何かを為す覚悟が 俺にはあるか。 (カゲさん)
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1 誰が為の人生か

「駆逐してやる!!この世から……一匹……残らず!!」

 

避難用の船にたまたま乗り合わせた少年が、崩壊していく街に向かって息荒く叫んだ。

 

100年続いた壁の平和は、俺の両親の命と共に絶たれた。平和ボケした駐屯兵団の兵士たちは恐怖に屈してまともに戦うことが出来ず、シガンシナ区は放棄された。それだけならばまだ被害は小さい方だ。元々人が多いところに集まる巨人の特性を利用した突起状の街がシガンシナ区であり、そこを超大型巨人に破られただけならその内側であるウォール・マリア内部は安全なのだ。しかし、そのウォール・マリアも破壊されることとなった。鎧の巨人。鋼のように硬い皮膚を持つその巨人の突進により、人類の生存可能区域は二つ目の壁ウォール・ローゼまで退けられた。

 

 

「貴様は何者だ!」

 

「トロスト区出身!ジャン・キルシュタインです!」

 

「何のためにここに来た!?」

 

「………憲兵団に入って、内地で暮らすためです」

 

「そうか!貴様は内地に行きたいのか?」

 

「はい!」

 

ゴッ!

 

骨同士がぶつかり合う鈍い音と共に、ツーブロックの少年が蹌踉めきその場に腰を落とす。

 

「オイ!誰が座って良いと言った!!こんな所でへこたれる者が憲兵団になどなれるものか!!」

 

まるで茶番だ。名前と目的を言わせて、それを強く否定する。通過儀礼のようなものなのだろうが、馬鹿馬鹿しく思えてしまう。そんなものをやったところで、実際に巨人の恐ろしさを目にした者としていない者との大きな差は埋まらない。実際に戦場に立ったら殆どがまともに動けなくなるだろう。それほどまでに、俺が目にした巨人は力の強大さを持ち合わせていた。

 

「オ……イ……貴様は何をやってる?」

 

敬礼においての腕の位置を間違えて頭を締め付けられていた坊主頭のコニー・スプリンガーが泡を吹きながら地面に落ちた。それを行ったキース教官の見開かれた視線の先には、湯気の出た芋を頬張る少女がいた。自分が問われたのに気づいていないのか、少女は再び芋を頬張る。

 

「貴様だ!貴様に言ってる!!」

 

鬼のような形相で教官が迫る。

 

「貴様……何者なんだ!?」

 

「………!?」

 

驚いた少女は口に含んでいた芋を急いで飲み込み、尚右手に芋を握りながら敬礼する。

 

「ウォール・ローゼ南区ダウパー村出身!!サシャ・ブラウスです!」

 

サシャ・ブラウス曰く、調理場にあった蒸した芋が冷めては勿体無い為盗んで食べていたらしい。だが、それでも何故自分が怒られているのかわからないらしく戸惑っている。そんな少女は一つの答えを思いつく。

 

「あ!」

 

周りの同期たちが「やってしまった…」という風な表情で見守る中、サシャ・ブラウスは小さく舌打ちをしながら、およそ半分とは言えないような芋のかけらを「半分……どうぞ…」と言って教官に差し出した。

 

「半……分……?」

 

相変わらず目を見開いた状態の教官の前で、サシャは「フーッ」と満足げに息を吐いた。

 

ーーーーーー

 

ーーーー

 

ーー

 

その日の夕飯の時間。未だ外で走らされているサシャそっちのけで、食堂ではエレンに対してシガンシナ区に現れた巨人についての質問が投げかけられていた。昔のことを思い出して吐き気を催してもいたが、巨人を殺すことへの執着心が強いらしく調査兵団へ入団する志を口にしていた。

 

「オイオイ正気か?」

 

そんな中、エレンの言葉に口を挟んだのは憲兵団志望のジャン・キルシュタインだった。

 

「お前は確か……憲兵団に入って楽したいんだったっけ?」

 

「オレは正直者でね……心底怯えながらも勇敢気取ってやがる奴より、よっぽどさわやかだと思うがな」

 

「そ、そりゃオレのことか」

 

早速喧嘩か、と思いきや、その危惧は杞憂に終わる。

 

「あーすまない。正直なのはオレの悪いクセだ。気ぃ悪くさせるつもりも無いんだ」

 

ジャンの言葉により、その場はそれで収まった。丁度その時、夕飯の終わりを知らせる煩い鐘が鳴り響いた。ガチャガチャと食器などを片付ける音で騒がしくなる中、エレンとジャンが手を当てあって和解していた。その光景を横目に、俺は一足先に外へ出た。

 

 

妙な叫び声に誘われ、俺は女子寮の裏まで足を運んだ。そこには三人の人影があり、そのうち一人は見覚えがあった。金髪の少女に膝枕してもらっているサシャ・ブラウス。走り終えてよほど疲れ切ったのか、白目むいたまま眠っていた。

 

「なぁ…お前……『いいこと』しようとしてるだろ?」

 

側で立っている黒髪の少女が膝枕をする金髪の少女に対して言った。

 

「それは芋女のためにやったのか?お前の得た達成感や高揚感はその労力に見合ったか?」

 

「え……」

 

動揺した様子で金髪の少女が問い返す。

 

「私は……私が……こうしたかったのは……役に立つ人間だと思われたいから……なのかな……?」

 

「は!?知るかよ…」

 

質問の答えは出されないまま突っ返された。そのタイミングで俺は三人の所へ着いた。

 

「のんびりしてると教官に見つかるぞ」

 

俺自身の気配を教官だと勘違いしたのか、金髪の方がビクッと肩を跳ねさせた。しかし声の違いに気づいたのか、比較的安堵した顔でこちらへ振り向いた。薄 暗くて遠目では分からなかったが、金髪の少女は大きな碧眼を持っていてかなり可愛らしい顔をしていた。

 

「誰だお前?」

 

黒髪の方が訝しげな目でこちらを睨む。声から判断したが、体型だけ見れば男性と見間違えてしまいそうだった。口に出せば殴り殺して来そうな目をしている。

 

「たまたま叫び声が聞こえたから来てみただけだ」

 

俺はいびきをかきながら眠っているサシャ・ブラウスの襟を持ち上げて肩に担いだ。困惑した様子で見上げる金髪の少女を尻目に、黒髪の方へ言う。

 

「女子寮の入り口まで運ぶ。そこからはお前に頼むぞ」

 

「は!?なんでお前にそんなこと頼まれなきゃならねえんだよ!」

 

「今ここでこいつに貸し作ったら、後で恩着せて何でもさせられるぞ。教官の前で芋を貪る程の馬鹿だからな」

 

初めは反発していたが、俺の言葉を聞くとニヤッと趣味の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「お前とは気が合いそうだな。…………なあ、名前なんつった?」

 

「ヒイラギだ。ヒイラギ・ロイス」

 

「私はユミルだ。じゃ、入り口まで頼むぜ」

 

ユミルは後ろ向きに片手を振りながら歩いていった。俺もそれに続こうとした時、服の裾がくいっと引っ張られるのを感じた。いつのまにか立ち上がっていた金髪の少女が疑問符を浮かべた表情で見上げている。

 

「ねえ……あなたは何で……『いいこと』をするの?」

 

この少女は、確証は持てずとも役に立つ人間だと思われたいから『いいこと』をしていると言った。対してユミルは、恩を着せるために『いいこと』をすると態度で示した。では、俺は何故こうしてサシャを運んでいるのか。

 

「友好関係があった方が、何かしらの恩恵がありそうだから」

 

ユミルと似たようなことを言った。少女がそれで納得したのかどうかはわからない。もしかしたら、ただ本当に理由を聞きたかっただけなのかもしれない。服が拘束から解かれたのを確認して、俺はサシャを担ぎ直して寮前まで進んだ。

 

「あっ……私の名前は、クリスタ・レンズ!よろしくね、ヒイラギ!」

 

角を曲がる手前で、少女から声がかかる。空いてる方の手をひらひらと動かして返事を返した。

 

 

「まずは貴様らの適性を見る!両側の腰にロープを繋いでぶら下がるだけだ!!」

 

翌日、全員が集合したのちにキース教官から訓練内容を聞かされた。

 

「全身のベルトで体のバランスを取れ!これができない奴は囮にも使えん!開拓地に移ってもらう!」

 

この訓練において、俺は違和感を覚えた。悪い意味ではない。ベルトによって難易度は下がっているとはいえ、多少の揺れはあって当然。周りを見渡してもそんな奴らばかりだった。しかし今の俺はどうだ。一切の揺れはないまま空中で静止している。昔から、バランス感覚は悪いわけではなくとも決していいわけではない。片脚立ちしたらフラつく程度のものだ。

 

「いいだろう。次!」

 

上官の指示で地面に降りた俺は、自分なのに自分ではないような不思議な感覚に襲われながら訓練兵たちのもとへ戻った。すると真っ先にクリスタがセミロングの髪を揺らしながら寄ってきた。

 

「すごいね!全然ブレがなかったよ!一体どうやったの?」

 

俺に感心したのか、目を輝かせながらやり方を聞いてきた。それに続いてユミルも寄ってくる。

 

「全くだ。あんなマネができるのはこの中じゃあお前とあいつくらいだろうな」

 

彼女が指差す先には、俺と同じように全く揺れずに静止している黒髪の少女がいた。昨日エレンと一緒にいたのをチラッと見かけた奴だ。

 

「わぁ、ミカサもすごいんだね…」

 

ふとクリスタが呟く。

 

「ミカサ?」

 

「え?あ、うん。ミカサ・アッカーマン。あの子の名前だよ」

 

ミカサ。あぁ、確かに昨日そんな名前を聞いた気がする。どんな感覚なのか、後で聞いてみようか。

 

「何をやってるエレン・イェーガー!!上体を起こせ!!」

 

教官の声がする方を見ると、体を上下反転させて宙吊りになっているエレンの姿があった。本人も状況が掴めないようで茫然としている。

 

「ぶははは!なんだよあいつへったくそだな!」

 

「ちょ、ちょっとユミル!笑っちゃだめだよ!」

 

ユミルの他にも笑っていたり、あるいは笑いそうになっている奴らが何人かいた。昨日和解したはずのジャンも笑っている。結局、この日の訓練でエレンが課題をクリアすることは出来なかった。

 

 

その日の夕食時、エレン達のいるテーブルだけ酷く暗い雰囲気だった。あの後自主訓練をして頭に怪我をしたらしく、エレンの頭には包帯が巻かれている。

 

「オイ何やってんだサシャ!私とクリスタ、ついでにヒイラギ分の水汲みやるって言ったよな?」

 

「俺はついでか」

 

ミカサからパンを貰えると思って結局貰えなくて眼の光を消したサシャに対してユミルが言う。俺もサシャ救出に加担した一人なんだが、ついでなのか。

 

「ハ、ハイ今すぐやります恩人様神様……へへへ」

 

「お前の救われた命は軽くないはずだよな」

 

「だ、駄目だってそんなことしちゃ…」

 

やはり上手く言いくるめられたらしく、サシャはもはやユミルの従順な下僕と化していた。

 

「………すまん、用事ができた。先行っててくれ」

 

「お?また恩着せられそうな奴がいたか?」

 

「そうならお前と一緒にやる。サシャ。俺の分の水も頼んだからな」

 

「もう!ヒイラギまで!」

 

今にも説教し始めそうなクリスタを置いて、俺は席を立とうとしているミカサを呼び止めた。

 

「あなたは?」

 

「ヒイラギだ。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 

ミカサは立ち去っていくエレンの方にちらりと視線を向け、すぐこちらを向き直した。

 

「なに?」

 

「今日の訓練、全くブレなくこなしてただろ。あれ、どんな感覚なんだ」

 

ミカサは質問の内容を理解し、答えを出そうと思案した。しかし、いくら待とうと望んだ回答は返ってこない。

 

「ごめんなさい。うまく説明出来ない。ただ、昔…」

 

「…いや、話さなくていい」

 

常軌を逸した感覚の経験談なのか、あるいはその感覚を得た時の話をしようとしたのかはわからない。ただ、話を切り出す時にミカサの顔に若干影がかかったのを見て聞くのをやめた。大して親しくもないのに身内話に踏み入るのはどちらにとってもよくはない。

 

「……話はそれだけ?」

 

「あぁ、そうだな。呼び止めてすまなかった」

 

宿舎へと帰っていくミカサを見送っていると、後ろから声が掛かる。

 

「よう、ミカサと何話してたんだ?」

 

金髪ツーブロックの少年。昨日エレンと話していたジャン・キルシュタインが奥に敵意を宿した目で立っていた。察し。別に俺はミカサに対して特別な感情を抱いている訳でもない。うまくやり過ごそう。

 

「俺とあいつ、訓練の結果同じだっただろ。次の訓練ではお前を超えてやるって言ってやったんだ」

 

「ん?あぁお前!今日の訓練で全然揺れなかった奴か!」

 

知らないで声掛けてきたというのか。一体この男はどれほどミカサに好意を寄せているというのか。俺の顔くらいは視界に入れて欲しいものだ。

 

「まだ1日目だ。俺だってお前を超えてやるからな!」

 

上手いこと言葉をに乗ってくれたジャンと一旦別れた時、ちょうど汲んできた水を4人分抱えて帰ってきたサシャ達と合流した。そのうち一つを受け取って、俺は男子寮へと帰った。

 

 

「殺さなきゃならねえと思ったよ……奴らを……一匹残らず」

 

部屋へ戻ると、そんなことを言うエレンの声が聞こえた。一番奥の左上。そこに集うエレンを含めた四人を見つけて俺も近寄った。その間にガタイのいい奴が話し始めた。

 

「俺にもあるぜ。絶対曲げられないものが……」

 

その目を見たら嫌でもわかる。彼も、その横に座る黒髪の方も、巨人の恐ろしさを知っている。他の兵団に入らなきゃ馬鹿にされるからなんて陳腐な理由ではなく、巨人と戦う、あるいは逃げるためにここへ来ている。

 

「帰れなくなった故郷に帰る。俺の中にあるのはこれだけだ………絶対に…何としてもだ…」

 

「あぁ…」

 

その覚悟に気圧されたエレンが声を漏らす。その頃に、俺の気配に気づいた四人が振り向いた。

 

「すまん、盗み聞きみたいな真似をして」

 

「別に隠すような事じゃない。構わんさ。俺はライナー・ブラウン。こっちはベルトルト・フーバーだ」

 

「僕はアルミン・アルレルト。こっちはエレン・イェーガー。よろしくね」

 

「俺はヒイラギ・ロイスだ。よろしく」

 

「そうだ。君はなんで兵団に入ったの?」

 

話の流れに従い、アルミンが俺に問う。

 

「お前も巨人の恐ろしさを知ってる奴だろ?目を見りゃわかる」

 

ライナーに対して、俺は1度の頷きで返事を返した。続けて言葉を連ねる。

 

「俺はシガンシナ区出身で、両親はそこで死んだ。だが別に復讐を望んでるわけじゃない」

 

四人がエレンと同じなのかという目をしたのを感じて、予め釘を刺す。

 

「明確な目的があるわけじゃない。巨人をこの手で殺す自信も、人類の役に立つ自信もない。でも、駐屯兵団や憲兵団のようにタダ飯食って生き延びるよりは――」

 

一拍置いて、俺は口を開いた。

 

「何でもいい。どんなに些細なことでも、何かを成し遂げてから死にたいんだ」

 

俺は調査兵団を目指す。それを明言した俺に対して、彼らがどんな感情を抱いているかは知らない。別に馬鹿にしてほしいわけでも、尊敬してほしいわけでもない。改めて自分の人生の価値を確認しただけだ。

 

「それに比べたら、エレンの目標は現実をしっかりと捉えてる。俺はただ、現実から文字通り逃避してるだけだからな。エレン、俺はお前の夢、応援するぞ」

 

ただ適当にそれっぽい言葉を連ねただけ。だが、これに上手く勇気づけられたらしい。顔に笑みを取り戻したエレンが言う。

 

「あぁ、見てろ。絶対に立派な兵士になってみせる!」

 

その後、訓練へのアドバイスを五人で出し合って就寝時間まで過ごした。一抹の不安を感じながらも、自信を持った元の顔に戻ったエレンを寝かしつけ、俺もベッドに潜った。

 

「あんな崩れ方、するものなのか…」

 

拭いきれない疑問を覚えながらその夜を過ごした。明日、エレンの開拓地行きか否かが決まる時が来る。




104期訓練兵を少年や少女と表現していますが、成長前と成長後を区別するためのものです。


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2 他に交わる覚悟

多くのコメントありがとうございます。不定期投稿になりますが、更新をやめることはないように善処します。



「エレン・イェーガー、覚悟はいいか」

 

他の訓練兵達が見守る中、エレンの適性訓練が始まった。

 

「立体機動装置を扱うことは兵士の最低条件だ。出来なければ開拓地に戻ってもらう……いいな?」

 

「はい!」

 

気合いに満ちたエレンの体が、少しずつ地を離れていく。不安定に接触音を鳴らしながらも、上半身はしっかり上を向いている。

 

「おお!!」

 

アルミン達が声を上げる。ベルトは軋み、体は細かく揺れる。しかし、誰が見てもわかるほどエレンは見事にバランスをとっている。はずだった。

 

「ああ!!」

 

不自然な金属音を鳴らしながらエレンの体が反転する。後頭部を地面にぶつけて鈍い音を出すと同時に、訓練場は静まり返った。もう既にその場にいたほとんどがエレンの不合格を確信し、適性訓練を受ける他の訓練兵に目を向けている。

 

「キース教官!エレン・イェーガー訓練兵のベルトの交換を提案します!」

 

咄嗟に口に出した。大声で発言したために、周りの視線は俺に集まる。しかし、俺は視線をひっくり返っているエレンの腰辺りに向けている。昨日の感じた疑問。エレンの崩れ方である。昨日の訓練でノルマを達成出来なかったのはエレンだけではない。他の訓練兵だって複数人失敗していた。だが、怪我人はエレンだけである。それは何故か。昨日の自主訓練で頭を打ったからだ。

 

「……………降ろせ」

 

教官はしばらく俺を凝視し、後に控えていた訓練兵に命じた。

 

「イェーガーとベルトの装備を交換しろ」

 

ワグナーとやらが自身の装備を外し始めるが、エレンはまだ落ち着きなく周りを見渡していて指示に従う素振りがない。

 

「どうしたイェーガー!!もう音をあげたか!?」

 

教官の言葉で我に返ったエレンは「いえ!!」と声を上げ、装備を外し始めた。

 

数分後、ワグナーのベルトを装着したエレンが再び地を離れる。相変わらずギシギシと軋む音は出るが、先程より明らかに揺れが少ない。最高点に達したあとも、体が反転するような出来事は起きない。今度こそ、合格ラインに達している。

 

「これは…一体…」

 

本人すら成功に驚く中、キース教官はエレンのベルトを片手に俺の方を向いた。彼の表情は非常に読み取り難く、今何を考えているのかそのすべてを知ることは出来ない。だが、その目の奥に若干の焦りと驚きが含まれているのは感じ取れた。

 

「ロイス。何故イェーガーのベルトが故障していると気がついた」

 

「え…?」

 

故障という言葉に反応するエレンにも聞かせるように、先程と同じくらいの大声で返事を返す。

 

「他の訓練兵を見る限り、高い位置まで上がった後に反転し頭を打つようなことは起こり得ません!!しかしイェーガー訓練兵は昨日、そして本日の訓練にて頭を地にぶつけています!!私は、その原因が装備の欠陥にあると判断しました!!」

 

暫くの沈黙。いつの間にか訓練場にいた訓練兵達、教官達全員がこちらを見ていた。そんな中俺とキース教官は、互いに何かを探り合うように見合っている。

 

「きょ、教官……適正判断は…」

 

その静寂を破ったのは、未だ正常に浮いているエレンであった。呼ばれた男はゆっくりと見上げる。

 

「………問題ない…修練に励め」

 

文句なしの合格判断。完全に自信を取り戻したエレンが、真上に突き出した両手を上げたまま俺の近くにいたミカサを睨みつけた。

 

「何とかなったようだな……」

 

安堵したようにライナーが声を漏らし、その横でアルミンがエレンに対して左手を振っている。

 

「目で「どうだ!」って言ってるよ!」

 

「いや違う」

 

アルミンの言葉をミカサが即座に否定した。その目はエレンを見ているようで、何か別のものを見ているようだった。

 

「これで私と離れずにすんだと思って安心してる…」

 

まるでとんでもない事故現場に居合わせてしまったかのような雰囲気が漂う。その時俺はただ、叶わぬ恋をするジャンに同情していた。

 

 

「ようヒイラギ。今回はお前と一緒の班か」

 

入団から半年以上経過すると、本格的に立体機動装置の訓練が開始されるようになった。今日は立体機動装置を用いた班別移動訓練。五人一組の班となって目標地点まで移動するという訓練だ。そして同じ班になったのが、今声をかけてきたユミルと、クリスタ、ジャン、ミカサの四人。

 

「そうみたいだな。よろしく頼む」

 

「うん!よろしくね!」

 

今期訓練兵の中で女神のような扱いを受けているクリスタが笑顔で挨拶してきた。一体それで何人の男を落としてきたのか、興味がある。知り合いの中だと、ライナーがその内の一人だろうか。

 

「次!」

 

キース教官の言葉に従って出発地点に並ぶ。進行方向にあるのは森の間にできた谷。剥き出しの岩にアンカーを刺して移動する形となる。

 

「行け!」

 

一斉にアンカーが射出され、圧縮されたガスが噴射されると同時に全員の足が地を離れる。二本のアンカーを巻き取りながら斜め上へと進み、一旦アンカーを回収してもう一度射出する。一見簡単そうに見えるその動作において、再射出が遅れたりアンカーがうまく刺さらなかったりで上手く扱えない者が多発し、怪我や挫折で開拓地へ戻ったり、落下や誤射による死者も数人いた。しかしそれは分かっていたことで、訓練が中止になったり内容が変更されるようなことは無い。

 

「くそっ!なんであいつはあんなに速いんだ!」

 

ミカサに良いところを見せようとやる気に満ちていたジャンが、当然のように先を行くミカサを見て自己嫌悪に近い言葉を発した。別段、ジャンが遅いという訳では無い。むしろ同期の中では上手く扱えているほうだろう。問題は、ミカサが速すぎることだ。彼女に追いつける者は歴代を並べても然う然ういないだろう。

 

「あれじゃあ追いつけないよ!」

 

クリスタは自分の能力の低さについてではなく、訓練ノルマを達成できるかどうかを危惧している。対巨人の実戦において班行動は基本中の基本で、一人でも行動を乱すと班全体を乱すこととなる。故にこの訓練では、足並み合わせて移動することが課題となっている。

 

「私たちも急がないと……あっ」

 

まだ扱いが完璧でない時期に集中力を欠くと、簡単にミスを引き起こしやすくなる。今回は焦って速度を上げようとしたクリスタのアンカーが深く刺さらず途中で抜けてしまっていた。バランスを大きく崩した体は、背を地面に向けて落ちていく。

 

「クリスタ!」

 

突然の出来事に誰もが反応出来ず、ワイヤーに引っ張られて直進していく。俺もその一人だと思っていた。

 

「ッ!」

 

瞬時にワイヤーを巻き取って方向転換。クリスタの落下予測地点にアンカーを刺してガスを噴射。少女の体を追い越した時点で再度アンカーを回収。次は斜め上45°付近へ射出。広げた右手にその体が収まると同時に本来の進行方向へ再び方向転換。ジャンとユミルが着地してる地点へ、徐々に速度を落としながら着地した。

 

「大丈夫かクリスタ!?」

 

途端に迫ってきたユミルに気を失って力の抜けた小さな体を預ける。ちょうどその頃になって異変に気づいたミカサが戻ってきていた。

 

「ミカサ、お前の先行でクリスタが死ぬところだったんだぞ…」

 

状況を掴めないミカサに対して、ジャンが気まずそうな表情で事情を説明した。なるべく責任追及しない言い方をしようとしたみたいだが、当の本人は自分の責任だと受け取ったらしく非常に申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「とにかく今はまだ訓練中だ。ミカサとジャンはそのまま目的地まで向かってくれ。そこでの事情説明はジャンに任せる。俺は立体機動で治療所までクリスタを運ぶことにする。ユミルはキース教官のところへ戻って説明を頼む」

 

三人に指示を出し、俺はクリスタをもう一度抱えた。自分が治療所へ連れていくと言うユミルをなんとか説得する。うまく受け止めたつもりだが、多少の怪我をしている可能性がある。なるべく早く治療所まで運ぶのは客観的に見て俺が最適だと判断した。そのようなことを言ってなんとか納得してくれたユミルや、ミカサとジャンに一旦の別れを告げて立体機動へと移った。

 

 

「ここは……」

 

クリスタが、朦朧とした意識の中で初めに考えたことを口にしたように声を漏らした。硬いベッドは治療所も変わらないようで、疲れがとれたかはわからないが余計に体を痛めた様子はなかった。目の焦点を合わせながら手探りで掛け布団をどかしたクリスタと俺の目が合った。

 

「えっと……」

 

「訓練中に落ちたんだ。幸い怪我はなかったみたいだが、気を失っていたからここまで運んできた」

 

ざっくりと説明をする。記憶を蘇らせながら状況を理解したクリスタは一気に顔を火照らせて俯いてしまった。しかしその顔が一瞬だけ陰ったのを見逃さなかった俺は、前々から思っていた疑問を確信へと変えた。それを言及したりはしないが。

 

「そろそろユミルもこっちに来るだろうから、俺は訓練に戻る」

 

「あっ、待って!」

 

裾を掴まれて動けなくなった。何事かと思って黙っているが、クリスタの方も何も言わない。どうしようもなく気まずい空気が漂う。

 

「……ユミルが来るまでだぞ」

 

「………うん」

 

一度言葉を交わすが、その後は何も話さない。ベッドで上半身だけを起こすクリスタと、その横で椅子に座っている俺。その空間にただ二人がいるだけの時間。その静寂が不快な訳では無い。クリスタも同じ気持ちのようで、頬を赤らめながらも微かな笑みを浮かべている。風によって窓枠がカタカタと揺れる他に音がほとんどない状態だったが、その静けさは案外すぐ破られた。部屋の外の廊下から大きな足音が聞こえてくる。走っている様子からおそらくユミルだろう。

 

「来たな。それじゃあ今度こそ訓練に戻るぞ」

 

立ち上がってその場を離れようとした時、再び体の動きが止まった。しかし今度は裾を掴まれておらず、俺の体に腕が回っていた。クリスタが俺に抱きついているのを理解した辺りで扉が開き、拘束が解かれる。布団を被り直したであろうクリスタの方を向くことが出来ず、俺は扉の前でクリスタを探すユミルに声をかけた。

 

「ユミル、ここだ。怪我もないしもう目を覚ましている」

 

「っ!クリスタ!」

 

気がついたユミルとすれ違うようにして部屋をあとにした。顔に熱を持っているのを感じながら、俺は訓練に戻った。

 




登場人物の心情は個人的な解釈を多く含んでいますが、ご了承ください。


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3 人たり得る感情

今日の訓練が終わり、自主訓練をする者以外は宿舎へと戻っていく。俺も着替えようと寮へ戻ろうとしていると、前方に体格差の激しい二つの人影に気がついた。ライナーとクリスタだ。

 

「よ、ようクリスタ。体の方は大丈夫か?あんまり無茶はするなよ」

 

「私は大丈夫だよ。ライナーこそ、今日の体術訓練で頭打ってたでしょ?ちょっとでもおかしな所があったら、すぐ教官に報告しなきゃだめだよ?」

 

女神を拝むかのような朗らかな表情だと思えば、何やら人生を左右する程の決意を胸に抱く男前な表情に変わるライナーと、それに一切気付かず笑顔を振りまくクリスタを見ていると、視線に気づいたクリスタが振り返って俺と目が合った。しかし、金髪碧眼の少女は見て見ぬフリをするようにすぐ前を向き直した。そうしてまるでフラれたような気分になった俺の肩を、後ろから誰かが強めに叩いた。

 

「お前らいつまでそんなことしてるつもりだよ。お前あの時一体何やらかしたんだ」

 

「その言い方だと俺が悪いみたいじゃねえか。別に何もやってねえよ。むしろこっちは被害者だ」

 

ユミルの呆れ顔を他所に、こうなった原因を探す。そしてやはり答えは1ヶ月前の事故に行き着く。治療所でのクリスタの行動。そこを境に俺とクリスタはまともに言葉を交わさなくなった。

 

「私のクリスタが悪いわけないだろ。問題は間違いなくお前だ。そろそろ見てるこっちが面倒になってきた。なんとかしろよ」

 

そう言ったあとユミルは駆け出したかと思えば、クリスタと幸せそうに話すライナーの背中を蹴り飛ばしていた。

 

「なんとか……か」

 

確かにこのままではいずれ訓練にも支障をきたしかねない。早い所現状を打開する策を考えなくてはならない。

 

 

「というわけなんだが、何かいい案はないか?」

 

「……えっと、それを僕に聞いちゃうの?」

 

ある程度の事情を説明して助言を求めるが、微妙な返事が返ってきた。頭を使うことはアルミンが1番だと思って聞いてみたのだが、非常に気まずそうだ。だが、今はそんな大して興味の湧かない他人事を気にしてる場合ではない。とにかく現状を打開して訓練に集中できる環境を作らなければならない。

 

「今の状態だと訓練の連携がうまく取れなくなるかもしれない。なんでもいいからアドバイスをくれ」

 

アルミンはしばらく唸りながら迷い、それでも真面目に考えてくれた。そして一つ提言する。

 

「やっぱり、まずは二人でゆっくり話してみるべきじゃないかな。ちょうどもうすぐ休暇があるし、街にでも誘ったらいいんじゃないかな。問題はユミルもついてくる可能性が高いことだけど…」

 

「ユミルもそうだが、今の状態でクリスタが誘いを受けてくれるか?」

 

至極真面目に聞いたのだが、アルミンの顔が先程より酷い呆れ顔になった。そして、一度ため息。

 

「………ヒイラギ。キミ、鋭いのか鈍いのかどっちかにしてよ…」

 

「……ん、どういう意味だ?」

 

もう一度問うが、ため息をつかれただけで言葉の返事は返ってこなかった。

 

 

「なぁクリスタ。次の休暇、一緒に街へ出掛けないか」

 

「ッ!?ゲホッゲホッ!!」

 

夕食時、クリスタの後ろを通りかかった時に誘ってみたのだが、突然声をかけられたことに驚いたのか喉を詰まらせてむせてしまっていた。

 

「そんなに驚くことか…」

 

あまりの動揺の激しさにこちらまで驚いてしまった。それでも驚かせたのは悪いと思って背中をさすってやろうと手を伸ばす。が、その手は弾かれて俺の方へ戻ってきた。

 

「少し待ってもらおうか」

 

図太い声と共に視界が一人の男の体で埋まる。妙な覚悟を持って目の前に立っているライナーに対して、以前ジャンに言ったような言葉を使って上手く流そうとした。

 

「…………」

 

だが、何故か言葉が出なかった。あらぬ誤解を解いて言い逃れしようとしていたがそれはもう叶わない。それどころか、こちらが見上げているせいで睨んでいると勘違いされてライナーの顔がますます剣幕な表情へと変わっていく。

 

「……悪いなヒイラギ。兵士には引けない状況があるんだ…」

 

人生の行く末を決意した立派な兵士面をしているが、理由は抜け駆けを断罪せんとする救いようのないモノである。だが、そう侮ってもいられない状況になってきた。どうやら俺はクリスタの人気を過小評価していたらしく、既に何重にも重なる男だけで構成された人垣に囲まれており自力では逃れられない状況になっていた。というか、その中にしれっとアルミンも混じっている。元はあいつの案なのに。

 

「おい、お前ら一体どうしたんだよ?」

 

エレンの呑気な声を他所に、いよいよ収拾がつかなくなってきた状況に一筋の光明が差し込んだ。いや、一筋どころではない。すべてを照らす太陽の如くである。

 

「い、いいよ!」

 

鶴の一声、もとい女神の一声によって場は静寂を取り戻す。俺も突然の出来事に判断が遅れるが、一番望ましい方向へ進む言葉が再び聞こえてきた。

 

「一緒に、街………出掛け……よう…」

 

後半にかけてどんどん声がしおらしくなっていったが、承諾の返事と受け取っていいようだ。周りの訓練兵たちさ現実を突きつけられて膝をついたり声を上げたりと、各々絶望を露わにしている。ちなみにライナーはというと、立ったまま微動だにしない。少し背伸びして顔を覗くと、白目を向いて気絶していた。

 

「……ユミル、お前止めないのか?」

 

「あ?お前は別にいいんだよ。何も気が付かないバカだからな」

 

バカとは心外だ。まるでサシャと同じ扱いを受けているような気がしてくる。それはともかくとして、ユミルが人垣に加わらないのは意外だった。普段なら邪魔なライナーを吹っ飛ばしてでも迫ってくるはずなのだが。

 

「今のお前ら見てるとこっちが迷惑なんだよ。そんな奴と一緒に街になんて行くか」

 

結構な悪態つきながら、隣で顔真っ赤にして固まっているクリスタを置いてユミルは食堂から出ていった。残された俺は、クリスタに適当な待ち合わせの日時を伝え、唯一騒動の影響を受けていないエレンとミカサのいるテーブルに座った。

 

「なあ、あいつら一体何がしたかったんだ?」

 

随分と澄んだ瞳で問いかけてくるエレンに対して真面目に説明してやろうという気になる奴はその場にいなかった。こういう時すぐ喧嘩を売っていそうなジャンですら、ただただ黙って食事をとっていた。

 

 

その日以降、まともに連携訓練をこなすことが出来なかった。クリスタを含め、男性陣の殆どが俺と会話すら交わしてくれなかった。会話に応答してくれたのはエレン、ジャン、マルコ、コニーくらいのものである。訓練に支障を来さないための行動だったのだが、こうなってしまえば本末転倒である。

 

「せめて目的だけでも果たさないとな…」

 

これでクリスタとの関係も変わらなかったら一体何のための行動だったのかと酷く後悔しそうである。今日はいつも以上に頭を使わなければなるまい。

 

「お………おまたせ………しました…」

 

白い長袖シャツにロングスカート。そしてブーツを履いたクリスタが予定時間五分前に到着した。かなり緊張しているらしく、右手で髪を触りながら敬語で話しかけてきた。顔は赤みを帯び、視線も落ち着きなく動き回っている。

 

「俺もついさっき来たばかりだからたいして待っていない。……それじゃあ行くか」

 

宿舎の方から降り注ぐ刺々しい視線から一刻も早く逃れたくて出発を促した。身体が固まって動きそうにないクリスタの腰に手を添えてエスコートを試みる。その時クリスタの体が微かに震えたが、気にせず敷地外へと向かった。

 

 

訓練所から行ける街は二つ。森を抜けた先と野原を進んだ先にある。しかし、前者は徒歩で行けるが後者は馬でないと時間がかかりすぎてしまう。馬を借りるよう申請すればいいのだが、歩いて行けるところがあるのだからわざわざ手間をかける必要もあるまい。

 

「クリスタ。馬術の成績がいいって教官達が言ってたが、昔馬の世話でもしてたのか?」

 

道中無言では流石に居心地が悪いので、適当に話題を振ってみた。声が返ってくるか不安だったのだが、落ち着きを取り戻してくれたらしくクリスタはちゃんと返事をしてくれた。

 

「その、小さい頃に動物と接することが多かったから、そのおかげかも…」

 

動物と多く接する、ということは農村出身なのだろうか。普段サシャやコニーをみているせいで農村に偏見を持ってしまっていたようだ。これほど気品のある少女も農村では育つらしい。

 

「え、えっと、ヒイラギはエレン達と同じシガンシナの出身なんだよね…?」

 

「あぁ、あの時もそこにいた。同じ避難船に乗ってたエレンの言葉、今でも覚えてるな」

 

「へぇ、どんなこと言ってたの?」

 

「いつもと同じ。巨人を駆逐するっていうやつだ」

 

「あははっ、エレンは全然変わらないね」

 

少々不謹慎な話をしてしまったが、これでクリスタの緊張をほぐす為ならエレンも許してくれるだろう。

 

「街で何か買っておきたいものはあるか?少し詳しいから簡単な案内くらいはできるが」

 

「あっ、私髪留め買おうと思ってたの!」

 

聞けば訓練時邪魔になることがあるから髪を結んでおきたいとのことだ。そういえば二ヶ月程前、断髪を試みたクリスタをユミルが全力で引き止めていた光景を目にしたことがある。

 

「私もミカサみたいに切ろうとしたんだけど、ユミルが全然許してくれなくてさ」

 

「それで髪留めに変えたわけか。いいんじゃないか?俺もお前の髪は結構気に入ってるし。………あ」

 

「〜〜〜〜っ!」

 

クリスタの顔が一瞬で真っ赤に染まり、俯いてしまった。完全に油断していた。また振り出しに戻ってしまった。街に着くまでに何とか挽回しておかなくては。

 

 

「わぁ、お店がいっぱいあるね!」

 

気力をほとんど使ったせいで酷く疲れてしまった。結果的にクリスタの気分は平常になったためそこは評価するべき点なのだが。

 

「あっ、あの店寄ってもいい?」

 

こうしてクリスタがはしゃぐのも仕方がない。この街は訓練所から近いこともあり、訓練兵たちを客層とする店が多く存在する。実際、往来する人の中に見覚えのある訓練兵の顔がチラホラとあり、露店も若者向けのものが多い。

 

「ねえヒイラギ!これとかどうかな!」

 

クリスタが露店で見つけたブレスレットを見せてきた。

 

「なかなかいいんじゃないか。白いシャツ着てるからよく映える」

 

「えへへ、そうかな」

 

ほとんど通常運行に戻ったクリスタは女神っぷりを撒き散らして、通行人たちの目を引いている。そしてその視線は俺へも向く。大人達は暖かな目で見てくれるのだが、訓練兵などの同世代の男達は別である。

 

「あ、そうだ。髪留めを売ってる店ってどこかわかる?」

 

目的を思い出したクリスタを俺は案内する。着いたのは露店ではなく、この辺りだと一番立派な店構えをしている所である。若干怖気付くクリスタの背中を押して店の中へと入った。

 

「いらっしゃい。って、坊主じゃねえか。今日は何の用だ?」

 

店内はなかなかに繁盛していて人の数が結構あった。しかし、そんな中でも俺を見つけてくれた黒スーツのふくよかな男性。名をリーブス。この辺りでは最も有名な商会、リーブス商会の会長である。会計カウンターの前にいるその男の元へと進み、軽く頭を下げる。

 

「こんにちはリーブスさん。今日は買い物をしに。クリスタ、この人はリーブス商会会長のリーブスさんだ」

 

「こ、こんにちは!クリスタ・レンズです!」

 

さすがにリーブス商会の名前を知っていたらしく、少し緊張気味に挨拶した。

 

「お前、最近顔を出さねえと思ってたら女なんかに現を抜かしてたのか?今の生活が誰のおかげで成り立ってるのかわかってんのか!?」

 

クリスタを見るや否や、俺に対して高圧的に突っかかってきた。彼は民の生活が自分の商売によって成り立っていると思っており、実際その通りである。訓練兵団の物資もリーブス商会から提供されている。しかしそれを自覚しない兵士達のことが気に入らないらしい。

 

「誤解ですよ。リーブスさんにはいつも感謝しています。最近は休日も自主訓練に当てていたので来れなかったんです」

 

俺がそう弁解すると、リーブスさんはフンっと鼻を鳴らして引き下がってくれた。そこでクリスタがおずおずと口を開く。

 

「え、えっと、リーブスさんとヒイラギはどんな関係なの…?」

 

「休日にリーブス商会の手伝いをしてるんだよ。もちろん相応の賃金は貰ってるが、まあいろいろあってな」

 

「お手伝い?商会の?」

 

「基本的には荷物運びとか集計とか、訓練に関わってくるものばっかりだがな」

 

「そうなんだ…」

 

「それで?何を買いに来たんだ?」

 

リーブスさんにクリスタに合うような髪留めはないかと問うと、幾つか用意してくれた。単純な髪ゴムから、豪華な装飾のついたものまでいろいろだ。

 

「せっかくだし何か装飾のついたものの方がいいよな。訓練の邪魔にならない程度の」

 

「じゃあこれなんてどうだ」

 

その中からリーブスさんが薦めてきたのは細めの髪ゴムに宝石の装飾がついたものだった。デザインは比較的シンプルだが、装飾は美しく邪魔にもならなさそうな大きさである。クリスタも気に入ったらしく、目を輝かせながらそれを覗いている。

 

「これにします。いくらですか」

 

「えっ!?い、いいよ!自分で出すから!」

 

「ここで俺が出さなきゃ格好つかないだろ。リーブスさんの前でもあるしな」

 

女に払わせるのか、とか言われるのは出来れば御免被りたい。折れてくれたクリスタにプレゼントする形で、しかしかなり高額だった髪留めを購入した。値札が伏せられていたことと、彼の商売魂を考慮し損ねた俺の失態である。リーブスさんの顔のしてやったり感がすごい。

 

 

「そろそろ昼食にするか。……クリスタ?」

 

髪留めの入った小さな包装紙を頬を緩ませながら見ていたせいか、後ろの方で歩みが止まっていた。声をかけるとハッと我に返り小走りで差を詰めてきた。

 

「ご、ごめんね。何か言ってた?」

 

「昼食を取ろうかって聞いたんだ。特に要望がなければこっちで決めるけど、何かあるか?」

 

「ううん。ヒイラギに任せるよ」

 

そういうことなら話が早い。予め決めておいた店があるのだ。リーブス商会から最も近い裏路地を進んだ最奥。ひっそりと構えるその飲食店の名は『元祖オムライス』。その名の通り、オムライスの店である。

 

「オムライス……って、なに?」

 

リーブス商会系列の店なのだが、クリスタを見ての通りこの世界に日本発祥のオムライスは存在しない。いや、あるいは存在したのかもしれないが、壁の中に逃げ込んだ時にその文化は失われたのだろう。では何故その料理がこの店で振る舞われているか。当然、俺が調理方法を知っていたからだ。

 

「とりあえず中へ。注文したあとに説明する」

 

その小洒落た店には多くの客が入っていた。そこで働く店員が、俺たちを迎えてテーブル席へ案内する。窓辺の二人席に座った後、厨房からシェフが出てきた。顎鬚を少し生やしたダンディなその人は、こちらに来ると軽く頭下げた。

 

「いらっしゃいませ。お久しぶりです、ロイスさん」

 

またか。と言わんばかりにこちらを見るクリスタに事情を説明した。リーブス商会の系列で、俺が店長ことこの男性に新メニューの提案をしたということを。

 

「オムライスはかなり好評を博しておりまして、もうすぐトロスト区にも第二店舗を建てるつもりです」

 

店に入った時点で繁盛しているとは思っていたが、そこまでとは。

 

「それはよかったですね。それじゃあさっそく、オムライスを二つ」

 

「畏まりました。少々お待ちください」

 

店長が離れていくと、クリスタがこちらを詮索するような目で見てきた。まだ何か隠しているのではないかと思っているのだろうか。

 

「俺のことより今はオムライスについてだな。簡単に説明するとだな…」

 

オムライスが何たるか。多少の差はあるが、大抵はトマトソース、鶏肉、玉ねぎと米を炒めて鶏卵で包んだものである。本来はここへ塩胡椒を入れるのだが、壁の中ではそれらはかなり高級品で庶民向けに出す店としては躊躇ってしまう。それでも味はしっかり出ているためこうして人気なのだが。

 

「お待たせしました」

 

俺の話や店に漂う香りのせいで小さくお腹を鳴らしていたクリスタは空腹に耐えきれなかったかのようにオムライスを口に運んだ。すると、クリスタの顔は大変満足そうなものへと変わった。どうやら口にあったらしい。

 

「お、おいしい!これすごくおいしいよ!」

 

興奮した様子のクリスタに倣い、俺もオムライスを食べる。さすがは料理人。初めて店で出した時より何倍もおいしくなっていた。

 

 

店長の計らいによりかなり安くなった昼食を食べ終えて、俺とクリスタは満たされた状態で店を出た。それからは街を歩いて周り、気になった店があれば立ち寄ってみるという風にして午後を過ごした。そして、日が暮れてきた頃には俺たちは宿舎の前まで戻ってきていた。一度部屋に戻って荷物を置いてこようと提案した時、クリスタから一つの包装紙が渡された。

 

「今日はありがとう!ご飯とっても美味しかったよ!また行こうね!」

 

少し照れながら女子寮へと入っていく少女の姿を見送り、小さな紙袋の中を確認する。そこからは鳥の片翼のついた革紐のペンダントが出てきた。午後にクリスタが露店で買っていたものだ。

 

「…………」

 

日が暮れて暗くなったせいか、肌寒い風のせいか深く考え事をしてしまった。冷たくなったペンダントの装飾を触りながら小さく呟く。

 

「……いや、あれは冷たいわけではないのか」

 

とりあえず今回は、クリスタとの関係を改善できたということでいいだろう。あとは、クリスタとの関係についての誤解を解くことが出来たなら万事解決だろう。

 

「………」

 

俺はアルミンの言うような鈍感というわけではない。クリスタが何故俺に対してあのような態度をとっていたのかは容易に理解できる。だが、知ったところでそれに応えるつもりはない。それは軽率に行ってはいけないことなのだから。

 

「その嘘を貫けるほど、この世界は優しく出来ていないんだ…」

 

既に姿の見えない少女に対して、俺は再び小さく呟いた。

 

 




本来のキャラクターとはズレた口調があるかもしれませんが、コメントとして頂ければ修正を検討します。

誤字脱字及びその他要修正箇所についても、発見次第修正していきます。


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4 岐路たる事象

「100年の平和の代償は惨劇によって支払われた。当時の危機意識では突然の超大型巨人の出現に対応できるはずもなかった…」

 

訓練兵団解散式の日。整列する訓練兵たちの前に教官達が並び立ち、卒業兵に向けて言葉を語る。

 

「その結果…先端の壁『ウォール・マリア』を放棄。人類の活動領域は現在我々のいる『ウォール・ローゼ』まで後退した。今この瞬間にもあの超大型巨人が壁を破壊しに来たとしても不思議ではない」

 

「その時こそ諸君らはその職務として『生産者』に代わり、自らの命を捧げて巨人という脅威に立ち向かってゆくのだ!」

 

そこで一度言葉を切り、今度はより大きな声で一言。

 

「心臓を捧げよ!!」

 

「ハッ!!!」

 

さて、ここまではテンプレ。卒業兵にとってはここからが本番である。今から名を呼ばれる10名は、上位成績を修めた者として評価されると同時に、唯一憲兵団への入団を許可される者達である。ここにいる大半はそれを目指してここへ来たのだろう。安全な内地で快適な生活。誰しも憧れる職業である。

 

「本日諸君らは訓練兵を卒業する。その中で最も訓練成績が良かった上位10名を発表する。呼ばれた者は前へ」

 

緊張感が高まるが、教官は構わず一気に発表する。

 

「首席、ヒイラギ・ロイス」

 

「2番、ミカサ・アッカーマン」

 

「3番、ライナー・ブラウン」

 

「4番、ベルトルト・フーバー」

 

「5番、アニ・レオンハート」

 

「6番、エレン・イェーガー」

 

「7番、ジャン・キルシュタイン」

 

「8番、マルコ・ボット」

 

「9番、コニー・スプリンガー」

 

「10番、クリスタ・レンズ」

 

「以上10名」

 

真っ先に名前を呼ばれて前に出る。ミカサとの成績差はおそらく僅差。こうして呼ばれるまで勝てるかどうかはわからなかった。勝ち負けを意識していたのはこちらだけだろうが。

 

「後日配属兵科を問う。本日は、これにて第104期生『訓練兵団』解散式を終える。以上!!」

 

「ハッ!」

 

 

その夜、肉は出ずとも結構豪勢な食事が出てきた。今日は解散日だったが、厳密に言えばもう少しの間訓練兵のままである。それでも記念日ということもありこうした料理が振る舞われているのだろう。

 

「結局今日もやってたな」

 

呆れて声を漏らす。解散式の夜までもエレンとジャンが内地か壁外かで喧嘩をしていた。ミカサのおかげで今回は案外早く終わったが、まったく懲りない奴らだ。

 

「ヒイラギはどこにするの?やっぱり憲兵団?」

 

不意に声をかけられ、俺は視線を正面に戻した。そういえば、クリスタやユミルに俺の志願先を話したことがなかった。俺の意志は訓練初日にエレンたちと話した時から変わらない。そんなことを考えながら、僅かに首を傾けるクリスタに返事を返した。

 

「いや、俺は調査兵団に志願する」

 

途端、ガタガタッとクリスタとサシャが椅子の位置をズラしながら勢いよく立ち上がった。目を見開いて驚愕の顔でこちらを見ている。椅子に座るユミルですら同じ顔である。

 

「そ、それ本気で言ってるのヒイラギ!?」

 

「なななに考えてんですかあなたは!?折角首席になったのに憲兵団に行かないなんて!?」

 

二人がそんな感じで騒ぐせいで、周りの視線が集まってきた。その中にしっかり聞き取っていた奴がいたらしく、首席が調査兵団に志願するという話が一気に食堂中へ広がっていった。多くの訓練兵が耳を傾ける中、適当に思いついた言葉を並べる。

 

「俺の故郷はシガンシナ、つまりウォール・マリアの側にあるだろ。両親の遺品がまだそこに残ってるんだ。それを見つけるまでは、壁外調査に行ける調査兵団にいる」

 

それを聞いた訓練兵たちは同情するような目になり、死に急ぎ野郎を見るような顔をしなくなった。これで俺は5年前のかわいそうな被害者的立ち位置になれたはずだ。どんな時に役立つかわからないレッテルだが、損することはないだろう。何より面倒な言及を避けることが出来た。

 

「…あ」

 

しかし、そこで気がつく。俺は一つ考慮し損ねていたものがあった。クリスタの女神性である。彼女なら「ヒイラギのご両親はきっと、ヒイラギが生きることを望んでるはずだよ!」とかなんとか言い出しそうなものである。

 

「……?」

 

が、言わなかった。何も言わないクリスタに対して怪訝な顔をしていると、それに気がついた少女はこちらを見て、少し悲しそうに笑う。

 

「だって、ヒイラギは一度決めたら進む道を変えないもん」

 

「………」

 

やはり彼女はよく人を見ている。彼女の行いを考えれば当然なのだろうが、俺は素直に感心した。それが美点か欠点か、判断する権利は俺にはないが。

 

「でも、内地に行けばお肉が沢山食べられるんですよ!?お肉だけじゃありません!もっといろんな食材が手に入るんですよ!?」

 

むしろ食い下がったのは芋女ことサシャの方だった。食を手放したことが納得し難いらしい。

 

「よく考えてみろ。故郷に帰ってウォール・マリアを取り返せば、領地が広がるだろ」

 

「……?えぇまあ、その通りですが」

 

「わからないか。あそこには、巨人が興味を示さない食糧たちがたくさんいるんだぞ」

 

「ハッ……!!!!!!!」

 

雷に撃たれたかのように驚愕の表情を浮かべるサシャ。その頭は今、有り余る牛や豚、あと芋で埋め尽くされていることだろう。しかし、涎を垂らすほど想像力豊かな奴に俺は長い人生の中で初めて出会った。今の彼女には何を言っても無駄だろう。しばらく放っておこう。

 

「憲兵………ねぇ、やっぱりおかしいよ」

 

思い出したかのようにクリスタが切り出す。何のことかは聞くまでもない。今日何度も言っていたことだろう。何故自分が10位以内なのかと。

 

「私よりユミルやサシャの方が成績がいいはずだよ。私が10位以内なんて…」

 

判断基準は明らかにされていないため、訓練成績が全てだというわけではない。何度もそう言い聞かせても納得する兆しはない。誰もが羨む憲兵への切符。貰えるものは貰っておけばいいと思うが、それが出来ないのが女神なのだろう。

 

「おいおい、まさかそんなくだらねえ理由で憲兵団に志願しないなんて言わねえよな」

 

「だ、だって…」

 

「いいか?10位以内に入ったのはクリスタの力だ。お前がそんな自分を否定するってことは、お前より下のヤツらを全員否定するってことなんだぞ」

 

こんな言われ方をすれば、女神は黙る他ない。いやはや、ユミルがこんなわかりやすい優しさを表に出すなんて珍しい。やはりクリスタ相手だといろいろと変わるのだろう。

 

「なんだよ」

 

「いや別に」

 

意味有りげな視線がユミルにバレた。ここで彼女の過去の行いを掘り返すのは得策ではないだろう。そのうち茶化す感じで言っておこう。

 

「さて、俺はそろそろ宿舎に戻る。明日のトロスト区壁上任務、遅れるんじゃないぞ」

 

「……うん。おやすみヒイラギ」

 

「あぁ、おやすみ」

 

食堂から出ていくまでに同期訓練兵たちの顔を見渡す。演説が他人の心に響くということもあるらしい。駐屯兵団行きを決めていた兵士達の顔に迷いが出ている。本当に自分はタダ飯食らいでいいのかと。

 

「……」

 

いや、それは俺が考えるべきことではないだろう。1度失った命に未練などない。この気持ちだけ持っていれば、俺は充分だ。

 

「待ってヒイラギ!」

 

寮の中へ入ろうとした時、追いかけてきたらしいクリスタに呼び止められる。その横にはサシャもユミルもいない。2人には話せない、あるいは聞かれると困ることなのだろうか。

 

「どうした」

 

「えっと……私って、本当に憲兵団に入るべきなのかな…」

 

やはり。今の状況で始まる会話といえば2つだけ。その予想は正解だったようだ。

 

「つまり、駐屯兵団か調査兵団に入りたいと?さっきユミルが言っていたことは正しいと思うぞ。ろくでもない理由で戦場に出られたら足手纏いになる可能性もある」

 

クリスタの顔が少し暗くなる。俺が味方してくれると思ったのだろうか。それは断じてない。元々俺はここにいるべきではない存在のはずだ。何を為すにしても、過干渉は良くないだろう。

 

「だが、俺には他人のことを兎や角言う資格はない。クリスタがやるべきと感じたことをやればいいんじゃないか」

 

あくまで中立。他者の意見は尊重。その態度から出た言葉でクリスタは答えを得たらしく、何やら吹っ切れたようだった。内容はどうあれ、強い決意を持つことが出来たのだろう。

 

「そっか……そうだね。ありがとうヒイラギ」

 

「話をするくらいは構わない。まあ、そんなに気負う必要はないと思うけどな」

 

クリスタの現状である考えすぎ、緊張のし過ぎは推奨されない。それが影響していざと言う時に力を発揮できなければ致命的な隙となってしまう。しかし、俺がこの場で何を言おうが大した影響力はないだろう。

 

「明日、任務が終わった後にトロスト区を案内する。少しくらいは肩の力も抜けるだろ」

 

「………え?」

 

言った後に矛盾に気づく。俺は過干渉は避けるべきだと考えている。しかし、今とろうとしている行動は過干渉に値するものではないか。少し考えを巡らせればすぐに気がつくことだ。では何故今のような言葉を口にしたのか。

 

「…うん、わかった!じゃあ明日はよろしくね!」

 

誘いを受けたクリスタは、こちらに手を振りながら食堂の方へと戻っていく。それを眺めながら、俺は自身の中に起きている矛盾について考える。他人に深く関わることは避けるべきだと理解しながら、クリスタに対して深く干渉しようとしている自分。その動機を把握できない。

 

「……何処だ」

 

謎の答え。長い時間をかけて思考するが、それを見つけ出すことはその日の俺には出来なかった。

 

ーーーーーー

 

ーーーー

 

ーー

 

宿舎内で夜遅くまで起きていたせいか、起床が遅れてしまった。遅刻はしなかったが、トロスト区西側壁上に着いたのは俺が最後だった。そこには既に、クリスタ、ユミル、アルミンを含めた同班のメンバーが揃っていて、ギリギリの到着者を見つけたユミルが鋭い目つきでこちらを睨む。

 

「昨日私らに注意したお前が1番遅いとか、一体どうなってやがんだ?罰として、今日の私の分はお前がやってくれるよな?」

 

「ユミル!遅刻したわけじゃないんだからそんなことさせたらダメだよ!」

 

いつもの会話を聞き流しながら、任務である壁上固定砲の整備にかかる。ここにいる7班がやるべきことは砲塔内の掃除、壁上に設置された砲台移動用レールの点検、水平方向から垂直方向への砲台角度変更の点検、以上の3つである。

 

「珍しいね、ヒイラギが時間ギリギリに来るなんて」

 

「考え事をしていてな。周りが見えなくなっていたみたいだ」

 

「考え事……僕が言えたことじゃないと思うけど、君はいつも何か考えてるよね」

 

「そうか?」

 

「うん、僕も同じだからよく分かるよ。でも君は僕以上に口数が少ないから、何を考えているのかわからない時があるよ」

 

反省を促すようなことを言って、アルミンは作業に入る。確かに、俺は誰かに相談することはあってもその回数は少ない。大抵は自己解決か思考放棄のどちらかである。特に省みたことはなかったが、こうも堂々と指摘されては考慮せざる得なくなる。

 

「……相談できることではないか…」

 

だが少なくとも、今回の事に関しては他人に相談できるものでは無い。俺について知っている神か何かがいてくれたなら、相談するのもやぶさかではないのだが。とりあえず、昨夜考えたことは保留としよう。

 

「あっ、そういえばヒイラギ。この街にもオムライスのお店、出来たみたいだね」

 

作業中、同じ砲台を見ていたクリスタが仕入れた情報を口にする。2年以上前に行ったオムライスの店。彼女はあれを相当気に入り、毎休暇1度は食べに行っているらしい。俺も商会の手伝いを兼ねて店に寄っていたのだが、高確率でクリスタと遭遇していた。

 

「最近はリーブスさんもトロスト区にいるからな。食文化にも力を入れてるんだろ。今日行ってみるか?」

 

「うん!」

 

「オイオイ、お前また私のクリスタとデートに行くつもりか?そういう話はまず私を通してから言えよ」

 

割り込んできたユミルに、クリスタが説教を始める。いつもの流れ。いつもの光景。こんな平和で呑気な日常がずっと続けば。そう願う者は多い。特に5年前の地獄を見た者は強くそう思っているはずだ。しかし皮肉にも、それは叶わぬ願いだということも、経験者は知っている。

 

「……整備任務を中止。作戦通り俺たちは本部へ向かう」

 

突然の出来事に対して反応できずにいる兵士たちに、今とるべき行動を伝える。絶望を隠しきれないまま移動を始めた兵士を先導しながら、事態の発生場所に目を向ける。立ちのぼる土煙と蒸気の合間から一瞬見えた赤い顔。

 

5年ぶりの超大型巨人出現。調査兵団が壁外調査で出払っているタイミングを狙ったかのように現れたソレは、トロスト区外壁の門を蹴り破った。

 

 

各兵装を装備し、事前に立案された作戦通りに班を分ける。再び同じ班となったクリスタとユミルに加え、コニーも一緒である。

 

「くそっ……なんつータイミングだよ…」

 

現実に絶望するユミルが片手で頭を抱える。これはまだマシな方で、ギリギリ合格ラインにいたダズに関してはストレスに耐えきれず嘔吐までしている。そんな彼を介抱するクリスタを呼びに向かおうとした時、駐屯兵団の先輩であるイアンさんから声が掛かる。ミカサと俺は、住民の避難を援護する後衛部隊に配属するとのことだ。

 

「了解」

 

声を掛けるのをやめてイアンさんについて行く。しかし、それに気づいたクリスタが逆に呼び止めようとした。

 

「ヒイラギ!!」

 

今は会話をしている場合ではない。そう判断した俺は呼び止めに応えず戦場へ向かう。後ろから追いかけてくるのを感じたが、忙しなく行き来する人混みの中に紛れるうちにその気配は消えてきた。

 

 

後衛の担当場所、つまり内壁近くにはまだ通常種の巨人は寄ってきていない。しかし、巨人は通常種の他に奇行種と呼ばれるヤツがいる。数が多いのは前者で、近くの人間を襲うという基本習性を見せる。対して奇行種は、遠くの人間を標的とする。さらにその動きは変則的で、相手取るのは困難な個体である。そして、現在俺のいる班が立体機動で追いかけているのも奇行種。俺達には目もくれず門の方へ突っ走っている。

 

「クソ!!なぜオレたちを無視して住民の所に行くんだ!!」

 

「奇行種だ!!考えても無駄だ!!」

 

「クッ…速い!!」

 

「精鋭の私達が追いつけないだなんて……このままじゃあ!!」

 

駐屯兵団の中でも精鋭とされる部隊が後衛にいるのだが、その力は発揮されていない。いつもの訓練ならばもっと速度を出せるはずなのだが、緊張や迷いのせいで一般兵士の訓練時より遅い。このままでは門の前で避難を行っている住民の中に突っ込まれてしまうだろう。

 

「!?」

 

そんな中、突如速度をあげた兵士がいた。歴代最高レベルの逸材とまで呼ばれたミカサ・アッカーマンである。その見事な立体機動術によってあっという間に追いついた彼女は、アンカーを巨人のうなじに刺したのち一撃で仕留めてみせた。力が抜けたように倒れる巨人の頭上に立つその姿は、宛ら歴戦の兵士のようだった。

 

「あれは…」

 

何とか死から救われた住民だったが、一行に門の向こうへ行こうとしない。何事かと近づくと、大きな荷車が門に挟まって動けなくなっていることがわかった。本来なら兵士が荷物を退かすよう指示するはずなのだが、なるほど、それがリーブス商会のものならそう易々と口が出せないだろう。そんな彼に、ミカサは堂々と近づいて反発する。

 

「今、仲間が死んでいる……住民の避難が完了しないから…巨人と戦って死んでいる……」

 

「それは当然だ!住民の命や財産を守るために心臓を捧げるのがお前らの務めだろうが!!タダメシ食らいが100年ぶりに役に立ったからっていい気になるな!」

 

リーブスさんの言葉を聞いて、ミカサがさらに近づく。

 

「人が人のために死ぬのが当然だと思ってるのなら…」

 

人垣の中に開いた道を進む。

 

「きっと理解してもらえるだろう。あなたという一人の尊い命が多くの命を救うことがあることも」

 

完全に殺気を込めた言葉。リーブスさんも少し怖気づくが、負けじと怒鳴り返した。

 

「やってみろ!!オレはこの街の商会のボスだぞ!?お前の雇い主とも長い付き合いだ。下っ端の進退なんざ…冗談で決めるぞ!?」

 

「……?死体がどうやって喋るの?」

 

そこまで。ここからの発展次第では事件になり兼ねない。俺は上から割り込んで入り、ミカサをリーブスさんから離れさせた。

 

「ミカサ、先輩の所へ戻っていろ。…リーブスさん、俺です」

 

「お前……坊主じゃねえか。こんな所で何してんだ」

 

気がついたリーブスさんは、警戒心は残しつつも少しだけ落ち着きを取り戻してくれたようだった。とはいえ、いつまた巨人が迫ってくるかも分からない。なるべく早く済ますとしよう。

 

「俺に免じて一度荷車を引いてくれませんか。もちろんそちらは俺が命を懸けて死守します。リーブスさんがこの街のために働いてくださっていたことも、その恩義を忘れた訳ではありません。ただ、俺達も必死なのでどうかご協力ください」

 

「……………おい、荷台を引け」

 

門の中への移動が可能となったことで、歓声を上げながら住民が我先にと中へ入っていく。あとは門担当の兵士に任せれば良いだろう。

 

「おい、坊主」

 

リーブスさんから声が掛かる。どんな悪態をつかれるのか考えを巡らすが、意外な言葉が発せられた

 

「あの嬢ちゃん、いい度胸してるじゃねえか」

 

彼は少し口端を持ち上げた。そして「後は頼んだぞ」とだけ言って避難列に加わる。彼の考えを理解することは出来ないが、あるいは俺が介入せずとも彼は荷台を引いていたのかもしれない。いや、それは戦闘が終わって考えるとしよう。リーブスさんに困らされていた駐屯兵からの礼を受け取り、ミカサを含め建物の上で集まっていたイアン班に合流した。

 

「遅いぞロイス。東側に奇行種が発見された。仕留めに行くぞ」

 

「ハッ」

 

再出発直前、屋根に捨て置かれた2本の刃が目に入った。既になまくらとなっていたソレは、この班で唯一攻撃を仕掛けたミカサのものだろう。初戦闘とはいえミカサですら一度の攻撃で刃を駄目にしてしまうとなると、肉の削ぎ方は訓練用模型の使用時とは別の方法で行うべきなのだろう。

 

「2時の方向!7メートル級!!」

 

精鋭兵の声と同時に、報告のあった方向から巨人が一体飛びながら突っ込んできた。左手の壁に1本アンカーを刺して回避し、すれ違って地面に激突する巨人の方を向く。一旦アンカーを外し、今度は巨人の左右斜め上辺りにアンカーを射出。ワイヤーの巻き取りを途中でやめ、両手をついて立ち上がろうとする巨人のうなじ直上に到達する。

 

「ッ!!」

 

勢いに乗せて体と刃を回転。巨人唯一の急所である後頭部からうなじにかけて縦1m横10cmを確実に捉え、血を吹き出させることなく綺麗に肉を削ぎ落とした。予め用心していたおかげで刃の損傷も殆どない。

 

「この巨人の後ろにもう一体いました!」

 

初討伐の余韻に浸るわけにはいかない。回避時に一瞬見えた光景の要点だけ述べた。しかし、それでさえ遅かったのだろう。振り向くと同時に悲痛な叫びが聞こえる。

 

「イヤァァァ!!」

 

先程の巨人と同じ7メートル級四足歩行型。三角屋根の上に座るその巨人の左手には、同じ班の女兵士が握られていた。

 

「離せクソ巨人!!」

 

掴む腕を切り落とそうとイアンさんが左腕にアンカーを刺した。ガスを噴射しながら近づき、その腕を斬った。

 

「浅いか……!」

 

アンカーを刺したのが肘より上だったために、上手く切り落とすことが出来なかった。それどころか、伸ばされた右手にイアンさんが捕まりそうになる。

 

「ッ」

 

ガスを多めに噴射させ、速度を一気に引き上げた。イアンさんに気が向いていたおかげで急接近したこちらに気が付かない巨人の右腕を、一度の攻撃で切り落とした。部位を一つ失くした巨人はバランスを崩し、右方向へ体が傾く。そしてここぞとばかりに、死角へ回っていたミカサが敵のうなじを削ぎ落とした。俺は左手に握られていた女兵士を引っ張り出した後に屋根の上に着地する。

 

「すまない、助かった」

 

「私も助かったわ。ありがとう!」

 

「いえ、ご無事でよかったです」

 

少しだけ会話を交わして索敵を始める。とりあえず門に近づく巨人がいないことを確認し、戦闘中に思ったことをまとめる。改めて実感した、自分に起きている異変についてのものだ。飛び抜けた身体能力もそうだが、感情の起伏が少ないことが気になる。特に、恐怖は殆ど感じない。おかげで力を存分に発揮できているため悪い訳では無いのだが、何故こういう風になったのかが分からない。

 

「……ミカサも同じか…」

 

門の方向に目を凝らすミカサを見て思う。俺の状態はミカサの身体能力や感情の薄さなどと酷似している。彼女の身に何があったのかは聞かなかったが、以前こんな質問を投げかけたことがある。

 

「ミカサ、その能力は生まれつきのものなのか?」

 

彼女は一言だけ答えた。

 

「違う」

 

それは、何かしらの事象により能力が身についたということを意味する。ならば、俺にも今の能力を手に入れたタイミングがあるはずなのだ。そしてその可能性が最も高いのは『一度死んで蘇った時』である。いや、蘇ったという表現は正しくない。記憶を持ったまま別の世界で誕生する。それは生まれ変わり、あるいは転生といった方が正しいのだろう。

 

結論。俺がこのリミッターが外れたような能力を持っているのは、転生による可能性が高い。

 

「………なら、ミカサはどんな体験をしたんだ」

 

まさかミカサも俺と同じ境遇………ではないな。それにしてはエレンに対する執着のような子供っぽいところが目立つ。

 

「いました。南西の方角!」

 

考察をやめ、目の前の戦場に意識を戻す。ミカサの報告にあった方向に15メートル級が二体。時間が経ったからだろうか、今回は奇行種ではなく通常種だった。

 

「二手に分かれて確実に仕留めるぞ!」

 

イアンさんの指示に従い、3人ずつに分かれる。戦力的に俺とミカサは別の班となった。壁に近い方の巨人に近づき、眼前を通過する。発見した通常種の巨人は本能的に俺の方へ意識を集中させた。迫るくる腕の間を掻い潜っている隙に、先輩2人が両足のアキレス腱を削いでくれた。巨人はバランスを崩し、重心を傾けていた俺の方向へ倒れかかる。片手だけ伸ばした状態で建物にもたれる巨人の裏に回り込み、慎重にうなじを削ぎ落とす。先程の奇行種攻撃時に刃が少し欠けたせいか、初撃ほど刃の鋭さはなく、巨人の血を噴出させてしまった。

 

「っと」

 

後方へ飛んで回避する。その血に害がある訳では無いが、巨人は死亡時に体を蒸発、霧散させてしまう。血液もその例外ではない。もし頭から血をかぶった場合、視界が蒸気で埋まってまともに周囲を視認できなくなってしまう。

 

「すごいなお前!一体どんな訓練をしてきたんだ!?」

 

ミカサ達の方も巨人を殺せたのを確認した後、先輩の一人が褒め言葉と同時に迫ってきた。どう答えたものかと考えていると、先程救出した女兵士がその先輩を止める。

 

「彼とミカサはリヴァイ兵士長を継ぐ、期待の二つ星って呼ばれてるのよ?そもそも元が違うわ」

 

知らない間にとんでもない二つ名がついていた。人類最強といわれるリヴァイ兵士長を継ぐなんて、どこまで高い評価をつけられているんだか。

 

「それもそうだな。今まで信じられなかったが、こうして見ると確かに名前負けしていない」

 

納得されてしまった。自主訓練を怠らなかったとか故郷を取り戻すまで死ぬ訳にはいかないとか、適当にそれっぽい答えを用意していたのに恥ずかしい二つ名だけで納得されてしまった。

 

「おいお前ら。2つ奥の路地にもう一体来た。討伐しに行くぞ」

 

班長からの指示を受けると、俺と先輩達は瞬時に行動を始めた。日本では考えられなかったが、今なら軍人や自衛隊員の気持ちがよくわかる。

 

「いたぞ!」

 

建物の隙間を縫うように飛んだ先に、15メートル級が一体いた。既に交戦を始めていたのを見て、自分の出番はないなと確信する。今しがた声を上げた兵士を喰らおうと口を大きく開ける巨人の側面から、ガスを噴かして急接近するミカサの姿があったからだ。一撃で屠られた巨人は鮮血を散らしながら地面に倒れ、ソレの討伐者は既に索敵を始めていた。ミカサの反応を見る限り、近くに敵は見当たらないのだろう。

 

カンカンカンカンカンカンカンカンカンッ

 

突然、街中に鐘の音が9回響き渡る。

 

「撤退だ!!ガスを補給しろ!壁を登るぞ!」

 

避難終了と撤退の知らせ。合流した補給兵からボンベを二本受け取り、少なくなっていたボンベと交換する。そこで気になることが一つ。ミカサが妙に焦っている。近くに巨人の姿はなく、壁を登るのにそう急ぐ必要は無い。その答えを探すうちに、ミカサが索敵時に門の方をずっと気にしていたのを思い出す。厳密には門ではなく、中衛部隊の方だ。

 

「前衛の撤退を支援してきます!!」

 

「な…!?オイ、ミカサ!!」

 

「俺が追います!先輩方は先に壁の方へ!」

 

既に立体機動で遠く離れたミカサの後を追う。目的は明白。エレンの支援である。状況からして前衛部隊が壊滅している可能性は高い。そうなると中衛部隊は事実上前衛ということになる。

 

「…クリスタ」

 

違う。何故クリスタのことが真っ先に思いつくのか。目的はミカサや中衛部隊を支援すること。クリスタ個人を守る為ではない。そもそもこんな戦場で実戦経験のない新兵が生き残っている確率は非常に低い。ユミルのお陰で10番以内に入ったクリスタなら尚更だろう。

 

………ならば何故、俺はクリスタを探しているのだろうか。

 

何故。何故。何故。

 

結局ミカサを追う間、俺はクリスタの捜索をやめられなかった。そんな中、俺とミカサは屋根の上に集まっていた兵士達を発見する。

 




多くの評価、コメント、修正報告ありがとうございます。少し長くなったために投稿が遅れてしまいました。長い故に違和感のある点が幾つかあったかもしれません。読み返す時に修正を行いますが、以前のように読者様からも報告をいただけたら幸いです。


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5 明確なる意志

「ヒイラギも!!無事だったんだね!」

 

ミカサの次にこちらを見つけて寄ってきたクリスタを見て、俺はひどく安堵した。そんな煩わしい感情は捨て去るべきだと分かっていても、実際に消えることはない。解消法を俺は持ち合わせていない。

 

「クリスタこそ無事だったんだな。ユミルも、生きてるな」

 

「今のところはな………お前も見ただろ、本部に群がる巨人をよ。あいつらのせいで私らはガスを補給できないんだよ」

 

「なるほど、それで壁の方へ撤退できないってわけだな」

 

警鐘が鳴っても撤退しようとする者が少ないことは気になっていた。ここからでも本部に十数体の巨人が群がっているのが確認できる。補給室には既に小さめの巨人が侵入しているだろう。

 

「…そりゃあ、ここに集まるわけだ」

 

壁を登るほどのガス残量はない。しかし、補給拠点である本部には多数の巨人。突っ込めと言えるほどの人物はいない。突っ込めと言われて従うような奴もいない。死の恐怖について俺は十二分に理解している。故に、怖気づいた兵士達を攻めることは出来ない。

 

「………いや、指揮できる奴はいる。クリスタ、34班にエレンがいただろ。あいつは今どこに……」

 

答えはクリスタからではなく、ミカサの側で座り込んでいるアルミンから言い渡された。尤も、クリスタの青ざめた表情を見るに答えは聞くまでもないのだが。

 

「トーマス・ワグナー、ナック・ティアス、ミリウス・ゼルムスキー、ミーナ・カロライナ、エレン・イェーガー……以上5名は自分の使命を全うし…壮絶な戦死を遂げました…」

 

最も巨人に対して好戦的だったエレンの所属する班が殆ど全滅したという話を聞き、辺りが騒然となる。

 

「いよいよ指揮を取れる奴が一人もいなくなったわけだな」

 

アルミンが、エレンは自分の身代わりになって死んだと語った。強い正義感を持っていた奴だ。親友のために迷わずその命を懸けたのだろう。しかし、死んでしまっては本人の問題だけじゃなくなる。交友関係を持っていれば、その相手にも死を強く実感させることとなる。喧嘩ばかりしていたジャンですらその例外ではない。つい昨日まで一緒に過ごしていたよく見知った奴が、次の日になればに一生目の前に現れなくなるのだ。その絶望感は計り知れない。今となっては理解しようがない感情だが。

 

「落ち着いて。今は感傷的になってる場合じゃない」

 

エレンを失ったことで誰よりも絶望するだろうと思われていたミカサが、皆の予想を裏切りつつアルミンを立ち上がらせた。泣くことすら忘れて驚くアルミンを置いて、今度はマルコに問いを投げかけた。

 

「本部に群がる巨人を排除すればガスの補給ができてみんなは壁を登れる。違わない?」

 

「あ、あぁそうだ………し、しかしいくらお前がいても…あれだけの数は…」

 

「できる」

 

ミカサは宣言する。誰よりも勇敢に、誰よりも蛮勇に。自分は戦意を失ったお前達とは違うと、右手を空に突き出しながら堂々と宣言する。

 

「私は…強い…あなた達より強い…すごく強い!…ので私は…あそこの巨人共を蹴散らせることができる…例えば…一人でも」

 

誰一人として声をあげない兵士達に向けて刃を伸ばし、さらに勇ましく。

 

「あなた達は…腕が立たないばかりか…臆病で腰抜けだ………とても…残念だ。ここで…指をくわえたりしてればいい…くわえて見てろ」

 

地獄の戦場へ一人飛び立つ兵士を、我こそはと追う者は現れない。まだきっかけが足りないというのであれば、それは俺が請け負うべきものだ。それでも駄目だというのなら、そいつらはその程度の人間だったということ。絶望と共に巨人の腹に収まっていればいい。

 

「待ってヒイラギ!あなたも行っちゃうの…!?」

 

この戦場へ来る前、彼女の呼び止めに応えなかったことを俺は後悔していた。ならば、今回はしっかりと応えるべきなのだろう。そう判断した俺は、酷く寂しそうな表情をしているクリスタの方を見る。

 

「あぁ、行く。目の前で仲間が死ぬのをただ眺めてるだけなのは気が向かないからな。補給所を制圧できたらガスを運んでくる。ただし、それまでどちらも生きていたらな」

 

クリスタに対して、あるいは周りの兵士達に対して柄にもないことを言ってしまった。同期のよしみということで、立ち上がることを期待してしまったのだろうか。

 

「また……行っちゃうんだね…」

 

なるほど、と彼女の表情を見て理解する。どうやら俺は本部での呼び止めに応えなかったことで、彼女の心配事を増やしてしまっていたようだ。

 

「…………え…?」

 

俺はつい口に出しそうになった言葉を飲み込み、服の裾を握って俯いていたクリスタの首に紐をかけた。突然の出来事にクリスタは動揺し、声を漏らす。かつて彼女から貰った、翼のついたペンダントをクリスタに預けた。多少の申し訳なさとクリスタの士気向上のための行為。

 

「後で、生きたまま届けてくれ」

 

何故真っ先にこのような方法を思いついたのかは理解できない。「俺にくっついていたら安全だ」なんてくだらない言葉を言い出しそうになったことが影響しているのだろうか。

 

「……わかった、絶対に届ける。だから、ヒイラギも絶対に死なないでね!」

 

ペンダントを握るクリスタに再び背を向け、ミカサの後を追う。彼女は立体機動において、皆と合流するまで遠心力を活用せず殆どガス圧による加速のみで移動していた。焦っていた故にあのような雑な動きになっていたのだろうが、今はそれに加えてエレンの死という現実が突きつけられている。補給して間もないとはいえ、今のミカサは本部に着くより先にガス欠を起こす可能性が高い。ならば早めに見つけておいた方が対処しやすいだろう。

 

「あそこか」

 

右斜め前方で巨人のうなじを削ぐミカサの姿を確認した。案の定、ガスを過剰に消費している。突入を決意して俺のあとを付いてくる兵士達は、ミカサの圧倒的速さに対して褒め言葉を口にする。どうやら彼らのうちの殆どは、ミカサの冷静さに欠けた行動に気がついていないようだ。先程のミカサの言動を見ればそう捉えられても仕方の無いことだが、俺には虚勢を張っているようにしか見えなかった。口実を作って、死に向かっているような。

 

「アルミン!コニー!ミカサの援護に向かえ!」

 

案の定ガスを切らして落下していくミカサを確認した後、一度着地して大声で指示を出す。それを聞いた2人は軌道を変えてミカサの元へ向かった。そのまま真っ直ぐ突っ込んでいったら十中八九巨人に喰われてしまうだろうが、その辺りはアルミンが考慮しているだろう。遠回りになったとしても、確実にミカサの元へ辿り着くはずだ。

 

「うあああぁぁぁぁぁ!!」

 

叫び声が一つ。今更珍しいものでもないが近いこともあり確認してみると、1人の兵士が地面で伸びきったワイヤーを回収出来ずにいた。要は、ガス切れを起こして建物の上に登れないのだ。反射的に救助に向かおうとしたジャンを俺は既の所で引き留める。

 

「間に合わない」

 

彼はもう4体以上の巨人に囲まれている。いくら俺でも、あの数を相手にしながら個人を守るのはほぼ不可能。可能性がない以上、本部突入に集中するべきだ。見たもの全てに突っ込んでいっては何も為すことができない。何より今は、クリスタとの約束がある。

 

「トム!!今助けるぞ!!」

 

「よせ!!もう無理だ!!」

 

仲間を救わんと突撃する同期たちに、ジャンの声は届かない。案の定彼らは助けるどころか巨人に捕まり、頭を砕かれ、四肢を引き千切られ、下半身を歯で切断された。知り合いの命が無惨に絶たれる光景が目の前で展開されるが、今は気にしていられない。ミカサの言葉を借りれば、感傷的になってる場合じゃない。餌につられて巨人が集まってきたことにより、必然的に本部の方が手薄になる。俺と同じように今が好機だと判断したジャンが叫んだ。

 

「今だッ!!!巨人が少しでもあそこに集中しているスキに本部に突っ込め!!」

 

我に返った兵士達が再び動き出す。仲間を見殺しにした罪悪感を噛み締め、ただ生き残ろうと足掻く。

 

「今しかない…どのみちガスが無くなれば終わりだ。全員で突っ込め!!」

 

そう、俺が今すべきことは彼らを助けることだ。自分が生き残ろうと踠く人間を助けることだ。他人を助ける奴が悪だとは言わない。だが、そうやって身に余る行動をとる奴が善だとも断言できない。今この時に限っては、自分自身が生き残ることに全力を賭すことが正しいのだ。

 

「俺は違うけどな………!」

 

行く手を阻む巨人のうなじを削ぐと同時に言葉を発し、自身の価値観を再確認する。約束でもしないと生き残ることへの努力をしない程生存への執念を忘れた俺には、彼らのように生き残ろうと踠くことはできない。例え死を確信しても、なんとしてでも生き残ろうとはしないだろう。だが、この二度目の人生が無意味なものだとは思いたくない。その為に俺は、生き残ろうと足掻く人間を助ける。今となって尊敬するようになった心情を持つ人間を、出来る範囲で助ける。

 

再び矛盾を感じる。人命を助けることは、過干渉に含まれるのではないかと。しかし、今の俺の行動に間違いがあるとは思えない。では、過干渉を避けようとする俺の考えが間違っているのだろうか。……いや、今その疑問を持っては動きに乱れが出る。のちの課題としよう。

 

「………四体」

 

意識を戦場に戻し、妨げになるであろう巨人の数を確認する。俺が今進んでいる道に12メートル級と7メートル級。猫背の15メートル級が左の道に。この道と左の道の間、つまり建物の隙間に12メートル級が一体。それらすべてを相手にすれば先導する者がいなくなってしまう。ならば、標的にするのは二体。左の道にいる奴と、前方の12メートル級だ。近いのは15メートル級の方。

 

「ッ!」

 

塔のようにそびえ立つ建物を蹴って左側の道へ移動し、目標を視界に収める。地面直撃ギリギリのところで、アンカーを刺してガスを噴射。水平移動するようにして前へと進んだ。こちらを発見した、ただでさえ猫背な巨人がさらに背中を曲げて顔を地面に近づけてくる。俺を捕まえようとする巨腕に、体の回転を挟んで足をつけた。丁度いい踏み台を蹴って足の隙間を通り抜けた後、2度アンカーを射出することによって俺の刃はうなじにぶつけられた。猫背の巨人とて、顔は前を向いたまま。そうなると必然的にうなじが狙いにくくなってしまう。ならば後ろ首伸ばしてやろうと取った作戦だったのだが、上手くいってよかった。

 

「もう一体…」

 

次の目標である、右の道にいた巨人の方へ向かうため態勢を整える。先導することと巨人を駆除することの同時進行により、俺のガスもかなり消耗させられている。少し急いだ方がいいかもしれない。

 

「うわあああぁぁぁぁ!?」

 

標的にした12メートル級の方から悲鳴が聞こえた。まだ追いついていないはずなのだが、ガスに余裕があって加速し続けたのだろうか。ともかく食われる前になんとか救わなければ。

 

「ッ!?」

 

家屋の窓を突き破って元の道へと戻るが、その時散ったガラス片が、割れた衝撃音と共に俺の右脇腹を切り裂いた。幸い傷は深くないが、激痛に悶えそうになる。立体機動装置はその機動性故に身体に対してかなり負担をかけている。普段はなんともない傷でも、今は激痛に感じるのだ。クリスタ曰くなんともない傷の度合いに関しては、俺と周りの人達にズレがあるそうだが。

 

「クッ!!」

 

眩むような痛みを噛み締め、捕まえた兵士に夢中になって周りが完全に見えなくなっていた巨人のうなじを削ぎ落とした。捕食を前にした巨人は狩りやすいと学んでいたのだが、その情報は合っていたようだ。

 

「ツイてないな」

 

解放された兵士が何故落下していくままなのかと思ったら、捕まった時に立体機動装置を潰されたようで離脱できずにいた。俺は咄嗟にガスを噴射させて追いかけ、落下寸前の兵士の襟を掴んだ。1度高く飛び上がり、兵士を左脇に抱える形に変えて両手が使えるようにする。これで戦闘はできなくても本部に運ぶことは出来る。

 

「た、助かったぁ!」

 

掠れた声で叫ぶ兵士を黙らせ、巨人の群がる本部の方へと突っ込むためのルートを考える。道中にいる巨人の中には奇行種も交じっていて、生半可な動きでは捕まってしまうだろう。少し荒くなるが、まあ助からないよりはマシだろう。

 

「少し我慢だ」

 

「え?」

 

斜め下前方両サイドにアンカーを刺してガスを噴射。弧を描きながら急降下した。まず迫ってきたのは通常種2体と四足歩行の奇行種が1体。12メートル級通常種の脚の間を体を逆さにした状態ですり抜け、元の体勢に戻る時に5メートル級の頭を踏んずけた。当然足元の巨人は獲物を捕まえようとしてくるが、それよりも先に四足歩行型15メートル級が低空ジャンプで突っ込んできた。理性のない獣のようなソレは、既に獲物が乗っかっていない巨人の頭に噛みつき12メートル級の膝裏に衝突した。3体の巨人が入り乱れる中、俺と脇に抱えている兵士は奇行種の腹の下を潜り抜けていく。

 

前方に2体巨人がいるが、本部は目前。一度上昇し、唖然とする同期に頭を護るよう指示して体をひねた。

 

「怪我するなよ」

 

「えっ…う、うわあああぁぁぁぁ!?」

 

上半身を右に回すと同時に兵士を投げ飛ばし、巨人の脇下を立体機動なしで通り抜けるという並の兵士なら失神しそうな経験をさせた後にガラスを盛大に割らせながら窓の向こうへと逃がしてやった。通り抜けていった物体に気を取られていた巨人の横を通り抜け、俺も本部へと到達した。なんとか一番乗りで辿り着いたが、しかしまだ安置に避難する時ではない。上昇した後本部の屋上に着地し、今来た方向を見通す。必死に本部を目指す兵士、巨人に捕まる兵士、兵士に迫る巨人に、兵士を後ろから追う巨人。本部周辺の生きている人間や巨人のほとんどがここへ集まってきている。

 

「うおおおおおおお!!」

 

叫び声と共にジャンが、巨人の攻撃をなんとか避けきって窓ガラスに突っ込んでいった。それを起点に続々と人が本部へ入っていく。こうして救われる可能性のある人が増えるのは良いことなのだが、それによるデメリットは多分にある。例えば、こうも多くの人が同じ場所に集中すれば巨人も寄ってくるというものだ。それを払うのが、俺が安置へ向かう前の仕事。

 

「残念ながら、人以外は立ち入り禁止だ」

 

招かれざる客を追い払うべく屋上から飛び降り、窓から本部を覗き込もうとしていた巨人のうなじを上から下へ削ぎ落とした。そのまま地面にぶつかる前にガスを下へ噴射して落下速度を相殺。前方右へアンカーを射出し同時に巻き取り。目の前に来た巨人は足元の獲物に釣られて左に体を傾ける。その間に左のアンカーも射出。右のワイヤーを回収すると同時に巻き取り、巨人の死角へ入る。

 

「ぐッ……!!」

 

右脇に負担がかかったために血が吹き出し、再び激しい痛みが電撃のように身体中を駆け巡った。しかしそれで行動を乱すほど人間らしい心は持っていない。今度は右のアンカーを斜め上の家屋に刺し込み上昇。獲物の消えた方向である右下に目を向けていた巨人はこちらの存在に気付かず、いい的になっている。俺は左右のアンカーを同時に射出し目標をうなじに定めた。

 

「ッ!」

 

奥歯を噛み締めガスを噴射。急所となる箇所を正確に捉え、誤差なく肉を削ぎ落とした。次の標的を探そうとする直前、本部の中を覗くと、突入した兵士たちと補給班らしき奴らが揉めているのが見えた。

 

「今はそんなことをしてる場合じゃ……ッ!?」

 

俺も人のことは言えない。意識を逸らしてしまったせいで敵の急接近に気づけなかった。飛び跳ねてそこまで迫ってきていた奇行種の口が大きく開かれる。

 

「くッ!!」

 

ここから窓の中へ飛び込めばまだ間に合う。ここまで来て約束を破るような行いは避けたい。それに俺はまだ、何も為していないッ

 

窓枠へアンカーを射出するが、命中まで待っている時間はない。すぐにガスを全力噴射して一気に加速する。

 

「なッ!?」

 

ハズだった。少し進んだ先で加速が止まる。腰辺りから聞こえる掠れるような音からして理由は明白。ガス切れである。回避を断念した俺は被害を抑えようと咄嗟に体を丸める。

 

「ぐッ!!」

 

今まで経験したこともないような衝撃が背中に直撃した。気を失いそうになるような痛みを堪える。少し加速したおかげで口の中に放り込まれる事態は回避できたみたいだが、衝突の影響により加速時の予想軌道から外れていく。

 

「ッ!?」

 

左のこめかみ辺りが窓枠に直撃した。それがどれほどの被害なのか把握する間もなく後ろの壁が破壊され、飛んできた石材が全身にぶつかってくる。破壊音と悲鳴が飛び交う中、俺の体は奥の壁に激突した。

 

薄れていく意識を無理矢理醒ますことはおそらく不可能。人間はそれほど強固な体を誇ってはいない。しばらくこの体を動かすことは叶わないだろう。右脇の怪我に加え、頭部など全身がボロボロである。

 

「…………」

 

ブラックアウトしていく視界の端に、金髪の背の小さい人影が映った気がした。

 




多くのコメント、お気に入り登録、評価など、本当にありがとうございます。ここまで多くの方に気に入ってくださるとは思わなかったので、正直動揺しています。

ヒイラギの思考についてなのですが、結構複雑な感じで自分も把握しきれていない部分や矛盾しているかもしれません。次回までにこちらの方でまとめるつもりなので、今回どこかおかしい箇所があるかもしれません。報告していただけましたら修正を検討しますので、どうぞよろしくお願いします。


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6 束の間の談話

「ヒイラギ!!」

 

微かに目を開けるや否や、クリスタらしき人の顔が近づいてきた。焦点が合わず霞んでいるが、声や髪色からして間違いないだろう。

 

「よかった……本当によかった……」

 

視界がはっきりしてきた頃に、俺の顔にポタポタと水滴が落ちてきた。それがクリスタの涙だと気づくと同時に自分の現状を把握した。どこかの建物の屋上らしいのだが、仰向けに横たわっているのに頭部だけ堅い地面に当たっていない。なるほど、膝枕は案外悪くないものらしい。

 

「どれくらい時間が経ったんだ…」

 

愚にもつかない感想を捨て置き、未だぼんやりとしている頭を使って最優先すべき質問を選び取る。クリスタは服の袖で涙を拭ってから答えた。

 

「……30分くらい、だと思う…」

 

「そうか…」

 

クリスタの額を指先で押して離れさせ、上半身を起こす。体のあちこちが痛むが、背中を支えてもらったおかげで楽に起き上がることが出来た。見たところ、おそらく場所は本部の屋上。まだ戦場のど真ん中にいるようだ。近くにはミカサ、アルミン、ジャン、ライナー、ベルトルト、アニ、ユミルがいて、皆同じ方向を見下ろしながら何かを話し合っている。

 

「補給はどうなったんだ…?」

 

「本部についた人達は皆ガスを補給して壁に向かったよ。私もヒイラギが起きたら行くつもりだったんだけど、あの巨人が…」

 

あの巨人、とは一体何のことなのか。皆が見下ろしているであろうその巨人を見ようと立ち上がると、頭に強い痛みが走った。反射的に頭部を抑えると、包帯が巻かれていることに気づく。よく見れば腹部にも巻かれている。

 

「憲兵団の銃と一緒に見つかったから、それを使ったの」

 

「銃?」

 

この壁の中にも銃というものは存在する。とはいえ小銃や狙撃銃のようなものではなく、マスケット銃なのだが。どちらにせよ巨人には殆ど効果がないためこの戦場においては無意味なのだが、一体何に使ったのか。

 

「補給所にも巨人が入ってきて…立体機動は使えないから、散弾で目を潰してから仕留めたみたいだよ」

 

なるほど、そういう使い方をしたのか。おそらくアルミン辺りの座学優秀者が考えた作戦なのだろうが、よく思いついたものだ。

 

「アアアアアアァアァアァァァァ!!!」

 

突然の轟音に何事かと思い立ち上がる。少しふらつきながらも建物の端まで辿り着いて下を覗く。

 

「巨人と戦う……巨人…?」

 

俺は見たものは、腕を失った巨人が全身にしがみついている巨人達を振り払いながら奇行種と思わしき巨人のうなじに食らいついている、という光景だった。さらにその奇妙な巨人は口にくわえている巨人を振り回し、脚に迫ってきていた巨人達を叩き潰した。加え、二足歩行で歩み寄る巨人に咥えていた巨人のうなじを食いちぎりながら投げつけた。

 

「……オイ…何を助けるって?」

 

両腕と右腹部の肉を失いながらも五体の巨人を一瞬で駆逐した巨人を見て、ジャンが呟く。しかし、どうやら力尽きたらしいその奇行種は跪いた後にうつ伏せに倒れてしまった。

 

「もういいだろ………?ずらかるぞ!あんな化け物が味方なわけねぇ」

 

一拍おき、ジャンが言う。

 

「巨人は巨人なんだ」

 

しかし、その言葉で動く者はそこにはいなかった。彼以外全員が倒れた巨人のうなじをじっと見ている。正確には、うなじに相当する部位に見える黒い影を。

 

「………?オイ……?」

 

ジャンが動かぬ皆に返事を求めたちょうどその時、うなじから千切れるようにして人が姿を現した。その人間の容姿を俺たちはよく知っている。

 

「……エレン・イェーガー」

 

俺がその名を呟くや否や、ミカサが迷いなく飛び降りた。彼女はエレンを巨人のうなじから引きずり出し、耳をエレンの胸に押し当てた。

 

しばらくして戻ってきたミカサは、堪えきれなかったようにその場で泣き出した。それも静かに泣くのではなく、誰も見たことも聞いたこともないほどの乱れた大泣きで。

 

「一体…何が……」

 

跪いたアルミンが涙を目に浮かべながらエレンの左手を握った。しばらくの間ミカサの泣き声だけが聞こえていたが、ふと駆逐された巨人の肉塊を見たジャンが声を漏らした。

 

「これをエレンが、やったってことか……?」

 

 

無事壁を登って退却できた俺たちだったが、エレンや彼の運搬をしていたミカサ、アルミンは駐屯兵団に捕まり、残った俺たちは守秘義務を課せられた上で彼らと隔離させられてしまった。家屋からエレン達の方を覗こうかと考えたのだが、治療優先だと言い張るクリスタに阻止された。

 

「やっぱり。さっきの移動でまた出血してきてる」

 

俺を建物の前の階段に座らせた後、クリスタは俺の腹部に巻かれた包帯を取り、10センチほどの切り傷から流れる血を見てそう言った。それから想像以上の手際で傷の手当てが行われた。彼女が救護班の手伝いをしているという話は聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。思えば訓練兵がクリスタに手当てされているのはよく見ていたが、こうして俺自身がされるのは初めてのことである。

 

「あの巨人がエレンだったとはな…」

 

「守秘義務はどうした。そう易々と口にしたら駄目なんじゃないか」

 

ユミルの呟きに対して注意したが、当の本人は片手を振って気にしていないとでも言うような素振りを見せた。

 

「どうせすぐバレるんだから意味ねえっつーの」

 

確かに彼女の言葉は間違いない。巨人の中からエレンが出てきたのを目撃したのは俺たちだけという訳では無い。そんな中で口封じなんて殆ど無意味だろう。

 

「それでも駄目だよ。上官の命令なんだから…」

 

いや、話が知れ渡る分あの巨人に関する情報が出てくる可能性が高まるだろうから、むしろ助かるくらいだ。何せ俺たちは無知過ぎる。巨人について知ってることといえば、知性のないことと人間を喰らうこと、あと急所が一つしかないことくらいなのだから。

 

「ヒイラギ?」

 

とはいえ、答えは出せずとも疑問点や仮説を立てることはできる。エレンの事に限れば二つ。まず一つは、何故服やベルトはそのままで立体機動装置だけが無くなっていたのか。二つ目は、左腕の袖が不自然に切れていること。後者に関しては仮説を立てられる。端的にいえば、千切れた腕が再生したのだろう。あの袖の切れ方は今回の戦場で何度が見た、巨人に食われた時に出来るものだ。アルミンがずっと左腕ばかり注目していたのも理由の一つではある。その真偽は後でアルミンに聞けばいいとして、あとまとめておかなければならないのは…

 

「ヒイラギ!!」

 

「ッ!?」

 

突然両頬を叩かれ、首を無理矢理動かされた。1発で思考の世界から現実に戻された俺の目の前にあるクリスタの顔は、明らかに怒っていた。

 

「考えてばっかりじゃなくてちゃんと声に出してよ!そうやって1人で抱え込んで無茶して……もっと私も頼ってよ!」

 

怒りや哀しみなどが混じり合い、かつてないほど必死な形相で怒鳴られた。頼み込んで、しがみついて絞り出したような。その言葉の本質がどこにあるのか、俺は理解したつもりでいる。その目に浮かばせている涙もきっと……。

 

しかし、やはり俺はそれを声に出せない。過干渉を控えるなんて考えはきっと間違っているのだろう。したいことをなんでも思いついたままやればいいのだろう。そう理解しても、心のどこかで拒絶している。他人に関わることへのトラウマからか、2度目の人生という負い目からかは判然としないが、結局俺は結果を恐れて足踏みするだけの意気地無しなのだろう。

 

「…………ガーゼの替え、取ってくるね」

 

少女は逃げるようにその場から離れていった。俺にはその背中が、どうにも寂しく見えた。

 

「私のクリスタを泣かせるとは、いい度胸してるじゃねえか!」

 

ユミルがいつもの態度で俺の肩を強めに叩いた。右腹部が痺れるように痛む。しかし、それよりも気にすべき点が一つあった。

 

「……ユミル、雪山の訓練覚えてるか。お前がダズを引っ張って下山してきたやつだ」

 

俺がそう切り出すと、肩を組んでいる方の腕がピクリと動いた。

 

「危害を加えようとかそんなつもりは無いんだが、一つだけ質問に答えてくれ」

 

緊張感を保ったまま、ユミルは「なんだよ」と返答する。

 

「敵と味方……どっちだ」

 

「私はクリスタの味方だ」

 

ユミルらしい、と殆ど即答で返ってきた答えに対して俺はそんなことを思った。今までで1番説得力があると感じさせるまである。

 

「そうか」

 

ともあれ、暫くは彼女のことを気にしなくてもいいのだろう。俺が安堵にも似た感情を抱いていた時、上半身を後ろに倒してだらしなく座るユミルが上を見上げながら真面目な口調で言った。

 

「お前はどうなんだ。あいつのこと、どれくらいわかってんだ」

 

「……わかってないな。性格形成の経緯とか、あの願望を持った原因とか。知ってることなんて、容姿が優れてることくらいだ」

 

「ははっ、そりゃそうだ。なんたってクリスタだからな」

 

普段とは違う少し乾いた笑い声。しかし、次に言葉を発した時には元のユミルに戻っていた。

 

「ところで、お前を運んでくるのに手助けしてやったんだ。命の恩人なんだから、当然私の言うことに従ってくれるよな?」

 

「ほんと容赦ないな」

 

出来ればもう少し真面目でいて欲しかったものだ。

 

「お待たせっ。………?何かあったの?」

 

「取り立てて言うことは何も。手当、続けてもらっていいか」

 

戻ってきたクリスタに真面目な空気感を察せられて怪訝な顔をされたが、適当に躱して処置を再開してもらえるよう促した。

 

「終わったよ」

 

それから5分足らずで終わった手当に俺は改めて感心したが、そんな考えは一瞬で吹き飛んだ。多くの兵士たちが待機する街中に、1発の砲撃音が鳴り響いたのだ。その場にいた全員が音のした方向を向き、思ったことを口にし始める。

 

「砲声!?」

 

「なぜ1発だけ!?」

 

「壁の中だ!!」

 

「水門が突破されたのか!?」

 

「1番頑丈な箇所だ。ありえない…榴弾を落としただけだろう」

 

「にしても…あの煙の量はなんだ!?」

 

「まさか!?巨人の蒸気!?」

 

ライナーが最後の言葉を聞いた直後に砲声のした方向へ文字通り飛び出していってしまった。それに続いて本部からエレンの巨人を見ていた同期たちが飛び立っていく。俺も向かおうと腰を浮かすが、クリスタに両手で押し戻されてしまった。

 

「………わかった」

 

俺がそう言うとクリスタは手を肩から離してくれたが、今度は警戒するように治療のため外していた俺の立体機動装置を確保していた。そんなことをしなくても向かったりしないのだが、今何を言っても無駄だろう。

 

「あ、おいサシャ」

 

わざとらしく腹を抑えながら横切るサシャをユミルが呼び止めた。ビクッと体を震わせた後、こちらを向いて「な……なんですか…?」と怯えた様子で言う。

 

「次の指令まで暇だろ。なんか面白いことやれよ」

 

「む、無茶言わんでくださいよ!!私は今から腹痛で負傷者にしてもらうんです!」

 

「それも無茶じゃないかな…」

 

クリスタの言葉を聞いて冷静になったのか、上官の所へ行くのをやめて俺たちの前で座り込んでしまった。そんなサシャを見てユミルは意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「そういえばお前、補給所で巨人に泣きながら謝ってたらしいじゃねえか」

 

サシャの体が先程より大きく震えた。どうやら事実らしい。

 

「巨人の機嫌取りやっといてよく顔出せたな」

 

「ゆ、ユミル!そんなこと言っちゃ駄目だよ!怖いのは当然なんだから!」

 

クリスタのフォローもサシャには届かず。今にも泣き出しそうな顔をしているサシャを見ていると、ふと聞きたいことが幾つか思い浮かんだ。

 

「サシャ、超大型巨人が現れた時門上の整備班にいたよな」

 

「え……?えっと……そうですけど…」

 

「なら、超大型巨人のことを詳しく教えてくれ。わかる範囲でいい」

 

ユミルがクリスタとじゃれていたおかげで邪魔が入らなかったため、顔面蒼白なサシャはそれでもしっかりと見たことを言葉にすることが出来た。彼女の話はまとめると、超大型巨人は5年前と同じように突然現れて突然消えたこと。通常の巨人より高い体温で蒸気を発していたこと。壁上の固定砲台を潰した後に脆弱な門を破ったことの3つだった。

 

「最初に固定砲台を叩いたということは、やはり知性があるのか…」

 

「あっ、エレンも同じことを言っていました」

 

「………そうか」

 

「ん?オイ、なんだあいつら?」

 

サシャが思い出したかのようにそんな補足情報を加えたそのすぐあと。クリスタにひっつくユミルが指差す方向から、銃を持った駐屯兵団の兵士達が隊列を組みながら歩いてきていた。皆の注目を集めながら行進を止めた駐屯兵団の先頭に立つ男が大声で叫んだ。

 

「只今我ら駐屯兵団の増援と共にピクシス司令が到着なされた!各員装備を整えた後班編成で隊列を組み、指令に備えよ!!」

 

これまでおよそ敗北ばかり続けてきた戦局が、駐屯兵団司令官及び南部最高責任者である「生来の変人」ドット・ピクシスという人物によって大きく変化する。しかしそれは同時に、再び戦火に身を投じることを意味するのであった。

 




この度は更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。完結まで更新をやめるつもりはありませんが、仮に打ち切りにするとしたらそれ相応の理由と共にご報告させていただきます。

前回も多くのコメント、評価、お気に入り登録、誤字報告などありがとうございます。1人でも多く楽しんでいただけると幸いです。では次回をお楽しみに、です。


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7 己に課された責任

お久しぶりでございます。忘れ去られたであろうシリーズが戻って参りました。はい、生きています………。普段は後書きを使うのですが、さすがに今回は前書きで謝らせていただきます。
この度は更新が大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。以前のような投稿頻度は望めませんが、さすがに今回のような長期失踪はないと思いますので、どうかよろしくお願い致します。

さて、多く寄せられたコメントを見てやる気がわき今話を書いたのですが、急いだ故に文字数が平均を大きく下回っております。その分執筆から投稿まで早く進められたのですが。

さて、少し長くなってしまいましたが、ここからは本文の方でお楽しみください。




ピクシス司令の命令が憲兵を通じて全員に知れ渡った時には、その場は兵士達の喧騒で埋め尽くされていた。そんな中、俺は部隊編成のために再びイアン班として集うこととなった。

 

「駄目だよ!」

 

動こうとする俺の手をクリスタが掴む。予想出来ていたことだが、やはりクリスタは俺が戦場へ出ることに反対のようだった。負傷兵として扱ってもらうよう上官に進言するつもりだという。

 

「………」

 

俺はその手をそっと外す。彼女の言葉は、人間としては正しいのかもしれない。しかし、それに従う訳にはいかない。生死への関心とか生き様とか以前に、俺は兵士である。兵士とは上官の命令に従うものでありそして、上官は出撃を命じている。動けない訳じゃ無い。つまり、俺が本能に従う理由にはならない。

 

「引き際くらいは弁えている。班長には支援に徹すると予め言っておく。傷の方も、出血多量を起こすようなものじゃないから大丈夫だ」

 

処置がよかったからか治癒力が上がっているのか、本部にいた時より大分痛みが引いている。立体機動時に腹部は痛むだろうが、戦闘は行える。

 

「………じゃあ、これはまだ預かっておくから」

 

クリスタはそう言うと、首にぶら下げていたペンダントを両手で包み込んだ。戦闘や怪我に気を取られて、片翼のペンダントをまだ返してもらっていなかったことに、その時気がついた。

 

「…絶対、死んだら駄目だからね」

 

強い気持ちを抱きこちらの眼をまっすぐ見つめるクリスタに対して、俺は小さく頷いた。

 

 

調査兵団の報告によると「巨人は南から現れる」とされており、実際5年前に巨人が真っ先に突破してきたのは南に位置するシガンシナ区だった。そのため次に狙われるのはここ、トロスト区だと予想されていた。そしてそのトロスト区を含めた南側領土の最高責任者、人類の最重要区防衛の全権を任された人物こそが、今回援軍として駆けつけたドット・ピクシスであった。

 

「超絶美女の巨人になら食われてもいいんじゃが…」

 

ちなみに、生来の変人としても知られていた。

 

 

「ヒイラギ!怪我の方は大丈夫なのか!?負傷したと聞いていたが…」

 

再び班と合流すると、真っ先に班長イアンが駆け寄ってきた。

 

「治療も受けたので支障はありません。……ミカサはまだですか?」

 

近くに彼女の姿がないためイアンさんに聞いてみたが、彼もよく知らないらしい。

彼女はそう簡単に軍規を乱すような行いはしない。それを含めた上で憶測を語るのなら、巨人化したエレンを捕らえるか殺害しようとしたのを阻止したか逆に捕えられたか、最悪はエレン諸共か。ミカサの兵としての能力を考慮すれば最後の選択はありえないだろうが、その時の権力保持者が器の大きい人であったことを願うばかりだ。

 

「……ヒイラギ。お前は」

 

イアンの声はある男の声によって遮られた。編成を完了した兵達は通達されたトロスト区奪還作戦に対して大いに悲観的になっている。それも当然だろう。ここにいる者達は皆、今日初めて巨人と戦い、今日初めて仲間が喰われるの目にしたからだ。それが次、自分の番かもしれないと考えると震えが止まらないのも道理だ。

 

「いやだ!!死にたくねえ!!家族に会わせてくれ!!」

 

喧騒の中で一際大きく聞こえたのは、聞き覚えのある声だった。声の出どころから少し離れたところにいる俺まで聞こえたということは、当然近くにいた上官にも聞こえたはずである。そして案の定、駆けつけた駐屯兵が声を上げたダズを問いただそうとしていた。

 

「任務を放棄する気か!?」

 

「ええ、そうです!!この無意味な集団自殺にはなんの価値も成果もありません!!」

 

他の人達のざわめきのせいで全ては聞き取れなかったが、ダズは二度と戦場へは出たくないらしい。普段はオドオドとして教官に怯えていた彼が上官に対して堂々と反抗する程に。そしてそれを俺と同じように聞いていた兵達が少しずつこの場から立ち去る方法を思考し始めた。訓練兵団のみならず、上官であるはずの駐屯兵団までも。

 

「注、もおおおおおおおおおく!!」

 

全体が乱れ始めたちょうどその時、雷鳴ような大声が辺りに轟いた。発生源は壁の上。微かに見えるその人影は、何度か肖像絵で見たことのあるピクシス司令だった。そしてその隣に立つ少年もまた、見覚えのある姿をしていた。

ざわつきが収まり、皆の視線が壁の上に集まってからピクシス司令は再びその大地を揺らすような大声で話し出した。

 

「これよりトロスト区奪還作戦について説明する!!この作戦の成功目標は破壊された扉の穴を、塞ぐ!! ことである!!」

 

塞ぐ……?一体どうやって…?

 

同じ疑問を持った者は少なくなかった。というより、大半が同じ考えだったはずだった。しかしそんな兵士たちに構わずピクシス司令は言葉を続けた。

 

「穴を塞ぐ手段じゃが、まず彼から紹介しよう!!訓練兵所属エレン・イェーガーじゃ!!」

 

見知った顔がこの場で最高位の権限を保持する人物の横にいることに第104期訓練兵は驚きを隠せないらしく、至る所で彼の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

「彼は我々が極秘に研究してきた巨人化生体実験の成功者である!!彼は巨人の体を精製し、意のままに操ることが可能である!!」

 

嘘だ。

 

これもまた皆が思ったことだろう。確かにエレンは巨人の体を精製できる。だが、それを自在に操ることが出来る点はかなり怪しいところだ。そして何より巨人化生体実験とやらが完全に嘘だ。訓練兵時代を含め幼少期からエレンと行動を共にしているミカサがそんな危険な実験に気づかないはずがない。気づいていたとしても、エレンの身を按じる彼女がそんなものを許すはずがない。なにより、実験が成功したとしてもそんな存在を普通に生活させて、護衛もなしに実地運用なんてことは有り得ない。

 

「巨人と化した彼は前門付近にある例の大岩を持ち上げ、破壊された扉まで運び穴を塞ぐ!!諸君らの任務は彼が岩を運ぶまでの間、彼を他の巨人から守ることである!」

 

確かにトロスト区には丸い大岩がある。家屋並みの大きさを誇るその岩だが、確かに先程エレンの生み出した巨人ならば持ち上げることは叶うのかもしれない。だが確証がない上にリスクが高すぎる。大岩を持ち上げられたとして、穴の空いた門まで運ぶ間は人間が他の巨人を駆除しなくてはならないのだから。

 

ピクシス司令の突飛すぎた作戦に全兵がざわめき混乱する中、真っ先に大声を上げたのはやはりと言うべきか、ダズだった。

 

「嘘だ!!そんな訳の分からない理由で命を預けてたまるか!!俺達を何だと思ってるんだ!?俺達は……使い捨ての刃じゃないぞ!!」

 

巨人への膨大な恐怖心によって司令の言葉を一切信用出来なかったダズは、本能のままにそう言い放って立ち去ろうと壁に背を向けた。

 

「オイ!!待て!!死罪だぞ!?」

 

「人類最後の時を家族と過ごします!!」

 

引き止める上官に対しても見事に言い捨ててみせた。それが皮切りとなり離脱者が至る所で現れ始め、隊列が崩れていく。

 

「今日ここで死ねってよ!!俺は降りるぞ!!」

 

「俺も!!」

 

「わ…私も…」

 

見かねた上官の一人がついに刃を抜いて吠えた。

 

「覚悟はいいな反逆者共!!今!!この場で叩き斬る!!」

 

厳しい形相で迫る上官に対抗しようと離反者までもが刃を抜こうとしたその時、空気が震えた。

 

「ワシが命ずる!!今この場から去る者の罪を免除する!!」

 

「なっ…」

 

ピクシス司令の言葉に耳を疑った。規律を保つべき立場の人間が、規律の混乱を良しとした。その意を理解できない者は俺だけではなかったらしく、さすが離反する素振りすら見せないイアンさんや他の班員も訳も分からないままただ見上げていた。だが、その意はすぐに司令本人の口から言い渡された。誰もが納得せざるを得ない形で。

 

「一度巨人の恐怖に屈した者は二度と巨人に立ち向かえん!巨人の恐ろしさを知った者はここから去るがいい!」

 

巨人への恐怖を目にしただけで簡単に折れる自分の心。それを事実として、現実として真っ直ぐ突きつけられたことへの屈辱。されど彼らは壁から背を向けたまま。それを苦く噛み締めるだけで命が得られるというのならば安いものだと言うように。

 

「そして!!」

 

しかし、悲しいかな。巨人から、あるいは現実に背を向けた者達にも、ソレは逃がすまいと追い打ちをかけトドメを刺しに迫ってくる。決して逃げることの出来ない、それが目の前で実際に現れた事実。現実なのだから。

 

「その巨人の恐ろしさを自分の親や兄弟!愛する者にも味わわせたい者も!!ここから去るがいい!!」

 

あるいは皆、わかっていたのかもしれない。ここから逃げても、これからも逃げ続けても、鳥籠の中にいる自分たちには限界があると。そうなれば当然、身内にもソレは迫る。それでも、一瞬でも長く一緒にいられるのなら……。

 

しかし現実は突きつけられた。あやふやにして目を背け、責任から逃れようとした彼らの前に現実はハッキリと戻ってきた。

 

「それだけはダメだ…」

 

誰かが絞り出すようにして呟いた。彼らの足先が回る。その肌は恐怖で青ざめていた。その手は恐怖で震えていた。しかし、その目は。壁の向こうを見るその目は、愛する家族だけを見ていた。

 

「4年前の話をしよう!!4年前のウォール・マリア奪還作戦の話じゃ!!」

 

ピクシス司令が語るうちに、隊列が戻っていく。

 

「あえてワシが言わんでもわかっておると思うがの!!奪還作戦と言えば聞こえはいいが!要は政府が抱えきれんかった大量の失業者の口減らしじゃった!!」

 

シガンシナから生き残ったアルミンの両親を含めた、当時の人口の2割。約25万人が命を落とし、僅か100名しか生還しなかったという王政府が発令した奪還作戦。彼らはまともな装備も訓練も与えられないまま壁外へ行き、無残に散った。

 

「皆がそのことに関して口をつぐんでおるのは彼らを壁の外に追いやったおかげで!!我々はこの狭い壁の中を生き抜くことが出来たからじゃ!!ワシを含め人類すべてに罪がある!!」

 

「ウォール・マリアの住人が少数派であったがため争いは表面化しなかった!!しかし!!今度はどうじゃ!?」

 

「このウォール・ローゼが破られれば人類の2割を口減らしするだけじゃ済まんぞ!!最後のウォール・シーナの中だけでは残された人類の半分も養えん!!」

 

仮にこの目の前にそびえ立つ壁が破られた場合、どうなるだろうか。南側に住む人々がどれだけ生き残るかはわからないが、その他3方角に住む人は殆どがウォール・シーナまで辿り着くだろう。しかしその内側の容量はピクシス司令の言う通りかなり狭い。そこを仕切っている政府や憲兵団の良い噂はあまり聞かないことから、ほぼ間違いなく門は閉じられるだろう。

 

だがそれで仕方がない、諦めようなどと人間は考えたりしない。なんとしてでも生存を勝ち取ろうと、利害の一致した者達が『敵』に立ち向かう。ただの一般民なら大したことにはならないだろうが、外側には調査兵団や駐屯兵団も含まれる、つまりそれは────

 

「人類が滅ぶのなら巨人に食い尽くされるのが原因ではない!!人間同士の殺し合いで滅ぶ!!」

 

戦争である。

 

「………」

 

責任者は堂々と叫ぶ。この壁を放棄することは人類の敗北を意味すると。だから、立ち向かわなければならないと。誰かが彼に陰口を叩くかもしれない。自分は直接戦わないくせにと。中には彼に大きな不満を抱えた者もいるかもしれない。俺達は捨て駒なんかじゃないと。

 

しかし、彼は叫ぶ。決して謝罪の弁を述べることはなく、決して頭を下げることもない。どれだけ酷評されようとそれは承知の上。『敵』に打ち勝つこと。今はただそれだけが彼の背負った責任であり、その為なら自分の評価だろうと自分の部下だろうと、捨てることを決して厭わない覚悟がある。それが、現状に変化をもたらす最善手であるために。

 

「我々はこれより奥の壁で死んではならん!!どうかここで───」

 

 

 

 

 

「ここで死んでくれ!!」

 

 

 

 



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8 示されし明白

「巨人が出現して以来、人類が巨人に勝ったことは一度もない!!巨人が進んできた分だけ人類は後退を繰り返し、領土を奪われてきた!!しかしこの作戦が成功した時、人類は初めて巨人から領土を奪い返すことに成功する!!その時が!人類が初めて巨人に勝利する瞬間だろう!!」

 

「それは人類が奪われてきたモノに比べれば小さなモノがしれん!!しかしその一歩は我々人類にとっての!」

 

「大きな進撃になる!!」

 

 

「行くぞ!!」

 

イアンの掛け声と共に全員が壁から飛び降りる。壁上を走ってきたおかげで目標である大岩までの距離は最短。区内にいる巨人の大部分が砲撃を行っているウォール・ローゼ付近に引き寄せられているため岩と壁の間に巨人の姿はなかった。

 

「ぐっ……」

 

立体機動後指定ポイントに着地した時、腹部に痛みを感じ右手で抑える。やはり立体機動の負担は大きいようだったが、ここまで来れば引き返すことは出来ない。元々多少の痛みは承知の上で来たためそんなつもりは毛頭ないが、人類の存亡を左右する大舞台で精鋭として選出されたのだ。後悔にならないような働きをしなければ。

 

「ヒイラギ、大丈夫か」

 

「はい、問題ありま────」

 

心配して声をかけてくれたイアンへ返事をしようと振り返った瞬間、轟音と共に突然辺りの明るさが増した。何事かと向き直すと、雨雲は見当たらないにも関わらず大岩付近に巨大な雷が落ちていた。そしてその直後、落雷の地点に蒸気に包まれた何かが現れどんどんと膨れ上がっていく。

 

「……あれが…」

 

本当に人間が巨人になるとは。蒸気の中から起き上がってきたのは、トロスト区本部前で見た例の巨人。言うなれば巨人化エレンは、作戦通りに蹴破られた壁の穴を塞ぐため大岩のもとへ歩みを進める。

 

 

はずだった。

 

 

「………!!?」

 

何故か歩みを止めて振り向いたと思いきや、突然真後ろにいたミカサへ右腕を叩き込んだ。

 

「ミカサ!!」

 

間一髪で避けたミカサは急いで駆け寄るイアンの声を無視し、左腕による二撃目を避けつつエレンの顔に飛びついた。

 

「オイ!?ミカサ止せ!!そいつから離れろ!!」

 

再びイアンが声をかけるがミカサは一向に離れようとせず、エレンの目を見て声をかけだした。

 

「エレン!!私がわからないの!?私はミカサ!!あなたの……家族!!あなたはこの岩で穴を塞がなくてはならない!!」

 

赤い煙弾がリコの手によって打ち上げられる。いや、こうなることはわかりきっていた。そもそも嘘で出来上がった作戦だ。理想と現実に齟齬が生まれて瓦解することは目に見えていた。

 

未だ声をかけるミカサに向けてエレンが右腕を引き寄せるが、ミカサに避けられ腕は自分自身の顔面を殴り飛ばした。もはやあれはエレンじゃない。ただの巨人だ。班員から巨人接近の報告が上がる。作戦は失敗だ。

 

「イアン!撤退するぞ!!あのガキ扉を塞ぐどころじゃねーよ!!」

 

もしかしたら、なんて幻想は叶わなかった。ここは撤退するべきだ。座り込んで動かないエレンだけでなく、こちらまで餌食になってしまう。

 

「オイ!?何迷ってんだ!?指揮してくれよ!」

 

「イアン!?お前のせいじゃない!ハナっから根拠の希薄な作戦だった!!みんなわかってる!!」

 

「試す価値は確かにあったしもう十分試し終えた!!」

 

「…………」

 

ミタビの言う通りだ。もう諦めるしかない。ここで全員死ぬよりはエレン1人を犠牲にして再び作戦を練り直す方が合理的で可能性がある。ミカサは暴れるだろうが、全員で抑えればなんとかなるはずだ。

 

 

あぁ、それが人としてまともな判断なのだろう。

 

 

「いいか?俺達の班は壁を登るぞ!!」

 

「登ってはいけません!!」

 

俺の声に反応し、全員の動きが止まった。

 

「…登ってはいけません。まだ、作戦は続行すべきです」

 

「訓練兵が口を出すな!それを決めるのは俺達だ!!」

 

「それを承知で申し上げているんです!!作戦続行が絶対だと!!」

 

激昴するミタビに対して主張を繰り返す。

 

「お前も見ていただろう!?これ以上の作戦になんの意味がある!!同期を死なせたくない気持ちは分かるが、今優先されるべきは俺達が生きて帰ることで────」

 

「ピクシス司令の言葉をもうお忘れになったんですか!!最優先は壁を塞ぐことです!!その目的を基準にするなら、優先すべきは俺たちではなくエレンの命です!!」

 

「その優先順位はもうなくなった!奴が失敗したのを見ただろう!?」

 

「ならばもう一度挑戦すればいいんです!!」

 

こんな話をクリスタに聞かれでもしたら、どんな顔をされるだろうか。別に死ぬつもりでいるのではない。ただ死ぬ可能性が高いというだけのこと。いや、それでも酷く怒られるだろう。

 

「……………狂ってる……」

 

ミタビが吐き出すように呟く。ウォール・ローゼ側に巨人を引き寄せるため、砲撃に加えて大勢の兵士がトロスト区へ降りて囮になっている。既に大量の死体が巨人の腹の中に詰まっていることだろう。そんな惨劇を繰り返してでもエレンを利用すべきだという考えは、確かに狂気の沙汰なのだろう。だが────

 

「ヒイラギ」

 

イアンさんが俺の肩に手をあて静止させた。そして割って入るように1歩前へ出た班長は、各班に命令を下した。

 

「作戦は、続行する!」

 

「っ!」

 

「何だって!?」

 

リコが声を荒らげる。ミタビもイアン班長を問い詰めようとするが、当人は構わず言葉を続けた。

 

「ただし内容は変更する。エレンを回収するまで彼を巨人から守る。下手に近付けない以上エレンが自力で出てくるのを待つしかないが……人類にとっての貴重な可能性を、簡単に放棄することはできない。俺らと違って彼の代役は存在しないからな」

 

「……お前もこの出来損ないの人間兵器様のために、数百の犠牲を出す作戦を繰り返せっていうの?」

 

「そうだ…ヒイラギの言う通り、何人死のうと何度だって挑戦すべきだ!」

 

現場指揮権の保持者による耳を疑わざるを得ない言葉に、リコとミタビは一瞬言葉を失う。そしてそれは俺も同じだった。例え周りが反対しようとミカサにだけでも協力を仰いでエレンを死守するつもりでいたのだが、思わぬ誤算が生じた。イアン班長は、俺が思っていたよりずっと強い人だった。

 

「イアン!?正気なの!?」

 

「では!どうやって!!人類は巨人に勝つというのだ!!」

 

一切納得できていないリコに対して、イアン班長は問いかける。

 

「リコ教えてくれ!!他にどうやったらこの状況を打開できるのか!!人間性を保ったまま!人を死なせずに!巨人の圧倒的な力に打ち勝つにはどうすればいいのか!!」

 

人としてまともな判断。それは誰もが理解できるものである反面、場合によっては一つの妥協と受け取ることも出来る。それを繰り返して負けたとしても、相手との絶対的な戦力差という理由で無理矢理納得することができるから。しかし、それでは決して勝つことは出来ない。

 

「……………巨人に勝つ方法なんて、私が知ってるわけない…」

 

「あぁ…そんな方法知ってたらこんなことになっていない。だから……俺達が今やるべきことはこれしかないんだ…」

 

イアン班長は未だ動く気配もない巨人を見下ろす。

 

「あのよく分からない人間兵器とやらのために、命を投げ打って健気に尽くすことだ」

 

何故俺はあんなことを言ったのだろうか。冷静に判断すれば作戦は中止。普段の俺ならば迷いなくそう断言しただろう。しかし今回は違った。命懸けという場面で興奮しているからだろうか。

 

「悲惨だろ………?俺達人間に唯一出来ることなんてそんなもんだ…。報われる保証の無い物のために…虫けらのように死んでいくだろう」

 

そもそも俺は何かを為したいがために二度目の生を過ごしている。その『何か』が何なのかすら未だ漠然としたままで。ただ間違いないのは、他人を助けたいからという立派な正義感を持っていない俺は、前世で為し得なかった何かを為したという自己満足が欲しかったのだ。

 

ならば、俺は生きる選択をすべきではなかろうか。この作戦で死んだ結果エレンが生き残り、後に巨人に勝利する。そんなまだ見ぬ結果だけで俺は満足出来るだろうか。

 

否である。

 

ならばこんな狂った作戦に乗らず、本能に従い生存の道を選択する。そして、わかりやすい形で満足できることを為した後に自分に浸りながら死ぬ。あぁ、これが最善だ。俺にはそうする力がある。さあどうする。

 

否である!

 

ならば俺の目標はなんだ。所詮くだらない前世を生きた俺に、それ以外の何が出来るというのだ。何を為せばいいというのだ。

 

「…っ」

 

腹部が痛む。クリスタやイアン班長には強がったが、実際はかなり痛い。触れば血が滲んでいるのを感じ取れる。次同じところへ攻撃を受けたら間違いなく致命傷になるだろう。そうまでしてこの地獄へ降りた理由はなんだ。…明白である。

 

 

俺は─────

 

 

「さぁ…どうする……?これが俺達にできる戦いだ……俺達に許された、足掻きだ」

 

「…そんなの……納得できない」

 

「リコ!」

 

背を向けたリコをイアン班長が呼び止める。しかし、リコの言葉は予想に反したものだった。

 

「作戦には従うよ。あなたの言ってることは正しいと思う……。必死に足掻いて、人間様の恐ろしさを思い知らせてやる。犬死なんて納得できないからね……。後ろの12m級は私の班に任せて」

 

そう言うとリコ班長は班員を連れ、屋根から飛び立った。刃を抜いた兵士達がまっすぐ巨人へと向かっていく。

 

「立ち話が過ぎたなイアン……それとお前、名前はなんていう」

 

イアン班長の肩を小突いたミタビ班長は、俺に名を問う。それに対し俺は敬礼をとって応じる。

 

「ヒイラギ・ロイスです」

 

「ヒイラギ…覚えておこう。………さっきは悪かったな」

 

謝罪を口にしたミタビ班長は仲間を連れ、前方2体の巨人に向かって飛び立って行った。作戦は続行で間違いないようだ。イアン班長が味方してくれたおかげだろう。

 

「……イアン班長、ありがとうございます」

 

「例には及ばない。お前があんなことを言う奴だとは、少し意外だったがな」

 

「俺もです…」

 

衝動で声に出したことだったが、おかげではっきりした。俺の為すべきこと。いや、俺の為したいことが。

 

「それにエレンを見放すような真似をすれば、ミカサが何をやりだすか分かったもんじゃないからな……」

 

「あ、ありがとうございます…」

 

傍まで来ていたミカサが礼をする。それを断るように片手を上げたイアン班長は、彼女に今後の動きを示した。

 

「ミカサ。お前は当初の作戦通り自由に動くんだ。その方がお前の力が発揮されるだろう」

 

「はい!」

 

「恋人を守るためだからな」

 

「………家族です」

 

照れるように班長から目を逸らしたミカサの視界に、未だ動かず、さらには巨人の特徴である傷の再生が行われていないエレンの姿が映る。しかし、迷った後に彼女の出した答えは作戦の遂行だった。自分にできることを。彼女も彼女なりに考えているのだろう。

 

「ヒイラギ。お前はどうだ」

 

「問題ありません。作戦通り、ミカサの援護に回ります」

 

「あぁ。…………ヒイラギ」

 

「はい」

 

飛び立つ寸前で呼び止められ振り向くと、イアン班長がこちらをまっすぐ見て、心の底からの言葉を口にした。

 

「この作戦、どうなるかはわからないが………どんな結果になろうと、お前は決して間違ってなどいない。それだけは、覚えておいてくれ」

 

「……ありがとうございます」

 

もう一度敬礼をし、俺は屋根を蹴った。

腹部の痛みを排除し意識を立体機動と巨人にのみ集中させる。先に飛んだミカサは既に接敵して片足を切り落としていた。彼女の腕ならば討伐は容易いことだろう。今俺がすべきなのは、ミカサが一体一体確実に仕留められる環境を作ること。そのためにはまず、片足になった巨人の後方から近づくもう一体の動きを止めなければ。

 

直線距離では屋根をつたうこととなって時間がかかってしまう。それを考慮し時間的最短で辿り着くためには当然建物間を飛び抜けることが最善手。しかしミカサがうなじを狙って飛び回っている以上、高度を上げて飛べば奴らの手に捕まる可能性がある。ならば、1番リスクのない飛び方は、超低空での機動となる。

 

「ぐっ…!!」

 

振り子の運動を活用しない純粋なガス噴射のみで加速し、地面との接触でヒバナを散らしながらいくつかの角を曲がっていく。そして最後の角を抜けると、片膝をついた巨人がミカサを捕まえようと両手を上に持ち上げているのが見えた。しかし俺の目標はそいつではなく、その後ろにいる巨人。移動に割いた時間は最短だったとはいえ、かなり接近してきていた。

 

ガスを再噴射。地面に落ちないよう細心の注意を払いながら超低空を飛び、手前の巨人との接触寸前で全身をねじさせる。体を回転させ隙間を縫うようにして巨人の股の間をすり抜けた俺は、もう一度ガスを噴射させその勢いを加速させる。2体目の巨人は不意打ちのように現れた俺に反応出来ず、左のアキレス腱を容易に断ち切らせてくれた。

 

だが、予想外のことが起こる。通常片足の機能を失った巨人は膝をつくか前向きに倒れるのだが、タイミングが悪かったのかその巨人は後ろ向きに倒れてきてしまった。見ると、左足に攻撃を仕掛けた時にちょうど右足を持ち上げていたようだった。

 

「ノロマなっ……!!」

 

悪態をつきながら体の向きを変え、アンカー射出後に倒れてくる巨人の背中に向かって上昇する。このまま後ろ向きに倒れられたらうなじが地面によって防がれトドメをさせなくなってしまう。それを防ぐには、最低でもミカサが充分うなじを狙える体勢で留めなくてはならない。

 

「ッ!!」

 

息をとめ、力一杯に背中を蹴り飛ばす。しかし勢いが足らなかったか押し戻せるほどの力はなかった。ガスを噴射すればあるいは可能だが、ただでさえ移動で消費しているというのにここでさらに消費を重ねれば、後にガス欠を起こすのは必然となる。もしもの時に壁を登ることができない、なんて状況はなんとしても避けたい。

 

「………ッ、ミカサ!!」

 

アンカーを刺していた建物の壁が巨人の重さに耐えられず崩れそうになるのを感じ取り声を上げる。すると次の瞬間俺の頭上をミカサが通り抜け、その拍子に巨人のうなじが斬り飛ばされた。

 

「大丈夫!?」

 

「……平気だ。次に行こう」

 

少し切らした息を整えるため屋根に降りた俺を心配して駆け寄ってきたミカサに、イアン班とミタビ班が対応している巨人を示す。6m級は倒せたようだが、残り10m級は討伐しあぐねている。

 

「わかった…!」

 

瞬時に移動を開始していち早く辿り着いたミカサが、屋根に手を叩きつけ隙を見せていた巨人に上空から接近しうなじを一撃で削ぎ落としてみせた。今度は人数も多く、兵士達が注意を引いていたため楽に仕留めることができたらしい。

 

「マズイぞ………後ろだ!!」

 

「13m級1体!!建物を横断してエレンに向かって接近しています!!」

 

地面を這って移動していたためか、かなりの接近を許してしまっていた。とはいえ敵は単体で無防備に屋根で這いつくばっている。仕留めることは容易いだろう。が、さらに報告は続く。

 

「扉から新たに巨人が入ってきます!!」

 

「およそ10m級4体出現!!」

 

ミカサは一瞬迷うが、より近くまで接近している13m級を選択した。そしてそれはイアン班長も同意見だった。

 

「ミカサ、ヒイラギ!!後ろを頼む!!」

 

「了解!!」

 

「エレンの所に向かわせるな!!ここで食い止めるぞ!」

 

大きく外側へ振って高度を下げるような軌道を描いたミカサは巨人の後ろにつく。そして建物の上にアンカーを刺して大きく飛び上がり、重力加速にガス噴射を合わせ勢いのままに巨人を叩き斬った。援護の必要を感じさせない見事な動きだ。

 

「ミカサ!!」

 

「アルミン!?」

 

俺が彼女の隣に着地した時、エレンの方から聞き覚えのある声がした。エレンとミカサの幼馴染、アルミン・アルレルト。戦闘技能では優れていないため選抜組に選ばれなかった彼が、何故ここにいるのか。

 

「作戦はどうなった!?エレンはどうなっているんだ!?」

 

「危険だから離れて!!」

 

そこまで聞いて俺はその場を去った。アルミンとミカサほどエレンを理解している者はおらず、逆に俺はエレンのことを深く知っているわけではない。ならば俺があの場にいる意味は無い。優れた頭脳を持っていたならいてもよかっただろうが、それもアルミンの方が適任である。

 

俺は、4体を同時に相手取っている精鋭班に加勢しなくてはなるまい。彼らとて、あの数を倒すのは難しいだろう。

 

「ッ……!!」

 

突如、空気が震えた。後方からビリビリと脳を直接揺らすような叫声が響いてきたせいで多少バランスは崩れたが、すぐに立て直せられた。おそらく巨人化エレンの声だろうが、一体アルミンは何をしたのだろうか。

 

とはいえそちらは彼らに任せた以上、振り返ることは許されない。意識を目の前に戻し、2つ道を挟んだ先で巨人に捕まった駐屯兵を目標に据える。今回は距離的にも時間的にも最短は直線一択。

 

1つ先の屋根にアンカーを射出しガス噴射と共にすぐさま巻き取る。屋根との衝突で勢いを殺さないため着地と同時に側宙を繰り出し、その後の着地で屋根を蹴ってさらに加速する。人間を捕え浮いていた巨人の腕を斬り落とした直後、イアン班長がその巨人のうなじを削いでみせた。何度か攻撃を仕掛けた形跡があったが、ようやく絶命せしめたようだった。

 

「ぐっ…ゲホッ!……すまねえな、ヒイラギ…」

 

「いえ。今手当します」

 

巨人の手から解放された兵士は大量の出血を起こし脚にはいくつか骨折している場所があったが、俺に出来るのは応急的な止血と骨折箇所の固定のみ。それで暫くは持たせられるだろうが、やはり本格的な治療は安全圏でしか行えまい。

 

しかし、止血帯を取り出そうとした俺の手を横たわる兵士が掴んで押さえつけてきた。自らの命に関わる行為に異議を申し立てようと口を開くが、彼の目を見た時、一切の言葉が出せなくなった。

 

「駄目だ!お前は班と合流してエレンを守れ!!」

 

「………し、しかしっ…それではあなたが………せめて安全な場所へ」

 

「いいから行けぇ!!」

 

その文字通り必死の言葉に突き動かされるように、俺はそこから離れた。そしてイアン班長に引き付けられていた巨人を斬り捨てた直後、後ろから断末魔の叫びがパキッという音と共に耳に入ってくる。

 

「ッ!!」

 

歯を食いしばる。たとえ常人と異なる才能を持ち、訓練兵の首席をとり、初陣にて単独で多くの巨人を狩ろうと、全てを救えないことはわかっていた。頭では理解出来ているはずだった。しかしいざ目の前に救える命があれば思わず手を伸ばしてしまう。クリスタならきっと、それは優しさだと励ましてくれるだろうが、その優しさで巨人が自ら命を絶ってくれるわけじゃない。

 

ピクシス司令は示した。大いなる目的を果たすためには、多少の犠牲は厭わないと。そして兵士であり駒である俺達は、その犠牲となる覚悟を真っ先に持たなければならない。俺はそれを理解した風にして、実際にはどこか下に見ていたはずの駐屯兵団の先輩達の方がよっぽどその覚悟を持っていた。多少の犠牲を救おうとして、大いなる目的が果たされなくなるのは言語道断。力を過信して内心お高くとまっていた自分に反吐が出る。

 

「くそッ…!!」

 

建物の上へ登らんとする巨人の片脚をぶった斬りバランスを崩させ、地面へと叩き落とす。

 

俺にとっての大いなる目的。俺だけの絶対的目標。それと目の前で死に行く兵士達のどちらが重要か、比べるまでもない。選べる選択は2つの内の1つ。3つ目の選択肢は有り得ない。神に愛されし無敵の体は無く、祝福されし勇者の剣もこの手にはない。第3の選択肢は俺の両手では掬いきれないほど大きすぎた。

 

だから俺は、為したいことへと至るまでに生じる犠牲を良しとする。

 

「巨人5体……扉から来ます!」

 

「一旦下がるぞ!!エレンの状況に応じて判断する!!」

 

「了解!!…………ッ!!」

 

後退指示に従い振り返った時、この目に映った驚くべき光景を理解するのに数秒を要した。信じられないことに大岩と、全身から蒸気を放つ巨人が、大地を揺らしながら前へと進んでいた。

 

「エレン…」

 

ミカサがその名を呼ぶ。彼は立ち上がった。重々しくも猛々しく、自身の体より巨大な岩を門へと運ぶため。人類初めての勝利を掴むため。巨人を滅ぼさんとする人類の希望を一身に背負い、エレン・イェーガーは一歩、また一歩と前へ進む。

 

「後方から巨人多数接近!!」

 

「アルミン!!」

 

「エレンが勝ったんだ!!今…自分の責任を果たそうとして…!!」

 

興奮冷めやらぬ様子で飛んできたアルミンが、食いつくように叫ぶ。現状を打開する道を。人類が勝利する道を。

 

「エレンを扉まで援護すれば!!僕らの勝ちだ!!」

 

「……………!!」

 

距離にして、家屋8棟分。エレンがその長さを歩けば穴は塞がる。巨人の数、5体。たった5体を近づけさせなければ、俺達は勝利する。

 

「死守せよ!!」

 

「我々の命と引き換えにしてでもエレンを扉まで守れ!!」

 

全員が巨人へ立ち向かう。イアン班長の指示に従いミカサとアルミンはエレンの前を。俺は班長と共に巨人を引きつける役目を。しかし今巨人が立っている家屋と壁との間は幅が広く、立体機動を活かせる場所ではない。どうすれば確実に巨人をエレンから遠ざけることが出来るだろうか。

 

「ミタビ班…!?」

 

「何を…!?」

 

目にしたのは狂気の沙汰だった。門側にいたミタビ班4人は立体機動を捨て地上に降り、巨人を挑発するように叫びながら接近していった。そして2体の巨人の注意を引くや否や、方向転換し建物の方へと駆け出した。

 

「そんな…!!地上に降りるなんて自殺行為だ!!馬も建物も無いんじゃ戦えない!!」

 

アルミンが嘆く。確かに自殺行為だ。立体機動による勢いがなければ奴らの指を削ぎ落とすことすら難しい。しかし…

 

「イヤ…もう…………あれしかない」

 

こっちは7人。向こうは3体。2人か3人で1体ずつ当たれば、エレンが壁にたどり着くまでの時間は稼げる。ここが、正念場だ。

 

「ミタビ班に続け!!無理矢理接近してでも目標を俺達に引きつけろ!!」

 

全員が飛び降りる。ミカサとアルミンとは分かれ、俺を含めたイアン班はまっすぐ巨人の方へ走り寄る。

 

「こっちだクソ巨人共!!」

 

誰かが叫んだ。誰かが刃を1枚投げつけた。誰かが口笛を吹いた。各々思いつく限りの挑発行為を繰り返し、3体全ての巨人を引きつけることに成功した。

 

「建物まで走れ!!」

 

イアン班長の号令と共に転身する。全力で駆けるが敵は巨大なだけあって歩幅も大きく、かなりの速さで距離を詰めてきた。すぐ後ろに気配を感じる。捕まれば一環の終わり。左で叫び声。しかし振り向かない。建物までおびき寄せられれば立体機動に移ることが出来る。あと、10メートル!!

 

「………………え?」

 

視界が揺らいだ。意識が朦朧とする。顔が、何かと擦れる。…俺は、どうした………?今、何をしている…………走っていない………倒れているのか……?

 

何故………?

 

「ヒイラギ!!」

 

身体が浮いている………いや、何かに掴まれている………何に…………当然、巨人だ………巨人に…………巨人に………?まさか……捕まった!?

 

「ま……てぇっ!」

 

意識を起こす。未だ視界は暗い。この状態には覚えがある。貧血だ。戦闘や思考に意識を回しすぎて傷口の悪化に気が付かなかったようだ。そうと知れると腹部の痛みが尋常じゃない。貧血を起こすほどの出血をしているのも道理だ。

 

「はなせ……ッ!俺にはまだ……やらなきゃならないことがッ!?」

 

巨人の大きく開かれた口が近づく。1度その中に入ってしまえば生え並ぶ歯に俺の体は真っ二つにされてしまう。駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!それは駄目だ!!許されない!!俺はまだ為せていない!!まだ死ぬわけにはいかない!!俺はまだ……まだ彼女に…!!

 

「……なッ!?」

 

突如、巨人の手から開放されたかと思えば後ろへ投げ飛ばされた。

 

「ガッ!!」

 

地面に直撃し数度転がり静止するや否や、痛みのことなど忘れてすぐさま立ち上がり、叫ぶ。落下している最中、俺を救い出した兵士の姿がはっきりと見えた。思えば意識が消えかかった時、真っ先に名を呼んでくれたのも彼だった。

 

「イアン班長!!」

 

「走れ!!生きろ!!生きて───」

 

イアン班長の言葉が途絶えた。巨大な歯で切断された、班長の首が目の前に転がっている。死んでしまった。初めて尊敬できると思えた人物が、目の前で。

 

「…ッ!!」

 

俺は再び走り出した。彼の亡骸に背を向け、建物へ向かって一直線に駆けた。彼が稼いでくれた時間を活用して生き延びねばならない。彼の死は仕方の無いことだ。俺の目的のためには必要な犠牲だった。

 

それが俺の選んだ道だ。

 

「フゥッ!!」

 

建物に辿り着き、立体機動へ移行する。すぐそばで喰われる班員には目もくれずエレンの方へと向かう。巨人3体の引きつけは十分に達成された。今更構っている余裕はない。エレンと門までの距離は残り僅か。だが、1体だけが門の穴を潜り抜けてきた。奴が邪魔をすればせっかくの好機が不意になる。しかし逆に言えば、奴さえ倒せれば、作戦は成功だ。

 

「行くぞ…!!」

 

巨人に握られてより広がった傷口の痛みを誤魔化すように、自らを奮い立たせる。たった1体だ。エレンの前にはミカサがいる。討伐は彼女がやってくれるだろう。俺はイアン班長の指示通り、彼女の援護だ。

 

「ヒイラギ!!」

 

またもや俺の名を呼ぶ声が聞こえた。しかし今度は男性の声ではなく、張りのある女性の声だった。隣に見覚えのある人が現れた。丸眼鏡をかけた銀髪の駐屯兵。リコ班長だ。

 

「お前は右眼だ!!カウント5!!合わせろ!!」

 

「…ッ!! 了解!!」

 

5…

 

ガスを惜しみなく噴射させ加速する。13m級を討伐したミカサの動きに倣い、壁から離れるように大きく振りながら高度を下げる。

 

4…

 

そしてここぞというときに建物の屋根ギリギリにアンカーを刺しガスを再噴射。一気に加速した俺の体は大きく飛翔する。

 

3…

 

ミカサとアルミンに意識を向けている巨人の真上を飛び越え、壁から突き出た細く長い四角錐台の支柱に足を着かせる。

 

2…

 

着くや否や壁を蹴り巨人の顔を視界に入れる。相変わらず下を向いて俺やリコ班長への認識は皆無だ。

 

1…

 

両者同じタイミングでアンカー射出。それぞれ眼球の近くに刺さったのを確認してガスを一気に噴射。そして刃を手にした両手を振りかぶる。

 

0…

 

ワイヤーを回収しきると同時に両手を振り下ろす。両眼の機能を同時に失った巨人は方向感覚すら失い挙句の果てに尻を着いた。そしてそれを見逃すほど、ミカサ・アッカーマンは甘くない。

 

「ッ!!」

 

全速力で裏へと回りこみアンカーを射出。一切の迷いなく斜め下から一撃でうなじを削ぎ落としてみせる。これで、邪魔者はいなくなった。

 

大岩で穴を塞ぐ。そのためだけにどれほど犠牲が出たことだろう。100人。200人。今日壁が破壊されてからも含めればもっとだ。しかし、それは仕方ないと割り切るしかない。数百の命で数百万の命が救われたのだ。むしろ喜ぶべきことだろう。

 

こんなことを言えば、俺を間違いだと蔑むやつがいるだろう。確かに人道的かと言われれば決してそうではない。その観点でいうならば俺は間違っているのだろう。しかし相手は人ならざるモノ。窮屈な人の枠組に囚われていては勝てる可能性がなくなってしまう。

 

「い……いけえぇぇぇエレン!!」

 

非情になれ。冷徹になれ。残酷になれ。為したいことがあるのなら、他は捨てる覚悟を持って戦え。それが、それだけが…

 

 

『俺達』が『勝利』する唯一の道だ。

 

 

「…………ッ!!」

 

地面に尻を着いたまま、俺は大きく目を見開いた。鳴り響く轟音。力尽きる巨人。ひび割れた壁。光を閉ざした大岩。それら全ての要素が、作戦の成功を物語る。

 

「皆……死んだ甲斐があったな…」

 

リコ班長が噛み締めるように呟く。

 

「人類が今日…初めて…勝ったよ…」

 

黄色の煙弾が空高く舞い上がる。人類は今日、間違いなく一歩を踏み出した。巨人打倒という悲願を果たすための一歩を。

 

「……っ」

 

重い体を持ち上げる。穴は塞がり作戦は成功。しかし、俺のすべきことはまだ残っている。驕りがあった故に交わした約束だったとはいえ、ここまで来てクリスタを裏切るような真似はしたくない。

 

「残った巨人が来る!!壁を登るぞ!!」

 

「エレンを回収した後離脱します!!」

 

「俺も手伝っ、……くっ…」

 

膝が崩れ傷口から溢れる血が地面に飛び散った。後ろから地鳴りのような足跡が近づいてくるのが感じ取れる。立て。立ち上がれ。エレンを助け出すのはミカサやアルミンに任せて俺は壁を上るだけでいい。だからもう一度。もう一度だけ!

 

「…リ……コ…班長…?」

 

体が持ち上がる。しかし俺の力ではない。頬に銀色の髪が当たっているのがわかる。リコ班長が肩を貸す形の支持搬送で俺の体を支えてくれていた。

 

「あとすこしだ。堪えろ」

 

「…ありがとうございます……」

 

どうにか歩みを進め、エレンの側まで辿り着いた。しかし、未だエレン本体の体が巨人から切り離されていないようだった。耐えかねてリコ班長が声を上げる。

 

「まだ取り出せないのか!」

 

「体の一部が一体化しかけているんです!」

 

「なら切るしかない!」

 

アルミンの報告を聞いたリコ班長は決断する。しかしそれに対してミカサが意義を申し立てる。

 

「ま、待って下さい!」

 

「うわ!!」

 

突然千切れるように剥離したエレンの体が、引っ張っていたアルミンと共に転がり落ちてきた。あとは離脱するだけ。リコ班長がアルミンに声をかける。

 

「早く立て!急いで壁の上に───」

 

「あ……」

 

アルミンの絞り出すような声を聞き振り返る。間に合わない。すぐそこまで巨人の手が迫ってきていた。今すぐ立体機動に移って討伐するのは不可能だ。せめて、エレンだけでも生き残る道を…

 

「え……ミカサ…?」

 

違う。ミカサはエレンの隣にいる。ではなんだ。何故、巨人が倒されている……?

 

「あ……れは……」

 

蹂躙された巨人の上に立つ小柄な人影。とある兵団の象徴たる自由の翼を背負った、その男の名は…

 

「オイ、ガキ共。これは……どういう状況だ?」

 

 

「…………どう、なった…?」

 

目を覚ますと、空が青かった。背中から感じる規則的な軽い振動と車輪が転がるような音から、荷馬車で運ばれているのが理解出来た。傷口に手を当ててみると、真新しい包帯が巻かれている。

 

「調査兵団が駆けつけてくれたおかげで助かったんだ」

 

リコ班長が顔を寄せ覗き込んできた。頬に当たる髪がくすぐったい。

 

気を失う寸前の記憶を呼び覚ます。確か俺が倒れそうになった上エレンを取り出すのに手間取ったため巨人に捕まりそうになったところを、自由の翼を背負った男が救ってくれた後、続々と調査兵団の兵士達が降りてきて付近の巨人を一掃してくれたのだ。

 

「……ぐっ…」

 

「おいっ、無理をするなっ」

 

「……いえ、大丈夫です…」

 

上半身を起こそうとした俺の背中をリコ班長が支えてくれる。荷馬車の周りでは10数の駐屯兵と数名の調査兵が馬と並行して歩いていた。そして前方にもう1台荷馬車があり、そこにミカサとアルミン、そして横たわるエレンが乗っていた。

 

「見えてきたぞ」

 

言葉と共にリコ班長の指した先に、駐屯兵と訓練兵の集団が見えた。しかし彼らの表情は疲れきっていて、決して明るいものではなかった。歓喜を上げるには、失った仲間の数があまりに多すぎたのだ。

 

「あ……」

 

その集まりの中に、金髪の少女を見つけた。向こうもこちらに気づき目が合う。直後、少女が壁上に沿って走り出す。

 

「クリ……ス…タ…」

 

「ん…?なっ、何してる!?」

 

リコ班長の静止を振り払い荷馬車から転がり落ちる。周りの兵士達も心配して寄ってくるが、構わず走り出す。

 

「うっ……くっ…」

 

視界が揺らぐ。足元もふらつく。体は重く、今にも倒れそうだ。でも、脚は止められない。

 

「はぁっ……はぁっ…!!」

 

息が切れる。肺が痛む。また傷が開くかもしれない。構うものか。目の前に彼女がいる。彼女がこちらに向かって来ている。そんな時、俺が何もしないままでいられるものか。

 

「ヒイラギ!!」

 

名が呼ばれる。少女はすぐそこまで来ていた。伸ばした腕が、彼女の髪に触れる。

 

「クリ…スタ!!」

 

もがくように腕を回し少女を引き寄せる。小柄な体は同じように腕を回し抱きしめてくれた。戦いによって付いた血と土埃と汗の匂いに混じり、女の子特有の香りがした。

 

「無事でよかった……本当に、よかった…!!」

 

耳元で囁くような涙声と息遣いが聞こえる。俺は涙を流し、抱きしめる力を強めた。これだ。これだった。俺が自ら地獄に身を投じ、狂気に充ちた作戦を示し、犠牲を厭わない覚悟を持ったのはこのためだった。

 

「ただいま………クリスタ…っ」

 

なんだろうか、この感覚は。胸の奥底から込み上げてくるような身に覚えのない大きな感情。こんな気持ちは初めてだ。…いや、しかし、これに似た表現なら俺は何度か書物で見たことがある。

 

もう言い訳は必要ない。過干渉。嘘。誤解。兵士の責任。いつ死ぬかわからない。そんなことどうだっていい。俺にとってクリスタは大切な存在だ。俺にとってクリスタはなくてはならない存在だ。だからこそこれを、言葉に表すのなら…

 

 

そう、人はこれを『愛』と言うのだろう。

 

 

「クリスタ……俺は……俺は…っ!!」

 

俺が戦う理由はなんだ。自ら地獄に身を投じ、狂気に充ちた作戦を示し、犠牲を厭わない覚悟を持った理由を言葉に示せ。明白な事実を晒せ。

 

俺が覚悟を持って為すべきこと。

 

俺が心の底から為したいと思えたこと。

 

それは────

 

 

 

クリスタを守ることだ。

 



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9 定められし翼

「だいぶ疲れてるな」

 

「うん……ちょっと大変だったかな…」

 

いつものように病室へ訪れたクリスタの肌は血の気が引いたように真っ青で、顔色だけ見ればどちらが入院すべきかわからないくらいに具合が悪そうだった。

 

大岩で穴を塞いだ翌日、トロスト区周辺には砲声が一日中鳴り響き続けていた。そしてその次の日からは戦いで犠牲となった人々の死体の回収と死亡者名の確認作業が行われた。幸か不幸か病室に軟禁となった俺はその作業に参加しなかったが、少なくとも異臭の中で死人の顔を何度も見るのはかなり精神を削られるということだけはわかる。

 

さらに死体の中にはただ食いちぎられたり踏み潰されたものだけでなく、一度巨人に飲み込まれた後にまとめて吐き出されたものもあるという。これが、巨人は消化器官を持たず生存のために人間を捕食しているのではないという説を裏付けているのだが。

 

「ジャンがマルコを見つけたんだって…」

 

彼女の言い方からして、見つかったのは死体だったのだろう。洞察力、判断力、そして冷静さを兼ね備えていたマルコは班員を束ねて無難に立ち回るはずと思えたのだが、そう甘くはなかったようだ。

 

「……マルコの班は他に誰がいた…?」

 

「えっと…アニとライナー、あとベルトルトかな……皆無事だよ」

 

「あの3人か…」

 

彼らはよく行動を共にしていて、ライナーとベルトルトは同郷と聞く。あるいは3人を助ける為マルコは犠牲になったのかもしれないが、それを当人らに聞くのはあまりに酷すぎる。

 

「……あれ、どうしたの?」

 

ふとクリスタが窓際に置かれた籠を指さす。中には幾つか果物が入っていて、一緒に木皿と小さなナイフも添えられていた。

 

「リーブスさんが見舞いに来てくれてな。兵士の義務だとかつまらん怪我をして時間を無駄にするなとか、散々悪態をついた後にそれを置いて帰っていった」

 

「面白い人だね」

 

言動のちぐはぐさがおかしかったのか、クリスタは小さく笑った。そしてその籠に手を伸ばして赤い果物とナイフを取り、徐ろに皮を剥き始める。

 

「自分でやる。疲れてるだろ」

 

「ううん、大丈夫。それに私、何も持ってこなかったから」

 

「気にしなくていいってのに…」

 

だがクリスタが皮剥きを止める気配はない。俺は諦めて、終わるのを待つことにした。窓から流れ込んだ風が金色の髪を揺らす。その隙間から覗く少女の顔は見惚れるほどに美しく、この瞬間が永遠に続けばいいのにという願望を抱かせた。

 

「………」

 

「ッ!?ヒ、ヒイラギ……!?」

 

その少女の頭に左手を乗せて軽く撫でる。

思えばいつからだったろうか。クリスタを守るという俺の為したいことを明確に表したのは六日前だが、言葉にせずとも同じ想いを抱いたのはそれよりずっと前だったはずだ。

 

正直に言えば、最初はただの興味だった。彼女の整った顔に反した歪な在り方に好奇心を唆られ、偶然好機を手にしたため行動を共にするようになっただけだ。少なくとも彼女と2人で街に出掛ける前まではそう思っていたはずだ。しかし次第にその在り方に対して好奇心以外の感情が介入していき、いつしかクリスタを通常の知人友人とは別のものとして見ていた。愛については縁遠かった俺がそれに気づくのには、長い時間を要したのだが。

 

「あ、あの……ヒイラギ……?」

 

「ん………あ、すまない…」

 

クリスタが小さく呟くと同時に、乗せていた手をトントンと軽く叩いたことで我に返った。いつの間にか彼女は顔全体を真っ赤に紅潮させていて、深く俯いてしまっていた。

 

それからしばらくしてどうにか自分を落ち着かせたのか、少しだけ顔を上げたクリスタは剥き終えたリンゴを俺に見せて、切り分けるための皿を求めた。

 

「ふっ…」

 

しかしそのリンゴを見た俺は、思わず吹き出してしまった。皮をすべて剥かれ果実を晒したリンゴの上半分は殆ど角がなく綺麗な形をしているのに対して、下半分はガタガタだった。それはもう初めてリンゴの皮剥きに挑戦した素人同然に。

 

「わ、笑わないでよっ!」

 

「いやっ……でもこれは……っ」

 

木皿を手渡した後、堪えられず手で顔を覆う。動揺の仕方がわかり易すぎて笑わずにはいられない。

 

「もうっ!」

 

拗ねるように背を向けたクリスタは皿に乗せたリンゴを慣れた手つきで6等分して、半分をこちらに差し出した。案の定、形の綺麗なものだけを。

 

「こっちじゃなくてもいいんだぞ」

 

「私が気にするからだめ」

 

そう言って勢いよくリンゴを口に放り込んだクリスタの、小さな頬が膨らむ。俺もそれに倣い、一つ手にとって口に含んだ。シャキシャキとした実を噛む毎に中から溢れてくる果汁が口いっぱいに広がる。壁内のリンゴはいくつか食べてきたが、これほど果汁を含んだリンゴは初めてだった。決して安くない、というか絶対高いだろう。リーブスさんに感謝しなければ。と言いたいところだが、退院後はこれまで以上に働かせられそうな気がしてならなかった。

 

「おいしい……!」

 

クリスタが口に手を添えて感想を若干こもり気味に言った。本当においしかったらしく、一つ目を飲み込むと間髪入れず二つ目を口に入れた。

確かにおいしいが、そこまで必死になるほどとは思えない。と、そこまで考えてようやく気がついた。普通、異臭を放つ惨たらしい肉の塊を見た直後に食欲が湧いたりしない。むしろ失せるはずだ。そのせいで配給食に手がつかず空腹だったが、このリンゴは嫌悪感を感じさせないまま胃の中へ収まった。そのためこれだと言わんばかりに食いついたのだろう。

 

まあ、手伝いが増えるくらいは構わないか。彼女の表情を見ていると、素直にそう思えた。

 

「ところで、怪我の具合はどう?」

 

二切れ目も食べ終えて落ち着いたのか、彼女は一度リンゴから目を離してこちらを向き直した。一週間前の戦闘でやはり相当無理をしたらしく右腹部はもちろんのこと、全身ボロボロの状態だった。しかしこれも訓練のおかげかこの身体の体質なのか、治りがかなり早かった。痛みこそ残っているが、傷はほとんど塞がりきっている。

 

「明日には出られるみたいだ。新兵勧誘式にも参加出来る」

 

「そっか…」

 

クリスタの顔色は多少マシにこそなったが、そこから影はなくならない。彼女が見て運んだ死体の中には当然、訓練兵が混じっていたことだろう。そしてその中には、言葉を交わしたことのある人も。

 

さらに彼女の顔の暗さにはもう一つ原因がある。俺が今言った、新兵勧誘式。調査兵団、駐屯兵団、憲兵団がそれぞれ新兵に勧誘演説を行い、新兵はその場で所属する兵団を決定する。それについての悩みだろう。

 

「クリスタは志望兵団、決めたのか」

 

「……私は…」

 

答えを渋る。まだ迷っているようだったが、こればかりは自分で決めるべきことで俺が口出しするようなものじゃない。解散式で10位以内に選ばれたクリスタには選択肢が3つある。普通なら憲兵だろうが、彼女はおそらく…

 

「…ヒイラギはやっぱり調査兵団…?」

 

「あぁ。俺のやりたいことは決まったしな」

 

「…………ねえヒイラギ、六日前にヒイラギが壁の上で言おうとしたことって───」

 

ふいに病室の扉が開き、クリスタの声が妨げられた。俺と彼女がそちらに視線を向けると、肩に薔薇のエンブレムが縫い付けられた兵団服を着た女性が部屋に入ってきた。そしてこちらに顔を向けたその人は足を止め、一言。

 

「邪魔をしたか?」

 

「い、いえっ!!」

 

慌てて立ち上がったクリスタは手早く片付けをして「失礼します!」と銀髪の駐屯兵に挨拶をして走り去っていった。

 

「可愛らしい恋人だな」

 

「違います。からかわないでください…」

 

「…なんだ、そうなのか」

 

クリスタが走っていった方を興味深そうに見ながらリコ班長は丸椅子に腰を下ろした。駐屯兵の中の精鋭だけあってクリスタほど顔色が悪いわけではなかったが、さすがに万全とはいかなかったようで戦場で言葉を交わした時よりも少しやつれて見える。

 

しかしクリスタが来た時にも思ったことなのだが、死体の処理をしていた割には異臭が漂ってこない。それどころか、いつもより石鹸の香りが強いようにも思える。さすがは女性だと言うべきか、入念に体を洗って臭いを落としたらしい。他にも何人か男の訓練兵が見舞いに来たが、微かに臭いが残っていて彼らが余計疲れているように感じられた。特にコニーは酷かった。あの醜悪な臭いは忘れられない。

 

「見舞いに来てくれたんですか、リコ班長」

 

「もう私は班長ではないよ……今日は見舞いというのもあるんだが、一つ伝えておくべきことがあってな」

 

そう言われれば、確かにそうだ。トロスト区奪還作戦を完了した時、エレンと同行していた兵士の中で生き残ったのは俺とミカサ、アルミン、そしてリコ班長のみだった。そう、彼女の班は彼女だけを残して全滅した。故にリコ班長はもう班長ではない。

 

「…リコさん。伝えておくべきことというのは?」

 

「被検体として捕獲されていた二体の巨人が、何者かによって殺害された」

 

「……!!」

 

トロスト区に残った巨人の掃討作戦を行った時、調査兵団が二体の巨人を捕らえたという話を聞いた。討伐するだけでなく、巨人の生態調査を行うべく捕獲まで成功させてしまうとは、さすがは調査兵団だと思わせてくれたものだ。

 

「余程巨人に恨みがあったんだろうな…」

 

とはいえ、それは間違いなく軍規違反だ。すぐに捕まって相応の罰則が与えられたことだろう。

 

「その犯人はまだ捕まっていない。突き止める為兵士全員の装備を確認したが、結局分からず終いだ。立体機動装置を使った犯行だとわかっているから、兵士の中にいることは間違いないんだがな…」

 

「………」

 

巨人への衝動的な恨みで行為に及んだと思っていたが、話を聞く限りではそこに計画性を感じさせた。

 

「…それが伝えるべきことですか…?」

 

「ん?あ、いやそうじゃない」

 

顎に手を当て深く考え込んでいたところへ声をかけると、思い出したように首を横に振った。

 

「その件にはお前の装備も含まれていてな。掃討作戦のあと装備交換をした時、ついででお前のもやっておいたから今日の確認も私が報告したんだ。一応それを言いに来た」

 

「わざわざそんな……ご迷惑をおかけします」

 

「私が自分の意思でやったんだ。謝られるようなことじゃないよ」

 

こちらが頭を下げると、向こうは再び首を振った。

 

「ところで、所属する兵団はもう決めたのか?」

 

切り替わった先の話題は、やはりというべきか兵団についてだった。別段、同じ話題ばかりでうんざりするというわけではない。大きなイベントが控えているとどうしてもその話をしたくなるのは道理だ。試験前日は皆、繰り返すように試験への不安や意気込みを語るもの。それと同じである。もっとも今回の場合においては、戦場の処理という嫌な記憶から出来るだけ目を逸らしたいという気持ちも混在しているのかもしれないが。

 

「決めていますよ」

 

「…そうか。お前は104期訓練兵団で首席だったと聞く。やはり、憲兵団にするのか?」

 

「いえ、調査兵団にします」

 

それを聞いた彼女は目を丸くしたがしかし、思いのほかリアクションは薄かった。

 

「あまり驚かれないんですね」

 

「いや、驚いたよ。まさか調査兵団だとは。………でもまあ、合点はいった。たしかにお前は調査兵団向きかもしれん」

 

それはつまり、俺があの変人の巣窟と呼ばれる狂気の集団にお似合いだということだろうか。

そう出そうになった言葉を飲み込む。彼女が言うのは巨人に対する戦闘能力についてであって、決して常軌を逸した人格だなんて意味で言ってはいないはずだ。絶対。きっと。恐らく。たぶん。

 

「本音を言えば、是非駐屯兵団に欲しいところなんだがな。またいつ壁が破られるかわからない。いざという時、お前の力は多くの市民を救うことになるだろう」

 

「……ありがとうございます。ですが、俺は調査兵団でしか為せないことがあるので」

 

その評価は素直に嬉しいものだったが、俺が駐屯兵団へ行くことは決して有り得ない。そこへ行ってしまったら、この人生もきっとろくなモノではなくなってしまう。

 

「…さっきの子か?」

 

「えぇ」

 

その問いに対しては迷わず肯定を示す。

クリスタ・レンズ。彼女はきっと調査兵団へ入るだろう。いや、きっとそうせざるを得ない。しかし、俺はその志願理由を何としてでも砕かなければならない。彼女が大切だからこそ、彼女の願いを届かせはしない。

 

「それは残念だ」

 

元から断られることは承知だったようで、特にショックを受けるような様子もなく立ち上がったリコさんは、立場上の義務として明日の新兵勧誘式の集合時刻を告げたのち病室から去っていった。

 

「…………ごめんな、クリスタ…」

 

誰もいなくなった部屋で、俺は小さく呟いた。

 

 

翌日、予定通り退院した俺はしばらく着ていなかった兵団服に袖を通し新兵勧誘式が行われる会場へと向かった。設置された壇上の前には既に同期訓練兵達が集まっていて、各々希望兵団について話し合っていた。

当然のことながら訓練兵の殆どが駐屯兵団志望のようだったが、中にはエレンという今までにない要素を過大に評価して、俺こそがウォール・マリアを取り戻す英雄になるんだなどと夢を見る者もいた。彼は議会の結果リヴァイ班配属となったエレンがどういう経緯で壁を塞いだのか、聞かなかったのだろうか。いや、あるいは聞いた上でああして妄想をふくらましているのかもしれない。ふと目に入ったミカサの顔に、トロスト区奪還作戦前にはなかったはずの小さな切り傷の痕があった。

 

「ヒイラギ!!」

 

そのすぐ側にクリスタの姿があった。真っ先に駆け寄ってくる彼女だけではなく、ユミルやアルミン、コニー、サシャ、アニ、ライナー、ベルトルトの顔見知り達が同じ場所に集っていた。

 

「昨日は急に帰ってごめんね」

 

「気にするな。ところで昨日の果物がまだ余ってるんだが、あとでクリスタにも───」

 

「ゥオイヒイラギィ!!」

 

突然名が呼ばれたかと思えば、服の襟を引っ張られてガクンと体勢を崩された。そしてそのまま首に腕を回され身動きが取れなくなる。喉が締め付けられて息苦しい。決して抵抗できない訳では無いのだが、それで傷口がまた開きでもしたらたまったものじゃない。

 

「てめぇが何考えるかは勝手だがなぁ。クリスタをお前なんかに渡すと思うなよ!?」

 

聞き慣れた声。ユミルだ。ここ数日顔を見ていなかったため、最後に会ったのは奪還作戦前だ。いや違う。違うことは無いが、直接顔を合わせずとも向こうがこちらを見ることは出来たはずだ。あの時は無我夢中だったため周りの視線は気にならなかったが、思えば奪還作戦後に壁上のど真ん中でクリスタと抱き合ったのは大胆すぎる程に大胆な行為だ。あんな目立つことをしてユミルがそれを見ていなかった、なんてことはありえないだろう。

 

「ユミルっ!!ヒイラギはまだ怪我人なんだから乱暴にしちゃだめだよ!!」

 

「ミカサよりも化け物のこいつがこのくらい、どうってことねえよ。なぁヒイラギ?」

 

「げほっ……どうってことないかどうかはともかく、出来れば離して欲しいんだが…」

 

そう願うと、ユミルは案外簡単に拘束を解いてくれた。冗談であることはわかっていたが、ここまであっさりしていると拍子抜けしてしまう。傷への気遣いだろうか。いやいや、それほどまでわかり易すぎる優しさを彼女は持っていない。彼女は、もっとこう、回りくどい。

 

「いいんだよ、お前は」

 

こちらが感じた違和感を察したのか、ユミルはいつか聞いた言葉と似たようなことを話す。似たようなことと言っても、その時とは状況も意味合いも何もかもが違っている。

 

「それとも、私の見当違いか?」

 

「俺はクリスタの味方だ」

 

意趣返し、という訳でもないのだが、俺もユミルが発した言葉の一人称だけを変えて言ってみせた。ただしこちらに関して言えば、意味合いが変わったりなどはしていないが。

俺の言葉を聞いたユミルは少し目を見開かせ、「けっ」と吐き捨てるようにして口角を持ち上げた。

 

俺が言えたことではないだろうが、ユミルやクリスタには謎が多すぎる。いや、大きすぎると言うべきか。クリスタについてはわざわざ言及する気にならないが、ユミルに関してはそうもいかない。クリスタにとってユミルの存在は大きな要素となっている上に確たる証拠もないため上官に告発なんてことはしないが、出来れば真実を知っておきたいというのが本音だ。

 

当然彼女は簡単に教えてくれたりはしないだろう。対価として俺の持つ情報を出すべきか。いや無理だろう。前世に存在した技術に関して素人の俺が出せる程度の技術情報なんていくら出したところで、ユミルと俺の提示するモノとではそれぞれ利益の先が全く別の方向を向いていて噛み合わない。等価交換のようにしてユミルの素性を知ることは不可能だ。

 

「もうっ!二人で一体なんの話してるの!?」

 

俺とユミルの間に割って入ったクリスタが、不服そうに頬を膨らます。決して蚊帳の外にしていた訳では無い。それどころか会話の中心となっていたのは彼女なのだが、当の本人は知る由もない。単純に仲間外れのような扱いをされたと思い、それがお気に召さなかったようだ。

 

「大したことじゃない。気にするな」

 

「わっ!もうヒイラギっ!!」

 

誤魔化すようにクリスタの髪をわしゃわしゃと撫でていると、視界の端にもう一人顔見知りの姿が映った。生きていると聞いた割には姿を見ないなと思っていたが、集合時刻ぎりぎりになって到着したようだった。

 

「ジャン、久々だな」

 

「ん?…あぁお前か。怪我はもういいのか?」

 

「…おかげさまでな」

 

クリスタから話を聞いたところ、ジャンは調査兵団に志願するという。散々調査兵団に入ろうとするエレンを死に急ぎ野郎などとバカにして喧嘩をしていた奴の言葉とは到底思えなかったが、こうして直接表情を見る限り、彼の中で何かが変化したことは間違いないのだろう。やはりマルコの影響だろうか。ジャンとマルコが一緒にいるところはよく見かけていた。そして、戦死した彼の亡骸を見つけたのもジャンだったと聞く。一体、彼にどのような心情の変化があったというのだろうか。

 

「ジャン、どうして突然調査兵団に?」

 

俺が直接聞くまでもなく、壁に寄りかかっていたサシャがジャンに問いかけた。巨人を目の当たりにして尚、調査兵団へ志願することを決めたジャンの考えを聞いて自分の悩みへのアドバイスとしようと思ったのだろう。

 

「その…怖くないのですか?」

 

「は?嫌に決まってんだろ。調査兵団なんか」

 

「え?…じゃあお前、なんで…」

 

余程予想外の返事だったのか、疑問の声を上げたのはサシャではなくコニーだった。それに対しジャンはいつもと変わらない態度で答える。

 

「別に巨人が怖くないから調査兵団に決めたわけじゃねぇよ。そして有能な奴は調査兵団になる責任があるなんて言うつもりも無いからな」

 

「いいか?くれぐれもエレンみてぇな死に急ぎ野郎とオレを一緒にすんなよ。オレはな…」

 

上官から整列の指示が飛ぶ。詳しくこたえるようなあ時間は無いことを知ったジャンは、自分の考えを端的に伝える。

 

「誰かに説得されて自分の命を懸けているわけじゃない。こればかりは自分で決めずに務まる仕事じゃねえよ」

 

誰かに請わず、自分の命の使い方は自分で決めろ。突き放すようなことを言われた後、一同は壇上を正面とした列に加わった。そしてまもなく壇上に背の高い男性が現れる。兵団服の胸には自由の翼の紋章。一言目は、彼の自己紹介から始まった。

 

「私は調査兵団団長、エルヴィン・スミス。調査兵団の活動方針を王に託された立場にある。所属兵団を選択する本日、私が諸君らに話すのはやはり調査兵団の勧誘に他ならない」

 

おそらく壁内にいる人類の中で、現状最も多くの命を背負っているのは彼だろう。当然全人類の責任者という意味で最も多くの命を背負っているのは王だろうが、毎度大量の死人を生み出す壁外調査においての現場責任は彼にある。そんな人物の言葉は、とてつもなく重い。

 

「しかし今回の巨人の襲撃により諸君らは壁外調査並みの経験を強いられた。かつて例が無いだろう。訓練兵でありながらこれ程犠牲を経験したことは。既に巨人の恐怖も、己の力の限界も知ってしまったことだろう」

 

「しかしだ。今回の襲撃で失った物は大きいが、これまでに無いほど人類は勝利へと前進した。それは周知の通り、エレン・イェーガーの存在だ。彼と諸君らの活躍で巨人の侵攻は阻止され、我々は巨人の正体に辿り着く術を獲得した」

 

一度見舞いに来たアルミンによれば、エレンは1ヵ月後に予定されている壁外調査で結果を残すことが出来れば今後も調査兵団の一員として行動出来るという。しかしそれが為されなかった場合、エレンは憲兵団に引き渡しとなり、おそらく殺害される。

 

エレンが巨人の力を制御し人類に尽くすことになった場合、その戦力は計り知れない。あるいは巨人淘汰だって夢じゃなくなる。だとすれば……

 

いや待て。巨人の正体に辿り着く術とはなんだ。確かにエレンの存在は巨人の謎を解く鍵にはなるだろうが、それだけで巨人の正体がわかるとは到底思えない。

 

「彼に関してはまだここで話せることは少ない。だが間違いなく我々の味方であり、命懸けの働きでそれを証明している。そして彼の生家があるシガンシナ区の地下室には、彼も知らない巨人の謎があるとされている」

 

辺りがざわめきだす。皆が口にすることの殆どが、「もしかしたら本当に…」というものだった。

つまり、巨人の正体に辿り着く術というのはその地下室であり、そこへ到達するための条件であるウォール・マリア奪還に、エレンの力が必要になってくるということだろう。しかし、そこまで言っていいものなのだろうか。

 

「我々はその地下室に辿り着きさえすれば、この100年に亘る巨人の支配から脱却できる手がかりを掴めるだろう」

 

それほどまで重要な情報を、新兵である俺達が聞いていいものなのか。このことが街中に知れ渡ればトロスト区奪還の知らせと同じかそれ以上の規模で混乱が起こるだろう。

 

ふと、エルヴィン団長と目が合った気がした。彼はその後も全訓練兵を見渡すように視線を動かす。何かを見極めるようなその目は、調査兵団に相応しい訓練兵がいるかを探るためのものではない。それとは別の、何かを見つけるための目。

 

「何を見ようとしているんだ?」

 

アルミンが呟く。エルヴィン団長の目的は、巨人の正体を掴む手掛かりという貴重な情報を開示する行為よりも重要なことなのだろう。巨人の正体。巨人の謎。それには通常種や奇行種の巨人に加え、エレンが持つ人間が巨人になる力、そして超大型巨人や鎧の巨人。奴らがどういう仕組みで現れ、そして、消える………のか……

 

あぁ、そうか…! あの二体は他の巨人とは何もかもが異なっている。壁を破壊する際には最も脆い部位である門を的確に破壊し、脅威となる壁上固定砲を真っ先に薙ぎ払った。その明らかに感じられる知性と、突発的な出現と消失。それはまるで、エレンの在り方と同じではないか。

 

仮にあの二体の中に人間がいたとすれば、どこに潜伏しているか。巨人が壁外にて出現したため潜伏先も壁外。なんてことはないだろう。巨人化可能な人間でも、他の巨人には襲われる。それはエレンと、そして彼女が証明している。であれば当然、敵は壁内にいるはずだ。では壁内のどこに…

 

まさか────

 

「ただ、シガンシナ区内の一室をじっくり調べ上げるためにはウォール・マリア奪還が必須となる。つまり目標はこれまで通りだが、トロスト区の壁が使えなくなった今、東のカラネス区から遠回りするしかなくなった。4年かけて作った大部隊の行路もすべてが無駄になったのだ」

 

ここで、どこか浮ついていた訓練兵に釘が刺される。

 

「その4年間で調査兵団の9割以上が死んだ。4年で9割だ。少なく見積っても我々が再びウォール・マリアに大部隊を送るには、その5倍の犠牲者と20年の歳月が必要になる……現実的でない数字だ」

 

単純計算、一班五人と仮定した場合生き残れる可能性は5%以下。我こそは、なんて根拠のない期待を抱く者にとってその数字は殆ど死と同義だろう。

 

「調査兵団は常に人材を求めている。毎回多数の死者が出ることによって慢性的に人員が不足している。隠したりはしない。今期の新兵調査兵も、一月後の壁外調査に参加してもらう。早急に補給ルートが必要なのだ」

 

「新兵が最初の壁外遠征で死亡する確率は5割といった所か。それを越えた者が生存率の高い優秀な兵士となってゆく」

 

後継を育てるためだろう。さすがに新兵を前に立たせるなんて真似はしないようだが、それでも5割。コイントスで生死が決まるようなものだ。

 

「この惨状を知った上で、自分の命を賭してもやるという者はこの場に残ってくれ」

 

いつか本当に、巨人の正体が分かるかもしれない。いつか、人類が勝利して巨人を殲滅出来るかもしれない。しかしそれを直接為すのは、自分じゃない。そんな『いつか』や『かもしれない』のためにこの命を捨てることができるのか。どちらが懸命かは、言うまでもない。

 

「もう一度言う…調査兵団に入るためにこの場に残る者は近々殆ど死ぬだろう。自分に聞いてみてくれ。人類のために心臓を捧げることができるのかを」

 

残酷な現実。それは訓練兵の心を調査兵団から遠ざけるのには十分すぎるものだった。人員不足だというのにわざわざ人員を遠ざけるようなその物言いは、訓練兵をふるいにかけるためだったのだろうか。生半可な気持ちで戦えば、いざという時に心が折れ、役に立たないばかりか足手まといにすらなりうる。それはその兵士にも、兵団にとっても良いことではない。だからエルヴィン団長はあんな言い方をするのだろうか。

 

「以上だ。他の兵団の志望者は解散したまえ」

 

列の後方から順に去っていく。彼らは決して悪くない。意気地無しだとか根性無しだとか言われるようなことはしていない。エルヴィン団長のあんな言葉を聞けば、誰だって背を向けたくなるだろう。おかしいのはむしろ、去らない者の方だ。

 

「………」

 

彼らは知った。巨人の恐ろしさを。彼らは見てしまった。巨人が人間を喰らうところを。ここに残れば最後、まともな死に方はできないだろう。

 

しかし、彼らは動かない。いくら頭に訴えても、いくら言葉を並べても、足はその場を離れない。

 

「……君達は、死ねと言われたら死ねるのか?」

 

訓練兵の殆どが立ち去って尚、背を向けなかった数少ない者達にエルヴィン団長が問いかける。

 

「死にたくありません!」

 

誰かがか細く、必死に震えた声で答えた。

 

「そうか……皆…いい表情だ」

 

エルヴィン団長が右手を胸に叩きつける。

 

「では今!ここにいる者を新たな調査兵団として迎え入れる!これが本物の敬礼だ!」

 

「心臓を捧げよ!」

 

「「ハッ!!」」

 

本当にバカな俺達が、自由に心臓を捧げる。いつかソレを勝ち取るために。

 

「…………皆…」

 

「あぁ………クソが…最悪だチクショウ……調査兵なんて…」

 

「…う…嫌だよぉ…こわいぃ……村に帰りたい………」

 

「あぁ……もういいや…どうでもいい」

 

バカな自分に呆れ果てるように、残った者が口々にそう呟く。横にいるクリスタに目を向けると、言葉こそ発していないが酷く怯えたように震えて涙まで浮かべている。

 

「……泣くくらいならよしとけってんだよ」

 

まったくだ。ユミルの言う通りである。他の方法ならともかく、調査兵団なんて厄介なことをしてくれる。

 

「第104期調査兵団は、敬礼をしている総勢22名だな」

 

トロスト区奪還作戦を生き残った第104期訓練兵は、およそ250人。そして調査兵となったのは22人。少ない数だろうか。いや、むしろよくこんなに残ったものだと感心すべきだろうか。

 

「よく恐怖に耐えてくれた…君達は勇敢な兵士だ。心より尊敬する」

 

その言葉は、エルヴィン団長の心からのものだった。

 

 

────────

 

 

思えばあの時、俺はきっと何としてでも彼女が調査兵団に入団することを阻止しなければならなかったのだ。彼女に関しては察しがついていた。そこからこの展開は予測できたはずなのだ。そうしたらきっと、別の物語になっていたかもしれない。少なくとも今、こんなことにはなっていなかったはずだ……

 

だが、こうなってしまった以上は仕方がない。俺が為すのはクリスタを守ること。それをお前が妨げるというのなら───

 

 

 

 

「ユミル……お前を殺す」

 

 



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10 相互する所願

調査兵団に入団して五日が経過した。その間調査兵として命じられたのは、壁外調査で用いられる長距離索敵陣形についての知識を座学にて学ぶことだった。

 

「赤色は巨人がいる方向で…緑色は進路方向…」

 

隣で馬を走らせるクリスタが自分に言い聞かせるように各種信煙弾の使用目的を繰り返している。

六日目、つまり今日の訓練は座学ではなく実践であった。内容としてはウォール・ローゼ内で長距離索敵陣形を展開し、出発地点から目標地点までを往復すること。その間、初列索敵班を担当する調査兵の先輩方が何度か通常種巨人発見に用いられる赤い信煙弾を発射する。俺達新兵が配置される伝達班はそれを指揮者に伝えるため同種の信煙弾を発射し、その後指揮者が陣形の進行方向を示す緑の信煙弾を撃てば同じく緑の信煙弾を撃つ。

 

実践訓練初日はそれだけである。実際の壁外遠征では他にも数種類の信煙弾を活用するのだが、しばらくは最も基礎となる動きを反復するらしい。

 

「あんまり気負うなよ。馬術の成績は特によかったんだから」

 

「う、うん……」

 

気休めにすらならないようだった。確かに今回訓練評価こそ付くが、それはあくまで調査兵団内の印象に影響するだけで、出世などに関わるような本質的評価には壁外調査時の実績が適用される。勿論クリスタが出世に興味があるとは思えないのだが、だからこそ彼女は一体何が原因でそんなに力んでいるのか、理解し難いものであった。

 

「長距離索敵陣形、展開!!」

 

エルヴィン団長の掛け声と共に隊列が扇状に拡大を始めた。最初は複数の班が固まって移動し、頃合を見計らって分離する。前後左右、遠距離だが確実に等間隔で仲間が見えるように注意しながら可能な限り陣形を広げていく。

俺が走るのは次列四・伝達。右翼伝達の最前であるため初列索敵班の真後ろとなる。伝達班と初列索敵班との間には索敵支援という名目の班が配置されているが、伝達班と距離が近いことから実際は新兵の保護が目的だとされている。

 

「初列との距離をもう少し広げろ。陣形が前のめりになる」

 

「了解」

 

そして索敵支援班の調査兵は訓練中、陣形を整える為新兵に助言を与える役目を担っている。実際の遠征ではもう少し距離をとって伝達班を接近する巨人から守る役目があるのだが、訓練であるうちはすぐ側についていてくれるそうだった。

 

「リコから聞いたぞ。トロスト区では凄い活躍だったそうだな」

 

適切な位置につけたところで、俺の所属する班の長となったカイル・ウィルレッドさんが声をかけてきた。しばらくは互いの距離を保ったまま直進となるため、これを機に交流を深めようという狙いだろう。

 

「リコさんとお知り合いなんですか」

 

「訓練兵時代の同期だ。お前のことを高く買っていた」

 

「光栄です。怪我で倒れたりしなかったら、もっと堂々としていられたんですけどね」

 

「あんな無茶な作戦の最前線にいながら生き残っただけでも大したもんだ。期待の二つ星ってのも、間違いじゃなさそうだ」

 

あぁ、あまり聞きたくない単語が出てきてしまった。せっかく忘れようとしていたところなのに、ここまで広まっているとは。

 

「調査兵団にまで伝わっていたんですか……せめてリヴァイ兵士長を継ぐって部分は除いて欲しいものです…」

 

「はっはっ、確かに新兵には重い肩書きだ!お前の腕は凄いが、兵長との間には経験の差があるからな。遠征ではそんなこと気にせず、生きて帰ることだけを意識しろよ。そうすりゃお前も一人前の調査兵だ!」

 

「……ありがとうございます」

 

カイル班長の言葉にその返事をするのには、少し躊躇いがあった。生きて帰ること自体は間違いなく俺の中にある目標の一つであるが、それを達するための確証がなかった。その懸念は遠征中遭遇した巨人に食われるかもしれないというような新兵調査兵皆が抱く普遍的不安ではなく、もっと別の、ある種博打のようなものにある。

 

俺は今回の初遠征中その博打に負けないことを、もとい博打が起きないことを祈り続けるだろう。

 

「赤い煙弾…」

 

斜め右前方に打ち上がる信煙弾を確認した時点で思考を切り替える。同種の赤い信煙弾を装填し、それを斜め右上方へ撃ち放った。連動するように左及び後ろからも煙弾が上がり、その後陣形の中軸前方から緑の信煙弾が取舵を示す方角へ撃ち上がった。同じ方向へ緑の信煙弾を発射した後、手綱を引いて馬の進行を左へずらす。

 

その後も何度か同じ動きを繰り返し、日が暮れる頃には出発地点の駐屯地まで戻ってきていた。疲れ果てた馬を厩舎へ戻し、俺を含めた調査兵達は汗でベタついた服を着替えに一度宿舎へと戻った。各々部屋に入り水で濡らしたタオルで全身を拭き、清潔な兵団服に着替えていく。こういった時、なんの疑いも迷いもなく風呂を沸かしていた頃が酷く懐かしく思える。さすがに十数年も今の暮らしをしていれば不便さこそ感じないが、恋しいと思えてしまう。

 

「怪我の方は問題ないか、ヒイラギ」

 

四人部屋で同室となったライナーが気にかけるように傷の具合を伺ってきた。入団直後ならともかく、昨日まで筋力トレーニングやランニングを除けば座学がメインだったため訓練に支障はなかった。そしてその数日の間に傷は完全に塞がって、運動時に毎回気を使う必要も無くなっていた。微かに傷痕が残っているが、兵士になった以上それは仕方の無いことだろう。

 

「平気だ。もう傷口が開くことはないと医者に言われた」

 

「そうか。そりゃあ何よりだ」

 

本気で心配していたようで、無事を確認したライナーは心から安堵しているように見えた。こういった面倒見の良さなどから、彼は104期訓練兵に兄貴分として慕われている。彼が調査兵団に入ったのも、兄貴分として思われる要素の一つである強い責任感を持っているからだろう。

 

「…なぁ、ライナー」

 

「なんだ?」

 

「…………いや、なんでもない」

 

着替えを終えていたライナーは俺の言葉を聞くと「そうか」とだけ言って一足先に部屋から出ていった。するとそのすぐあと、俺の肩に誰かの手が乗せられる。振り向くとジャンの姿があった。

 

「あいつはマルコがどうやって死んだか知らねえ。巨人の対応をしてる時にはぐれたんだってよ」

 

俺が投げかけようとした質問を彼は感じ取ったらしい。そして実際俺はライナーにマルコの死に際を聞こうとしたのだが、彼の顔を見るとその気が失せた。無闇に人の顔に影を出させたくないという良心があるためだ。

 

「……あいつは、誰にも看取られないまま死んだんだ…立体機動装置もつけてねぇし、どんな最期だったかもわかんねぇ…」

 

ライナー達を庇って……というわけではなさそうだった。もしそうなら彼の死に際をライナー達は知っているだろう。

 

「……それは、虚しいな…」

 

俺は先日の戦いで何度も人の死を目の当たりにしてきた。本部への突入時とトロスト区奪還作戦の時。どちらにおいても死んだ本人達は目的を達することなく散ったが、その犠牲は他の人が生存するための糧となり、目の当たりにした人物の記憶に残った。

 

しかし、マルコはそうではない。自身の死が誰かの命を救ったわけでもなく、自身の死が誰かの記憶に残ったわけでもない。誰にも知られず、何の意味もないと思わせる死は、ただただ虚しいだけではないだろうか。

 

「……行こうぜ。早くしねぇとサシャに晩飯全部食われちまう」

 

ジャンは気を紛らわせるようにして俺の背中を押す。マルコの死を一番に知ったのはジャンで、彼との仲が一番良かったのもジャンだ。そんな彼が嫌な思い出を掘り返してまで教えてくれたのだ。

 

そんな彼に「サシャは食い意地こそ目を見張るものがあるが、食べる量は常人と変わらないはずだ。」なんて真面目な返答をするのは、空気が読めていないとしか言い様がない。まあ元から芋女などという不名誉な渾名が付いている彼女のことだ。今更女性としての尊厳が多少傷付こうと、気にしないだろう。

 

 

「…うん、食べる量は普通だな」

 

食堂の席に座ったサシャの皿を見て、自分の認識の正しさを再確認する。サシャよ。どうやらお前の食い意地はあらぬ方向へ誤解を生じさせているようだ。

 

「………ヒイラギ、あなた私のこと一体なんだと思ってます?」

 

誤解である。

 

「クリスタ、ユミル、お疲れ」

 

「お疲れさん」

 

「……お疲れさま…」

 

訓練兵団の頃とさして変わらない料理の乗った皿をサシャの隣席に置き、迎えに座るクリスタとユミルに声をかける。ユミルはいつもと同じ様子だったが、クリスタはそういうわけではなさそうだった。

 

「元気ないな」

 

「訓練中に誤射したんだとよ」

 

「あぁ…」

 

なるほど、と納得する。信煙銃は撃つ直前に弾を装填するため、落ち着いて確認しないと別の色の信煙弾を放ってしまうことが起こる。予め別の弾が装填された複数の信煙銃を所持していればその事故防げるかもしれないが、それはそれで嵩張って邪魔になる。

 

「最初の訓練なんだから失敗しても当然なんじゃないか?ユミルとサシャはどうだったんだ?」

 

問うと、ユミルは人差し指と中指を立ててみせた。サシャも控えめに指を二本…いや三本立てる。

 

「2回間違えた」

 

「私も同じく2回間違えて、1発装填中に落としました…」

 

やはりそんなものなのだろう。突っ立ったまま撃ち上がった煙弾の色を確認して同じ色の煙弾を装填、発射するなんてことならともかく、訓練中はずっと走っている馬の上。そんな激しく揺れる中で調査兵団に所属して以来初の実施訓練という緊張に苛まれながら例の動きをしなくてはならないとなると、誤射も致し方ないことだろう。

 

「クリスタは何回間違えたんだ?」

 

「1回だけど…」

 

他2人より少ないではないか。

 

「なら、そんなに悩む必要もないだろ」

 

「だったらヒイラギは何回間違えたの?」

 

「俺は……見落としがなければ間違わなかったと思う」

 

「ほら!」

 

ほら!と若干キレた様子で言われても、何がほら!なのか。ユミルにアイコンタクトをとって助けを求めても、目を瞑って肩をすくめるだけで有益なヒントは得られない。

 

「だめですねぇヒイラギは。女心ってもんが全っ然わかっていません」

 

イラッ。

 

いや、苛立ってなどいない。サシャがやれやれと言った様子で首を横に振る動作に苛立ってなどいない。彼女が稀に見せる自身の優位性を示す行動は……そう、まるで初めて出来たバレバレな手品を親にドヤ顔見せつけているようなものだ。そんな子供のような挑発に乗るほど俺は安くない。…よし、苛立っていない。

 

「……お前にはわかるっていうのか」

 

「えぇもちろん?あ、でも私に聞かないでくださいねぇ?これは人から教わるのではなく、自分で気付くべき……えっ、ちょっとヒイラギさん…?ちょっ、待ってください!まっ、ああぁぁぁあああ!?」

 

苛立ってなどいない。

 

苛立ってなどいない。

 

苛立ってなどいない。

 

そう、これは将来社会に出た時干されないための教育的指導。決して感情に身を委ねているのではない。

 

「ちょっ、首っ!!首締まってますよ!?聞こえてますか!?ヒイラギさん!?」

 

「その辺にしとけよヒイラギ。上官に絞られるぞ」

 

「…………」

 

ユミルの声で我に返る。そうだ。俺は子供相手に何をやっていたというのだ。ばっちり人目がある所で十代女子の首を締め上げていたら事案物だ。悪いことをした。

 

「ゲホッゲホッ…!!あなた私を殺す気ですか!?悪魔ですか!!」

 

「悪い。少し熱くなった」

 

自分の皿からパンを一つ手に取り、彼女の方に差し出す。すると途端に先程までの出来事を綺麗さっぱり忘れたように表情が明るくなる。きっと彼女の目に映る俺は、天使が如く神々しく見えたのだろう。

 

まあ、別にパンをあげる気は無いのだが。

 

「………」

 

「………」

 

その時、サシャの表情を見た者は後にこう語った。

 

虚無であったと─────

 

 

ユミルやサシャのようにすぐ理解することは叶わなかったが、少し時間を費やせばクリスタの行動の意味を導き出すことが出来た。結論だけを言うならば、それが『近道』であったのだ。

 

「焦って失敗したら元も子もないだろう。…俺が言っていいのかはわからんが」

 

「………ううん。ヒイラギの言う通り、今は焦っても仕方が無いよね…」

 

「…あぁ。生きて帰ることだけを考えないと、全部無駄になりかねないからな」

 

クリスタが焦燥感を抱いていたのは、調査兵団内で上位にくい込むためである。それになんの意味があるのかは、高い評価を得た場合の結果を考えれば必然的に導き出せる。

 

「…………」

 

しかしそれを意識の中だとしても自ら言葉にするのは、まるで自己陶酔しているようで恥ずかしい。たとえそれが誤魔化しようのない事実だとしても、やはり羞恥が上回る。だから、俺は彼女からその言葉を言ってくれるのを待つ。

 

「……生きて帰ってたら、いつか同じ班になれるのかな…」

 

「…いつかはな」

 

それが、彼女の目標であった。古参調査兵が死ぬことを前提としたものであるため謹慎的だとは言えないが、目指すもののために向上心を持つことは悪いことではないだろう。それに、クリスタの想いを知るために彼女の想いそのものを利用した俺にその不謹慎さをとやかく言う資格はない。

 

「……先に行く。今日の水汲み担当は俺だからな」

 

手早く食事を済ませ席を立つ。直接的ではないが、互いの想いを確認してなんだかもどかしい空気になったその場から早く立ち去りたかったのだ。しかし水汲みというのも決して嘘ではない。水汲みなどの雑務は早く終われば終わるほどいいものだ。言い訳に聞こえるかもしれないが。

 

「早かったな」

 

「…ジャン」

 

一人黙々と井戸水を汲み上げていたところに、ジャンが到着する。アルミンとライナーも同室であるため同じ雑務が課せられているのだが、彼によればまもなく来るそうだった。

 

「お前、エレンには会ったか」

 

唐突にジャンが話を切り出す。今日の訓練にエレンも参加していたことは話に聞いているが、俺は一度も見かけていない。

 

「いいや。お前は会ったのか」

 

「長距離索敵陣形の訓練前にな。お前以外の同期は皆会ったはずだぞ。……お前あの時どこにいた?」

 

思い出したかのような言葉で、エレンについての話題から逸れる。

 

「訓練前は………エルヴィン団長と話をしてたな」

 

ジャンの言葉の中の『お前以外は』というところに疑問を感じたが自分が出した答えで納得する。その時俺は新兵一団から少し離れていたのだ。すると逆に、今度はジャンが怪訝な顔をする。

 

「団長と…?一体何の話だ?」

 

「トロスト区奪還作戦の件でちょっとな。それで、エレンがどうしたって?」

 

「あ、あぁ……そうだった…」

 

まだ納得しきれていないジャンに無理やり話題を戻させる。彼が話そうとしていた話題が気になるというのもあるが、何より団長との話を言いふらすことは望ましくなかったのだ。

 

「今日あいつに聞いたんだよ。巨人の力の存在を今まで知らなくて、それを掌握する術も持っていないのかってな」

 

「………答えは?」

 

「その通りだとよ…」

 

聞くまでもなかった。巨人化したエレンをこの目で見た上で、俺はあの壁を塞いだ行為が本当に奇跡だったと思っている。たった数日で使いこなせるようになれるほど安い能力でないのは明らかだ。

 

「……それを俺に話してどうするんだ」

 

「どうもしねえよ。ただ、俺達やお前にはその事実を知っておく権利がある。あの死に急ぎ野郎に、自分の命を託せるかどうかを考えるためにな」

 

「…………」

 

そう言ったジャンは、俺が汲み上げた水桶を二つ持って宿舎の方へ戻っていった。

確かに彼の言うことは正しい。俺達にとってエレンは、一言で表すのなら『よくわからない奴』だ。性格がということではなく、それを含めたエレンという個人そのものが。

 

しかしエルヴィン団長が彼を人類の希望だと言うのなら、いずれ俺達は彼の為に命を尽くす場面が出てくることだろう。その時、『よくわからない奴』のために全力を尽くせるかと聞かれれば微妙なところだ。だから俺達は、エレン・イェーガーという存在を知らなくてはならない。知って、考えなくてはならない。彼が、自らの命を燃やすに足る人物かと。

 

「すまんな、ヒイラギ。待たせちまった」

 

「気にするな。先に汲み上げておいた桶を持っていってくれ」

 

「了解だ」

 

ライナーとアルミンが到着したところで、止まっていた手を再び動かし始める。確かにジャンの言うことは正しいが、、俺にはエレンについてなんかよりも先に考えなくてはならない相手がいる。今はソレにどう対応するかを検討すべきだろう。

 

「…………」

 

夜闇を吹きすぎる冷たい風に、嫌な寒気が感じられた。

 

 




投稿直後は減り、その後徐々に増えていくお気に入り数に一喜一憂。そんな日々を送っております。カゲさんです。
報告という程のものでもないのですが『7 己に課された責任』にて「写真」という単語を用いた部分を「肖像絵」に変更しました。壁内人類が写真の存在を知るのは例の地下室へ入った時だったので…。

そこで疑問に思ったのですが、そういった細かい辻褄合わせみたいなものは読者的にはあまり気にならないのでしょうか。実は、長距離索敵陣形の班分けの法則性が分からないのでもう適当でいいやと思っているのです…。
もしそのような原作との細かい辻褄が合わないのを好まない方は遠慮なく仰ってください。班分けにおいても出来る限り努力致しますので。その他の私自身の考察で合わせられる辻褄は、極力合わせていくつもりです。ただ今回は、原作内の法則性に沿った班分けが難しそうなのでこうしてお知らせ頂きました。

お知らせとしては以上です。今後も誤字脱字要修正箇所があれば遠慮なくご報告ください。アドバイスなども頂けると有難いです。では、これからもどうぞお楽しみください。


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11 絶たれぬ連理

第57回壁外調査前日、出発地であるウォール・ローゼ東、カラネス区へ来ていた調査兵団には一日の休暇が与えられた。昨晩のうちに実家へ向かった者や街を散策している兵がいるせいで、駐屯地はいつも以上に人が少ない。

 

「おや、君は…」

 

クリスタはユミルと街へ出掛けたため、特にやることもなく昼食をとった後も食堂に残っていると、唐突に声を掛けられた。こちらが顔を上げるより先に、眼鏡をかけた女性がテーブルを挟んで向かい合うように座る。その顔を見た俺は、急いで立ち上がって敬礼をとった。

 

「座っていいよ。これで君と会うのは二回目だね」

 

その言葉に甘え、頭を下げつつ椅子に座り直す。

調査兵団第四分隊長、ハンジ・ゾエ。初めて壁が破壊された年より前から調査兵として活動しているベテランなのだが、とある分野に対する情熱から「怖いもの知らずの変人」と調査兵にすら変人と言われている人物でもある。

 

「こうして話すのは初めてのはずですが…」

 

「確かに話すのはね。でも私は一度、気を失った君に会ったことがあるんだ。トロスト区奪還作戦の時だね」

 

「あの時ですか…」

 

トロスト区の壁を塞いだ後に気を失った俺やエレン達を助け出してくれたのは調査兵団だったため、そこに彼女がいてもおかしくはない。

 

「その手帳は?」

 

俺が座った後、ハンジさんが卓上を指さす。開かれた手帳がそこにはあり、隣にペンも添えられている。

 

「これは…暇だったので」

 

つい先程まで色々と書き込んでいた手帳を静かに閉じる。中身を知られないようにするための行為だったのだが、それが逆に興味をそそらせてしまったらしい。ハンジさんが身を乗り出して好奇心を示してくる。

 

「どんなことを書いてるのかな」

 

「いえ……ただ個人的な経験を記しただけなので…」

 

「へぇ!それは気になるなぁ!」

 

目を見開いて腰を持ち上げ、さらに迫ってくる。

カイルさんがハンジさんに対して「知性的で落ち着きがあって優しい、好意の持てる上官。初めは誰もがそう思う」と評していたのを思い出す。確かに、その通りだった。

 

「新兵の経験なんか、大したものではないと思いますが…」

 

「いやいや、初陣であれだけの戦果を残す新兵の経験談はとても興味深い!是非見せてくれ!!」

 

「……………」

 

ハンジさんの顔が目の前まで迫る。最早逃げられる気配もない。手帳の内容を経験談と誤魔化したのは失敗だったようだ。自身の調査兵団においての評価とハンジ分隊長の性格を詳しく理解していなかったが故の失態である。

 

「…どうぞ」

 

「ありがとう!!」

 

早送りでもしているのかと思うほど素早い動きで手帳を開き読み上げていくハンジさんの表情が、どんどん鬼気迫るものへと変貌していく。

 

「んんっ!?んんんんんんん〜〜〜〜ッ!?」

 

手帳の内容は確かに俺の経験したことを記したものだが、決して自伝ではない。俺ではなく、俺の見た巨人についてを書き記したものなのだ。

 

「君ッ!!これはっ、全部君が書いたのかい!?」

 

「は、はい…」

 

明らかに興奮しているハンジさんの気迫に押される。せっかくカイルさんが「ハンジ分隊長に巨人に関する質問をしてはならない」という暗黙のルールを教えてくれたにも関わらず、それを活用出来なかった。質問こそしていないが、巨人についての話をさせてしまいそうになった時点で同義だろう。

 

「………ヒイラギ…」

 

「…なんでしょう」

 

興奮度合いが最高潮に達したかと思えば、唐突に冷静さを取り戻す。嫌な予感しかしないのだが、かと言って逃げ出せる雰囲気もない。

 

「巨人について……語り合おうじゃないか…」

 

休暇が潰れた瞬間である。

 

 

朝まで話し続けるのではないかと思うほど饒舌なハンジさんから「馬の世話があるので…」と言ってなんとか逃げられた頃には、既に日が暮れてしまっていた。ハンジ分隊長が巨人の研究に熱心なのは間違いないため話の内容はとても興味深いものだったのだが、その勢いに気圧され酷く疲弊させられてしまった。

 

「あっ、ここにいたんだ」

 

馬にブラッシングをしていると、そんな声がした。声がした方を見ると、厩舎の入口に私服姿のクリスタが立っていた。白いドレスシャツにロングスカート、そしてショートブーツと決して派手な服装ではなかったが、綺麗にまとまっていて清楚な雰囲気が感じられた。そして胸元に当てている手には、何やら小さな紙袋が握られている。

 

「楽しかったか」

 

「うん。ヒイラギも一緒に来ればよかったのに」

 

「ユミルが邪魔すんなって顔をしてたからな……。ところで、その袋は?」

 

歩み寄ってくるクリスタに問うと、彼女は自慢げな顔をして中身を手のひらに乗せ見せてくれた。それは毎日のように見ているものと形が良く似ていた。

 

「さすがに全く一緒なのは見つからなかったけど…」

 

腕を少し上げ、俺が首にかけているペンダントも手のひらに乗せる。彼女の右手に並べられた2つのペンダントは白と紺、別の色をしているが形は殆ど同じだった。

 

「…色違い」

 

クリスタが柔らかく微笑みながら呟く。満足したのか、白色の方を自分の首にかけ「どう?」と感想を求めてきた。

 

「似合ってるよ」

 

素直にそう答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。

二人が片翼ずつ持っているとなると『比翼の鳥』を思い浮かべる。互いに片翼しか持たず、支え合わなければ飛べないという伝説の鳥。ここにその伝承はないはずだが、彼女はそのような考えをもってそのペンダントを買ったのだろうか。いや、そんな深い意味はなくただ揃いの物が欲しかっただけだろうか。

 

「そろそろ夕飯の時間だな。一度宿舎に戻るか」

 

馬の手入れ道具を片付け、吊り下げていた光源用のランタンを手に取る。訓練兵時代、馬は一人につき一頭だったのだが、調査兵団に入ってからは二頭の世話が課せられている。新兵が配置される伝達班が壁外調査にて予備の馬とも並走するためだ。倍とまでは言わないが、訓練兵の時よりは確実に馬と接する時間が増えている。馬が嫌いなわけではないため、それが苦だと言うつもりは無いが。

 

「……ヒイラギ」

 

先に厩舎から出ようとすると、シャツの裾をくいっと引っ張られた。クリスタの真面目な声からして、ただの悪戯でないことがわかる。その後、クリスタが秘めた想いを呟く。端的に、そして的確に。

 

「何か悩んでる……?」

 

「………」

 

懸念、悲哀、そして悔しさ。幾つかの感情を含んだその一言が、深く心に刺さる。悩みは誰もが抱えている、なんて言葉を返せる状況ではない。俺が常に何かしらの悩みや問題について思考を巡らしていることを把握しているクリスタは、だからいちいち小言のようなことを言ったりはしない。

 

そんな彼女がその言葉を口にしたのは、そうしなければならないと感じ取ったからだろう。今までとは比較にならないほど大きな問題に直面していることが、彼女には分かってしまったのだ。そして、その推測は正しい。

 

「私が前に言ったこと、覚えてる…?」

 

「………あぁ…」

 

彼女が言うのは恐らく、トロスト区奪還作戦前に起きた治療所での出来事。自分の損耗を顧みず思考に没頭していた俺に、クリスタはもっと頼って欲しいと戒めた。その時の彼女の発言や表情。それら全てを鮮明に記憶している。

 

「私は、ヒイラギの背負ってるものを一緒に背負いたい……」

 

トンっと背中を軽く押される。少女の温もりが強く感じられた。彼女の言葉は酷く切実で、懸命だった。それらの感情全てが俺に向けられていることは嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。

 

胸が締め付けられるような感覚。心の内を全て打ち明けてしまえば、楽になれるのだろうか。この重みを一緒に背負ってくれるのだろうか。そんな甘さが頭をよぎる。気を抜けば本当にそうしてしまいそうだが、どうにか堪える。ソレを彼女に伝えることは許されない。何より、彼女の安全を守る為に。

 

「……今はまだ、無理なんだ…」

 

「そっか…」

 

消え入りそうな声が伝わってくる。いつか全てを話せる日が来るだろう。しかし、少なくともそれは今ではない。たとえ彼女を悲しませることになっても、俺は口を閉ざすしかない。

 

「じゃあ、待ってるから!ヒイラギが話してくれるのをっ」

 

クリスタはそう言って、俺より先に食堂の方へ走っていく。去り際に見せた彼女の精一杯の笑顔。その両目には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が浮かんでいた。

 

 

翌朝早朝、カラネス区には壁上からの砲声が鳴り響いていた。壁外調査では長距離索敵陣形を取りつつ進むのが基本だが、出発直後の市街地では陣形が取れず集団走行で駆け抜けるしかない。そのため出発前に駐屯兵団が壁上固定砲を使い、付近の巨人を掃討してくれている。

 

「久しぶりだな、ヒイラギ」

 

馬に乗ったまま待機しているところに、とある駐屯兵が挨拶に来た。銀髪に丸眼鏡をかけている駐屯兵の知り合いなんて、一人しかいない。

 

「お久しぶりです。リコさん……いえ、リコ班長」

 

彼女の後ろに数名の駐屯兵が控えているのを見て、言い直す。あれから一ヶ月が経過している。精鋭班の生き残りである彼女に新しい部下がいないなんてことはありえないだろう。

 

「言い直さなくていいよ。ところであんたの班長、カイルなんだって?あんまり頼りにしない方がいいと思うよ」

 

「オイオイ、久々の同期には挨拶もない上に変な事吹き込むなよリコ」

 

俺の横からカイルさんが不服そうに顔を出す。本人の顔を見たリコ班長の口角が、意地悪っぽく持ち上がる。

 

「あんた立体機動の成績悪かったじゃないか。よく今まで生き残ったと感心するよ」

 

「えっ、そうなんですか」

 

「訓練兵時代の話だ!一体何年前のことだと思ってやがる!?」

 

兵士としての信頼を損ねかねない発言を咎められても、リコ班長は特に気にする素振りも見せなかった。代わりに俺の背中を軽く叩き、今度は真面目な口調で話し出す。

 

「まあ今のは冗談だが、本当に身の危険を感じた時は自分で自分を守れ。あんたはそれが出来る力を持ってる。……だから、ちゃんと生きて帰ってきなよ」

 

「…ありがとうございます」

 

部下を連れ門の方へ戻っていくリコ班長の背中を見ながら、カイル班長が俺に問う。

 

「………あいつ、お前に惚れてんのか?」

 

「失礼ですよ」

 

とはいえ、二人のおかげで緊張で固まっていた体が少しほぐれた気がした。

 

しばらくして壁上の駐屯兵から開門30秒前との知らせが届くと、前方いる調査兵が高らかに叫んで兵の士気を鼓舞し始めた。

 

「いよいよだ!!これより人類はまた一歩前進する!!お前達の訓練の成果を見せてくれ!!」

 

「オオオオオオオォォォォォォォォォォ!!」

 

呼応するように全調査兵が雄叫びを上げる。直後鐘が鳴り響き、カラネス区の門が開き始めた。重い扉が完全に開いた時、先頭に立つエルヴィン団長が号令を掛ける。

 

「第57回壁外調査を開始する!」

 

「前進せよ!!」

 

馬が駆け出す。人類と巨人とを断つ壁の門を潜り抜け、調査兵団が旧市街地を一直線に突き抜けていく。

 

「左前方10m級接近!!」

 

「怯むな!!援護班に任せて前進しろ!!」

 

「進めぇ!!進めええぇぇ!!」

 

建物に隠れていて取りこぼした巨人は調査兵の援護班が対処する。たとえどこでどんな戦闘が起きようと、前進を止めることは許されない。兵団は5分も経たないうちに旧市街を抜け、団長の号令が再び響き渡る。

 

「長距離索敵陣形!!展開!!」

 

事故防止の為、新兵に代わり馬を引いていた先輩方から手綱を受け取り訓練通りに陣形を広げていく。索敵支援班であるカイルさんと、同班のブラッツさんは伝達班保護の目的を果たすため近い位置にいるが、訓練時よりは離れていた。

 

南向きの陣形展開が完了するや否や、初列六・索敵から赤い信煙弾が打ち上がる。それを確認してこちらも煙弾を上げた時、左翼側に別方向へ向けた赤い信煙弾が視認できた。

 

「いきなり忙しいな…」

 

斜め左へ打ち上がった緑の信煙弾を伝達していく。

出発してまだ10分程だが、既に三体の巨人が確認されている。本遠征はウォール・マリア奪還に向けたエレンの試運転を目的としているため遠征期間は半日のみと短く定められているが、一体これから何発の信煙弾を打ち上げることになるのやら。

 

 

「………上がらない」

 

撃った信煙弾の数を数えるのをやめた頃、初列十,十二,十四・索敵辺りから信煙弾が暫く上がっていないことに気がついた。たまたま巨人が見当たらなかったというにはあまりに長時間すぎる。何か重大な問題が生じたのは明らかだろう。

 

「無線通信が欲しいところ………あれは…」

 

初列八・索敵側から、奇行種の接近を意味する黒い信煙弾が上がった。少し離れた場所で黒い煙弾を撃ったカイルさんが、刃で前方にある村を指しているのが見えた。つまり、そこへ避難しておけと言っているのだろう。

 

「…了解」

 

信煙弾の撃つことで返事を示した。そして万が一に備え、予備の馬を放っておく。馬は訓練で手懐けているため口笛を吹けばまた側まで寄ってきてくれるが、戦闘に巻き込まれ怪我をすれば走ることすら困難になってしまう。故に一旦手綱を放し、馬の安全を確保しておくのだ。

 

「奇行種……………いや、あれは……!?」

 

人の形をした大きな影。初めは小さなものだったが、その影が見る見るうちに大きさを増していく。それはつまり、尋常でない速度で走っているということ。奇行種ですらありえない速さだ。

 

「まずい……ッ!!」

 

既に彼らは接敵距離。こちらの警告はもう届かない。

カイル班長とブラッツさんが互いに距離を置き、巨人を挟むようにして通過する。そして直後、二人が馬から飛び出した。ブラッツさんは巨人の足に、カイル班長はうなじに狙いを定める。同時に射出されたアンカーは狙い通りの部位に固定され瞬時にワイヤーが巻き取られていく。通常の巨人や奇行種ならば間違いなく仕留められたであろう、磨き上げられた無駄のない動きだった。

 

そう、それがただの奇行種であればの話だ。

 

「ッ!!」

 

その一瞬の出来事は、対巨人戦において見たことも聞いたこともないような、まるで信じられないものであった。巨人がアンカーの刺さった足を持ち上げたかと思えば接近するブラッツさんを寸分違わず踏み潰し、うなじに刺さったアンカーはワイヤーを掴んで抜き取り、その先にいたカイル班長を振り回し地面に叩きつけた。立体機動の弱点をついた、極めて合理的な攻撃。

 

「間違いない……」

 

奴は超大型巨人や鎧の巨人、そしてエレンと同じ存在。つまり、中に人がいる知性を持った巨人だ。

奴の速さは明らかに馬を上回っている。逃げ切ることは不可能だろう。幸い、俺は建物のある村ち入っている。平地ではない、立体機動を活かせる場所ならばあるいは…

 

「速いなッ!!」

 

村の中心まで来られた時には既に、奴の大きな足音はすぐ後ろまで迫ってきていた。巨人化エレンとよく似た皮膚のない姿。一見してわかる違いとしては、体の凹凸からして女型であることのみ。つまり、戦闘能力は巨人化エレンと同格かそれ以上ということだ。どうやら俺は、とんでもない賭場に来てしまったらしい。

 

「ああああぁぁぁぁぁ…クソッ!!」

 

心の底から湧き上がってくるやり場のない怒りや苛立ちを吐き捨てる。ギャンブルだけはしないと昔決めていたはずだというのに。しかしこうなっては致し方ない。俺にはもう賭けに乗るしか選択肢はないのだ。

 

負ければ掛け金である俺の命は消されてしまう。しかし勝っても奴の命をいただける訳ではない。もはやイカサマ賭博に近いこの状況に溜息をつき、俺はアンカーを射出した。

 



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12 打ち立てし邂逅

「よく来てくれた」

 

調査兵団入団から六日。初の陣地展開訓練を行うため新兵調査兵達は訓練地へと向かったが、俺はそれに同行しなかった。その理由は今、目の前にいる人物から呼び出しを受け調査兵団団長室の中にいるからだ。エルヴィン団長が大きなデスクに向かって座り、その隣にはリヴァイ兵士長が腕を組んで立っている。

 

「楽にしたまえ」

 

「ハッ」

 

敬礼を取っていた腕を一旦下ろし、今度は体の後ろで両手を重ねる。兵士が上官から「楽な姿勢」と言われれば文字通りだらけて楽になるのではなく「休め」の号令と受け取り、定められた姿勢を取らなければならない。それが集団行動のルールである。

 

「私がこうして君を呼んだ理由はわかるか」

 

遠回しな説教ではない。エルヴィン団長は単純に、状況を理解出来ているか問うているのだろう。まあ答えは簡単だ。調査兵団入団2日目、駐屯地にて団長とすれ違った時に「敵は何だと思う?」と唐突に問い掛けられたことについてだろう。その時俺は、特に躊躇することもなくこの単語を返した。

 

「『裏切り者』…ですね」

 

「その通りだ」

 

裏切り者。つまり、エレン以外の巨人化可能な人物のことだ。勧誘式での団長の言動はその人物を炙りだそうとしているように思えた。故に彼からの質問には迷わず答えることが出来たのだ。

 

「オイ、エルヴィン……こいつは信用出来るのか」

 

「出来る」

 

こちらを睨むリヴァイ兵士長に対してエルヴィン団長が断言する。すると兵士長も「わかった」とだけ言ってすぐに引き下がった。

団長が言い切ったことよりも、兵士長がその一言だけで納得したことに驚いた。余程深い信頼を寄せているのだろう。

 

「ヒイラギ。次回の壁外調査の目的は聞いているな」

 

「ウォール・マリア奪還に向けた、エレンの試運転と聞いています」

 

「そうだ。だが、本当の目的は別にある」

 

別の目的、となるとやはり裏切り者の炙り出しだろうか。しかし壁外調査中にそれを行って巨人化でもされれば兵団は全滅しかねない。

などと考えていた俺に言い渡されたのは、その予想を遥かに超えるものだった。

 

「我々は『巨人』を捕獲する」

 

「ッ!」

 

調査兵団はこれまで巨人捕獲作戦を何度も行ってきた。先日の掃討作戦では二体の巨人を捕獲してみせたほどだ。しかし、今回はそれらの例とは比にならないほどの難度になるだろう。何せ、団長の示す『巨人』とは、巨人化エレンのように知性を持った巨人のことだからだ。

 

「……幾つか疑問が」

 

「言ってみたまえ」

 

「1つは、巨人を拘束する方法です。調査兵団の拘束具のことは知っていますが、それでは巨人化したエレンすら拘束することは難しいでしょう」

 

新兵勧誘式前日に殺害されたという二体の巨人に用いられた拘束具はワイヤーと鉄柱を用いた極めて原始的なものであり、圧倒的戦闘能力と知性を持つような巨人には通用しないだろう。

 

「捕獲には新しく開発した兵器を使う」

 

そう言ったエルヴィン団長がデスクに一枚の紙を広げた。そこに描かれていたのは、新兵器となる拘束具の設計図。………確かに、これを用いれば捕獲は可能かもしれない。だが───

 

「……開発費は一体どこから…?」

 

これほど規模の大きく革新的な兵器を開発するには相当の費用が必要となるはずだが、そんな余裕が調査兵団にあるのだろうか。

 

「絶対の成果を条件として、出資者から多額の投資して頂いた」

 

スポンサーからの条件付きの投資なら、理解は出来た。しかし絶対の成果が条件となったなら、失敗した場合重大な責任問題となり兵団の存続すら危うくなってしまうだろう。

不確定要素の多い敵に対する団長の作戦は、まるで博打のようだった。

 

「……では2つ目の疑問です。捕獲にはこの新兵器を使うとして、捕獲地点への誘導はどうするのでしょうか。のこのこ罠に嵌ってくれるとは思えませんが…」

 

そもそもの疑問として「裏切り者は巨人として壁外に現れるのか」というのはあるが、それについては確実に現れると断言出来る。裏切り者達の最終目標がどんなものかは判然としないが、とりあえずの目標は壁内にいる人類を絶滅させることで間違いない。

 

そんな彼らに対して我ら人類が行える最も有効的な攻撃は、巨人化エレンを用いた作戦だろう。しかし裏切り者がそれを見過ごす訳もない。確実にエレンという天敵を殺害しにくるだろう。

 

「エレンを囮に使う」

 

「………」

 

確かにエレンという囮は間違いなくその効力を発揮するだろう。しかし、問題は罠の設置場所だ。いくら囮がいても平地や村に設置した罠が見えてしまっては捕獲なんて夢のまた夢。森の中ならあるいは可能だが、遠征ルートに陣形の保てない森が都合よく含まれているはずが……

 

「あ…………団長、地図はありますか」

 

聞くと、彼はすぐに新兵器の設計図を横にズラして遠征用の地図を広げた。まるで、初めから用意していたかのような動きだ。

 

「遠征は南に向かい……巨人は恐らく壁内から……」

 

裏切り者が出現した場合を予想しつつ、地図に当てた指を動かしていく。そうして辿り着いた、捕獲に最も適した場所。

 

「君に頼むのは、奴の足止めだ。捕獲作戦が完了するまではその任を全うしてほしい」

 

大凡の作戦内容が判明したところで、団長が俺に指令を出す。

足止めとなれば、必然的に目標と接触しなくてはならないだろう。そしてそいつは確実にエレンより巨人化能力を熟知しているはず。かなりの危険が伴う作戦だ。

 

「……了解」

 

「感謝する」

 

危険は伴うが、クリスタを守るための最善がこれならば迷いはしない。

 

 

あの時はあんなことを思ったがこの場で命を落とすのはやはり不本意で、どうにかこんな状況にならない方法を探り当てようとしていた。しかしそれは叶わない。人類の脅威である、正体不明の裏切り者を捕らえるにはやはり壁外が最適であるためだ。そしてその解を覆せるほどの頭脳を、俺は持ち合わせていなかった。そんな俺に出来ることなんて、遭遇しないことを祈ることだけだったのだが───

 

「ああああぁぁぁぁぁ…クソッ!!」

 

心の底から湧き上がってくるやり場のない怒りや苛立ちを吐き捨てる。ギャンブルだけはしないと昔決めていたはずだというのに。しかしこうなっては致し方ない。俺にはもう賭けに乗るしか選択肢はないのだ。

 

負ければ掛け金である俺の命は消されてしまう。しかし勝っても奴の命をいただける訳ではない。もはやイカサマ賭博に近いこの状況に「ふぅ…」溜息をつき、一言だけ呟くように宣言した。

 

「レイズ」

 

意識を戦闘に切り替える。左のアンカーを射出し地面に固定。しかし回収はせず馬も走らせ、ワイヤーを引き伸ばしていく。そして固定されたアンカーと女型の巨人の足が並んだところで、飛び出した。

 

巨人の脚に巻き込まれぬよう馬の進行方向を右へ逸らす。対して俺は地面を滑るようにしてワイヤーを回収していく。馬を逃がすため、あえて真正面から接近し戦闘状態への移行したことを巨人に示したのだ。

 

「ッ!?」

 

しかし敵はこちらには一切目もくれず、右方向へ駆けていく馬を正確に狙い蹴り飛ばした。

考えが甘かった。あの中にいる奴は俺を倒すことよりも先に馬を狙うことによって、俺の退路を完全に絶ったのだ。立体機動の活かせない平地において馬を失うことは脚を失うことと等しく、奴が冷静に最善手を選択できる厄介な敵だということがわかってしまった。

 

尤も、馬の速度ではこいつを振り切れないことはわかっている。それにもう一頭の予備馬は先に逃がしていたため、この場を切り抜けても身動きが取れないなんて状況には陥らない。

 

そして女型の巨人が馬を狙ったことは好機でもあった。蹴り上げたため右足は地を離れ、その巨体を支えるのは軸足となっている左足のみ。背後に回り込めている俺には、その状態は攻撃の隙といえるだろう。

 

「ッ…!!」

 

2つのアンカーをそれぞれ両脇の建物に向け射出する。奴が立体機動装置の仕組みや弱点を熟知しているのなら、その体に直接アンカーを刺すことは自殺行為に他ならない。

 

両手に持つ刃を構え、左足の踵に狙いを定める。皮膚がなく剥き出しになっている肉は通常の巨人との差異を強く感じられるが、硬さについての差はないように見える。これならば狙い通り腱を断ち、その自重に任せて地に伏せさせることが…

 

 

────死ぬ

 

 

前進を止めアンカーを回収及び真横へ再射出。即座にワイヤーを巻き取り、跳ね返るように後方へ飛ぶ。

 

直後、巨人の拳が鼻先を掠めた。

 

女型の巨人は右足を浮かせたまま身体を捻り、右腕を俺めがけて叩き落としてきていたのだ。間違いなく当たれば即死の攻撃に嫌な汗が滲む。しかしその回避には成功した。ただの偶然ではなく、活性化させた五感がその膨大な情報から未来を予測し危険を察知したのだ。

 

「今度こそ…ッ!!」

 

右足と右腕。四肢の半分を封じられれば流石の奴も有効な攻撃は行えまい。

ワイヤーを張り直しガスを噴射。足先を上へ向けて滑り込みの体勢をとり、巨人の腕に沿うように昇っていく。そして奴の顔の横をすり抜けた後振り返り、うなじに狙いをつける。

 

アルミンの報告書から考えるに、うなじの中にいる人間の腕や足を斬り落とそうとそいつが絶命したり巨人化を解いたりはしないが、それなりのダメージは与えられるはずだ。捕獲が主目的である本作戦においては、その情報が役に立つ。

 

うなじ、縦1m幅10cm。巨人の弱点はエレンにも、恐らくこいつにも適用される。ならば、絶命はさせず且つ足止めとなるダメージを与えるには奴の四肢を、つまりうなじに対してU字に斬り込めばいいのだ。

 

「……っ」

 

刃が当たる寸前、うなじに奴の左手が覆い被さる。しかしそれは予想通り。人が自らの弱点を守るのは当然の行為で、その場合の対処も検討済みであった。検討済み、といっても大した案ではなく至極単純なもの。そのまま斬りつければいいのだ。巨人の手が被さればうなじに深いダメージは与えられないが、数本の指は斬り落とせる。欠損の回復が瞬時に行われない以上、繰り返せばいずれはうなじの攻撃に繋がるというわけだ。

 

目標は巨人の左指4本。急降下で勢いを乗せ斬った後、一度離脱し相手の出方を───

 

「…………は?」

 

経験のない感触に悪寒が走る。離脱時に両腕を確認すると、柄の先にあったはずの刃が砕け散っていた。

 

兵士に支給される立体機動装置のブレード、半刃刀身は巨人の肉を削ぐことに最も適した形へ改良されたもので、刃が消耗され割れることはあってもこんな風に砕けることはありえないのだ。少なくとも、肉を削ごうとしたら木っ端微塵に砕けたなんて話は聞いたことがない。訓練兵時代、何度か斬り損じたことはあったがやはりこんな砕け方やあの弾き返されるような感触は1度も味わったことがない。

 

「……冗談だろ…」

 

見上げると、うなじに覆い被さっていた左手の甲が水晶のように変質しているのが視認できた。

状況から察するに、奴は鎧の巨人と同じく体の硬質化が可能なのだろう。違いを取り上げるなら、全身ではなく任意の部位を自由に硬化させられるということだがそんな情報は何の役にも立たない。

そこにあるのは、奴の肉体に重傷を与えられないという純然たる事実だけであった。

 

不可能ではないか…

 

マイナス思考が頭を埋め尽くす。導き出される自分自身による提案はすべて、ここからどう逃げるかというような内容ばかりだった。そしてそれが間違いだとも思えない。攻撃手段がなくなった今、足止めの役割すらまともに果たせないのだから。

 

「…………ッ!!」

 

歯を食いしばる。

 

そうじゃないだろ。俺が為すべきことはそんなことじゃない。俺が為したいことは、こんなことで簡単に諦めていいものではない。

 

考えることをやめるな。それをした瞬間、きっと俺は終わる。俺の価値は全て潰える。思考しろ。行動し、観察し、再び思考しろ。未知に対する対処はそれしかない。その繰り返しの先にしか勝利はない。

 

刃をつけ直し、建物の陰に飛び込み身を隠す。正面から向かえば敗北は必至。村の建築物を利用し回り込むのが良策。直前までアンカーを刺していた建物が次々と破壊されていく。ガス噴射時に煙が出る以上完全に身を隠すことは難しいが、幸い向こうはこちらの動きに追いつけていない。

 

再び村道へ出た時、俺は奴の隣についていた。すかさず巨人後方の建物に右アンカーを射出する。ガスを吹かしワイヤーを巻きとっていく最中、巨人の左手の甲が迫ってくるのが見えた。固定した右アンカーを外し、今度は左アンカーを先程より少し下へ射出し再び加速する。頭上を掠めていく腕に一瞬だけアンカーを刺し込み、上方向へ速度を加えた。ガス噴射で微調整を行い、再び奴のうなじに刃筋を立てる。硬質化した右手で防がれるが、当然それは織り込み済み。

 

斬り方には問題がない上で刃が砕けたのを確認して、奴の回し蹴りによる反撃を急降下で回避した後離脱する。しかし今回は身を隠さず村道に残り、女型の右手に注目する。先程掠めた時に奴の右手の硬質化が解けているのが見えた。それに関する2つの可能性。1つは自由に硬化軟化を切り替えられる可能性。そしてもう1つは、硬質化を維持できないという可能性だ。もし後者ならば、勝機が見えてくる。

 

「どっちだ…」

 

半ば祈るように呟く。女型の巨人の攻撃は避けることに徹底し観察を続ける。そして、ついに変化が生じた。おそらく時間経過によるものだと思うが、右手の甲に覆い被さっていた硬い皮膚。それがボロボロと剥がれ落ち始めたのだ。それは、女型の巨人が硬質化を維持し続けられないということの証明。

 

ならば────

 

「ッ!!」

 

後進を止め、女型の巨人へ立ち向かう。家屋と地面を交互に利用し超低空を保ちつつ間合いを詰めていく。

巨人のうなじを狙うには高所を飛ばねばならないが、高く上がるほど隙は大きく巨人の腕による攻撃を受けやすくなってしまう。であるならば、いっその事うなじの位置を下げてしまえばいい。

 

例えば人が高速で転がるボールに触れようとする時、手の足のどちらを使えば容易いと考えるだろうか。当然、感覚的に調整が行える手である。巨人も然り。人の意識があるならより一層同じであろう。つまり、地面スレスレで飛ぶ人間を捕まえようとすれば手が動く。手で捕まえるということは、必然的に体はくの字に曲がる。

 

「ッ!!」

 

巨人が右腕を突き出してくるタイミングで、奴の顔面向けて『信煙弾』を撃ち放つ。カイル班長への返事として撃った直後、装填しておいた取っておきの一発。直撃こそしなかったが、奴の気を逸らすにはこれ以上ない一発だった。おかげで奴の真正面からの攻撃を完全に避けることができた。

 

「行くぞ!!」

 

煙に紛れるようにして巨人の腕を駆け上がる。邪魔者を振り払わんと右腕が動き出すや否や飛び上がり、アンカー射出前にガスを噴射した。

通常、このようなガスの使い方は推奨されない。立体機動装置におけるガスとは、ワイヤーを巻きとりながら加速するものであって、決してそれ単体のみを使って推進力を得るためのものではない。

 

勿論挑戦する者がいなかったというわけではない。立体機動装置の機能を十全に発揮出来ない場で、ワイヤーを使わない立体機動が行えたら大きな戦力となるだろう。が、そう上手くはいかない。ロケットでさえ緻密な計算を経て初めて安定性が得られるというのに、並の人間の体ひとつでそんな芸当が出来るわけがないのだ。

 

しかし、今の俺にはそれが出来る。当然自由自在な空中機動を行使できる訳では無い。精々10mの空中水平移動が可能なくらいだ。それでさえ半年以上の時間を要した上に完璧な安定性がある訳じゃあない。

 

だが、巨人の上腕からうなじ付近に向けての僅か数メートルを飛び上がるのは、酷く容易い。

 

「そこ!!」

 

巨人の急所に狙いを絞り、自由落下とガスによる加速に乗せて刃を振り抜いた。手のひらに伝わる痺れるような衝撃と、気持ちの良くない金属音。三度硬質化した手に攻撃が阻まれた事実が、触覚聴覚視覚を通して脳内に伝わった。しかし、それに対してショックを受けたりはしない。刃が勿体ないとも思わない。

 

硬質化したのを確認だけして刃を当てないことも可能ではあるが、それをすれば敵にこちらの意図が露見してしまう可能性がある。だからこそ、あえて刃は砕いた。

 

当然リスクはある。通常の剣や刀より遥かに薄く作られた半刃刀身は、元より消耗することを想定しているため兵士には片方6枚合計12の刃が支給される。しかし俺は今回の戦闘で既に半数の刃を失っている。奴とは再び相対することになる以上、刃を全損させられる訳にはいかない。まさかこんな危険地帯で自らの命を守る武器を分け与えてくれる馬鹿はいまい。よって最低でも刃4本は温存しておくべきだろう。

 

つまり、勝とうが負けようが次の攻撃が最後のチャンスということだ。

 

「くッ!!」

 

体を捻りガスを吹かし、迫り来る腕の周りを旋回するようにして回避する。

こちらが攻撃を行うタイミングは手の硬質化が剥がれた瞬間。しかしそれを行うにはこちらの意図を気づかせないことと、女型の巨人が左手をうなじから離させないことが必要となる。それら2つの条件を満たすにはうなじに近い場所、つまりある程度の高度を保ったまま攻撃を狙うフリをしなくてはならない。これは、殆ど高度ゼロの場所での攻撃回避とは比にならないほど難しい。何せ、敵がワイヤーを捕まえやすくなってしまうのだから。

 

奴の拳がこめかみの皮膚を破り、顕になった肉と共に血が溢れ出した。頬にドロっとした感触に嫌悪感を覚えながらも、巨人の猛攻を必死に凌ぐ。

 

五分か十分か、あるいは数十秒だったかもしれない。体中に傷がつき、そろそろ限界を感じ始めた頃にソレは起こった。うなじに覆い被さっている手に張り付いた硬い皮膚が、ようやく剥がれ落ち始めたのだ。

 

「いけ!いけ!!」

 

刃を構え、自らを奮い立たせ、最後の攻撃を仕掛ける。もう一度硬質化が為されるのにどれだけの時間が必要なのかは分からない。ならば攻撃のタイミングは硬質化が完全に解けるか否か、その瀬戸際の時。

 

巨人へ真正面から相対した直後、村の中で最も高い建造物である風車の方へアンカーを飛ばし近づいていく。その周囲を回り加速をつけて、それからうなじを狙う。

 

───ように見せかけ、右アンカーを巨人の眉間に突き刺し今度はそちらへ向かう。予想通り伸ばしてきた腕に刃で斬りつけながら軌道を変え、顔面に迫る。容易く巨人を倒すには、敵の運動能力を下げるのが効率的だ。そのため巨人狩りの時はうなじよりも先にアキレス腱や眼球を破壊させることがセオリーとなっている。その例に従い、うなじの前にまず眼球を斬り飛ばす。

 

───しかしそれもフェイント。鼻先を蹴った後ガス飛行で上昇し、戻ってきた右手を避けて女型の頭上を通過する。うなじを守る手の甲が完全に軟化したほぼ同時に、頭から急降下。地面に刺さったワイヤーを最高速度で巻き取り、逆手に持ち替えた刃を巨人のうなじに突き立てる。

 

「斬れろォォォォォォ!!」

 

刃を振り切る───

 

直後、鮮血が散り蒸気が舞った。その巨人の肉が裂かれた時の現象と手に残る感覚が、奴の肉を削いだことを確信させる。しかし同時に感じた嫌な音と感触。見れば刀身の長さが半分になっている。それはつまり、刃はうなじを───

 

「ガッ!?」

 

後ろへ振られた巨人の踵が腹に直撃する。凄まじい衝撃が腹部を中心に全身へと広がり、為す術もなく後方へ吹き飛ばされた。何度か地面に打ち付けられながら転がり、家屋の壁にぶつかったところでようやく静止する。

 

攻撃を喰らう直前、離脱用に貼っていたワイヤーを咄嗟に巻きとったおかげで内臓をぐちゃぐちゃにされることはなかった。

 

「うっ…」

 

体に異常がないことを確認しつつ立ち上がった瞬間、胃のものが全て喉元までせり上がってくるような嫌悪感に襲われ、逆らうことなく嘔吐した。生暖かいソレは口を通ってびちゃびちゃと地面に広がっていく。

 

「はぁ…」

 

吐き気が治まると短く溜息をつき、口に残った酸っぱいモノを唾と一緒に吐き捨てた。あまりボーッとしていられる状況ではない。巨人が近づいてくるにつれ、一歩一歩の振動は大きくなっていく。

 

俺の刃は女型のうなじには届かなかった。結局硬質化への驚きに引っ張られて単純なことを見落としていたのだ。女型の巨人は任意の部位を硬質化できる。そして、うなじもその例外ではないのだ。

 

ともあれ斬れたのは指4つ。俺に出来たのはそれだけで、後のことを考えればこれ以上戦うことは望ましくない。とは言っても向こうは完全にこちらを敵視していてそう易々と見逃してくれるとは思えず、しかし隠れようにも立体機動では位置がバレてしまう。とまあ悩んだふりをしているが、俺は逃亡策を1つ用意している。

 

「ドロップ」

 

宣言し、信煙銃を取り出す。勿論先程使った信煙銃は撃った直後に投げ捨てたため手持ちにはない。では今この手に握られているこの銃はなんなのか。まあ勿体ぶるほどのものでもない。予備の銃だ。

 

ひと月前、撃つ信煙弾の色を間違えたという話をクリスタから聞いた時に、俺は色別に信煙銃を使い分ければ間違いは起きないだろうと考えた。勿論それは稚拙で使い物にならない案だったのだが、予め装填されている予備の信煙銃があれば緊急時に役立つのではないか。

 

という案を思いついたため、俺はこうして予備の信煙銃を手にしているのだ。装填されている信煙弾の色は、緊急事態を知らせる為の紫色───

 

「……あれ…」

 

何故か放たれた弾は紫色ではなく、紛うことなき黒色だった。出撃前の装填を間違えるはずはないのだが。

しかしこの際色はどうだっていい。何故なら俺が信煙弾を撃った方向は上ではなく、下であるからだ。厳密に言えば斜め下なのだが、つまりは地面と家屋の間に向けて放ったのだ。用途上かなりの弾速を持つ信煙弾は地面にめり込み固定され、しかし煙だけは際限なく放出する。おかげで5秒もしないうちに辺りは煙で包まれた。

 

「ッ!」

 

ここぞとばかりに地面を蹴る。立体機動装置は使えないため走りになるが、建物の陰に隠れることが出来れば生き延びられるという確信があるのだ。目の前に害を及ぼす敵がいれば当然殺そうとするが、そもそも女型の巨人の目的はエレンにある。明らかに戦う気がないことを示せば、奴もわざわざ正確な位置を掴めない敵に執着し時間をふいにしてまで探し出そうとはしないはずなのだ。

 

「なッ!?」

 

しかし、あと少しで角を曲がれるという所で予想外の出来事が起こる。端的に言えば、地面が割れた。すぐ後ろにある地面が女型の巨人に踏み砕かれ、その衝撃で俺のいる場所の地面まで割れてしまったのだ。

 

「くッ!!」

 

倒れた体を起き上がらせるが、今度はすぐ隣に巨大な足が降ってきた。またもやバランスが崩れ地面に手がつく。虱潰しに踏んでいるとするならば、次こそは直撃するかもしれない。

 

今度こそと立ち上がろうとした時、全身の毛が逆立つような感覚に襲われ直感のままに横へ飛んだ。直後、今いた場所が寸分の差もなく踏み砕かれる。

 

九死に一生、もとい一瞬を得る。直感的な死の予感はこのような咄嗟の反応でどうにか出来るのだが、問題はそうでない場合の死の予感だ。実際俺が今直面しているのは、冷静な判断による死の予感。これまでの攻撃はなんとか避けられたが、結果として俺は家屋側に追い詰められてしまっている。逃げようにも、横たわる体を起こしていては間に合わない。

 

「くそッ!!」

 

巨人を、あるいは自分を罵る言葉を空に向けて叫んだ時、俺に向かってまっすぐ降ってくる巨大な足が目に映った。

 



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13 抱かれし定見

「くそッ!!」

 

巨人を、あるいは自分を罵る言葉を空に向けて叫んだ時、俺に向かってまっすぐ降ってくる巨大な足が目に映った。

 

歯を食いしばる。

 

このままやられてたまるものか。隠蔽のために使わなかったが、ガス噴射で転がればあるいは避けられるかもしれない。その場合ガスや音でバレる位置が可能性はあるが、そんな理由で躊躇って命を落とせば元も子もない。やはりここは一時的にガスを利用切り抜け、建物の裏まで回り込んで────

 

「ッ!?」

 

突然体が浮き、割れた窓から家屋の中へと引きずり込まれた。何事かと確認しようとするが、誰かの両腕によって抱きしめられているため身動きが取れない。しかし、鼻から感じる匂いには覚えがあった。

 

「なんっ───」

 

「シッ!」

 

何故ここに。そう言おうとしたが、彼女が腕の力を強めたため途切れてしまった。大人しく彼女に従って体を硬直させていると、いつしか地面が砕かれる轟音は消えて地鳴りのような足音は遠くの方へ去っていった。

 

「……なんっ…で!ここに!?」

 

脅威が去ったおかげで彼女の緊張がほぐれ腕の力が和らいだと同時に、俺は頬に当たる柔らかい感触から逃げるようにして彼女から離れた。ボロボロになった壁や窓から差し込む光がクリスタの顔を照らす。その表情はとても穏やかで、見ているこっちまで心が安ぐようだった。

 

「紫色の信煙弾が見えたから」

 

「紫?」

 

緊急事態を知らせる、紫の信煙弾など上げただろうか。俺が直近で打ち上げた信煙弾は、カイル班長と分かれる前の黒い煙弾。その後はついさっき地面に放った黒い煙弾……いや、上げたではないか。女型の巨人へ迫るために巨人の顔面に向けて放った1発が。

 

しかし、あれは村へ入る前に再装填した黒い煙弾だったはずだ。となるとクリスタは黒い煙弾を紫と見間違えてやってきたのか。…本当にそうだろうか。巨人に向けて信煙弾を放った時、俺は巨人の腕を躱しその上を駆け上がるなんて無茶をするためにかなり意識を集中させていた。目隠し用の煙など、視界の端に映っていた程度の認識だ。本当にそれが黒だったかなんて見分ける余裕が俺にはなかった。

 

「……ってことは…」

 

仮にあの時放った信煙弾が紫色だった場合、何故ついさっき放った信煙弾が黒色だったかの説明がつく。率直に言うと、間違えたのだ。巨人に向けて撃ったのが予備の銃。そして地面に向けて撃ったのが再装填された銃。まさかミスしないように、という考えから派生し生まれた自作の案によってミスを犯してしまうとは。なんとも情けない話だ。

 

「初めて、誤射したみたいだ……」

 

自分のした事に心底呆れながらそう言うとクリスタは目をぱちくりさせて、それからクスリと小さく笑った。

 

「ヒイラギが完璧な人じゃなくてよかった」

 

「それは………あぁ、まったくだ…」

 

俺とクリスタは笑い合い、互いの手を取って立ち上がった。そして建物から出ようとクリスタが先導して歩き出した時、彼女の髪が後ろで結われていることに気が付く。それに使われている宝石の装飾がついた髪留めには見覚えがあった。いつか2人で街へ出掛けた時に購入したものだ。しかし、あれはもう2年近く前のことだったはずだが…

 

「その髪ゴム、まだ使ってたのか」

 

「あ、うん。気に入ってるから」

 

クリスタが髪留めに優しく触れる。

その類のものを使ったことがないためどの程度持つのか知らないのだが、果たして何年も使えるものなのだろうか。さすがに何かの拍子に切れそうな気がしてしまうのだが。

 

「……帰ったら新しいの買うか」

 

「えっ!?い、いいよまだ使えるから!それにこれ、すごく高かったし…」

 

否定はしない。あれから髪留めの相場を知るため幾つか見て回ったのだが、クリスタに贈ったそれは明らかに高価なものだった。とはいえお金に困るわけではない。リーブスさんから賃金を貰っても使い所が殆ど無かったからだ。そしてそれは、今も変わらない。

 

「さっきの礼でもあるんだ。それくらいはさせてくれ」

 

「…わ、わかった……ありがとう」

 

口調こそ申し訳なさそうではあったが、表情は嬉しさを隠しきれていないようだった。そんな顔をされたら、こちらも贈り甲斐があるというものだ。

 

「それじゃあ、早いところ行くとするか」

 

俺は予め逃がしておいた馬を呼び寄せるため口笛を吹いた。

最大の脅威は去ったが、未だここは壁外地域。巨人がどこから来るかもわからないうちは陣形に加わるのが一番いい。すぐそこにいたクリスタの馬2頭と戻ってきた予備の馬に乗り、俺達はその場をあとにした。

 

 

「さっきの巨人はなんだったの?酷い怪我だけど…」

 

陣形の位置を確認しつつ馬を走らせていると、クリスタが疑問を投げかけてきた。

 

「いや、見た目ほど傷は深くないから大丈夫だが………あの巨人はエレンと同じ、巨人化した人間……だと思う。詳しいことは俺にもわからない」

 

「あの巨人が…」

 

彼女に女型と遭遇した経緯などを詳しく話すのはいくら彼女でも憚られる。女型の巨人捕獲作戦は調査兵団内でも一部の人間にしか知らされておらず、104期では俺だけだという。裏切り者については他にも、特にアルミンなどは察していそうなものだが彼は良くも悪くも仲間思いであるため裏切り者なんて存在を信じたくはないのだろう。

 

勿論クリスタが裏切り者だなんて思ってはいないが、どこからその情報が敵に漏れるかわからない以上は口にしないことが懸命だ。俺の為にも、クリスタの為にも。

 

「……そういえばクリスタの班長はどこに行ったんだ?索敵支援班なら近くにいると思ったんだが…」

 

辺りを見渡しても、それらしい姿は見えない。新兵保護が目的の索敵支援班が見当たらないのには少し違和感を覚える。

 

「ナナバ班長は信煙弾が上がらなくなった索敵班の方を見に行ったけど、そろそろ戻ってくると……あ、ほら」

 

クリスタが示す方向から、1つの影が迫ってきていた。ナナバ班長。5年以上前から、つまり壁が破壊される前から調査兵団に所属する大先輩であり、それは捕獲作戦に参加していることを表している。

 

「君は…」

 

「ヒイラギです。異質な巨人との交戦中、クリスタに助けてもらいました」

 

「そうか君が…。私はナナバ。右翼を見てきたけど、あっちの索敵は殆ど壊滅してるみたい」

 

「右翼が!?」

 

ちょうどその時、右翼側から煙弾が上がった。緊急事態を知らせるその信煙弾は、ナナバ班長の言葉の裏付けとなった。

これに対してクリスタは酷く動揺しているようだったが、俺としては予想通りのことであった。俺が奴と接触する前に右翼索敵班から信煙弾が上がっていなかった上、女型の巨人が来ると予想されていたのは右翼側。あんなのが前情報なく突っ込んできたら壊滅するのも道理だろう。

 

「大量の巨人に襲われたみたいでね。今はどうにか食い止めている状況だ」

 

「大量の巨人……?」

 

女型の巨人一体に潰されたわけじゃなかったらしい。いや、考えてみれば当然だ。いくら桁違いな運動能力を持っていても、単体で右翼壊滅を為すには相当の時間がかかる。重要人物であるエレンがそんな場所にいないことは少し考えればわかること。だとするならば、わざわざ右翼の索敵に時間をかける道理はないのだ。

 

「私はこれから中央まで知らせに行ってくるよ。クリスタとヒイラギはこのまま2人で走ってくれ」

 

「わかりました!」

 

クリスタからの返事を聞いて馬の方向を切り替えたナナバ班長に、少し張って声をかける。

 

「ナナバ班長!敵は女型。任意の部位を刃が通らないほど硬質化した皮膚で覆うことが出来ます!」

 

「わかった!ありがとう!」

 

そうしてナナバ班長は去っていった。それを見送った後クリスタは「硬質化した皮膚」とは一体何なのかを聞き、対して俺はわかる範囲で質問に答えた。

 

「そのせいで刃が半分以上砕かれた。あれは刺しても斬っても破れそうにないな」

 

「そうなの!?私はまだ消耗してないから、半分を───」

 

「必要ない。それはお前の刃でお前の身を守るためのものだ。人を助けるのはいいが、自分の命を蔑ろにするような、行為は………やめろ」

 

俺の言えたことじゃない。自ら口にした、あまりに無責任な言葉を省みる。しかしその言葉は彼女にしっかり届いたらしく、抜き取ろうとしていた刃を納めてくれた。多少言い方はきつくなってしまったが、やむなしだ。

 

「……ごめん…」

 

「いや、こっちこそきつい言い方をしてすまない」

 

互いの非を認め合い、巨人の警戒に意識を戻す。

 

そのすぐ後のことだった。前方から再び馬の影が迫ってきたのだ。しかしどうも様子がおかしく、背中に誰も乗せていない。鞍をつけていることから調査兵の馬であることは間違いないのだが、

 

「ヒイラギ!」

 

クリスタは俺にアイコンタクトで許可を取って一旦降り、逃げるように必死で駆けてくる馬を停止させた。何かに酷く怯えて混乱しているようだったが、さすがは馬術成績優秀者というべきか。あっという間に馬を宥めて落ち着かせてみせた。

 

「誰の馬だろう?」

 

「調査兵団の馬なのは間違いないだろうが……誰のかってのは難しいな。向こうから来たからそっちへ行けば持ち主も………クリスタ!」

 

「わ、わかった!」

 

救難信号を見るや否や、急いで馬を走らせその場へと向かう。案外答えは早く見つけられそうだった。馬が駆けてきた方向で紫の信煙弾が上がったことから、そこにいる誰かの馬だろう。巨人に襲われ追い込まれたか、あるいは女型の巨人と接触したか。

 

「クリスタ!ヒイラギも!」

 

信煙弾が上がった地点には、3人の調査兵がいた。アルミン、ジャン、ライナー。いずれも第104期調査兵のメンバーで、周囲を見渡した限りでは死体を含め他の調査兵はいないようだった。

 

「みんな早く乗って!右翼側が大変なことに…」

 

「あぁわかった!助かったぞ!」

 

そこで引っ張ってきた馬をアルミンとジャンに渡したのだが、そのうち1頭にジャンは見覚えがあるようだった。

 

「ん!?俺の馬じゃねぇか!」

 

「その子ひどく怯えてこっちに逃げてきてたのて…まさかあの巨人と戦ったの?」

 

「あの巨人って、まさかクリスタも戦ったの!?」

 

「アルミン!そのケガは?…大丈夫なの?」

 

状況から察するに、彼らは運悪く女型の巨人と接触したようだった。同じ経験をしたのかと問おうとしたアルミンだったが、クリスタはその頭に巻かれている包帯に気を取られた。

 

「うん、なんとか……それより、さっき言ってたあの───」

 

「それは走ってからにしろ。今はとにかく陣形に戻らないと」

 

「わ、わかった!」

 

長くなりそうなアルミンの話を途切れさせ、馬を走らせる。ようやく遅れを取り戻せたかと思った時に彼らの救難信号を見つけたおかげで、

俺達は再び遅れをとることとなった。呑気に長話していては完全に取り残されてしまう。

 

 

「よくあの煙弾でこっちに来る気になったな…」

 

走り始めて落ち着いた頃、ライナーが感謝の意も込めてクリスタに語りかけた。それに対してクリスタは恩を着せるようなことも言わず、当然のことだと言わんばかりに謙虚な返事をする。

 

「ちょうど近くにいたし、ジャンの馬もいたから」

 

「お前は馬にも好かれるし不思議な人徳があるようだな。命拾いした」

 

「よかった…みんな、最悪なことにならなくて本当によかった…」

 

クリスタの心から安堵したような表情にあてられた3人が、それぞれに想いを抱く。彼女のこういった行為は今に始まったことではないため一々嫉妬を抱いたりはしないが、周囲の人間がクリスタに好意を持っているのを感じるとどうにもやるせない気持ちになってしまう。

 

「……そうだ、早く陣形に戻らねぇと!撤退の指令が出るハズだ。ヤツはなぜか先頭の指令班とは逆の方向に行っちまったしな」

 

「さっきも言ってたけど、ヤツって女型の巨人っていうやつだよね」

 

いち早く現実に戻ったジャンが希望を含んだ言い方をする。彼の言うヤツというのが女型の巨人なのかとクリスタが問うが、十中八九その通りだろう。

 

しかし「先頭の指令班とは逆の方向」とは一体どういうことだろうか。いや、言葉の意味は理解出来る。女型の巨人は先頭ではなく、中央後方へ向かったということだろう。だが何故そうなったかがわからない。中央後方といえばエレンのいるリヴァイ班が担当している場所だ。作戦企画紙では敵にエレンの位置がバレないように各々別の場所を記していたはずだが、何故突然方向を変えたのか。何か奴の考えが変わったのだろうか。

 

「そうだ……お前達も戦ったのか?よく生き残ったな…」

 

「ううん、戦ったのはヒイラギだけだよ」

 

「なにッ、それは本当かヒイラギ!?」

 

余程衝撃を受けたのか、ライナーが振り向いて大声を発する。

 

「刃を半分以上無駄にして、結局斬れたのは指4つだったけどな。あいつ、硬質化の能力持ってやがった」

 

「硬質化…?ヒイラギ、今硬質化って言った!?」

 

今度はアルミンが食いついた。彼らとの戦闘では女型の巨人は硬質化能力を使わなかったのだろうか。女型の巨人の硬質化についてを一通り教えると、アルミンはすっかり黙り込んでしまった。何やら考え事をしているようだ。

 

「……よくそんな奴と1人で戦えたな…」

 

「うなじまで斬るつもりだったんだがな」

 

「……充分すげえよ…」

 

ライナーのその言葉は、心の底からの声のように思えた。

 

「しかし……壁を出て一時間たらずでとんぼ帰りとは……見通しは想像以上に暗いぞ…」

 

会話の区切りを見計らってジャンが今後の行く末を心配したその時、前方遠くで1発の信煙弾が上がった。そしてそれは順々に伝達されていき、何色かが次第に見えてくる。

 

「なっ…!?緑の煙弾だと!?……撤退命令じゃないのか…陣形の進路だけを変えて作戦続行か?」

 

「作戦続行不可能の判断をする選択権は全兵士にあるはずだが…まさか指令班まで煙弾が届いていないのか?」

 

「わからなくても今の状況じゃやることは決まってる」

 

いつの間にやら顔を上げていたアルミンが、伝達された通りの方向に緑の信煙弾を放った。

 

「判断に従おう」

 

他の皆も異論はないらしく、馬の進路を東に向けた。

 

 

「……ねぇ、ヒイラギ」

 

「どうした」

 

陣形の配置につくため皆が散開した後、クリスタが俺に問う。本来は俺も彼女から離れて伝達班の最前に行くべきなのだが、ナナバ班長から2人で走れと命じられたためこうして後方に残っている。

 

「いつまで東に進むと思う…?」

 

陣形の進路はあれから東を向いたままで、巨人発見の信煙弾が上がろうと、一向に変える気配がなかった。

 

「いつまで、といってもウォール・マリアがあるから限度はあるんだが……まあ、この進路だとあそこにぶつかるな」

 

「あそこ?」

 

その疑問に対して俺が答える必要はなくなった。前方をまるで塞ぐように現れたソレを見て、クリスタは「あっ…」と声を漏らす。調査兵団の行く手を阻むように並び立つ巨木群、名を巨大樹の森。その樹高は80mもあるが、何故そのような森が存在しているのかは未だ解明されていない。

 

「おまたせ」

 

そろそろ陣形が巨大樹の森と接触しそうになった頃、ナナバ班長が戻ってきた。ふと、彼女が乗っている馬に先程は見なかったモノが括りつけられていることに気が付く。ナナバ班長はこちらに寄るとそれを手に取り、差し出してきた。

 

「ガスと刃だ。先の戦闘でかなり消耗していたでしょ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

予想外の贈り物だった。中央に連絡してくるとは聞いていたが、まさか物資まで運んできてくれるとは。

 

「ナナバ班長、このままだと陣形は巨大樹の森に当たることになりますが…」

 

「進路は変わらないよ。ただし森に入るのは中列だけで、私達は森の外側にまわる」

 

森の中での陣形は意味を持たない。長距離索敵陣形とは、文字通り索敵及び巨人の回避を効率的に行うための陣形。しかし森の中では木々に隠れた巨人を見落としてしまうことや仲間を見失いやすいことから、陣形が役に立たないのだ。

 

「ど、どうしてですか!?兵站拠点作りの作戦は…」

 

「それは既に放棄されたよ。新しい命令は、木の上に登って巨人を食い止めること」

 

「食い止めるって…いったい…」

 

巨大樹の森で外からの巨人を食い止めることは容易い。要は枝の上で突っ立っていればいいのだ。巨大樹の高さは80m。そこから伸びる枝は当然太いため人が乗ろうがビクともしない上、巨人の手が届かないほど高い位置にある。しかし大した知能を持たない巨人共は決して届かない餌に釘付けとなる、というわけだ。まあ、彼女が疑問を抱いでいるのは別の方だろうが。

 

「そろそろ馬を降りるよ。その辺の木に繋いだら、木に登って待機する」

 

ようやく巨大樹の森までたどり着いた頃、ナナバ班長がそう言って速度を落とした。近くの木には何頭か馬が繋がれており、俺達より前列にいた人達は既に木の枝へ登っていた。

 

「ではナナバ班長、俺はこれで」

 

「…そうだね。馬は私が繋いでおくよ」

 

「ありがとうございます」

 

補給も終えて多少の傷を除けば万全の状態となった俺は馬の上に立つ。俺に下った命令は女型の巨人を捕獲するまでとなっているため、ここで止まるわけにはいかない。

 

巨大樹の森において荷馬車がまともに走れるのは観光地として整備された路地のみ。エレンを含めた中列がそこを通るのなら、女型の巨人がそこを行くのは必然。敵がどこからどう行くかが分かれば、居場所を突き止めるのは容易なことだ。

 

「待って!!ヒイラギもここじゃないの!?」

 

出来れば言葉を交わさず行きたかったのだが、やはりそうはいかないようだった。右腕は振り払っても解けないほど強く掴まれていて、誤魔化せる雰囲気でもない。

 

「…クリスタ」

 

彼女の名を呼び、その目をじっと見つめる。クリスタはしばらく沈黙した後、胸元のペンダントをきゅっと握りしめこちらを見つめ返してきた。そして、思案の末に一言だけ告げる。

 

「………わかった」

 

それは悲しみでも、諦めでも、ましてや怒りを込めた言葉でもない。強いて言うなら、信頼という単語が最もふさわしい一言だった。必ず生きて帰ってくるという根拠の無い希望的観測のようにも見えるが、彼女は彼女なりに今自分に出来ることを選んだのだ。

 

当然悔しさはある。待つことしか出来ない無力さには大きな悔しさが。しかし彼女は、それは今すべきことではないと判断した。それらを踏まえたからこそ、クリスタは「わかった」とだけ言ったのだ。

 

「ありがとう」

 

その思いを無下にしてはならない。

一つの覚悟を胸に抱き、俺は巨大樹の森へ飛び立った。

 



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14 霞みゆく一光

「………理由を聞かないの?」

 

「え?」

 

巨人をくい止めるという名目に従い樹の上で待機している時、ナナバがクリスタに聞いた。なんの事かと首を傾げると、ナナバは質問に補足を加えた。

 

「彼だけが森に入った理由」

 

「………聞いたら答えてくれるんですか」

 

「…いいや」

 

ナナバの偽りない返事を聞いたクリスタは、森の方へ目を向ける。しかしそこに祈りはなく、一抹の不安すら感じさせないほどに真っ直ぐだった。

 

「ヒイラギは、約束を守る人ですから」

 

「……そう」

 

ナナバはクリスタの言葉で理解したという訳ではなく、むしろわからなかったことの方が多い。しかし彼女がそれ以上問うことは無かった。言葉を交わしたところで、他人に理解出来るような関係ではないと感じたからである。

 

そしてその判断は正しかった。クリスタがクリスタとしてヒイラギに抱く想いはそう単純なものではなく、いくら言葉を交わしたとて理解出来るようなモノではないのだ。

 

「私は、私に出来ることを…」

 

少女は呟き、大樹にしがみつく巨人を臆することなく見下ろした。

 

 

巨大樹の森は、立体機動装置の機能を生かすには絶好の立地である。前後左右、至る所に存在する巨大樹のおかげでアンカーの固定地には事欠かず、こまかな軌道を取ることで巨人を翻弄しやすい。

 

しかしその反面、巨大樹の森は兵士の能力差が顕著になる場所でもあった。至る所に巨大樹があるが故に、兵士はその樹と衝突しやすくなる。当然訓練を乗り越えた兵士がそんなヘマをすることは殆どないが、身の安全の代償として立体機動の速度が落ちてしまう。立体機動には必須である空間把握能力と動体視力。それらが試される場こそが、巨大樹の森なのだ。

 

その点でミカサとほぼ同じ評価を得た俺は、並の兵士には難しい立体機動の速度を出すことができる。彼女と俺との違いを挙げるとすれば協調性くらいであり、それが首席と次席という順位を決定づけた要因であることは間違いないだろう。

 

こんな風に言えば自画自賛のようにも聞こえなくはないが、これはあくまで客観的な自己分析によるものだ。日本に生きていた頃は謙虚であることが美徳という風潮に乗っていたが、この地でそれを言うと嫌味と受け取られやすい。それ故に嘘偽りなく自身の能力を語り、故に俺はこの能力を把握でき、故に俺はその能力に自信が持てる。

 

「……あっちか…」

 

森の中に耳鳴りのような高い音が響き渡る。それは、リヴァイ兵士長率いる特別作戦班が女型の巨人と接触したことを知らせる音だった。進行方向を少し右にずらし、補給したばかりのガスを惜しみなく吹かして加速する。音響弾の音は木々に反射して正確な発生地点までは特定できないが、大凡の位置は把握出来た。

 

木々の間をすり抜けていくにつれ、いつからか鼓膜を震わせていた規則的な振動音が大きさを増していく。各振動音の間隔は狭く、目標がかなりの速さで走っているのが察せられる。そして木々の隙間からようやく女型の巨人の姿を捉えた瞬間、断末魔の叫びが耳に突き刺さった。

 

「ッ!!」

 

下半身を叩き潰され為す術なく落ちていく調査兵の横を通り抜けて女型の巨人の後ろにつく。その背中には巨人のものではない血肉がべっとりとこびりついていた。そしてその奥には騎乗している幾つかの人影も見える。作戦は問題なく進行しているようだ。

 

この作戦には二つの懸念があった。一つ目は、エレンが巨人化せずに馬で逃げてくれるかどうか。目の前で兵士が死んでいくのに自分は逃げるだけ、という状況を作戦を知らされていないエレンは好ましく思わないだろう。その時、彼が巨人化能力を行使する可能性は十分にあった。しかし今のところ巨人化した様子はない。何やらリヴァイ班の調査兵と言い争っているが、彼の説得はリヴァイ兵士長に任されている。エレンの身を守る役目を負うこちらは、説得が上手くいくことを願うだけだ。

 

そして二つ目の懸念は、単純にエレンが逃げ切れるかどうかだ。女型の巨人は、品種改良され最高速度は80kmも出せる調査兵団の馬よりも速い。ただ走っているだけでは追いつかれてしまうだろう。そこで奴の足止めを担うのが、俺や中央後列の調査兵達である。

 

「いくぞ…!!」

 

再び全神経を集中させて、既に交戦中の調査兵に加勢する形で女型の巨人へ勝負を仕掛ける。先程と同じ要領で挑めば目的を果たせそうにも見えるが、実際はそう上手くいかない。村での一戦は向こうがこちらを確実に仕留めようとしたおかげで真っ向勝負が行えたが、今回奴の優先目標はエレンに絞られている。つまり馬より速く走る奴を追いかけながら攻撃を行い、かつ的確に狙ってくる反撃を避けなければならないというこの状況は、非常に都合が悪いのだ。

 

両脇の木へ同時にアンカーを射出し、女型の巨人に向け加速。しかし両ワイヤーが一直線になった後も回収はせず再び伸ばしていく。そして案の定女型の巨人が振り払うように腕を振ってきたタイミングでトリガーを引いた。こちらの急停止に対応出来ずに巨人の腕が空振った直後にワイヤーを張り直し高度を下げる。うなじや手が硬質化可能となれば、アキレス腱もまた可能だろう。ならばあえて、大した弱点ではない脹脛の肉を削ぐ。

 

「よし…」

 

意表をついたおかげか、あるいは硬質化するまでもないと判断したか。ともかく奴の肉を抉ることが出来た。それで走る体勢が崩れることはなかったが、確実にダメージは与えられている。もう1人の調査兵が飛び回っているおかげで追撃が来ることもなかった。

 

巨人はその歩幅のおかげでかなりの速度で走行可能だが、個体ごとに体力の限界があるようで永遠に走り続けることは出来ない。そして俺は初めて遭遇した時より女型の巨人の走行速度が明らかに落ちていることから、通常の巨人と同様に奴にも体力の限界があるのではないかと考えている。

 

そこで重要なのが、その体力は体の再生にも費やされるのではないかという推測だ。巨人はうなじを削ぎ落とさない限りは再生し続けるが、仮に知能を持っている巨人が意識的に自己再生を行うとすれば少なからず体力を消耗している可能性がある。

 

「ダメか…!!」

 

肉が再生された後、女型の巨人が失速する気配は一切ない。推測の成否は判断しようがないが、少なくともあの程度の傷では大した影響を及ぼせないようだった。やはり、動きを止めるには体の部位を大きく欠損させる必要があるらしい。

 

しかし、今は長時間動きを止めさせる必要はない。具体的に言えば、女型の巨人とエレン遠く引き離す必要はない。こちらは女型の巨人がエレンを捕まえないように立ち回りはするが、目的は女型の巨人の捕縛であるが故に囮のエレンを見失わせる訳にはいかないのだ。

 

「ぐっ!?」

 

うなじを守る左腕の肘関節を狙うが、読まれていたようで首が90度以上回転し口が大きく開かれた。しかし念の為固定したままにしていた左ワイヤーを巻き取ることで回避行動をとる。

 

かなり余裕を持って避けられたためすぐに攻撃の隙をついてやろうと構えたのだが、その考えは紛れもなく女型の巨人によって砕かれた。奴の首が予想より大きく動いたせいで、兵団服が半分喰い千切られてしまったのだ。服が裂けるまで引っ張られた影響でバランスが崩れ、隙をついた反撃は不可能となった。

 

「……ッ」

 

崩れた体勢を戻そうとした時、先を駆けるリヴァイ班の1人と目が合った。思えば俺は久しくエレンと話をしていない。あの見た者全てを救いたいという正義感溢れる顔は健在のようだが、今はどうか堪えて欲しい。彼にとっては厳しい選択だろうが、こうして時間を稼ごうとする俺たちを見捨てて前を向いて欲しい。それがきっと、正しい選択なんだと信じて欲しい。

 

「遅い!!さっさと決めろ!!」

 

リヴァイ兵士長の声が響く。しかしエレンの顔には未だ迷いがあった。一向に前を向こうとしない。

俺がいるからだろうか。名も知れない調査兵ではなく、同期である俺がここにいるから彼は迷っているのだろうか。

 

ならば、その背中を押すのは俺の役目だ。

たった一言だけ、叫べばいい。

 

「走れ!!」

 

有り触れたものでありながら1ヵ月前より俺の脳裏から決して離れようとしないその言葉は、彼の元へしっかり届いた。そして苦渋の表情を浮かべながら前を向いたエレンは、今為すべきことを声を張って宣言する。

 

「進みます!!」

 

直後、女型の巨人より前に出てしまった調査兵がその手に捕まり俺が救い出す間もなく巨大樹の幹に叩きつけられた。落下していく体は頭部と半身を潰され、中から血と臓腑がこぼれ出る。しかしエレンは振り向かず、ただひたすらに前へ進んだ。

 

「目標加速します!!」

 

これ以上の交戦は不利に転じかねないと思ったか、女型の巨人は唐突に体勢を低くし速度を上げた。こちらを完全に無視してリヴァイ班に迫る女型の巨人の足は先程より深く地面を抉り、生じる風は俺を吹き飛ばしそうなほど荒れている。

 

「舐めるなよ…!!」

 

大きく左に体を振り、エレンの元へ伸びる手の甲に狙いをつけ突進する。突き立てた刃は硬質化によって砕かれたが、それは想定内。刃を引っ込め、続いて両脚を伸ばし奴の手に勢い良くぶつけた。当てた部位が硬い分妙な方向へ足をひねることは無いが、その程度の衝撃では大した影響は与えられていなかった。しかしそれも、想定内。

 

「動け……!!」

 

すかさず両手のトリガーを引き、出来得る限りのガスを排出させる。ワイヤーを巻きとる力に押され、巨人の腕は大きく外へ弾かれた。

そして同時に、太い枝の上に立つ大きな人影が目に映る。

 

「ショーダウン…」

 

巻き込まれぬよう女型の巨人から離れた直後、エルヴィン団長の声と同時に轟音が辺りに響き渡った────

 

 

「無事だったか」

 

「はい、なんとか。……ですが、自分以外の調査兵は…」

 

「…そうか」

 

俺がこうして団長と言葉を交わしている間も、女型の巨人の関節には「拘束用ニードル射出器」によっていくつもの鉄柱が打ち込まれ続けていた。

 

奴の動きを見事に止めた初手には「対特定目標拘束兵器」という新兵器が使われた。補給用の馬車に偽装され運ばれたこの兵器は、金属製の鏃が装着されたワイヤーを巨人と背後の木に向けて同時に射出し目標を拘束する。巨人拘束用兵器にはこれ以上ないといえるほど素晴らしいものだった。

 

「動きは止まったようだな」

 

班から一旦離れたリヴァイ兵士長が同じ木の枝に着地しエルヴィン団長に話しかけた。体には傷どころか戦った形跡すら見当たらず、ここに辿り着くまでリヴァイ班は一度も巨人と交戦しなかったことが窺える。

 

「まだ油断はできない。しかしよくこのポイントまで誘導してくれた」

 

「後列の班が命を賭して戦ってくれたお陰で時間が稼げた。あれが無ければ不可能だった」

 

「そうか…」

 

「そうだ…」

 

リヴァイ兵士長は動きを封じられた巨人を見下ろす。巨人のうなじは右手で覆われていて、その全てを晒すことは叶わなかった。逆に言えば奴の左腕は完全に封じることが出来たということだが、結局は右手の硬質化によって刃での攻撃は無効とされてしまうだろう。

 

「彼らのお陰で、こいつのうなじの中にいるヤツと会える。中で小便漏らしてねぇといいんだが…」

 

仲間を殺された怒りを乗せて女型の巨人を軽く嘲罵したリヴァイ兵士長は、飛び立とうとする寸前でこちらの存在に気づいた。手に握っていた刃を納め、俺の方へ歩み寄ってくる。

 

「怪我はねぇか」

 

「深い外傷はありません。この服も、ただ奴に食い千切られただけなので…」

 

出血がないことを示すため脱いだついでに、もはやマントとしての機能を果たせなくなったその兵団服を投げ捨てた。脱ぎ捨てで環境汚染がどうのこうのと言うような人間はここにはいない。そんな呑気なことを論じられるような世界でもなければ、地球環境を破壊できるほど多数の人類が存在してもいないからだ。

 

「そうか……よくやった」

 

リヴァイ兵士長は俺の背中に軽く手を当てながらそう言った後、改めてミケ分隊長の方へ飛び立っていった。潔癖症と聞いていたリヴァイ兵士長が戦闘でかなり汚れた俺の服に触ったりなど、普段の冷たい雰囲気とは言動が噛み合わず少し妙な感じがしたが少なくとも彼の手は暖かく、そして優しかった。

 

「ヒイラギ。女型の巨人との戦闘で得た情報を全て話したまえ」

 

「……………あ、りょ、了解しました」

 

少し浮いていた頭を切り替え、エルヴィン団長の方へ向き直す。足を肩幅まで開き両手は腰の後ろで組み、姿勢が整ってから報告を始めた。

 

「仮称、女型の巨人は明らかに立体機動装置のことを熟知しているため、中身の人間が兵士であることは間違いないと思われます。能力としては圧倒的な運動性能はもちろん、任意の部位を硬質化した皮膚で覆うことが可能のようです。ちょうどあんな風に…」

 

視線を女型の巨人の方へ移した時、リヴァイ兵士長とミケ分隊長がうなじに向けて同時攻撃を仕掛けていた。しかし命中した刃は硬質化した手の甲によって砕かれ、ダメージを与えることはなかった。

 

「ブレードで砕くことはほぼ不可能でしょう」

 

その後も数度攻撃が行われたが、傷一つ付けることすら叶わなかった。

 

「硬質化を維持することは出来ないらしいが」

 

エルヴィン団長は観察による推測を口にする。確かに女型の巨人が硬質化を行うのは攻撃を受ける瞬間だけであり、その度に硬質化を解いていた。

 

「鎧の巨人のように常に硬質化させることは難しいんでしょうが、持続時間がほんの数秒だけということはないと思います。実際、交戦した時は今より長く硬質化していました。おそらく硬質化を保つには体力を要するため、ああして一瞬だけ硬質化させているのではないかと」

 

「ではこのまま白刃攻撃を続ければ、いずれは硬質化が不可能になると」

 

「おそらくは。……ですが…」

 

時間が無い。今この場にいるのは裏切り者である可能性が限りなく低いものだけだが、捕獲時の音をもし裏切り者が聞きつけてやってきたら、女型の巨人を逃すどころか俺達が全滅させられかねない。それがなくとも、もし奇行種の数が増えてきたら女型の巨人どころではなくなってしまう。

 

不意に、エルヴィン団長が右手を挙げた。すると一人の調査兵がやってきて団長が彼に命令を下した。

 

「発破の用意。目標の手を吹き飛ばせ」

 

「はい……しかし、常備してる物の威力では、中身ごと吹き飛ばしてしまう可能性があります」

 

「ならば手首を切断するように仕掛けてみよう。合図を送ったら一斉に仕掛ける。最短で起爆せよ」

 

「待ってください」

 

伝達するため飛び立とうとする兵士も含めて呼び止める。砲で吹き飛ばすつもりなのだろうが、手首を切断しても意味が無い。

 

「奴はうなじすらも硬質化が可能です。手の硬質化が解ける瞬間に攻撃を仕掛けた時に確認しました。たとえ手首を落とせたとしても、中身を抉り出すことは不可能かと」

 

体力の消耗を待つ時間はない。かといって直接うなじを攻撃してもこの刃ではどうしようもない。ならば、道は一つしかないだろう。

 

「ここはうなじに向けて一気に仕掛け、中身の生死は二の次にすべきです。それにもし女型の巨人の中身がエレンと同じ再生能力を持っているとすれば、生存率は高いかと……。たとえ捕獲が不可能だったとしても、知能を持った巨人を討伐すれば敵戦力を大きく削れることは確かです」

 

中身を殺せば裏切り者の証明が難しくなり、必然的に功績として残すことも難しくなる。だが、討伐すらできなかったとなれば証明や弁解の余地はなく調査兵団の解体はほぼ確定してしまう。故に今確実な捕獲方法がないというのなら、最低でも討伐だけはしなければならないのだ。

 

エルヴィン団長は進言を終えた俺をじっと見つめた後、調査兵への命令を改めた。

 

「…うなじに向けて一斉に起爆せよ」

 

「了解!」

 

去った調査兵は作戦内容を伝え、各班はそれに従い発破の用意を始めた。そんな中、リヴァイ兵士長は女型の巨人のうなじに立って何やら語りかけていた。奴を挑発するようなことでも話しているのだろうか。

 

「……エルヴィン団長。これは非常に根拠の少ない推測なのですが、いいでしょうか」

 

「言ってみたまえ」

 

「女型の巨人の正体についてなのですが、奴はおそらく…」

 

 

きぃゃぁあああぁぁああぁあああああ────

 

 

俺が女型の巨人の正体について話そうとした、ちょうどその時だった。突如として大地が揺れ、空気が揺れ、体が中心から大きく震えた。およそこの世のものとは思えないほどの『叫び声』

「なんだ!?」という声はその中に掻き消え、俺自身ですら聞き取れなかった。やがて女型の巨人は大きく開かれた口を唐突に閉じ、あとには未だ森に反響する音とキィィィンという耳鳴りだけが残った。

 

「一体なんだったんだ…」

 

断末魔などの感情的な叫びではないだろう。もしそうなのであればこうして当然叫び声をやめることはなく、一度だけ叫ぶなんてこともない。だとしてもなんの意図があって叫び声なんてあげたのか。仲間への合図だろうか。

 

「エルヴィン!匂うぞ!」

 

真っ先に団長の所へ来たミケ分隊長が切羽詰まった様子で言う。『匂う』とは一体どういう事なのか俺にはわからなかったが、エルヴィン団長は把握出来ているらしい。

 

「方角は?」

 

「全方位から多数!同時に!」

 

そこまで聞けば俺にも理解できる。ミケ分隊長はよく匂いを嗅ぐ癖があるとは聞いていたのだが、どうやら巨人の匂い、あるいは気配を察知できるらしい。エルヴィン団長の反応から察するに、その的中率はほぼ確実。

 

「発破用意を急げ!」

 

「エルヴィン!先に東から来る!すぐそこだ!」

 

「荷馬車護衛班!迎え撃て!!」

 

団長の素早い判断に従って調査兵が3人飛び出した。迫り来る人間に向かって巨人は足を止めずそして────

 

素通りした。

 

「無視だと!?奇行種なのか!?」

 

「3体突破します!!」

 

女型の巨人の方へ一直線に走る巨人はしかし、彼によってその命を絶たれる。人類最強の兵士、リヴァイ兵士長によって。

 

「リヴァイ兵長!!」

 

それはほんの一瞬の出来事だった。全く無駄のない軌道を描いたリヴァイ兵士長は、一糸乱れぬ動きで大型2体のうなじを綺麗に削ぎとったのだ。

今の俺はきっと、あの動きを真似出来ない。能力としての問題ではない。彼との間にある大きな差は、経験だ。たとえ巨人2体をそれぞれ一撃で仕留めたとしても、討伐時間はこちらの方が圧倒的に劣るだろう。あの動きはきっと、俺が目指すべき最適解だ。

 

「全方位から巨人出現!!」

 

「ッ!!」

 

その報告で我に返る。どうもリヴァイ兵士長と言葉を交わした時から心が浮ついているような気がする。実際会話を交わす前と後とで差異があったからだろうか。

 

「全員戦闘開始!!女型の巨人を死守せよ!!」

 

今度こそ頭を切り替え、状況確認のため視線を動かす。先程接近した巨人3体のうち2体はリヴァイ兵士長が仕留めたが、残り1体は身長が低く女型の巨人まで辿り着いた。そして何をするかと思えば、なんと奴の肉を喰いだしたのだ。

 

そして今、おそらく同じ目的を持つ無数の巨人が一斉に襲いかかろうとしていた。おそらくそれは奴の能力で、引き金はあの『叫び声』

 

「ッ!!」

 

枝から飛び降り、真下まで来ていた巨人のうなじを斬り飛ばす。女型の巨人に向けて接近する巨人は、もはや数えられるような量ではなかった。しかしここで女型の巨人を失うわけにはいかないため、手当たり次第に巨人のうなじを削いでいく。

 

削ぐ──

 

削ぐ───

 

削ぐ────

 

迫る巨人は例外なく俺達を無視するため倒すことは至極容易かった。しかし、いくらなんでも数が多すぎる。1体殺せば2体が突破し、それを殺せば4体が突破してしまう。現戦力では押し寄せる波を阻むことが出来ず、無残にも女型の巨人の体は食い散らかされてしまった。

 

そして奴の原型すらわからなくなり巨人の蒸気で視界が保てなくなった頃、エルヴィン団長の声が響く。

 

「全員一時撤退!!」

 

俺を含め、全員が顔を顰めながら退避した。

大量の巨人を呼び寄せるのが奴の能力だとして、それを今行使したのは何故か。捕獲された場合の情報漏洩を恐れたからだろうか。エレン入手に失敗すれば命を絶つ覚悟を持っていたというのか。

 

「まあいいか…」

 

どちらにせよ、こちらの目的は奴の討伐が最低条件となったため手間が省けたというものだ。現在確認されている敵のうち1人が消えたのは間違いない。

 

………そのはずなのだが。

 

「総員撤退!!巨人達が女型の巨人の残骸に集中している内に馬に移れ!荷馬車はすべてここに置いていく!巨大樹の森西方向に集結し陣形を再展開!カラネス区へ帰還せよ!!」

 

「……………」

 

何かが引っかかる。別に最低の結果になったわけじゃない。エルヴィン団長の証言次第だがおそらくあの人なら調査兵団を、そしてエレンを残す方向に持っていけるだろう。それほどに俺は彼の強さを信用している。では俺は一体何に違和感を感じているというのだろうか。

 

「ヒイラギ!私たちの班の馬に乗って!」

 

「はい!」

 

赤髪をした二ファさんに従い、一時的にハンジ班に加わる。

彼女は一応ハンジ第四分隊長直属の部下となっているが、時にはエルヴィン団長やリヴァイ兵士長の元で動いたりとマルチな働きをする調査兵である。その容姿は髪型も相まってアルミンとよく似ていると、104期の中ではよく話題に上っていた。

 

「………」

 

アルミンなら何かあの硬質化を突破する方法を見つけられただろうか。彼は戦闘にこそ向いていないが、戦術面や観察眼は群を抜いていて俺は到底及ばない。だからこそ彼ならあるいはと考えてしまうが、実際居合わせたのは俺だ。俺が既存の捕獲案を蹴り、代案として討伐を提案した。俺の能力不足のせいで、捕獲は叶わず奴は死ぬことになり────

 

悪寒が走る。

 

殆ど反射的に背後を振り向く。巨人達が女型の巨人の肉を喰らう姿が蒸気の隙間から見えた。もっと早い段階で別の捕獲案が思いついていれば、中身の人間があの蒸気の中で食い千切られるようなことにもならなかったというのに。……いや待て。ちょっと待て。落ち着け。整理しろ。

 

奴が叫び声をあげた後に、女型の巨人が他の巨人共に食われるところは俺を含めこの場にいる全員が目撃した。初めは脚を、そして肩、胴、顔。殆どの部位が食われ剥がされ引き千切られた。だが、誰か奴のうなじを巨人が食ったのを見ただろうか。誰かうなじの中身があらわになる所を見ただろうか。

 

否である。それは誰も見ていなかった。もとい見られなかった。理由は、俺達が倒した巨人や女型の巨人が発する蒸気によってまともな視界を保てなかったからだ。

 

つまり中身の人間が………『彼女』が死んだところを見た者は、一人もいない。

 

「エルヴィン…どうしてリヴァイに補給させたの?時間がないのに…」

 

ハンジ分隊長が戦闘を走るエルヴィン団長に問う。リヴァイ兵士長はここにはおらず、リヴァイ班の方へ戻っている。ハンジ分隊長の言葉から察するに、エルヴィン団長は戻る前リヴァイ兵士長に補給をさせたのだろう。一刻も早く陣形を組み直さなくてはならないこの状況で、わざわざ遅らせるようなことをした理由。

 

「……奴は立体機動装置でエレンを追いかけている…」

 

結論に至る。違和感は取り除かれた。しかし同時に焦りを抱き始める。女型の巨人はエレンを追いかけているが、エレンを含めリヴァイ班の皆はそのことを知らない。リヴァイ兵士長でさえ、把握しているか怪しいところだ。下手をすればエレンは奪われる。いやむしろ、その可能性の方が高いのではなかろうか。

 

「中身があらかじめ立体機動装置をつけていて、蒸気に紛れて逃げたんじゃないかって推測なら、それはないと思うよ」

 

俺の言葉を聞いたハンジ分隊長が否定する。対して俺は彼女に問うた。

 

「なぜ言いきれるんですか?」

 

「確かに超大型巨人が消えた時もその中身を見た人はいないけど、エレンが巨人から出た時の状況を考えるとできそうもないからね」

 

「なぜ言いきれるんですか?」

 

再度、問う。

確かにエレンは立体機動装置をつけた状態で巨人化したが、出てきた時には装備は破損し戦闘服もなくなっていた。さらにエレン本人が自力で立てないほど憔悴していたため、女型の巨人も立体機動装置で逃げることは出来ないとハンジ分隊長は結論づけたのだろう。しかし───

 

「なぜって…」

 

「基準をエレンとするのがそもそも間違いです。彼は彼自身でさえ巨人化能力を理解出来ていない。しかし敵は、その能力を熟知していると考えた方がいいでしょう。硬質化やあの叫び声が良い例です。我々はエレンにそんな能力がないと思っていたから、敵が行使する可能性も考えなかった。しかし実際は、この通りです…」

 

「……つまり君は、エレンには出来なくても敵が立体機動装置で脱出することが出来ると言うわけだね?」

 

「未知の多い敵と戦う以上、そういった推測を前提にすべきかと」

 

人は物事を枠で囲もうとするきらいがある。何故なら、そうすることによって対処法を講じやすくなるからだ。しかし枠組みを作るのはこちらが勝手にすることであり、物事を枠組みの中に押さえつけられる訳では無い。

 

そして今回、女型の巨人がこちらの設けた枠組みから外れたため作戦は失敗した。無闇矢鱈に枠で囲もうとする限り、人類が巨人に勝つことなど出来はしない。

 

「ヒイラギの言う通りだ」

 

エルヴィン団長が前を向いたまま答える。

 

「我々は巨人化については初心者であるエレンを基準に考えたため、敵の能力を予想出来ず失敗した。あの敵を出し抜くためには発想を飛躍させる必要がある」

 

「敵が蒸気に紛れて脱出することができ、我々と同じ装備を身に纏っていれば兵士に紛れ込むこともできるかもしれない。敵が…力を残す術を持っているのなら、再び巨人を出現させることもできるかもしれん」

 

「今回敵と対峙して感じたことだ。最善策に留まっているようでは到底、敵を上回ることはできない。すべてを失う覚悟で挑まなくてはならない。必要なら大きなリスクも背負う」

 

「そうして戦わなければ、人類は勝てない」

 

堂々たる宣言。今までの彼の作戦は殆ど博打のようではあったが、それでも度を超えた掛け金や負ける可能性が高い勝負は避けてきたのだろう。だからこその、最善策。

 

しかしそれでは足りないと。それでは人類は至れないと彼は確信した。およそまともな人の為す所業では限界があると、理解したのだ。そしてその限界を超えるためなら人としての心だって捨ててやる『強さ』が彼にはあった。

 

「…………」

 

女型の巨人が生きている以上、調査兵団の功績は皆無。今回の壁外調査は完全な無駄だったと評されるだろう。それについては弁明のしようがない。だが、最低でもエレンだけは連れ帰らなければならない。彼を失えば、人類の敗北は確定する。

 

しかし今から俺が敵の存在を知らせる為にリヴァイ兵士長を追う、という選択肢はなかった。トロスト区奪還作戦時のような大怪我はないが細かい傷は幾つもあり、2度も女型の巨人と交戦したせいで疲労が溜まっている。こんな状態で行っても追いつけるかどうかすら怪しく、仮に追いついたとしても足手まといになるだけだろう。

 

そして何より、エルヴィン団長がリヴァイ班に応援を向かわせていないことが俺が動かない大きな要因であった。そこにはリヴァイ兵士長がいれば他の増援は不必要であるという信頼が表れていて、それは俺も同じだった。実際目にしてわかったことだが、今の俺や他の調査兵が向かえば返ってリヴァイ兵士長の邪魔になるのは間違いないのだ。

 

女型の巨人とは別の、1か月前に聞いた覚えのある叫び声が聞こえたが俺は何も言わず馬を前へ走らせた。



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15 凛と芽吹く変遷

壁外調査では、多かれ少なかれ死人が必ず出てしまう。当然その兵士たちには家族がいて、壁外調査中はずっと彼らを待ち続けている。その者達のために死体を回収し持ち帰るのもまた、壁外調査の一環であった。

 

そして今、調査兵団は回収した死体の身元を確認するため平野に留まっていた。壁外であるため留まる場所は行きで使った航路から慎重に選び、陣形を円状に変え警戒を怠らない。行う作業としては回収した死体を並べ、身元確認が出来次第布にくるみ馬車に乗せていくことの繰り返し。中には半身がなかったりそもそも胴体がなかったりする死体もあり、辺り一帯には酷い死臭が漂っていた。

 

「…結局、君の予想通りになってしまったね」

 

「そう…ですね…」

 

並べられた死体の名を告げていたハンジ分隊長が、名簿確認をしていた俺に向かって悔やむように呟いた。

 

撤退開始後しばらくして陣形に戻ってきたリヴァイ兵士長の傍にはエレンとミカサしかおらず、残りのリヴァイ班4名の姿はなかった。そして今、俺とハンジ分隊長の前には回収班によって運ばれてきたその4人の体が横たわっている。

 

エルド・ジン:上半身切断により死亡。

 

オルオ・ボザド:背部陥没により死亡。

 

ペトラ・ラル:胴及び脚部圧砕により死亡。

 

グンタ・シュルツ:うなじ欠損により死亡。

 

つい数10分前までは生きていた彼らの目は虚空を見つめていて一切の光が感じられなかった。その顔を見ているとまるで暗闇に吸い込まれてしまいそうになる感覚に襲われるが、俺にそんな彼らから目を背けることは許されない。彼らは、俺がより深く思考を巡らせていれば救えたかもしれない命だった。たとえその考え方が傲慢だと言われようと、俺は悔やむことをやめる訳にはいかないのだ。

 

「グンタさんが人間にやられたってことは、調査兵団の服を着てたんでしょうか」

 

「彼を含めてリヴァイ班は皆優秀だったからね。油断がなければ同じ人間に殺られたりなんかしないさ…」

 

巨人との戦闘で生じた死体は総じて悲惨なものだが、4人目の彼だけがそれとは別の死に方をしていた。明らかな人為的死因。リヴァイ兵士長の報告によれば、それは女型の巨人の中身がやったことらしい。

 

奴は初めにリヴァイ班の1人を立体機動装置で殺害。その後巨人化し残ったリヴァイ班を殺害。そして同じく巨人化したエレンにも勝利し彼を拉致。だが駆けつけたリヴァイ兵士長とミカサが女型の巨人と交戦し、これを奪取。以上が事の顛末だという。

 

そして報告を受けた回収班が向かった時には女型の巨人の姿はどこにもなかったため、リヴァイ班の遺体をここまで運ぶことが出来たのだ。エレン略取が失敗したとなれば女型の巨人は再び壁内へ帰還せねばならなくなり、それに要する体力を考えれば追撃は不可能だと考えたのだろう。

 

「………………」

 

シュレディンガーの猫と呼ばれる思考実験がある。1時間に50%の確率で有毒ガスが充満する箱の中に猫を入れ1時間待つと、箱を開けて見るまでは中に生きている猫と死んでいる猫が重なっていることになる。と、一般的にはこう認識されているものだがそれに当てはめて考えるなら、俺が「女型の巨人は生きている」と断定したために現実がその方向に確定してしまったということになる。

 

もっともシュレディンガーの猫とは、我々が認識するまで物事が確定していなくて複数の状態が重なり合っているなんて、常識的におかしいではないか。という風にとあるパラドックスを指摘するための思考実験なので、俺が断定しなければなんて考えは馬鹿げているのだ。

 

では俺がリヴァイ班に駆けつけたらどうなったか。俺が向かい女型の巨人を引き付け、この4人を救うことができたのか。否であろう。リヴァイ兵士長が追いついた時点で殺されていたのだから、俺が行ったところで結果は変わらなかった。

 

「……ハンジ分隊長、リヴァイ班の兵団服に紋章がないんですが…」

 

ふと気づいたことを問う。4人それぞれの胸ワッペンだけが切り取られていて、巨人に破られたというより刃物で切り取ったような印象を受ける。

すると、ハンジ分隊長は少し寂びそうにしながら答えてくれた。

 

「あぁ、これね……リヴァイが持っていったんだ。リヴァイにとっては彼らの紋章が、生きた証だから…」

 

「生きた証……」

 

リヴァイ兵士長の言葉や行動。一見非情で残酷な人間のように思える彼から垣間見得るものは、聞いていた話とはまるで噛み合わないことばかりだった。おそらくそれが彼の本性であり、彼の強さなのだろう。

 

「ヒイラギはもう右翼側に戻っていいよ。あ、ついでにエルヴィンにこっちは終わったって報告しておいて」

 

「わかりました。ではまた」

 

「あぁ、手伝わせて悪かったね」

 

軽く頭を下げてからその場を離れる。団長が森の側に向かうのはあらかじめ把握していたため、その方向へと歩いた。エルヴィン団長の姿を見つけるまでの間、どこを向いても布にくるまれた死体が目に映った。その傍には必ず調査兵がいたが、彼らは悲しみすら通り越してただただ絶望していて、その顔にはおよそ生気と呼べるものは一切見受けられなかった。

 

「納得いきませんエルヴィン団長!!」

 

皆が下を向き静寂に包み込まれていた中、そんな叫び声が聞こえてきた。目的の人物を呼ぶ声が聞こえた方向に足を運んでいると、先程の怒鳴り声をあげた理由が判明する。展開された会話はこんな感じであった。

 

「オイお前!!」

 

「回収すべきです!!イヴァンの死体は、すぐ目の前にあったのに!」

 

「巨人がすぐ横にいただろう!二次被害になる恐れがある!」

 

「襲ってきたら、倒せばいいではありませんか!」

 

「イヴァンは同郷で幼馴染なんです!あいつの親も知っています。せめて連れて帰ってやりたいんです!」

 

イヴァンという調査兵の死体回収を巡る話のようだが、そんな同情論ではエルヴィン団長は動かない。そしてそれを代弁したのは、参議を聞きつけてやって来たリヴァイ兵士長だった。

 

「ガキの喧嘩か」

 

「リヴァイ兵長…」

 

「死亡を確認したなら、それで十分だ。遺体があろうがなかろうが死亡は死亡だ。何も変わるところはない」

 

「そんな…」

 

「イヴァン達は行方不明として処理する。これは決定事項だ」

 

リヴァイ兵士長の言葉以上に語ることはないと思う判断したエルヴィン団長は考え直しを求める2人をその場に置き去った。リヴァイ兵士長もそれに従いついて行く。

 

「2人には…人間らしい気持ちというのがないんですか!!」

 

「おいディター!!言葉が過ぎるぞ!!」

 

ディターと呼ばれた調査兵が最後に放った侮辱と受け取れる言葉も、彼らの耳に届きこそすれ足を止めさせるには至らなかった。

2人は何を言わず立ち去る。過ぎた言葉を咎めることもなければ、ディター調査兵の言葉を否定することもなかった。

 

「エルヴィン団長。ハンジ分隊長に代わり、第四分隊担当の回収が完了したことを報告します。……可能な限り、ですが」

 

ディター調査兵達から少し離れたところで声をかける。手渡した名簿を歩きながら一通り確認したエルヴィン団長はそれをこちらに返し、労いの言葉を口にした。

 

「報告ご苦労。ここからは右翼に戻る予定だったな」

 

「はい、馬も向こうに残したままですので…」

 

俺は足を止めエルヴィン団長、そしてリヴァイ兵士長に頭を下げる。

 

その時ふと、違和感を覚えた。

 

俺とエルヴィン団長が会話している時もリヴァイ兵士長はすぐ隣を歩いていたのだが、その歩き方が崩れている。具体的にいえば片足を庇うような歩き方をしていた。

 

リヴァイ兵士長はミカサ・アッカーマンと似たものを感じるのだが、彼らはどんな状況でも体をどう動かすのが最適なのかを理解しているような、極めて合理的な動きをするのだ。だからこそ俺はリヴァイ兵士長の歩き方に違和感を感じ取れたのだが、それはつまり彼の足が負傷していることを示していた。

 

「…ではこれで」

 

しかし、それについて追及はしなかった。状況からして女型の巨人と交戦した時に負ったものだろうが、たとえ彼が負傷したことを認めたとしても俺に出来ることは何も無い。ならば、そんな無粋なことをする必要もあるまい。

 

 

右翼側は女型の巨人によって多大な被害を被ったため、配置が大きく変動した。しかし大凡の位置を聞いていたのと、彼女の髪色がよく目立つため見つけるのには苦労しなかった。

遺体の入った布袋を馬車へ上手く載せずにいたクリスタに横から近づき、彼女の力に自分の力を上乗せして袋を持ち上げた。

 

「ヒイラギ…」

 

袋の位置を保ちつつ荷馬車に乗り、既に載せられていた遺体の上にそれを積む。身元確認などは新兵熟練兵関係なく行うため彼女もこうして死体を運んでいたのだが、1ヵ月前に1度経験したからといって慣れるものではなく、顔色が酷く悪くなっていた。その頬に手を添えると、クリスタは微かに首の力を抜いて頭を預けてくる。

 

「大丈夫か」

 

「うん…私はこれくらいしかできないから………。ヒイラギこそ怪我はない?…あれ、マントはどうしたの?」

 

「女型の巨人にくれてやった。怪我はしなかったから大丈夫だ」

 

荷台の上から辺りを見回すと、近くにアルミンとジャンの姿を確認できた。他にも同期がいないか探していると、見覚えのある容姿の調査兵が駆け寄ってくるのが見えた。クリスタの方へ、一直線に。

 

「無事だったかぁクリスタ!」

 

「ユミルも無事だったんだね…!」

 

俺を遠慮なく押し退け一切の躊躇なく唐突に抱きつかれたクリスタだったが、こんな状況で親友の生存を確認できたのが嬉しかったらしく嫌がる様子も見せなかった。

 

「お前も無事だったんだな」

 

「この通りな」

 

クリスタに対する態度とはまるで違ったが、それがユミルという少女であるため気にかかったりはしなかった。むしろどこか男勝りな部分があるため、今では気楽に接せられる友人のように思えている。

 

「ユミル、左翼で104期は誰も死んでないか」

 

こちらが聞いても彼女はクリスタから離れる気配はなかったが、後ろから抱きしめるような体勢を取りながら質問に答えてくれた。

 

「今のところ知り合いの死体は見てねーな。どっかで丸ごと食われちまってたらわかんねえけど」

 

「ユミル!変なこと言わないでよ!」

 

クリスタが咎めるように言うが、髪をぐしゃぐしゃと掻き回されたせいでそれどころではなくなってしまった。するとユミルは唐突にその手を止め、思い出したように話した。

 

「そういや途中でミカサが森の中に行っちまったって聞いたな」

 

「それなら問題ない。今は中央のエレンと一緒にいるはずだ」

 

「だったら誰も死んでねぇんだろ」

 

「そうみたいだな」

 

どうやら同期で死亡者はいないようだった。丸ごと食われてたら云々は彼女の冗談であり、もし誰かいなくなっていれば真っ先に同じ左翼のサシャが気が付きユミルの耳に届くだろう。まあ聞いたところで彼女は動いたりはしないが、記憶には残るはずである。そしてそれは俺も同じで、例え同期の誰かが行方不明でも…………いや、どうだろうか。

 

「出発するぞ!全員配置につけ!」

 

張った声で伝達された指示に従い、作業を終えた調査兵達が次々と馬へ跨っていく。

 

2頭の馬と御者が引く荷馬車には死体と共に怪我人や巨人を食い止めている間に馬を失った調査兵が乗っているため、ただでさえ少なくなっていた調査兵がさらに減る。おかげで陣形の一部として機能する調査兵はかなり少なく、長距離索敵陣形を組めば人員の観点から上手く機能しないのは明らかであった。

 

故にエルヴィン団長が改めて長距離索敵陣形を展開することは無く、縦長のある程度距離を保った陣形をとることになった。ルートは先程と同じように既に通った道を走るため巨人との遭遇率は低く、互いの距離も近いためフォローが可能となっている。

 

「結局森の中じゃ何やってたんだ?」

 

配置変更の影響で右翼側につくこととなったユミルが俺に向かって質した。そんな彼女に対して、走りながら警戒する以外には特にすることのなかった俺は女型の巨人についてから説明した。作戦内容については幾つか伏せた情報もあったが、クリスタが知っていることはどうせ隠しても意味が無いため全て話した。

 

「それで右翼は壊滅したのか」

 

「壁に着いたら避難の嵐だろうな」

 

大声を出し、鐘を鳴らし、やる気に満ち溢れた様子で出ていった調査団が半日も経たずに半壊して帰ってきたらとんだ笑いものだろう。普段の運営は民の血税で賄われているため、石を投げつけられてもおかしくない状況だ。

 

「調査兵団は大丈夫なのかな…」

 

「それを考えるのは無事に帰ってからだ」

 

クリスタが後の行く末を憂うが、気にすべきなのは今だ。確かに接触しにくい道を行き現状接近する巨人は確認できていないが、カラネス区の壁まではまだ結構な距離がある。その間に接触がないかと問われれば確実に否と答えるだろう。

 

「後方が巨人を発見!!」

 

言ってる傍からこれだ。陣形が小さいため信煙弾による伝達が行われないうちに前列へと伝わる。

そしてエルヴィン団長が下した命令は、応戦ではなく全速前進。1体や2体程度なら壁まで逃げ切った方が速いと判断したのだろう。

 

ここが森であれば後方に精鋭を送るなりして対処するのだが、生憎と見渡す限りの平野である。時々数本の木が生えているのを確認できるが、それ以外に有利をとれる地形は特に見当たらない。こんな不利な状況で下手に止まれば二次被害が出てしまうだろう。

 

「ったく、なんで出発早々追われる羽目になってやがんだ。索敵班の先輩方は一体なにやって……オイ!どこ行くんだ!?」

 

「ヒイラギ!!何かあったの!?」

 

陣形が加速していく中、突然減速を始め配置場所から離れていく俺に向かってユミルとクリスタが叫ぶ。馬の不調でも忘れ物を思い出した訳でもない。ふと、前列の方からどんどん下がっていくリヴァイ兵士長の姿が見えたのだ。恐らく後ろの様子を見に行ったのだろうが、怪我を負っている彼は戦力にはならない。ならば、一体何をしに行ったのか。

 

「後ろの様子を見てくる!!気にせず進んでくれ!!」

 

俺はそう告げ、彼女らからの制止の声を無視して後退を続ける。そして後方の確認をしつつ馬をリヴァイ兵士長のいる中央側へと寄せていき後を追っていくと、伝達通り巨人の姿が認められた。しかしその数は予想より多く、少なくとも5体は陣形を追いかけてきている。

 

出発して時間が経っていないことから、比較的近くにいたのだろう。ユミルは索敵班に対して愚痴っていたが、これほどの数を見落とすような失敗をするとは思えない。しかし知性を持つ巨人が再び巨人を引き連れてきたという様子も伺えない。

 

「あれは………そういうことか…」

 

呆れてものも言えない。深くため息をつく間に、視覚から得た情報をまとめていく。

陣形の真後ろに近づいてきている2体のうち、遠方の巨人の周囲には2頭の馬がいた。うち1頭は巨人と戦闘中の調査兵だろうが、もう片方に乗っていたはずの調査兵の姿はない。

 

ミカサがいち早く救援に向かったため戦闘中の調査兵が喰われる可能性は低くなったのだが、その背格好には見覚えがあった。エルヴィン団長に死体回収で異議を申し立てていたディター調査兵だ。察するに、行方知れず調査兵はあの時隣にいた同郷の調査兵だろう。

 

その出来事から推測すれば、彼らはイヴァンなる幼馴染の死体を回収しに行きまんまと多数の巨人を引き連れてきてしまったというわけだ。死体に辿り着けたかどうかは判然としないが、彼の背に人の姿はなかった。

 

「だめだ!追いつかれる!」

 

「俺があいつの後ろに回る!ひとまず気を逸らして、その隙にお前───」

 

最後尾の馬車に乗った調査兵が言い合うが、馬車の左に馬をつけたリヴァイ兵士長がそれを妨げる。

 

「やめておけ。それより遺体を棄てろ、追いつかれる」

 

「なっ……し、しかし!!」

 

「遺体を持ち帰らなかった連中は過去にもごまんといる。そいつらだけが特別なわけじゃない」

 

「リヴァイ兵士長」

 

馬車の右隣につけたところでリヴァイ兵士長に声をかける。

彼が死体を棄てる決断をすることは分かっていた。彼自身が言った通りこの馬車に乗せられた調査兵が特別なわけじゃない。ならば生きている人の命を優先するのが当然で、その為なら死体を棄てることを厭わないのがリヴァイ兵士長という人物なのだろう。

 

しかし俺は異議を立てざるを得ない。これは兵としては間違った判断だろう。死体を棄て巨人の足を止めるのが確実で、俺の考えは不確定要素が多い。だが彼の本性に少しでも触れた俺はそれを言わずにはいられない。

 

「あなたにとっては、どうなんですか」

 

睨んでいるように見える彼の目を俺はまっすぐ見返す。

馬車や布には何処に誰が積まれているかを把握するための印がつけられているのだが、ここにある印には酷く見覚えがあった。おそらくリヴァイ兵士長も、この馬車に積まれた死体が誰なのか分かっているだろう。分かっていて、棄てる判断をしているのだろう。

 

冷徹。非情。残酷。今言動から抱く印象はそういったものだが、彼の本心はそこにはない。同班だった兵士の紋章を生きた証として持つ彼が、あの4人の死体を棄てることに何も感じない訳が無い。確かに兵士としては彼の言葉が正しい。だが、リヴァイ兵士長個人としてはリヴァイ班の4人は紛うことなき特別な人間だろう。それを知る俺は、彼にこの4人を棄てさせる訳にはいかないのだ。

 

リヴァイ兵士長は足の怪我で戦えない。全てとは言わずとも、その原因は俺にもある。そしてそれを招いた俺の思慮の浅さはリヴァイ班全滅にも直結している。あの時俺は何も為せなかった。しかし、今の俺は彼らのために為すことが出来る。そんな状況で、戦わない訳にはいかない。

 

「これくらいはさせてください」

 

刃を逆手に持ち、飛び立つ。

 

今の俺では彼のような完璧な動きはできない。だが今後も彼の代わりが必要になった時、俺は迷わずこの未熟な身体を奮い立たせるだろう。

 

かつての俺ではきっとこんな思いを抱かなかったであろう。この世界に生きる俺にとっては為すべきと感じたことだけが全てであり、知り合いの死に対しても憐れにこそ思えどそこに悲しみはなかった。しかし、今の俺にはかつて他人と対する時抱かなかった感情が渦巻いている。

 

「悔み」だ────

 

あの時別の判断を下していれば。あの時もっと行動を起こしていれば。あの時より深く考えを巡らせていれば。あの時。あの時。あの時。

 

言い出せばキリがない。それ程まで俺は多くの事象に対して悔みを抱くようになっていた。具体的にいつからかはわからない。しかしきっかけはハッキリしている。

 

人だ。俺は人に対する悔みを人と接することで得られたのだ。それは友人であり、同僚であり、同期であり、先輩であり、指導者であり、恋人であった。

 

純粋な正義感を持つエレン

絶対の使命感を尽すミカサ

明晰な分析力を扱うアルミン

的確な判断力を誇るジャン

頑固な意志力を示すユミル

気丈な統率力を揮うエルヴィン団長

不屈の精神力を翳すリヴァイ兵士長

そして多彩な配慮力を与うクリスタ

 

俺は彼ら彼女らと様々な場面で接することにより次第に変化が訪れ、新しい感情を得ることが出来た。いや、取り戻すことが出来たという方が適切だろう。命と共に一度死んだ感情。それを取り戻していくことが今の俺には出来ているのだ。ならば────

 

 

ならば俺が『柊』に戻る日も来るのだろうか。

 

 

 

巨人襲撃の危機を脱した調査兵団は、位置の確認をするため再び陣形を停止させ円形に広がっている。そしてエルヴィン団長に一通りの報告を終えた俺はクリスタの元へ戻ろうとした時に1人の男性を見かけた。馬に乗った彼が行く先には、今の事態を招いた張本人が下を向いて佇んでいた。結果として兵団に迷惑をかけた上イヴァン調査兵の死体は回収出来ず、もう1人の幼馴染であるユルゲンまで失う羽目になった。今、彼の心は後悔で満ち溢れているだろう。

 

「リヴァイ兵長……自分は…」

 

馬から降り近づいてくるリヴァイ兵長に向かってディター調査兵が消え入りそうな声で呟く。対してリヴァイ兵長は内ポケットから布のようなものを取り出した。そしてその手のひらと同じ大きさの物をディター調査兵に差し出し、こう告げた。

 

「これが奴らの生きた証だ。…俺にとってはな」

 

受け取ったディター調査兵はそれを見て息を呑んだ。調査兵団の証である自由の翼の紋章。服しか取り戻せなかった時の為に兵団服の紋章には名前が刻まれている。そして、その紋章に刻まれた名は…

 

「イヴァンのものだ」

 

散々な目にあった中で唯一得られたものに堪えきれず涙を溢れさせた。そこには当然悲哀や後悔があるだろうが、リヴァイ兵長の優しさに対する感謝の意もあったのだろう。

 

「兵長…!!」

 

それ以上リヴァイ兵長が声をかけることは無く、再び馬に乗りディター調査兵から離れていく。そしてその先に俺が立っていることに気付いたリヴァイ兵長は目の前まで来たところで馬を止めた。

 

「リヴァイ兵長、先程は独断専行を行い申し訳ありませんでした」

 

俺は頭を下げた。結果的に巨人は全てミカサと協力して討伐できたものの、上官の命令を無視したことには変わりない。エルヴィン団長は処罰に関してはリヴァイ兵長に一任すると告げた為、俺の今後は彼の一言で決定されてしまうだろう。しかし俺は悔いのない選択をした為、そこに後悔はない。

 

「ありがとう」

 

「…………え…」

 

俺の肩に手を当て一言だけ発したリヴァイ兵長は、そのまま馬を歩かせ離れていった。頭の理解が間に合わず、俺はその背に声をかける。

 

「リヴァイ兵長!俺の処罰は…!」

 

声を張った。きっと兵長の耳にも届いただろう。だが彼は立ち止まらず、振り返らず、返答することもなかった。

 

軍規違反を不問としたリヴァイ兵長に、俺は敬礼をとった。

 

 

壁外調査からカラネス区へ帰還した調査兵団は、嫌になるほどの文句や慨嘆で迎えられた。しかし調査兵団にはそれに反抗できる根拠もなければ気力もなかった。皆一様に消耗しており、声を上げることすらままならない。

 

「かっけー!!これがあの調査兵団か!!あんなにボロボロになっても戦い続けるなんて!!」

 

子供の声だった。冒険心に溢れる子供、それも男のこともなれば調査兵団に夢を見ることもあるのだろう。しかし実際にあるのは、夢とはほぼ遠い絶望的な現実。だからこそその男の子の言葉は酷く調査兵団に突き刺さった。

 

リヴァイ兵長にはペトラ・ラル調査兵の父親と名乗る男性が愛娘について話し、エルヴィン団長には一般市民や記者達からの過激な質問を投げつけられていた。

 

 

今回の壁外遠征に掛かった費用と損害による痛手は調査兵団の支持母体を失墜させるに十分であった。そして、エルヴィン団長を含む責任者が王都に召集されると同時にエレンの引き渡しが決まった。

 

だが、エルヴィン団長はそう易々と諦めるような男ではない。彼は憲兵団が迎えに来る前にとある一室に集合を命じた。そこに王都への召集がかかったエレンや、エルヴィン団長、そしてリヴァイ兵長以外にもミカサ、アルミン、俺も含まれていた。

 

この場にいるのは女型の巨人と接触した人物だけで、それらの報告から推察した女型の巨人の正体について俺とアルミンの意見が一致した。奴は104期訓練兵団に所属していた者であり、上位10名に選ばれ唯一憲兵団を選んだ者であった。彼女の名は────

 

「アニ・レオンハート。それが、女型の巨人の正体だ」




次回、クリスタの出番が増えます。

https://mobile.twitter.com/kagesan_ss
小説の進捗についてはTwitterで報告しています。誤字脱字その他要修正箇所及び質問ついてはハーメルンにて受け付けておりますが、Twitterでも可です。Twitterに関われば何か特典があるわけではありませんが『モチベが上がります』。

では今後もどうぞお楽しみください。


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16 さりとて在りし憧憬

 

「……なんだそれ」

 

対人格闘術の訓練地を向かう途中、ユミルが俺の持つ木製ナイフを見て呆れるように言った。

 

「なんだって……訓練用のナイフ」

 

「なんでそんなボロボロなのかって聞いてんだよ」

 

それを聞いて改めて自分の持っているナイフを見下ろすと、彼女が言う通り刀身がボロボロになっていた。先端は割れ、刃は目も当てられないほどの凹凸がついている。

 

「対人格闘なんて大した点にもならねぇし適当にやりゃいいのに、よく真面目にやってんな」

 

「まあな………。そういうお前こそ、対人格闘の時間は随分楽しそうにしてるだろ」

 

「まあな!」

 

ユミルは嬉嬉として答え、隣を歩くクリスタと肩を組む。

対人格闘ということは必然的に相手との距離が近くなる。つまり、彼女がクリスタに触れる機会も増えるという事だ。

 

普段からよくくっついているためあまり変わらないじゃないかと以前言ったことがあるのだが、ユミル曰く触れる行為は普段と訓練とでは全くの別物だとのことらしい。よくわからない。

 

「わっ、ほんとにボロボロだね……教官に交換してもらったら?」

 

ユミルの方へ肩を寄せたついでに覗き込んだクリスタが助言をくれたが、残念ながら既に実行済みである。

 

「4日前に変えてもらったばかりだ」

 

「えっ………?」

 

クリスタの顔が若干引き攣る。

そのような反応をされる程の行為だということは自覚している。とはいえ、訓練をしていれば自然とこうなってしまうため仕方が無いのだ。教官には次壊したらグラウンドを100周させた上でナイフを重い鉄製に変えると言われたが、その時はあまり遠くないらしい。

 

「どうやったらこんな風になるんだろう…」

 

「やってみるか?」

 

興味深そうに見るクリスタに対人格闘の相手に誘ってみたのだが、首をぶんぶんと振りながら全力で断られてしまった。

 

「お前とやったらクリスタが怪我しちまうだろ!化物は化物同士やってろ!」

 

噂をすれば。いち早く訓練場に着いていたミカサが正面から近づいてきていた。あるいは、ユミルはミカサの姿を見た上で発言したのかもしれない。

 

「ヒイラギ。相手をお願い」

 

「あぁ」

 

 

ミカサとの対人格闘は非常に充実したものであった。初めこそ教官の教えに倣い基本の技のみを使っていたのだが、かつて映像で見たことのある格闘術を見様見真似で使うようになり、今では多くの技を繰り出すことが出来るようになっている。その動きが手本通りかと聞かれれば、首を傾げざるを得ないのだが。

 

「ッ……!」

 

ナイフの突きを2度繰り出すが、上手くいなされたのち腕を掴まれナイフを叩き落とされた。そのまま背負い投げを仕掛けられたが着地点で両足をしっかり地面につけ、腹を上へ向けたまま左手で落ちたナイフを拾いミカサの顔に向かって振り抜く。当然のように躱されるがナイフを振った勢いに乗せて体を捻り、宙で一回転した後右足の踵を胴に叩きつけた。両手で防御姿勢をとったミカサだったが力に押され体勢を崩した。だが力負けしたわけでは無く、防御すると共に腕を押し出したことによりこちらの足も大きく弾かれてしまった。

 

「踵蹴りで片手を地面につけていれば、直撃の可能性は高かった。いい加減足技の時に手も意識するべき」

 

「そっちこそまた背負い投げに頼る癖が出てるぞ。攻撃の幅を持たせれば反撃の手数も減らせて防御じゃなく回避が出来るようになるだろ」

 

どちらかがこうしようと決めた訳では無いが、格闘術において俺とミカサは区切りのついたタイミングで互いに互いの改善点を言い合うことになっていた。そして指摘を終えてから、再び距離を詰めることを繰り返す。

 

数えるのは途中で諦めたのだが、勝敗の数は今も前も変わらず互角だと思われる。一勝一敗を繰り返すというよりは、引き分けで終わることの方が多い。だからこそ俺と彼女は、自身の力を伸ばしやすくなっている。

 

だが欠点がないわけでもない。俺やミカサが訓練において怪我を負うタイミングは殆どがこの対人格闘術に集中してしまっていることだ。鉄と鉄がぶつかり合えば互いを傷付けるのは道理である。結果、飛び火というわけでも無いが訓練用ナイフがボロボロになってしまうのだが。

 

「そういえば……っ…放っといてもいいのか?」

 

「なにが……?」

 

ナイフを奪わんとするミカサの攻撃をどうにかいなしながら問いかける。本来訓練は私語を謹んで励むものだが、巨人を狩る技術を磨く訓練兵にとって対人格闘術はあまり重要視されていないためこれといって厳しい目もない。明らかにだらけていればさすがに教官から怒号が飛んでくるが、その辺は各々上手くやりながら凌いでいる。

 

「エレンのことだ。最近はアニとよく組んでるだろ。……っ、お前としては気に食わない状況なんじゃないかと、思ってな…!!」

 

「ッ!!……別に…」

 

「そうか?あいつ少し前までは…っ……バレないようにサボるやつだっただろ。それだけアニはエレンのことがッ、…少なからず気になってるわけだ」

 

そこまで言いきると同時に距離を置く。会話に意識が向いていたせいでミカサの略取を阻止することに専念してしまっていたが、言いたいことは言ったため今度はこちらから仕掛ける。

 

ミカサがエレンに対して恋愛感情を抱いていることは明らかなのだが、エレンは気づかない上ミカサも一切認めようとしない。このままではアニではなかったとしても誰かに取られてしまう可能性がある。それを警告したかったのだ。

 

「……オイ、どうした…?」

 

攻撃をやめ、雰囲気が豹変したミカサに問いかける。

 

背筋が凍る感覚。

 

なんの前触れもなくとてつもない殺気を放ち出したミカサに焦燥感を抱きつつ、その視線の先にあるものを確認するため振り返る。すると、殆どの訓練兵が立って格闘術を行っている中で1組だけ随分と低い態勢の者達がいた。言うまでもなくエレンとアニなのだが、今まさにアニがエレンに対して絞め技を仕掛けている。訓練としては大いに結構なのだが、あれほど体が密着しているとミカサが黙ってはいな────

 

「ちょっ、オイ待て!?」

 

かつて訓練では見たことの無いスピードに追いつけず、呆気なく後ろを取られた俺はミカサに両手で捕まれ振り回される。その後遠心力をつけた状態で手が離され、俺の体は放物線を描きながら宙を舞った。そして重力に引き戻され、だんだんと地面が近づいてくる。

 

『ッ!」

 

「ぐあぁッ⁉︎」

 

幸い、といったらエレンに悪いが、彼が下にいたおかげで思ったよりダメージが少なかった。ミカサが正確に投げ飛ばしてくれたおかげでもあるのだが。

 

「なんでヒイラギが降ってくんだよ…」

 

「俺が聞きたい…」

 

久々に敗北を期した上に投擲物扱いされてこのザマだ。嫌になってくる。

 

紛れもなくミカサにケンカを売られたアニはそれを買い、一触即発の雰囲気。いつしかその組み合わせにギャラリーが集まり賭け事まで始めていた。

しかし、俺もその対決に興味が湧いた。最近アニはエレンと格闘訓練をしているが、逆にその他兵士との訓練を見たことがない。強いて言うならライナーだが、一度大負けしてそれっきり。強いことは周知の事実だが、果たしてミカサとどちらが上かは計り知れない。

 

だが、結果的に勝敗がつくどころか勝負が始まることすらなかった。これだけ騒ぎまくれば教官が気付くのも道理。飛んできた怒号によりその場は解散となる。ここまで期待させておいて何もなしでは些か酷いと思ったが教官に見つかったのでは仕方がなかった。

 

余談だが、ミカサに投げ飛ばされた拍子に俺のナイフは刃が縦方向へ割り裂けてしまっていた。それに対しても、教官から怒号が飛んでくる。もう嫌だ。

 

 

「……ハァ…」

 

グラウンド100周をようやく終え、暫く歩いて息を整えた後に仰向けに倒れ込む。今夜の空は雲一つなく晴れていて、灯りも少ないおかげで星がよく見えた。ひたすらに美しいと感じられる無数の光は空を埋め尽くすように広がる。発展を遂げた街では決して見られぬその景色は、俺がこの世界に来て良かったと思える数少ない要素だった。二度目だからこそ思えるが、一度きりの人生でこの景色を見られないというのは酷くもったいないように思える。

 

「お疲れさま。大丈夫?」

 

このまま眠ってしまいたいと思い始めた時、こちらの顔を覗き込むように屈んだ少女の姿が視界に映った。暗い中でもその明るい髪色ははっきりと見える。

 

「大丈夫だ……ただ、少し疲れたからこのまま寝てしまいたい…」

 

「もう、そんなことしたらまた教官に怒られちゃうよっ」

 

呆れるように笑ったクリスタは俺の足元に立つと両手を取り「えいっ」という可愛らしい掛け声と共に上半身を引っ張り上げた。微かに眠気が覚めると、今度は空腹が襲ってくる。とはいえ食事の時間はとうに過ぎてしまっている。

 

「お水と、パンも少し持ってきたけど…」

 

タイミングよくクリスタが地面に置いていた飲食類を差し出してくる。様子を見に来る人はいても、差し入れを持ってくる人は彼女以外いなかった。ユミルなど粘り出した俺を見て腹抱えて笑ってきたのだ。やはり彼女の持つ善意………善意…なのだろうか。妙に身構えて警戒されているように感じる。何かを恐れているような…。

 

「………いや、水はありがたいがパンはクリスタが食べてくれ。それは元々お前のものだろう」

 

俺は水袋だけを受け取り、乾ききった喉を潤した。

ナイフが壊れたのは事故に近かったとはいえ、内心反省しているのだ。ナイフは壊れて当然、仕方がない。なんていう考えは物が溢れていた世界での話。壁内という限られた資源しかないこの地においては、木を加工して作る訓練用ナイフすら貴重な物資なのだ。故に、消費社会の常識は切り捨てなければならない。

 

「ダメだよ!今日はいつも以上に動いたんだから何か口に入れないと!」

 

しかし断固拒否の姿勢を見せたクリスタは、その手にあるパンを俺の口に無理やり押し込んできた。不意の出来事にパンの侵入を許してしまった俺は、さすがに吐き出すことは憚られるため口に入りきらなかったところを持ちパンを噛みちぎった。

 

かつて食していたものに比べると随分味気なく思えるが、空腹が満たされていくのは確かだった。

 

「…しかし、ミカサとアニの対決を見られなかったのは残念だったな。説教と100周は対価として相応しいと思うんだが」

 

「ど、どうだろう………ヒイラギはあの2人が戦ったとして、どっちが勝つと思う?」

 

ナイフ破損と対決の有無は別問題なのでは、という反応をしたクリスタは不意にそんな問いを投げかけてきた。あの場においてもどちらが勝つかについて各々予想を立てて夕食を賭けたりもしていたが、果たして結果はどうなっただろう。

 

単純な身体能力でいえばミカサに分があることは疑いようがない。しかしアニも上位に食い込む能力を有しているのは確かである。アニが勝負できるところでいえばそこだろう。ミカサが力や速さを重視するのに対し、アニは細かな技術を重視している。自分のみならず相手の重心などをも利用し敵を圧倒する。その技量は恐らく長い時間をかけて培われたものであり、1年や2年で追いつけるようなものではないのだ。それを考慮し、予測できる勝者は————

 

「………ミカサだな」

 

「どうして?」

 

「アニは強い。格闘技術で言うなら今期で最も優秀な兵士だろうな。だがどれだけ巧妙な技を繰り出し相手を絡めとろうとしても、ミカサの動体視力、瞬発力、筋力で破られるからな」

 

アニはミカサの喧嘩を買った時、挑発のため彼女をバケモノと称した。人への技がバケモノに通用するか試してみたいなどとも言っていたが、良くも悪くもアニの評価は正しく、人間の規格で考えればミカサはバケモノに違いない。人がクマに素手では勝てないように………いや、もしかしたらそんな超人もいるかもしれないが、この場合敵であるクマは格闘術を一通り心得ている個体となる。そんな相手に勝つ事は、やはり難しいだろう。

 

「じゃあヒイラギは?」

 

「俺か?」

 

今日は大敗を喫したが、俺とミカサの実力は大差ない。ならばミカサが勝つと予想したアニには勝てると断言出来る。

 

と、まあ客観的に見ればそうなるだろう。だがいざ彼女と対峙した時勝つ自信があるかと訊かれると、正直断言は為兼ねる。先も述べた通り彼女の格闘術は群を抜いていて、見様見真似で会得した俺の格闘術が一体どれほど通用するか予想もできない。

 

「…そういえば、暫くミカサと以外やってないな」

 

初めは様々な人と組んだりしていたが、ここ半年でミカサ以外と組んだ事は一度もない。それ故に、今周りと俺の実力に果たしてどれほど差があるのかわからないのだ。

 

「一度やってみるのもいいかもしれないな…」

 

とはいえ今日のところは疲労が蓄積されすぎている。誘うにしても明日か明後日がいいだろう。

そろそろ部屋へ戻る時間のため、重い身体を持ち上げて寮へと向かう。クリスタにもたれかかりながら歩き出したのはよかったのだが、男子寮へ辿り着く前に待ち伏せしていたユミルに本気で蹴り飛ばされ、身体へのダメージはむしろ増えてしまった。

 

 

「よろしく頼む」

 

「…ミカサの次はアンタ?」

 

翌々日、体調も万全、格闘術の訓練あり。ならばこの好機を逃す手はあるまいと俺はアニに勝負をふっかけた。初めこそ断る雰囲気があったのだが、嫌々ながらも相手を引き受けてくれた。彼女も彼女でミカサとの力量さに思うところがあるのだろう。だが、アニが気にしているならば件の彼女も気にしていないわけがない。

 

「ヒイラギ、その女の相手は私がする。まだ勝負はついていない」

 

予想した通り、ミカサが勝負相手を奪いにきた。もとい、奪ったような形をとったのはこちらであるため、向こうは取り戻しにきたというのが正しいだろう。だが、そう簡単に譲るわけにもいかない。

 

「俺がアニとやるからエレンが空いてるんだ。お前はそっちの相手をしてくれ」

 

「わかった」

 

即答であった。数刻前、エレンが食堂にて今度こそアニから一本取ると意気込んでいるのを耳にしたが、まあ致し方ないと受け入れてもらうしかあるまい。それに代行の相手はミカサ。訓練としてはきっと有意義なものとなるだろう。

 

メンタル面については管轄外である。

 

「じゃあ、早速頼む」

 

「……」

 

アニは返答として構えた。両腕を曲げて顔の斜め横に置く、基本に近い構え。腕を前後ではなく真横に並べて置くのは蹴りを主体としているからだろうか。改めて見てみると、背筋はこちらより伸びていて重心は後脚にかかっている。基本に近い構えではあるのだが、明確な違いが見て取れる。

 

「そっちが来ないなら、こっちから行くよ」

 

その言葉は単純な意味で受け取ればいいのか、あるいは観察される視線が気に食わなかったのか。

いずれにしても、アニは地を蹴り距離を詰めてきている。おそらく彼女が繰り出す初手は……こちらが疎かに足元。

 

「…!」

 

初動を見てから動いては彼女の蹴りに間に合わない。性格と傾向を用いた完全な予想で飛び上がったが、幸い的中し向こうの意表をつくことには成功した。

 

飛び上がる時にかけた回転に任せ1周回ったのち、その微かに見開いた眼を目掛けて蹴りを放つ。だが構えられていた左手で防がれ直撃とはいかなかった。さらにアニは受け止めた脚を右手で掴み、こちらへ背を向けたのち向かって前方へ投げ飛ばさんとした。体が足先を中心に180度振られ地面が目前へと迫る。ここからノーダメージで切り抜ける方法は思いつかない。ならば————

 

「ぐッ‼︎」

 

体を強引に左へ捻って背を地面にぶつける。吐き出すような声が漏れるが、顔面と胸で受けるよりは幾分かマシだ。

 

向こうが次の行動へ移る前にその胸倉を両手で掴み、フリーとなっていた左足で腹を蹴り上げると同時に後方へと投げ飛ばした。

 

「ッ⁉︎」

 

痛みを堪える顔に満足する間もなく立ち上がりアニとの距離を縮める。向こうは転回やロンダートを駆使して衝撃を分散した後に倒れ、すぐに跳ね起きで立ち上がり構えをとった。先程とは顔つきが違う。腹蹴りで少し気が立ったのだろう。

 

無闇に突っ込んでは技をかけられかねない。そのため両手を顔の前から少し下げ、距離を取りながら警戒する。だが、それこそが彼女の狙いだった。そもそも彼女の得意とするのは蹴り。腕を優先して警戒したことが運の尽き。後ろ寄りの重心によって放たれた右足の蹴りは、ガードを間に合わせることなく顔の側面に直撃する————

 

 

なんて思っていたんだろう。

 

 

「惜しい」

 

「ッ⁉︎」

 

右脚が動作に入った瞬間、こちらの左腕が顔の横に移る。そして、彼女の蹴りはガードされた。

 

確かに彼女の蹴りは速く、注意が逸れた状態では動作を見てからのガードは間に合わない。だが逆に言えば、蹴りを最優先で注意し構えていればガードを間に合わせることが出来る。

 

右腕に力を込める。蹴りは攻撃に威力とリーチを持たせることが可能だが、隙が大きくなる。攻撃を防がれれば、その分隙は明確に。

 

「———ッ‼︎」

 

次の瞬間、アニは空を見上げていた。雲一つない快晴から降り注ぐ光を全身に浴びていた。およそ常人には何が起きたか認識することも困難なほど一瞬の出来事。だが、アニはその身に起きたことをはっきりと認識していた。

 

ヒイラギの右腕による渾身のストレートは、カウンター対策として蹴りと同時に伸ばされていた左手に捕まるところだった。それは予想を的中させたが故に生じたヒイラギの油断。カウンター対策を考慮しなかった時点で、常人ならば負けは確定する。

 

だがヒイラギは互いの手がぶつかり合う数センチ手前で左膝を傾け右腕の軌道を無理やり逸らしたのだ。さらにヒイラギはその力を利用し体を一回転させながらアニの左側へ回り込み、首と背中を掴み軸足を払ってから地面に叩き落とした。

 

常軌を逸した動きに、アニは認識こそすれ対応することは叶わなかった。ダメージとしては戦闘続行も可能だったが、刃を確実に突き立てられるほどの隙を生じさせた時点で勝敗は決したもの。結果だけを言うならば、アニ・レオンハートの敗北である。

 

「カウンター対策を含んだ型か……最後は危うかった。さすがに強いな」

 

「…どうも」

 

アニは差し出した俺の手を掴み、立ち上がった。

彼女を強いと評したのは勝利したが故の優越感から出たものではなく、客観的に見て感じた純粋な本心である。運動性能は間違いなくこちらが勝っている。それはどの訓練においても見受けられる程明確な事実。にも関わらずこれだけ追い詰められたことには素直に驚嘆した。近接格闘においてこれだけ実力を発揮して戦えるのはミカサのアニくらいだろう。

 

「お互いダメージが大きい。勝負はこれくらいにしないか」

 

勝利こそ手にしたが、背中や蹴りを受けた左腕にはまだ痺れや痛みが残っている。正直休みを取りたいところだが、それをして教官に怒鳴られては救いようがない。故に提案として、軽く流す程度に軽く訓練に参加しようと言ったのだ。だが、彼女は何故か構えを取りはするものの一歩も動こうとはしなかった。

 

「……ねぇ、アンタはなんで真面目にこの訓練してるワケ?」

 

と、唐突に話しかけてきた。普段無口なアニの方から声を掛けてくるとは少々意外だった。だが、質問の意図は汲み取れる。対巨人兵を育成するこの地において、対人格闘術はあまりに無意味。故に訓練兵どころか教官でさえ、普段より力を抜いているのだ。

 

そんな中で、真面目に取り組むのは何故か。

 

「馬鹿正直な奴か単に馬鹿な奴は訓練に参加してるけど、アンタはどっちでもないんでしょ」

 

またしても意外な発言。エゴイズムの塊の様に思っていた少女が、他人の観察した末の予想をもとに話している。さらに案外的を射ていないわけでもない。

 

確かに俺は目的のために為すべきことは為すが、そうではないのなら手を抜いたりしている。ミカサは細部までとことんやり遂げるタイプだが、俺はそういうわけではないのだ。かつての人生において固まった癖のようなものだろう。そういう考えで正しいなら、俺がこの訓練で真面目に励む理由は一つだろう。

 

「必要なことだからな」

 

アニが怪訝な顔をする。確かに巨人狩りという面では近接格闘は何の役にも立たない。自身の運動能力の把握がだの思い通りのコントロールがだの教官は御高説を垂れるが、結局意味はないだろう。

 

だがそれは、巨人が相手だった場合に限る。

 

「今は巨人の駆逐を目標に団結してるが、仮にそれが達成されて明確な敵がいなくなったら次は何が起きるか。資源、経済、労働、あるいは嫉妬、憎悪、意見の相違などなど、理由は色々と予測を立てられるが、間違いなく敵は人類同士になる。人はまず間違いなく、戦争を起こす」

 

「なんでそう確信できるの?」

 

俺もかつてはこんな考えを殆ど持っていなかった。戦争なんて俺とは全く無縁な存在。テレビで伝えられる死亡者は、俺とは関係ない。何故なら俺は大丈夫だから。交通事故に巻き込まれないようにある程度信号は守るし、まともな理由もなく人を殴ったりもしない。人間関係はなるべく穏便に済ます。死ぬ奴なんて間抜けな奴。死ぬ奴なんて結局自業自得。だから俺は大丈夫。

 

俺は——

 

俺は————

 

俺は——————

 

だが久々に会った親に刺された瞬間、その考えは覆った。痛み。理不尽。困惑。憎悪。多くの感情が数瞬のうちに駆け巡り、俺は訳もわからないまま刺し込まれた包丁を抜き取り『敵』に突き刺した。燃えるような苦しみが己の体を焼き切るまで、何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 

「………そんなの、言うまでもないだろ…」

 

多くの感情が薄れ、その現実に色味がなくなっても、あの感情だけはいつまでも燃え続ける。いつまでも、この心を焼き続ける。

 

「それが、人の本質だからだよ」

 

 

あの憎悪だけは、二度とこの身から離れない。

 

 

「………そう、アンタは平和ボケしてないんだ」

 

「今はな」

 

そこまで言い終えた時、妙な違和感を覚える。何故か、周囲が静かだったのだ。訓練場に大勢が集まる対人格闘訓練において、その静けさは異常といえるだろう。気になって周囲を見てみると、唐突に訓練場は喧騒を取り戻した。どうやら先日程ではなくともそれなりに注目されていたようだった。

 

「ヒイラギ。終わったなら相手をお願い」

 

周囲があからさまにこちらから視線を逸らしている中、ミカサだけがいつも通り歩み寄ってきた。ふむ、エレンとの訓練をやめるにはあまりに早すぎる気がするのだが。

 

「…………あぁ、なるほど…」

 

改めて見回すと、エレンは異変を察知してかコニーと訓練に励んでいた。では最近彼と組んでいるサシャはどこかというと、ユミルと組んでいる。すると必然的にクリスタが残るが、何処かの男子が勝ち取ったのかといえばそうではなく、エレンの相手をできなかったミカサが組んでいたのだ。相手を譲れとミカサに勝負を仕掛ける奴は、まあいない。

 

ミカサが離れたことによってフリーとなったクリスタがこちらの視線に気づき、胸の前で小さく手を振ってきた。一昨日の夜にアニとの対決について話し合ったばかりなため、向こうもきっと覚えていたのだろう。俺が握り拳を軽く上げると、嬉しそうに手を叩いていた。

 

「それじゃあ」

 

「ん、あぁそうだな。今回はいい勉強になった。感謝する」

 

再びエレンの相手をするのであろうアニに背を向けてミカサに承諾の返事をしようとした時、後ろから再び声が掛かる。

 

「アンタの考えが正しいかはわかんないけどさ」

 

振り返ると、彼女と目が合った。いつもの無愛想な、何に対しても無関心でやる気を微塵も感じさせない表情。だがその瞳は、酷く冷たい。

 

「私は、アンタが少し恐いよ」

 

その言葉の真意を、俺は理解できないでいた。

この時は、まだ————

 

 

 

 

「……それが、人の本質か」

 

ウォール・シーナ外、東側に位置するストヘス区。巨人とはおよそ無縁なこの地において、一撃の閃電が空を裂いた。晴天の霹靂は大地を揺らし、人々は平和とは真逆の地へと叩き落とされる。内地と呼ばれる安全を保障されていたはずのこの地は、一瞬で地獄の戦場へと姿を変えた。

 

だがそれがなんだという。なにも、おかしいところはない。

 

「第一作戦は失敗か…。さぁ、準備はいいかいヒイラギ」

 

「えぇ、いつでもいけますよ。ハンジ分隊長」

 

平和が地獄へ転じるように、味方が敵に転じることにおかしいところはない。それでもかつて分け合った時間が惜しいと思ってしまうのならば、ずるずると引き伸ばすよりもいっそ斬り捨ててしまった方が幾分か楽になれる。

 

だから、アニ・レオンハート————

 

 

 

今度はお前を、必ず殺してやる。

 

 

 





いかがだったでしょうか。
まずは楽しみにしていた方、大変お待たせいたしました。格闘術は知識が殆どないので詰まってしまい、投稿期間がかなり空いてしまいました。ところで最近知ったんですが、小説を書く時は普通プロットを作って本文を書き始めるんですね。ぶっつけ本番でしか書いてこなかったので、改めてそう言われると自分の作品に矛盾がないか不安になってきました…

今回は訓練兵時代の回想と共にヒイラギの過去についても少し触れました。命の重さって、身近に感じてみないとなかなか実感湧きませんよね。私もその類の人間でした。かといって今ヒイラギのような心の強さがあるわけでもないんですけどね。

さて、次回はいよいよストヘス区での戦闘となります。ヒイラギはハンジ斑として結構な活躍をする(つもり)なので、どうぞ今後もご期待ください。


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