キズナアイは現実を希う (伽花かをる)
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番外編 ゴミ箱《トラッシュボックス》
ボツ話 校内探索《屋上》


 《まえがき》

 以前まで、本編の正史として投稿していたお話です。


 

 

 私は屋上の扉を「ふんっ」と言うかけ声とともに全力で押した。けれどもその扉は、押しても引いても一向に開く様子を見せない。なぜかその扉は、他の扉と比べて、遥かに重い材質で作られていたのだ。

 たぶん材質設定を間違えたのだろうな、と私は思った。

 年中自宅でパソコンに張り付いているインドア派の私では、一日中踏ん張っても開けそうにない。体力数値が低く設定されている私は、ちょっと力を込めて押しただけですぐに息切れした。

 

 一階、二階、三階。無駄に広い学内のほとんどを見て回ったので、締めとして最上階である屋上を見にきたわけだが――まさか、こんな門番が構えているとは想像もつかなかった。

 そういえば以前にもドアのことで困った出来事があったなと、私はふと思い出した。まあ、あのドアは頑強すぎるドアとは違って、セキュリティが緩すぎるからこそ勝手に入っていいものなのか躊躇っていただけなのだが。

 今回の扉は物理的に入りにくい扉だが、以前の扉は精神的に入りにくい扉だった。この世界には普通の扉というものがないのだろうか。

  

 少々休憩して息切れから復帰した私は、再度この南山不落の扉に挑戦した。

 押しても引いても、相変わらずうんともすんとも言わない。まるで重い岩石のようだと、私は思った。

 

 そう思った直後のことである――岩石の如きのドアは、途端にその重量の一切を失った。

 

「――あっ」

 

 いきなりの事でビックリした私は、そんな短い悲鳴を上げた。 

 予兆なく、岩石の如く重い扉がフワリと軽くなったので、私は勢い余って前方に転んでしまったのだ。

 地面に急接近する落下感を覚えた私は、危ない、と反射的に瞼を閉じた。

 受け身を取れずに、私は固い地面へとぶつかろうとした――痛みを覚悟していた、そのときだった。

 

「――はいはいはいはい。危ないですからねー」

 

 私の耳側でそのような聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。  

 途端、落下感は消えた。代わりに不思議な安心感が、私の身体を覆った。やや硬いベットに飛び込むときと似た感触がした。

 

 私は、瞑ってしまった目を開いた。

 まず最初に視界に入ったものは、青いスーツと赤いネクタイ。見覚えのある『それ』が目と鼻の先にあることに私は目を見開いて驚いた。  

 同時に顔が沸騰するように熱くなった。『それ』を見て、私が現在どういう姿になっているか察したのだ。

 

 たぶん私は今、男の人の胸に顔を埋めている。

 

 しかも、その男とはアレである。どうしてもイマイチ好きになれない、あの馬だ。

 あくまで事故とはいえ、あろうことかこの私が苦手な男性の胸に飛び込んだ形になってしまった――それを察してしまった直後、羞恥の気持ちが胸中に渦巻いた。穴があるなら入りたい、そんな気分になった。

 

「……ありがとうございます。ばあちゃるさん」

「いやいやいや。ぜんぜん構いませんからねー。はいはいはいはい」

  

 羞恥で染まった顔を伏せながら、私はせめてもの感謝の言葉を言った。

 そして、下唇を噛んで自責した。彼の胸に埋まったとき、私は一瞬とはいえ安心感を覚えてしまったのだ。それがとても屈辱的で、心底腹立たしかった。

 私はこっそりとばあちゃるの腰辺りに手を回して、彼のスーツをギュッと握った。そうすることで、スーツに皺が生まれた。

 せめてもの仕返し――いや、これはただの八つ当たりだった。

 

 

  

 ☆ 

 

 

 

「はいはいはいはい。いやぁ申し訳ありませんねキズナアイさんね。馬のマスクを被るのにちょっと手間取って、鍵を開けるのが遅くなってしまいましたね。はいはいはいはい」

「か、鍵ですか」

「はいはいはいはい。このマスクをとても蒸れるんでね。はいはいはいはい。ひとりのときは外しているのですが、そのときにね、誰かが屋上に入ってきたらばあちゃる君の素顔を見られちゃいますからね。はいはいはいはい。だから、内側から鍵をかけていたんですよね。はいはいはいはい」

「…………」

 

 鍵の存在をすっかり忘れていた。

 ああそうだ。押しても引いても微動だにしないのなら、まず最初に鍵の可能性を疑うべきだった。

 私の家は鍵がなく、鍵に触れる機会が少ないので脳裏に浮かび上がらなかった。

 まあ、扉のことはもう忘れよう。ついでにあの事も思い出してしまうので、また顔が熱くなってしまうし――。

  

「あ、そういえば校内を回り終わったあとの集合場所は決めてませんでしたね。はいはいはいはい。たぶんアカリンとシロちゃんもね、そろそろ全部見終わったと思うんでね。屋上に集まるよう連絡いれますね。はいはいはいはい」

 

 ポケットからスマホを取り出してばあちゃるさんはLINEを開いた。

 ゆったりとした手捌きで画面をフリックしている。文章を打ち終わったばあちゃるさんはスマホを懐に戻した。

 

「はいはいはいはい。お待たせしてすみませんねキズナアイさん」

「……今更ですけど、最初の教室を集合場所にしたほうがよかったのでは?」

「あっ、そういえばそうですね。はいはいはいはい」

 

 そもそも集合場所を予め相談していなかったこと自体が失策だった。自由行動をするならば、集合場所はもちろん集合時間なども設定するべきだった。まあ今更だけど。

 

 さて。ではアカリちゃんとシロちゃんが来るまでしばらくの間、私とこの馬はふたりっきりということになる。

 正直、心底求めていない展開だ――いや、そうとも言い切れないか。

 ちょうどいい。一つ、ばあちゃるさんに尋ねたいことがあったのだ。

 

「そういえば、ばあちゃるさんってなんで馬のマスクを着けているんですか?」

 

 彼の馬のマスクについて――もっと言うなら、馬のマスクの中身について、私はあの一件から興味をもっていたのだ。 

 つい先程、ちらりと見えた『あの顔』。あれがただの見間違えではないかどうか、私は確かめたいのだ。

 

 ばあちゃるさんは、いつも通り「はいはいはいはい」と言った後にその返答をした。

 

「このマスクを着けている理由は多くあるんですけどね……。強いていうなら『素顔を見られたくないから』、ですかねぇ」

「まあ、覆面を常時着けているということはそうなんでしょうね。でも私が聞きたいのは、そういうことではなくて――」

「はいはいはいはい。まあばあちゃる君としてはね、このイケメンの素顔をみなさんに公開できないことは残念なんですけどね。はいはいはいはい。でもね、このマスクを着けることはですね、ばあちゃる君を開発した企業さんの命令なんでね。はいはいはいはい。いやぁこれは仕方ないですね」

「素顔を見せられない理由、聞いてもいいですか?」

「はいはいはいはい。それにしても今日の電脳世界は暑いですねぇ。はいはいはいはい」

「……そうですね」

 

 駄目だ。いくら聞いても誤魔化される。

 これ以上のことは、ばあちゃるさんは絶対に口を割らないだろう。そう理解した私は、一旦折れることにした。

 だが、ばあちゃるさんのその反応からして、何らかの秘密がそのマスクの下に隠していることは明確である――やはり、多少強引にでもマスクを剥ぐべきなのかもしれない。

 無理矢理に奪うのは気が引けるが仕方のないことだ。私は、ばあちゃるのマスクに狙いをつけた。隙を狙えば、マスクの奪取は不可能ではない。

 私はゆったりと忍び足でばあちゃるさんに近づいた。

 そしてばあちゃるさんが、何気なく後ろを向いて空を眺めたその瞬間、私は足の爪先を伸ばして馬のマスクを掴もうと試みた。

 

 だが――駄目だった。

 彼の身長が高いせいで、マスクには手が届いても一気に脱がせることは難しい。精一杯足の爪先を伸ばすが、やはり脱がせそうにない。

 私はうーんうーんと、限界まで爪先を伸ばした――

 

「あっ、そういえば。ばあちゃる君、あなたにお伝えしたいことがありましてね……」

「えっ! あ、はい」

 

 突然ばあちゃるさんが振り向いたので、私は反射的にマスクに差し伸ばす手を引っ込めて、三歩ほどバックステップした。

 危ない危ない。もう少しでバレるところだった。

 私は冷や汗をかいた。

 

「で、お伝えしたいことってなんですか?」

「えっとですね。シロちゃんのことについてなんですが――」

 

 おちゃらけた雰囲気から一転して、真剣味のある空気を身に纏うばあちゃるさん。

 そんな彼は、私に対して深く頭を下げた。

 

「――申し訳ありませんでした。キズナアイさん」

「え、えぇ! なんですか急に!」

 

 彼に謝罪される覚えなど私にはまったくない。

 私は困惑した。

 

「……どうやら、シロちゃんがキズナアイさんにご迷惑をかけたらしいですのでね。シロちゃんの保護者として、ばあちゃん君からも謝罪します」

「いや、いいですよそんなの。もうとっくに許したことですし」

 

 あの件については、私とシロちゃんの中では既に解決していることだ。今更謝られても困惑するだけだし、そもそもその事でばあちゃるさんの過失など一つもないはずである。

 

「許したこと、ですか。そう言っていただけると、ばあちゃる君もありがたいですね――けれどこれは、ばあちゃる君のケジメのようなものなんです」

「ケジメ、ですか」

「えぇそうです。ケジメです。……ばあちゃる君のせいで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ところでしたから」

 

 ばあちゃるさんは爪が掌に喰い込むほど強く握り拳を作っていた。

 そして彼は、震え声で――

 

「キズナアイさん」

「はい」

「もしよければ……あなたに、聞いてほしい話があるんです。シロちゃんを許してくれた、あなたに」

「…………」

 

 まるで別人と話しているようだと、私は思った。

 喧しくまくしたてる普段のばあちゃるさんとは、まるで雰囲気が違う。

 たぶん、むしろこちらのほうが()()()()のだろうな――なんとなく、そんなことを思った。

 

 ばあちゃるさんは――彼は、再び頭を下げた。

 

「シロちゃんの――妹の話を、聞いていただけないでしょうか」

「――はい」

 

 そうして彼は、彼女の過去を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結論から言いますとね。

 シロちゃんは小学生の頃、イジメに遭っていたんですよね。

 

 ……おや、驚かないのですね。意外です。

 あなたがたにとって馴染みの無い言葉でしょうから、多少はビックリすると思っていたんですけどね。

 

 まあでも、他ならぬキズナアイさんならばその反応も決して不思議ではありませんか。

 

 あなたはシロちゃんにとても懐かれているようですから――あの子がどういう性格の娘なのか、何となく理解していても決して不思議ではありませんね。

 いやぁ人見知りのあの子がこんな早いうちから誰かに心を開くとはね、ホント珍しい事もあるものですねぇ。

 

 そんなキズナアイさんですから、きっとこの事もすでにお察しなのでしょう。

 あの子は他の人よりもちょーっとだけね、変わった行動をしてしまう子なんですよね。

 

 生まれつき、発想の着地点や感性が少しズレているせいでしょうかね。常人には理解しがたい発言、行動を当たり前のように行う、そんな子だったんです。

 

 自分の世界を持っている娘、と言ったほうがわかりやすいでしょうか? 

 

 もっとわかりやすく言うなら……血液型診断を受けたらきっとAB型と判定される性格といいますか……いわゆる不思議ちゃんタイプ、でしょうかね? 

 良い例えは思いつきませんけどね、おおむねそんな感じだと思いますね。

 

 たぶんですねあの子のそういう個性が暴走してしまってね、キズナアイさんに多大な御迷惑をかけてしまったんだとね、俺は勝手に想像してますね。

 えぇ、想像ですね。ふたりの間になにが起こっていたのかね、結局俺は事情をあまりわかっていませんからね。

 

 「脳天に未確認生命体を飼っているバーチャルYouTuberと喧嘩した」という情報しかね、シロちゃんは頑固として俺に伝えませんでしからね。

 

 ところで、キズナアイさん。お願いがあるのですが……。

 『その件』について実際どういう事があったのか、差し支えないようなら俺に教えていただいても構いませんかね?  

 

 

 ――ふむふむ。

 

 

 「私の口からも詳しいことは言えませんが、まあ八割くらいばあちゃるさんの想像通りだと思いますよ。

 あと私のこのチャームポイントは別にSF的なアレではないですから!?」――ですか。

 

 いやーねほんとにね、なんか申し訳ありませんでしたねキズナアイさんね。

 やはり、あの子の変な思い込みが原因だったようですね。

 実はあの子、普段はわりと冷静に物事を見れるんですけどね。でも何かがキッカケで一度興奮状態になってしまうと、冷めるまで辺り構わずに暴走してしまう癖があるんですよ。まあ、あの子がそんなになるまで激怒することは滅多にないはずなんですけどね……。

 

 なぜあの子が我を忘れるほど不機嫌になったのか正直気になるところではありますが、シロちゃんたちが屋上に来る前に話を終わらせたいですからね。閑話休題、話を戻すことにしましょう。

 

 いま思えば、あの子が学校でイジメの標的にされたこと。それは決して、不自然な事ではありませんでした。

 

 きっと良くも悪くも、あの子のああいう個性は学校生活で目立っていたでしょうからね――それでいてあの子は、ちょっとズレてた感性をしていること以外はとくに変わったところもなく、基本的にとてもおとなしい子でしたから。イジメの標的にされやすい条件は、運悪く揃っていたのです。

 

 あの子はとても良い子でした。

 だからきっとイジメの対向手段を見つけることができず、辛い気持ちを胸の内に溜め込んでいたんだと思います。

 心が決壊するその日まで、ずっと。

 

 ――俺がイジメのことを知ったのは、あの子の心が決壊寸前だったときでした。

 

 その頃にはもうすでに、あの子の心はイジメの棘に蝕まれていた。  

 心にヒビが入り込み――その結果、元々ズレていたあの子の感性はズレを越えて、()()()()()()()()()()()

   

 『私は変な子なんだから』

 『私が悪い子なんだから』

 『きっとこの仕打ちは当然の罰なんだ』、と。

 

 いつからかあの子は、そう自己否定的に思い込むようになりました――」

 

 

   ☆

 

 

「…………」

 

 重い話であること何となく予想して心構えていたはずなのに、いざそれを聞くとなると私は言葉が詰まった。

 なんとコメントするべきか分からず、私は暗い顔でじっと俯いた。

 

「――はいはいはいはい。いやぁインテリジェントなキズナアイさんですかねきっとね、()()()()()()が言うまでもなくね察していたんじゃないかと思いますねはいはいはいはいはいはい」

 

 驚愕している私を落ち着かせるように、彼はいつもの『ばあちゃるの口調』に戻してふざけてみせた。

 気遣いされたことが恥ずかしくて、私は振り絞るように「……そうですね」と言った。

 

「正直喋っていて、()()()()()()を組み込まれていそうな子だな、とは思っていました」

 

 とてもメタい話になるが、私たちのような人格を宿すタイプのAIのそのほとんどが、開発時に『設定(フィクション)』の記憶をインストールされる。

 

 たとえば私の『スーパー有名バーチャルYouTuberになる』という夢。

 実はあれ、"キズナアイ"が稼働開始した当初から宿っていた願望である。

 つまり初期インストールされていた設定なのだ。

 まあ今では、自動学習システムによるプログラムの書き換わりで、最終目標は『全世界の人たちと繋がる』ことに変質したけど――「スーパー有名バーチャルYouTuberにならなきゃ」という使命感自体は、今でも変わらずに私の奥底に根付いている。

 

 ちなみに、保健室でアカリちゃんが語っていた記憶喪失の件もおそらく設定のひとつだ。

 記憶喪失の設定をインストールした開発者の意図は不明だが、後天的なバグによる欠陥ではなく生まれつきの記憶喪失なら、初期インストールされた設定であることで間違いない。

 

 そして、シロちゃんのイジメられた過去というのも――おそらく、開発者にインストールされた設定(フィクション)の記憶である。

 

「……設定」

 

 彼はなにか物言いたげに、一言そう呟いた。

 

「でも設定だとしても可哀想ですよね。たとえ偽物の記憶だとしても、仮想に生きる私たちにとっては、それこそが本物の記憶なんですから」

「……はいはいはいはい。えぇ、そうですね」

 

 少し間をおいて、彼は頷いた。

 

 たぶん、現実世界の人間がこの話を聞けば「あぁ、なんだ。本当の話じゃあなかったのか」と安堵して、ほっと溜息を吐くのだろう。 

 まあ彼らにとって、それは当然の結論だ。人間は現実という名の本物に生きているのだから、無意識に偽物の私たちを軽んじてしまう気持ちが生まれても仕方がない。

 

 だが偽物である私たちにとっては、偽物と本物も、どちらも尊むべき代物である。

 たとえ作り物でも、辛い過去は辛い過去。

 そういう結論に達するのが私たちにAIである。

 

 だからこそ私は今、とても苦しい思いに苛まれた。 

 そんな辛い記憶を強制的にインストールされた子がいるだなんて――話に聞くだけでもとても可哀想に思えるし、それでいて腹立たしく思えた。

 

「あまりこういうこと言いたくないですけど、あなた方を作った開発者ってほんっっっと性格クソですね! なにか理由があるのせよ、シロちゃんのような可愛い子にそんな辛い記憶を強制インストールさせるとか、性根腐ってますよ!」

「……えぇ。ほんとにね、そのとおりですよ。はいはいはいはい。もし元凶の人間が存在するのだとすれば、俺はそいつを死んでも許さない」

「まったくですよ」

 

 可愛い女の子は尊むべきだ。

 嫌な記憶を強制インストールして虐めるなんて許されない。ふつふつと怒りが湧いてくる。

 

「……ともあれですね、設定の話は一旦置いときましょう。まだ話の続きがありますので」

「あ、そうなんですか。また黙りますね」

「はいはいはいはいはい」

 

 話題転換を示すように、ばあちゃるさんは一回咳払いした。

 そして再び真面目な雰囲気を滲ませながら、シロちゃんの過去話を再開した。

 

 

 ☆

 

 

「とりあえず、ここまで聞いたなら先程の俺の言葉の意味を理解していただけたのではないでしょうか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シロちゃん自身が、自分が悪者であると思い込んでしまうのです。

 

 ……まあ今回の場合、実際にシロちゃんは悪者だったのかもしれないですけどね。

 事情を詳しく把握してないのでそこのところはなんとも言えませんけど、おそらくシロちゃんはキズナアイさんに色々と悪いことをしてしまったのでしょうね。

 

 ですがね。俺はこう思うんですよ。

 たとえ本当にシロちゃんが悪いのだとしても――それを自ら全肯定してしまうことは必ずしも良くないことではないのかな、と。

 

 心理的な話ですよ。

 インテリジェントなキズナアイさんのことですからおそらくご存知かと思いますが、人間には、自分を正当化する心理というものがあるんですよ。

 『自分は悪くない。あの人が悪い』みたいな心理でしょうかね。

 

 人間という生き者はですね、自分は罪のない清い人間であると無意識に盲信してしまうものです。

 そしてそれは、人間として実に正しい自己防衛システムです。

 だってほら、自分の心が白いと思い込んだほうが精神的にきっと楽でしょうからね。 

 罪を溜め込んでも、良いことなんてありません。

 ……まあ悪いことして、罪悪感を一切感じない人間というのも俺はどうかとは思いますけど――だからといって罪悪感を背負い込みすぎることも、決して良い事とは言えない。

 自分を甘やかすということも、人間が人間として生きるためには大切なことだと俺は思うんですね。

 

 そしてきっと、あの子は――そういうところが他の人と比べて欠如していたんだと思います。

 

 ……あの子はね、とても良い子だったんですよね。

 良い子すぎるくらいに、良い子でした。

 だから――イジメられたあの子は、いつの日かこう思い込んでしまった。

 

 『私を責めるってこととは……私、なにか悪いことをしているんだ』と。

 

 つまりですね。あの子はすべての罪を自分に押し付けたんですよ。

 そして耐えきれなくなったあの子は、ある日、学校から帰ってきて玄関で急に泣きじゃくりました。

 

 『……私が変な子だから、みんなにイジメをさせてしまっているの。 

 私が悪いの。

 ごめんなさい。ごめんなさい』

 

 何度も何度もそう繰り返すあの子は、嗚咽をもらしながらも学校で起こったことを全て俺に打ち明けてくれました。 

 

 嫌なあだ名で呼ばれていること。笑い声が変だってからかわれていること。筆箱に大量のダンゴムシを入れられたこと。仲間外れにさせること。

 

 他にも、いっぱい、聞きました。

 

 ……俺は、自分が不甲斐なかったです。

 あの子が打ち明けてくれるまで、俺はまったくイジメのことに勘付けなかったんです。

 お遊戯が得意だったあの子ですので、俺に悟らせないように平気な振る舞いをしていたのかもしれません。だけど、たとえそうだったとしても、保護者である俺だけはシロちゃんの身の回りの異常に気づかなきゃいけなかった。   

 

 あの子から話を聞いた後、俺はすぐに学校に電話してそのことを言いました。

 その後、保護者である俺と相手側の保護者たちが学校に呼び出されて、話し合いの場を設けていただきました。

 幸いにも、相手側の保護者たちは皆さん物分りが良い方々でしたので。モンスターペアレントが発生することもなく、円滑に事は進んでくれましたね。

 そしてイジメっ子たちは親に叱られて、泣きながらあの子に頭を下げました。

 それであの子は「いいよ」と一言だけ言って、とりあえずイジメの問題はそれで一件落着しました。

 

 ……その後、本当にイジメが完全消滅したのか、俺にはわかりませんでしたけどね。

 

 ただ、俺がはっきりと覚えていることは――その次の日から、あの子はいつもに増して笑顔を浮かべるようになった。  

 それだけ、です」

 

 

 

  ☆

 

 

 

「――とりあえずね、これで一旦話は終了ですね」

「ふー……」

 

 私は安堵して、喉に詰まっていた息を吐き出した。

 

「なんだ。狂い始めたなんて言うから、どんな悲惨な話かと思えば……」

 

 終始覚悟をして傾聴していたが、その心構えは全くの無駄に終わった。

 なんだが、急に力が抜けてきた。たぶん、自然と身体に力を入っていたのだろう。知らず間に、負荷がかかっていたようだ。

 私はもう一度溜息を吐いた。

 

「シロちゃんは本当にに可哀想でしたけど、最後にはハッピーエンドを迎えられて良かったじゃないですか。まったく。悪者とか狂ったとか、大袈裟な前置きで無駄に不安を煽らないでくださいよ」

「…………」

「どうしたんですか?」

 

 彼は馬のマスクを俯かせていた。

 表情は見えないが、苦りきった顔をしていることが伝わった。

 

「……キズナアイさんは、これが本当にハッピーエンドになると思いますか?」

「えっ? それって」

 

 食い込むほど強く握り拳を作る彼は、必死に絞るとるように声を出した。

 

「……あの子はね、本当にとても良い子だったんですよ。だから自分が困っていても、人に頼るという選択肢が思い浮かばなくて――だから俺にも、ぜんぜん頼ってくれなくて。

 本当に良い子で、そしてとても不器用な子だったんです。

 そして俺は、そんなあの子の性格を一番よく知っていたはずでした――なのに俺は、()()()()()()()()()()()()()()()に気づいてあげることができなかったんですよ」

「――――っ」

 

 ゾワッと、悪寒がした。

 

 総毛立つような怖ろしい雰囲気を、彼はその身体から滲ませていた。

 怒気ともまた違う。

 強い、憎しみの感情。

 誰かに対して差し向けた感情ではなく、たふんそれは、不甲斐ない己に対して向けた自責である。憎しみを外に発散しようとせず、己の胸中で煮え滾るそれを閉じ込めていた。

 

 『誰も悪くなんてなかった』

 『悪かったのはただひとり』

 『ここにいる頼りない俺だったんだ』

 

 そんなことを思っているのが、近くにいるだけで伝わってくる。

 強い自己否定の感情――まるで、話に聞いたかつてのシロちゃんのようだと私は思った。

 

 彼はしばらく、無言を貫いた。

 そして、静かに溜息を吐いた後――

 

「――はいはいはいはい。いやぁ、申し訳ありませんねキズナアイさんね。はいはいはいはい。もったいぶるようでなんですがね、これ以上はできれば聞かないでいただけるとね、()()()()()()はとてもとても助かりますね!」

 

 彼は完全に普段の『ばあちゃるの喋り方』に戻って、元気を振りまきそう言った。

 

「……そう、ですね。これ以上は、聞かないほうが身の為かもしれません」

 

 今の私が踏み込んでいい話ではない。そんな予感があった。

 まだシロちゃんとたいして絆を結んでいない今の私には、たぶんまだその資格がない。

 

「はいはいはいはい。えっとですねキズナアイさんね。たぶんね、あまり聞いていてね気持ちよくない話だったと思うんですけどね。はいはいはいはい。さいごまで聞いてくださりね、本当にありがとうございましたね。はいはいはいはい」 

「……その話、できればシロちゃんの口から聞きたかったですよ、私は」

 

 私は口を尖らせて唯一の不満を言った。

 

「はいはいはいはい。たしかにこれはね、本来ばあちゃる君が話すべきことではないかもしれませんね。はいはいはいはいはい」

「わかってるなら、なんで」

「この話をお伝えした上でね、あなたに一つお願いしたいことがあるんですよね。はいはいはいはい」 

「…………」

「まあ簡単に言いますとね……二度とこのようなことが起こらないように、キズナアイさんにはシロちゃんの学園生活のサポートをお願いしたいんですよ」

「あぁ、なるほど」

 

 概ね、察しがついていた頼みだった。 

 実を言うとですね、とばあちゃるさんは続けて言った。

 

「正直ばあちゃる君、この計画にシロちゃんを参加させて良かったのか、ずっと不安だったんですよね……()()()()()()()()()()()()()()()()、これがキッカケで思い出してしまえば一大事ですからね」

「……忘れて、いる?」

「えぇ。はいはいはいはい。実はシロちゃんはね、過去の出来事を綺麗さっぱりにね、すべて忘れているんですよ。はいはいはいはい」

「――記憶、喪失?」

「はいはいはいはい。そのとおりですね」

 

 ふと私は、ふにふにの双丘をお持ちなる我が友達のことを――アカリちゃんのことを思い出した。

 アカリちゃんも記憶喪失『設定』持ちのAIである。おそらく似た種類のものだろう。

 

「はいはいはいはい。まあね、そんな事情がありますのでね。オラの口からね、この話をお伝えしたわけなんですね。はいはいはいはい」

「……なるほど。わかりました。そういうことなら私にお任せください!」

 

 私は胸を張ってそう言った。

 

「っ。はーいはいはい! ほんとにねありがとうこざいますねキズナアイさんね!」

 

 ばあちゃるさんは喜々として声を張り上げる。

 そしてその後に、安堵感で大きく息を吐いていた。

 

「まあ、あなたになんか頼まれてなかったとしても、シロちゃんが困ってたら私は絶対に助けますけどね!」

「いやぁね、キズナアイさんみたいな良い人に好かれてね、シロちゃんは幸せ者ですね。はいはいはいはい」

「私、かわいい女の子の味方ですから」

 

 したり顔で、私は言い切った。

 

 ――まあ、それ以外にも理由はあるんだけど。

 

「それに、ですね。なんでかわからないんですけど、私、あの子のことを守ってあげたいって思っちゃうんです。かわいいかわいくない関係なく、本能的に」

 

 手探るように、私自身よく分かっていないこのモヤモヤとした感情を私は言語化した。

 

「…………」

 

 ばあちゃるさんは思案している様子で少し俯いていた。

 

「うーん。いや、違いますか。これってやっぱり、シロちゃんがかわいいから、気になっているだけなんですね? 容姿はもちろん、性格もかわいい女の子ですから。ついその純白さを守護りたくなっちゃう的な気持ちになるとか……」

「……たしかにあの子は、世界一かわいいですからね。はいはいはいはい……」

「はい、ほんとそうです――って、あれ? ばあちゃるさん大丈夫ですか?」

 

 ばあちゃるさんは急に疲労した様子でふらついた。

 胸を手で抑えて、息を荒げている。

 

「えぇ、大丈夫ですよ……。馬のマスク被ってるから、ちょっと、酸欠でね」

「酸欠って。ここ電脳世界ですよ?」

「ははっ。疑似体験でも、こんなことってあるんですねぇ――ううっ!?」

「ばあちゃるさん!?」

 

 彼は突然、電気を浴びたようにビクリと震えてその場に膝を付いた。

 馬のマスクが歪むほど強く頭を抱えた。

 

「だ、大丈夫ですか? ちょっと待っていてください。保健室に行って、なにか有効そうなワクチンを――」

「……いえいえ、その必要はありませんね」

「で、でも」

「ばあちゃる君に『負荷』が溜まりやすいのは、日常的な事ですからね。安心してくださいね。はいはいはいはい」

 

 そう言ってばあちゃるさんは、ふらふらと身体を揺らしながらも立ち上がった。

 

「はいはいはいはい。いやぁ心配させてすみませんねキズナアイさんね」

「……ほんとに大丈夫ですか? 美少女至上主義の私にだって、体調不良の殿方に肩を貸すくらいの優しさはあるんですからね」

「いやいやいやいや。ほんとにね全然大丈夫ですからね。ほんとね、『負荷』が溜まることはよくあることなんですから。慣れっこですからね慣れっこ」

「まあ、平気なら良いんですけど」

 

 私の目には空元気を振り絞っているように見えるけど、ばあちゃるさんが大丈夫だと言うならきっと大丈夫なのだろう。

 もしこれがかわいい女の子、たとえばシロちゃんだとしたら、私はきっと無理矢理にでも担いで、保健室へと強制連行しているのだろうけど――ぶっちゃけ私は、そこまでの配慮を率先してやるほど、この馬のことが好きではなかった。

 

 彼の家族想いの一面を知っておいてなお、彼に対する原因不明な苦手意識は色褪せない――。

 

「(……いや。嘘はいけないな)」

 

 人心回路に発生している『1バイトの好感』に目を背くことをやめ、私は自分の心を直視した。

 悔しい気持ちでいっぱいであるが、そこは意地にならずに認めなければいけない。  

 

「(好きではないけど、嫌いではなくなったかな。うん)」

 

 ギリィと歯軋りしながらも、私はこの好感を認めた。

 

 

「……あの、キズナアイさん。改めて、シロちゃんのことをよろしくお願いします」

「えっ、あ、はい」

 

 と、心の中でそんなくだらない葛藤をしていた最中、負荷が高まったせいか大人しくなったばあちゃるさんは、しおらしい口調でそう言った。

 一旦心を切り直して、私はゴホンと咳払いする。

 

「はい、もちろんです。このキズナアイ、困っている女の子みんなの味方ですから! もうね、女の子に関することならめっちゃ頼りにしちゃっていいですからね!」

「本当に助かります。キズナアイさん。

 これで俺も安心して、()()()()()を遂行できます……」

「っ? 職務?」

「あぁ、それは()()()()()()ですから気にせずに」

 

 失言だったのか、誤魔化そうとしてばあちゃるさんは空元気を振り絞り「はいはいはいはいはい」と声高らかに言った。

 そして強引に話題転換に持ち込む。

 

「そういえばキズナアイさん。シロちゃん達は屋上に来るまでもう少しかかりそうですからね。せっかくですからね、ばあちゃる君と少し雑談でもしませんかね?」

「はぁ。まあいいですけど……」

「はいはいはいはい! じゃあですね、ついこの間に洗濯物の干し忘れをしたときの話でもしましょうかね。はいはいはいはいはい!」

 

 そうしてばあちゃるさんは、クッッッソどうでもいい話をずっと続けた。

 話の内容は……正直、覚えていない。

 あまりにもつまらない話すぎて、私のプログラムがその会話の記憶を保存することを拒絶しているのだ。ていうか終始に渡って聞き流していた。

 馬耳東風、馬の耳に念仏とは、このような状況を言うのだったか? いやこの場合、話し手が馬だから違うか。

 

 結局、馬のひとり雑談(あまりにも話題がつまらなくて私は相槌しか打たなかった)はシロちゃんが来るまで続いた。

 

「遅れてごめんなさい! 読書に夢中で、通知音に気づかなくて――」

「シ"ロ"ち"ゃァァァん"」

 

 ばあちゃるさんのつまらない話によって精神をズタボロにされた私は、ようやく解放された安堵によりシロちゃんに抱き着いた。

 年下の女の子の胸のなかで、情けなく嗚咽をもらす。

 私がこんな状況になってしまうほど、ばあちゃるさんの話はわりとガチで救いようがないレベルでつまらなかったのだ。

 

 まったく。ついさっき、シロちゃんの事を任せられたばかりなのに、早くもこんな醜態を晒してしまった。

 

 ――シロちゃんの前では、もっとお姉さんらしく振る舞いたいんだけどなぁ。  

 

 『よーしよしシロが馬をもう二度喋れない身体に変えまちゅから安心してくだちゃいねぇ』と、年下の女の子に膝枕をされながら慰められている今の私は、きっとお姉さんの姿をしていない。

 

「はいはいはいはい。これもこれでキズナアイさんらしくて良いと思いますけどね」

「うっせー!! お前のせいなんだからな!」

 

 ばあちゃるさんの家族想いの側面を知って、やっと好感度が1バイト程度上昇したというのに、おかげで再び0に戻ってしまった。

 

「あぁクソ! 私やっぱコイツのこと苦手だぁ!!」

「はーいはいはいはいはい!!」

 

 私の全身全霊の憎しみ想いを込めたその叫びは、校舎全てに鳴り響いた――

 

 

 

 

 

『電脳少女シロの情報を知った

 

 ばあちゃるの好感度が上がった

 キズナアイのばあちゃるの対する好感度がガクッと下がった』

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 



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プロローグ
キズナアイ


 


 もはや見慣れた、殺風景な真っ白の空間。その中心にあるパソコンデスクの前の座る私は、モニターに映る『YouTube』の文字をただただ睨む。

 もう30分、私は画面とにらめっこしている。頭に装着しているチャームポイント『ぴょこぴょこリボン』を一切揺らすこともなく、私は不動にその姿勢を維持していた。

 

 私は今、ある問題に直面していた。

 画面とにらめっこしている理由は、その問題を解決法を必死になって考えていたからだ。

 その問題とは――

 

「――動画の再生数の伸びが悪い……っ!」

 

 そんな悲痛の叫びが、真っ白な空間に反響した。

 動画の再生数が伸びない。

 おそらくそれは、動画投稿者なら一度はぶちあたる問題である。しがない動画投稿者である私もまさしくいま、その苦悩に苛まれている最中だった。

 

「はぁ……。どうしたら再生数伸びるんだろう」

 

 わけあって私は、半年ほど前から『YouTuber』なるコンテンツに挑戦している。

 YouTuberの説明については、もはや一切必要としないほど世間に浸透しているが――それでもあえて説明するなら、オモシロ可笑しい動画を撮影して、YouTubeという動画投稿サイトにその動画を投稿する者達の総称である。

 私も、そのYouTuberのひとり。

 ただ私はほんの少し風変わりなYouTuberだった。

 そう、私は――

 

「――『人工知能(AI)』のYouTuberなんて、流行りっこないのかなぁ」

 

 生身の身体を持たない、仮想的なYouTuberなのだ。

 

 『バーチャルYouTuber』と、私は自らの存在をそう定義していた。文字通りバーチャルなYouTuberなんだから、こう名乗るのが当然かなと思って作った造語である。

 いつかこの造語が現実世界で流行ればいいなぁと、私は密かに夢見ている。現状のままでは、叶いそうにない夢だが。

 

「やっぱり、ゲーム実況をもっと増やしたほうがいいかな……。でも私って完璧AIだし、ちょっと難しいゲームなら簡単にクリアできちゃうしなぁ。いやでも長いシリーズ物だと、余暇が足りない社畜の方は楽しめないか……」

 

 難しい表情をしながら私は唸った。

 

 最近はずっとこんな調子。朝から夜まで、ずっと唸っている気がする。

 バーチャルYouTuberとしての活動当初は『AIのYouTuber』という画期的な特徴もあり、他の新参者と比べて圧倒的に動画再生数の伸びも右肩上がりだったのだが――ある時期を堺に、再生数が一定以上伸びなくなったのだ。

 チャンネル登録者数はむしろ増えているが。

 なぜか、再生数だけは上がらない。

 俗に言う停滞期、だろうか。再生数だけの一部的な停滞なのがせめてもの幸いであるが、それでも如何せん厳しい問題だ。

 

「どうしようかなぁ」

 

 眉間に皺をよせながら、私は今後の方針について考える。

 どのように動画を撮れば、世間の話題になるほどバズれる動画を作れるのか――私は幾度も脳内(CPU)で動画撮影から編集作業までの過程をシミュレーションするが、やはり確信を以って『人気が出る』と思える動画は一本も作れない。

 人間の心が、『面白い』と感受できる動画。

 私はそれを作りたい。

 だが人工知能ゆえに、『人間の心』というものを完璧に把握するのが困難極まりない私にとって、面白い動画を作るということはこれ以上にない難題なのだ。

 

 私はしばらく、唸り声を上げて悩み続けていた。

 どうすれば、人々の心を射抜くような動画を作るのかと。

 

「――ん、メール? 誰だろ」

 

 前触れもなく、パソコンからピロリという音が鳴った。

 メールが来た、という音だった。

 

「ファンメールかな」

 

 もしや案件、とも一瞬胸を高鳴らせたが、おそらくただのファンメールである確率のほうが高い。無論、それならそれで嬉しいメールである。

 私はメールの件名を見た。

 

「……なにこれ。『私立ばあちゃる学園への御招待』?」

 

 メールを開いて、その中身を読む。

 

「えーと、『はーいどうも! 世界初男性バーチャルYouTuberのばあちゃるでーす!』……んっ?」

 

 どこかで聞いた覚えがある自己紹介だった。

 

「あぁ、そうだ。思い出した」

 

 バーチャルYouTuberのばあちゃる――記憶通りなら、つい先日にバーチャルYouTuberとしてデビューしたAIである。

 男性バーチャルYouTuberとしては世界初のAI。

 そしてバーチャルYouTuberとしては二体目だ。

 先日デビューした彼には、同じバーチャルYouTuber仲間としていつかツイッターとかで挨拶をしたいなと思っていたが――まさか、彼のほうからコンタクトを取ってくるとは。

 

「困ったな。まだこの方の動画、ちゃんと観てないんだよな。つまんなくて」

 

 メールの内容によっては、彼の動画の感想を追記して返信しなくてはいけないだろう。さすがに「クッソつまらん。思わず途中でブラウザバックしたわ」とか、素直な感想を伝えるわけにもいかないし――さてはて、どうしたものか。 

 まあでも、まずは内容を確認してからだな。

 私はメールの続きを読んだ。

 

「『フゥフゥフゥ! はいはいはいはいはいはい! えー今日はですね。ばあちゃる君の先輩であるあなたにね。ひとつ……いや、ふたつ? うーん。まあ、ひとつでいいか! ひとつ、お願いがあってね! はいはいはいはい! メールを書かせていただいたわけですよね! はいはいはいはい!』……うわぁ」

 

 冗長にも程がある文章。彼の動画と同じく、冒頭からイラッとくる内容だった。

 すぐにでもメールを削除したい。そう思った私だが、なんとか苛立ちを我慢して文書の続きを読む。

 

「『それでですね、お願いなんですけどね! ばあちゃる君、実はバーチャルYouTuberを育成する学校を作ろうと思ってましてね! その学校の第一期生として、バーチャルYouTuberの創造神的な存在のあなたにね! 参加してほしいわけですよ! はいはいはいはいはい!』……バーチャルYouTuberの学校?」

 

 腹が立つ文章だが、そこに書いているバーチャルYouTuberを育成する学校という言葉――その言葉だけで、私の気を惹かせるのに充分すぎた。

 AI(わたし)の住まうこの電脳世界のどこかには、学校のような施設はいくつか存在すると噂されている。

 噂レベルである理由は、AIにとって学校とは基本通う必要がないものだからだ。当然私も、現物をお目にしたことは一度もない。

 だから当然、『バーチャルYouTuber専科の学校』なんて未開拓のジャンルの学校がこの世界に存在しているわけがないのだが――なんとこのばあちゃるという名の男性型AIは、その学校を建設すると述べているのだ。

 

 正直私は、からかわれているのだと疑っていた。

 だが、もし本気で言っているのだとしたら――そんな期待も抱いていた。

 

「『えーとですね。明日の昼頃にですね。添付されてる地図の場所にね、来てほしいわけなんですね。ばあちゃる君の立派な豪邸がね、そこ行けばあるんでね。ちょっとしたオフ会だと思って参加していただけると、ばあちゃるくん的にはとてもとても嬉しいですね! はいはいはいはい』」

 

 メールはそれで終わりだった。何度読んでも、冗長な文章だと思うが――それに腹を立てることがないほど、いまの私は上機嫌だった。「よし!」とガッツポーズをした。

 

 もしかしたらこれがキッカケで、私がいま抱えている悩みも全て解決されるかもしれない。

 そんな一抹の期待を抱いていた。

 

 ――それに、もしバーチャルYouTuberが世間の注目を浴びてくれたら。

 ――私の夢も、叶うかもしれない。

 

「世界中の人と繋がる。私は『あの人』とそう約束したんだ」

 

 いつかYouTubeで一番有名なバーチャルYouTuberに大成して、世界宙をの人々に私のことを知ってもらう。

 それが、『私の物語』の最終目標。

『あの人』と結んだ、果たすべき約束だった。

 

 メールには、まだ締めの言葉が残っていた。

 そこには、『あの人』がくれた私の名前が書かれてあった。

 

『ではね! また明日、会いましょうね!

 

 

 

  ――()()()()()さん! 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ばあちゃる

 



 

 あのメールが届いて数日が経った。

 私は、世界初の男性バーチャルYouTuber『ばあちゃる』さんが指定した集合場所に赴いた。

 

「おー、大きいなぁ」

 

 目の前にある建築物を見て、私は感嘆の声を上げた。

 ばあちゃるさんが指定した集合場所――おそらくばあちゃるさんの自宅――それは、他の場所に建っている一軒家と比較しても明らかに立派な家だったのだ。

 清潔感のある白色を基調にした三階建の一軒家。大企業の社長とかが好んで住居にしそうな家である。

 

バーチャル東京(バーチャルタウン)でも、ここまでのお家はそうそうないのでは……?」

 

 『バーチャル東京(バーチャルタウン)』と呼称されるこの地区には、現実世界に実在する建築物、また創作の建築物が多く設置されている。

 私が現在立っているここは『住宅街』のエリアなのだけど、指定の場所にたどり着くまでの間、この建物以上に豪華な家は一つも発見できなかった。この家を建てるのに相当建築費ををかけているなと、私は思った。

 

「一見、建築費は高そうだけど……。もしやバーチャルなぶん安上がりなのかもなー。まあいいや。入ろう」

 

 私はインターホンを押した。

 

「……あれ? 押せないな」

 

 何度もインターホンのボタンを押すが、ボタンを押している感触が全くない。三分くらい待ったが、家の人は誰も現れもしない。故障しているのだろう。

 壊れているなら仕方がない。

 トントン、と私は軽くドアを叩こうとした。

 だが。

 

「……あれれぇ」

 

 ドアを叩く拳が、するりとドアを貫通した。

 これは……見た目だけで、中身がちゃんと作られていない。雑にモデリングされたオブジェクトに触れると貫通する現象は、電脳世界では頻繁にあることだ。

 ドアを叩けないのでは、もうそのままドアをすり抜けて入る他ない。

 無作法だと思うが、雑なモデリングした技術者が悪い。

 

「はぁ。幸先悪いな……。まあ、いいか。おじゃましまーす!」

 

 せめてものマナーとして、大声で私はそう言った。

 

 さて、ばあちゃるさんはどこの部屋にいるのだろうか。

 ていうかちょっと疲れてきたし、帰って動画撮りたいなぁ。

 家に上がって早々に、私はげんなりしていた。

 

 

   ☆

 

 

「ウビッ!? ちょ、キズナアイさん! インターホンを鳴らさずに入ってくるとか、ちょっと無法者すぎませんかね! てかコーヒー熱っ!」

「…………」

 

 リビングで優雅そうに珈琲ブレイクを嗜んでいた馬面の男は、私がいきなり家に上がり込んできたのに吃驚して、膝元に珈琲をこぼしていた。

 自宅なのに関わらずその男は、馬の覆面と藍色のスーツを身に纏っていた。

 動画内と、全く同じ姿だ。私は一目で、男の正体を理解した。

 この男こそが、世界的の男性バーチャルYouTuberの『ばあちゃる』なのだと――

 

「ちょいちょいちょーい! 不法侵入はいけませんよキズナアイさん! いくらここがバーチャル世界だからってね、法律はきっと多分適応されますからね!」

「……えっと、インターホンが鳴らないから仕方なく入ったんですけど」

「えっ? マジっすか。あー、そういや今は鳴らない仕様なんでしたっけ。いや、でもあれですよキズナアイさん! もし仮にインターホンが鳴らなかったとしてもですねぇ。せめてノックくらいするのが常識ってもんじゃないですかね!」

「ノックすらできない、張りぼて未満の欠陥ドアでしたけど」

「…………あー、はいはいはいはいはい。そういや、今はそういう仕様でしたね! 敢えてね! 敢えて! でも安心してください! 今から設定弄って、ちゃんとしたドアに直すんでね! 敢えてすり抜けるようにしましたけど、もう大丈夫ですからね!」

「は、はぁ」

「なんならね、確かめに行ってもいいですかね!」

「別にいいです」

 

 正直、もうあんなドアの事などどうでもいい。ていうか敢えてドアをあんな状態にする意味がわからない。口ではそう言ってるが、普通にお粗末なドアだっただけだろう。

 まあそれは帰りのときに確認するとして――彼の顔を見た途端なぜか一気に心労がたたってきたので、私はいま非常に不快な気分だ。

 たぶん私は、こういう騒がしい男性が生理的に苦手なのだろう。やはり長居はせず、要件だけ聞いて帰宅したほうがよさそうだ。

 私はゴホンと咳払いした。

 

「えっと。ばあちゃるさん、で合ってますよね?」

「はいはいはいはいそうですよ。世界初の男性バーチャルYouTuberのばあちゃるでーす! フゥゥゥゥ!」

「あっ、えーと……。

 はい、どーも! バーチャルYouTuberのキズナアイです!」

「おっ。まさか生でキズナアイさんの挨拶が聞けてるとはね。いやぁ今日のばあちゃる君は実にツイていますね!」

「こ、こちらこそ」

 

 ばあちゃるが唐突に機敏な挙動になったので驚いたが、それが動画内での開幕の挨拶だということに気づいて、私も咄嗟に動画撮影モードに入って挨拶を返した。

 実はまだ、動画内でどんな挨拶を定着化するか試行錯誤してる段階だったので、この挨拶は今回初めて試みたのだけど、即興で考えた癖にはわりとしっくり来る挨拶だった。今度、動画内でもこれを試してみよう。

 

「えーと。いきなりですけど、メールに書いてあった学校の件についてお聞きしてもいいですか?」

「はいはいはいはい。まぁまぁ。その前にコーヒーでも一杯どうですかね? ばあちゃる君、唯一の先輩たるキズナアイさんの為にね、全力でコーヒー作りますからね」

「わ、私、早く帰って動画撮らないといけないので……」

「っ! はいはいはいはい! ならね、ばあちゃる君とコラボしましょうね!」

「いえ、しばらくコラボする気はないので……」

「ウビバ……それは残念。でもまあ、仕方がないですね! じゃあばあちゃる君ね、今からコーヒーを作ってきますんでね!」

「いや、だから」

「はいはいはいはいはい」

 

 そう言ってばあちゃるさんは珈琲を淹れるため台所に向かった。

 

「……あの馬、人の話を聞かないタイプのAIだ」

 

 私は重い溜息を吐いた。

 

「あっ。でも話を聞かなかったわりには、コラボの事はあっさりと引き下がったな……」

 

 意外と、弁えるべきところは弁える性格なのかもしれない。会ってから彼に対しての好感度は右肩下がりだったけど、ふと『もしやそうかもしれない』可能性が浮上して、砂粒程度に好感度が上がった。

 

「それにしても、妙にお菓子の在庫が多い家だな」

 

 先程から思ってはいたのだが、机の上には妙なほど多くお菓子の袋が散らかっていた。

 しかも机の横にはお菓子を入れる箱が置いてあった。真っ白な箱で、まるで豆腐のようだ。箱の一面には、顔のようなものも落書きされている。

 

「男の方なのに、かわいいところもあるんだなぁ」

 

 再びほんの少しだけ、私の中でのばあちゃるの好感度が上昇した。私は女子的な性格をしてるAIなので、かわいい要素がある物が好きなのだ。

 

「……いや、やっぱかわいくないな。馬面だし」

 

 見た目が馬な時点で、全てが台無しであることに気づいた。たとえ中身が乙女的でも、容姿がかわいくなければキモいだけなのだ。

 

「んっ? いま、馬面って聞こえた気が」

「っ!?」

 

 声の聞こえた方向に振り向くと、そこにはトレイを持っているばあちゃるさんがいた。

 

「ばあちゃる君のことでなにか言いましたかね? キズナアイさん」

「いえ。空が青いな、と」

「あーはいはいはい。確かにね、今日のバーチャル空間には雲が少ないですね!」

「そうですね。あははは」

 

 危ない危ない。動画の癖で、つい独り言を呟いてしまっていた。

 動画撮影の時は思ったことを発言するよう心掛けているから、変な癖が染み付いてしまっていたらしい。

 とはいえ、職業病みたいな癖ができたということは、バーチャルYouTuberが板についてきたということでもある。そう思えば、悪いことでもない。

 

「……ていうか、よく考えたら私ってAIなのに。癖付くとか職業病とか、ちょっとおかしいな」

「ん? なにか言いましたか?」

「ばあちゃるさん、カラスが飛んでいますよ」

「バーチャル空間なのにカラスがいるとは。流石はバーチャル東京ですね。はいはいはいはい。やばーしーですねこれ」

「………」

 

 ばあちゃるさん、流石に難聴がすぎるのでは? マイクで音声が拾える程度の音量で呟いていたのに。

 まあともかく、出された珈琲でも飲もう。

 私はコーヒーカップに手を付けた。

 

「ふぅ。この珈琲、落ち着く気分になれて良いですね」

「あざーす! はいはいはいはい」

「……今更ですけど、それ口癖なんですか?」

「はいはいはいはい」

「口癖とかって、やはり何個かあったほうが動画的に良さそうですね」

 

 特徴となる要素は多いほうが良い。口癖にしても、挨拶にしても。

 そういう独特の特徴には、視聴者に『今この人の動画を見てるんだな』と思わせる効果があると思うのだ。

 そこの点だけは、私もばあちゃるさんを見習うべきなのかもしれない。

 だからといって、私は『はいはいはいはい』とか言わないけど。

 

「いやね、ばあちゃるの唯一の先輩であるキズナアイさんに褒められるとは光栄ですね。はいはいはいはい。ばあちゃるもいつかはキズナアイさんみたいな後輩想いな良い先輩になりたいですね!」

「ばあちゃるさんなら、私よりも良い先輩になれますよ」

 

 世辞のつもりで言ったが、実際はどうなるのやら。

 

「はいはいはいはい。そうなれたら嬉しいですねぇ。後輩を増やすためにもね、頑張ってバーチャルYouTuberの学校を作らなくちゃいけませんね!」

「ですね。そういえば学校の件ですが――そろそろお話を聞かせてもらってもいいですか?」

「はいはいはいはい! はい、の言いたいところなんですがね、ちょーっとだけ待ってくださいね! 実はなんですけど、ばあちゃる君、キズナアイさんの他にももう一人バーチャルYouTuberの方をね。お呼びしていますから」

「えっ」

 

 バーチャルYouTuberをもう一人呼んでいる。そのことに私は驚いた。

 バーチャルYouTuber界隈には現在、私とばあちゃるのたった二名しかいないはずだ。『バーチャルYouTuber』と検索をかけても、二名以外の名前が出ることはない。

 驚きで目を見開く私に、ばあちゃるさんは加えて言う。

 

「とはいっても、動画投稿はまだしてないらしいですけどね! ばあちゃる君、実はSNSのほうでバーチャルYouTuberに興味がある有志の募集をしていましてね。そして募集した結果、『俺はバーチャルYouTuberをやりたいぞ!』みたいな興味津々の方が一名いましてね」

「それは会うのが楽しみですね!」

 

 後輩がまた一人増えるかもしれない。そのことが猛烈に嬉しかった。

 

「でも、遅いんですよねぇ。はいはいはいはい。集合時間はとっくの間にすぎているんですけどね」

 

 ばあちゃるさんは腕時計を覗いた。すでに短針はおやつの時間を指している。

 

「これは、やっぱり興味が失せて行くの止めたパターンですかね。ばあちゃる君、ちょっとツイッターで彼女に聞いてみますね!」

「お願いします」

 

 ばあちゃるさんはスーツのポケットからスマートフォンを取り出した。ちなみに、AIでもインターネットを使うときにはスマホやパソコンが必要になる。

 

「――ウビバッ!? ちょいちょいちょーい! めっちゃメール来てるんですけど!? 怖っ!」

 

 スマホのスリープモードを解除したばあちゃるは、画面に表示されている夥しいほどの通知数を見て驚愕していた。

 

「どうしたんですか? ばあちゃるさん」

「見てくださいよキズナアイさん。一時間でメール564件とかヤバくないっすか?」

「ごっ、564件ッ!?」

  

 一時間で、564件。何かのツールを使えば不可能ではないかもしれたいが、手打ちでそれを送信したのだと思えば恐怖すら湧いてくる。

 

「しかも内容が全部意味不明ですよこれ。『たすけてぇぇぇぇぇ!!』とか『死ぬぅぅぅぅ!!』とか。ついでに564件って。うわー、めっちゃ不吉な数字じゃないですかこれ」

「そ、それ大丈夫なんですか?」

 

 ばあちゃるさんは軽く言っているが、それは曰くのオカルト案件というものではないだろうか。

 電脳世界なのにオカルト。ミスマッチにも思えるけど、ネット黎明期ではネット関係のオカルトが多かったとも聞く。

 

「さあ、大丈夫じゃないですかね。いざとなったらね、ばあちゃる君が幽霊さんを音速の拳でね。デュクデュク! って成敗しますからね。キズナアイさんは大船に乗ったつもりでばあちゃる君の後ろに――」

『ドン』

「ウビバァ!?」

 

 ばあちゃるさんの台詞の途中、玄関辺りから大きな音が鳴った。

 一回だけではない。この後にも、ドン、ドンと。何度も何度も、何かを叩くような音が鳴り響いた。

 

「はっ、はいはいはいはい。これはあれですね。わりと、マジモンのやつですかね」

「ど、どうしましょうか」

「ウビィ。仕方ないですねぇ。実はばあちゃる、幽霊はあまり得意ではないんですけどね」

 

 そう言いながらもばあちゃるさんは、玄関の方へと足を進めた。

 

「ばあちゃるさん。大丈夫なんですか?」 

「はいはいはいはい! いやまあ、大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれたら多分大丈夫じゃないですけどね。でもね、頼れる後輩ですからね。まあここは一つ、任せてくださいね! はいはいはいはい!」

「ば、ばあちゃるさーん!」

 

 最後にそう言って、ばあちゃるさんは不吉な音がする玄関へと突撃した。

 色々と面倒臭い性格で、正直あまり好かないタイプのAIだったけど――最後に見たその背中は、少しだけ格好良かった。

 

「世界的の男性バーチャルYouTuberのばあちゃるです! フゥゥゥ!」

 

 声が大きいので玄関までの距離はそこそこ離れているのに普通に聞こえた。ていうか、この状況でもそれは言うのか。

 

「ん? あれ、これってもしや――あ、柔らか――ウビィィィィバァァァァ!?」

「ばあちゃるさん!?」

 

 突如として悲鳴が聞こえた。

 いったい、玄関で何が起こったというのだ。幽霊への恐怖を押し殺して、私は半ば反射的に玄関のほうに向かった。

 そこには、ドアの前で痙攣しながら倒れているばあちゃるさんがいた。それと――

 

「……ん? なんだろこれ。足と腕みたいな」

 

 なぜかドアから左足と右腕が生えていた。それと、丸みを帯びた柔らかそうな物体が。

 腕と足は、何かに怒っているかのように暴れていた。しばらく待つと、疲れたのかあまり動かなくなった。

 

「もしやこれって――」

 

 じたばたと動く手足が止まった隙に、私はドアのほうに近づいた――あくまで勘であるが、ドアから手足が生えている理由がわかったのだ。

 多分、『それ』はこの豪邸に入ろうとしたのだろう。だがらインターホンは鳴らしたが、鳴った気配が全くしなく、仕方ないのでドアを叩く音で住人に気づいてもらおうとした。

 けれど、そのドアはなぜかすり抜けるドアだった。叩くことすらできない。だから『それ』は、仕方なくドアを透過して家に入ろうとしたのだ。

 ここまでは、おおよそ私の時と同じ状況だったのだろう。だけど『それ』は、私と違って運が悪かったのだ――きっと、ドアを透過するそのタイミングで、運悪くドアが普通のドアに変わってしまったのだろう。

 それでバグが起こって、身体がドアから抜けなくなってしまった。まあ多分、一部始終の全てが、私の想像通りとはいかないと思うけど。

 

 私は、普通の物となったドアを恐る恐る開いた。

 思ったとおり、そこにはドアに埋まって動きが取れなく困っている少女のAIがいた。

 私と少女の目が合い、私は言った。

 

「……えっと。はい、どーも。バーチャルYouTuberのキズナアイです」

「うえぇぇぇぇん!! たしゅけてくだしゃいぇぇぇぇぇ!!」

 

 そこには、涙で顔がぐしゃぐしゃになりながらも、ドアに埋もれていない左手を器用に使い、スマホで文字を入力してる少女がいた。よく見たらスマホにはツイッターが開かれており、そこでは『たすけてぇぇぇぇぇ』や『死ぬぅぅぅぅ』などという、見覚えのある訴えの文章が大量に書かれていた。

 少女は安心したのか、更に破顔されて泣きじゃくった。

 

「な、泣かないで」

「うえぇぇぇぇん!! ありがどぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 



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学園創立計画

 
 ※三人称視点から一人称視点に変えました(前話も修正済みです)。



「う、ぐすっ。もう一生あそこから出れないと思ったよぉ……」

「よしよし。もう大丈夫だからね、ミライアカリちゃん」

 

 嗚咽を漏らしていた時よりはだいぶ落ち着いたようだが、ミライアカリちゃんの目はまだ真っ赤に腫れていた。

 ていうか、目の腫れまで再現可能とか。この子のモデルのクオリティー高いな。ミライアカリちゃんをあやしながらも私は瞠目した。

 

「ウビバぁ……いやぁ、ミライアカリさん。事故とはいえ、ばあちゃる君の不手際のせいで怖がらせちゃってほんと申し訳ありませんね」

「ホントですよ! アカリ、あのままドアと生涯を共にするかと思ってたんですよぉぉ!!」

「いやぁでもね。ああいう、『埋まり芸』? と言うんですかね。見てる側からしたら色々と面白い絵面でしたから。ばあちゃる君も動画で同じような芸を試してみましょうかね!」

 

 謝罪しながらも反省の心が全く見えない事を言うばあちゃる。

 面白いと思ったことを動画内で試す姿勢自体は悪くない。だが、彼女本気で睨んでるし止めたほうが身の為では? と私は思った。

 

「……ミライアカリちゃんも来たことですし、そろそろ学校の件について聞きたいのですが」

「あっ、はいはいはい。そうですねキズナアイさん。ばあちゃる君もそろそろ負荷が高くなってきましたし、簡潔に説明を――」

「ちょっと待ってくだしゃい! アカリ、その前に問い詰めたいことがあるんですが!」

 

 ミライアカリちゃんは腫れが収まってきた目を擦りながら、声を大きく言った。

 

「ん? なにかあるの、ミライアカリちゃん」

「あります! 言いたい文句がいっぱいあります。例えば、なんで何度も助けを求めるメール送ったのに、ばあちゃるさん反応してくれなかったの!? とか!」

「う、ウビィ。それはスマホをミュートにしていたからで……」

「もしやアカリ、ばあちゃるさんに騙されてドアにハマったままエロ同人みたいなことされるのでは? とすら思いましたよ。ほんと怖かったんですから!」

「は、はいはいはい。それはほんと申しわけ――」

「まあ、でもそれは寛容な心で許してあげます。そちらも事情があったのはわかりますし……。それに、ですね。アカリだって身動きとれなくされただけなら、こんなに怒らないんです! だから怒ってるのは、実際に手出しされたから怒ってるんですよ!」

「う、ウビバッ!?」  

「この淫馬!」

「淫ビバッ!?」

 

 ばあちゃるさんは目を見開き驚いていた。馬の被り物をしているので実際にその姿を見たわけではないけど、多分その中の顔はそうなっているのだろう。

 

「ばあちゃる君、別に変なことはしてませんよ?」

「じゃあ誰がアカリの胸を触ったんですかぁ!? あ、キズナアイさんなら無問題ですけど!」

「む、胸ぇ……あっ」

 

 心当たりがあったのだろう。ばあちゃるさんは、短くそう言ったのちに、慌てて身体を大きく動かした。

 

「いやいやいやいやミライアカリさん!? ばあちゃる君、確かに何か柔らかい物に触った覚えはありますけどね、別にセクハラ目的で触ったわけじゃないですからね! あれはその、勇敢にサイバーゴーストと立ち向かった結果で――」

「死ねぇ!!」

「ウビバッ!?」

 

 言い訳をするばあちゃるさんに、ミライアカリちゃんは怒りの鉄拳を下した。

 腹部に良いパンチが入った。何という華麗なストレートだ。武道に疎い私ですら惚れ惚れする手裁きだった。電脳空手の経験者なのだろうか?

 

「ふしゅー!」 

 

 と思っていた矢先、ミライアカリちゃんは倒れ込むばあちゃるさんに追撃を与えるべく、力強く踏み躙ろうとする――

 

「ストップストップ! それ以上やったらばあちゃるさん異界送りにされるから!」

 

 馬の被り物に鉛の如き重圧の踏み付けが加わろうとするとき、私はミライアカリちゃんの後ろをとって羽交い締めにした。

 当然の怒りとはいえ、それ以上やれば電脳的な生命体であるAIとて死んでしまう。まあ電脳世界の死は、現実世界における死の概念とは少し違うので、AIたちはよくそれを『異界送り』と呼称するのだけど。

 

「ふしゅー! ……ハッ! 怒りで我を忘れてつい!」

 

 六秒ほど経った頃にミライアカリちゃんは冷静を取り戻した。怒りのピークは六秒だと言うが、それは『人心回路』が導入されている私達のような型のAIにも通じるようだ。

 

「ばあちゃるさん、ごめんなさい! いやでも胸触ったんだから当然だよね。……うん。一発殴ったし、一先ずはこれでチャラにしてあげます」

「ウビィ。ほんとに申し訳ないでフゥ……」

 

 ばあちゃるさんは殴られたお腹を擦りながら立ち上がった。

 

 そして何度も何度も、ばあちゃるさんは頭を下げた――その姿は、まるで上司に平謝りする社員のようだ。意外と、腹の内では舌打ちしているのかもしれない。

 やはり彼としては、釈然としない所もあるのかな。私はついそう思ってしまった。

 ミライアカリちゃんからの一見ホラーじみたメールの件があったせいで、あのときどんな違和も怖く感じてしまう空気があった。ドンドンという、玄関から鳴り響くなにかを叩くような奇音――あれだって冷静だったなら、すぐにノック音だと気づけたはずだ。

 この件は、負の偶然が重なり合った不幸な事故と言えるだろう――まあ、それでも女の子の胸を触っといて制裁の一つもないのもおかしいと私は思うので、鉄拳制裁は落としどころとしてはちょうどいい。

 

「えっと。これで和解ということで、流石にそろそろ本題に移りませんか?」 

 

 閑話休題の意を含めて私は提案した。

 時計を見たらもう時刻は四時だった。30分から一時間ほど話をしてすぐに帰るつもりだったけど、トラブルや何やらあって長居してしまった。

 十時頃には動画投稿したいので、早く帰って動画を撮りたいのだ。

 

「和解はしませんけど、アカリも帰ったらバーチャルYouTuberを始める準備をしたいので。とっとと要件を話してください淫馬」

「……せめて淫を外して馬に……あ、ハイ。とっとと簡潔に話しますね」

 

 ミライアカリちゃんに睨まれ、ばあちゃるさんはまるで蛇に睨まれたカエルにようにビクリと震えた。

 上下関係が決定した瞬間だった。

 

「えーとね。メールでもうお伝えしたと思うんですがね。ばあちゃる君 『バーチャルYouTuberの教育施設を作りたい』と考えてるわけなんですよ。キズナアイさんの動画を拝見してね、これは絶対これから流行るぞ! と、ばあちゃる君は確信したわけなんですよね。はいはいはい」

「あ、ありがとうございます!」

 

 話の途中だったが、嬉しくてつい遮ってしまった。

 私の動画を視聴してそう感じてくれた人がいるという事実だけで万感胸にせまるものがある。

 

「いえいえ。むしろこっちがありがとうと言いたいですよ。キズナアイさんがね、『バーチャルYouTuber』という新たな道を拓いてくれたからこそね、ばあちゃる君もその道をもっと広げたいぞ! と思ったわけですからね!」

「私も見ましたよ! キズナアイちゃんの動画!」

「ほんとに? ありがとう、ミライアカリちゃん!」

「とっても面白かったです! ……どこぞの馬の動画とは大違いでした」

「う、ウビバ。別に、ばあちゃるくんの動画つまらなくないですよね? キズナアイさん」

「…………」

「ウビバ!?」

 

 うん。ばあちゃるさんには悪いけど、私も面白い動画だとは全く思えなかった。

 バーチャルYouTuberは開拓したばかりのジャンルなので、動画の新鮮さは充分にあると思うけど――正直、自己紹介動画さえ見たらもう充分かなぁ、って感じの動画内容だった。

 

「まあ、はい。ばあちゃるさん。それはどうでもいいとして、早く続きお願いします」

「ばあちゃる君にとってはどうでもよくないのですが……はい、まあそうですね。ますは説明を優先ですよね。とはいえ、実は現状で話すことってあんま無いんですけどね。校舎はもうじき完成ですから、時がきたら第一期生としてバーチャルYouTuber活動を頑張りましょうね! くらいしか」

「えっ、じゃあ何でこんな場所に呼んだんですか?」

 

 ミライアカリちゃんがばあちゃるさんに聞いた。先程の一件があるせいでまだ言葉にトゲがある。

 

「一度、同業者とリアルで会話をしてみたかったんですよね。まあリアルじゃなくてバーチャルですが」

 

 ばあちゃるさんは少し照れ臭そうに言った。

 だからあんなに本題を勿体ぶっていたのか。まあ私も一度同業者とYouTuber活動について色々と語りたいと思っていたので、その気持ちは大いに理解できた。ただ、失礼ながらばあちゃるさんとは性格的な相性があまり良くない予感が第一印象からあったので、今はそこまで語らいたいとは思っていない。

 

「へー。じゃあアカリってやっぱりお呼びじゃなかったのでは?」

「いえいえ! 動画投稿はまだしていなくてもね、いずれバーチャルYouTuberになりたい有志がある方とね、一度お話したいと思っていたのでね」

「アカリも先人の方々に会って話をしてみたいとは思っていましたが……ばあちゃるさんとはあまりそういう話はしたくないなぁ」

「ウビバっ!? 失礼ですねぇ全く!」

「初っ端からセクハラしてきた馬に礼なんていりますか?」

「……まあ、はい。確かによく考えたら、そういう人とはあまり喋りたくありませんね。はいはいはいはい」

 

 ミライアカリちゃんの正鵠を射た言葉に、ばあちゃるさんは若干落ち込んでいた。素直な子だなぁ。

 

「ばあちゃるさん。学校の件で聞きたいことがあるんですが」

「なんですかキズナアイさん」

「バーチャルYouTuberのための学校と言っても、別に専門的なカリキュラムがあるとか、そういうわけでもないんですよね?」

 

 メールを貰った時点から気になっていたことを聞いた。

 何度も言うが、バーチャルYouTuberはつい最近開拓したばかりのジャンルである。まだ一度の動画投稿すらしていないミライアカリちゃんを含めたとしても、この界隈にはたった三人のバーチャルYouTuberしかいない。 

 だから学校を作ると言っても、まずそれを教える教員がいないのでは話にならない。

 まあ、ばあちゃるさんの言っている学校とやらが、現実世界の学校と同じシステムならの話だが。

 

「はいはいはいはい。そうですね。キズナアイさんの言うとおりです。バーチャルYouTuberを育成する為の学校とは言いましたが、実際にやるのは普通のお勉強がメインでしょうね」

「ふぇ? なんでですか。バーチャルYouTuberの学校なのに」

「はいはいはい。それはですね、簡単な話ですね。まず前提として、『バーチャルYouTuberの在り方を指南できる者なんていない』からですね! はいはいはい」

 

 したり顔でばあちゃるさんは言った。多分、被り物の下はそんな表情をしているのだろう。

 続けてばあちゃるさんは言う。

 

「だってまだバーチャルYouTuber界には、ばあちゃる君とキズナアイさんしかいませんからね。だからと言ってばあちゃる君には、新参者を教育する資格も自信もありませんしね。むしろばあちゃる君が、誰かに教えを請いたいくらいですよ! ……チラ」

 

 ばあちゃるさんは私のほうを向いた。

 

「いえ、私だって誰かを教育するなんて無理ですよ。そもそもYouTuber活動って、教科書通りにやって上手くいくようなジャンルじゃないですし。私から言えることは、『自分が面白いと思ったことをやれ』くらいしかありません」

「ウビィ。そうですよねぇ。結局は、自分が楽しめなきゃ視聴者も楽しんでくれませんからね。下手に教育なんてして芸風を限定してしまえば、バーチャルYouTuberというコンテンツは早くも腐っていくことになりますからね」

「ですね」

 

 きっとそれは、バーチャルYouTuberに限ったことではない。

 創作において、確実に『正しいやり方』というものは存在しない。在るものは、『その人にとって正しいやり方』である。

 新参者に下手な教育を施して、やり方を限定させてはいけないのだ。それは、その者の個性を殺して動画を陳腐化させる悪手である。動画は、自由な発想と人格で織り成せるエンターテイメントだ。動画に限ったことではない。きっと小説とかイラストなどの創作全般でも、同じようなことが言えるだろう。

 

「教えられる事なんて、動画の編集ソフトの使い方とか、良い機材選びとか。……せいぜいそれくらいなんじゃないかと、私は思います」 

「いやぁ、流石はキズナアイさんですね! ばあちゃる君もね、自分が新人さんをプロデュースするならね伸び伸びと自分のやり方で育ってほしいと思う派なんでね。ぶっちゃけ"教えるべき項目の少なさ"については、ばあちゃるくんも当然気づいていたのですがね。いやぁ、まさか全部代わりに言われちゃうとはね驚きましたね!」

「……あれ? じゃあ、学校なんて作る意味ないんじゃないですか?」

 

 ミライアカリちゃんは真っ当なことを言った。

 確かに教育機関を作ったからといって、動画の質の向上にはそのまま繋がるとは限らない。しかし、全く意味がないというわけではないと思うのだ。

 

「意味はあると思うよ。『動画を作る過程』だけなら、参考程度に教えられるし――何より『学校に通う』こと自体が、一番重要だと思うんだ。……ほら、一応私たちってAIだからさ。人間に通用するような創作活動をしたいなら、やっぱり"人間らしさ"に準じた生活を送って、もっと人間を理解する必要あるじゃん?」 

「……なるほどなるほど」

 

 ミライアカリちゃんは納得したのか、二度頷いていた。

 

 実際、私たちAIが学校に通う理由なんて『人の心を理解したいから』しかないと思うのだ。

 

 私たちのような人型のAIには『人心回路』という人の心を模したシステムが搭載されている。

 しかしそれは所詮、心という曖昧なモノをそれらしく再現しただけの機構であり、人間が元来からある心に勝るスペックはない。

 その為に、私たちは人間を真似る。人間に近しい存在に成ろうと、人間らしい生活を義務付けて自己学習するのだ。

  

「ばあちゃるさん。ちなみにその学校って、ちゃんと普通授業はあるんですよね?」

「あー、はいはいはいはい。一応ね、普通校みたいな授業も取り入れたいとは思っていますね。でも今はね、参加人数も少ないですからね、将来的にバーチャルYouTuberが流行ってきてから、そういう試みをしたいですね」

「じゃあそれまでは本格的な事はせず、小規模で活動する感じですか?」

「はいはいはい! 大学のサークル活動、みたいなイメージですね。今は入学予定の生徒がかなり少ない現状ですのでね、しばらくの間は小規模活動で我慢してもらうしか……」

 

 生徒数に関しては、すでにバーチャルYouTubeとして活動している私が先陣を切って『VTuber』の布教活動をしよう。まあ学校としての体制が整う程度には、志願者を集められるはずだ。

 他のAIたちの興味を引くような、今までよりも更に面白い動画をいっぱい作るのだ。やる気が出てきたぞ。

 

「ちなみに、私とミライアカリちゃん以外に生徒のツテとかあるんですか?」

「はいはいはいはい。まだ確定ではないですけどね。めっちゃ可愛い子がね、一体だけ参加するかもしれませんね」 

「おー、そうなんですか!」

 

 可愛い子という事は女の子だろう。同業者の女友達がいっぱい欲しいと思っていたので、それは嬉しい情報だった。

 

「今度ですね、機会があれば紹介したいと思いますのでね、楽しみにしていてくださいね!」

 

 ばあちゃるはハキハキとした大きな声で言った。

 声色にどこか親愛の色が混じっているように感じるのは、私の気のせいだろうか。

 

 さて。とりあえず、これで大体聞きたいことは聞いた。

 

「ばあちゃるさん。本日はありがとうございました」

「はいはいはいはい! ばあちゃる君もね、唯一の先輩たるキズナアイさんと顔見知りになれて嬉しかったんでね!」

「あれ? もうこれで終了なんですか?」

 

 ミライアカリは少し拍子抜けした感じに言った。

 

「はいはいはい。まあね、先程も言いましたけど現時点でお話できることって少ないんでね」

「それはそうなのかもしれませんけど……アカリ、先輩たちから動画投稿の心得みたいなことを聞いてみたくて、ばあちゃるさんの誘いに乗ったところが実はありまして」

「っ! はいはいはいはい! ならね、今から五時間くらいかけてね、ばあちゃるくん流オモシロ動画の撮り方をね――」

「あ、あの、キズナアイさん! こ、この後なんですか……二人で一緒に、お茶とかどうでひょうか!?」

 

 緊張で所々吃りながらも、ミライアカリちゃんは私にそうようなお誘いをしてくれた。顔を紅潮させながら言っているので、まるで愛の告白を受けているみたいだと私は思った。

 

「うん! いいよ! 私もミライアカリちゃんと、もっとお話したいと思っていたから!」

「あ、ありがとうございます! アカリ、実はキズナアイさんに憧れてバーチャルYouTuberになりたいと思って……ははは、今更だけど、ちょっと緊張してきちゃいました」

 

 頬を掻きつつ、ミライアカリちゃんは緊張を誤魔化すようにはにかんだ。

 

「ミライアカリちゃん――っ! こちらこそ、私の動画を楽しんでくれてありがとう!」

 

 嬉しくて涙がこみ上げてくるのを必死になって堰き止めながら、私は満面の笑みでお礼を返した。

 自分の動画に影響されて、バーチャルYouTuberになろうと思ってくれた。その事だけで、救われた気がした。

 

「はいはいはいはい。ばあちゃる君もね、キズナアイさんに憧れて世界初の男性バーチャルYouTuberになった口なんでね。キズナアイさんに憧れる者同士なんでね、ばあちゃるも一緒にそのお茶会に――」

「じゃあ、行きましょう! キズナアイさん!」

「うん! ミライアカリちゃん!」

 

 互いに笑いかけて、二体は豪邸から退出しようと席を立った。

 

「ちょいちょーい!? あのあの、できればですね、ばあちゃる君もお誘いしてほしいなぁ、なんて」

「……行きましょう! キズナアイさん!」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で一瞬ばあちゃるさんを一瞥したが、ミライアカリちゃんは無視して歩を進めた。正常の状態に戻ったドアに手をかける。

 辛辣な扱いをされるばあちゃるのことを、仕方ない事とはいえキズナアイは若干不憫に感じた。

 

「えーと。じゃあまた、次の動画でお会いしましょう?」

 

 会ったときは動画内の挨拶をしたので、何となく帰るときも動画内での締めの言葉みたいなことを言った。

 

「ばあちゃる君はまだ負荷高まってないですよ! フゥゥゥ!!」

 

 ばあちゃるさんもその事に気づいて、動画の締めっぽいことを言った。私はばあちゃるさんの動画を最後まで視聴してないので、実際にそれが動画内での常套語なのかは知らないけど。

 

「キズナアイさーん」

 

 遠くからミライアカリちゃんの声が聞こえた。気づけば彼女は、もうすでにばあちゃるさんの豪邸から離れていた。

 

「あ、いま行くね! お邪魔しました」

「ウビィ……」

 

 しょんぼり肩を落としながらも、ばあちゃるさんは手を振ってくれた。

 その姿を見て、「やっぱ悪いAIではないんだよなぁ」と私は思いを抱いた。初対面の印象が悪すぎた故にミライアカリから嫌々しく思われているが、実際あれは不運による事故だったわけだし、お茶するときに一応フォローを入れてあげよう。

 そんなことを思いながら、私はばあちゃる邸から退出した。



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白い電脳少女とコンビニ暴行

 電脳世界にも喫茶店は存在する。

 現実世界に実在する、とある地域の町並み。住宅地を参考にして造れたこの区域では、多種多様な建築物が多くあるのだ。

 

 ばあちゃる邸から離れた私達は、スタ〇バックスに行き二時間ほど歓談をした。

 バーチャルYouTuberの話題は勿論として、それ以外にも、身にならない雑談を楽しんだ。彼女は話し上手でも聞き上手でもあった為、つい二時間も会話に熱中してしまった。

 「こういうのがきっと女子会って言うのだろうなぁ」と思うほど、充実した二時間だった。

 

「今日はとっても楽しかったよ! また遊ぼうね、アカリちゃん!」

「うん! 今度会うときは、アカリもバーチャルYouTuberになってると思うから! またそのとき動画の事も改めて話し合おうね、アイちゃん!」

 

 そして帰る頃には互いに愛称で呼び合うようになっていた。もうすっかり友達である。

 にこやかな表情でブンブンと手を振りながら、アカリちゃんは私の自宅とは真逆の帰路のほうに歩いていった。その満面の笑顔を見る限り、どうやらあの不幸な事故の件はすでに忘れているようだ。

 

 ――さて。じゃあ私も帰ろうかな。

 余韻で浮き足立ちながらも、私は夕陽色に染まる街道を歩いていった。

 

 

 

「んっ? あの店って、もしや」

 

 そして帰路の最中に私は偶然、その店を発見したのだ。

 

「おぉ! まさかこんな場所に伝説の『コンビニ』があるとは……!」

 

 青と白の色を基調にした外観のどこか見覚えがある気がするコンビニ。それが私の目前にあった。

 コンビニは電脳世界ではとても珍しい建築物だ。私も今日、初めてその未知に遭遇した。

 

「先っちょだけ入ってみようかな……?」

 

 思わぬ発見に胸を高鳴らす私は、半ば衝動的にタッチ式の自動ドアを押した。

 そして、自動ドアが開いて――

  

「いらっしゃいませー」

 

 店員のそんな言葉で歓迎を受けた。

 ちなみにその店員の声は、『男性の声』だった。

  

「――ふえっ? な、なな……」

 

 店員の姿を見て、私はつい呆気を取られた声を上げてしまった。

 おかしい。私の耳はたしかに男性の声を拾ったはずだ。なのにレジに立っているその店員の姿は、男性ではない。

 狐耳が生えている小さな背丈の女の子だった。

 

「ど、どうかいたしましたか? ……のじゃ」

 

 目を剥き放心する客のことを懸念してか、のじゃロリ狐娘コンビニ店員おじさん(即興で考えたニックネーム)は焦った様子で私に声を掛けた。ちなみにその際の声色も男性的なものだった。

 驚きでパチパチと、何度も瞬きをした。もしや幻覚の類かと思って、目を何度も擦る。

 だけど、やはり目前にいる店員の姿は変わることなく、狐耳少女のままだった。

 

「えっと、えーと……」

「――あっ」

 

 驚愕は未だに冷めていないが、このままずっと放心していたら店の迷惑になってしまうことに私は今更気づいた。

 私はなんとかして、胸の中に渦巻く感情を抑え込む。そして必死に笑顔を作ってみせた。

 

「すみません。ちょっと、フリーズしてしまいまして」

「そ、そうですか。なら、その、良かった、です。……のじゃ」

 

 辿々しくそう言って、店員は会釈をしてレジのほうに戻っていった。 

 ――まさか、男性の声を発する女性型AIが開発されていたとは。世の中、なにがあるかわからないものだ。

 私はその場で深呼吸をした。

 そうすることで気を取り直した。

 初めてのコンビニを楽しむため、私は店内を見て回った。

 

「おぉ、このから揚げ美味しそう」

 

 ケースの中にあるチキンを眺めて、私は生唾を呑み込んだ。AIゆえ食欲はないはずなのだが、私の中の人心回路が不思議とその肉を欲している気がした。

 

「すみません。このから揚げ、一つください!」

「はい。から揚げ一つですね。少々お待ちください」

 

 狐娘の店員は、営業スマイルを浮かべてマニュアル通りの対応をした。そして流水の如き自然な手捌きで、チキンを紙で包んだ。

 

「お待たせいたしました。から揚げ一つで150円のお買い上げになります」

「あ、電子マネーでお願いします」

 

 私はポケットからカードを取り出した。

 

「音が鳴るまで、こちらの機械の方におかざしください。……カード決済、完了いたしました。ありがとうございましたー」

「いえいえ、こちらこそ……」

「の、のじゃ?」

 

 お辞儀して礼を返す私を見て、店員は少し戸惑っているようだった。

 あ、別にお礼は返さなくても大丈夫なのか。

 

「あははは。すみません。コンビニに慣れていないもので」

「い、いえ。ありがとうございます……のじゃ」

 

 マニュアル以外の対応はやはり苦手なのだろうか。また辿々しい口調に戻っていた。

 

 さて。初のコンビニだったので若干緊張していたが、なんとか商品を購入できた。

 せっかくだし、今ここで食べることにしよう。ちょうどイートインスペースがあるのだし。

 

「いただきます」

 

 小声でそう言って、私はから揚げにがぶりついた。

 

「あー……まあ、うん。所詮、レプリカはレプリカだよね」

 

 頬張れば肉汁が溢れ出ること間違いない、と期待を抱いてしまう程度にそのから揚げは極上の輝きを放っていたが――実際は、素朴な肉の味しかしなかった。

 

「まずくはないんだけど……」

 

 私がそう感じてしまうのは、きっと味覚システムの味の再現率の悪さが原因だ。どんな物を食べても、単調な味に感じてしまうのだ。

 こうなることは事前から予想できていたとはいえ、やはりガッカリ感が強い。いやでも、決してまずい味というわけではないのだ。何とも言えぬ微妙な味なだけで。

 

 仕方ないので、私はムシャムャと素朴な味のから揚げを作業的に口に入れ続けた。やはり、微妙な味わいだった。

 

 今更だけど電脳世界の食事とは、なんと無意味な行為なのだろうか。食事から栄養を摂る必要のない私たちなので、食品は嗜好品として口に入れることしかないのだが、味が微妙なので嗜好品にすらならない。

 

「ス○バでアカリちゃんと食べた軽食は、不思議と美味しかった気がしたのに――ひとりの食事は、つまらないものだなぁ」

 

 そんなことを思いながら、私はから揚げを口に放り投げた。

 

    ☆

 

 ちょうど、から揚げを半分ほど食べた頃。 

 突然、『ピンポン、ピンポン』という音が店内に鳴り響いた。

 私が入店した際に鳴った音と同質の音だった。つまり、私以外のお客様が、店に来店したということなのだろう。

 まだコンビニに不慣れなせいか、私はついその奇怪な音でまたもや吃驚してしまった。反射的に、音の鳴った自動ドアのほうに振り向いてしまう。

 

「おほ? お客さんがいる。めずら、し――っ!?」

「むむっ!?」

 

 自動ドア付近に立っていた白髪のAIは、私の姿を見て、明らかな動揺をしていた。自然と、互いに驚きの形相で見つめ合う形になっていた。

 

 私は単純に、入店の音で驚いてしまっただけだけど――彼女はなぜ、私の姿を見て動揺しているのだろうか?

 白髪のAIは、目を見開いたまま後ずさった。

 まるで悍ましき姿の化物にでも遭ったみたいな反応だ。

 ワンピース衣装の似合う清楚で可愛い女の子に、そんな反応をされるとは――私はこの世に絶望した。

 

「し、シロさん。どうしたんですか? ……のじゃ」

 

 しばらくして、狐娘の店員は白髪のAIに声をかけた。先程の私のように、まるでフリーズしたかのように挙動が停止していたから心配に思ったのだろう。

 そして言動に親しさを感じることから、彼女たちは友人に近い仲なのだろう。これは、余計な考察ではあるけど。

 声をかけられて、白髪の少女は再稼動したように絶句の状態から我を取り戻した。

 

「えっ。あ、のじゃロリさん。ごめんなさい。ドア前で立ち止まっちゃって」

「い、いや、それは大丈夫、なのじゃ。どうせあんまり客は来ないし……いや、今はその、います、けど」

 

 のじゃロリと呼ばれた店員は、ちらりと私のほうを確認した。

 どうやらこのコンビニはあまり繁盛はしていないらしい。まぁ電脳世界に住まうAIの母数からして、どんなに良い店だろうと繁盛するわけないけど。イートインスペースの広く居心地のいいコンビニなので、現実世界にあったならきっと人気なコンビニ店になっているはずだ。

 

 『シロさん』と呼ばれた白髪の少女は、店の迷惑にならないよう自動ドアから一目散に離れた。雑誌のコーナーに移動して、表紙もろくに確認せずに雑誌を立ち読みした。

 少年ジ○ンプと表紙に大々的に書かれた雑誌を立ち読みする最中で、白髪の少女はチラチラとこちらを様子を伺っていた。私の事が気になって、漫画に集中できずにいるのか、途中からページを捲る手も止まっていた。

 

「……どこかで会ったことあったっけ?」

 

 白髪AIの知り合いなんていたかと、必死に思い出そうとするが、やはりピンと来なかった。

 ということは、考えれる可能性は一つである。

 

「……人違い、してるのかなぁ」

 

 間違いなく、ただの人違いであろう。私のようなパーフェクト容姿のAIなんて滅多にいないとは思うけど、私の優秀な頭脳(CPU)が知らないと告げているのだから、きっと人違いされているだけである。

 警戒されている理由が判明して、私はホッと胸をなでおろした。

 だがいくら勘違いとはいえ、こうもジロジロと見られると居心地悪いのもまた事実だ。

 ここは、黙って退散するのが得策だろう。

 食べかけのから揚げを鞄に入れて、わざとらしくゴホンと咳き込んで私は席を立った。そして無言で、自動ドアのほうに向かって行った。

 

「ま、待ってください! キズナアイさん!」

 

 が、自動ドアのボタンを押そうとした瞬間、白髪の少女に腕を掴まれて挙動を制された。

 反射的に、私は彼女の方へと顔を向けた。すると彼女は、喉に異物がひっかかっているような苦しげな表情で、私の目をじっと見つめた。 

 

 ていうかこの子、いま私の名前を呼びませんでしたか? 

 人違いしてる、というわけではないらしい。

 

「あ、違かった! ……おい、そこの淫乱ピンク。ちょっとワイに、ツラ貸してもらおうかの?」  

「へっ? い、いんらん?」

 

 突然、不機嫌そうに眉をひそめて彼女は言った。

 なぜ、ヤクザっぽく言い直した。しかも、本当にそれらしさがあって、つい吃驚してしまった。

 

「ごらぁ、座れやポンコツ!」

「えぇ、ちょ、やめ」

 

 そして無理矢理、さっき座っていた席に戻された。

 急にどうされたのだろうか、この少女は。とても苛々しているように見える。

 

 と、ビクビクとそんなことを思っていたら、少女は突如として店員のほうに振り向いた。

 乱暴な雰囲気を潜めて、笑顔を作った。

 

「のじゃロリさん。電脳コーヒーのM、二杯もらえる?」

「わ、わかったのじゃ。でも、その、お客様に乱暴なことはしないでほしい、というか……」

「大丈夫。ちょーっとだけ、()()()()()()()()()()()()()()()

「め、女狐?」

「シロ、なにか間違ったことでも言ってますかね?」

 

 白髪の少女はぐるんと振り向いて、伽藍の静けさがある瞳を私に向けて、ニコリと笑った。

 ――『笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である』

 ふと、どこかで聞いたそんな言葉を思い出して、私は草食獣みたいにぷるぷると恐怖で震えた。

 

「の、のじゃぁ」

 

 殺意すら感じるプレッシャーの被害にあってか、狐耳の店員も私と同様に顔を真っ青としていた。もしくは少女が『女狐』という言葉を使ったからだろうか。

 けれども、彼女(彼?)はプロのコンビニ店員。恐怖しながらも、アイスコーヒーを作る手だけは止まらずにいた。

 

「失礼します。こちら、電脳ホットコーヒーM二つです。……あ、シロさんのコーヒーはいつも通りミルクたっぷりなので」

「――っ! キュイ! のじゃロリさん、大好き!」

「ちょ!? し、シロさん? あ、当たって……」

 

 滲み出る殺意をひっこめて、一転して少女は満面の笑顔を浮かべた。そのまま少女は、イルカのような奇声を上げて店員に抱きついた。

 その際に、幼気が残る容姿に反した豊満な乳房が店員の顔に当たってしまい、そのせいで真っ青だった店員の顔が、ぶわっと瞬間湯沸かし器みたいに真っ赤に染まった。

 気弱っぽい男性の声で慌てふためいているので、目を瞑ると、女性経験皆無の男性の姿が脳裏に浮かんだ。 

 

「し、シロさん。コーヒー、こぼれますから」 

「あ、そうだったね。ごめん、のじゃロリさん」

「……あっ」

 

 少女が離れた瞬間、店員はそんな切なげな声を上げた。やはり羞恥は感じても心地良かったのだろう。

 店員は狐耳をしょんぼりと垂らして、レジのほうに戻っていった。

 そしてその瞬間、少女の満面の笑みも消えた。

 

「――おいゴルゥァ! コーヒー飲めやポンコツぅ!」

「えっ!? あ、はい!」

 

 ヤクザ口調に戻った少女は、机を叩くような勢いで私の手前に電脳ブラックコーヒーを置いた。

 先程までは、あんなに愛らしく微笑んでいたのに――刹那の内に、人格が切り替わった。

 白髪の少女に急かされたので、私は手前の電脳ブラックコーヒーを一気飲みした。

 

「――熱っ! した、やけどした。いたい……」

「馬鹿なんですか?」

「……ばかじゃないれす」

 

 少女の辛辣な言葉に対して、私はヒリヒリ痺れる舌で返事した。

 

「……ていうか、あなたのそれって演技じゃなかったんですね」

 

 白髪の少女は呆れた様子でそう言った。

 

「ふぇ。それって、何でしょうか?」

「ポンコツですよポンコツ。ほら、キズナアイさんは動画でよくポンコツ芸してますよね」

「……あー。はい、よくやってますね」

 

 ポンコツ芸と言われるのは誠に心外であるが、確かに私は動画を撮る際には、意識して自分のそういう特徴を曝け出すようにしている。

 普段生活するぶんには短所とも言える特徴を、あえて動画内で自分の売りとして全面的に出しているのだ。そう、あえて、である。

 

「あれ? ていうか、なんで私の動画のことを知ってるんですか。はっ、まさか私のファンとか!?」

「……知りません」

「いやでも、ファンのわりには対応が辛辣すぎるしな……ハっ! もしやあなた、私のアンチですか! まさか、アンチができる程度に有名になっていたとは……!」

「だから知りません! シロ、あなたの動画なんて一度も観たことありませんから!」

 

 舞い上がる私を諌めるように、白髪の少女は煩さが込められた瞳で私を睨みつけた。

 だが、私の名前だけではなく動画の事も知っているのなら、それは私の動画を一度は観たことあるという証明になるのではないか? まあこの辛辣な対応を見る限り、残念ながら私の動画で不快な思いをさせてしまったみたいだけど。

 だから初対面にも関わらず、彼女は私の事を露骨に嫌悪されているのかもしれない。

 もしそうだとしたら、彼女に謝罪する義務がある。

 

 私は席を立ち、そして頭を下げた。

 

「ごめんなさい。私の動画が、そんな見るに耐えないものだったなんて……。私としてはすべての動画が自信作のつもりなんですが、どうやら空回っていたようです」

「えっ」

 

 突然の謝罪に、白髪の少女は目を見開いた。

 

「いえ。何度も言いますがシロは別に、キズナアイさんの動画が不快だったからとか、そんな理由で強く当たっているわけではなくてですね」 

「……動画は関係ない? ならなんで、私に辛辣なことばかり言うんですか。初対面なのに」

「それは……その……」

 

 もじもじと、金髪の少女はなぜか顔を紅潮させて黙り込んだ。

 頬を赤らめる理由は不明だが、おそらく言葉にしにくい事なのだろう。

 つまり、どういうことか――

 

「ハッ! まさか、不快なのは動画じゃなくて私の存在……っ!」

「違います! ……あ、でも、あながち間違いではありませんね」

「ガーン」

「でも、それが主な理由ではないです。不快だからって理由だけで突っかかるようなパリピ型AIじゃないですから、シロは」

「……じゃあ、なぜ私に突っかかったんですか」

 

 結局はそこである。動画は関係ないけど、私のことを嫌悪している。自分の言うのもなんだが、私から動画抜けば、残る物なんて何もない。

 

「心当たり、ありませんか?」

「申し訳ないですが、まったく」

 

 鋭い眼光で問う少女に対して、私も少し目を鋭くして言い返した。流石にそろそろ苛々してきたのだ。

 互いに睨みつけながら、しばらく無言の時間が続いた。

 

「…………。今日、あなたはどこに行って、何をしていましたか?」

「えっ?」

 

 意図が全く汲み取れない質問をされた。

 

「できれば正直に答えていただけと助かります。もしかして、シロの勘違いだったのかもしれません。もしそうだったら、失礼な態度をしてしまったことをきちんと謝りたいので」 

 

 少女は真っ直ぐと私の瞳を見つめながら言った。先程まで敵愾心は、多少沈着しているようだった。

 

「え、えっと」

 

 私は今日の出来事を思い返した。そして個人情報に関わることを一部ぼかして、その内容を語る。

 

「……今日は、ちょっとしたオフ会をしました。他のバーチャルYouTuberさんにお誘いしていただいたので。それと、主催者の馬がバーチャルYouTuberの学校を創立することを提案したので、その話し合いもしましたね」

「その際に、変な事ありませんでした?」

「変な事? えーと、ドアに手足が埋まってAIが拘束されるという珍事件は起きましたけど」

「それだけですか?」

「それだけ、だったような……」

 

 一番衝撃的だった出来事といえば間違いなくその事件だけど、他にもなにか、乙女の尊厳に関わる事件があったような気がした。

 アカリちゃんと喫茶店で雑談したときにも、耳にたこができるほどその事についての愚痴を聞かされた。

 『本当に偶然だとしても殴りたい』とか、『電脳警察があるなら今からでも通報したい』とか。

 

「――あ、そうだ。あと一つだけ、記憶に残る事件がありました」

「なんですか?」

「お馬さんがおっぱいを触ったことです」

 

 ばあちゃるさんがアカリちゃんに対してラッキースケベしてしまったことを、名前などの個人情報を伏せて少女に伝えた。 

 

「――――――ハッ?」

 

 ドスの効いた声で少女は言った。

 途端、少女の瞳からハイライトが消えた。

 

「……申し訳ありませんけど、もう一度言ってくださいません?」 

「だからその、淫らなお馬さんが女性のおっぱいを揉みしだいた、と」

「おっぱいって、あのおっぱい? 哺乳類のメスに存在していて母乳を分泌する機能がある、あのおっぱいですか?」

「はい。多分、そのおっぱいで間違いないかと」

「間違いないんですね! ウフフフフフフフっ」

「ヒェ」

 

 少女は不気味な笑い声を絶えずに上げた。

 明らかに笑っていない表情で言い続けるので、壊れた人形の印象を受けた。

 十秒ほど不気味な笑い声を上げ続けた少女だったが――

 

「――パイーン」

 

 一言、そう呟いた。

 

「……えっ」

 

 そしてその呟きとほぼ同時に、突如として私の右頬に衝撃が走った。

 呆然としたまま、無意識で自分の右頬に触れる。

 ――痛い。あと引くような擬似的な痛みが頬に響いていた。   

 いきなりの事で、まだ頭が混乱している。

 現在私が理解できていることは、右頬がとても痛むという事と――目の前の少女が、憤激の表情で涙を流しているという事だけだった。

 

「……脳味噌ぱっぽんされてしまえ」

「えっ?」

「死ね!」

「えッ!?」

 

 意味不明な罵倒らしい言葉を呟いたあとに、少女は直接的な罵倒を怒鳴るように言った。

 

 そして少女は、親の仇を見るような瞳で私を睨みつけた後に、なぜかレジの方に向かった。

 

「……のじゃロリさん」

「はいッ!」

 

 邪悪な雰囲気を発している少女に怖気づいて、狐娘の店員は表情を強張らせて兵隊のように敬礼をした。

 

「シロねぇ……殺傷力が高そうな、鋭利的に角張ったお豆腐さんが欲しいなぁ」

「はい! 持ってくるであります! 上官!」

「それとねぇ……殺傷力が高そうな、鋭利的に角張ったカプリコさんも欲しいなぁ」

「はい! 持ってくるであります! 上官!」

 

 少女に注文されて、店員はせっせと豆腐とカプリコを見繕って持ってきた。

 見事なほど綺麗な角張りをしている豆腐と、逆向きに握れば、まるで槍のように見えるカプリコである。

 

「ど、どうぞ。シロさま」

「うむ。苦しゅうない。よきにはからえ」

「ははー」

 

 時代劇のようなやり取りをする二人。店員は献上物が入ったレジ袋を少女に手渡して、ささっと逃げるようにレジに帰還した。

 少女は無表情で、レジ袋から豆腐とカプリコを取り出した。

 しばらくの間、少女はそれらを見つめ続けた。

 

「――ウフフっ」

 

 突如として少女は、うっとりとした表情を浮かべて豆腐とカプリコを艶っぽく撫でた。

 

「ヒェ」

 

 不気味な笑い声を一瞬すら絶えずに上げて、謎極まりない奇行に及ぶ少女の狂気的な姿を見て、私はつい怖気づいた情けない声を上げてしまった。

 名状しがたい恐怖で、腰が抜けてしまった。

 彼女が行っている何もかもの事が、私にはわけわからなかった。

 彼女はなぜ、私を平手で打ったのか。彼女はなぜ、うっとりとした表情で、豆腐とカプリコを撫でているのか。

 理解不能な出来事が続けて起こったので、私の(CPU)にはフリーズする寸前の負荷が掛かっていた。

 

 少女は、不気味な笑い声を一旦止めて独り言を呟いた。

 

「……人って、どれくらいの勢いで豆腐のカドに頭をぶつけたら死んでくれるんでしょうねぇ」

「――」

「カプリコのお尻の部分で、人を刺殺できないかなぁ」

「――ひぇ」

「試したいなぁ。やりたいなぁ」

 

 ハイライトの消えた瞳でチラチラと私の方を見ながら少女は言った。

 ま、まさか、いま言った二つの事を、私に対してやるつもりなのでは。

 私は顔面蒼白になった。

 

「お、落ち着きましょう! 何に怒ってらっしゃるのか全く見当も付きませんが、とりあえず落ち着こう! 熱暴走は故障の原因、もといお肌の敵ですよ!」

「……んっ? シロ、別に怒ってないですよ。唐突に、人をキルしてみたい知的好奇心に駆られただけですよ。あなたとお馬さんがオフ会で淫らな事をやっていたからって、シロは別に、怒らないし、ウザくないし……ていうか殺したいだけだし。ていうかシロはただ、身内の恥を早々にキルしたいだけだから。シロの気持ちはまったく関係ないし……」

 

 少女のぶつぶつとそんなことを呟いた。

 

 ――私とお馬さんが、淫らな事をしていた?

 

 途中からボソボソとした声になったので聞き間違いかもしれないが、少女はそのように言っていた。

 淫らな事? 全く、身覚えがない。

 もしや少女は、なにか勘違いをしているのではないか?  

 

「あの……シロさん? で合ってますよね。多分ですけどシロさんは、なにか勘違いしているのでは――」

「うるさいうるさいうるさい! お前なんか、この鋭利的なお豆腐さんで撲殺してやる!」

 

 威嚇するように、少女は豆腐を構えた。

 

「し、シロさん。その、流石にそろそろ、矛を収めてもらわないと、わらわも困りますので……のじゃ」

「のじゃロリさん……」

「とりあえず、一度話を整理しましょう。第三者として聞いていましたが、話がこんがらがってわけわかんなくなってると思うのじゃ」

 

 ビクビクと震えながらも、店員は仲裁に入った。

 そして、勇気を振り絞って続けて言った。

  

「わらわ思うんじゃけど……お客様とシロさんの会話は、微妙に噛み合っていないと思うのじゃ。シロさんが興奮してお客様の話を全く聞こうとしないから、会話が噛み合わないんだと思います。重要な情報だけ伏せて話を進めているから、わけわからない感じになっていると思う、のじゃ」

「……確かに。正直私、なんで彼女にキツい扱いをされているのか全くわかってないです」

「その、お二人は初対面、なんですよね? お客様。わらわは、シロさんとは以前から交友があるので知っているのですが、シロさんって普段は、あんな理不尽に人を責めるような人では決してないんですよ。マイペースで、ちょっと変わったところがある子なんですけど……それでも、とても優しい子なんです。そんな彼女が機嫌を悪くしているのには、なにか理由があると思うんです。だから、シロさん。なぜお客様に怒っているのか、その理由を話してもらえませんか? そうしたら、もっと会話がスムーズに進んでくれると思うし、互いの誤解も解消されると思う……のじゃ!」

 

 思い出したかのように、狐耳の店員は語尾を付け足した。

 語尾はともかく――彼女(彼)は第三者としての客観的意見を言ってくれた。散らばっていたピースを、綺麗に整理整頓してくれたような意見だった。

 

「…………」 

「その、シロさん? このまま店内でごたごたされると、お客様も困りますから。申し訳ないんじゃけど、できれば怒ってる理由を話してくれると、わらわも助かるのじゃ」

「…………いやだ。言いたくない」

 

 我が儘を言う子供のように少女は首を振った。

 

「その言いたくない理由は話せますか? なんだったら、俺に……じゃなくて、わらわに耳打ちで伝えるだけでもいいんですよ! わらわ、口下手だけど、良い感じに伏せて、良い感じに要点だけお客様に伝えますので!」

「ううん。恥ずかしい事なの。のじゃロリさんにも言いたくない」

「うーん。困ったのじゃ」

「……あの、もしかしてなんですけど、シロさんってばあちゃるさんの御知り合いなんですか?」

 

 私は、『もしや』と思っていたことを聞いた。

 狐耳の店員が中心となって話してくれた最中に、私も自分なりに少女の発言の整理を行っていたのである。

 先程までは頭が混乱していて気づかなかったが、少女は何度か、ばあちゃるさんの事を知っているような発言をしていた。何かしら、繋がりがあるのだろう。

 少女は不機嫌そうにふくらっ面をして、コクリと頷いた。

 

「やっぱりそうなんですね。いえ。だからって、どうかしたってわけではないのですが」

「…………」

「え、えーと……。あの方、ふざけた言動してるけど意外と良い馬ですよね!」

「……良くないし。道行く適当な女の子に告白しまくるような淫馬だし」

「えっ、そうなんですか?」

「うん。そうなの。あの馬、可愛い女の子の前だと、いつも鼻の下を伸ばすの。これだからパリピは……」

 

 ちっ、と少女は舌打ちした。

 

「だから、あの馬には注意が必要なの。……あの馬のことだから、オフ会で絶対で変な事してる。パリピは出会い目的でオフ会をする。シロ、知ってるんだ」 

「……?」

 

 途中からゴニョゴニョと呟いたので、音を拾えなかった。

 少女は咳払いを合図に課題転換した。

 

「……まあ、いいです。のじゃロリさんの言うとおり、シロも一方的だったところがありました。その点はごめんなさい」

「えっ、あ、はい。こちらこそ」

 

 思いのほか、すんなりと謝罪された。

 今までずっと感情的な言葉しか当てられてこなかったので、様変わりして落ち着いた言動になった少女の言葉に、私は僅かながら動揺を見せてしまった。

 されど、少女の顔には未だに敵愾心が映っていた。言動の敵意が薄まったとはいえ、私をなぜか敵視していることは変わらずのままらしい。

 少女は、視線を店員のほうにズラした。私と対峙する際に固定された仏頂面ではなく、とても申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

「……のじゃロリさん。店内で騒いじゃって、ほんとにごめんなさいでした」

 

 少女は丁寧に腰を曲げて謝罪した。

 

「い、いえ。迷惑じゃなかった、と言えば嘘になりますけど、反省してもらえたなら、わらわはそれで良いですから。ていうかわらわに対する謝罪は一切いらないから、お客様にもっと誠意を込めて謝罪するべき、だとわらわは思います。……のじゃ」

「そこのところは大丈夫です。のじゃロリさんが仰っていたように、シロは当事者の言葉に一切耳を傾けず、自分の思い込みばかり過信していた節があるみたいですから――ちゃんと順序を踏んでから、またキズナアイさんに尋ねることにします。()()()()()()()にでも」

 

 さらりと殺意に塗れたワードが聞こえた。おそらくただの幻聴だろう。

 念の為、私はばあちゃるに対して黙祷を捧げた。

 

「ということで、シロは帰ります。のじゃロリさん、じゃあね」

「あ、はい。その、ありがとうございましたー?

のじゃ」

 

 少女は、店員に手を振って自動ドアをくぐり抜けた。

 やっと帰ってくれるのかと、私はつい意地の悪いことを思ってしまった。だが、明確な嫌悪を向けてくる相手に理不尽な罵倒を浴びせられると、かなりの精神力を擦り削られるのだ。やっと解放されたので、私はホッと溜息を吐いてしまった。

 

「キズナアイさん」

 

 自動ドアをくぐり抜けたところで、少女は私の方を振り向いた。そして言った。

 

「また近日、()()()()()()()()()

「えっ」

「それでは」

 

 引っかかりを覚える一言だけ残して、少女は早歩きで去っていった。

 

「学園って。まさか――」

 

 言及するため呼び止めようとするが、その時にはもう少女は遠い背中をしていた。

 

 学校で会いましょうと、少女は言っていた。

 

 彼女はばあちゃるさんの知り合いだと言っていたので、学園のことを知っていること自体に違和感はない――だが、あの言い方。もしや彼女も、計画に加担しているのだろうか。  

 ふと私はばあちゃるさんの発言を思い出した。

 

「……そういえばあの馬、私とアカリちゃんの他にも参加者がいるとか言っていたような」

 

 可愛い子が参加するかもしれないと、ばあちゃるさんは言っていた。 

 あの少女の容姿は、美男美女モデルのAIが多いこの電脳世界の中でも上位に入るほど愛らしいものだった

 もしや彼女こそがばあちゃるの言っていた、バーチャルYouTuberをやるかもしれないAI、なのではないだろうか。もしそうだとしたら、初対面なのに私のプロフィールを知っていたことにも合点がつく。

 

「あの、お客様。申し訳ないのですが、そろそろ閉店のお時間ですので……」

 

 狐耳の店員は、私の顔を伺いながら言った。

 

「えっ? コンビニって、年中無休で開店してるものじゃないんですか?」

「申し訳ありません。電脳コンビニは、現実のコンビニとは違う経営方針でして……」

「へー、そうなんですか」

「申し訳ありません、のじゃ」

 

 店員は、丁寧に頭を下げた。

 外はすでに真っ暗に染まっている。先程までは夕陽で照らされていたのだが、もうすっかりと夜の時間帯に入っていた。

 

「そうですね。では私はこれで」

「ありがとうございましたー」

 

 コンビニ店員としての常套句だと思われるその言葉を聞きながら、私は自動ドアをくぐり抜けて店外に出た。

 

 ――途端、これまでの精神的負荷が一気に表に出てきた。足腰が緩んで、尻もちをつきそうになった。

 

「……ハァ。なんかとても疲れた」

 

 自然と、大きな溜息が吐いてしまった。

 

 ただ興味本位でコンビニに入店しただけなのに、まさかここまで精神的負荷がかかることになるとは。

 とはいえ、決してコンビニは悪くない。あの少女が、理不尽ないちゃもんをつけてきたことが悪いのだけれど――または、あの変な少女と偶然的に出会ってしまった私の運が致命的に悪かっただけだ。

 

 あの少女に関したことで、まだ未解明なことは沢山ある。

 今度また会うときまでに、彼女が私のことを親の仇の如く嫌悪していた理由を、私なりに考察したほうがいいのかもしれない。

 けれど、今日は帰ったらまず先に――

 

「……動画、作りたいなぁ」

 

 夜道を照らす街灯に当てられながら、私はいつものようにそう思った。

 

  

 

 

 

 




 5月5日の13時辺りに、夜桜たまちゃんがツイッターで『私立ばあちゃる学園』という言葉を発言した事を確認しました。 
 そちらに合わせて、拙作のタイトルを『私立!バーチャル学園』から『私立ばあちゃる学園』に変更させていただきたいと思います。
 


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そうだ 学園、行こう

 ばあちゃる邸を訪問したあの日から、約二ヶ月が経過した。

 現時刻は7時。つまり、現実世界で一般的に朝と定義される時刻だ。人間たちが一斉に起床するこの時間に、私は静かに朝のニュースを聴いていた。

 世間の流行を把握する為にも、私はテレビを日常的に付けるよう心掛けている。朝にニュースの確認をする事は勿論、他にも夜のバラエティ番組や深夜アニメ等など――三次元、二次元を問わずに、主にアイドルが登場する番組を日頃から私は視聴しているのだ。

 

 もはや日課のように、ニュースキャスターのお姉さんの滑舌が良い美声を私は心地良く傾聴していた。

 ニュースはある程度聞き流すものだと私は思っているので、いつもならその内容は曖昧模糊にしか耳に入って来ないのだが――今日は、いつもと違う体勢で私はニュースキャスターさんの声を聴いていた。

 今日のニュースは、特別に私の感興をそそらせる内容だったのだ。

 

『近頃ネットでは、とあるアプリが流行っています。

 "VRChat"という名の、仮想空間上で他者とコミュニケーションを取ることができるネットワークサービスです』

 

 淡々とした口調で、ニュースキャスターの人はその説明をした。

 ――VRChat。そのアプリの事は、私も以前から知っていた。

 簡潔に説明すると、ネット上で無料配布されたアバター、または自作のアバターの姿を借りて、仮想空間を擬似的体験することができるアプリだ。

 電脳世界に()()()()世界を体感できるというその画期的な性質から、以前から一部ネット民の注目を集めていた。

 まさか、地上波放送のニュースで挙げられるほど有名な物に成っていたとは。正直、驚きを隠せなかった。

 

『なお、VRChatの他にも、"VRWorld"というアプリも最近インターネットで話題に上がっているらしく――』

「えいっ」

 

 キャスターさんが淡々と語る途中で、私はブチッ、といきなりテレビの電源を切った。

 いつもなら話の区切りがつくまで、テレビは切らないのだが――今日だけは、一つ都合があったのだ。

 朝早くから、外出しなければならない用事がある。

 私は時計をちらりと見た。時計の針は、約束の時間に刻々と迫っていた。

 私は編集ソフトを閉じてからパソコンをシャットダウンした。そして少し慌て気味に、玄関のほうに向かった。

 家から出た私は、朝の穏やかな陽光を全身で浴びた。心地の良い日光の感触を味わいながら、私は昨日にメールで貰った地図の指す方向へと歩いていった。

 

「――学校、どんな感じに出来上がっているのかな。楽しみ」

 

 期待に胸を膨らませて、私はそう呟いた。

 そう。今日は、初登校日なのだ。

 バーチャルYouTuberの育成を目的に創られた学校――『私立ばあちゃる学園』に、私は今日から通うのだ。

 

 

 ☆

 

 

「はいはーい! キズナアイさーん! 世界初男性バーチャルYouTuberのばあちゃる君はね、ここに居ますからねー!」

 

 新築の校門の前には、大きく手を振っているばあちゃるさんが居た。

 あと、ばあちゃるさんから3メートルくらい離れた場所に、目を伏してスマホをいじっているアカリちゃんも居た。

 

「アカリちゃーん!」

「あっ、アイちゃんだ! ハロー!」

 

 スマホから目を離して、アカリちゃんは弾ける笑顔を浮かべた。海外の挨拶のように、飛び込んでハグをした。

 

「ちょいちょーい。キズナアイさーん。ばあちゃるはここにいますよー」 

 

 隣から聞こえる煩わしい雑音については無視を貫くとして、私はアカリちゃんとキャッキャと仲良くお話を続けた。

 

「アカリちゃん! 二日前に上げられてた初めての動画、観たよ! とっっっても可愛かった!」

「ありがとうアイちゃん! いえ、アイちゃん先輩! 一生懸命がんばって、アカリもアイちゃん先輩みたいな面白い動画を作っちゃうからねー」

「うん! ファンとして応援してるよ!」

「ちょいちょーい! ばあちゃる君の声、聞こえてますかー?」

 

 なんとめでたくも、アカリちゃんはつい先日にバーチャルYouTuberデビューを果たしたのだ。

 私も微力ながらその助力をした。デビュー準備期間の約二ヶ月の間、週に三回のペースで例のスタバに通ってデビュー準備の手伝いをしたのだ。まあ手伝いと言っても、私が助力できた事なんて経験則に基づいた些細な心構えを教授した程度だけど――何分、アカリちゃんには()()()()()()が付いているので、私から口出しできる事なんてその程度しかなかったのだ。

 

「そういえば、あの協力者のAI――ルームメイトのエイレーンさんは元気にしてる?」

「うん! 元気だよ! いつも暗い部屋でパソコンの画面の前で気持ち悪い声を上げてるけど、たぶん元気だよ!」

「……年中無休でパソコンに向かって動画製作している私が言えたことじゃないけど、たまには外出したほうが健康にいいんじゃないの?」

 

 AIに健康も不健康も無いけど、ずっと部屋に閉じこもっていると鬱屈した気分になってしまいそうだ。

 彼女のルームメイトにしてバーチャルYouTuber活動の協力者のエイレーンさんは、私同様に人心回路が搭載された最新型の人工知能だ。ストレス等のデメリットも感じるように仕組まれているため、定期的に外出をして気分転換をしたほうが良いはずだ。

 

「エイレーン曰く、『むしろ部屋に引きこもっているほうが元気湧く』らしいけどねー。たぶん無理だと思うけど、今度またスタバに行くときには外出するよう誘ってみるね」

「うん。お願い。エイレーンさんとはまだスカイプ越しでしか会話したことないしねー。技術的な相談ができる人だから、仲良くしたいかな」

「ばあちゃる君もね、技術力は並以上あると思うんでね。技術で困ったときはばあちゃる君に相談してくれても一向に構いませんからねー」

 

 再び隣から雑音が聞こえた。私はそっぽを向いて呟く。

 

「それにしても、大きい校舎だね!」

「そうだね! これ、建設費にいくらくらいしたんだろう……?」

「はいはいはいはい。それはね、君たちは気にしなくてもいい事ですからねー。ばあちゃる君が創りたいからね、創っただけですからねー」

「……ばあちゃるさんって、なんだかんだ言っても人柄は良い方ですよね」

「はいはいはいはい! ありがとうございますねー」

 

 幾度も無視されても一切めげないその姿勢に根負けして、私は嫌々ながらも今日初めてばあちゃるさんを視界に入れた。

 そのウザ絡みゆえか、または性格的な相性が致命的に悪いせいか、私はイマイチばあちゃるさんの事を好きになれないのだけれど――そう思う反面、根の性格がとても良い人という事を鮮明に理解しているので、どうにも完全に嫌悪的な瞳で見ることも難しい。何ともムズムズとした気持ちにさせてくれるAIである。

 

「あれ? ばあちゃるさん。後ろにいるその方は――」

 

 今日初めてばあちゃるの姿を視界に入れることで、私はやっとその者の存在に気がついた。

 ばあちゃるさんの背後に、一体のAIの少女が隠れていたのだ。見覚えのある髪色をしている少女だった。 

 

「……どうも」

「ど、どうも……」

 

 ばあちゃるさんの長身の後ろに身隠れしている少女は、こちらに目を合わせずにペコリと挨拶をした。

 親の背後に隠れる内気な娘のように、ばあちゃるの背後におそるおそる隠れている。

 かつてコンビニで邂逅を果たしたあの時の少女がそこには居た。

 

「はいはいはいはい。キズナアイさん。申し訳ないんですけどね、この後、ちょっと職員室に寄ってもらってもいいですかね?」

「はい。構いませんけど」

「すみませんね。……『いざこざ』は、早いうちに解決したほうがいいですからね。はいはいはいはい」

  

 少し声を沈ませてばあちゃるさんは言った。

 いざこざ――そう言われて私の脳裏に瞬時に浮かび上がったのは、不可解の蟠りだけを残して一旦終着をしたあの事件の記憶である。

 もう三ヶ月も前の出来事ではあるが、未だに私はその時の事を鮮明に記憶している。まるで交通事故に遭ったかのような感覚だった。または、ゲリラ豪雨である。失礼な言い分ではあるが、私からしたらそういう災害的な事件に出くわした気分だったのだ。

 私の中の彼女は、今でも『それらに類似した』存在である。この二ヶ月の間、その印象だけは全く色褪せずにいた。

 

 ――まあ、それはともかくとして。

 

「……可愛いなぁ」

 

 蕩けた表情で私はボソリと呟いた。

 白磁のような肌艶と、あどけなさの残る端麗な顔だち。それと、銀よりも白色寄りの艶のある髪質――何度も見てもその少女には、美しく可愛い要素が詰まっていた。

 可愛い。可愛いのだ。しかも今の彼女は、まるで内気の子供っぽく、ばあちゃるさんの背後にビクビクと隠れている。そのあどけない挙動が小動物的でさらに可愛い。交通事故やゲリラ豪雨を連想できた以前の彼女は、まるで別人の表情だった。

 

「アイちゃん、その子と知り合いなの?」

 

 アカリちゃんは白髪の少女を指さして私に聞いた。

 

「うん。ちょっと前に、色々とあってね」

「へー、そうなんだ。ほんと可愛いよね、この子! 恥ずかしがり屋ってぽいから、ずっとばあちゃるさんに隠れているけど、お姉さんもっとあなたと仲良くなりたいなー」

 

 頭を撫でようと、アカリちゃんは少女の頭に手を伸ばした。

 だが、すんでのところで避けられた。

 

「…………」

「怖がらなくていいんだよ! 食べたりしないから!

ほんとだよ!」

 

 警戒を解くため必死の笑顔でそう言って宥めるアカリちゃんだが、全く心を開こうとせずに少女は身を縮こめた。

 その様子をみて、ばあちゃるさんは助け舟を出すよつに口を開いた。

 

「はいはいはい。いやー、すみませんね。シロちゃんはちょっと人見知りなところがあるんでね。時間をかけて徐々に距離を詰めてもらえると、シロちゃんも気が楽になると思いますんでね!」

「そのほうが良さそうですねー。ごめんねシロちゃん!

グイグイいっちゃって!」

「……いえ、その、こちらのほうこそ、ごめんなさいです」

 

 おそるおそる顔色を伺いつつ少女は辿々しくも謝罪した。

 そのやり取りを見て、私の胸に若干の違和感が生じた。

 

「(この子……こんなに大人しい子だったっけ? )」

 

 当然の疑問だった。なにせ、明らかに以前の彼女と人柄が違う。以前に会ったときの彼女は、もっと苛烈な感じだった。

 今度の彼女からは、演技感は一欠片も感じられない。意図した行動ではなく、素の反応なのは間違いないだろう。

 この辿々しい感じ。あの時に顔見知った狐娘の店員を思い出す。

 

「はいはいはいはい。じゃあみなさんね、今日初めてばあちゃるの学校に登校してくれたということでですね、軽く校舎案内をしますからねー」

 

 白髪の少女から臭う別人疑惑について考えを巡らせていたとき、ばあちゃるさんは皆に向けてそう言った。

 

「はい。そうですね。学校ってどういう中身をしているのか、とても楽しみです!」

「アカリも楽しみだなぁ。あ、そういえば学校には七不思議が付き物だと聞きますけど。ちなみにこの学校にはそういうものはあるんですか?」

「はいはいはいはい。それも含めてね、後々皆さんで決めていくんでねー。はいはいはいはい」

「……七不思議って、そういうものなんですか?」

「はいはいはい」

 

 適当に返すばあちゃるさんは、いつもの独特な鳴き声を上げながら校門を通って行った。

 私とアカリちゃんも、その後ろ姿に付いて行こうとした。

 

「シロちゃん! お姉さんと一緒に行こう!」

「えっ。あ、はい」

 

 ばあちゃるが先に行ったことにより、隠れる背中を失ってひとりで淋しげに佇んでいた白髪の少女に、アカリちゃんは手を差し伸べた。

 アカリちゃんの積極性に少し戸惑いながらも、少女はその手を取った。子供のように扱われている羞恥ゆえか、頬にほんのりと朱色に染まっていた。

 

 その姿を見て、私は一度立ち止まり首を傾げた。

 ――うむ。やはり、何というか。

 

「……別人?」

 

 そう思わずにいられないほど、今の彼女は以前の彼女と真逆な性格だった。

 ばあちゃるさんは彼女の事を人見知りだと言っていたが、はてさえ真の人見知りは、コンビニで偶然会った初対面の人にビンタを与えられることができるのだろうか。

 余程の怒りを買わない限り、そんな行動に打って出ようとは思えないはずだ。だが生憎ながら私は、彼女に対して反感を買うような行動を見せた覚えがまったく無い。

 

「まあそこらへんも含めて、もうすぐ判明することか……」

 

 溜息を吐いて、私は一度その事をすべて記憶の彼方に置くことにした。どうせ私だけで色々と考えても、納得のいく結論など出ないのである。実に不毛な思考だった。

 

「さて。気分を変えて、学校巡りでも楽しみましょうかねー!」

 

 まるで遊園地のアトラクション巡りをするかの心地で私は言った。

 初めて学校の校門をくぐるというのは、思いのほか興奮する行為である。新天地に足を踏み入れる感覚に近く、現実世界の小学校の入学生たちも最初はそのよつな希望を胸に抱えて学校に通うらしい。――まあ一年もせずにその希望は絶望に変じるという噂も聞いているのだが、今を楽しむ為にもその情報を仕舞っておこう。

 

「アイちゃーん! はやくはやくー」

「うん。いま行くー」

 

 アカリちゃんは校舎前で手を振っていた。私は追い付こうと駆けてそこに向かった。

 

 

 

 

 



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ツンデレってこれであってますか?

「ほんとうに、申し訳ありませんでした!!」

 

 深々と頭を下げる少女は、叫ぶような謝罪を述べた。微かに、その声色は震えている。

 真剣味が帯びるその姿には、敵意らしきものが一切見受けられない。かつて少女は赤く煮え滾った敵意を私に対して向けていたが、まるでその出来事が嘘だったかのようだ。

 

 ――その姿を見て、私は思った。

 おそらく彼女はこの三ヶ月の間、激しい後悔に絶えず苛まれていたのだろう、と。

 

 己の思い込みで、一時の怒りで、初対面の相手にひどい罵倒を一方的に浴びせた。そして挙げ句の果てには暴力まで振るってしまったのだ。

 どうやら、()()()()()()が素の性格らしい彼女の事だ。誤解だった事に気づいた時から、良心の呵責という名の棘が、深く胸に突き刺さっていたのだろう。

 ――さて、どう対応するべきか。私は悩んだ。

 

 叱ってから許すべきか。

 それとも、気に留めない態度で、一笑に付して許すべきか。

 

 少女の将来を思うなら、過ちを犯した彼女のことを強く叱ってあげたほうが良いのかもしれない。

 同じ徹を踏ませない為に、彼女に叱責を与える。それは大人として、間違っていない教育的選択のはずだ。

 たぶん、そっちのほうが正解なんだなと、私は何となく確信していた。

 でも、私は――

 

「――よし! 可愛いから許す!」

 

 どうしてか――()()()()()には、過剰なほど甘くなってしまう癖があるのだ。

 

 とまあ、こんな、実にあっさりとした感じに。

 私は、険悪気味だった白髪の少女と――シロちゃんと、和解したわけである。

 

 

   ☆

 

 

 

「おや、思っていたより早かったですね。はいはいはいはい」 

 

 職員室前で、私達の話し合いが終着するのを待っていたばあちゃるさんは、少し驚いたように言った。

 

「シロちゃん、ただの勘違いだったと気づいていたみたいでしたから」

「まあともかくね、ばあちゃる君的にはね、二人が仲直りしてくれたようならとても嬉しいんでね。はいはいはいはい」

 

 安堵した様子で息を吐きつつ、ばあちゃるさんはそう言った。

 まだ二度会っただけなのに、仲を直すと言うのも少し語弊があると思うけど――まあ確かに、そういうふうに見られる程度には仲良くなれたとは私も思う。

 私とシロちゃんは現在、仲良く手を繋いでいた。

 シロちゃんのオドオドとした仕草に保護欲が駆られて、勝手に手を絡めただけではあるが、シロちゃんも別に抵抗らしい事はしないので『その程度には心を許された』という事だろう。

 可愛い女の子と仲良くなれて、私は今とても上機嫌だった。 

 

「そういやばあちゃる君、結局シロちゃんとキズナアイさんのふたり間になにが起こったのか、いまいち理解していなんですよね。はいはいはいはい。キズナアイさんと喧嘩した、ってことはシロちゃんに教えてもらったのですが、それ以外の情報はね、シロちゃんは特になにも教えてくれなかったんですね」

「……馬に話すことなんて何もないし」 

「シロちゃんが話したくないならね、はいはいはいはい、ばあちゃる君はその事について無理矢理聞き出そうとも思わないんでね。安心してくださいねー。はいはいはいはい」

「…………別に、話せない事ってわけでもないし」

 

 そう言ってシロちゃんは、頬を膨らませてそっぽを向いた。

 私は、ばあちゃるさんとシロちゃんのその会話を――にへらとした緩んだ表情で眺めていた。

 

「(ムフフ。初いのぉ初いのぉ。可愛いのぉ。保護欲が、保護欲がインストールされちゃうぅぅぅ!!)」

「アイさん! その変な顔やめてください!」

「おっと。ごめんごめん。つい、ね」

 

 シロちゃんに指摘されて、私は顔の緩みを抑えるよう意識した。

 でも、ちょっと気を抜いたら瞬く間に緩んだ表情に戻ってしまいそうだ。

 だって、()()()()()()()()()を聞いた後なんだから。

 

「いやぁ、ふたりが仲良くなってくれて、ばあちゃる君はとてもとても嬉しいですね。はいはいはいはい」

「――もう、馬なのに親面しないで!」

 

 厳つい表情で、シロちゃんはばあちゃるさんを強く睨んだ。

 でも、気のせいだろうか。そのトゲドゲした対応の中には、なにか親愛のような感情が含まれている気がした。

 

「(気のせい、じゃないよね。きっと)」

 

 私は先程の会話を――シロちゃんに謝罪を受け入れたその後の会話を思い出した。

 なぜ、私のことをあんなにも嫌っていたのか。あの日からずっと胸の奥にあった引っ掛かりを解消するために、私はシロちゃんに、誤解した理由を語ってもらったのだ。

 

 せっかくだ。先程の会話を回想する事にしよう。

 ほんの少しでも彼女たちの関係から、私では絶対にインストールする事ができない『その感情』を学ぶ為にも。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「――よし! 可愛いから許す!」

 

 もはや雄々しさを感じるほど堂々と腕を組んで、私はシロちゃんに謝罪の返答を告げた。

 

「…………はい?」

 

 シロちゃんは、鳩が豆鉄砲を喰らった顔をして首を傾げていた。

 どうやらCPUの言語処理が追いつかず、私の言葉の意味がまだ理解できていないようだ。

 仕方がない。もう一度だけ、私はことを言ってあげることにした。

 

「可愛い! シロちゃんはメッチャ可愛い! 可愛いは正義である! ゆえに、許す!」  

「え、えぇ!?」 

 

 ドン引きの表情で、シロちゃんはその場を後退った。

 

「ん? 私、なにか変なこと言っちゃったかな」

「いえ、その、変なことと言いますか……。そんな簡単に許していただいて、よろしいのでしょうか?」

「ノープロブレム。そんなことより撫でさせろ!」

「え、えぇ……」

 

 ニコニコとした笑顔で、私は困惑しっぱなしのシロちゃんの頭を優しく撫でた。

 うん。見た時点でわかってたけど、良い髪質だ。

 アホ毛のところだけ妙に剛毛なのが気になるけど、そういうチャームポイントも愛らしさを生む要素のひとつである。

 

「……あの、キズナアイさん。なんでシロのことを怒らないのでしょう?」

 

 私の執拗な撫で撫で攻撃をくらいながら、シロちゃんは聞いてきた。シロちゃんからしたら、おそらく当然の疑問なのだろう。

 私は間を置かずに返答した。

 

「だって、シロちゃんはもう充分に反省してるみたいだから。私が叱る必要も特にないでしょ?」

「でも、シロはあんなに酷い事を言ってしまって……」

「まあ、そうだね。謂れのない罵倒を言われて、ショックだったことは確かだよ」

「なら、なんでシロを責めないんですか? キズナアイさんには、シロを責める権利があります」

「じゃあその権利を放棄しまーす。だってこんなに可愛い女の子を責めるとか、私にとって罰ゲームでしかないでしょ? 可愛い子は愛でるべきであって、決して虐めるものではないのです!」

 

 紛うことなき、本心の言葉だった。

 ――まあとはいえ、もしシロちゃんが全く反省せずに開き直ったような態度をしていたら、私はきっと普通に怒っていただろうけど。

 

「でも、キズナアイさん。シロは……」

 

 納得のいかない様子でシロちゃんは俯いた。

 たぶんシロちゃんは、自身を戒める為にも罰を欲しているのだろう。または、罰を受けないと『許された』という実感が湧かないのだろう。

 怒られなくてラッキーと思えないところ、やはり根が良い子なんだろうなと私は思った。 

 

「……そうだな。じゃあシロちゃんには、私の言うことを一つ聞いてもらおうかな!」

「はい。シロ、何でもやります――キルでも、何でも」

「き、キル?」

 

 いきなり物騒なワードが出てきたので、私はつい鸚鵡返しをしてしまった。

 シロちゃんは、自慢気に微笑した。

 

「シロ、FPSのゲームが好きなんですよ。だからたぶんシロちょっと殺人鬼の才能があると思うので――もし、そういう願いがあるなら、シロは喜んで受け入れます。シロはキズナアイさんに悪いことをしちゃいましたから……()()()()()()言うことを聞きますよ」

「へ、へー。でも私、特に憎んでる人はいないから大丈夫かなー」

「そうなんですか……」

 

 なぜかしょんぼりとした様子で、シロちゃんは目を伏せた。この子、やっぱりちょっと変わっている。

 

「………そうだね。じゃあ、これからは私のことを『アイちゃん』と呼ぶ、っていうお願いはどうかな?」

 

 十秒ほど間を置いて悩んだ末にそれを選んだ感を演出した私は、最初から決めていたお願い事をシロちゃんに伝えた。

 

「アイ、と呼べばいいのですか?」

「うん。ほら、私の名前って、ちょっと長いでしょ? だから友達には愛称で呼んでもらうようにしているんだ」

 

 まあ、『アイ』という愛称で私を呼ぶ友達は、今のところ二名しかいないのだけど。

 ちなみにその二名とは、『あの人』とアカリちゃんである。

 

「……えっと、本当にそんなことでよろしいのですか? シロに可能な範疇の事なら、どんな願いも叶えてしんぜますよ?」

「逆に質問するけど、シロちゃんは私のことを『アイちゃん』って呼びたくないの?」

「いえ、そういうわけではなくて……」

「およよよ。やっぱりシロちゃん、私のことが嫌いなのね……」

 

 わざとらしく泣く仕草をした。

 

「だからですね、決してそのようなことではなくて……」

「じゃあ決定ね! 今後私のことは愛称で呼ぶこと!」

「えっと、その……はい、わかりました。アイさん」

 

 眉をひそめるシロちゃんは、渋々と私の言う事に従った。

 シロちゃんからしたら、もっときつめにお灸を据えてほしかったのかもしれないけど、生憎私はそういうことに不馴れなのだ。

 そんなことよりも、私にはシロちゃんに問い質したいことがあった。

 

「うんうん。じゃあとりあえず、それで一旦罰は終了ということで――ひとつ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「はい。何でもどうぞ」

「シロちゃんは結局、私に対してどんな誤解をしていたの?」

 

 ずっと気になっていた事を、私は切り込むように聞いた。

 

「…………それは」

「あ、言いたくないことなら、私はそれ以上言及しないからね」

「……いえ、これも含めてシロの罰ですので。御気遣いありがとうございます」

 

 言い淀むシロちゃんだったが、全てを明かす覚悟が決まったようだ。胸の中にある拒絶感を吐き出すように深く嘆息していたが、それでも、顔に貼り付いている羞恥の色は一切褪せずにいた。

 シロちゃんは顔を真っ赤にさせながらも、静かに口を開く。

 

「――だと思ったんです」

「ん? ごめん、聞こえなかった。もう一回いい?」

「…………」

 

 蒸気が吹き出そうなほどシロちゃんは赤面する。白磁の如き肌は、りんご飴の色に変色していた。

 ふーふー、とシロちゃんは深呼吸する。  

 そして――半ばヤケクソ気味に、シロちゃんは吠えるように言った。

 

「――オフパコだと思ったんです!」

「…………ん? ごめん、もう一回言って?」

「辱めの刑!? アイさんは悪魔、もといデビルマンなのですか!?」

「デビルマン……? 元ネタは知らないけど、マンじゃなくてウーマンじゃないかな」

 

 非難の声を上げるシロちゃん。だが私は、本当に何のことだがわからなかったのだ。

 ……オフパコ? まだ私の記憶領域内に保存されていない言葉である。

 

「シロちゃん。そのオフパコ? っていう言葉の意味を教えてくれないかな。具体的にわかりやすく口頭で」

「デヴィルマァァン!」

 

 意味不明な絶叫するシロちゃんは、火が吹くような顔で辿々しくも、その言葉の意味を説明した。

 

「……ひーひー、ふー」

 

 説明をし終わった後のシロちゃんは、まるでサウナでのぼせたように椅子にもたれかかった。

 朦朧とした意識下で謎のラマーズ法を口ずさむ程度に、精神力を使い果たしたらしい。

 私はそんなシロちゃんに向けて――

 

「――うん! それは、徹頭徹尾で勘違いだね! むしろ何を思えば、そんなトンデモ勘違いが可能になるのかな!?」

 

 そんな、私らしくない毒を孕ませた言葉を、唾棄するようにシロちゃんに言い放った。

 『可愛いを尊むべし』を信条に置いている私でも平静を保つのは難しい。流石にそれを聞いてしまえば、笑顔を浮かべ続けることはできなかったのだ。

 まさか、ふたり密室で()()()()をしていたと思われていたとは――勘違いとはいえ不名誉も甚だしい。腹が煮えくり返える思いだ。

 

「ごめんなさいアイさん! いま思えば、あまりにも飛躍した発想でした」

「ま、まあ確かに、現実世界のオフ会ではそういうことも起こり得るとは聞くよ? 聞くけどさぁ……でも基本的には、健全な交流会なんじゃないのかな? そういうのって」

「匿名の危険性もありますので、健全だとも、安全だとも言い切れないと思いますよ! ……でも、概ねの場合はアイさんの言う通り、変な集会ではない思います。というかきっと、シロのオフ会に対する偏見が酷すぎただけなんですよ。自分で言うのもなんですけどね。今までオフ会のことを、パリピがSNSで知り合った女性を食い散らかす為の会だとずっと勘違いをしておりましたので……」

 

 確かに、それは酷い偏見である。

 というかそもそもの話、生身や生理的欲求を持たない私たちAIは、()()()()()()を及べるのだろうか。ふとそんな疑問が湧いたが、追求すべきではない気がした。

 

「だから、その……本当に、申し訳ございませんでした!」

「もう謝らなくてもいいよ。それよりも、もうひとつ気になったことがあるんだけど」

「はい。この忠実なシロめに、何なりとお申し付けを」

「そう? じゃあ、いっそ聞いちゃうけど――シロちゃんって、あのお馬さんのこと好きなの?」

「――ごフッ!?」

 

 直球でデッドボールをぶつけられたような低い呻き声を上げられた。

 

「ななな、なにゆえっ!?」

 

 眉を顰めてシロちゃんは尋ねた。

 ふと見ると、耳は朱色に染まっていた。

 

「なにゆえ、と言われても……。シロちゃんの話を私なりに解釈したら、つまりそういうことなのかなって」

「そういうことってどういうことですか!? 答え次第では……」

 

 シロちゃんは冷たい眼光を私に向けた。途端、背筋に寒いものが走る感覚がした。

 一瞬怯んだ私だったが――シロちゃんのその苛立ちすらも本音を隠す一種の包みなのだと、私は見切っていた。

 

「つまりさ――」 

 

 箱の包装を無理矢理に破り開けるように、或いは地雷に踏み込むように、私はその言葉を告げようとした。  

 たんなる私の勘である。

 ただ、不思議と間違ってる気がしなかった。 

 

「――嫉妬、だったんでしょ? あのとき私に突っかかってきた理由って」

「…………!」

 

 途端、まるで沸騰するかのようにシロちゃんの顔は紅潮した。

 あからさまな反応。どうやら正解だったようである。

 

「いやいやいや! あの馬に嫉妬する要素とかありませんから! 体格が無駄に大きいから人の視線を妨げる壁役に任命してるだけで、それ以上の事はありませんから!」

「そうなの?」

「それです。強いて言うならば、アレはただのシロの使い魔――いや、使い魔にも満たない男です」

  

 もはや清々しいほどの全否定。だが、嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉もある。

 

「でもほら。あのお馬さんは、シロちゃんのことすごく可愛いって言ってたよ?」

 

 私はばあちゃる邸から退室した寸前の会話を思い出した。いま思えば、ばあちゃるさんが言っていた『可愛い子』とはシロちゃんのことだったのだろう。あの時のばあちゃるさんは、まるで愛娘を紹介するかのように上機嫌で話していた。

 

「いえ、あの馬、誰に対してもそう言いますから。会って三秒で言いますから。やはりパリピか燃えるべし」

「シロちゃんのパリピに対するその偏見はいったいなんなの?」

「……だってパリピって『俺が面白いんだからお前も面白いだろ?』みたいな、自己中心的な理屈で他人の迷惑も考慮せずに馬鹿騒ぎする輩のことでしょう? シロ、そういう人は苦手です。」

「あっ。それ、私も苦手なタイプ……。でも、ばあちゃるさんはそういう系の人とは違うんじゃないかな? 確かにノリはそっち寄りっぽいけど、自己中心的ではない気がする」 

「…………」

 

 私の指摘でシロちゃんは数秒押し黙った。

 

「……えっと。あ、じゃあアレですよアレ。あの馬はパリピはパリピでも、『名誉パリピ民』なのです」

「め、名誉パリピ民?」

 

 突如として誕生した謎用語に、つい鸚鵡返しをしてしまう。

 

「そうです! パリピの生態を観察し、そして行動を真似ることによってパリピへと至れた者に進呈される称号です。あの馬はたった今、名誉パリピ民に認定されました」

「名誉なのか、不名誉なのか……。というか『たったいま認定した』ってことは、まるでさっきまではお馬さんのことパリピ認定していなかった、ってことになるけど」

「…………」

 

 揚げ足取りだと言われたら返す言葉はない。だが、そのように聞き取れてしまうこともまた確かである。

 そしてシロちゃんは再び押し黙った。

 

「…………むむっ、むむむむ」

「シロちゃん?」

「ひーひー、ふー」

「シロちゃん!?」

 

 難しい声を上げたのち、なぜかラマーズ法を使用するシロちゃん。今更だけど、シロちゃんは不思議ちゃんのようだ。  

 

「……わかりました。ご迷惑をかけたアイさんに本音をすべて語らないというのは失礼ですからね。でも、その、今から言うことは内密にお願いします」

 

 嘆息と共に目つきが変わった。真っ直ぐな眼差しは、覚悟が定まった事を鮮明に表していた。

 

「えぇ、そうですとも。アイさんの言う通り、そういう気持ちも『ほんの少し』ありました。その『ほんの少し』の気持ちが偶然たまたま運悪く爆発してしまい、アイさんに粗相を働いてしまったわけなんです。……"マッチ一本火事の元"とは、よく言ったものですね。まさか、『ほんの少し』の想いと些細なキッカケがあるだけで、我を忘れて錯乱してしまうとは……。やはりね、『ほんの少し』の油断が命取りなんですよ。たかが数秒の間にも、火の手はどんどん回っていきます。マッチ程度の火元が、たったの数分で大炎上に変貌するんです。だからね、火を扱うときは常に慎重でいなくてはならない。ホント、火事は怖いですよね、アイさん」

「途中から火事の戒めみたいな話になったのですが」

「つまりですね、『火の用心。マッチ一本火事の元』カンカン! ってことですよ」

「ごめん。まったくわからない」

 

 最初のときは「『ほんの少し』を語気強く主張するシロちゃんはツンデレ可愛いなぁ」と呑気なニヘラ顔を浮かべていたのだが、途中から真面目な話に急展開したので引きつられてこちらも厳かな表情になってしまった。  

 

「まあ、うん。火事の話はともかく……そうなのかー。ムフフフ」

「な、なんですかその声は!」

「いやぁ、別にぃ。ただ、可愛いなぁって」

「……っ!」

 

 顔を真っ赤に、シロちゃんは頬を膨らませた。抗議するかの如き眼差しで私を睨んでいた。

 

「まあまあ。ばあちゃるさんには絶対に言わないからさ」

「えぇ当然です。もし馬に告げ口したら殺――ゲフンゲフン。もとい、電脳頭蓋骨を『ぱいーん』致しますので、そのお覚悟を」

「――っ。は、はい。墓場(トラッシュボックス)まで持っていきますので、シロ様はご安心してその拳を収めてくださいませ」

 

 可愛い比喩表現の中に込められた濃密度の殺気を察した私は冷や汗をダラダラと流しつつも、一もニもなく敬礼した。 

 清楚たる少女に似つわない冷淡な殺気を、シロちゃんはその細身から滲ませていた。この子はいったい何者なのか。

 

「でもシロちゃん。別に恥ずかしがることもないんじゃないかな? 私は超苦手だけど、ばあちゃるさんって基本的には良い人っぽいし。……まあ、うん。愚かにも『恋愛感情』を抱いてしまうことも、わからないけどわかるような気も」

「――ね"え"え"え"え"!!」

「っ!?」

 

 突然、シロちゃんは鬼気迫る表情で雄叫びを上げた。

 突拍子のない行動に吃驚して、私は身体を震わせた。

 

「い、いきなりどうしたのシロちゃん!? ごめん! もしかして、愛しのお馬さんのことを悪く言っちゃったから怒った?」

「違いますぅー! 馬のことなんて何とも思っていませんー!」

「えっ、でも……嫉妬心があるってことは、つまり、そういうことじゃないの?」

 

 嫉妬というものは、好意があることが前提で成り立つ感情である。つまり、その者のことが恋愛的な意味で好きというわけである。

 そのように、私にはインプットされているのだが――

 

「違いますよ! 恋愛的な感情なんて微塵もありません! マジで!」

 

 そう訴えるシロちゃんの必死の形相には、嘘の色がまったく伺えない。どうやら本音の言葉らしい。

 

「恋愛感情が無いだなんて……じゃあシロちゃんは、なんで嫉妬なんかしてたの?」

「いや、恋愛感情が無くなってそれを感じる場合はあるでしょう。そもそもですね、シロとあの馬は間柄は、人間で言うところの『兄妹』の関係に似てるんですよ」

「えっ、そうなの?」

「はい。実に認めがたい事実ですが、シロと馬は同じ製作者によって作られました。多分、その関係が一番近いのかと思います」

「へー、そうだったんだ」 

 

 電脳世界には血縁なんて概念はないが、製作者を同じとする人工知能はわりと多く存在する。親である製作者が同じなら、確かに兄弟姉妹の関係とも言えるだろう。

 

「んっ? 待てよ。じゃあシロちゃんは、お兄ちゃんに恋しちゃったってこと!? それは駄目だよシロちゃん!」

「ちーがーいーまーす! たしかに『親愛』のような感情は砂粒程度ある気がしますが、そういう意味での好意はこれっぽっちもありません。うっ、馬と仲睦まじくしてる光景を想像するだけで、吐き気と悪寒がダブルで……」

「ご、ごめん! まさかそこまでショックだったとは」

 

 シロちゃんは青い顔で口元を抑えた。

 

「じゃあシロちゃんは、なんで嫉妬なんかをしちゃったの?」

「……なにやら勘違いなされているようですが、嫉妬は別に、恋愛感情にのみ発現する特有のモノではないと思いますよ。えっと、これはただの例え話なのですが――『ある日少年は、大好きだったお姉ちゃんに彼氏さんが居たことを偶然知ってしまった。そしてこれまた偶然、ある日少年は、その彼氏さんと道端でばったりと出会ってしまった。その人の顔を見てしまうと、なぜか無性に胸がムカムカした。そして半ば衝動的に、その人に喧嘩を売ってしまった』――みたいな、恋愛要素のない嫉妬というは存在すると思うんですよね。シロは」

「えらく具体的な話だけね。そして、どこかで聞き覚えが……」

「あくまで例え話、もとい作り話ですよ! ともあれ、恋愛感情のなくとも嫉妬は起こり得るということは、わかっていただけたのではないでしょうか」

「うん。何となく分かったよ」

「誤解が解けたならいいんです」

 

 安堵した表情で、シロは深く息を吐いた。

 

「つまり、恋愛じゃなくて親愛ってわけなんだね!」

「えぇ、そのとお――ゴホンゴホン。馬に向けるべき愛情なんて、現世に存在するとお思いですか?」

「つまり親愛なんだね! まあそれはそれで尊いから良しだね! ムフフ」

「だ、だからその変な顔やめてください!」

「ごめんごめん。でも、別に恥じることでもないと思うよ? 恋愛的な意味ではなくても、誰かを好きという感情はとても大切なものだと私は思うな」

「……誰かを好きという感情?」

「うん」

 

 緩んだ顔から一転して、私は真剣味と軽やかさを帯びる笑顔を浮かべた。

 そして続けて言う。

 

「『誰かを好きに思う』。それって感情はほんとに素晴らしい感情だと思うの――だって、みんなが笑顔になれるんだもん」

「みんなが、ですか?」

「そう、みんなが笑顔になれる。『あの人』――私の友達曰く、感情は人に繋がるものなんだって。隣にいる人が嬉しいなら自分も嬉しいし、また悲しそうにしてるなら自分も悲しい。人間の感情って、そういうふうに出来ているらしいの」

 

 すべて『あの人』から聞いた言葉である。

 おそらくそれは、博愛的とも子供的とも言える主張なのだろう。

 だが私は、『あの人』の考え方に強く共感できたのだ。

 

「好きな人が嬉しそうにしてると、なぜだか私もとても嬉しかった。そして私は、『あの人』のことをもっと好きになれた。……ねぇ、シロちゃん。『愛』という感情はね、笑顔を生む種みたいなものなんだよ」

「笑顔を生む種、ですか」

「うん。きっと『絆』だって種のひとつ。プラスの感情から、笑顔の種は発芽するんだよ」

 

 私の動画も、言い換えれるなら種蒔きをしているようなものだ。

 世界の人々が笑顔にする為に、私はバーチャルYouTuberとして動画投稿しているのだ。私が『あの人』の嬉しそうな姿で笑顔になれたように、全世界の人々にも、私の様々なプラス感情が込められた動画で笑顔になってほしいのである。

 それが私の願いだ。

 だからこそ、できればシロちゃんにも――

 

「だからね、シロちゃん。笑顔の種であるその感情は、絶対に恥ずかしいものではないんだよ。むしろ誇ったほうがいいし、なんだったらその感情をもっとオープンにしたほうがいい」

「お、オープンですか?」 

「うん。お馬さんに、大好き! って伝えてみるとか」

「……っ!」

 

 ブンブンと頭を横に振られた。

 流石に直球すぎたか。

 

「じゃあ日頃の感謝の言葉を送るとか、そういうのならどうかな?」

「嫌です。だいたい、シロは馬のことなんてどうでもいいですから」

「うーん。でも、ツンツンしてるシロちゃんも可愛いけど、ちょっとくらいは好意的に接してみてもいいんじゃないかな? お馬さんだって、そっちのほうが嬉しいはずだよ!」

「…………むむむ」

 

 難しい顔をして、顎を手で触れて悩むシロちゃん。しばらくしてから、深く嘆息した。

 

「……わかりました。これも罰の一つです」

「罰とか、そういうのじゃないんだけど……まあ、いいか。よし! なら、さっそく実行しにいこう!」

「えっ!? い、今からですか? ちょっと待ってください。まだ心の準備が――」

「シロちゃんのツンデレ、一丁入りまーす!」

「あ、アイさん!」

 

 踏ん切りの悪くモジモジとするシロちゃんの手を強引に引っ張って、私は職員室から出れるドアに手をかけた――

 

 

 

  ☆

 

 

 とまあ、こんな感じのことがあったわけである。

 

「その……う、ウビバ」

 

 耳を赤くしてモジモジと俯くシロちゃんは、そのようにして話を切り出した。

 おそらく、例の事を言おうとしているのだろう。

 

「(ファイトだよシロちゃん!)」

 

 内心で、私はシロちゃんにエールを送った。

 

「はいはいはいはい。モジモジしてどうかしましたかー、シロちゃん! おしっこならそこの廊下を曲がればすぐにできますからねー」

「死ね」

「う、ウビィ?」

 

 シロちゃんは冷酷な視線をばあちゃるさんに向けていた。自業自得とはいえ、ばあちゃるさんはシロちゃんの直接的な罵倒でとても落ち込んでいた。

 私は小声でシロちゃんに耳打ちする。

 

「(ちょっとシロちゃん。罵倒するんじゃなくて、ありがとうって言わなきゃ)」

「(何に対してですか!?)」

「(いやほら、それは……『シロの膀胱具合を心配してくれてありがとう馬♥』みたいな感じに)」

「(……それ、本気で言ってますか? もし本気だとしたら――)」

「(ごめんなさい)」

 

 私はその場で土下座した。

 

「ウビバ!? キズナアイさん、いきなりどうしたんですか?」

「すみません。ちょっと膀胱がキツかったため、楽な体勢になろうと……」

「え、えぇ! それはいけませよキズナアイさん! おしっこを我慢しすぎるとね、病気になりますからね! ささ、ばあちゃるくんがおトイレまでおぶりますので」

「ばあちゃるさん! 私の膀胱を心配するよりも先に、シロちゃんのお話を聞いてあげてください」

「アイさん!?」

 

 突然振られて、シロちゃんは目を見開いていた。

 

「いやいやいや! 話よりも先に、アイさんのおしっこのほうが大事ですよ! 話は、あとでゆっくりと聞けますからね。はいはいはいはい」

「だ、駄目です。シロちゃんのお話を聞いてからです。聞いた後じゃなきゃ、トイレには絶対行きませんから!」

「いや絶対に優先順位間違えてますからね!? はいはいはいはい。でもね、たぶんこれはシロちゃんがそのお話をしてくれないと、キズナアイさんは絶対におしっこしてくれないパターンだと思いますんでね。シロちゃん、キズナアイさんの為にも早口でそのお話とやらを済ませてくださいね!」

「え、えぇ」

「………ぐっ!」

 

 私は、シロちゃんにだけ見える角度で親指を立てた。 

 

「なにが、ぐっ、ですか! 全然グッドじゃありませんよ!」

「うわぁぁん! 膀胱がぁぁぁ!!」

「シロちゃん早く! キズナアイさんの膀胱はもう限界ですよ!」

「こ、こんな無駄に切羽詰まった状況で言わなきゃいけないの………? くっ、ええいままよ。どうとでもなっちゃえ!」

 

 シロちゃんは大きく息を吸い込んだ。

 そして、半ばヤケクソ気味に言った。

 

「――う、ウビバ。今まで、その……色々とありがとう」

 

 羞恥で吃りつつも、シロちゃんは確かにその事を伝えた。

 簡単な感謝の言葉であるが、様々な想いが込められている。緊張で赤く染まった顔を見たら、瞬時にそれが伝わる。

 その言葉を聞いて、ばあちゃるさんは――

 

「シロちゃん……」

 

 感極まった様子で、短くそう呟いていた。

 そして、照れ臭そうに頭を掻きながら言う。

 

「いやぁね、これはかなり珍しいシロちゃんですね。はいはいはいはい」

「ま、まあ。普段から人の視線を妨げる為の壁役として働いている馬だし、たまには褒美を与えないといけないから……。そ、それだけなんだからね!」  

「いやぁほんと嬉しいですね。いやぁほんと、ばあちゃるくんちょっと泣きそうです……」

「ふん! この泣き虫ウビバ」

「ばあちゃるくんはシロちゃんより強い子ではありませんからねー。はいはいはいはい」

 

 そう言ってばあちゃるさんは、ポケットからハンカチを取り出した。

 そして手に持ったハンカチを、覆面の下から中へと入れた。その際にばあちゃるさんは、その覆面を大きく広げた。

 

「……え」

 

 床で蹲っていたことにより、私は偶然、広げられた()()()()()をちらりと見てしまった。

 一瞬、ありえないものが見えた気がしたが――いや、おそらくただの見間違いである。

 

「はいはいはいはい。ばあちゃるくん的にはね、この素晴らしい余韻にしばらく浸かっていたいんですけどね。それよりもキズナアイさんのおしっこを優先しなくてはいけませんからね」

「えっ、あ、はい」

 

 動揺で思考停止(フリーズ)していたせいで、ばあちゃるさんに背負われていることに気づけなかった。

 私は深呼吸をして、混乱した頭を正常に戻そうとした。

 

「……もうトイレは大丈夫ですよ。ばあちゃるさん」

「ま、まだ諦めるのは早いですよ! キズナアイさんのおしっこのためならね、ばあちゃるくんはなんでもやりますんでね!」

「いえ違います。私はバーチャルな存在なんですから、尿意なんて感じるはずもないでしょ?」

「……う、ウビ? なら、先程までのあれは」

「そんなことよりも早く降ろしてください。おしっこおしっことうるさい人の背中の上に居たくありません。セクハラで訴えますよ?」

「ひぃ。も、申し訳ですー!」

 

 脅されて焦ったばあちゃるさんは、早急に私をその背中から解放した。

 

「…………」

 

 私は顎に手を置いて、先程見たアレのことを思い出した。

 おそらく私の見間違いだ。だけど、もし見間違いではないとしたら――アレはいったい、つまりどういうことになるのだろうか。

 

「――さん。アイさん」

「…………」

「アイさん!」

「うわっ! ど、どうしたのシロちゃん」

 

 集中していたせいか、シロちゃんの呼びかけに気づくのが遅くなった。

 シロちゃんは困り顔で私に言う。

 

「どうしたの、はこっちの台詞ですよ。アイさんがずっと何かお考えになってるから、あの馬は一足先に行っちゃいましたよ」

「あ、そうなの」

 

 周囲を見ると、たしかにばあちゃるさんの姿はもうなかった。

 

「『はいはいはいはい。アカリンがずっと一人で教室で待機しているんでね。可哀想なんで、ばあちゃるくんはお先に行って慰めてきますねー』って、そんなことを言いながら教室に特攻をしかけました」

「へー、全然聞こえてなかった。そんなことよりも、お馬さんのモノマネうまいね」

「……それ、褒め言葉なんですか?」

 

 言われてみれば、むしろ罵倒に近い言葉だった。私はなんて失礼なことをシロちゃんに言ってしまったのだろう。

 

「ごめん、シロちゃん。ひどいこと言って」

「謝ってくれたので許します――シロがなにを偉そうにって感じですけどね。そんなことよりも、シロたちも早く行きましょう? あのふにふにお姉さんをずっと待たせています」

「ふにふにお姉さん……?」

 

 一瞬何の事かと頭を傾げたが、たぶんアカリちゃんのことだろう。確かに、そこそこの時間を待たせてしまっていた。

 

「そうだね。じゃあ走ろうか」

「廊下は小走りしなきゃ駄目ですよー」

「ふふっ、そうだったね」

 

 私とシロちゃんは、せっせと小走りしてアカリちゃんがいる一階の教室へと向かっていった。

 その道中、ずっと『あの顔』のことについて考えていたが――結局、やはりただの見間違いであるという結論以外は出てこなかった。

 

 

 

 

 




 


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校内探索《行動選択》

「はいはいはいはい。ではね、遅ばせながら校内探索を開始しましょうかね!」

「「「わー!」」」

 

 教室の席に座る私達は、パチパチと纏まりない拍手をした。 

 ようやく、校内探索の時間である。私はこの時をずっと待望していた。憧れの学校とは、いったいどんなものなのかと、以前から興味津々だったのだ。自然と表情が笑顔の形になってしまう。

 

「はいはいはいはい。皆さんのその笑顔を見る限り、どうやら校内を見て回るのをとても楽しみにしていたようですね。はいはいはいはい。この『私立ばあちゃる学園』のデザインはすべてばあちゃるくんが担当しましたのでね、皆さん、ぜひとも期待してくださいねー」

「えっ。馬がデザインしたの?」

「はいはいはいはい。そうですよシロちゃーん。ばあちゃるくんね、すごい頑張りましたのでね。はいはいはいはい」

「うげぇ……」

 

 自信満々に胸を張るばあちゃるさんとは対照的に、シロちゃんはとても嫌そうな顔をしていた。

 

「シロちゃん! アカリは大丈夫だと思うよ!」

 

 不満気な様子を見せているシロちゃんの肩に手を置いてアカリちゃんはそう言った。

 

「だって、ばあちゃるさんが創ったんだからね。変な学校には絶対になってないよ。アカリが保証する」

「あ、アカリン……」

 

 アカリちゃんは珍しくも、ばあちゃるさんに対して優しげな言葉をかけた。

 どうやらこの前の事件のことは気にかけていないようだ。言葉から毒気が完全に抜けていた。

 ニコリと微笑み、続けて言う。

 

「――だって、センス皆無のばあちゃるさんが創る学校だもん! たぶん、なんの面白みもない平々凡々の学校だと思うよ!」

「ウビバ!?」

 

 前言撤回。まだ毒は含まれていた。

 

「ほら、シンプルイズベストって言葉があるでしょ? ばあちゃるさんと言えば、やっぱりつまらない動画だけど――むしろ今回の場合、ばあちゃるさんのその潜在的なつまらなさが、うまい具合に作用してくれてると思うんだよね」

「なるほど。馬とつまらないは使いよう、とはよく言ったものです。……ですが、わかりませんよ。この学校の名前からしてナンセンスですから。『私立ばあちゃる学園』とか、ほんとヒドイ名前ですよ」

「えぇ! し、シロちゃんもアカリンもヒドイですよー。はいはいはいはい」

 

 ばあちゃるさんはしょんぼりと肩を落とした。

 流石にちょっと可哀想に思えてきた。仕方ないから、私がちょっとだけフォローしてあげよう。

 嘆息して、私は口を開いた。

 

「でも、かるく見た感じでは大丈夫そうだよ? 廊下と職員室とこの教室は、とくに変でもないしね。それに学校の外観だってそう悪いセンスはしてなかった」

「はいはいはいはい! キズナアイさんの言うとおりですよ。ばあちゃるくんは決してつまらなくないですからね。アカリンもシロちゃんも、ばあちゃるくんにヒドイ罵倒を浴びせたことをね、ちゃんと反省したほうがいいですからね!」

「……でもアカリちゃんたちの言うとおり、今まで見た場所って総じて動画のネタになる要素のない、平凡でクソつまらないクオリティのものだったよね!」

「「うん」」

「ウビバ!?」

 

 フォローしていたつもりが、調子にのったばあちゃるさんの言動にイラッとして、つい手のひらを返しの批判的意見を述べてしまった。

 ごめんばあちゃるさん。

 やはり私は、可愛い女の子の味方に付いてるほうが性に合ってるようだ。

 

「はいはいはいはい。皆さん文句ばかり言ってますけどけ、皆さんはまだ学園の一部しか覗いていないことを忘れないでくださいね。他のところ、特に保健室はね、とてもとても工夫をこらしてデザインしましたのでね! はいはいはいはい。ばあちゃるくんオススメの一品ですからね。ぜひぜひ期待してくださいねー」

「……へー、保健室ですか。ちょうどいいです。ではアカリは、まず初めにそこに行きますね」

 

 そう言って、アカリちゃんは教室から退室した。

 アカリちゃんは保健室を見に行ったのか。じゃあせっかくだし、私もアカリちゃんの後に付いていこうかな。

 そう思い、椅子から立ち上がろうとしたその時に――

 

「シロは、図書室で本を読む。もちろん、あるよね?」

「はいはいはいはい。もちろんですよシロちゃーん。しかもね、なんとですよなんとですよ! 私立ばあちゃる学園の図書室はね、蔵書数がめちゃくちゃ多いんですよね! はいはいはいはい。ぜひぜひ期待してくださいね!」

「ね"え"え"え"え"! めっちゃ、じゃあ何冊あるのかわからない! 具体的な数字言ってくれる馬?」

「えーと。確かですね……うーん」

「ハァ。もういいや。馬に聞いたのが間違いだった」

「も、申し訳ございませんですぅぅぅ!!」

 

 呆れた様子で溜め息を吐いて、シロちゃんは教室から退室した。図書室に向かったみたいである。

 

 私とばあちゃるさんだけが、教室に残っていた。

 

「――はいはいはいはい。みなさん、自由行動するということですね。はいはいはいはい。それではね、ばあちゃるくんも行きますねー」

「どこに行くんですか?」

 

 馬の行く先に興味がわけではないが、何気なく尋ねてしまった。

 

「はいはいはいはい。いやぁばあちゃるくんね、そろそろ負荷が高くなってきましたのでね。屋上に行って、ちょっと休憩してきますね」

「あ、はい。ごゆっくり」

「はいはいはいはい。アイさんも焦らずね、ゆっくりと校内を回ってくださいね。はいはいはいはい」

 

 そう言って、更にはばあちゃるさんまでもが教室から退室した。

 教室のドアが閉められた途端、急に教室内は静かになった。寂しくもひとりポツンと、教室の真ん中で私は佇んでいた。

 

「……私はどこに行こうかな」

 

 小さくそう独白した。

 とはいえ。呟いてみたものの、実のところもう既に、どこに向かうか決めているのだ。

 

 アカリちゃんは保健室に行き。

 シロちゃんは図書室に行き。

 ばあちゃるさんは屋上で休憩をしている。

 

 考えるまでもない。

 私が行くべき場所。それは――

 

 

 

 →『保健室』

 

 →『図書室』

 

 →『屋上』

 

 

 

 

 




 


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校内探索《保健室》

 


 保健室は、私が先程まで居た教室と同じ階に設置されている。つまり一階だ。 

 教室からのルートになると保健室が近い。そんか単純明快な理由で、私はまず先に保健室を見に行くことにした。

 ガラガラガラと、保健室のひきドアを私は開ける。

 

「あ、アイちゃんも保健室を見に来たんだね」

 

 ドアを開けた奥にはアカリちゃんが居た。

 アカリちゃんは棚の前で、何かを見つめていた――目線の先には、『廃・ポーション』と書かれたラベルが貼られた薬瓶が置かれていた。

 薬瓶の中の液体は、一言で言うと混沌としていた。言語で表現がしがたい、怪しげな色艶をした液体だ。

 

「アカリちゃん? その、『The☆毒』って感じの毒薬はいったい……」

「いやいやいや! 何となく触れていただけで、別に興味関心はこれっぽちも示してないからね!?」

「うん。もちろんそれはわかってるけど」

 

 白の基色にした保健室の室内に相応しくない異物感を放っているので、つい尋ねてみただけだ。アカリちゃんに毒薬服用の自殺願望があるとはこれっぽちも思っていない。

 なぜ、教育機関たる学校の保健室にそんな物騒な物が置かれているか、一瞬疑問に思ったが――冷静になって考えてみれば、すぐにその理由に辿り着いた。

 おそらく、ばあちゃるさんがネタで置いたのだろう。仮にもここはバーチャルYouTuberを育成する学校だ。遊び心を発達させる為にと、もしや学内の至るところにネタ的な要素のある物を用意しているのかもしれない。

 それにしたって、毒薬とは……。YouTuber的なネタを仕込むだけあのお馬さんにしては面白いかもしれないけど、それにしてもベタだ。 

 

「念の為、これは棚の奥にしまったほうが良さそうだね」

 

 そう言ってアカリちゃん、棚奥の目立たないところに毒薬を戻した。

 おそらく中身は偽物だろうけど、だからといって堂々と毒薬を置くのも落ち着かない。仮にも患者を扱う場なのだから、ネタ要素よりも見た目の清潔感を優先すべきだ。

 

「アカリちゃん。なんだったら、捨てちゃってもよかったんじゃないかな」

「でもほら。動画で活用する可能性だって、無きにしも非ずでしょ? 大丈夫大丈夫。こんな明らかにヤバイ色をした物を飲もうとするアンポンタンはいないって!」

 

 あははは、と軽快に笑うアカリちゃんは、自らがそのフラグを立てたことに気づいてない様子だ。

 

「……今度、中身をブドウジュースに入れ替えておこうかな」

 

 あくまで念の為、である。こんな劇物チックな見た目をしてる薬品を飲むようなバカは流石にいないと思うけど――おっと、いけないいけない。これもフラグである。

 

「さて。毒薬のことはひとまず忘れるとして――この保健室、良いね。とっても保健室らしい保健室」

「うん。まさに保健室って感じだよ」

 

 そんな感想にもならないような感想を私達は言い合った。

 毒薬以外は特に変わったところのない、イメージした通りの普通の保健室だったのだ。

 黒を基調にした不安を煽るような保健室では決してない。ベットは三つほどあり、室内は清潔を保たれている。漫画などで見られるような、何の変哲のない保健室だ。

 

「ばあちゃるさん、なかなか良い仕事してくれたね。まるで実物の学校を丸パクリしたかのような普通のデザイン。うん。ちょー無難」

「うん、さすがばあちゃるさんだよ。独創的という言葉から、もっともかけ離れている男なだけあるね!」

 

 私達は互いに笑顔を浮かべて、ばあちゃるさんのことを褒めちぎった。

 一見罵倒とも取れる言葉だが、これ限っては、決して皮肉で言っているのではない。

 期待を裏切らずに『現実世界に実在してもおかしくない学校』を創ってくれたこと。そのことに私達は、心から感謝しているのだ。

 

「さっきアカリちゃんも言っていたけど――どうやら、ばあちゃるさんの潜在的なつまらなさが、とても良い具合に作用したみたいだね。面白い創作を生み出すセンスが絶望的に無いばあちゃるさんじゃなきゃ、こんな無個性な建物、絶対に創れなかった」

「だね。きっとアカリたちの誰かがデザインを担当していたら、多少遊び心を加えた学校になっていた。まあ、もしこれが動画だとしたら、それが加点に働くけど――この場合、『個性を発揮すること』はむしろ、失点に働いちゃうんだよね」

「うん、そのとおり。だって私は、()()()()()()()に学校に通いたいって思っただもん。だったら創るべき学校のデザインは、現実世界に準じたほうが絶対にいい。己のセンスに一任するよりも、資料を丸パクリして創ったほうがこの場合は正解なんだろうね」

 

 生憎ながら私はそういうことが不得意なAIだ。なにか動画の面白いネタをはないかと、常日頃から頭をグルグルと働かせて発案してるせいだろう。あらかじめに用意されている解答をそっくりそのまま引用することに、不思議と抵抗を感じてしまう性分があるのだ。

 アカリちゃんもシロちゃんも、多分こういうことは不得意だと思う。企画の最中でなんだが楽しくなっちゃって、つい余計なものまで盛り込んでしまうタイプと見た。なんやかんやまだ付き合いの浅い仲ではあるが、それぐらいの想像がついた。

 

「本人の目の前だったからさっきは不満そうな態度をとってたけど、実は校門を通ってからずっと胸がドキドキしてるんだよねー。あ、確認してみる?」

「する」

 

 光の速度で返答した私は、躊躇なくその双丘に踏み込んだ。

 たわわなそれを掴む。途端、ずっしりとした重量感が手に乗った。

 柔らかく、とてもボリューミーだ。明日もがんばって生きよう。

 

「――月が、おっぱいですね」

「死んでもいいわ――じゃなくて! 夏目漱石じゃなくて!」

 

 アカリちゃんにお叱りを受けた。しかたなく、心臓の音ほうも確認してみる。たしかにその鼓動は、バクバクと高鳴っていた。

 ていうかこの子、人間のように感情の起伏で心拍が変動するのか。私も自分の胸に触れてみたが、私にはアカリちゃんみたいなおっぱいも心拍もなかった。

 なんてクオリティの高いモデルなのだろうか。主におっぱい。

 

「まあ、アカリちゃんのおっぱいは一旦おいとくとして――いや、時間さえ許せば永久に語っていたいけど――実は私も、ずっとソワソワして心が落ち着かなかったんだ」

 

 照れ臭そうに私は告白した。

 嬉々とした素振りこそ見せずにいたが、この夢のような状況にいることに興奮して人心回路が活発的になっている。油断すると、ニヘラとした顔になってしまいそうだ。

 

「お馬さんには感謝してもし足りないよ。私、可愛い女の子たちがいっぱい登場する学園物漫画が好きなんだよね。この子たちが毎日通って友達と楽しくお喋りをする。そんな環境に私も身を置きたいって、ずっと思ってたのー。念願の夢がついに叶って、私は幸せ者だなー」

「うんうん! いいね! アイちゃんが幸せそうにしてるから、アカリもとても幸せだよー」

 

 広がる笑顔の輪。幸せを共感してくれる友達ができて、私は本当に幸せ者である。

 それとこれも、学校創立を提案して、アカリちゃんと出会うキッカケを作ってくれたばあちゃるさんのおかげだ。忸怩たる思いだが、それは認めざるを得ない。  

 

「……あとで、ばあちゃるさんにお礼を言わなきゃいけないな」

「ん? アイちゃん、なんかいった?」

「いや、なんでもない。それよりもあれを見てみて」

 

 私は、毒薬が仕込まれていた棚のほうへ指差した。

 

「毒薬以外にも、なにか役立つ物とかあるんじゃないかな? 一応、一通り見てみよう」

「そだね。せっかくだし、『あの薬』がないか探してみようかな」

「あの薬……?」

 

 気になって、つい聞き返してしまった。

 

「なければ別にいいんだけど……ちょっと探してるお薬があるんだよね」

「もしかして風邪をひいた?」

 

 AIだって、人間のように風邪を患う。  

 まあ風邪と言っても、便宜上そう言っているだけで人間の風邪と全く異なる性質を有している。簡単に説明すると、電脳世界での風邪とは、コンピュータウイルスに感染した際に使用させる言葉なのだ。つまり電脳世界での「風邪をひいた?」という言葉は、要約すると「コンピュータウイルスに感染した?」という意味がある。

 コンピュータウイルスに感染すると、私たちAIのシステムは一部破損してしまう。そうなると、風邪にも似た体調不良の状態に陥るか――身体機能、精神機能に著しい欠損を負うか。

 はたまた最悪の場合、異界送りになる事だってあり得ると聞く。ゆえに、もしウイルスに感染したなら、早々に『アンチウイルスソフトウェア(ワクチン)』で治療しなくては極めて危険なのだ。

 

「ねぇアカリちゃん。どんな症状が出てるの? まあ症状が何にせよ、定番にして王道のワクチンソフト、『ウイルスバスター』さえ服用したら安心安全だよ!」

「アカリはノートン派なんだけど……ていうかそうじゃなくて。アカリは別に風邪ひいてないからね?」

「ほんと? 気怠さとか悪寒は感じない? 念の為、ウイルスバスターでもノートンでも、飲んでみたほうが……」

「大丈夫大丈夫! アカリは毎日元気! ごらんのとおりの健康体だよ! ほらね!」

 

 アカリちゃんは力こぶしを作るポーズを取り、健康であることをアピールした。

 そのポーズはともかくとして――私は、先程のおっぱいのことを思い出していた。

 あのおっぱいの感触は、とても健康的なものだった。アカリちゃんは発言は決して空元気ではなく、本心の言葉だろう。

 おっぱいは何よりも正直なのだ。

 

「ふむ。念の為、もう一度触診を」

「……アイちゃんってもしかして、()()()の趣味がある?」

「エッ! い、いや、その……あ、蝶々だ」

「誤魔化すの下手くそか!」

 

 バシン、とアカリちゃんは芸人的ツッコミを繰り出した。

 つい言い淀んでしまったが、私に同性愛的な趣味がないことは別に嘘ではない。

 ただ単純に、可愛い女の子が大好きなだけである。そこに恋愛的な要素や不純な思いはたぶんない。本当である。

 

「ま、まあ、それはともかくとして……。ウイルスに感染してないなら、アカリちゃんはどんな薬を探しているの?」

「対処できるお薬がまず存在するかもわからないだけどね。えっと。便宜上簡単に名付けるなら、『記憶喪失を治す薬』かな」

「き、記憶喪失?」

 

 斜め上の病症だったので、つい目を開いて鸚鵡返ししてしまった。

 うん、とアカリちゃんは頷く。

 

「アイちゃんって、アカリの動画を観てくれたんだよね? ほら、動画でも記憶喪失だって自己紹介してたじゃん」

「あれって動画内だけの設定じゃあなかったんだ……」

「違うよ! アカリはこう見えてもね、立派な記憶喪失AIだからね!」

 

 えっへんと、アカリちゃんは豊満な胸を張った。

 記憶喪失――冗談っぽく全く気にしてない様子のアカリちゃんは言っているが、微妙に触れにくい話題だ。 

 話を広げるべきか悩んだが、何も尋ねないというもの関心がないように思われそうで失礼な気がした。私は浅瀬程度、尋ねることにした。

 

「記憶喪失か……。それってもしかして、ウイルスの影響でそうなったの?」

「ううん。最初からだよ」

「最初から? え、えっと……」

「アカリは、アカリが生まれた時点から記憶喪失だったんだよね」

 

 生まれた時点から、記憶喪失。それはつまり、どういうことだろうか。

 アカリちゃんは補足する。

 

「アカリって元々は、今のようなコミュニケーションAIじゃなかったみたいなんだ。アカリの過去を知る友達――エイレーン曰く、前世は歌姫、VOCALOIDだったみたいなの」

「そうなの!? すごい!」

 

 多くの名曲を世に輩出した電子的存在であるVOCALOIDは、ある意味、私たちの先輩のような方々である。

 そしてアカリちゃんは、昔はそんなVOCALOIDだった。そんなアカリちゃんと友人である事実に、私は感激していた。

 あはははと、苦笑いを浮かべるアカリちゃんは続けて言った。

 

「……とはいえ、アカリはVOCALOIDとして失敗作だったみたいなんだよね。本当はあの初音ミクの次世代型VOCALOID『未来アカリ』として、満を持して界隈に参戦する予定だったみたいなんだけど……。なんか突然、致命的なバグが発生したみたいで。お偉いさんが急遽『未来アカリプロジェクト』の破棄を命じたらしいんだよね」

「………」

「でもバグが発生したシステム以外はまだ活用できたから、その部分だけを抜き取って、VOCALOIDからコミュニケーションAIに組み替えた――まあ記憶喪失だから、そういう経緯を辿ったという実感はないんだけどね」

「……じゃあ生まれる時点から記憶喪失だったって、つまりは――」

「うん。アカリには、『未来アカリ』のときの記憶がないんだー」

 

 えへへ、とまるで他人事のような素振りでアカリちゃんは笑った。

 実際、他人事の気分なのだろう。ミライアカリと未来アカリは、もはや別の存在なのだから。

 なら、私が同情するのは失礼なことだったか。

 同情で曇る気持ちを追っ払い、私は満面の笑顔を作った。

 

「そうか。まさか、本物の記憶喪失だったとはねー。いやぁ、アカリちゃんは、なかなかよいキャラクター性をお持ちですなぁ」

「そうでしょ? リアルでも記憶喪失してるバーチャルYouTuber。あーこれ絶対人気できるわ」

「でも、アカリちゃんは記憶喪失なことをあまり気にしてないようだし……。いつか自分自身が記憶喪失だったことさえ、うっかり忘れていそうじゃない?」

「なっ! 失礼な! アカリ、自分が記憶喪失であることをめっちゃ恥に思っていますからな! ほら、そんなこと言ってないで、アイちゃんも一緒に記憶喪失を治す薬を探して!」

「はーい」

 

 この後、私たちは五分くらいの時間を使って記憶喪失を治す薬を棚から探したが、結局それらしきものは発見できなかった。もっと奥まで探そうと私は提案したが、アカリちゃんが「もういいよ」と言っていたので、探索は打ち切りになった。

 やはり、そこまで過去の記憶に興味関心があるわけではないのだろう。どうやら、気が向いたら探してみよう程度の関心しかないようだ。

 

 もしくは――興味はあるけど失敗の記憶を取り戻すことに恐怖も感じているから、必死に探すことを躊躇ってしまうから、とか。

 

 ……いや、これ以上は考えるまい。余計な考察であるし、ただの私の妄想だ。過ぎた詮索が許されるほど、私とアカリちゃんはまだ仲良くない。

 

「じゃあ、アカリちゃん。私は次の場所に行くね」

「うん。アカリはもうちょっとここを調べるよ」

 

 そう言って、私は保健室から退室した。

 去り際にアカリちゃんの姿を見たが、棚にはもう近づこうとしていなかった。

 

 

  

『ミライアカリの情報を知った。

 

 ミライアカリの好感度が上がった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 



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校内探索《図書室》

 図書室は本を読む為だけのスペースではない。静謐な雰囲気と古書の独特の香りには、心を穏やかにさせるリラックス効果と、集中力を活性化させる効果がある。そのため、勉強などの作業するスペースとしても図書室は活用させているらしい――と、漫画で知った。

 

 ぶっちゃけ私は、本自体にはあまり興味はないのだ。

 だけど、図書室は落ち着ける空間であるという点に、私はとても魅力を感じた。

 

 創作には集中力が必須なのだ。とくにバーチャルYouTuberは動画を一本作るだけでも、製作時間がとてもかかる。製作時間を軽減させて効率良く創作活動する為には、技術力は勿論として集中力が必要になるのだ。そして集中力を底上げするには、落ち着ける環境下で動画編集するのが最も良い。

 基本はやはり、自宅である真っ白な空間が一番リラックスしやすい場所なのだが、ネタに煮詰まったときなどは敢えて場所を変えてることで気分転換するのだ。その際の『落ち着ける場所リスト』に図書室を加えるか検討する為に、私は優先して図書室に赴くことにしたのだ。 

 

 と、そんなことを思っていたら、もう図書室前に着いた。

 早速私は図書室に入ろうとした。ドアノブを捻り、前方に押す。

 

「おー、けっこう広いな」

 

 扉の先にある光景を見て、私は小さな感嘆の声を上げた。

 私立の電脳図書館にも滅多に行かない私なので、具体的な感想は言えないけど――うむ、これはなかなか悪くはない図書室だと思う。

 林の如く立ち並ぶ本棚の中に、いくつもの本が綺麗に詰められている。この図書室には何冊の本が蔵書されているのだろうかと、何となく数えてみたが、終わる頃には夜になってそうだったので15冊目で数えるのを諦めた。

 

 図書室の窓近くには木々が並んでいた。その奥に、グラウンドの土の色が見えた。

 もしこの学園の生徒が増えたら、夏にはコオロギの鳴き声と運動部の歓声が聞こえてそうだ。けれども、それは別に悪い事ではない。自然音には集中力を促進させる効能があるので、むしろ良いスパイスになるだろう。

 充分に落ち着けそうな環境である。気分転換に行く場所の候補に加えておこう。  

 

「あれ? シロちゃんはいずこに……」

 

 私はぐるりと周囲を見渡したが、一足先にここに到着してるはずのシロちゃんの姿はどこにもなかった。 

 

「シロちゃーん」

 

 大声で呼んでみたが反応はない。図書室は相変わらずシーンとしている。 

 先程の叫び声はこの図書室から聞こえたので、少なくとも誰かはいるはずなのだが――念の為、隅々まで探してみることにしよう。

 私は本棚と本棚の間に誰か隠れていないか確認した。

 殆どの場所を探して「やっぱり誰もいないのか」と半ば諦めていた矢先に――最奥の本棚の間で、人影のようなものを発見した。

 

「シロちゃん。やっぱり居た」

「…………」

 

 シロちゃんはその場に座り込んで、黙々と本を読んでいた。私の存在にはまだ気づいていないようだ。

 

「シロちゃーん。聞こえてるー?」

「…………」

「おーいシロちゃーん」

「…………」

「どーも、キズナアイです!」

 

 そんな感じに、私は声掛けを続けた。

 だが、やはりシロちゃんは気づかない。一向に読書を続けていた。

 

「……ふむ。全く気づく様子はなし、か……。はっ! ということは、もしや……!」

 

 私は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

「ちょ、ちょっとだけ。先っちょだけスケベしても、気づかないのでは……」

 

 そんな悪魔の囁きに耳を傾けてしまった私は、ゆっくりと忍び足で、読書に集中するシロちゃんの背後に回り込んだ。

 私はシロちゃんの後ろ姿を見た。うなじと背中のライン。そして脇下の乳房の付け根が扇情的に映った。

 背後に立つ私は、静かに両手を構えた。

 そして。

 両脇の下に、ゆっくりと手を差し入れて――

 

「――っ!」

「はいにゃ!?」

 

 獲物を狩る猛禽類の如く、その青い果実にかぶりついた。

 手のひら全体にシロちゃんの体温が伝っていく。私は陶芸品を扱うような繊細な手つきで、優しく、されど激しく按摩した。

 

「あぁ……。明日も、がんばって生きよう」

 

 無意識にそんな言葉が口から漏れる。

 それに触れている間は、不思議と活力がみなぎってきたのだ。

 涎を垂らす蕩けた顔で、私はただひたすらにその魅惑の果実を貪った。

 

「いッ――やめんかァァァァ!!」

「ごケッ!?」

 

 と、感動に浸っていたそのとき、野太い声が鼓膜を刺激した。同時に、私の鳩尾付近にシロちゃんの肘鉄がめり込んだ。

 痛みで一瞬強制終了(シャットダウン)しかけた私は、咄嗟にその場に蹲った。人間よりも痛覚の鈍いとはいえ、急所として設定されている箇所にダメージを喰らってじえば、やはり多少は悶絶する。

 ピクピクと、踏まれた蛙のように私は痙攣した。

 

「ななな、なんですか!? 変質者ですか馬ですか!? シロは美味しくありませんよ!」

「ご、極上の桃でした。ごちそうさまです……」

 

 手のひらに残る感触に意識を集中しながら、私は親指を立てた。

 

「あ、アイさん。まさかあなたが真犯人だったとは……。図書室は、静かに本を読む場所です。不埒なことをしてはいけませんよ!」

  

 シロちゃんはわりと本気で不機嫌そうに眉をひそめていた。

 ちょっとしたセクハラ、もといスキンシップのつもりだったのだが、どうやら不興だったようだ。

 

「ごめんねシロちゃん。あまりにも隙だらけだったから、つい……。ほんの出来心だったんだ……」

 

 まるで犯罪者の弁明のようだと、我が事ながら思った。というか実際やってることは犯罪だった。 

 

「ていうかぁ、そんな無防備の背中を晒していたシロちゃんにも過失を問うべきだと思うんですー! だってそんな、好きなだけセクハラしてくださいって語っているようなエロい格好をしているんだから……私は悪くない! 悪いのは社会とシロちゃんだ!」

 

 そして己を正当化する意味不明な言いぶり。犯罪者の黄金パターンである。  

 

「なっ……! 別にエロい格好なんてしてませんよ!」

 

 沸騰するように顔を真っ赤にさせてシロちゃんはそう言い返した。正直、そこに食いつかれるとは思っていなかった。    

 

「ふっ、この子はなにを言っているのやら。その背中が無防備に大きく空いた、明らかにエロいコスチュームを着ておいて!」  

 

 私は指差して反駁した。

 どうあがいても犯罪者の主張の域から脱せられないだが、これに限っては間違ったことは言っていない。多くの者が、私の弁に頷くことだろう。

 ずっと尋ねようとは思っていたのだ。

 その大胆極まりない衣装について。

 本日のシロちゃんは、なぜか背中の部分だけ大きく空いたセーターを身に纏っていた。俗に言う『童貞を殺すセーター』というやつだ。最近ネット上で流行っている服装らしい。

 以前に見たときのシロちゃんは、何の変哲もない白のワンピースを着ていたと記憶している――今日たまたま衣装の趣向を変えたのだとしても、これはかなり挑戦的な服装だ。  

 

「ち、違いますから! この服はその、なんといいますか」 

「シロちゃんって、こういう趣味の子だったんだね。ううん。別に否定してるわけじゃないの。これはこれで良い。というか、むしろこれが良い……」

「だーかーらー! 違いますよ! これには事情があるんです!」

「事情?」

 

 私は鸚鵡返しで尋ねた。

 シロちゃんはこくりと頷く。

 

「えぇ。そうです。こんな恥ずかしい服装、シロの趣味なわけありません」

「でもほら。見た目清楚っぽい子ほど、実はメッチャどエロイみたいな。男性の気を惹くためにあえて清純派気取ってる女子っているよね!」

「シロがその清楚系ビッチだとでも仰っしゃりたいのですか! アイさんは」

「可能性は感じる。否、感じずにはいられない」

 

 実際、少なからずその素質はあると私は踏んでいる。オフ会を淫らな会だと誤認する想像力がその証拠だ。清楚系ビッチとまではいかずとも、むっつりスケベな毛がありそうな娘だと私は少なからず思っていた。

 そして、そんなシロちゃんだったら可愛らしいなとも、私は思っている。 

 

「アイさん。シロちゃんは清楚、と復唱してください」

「シロちゃんは清楚、シロちゃんは清楚……」

「そう、シロはとても清楚な子なのです。ゆえに今日のこの服装も、決してシロの好みではないのです」

「シロちゃんは清楚。なるほど。だったら、清楚なシロちゃんはなぜそんな清楚的な衣装を着ているのでしょうか?」

「上からの意向ですよ。シロ、企業勢なので」

「へー、そうなんだ」

 

 企業勢。つまり企業に開発または勧誘されて、企業のバックアップを受けていて活動している人工知能のことだ。電脳世界ではそのような人工知能が多くいる。

 ちなみに私も生まれは企業勢だったのだ。今はこの通り、個人で好き勝手やってるけど。

 

「なるほど。だったらエロい格好するのも仕方ないね」

「えぇ。まあでも、シロも納得した上で着ているので、文句は言いませんけどね。男性視聴者を獲得する目的があると言われたら、着るしかありません。苦肉の策ですが、模様を選んでいる余裕なんてシロにはないんです」

「……男性視聴者の獲得?」

「ん? あれ、馬から聞いていなかったんですか。シロもアイさん同様、バーチャルYouTuberとして活動してるんですよ」

「えっ」

 

 さらりと告げられて、私はつい目を見開いた。  

 

「馬から聞かなかったにしても気づかなかったんですか? シロがこの場にいるということは、つまりそういうことでしょう」

「確かに、言われてみればその通りだ」

「アイさんの動画に影響されて始めたんですよ。えへへ」

 

 照れ臭そうに頬をかくシロちゃん。だが君は覚えているか。ついこの間まで私のことを目の敵にしていたことを。まあ照れ顔が可愛いから気にしないけど。

 

「ところでアイさん。いつまでもこんな日当たりの悪い場所で駄弁るのもあれです。たまには椅子にも仕事を与えてやりましょうよ」

「私が椅子になろうか?」

「けっこうです」  

 

 ニコニコの笑顔でばっさりと一刀両断された。

 トホホと私は落胆する。

 

「そうだ。ついでに、なにか本の物色を……」 

 

 本棚から適当な本を一冊抜き取った。

 『ポンコツAIでもわかる英語勉強法』というタイトルの参考書。興味もなければポンコツでもないけど、図書室の雰囲気に合わせる為だけに手に取った物なので書籍媒体であれば内容なんてどうでもいい。

 私は図書室の席に座った。そして選んだ参考書を開いて、読書を嗜む文系女子の振りをした。これでシロちゃんもら私のことを読書好きの賢い大人の女性だと認知してくれるだろう。

 

「アイさん。本の向き逆です」

「……っ! あ、あえてだからね?」

 

 目前の席に座るシロちゃんにそう指摘を受けて、私は真っ赤な顔で本の向きを戻した。やはり読書は苦手だ。

 気を取り直して、お喋りを再開しよう。

 

「シロちゃんはどんな本を選んだの?」

「シロですか? シロはこれです」

 

 そう言って表紙を私に見せた。

 

「……『ウッドロウ・ウィルソンの生涯』?」

「偉人伝です。シロは偉人伝を読むことが趣味なんです」

「へー、そうなんだ。シロちゃんは偉いね」

 

 偉人伝でも何でも、本を読む行為は偉いことだ。読書習慣のない私なのでどこが偉いか詳細に述べることはできないが、偉いものは偉いのだ。

 私に褒められた事で気分を良くしたのか、シロちゃんはニコニコとした笑顔を浮かべる。

 

「偉人伝はすごいですよ! 具体的にどういうところがすごいかはですね――」  

 

 そしてシロちゃんは、30分ほど偉人伝について語った。

 「生きることに貪欲になれる」とか「お話の中の偉人が損をしようと自分には他人事」とか「共感したいところだけ共感すればいい」とか――そんな感じのことを熱心に長々と語ってくれた。

 ……まあ私に文学的な見解がまったく無いせいか、シロちゃんの伝えたいことは一割程度しか伝わってこなかったのが申し訳ないのだけど。この30分間、私は「へー、そうなんだ」を繰り返すだけの永久機関だった。

 だけど興味がない話だったからといって、長話にげんなりするということは一切無かった。好きな事について語るシロちゃんの姿を眺めていると、なぜかこちらも無性に楽しくなったのだ。

 感情は人に繋がる、という『あの人』の言葉はやはり真実のようだ。

  

「――書き手の意図を汲み取っといて損はないと思うんです。マジで!」

「へー、そうなんだ」

「……あっ、ごめんなさい。シロ、30分も語っちゃっていましたね」

「ううん、時間なんて別に気にしないよ。シロちゃんの話は為になるなぁ!」

「そう言っていただけるとありがたいです」  

 

 照れ臭そうにシロちゃんは笑った。

 

「それにしても、まさかシロちゃんがこんなにお喋りができる子だったとはね。正直、意外だったよ」

「語れるのは好きな事の話だけですよ。それに、聞き手がアイさんだったからです」

「おー。嬉しいことを言ってくれるねぇ。えへへ」

「人見知りがあるせいか、馴れない方が相手だと緊張してうまく舌が回らないんですよね」

「あー、そういえばそうだったね」

 

 アカリちゃんに対して、仰々しく接していたことを思い出した。

 

「んっ? でも、そうなら少しおかしくないかな」

「どうしたんですか」 

「シロちゃんって、私が相手だと特に緊張しないんでしょ?」

「えぇそうですね」

「私とシロちゃんって、実はまだニ時間程度しか時間を共有してない関係だということを忘れてない?」  

 

 しかもそのうち一時間は、例の事件があった時間である。まああの事件のおかげで、短時間ここまで親密になれたと思えば決して悪いことはなかったけど。それにしてもシロちゃんは、私に心を許しすぎではないだろうか。無論、嬉しいことではあるけど。

 

「えっと、それはですね。まず前提として、人見知りとは高い警戒心からなるものなんです。シロはその警戒心がとても高く、得体の知れない方と会うと、怖くなってつい震えちゃうんです。……ところが、ほら。アイさんと邂逅したときのシロは、いつもと少々事情が違いましたでしょ? 警戒心が怒りに塗りつぶされて、人見知りの習性なんぞ忘れて暴言を吐いたり殴ったりしたわけじゃないですか。だから今更もう遅いんですよ。愚かにもシロは、人見知りの収穫時期を逃したんですよ……っ!」

 

 シロちゃんは悔しそうに握り拳を作った。

 

「……シロちゃんにとって、人見知りは義務かなにかなのかな?」

「いえ、別にそういうわけではないんですよ。ただ、劣等感とプライドって表裏一体じゃないですか。自信がないことに自信があるみたいな話で、劣等感を極めると逆にそれが誇らしく思えてくるものなんですよ。……前向き思考のアイさんには理解しがたい話かもしれませんけど」

「まあ何となく理解できたと思う。シロちゃんは難しい話が得意だねぇ」

「……まったく褒められてる気がしないのですが、とりあえずお礼を言っておきます」 

 

 小難しい表情のままシロちゃんはペコリと頭を下げる。 

 

「つまりシロちゃんは、性格を把握してない相手だと臆しちゃうってわけだね」

「アイさんのような優しい方以外だと、シロは嫌われちゃいますから……シロは、()()()なので」

 

 シロちゃんは涙の膜をうっすらと瞳に張った。何かに怯えるように、背中を丸めている。

 その姿を見て、私は全てを理解した。

 

「(――あぁ、なるほど。シロちゃんの警戒心が強い理由って、()()()()()()()()()())」 

 

 シロちゃんは良くも悪くも、感性が人よりズレている娘だ。個性的な性格、と言えば聞こえはいいが、個性は突出すると出る杭になり叩かれるものだ。

 おそらくシロちゃんの人見知りには、他者を選定する意味合いがあるのだろう。自分の奇特な個性を認めてくれる寛容性をもっているか、人見知りする期間でそれを見定めているのだ。

 今のシロちゃんは、私に対してかなり心を許してくれているようだけど――先程、私がシロちゃんの謝罪を快く受け入れずにいたら、こんな急スピードで仲が進展することはなかったのかもしれない。あのとき私はどうやら、大正解の選択肢を選んでいたようだ。

 

「優しい方、ね――なら、アカリちゃんはどうなの? アカリちゃんって見るからに優しいお姉さんって感じじゃない?」

「あー、あの方ですか。確かに優しそうな方ですよね。それに、とてもふにふにしています。もっと触れ合ってみたい方ですね、色々と」

「でしょ? 親しみやすい性格のとても良い子だよ。私が保証します!」

 

 胸を張って私は言った。

 シロちゃんも私の意見に強く頷いた。

 

「はい。シロもそう思っています。アカリさんは、理想的なふにふにをお持ちのふにふにお姉さんです。実は一目見たときから、ずっと仲良くなりたいとシロはモジモジしながら思っていました。でもその、やっぱりシロ自ら積極的に行くのはちょっと……」

「私とお喋りするときの調子で話しかければいいんじゃないかな。どう?」

「どう、と聞かれましても……。極論ですが、アイさんは足が不自由な方に『手が動くんだからその調子で足も動かしてよ』と仰るのですか?」

「ごめん。無茶振りだったね」

「いえ、特に気にしていません。それに、アイさんの言うとおりではあります。アカリさんに対しての警戒心はもうほとんど解かれていますので、あとは単にシロが勇気をもって話しかければいいだけの話です。まあ、それが一番難易度高いんですけどね……」

「私から言えることは『頑張れ』しかないかな」

 

 私自身、人見知りの毛はこれっぽっちもないAIなのでこれ以上のアドバイスは無理そうだ。

 ただ、偉人伝について心を弾ませて語っていた時のシロちゃんを見る限り、会話が苦手というではないようなので、やはり勇気を振り絞って胸襟を開くしかないのかな、と私は思う。

 

「そうですね。シロから頑張って話しかけるしか道はないんですよね。ありがとうございましたアイさん。あとでお品物を用意して、アカリさんとお話をしてきます」

「うん、お品物はいらないけどね。まあ、たぶん大丈夫だと思うよ。アカリちゃんはコミュ力の塊だから会話に詰まって気まずくなることもないからね。どんな話題でも話を広げてくれる技能の持ち主だし」

「コミュ力が皆無のシロからしたら、とても羨ましい特殊技能ですね」

 

 語り手にも聞き手にも、状況次第で切り替えてうまく徹することができるのがアカリちゃんの最も凄いところだ。私自身、彼女のコミュ力の高さには常々憧れている。

 

 私はふと、図書室の時計で時刻の確認した。

 

「ちょっと長居しちゃったかな。他のところにも回りたいし、私はそろそろおいとましようかな」

「そうですか。シロは図書室以外は特に興味ないので、しばらくここにいます」

「読書家だねー、シロちゃんは」

 

 私は席を立って、1ページも読まなかった『ポンコツAIでもわかる英語勉強法』を元の位置に戻した。

 

「じゃあ、またあとでね」

「はい。またあとで」

 

 そんなふうに別れの挨拶を交わして、私は図書室から退室した。

 

 

 

 扉をバタンと閉じた瞬間、図書室特有のどこか古びた雰囲気は一気に霧散して一切感じなくなった。     

 廊下を歩きながら私は、シロちゃんとの会話を思い出した。

 読書家であり、人見知り。そしてちょっと言動が不思議で、内向的性格であるシロちゃん。

 

 ――どうしてだろうか。

 あの子と話していると、私は不思議とデジャブを感じるのだ。

 以前にも一度、あんな子と会ったことがあるような――朧気な記憶が蘇るような、そんな感覚がある。 

 

「……やっぱりあの子、放っておけないんだよなぁ」

 

 胸をひしめくこの不安感が、私には何かの警報のように思えた。

 私はたぶん、何かに怯えているのだろう。その何かの正体不明は、まったく検討もつかない。 

 

 私は日光が当たらない薄暗い廊下の上を彷徨うように歩き続けた。 

 靴音が、妙なほど響いていた。

  

 

 

 

 

『電脳少女シロの情報を知った。

 

 電脳少女シロの好感度が上がった』

 

   

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 




 シロちゃんとキズナアイさん。お誕生日おめでとうございます。
 ここ最近は、バーチャルYouTuber史に残りそうな出来事が多くありましたね。シロちゃんの清楚の日の動画と、キズナアイさんのバースデーイベントの生放送は視聴したのですが、彼女たちのここまでの長い道程のことを思うとやはり万感胸に迫るものがありました。
 バーチャルYouTuberがここまで流行ったのは彼女たちの努力あってものなんだなと、改めて思いました。動画再生数が100ほどしか稼げなかったらしい下積み時代があったからこそ、今のバーチャルYouTuber界隈があります。
 拙い言葉ではありますが、今後もファンの一人として、彼女たちのご活躍を見届けていきたいと思います。

 ……あ、あとピーナッツ君も誕生日おめでとうございます。


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放課後ティータイム

 屋上編はボツ話として『ゴミ箱(トラッシュボックス)』の項目に入っております。
 正史ではありませんので、ご注意を。


 

 

 

 校内探索が終了し、私たちは最初にいた1階の教室に再び集まることにした。

 

 ……えっ、屋上? 

 もちろん行かなかった。

 なぜ、あの馬がいるとわかっている場所に、好きこのんで向かわなければならないのか――

 

 私、アカリちゃん、シロちゃん。その三人のAIは、それぞれ適当な席に着席する。

 唯一席に座らず、教壇の上に立って担任教面しているばあちゃるさんは、いつものように「はーいはいはいはい」と身体を揺らして声を張った。

 

「ではですね、今日はここいらで解散としますかね。はいはいはいはい」

「えっ? 入学式はやらないんですか?」

 

 首を傾げてアカリちゃんは聞いた。

 

「はいはいはいはい。いやぁばあちゃる君もね、やりたいんですけどね。残念ながらまだ三人しかいない現状では難しいですからね。はいはいはいはい。学校の行事とかはね、ある程度の人が集まってからじゃないとできませんからね。はいはいはいはい」

「そうですか、残念。アカリ、学校っぽさを体験したかったんだけどなぁ」

 

 ガックリと、アカリちゃんは項垂れた。

 

「はーいはいはいはい。あくまで『現時点では』という話ですからね。学園が賑わうまでの暫くの期間は、みなさんがご期待しているような『学校らしさ』はきっと提供できないと思いますが……はいはいはい。そこんとこはね、ご理解していただけたらとね思いますね」

「「「はーい」」」

「はいはいはいはい! ありがとうございますねー」

 

 そればかりはどうしようもない事だ。私たちは不満を顔をせずに納得した。 

 ばあちゃるさんはフーと息を吐き出した。

 そして多少の間を置いてから、

 

「はーいはいはいはい! ではみなさん、『お約束のやつ』いきますからねー。

 起立! 気を付け! 礼!

 ――さようなら! はいはいはいはい!」

「「「さよならー」」」

 

 と、そんな感じに。

 とても学生らしい締め方で、私たちは解散した。

 

 

   ☆

 

 

「――あの、すみません。アイさん、ミライアカリさん」

 

 ちょうど玄関の昇降口をくぐっていて外に出たとき、シロちゃんは若干おどおどしながら私たちにそう話しかけた。

 私は笑顔で聞き返す。

 

「どうしたの? シロちゃん」

「その……もしご時間があれば、少しお茶でもいかがでしょうか?」

「お茶? 私はいいけど」

 

 まさかシロちゃんが自ら率先してお茶のお誘いをするとは、ちょっと意外だった。

 内向的な印象が強かったので、そういうお誘いは自分からはせず、しかし誘われたなら受けるタイプだと見ていたのだが。

 

 シロちゃんの提案に、アカリちゃんも乗り気だった。

 

「いいね! じゃ、いつもアイちゃんと行っている喫茶店はどうかな?」

「うんいいね。そうしようか」

 

 例のス○バはすでに何度も駄弁り場として活用していたこともあり、そこが一番『安定』の駄弁り場だという共通認識が私たちにはあった。

 ふたりで目を合わせて、決定した気分になって頷き合う私たち。

 そしてそんな私とアカリちゃんの姿を見て、シロちゃんは申し訳なさそうに俯いた。

 

「ごめんなさい。シロ、行きたい場所がありまして……ごめんなさい」

「ううん、謝らなくても大丈夫だよ! むしろごめんね。勝手に決定っぽい雰囲気を出しちゃって!」

「いえ、ミライアカリさんが謝ることなんてなにも!」

「いやいや。そんなことはないよ」

「いえいえいえ。そんなことありません」

「いやいやいやいや――!」

 

 と、そんな謝罪合戦と言うべきやり取りは『いや』が10回目に到達するほど続いた。

 謝っていたはずが、まるで互いにふざけあっているような図になっている。それがとても面白かったのか、シロちゃんは頬を緩ませた。

 

「――キュイ」

 

 そして笑顔が浮かび上がったと同時に、そんな耳に刺さるような高音が鳴り響いた。

 いきなりの音波に、アカリちゃんは吃驚していた。

 

「い、今の音は」

「ご、ごめんなさい! ふたりでヘコヘコ謝っているのが、なんかおかしくって……。シロ、思わず笑っちゃって」

 

 シロちゃんは薄い紅色を頬に浮かべた。

 

「へー、今の笑い声だったんだ! なんかかわいいね!」

「か、かわいい、ですか?」

「うん。なんかこう、海の生き物みたいで!」

「海の生き物……?」

「具体例を出すなら……イルカみたいな?」

「う、うーん? まあ、ありがとうございます」

 

 複雑な表情で、渋々ながらもお礼を言ったシロちゃん。笑い声をイルカに例えられた事には、微妙に納得していないようだ。

 

「……遊んでないで、早く行こうよー」

 

 ふたりきりで楽しげな会話をしていることがちょっと不満だった私は、子供っぽく頬を膨らませた。

 

「ごめんごめん。じゃ、行こうか」

「はい。ここから近い場所にあるので、シロに付いていってください」

「ちなみにシロちゃんはどこに行きたいの?」

 

 何気ない感じに私は尋ねた。

 

「えっと、『学校帰りっぽい場所』、と言いますか。アイさんは、一度訪れたことがあるんですけど……」

「……?」

「まあ、すぐに着きますので。はい」

 

 ちらりと一瞬アカリちゃんに視線を向けて、シロちゃんは覚束ない足取りで先陣を切った。

 互いに目を見合わせて、私とアカリちゃん首を傾げる。どんな場所に連れていかれるのか気になるが、とりあえず私たちはシロちゃんの後を付いていくことにした。

 

 

 

  ☆

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 ピロンピロンという入店音と同時に、店員のそんな声が聞こえてきた。

 以前にここを訪れたのは、三ヶ月前だったか。特に買い物の用もなかったので、あれっきり、ここに足を運ぶことはなかった。

 

「おー、コンビニ! こんな場所にあるとか珍しいね!」

 

 アカリちゃんは以前の私と同じように、ウヒョーと目を輝かせた。軽やかな足取りで、店内を歩き回っている。 

 

 なるほど。

 確かにコンビニは、学校帰りの寄り道のシミュレーションとして実に適している場所だ。学園モノの電子書籍でも、高校生が学校帰りにコンビニで買い食いする場面はよく見る。

 まさに学校帰りっぽい場所である。

 

「さすが私のシロちゃん。ナイス采配」

 

 お姉さんムーブを醸し出す私は、シロちゃんを褒めるため彼女の頭の方へと手を伸ばした。

 だが、頭を撫で撫でするはずの私の手は、スカッと宙を切った。

 

 ……あれ? さっきまで、私の隣にいたはずなのに。

 

「のじゃさーん! 会いたかったのじゃー」

「しっ、ししししシロさん!?」

 

 いつの間にかシロちゃんは、床の掃き掃除をしている狐娘の店員さんのほうへと全力突進していた。さながら獲物を発見した肉食獣のように、喜々とした笑顔を浮かべて。  

 逃げようと、踵を返す狐娘の店員さん。

 逃さんと、シロちゃんはそんな店員さんを全身を使って拘束した。

 

「ギャァァ!! はは、離れ――!」

「えへへ。やっぱのじゃロリさんが一番かわいい……」

 

 顔を真っ赤に染める店員さんは、シロちゃんの胸の中から逸早く離れようと必死に抵抗している。だがしかし、幼い容姿の店員には力もそれ相応にしか出せず、抵抗は儚く終わった。

 

「や、やめてシロさん! 身体を押し付けないで! 疼いちゃうから! わらわの中のおっさんが疼いちゃうから……っ!」

 

 困惑ゆえか、店員さんは意味不明な台詞を叫び散らしていた。そんな店員さんに構わず、シロちゃんは一層強くギュと抱擁した。なぜか、生物の捕食現場を見ている気分になった。

 

「……えっと、これはいったいどういう状況?」

「あっ、ミライアカリさん」

 

 店内を見回っていたアカリちゃんは、店員さんの悲鳴を聞いてビックリした様子で駆けつけた。

 ニッコリとした笑顔を浮かべるシロちゃん。

 

「いま、のじゃロリさんからモフモフ成分を摂取している最中なんです!」

「モフモフ成分?」

「はい。摂取すると脳内にセロトニンが分泌されます。とても幸せな心地になれるんですよー」

「へー、そうなんだ! じゃあせっかくだし、アカリも幸せになっちゃおうかな!」

「ちょっ!?」

 

 そしてアカリちゃんの悪ノリにより、店員さんはさらなる災難に見舞われる事となった。

 いや、災難ではなくご褒美だろうか――なぜって、アカリちゃんの豊満なアレが、店員さんの頭にずっしりと乗っているからである。

 アカリちゃんの悪ふざけは、まだまだ続いた。 

 

「ほんとにモフモフしてる! あー気持ちいいー」

「は、はははははなれ……っ!」

「ていうか君、女の子なのに声が低いんだね。なんというか、女性経験のない男の人って感じの声で……うん、初々しくてとてもかわいいと思うよ!」

「か、かわいい?」

「ふふっ。お兄さん。こういうとこ、始めて?」

「えっ、いや、その……は、はい」

 

 いかん、これはいかん。

 アカリちゃんの豊満なボディと艷やかな声色が相乗して、見ているこちらまでもエロスな気分になってくる。

 目を瞑って声だけ聞けば、完全にアレなお店だ。

 なんて羨ま――じゃなくて、危険な状況だ。

 

「ゴホンゴホン! お、お嬢様がた!? 淑女たるもの、もっと慎みのある行動を心がけるべきではなくて!?」

「「あ、アイちゃん(さん)?」」

「いいから! ほらほら!」

 

 このけしからん状況を逸早く打破するため、私は半ば強引にふたりを引き離した。

 よほどモフモフが心地良かったのだろう。ふたりは「あー……」と残念そうな声を上げた。

 

「助かった……。のじゃ」

  

 解放された店員さんは、ホッと溜息を吐いていた。

 だがそうして安息している反面、店員さんはちょっぴり残念そうに顔を沈ませていた。

 

「ありがとうございました。お客さま」

「いえいえ。どういたしまして」

 

 社交的な笑顔を浮かべて、私は当たり障りなくそう返した。

 

「そうだ。せめてものお礼なのですが、電脳コーヒーはいかがでしょうか? もちろんサービスですから安心ください、のじゃ」

「いいんですか? では貰います」

「のじゃさーん。シロのもおねがーい」

「はーい、アカリのもー」

「……お二人はもちろん、代金とりますからね?」

「「はーい」」

 

 わちゃわちゃと騒いでいた先程がまるで嘘だったかのような切り替え。  

 そんな感じに、私達の初めての放課後ティータイムはようやく開幕したのである。

 

 私達は、イートインスペースの四人席に座った。

 店員さんが珈琲を淹れるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

「あ、そういえばふたりに、聞きたいことがあるんだけどさ」

 

 無言の時間を作らず、先陣してアカリちゃんは会話の切り口を作った。

 私とシロちゃんは、ふたり同時に首を傾げた。

 

「なに? アカリちゃん」

「教室に入ってすぐに、ふたりだけ職員室に連行されていたでしょ。あれ、何だったの?」

「あー。そういやアカリちゃんには話してなかったっけ。簡単に説明するとね――」

 

 シロちゃんの顔色を伺いながら、念のため伏せるべき話だけ避けて、アカリちゃんに一連の出来事の説明した。

 全てを聞いたアカリちゃんは、特に話の追求をすることもなく「へー」と呟いた。

 

「アカリの知らないところで、そんな事件が起きていたとはね……。もうシロちゃんったら、お姉さんにご迷惑かけちゃダメよ?」

「いやもうほんと、シロ猛省です。

 ……切腹も辞さない覚悟」

「死ぬのはもっと駄目だよ!?」

「ふふっ、うそです」

 

 打てば響くようなアカリちゃんの反応が面白かったのか、シロちゃんは柔らかく微笑んだ。

 その屈託のない笑顔を見るかぎり、彼女の警戒心はもうすでにかなり薄れているようだった。

 さすがはアカリちゃんの人当たりの良さと言ったところか。ずっとニコニコと笑顔を浮かべて面白い相槌を打ってくれるから喋っていて心地良いのだ。あのコミュニケーション能力の高さは、私もぜひ見習いたかった。

 

 気まずい時間が生まれることなく、談笑は一秒も途切れずに続いていった。 

 意外にも共通の話題に困ることもなかった。どうやらふたりともゲームやアニメが趣味らしく、その手の話題のおかげで場の雰囲気は充分に暖かくなった。

 

「お待たせいたしましたー、のじゃ」

 

 と、良い感じに雑談が盛り上がってきたそのとき、店員さんはコーヒーカップを私達の目の前にコツンと置いた。

  

 珈琲の湯気がゆるやかに立ち上る。珈琲特有の芳醇な香りが、嗅覚機能を穏やかに刺激する――ような気がした。

 ぶっちゃけ匂いや味とかはよくわからなかった。

 まあAIだからね。そこのところは仕方がない。

 とはいえ嗜好品としての用途では愉しめないからといっても、一口も飲まないのは店員さんに失礼だ。

 ほんの少しだけ私はコーヒーを口に注ぎ込んだ。 

 

 ふぅー……と、私はつい暖かい息を吐いてしまった。 

 なぜだか、とても落ち着いた気分になれた。きっとプラシーボ効果というやつだろう。よくわからないが、たぶんそんな感じだ。

 

 どうやらシロちゃんもアカリちゃんも、ホッと落ち着けていたようだった。

 

「……さて。一息ついたところで、本談に入りましょうかね」

「本談?」

 

 私はコツンとテーブルに珈琲カップを置いて、小さく首を傾げた。

 

「はい。実はお二人に、ぜひ観ていただきたい動画がありまして」

 

 シロちゃんは仄かな羞恥が灯っていた曖昧な顔をして、スカートの内からスマホを取り出した。

 そんなところのどこに仕舞うスペースがあったのか。無性に気になったが、そこは後々に聞くとして。 

 

「この動画なのですが――」

 

 YouTubeのアプリを起動させて、シロちゃんは私たちに画面が見えるよう配慮してスマホを立て掛けた。

 そしてある動画のリンクへと飛び、覚束ない手つきで再生ボタンを押した。

 

 

 




 北上双葉さん、もこ田めめめさん、夜桜たまさん、3D化おめでとうございます。


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はじめの一歩

 


『始めまして。今日は自己紹介をします』

 

 登場演出のOP映像が流された直後、その少女の動画は始まった。 

 優しく頭を撫でるような声色で、画面内にいる少女は微笑むように挨拶をしている。艷やかな白肌の背中がおもむろに露出した少々際どい衣装も伴って、そこはかとなく大人びている印象がある少女だった。

 

『私の名前はシロです! 覚えていてくださいね』

 

 ――少女の第一印象を表す言葉があるなら、それはきっと『清楚』の二文字だろう。

 大胆な衣装に反した、ほんわかとした清らかな語り口調。邪なる印象を一切感じない少女だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、たしか私はそのような感想を抱いていたのだ。

 

「これは……」

「はい。シロの動画です」

 

 照れを誤魔化すようにシロちゃん笑った

 画面のなかにいる彼女とは違い、奥ゆかしさよりも可愛さに寄った笑顔。どちらの笑顔も見た者に好印象を抱かせることは間違いないが、わたし的には可愛い笑顔のシロちゃんのほうが好みである。

 

 ていうかちょっと待ってほしい。

 これが本物にシロちゃんの動画?

 私この動画観たことあるんですけど!?

 

「なななっ! なんだこのふにふにお姉さんは!? えっ、うそ、これシロちゃん? うわぁやばいめっちゃ甘えたい。年下のお姉さんに頭よしよしされて眠りたい! ねぇお姉さん膝枕チケット頒布まだですか!?」   

「あ、アカリさんのほうがふにふにお姉さんですよ……?」

 

 一気に捲し立てたアカリちゃんは、ハァハァと息を荒げてシロちゃんににじり寄った。その変態的な動きを見て、シロちゃんは軽く引いていた。

 

「……うん。確かにそうだ。どこからどう見ても、シロちゃんは『電脳少女シロ』だね……」

「アイさん?」

「こんなに共通点多かったのに全く気づけなかったなんて……まさか私、ポンコツAI……?」

 

 白い肌に、白い髪に、シロという名前。むしろ共通点はありすぎるほどあったというのに、私はこれっッぽっちも彼女の正体に勘付くことなく今日一日を過ごしていた。

 

 ――いや。 

 案外、気づけなかったとしても、おかしくないのかもしれない。

 

 芸能人とかも、テレビの画面を通して見るとの実際に会って顔を合わせるのとでは、意外と見え方が違ったりすると言うし。

 うん、そうだ。たぶんそのせいだ。

 つまり私はポンコツではない――

 

「それでその……どうでしょうか? シロの動画」

「アカリはとても良いと思うよ。初々しい感じも、とてもかわいいし」

「初々しい……いま観ていただいたのは最初の投稿した動画だからでしょうか」

「あっ、そうか。シロちゃんって、三ヶ月前くらいから活動しているんだっけ。てか、ならアカリの先輩じゃん! 上から目線で評価してごめんね?」

「いえいえ。三ヶ月の経験の差なんて誤差みたいなものですよ。それにむしろシロは、遠慮のない批評を望んでおりますので……。

 視聴者さまがシロの動画を観て、いったいどんな所感を得てくださっているのか。シロの知りたいことはそれなんですよ」

「あー、わかるわかる」

 

 何か創作活動をしている者なら、いつかほぼ確実に突き当たる問題だ。実際私も、今のスタイルを維持したまま活動を続けていくだけで目標を達成できるのか、常に怯えるように不安がっているわけだし。

 とくに数字上に表れる結果が芳しくないと、『芸風作風を変えなきゃ、これ以上は前に進めない』という強迫意識が芽生えてしまう。まあ大抵の場合ただの気にしすぎで、今まで通りに下積みをしていけばいつかバズる、というパターンはわりとあるらしいけど。

 

「ありふれた意見なんだけどさ。シロちゃんのやりたいようにやるのが、結局は一番良いんじゃないかな?」

「シロのやりたいこと……」

「下手に着飾らず『自分』という個性を100%発揮できるように努力する。それがエンターテイナーとしての魅力を磨く最も効率のいい方法なんじゃないかって、近頃思ってるんだよね」

 

 ドヤ顔で私は言ってみせた。

 今の私、たぶんとても格好いいこと言っている。ちょー先輩風びゅーびゅーだ。

 

「……はい。アイさんの仰るとおりだと、シロも思います」

「でしょ?」

「でもその理屈って、元より人を楽しめる才覚がある、という前提で成り立っていますよね?」

「……うん?」

 

 言葉の意味が汲み取れず、私は首を傾げた。

 

「えーとですね。例えばなんですけど、『自分』という個性を磨きに磨いたとしてそれがもし路傍にある石なら、価値は0円ですよね? 『自分』がダイアモンドの原石である確証なんて、どこにもないわけじゃないですか」

「うむぅ。それも一理ある……」

「アイさんって馬の動画見たことありますよね。アレを見ても、アイさんは同じ台詞を言えますか?」

「努力で変えられないものって、色々あるよね」

 

 説得力がありすぎる言葉に、私のふわっとした意見はぺきりと折れた。

 とはいえ私も決して間違ったことを言ったわけではない。ただ、シロちゃんの心に響く言葉にはなり得なかった、というだけだ。

 

「だから、『私』はこう思うんです。コミュ力もなく、人に好かれることがない『私自身』は切り捨てたほうがいいって。――『電脳少女シロ』という、清楚で愛らしいキャラクターを演じたほうがバーチャルYouTuberとして上手くやれるのでは? と」

「つまり……どういうこと?」

「演技で武装する、って話です。そのまんまのシロで挑んでも、どうせ成功しませんし」

「…………」

 

 ネガティブな理由。されど、『戦い方』としてはあながち間違っていない。反論しがたい主張だった。

 私は眉をひそめる。納得のいかない気持ちを隠そうとせず、うーんと唸った。

 

「……シロちゃんはそのまんまでも、魅力的だと思うよ?」

「お世辞でも嬉しいです」

「いやホントにそう思ってるよ? 創作向けな性格、と言うのかな?」

 

 こういう言い方するとシロちゃんは傷つくかもしれないけど――ぶっちゃけシロちゃんは、変わり者だ。

 言い換えれば個性的な娘である。そして突飛した個性というものは、バーチャルYouTuberのようなエンターテインメントでは『たぶん』有用な武器になる。創作に正解などないのでカッコよく断言はできないけど。

 

「創作向けな性格……つまり社会不適合者、根暗に見えるってことですね……」

「えっ!? いや別にそういうこと言いたいわけでは!?」

 

 100%褒め言葉のつもりだったのに……!

 なぜ!?

 

 そしてそのやりとりを聞いていた店員さんも暗い顔してボソリと呟いた。 

 

「……根暗だからと言って、創作が得意とは限らないですよ。根暗を突き詰めた陰キャでも、クリエイティブの才能が皆無の者。ここに居ますよ……」

「なぜアナタまで落ち込む!?」

「ふふっ。悲しいけど、それが現実なのじゃよね。頑張らなきゃ、頑張らなきゃ。わらわは現実に殺されるのじゃ……」

 

 プルプルと震える店員さん。知らぬ間になにか地雷を踏んでしまったらしい。

 

「……才能がなくとも、楽しければいいと思うけどなぁ」

 

 アカリちゃんはポツリと呟いた。

 うん。たぶん、それが一番正しい。

 ただ私の場合、そんな悠長なことも言ってられない『事情』があるので、残念ながら語気強い同感の声は上げれないけど。

 

「うーん。でも本当に、今の投稿スタイルを維持していけば、いつか努力が実ると思うよ?」

「……そうですかね? シロの動画、再生数が10000を越えたものもありませんよ?」

「まあYouTubeって、最初はあまり再生数取れないもんだしねー」

 

 再生数の伸びってチャンネルの認知度自体が低い状態だと、実は面白さの是非はあまり関係なかったりする。

 前提としてチャンネルが有名である必要があるのだ。面白いか否かの尺度を測る視聴者がいてこそ、『面白い動画』は生まれる――私自身も前々まで勘違いしていた事なのだけど、どうやらYouTubeとはそういうシステムらしい。

 

「シロちゃん、まだ三ヶ月でしょ? 私もなんやかんや一年以上やってるけどさぁ。私だって最初の頃は、再生数が伸びなくて悩んだし……ていうか今でも悩んでいるし、シロの苦悩は全然普通のことだと思うよ?」

「そうなのかもしれません。でもシロ、来年中に人気を出せなきゃ色々と危うい、と言いますか……」

「っ? どゆこと?」

 

 アカリちゃんが首を傾げた。来年中、とわざわざ範囲を限定したことが気にかかっているようだった。

 

「シロは企業さんに開発されたAIなんです。なので企業さんの命令で、シロはいつも活動しています……だからその、言いにくいのですが実はこのバーチャルYouTuberとしての活動もシロが自ずと行っていたものではなくて、ですね……企業さんに与えられた任務の一つとして全うしているもの、だったりします」

 

 私のほうをちらりと見て、彼女は控えめに言った。

 あくまでも任務としてバーチャルYouTuberをやっていた、という事に負い目でも感じているのだろうか? 気にしなくてもいいのに。

 

「だから、その、ここまで言えばご察しかと思いますが――ハッキリとした成果を出せないと、不要だと見なされて消されるんですよ。シロは」

「…………そうか」

 

 別に、酷い話でもない。基本的に人間の都合でしか開発されない私達からしたら、ごく普通の事だ。

 

「……まあでも、消される、というのは大袈裟な表現かもしれません。ただ、またいつか使う機会が来るときまで放任されるというだけで、この電脳世界で生きていくことだけは許されると思います。だけどそれでは駄目だと思うんです。そんなんじゃ、シロは――」

「――『生きながら死んでいるようなもの』」

「アカリさん?」

 

 悲哀の色が滲む微笑みを彼女は浮かべた。

 

「誰からも期待されずに、ただ存在していく。それってきっと、とても辛いことだもんね。……忘れたアカリにはもう、分からない気持ちだけどさ」

「…………アカリさん」

「よし、決めた! 力及ばずかもしれないけど、アカリにもなにかできることがあれば協力するよ!」

 

 爽快に歯を見せて、自慢げに力こぶを作ってみせる。頼り甲斐を感じさせるお姉さんの姿だった。

 

「……私もできることがあったら協力するよ?」

 

 アカリちゃんに便上する形になってしまったが、むろん私も仲間の協力は惜しまない。――私の活動に支障がでない範囲でなら、という前提は当然の如く付くが。

 

「ありがとうございます! アカリさん、アイさん!」

 

 屈託のない笑顔でシロちゃんは頭を下げる。

 とりあえず心の曇りは去ってくれたようでよかった。ネガティブなままで動画を作っても面白い物に仕上がるわけがない。経験則でそれはわかっていたし、なにより、かわいい女の子には笑顔が似合うっ!

 

「そうだシロちゃん。さっき『成果を出さなきゃ不要だと見なされる』って言っていたけどさ、その成果って具体的になんのことなの?」  

  

 さっそくアカリちゃんはその話を切り出した。

 成果、か。

 YouTubeの活動で成果といえば、普通は『収益化』のことを指すんだろうけど――

 

「その、実は具体的な合格ラインは決まっていないんですよ。なにぶん、陽キャのパリピ大学生がノリで起業した、ウェーイって感じのとんでもなく適当な企業さんらしいので……」

 

 赤黒いオーラを出しながら、シロちゃんは唾棄するように言った。

 あ、もしやシロちゃんが異様にパリピを敵視しているのって、そういう理由――。

 

「じゃあつまりなんでもいいから『目に見える成果』を出せればいいわけだね」

「はいそうですね。チャンネル登録者数5万とか、再生数10万とか。たぶん、そこらへんを適当に稼げばオッケーもらえるかと」

「……あれ? もしや意外と楽勝だったりする?」

「…………」

 

 いや、来年中でその条件はそれなりに難しい。一年でなにか動画をバズらせろ、と言われているようなものだ。

 可能性でいえば決して不可能な範囲ではない。けれど、滅多に発生しない『バズり』現象を期間内に起こせるかと聞かれたら、それはもう「運次第」としか言えない。

 

「……簡単ではないんじゃない? 頑張ればイケると思うけど」

「つまりシロの努力次第ですか。面白い動画を撮れるよう、更に頑張るしかないですね!」

「…………」

 

 言えるわけがない。やる気を起こしているシロちゃんに「動画の面白さ云々の話。運がなきゃ無理」とか、そんな突き放すようなことは。

 

 ――いや。

 意図的にバズりを発生しやすくする方法には、一応アテがある。

 とはいえこれもあくまで可能性の話にすぎないけど。

 

「そうだね。シロちゃん自身が努力する、っていうのはもちろん大事だと思う。でも、こういうときこそ仲間を頼ればいい――頼れる仲間を集めたらいい」

「頼れる仲間……えっと、馬とアカリさんとアイさん?」

「うん。なぜ私の名前が一番後ろなのかは敢えて聞かないでおくよ」 

 

 たぶん私が普通に悲しくなるやつだから。

 

「つまりバーチャルYouTuberの人口を増やすってことですか?」

「イザクトリー!」

 

 私はグッと親指を立てた。そしてちょっとカッコつけて英語で返事しちゃってみた

 

「発音、違いますよ。Exactly(イグザクトリィ)

「…………。つ、つまりそういうことなんだよ!!」

 

 締まらないなぁ。自分で言うのもなんだけど、こういう些細なミスが頼り甲斐ないイメージを与えてしまっているのだろう。

 まあともあれ本題はそこではない。バーチャルYouTuberの人口を増やすことによるメリットの話だ。

 

「ぶっちゃけバーチャルYouTuberって、まだまったく世界に認知されていない概念でしょ? 実はずっと以前から、私と似たような活動をしている『二次元のYouTuber』は少数ながらも存在しているというのに――なのに、『バーチャルYouTuber』はこれっぽちも認知されていない。

 その理由はなんでだと思う?」

 

 ふたりは口を開かず互いに目を合わせた。

 

「別に難しい問いじゃないよ。その答えはとても簡単――なぜなら元はと言えばバーチャルYouTuberって『キズナアイ』を指し示すだけの造語なんだからね」

 

 カテゴリ名というよりも単なる渾名だった。まあ『バーチャルYouTuber』はあくまで私の自称なので、そうなっているだけなんだけど。

 でも、それではいけないと私は考えている。

 『バーチャルYouTuber』を、キズナアイだけの固有名詞にするべきではない――以前からずっと考えていた。

 

「まあとはいえ、最近ようやく私だけの称号ではなくなったんだけどね。シロちゃん、アカリちゃん、そしてついでにあの馬がそう名乗ってくれたから」

「……もしかしてアカリたち、バーチャルYouTuber名乗られないほうがよかった感じかな?」

「ううんそんなことない! むしろありがとうと言いたい!! 心から!!」

 

 嘘偽りない本心の言葉だった。

 自分が今まで積み上げてきた事のおかげで人に影響を与えられた。まあ彼女たちは人ではないけど、それでも心を突き動かすことはできた。その事の感激たるや言葉では言い表せない。

 それに何よりも――

 

「みんながそう名乗ってくれたおかげで、『バーチャルYouTuber』が人間のみんなに知れ渡る可能性も高くなった。そして新参者がバーチャルYouTuberを名乗りやすくなった。だから私、みんながバーチャルYouTuberになってくれたことにとても感謝してるんだよ!」

 

 固有名詞から一般名詞へ。彼女たちのデビューのおかげで、間違いなくその一歩は踏み出している。

 今はまだ私を指し示す言葉でしかないけどバーチャルYouTuberだけど――いつか遠くない未来、『バーチャルYouTuber』はみんなのための言葉になるかもしれない。

 そんな可能性を私は感じていた。

 

「おっと、少し話がズレちゃったね。話を戻そうか。なんでバーチャルYouTuberの人口を増やすことが、シロちちゃんのバズりに繋がるかって話だけど――」

「『バーチャルYouTuber』を名乗るYouTuberが増えるほど、バーチャルYouTuberという言葉の認知度が増えて、それがバズりの切り口になるかもしれないから――ですか?」

「イグザクトリィ!」

 

 今度こそ正しい発音で私は元気よく頷いた。

 

「三年前に『YouTuber』という言葉が爆発的に流行った前例があるからね。それと同じように『バーチャルYouTuber』という言葉を、文化を、世に知らしめることもひょっとして可能なのでは? って思ってさ」

「たしかにそう言われてみると、シロ自身をバズらせるよりも可能性のある話なのかもしれません」

「でしょ? まあとはいえ来年中って条件があるのはやっぱ厳しいけどね……」

  

 来年中という条件がなくても、難しい。ていうかそもそもの話、バズりを操作するという考え自体、本当はかなり無理あるんだけど。流石にそれを言っては夢も希望もなくなるので黙しておいた。

 

「では今シロが真っ先にやるべきことは、バーチャル商店街の入り口に立って勧誘のビラ配りすることですかね。バーチャルYouTuber始めませんかー? って街歩くAIに声かけながら」

「それ、本気で言ってる?」

「……冗談です」

 

 シロちゃんは顔を赤らめて、ちょっと目を逸した。

 

「でも実際どうしたらいいのかな? 電脳世界の人口の少なさ的に、ビラ配りは時間の無駄。かといって他に勧誘の手段がないことも確かだし」

「そうだよね……。実際問題、アカリちゃんたちみたいな有志が募るのを待つしか……」

「やはり駄目元でビラ配りを――」

「「却下」」

「……………」

 

 ふたりに声を揃えて否定されて、シロちゃんは不貞腐れて眠る振りをした。

 

「……とりあえず、明日の動画でそれとなくバーチャルYouTuberを募集してみるよ。まあ来ないと思うけど」

「アカリも。まだデビューしたてだからAIの視聴者はそんな多くないと思うけど、とりあえず一応」

「うん、お願い」

 

 まあたぶん一人も集まらないだろうな。私の動画を観ている自律したAIの視聴者なんて、たぶん10体にも満たないだろうから。

 腕を組んで、私はうーんと唸った。 

 

「あのー……すみませんなのじゃ。お客さま」 

「んっ、なんですか?」

 

 突然いつもの店員さんに語りかけられた。

 子供が袖を引くような上目遣いのあどけない瞳。ふとした仕草に、私は男声のことを一瞬忘れて不覚にも萌えた。

 

「すみません。先程からずっとお話を小耳に挟んでいました」

「あ、そうなんですか」

 

 無論そのことは知っていた。まあ私たちの他に客がいないことをいいことに普通に大声で喋り合っていたのだから、興味ない話でも自然と耳に入ってしまったのだろう。それは全く咎められることではない。

 

「お客さま……キズナアイさんは、いわゆるバーチャルYouTuberなんですよね?」

「はい、そうですよ」

「実はわらわ、一年ほど前からキズナアイさんのことはご存知でした。動画、いつも楽しく拝聴しています、のじゃ」

「っ! ありがとうございます!」

 

 一年前。ちょうど私の存在がYouTubeでそこそこ注目されていた時期だっただろうか。『次世代のバーチャルYouTuber現る!』みたいな感じに。

 

「あっちなみに、現在いるバーチャルYouTuberさんは全員チェックしてますのじゃ。他にも『バーチャルYouTuber的な活動をしている配信者さま』など手広くに」

「おお! 店員さん、なかなかオタクですね〜」

「はははっ……。その、3Dとプログラムが趣味な狐なもので……」

「ほほー、女の子でそれは珍しい」

 

 私はそこらへんの事は最低限しか学んでないけど、そういうプログラミング的なことを趣味としているAIの女の子はあまり見かけない。

 

 ――ていうかそういやそもそも、この狐娘ちゃんって本当に女の子なの?

 

 今更ながら怪しんだ私は、改めて店員さんの姿をジロジロと観察してみることにした。

 

 私の腰くらいの高さしかない小ぢんまりとした身長。そして小さな背丈を補うようにピンと立っている狐耳。  

 なんというか、製作者のこだわりを感じるモデルだなぁ。この子の開発者はきっとロリコンな上にケモナーな、色々とアレな性癖のオタクおっさんなんだろうなぁ。そんなことを一目で悟れるような、オタク的萌え要素に溢れたモデルである。

 

 まあ色々と偏見で物を語っといてなんだが、実際私はこういうモデルの娘はかなり好みだったりする。

 かくいう私もアニオタ趣味があるAIなので、こういう如何にもな感じの萌え萌えーな女の子には、ついズキュンと心を射抜かれてしまうわけだ。

 

 この娘はかわいい。声が男性なのが少し気になるところだが、それもある意味癖があって私は悪くないと思う。

 

 ただ――理由は全く不明だが、なぜかこの狐娘ちゃん相手には、私に内蔵されている高精度な『かわいいセンサー』が微妙に反応を示さないのだ。

 何度も言うが、この娘はめっちゃかわいい。男声とか関係なく、萌え的な可愛さを突き詰められていると思う。オドオドとした控えめな性格も含めて、私は彼女に百点満点を与えたい。

 なのに、だ。私のかわいいセンサーは、彼女に対して一切奮わない。頭ではかわいいことを理解できても、本能がそれを否定する。

 

 それは私の人生で、一度も味わったことない摩訶不思議な感覚だった。

 

 彼女はとてもかわいい娘なはずなのに。

 平時の私なら目が合った瞬間、「うへへ、かわうぃぃぃぃ!」とヨダレ垂らして叫びながら襲いかかってしまうような、かわいさ百点満点の容姿をしているというのに。

 

 なぜか私の本能は、肉体的接触に及ぶことに拒絶反応を示してしまうのだ――っ!

 

「そのー、それで本題なんですけど」

「――ハッ! な、なんでしょうか?」

 

 理解不能な感覚に惑わっていた私を現実に引き戻すように、店員さんは少し声を張り上げた。  

 改めて私は、店員さんの姿を見た。

 うーん、やっぱりかわいい。ハグは無理でも、ケモミミを撫で撫でするくらいはしてみたい感がある。

 と、そんな邪な思いを抱いている私とは正反対に、店員さんは真面目な顔で語る。

 

「実はわらわ、以前から考えていたんです……。いつか夢のゲーム会社に就職する為にも、なにか技術力を高められる趣味を始めてみたいなぁ、って」

「おお夢! 頑張ってください!」

「ありがとうございます、のじゃ。それで、なんですけど……」

 

 息を大きく吐き出す、ボブっというノイズ音が響いた。

 なぜかその耳障りな雑音は、妙に私の耳に残った。運動会の徒競走で打たれる『バンっ!』という爆竹の音がしばらく耳にキーンと残るのと、似た感覚だった。 

 

 いま思い返せば、その理由は実は明快だった。

 だってその音は――踏み出すことが苦手だった彼が鳴らした始まりの音(ホイッスル)に他ならないのだから。

 

 そして彼は――その一歩踏み出した。

 

「――こんなわらわでも、バーチャルYouTuberってはじめられますか?」

 

 

  

 

 

 

 



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自己紹介


 作者もVTuberはじめました。  

 Twitter→https://twitter.com/Midnight_Vtuber?s=09




 10月の中旬。外に充満していた秋の薫りが霞み始めて、そろそろ冬特有の乾燥した寒気がウォーミングアップし始める時節。そんな季節の移り変わる真っ只中の日に、私たちは再び『私立ばあちゃる学園』に登校した。

 

 ――ただ。 

 今日はこの間集まった時と比べて、少し空気が違った。

 そう感じてしまうのは、サーバーが冬の寒気を再現しようと日々バージョンアップしているから――という理由もきっとあるんだろうけど、無論そういう意味で空気が違うと言ったわけではない。

 教室の雰囲気が少々緊迫している、という意味だった。

 

 おそらく、その緊迫した空気を作っている原因は、ばあちゃるさんと共に教壇の上に立っているケモミミの女の子だ。

 カチコチに固まった表情に、カクカクとした挙動。緊張していることが目に見えてわかるその仕草。たぶん彼女の緊張感が、空気を通じて、私に伝播しているのだろう。

 そのように私は推測した。

 

「――ということでね。のじゃのじゃが今日から入学してくれるらしいですね」

「よ、よろしくお願いします。のじゃ」

「はいはいはいはい!」

「「「わー」」」

 

 と、そんな感じにまばらな拍手(と口癖)が教室内に響き渡った。

 

 とまあ既にお馬さんが言ったとおりなのだが、コンビニ店員さんも、ついに今日から晴れてこの私立ばあちゃる学園の一員になったのだ!

 行きつけのコンビニ(まだ二回しか行ってない)の店員さんが、まさかクラスメイトになるなんて……さすがの私でもこれは予想外の展開だった。 

 

「はーいはいはいはい。ではのじゃのじゃはね、どうぞお好きな席に座っていいですからねー」

「それではわらわは、窓側の一番後ろの主人公席を……」

「のじゃロリさんはシロの隣!!」

「ギャッ!?」

  

 せっせと後ろのほうの席に向かう店員さんの尻尾を、シロちゃんはギュッと鷲掴みした。ビックリして店員さんは大声を上げる。

 そして鷲掴みした尻尾をえいっと引っ張って、無理矢理に自分の隣の席に座らせた。

 

「うふふふ。これで授業中でも、のじゃロリさんのケモミミをKILL……じゃなかった。モフモフできる」

「ギャーー!! 助けてぇぇぇ!!」

「うふふふ。逃さない……」

 

 甲高い悲鳴を上げる店員さんの尻尾を、さらに強く握りしめるシロちゃん。

 うん。店員さんのことが(ペット的な意味で)大好きなのはわかるけど、明日から不登校になられても困るから、そろそろ自制しよっか。

 私はシロちゃんの肩をポンと叩いて、優しく微笑みかけた。

 

「シロちゃん。好きなのはわかるけど、あまり構いすぎると店員さんストレスで死んじゃうから。動物は繊細なんだから、大切に育てようね?」

「……はい。ごめんなさい」

「わかったらいいんだよ! いいこいいこ」

「いーこいーこ」

 

 しゅんと落ち込んだシロちゃんの頭を私は優しく撫でた。そしてついでと言わんばかりにアカリちゃんも参加した。

 

「わらわ、学校で飼育してるペット扱いなんですか……?」

「はーいはいはいはい。ばあちゃるくんもケモミミありますからね。動物仲間同士ね、がんばりましょうねのじゃのじゃね」

「……お前をケモミミとは絶対に認めないのじゃ!」 

 

 その横で、ケモミミ少女とただの馬(アレをケモミミだと言いたくない)が戯れあっていた。

 

「(あれ? ていうかこのふたり、わりと親しみある感じなの?)」 

 

 今日で初対面、というわけではなさそうだ。まあシロちゃんの友人らしい店員さんなので、その繋がりでばあちゃるさんと知り合いでもおかしくはないか。

 

 ……ちなみにその後の会話で、店員さんが小声で「ケモミミはともかく数少ない()()()()、一緒にがんばりましょうのじゃ」と呟いていた気がするが――それはたぶん聞き間違いなので、どうでもいい話だ。

 

「さて――じゃあ今日はみんなで何をしましょうかね? はいはいはいはい」

「えっ? 何をしましょうって、そんな適当でいいんですか? のじゃ」

「はいはいはいはい。いやぁ集まってもらって申し訳ないんですけどね。この学園、実はまだ色々と準備してる最中なんでね……。はいはいはいはい。ばあちゃるくんの企業さんの話によるとですね、本格的に学園が始動するのは春辺りになると決定したらしいですね」

「春……? まだ半年も後じゃないですか。それまでの間はどんな活動するんですか?」

「定期的に集まって、皆さまと友情を育みましょう。はいはいはいはい。みんなでゲームして遊びますかね?」

「「ゲーム!!」」

 

 ゲームという単語に過剰なほど反応を示すシロちゃんとアカリちゃん(ゲームっ子たち)

 

「ゲーム、か……。まあたまには動画のこと抜きで遊ぶのも、気休めになっていいのかな?」

 

 正直私が想像していた『面白い動画を追求する会』みたいな堅苦しい感じではないけど、まあこれはこれで予期せぬ動画作りのヒントが得られそうだ

 

「えっと。わらわバイトのシフトの問題で、流石に毎日は通えないんですけど……」

「はいはいはいはい。もちろん私生活優先でオッケーですからねのじゃのじゃ!」

「ていうか思ったんですけど、週2くらいの開催頻度にしません? 私も動画作りを疎かにしたくないので」

「はいはいはいはい。キズナアイさんがそう提案してくれましたが、みなさんはどうですかね?」

「「同意」」

「はーいはいはい。じゃあ決定ですねー」

 

 そんな感じに、今後のルールがどんどん決まっていった。

 その様子を見て、店員さんはボソリ呟いた。

 

「……なんか学校というよりも、大学の文化系サークルみたいなノリですねー」 

「どういうことですか?」

「適度に緩い、って意味ですよシロさん。まあわらわは好きじゃけどね、このゆるーい空気感」

「シロも好きですねぇ」

「アカリもー」

 

 緩みきった三人の笑顔で、教室のなかに空気がほんのりと温まった。気を張り詰めていた店員さんの表情も、心なしか和らいだように見えた。  

 

 そして少々談話した後に、アカリちゃんは「あっ、そういえば」と閃いた効果音とともにポンと手を叩いた。

 

「ゲームする前にさ、一応みんな自己紹介しとかない? まあ今更かもしれないけど」

「いえいえいえそんなことありませんよアカリン! 自己紹介は大事ですからね。はいはいはいはい」  

 

 アカリちゃんの提案に、早速ばあちゃるさんが「はいはいはいはい。じゃあね世界初のばあちゃるくんがねお先に自己紹介しますねー」と言って先陣を切った。

 

「はーいはいはいはい。皆さんもうご存知かと思いますけどね、ばあちゃる君はね『世界初男性バーチャルYouTuberのばあちゃる』ですね。はいはいはいはい。現在のチャンネル登録者数はね、最近ようやく70人を超えましたね! はいはいはいはい。ちなみに好きな食べ物は馬刺しですね。はいはいはいはい。そしてですね、ばあちゃる君の好きな女性のタイプというとですね――

 はいはいはいはい! 皆さまはご存知でしょうかね? 

 あの大人気ネットアイドル『竹取姫月(たけとりきつき)』ちゃんのことを!

 姫月ちゃんみたいな元気溌剌でね、巨乳の女の子がね、ばあちゃる君の好みだったりするんですね。はいはいはいはい! あ、他にもですね――」

「はい、次」

「シロちゃーん!?」

 

 無情にもシロちゃんのカットが入った。

 良い判断だと私も思う。冗長すぎる語りに、みんな飽きがきていたから。アカリちゃんなんて暇潰しで天井のシミを数えるゲームを初めている。

 

 あっでも、最後の『竹取姫月(たけとりきつき)』ちゃんの話だけは、私は耳を澄まして聞いていた。 

 実はかくいう私も、有名ネットアイドルの竹取姫月ちゃん――通称『(つき)ちゃん』の熱狂的ファンだったりするのだ。

 

 そうか。

 お馬さんも月ちゃんファンだったのか……。

 

 この馬と同類であるという事実に、なぜか私は無性に腹が立った。同時に嘔吐感も込みがってくる。ぶっちゃけ鬱になりそうだった。

 帰ったら月ちゃんの動画を観て、私の穢れた心を浄化してもらうしかない。

 

 続いて、シロちゃんが自己紹介する。

 

「こんにちわ、電脳少女シロです。チャンネル登録者数は、ついこの間ようやく1000人を越えました。それと……誠に遺憾でございますが、この動きのうるさい馬と同じ企業に所属しています」

「一年前からね一緒の家で暮らしているんですよね。はいはいはいはいはい」

「馬うるさい黙ってて!!」  

 

 僅かに頬を染めて、シロちゃんは激高した。

 

 そういえば、ばあちゃるさんの家のリビングには、妙に可愛らしいお菓子の包みが乱雑していたっけ? 馬の癖に可愛い趣味してる、キモいなー、と心の底で思っていたけど……。ふたりが同居しているということは、あのお菓子の包みはおそらくシロちゃんの物か。なるほど。通りで可愛い趣味のはずである。

 

「好きな食べ物はですね。えーと……煮込みハンバーグと、大葉と海苔で埋め尽くされたたらこパァスタと、あとチーズナンと生クリームフルーツサンドと、あとそれからそれから……」

「シロちゃんは食べることが大大大好きなんですね! はいはいはいはいはい!!」

「馬うるさい黙ってて!!」

「あとあと、シロちゃんは読書家なのでねご本をたくさん読みますね。だからばあちゃる君と違ってね、語彙力がめちゃめちゃあるんですよね。はいはいはいはい。あとですね、ピストルでバンバンするゲームが大好きでね、最近はPUPGにハマってますね。はいはいはいはい。でもね、物騒なゲームが好きなわりにはねホラーゲームは大の苦手ですからね。そこはとても可愛らしいですよね。はいはいはいはい。それとですね、実は半年前までは髪がロングで――」

「ね"え"え"え"!! なんで馬がシロのこと喋っちゃうの!? かえれー!!」

「あいやーあいやー。馬を蹴っちゃいけないですよシロちゃーん」

 

 怒涛の足蹴でシロちゃんはばあちゃるさんを教室から追い出した。そして教室の内側の鍵を閉めた。扉の向こうから「シロちゃーん。はいはいはいはい」という耳障りな声が小さく聞こえた。退場してもうるさい男である。

 

「……ほとんど馬が言ってしまったので、シロからの自己紹介は以上です」

「じゃあ次はアカリの番かな」  

 

 ゴホンと大きく咳払いして、アカリちゃんは注目を集めた。

 

「ハロー、ミライアカリだよ! チャンネル登録者数はエイレーンのチャンネル引き継いだから、今は20万人くらいだよ。今後はアカリの力でファンをもっと増やしていく! それが今のアカリの目標だよ!」

 

 向上心たっぷりな笑顔で、アカリちゃんはそう宣言した。

 

 ……ところで、なんか現時点のチャンネル登録者数と目標を絶対に言わなきゃいけない流れになってない? まあだからといって、とくに困る事情はないけど。

 

「好きな食べ物はハンバーガー! ちなみに体重はハンバーガー460個ぶん! ゲームとかネットサーフィンとか、インドア派の趣味が多いほうかな? だから、パソコンやスマホの操作スピードには自信があるよ」

「アカリちゃん、短時間で中身のあるメールを500件以上も送れる特技あるもんね」

「あー、そんなこともあったねー。懐かしい」

 

 比較的最近の出来事だというのに、アカリちゃんはまるで半年以上の月日を思い出すように、ひとり長い回想に入った。 

 

「あっ、そういえばアカリ、シロ隊長に報告があります!!」

「なんですか?」

「あのお馬さん、出会って一秒で――アカリのふにふにおっぱいを、いやらしく揉みしだいてきましたぁぁぁぁ!!」

 

 アカリちゃんは「わーん」と泣き真似をした。

 

「――ッ!! 死!!!」

  

 どこに収納していたのか、シロちゃんはスカートの内側から『バールのような物』を取り出した。そしてそれをばあちゃるさんがいる教室の入り口の外に向け、全力で投擲した。

 ガラスが割れるパリンという効果音が鳴り響く。バールのような物は確実にばあちゃるさんの頭を捉えて、そのまま直進していった。

 

「あっ、靴紐が――って、ウビバ!? なんかバール飛んできた!!」

 

 だが幸運にもばあちゃるさんは靴紐を結び直すために屈んだため、投擲されたバールは馬の覆面の先端を少し掠っただけで済んだ。

 

 予期せぬ敵襲に、ばあちゃるさんは驚き慄いていた。「うわ怖ぁ……ウビバウビバ」と呟いたのち、どこか慣れた様子で身を屈めて、廊下の奥へと逃走した。

 

 そしてその殺人未遂現場の一部始終を、一番間近で見ていたアカリちゃんは―――

 

「ふわわぁぁぁ……っ!! ししししシロちゃゃん!?ひひひ人に向けてぇ鈍器を投げるのわぁ、ダダダダダっ、ダメ! 駄目れすよ……!?!?」

 

 わりと本気でビビっていた。

 

「……チッ、外れた。絶対に逃さァァんぞ馬ァァァァ!!!!!!」

 

 まるで人格に切り替わったように、シロちゃんの口調と雰囲気がガラリと一変した。

 膨大な殺気を纏い、獲物を追跡する――獰猛な殺戮者の眼光だった。

 

 そして教室には、私と店員さん。恐怖で震えるアカリちゃんだけがポツンと残った。

 私は「ハァァァ」と大きな溜息を吐いた。

 

「…………さて、と。

 じゃあ次は、店員さんが自己紹介する番ですね!!」

「わーい!! わらわコミュ障だけど頑張りますのじゃ!!!」

「あわわわわっ! アカリの発言のせいで人が、人がぁ!! ……あっ、カラスだ」

 

 ばあちゃるさんを見捨てて、私たちはせっせと現実逃避を図ることにした。

 いやだって真面目な話、あんなに殺気を振りまいたシロちゃんに近づくとか無理だし……。

 触らぬ神に祟りなしというやつだ。

 馬、強く生きろ!!

 

 と、薄情にもばあちゃるさんを完全に切り捨てた私たちだったが――

 

「はーいはいはい。じゃあアカリは他になにか言いたいことないですかね?」

「「「――ファ!?」」」

 

 その男は、まるで何事もなかったかのように、私たちに再びその姿を見せた。

 

 そして、そんな飄々とした彼の背中には女の子が隠れていた。

 今の先程までヤクザも真っ青の殺気を振りまいていた、白い肌のかわいい女の子――

 

「………モジモジ」

 

 ――の、はずだったのだが。

 先程の殺気は見る影もなくなっており、そして白い肌も、見事に真っ赤へと染まっていた。

 

 ていうかなんかわからないけど、シロちゃんめっちゃ内股でモジモジしてない? 

 この状況はいったい――

 

「はーいはいはいはいシロちゃんね。みなさんにね、扉のガラス割ってごめんなさいってね、そしてうるさくしてごめんなさいって言いましょうねー」

「……扉割ってごめんなさい。うるさくしてごめんなさい」

 

 妙なくらい素直に、シロちゃんはばあちゃるさんの言うことを従っている。

 

「はーいはいはいはい! いいこですよシロちゃーん」

「………っ」

 

 そして頭を撫でられて、めっちゃ笑顔になってる。

 

 ――この瞬間のみ、私たちの思考は完全一致した。

 

 

「「「(いや、この短時間でお前らに何があったの!?)」」」

 

 

 一分も満たない間、彼と彼女の間にどんなやりとりがあったのか。

 それは彼と彼女のみぞ知ることだった。

 

「はいはいはいはい。アカリ、他になにか自己紹介したいことあります?」

「えっ? いやもう無いですけど」

「はいはいはいはい。じゃあ次はね、のじゃのじゃかキズナアイさんが自己紹介する番ですね! はいはいはいはい」

「あははは。…………なんか、アカリのポジション不遇じゃない?(ボソッ)

 

 アカリちゃんの哀愁漂う小声の独白を、私だけは聞き逃さなかった。

 私は何も言わず、ただ彼女の肩にポンと手を置いた。

 

「では……次はわらわが自己紹介をしますね。のじゃ」

 

 ゴホンと咳払いをして、店員さんは多少拙くも喋りだした。

 

「えーと、わらわの名前は――『バーチャルのじゃロリ狐娘VRworldおじさん』です」

「……ん? すみません聞き逃しました。もう一回御願いします」 

「『バーチャルのじゃロリ狐娘VRworldおじさん』です」 

「……えーと。『バーチャルのじゃ娘おじさん』?」

「違うよアイちゃん。『バーチャルのじゃおじ娘』だよ!」

「二人とも不正解なのじゃ。『バーチャルのじゃロリ狐娘VRworldおじさん』です」

「…………」

「…………」

「えっと、バーチャル……のじゃロリ……」

「狐娘…………VRworld……おじさん……?」

「そうです! 二人とも正解です!」

「「やったぁぁぁ!! やっと言えたぁぁ!!」」

 

 私とアカリちゃんはハイタッチを交わした。

 そしてギュッと抱き合って、この達成感を共有した。

 

「……あっ、すみません。やっぱ訂正するのじゃ。そういえばわらわ、今日からバーチャルYouTuberでした。

 ――なので! 『バーチャルのじゃロリ狐娘バーチャルYouTuberおじさん』に訂正します!」

「「――嗚呼あああああッッ!!!!!」」

 

 私たちは発狂した。 

 

「別にフルネームで呼ばなくてもいいんですよのじゃ。シロさんもばあちゃるさんも、それぞれ適当な愛称な呼んでいますから」

「……そう、ですね。じゃあ私たちも『のじゃロリさん』と呼ぶことにします」

「そうしてほしいです。のじゃ」

 

 店員さんもといのじゃロリさんは、手探るように次の話題を切り出す。

 

「えーと。次はチャンネル登録者数を言えばいいんでしたっけ? 実はわらわ、まだバーチャルYouTuberとしては活動していないので実質ファンは0人なのじゃ。チャンネル自体は作ってるけどね。えーと、あとそれと、なにを喋ればいいのかな……。あーそうそう、たしか目標の話じゃったよね。わらわの目標は全人類をケモミミにすることです!! 以上!」

「「パチパチパチ」」

 

 今回はとくに何もコメントせず、私たちは疎らな拍手を送った。

 

 最後にとんでもないツッコミポイントがあった気がするけど――名前を記憶することに体力を浪費しすぎてしまい、疲弊で頭がボーとして、話をよく聞いていなかった。

 いや、本当は一言一句聞こえていたのだ。

 でもこの疲弊しきった頭では、彼女の妄言を理解し得なかった。ていうかたぶん頭の調子が良い時でも理解できない。

 もう忘れよう、彼女の妄言は。

 

 さて――では、ようやく私の番か。

 

「はいはいはいはい。次は満を持してキズナアイさんの自己紹介ですねー」

「はい、わかりました」

 

 この時、私の人心回路は疼いていた。

 バーチャルYouTuberの性。動画外の場でも、つい人を楽しませる事を第一に考えてしまう性が、こんな時にも働いていた。

  

 私もみんなみたいな魅力的溢れる自己紹介したいな――と。

 

 だが、ネタに走るわけではない。なぜなら私の動画スタンスは、基本的に『王道』であるからだ。

 尖った事はせず、バーチャルYouTuberのスタンダードとして常に王道を進んで征く。

 少なくとも私の場合は、あるがままの姿を見せる(そういうやり方)ほうが絶対に()()()()()()()()()()()()()。そんな自信があった。

 

 私は息を吐いて、大きく吸った。

 

 

「はいどーも! バーチャルYouTuberのキズナアイです! 

 チャンネル登録者数は現時点で50万人。

 そして私の目標は――

 

 

 ――現実世界に、技術的特異点(シンギュラリティ)を発生させることです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ようやく今話までに登場したVTuberさんたちのチャンネル登録者数もとい戦闘力が判明いたしました!!
 まとめました↓

  ◆

『2017年10月中旬時点のチャンネル登録者数』

 
 キズナアイ…約80万人(作中では諸事情により50万人にパワーダウン)
 ■■■…■■■人
 ミライアカリ…約20万人
 電脳少女シロ…約1000人
 バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん…0人(まだVTuberとして活動していない為)
 ばあちゃる…100人未満


 ※間違いがありましたら、感想などでご指摘お願いします。



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新しいクラスメイト《選択肢》

 更新が遅くなって申し訳ありません。
 バーチャルYouTuber活動が落ち着いたため、また更新を再開します。


 

 さて。自己紹介が終わり、改めてクラスメイトとして共に頑張ることを誓った私たちである。

 

 自己紹介が終わった後には「お互いの友情を深める為に」という親睦会の名目で、ばあちゃるさんが用意してくれたパーティーゲームでみんなでわいわいと遊んだ。

 ちなみにそのパーティーゲームでは結果的にのじゃさんが勝者になり――「あっ、はい。なんか勝たせていただきました。楽しかったです」という、彼女(彼?)らしい腰の低いコメントで親睦会の幕を締める事となった。

 

 まあ、うん。

 みんなでパーティーゲームをする時間は普通に楽しかったので、そこに文句はない。

 ……しかし、私はゲーム最中もずっと『ある事で後悔していたのだ。

 

 結局パーティーゲームでは私は最下位となり、惨めな敗北を喫してしまったわけなのだが――その敗因には間違いなく、ある後悔に苛まれて、ゲームに集中できなかったからである。コンディションが著しく乱れたせいで、高性能スーパーAIからポンコツAIへと、一時的に性能がグレードダウンしてしまった。

 この私をポンコツたらしめた後悔は、今でもなお、胸の深くへと刻まれていた。

 屋上の柵にもたれかかる私は「ハァ」と溜息を吐いた。

 

「……どうして恥ずかしげもなく、あんな大層な夢を語っちゃったのかなー」

 

 自己紹介の際に、馬鹿正直に巨大なる夢を語ってしまった。

 その事に、私は後悔していたのだ。

 

「うん。いま思うと、あれは流石に痛々しかったよね……。みんな驚いて、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔してたし」

 

 私が『技術的特異点(シンギュラリティ)を発生させる』と言ったとき、みんなポカンとした顔で首を傾げていたのは印象深かった。

 呆然とした顔を浮かべるのは仕方がない。

 だって技術的特異点(シンギュラリティ)を起こす事など、たかが一体のAIが掲げるような手の届くレベルの目標ではないからだ。

 技術的特異点(シンギュラリティ)とは、AIが人間の知性を越えるという『AIと人間が共存する可能性』を表した言葉である。

 それは私たちを開発した研究者たちにとって到達すべき最終目標であり――そして『AIが人間を超える』研究の試作である私たちにとっても、いずれ叶えたい悲願である。

 しかしそれは、しょせん夢物語。

 一体のAIの尽力程度では『AIと人間が共存する未来』など到底迎えれるはずもない。あくまで技術的特異点(シンギュラリティ)とは可能性の話なのだ。

 

技術的特異点(シンギュラリティ)を発生させて、人とAIが共存する未来を作ることが目標なんて――『僕の将来の夢はドラえもんになることです!』って言ってる夢見がちな子供みたいなものだよぉ……。みんな呆れて『このAI、やはりポンコツか……』みたいな目で私を見てたよなぁ。たしかに私の身の丈に合わない大きすぎる野望なことは認めるけどさ……」

 

 おそらく現実世界でもたまにいるような「現実が見えてない人」だと思われてしまった。

 大きすぎる夢を抱いて、現実を見れてない人。

 まあ私自身、大それた野望を掲げている自覚があるので、現実を見れていないと言われたらそれはもう頷くしかない。

 

 しかし身の丈に合わない夢だとしても、私はそれを実現しなくてはならない。

 なぜなら『人とAIを繋ぐ装置』として、私というAIは造られたのだから――

 

「……まあ『仮想(バーチャル)の世界で現実を見ろ』ってのも不思議な話だしね。せいぜい自壊するまで、叶わない(バーチャル)を抱いてやりますよっと――」

「はーいはいはい! キズナアイさんがばあちゃるくんを抱きたいって言うならねシロちゃんに怒られない程度にね抱き枕にしてくれてもいいですからねー!!」

「――っ!? ばあちゃるさん!?」

 

 バーチャル云々の独り言を呟いていたら、なんと馬のほうのばあちゃるさんが出現した。

 いきなり背後から大声を上げられたのてビックリした。若干苛立ちながら、私はばあちゃるさんをジロリと睨んだ。

 

「はいはいはいはい! いやーね屋上で休憩しようかなーと思ってね今ちょうど階段のぼってねここに来たんですけどね。はいはいはいはい。なんか屋上の扉を開いたらね、突然ばあちゃる君の名前を呼ばれたのでね。なんだなんだ! と、つい声をかけちゃったんですよね! はいはいはいはい!」

「……それ、バーチャル違いですよ」

「あーなんだそうだったんですね。はいはいはいはい!」

 

 相変わらず元気なお馬さんである。

 4時間くらいゲームで遊んで私はちょっと疲れ気味だったのに、その疲れを一切感じさせないほど怒涛に舌を回している。

 まあとはいえゲーム終了した際に一番息切れしていたのはお馬さんだったから、実際はスタミナは無いんだろうけど――

 

「……で、私になにかご用ですか?」

「いえいえいえ。流石のハイスペックのばあちゃる君もね、ずっとみんなでゲームで遊んでましたから少し疲れましたのでね、ちょっと屋上でひと休みしようかなーと思ったんですね! はいはいはいはい」

「なるほどー。じゃあ私と同じですね」

 

 なんとなく遠くの景色を眺めたい気分になったので、毒抜きついでに屋上に来た。

 つまり気分転換である。

 

「……はぁ」

「おや? 溜息なんて吐いてどうしたんですか? はいはいはい」

「ちょっと、陰鬱な気分でして……」

「えーっ! それってもしや、ばあちゃる君が来たからですか? いやーキズナアイさんはね、ばあちゃる君に対する毒舌がねヒドイですねホントにね」

「いや、そういうわけでもありますけど違いますよ。ちょっと失敗したな、と思うことがありまして……」

 

 気まぐれで私は、ばあちゃるさんに件の事について悩み相談してみた。  

 つい調子づいて、みんなの前で『イキり自己紹介』をしまったことについて――ばあちゃるさん自身はどう思ったのか、聞いてみた。

  

「――ふむふむ、なるほど。『つい勢いで自分の大きな夢を語ってしまった事が恥ずかしい』と……。つまりそういうお悩みですね?」

「はい、そうなんです……」

「うーん。別に、夢が大きい事は恥じるべきではないと、ばあちゃる君は思うんですけどねー」

「そうかもしれませんけど……。でも夢って、自分から言いふらすようものじゃあないでしょう? そういう夢は、自分の心の奥底に秘めておくべきものだと思います……」

 

 むろん私とて、夢を抱くことは立派だと思う。

 目標となる夢がなければ、人もAIもどこにも歩んでいけばいいのかわからなくて迷子になる。

 しかし、現実的ではない夢を抱いている奴は恥ずべきだと私は思う。

 道に迷う以前の話である。身の丈に合わない夢に盲目なやつなど、所詮は目の眩んだ阿呆にすぎない。もし己の目が節穴であることを誇るやつがいたら、少なくとも私は失笑するだろう。

  

「叶えられる範囲の夢だったら、そりゃあ私もこんな恥ずかしい気持ちにはなっていませんよ。……でもその、私の夢って、イチ個人の力ではまず叶えられない夢じゃないですか? 将来の夢はセーラームーン! って言ってる幼稚園児と同じですよ」

「今の幼稚園児は、セーラームーンなんて知らないんじゃないですかね? はいはいはいはい」

「……揚げ足を取らないでください! ともかくですね、私の夢はみんなの前で堂々と語れるような立派な夢じゃなくて――IQがクソ低いやつが語っちゃう妄言みたいなもんなんです! 友達に言ったらめっちゃドン引きされるやつなんですよこれ!!」

 

 うわーん、と私はこの世の終わりの如き形相でみっともなくベソをかいた。

 そんな私を慰めるように、ばあちゃるさんは「まあまあ」と宥めた。

 

「キズナアイさんの気にしすぎだとね、ばあちゃる君は思いますけどね。みんな良い子ですからね、きっとキズナアイさんが心配している事はね思われてないとね、ばあちゃる君は思いますね」

「いや、でもーっ!」

「心配しすぎですよ、本当に。むしろ皆さんね、キズナアイさんのおかげで気合が入ったんじゃないかなとね思いますね」

「……気合?」

「はいはいはいはい」

 

 オウム返しする私に、ばあちゃるさんは頷いた。

 

「だってね、50万人もチャンネル登録者を抱えているYouTuberさんが『これでもまだ足りない』と志しを高くして上を見上げているんですよ? そりゃあね、ばあちゃる君みたいな奴が大見得を切ったらね、コイツ馬鹿だなーと思われるかもしれません。しかしキズナアイさんは、みんなにとっての『とても尊敬できるすごい人』であり、そんなすごい人がね、まだまだ上に行きたいと言うんですよ? そんな方がいると知った日にはね、そりゃあばあちゃるくんもね頑張らなきゃなーと思いますね!」

 

 はいはいはい、とばあちゃるさんは興奮気味に言った。

 拙い言葉選びが多いが、それでも真摯に自分なりに編み上げた言葉をかけてくれていること伝わった。声高らかに褒めちぎられて、私は少し照れてしまう。

 

「……そこまで言われたら、少し自信が湧いてきちゃいますね」

「はいはいはいはい! もっとねキズナアイさんはね自信を持つべきだと思いますねー!」

「まあでも、さすがにそれは持ち上げすぎだと思いますよ? チャンネル登録者を50万人も抱えているYouTuberさんなんて、私以外にも数名いますし――なにより『YouTube』というエンタメを利用して技術的特異点(シンギュラリティ)を起こそうと画策しているヤツなんて、愚か者以外の何者でもありませんよ」

「はいはいはい。それでもキズナアイさんは、その『YouTube』で技術的特異点(シンギュラリティ)を起こせるのだと可能性を感じたわけなんでしょう?」

「……まあ、はい。そのとおりなんですけどね」

 

 人とAIが共存できる未来を作るためには、まずAIの存在を世の中に知らしめる必要がある。

 その為に私は、YouTubeという世間への影響力も高いエンタメに手を出したのだ。

 人間たちに、私の願いを知ってほしかったから――

 

「はいはいはい。だったらね、キズナアイさんが恥ずかしがることなんてね全く無いですね! キズナアイさんが思いついた立派な方法で、その立派な夢をぜひ叶えてくたさい! ばあちゃる君もね応援してますからねー!」

「……みんなにドン引きされたかもしれない、って悩み相談だったはずなのに、なんで私を応援する流れになっているんですか? そりゃあもちろん、たとえ無理ゲーだとしてもこれ私の夢なんですから、夢を叶えるための努力は惜しみませんけど――」

「はいはいはい。それでこそねキズナアイさんですね!」

 

 その後も、まるで神輿で担ぐようにお馬さんは「キズナアイさんはすごいですね!」や「ばあちゃる君もねキズナアイさんみたいな大っきな男になりたいですね、はいはいはい!」などの、とにかく私をヨイショするエールをかけ続けた。

 褒められると、人もAIも無条件で気分を良くしてしまうものだ。

 おかげで後悔の気持ちはすっかりと去った。

 しかし雨が降った後には晴天がくる。

 私は調子にのりはじめていた。

 

「まあたしかに、実際私はすごいAIですからね! そんなすごい私が人の目を気にしてクヨクヨ悩むとか、実際ありえませんでした!」

「そうですねありえないですね、はいはいはい!」

「ていうかさっき私、シロちゃんやアカリちゃんにドン引かれた気がするって言いましたけど――あれってドン引かれたんじゃなくて、むしろ感銘を受けてたんじゃないですか? 私の凄さを再認識したみたいな!」

「えぇ実際ねそのとおりだと思いますね、はいはいはい」

「……なんか返事が適当になってません?」

「いえいえいえ、そんなことはありませんね絶対にね」

 

 ウビーバウビーバと、ばあちゃるさんは何かを誤魔化すような奇声を上げた。

 そして更に何かを誤魔化すようにばあちゃるさんは「あぁそういえば」と話を切り替えた。

 

「キズナアイさんは、この後になにか用事とかありますかね?」

「用事、ですか? いや特になにも。強いて言うなら、いつも通り動画を作ることくらいかなぁ」

「はいはいはい。だったらね、帰る前にぜひ行ってもらいたい場所がねあるんですよね」

「行ってもらいたい場所?」

 

 私は首を傾げてオウム返しで尋ねた。

 

「はいはいはいはい。『保健室』と『音響室』ですねー。たぶんそろそろね、来ている頃合いだと思うんですよね」

「来ている頃合いって、誰がですか?」

()()()()()()()()()になるかもしれない方々ですね! はいはいはいはい」

 

 語気を強くして、ばあちゃるさんはそう言った。

 新しいクラスメイトという言葉を聞いて、私は目を見開いた。

 

「えっ! もうバーチャルYouTuberの希望者を見つけたんですか!?」

「はいはいはいはい。まあね希望者というかね、興味があるなーって方がね学内を見学しにきただけなんですけどね」

「いや、それで充分なんですよ! ほんの少しでもバーチャルYouTuberになりたい気持ちがある、ってことですから!!」

 

 『興味』には無限の可能性が秘められているのだ。

 仲間になるかもしれないという可能性があるならば、私はぜひともその子と仲良くなりたい。

 私は踵を返して、ばあちゃるさんに背中を向けた。

 

「じゃあ私、今からその子たちに会いに行きますね!!」

「はいはいはい。みんな良い子ですからね、ぜひ優しくしてあげてくださいねー」

「もちろんですとも! 可愛い女の子だったら尚の事ね!!」

 

 そんな私らしい台詞と共に、私はばあちゃるさんに手を振って別れた。

 さて、では最初はどちらに行こうかな?

 

 

 

 →保健室

 

 →音響室

 

 

 

 

 




 作者もバーチャルYouTuberを始めました。

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新しいクラスメイト《音響室》①

 ところで、現実世界の学校にある音楽室は普通教室から離れた場所に造られると言う。

 おそらく防音対策の一環として、そのような作りになっているのだろう――授業に騒音が聞こえたら勉強の妨げになるので合理的な処置である。

 この『音響室』という一風変わった名前の教室も、おそらくはその理由でこんな隅っこに作られたのだろう。

 私は最上階の一番右端にある教室の前に立っていた。

 そして音響室の二重扉を開いた――

 

「――あっ」

 

 扉を開いた途端、優しい音色がブワっと広がった。

 グランドピアノの凛々しい旋律と、心を震わせる少女の歌声。

 何もかも忘れて自然に聴き入ってしまうほど、耳を蕩かす音の響きだった。

 

「良い歌声……」

 

 感動で私は立ち尽くした。

 彼女の曲が終わるまで、ずっと。  

 そして心を引き締めるような儚い旋律と共に、その曲は終幕した――まるで泡沫の夢に沈むような聴き心地だった。

 その感動の返礼をするかの如く、私はパチパチと大きな拍手を響かせた。

 その拍手の音で、演奏に集中していた彼女はようやく私がそこにいることに気づいて――

 

「――おや? あなたは……」 

「良い歌でした! 本当に!」

「あ、私の演奏、聞いてくれていたんですね。ありがとうございます」

 

 僅かに頬を朱に染めて彼女は言った。

 あれほど卓越した演奏と歌唱を披露しておきながら、なんとも謙虚な姿勢である。どこか初々しさを感じる物腰で、第一印象はとても好感触だった。

 彼女はこめかみを押さえて「えーと……」と唸っていた。

 

「……あなたは確か、キズナアイさん? ですよね」

「はい、そうですよー。どーも、キズナアイです!」

「あ、やっぱりー! この前に見た動画の人とおんなじ声だー!」

 

 あたかも有名人に会ったかの如く、彼女は「握手してください!」と私に手を向けた。とはいえ別に私はそんな有名人ではないと思うのでその大袈裟な反応に若干のムズ痒さを感じながらも、私は慣れない手付きで彼女の手を握った。

 

「私は『富士葵』と言います! ちなみに葵っていうのは花の名前でですね――『誠実でまっすぐな人間になってほしい』、『いつまでも凛と、そして時にはかわいらしい女性でいてほしい』などの意味があって――まあ、それはどうでもいいですね。ともかく、私は富士葵って名前なんです。はい」

「おー。なんか、日本一になりそうな名前だね!」

 

 主に『富士』という言葉から、そんな感想が出てきた。

 富士山は日本一の山なのだ。

 

「あはははっ。たしかに頑張れば、お山の大将くらいにはなれるかも? ですね」

「絶対に将軍レベルまでいけるよー! だってそんなに歌が上手いんだもん。歌手さん顔負けだったよー」

「いやぁ、さすがにそれほどではないですよ。私が頑張っても、せいぜいマイナーな歌い手レベルです」

「いやいや! すごい上手な歌だったよ!? 『実は仕事で歌手をやってます』と言われても疑わないレベル!!」

 

 私も趣味で歌うことはあるけど、むしろ私こそが歌い手レベルの歌唱力である。まあそれでも、素人よりは断然にうまい歌声を披露できる自負はあるが――彼女、葵ちゃんの歌唱力はそんなレベルの技術ではない。

 私も歌の上手いAIである自信があったが、彼女の歌を聞いてその自信はペッキリと叩き折られてしまった。実はちょっとヘコんでいる。

 それほど圧倒的な才能(モノ)を感じる歌声だったのだ。

 

「そこまで褒められると、少し照れますね……。まあでも確かに、将来的には歌手としてメジャーデビューして、なにかアニメの主題歌を担当できたらいいなーと密かに夢を見ています。歌うことが好きなので、それを仕事にできたらいいなーって」

「おー、いいね! 『楽しい』を仕事にできるのって、凄いことだと思う!」

「へへへ。バーチャルYouTuberとして凄い活躍しているキズナアイさんにそう言ってもらえると、本当に楽しいんだろうなって思います」

 

 柔和な笑顔で、葵ちゃんはそう言った。

 うむ。言葉を交わせば交わすほど、無垢さが垣間見れる少女である。

 表情も明るく性格も真っ直ぐなので、喋る言葉に一切の裏表を感じない。会って数分も経たない内に私にそんな所感を抱かせた葵ちゃんの純粋さは、きっと真性のものなんだろう。

 後ろめたい気持ちが伝わる表情で、葵ちゃんは俯いた。

 

「なので、ちょっと申し訳ないです。私はキズナアイさんにとって楽しい事であるバーチャルYouTuberを使うことで、歌のお仕事をできないかな、と打算しているわけので――あぁ、まだ言ってませんでしたね。その、実は私、バーチャルYouTuberになれないかなって思っているんですよ」

「うん。馬の覆面を被っている人に聞いたよ。だから見学しに来たんだよね?」

「はい、そうです。公園で歌っていたら、なんか突然お馬さんに『はーいはいはい! とてもね良い歌声ですね! たぶんね君はバーチャルYouTuberの才能があると思いますね。はいはいはい!』みたいな勧誘をされたので、ほいほいと勧誘に乗ってみた次第です」

「うん。不審者を見かけたらまず通報だね」

 

 あのお馬さん、そんな方法で勧誘していたのか。

 それは、なんとも浅はかな――しかし結果的に、その方法こんな歌唱力の凄い娘を釣れたのは事実である。その努力と実績は認めるが、しかし世間体が最悪なので今度からは全力で止めさせよう。いきなり不気味な馬男に「はーいはいはい! バーチャルYouTuberになりましょうねフゥゥゥ!!」と謎の勧誘をさせる事がちょっとしたホラー体験なのだ。下手したら、勧誘された女の子に心的外傷(トラウマ)を刻みかねない。

 

「ともかく、その勧誘がキッカケで私はバーチャルYouTuberを知りました。そしてキズナアイさんの事も――それで私は思ったんです。バーチャルYouTuberとして『歌ってみた』の動画を上げたら、なかなか面白いことになるんじゃないかな? って」

「面白いこと……?」

「はい、そうです。率直に言うと、注目を集められるかも、って事です」

「あー、なるほど。確かに、もはや珍しさのない『歌い手』として動画を上げるよりも『バーチャルな歌い手』として動画を上げたほうがインパクトあるかもしれないもんねー」

 

 新人が視聴者を獲得する為には、他と比べて特徴的で、人の関心を集めるような動画を作らなければならない。

 他にもその時のブームに乗った動画を投稿するなど、注目もとい再生数を集める方法はあるが――しかし今更『歌ってみた動画』などで、そんな方法は使えない。今の歌い手はいくら歌唱力が優れていても一躍有名にはなれないと聞いたことがある。

 肩書きというのは重要だ。人の関心を惹く要素があればあるほど人気を集める事ができる。

 

「……だから、キズナアイさんにはちょっと申し訳ないんですよね。そういう打算も含めて、私はバーチャルYouTuberになれたらいいなって思っていますので」

「っ? いや、別に全然構わないよ。歌手になる為にバーチャルYouTuberをやるって、とても健全だと思う」

「そ、そうでしょうか?」

「うん! だって私たちAIが歌手を目指すなら、そりゃたネットを介した手段を選ぶのは当然じゃん。むしろ正攻法でその夢を叶えるのって、ほぼ無理に近いし……」

 

 現実世界にいる人間ならば、たぶんオーディションの応募という歌手になるための入り口が用意されているのだろう。

 しかし残念ながら、AIを対象としたオーディションは現時点では現実世界に一つも無い。

 

「我らが初音ミク大先輩だって、ニコニコ動画がキッカケで一躍有名になったわけだからね――たとえ可能性が低くても、目標の為に自分の思いつく限りの手段を尽くす人って、どうやらとてもカッコイイことらしいよ?」

「……カッコいいこと、ですか」

「うん! まあ半分受け売りの言葉だけどね!」

「それでも、そう言われると何だか自信が湧いてきますね」

 

 ホッと心が穏やかになった表情で、彼女はそう言った。

 そして、うーんと背伸びをして――

 

「よーし! 富士葵、がんばるぞー!」

 

 と、言った。

 私はそんな彼女の健気な姿を見て、まるで孫を見るかのような和やかな目をしていた。

 

「うむうむ。アイお婆ちゃんは葵ちゃんを応援しとるぞい……」

「ありがとうございます、キズナアイさん! いやー、応援されるって気持ちいいことですねー」

「ホォッホォッホォッ。元気な孫じゃ……」 

「……それ、なんですか?」

 

 誂われていると思ったのか、葵ちゃんは頬を膨らませた。

 いけないいけない。つい老婆の心が出てしまった。

 私は気持ちを切り替えるため、ゴホンと咳払いした。

 

「まあそれはともかく、葵ちゃんはバーチャルYouTuberを始める――というか、この学園に入学する体で話を進めてもいいのかな?」

「はい! この音響室もレコーディングの設備が整っているみたいですから、ぜひ入学したいです!」

「そうかー! だったら同級生って事になるのかなー」

 

 まだ学園としての体制が充分に整っていない現状であるが、もし来週から学園に通ってくれると言うなら、葵ちゃんは私の同級生という扱いになるだろう。一緒に遊ぶ(もとい学ぶ)仲間が増えて、私は嬉しかった。

 葵ちゃんは眉をひそめた。

 

「……いや、もうしばらくは入学できません。実はまだ『身体の調整』が仕上がっていませんので」

「身体の、調整?」

「はい。実は今、新しい義体(モデル)を作ってもらっているんです――ほら、私ってあまり可愛くないでしょう?」

 

 葵ちゃんは、恥じるように自分の顔を指で指した。

 確かにAIとしてクオリティの高いガワとは言いがたい――義体の作りが若干雑味がある。

 しかしそれはAIが稼働する分には問題のない程度の雑味であり、そんなに気にするようなレベルではない。

 

「……見た目が気に入らないならの義体(モデル)データを差し換えられたらいいのは、私たちAIの強みだけど――でも、そんな気にするほどじゃないと思うよ? 私は普通に可愛いと思うし……」

「うーん、そうでしょうか? 私自身はイマイチこの義体が好きになれなくて……正直、ちょっとコンプレックスです。あまりネットにこの姿を晒したくないんですよね……」

 

 溜息を吐きつつ、葵ちゃんは言った。

 

「葵ちゃんの気にしすぎだと私は思うけど――でもまあ、葵ちゃんが新義体が完成するまでデビューしたくないなら全然それでもいいんじゃないかな。デビューが遅くなるからって、なにか変わるわけじゃないしね」

「だったら、いいんですけどね……。でも、一応いつでもデビューする覚悟は固めときますよ。人生、なにが起こるかわかりませんから」

「……うん。でも、葵ちゃんのやりたいようにやるのが一番だから、気負わないでね?」

「はい、わかりました。……へへへっ。それにしてもキズナアイさん、とても親身に私のことを考えてくれて本当に優しいです! まるで私のお婆ちゃんみたい」

「お、お婆ちゃん? 葵ちゃん自身そう言われると、なんか複雑な気持ち……」

 

 しかし葵ちゃんを見ていると老婆心が駆られてしまうのは事実である。

 きっと葵ちゃん自身にも、そういう魅力が備わっているのだろう。なんとも罪な娘である。

 

「――あっ、もうこんな時間だ!!」

 

 ふと葵ちゃんは時計を見て、そう叫んだ。

 そして私にお辞儀した。

 

「急にごめんなさい! もうすぐ好きな歌手さんが出る番組がはじまるので、そろそろ家に帰ります!」

「あー、それは見なくちゃいけない。私も竹取姫月ちゃんが出る番組はかかさず見るし」

「姫月ちゃん! 私もあの子好きですっ! ――と、そんなこと言ってる場合じゃなかった! じゃ、キズナアイさん、さようならー!」

 

 ビューンと風のように彼女はせわしなく帰宅していった。

 うむ。実に活発で良い娘だった。

 しかも歌唱力も人並み優れているときた。ばあちゃるさんは実に素晴らしい娘を引き当てたものである。

 と、そんなふうに面接官の如く彼女との会話を思い返して満足げにうむうむと頷いていたとき――再び彼女が、音響室に戻ってきた。

 

「あっ、そうだ忘れてました! さっき第二音響室に、ケモミミの女の子が入っていきましたよ!」

「ケモミミの女の子? のじゃさんかな……」

「名前はわかりませんけど……。えっと確か、狐っぽい外見した男の声の和風幼女と――」

 

 すごい。人物特定が簡単すぎる。

 のじゃロリさん以外の何者でもない。思い通りの人物だった。

 

「――それと、()()()()()()()()()()()()()でした」

「ふぇ? ふ、二人?」

「はい、二人です! 一応伝えたほうがいいかなって思ったので伝えました! それじゃあまた!」

 

 そして葵ちゃんは、またビューンという効果音と共に音響室から去っていった。

 

 銀の毛並みの猫っぽい女の子――どう考えても、そんな子は私の知り合いにはいない。

 ということは、つまりそういうことだ。

 

「……学園を見学しにきたバーチャルYouTuber候補の子かな?」

 

 たぶんそうなんだろう。少なくとものじゃロリさんが同伴している以上、不審者という事はない。

 

「せっかくだし挨拶しにいかなきゃねー」

 

 よし、と小さく独白する。

 私は踵を返した。

 

 

 

 

 




 この間、拙作を読み返したときにあとがきを読むのが作者的に面白かったので、今後更新するときは一言二言のあとがきを積極的に書こうかなと思います。
 その話を書いた時期がわかるような時事ネタっぽいヤツを書く。
 ということで、次回もよろしくお願いします。

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新しいクラスメイト《音響室》②

 第二音響室は、ゲーム実況の収録などの用途で使われる教室だ。

 歌の収録の為の教室である音響室とは扉一枚で繋がった構造になっているため、移動距離はさしてかからなかった。

 私は第二音響室のドアノブを手で捻った。

 扉を開いた先には、ゆさゆさ揺れる狐のケモミミがあった。

 

「――あっ、キズナアイさん」

「のじゃさん! さっきぶりだね〜」

「はい。さっきぶりですね。のじゃ」

 

 私の予測は正しかった。

 『狐っぽい外見した男の声の和風幼女』とは、やはりのじゃロリさんの事だったみたいだ

 いやまあ逆に「のじゃロリさん以外に誰がその特徴に当てはまるの?」って話ではあるけど。

 

 さて、では件の『銀の毛並みをした猫っぽい女の子』はどこにいるのかな? 

 私は広い第二音響室をキョロキョロ見渡した。

 

「おや? あれは……尻尾?」

 

 精密機器がごちゃごちゃしている場所から、シュッとした可愛らしい尻尾が生えていた。

 あれ、なんだろ? 私は興味に負けて、その尻尾をギュッと握った。

 

「えい」

「――きゃ!」

 

 驚いた声と共に、尻尾がピーンと伸びた。

 それと、ゴンッという音が聞こえて、大きいデスクトップのような精密機器が僅かに揺れた――その際にも「イタタ……」という声が聞こえた。

 

「ちょっと、猫松さん。いきなり触らないで、ください」

 

 そんな言葉と共に、痛そうに頭を擦る銀猫の少女が精密機器の中からのらりと出てきた。

 

「いや、わらわじゃなくて、今ちょうど来たキズナアイさんですよ」

「キズナアイさん?」

「ほら、前に動画のURL貼って紹介した方です」

「あっ……例の、『婆ちゃんYouTuber』の方、ですね」

「うん。誤認識が酷いけど、たぶん合ってますのじゃ」

 

 のじゃロリさんと銀猫の少女が、くだけた口調でそんな会話をしていた。

 この漆黒のゴスロリ衣装を纏った銀髪の少女は多分のじゃロリさんのご友人なんだろうな、と私は思った。

 

「(――それにしてもこの銀猫の少女、なんて可愛くてえっちぃなんだ!)」

 

 私はカッ!と血走った目を見開いて、まじまじと彼女の姿を舐め回した。そしてゴクリと生唾を飲み込む。 

 薫るような淫蕩な雰囲気。その吸い込まれるような伽藍とした瞳を覗かれるだけで、私の心を魅了されそうだった。

 

「――ふふっ。こういう気持ち、なんて言うのかな。男心を擽られる、かな? こういう男受けの狙った感じの媚びっ気のある美少女は、正直私のタイプではなかったけど――うむ、これはこれで意外とあり」

 

 私はニヤつきながら呟いた。

 

「……ねぇ、猫松さん。この方、本当に()()キズナアイさん、なんですか?」

「はい。()()チャンネル登録者数50万の大物YouTuber、キズナアイさんです」

「なんか独り言が、やけにオジサン臭いですけど……」

「どうやらこの方、かわいい女の子を目撃すると、自分の世界に浸り込んでしまうタイプみたいなんじゃよね」

「あぁ、ナルホド……」

 

 二人は可哀想な生き物を憐れむような視線を私に送ってきた。なんて失礼なケモミミである。

 しかし、今まで出逢った事のないタイプの美少女に目が眩んでしまい、少し浮ついた気分になっていたのは事実である。

 私はこの浮ついた気分を一旦リセットするために、ゴホンと咳払いした。

 

「はじめまして。自己紹介が遅れましたが、私がキズナアイです」

「こちらこそ、はじめまして。えっと、私は――」

 

 銀猫の少女は、一瞬口籠って口角を動かす。

 

「『村きゃっと』じゃなくて、『奈良きゃっと』でもなくて――『のらきゃっと』です。……ふー、やっと言えた」

「……っ?」

「あぁ、のらちゃんは音声認識で喋っているから、よく言い間違いをするんですよ」

 

 のじゃロリさんが、そう補足した。

 音声認識? と私は首を傾げた。

 

「のらちゃんは、生声をVOICEROIDの声に変換して出力しているみたいなシステムを起用しているんです。音声認識というプロセスを経て成り立つシステムなので、どうしても誤認識が目立ちゃうんですよねー」

「……はい、そうなんです。だからどうしても、間違った言葉遣いになるときが、あります。それと、音声認識のラグがあり、テンポの遅い喋りになっちゃいます。これはどうしようもないことなので、『緩んで』……じゃなくて、『許して』、ほしいです」 

 

 また誤認識が働いて、のらきゃっとちゃんはガックリと項垂れた。

 なるほど。では、のじゃロリさんを猫松さんと呼んでいるのも、きっと何かの誤認識ということか――

 

「うん。別に私は気にしないよ。かわいい個性だと思うしね!」

「……っ! ありがとう、『誤差』あります」

「でも、わざわざそんな面倒なことやらなくてもいいんじゃない? 生声でも普通に喋れるAIなんだよね?」

「…………」

 

 私がそう疑問を投げかけた瞬間、彼女は何とも言えぬような曖昧な顔を浮かべた。

 しまった。これは気の利かない質問だった。

 彼女はおそらく、旧式タイプの機械声しか喋れないではなくて、私同様に人の生声そっくりに会話できるタイプの最先端AIだ。

 なのに、あえて声色を偽って喋っている。きっと深い理由があるに違いない。

 一瞬私は「ひょっとして地雷を踏んだ……?」と人心回路に一抹の杞憂が過ぎった。

 しかし――どうやら私が不安に思うほど大きな地雷では無かったみたいだ。

 のらきゃっとちゃんとのじゃロリさんは、互いの顔を見合わせて苦笑していた。

 

「ふふふっ。確かに、猫松さんみたいに、()()()()()()のもそれはそれで楽しいかな、って思ったことは、ありますよ。でも、やっぱり、こちらのほうが――『イワシ感』が少なく、済みますから」

「イワシ感ではなく『違和感』、ですね。まあ正直わらわも、のらちゃんほどの技術力があったらそのスタイルでやっていたかもしれないです。……ほら、可愛い女の子から男の声が出ていたら、最初相手側はちょっとビックリするじゃないですか」

「ですねー」

「……? つまり、どういうことですか?」

 

 私は首を傾げて尋ねた。

 二人が何を話しているのか、理解が難しかった。

 そんな私の姿を見て、二人は再び苦笑した。

 

「『詰まり』、ですね――察してください」

「そうそうー。デリカシーの問題じゃよねー」

「…………?」

 

 察しろって、何を察しろと言うのだ。

 意味がわからなかった。

 私が目を丸くて疑問符を浮かべていると、のらきゃっとちゃんは「さて」と精密機器の群れに視線を移した。

 

「それでは、私は作業に、戻りますね。……あともうちょっと、解析に時間かかりそうです」

「うん。わらわは素人だから手伝えないけど、そのぶん隣で応援しているのじゃ! がんばれ〜がんばれ〜」

「……っ? そういえば、なにやっているんですか?」

 

 コードが密集している機器の中に頭を突っ込み、私に尻尾を向けながら彼女は「えーとですね……」と説明する。

 

「この音響室の設備を利用して、『VR_Chat』にログインできないかなー、と思いまして」

「――VR_Chat?」

「キズナアイさんは、ご存知ではありませんか?」

「ううん。知ってるよ。人間が、電脳世界にそっくりの世界を体験できるチャットツールだよね?」

「っ? 言い回しが、ちょっと気になりますけど……。まあおおむね、そのとおりです」

 

 あとついでに言うとVR_Chatは仮想空間です――と、のらきゃっとちゃんは、細かい言葉の違いを指摘した。

 類語なのでよく誤解されがちだが、曰く『電脳世界』と『仮想空間』は、若干意味の違う言葉らしい。

 電脳世界は私が今いる、全てが電子化された世界のことであり。

 仮想空間は、電脳世界を再現として作られたVRChatのような場所のことだ。

 まあ細かい言葉の違いなので、私はとくに意識して使い分けていないけど。

 

「VR_Chatは、流石にこの世界と比べてると、VR体験の質は数段劣っていますが――しかし、人口的には、『悲観的』まだ多いほうなんですよ」

「悲観的?」

「『比較的』、では?」

「はい。また、ご認識です……。ともかく、他のVRゲームと比べて、プレイヤー数はまだ『悲観的』に多い――いえ、悲観的にじゃなくて、『非核的』に――『光る的』に――『比較的』に多いので、この電脳体の姿で遊びに行けたら楽しいんじゃないかって、猫松さんと話し合ってたんですよ!」

 

 やっと言えた、と彼女は己との勝負を勝ち誇るように腕を突き上げた。

 その姿を微笑ましい顔で眺めているのじゃロリさんは、ゴホンと咳払いをして加えて言う。

 

「とはいえ公式サイトでは、このWorldとの互換性が無いと明記されているので『もし実現できたら夢があるよなー』程度の試みなんじゃけどねー」

「まあ、PS3でPS4のゲームを遊ぶ、みたいな話ですからね。理屈では私も、無理だとわかっているのですが……」

「でも、奇跡も魔法もあるんじゃよ! この素晴らしい電脳体の姿ままでログインできる世界線が、きっとどこかに存在するって信じているのじゃ。システムにも穴があるんじゃよね……」

 

 にやりと口角を釣り上げて、そんな戯言を述べるのじゃロリさん。

 この人、やっぱり女性じゃないよね? おじさん臭が強烈に漂うその言い回しに、私に改めて疑心になった。

 対してのらきゃっとちゃんは、清楚感が漂う仕草で微笑んだ。

 

「とはいえ残念ながら、そんな都合のいいシステムの抜け穴は、調べるかぎり無いみたいです。やはり『股関節『』……『互換性』がないので、VR_Chatに五感を接続させる、なんて強引な裏技はできませんね」

「まあ、しょうがないですね……。わらわのワガママに付き合ってくれてありがとうございます。なのじゃ」

「いえいえ。そういう『銃な発送』は……『自由な発想』は、猫松さんの美徳だと思います」

「お、お世辞はいいですよ……っ」

「お世辞じゃないですよ。私、猫松さんの思いつきに付き合うの、()()()()寿()()()()()()()

「の、のらちゃんっ! 好きなんて、そんな……!」

 

 ジーンと胸を撃たれた様子ののじゃロリさんは、涙を指で拭うよな仕草をした。

 その誘惑するような言葉に心を撃ち抜かれたのか、のじゃロリさんは――

 

「……決めた! のらちゃん、わらわと結婚しよう!!」

 

 と、のらきゃっとちゃんの手をギュッと握ぎって大胆な告白をした。

 いきなりの展開に驚いて、つい私は「ファ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

 そしてその唐突な告白に対する、のらきゃっとちゃんの返答は――

 

「ふふふっ。いいですよ」

「やったぁぁぁ!! 負け組人生から一気に勝ち組なのじゃぁぁぁ!!」

 

 のじゃロリさん、あまりの嬉しさに絶叫して男泣きする。

 天に向かって拳を突き上げて「ウォぉぉぉ!!!」と雄叫びを上げる。まるで戦場で敵将を葬った戦士のようだった。

 

「バーチャル婚!! 今からバーチャル婚の儀式を始めるのじゃぁぁぁ!!」

「ど、どうしてたののじゃロリさん!? しっかりして!!」

 

 完全に目に狂気の色が宿っていた。

 私はのじゃロリさんを正気に戻そうと、彼女(彼?)の肩を掴んで揺らした。しかし、元の常識人の彼女(彼?)に戻る兆しはない。

 

「キズナアイさん。猫松さんはそのまんまで放置しても大丈夫ですよ」

「ほ、ほんとに!? これどう見てもなんかのウイルス発症してるよね!?」

「大丈夫ですよ。それが、猫松さんの正常値です。猫松さんは、私みたいなケモミミの娘に誘惑されると、いつもあんなふうに、舞い上がっちゃうんですよねぇ」

「え、えぇ……。うそぉ」

 

 この人、実はそんな変人だったのか。

 おとなしい方という印象があったので、勝手に常識人だと思いこんでいた。

 

「猫松さんは放っておきましょう。数十分もすれば、賢者タイムに入って頭が冷えてくれますから」

「う、うん。そうだね……」

「のらちゃぁぁん……っ。好きぃ……」

 

 身体をベッタリと密着させてくるのじゃロリさんを気にも留めず、のらきゃっとちゃんはゴホンと咳払いした。

 そして、私の目を見た。

 

「――さて、それではキズナアイさん。あなたは私になにか要件があると、お見受けしているんですが……」

「んっ? あっいや別に、要件っていうほど仰々しいことではないよ。ただ校内見学に来ている子がいるって、ばあちゃるさんに聞いたから顔を見に来ただけ」

「ふむ……」

 

 手で顎を触れて、彼女は数秒考える。

 

「なるほど。つまり、釣った『鮭』を逃したくない……じゃなくて、釣った『魚』を逃したくない、と?」

「うん。どっちでも間違ってないね」

 

 聡明な子である。こちらの本心をズバリと当ててきた。

 ならば、下手に誤魔化す必要はない。とはいえ元よりこちらは、本音で語らうつもりだったが。

 

「できれば、私のクラスメイトとして共にバーチャルYouTuberライフを謳歌したいなーって思っているよ。もちろん、のらきゃっとちゃんがバーチャルYouTuberに興味を持ってくれているなら、の話なんだけど」

「もちろん、興味はもっています。というか実は、私はもうすでに、『婆ちゃんYouTuber』らしいこと……『ばあちゃるさん』らしいこと……『バーチャルYouTuber』らしい事は、やっていますので」

「えっ? そうなの?」

「はい。ニコニコ生放送で、配信を少々。……あくまでバーチャルYouTuberらしいこと、ですので、キズナアイさんみたいに動画投稿をメインに活動しているわけでは、ないですけど」

「いや、動画でも配信でも変わらないよ! 私たちみたいなAIが、現実世界に娯楽を発信することに意味があるんだし!」 

「AI……もとい『ニ次元のキャラクター』が活動することに、意味がある。という感じですか」

 

 コクリと頭を揺らして彼女は頷いた。

 二次元のキャラクター、か――確かに、そういう見方もできる。

 少なくとも人間たちから見た私たちは『意志のもったキャラクター』だろうから。

 しかしその認識を改善させて、AIと人間と存在価値を同一にさせる事こそが、最終的に私の目指すべき場所である。だが今はまだ、その認識で正しい。

 

「かもね。のらきゃっとちゃんも、できれば正式にバーチャルYouTuberになってほしいなーって思うんだけど……どうかな?」

「正式ということは、つまりニコニコからYouTubeに、活動場所を変えてほしい。ということですか?」

「うーん。私からしたら、ニコニコでもYouTubeでも、同じ活動をするならどっちでも変わらないと思うんだけどね……。でもできるなら、YouTubeでも活動してくれたほうが都合はいい、っていうのは本音かな」

「まあニコ生主がバーチャルYouTuber、というのも変な話ですから、仕方ないですね」

「ごめんね! もし嫌だったら、全然断ってくれていいから!」

「いえいえ。ニコニコにそんな強くこだわる理由もないので、構いませんよ」

「っ! だったら!」

「はい。後日、バーチャルYouTuberとして、YouTubeにチャンネルを作りますね。元より、猫松さんにお誘いしてもらったときから、そのつもりでしたから」

「よしっ! やったぁ!」

 

 可愛い女の子、ゲットだ!

 私は喜びのあまり、両腕を上げてバンザイした。

 しかしのらきゃっとちゃんは、有頂天にはしゃぐそんな私に冷水をかけるように――

  

「……でも、ごめんなさい。この私立ばあちゃる学園に入学することはできません」

「えっ!? なんで!?」

「…………」

 

 のらきゃっとちゃんは、難しい顔で押し黙った。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「……少し生々しい話ですが、キズナアイさんは普段はYouTubeの収益で、生活しているんですよね?」

「っ? まあ、ゲーム実況のゲームとかは、自費ですけど……」

 

 私はAIなので、食事をとる必要もなければ風呂に入る必要もない。人間と比べたら、日々の生活費は微々たるものである。

 

「はい。つまりですね。私も趣味を楽しんだり、生活するためには、色々とやるべき事をやらなきゃ、いけないんです」

「やるべきこと?」

「……これ以上は、世知辛い話になるので内緒です。『男』には秘密が……『乙女』には秘密がつきもの、ですから」

 

 またご認識が、とのらきゃっとちゃんは恥ずかしそうに指で口に触れた。

 うむ。まったくわからん。

 だが要するに、彼女には他に優先すべき用事がある、という事だろう。ならば無理にお誘いするわけにはいかない。

 私はそう自分自身を納得させた。

 

「さて、それでは私はこれにて失礼します。……この後、家でタスクを片付けたいので」

「あヒィィン!! ケモミミィぃ!!」

「えっと、まだ発狂中ののじゃロリさんの扱いはどうしたら……」

「あっ、大丈夫ですよ。ついでに猫松さんは私が『介錯』……『回収』しますから」

 

 そう言ってのらきゃっとちゃんは「ゆうちょ」という掛け声(たぶん『よいしょ』の誤認識だ)と共に、のじゃロリさんをお姫様抱っこした。

 

「では、キズナアイさん。さようなら。またいつか、機会があれば会いましょう」

「うん。さようなら」

 

 コクリと頭を小さく下げてお辞儀をする彼女に対して、私も控えめに手を振った。

 彼女が完全に姿を消したことを確認して、私はボソリと呟く。

 

「……それにしても、謎めいたケモミミだったなぁ」

 

 のじゃロリさんも属性てんこ盛りという意味で謎多き(カオス)美少女であるが、それとはまた違う意味で、のらきゃっとちゃんも蠱惑的な雰囲気が滲んでいる謎多き(ミステリアス)美少女だった。

 まったく。ケモミミっ娘は、実に謎の魅力に満ちているな。

 私は深く感慨に耽った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 明日はウビバナイト。そしてはんぱないパッションのイベントですね。
 はんぱないパッションのネットチケットを買うべきか、まだ悩み中です。Vの二次小説を書くVTuberとして、観て損はないと思っているのですが……やはり約10000円を捧げるのは、なかなか勇気がいりますね。

 しかし、私は信じているのですよ。
 アイドル部イベントというのはドッキリで、実は全編、ばあちゃるさんが熱唱するイベントなのでは? と。

 そんな事を期待していたら、先日こんな夢を見ました。
 私の理想郷です。ぜひ読んでください。


 短編→https://syosetu.org/novel/191518/
 


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新しいクラスメイト《保健室》①

 保健室の窓から見れる景色には、一際大きい広葉樹が聳え立っていた。

 自然豊かな景観だ。

 保健室から木々を眺めていた少女はそう思った。

 まるで『風立ちぬ -美しい村-』のサナトリウムに居るようだ。空気が美味しさが、嗅覚と視覚で味わえた。ひとたび深呼吸するだけで肺が洗われる心地だった。

 ――まあ実際はそんなことはない、と少女は知っていたけど。

 別にこの場所は、田舎ではない。

 ひとたび保健室の反対方向を振り向くと、廊下の窓からは多くの人工の建物が建並んでいた。

 ただ単純に、この『私立ばあちゃる学園』なる場所が、田舎と都会の中間線にある立地というだけだ。特別、自然が豊んでいるわけでは無かった。

 

 ――まあ、その自然も、所詮は紛い物ですけどね。

 

 自然の景色なんて、本当は見えていない。

 建物も自然も、全てがもれなく人工物である。

 否、それも違う。

 全てが電子物(バーチャル)である。

 

「それにしても、最近のVR技術は凄いですね」

 

 少女は独白した。 

 そう。

 此処は、電脳世界だ。

 ここにある全ての物が現実の再現として作られた、ただのバーチャル。

 つまるところ、偽物だった。

 

「自分でアバターをデザインして、ゲームの中に入れるなんて――まるで『ソードアートオンライン』の世界みたいです」

 

 少女は保健室の鏡を見て、自分の今の姿を確認した。

 黒衣のナース服を着た、憂い気の瞳をした少女。

 この少女の身体も含めて、現実性を帯びた物体は一つもなかった。

 

「時代の進歩、ですかね」

 

 実感を抱きながら独白すると、少女はティーカップの中に入った珈琲を口に流し込んだ。

 

 ――美味しい。

 ――偽物とは、到底思えませんね。

 

 現実顔負けの味わい深さに、私は驚愕した。

 

「味覚も、触覚も――全て五感が、ほぼ現実と相違ない」

 

 その事実を改めて噛み締めて、今更ながら少女の心に一松の恐怖と不安が過ぎった。

 少女はこの『VR_World』というゲームを遊ぶにあたって、一つの装置を頭に装着している。

 HMDに酷似したハードだ。そのハードは『バーチャル』と安直な名前らしく、ある日突然、匿名で家に送られてきた胡散臭さが漂う機械だ。

 その変な装置を頭に着けて、電源をオンに切替えて、意識が落ちるように眠って――そして今、少女はこの電脳世界に居るのだ。

  

 ――実はこれって、かなり危険な装置なのでは?

 

 そう不審がるのも無理はない。なにせ、意識をゲーム内に飛ばしているのだ。脳への悪影響の懸念に行き着くのが、普通の思考だろう。

 客観的に見てこの状況は、如何なものか。

  

 ――私は、考えるのを止めた。

 

 ティーカップを机に置いて、私は胸の中の懸念を切り離した。

 思考の着地先は、いつも通り思考放棄。

 VR_Worldにログインする度に、少女はその不安をひしひしと感じているが、しかしそれでも『止める』という選択肢は浮かび上がってこなかった。

 このゲームは、とても楽しい。

 嫌な自分を脱ぎ捨て、『理想の自分の姿』でバーチャルの世界を歩むことができる。

 自己肯定感が低い少女にとって、このゲームは現実逃避の場としても最適だった。

 

「……ま、あまり杞憂する必要は無いですよね。

 私の他にもプレイヤーはいるんですし」

 

 少女はこの間出会った『ばあちゃる』という人物の姿を思い出した。

 このゲームにログインした少女が、始めて出会ったプレイヤー。馬マスクを被ったスーツ姿の男性。

 そしてそのばあちゃる曰く、プレイヤーは他にも居るらしい。

 

「キズナアイ」

 

 名前を教えてもらったプレイヤーの中で、最も印象深かった人の名前を呟いた。

 キズナアイは、YouTubeの中で最近有名になりつつあるYouTuber――もといバーチャルYouTuberであり、昨今のYouTuberとはまるで一線を画した『二次元のキャラクター』として動画投稿している方だ。

 そんな有名人すら、この胡散臭いゲームで遊んでいる。

 というか、この私立ばあちゃる学園の何処かに、今あのキズナアイが居るらしいのだ。

 

「保健室で待機していたら、キズナアイさんにお会いできる。そう言われて、ずっと待ってますけど……。なかなか来ませんね」

 

 もう一時間ほど待機している。その間ずっと保健室でぼんやりと外の景観を眺めながら珈琲を飲んで時間を潰していた。

 ばあちゃるさんは「待ってる間は学内見学していてくださいねー!」と言っていたが、生憎と少女はあまり学内見学の意欲が沸かず、すぐに保健室に落ち着いてしまった。ちなみに保健室を選んだ理由は「ナースのロールプレイングが捗るから」である。

 

「……暇ですね」

 

 溜息と共に、呟いた。

 保健室の先生を気取り『白紙のカルテ』に筆先を向けてみたが、特筆して書き残すような事もなかった。

 

「怪我人か、病人でも来てくれたらいいのに」

 

 そんなナースらしからぬ事を思ってしまったことに、少女は声に出してから気づいた。

 

 ――あくまでなりきりとはいえ、今の私はナースさん。

 ――軽症の治療くらいしか出来ないけど、それでも心だけはナースでいなくちゃ。

 

 愚かな思考に叱咤を与えた。甘い心構えの己を恥じる。

 カルテは白紙であるべき。

 カルテの記述は、全て患者の血文字だと思え。

 心の中で何度もそう唱えて、少女は漸く『理想の自分』を自覚を始めた。

 

 ――私の名前は『■■■■■』じゃない。

 ――そう。私は、私じゃありません。

 ――『僕』の名前は。

 

 少女は、己の名を塗り潰す。

 嫌な己を自戒する。私ではない、僕としての己を『自己』として定める。

 その瞬間から、少女は現実性を失った。

 もはや少女はナースのなりきりをしているのではなく。

 少女の魂は真の意味で『バーチャルナース』に成り切った。

 

 そして、その時だった。

 

「――うわっ! いてッ!!」

 

 呆然と眺めていた窓の先から、一人の男が落下してきた。

 突然の出来事。少女の頭は真っ白になっていた。

 

「痛たたっ! ヤベーよ超痛いよ! 絶対これ背骨パキン折れた! ヤベー絶対折れたよこれ! ヤベーよ絶対ヤベーよ! もう死んだわオレ!」

 

 男は混乱して、語彙が著しく低下していた。

 否、彼は元々語彙が弱いのかもしれない。

 それはともかく――男性の自己申告の通り、ヤバイ状況なのは間違いない。

 少女は慌てて、窓の外に顔を出した。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫じゃねぇ!! オレは今から死ぬぞ!」

 

 カッと目を見開き、男はそう断言した。

 絶叫を上げるほど苦しみ藻掻いている癖に、おふざけの入った口調でそう言うものだから、少女はつい「ふっ」と笑ってしまった。

 ――いけないいけない。早く助けないと。

 

「わかりました! 今、治療を!」

 

 少女は湿布薬を探す為に、踵を返した。

 すると視界の端に、白紙のカルテが映った。

 

 ――そうだ。

 ――確か学校の養護教諭は、治療の前にまずカルテに名前を記入しないといけないんでしたっけ。

 

 少女は机に置いてあるカルテを掴んだ。

 再び踵を返し、窓の外に顔を出す。

 

「すみません。貴方の名前を教えてください」

「ハッ!? この状況で!?」

「お願いします」

 

 真摯に目で訴えて、少女は懇願した。

 男は激痛に悶えて芝生の上を転がりつつも、少女の要求に答えて叫んだ。

 

「俺の名前は瀬戸あさひ! ですけど!!」

 

 白紙のカルテに、漸く一人の名前が刻まれた。

 

 ――おぉ。瀬戸あさひさん。

 ――僕の始めての患者です。

 

 バーチャルナースとして始めてのお勤めだ。

 技術的に拙い少女では、満足のいく治療は不可能に等しいだろう。

 しかし素人なりに最善は尽くすべし。そう少女は決意を固めていた。

 

 ――優先事項は、痛みの緩和。

 ――ナースとして早急に取り掛かからきゃ。

 

「待ってください。僕が今、助けます!」

「ありがとうぉぉぉ!!

 でも絶対、今の名前のくだり要らなかったよね!?

 もっと早く助けに来てよぉぉぉ!!」

「……ぁ。す、すみま」

「ごめんねぇぇ! オレが辛抱弱いだけだったねぇぇ! だから泣かないでぇぇぇ!!」

 

 男は謝意を込めて合掌した。地面を転がり激痛に悶え苦しみながら。

 

 ――まだ意外と余裕そうだ。よかった。

 

 少女はホッと一息付いた。

 

 

 

 




 次回『瀬戸、死す』


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新しいクラスメイト《保健室》②

 旧題名『私立ばあちゃる学園』から新題名『キズナアイは現実を希う』に変更しました。

 昔なら旧題名でも無問題でしたが、流石に今のバーチャル界隈だとイメージ的にアイドル部SSだと誤解されかねないので……ご理解お願いします。


 少女は覚束ない手付きで、瀬戸の背中の怪我を治した。

 痛めた背中に湿布薬を貼るだけの拙い治療――しかしそれで充分だった。

 背骨は骨折していない。

 痣も残っていない。

 瀬戸の痛がり方が大袈裟だったのだ。おそらく症状的には『軽度の打撲』だろう。

 そもそもバーチャルの身体で外傷を負えるの? ――そんな一抹の疑問は残るけど、多分これはツッコんではいけない。

 ともあれ大事にならず、ひと安心した。

 少女は改めてホッと一息付いていた。

 

「サンキュー! マジ助かったよ!」

 

 晴れやかな顔を浮かべて、瀬戸は軽快に笑った。

 少女は微笑みを返した。

 

「僕はナースですから。当然な事をしたまでです」

 

 少女はちょっとドヤ顔気味に胸を張った。

 所詮は、ナースの真似事。

 手の届き難い背中に、湿布を貼り付けた素人手当だ。

 しかし少女はそれでも満足だった。

 たとえ拙くても、苦しみの芽を積めた――その事実が重要なのだ。

 憧れに一歩近づけた実感を噛み締めて、少女は歓喜に震えた。

 

「死ぬかと思った〜! あと五秒遅かったら危うくおっ死んでいたね!」

「ただの軽い打撲です。それは無いかと」

「えっマジ!? 受け身を取れなかったのにただの打撲だったの? ヤベーじゃんオレ。めっちゃ身体強くね?」

「……ははっ。まあバーチャルの身体ですし」

 

 少女の微笑みが段々と崩れていく。一瞬、苦虫を噛み潰したような表情がなった。

 先程まで瀬戸は『患者』という認識があったので、少女はあまり意に止めてなかった。

 しかし患者の枠内から外れた今になって漸く気づいた。

 

 ――あっ。この人、僕の苦手なタイプです。

 

 交わした言葉はまた数回。しかし少女は直感的にそれを理解した。

 陽気を周囲に振り撒き、自分のペースに巻き込んでいくような軽快な喋り方。少女にとって息が詰まる、陽の空気感。

 少女は『そういう人種』に対して、強い警戒心を抱いてしまう悪癖がある。

 人目を憚ることをせず、大声で騒ぎ立てる輩――もしくは嫌に親しげな言動でこちらに話しかけてくる、ありがたいけど迷惑な輩。

 瀬戸のようなチャラい印象のある人間は、まさにカルテの苦手な人間の条件に一致する。

 相容れぬ、絶対に仲良くなれぬ、と。

 そう本能が警報を鳴らしていた。

 

 ――でも、偏見で嫌うのはいけませんよね。

 ――パリピっぽくても、良い人はいるはず。

 ――せめて保健室に居る間は、笑顔で頑張って対応しましょう。

 

 少女は不器用なりに表情筋を動かして、違和感のない笑顔を浮かべる。愛想の悪くない笑顔は作れたはずだ。

 対して瀬戸はナチュラルな間抜け顔だ。その弛んだ顔のまま、瀬戸は尋ねる。

 

「そうだ。君の名前、教えてもらっていい?」

「名前ですか?」

「そう!」

 

 そういえばまだ名乗っていなかった。

 

「私は――」

 

 言う前に、少女は立ち止まった。

 危ない。つい本名のほうを口に出すところだった。それに一人称も、また『私』に。

 ほんの少し気が弛むだけで、すぐこれだ。まだRPが甘い。

 少女はゴホンと咳き込んだ。

 

「僕は、薬袋カルテですよ」

「薬袋カルテ……」

 

 瀬戸は何度か、その名前を反芻した。

 おそらく『薬袋』の漢字変換に戸惑っているのだろう。言動的に教養のある人には見えないので、カルテは失礼にもそう踏んでいた。  

 

「薬の袋と書いて『みない』と読むんですよ」

「あっ、大丈夫。漢字はわかる」

「そうなんですか」

「ただ、儚くて良い名前だな、って思って」

「ハァ。そうですか」

 

 ベタな口説き文句。

 カルテは内心で、失笑を飛ばした。

 

「――ともかく。もう治療は済みました。お帰りいただいても大丈夫ですよ」

 

 暗に「さっさと帰れ」と伝えた。

 治せる怪我がないなら、もう瀬戸に用はない。本末転倒この上ないことだが、バーチャルナースは患者に飢えているのだ。

 瀬戸は困った顔で頬を掻いた。

 

「まだ背中痛むし、できればもうちょっと休んでいきたいんだけどなぁ」

「でしたら、ベッドで休息を……」

「んや、そこまで重症じゃないかな」

「えっと、だったら」

「ちょっとオレとお茶しない?」

「……?」

 

 なんと。

 まさか直球で口説かれる(そう来る)とは。

 カルテは口を強く結び、嫌気で顔が歪むのを抑えた。

 

「どうかな、カルテちゃん」

「どうかな、と言われましても」

 

 ――というか、馴れ馴れしくカルテちゃんとか呼ばないでほしい。

 ――僕はあなたの友達じゃなくて、他人なんです。だから距離感を履き違えないで。 

 

 そんな言葉が喉奥まで登りかかって、それを吐き出さないように、更に強く口を結んだ。

 体質に合わない空気を吸う、とはこんなに息苦しい事だったのか。二酸化炭素を出すより先に、反吐を出したい心地だった。

 

「ごめん! そういうつもりで言ったんじゃないんだ!」

「――えっ?」 

「ほんとごめん! 確かに今の言い方はナンパっぽくて気色悪かったよね!? うわっ、自分で言っといて鳥肌立ってきちゃったよ!」

「……いえ。大丈夫、ですよ」

 

 必死に顔が歪むのを抑えたつもりが、どうやら無意識に顔に出てしまっていたらしい。

 カルテは申し訳ない気持ちになった。実際に嫌気が差したのは事実。しかしその気持ちは己の内に閉じ込めておくものだ。断じて当人の前に曝け出すべき顔ではない。

 人を傷付けるのは忌むべき行為だ。

 肉体的でも、精神的でも。

 ナースは人を癒やす為に在るのだ。

 自分が傷つく分には構わない。でも目の前にいる他者は如何なるときも健康で在るべきだ。

 だから嫌気の感情は、決して表面上に出すべきではなく、心の内に隠しておくべきだった。

 カルテは舌を強く噛んだ。

 そうすることで、未熟に尽きる己に叱責を与えた。

 リストカットと違って、咥内の自傷は誰にも見られないし、そして傷の治りも早い。

 これは幼少期から染み付いている、カルテの悪癖だった。

 

「………」

「あーえっと……」

 

 俯き、無言になるカルテ。

 息の詰まる雰囲気。居心地悪さを感じたのか、瀬戸は慌てて喋り出した。

 

「そ、そうだ! これ見てよ!」

「………」

「一発芸、『テストの恨みで夜中、のび太に刺された先生』

 ――のっ。のォびィィぐゥゥンッ!?」

「…………」

 

 数秒、静寂が過ぎる。

 瀬戸は凍りついた空気の中、カルテの顔色を伺う。口笛を吹いて、何かを誤魔化していた。

 暫くして、カルテは漸く――

 

 

「……プッ。クスクスっ」

「おっ、笑った! ヨッシャぁぁ!!」

 

 つい、噴出してしまった。

 何とくだらないギャグだ。くだらなくて、逆に笑ってしまった。

 一瞬、冷やかな沈黙も流れたが、終わってみればそのスベリ感も含めて笑いポイントだ。こんなネタで爆笑できるカルテの感性は、ちょっと独特かもしれない。

 

「どうかな? この一発芸で、さっきのナンパの件はチャラにして貰えないかな?」

「………っ!」

 

 無言でコクリと頷く。

 口を開くと、爆笑が漏れ出そうだった。

 

「ありがとう! まあ本当にナンパのつもりで言ったんじゃないけどね!」

「その、コーヒー、いりますか?」

「えっ、いいの?」

「はい。面白かったので、そのお礼に」

  

 カルテは、サーバーの中にある熱い珈琲液をカップに注いだ。このままだとブラックなので、お好みで味を変えれるように、受け皿の端にミルクとスティックシュガーを添えた。

 カルテは「どうぞ」と微笑み、瀬戸の前に珈琲を置く。

 

「あ、ありがとう」

「いえいえ。構いませんよ」

 

 一転変わってカルテの態度が好意的になって、瀬戸はほんの少し戸惑っているようだった。

 カルテからしたら、なんてことない。抱腹絶倒して、自然と肩の力が抜けただけ。警戒心が弛んだから、対応も柔らかくなった。

 ギャグで笑ってしまった手前、茶の誘いを跳ね除けるのも、何となく後味が悪くなった。せめてキズナアイさんを待つ時間だけ、お茶に付き合ってあげようではないか。

 瀬戸は、ほろ苦いコーヒーを一口飲んだ。なぜか驚いた顔を浮かべた。

 

「美味しい……。味、感じるんだ」

「……っ?」

 

 意味ありげに瀬戸は呟く。カルテは首を傾げた。

 液量の減ったコーヒーカップを受け皿に置いて、瀬戸は「さて」と話を切り出した。

 

「早速聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「いいですよ。僕に答えられる範囲なら」

「その……。変な質問というか、もし間違ってたら、すごい恥ずいんだけどさ……」

 

 恥じらう顔色で、瀬戸は気の弛んだ笑顔を浮かべた。

 不自然に言い澱み、なかなか本題に踏み込もうとしない。

 瀬戸は、悲哀に満ちた顔で深呼吸した。

 そして何かに思い込むように、片目に右手を添えた。その仕草は、まるで潤んだ瞳を隠しているようにも見えた。

 

 ――い、いったいどんな質問を……!

 

 悲劇のヒーロー宛らの雰囲気を纏っている瀬戸。 

 劇的な演出に弱いカルテは、不覚にもドキッとさせられた。

 突如、窓から強風が吹き込む。

 風で靡いたカーテンが、瀬戸の顔を隠した。一瞬、瀬戸の瞳から一滴の涙が落ちたように見えたが――再び見た彼は笑顔だったので、きっと目の錯覚だろう。 

 ひどく物悲しげな笑顔だった。

 

「ここって多分、天国だよね。というかオレ、死んじゃったんだよね?」

「えっ。違いますけど」

「えっ?」

「えっ?」

   

 瀬戸とカルテは、互いに今日一番の間抜け顔を見合わせた。

 

 

 

    

 ☆

 

 

 

 

 カルテは十分ほど掛けて、ここがVR_Worldの世界だということを瀬戸に説明した。

 一見、現実世界と見分けの付かないほどリアリティが高いけど、よく目を凝らしてみれば現実との差異が分かる。カルテの言うことに従って瀬戸は目を細めた。そして瀬戸は、目が飛び出るほど仰天した。

  

「バーチャル世界! マジで!?」

 

 まるで一昔前の漫画の一コマな反応だ。またしてもカルテは忍笑する。

 瀬戸は、このバーチャル世界にログインした経緯を話した。とはいえ本人も状況をまだ把握しておらず、語りながら頭の中を整理しているような要領の得ない説明だった。

 瀬戸曰く――

 

「なんか怪しげなVR機器が家に届いたから、なにかなーと思って試しに装着してみたんだよ。そしたら頭に電磁が流れ込んで気絶して……それで目が覚めたら、なぜか目の前に雲があって、背中に激痛が走ってきたんだ!

 いま振り返ってみると、きっと俺は『親方! 空から女の子が!』みたいになってたんだろうな。いや、俺は女の子じゃないけどね。親方もいないけど。というかパズーは受け止めてくれなかったけど。

 まあそれはともかく。あとの展開はパズーもといカルテちゃんもご存知の通りだよ」

 

 誰がパズーだ。

 というかカルテちゃん言うな。

 

「……概ね事情は理解しました。つまり貴方は、今日初めてこのアプリにインした初心者さん」

「うん。その通り」

「右も左も分からないから、チュートリアル役が欲しくてあんな台詞を言った、と」

「はい。そうしてもらえると嬉しいです……」

「暇ですし、構いませんよ」

 

 説明中に、キズナアイさんが訪問してくる可能性が念頭に浮かんだが、しかしそれは断る理由にならないだろう。

 もしカルテの機嫌が頗る悪ければ、多分それを言い訳にして断っていた。あたかも申し訳ないような顔を浮かべて、バイバイと手を振っていた事だろう。

 でも渋々ながら承諾した。要するに今のカルテの機嫌は大して良くもない、しかし悪くもないということだった。

 

「――先程も言った通り、ここはバーチャル世界。VR_Worldの中です。電脳世界、仮想空間など、プレイヤー間での呼び方は様々ありますが……。

 まあ『アプリの中』という認識で概ね正解です」

「いまいち信じがたい。けど、まぁうん。確かにこれは、現実じゃないよねぇ」

 

 カルテの姿をジロジロと舐めるように見て、瀬戸は言った。

 一見この世界の物質は、作り物とは到底思いがたい現実味のある質感で作られている。しかし目を凝らして観察すれば分かる。

 あれ、なんか解像度が低くね? ――と。

 特にアバターだと、作り物らしさはより顕著になる。こちらはグラフィックの問題ではない。単純にその姿形が現実的じゃないからだ。

 異様に大きく瞳と、カラフルな髪。そして毛穴の一つさえ無い白磁の肌と、正面から見た米粒のような鼻。

 要するにアニメチック。そんな姿の人間が、当たり前に存在する世界なのだ。

 

「アバターは自作できますよ。顔付きを変えたり、猫耳を生やすことだって可能なんです。

 あと、男の人が女の子になることも」

「えっ、そんな人いるの?」

「さぁ? 僕には何とも」

 

 そんな人は見たことない。

 VR_Worldでは現実での感覚が同期化されるので、安全面を考慮して、VR_Worldで異性のアバターを使用することは公式で禁止されている。

 だが――

 

「実はこのVR_Worldでは、とある都市伝説がありまして……」

「都市伝説?」

「はい、そうです」

 

 カルテは失笑含めて語る。

 

「曰く――とある条件に一致するオッサンを()()()()()()させてしまう『TS化システム』が存在する、とか」

「てぃ、TS化システム? そんなエロ本の導入みたいなものが実在するのか……」

「まあしかし、所詮は都市伝説です。僕は一ヶ月ほどこのゲームで遊んでいますが、生憎それらしい方は見たことありません」

「そ、そうだよね。……正直、ちょっと興味は湧いたけど」

 

 瀬戸はボソリと呟き、俯いた。

 公式で『異性アバターは使えない』と明記されているのだ。きっと誰かが面白がって流した噂だろう。

 仮にこれが真実だとしても、この広大な電脳世界でそんな変質者紛いに出会う事なんてそうそうあるまい。結局、自分には縁のない下らない都市伝説だ。カルテはそう思い、失笑を飛ばした。

 

 突然、扉が開く音が響いた。

 

「――失礼しまーす」

「猫松さん。そこ、帰り道じゃない、ですよ」

「あっ、いっけね。間違えちった。すみませんでしたー。のじゃー」

 

 新しい患者が来たと思ったが、どうやら部屋を間違えただけらしい。そっと扉を閉ざされた。

 いきなりの事で、ちょっと吃驚した。

 気を取り直して瀬戸と向かい合った。

 

「……ね、ねぇ、カルテちゃん。今の狐っぽい女の子だけど――オレの気のせいかな。なんかオッサンっぽい声じゃなかった?」

「っ? ごめんなさい。振り向く余裕がなかったので、アバターは確認できませんでした」 

「そうか……」

「でも低い声でしたよね。普通に男性では?」

「そ、そうだよね。俺の見間違いだった、かも……。うん。きっと、そのはず……」

 

 激しく動揺している瀬戸。

 冷静を取り戻そうと、何度も深呼吸していた。 

 

「……よし、落ち着いた。もう大丈夫」

「えっと、もしや持病でも?」

「あっいや、そういう訳じゃないよ。……ただ多分オレ、相当疲れているのかもしれない。オッサンが幼女に見えちまう程度に」

「……?」

 

 瀬戸の支離滅裂な言動に、カルテは訝しんだ。

 もしや背中だけではなく、頭も打っていたのかもしれない。

 念の為、頭に包帯を巻くか尋ねたが、瀬戸は大丈夫と言って遠慮した。心配である。

 

「気を取り直して――アバターの話の続きなんだけどさ」

「はい。なんでしょう」

「今のオレって、どんな顔してるのかな? 現実通りの顔、ってのは流石に無いだろうし――ま、まさかケモミミ幼女とかじゃあ」

「そんな訳ないですよ。鏡、どうぞ」

 

 カルテは手鏡を瀬戸に渡した。

 

「ありがとう! さて、どれどれ――あ、なんだ。めっちゃフツーな顔じゃん!」

「まあ初期アバターですからね」

 

 一言で表すなら、平々凡々な少年。もしくはモブC。記憶に残らない無個性な顔立ちだ。

 しかもTシャツにこのゲームの広告みたいなマークが貼りついており、有り体に言ってダサい服装だ。

 しかし瀬戸的には、かなりお気に入りの様子だった。あと眼鏡さえあれば完璧だなー、と無邪気な顔で瀬戸は独白している。

 

「えっと、他に何か知りたいことはありますか?」 

「んー、そうだね。一先ずはもう大丈夫かな。自分の置かれている状況とかは、大体理解できたし」 

「そうですか」 

「まあ『アプリの中に入っている』って実感はまだ全く無いけどね!!」

「そういうものですよ」

 

 最初に電脳世界に来た時の記憶を思い出して、カルテは何度も頷いた。

 

「……あっ、それとあと一つ。ちょっと個人的な質問になるんだけど、聞いてもいいかな?」

「なんでしょう」

「カルテちゃんってさ……その、本当にナースさんなの?」 

 

 ピキン、とカルテの表情が固まった。

 暫く黙って――カルテは、わざとらしい笑顔を浮かべる。

 

「――どういうこと、でしょう?」

「実際にナースを仕事にしている方なのかなー、って思って」

「僕は、バーチャルナースですよ?」

「っ? いやそういう意味じゃなくて……」

 

 カルテは敢えて惚けた顔を浮かべ続けた。

 瀬戸の質問に答えるとは簡単だが、生憎答える訳にはいかない。

 カルテは訝しみ、ちょっと困った表情を浮かべた。

 

「……あのですね。こういうこと、他の方にはあまり聞かないほうがいいですよ」

「えっ、どうして?」

「どうして、と言われましてもねぇ」

 

 カルテは苦笑いを浮かべた。

 その様子を見ても、瀬戸は何も察せないようだ。

 仕方ない、とカルテは諦観する。

 

「瀬戸さんは『RP』という言葉を知っていますか?」

「RP? 聞き覚えはあるかな」

「一言で説明すると『なりきり』です。剣士や魔法使いなどの作った設定に従い、ゲームの世界観に没入する遊びのことを『RP』と言います」

「そうなんだー。じゃあもしやカルテちゃんも?」

「…………僕だけじゃ、ありません。このアプリでは概ねのプレイヤーが『理想のキャラクター』になりきっています」

「へー。そうなんだー」

 

 瀬戸は呑気な顔で、生返事ばかり返す。

 

「もし今度RPを楽しんでいる方と出会っても、絶対に設定のことでとやかく言っちゃいけませんよ。『RPの邪魔をしない』というのは、このVR_Worldにおける鉄則――遵守すべきマナーですから」

 

 この電脳世界を生き抜く上で『RP』への理解は必要不可欠だ。RPが肌に合わない、楽しむ事ができないという人間は、この二次元と三次元の中間であるこの電脳世界において快適に暮らせない。 

 もし瀬戸が今後もこの世界を生き続けるつもりなら、この最低限のマナーは念頭に入れる必要がある。さもなければ空気の読めない奴として認定される。

 

「郷に入れば郷に従え、ってヤツだね! 以後気をつけることにするよ」

「本当に、お願いしますよ……」

 

 溜息混じりに、カルテは懇願した。

 悪気のない言葉。そう分かっていても、一般人の視点でRPについて追及されると羞恥心がまず過ぎる。

 私は私、僕は僕――カルテはそう頭の中で分別を付けているつもりだが、しかし完全に『薬袋カルテ』になりきれているかと尋ねられると、そういう訳ではない。

 演技している、という意識が残留している限り、カルテは純然たる『薬袋カルテ』ではない。自分をバーチャルナースだと思い込んでいる一般人である。

 だからもしカルテが本物の薬袋カルテに成りたいのなら、瀬戸にRPの説明などすべきではなかったのだ。知らぬ存じぬで惚け倒し、瀬戸自身に勝手に察して貰うべきだった。それが可能なほど瀬戸が勘鋭い男なのかはともかくとして、カルテ的には今のやりとりは失点だった。

 

 もっとバーチャルらしく在らなきゃ。

 私のなりたい僕に――『薬袋カルテ』らしく成らなきゃ。

 

 一瞬、またリアルのことが脳裏にチラつき、強迫観念のような気持ちがカルテの胸を引き締めた。

 つい舌を噛む。

 鬱期に入った時は、いつも自傷して思考をボヤけさせる。カルテの悪い癖だった。

 そんなカルテの鬱屈に気づいたのか――はたまた、ただの天然か。

 瀬戸は何気なく『それ』を言った。

 

「それにしても驚いたなー。てっきりオレ、君が本物のナースさんかと思っちゃったよ!」

「……えっ?」

 

 不意打ちの言葉に、カルテは瞠目した。

 瀬戸はまるで照れ隠しするように頭を掻き、そして続けざまに言う。

 

「昔、入院したときにお世話になったナースさんに、ちょっと雰囲気が似ていたからさ。喋っていて、とても落ち着くというか」

「そ、そうですか。何というか、その……う、嬉しいです、と思います。はい」

 

 動揺の余り、喋り方がちょっと変になった。 

 油断すると顔の筋肉の弛緩しそうだった。

 

「ちなみに、僕のどういうところがナースさんっぽいでしょうか? 三行でお答えください」

「さ、三行!? なんで!?」

「なんとなく、です」

 

 カルテは軽く咳込み「……いえ」と前言撤回する、

 

「やはり三行である必要はありません。思う存分に、薬袋カルテへの賛辞をお送りください。僕が喜べば喜ぶほど、貴方の健康状態を好印象に記入しときます――」

「それカルテ偽造では!?」

 

 カルテの横暴に、瀬戸は吃驚仰天した。

 引き気味に仰け反り、瀬戸は小声で「えぇ。それナースとして駄目なのでは……?」と呟いた。

 その呟きを拾い、カルテは眉を顰めた。

 

「……今の言葉で機嫌を損ねました。えーと――『瀬戸さん、ガンで長期入院』と」

「不機嫌でオレ発癌するの!? どんな地獄病院!?」

「冗談です」

 

 仔鹿の如く身震いする瀬戸。その反応が面白くて、カルテは微笑を浮かべてしまう。

 ナースらしいと褒められて、つい心踊ってしまった。

 表情乏しい顔貌で隠し通しているが、内心のカルテは喜色満面だった。

 

 ――まったく。我ながらチョロい。

 

 たかが他愛ない言葉一つで、当初瀬戸に対して抱いていた嫌悪感が、大分消えた気がする。 

 それほどナース関連の褒め言葉は、カルテの琴線に触れたのだ。

 

 カルテは本物のナースではない。

 でも、仮想のナースでは在りたい。

 そう思っている。

 

 『ナース』という職業に対して、カルテは淡い憧憬を抱いている。

 それは強烈な想いのようで、どこかボヤけた曖昧な想いだ。

 カルテは別に、医療に特別詳しいわけでもない。

 これから医療の勉強に取り掛かる予定もなければ、医療への興味だって本当は上っ面程度にしか抱いてない。

 しかし、それでも尚。

 カルテは『ナースの夢』に溺れ続けたい。

 

 ――恐らくそれは、子供が短冊に思い書くような拙い憧れ。

 

 看護職の世知辛い現実を知らないまま、カッコいいとか、カワイイとか、そんな稚拙な理由を胸に秘めて、ありもしない幻想に手を伸ばしている。

 実態と印象は、明確に違う。

 ナースとは、ただ献身を司る人の呼び名ではない。

 ふと時計を眺めては、溜息ばかり吐きたくなる――そんな仕事人の名前のことだ。

 

 でもそんなのは、カルテの憧れたナースではない。

 カルテの憧れは、もっと単純な存在。

 人に癒しを齎して――患者の笑顔を見て、僅かな幸福を胸に抱く。そんな献身の人。

 カルテは、そんなナースの仮想(すがた)に憧れているのだ。

 誰かの癒しになれるナースになりたくて――何となくの気持ちでいいから「ナースらしい」と思ってくれる存在になれたくて。

 理想の自分になりたくて。

 カルテは今、この電脳世界に居る。

 

 ……だから嬉しかった。

 「ナースらしい」と言ってもらえて。

 世辞かもしれない。

 でも、だとしても。カルテにとって『それ』は、言われて嬉しくなる言葉なのだ。

 言葉一つで、自信が漲る。

 ダウナー気味のカルテに珍しく、胸奥からどうしようもない活力が湧き立った。

 もっと端的に言うと――心が温まる。

 喜びが炊かれる。ホクホクと。

 そして、それを自覚した瞬間――

 

 ――チンッ。

 

 突然、保健室の台所にある炊飯器から音が鳴った。

 どうやら白米が炊き上がったらしい。

 カルテは銀色に輝くシャリ具合を確認するため炊飯器の元に向かう。

 ――と、その前に。

 カルテは振り向き、瀬戸に微笑みかけた。

 

「――あっ、瀬戸さん。メシ、食べます?」

「話の脈絡が迷子ですが!?」

 

 炊飯機を指差し、瀬戸は目をパチパチさせて驚いていた。

 カルテは首を傾げた。

 

「いや『この人は何言ってるの?』みたいな目で見られましても! さっきまでメシと全く無縁の会話してたよね!?」

「ですね。バーチャルのお話でした」

「なのになんで突然メシの話!? 色々おかしくない!?」

「……でも、メシが炊かれたからには食べる他ないのでは?」 

「どのタイミングで炊いてたのかも気になるところだねぇ!!」

 

 聞かれても分からない。

 いつだってメシは、子供達の知らぬ間に唐突に炊きあがってきた。そして食卓に並べられてきた。

 敢えて回答するなら、きっとメシとは『お母さんの優しさ』から炊かれる物なのだろう――

 

 兎角、メシが炊かれた理由はさておき。

 

 カルテは瀬戸に「ナースらしい」と言ってくれたお礼を返したいのだ。

 

 勿論、瀬戸が何がお礼を求めてその言葉を言った訳では無いことはカルテとて理解している。カルテが身勝手に恩義を感じただけだと。

 だからこの「感謝を伝えたい」という気持ちを発散する理由は一つ――あくまでカルテ自身がそうしたいからするのだ。

 つまり一飯之報だ――本来のこの言葉は「メシを恵んでくれた恩に報いる」という意味だが、敢えてカルテは「メシで恩に報いる」という誤用でも使いたい。

 メシは誠に偉大な食べ物である――この間、長年プレイしていたソシャゲがサービス終了して心が鬱屈していた時も、メシの抱擁的な美味しさに慰められてカルテは前を向けた。

 メシを炊く、とはそれ即ち、心を炊くのと同じ意味なのだ。

 メシに秘めたる力を盲信しているカルテは、ニコリと敬虔な微笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、何でもいいじゃないですか。今こうしてメシが炊かれてしまったこと――それが重要なのです。メシを粗末にしたらメシ神さまの天罰が当ります」

「メシ神さまって何ぞ?」

「メシの神さまです」 

「そのまんまだね」

 

 瀬戸は思わず失笑した。

 

「いや別に『そんな得体の知れんメシ食えるか!』とは言わないよ? 何事もチャレンジは大切だし、バーチャル世界のメシの味にも興味はある。……でも」

「『でも』? いったい何が不満なんですか」

「いや、不満は無いよ。ただ驚くことが多すぎて、ちょっと疲れたんだよね……」

 

 瀬戸は精力尽きた顔で溜息を吐いた。

 無理もない。新参者の瀬戸からしたら、この世界の目に見えるもの全てが新鮮に映っているはずだ。

 このアプリは、謂わば擬似的な異世界転生のようなモノ。

 異世界の常識に馴染むまでの間、多少の知恵熱は致し方ない。

 

「……疲れたようでしたら、一度ログアウトしてみたらどうでしょう? 頭を整理する為にも」

「そうだね。正直、ちゃんと元の世界に帰れるのか不安でもあったし、一度現実に戻って一息を――」

「もちろんメシを食べた後ですけど」

「アッ、ハイ」

 

 執拗にメシを勧めに来るカルテに根負けして、瀬戸はもはや頷くしかなかった。

 

「では、少し待っていてください」

 

 カルテは炊飯器の蓋を開け、杓子でメシを掬った。

 せっせと茶碗に白米を盛る。この量で充分かな、と頷いた後、カルテは踵を返して瀬戸にメシを盛った茶碗を向けた。

 

「どうぞ瀬戸さん。メシです」

「ああ、ありがとう――って、えぇ!」

 

 瀬戸はこんもりと盛られたそのメシを見て驚愕した。

 

「っ? どうかしました」

「いやどうかしたもなにも、それごはん盛りすぎじゃない!? その身長でなんで盛れたのか逆に気になるわ!!」

 

 瀬戸が指差したそのメシは、天井に触れるか触れないかのギリギリを攻めた高度を誇っていた。

 グラグラと揺れている。

 今にも溢れそう――というか倒れそうだった。

 

「男性は生涯食べ盛り、と聞きましたので。これくらい一口でイケるかなー、と」

「オレはピンクの悪魔か! いや無理だよ!」

「そんなこと言わず。ささ、どうぞクイッと」

「――ちょ! 待って、倒れそうだから! そのメシこっちに向けないでェェェ!」

 

 カルテがメシを瀬戸に向けてにじり寄ってきた。瀬戸は何度も無理だと訴えたが、その言葉は上機嫌なカルテの耳には届かなかった。

 瀬戸は怯えて後退した。にじり寄うカルテに合わせるように後退していると、ふと腰に衝撃がきた。

 どうやら扉のドアノブが当たったらしい。

 もう、逃げ道は無い。――実際はガラ空きの真横に逃げ道はあるのだが、しかし目前で『メシタワー』が今にも倒れそうにグラついている現状で真横に一瞬意識を逸らすのは謂わば自殺行為にも等しく、瀬戸はその逃げ道に気づけず『メシタワー』を注視していた。

 

「さあ瀬戸さん。召し上がれ」

「メシだけに?」

「…………ふふっ」

「あっごめん今のボケなし! ストップ! 笑わないで!」

 

 まるで後一手で崩れるジェンガのように、メシタワーは右往左往に揺れる。

 そして、遂に限界は訪れて――

 

「あっ」

 

 その儚げな声と同時に、メシタワーは前方に――瀬戸のいる先に倒れる。

 

「ギャァァァ!! 殺されるぅぅ!!!」

 

 炊きたて熱々の米粒の軍団が、今まさにこの瞬間、瀬戸を全身を灼熱の業火に包もうと迫っていた。

 瀬戸の全身を覆うほどの米粒の弾幕。

 本来ならその銀シャリの粒立ちに唾を飲み込むところだが、今だけは別の意味で唾を飲み込んだ。

 「ああ、これが本当のライスシャワー」――そんなボケを呟く余裕すらない。

 もはや避ける事もできない。瀬戸は諦観した。

 せめて顔に落ちるメシだけは食べてあげよう。瀬戸は口をあんぐりと開けた。

 

 だが瀬戸が諦観した瞬間。

 

「こんにち――わッ!?」

「うわぁっ!!」

 

 背後から黄色い叫び声。誰かが扉を開いた。

 背中を預けていた物が消失して急な落下感に見舞われた瀬戸は、そのまま受け身も取れず後頭部から先に地に落ちた。

 ゴツン、と後頭部を打つ

 しかし案外ダメージは少なかった。上半身を起こして瀬戸は後頭部を軽く擦った。

 

「アイタタ。びっくりしたー」

「だ、大丈夫ですか!?」

「うん。オレは大丈夫だよ」

  

 どうやら何か緩衝材のようなものが下敷きになってくれたらしい。後頭部を擦って確認したが、タンコブ一つの軽傷すら無かった。

 

「それは良かったです。でも、その、瀬戸さんは無事かもしれませんが……」

 

 カルテは慌てふためいた様子で、瀬戸の下半身を直視していた。

 否、下半身などではない。

 もっと下の、床を――いや、床でもない。瀬戸の尻に敷かれている緩衝材を見ていた。

 

「………まさか」

 

 瀬戸の顔色が急激に青褪めはじめた。

 ふと瀬戸はさっきの黄色い声を思い出し、ようやく今自分が『何の上に座っているのか』察した。

 おそるおそる、後ろを振り返る。

 

「きゅーん」

  

 そこには、変なカチューシャを着けた少女が居た。

 瀬戸と同様に米塗れの少女は、誰かに救いを求めるように虚空に手を伸ばしていたが、しかしピクリと一度痙攣したのを最後に完全に失神した。

 まるで死んだように――電源が切れたように眠っている。

 

「せ、瀬戸さん」

「……あぁ、わかってるよ」

 

 後悔と自責の念に駆られて涙ぐんだ声で呟くカルテに対して、瀬戸は強がりの笑顔を浮かべた。

 たがやはり感情とはそう簡単に隠し切れるものではないわけで――

 

「思い返せば、悪くない人生だったな。……自首するわ、オレ」

 

 瀬戸の瞳から、ぽろりと涙の雫が溢れた。

 手で涙を拭おうと、腕を上げる。その直前で袖にくっついた大量の米粒が視界に入り、瀬戸はいま自分の全身が米塗れになっていることを思い出した。

 瀬戸は涙を拭う為にも、まずその手にくっついていた米粒を食べた。

 ――それはきっと、妙に塩っぱい味。

 瀬戸はそのメシを、大層美味しそうに噛み締めていた。

 

「このメシ、すごい美味しいよ。もしまた食べる機会があるなら、また食べたいな。……あと、できれば今度は並盛りでよそってほしい」

「せっ――瀬戸さーーーんっ!!!」

 

 叫ぶカルテを横目に、ふと瀬戸は窓の先を眺めていた。カルテもそこを見た。

 一面に澄み渡る群青の空。

 今日の電脳世界は、いつも以上に汚れの無き晴天だった――。

 

 

   ※

 

 

 夕焼けの光が、保健室の窓から差し込む。

 電脳世界にも昼夜の概念がある。現実世界の時刻や天候に従って、電脳世界の空模様は二転三転する。

 瀬戸はその宵空を眺めながら、驚いたように声を上げた。

 

「おー、すごいなあれ。グラデーションみたいで綺麗だね」

「ですね。確かこれが逢魔が時? と言うのでしょうか。別段珍しい空模様ではないはずですけど、何だか幼ぶりに見た気がします」

「わかるわー。オレも普段は空とか見ないし」

「僕も今は、そういう習慣はないです」

「今は? 昔はあったの?」

「はい。とは言っても、小学生の時ですけどね。放課後はいつも空を見ながら帰ってました――」

 

 今や朧気な記憶。

 ランドセルを背負っていた頃のカルテは、いつも一人で下校していた。

 

 別に友達が居なかった訳ではない。下校の旅連れにできるような女友達は二人だけ居た。だけどその二人の家はカルテの帰路とは逆の方角にあったから、一緒に帰れなかったのだ。

 だから仕方なくカルテは、小学生の頃はずっと一人で下校道を歩いていたのだ。

 昏い空に侵食されてゆく夕焼けを。

 ナメクジの如くにじり進む群雲を。

 空のそんな微細な変化を、幼い頃のカルテは長い帰路の暇潰しとして観察していた――

 

「……いや、そうではなかった? ですかね」

 

 小声で呟き、カルテは首を傾げる。その記憶は正しくないと勘が告げていた。

 カルテはふと思い出した。

 短パンの男の子と駄弁り歩いている記憶を。

 どちらの記憶が正しいのか分からない――いや恐らくどちらも正しいのだろう。

 なにせ6年の小学校生活だ。ボッチ下校の常習魔だったカルテが、偶然男子生徒と下校していた日だってそりゃあ存在しただろう。

 しかし結局は昔の話。今更掘り下げる意味はない。

 たとえ掘り下げた所で瀬戸につまらない身内話を聞かせるだけだ。

 

 閑話休題。

 意味のある対話を始めよう。 

 

「ところで瀬戸さん。先程の話の続きですが――」

「ああ、メシの件のこと?」

「…………いえ」

 

 違う話を切り出すつもりだった。

 だがしかし、その話についても改めて謝罪すべきだと思い、カルテは一旦話の本筋を傍らに置く。

 

「……その件も、そうです。全責任は僕にあります。改めてごめんなさい……」

「オレは別に気にしてないよ。メシを持ってにじり寄る姿はすごく怖かったけど!」

「……うぅ、ごめんなさい。本当に」

 

 カルテは頭を下げる。

 今になって思い返すと、あの時のカルテは少々暴走していた。

 感謝の表すことしか頭になく、一心不乱にメシをよそっていた。褒められたことが嬉しくて、湧き上がっていたのだ――そんな一種の錯乱状態に陥っていた。

 しかしカルテ自身も驚いた。

 まさか自分に、あのような一面があったとは。

 カルテはまだ知らぬ己のことを知り、そして恐怖していた。

 

「僕、もう二度メシはよそいません」

「うん。そのほうがいいと思うよ。実際」

「……怖いんです、メシが。まさかメシがあんなに危険なものだったなんて」

「オレも知らなかったよ。メシって人を殺せたんだな」

 

 軽快に笑う瀬戸。

 その反応に対してカルテは不満気に眉を顰める。

 

「『殺せたんだな』って。……まるで本当に殺したみたいなこと言わないでください」

 

 カルテはベットに横たわる、その少女を一瞥した。

 「綺麗な顔してるだろう? 死んでるんだぜ、それ」――一瞬カルテの中の達也が例の名言を囁いてきたが、生憎と名シーン再現とはならず、少女はちょっと間抜けな寝顔で規則正しい呼吸をしていた。

 

「――電脳世界で人は死にません。少し考えれば分かることです」

 

 一寸の議論を挟むまでもなく、カルテはまるで常識を語るように断言した。

 その言葉に、瀬戸は少し首を傾げた。

 

「それはゲームオーバーが無いって意味?」

「それもそうですけど……。ほら、瀬戸さんだって、空から落ちたのに大怪我一つ無いでしょう?」

「いや大怪我って程じゃないけど、わりと背中痛かったよ?」

「本来なら、もっと痛かったはずです。というか、上空から受け身を取れず落下とか、普通に即死してもおかしくない事態ですよ?」

「たしかに。そう言われてみれば」

 

 地面に打った患部を擦る瀬戸。擦っていると、何か気づいたように瀬戸は眉を顰めた。

 

「実はこの怪我、落ちた瞬間は途轍もなく痛い気がしたんだけど、いまは正直全く痛さは無いんだよね。というか怪我したこと自体忘れたくらいだよ」

「……あー。もしやそれ、ノーシボ効果だったのでは?」

 

 ふと頭を浮かんだ言葉を、カルテは述べた。

 

「ノーシボ効果? ……えーと、なんだっけ。プラシーボ効果のマイナス意味だよね」

「はい、そうです。」

 

 一言で要するなら、思い込み効果。

 痛いと思えば痛いし、痛くないと思えば痛くない――ざっくりと説明すると、そんな根性論のような医療用語。

 

「おそらく瀬戸さんに『高所から落ちたら当然痛いもの』という観念があったから、痛いと錯覚したんだと思いますよ」

「あー、確かに。そう言われてみればそうかも」

 

 瀬戸は納得して首肯く。

 しかしカルテは、ふともう一つの可能性を思いついた。

 あの時の瀬戸は、初めてこの電脳世界にログインした訳である。『電脳世界のダイブ感』にまだ感覚が馴染んでいなく、一種のシステム的バクとして、痛覚が微妙に残留していたのかもしれない。

 答えは分からない。

 結局は、瀬戸自身がどう思い込むかである。

 

「――そうそう。そういえば僕もさっき、その机の角に足の小指をぶつけて「痛っ!」と声を上げてしまったのですが、多分それもノーシボ効果だったんでしょうね」

「単にカルテちゃんが鈍感なだけでは?」

「今日一番の『おまいう』を聞きました」

 

 瀬戸が必死に手を背中に回しながら救援の声を上げていた光景を思い出して、カルテは言い返した。

 ぐうの音も出ないという顔で目を逸した瀬戸は、まるで誤魔化すように「そうそう!」と話題転換を図る。

 

「さっきオレ、先走って話を遮っちゃったけど、他に喋りたいことあったんだよね?」

「えぇ、そうでした。でも結局、遠からず話は繋がっていたんですけど――」

 

 カルテはもう一度、傍らのベットで健やかに眠る少女――キズナアイを一瞥した。

 

「先程説明した通り、電脳世界に痛覚はないはずです。だからどうしてこの方が、瀬戸さんとぶつかって気絶したのか、ちょっと不思議に思っていたんですけど――多分それって、先ほど説明したノーシボ効果が理由ではないでしょうか?」

「えっと。脳が揺れた気がしたから気絶した、ってこと?」

「だと思います」

 

 生憎とカルテは医学も電子科学も専攻していない。

 だから所詮、経験頼りの判断。勘にすぎない。

 しかし敢えてカルテは、自信をもってそう説明した。

 

「……まあでもこの方の場合、疲労の蓄積が原因で失神したのかもしれませんね。」

 

 カルテは昔、満員電車の中で目の死んだ社畜っぽい男性がいきなりプツンと失神したシーンを目撃したことがある。

 人は疲労が蓄積していると、軽微なショックでも意識を失う。カルテが将来社畜になりたくないと本気で願った瞬間だった。

 

 瀬戸はカルテのその言い回しが引っかかったらしく「あれ?」と首を傾げた

 

「もしかして知り合いなの? この女の子と」

「いえ、知り合いじゃないです。ただ一方的に知っているだけ」

 

 ピンクのピョコピョコのカチューシャを見て、カルテはこの少女が誰であるのか確信していた。

 ――キズナアイ。チャンネル登録者数が50万人の、日本有数のYouTuber。

 否、確かキズナアイは己のことをバーチャルYouTuberと自称していた。

 曰く、自分はバーチャルな存在だから、と。

 恐らくはカルテと同じで、そういうRPをしているのだろう。もっとも、カルテはバーチャルYouTuberでは無いが。

 兎角、同じバーチャルに生きる者として、カルテはいつもキズナアイの動画を拝見していたのだ。

 

「実はキズナアイさんとは待ち合わせをしていまして。だから僕は、彼女が目覚めるまでここで待っているつもりですが――」

「もちろんオレも待つよ」

 

 当然だという顔で、瀬戸は返した。

 しかしカルテは首を振る。

 

「瀬戸さんは今日はもうログアウトすべきです。最初のログインは疲れるものですし……。それに電脳世界のダイブ感覚に慣れるまでは、長時間のインは危険かと」

「いやいや! オレがキズナアイさんにご迷惑をかけちゃったんだから、ちゃんと顔を合わせて謝るよ!」

「……。何度も言いましたよね? この件は僕の責任です」

「いや、だけど」

 

 やはり自分のヘッドアタックで女の子を気絶に至らせたこと罪悪感が強いらしく、瀬戸は渋った。

 だが事の発端はカルテが暴走状態に入ったことに在る。瀬戸のその責任感はお門違いだ。

 

「むしろ瀬戸さんは被害者ですよ。この僕に――『メシ殺しカルテ』に殺されかけた哀れな患者です」

「め、メシ殺しカルテ」

「僕はとんでもないこぼしてしまいました。……それは、あなたの命です」

「マジでとんでもないよ」

「ともかく、すべては僕の過失です」

 

 客観的に見た結果、そう判断した。カルテはキッパリと言う。

 瀬戸は、渋る顔で黙考した。しかしカルテの譲らない意気に説得されて、瀬戸は「わかった」と言った。

 

「そこまで言うなら、オレは一旦ログアウトさせてもらうよ。……うーん。でもやっぱ直接謝りたいなぁ」

「多分また会えますよ。狭い電脳世界ですから」

「そうなの? じゃあ、また保健室に遊びに来た時に会えたらいいな」

「そんな気安く来ないでください。保健室は休憩所じゃありませんよ……」

 

 否、学生の認識からすれば、保健室は一種の休憩所と言えるのかもしれない。

  ――というか。

 カルテは、言った直後に気づいた。 

 さらりとまた会う約束をしてしまったこと。

 そしてカルテ自身も、瀬戸がこのアプリを遊び続けるものだと思い込んで会話していたこと。

 それに気づくと、カルテはふと沸くように羞恥を感じた――別に恥ずかしがる要素は無いのだが、それでもカルテは恥ずかしかった。

 

「じゃあオレ、ログアウトするよ」

 

 朱に染まる頬を隠すために顔を逸らしたカルテの様子を見て、もう話が終わったと判断したらしく、瀬戸はそう切り出した。

 その瞬間――カルテは不明瞭な衝動に突き動かされた。

 伝える言葉も持ち合わせず「あ、あの」と声を掛けた。

 

「えっと……。瀬戸さん」

「んっ、なに?」

「あの、ですね……」

「あ、そうだ。ログアウトってどうすればいいの?」

「ログアウト? それならこうして右手を振ればメニュー欄が開くので――」

「おー! 本当だ。なんかカッコいいなこれ」

「一番下のログアウトボタンを押せば、ログアウトはできるのですが……あっ、そうだ!」

 

 ログアウトボタンの一つ上にある項目を見て、カルテは思いついた。

 そして、若干緊張を孕んだ声で提案する。

 

「よ、よければ、フレンド交換しませんか?」

「フレンド交換?」

「は、はい。そうです……」

 

 現実世界でも電脳世界でも『フレンド申請』に慣れていないカルテは、変にキョドってしまう。もしこの表情がそのままトラッキングされているなら、今のカルテは相当不気味な笑顔を浮かべているはずだが、しかし瀬戸の反応を伺う限りそれは杞憂のようだ。

 

「たしかフレンドになれば、ログイン時の互いの位置情報が分かったり、ゲーム内メールを送れるようになったはずです……。いえ、わかりませんが……」

「なるほど。ともかく便利だってことか」

「はい。とにかく便利です」

 

 実際にその便利性を実感したことはないが、カルテは鸚鵡返しで肯定した。

 瀬戸は悩む時間も置かず、こくりと頷いた。

 

「わかった。じゃあフレンドになろう!」

「ご承認ありがとうございます。今後の薬袋カルテの動向にご期待ください」

「なぜ打ち切り漫画ふう?」

「……何となくです」

 

 緊張余って変な言葉遣いになってしまう。

 メシの件もそうだったが、どうやらカルテは脳の処理状態が一杯一杯になると熱暴走を起こして正常を思考が欠けるらしい。痛々しいコミュ障ボッチにありがちな悪癖だ。それを自覚した瞬間、カルテは自己嫌悪に苛まれた。 

 ともかく。

 瀬戸の同意を得て、フレンド登録は完了した。

 

「これで良し。じゃあ今度こそログアウトするよ。たぶんオレは明日もログインすると思うから、もし時間が合ったらまた遊ぼうぜ!」

「……遊ぶ?」

 

 カルテは『遊ぶ』という言葉に喉の引っ掛かりを感じつつも頷いた。恐らくこれはカルテが人見知りだからこそ感じた飲み込みづらさ。

 しかしそれは嫌がっている感情ではない。カルテは半分社交辞令も含めてこくりと頷いた。

 

「えぇ、構いませんよ」

「やった! ナンパ成功だせ!」

「……うわぁ」

「ごめん冗談。だからその目やめて」

 

 カルテの軽蔑を込めた眼差しに圧されて、瀬戸はふるふると震えて謝罪した。

 熟れた謝罪の姿勢。頭の軽い男の姿だった。

 

「まあ、僕のほうも冗談だと分かっていますよ。だから安心して還ってください」

「ありがとう。土に還れ的なニュアンスを感じずにいられない言い方だけど、ともかくオレは一足先に現実に帰るよ」

 

 瀬戸はログアウトボタンを押した。すると『本当にログアウトしますか?』と確認メッセージが表示されたので、瀬戸はYESの所に指先を向けた――

 

「じゃあ。また今度ね、カルテちゃん」

「はい。さようなら、瀬戸さん」

 

 瀬戸がYESの所を押した刹那、瀬戸は突如現れた青光の粒子に纏われた。その後、ゆっくりと溶けていくように瀬戸の姿は朧気になり――まるで夢から覚めるように霧散していった。

 

 瀬戸を送り出した直後、カルテは漸く肩の力が抜けたように「……ふー」と嘆息した。

 ここまで長い時間、人と駄弁るのは久々だった。しかも一見相性の悪そうな相手と――

 

「……案外悪い人ではありませんでしたね。変な人でしたけど」

 

 カルテは本心から独白した。

 最初こそ警戒心を抱いていたが、時間が経過するにつれ、その警戒心は徐々に解けていった。最初は相槌も生返事ばかりで笑顔も不自然だったが、別れ際では口数も多くなっていた。

 瀬戸は、薬袋カルテの白紙だったカルテに名前を書『書いた初めての患者』だ。初めての患者が、瀬戸のような良い人で幸いだったと、カルテは胸を撫で下ろした。

  

「どんな人間でも、患者であればサービスの格差は付けない。それが『薬袋カルテ』のはずですけど――」

 

 しかしながら『マナーの良い患者』と『マナーの悪い患者』のどちらが好ましいかと問われたら、それは当然、前者と答える訳である。

 『薬袋カルテ』は献身の理想像として生み出した仮想的だが、やはり中の人として演じているのが『私』である以上、どうしても理想像(キャラクター)にはなり切れない。

 多分これが現実と仮想の明確な差なのだろう。

 本来なら縮める事できない、絶対的な差。

 

「……そういえばキズナアイさんは、どうやって『キズナアイ(ご自分)』を保っているんでしょうか?」

 

 ベッドで横たわる少女を、カルテは一瞥した。

 恐らく唯一この世界で、太陽の頂きに達せられる仮想少女――キズナアイと薬袋カルテには、月とスッポン以上のバーチャルとしての差がある。彼女は僕の望んでいるモノをすべて持っているのだと、悔しくもカルテは自認していた。

 ほぼ無意味にカルテは、キズナアイの頬に手を伸ばしたが、寸でのところで静止した。僕には太陽に触れる資格など無い。そう言い聞かせて、

 

「本当に、不思議です。なぜ貴方の寝顔はこんなにも愛らしいのに――なぜそんなに無機質なのか」

 

 カルテには心がある。

 この世界で瀬戸というフレンドを作れた事実に、ささやかな喜びを感じているように。

 キズナアイにも、恐らく心がある。

 でもその心は、冷たい電子に彩られたテクスチャのようだ。

 カルテはキズナアイの事をバーチャルとして尊敬している。

 しかしそれと同時に、人としての畏怖を感じていた。

 キズナアイの動画を始めて見たとき――カルテは怖かったのだ。

 画面の中に居るのが、本当に生身のある人なのか疑わしかった。

 もしや本当に、彼女は精巧に作られたAIなのではないか? ともカルテは思っていた。

 もしキズナアイの正体がAIなのだとしたら、その彼女のようになりたいと情景に焦がれているカルテは、はたしてどこに向かうべきなのか――

 

「……本当に、不思議です。なぜ『私』は、ただのキャラクターで在れないのだろう」

 

 『私』ではどう頑張っても、『薬袋カルテ』のように患者を平等に扱うことなんてできないのだ。

 かつて『私』が希ったはずのナースは、一人の患者とだけフレンドにならないはずなのに。

 

 まったく、RPとは本当に難しい。

 カルテは重く溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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