天道が自分の想いに応えてくれたことが、自身でも信じられずに震えた声を出す華扇。

 そんな彼女を、彼は病気が治り力強くなった腕でグッと引き寄せて。

 

 

「うん、君が欲しい」

 

 

 優しい口づけを贈る。

 その不意打ちの接吻に、華扇は今まで散々唇を重ねてきたことも忘れて口をパクパクとさせる。

 

「ははは、顔が真っ赤で赤鬼みたいだよ」

「う、うるさいわね。鬼は不意打ちが嫌いなのよ!」

「ごめん、ごめん。鬼じゃないから知らなかったよ」

「知らなかったと言えば何でも許されるわけじゃありません。大体、貴方もこれからは……あ」

 

 そこまで言って、華扇はあることを天道に言い忘れていたことに気づく。

 何事かと不思議そうな顔を向けてくる天道に、彼女は軽く咳払いをしてから向き直る。

 

「1つ貴方に言い忘れていたことがあるわ」

「ん? なんだい?」

「百薬枡で酒を呑んで病気を治すと、心と体が段々と鬼に変わっていくのよ」

「僕が…鬼になる?」

 

 予想だにしなかった事実を告げられて目をしばたかせる天道。

 そんな彼の仕草から、華扇の脳裏に断られてしまうかもしれないと一瞬の不安がよぎる。

 

「まあ、嫌だと言っても無理やり私が飲ませてあげますけどね」

 

 だから、艶めかしく唇を舐めて彼を誘うように上目遣いを送る。

 もっと自分を求めさせるために、自分と生きたいと望ませるために。

 華扇は鬼の誇りも捨てて、1人の女として彼の「鬼になっても構わない」という言葉を乞う。

 

「そっか…それじゃあ仕方ないな。鬼に近づくとしようか」

 

 しかし、そんな彼女の不安とは裏腹に天道はあっさりと頷く。

 

「人間から鬼に近づけば、人間と鬼が一緒に笑い合える方法が分かるかもしれないしね」

「まだ、そんな夢を言っているの?」

「夢じゃないさ。現にこうして人間と鬼は心を通じ合わせているじゃないか」

 

 迷いなくそう言い切り、天道は力強く華扇を抱きしめる。初めは慌てて突き放そうとする華扇だったが、彼の胸板から伝わると鼓動の温かさに抗うことが出来ずに、諦めたように自分から男の胸に顔を埋める。

 

「そう…ですね。何も殺し合う(勝負をする)ことだけが心を通じ合わせる手段じゃない。こうして、肌を重ねることで伝わる心もある……もっと早くに気づけばよかった」

「遅すぎることなんてないさ。僕はこうして生きているんだ。妖怪と喰う喰われる以外の関係性をもった人間としてね。ま、今からは鬼になっていくらしいけど」

 

 妖怪は人間を襲い、人間は妖怪に怯える。

 そんな本分も確かに重要だろう。しかし、それだけの関係しか築けないわけではない。

 人間と妖怪が並んで酒を酌み交わし、笑い合う。

 

 そんな幻想だって良いではないか。

 

「人も鬼も妖怪もみんなが一緒に笑い合う。そんな幻想が叶えば、きっと世界すら愛で満たせる」

「人間と妖怪の共存……それがあなたの夢?」

「そうだね。例え都合の良い夢見物語だとしても、きっとそれは目指す価値のある夢なんだ」

「そう……」

 

 鬼と生きていくことを望む人間が居たっていい。

 人間との争いを望まない鬼が居たっていい。

 自由とはそういうものだ。

 

「……私も一緒に見ていいかしら、その夢を」

 

 華扇は天道の夢に思いをはせ、自らもそれを追いたいと願う。

 

 そもそも鬼が、妖怪と人間の在り方という鎖に縛られるなんてどうかしていた。

 鬼は自らが望むままに生きていく。邪魔なものはその剛力で全て破壊しつくす。

 そんな鬼が、たかだか妖怪と人間の関係という枷に縛られるなど、ちゃんちゃらおかしい。

 

 鬼を縛ることが出来るものは鬼自身の信条のみ。

 故に、妖怪と人間が相容れないという常識の鎖など引き千切ってしまえばいい。

 それが、真にあるべき鬼の生き方というものだろう。

 

「ああ、もちろんさ。目が覚めるまでずっとね」

「フフ…それじゃあ、私をずっと離さないでね?」

 

 だから、ここから追って行こう。愛した男と一緒に果て無き幻想を。

 

「約束するよ」

「鬼が嘘をつくことは許されませんよ。鬼になるなら覚えておきなさい」

「もし、嘘をついたら?」

「私が地獄の底まで追って行って、捕まえて上げます」

「それは怖い」

 

 執念深い蛇を現すように、チロチロと舌を動かして見せる華扇に天道は苦笑する。

 そして、あることを思い出す。

 

「そう言えば、もう2時間(一刻)が経ったね。釣り勝負は僕の負けだ」

「……すっかり忘れてたわ。というよりも、私の勝ちで良いのですか?」

「負けは負けさ。言い訳するなんてみっともない」

 

 勝負のことなどすっかり忘れていた華扇が、本当に自分の勝ちで良いのかと問う。その問いかけに天道は軽く頷く。やたらと潔くなっているのは、百薬枡の酒で鬼に近づいている証なのか、はたまた先程の勝負などもうどうでもいいと思っているのか。

 

「さて、どうする。何か欲しいものでもあるかい。それとも……約束通りに僕を食べるかい?」

 

 それは分からないが、天道は敗者の務めをこなすべく華扇に告げる。

 その顔にもう自分が喰われることはないだろうという余裕の笑みを乗せて。

 

「……そうね。何もしないというのも面白くないわね」

 

 だが、そんな笑みが華扇のプライドに触った。

 確かに自分は既に本当に欲しいものを手に入れている。

 しかし、それは求めることをやめるということにはならない。

 

「え、えーと…もしかして怒ってる?」

「いいえ、怒ってはいませんよ。ただ欲しいものが分かっただけです」

 

 華扇はニッコリと寒気がするような笑顔を浮かべて、ズイッと天道の方に身を乗り出す。

 そして。

 

 

「―――いただきます」

 

 

 再び接吻を行う。

 先程までとは比べ物にならない程に長く、激しく、情熱的に。

 まるで、魂を貪ろうとするかのように舌を這わせ、男を逃がさない。

 

 天道の呼吸が苦しくなる程に続け、解放されたと思った瞬間に再度唇を重ねる。

 そうして、一瞬とも永遠とも思える時間の交わりを終え。

 華扇はゆっくりと、唾液を糸のように引きながら口を離す。

 

「貴方の全てを食べさせてもらいます……嫌だと言っても逃がさないんだから」

 

 桃色の髪よりもなお赤く上気した顔で、華扇は天道の耳に息を吹きかけるように囁く。

 そんなことをされたものだから、天道は呆然としたまま彼女を見つめ続けることしかできない。

 

「か、華扇……」

「ふふふ、絶対に離さない。貴方は私のもの、私は貴方のもの。そのお礼と言ってはなんですが」

 

 愛しい男の頬を優しく撫でながら、華扇は誘うように火照った体で(しな)を作る。

 今まで心の奥底に押さえつけられていた愛は、解放された結果止まるということを忘れた。

 天道が傍に居てくれれば、それだけで満たされるという言葉に嘘はない。

 

 だが逆に言えばそれは、唯一の愛が向かう対象として依存関係にもなり得るということである。

 

 

「―――私の全てを食べさせてあげるわ」

 

 

 妖艶な笑みで華扇は天道の唇をなぞり、その指に付着した唾液を舐めとって見せるのだった。

 

 




これだけ書けば淫ピという不名誉な名前も払拭できましたよね。
次回は勇儀姐さんで書きます。



後、これは小ネタですが主人公の名前『天道(てんどう)守治(しゅうじ)』。
これは東方茨歌仙7巻の「私の理念は天道と共にある!」という華扇のセリフからとったのと。
『天道守治』の漢字を並べ替えて『守天道治(しゅてんどうじ)』=『酒吞童子(しゅてんどうじ)』。

つまりは茨木童子の恋人関係だった説のある鬼の酒吞童子になるように作りました。
IFでは主人公は鬼となるので、その関係で萃香とは別の『しゅてんどうじ』と呼ばれるようになったという妄想です。


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四話:星熊勇儀と愚かな英雄

「あんたが星熊(ほしぐま)いう(もん)か?」

「いかにも、私が鬼の四天王が1人。星熊(ほしぐま)勇儀(ゆうぎ)さ。で、どういう用件だい、人間?」

 

 空に三日月が輝く夜。

 月明かりで金の長髪を輝かせながら、静かに酒を呑んでいた一角の鬼の前に1人の男が現れる。

 人間の出で立ちは、鬼の盃と動き易そうな服しか持たぬ姿とは真逆。

 鎧兜を身につけ、右手には槍。左手には大太刀というあからさまな戦備えであった。

 

「あほうが。人間が鬼に会いに来たらすることは1つ、鬼退治やろうが!」

「――ハ!」

 

 男の当たり前のことを聞くなというセリフに、勇儀は獰猛な笑みを見せる。

 もう、久しく人間との真剣勝負などやっていていなかった。

 しかも、純粋な殺し合いとなれば鬼が活発に動き回っていた時期でもそうはない。

 

「偶には月を(さかな)にしゃれ込もうかと思ってたけど、こりゃ予想外の(さかな)が釣れたね」

「ちゃうわ。自分から漁師の下に現れるんわ、釣られる魚やない。釣り人を喰らうサメや」

「サメだって魚であることには変わらないさ。それにしても、自分から鬼退治(釣られ)に来るなんてけったいな魚だねぇ。(漁師)を喰らえって朝廷(竜宮城)から言われたのかい?」

 

 久方ぶりの人との関わりに勇儀は上機嫌そうに語るが、その瞳に油断はない。

 鬼は人間を愛している。しかし、その姑息な所だけは嫌いだった。

 特に以前、人間に騙し討ちを食らって以来、勇儀は少しだけ警戒するようになった。

 もっとも、小細工など全て踏み潰して勝利するのも鬼としての威厳ある戦いだと思っているが。

 

「変な疑いをかけるなや。俺ぁ、強いもんと戦いたいだけや」

「へぇ…人間の癖に言うじゃないか。だけど、人間がそんな強さを求めてどうするつもりだい?」

 

 心底不愉快そうに自分の言葉を否定する男に、勇儀は面白そうに目を細める。

 こいつは久しく見ていなかった、強く勇敢なものかもしれないと。

 そして、その予感は本物だった。

 

「あほう! 男に生まれたこと以上に強さを求める理由なんぞ要るかッ!」

「よく言った! 人間!」

 

 賞賛の言葉と共に勇儀は勢いよく立ち上がる。

 間違いなく目の前の男は馬鹿だ。清々しいまでに真っすぐな馬鹿だ。

 ただひたすらに、理由すら考えもせずに戦い続ける生粋の愚か者だ。

 

 だが、そんな馬鹿な人間こそが。

 

「ククク…いい男だね、あんたは。(さら)っちまいたくなるよ」

 

 勇儀は好きだった。

 故にそれまでの話せば言葉が通じそうだった顔を拭い去り、彼女は牙をむき出しにして鬼の本能を露わにする。その姿はまさに怪力乱神。人間というちっぽけな存在では到底太刀打ちできるとは思えない。だが、しかし。

 

(さら)うなんぞ面倒なことはすんな。俺が負けたらその場で殺して食ってけや!」

「ハハハハハッ! 本当に剛毅な奴だ。惚れちまいそうだよ!」

 

 男は鬼と変わらない程に獰猛な笑みを見せて笑う。そんな表情に勇儀はさらに上機嫌な顔になり、手にした(さかずき)に酒を並々と注ぎ、人を食ったような笑みを浮かべる。

 

「星熊ぁ…その盃は何の真似や?」

「自分ではめた枷さ。この盃から酒を零せばお前さんの勝利って寸法だよ」

「……ほう。随分と舐めた真似をしてくれるやないか」

 

 相手を見下ろ(みおろ)した態度に、男が身に纏う闘気が跳ね上がる。

 しかし、その肌が火傷してしまいそうになる程の闘気を受ける勇儀は微動だにしない。

 むしろ、これが欲しかったとばかりに牙を剥き出して闘争心を露わにする。

 

「いいねぇ、その殺気ゾクゾクするよ」

「あほうが。すぐにその盃叩き落として本気で戦わせたるわ!」

「アハハハッ! そうだよ、そういう態度の奴が私は大好きなんだよ!」

「じゃかしいわ! すぐに見るのも嫌やって泣かせたるッ!!」

「人間如きが鬼の目に涙を流させるってかい? そいつは―――楽しみだねッ!」

 

 勇儀の言葉を皮切りに、鬼と人間の正真正銘の殺し合いが始まる。

 そして、先手を取ったのは当然と言うべきか人間であった。

 

「まずはその盃からや!」

 

 勇儀の盃を破壊するべく、男が初めに取った行動は実に不思議なものだった。

 

「あん? 地面に向かって刀を振って何のつもりだい?」

「黙って見ときーや! すぐに目ぇ見開くことになるで」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる勇儀の前で、男は刀を振ったすぐ手前の地面に手を突っ込む。

 

 ここで話は変わるが、鬼退治には2つのタイプがある。

 1つは源頼光の様に酒で酔わせて寝込みを襲うなどの、計略をもって強い鬼を討ち取るタイプ。

 そして、もう1つは。

 

「いくで―――天地返しッ!」

(マジかよ! ただの人間が腕力だけで、地面を(・・・)ひっくり返しやがった!)

 

 純粋に強い鬼をさらに上回る程に強い豪傑タイプだ。

 

 男は刀で地面を大地から切り離し、あろうことかそのまま馬鹿力で逆さにしてしまったのだ。

 そこには種も仕掛けもない。純然たる己の力のみ。

 その人間とは到底思えない行動に、勇儀は思わず内心であっぱれと賛辞を贈る。

 

 だが、しかし。

 

「鬼を舐めてもらっちゃあ困るねえ!」

 

 その程度で何とかなる相手ならば鬼とは呼ばれない。

 

 勇儀は余裕を見せつけるように、宙に飛ばされ真っ逆さまになった地面に足を突き立てて(・・・・・・・)、立ったまま盃を返して酒を一滴たりとも零さない。それは桁外れの筋力と平衡感覚が無ければ成せえぬ技。まさに、人間離れした技と言えるだろう。

 

 しかしながら、男もまた人間離れした存在であった。

 

「まだ、俺の攻撃は終わっとらんわ!」

「今度は槍の投擲かい!」

 

 全身をバネのように使い、足から背中、腕、そして槍へと力を増幅させた投擲が繰り出される。

 それはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで勇儀の心臓へと迫るが、彼女は鳥ではなく鬼。

 その程度で討ち落とせるはずもない。

 

「本当にお前さんは私好みの男だよ!」

 

 人体構造的に最も避け辛い身体の中央部分への攻撃。

 流石の勇儀もそれには大きく体を動かす必要があり、素直に足場を蹴って大地へと降りて行く。

 未だに酒は一滴たりとも零れず、勇儀は宙で強者の余裕を見せつける。

 だが。

 

「誰が、2回程度でやめる言うた!」

「ハ! 動けない着地間際を狙ってくるとは考えたね!」

 

 男の攻撃はそこで終わりではなかった。

 どんな生物であれ、着地する瞬間には体の硬直という隙が生まれる。

 男はそこを狙い、手に持った大太刀で袈裟(けさ)切りを繰り出す。

 普通ならば、そこで相手は斜めに斬り落とされて死ぬのだが。

 

「だとしても、まだまだ足りないねぇ!」

 

 鬼にはそんな常識など通用しない。

 

 左腕の筋肉に力を込める。

 ただそれだけで、彼女は自らの腕を大太刀を防ぐ盾にしてしまったのだ。

 

「二度あることは三度あるってやつかね? 悪くない刀だけど鬼を斬るにゃあ力不足だ」

 

 皮が裂け、肉へと刀は届くも骨を絶つまでは行かない。

 理不尽。そうとしか言いようがない程に鬼という存在は常識からかけ放たれた存在だ。

 その体は最強の矛であり無敵の盾ともなる。

 このような存在に真正面から勝つなど不可能だ。誰もがそう思うだろう。

 しかしながら。

 

「二度あることは三度あるっちゅうんなら―――四度目をやるだけやろうがッ!!」

「武器を全部捨てた!?」

 

 不可能を可能にするのが人間というものだ。

 男は刀を止められたのを見るや否や、それを捨て去り素手(・・)となって勇儀に殴りかかっていく。

 

 人間は火を持ち武器を使うことで己より強い獣に生存競争で勝ってきた。

 だが、逆に言えばそれは、武器が無ければ人間は獣にすら勝てないということだ。

 ましてや、理不尽の権現である鬼に無手で、挑むなど無謀を通り越して自殺行為である。

 

 そんな常識に囚われていたがために、勇儀は先程の『天地返し』で見せた男の馬鹿力を甘く見てしまっていた。

 

「吹き飛べや、おんどりゃあッ!!」

(この拳を受けたら流石に酒をぶちまけちまうね。今の距離ならまだ避けられる。でも……こんな馬鹿正直な拳―――避けられるわけがない(・・・・・・・・・・)!)

 

 ひたすらに真っすぐな拳。

 鬼に素手で勝負を挑むという蛮勇。

 純粋に自分を殴ることしか考えていない一撃。

 

 そんな真っすぐな情熱を向けられては、鬼として避けるという選択が取れるはずもなかった。

 

「どりゃあああッ!」

「ガ――ッ!?」

 

 そして、顔面に襲い来る爆弾のような衝撃。勇儀は歯を食いしばってそれを何とか耐えようとするが、男の拳は軽くはなかった。すぐに耐えきれなくなりもんどりを打って転がっていく。勿論、手に持っていた盃は地面に転がり中身は全て地面へと消えていく。

 

「……星熊ぁ、あんた」

「………ク」

 

 地面に大の字で倒れ、空を見上げる形になった勇儀。

 その姿を見ながら、男は不機嫌そうな声を零す。

 それもそうだろう。相手を全力で殴り飛ばしたというのに、その相手は。

 

 

「クハハ…アーハッハッハッハッ! 本当に久しぶりに良ーい拳を貰ったよ!!」

 

 

 この上なく上機嫌な顔で笑っているのだから。

 

「ワザと俺の拳を受けよってからに。舐めとるんか?」

「嫌だね、馬鹿にしてなんかないさ。あんな上等な拳を喰らい損ねたら一生後悔するだろう?」

「ふん。全力の拳も効かないちゅうわけか?」

「いーや、効いたよ。思わず泣いちまいそうなぐらい良い拳だった。とは、言ってもお前さんを不愉快にさせたのは事実だしねえ」

 

 勇儀は若干フラフラとした足取りで立ち上がりながら呟く。どうやら、本当に効いているらしいが、表情はむしろ楽しそうにしているため、男の目には先程よりもよほど厄介になったようにすら映る。そしてその予想は、大当たりであった。

 

「お詫びと言っちゃあなんだけど―――鬼の全力、見せてやるよ」

 

 盃で塞いでいた片手が解放されていたことで、鬼を縛るものは何もなくなった。

 その事実を示すかのように、勇儀は獣よりもなお獰猛な表情で牙と爪を打ち鳴らす。

 

「あほう! こっちははなからそのつもりや!」

 

 今まで受けに徹していた鬼が初めて攻めに転じる。

 これほど恐ろしいことはこの世のどこにもない。だというのに、男の闘志は逆に上がる。

 やっと本気で来てくれるか、ガッカリさせてくれるなよ、と笑いながら。

 

「そういやそうだったね。だったらもう言葉は要らないか」

「おう。そないなまどろっこしいことなんか、せんでもええ」

「言葉がなくたって十分」

「後は」

 

 お互いを対等な存在と認め、2人はゆっくりと歩いて距離を縮めていく。

 互いの拳が相手の心臓を抉れる距離。2人は極限まで近づいたところで立ち止まる。

 そして。

 

『拳で語るッ!!』

 

 ただ相手をぶちのめすために、防御を無視した拳の応酬を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 鬼と人間の戦いは三日三晩続いた。

 鬼である勇儀はもとより、人間の男すら常識では語り得ない場所に居たのだ。

 真っ当な戦闘ではあり得ないような攻防が続く。

 

 鬼に対しては一発程度の拳など意味がない。

 ならば複数回殴れば良いと勇儀が拳を撃つ前に左右の拳で二度ずつ、計4発を繰り出す男。

 

 人間相手に小細工をする必要などない。

 ただの一撃当てれば十分とばかりに、自分が受けたダメージ以上の拳を男に叩き込む勇儀。

 

 終わりなどない。終わりたくない。終わらせてたまるか。

 鬼と人間による拳と拳の語り合い。

 もはや、2人は那由多の言葉を交わすよりもお互いのことを理解していた。

 

 だからこそ分かる。お互いに限界は近いと。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…お互いそろそろ限界やな」

「そうだねぇ……じゃあ、名残惜しいけどお前さんを倒すとしようか」

「あほうが、最後に泣きっ面になるのはあんたの方や!」

「ハハハ! やれるもんならやってみなぁッ!!」

 

 お互いが同時に構える。防御を捨て、回避を捨て、カウンターの可能性も捨てる。

 最後の一瞬のために、残りの力を全て振り絞って待つ。

 

 そして…その時が来る。

 

「最後は真っすぐやッ! ビビッて避けんなや!」

「お前さんこそ! 腰が引けてショボい拳を出すんじゃないよッ!」

 

 2人が選択した最後の一撃は奇しくも同じ。

 右のストレート。必殺でも何でもない。だが、しかし。

 最後を飾るのに余計な装飾など不要。純粋な想いを乗せた拳に勝るものなどない。

 

 まるで世界がスローモーションになったかのように、互いの目に迫る拳がゆっくりと見える。

 しかし、どちらも見ない。気にしない。無視をする。

 自分の想い()を当てること以外に興味など示さない。

 

 それが目の前の好敵手に対する、最大の礼儀なのだから。

 

「鬼ィイイイッ!」

「人間ッ!!」

『これで終いだッ!!』

 

 ―――全く同じタイミングで互いの拳がぶつかり合う。

 

 本来ならば相手を地の果てまで吹き飛ばす両者の拳。

 しかし、お互いに力が残っていなかったのか。

 はたまた両者の力が相殺されてしまったのか。

 

 2人は吹き飛ぶことなく、ただゆっくりとその場に崩れ落ちる。

 

「はぁ…はぁ…」

「ぜぇ…ぜぇ…」

 

 言葉を発することも出来ずに、ぼんやりと空を見上げたまま息を荒げる2人。

 どちらも満身創痍。先に立ち上がり、相手に止めを刺せるかどうかが勝敗を決める。

 それが分かっているためか、最後の想いで両者は無理矢理に声を絞り出す。

 

 

『参った!』

 

 

 重なり合う鬼と人間の声。

 

「…………」

「…………」

 

 そして、2人共が相手の言葉が聞き間違えではないかと黙り込む。

 どちらも予想外であった。まさか、相手が自分から負けを認めるなどと思っていなかった。

 

「……星熊ぁ、なんの冗談や?」

「ああん? 鬼が嘘なんて言うか。ホントの本当に体が動かないんだよ。そっちこそ、後は私の首を取るだけで鬼退治が完了なんだから、気合入れて立ちな」

「あほう。こっちは体どころか指一本動かせんわ。大体、人間と鬼やったら回復すんのが早いのは鬼の方やろ。あんたの勝ちや」

「その鬼を地面にひれ伏せさせた英雄が言うことかい? そもそも、人間にここまで追い詰められて負けを認めないのは鬼じゃないよ。お前さんの勝ちさ」

 

 お互いに相手を称え、自らが負けたと主張する2人。

 

「フン、そないな理由で勝ちを受け取れるかいな。俺の負けや」

「いやいや、お前さんを鬼退治の英雄として称えないと気が済まないね。私の負けさ」

 

 その後も、あーだこーだと言い合いながら相手に勝利を与えようとする人間と鬼。まるで痴話げんかのようなそれは、永遠に続くかと思われたが、流石に2人の体力が続かなかった。なので、男の方から本当に嫌そうな顔で妥協案的なものが出される。

 

「しゃーない……今回は引き分けや」

「引き分けか……ま、それが妥当かね」

 

 勝負の結果は引き分け。

 取り敢えずはそれで我慢するとしようと、2人は不満を飲み込む。

 

「つーわけで、今度また()り合おうや」

「ククク、再戦か…。まさか、同じ奴と二度も戦えるなんて思ってもみなかったよ」

「安心せい。次でしっかりあんたの泣きっ面を拝んだるわ」

「ハ! そっちこそ、いつ殺されても良いように首を洗っときな。…と、言ってもお互いしばらくは派手に動けそうにないねぇ」

 

 清々しい顔を浮かべながら、2人共が再戦を誓い合う。

 しかしながら、このボロボロの体ではすぐに戦うということは出来ない。

 だが、それでは退屈だ。なので、勇儀は笑いながらある提案を出す。

 

「お前さん、酒は強い方かい?」

「村で一番の酒豪や」

「そうかい、そいつは良い。傷が治るまでは、呑み比べで勝負でもしようじゃないか」

「おう、乗った!」

 

 そうして、始まる鬼と人間の飲み比べ。

 本来ならば鬼が圧倒するはずの勝負もまた、引き分けになるのであった。

 

 

 

 

 その後、男と勇儀は何度も何度も戦い合った。

 しかし、勝負の結果はいつも引き分け。

 そうして、その度に酒を酌み交わしあった。

 

「また引き分けだねぇ……しっかし、鬼と真っ当にやり合うなんてあんた本当に人間かい?」

「失礼な奴やな。どこをどう見ても人間やろうが」

「いやいや、お前さんの戦う姿を見たら普通の人間は鬼か神かと疑うよ」

 

 体にまだ傷の残る男と、妖怪ゆえにあっという間に傷が治ってしまう勇儀の2人だけの酒宴。

 本当に人間かと真顔で聞いてくる彼女に対して、男は不機嫌そうに酒を飲み込む。

 

「俺ぁ、人間や。人間以外の何者(なにもん)でもないわ」

「勿体ないねぇ。お前さんの強さなら武神を名乗れば信仰だって簡単に集められるよ。そうすれば現人神にでもなって私にも簡単に勝てるのに」

 

 そんな男の不機嫌さに気づきながらも、勇儀は無意識のうちに更なる提案を行う。

 まるで、いつまでもこの時間と関係が続くことを望む様に。

 しかし、男の言葉は変わらない。

 

「あほう。俺ぁ、人間として鬼退治をしたいんや。神になったらつまらんわ」

「つまらない?」

「そらそうや。神になって信仰されたら、俺以外の奴の力を使うことになるやろ?」

 

 神とは人々からの信仰を得て力を保っている存在だ。信仰が大きい神ほどその力は大きい。それはつまりは、信仰という形で他の人間から力を貰っているという見方もできる。だから男は自分だけの力ではないと嫌がっているのだ。

 

「そいつはぁ、ダメや。あんたを殺してええのは俺だけや」

 

 星熊勇儀を自分以外が殺すのは許さないという独占欲を持って。

 

「……ククク! なんだいそりゃ? 告白かなんかかい?」

「あほうが、こないな物騒な告白があるかいな!」

「アッハッハッハッ! そいつは残念。お前さん相手なら嫁になるのも悪くないって思ったのに」

「たく…冗談言うなや」

 

 カラカラと大声で笑いながらバシバシと男の背中を叩く勇儀。

 それが男の傷に響いたのか、顔をしかめる。そして、そのせいで。

 

「……鬼は嘘を言わないよ」

 

 普段とはまるっきり違う、普通の女子のような勇儀の声を聞き逃してしまった。

 

「あん? なんか言ったかいな?」

「聞き逃したんなら別に良いよ。当たり前のことを言っただけさ」

「……まあ、あんたがそう言うんならええか」

「そうそう。さ、まだ呑み比べは終わっちゃいないよ。ドンドン呑もうじゃないか!」

 

 そう言って、勇儀は並々と酒の注がれた盃を一気に飲み干してしまう。

 まるで、赤く染まった頬は酒に酔ったせいだと隠すように。

 

 

 

 

 人間と鬼。圧倒的な種族差があるはずの二つの種族。

 しかしながら、そんなものはこの2人には関係がない。

 2人はどこまでも対等な関係であり続け、誰にも切れぬ絆を紡いでいった。

 

「さあ、人間。今日も()り合おう…て、どうしたんだい? 随分と疲れた顔をしてるじゃないか」

「おう…星熊……少し話を聞いてくれや」

 

 ある日も勝負をするはずだった2人だったが、どうにも男の様子がおかしい。

 その様子に勇儀は何事かと、戦うのやめて話を聞くことにする。

 

「お前さん程の男がそんなにやつれるなんて何があったんだい?」

「いや…なあ……村の年寄り連中から早う結婚しろ、結婚しろ言うてせっつかれてな」

「結婚…?」

 

 まさか、鬼と同等にやり合う男を苦しめていたものが、そんなものだとは思わなかったのか勇儀は柄にもなく目をまん丸にする。そのことに男は恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「早いとこ嫁を貰わんから、お前はいつまで経っても落ち着かんのやって言われてなぁ……毎日毎日見合い話を持って来られてここまで逃げてきたんや」

 

 誰もが恐れるであろう鬼の住処に、見合い話を躱すために逃げてくる。

 そんな滑稽な男の姿に勇儀は思わずと言った様子で大笑いしてしまう。

 

「アハハハ! 人を喰う鬼よりも見合い話の方が怖いってかい? そいつは難儀だねぇ」

「笑うなや。こっちは割と真剣に困っとるんや」

「ククク…ごめんよ。でも、何で見合い話を受けないんだい? 1人暮らしも楽じゃないだろう」

 

 男の両親は既に鬼籍に入っている。そのため男は1人暮らしとなっているのだから、村の年寄り連中が世話を焼きたがるのも無理はない。だというのに、頑なに結婚しようとしないのは何故なのかという問いに、男は憮然とした表情で答える。

 

「結婚したらあんたに会いに来れんやろうが」

「え?」

 

 男のプロポーズ紛いの不意打ちに、思わず可愛らしい声を零してしまう勇儀。

 それを見て、流石に言い方がまずかったかと男は慌てて補足を加える。

 

「ちゃうちゃう、そういう意味じゃなくてな……ほら、家族が出来たら気軽に殺し合いなんて出来んやろ?」

「ああ…なんだ、そういうことかい。……思わず驚いちまったよ。というか、お前さんも家族を大切にするような常識的な部分があったんだねぇ。二重で驚いたよ」

「人を非常識の権現みたいに言うなや! ……そら、普通じゃないのは分かっとるが」

 

 勇儀の非常識という言葉に拗ねたようにそっぽを向く男。

 しかし、流石に普通の人間とは違うのは自覚しているのか微妙な顔をしている。

 そんな表情を勇儀はニヤニヤと笑って見つめながら、話を続ける。

 

「いやぁ…でも、お前さんが結婚よりも私を取ってくれると分かって嬉しいよ。どうだい? この際だ、お前さんも鬼にならないかい? 人間の面倒ごとから解放されるよ」

「あほう、鬼になったら鬼退治ができんやろうが」

「ハハハ! それもそうだ、盲点だったよ。ま、その気になったらいつでも歓迎するよ」

「人間のまま上の存在に勝つのが楽しいんや。その気にならんから安心しとき」

 

 弱い人間が強くなるからこその誇り。

 それを堂々と言い切った男に勇儀は目を細める。

 

 勇儀もまたその美しさに惹かれたからこそ、人間が好きなのだ。

 だから、男の言葉に納得し、嬉しそうに目を細める。

 だが、人間である以上は鬼と同じ時間を過ごすことは出来ない。

 それを良く知っているからこそ、同時に悲し気に目を細める。

 

 様々な想いが籠った瞳を隠すように、彼女は瞬きをして豪快に笑う。

 

「ハハハ! そいつは残念だ。さ、今日は戦うのは無しにして酒を呑んで嫌なことを忘れようか」

「おう、今日はとことん呑むで!」

 

 そして、全てを忘れて今だけを楽しむために、酒を酌み交わすのだった。

 

 

 

 

 人間と鬼の終わりなどないかのような幸福の日々。

 しかし、分かれや終わりというものは、いつだって唐突に訪れるものだ。

 特に常日頃から命の取り合いを行っているこの2人ならば尚更に。

 

「今日こそ決着をつけたる! 鬼!」

「それはこっちの台詞だよ! 人間!」

 

 今日も今日とて楽し気な顔を浮かべ、月夜の下で殺し合いを行う2人。

 もはや2人の決闘の舞台には草一本たりとも生えてはいない。

 2人の命以外の全てが戦闘の余波で刈り取られてしまったのだ。

 

「早よ倒れんかい!」

「そっちこそとっとと負けな!」

 

 いつものように2人の戦いは武器などでは決着がつかず、無手での決闘となる。

 大地が割れ、天の雲が消し飛ぶような凄まじいぶつかり合い。

 

「星熊ぁッ!」

「人間ッ!!」

 

 あの日の様に最後は真っすぐ。

 何度もぶつけ合い、心を通わせた拳と拳。

 今日もまたぶつかり合うと、2人は欠片も疑うことなく思っていた。

 だが、しかし。

 

「――あ」

 

 その声を零したのはどちらか。はたまた、両者か。

 その拳はぶつかり合うことなく、互いの胸に突き刺さる形で終わった。

 噴き出す鮮血。お互いに全く想定していなかったとばかりに呆ける顔。

 

 なぜこのような結果に至ったのか。

 人間が騙し討ちをした? 違う。鬼が手を抜いた? 違う。

 2人の拳がぶつかり合わなかったのは、お互いが成長していたからだ。

 

 毎日のように限界を超えた死闘を繰り広げて、英雄になれる人間が成長しないわけがない。

 普段、鍛えなどしない鬼が毎日戦えば、成長の遅い妖怪と言えど強くならないわけがない。

 強くなってしまったために、2人の拳は同時に撃ってもぶつかることなく相手に届くようになってしまったのだ。

 

 そう。これはお互いがお互いを鍛え、高みに導いてしまったが故の悲劇。

 

「相…打ち?」

「いや……死ぬのは俺だけや」

「は…?」

 

 男の心臓を貫いてしまった手を見つめながら、ポツリと零す勇儀。しかし、男はその言葉に否定を返す。それに対して、勇儀が納得はいかずに自身の胸元に視線を向ける。そして気づく。男の腕が自らの心臓を僅かにずれて突き刺さっていることに。そして。

 

「人間ならどの道死ぬやろうけど…鬼のあんたなら死なんやろ……」

「ふざ…けんな…ッ。お前―――ワザとズラしただろ!?」

 

 お互いがお互いを貫く刹那の瞬間に、男が鬼を殺さない様に咄嗟に心臓を避けたことを。

 

「ああ……バレるか」

「バレるか、じゃないよ! 鬼が手抜きや嘘が嫌いなことは知ってるだろうが!?」

「そんな怒るなや…俺も咄嗟のことでほとんど無意識やったんや」

「何でだ…? 何で私を殺してくれなかった…ッ」

 

 この男に殺されるならば本望だった。

 昔の様に鬼と真正面から戦える英雄の逸話の1つになれるのなら、それで良かった。

 だというのに、どうしてこの男は自分を殺してくれなかったのか。

 

 そんな後悔と恨みが籠った問いかけに対して、男は恥ずかしそうに笑いながら答える。

 

「鬼は殺せても―――惚れた女は殺せんわ」

 

 その言葉に勇儀はポカンと口を開け、すぐにクシャリと表情を歪めてしまう。

 

「バカ…だねぇ……そんな下らない理由で勝ちも命も譲るかい?」

「咄嗟やって…言うたやろ。差し違える瞬間に気づいたんや……」

「本当にバカだね…お前さんは。そんなことに気づくから負けるんだよ…ッ」

 

 震える声で自らを罵倒する勇儀に男は苦笑する。

 確かに、自分はどうしようもない馬鹿なのだろう。しかし、この選択に後悔はない。

 

「なに…言っとるんや……俺ぁ負けとらん」

「どういう…ことさ…?」

「勝負は…引き分けや。何せ…」

 

 それに、何より。

 

 

「勇儀。あんた―――泣いとるで」

 

 

 鬼を泣かせることが出来た。

 

 男は、呆然とした表情で佇む勇儀の瞳から流れ落ちる涙を、汚れていない方の手で拭う。

 そして、酷く満足気な笑みを1つ残してその腕を、力なく落とす。

 

「おい…おい…! 目を覚ましなよッ!」

 

 勇儀は力なく自分に寄りかかっている、男の死という現実が認められずに叫ぶ。

 しかしながら、それに応える声など有りはしない。

 英雄も妖怪も凡人も死ねば皆同じ。

 

 死人に口なし、聞く耳持たず。閉じた双瞳(そうとう)に写すものはない。

 

「…バカだね…鬼に惚れるなんて…! それどころか、その鬼のために命まで捨てちまうんだから本当にバカだよ…お前さんは……」

 

 だから勇儀は1人でポツリ、ポツリと語っていく。

 声が返って来ることがないという事実を噛みしめながら。

 

「でも…それ以上の大バカ者がここに居るか…。惚れた男を殺しちまった大バカ者が…ッ」

 

 静かに涙を流す。

 嗚咽も、悲鳴も、慟哭も、他には何一つ零さない。

 彼女は、ただ静かに涙と言葉だけを零していく。

 

「この胸の傷も人間なら死ねるんだろうけど、鬼だからどんなに深くても治っちまう。……ああ、今だけは自分が鬼であることが恨めしいよ。人間ならせめて一緒に死んでやれたのかねえ」

 

 お互いの腕が未だに相手に刺さったままの状態で、勇儀は男を抱き寄せる。

 こうすれば、せめて男の魂に何かが届くのではないのかと鬼らしくもない感傷を寄せながら。

 

「お前さんにやるつもりだった命。生き永らえちまったよ…。後を追ってやってもいいけど…お前さんは納得しないだろうね」

 

 ―――あんたを殺してええのは俺だけや。

 

 勇儀は男の言葉を思い出す。

 きっと、男は他の人間に殺されることも、勇儀が自ら命を絶つことも許さないだろう。

 力強い者、勇気ある者、正直な者。全てが揃っていた男の、いや、惚れた男の願いだ。

 

 叶えてやらないわけにはいかない。

 

「私を殺したくなかったんだろう? だったら……生きてやるさ。お前さん以外、誰にも殺されない、誰にも…泣かされない…ッ。そんな鬼として死ぬまで君臨し続けてやるさ」

 

 男へと誓いの言葉を残す。

 何があっても殺されず、もう二度と泣くこともしないと。

 

「でも…」

 

 だが、それでも。

 

「今日だけは……泣いてもいいだろう…?」

 

 今はどんなに頑張っても、悲しみと共に溢れ出る涙を止めることが出来ない。

 

「さようなら……大好きな人間…ッ」

 

 人間の亡骸に音もなく涙を零す鬼が1人、欠けた月の夜に取り残されるのだった。

 




書きたい鬼を書いたのでこの作品は完結ということにしたいと思います。鬼の目にも涙ですしね。
まあ、他のキャラも案はあるのでそういうのは別タイトルで今後書いていきます。
パッと思いついているのは幽香と小町と橙。まあ、その前にオリジナルを書くと思いますけど。

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