モンスターハンター――ハンター黎明期―― (らま)
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紅呉の里
第01話 ホウレンソウは大切に


にじファンで昔書いたものを書き直し。設定とノリだけで書いたものだったので、ほとんど違う作品にはなっていると思います。というか、あれを読んだ人はそんなにいないはず。
ではどうぞ


 ジリリリリと騒々しく鳴る目覚まし時計が狭い1LDKの安アパートの一室内でよく響いていた。その騒がしさの中だというのにすぐそばで布団の中でうずくまるように寝ている家主はいびきをかいて起きる気配がない。男、裏原和也は昨晩25時に帰ってすぐに布団の中に入ったのだ。現在6時、それを知るものならもう少し寝かせてやりたいと考えるのが人情だろう。

 

 ジリリリリ、ジリリリリと目覚まし時計は鳴り響く。目覚まし時計はそんなことは関係ないと騒々しい音を鳴らす。彼の物には人情などありはしない。もしもあったとしても、起こせと言ったのは主である男なのだからその職務を全うすべく音を鳴らすのが正しいのかもしれない。願い叶ってか、裏原和也はもぞもぞと動きを見せた。

 

「――起きよ」

 

 目を開けると同時に彼はぼそりと呟いた。本音を言えばもっと寝ていたいと思っていることは明白で、さらに言えば仕事に行きたくないと思っていることさえ見て取れる。それでも彼は生活の糧を得るためにと己を奮起して仕事に出向く。くたびれたスーツに袖を通し、形ばかりの朝食を胃の中にかっ込んだ。

 

「いってきます……」

 

 長年の癖か、返ってくるはずがないとわかっていながらそう言って扉を閉めた。理解していた通り返ってきたのは扉が閉まる音だけで、理解できていてもそれは寂しさを感じさせた。

 二階の部屋から出て階段を下りて自転車にまたがる。冬の朝は寒く日差しも熱を感じさせずただ寒さだけが募る。周囲を見渡してもあるのは凍えそうな張りつめた空気だけ。苦労して買ったであろうマイホームが立ち並ぶ住宅街は人っ子一人見当たらなかった。

 足に力を入れて進み始めるも、寒さ故にか体は軋む。自転車をこぐ足はすぐに疲労から来る悲鳴を上げ、冷たい空気を吸い込んだ喉が痛みを訴える。我慢しろよと心中で吐露した。

 会社近くに引っ越せばこの苦しい時間はなくなるしもう少し寝ていられる。その代りに食費は限りなく0に近づけてゲームも我慢だ。それなら今のままの方がいい。そう断じて体の悲鳴は無視をする。

 裏原和也25歳、今日もいつもと同じ一日が始まった。

 

 

 

「だから――これの色は――とは違う――」

 

 禿げ上がった中年太りの男が裏原にくどくどと同じことを言い続ける。バカバカしい。頭の奥の深い部分がそう断じる。けれどそれは浮かんでくることはなかった。目の前の男に対するいら立ちを出ないようにと隠すのは骨が折れるし、それ以上にそれを感じるだけの余裕もない。体力が付きかけていればもう何もできずただ言われるがままの人形のような存在になってしまう。

 書類の一部の色が違う。色がどうとか言っていたからそんなところだろうとボーっとする頭が推測をした。その程度はしていないと無気力が目に宿るからだ。こうして意味のない説教を聞いて、その後ペコペコと頭を下げて適当におだててやれば目の前の上司はやりすごせる。

 目指すならば完璧だ。以前この男がそう言っていたことに自分もその通りだと同意したことが思い出される。その時はおだてるだとか意識したものではなく、ただ同じように思ったというだけだ。

 しかし会議で使う訳でもなく、一時張っておくだけの書類。そんなものの色がわずかに違う、文字のサイズが違う、フォントが違う。そんなものを気にしてわざわざ書類を作り直すことに意味があるのだろうか。こうして説教している時間を別の仕事に当てた方がはるかに有意義だ。裏原はそう思ってしまったし同僚に聞いても同じ回答を得られる。だから誰も説教に意味を感じないし、仕事に対するモチベーションも上がらない。それがこうしたどうでもいいミスを生み出して、その結果また説教という悪循環だった。

 

 

(こんなどうでもいいことに時間を割いて頭下げて……俺もいつかこんなどうでもいいことを怒る側に回るのかな。それとも怒られる側のままなのかな)

 

 説教の後デスクに戻ると思考が再開を始める。その二択は非常に薄気味悪いものに感じられた。怒る側に回るなどまっぴらごめんだ。あんな無駄なことに時間をまわして唾撒き散らかして陰で悪口言われる立場など断固として避けたい。しかしいつまでもこうしてここにいても巻き散らかされて陰口言うだけだろう。

 

(俺の人生って、ここで終わるのか……)

 

 だからか、それは漠然とだが確かなことだと思った。世の中一発逆転など存在しない。在ったとしてもそれは多大に運の要素をはらむだろう。期待するだけバカバカしい。自分のデスクに座ってくるくるとシャーペンをまわす。くるくる、くるくると回るそれは立場が変わるだけで動いていないという未来を暗示しているように思えてしまう。

 バカバカしいとそれを断じることはできない。シャーペンと自分の未来に関係などない。だが、同じような未来なのは間違いないだろうと誰よりも彼自身がわかっているのだから。

 

 

 

 夜。お疲れ様でした、と言って去る同僚とそれに返事を返して仕事をする自分。どうも惨めに思えてしまうシチュエーションだが仕方がない。それに同僚もわかっているのだ。この仕事が終わる時間の差がどこで生まれたのか。

 

(30分から1時間ってとこか。ホンッとあれさえなけりゃあなあ……)

 カチコチと時を刻むそれを見てため息をついた。このままいけば終了時刻は昨日と同じ程度、当然寝る時間も同程度。ゲームができないことと睡眠不足の二つを嘆いて出たため息は宙をさまよい所在なさげ。それはまるで俺のようだと彼は思う。

 ふわふわと浮いてどこにつくでもなくただ彷徨うだけ。何処に行こうという目的があるわけでもなく、ただそこにある。風に流されあっちへふらふらこっちへふらふら。あるはずなのに見えないということさえ自分と同じ――

 

(ハッ――、それならあんな説教なしにできるのにな)

 馬鹿なことを考えたものだと自嘲する。見えるはずのない息を幻視して、それで考えた――いや妄想したことは励ましになることはない馬鹿なもの。それで自分のぎすぎすした考えを緩和できるのならともかくそれすらできない。ただの時間の浪費になった。

 

 かちかちとなるキーボード、所定の動作をしてOSが終了の音を鳴らす。後は着替えて終電に乗って家に帰って……シャワー浴びれるなら浴びて……そしてまた次の朝がやってくる。

 朝というのは子供のころから恨めしい。楽しい自由時間を終わらせて学校に行かねばならない告げる光はずっと嫌いだった。けれど今の方がもっと嫌いだ。あの光はただの牢獄に入ることを知らせる鐘の音でしかない。

 憂鬱だ……。そう思いながら席を立った時だった。バンッ、と机を掌で思いっきり叩いたような音が鳴り光がすべてその場から消える。眼の前すら見えない真っ暗闇の中を裏原は静かにため息をついた。

 

「俺……まだいるのになあ」

 

 守衛か何かはわからないが管理者の様な誰かが電気を消したのだろう。そう思って上着のポケットに入れてある携帯を出す。液晶の明かりをライト代わりにして更衣室まで行こうと考えたためだが、開いてみても液晶は点かない。ボタンを押そうと変わらずに沈黙を守り続ける。

 電池切れかよ……。またため息をついた。嫌なことというのは重なるものらしい。他に明かりになるようなものはなく、ならば手探りで進むしかない。右手を棚に置いておっかなびっくりに歩き出した。

 

「っと、やべ戸締り確認を――って何も見えないし閉まってるだろ」

 

 これだけ室内が暗いのに外が見えないのならブラインドが落ちているのだろうと判断して扉を再度目指すことにした。ブラインドを落としておいて窓のカギは閉めていないということはないだろうと判断してのことだ。それが当たっているかどうかはさておき、現実問題明かりなしでは確認など不可能だ。手探りでやれないことはないだろうが、その前に怪我をすること間違いない。

 安全第一、無事故無災害が何よりですと偉い人も言っていたはずだと都合よく上の言葉を持ち出す。そのまま歩き続け、右手に感じていた棚の感触が角へと付いたことを教えてくれた。なら後は右手に曲がって……と歩いて――彼はこけた。それはもう盛大に。

 足が何かにとられたような感じがしたが足にまとわりついているのは痛みと疲労感だけ。触ってみても何もついていることはない。はああああ、と大きくため息をついて立ち上がろうとして――体に力が入らなかった。

 立とうとしても足に力が入らない。腕を伸ばしてどこかに掴もうと考えても中空を彷徨うだけで何も掴めない。音は自分の息だけで、視界は伸ばした腕さえ見えない。

 

「はは……もういいや、ここで寝よ……」

 

 それで明日一番に怒られようと知ったことか。そう決めて目を閉じた。何も見えない暗闇は眠ると決めたことで怪我を負わせようとする悪魔から聖母のような安らぎへと変わった。疲労感も相まってとても睡眠には適しているとは言えないそこで彼は瞬く間に眠りについた。

 

 カチ……カチ……と時は進み二つの針は頂点へとやってくる。音も光も消えたオフィスに瞬間的にすべてが戻ってきた。音も、光も、何もかもが戻ってくる。

 

「もしもーし、誰かいますかー? 誰もいませんね……」

 

 やってきた守衛が部屋を見渡し直後プツリ、と電気が消える。電気も消さずに帰って……とぼやきながら部屋を後にする彼には、この部屋で寝ているはずの裏原に気付かなかった。いや、誰も気づくことはもうできないだろう。この部屋にはもう、誰もいなくなってしまったのだから。

 

 

 

 ジリリリリ。聞きなれた音が頭の中を響いている。うるせえなあと思いながらも今日もそれを止めるところから一日を始めねばならない。それを理解しているから嫌だと思いながらも彼は手を伸ばして――

 

「……っく、……っれ、――だーっくっそ!」

 

 悲鳴に近い咆哮をあげて起きた。いくら手を伸ばそうとあるはずの目ざまし時計は見つからなかった。起き上ったはずみでうまく当たったのか、咆哮と同時に消えたことに寝ぼけた頭でそう考えて、折角起きたのだからさっさと着替えようと、コインランドリーで洗った後そのままの服を取ろうとして――固まった。

 

 そこは彼の部屋ではなかった。汚れた服が散らかってないし、丸めたティッシュが放置れているわけでもない。積み上げられた本もないしコンセントに充電器が刺さってない――というより挿してあるはずの延長コードが無い。いや、何もない部屋だった。

 床は真新しい畳で流しや扉や押し入れという和の部屋ではある。しかし畳の真新しさと言い、生活に必要であろう食器も鍋も服も布団も何もない。誰も住んでいない新築の部屋、といった感じだ。

 

「え? は? どこここ。は? なんで?」

 

 混乱したためか無駄に饒舌になる。一応落ち着けと頭の中で連呼してみるが、そのようなことをして落ち着けるのなら苦労はない。それ以前に落ち着けと連呼する時点で混乱に拍車をかけている。

 

「そ、そうだ、とりあえずゲームでもして落ち着こう」

 

 彼にとってゲームとは現実逃避の側面が強い。本当の自分には出来ないことをできるという意味でだが、最近は仕事が忙しすぎるためにのんびりできるほのぼのゲームが大好物だ。それの決まったルーチンをやれば自然落ち着けるだろうという算段でそう決めたのだが……

 

「――ってここ俺の部屋じゃねーんだからねーよ!」

 

 やはり混乱の極みだった。そも、異常事態だと認識していながらゲームをしようという時点で混乱は明らかなのだが。

 だが、叫ぶという行為はストレス発散にもなる。大声を出したことで少し落ち着きを取り戻しジッと扉を見つめる。大声で誰かが来るかもしれない、と考えたためだ。しかし何も起きない。

 ならば何かないのだろうか。何もない部屋だと断じたがそれは目のつく範囲であって、完璧に探したわけではない。ならば何かある可能性もあるはずだ。そう思って見渡そうとして、すぐにそれに気付いた。

 部屋の真ん中、おそらくは正確に中心にゲーム機があった。彼が使っているのと同じ型、同じ色のゲーム機が。

 これにはさらに混乱する事態である。さすがに部屋の真ん中にあった物を見落とすなどあり得るのだろうか。しかし誰かがそこにおいたというのなら何故自分は気づかなかったのか。それを考えるが答えは出ない。ならばいっそのこと、とゲームを手に取ってみる。

 

「ソフトは……入ってないな。あ、でもダウンロード版なら……ってええ!?」

 

 驚愕した理由はそこに並んでいるラインナップ。何故なら彼が持っているのと全く同じタイトルがダウンロート済みとして並んでいたからだ。彼はダウンロード版もあるが、パッケージ版も買っている。

 

(つまりこれは俺のってわけじゃないはず……あ、いや、これ夢だ。絶対そうだ)

 

 また発生した異常事態に現実逃避をし始めた。また何もなかったはずの場所にゲームのソフトが置いてある。それもご丁寧に今彼が『パッケージで買ったはずの物』と思い浮かべたものすべてが。

 明らかな異常事態だ。寝ていた場所が自室じゃない、ここは別にいい。自分が持っているのと同じゲームが置いてある。これもいい。だが、無かったはずのものが突然現れれば明らかにおかしい。ならば夢だと断じてさっさと起きたいのだがそのためにはどうすればいいのだろうか。夢の中から起きる方法など知るはずがない。

 

「ああ……もう何でもいいからこの状況を説明できる奴出てこいよ! ……あ」

 

 和也が言うか否や、ボン、と煙と共に白髭を伸ばした老人が現れた。髪はないが髭は腹まで伸び、右手には神話やファンタジーで語られそうな杖。服はゆったりとした白いローブのようなもの。何もかもが裏原の「神様」のイメージのままだ。

 

「では説明しようか」

「は?」

「む? お主がそれを望んだはずじゃが?」

 

 おもむろに口を開く老人はそのようなことを言いだした。明らかな異常事態であるということはもはや疑いようがない。それを説明してくれるというのなら歓迎するが、突然煙と共に現れるなどこの老人もまた異常の一つだ。

 そも、『説明しろ』という言葉を発すること自体が異常でもある。異常としか言えないこの状況の説明ができるのなら原因であると断じでもいいだろう。少なくとも無関係ではない。その存在に『説明しろ』と言って説明してくれるのなら最初から説明しておくかしなくてもわかるようにしておけという話だ。

 つまり、目の前の老人がそもそもの元凶ではないのかという疑い、不可解な現れ方をした異常の一つということがそのまま不信感へと繋がっていた。

 

「なんとも疑い深い。現世において神など最早現人神さえおらん。故に信心もなくなってしまうのも仕方ないことかもしれんが……。じゃがお主が説明しろと言ったからこうして出向いたのじゃ。それなのにその態度はないんじゃないかの?」

「それは……申し訳ない。――いやでも、え。本当に俺が呼んだから出てきたの……ですか?」

「うむ、お主が昨晩いた場所はスパルタにおける――――まあ神域の――――聞いとらんな」

 

 胡散臭いという目を向けていたことに気付いてか老人は話を中断した。話自体は聞いていたのだが、スパルタなど言われてもスパルタ教育しか思いつかない男に歴史だか神話だかを語られても仕方ない。それを老人も気が付いたのかコホンと咳ばらいをした。

 

「まあお主は眠りたいと思っておった。それも疲れが取れるまで何日間でもと。じゃから眠り続けた。先ほどはゲームを思い浮かべたじゃろ。じゃからゲームが出てきた。それだけじゃ」

「へー……」

「もう少し敬って聞いたらどうなんじゃ」

「と、言われても。話に付いて行けないです。とりあえずあなたが神様だとして何の用です? 本当に説明だけの為に来たのですか?」

 

 老人は別に己を神だなどと名乗ってはいないが裏原はそう断じた。現人神だの神域だの言っておいて、さらにこの異常事態を作っておいてごく普通の人ということはないだろうと考えてだ。尤も、現時点で最もあり得るのは「自らを神だと思っている元手品師の精神病患者」だと思っているが。

 そうじゃった、とぽんと手を叩いて話をし始める。と言っても、本当にこのご老人は説明の為だけに来たらしい。ちなみに正確な所神ではなく何とか柱の云々と言い始めたので彼はそこを聞き流した。

 

 ご老人が言った内容をまとめよう。

1.裏原が昨日何か触れた物は何か重大なものだったらしい。

2.その結果、彼の願いを叶えてやろうとその神様は仰られた。

3.しかし、直接出向くことは難しい。そのため、神域へと連れて行きそこで願いを叶えろ。

4.その神域がこの「考えた物が出てくる謎空間」らしい。

 

 何故和風なのかと尋ねたらそれはおぬしのイメージの問題じゃと返された。老人がいかにも神様という姿なのも、裏原のイメージが原因らしい。

 

「じゃあここで遊んで暮らしていいってことか?」

「それは無理じゃ。この空間はあくまで一時的、いずれ壊れる。じゃがある意味あっておる。お主にはここではなく別の世界で暮らす権利を与えるというものじゃ」

「別の世界……?」

「うむ、世界とは無数に――」

 

 老人が話すことを無視することを裏原は決める。どうせ聞いても理解できないからだ。その間にどんな世界がいいのかを考えることにする。

 

 例えばそこは女しかいない世界。それならば自分はモテモテだろう。例えばそこはひ弱な人間しかいない世界。そこならば自分は最強になれる。他にもいろいろ考えて、その上ですべて棄却した。何故ならばそれらに価値を感じなかったからだ。

 彼とて健全な若い男性。性欲はあるし、名誉欲や権力欲もある。しかし、別の世界に行くとまでなってそれを求めるのは違うのではないかと思ったのだ。どんな世界に行っても苦労はあるだろう。女だけの世界? ハーレムというものは作ることより維持の方が大変じゃないのか? その中に病的な女がいたらどうするのか。ヒーローになれる? つまり何が起きても自分頼りでただの何でも屋ではないか。

 ただ慕われたい、尊敬されたい。それだけなら別に他の世界の必要などない。元の世界でだって同じだ。今までの仕事では無理だろうが、まともな仕事についていればいつかは出世して部下に慕われるだろう。綺麗かどうかは分からないが嫁さん貰って子供ができて……そういう暮らしだって目指せなくはない。つまり、どんな世界だっていいことがあれば苦労だってある。

 

(ならやっぱり……のんびりほのぼのスローライフかなあ)

 

 そう考えた。ヒーローは求めない。ハーレムも求めない。ただ毎日が大変で、けれど楽しいと思える日々を過ごしたいと思った。イメージとしては「どうぶつの森」で、他は「僕の夏休み」などだ。

 

 

「えっと、行きたい世界が決まったらどうすればいいんだ。ここに行きたい! って念じるとか?」

「ん? いや、念じてどうにかなるのはこの部屋だけじゃ。さすがに世界まではどうにもならん。儂が希望を聞こう」

「んじゃどうぶつの森の世界で」

 

 笑顔で、多少ひきつっているがそれでも気持ちのいい笑顔で彼は老人に告げた。これから始まるのんびり生活。元の暮らしなど似ても似つかぬ幸せな日々を夢見て彼は心の底から笑顔になれた。多少引き攣ってしまっているのは新たな門出に対する恐怖が多少はあるからだろう。

 

「どうぶつの……森?」

 

 だがそんな彼とは裏腹に老人は怪訝な顔をした。どうやら伝わっていないようだ。

 

「え、えっと村があってそこを開拓していく……ゲームかな。あれ? そう言えばゲームの世界に行きたいっていったけど大丈夫でしょうか?」

「うむ、それはいい。まったく同じではないが大体それを基にした世界ならばな。しかしさすがにゲームタイトルは神に言っても通じんぞ。国によって言語も異なるのじゃから。村を開拓するゲーム……ということでいいのかの?」

「あ、ああ。えっと他にも……いろんな生き物がいる。いや、生き物っていうか人だけじゃなくてその世界には色んな住人がいるんだ。んで、そこでは虫を取ったり魚釣ったりできるな」

 

 たどたどしいながらも説明を入れた。どうぶつの森はリアルの時間が内容に影響を与える。一日やり続けるようなゲームではない分、覚えていることが少なくて説明がしづらかったのだ。

 

「ほう、いわゆる剣と魔法のファンタジーというやつじゃな」

「違うっ! 剣と魔法は……ああ、いや剣はあるのか? えーっと、とりあえず魔法はないです」

 

 オブジェクトとして刀とか、木を切るようにも何かあったなと思い出してそこは否定しないでおいた。この説明では剣は存在する世界になってしまうが、金属を研げば刃物のようになる。そうすれば剣だって生まれるだろう。つまり剣のない世界というのはおかしいと言える。

 

「とりあえず、魚釣ったり虫取ったりできるゲームです。そこだけは絶対に間違えないでください」

「うむ、重々承知した」

 

 ここを間違えなければ大丈夫だろうと思い安心した。この後老人が更に願いを叶えてくれる神様とやらに口頭で伝えるのだろうから伝言ゲームのように内容が変化してしまうのが恐ろしい。だが、虫を取ったり魚を釣ったりなら多少変化しても平和なのは変わらないだろう。

 それではと去る老人に社会人として礼儀正しく挨拶を交わしておきゲームに手を伸ばす。老人が神に伝え、その後目的の世界に送られる。それまで少し時間があるそうなので予習だとどうぶつの森をやることにしたのだ。

 

「くううーっ! 楽しみだ!」

 

 ずっと溜まっていた疲れは消えて体には活力が満ちている。これから新しい生活が待っているのだとワクワクしてしかたがない。まるで遠足前の子供の様だ。残すものに未練が無い、とはさすがに言えない。25年生きてきたのだ。それなりに未練はある。

 両親に孫の顔を見せることはできないだろう。一緒に仕事に励んできた同僚はこれから彼の分まで仕事がのしかかるのだろう。これからあったであろうすべての出会いを無碍にすることにもなる。だが、それらを理解してもワクワクは止まらない。

 自分の人生を好きなように生きる。これは一つの大事なことだ。他人に迷惑をかけない範囲で、と注釈がつくだろうから同僚に迷惑をかけているであろう彼は少々いただけない。それでもその罪悪感よりも高揚感の方が大きかった。

 

「お? おお!? おおおお!!!」

 

 もくもくと足元から煙が上がり煙は少しずつ上へと、つまり顔へと向かっている。煙が消えた時にはそこにあったはずの足が消えていて、別の世界に行くということを明らかに示していた。

 

「あー! もう駄目だ、ホンッと楽しみだ! 色々―、えーっと、まあいろんな人ごめん!」

 

 罪悪感を紛らわすためなのか、最後に昂揚したままに詫びの言葉を残し頭まで煙に包まれる。それが晴れた時彼はその空間からも消えていた。

 

 

 

 

◆◇◆

 うっそうと茂る木が日の光を遮りその一体を暗く染め上げていた。それが一時的なものではなく常なのだと足元に生える苔が示している。空を見上げれば視界のほとんどが葉で覆い尽くされ青空がかすかに見える程度だ。

 

「え? どこここ?」

 

 最初は電車の中からじゃないのかと彼は文句を上げる。人生がかかった、というより人生を変える世界移動はどうやらおかしな方向へと進んだらしい。それはこの時点でわかっている。だが彼はそこまで慌てなかった。

 噂というものには尾ひれがつく。話に自分なりの解釈を加えてしまうからだ。伝言もそうして内容が変わっていってしまい、10人ほどで伝言を繰り返せば全く異なるものへと変化する。それを使った遊びが伝言ゲームだ。

 老人に話をして、老人が神様に話をする。この時点で伝言ゲーム化することを恐れていた彼に死角はない。虫を取ったり魚を釣ったりするゲームが平和でのんびりほのぼのでないはずがない。そう思っていたからこそ落ち着いていられたのだ。それにまだどうぶつの森の世界である可能性が無くなったわけじゃない。自分も知らない風変わりなスタートのしかたがあるのかもしれないと少しだけ楽観視して彼は歩を進めた。

 

「あったらしいー、村着いたーらー何しよう―」

 

 落ちていた木の棒を振り回しながら、適当な曲調をつけて歌うように喋る彼は機嫌がいい。いくらあの謎空間といえど、すべてが嘘でたらめであった可能性も捨てきれなかったのだ。途中から『もしかして本当に神様なのでは』という思いがあってついのめりこんでしまったが、元々一番可能性が高かったのは『精神病患者』なのだからそれは仕方がないだろう。

 

 調子っぱずれの彼が歩くのはジャングルとしか形容が無い場所だ。熱帯雨林を思わせるそこは明らかに日本ではない。少なくとも彼の行動圏にはこのような場所はなかった。木が乱立して歩きにくいことはある種の閉塞感を与える。だが誰もいない、何をしても現在咎められないという状況から来る開放感の方が大きかった。それ故に歩きにくさからくる疲労は高揚感によって無視される。故に歩き続けた。

 

 

 

 

「そろそろ……着かないかなあ」

 

 現在どれほど歩いたのか、少なくとも彼の感覚は1時間は歩いたと言っているし、日の角度を考えても時間はそこそこに経っていることは間違いない。しかし歩けども歩けどもあるのはジャングルばかり。村などない。

 この世界には色んな住人がいるはずだ。しかし出会えない。それだけ辺鄙なところにいるのだということだろうが、何故そんなことをするのか。いっそ村のど真ん中にしてくれれば楽だったと愚痴を垂れる。

 正確に言うならば生き物は何度か見かけた。遠目でわかりにくかったが鹿のような生き物に、豚のような何か。他にも大きさからして小鳥のような何かが飛んでいるのも見えた。ただ、会話が可能な相手は見つからない。

 それは村についてからのお楽しみということかなあと再度高揚させようとするが、さすがに歩き続けで疲労感が勝ってしまう。ならばせめて違うことを考えようと頭を働かせることにした。

 

(どうぶつの森じゃなさそうだよな。基にした世界だっていうからまあ同じスタートじゃないってのはいいとしてもこのジャングルはなあ。僕の夏休みにジャングルなんてあったっけ? 虫取りを主にするゲームになった、とかかなあ。それならこの状況もわかる)

 

 虫を取るのならできるだけ広い生息地域が必要だ。ゲームならあまり広いと移動が面倒なだけだが、現実ならばある程度広くないと生息自体ができない。

 

(もしくは童心に帰って遊びましょうというゲーム……とか? 俺はやったことないけどそういうのがあればそれもありうる)

 

 そういえば魚釣るだの虫を取るだの子どもらしい遊びだと言えなくもない。ジャングルなのは木登りができるようにということだろうか。

 推理をしてみるが答えは出ない。さすがに情報が足りな過ぎた。だから彼は思わず叫んだ。また、それが起きないかと思って。

 

「だーーーーーー! ここがどこか説明できる奴出てこい!!」

 

 空を見上げながら叫んだ彼はその時大きな影を目にすることとなった。それに気づけたのは幸運だったのか、それとも不運だったのか。とても大きな赤い翼をもつ、鳥などとはとても呼べない巨躯で空を泳いでいる。

 

「――――――いやいや……まさか……」

 

 そんなはずがない、と彼は心中で叫ぶ。もうあれを見た後で大声を出す勇気はない。もしも彼の予想が当たっていれば、気付かれることは死を意味する。

 

(いやいやいや、だって俺虫取りとか魚釣りとか……あああああ! これにもあるじゃん! 魔法……ない。色んな住人……ちょっと待て! 住人って人! 人だから!!)

 

 本来、住人とはそこに住む人のことを指す言葉だ。例えばある家に住む人、ある国に住む人。住む人と書いて住人なのだからそれは当然だ。しかし、時折住人という言葉は人以外に使うことがある。木の上でも洞窟でも、そこに棲む生き物をそこの住人と比喩することがある。あの老人は和也が言った『住人』という単語を、その比喩だと受け取ったということだ。

 

 後悔先立たず。後に悔むから後悔なのであってそれは当然だ。しかし、この時ばかりはそれでも先になんとかできればと思わずにはいられない。彼がイメージした世界は平和なほのぼのライフだった。だが彼が示した条件を満たすゲームはそれ以外にも存在する。

 

 

 そう、例えば『モンスターハンター』とかだ。

 

 




一話終了。一話大体1万文字をめどにして書くことに。長い、短い、ちょうどいいなどの文字量。文章力や表現についてなど批評・感想お待ちしています。


一応
虫取り→光蟲やマボロシチョウ
魚釣り→バクレツアロワナやカクサンデメキン

色んな住人→リオレウスとかケルビとかモスだとか
剣はあるけど魔法はない→そのまんま
途中の鹿→ケルビ
豚→モス
小鳥→ランゴスタ


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第02話 生きるための戦い

 ジャングル。それは熱帯多雨林のことだ。これが形成されるには年間の降雨量が多いことが条件となる。ゲームであればそうした天気の話は存在しなかったのだが、現実となったことを考えればおそらくそういうことなのだろう。

 歩いて歩いて、その上で知った事実を持って彼はただ落胆を通り越して絶望していた。望んだものはほのぼのフリーライフ。ところが現実は血で血を洗うような暴力と破壊が支配する世界。人と人が殺し合うような世界でなくてよかったと思うべきか、それとも同族の友誼を期待できないために最悪だと思うべきかはわからない。ただ状況がよくないものであるということだけが確かだった。

 

「はあ……なんでこんなことになったんだ。あの神域だなんだでの話、実は俺をはめるためのものだったとかじゃねーの」

 

 疲れと途方に暮れたことで足を止めて、うつむいた彼はそう愚痴る。腰を曲げて手頃な石に体重を預け、考えを巡らせようとするもうまくいかない。ただ後悔と絶望に心は支配されている。

 実はこれは自分に対するなんらかの罰なんじゃないか。神様とやらが出てきて願いを叶えるとか言って希望をちらつかせて、その上で絶望させるためのものではないか。馬鹿な想像だと思いながら完全に否定はできなかった。

 

 人は希望があるから生きていける。パンドラの箱の神話でもこれは語られている。パンドラの箱については諸説あるがパンドラは好奇心からこの世のあらゆる災厄が詰まった箱をあけてしまう。そして、最後にはエルピスだけが残った、というものだ。

 エルピスの訳は一つだけではないが、最も有名な所を言えば『希望』だろう。犯罪、疫病、欠乏、悲嘆というあらゆるものが飛びだし世に解き放たれる。しかし、箱には最後希望だけが残された。つまり、世にあらゆる災厄が満ち溢れても人の手には希望が残され、希望があれば生きていけるということだ。

 だが、エルピスを『希望』と訳しながらも別の解釈も存在する。最後に箱に残ったエルピスとは希望であり、そして希望こそが最悪の厄災であるというものだ。希望が無ければ最初から諦め裏切られることなどない。希望が強ければ強いほど、絶望は色濃くなるのだ。

 

 生きることに疲れて最早慢性的に死に向かっているだけだった彼にとって、この異世界へと行くという話はまさに希望だった。疲れは眠りによって癒され、ささくれたっていた心は希望に満ち溢れていた。

 それがこの世界にあって潰えてしまう。モンスターが跋扈する世界で現代人がどうして敵うというのか。ただ生きることを楽しみたいと思った彼の願いは、生きることさえ叶わぬ世界へと送り届けることとなった。

 

 

「はは……もういっそのこと、ここで首吊ってやろうかな……」

 

 そうすればもう、苦しむことはないだろう。その思いを込めてはいた愚痴はとても甘美な誘惑を秘めていた。希望があるから絶望もある。そして、人は希望を抱かずにはいられない。だが、死ねばその全てから解放されるのだ。

 俯いていた彼が顔をあげた時、そこには暗い希望が宿っていた。死を全ての解放と見てそれに対する恐怖よりも希望が大きくなろうとしていた。

 死というものは生命にとって最も恐ろしいものだ。個を生かし、種を生かそうとする生命にとって死とはそれを阻むものに他ならない。だが繁栄し子をなす義務が限りなく少なくなった人にとっては種の存続より個々の繁栄を望んでも仕方ないだろう。それが種を繁栄させた秘訣なのか、それとも種の繁栄の結果なのかはわからない。だが、少なくとも死というものはそうした種としての本能のすべてが遠ざけようとするものであり、だからこその終着点なのだ。

 

 首を吊るのに必要なのはロープとそれを掛けるための高場だけ。幸いにして蔓が多く存在するそこでは必要なものはすぐに手に入るだろう。ただの妄想が現実めいたものになりつつある。それでも恐怖よりも希望が大きかった。いや、それだけ絶望が深かったということだろう。

 全てを終わらせることができる。そう思って彼は立ち上がり準備を始めようとした。足に力を入れて、腕で体を支えながら立ち上がろうとして……その足がふらつき倒れかけてしまった。

 

「あれ? ……はは、まさかいまさらビビってるのかよ」

 

 立ち上がった彼の足は震え膝は笑う。それは恐怖からか、それとも疲れからか。だがこの恐怖自体もまた後押しする結果でしかない。この世界で生きるということは、常にこの恐怖にさらされるということなのだから。

 近くにあった手頃な蔓を手に入れて、両手で引っ張って強度を確かめる。万力こめて引っ張ろうとも千切れる様子のない蔓に満足して輪っかを作った。つるつるしたそれは結びにくかったが、それでも結ぶことができていざ場所はと上を見上げる。

 枝は多数存在する。そのどこでも目的を達することはできるだろう。だが多数あるそれを探すよりも、見上げたその時から彼は動けずに固まっていた。視界にあるそれは決して彼に危害を加えるものではない。ただ、日が傾いて世界を橙色に染め上げる太陽があるだけだった。

 

「……な……んでっ……」

 

 不意に声がこぼれた。喉は乾いて唇は水分を失いはりついて、声を発するのも一苦労だ。だが、それでもそのこぼれた声は今までのただ絶望に染まった抑揚のないものではなく、感情のこもったそれだった。

 

「なんで……だ、よ……」

 

 涙があふれた。嗚咽で喋ることさえ難しい。止どめなくあふれる涙は堰を切ったように氾濫する感情に付随している。ただ、ただ涙があふれる。

 

「なんで……俺、――こんな……こんな目にあわなきゃ、いけないんだよ……」

 

 慟哭でさえないそれはただの感情の発露でしかなかった。けれど飾るでもなく隠すでもなく、正しく彼の感情だった。理不尽と偽りの希望で溢れる運命に、ただ文句を言うだけのそれは無様でしかない。それでもまさしくそれは裏原和也の正真正銘の感情だった。

 

 世界というものは常に理不尽で満ちている。それがわかったからといって、理不尽を許せるわけではない。理不尽は常に存在し、許せないと思っても人を痛めつけるものでしかない。

 裏原和也にとって理不尽とはそういうものだ。だからずっと疲れながらも諦めて生きていたし、こうしてまた諦めていた。それが今変わってしまう。嫌だった、苦しかった。死にたくなんかない、生きて生を謳歌したい。それは希望を見出すことができなくなっていた部分の、だがそれでも彼の感情だ。

 

 夕日は世界を染める。それは赤い血の色。暗い死の闇に世界を落とし込む予兆の色。それを見て、何故胸が熱くなったのか。その時の彼の心情は誰にもわからないし、彼自身今後もわかることはないだろう。ただ、理不尽に自ら死のうとしている己がどうしようもなく惨めだった。

 

 

 

 

 どれぐらいそうしていたのだろうか。照らしていた光が消えてジャングルに薄暗さが戻ってはっと気づく。夕日に照らされる前よりもさらに暗くなったそこで、先を輪っかにした蔓を手に持ってただ立ちすくんでいた。

 

「なに……やってるんだろうな、俺」

 

 それは死のうとしたことへの自嘲からか、それとも簡単に揺らいだ心の対する自嘲か。虚ろのような目を蔓の輪っかに向けて、ひとり呟いた。

 寝よう。発したつもりの言葉は耳に入ってくることはなく、木が乱立している箇所の根を床にして目を閉じた。願わくば、すべてが夢であればいいと思いながら。

 

 

 

◆◇◆

 翌朝、光に照らされて目が覚める。尤も、夜中のうちから何度も起きては寝てを繰り返したために、『光に照らされたことで目が覚めた』という訳ではなかった。ただ、もう何度目かになるのかわからないほどの寝覚めの際に、光に照らされていることに気が付いたので起きることにしたというだけだ。

 朝起きたそこは、おそらくは昨日寝た場所のままなのだろう。木の根と根が絡み合う奇妙な寝床は土と苔で飾られている。どうやら衛生的とは言い難い場所だったようだ。

 そのようなことを思いながら彼は一人頷いた。一度死を正面から捉えたことで、彼は精神的に落ち着くことができていた。足掻いて、足掻いて。それで生きてみようと思うことができた。根底にそうした思いがあってこそ寝床を衛生的でないなど考えることができた。

 

 大地に足をおろして後は背を伸ばして一度体をほぐす。何をするにしてもこわばったままでは支障をきたす。落ち着いてから再度あたりを見渡した。正面をまっすぐに見つめても目に入るものは相変わらずジャングルだけ。生い茂る木と苔で代わり映えのない視界だ。右を向いても同じ、左を向いても同じ。後ろを向いてもやはり同じ。生い茂る木と苔の生えた地面だけだ。

 

「っし! とりあえず生きてみっか!」

 

 元気いっぱいとばかりの声がジャングルに響く。昨日の彼を知るものならそれが虚飾であることはすぐにわかるが、今も含めて観察しているものなどいないのだ。彼は精一杯の嘘を、自身さえも騙せるようにと付いた。

 

 相も変わらず生きることは怖い。リオレウスの火炎が怖い。ラージャンの雷が怖い。ガノトトスの水流も、ベリオロスの吹雪も怖い。この世界において生きることとは戦いだ。常に恐怖に晒され怯えながら生きることとなる。

 それでも生きると決めたのはそれがただの『当たり前なこと』と思えたからだ。確かに怖いことだらけ。それでもそれを怖いと思うのは根底に生きたいと願う本能があるからに他ならない。故に決めたのだ。生きることができなくなるその時まで、せめてその時までは生きてみようと。

 

 

「よくよく考えてみれば現状は昔よりはましだ。ムカついたら殴れるし意味の分からん理不尽なことで怒られることもない。――やっぱ昔のがましだな、死ぬことはないし」

 

 暢気に声を出して鼓舞するように冗談を言って。それでも虚飾でも飾ることができるということは前を向けているということだ。僅かばかりの勇気を振り絞って戦うことができるのならとりあえずはいいだろう。

 

「そうだな……それでもこの方がきっとましだ! なんせ自然がいっぱいだからな。コンクリートじゃなくて自然のジャングル! 前を向いてもジャングル! 左も右もジャングル! 後ろも……――イノシシ……」

 

 首だけ後ろを振り返った視界には雑草を踏み散らしながら突進するイノシシが見える。体高は1mもないだろうが、鋭い牙の生えた茶色い塊が突進する様はまさに恐怖の体現者だ。

 ヒッと知らずの内に悲鳴が漏れる。生きようということを決めた心が、あれから逃げろと叫びだす。それでも彼は動かなかった。首だけをまわしたその状態のまま、彫像のように動かない。否、動けないのだ。恐怖に縛られ生きたいという本能が、逆に死ねと言うかのように縛り付ける。

 視界の中のイノシシはどんどん大きくなる。速度など算出できないが人が走るスピードよりは速く感じる。時速にして30km弱だろうか。体重は少なく見積もっても50kgはあるだろう。それは体を一つの凶器と変えた狩人の姿。

 

 迫ってきたイノシシが哀れ男を跳ね飛ばそうとしたその寸前、彼の足は恐怖を振りほどいて横へと大地を蹴り飛ばした。もちろん、硬い大地はその程度で影響を及ぼすことはなく、作用反作用の法則に従って彼を横っ面へと投げ飛ばす。

 受け身など碌に取れずにヘッドスライディングをするように体全体で大地へと抱擁をしながら、目だけは通り過ぎたイノシシへと向けた。和也を通り過ぎた後はブレーキをかけようと歩幅を狭めて止まる姿を見て、その正体に気が付く。

 

「ブル……ファンゴか」

 

 イノシシのモンスターと言えば雑魚であるブルファンゴと、そのボス的存在であるドスファンゴしか存在しない。ドスファンゴは体高も高いので1mもないという時点でブルファンゴしかありえないのだが、焦りと恐怖でその程度のことさえ思いつかなかったのだ。

 頭を振りながら体を和也の方へと向けるブルファンゴ。正面を向いて今度は片足を軽く地面を削ろうとしているように動かす。その姿にきょとんと和也は呆けてしまった。

 

 

「うわっ!」

 

 もう一度突進をしてくるブルファンゴに対して、再び横へと飛んで回避する。だが今度は這いつくばった状態から慌てての回避だ。先ほどよりも突然の緊急行動であった。

 だが、今度は地面へと飛び込むことなく、片手で地面を押し出して立ち上がる。二度目ということともう一つが結果を異ならせた。

 回避されたことでブルファンゴは再び止まり、再び頭を和也の方を向け、再び足を振るう。それを見て和也の口角は吊り上った。

 

 またも迫るブルファンゴ。だが今度は無様に転がることなく、軽くステップを踏むだけで躱す。少々動くことしかできないそれは、ブルファンゴが攻撃を当てようと追いかけてくれば容易く跳ね飛ばされる。だが、そうならないという確信が彼には合った。事実、ブルファンゴは掠ることさえなく躱すことができた。

 

(やっぱりそうだ……ゲームと同じ行動をしている!)

 

 モンスターハンターはアクションゲームだ。ゲームをするときはまず相手の行動を観察し、その癖や行動パターンを学ぶことから始まる。逆に言えば行動パターンさえ知ってしまえば後は狩るだけなのだ。

 ゲームをやりこんでから少々時間が経ってしまっているが、それでも癖や行動パターンは分かっている。ブルファンゴは稀少性など全くない雑魚モンスターだ。故にその行動などたやすく読むことができる。

 

「はっ! こうなりゃファンゴなんて雑魚……じゃねえっ!!」

 

 煽るように声を上げたがそれは悲鳴に変わった。再び突進をするブルファンゴだったが、今度は少しだけ掠りかけたのだ。それが油断したものからか、恐怖で足がすくんだのか、それともブルファンゴの野生の意地なのかはわからない。だが、少し掠りかけた。それだけで彼の顔は血の気が引いて蒼白く染まる。

 

(――――無理。無理無理無理。死ぬ死ぬ、こんなん壊れる、絶対死ぬ、生き返れない。絶対無理だよこんなの……)

 

 完璧な回避を持って少しだけ付いた自信は、かすりかけたことを以てかけらも残さずに消え去った。突進を繰り返すブルファンゴのそれはまさしく馬鹿の一つ覚え。それしかないとばかりにするが、逆に言えばそれだけをし続けているのだ。当然その練度は言わん足るや。狩人でない和也など本来歯牙にもかけない存在なのだ。

 再びされる突進を、今度は大きく余裕を持って躱す。落ち着けば避けられないものではないと何度も暗示をかけて生き残れと命令を下す。脚はその命令を果たさんと大地を力強く踏みしめ、目も相手の一挙手一投足を見逃さないと瞬きさえしないようにと開かれていた。

 和也が生きているのはブルファンゴの動きが読めるからだ。それはゲームをしていたことが経験となった故。だが、ゲームで動かしていたのはゲームのキャラクターであって和也ではない。和也がブルファンゴの突進に対してしてきたことは×ボタンを押すことであって、自身の身を投げ出すことではないのだ。

 故に和也は落ち着けと命令を繰り返す。さもなくば避けることはできなくなり突進をもろに受け、そうなれば死しか残らない。視線がどこにあるのか見逃すな。大地を蹴る瞬間を見逃すな。突進の際のブルファンゴの視線を見逃すな。そうやって繰り返して避け続けた。

 

 突進を避け、方向転換の間に息をつき、再度の突進を避ける。それを何十と繰り返した。突進を何度されようと和也は掠りかけたという経験から大きく躱し油断はない。故にブルファンゴの突進は危うげなく躱し続け、ブルファンゴのそれは徒労に終わるのだ。正確に考えていたわけではないが和也の頭の片隅にはそうした考えがあった。だが、それが裏切られる。

 もう何度目かの突進だろうか。それを躱そうと足を出そうとして――その足は残していた軸足に引っかかった。要は足がもつれて転んだのだ。またも受け身さえ取れずに倒れる。それはブルファンゴにとって格好の餌食となるだろう。転んだことでもう、体は投げ出されてしまったのだから。

 

「ぐっ、おおおおおおっ!」

 

 だが、今まで避け続けたことは恐怖よりも生きることへの渇望を生み出していた。虚飾ではなくあふれ出る本能からの願い。生きることができるという自信が希望を生み出していた。咄嗟に腰を軸にして足を回転させる。タイミングを計ったわけではなかったのだが、その独楽のような回転はブルファンゴの突進をやり過ごす結果となった。

 慌てて立ちあがってブルファンゴを再度見やる。また相も変わらず方向転換をして突進をしようとしている。一瞬そう思ったがそれは違うと気づいた。方向転換のスピードが遅い、動くまでの出だしが遅くそれまでの上下運動も激しくなっている。単純に疲れたのだろう。回避され続け、それでも突進を、ストップアンドゴーを繰り返したことにより精根尽き果てていてもおかしくはない。

 だが、それに気が付くのと同時に己の状況にも気が付く。既に肩で息をして、脚は疲労で悲鳴を上げている。足がもつれたのは不運でもなんでもない。ただ、疲労で限界を迎えようとしているだけだ。

 

(まずっ……これ……やばいな……)

 

 思考さえも疲れたというように取り留めのないもの。だがそれは事実だ。ゲームであればとうに何度となく斬りつける隙があった。そして既に狩っている。だが、和也は武器など持っていないのでその通りになっていない。そればかりか疲れている。

 ゲームであれば疲労というものはスタミナゲージによってあらわされる。150を満タンにして、回避行動をとるたびに25減少するスタミナゲージ。だが、何もしなければスタミナはすぐに回復するのだ。時間経過によってスタミナの最大値は減っていくがそれでもその減少の傾向は緩やかだ。即ち、ゲームであるのならこんな疲労はあり得ない。

 

 いまさらながら和也はそのことに気が付いた。確かにブルファンゴの姿と言い、動きと言いゲームそっくりだ。だが、ここはゲームの世界ではなく、己もゲームのキャラクターではないのだ。回避をし続ければ疲労は溜まるし、緊張が続けばそれは加速される。それは当たり前のことだ。何度となく狩ったその姿に油断していたのかもしれない。

 当たり前であるのなら、ゲームそっくりの世界にやってくることなどあり得ない。だが、現実当たり前のことは当たり前でなくなった。ならば他に今まで当たり前だったことが当たり前でなくなっても当然のことだ。

 そもそも回避をし続けるということ自体が馬鹿なこと。相手が引いてくれるという保証もないのに回避をし続ければ延々と繰り返すこととなる。その結果何を得られるのかといえば何も得られないのだ。

 

(ずっと回避なんてやってないで初めから逃げるべきだった……)

 

 いまさらそれに気がつくも後の祭り。脚には疲労物質がたまり眼も何度も瞬きをして休息を訴えている。初めから逃亡を選択していれば生き残ることもできたろうに――

 

(――まだだ!)

 

 諦めかけた心を自分の手ですくい上げる。諦めるのは早いと心中で鼓舞する。生きたいという欲求は何よりも大きい。野生の世界では無様でもなんでもいい、ただ生き残った者の勝ちなのだ。逃げ場はないかと素早く視線を動かす。何度も回避を繰り返したおかげで周辺の状況は大体つかめていた。だが、故に思う。

 

(逃げ場なんかない……)

 

 回避を繰り返したということは、それができる場所にいたということだ。それは即ちある程度開けた場所ということで、逃亡を選択するには不向きである。雑草が生い茂り木が立ち並ぶ場所ではあるが、ブルファンゴが走り回るだけのスペースは確保されている。

 逃げるのにいい場所はないのかと頭を巡らせようとするも馬鹿な考えだ。この世界の地理などわかるはずがないのだから。だが、運命の神は諦めの悪いものに微笑むらしい。おあつらえ向きの場所を彼は知っていたのだ。

 

(寝た所! あそこは根っこでブルファンゴは追って来れないんじゃないか!?)

 

 木の根が地面を掘り返し、それが絡み合うあの場は寝床には向いているが突進には向いていない。そも足の短いブルファンゴはそうした場所ならば追うことができない。急いで寝た場所を目指そうと考えるもはたと気づく。その場所がどこかわからないということに。

 何度も回避をか繰り返したのだ。既に方向感覚も居場所もわからなくなっている。昨晩の寝床がどこかなど、すぐにわかるはずがない。またも絶望が襲いかかろうとする――が、今度はその前に気付く。何も昨晩の寝床でなくてもいい、ただ追って来れない場所に逃げればいいだけだと。

 あの木の根は何も探した結果見つけた寝床ではない。偶然いた場所近くにあったのだ。あの木がこのジャングルに唯一の、という偶然が無い限り他にもあの木の根はあるはずだ。

 

 そうして思考を巡らせている間にも当然ブルファンゴは突進を繰り返していたし、和也も同様に回避を続けていた。生きるための思考を続けることで疲労は何とか無視できていたが、当然それは長く続くものではない。だが、明確に目的が定まったことで希望は尚も強くなる。それがさらに疲労を感じさせない結果となった。

 

(悪あがきだろうとなんだろうと……やってやる! 絶対に生き残る!)

 

 回避を常に一定方向へとし続けて、そのたびに視線を巡らせていい場所はないかと探す。あとは疲労に負けて跳ねられるのが先か、場所を見つけるのが先かの根気の勝負。既に疲労の溜まった状態からのスタート故に不利な戦いだった。それでも諦めないと視線を彷徨わせ続け――その勝負の勝ちを掴みとる。

 

(あそこだ! あそこに逃げ込めば――)

 

 木の根が絡み合い、その先には岩もあって高台となっている。苔が生えて滑りやすそうだが木の根も岩にいくつも絡みまるで階段のようになっていた。安全なものではないが、ゆっくり歩けば大丈夫だろう。それ以前に、その前の木の根でブルファンゴは追ってはこれまい。

 長い、長い回避と突進の戦いはそうして幕を閉じた。無事に和也は逃げ延び、追いかけることができなくなったブルファンゴは肩を上下にいからせながらどこかへと去って行く。それを見ながら思いっきり大の字になって寝ころんだ。

 

 

「――生きてる……な、俺」

 

 万感の思いを込めて呟いた。安心したことで足は急激に疲労を訴え始めるし、呼吸も落ち着くことはなく大きく繰り返される。酸素をもっと取り込めと肺は痛むほどに要求をする。だが、まさしく全身で生きていると主張している。

 

「――生き、生きてっぞ! 生きてる――ゲッホガホッ!」

 

 勝利の雄たけびと宣言をしようとして咽た。少々締まらない姿であるが、それでも別にいい。何故なら生きることができるのだから。

 

 

 

 

◆◇◆

 ブルファンゴの突進を避け続けるという珍事からおおよそ3時間が経過した。この3時間、すなわち180分の間に多くの出来事があった。例えばブルファンゴが――おそらくは別の個体――が現れ、そして和也がいるところへ登ろうと突進を繰り返したり。ランポスが現れ悲鳴を上げて逃げる羽目になったり。火薬草とニトロダケを見つけて爆薬作って反撃だー! とかなったり。

 ブルファンゴは何度となく突進を繰り返したが結局登れることはなく去って行った。だが、高台になっているから安全という訳ではないのだと真に伝えることとなった。

 ランポスの大群はとても恐ろしいものだった。何故ならランポスの動きはブルファンゴほど単純なものではないからだ。ただ突進を繰り返すだけのブルファンゴとは違いランポスの動きはトリッキーで掴みにくい。回避し続けることは不可能と見て即刻逃亡を選んだのでどうにかなったが、もし最初に遭遇したのがブルファンゴではなくランポスだったらと思うとぞっとする。

 そうして逃げ続けた際に火薬草とニトロダケを見つけ、この二つの調合で爆薬ができると思ったのだが、そも調合とはどうやるのか。ゲームであればメニュー画面から選択すればいいだけだ。だが、現実にそのような都合のいいものはない。粉末にして混ぜ合わせるというのが最も可能性が高そうだが、誤爆の可能性も高いために断念した。

 

 ランポスからは結局逃亡が成功したからよかった。平面での逃走では分が悪いようだが、木の根の乱立する場所を選べばそうでもない。高低差がある場所ではランポスはどうやら追いにくく、そこそこ努力をした後で諦めて去って行った。それを見て、最初から岩の先まで逃げていればよかったのかと後悔する。

 

 だが、いつまでも同じ場所にいるわけにはいかない。食事に困るという当然のこともあるが、大型モンスターが現れればそのような場所は意味がない。結局、ジャングルを彷徨い続けて安全な場所を求めるほかないのだ。

 そうして歩いている間にも収穫はあった。薬草、アオキノコ、ニトロダケ、火薬草、マヒダケ。見た目からの判断なのでおそらくとしか言いようがないが、薬草は擦り傷に塗ったところ痛みが引き、火薬草は握っていると熱くなった。逃げたりしている間に無くしてしまったので、在るということを知ったという意味しかないが。

 見つけたそれらのアイテムといい、出会ったモンスターたちといい、間違いなくモンスターハンターの世界である。そこはもはや疑いようがない。だが、まったく同じという訳でもない。回避を繰り返したことで疲労がたまったこともそうだが、ゲームとは違ってフィールドに高低差が多い。木の根や枝、穴といったものがゲームにはない要素となって世界に存在する。言い換えるとそれは和也自身にとっても危険な要素なのだが、それも今知ることができたのだからと前向きにとらえる。

 

 ゲームのようでゲームでない世界。どうにもいびつな世界だが、その中のジャングルを歩き続け――急に視界が開ける。そこは木材でできた建物、人工物が立ち並ぶ人里らしき場所だった。

 

 




すっごくどうでもいい情報。
これを書いたのはモンスターハンター4が発売されるよりも前。
現在の私「モンハン4の高低差の要素面白いな」
ゲームと違って高低差が――と書いちゃいましたが、高低差出て来ましたね……

あと、人が出ないから会話がない。まあ、人が出ても会話はあまりない気もしますが


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第03話 紅呉の里

 丸太をそのまま突き刺しただけの塀に囲まれた人里らしきそこ。幅、深さ共に1mにも満たない堀を周りに配し、木材でできた家に藁のようなものをかぶせた屋根。和也にとって古い時代の日本――弥生時代の風景めいたものがそこにはあった。

 堀にかけられた跳ね橋を渡る。ぎしぎしと軋む音におっかなびっくりになるが、揺れや軋みはなく丈夫なようだ。足音か気配かによって気づいたらしく、不安気に歩きながら周りを不安げに見る和也を、同じように不安げな目で彼らは見つめてくる。

 痩せこけて不健康な人が、赤青黄と色取り取りの草花を持って立っている女性がいる。鍬のようなものを大地に突き刺して、おそらく畑を耕していたのであろう男性がいる。顔立ちから判断すれば皆アジア系のようだ。

 

 

(い……いきなり襲い掛かってきたりはしないよな……)

 

 つい人がいることに喜んで入ってきてしまった和也の脳裏に不安が顔を出す。モンスターが跋扈する世界で一人で暮らすなど断固として御免こうむりたい。ならば人のいる場所に行くしかない。そう漠然と思っていたのだが考えていなかったのだ。ついた後どうするのか。

 見た目から判断するのであれば彼らは日本人か、少なくともアジア系の人種だ。古い時代であれば外国人というものは見慣れず鬼や妖怪の類だと勘違いされかねない。幸いにして、多少の違いこそあれど外見の違いはそこまで大きくはないようだ。ならばその点については問題ない。

 だが、言葉はどうするのか。国や時代が異なれば言葉が通じるのか。そも世界ごと違うのであれば通じるなど考える方がおかしいのではないのか。他にもそも生活習慣は、食事は、文化はどうなっているのか。体のつくりはどうだ、世界が違うのであれば遺伝子や構成するたんぱく質なども違うことさえありうるのではないか。あれも、これも、違うことばっかりではないのか。

 

 頭の中では警報が鳴り、それが冷や汗となり、心は焦躁を生む。考えを早まった、いや考えていなかった。いっそのことモンスターがいようと一人で生きるべきだった。村八分だ、いじめだというものを考えると人の集団なんて危ないだけだ。

 次から次へととりとめない考えが溢れだし、どうするべきかを考えようと動き出す。だができることはただ責めるだけ。考えない行動に出てしまった己を責めたてることだけだった。

 

 暫くの間そうしていた。あれこれ考えている和也と、それを不安げに見つめる現地の人達。仕事の手を止めているからだろうが、少しずつ人がやってきて一人、また一人と増えていく。いつしか和也の前方には人だかりができていた。

 

 

「もし……」

 

 思考に耽っていた和也の耳にしわがれた老人の声が届いた。その声に反応して意識を目の前へと戻すと、いつの間にかできていた――和也にとってだが――人だかりの前に老人が立っていた。頭頂部は剥げているが側面からは白い髪が垂れ、同じように顎からは髭が垂れている。丸っこい瞳にしわの刻まれた頬は笑顔がよく似合いそうだ。好々爺という言葉がよく似合う老人だ。

 

「もし……よろしいか?」

「はっはいっ」

 声をかけられていたことを思いだし慌てて返事をした。直後。どよめきが奔る。口々に何かを近くの人と話し合い、不安と疑念に満ちた目に好奇を織り交ぜて見つめてくる。まるで見世物小屋の客のようだ。

 

(――ああ、いや。俺は見世物みたいなものか)

 自身が生んだ喩を自身が否定する。和也の服装は部屋での普段着としているジャージだ。和也自身にとっては馴染みがありすぎて気にも留めていなかったが、ここの世界にとってはジャージは「変わった服装」という一言では言い表せないものなのだろう。

 見世物にされることを喜ぶような趣味はない。だがここにきてやっと思い至る。彼らの、おそらく代表として進み出た老人と話が通じたのだ。どうやら日本語、しかも現代語で通じるらしい。

 

 和也の返事直後は大きかったどよめきが徐々に小さくなる。老人は手に持った杖を体の前に刺しそこに両手を置いて瞑目していた。話しかけての態度と考えれば不躾なものではあるが、どよめきが大きすぎてそのままでは会話になりそうになかったのだから仕方がない。小さくなり、消えたことで老人は目を開け会話を再開する。

「どこから来られたのですかな。変わった服装を見るにだいぶ遠いところからと見受けますが」

 

 日本の長野県です――嘘偽りなく答えるのならこうだ。しかし通じるのだろうか。仮に通じたとして和也の言う長野県と彼らの知る長野県が同じである保証もない。故に和也の選択は誤魔化すことだった。

 

「ええと、名前とかはわからないのですがだいぶ遠いところです。たぶん……もう帰れないので……」

 

 嘘は言っていない。だが真実を伝えようともしていない。それがこの返事だ。嘘をつけば後々ばれた時に不信感を与える。だがこの回答ならば嘘は言っていないし、相手の誤解を招ける。咄嗟の返事の割には悪くないものだと自賛した。

 和也の返事を聞いてまたもどよめきが奔る。だが、先ほどよりははるかに小さいもので会話が可能なレベルだからか、老人は気にせず会話を続けた。

 

 

「遠いところから……なぜこちらに?」

「それは……その……――よくわからないのです。別の場所へ行こうとしていたはずなのに気が付いたらこの近くにいて……。その行こうとしていたはずの所ももっと遠いところのはずで……途方に暮れていました」

 

「ふむ……ここがどこかわかりますかな?」

「い、いえ……」

「では、どうしてその行こうとしていた場所や元いた所が帰れないぐらい遠いとわかるのですかな」

「そ、それは……」

 

 返答に困り言葉を濁らせる。世界が異なるのだから行き来は不可能だろう。そう思って話していたがそれが裏目に出てしまった。いっそ記憶喪失だということにでもすればよかったと思うも後の祭り。もはやそんな誤魔化しは不可能だ。

 俯き思い悩むその姿は視野狭窄。考えねば返答できないという時点で正直に答えられないと言っているようなもの。それは初対面の相手には甚だ悪い対応だ。私はあなたに正直にお話することができませんと、全うでないことを告白する対応でしかない。

 そのような悪い対応をしてしまった和也を救ったのは驚くべきことに相手の老人だった。

 

「何か……事情がおありか。まあよい。行くところが無いのであれば我らが里へ。歓迎しよう、流浪人」

「え、……へ?」

「さあ、客人に聞きたいこともあろうが今は仕事じゃ。各人戻りなさい」

 

 ぱんぱんと手を叩くとクモの子を散らすように人だかりは崩れ去って行く。それを半ば呆然と眺めながら和也は先を歩く老人について考える。

 答えにくいことは答えなくていい。老人の呟きにはそんな意味が込められている気がした。自分に都合のいい考えをしているだけではないかと思いながら、先を歩く老人の背を見ていると、本当にそんな気もしてくる。

 

――どうやら最悪の事態は避けられたらしい。

 心中ほっとしながら、小走りに追いかけた。

 

 

◆◇◆

 人の数はおよそ100人程度、面積は不明だが大体正方形の形をした里で25mプールの倍ほどの長さ。そう考えれば2500㎡だろう。一般的な里として広いのか狭いのかはわからないが、和也の目から見ると窮屈に感じた。

 その奥、入り口から最も遠い場所にある大きな家に老人は案内する。あくまで他の家よりは、だが。現代日本人の感覚から見ると横に広いだけでまるで道場のようだ。

 老人は家の中のある一室に和也を案内する。中心に囲炉裏がおかれた狭い一室だ。囲炉裏から壁まで1mもなく、火事になったりしないのかと不安になるほど。部屋が狭いのは暖を取りやすくするためなのだが、和也はそこまで頭が回らなかった。

 先ほどまで誰もいなかった部屋だがすでに火は入れてあったのか、パチパチと木が爆ぜる音がする。それに伴い上に置かれた竈からは慣れない、けれど野菜か何かの煮汁のような匂いがする。ぐうううぅぅぅ、と腹の虫が鳴いた。昨日から何も食べていないのだから仕方ないが、卑しさと恥ずかしさで赤面する。

 

「おや、腹を空かしてますのですかな。では食事を摂りながらお話と参りましょうか」

 

 垂れ下がった眼尻をさらに下げ、にこにこと微笑む姿には後光すら感じてしまう。いつぞやの神などより、この老人の方が和也にとって余程ありがたい存在だった。

 濁った色の赤や薄汚れた青色の葉が浮き、汁の色も濁ってまるで汚れているかのようだ。遠慮なしに表現すればそれは最低の食事だろう。しかし、途方に暮れ腹を空かせていた和也には何よりのごちそうだった。

 

「い、いただきます!」

 両手を合わせ言うが早いか早速掻き込む。スプーンのような木の食器を箸代わりにして茶漬けのように。

 味は塩気がなく、よく言えば素材の味が染み出たスープ、悪く言えば――というより直球で言えば――味付けのない屑野菜の煮汁だろう。現代の濃い味付けになれた日本人には美味しい食事とは言い難い。

 しかし和也は椀によそわれたスープを遠慮もなしにかっ込んで、中に入った葉も何度も何度も噛みしめた。舌はもっと味付けを望むし腹ももっと栄養を欲している。間違いなく今まで食べた中で最悪の出来の、けれど最高の食事だった。

 

 

 和也のそうした痴態を老人はただにこにこ微笑みながら眺めていた。食事を摂りながら話をしようというはずだったのに、彼は何も言わずに微笑んだまま。ただずっと微笑んでいた。

 

 

 

 時間にしておおよそ15分。それだけの時が経ってから和也は老人と会話をする。さすがに二度もお代わりをすれば腹も落ち着いたようで、代わりにそうした遠慮のない行動に対して羞恥心がわき出てきたようだ。少々赤面しているのは火にあたっているからではないだろう。

 老人は名をタカモトというらしい。家名はないのか名だけを名乗った。漢字にするのなら孝元だろうか。日本人らしい名前でなぜかホッとした。

 

「私は和也と申します。先ほどはお見苦しい姿をお見せしました」

 名乗り、両膝を折り三つ指ついて一礼をする。深くすれば土下座と呼ばれるだろうそれだが経験は幸いなことになかった故に、今この場においてはそれが正しいのかどうかは疑問があった。が、深く礼をすべき場であることは社会人以前に人としてわかっている。故にそれに躊躇いはなかった。

 古くは三つ指ついて礼をするというのは仕える相手にする姿勢だ。本来、掌をつけて額をこすりつけるようにするものだが、それを話しができるようにと簡略化したもの。古い日本の習慣故にか、それとも頭を下げることから意味が通じたのか。タカモトは笑って姿勢を楽にするように言う。

 

「いやいや、見事な食べっぷりでした。余程お疲れだったのでしょう。この近くには飛竜の巣もあります故、ご無事だったのは幸いでした」

 飛竜、という言葉を聞いて道中空を飛んでいたあの赤い姿を思い出す。この世界がモンスターハンターの世界であると教えてくれた赤い竜。空の王者リオレウス。鋭い牙と雄大な翼を持ち、脚の爪には毒がある。ゲームでは何度となく狩った相手だが、もしあれが目の前に現れたら……。そう思うとブルリと体が震えた。

 

「ふむ、やはり大変だったご様子。ところで一つお尋ねしますが行くあてはございますかな?」

「い、いえ……どこにも……」

「ではこちらに住まわれるのがよいでしょう。幸いいくつか空家もございます。住むからには村の仕事を手伝っていただくことになりますが……よろしいですかな?」

 

 それは渡りに船だ。行くあてなどない、右も左もわからない世界だ。この里に来る前ならばまだ選択肢はあった。一人でどうにかして生きていくと言うのも一つの選択肢だったろう。しかし今はどうだ。こうして人の温かみに触れ、この後で一人で生きていくことを選べるのか。無理だ、できるはずがない。

 老人の提案には乗るべきだ。そう思いながらもどうしてこうも優しくしてくれるのかと疑念を持った。裏のない誠意などあり得るのだろうか。山の中を迷っていたところに老人が現れ世話になる。昔話でよくあるシチュエーションじゃないか。その後は決まって食べられるか殺されるか……。どちらにしても惨たらしい未来だ。

 ならば一人で生きるしかない。そうすれば騙されることはない。だから提案は断るべきだろう。――馬鹿な話だ。無理なのは誰よりも和也自身が一番わかっている。

 

「えっと……わからないことばかりだと思いますがよろしくお願いします」

「うむ、まあ明日は里の案内をしましょう。頑張りましょうか? お客人」

 

 とりあえずは世話になる。もし騙されるようならその時に対処しよう。そう決めて、それが一人になりたくないという恐怖から逃れるための言い訳であることを理解しながらも、受け入れることにした。

 

 

 

◆◇◆

 畑。おそらく多くの日本人が問題なく読むことができるだろう。現代日本において文字が読めるというのは当たり前のことといえるので、おそらくという注釈はいらず、多くのではなく全てのと言ってもいいかもしれない。しかし母数が大きくなるほどに絶対という言葉は使いにくいので使わずにおいておこう。

 畑。火の田と書いて畑。実はこれは国字だ。つまり、日本で作られたものであり中国では通用しない漢字である。では何故火の田と書いて畑なのか。それは田に生える雑草や茎を焼いて肥料にすることからだ。

 焼畑という言葉があるとおり古くから日本において畑とはそういうものだった。山林や原野などでも焼いて肥料にして、そして農作物を植えて畑とする。つまり畑と火は密接な関係にあると言って過言ではない。

――だから畑は火の田って書くんだ、わかったか?

 

 そんなことを和也は燃え上がる大地の前で思い出していた。

「こうして燃やしでできた灰を畑に撒き、その後で作物を植えます。その方がよく生りますからな。よろしいですか?」

「え、ええ……」

 あ、俺絶対頬引き攣ってる。そんなことを思った。背の高さまで燃え上がる炎を見るのはさすがに初だ。自然破壊だとか、こんなふうに火を起こして大丈夫なのだろうかとか思ってしまうが……現地の人がいるのだからたぶん大丈夫なのだろう。

 ごうごうと燃えるその場を背にし、他の場を案内してもらう。今はああして灰を用意しているので他の仕事場も空いていて、案内にはちょうどいいらしい。

 

「他の方たちも行っているというのは……こう、大地の神に祈りを捧げるため……でしょうか」

「いえ、火が家に燃え移ると危ないですから」

「あ……そうですか……」

 

 現地の人に合わせてみたつもりで、けれど見当違いのことを言ってしまった故に恥ずかしい。思わず歩くスピードが落ちて老人の背に隠れるようにしてしまう。誰も見ていないのだから気にすることないのだが、こういうものはどうしようもない。

 

「こちらでキノコの栽培をしております」

「おお……すげえ…………アオキノコの山」

 

 次いで案内された場は青い山。高さにして1mは優に超える。木でできたアスレチックのようなものは青く染まり、初見であれば悍ましささえ感じるほどだ。

 和也も当然初見なのだが、モンスターハンターにもアオキノコというアイテムは存在していた。当然、和也もそれを知っていたために驚かずに済んだ。

 

「アオキノコはご存知ですか。味もよく食べると体が強くなるとこの里では多く栽培しております」

「へ、へえ。そうなんですか」

「ええ。後でご用意しましょう」

「あ、ありがとうございます」

(単体で効果あったのか、アオキノコ……)

 

 薬草と調合して回復薬。解毒草と調合して解毒薬。不死虫と調合して生命の粉。調合しての使い道しか和也は知らない。だが、ゲームではコマンドひとつでできる調合がこの世界では同様にしてできないのだ。逆にゲームではできないことでも、この世界ではできることがあっても不思議ではないだろう。

 

 

「こちらは工房になっています。里で使う土器の類の制作場ですな。あちらの者がここで普段作っております」

(…………武器作る人だ。あれ絶対武器とか防具とか作る人だ)

 小柄な人で身の丈60cmほど、少々しかめっ面をして口は真一文字に閉じている。だが、そんなことよりも問題なのは、その身の丈よりも大きな槌をその手に持っていることだろう。

「…………」

「よ、よろしくお願いします」

「…………」

「…………」

「竜じい、少しは喋ってくれないか? お客人もそれでは反応に困るだろう」

 

 挨拶にも返事一つを返さずに表情も変えない。頑固一徹な職人というやつだろうか。ゲームでの加工屋の職人は愛想のいいお爺ちゃんという感じだったので、似ているのは見た目だけらしい。

 タカモトの言葉にしかめっ面を少々崩し、数秒彼を睨むように見た後で口を開いた。なんとなく、何かあるのかもしれないと和也は思う。

 

「ここの職人だ。今、老が言ったように竜じいとでも呼べ」

 

 タカモトの声は見た目に反して若いが、竜じいの声は逆にしわがれている。何故だかとても喋りにくそうだ。この点に関してもゲームとは違うことで少々がっかり……とまでは言わずとも、違和感を感じずにいられない。例えるのなら元気なクラスメイトがある日突然無口になったという感じだろうか。

 竜じいはまた口を閉じて工房の奥へと去って行った。後姿を見送りながら、もしかしたら不機嫌にさせてしまったかと気になる。自分なら勝手にこうであるべきだと予測され、違ったからといってがっかりされれば不機嫌を通り越して不快だろう。

「怒らせてしまったのでしょうか……」

「むん? いや、お気にされるな。問題はないでしょう」

 呟くように言った和也に対し、タカモトはどちらかというと機嫌良さげに言った。不機嫌になった竜じいに反し、機嫌のよくなるタカモト。もしかして、仲悪いのかなと結論を付けることにした。

 

 この後も、水の採取のための川辺や虫などが取れる場を教えてもらった。水辺ならばカクサンデメキンを釣ったり、虫取りなら不死虫だの光蟲だのを採ったりするのかと少々びくつき、少々わくわくと相反する気持ちを持ちながら案内してもらう。結果としては水辺では本当に水だけ。虫はどうやらただの蛋白源らしい。俺、虫喰わないといけないのかな……など思いながらこの日の案内を終えた。

 

 

◆◇◆

 和也が里にやってきてから七日間、すなわち元の数えで一週間が経過した。一週間も経てばさすがに和也も里に多少は馴染むことができていた。

 最初は酷いものだった。竜じいが作った土器を倒して壊してしまったり、汲んできた水をわざわざ里の目の前で落としたり。それを慌てて拾おうとして割れた破片で手を切ったり。これらはすべてこの一週間でやったのだから和也は相当にそそっかしい。

 だが幸いなことに里の人はそんな失敗の数々を大目に見てくれていた。というのも、たどたどしくはあるが和也の働きは里一番の力持ち――ミズキというらしい――と同等の成果を上げることができていたからだ。誰よりも多くの荷物を持ち、水を運ぶのもスピードが速い。仕事に不慣れでこれなので、後々頼りになるということが期待できるからだろう。

 一つ正確に述べればこれは和也が優秀なのではない。正確に言えば和也にとって周りが劣っているのだ。義務教育がありその中で体育もあったのだから体は基礎能力はきちんとある。栄養も十分に採っていた。この世界の住人は教育など受けていないし、栄養状態だってよくない。そういった事情が和也を優秀に見せている現実だった。

 

 

「よっと……おっちゃん、ここでいいか!?」

「ん? ああ、大丈夫だ!」

 住居の奥にいるであろう男に声をかける。虫をよく取ってくる、外見は30代前半ほどの男性で、和也にとっては頼りになる年上といった存在だ。和也は今竜じいの工房から土でできた箱を持ってきたところだった。

「けどこれ、何に使うんだ?」

「んー? 虫の保管だな。逃げ出さないように……ほれ、これで蓋をする」

「でかすぎね……?」

 縦30㎝、横40㎝、高さ20㎝ほど。みかんなどの果物を詰めるのにちょうどいい大きさだ。その材質が段ボールであれば、だが。

 力があるということで和也が運ぶことになったこの箱の用途はどうやら『虫かご』代りらしい。虫が大事なタンパク源――和也はまだ食べていないが――である以上、こうした保管場所があるのはいい。だが、何故こんな重いものを使うのか。もっと軽いものを使えば和也もこんな苦労はしなくて済んだのだが。

 

「なーに言ってんだ。兄ちゃんは食わねえけど食うやつは沢山いるんだ。箱だって大きなものが必要だろうがよ」

「……こう、もっと軽いものというか手軽なものというか。持ち運びしやすい大きさではいけなかったのでしょうか」

「無理だな。軽いもんなんかじゃすぐに壊れちまうよ」

 

 和也も後々で気づいたのだがこれは和也が悪い。プラスチックだなんだとそういった軽くて丈夫な素材が無いのだ。土器で軽いものを作ろうとすればそれは脆くなってしまう。まだこの世界の常識に染まり切っていないことを再確認することとなった。

 馬鹿なことを言ってしまったと後悔し、無駄な時間を取らせたことを謝罪した。おっちゃんは気にすんなと笑って言う。朗らかに笑って、相手を安心させる笑みだ。

 不意に昔のことを思いだす。どうでもいいことを怒る上司。口を開けば文句ばかりだった。こうして話したり、感謝されたりということがあっただろうか。

 

(――悪くないな。この世界も……)

 

 思わず頬が笑みの形を作った。人が人と協力し合って生きる世界。それがこの世界なのだろう。モンスターという強大な相手が存在する故に、弱小である人は手を取り合わねばならない。人付き合いが希薄になったと現代では言われていた。別にそれが時代の推移なら仕方ないだろうと思っていたが……。大事なことだったんだなと深く思った。

 

 

 

 しかし実は和也は大事なことを忘れていた。この里に来た時には気づいていたのだ。その可能性があることに気が付いていたのだ。しかし仕事を覚えよう、人に馴染もうとしている内にそれを忘れてしまっていたのだ。

 

 その日の晩のことだ。いつものように和也用にと宛がわれた家にて簡単な食事を摂る。火を起こして野菜を煮て、いつもと同じ葛野菜のスープ。一週間前は美味しく感じたこれも、さすがにずっと食べ続けていれば飽きてしまう。

「――塩が欲しい。――いや、肉が欲しい」

 現代の日本とは飽食の時代と呼ばれていた。食べるものが世に溢れ、毎日作られた食事が捨てられていく。食うに困って餓死するようなことはほとんどなく、食べたいものを食べられる時代だった。量だけではない。種類だっていろんなものがあった。世界中の色んな食事を日本でとることができていたのだ。そう、和也にある問題。それは食に対する欲求だった。

 

「肉食いてえ……。脂の滴るステーキとか贅沢言わないから……ばら肉とか切り落としとか何でもいいから……肉……肉肉肉!!」

 多様な食事に慣れた舌が同じ食事に飽きて違うものを欲している。栄養で満たされることが当然としている体がもっと色々なものを食べろと命令している。

 栄養学の観点から考えた時、人は肉を食すべきなのだ。なぜなら食事という行為は己の体を構成する元を得るための行為であり、食べ物とはその構成物質となるものに他ならない。ならば、限りなく人に近いものを食べた方が効率がいいのだ。

 もちろん、世にはベジタリアンという菜食主義者が存在する。肉を食べることができないことが、即ち生きることができないということではないという単純な例だ。だが、考えてほしい。人の体を作ろうと考えた時、確実なのは果たして草食なのか肉食なのか。

 食べ物とは材料であり、体がその完成品だ。体の組織を構成するたんぱく質は分解するとアミノ酸になる。そして人の体とはある9種のアミノ酸を食事によって得なければならないのだ。

「米だ大豆だで摂取できる……? 知るか、俺は……俺は……肉が食いたいんだああああ!!!」

 溜まらずに叫びだした。人は生活レベルをあげることができても下げることはできない。仕事や家などは和也にとって問題なかったようだが、どうやら食事というものは切り捨てることができなかったらしい。人の三大欲の一つなので、当然と言えば当然かもしれない。

 明かりになるものが火しかない世界だ。おそらく時間で言えば午後8時ほどだろう。それでも暗くなった里ではもう多くの人が寝付いている。その中の叫びは迷惑でしかないと、叫んでからであるが反省した。

 だが、ここで一つの決意をした。

 

 

「俺……肉食う。絶対食べる。モスとかファンゴとかなんかいるだろ。ていうかいたし。……あ、うん、モスにしよう」

 一週間前のやり取りを思い出して決意がほんの少しだけしぼんでしまった。生きるために食べたいのであって、ブルファンゴの相手などしたら今度こそ死ぬかもしれない。それでは本末転倒だ。

 どうやって狩るのか。武器だなんだというものはあるのか。狩ることができたとして衛生面は大丈夫なのか。そも、里の人は肉を食べていないのだろうか。食べているのならどのようにして確保しているのか。野菜は仕事の対価としてもらっているが、肉も同じなのだろうか。

 

 布団に入ってあれこれ考えて。眼を閉じれば少しだけ睡魔がやってくる。多少習慣がついたのか、早寝早起きが身に付きつつあった。

 眠るまでの間、どうやれば肉を得ることができるのかをひたすら考え続けた。そのせいで夢の中でも肉を追いかけまわし、最終的には逃げる骨付き肉を胸から出したビームでこんがり焼いて、『ウルトラ上手に焼けましたー』と叫んでいた。さすがにないだろう。

 

 

 

 

 

 そんな馬鹿な夢を見た翌日、知ることとなる。この里にはブルファンゴどころかモスだろうと狩る手段が無いことを。

 



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第04話 肉を求めて

 適者生存、弱肉強食。これは世界が変わっても通用する摂理である。こと、モンスターハンターの世界においては更にこれが言える。

 より強く、より大きく。そうして進化を遂げたモンスターたち。暴虐の世界において強さとは万物に通じる唯一不変の生きる権利。だが強いものが生きる世界だからといって、弱いものは生きてはいけない世界ではない。適者生存であって、強者生存ではないのだ。

 個は弱くとも、数を増やし、時に群れの一部を犠牲とし、それでもわずかながらに生き残った個が次世代を残す。そうして生き続ける種も存在する。長い時代を通して見れば、存続している種が勝者であり消え失せた種は敗者である。これはどのような言い訳も詭弁も必要ない、唯一絶対の種の本能によって定められた法則だ。例え、強大な体を持つ種に勝てずとも、子を残し続けることができるのならそれでいいのである。

 

 そう、それはこの世界の人間、少なくとも紅呉の里においても同様だ。近くには飛竜の巣が存在し、ランポスやブルファンゴといった鳥竜種や牙獣種も存在する。そんな危険地帯で暮らす人々がどのように生活しているのかを考えるべきだった。

 

 

 裏原和也は与えられた家にて落ち込んでいた。それは一重に彼の生きる望みが絶たれたためだと言える。精神的にもそうだが、肉体的にも彼は生きることができなくなりかけている。動物性タンパク質を、肉を得る手段がこの里にはないのだ。

 

「――まさか……狩りどころか武器すらないなんて……。モンスターをハントする世界じゃなくて、モンスターにハントされる世界なのかよ……」

 

 昨晩なんとしても肉を食べると決意した彼は、里の住人に聞いて回った。肉を食べているのか、乳とか卵とかそうしたものは摂っているのか、武器は、作戦は、相手は。それを聞いて回って……恐るべき真実を知ったのだ。

 曰く、肉や卵は食べていない。曰く、武器など存在しない。曰く、狩りだなんてどうやって?

 

 見ていないだけで誰かがしていると思っていた。きっと危険だからとまだ教えられていないだけだと思っていた。ところがそうじゃない。現実はそのような手段などないというものだったのだ。

 適者生存、その言葉の通りだったのだろう。つまり、虫や魚といったわずかなタンパクで生きることができない人は死んでいくしかなかった。肉を狩らねば生きることができない人は、死に絶えるほかなかった。

 

「――俺も死ねと……いうことかよ……。なんなんだよ、この世界。生きようと頑張ってもいつもいつも全力で殺しにかかりやがって……」

 

 別に和也も肉を食べなくても生きていけるかもしれない。というより、本当の意味で肉を食べられなければ死ぬ人はいないだろう。だが、栄養が豊富な世界で生きた彼の肉体は多くの栄養を欲するだろう。それを拒めば当然、やつらえ、やせ細り、肉がそぎ落とされて骨と皮だけに近くなる。それは結局、漫然と死に向かっているだけで生きてはいないのではないか。

 この世界で懸命に生きるすべての人を否定するかのような考えだが、それでも和也は思うのだ。新たな世界で生きる権利を得た故に、日々怒られ家では寝るだけで思考停止していた日々と毎日を生きるために努力して前向きに過ごすことができる日々を比べることができた故に、思うのだ。生きることと生かされていることは違うと。

 別に馬鹿にしているわけではない。ただ思うのだ。自分のしたいことを我慢して、ただ耐え抜いて生きることはあの日々とどう違うのかと。

 

 死ぬなと言っていたあの夕日、生きたいと願ったあの戦い。命を奪おうと向かってくる猪は怖かった。それでも、それ故に生き残れたから嬉しかった。その生きるための戦いを続けることが、即ち生きるということだ。

 武器がない。方法が無い。そんなものは知ったことか。何が何でも狩ると決めた、だから狩る。決意は消してはならない。何かを成そうと努力する。それこそが生きるということだ。

 和也は家を出て、タカモトの家へと向かう。彼自身の望む生の為に。

 

 

 

 

◆◇◆

 タカモトは紅呉の里に住む人のうち一番の老人だ。だからだろうが、多くの場合まとめ役を彼がこなしている。老けて見えるが実は47歳、和也基準で言えば老人ではなく壮年の男性といったところ。しかし、異世界ゆえかそれとも単に栄養などの問題か。皺や白髪の為に彼を形容するのであればやはり老人だろう。

 和也が最初訪れた時も対応したのが彼だったのはそういう訳だ。困ったことがあれば彼へ。そうした事情が交互の里にはあるからこそ、誰かが見知らぬ人の来訪に彼を呼びに行ったのだろう。

 そうした困ったことがあればタカモトを頼れという考えは里の人間を通して和也にも根付いていた。元より最初に食事などを与えてくれた彼を保護者か親のように接してしまうきらいがある。餌をくれた人に懐く野良犬のようだが、そうしたものは本能的なものなので仕方がないだろう。

 

 

「モスを狩りに行こうと思います。今日一日自由を頂けないでしょうか」

 

 来て早々、和也は単刀直入に切り出した。ここを最初に訪れたのは、狩りに行くと言う都合上時間を取られるためだ。つまり、里の仕事を少々できなくなることを許してほしいということである。

 個人の私的な理由で仕事をさぼりたいと言っているわけだから感心しない願い出だ。しかし、和也はまだこの里に来て日が浅いがそれでも仕事を熱心にこなしているという評価を受けている。今までの経験から多少のわがままぐらいは通るだろうと考えていた。

 

「モスを……。ならぬ、奴らは生来大人しいが襲われればそうもいかん。硬い頭蓋を利用した突進は脅威そのもの。矮小な人が敵う相手ではない」

 

 モスとは背に苔を生やし豚のようなモンスターだ。初心者であってもまず問題なく狩れるモンスターで、どちらかと言わずとも襲われれば逃げる雑魚モンスター。そのモスに対してこの物言いだ、どれだけモンスターを脅威と捉えているかが伺える。

 

「存じています。真正面からやれば勝ち目はないでしょう。しかし、方法が無いわけではないかとも思います。時間を頂ければ試行錯誤してみたいと思います故、どうかお許しください」

 

 指をついて深く頭を下げる。相手に訴えを認めさせるというために、というのもあるが何よりもこれは和也の誠意だ。タカモトに対しては少なからず恩義を感じている。それをわがままを通そうというのだ。最大の礼儀は尽くさねば人としての道を外れることになる。

 また、これがうまくいけば悪いことばかりではない。モスというのは背中に苔を生やしているからだろうが、キノコをはぎ取ることができるモンスターだった。今この里で栽培しているキノコはアオキノコだけだが、うまくいけば特産キノコや厳選キノコなどの栽培ができるようになるかもしれない。

 それに多くはないが脂も取れるだろう。火を起こすのに脂は便利であり、火は人里に必要だ。火竜がいる以上、火は万物に通じるとは言い難いが、それでも多くの生き物は火を恐れるのだから。

 少々沈黙が下りた。タカモトは瞑目して思考しているようだった。想像するに自らの常識に照らし合わせれば許可を与えることなどできない――だが、力も知恵もある和也ならばもしくはといった願いめいた考えもある、というところだろうか。やがて、考えはまとまったのか口を開いた。

 

「――わかった、やってみよ。元よりそなたはこの里のものではないお客人。我らがあまり束縛すべきではない。だが済まぬが協力者は出せぬし、里の備蓄を渡すわけにもいかぬ。それでも良いなら……今日より三日の時間を与えよう」

「感謝します。必ずや……、あ、いえ、頑張ります」

 ――必ずや、ご期待に応えて見せましょう。

 

 そのような言葉が出かかって慌てて飲みこんだ。どうやら雰囲気にのまれていたらしい。

 里の備蓄を借りることができない、ということは少々厳しい。最悪の場合、土器を投げつけるという手段もありかと考えていたが不可能だ。また、回復手段である薬草を頼りにできないということでもある。

 狩る手段は未だない、準備もろくにできない。前途多難としか言えない状況であるが、それでもこの日より三日、一時的に彼の立場は変わった。そしてこれが……すべての始まりでもあった。

 

 

 

◆◇◆

 モンスターの狩りに行くとき最も大事なこととはなんだろうか。それは何も狩りに限定された話ではないが、事前準備こそ最も大事なことと言える。

 使用する武器は、防具は、スキルは。相手とフィールド、そこから想定される必要アイテム。相手の行動パターンと作戦。ことゲームの世界でもこれだけのことが求められていた。狩りの時間など実質30分ほどだ。それまでの準備こそが――何もそれだけのために準備していたわけではないが――最も時間をかけていた内容なのだ。

 今回、和也は里の備蓄を借りることができない。よって着のみ着のままで行くしかなく、準備など何もすることが無いように思える。だが、現実はそんなことはないのだ。

 

 里を出て門番には夕方に戻ることを伝えておく。そうしなければ橋が外されたまま、帰ることができなくなるかもしれないからだ。今日一日集中して帰るのが遅れる可能性もあるが、それはないようにしておかねばならない。何より三日と時間をもらうことができたのだ。焦ることはない。

 和也はまずこの日は準備のために時間を割こうと決めた。ゲームとは違うとはいえ、情報や準備というものが大事なことに変わりはない。ターゲットとなるモスはどこにいるのか、どうやって狩るのか。巣はどこか。そう言ったことを一つ一つ知らねば狩ることは難しい。また、持ち込みができなかった以上薬草やアオキノコといった回復用アイテムも現地調達なのだ。それもどれだけ効果があるのかわからないが手に入れておきたい。

 

「まずは薬草とかを集めよう。里に来る前に見つけたし、これはそう難しくないはず。あと、手頃な石とかそういうものを……」

 石を探すのは武器代わりにするためである。投石というのは古来より使われた攻撃手段だ。モスに対してどれだけ有効かはわからないが、試してみる価値はあるだろう。

 呟きながらも視線は下に向き、脚もゆっくりと動かして獲物を探す。草葉が足にこすれ、肌に直接触れればかゆみが出そうだ。それに葉とはいえ、肌を切ることだってありうる。何の気なしに、外に出るのだからとジャージを着たことをいまさらながら自画自賛した。

 

「おっ、アオキノコみっけ。それにこれはマヒダケか? それにこれは……なんだろ。まあ持って帰りっと。今はその余裕もあるしな」

 ゲーム風に言えばキノコ採取ポイントを見つけたというところか。適当に生えているキノコを拾い、持ってきた麻袋に入れておく。逃げている時は結局無くしてしまったこれらだが、今回はもって帰ればそれも収穫と言えるだろう。

「と、そうだ。火薬草とニトロダケで爆薬の調合……。これうまくいければ狩りの手段になるな。睡眠爆殺! ――は、無理でも爆弾使っての狩りはできるだろう。モス相手に大たる爆弾とかもったいねえけど……」

 ぶつくさと呟きながらも手は止めない。それに文句を言いながらも彼の口角は嬉しそうに上がっていた。

 モスを相手に大たる爆弾。それをもったいないと感じるのはまだゲームの感覚が残っているからだろう。費用対効果などは考えねばならないが、命以上に大事なものなどない。ならば大たる爆弾を使っての狩りとて決してもったいなくはないだろう。必要な材料をどれだけ楽に手に入れられるかによるのだが。

 

 この日は予定通り、採取だけをして過ごした。火薬草、ニトロダケ、薬草、アオキノコ、ハチミツ、マヒダケ、眠り草といった役に立つアイテムを沢山手に入れることに成功した彼はご満悦だった。モスを見つけることはできなかったし、ハチミツはみつけたはいいが保管ができず捨てる羽目になった。それでも悪くない滑り出しだと。そう思って帰還した。

 

 

 

 翌日、再び彼は狩りへと出かける。前日は昼過ぎからだったためにあまり時間もなかったが、今日は朝からの出発だ。大分狩りに回すことができる。

 

「っし、じゃあ頑張るか! まずはモスを見つける! ――前に、調合をどうやるかを見つけないとなあ」

 

 狩る手段として爆薬を使おうと考えた。ならばどうやれば爆薬ができるのかも考えねばならない。加えて、この調合という手段が確立できれば回復薬という回復手段も得ることができる。一石二鳥だと和也は早速乗り出した。

 まずは薬草とアオキノコを粉末にしてみることにする。調合というものが二つの物を一つにすることであるが、ただ合わせるだけならば調えるという字は使わない。成分の比率や重量を考えるからこそ、調合なのだ。

 薬草を粉末状に、昨日擦れた肌に少々沁みたがそれは無視する。アオキノコはちぎろうとしても弾力があり難しく、結果、石でグリグリとすり潰した。薄汚れたアオキノコの粉末を見て達成感を、同時に回復薬を作ろうとしていたことを思いだす。誰が目の前でこうも汚れ真っ黒となったアオキノコから作った薬を飲もうというのか。

 はあ、とため息をついた。飲むことができないのなら仕方ない。それはその場に捨てることとした。どうしようかと悩んだ後、近くに水場があったことを思いだして移動する。適当な石を拾いそれを洗い、土台となる大きな石も洗い、そこですり潰した。

 回復薬というものは水薬だろう。そう思って薬草の粉末を水で溶かし。さらにアオキノコの粉末を振りかける。水で溶いた時点では苦みの強そうな濃い緑色の薬だったが、アオキノコの粉末を振りかけるごとに色がだんだんと薄くなっていく。こんなものかと適当な所で止めためしに一口飲んでみた。

 

「――まずい。いや、美味しくない。あ、でもちょっと疲れが取れたような気がするな」

 味は表現するならホウレン草とシソの煮汁を飲みやすいようにリンゴなどの果物を入れてえぐみをとったようなもの……だろうか。濃い野菜の煮汁のような味なのだが、少々すっきりとした飲みやすさもある。ただ間違いなく飲みたい味ではない。

 回復薬という回復手段として求めているのであり、食事の為ではないことを考えれば別に味など気にしなくてよい気もする。だが、回復薬が不味ければ不味いほど、いざ飲もうとした時に躊躇いが生まれかねない。さらに、何度も何度も飲むことはできないだろう。戦闘の最中の回復さえありうるだろうにそれではまずいのだ。

 ついでに、疲れが取れたような気がするということさえプラシーボ効果の可能性もある。結論を言えば成功したとも失敗したともいえないのだ。

 

「ま、まあ仕方ない。とりあえず次にいこう」

 元より回復薬はついでだ。飲めばたちまち傷が治り、骨折さえも治療可能。死の淵からさえも蘇る。それほどまでのものができるのならば作りたい。だが、現実にそれほどまでの効果は制作可能なのだろうか。軽い傷を作れば確かめられるかもしれないが、それで回復しなかった場合、それがそんな効果は見込めないということなのか、それとも回復薬が失敗しているのかわからない。結局これも試行錯誤するしかないのだ。

 狩りの手段として爆薬を作りたいと思っている。材料は火薬草とニトロダケだ。これがうまくいけば武器が無くとも狩りができる。つまり本命はこちらなのだ。

 

 爆薬という危険なものを作ろうとしているのだ。今までとは違い神経を隅々まで集中させる必要がある。目の前に火薬草とニトロダケを用意し、深く息を吸い込んで吐く。一度瞑目して確認をすることとした。

 

 ニトロダケはどんな効果があるのかはわからない。だが、火薬草とで爆薬、空きびんとで強撃ビンができる。つまり、アオキノコと同じく効果の上昇があると考えられる。火薬草は持っていると熱を感じる。そこから、火薬草が火を、その温度をニトロダケが上昇させるような効果があるのではと考えた。

 そこから、火薬草を粉末にすることにした。下手にすり潰そうものなら摩擦熱で発火しかねない。ゆっくりと手で細かくちぎることでそれを成した。問題なのはニトロダケだ。すり潰して爆発して火傷を負うのは馬鹿馬鹿しい。だが、包丁のようなものがあれば切るということもできるが、そのような手段はない。思考した後に、結局気を付けてすり潰すしかないということとなった。

 

 誘爆を恐れて近くにあった物はすべてどけておく。その上でできる限り手は伸ばし、体や顔はニトロダケから遠ざける。どうなるかわからない、それでもやらないわけには……と半ば強迫観念のようなものを感じながら……すり潰す。ゴリゴリ、ゴリゴリと。

 

 ゴリゴリ……ゴリゴリ……と低い音だけが鳴る。それをずっと繰り返し……結果として無事すり潰すことができた。少々石が焦げているような気がするのだが、和也は見なかったことにしようと思った。

「じゃあ、次はこれを混ぜる……わけだが」

 それは怖いなあ……とぼやく。そも、ニトロダケのすり潰しに踏み切れたのは、火薬草との調合で爆薬となるのであって、ニトロダケだけでは爆発などしないだろうという思いがあったからだ。摩擦熱があるとはいえ、ゆっくりやれば温度はそう上がらないのだから。

 だが、この段階に至れば当然やることは調合だ。火薬草とニトロダケを合わせることになる。それは大きな危険をはらんでいた。即ち、誤爆という……。

 

 安全面を考慮した結果、穴を掘りその中にニトロダケの粉末を入れる。次にそこに火薬草を投入、瞬間即座に逃げるという方法をとることとなった。逃げた時の風圧で粉末が散らないかという危惧もあるが、それはそうならないように気を付けようという何とも締まらない方向に。

 まずは穴を掘る。これは問題ない、次にゆっくりとニトロダケの粉末を底に入れる。まさか爆発したり……とか少々考えたりはしたが問題はなかった。では最後に穴の傍らに立ち、手には火薬草の粉末を。スーッ、ハーッと深呼吸をして、いざ!

「とりゃ……あオゥルッ!?」

 

 転んだ。投入して逃げようとした瞬間、転んだ。相変わらず和也はそう言った締まらないミスをする。鼻っ面を抑えて立ち上がり、付いた泥をこすって落としながら穴の方を見やる。

「――爆発……してないな。いや、してたら危なかったけど」

 失敗か、そうため息をついて蹲る。穴の近くには散らばって入らなかった火薬草の粉末が落ちていた。それを何の気なしに拾って、粉末だから空気抵抗で飛ばないということを知りながら投げ入れてみて――爆発した。

 ボゥン、という爆発音と煙が穴から出る。自然、和也は目の前で起きたことに呆然としていた。爆発させようとして爆発してびっくりするというのは、何とも間の抜けた話だが、現実目の前で起きれば中々に受け入れがたかった。

 

 

 結論から語れば、おそらくは火薬草を最初投入した際は火薬草とニトロダケがくっついていなかったか量が少なかったのだろう。だが、最後投げ入れたことにより火薬草起爆剤としての役割を果たし、それは爆薬となった。

 ゲームであればまとめて袋の中に入れておけたが、現実はそんなことは恐ろしくてできはしない。ひとまず、火薬草の粉末とニトロダケの粉末は別の袋に入れて保存。爆薬は一度諦め――一定量くっつけると爆発するということがわかった、爆薬に調合しようとしたら即爆発する他ない――代わりの物として土爆弾を作った。

 火薬草の粉末を混ぜた土で小 さな団子を作り、さらに土をかぶせる。その上からニトロダケの粉末を混ぜた土を塗り完成だ。調合したら爆発する以上、こうするのが最善だろうという和也の爆薬の草案だ。これは、ためしに三つ投げてみた所、三つとも地面にあたり爆発した。衝撃が起爆剤となっているのか、それとも衝撃で火薬草とニトロダケが合わさっているのかはわからないが、一先ずは完成だろう。

 時刻は既に遅く、日が傾きかけていた。これ以上は無理だろうとこの日の狩りは諦めることとなる。明日、与えられた自由の最終日、その日こそが勝負だと決めて帰還した。

 

 

 

◆◇◆

 三日目、この日は最終日となる。いかに今までの行動から情報という宝を得たと言っても、それは通過点に過ぎず目的のものではない。即ち、この日の成果によって失敗か成功かが決まるのだ。

 和也はまずは前日のレシピに従って土爆弾を用意する。モスを見つけてから一々作るなど不可能な以上、これは当然のことだ。

 次に回復薬を念のため3個ほど用意し、その後でモスを探し始める。茂みをかき分け、木に体重を預けながら休み、その後また再開する。

 地面はアスファルトではないが硬く、なだらかなどとても言えないでこぼこした道。いや、道ですらない。そこを歩き続けることに疲れが増す。だが、ここで見つけることができねば今までの努力の成果を発揮することができないのだ。そう奮い立たせて探し続け、ある物を見つけて頬が緩んだ。

 それはけもの道。道などない広い場所に、動物が通ることでできるけもの道だ。通る道であることを示すそれを見つけ、和也は歓喜に震える。それを見つけるまで、もうどれだけの時間が経っただろうか。ようやく進歩を見せたのだ、これで喜ぶなという方が無理な話だ。

 喜色満面、これまでの苦労が報われると彼は駆ける。でこぼこ道で走りにくいなど知ったことか。努力の成果が現れる、努力が報われるという方がでこぼこ道などよりずっとましだ。人は未来を見据えるから努力できる。だが、努力の成果が無ければ努力を続けることは難しい。時間をかけたために、その大詰めを見つけることができると和也は喜んでいた。

 

 一言で言えばそれは油断だった。努力が報われると思って警戒が薄くなっていた。心の片隅程度にはあったかもしれないが、駆けだした時にはもう放り投げてしまっていた。そう、見つけたのはただのけもの道に過ぎない。何もそこを通るのはモスに限った話ではないだろう。そして……ここはモンスターが跋扈する世界なのだ。

 

 ガサッ――ガサッ――、草場を踏み分ける音、どたばたと荒々しい足音、それらは周囲に自分の存在を教える。そんな当たり前のことに気付いていながら、それでもそれをやめなかったのは一重にモスの動きが鈍く、見つけさえすれば問題ないと考えていたからだ。

 

 ガサガサッ――和也の右前方から音がする。それは和也が立てた音ではないだろう。ならば誰が立てたのか。

 考えるまでもないと和也はスピードを緩め、手にした土爆弾を走った勢いそのままに投げつける。ボゥンと小規模ながら爆発し――それは姿を現した。

 

 茶色い毛は土がついたからではない。口元に白いものが見えるのは肉を割いて骨が露出したわけではない。ただ、元々茶色い毛で、鋭い牙が生えた『牙獣種』というだけだ。

 

「ブモーーーーーーーーッ!!!」

「んなっ、ブルファンゴ!?」

 まるで象のような雄たけびをあげてそれ――ブルファンゴは突進してきた。それはそうだろう、ブルファンゴにしてみれば散歩でもしていたのかぶらぶらしていたところに突然爆弾を投げつけられたのだ。怒り狂って当然だろう。

 突進はあいも変わらず単調な直線的な動き。だがそのスピードは目にみはるものがある。

「危ねえっ!」

 

 横にステップを踏んで辛うじてそれを躱す。ブルファンゴは躱されたことなど意も解さんとばかりに突進し――木に激突した。

 

「お? もしやラッ…………嘘だろ?」

 

 四足動物故に頭から気に激突した形だ。それで目をまわして倒れてくれないかと期待したのだが、世の中そうもうまくいかない。めきめきと言う音を立て、木はブルファンゴに負けて軋んでいる。もう一度、そうでなければ二度激突すればもうあの木は保たないだろう。

 木をへし折りかねない突進を人の身で受ければどうなるのか。それを想像して顔から血の気が引いた。

 顔から血が失せて蒼白くなった和也に、対照的に血走った目を向けるブルファンゴ。最初の爆発によるものだろう、体からは少々血を流している。それでもフーッフーッと息を荒くして和也を睨む。

 ドンッ、と爆発したかのような音を立てて、ブルファンゴは尚も突進をしてくる。勢いは衰えることなく、けれど狙いだけは冷静に和也に。和也の脳裏に先ほどの木の悲鳴が、そして一週間前のブルファンゴとの死闘が再生される。

(し……死ぬ! 殺される!!)

 

 一週間前は生き残れた。しかし、回避をし続けたためにあの時はどうなった? 疲れ、足がもつれ、転んで突進を喰らいかけた。あの時は相手のブルファンゴも同様に疲れていたようだったが――怒り狂ったこのブルファンゴはアドレナリン全開だ。疲れ知らずに突進してくるかもしれない。それどころかそうなる前に突進を回避しきれなくなるかもしれない。

「くっ……来るなああ!!」

 

 用意していた土爆弾の内の2つ目を投げる。しかし慌てて投げたが故に方向など滅茶苦茶だ。当然それは当たることはなく、あさっての方向へと飛んでいき爆発する。

 突進するブルファンゴ、迎撃と投げた土爆弾は見当違い。そうして決着がつくかと思われたが、2個目の土爆弾は和也に味方してはくれた。爆音によってブルファンゴの気がそれたのか、突進はスピードが落ちてしまう。それでも、慌てて躱そうとする和也にきちんと当てたのはブルファンゴの野生の意地だろう。

 

「う……があああっ!!!! ぐううぅぅぅ……!」

 速度は落ちた、当たったのも体の芯にではなく足だけだ。だが、それでも激痛が和也に襲い掛かる。焼けるように痛みが主張する。意識がそこへ持って行かれる。ただ痛みだけが頭の中を支配する。

 ブルファンゴはその一撃で満足していない。通り過ぎた後でまた方向転換し、とどめの一撃をするのだろう、足で勢いをつけようとしている。その間、和也の頭の中は痛みのことだけ。戦うことを意識できなくなれば待っているのは敗北だけだ。

 

 

 そう、戦うことを意識できなければ。

 

「――っだあああああっ!!!!」

 雄たけび一括、和也は体を無理やりに起こす。足を宙に浮かせ軸足だけで体を支え、荒く息をして片手は木に預け。既に手負いだ、方やブルファンゴは最初の傷があるとはいえまだまだ元気。明らかに和也が不利となった。

 だが、手負いの獣とは存外危険なものだ。痛みとは生きている証であり、危険に対する警告信号だ。故に、和也は警告に従って逃げたいと思う。だが、目の前のブルファンゴは逃亡を許してはくれないだろう。ならばどうすればいいか。答えは一つ。

 

「やってやる……そうだ、決めたんだ……。俺は生きてやる、死なないって!!」

 

 そろりと袋から回復薬を取り出して一息に飲み干す。残った容器の袋など投げ捨て、両手には土爆弾。両者はともに手負いとなり、共に攻撃的に目を光らせる。

 

「来いよ猪があ! てめえなんぞに負けるかああ!」

「ブモーーーーーーーーーーーーーッ!!!」

 

 突進が再開される。だが、既に和也も手負い。あまり大きな動きはできない。だが躱しているだけでは未来がない。故に和也は……どちらも諦めた。

 

「オラアッ!!」

 ブルファンゴはまっすぐに和也を狙って突進してくる。だから和也の正面にはブルファンゴがいる。その正面へと投げつけた。

 例えそう丈夫ではない土塊と言えど、真正面から、しかもそれに向かうようにしていたところへの激突は痛い。加えて衝撃によって土爆弾は爆発し、その熱と光はブルファンゴの目を焼く。

 

「ヴモッ!?」

 

 悲鳴と共にブルファンゴはよろけ……そうしながらも突進を再開した。しかし方向へ見当違い、そのまま木へと激突する。

 痛みと目が見えないためだろう、それで我を無くしブルファンゴは和也などお構いなしに暴れまわる。走り、木に激突し、また別を目指しまた激突し。

 自暴自棄になったかのような状況だが、同時にこれは和也のピンチでもある。今までゲームと同じ動きだからこそ躱すことができたのだ。こんな動きはゲームにはなかった、在ったとしても予測がつかないだろう。となれば躱すことは難しくなる。

 

 ――逃げるよりも仕留めた方がいい。

 和也は瞬時にそう判断した。元より、目的は肉を得ること。別に対象はモスである必要などない。惜しまずに土爆弾を追加、投げつける。

 

「ブモモォッ!!」

 

 だがそれは悪手だったようだ。投げつけた土爆弾によって毛とさらに皮まで焼かれながらもブルファンゴは和也へと向けて突進する。

 音か、投げられた方向か。どちらにしてもまずったと舌打ち。ふら付くようなそぶりは見せず、ブルファンゴは尚も突進を繰り返す。それから逃げて、どうすればいいかと片手を木に預けた。するとめしめし……と音がする。既に何度かブルファンゴの突進を受けていたのだろう、木はもはや倒れる寸前のようだ。

 

(――これなら!)

 

 瞬時に浮かんだ作戦を採用。痛む足を考えれば長期戦などやってられない。

「こっちだ! 来い!!」

 誘う和也、罠など知らず突進をするブルファンゴ。痛みを無視して体を転がしてそれを躱し……ブルファンゴは和也が睨んだ一点へとやってくる。

(今だ!!)

 

 土爆弾を投擲、ブルファンゴを狙うことなく投げられたそれはある木の幹、高さ1mほどの箇所にあたる。それは爆発し、そしてとどめとなった。既に何度か突進を受けた木は限界寸前。爆発の衝撃によって耐えきれなくなった幹は裂け、木は根と少々の幹を残してへし折れる。それは巨大な剣の一振り。それは……ブルファンゴの背に落ちた。

 

「ブモォオッッッ!!?」

 

 いかに丈夫な体を持とうと、その一撃には耐えられなかったらしい。木にのされたままに四肢を投げだしブルファンゴは最後に力なく鳴き……動かなくなった。

 

 

 

 

「勝った……のか……?」

 

 時間はとてもかかった、もう暗くなろうとしている。体中が痛い、まさしく満身創痍だ。だが……それでもこの事実は変わらない。

 和也はブルファンゴを狩った。

 

 

「勝ったーーーーーー!! ――っていってええええ!!!」

 

 足が痛むことを忘れて地面にたたきつけてしまい、今更痛がっている。勝利の雄たけびには締まらないとしか言いようがない。それに、木がのしかかっているためにブルファンゴを引っ張り出すのも、ブルファンゴを運ぶのも大変だろうが……今はそれを言わないでやるのが華だろう。何せ……初めての勝利なのだから。

 

 

 




やっと村クエがほぼ終わりました。
集会所に行くようになりましたが、やはりみんなでやるのは楽しいですね。
時間を忘れてやっていたら、書くのも忘れてました。
もしも野良でお会いしたらよろしくお願いします。


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第05話 狩人

 木の下敷きとなったブルファンゴ。その遺骸を引きずり出すためにはどうすればいいのかと悩んでいたが、幸いにも爆発音などから異常を感じた紅呉の里の住人が来てくれたため、速やかに済んだ。その際、ブルファンゴを狩っていたということに驚いていたことは割愛する。

 通常のイノシシでさえ体重50kgを超す。より強く大きく進化したブルファンゴの体重は100kgを超えていた。木をどけ遺骸を引きずり出すのも、その後遺骸を里へと運ぶのもとても苦労した。加えて、和也自身も満身創痍だ。見た目にも泥と血で汚れている為、それに気を使うこともあって一行の帰るスピードはとても遅かった。

 

 和也としては、達成感と疲労感、それに気恥ずかしさに包まれていた。元はと言えば自身のわがままだ。それをこんな里の男手が総出となって――実際そこまでではなかったと後々知るのだが――自分と獲物を迎えに来てくれたということには顔から火が出てくる思いだ。だが、そんな考えは里につくのと同時に吹き飛んだ。

 

 雄叫び、歓声、勝鬨。大きな声が里から上がる。黄色い悲鳴とも表現できるそれは里に残った住人の咆哮だ。彼らは既に戻ってきていた一部から和也の勝利を聞いていたものの、現実その眼で確認するまではどこか信じられない思いがあった。それが戦闘をしたとはっきりとわかるほどに汚れた和也と、明らかに死んでいるとわかるブルファンゴ。その光景を見て信じられない阿呆はいない。皆が皆一様に受け入れ、そして歓喜に震えた。

 人はモンスターに敵わない。立ち向かうことなどできず、ただ受け入れることしかできない。その常識に和也という紅呉の里の居候は穴をあけた。明らかに自分の常識を覆すその光景、誰もが異常性を、そしてある種の希望を抱いていたのだ。

 

 

「――おおう……。なんか……やっちまった気がする……」

 

 その希望の星は疲労や達成感も落ち着いて平常心を取り戻していたために、一人周りに付いて行けずに呟いていた。

 

 

 

 

 里にはすでに中心地におおきな篝火が焚かれていた。肉を食す経験などなくとも、魚や虫を焼いて食べる彼らは肉も焼かねばならないという考えがあった。肉を食べる機会のない世界故に、肉焼きセットなどないことに今更ながらに気付いた和也はこの光景にほっと息をつく。いくら落ち着いたと言っても、今から火を起こして焼くのは面倒だった。

 里一番の力持ち、ミズキがその解体に乗り出す。全身の解体より先に体の一部だけ先に切り取って、木の串に刺した。ん、とそれを和也に差し出す。

「お前が狩ってきたんだ。まずはお前から食え」

 

 まだ生のそれを受け取って、魚を焼くように遠火にした。今回の狩りの成果は里で食べるということで話は付いている。というのも、保存食の作り方の知識などないし、狩ってきたのは和也であっても、火を起こすことや持ち運びに多くの協力を得ている。何より今日まで世話になっているのだ、恩返しの一つぐらいしたい。

 パチパチと薪が爆ぜる音に肉の焼ける音が加わる。脂が滴り落ち、熱された地に落ちてジューッと爆ぜた。表面は少々こんがりと焼け、火の当たらない反対の肉はまだ赤いがそれでも肉汁が滴るそれは十分に食欲を誘う。

 ゴクリ、と喉が鳴る音がした。気付けば何人かの目が和也の肉に集中している。肉を食べずとも生きていけるはずだが、それでも肉に対しての食指は和也と同様のようだ。反対も焼くために一度手にとったら、その際も視線が肉を追って動いていた。

 指をこする様にして串を回して肉をひっくり返すと、とんだ脂が火に飛び込んだ。ジュッと一瞬で燃え尽きたが、その音と立ちこめる匂いには言いようのないほど食を誘う。

 

 

「じゃ、じゃあいただきます」

 十分に焼けたと思われるそれを手にとって口に運ぶ。誰かがごくりとつばを飲み込んだ音が聞こえた気がした。ガブリと噛り付いたそれは当然のように熱い。肉汁が口の中ではね、肉塊が踊る。口の中の皮膚が剥がれ、痛い思いもした。だがそれ以上に――

 

「――うめえぇぇぇっ!!」

 狩りの成果の達成感の味は極上のものだった。

 

 

 数十分後、たらふくとは言えずともある程度食べて満足した和也は周りを見渡した。ある程度解体も進んだようで、肉はほぼ切り分けられ、残るのは最早内臓だけだ。ミズキが竜じいにあれこれ言われながら解体に四苦八苦していたことを思いだし苦笑する。そのミズキも今は焼けた肉を涙を流しながら食べている。美味しいのだろう、気持ちはわかると勝手に頷いたりしていた。

 そうしている内にひとつ気づく。老若男女問わずこの宴に参加して肉を食べているようだが、一人食べていないように思える人がいたのだ。あまり仲良くしているわけではないのだが、どうも自分が主催したかのような宴だ。気に入らないのかと思うとどうも気になる。その人の下へと足を運ぶことにした。

 

「竜じいは食べないんですか?」

「ん? おお、おめぇさんか! いやぁ、今回はごくろうお疲れだった! こんな得物の解体に立ち会えるなんぞおどれぇたもんだ!」

 ――お、おおう。

 竜じいの怒濤の剣幕に押されて和也は気持ち一歩下がる。頑固一徹という雰囲気を持っているというイメージだったのだが、それを一新するほど竜じいは陽気に喋る。ある種微笑ましいかもしれない。それだけ驚きと感動に包まれているのだろう。

 人の中ではタカモトが最長老だが、竜じいという名のように彼は――ゲームではであるが――竜人。ならば竜じいはタカモト以上に長く生きている可能性もある。それ故に、感動も大きいのかも……しれない。

 だが、それはともかくとして和也は思う。

 

(え? 誰この人。いや、ゲームのあの人っぽくはなった。なったけど……え? 竜じいってこんな人だったっけ!?)

 思い返すのは初めて挨拶した日。こちらに少し目を向けただけで碌に喋らなかった。それからも喋ることなど全くと言っていい程なく、必要に迫られて仕方なくという程度だ。きちんと話した初めの挨拶の時だってタカモトに促され漸く喋って――

 

(――あれ? あの時はもっとしわがれた声だったような……)

 そう、間違いない。竜じいはもっと喋りにくそうにしわがれた声でしゃべっていた。だが、今は陽気に明るい声で喋る。ゲームと同じ気のいいおじいちゃん風だ。

 

「いやぁ! とにかくおでれぇた! 古い伝承に狩人なる人がいたらしいが、おめぇさんもそれになるんか!」

「――――え? いや! いやいや。俺は、あいや、私はハンターなんかにはなりませんよ!?」

 

 思考に沈んでいた和也の意識は竜じいの突拍子のない言葉で蘇る。和也にとって今回はあくまでも仕方なくだ。よって今後とも狩りに出る気などさらさらない。というかありえないと言える。足がまだズキズキ痛いのだから。

 しかし竜じいは和也の回答はお気に召さなかったらしい。顔をしかめてしょぼくれた顔をしていた。が、急に思い出したように顔をあげ問う。

 

「じゃあ、こんなうめえ肉は今回限りでいいのか?」

 

 うぐっ、と和也は息が詰まる思いがした。確かに今回は死ぬほど怖かった。比喩などでなく文字通り死ぬかと思った。だが、それ故に達成感があり、食べた肉は美味しかった。これをもう味わえないのかと思うと惜しくなる。

 そうした心情の他に、栄養といった意味でもやはり肉はほしい。安定供給は無理でも、定期的な狩りは必要なのではないだろうか。

 

 竜じいの質問に答えに窮する和也。最終的にはハンターになるかどうかはさておき、狩りは今後もするだろうという話となった。今後は里の住人の協力も期待できるのだろうし悪くない選択だろう。

 

 

 

 竜じいとの会話の後、和也は少しぼーっと考えていた。狩りは今回だけでなく今後もすることになるだろう。それに気づいてしまい、そのことの意味を考えていた。

 思い返せば苦労の連続だった。武器も防具もない状態から始め、アイテムの調達から始めた狩り。調達に苦労して、調合に苦労して、その後も戦闘で死ぬ思いをした。

 そも、ターゲットはモスだったはずなのに、狩ったのはブルファンゴだ。比較的おとなしい故にターゲットとしたモスとは違い、気性が荒く突進攻撃を繰り返す、ついでに殺されかけたトラウマの相手だ。ククッと思わず笑いがこぼれる。

 

「おお、和也殿。此度はお疲れかと思いましたが中々に気丈で。いや、驚きました」

「え? ああ、長ですか。いや、疲れで少し高潮しているだけですよ。モスを相手にしに行ったはずなのに、まさかブルファンゴを狩ることになるとは思いませんでしたし」

「そうですな……。ブルファンゴなど狩ることができるとは……。長生きはしてみるものですな。このような日が来るとは夢にも思いませんでした」

 

 長。それは和也のタカモトに対する呼び名だ。本当は長老や里長と呼びたかったのだが、実際長老ではない人間を『長老』と呼ぶのはだめなのではないか……という配慮の結果呼び名は『長』となった。『長』という呼び名では配慮の意味がないのだが、和也曰く『長老』と『長』はニュアンスが違うらしい。

 タカモトはどうやら狩りから帰った和也をねぎらいに来たらしい。竜じいもそうだが彼は長く生きている分、この世界の常識に染まりきっている。当然、モンスターを狩ってきたという事実には驚いているようだった。

 

 タカモトはうんうんと頷きながら和也の様子を伺うようにしていた。しかしところで――と前置きをしてから声を落として続きを喋る。

「よろしければ……どのようにして打ち勝ったのか教えていただいてもよろしいですか?」

 

 タカモトの目が鋭く光る。妙に丁寧な口調な気がしていたがそういうことかと和也は内心苦笑した。考えてみれば当然のことで、和也は正式な紅呉の里の住人ではない。いつ他所へと流れても不思議ではないのだ。ならばその狩りのノウハウを知っておきたいと考えるのは当然の流れだろう。好々爺に見えてもそこは里のまとめ役だ。やはり強かな部分もあるということだろうか。

 

「ええ、いいですよ」

 和也にしてみれば断る理由がない。情報という価値ある物を安売りする行為と言えるが、先払いでタカモトには恩がある。ならばここで返しておくのもいいだろう。加えて、先ほどの竜じいとの会話のおかげで気づいたこともあった。

 

 

 土爆弾について、回復薬について、ブルファンゴの動きについて。そういったことを事細かに和也は話す。タカモトは黙って話を聞いていたがやがてゆっくりと息を吐いた。

 

「――当然のことですが命がけですな……。ブルファンゴの動きは確かに単調かもしれません。しかしそれには彼のものの動きや予兆をきちんと正確に読み切る必要がある。言うは易し、行うは難しですな……」

 和也が何気なく語った内容を聞いてそう漏らす。そも、和也がブルファンゴの動きを読めることはゲームの経験に由来する。そうした痛みを伴わない練習ができたからこそ、和也はブルファンゴの動きについて話すことができる。

 だが、この世界で生きる人々にとってはそうはいかない。ブルファンゴの動きを知りたければ、直接相対して観察するしかないのだ。時速40kmほどで迫る大きな猪を目の前にして。

 和也もようやくそうした事情に気が付いた。ブルファンゴの動きが単調だなど言えるのはブルファンゴの動きを知り尽くしているからだ。ゲームでの経験という他の人にはないアドバンテージの意味をようやく理解する。

 タカモトも何か考えているようで、瞑目していた。少しの間沈黙が下りるが、タカモトに頼んでおきたいことが和也にはある。それを先にしておくことにした。

 

「あー、で長。少しいいですか?」

「――ふむ、構いませんよ。どうなされた?」

 タカモトは和也の問いにさもなんでもないように返す。

 

「実は竜じいと話して今後も狩りが必要じゃないかと思ったんですよ。それで今回使ったものとか、回復薬や爆薬を里の方で作れない……かなーって……思うのですが」

 

 和也の主張はこうだ。狩りは今後もする。だがその際一々爆弾の材料を採取し調合するのは面倒だ。ならば里で予め作っておき、里の人間で狩りをする。狩りをすれば周辺の安全、肉という高い栄養価を持つ食材の確保などが得られる。つまり、狩りが里に対して利益を与えるので、里の方でも協力してほしいというもの。

 狩りをすることを考えなくともそうしたものの備蓄は必要だ。怪我をした時、襲われた時、そうした時の為の防備はあるに越したことはない。そうした理由からか、タカモトはうなずいた。

 

「ええ、いいですよ。今後のこともあらためて考えねばなりませんね」

「ええ、すみません。苦労を掛けます」

「――いえ、こちらの方こそ」

 

 そう言って頭を下げタカモトはその場から去った。和也は快諾してくれたタカモトに心の中で再度礼をする。空を見上げると元の世界では見られなかった満天の星空が見える。その煌めきはまるで和也の未来を祝福しているかのよう。

 

「頑張れるかな……。いや、頑張ろう……!」

 

 そう、和也はひとり呟いた。決意は誰の耳へと届くことなく、暗闇の中へ溶けて消えていった。

 

 和也と別れた後、自宅へと戻りながらタカモトは再度黙考していた。

 タカモトは和也がした話の内容以上の価値に気付いていた。すなわち、このノウハウ自体よりも、こんな異常なことをさも平然と語る和也にこそ価値がある、と。

回復薬だ土爆弾だというものも常識外なのだ。確かに紅呉の里の住人ならば薬草やアオキノコの効果は知っているし、混ぜることで効果がわずかながらに増すことも知ってはいる。が、水で溶き飲み薬にすることなどは想定外。ましてや爆薬など発想になかった。

 戦闘を想定しているのなら違うだろう。だが、彼らにとって火薬草やニトロダケはせいぜいが火をつけることができる程度の危険物でしかなく、調合することで爆薬とするなど発想がない。ましてや、それを土で固めて投擲して使うなど。

 だがだからこそ問題だった。和也は現状紅呉の里の居候。いつ他所へ流れても不思議ではない。どのようにすればつなぎとめることができるのか。そうしたことを考えていたところにかけられた内容から、和也に里を出る意思はないことをタカモトは知る。和也は苦労を掛けるなど言われたしほっとした様子を見せてもいたが、そうしたことをしたいのは実はタカモトの方だった。

 

 

「ひとまず安心……紅呉の里の先も明るいか……?」

 ほっと一息つきつつ、彼は会話の内容を反芻し始めた。今後の為に、より良い関係のために。未来のために。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 宴の日より一週間、里の協力をつけての初めての狩りの日となった。

 あれからタカモトをはじめとした里の住人のバックアップの甲斐あり、多くのことがわかっていた。

 例えば爆薬の作り方。和也は混ぜることで爆発、もしくは衝撃によって爆発するとそのどちらかかと見当をつけていたわけだが、実際はそのどちらもが正しく、どちらかを満たすと爆発するということがわかった。

 正確に言うのであれば、混合しただけでは爆発の条件を満たせない。だが混合したそれはとても不安定な物質で、少しの衝撃で反応を進めその際にエネルギーを放出する。それが爆薬の原理なのだが、その衝撃は僅かなものでも反応するので実質混合によって爆発と言って差し支えないわけだ。

 その点和也の作った土爆弾は原理としては優れているということがわかった。一つの塊に混ぜ合わせながらも、混合しているわけではない。目標に当てることで爆発する、何らかの衝撃を与えることで混合するように作るということが爆薬製造への道だというヒントを与える結果となった。

 科学、化学といったものを学んできたわけではない彼らだが、命がかかっていることを理解している彼らは和也の説明をとても勤勉に学んだ。結果、一週間で爆薬の製造へとこぎつけることができるまでに至った。

 回復薬も同様だった。万が一の際の怪我を癒す回復薬は攻撃手段である爆薬と並んで必需品だ。和也が最初にある程度の形を示していたこともあり、開発は順調に進んだ。

 結果、武器は爆薬、回復手段は劣化回復薬、防具はなしというなんともお粗末なものではあるが、ハンターらしき状況には至ることができた。

 

 和也とミズキ――里で一番力のある男――の二人は紅呉の里を出てからおおよそ一時間の場所にいた。里の住人が通常来ない程度まで離れて、けれど帰ることができなくなるほど遠くない位置。そのあたりがブルファンゴの生息地だ。

 和也は知らなかったが紅呉の里の住人にとってそういった敵対生物の生息地は一つの生命線。当然のように知っていた。と言っても、狩りに出る必要なく近づかないようにしていたため、ある程度のものだったのだが。

 出るであろうと見当をつけたその場所。少しうろついただけであるが、それでも何種か今まで見なかった物を見ることができた。里の住人からは和也は博識であるというように見られるようになったが、実際それはゲームの経験ゆえだ。当然ゲームになかったものなどはわからない。見つけた物の中には、そうしたわからないものもいくつかあった。

 例えば一週間前の散策の際にも見つけた名称不明のキノコだ。ミズキ曰く食用として使える美味しいキノコらしいが、これの名前は和也にもわからない。

 

 数十分ほど散策しただろうか、そろそろ成果をあげたいと思いイラつきと戸惑いが出始めた頃、ガサッと草葉が揺れる音がした。

 

「(あっち……ぽいな。行ってみよう)」

「(ああ)」

 手によるジェスチャーと小声での会話で意思の疎通を図り、移動を開始する。整備などされているはずのない道だ、気をつけねば大きな音がたってしまう。音を立てては気づかれて逃げられる。彼らは慎重に進んだ。

 移動した先は少し視界の開けた広場のような場所だった。そこではブルファンゴが二頭、雑草を食べている。

 

「(見つけた……はいいが、二頭か……。同時に相手するのは拙いな)」

「(なんでだ? あっちは二頭、こっちも二人。条件は同じだろう?)」

 二頭いたことで心の中で舌打ちをした和也だが相棒はその心情は分からないようだ。一瞬悩んだ後、和也は自分の乗り気でない理由を説明することにする。逸って飛び出されては適わないからだ。

「(二頭いても狩れるのは一頭だけだ。二頭狩っても持って帰るのは恐らく無理。消費しきれるかもそうだし、土爆弾が足りない可能性もある。そうなれば手負いの獣を相手にすることになるんだ。――手負いの獣ってのは恐ろしいぞ。なにするかわからない)」

「(ん、んう? まあ了解した)」

 

 ――こいつ、わかってんのか?

 頼りない返事に不安になるが、一応この場での追及はしないでおく。視線をブルファンゴに戻し、頭も再度切り替える。

 二頭同時というのはゲームでもよくある設定だった。だが、そうなると途端に難易度が上がる。単純に敵が二頭だから攻撃の手数が増やされるというだけでなく、意図しない連係プレーがよくあったからだ。最悪なものになると、片方がビーム、その間にもう片方が近づきタックル、またビームというようになり、回避し続けないといけなくなる。そうなればスタミナが切れて攻撃を喰らい……そのままハメ殺しだ。

 現実となったこの世界においてそういった理不尽さまで現実になっているのかはわからない。だが、二頭同時に相手することが危険なことは間違いないだろう。二頭同時クエストの鉄則は片方が違うエリアに行ってから相手するというもの。各個撃破すれば問題はない。

(そうなると単独行動を待つか……? けど番っぽいしなあ……)

 

 番ならば単独行動はしにくいのではないか? 仮にしたとしてもそれはほんの少しの間だけではないのか。観察を続けている間、ブルファンゴは常に二頭沿うようにして行動している。別れての行動は期待できそうにない。

 

「(よし、あいつらは諦めよう)」

「(えぇっ!? せっかく見つけたのにか!?)」

「(――相手が悪い。だがあそこが餌場なら罠を仕掛けられる。ひとまずは待機だ)」

 二頭同時に相手にしたくないと言ったことを忘れているのか、ミズキの否定的な返事に少々イラつきを覚える。だが、二人での行動だ。仲たがいなど絶対に避けたい。それで別行動すれば各個撃破は簡単だと、そう思考したばかりなのだから。

 

 10分ほどしてからブルファンゴ達は移動する。それを見送り――ミズキは残念そうにしていたが――ブルファンゴが食べていたと思われる餌場を確認する。どうやらキノコや果物を食べているようだ。

「よし、ここに穴を掘る。穴底に土爆弾を用意しておこう。ブルファンゴが来たらその穴に落ち爆発するという仕組みを作る。俺達は茂みに隠れ、穴の爆弾が爆発したら土爆弾を追加。こんな作戦で行く」

「またあいつらが来るのを待つってのか? なら別に今これ投げてもよかったんじゃないか?」

 手に持つ土爆弾を投げるしぐさをしながら尋ねるミズキ。相も変わらずの反応にため息が出る。

「だから、あの状況で投げて同時に仕留めることができなきゃ、やられるのは俺達だよ。同時に仕留めるなんて難しい」

「けどこっちにゃ回復薬だってあるんだし」

「それだって万能じゃないだろ。それに、回復している暇があるかどうかも疑わしい。――納得したか? じゃあ準備するぞ」

 

 本音を言えばミズキの考えも間違っていないと和也は思っている。元より土爆弾は多数用意してある。回復薬も同様だ。だから準備をすることを考えるより、あの場で攻めてもよかったのではないかとも思う。拙速か、巧遅か。それはどちらも正しいのだろう。ただ、命がかかっていることを考えれば、安全をとることは間違っていないはずだ。

 和也とミズキは年齢もある程度近いが、こと狩りに関しては和也に一日の、いやそれ以上の長がある。ならば和也が指示する立場である必要がある。ミズキもそうしたことは理解していたため、和也の指示は受け入れていた。

 穴を掘り土爆弾を敷き詰めておく。その間に何度かガサッと音が聞こえた気がしてびくびくしていた。それでも何とか準備ができ、彼らは茂みに再度身を隠す。

 

 

 何時間か経った。朝とは言えないが昼前には穴に用意をしたはずなのだが、だんだんと空は暗くなってきている。まったく訪れないターゲットにいらつきを通り越して諦めが現れ始める。

 もう来ないのではないか、今日はこのまま帰るべきではないのか。あの時狩りに動けばよかったのではないか、自分の判断は間違っていたのではないか。そうした後悔が心の裡を占める。

 空が夕焼けに染まる。橙色が空を染め木々の木洩れ日も弱くなる。

 

 ――帰ろう。今日はもう駄目だ。

 そう思って諦めを告げようとした。だが口を開こうとしたその瞬間、確かに音が聞こえた。ガサガサと茂みをかき分ける音が。

 

「(来た……か?)」

「(ようやくだな。準備はできてる。指示があればいつでも動けるぜ)」

 辟易していた和也とは違い、ミズキの方はまだ余裕があるようだ。既に手には土爆弾を持ち、狩りへの期待で顔は上気し夕焼けのせいか爛々と輝いている。

 

 そうしてそこに現れたのはまたも二頭のブルファンゴ。朝に出会った二頭だろうか。

 

「(また二頭かよ……)」

「(どうすんだ? また見逃すのか?)」

「(――いや、たぶんそれはもう無理だ。足元には爆弾があるんだ、賽は既に投げられている)」

 足を踏み入れれば落とし穴に落ちるだろう。そうなればその重さが与える衝撃で土爆弾は爆発する。折角用意したそれを無駄にすることは避けたいし、それにまた前回のように痛みで暴れる可能性がある。ならば最初からしとめるつもりでいた方がいい。

 両手に土爆弾、足元にも用意してじっと耐える。ブルファンゴはゆっくりと罠へと近づいて行く。あと五歩……四歩……。

 ゴクリ、とつばを飲み込む音がする。今か今かと気持ちは逸る。だがそれをじっと我慢する。罠にはまってから投げればいいのだ、先んじて投げる必要はない。

 

「(――――いけっ!)」

「――――へ?」

 

 突然の声に反応し、とぼけた声が和也の口から出てくる。それよりわずかに遅れて聞こえる爆発音。ミズキが土爆弾を投げた。それを理解するのには数秒を要した。

 

「ばっ! おまえ! 何やってんだよはやい!」

「えっ!? 拙かった!? だって罠の所に来たぜ!?」

 罠にはまってから投げればいい、ということを理解していなかったらしい。というのも、罠に嵌めるために土爆弾を投げるという理解をしていたようだった。和也は土爆弾の罠はあくまで最初の一撃、という意味合いでいたのだが、ミズキはそれが数を敷き詰めたこともありトドメだと理解していたのだ。

 短い会話でそれを理解する。だが、実際それをやるべき時ではない。何せ、賽は、いや土爆弾は既に投げられたのだ。幸い罠の土爆弾も誘爆し土煙が上がっていたためにブルファンゴにとっても視界は悪いのだろう、攻撃は来ていない。だが、大声で話せば危険しかない。それを二人して理解し、口を閉じて両手に土爆弾を用意する。

 

 だが、それらはすべて杞憂だった。何故なら土煙が晴れた時、そこにはブルファンゴが二頭、倒れていたのだから。

 

「お? 大丈夫だったみたいだぜ。まああれだけ数敷いたしな」

「――そう、か。ならいいんだが……。でも作戦はきちんと理解しようぜ。当たらなかったら惨事だ」

「了解っと。まあ今回は……どわっと!」

 

 急に大声を上げるミズキ。眼をやると倒れていたブルファンゴはまだ息があったようで頭を振りその牙を使ってミズキの腕に切り傷を作っていた。だが、それは最後の抵抗。そのまま頭を力なく落とす。

 

「あ……あぶね……。今死んだかと思った……」

「だから! きちんと作戦は理解しろ」

「あ、ああ。わかった……」

 まあこの程度の傷なら大丈夫だろう、と和也はほっと安心。ある意味これで作戦の重要性をわかってくれたのならいい勉強となっただろう。そうした意味では悪くない成果だ。それに結局ブルファンゴを二頭も狩った。持ち帰るのは大変だが悪くない、いや良い成果だろう。

 

「よし、じゃあかえ……!?」

「え……? 足音?」

 パタパタパタ。どこか軽快な足音がする。だがそのスピードは速い。すぐにでもこの場にやってくるだろう。

 

「ぐっ……隠れるぞ!」

「あ、ああ!」

 短く言葉を発し、先ほどの茂みへと身を隠す。程なくして足音の主はその場に現れた。数は五頭。彼らは皆同じ姿をしていた。

 嘴がある鳥のような姿。だがその実竜種。斑点模様の青い皮。ブルファンゴと同じく雑魚の一種、だがブルファンゴよりは厄介だろう相手。鳥竜種、ランポス。

 彼らは肉の焼けた匂いか血の匂いにつられたのか。鼻をひくひくと動かしていた。やがてブルファンゴの死骸に目をやるとがつがつとその死肉を喰らい始める。

 

(くそっ……俺らの成果だってのに……。けどまああいつらを相手にするのに土爆弾はまずい……。ステップ踏む相手に投擲は相性が悪いだろう)

 憤りながらも冷静に和也は見ていた。直線攻撃しかしないブルファンゴすら恐怖の対象となるのだ。すこしだが複雑な動きをするランポス、しかも五頭。相手にするのは厳しいだろう。

 がつがつと肉を貪る姿は見ていて気分が悪くなりそうだ。刃を使って解体しようが、牙や爪を使って解体しようが、やっていることは変わらない。だというのに気分が悪くなるというのは人のエゴだろうか。

(まあ、こんな血の匂いがしてりゃあ気分も……!!)

 食べることによる解体で血の匂いがあたり一帯に立ち込める。それに気が付き背筋に氷柱を差し込まれたかのような感覚に陥った。

 血の匂いは彼らのような肉食のハンターを呼ぶ。いつまでもここにいればその他のハンターもやってくるかもしれない。それにミズキも怪我をして血を流している。ランポスはどの程度遠くからやってきた? もしかしたらミズキのちの匂いもかぎ分けることができるかもしれない……!

 和也の心に焦燥が湧き上がる。血の匂いで気分が悪いなどすっ飛んだ。今はとにかくこの場を去ることを考えたい。だが、それにはミズキに伝える必要があるし、それに離れる際に音を立てないということも難しい。ならばできることと言えば結局姿を隠し、見つからないように祈ることのみ。 

 

 

 針の筵のような数分をすごし、幸いにもランポスたちは彼らに気付くことなくその場を去った。十分に腹は膨れたのか、二頭どちらも肉がまだだいぶついている。骨にも利用価値があることを踏まえれば、肉が残っていることも合わせて持って帰るべきだ。だが――

 

「帰ろう、とにかく今ははやく」

「――あ、ああ……」

 

 二人はそれをしようと思えないほどに焦燥していた。それでも持って帰りやすいキノコや果物は手に持って帰ることにはした。

 焼けたブルファンゴの死骸を背に二人は里へと帰る。その顔にはどちらも戸惑いと驚きが彩られていた。

 



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第06話 青い斑点の小さな竜

 時刻は既に夜、ランポスを発見した和也とミズキはすぐさま里に戻りタカモトに報告した。その知らせを受けたタカモトは表情暗く、言葉を発することなく静かにしている。何か考えているようだ。同じくその場にいた竜じいもやはり喋らずにいる。やがて、沈黙に耐えきれなくなったミズキが問うように言った。

 

「な、なあ。別にあいつらだって狩っちまえばいいんじゃないのか」

 

 ミズキのそれを聞いてもやはり黙る二人。それを見ながら和也は改めて思考する。

 ランポスというのはモンスターハンターに登場する雑魚モンスターの一種である。見た目は鳥のような黄色い嘴を持ち、骨格も二足歩行する鳥をイメージするとわかりやすいだろう。だが、その実れっきとした竜種である。

 集団で狩りをする彼らはアクティブ型のモンスターだった。ハンターを見れば恐れるどころか向かってくる。その動きはトリッキーで初心者には対応がしづらいだろう。

 同じ雑魚であるブルファンゴは狩ってみろといえば難しいだろうが、ある一定の範囲内で回避し逃げ続けろと言うのであれば難しくない。距離をとってしまえば直線の動きしかしないブルファンゴは何と言っても動きが読みやすいのだから。

 だが、ランポス相手ではそうはいかない。ステップを踏む彼らの動きは初心者には読みづらく、攻撃手段もあまり大振りとは言えない。即ちなぶり殺しにされる可能性がある。同じ雑魚と言えど、相手のしづらさという意味では、ランポスはブルファンゴよりはるかに面倒な相手なのだ。

 ミズキはランポスを知らない。あの場で初めて見たらしい。現在武器となるのは土爆弾、即ち投擲武器だ。それをステップ踏む相手に使うことは難しいだろうということにたどり着かないのも無理はない。

 一方で竜じいやタカモトはそうではない。かつてランポスが里の近くに現れたということは一度や二度ではない。だからこそ、今の状況に危機感を抱いている。ブルファンゴよりも相手にしづらいということを彼らははっきりと認識しているのだ。

 

 沈黙は続く。和也は思考する。この先の未来を。

 ランポスたちはあの場を餌場と認識しただろう。ならばこれからたびたび近くにやってくるだろう。紅呉の里は危険な状況に陥ることになる。やがて、人との遭遇を果たし、そうなれば……結果は人を餌と認識し、里を襲うようになるかもしれない。

 きっとこれはかつてないほどの危機的状況だろう。そしてそうなった原因はなにか。それは考えるまでもなく……故に和也は思考する。

 

(どうすればいいか……なんて……良くわかってるんだ)

 その選択をするのはとても怖い。きっと後悔に塗れることだろう。だがそれでも……選択しない後悔をするよりはずっといいはずだ。

 それが自分の招いたものなら、見捨てることは人の道を外れることになる。ならば必要なのはただ選択する勇気だけ。逃げるのではなく立ち向かう選択を。

 

 

「俺が行きます」

「なん……と……?」

「俺が行きます。奴らを……俺が狩ってきます」

 

 恐怖を心の奥底に包み隠し、凛とした声を場に震わせた。

 

 

 通常動物には徘徊する範囲が存在する。それは自身の安全と食事や排泄などの場を確保するためだ。食料がない場所だとしても、他の生物が寄り付かない場所であれば安全地帯となる。逆にどれだけ食料が豊富であっても、そこに上位種が寄り付くのであれば危険地帯と化す。

 ランポスたちは労せずブルファンゴの肉にありつくことができた。これにより、ランポスたちはあの場を安全で楽な餌場として認識したことだろう。だが、そこに他のハンターが登場することでランポスたちにひかせることができる。狩ってしまえば問題ないが、仮にできずとも傷を負わせるだけでもとりあえずはいい。この周辺を危険地帯と認識させられれば良いのだ。

 

 タカモトや竜じいの話から得た周辺の土地情報によると、人里は近くになく東には切り立った崖が、北には山が、西と南にはまず森が、その先に草原が広がっている。尤も、川の流れは南へと向かっているので南にずっと行けば海へ行きつくのだろう。

 ランポスたちとの遭遇ポイントは紅呉の里より5km~10kmほど西へ行った森の中だ。おそらくは西の草原からやってきたのだろう。元より紅呉の里周辺ではランポスの目撃情報など一年通してあるかないか。あの五匹を狩ることができれば問題はないはずだ。

 

 和也はそう考えてランポスとの遭遇した場所まで歩き続ける。装備は回復薬を三つ、土爆弾を十。護身用になるかさえ怪しいがブルファンゴの牙で作ったナイフ。防具はジャージに木製の盾のみ。なんともお粗末だ。ゲームで言うところの裸に近い。それを考えると怖さが立つが、何も言わずについて歩く相棒を思うとそれを出すこともできない。

 ちらり、と首を少しだけひねって後ろを見ると、多少おっかなびっくりな所もあるがミズキが和也の後ろを歩いている。

 

「大丈夫か?」

「あ、ああ……平気だ」

 

 言葉に反して声は震えている。気丈に振舞ってはいるが余裕はないのだろう。和也とて本当は恐怖で震えそうなのを必死にこらえている。それは、初心者にあたるミズキにかっこ悪いところを見せたくないというプライドからだった。

 森を歩くこと一時間。多少迷いはしたが彼らは目的地であったランポスとの遭遇場所に到着する。焼け焦げ抉れた地面やブルファンゴの遺骸が残っていることから見てもそれは間違いない。だが――

 

「昨日よりも食い散らかされてる。それに真新しい足跡も……」

 

 しゃがみこむ和也の目には鳥のような足跡がいくつも見受けられた。サイズで言えば人の足よりわずかに大きい。その足跡の主とこれから相対しなければならないということを思いだし、ブルリと体が震える。それを必死に隠し状況を観察する。

 真新しい足跡の主達が実際何匹いたのか。それを推理するのは難しいが無数にあることから複数であることが伺える。ならば昨日の五匹と同じ個体か、それとも別の個か。はたまたランポスではなく別の鳥竜種なのだろうか。逡巡し、作戦を考え、実行に移すことを決意する。

 

「昨日のブルファンゴと同じ手で行こう。つまり穴を掘ってそこに土爆弾を埋める。周囲にいくつか作っておいて一個爆発すれば誘爆するという仕組みを作ろう」

「了解だ。――急いだ方がいいよな」

「ああ、作ってる間に来られちゃ敵わない。さっさと用意して速やかにこの場を去ろう」

「罠を用意するだけなのか? 穴の爆発の後、さらに土爆弾を投げたりはしないのか?」

 

 ミズキの意見を聞きもう一度考える。結果、ランポスの危険性と今回の目的から作戦の変更はしないという結論となった。

 

「いや、今回はしないでおこう。手傷を負わせるだけでもとりあえずは良いんだ。それに仕留めきれなかった時、ブルファンゴ以上にランポスは厄介だ」

「そうか。――悪いな、いつも」

 

 ミズキの声に疑問を感じて視線をやるが、既に作業に入っていたために声をかけることが躊躇われてしまう。あまり気にすることをやめ、和也もまた作業へと入った。

 

 

 

 ミズキにとっては和也はあり得ないほどに博識で、あり得ないほどに頼りになる相棒だった。和也はミズキを楽天的と見ているが、その実ミズキの人生というのは和也の目から見て壮絶なものだ。

 母は弟を生んだ時に亡くなり、父は二人を育てるために働き続けた。周りの助けもあって男三人は暮して行けたのだが……ある時父も弟も、里の西の草原まで下りてきていた飛竜種に目の前で食われてしまった。その際、ミズキが食われなかったのは一重に運がよかったからだ。当時体がまだ弱く畑仕事中心だった彼は肥しの匂いがこびりついていた。その匂いを嫌われたが故に生きのこった。

 モンスターには勝てない。それは紅呉の里の共通認識でありミズキにとっても同様だった。絶対的強者の前で人は為すすべなく、生を諦めるほかない。畑仕事や木々を運ぶことで体は鍛えられていったが、それは所詮人の範疇。絶対的強者に敵うものではない。

 まだ一週間だ。だが、生活は既に一部が変わり、学ぶことも増えたが故に一日の密度も濃い。もう既に何か月もたったかのように思えてしまう。それでも一週間前の感動だけは思い出せる。満身創痍ながらも生きている和也と、その前で木の下敷きになっているブルファンゴの遺骸、それを目にした時の感動だけは。

 頼りになる相棒には常に迷惑をかけている。それを認識してはいるが、かと言ってどうすることもできない。ミズキにできないことを相棒はできる。けれど、相棒のできないことはミズキにもできない。理解できることと対策し実行できることは別の問題だ。

 楽観的というのはあくまでも和也の目から見てのことだった。

 

 

 

◆◇◆

 罠を用意した後、彼らは移動する。ゲームであったモンスターハンターであれば罠というのは痺れ罠か落とし穴のことであり、相手の動きを一定時間制限するというものだった。落とし穴に爆弾なり竹槍なりを用意しておけばダメージを狙えるというのに、そうしたことはできなかった。

 しかし、この世界においてそうした制限は存在しない。大型モンスターにしか使えなかった罠も、この世界でならば好きなように使用できる。行動の制限ではなくダメージを与えられるように爆弾を置くことも、一つと言わず無数に仕掛けることも。それが和也があの場に留まることを選ばなかった理由の一つだ。

 ブルファンゴを相手にしていた時は、狩り自体は目的ではなく手段だった。だからその場にとどまり狩った肉を確保する必要がある。そのためにトドメの手段を用意することも、横取りされないように動かないことも必要だった。

 しかし、ランポスたちは追い払えればそれでいい。確かに皮や爪が手に入れば今後の助けになるだろう。しかし、そのために命を賭けられるかと言えば答えは否だ。ブルファンゴ相手ならば現状でも平気なのだから。

 そう考えて和也は移動した。別の場所にも罠を仕掛けるために。草葉を踏み分け、けもの道を歩き、見つけたのはまたも足跡。それも、とても真新しくほんの数時間程度も立っていないであろうというほどのもの。

 

「――鳥竜種。これもランポスたち……か? ならこの足跡をたどった先にランポスがいるのかもしれない……」

「どうするんだ。足跡があるってことはここも通り道なのか? ならここに仕掛けるか。それとも――」

「いや……ああ、そうだな。先へ行く。穴を掘るのには時間がかかりそうだし、土爆弾も浪費はできない。先へ行って……もし近くにいるのであれば……どうするかな……」

「なら穴を掘らなくてもここに土爆弾をいくつかおいておくと言うのはどうだ? 近くにいるのならここに誘導してさ」

「――なるほど、穴に落ちた衝撃での起爆ではなく、俺らが土爆弾を投げてそれで起爆、というわけか。悪くない……が、まずは確認からだな」

「了解」

 

 話がまとまったところでけもの道を進む。もしかしたら近くにランポスがいる。そう考える故に彼らの進みはとても慎重なものとなった。一歩歩くごとにそれが死へ向かっているかのような恐怖を感じる。また一歩踏み出すと大してなってもいないはずの足音がとても大きく聞こえてしまう。慎重に、臆病に、彼らは進んだ。

 歩いて出た先は木が密集している薄暗い場所。常に日が当たらないのであろうそこは地面には苔が生え、雨でも降ったのか水気がついている。そんな場所でランポスたちは昼寝をしていた。

 

「(発見……。寝てるな)」

 

 じっと見やる。動く様子はなく彼らは多少重なり合うようにして眠っていた。残念ながら体が規則正しく上下している様子が見られるので、死んでいるということはないようだ。和也の目から見て数が六だか七だかに見えるのだが、あまりつぶさに観察している暇はない。

 

「(戻るのか?)」

「(――いや、やめておこう。下手に足音を立てるのは怖い。折角寝ているんだ、ここで攻める。準備を)」

 和也の沈黙を戻ることを考えていると取ったのか、ミズキが尋ねる。瞬時にそれは拙いと判断をした。睡眠時の三倍ダメージというものもあるが、何より睡眠中で動かないという状況は、いかに複雑な動きをするモンスターだろうと関係ない。今この時こそが千載一遇のチャンスだろう。

 コクリと頷いてミズキは手に土爆弾を持つ。和也もまた同様に両手で土爆弾を構えておく。土爆弾は殺傷範囲も殺傷力もあまり強くない。だが、そこは数で補う。最初の一投こそ同時だが、その後はできる限り迅速に連続で投げ続けることとする。元より不意打ちで仕留めるのが現実的と思っていたのだ。相手が眠っているというのならその成功率が上がり願ってもない。

 右手に持った土爆弾を構え、投げる手前で止めておく。相棒も同じ状況へと持っていき、二人は同時に顔を見合わせた。どちらからともなく、二人は頷き――投げる。

 ゴォン、ボォンと爆発音があたりに響く。ニトロダケと火薬草を固めていた土が衝撃ではじけ飛びあたり一帯に焦げた土をふるまった。小石も混ぜておいたそれは爆風で飛び散って幹を切り裂き木々に傷を残す。それはあたかも手りゅう弾のようだった。

 

 一しきり投げ終えてあたりを見渡した二人は思わず呆然としてしまった。命のやり取りに対する慣れなのか、ブルファンゴとの初陣の時とは比べ二人とも落ち着いていた。故に逸ることなく同時に投げるということが可能だったと言える。が、それでもこうして連続で投げたことはなかった。そのあたり一帯を破壊尽くさんとばかりの破壊力には驚きの一言だ。

 

 呆然としていた意識を突如戻す。昨日のブルファンゴの時と同じだ。いくら驚き心奪われようとも、常に警戒は怠ってはならない。安全なぬるま湯の世界で生き続けた和也に警戒心を抱き続けるということは中々慣れず難しい。

 土爆弾はすべて使い切った。手元にあるのは頼りないナイフと回復薬だけ。ナイフから鞘代わりの布を外しておく。――瞬間、土煙の中から何かが飛び出してきた。

 

 咄嗟にナイフを横に構えてその何かを防ぐ。だが咄嗟のことで腰を落としてもいなかった故に軽々と吹き飛ばされてしまった。背中をすりながらも視線をその何かの方へとやり……その正体を悟った。

 見た目はほとんどランポスと同じだ。だが、その体長は大きく、今まさに襲い掛かっているミズキを頭上から爪を振り下ろせるほどに大きい。そしてランポスにはない赤いとさか。ランポスの群れのリーダー、ドスランポス。それが影の正体だった。

 

「ぐっ…………!!」

 

 なんとか指示を出そうとするも声が出ない。背中を打った時に息を大量に吐き出してしまったのだ。和也はすぐに対応できるような超人ではない。

 ミズキは初見ながらもなんとか爪の猛攻を躱しているようだ。というより、ドスランポスの動きには精細さが欠け、どこか鈍い。おそらく爆発のダメージは十分にあるのだろう。ならば勝ち目はあるか……? そう考えた時だった。

 

「がっ!?」

 

 爪が一閃、次いで二閃。ミズキの胸元を真っ赤に染める。肉をえぐり取るような一撃――ではなく、ただ少々裂いただけのもの。だが一度攻撃を受けたことで、ぎりぎりで躱していたミズキには対応できなくなってしまう。追撃が襲いかかる。

 

(くそっ……早く……!)

 痺れる腕をなんとか腰の回復薬に伸ばし、それを口元へと持っていく。飲んでる途中で落とし胸へとかかる。だが傷にしみるそれは瞬く間に痛みを引かせる効果を持っていた。

「だあああっ!!」

 急ぎ立ち上がって回復薬を入れていた麻の袋を投げつける。多少残っていた回復薬が重りとなってそれはドスランポスへと当った。攻撃の手を止め、血走った目が和也を見やる。

 改めて見ればドスランポスは皮膚の所々がただれ、火傷の跡がある。初撃の土爆弾はきちんと効果があったのだろう。だが、それで殺すまでには至らなかったということか。

 体がずきりと痛む。やはりゲームのように回復薬を飲んで怪我をする前と同じ状況に、という訳にはいかないようだ。無いよりは遥かにいいが、無かったことにするほどのものではない。

 敵はドスランポス。群れのリーダー格。対する和也たちの装備は防具は木の盾、武器はブルファンゴの牙でできたナイフ。お粗末だ。だがそれでも――負けられない。

 ミズキも回復薬を飲んでふら付きながらも立ち上がり……死闘が始まった。

 

 

 ドスランポスの振り下ろされる爪を大きくステップを踏んで躱す。そのまま追撃として来る爪も後退して躱す。そうして一人だけを狙っているのならもう一人が攻撃できる――かと言えばそうでもない。後ろについている尻尾が、爪をふるたびに振られ、そのたびに接近が阻まれる。

 ドスランポスの出血は既に止まっている。体力は明らかに減っているだろうが、体の大きいドスランポスを相手に持久戦をやって勝てる保証はない。できるなら確実に攻めて仕留めたい。

 ならばと攻撃に合わせてナイフを振るおうとする――が、爪や牙を避けるのに必死で攻撃は届かない。片手剣にも満たないほどに短い武器。リーチの短さは致命的だ。

 

(きっついな……。どうにかして攻撃を届かせる手段を考えないと……!)

 痛みか、それともブルファンゴのと戦闘の経験ゆえか、和也は比較的冷静でいられた。それはもしかしたら冷静でいないと死ぬという、この世界で生きる故についた本能なのかもしれない。そして事実、その和也の思考は正しい。

 剣を持たない者が剣を持つ者を相手に、剣を使うものが槍を使うものを相手に。それぞれ三倍の実力が必要とされる。その喩の是非はともかくとして、リーチの差というものは戦闘に多大な影響を与えることは確かだ。体の大きさ、持つ武器の長さ。どちらもドスランポスは和也たちに勝っていた。

 

 ドスランポスが攻撃が当たらないことにいら立ってか、標的をミズキに変える。右の爪をふりおろし、次いで左の爪を振り下ろす。その後もあげて、おろし、薙ぎ払いと爪を使った攻撃を繰り返す。一流から見ればただ爪を振り回しているだけだろう。だが、和也たちにとってはそれで十分脅威だ。

 向けた背へとナイフを突き立てようと考えるが、即座にそれを廃棄する。相も変わらずふられる尻尾は和也の接近を依然として拒んでいる。下手な接近は却って状況を悪くするだけだ。

 

「ぐぅっ!!」

 再度、ミズキに爪が刺さる。苦痛の呻きを漏らすミズキに、尚もドスランポスは爪を振るおうとした。

「くそっ!!」

 それを防がんと和也は尻尾を無視して攻撃へと走る。だが、当然それはグルンと降られたしっぽに阻まれた。腹にあたったそれでまたも体中の息を吐き出してしまう。

 だがその一瞬で、ミズキは後退していた。回ったことでドスランポスは和也もミズキも見ていなかった。その隙にミズキは回復薬を傷口に振りかける。麻の袋を投げ捨て、もう一度武器を構える。

 

(――あれ、いけるか!?)

 その光景を見て打開策を思いつく、瞬間浮かんだ案を採決。即座に指示を出した。

 

「その袋に小石詰めろ!なけりゃ土でいい!」

「んあ!?」

「急げ!」

 指示を出してからは即座にドスランポスへと襲い掛かる。この間にミズキを襲われてはかなわない故の囮の行動。

 ミズキも指示の意味は理解していなかったようだが、それでも和也への信頼が行動へと繋げた。それを横目で確認しながらドスランポスとの戦闘へと身を乗り出す。

 爪をナイフで捌き、もう片方の爪を何とか避け、いらだちながらの噛みつきを体をひねって回避。ミズキの準備の間はとても長く感じた。ミズキは指示通り素早く小石と土を袋に詰めていたのだが……その僅かな時間さえ永遠に思えてしまう。

 それでもなんとか躱し続け……ついには準備を終えた。

 

「できたぞ、和也!」

「紐をっ! 持って! 振り回せ!!」

 

 例え小石や土だろうと、袋に詰めればばらけることができずに固くなる。大して長くはない紐だが、それでも遠心力によって勢いを増す。変則的なブラックジャック。それが和也の狙いだった。

 二人にとって幸いだったのは、土爆弾によって地面がえぐれていたことだ。必要な小石や土はおかげで簡単に得ることができた。

 

 今まで防戦一方だった二人だ。いかに傷を負って怒り狂っていたと言えど、嬲るようにしていた状況からドスランポスには余裕ができていた。そしてそれは、この場において油断となった。

 メキィ、と大きな音を立ててミズキの振るうそれがドスランポスの頭蓋にあたる。眼球を飛ばし、頭がい骨を陥没させる強大な一撃。肉も骨も抉る一撃がドスランポスに決まった。

 ドスランポスは倒れ、ピクリとも動かない。顔の左半分は陥没して眼球は消えうせ虚空となっている。生きているのなら激痛に悶えているはずだ。つまりこの状況が意味することは一つ。

 

「勝った……のか?」

「みたい……だな」

 呆然と呟いた。信じられないと言うように。だが、呆然としていた彼らの顔は見る見るうちに表情を明るくしていく。

 

「ッッッ!! 勝った!!」

「やっったあああ!!! 勝ったああああ!!」

 

 痛みも忘れ、死闘を制したことを喜び合う。猛る勝鬨が響き渡った。

 

 

 

◆◇◆

 疲労困憊、満身創痍。怪我と疲れは酷かったが、それでも交代しながらドスランポスの遺骸は持って帰ることにした。ランポスたちは爆風によって見るも無残な状態になっており、それでも形を保っていた爪や牙だけいくつか袋に入れておく。

「なあ、これとこれは使えるんじゃないか?」

 遺骸を漁っていたミズキが声を上げる。何かと思って見ればランポスの遺骸を二つ抱えていた。

 

(――――ってあれ? おかしいな。あんな抱えられるはずないんだけど)

 

 よくよく観察すると、ランポスの頭を二つにランポスの皮を数枚持っている状態だった。頭と言っても嘴周辺から目にかけての辺りだけだが。

 

(首切るのは難しいしなー。――なんか慣れちまったな、この状況)

 

 遺骸を漁ることも、首を見ても動じないことも、以前ならばあり得ないことだ。それがこうしてくだらないことを考えていられるのは慣れたということなのだろう。

 

「よし、帰るぞ。あまり遅くなるのもまずい」

 

 一通り選別を追えて彼らはそこを去る。焼け焦げていたりぼろぼろでちぎれていたりするが、それでもまぎれもなく今回の狩りの成果だ。どうせ手に入るのなら持っていきたい。疲労感もあるが達成感もある。二人は疲れを押して荷物を持って帰る。

 疲れは彼らの歩を遅くする。その上、肉は付いていない故に元よりは軽いがランポス数体を抱えているのだ。ドスランポスに至っては碌に解体されていない。引きずるようにして歩いているのだが、それらが彼らにさらに疲れを強いる。

 そうしてしばらく歩くと草原に出た。どこまでも続くかのような緑色の大地。草原は森の西側にある。方向を間違えたかと気付き項垂れる。

 

「これ……やっぱおいて帰りたい……」

「すっげえ同感だ……」

 

 今来た道をまた戻らねばならない。それを理解して二人はしょぼくれた。ゲームであれば剥ぎ取り素材を何種も袋の中に入れて、その重量など気にせず狩りができていた。今思うとあれはおかしい、とくだらないことを愚痴る。

 

「もうどっかで野宿しないか? もうそろそろ暗くなってきたし……」

「了解だ。草原……で寝るのか?」

「あ、いや……森に少し戻って火を焚こう。ドスランポスの遺骸が魔除け代わりにもなってくれるんじゃないか……?」

 

 ランポスもブルファンゴもモスも、ドスランポスに襲い掛かろうとはしないだろう。まだ解体していないために形を保っているのだから大丈夫じゃないだろうか。その夜はそう考え、火をたいたのち二人は死んだように眠った。翌朝になってからそれでも危なかったのではと気付くのだが……無事だったのだから良しとしよう。

 

 

 

 

 

 だが、無事ですまないこともあった。翌朝彼らが起きて数分後、近くで大きな、耳をつんざく咆哮が聞こえたのだ。

 

「――――!!」

 二人ははっと顔を見合わせた。見合わせた相手のミズキはとてもひどい顔をしているが、自分も同じだろうと和也は内心思う。木々に身を隠しながら恐る恐る咆哮の主を探す。

 

 それはすぐに見つかった。草原の真ん中に堂々としていた。

 絶対的な強者故に隠れる必要などないと堂々と。赤い翼と尾を持つ飛竜。この世界で最初に見た大型モンスター。

 

「リオ……レウス……」

 

 

 王の姿がそこにあった。

 




ドスランポスの頭が欲しいです。全然出て来ません。なんでドスランポスはギルドクエストしかないんだ……。


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第07話 飛竜の山

 口をついて出た言の葉を、即座に後悔した。リオレウスは鋭い視線を和也たちの方へと向けている。距離にして100mは先だ。だが、それでも聞こえてしまうのではないかと思ってしまうのは馬鹿げているのだろうか。いつの間にやらランポスたちの素材を放りだし和也は倒れていた。

 リオレウスが足を和也たちの方へと向けるのが見えた。ドクンッと心臓が跳ね上がる。感じる重圧は跳ね上がり、聞こえてしまうのではないかと思うほどに心臓はうるさく鳴る。頭を少し動かすことも――いや、視線を動かすことさえ躊躇ってしまう。絶対的な王者の強圧。

 

(うるさい……やめろ、静かにしてくれ……!!)

 

 己の恐怖を代弁する心臓の動きを、生きるために必死に止ませようと祈る。頭の先で何かが動いたような気がするたびに、心は焦燥を刻む。死にたくないと願うほどに己の存在を主張するかの如くなり続ける。

 ブルファンゴ、ドスランポスと立て続けに狩ることができた。――それがどうしたというのだ。あの王の前では人など羽虫も当然だ。刃向えば死あるのみ。暴君を前にして身勝手な振る舞いなどできようはずがない。

 滝のように汗が流れる。恐怖に駆られる心のままに悲鳴を上げてしまいたい。それでも冷静であり続けようと願う心がそれだけはするなと叫び続ける。

 リオレウスはしばらく動かずにいたようだが、やがて翼を広げ空を飛ぶ音がした。それはすぐに遠ざかって行く。和也の耳ははっきりと小さくなっていく音を聞き入れ、和也の目は小さくなっていく姿をはっきりと写したのだが、それでも彼らは動けなかった。

 

「助かった……な……」

 暫くして漸く体を起こす。反応のない相棒へと目をやると、ゆっくりと体を起こしている所だった。恐怖の為か、顔面蒼白で見るに堪えない姿だ。

 同様に和也も顔から恐怖から血の気が引いていることがわかる。去ってから十分に時間が経つまで起きることができなかったことがその証左だ。恐怖を顔に遺しながらも和也は――できる限りという注釈は付くが――冷静にあたりを見渡した。

 視界には放り出されたランポスたちの素材や頭が映し出されていた。それにドスランポスの遺骸。それはまるで食い散らかされた跡の様。これにカモフラージュされて喰われなかったのか……と予想した。仮に違っていたとしても、とりあえず大事なのは助かったことなのだからとも考える。

 

「とりあえず……帰る。うん、帰ろう……」

 リオレウスが去ったことでプレッシャーからは解放されたのか、そう呟いて帰路についた。ただ、いつものように返事が無いことには気が付かなかった。

 

 

 帰り道は幸いにして出会う相手はいなかった。和也の予想通り、ドスランポスが魔除けの代りになったためだ。そうして無事に里に帰ると――歓声に迎えられた。

 和也たちが帰ると大騒ぎとなった里。実はこの騒ぎはランポスの遺骸を背負っていた二人が、まるでランポスがやってきたように見えたことが原因のものだった。しかしきちんと、正確に和也とミズキの帰還を理解することで、恐怖の叫びから歓喜の叫びへと変化する。明らかな肉食獣を狩ってきたということに、一様に興奮しているようだった。

 

「無事だったんだな! 本当にすげえな! お前らは」

「こりゃあ今日も宴だな。肉が手に入ったんだ、よっしゃすぐに準備をするぞ」

「ああ、すぐにじゅん――っておい!」

 興奮している彼らは当事者である和也たちに言いたいことがたくさんあるのだろう。和也を中心に輪を作り皆が皆熱っぽい表情で和也の方や背を叩く。だが、そんな興奮を背に輪を裂いて和也は一人だまってタカモトの下へと向かった。

 

 

「おお、和也殿。帰還――どうなされた?」

「リオレウスがいた。明らかにあいつはやばい。戦って勝てる相手じゃない。逃げる準備とかが必要なんじゃないかと思って――」

「――落ち着きなされ。リオレウスとは?」

 逸る和也に対しタカモトは手を伸ばす。落ち着けと言う意味だろう。一度深呼吸をする。帰るまでの時間で十分に落ち着いたと思っていたのだが不十分だったようだ。

 何も知らない相手に説明をするには感情のままに話すのではなく、理路整然とした説明が必要だ。熱くなった頭はそのようなことさえ忘れていたらしい。落ち着いたなと自分で思ってから、改めて説明を再開する。

 

「リオレウスだ。赤い翼の飛竜種の。あいつが西の草原にいたんだ」

「飛竜種……あ奴ですか……。しかしあ奴は時折山から下りてまいります。そこまで狼狽えなくともよいのでは?」

「――そう……なのか?」

「ええ」

 ゲームの経験は知識に大きな影響を与える。調合について、ブルファンゴの動きについてそれらが顕著だったように。多くのゲームにおいて伝説・幻という存在にも出会うが、登場キャラクターのほとんどはそれらに出会ったことはなく、知るものも少ないのだ。

 だが、その一方でこの世界独特の知識――というより常識には疎くなる。里に来て一週間で多くを覚えたと言っても、その間はずっとわからないことだらけだった。加えて、まだ教えてもらってない仕事はある。この世界の誰も知らないことを和也は知っているかもしれないが、逆に和也は誰でも知っていることを知らないことがあるのだ。

 

「飛竜種はもとより近くの山に棲んでおりまする。今までにも何度か里のものが犠牲になっています。しかしその頻度はランポスよりも低いのです」

 事ここに至り漸く里に来てすぐに近くに飛竜の巣があるとタカモトが言っていたことを思いだす。興奮していたのは和也だけだったようだ。

 話を聞けばリオレウスは元々西の森を抜けた草原の、北にある山に棲んでいるらしい。山と草原を縄張りにし、仮に違う場所を徘徊するにしても主に南。東の森へは来ないそうだ。もしも紅呉の里が草原を利用したい、利用しようというのであれば危険度は増すが、そのような予定は皆目ない。犠牲になった者というのも、なんらかの理由で草原まで出張ったときの話のようだ。

 ランポスに慌ててリオレウスは慌てないというとおかしな話のように思えるがそんなことはない。要はリスクアセスメントの結果、ランポスは危険度が高いと言うだけだ。

 

「なんだ……俺だけ焦ってたんですね……。驚いた……」

「ええ。しかし……飛竜が……。そう……ですか」

 それまでとは一転して物思いにふけるタカモト。だが、その理由を尋ねても答えてはくれないだろうと気にしないことにする。短い付き合いだが少しぐらいは分かるのだ。

 落ち着いたことで、騒がしくなりつつある里の住人にきちんと説明しようとタカモトの家を後にする。和也が去った後もタカモトはずっと悩んでいた。

 

 宴というからには食事が必要だろう。さらに、ブルファンゴを狩った際に宴となりその肉が喜ばれたことから、その食事というのは肉であるべきだろう。だが、紅呉の里に本来狩りの技術は存在せず、和也の介在なしにして肉を得ることは未だ不可能だ。

 和也自身そう思っていたのだが、里の中心には火が焚かれ始めその前にはブルファンゴの遺骸が二体鎮座している。見た目からして土爆弾による狩りのようだ。

 

(――そっか、ゲームとかだと主人公が何かするまで何も起きないのが常だけど……現実ならそんなことはない。ここの人達だって生きているんだから、模倣だってそりゃできるんだな)

 

 ブルファンゴは背には碌に傷が無く、脚や腹が焼けただれている。どうも足元に土爆弾を仕掛けたのだろうと推測できる。なるほど、罠を用意すれば相手の動きなど関係ない。誰かがそう考えて行動に移したのだろう。

 感心する和也だったが、実はこのブルファンゴを仕留めた罠はランポス用にと和也たちが仕掛けた物だ。元より、ブルファンゴの遺骸がある場所をランポスのえさ場として仕掛けたが、その場所自体ブルファンゴのえさ場だった場所だ。時間が経てばブルファンゴが罠にかかる可能性は高いというものだ。忘れているようなのでそのままの方がいいのかもしれない。

 

 

「よっしゃ切るぞー!」

 妙にテンションの高い人を見て苦笑する。だが同時に共感も覚える。これからまたあの肉を食べられるのかと思えば腹が空き涎が垂れるというもの。今回は竜じいも食べる側に参加するつもりなのか、切る側にあれこれ指導しようとはしていなかった。尤も、数分後に切り始めた彼らが苦労するのを見て指導しに行くことになったのだが。

 

 紅呉の里は住人100人前後。対し肉は重量にして100kgを超す。ということは当然の結果として、一人当たりの食べる量は1kgを超す。自分が狩ったのではないからと遠慮がちであった和也だったが、宴が進むにつれ肉が大量にあることを認識し食べ始めた。

 二度目の宴。物事は初めこそ感動するが、二度目となるとそれは薄れる。だが普段恵まれてはいないからこそ、二度目であっても肉は大いに喜ばれた。一度目と同じく老若男女問わずたくさん食べていた。

 

「よぉ和也! 今回はご苦労だったな」

 口いっぱいに肉を詰め込んだまま声の主を見上げる。虫の管理をしている男性で、少し前までよく手伝いをしていた人だ。彼は両手に肉の乗った皿を抱え、男臭い笑みで近づいてきていた。

(ビアホールとか似合いそうだな……この人)

 その姿がビアホールのウエーターに見えてしまいふと思う。面倒見のいい人であることを知っている為、余計にそう思った。

「ん? どうした?」

「あ、いえ。ちょっと考え事を。しかし肉沢山持ってきましたね」

「ああ! 今回は二頭もいるからな。食っても食ってもなくならねえよ。なあ、保存の方法とかはわからねえのか? なんかあった方がいいと思うわ」

 

 それは前回の宴の際にも和也も思ったことだ。多量にある肉を保存できればいい、と。また、狩ってすぐに食べるのではなく保存食としておいておければいざという時にも困らない。

 肉の保存と言えばハムやベーコンなどが思いつく。それは塩分を多く含んでいる、ということは和也にもわかる。だが、詳しい作り方など知る由もない。和也は黙って首を振る。

 

「そうか……。いや、お前だってそりゃあ何でも知ってるわけねえよな。すまねえ」

 彼は頭を掻きながら謝る。別に謝ることではないと思い、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

「えーと……そう言えば塩で……浸けておくとかでできるんじゃないかな―とは思う……のですが……」

 塩分を含んでいるということはそれが保存に適しているからではと予想して伝えてみた。尤も、それ以上のことは和也にもさっぱりわからないのだが、土爆弾や回復薬の改良など最初のヒントがあればその後の発展は期待できるということは証明済みだ。ならばこれだけでももしかしたらという気持ちがある。

 

「おっ、そうなのか? よし、お絹にも伝えておく。いろいろ試してみるか」

 ――お絹って誰だっけ。そう思ったが黙っておく。良くしゃべる相手はともかく、あまり接点のない相手は未だよく覚えていない。ついでに言えば、この目の前の男性も『おっちゃん』などと呼んでいたため、きちんと名前を覚えていなかった。

 人の名前を憶えないということは褒められたことではないだろう。だが今更尋ねるのも躊躇われる。内心困ったななどと考えていると、彼は思いだしたと表情を変えた。

「ミズキのやつ、どうかしたのか? なんか引きこもってるみてえだし、もしかしてランポルって奴の討伐、なんかあったのか?」

「いや、ランポスですよ。――あることはありました。ランポスの討伐自体はうまくいったのですが、その後に。実は――」

 おかしな間違いに苦笑しながら事情を説明しようとし――言葉を詰まらせた。ランポスの討伐は成功の可能性も十分にあったから討伐に行けた。だが、リオレウスの討伐などできようはずがない。ならばわざわざ山を下りてきたと言っていいのか、と気になってしまった。元より草原の方までは出ないのだ。わざわざ危機感を煽る必要はないだろう。

 

「どうした?」

「――いえ、なんでもありません。予定していたやつよりでかいのがいて、ちょっと手こずったりしました」

 ドスランポスがいたことを話して、言いかけたことは誤魔化した。後でそれも老と相談しないとと考えながら。

 

 

 

 誰も知る必要などないことだ。知る意味のないことだ。破滅の足音が聞こえるとしても、それは聞こえないふりをして誤魔化した方が身のためだ。焦って、狼狽えて、どうにかしようと足掻いて、その結果空回りして意味がなかったと理解する。それをするぐらいなら最初から知らなければいい。抱えておけばいい。そう――考えていた。

 彼はある意味でそれと同じ考えをしていた。だがある点で全く異なる考えだった。恐怖も絶望も感じながら、それでも立ち向かうことを望んでいた。

 

 語らなかったこと。これも未来の分岐点。

 

 

 

 宴の夜が明けて次の日のことだ。ドスランポス及びランポスの討伐を無事に終えた和也はずっと寝入っていた。この世界に来て朝は早くなったのだが、この日は前日の疲れもあり起きるのが遅かった。起きたのは――騒がしくなってからだ。

 

「カズヤッ!!」

 

「おい! 起きろ! 早く!! 起きろ!!!」

 

 喧しく声をかけ、起きろ起きろと揺すぶって、騒々しい朝の始まり。そうして和也の一日は始まった。

 

「んー……? おっちゃん……? どしたん……?」

 口から出る言葉はまだ寝ぼけている。声は少女のように弱々しく、言葉は尻すぼみ。寝ぼけ眼をこすりながら要件を尋ねる和也だったが、内容は強烈な目ざましだった。

「ミズキがいねえっ! あいつ、きっと討伐に行きやがった!」

 それを耳で聞いてから、頭が認識するまでには時間を要した。ミズキが、討伐に、行った。それを理解し――次いで疑問に埋め尽くされる。

「え……何に?」

「飛竜だ! 昨日いたんだろう!?」

(違う……そうじゃなくて……)

 一度目をつぶり考えを整理する。相手が何かなど、ここまで慌てている時点でもう答えが出ているようなものだ。尋ねるべきはそれではない。

 恐怖の体現者、死を運ぶ足音、絶対的な上位者。それがあの時和也が感じたことだ。そしてそれはミズキと手感じていたはずだ。敵うはずのない相手だと、しっかりと認識したはずだ。

「とっとにかく! 爺の所に! 爺が和也を至急呼べって!」

「あ、ああ……」

 まだ狼狽えている頭でそう返事して、どこかおぼつかない足元のままタカモトの下へと向かう。狼狽は和也だけでなく目の前の男性もまたしている。それ故に――今した理解が間違えているのではないか。そう思い……いや、願いながら。

 

 結論から言えば、その理解は間違っていなかった。和也が狩りの相棒としていたミズキは、昨日であったリオレウスの討伐へと単独で向かった。おそらく、としか言えんがという注釈こそついていたものの、タカモトは和也にそう説明した。

「け、けどなんで……」

「飛竜は……あ奴の家族の仇じゃからの……」

 そうしてタカモトは語り始める。ミズキの過去を。飛竜に食い殺された父と弟のことを。昨日に出会ったことで、仇討ちを考えたのだろうと。

 ある意味でこれも和也の責任かもしれない。今までモンスターに敵わないと考えていた彼ら。だが、そう考えていたからこそ敵わない相手というものを、正確に認識できていない。一言で言えば、気が大きくなっているのだ。

 勝てるはずのない相手だからと諦め、受け入れていた。その仇に気が大きくなっている時に出会ってしまった。不幸な偶然の重なりあいの結果だった。

 

「――お主に頼むのは……少々筋違いかもしれん。じゃが、お主以外に頼れる者もおらん。どうか……ミズキを連れ戻しに行ってはくれんか……?」

 それは、またリオレウスがいる場所に赴くということだ。和也の心情としては断固として断りたい。視線を動かすことさえ躊躇ってしまうほどの強圧の持ち主、それに会いに行くことなど御免こうむりたい。

 それはできない。文字にしてたった七文字。だというのに和也の口はそれを出すことができなかった。二日前のランポスとは違う。危険なのはたった一人、だというのにモンスターの危険度は桁違い。それでも断ることはできない。いや、断ってもいいだろう。それに誰も文句は言えないだろう。だが――

(あいつは……仲間だろう。里の、狩りの。――友人だって言っていいはずだ。だから――)

 見捨てたくなんかない。和也の心がそう声高に叫ぶ。ならば簡単だ、わかったといえばいい。

「わ……」

 だが、それも難しかった。唇が渇いて張り付いてうまく動いてくれなかった。ランポスの討伐に行くとは言えたのに、討伐に行くのではなく連れ戻すだけでいいと言うのに、それが言えなかった。

 心臓がバクバクとなりだし、背や額には汗がにじみ出る。もう一度リオレウスの下に行かねばならない。それを認識した頭がやめろと叫ぶ。死にたくないという本能が、死神の下へ行かせまいと縛り付けた。

(なんで……だよ。くそっ……静まれよ! ――――こええよ……)

 見捨てたくないというのが和也の本心なら、行きたくないというのも和也の本心だ。思わず、うつむいて唇を噛みしめる。

 ――情けない。そう思うがどうにもならない。怖いものは怖いし、できないものはできない。臆病だろうと、弱虫と蔑まれようと、誰だってできないことはあるだろう。

(それでも、ミズキは……。俺は――……)

 拳を白くなるまで握りしめる。憎悪、怨恨、それらがあったとはいえ、ミズキとて恐怖を感じていたのではないのか。それでも、無謀と言えどミズキは討伐に行った。かたき討ちに走った。

 死者の無念だ、復讐だというものはフィクションにありがちな設定だろう。それを無駄だ、死者は喜ばないと諌めるのもまたありがちだろう。だが、そうありがちな設定ながらも使われるのは、それが人の心に基づいた当然の行動だからだ。

 誰かを喪えば、それで心に穴が開く。その心にできた穴を埋めようと、人は何かをせずにいられない。感情が溢れるというのは理屈ではどうしようもない。死が怖く連れ戻しに行けないように、憎しみが抑えられず討伐に向かうのもまた同じなのだ。

 

(――復讐、か。復讐の……負の螺旋……か……)

 そう言えばと思い出す。復讐をするという作品にはついて回ったものだ。復讐して、その結果その仇の仲間に恨まれて、今度は自分が復讐される側になる。そしてまた仲間が――、和也が命を捨てて走るのだろう。

 

「――――だったら……今走った方がいい」

「――和也殿?」

 和也の心に火がついた。それは吹けば消えてしまいそうな小さな火。恐怖が消えたわけではない。それが正しい考えなのかもわからない。だが、ただ走りたかった。走れと心が決めたそれを、疑わずにいたかった。

 必要なものは何か、しなければならないことは何か、想定される可能性はどうなのか。それらを瞬時にまとめ上げる。

 

「回復薬と爆薬ありったけ用意! ランポスの皮もあるだけ持って来い! 三、四人の少人数で向かう! すぐに準備しろ!」

 

 

 

 紅呉の里の西に広がる森、そこを抜けた先には草原がある。草原は地平線の先まで続いているが、北側に至ってはすぐに行き止まりだ。何故なら小規模ながらも山が鎮座しているからである。

 紅呉の里の、いや近場の種を問わず住人なら全員が知っていることだが、その山には飛竜種が棲んでいる。草原を縄張りにし、絶対的な王の威圧を持つ強者の存在がある。敵うはずのない相手の為に、紅呉の里のものは山はおろか草原にすら向かわない。

 だが、その草原を、そしてその山を目指そうとする男が一人、西の森を歩いていた。恐怖と興奮が混じった息遣いで、思い出したように震える手を握りしめながら。膝は何度も力が抜け倒れ込みそうになってしまう。それでも……彼はゆっくりとだが着実に進んでいた。

 手には土爆弾を持ち、回復薬を沢山袋に詰め、ファンゴの牙のナイフを腰に差し。彼が思い出すは弟のこと。まだ幼かった弟のこと。体が弱かった自分を気遣う優しい弟、涙と鼻水で顔を汚し、父の亡骸に縋っている最後の姿。ギリ……と手から骨が軋む音が鳴る。だがそれでも握った拳をほぐしもせず、ミズキは歩き続け、草原を抜け、山に到着した。

 足を止めて首をひく。見上げれば山頂が見える小さな山。その山頂を睨むように見つめ、歩を再開する。先ほどよりもしっかりとした足取りで。

 

 山道は傾斜がついている。また、通る獣もいない故に道もない。連続した小さな崖を登り続ける。遮る物のない日差しが降り注ぐ。傾斜と日差しによって体力は奪われ、体が水を欲し喉が渇く。それを気にしていないかのようにミズキはただまっすぐに山頂を目指した。

 

 歩いて、登って、下を見れば山腹までは来たかなというところ。その程度まで登ってから、あるものを発見する。異臭を放つ焦げ茶色の物質を。

(――あいつの糞……近いか……?)

 見た目乾燥していないそれは、まだあまり時間が経っていないように思われた。ミズキが山を登り始めてから、いや近づいてから竜の翼の音は聞こえていない。仇は近いと改めて力が入る。

 仇をとる。それを意識したのはほんの昨日のことだ。幼いころに目に焼き付けたその姿を、再び目にすることで意識したのか。それとも同じく狩れるはずがないと思っていた牙獣種や鳥竜種を狩ることができたので意識したのか。もしくはその両方か。

 何にしてもきっかけは和也だろう。和也がいなければ飛竜種と再び会うことはなかった。牙獣種さえ狩ることはできなかった。土爆弾という手段を得ることもなかった。その意味で、ミズキにとって和也は恩人であり……だからこそ黙って行く他なかった。

 飛竜種は強大だ。いかに手段を得ようと勝てるかはわからぬほどに。昨日の邂逅の時に、圧倒的な強者の威圧をミズキも感じていた。燃える双眸も火炎を吐く口も、見えるはずがないのに幻視した。――その炎に焼かれる姿も。

 仇をとりたいというのは自分のわがまま。ならばそこに恩人を巻き込めない。自分のせいで危険に巻き込むのはいけない。黙って行けばばれた所でどうしようもないだろう。そう考えてミズキは一人里を出た。森を越え、草原を抜け、山を登った。そして……その先で飛竜種を見つけた。

 

(いた! ――カズ……仇をとる)

 確かにそこには飛竜種がいた。少しなだらになっている箇所で翼を広げ眠っていた。緑色の外殻を持つ、ミズキが敵と知る飛竜種と思しき姿が。

 はやる心を静めようと昂ったままに深呼吸をする。だが息遣いは大きすぎて気づかれる可能性を増やすだけだ。土台落ち着かせようというのが無理なのかもしれない。冷静さは諦め、土爆弾を手に持つ。仇をまっすぐに見据え――投げた。

 一つ、二つ、三つ。次から次へと投げ続ける。最初から全力、そして一度きりの攻撃だ。和也がいればやりはしないだろう、失敗した時のことを考えていない作戦だった。

 

 

――ゴアアアアアアアアア!!!!

 

 爆音を裂き竜の咆哮が響き渡る。咄嗟に耳を抑え蹲り投げるのを中断してしまう。すると爆風を突き破って飛竜種が飛び出してきた。煤こそついてはいるが、傷は負わずにただ汚れただけ。攻撃は怒らせただけだと容易に理解できる風貌で。

 

「ぐっ……くっそおおおおおお!!!」

 

 まだ手には土爆弾が残っている。雄叫びあげてミズキは攻撃をした。それが無駄なあがきだとはわかっているが、それでも何もせずに死ぬつもりはなかった。

 だが、飛竜はそれにかまわずにミズキへと突っ込んだ。土爆弾が破裂し爆発の衝撃が襲い掛かるのにも構わずにそのまま突進を続ける。地響きを起こしながらまっすぐにミズキへと。咄嗟に右へと横っ面に飛び無様ながらもそれを躱した。

 

「くっ……」

 

 ズキズキと擦りむいた腕が痛む。たった一度だけの攻防だが、それだけでどうしようもないということがミズキにも理解できた。土爆弾では攻撃力が低すぎてダメージが通らない。大して反面、相手の攻撃は掠っただけでも致命傷、躱したところで地面が硬く怪我をする。今だって躱せたのは、和也の動きを見ていたことと、爆風で多少は方向を見失っていたのだろうということだけ。土爆弾を失えば攻撃の手立てだけでなく目くらましさえできなくなる。

 どうしようもない戦いだった。

 

 

 絶望が心の裡に生まれた。それでもミズキは諦めはしなかった。迫る突進を避け、尻尾も躱し、時折石を拾っては投げつける。それを繰り返した。だが、避けようと躱そうと体力は奪われ怪我もする。攻撃には意味がない。勝負はもうついていた。

 本来ミズキは既に何度も死んでいる。それでもミズキが生きているのは飛竜がミズキを甚振っているからに過ぎない。珍しく手に入った玩具で遊んでいるに過ぎない。投石さえ、子供がじゃれ付いてくることと大差なかった。

 躱して、躱して、それを繰り返せば疲労がたまる。ほんの数分でミズキは汗だくになり動きも鈍くなった。その結果、反応も遅れる。

 

「が……!!」

 飛竜の爪によって切り裂かれる。飛竜の爪には毒もある。出血と痛み、今までの疲労に毒。ミズキの足から力が抜ける。ドサッ……と軽い音と共にミズキは倒れた。

 喰おうとでもしているのか、倒れたミズキの下へと飛竜が近づいてくる。それはわかっているが、もう体は言うことを聞かなかった。体力などとうに限界を超えていた。死に瀕していようが、物理的に動かせるはずがない。

 

(俺……死ぬのか……)

 

 熱か毒か、ボーっとした頭でそう考える。動けず抵抗もできないのであればその未来しかないだろう。

 

(それも……悪くない……。…………孝じい……竜じい……剛二……カズヤ…………。ごめん……)

 諦めと救いを求めて目を閉じた。いずれ体は持ち上げられ、生きながらに食われ苦しむ。だが、それさえも受け入れようとしていた。喰われるのなら、弟を助けることさえできず動けなかった償いになるかもしれないと思って。

 

 ミズキの体に何かが当たった。無意識に爪を思い浮かべた。だが、そんな思考は形を成すことはなく、飛竜の悲鳴によって遮られる。

(何……が……?)

 

 毒と熱がなかったら気付いたかもしれない。汗で臭うとも気づけただろう。それを越える異臭を放っていることに。

 だが、そんな答えは必要ない。ボーっとしていようとも間違いようのない声が聞こえたのだから。

 

「無事かっ!? ミズキ!!」

 

 たった一人の相棒の声が。

 



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第08話 雌火竜リオレイア

 途中までであるが和也は紅呉の里の人間数名と共にミズキを追いかけていた。それはミズキが山へ言った理由を知るためと途中で追い抜いていた場合止めてもらうためだ。

 和也ひとり山に入ってからは登って行くうちに戦闘の音が聞こえてきたので見つけることは結果としては難しくなかった。話からミズキが肥しの匂いを嫌われて喰われなかったのだろうという推測の下、途中で手に入れたモンスターの糞を投げつけたという訳だ。

 

 

(こやしの臭いを嫌って逃避――とかにはならないか。こやし玉じゃないから駄目なのか、それともこれも相違点か……。どちらにしても難しくなった。逃げてくれりゃあ楽なのに……)

 怒りに燃える眼を向ける飛竜種に対し、和也は少し冷静でいられた。少しずつモンスターと相対するということに慣れてきたということかもしれない。もちろん、気を抜けば足は震え漏らしてしまいそうになるほど恐怖を感じるのだが。

(恐怖が一週まわって感じなくなった……とかかねえ。にしても……こいつ、リオレイアだよな?)

 冷静に自分のことを見つめながらも、想像と違う点に和也はきちんと気づいていた。見た目はリオレウスに似ている姿を持つ飛竜、だがリオレウスとは違い緑色の外殻を持つ飛竜、リオレウスとは番として行動する飛竜、リオレイアだ。

 つ……と冷や汗が流れるのを感じる。二頭同時の討伐は危険だとミズキにも言った。まして相手は絶対的な上位種である飛竜だ。リオレウスが近くにいる可能性が高いことを考えれば、元々0に近かった討伐成功の可能性が更に低くなる。元々逃げに徹するつもりでいたが、その考えをなお強めることになった。

 ちら、とうつ伏せに倒れるミズキの様子を見る。浅いが呼吸はしているようで肩や背に動きがみられる。だが、起きることはできないのか、それとも意識が無いのか動く様子はない。

 

(焦げた様子はないし、たぶん脚か翼で叩かれたとかか? 脚の爪には毒があったはずだ。解毒草食わせてえが……そんな隙はねえよな)

 目の前には未だ目をぎらつかせているリオレイアがいる。おもちゃで遊んでいたら異臭を放り込まれたのだ。その怒りは計り知れない。冷静と言っても慌てないで済むと言うだけで、恐怖がすべて消えたわけではないし緊張で体も硬くなる。リオレイアを前にして余計なことをする余裕などあるはずがない。

(準備はしてきたんだ……。後はタイミングを間違えなければ……!)

 ゴクリ、とつばを飲み込む音が鳴る。それは恐怖からか、はたまた興奮からか……。睨み合いは十数秒続いた。和也にとってはもっと長く感じられた十数秒。それはリオレイアの咆哮によって破られた。

 

 ――ゴアアアアアアアアアアアア!!!

 一瞬首を引いたような気がしてもしかしたら咆哮かと気付いたが意味はなかった。相対する敵を拘束する咆哮、空気を震わせる音量に両手は耳を守ることに使われた。

 だが、その威圧を以てしても意思は挫けないようにと強く律する。何より、討伐の必要はなく逃げればいいという条件が、成功可能性が見えるという状況の為に屈する必要などどこにもない。喰われる寸前だったということを考えれば、ミズキとて討伐に固持することはないだろうということもそれを助けていた。

 首を前に、威圧を込めて、リオレイアは突進をしてきた。ブルファンゴなど比べ物にならない巨体は、先ほどの咆哮も相まって強烈な存在感だ。だが、そのスピードは脅威というほどではない。相手の動きを見ておけば躱すことはできる。

 

「ぬおっ!」

 ゴロンと転がって突進は回避、だが硬い地面に渋面をする。回避し続けることは難しいとそれだけで理解できた。だが、リオレイアの突進は少し逃げるだけでは追いかけてくる。逃げ切ろうと思えばそうした咄嗟の回避は必要になってくるのだ。

 

(回避し続けるのが無理となると、隙を伺うなんて考えている暇はないな。早めに逃げないとまずい。――元々か。リオレウスが来たら逃げきれないんだし)

 今はリオレイアが下、すなわち麓側にいる。逃げるにしてもリオレイアの傍を突っ切らねばならない。もう一度突進を回避し、その後がチャンスだと腰に用意しておいた麻袋を手に持った。

 おそらくチャンスは一度だけだ。消耗品を利用するということもそうだが、生物には慣れや学習というものがある。一度した行為は対応される可能性が十分にある。

 

 

「――こいよ。こええなんてもう今更だ。生きると決めた、生きのこってやる……!」

 それでも和也は必死の思いで挑発をする。言語が通じるかどうかなど関係ない、必要なのはその意思だけだ。相手を昂らせ、自身は余裕を保つための挑発。例え虚勢だろうと必要だった。

 挑発は正しく効果を発揮したのか。そう尋ねられれば答えはノーだ。いかに抑えようとも和也にはまだ怯えや恐怖があり、声や表情にはそれが写る。それを隠すための虚勢なのだと野生の本能がリオレイアに教えていた。

 だが、意味がなかったのかと言えばそうではない。狩られるだけでしかないはずの獲物にして玩具が、ただ地を這いずり逃げ回ることしかできない雑魚が、目の前で立っている。そして、あまつさえ挑発さえもしてきた。言語は正しく理解されない。だが、効果はあった。

 

――ゴアアアア!!

 

 

 再度の咆哮。それに追随するように突進。咆哮によって拘束し、動きを鈍らせたところで突進を、というところだろうか。だが、突進を同時にするが故にその音声は本来の咆哮に比べて弱い。

 そも咆哮というものは肚の底から息をすべて吐き出す勢いでするものだ。モンスターと言えど生物には変わりない、また生物として大きく異なりこそするが動物でもある。和也がそうであるように、リオレイアとてそれは同じ。咆哮、即ち声は口を開いて出すものだ。大声を出すのなら止まってするのと走りながらするのと、どちらがいいかということである。

 

 

 だが、同時に想定外でもあった。

 

 

「っつあっ!?」

 それがゲームであったなら。その咆哮に意味はない。所詮拘束しないのであれば威嚇でしかないのだ。気にせず行動できる。咆哮が来たのであれば耳をふさいで動けなくなるが、そうでないのなら関係ない。それがゲームの動きだった。

 迫ってくる突進、即座に走れば回避は容易かったそれを和也は避けきることができなかった。咆哮に一瞬体はすくみ、手は耳を庇おうと動いてしまった。その硬直が戦闘では命取りとなってしまった。

 

(う……おお……。いって……)

 顔を顰めて痛みに耐えながら、パニックになることだけは防いだ。防具替わりに身に着けていたランポスの皮が意外にも丈夫だった結果である。加えて、下から登るという重力に逆らう動きであったことも幸いした。

 

(ますます長期戦は無理だな。最初からやる気はないが……)

 口角が吊り上るのを感じた。痛みは当然ある。だが、それよりも偶然が作用したとはいえ生きているのだ。そしてそれは、チャンスが目の前までやってきたということである。

 

 

「喰らえっ!!」

 投げたそれは茶色い麻袋だ。この世界においては特別変哲もない――いや、ぼろぼろで袋というよりは目の細かい網に近くなりつつある麻袋だ。空中を踊るそれには黄色い虫が詰まっていた。

 リオレイアが振り返る。その時既に和也はミズキの下へと走っていた。狙いがうまくいったのかどうかなど確認はしない。うまくいったのなら問題はない、失敗すれば万策尽きた。そんな思い切った行動は、何よりも出遅れてチャンスを逃すことを恐れていた。

 振り返ったリオレイアは再度突進をしようと重心を下にした。そこへ麻袋が飛んでくる。彼女はそれを煩わしげに翼で払った。

 

 瞬間、世界は光で包まれた。暖かな日の光などではなく、暴力的な光の奔流。その発生源を目の前にしてしまったリオレイアはうめき声をあげた。

 選別の暇さえなく、ただ黄色い虫を詰めた袋。ぼろぼろになった麻袋に詰まった虫、それは和也の知識で言う光蟲と雷光虫の詰め合わせだ。光蟲は素材玉と調合することで閃光玉ができるアイテムであり、絶命時に光を発する虫である。

 和也にとってリオレウスとはなじみ深い敵だ。亜種やら希少種やらと戦い、時には闘技場で夫婦を同時に相手にしたりしていた。そうして戦う際はいつも重用していたのが閃光玉。閃光によって相手を目くらませ、逃げる時間を稼ぐにはもってこいのアイテムである。

 発光の度合いや光蟲が死に至る衝撃など、確かめたいと思いながらも選別の暇もなかったのだ。当然そんなことはできなかった。だから、理想は相手の目の前に叩きつけ発光すること。その意味では麻袋をリオレイアが叩いたことは僥倖だった。これには、ミズキが土爆弾を投げていたため、それが印象付けられていたことも要因の一つだ。誰だって、眼前で土塊が破裂することは嫌うだろう。

 

 

 

「逃げるぞ! 動けるか!?」

「あ……ああ。すまん……!」

 和也はミズキに言いたいことがあった。ミズキにも和也に言いたいことがあった。だが、それを置いておき二人は逃げるために走り始めた。説教も謝罪も後にして走り突如として悪寒におそわれた。

 

「――っ!!」

 避けろ。シンプルな本能の命令を躊躇うことなく聞いた。前へと倒れ込み、地面を削るはずだった勢いによってミズキを巻き込みながら倒れ込む。次いで前方で爆裂の音。見れば大きな焦げ跡がついた岩石が転がり落ちる所だった。

 何が起きたのか。すぐに和也は思い至る。そしてその答えはなおやってきた。ボン、ボゥン、と次々放たれるそれは火球。火炎袋という炎の生成器官のある飛竜種ならではの攻撃。リオレイアお得意の攻撃方法だと言っていい。近づけば爪や尾による攻撃、離れれば突進や火球。何と攻撃方法の多彩なことだろうか。ゲームであれば嬉しいそれは、現実になったとたんに文句しか出てこない。

 ならば相手の攻撃が落ち着くまで待つ。そう考えて青くなる。

 

「――っ! あっちのくぼみに!」

 突如喚くような言い方をしてしまったが、ミズキも和也の言わんとすることは分かったのか、すぐさま移動しくぼみの影へと隠れる。整備もされていない山だ、火竜種ならばともかく、彼らにとっては隠れる場所は事欠かない。そこに隠れて和也は一息つく。

 和也が思い至った可能性は単純なものだ。閃光玉の効果は所詮目くらましの一時しのぎであり永遠ではない。光蟲が何匹も詰まった麻袋の閃光は、光蟲一匹の閃光玉と比べて恐らく強烈なものではあるだろうが……それだけだ。やはり永遠の効果など期待できない。閃光玉によって暴れる飛竜、それが落ち着くのは閃光の効果が消える瞬間だろう。そしてそれは、突進が再開される瞬間でもある。

 

(まっじーな……。閃光が無きゃ逃げられない。けど閃光やると暴れて火球ばらまき……。どうしろってんだ……)

 

 無理ゲーだくそげーだとでも怒鳴って投げつけてやりたい気分だ。だが、現実ではそうもいかない。現実でそれをするというのはつまり死ぬということだ。死なないと決めた以上それはできない。

(リオレイアってあとどんな攻撃したっけ……。つーかそれ以前にこれどうやって逃げればいいんだ? 飽きるのを待ってエリア移動したら俺らも逃げる……。なにそれどうやるの?)

 ひたすらにゲームのことを思い漁る。そうすれば少しぐらいはヒントがあるのではないかと信じて。実際それはただの現実逃避だった。

 

「――わりい……。巻き込んで……」

 無言になった和也に顔面蒼白のままにミズキは言う。そんな今更な謝罪に対して和也には怒鳴る度胸も否定する勇気もなかった。何も言えずただ黙りこくってしまう。一応、回復薬などを飲ませていなかったことだけ思いだし、解毒草含めて渡した。

 相棒を回復と休息に専念させて、和也はもう一度思考しようとする。だが、その前に前提条件がおかしいということにようやく気付いた。ゲームにおいて、ただ逃げようとする経験などないのだ。ましてや体力を奪われた相棒を連れての状態では。

 

(くそっ……落ち着け。それでも何か方法が――!)

 必死になって記憶の海を漁る。だが、やはり無駄。とうにリオレイアの目は回復しているだろう。となれば、もういつ襲われても不思議ではない。幸いにしてやたらめったに炎を打つ様子はなく、突進する地響きもないのだ。だからといって探ることは恐怖故に出来なかった。

 詰み、と言ってもよかった。それぐらい、和也には状況を打開するすべは思いつかなかった。逃げるだけなら可能だと、そもそもそう考えたのが間違いの元だったと。いや、それを言うのであれば連れ戻しに来た時点で間違っていたのかもしれない。

 

(――――――死ぬんかな)

 ふと、思った。恐怖が少しずつ消えていき、無感動になりつつある心が。そう言った。

 

 

 ボゥン、と火球を放つ音がした。それがどこかにぶつかり、何かが転がり落ちる音もした。痺れを切らしたリオレイアが無差別攻撃を始めたのか、そう和也は思った。

 だが、それにしてはおかしかった。リオレイアは動き回っているかのようなのだが、それは依然として和也たちの下へ来ない。

 和也よりも先にミズキがそれに気付き、率先してそれを探る。くぼみからそーっと顔を出して何が起きているのかを知り――

「うぇっ?」

 妙な声を上げた。

 

「なんだよ……? いったい」

「いや……なんか変なのが飛竜の周りをうろついてて、それをうっとうしがっているみたいだ。なんだあれ……?」

 形容する言葉が無いのか、ミズキはかなり困っている様子だった。解毒草も回復薬も渡したが、それでもまだ体力全快とは言い難い。それなのにこうして素のままの言動を見るに、驚きがそれだけ強いということだろうか。自分も知るために和也は顔を出す。

 リオレイアは最初にいたのと同じあたり、和也たちがいる場所より10mほど登ったところにいた。そして、近くには白と黒の小さな何かがうろついている。形容するならば直立した黒と白の猫。

 

「――アイルーとメラルーだ……。え? なにこれ」

 痛みも恐怖も忘れて和也もミズキ同様に素のままに声を上げた。アイルーだのメラルーだの知らないミズキはその存在そのものに驚いていたが、和也はその光景に驚いた。

 アイルー、メラルーとはモンスターハンターに登場する亜人種だ。見た目は直立した猫でありながら、牧場の管理や料理、ハンターのお供まで何でもこなす白猫。ハンターの相棒こそがアイルーである。メラルーは敵として登場し、ハンターに攻撃する。ダメージを与えることはないが、代わりにアイテムを盗むという変わった敵だ。その彼らがリオレイアを相手にしている。

 

「――え? なにこれ」

 もう一度和也は同じことを呟いた。それほどまでに眼前の光景は意味不明だった。決して戦っているわけではなく、怒るレイアに逃げ惑うアイルーとメラルーという光景。ただ、そうした光景は決して見ることはなく、想像もしていなかっただけに驚きが増す。

 

 

「うニャー! こっちくるニャー!」

 アイルーが叫びながら逃げる。ずいぶんと陽気な声だが、悲鳴を上げる暇があるのなら黙って逃げるべきだろう。現にメラルーは何も言わずに逃げている。

 

 それを和也は黙って見ていたが、ミズキはそうもいかなかったらしい。体を浮かせるようにして出て行こうとし……途中でその動きを止めた。首だけ振り返り、伺うような視線を和也に向けている。

 

(助けたい……ってことか?)

 乗り出そうとした身を止めているのは反省の色か。元々血気盛んな所もあることを考えれば、成長したと感激してもいいぐらいだ。

 だが、同時にそれは和也の動きを止めてしまう。そうでなくとも動きが機敏でない和也だ。判断をゆだねるとばかりの行為に、助けるべきか助けないべきかを計算しろと言われているような錯覚――いや、事実そうなのかもしれないが、考えが起こる。

 

 人を助けることに理由はいらないと誰かが言っていた。情けは人の為ならずという言葉があるように、ただ善意の行動で構わない。

 だが、命を懸けて見知らぬ相手を助けることができるか、と言えばノーだ。誰だって自分の命は惜しい。誰もが憧れる英雄ならばイエスと迷いなく言えるのかもしれないが、和也はそんな英雄なんかではなかった。

 

 ――だが、同時に自分さえよければ後はどうでもいいと言いきれるほど小悪党にもなれなかった。

 

 自分の命を懸けて誰かを救うことなどできない、かと言って見捨てることもできない半端者。だから――和也は理由を求めた。奇しくもそれはミズキが求めた物でもある。

 

「~~~~!!! 助けるぞ!」

「! おう!!」

 和也が至った考えは単純だ。二人よりも四人の方がいざという時に対処がしやすくなる。ばらけて逃げるだけでも的が増える。つまり、彼らを助けることは自分たちにも利益があるという訳だ。

 

 くぼみから飛びだし、大きめの石を拾う。

「翼を狙え! 体は鱗があるから駄目だ!」

「おう!」

 和也が投げるそれは宙を切る。が、ミズキのそれは狙い通りにリオレイアの翼へと命中する。

 

「ニャっ!? なんニャ!?」

 足を止めて乱入者に驚くアイルー、そしてメラルー。そして……戻ってきてまた邪魔をする愚か者にいら立つリオレイア。

 

 ――ゴアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!

 

 咆哮は辺り一帯に響き渡る。リオレイアのバインドボイスは四人の動きを止めた。咆哮に隠れてしまう悲鳴を上げて、耳を押さえて蹲る四人。そんな的へと向けて、リオレイアは突進を開始した。

 やはりと言うべきか、最初に拘束から逃れたのは和也だった。何をしようとしているかということを、知識からなんとなく読める和也は先んじて耳をふさぐことができていた。リオレイアの突進はアイルーに向けて。途中メラルーを巻き込むコースだ。

 

「アイルーを頼む!」

 走りながら相棒へ頼む。何を頼むのかなど言う暇もなかったが、それでもミズキはすぐにその意味を察して動いてくれた。和也はメラルーを、ミズキがアイルーをそれぞれ抱え、リオレイアの目の前を横切った。

 重力の乗った突進をかわされたリオレイアは、尚も気炎を上げて怒り出す。ちょろちょろと目障りな侵入者たちに怒りを抱いていた。前へ、右前方へ、左前方へ、火炎球を放つ。

 

「ずっうおっ! あっぶね……」

 地面にあたった火炎球は爆発し、土礫を飛ばす。リオレイアがキレた時の攻撃だと気づき、内心冷や汗をかいた。

 

「放すニャ! これぐらい一人で何とかなるニャ!」

「うおっ、暴れるなって! 危ねーから!!」

 ミズキと、抱えられるアイルーは元気に騒いでいた。ある意味あの火炎球の後であの態度はすごいのかもしれない。一方で、抱えているメラルーが妙に静かで気になって様子を見る。

「…………」

 無表情だった。死んだ瞳だとか血の気の引いた顔だとかそういうものではなく、人形のように無表情だった。だが、それがなぜかおかしくて、ぷっと和也は吹き出してしまう。

 

「――何?」

「いや、なんでも」

 リオレイアは目の前にいたままで、怒り狂っていて、とっても危険な状況で。だというのに和也の心には平常心が戻ってきていた。以前であればあり得ない状況ながら、それでも慣れつつある。実に恐ろしいのはその人の持つ順応力なのかもしれない。

 

「放せニャ! 飛竜にゃんて怖くないニャ!」

「だーっ! 暴れるなー!! 飛竜なんて怖くねえけど暴れるなー!!!」

 ミズキとアイルーは喧しいままだ。抱える手から逃れようとアイルーは尚も暴れる。ミズキはそれを抑えようと必死になる。そんな二人は隙だらけと見たか、苛立ちを覚えたのか。リオレイアはターゲットをミズキとアイルーにし突進を始めた。

 

「きたぞっ――っていつまでやってんだ!」

「来たニャ! 離すニャ! 逃げろニャ!」

「ももももちろんだああああ!!」

 慌てているのか、いつも通りなのか。それがいまいちわからないが二人は突進をかわした。緊急回避ではなく走って躱すことができたために怪我もない。今のうちに後退して逃げるべきだと考え、それを指示しようとする。

 

「って、あれは――!! ミズキ、そこのそれ拾え!!」

「っへ!? これか? でもなん――」

「いいから早く!」

「それは僕のニャ!! 返すニャ!」

「お、おう……」

「いや、返さなくていいから! こっちに寄越――ってきたあ! 投げろ!! レイアの口に!」

「お、おう!!」

 

 逃げるように指示しようとしたミズキが見つけたもの。それは逆転の一手になりうる強力なアイテムだった。アイルーが言っていたように、それを元々持っていたのはアイルーなのだろう。山の岩がむき出しの場所に、ポンとおいてあるようなものではないのだから。

 逆転の一手は狙いたがわず突進をしていたリオレイアの口に収まり――呼吸の為かそれを嚥下してしまう。

 突然のことだった。リオレイアは突如足が動かなくなったかのようにもつれ転ぶ。重力の助けを受けての突進の勢いそのままに。

 

「躱せーーーーーー!!!!」

 

 直線上にいたミズキたちに、指示ではなく願いを込めて叫んだ。願い叶って、二人はそれを何とか避ける。自らの意思で止まることのできないリオレイアはそのまま転がっていった。

 

「な……なにしたんだ……?」

 転がり落ちるリオレイアを見ながら、ミズキは呆然と呟いた。抱えるアイルーも同じ気持ちなのか、不思議そうな顔で和也とミズキを交互に見つめている。

 

「どうしたもなにも……お前がやったんだよ。――マヒダケ。喰えば麻痺して動けなくなる」

 レア度も高くない、よくあるアイテムの一つ。見た目は赤茶の斑点がついた黄色いキノコ。実を言えばそれがマヒダケかどうかなど、和也には確かめる余裕はなかったのだが……どうやら大丈夫だったらしい。見た目からしておどろおどろしい警戒色をした黄色いキノコなのでマヒダケだと瞬間的思っただけだに運がよかった。

 

(まあ……想定とは違ったが)

 ゲームであるのなら麻痺するとその場から動けない。だが、突進の途中であったリオレイアは慣性の法則に従って止まることができず落ちて行った。これで無傷ということはないだろう。逃げる時間は十分に稼げそうなので結果オーライか。

 

「じゃあ逃げるぞ。麻痺させただけで毒じゃねーんだ。今のうちに逃げねえとまずい」

「お、おう。いや、今回は……その、すまん」

「――後で聞く。まあ、互いに無事で何よりだ」

 

 詫びの言葉が妙にむず痒く、そっけなく返してしまう。コミュニケーション能力が高いものならばもっとうまく返すのだろうなあなど、ズレたことを考えていると服というかランポスの皮をくいくいっと引っ張られた。

 

「…………ありがと」

「――ああ、どういたしまして」

 

「あいつを倒すなんてすごいニャ。お前のこと気にいったニャ。子分にしてやるニャ」

「俺が子分なのか? それ」

 

 メラルーが可愛くてなごんだり、アイルーが素直じゃなかったり。そう言う一幕があった。それもすべて、一先ずは無事であったからだ。それでもまだこの場は安全ではない。いつまでも留まるべき場所ではない。彼らは山を下りる。

 それはリオレウスの存在もあるが、何よりも手負いとなって怒り狂ったリオレイアと出会うことを恐れてだ。巨体ゆえに近づいて来ることに気付きやすく隠れることは容易いだろうが、それでもやりあっていた巣の周辺と思しき場所にいつまでもいるのは愚策だと思ったからだ。

 

 だが、それらはすべて杞憂であった。それを知って、それが杞憂であると教えるそれを前にして、彼らの顔は表情を驚愕と絶望に染めた。

 

 

「――――どうすりゃ……いいんだよ……」

 

 

 呆然と呟いた。リオレイアの死体を前にして。

 







 難産だった。戦闘描写は難しいし恐怖をどう克服するかとか葛藤とかが難しくて。休日完全につぶれた。それでもうまくできたのかどうか、よくわからない。

見直してみてやっぱりきちんとできているのかよくわからない。でもうまく書き直すこともできず、このまま。

どうでもいい情報

アイルーの性格:陽気
メラルーの性格:冷静

 ミズキは色々と考えた上での楽天家、アイルーは考えなしの楽天家
 和也は臆病さが勝つ冷静、メラルーは無感動な冷静さ。


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第09話 決戦の前

 ゲームにはとかく俗称が付きやすい。正式名称が長い、言いにくいなどの理由が考えられるが、『一見にはわからない、通じゃなければわからない』という、特別感を出したいが故なのかもしれない。そしてこれはモンスターハンターにも存在した。

 ジエン・モーランという大きな砂鯨のことを『クジラ』と呼ぶことは見た目のままなのでわかりやすい。さらには『ラオート』と呼ばれる武装は老山龍砲・極にスキル自動装填を加えたものでラオシャンロンと自動を示すオートを加えた物。だが『悪魔アイルー』や『リタマラ』など、初見ではまず意味が分からない物なども多い。ゲーム内で出る造語ではなく、プレイヤーの造語はそうして日々増えていく。その中の一つに『リオ夫妻』というものがある。

 

 モンスター二頭を同時に相手にするクエストというのは、実は存外多い。ただ一頭を狩れというのは、慣れたプレイヤーなら難しくなく、慣れていない者でも観察と練習を繰り返せばどうにでもなる。だが、ゲームというものは簡単なものばかりでは飽きられてしまう。故に必要だったのだろう、二頭同時というものが。

 仮にモンスターは100種いるということにしよう。一頭のみを狩れというのであれば、100種類に戦闘が楽しめる。だが、そこに二頭同時という組み合わせも加えれば5050種類の戦闘を楽しむことができる。難易度を上げるのと同時にゲームのバリエーションを増やすということにも一役買うことができるのだ。

 組み合わせのパターンは多い。二頭同時に限定したが三頭同時と増やせばさらに増える。だが、増えようとも難易度や人気などの理由から同じ組み合わせがしばしば登場する。『リオ夫妻』とはその一つだ。リオレウスとリオレイアの同時狩猟。それは俗称がつくほどにたびたび存在した。

 

 見た目がやや異なり異種モンスターと認識されながらも、名と姿から、またリオレウスが火竜に対しリオレイアは雌火竜、この二体は性別の違いを持つ火竜として認識されている。だが、この二頭がリオ夫妻など呼ばれる所以はそれだけでは留まらない。

 リオレウスとリオレイアが別のエリアにいても、片方を攻撃していると咆哮をあげもう片方を呼んでしまうのだ。エリア移動を待っても二人同時に移動してしまうことも多く、片方を怒らせるともう片方も怒る。そうした行動も相まって――製作者の意図だろうが――リオ夫妻と呼ばれるのだ。

 

 

 和也たちは意図せずリオレイアを殺してしまった。そこに正当防衛だ、緊急回避だ、故意ではないなどそう言った理由は関係ない。リオレイアが死んだという結果とその原因を作ったのが和也たちであるという事実のみが問題なのだ。

 呆然とした様子でリオレイアの死骸を見つめていた和也は三人にリオ夫妻について――ゲームという点はもちろん省いたが――説明する。皆大人しく聞いていたが、次第に様子が変わってくる。

 

「……逃げた方がいい……?」

「間違いなく……な」

 怯えるように尋ねたのはメラルーだ。黒い毛皮が特徴の猫型の獣人で、ゲームであればハンターの持ち物を盗んでいく困ったやつである。この世界ではそのようなことはないのか、声を震わせて辺りを見回している。リオレウスが来るんじゃないかと警戒しているのだろう。だが、おかしなことが一つある。

 

「なんで無表情で……」

 思わず和也はつぶやいた。メラルーは抱きかかえた時もそうだったが、表情の変化というものがあまりない。この個体だけなのか種全体がそうなのかはわからないが、目の前にいるメラルーは能面のような顔のままでいる。それで恐怖のままに警戒しているのだからシュールな図である。

 

「リンだから仕方がないのニャ。それよりも僕はお腹が空いたニャ。ご飯の時間はまだかニャ?」

「………………」

 白い毛皮を持つアイルーが和也の呟きに応えるように喋る。リンというのはおそらくこのメラルーの名だろう。仲間のことを庇う心の優しい子かと思えば、続く内容は食事の催促。和也の話を聞いて、緊張するどころか暇していたようだ。思わず無言で呆れてしまう。

 一方でミズキはそんなアイルーを見つめ、ゆっくりとしゃがんでリオレイアの死骸を指差した。

「――おい、そこの緑のなら喰っていいぞ」

「嫌ニャ! 僕はもっとセレブなごはんしか食べないニャ! 具体的にはマタタビニャ!」

 

(マタタビってご飯だったっけ?)

 どうでもいいことを考える。だが、いつリオレウスが来るのかもわからないのだ。本当ならばできる限り早く山を下りる状況だ。本来なら阿鼻叫喚の逃走劇をしてもおかしくない状況だというのに、のんきな会話を前にしてため息が出る。

 

(のんきというか大物というか……。まあ、おかげで落ち着けたが……。感謝はしねえけど)

 のんびりしている人を前にして慌て続けるということは存外に難しい。ものには相応の雰囲気というものがあるものだ。リンと呼ばれていたメラルーも、アイルーとミズキにつられたのか、忙しなげに動かしていた首を止めて目を閉じている。

「――はあ……」

 ため息をついた。メラルーの溜息などと言う貴重なものを見て、それがなんだかおかしくてぷっと吹き出す。そう言えばさっきリオレイアを前にしていた時も噴出したっけなあと思い出した。

 

「なに?」

「いや、なんでもないよ。それよりもどうすっかなって思ってさ」

 最初にリオレイアの死骸を見た時と同じセリフを、まったく違う心境でメラルーに言った。言われたメラルーは意味をはっきりと理解できていないのか首をかしげている。

 一度リオレウスの危険性などを話したことで、危険性や今後の可能性について和也の頭には整理された情報が詰まっていた。絶望と恐怖に染まりかけていたというのに、今の和也には何をすべきかということがはっきりとわかる。

 

「こいつを持って里に帰ろう。武器と防具を作る」

 

 

 勇ましく、リーダーらしく、頼りになる姿だったと後に三人は語る。同時に、その後リオレイアが重く、訳の分からない愚痴を言っていたのはカッコ悪かったとも語った。

 

 

 リオレイアの素材を持ち帰ったことで、里は浮き足立った。連れ戻しに行っただけのはずなのに、狩ることのできない存在を狩ってきたのだから当然だろう。

 だが、宴だ祝祭だと騒ぐ中、和也とミズキが告げた真実に里中が恐怖の渦に落ちる。飛竜は他にいる、とう真実に。

 ただ飛竜がいるというだけならばまだマシだった。だが、その飛竜は目の前の死骸とは番だと言う。そこから想像される未来は飛竜による惨殺だ。容易く理解できるそれは、明るいものではない。里は恐怖の渦に落ちかける。

 

 

 幸いだったのは、和也のこれまでの行動を全ての人が知っていたということだ。故に誰もが思う。残った飛竜も、狩ることはできないのか、と。

 里中の視線が自分に集中することを和也は感じていた。その視線の意味も当然理解していた。だが、それは荷が重すぎるとも理解していた。

 リオレイアを狩ったなど偶然だ。手に入ったチャンスを、結果として最大に活かせただけ。狙ったものでない以上、そんな偶然は二度と続かない。和也にできようはずがない。

だが、時としてそんな真実が許されない時がある。世界は常に理不尽だ。はいとイエスしかない選択肢などありふれている。ならばより良い方を選ぶべきだ。

 瞑目し、考えをまとめる。必要なのは覚悟だけ。ゆっくりと周りを見渡し、覚悟を口にする。

 

 

 

 

「リオレウスは俺が狩る。手伝ってくれ」

 

 

 

 

 これが、紅呉の里の転換期。歴史が始まった日の出来事である。

 

 

 

 

 和也の宣言の後、里総出のリオレウス討伐作戦が始まった。和也の指導の下、討伐に必要なものを集めて行く。

 例えば光蟲。リオレウスに限らず、多くのモンスターの狩猟に役立つそれの繁殖。例えば回復薬の材料とハチミツの確保。例えば爆薬の改良。ハンターとして必要なそれらを手に入れること。それが里に協力を願った最大の理由だ。

 アイルーのヨウ、メラルーのリンがこうした採取には役に立った。ゲームでそうであったように、アイルーやメラルーは出かけるたびに色々と拾ってくる。

 最初はモンスターにも見える彼らに恐怖していた里の住人も、そうした協力を経て馴染んだようだ。

 

 

 リン、ヨウはこうして紅呉の里に協力していていいのかと尋ねたこともあったが、『僕らにそんなことは些末事なのニャ!』という一言に話は終わった。

 ミズキはそうした人々の中には見つからなかった。だがリオレイアの毒を受け、その殺意を目の前にしていたのだから、どこかで療養しているのだろうと深くは考えなかった。

 里がそうした助力を尽くす中、和也は一人違う事をしていた。それは武器の訓練である。

 これまでの狩りは武器任せだった。本来のそれと比べて劣化型だろうが、ブルファンゴやランポスの狩りに大タル爆弾を使っていたようなものだ。対しリオレウスは強大な相手だ。大たる爆弾をいかに改良しようとそれだけで狩れるほど甘くはないだろう。ならばまともに戦闘をするために、武器の扱いに慣れる必要がある。ゲームの動きを参考に、タカモトに確認してもらいながら、リオレイアの片手剣を振り回す。

 

「であああっ!! ――大体できてきた……と思う」

「うむ、武器の強度も大丈夫そうじゃ。これなら戦える……のかの」

「どう……だかな。あくまで最低条件はクリアしたってだけだろう。不安は多いな……」

 

 ややうつむくようにして和也は考え込む。武器もそうだが身を守る盾や防具も必要だ。それ故に武器は片手剣を選び、盾も使っての動きを練習している。だが、時間はあまりないのだ。

 この練習はリオレウスを狩るためのもの。即ちリオレウスとの戦闘前に仕上げておかなければならない。そのリオレウスとの戦闘のタイミングはこちらで指定できるものではない。リオレウスが紅呉の里を見つけるか、森を焼き払うかすればそれが戦闘のタイミングとなる。

(リオレウスが森を焼き払うなんて……想像できるものじゃなかったけどな……。けど、遠くでだがリオレウスを見たという目撃情報は多く挙がっている。所構わず火炎弾を放っているのを見たというのもある。悠長にしている時間はない)

 

 和也の想像できないというのはゲーム知識故のものだ。森で火炎弾を放とうと、少し火がつくだけで森が燃え盛るということなどあり得ない。だが、ゲームの話をするのであれば、このようなリオレウスを狩らねばならないという事態もあり得ない。ゲームの世界であるというイメージはいい加減に壊さなければならない。

 

 ブルリ、と体が震える。ゲームでない、現実だと認識するたびに体は恐怖を思い出す。ゲームと同じ感覚でいようとするのは和也の現実逃避であると同時に生存本能だ。より自然により生き残る可能性を上げるために、そうした理由で和也は無意識のうちにゲームだと逃げている。

 

(もう……そんなふうに逃げちゃだめだ。ゲームは卒業しないといけない。これが今の現実だ。あの時……リオレウスを狩ると、里を引っ張ることにしたあの時から、もう弱音を吐いちゃいけないんだから)

 ドンと構えて、下に指示を出すことが上の役割だ。この人に従えば大丈夫だと安心させるのがリーダーの役割だ。だから和也は弱音を吐いちゃいけない。それが例え虚勢だろうと和也は張らねばならない。

 カチャリ、と片手剣が音を鳴らす。手の震えの伝播の音か気づき首を振る。不安も恐怖も押し流すように。ギュッと強く柄を握りしめる。

 

 

「――勝てますとも。皆、協力しているのですから」

 

 唐突にタカモトの声がした。視線をやれば丸っこい瞳に強い意志を乗せて和也を見ている。元気を出せ、大丈夫だと語りかけている視線に思わず苦笑する。どうやら、タカモトには虚勢がばれているようだ。

 

「そんなにわかりやすいですか、俺」

「――そうですな……。リオレウスとリオレイアの違い位には」

「そりゃ……わかりやすいですね」

 これには思わず苦笑するしかない。和也の必死の虚勢はタカモトの前では意味をなさないらしい。上の役割というのであればタカモト以上の存在はいない。安心させるという役割は任せて、狩ることのみに専念した方がいいのかもしれない

 

(……って言っても、結局俺がうじうじしてるのもまずいか)

 狩りの知識は和也が最も豊富なのだから、和也は結局虚勢を張らねばならないことに変わりはないということに気が付いた。

 仕方ないなと諦めて練習を再開する。リオレウスの火炎が森に及んだと聞いたのはその日の夜のことだった。

 

 

 

 夜、明日リオレウスと戦うということを取り決めた。最後の晩餐になるかもしれないという思いと共に食事をし、和也は一人里の中央で空を見上げる。

 思えば予想外から始まった狩りの日々だ。元々どうぶつの森をイメージしていたことを考えれば数奇な運命だとしか言いようがない。ただそれでも、始まりが偶然でもその後は和也の選んだ結果だ。つまり、それが和也の生きた結果なのだ。

 

「生きるってのは難しいな。自由も難しい」

 胸に去来する思いから、そのように呟いた。言葉は夜の闇に溶け心地よい風を運ぶ。

 冷たい空気が熱くなる体を冷やすのを感じながら、一人ゆったりとした時間を味わっていた。そこに足音が届く。自然和也の意識はそちらへと動いた。

 

 

「――どうした?」

「…………明日、行くのですよね」

 一人ではなく何人かの集団。誰だったか、何度か顔を合わせたことはあるだろうにすぐには出てこない。特別問題なさそうだったので、それは隠して首肯だけする。

 

「……私たちも行きます。カズヤ殿一人に任せるわけにはいきません」

 

 返事は想定外のものだった。和也の計画ではあくまでもリオレウスと戦うのは和也だけだった。相手の動きに対する知識、武器や防具の素材が一人分しかなかったということ、そしてなにより里の住人は皆リオレウスに対し和也以上に恐怖を抱いているということ。これらの理由が和也に一人で戦うことを考えさせていた。

 だが、そうした考えは和也の勝手な考えだった。そう示すものが目の前に広がっている。

 

 弓矢、土爆弾をはじめとした投石、回復薬や閃光玉を持つ人々。顔は青白く四肢は震えを帯びて恐怖を表している。だが、瞳と眉は力強い意思が込められ口は震えを隠すためか固く閉じていた。皆一様に恐怖と覚悟を秘めた顔だ。

 どう答えるべきか悩む和也。だが、足音が近づきさらなる追い討ちがかかる。

 

「言っておくが、俺は行くこと決めているからな。来るなって言っても行くぞ」

「ミズキ……! それは……――」

 大きな、大剣と思しき武器を背に背負ってミズキは集団の後ろに立っていた。火の光を浴びて濃緑に光るそれはおそらくリオレイアの素材を使った大剣だろう。

 療養していると思っていたのに彼は己の両の足で立っている。恐怖におびえているかもしれないと思っていたのに、確かな決意を瞳に宿している。そこにいるのは敗北者などではなく、一人の戦士だ。

 

「素材……足りなかったんじゃ……」

「鉱石で繋いだ。後虫。ヨウとリンがその辺詳しくてな。竜じいと話してなんとかなった」

「そ、そうか……けど……」

「俺は行く。敵を取りにじゃない。里を守るために」

 まっすぐにミズキは和也を見つめる。そこには後ろ暗いものは見えなかった。自らの道を切り開く剣士のようで、主を守る騎士のようで、今までにはなかった頼もしさのようなものが見える気がした。たとえそれが勘違いであったとしても、和也はそれを否定したくなかった。今のミズキを否定することは、和也自身の否定につながってしまうから。

 

「私たちもそうです。飛竜には因縁があります。けれどそれ以上に、私たちの家族を守るために戦いたいのです」

 

 集団の代表者がまた口を開く。彼らはミズキと違い、声に震えがある。恐怖はやはり消えようはずもない。

 だが、それでも彼らもまた戦うことを選んだのだ。和也は決心した。

 

「――ああ、明日行く。協力してくれ」

 

 おお、ああ。そうした小さな歓声があがる。恐怖に塗り重ねるように覚悟と決意が広がった。

 ミズキが集団へと加わり、そこに和也を手招きする。全員で輪になるようにして彼らは立った。

 

「明日、必ず勝とう」

「ああ、里を守ろう」

「飛竜なんかに負けんな」

 

 思い思いに彼らは口にする。和也がそうだったように、例えそれが虚勢だろうとも強い意志を口にしたいのだろう。そんな彼らを見て、和也は一つ思いつく。少々気恥ずかしさがあるが、けれどこの場にはふさわしいかと誤魔化すことにした。

 右手を前に、手は開いて中空に。

 

「ん?」

「ミズキ、俺の手の上に手を重ねろ。他もその上に」

 

 戸惑いながらもミズキは手を置いた。その後も全員が乗せていく。折角の円陣だ、全員で意気込みをかけてもいいだろう。

 

「あー……正直どう言えばいいのかわかんねえ。けど言いたいことはある。明日、俺たちはリオレウスを相手に戦う。勝てるかどうかなんてわかんねえ。それでも……やらなきゃいけないし、勝たなきゃ未来はない。だから……勝つぞ」

「ああ」

「おう、もちろんだ」

 皆が皆、和也の言葉に賛同する言葉を口にする。それを見て言わなければならないことがわかった。

 

「明日はリオレウスとの戦いだ! 何が何でも勝つ! お前らの命は俺が預かった!! ついて来い!!」

「「「「「応ッッッ!!!」」」」」

 

 彼らは勝利を誓う。月夜に雄叫びが響いていた。

 

 

 月夜の誓いの次の日、宣言通り和也たち一行はリオレウスを狩るために草原へと向かっていた。落ちている枝葉を踏んでなる音がうるさく聞こえる。全員の息遣いさえ聞き分けることができそうな静寂の中を歩いていた。

 戦闘を歩くのは和也。彼らのリーダーとして行動しなければならない和也は当然先頭を切らねばならない。次いでミズキ、その後ろに昨日の集団の代表的存在だったヤマトが続く。その後ろにはバックパッカーとして数人が荷物を簡易的な台車に乗せて運んでいた。

 無言のままに歩いていたが、先の方から聞こえる異音に気付く。後ろに向けて止まるようにと掌を伸ばし、音の主を探す。

 

「(どうした?)」

「(何かいるみた――いや、いた。ブルファンゴだな。一頭だけだが先にいる。少し待とう)」

「(了解。後ろも止まってろ)」

「(ミズキ、ならばそのブルファンゴも狩ってしまえばどうか? カズヤ殿もどうだろう)」

 ミズキが振り返って指示を伝えるとヤマトが反論をしたようだ。内容自体は悪くない提案なので一度吟味する。

 

(ブルファンゴをここで狩れば後々自信に繋がるか……? けど土爆弾も回復薬も消耗品だ。回復薬グレートにあたる物もできはしたが……数は少ない。得るものに対し失うものが多いな。それに音を立ててここにリオレウスを呼んでしまうのもまずい。やはり待機だな)

 伺う視線に首を振って応じる。考えた上での否定であったことが伝わったのか、ヤマトはそれ以上は言ってこなかった。そのまま待っているとブルファンゴへ別の場所へと移動する。あまり待たなくて済んだことに安堵して、先へ進むぞと声をかける。

 

(しかし、どこかで一度狩りをさせた方がいいか……? よくよく考えれば俺やミズキは最初にブルファンゴを相手にしている。その後でランポスとやって、それでから飛竜だ。けどヤマトたちはいきなり飛竜。――果たして動けるのか……)

 ブルファンゴを狩ることを考えた際にひっかかったことだ。少しずつ弱い敵と戦って慣れていったからこそ、飛竜と相対した時にだって冷静でいられた。最初に出会った相手がリオレウスであった場合、知識がある和也だって恐怖に固まってしまっていただろう。

 首を少しだけ動かして後ろの様子を観察する。彼らに恐怖や怯えは見られるが、同時に覚悟を秘めた強い意志を感じられる。恐怖がないはずがないことを考えれば悪くない、いや最善と言ってもいいぐらいの状態だ。

 

 ――大丈夫なのだろうか。

 疑問が浮かぶ。やはり一度どこかによって、狩りやすい相手と戦って慣れさせるべきだろうかと逡巡する。だが、それでも行軍は止めることなく。結論は出ないままに草原へと着いてしまった。

 緑色の草が茂る美しい大地は今は姿が変わっている。所々に茶色い大地が見え隠れし、燃えた草葉が散っている。リオレウスが暴れまわった跡なのだろう。何か死骸が転がっているようなことが無いのは、おそらくそうしたリオレウスからほぼすべての生き物が逃げているからだろう。元々リオレウスの膝元であまり近寄らない場所だというのに、災害めいたこの状況では逃げ出すのが当然だ。

 だが、いつまでも呆けてはいられない。山で戦うことは人数も増えたことから避けるべきであり、ならば草原で戦うことになる。リオレウスが今は近くにいないと今がチャンスなのだ。

 

「よ……よし、まずはリオレウスもいない。作戦通りに行こう。――頼むぞ」

「は…………はいい! 任せせてくだあさいい!」

 指示をする和也に対し、返事をするヤマトは恐怖が勝ってどもっている。この光景を前にした以上は仕方ないかもしれないが、まだリオレウスと出会ってすらいないのだ。甘いことは言えない。

 幸いにして動けないほどではなかったらしく、ヤマトたちは作戦通り別行動を開始する。一部を周囲の警戒に割き、鍬や板を土に刺し始めた。

 

「俺らはリオレウスの警戒と発見したら引きつけ役。それと戦闘……だ。」

「ああ。――リンたちの方もうまくいっていればいいんだが……」

 リンとヨウもリオレウスの討伐には賛成らしく、準備だけでなく討伐自体にも協力をしてくれている。現在は作戦のために別行動中なので、どうなっているのかはわからない。

 別行動をすれば当然通信手段もない世界なので、準備の進み具合を知ることはできず、もっと言えば生きているのかどうかも確認することができない。もしもの事態が起きていないかと不安になるのも無理はない。

「――大丈夫だ。あいつらだってリオレイアを前にして逃げ惑いながらも生き延びたんだ。もしもリオレウスと出会ったとしても生き延びるさ」

 ミズキと同様の不安を和也も抱えているが、自分が不安を出せば全員に伝播しかねないと無理やりにでも鼓舞をする。本当は打ち上げタル爆弾を作ってそれを信号弾としたかったのだが、上空に向けて飛ばすということがうまくいかずできなかったという事情もあった。

 

 だが、その時だ。ある意味で幸運の、そしてある意味で不運の出来事が起きる。

 ヒッという誰かの悲鳴によってそれはわかった。声の主の視線の先はとつられて全員がそれを見た。獲物を見つけたと飛んでくるリオレウスを見てしまった。

 飛んでくるスピードなど正確には測れない。だが瞬く間に接近し、戦闘が開始するだろう。呆けているような余裕などないのだ。

 

「っ、ヤマトたちは一度森へ! 作戦通りだ!」

 

「う……うあ……」

 呆けるなと自分を叱咤し指示を飛ばす。だが、ヤマトたちは視線をリオレウスに固定したまま動かなかった。口を半開きにし体を震わせて足は棒のようにして動かさない。

 

「おい! 逃げろ!!」

「う、うあああ!!」

 再度指示を飛ばす。だが恐慌に陥った相手にそれは効果をなさなかった。手に持っていた土爆弾などをあさっての方向に彼らは投げる。まだ距離もあるためにあたるはずのなかったそれらは地面へと落ちて爆発する。が……

 突如そこに眩いばかりの光が放たれる。投げた物の中に閃光玉が混じっていたのだろう、強烈な閃光があたりに叩きつけられる。ドスンと言う地響き、空中でまともに閃光を浴びたリオレウスはゲームと同じように墜落した。

 

「よ、よし! 突撃だ!!!」

 ヤマトが号令をあげて護身用程度のランポスやファンゴのナイフを手にリオレウスへと駆け寄る。まだ目がくらんでいるのだろうがリオレウスは立ち上がろうとしている所だった。

 

「お、おい! 馬鹿違う!!」

 しかもそれは作戦とは違う行動だ。確かにある意味突撃するのは間違っていない。最初にヤマトたちは森へと避難させ、確実に当てられるという状況を作ってから閃光玉を投げる。それは意図せずであるが為った。

 だが、続く作戦は持ってきた荷物の一つの台車と共に突撃をするという手はずだ。まさかこれだけで倒せるなど勘違いをしているのだろうか。

 そうして……凶刃は振るわれた。

 

 レオレウスは、雄たけびをあげて近づいてくる人間に気が付いていたのだろう。眼が見えなくとも足音と声で大まかな距離は分かる。己の聴覚に従って、体を横に回転させた。

 回転によって長い尾が遠心力で鞭のように振るわれる。それはヤマトたちにカウンターのようにして当たってしまう。

 『ぐふっ……』という声と共に吹っ飛ばされるヤマトたち。偶然距離を詰め切っておらず、当たらずに済んだ者たちもその動きと吹き飛ばされる仲間を見て固まっていた。

 

「っ、まっず……」

「カズヤ! 俺が突っ込む! 援護を!!」

 

 想定外の事態に和也は焦りかけた。そこに追い打ちをかけるようにミズキまでが突っ込むと言いだす。それを怒声と共に止めようとして、理解してミズキに追随するように走り出した。

 ミズキは当初の作戦を自分が変わりに実行すべく、台車を押しながらの突撃だった。ならば自分の役割はと、即座に切り替えた。リオレウスはまだ目がくらんでいるはずだ。ならばまだ頼りは音のみのはず。今ある音とはうめき声と台車を転がす音のみだ。

 

「おお……りゃああ!!!」

 ならばとあさっての方向に向けて土爆弾を投げる。リオレウスが自分から当たりに行かなければ当たるはずのないそれ。当然地面に落ち爆発する。爆音と共に。

 

 台車の音を無くすことはできない。ならば隠してしまえばいい。難しいことなど何もなく、そんな簡単な作戦だ。そして、ミズキは台車をリオレウスのすぐ近くまで運ぶことに成功する。

 

「カズヤ! 頼む!!」

 十分に近づいてから台車をリオレウスに向けて放り投げる。同時にミズキは声をかけた。必要なのは最後の詰め。それはリオレウス、いや台車に向けての土爆弾の投擲だ。和也はそれをしようとする……ところにリオレウスが口を開けた。

 現代の技術もない世界で、綺麗な円を作ることはできずに台車の車輪はかなりがたついている。それ故に音も大きく、近くまでくればさすがに土爆弾で誤魔化せないのか、リオレウスは台車に顔を向けていた。そしてその口は煌煌と赤く輝き、迎撃せんと火炎弾が放たれようとしていた。

 

「――って、伏せろ!!!!」

 

 和也の咄嗟の判断による命令。その後、爆音が轟いた。

 

 



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第10話 終わりとはじまり

 ゲームの世界が現実となった世界。和也はこの世界をそう考えていた。物理法則、人の能力、思考、時間の推移。そうしたものは定められたゲームとは言えず、確かに現実と考えるにふさわしい。だが、その一方でゲームと同じだと考えているものがある。

 和也が今まで上位種たるモンスターたちと渡り合うことができたのは、ひとえにモンスターの動きがゲームのそれと同じだったからだ。モンスターにとっては特に何でもない予備動作が、和也に予知能力と見まごうほどに行動を予見する根拠となる。これは本能に基づいたものほど、ゲームに等しくなる。

 現実でありながらゲームと同じ。だが現実ではあるがゲームではない。ゲームでできなかったことが現実となった世界ではできるように、あくまでもゲームを基にした世界ということだ。土爆弾によるダメージもあったとはいえ、麻痺と落下による衝撃によってリオレイアが死んだことも。ゲームとは違うということを教えてくれている。

 ゲームと考えていれば和也にできることは武器と防具を作り真正面から挑むことだけだった。だが、ゲームではないという現実がその可能性を教えてくれる。直接戦闘以外の方法で倒すことが可能だということを。

 

 和也たちがここまで運んできた台車は全部で三つ。うち一つは回復薬や閃光玉などを含めたアイテムだが、残り二つは大タル爆弾を四つ乗せていた。どんな大きなものでも入るアイテムポーチなどないのだから、運ぶのには当然相応の準備が必要だ。それを教えてくれた剛二――和也がオッチャンと呼んでいる虫の管理をしている男性である――が台車を用意した際、同時にある作戦を授けてくれた。大タル爆弾を乗せた台車をリオレウスに突っ込ませるという作戦を。

 ゲームであれば爆弾とは地面に設置し、そこから動かすことはできない。また、設置できるのは二つまでとなっている。そうした『常識』は和也の無意識に刷り込まれている。無駄なことをしないようにしようとする人の思考が、その常識が間違っているということに気付かせなかった。

 だが、幸いにもその常識にとらわれていない人は沢山いるのだ。彼らが和也に知識の点で助けられることがあるように、和也もまた彼らに助けられる。英雄という一人に頼るのではなく、相互に助け合う協力の図が完成されつつあった。

 

 

 もうもうと立ち上る黒煙を見つめながら和也は片手剣と盾を油断なく構えた。ヤマトたちはどこか気の抜けた表情をしているが、ミズキは構えこそしていないものの重心を低くしていつでも動けるようにしていた。

 

「――っ!」

 油断なく構えていたところにリオレウスの首が飛んでくる。遅れて体が出、煙は二つに割れた。咄嗟に驚き、体に近づけさせたくない、止めようと手を伸ばしてしまう。

 

――ガキィィィッッッ

 響き渡る金属音。一瞬の拮抗さえも許さず、和也はリオレウスに吹っ飛ばされる。伸ばしていた腕は無理やりに曲げられ、力を逃し骨折こそ避けたがズキズキと痛む。ぶつかった衝撃で肺の中の空気は吐き出され、地面にたたきつけられた衝撃で目が回る。

 

「ぐっ……」

 自身の口から出た呻き声に続いてヒッと誰かの悲鳴が聞こえた。幸いにして和也のダメージは大したことが無い。リオレイアの素材をふんだんに使った防具は、明らかに和也の身を守ってくれている。

 だが、周りはそうもいかない。そんな上等な防具など身に着けていない。何より殺せると思えたほどの一撃を、見た目無傷で切り抜けて、あまつさえ最も危険な和也を狙い吹き飛ばした。この一回の攻防で絶望しかねないほどに圧倒的な光景だった。

 

 腹は痛む。腕も痛い。恐怖で挫けて逃げ出してしまいたい。だが、曲がりなりにも和也はこのリオレウスの討伐の責任者だ。たとえそれがちっぽけなプライドだろうと、和也にとってそれは逃げてはいけないと律するだけの理由とはなる。

 肘を地面に刺し、上体を無理やりに起こす。リオレウスは倒れる和也よりもまずは周りの有象無象の掃除を優先したのか、狙いをヤマトに変えて突進をするところだった。

 

「あぶっ……ゴホッ!!」

 声を出そうとするも出ない。息は詰まる。攻撃を喰らった後で普段通りに話せるはずがない。だが、そんな和也に代わって指示を出す人間がいた。

「閃光玉! 投げて逃げろ! 後ろに下がらず横へ走ってリオレウスの攻撃範囲から抜けろ!」

 ミズキだ。今まで和也と共に狩りに出ていた経験から、戸惑うヤマトたちへと指示を飛ばす。同時にリオレウスに向かって走り追い打ちの準備もする。ガリガリと地面を削る大剣を引きずりながらリオレウスへと迫る。

 

 カッ、と閃光が奔る。闇雲に怯えながら投げたのか、閃光玉はあちらこちらへと無意味な場所で光る。多少距離はあるがそれでも直視するには眩しいそれは、リオレウスへと向けて走るミズキにとって邪魔以外の何物でもないだろう。

 だが、そのうちの一つが功を成した。『ガアアッ』という悲鳴と共にリオレウスが首を曲げ足を止めた。どうやら閃光がうまく効いたようだ。そこへミズキが追い付く。リオレウスの後ろへと迫り、もう二三歩というところで足を急に止めた。

「おおおおおおおっ!!!!!」

 野球のバッティングのように、ミズキは大剣を振るった。走った勢いと遠心力が力となってリオレウスへと襲い掛かる。持ち上げて構えることを躊躇ってしまうほどに大きい大剣は、当然その威力は高い。大きさ故に刃を立てることができずとも鈍器として役に立つであろう程だ。

 ブオン、と空気を切り裂く音がした。――そう、空気だけだ。リオレウスへと迫った刃は躱されてしまった。音と、気迫を込めた声。もしくは気配や殺気。そうしたものがリオレウスに迫る危険を教えてしまった。見えないながらも前へと走り、大剣の横なぎを躱すリオレウス。

 

「ゴアアアアアッッッ!!」

 今度はこちらの番だ。そう言ったのかどうかは分からない。だが、リオレウスは足を軸に旋回し尾を鞭のように振るう。まだ距離があったためにヤマトには当たらなかったが、ミズキは攻撃の直後で躱すことができなかった。

 

「ミズキッ!」

 どこかにあたったのか、ミズキはよろめく。体勢の位置関係上おそらくは右肩。ランポスの皮で作った防具を身に着けてはいるが、安心してみていられる状況ではない。

 腕の痛みなど知ったことか。無理やりに体重をかけ立ち上がる。腰につけていた麻袋の一つを取り、一息にそれを飲み干し、容器だった麻袋を投げ捨てた。痛みは完全に消え去ることはないが、それでも無視できる程度に収まった。

 盾も剣も手放してはいない。まだ戦えると、まだ負けていないと和也は走る。

 走る和也に気が付いたリオレウスが顔を向ける。もう閃光玉の効果が消えたのか、その眼はまっすぐに和也に向いていた。

(火炎玉! 避けないと拙い!)

 相手の狙いを即座に察知。回避のために体を外に逃がそうとする。が――その前に次が起きた。

 ド、ド、ドと土爆弾が連続してリオレウスへと襲い掛かった。距離を保ちながらではあるがヤマトたちの援護だ。彼らにはリオレウスが何をしようとしているのかはわからないが、それでも視線を和也に向けた以上そこに攻撃の意思があることは当然読み取れる。大タル爆弾に劣る土爆弾では到底ダメージにはならないと承知ではあるが、気を引くために彼らは必死の行動をした。

 リオレウスにとってもそれは邪魔だったのか。動きを中断し大きく空気を吸い込んだ。

 

―ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 

 咆哮が響き渡る。空気を震わす王者の威圧がその場にいた全員を襲い掛かった。耳をつんざくそれに誰もが思わず身を守る。

 音は遮る物さえなければ全方位への攻撃だ。散らばっていた和也たち全員に向けて、都合の良いものだった。

 蹲り隙をさらす和也たちの前でリオレウスは飛びあがる。逃げ去るためでないのか、中空で飛翔したまま留まった。

(――まずい!)

 和也の脳裏にゲームの光景が思い浮かぶ。飛翔したまま火炎球を放つリオレウス。場合によってはそのまま降りてこないということもあった。この飛翔は逃げるためのものではなく、攻撃の為。余計な邪魔が入らない中空から攻めるためだ。

「散開! リオレウスから距離を取れ!」

 すぐに周りへと指示を出す。ゲームであれば飛び上がった際の対処はリオレウスの真下に移動することだが、今も真下が本当に安全圏かはわからない。何より真下に移動するのは攻めに転じやすいことから最大の理由だ。今はリスクを背負った攻めは可能な限り避けたい。

 全員がそれぞれにリオレウスから距離を取る。元より大部分が森へと逃げ込みリオレウスの視界からは消えている。危険なのはリオレウスに突っ込もうとしていた和也とその援護をしていた二人、それに攻撃を喰らったミズキだ。和也は当然指示と共に避難、援護をしていた二人も同様。ミズキも回復薬を飲んだのか、ふら付く様子もなく遅まきながらも避難している。加えて大剣を横に構え、盾代わりにしていた。

 

(悪くない。ミズキも反応がいいな。――たださっきの動きを見る限りまだ武器の重さに振り回されてる。あれじゃあブルファンゴにだって当てづらいだろう。盾には出来ても武器としては期待しない方がいいかもしれない。土爆弾も威力に欠けるし……、俺の片手剣と大タル爆弾四つの荷台。実質これが俺らの武器か)

 できる限り、ではあるが和也は冷静に周囲を観察していた。先ほどのミズキの攻撃の際も、攻撃としては武器の振りが遅く、また動きにも無駄が見られていた。その原因は重さに振り回されているのだろうと読んでいるが、移動の際などは引きずっていることを考えればそう外れてはいないだろう。

 バサリ、バサリとリオレウスの翼の音が静かになった空間に響き渡る。顔を和也へと向けて、煌煌と輝く口を開いた。瞬間――和也の視界の全てが赤に染められる。一瞬のうちに極大の火炎球をリオレウスは放ったのだ。

 即座に盾を構える。先ほどの失敗を活かして重心低く、腕は伸ばさずに。次いで盾を通して衝撃が奔る。盾の脇からから炎が溢れ、その熱が和也に襲い掛かる。

(熱っ……。けど今はまだ動けない。幸いにして火炎には質量がない。盾で十分防げるとわかっただけでも僥倖!)

 質量があれば勢いに重さが加わって盾を構えても防ぎきれなかったかもしれない。そう考えればこの程度の熱は屈するに値しない。

(けど勢いも衝撃もあった。火炎球だけならそれはないんじゃあ……空気でも吐き出しているのか?)

 リオレウスの攻撃を分析しながら観察を続ける。火炎球を立て続けに放つことはできないのか、まだ飛翔したまま中空に留まっている。

 閃光玉をうまくぶつければ落とせるかもしれないが、火炎球から逃れるために距離を取ってしまったのだ。当てることは少々難しそうである。

 

「カズヤ殿!!」

 突如声がかかる。構えはそのままに声を見やればどうやらリンたちが戻ってきたらしい。ヤマトたちの下でだらしなくうつぶせに寝ているが、その顔はどこか誇らしそうだ。ヤマトたちも顔を綻ばせて頷いている。

 ――どうやら準備はできたようだ。

 

「リンたちの準備が終わった! この場を放棄して山へ向かうぞ! 一部は残って落とし穴掘りを再開してくれ! 見張りを立てることを忘れるな!!」

 声とともに全員が動き出す。リオレウスの注意を引こうと土爆弾を投げながら、リオレウスの巣がある北の山へと走り出した。

 

 

 立て続けに攻防を続け、大声を張り上げ、和也の息はあがってとうに苦しい。だが、休息など倒した後に取ればいいと和也は走った。

 途中リオレウスに何度か攻撃されその度にヒヤリとする思いをしたが、無事に目的の場所へと到着する。そこは崖のすぐそばの、山と草原の境となる場所。いくつか地面にはいびつな円が描かれていた。

 

「カズヤ! こっちニャ!」

 ヨウの声に従って走る。リオレウスの挙動を見るために首はひねって後ろに、けれど作戦の要の円の描かれた地面は避けて通る。

 集まったことを好機と見たのか、リオレウスは低空を滑空する。火炎を放たなかったのは今まで効果が無かったからであろう。初めて見る動きに一瞬戸惑うヤマトたちだったが、それが好機だと理解して即座に動いた。落とすために閃光玉を投げる。

 もう何度目かの光景、リオレウスは閃光によって落ちる。だが、その結果は今までとは違っていた。リオレウスが落ちた場所は円が描かれた地面。そこに落ちた瞬間、リオレウスの体は傾ぎ開いた穴へと落ちる。

 さらに追い打ちだとある物を投げつける。それは縄の両端に石を括り付けた投石器のようなもの。リオレウスへと絡まらせ、行動を阻害するために用意したものだ。

「うう……りゃああああ!!!」

 さらに追い打ち。いや、トドメの攻撃だ。例え遅かろうとも動きを封じてしまえば当てることは難しくない。今度こそはと振るった大剣はリオレウスの肩へと当たり――

 

 

 弾かれた。

「なっ!?」

「ゴアアアアアアアアアアアッッッッ!!!?」

 意味のない攻撃ではなかったはずだ。リオレウスは悲鳴を上げ拘束を解かんと暴れている。だが、それを持って止めとしようとしたはずの一撃が、痛かっただけで済んでしまうというのは苦しかった。

 ガラァァン、と大きな音が鳴る。眼だけ動かしてその正体を見ると、それはミズキが持っていたはずの大剣だった。攻撃が弾かれたことで飛ばしてしまったのだろう、ミズキの手元には大剣がなくなっている。そればかしか両腕共にだらんと下げて、顔を苦痛でゆがめている。

 

 腕を痛めた。それを理解する。

 

「ミズキ下がれっ! ――他っ! 気合入れろ! あとちょっとだ、絶対倒すぞ!」

 倒せなかったという驚きと絶望しかけた心を奮い立たせるために、和也はまた声を張り上げた。

 負けられない戦いは最終局面へと移行する。

 

 

 

 落とし穴にはマヒダケと毒キノコの粉末を塗った骨の針が剣山のように並べられていた。麻痺と毒で自由を封じ、さらに大剣の一撃が入った。それはリオレウスにとってなんでもない、ということはなく、明らかにそれ以降の動きは鈍っていた。

 だが、それはあくまでも鈍ったと言うだけだ。まだ倒すのには至らない。残った策と言えばまた最初の場所へと戻り落とし穴に嵌めることだ。大タル爆弾の荷台もまだ残っているし、これで倒せる可能性も十分にある。

 しかしそれはまだ早い。本来、出会う前に終えておきたかった準備だったが、早々に出会ってしまったがためにまだ準備はできていないのだ。残った数名が今準備をしているだろうが、早々に終わるはずがない。まだここで戦い続けなければならないのだ。

 

「ぐっ……くそっ……」

 もう何度目になったのかわからないほど、和也はリオレウスの爪を盾で防いだ。リオレウスは集団の中で和也が最も危険だと判断したのか、執拗に和也を狙い続ける。既に何度か攻撃を受け、和也の持っていた回復薬はすべて使い切ってしまっていた。

 

「回復薬と閃光玉! 残りは!?」

「あと三つです! 土爆弾はもうありません!!」

 焦る和也に追い打ちをかけるように状況が悪いことが伝わった。荷台の下へと戻ればまだいくつか残っているだろうが、アイテムの備蓄はもう残りわずか。このまま戦い続ければじり貧だ。仮にあったとしても、回復薬でゲームのように完全回復などできない以上、じり貧なのは同じなのだが。

(無いよりはあった方がいい! つかまずいな、攻め手に欠ける……! 片手剣じゃ威力に欠ける。ミズキがもっと大剣をうまく扱えれば違うかもしれねえけど……。それとも俺が持つか? ――いや、練習もしてねえんだ、ミズキ以上に扱えるはずがない。ってあれ、大剣はどこ行った?)

 

 きょろきょろと首を振って探してみるも見つからない。だがどうせ扱えない武器だと思考の隅へと追いやった。邪魔になるので誰かがどかしたのだろうと無意識のうちに考えていた。

「カズヤ!!」

 だがそこに声がかかる。それはミズキのもので、声のを方を見やれば当然ミズキがいた。少しばかり高い場所、崖と表現しえる場所の頂に。

 ミズキがそこにいたのはあることを思いついたからだ。そしてそれを実行するために和也へと声をかけた。それは戦いの前に決めたことではなく、この場でのミズキの思い付き。だが、瞬時に和也はその内容を理解した。

 黙って頷き、リオレウスの下へと駆ける。和也に求められるのは時間稼ぎだ。それに使える投石器はまだいくつかあるし、消耗品ではないのだからいくつか地面に落ちているのもある。

「ヨウは閃光、ヤマトたちは投石器! リン、地面の投石器を集めてくれ! 当たるなよ!」

 端的に示した指示だったが、全員が即座に動いた。戦闘が続いたことで集中力はだんだんと切らしつつあったが、思考は既に戦闘だけの為に没入している。今この場だけ、彼らの動きはまさに阿吽の呼吸だった。

 毒だ麻痺だで弱っていたリオレウスだ。それでもまだ動けはする。それを和也が止めるために突っ込んだ。今まで散々狙ってきた和也の特攻。リオレウスにして見てもそれはチャンスに写っただろう。

 カズヤとリオレウス。二人の間で視線が交わる。互いに殺さんと一瞬の間に睨み合う。が、そこに異物が放り込まれた。

 閃光玉、馬鹿の一つ覚えのようにまたそれだ。だが、何度となく放たれるのはそれが有効だからである。あらかじめそれが来ることをわかっていた和也はともかく、リオレウスにすれば怨敵を睨みつけていたところに来たわけだ。和也は盾で回避するもリオレウスはまともに閃光を見てしまった。

 

「グ……ガアアアアッ!」

「今だ! 投石器!!」

「「おうっ!」」

 尚も猛るリオレウス。だが、そこへ投石器が投げられる。ブルファンゴの毛を共に編んだ縄はただ丈夫。リオレウスの膂力をもってすれば引きちぎることも可能だろうが、それは一瞬で行えることではない。

 

「……ヨウ」

「ばっちりにゃ!」

 さらに和也の指示には無かったことだが、それぞれが最高の結果を出すために動いてくれた。投石器を投げた後、ヤマトたちはリオレウスへと駆け寄って絡まった縄の両端を地面へと抑え込んでいる。体を、首を、動けないようにと封じ込めている。

 

「ミズキッ!!!!」

「おうっっ!!」

 最後に、ミズキは飛んだ。リオレウスの体高よりも高い崖の上から。その手に大剣を背負って。

 肩を支点にてこの原理で大剣を振り下ろす。主さに重力が加わったそれはリオレウスの首へと落とされた。

「ガ……アアァ……」

 ゴン! という凄まじい音が鳴る。その衝撃にヤマトたちは手を放してしまった。だが、リオレウスは暴れることなく、そのまま……地面へと倒れ伏した。

 

 

 

「勝った……?」

「勝ったのか……?」

「勝った……」

「勝ったんだ……」

 

「「「うおおおおぉおぉぉぉぉおぉ!!!!」」」

 最初は疑問から。そして段々と勝ったことを理解し始めて勝鬨が轟きわたる。絶対なる上位種を狩ったことに、ヤマトたちは嬉しさと達成感と驚きから雄叫びが上がっていた。

 その立役者となったミズキは大剣を放り投げ地面に寝転んでいる。最後の一撃も体に負担は大きかったのだろう、リオレウスを殺すほどの衝撃が作用反作用の法則に従ってミズキにも来たと考えれば当然のことだ。

 そんな寝転がるミズキに和也は近づき、途中で受け取った回復薬をミズキへと手渡した。起き上って回復薬を飲むミズキに、気になった一言を聞いた。

 

「仇は取れたか?」

「……そんなんじゃねえよ」

 ふてくされる様に、ミズキはそっぽを向いて言った。

 

「俺は……ただ守りたかったんだ。うまく言えねえけど……誰も死なせたくなかったんだ」

「ああ……。わかるよ……。俺もだ」

 決して嬉しくないわけではない。勝てた喜びがないわけではない。ただそれよりも心に去来する思いは……

 

「生きててよかった。誰も死ななくてよかった。――皆無事でよかった」

「――ああ、本当に」

 

 誰も死ななくて済んだ。失うものが無くて済んだ。それが何よりも喜ばしい。

 罠の用意をしていた数名が遅れてやってきて、用意していた罠が無駄になったと知っても彼らは嘆くことなく喜んだ。涙を流し抱き合って勝利を祝い合った。

 そうして一しきり勝利を噛みしめた後、誰ともなく言った。

 

「――帰ろう。皆が待ってる」

 

 

 リオレウスの討伐。それは里全体で行われたことだ。当然ではあるがただの傍観者と参加者ではその喜びや達成感が違う。今までただ見ているだけだった里の住人も、リオレウスの討伐に関わったことで誰もが喜び、感動に打ち震えていた。

 リオレウスの死骸はある程度解体してからではあるが荷台によって里に運ばれた。今後などない方がいいが、それでもせっかく手に入れた素材だ。それを活かさない手はない。皆疲れてはいたものの、何度となく攻撃を受けた和也が大きな怪我がないこと、止めを刺したのがやはりモンスター素材の武器であることなどから、その必要性を理解し文句を言うことはなかった。そうして持って帰ったリオレウスの素材は里の感動を助長する結果にもなっていた。

 祝宴となり誰も彼もが飲み騒ぐ。酒は元々里にもあり、肉だ魚だと乱痴気騒ぎ。それを諌めるものは誰もいない。皆が皆酒だけでなく状況にも勝利にも酔っているのだから当然だろう。

 そうした騒ぎの中、和也はタカモトの家へと出向いた。少し話がしたいと言われたためだ。行ってみるとそこにはミズキ、竜じい、タカモト、それにリンとヨウが囲炉裏を囲んで座っていた。

 

「参りました。どうしましたか?」

「おお、和也殿。此度は本に御苦労じゃった。話というのはの、ミズキの方から言いたいことがあるということでな」

「ミズキから?」

 視線をやるとミズキが頷く。似合わない神妙な顔を張り付けて、それがつまらない相談ではないということを示していた。

 

「――今回の戦いでまた飛竜の素材が手に入った。竜じいによればまた一つ防具を作ることができるらしい」

「へえ……。まあリオレイアだけで軽鎧とはいえ防具と片手剣、それに大剣まで作ったわけだし……できるだろうな。話ってのは素材の使い道の相談か?」

「それもある……。だがそれ以上の相談がある……」

「――なんだよ」

 

 言いにくいのか、和也は言い淀んでいた。口は真一文字に閉じられ、目は少々下を向いている。だが、張り詰めた雰囲気はやはり軽い相談ではないと教えてくれていた。

 軽い相談ではないのならあまり急かすべきではないだろう。和也はミズキが話す決心をするのを待った。パチパチと薪が爆ぜる音がその場を支配するかのように聞こえていた。

 やがて、ミズキはその重い口を開く。

「俺は頼りないと思うし、頭の出来だってよくねえ。お前に迷惑ばっかかけていることは分かっている。それでも……それでもお願いだ! 俺と……俺とこの里のハンターになってくれねえか?」

 ハンター。和也の知るハンターとミズキや里の住人がハンターの意味は多少異なるものの、ほぼ同じだ。モンスターを狩ることを生業とし、あらゆる危険に立ち向かう存在。命を懸けた職業だ。

 

「危険ばっかだってこともわかってるし、お前が元々この里の住人じゃないってことも重々承知だ。けど、俺達にはお前が必要なんだ。頼む、この通りだ」

 驚きから言葉が出なかったのだが、それを否定と取ったのか。ミズキは縋るように言葉を紡ぐ。ミズキにとって頭を下げるという行為がどれほどの意味を持つかなど和也にはわからない。だが、そんなことは抜きにしてもミズキの想いは知っている。

 

「和也殿、お願いできないだろうか。今まで頼み続けでこうして頼むことも心苦しいが……それでもわし等にはお主が必要なんじゃ」

「わしももちろん協力する。魚や虫取りはわしらの方でできる。おめぇさんが肉を狩るにしても協力者は必要じゃあねえのかと思う。わりぃ話じゃねェと思うんだが……」

 タカモトと竜じいが話に加わる。あらかじめこの話の内容は聞いていたのだろう。驚きもなく和也の説得に参加する。だが、それは無意味とも言える。もう答えなど出ているのだから。

 

「リン、ヨウ、お前らはどうしてここに?」

「ん? ミズキは僕の子分ニャから、ミズキがハンターにニャるのニャら僕もここにいなければニャらニャいのニャ」

「協力……するつもり」

「そっか……」

 一人はメラルーというのは少々異なるが、まるでゲームの組み合わせのようだ。ハンター二人に、パートナーとして猫二人。武器や防具もリオ夫妻であることを考えればまさしくそれらしい。

 最初からリオ夫妻の素材があるなんておかしなゲームだ。だが、それも自分たちで狩ったものなのだから、おかしくないのかもしれない。ならばここが……オープニング画面だろう。フッと笑ってミズキへと手を伸ばす。

 

「和也だ。改めてよろしくな、ミズキ」

「あ、ああ! 劉だ、こっちこそよろしく和也!」

「ヨウニャ!」

「リン……」

 

 伸ばした手の意味を察したのかミズキが合わせる。リオレウスの討伐の前にやった円陣と同じだ。リンとヨウもそこに手を置いて名乗る。

 

「うぅむ、わしゃあ竜じいでええ。武器や防具は任せとけ!」

 

 竜じいも手を重ねる。しわがれてゴツゴツした手だがどこか暖かい。最後にそこにタカモトが手を乗せた。

 

「孝元と申します。改めてよろしく、そして歓迎しますぞ、狩人殿」

 

 騒がしい夜はそうして更けていく。それぞれの決意を胸に秘めて。




火竜の紅玉をやっと手に入れてリオソウルシリーズが完成しました。
二次創作でもゲームでも討伐しまくってごめんよリオレウス。


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第一章 閑話 紅呉の里

 紅呉の里は大草原と呼ばれる地の東に存在する。大草原の北の山には飛竜が、大草原には鳥竜が、東の森には牙獣が存在する。それはそれぞれの縄張りではなく、あくまで主な生活地域だ。飛竜は草原に降りることもあるし、森の上を飛ぶこともある。鳥竜も森に入ることもある。飛竜は山に、などあくまでも大雑把な目安に過ぎない。つまり、里の住人にとって森に出ることは危険でしかなかった。

 モンスターというのは絶対的な上位種だ。敵うはずがなく、敵と見定められれば死ぬしかない。モンスター同士の殺し合いも度々あるが、だからと言って数が減ることを期待できるわけでもない。人間にとって里は過酷な環境……、いや、里が無ければ一人で投げ出されるほかないことを思えば、まだましだとも言えるのかもしれない。どちらにせよ紅呉の里が人が生活するのに最適の環境とは言い難いだろう。

 だが、人は諦めず生活した。堀と塀を作り、空から発見されにくい様にと里の中にも葉の多い木を植え、モンスターとの遭遇可能性が低い道や時間帯を割り出した。幾度の失敗と犠牲の果てに、紅呉の里は世界の絶対の法則、食物連鎖の中に組み込まれ、滅びることなく生き続けた。平和な現代に生きる人間にとっては想像しにくいことかもしれないが、犠牲があろうと人柱だろうと種の存続こそが勝利である。

 

 紅呉の里ができて数年、ある一人の男がまとめ役となった。何故彼がまとめ役となったのかと言えば、彼がある一人を除いて最年長者だったからだ。その一人はまとめ役という立場を嫌ったために、彼――孝元がまとめ役となった。

 犠牲を容易く容認できるほど冷酷ではなく、けれど決して容認できないほどの甘さがあるわけでもない。孝元は里という全を生かすため、一人という個を殺す選択を強いられ続けた。

 例えば森への採取。いかにモンスターとの遭遇可能性を低くしようとそれはゼロではない。すなわち、会う時は会ってしまう。モンスターと出会えば、立ち向かおうが敵うはずがなく逃げるほかない。が、逃げきれなければ結末は当然死だ。他にも生きるためには水が必要だ。その水を運ぶのにも苦労はある。蛋白源として魚や虫もほしい。それらを得るために、往々にして犠牲というものはつきものだった。

 他にもある。例えば鳥竜種が森に入ってきて遭遇してしまった時などだ。発見されなければいい。だが、発見された場合里に向かって逃げてはならない。里が知られれば住人に対抗する手段はない。跳ね橋を上げ、塀と堀に頼って籠城しようとも、いずれ兵糧尽きて結局は死だ。ならば、見つかった者は森から草原へと逃げ、里の存在を隠すほかない。里の人口は少ないがためにつながりも大きい。誰もが自分のせいで里を壊滅させることは受け入れられない。結果として遭遇すれば諦めるほかない。

 

 

 紅呉の里はモンスターはびこる世界で、人が生き抜くために生まれた集合体だ。だが、そこに住む人々は生存競争には負けずとも、違う意味ではすでに負けていたのかもしれない。

 人という種を生かすために、個を無視して諦める。そんな当たり前が当たり前じゃなくなる日が来るなどだれも想像しなかった。変わったのは里が一人の客人を迎えたからだった。

 

 

 紅呉の里の客人は名を和也と言った。身なりは清潔で肌や体つきもよく、健康的な男性だ。どこか人におびえる様子を見せながら、けれど礼儀正しい青年だった。

 彼の最初の印象は奇妙という一言に尽きる。一人で生きていくことなど不可能に近い森を越えてやってきた、それだけならば大草原の向こう側からやってきたのかもしれないと言える。大草原の向こう側ならば、紅呉の里にとっては何があろうとも知らずとも不思議ではない。

 だが、たった一人で大草原と森を越えてきたと考えるのは愚の骨頂。それを成したとは到底思えないほど身ぎれいなのだから。あくまで大草原を越えてきたと考えるには、であり土で汚れてはいたのだが。

 どこから来たのか尋ねれば遠いところと答える。ならばやはり大草原の向こう側だろうか。だが、ならば目的は何なのか。一人ではないとすれば、その他の人物はどうしているのだろうか。それを知るためにはまた質問をなすしかない。

 

「遠いところから……なぜこちらに?」

 だが、青年はそれに困ったような顔を浮かべる。ぽつりぽつりと話し始めるが、その内容は支離滅裂。道に迷ったとでも言いたいのかもしれないが、そんなことは到底あり得ない。

 だが、それでも孝元は青年を悪い人物ではないのだろうと見た。狭い里の中だけではあるが、仮にも孝元はまとめ役として人を見続けている。自信があるとは言えないが、それでも人の善悪の区別位は付く。

 人を騙すということができないのか、しどろもどろになって俯く彼は、まるで怒られる子供の様だった。いい意味でも悪い意味でも、彼は善良な人物だろうと孝元は結論づけた。

 

「行くところが無いのであれば我らが里へ。歓迎しよう、流浪人」

 会話を打ち切り、歓迎の意を示す。背を向けて己の家へと向かう孝元に、小走りに駆けてついてくる。素直でよろしいとのんきに頷いた。

 いかに生きるのが苦しかろうと、いかにそれが逃げに近かろうと、彼らは懸命に生きている。それ故に彼らは新しい命を貴ぶのだが……、この時の孝元の気持ちはそれに近かったということは恐らく和也には知られないままの方がいいだろう。

 

 

 自宅へと連れて行き、食事をごちそうする。話す際の潤滑油として用意したが、あまりにがっついて食べるので話はせずに置いた。どういう経緯にせよ、やはり森を越えてくるまでの間に色々あったのだろう。

 食事を終えると深く礼を青年はした。やはり礼節は持っているようだ。己の人を見る目が恐らくは間違ってなかったことに安堵する。改めて観察すると綺麗な身なりをしているが、何よりも健康的な男性だ。体つきはやせ細ってなく、太くはないが筋肉もついている。

 孝元は黙考する。青年は礼儀というものを知っている。ならば多少世話をするのは構わないだろう。劉に近く大きな体を持つ青年は、男手という意味で里の訳に立つ。

 

「ところで一つお尋ねしますが行くあてはございますかな?」

「い、いえ……どこにも……」

「ではこちらに住まわれるのがよいでしょう。幸いいくつか空家もございます。住むからには村の仕事を手伝っていただくことになりますが……よろしいですかな?」

 

 一応相手の青年、和也に聞いてはいるが答えなど決まっている。この場を出て、里を出て、その上で生き抜くことができないことを孝元は知っている。里を出るということは自殺と同意義だ。遠いところから来たと言うが、帰ることができないというのであればなおさらだろう。想定通り、和也は孝元の提案を受け入れた。

 

「うむ、まあ明日は里の案内をしましょう。頑張りましょうか? お客人」

 

 こうして孝元の提案の下、和也は紅呉の里に受け入れられた。

 

 

 

「竜じい、お客人の調子はどうだ?」

 和也が紅呉の里にやってきて数日経ち、孝元は竜じいに和也の様子を聞いた。劉同様にいい体格をした和也なら、さぞ里の役に立っているだろうと期待しての質問だ。

「…………」

 だが、話しかけられた竜じいは喋らない。黙したまま孝元を睨んでいる。小柄ながらも長い年を生きる竜じいの眼力は恐ろしい。小娘ならそれだけで泣き出してしまうだろう。

 だが、孝元もまたまとめ役として生きてきた。その程度のプレッシャーには屈せない。何より、竜じいが睨む理由を知っている身としては、笑い出したい気分である。

 沈黙が続いたが、分が悪いと判断したのか。渋々ながらも竜じいは喋る。

 

「ありゃあだめだ。土器を壊すは水を運ばせれば落とすわ。要領がわりいな。今までどうやって生きて来たのか不思議なぐれえだ」

 その独特な声で竜じいは和也を貶す。だがその内容に反して和也が初めて竜じいと会話した時とは違う明るく陽気な声だ。そのギャップがおかしくてたまらない。

 和也が初めて竜じいと出会った時竜じいが孝元を睨んだのも、つい先ほども睨んでいたことも、実はそれが理由だ。竜じいは本来明るく陽気な声をしており、性格もそれに近い。が、性格はともかくとして声はコンプレックスに近く、また年長者として厳しくあらねばいけないと考える竜じいはとかく喋らないようにした。喋る必要がある時も極力のどに力を入れてしゃがれた声を無理に出している。

 

 和也の散々な評価に孝元は当てが外れたかと内心がっかりした。いくらいい体格をしていても、それを生かせないのならば意味がない。穀潰しを養う余裕がないと追い出すような真似はしないが、それでも遊ばせておく余裕はない。

 

「まあそれでも劉ぐれえに役に立ってる。失敗すれば取り戻そうとはするみてえだしな」

「――竜じい、それなら何も問題ないではないか。全く役に立たないのかと思ったではないか」

 孝元は口を尖らせた。劉は最良の、とは言わないが里全体で見ても5本の指に入るぐらいに役に立つ男だ。その劉と同等に役に立つのであれば別段問題はない。そう思い苦言を呈する孝元に、要領がわりいだけだと苦虫をつぶしたように言う。良い体を持っているのに活かせてないのが、小柄な竜じいから見れば腹が立つのかもしれないと孝元は悟る。

 孝元が一人納得をしていると、ああ――と、突然竜じいは思い出したように声を上げた。

「そういやあいつ、薬草や虫には詳しいみてえだ。剛二ん所にやったらいいんじゃねえか?」

「剛二の所にか?」

 剛二は紅呉の里の蛋白源、虫の管理をしている。村の重要な役割の一つだが、そこで役に立つというのであればこれ以上なく望ましい。いくつか聞いて確認をしてからではあるが、もしも有用そうならそうしようと決めた。

「そうか。邪魔をしたな、竜じい」

「んおお、気にすんな、老」

 

 この後、孝元は和也が想像以上に詳しいことを知り、和也を剛二の下に付けた。和也はその知識を生かしよく働いた。

 だが、数日後、和也は孝元に想定外のことを言いだす。決して狩ることのできないモンスターを狩るなどということを。

 

 

 孝元は和也に三日の時間を与えた。これには深い意味があるわけではなく、ただ挑戦と失敗を通して諦めさせるというだけだ。和也の想像とは違い、孝元は和也の狩りに期待をしてはいなかった。和也の申し出の一日ではなく三日の自由を与えたのは、言葉の通りあまり拘束すべきでないと思ったことと、諦めさせるにも時間は必要だと思ったためだ。

 モンスターを狩ろうにも、木の棒や劣化した牙のナイフなどでは到底太刀打ちできるはずがない。武器が無く、身を守る防具もない。石でも投げればもしかしたらうまくいくかもしれないが、投石が届く距離まで行けば逃げられるか攻撃されるか。リスクの方が高すぎる賭けだ。

 だから孝元は和也に自由を与えた。和也はそうしたリスクを背負う人間ではない。考えて、その結果をやる前から見ることができるだろう。他に方法があるのではないかと往生悪く考えさせ、それを諦めさせるまでの時間が三日なのだ。

 

 

 一日目が終わり帰ってきた和也は疲れた顔をしていた。だが、どこか達成感のようなものもあるように見える。獲物もないようなので狩りは失敗したのだろうと思いながら、何故悔しそうではないのかが孝元にはわからなかった。

 二日目は前日に比べ煤汚れていた。土の上で寝転がりでもしたのだろうか。やはり疲れた様子を見せるが、表情を見るに悪い状況だと捉えているわけでもないようだ。ますます意味がわからなかった。

 三日目、和也が出るのを見送った孝元は、一体和也は何をしようとしているのか考える。竜じいや剛二から和也の評価を聞いてはいるのだが、もしかしたら不十分だったのかもしれない。孝元は剛二の話を聞きに行くことにした。

 

「普段の和也……ですかい? こう……うまく説明できませんね……。何も見ていない様で、俺には見えないものを見ている……という感じなのですが」

「ううむ……霊媒師とでもいうことじゃろうか」

「いや、そういう訳ではなくてですね……。なんでしょうか、やはりうまく説明できませんね……」

 

 剛二と孝元は唸る。うまく意思疎通ができないことがもどかしい。剛二にしてみてもわざわざ孝元が足を運んで聞きに来たのだ、こんな意味不明の説明だけで終わらせるわけにはいかない。それで尚も説明しようとするが、やはりうまくできない。

 

「すいません、やはりうまく説明できませんね」

「そうか……まあ特に問題はあるまい」

 

 そう告げられ剛二はほっと息をつく。そう一息ついたところで思い出したのか、ところでと違う話を切り出した。

「昨日、森を見回った者の話ですが、妙な音を聞いたというんです。よくよく聞いてみると、まるで小さな飛竜が森の中に現れたかのような音だって言うんでさ」

「馬鹿な!? ――さすがにそれはないのではないのか? 飛竜は彼の山に住んでいる。森にはそう来んじゃろう?」

「私もそう思いますが……、ならその妙な音は何かって話になっちまう。とりあえず周辺の警戒は強めた方がいいかと思います」

「ううむ……いや待て。その妙な音があったのは昨日なんじゃな?」

「え? ええ、そうです」

 昨日、ということが引っ掛かった。昨日、和也は煤で汚れていた。もしやそれがこの妙な音と関係しているのではないかと孝元は考えたのだ。

(馬鹿なことを……いや、じゃがこの偶然は……)

 飛竜のような妙な音とはいったいなんだと言うのか。そんなものを人の身で出せると言うのか。だが、違うというのであればいったいこの偶然の一致は何なのだろうか。

 

「ひとまずこの件は保留じゃ。もしわしが考えている通りなら明日以降はその妙な音は鳴らんはず。様子を見よ」

「へえ……。そりゃあわかりましたが」

 

 ひとまずそれで話は終えようか。そうしようとしている所だったのだが、そこに一人の女性が駆け込んできた。

 

「剛二さん! 大変、昨日の音がまたするって!! それも何度も!!」

「なんだと!? 老、様子見なんてしてる場合じゃ――」

「わかっとる。すぐに調査せよ」

 駆けこんできた女性、お絹の話は昨日以上のものが起きていることを知らせるものだった。すぐさま原因を調査すべく男手を集め森へと繰り出した。その間も何度かした爆発音を頼りに彼らは駆け抜け――その音の主と遭遇に成功した。

 

 

「な……嘘だろ……」

 音の原因、和也は満身創痍という姿で座っていた。駆けてくる足音に気付いていたのか、剛二たちの方を見つめ、どこか照れくさそうに笑っていた。

 だが、そんなことは些細なことだった。剛二たちの視界には獰猛な牙獣種、ブルファンゴの死骸が木の下敷きとなっていたのだから。

 

「これ……お前がやったのか……?」

 そうでないならなんだと言うのか。だがそんなはずがあるわけがない。相反するような考えが心を占めながら、震える声で剛二は尋ねた。

 

「ええ、まあ」

 やはりどこか照れたように言う和也。それを聞いて尚も信じられないという気持ちでブルファンゴの死骸を見つめる。あり得ない、モンスターを狩ることなどできるはずがない。だが、それを否定する答えが目の前にある。ようやく、剛二はそれを認識した。

 

「おい! すぐに里に戻って知らせろ! 和也が牙獣を狩った!」

「は、はい!!」

 

 戸惑いながらも、剛二と同様に常識が覆されたことを認識した一人が里に向かって駆け出した。残った全員で下敷きとなったブルファンゴを引きずりだし、怪我をしている和也を労わりながら里へとゆっくりと向かった。この日は、紅呉の里の誰にとっても忘れられない日となった。

 

 

 和也のことを聞いた孝元に竜じいは虫や魚の知識があるようだと答えた。だが、その知識とはそれらだけに留まらなかったらしい。里では和也の指導の下、回復薬や爆薬が作り出されている。

 

「薬草とアオキノコを半分ずつ……、こっちは薬草とアオキノコを……えーっと……アオキノコが半分の半分入ってます」

 今も孝元の家にて里の少女が爆薬の試作品を持ってきていた。並んだ二つはどちらも小さめの土器で見た目上の違いはない。

 少女は拙い説明だが、1:1のものと1:3のものだと言いたいらしい。数字の概念がないわけではないが、比例計算はきちんと学んでいないのでうまく理解できていない。調合の比率と効果の検証をしようとしているということを、なんとなくではあるが孝元は察した。

「うむ、わかった。こちらでも確認してみよう」

「は、はい、お願いします。あとどちらの方が効果があったのかを和也さんが聞きたいと……」

「ん? わかった、後で伝えておこう。ところで薬草やアオキノコは随分と使っていたようだったが、失敗ばかりだったのか?」

「い、いえ、それが何個も作っては多くの人に効果を聞いているみたいで……。あの、そんなに沢山作って何の意味があるのでしょうか……」

「む……おそらくは個人の違いによる差異を無くそうとしているのじゃろう。消費も激しいじゃろうが構わん。今はそれにこだわるべきではない」

 言うまでもなく、和也が複数作り多くの意見を求めているのは統計を取るためだ。統計を取るためには母数を大きくする必要があり、そのためには多く作る必要がある。孝元は経験論からそれを察したが、まだ若い少女はそれを理解できていないようだった。と言っても、学校もなく義務教育があるわけでもないのだから、少女を責めるのは酷というものだが。

 

「それでは失礼します。あと、和也さんが他に効果がありそうな薬草の類があれば教えてほしいとのことでした」

「相わかった。とはいえそちらは今心当たりもない。ひとまずご苦労じゃった」

 

 去る少女の背を目で追いながら、思わず顔を綻ばせる。見えるのは普段とは違う里の様子。決していつもが暗いわけではないが、活気づいた里の様子。皆が皆、この変化を好ましく思っているのだろう。和也殿の目に叶う物ができるのも、これなら近いか――孝元はそう思考する。

 そうして事実、これより数日後には和也なしでも出来のいい回復薬や爆薬を作りだし、それをさらによくできないかと品種改良を考えるまでに至った。積極的に行う集中力は高いものだ。その彼らの出来のよさに和也が自分の存在意義を少々悩んだりした。

 

 

 回復薬と爆薬はできた。だがその後は狩りが立て続けに起きた。まずブルファンゴを狩りに行き、その後にランポスを。次いでリオレイアを狩った。あまりにも想定外が続いているが、それでも和也も劉も死なずに済んでいる。その上今度はリオレウスを狩ろうとしているのだ。わずかひと月程度の間だというのにとんでもない様変わりである。

 リオレウス、飛竜の討伐などさすがに最初はほとんどのものが腰が引けていた。だが和也の鼓舞をきっかけにして、彼らは立ちあがり今は一丸となって動いている。恐怖は消えない、怖くないはずがない。だがそれでも皆を守るために。そうして誰もが立ち上がって……いや、ある一人を除いて立ち上がっていた。

「は……はは……笑ってくれよ……。俺一人勝手に行って、そんでこんな迷惑かけて……なのに俺……震えて……どうしようもないんだぜ……! もう……笑ってくれよ……!!」

 劉が、ただ一人震え恐怖を拭えないでいた。それは仕方がないことだろう。ある意味里のものは皆『和也なら大丈夫だ、それに矢面に立つのは自分たちでない』という考えがどこかにある。何より皆、飛竜種を直接見たことがあるわけではない。見たことあるのは孝元と竜じいぐらいだ。恐怖よりも昂揚が先立ってしまっている。

 だが劉は和也を除いたものの中ではただ一人、飛竜と直接相対した。そこで何を感じたのかは本人にしかわからないだろう。相対して、何度となく死を感じて、それで恐怖を感じない方がどうかしている。だから孝元は笑う気などなく、ただ諭すように言った。

 

「誰も笑いなどせん。飛竜が恐ろしいなど当然のことだ。それで笑うようなものなど――」

「違うんだ、違うんだよ……」

 だが、劉は孝元の言葉を否定する。

 

「死ぬのが怖いんじゃないんだ……飛竜が怖いんじゃないんだ……。俺は……俺のせいでみんなを巻き込んで……みんなを死なせるのが怖い……」

 手で顔を覆うようにして俯いて、絞り出すように劉は吐き出した。事ここに至り孝元も悟る。劉は飛竜種の狩りを自分勝手な理由で行った。ただそれが、こうして里を巻き込む結果になるなど思ってもみなかった。大事な人を、自分のせいで死なせてしまうかもしれないという重圧はとても重い。

 

「ならば、戦うしかないだろう? 戦って勝つほかあるまい。我々にそれを教えてくれた和也殿がいるのだ。我々は負けはせん」

「そんなの! そんなの……あいつを見てないから言えるんだ……! あいつは……」

「だが、ここで逃げても変わらんよ。運よく飛竜から離れられたとしても、そこにモンスターがいないわけでもあるまい。移動の際、それに開拓の際、多くの犠牲者が出るだろう。我々には戦うという選択しか残されておらん」

「そんなこと! そんなこと……わかってんだよ……!」

 

 泣くのを堪えているような震える声で尚も言い募る。結局のところ劉を縛りつけているのは恐怖だ。それが自分の死ではなく他者の死であろうとも、恐怖で動けないのは変わらない。

 別に劉がいなければどうにもならないという訳でもないだろう。今は放っておくしかないと孝元は去ることにする。

 

「あいつは……あいつはなんで戦えるんだ……。こんな……こんな中で……」

 

 去ろうとする背中に、劉の質問がかけられた。それはただの独白だったのかもしれない。だが、孝元はその答えを偶然ではあるが知っていた。故に答えた。

 

「『どうせ後悔するのは変わらない。ならより良い方を選びたい』。彼はそう言っておった。尤も、和也殿もそこまで潔く選べているわけでもないじゃろうが」

 

 そう言い残して、今度こそ孝元は去った。後に残されたのは蹲る劉だけ。和也のように動きたい。そう思いながらもやはり劉は動けなかった。そこに白い塊がやってくる。

 

「どうしたのニャ。さっさと起きて準備をするニャ」

「――ヨウか。俺は……。なあ、どうしてお前らはあそこにいたんだ?」

「飛竜の山にかニャ? それは僕たちが栄えある門前大使として――」

「ヨウが飛竜なんて僕の敵じゃないニャとか言い出したから。――ボクはそれでお目付け役」

 

 ヨウだけかと思えばリンもいた。相も変わらず無表情でヨウの言葉に被せて、おそらくは真実を告げた。

 

「――怖くなかったのか?」

「平気ニャ。この僕に恐怖ニャど――」

「怖くて震えてたら死ぬ。死にたくないなら震えてられない」

「ニャッ! さっきからニャんで被せて言うのニャ!」

「ヨウは話が長い」

「そんなことないのニャ! リンが短すぎるのニャ!」

 にゃあニャアと言い争いを――というより一方的にヨウが喚いているだけに近いが――始まって、思わずミズキは苦笑した。なんというか、この二人らしい。気負いもない子猫たちとの会話で、なんとなく劉は気が紛れていた。

 

「なあ、俺が怖くて震えて、あいつとは戦えないって言ったら……お前らはどう思う?」

「仕方ない。人には得手不得手がある」

 冷静にリンはそう言った。彼らは人ではなく獣人なのだが、そういったところは変わらないらしい。

 一方でヨウは怒ったように劉は怖くなんかないのニャと騒ぎ出した。いや、俺を怖いかじゃなくて俺が怖いって言ったらともう一度言うが、尚も騒ぎは止まらない。

 

「怖くなんかないのニャ! どんな時でも怖くなんかないのニャ! もしそれでも怖いって言うなら僕が守ってあげるから大丈夫なのニャ!!」

「いや、さすがにお前に守ってもらうってことは……。大体お前の方が小さいだろうに」

「そんなの関係ないのニャ! ミズキは僕の子分ニャんだから僕が守ってあげるのは当然だニャ!」

 まだ喚き散らすそれ。しかし劉の返事はなくただ小さく、あ……と劉の口から声がこぼれた。口からだけでなく、目からも違うものがこぼれだした。

 

――仕方ないなあ、兄さんは。大丈夫、僕が守ってあげるから。

 

 そう言っていた小さな弟。特別何でもない、小さな子供の戯言に近い夢のようなもの。だがそれは劉にとってかけがえのない思い出だ。

 

(そうだよな……そうだったよな……)

 劉にとってかけがえのない弟は、劉の前でリオレウスに食われて死んだ。涙を流して伸ばされた手を掴んでやることはできなかった。

 ああ、そうだ。思い出した。劉がそれから里の仕事を率先してやったことを。そうして体が鍛えられ、里一番の力持ちとなった理由を。誰も死なせたくない、少しでも安全な里に皆がいられるように。もう誰も――弟と同じ目には合わせない。それが劉の原動力だった。

 恐怖は消えない。だが、確かにその通りだと思うこともあった。驚いて慌てている子猫を余所に、劉は立ち上がる。

 

「ミズキ?」

「――どうしたの?」

「――なんでもないよ。まずは……どうするか」

「ニャニャ……ミズキがニャんかよくわからニャいのニャ……。そう言えばミズキが元気そうニャらって言伝があったのニャ。今は平気そうニャのかニャ?」

「ん? ああ、たぶん大丈夫だ。なんだ?」

「えーっと……武器が欲しけりゃ作ってやる。ニャから鉄鉱石を集めてこい……ニャ。鉄鉱石については僕た……リンがわかるニャ」

「逃げない……。ヨウも行くの」

 

 にゃあニャアと騒ぐ子猫たちにまたも苦笑する。言伝を伝えてくれた礼も言い損ねてしまった。それに、誰からの言伝だったのかも。尤も、その想像位は付いているのだが。

 

「ありがとう竜じい。それに孝元。怖いのは変わらないけどやってみるよ」

 聞こえないことなど承知で礼を言った。こうして彼もまた選んだのだった。より後悔しない選択を。この日より数日後、紅呉の里周辺を悩ませた飛竜種はいなくなった。

 

 紅呉の里は変わっていった。それを成した青年は、それがどれだけ大それたことなのかを知らないだろう。運命の歯車は周りを巻き込みながら、少しずつ回転速度を上げて行った。

 




あれえ? なんかシリアス回になった。
本当はもっとギャグ的な要素が多かったはずなのですが……最後にそんなオチを持って来るのはどうなのかということでなくなく削りました。
ちなみに内容は、第十話で使った台車とかタルとかを作るのに使う木材。それを得るために劉が大剣を使い木を切り倒して回ったという話。元々それを書くための閑話だったはずなのになあ。


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白鳳村
第11話 新たな狩り


 一章と書き方を変えています。どちらの方がいいか(好み、読みやすさなど)を教えてもらえると嬉しいです。




 太陽が木の葉に遮られながらも森に陽射しを送る。全ての生命の恵みとなる陽光は誰へともなく分け隔てなく降り注ぐ。それに釣られたのか、ブルファンゴが森の中でも木の少ない、日差しを遮る物がない場所へとやってきた。

 あくびをするブルファンゴ。暖かな日差しは眠気を誘うのだろう。元々それが目的だった彼は、周囲の警戒をしつつもやがてうとうとと眠りについた。そして――それを見守る影が二つ。

 

「(ターゲットはブルファンゴ、動きも止まったしチャンスだな。リン、いいか?)」

「(……大丈夫)」

 

 木の陰にブルファンゴから身を隠しているのは和也とリンだ。二人とも揃いの緑色の鎧を着ている。胴回りは瓦を何枚か重ねたかのような外観、肩にも同様のものが付いており鉄を思わせる丈夫そうな胸当て。古き日本の甲冑にも見える。

 だがリオレイアの素材が使われているそれは全て緑色、何よりそこいらの鉱石や獣の素材を使うよりも丈夫である。

 兜で音は聞き取りにくいが、リンが首肯したことを確認し和也は再度ブルファンゴに目をやる。動きはなく、どうやら寝入っているようだと認識した。

 起こさないように音をたてないようにとそーっと土爆弾を手に持つ。何か音を一つでも立てればブルファンゴは途端に跳ね起きるということを、この世界での経験で和也は知っている。

 故にそーっと、音をたてないように慎重にしなければならないのだが……今回はそれを逆手に取るつもりだ。

 

「(行くぞ、3、2……1……ほれっ)」

 

 ブルファンゴには当てないように、手前の方で落ちるように土爆弾を投げる。それは目標違わずブルファンゴより1m手前で落ち、派手に音を鳴らした。

 

「ブモッ!?」

 

「うおおおおおっ!!!」

 音に驚き跳ね起きるブルファンゴ。それと同時に和也同様物陰に隠れていた劉が大剣背負って飛び出す。雄叫び一閃、音に気を取られていたブルファンゴに振り下ろした。

 

 

「モ゛ッ! ――――」

 

 ドサリ、と音を立ててブルファンゴは倒れた。遅れ、カランと大剣が地面に落ちる音。

 ブルファンゴが倒れたことを見て、劉はフウッと息を吐きながら大剣を背負いなおした。

「っし、上手くいったな」

「当然ニャ。なんせこの僕がついてるんだからニャ。でもそれでもすごいニャ、一撃ニャ」

「な、俺らも成長したってことかねえ」

 

 ニシシ、と劉はヨウと笑い合う。この二人もまた、和也とリン同様に揃いの防具を身に着けている。外観こそ似ているが、和也たちの緑に対し二人は赤。リオレウスの素材を使ったものだ。

 カズヤとリンも茂みから出てブルファンゴへと近づく。白目を向き、大剣の一撃を受けた背は陥没しており、確認するまでもなく絶命している。だが、和也はそれを見てはあ、とため息をついた。

 

「油断すんな。まだまだ練習あるのみ。武器の重さに振り回されてるうちはまだまだだ」

「つってもな……。振り回すしか現状方法がないぜ?」

「それはいい。というより、重さと大きさから言ってそれしかできねえしな。けど、武器の重さに振り回されちゃだめだ。具体的には刃が立ってなくて鈍器みたいになってる」

 ブルファンゴは明らかに死んでいる。だが、大剣で切りかかったにもかかわらず流れる血の量は少ない。刃傷ではなく打撲による骨折が出血の原因だ。大剣でありながら鈍器のような扱いでは成長したなどと言えないだろう。

 

「鈍器?」

「槌とかそういう武器だよ。見ろよ、切れ味だっていい武器のはずなのに碌に切れてねえ」

「う……またか。けどこれでも狩れてるんだからとりあえずはいいんじゃないか?」

 確かに劉言うとおり、一撃を以てほとんどの狩りは終了している。リオレウスとの戦闘の際ですら、それがトドメとなったほどだ。『斬る』ことができずとも問題はないのではと劉は考えているのだろう。

 はあ、と表には出さずに内心ため息をついた。狩りにちょくちょくこうして失敗とは言い切れない――けれど問題ないとは言えないミスをしているのはそうした心構えが原因だろう。

 

「今はこれでもいいけどな。でも武器の扱いが完璧にできねえと後々困るだろ。変な癖がついたら矯正するのも難しいだろうし、今のままで通用しなくなった時が死ぬときになっちまう」

 んー、そうなのか、と劉は唸る。納得していないのだろう。今までにもこうして何度も口を酸っぱくして言っているのだが中々効果がない。きちんと説明すればわかってくれるはずだが何がだめなんだとずっと考えているが……答えは出ない。

 

「剣として扱えニャくても、武器にできてるのニャらとりあえずは問題ないんじゃないかニャ?」

「鈍器として使うなら最初から鈍器にしたほうがいいだろ」

 ヨウは性格的に相性のいい劉とパートナーとして組んでいる。その分、劉を悪く言うような内容が嫌なのかもしれない。とはいえ、妥協できる点ではないのでばっさりと切り捨てた。

 

「うー……和也は厳しすぎるのニャ。もっと気楽に行こうニャ」

「ヨウは適当すぎ……」

 気楽にいこうというヨウにリンが突っ込む。もう何度も見た光景だ。のんびり楽観主義のヨウと、臆病慎重主義のリン。どうにもヨウが気楽に考えリンが諌めるということが多くなる。

 

「相変わらずだな、ヨウは」

「俺はどっちかってーとヨウに賛成なんだが」

「俺はリン。お前らは気楽過ぎんだよ」

 

 リオレイアの時みたいに先走るよりはましだが――そう考える。色々なプレッシャーから解放されたからか、劉は和也に比べ楽観主義なところがあった。

 劉はうーと唸るヨウの所へと駆け寄り二人でわいのわいのとやりだした。本当に仲がいい。

 

「にゃああ……」

「わかるよ、リン。俺も……はあ」

 リンと和也も仲がいい。苦労性のコンビということで。

 やることやってさっさと帰ろう。そう決めてヨウと劉を呼んでブルファンゴの解体に乗り出した。

 リオ夫妻の狩りよりひと月――今日も彼らは平常運転である。

 

 

 解体を終え持ち帰らない素材は埋めておく。こうしないと他のモンスターを呼んでしまうためだ。その後にもう一頭狩って同様の処理をしてから四人は帰ることにした。

 一月前とは違い、狩りに慣れたその様子はまさに威風堂々。防具という物は丈夫さ故に重い。それを着こんで歩くことは体力の消耗も激しいだろう。しかし彼らの歩く姿は正中線が真っ直ぐ地面と垂直でありブレはない。熟練とまでは言えずとも、素人とは言い切れない程度に成長していた。

 

「しっかしやっぱもったいねえよな。仕方ねえけどさ」

 だからか、彼らの様子は落ち着き、悪く言えば警戒が緩んでいる。こればかりは和也やリンも同じだ。

 劉の言う内容は埋めてきた肉のことだろう。せっかくの成果の一部を捨ててくると考えれば確かにもったいない。それを提言したのが和也なだけに、少々不機嫌になった和也が口を尖らせた。

 

「仕方ねえだろ。喰えねえ肉持って帰ってもしょうがねえんだ。寄生虫だなんだが怖いしな」

 和也は決して生肉に詳しいわけではないのだが、内臓は寄生虫が怖いというイメージがあった。病院などはなく回復薬も根本的な治療には適さないため、罹らないのであればそれに越したことはない。

 

「ああ、それはわかっちゃいるんだけどよ」

 ぼやくように劉が漏らす。頭を掻こうとでもしたのか、右手を頭の近くで所在なさげに漂わせていた。おそらく、理屈でわかっていても感情が割り切れないということだろう。

 

「一応僕もそれはわかる。使わずに捨てるのはもったいない」

「だろ? そう、それが言いたいんだよ」

 リンの言葉を得て我が意を得たりとばかりに再開する。見た目小さいために幼稚園児に追随する大人のように見えてしまうのだが、劉はそれでいいのだろうか。

 

「使い道があれば俺も捨てねえけどさ……、現状ないんだから仕方ねえよ。持って帰っても里にモンスターをおびき寄せる餌にしかならねえし」

「それは……嫌だな」

 

「ニャ? ニャりゃ僕が持って帰って利用するニャ」

「ん? 何か使い道あったのか? いやもう遅いんだけどさ」

「ないと思う。ヨウはいつもこれだから」

 リンを見やるといつものよう澄ました顔だが、その中にどこか苦労性がにじみ出ている。

 昔何度か見た顔だ。何かに使えるかもとあちこちから拾ってきてはゴミを増やす友人の嫁の顔だ。つまりはそういうことなのだろう。

 

 

「相変わらずなんだな、やっぱり」

 思わず笑いをこぼす。ヨウはいつもこうで、元気で楽観思考だが根はいい子だ。リンはそんなヨウに苦労かけられている慎重な子で、上を向いて騒ぐヨウに対してどちらかと言えば俯きがちだ。だがそれでも二人仲は良い。劉はそんな二人を見守るように見ていた。

 少し騒がしいけどそれでも日常と言えるこれ。毎日続いても未だ飽きることはなく。そのまま遠足のような気分で彼らは帰る。

 四人はそのままやいのわいのと騒がしく歩き続け、無事に里へと到着した。

 

「んじゃあ、俺は肉を貯蔵庫に置いてくる」

「ああ、じゃあこれも頼むわ。俺は長の所に行ってくる」

「じゃあ僕たちはごは――」

「その前に備蓄。見に行くよ」

 

 それぞれが別行動をとる。こうした役割分担は慣れた物だ。

 劉の向う貯蔵庫は肉を置いている場所だ。現代の貯蔵庫であればよく冷えた倉庫のことを言うのだろうが、この場においてはただの倉庫である。塩漬、燻製などをした肉を置いている。それらの工程を踏む施設も貯蔵庫付近にあるため、生肉も貯蔵庫に持っていけば後は専門の人がやるようになっている。

 リンとヨウが向かったのは備蓄庫。回復薬や閃光玉など里で使うものを管理している一画だ。数の管理はかなり大雑把なため、狩りに行くうちの誰かが把握しておいた方がいいという考えのもとリンとヨウが行っている。

 和也は孝元に報告だ。特別いうことはなくとも、外に出ての危険な仕事。帰還の報告は必ずするようにしていた。

 

 孝元の家は紅呉の里の北、一番大きな家だ。建物という意味であれば最近は別のものができているのだが、個人用の家という意味でならばやはり一番である。

 入って囲炉裏が置かれた部屋へと向かう。いつも孝元がいることが多い場所だが、今回も違わずそこにいた。

 

「長、和也と劉、ただ今戻りました」

「おお、おかえりなさい。今日もご苦労じゃった。成果はどれほどかの?」

「ブルファンゴを二頭です。閃光玉と回復薬を一つずつ使いました」

「おや、怪我を?」

 ここ一か月の狩りで回復薬の使用は数えるほどしかなかった。丈夫な防具に強い武器があるのだから当然である。そのため怪訝な顔を孝元は見せた。

 

「ええ、まあ。武器の扱いの練習をしている際に。まだ使いこなすという意味ではだめですから」

「ふむ、それは確かに……」

 回復薬は二頭目の狩りの際に劉が怪我をして使った。刃を立てるということができず、ブルファンゴを相手にてこずったことが原因である。

 こうした報告で武器の扱いがまだだということを孝元も把握していたため、報告はすんなりと終えた。

 

「ところで、一ついいですかな。実は最近森で鳥竜種を見かけたというものがおってですな」

「鳥竜種……またランポスですかね」

 ランポスは大草原を主な縄張りにしている為、あまり森へは入ってこない。精々が森の入口程度で里の住人と遭遇するようなものではないのだ。

 鳥竜種、ランポス。一月前に死に物狂いで狩った相手だ。だが今はあの時とは違い武器も防具も揃っている。成長したかどうかを見る相手として都合がいいかもしれない。

 和也は考えをまとめ上げるとはっきりと頷いた。

 

「わかりました。俺と劉で調査、見つければ狩ってきます」

「おお、頼まれてくれるか。すまんな。ではよろしく頼みます」

 

 一か月続けたブルファンゴ狩り。それによって培われた武器の扱いと度胸。それらの確認に適した狩り。和也は闘志を静かに燃やしていた。

 

 

 翌日、孝元と話した通り、劉たちを連れ森の調査へと赴く。時間は調査も兼ねて言うため朝早くだ。そのため、ヨウは眠そうに眼をこすりながら歩いていた。

 

「そろそろ教えてくれないか? 昨日も行ったのになんで今日も狩りに行くんだ?」

 説明の時間を惜しんだため劉たちには詳しいことを言っていない。内心疑問であったのだろう、代表代わりに劉が和也に問うた。

 彼らは普段三、四日に一回ほどのペースで狩りに出ている。劉の疑問も尤もだ

 

「ランポスを森で見たらしい。それの調査だ」

「え゛っ……?」

 和也の返事を聞いて劉は表情をひきつらせて固めてしまう。表情だけでなく足も止めてしまい、行軍が一時止まってしまった。

 劉の記憶で言えばランポスと言えばリオレイアの前に戦った相手だ。敵の手強さという意味ではリオ夫妻よりも劣っているが、怪我や危険度という意味では実は同等だった。

 劉にしてみればランポスとの戦闘はあまりいい思い出ではないだろう。そのランポスと再び戦うとなればいい気持ちしなくて当然だ。

 

(時間惜しんで黙って連れてきたが……正解だったか? ここまで来てごねることはないだろ)

 心中結果的な自分の判断を自讃する。リンとヨウは特別気にすることもないのか、劉の表情の変化を気にするだけに留めていた。

 

「い! いやいやいや! ランポスは俺ら倒したじゃんか」

「いや、あの群れだけしかいないって訳はないだろ。元々は草原の方を縄張りにしているらしいが、それがリオ夫妻がいなくなったことで行動圏が広がったのかもな」

 紅呉の里周辺における生物の頂点であったリオレウスとリオレイア。その最強の存在がいなくなったことでランポスたちは我が物顔で動けるようになった……のかもしれない。

 

「どういうことニャ?」

「つまり――怖い飛竜がいなくなったから隠れる必要が無くなった……ってことだと思う」

 ヨウの疑問にリンが答えた。そうなのか――とヨウが和也を見るので、その理解で間違っていないと頷いておく。

「ニャニャ……早く倒さニャいといけないかニャ?」

「そゆことだ。まあ、見間違いとかの可能性もある。だからまずは調査だな」

「って言っても……いたら狩るんだよな。――いけるのか?」

「問題ないと思うが。落ち着けば大丈夫だ」

 

 トラウマとでもいうことだろうか。劉は乗り気じゃないと渋面だ。が、再開し始めた脚は止めない。察するにやらなきゃいけないのはわかるが、自分はやりたくない――というところだろうか。

 

(ランポス相手にビビってるわけにはいかないんだけどな……。さっさと倒さねえと)

 

 武器も防具もあってあの時とは全く異なる状況。アイテムも土爆弾と能力的には低い回復薬しかなかった。万全と言える今の狩りと比べれば、当時は苦労して当然だ。

 だが、現在の状況ならばあまり苦労はしないだろう。大剣という強力な武器を得た今、狩り自体はゲームのそれに近しいものになっている。ランポス如きにてこずるということをあまり想像できない。

 もちろん、大剣は土爆弾以上にランポスとの相性が悪いことは和也もわかっている。だが、ランポスとて当たれば即死だろうという武器が振り回されるのを見て近寄ろうとはしないだろう。

 遠距離攻撃手段がランポスにはない以上、ランポスに攻撃手段はない。縦しんば攻撃できたとしても飛竜の鎧に阻まれる。狩ることは難しいかもしれないが、劉が思っているような苦戦はないだろうと和也は考えていた。

 

 

 

 鎧というものが隠密行動には適していないことは明らかである。かちゃかちゃと音を立てながらの行軍だった為、隠れるつもりはないのか、獲物を見つけたとばかりに姿を現した。

 数は七匹。ドスランポスはなくランポスが七匹の集団。だが、それでもトラウマは刺激されたのか劉はヒッと悲鳴を漏らす。

 和也とリンはただ身構えるだけだったのだが、ヨウは何故か和也達より前に出た。トコトコと短い足で歩き、その小さな手をランポスたちへと突き出した。

 

「紅呉の里がハンター劉とヨウが参上ニャ! お前らを成敗しに参ったニャ!!」

 突然ヨウは名乗りを上げた。言うまでもないがランポスに言語は通じない。ブルファンゴにも通じないので今までこんな名乗りは見たことが無かったので、和也は目が点になる。

 ヨウ……などとリンが小さくため息をついた。そんな芝居かかったことをやるためにわざわざ前に出るという危険を冒したのかと言いたいのだろう。

 

(ちょっとかっこいいかも……とか言ったらリンに怒られるかなあ。にしてもなんであんな――)

 

「お! 同じくハンター劉! お前らを討伐する!」

 

 戦闘の前だというのに暢気に思考。だがそれは劉の名乗りで遮られる。先ほどまでの震えを隠し、見た目だけなら堂々としたものだ。

 

(ああ……。劉に発破掛けるためか。なるほど……)

 突然のヨウの奇行の原因に思い至る。パートナーである劉が縮こまっているのをほぐしてやろうと考えたのだろう。それが何故名乗りなのかはわからないが。加えて、『同じく』と言っているが劉の分は既にヨウが言っているのである。

 

 チラッ、チラッ、と劉とヨウが和也とリンを見る。同じことをやれということだろうか。だが、さすがにそのような余裕はないだろう。

 ランポスたちは人間の意味の分からない行動に多少尻ごんではいたが、それが折角の獲物を見逃す理由にはならない。統率者もいないためか、それぞれが連携もなく、だが同時に襲い掛かってくる。

 

 

「やるぞ! 落ち着けば問題ない!」

「お、おう!!」

 一歩前に出ていた劉からさらに距離を取り盾と剣を構える。劉も大剣を、ヨウは小さなハンマーを、リンはダガーを構えた。

 

 

 ランポスと遭遇した際は距離5mほど。その距離は瞬く間にゼロとなる。跳びかかり襲い掛かるランポスに、合わせるように盾を構える。

 ガシッという音と衝撃。だがそれだけで体勢を崩すほどではない。ランポスが再び距離を取らないうちにと勢い付けて剣をランポスの腹へと刺す。

 ゾブリという感触と共に皮を裂いて肉を貫いたという確信を得る。自身の意思でやっていることとはいえ、それでも好きになれる感触ではない。

 悲鳴を上げて逃げるランポス。奪われないようにと柄をしっかりと握りしめ、敵の数が多いためそれを追わずにまた身構える。

 と、そこへランポスが二匹宙を舞った。劉が大剣を振るったのだろう。体の軽いランポスは易々と吹き飛ばされる。

 

「っし、いける!」

 以前の狩りとは違うということを再認識したのか、劉の声が上がる。リンとヨウは体の小ささを利用して、ランポスの群れの中をチョロチョロと動き回り、すれ違いざまに攻撃していた。

 

 数の優位も種の優位も存在しないことに気付いたのだろう。ランポスたちがにわかにざわめきだす。が、もう遅い。既に二匹が死に、一匹は腹に怪我を、二匹軽傷を負っている。ざわめいたのは負傷のない二匹だ。負傷したランポスはアドレナリンでも出ているのか、むしろ怒気をあげて襲い掛かってきた。

 

 盾で叩き敵の出鼻を挫き、そこに剣で傷を作る。今度は逃がさないようにと追い打ちをかけ、きっちりその一匹にとどめを刺した。途中、他のランポスが爪を振るったが鎧に阻まれ意を成さない。

 更に劉と和也が一匹ずつ狩り、残りは負傷のない二匹のみだ。が、不利からかランポスたちは逃げ出した。背を向けて一目散に走りだす。

 

「んなっ!? リン! ヨウ!」

「大丈夫」

 

 声と共に小規模な爆発がランポスの逃げる先で起きた。踏み込もうとした足をおろすことができず二匹はたたらを踏む。その隙にと和也はランポスに追いついた

 

「でりゃああああっ!!」

 一閃、二閃、三閃。逃げる相手の背を切りつけるのはあまり褒められた行為でないかもしれないが、そんなことを気にすることはさすがにできない。

 倒れる一匹にとどめを刺し、群れの討伐を完了した。

 

 

 

 死骸から素材をはぎ取る。この行為は死者を弔うという意味では頂けないのかもしれないが、相手の命を奪ってまで生きたのだから何が何でも生き抜こうとする――という意味では真摯と言える。つまり、物は言い様、捉え方の問題だ。

 ランポスの皮は衣服に利用できるだろう。鎧にするには心もとないが、衣服にするには十分すぎるほどに丈夫な素材だ。ブルファンゴの毛皮ですら丈夫で身を守るのにいいと紅呉の里全体で利用されている。ランポスの素材ならばもっと適しているかもしれない。

 

(その意味では、この狩りはいいものだな。里に潤いが増える)

 

 冷静に手に入れた素材の使い道を考えながら剥ぎ取りを続ける。最初は不慣れ、狼狽などからうまくできなかったこれも、今では考え事をしながらできる。やはり慣れたくなくても慣れて適応してしまうのが人間だろう。

「なんか拍子抜けって言うか……楽勝だったな。やっぱり成長したってことかねえ」

「ニャ! 前の時は僕たちがいなかったからニャ。今は僕たちがいるから楽勝ニャ」

「んー? おお、そうだな。さすがヨウだ」

 お調子者コンビが調子のいいことを言っている。自信を持つのはいいのだが、調子に乗るのは良くない。またか――などと内心考えながら昨日と同じ言葉を口にする。

 

「油断すんな。この程度は武器と防具の性能がある分楽勝で当たり前だ。飛竜相手じゃ鍛錬なしじゃ通用しないんだから、これからも精進あるのみだ」

「とは言うけどさ……、飛竜は番を狩って子供もいないみてえだし……、練習しても出番はないんじゃないのか?」

「ニャ? 飛竜はもういないのかニャ?」

「んー? そうだろ。子供もいないんだし」

(――おい、まさかそういうことか? そういう勘違いしているのか?)

 

 ヨウと劉の会話を聞きながら愕然とする思いを感じていた。まさかと思う。だがそうだとすれば練習のモチベーションが低かったことも頷ける。確かに目標が低ければ練習の意味を見いだせずやる気は出ないだろう。

 これを訂正するのかと思うと気が重い。もう安全だと思っていたところにまだ脅威があるなどということは知りたくないだろう。

 だが、劉は和也をハンターへと誘った張本人。今までは知らなかったのだから仕方ないにしても、知る機会があるのならきちんと知って現状把握をすべきだろう。

 そのために言わないといけないのか、と考えるとやはり気は重いのだが。

 

「あー……悪い知らせだが、他に飛竜はいるぞ。あの山にはもういないかもしれないが、他の場所には他の飛竜が」

「え゛っ……」

 劉は表情を歪めてヨウを見つめる。そうなのかと聞きたいのだろうが、そのヨウも微妙な顔をしている。

 ついでに和也もリンに聞いてみることにした。アイルーメラルーの常識ではどうなのかを知っておきたい。

 

「僕たちもあまり知らない。けれど、遠くにはビリビリする竜や水の中にいる竜がいるって聞いたことがある」

「フルフルにガノトトスのことかな……。まあリンも知っているわけだ。リオレウスとリオレイアだけでなく、手ごわい敵はいる。ハンターになったからにはそいつらの狩りも俺らは考えないといけないだろうな。――怖気づいたか?」

「だっ! 誰が! ただ……そうか、そうだったのか……」

 

 少々顔色を悪くしたので意地悪をしてみたが、劉は面白い様に反応を返してくれた。今はまだ衝撃を知った直後で混乱しているかもしれないが、落ち着けばきちんとしてくれるだろう。大丈夫だと思うぐらいに、和也は劉のことを信頼している。

(これでひとまず現状認識はできた、か……? ならとりあえずは良し。多少足踏みしてたけど、今後の成長は期待できるだろう)

 

 人にとって世界とは自分の知覚できる範囲のことを指す。劉にとって世界とは精々が大草原までであり、その先にまで広がっているということなど想定の範囲外なのだろう。それ故に他の飛竜種――大型モンスターの存在を想像できなかった。

 モチベーションが低いと言うだけでブルファンゴの狩りは今まできちんと劉は行っていた。大剣にも慣れて来ただろう時期と考えれば、今この時知ったということは都合がいいのかもしれない。

 

「――帰る?」

「ん、おお、帰ろう」

 少し思考に走ったところをリンが正す。劉とヨウも呼び、四人は里へと戻ることにした。

 

 時刻はまだ昼。いつも狩りに出た時ならもう少し狩りを続けているだろうが、今回はランポスの調査と討伐が目的だ。これを果たした以上、一度里に戻るのがいいだろう。

 そうして四人は里に向けて歩き出したのだが――途中、森が騒がしくなる。

 

「なんニャ?」

「――これ、ランポスか? まだいたのか」

 ギャアギャアという声は確かにランポスを、鳥竜種の鳴き声だと思われる。先ほどに出会った七匹の他にまだランポスが森にいたようだ。

 和也が三人を見つめる。その視線の意味は『まだ狩りに行けるか』という意味だ。多少の疲れは全員に共通してある。だが、ランポス森にがいれば里の安全は保障しかねる。故にその程度の疲れは無視だ。

 

「もちろん行ける。行くぞっ!」

「OKだ。劉は大剣の振りを意識しろ。今回は殴るようにではなく、きちんと斬れ」

「了解だ!」

 答えるより早く劉は駆け出す。大剣という重いものを背負っていながら、それを感じさせない足取りだ。その姿を頼もしく思いながら和也たちも追いかけるようにして走った。

 

 走った時間は一分にも満たない。四人はすぐにランポスの群れを発見する。

 走った勢いをそのままに、劉は大剣を横に薙いだ。勢いと重さと筋力、それらによって振るわれた一撃は――一匹だったランポスを二つに分けた。血を吹き出しながら倒れるそれを一瞥し、唇にまで飛んだ血を舌でなめとりながら獰猛に笑った。

 

 ドスランポスもいた五匹の群れだったが……瞬く間に掃討を終える。後に残るのは血だまりの中に伏す肉塊だけ。

 

「っし!」

「瞬殺だな。それに今回はきちんと刃も立ってた。やっぱやる気のもん――」

 やっぱやる気の問題だったのか――。そう言おうとして言葉を止めてしまった。和也だけでなく劉も、リンもヨウも言葉を発さず一点を見つめて動かない。

 ランポスたちの血でできた水たまり。その中には肉塊やランポスの遺骸が散らばりまさに死屍累々。そこの一部が突如ゆっくりと盛り上がったのだ。

 動き出したそれ。驚愕に表情を彩り見つめることしかできない四人。そして――

 

 

「きゃあああああっ!!!?」

 

 悲鳴と共にそれは崩れた。パシャン……という水音だけがその場に響いていた。

 




二章はこういう書き方の予定
一章はあたふたしながらも恐怖だとか、狩りに対する不慣れなどから文重め。
二章は慣れもあって軽めの文という風に変えています。

作品の雰囲気などもあるでしょうが、どっちの書き方の方が好みか教えていただけると作者の今後に役立つので嬉しいです。

ところで作品中で散々武器の刃が~~などと書きましたが、私は武器類について詳しくありません。そのため、もしこれはおかしくないかというところがあれば言っていただけると助かります。
具体的には「刃が立てなくてもよくない? むしろ大剣ってその方がいいよ?」とか。いや、空気抵抗が無駄にあるでしょうからそれはない……ですよね?


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第12話 遠方よりの客人

 血の海から死体が起き上る。ゾンビゲームを想像させる光景に、和也たち四人は化け物が出たとばかりに驚き固まった。

 時間にすればそう長いものではない。だが、その数瞬程度の時間、彼らは硬直し恐怖さえ覚えていた。

 とはいえその恐怖の対象が悲鳴を上げて倒れたことでそれが人間であるということに遅まきながら気づいた。

 倒れたそれを引きずり出すと小柄な少女が現れる。血で見た目も匂いも汚れ鼻をツンとつく鉄の匂い。気を失っているようだが思わず仕方ないだろうと思うほどに真っ赤に染まっていた。

 飲み水を使って顔をふいたが現れたのは見たことのない少女の顔だ。劉も知らないらしく紅呉の里の住人ではないのだろう。

 少し待つと彼女は目を覚ましたらしく動きが見られる。所在なさげに視線をやり和也たちに目を向けると、目と口を大きく開きかける。が、それをすぐに止めて二三瞬きをすると姿勢を正し頭を下げた。

 

「本当に失礼しました」

「い、いえ、こちらこそ失礼を……」

 

 起きてすぐだというのに少女の最初の言葉は謝罪であった。目には理知的な光が宿り、状況を理解できているようだ。血で汚れていることも喜べることではないだろうが、それを嫌そうにする様子を見せない。どことなく良家のお嬢様をイメージさせる。

 そんな姿に圧されたのか、劉も合わせるようにして頭を下げていた。とはいえ、劉と彼女の二人で謝りあっていては状況を理解できるはずがなく、さっさと口をはさもうと和也は少女の下へと一歩踏み出す。

 

「で、謝るのはいいんだけどさ。あんたはなんだ? なんでこんなところにいた? わかっているのか知らんがランポスに襲われていたんだぞ」

「ランポス?」

 少女の雰囲気に圧されまいと腕を組んで少々威圧的な問いだ。だがそれを気にする様子もなく少女は首をかしげる。それは意味がわかってないというものではなく、わからない単語が出たので言葉に出したというだけだろう。

 内心またかとため息をつきながら捕捉する。

 

「青い鳥竜種だ。そこに転がってるだろ」

 顎をしゃくって示す。先には頭だけや腕だけの肉塊が血だまりの中に落ちていた。一言で言えば惨状だ。あんまりな説明に少女は顔を青くする。

 和也も何気なくやって説明が最悪のものだということに気付き頭を掻いた。いくら雰囲気に圧されまいと気を付けていたと言ってもこれではただの悪人だ。後悔が襲い掛かるが時既に遅し。

 十数秒の時間をおいてから、話は再開された。

 

「失礼しました。――それで何故ここにいるのかというと、私は逃げてきたんです」

「逃げてきた?」

「ええ。つい先日のことですが私が暮らしている村に白い……大きな何かが襲ってきたんです。村の人も次々に殺されて……」

 その時のことを思いだしたのだろう。少女の声に涙が混ざる。

 それはあまりないことなのだろう。そう思いながらも劉に視線をやると、その視線の意味を理解した劉が首を振る。定期的に襲われるような場所では人が生きていけるわけがない。当然人里が襲われるということは多いことではない。

 いかにモンスターがはびこる世界と言えど、モンスターが寄り付かない場所というものも当然存在する。紅呉の里もそうした場所に作られていた。

 多くあるわけでない出来事。それが起きたことの原因を辿るともしかしたらリオ夫妻を狩ったことが原因かもしれないと和也は思い至る。他の飛竜との力の上下は分からないが、リオ夫妻を歯牙にもかけないような大型種は伝説級でないといない。ならばリオ夫妻がいなくなったことで縄張りを広げようとするモンスターがいてもおかしくない。

 

(つまり……この子の村が襲われた原因は遡ると俺らにある……かもしれないのか)

 罪悪感のようなものが襲い掛かる。が、リオ夫妻を狩ること自体が悪く言われるようなことでもないだろう。こうなる未来を想定できたというのであれば話は別だが、和也たちには想像できる状況になかった。責任を感じる必要はないと開き直る。

 

「あの……」

 少女がおずおずとした声が聞こえ意識を戻す。どうやら思考に没頭しすぎていたようだ。

 顔を向けて少女を確認すると、期待と恐怖が混じった顔をしている。否定してほしいのか、肯定してほしいのか。和也には判別がしづらかった。

 

「その、あなた方はどういう……人たちなのでしょうか。先ほどのランポス? でしたか。鳥竜種も……あなた方が殺した……のですよね」

「ああ、俺たちは紅呉の里のハンターだ」

「ハンター……」

 

 少女は目を見開いた。驚きに彩られた顔を見るに、やはり紅呉の里でなくともモンスターを狩ることを生業とするハンターは伝承や伝記で語られるような存在なのだろう。

 見開いた眼はそのままに。顔には期待を張りつかせ、まだ血で汚れた手を地面につけて。縋るように彼女は言った。

 

「あ! あの! ハンターというのはモンスターを狩る一族ということで正しいでしょうか!?」

「え? い、いや一族とかじゃないよ。モンスターを狩るってのはあってるけど」

「ではお願いです! 私たちを助けてください!!」

 

 突然頭をこすり付けかねない勢いで少女は縋る。だが助けてほしいというのはどういうことか。和也たちはもう少し話を聞くことにした。

 少女が言うには白いモンスターは未だ村の近くにいて、村人は皆見つからないようにとおびえ隠れているらしい。だがいつまでもそうしていては食料も底を尽きてしまうし、隠れ続けるということ自体も難しい。

 村はいくつかの逃げ道を探し、逃避行を選択することにした。その最初の一人――すなわち偵察と実験台となったのがこの少女ということらしい。

 逃げる場所はあるか、逃げた先は安全かを知るために、彼女は大草原を越えてやってきた。

 

「大草原を……!」

 少女の話を劉は驚きをもって迎えた。その眼は初めて和也がブルファンゴを狩ったときの里人たちと同じ色を宿している。これだけでも簡単なことではないのだろうと推測できた。

 劉の反応は決しておかしなものではないらしい。少女も驚くことなく、コクリと頷く。

 

「ええ。元よりみんなのために命を投げ出す覚悟でした。そのつもりで来たのですが、幸いなことに飛竜に出会うことなく来れたので。ですが……」

「ここにランポスに捕まった、と」

 和也が少女の言葉を引き継ぐと、悔しそうに彼女は頷いた。安い例えだが、100点取れるテストを無記名で出してしまったなどに近いだろう。飛竜に襲われなかったのならその他雑魚になど襲われて死にかけたくはないだろう。

 そんなどうでもいいことを思いながら、一応気になっていたことを確認することにする。

 

「大草原というのは西の草原のことだよな。あそこ、そんなに広いのか?」

「え? 和也もあっちから来たんじゃないのか?」

 

 藪蛇だったようだ。和也は敢えて言うなら西の森から来たのだが、普通に考えれば森の先から、即ち草原の先から来たと考えるだろう。

 どうやって誤魔化そうかと考えていると、特別気にした様子もなく劉は補足を始める。

 

「大草原はまっすぐ突っ切っても一日はかかるって長から聞いたことがある。飛竜を初めとして鳥竜種とかもいるが、広くて隠れる場所がない。だからあそこを越えていくのはとても危険でできることじゃないんだが……そうか。飛竜がいなくなった今なら越えられるのか」

「――なるほど。だがそれなら遠いな。どっちにしろ俺達だけで判断すべきじゃない。一度里に戻るぞ」

 劉の説明を咀嚼してそう判断した。遠出ならば長期にわたる。それは紅呉の里のハンターとしても一員としても、個人の勝手な判断をしていいものではない。少なくとも孝元に相談すべきだろう。

 今まで和也も大草原の先に何があるのかなど意識したことが無く気付かず考えたことが無かった。

 だが、当然のことながら世界は続いていて、越えた先が存在する。それを里の誰も言わなかったのはあることを知らない者が多いほど、草原を越えるということは不可能に近かったからだ。

 即ちそれは未知の世界。重力が逆さになったり、海が水の代わりに火だったり。そんな摩訶不思議なことはさすがにないだろう。だが、在り得そうだと思えることは十分に考えられ、所変われば生態も変わり、行うべき対策も異なる。加えて遠出をするなら里の守りをどうするのかも考えねばならない。

 即座に判断できることでないし、一人で判断していいことでもない。それが和也の結論だった。

 

 少女はそれは不服だったようだ。村の人は皆待っているのに悠長にしている時間はない、と。だが、かといって慌てていくわけにもいかない。議論する時間ももったいないと感じたのか、決定権を持たない彼女はすぐに決定に従った。

 

 

 途中、リンとヨウが全く喋ってなかったことに気付いた和也が尋ねた所、二人とも大事な話をしていることを感じて黙っていたらしい。そう言う気遣いをリンはともかくヨウもできるということに驚くという一幕、さらにアイルーメラルーに驚く少女という一幕もあったりした。

 

 

 

 紅呉の里に戻った五人はざわめきを持って迎えられる。最初は見慣れぬ少女に対してのものかと思った彼らだが、どうやら全員のようだ。思い思いに何故だと顔を見合わせて当たり前のことに気付く。

 ランポスの討伐をしていた彼らは血で汚れている。いかにも狩りをしてきましたと言わんばかりの姿だ。今までは全員が汚れていたために気付かなかったが、ごく普通の清潔さを保った人間には当然のことく異常と写る。

 

「最初に綺麗にした方がいいな」

 苦笑して言うと劉も同じように苦笑した。だが彼ら以上に汚れている少女はというと居心地でも悪いのか辺りを忙しなく見渡している。

 

「どうした?」

「え? いえ、そのなんでもない……のですが」

 どうにもキレが悪い。最初はざわめきが原因かと感じたが、ざわめきが収まっても少女は忙しなげに眼を動かしている。視線の先に目をやると調薬場や工房が気になっているようだ。とはいえ、観光案内をしている暇はないので先へと促す。

 孝元の家に入る前に水場にて布を濡らし体をふく。あまりのんびりしていられる状況ではないが、それでも清潔になってすっきりしたのか。血の気がよくなり少女の顔は少し赤くなった。

 いつもいるであろう囲炉裏へと案内し、そこで佇んでいた孝元へまずは和也が声をかけた。

 

「長、ただ今戻りました。それと大草原の先からのお客人です」

「なんじゃとっ!? 真か?」

 孝元の声が狭い部屋で響いた。驚きのあまりに立ち上がり、天井から下げられた鍋がぐらりと揺れる。やはりごく普通のことではないのだろう。今まであったことのないような大声だ。

 孝元の驚きに応える形で少女が前へと出た。音を立てずに座り、手をついて軽く一礼した。慌てる気持ちは未だあるだろうに見事な振る舞いは気品すら感じる。

 

「白鳳村より参りましたレイナと申します。鳥竜種に襲われたところこの方たちに救われました。また、不躾ながらお願いがあります」

 その見事な振る舞いに孝元もはっと気づき座り姿勢を正す。その速さはさすがに年の功というやつだろう。

 

「紅呉の里の孝元じゃ。話を続けよ」

「白鳳村の近くには未だモンスターがいます。その退治を、ハンターだというこの方たちにお願いしたいのです。私にできることでしたら何でもしますのでどうか……!」

 

 言葉を終えて手をついて深く頭を下げた。土下座の形だ。語先後礼というビジネスマナーの基本があるが、それにさえ則った礼儀正しいふるまい。

 ほう、と誰かがため息を漏らした。威厳という意味では孝元はかなりのものがある。里の長として住人を束ねてきた貫禄というものだろう。

 その孝元を前にしてレイナは堂々とふるまいあまつさえ礼の所作には気品さえ見え隠れしている。助けを願う際は言葉も震えたが、それ以外は堂々として素晴らしいものだ。

 不躾と言っているが、助けを求める側として誠意は伺える。助けあわねばならない人同士。礼を尽くされれば答えるべきだろう。少なくとも和也はそう感じた。

 孝元はどう答えるつもりかと見てみると孝元と視線が交わる。尋ねるような視線に聞きたいであろうことを察して首肯を示した。

 

「相わかった。助力しよう」

「あっ、ありがとうございます!」

 希望が生まれつつあるのだろう。花が咲いたような笑顔を浮かべる。それを見て少々気が重いと和也は感じながら、それでも必要なことは告げねばならない。注目を集めるように手を上げる。

 

「だが、時間は必要だ。今すぐにはいけない」

「ふむ、そうじゃろうな。和也殿準備はどれほど必要か」

「――最低でも一日。できれば三日ほど欲しい」

「そんな!」

 敵を知ることが必要だ。知ったのなら対策が必要だ。里を出ている間、里の防衛をする人間が必要だ。やらねばならないことは沢山ある。

 里には備蓄がある。だがそれでも遠出することを想定した量など用意していない。ゲームではないのだ、アイテムボックスの中にあらかじめ作っておけばいいという訳ではない。現実には使用期限というものがあるのだから。

 そういった準備のことを考えれば時間はほしい。だが、助けを待つ村人のことを思う少女にはそれはつらいものだ。彼女にとっては今すぐにでも向かいたい。

 

「短縮はできませんか!?」

「できなくはない。極端な話今すぐ向かうことも不可能じゃない。だがその場合、俺達が行く意味はほとんどないし、モンスターに出会えば即、死亡だと思っていい」

「して、準備をおけば多くを助けられるということでいいかの?」

「ええ。恐らくとしか言いようはありませんけどね。準備はどうしても必要です。とりわけ敵の正体すらまだわかってない」

 ゲームに於いては敵に対して武器や防具を選択するのは常識だった。相性の悪い武器で挑めば勝てる相手にも勝てなくなる。さらに土地のことを考えずにクエストを受けて、場所が砂漠でクーラードリンクがないということも多くの人が体験したことがあるだろう。準備は必要不可欠である。

 それを抜きにしても今は昼だ。今から草原を越えようとすると夜を草原で明かすことになる。そうなれば夜番は必要だし、寝不足で挑むわけにもいかないので十分な休息を取る必要があるだろう。万全を期さねば勝てる相手にも勝てないのだから。

 

 そうした準備の必要性は理解できるのだろう。レイナは唇を噛みながら頷いた。

 

「さて、まずは敵を知りたい。特徴を教えてくれるか? 今は白くて大きいということしか聞いてないんだ」

「は、はい……。ええと、大きな羽が生えてます。それで鱗とかは無くて……その、変な形でうまく説明できないのですが……」

「鱗がない……? 四足歩行の獣か? 飛竜なら大抵鱗あるだろうし……いやでも羽があるのなら、空は飛べるのか?」

「ええ。それは間違いないです」

 それなら……とぶつぶつと言いながら候補を上げていく。白いモンスターと言えばウルクススやベリオロスが思いつく。どちらも寒いところに生息するモンスターだ。

 外観が白いということは雪が保護色になるという可能性が高い。それを考えれば即ち白鳳村は――

 

「なあ。その村って寒いところなのか?」

「え? ええ。そうです。霊峰ギリスの麓ですから」

 なら間違ってないかと推測を続ける。羽が生えて空を飛べるというのならウルクススはない。ベリオロスは飛べるが、果たして変な形と言えるだろうか。

 

(変な……? フルフルか? たしかにあいつは形状しがたい……)

 

 そうして答えが出かかったとき、レイナは最後のピースを提示した。曰く、紫色の何かを吐き出していた、と。

 

「っ! ギギネブラか!」

「え?」

「心当たりが?」

 首肯にて肯定を示す。

 ギギネブラはその見た目を言うのなら平べったいフルフルだ。地を這うのに適した骨格に前腕には翼があり飛行が可能。洞窟の壁にへばりついて移動したり、天井からぶら下がったりと奇妙な動きをすることができる。

 何より恐ろしいのはその口だろう。ハンターを押さえつけて口を伸ばして捕食する姿は多くのハンターにとってトラウマなのではないだろうか。加えて、尾も頭と同じような形をしており、そちらには毒腺がついている。

 スタミナが減るとポポを狩って食べていたことも考えれば、間違いなくあれは肉食だ。

 上記のことをゲームのことには触れずに説明すると、話が進むにつれレイナの顔は青くなっていった。

 

「毒を……もしや解毒薬が役に立つのかの?」

「ええ。しかし数はあまりなかったはずです。至急調合を進めて数を揃えましょう。それに他の準備も必要ですし」

「ではそれは私が」

 孝元が製薬場へと動く。

 

「俺らは竜じいの所に行くぞ。武器も考えた方がいい」

「え? おう。けど武器はあるんじゃあ……」

「遠距離攻撃手段が欲しい。毒を持ってるんだ。遠くから戦える手段があった方がいい」

 

 ゲーム時代、和也は剣士とガンナーの両方をプレイしたことがある。その経験から言えば、ギギネブラのようなモンスターはガンナーの方が適しているのだ。加えて、壁に張り付くということも剣士では攻撃が届きにくく面倒である。

 だが、適していようと慣れていない武器での討伐は可能だろうか。ボタンを押せば攻撃できるゲームではないのだ。武器に精通していなければ使うことも難しい。

 それを考えるが結論は同じ。あった方がいいのは間違いない。そうまとめた。

 

「リンはその子を頼む。劉、行くぞ」

 

 まだ顔を青くして震えるレイナをリンに任せ和也たちは竜じいの所へと向かった。リオレウスの狩りより一か月。大きな飛竜の狩りが再び始まろうとしていた。

 

 

 

 竜じいと話し合ったところ、目的はすぐに果たすことができた。モンスターハンターに存在する遠距離武器はボウガンと弓の二種。弓は構想自体は竜じいも持っていたために、すぐさま材料集めに移行したからだ。

 大剣を振り回し木を切り倒す劉。最初は斧を使って切り倒すことを考えていた和也は頬をひくつかせていた。

(前にもやったと言っていたが……こりゃあすげえな)

 ズズン……と地響き立てて倒れる木を眺めていると感嘆の息さえ漏れてくる。当初考えていたよりもずっと早く済みそうだ。

(台車で荷物を運んで……盾は左手に剣は腰にでも挿しておく。んで弓は背負えるか……? 二つの武器を持って使いこなせるかという疑問はあるが……遠距離攻撃手段はやっぱ欲しいな。ギギネブラは全方位に毒ガス出すこともできたはずだ)

 

 仕事は劉が頑張ってくれているので和也は討伐の算段を頭の中で整えている。

 ブルファンゴをはじめとしたモンスターの狩り。それができたのは里の協力や運もあったが、一番は相手の動きを知っているということだろう。

 ならば少しでもイメージを形にし、対応できるようにしておいた方がいい。考えをまとめ続ける。

 そうして考えていくうちに引っかかったのはギギネブラのある攻撃だ。少し体を浮かせた後に腹部にも毒腺があるのか、そこから毒ガスを全方位へと放つ。近づいて斬りつけていれば間違いなく毒を浴びるだろう。

 走ってダイブという緊急回避をすればゲームでなら間に合ったかもしれない。だが現実そんな動きで回避できるはずがない。息を止めていたとしても、触れただけで毒を浴びるのだ。おそらくは皮膚からも浸透するのだろう。

 

(となるとやはり遠距離攻撃を基本にしたいな。それに罠もほしい。毒ガス対策はひとまず肌をさらさない様にすれば少しはマシか? ランポスやブルファンゴの素材を使ってインナーを作れば……。寒いところだしそれがいいかもな。あ、ホットドリンクどうしよう)

 考えていなかったことにひとつ気づくが、それはレイナに聞けばいいだろうと結論づける。最悪、保存食を沢山持っていけばいい。

 

 考えをある程度まとめ上げた所に劉から声がかかる。どうやら待っていてくれたようだ。

 

「大体切れたぜ。大きさはこれぐらいでいいか?」

 大きさは100cmほどの丸太が数本。これをさらに細く切って矢として調える。矢じりには竜骨を使うつもりだが、作成についてはおそらく竜じいに丸投げになるだろう。

 和也は武器の作り方に詳しくなどない。そのため、たぶんとしか言いようがなかった。尤も、劉は和也以上に完成形がわかっていないので聞くしかないのだが。

 

「いいと思う。あとは弦とかも必要か。いや、あの形とかどうやって作るんだろう。――だめだ、やっぱり想像がつかない」

 

「おおい、和也?」

「あ、わりい。えと、現状これで問題はないはずだ。材料を揃えたら俺らは里の防衛のことを考えた方がいいだろうな」

 それに保存食も、と述べる。一日かかる場所への遠出だ。最短でも3日は帰ってこないだろうし、帰ってきてすぐにまた狩りに行くということもできないだろう。ならば先んじて肉を多めに勝っておきたい。それにいない間の防衛のことも考えた方がいいが……それは元々里に用意があるし、加えて一つこやし玉という裏技もあるので大丈夫だろう。

 

 

「なあ。今回の狩りは爆弾は使えねえよな」

「ああ。一日の移動で爆弾を運ぶのは危険すぎるからな。一応調合前の火薬草とニトロダケは持っていくが、あまり数は用意できないな」

 アイテムポーチに入れておけば問題なかったゲームと違い、運搬のことや誤爆のリスクを考えねばならない。そうなると途中草原でモンスターに襲われるかもしれない以上、そんな危険物を持ち運ぶことはできないだろう。

 相談するまでもなく、これは全員共通の考えだ。リオレウスの時に草原まで運ぶのでさえ危険だったのだから。

 

 大型の飛竜であるリオレウスの狩りにはふんだんに爆弾を使った。リオレイアには使わなかったが、あれはそもそも墜落という想定外の倒し方だった。どちらにせよ、大きなダメージソースがないと倒せないと言える。

 弓はそれに至らない。ゲームで弓と言えば睡眠ビンを用いた睡眠爆殺だった。こと一撃という意味で弓は多くの武器に劣っている。

 近距離は毒ガスが危なく、遠距離は威力に欠ける。そこに爆弾という大きなダメージソースがなくなってしまう。考えると不安になってしまう。

 

「勝てっかな……」

 ぽつりと漏らした弱音が耳をうった。心中の不安を漏らしてしまったのかと焦ったが、どうやらそれは劉が漏らしたものだったようだ。劉とて考えがないわけではない。和也より知識という点で劣るが――いや、だからこそわかりやすい高威力の爆弾が使えないということに不安を感じるのだろう。

 

「――勝てるさ。そのための練習だったんだからな」

 だからこそ和也は内心を隠して虚勢を張った。今までにも何度となく痛感していることだ。上の役割は下に不安を感じさせず安心させることだと。

 

「楽な相手じゃないだろう。だがそれでも負けない。そのために……今まで頑張ってきたんだ。そうだろ、ハンター殿?」

「お、おう! そうだな」

 

 劉も虚勢かもしれないが、元気よく返事をした。だが虚勢だとしても構わないのだ。恐怖を感じないなどあり得ないのだから。

 

 

 不安はある。恐怖もある。だが、ハンターとなった時点でこうした恐怖と戦うことは覚悟していた。それでもまだそれが首をもたげてしまうが。

 不安があるならそれを解消すべきだろう。ダメージソースに悩むのなら別のそれを用意すべきだ。和也たちにとって他の大きなダメージソースと言えばやはり大剣だろう。極論、四肢を切り落とすことができればそれだけで脅威は落ちるのだから。

 不安と言えばずっと刃を立てることができてなかったこと。刃を立てる意味を理解してそれを気を付けるようになってすぐにレイナと出会ったがためにまだまだ不安だ。

 

「よし、なら丸太を置いてその後はブルファンゴの狩りに行くぞ。保存食確保と練習を兼ねてな」

「ん、そうだな。じゃあ戻ったらヨウたちも呼ばねえとな」

 

 準備を続ける彼らの顔には恐怖や緊張が張り付いていた。だが、その瞳だけは強い意志に燃えている。それはまさしくハンターの顔だ。

 

 

 

 その日より、白鳳村のレイナの来訪より数えて三日目。和也が最初示した通りにこの日に狩りの為の準備は終えた。

 解毒薬、回復薬、閃光玉、火薬草とニトロダケの粉末。必要なものをできるだけ多く揃え、それは既に運搬用の台車へと載せてある。時間がないことを考えれば台車を用いるほどの量にすべきではないだろう。だが、初めて相対するモンスター、移動の際に在る危険性などを考えれば必要数はとても多い。レイナとまたもひと悶着はあったが、揃えた物はすべて持っていく心算である。

 竜じいに依頼をした弓矢の製造もうまくいった。和弓というより洋弓に近いそれは初心者である和也の為に工夫されたものだ。同じ軌道で放ちやすくするアローレストや照準をつけやすくするサイトまである。矢も矢筒と共に十分数用意され、ギギネブラの狩り程度ならば矢が尽きることはないだろう。

 インナーの用意ももちろん十分だ。麻の布を手や口元に巻きその上からランポスの皮を巻く。手触りは決してよくなく、顔や手がかぶれないかと心配になったが命を守るためだ。妥協はできるものはなかった。

 準備ができた翌日、まだ日が昇る前の紅呉の里。その入り口に老若男女混ざった集団があった。

 

「では行って参ります」

「うむ、留守の間のことは任されよ」

 

 和也と孝元が挨拶を交わす。孝元の後ろでヤマトが大きくうなずいた。和也たちが留守の間、何かあれば狩りや防衛はヤマトがすることになっている。

 ヤマトを見つめ軽くうなずいた後里に背を向ける。そこには既に劉とレイナ、それにリンとヨウが待っている。これからの冒険に彼らは恐怖と、それを乗り越えようとする覚悟を張りつかせていた。

 彼ら全員をゆっくりと見渡した。全員が頷き和也の視線に応える。準備はできている。それを無言にて感じた。

 

「――行こう」

 




まだ文章が説明くさいですね……。本当に難しい


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第13話 大草原の真ん中で

 紅呉の里の西の森を越えた先、そこにある大草原はその名の通り広大な大地の上に広がる草原だ。

 アプトノス、ブルファンゴ、ランポス、ジャギィ、リノプロスなどが生息し、大型のモンスターで言えば北の山沿いならばウルクススやクルペッコ、南側の海に近づけばロアルドロス。広大な土地故に多様なモンスターが生息している。

 リオレウスが棲んでいた北の山は西へと続きその先には北へ向けて道が開ける荒野がある。その更に先、そこにレイナの出身地白鳳村は存在する。

 和也たちが大草原の西の森を越えた頃は太陽がまだ顔を出してから2時間ほど。時間にして午前7時ほどだ。それからまっすぐにレイナの案内の下和也たちは白鳳村へと向かう。

 案内をするレイナを先頭に次いで台車を引く劉が歩く。台車の横にはそれぞれ周囲の警戒をする和也とヨウ。リンは台車の上で何時でもアイテムを取り出せるようにと待機していた。

 

「っ、左方よりランポスが来る。数は5匹」

 台車の左を歩く和也が早々にその接近に気付いた。台車があるために行軍のスピードは遅く、先ほどから既に数度こうして群れに襲われていた。それ故に彼らの動きは迅速かつ正確、そして不機嫌そうだった。

 

「またかよ、しつけえな」

「まったくニャ。ちょっとは休ませてほしいのニャ」

 文句を言いながらも劉とヨウはそれぞれ武器を構える。最初は襲われるたびに戸惑っていたレイナも台車へと駆け寄っている。

 動きを止めた和也たちに声をあげて迫ってくるランポスたち。接敵までおよそ20秒といったところか。そう見定めた所で和也は台車に上った。高くなった視界は新しい武器に適している。

 

「――ん」

「サンキュ」

 いつもと同じ無表情でリンは両手を差し出す。その上には弓と裸の矢。礼を言いながらそれを番えた。準備の時間も合わせて接敵間近。だがこの弓矢の飛距離はさほどないために都合がいい。

 敵は動いているがまっすぐに和也たちへと向けて走ってきていた。警戒のない様子故に動かない的のようなものだ。外しようがない――。浅く呼吸をしてから引き絞った矢を離す。

 

「グギャ!?」

 シュッと空気を切り裂く音と、次いでランポスの悲鳴。飛竜の爪と牙を用いた矢じりはランポスの皮に負けることなく貫いた。

 

「一匹……」

 和也の口から感情のない声がこぼれた。突然の事態にランポスたちは浮き足立って止まっていた。既に狩人と獲物の立場は逆転している。

 

「ギャッ!」

 二匹目も貫く。同時にランポスは和也を危険視したのか、全員が同じように動き出す。

 だが、既にこれは数度目の襲撃。全員が全員その行動は想定済みだった。劉は和也の前へと踊りだし大剣を横に構え盾とする。それは盾であると同時に目くらましだ。

 その横からヨウが飛びだしその手に構えたハンマーをランポスの脚へと殴りつける。さらに劉がダガー――剥ぎ取り用に使っている――で切りつける。連携によってすぐに一匹のランポスは狩られてしまう。

 接敵によって和也は既に武器を持ちかえ、近づいてきていた一匹を狩った。防御力、攻撃力、ともにランポスにてこずるようなレベルではない。慣れも助けて瞬く間にランポスは狩られていく。

 

「きゃ……!」

 少女の悲鳴が上がった。最後の一匹は和也でもなく劉でもなくレイナへと襲い掛かっていた。

 レイナは力が入らないのか、体を台車に預け顔を恐怖に張り付かせている。劉も和也もすぐに動ける状況になく、ランポスの爪は遮る物がないままにレイナへと向けて振りかぶられ――

 

「させない……!」

 その爪が赤く光った。いや、それはリンの土爆弾によるものだ。小規模ながらも突然の衝撃にランポスは一瞬怯む。その隙を逃がさないとばかりにリンは跳んだ。

 小さな体には大きなダガーを勢いそのままにランポスへと付きたてる。刺したそこから赤い噴水が吹き上がった。

 

 白目を向いて痙攣する一匹。体の一部が切れ明らかに絶命しているのが二匹。矢が突き刺さりすでにこと切れているのが二匹。発見から1分程度の出来事だった。

 

 

 資源の有限を気にして使った矢は回収しておく。ならば使うなという話だが、最初に遠距離から攻撃を仕掛けるのは数を減らし安全性を高める。加えて不慣れな弓矢の練習という意味もあった。

 素材も含めた資源の回収をものの数分で終え行軍を再開しようとする。そこまで手慣れた物である。

 だが、それまでリンは台車に載っていたのだが、台車には乗らず前方へと向かう。

 

「リン?」

「――護衛。必要だと思う」

 

 言葉短に交わすだけだったが、意味は通じた。今の襲撃の際、レイナに危険が迫ったことを気にしているのだろう。一応土爆弾の使い方も教えレイナにも護身用の武器は渡しているが突然それを使えるかどうかは別問題だ。

 狩りという意味ではレイナは役に立っていない。元々そのつもりでいる人間ではないので仕方ないだろう。だが、土地勘があるレイナを失うのは今後厳しくもなる。ある意味で最重要の存在だ。

 

(なんて……理屈つけてみたけどな。そんなの抜きにしても女の子だし守ってやらないと、か)

 

 リンも男の子だ。か弱い女の子は守ってやらねばならない――というのもあるのかもしれない。だがとうのレイナはというと申し訳なさそうな顔をしている。

 

「あの、お役にたてずごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔そのままに謝罪の言葉が出てきた。役割分担を考えれば別に気にすることでもないだろう。だがレイナにとっては護身用の武器の扱いの教えを受け、さらに武器も借りているというのに自分の身すら守れない。ただの足手まといというのは気にしないでいられるものではないのかもしれない。

 

「気にするな。慣れないうちは仕方ない」

「しかし、皆様にお願いを聞いてもらった身でこれ以上ご迷惑をおかけするわけには……」

 和也は特別考えずにそう告げた。しかしレイナの声は浮かないものだった。

 ただの役割分担だと考える和也だったが、レイナがそう割り切れていないことに気付いた。

 

――参ったな……。

 

 このまま余計なことを気にしていれば大型モンスターと遭遇してしまった時命取りになる可能性がある。ほんの少しの心の余裕が生死を分けることがあると和也は直感的に信じていた。そう信じていたからこそ、レイナの悩みは無視できなかった。

 

「別に迷惑なんかじゃねえよ。困ったときはお互い様だからな」

「そうニャ。お互い様だから気にすることないのニャ」

 

 悩む和也を余所に劉は軽くそう言い放つ。ヨウもそれに追従した。

 

「大体初めの内なんてそんなもんだって。俺なんて初めの時は和也の指示無視して敵攻撃して怒らせたりしたからな」

「うにゃあ……それはよくないニャ。お姉さんの方がよほどましだニャ」

「だっ、だろう? まあだから気にすることないって」

 

 漫才のような様子を見せる二人。だが、そんな彼らを見てレイナはクスリと笑った。儚げな雰囲気を持ちながらも少女らしい花のような笑顔で。

 

「そういうものですか?」

「ん、ああ、そういうものだ。なあ和也」

「ああ、そうだな」

 

 劉の話を聞いてレイナは落ち着きを取り戻したようだ。その顔には先ほどの笑みの残渣がある。

 そう言えばと和也は思い出す。ランポスの死骸から引きずり出したあの時から、レイナは一度も笑っていない。状況を考えればそれは不思議でもなんでもないが、それはつまり余裕がないということだ。

 

(なんだかんだ言って、俺もやっぱ劉には助けられてばっかだな)

 

 話を聞かずに暴走するところもある。だが劉はブルファンゴの狩りをしている頃から付いてきてくれている。ランポスを狩ろうとなったときも、和也が何も言わずともついてきてくれていた。そうして共に在ろうとしてくれたことにずっと助けられていたのだろう。だから飛竜に挑んだという時も恐怖を飲みこんでおいかけることができたのだろう。

 

 頼りになる仲間。安心させてくれる仲間。そういうものは大事だろう。ただ一人で頼るものなどいないはずの異世界で、そうしたものを得ることができたのは本当に幸せなことだった。

 

「な、大丈夫だって。準備をして和也が大丈夫だって言ったんだ。だから大丈夫に決まってる」

 頼りになる仲間はレイナを安心させようとさらに言葉を紡ぐ。が、『ん?』と思ってしまった。

 

「なあ、なんかその言い方だと俺が臆病なだけみてえじゃん。俺はただきちんと準備をしてその上でないと挑まない――あれ? 間違ってないのか?」

 

 諌めようとしたが間違っていないのかと思ってしまい止まってしまう。それを見て笑い合う劉とレイナ。それは悪くはないのだが……なんだか釈然としないものを感じる和也であった。

 

 

 

 

◆◇◆

 昼食をはさんで行軍は続く。しかし当然のことながらそれ以外にも時折休息は挟み、不測の事態への対応もしていた。加えて台車を引くことでスピードは遅い。結論を言えば未だ白鳳村につかないまま辺りは薄暗くなっていた。

 

「――まずいな。そろそろ止まろう。この辺で夜を明かせる場所を探した方がいい」

「ん? 夜ならモンスターも見えないのは同じじゃないのか? そのまま行った方がいいんじゃねえ?」

 夜を明かす場所を探すことを提案した和也と反対意見を述べる劉。提案は和也からすることがほとんどだが、常識や知識が異なる劉のこうした反対意見は考えの精査の意味で役に立っていた。

 和也の考えは夜行性のモンスターがいるのではないかという危惧からだ。地球でも梟など夜目が効く種は多数いる。それゆえの提案だったがここはモンスターハンターの世界。果たして夜行性というのはいるのだろうか。

 夜行性とは本来的に、見つかりにくい時間を行動時間にする動物種の習性だ。それは即ち狩る側より狩られる側であることを意味している。敵に見つからないように暗くなった夜に移動するというのはそういうことだ。

 和也が恐れるのはモンスターたち。夜に移動しなければならないのはむしろ狩られる側であり、今の和也たちにとっては敵ではないのではないだろうか。むしろ空を飛ぶ飛竜種は恐らくは昼行性であり、夜に移動する方が安全ではないのだろうか。

 

 そうして思考を巡らせる。そこにインナーが引っ張られる感覚を覚え下に目をやる。リンが鎧の下に手を入れていた。

 

「どうした?」

「ギギネブラ、洞窟の中にいるんでしょ? なら暗いところでも見えるんじゃない?」

 リンの指摘にハッと気づく。ギギネブラは頭に目のような模様がついているが、その実目は退化し視覚はない。

 地球において洞窟にいる種と言えばコウモリを最初に思い浮かべる人が多いのではないだろうか。そのコウモリも目が退化し、代わりに超音波を用いて探索する。

 

 リンは恐らく暗いところで生活する生き物は暗いところでも目が見えると思っての指摘だろう。実際は目が退化し代替器官の発達なのだが、結果としては同じようなものだ。目が退化した種は光量に関係なく視えるのだから。

 

「――お手柄だ、リン。白鳳村が近ければギギネブラも近いかもしれない。下手に動くのは危険だったな。それにギギネブラだけでなく、他にも暗くとも視えるモンスターはいるだろう。ここで夜を明かした方がいい」

「了解だ。にしてもリン、よく気付いたな」

「すごいニャ、リン。僕は鼻高々だニャ」

 

 リンがほめられているのに何故ヨウが鼻高々など言いだすのか疑問を覚えたが飲みこんだ。既に太陽は沈みかけ、辺りは闇に染まりつつある。夜を明かすのなら急いで準備をしたほうがいいだろう。

 和也とリンが薪になる木を拾いに行き、その間に劉とヨウが台車の護衛をしつつ夜番の準備を始めた。こうした生活面らしき部分ではレイナも手伝うことができ、準備は瞬く間に進んでいった。

 

 

 

「なあ、ギギネブラってどういうモンスターなんだ?」

 

 食事を摂りながら劉が唐突に尋ねた。夜は昼食と違い湧水とキノコを見つけたために肉とキノコのスープだ。単純な味ながら肉のうま味と塩がスープにもよくあっている。

 劉の質問はそんなスープを食べながらのものだった。問いかけられた和也はちょうどキノコを口に加えた所だ。

 

「う゛ん゛?」

「ああ、いやすまん。食べ終わってからでいい」

 

 返事と共にキノコの軸が飛び出す。あまりにもタイミングが悪かった。

 口に含んだキノコ共々咀嚼して飲みこんで、それでから漸く質問に答えることができた。

 

「見た目はちょっと説明しづらいんだよな。なんかちょっと気持ち悪い風貌してるし。ああ、そう言えば興奮すると体皮が黒くなるんだっけ」

 箸の代りの木の棒を宙を彷徨わせながら説明した。なんだかイカみたいな特徴だなあなどと思う。当然これだけではわからないようで眉をひそめている。

 

「脅威は毒腺だな。上級になるほど――ああいや、強くなるほどその毒も強くなる。最上位になると触れれば一分程度で死に至る」

「ッ、それは恐ろしいな。解毒薬は常に使えるようにしておいた方がいいか」

「ああ。それに今更逃げるわけにもいかねえしな」

 

 ハンターだから。だから逃げ出すわけにはいかない。言外にそうこめる。

 劉は毒の話を聞いて少々怯えを見せたものの、決意が込められた瞳がまっすぐに和也を射抜く。焚火の炎を受けて影は揺らぐ。けれど瞳が揺らぐことはない。それは確固たる決意を秘めた証だ。

 

「恐ろしくは、ないのですか」

 レイナの声がぽつりと焚火に混ざり溶けた。それは誰へ向けてのものだったのだろうか。和也たちに向けられたようで、同時にレイナ自身に向けられているかのようだった。

 

「怖くないわけがないな。恐ろしいとか、怖いとか、逃げたいとか。そうした気持ちは当然ある。――けど逃げちゃいけない。逃げたらだめなんだ。逃げずに戦うのがハンターだからな」

 

 レイナの為に、白鳳村の為に。そして何よりも自分たちのために。戦うと決めた決意と覚悟を萎えさせないために、ここで逃げるわけにはいかない。例えどれだけ恐ろしくてもだ。

 和也の言葉にはそうした意味がある。本当にそれが実践できているのか、しり込みしたり逃げ出そうとしたりしていないのか。それはわからない。けれど、声に出して、逃げないという意思を出して、逃げられなくしたかった。

 

「ハンター……だから」

「ああ、ハンターがいる。ハンターが戦う。だからモンスターが出ても安心できる。ハンターはそうでないといけないと思う」

 

 ランポスがいい例だろう。最初に出会った時は村の存亡さえ考えなくてはいけなくなったというのに、今では調査と並行して狩りをできる。和也の存在の有無という意味では変わっていないが、ハンターの有無では違いがある。

 安全を守るのがハンターであり、それはつまり安心を守るということでもある。和也はそう考えていた。

 

「ああ、確かに和也がいるのといないのとで全然違うんだよな。飛竜の時だって、和也がいなかったらきっとみんなで逃げ出してたし」

「そ、そうなのか? まあそういう希望とかなんだと思う。他の人を引っ張って、安心させてくれる存在。そういうのに俺はなりたい。だから今だって怖いとか感じても、逃げちゃいけないって思う」

 内心で遠くに来たものだ、などと思う。

 英雄になりたいと考えたことが無かったわけではない。けれど、自分はそんな器ではないと思っていた。今も怖いし逃げ出したい。そうした気持ちもあると言ってしまっている。安心させる存在になりたいと言いながら、そう隠すべきことを隠せていない。やはりそんな器ではないのだろう。

 だが、劉がいて、リンがいて、ヨウがいる。だから和也は戦える。逃げ出さずにいられる。一人で何でも解決できる英雄や勇者にはなれなくても、リオレウスの時のように協力して解決できればそれでいい。ヒーローなど望まないと思っていたのが懐かしい。

 

「希望……そうですよね」

 和也の話に思うところがあったのか、レイナは小さくつぶやいた。その眼は悲しげな憂いを帯びている。冷めつつあるスープで手を温めながら、やがてレイナはぽつぽつと語り始めた。

 

「私の母はモンスターから村の皆を守って亡くなりました」

 表情こそ憂いを帯びているが声は淡々としたものだった。ただなんでもないことを言うかのようなそれ。よくあること、だからなのだろう。

 

「私も母のようになろうと。母のようになりたいと村人を守れるようになりたい思っていました。それがこの体たらく。私は自分が情けないです」

 

 昼のことを気にしているのだろう。村人どころか自分の身さえ守れなかった。他人を守りたいと願う故にそれは悔しいだろう。

 だが劉も言ったように初めはそういうものではないだろうか。いきなり成功する人物はいない。初めは失敗をして、それを繰り返して成功を収めるのだ。言葉を選びながらそれを告げる。

「レイナがそう覚悟や意思を持っても、慣れというものもあるし適性だってある。昼の件なら仕方ないんじゃないのか?」

 しかしレイナは首を振った。

 

「それではいけないのです。このような有事に何もできずただ震えているだけなど……」

 少し低くなった、悔恨のこもった声だった。

 和也の目から見て、レイナはずっと頑張っている。台車を引いてとはいえ丸半日歩いてもまだ白鳳村にはつかないのだ。それだけの距離を、女の子一人で越えてきた。モンスターを狩る手段などなく、身を守るすべなどなく。モンスターが徘徊するであろう草原を越えてきた。決して震えているだけなどではない。

 だが、レイナは満足していないのかもしれない。レイナはできていることではなくできないことに目を向けている。何を言えばいいのか、和也にはわからなかった。

 

 夜の食事会に訪れた沈黙はそのまま消えることはなく。どれほどの時間が過ぎ去っただろうか、食事も終え片付けを済ませる。

 

 食事も終えれば当然することはない。普段からそうなれば後は眠るだけだ。食事の時間も早く、空はまだ少し暗くなってきたという程度だが、夜眠る際に番をだれか経てないといけないと考えるともう休むべきだろう。

 

「俺と劉で交代で番をしよう。レイナはそこで寝て――」

「え? なんでレイナはしないんだ?」

 もう休もうと切り出し、順番や寝床について話し合おうとした。だがすぐに横やりが入る。

 

「そりゃあ女の子だし――」

「関係ないんじゃないか?」

「ええ、私一人暢気に寝るなどあり得ません」

 

 理由を述べるも意味はなかった。劉だけでなくレイナにも否定される。

 確かにこの世界においても女性は男性に比べ筋力は劣っている。それ故に力仕事などは男性が従事している。

 だが、寝ずの番は違う。起きているというだけなら筋力ではなく体力の問題であり、そこは最低限あれば大丈夫だ。

 確かに起きていても対処はできないのでハンターである和也や劉に任せた方がいい。だが、そのハンターである二人は十分に休息を取る必要がある。劉とレイナの考えの方がよほど合理的であった。そんな二人に一抹の疎外感を感じていた。

 両手をあげて静かに首を振った。

 

「わかった、じゃあ三人で交代で番をしよう。ただレイナ一人起きててモンスターが出た時に困る。サポートにリンとヨウ任せたい」

「了解ニャ!」

「わかった」

 降参を示して話を進める。元々リンとヨウは一人だけで起きていても対処が難しいだろう。彼ら三人で組み合わせるのがいいかとまとめた。それには反論はないらし。リンとヨウもそれぞれ飛び上がるのと首で肯定を示した。

 

「俺か劉がどちらかが起きている状態が本当は望ましいが……それをしていると明日寝不足になりそうだ。そこは諦めて極力休もう」

「ニャ。何かあったら僕たちが起こすから泥船に乗ったつもりでいるがいいニャ!」

「――それ、沈む。寝たまま起きられなくなる」

(泥船だとか大船だとかあるんだなあ……)

 

 疎外感はなかったが、今度はただ純粋に不安になった。

 

 

 浅い川底で砂金を拾う。見つけられた砂金はお椀のような手ですくい上げられ水面から顔を出す。和也の目覚めはそんなものだった。

 何かに揺さぶられる感覚から目を覚ましたものの、仄かに明るいがまだ周囲は暗いままだ。変な時間に起きてしまったと再度目を閉じたが、再度起こされることで漸く次第に覚醒しし、和也は夜番のことを思いだして目を覚ました。

 

「交代か。了解した」

 あくび混じりに体を起こす。柔らかいベッドでなど久しく寝ていないが、それでも木と布のベッドと地面では違うらしい。背や腰が凝り固まったかのように痛む。

 

「おはようございます。和也さん、辛そうですが大丈夫ですか?」

「ああ、辛いのはみんな一緒だろう。後は俺が起きているから寝ていいよ」

「了解ニャ!」

 その声と共にバタンと何か音が鳴った。目をやると先ほどまで夜番をしていたはずのヨウが地面に突っ伏している。もちろん、布団代わりの布さえかけずに。

 

「――何してるの?」

「寝るのニャ」

 寝ていいよ、じゃあ寝よう。そういう考えらしい。何故布団をかぶることもせず、よりにもよってうつ伏せで寝ているのか。そもそもなぜ転がるのではなく倒れ込んだのか。疑問はあるが和也は放置した。もしかしたらまだ眠いのかもしれない。

 リンが母親のように世話するのを横目で眺めながら、焚火の前に陣取って眠気を取る。パチパチとやや単調に爆ぜる音は眠気を誘うが、痛いぐらいに火に近づけば眠気は消えて行った。おやすみなさいとレイナが寝転がり、和也は一人となる。これからおおよそ3時間、眠らずに一人起きていなければならない。

 

(退屈だな、これ。思っていたよりもつらい)

 何もない夜をただ過ごすというのは和也が想定していたよりも辛かった。何も考えずにただぼーっと佇んでいると、きっとそのまま寝てしまうだろう。だが退屈を紛らわせるものは何もなく、そこに在るのは薪が爆ぜる音と火の温度、それに仲間たちが時折寝返りを打つ音や寝言だけ。楽しいものではない。

 

 パチパチ、と爆ぜる音を和也は数え始めた。何の意味もない行為だが、眠気を取る効果ぐらいはあるだろう。それが千を超えたあたりのことだった。

 

「和也さんは……怖くないのですか」

 聞き間違うはずのない女性の声はレイナのものだ。起きてしまったのか眠れなかったのか、レイナの声は寝ぼけているようなものではなくはっきりとしたものだ。

 和也はレイナが起きていたことに驚きながら、けれどどこかそれを冷静に受け止めていた。なんとなく、そんな気がしていたのかもしれない。

 レイナの質問は、やはり昼間のことを気にしているのだろう。食事の時も同じことを話したはずだが、少し言葉を選びながら紡ぐ。

 

「怖いよ。すごく怖い」

「…………」

 和也が先を言おうとしていることがわかっているのか、レイナは無言で言葉を待った。ただ木が爆ぜる音だけが場に響く。

 

「けど、誰かがやらないといけないんだ。それの適性が一番合ったのが俺だった、ってとこかな。俺がやらないと誰がやる。そんなところかな」

 最初の狩りだけは自分が望んだものだった。ターゲットこそモスであったはずがブルファンゴを狩ったが、それでもあの狩りは和也自身が望んだものだった。だが、その後のランポス、リオレイア、リオレウスは流されるままにだった。望んだものではなく、ただやらねばならなくなっていた。

 だがそれでも逃げることはできた。状況に強制されたとはいえ、逃げるという選択肢は常にあった。それでも逃げなかったのは、何よりも和也が望んだからだ。誰かを犠牲にして生き残るのではなく、全員で協力して生き残るということを。全員を引っ張っていくのに和也が最適だった、といったところだろう。

 

 昼もそうだったが改めてそんなことを言うのは気恥ずかしかった。そも意識して、していることではない。結果として言葉で表すならばそんなところだろう、というのが和也の気持ちだ。

 

「――そう……ですよね」

 

 レイナはそれに何かを見出したのか、決意と覚悟を秘めた声で返事をした。

 レイナへ視線をやるが、彼女は和也に背を向けて横になっている。どういう気持ちでそれを言ったのか、探るのは難しかった。

 パチパチと気が爆ぜる音がこだまする。もうその音だけしか聞こえなくなった。

 

 

 




一章よりは読みやすくなったでしょうか。個人的には一章よりはシンプルで読みやすくなった分単調になっていると感じています。うまい書き方は未だ模索中……
 



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第14話 白鳳村

 夜番をした次の日、明くる朝、歩を進め続けた結果和也たちは白鳳村へと目指す。白鳳村は霊峰ギリスの麓にある。そこに近づくにつれ高度があがり気温は下がるちらちらと地面には白いものが見え隠れし始めた。

 重力に引かれ台車は重い。雪が車輪を取って進むことを妨害する。吐く息は白く、吸う空気は冷たく、喉は悲鳴を上げている。和也たちはそれを無視して進み続け、白鳳村へ到着した。

 紅呉の里とは違い塀で囲まれてはいないが代わりに自然の要塞、雪の乗った岩肌が顔を出している。そんな場所に白鳳村はあった。いや、現状では"元"白鳳村というべきだろうか。

 人が手放して長い時が過ぎ去ってしまったかのような荒れた家々。壁は壊され、屋根は吹き飛ばされ、高度があり寒い白鳳村においてとても人の住める環境ではない。元からそのような造りだった、などということはないだろう。

 

「そんな……」

 

 レイナが呆然と呟いた。人っ子一人いない自分の故郷。荒らされ、壊され、朽ち果てるしかない村。モンスターの襲来によって村を手放すことを考えていたと言ってもこのような辛いものを見たくはなかった。

 

「間に合わなかったって……いうのか……」

 ここまで来たことが無駄になったのか。そう呟く劉の声色は暗く、普段の彼からは想像もできないものだった。

 

 一方で、和也は荒れた村を務めて冷静に見つめていた。なんというか、違和感があったのだ。

 壊れた家は何か巨大な力がぶつかったかのよう。消えた屋根を持つ家は壁は壊されておらず、まるで局地的な台風が屋根を吹き飛ばしてしまったように見える。近くにあった食糧庫だろう野菜や果物が置かれた家も同様に吹き飛ばされているが、中身は辺りに散らばっている。全てが無事とは言い難く潰されぐちゃぐちゃになっているものもあるが、食われたわけではないらしい。

 何かが暴れた跡。それを思わせる村。ギギネブラの襲撃があったのだからそれはおかしなことではないはずだ。だが……と和也は考え、あったであろう過去を脳内で再現しようとして気づいた。

 

(そうか……。ギギネブラがこんな暴れ方をしたっていうのがイメージできないんだ。首を振り回したりはするけど、基本は毒吐きだから……!)

 

 疑問の正体が解け得心がいく和也。だがそこからもまだ違和感は残っている。しかしそれを育てる前に、現実の方へと引き戻される。

 

「俺らがもっと早く来ていればこんなことには……!」

「間に合わなかったのかニャ?」

 

 劉は未だ悔しそうに握り拳を作る。それが白く染まっているのは辺りの白に染められたからではないだろう。ヨウも陽気な顔がいつになく沈んでいた。

 

「ううん、ちょっと待って。確か別の所に避難してるって……レイナ」

「はっはい、たぶんあっちです!」

 

 呆然としていたレイナをリンが呼び戻す。リンのそれにレイナはじかれたように返事をした。恐怖と悲哀に彩られた顔をさっと引締め、彼女は右方、村の中心より東の木々が乱立する箇所を指した。

 無事を確かめたい、答えを知りたい、報われるのか知りたい。彼らはレイナの先導を受けただ走る。邪魔な雪を蹴りあげ、進むごとに深くなっていく足元に苛立ちを覚えながら、それでもただ走り続けた。

 たどり着いたのは洞窟のような場所だった。視界を遮るかのような崖にほんの小さな穴が一つ空いている。大人一人、横歩きで漸く入れる程度の狭く細長い穴が。

 

「このあたりのはずなのですが……」

 あたりを見渡すようにレイナは首を振った。体はまだ洞窟を指し、歩もゆっくりとだが向かっている。あの先に答えはある。それを知りたい、けど知りたくない。その相反する気持ちを抱えてレイナの歩みはどこまでも重かった。

 レイナの後ろを歩く和也も、洞窟へと駆け寄りたいという思いを無視して辺りを見渡す。足首ほどまで積もった雪が地面を覆い隠している。だがいくつか穴が開いたかのように雪がない箇所があり、そこから木が雄々しく天へと延びている。植林したという訳でもないのだろうが木はまっすぐに天へと向かい、寒さに負けないと言うように枝の先には葉と果実が残っていた。

 はああ、と吐く息は白く。突き刺さるような寒さが肌を苛める。隠れる場所などないだろう。木の周辺は地面が少しだけ見えているので穴を掘ることも可能かもしれないが、それにしたって、集団で隠れるのは無理だろう。ならばあそこしかないだろう。そう結論付けて視線をもとに戻す。

 隠れる場所などない。雪原とそこに生える林。人の集団が隠れる場所はあの一か所を除き他にはない。あの一か所、即ち洞窟だ。レイナも覚悟を決めたのか、先ほどまでとは打って変わって確かな足取りで洞窟へと向かった。

 

 怯えと期待を含蓄する歩み。それは唐突に現れた一人の男によって破られる。

 

「あっ……ああっ!!」

「ああっ! よかった、無事だったんですね!」

 

 驚きと、そこに喜びを乗せた男の表情。察するに白鳳村の住人だろう。レイナも先ほどまでの怯えなど捨て去り、花咲くような笑顔でそこへ駆けた。

 

「おい皆っ! 出てこい! レイナが戻ってきた!!」

 男は自分が出てきた洞窟へと声をかけ、そこから次々と人が湧いて出てきた。横にならねば出れないはずの洞窟の入り口は、いつの間にか広々としたものへと変わり大人一人余裕で通れるものになっていた。

 

「おお、レイナ。良かった、無事だったか!」

「ああ、そうだ本当に無事でよかった。それに無事ということはもしかして……!」

 

 一人の男性が涙を流してレイナの手を取っていた。どこか目鼻立ちがレイナと似ており、外見から察するにレイナの父親だろう。その父親と思しき男の横で、別の男がレイナに詰め寄る。言いたいことを察したレイナは手を和也たちへと向けた。

 

「はい! 平原を越えた先に人里はありました! あの方たちはそこに住む人たちです」

「おお……!」

「これでやっと……」

 安堵の息を漏らす人々。それを本当は邪魔したくはないなと思いながら、気を緩めて欲しくないので仕方ないと諦め手を上げる。周りの視線が集まっていることを確認してから口を開いた。

 

「レイナから大体の話は聞いています。しかし、このまま今すぐに大草原を越えて逃げるのは不可能です。ですので俺たちがとるべき行動は既に決まっています。――ギギネブラの狩猟です」

「ギギネブラ……?」

「あの、白い飛竜のことよ」

 ざわり、と空気が震えた。空気だけでなく人々もまた同様に震えている。それは恐怖というよりは怒りであった。

 

「あれを狩るだなんてできるはずがないだろう!! 俺たちがどれだけ苦労してあいつから逃げてきたと思ってる!! 大体モンスターを狩るだなんてできるはずがないだろうが!!」

 叫んだ男と、それに同調して他もそうだそうだと騒ぎ出す。男の怒声が吹き荒れ、女は恐怖と悲哀に彩られる。そうした変化を見つめながら和也はやはり冷静だった。

 

(やっぱりと言うべきか、こうなったか。レイナから聞いていたが、やっぱりモンスターは狩れないものが常識か)

 今でこそ紅呉の里ではブルファンゴを狩っているが、かつては同じくモンスターを狩るなどできるはずがないという考えだった。狩人だ狩猟だというものは伝承や伝説にすぎず、存在しないお伽噺のそれに近い。その意味で白鳳村の反応は至極当然のものなのだ。

 怒声と悲哀。パニックになりかけているそれを見つめながら、完全にパニックになる前に、けれど落ち着きを取り戻さないうちに。それを見計らって和也は告げる。

 

「モンスターを狩ることは、不可能じゃない。俺達は北の山の飛竜を狩った。俺らが身に着けている鎧と、これがその証拠だ」

 腰につけた鞘から片手剣を抜きだし天へと掲げた。リオレイアの外殻で作られた柄が周囲の意雪の白とのコントラストでひときわ目立ち、透き通るような銀色の刀身が雪の反射光を浴びて輝いた。

 和也の後ろで音が鳴り影が差した。和也の後ろで劉も同様に大剣を掲げる。リオレウスの赤い外殻が雪の白の上で燃えているかのように写り、片手剣よりはくすんだ色の刀身が鈍い光を放っている。

 上位の存在に勝つための武器。その圧倒的な威圧感に白鳳村の人々は固まってしまう。刃を見るのは初めてではない。はっきりとした精製の技術こそないが、金属の精錬技法は僅かながらに存在する。そこから食物を切るための包丁のようなものは作られていた。

 だが、できるのはなんでもない野菜や果物を切るためのものだ。鎧の役割を果たす鱗を持つ飛竜を狩る鋭さを持った武器など作りようがない。風が吹いたわけでもないのに、全員が一斉に震えた。

 

「モンスターを狩るのは不可能じゃない。生き残るためにはギギネブラを狩る必要がある。だから狩る。目的はただ生き残るために」

 

 なすべきことを成す。やるべきことをやる。ただそれだけを告げる和也の声色は冷たく平坦だった。恐る恐るといった態で一人が自信の考えを告げる。

 

「狩らなくてもすぐに逃げれば関係ないんじゃあ……」

 

 うんうん! と何人かがすごい勢いで頷いた。だが和也はそれを否定する形に首を振る。

 

「狩ることにはいくつか理由があります。まず一つ目の逃走の安全。ギギネブラがいなくなれば逃げるのが安全です。もし逃げている途中でギギネブラに見つかれば逃亡が可能かという以前に生き残れませんから」

「逃げる最中に見つかったらその時戦うっていうのは……?」

「だめです。というより、俺たちはまだそれでもいいのですが、その場合あなた方を守ることはできません」

 

 その言葉にゾクリと恐怖が心にしみこんだ。何も和也はおかしなことは言っていない。ごく当たり前のことを口にしただけだ。だが、それ故に恐ろしい未来を容易く想像させる。村人全員で移動している所に飛竜が来襲し、逃げ惑う村人たちという未来を。

 モンスターを狩れると聞いて、勝手にモンスターが現れても平気だなどと考えてしまった。だからならばさっさと逃げた方がいいと考えた。だが、現実はそうもいかない。悪い未来は容易く訪れる。男が口を閉じたのを見て、言葉の先を続ける。

 

「ギギネブラを狩る二つ目の理由ですが、逃亡の必要性自体をなくすためです。というのも、紅呉の里に現在あなた方全員を受け入れることは不可能です。土地も食料も足りません」

 ギギネブラがいるから逃げようとしている。ならばギギネブラがいなくなれば逃げなくていい。そんな簡単な理屈を提唱する。それは簡単さ故に簡単に理解できるし、その後に続いた内容も同様だ。

 白鳳村がそうであるように、紅呉の里も必要以上に土地を広く持っていない。土地を広げると言うだけなら木を切り倒し開拓すれば事足りるが、それでも食料は足りない。肉を狩るにしても限度はある。何より開拓は大きな危険を伴うだろう。

 白鳳村の面々にとっても、生まれ育った故郷を捨てるということに抵抗がある者は当然沢山いる。それがギギネブラがいなくなればまだ住むことができる。そんな当たり前な未来を提示され、それがいいと未来を望む。

 加えて言えば、白鳳村の周辺には当然水や食料があり人の生きるための環境はそろっている。土地も家が壊されたとはいえ当然まだある。開拓を考えるならばこの場所を利用した方が都合がいいとも言えた。

 

 早く逃げた方がいいから狩った方がいいと思考が推移していく。説明の意味があったことを感じた和也は締めにかかった。

 

「以上がギギネブラを狩ろうとしている理由です。危険はあるが得られるメリットも大きい。大体理解してもらえたかと思います」

 

 不安を残しながらも大体の顔がそれに頷いた。残る面々も多少渋面ながらも反対するつもりはないようだ。代表ということなのか、レイナの父と思われた男が前に出て頷いた。

 

「わかりました。それで私たちはどのようにすれば……?」

「そうですね、一先ずは先ほどまでの場所に隠れていて下さい。狩るのは俺たちがやりますから。――ああいや、ただ案内を一人つけてほしい。俺達はこの周辺には詳しくないですから」

 

 隠れていていい、という言葉を聞いて歓喜にざわめき。案内をつけてほしいと言われて絶望に呻いた。それもそうだろう。今まで危険を承知でギギネブラと相対することを考え始めていたのだ。何をするかまでは大雑把なイメージで考えていなかったものの戦うことを考えていた。それが隠れてていいと言われれば嬉しいだろう。地獄から天国へ。そしてそれが地獄へと戻された。隠れていていいと和也が言った時、渋面だったものも表情が明るくなっていたと言えばわかりやすいだろう。

 ざわめいた空気は留まったまま消えず。互いに顔を見合わせて誰も返事をできずにいた。案内は最低でも一人は必要だ。だが一人いれば別に他はいい。その明らかな貧乏くじを引きたがる者はいないのだろう。全員が貧乏くじを引くのなら諦めがつく。誰も引かないのなら万々歳だ。だが、誰か一人が引かねばならない。それが誰にとっても引けない理由となる。

 

 そのまましばらくは沈黙が続くのか。そう思われた。

 

「私が行きます」

 

 一人の少女の声がその場に響く。そこにいた全員の視線がその少女に、レイナへと向けられた。

 

「レイナ!?」

「私が行きます。この周辺には詳しいので案内はできると思います。よろしいでしょうか」

「――ああ。わかった、頼む」

 

 レイナに任せるということには躊躇いが少々あった。思わず叫んでしまうがレイナは凛とした態度で意思を示す。苦虫を噛み潰したような顔で和也はうなずいた。

 先ほどまで長い旅路を歩いてきたのだ。和也たちと出会う前から、この場所から紅呉の里の西の森まで歩いていたのだ。当然疲れは溜まっているだろう。休息は何度かしているが、その全てが消えたわけではあるまい。何より、肉体的なものだけでなく精神的な疲れは未だ消えてなどいないだろう。

 それでもレイナは返事をした。必要なのは土地勘で、他は案内をしようとする意思だけだ。他人に無理やりさせても効率が悪くなるだけだろう。レイナがやるというのなら、レイナに任せる他はない。

 

 レイナが案内をすると返事をして。そこにあったざわめいていた空気は霧散した。残ったのは安堵と躊躇、それに言い様のない罪悪感だろう。複雑そうな表情を見て内心ため息をつきたくなる。

 

「だいじょーぶニャ。ギギネブラニャんて、僕たちがちょちょいのチョイで狩っちゃうニャ!」

 ヨウの明るい声がそこに響く。楽観的な空気は重い空気と同様に伝播し感染していく。重くのしかかるような空気が消えて、場に少し明るい雰囲気が戻った。光を反射して雪の地面が光るように、ヨウの明るさが周りへと染み渡り、伝染っていった。

 ただ何人か、不機嫌そうな複雑そうな顔を残したままに。

 

 

 白鳳村の片隅で劉は座り込んで不機嫌そうにしていた。苛々と不機嫌を表すそれは今にも聞こえるように注意した舌打ちをしそうだ。

 内心ため息を吐きたくなりながら、和也は劉の視線の先を見る。先には白鳳村の住人が数名、食糧庫から食料を運び出している。今は和也たちの護衛の下、食料を洞窟へと運び出している最中だ。

 洞窟はいざという時の避難所と保存用の貯蔵庫を兼ねている場所らしいが、さすがに食料が無くならないわけではない。狩りを始める前に、護衛をつけて運んでおこうという訳だ。これには、護衛がついた事で安全に作業できるということもそうだが、レイナを休ませるという意味もあった。

 劉とてそれは分かっている。だがというべきか、だからというべきか。劉は不機嫌になっていたし、和也にもそれは分かっていた。

 

「気に食わねえな。この村」

 不機嫌のままに舌打ちこそしなかったが、それは明確な言葉で吐き出された。村を救うための狩りを拒むような言い方だが、防具も武器も身に着けやる気は十分だ。劉が不機嫌になっているのは先ほどからある村の空気が原因だろうと和也にも想像がついていた。それを肯定するように劉は先を紡ぐ。

 

「レイナ一人に押しつけやがって……。自分がやろうっていう気概はねえのかよ」

 淡々と苛々を吐き出すミズキ。大草原を越えるという大業をレイナに押しつけ、その後さらにギギネブラを狩るための案内もレイナに押し付けた。今の食糧運搬こそレイナはしていないが、これとて和也たちが『力のある男たちの少数にしたい』という制限を掛けていなければレイナは動いていただろう。

 レイナは初め15,6歳ほどだと思っていたが、話を聞けば実際は14歳だった。14歳の少女に村の命運を分ける仕事を背負わせ、自分は安全な穴倉でただ座して待つ。それがどうにも許せないのだろう。

 

「そう言うな。誰だって死にたくねえし痛いのは嫌なんだ。誰かがやってくれるっていうのならそれに甘えても仕方ないだろう。それに複雑な表情してたし、罪悪感はあるんだろうさ」

 それでも14歳の少女に押し付けるな。内心ではそう思わずにいられなかった。不和を作ると後々面倒かとも思い宥めてはいるが、和也とて思うところがないわけではない。それを飲みこむことができたのは一重に理不尽な社会に晒された経験ゆえだろう。

 

「だー! 納得いかねえ! 助け合えよ、助けろよ!」

「こればっかしはなあ……。理想論だけじゃどうにも」

 

 助け合いの精神を持てなど理想論だ。そう和也は断じる。だが紅呉の里ではそれはきちんと根付いていると言えよう。それ故に劉は白鳳村に違和感が強い。しかし処変われば常識も変わる。白鳳村においてはそれは育たなかった。白鳳村が優れているとか劣っているとかそう言う話ではない。ただ、紅呉の里では助け合いは必要であり、白鳳村では助け合は必要なかったというだけだろう。

 人は助けあわねば生きていけない。それは綺麗事ではなくただの現実だ。だが、白鳳村ではその程度が、紅呉の里に比べて低いと言うだけである。

 

 未だ納得できずに喚いている劉をヨウは不思議そうに見つめていた。何が不満なのかわからないという顔で、小首をかしげて疑問符を浮かべている。

 

「僕は変な人じゃなくてレイナで良かったって思うんだけどニャ」

「同じ。レイナは信用できる」

 

 案内を頼むのなら信用できる相手がいい。そう言う二人に最初は呆然として見つめる劉だったが、項垂れるようにして呟いた。

 

「それは俺も同じなんだけどさあ……」

 

 複雑なようだ。確かに劉にとっても信用できる相手で良かったと考えられる。今白鳳村は信用できないというような考えがある現状、レイナ以外の案内など無い方がましだとさえいえる。だがそれを認めたくない、そうであってほしくないという気持ちが整理つけずにいた。

 

 

 じゃり、という足音がその場に響く。あまり人に聞かれたくない話だ。反射的に音の方へと首をやる。いたのは白鳳村の村長――レイナの父親だった。

 

「申し訳ありません、皆様にはご迷惑をおかけします」

 深々とお辞儀をする彼を前に、それまでの気勢を削がれ言葉に詰まる劉。それを一瞥して和也が応える。

 

「いえ、お互い様です。それでどうしたのですか? 運搬の準備はもう整ったのでしょうか」

「いえ、そういう訳ではないのですが……ご相談がありまして……」

 

 まだ準備は終わっていないだろう。急ぎではあるがすぐに終わるわけでもない。そう思っての質問は正しく否定を以て返される。

 相談というのは言いづらいものらしい。目が泳ぎ手持無沙汰の手を摺合せ、顔全体は俯きがちだ。だが、余計な時間は掛ける気はないと言うように、すぐに口を開く。

 

「案内ですが、誰もつけずに行くと言うのは可能でしょうか」

 

 その言葉を聞いて背後の空気が熱くなったかのような錯覚を覚えた。それが果たして錯覚なのか、それとも真実なのか。知りたくないと思いながら余計なことを言われる前に先に告げる。

 

「無理ですね。不慣れな土地で隠れる場所もわからない。そんな状態ではとても飛竜を狩ることなどできません」

「そう……ですよね」

 

 言わずもがな。その態度を見てわかっていたのかと確信を得る。ならばなぜそのようなことを聞いたのだろうと疑問に思うが、続く言葉を聞いて納得した。

 

「では、せめてあれを守ってやってはくれませんか」

「レイナのこと、ですよね」

 頷く村長を見て改めて気づく。この男もまた、レイナ一人に押し付けた者の内の一人ではある。だが、だからと言ってやはり気にしないでいるわけではない。特に彼の場合、村長という立場上まとめ役であり危険なことはできないのだろう。

 

「あれは……あれの母親はモンスターの犠牲となりました。それは必要な犠牲だったと、今でも思っております。あれの犠牲が無ければそれ以上の被害が出ていたでしょうから……。しかしそのためにレイナは同じ道を歩もうとしている。私はそれが……我慢ならないのです」

 レイナを守るためならどんなことでも――言葉にこそしなかったがそうした気勢を村長は見せる。それこそ、村人を犠牲にすることさえ受け入れかねない。

 なんとなく気づいてしまった。きっと彼は父親としてレイナのことを止めたいし、草原を越えるという話になった際も止めたかったのだろう。

 だが、レイナは押し付けられたでもなく自分から望んでやっている。自由意思だからと父の意思がひっこみ、村のためにと村長の立場が首をもたげる。そうして止めることができず今もこうして後悔に塗れている。

 

 なんとなくわかってしまった。別に望んでなどいないのに、レイナは自分から危険に飛び込んでしまって。それが必要なことだと公人としての立場が訴えて。説得されて飲みこんできたのだろう。

 胸中にあった靄が消える。劉を窘めながらも和也にも抱えているものがあったらしい。村長の目を見て、できる限りではあるがまっすぐに見つめる。

 

「――お話は分かりました。できる限りの努力は……します」

「ええ……お願いします」

 

 深く頭を下げ、村長は背を向けて去って行く。運搬の方を確認に行こうというのだろう。時間的には確かにそろそろ終わりそうである。

 和也も一度状況を確認するために付いて行くべきかと体を動かした。

 

「なあっ!!」

 

 そこへ後ろから声がかかる。大きく響いたそれは劉のもので、誰に問いかけたのかはその眼が訴えている。視線の先にあった村長もまた振り返っていた。

 

「俺たちが守る。この村も、レイナも。だから……安心してくれ」

 

「――ええ、お願いします」

 

 どこか、憑き物が落ちたような。少しだけ頬を緩ませて村長はまた同じ言を告げた。心配する気持ちは変わらず、危険なことに変わりはない。それでも、少しだけそれは軽くなったようだった。

 

 

 



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第15話 敵は白くてぶよぶよしたやつ

 ひんやりとした空気が澄み渡る天然の冷蔵庫。氷結晶が壁に張り付き、赤や金などの色合いを散らばせた自然の織り成す芸術たる壁画。白鳳村より徒歩で1時間ほどの洞窟を、和也たちは朝からうろつき続けていた。

 青い皮が手の甲を覆い、茶色い毛皮が口元を隠す。現代日本であれば通報されかねないほどの怪しい恰好だ。元はギギネブラ対策にと肌を出さない格好を用意したのだが、この寒い場所では体温を守るということにも役に立つ。

 先頭を歩く和也とその横を歩くレイナ。歩き続けていれば何かを相談したり発したりする必要がある時も当然出てくる。けれど彼らはずっとハンドサインだけでそれを示し続けた。地元民であるレイナですら言葉を発するのを嫌がるというのが、劈くような寒さを尚のことはっきりと示している。

 彼らが洞窟を探索しているのは言うまでもなくギギネブラの探索の為である。元よりそのために来ているのだ。レイナという案内人の下、彼らは探索をし続ける。

 

 突き刺すような痛みが肌を襲う。身体が熱を欲して閉じ続けた唇から熱を奪い、乾燥して張り付いていた。身体の内に熱源があるかのように、腹の底には熱さがある。けれどそんなものを無視するかのように、外に接している部分はぱりぱりと音が鳴りそうなほどひび割れていた。

 地面は固く、凍り、滑る。何度も足を取られそうになりながらも彼らはずっと無言で歩き続けていた。これには喋ることで余計なエネルギーを使いたくないということ、空気が冷たい故にそもそも口を開けたくないなどということがあった。

 

(いねえな……)

 

 まるで心中の吐露ですら冷たい空気を吸い込んでしまうと思っているかのように、思考は短く断片的だ。だが、和也の疑問や考えを的確に表していた。

 

 ギギネブラの探索を始めて既に一時間が経過している。ゲームであれば一つの狩りの制限時間は50分が通常であり、即ち見つける前に失敗してしまっているという状況だ。だが現実になった世界では制限時間でクエスト失敗とはならない代わりに、見つかるまでの時間も伸びてしまったようだ。

 

(思えばリオレウスもリオレイアもすぐに見つかったからな。これがむしろ通常なのか?)

 

 リオレイアは音源が、リオレウスはそもそも見つけるも何も見つけてもらった。狩るために探索をするというのは何気に初めての体験である。

 ギギネブラが見つからない。言葉にすればなんでもないようなことだが、このことに和也は疑問と、少々の不安を覚えた。

 このまま見つけるのに時間がかかり体力を消耗してしまわないか。そもそもこんなにも見つからないのなら、最初から逃げてしまえばよかったのではないか。

 自分の判断は間違っていたのではないかと思考が揺らぐ。

 

 洞窟内部は天井に穴が入り組んだ状態で開いているのか、穴などないはずの天井からは所々から光が差し込む。そうでなければ光源のない洞窟だ。彼らの探索は難しいものになっていただろう。だが、いくら光が差し込もうともやはり洞窟。薄暗く入り組んだ道は一部がまるで巨大な生物が大口を開けたかのように、闇へと続いている。暗いそこを見つめているとどうにも不安になってしまいそうだ。

 

 

 

(しかし……紅呉の里周辺でもずっと思っていたことだが、やっぱゲームとは違うな)

 自らが歩くその洞窟の中を見渡して思う。赤や青のいかにも採掘ポイントですというわかりやすい目印や、大きなひび割れというものもない。ピッケルでも使えば内壁を剥がすことはできるだろうが、精錬もなしに使用できるかはわからない。劉の防具には鉱石が使われているので、使用不可ではないということは既に分かってはいるのだが。

 壁に張り付いている氷は一部が氷結晶なのかもしれない。常温でも溶けることのない氷。それが氷結晶だ。それはつまりただ水が凍った物と氷結晶の違いは分かりにくい。答えを出すには採掘して持ち帰るしかないだろう。

 天井から下がる氷柱は薄い青から真っ白なものまで多種多様。色取り取りという訳ではなく、青が並ぶ箇所と白が並ぶ箇所があるというものだが、多様な色があるということはただの氷柱ではなく鉱石の成分を含んでいるのかもしれない。

 そして何よりのゲームとの違い。それはここを歩く和也たちの他に生き物を碌に見ないということだ。

 

 ギアノスもバギィもいない。ポポもブルファンゴもいない。ランゴスタやブナハブラすら見ない。それ以前にモンスターのものと思われる骨さえ見つけられない。生き物を見ないどころか生き物がいるという痕跡すら見つからなかった。

 

(なんっか……妙だよな。ギギネブラが肉食だから逃げた……とかもあり得るが。それにしたって痕跡すらないってどういうことだ?)

 外ならば一日も立てば雪が降って何の痕跡でも隠してしまう。けれど洞窟の中にはそれが無い。風化したというのは逆に年月がかかりすぎる為に在り得ない。そのため、痕跡が無いというのはまるで最初から存在していないからだとしか考えられなかった。

 

 実際の所はそうではない。確かに生物はいないがその痕跡までなくなっているわけではない。だが、ゲームのように骨が一か所にまとめられているわけではなく散らばってさらに氷が纏わりついている。つまり非常にわかりにくくなっているのだ。そのために和也は気づけなかった、というだけである。

 

 コン、と何か音が鳴った。音の方へ目をやるとレイナが手を人差し指だけを伸ばし、その手をクイクイッと動かしている。音はどうやら足音で、手の動きの先は外だ。寒いのか使っていない腕はもう片腕を抱くようにしているが、それはハンドサインには関係ない。

 言いたいであろうことを察して、コクリ、と和也はうなずく。劉たちも把握しているようで既に視線は外に向いていた。ゆっくりとだが今までと同じ無言で、彼らは視差の先へと向かう。

 和也たちは薄暗かった洞窟の中から、真っ白な世界へと顔を出した。空からは陽光が降り注ぎ、さらに白い雪が反射する。暗闇に慣れた目には眩しく、反射的に手が目元へと伸びた。

 

「リンくん、ホットお願い」

「――ん」

 レイナの頼みを受け、リンがその小さなアイテムポーチ――正確にはただの鞄――から何か袋を取り出す。その中のものを小さな猫の手に上にふりまいた。中身は赤い顆粒のようだが所々に橙が混じっている。ジイッとその量をつぶさに見て、それ満足したのか、その中身をレイナへと差し出した。

 

「ありがとう」

 頼んだそれを受け取り、手元へと目をやる。それを見つめるレイナはどこか嫌そうだった。けれどそれも数瞬程度。レイナは目を閉じてそれを口へと放り込む。

 

「んっ! んん……」

 少々涙目になりながら身を丸め、手は吐き出さないようにとの配慮か口を覆ったままだ。咽たようで何度か咳込みながらも、ごくりとそれを嚥下する。

 

「――何度飲んでも慣れまぜ……慣れませんね、この味は」

 ごほ、とまだ喉に違和感があるようだ。レイナは喉に手を当て調子を確かめる。

 レイナが飲んだものは白鳳村に伝わるホットドリンクの代用品を、和也とリンが更に効果を上げた物である。寒い地域故に暖を取る術は最重要で求められ、火薬草やトウガラシがこの地域では栽培が盛んである。恐ろしきはこのような地域でも栽培が可能で、それどころか採取する前から雪を解かす程度の温度を持つということだろう。

 実はこれを利用して、白鳳村近辺の樹木の周辺には火薬草が僅かな量育てられている。火薬草が少ない大地の栄養をとってしまったり、火薬草の温度そのものが悪影響を与えないようにと村人の長い年月をかけたノウハウによって管理されているからこそできるのだが。

 では何故白鳳村に住むレイナが、それに負けて咽ているのかと言えば和也とリンの魔改造が原因である。トウガラシの粉末にあぶったアオキノコの粉末をかけ、申し訳程度にハチミツをつけて口どけを良くしたものだ。結果として効果は元のものより格段に上がったといっていい。アオキノコの滋養強壮効果はこんなところにも効果があったようだ。だが、温かさを得るのは辛さ故。つまり効果が増すということは辛くなるということである。それでも効果は倍で辛さは三割増し程度なのだから悪くはないのだが。

 

 レイナが咽ている間、和也と劉は洞窟の入り口近くで休める場所を探し、そこで火を起こしていた。火を起こすと言えばライターなどが無い時代では摩擦熱で起こすのが有名だが、少なくともこの世界においてはそんな必要はない。ライターほど便利でなくとも、火薬草による熱で火は付くのだから。

 焚火をつけ、そこでようやく腰を下ろす和也と劉。今までの張りつめていたような表情から一転、気の抜けた顔になる。

 

「しっかしいねえな。一体どこにいやがるんだか」

「同感だな。想定外に時間がかかりすぎている。想定外に洞窟も広いのだから多少はしょうがないが」

「僕たちに恐れをなして逃げたのかニャ?」

 ヨウの楽観すぎる考えに、それはないだろうと苦笑する二人。本当にそうなら気が楽なのだが、一合も交えないうちに逃げるということはさすがにないだろう。

 

「けれど確かに見つかりませんね……。このまま……このまま見つからない場合は、どうしますか」

 いつの間にか落ち着いたらしく、レイナとリンがやってくる。レイナの顔は心なし赤かった。

 

「――逃亡か、様子見だな」

 内心どきりと心臓が跳ねるのを感じながら、表面上は隠して質問に答える和也。見つからないのなら初めから逃げればよかったのではないか。その疑念が再度湧き上がる。

 レイナも同様のことを考えていたのか、表情は変えずに頷く。

 

「私としては見つからないのなら逃げるというのが理想かと思います。手をこまねいているよりも動いた方がいいでしょうし、食料の問題もありますから」

「それは俺も同感だが逃げてる時に見つかったらどうしようもないぞ。いくら武器防具があるからとはいえ、人を守りながら真正面から戦うというのは厳しい」

 レイナと劉がそれぞれ意見を述べるが対立するものだった。時間を気にして逃げるべきだとするレイナ。見つかったときのリスクを気にして狩るべきだと主張する劉。睨み合いのような形にこそならないが、互いに譲る気はないようだ。

 

「レイナには悪いけど僕は劉に賛成。逃げる時に見つかるのは拙い」

「ニャー……。飛竜から逃げるのはもうこりごりニャア」

 いつもと同じ冷静さを保つリンだったが、ヨウの発言を聞いて微妙に表情が揺らぐ。リンとヨウとの出会いはリオレイアに追い回されている時だった。確かにあんな経験をしていればもう嫌だと感じるのは当然だろう。

 

 不意に全員の視線が一点に集中する。先は当然まだ発していない和也だ。和也がどう言おうと多数決では様子見だが、全体の行動を決めるのは全員が和也に一任している節がある。それを理解してレイナも和也がどう言う結論を下すのか注目しているようだ。

 もう一度頭の中で状況を再考する。少し、レイナがすがるような目をしていることに引っかかりながらも、和也は結論を口にした。

「個人的には俺も様子見で狩り、だ。けど状況的に厳しい気はする」

「どういうことだ?」

 パアッと花開く表情のレイナと、素直に疑問を口にする劉。疑問に思うのも状況が厳しいということにだけで、決定に反対する意思は劉にはない。

 

「レイナが助けを呼びに出て、その後俺らが来るまでおよそ5日。俺らが来てこうして狩りに出るまでも1日。つまり既に6日経ってる。様子見となればさらに時間がかかる。そうすると食料も問題だがもう一つ。精神面でも問題が出てくる」

「精神……面?」

「ああ。平たく言えば我慢ができないということだ。常に近くにギギネブラがいるという抑圧。保存庫という生活するのに適していない環境。さらに人も多いということもそうだな。これがあまりに長く続くのは、人の我慢の限界を超える」

 敢えて使わなかったが、つまりストレスということだ。食料もそう、敵がいるということもそう、自分のスペースがないということもそう。そして何より、それがいつ終わるのかわからないということ。

 いつまで耐えないといけないのかわからない。これはただでさえつらい状況での精神の摩耗を加速させる。ゴールがわからないからペース配分というものもできない。何度もあと少しあと少しを繰り返し、結果報われない。

 和也たちが様子見をしたいと告げた時、おそらく白鳳村の人間はこう思うだろう。いつまで耐えればいいんだ、と。ならば逃げてしまえばいい、と。

 

「人は抑圧された環境に居続けることはできない。特にこうした集団だとなおさらだろう。誰かが逃げた方がいいと言い出せば、周りも同調する。そうなれば俺らが止めた所で聞かず……ギギネブラかその他の竜種かに殺されるだろうな」

「え……」

 それまで明るい笑顔だったレイナの顔が曇る。それはそうだろう。逃げて安全が確保できるという話のはずが、それどころか殺されるなどと言われれば。

 

「ど、どういうことですか!?」

「――俺らがここに来るまでに何度もランポスに遭遇したろ? 守る対象が多いとあいつらだって脅威なんだ。けど俺らが信用されていれば指示に従ってくれるだろうし、そうすれば無事でいられる可能性は高まる。多少閃光玉や土爆弾の練習もしておけば自己防衛はできるかもしれない」

 一度言葉を切った。長くなれば話を理解するのには時間が必要だ。ついでに言えば和也自身考えをまとめる時間も必要だった。

 見つからないギギネブラ。ならば逃げた方がよかったのではないか。そう思ったからこそ気づいた考え。見つからずに結局逃げるなどという考えになったとき、間違いなく和也や劉へは疑念の目が向けられているだろう。

 レイナは少し考える様子を見せていたが、顔を上げ和也に目を合わせる。問題ないだろうとして再開する。

 

「信頼を築けて練習すれば問題ない。けど我慢できなくなって逃げようなんて話になれば信頼なんてある状態じゃないだろうし、練習に割く時間だってない。俺らの指示に従ったって怪我を絶対に防げるという訳でもない。ただ可能性を低くできるというだけだ。だから――」

「我慢できなくなった人はみんな自分の勝手な判断をしてしまう。その結果……守ることができずに死んでしまう」

 途中から言葉を引き継いだレイナに首肯を示す。青い顔で事の問題を理解したらしい。白鳳村へ帰ってくる間、ランポスにずっと襲われ続けたことは、理解を容易にさせただろう。

 当然だが一人での移動だったレイナの動きは素早く、そして静かだ。だが集団での移動となれば動きは鈍く音も出る。どれだけ努力しようとも、ランポスに襲われないということは不可能だろうと容易に理解できたはずだ。

 

「なあ、けど命懸ってるんだし我慢だってできるんじゃないのか?」

「多少は、な。けど長い間は無理だろうと思う。例えばリオレウスが棲んでいる山で、いつ見つかって襲われるか、それとも適当に吐いた炎で焼かれるかもわからないような状況で、山のどこかに隠れて住めるか?」

 リオレイアから逃げた記憶、リオレウスが襲ってきた時の記憶が和也の脳裏によみがえる。絶対的な強者の威圧、相対する物を全て殺そうとする絶望的な殺意。体格差、そして何より生物としての上位種であるということゆえの恐怖。和也同様に劉も思い出していることだろう。少し顔を青くして劉は首を振った。

 

「――無理だな。一日だって保たねえ」

「だろう。今の状況はそれよりはましだが……それでもずっとは無理だ」

 だから、と続けるまでもなく全員が理解できたろう。ギギネブラの狩りにはあまり時間の猶予が無いということは。

 多少緩んでいた空気が引き締まる。狩りは絶対だ。次なんて考えるべきじゃない。彼らはそう決意を固めた。

 

「ニャア……でも見つからニャいのはどうするニャ?」

 う……と誰もが言葉が詰まった。そもそもさっきまで探して見つからなかったのだからこのようの疑念は当然だ。

 本当に逃げているというのならいい。それならばこうして探したことで周辺にはいないから今のうちに安全に逃げられる。それを確認した、という名目が立つ。けれどそれで見つからないだけだったという場合が問題だ。近くにいないなど結論を出すには時間が必要なのである。しかし今、その時間が無いと話し合ったばかりだ。ではどうすればいいのか。話は振り出しに戻ってしまった。

 

「ねえ、それなら……」

 

 ぽつり、とリンが提案を漏らした。それは危険で、けれどやる価値があることだった。それ故に誰も言葉を発することができなかった。自然視線は和也に集中する。

 リスク、時間、その他諸々を考え結論を下す。

 

「――やろう。その作戦で」

 

 

 

◆◇◆

 和也たちは洞窟の探索を再開した。その足取りは今までよりも重く、動きはどこか忙しなかった。休憩前と同じ和也とレイナを先頭にし、左右後ろをリンとヨウと劉が警戒するという全く同じ布陣。唯一違うのは和也がその手に松明を持っているということだろう。

 光が入ってきているとはいえ薄暗い洞窟の中、煌煌と輝く炎が壁を照らす。距離を取っても光源故に位置の判別を容易くするそれ。それこそがリンの提案した作戦だ。

 

 それまでの和也たちの行動は基本隠密としていた。ギギネブラに見つかる前に見つけ、警戒される前に不意打ちをする。そのためには見つからないように行動することが望ましい。故に言葉を発さず明かりもつけず静かに行動していた。尤も、余計な体力の消耗を避けるという意味合いもあったが。

 松明を用意したのは発見をされやすくするためだ。見つけるということに重きを置いて、それゆえの準備。ギギネブラが視覚以外のものに頼っているのではないかと考えている和也も、これだけ洞窟内が光源を確保できているのなら視力もある可能性は十分にあるとして発見される可能性は高いと考えたのだ。そうして探索を続けること10分……。

 

――オオオオオオオォォォォォォ

 

 それは風と洞窟が奏でるハーモニーだったのか、それとも別のナニカの咆哮か。他の存在を感じさせぬ洞窟で遠くから何か音がした。自然足を止め警戒を強める彼ら。音は洞窟内で反響し、音源が探りにくい。きょろきょろと首を振って顔には恐怖と喜びを浮かべた。

 

「来る……のか……?」

「どう……かな……。――いや、きた」

 

 その言葉に従って全員の視線が和也のそれと同じ方へと向けられる。そこにはまだ遠いが洞窟の内壁を四肢を使って這うギギネブラの姿があった。

 

「――っう」

 レイナが息をのむ。散々村で暴れた飛竜を見て恐怖が蘇ったのかもしれない。もしくは、猛スピードで近づいてくる爬虫類に似た飛竜に嫌悪感を催したのか。

 

「閃光玉と土爆弾の準備。劉は大剣をいつでも振るえるようにしとけ。レイナは解毒薬を手持ちにしろ」

 

 最も経験があるが故に落ち着く和也が、背負った弓を構えながら指示を出す。慌てて出したようなものではなく、淡々として冷静な声。その冷静さを受けて浮き足立ちかけていた彼らもレイナを除いて動きだす。

 

「ニャ……これどうすればいいのニャ」

(3……2……1……今!)

 シュッと風を切る音と共に矢が放たれる。弓道は全く経験なく、アーチェリーはスポーツ施設で昔やった程度という練度。だが、白鳳村に来るまでの間にランポス相手にした練習、何より命がかかっているが故の集中力が和也を一人の射手へと変貌させる。

 滑らかな動きでとは言い難いが、それでも無駄の少ない動きで次々と矢を番えて連射する。その全てが当たっているわけではないがそう大きく外れているという訳でもない。散らばる矢が攪乱になりながらギギネブラを攻めたてる。

 

「リン、ヨウ!」

「――ん!」

「ニャ!? ニャッ!!」

 さらに距離が近づいたことでリンとヨウがその小さな体に似合わないほどの勢いで手に持つそれらを投げる。宙を飛ぶ土爆弾と閃光玉、さらに松明。

 

「――――へ?」

 閃光玉に備えて腕で目を覆おうとしてたところで見えたそれに一瞬気を取られた。光源として用意していたはずの松明。なぜかそれが投げられている。

 実はこれは和也が弓を構える際、無意識のうちにヨウに渡してしまっていたのだ。それを迫ってくるギギネブラについ投げてしまったというだけのこと。

 閉じた瞼の裏側で眩い閃光が奔る。暗い洞窟だったが故に強烈な閃光は容易く視界を奪う。ギギネブラの視界を奪ったら、さらに弓で追撃を与える心算だ。本当は大剣の方が威力の点で望ましいのだが、視力を奪ったというアドバンテージを考えれば下手に近づくのは避けたい。

 

 閃光が晴れるのと同時に矢を放つ。だがこの時ギギネブラはおかしな動きを見せていた。いや、それ自体は閃光玉を放ったのだからおかしくはない。ただ問題なのは、ギギネブラは落ちた松明に多大な興味を示していたということ。まるで、それこそが敵だと言わんばかりに。

 矢が突き刺さる。それでも松明への興味を外さないギギネブラに一同違和感を、というか不可解で仕方なかった。その原因に和也が思い至る。

(あいつ……まさか探知が熱源に対する物なのか?)

 実を言えばこれは正解である。ギギネブラの目は通常の可視光線によって物を見るのではなく、熱源から探知している。ギギネブラの視界とはサーモグラフィーを通したようなものなのだ。

 それでも本来ならば動物の持つ体温を判断して襲っているだろう。しかしこの世界の人は狩りをしない故に、また火竜が近くにいないためにこのギギネブラにとって火とは見慣れない、しかし本能が最大限に警戒を促す意味不明のものだったのだ。

 

 そんなことはつゆ知らず、劉たちはその奇怪な行動に呆けた。

「――チャンスだな。俺と劉で攻める。リンたちは動かず待機、閃光玉は使わずに土爆弾の用意を。レイナも同じく解毒薬を。――さて、行けるな、劉」

「っ、おう!」

 理解できたが故に和也は冷静に指示をだし、劉もそれに従った。二人はそれぞれ手に武器を構えて走る。

 カラカラと大剣が地面を引きずる音、バタバタと二人の人が走る音。加えて体温という熱源の動きから敵が近づいてくるということがわかったのか、ギギネブラがそのおぞましい顔を向ける。

 

「尾と腹には毒腺があるはずだ! 気をつけろ!」

「わかってる!」

 勢いをつけての攻撃、劉は大剣をふりぬく。しかし迎撃するギギネブラは真っ向から、劉へと覆い被るように襲い掛かりそれを跳ね返す。

 

「ちっ!」

 正面から負けるとは思っていなかった和也だったが、ギギネブラの動きをすんでの所で躱し、攻撃直後で隙のある後ろ足を斬りつける。切れた肉から血が噴き出した。

 

「グギャアアアア!!」

 悲鳴とも咆哮ともつかぬそれをあげて皮膚が黒く染まるギギネブラ。ゲームであれば一定のダメージを与えることでキレることによっておこる現象だ。もうそれだけダメージを与えたということなのか、それともゲームとの差異なのか。心の片隅程度に疑問を入れておく。

 

「劉! 土爆弾! 遠距離から攻める!」

 

 硬化した皮膚に斬りつけるのは厳しい。作戦を瞬時に接近戦から遠距離戦に切り替える。劉も素早く対応し、大剣を地面に横向きに刺しそれを盾にして土爆弾を投げる。遠距離戦ならと判断したのか、リンとヨウも攻撃へと参加する。

 

(よし、このまま爆弾で――)

 高威力の大タル爆弾で止めをさそうと考えて、大きすぎる失敗をしていたことに気が付き顔を青く染める。

 大タル爆弾は台車での移動で音が目立つからと洞窟入ってすぐの辺りに置いてあるのだ。大きく移動するに合わせて移動させ続けていたのだが、休憩に入る前後で移動させるのを忘れていた。

(――~~~!!! ミスった。焦ったな……)

 ここから爆弾がある場所へと誘うのも、爆弾を使わずに倒すのも不可能ではない。だがどちらも本来やる必要のない無駄のある危険な行為。それを招いたのはギギネブラが見つからないが故に視野狭窄に陥っていたのだろう。

 

 

(――くそっ、失敗した。なにやってんだよ。早く、早く切り替えろ!)

 

 矢を放ちながら暗示をかけるように何度も自らに指示し続けた。だが、そんなことで切り替えることはできるはずがない。

 ギギネブラは火が敵ではないということに気付いたようで、目的をリンたちへと切り替える。リンとヨウとレイナが集中していること、攻撃が多いことなどが理由だろうか。

 

(まずっ!!)

 リンとヨウは身も軽く、リオレウスのこともあり慣れがある。だがレイナは元々狩りをしているような人間ではなく、慣れなどあるはずが無い。早い話、レイナは避けられないどころか動けなくなる可能性さえある。

 

「劉っ! 止めるぞ!!」

 

 幸いにしてギギネブラの動きは遅い。もちろんリオレウスやリオレイアと比べればだが。

 和也の指示受けて、和也と共に劉は動く。ギギネブラの前へと飛びだし、大剣を横に構えて盾にした。

 一方で和也はギギネブラの尾へと向かう。和也にはギギネブラを受け止めることなどできない。ならば攻撃して気を引くしかない。それゆえに尾に向かった。

 ギギネブラは怒ると皮膚が黒くなり硬化する。硬化すれば斬れなくなってしまうのだが、逆に硬化することで斬れるようになる箇所がある。それが尾。効果的なダメージを与えられるかどうかはさておき、気を引くことはできるだろう。

 

 ギギネブラが劉の大剣に激突する。その衝撃に顔をゆがめる劉。だが、多少足を押されこそすれギギネブラを通すことはなかった。レイナ達を守り切ったのだ。

 動きの止まったギギネブラの尾へと片手剣を突き立てる。ゲームと同じだったようで、それとも違って黒くなっても硬化していないということなのか。和也の片手剣は易々と尾へと、毒腺がある尾へと突き刺さった。

 

「!?」

 血の代りに拭きだすのは紫のガス。それに驚き咄嗟に体を後ろへと反らす。だがそれでどうにかなるものではなく、地面を蹴って後ろへと退いた。抜くことは難しそうだと反らしている間に分かったので、剣はそのままだ。

 

 毒腺を攻撃したことによって噴出したそれは当然毒ガスだろう。洞窟内に充満するようなことはないだろうが、やはりあれは拙い。直前に尾には毒腺があると言っておきながらそれを忘れてしまうという浅はかさに歯噛みする。

 だがそれでも片手剣は尾へと突き刺さすことができた。それもかなり奥深くまで刺さっている。ならばそこを一つの弱点として攻めることができるのではないだろうか。それも、その場合毒腺を破壊し脅威度を下げることができるのではないだろうか。

 そう考えた。だがそう考えているのがいけなかった。

 

 ぐらり、と視界が回る。視界がにじみ、足がふらつく。意識が朦朧としだし、思考がまとまらない。

 

(――――あ、毒……解毒薬……)

 

 そんなことを最後に思いながら、和也の体は大地へと投げ出された。凍った地面に抱かれているのに、和也の体は熱を持つ。冷たいはずの手足はどうにも熱く感じていた。

 

 

 

 



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大16話 ぽかぽか村?

『おい、裏原。早く起きろって。いつまでも寝てるとハゲがうるせえぞ』

『――んあ?』

『んあ? じゃねえよ、起きろ』

 パコンッと小気味のいい音がした。頭に響いた小さな衝撃が叩かれたということを主張している。ゆっくりと頭を起こすと目の前にはかつての同僚の顔があった。

 

『加藤……?』

『ああ!? なんだよ。まだ寝ぼけてんのか? もう昼休みも終えるんだ。さっさと起きろよ』

 ぷりぷりと不機嫌をばらまいて去って行く同僚の背を見送って、後頭部に手をやって辺りを見渡す。

 そこは和也が就職してからずっといる、なじみのあるオフィス。近代的な机とイス、それに数々の電子機器。間違っても前時代に取り残されているものは存在しない。

 ああ、夢だったのか。回っていない頭がそう答えを出す。きっと昼休みを寝て過ごしてしまって、同僚が起こしてくれて。これからまたつまらない仕事の日々が始まる。

 はああ、とため息が出た。大変で生きるのもつらい世界だったというのに、どうやらあの夢は自分にとってやりがいのある生き方だったらしい。

 一度背もたれに背を預け、腕で目を覆い息を吐いた。ああ、本当に――

 

 

 何を思ったのか。それは答えとなることはなかった。まとまりのない思考はまとまってもいないのに答えは出たと思い込んで思考を止める。

 覆いをどけて机に向かい。さあ、と目を見開き……部屋の中は真っ暗になった。

 

『――は?』

 

 突如暗くなった部屋。聞こえてくる風音。ゴウゴウと唸りをあげてそれはまるで迫って来るかのように大きくなった。いつの間に机も椅子も消えてしまったのか、視界には何も映っていない。何が起きたのか。その答えを出す前にそれは現れた。

 白い飛竜。伸びた首とモモンガのような腕と繋がった皮膜。真っ赤な口内を見せて、内側についた輪のように配置された牙を見せて、潰れた瞳をこちらへと向けて。それは突如として現れ咆哮をあげた。

 

 

――ガアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!

 

『ぎゃああああああああああああ!!!!!」

「うおおうっ!?」

 

 和也の悲鳴が狭い洞窟内に響いた。近く看ていた劉は悲鳴と動きに驚き尻餅をつき、リンとヨウも目をぱちくりとさせて驚いた。和也が夢を見ていたのだと納得するまでの数十秒、彼らの間には妙な気恥しさがあったそうな。

 

 

 ひんやりと冷えた空気が支配する洞窟の中。人が生きるのには適さない過酷な環境の中で、和也は横にしていた体をゆっくりと起こした。

 まだ頭がボーっとしている。それでも和也はだんだんと自身に起きたことを把握しつつあった。

 まず気を失う前。ギギネブラの、おそらくは毒ガスを浴びたこと。当然、ここがモンスターハンターの世界で、さっきの"かつての日常"こそが夢だったということは既に分かっている。

 次に地べたに座り込む和也の周りに劉とレイナとリンとヨウ、一緒にいた全員が心配そうな顔をして和也を見つめているということ。このことから襲っていたギギネブラは狩り、もしくは撃退が完了したということが推測できる。

 

(手足……あるな。血のめぐりもそこまで悪くない……。背中には違和感あるけど、硬い地面で寝てた以上これは当然か……)

 次いで自分の状況を確認した。眠っていた間に手足がもげたというような危険なことはなく、五体満足。健康そのものとは言えずとも、危険な状態とは程遠い。血のめぐりだって悪くないのだし、ギギネブラのあれは毒ガスじゃなかったか毒が弱かったか、それとも解毒薬か。なんにしても毒に侵されているということもないようだ。

 

「――ギギネブラはどうなった?」

 

 大体のことを理解し終えてまず尋ねるはそれだ。元々の目的であり、推測でも狩りか撃退かまでは結論を出せなかった。答えを知るであろう劉らに尋ねるのは当然だ。

 悲鳴を上げた後の最初の言葉がそれだったことに少々驚いたらしく、劉は目を開く。が、それも一瞬。気を取り直して質問に答えた。

 

「倒した。少し手こずったけど首を切った。死骸もあそこにある」

 言いながら首を後ろへと向ける。劉の体に隠れて和也には見えないが、その先には首のないギギネブラの胴体が転がっている。血の気が引いたためにもはや雪のような純白さと、毒腺がまだ蠢き波打つようにびくびく動いている悍ましさを兼ね備えているという微妙な光景だ。寝起きに見たくない光景であることは請け合いで、劉が見せないのはその配慮なのかもしれない。

 

 戦闘の流れはそう難しいことはなかった。

 ゲームでの話であるが、もしもどちらも下位、もしくはどちらも上位などだった場合、ギギネブラよりリオ夫妻の方が強者である。その素材を使った武器は当然切れ味や丈夫さという意味でも優れ、ギギネブラを傷つけることは難しくなかった。少しずつダメージを与え、動きが鈍ったところを首を切って落とすことができたという訳だ。

 

「そうか……。悪いな、迷惑をかけた」

「いや、大丈夫だ。俺らが狩れたのだってお前が尻尾に剣ぶっさしてくれてたからだと思う。あれを最後に尻尾からは毒を出さなかったしな」

 

 和也の、リオレイアの素材をふんだんに使った片手剣によりギギネブラの尾の毒腺は破壊され、腹側の毒腺も予備動作が大きく距離を保っていた劉たちにはそこまで脅威ではなかったようだ。予めわかっているということの大きさが良く理解できる形となった。

 

「レイナは……大丈夫だったか?」

「は、はい……。その、私は大丈夫でした」

 

 大丈夫でした、と言うレイナには確かに外傷はない。劉やリンたちは浅いが傷がいくつかある。和也とて裂傷や切傷が多少はある。回復薬による回復――すぐに傷がふさがるというほどではないが、治癒力が高まる――で良くなってはいるが、戦闘の直後ではさすがに目につく。レイナには見受けられないというのであれば、言葉の通り大丈夫だったのだろう。

 だが、レイナは浮かない顔をしていた。目はやや閉じられ伏せがちに、眉も力なく垂れ下がり、口は言う言葉が無いというように閉じられている。

 その何とも言えない雰囲気に劉へと目をやる。

 

「……。早速で悪いが見てもらいたいものがある。いいか?」

「ん? ああ、まあいいけど……」

 

(なんだ? なんというか……らしくないな。何があった?)

 劉の態度に違和感を覚えながらも、立ち上がった劉に従って同様に立ち上がる。ずっと――さすがに数時間というほどではないが――寝ていた後の為に足は血が巡っていないと痺れがあった。それでも無理やり足を動かし付いて行く。

 

「こいつの……この部分なんだが」

 そういって見せられたのはギギネブラの左の脇腹だった。純白と赤黒さの境界線付近に目をやる。その悍ましさに目を潰したくなるがそれを我慢すれば劉の言わんとすることはすぐに分かった。

 三本の線がギギネブラの体に走っている。それは深く、深くギギネブラの体を抉るようにして走っている。直線ではなく途中でまがった曲線、だが三本がすべて同じ位置で同じように曲がっている。まるで、三本のナイフを並べて切ったかのように。

 

「――爪痕、だな」

「そう、だよな。これはつまり……そういうことだよな」

 そう、三本の揃ったナイフによって斬られたのだ。傷痕は真新しく、おそらくだが和也たちが遭遇した時点で既に弱っていたのだろう。昨日今日の傷ではないが、数か月と前のものでもない。恐らくはつい最近なのだ。三本の、ナイフの如き爪を持つナニカと争ったのは。

 

(――村を荒らしたのはそいつか……)

 ギギネブラが白鳳村を荒らしたと考えることに違和感があったことを思いだす。だが、それはギギネブラではない別の飛竜の仕業だと考えれば筋が通る。問題は、目撃証言もなく、この爪痕だけではその正体を掴めないということだ。

 

「――移動しよう。できればこいつの遺骸も持って帰りたいが……まずは帰って休んだ方がいいな。飛竜の件はその後だ。山奥に住んでいるのなら関わらずに済む」

「ああ、そうだな。実は和也が目を覚ます直前に妙な轟音があってな。気になってたんだ。たぶんモンスターのものではないとは思うが……さっさと動いた方がいいよな」

「それは……そうだな。というか先に言えよ」

 

 わりい、など頭を掻く劉を見てどうでもいいか、と考える。実際問題なかったのだからという結果論だ。本来、どうでもよくないし、モンスターっぽくないなどまったくモンスターでない保証にはならない。その意味でもっと強く言ってもよかったのだが、やはり迷惑をかけた後では強く言いづらかったようだ。

 

 

 まだ少々気落ちしている様子のレイナやリンとヨウに声をかけ、彼らは白鳳村へと変えるべく歩く。

 色とりどりの鉱石が散らばる内壁をのんびり見ながら、ギギネブラとの遭遇前に使った洞窟の出入り口へと向かう。携帯に適していない荷物は全てそこで、大タル爆弾も近くにあったはずだ。

 

 徒歩で歩き、おおよそ15分。彼らは迷っていた。

 

「え、ええと、この辺りのはずなのですが……」

 案内を務めるレイナも自信なさ気だ。それもそのはず、彼らは出入り口があったはずの場所に来ている。というのに出入り口は見当たらないのだ。多少話脇道もあったが幹道を通ってきたために道を間違えたという可能性は低い。

 何かヒントはないか。どこかに道はないか。首を振って探す和也。レイナも何かヒントはないのかと忙しなく探している。道を案内するのはレイナの役目である分、ここで役立たないとと必死なのだろう。劉はどうしようもない苛立ちを抱えているように、頭を乱暴に掻いていた。

 

「カズヤ」

 静寂に近かった洞窟内でその声は良く響いた。自然、呼ばれていない劉やレイナ含めて声の主へと視線が良く。声の主、リンは洞窟の壁の傍でしゃがんでいた。

 

「どうした……?」

 

 リンの方へと向かう。途中妙なことに気付いた。周囲の壁に比べて、その部分の壁は荒っぽい。他はなだらかな壁で長い年月をかけて風化させていったのだろうと思わせるのに、その部分だけ岩を適当に重ねて作ったかのように凹凸が激しい。

 嫌な予感がするな。そう思いながらリンの横でしゃがみこむ。

 

「これ。たぶん残骸の一部だと思う」

 そう言って見せられたのはリンの手と同じ黒いかけら。熱にやられたらしく、既に炭化しているが物としては木片だったようだ。やや湾曲しているそれを見て、和也の脳内でパズルが解けた。

 

(ここは出入り口……大タル爆弾を置きっぱなしにしていた所か。何らかの衝撃で爆発して、天井が崩落した。劉が聞いたという轟音はその爆音……)

 

 理解して和也は顔を歪めた。眉に力を入れ奥歯をかみ砕かんとばかりに軋ませる。

 その説明でつじつまが合う。それ故に理解する。自分のせいだ、と。大タル爆弾を忘れて、そのせいでギギネブラとの戦闘はつらいものにした。毒に負けて昏倒してしまった。そればかしか忘れて置きっぱなしにしていたことでこうして戦闘の後にまで影響を与えている。

 脳内に思い出すは古い記憶。くだらないどうでもいいことを間違えたと責めたてる禿げた上司の記憶。嫌な夢を見てしまったせいでくだらないことを思いだす。

 

 

「ごめん、俺のせいみたいだ……」

「――どういうことだ?」

「大タル爆弾」

 考え込む様子を見せたがその一言で劉も理解したようだ。納得した顔を見せ、困り果てた様に俯いた。

 

「すまん……」

 殴られようが罵られようが仕方ない。そう思って頭を下げる。

 

「あー、いや、仕方ねえ。というより忘れてたのは俺も同じだし。別に和也のせいじゃねえよ。なあ」

「そうニャ。忘れてた皆が悪いニャ」

「同じく」

 

 罵倒の言葉が無いことに驚き――と、不安を感じながら、疑念に苛まされながらも考えを述べる。

「じゃあ、とりあえず大体で行こう。出入り口は他にもあったはずだし……で、いいよな」

「ああ。んじゃ行くか」

 特に気負いも我慢もない様子でそう言って劉らは歩き出した。その背を見てほっと息をつく和也。遅れないようにと、防具をガチャガチャ言わせて駆けだした。

 

 本人さえ気づかぬうちになっていたマイナス思考。それは誰にも気づかれぬうちに消えて行った。

 

 

 

 別の洞窟の出入り口を探し始めて一時間。彼らはずっと洞窟を歩き続けていた。道はいくつにも別れ、そしてそのうちの半数がすぐに行き止まりとなる。道というよりは大きめの穴という程度だ。だが薄暗さが穴だということを隠してしまって、確認するまでは分からなかった。

 歩き続けることで体力を奪われる。そうでなくとも寒く歩きにくい場所だ。出口が見つからないという閉塞感と焦りが体力の消耗を加速させる。

 

「へくちっ」

「レイナ? ――リン、ホットは?」

「ない……。ごめん、レイナ」

「へ、平気です。ちょっと寒くなってきただけですから……」

 彼らの暖を取る方法であるホットドリンクも既にない。松明などすでに消え、燃やすものもないから火薬草も使えない。いざとなれば服を脱いでそれを燃やせばいいかもしれないが、それはそれでその後が寒さに耐えられなくなってしまう。今はカイロ代わりに各自一枚ずつ持っているだけという状況だ。それでも無いよりはずっとましだが。

 状況が非常にまずいものであることを誰もが感じていた。モンスターと出会わないで済むのは幸いだが、それでもこのままでは寒さで死んでしまう。

 

(まずいな。早いところ何とかしないと……。ホットが少なくなった時点で一度引き返すべきだったな)

 既に過ぎ去ったどうしようもないことを後悔する。早く狩らないとと焦っていたことが狩りだけでなくその後にまで影響を与えている。焦りというものがよくない感情だということなどいまさらだが再確認した状況だ。

(意味がないからやる気でない。やる気ないから怒られて……。そんな悪循環が嫌だった。くそっ、ここでも繰り返す気かよ。繰り返して……たまるかよ……!)

 目が覚める前に見た夢。それがまるで今の和也を責めるかのように脳裏に再生されていた。くだらない上司、くだらない説教。嫌で嫌で仕方なかった日常が今の和也を貶める。『ほら、お前はこんなにも役立たずだ』と。

 焦りなど意味はない。焦ることでよくなることはない。だというのに焦りは消えることはない。一分一分が過ぎるたびに焦る理由だけが増えていく。

 

 そうした悪感情は和也だけのものではなかった。大タル爆弾を忘れて、轟音に気付いていたのに無視していた劉。戦闘でも役に立たないどころか迷惑をかけ、そのために来た案内ですら役に立たないと恥じるレイナ。自前の毛皮を持つリンとヨウは寒さにはまだ強かった分ましだったが、人間たちは皆苦しんでいた。

 

 

「ねえ」

 静寂の中の洞窟にリンの声が響いた。一人足を止めて最後尾からの声。疲れた動作で振り返る。

 

「リン?」

「たぶんなんだけどいいかな」

「リンくん……?」

「案内。たぶん近くにあると思うから」

 

 覚悟を秘めたかのような瞳を向けられて思わずたじろぐ一同。その有無を言わさぬ迫力に誰ともなくうなずいた。

 

「こっち。ついてきて」

 そう言ってリンは先頭を歩く。数分も経つと今まで向かうことのなかった方向へと進みだした。麓ではなく山頂に向かっているかのような方角。だが、疲れから思考を放棄した彼らはそれに気付くことなく歩く。

 

 

 

 最初に異変に気付いたのはレイナだった。その声に釣られて和也たちも気づく。まだ洞窟の中にいるというのに、少し明るくなっていた。

 和也は天井へと目を向ける。相変わらずの岩肌ばかりだが、その中に澄み渡る青が見えた。

(青空……が見えた。だから明るく……。リンはどこへ……)

 途切れ途切れの思考をつなげて、それでも歩き続けた。そのまま数分。和也たちの目の前に急に視界が開けた。

 

 

 岩と木材に囲まれた小さな、けれど自然にできたと考えるには不自然に広い広場。焚火を焚いたらしく煤けた木片。

 誰かが住んでいる里のようで、けれどそうだと考えるにはあまりに環境が過酷すぎて。疲れも相まってどこに来たのか和也たちは見当をつけることができなかった。

 

「よかった……。こっち」

 安心したように呟くリンに付いて行き、そのままその広場を抜けた。通るついでに視線を広場へとやる。

 あるのは火をつけたのだろうたき火や、風から身を隠すためであろう風防がいくつかある。だが、それらすべてが和也から見て"小さすぎる"ように感じられた。

(なんだろう……子どもだけの村? それにしても……まるでリンやヨウぐらいの……)

 

 あ……と気付く。いくらまとまらないといってもここまで答えが出てくれば気づけたようだ。

 

「リン……ここはもしかして……」

「うん……」

 先頭を歩くリンが横へと動いて体をどけた。そこには小さなテントや丸太を組み合わせただけのアスレチックのようなものが並ぶ集落。

 ここに住む住人達が元気に騒ぎながら和也たちを見ていた。並ぶ白と黒の顔を見て、呆然とする劉とレイナ。

 

「ここは僕たち、猫人の集落。たぶんあると思ってたけど良かった……」

 

 小さな白と黒の猫たちを前にして、ほっとしたという声だけが聞こえていた。

 

 

◆◇◆

 猫人とはアイルーとメラルーを指す言葉である。猫、とだけ言った時さす対象は意外なほど多い。ナルガクルガやラージャンなどまで含むと言えば、その対象がどれだけ広いかわかるだろう。

 人間の子供程度の大きさで、姿は地球の猫を二足歩行にしたような風貌だ。性格や個性も多様で毛の色も白黒青赤と多種多様。ここには百に迫るほどの数がいるが、一人として同じ姿はない

 好奇心旺盛に和也たちを観察する者がいれば、真逆な反応である怖がって距離を取る者もいる。ただ突然現れた和也たちに興味を示しているという点では皆同様だ。

 

 もちろん和也たちもそれは同様である。レイナの驚きに彩られた表情からもそれは簡単に察することはできるが、近くに住んでいたレイナでさえこのような場所の存在は知らなかった。それも考えれば驚きもひとしおというところだ。というより、リンとて『たぶん』だったのだが。

 

「ごめんなさい、とりあえず温かいものでも頂ければと思ってきました。お仕事はするので何かいただけますか?」

 

 自然な流れでリンが代表として言葉を紡ぐ。それを後ろで見守る和也は、自分が紅呉の里を初めて訪れた時のことなどを思い出したりしていた。あの時は孝元が代表として和也の相手をしたのであった。ここも同様だろうか、と考える。

 

「お腹が空いてるの? ならご飯?」

「いやいや、ご飯より飲み物だよ」

「それより着物じゃない?」

「ねえ、僕もお腹すいた」

「あ、僕も空いた」

「あ、じゃあご飯にしようか」

「そうしよう。ご飯ごはん」

「今日のご飯どうしよっか」

「うーん、ラトの実でいいかな。あれ? 何か忘れているような……」

 

 見事なまでのまとまりのなさであった。まとめ役などなく全員が思い思いのままに喋っている。自然に素でやっている連想ゲームの如き会話には呆れなどより驚嘆さえ覚えられた。

 

「ごめんなさい、とりあえず温かいものでも頂ければと思ってきました。お仕事はするので何かいただけますか?」

 

 リンが同じことを繰り返した。苛々しながら、とか、感情のこもってない声で淡々と、だとかそういうことなく抑揚も同じようにつけて、だ。そのいかにも『慣れました』と言わんばかりの姿勢を見て思わず同情の念が湧き上がる。

(リン……お前きっと、昔っからこんな感じのに囲まれてたんだな……)

 思えばリンはよくヨウの世話を焼く。ヨウが調子に乗るとため息をつきながら窘めている。その古くからの付き合いがあるという行動は相棒を思わせるものだったが、もしかしたらヨウだけでなく世話を焼く対象はもっといたのかもしれない。

 幸いにして彼らの連想ゲームは再燃することなく、要求は受け入れられた。一人が近づいてきて和也たち一人一人に何かを渡してくる。

 

「これは?」

「レッドビートルだニャ。食べればたちまち体が熱くなるにゃ」

 見た目は真っ赤な色をした芋虫である。元気にうねうねと和也の手の上で動いている。ランポスの皮を通してであるが、その動きが掌に伝わって、見た目も相まって気持ち悪い。

 

「おっ、意外とうまいな」

「うぅ……食べにくいです。あ、でも暖かく……」

 視線をやるまでもなく、二人は既に食べているようだ。元々この世界に住んでいるだけあって、虫を食べるのには抵抗が無いようである。そもそも白鳳村に住むレイナは和也にとっても知らないが、劉は虫を現在も食べているのだから抵抗などあるはずがない。

 

(ぐっ……これも俺が招いた事態。俺がわがまま言うな! 俺のせいじゃないはずなのに理不尽に怒られるのに比べればこんなの……!)

 気合と義務感を胸に、掌を一気に口に押し当てた。口を勢いよく閉じるとぐにょりとなんとも言い難い触感が口内に残る。だが、変化はすぐに現れた。

 

(おっ、おおっ!? 口の中が熱い。なんだこれ温かくなってきた)

 和也の精神がどれだけ拒もうとも、和也の体は寒さに震えずっと熱を欲していた。そこに熱を得る手段が与えられたのだ。もはや拒むことなど考えられず、和也は無意識のうちにそれを咀嚼していた。

 ごくりと飲みこむと今度は熱が肚の底へと動く。ぽかぽかと体に生きる力を与える何かが自分の中に現れた。

 

「念のため回復薬も飲んでおいて。体力消耗してるだろうし」

「ニャ。貰った分働かないといけないニャ。僕も頑張るからお仕事ニャ」

 無言でうなずくリン。回復薬を各自取出しそれを一気に飲み干す。

熱と体力を取り戻し、良しと力を入れる和也。同じように力む劉とレイナ。文字通り元気を取り戻した。

 

「じゃあ、頑張るニャ!!」

「おうっ!」

 元気を取り戻した二人が、いつもの調子を取り戻す。それに釣られてか和也とレイナもクスリと笑った。彼らが皆、やっと平常へと戻っていく。

 

 

「それでリン、仕事って何すればいいんだ?」

「聞かなきゃわからないけど困ってることのお手伝い。たぶん力仕事があると思うからその辺」

 ちら、と視線をやると待ってましたとばかりに一人のアイルーがやってくる。薄青色の元気いっぱいな子だ。

「君たちにはおうち作りを手伝ってもらうにゃ。案内するからついてくるにゃ。そっちのお姉さんは別の案内をつけるからそっちの手伝いをお願いするにゃ」

「わっわかりました」

 

 薄青色の仔について歩く。劉は既に畑らしい場所で鍬のようなものを振り回している。すぐ近くでヨウも同様に頑張っていて何とも微笑ましい。指導しているらしいアイルーが妙にお爺さんのような風貌なのが印象的だ。

 

 ついた先には丸太が数本置かれていた。直径20cmほど、長さは1mにも及びそうな巨大な丸太だ。身長30cmほどのアイルーたちがどうやって運んだのかと和也は疑問を抱いたが、和也たちと同様にここを訪れた人に施しを与え代わりに手伝ってもらうというギブアンドテイクによるものだ。いつ人が訪れるかなどわからないのだから気が長いにもほどがある。

 

「これを組み立てておうちにするにゃ。どうやって作るのかは任せるにゃ」

 自分たちが住む家を、作り方まで任せるという適当さを発揮。お気楽だなあなどと和むか呆れるかは人それぞれだろう。和也は呆れが勝っているが、劉ならば間違いなく和んでいる。

 その感情をどうすることもなく、家づくりは開始された。

 

 

「リン、アイルーってこういう子たちばっかりなのか?」

 丸太を立てながら思わずと言った風に質問を漏らす。ヨウといい、この世界で出会うアイルーはどうにも牧歌的というか、のんびりでおおらかな印象である。

「人による。ヨウみたいに適当なのがいれば、もっと臆病慎重冷静沈着な子だっている。要は個性」

「そうなのか……。どうもこうして出会っているのはおおらかな子が多いからなあ……」

 この集落にだって臆病な子がいるようだとは和也も見つけている。だが全体の比を考えればそういった子は少ない。それに、臆病がちだといっても怖いもの見たさのようなものはあるのか、和也たちに対する興味は十分すぎるほどあった。それも併せて考えるとやはりおおらかだと言わざるを得ない。

 

「それはここが人里の傍だから。人里の傍に住む猫人は大体こう。時折訪れる人に協力してもらいながら生活してる」

「人里の傍だから、か。その割にはレイナも知らなかったみたいだけど」

「場所が場所だから。それに僕たちは人に比べれば力は弱い。下手に人を招くと搾取される」

「ああ……」

 モンスターが跋扈する世界だというのに、いやだからこそなのか。やはり弱いものは弱い者同士で協力するよりさらに弱いものより搾取するということが多いのだろう。

 猫人の集落は確かに訪れる人を歓迎する。だがだからと言ってくる者を拒まずという訳ではない。危険人物や堕落的な人物は招けば悪いことしか起こらない。そうした人物は来れないように罠を張るか、自然物でうまく隠すかなどをして誤魔化している。

 当然というべきか、和也たちが接近していたことに彼らはだいぶ前から気づいていた。だが、和也たちは防具を着て物々しい装いではあるが、疲労困憊ということは明らかであり拒むことはないと判断された。危険が無いわけではないことはわかっていたのだろうが、そこは人がいいと言ったところか。

 

 一度偶然訪れたというだけの人物は以降訪れようにも道がわからず、というより道などないのだから迷ってしまう。何とか目印などから近づけてもアイルーたちが拒めば辿りつけない。元より人はあまり里の近くからは出たがらないのだ。自然、アイルーメラルーの存在だけは伝わってもその集落がどこにあるのかまでは伝わらなかった。

 

 そのような状態で人が尋ねてきたら仕事を手伝ってもらおうとこうして丸太を放置しているのだから本当に気が長い。

 

 

 数時間後、丸太を立て掛け布をかぶせただけのかなり適当な造りの家が完成した。それでもアイルーにとっては問題なかったのか、もろ手を上げて喜ばれた。

 

「じゃあご飯にするにゃ。もうそろそろできるから一緒に食べるにゃ」

「え、いいのか?」

「もちろんにゃ。ご飯は皆で食べるにゃ」

 

 威勢よく薄青色は告げると付いて来いとばかりに歩き出した。その背中について歩くが、心なしか嬉しそうに尻尾が横に揺れていた。それが家が完成したからなのか、それともご飯だからなのかはわからないが。

 

 歩いて行った先は最初に見つけた小さな広場で、既にアイルーたちが集まっていた。その中には劉とヨウもいる。

 

「よう、お疲れ!」

「元気だなお前。レイナは?」

「劉はお仕事も順調だったしアイルーたちと遊んで大満足みたいニャ。レイナはあっちニャ」

 元気いっぱいとばかりに、疲れなど知らんとばかりの劉に少々驚いた。ヨウが言うことから考えれば、アイルーたちと遊んだことによるリラクゼーション効果ということかもしれない。体力は消耗しても精神的には充足したということか。それを告げるヨウの声にはどことなく棘があったが。

 あっちというのに従って視線をやるとレイナがいびつで巨大な鍋のようなものの前でお椀に何かをよそっている所だった。

 

「レイナは給仕? いや料理? まあいいや。それぞれちゃんと仕事割り振ってたんだな」

「ああ。その辺ここはしっかりしてるよ。働かざる者食うべからずとは感動した」

 人間に比べれば小さい故に協力は不可欠なのだろう。それ故に彼らは仕事というものに少々シビアな考えさえ持ち合わせている。反面、仕事をすれば食事は出すというスタンスなのでこうして和也たちもありつける。

 

 ――そういえばこいつ、白鳳村にあまりいい印象抱いてなかったっぽいんだよなあ。

 

 そんなことを和也は思い出した。レイナに頼りきりだと劉には写っていた分、余計にここの助け合いは良く見えるのだろう。

 

「ああ、それとな」

 そう前置きをして何かを告げようとする劉。どうやら大事な話らしくその顔は真剣そのものだ。

 

「アイルーたちに聞いたんだがやっぱり近くに飛竜がいるみたいだ。大物がな」

「――やっぱりか。どんな奴かわかるか?」

「それが……な。全身真っ黒だっていうのがいれば茶色いっていうのもいた。真っ白と腹が赤っていうのもいたがこれはあのギギネブラのことだろうが……、全身黒くて茶色いってどんなのかわかるか?」

「い、いや、わからん。というか全身真っ黒なのに茶色いってどういうことだよ」

 相手の予想を立てる重要な目撃証言だというのにわかりやすい色ですら証言が異なるとはどういうことか。しかし、と疑って考えてみれば難しいことではないと気づく。

 

「なあ、真っ黒ってのもギギネブラじゃねえか? 興奮していればあいつは真っ黒になるし」

「あ、なるほど。後動きが速くて目で追えないほどだってのもあった。その際真っ赤な目が印象的だったらしい。つまり、茶色い飛竜で動きが素早く目は真っ赤。どうだ、結構わかりそうじゃないかと思うんだが」

「――――わかんねえ。なんだそれ」

 動きが素早く目が真っ赤。そう言われて考え着くのはナルガクルガだ。ただ単純に速いというよりダイナミックな動きをするからなのだが、それを初見ならば確かに目で追えないほど早く写るだろう。

 だが、ナルガクルガは原種が黒、亜種が緑、希少種が薄い青で茶色など存在しない。全身真っ黒というのがギギネブラではないとすればナルガクルガで納得がいくのだが、ギギネブラはどう見間違えても茶色ではないだろう。

(ついでに言えばギギネブラの腹にあった爪痕。あれをナルガがやったっていうのもなんか想像つかねえな。ナルガと言えば尻尾を使った攻撃が多いイメージ……爪もあったろうが刃ついてるし……)

 

 何度も考えを反芻するがやはりわからない。目撃証言がばらばらというのは推理ゲームでもある展開だが、命がかかっているときにやられてはたまったものではない。

 

「わからん。とりあえず飯の後にもう少し話を聞いてみよう」

「ああ、そうだな。もう少し……」

 

 

 だが、食後に聞いても証言は大きく変わらなかった。それどころか全身茶色に蒼い模様があったような気がしたなどと言う証言まで出てきてしまい、ナルガクルガだなど思えなくなってしまう。

 結局、彼らがそこを後にするまで、その正体はつかめないままだった。

 



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第17話 決意

 明るい朝日がある小さな広場を照らす。今までどこにそんな数がいたのかというほどのアイルーとメラルーがわらわらと現れ、皆一様に手を振った。

 

「お世話になりました。黒くて茶色いモンスターというのはこっちの方でも調べてみます」

「ニャア。できるならお願いするにゃ。そうすれば僕らも交流がしやすいにゃ」

 代表として和也と一人のアイルーが握手を交わす。アイルーは身長差の為にタルの上に乗ってだがやはりその姿は堂々としたもの。自由な猫人達をまとめるものとしての風格がにじみ出ているようだ。

 

「それでは。お元気で」

「にゃあ、皆さんもお元気で」

 

 最後に頭を下げて背を向けた。沢山いる猫人の代りに頼りになる仲間たちが視界に写る。一日休んだことで顔色もよくなっていた。

 

「っし。じゃあ行こう。さっさと村に戻る」

 和也の声に頷く全員を見届け、そのまま歩きだした。

 来るときは洞窟を通ってきたが、帰る時はもっといい道があると聞いてそこを通る予定である。洞窟の中をそのまま通るのに比べればまだ温かく距離も短いが道は困難でどちらの方がましかは少しだけ悩んでしまいそうだ。

 

「長居しすぎたな」

「そうか? 別にのんびりしていたわけじゃないんだから仕方ないと思うが」

「それはそうだがな。早く戻らないと成否を教えられない。やきもきしてるだろうからな」

 それを聞いて不満顔になる劉。納得できないものを無理やり飲みこもうとしている顔だ。

 

「不満そうだな」

「まあ、な。俺はどうにもあの村は好きになれん」

 劉が漏らした言葉を聞いて和也は視線を前にやった。その先にはレイナが集団の先頭を歩いている。どうも俯きがちだがそれでも転ぶようなことはなくしっかりとした足取りだ。隣を歩くリンのおかげかもしれないが。

 会話は聞こえていない様子を見てほっとする。やはり誰でも自分の村が好きではないと言われればいい気持ちはしないだろう。

 

「レイナの前では言うなよ。俺も多少は気持ちもわかるが」

「ならなんでそんな気にしてやるんだよ」

「彼らの気持ちもわかるからだ。どうにかしろとは思うがだからと言って嫌いになるほどじゃない」

 仕事の押しつけというものは和也にも経験がある。進んで面倒な仕事をやる時があればどんな簡単な仕事でも逃げ出したくなるときだってあった。

 白鳳村の場合、命がかかっているのだから逃げ出したくなる時は多くても仕方ないだろう。危険から逃げるのは生物として当然の本能だ。

 劉もそれはわかってはいるが、だからと言って割り切れない。そんなところだろうか。

 

「それに、レイナ一人に任せていることを良しとしているわけじゃないんだ。こればっかりは白鳳村の問題だ」

「それは……! そうかもしれねえけどよ……」

 

 そう言いながらもやはり劉は不満顔だ。和也もそれを理解できる。まだ年若い、幼いといってもいい少女に命がけの仕事をさせている現状をそのまま良しとはできない。全員がやっているのならともかく、そうでないのだから。納得できない、納得したくない。その思考と他所の村の問題だからとの理性。その板ばさみだろう。

 

「劉は難しく考えすぎなのニャ。誰だってやりたくないことはやりたくないニャ」

「そうだな。こういうのはやらないといけなくなって覚悟が決まるものだ。逃げ道があるのなら逃げたいのは仕方ない。リンはレイナと仲良くしてるからどう思っているのかも聞いたけどよ、『レイナの問題でもある』と言っていたぜ」

 ヨウにそれは単純すぎるんじゃあと苦笑する様子だったが、和也の言葉には理解できない部分があったらしく疑問符を浮かべている。ヨウはすっとぼけた顔をしているが理解しているとかではなく気にしていないだけだろう。

 

「どういうことだ?」

「つまり、誰もやらないって訳にはいかないから誰かがやるしかない。白鳳村の場合それがレイナってだけだ。これの問題はレイナが押し付けられているのではなくレイナ自身が望んでいるってことだ。どうもレイナは見捨てるとかそう言うのができないみたいだしな」

 思い当たる節があるのか、劉は納得した様子だ。

 

「つまり、結局誰かがやるだろうとなって誰もやらない。そしてレイナがやってしまう」

「そうだ。レイナがそうである限りはこの問題は解決しない。やりたくない奴はやらない、やりたい奴がやる。その意味ではこれは何の問題にもならない。むしろ理想とさえいえる」

「そうかも……しれねえけどよ……。なんか納得いかねえよ……」

 

(まあ、気持ちは俺もわかるんだけどよ……)

 説明を聞いても理解はしたが納得はできないという様子の劉を見て、和也は内心でそう思った。声に出せばこじれるので出すことはないが、和也から見てもレイナの姿勢はおかしい、一言でいえば『歪』である。まるで、死にたがっていると言わんばかりだ。

 

 レイナの母親はモンスターから人を守って死んだ。ならばレイナもそれに縛られているのかもしれない。母のように生きなければならないと思い込んで、自分はそうでないといけないと己自身を縛り続ける。自縄自縛で苦しみ続けるなど愚の骨頂だ。だが、人はえてしてその泥沼に足を嵌め動けなくなってしまう。

 ある意味で劉も同様だろう。村を守る、レイナを守る、そう決めたはずなのにこうして不満が顔を出す。納得した部分があれば納得できない部分がある。何よりもモンスターをまた狩らねばならないという状況が、一度沈めたそれを思い出させているのだろう。

 

 ――色々と拙いな。

 

 劉はやはり白鳳村に不満がある。猫人の集落を見てきた分、白鳳村以外の他所の村を知れた分不満が出てきたのだろう。レイナも何か悩んでいるのか恐怖なのか、俯きがち。モンスターの正体はつかめない。

 和也は彼らのリーダーだ。話し合ってそう決めたわけではないがそうなっている。ならばその務めは果たさねばならないだろう。どうにもできない問題は後回しにして、別の問題を提起しておくことにした。

 

「白鳳村の問題は今俺らが話すことじゃない。それよりも問題はモンスターだ」

「あ、ああ。そうだな。和也が知らないだなんてどんなモンスターなんだ……」

 今まで出会ったモンスターは雑魚だろうと虫だろうと和也は知っていた。それ故に『和也が知らない』というのは劉にとって驚きと恐怖の対象のようだ。もちろん、和也にとってもそれは同様である。

 

「知らニャいモンスターを狩るのは難しいかニャ?」

「ああ、俺らが今まで生き残れたのは注意すべき点や特色をわかっているということが大きいと思う。初見で想定外の攻撃をされてそのまま全滅、なんてことだってあり得るしな」

「確かに……。リオレイアの時は逃げるのすら辛かったのにリオレウスの時は余裕があった」

「ニャア。ギギネブラも毒を知らニャかったら拙かったかもしれないニャ」

「そういうことだ。だから今回は討伐には時間がかかるだろうな。――討伐するならな」

 

 含むものを持たせた和也の言葉に疑問を浮かべる劉。何も言わずともその顔がどういうことだと言っている。元より説明するつもりで言った言葉だ。相手の言葉を待たずに説明を続ける。

 

「俺たちがここに来た目的はギギネブラの討伐だ。知らないモンスターの討伐なんて予定にはなかった。だからそれを理由にして放っておいてもいい、ということだ」

「――本気で言っているのか?」

 想定通りの反応に内心苦笑する。和也から見て劉の反応は怒る可能性が最も高いと踏んでいた。事実、言葉には棘と熱が混じっている。

 モンスターがいるのを知りながら、そんな予定ではなかったからと言って放置するのは格好が悪いし、何より外道だ。その意味で劉のそれは至極もっともだと言える。だが、もちろん和也とてその外道を口にしたのにはわけがある。

 

「白鳳村にかまけてて、その間に紅呉の里は全滅しました。そんなことになったら目も当てられない。関わり合いになったばかりの白鳳村と、暮らしている紅呉の里。どちらに重きを置くのは考えるまでもない」

 とりあえずは土爆弾もあるし問題はないだろう。だが、飛竜や鳥竜種が里近くまでやってくることは珍しいが無い訳ではない。土爆弾が尽きればどうするのか、そもそもうまく使えるのか、飛竜が来た日には通じるわけがないのにどうするのか。

 加えて言うなら和也たちは紅呉の里の守護者のようなものだ。彼らにそういった考えがあるかどうかはさておき、有事の際に対応する彼らをそのように見る里の住人はいるだろう。その守護者がいない間に襲われたり、さらには他所の事情に首を突っ込んで帰らぬ人となっては堪ったものではない。

 

 そうした説明を受けて劉も渋々理解はしたようだ。紅呉の里に重きを置くのは和也以上、その二つを天秤にかけた場合どちらに傾くのかは考えるまでもない。

 加えて、ギギネブラの際も準備に時間をかけたのだ。危険はあって時間もかかる謎のモンスターの討伐は避けても文句を言われるものではないだろう。

「それはわかったけどさ……見捨てるのは後味わりいぜ。白鳳村だけじゃなく、猫人の集落だってあるんだ」

「そうニャ。それに放っておくとレイナが危ないのニャ」

 しかし当然、というべきか。劉もヨウもそれを選択したくないようだ。二人とも自分さえよければという考えはしていない。このまま放っておくとレイナがどういう行動をとるのか想像できる分余計だ。

「そうだな。なら割り切れ。さっきの話に戻るけどな。白鳳村の問題は俺らがどうこうすることじゃない。極端な話本人たちが納得しているのならそれで死んでも本懐だとさえ言える。だが、死なせたくないというのなら、せめて白鳳村を助けるだなんだ考えずにレイナを守ると考えろ。そのついでに白鳳村も一緒に助けるだけだと割り切れ。時間さえあれば、レイナも考えが変わるかもしれないしな」

「そう……だな」

 

 結局のところ、結論はそこだろう。劉がギギネブラの討伐に乗り気でなかった時も、レイナの父に必ず守ると啖呵を切ったように。正義感や義務で命をかけることは無理だ。だからその他の命を懸ける理由が必要になる。

 

「村が気に入るかどうかなんてくだらないことを考えるな。俺らはレイナを助ける。その過程に白鳳村があるだけだ」

「ああ、わかった」

 頷く劉を見てほっとする。問題の解決には程遠いが、一先ず狩りをする上でのモチベーションは保てるだろう。

 そのまま彼らは歩き続けた。途中、滑り台としか思えない急な坂を下ったので、その道を使って集落に戻ることは恐らく不可能だろう。

 そうした猫人の集落を隠すための仕掛けに感心しつつ歩き続け、ついには白鳳村へと帰ってきた。

 

 

 壊され荒れた家を放置して彼らが隠れている貯蔵庫へと向かう。ここまで歩いている分疲労もやはりあるが、狩りの疲れは一日休めたことで大分ましなものになっている。しっかりとした足取りで貯蔵庫へと近づいた。

 ギュッギュッと雪を踏みしめる音が鳴る。それだけで接近を知らせているかもしれない。もちろんこれだけではモンスターのものかもしれないので彼らも出てはこないだろうが。

 

「み、皆さーん! 飛竜の討伐、無事成功しました!」

 

 近づきながら声をかけるレイナ。接近しているのが自分であるということと、狩りの成果の報告を兼ねたそれ。効果は瞬く間に現れた。

 閉ざされていた洞窟の入り口が開き、中から顔を喜色に染めた村人たちが飛び出してくる。皆落ち着きなどなくし感情のままに動いていた。

 

「よかった! 無事だったんだな!! それに成功したってことはあいつはくたばったのか!?」

「はい! 和也さんたちのおかげで無事に!」

 手を取り合って喜び合う村人たち。抑圧された環境からの解放感でいっぱいなのだろう。嬉しさそのままに子供の様にはしゃいでいた。

 

「みなさん、ご無事で何よりです。それにご苦労様でした」

 レイナの父である村長が和也の下へとやってきた。村が救われたという安堵と、娘が無事に帰ってきたという安堵。二つの安堵で若返ったような笑顔だ。

 尤も、今からそれを壊すのだから救われない。初めてこの場に来た時もそうだったなあなどと思い出す。つくづく損な役回りだ。

 

「ギギネブラの討伐は無事に完了しました。死骸はまだ洞窟の中に、後で回収する予定です。ただ、問題も発生しました」

 浮き足立っていた村人たちが、一斉に冷水を浴びせられたかのように静まり返った。和也同様に、つい先日のことを思いだしたのだろう。和也の言う問題がなんなのか、不安を隠すことなく張り付かせていた。

 

「正体不明の飛竜がいるようです。近くに住む猫人達の目撃証言とギギネブラに爪痕がありました。存在は間違いないかと」

「そ、それは確かですか!?」

「ええ、白鳳村の荒れ方もそうです。元々ギギネブラならあんな荒れ方はするはずないんです。おかしいとは思っていましたがギギネブラ以外の何かがいると考えれば自然です。いることは確かかと」

 

 そんな、やっと終わったと思ったのに。そうした悲鳴とも慟哭とも取れる叫びが沸き起こる。和也のしたことは結果として上げて落とすことになったため、その分衝撃も大きいだろう。

 

「な、なあ! あんたらそいつだって狩ることはできないのか!?」

 

 阿鼻叫喚の中、誰かが言ったそれは瞬く間に伝染していった。ギギネブラという脅威を退けた和也たちは彼らにとって一縷の希望だろう。

 

「その前に聞きたいのですが、この正体不明の飛竜について何かご存じありませんか? 姿形、色、特徴など」

 

 和也たちならと縋る視線が今度は村人同士で交わされた。思い当たる節はないかと彼らは一生懸命に探す。だが、誰一人としてはっきりと言葉にすることはできなかった。

 警察が一般人に聞き込みをした時、こんな答えが役に立つのかと萎縮して答えることができないことがあるそうだ。彼らもまた何も知らない訳ではないのだがそれを言えずにいた。この場合、村長に報告はいっているので言わずとも村長が言うだろうという理由もあった。

 自然村長の下へ視線が集中する。和也もそれを察して目を村長にやるが、彼は静かに首を振った。

 

「いや、わからん……。恐らくはギリスの山奥にいたものがおりてきたのだろうとは思うが……その正体までは分からん。今までにあった情報は、そ奴が強靭な四肢を持つ飛竜ということだけだ」

「四肢……四足歩行ということですか? それと色は分かりませんか?」

 ここにきて新しい情報だ。彼は大したことのないものと思っているのかもしれないが、四肢を持つというのはある程度は相手を絞れる。また、攻撃方法なども多少は想像がつく。ひとまず突進は警戒だろう。

 首を振って否定を示しながらも新しい情報は出てきた。ならばさらに出てこないかと期待するが村長はまた首を振った。

 

「四足歩行ということは間違いないと思う。だが、色まではわからんのだ。赤というもの、白というもの。命からがら逃げかえった者の証言でははっきりせんでの……」

「そう……ですか」

 

 これまで手に入った情報を整理しよう。

 まず敵は黒くて茶色い。黒というのがギギネブラのことならば色は茶色。恐らく赤と青の筋が入っている。動きは素早く目が赤く光る。強靭な四肢を持ち雪山に棲んでいる。

(なんつーか……ナルガクルガとティガレックスを足して二で割ったような奴だな。そういうのいたか……!? 思い出せ……!)

 

 考えてみて結論はやはり謎。世界は常に動いていると考えれば和也の知らない新種のモンスターがいても不思議ではない。ゲームであったのは世界をほんの少し切り取っただけの一部にすぎないのだから。

 

 

「――やはり正体は掴めませんね。わからないのなら私たちは何もできません。正体不明のモンスターを相手取るのはリスクが高すぎます」

「そ、そんな…………」

 

「調べるのはできないのか!?」

「私たちだけでやるのは時間がかかりすぎますね。紅呉の里をずっと放置しておくわけにはいきませんし」

 

 

 シン……と村人たちは静まり返った。モンスターを放置すると言われ、見捨てると言われたような気分になって絶望の淵に立っているのかもしれない。

 静まり返り顔を青く染める村人たち。震えているのは寒さのせいではないだろう。そんな彼らに囲まれる中、レイナは一人何かを考えているようだ。その顔は思いつめているようで、けれど悩んでいるようだ。

 

(劉にはああ言ったけど、放置するってのはやっぱり気分が悪いな。条件は提示したが気付くか?)

 

 ざっと集まっている村人たちを見渡す。顔面蒼白で震えているもの、思いつめたような顔をしているもの、何かを悩んでいるもの。多種多様だ。

 謎のモンスターを狩るのは厳しい、何故なら正体がつかめないから。正体を掴むことは難しい、和也たちだけでは時間がかかりすぎるから。ならば、和也たちだけじゃなければいい。

 和也は狩ることはできないとは言わなかった。できないとも不可能とも言わなかった。難しいと言い理由も説明した。ならばとなるのは単純だ、現に調査すればと村人の一人が言ったのだから。それを言った彼は何かを悩んで思いつめているよう。おそらく気づいているのだろう。

 

 ――狩ってほしいのなら情報を集めろ。それに協力しろ。

 

 これが和也の示した条件だ。はっきりと明示はしていないが、既に半分ほどはそれに気付いているようだ。

 モンスターを狩ることなどできないと思っていただろう。ギギネブラを狩ると聞いた時怒声を出したのだからそうだろう。モンスターは、敵うことない絶対的な上位者だと思っているだろう。それを調べるのは怖くて当然だ。

 だが、怖いのなど和也たちとて同じだ。毎回不安や恐怖は押し隠しているだけで、死を振りまくモンスターは怖くて怖くて仕方ない。噛み殺そうとする牙が怖い。引き裂こうとする爪が怖い、薙ぎ払う尾が怖い、それだけで殺せそうな殺意が怖い。それに打ち勝つのに和也たちに求められたのは、死なないようにする防具でも、ましてや殺すための武器でもない。必要だったのは小さな勇気。

 

 思いつめた顔、言葉を発さずともざわついた空気。それがどうまとまるのか、それを見守り続けた。願いが叶うならば誰かが自主的に言いだしてくれること。そしてそれは当然、レイナであってはならない。それでは今までと変わらず、レイナだけが頑張ることになってしまう。

 

(できれば……レイナじゃない誰かが勇気を振り絞ってほしい。けど……だめか?)

 

 劉に言い聞かせた後、この件について和也は一つ決めていたことがあった。それがこの条件の提示、そしてそれから派生する村の行く末を占う答え。

 この騒動が無事に済めば白鳳村と紅呉の里で交流ができるようになればいいだろう。今までは草原を越えることが危険だったからできなかったが、今は武器防具揃えて護衛もつければ可能になる。

 だが、それを考えるならおんぶにだっこではだめなのだ。彼らが自分たちの足で歩かなければ。もしそれができないのなら、レイナを守るために最悪誘拐でもしてやろうか。それぐらいの心情だった。

 その答えを、いい答えを期待していたのだが駄目だったのだろうか。このまま待っていればレイナが言いだしてしまう。ならばせめて条件をはっきりと示して反応を見てみよう。そう考えて口を開こうとした時だった。

 

「――戦えよ」

 

 ただぽつりと呟いただけであろうそれ。静かになりかけていたそこに、その言葉は酷く大きく聞こえた。

 声の主、劉は怒りを孕んでいるような、何かを我慢しているような。けれどそれでいて泣きそうな顔だった。"怒りを帯びた、泣いている女の顔"を表す面、般若。まるでそれを思わせる。

 劉がずっと不満だったことは和也とてわかっていた。だから帰って来る前も割り切れと話しをしていたのだが、無駄だったのだろうか。

 割り切れというのならこんな条件は示すんじゃなかった。脳内でそう悔やむ。割り切れというのならもっと機械的にやるべきだった、人間味が出るような方法を取るべきではなかったのだ。

 

 そうして、怒声が響く。

 

 

「戦えよ! 他人に頼るな! 助け合いは甘える事じゃねえんだぞ!」

 

 怒声は一瞬で響き渡り、その感情は伝染する。

 劉は紅呉の里でも白鳳村から見てもまだ若造だ。若いうちに死ぬ人間が多いといっても、劉以上の年の人間など沢山いる。その若造の侮辱と取れる言葉は耳に聞こえのいいものではないだろう。

 そのまま放置すれば感情論の水掛け論に発展しかねない。どう取り繕うかを社会人の経験をフルに生かして考える。だが、その前に、それすら制するように劉がさらに叫んだ。

 

「どうにもできねえなら諦めろ。モンスターは強いんだ。どうにかできねえことなんざ山ほどある。けど、いいのかよそれで! 俺の弟もモンスターに殺された、目の前で殺された! それはもうどうすることもできねえよ! けど、これから先もそれでいいのかよ!どうにもできねえなら諦めろ! だけどどうにかできるのなら戦え! できることがあるならやる前から逃げるな! モンスターが怖い、死にたくねえ! そんなの当たり前だ! けど! 死にたくないのなら戦え!! 自分を守ることを他人に委ねるな!!!」

 

 シン……とまた静まり返った。それは和也にとっても同様だった。

 和也は知らなかった。劉に弟がいたことを、弟を目の前で失ったことを。そしてそれが言う必要が無いほど当たり前のことであることをすぐに理解できてしまった。

 言われた村人たち全員にとってもそうだ。モンスターが怖いのはそうした過去があってこそある感情なのだから。

 

 けれどだからこそ劉の言葉は意味があった。劉の言葉は罵倒でも強制でもない。ただ焚きつけているだけだ。今まで死んでいった人達、そのモンスターの横暴を許してもいいのかと。これからも親しい大事な人を死なせ続けていいのかと。

 

 

「気に入らねえ……」

 

 誰かが呟いた。憎悪と怨恨を秘めたような声で。

 

「俺らのことも、過去のことも何も知らねえ癖にでかい口叩いて気に食わねえ」

 

 ギュッギュッと音を立てて声の主は前へ出て来た。30手前といったほどで、額と頬、それに腕に大きな傷跡がある強面の男性だ。

 射殺さんばかりの視線を劉へ注いでいる。その剣呑な雰囲気に思わず身構える和也。

 

「ああ、気に食わねえ。何も知らないでそんなことを言うてめえも! そんなことを言わせた俺自身にも! 何より今ものうのうと暮らしているあの悪魔にも! ――やってやるよ。やってやる! 仇を取ってやる!」

 

 その殴り掛からんとばかりの勢いで男性は啖呵を切った。それは決意表明だ。和也と劉に、そして村人に戦うと。

 一人出てくると二人目が。二人出てくれば三人、四人と増えていく。その中には当然レイナの姿もあったが、誰もがやるのなら問題はないだろう。

 

「――代表として村長としてお願いがあります。我々も協力してモンスターの正体を掴みます。貴方方には討伐を依頼したい」

 

 

「――もちろんです、お受けします」

 

 拳をもう片方の手のひらで包むようにして、了承の意を述べる。この日、この時、白鳳村は逃げる為ではなく戦うためにひとつになった。それは過去を乗り越える決意の証。

 和也たちが紅呉の里を出てから五日。どうやら和也たちは漸く"白鳳村"に到着したようだ。

 

 

 

 



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第18話 雪山と飛竜

 劉が啖呵を切った次の日の山の中腹。雪が降り積もり麓など物の数ではないとばかりに一面真っ白な世界。そこを和也とリンは歩いていた。

 遮る物は何もない視界を忙しなく動かし、二人で辺りを警戒する姿は間違うことなき哨戒だ。二人は今、白鳳村の背にある霊峰ギリスに正体不明のモンスターを探しに来ているところだった。もちろん、狩りにではなく正体を掴むことが目的である。

 一歩踏み出すとズボッと足が一気に沈み和也の体が泳ぐ。調査目的とはいえ防具や武器は持ってきている。深雪故の柔らかさと装備の重さが牙をむいたのだ。

 

「っとと、この辺はまた雪がすごいな」

「気を付けないと踏み出した先は地面が無いかも。もっと地面をよく見て」

「ああ。とはいえ、想定以上に厳しいな。この辺で出会った場合は麓の方におびき寄せないと……」

 和也が足を取られたのは既に数度目。少し登ったところには雪が深く降り積もり、登山者に偽りの地面を与えている。注意するリンも受け答えする和也も既に慣れたようだが。

 地面を見渡して思うのはこの場での戦闘の難しさだ。ただでさえ雪で足場が悪く踏ん張りがききづらいというのに、更にこうして足を取られる可能性があるなど厄介なことこの上ない。改めて面倒なフィールドでの面倒な狩りだ。

 

 正体がわからない、足場が悪い。どちらもゲームであった頃にはなかったものだ。今更ゲームの中にいるなどと思っていないが、こうした環境の違いが思わぬ結果を生む可能性がある。

 ギギネブラの毒が例えばそうだ。和也が尾に突き刺したから毒腺が損壊して噴出したのだろうが、ゲームではあんなことは無かったのだから。それ故に想定外のものを浴びて、結果昏睡し脱落。そうして劉たちに迷惑をかけたのは記憶に新しい。足場が悪いのは慣れが必要なので仕方ないにしても、そうでない部分はこれ以上迷惑を掛けるのは和也にとっても避けたい話だ。

 

 これには単純に死にたくないという気持ちの他、劉がせっかく啖呵を切ったのだからという思いがある。

 鬱屈した思いにうまく整理をつけ、その感情の発露を説得へと転化したあの啖呵。あれがあったから今同じ時間に他の場所を調査してくれている村人がたくさんいるのだ。

 劉は和也より年下であり、狩りという点については仲間だが後輩でもある。ならばそうして成長した姿を見せる劉に、これ以上格好悪い姿は晒したくない。何より、あの啖呵を無駄にしたくない。

 

 足を一歩踏み出す。が、その際重心は後ろに置いたまま探るように前に出した脚を動かした。きちんと固い地面があることに安心して体重を預ける。

 ひとまずはこういった動きを繰り返すか、地面が無い箇所の雪の特徴を覚えるしかないだろう。リン曰く、光が透き通ってぼんやり明るいらしいが、和也の目には言われればわかるという程度。なんとか覚えていくしかない。

 

 もう一度辺りを見渡す。今度は地面にではなく周囲に向けて。遮る木々のないこの場所はまるで雪原のように広がっている。かろうじて傾斜がついているとわかる程度で、霊峰ギリスのとてつもない大きさがわかる。

 

(住処が大きいってんなら簡単には出会えないだろうな。なら狩らなくても平気って考えたいんだが。今までいたのに平気だったんだ、完全に住み分けができていたのだろう。けど村が襲われたってことはその住み分けが崩れたってこと……何故だ?)

 

 ギリスの大きさから山奥にいるというモンスターへと思いを馳せて、一人疑問を頭に浮かべる。

(食料が尽きて人里を襲った? ギギネブラも同様か? あり得なくはないが……)

 疑問はこの騒動のことだ。人が今まで生きることができたということはそれで生態系のバランスは保たれていたということだ。それがなぜ崩れたのか。

(今の所正体不明のモンスターの候補はティガレックスかナルガクルガ。ティガレックスがいるなら山の奥。けどナルガクルガは密林とかじゃないか? それか……?)

 外部からの捕食者の流入。それこそが原因ではないだろうか。この近辺にはギギネブラしかいなかった。そこへナルガクルガがやってきて食料を奪い合った。結果、どちらも満足できず人里を襲った。ギギネブラにあった傷痕はその奪い合いの際にできたということだろう。

 

(筋は通ってる。けど疑問点も残るな……。まず山の奥にいるという強靭な四肢を持つ飛竜、どうあがいてもこれはギギネブラのことじゃない。おそらくはティガレックス。ナルガクルガじゃない。第二に家の荒れ方。あれもよく見たら雪玉をぶつけたような跡もあったし、どうもティガレックスっぽい。つまり、ナルガじゃない)

 和也にとって強靭な四肢を持つ飛竜と言われてまず思い出すのはティガレックスだ。ティガレックスの攻撃手段に雪玉を飛ばすというものがある。白鳳村の家はその攻撃によって壊れたようなものがあったのだ。他にも、ゲームでもティガレックスとの最初の邂逅は雪山の奥だということもこの想像に信憑性を持たせる。ティガレックスだと考えればそれはそれで筋が通る。だが――

 

(真っ黒な姿、目にもとまらぬスピード、真っ赤な目……これらはナルガクルガだ)

 あちらを立てればこちらが立たないというように、ティガレックスだと考えてもナルガクルガだと考えてもつじつまが立たない部分がある。ならばどういうことだろうか。

 

(外来種が原因じゃないのなら原因は気候やそれに伴う食糧問題か? それならターゲットはティガレックスだと思っておいた方がいいんだが……どうもしっくりこない。やっぱり新種、というか知らないモンスターなのか?)

 それ以外考えられない。切り口が違うというのに既に何度もした思考へとたどり着く。正体不明、知らないモンスターとの戦闘。それを想像させる手がかりの数は時に惑わし動きを鈍らせる枷となる。手がかりが全くないのではなく、不十分に存在する。それが和也を困らせていた。

 

「和也!!」

「うわっ! ――びっくりした。どうしたよ、リン」

 ついつい思考の海へと没頭していた和也の意識だが、リンの声によって掬い上げられる。索敵中であるというのに声は――リンにしてはだが――大きい。どうしたのかと目で訴える。

 

「集中しすぎ。考え事もいいけど目の前のことも認識しないと。死ぬよ?」

「すまん。確かに集中しすぎてたかもしれん」

 だが尋ねるまでもないことだ。和也は気づいていなかったがリンは大きな声で呼ぶ前に何度か呼びかけていた。だというのに大きな声まで気付かなかった時点でリンの言いたいことはお察しというところ。

 足を取られることが無かっただけましだがそれだけだ。モンスターが近づいて来ればさすがに気がつくだろうが、気が付いた瞬間死ぬことさえありうる。モンスターを知ろうと考えるあまり警戒心が消えてしまっては意味がない。それで死んでしまっては本末転倒だ。

 ふっと大きく一息を吐く。思考を切り替えるために、余計なものも一緒に吐き出せるように。それだけで切り替えられることはないが、しないよりはましである。虚空を写しているかのような、僅かに虚ろになった瞳に光が戻る。

 

「悪いな。迷惑をかけた」

「ううん、大丈夫。――やっぱり怖い?」

 

 付け加えられたかのようなその一言に、和也の心臓がドキリとはねる。なぜ今考えなくていいことを考えたのか。なぜそれに没頭してしまったのか。そこに理由を求めるならば、答えは現実逃避となる。

 質問の形式を取ってはいるがリンは確信しているようだ。いつもと同じ気だるげな瞳ながら、それでいて視線はまっすぐに和也を射抜き揺らぎはない。

 誤魔化すことは無理だろう。あまりの格好悪さに和也は天を仰ぎたくなることをどうにか堪えた。

 

「正直な。今回は敵がわからない。今までとは……違う」

「けどそれはきっと今後もだよ。それに今までも」

「え……?」

 敵がわからない、敵がわかっていた今までとは違う。そう漏らす和也をリンは真っ向から否定する。今までとは違うと思うから、和也はリンの真意がつかめず呆然とした視線をやる。

 

「今までだって戦う前に出会ってた。出会ってたから和也は戦えた。なら今回も同じ。今であって、戦えるように知るというだけ。何も変わらない」

 リンにわかるはずがないのだが、和也がブルファンゴやらリオ夫妻やらの動きを知ることができたのは実際の経験ではなくゲームの経験だ。今回の相手が新種だというのなら、条件は全く異なる。

 だが、それを口に出すことはできない。異端極まりない説明で信じてもらえるはずもない。故に否定することはできないのだ。

 だが、敢えて肯定するとリンの言うとおりだ。モンスターを知れば戦えると和也は既に自信をつけている。今回モンスターがわからないから怖いというのなら、戦う前に知ればいい。そして、今がその知るの段階なのだ。

 

「今戦う訳じゃない。倒せたら楽だけど今は探るだけ。だから戦う必要はない。そうやって割り切ろ?」

 戦わなくていいのなら、相手に発見されなければかなり安全性を保てる。一度で観察して知って戦うのではなく、段階を分けてリスクを分散させる。その意味でリンの言うことは正しいのだ。

 受け入れてしまえば単純な話だ。確かに新種だった場合和也にとって今までと違いすぎる狩りとなる。だが、だからといって逃げるというのは状況も周りも、そして和也自身も許さない。ならば結局戦うしかない。戦うのなら、リンの言った通りまずは偵察だと割り切って発見されれば逃げに徹することが一番だろう。

 

 和也はリンの言わんとすることを理解する。怖いのは仕方ない。だが、だからといってどうにもならないわけでもない。そして何より、今後も同様のことはあるだろう。ならばこんなところで絶望はできない。怖がるのはいい、けれど乗り越えねばならない。和也はリンをまっすぐに見つめ返し大きく首を縦に振った。

 

「ああ、ありがとうな、リン。もう大丈夫だ」

「ん。和也はもう大丈夫。それより、ヨウが心配」

「……あー。確かになあ」

 お気楽コンビは偵察だということを忘れて突っ走ったりしないだろうか。突如違うことが心配になり、それはそれで恐怖がどこかへ行く和也であった。

 

 

 さて、リンと和也がそうして心配していたヨウはというと。

 

「おっきいリンだニャ……」

「いや、ちげえだろ……」

 居眠りをしている、という訳ではないのだが体を丸めて休んでいる大型のモンスターを発見していた。何も考えずに突っ込むことは無く、モンスターがあたりを見渡しても見つからないようにと隠れてだ。

 

 ここで霊峰ギリスについて少し話そう。白鳳村の背、大草原の北に居を構える霊峰ギリスはなだらかな三角形をしている。山頂に近づけば近づくほど、地面と垂直に近づき山頂付近は坂というより崖である。

 植生はほとんどが針葉樹で麓から山頂へと向かうにつれて減り、草葉の類は麓にすらない。

 彼らがいるのは和也がいる場所よりも大分麓側、多少木が残って堆積した木の葉とその上に積もった雪というバリケードも存在する。隠れる場所は僅かながらに存在した。

 

 劉とヨウが見つめる先にいるモンスターは、おっきいリンとヨウが口にしたように真っ黒な姿だ。眠たそうな顔はその体毛の色も相まって確かにリンに似ている。前足の関節より先、ヒトで言う前腕には皮膜とその先には刃のように鋭い何かがついている。その姿からナルガクルガというやつだろうと劉は推測する。

 

 黒い体毛、白い地面。多少雪が少ないとはいえやはり一面の白い世界。その中に黒い飛竜がぽつんといるのは当然目立つ。保護色という自然の摂理に対し、真っ向から喧嘩を売っているようなものだ。

(これだけわかりやすければ見失うことは無いか……。武器、防具、どちらもある。アイテムも……問題ないな。いけるか?)

 

 肩甲骨の辺りに力を入れて武器を問題なく背負っていることを手早く確認する。防具も、腰につけた袋もいつもと同じ。戦う準備はできている。

 

(異常はない。ならこのまま戦うか? 確かに俺がこのまま戦って仕留めれば被害は増えることは無いだろうが……)

「劉?」

 

(ちっ、そうはいってもこいつがナルガクルガってことで本当に良いのか? 和也も全く知らないモンスターの可能性があるって言ってた。ならまずはそれを確定させた方が……)

 

 ぱちん。小気味良い音が鳴る。ほんのわずかな刺激が劉の頬にあった。

 

「劉は何をやっているのニャ。今は戦う時じゃニャいのに思いつめ過ぎニャ」

「あ、ああ。けどまだあれがナルガクルガだって確定したわけじゃないんだし、少し戦ったりした方がいいんじゃないかと……」

「一理あるニャ。けどそれで僕らが死んだらどうするのニャ? 誰もあいつのことは知らないままなのニャ。今は情報を持ち帰ることが大事だニャ。黒猫かどうかはまたあとで確認するニャ」

「おお……なるほど、そうだな」

「ふふん、わかったらまずは退路の確保ニャ」

 

 胸を張るヨウ。事実、ヨウは劉にしなければならないことを教えサポートを立派に果たしたのだから誇っていいだろう。が、実を言えば今ヨウが言った内容は、いつもリンに言われている内容だったりする。

 

「逃げ道はあっちで良いだろ……。とりあえず、観察を続けるのはいいよな」

「いつでも逃げられるようにしとけばばっちりニャ。僕たち大手柄なのニャ」

 

 まだ情報を持ち帰ったわけでもないというのに機嫌を良くする二人。やはりどこまで行ってもお調子者コンビのようだ。

 

 

 時は劉とヨウがモンスターを発見した瞬間まで遡る。実は劉たちとはモンスターを挟んで反対側に白鳳村の村人たちがいた。彼らも劉らと同様にモンスターを発見したところだ。

 

「お、おおおい、いたぞ、どどどどうするんだ!?」

「あああ、いや、まずは逃げるんだよ」

「あ、ああ。だからえーと……道具道具……」

 当たり前といえば当たり前だがモンスターを発見した彼らは顔に恐怖を浮かべ震えていた。一生出会いたくないモンスター、それも飛竜を見つけたのだ。目的を果たした喜びとできれば出会いたくなかったという嘆きの背反二律を抱えて震える。

 村人たちは三人一組だ。二人以下だと見つけてもどちらも殺される可能性が、もっと多くすると単純に見つかる可能性が高まる。間を取って三人一組とした。

 だが実を言えばこれが悪い結果を出すこともある。三人しかいないので彼らをなだめる落ち着ける人物はなく、けれど一人でもないので恐怖が伝染する。彼らはパニックに陥っていた。

 

 だが幸いだったのは、それでも三人のうち一人が飛竜から目を離さなかったことだろう。それ故にその動きにはすぐに気付いた。

 黒い飛竜は彼らを見つめていた。その鋭い眼光に青かった顔が雪のように白くなる。

 

「お、おい……」

「え、なんだ……よ……」

 震える声に釣られてもう一人、そしてさらにもう一人。三人全員が状況を把握した。見つかった、と。

 

 

 彼らにわかるはずもないが、この飛竜は本来この近辺に棲む飛竜ではない。密林や樹海のような薄暗く死角も多い場所が本来のテリトリーだ。

 だがこの個体は本来より弱く、その地域での生存競争に勝つことは叶わなかった。それ故に、このような場所に食糧を求めてやってきたのだ。もちろん、この新たな土地でも奪い合いは起きているのだが、奪い合うパイが少ない分奪い合う相手も少ない。この個体が以前にいた環境に比べればまだマシと言える環境だった。

 本来より弱い個体、だがそれでも遮る物の多い場所で生息する種だ。当然というべきか、その聴覚は人のそれよりはるかに高い。会話などすべきではなかったのだ。

 

 

「に、逃げろ!!」

 三人のうちの誰かが、あるいは全員が叫ぶ。ただ死にたくないという思いを込めて。

 

 

 

 場所は山の中腹、人物は和也へ。リンに窘められ目の前に集中していた和也と、内心の恐怖を押し隠し捜索を続けるリン。背中合わせに警戒を続ける二人だったが、山頂を警戒していた和也と違い麓側を警戒していたリンはそれに気付いた。

「光った」

「え?」

「光、結構遠いけど強烈。たぶん閃光玉」

 

 ただ光ったというだけなら何かが要綱を反射したという可能性もあるが、強烈で一瞬だけの光は閃光玉の可能性が高い。リンは端的にそう告げる。

 

「まさか発見された……? 向かうぞ!」

「うん」

 同じギリスにいるとは言っても大きさ故に距離がある。足場が悪いことを無視して駆ける二人。途中何度も足を取られこけそうになるが、その度に無理やり体を起こして走る。

 

 麓に近づくにつれて木々が並ぶようになってきた。重力の助けも受けて高スピードで走っている二人にとって障害物は極めて邪魔であり危険だ。衝突すれば戦闘の前に戦闘不能になることさえありうる。それでもずっと走り続けた。

 近づくにつれて微かに音が聞こえてくる。最初は聞き間違いかと思うほど小さなものだが、段々と大きくなりその正体もつかめた。剣戟の音だ。

 

「戦闘音、誰かが戦ってる」

「劉ならっ! いいけどな!」

 可能性としては劉が一番高い。そもろくな武器も防具も持たない村人達では戦闘にならず一瞬で蹂躙される可能性があるのだ。戦闘の音をたてることができるというのは戦闘できるという意味であり、つまりは武器防具を持つ劉の可能性が高い。

 音が大きくなって迷うはずもない。一心に音の下へと駆けこむ。大きな、大きな黒い姿を目にして、腰にある抜身の片手剣を走りながら右手に持つ。

 

「でりゃああああっ!」

 後ろからの不意打ちとなる形で黒いそれに斬りかかった。和也同様にリンもダガーを背に突き刺した。噴出した血を浴びてそのまま地面と平行の向きに反転、雪の地面を削りながら止まる。

 

「和也!?」

「うわあ、すっごい登場だニャ……」

 やはりいたのは劉とヨウだ。二人とも武器を手にして、戦闘をしていたと言わんばかりに滝のような汗をかいている。その背後には村人らしき男が三人。

 守るための戦か――状況からそう察する。村人たちは腰を抜かしているのか震えて動けないようだ。

 ついでに言えば劉から離れすぎれば狙われた時に対処できない。動けない状況は救いでもあった。

 

 和也が状況を察するのと飛竜が雄たけびを上げるのは同時だった。咆哮をあげて赤い目を輝かせて威嚇する飛竜。その姿を見て正体を突き止める。

 

「ナルガクルガか……」

「やっぱりか……」

 劉も推測はついていたようだ。尤も、ナルガクルガの可能性を考え、その特徴と対策を全員にしっかり話しておいたのだから当然ともいえるが。

 赤い目に咆哮、考えるまでもなく興奮した怒り常体のナルガクルガだ。できれば戦闘したくないが、背後に村人がいる状況ではそれは苦しい。ついでにナルガクルガ相手に背を向けて走るなどできるはずもない。

 故に戦闘は必至、その方向も決まっていた。

 

「適当に戦いつつ逃げるぞ! まずはこの場から別の場所へ引きつける! その後で閃光玉などを使って逃走だ!」

「おう!」

「合点承知ニャ」

 

 指示を受けて了承を示す劉とヨウ。それにリンも声に出さなかったが了解と思っている。和也とリンにとっては走り通しの直後の戦闘なので厳しいものだが、防戦に徹すれば戦える――と思い込んでいた。初の戦闘なのだから、それが正しいのかどうかなどもちろんわからない。だが、気持ちの上では負けないと奮い立たせる。

 

 ナルガクルガが跳びかかる。木をクッションにした二段攻撃を和也へと向けて。その刃のような爪を構えて和也の首を落とさんと迫る。

 ふっと一息、地面に飛び込んで躱す。雪がクッションになってダメージもなく、思い切った動きが可能だ。足場が悪いといってもこうした利点もある。

 

「だああっ!」

 警戒が外れたのか、向かってこなかったナルガクルガへ劉が攻める。大剣を肩を支点にして回転させるように振り下ろす。風圧だけで斬れそうな鋭い一撃だったが、はねるような動きでナルガクルガは回避する。

 

「ひいっ!?」

 逃げた先は村人たちの方向だ。近づいてきた脅威に村人が悲鳴を漏らした。だが、それを予測していたのが二人。

 リンとヨウはそれぞれダガーとハンマーを振るう。リンに至っては一本がまだ背に刺さっているので替えの武器だ。小さい体で振るわれた小さな武器、だがその素材は飛竜のもので丈夫で鋭い。

 それがわかったからか、ナルガクルガはまたも飛び上がって回避する。それまでの動きとは反対方向に、元いた方向へと急な方向転換だ。

 

「しっ!」

 

 さらに起き上っていた和也がその着地地点へと土爆弾を投げる。無理な動きで回避を続けたナルガクルガはそれを避けきれずに被弾する。ボゥンと小さな爆発が起きた。

 

 

「ギャアアアアアアアアアア!!!?」

 大したダメージではないだろう。それでも獲物であるはずの人から攻撃をもらい叫ぶナルガクルガ。

 赤く爛々と輝く目が和也たちを睨む。間違いなくナルガクルガのターゲットは和也たちへと移っただろう。

 ついでにこの時、和也はあることに気付いた。

 

(目に……傷? 今の衝撃で……じゃあないよな。なんだ? ギギネブラがか……?)

 頭部へのダメージを与えた際の部位破壊、目に傷が入り隻眼となっていた。だが裂傷は土爆弾によるものではないだろう。ならばどういうことだろうか。近くにいた大型のモンスターかとも考えるが候補がギギネブラしかいない。あまり考えている時間もなく、すぐに思考は中断された。

 

 ナルガクルガはその場で回転する。長い尾が鞭のように振るわれた。

 咄嗟の不意打ちとなったそれだが、ナルガクルガの望んだ結果とは異なりガァンと大きな音が響く。和也たちは想像できていた分動けた、それ故に盾を構えることもできていた。

 しかし和也たちの背後、木々にとげが刺さる。銃弾でも打ち込んだかのように衝撃を物語る背後の音は、和也たちにその威力を示唆していた。同時に、それが村人たちへと行くかもという可能性も。

 

「離脱する! 少しずつこの場から離れるぞ!」

 これ以上この場での戦闘はまずいと和也は考え、離脱を宣言する。ターゲットが村人に移ったら拙いのだが、長期戦をすれば巻き込む可能性があるのだから仕方ない。最初の一撃も合わせダメージはもう十分与えただろうという算段もあった。

 

 少しずつ山頂へと向かい離れていく和也たち四人。それを追う姿勢を見せ、少しずつ山頂へと向くナルガクルガ。完全にナルガクルガが村人たちに背を向けた時、和也は叫ぶ。

 

「一目散に走れ! 閃光玉!」

 ナルガクルガの足元へと先攻玉を投げて、それが光らないうちに振りかえって走る。ナルガクルガが遮蔽になって村人たちには届かないはずだ。それ以前に、ナルガクルガは閃光の驚きと興奮で暴れ回り始めたが。

「こっちだ!」

 最初の声も合わせ和也たちの方向を音によって理解するナルガクルガは暴れながらも追いかけた。ひとまず村人から引き離すのは成功しそうだ。

 

「このまま逃げるぞ」

 時に後ろを振り返りながら彼らは逃げる。そのまま一分ほど走り、ナルガクルガを十分に引きつけたという頃だ。その頃になるとナルガクルガも閃光のショックから立ち直ったようで、不用意に暴れることもなくまっすぐに和也たちを追いかけていた。

 そう、そんな時、和也たちとは違う足音が近づいていた。それはまっすぐに和也たちへと向かっている。雪をけ飛ばしながらの足音はやがてその主と共に現れた。

 

「和也さん!?」

「レイナ!?」

 そう、足音の主はレイナ。レイナは和也を見て驚いた様子を見せ、ナルガクルガへと視線を向けて顔を青ざめた。

 

「ナルガ……まで……。和也さん! あっちからも!」

 何かを言おうとするレイナ。だが、それどころではなかった。その場にいる全員が、ナルガクルガも含めてレイナが指し示す先を見ていたのだから。

 

「ティガ……レックスまで……」

 

 大口開けた茶色い飛竜が、まるですべてを飲みこまんとばかりに迫っていた。

 



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第19話 二匹の飛竜

 ティガレックスの乱入によって幸か不幸か事態は一時停止を見せた。ティガレックスにとってもナルガクルガにとっても和也らは物の数ではないただの餌。だが、その餌は放っておけば逃げてしまうし、かといってさっさと仕留めようとすればもう一匹いる飛竜に隙を晒すことになる。それ故に二匹の飛竜は動けずに固まってしまっていた。

 それぞれに獲物と見定められていた和也たち。彼らはレイナの乱入もあったが全員が一塊になって、ティガレックスとナルガクルガに挟まれる形で停滞していた。

 

(くそっ……ざっけんな! 二匹同時かよ……!!)

 正確な状況を把握し経和也の内心にあったのは愚痴だった。ティガレックスとナルガクルガ、両方の特徴を併せ持っているモンスター、などではない。ただ単に両方がいたというだけだ。

 

(よくよく考えてみれば姿は黒と茶色、特徴はティガとナルガのものだったんだ。気付くべきだった……)

 後悔しようと後の祭り。早く気が付いていればせめて片方がいなくなるまで待つということもできたかもしれないが、現実出会ってしまったのだからもう遅い。

 

「くっ……閃光玉使って離脱するぞ。二匹同時に目眩ませて逃走」

「ああ、それしかねえよな……」

 

 ティガレックスとナルガクルガの重圧に耐えながら彼らは声を絞り出す。何もしていないはずなのに額には玉のような汗が浮かび、常に力を入れておかねば足は崩れ腰が抜けるだろう。

 ティガレックスは獲物が増えた喜びをかみしめるかのように、舌なめずりをしながらじりじりと近づいてきた。少し縮まった距離を離そうと、レイナは思わず後ずさりをする。だが、その先にはナルガクルガがいるのだ。結果彼らはさらに一塊になったというだけである。

 

「レイナは村人に避難の指示を。あの避難場所なら大丈夫だろう。劉、リン、ヨウはここに残って戦闘。付かず離れずの距離を保って引きつける」

「わかりました。その、気を付けてくださいね」

「ああ。互いにな」

 

 冗談さえいえない緊張感。真夏の太陽が照りつけているかのような汗をかき、逆に真冬に裸でいるかのような寒さを感じる。睨まれるプレッシャーだけでどうにかなってしまいそうだ。

 それでも方針を定め後はそれを実行に移すのみ。だがそれが恐ろしい。閃光玉はアイテムポーチの中だ。すぐに取り出せる位置に用意しているとはいえ、果たしてその隙を二匹の飛竜は許してくれるだろうか。

 

 それは和也だけでなく全員が同じだ。いかに取り出しやすくしているとはいえ、アイテムを探るのは隙だらけ。その隙を晒すということは命の危険を晒すということである。

 もしも出会う前に初めから用意していたのであれば話は別だが、和也たちがしていたのはアイテムポーチから取り出しやすくしておく準備だけ。手に持っていて誤作動をさせるのが怖かったとはいえ、この状況に至ると後悔してしまう。

 予め気づいていればよかった。ティガレックスもナルガクルガもいるのだと気づいていればよかった。そうすればそれ相応の準備ができただろう。ティガレックスとナルガクルガの情報は全員で共有していた。それ故にそれも誰もが思った。二匹ともいるのだと気が付けばと。

 

「和也、僕が閃光玉出す。その隙に逃げよう」

「リン? ――頼んだ」

 コクリと頷くリンを視界の端で確認しティガレックスとのにらみ合いを続行する。

 

「リンがやるニャら僕もやるかニャ。劉はその間僕の護衛をするにゃ」

「任せろ」

 和也の背後でヨウと劉の声がする。どうやらヨウも準備に動いてくれるらしい。二人が協力するのなら、リンがティガレックスを、ヨウがナルガクルガを相手する形になるだろう。

 劉がヨウの護衛をするのなら自分はリンの護衛だろう。そう考えて体をリンの方へと寄せる。

 

 そうしている間にもティガレックスはじりじりと迫っていた。ナルガクルガもいるので逃げられず、距離は少しずつ縮まっていく。のんびりしている時間はない。

 

 

「ヨウ、同時にいく。3……2……」

「1……今にゃ!」

 

 リンとヨウは袋のズッと手を突っ込む。その明らかな異常な行動にティガレックスもつられたように跳びかかった。和也はリンとティガレックスの間に体を置き、重心低くし盾を構える。見えなくなった視界の先でティガレックスが盾に激突し、吹き飛ばされそうになったのをぐっとこらえた。

 

「目閉じて!」

 

 リンの声と同時に閃光が煌めく。眩い光はティガレックスの目の前に現れその視力を奪った。

 

「グオオオオッ!?」

「ティガ閃光! ナルガは!?」

「こっちもだ! 逃げよう!」

 

 全員が脅威から逃げるために駆けだす。地面が雪で足を取られるなど知ったことか。命惜しければ無駄なことにかまうなと転びそうになろうが足を無理やりに建て直させて走り続ける。

 

 

 レイナは和也たちとは反対方向へと一人で走ったはずだ。それを確認しようと和也が後ろを振り返る。釣られてヨウも同じく振り返った。

「うへえ、見なきゃよかったな……」

「二匹ともすっごく暴れてるにゃ……」

 

 閃光で視界が奪われた二匹は生存本能からか辺り構わずに暴れていた。木々をなぎ倒し、雪を飛ばして雪原を削り、狙いもつけずに尾や爪を振るう。まるで癇癪持ちの子供の様だ。

 

(レイナは無事に逃げたか……? 確認しようがないけど……まだあの場にいた、なんてことはやめてくれよ……)

 

 暴れる二匹はまるで台風だ。もしもあの場にまだいたとすれば人間などひとたまりもない。生きているかどうかではなく、原形を保っているかさえ怪しい。

 ティガレックスもナルガクルガもたやすく視認できる程度の位置、おおよそ20mほど離れて彼らは止まる。離れすぎて、あの二匹が村人を襲いに行っては困るからだ。

 

 

(さて、二匹同時となると引き離して一匹ずつがセオリーだけど……どうすりゃいいかな……)

 遠くで暴れている二匹を見て考える。ゲームでは同じエリアにいる場合は相手せずに逃亡し、違うエリアに分かれた時を狙って狩るのが定石だった。同時に相手することは不可能ではないが、リスクが一匹ずつに比べ格段に跳ね上がるのだ。そのリスクが跳ね上がった行為を、現実となった世界で命をチップにやろうとは思えない。

 

「なんとかあの二匹を引き離さねえと戦うに戦えねえ。なんか案あるか?」

「――いや、ない」

 

 一人で考えても思いつかず仲間を頼ってみるも仲間も同様。劉にしてみれば和也が思いつかないことなど思いつくはずもないというぐらいだ。

 和也にとってはこの世界の住人の何らかの方法でもあればと思ったのだが特にないらしい。考えてみればモンスターが出れば一も二もなく逃げるの世界でモンスターを分断する方法などあるはずがない。

 

「ねえ、引き離さないとだめなの?」

「どういうことだ、リン。二匹同時に相手するのは難しいだろう?」

「そうじゃなくて。暴れまわって攻撃しあってる。同士討ち誘えない?」

 

 リンに言われて目をやると、確かにナルガクルガもティガレックスも互いに攻撃しあっている。そろそろ閃光玉の効果も切れているのだろうが、未だ二匹は争っていた。

 その光景を目にして少々唖然とするリンを除いた三人。

 

「俺ら……いなくてもいいんじゃね?」

「そうにゃ……勝手につぶし合ってくれてるにゃ……」

「そう……だなあ……」

 

 戦わなくてもいいんじゃないかという現実を見せられ呆気にとられる三人だった。

 

 

 

 数秒、その戦いを見守っていた和也だったが、ふと気になることが生まれた。

(ギギネブラの腹の爪痕はたぶんティガだよな。まっすぐな爪痕だったしナルガっぽくない。でもティガはギギネブラにとどめを刺さなかった。それにナルガにも傷はあったけど今も生きてる。つまり今までだって争いはあったが止めは刺さなかった。何故だ……?)

 

 ふと生まれた疑問。だが少し考えれば答えは見えてくる。

 当たり前のことだ。生物が他者を襲うのは縄張りや食料などの理由がある。即ち生きるために必要なのだ。ティガレックスもナルガクルガも肉食なので人やその他の飛竜を襲う意味は当然ある。だが、果たして彼らは飛竜を襲うだろうか。もっと安全に狩れる弱い肉がたくさんいるというのに。答えは否だ。危険を避ける本能がそんな手段を取らせない。

 ティガレックスがナルガクルガに狩ったとしよう。そうすれば得られる肉も多い。一食だけでなく数日は食べられるかもしれない。けれど、そのために傷を受けてしまっては? それが原因で今後の狩りができなくなってしまっては? 生きるための行為で死んでしまっては本末転倒だ。それ以外方法が無いのなら仕方ないが、代替案があるのならそっちを取るだろう。

 

(当たり前だな。俺だって肉が食いたいからってナルガクルガとかを狩ろうとは思わん。つまりあれは攻撃しあったからちょっと争っているだけ。殺し合いにはならない)

 

 和也たちの目的は二匹の討伐だ。討伐できずとも撃退できればそれでもいいが、それで済む可能性はとにかく低い。討伐だと初めから考えておいた方がいいだろう。

 

(――なら、乱入するか。弱らせてもらってそこを狩る。漁夫の利といこう)

 

 互いに傷つけ合って弱ったところを仕留める。手軽でおいしい選択だ。そのためにしなければならないことはあの二匹の戦闘を継続させることである。

 

「よし、あの二匹には殺し合いをしてもらう。けど放っておいたらたぶん途中でやめるだろうから俺らで殺し合うよう煽るぞ」

「お、おうっ! ――ってそれ、難しくねえか?」

「まあ、なあ……。とりあえず遠距離から土爆弾や閃光玉使ってちょっかい出して、その怒りは飛竜同士にぶつけあうように仕向けるしかない……かな。あの二匹の間でちょこまかするのは無理だろうし」

「それなら放置して離れた所に討伐に行く方がいいんじゃないか?」

 

 同士討ちではなく各個撃破。劉の提案を考える。だが、少し考えただけで和也は首を振った。

 

「俺もさっきまでならそれがいいと思ってたんだけどな。各個撃破はそれはそれで危険性がある。具体的にはさっきみたいに、戦っている所に乱入されたりな。可能なら二匹同時に仕留めたい」

「あー、俺もあれはもう嫌だわ……。了解」

 

 ナルガクルガと戦っている所にレイナが来て、そこにティガレックスが来た。あれはまだ最初にレイナが来たからいい。レイナが来たから異常を察知することができた。

 けれど、もしもナルガクルガに集中していた所に後ろから迫られたら? もっと悪いことに背後から遠距離攻撃をされたら? 対処できず、それどころか何が起きたのかもわからず死ぬかもしれない。

 元々ナルガクルガやティガレックスがいるかもしれないという時点で、遠距離攻撃を不意打ちでされることは恐れていた。それを劉らにも話していたので劉もそこに思い至ったようだ。

 

 劉が納得したところで話を続ける。

「さっきと同じく俺とリンがティガレックスを、劉とヨウがナルガクルガを相手しよう。ただし正面からではなく、後ろや横から隠れて閃光玉や土爆弾を使ってだ。可能な限り安全に務め、飛竜の攻撃だと勘違いするようにやる」

 

 ティガレックス達は恐らく、ある程度戦ったら戦闘をやめるだろう。どちらが上かわかれば戦う必要はないからだ。弱い方は戦えば死ぬし、強い方も勝てても取り返しのつかない怪我をする可能性がある。戦闘は互いの強弱を測れればよいだろう。

 そこに和也たちがちょっかいを出す。互いに攻撃されたと思わせてうまく戦闘を続行させればよい。

 和也の指示に劉は短く返事をする。

 

「リンとヨウも頼むぞ」

「任せて。それなら僕とヨウが少し得意かも」

「そうなのか?」

「うん。僕たちは力が無いからそういう搦め手は得意」

 

 猫人は小さく当然のことながら力が弱い。こうした搦め手は普段から実行しているようだ。

 頼りになる返事に安心し、大きくうなずいて気合を入れなおす。

 

「じゃあ行くぞ。とにかく見つからないように、安全第一で行こう」

「おうっ!」

「にゃ!」

 

 

 四人は二組に分かれ、二匹の飛竜の下へと戻って行った。そこが死を振りまく場所だと知りながら、慣れと使命と自信で恐怖を押し隠して。

 

 

 和也らがティガレックスの元へと戻って最初にしたのは閃光玉の投擲だった。戻ったことで存在を認められ、攻撃対象とされては困るからだ。

 閃光に眩み暴れる二匹。和也はナルガクルガの後ろの障害物辺りに身を隠しその様子を観察する。

(うへえ……改めて見ると本当に恐ろしいな。台風みたいだ)

 

 爪や牙を振るい、自身を回転させて尾で薙ぎ払い、少しでも手ごたえがあればそこに追撃を掛ける。狂化という言葉が似あいそうだ。

 閃光玉で生じる状態は目くらましだけで相手を狂わせるような効果はもちろんない。だが、五感のうち視力というものは生物は大きく頼っている感覚だ。それが奪われた時の焦燥は計り知れない。自分の目が見えないのだから相手も見えないはずだ、という状態ならばいい。だが自分の目は見えないが相手の目は見えるというのであれば、圧倒的不利な状態でどんな強者も容易く狩られる得物と化す。それ故にそれを防ごうと暴れるのは当然だった。

 

「和也」

「おう……間違えるなよ、俺らはティガレックスに当てる」

「うん、それがナルガの仕業だと思うように、ね」

 

 和也はリンがきちんと把握していることに安心してコクリと頷く。普段以上に勘違いが怖い状況だ。最終確認というものは重要である。ならば劉とヨウは別の組み合わせの方がいいのではと言いたいところだが、普段から共にいるコンビの方がいざという時安心できる。互いにそれは同様なので、組み合わせを変えるには至らなかった。

 

「今だ……ほれっ」

 ナルガクルガにあたらぬようにと投げられたそれは確かにティガレックスに命中した。ボゥンと小さな爆発を起こし、熱と衝撃を与えたことだろう。

 ギロリ、とティガレックスの目が和也らへと向く。身を隠している上閃光玉による目くらましもあるのだから見つかっているはずはないのだが、それでも冷や汗を感じてしまった。

 

 ティガレックスは攻撃があった方へと尾を振るう。近くにいる敵を攻撃するためだったろうそれはナルガクルガへと命中する。和也らの狙い通りだ。

 ナルガクルガもティガレックスの攻撃を受けてそこへ向けて前肢の刃を振るった。互いに傷つけ合う二匹の飛竜を見て、思わずガッツポーズが飛び出す。

 

 再び攻撃しあう二匹、互いの殺傷能力は飛竜同士に向けられる。ティガレックスの爪はナルガクルガの腹を裂き、ナルガの尾の棘がティガレックスへと食い込む。

 劉とヨウがナルガクルガの流れた棘を大剣でガードして金属同士がぶつかり合ったかのような音もなった。大きな音で心配にもなったが争う二匹には些事だったか、ターゲットが劉らへと移ることは避けられた。

 

 ティガレックスが身をかがめ、前肢を後ろへと退いた。それを見てその動作の意味に思い至った和也は焦る。

 

「逃避っ!」

 

 ティガレックスが前肢を思いっきり突き出した。それによって削られた雪と地面が弾丸となって襲い掛かる。ゲームでは雪玉となっていたそれだが、まるで散弾銃のように塊とはならず散らばって放たれた。

 

「ガアアアアアアッッ!!」

 何かが雄たけびをあげた。それを確認する間もなくどしどし足音が迫ってくる。自身の経験と勘で、和也はリンを抱えて先へと身を放り投げた。

 足音が通り過ぎたと感じてその方向へと目をやる。いたのはティガレックスだ。突進のスピードを緩め方向転換を果たし、再度迫っている。

 

「くそっ!」

 

 ほとんど地面に寝転んでいる状態だったが、それでも転がるように立ち上がり再度身を投げ出す。かろうじてティガレックスの突進をかわすことができたが体力的にはぎりぎりだ。

 

 グルルルゥゥ……と唸りをあげて睨む二匹の飛竜。血を流した満身創痍の状況ながら、怨敵を見つけたと言わんばかりに二匹は和也とリンを睨んでいる。

 

「やっべえな、ちょっかい出したこと怒ってんのかな」

「怒ってないはずがないと思う」

 さっきまでの争いはどこへ行ったのか、たがいに並びながらも攻撃する様子を見せない二匹。それほどまでに和也とリンが憎いということだろうか。――飛竜の心などわかる人間はいないだろうが、それでも大抵の人間は飛竜の立場に立って考えれば憎いと思っていても不思議はないと気づくだろう。

 

 体を沈め跳びかかろうとするティガレックス。そこへティガレックスの背後から土爆弾による奇襲が仕掛けられた。

 

「グゥゥゥ…………」

 

「劉か……」

「わりい、不意打ちで殺したかったが無理だった」

「仕方ねえ、というより悪いな」

 

 二匹同時に跳びかかろうとしていた所に奇襲をかけたから和也らは助かった。土爆弾ではなく大剣ならそのまま殺せたか致命傷を与えるに至ったかもしれないが、それでは和也を見捨てることになる。だから劉は土爆弾を選んだのだし、和也も文句は言えなかった。

 奇しくも状況は最初の焼き増しとなる。だが最初とは逆に挟み撃ちをしているのは和也と劉だ。しかもナルガクルガとティガレックスは満身創痍。これだけを見れば大分状況は良くなったように見える。

 しかしティガレックスとナルガクルガは同じ状況にあるためか、ある種の共闘状態にあるようだ。下手に攻撃を仕掛ければ、攻撃を仕掛けなかった方の飛竜に襲われるだろう。最初の時は放っておけば飛竜同士の同士討ちを始めただろうが、今はそれが起こるとも思えない。状況は悪くなったとも言えた。

 

「閃光玉と土爆弾でなんとかするしかねえか。大タル爆弾用意できなかったしな……」

「あんなの運んで索敵できないし仕方ない」

 

 モンスターに対する最大の切り札となりうる爆弾を今回用意できなかったことが悔やまれる。雪で台車による運搬はできず、索敵という都合上用意できなかったのは当然のことだ。だが、二匹同時だと言うのであればせめて爆弾を使って一匹は手早く仕留めてしまいたいと思うのは当然だろう。

 

 最初の繰り返しとなった状況。だが、ティガレックスもナルガクルガも挟まれたということを危機だとは感じていないようだ。威嚇しながら和也らの隙を探っている。おそらく隙を探るのも生命の危険を感じて、ではなく余計なちょっかいを出されることを嫌ってのことだろう。

 

 

 ティガレックスが和也に襲い掛かった。体を宙に舞わせ大口開けてその巨体で迫る。瞬間、僅かに硬直する劉だったがナルガクルガの威圧を受けて動けずに睨み合う形となった。

 和也は盾を構えてティガレックスの動きとは垂直に動き回避する。回避しきれなかった分は盾に受け流させて凌いだのだ。

 攻撃の直後で隙を晒したティガレックスにリンがダガーを突き立てる。どれだけ硬い皮膚や鱗を持とうとも弱くやわらかい部分、眼へと向ける。しかし回転してそれをはじき、そのまま尾による薙ぎ払いが襲い掛かった。

 

 和也とリンがティガレックスと戦っている間、劉もやや遅れてナルガクルガとの戦闘が始まっていた。その黒く大きな体を俊敏に動かし獲物を翻弄する飛竜に対し、劉は大剣を肩に担ぎいつでも振り下ろせるようにして動かない。

 劉は待っているのだ。相手が目の前に現れるその時を、溜まった力を振り向けられるその時を。その間、劉は横や背後からは無防備になるが、ヨウが代わりに警戒をする。加えて元々木々による障害物があった場所だ。劉を攻めるのなら真正面からが望ましい位置取りである。

 ナルガクルガにとって劉は取るに足らない存在なのだろう。何も考えていないとでもいうかのようにまっすぐに迫った。黒い影しか見えないほどの俊敏な動き、だが劉は向かってくると気づいた瞬間、まっすぐに大剣を振り下ろした。

 一撃で落とさんとする攻撃はナルガクルガの前肢を斬りつけるだけで終わった。タイミングとしては良かったのだが、野生の勘かナルガクルガは寸前で動きを止め劉の攻撃を回避してしまったのだ。大剣は勢いよく振りぬいた故に地面へと突き刺さる。さらにナルガクルガの急停止によって雪が飛ばされ埋もれてしまった。

 

「まずっ……!」

「ニャッ!」

 武器が動かせなくなって焦る劉。その劉を守ろうとヨウはナルガクルガの顔面目がけて土爆弾を放る。さすがに顔にダメージを受けるのは避けたいのだろう。後方へと飛んで躱すナルガクルガ。

 劉がふう、と一息つきかけた瞬間和也の怒声が飛ぶ。

 

「危ねえっ!」

 

 その声を耳が聞いて、目の前の状況を目が見た瞬間、劉は体をかがめた。いや、力を抜いて崩れ落ちたと言っていい。そうしなければティガレックスの尾は躱せなかったからだ。

 

 劉が攻撃を躱した直後、和也がティガレックスの横を通り過ぎ様、片手剣で二度斬りつける。

 

 悲鳴を上げて後方へと下がるティガレックス、結果として事態は人間同士飛竜同士で一塊となった。

 

「挟み撃ちのメリットがねえな。かたまって一匹ずつ確実にしとめよう」

「ああ。にしても大分傷だらけのはずだがしぶといな……」

「さすがは飛竜なのニャ……。その体力を分けてほしいのニャ」

「同感」

 

 口々に勝手なことを言い合って攻撃に備えて身構える。

 ポタポタと二匹の飛竜からは鮮血が垂れ落ち純白の地面を赤く染める。終わりの時は近いはずで、現在すでに最後の悪あがきのようなもののはずだ。だが、それが終わらない。迫ってきているはずの終わりお時は果てしなく遠く、まるで永遠のように引き伸ばされる。

 

(まっずいな……一匹ずつ仕留めるったってこいつら死ぬのか? ゾンビだとか言われても信じそうだ。どうやったら仕留められるんだよ……。このタフな生命力、死を恐れぬ闘争本能、正直まずいな。なんか隙があれば……)

 

「劉、何とか隙を作る。それで今度こそ大剣で仕留めろ」

「ああ。やってみる」

 

 暢気におしゃべりをしている時間はなくなりつつあった。二匹の飛竜は視線だけで射殺さんとばかりに睨み少しずつその距離を縮めている。最後の決戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。

 

 

 

 

 ――そこにやってきたそれは、飛竜にとって残酷な邪魔で、和也らにとって救いだった。

 

 

 数個の土爆弾が降り注ぐ。今まさに襲い掛かろうとしていた二匹に背後からの奇襲。前へとだけ向いていた意識が瞬く間に後ろへと集められる。そしてそれはどうしようもないほどの隙だった。

 

「仕留めろっ! 俺はティガを!」

「おうっ!!」

 

 地面の雪を削る勢いで走り、その勢いのままにそれぞれ武器を振るう。

 劉の一撃はナルガクルガの肩深くを切り裂き、前肢を切り落とすまでには至らなかったがとても動かせるものではないほどの傷を与えた。

 和也もまた走った勢いのままにティガレックスの首へと片手剣を突き立てる。後ろを振り返る形となっていたために浮かび上がっていた静脈へと突きたてた。

 

 

 悲鳴と慟哭をあげて苦しむ二匹の飛竜。だが、そのどちらもが喰らったものは致命傷。その場で暴れるようにしていたが、やがて二匹は静かに眠りについた。覚めることのない永遠の眠りに。

 

 

「勝った……な……」

「ああ……」

「やったニャ……でも最後のはなんだったのかニャ」

「あ……レイナ」

 

 声に釣られてリンの見る先へと目をやると確かにレイナが走ってきていた。共に数名の村人を連れて。

 

 はああ、と力を抜いて和也は後ろへと倒れ込んだ。大丈夫ですかと慌てた様子で尋ねるレイナを尻目に深く息を吐く。

 

「レイナー……」

「はい! なんでしょうか!?」

「依頼完了……疲れた」

 

 

 ギギネブラを狩るだけのはずだったのに、何故か他二匹の飛竜まで狩ることになってしまった。準備も不十分で無理やりの狩りだった。だが、それでも無事に終えた。

 とりあえずの脅威は去った。『村を救ってくれ』という依頼は完了した。その意味を正確に受け取ったのだろう。レイナは優しく微笑んだ。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 何も隠しても悩んでもいない、優しい微笑み。純白の地面と背後に太陽を受けて、慈悲深い女神のような微笑みだった。

 

 

「あー、俺もつかれた! とりあえず飯にしようぜ。こいつらの肉ってうまいのかな」

「どうかニャ。けど僕たちを食べようとしていた飛竜を食べると言うのも中々オツだニャ」

「おっ、そう思うよな。よっしゃ、まずは白鳳村で宴だな」

 

 

 暢気な声は誰にも咎められることなく続いた。危機は去った、みんな生きてた。それが何よりも喜ばしい。生きる事、生きのこったことの喜びをかみしめ、彼らは笑い合った。憑き物などない、劉もレイナも何も含むものなどない爽やかな笑い声があたりに響き渡った。

 

 

 

 

 

 帰る際、台車もないのに二匹の飛竜を持ち帰るということが途方もない重労働だったことは言うまでもない。

 



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第20話 別れ

 飛竜によって荒らされ見るも無残な姿となった白鳳村。寒い地域故に木材が腐るということは無かったようだが、それでも人が住める環境ではない。どれだけ能天気な人であろうと、これを見て扉がいらないように壁に穴をあけた、空を見上げることができるように天井はなくした、など言うようなことはないだろう。

 人が住むことに適さない環境、廃村と呼んで差し支えない現状。しかし今、白鳳村は活気に満ちていた。

 村の中央には篝火と焚火が置かれその周りを囃し立てるように人が踊る。手には木でできたお椀を持って時折それを口に運んで。零れることも厭わず楽しむ彼らはまさに宴を体現していた。

 

 そんな白鳳村の住人が騒いでいる箇所より少し離れた場所に和也はのんびりと座っていた。手にはやはり同様に木でできたお椀を持っている。踊る住人を眺めながら手のそれを口に運んだ。途端、ほう、と息を吐く。心なし、顔は赤く染まっていた。

 

「中々美味いな。酒精は強いが飲みやすい」

 

 和也が持っているそれは白鳳村の果実酒だ。寒い地域では暖を取る方法や寒さから逃れる方法は発達する。これも同様であり、体を温める飲み物としてアルコールの類は生まれていた。

 手に持ったそれをまた口に運ぶ。口に入れた途端アルコールが喉を刺激するが舌の上ではまろやかな甘みが溶ける。和也は元々酒に強い人間ではないのだが、これはいくらでも飲めそうだとすでにお代わりをしていた。

 

 最初は村の人に代表として祭り上げられ乾杯の音頭などを取って騒ぎの中心にいた和也だが、果実酒を口に入れてからは離れた場所で騒ぎを眺めるようになっていた。今は劉が代わりに盛り上げている。

 

 

「お口にあったようでよかったです。リコルの実のお酒は私たちも好んで飲むものですから」

「やっぱ温まるためって言っても不味いのは飲みたくないもんな。これは本当に美味しい」

 

 もう少しで空になりそうな椀を一気に煽る。防寒の為のものではあるが、嗜好品として十分通用するその味に、和也は既に二重の意味で酔いしれていた。

 

「そうですね。ホットビートルが元々取れにくいことから生まれたらしいのですが、本当に――どうしましたか?」

「い、いや、なんでもない」

 

 突然口に手を当てた和也を見てレイナは疑問の声を上げた。和也は首を振って否定したが手は離さず目もやや閉じかけ何かを堪えているようだ。レイナはそれ以上の追及はしなかったが、なんでもなくないのは明らかである。

 和也に何があったのかと言えば、猫人の集落で食べたそれの味が思い出されたというだけだ。いや、味はそれほど悪くはないのだ。和也にとって幸いなのか不幸なのかはわからないが、トウガラシのような辛さを肉と果物の中間のような食感のものに振りかけたかのような味。が、あの口の中で弾力があるそれを噛みしめた感触と、それが口の中で暴れるあの感覚はいいものではない。踊り食いを好む人ならば別かもしれないが、和也にはそうした経験はなかったのだ。

 

「そ、そういえばそのリコルの実ってどんな奴なんだ? 見たことないんだが」

「え、ええっと、赤くて掌よりもずっと小さい実です。形は丸っこいのですが、そのいま実物が無いので説明はちょっと難しいです」

「そ、そうか。でも赤い実、ねえ。やっぱり見たことないかもしれないな」

 

 赤い実、というだけならば紅呉の里でも見たことはある。だが、掌よりもずっと小さな実となると恐らくはない。気候の違いによってなる大きさも異なるという可能性はあるが、その可能性を追求するよりは地域性の違いでないと考えた方がまだいいだろう。

 レイナも同じ結論に至ったらしく、『寒いところでしかできないのかもしれませんね』と言った。明るく笑うレイナは年頃の少女らしく、和也の年が近ければ胸をときめかせていたかもしれない。劉ならば何か反応を示していたかもしれないが、この場にいない以上は分かるはずもなかった。

 

 

「おい、和也! この肉食ったか!? ちょっと硬いけど滅茶苦茶うまいぞ!」

「びっくりだにゃ! 頬がこけるとはこのことにゃ!」

 

 いつの間にか騒ぎの中心にいたはずの劉とヨウがやってきていた。手には焼いた飛竜の肉を持ち、骨を串代わりにして豪快にかじっている。俗にいう漫画肉のようなその食べ方に、和也は思わず喉を鳴らした。

 

「こける、じゃなくておちる。こけてどうするのさ」

 小さな声が傍から聞こえたので視線をやると黒い影が和也の前を横切った。それはそのままレイナの前へと行くと膝の上にポスンと音を立てて座った。

 黒い影の正体は言うまでもなくリンだ。ずいぶんとレイナに懐いたものである。レイナもそれが嬉しいのか、笑みを浮かべてリンの頭を撫でていた。

 

「でも、皆さん無事でよかったです。本当に一時はどうなることかと思いましたから」

「だよな! 俺今回ばかりは死んだ! って思ったよ」

「ふん! 僕は今回だって乗りきれるつもりでいたけどね!」

「ふふっ、そうですか? ヨウさんはかっこいいですからね」

「当然ニャ。何せ僕は劉のお兄さんだからニャ」

「ちょっと待て、俺が兄だろう!?」

 

 笑い合う三人。一人リンは相変わらずの無表情でそれを眺め、和也はそれを渇いた笑みで眺めていた。

 

(俺、今回どころか毎回死んだって思ってるけどな……)

 

 周りがどう思っているかはさておき、和也にとって狩りは毎回命がけだ。リオレウスもリオレイアも、いやブルファンゴでさえ狩るときは足の震えを強制的に止め、逃げろと騒ぐ本能を無視している。慣れはしたが恐怖は消えない。何かあるたびに死ぬ!? など怯えているのが現実だ。

 もちろん和也はもう逃げるつもりはない。狩りがどれだけこわかろうと、それを自分の責務として戦うつもりだ。逃げずに戦うこと、それが和也にとって生きるという意味だから。

 

 そう言えばと思い出す。レイナは最初、和也に狩りの義務や恐怖について聞いていた。今に思えば村を守ることを自分の責務だと捉えていたからこその質問だったのだろうが、質問をしたということは何か思うところがあったということだろう。加えてレイナは何か悩んでいる様子を見せていた。だが、今はそれが鳴りを潜めている。何があったのだろうかと和也は疑問を持った。

 

「でも、皆よく食べるね」

 

 和也が疑問を口に出す前にリンが陶然として呟いた。和也は既に酒を何杯か飲んでいるし、劉やヨウは肉を現在進行形で食べている。何を当たり前なことをという口調でミズキが答えた。

 

「この肉うまいぜ? それに酒もうまい。となりゃそりゃあ食べるよ」

「そうにゃ。食べなきゃ損だニャ」

「そうじゃなくて、白鳳村」

 

 ああ、と全員が視線を彷徨わせた。どこに目をやっても肉をほおばり酒を浴びるように飲む姿が目に入る。生を謳歌しているその姿は今の白鳳村の姿と言える。

 

「そうですね……。こうして生きていられるのも、騒いでいられるのも、皆さんのおかげです。本当にありがとうございました」

 

 どこか遠い目をした後、レイナは深々と頭を下げた。

 

「よせって。んな畏まるなよ」

「そうだな。それにこの光景はレイナが助けを呼びに行って、その後も頑張ったからこその光景だ。それに、礼はもう貰ってるしな」

 

 飛竜討伐の直後にレイナからお礼の言葉は貰っている。『あなたの笑顔、プライスレス』などと言う気障な言葉は和也にはとても言うことはできないが、それでも終わった後のレイナと、それに村の人の笑顔と喜びの言葉。それらに勝る礼もないというのもまた事実だろう。

 

「そうそう。あ、けどだからってもうあんな無茶な真似はするなよ? 何度もしてたらさすがにいつか死ぬぞ?」

「ええ。劉さんに言われたことは重々承知しています」

 

 ん? と疑問を浮かべた。劉は基本和也と共に行動している。ティガレックスとナルガクルガの探索をしていた時は別行動をしていたが、あの時はレイナもまた別行動だった。つまり、劉がレイナと共にいた時というのは和也も一緒にいた時のはずである。しかし和也にはレイナの言う『劉さんに言われたこと』は思い当たる節はない。先ほど浮かべ沈んでいった疑問が再度蘇る。

 

「なあ、何言ったんだ? というかいつの話?」

「え!? ――ああ、いいや、別に――」

「にゃあ。和也は気絶してて知らにゃいんにゃろうけど、ギギネ――ブグッ」

「よし! ヨウ! あっちにまたうまそうな肉があるぞ! 食いに行こう!」

 

 そう叫ぶと劉はヨウを小脇に抱えて走って行った。酒で元々赤かった顔をさらに赤くして。

(えー……。あんな反応初めて見た……。本当に何言ったんだろう)

 

 どちらかといえば朴念仁や唐変木といった劉が慌てる様は恐らく初めてのことだろう。最初は純粋な疑念だった感情に悪戯心が湧き上がる。何としても知りたい。好奇心が自制心など振り切った。

 

「なあ、俺が気絶してた時ってあれだろ? ギギネブラの最後らへんだよな。一体何があったんだ?」

「内緒です」

 

 ヨウの言葉から時期は既に分かっていた。確かにその時ならば何があったとしても和也は知らない。それを口に出して尋ねるが――敗退。

 

「――リン」

「レイナが内緒って言った」

 

 どうやら教えてはくれないらしい。レイナは微笑んだままにこにことしているし、リンは義理立てなのか喋ることはなさそうだ。関係者の口はどうやら堅いようである。

 ならば諦めるしかないのだろうか。いや、そんなことはない。人は有史以来さまざまなものを活用してきた。つまり、人の優れた所とは頭脳、頭を使うことだ。和也もそれに則って頭を働かせた――!

 

 30秒と経たないうちに諦めた。思い出そうにも密度の濃い毎日を送っているのでいまさら思い出せない。ギギネブラの後、猫人の集落、二匹の飛竜とあったのだ。遠い記憶の彼方に沈んでいる。

 加えて今は酒がまわっている。頭を働かせるのには適していない。尤も、酒が無ければ好奇心が勝つこともなかっただろうが。

 

 

「和也さんたちは明日帰られるんですよね」

「ん、ああ。そうだな。もう大分空けちまった。いい加減帰らないとまずいしな」

 

 行に一日、狩りに一日、帰りに一日という程度の行程の予定だった。だが現実は狩りに五日もかけてしまい七日という日数がたってしまう。元の倍以上だ。

 

「そう、ですよね。和也さん、本当にお世話になりました」

 また深々と頭を下げた。その際、リンが窮屈そうに抱かれていた。

 

「もうよせって、そんな何度も礼をされても困る」

「はい、すみません」

 

 謝罪の言葉だがレイナの表情は笑みだ。本当に明るくなったものである。和也はほんのわずかな日数でしかレイナのことは知ら無い訳だが、それでも明るくなった気がすると思う程度には変化があった。

 少し沈黙が下りた。しかし気まずいようなものではなかった。周りのどんちゃん騒ぎをただ眺め、何もないその時間が妙に心地よかった。

 

 まるで少年少女の恋愛のようなその状況に、和也は一人頭を掻いた。気付いて気恥ずかしくなったのである。6つも年下の少女相手に何をやっているんだという思いもある。

「あー、とりあえず俺らがいなくなった後モンスターに襲われた場合は隠れろよ。んで自衛は土爆弾で何とかなると思う」

「はい、無茶はしないと約束しましたから」

 約束をしたらしい。また妙な気持が沸き起こる。だが今度はその前にリンが口を開いた。

 

「ねえ、爆薬の方がよくない?」

「んー? 爆薬か。けど俺、あれの調合比率とか覚えてねえしなあ……」

「和也さんにもわからないことがあるんですね。それに爆薬……ですか?」

 

 レイナにも和也は知らないことが無いと思われていたらしい。辞典じゃあるまいし何故だと一人ぼやく。言うまでもなく、誰も狩れないと思っていたモンスターのことに詳しいからである。

 和也の知識はモンスターのことが多い。それは周りから見た場合、高校大学レベルのことを何でも知っている、というように見えるのだ。当人はこの世界の当たり前のことを知らないが、そのレベルのことを知っている人間が小学校レベルのことを知らないということはあまり考えないだろう。

 

「大タル爆弾の元。これを作って村に置いておけば安全」

「取り扱いを誤れば逆に危険だけどな」

 

 子供が雪玉投げの的にもでしたら大惨事である。現代でもそうした危険物は厳重に管理されていることが常であった。

 

「でも取り扱いを正しくすれば武器になる、ということですか?」

「まあな。今回あんまり使わなかったとはいえ武器というか兵器だし」

「鳥竜種ぐらいなら一発で平気」

「すごいです! それは是非用意したいです!」

「んー、けど危ないんだよな。それに俺が覚えてないって言うそもそもの問題が……」

 

 結局そこに戻るのである。火薬草とニトロダケを調合すればいいのだが、その最適比率は最早専門の人しか知らないのだ。これは秘密にされているという訳ではなく、覚える必要が無いから誰も覚えていないのである。

 

「けど、それでも欲しいよね。なんとかできない?」

「無茶な……。まあとりあえず村長さんに話してみよう」

 

 土爆弾などとは比べ物にならない危険物である。それを置くかどうかは責任者に話を通すのが筋だ。宴の最初の方で礼の言い合いのようなことをして以来距離を取っていたが、椀と肉を持って近づいた。

 

 事情を説明したところ、村長の反応はおおむねレイナと同様のものだった。爆薬の危険性はいいのかと和也が不安になったほどだ。

 ちなみに村長やレイナが危険性をまるで無視しているのは一つに爆薬の危険性をイメージできていないということもあるが、何よりもモンスターの危険性の方がはるかに高いからだ。いくら爆薬が危険と言っても手を出さない限りは問題ない。だが、モンスターは何もしなくとも襲ってくるのだ。どちらの方が危険かは言わずもがもな。

 

「ぜひとも爆薬を置かせていただきたいのですが……」

「しかし俺も覚えていませんからね……」

 

 やはりここに戻った。爆薬の調合をするというだけならば無駄を承知で試行錯誤から始めるという手もある。しかし紅呉の里ではブルファンゴの毛皮や回復薬といった誤爆対策を準備できていたからこそだ。リスクヘッジをできずに危険に挑むのは無謀というもの。

 加えて火薬草はともかくニトロダケはあまり白鳳村の周辺では取れないと言う問題点もある。手軽に使える土爆弾程度のものならばともかく、爆薬に必要な分を確保できるかどうかは疑問が残る。そんな状態で試行錯誤する分などあるはずもない。

 

「参りましたな。知ってしまったからには何とか手に入れて常備したいところなのですが……」

 

 調合の方法はわからない。調合の材料も心もとない。これではどうすることもできない。八方ふさがりとなってしまったかと思われた。

 

「ねえ、だったら交換したら?」

「え?」

 

 それまで黙っていたリンが救いの手を差し伸べた。

 

「リコル酒と爆薬。交換できない?」

 

 今の話でわかったことだが、ニトロダケは白鳳村より南に行かねばあまり数が取れないらしい。そしてリコルの実は逆に寒い地域でないと手に入らない。用途は多く異なる二つだが、どちらもそれぞれの特産品と呼べるものだ。

 

「なるほど、交易すれば……。ああ、でも大草原越えないといけないのか。どうすっかな……」

「また護衛」

「それしかないか」

 

 少々がっくりと来る内容だが仕方ない。和也は今しがたリンと話し合った内容をまとめ、村長に向き合って説明をする。

 

「リコル酒は紅呉の里でも求められるのではないかと思います。それで紅呉の里で作る爆薬と白鳳村の作るリコル酒を交換するというのはどうでしょうか。もちろん、詳しいところは紅呉の里の孝元に話さねば決定はできませんが」

「ふむ、なるほど、それならば互いに利がある。良い取引だと思います。恐らくは紅呉の里の方も納得していただけるかと」

「ええ、大丈夫だろうとは思います。まあ私が決めるわけにはいかないのですが。とりあえずいくつか持って帰らせていただいてもいいでしょうか」

「ええ、もちろんですとも。互いにいい結果になることを祈りましょう」

 

「あっ、それなら猫人の集落もどうでしょうか」

 

 話がまとまりかけていた所にレイナの声がかかり、当然視線は彼女へと集まった。その圧に少々たじろいだ様子を見せながらもレイナは説明する。

 

「猫人の集落でもまた交易することは可能じゃないでしょうか。近いとはいえできることも違うでしょうし……その……」

「あ、ああ。なるほど、それに種族も異なる。求めるものもできることも多分違うだろうな……。リン、どう思う?」

「いい話。断られないとは思う。互いに利もある」

 

 決まりだな、とまとめあげられる。細かい話はまた詰めねばならないが、恐らくはうまくいくことだろう。一つの村や一つの集落という狭いブロックの中で生きていた住人達が、外の住人と交流を深める。問題も発生するだろうが、悪いことよりはいいことの方が多いだろう。

 和也に決定権はない。紅呉の里の今後を左右するような話ならば孝元に話を通すのが筋だ。狩りというだけならば和也が単独で動いてもいいかもしれないが、爆薬やニトロダケの備蓄は紅呉の里の財産だ。和也が一人で決めていい話ではない。

 それでもおそらくという注釈をつけて話を進めることはできる。和也の職歴に営業職はないが、それでも話をすり合わせるのに必要なことはわかっている。

 白鳳村村長も特別難しいことは言わなかったため、和也が話を持ち帰って孝元が頷けば交易を開始できるように話はまとめられた。

 猫人の集落にはレイナの案内で白鳳村の代表が話をつけに行くそうだ。本来飛竜やその他モンスターの危険があるのでできないのだが、ギギネブラやティガレックスといった飛竜種がいなくなった直後だからできる方法である。

 

 話は進み夜は更けていく。そこにいた誰もが新しい何かを感じ始めていた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 宴の翌朝。和也たちは帰るための十分な準備をして白鳳村入口にいた。まだ太陽が昇る直前といった朝早く。草原で野営することなく一気に帰る心算だった。

 

「それでは、お世話になりました」

「いやいや、それはこちらの方こそ。飛竜の討伐にその後の交易の話まで。何から何までお世話になりました。今後とも付き合いがあるでしょうし、ここは別れの言葉よりもこう言わせていただきましょう。お元気で、そしてまた会いましょう」

「ええ、お元気で」

 

 和也の後ろには劉とリンとヨウが待機している。待たされることを不機嫌に思わず、一時的であろうとも別れを噛みしめている。その顔には憂いや悲しみはあっても喜びはない。白鳳村を嫌っていた劉は変わったようだ。

 近くには台車がありそこに飛竜の素材の一部が置かれている。今回の狩りで和也も劉も武器防具がだいぶ痛んでしまったので、それらの素材を用いて新調する予定だ。残れば新しい武器を作るという手もある。

 

「和也さん、えっと……、また、お会いしましょう。皆さんのご無事をお祈りします」

「ああ、レイナも元気で。劉との約束とやらは知らないけど、達者でな。無茶はするなよ」

「はいっ」

 

 少女に別れを告げる。ほんの一週間だけだったがずっと行動を共にしていた少女だ。色々と思うところはある。開けた白鳳村より、森深くの紅呉の里の方が安全じゃないか、彼女一人ぐらいなら連れ帰ってもいいんじゃないか。そうした思いさえある。

 けれどそれらは飲みこんだ。何よりもレイナ自身がそれを望まないだろう。また会おうとは言ってはいるが、平均寿命も低い世界だ。また会えるかなどわからない。それでも、また会おうと言っているのだ。それ以上は野暮というものだろう。

 

「それじゃあ、また」

 

 最後に合掌して頭を下げて。それを最後のあいさつとした。

 振り返って歩き出す。もう振り返らないと固く意識して。

 

「――行こう。いや、帰ろう。紅呉の里に」

 

 そう声をかけて歩き出した。劉も、リンもヨウも声に出さず頷いた。

 ガランと台車の車輪が回る音がした。すぐに雪に埋もれて音を消して、代わりにギュッギュッと鳴らしだす。

 足を濡らす感覚、足を取ろうとする感覚、肌を突き刺すような寒さ。きっと少しずつ消えていくだろう。それらと共に、胸にある悲しみも消していくことを決める。

 

「長く開けた。早いところ戻ろう」

「まあな、けどいいじゃねえか。皆わかってくれるさ」

 

 和也の声は少々湿っていたが、劉はあっけからんとしたものだった。だがそれはどうでもいいと思っているわけではない。その証拠に劉は言った。

 

「色々あったけどよ、最後は皆で立ち向かったんだ。きっとこれからは大丈夫だろう。白鳳村はもう大丈夫だ」

「そうにゃ。もう大丈夫にゃ」

「ん、そだね」

 

 白鳳村と交易をするのなら白鳳村が安全であることが求められる。長い旅路の果てに交易しようとしたら滅んでましたじゃお話にならない。その意味で白鳳村の今後が安心だと言える状況に立ち会えたのは無駄ではない。

 けれど劉の言葉にそうした意味は込められていない。ただ純粋に白鳳村を思ってのもので、それを紅呉の里が理解してくれると思ってのものだ。

 

 仕事は時に個人の感情を蔑にする。何よりも結果を求め過程を無視される。だが、どうやら紅呉の里はそうした仕事の無情さとは無縁のようだ。何よりも劉がそう信じている。だから和也もふっと笑った。

 

「ああ、交易の話もあるんだし持ち帰って驚かせてやっか」

「おう! きっとびっくりするぜ? なんせ猫人に飛竜が三匹だ。素材も一部貰ってるしな」

「竜じいもきっと喜んで寝込んでしまうにゃ!」

「いや、寝込んじゃだめだろう」

 

 別れの後でも相変わらずで、和也もそれに釣られていく。今日も彼らは平常運転のようだ。

 

 

「でも、よかったよね」

 

 リンが唐突に言った。けれど不思議と、和也にはその続きの言葉が理解できた。同じことを思っていたからだろう。

「ん、ああ。そうだな。劉」

「あーなんだー?」

 

 前へ前へと歩く劉に声をかける。大剣ごしに劉は振り返った。

 

 

 

「白鳳村、まだ嫌いか?」

 

 

 その言葉に劉は一瞬きょとんとした。けれどすぐに理解できたようで口を笑みの形へと変える。男臭い笑みと共に叫ぶかのように劉は言った。

 

 

 

「言うまでもないだろ」

 

 

 

 

 彼らは歩く。既に路は大草原へと差し掛かった。きっと彼らの未来も同じように先の先まで広がっていることだろう。

 固い地面を踏みしめて、車輪はカラカラとなる。

 回り始めた運命の歯車も止まらない。からから――からから。

 



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第二章 閑話 レイナ

「母様、母様、母様!!」

 

 幼い少女がいくら声をからそうとも、大きな力の前には抗いようがなかった。今まさに母をその手にかけようとしている飛竜にも、自分を遠ざけようとする大人の力にも、どうしようもない現実にも、彼女は無力だった。

 

 少女、レイナは母を幼いころに亡くしている。なのに今、レイナの前には母がいて、大人とは言えずとも成長したはずのレイナを小脇に抱えることができることなどおかしくて。

 言うまでもなく、レイナが見ているものは夢だ。既に過ぎ去った過去の、どうしようもなかった現実の光景。

 

 少しずつ遠ざかって行く風景の中、一端に血しぶきが写る。赤い噴水はすぐさま飛竜の体によって堰き止められ、命足る血を失いながらも続く心臓の拍動もまた弱くなっていった。

 距離がある。母の姿はすでに掌程度の大きさだ。故にレイナにはそれが見えるはずがなかった。けれど、これが現実でない夢だからか、レイナには血しぶきの音も、段々と弱くなっていく心臓の音も――飛竜の牙が母の体を引き裂き、肉を咀嚼する音さえも聞こえていた。

 

 飛竜がこちらを睨む。赤黒い瞳が妖艶に輝く。それは次の獲物としてレイナを見定めたようで、その口から何色ともつかない何かを吐き出し、レイナの視界はそれに埋め尽くされ――

 

 

 

 過去への旅路を終えてレイナの意識は現在へと戻る。既に何度見た夢だろうか。過去を程度の低い技術で再現したまがい物の風景を。もう何度も夢に見て、もう何度もうなされている。それ故にレイナが自分が今いる場所と時を理解し、覚醒するまでにそう時間は要さなかった。

 慣れた動作で額に浮かぶ汗をぬぐう。一拍おいて体を起こし、目覚めたばかりの体に活を入れる。これももう慣れたものだ。

 

 魘されていた、目覚めのいい夢ではなかった、そんなことを欠片も匂わせぬ動きで彼女の一日は始まる。

 

 

「おはようございます。今日はいかがですか?」

「ああ、おはよう。今日はすこぶる調子も良くてね、心配せんでも倒れはせんよ」

「そうですか。でも、無理はしないでくださいね」

 

 主語を省いた会話でも、二人の意思疎通は図れている。人が少ない故に通じ合いやすいということもあるが、何よりもこうした会話が今日初めてではないことが一番の理由だ。レイナは常日頃から村を見回り、村人への気配りを忘れない。

 もちろん彼女には彼女の仕事がある。遊ばせていい人員など存在しない。だが、同時に休みというモノが無い人員もまた存在しない。つまり、彼女がこうして見回っているのは自らの休息の時間を割り振っているのだ。

 

 

「今日も皆さん大丈夫なようですね」

 

 村を見回っての感想を一人述べる。どうやら倒れるものも調子が悪いものもいないようだ。

 

「では昨日の続きをしますか」

 

 ならばと自分の仕事に取り掛かる。普段の彼女の働きぶりを考えれば一日中何もせず呆けていたとしても文句を言うものはいないだろう。だが、それでも彼女は休む間もなく仕事をし続ける。

 

 

「ほんにレイナちゃんは働き者だな。彼女がいればこの村も大丈夫だろう」

「そうだな。ウスイも村長としても父親としても鼻高々だろう」

「ええ、そうですな……」

 

 彼女を見守る男衆三人は朗らかに笑った。いや、うち一人、ウスイと呼ばれたレイナの父親だけは偽りの笑いだった。

 彼の目から見てレイナの働きぶりは異常だった。自らの体を壊すことさえ厭わないような働き方。穏やかな時の過ごし方をせず、常に何かに追われるように働き続ける。何が彼女をそう急き立てているのか、彼にはわからなかった。それがわかったのはこれより数日後、白鳳村に一匹の飛竜が降りたことが理由となる。

 

 

◆◇◆

 クモの子を散らしたように、あちらこちらへと思い思いに人が逃げ惑う。理知的とはとても呼べない姿であるが、生物として上位者たる飛竜に襲われたのだ。皆が理性など喪失して本能のままに安全を求めるのは仕方ないことだろう。

 ウスイもまた、そうした逃げろと叫ぶ本能に従いたかった。しかし彼には村を守るという使命がある。危険だ無茶だと理解していても、それでも逃げることができない時がある。それを受け入れた上で彼は村長をやっている。

 

「貯蔵庫まで走れ! 飛竜は今草原側へと向かっている! 今のうちに走るんだ!」

 

 飛竜が近くにいないからこそ、姿を隠すことよりも逃げろと言う本能に従わせて走らせる。彼の声もまた飛竜に対する怯えから、気概に反して声量は小さい。それでもそれを聞き届けた何人かは貯蔵庫へと走り、それに釣られる形で他数名が走り出す。

 人は他と違う行動をとることを嫌う。群れとして生活する本能が、他者と異なる自分を嫌う。故に多数が貯蔵庫に向けて走り出せば、ウスイの声が届かなかった人でさえ貯蔵庫に向けて走り出す。

 

「父さん!」

「ばっ! お前まだ逃げてなかったのか! 飛竜はまだいないから早く――」

「うん、飛竜はまだ草原の方に行ってた。鳥竜種がいたからそれに構ってるみたい。でもきっともうする来るよ」

「そうか、なら早く――」

 

 待て。ウスイの頭の中に何かがそう告げる。しかしこの時ウスイはまだ余裕はなかった。娘のレイナが言うとおり、飛竜は向かってきていることが近づいてくる音でわかっていたからだ。

 

「父さん、逃げるよ! もう村に人はいなくなってたから!」

「あ、ああ!」

 

 そうして走る。親子は走る。走って、走って、無事に貯蔵庫へとたどり着いた。

 

 まだ飛竜の羽音は遠く。貯蔵庫は既に入口にいる人が急げ急げと手招きしているのがはっきりと視認できる距離だ。間に合った、無事だった。そう安堵する気持ちがこみ上げる。

 

「ほら、あとちょっとだから頑張って!」

 

 娘のレイナはそう言って後ろからウスイを押すように走る。無事に貯蔵庫へと入り安堵した。

 ふう、と地面に座り込んで一息つく。安堵と恐怖からもう動きたくはない。が、まだ仕事が残っていたことを思いだし入口へと目をやる。そこでは氷結晶と火薬草を上手に使って入り口を閉じる村人と、それを見守る娘の姿があった。

 

 

 待て。

 

 また頭の中に声が蘇る。入り口を閉じるのはいい。隠れるためには大事なことだ。だが、なぜそこに娘がいるのか。何故共に逃げてきた娘が、確認をできる最後に入ってきたのか。何故――鳥竜種に構っていたなど知っていたのか。

 

(――見てきた、のか?)

 

 ぞわりと心が恐怖に震えあがる。飛竜に対して、ではない。娘に対してだった。

 絶大なる上位種たる飛竜。それに対する恐怖は村人皆知っている。かつて、白鳳村を襲った悪夢の一つ、ウスイの妻を、レイナの母を奪ったのもまた飛竜なのだから。

 幼さ故に覚えていない、ということもあるかもしれない。だが、純粋な飛竜に対する恐怖はレイナより年下のものであろうともある。飛竜に襲われたこと自体、あれ以外無い訳ではないのだから当然だ。なのに何故、レイナは飛竜に向かうかのように確認に行くことができたのか――。

 

 レイナは母を失った時、ひどく落ち込んだ。そのまま後を追って死んでしまうかもしれないと思うほどに。暫くしてレイナは元気なそぶりを見せるようになった。村人は立ち直ったと思っていたが、幾人かはそれを疑問に思っていた。

 レイナの母は村人にとっても大きな存在だった。博愛の精神の体現者だったといっていい女性。その喪失は村にとっても大ダメージだった。また、レイナが母を強く愛していたことも知っていた。だから、そんな簡単に立ち直れるはずがないと思っていた。

 

 その答えが今現れた。ウスイはそれを理解した。レイナは立ち直ってなどいなかった。十分すぎるほどトラウマを背負っていた。失うことが怖いのか、何もできなかったことが嫌なのか。何にしてもレイナは、自分よりも他人を優先するようになっていただけだ。

 

 その後、レイナが逃げる場所を求めて大草原を越えた先を見てくると言ったことも、飛竜がいるために村人は皆萎縮していてそれを最終的に村人が受け入れる他なかったということも、父親としては許諾できなくても村長としては受け入れるしかなかったことも、何もかもウスイは理解した。

 

 

 ウスイは妻を愛していた。妻もウスイを愛していた。そして二人は白鳳村を愛していた。だからウスイの妻は白鳳村を守るために犠牲になった。ウスイもまた、彼女の意思と共に白鳳村を守り続けるつもりだった。

 それ故に理解できた。レイナもまた同様なのだと。ただ――ウスイは妻がいて、仲間がいて、白鳳村があった。だからウスイは守りたかったのだが、レイナにとって白鳳村が大事なのではなく、ただ愛する母が守った物を守ろうとしているだけなのだと。

 白鳳村を守る、それは妻の意思でありそれ以前に自分の意思でもある。だが、レイナにとっては母の意思であり、それだけでしかない。レイナは亡き母の想いに縛られているのだと、既に見えなくなった姿を見つめて――そう気づいた。

 

 

 

 

◆◇◆

 ウスイはそう気が付いたが実を言えばレイナもまた悩んでいた。レイナにとって白鳳村の人々への手助けというモノは即ち義務だ。母のしていたことが、そのままレイナにとってしなければならないことだった。

 レイナにとって母は大きな存在だった。大きすぎたと言っていい。それこそ、母が死んだとき後を追うことを考えたほどに。

 けれど、レイナの母は白鳳村を守って死んだ。母が守ったものの中にはレイナもまた含まれている。だから、レイナが自死することは母への冒涜に繋がりかねなかった。それ故にレイナは死ねず苦しみ続けた。

 そんな中、レイナが出した答えがこれだ。母が守った物を守る。母が愛したものを愛す。それを己の義務としてレイナはずっと生き続けた。

 

 そうして生き続けたが――迷っていた。レイナにとって生きることはつらいことでしかない。毎日を義務で縛りただ囚人のように過ごす日々。村人からは明るい少女と見られてはいるが、そんなものはただの偽り。演じているにすぎなかった。

 

 だが迷っていようが悩んでいようがレイナには選択の余地はない。飛竜が襲ってきたのならレイナは村を守るために行動しなければならない。その想いだけを胸にして、大草原を歩き続けた。

 

 飛竜、鳥竜、牙獣、あらゆるモンスターが獲物を待ち構えるそこは本来人が立ち入るべき場所ではない。それでも、安住の地を求めてレイナは歩き続ける。

 彼女にとって幸いだったことは、まだこの時大草原がリオレウスとリオレイアの喪失による支配者の欠如が続いていたことだ。人を獲物と見る上位者がいないことが、本来無謀でしかない大草原の横断を可能にした。

 彼女が一人だったことも同様に幸いした。音を立てず、捕食者に居場所を知らせることは無かった。本来飛竜の縄張りだったそこ、鳥竜種も好き好んでうろつきはしない。この偶然が彼女に奇跡を運んだのだ。

 

 大草原を越えた後、森へと入る。木々が並ぶそこを歩き、辺りを見渡す。入ってくる物は木、木、木。隠れ住むのに向いている、想定以上の適地だ。

 

(ここなら大丈夫ね…………。あとは戻って連絡を…………。――あれ?)

 

 どこか、遠くで何か音がした。ただの音というには生物の発した音のようだった。なんというか、息遣いのように感じられた。

 

(誰かいるの……?)

 

 彼女はとんと気付いていなかったが、今まで歩いてみてきた場所には人のものと思われる痕跡がいくつもあった。気付いていなくともサブリミナル効果でもあったか、息遣いをモンスターよりも先に人だと考える。だが、この時それは間違いだった。

 

 青い影が彼女へと飛びかかる。それは容易く彼女を押し倒し、瞬く間に両者を勝者と敗者に変えた。

 青い皮に斑点模様、黄色い嘴に鋭い爪。まごうことなき鳥竜種だ。その足に胸を踏まれ、レイナの息が苦しげに漏れる。

 ゴホッと熱い息がランポスへとかかった。しかしランポスは獲物のそんな状態など気にせずどこかを見やる。少しすると視線の先からも鳥竜種が現れた。それも、きわめて大きな明らかに群れの長だろうと思われるものまでがいる。

 

(ああ…………だめ…………。私……死んじゃう…………)

 

 

 それまで気丈に意識を保っていたが、ついには意識を手放した。一匹だけでなく数匹いれば隙をついて逃げることも不可能だろう。意識が暗転する中、純粋に思ったことは村のことよりもただ己自身の、生物としての死を恐れる本能だった。

 

 

 

 

 レイナがランポスに襲われから四日後、レイナは再び大草原にいた。ランポスには偶然近くにいたハンターに助けられたのだ。

 ハンター、それは古い伝承の中でモンスターと渡り合う一族を指す言葉だ。レイナももちろんそれを知っていたが、今までお伽噺だとしか思っていなかった。人はモンスターに勝てないから、せめて想像の中だけでは勝って慰めようというものだと。

 だが、ハンターは実在した。今そのハンターはレイナと共に白鳳村に向かっている。こんな幸運があっていいのだろうか。降ってわいた幸運に嬉しさよりも恐怖さえ覚えてしまう。

 

 それ故にか。レイナは疑問や悩みが蒸し返されていた。何よりも思うのは彼らハンターについてだ。

 モンスターを狩り人を守る姿。それはレイナのなるべき姿ではないだろうか。もしもハンターが生まれつきのものだとしたら、人ではない何かなのだとしたら、レイナにはなれない。

 だが、ハンターの一人、和也は最初にそれを否定する言葉を言った。つまり、ハンターとは職業の一種なのだ。それを理解したレイナはモンスターを狩る姿に憧れを覚えた。

 

 しかし同時に疑問がわく。彼らは何故危険を承知で狩りをするのか。その答えを知れれば、自分の悩みも解消されるかもしれない。レイナは和也へと質問をした。怖くないのか、と。

 

 

「怖くないわけがないな。恐ろしいとか、怖いとか、逃げたいとか。そうした気持ちは当然ある。――けど逃げちゃいけない。逃げたらだめなんだ。逃げずに戦うのがハンターだからな」

 

 

 

 和也はそう言った。つまりハンターというのもまた、義務だ。彼らにとってそれはしなければならないことだ。

 夜、寝る前にまた質問をした。やはり和也は答える。俺がやらなければ誰がやるのか、と。

 

 レイナがやらなければ誰がやったのだろうか。レイナが助けを呼びに行かなければ誰かが行ったのだろうか。いや、それはないだろう。きっと、恐れて引きこもって過ぎ去るのを待っていたに違いない。

 

 レイナにとって生きることは義務でしかない。日々のそれもまた義務だ。それはハンターにとっても同じようだ。

 胸に何か穴が開いたような感覚に陥る。何を期待していたのだろうか。レイナは目を閉じた。

 

 

 ギギネブラを見つけ、戦闘になって。和也がギギネブラの毒にやられた。レイナは今こそ自分の出番だと思った。戦闘に直接役に立てない。けれど、和也を回復させることならできるはずだと。

 わき目もふらずに和也の元へと走る。和也が生きていれば、和也と劉がいればギギネブラを倒せ、村に平和が戻ると思って。

 その姿はある意味で純粋だ。和也しか見ていない。その姿はある意味で異常だ。和也しか見ていない。レイナは、横から迫るギギネブラを見ていなかった。

 

 視界の端に白い影が映ったとき、レイナはぴたりと足を止めた。そこに意思は存在しない。ただ、恐怖と驚きと絶望と失望で、彼女の足が動くことを拒んだ。

 

 ――殺される!

 

 そう思って目を閉じる。ガィィィィィンという轟音が洞窟内に鳴り響いた。

 

 音はこれども衝撃は来ず。薄らと目を開けると目の前には劉の背中があった。

 

「馬鹿野郎! 死にたいのか!」

 

 劉がその体で代りに受けたのかとさえ思ったが、どうやら大剣を盾にして防いだようだ。

 死から免れた安堵、怒鳴られた恐怖、助けられた感謝。それらが綯い交ぜになって混乱を誘う。

 

「くそっ、ヨウ足止め! リンは和也の剣をさらに突き立ててやれ!」

「がってんニャ!」

 

 咄嗟に劉が指示を飛ばす。劉にとって和也をまねただけのもので、意味は大きくないだろうと思ってのものだった。しかし効果は正しくおこる。特に抉られた毒腺の傷は大きいようだ。

 劉は武器を抜いて体を武器とギギネブラの間に割り込ませた。毒腺へと、尾へと注意を向けた姿にチャンスを悟ったのか、ギギネブラへと攻めるようだ。そのまま刃を上へと向け、肩を支点に180°回転、ギギネブラに振り下ろす。

 

 

「グギャアッッ!!!!」

 

 咆哮ともつかぬ悲鳴を轟かせ、ギギネブラはその体を地へと沈めた。首から大量の血を流し、ピクピクと動いている。動いてはいるが……どうやら絶命したようだ。

 

 

 ほっとレイナの体に安堵が駆け巡る。が、振り返った劉の顔を見て縮こまる。

 

「なんであんな真似した! 死にてえのか!」

「だ、だって、和也さんを助けないとって思って……」

 そうしないと全滅する。白鳳村も救えない。その為なら私の命なんて。レイナはそう募る。

 

「馬鹿野郎っ!」

 

 劉の怒声が響いてレイナはまた体を震わせた。

 

「それでお前が死んだらどうすんだ! 俺も、和也も、俺らは……誰にも死んでほしくねえんだ……」

 

 劉は搾り取るようにそう呟いた。

 

 それはまた、レイナを悩ませた。和也にとって狩りは義務のはずだ。義務というのはやりたくない嫌なことのはずだ。それなのに、誰も死なせたくないというのはどういうことか。レイナも誰も死なせたくないと言う感情は当然のごとく理解できる。けれど、和也の義務と死なせたくないと言う感情がうまくつながらなかった。

 

 混乱して、悩んで、レイナは押し黙る。それを劉は萎縮と取ったのか、見ていられないと背を向けた。

 

「無茶をしないでくれ。――死なないでくれ」

 

 ただ、ぼそりと呟いたであろう声。何も音のしない洞窟内で木霊した。

 

 

 猫人の集落でレイナは疑問に思った。猫人は自由気ままな一族だ。それを知らないものでも絶対にそうだと言い切れるほど彼らは自由を体現している。それ故に疑問に思った。

 

「皆……お仕事をしなかったりはしないのですか?」

 

 自由奔放に生きる姿を見ているとそう疑問がわいてくる。今は休憩中だが皆あちこち走り回って飛び回って、5歳程度の子供のよう。それ故に仕事などしたくないというモノは多いのではないかと思うのだ。

 

「そうでもないよ。猫人は遊ぶときは遊んで仕事するときは仕事だから」

 

 リンではないが黒い毛のメラルーが答える。公私のメリハリが効いているということのようだが、レイナにはやはりいまいちピンとこない回答だった。

 

「遊ぶのが好きな子は、仕事よりも遊んでたいと思うのではないのですか?」

「そうでもない。仕事は仕事、遊びは遊び。どっちも楽しい」

「仕事が楽しい……ですか?」

 

 仕事というのも義務だ。やはり楽しいという感情にはつながらない。やはり疑問になる。

 

「楽しい。嫌々やってもつまらないし成果も悪い。だから楽しんでやる」

「楽しんで……ですか」

 

 レイナにとって仕事とはなんだろうか。ただの義務であり、生きる理由だ。そこに楽しさなどない。レイナはそうでなければならないから。

 

「やりたいこととやらなきゃいけないことは違うけど、一緒じゃいけないわけでもないよ」

 

 あ……。

 

 そう、心の中で声がした。それはレイナの声。単純な答えに気が付いた呆けた声。

 レイナにとって仕事は義務だ。だからそれを楽しいということが理解できなかった。和也が義務だからと怖くても戦うのかと思えば、他所の村のことに真剣になる理由がわからなかった。紅呉の里でも白鳳村でも、人が笑って仕事をするのがわからなかった。どうして、レイナと同じことをしていたはずなのに、母は笑っていたのかわからなかった。

 

 その答えは単純なことだった。ただやりたいことをしていただけなのだと、ずれていた歯車がカチリとはまった。

 

 

 白鳳村総出でモンスターを探る。そう決まった日の晩、レイナは一人夜空を見上げていた。モンスターがいるのだから危険ではある。だが、この時レイナは一人でいたかった。

 

 猫人の集落から帰る間、ずっとレイナは考えていた。レイナの母は村を愛していた。だから村のために働きたかった。レイナは村を愛していない、だから村のためになど働きたくない。わかりやすい答えだった。

 だが、では村が嫌いかと言えばそうではない。村を見捨てる、村の人が死ぬ。そういうことを考えると胸が締め付けられる痛みがある。何より、村を嫌いかと言われれば否定はする。間違いなくする。

 

 少し悩んで、その答えは出た。やらなければならないことよりやりたいこと。それが答えだと知って、レイナの悩みはほぼそれで解決された、いやさせていた。

 レイナは村をどうしたいのかという疑問にもそれを答えとした。レイナは――村を愛したいのだ。

 母の姿を追って、母の陰を追って、いつしか母の影になっていた。レイナは母のようになりたいと願っていたのに、いつの間にやら母と同じになりたいとなっていた。母のようにそっくりそのまま同じことをするのが正しいと思っていた。

 そうじゃない、そうではない。レイナが憧れた母の姿はそんなものではない。笑って、辛い時でも立ち向かって人を笑顔にする、そんな母が大好きだった。間違っても嫌々義務で働く人ではない。

 

 レイナは我慢することにした。モンスターの調査に名乗りをあげず、ただ誰かが手を上げることを待った。レイナの好きな人たちは皆頑張ることができる人だから。だから白鳳村を好きになるためには、まずそれを信じることから始めないとと。劉の喝もあってか、それはいい方向へと向かった。

 

 

 

 風が吹く。冷たい風が体温を奪う。けれどそれが奏でる音色が心地よい。蒼がかかった黒い空も、白と茶の地面もひっそりと並ぶ木々も、何もかもが美しく見える。考え方を変えただけで何もかもが違って見えるというのはレイナにとって驚きの体験だった。

 

「――レイナ」

 後ろから声がかかる。呼んだというよりは驚いて口をついて出たという感じのものだった。後ろを振り返ると劉の姿が。

 

「劉さん。どうしたんですか?」

「い、いや、なんでも。それより明日は調査だが……またあんな無茶な真似はするなよ」

 少々どもったことが気にかかったが、それよりもそれに答えることだろう。あんな無茶な真似というのはギギネブラの時のことだろう。

 だが、今のレイナはあの時とは違う答えを見つけている。故に心配は無用だ。

 

「大丈夫です。もうあんな真似はしません。怒られたくないですもの。それに、私決めたんです。色んな人を、白鳳村も紅呉の里も、何もかも好きになれるように、いっぱい長生きしようって」

 

 花開く笑顔でそう言った。それに顔を赤くする劉だが、光源が碌にない夜空の為にレイナは気づくこともなかった。

 

「そう、か――」

「ええ、約束します。もう、無茶はしません。私は長生きします」

 

 レイナにとって生きることは義務だった。ただいたずらに苦しめるだけのものだった。

 けれどレイナにとって生きることは楽しいことに変わった。少しだけ考え方が変わったから。

 

 私は私、レイナは他の誰にもなれない。だからレイナとして生きるしかない。そんな当たり前なことに気付いただけだ。

 

 

「おはようございます。今日はいかがですか?」

「ああ、大丈夫だ!」

 

 今日もレイナはいつもの様に村を回る。けれど、そこには笑顔があった。どうやら白鳳村のレイナは漸く生まれることができたようだ。

 



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訓練所
第21話 新たな試練


 青い空、白い雲。白い山、茶色い木。世界を俯瞰しようとしているのかとさえ思うほどの大きさを誇る山、霊峰ギリス。かつて轟竜と毒怪竜が生息していた偉大なる未踏峰はそれより一年経った今でも姿を変えることなく鎮座していた。

 そのふもとに位置する白鳳村もまた、場所を変えることなく在り続けた。しかし何一つとして変化していないわけでもなかった。入り口にあたる箇所には雪解けの為の火薬草が育てられ、常に茶色い地面が顔を出している。所々に雪とは異なる白点がつけられ、何かが通ったのであろう地面を引きずる跡がそれを避けて蛇行していた。

 白鳳村入口より入って僅か10秒程度。その位置に和也はいた。ナルガクルガの素材を使った黒い皮鎧に所々に緑色の鱗が彩られている。全身黒の隠密性を捨てているが、代わりにナルガクルガが苦手としている炎や雷から身を守るためのリオレイアの素材だ。加えて、初めて手に入れた防具だから僅かだけでも残しておきたかったという理由もあった。

 

「ええ、今回は大タル爆弾と回復薬を。あと麻酔薬の試作品を持ってきました。鳥竜種で試した程度ですが十分に効果は得られます。ですが――」

「油断は禁物、くれぐれも過信しないように。ですな?」

「ええ」

 

 白鳳村の村長と話していた和也は思わず苦笑した。一年前より始めた白鳳村との交易は今も順調に続いている。護衛として何度も行き来して交流を深めているだけあり、さすがに口を酸っぱくして言ってきた口癖のようなものは読まれているようだ。

 村長との会話ももう何度したか。交易の責任者は互いに里・村の責任者であり和也ではない。実権は別の人間が握っているがそれも和也ではない。だが、狩りに関する知識は和也が一番のものだ。今までも持ってきていた大タル爆弾はともかく、マヒダケと眠り草を調合して作った麻酔薬については和也が説明すべきだろう。

 

「こやしの具合はどうですか?」

「上々ですな。あれから一度も鳥竜種はやってきておりませんので効果のほどははっきりとは確認できていませんが」

「まあそれは仕方ないですね。元々来ていないだけなのか、こやしの効果なのかはじっくり見るしかありませんし」

「ええ、わかっております」

 

 話題に上がったこやしというのはゲームで言うところのこやし玉についてだ。過去リオレウスがこやしの匂いを嫌って劉を喰わなかったこと、ゲームでもこやし玉はエリア移動させる効果を持つアイテムだったことなどから、"臭いによってモンスターを遠ざける"という効果を狙って用意された。結果としては話にあった通り、それ以降鳥竜種は来ていない。

 こやしだけではない。入り口付近には落とし穴と大タル爆弾、山側には堀がある。モンスターを寄せ付けないための工夫は数多くされているのだ。

 

「ああ、そうそう。猫人達はこやしの臭いでつらいそうです。彼らの話を信じるならばモンスターへの効果も十分に高いでしょうな」

「ああ、彼らの方が鼻もいいでしょうしね。まあ臭いに強いモンスターもいるでしょうからやはり過信はできませんが」

 紅呉の里と白鳳村の交易と時を同じくして始まった猫人の集落との交流。こうして話にもあがることから、特に不仲になることもなく継続されていることが伺える。白鳳村は近くにあることもあり、紅呉の里と猫人の交流は白鳳村を介して行うような形になっているので、不仲になられると困るのだが。

 

「リコル酒が彼らにも喜ばれたのが幸いですな。それに、そちらよりのマタタビもまた大いに喜んでおりました」

「ええ。おかげでホットビートルやトウガラシをこちらは受け取れているのですから大いに結構。これからも仲良くやって行きたいものです」

「そうですな、今更仲たがいするような事態は避けたいです」

 

「和也、積み荷の準備は完了したぞ」

 和也と村長が話しているところへ一人の男がやってきた。ブルファンゴとモスの毛をふんだんに使用した衣服を着こんでいるが、顔は少々青く震え、慣れない気候に苦しんでいる様子が見て取れた。

 彼は紅呉の里より交易のために来ていた、紅呉の里の住人である剛二だ。当然白鳳村の寒い気候に慣れているはずもない。日本のような移ろいの激しい四季もない世界なために余計である。

 まだ対応ができている和也はそんな彼に苦笑した。

「了解、おっちゃん。それでは村長、また。次回は半月後に劉が来る予定です」

「ええ、いつも通りですな。お気をつけてお帰り下さい」

 

 食品には消費期限があるのはもちろんのことだが、爆薬もあまり放置するとしけって使えなくなってしまう。その意味では半月ごとなどではなくもっと頻繁に交流できるようにしたい。だが、大草原は広大で越えるのに一日を要する。余り頻度を増やすのは護衛である和也や劉の疲労を増やすだけだ。当然のことだが、大草原に出るということ自体が危険行為であることも理由である。

 

 村長に挨拶をして片手剣を外したまま置き忘れているということがないか、腰に手をやって鞘から抜く。使えなくては意味もないので刀身の輝きと不具合のなさを確認してからそれを元に戻した。

 

「って、あれ? リンがまだいませんね」

 いざ出発しようかと思えば剛二と同じく共に来たはずの相棒がいないことに気が付いた。地面が白い分黒い姿をしているリンは目立つように思えるが、背が和也の腰程度までしかないので意識していないといなくても気が付かなかった。リンはあまり自己主張しないということも災いしている。

 

「おお、みたいだな。まあまたあそこだろうが」

「でしょうね。じゃあ呼んできます」

 

 

 白鳳村の中央、篝火をいつでも焚けるようにとあらかじめ用意されたその場所。5つの篝火が五角形におかれ、まるで空から見れば五芒星のようだろう。

 村の中央、村の中心。土地的にも心情的にも今の白鳳村の中心であるそこにリンはいた。一人の少女と共に。

 

「リン、帰るぞ」

 

 声をかけられてリンは振り向いた。一年経ってもリンの表情は乏しく、やはり大きな変化は見られない。けれど付き合いの長さからそれが悲しげなものなのだということに和也は気づいた。

 

「ん、レイナ、またね」

「はい。リンさんもお元気で」

 

 しかしリンは我儘を言うことなく素直に聞き入れる。永遠の別れでないことはもちろん知っているし、何より大草原の踏破には一日がかかる。余計な時間を喰えば大草原や森の中で一夜を明かすことになることを知っているからだ。

 それがわかっているからだろう、レイナもまた悲しげな表情でだが微笑んだ。単独で踏破した経験を持つ彼女も大草原を越えることは容易くできることではないことを知っている。

 

「なんならリンは残るか? たぶんそれでも構わないが」

「いい、帰る」

 

 ともすればぶっきらぼうと表現できるリンの返事に和也は苦笑を、レイナは明るく笑った。明るく笑うレイナを見て、和也の脳裏に過去の映像が映し出される。義務感と使命感で戦い続ける少女のこと、歪で死さえも恐れずに逃げない少女。物語の正義の味方のようなまっすぐさで、けれど対比的に自分をどうでもいいと言うかのように扱う少女のことを思いだした。

 

「レイナの方も問題はないか? 怪我や不調も含めて」

「ええ、もちろんです。無茶はしないと約束しましたから」

 

 思い出して気になって聞いてみたが帰ってきたのは屈託のない笑顔の返事だ。今のレイナは明るくそういった影を差していない。それが確認できる笑顔だった。

 一年前の約束とやらを未だ和也は知らない。いい加減教えてくれよと聞いてみるも返事はやはり内緒だった。一年経って15歳になったレイナ、女は秘密を持つものらしいがレイナもそういうことなのだろう。

 

 

 レイナの元を去って村の出入り口へと向かう。次に訪れるのは一月後、毎月のこととはいえじっくりと見ておきたかった。

 酒を造る酒蔵、近くではリコルの実の栽培を行っている。遊んでいるわけではないのだろうが村の中を走って何かを運んでいる子供は元気そうだ。人の顔も活気に満ちて、今ある生を堪能していることが見て取れる。

 

 ――白鳳村、活気に満ちているな。

 

 既に過ぎ去った道を振り返って思う。一年前に僅かに関わったに過ぎないが、それをきっかけにして始まった交易、それを理由にして活気に満ちた村。自分のしたことが認められたようで嬉しい光景だ。けれど――

 

 明るく今を生きる姿、恐怖はあろうがそれでも懸命に生きている。そんな良い光景のはずなのに、和也の脳裏には何か不安があった。いくら頭を振ろうともそれは振り払えることはなく……脳裏にこびりついたまま消えることは無かった。

 

 

 

 

 

 白鳳村を出て紅呉の里へと帰る。その道中最も危険なのは大草原だ。見晴らしよくモンスターの接近に気づきやすいが、その分モンスターもまた彼らに気付きやすい。襲われた際のリスクは低いが襲われる可能性を単純に増やしてしまう。その意味で連戦に次ぐ連戦をする可能性を持つ大草原は最も危険と言えよう。

 だが和也もリンも、非戦闘員である剛二でさえ大草原をさほど緊張した面持ちをすることなく歩いていた。その理由は単純かつ明快なものだ。

 和也が一方向へと視線を向ける。少しの間視線をそのままにしていたが、やがて興味を失ったかのように視線をもとに戻した。剛二はそれを見て口を開く。その言葉には呆れが含まれていた。

 

「またか?」

「ええ、鳥竜種です。しかし近づく様子はない」

 

 返事をする和也もまた呆れのようなものを含んでいた。それもそのはずだろう。和也たちは鳥竜種に見つけられるが近寄ってこない。これは既にここ何度も起きていることだ。飛竜種含め既に人間はモンスターを狩ることのできる存在と化した。ならばそんな危険な存在にモンスターが近づかないのはある種当然と言えよう。

 生物が生きる上で当然の選択、それを一年という短い間に起こし種の存続を願うことは間違いなく正しい。和也らにとってもモンスターにとっても、関わり合いにならないのが一番である。このモンスターに警戒されているということが彼らの緊張を奪っている要因だった。

 

「安心安全で良いこった。この分じゃお前らの護衛も必要なくなるんじゃないか」

「それは油断が過ぎる」

「大丈夫かもしれないけど大丈夫じゃなかったらまずい」

 剛二の軽い言葉に和也とリンがそれぞれ述べた。諌めるような内容だったが剛二もそれを当然と思っているのか、特別反論はない。

 

(モンスターに警戒されている。それは今までの成果だろうが……これはずっと続くことか?)

 

 緊張はない。危険も少ない。それ故に和也の意識は思考に向いた。

 今は和也ら紅呉の里にとって、また白鳳村にとっても平和と言える。大型モンスターの脅威が無く、肉や果実など多様な食物を得ることができる。まさしく楽園のようだ。だが、これは永遠が約束されたことだろうか。思考の後、すぐに和也は否と答える。

 

(違う、警戒は経験故だ。人間を警戒する必要があるとモンスターが学習したからだ。だから逆に人間を警戒する必要が無いと学習し直す可能性もある)

 

 これが本能に基づいたものならばまだいいだろう。だが、所詮は経験から来る学習の結果。ならば警戒の薄い個が人間を襲い、結果人間は恐るるに足らずと学習する可能性もまた存在する。

 

(つまり、護衛はやっぱり今後も必要だな。ネジが抜けた個体が襲ってくる可能性だってあるんだし)

 

 例えば和也がブルファンゴを狩ったように。例えば劉がリオレウスの元に向かったように。例えばレイナが大草原を一人で越えた様に。本来取るべきでないおかしな行動をとる個体というのは集団の中に度々存在する。その個体を撃退すれば警戒は継続、撃退できなければ警戒されなくなる。万全の安全は保障できないというだけでなく、モンスターに警戒させ続けるという意味でも護衛は必要なのである。

 もしも人間に被害が出れば継続的に襲われる可能性がある。それ故にモンスターの天敵であり続ける必要がある。和也はそう思考をまとめた。

 

「――――っ!」

 それ故に気付いた。もっと早く気付いてよかった危険に。今の状況を維持しようとするならば最も恐れるべき可能性に。

 

「和也?」

「ん? 和也、どうかしたのか?」

 

「いっいえ、なんでもありません」

 

 狩人は和也と劉の二人だけだ。モス程度ならば他にも狩れる人は多数いるが、ブルファンゴや大型種を考えると極端に減る。武器防具まで揃えて狩れると言えるのはやはり二人だけだろう。だからもし――二人のうちどちらかに万が一のことが起きれば――。

 

(今は俺と劉で役割分担している形だ。一人に圧し掛かったら厳しいかもしれない。何より大型は難しい。そうなったら警戒させ続けるなんてこともできないんじゃないのか?)

 

 

 緑の美しい大草原。遠くから見守る鳥竜種。その奥に切り立つ山と地平線。大自然の素晴らしい光景だ。心癒される光景であったはずが、急にそれが恐ろしいものに感じられた。自然は容易く人に牙をむく。無情な絶対の摂理に蹂躙される未来を幻視して和也の内心は震えあがった。

 

 

 白鳳村を出た翌日、紅呉の里に戻った三人はそれぞれ仕事へと取り掛かっていった。剛二は貯蔵庫へと交易品を保管に、リンは工房へと注文を届けにだ。和也は孝元へ帰還の報告の為に向かっていた。

 大草原を越えるには一日を要する。モンスターが出なくともあまりに体力を浪費する無茶な行軍はできない。戻るのにも一日かかるのは当然である。

 さすがに日を跨いでまで和也の不安は首をもたげることは無かった。いくら安全な行軍と言えどモンスターが遠くに見えるのだ。不安から逃げたい和也が考えないようにと意識を逸らしたこともあり、注意はそれらに向いていた。

 しかし帰ってきて落ち着きを取り戻せばまたそれは異なる。心の奥底にしまわれた不安がまた顔を出す。

 

(もし俺らが死んだら、この平穏も消えるのかな……)

 

 紅呉の里も白鳳村同様に活気に満ちている。今日を、明日を生きるために皆が懸命に働き前向きに暮らしている。その平穏は本来飛竜の出現という一つの事態で簡単に崩れてしまうのだ。今更ながら、一年を安穏と過ごした平穏が薄氷の上にあることに和也は気づいた。

 

(だから俺らは死なないようにする。注意する。けど……限度はあるよな)

 

 絶対などない。危険はある。孝元の家が紅呉の里の中央にあることが拙かった。帰路に思った不安が里の平穏を見て思いだし、それを見れば見るほど不安になる。湧き上がる不安を何とか押しとどめ、和也は孝元の家まで歩いた。

 

 既に誰かが伝えていたのか、孝元はいつもの囲炉裏にて和也を待っていた。いつもと同じ茶色い甚兵衛を着て落ち着いた雰囲気だ。和也を目にして頬を軽く持ち上げて微笑んだ。

 和也も同様にほほ笑み、一声をかけてすぐに報告へと移る。

 

 

「長、ただ今戻りました。飛竜種は近くになく、鳥竜種はいましたが遠巻きに見ているだけでした」

「うむ、我等にとっては喜ばしいことじゃな。しかし楽観もできん」

「ええ。飛竜がいないのも偶然の空白かもしれません」

 

 斜陽に頷く孝元に和也は追従する。新たに出た不安のことをさておいても、飛竜がいる可能性は常に警戒しなければならず楽観などできない。

 だが同時にこれは今すぐ危険だという訳でもないことを意味していた。飛竜との出会いが無くなってから既に一年。今にしてみればそれも当たり前なことから目をそらしてしまった原因だろうと和也は気づく。

 

 自分と同じ狩人が里にいなかったことを思いだす。予測を持ちつつも尋ねた。

 

「劉たちは今見回り中ですか?」

「ええ、見回りとブルファンゴの狩りですな」

「ああ、最近めっきり見ないですよね」

 

 つい苦笑した。貴重な肉であるモスやブルファンゴ、しかしここしばらくありつけていなかった。保存していた燻製肉を食べて栄養は取れているのだろうが、そろそろ焼いただけのシンプルな肉が食べたいところだ。

 

「ええ、警戒されていることが必ずしもいいわけではないようですな」

 

 孝元も苦笑する。警戒されていることが原因だろうと考えれば孝元の言うことも事実だ。暫し将来の不安を忘れて目の前の問題へと意識を移すことにした。

 

「劉が戻ってきてからですがまた少し捜索範囲を広げてみましょうかね」

「そうですな。劉も同じようなことを言っておりました」

 

 どうやら同じことを考えていたようだ。以前も狩りの成果が上がらない時に捜索範囲を広げて成果を上げたので当たり前かもしれないが。

 人は複数の疑問を同時に処理することはできない。複数の疑問を持つことは可能でも、それを処理することは同時には不可能だ。一つの問題に集中して、もう一つの不安からは視線を逸らした。

 

 

 孝元との話を終えた後、外に出て背を伸ばす。凝った体がほぐされるのを感じながら、準備体操をするかのように腕や背を伸ばし足をひねる。外の平穏を眺めながら劉を待ちつつ考えることにした。

 

 紅呉の里は大草原の東に存在する。大草原の東にある森を越えた先に紅呉の里は存在するが、この森というのはとても広い。北は山に止められているが南は地平線の先にまで存在する。森の中には狭いが川があり、これを辿って前回は南へと向かった。南に向かうほど森は苔が増えジャングルの様を見せるようになる。和也が初めてこの世界に来た時、いた場所は森よりもジャングルの様を見せていた。あの時は気にする余裕もなかったのだが初めいたのはだいぶ南側だったのだろう。

 川に沿って探索をすれば迷うことは無い。帰れなくなるということも大丈夫だろう。加えて水は生物にとって絶対に必要なものだ。川に沿って探すというのは迷わないというだけでなく効率的な探索のしかただとも言えよう。あまり狩りに行っていないあたりだ、里周辺に比べればモンスターの警戒も薄いはずである。

 そう考えれば良いことばかりで遠出の甲斐があるというものだが、実際いいことばかりではない。単純に遠いので得物を持ち帰るのが大変だということ、重さによる苦労と血の匂いに釣られてモンスターが寄って時間が長い。さらにいつもの場所とは違うということは、狩りの際の環境が不慣れであるということ。想定外の位置にある木の枝や石が致命傷となる可能性もある。

 

 狩りの注意点や問題点、旨味などを考慮する。どう考えようともいつかは南の探索は必要であろうことを考えれば今動くことは悪い選択ではない。ならば必要なことは危険に向かう覚悟と些細なことさえも気にする警戒心。瞑想するかのような集中を持って和也は思考を続けた。

 

「和也、帰ってたのか」

「ん、ああ。劉も帰ってきたか。それで成果はどうだ?」

 

 思考を続けている内に劉は帰ってきたようだ。目を開けると狩りから帰ってそのままとばかりの劉の姿が目に入る。ティガレックスの素材を使った防具だ。和也同様、リオレウスの素材がわずかながらに残っている。

 軽い挨拶と共に疑問を呈するがやはり芳しくないようだ。苦笑して首を横に振った。

「駄目だな。足跡は見つかるんだが肝心の獲物は見つからない。鳥竜種もそうだが出て来やしねえな」

「やっぱりか。長とも話したんだが捜索範囲近々広げるか」

「ああ、保存肉も無くなっちまうしそれがいいだろうな」

 

 

 互いに同じことを考えていただけあり、狩りの遠征はすぐに決まった。さすがにこの日そのまま行くことは無かったが、次の日狩りへと行き無事にブルファンゴを一頭狩ることに成功した。成果を持ち帰ることを考えれば一頭入っただけで問題はない。無いのだが、その一頭も一日探し回ってようやく見つけた成果であることを考えればあまりいい成果とも言えないだろう。

 

 

 遠征に出た日の夜、久しぶりに焼いた肉を食べ満足した和也は一人家にいた。まだ外では宴が続き騒がしい。飛竜の警戒が無くなりつつあることと平和の証左である騒ぎから離れ和也は不安と向き合っていた。

 

(一日探して漸く一頭だ。あまりいい成果じゃない。この問題の解決方法も簡単だ……)

 

 昨日にできた不安、和也らが狩りができなくなった時どうするのか。ブルファンゴとあまり出会えなかったことの問題。どちらも解決方法は単純にある。

 人を増やせばいい。人が増えれば和也らに問題が起きても対処可能だ。捜索も人海戦術に頼ることができる。どちらも解決ができる。

 

(問題は、どうやって人を増やすか、だ)

 

 単純に考えればリオレウスの時に手伝いがあったヤマトたちだろう。リオレウスの狩りの経験があるというのは大きいだろう。飛竜ではなく鳥竜種や牙獣種ならば狩ることができるかもしれない。

 だが問題は装備だ。和也と劉にはモンスター素材の武器と防具がある。それ故に鳥竜種や牙獣種であれば多少攻撃を喰らっても即命に係わるということは無い。だが、そういった装備もなく牙獣種の突進を受けた場合、当たり所が悪ければそれだけで死ぬこともありうる。

 今まで狩った飛竜の素材は全て和也ら四人の武器・防具のために使われている。放置しても仕方ないし、加工しなければ腐ることさえありうるのだから当然の処置だ。だが、結果としてこうした不測の事態には対応できなくなっていた。

 

(なら最低限は装備なしでも対処可能な人員だということか?)

 

 武器防具に使えるような素材はもうない。ならばそれらが無くても牙獣種や鳥竜種は相手できるというのが一つの基準だろうか。

 しかしそれは難しいだろう。劉は力があり、更に和也もついていた。それでも初めてのブルファンゴの狩りは攻撃を逸り、最後の抵抗で腕を牙で裂かれた。劉が里で一番力があるのだから、それ以上の力自慢は望めない。土爆弾投擲にはさほど力は必要ないが、現状の紅呉の里では力が無いというのは体力が無いことと同意義だ。力仕事をしていなければ、体力がつくような仕事もほとんどできないのだから当然である。

 

(となるとどうすれば……。――そうだ、俺と劉がランポスを狩りに行ったとき、ブルファンゴを誰かが狩ってきたはず。その人達に頼ってみるか?)

 

 とりあえず、ではあるが答えは出たようである。全員がいざとなれば狩りができる、ということが理想だが現実それは難しい。ひとまず一人二人増やせれば良いと考えると、ブルファンゴの狩りを和也や劉無しで行った誰かというのは理想的だと言えよう。

 

(よし、ひとまずはそれでいいか。後他に方法があればいいんだけど……)

 

 

 思考を一応続けるが出るものはなかった。大分思考に時間を割いたようで、既に外の騒ぎは収まり静かになっている。

 

(寝るか。あとは明日だな)

 

 そうまとめて床に着いた。少しは状況がましになったと信じて。

 

 だが和也は知らなかった。和也らなしで狩ったブルファンゴ。それは和也と劉が仕掛けた罠にはまった個体であるということを。誰も、和也たちの介在なしで狩りをしたことなどなかったということを。それを次の日知ってまた思い悩むことになるのだが――今だけはゆっくり寝ていてもいいだろう。

 ティガレックスとナルガクルガの狩りより約一年。新たな運命の歯車が回り始めていた。

 

 



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第22話 学校を作ろう

 ハンターとは狩人を指す言葉であるが、モンスターを一匹狩っただけでハンターと呼べるかと言われればそれは間違いであると答えよう。

 生物には老衰、怪我、病気、感染などありとあらゆる場所に死の影が潜んでいる。弱った個体を一匹狩るだけならば別段難しいとは言えない。もちろん、それを狙って継続的にできるのであればそれはハンターの一つの形であろうが、偶然それに出くわしただけのものはハンターとは呼べまい。

 

 つまり、誰かが仕掛けた罠にかかった得物を持ち帰っただけの者はハンターではない。剛二からヤマトらが持ち帰ったブルファンゴの肉は、和也らが仕掛けた罠にかかった物だったということを知り思わず顔を手で覆った。

 

「まあ、その……なんだ。早めに勘違いがわかってよかったじゃねえか」

 

 剛二は自身の家にてばつが悪そうに言った。彼自身は悪いことをしたわけでもないのだが、どうにも居心地が悪そうだ。

 和也は剛二に、和也らが不在の時にブルファンゴを狩ったのは誰なのかを聞きに剛二を訪ねてきていた。それはすぐにヤマトの仲間の一人だとわかったのだが、問題はその内容が和也らが仕掛けた罠にはまって死んでいたブルファンゴを持ち帰っただけという物。これでは到底狩りだなどとは言えない。

 

「いや、まあ……そうなんですけど……ね……」

 

 確かに多大な期待をかけている所にその事実が判明すると言うのは痛い。けれど期待をかけているという意味では大小の差こそあれ現時点でも同じだった。状況を苦しく思うことに変わりはない。

 和也のそんな姿を理解できるからだろう、剛二もまた居心地が悪いのだろう。

 

 しかしいつまでもそうしているわけにもいかない。和也は何故この話を持ち出したのかを、互いの理解を深めるために一から説明し直すことにした。少々立ち直りの時間が欲しかったということもある。

 

「一先ずの問題は俺や劉がいなくなった場合、病気やけが、それに死んだ場合。そう言った時に誰が狩りをするのか。現状モンスターに人間が警戒されていることはオッチャンもご存じだと思いますが、狩りができなくなった場合それが崩れる可能性が高いです」

「ああ、それはわかる。今の紅呉の里を見ても言えることだからな。一年前まではビビって縮こまっていたのに、今じゃ森に入ったり草原を越えるのさえ楽しみにするやつがいるぐらいだ。持ち帰った白鳳村の話を楽しみにするやつもいる。それもこれも、いざという時は何とかなると誰もが信じているからだ」

 

 互いに頷き合う。話すことにおかしな点はなく筋も通っている。その確認だ。

 

「狩りができなくなると警戒されなくなる。しかし俺らが狩りをできなくなる時はいずれ来る。ならば狩りをできる人間を増やさねばならない。これは一人あたりの負担の軽減の意味もあります」

「それには狩りの知識や経験がある方が望ましい。だからブルファンゴを狩った人間を求めていた、だよな。まあここで躓いたわけだが」

「ええ。まあそれは……おいておきます。それに単独で狩りをしていなくとも、ヤマトたちにはリオレウスの際の経験がありますから」

「飛竜種か。なるほど、あれに比べれば鳥竜種など物の数ではない」

「油断はできませんけどね。しかし必要以上に興奮も緊張もしないで済むでしょう」

「違いねえ。なら候補はやっぱりあいつらか」

 

 リオレウスの狩りについてきたのは全部で7人。彼ら全員が鳥竜種や牙獣種程度を狩ることができるようになればまた違うと考える。飛竜種はまた話が異なるが、近くに相手もいないのでこれはどうにもならない。爆薬や閃光玉など必要な資材さえあれば彼らだけでも何とかできるだろうと楽観視しておくしかないのが現状だった。

 

「しかしどうやって教える? 教えることができるのは今お前と劉だけだ。どっちが教えるにしても負担が増えるぞ?」

 

 和也ら狩りができなくなった時の為の準備。その為に和也らが過労死でもすれば本末転倒だと暗に臭わされる。

 会社の研修でもそうだ。教えを受ける人間は実質仕事をしていないことと同じである。むしろ教える側に余計な負担を強いているのでマイナスでしかない。それでもするのは将来への投資の為である。だが、将来というのは現在の後にある。現在あってこその将来だ。将来のために今を捨てるのでは意味がない。

 つまり、考えねばならないのは秤だろう。教えるリスクとリターンを釣り合わせ、その方法を効率化できるのであれば問題はない。一人に教えるのに一週間かけたとして、七週間。その間一人は研修につきっきり、もう一人はその尻拭い。――無理だろうとすぐに破棄した。

 

 

「正直なとこ、難しいですね……。というか今更ながらよく今まで二人でやることに疑問を持たなかったな、俺」

「慣れってもんもあるからな」

 

 知らず苦笑する二人。今まで辛いだとか、苦しいだとか、大変だとか思うことは何度もあったというのに人を増やすということを知らず知らずのうちに放棄していた。それには紅呉の里全体に遊ばせている人員がいないということも関係はしている。

 

「ああ、そう言えば工房の方からも人を増やしてほしいって話ありましたっけ……。すっかり忘れてた……」

「おいおい、大丈夫か? 俺は初耳だぜ、それ。まああそこもかなり忙しく回しているからな……」

 

 関連した話をしていて今思い出したと和也は呟いた。その内容は剛二には今言った通り初耳の内容である。

 回復薬や爆薬などを製造している工房。彼の場所もまた年中忙しく回っている。最近は回復薬や爆薬の必要量も落ちているのでまだマシなのだが、一時期人手が足りず寝ないで仕事、そのために集中力を欠いて無駄が増えて――という悪循環だった時もある。ブラック企業も真っ青な労働環境だ。

 計算や調合に不慣れということもある。ある程度は慣れによって効率化もできるだろう。しかし、人手不足が解消されても、工房も同じく『誰かが倒れた時に代りがいない』という現状は変わらない。

 

 あまりな労働環境に二人驚くやら呆れるやら。なんとなく把握しているつもりであっても整理してみるとそうでもない。思っていたよりもマシなことがあればその逆もまた然り。

 

 しばらく悩む二人だったがやがて和也がぽつりと漏らした。

 

「学校、みたいにしてみるか……」

 

 和也が思い浮かべたは集団教育だ。マンツーマンで教えるのではなく、一人が集団に対して同時に教える。教育の効果は多少落ちるだろうが、時間効率という点のみを見れば格段に良い方法だ。

 和也のぼやきを耳ざとく聞きつけた剛二に尋ねられ簡単に説明する。和也のイメージは古い田舎の学校のような、外で近所の頭いい人が教えると言う程度のものだ。その方がイメージがわきやすかったということがあったのだが、それは剛二にとっても同様だった。なるほどと理解した様子を見せる。

 

「しかし一気に教えるとなるとその日の仕事はどうする?」

「他人が頑張るか、やらないかの二択だな。慢性的にきついのがずっと続くか、一度ですっぱり終わらせるかの違いみたいなもんだ。まあ本当に一度では終わらないだろうが」

 

 どちらの方が優れているというものではなく、一長一短ある。だが和也は集団教育の方がいいと感じた。知識や経験が増えた後のステップアップはまた別だろうが。

 教えを受ける全員が今後も狩りや調合をするかどうか、と聞かれた時答えはわからない、だ。教えたことが完全に無駄になる可能性もある。しかし基礎知識は何があっても大丈夫なように、全員が把握していることが望ましい。本人は狩りに行かなくても、狩りの知識を教えることができるのなら意味はある。

 

 だがその方法を取るには和也や剛二の判断だけでは難しかった。里全体の今後に関わる問題でもあるため、判断を二人だけに任せるべきでないことは明白である。

 

「とりあえず、長に相談してみますか」

 

 

 その一言を持ってこの会談は終わった。どうなるかわからない未来を憂えた狩人の行動は新たな歯車を回転させ始めた。

 

 

 孝元にも同様の説明をしたところ、剛二同様に理解を得ることはできた。孝元も和也同様に現状を良くないと思っているためだ。だが、今までそれを提案しなかったのにも理由がある。先ほど和也が至ったのと同じ、教育する余裕がないという結論だ。

 

「難しいでしょうか。確かに不安要素も残りますが長い目で見ればそれが一番だと思うのですが」

「うむ、少々気になる箇所も残るのでな」

 

 しかし理解できているにもかかわらず、孝元はやや乗り気でない姿勢を見せていた。集団教育によってある程度解消できる。だが教える側に立つ和也も教える経験もノウハウもないためにどれだけ時間がかかりどれだけ効果があるのかは説明できない。それが及び腰になる理由だった。

 それらを説明され困る和也。確かに経験もないためにたぶん、だろうと言った説明になってしまった。しかし事実わからないし、誰にも想像できないのだからどうしようもないのもまた事実だ。そこを言い募ろうとするが孝元が止める。

 

「加えて白鳳村との交易もある。劉一人に負担をかけることもまずいが、製造が止まるものまたいただけない」

「あああ……、そうか、確かにそうですね」

 

 孝元の説明に納得する。剛二との話では狩りの問題ばかり話していたが、工房の話も交えるのであれば製造が止まるという問題も発生する。それでは白鳳村との交易が難しくなり迷惑をかけてしまうだろう。

 詰まる所、これの問題点もまた人手不足なのだ。人が足りないから教育して増やしたいのだが、余っている人などいないのでできない。人手不足の解消の方法ができない理由もまた人手不足とは世知辛い話である。

 

「交易が軌道に乗る前ならばまた違ったのじゃが……」

「ええ、それなら多少止めても問題はなかったですし」

 

 水や虫の確保ならばある程度はできているし、虫に至ってはそもそも狩りができれば虫以上の上質なたんぱく質を多量に確保できる。教えを受ける側の人間は作れるのだ。教える側が用意できない現状、というよりできる人間だけに作業させてそれ以外はできないという少数に集中させてしまったことが問題なのである。

 

 改めて考えると起こるべくして起こった問題である。むしろ、和也らが倒れる前に気付けて良かったという物だ。だが、今後のための対策は浮かぶことなく、時間だけが過ぎ去っていく。やがて、孝元は重く息を吐いた。

 

「仕方あるまい。集団教育の件、許可しよう。」

「えっ、いいんですか?」

 

 仕方ないという意味を多分に孕んだ声に和也は驚きと確認を込めて返事をする。許可を取りに来たのだとは言え難航していたはずなのに降りるとどうもすっきりしないものだ。和也もその意外性に驚いてしまう。

 孝元はというと、目を瞑り首を振った。疲れた様子がにじみ出ており、どうやら他に方法が無いことによる諦めが原因のようだ。

 

「教育が必要なのは事実、時間をかけた所でうまくいくかどうかわからん以上、早く終わらせられる方法を取るしかあるまい。白鳳村に迷惑をかけることになるがこれは仕方な――」

 

 唐突に話しが止まった。何だろうと思って見てみると、孝元は口元に手を当ててなにやら考えているようだ。そのまま誰も言葉を発することなく、森閑と静まり返った部屋で和也は暫し時を過ごした。

 

 

 

「和也殿、相談をよろしいか?」

 

 そのまま何のために訪ねたかわからなくなるぐらいに待ち続け、ようやく考えがまとまったらしく孝元は口を開いた。多少げんなりとした気持ちを持ち合わせながら、それを外に出さないように注意する。

 

「ええ、なんですか?」

 

「白鳳村の者もこの件に参加させてはどうだろうか。爆薬の製造が彼らもできれば多少問題解決も図りやすくなる。それに彼らに迷惑をかけるという点も多少拭えるだろう。どうだろうか」

「え? いいんですか?」

 

 孝元の提案に先ほどとはまた違う意味の返事をした。

 白鳳村を参加させる。それは紅呉の里と白鳳村の結束を強めるものになるだろう。離れて暮らすと言えど交流はあり、モンスターという共通の敵を持つ者同士だ。それに交易を一時止めても、『教育の為』と言えばその恩恵を受けようとしている分納得もできるだろう。確かに白鳳村も交えるということには大きなメリットがある。

 だが、大きすぎるデメリットも存在する。モンスターは白鳳村にとって強大な敵であり、紅呉の里が卸している爆薬はそのモンスターに対抗するための大きな手段である。白鳳村にとって爆薬は既に必要不可欠なものであり、これの交易があるからこそ彼らは紅呉の里には逆らえない。もちろん、だからと言って横暴に振舞うことは無かったが、孝元の提案はこの有利に立てる点を自ら捨てようという物なのだ。

 

 和也の心配は尤もだ。わずかとはいえ社会人としての経験がある故にそのような隙を見せるべきではないと真摯に思う。だが、孝元は和也のそれを知ってか知らずか、優しく微笑んだ。

 

「大丈夫ですとも。同じ運命をたどる者同士です。持ちつ持たれつは変わりません。何より、和也殿がいてくれるだけで我々には十分すぎるほどでしょう」

「そ、そこまで高く買われると恐縮してしまいますが……」

 

 びくつく和也だったが孝元は笑うだけだった。

 

 

 白鳳村も巻き込んで、となれば当然白鳳村に相談しなければならない。だが、白鳳村は片道だけで一日かかるのでおいそれと相談にも行けない。電子メールでもあれば一瞬だが、もちろんそんなものは存在しない。

 ひとまず集団教育の準備は進め、劉が次回白鳳村に行った際に参加したい人を連れて帰る、ということに落ち着いた。白鳳村にとっては突然の話だろうが、あまり話し合いを詰めることもできないので仕方がない。一応、剛二が次回も交易に参加し説明役をすることとなった。

 

 

 話がそうまとまれば準備も必要だ。初歩的な調合のしかたや簡単な計算方法を教えることを考え、そのためには薬草とアオキノコなどを十分な量準備しておく必要がある。狩りも土爆弾や探索の際の注意、モンスターの動きの基本的な部分など教えるべきことは沢山ある。その中から特に必要なこと、教える順番などを考えねば効果も悪くなるだけだ。

 

 劉が白鳳村に行くまでの間、和也はその準備に追われ続けた。

 

 

 

 そうして、劉が帰ってくる日となった。

 

 

 

 

 紅呉の里入口にて和也は座って森の先を見ていた。まるで怨敵でも求めているかのように鋭い目つきだ。しかし実際は、大きくなった話にびくついて少々眠りが浅かったため、つまり寝不足なのである。一応それだけでなく、期待と恐怖が入り混じった感情も、目の鋭さを強める原因になっている。

 

「ヨウたち帰ってきた?」

「リンか。いや、まだだ。まあそろそろだと思うが」

 

 振り返って黒猫がいることだけを確認して再度森を睨む。もちろんどれだけ睨もうとも森の形が変わることもない。

 リンはそんな和也の背を見守るように見つめていた。ナルガクルガの黒の鎧を着た和也はその厚みの分背も広く見える。だが、リンには違うように見えていた。やがてリンは小さく、その背にため息をついた。

 

「そんなに心配?」

「っ――まあな」

 

 心中の靄をリンに言い当てられ、和也は動揺を表した。話が大きくなって最も恐れていること、それは教育がうまくいくかどうかだ。今まで和也にあったことは極端な話、失敗した時のリターンは自身の死というだけだ。それによる影響も紅呉の里にあろうが、最初の内は大したものではなく異物であった物が消えただけ。狩りが軌道に乗ってからは失敗のリスクは精々怪我で死ぬほどではなく、里に対する影響は劉の負担が増えると言う程度だった。

 しかし今回の話はどうだろうか。和也の教育が悪いと教えを受けた人が死んでしまうかもしれない。今までだって麻酔薬の様に新しいものを供するときはそれを過信しないように釘をさし続けてきたのだ。だが、集団教育において十分に戒めることは可能か、不安は絶えない。

 そんな和也の不安を察したリンは和也の前に歩く。小さな足を更に歩幅小さくして歩き、和也の背に片手を置いた。

 

「リン?」

 

 鎧越しの感触、というより僅かにかかった重さから気づき振り向いた。途端目の前にある黒い棒のようなものが目に入る。頭に何かが置かれた感触から、それがリンの手であると気づく。

 

「――リン?」

「和也は頑張ってる。偉いよ」

 

 頭の上の感触が右へ左へと動く。その優しげな感触もあってか言葉を失ってしまった。

 

「誰も怒らないよ。一生懸命なら怒らない」

 

 なでなで、なでなで。たどたどしいながらもその手は止まることなく。

 

「だから、頑張ろ……?」

 

 首をやや傾げたリンの憂え気な瞳が目に写る。例え付き合いがどれだけ短くても、例え無表情だろうとも、リンのこの行動の意味が理解できないほど和也は馬鹿ではない。苦笑と虚勢が、感動と闘志が湧き上がる。

 

「ああ。なんとかなるよな。なんとかしような」

「うん、和也なら大丈夫……」

 

 

「それに……僕たちもいる。和也一人じゃ……ないよ……」

「ああ、そうだな。いつもありがとうな、リン」

 

 

 そう言って和也は笑った。本当に何時も、リンには助けられているなあと思って。

 

 数分後、まるで待っていましたと言わんばかりに人がやってくる気配に気づいた。足音からそれに気付き立ち上がって出迎える姿勢を見せるもどうも様子がおかしい。どたどたと足音は騒々しく、複数ではなく一人。しかも台車の転がる音がしない。何かあった。二人がそう勘づくまでに時間はかからなかった。

 

「カズヤッ! 劉が!」

「了解! 案内を頼みます!」

 

 だから剛二が駆け込んできたことにも驚かずすぐに対応できた。剛二を引っ張るような勢いで二人は駆け出す。

 助けを呼ぶためにずっと走っていたのだろう。剛二の息は既に上がっていた。けれど、道を知るためには剛二の案内が必要だ。わかりやすい目印が少ないために、口頭では大雑把な説明しかできないのだから。

 

(オッチャンに怪我はないみたいだけどこの焦りよう……まさか飛竜か? 全然出てこないから油断していた……! くそっ、間に合ってくれよ……!)

 

 既に息を切らして喘いでいる剛二に詳しい説明を求めることはできない。現状、和也とリンは重い装備を着ているからスピードが出ず剛二が先導できているのであり、もしもそれらが無ければ剛二はとうにおいていかれているであろう。その程度のスピードしか出せない現状、説明をしろという方が酷である。

 

 不明瞭な情報しかないという状況が和也を焦らせる。本来人が出せるスピードよりも遅くしか走れないということも不安を助長させる原因だ。思考は悪い方へと傾く。

 

(飛竜が出たんなら劉とヨウが対処でオッチャンが呼びに来るために逃げてきた? 戦えない人を何人も抱えて、一日かけて大草原を越えた後で? 無茶だ、どうにかなるはずがない……! それでも……それでも無事でいてくれ……!)

 

 走って、走って、草葉を踏み分け落ちた枝を蹴り飛ばし、ただただ焦燥に焦がす心を逸らせて和也は走った。

 

 

 剛二が走った先は白鳳村から紅呉の里に向かうけもの道の途中を南下した場所だった。リンにとっては初めての場所かもしれないが、和也にとっては懐かしい場所。この世界に来てすぐにブルファンゴと戦った場所によく似ていた。

 湿った地面と薄暗い森の中、僅かに地面に座り込む人の中に薄暗さで黒っぽっく見える鎧を着た男が目に入った。

 

「劉!」

 

 倒れているということはなく座っている。ならば大事はないのかと思いながらもつい大きな声をかけてしまう。足音と声にだろう、劉は振り返った。

 

「おお、和也。三日ぶりだな」

「え? あ、ああ、おう……?」

 

 能天気な挨拶を返されて和也はふと素に戻った返事をしてしまった。素に戻ったというより呆気にとられたというのが正しいかもしれない。

 仕方がないことだろう。激戦の真っ最中、もしかしたら手遅れかもしれないと思っていたのになんてことない様子なのだから。

 『は? え?』という様子を見せていると劉もばつが悪そうに頭に手をやった。

 

「いや、すまん。俺もよくわからないんだが、何かに襲われた……んだと思う。けど、誰もその姿を見てなくてな。もうもしかしたら転んだり躓いたりしただけなんじゃないかって話になってる」

「え、は? ――はあ?」

 

 

 話を聞いてみると紅呉の里に向かっている最中に何かに襲われた、と数人が叫んだらしい。事実、腕や足に痣ができたものや、一人は木にぶつかって頭部を大怪我したほどだ。その人はすぐに回復薬で大事にはならなかったのだが何かがいると劉と剛二は判断し剛二が和也を呼びに行った。剛二は走る際、背中でまた誰かの悲鳴を聞いたそうだ。

 一方、残った劉は近くにある広い場所へ行こうと帰り道から移動。予めそこに移動することは剛二にも伝えた上でモンスターとの戦闘を考えたらしい。この判断自体は和也も間違っていないと思うのだが、問題は移動の際一度もそのモンスターの姿を誰も見ることは無く、移動した後もずっと警戒していたが何も発見できなかったそうだ。もちろん、誰も襲われることもなかった。

 

 

「お前……それなんか罠っぽくなってたやつに引っかかったとかじゃねえのか?」

「かもしれん。ただ一人は大けがしたし剛二は既に呼びに行った。だから下手に移動するよりは和也が来るのを待ってから移動した方がいいと思ってな、休憩がてらここで待機していた」

「まあ……それは俺も間違っちゃいねえと思うけどよ……」

 

 だがなんだろう。無事だとわかった途端に思うところが出て来た。来る途中は散々無事でいてくれれば他は何も望まないと思っていたが、いざこの事態になると違うことがわいてくる。曰く。

 

「お前……勘弁してくれよ……」

「ああ……すまん」

 

 ため息しか出ない。思わず手で顔を覆った。

 しかし無事でよかったことも事実である。もう切り替えるしかない。いっそ劉と共に白鳳村から来た人を護衛して戻ればいい。そう考えればきた意味はきっとある。いや、あるはずだ。事実なのか思い込みなのかはともかく和也はそう決めた。そう決めて顔をあげて――

 

 

「って多いな!」

 

 猫人含めて12人。精々が5人だろうと思っていた和也にとってまさかの出来事だった。

 

 



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第23話 お勉強会

「それでは授業を始めます」

 

 凛とした静かな声が紅呉の里の一画で響き、共にやや浮き足立っていた若者たちのざわめきも消えていった。残るのは緊張を孕んだ顔つきだけだ。

 時は彼らが紅呉の里を訪れた翌日の朝。里のやや開けた場所にて座学の授業。

 今この場にいるのは紅呉の里と白鳳村の若者たちだ。新たなことを勉強する際若い方が覚えがいいということと、次世代を担う者にこそ知っていてほしいという全員共通の意見があった結果である。剛二が説明したのか、白鳳村も同様だった為訪れた10人は皆若い。その中には和也や劉と親しくしていたレイナの姿もあった。

 白鳳村の者も含めて30人。共に訪れた猫人2人も含めて32人。それが和也の生徒の総数であった。

 

(改めて……多いなあ)

 

 全員の視線を前にしてそう思う。昨日結果として劉を迎えに行ってそれだけいるのを知った12人。そのうち2人が猫人なのはまだいい。白鳳村の近くには猫人の集落があり、彼らに話が及んでも不思議はない。きちんと授業を聞いて邪魔をしないのならだれであろうとも問題はないのだ。

 だがやはり合計して32人というのは想定外だ。紅呉の里も白鳳村も仕事がある以上授業に参加できる人数は当然のごとく限られている。和也の見立てではこの半分以下だったのだからやりにくい。

 実を言えば紅呉の里にとっても白鳳村にとっても和也は博識であり、狩りの手段をもたらした英雄のようなものだ。その彼の知識を学び技法を得るということは最大の今後の財産になる。多少仕事があってもそれを今後に回して授業を受けようとすることは当然である。今日を生きる贄も必要だが、明日を生きる糧も必要だということだ。

 

 仮にも生徒たちを前にしていつまでも辛気臭い顔をしているわけにはいかない。いい加減覚悟を決めようと再度気を引き締める。

 

「では最初に薬草についてですが――」

 

 

 和也にとって普段自分は多少おちゃらけているというか生真面目ではない、という部分があると思っている。元来ゲーム好きな性分なので楽しく生きようとする努力や食欲含め自分の欲求を満たす努力はしている。が、それは果たして必要不可欠なのかと言われればまた異なる。生に不可欠なものでもないのに一生懸命だということが、まるで生きることが戦いである世界に於いて不真面目のように感じてしまっていた。

 もちろん実際の和也は他人から見て真面目である。というより、そんなことをごちゃごちゃ考えてしまう時点で生来の真面目さが出ていると言えよう。不真面目な人間が生きるためとはいえ毎日仕事と残業を繰り返していたはずがない。

 和也は自分が不真面目な部分があると思い、けれど人に教える立場なのだからとできる限り自分を律した。しかし実際は、周囲は和也は真面目な人間であるとしか思っていない。結果、出来上がるのは厳しく真面目な教師が一人だ。

 

 薬草がどんなものか。効果はどういったものか。そんなことはさすがに誰でも知っている。薬草の世話になったことが無い人間などいないのだから当然である。しかしそれでも和也が説明することを選んだのはそれを正確に把握してもらうためだ。大体こんな感じ、などといういい加減な知識ではなく、薬効成分や適切な処方量まで理解し、知っていることと知らないことを理解し、その上で知らなかったということ自体を認識させる。それが目的だった。尤も、和也自身の持つ知識もまたおそらくが頭に付く部分も多いのだが。

 

「――で、薬草とアオキノコを調合することによって回復薬はできるのですが、その調合比率によってまた効果も異なり――」

 

 しかし和也の持つ基礎知識は現代日本の高等教育レベルのものである。薬学の知識は詳しくはないが、それでも高校で学ぶ程度の化学の知識はある。ゆとり教育や学級崩壊など日本の教育現場が問題視されて久しいが、それでも古い時代と比べれば十分すぎるほどに詳しい知識だ。詳しすぎて催眠効果が生まれるぐらいには。

 

「つまり、薬草とアオキノコを混ぜればいいと言ってもその比率によって効果は異なります。調合とはこの比率を最も高い効果の出るように最適な比率で作ることです」

 

 話がひと段落つき一度言葉を完全に切った。話すことに集中していた意識を目の前の生徒たちへと戻す。

 二極化した顔つきが目に入った。集中が保たれ必死になって理解して記憶に残そうとする人と、集中とは対極に近い今にも眠りそうな顔をした人と。人が一生懸命説明しているのに居眠りとは、と怒ることもできるが理解しづらい話をした自覚はある。多少は仕方がないだろう。

 

「すみません、比率というものはなんですか?」

 

 授業の目的は全員に基礎的な理解を施すことだ。理解が追い付いていないのなら一度休憩にしてもう少し簡単な内容に変えようか。そう考えていた所に質問が入った。質問の主は理解を示している方の人間だ。

 比率、比例など現代日本においては小学生で学ぶ概念である。しかしこの世界は日本とは似て非なる世界。日本においても計算が庶民に浸透したのは商工業が盛んとなった安土桃山時代と言われている。それまで計算の必要が無かったからだがこの世界に於いてもそれは同様であり、他所の地域との交流が生まれたのもつい最近のこと。単純な足し引きならばともかく、比例計算の概念が存在しないのも無理からぬことだった。

 

「比率とは複数の物を比べた時の割合のことです。えーと……これとこれは全体の量は異なりますが、薬草とアオキノコの比率は同じです」

 

 この説明だけでわかった人とわからない人がいるようである。もう少し例を取って詳しく説明をすることにした。

 

「アオキノコを増やして薬草を1アオキノコを2にしたものと、薬草2アオキノコ4は同じ比率です」

 

 グラムと言ったような単位は存在しないのである。

 あまりにも単純な比例計算の話だ。しかしそれでも理解できる人と理解できない人と差が生まれてしまっている。理解できない人は現時点で話についていけていないが、理解できている人はむしろ続きを促している。様子見も含め続けることにした。

 

「土爆弾も作る段階は似たようなものです。火薬草とニトロダケの粉末を土に練って作ります。土爆弾の理想は火薬草2に対してニトロダケが5ぐらいです。このようにものによって最適な比率も変わります」

 

 調合比率は当然ものによって異なる。何気にゲームとは大きく異なる点でもあった。薬草とアオキノコの回復薬の調合はゲームと同じ1:1なのだが、爆薬の調合において最適は2:5だ。火薬草よりもニトロダケの方が多く必要なのである。

 理解できる人、理解できない人。その差がさらに強まったことを和也は感じ取った。はっきり言って理解が追い付いていない人は最早理解しようとしているのか眠らないようにしているのか、どういう風に頑張っているのかさえわからない。

 しかしあまり悠長にしている時間もない。今後工房に携わるのならばこの程度の知識は持っていてもらわねば困るのだ。逆にいえばこの程度の知識さえ蓄えられないのならば工房には携われないということである。

 あまり悠長にしている時間もないということを建前に、話についていけない人は見捨てることとした。

 

「あとこちらは紅呉の里の工房でつくった薬です。滋養強壮や免疫力の向上が見込めます」

「免疫力とは?」

「平たく言えば病気になりにくくなります。体力の向上と捉えてもいいかもしてません」

 

 話を聞いている一人であるレイナの質問に答える。するとおおーと歓声が軽く上がった。病に罹りにくくなるということはそれだけ生存率も高まり需要も高い。

 しかしまだあまり数が無く試作段階なので白鳳村どころか紅呉の里でもまだ知れ渡っていないものだった。

 

 あくまで似たようなものという段階だが和也の介入なしにして紅呉の里の工房では漢方薬や強走薬を既に作っていた。こうした変化の一つが地味に和也に今回の授業へと至らせた原因の一つになっていたりする。

 

「およそ薬と呼ばれるものは薬効という薬としての効果を出す何かがあります。それを正確に理解し自分の望むベクトルへと傾けること。これが薬師としての基本的な目的です」

 

 あくまでこの世界の話ではあるが。そう心中で付け足して薬の話を終える。薬剤師といったものを目指したような経験などない和也だ。当然21世紀における薬の知識など持っていない。

 しかし、地球にモンスターハンターで登場するアイテムに相当するものなどなかったのだから別段問題はないかもしれない。死にかけでも全快し体力の上限さえ突破する秘薬に相当するものがあったらまた違うだろうが。

 

 薬の話が終わりひと段落ついたということを皆が感じ取ったのだろう。どこか虚ろとしていた目に生気が戻る。全員に共通して言えることだがやる気はあるのだ。ただ理解ができず授業の文言が眠気を誘っているというだけで。それが話が変わることを感じ取り、次はきちんと理解しよう、しっかり学ぼうと皆が再びやる気を取り戻した。元々の仲の良さやら慣れやらで大分うつらうつらとしていた劉もまたやる気と集中が蘇った――。

 

 

 

「これら調薬に必要なのが数学の知識です。先ほどの比率も数学に属します。数学とは呼んで字の如し、数を学ぶことです」

 

 話の大筋は変わっていない。それを理解した全員が先と同じ顔になった。

 

 

 製薬の授業を終えて数学の授業を始めてから30分ほど経った頃。日は既に頂点を過ぎ一日の終わりへと向かい始めた時間。和也は休憩時間ということを宣言し一人静かにため息をついていた。ため息は重く疲れがありありと浮かんでおり、今初めて和也と出会った人でも疲労状態だということはわかるだろう。

 かろうじて木材に尻を置き座っていると言える状況だ。何せ背は寝るかのように後ろへと傾け腕を後ろに伸ばしついている。足も投げ出し、木材が無ければ四肢を投げ出して、という表現しかできそうにない。

 休憩ということで授業をしていた場からは少し離れた場所にいる。教師役である和也がいつまでもそこにいたら生徒は皆休めないだろうという配慮の結果である。質問したい人がいたかもしれないが、それは和也も休憩が欲しいということで考えないことにした。

 

(――本当は三角関数とかもやりたかったんだけどなあ。あとベクトルとか。計算が実生活でどれだけ役に立つかということを理解してもらえればやる気も十分に湧くだろうし……)

 溜息と共に反省と不満を生んだ。一人考えることは授業のことだ。本当は和也はもっと突っ込んだ内容をやりたかった。具体的に言えば運動力学をだ。

 和也は元々が理系であり計算やら推理やらは好きな分野である。考え、推理し、思考する。そうした人間であるが故に計算が好きなのは当然のことと言えよう。そうした人間だからこそ、余計なことを考えがちだとも言えるが。

 

(弓の張力だとか大剣が重く感じる理由だとか、こういうのって物理、数字の世界だからなあ。話せば興味を持ってくれそうなのが数人、あとは……たぶん寝るな)

 

 理解できない分野に興味を持つことはできず、興味を持たないことに集中することは難しいだろう。むしろ、今まで集中ができていなくても寝ないで聞いていた分ましだとさえ言える。

 

 世の法則のことを物理法則と言うように、世の中には物理学が溢れている。物が落ちる万有引力の法則、力を入れなくても物が動く運動の第一法則、位置エネルギーと運動エネルギーの関係を示した力学的エネルギー保存の法則。それらを理解し解明するのに必要なのが数学であり物理学だ。

 和也も物理にそう詳しいことではないが、神たる者がいない世界でそれらが解明されたように人の知的好奇心や探究心は果てしないものがある。最初のきっかけさえ与えれば和也なしに強走薬を作ったように物理学を発展させ、罠や武器がより良いものなるかもしれない。そのためにはもっと立ち入った話もしたい。したいのだが残念ながら時間もないのに理解できる人が少ない話をするわけにもいかない。

 

(まあ、何人かはしっかり理解の色を見せていたし、彼らに製薬の知識をもっと叩き込んでいけばいいか。今は小学校みたいなもの、ここから専門に分ければいい。その為の篩だ)

 仕方なく今後に期待することにした。今はまだ基礎的な部分のみを教えてこれから枝分かれさせればいい。枝葉にあたる細かい部分をどれだけ発展させられるかは今後の彼ら次第だ。

 発展させたいのなら和也がもっと関わればいいとも考えられるが、実際和也の持つ知識はさほど専門的ではない。最初の基礎の部分はともかく、それ以降は知らない人特有の発想に期待した方がまだ可能性は高いのだ。

 

「結局、それしかないかあ……」

 

 今後の発展はこの世界の人任せ。その為に最初の基礎の部分のみ手助けをする。今はその為の準備期間でありあまり余計な色気は持つべきではない。そう考えをまとめた。

 

「和也さん、お疲れ様です」

 

 ふとそうしていた所に声がかかった。一瞬の驚きを胸中に隠し振り返る。

 

「ん? おお、レイナか。お疲れ。今のところどうだ? 理解できているか?」

「ううーん、正直難しいです。でもまったくわからないという訳でもないという感じですね」

「ふむ、ならいいか。劉に至っては半分ぐらい寝てやがったし……あいつ完全に体力馬鹿だよなあ」

 

 レイナの言を信じるならやはり難しいが理解できないほどでもないらしい。そうしたレベルであることを考えれば理解できる人と理解できない人が出てくるのは仕方ないだろう。

 劉は和也の授業中ほぼうたた寝していた。彼は決して和也の言うように体力馬鹿という訳ではないのだが、見た目がっしりとした体つきで難しい授業は寝ているとなるとその評価も仕方ないのかもしれない。

 

「ふふっ、どちらかというと劉さんは考えるよりもまず行動、という感じですもんね」

「ああ。俺はむしろしっかり考えてから行動したいクチだし、そう考えるとよく俺らコンビ組めてるな」

「ふふっ、でもいい組み合わせだと思ってますよ? リンさんとヨウさん然り、でこぼこの方がうまくいくんじゃないでしょうか」

「あー、そういうのはあるかもしれないな」

 

 互いが互いを際立たせる凸凹コンビはそれだけで一つの完成を迎える。和也と劉は性格は大きく異なり体格も違いがある。そうした個性の違いが彼らの狩りを成功させてきた秘訣の一つ、なのかもしれない。和也も思い当たる節はあるのだろう。点頭して肯定を示す。

 個性や性格、考え方が同じだと行動も同じになりやすい。同じように狩りをして、同じような判断基準の元行動する。有性生殖の生き物はその遺伝子を多様性に富ませることで生き残りの道を探っている。その点を鑑みればなるほど、凸凹コンビというものは理に適っているのかもしれない。

 

 二人の間に静けさが取り戻される。元々和也はレイナに特別用があるわけでもなし、レイナも少し様子を見に来たという程度だ。話すことが無い以上、二人は口を開くことが無くなった。

 しかしそこにあったのは話のネタが無くなったが故の気まずい沈黙ではなく、まるで言葉が無くとも通じ合っていると言わんばかりの穏やかな静寂だった。

 

 

 

「私も……」

 

 二人の関係はおよそ男女の仲と呼ばれるようなものではない。和也にとっては年齢差もあるし何より戦友のように感じていてそういった対象として見ていないきらいがある。そのために少々、沈黙が下りたのとはまた別の気まずさがあったのだが、レイナが言葉を発することによってそれは破られた。自然和也は言葉の続きを待つ。

 

「私も二人にお世話になって、二人とも全然違う人だからきっと大切なんだと思います。だから……これからもよろしくお願いしますね」

 

 しかし内容はむしろその雰囲気を助長するかのようなものだった。沈黙を破るような何かを期待していたのにかかわらずだ。更にレイナは心なしか頬をほんのり赤く染めているように見えた。

 

 

(――え? 何これ、いったい何がどうなってんの? 何がどうしてこうなったの? 誰か教えて……)

 

 一応二人の名誉のために言っておくと、だ。和也は決して女性に免疫が無いという訳ではないし、レイナも別に深い意味合いは含ませていない。ただ、和也は6歳も年下の、元の世界で言えば社会人と中学生という関係にあるはずの年齢差がある少女にそんな雰囲気になったということに混乱を来たし、レイナは幼い自分を知る異性に素直に礼を述べるという行為が少々気恥ずかしかっただけである。その後は和也の雰囲気に当てられて少々赤みの意味も変わりはしたが。

 ただ言えることは二人の間にあるそれが大して意味もないということだ。間違ってもそのまま間違いが起きるようなことは無い。しかし意味もないそれに、暫し二人は時を奪われてしまっていた。

 

 

 

「さ、さーて! そろそろ授業を再開するか!」

「そ、そうですね。では戻りましょう」

 少しして再開のために戻るまでその雰囲気は続いたそうな。

 

 

 休憩前の時間は座学の授業だった。教室で机を並べて授業をしたわけではないが、それに相当する内容だ。そして、それの後と言えば実践に移る、すなわち実習だろう。

 机で勉強するだけというのは頭に入りにくい。ただの文言は頭に入らない。意味を持たない言葉の羅列は覚えにくいが、意味を持つ文章は覚えやすいだろう。実践には座学における文言を意味を持つ文章に変える効果がある。

 薬学における実習ということはすなわち調薬だ。自らの手で薬を生み出し、その効果を実感することで座学に対する理解と興味を強める。ただ問題なのは、それに至るだけの知識を与えることはできず、加えて時間は少ないということである。

 実習と言われて学生時代を思い出した人は多いのではないだろうか。今学生の人も自分の実習時間に当てはめて考えるのではないだろうか。そうすればわかるだろうが、実習は常に教師一人で行うのではなく内容を理解した助手がいるものである。工房から人を引っ張ってきて実習をして、その効果が薄いのではやってられない。

 

 結果、休憩の後の授業は午前と様変わりを見せることになった。

「今紅呉の里にある武器は大剣が一つ、片手剣が一つ、弓矢が一つ、それに槍が複数。全てモンスターの素材でできている丈夫なものだ」

 言いながらそれぞれの武器を掲げて見せる。劉が使うリオレイアとティガレックスの素材が使われた大剣が陽光に鈍く輝き、和也の使うリオレイアとナルガクルガの片手剣が黒光りする。

 二つの武器の後に作られたリオレウスの端材を使って作られた弓と、飛竜と牙獣の骨を主に使って作られた槍もまた静かに存在感を放っていた。

 

「それぞれに特性があり使用目的こそ同じだが、それ以外は異なると言っていい。例えば劉が使う大剣は振り下ろしの一撃は強く飛竜でさえ一撃で仕留めることができる。対し、片手剣は一撃が軽く何度も斬りつけねば殺すことはできない。だが、その代り軽いために取り回しに長けている」

 

 劉と和也がそれぞれ得物を振るった。劉は袈裟切りに一度、和也は目の前の敵を何度も斬りつけるかのように。大剣が空気を割る轟音と片手剣が空気を切り裂く風切音が響く。

 

 

「槍と弓はどちらも距離を取って戦う武器だ。相手は攻撃できない距離から攻撃して仕留める。一撃は片手剣よりも軽いがその代り安全性が高い」

 

 和也が今度は槍を手に持ち取回した。扱いに慣れていないために片手剣に比べれば大分ぎこちなくそれを自覚できる分気恥ずかしさもある。しかし武器の特徴の説明という程度ならば十分だろうと誤魔化した。

 

 紅呉の里にある槍はゲームに於けるランスとは別物だ。

 ゲームに於けるランスとは主に中世ヨーロッパで使われた武器であり柄の先を円錐状にした突くための武器だ。取り回しの良さより一撃の重さと安全性を持った武器であり、鎧と盾でがちがちに防御を固めた重歩兵用の武器といえよう。

 対し紅呉の里にある槍は木製の柄の先に飛竜や牙獣種の骨を加工して作った物であり、突いて斬って薙ぎ払いができる使い勝手の良さがある。だが柄が木製である分丈夫さに欠け、硬い外殻を持つ飛竜種を突こうものなら柄の部分から折れてしまうだろう。

 紅呉の里にある武器はモンスターと戦うことを想定したものだ。では何故そんな丈夫さに欠ける武器を使っているのか。その答えは単純に素材不足である。

 

「弓については後で見せよう。ただどちらも丈夫さにやや欠ける節がある。弓は弓自体の強度はともかく矢はただの木材、槍も柄の部分は木でしかないからな。牙獣種や鳥竜種程度ならばともかく、飛竜相手にするには心もとないがな」

「つまり、飛竜相手に安全を保って戦うことはできないということでしょうか」

「いや、そんなことはない。あくまでも現状ではだ。丈夫さという点で十分な槍や矢ができれば何も問題はない。特に槍の方は考案はある。ただ素材が無いためにできないだけだ」

 例えば金属製の矢ができれば。例えばモンスター素材の矢ができれば。矢の丈夫さは十分すぎるほどになるだろう。それを飛ばせるのか、扱えるのかという疑問は残るがそれはうまくバランスを取るしかない。

 槍もまた、ゲームと同じランスを想定したものを既に竜じいに話してある。きちんと素材が手に入れば作ることは可能だろう。

 

 

「狩りをするのに安全なんて考えるなら行かない方がいいだろ。何言ってんだ?」

「いや、安全を保てるのならそれに越したことは無いだろ?」

 

 和也の説明からか質問からか、生徒二人が言い合いとなった。どちらも嫌味や皮肉のような意味合いはなく純粋な考え故のもののようだが、それ故に自分の考えが正しいと譲るつもりはないようだ。自然二人は視線を集め、その二人の視線は和也に向けられる。

 

「あー……現状だと危険の方が大きいな。安全性を保ちたいのなら狩りに出ない方がいい」

 

 ほれみろと言わんばかりの顔をする者が一名。それを見て少々悔しそうな顔をする者が一名。妙に張りあっていたが元々関係がある二人なのかもしれない。白鳳村の人なので、和也はあまり知らないのだが。

 苦笑しながらけれど、とつけて言葉を続ける。

 

「ただ安全性を狙うと言うのは間違っていない。例えばブルファンゴは過去に土爆弾で罠を仕掛け狩られたことがある。直接戦闘せずに仕留められるのならそれが一番だ。戦闘する場合も遠くから仕留められるのならやはりそれがいい」

「えっと……結局どっちなんですか?」

 

 どちらの意見も肯定するような和也の言葉に二人が疑問を投げかける。ひよった意見を言っていると取られたわけではないようだが、それでもどちらが正しいのか結論を出さねば気が済まないのだろう。

 しかしこういったことにどちらが正しい、などということは難しい。むしろ敢えて言うならどちらも間違いだ。安全性は高く保ち、かつ命を容易く捨てられるような無謀とも言える勇気もまた必要なのだから。

 だがそれでは議論が終わらない。どちらも否定するのではなく受け入れて終わりを示すことにした。

 

「どちらも正しい。どうしても命を掛けないといけない箇所は出てくる。だけど安全を考えないといけない。まあこの辺は考え方次第だな」

 

 これで納得してくれたのかはわからないが、和也に言わせればこうとしか言えなかった。一応二人も言い合いをやめてはくれたのでそれで終わりとする。

 簡単なレベルでではあるが武器の説明も終えた。あとは武器の扱いに慣れることだ。武器を取り扱うことができれば狩りへ行くことはとりあえずはできる。

 白鳳村でのティガレックスとナルガクルガの狩りの時も土爆弾の投擲について多少練習した程度だ。その時の経験――紅呉の里でも同様の練習はしている――を考えれば土爆弾とその他の武器を使ってブルファンゴやモスの狩りへぐらいは出れそうである。

 

(怪我させないようにしたいけど……最悪それは我慢してもらう。狩りに行く前にその覚悟ぐらいは聞いておけばいいだろう。ないのなら調薬の実習ということで里に残ってもらってもいいし。――さーて、現状はひとまずよし、あとはどうなるかな)

 

 和也に教師の経験はなく、それを夢見たこともない。故に今上手くいっているかどうかなど自分の推測と思い込みだけだ。だがそれでも上手くいっているように見えるのだから一先ずは良しとしようと思った。

 紅呉の里と白鳳村の未来を変える留学はまだ始まったばかりである。これからの彼らの活躍に期待しよう――。

 

 

 

 ちなみに。

 

「ニャニャニャ!!! どっからでもかかってこいにゃ!!!」

「ねえねえ、回復薬にハチミツ入れると効果が上がるということはハチミツにもアオキノコみたいに強化する効果があるのかな。なら他の薬にも量を変えて試してみたいんだけどいい?」

 

 この日の授業で最も活躍したのは、成人用にと用意された槍を危なげなく振るう白い猫と、調合に強い興味を示しマッドサイエンティストにさえなりかねないほどの研究欲を見せた黒い猫である。槍は最も小さいものだし、猫人は元々好奇心が旺盛だということもあるが……紅呉の里と白鳳村にはもっと頑張ってもらいたいものである。

 

 

 



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第24話 訓練を開始した

 紅呉の里の入り口は決して人にやさしくできていない。入り口とは玄関であり即ち訪れる箇所だ。よってここを人に優しくしていないということは来るものを拒むという意思の表れだと言える。

 しかし、紅呉の里に於いて拒んでいる対象は人ではなくモンスターだ。里の敷地の中でさえ木々を配し里の存在そのものを隠している。結果里村というよりも森の中に民家が建っているようなものになっており、畑などを作る都合上開かれた土地は存在するが、その割合は通常の里村よりも著しく少ない。そうして里を守っているのだから、入り口が放置されているはずがない。

 堀を大きく作り、跳ね橋を用意する。杭の敷かれた落とし穴を作る。歩いただけで罠にかかるよう仕掛けを作る。見晴らしが悪くなることなど承知で里を隠す様に木を配す。上空からも前方からも里は発見しづらい様にされているのだ。

 そうした壁のような役割を持つ木々、それを避けて通るものを落とす落とし穴など、正しいルートを通らねば罠にかかる。その意味ではレイナが最初訪れた時、森の中で出会えたことは本当に運がよかったのである。

 

 

 尤も、和也が来る前までは堀と木々だけで落とし穴やブービートラップは存在しなかったのだが。

 

 

 とかく、里の入り口はそうした防衛機構を兼ね備えているので人が集まるべき場所ではない。しかし和也は敢えてその場を確認場所とした。出る直前で最後の確認をしたかったということと、それらとの関わりが少ない人でもいかにして普段守られているのかを正確に把握させたかったからだ。

 今日は座学をした次の日。実習をする日だ。モンスターと直接相対し、武器やアイテムを使って狩りをする――ということを想定した野外探索である。

 

 

 

 

 

「もう一度言うがくれぐれも単独行動はとるな。三人一組で行動し、何か異常があれば一人が速やかに連絡。自分たちだけの問題だと思わないこと。それを忘れるな」

 

 生徒たちを前にして和也の指示が飛ぶ。児童の遠足の先生のような言い方だが、あらゆる意味で和也はそのような立場である。隣では威圧するように劉が仁王立ちしているが和也のそれが終わるのと同時に頷いた。

 彼らに背を向けるようにして少しだけ距離を取った。

 

「これだけ言っておけば大丈夫じゃないか?」

「そう思うがな。何が起こるかはわからん。備えはしっかりしておかないと」

 

 もはやいつものことだとさえ言えるが劉は楽観的思考だ。どちらかというと常に何とかなるだろうという考えがある。そうした彼の考えは準備や議論よりも実践を重くとらえる傾向にある。

 対し和也は悲観的思考だ。何とかならないかもしれないで考え続け行動を縛ってしまうのが和也だ。悪くなる可能性を考え、そのための保険を考える。

 二人とも常にそうあり続けるほど極端な人間ではない。しかし二人の捉え方の大体はそうしたものである。ふと、和也の脳裏に凸凹コンビと言われたことが思い出された。

 

「まあ備えは大事だしなあ。俺も昨日は役に立てなかったし、今日はしっかり頑張らねえとな」

 

 今回は、というより狩りについてはほとんどなのだが、劉が和也の意見に折れる結果となった。劉自身が既に準備の大切さを理解しているということも起因している。

 特別議論することなく話が通ったことに信頼感を感じ――ふと気づいた。

 

「というかお前、昨日はほとんど寝てたじゃねーか」

 

 つい口を尖らせてしまう。前日の劉は座学の授業をほとんど寝て過ごしたのである。武器の取り扱いの際はさすがに実演することもあって起きていたが、小難しい話は御免だとばかりに眠っていた男だ。役に立ってないどころの話ではない。

 

「まあまあ。とりあえず和也は先頭で指導、俺らは後方で列に逸脱が無いか確認する。これでいいんだよな?」

「――ああ。後になると別行動もするつもりだが、まあ最初のうちはな。後半は別れて監視役になる」

 

 任せろなどという劉にため息をついてやりたくなる和也。暢気に言っているが本当に大丈夫なのかと不安にさえなる。それを大丈夫だろうと容易く拭い去れるのは今までの信頼があるからに他ならない。同時に、何も言う気になれないのも今までの信頼の結果――である。

 

「あの、和也さん、連絡終わりました」

「ん、レイナ、お疲れ様」

 

 いつの間にやら後ろに立っていたレイナ。彼女は孝元の所にこれから出るということを連絡してきたところである。外に出るということ自体は伝えてあるため連絡はなくともよかったのだが、レイナの手が空いていたので連絡を頼んでいたのだ。というのも――

 

「あのう……どうして私もその監督役なのでしょうか……」

「ああ、聞いてたのか。白鳳村の人達と知り合いだからまとめやすいとか俺らが一番見知っているとかいろいろ理由はあるけど、一番の理由はギギネブラの時の行軍経験だな。俺達も連携が取りやすい」

 

 そう、レイナは今回の実習は生徒側ではなく教師側の枠組みである。座学で学ぶ知識はレイナも知らないことも多いが、モンスターと実際に相対した時の恐怖、モンスターを探す際に注意すること、出会った時の対処。そうしたことはギギネブラの際にレイナには話し経験している。人手不足のこともあり、レイナには教える側に回ってもらっていたのだ。事実、これから外へ出るというのにレイナは緊張と落ち着きの中間を保っている。

 そうした理由があって和也はレイナに教師役を頼んだのだが、それらは全て和也の都合である。もしかして拙かったのかと今更になって気づいた。

 

「レイナ、もしかして嫌だったのか? 何なら断ってくれてもいいんだ――」

「い、いえ! そういう訳ではないのです。ただ私にそんな大役が務まるのかと思ったので……」

 

 しかしそれはどうやら杞憂だったようだ。言い被せて否定するところを見るに嫌なのではなく、不安なだけなのだろう。必要なことは背中を押すことだ。

 

「まあ、あまり難しく考えないでくれ。十分に教えてから行動に移すつもりだし、皆自分の命がかかってるんだ。勝手な行動は慎む……と期待したい」

 

 安心させるようにと言っていた言葉が、出始めとは正反対にしぼんでいった。和也の目は隣の男を捉え、誰が原因なのかは明らかである。

 かつて、自分の命を蔑にする勝手な行動をとった男。果たして大丈夫なのだろうかといまさら不安になってきてしまった。

 和也の視線と言葉の意味がわかったのだろう。劉は乾いた笑いを浮かべる。

 

「あはは……まあ大丈夫だって、きっと。ほら、ヤマトたちだってリオレウスの時の経験があるし、白鳳村の人もギギネブラやらティガレックスやらあったんだし。その経験に和也の教えが加わってるんだから大丈夫だって」

「だ、だといいのですが……」

「俺もなんか不安になってきた……」

 

 劉を育てた里だ。同じような行動をとる人間はいるのではないのだろうか。レイナもまた白鳳村の人々に不安でもあるのか、心配を加速させる結果となったようだ。そのままでは役目を下りたり中止さえ訴えかねないことになったかもしれないが、それ以上不安が煽られる前にリンとヨウがやってきた。

 

「和也、皆準備できたって」

「いつでもいけるにゃ」

 

 使うつもりなどほとんどないが非常用のアイテムと、獲物を獲った場合の持ち帰り用の台車。その準備を生徒たちにやらせリンとヨウに確認を頼んでいたのだが、こうしてきたことも言葉の意味からも分かるように無事終わったようである。

 いつまでも不安に駆られているわけにはいかないと和也は心中のそれをみて見ぬふりをすることにした(断ち切った)。

 

 

「よし、じゃあそろそろ出発しよう。リンとヨウは他の猫人二人と協力して遊撃役だからな。もしかしたら一番大変な仕事かもしれない。頑張ってくれよ?」

「まっかせろにゃ! 僕が大船に乗せてやるにゃ!」

「任せて」

 

 いつかの間違いの様に泥舟とか言いだされないことにほっとする。これ以上不安を煽られたくない。リンは気持ちレイナの方を向いているような気がするのだが、とやかく言うことでもないだろう。

 

 今回の実習に参加しない人は4人。レイナを除いた27人が里の外に同時に出る生徒たちである。考えるほどに不安になるそれを無視し、一行は里を後にした。

 

 

 里を出て10分ほど歩いたのち、一行は森の中にいた。かつては牙獣種が我が物顔で歩いていたこの森も、今では探してもなかなか見つからないほど物静かになっている。獣の足音も鳥のさえずりも消えた森が、今はにわかに騒がしくなっていた。

 森の中は危険か安全かで言えば安全だと言える。確かに地面に落ちた枝や伸びた草葉が肌を荒し、滑る地面や硬い樹木は凶器へと変わることもあるだろう。しかしそれらを危険かもしれないということさえ把握しているのなら、この程度は危険とは呼べない。危険とはモンスターに対して使うべき言葉である。そこまで言うかどうかはさておき、モンスターが跋扈している時から食糧や水を求めて森へとは入っていたのだ。彼らの脅威が消えた今、森は安全だと言えよう。

 

 しかし和也はその森を顰め面で歩いていた。理由は単純にその危険への捉え方が原因だった。

 

 

 

(確かにモンスターは今はいないが消えたわけじゃないんだ。なのに騒いで……ピクニック気分かよ……)

 

 決して大口を開けて笑っているわけでも姦しい悲鳴を上げているわけでもない。ただ、声を噤むということを忘れているだけだ。

 だがそれが和也には許しがたかった。火急の危険はなくともリスクが全て消え去ったわけではない。何が起きるかわからない森の中を警戒をせずに歩くなど火山の火口に飛び込むようなものだ。

 

 

(――仕方ないか。モンスターとの遭遇が消えて一年近く経つ。それに出会っても何とかなるだろうと思えば気も緩むか。けど、絶対に大丈夫ってわけでもない……)

 

 

 最後にモンスターと遭遇、発見ではなく遭遇があったのは果たしていつのことだったか。少なくとも三か月は前の話だろう。探しても出会えないモンスターは、ただうろついているだけの時に出会う可能性は極端に低くなる。警戒せずとも出会うことが無い。飛竜含めたモンスターへの警戒が薄れた理由はそこにある。

 しかもモンスターと出会っても対処可能だということを誰もが知っている。出会って、そこから逃げることができれば後は狩りをするだけなのだ。相手も警戒している以上遭遇の可能性が低い上に、遭遇しても対処可能。この純然たる事実が人々から警戒心を拭い取った。

 

 

 だが、それは安全が保障されているという訳ではない。およそ事故と付くものが無くなったことはない。事故直後は誰もが警戒をするが、その警戒はいずれ薄れる。そうしてまた繰り返される。同じことは紅呉の里でも想像されるだろう。

 天災は忘れた頃にやってくる。物理学者にして随筆者である寺田寅彦氏のこの言葉は有名であろう。警戒を忘れ油断した時、それこそが最も危ない時なのだ。和也や劉も歩けばすぐにブルファンゴやランポスと遭遇したときに比べれば大分落ち着き気を緩ませている。だが、それはあくまでその時に比べての話。普段と同じ程度の、里の中にいる時程度の警戒にまでは落としていない。

 

(要は線引きの問題なんだよな……。これぐらいは大丈夫、これぐらいはダメっていうのがわかってない。けどこれは感覚的なものもあるしうまく説明できそうにねえな……。慣れるしかないか……?)

 

 結局のところ、油断をすることも警戒することも人の学習の結果に過ぎない。劉とて今は十分に警戒しているが、初めの頃は警戒が不十分なときも何度もあった。それは和也とて同じ。誰もが最初は初心者である。

 

 

(つまり、今はどうしようもないか。まあ放置するわけにはいかないしなんとか気を引き締めねえと……、っと)

 

 追々慣れていくしかないと諦めることにし、せめて今は引き締めるだけに留める。その為に何か都合のいいものはないかと軽く探した程度だったが、和也の目にこれ以上は見込めないであろうものが入った。異臭を放つこげ茶色のそれは生き物の糞だ。無意識のうちに口元へと行く手をそのまま空高くへと突き挙げる。

 

「モンスター、おそらくは牙獣種の糞だ。足跡から見てもわかるだろうが少なくとも二頭、複数いるとみていいな」

 

 草と土に隠しているようだが、探しているのなら見つけるのは難でもないという程度、そこにあったモンスターの糞は大きなものが一つしかないが、屯でもしていたのか近くには足跡が数個見つかった。一頭が動き回ってつけた足跡という可能性もなくはないが、その可能性を考慮するよりは複数いる可能性を考えた方がリスク管理も実現可能性もいい。

 今までモンスターの影すら見つからないという状態だったのがこうして糞と足跡が見つかった。モンスターが近くにいる可能性という物を現実的にとらえたのか、生徒たちの顔に緊張が奔る。

 

「一頭だけならばたいした問題じゃないが、二頭いるのなら厳しいな。一頭を相手していたら横や後ろから突進されるかもしれない」

 

 緊張を孕んだ生徒たちにこれ幸いとばかりに和也は追い打ちをかける。気を引き締めるための良い材料と判断したのだ。もちろんこれは脅しであるが、同時に起こりうることとして捉えねばならないことでもある。

 

「それにこうしている間にも横から来るという可能性だってある。劉に体当たりされて踏ん張れるやつはいるか? できないのならブルファンゴの突進にだって耐えられると思うなよ。それで死ななくても怪我をして行動不能、そのまままた喰らえば死ぬかもな」

 

 さらに追撃。現実的に起こりうることなのだとはっきり認識できている内に教え込む。一度でも攻撃をされればそれが死へとつながる可能性もあるということを正しく認識させる。

 

「さ、行くぞ。ブルファンゴの糞はまだ乾燥していない。近くにいるのかもな。余計なことは喋るなよ、敵に位置を教えるだけだ」

 

 適当に恐怖を掻き立てた後、それを投げ捨てるかのように和也はこともなげに言い放った。それを実は安全なんじゃないかと取るか、無関心と取るかは人それぞれだろう。だが、いざという時に人に守ってもらえるなどと盲信できる人間は実はそういない。それ故に全ての生徒が黙りこくり、うち一部は吐きそうなほどに顔色を悪くしていた。

 

(極端だな。ここまでだんまりになるとは。気が緩んでいるのは想像力の欠如が原因か?)

 

 こうして森に出る前にその覚悟は尋ねてある。ならば既に恐怖などという物はある程度払しょくされているかのようにも思えるだろう。しかし、現実はそうではない。危険が目の前にまで迫っているのにそれに気が付かないということはしばしば起こるものだ。

 

 

 人の判断基準は総じて相対的なものだ。ブルファンゴが出てきても倒せるのなら攻撃されても大丈夫なのかもしれないという印象さえ生まれてしまう。

 現実にはそんなことはない。和也も攻撃を受けずに倒すことを最上としている。劉の体当たりよりブルファンゴの突進の方が上だと暗に示したことで、生徒たちは危険の一端を認識することができていた。

 実に悲しむべきは強弱こそあれどそれまでの呑気な危機管理だろうが。

 

 

(怪我させないように――なんて考える必要はないかもな。というよりもむしろ――)

 

 わざと危険に近寄らせて危険を教えるか?

 

 そんな思考を浮かべた。

 

 例えそれで1人が死のうとも、その結果99人が危険を認識すればその後は死傷者は生まれにくい。何もしなければ危機管理を誤った10人ほどが死ぬかもしれない。結果としてその方がいいのであれば――和也の思考はそうしたものだ。

 しかしその思考は育てられぬうちに断ち切られた。いくら命が容易く消し飛ぶ世界といえど、いやだからこそというべきか、わかっている危険に向かわせるような真似はさせたくない。それができるほど、和也の心は冷たくもない。

 

(まだ、まだだ。後々それは必要になるかもしれねえけど……今はまだだ)

 

 ずっと続くのなら一芝居売ってでも。そう心の底程度の意識が決めた辺りで和也の視界に青い線が入った。

 

「水辺、だ。人に限らずモンスターも生きるのには水が必要だ。だからこの周辺にもモンスターがいるかもしれない。ひとまずここで水を補給、後に周辺の探索をする」

 

 川を基点とした捜索は和也や劉も普段からやっているものだ。近くに川がなく、迷った時の目印としてもわかりやすいということもある。源流からそれた小さな、川と呼ぶのもおこがましいような流れならばいくつかあるが、橋などが必要な程度の川はこれしかない。ちなみに台車などがある時は、もっと上流の浅い部分を無理やりに渡っている。

 

 

「これから班分けして捜索する。最初に言ったように何かあったらすぐに一人が連絡に走るように。少しの油断で命が容易く消し飛ぶことを忘れるな。それじゃあ、始め!」

 

 

 

 

 水辺を基点とした捜索を始めてからおおよそ一時間。和也はそのほとりで石に腰掛け劉を待っていた。和也が監督をしていた半は既に捜索を終えて待機、レイナも同様であり後は劉を待つのみとなっていた。

 既に予定していた時間は過ぎている。時計などわかりやすいものはないので太陽を目印にした大雑把なものだが、それでも今まで大体は問題なかったのだ。今日に限って間違えているという可能性よりは何かあったという可能性を捕えるべきかもしれない。

 

 しかし和也もレイナも実は予定よりはやや遅れてしまった。モンスターとの遭遇こそなかったのだが、緊張のあまり怪我やらなんでもない風による草の揺れをモンスターと勘違いしてパニックになったりだとか。モンスターを倒す手段を人は手に入れたと言っても、それを正しく実行できねば意味はない。緊張でうまく体が動かないことと煽られていた死の恐怖がパニックの原因だ。

 

 そうしたハプニングがあって、和也もレイナも予定よりは遅れた。つまり、劉もそれが同様であるという可能性を考えている。

 

(まあ、あんまり遅いようなら行かないとだ……けどリンもヨウも戻ってきてねえ。劉の近くにいて何かがあったっていうならこっちに誰か連絡は来てるはず……。まさか前の時の様に二匹いる……? 馬鹿な。ここしばらく見ていなかったのがいきなり活性化するはずがない)

 

 人が大勢訪れたことによる興奮など原因として考えられることはある。しかし、武装した劉やリンが対処できないほどの敵が沢山、ということは考えづらい。

 それでももしかしたらという思いはあるが、もし連絡に来たらと思うとこの場を動くわけにもいかなかった。

 

 

 あまりにも遅いのならいかないといけないだろうか。それを悩んでいる所にようやく劉は戻ってきた。リンやヨウも連れて、妙に苦笑して。

 

「あー……、一応報告する。途中一つの班からモンスターに襲われたと連絡を受けた」

「何っ!?」

 

 戻ってきてそうそうの爆弾に驚かされる。モンスターとの遭遇事態は想定していなかったわけではないのだが、それでも劉が遅かったことも合わせて悪い想像が頭をよぎる。

 それで口を開こうとするも劉は機先を制した。

 

「待ってくれ。別にまずいことがあったってほどじゃない。というか、俺が行った頃にはもう問題は片付いていた。いや、というより、最初からなかったと言うべきか……」

「なんだ、煮え切らないな。はっきり言ってくれ」

 

 和也がそれを言うや否や、劉はさっと渋面をする。とはいえ、想定はしていたのだろう、浮かんだと思えばすぐにそれは消えていた。

 はああ、とため息をつくとじゃあいうぞと前置きを置いて劉はそれを言った。

 

「一言でいえば悪ふざけだ。悪気があったようじゃないみたいなんだが、あまりにも緊張をしているから紛らわせようとしたらしい。それが想定以上の効果があったみたいだけどな」

「――は?」

 

 話をさらに詳しく聞くと、だ。

 まず劉はやや離れた場所から悲鳴を聞いた。それで拙いことでも起きたかとそちらに向かっている途中、班の一人と思しき青年からモンスターに襲われたと連絡を受けた。この時点で劉は大剣を抜き共にいたヨウ共々現場へと向かった。すると……、悲鳴を上げて泣きじゃくる少女と、彼女をあやしながら劉に気付いてばつが悪そうにする少年がいたそうだ。

 

 

「ほら、リオレウスの時に狩りに参加したレンジでな。あまり緊張が過ぎると危ないと思ってのことらしいんだ。驚かせて、それで緊張をほぐそうとして……まあさっきも言ったが失敗した」

「え、え……ええー…………」

 

 話を詳しく聞いてもそれしか言えなかった。というのも、驚かせる、わざと危険な目に合わせるという芝居を打つという意味では和也がやろうとしていたことそのままだ。和也は現代知識で学んだ心理学――子供のお遊び程度だが――に基づいてもう少し、ほんのもう少しだけうまくやれるかもしれない。しれないが、自分と同じことをやろうとしていたと気付くと怒るに怒れなかった。

 

「ああ、なんだ、その……」

「いや、別に、その、な。俺も怒っているわけじゃなくてだな。というか俺もレイナの方でも似たようなことはあったし……」

 

 さすがに大きな悲鳴を上げて連絡に来たようなことはなかったが。パニックになった少女も、同じ班がうまく落ち着かせて事後報告程度のものであった為、劉のこれは今回一番大きな問題だ。しかし、五十歩百歩という程度である。

 和也ではなくレイナに焦点を当てても同じだ。何もないところで転んだものやら、川を見失って迷子になった班やら、小突き合いをして喧嘩になりかけた班やら、問題を起こさなかった班がない。

 全員が視線を一致させ、誰からともなくため息をついた。

 

「私、こんなに大変だとは思いませんでした……」

「右に同じ……」

 

 レイナと劉がぼやく。その視線はどこか和也を恨みがましげだ。

 

「はは……その辺は俺も同じだっての……。緊張しすぎが原因なんだろうなあ」

「緊張か……。悪いことじゃないんだけどな」

 

 リラックスしすぎているよりは適度に緊張している方がいい。それを言外に劉は零す。

 過ぎたるは及ばざるがごとし。何事も行き過ぎはダメなのだ。

 

「にゃあ……これ、次もやるのかニャ……」

 

 ヨウがぼやいたそれはまたこうした実習をやるのかということだろう。劉と共に悲鳴とパニックになった班に向かった分、ヨウの疲れもひとしおだ。リンやその他猫人は悲鳴を聞いて向かいはしたが、着くころには完全に落ち着いていたそうだ。その程度の無駄足はずっとだったので大して気にしてもいない様である。

 

「できれば……やりたくない」

 

 だが、それはあくまでもその事件に関しては、だ。むしろ、いちいち呼ばれては無駄足でしたを毎回繰り返したぶん、猫人達は皆疲れ切っている。

 

 

「慣れるしかないからなあ……。本当言うとやるしかないんだが……やりたくねえなあ……」

 

 

 はあああ、と全員がため息をついた。

 

 せめて回数を減らすなり、時間を短くするなり楽にする方法なりを考えた方がいい。この日はそれで終えたのであった。

 

 

 



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第25話 モノ作り

 太陽が己が役目を終え最後に空を柑子色に染める頃。紅呉の里の中でもひときわ大きな建物の中では未だ住人は役目を終えず働きぶりを見せていた。

 今にも死にそうな呻き声が時折漏れる室内で、暗い光の少ない中を働く少女はただ目を皿のようにして、目の前にあるそれだけを見つめていた。やがて、満足いったように声を漏らす。

 

 

 

「薬草の粉末を10杯、アオキノコの粉末を10杯、そこにハチミツを4杯混ぜて……」

 

 すり鉢の中でに入った緑と青の粉末を混ぜ橙色の液を投入する。少女がしたことはそれだけである。しかし、慣れない仕事は確認を繰り返させ、同時に投入量が多量にあることが更に確認を助長させていた。もしも慣れさえあれば、少女の雰囲気はマッドサイエンティスト然としたものから近所の買い物へと出かける主婦のように変化していただろう。

 投入された液体は緩やかに二つの粉末に染み込み水気のない粉に粘りを与えた。それを見届けた少女は次の行程へと移る。

 

「水を投入、よく混ぜる。その後ハチミツを1杯投入して撹拌。これをハチミツが合計10杯になるまで繰り返す……」

 

 彼女が作っているものは薬草とアオキノコということからもわかるように回復薬である。ハチミツが混ぜてあるが、大きな効果はなく回復薬グレートとは呼べないレベルのものだ。しかしただ薬草とアオキノコを混ぜるよりは回復量も増すので投入している。

 

 レイナが今いる場所は紅呉の里の工房。状況からもわかるように彼女は今調薬に勤しんでいる。元々そうした知識を持っていたわけではないが、教えを受けて今は一人で作っている所である。もちろん、レシピを見ながらではあるが。

 一つ調薬が完了したことでレイナは新しい物へと目を移した。

 

「ふう……。えっと、こっちは乾燥させたマヒダケの粉末を火薬草で軽く熱して……その後でねむり草と混ぜる……。その後は……水で溶いた苦虫を投入してすり潰す……」

 

 紅呉の里オリジナル、というよりこの世界オリジナルの漢方薬である。漢方薬はもとより毒を以て毒を制すもの。材料に使っている組み合わせが麻酔薬と同じであるが、薬として成り立つのはそれが理由である。

 加えて漢方薬とは本来化学合成ではない生薬であり、効果にばらつきがあるものだ。

 元々ゲームに於ける漢方薬は毒状態の回復と微量の体力回復効果である。この漢方薬は毒などへの耐性を強めることと、体力の微回復、それにスタミナの増強だ。いずれも多分あると言える程度の微量の効果しかない。

 

「最後にアオキノコの粉末を少々……これでおしまい……っと」

 

 完成を迎えて一息つく。集中すると呼吸さえ忘れてしまうということは世界が変わっても変わらないようだ。終わったことに安堵を浮かべ、大きく吸い込んだ息を吐き出した。

 張りつめていたというほどでもないが、決して緩んでもいなかった空気がゆっくりと平素へと戻る。

 少女はゆっくりと手をあげ、完成したはずのそれの淵に指を伸ばした。ゆっくりと撫ぜ我が子を見守る母親の様な慈しむ目をそれに向ける。暫しそうしていたが、カタンと小さな音が鳴ったことで彼女は現実へと引き戻された。

 

「どう? レイナちゃん。調子の方は」

「お絹さん――」

 

 レイナの振りむいた先には微笑みを携えたお絹が立っていた。お絹は工房における責任者のようなものをやっている。最も調薬に対するセンスが良かったから、という至極単純な理由によるものでだ。しかし生来が姉御肌な部分がある彼女はうまく工房をまわしていたと言えよう。

 先ほどまでの姿を目撃されてはいないかとレイナの心が焦る。痴態というほどではないが、見られても何も思わないという訳でもない。彼女の優しげな微笑みに嗜虐的な色が加わったような気がしてレイナの心がさらに焦る。

 

「調子がいいみたいでよかったわ。うちの連中はどいつもこいつもぶっ倒れて……情けないったらありゃないわね」

「あ……あははは……そうですか……? でもこんな時間ですし仕方ないとも思いますけど」

 

 朝から指導を受けていたレイナを含めた生徒たちは当然のごとくグロッキーだ。腕が吊っただの指が痛いだのを呻くその他と違いレイナにはまだ体力が残ってはいる。

 しかしそれは白鳳村で村全体を見て回っていて体力が人よりあるからであり普通の人は倒れていて当然である。そんな批判を暗に込めるもお絹はどこ吹く風だ。

 

「男衆は狩りばっかり考えているみたいだけど実際そんなんじゃ回らないわ。今の需要を満たすためには供給も相応に増やさないと。それで苦労しているのだからあの子曰く因果応報って所じゃないかしら?」

 

 元々が批判されて素直に聞き入れる性格ではないが、加えて和也からの理論武装もある。本人の苛烈な性格に加え既に紅呉の里になくてはならない人物の一人。多くの住人にとって逆らえない女性である。

 情けないと言いながら彼らを見る眼もまた苛烈。どのようにしてさらに追い詰めようかなどと考えているのかもしれない。よく見れば口元や頬の緩みと目の奥の穏やかな光が優しさを携えていることに気付けたかもしれないが……この時それに気づける人はなく。レイナもまた気づくことはなく、静かに彼女の目が自分に向いていないことだけを感謝していた。

 

「さて、それじゃあさっさと起こしましょうか。あんまりのんびりしている暇もないことだし――――どうしたのかしら」

 

 不自然に止まったお絹の言だが、それをレイナが不審に思うことはなかった。歓声としか思えない声が外から聞こえたからだ。

 唐突にさ抉られた会話は戻ることはなく、自然体が外へと通じる扉に向く。

 

「行ってみましょう」

 

 レイナは外へと飛び出した。

 

 

 外に飛び出したレイナは黄昏色に染め上げられる。黄金とも取れる夕日が森の奥に沈もうとしていた。刹那の光が照らす紅呉の里の中心部には人が長い影を落としそれがまるで林のように立っている。

 歓声の主は人だかりの辺りのようだ。そこを目指して駆けよればさっと人が別れ原因の特定もすぐにできる。

 

「ブルファンゴじゃない。どうしたのよ」

 

 レイナのすぐ後を追っていたお絹の声が背中からかかる。彼女の言うとおり人だかりの中心にあったのはブルファンゴだ。もちろん生きていることはなく、既に絶命している。

 そばには解体の準備だろう、ナイフや布が置かれている。包まった布は雑巾と呼ぶにふさわしいもので、いかにもったいないお化けでもこれは文句を言わないであろうものである。

 

「おうお絹。劉の奴が持ち帰ってな。遠征の成果らしい」

 

 そばに突っ立っていた剛二がそれを告げる。

 

「ふう、ん。で、あんたは何してるの?」

「ん、いやな。既に血抜きもしてあるしすぐに解体しないとって程でもない。なら若造共に譲ってやらねば――と思ってな」

「要するに面倒だから若い子に任せるかってことね」

 

 ジロリと射抜くような目が剛二に突き刺さる。その視線に圧され剛二の重心が気持ち下がった。それだけで二人の普段の夫婦としての関係が推し量れるというもの。

 

 

「まあいいわ。それにしても、足手まといを連れて行った割にやるじゃない、坊やも」

 

 生徒たちのことをはっきりと足手まといだと言い捨てるお絹に剛二は顔に乾いた笑いを浮かべた。しかしお絹が今日、和也や劉同様に生徒を並べて調薬をしていたことを知っているので余計なことは言わないと決めた。触らぬ神に祟りなしである。

 

「劉さん、戻られたんですか?」

「ん、おう。あっちにいるはずだ」

 

 そういって剛二が指した先は工房の一画、ただし調薬をしている場所ではなく備蓄庫であるが。どうやらすれ違いになってしまったようである。

 軽く剛二に頭を下げた後レイナは一目散に備蓄庫へと向けて走り出した。後ろで少しだけ、剛二とお絹の頬が緩んだように見えたが割愛する。

 

 元々里自体が広い場所ではない。備蓄庫へとはすぐについた。

 

「劉さんっ」

「おう、レイナ! ただいま」

「ただいまにゃ!」

「おかえりなさい。成果もあったようですがまずはご無事で何より――和也さんは……?」

 

 備蓄庫に飛び込んだレイナを劉とヨウが太陽のような笑顔で迎えた。二人は備蓄庫にいる以上当然であるが、荷物の整理と補充をしていたようだ。

 帰郷を果たした劉と挨拶を交わすレイナだったが、劉もヨウもいるのに和也やリンはいないということに気が付きその顔を曇らせる。

 

「ああ、いや。別に何かあったってわけじゃねえよ。けど今日はちょっと草原の方に残るらしいんだわ。なんでもヴェースギャングというのを作るだとかなんだとか……」

「ヴェ、ヴェースギャングですか……? なんですか、それ?」

「いや、わからん。まあ和也の言うことは時々わからんからな。まあおかしなことにはならないだろう」

 

 言うことが時々理解できないと言いながらもおかしなことにはならないと言えるだけの信頼が伺える発言である。

 和也は現代日本で生きて、語彙文法もそれを由来としている。この世界に於ける言語は皆現代日本語で通じているが、外来語や英語まで通じているわけではなかった。モンスターという単語も、和也が使っている言葉を聞いて使うようになったもの。飛竜や牙獣全てをひっくるめた言葉と認識されている。

 ヴェースギャングをそのまま英語だと捉えるのなら"vase gang"であろう。しかしvaseとは花瓶、gangとは不法集団をさす言葉であり、それを作るだなどと全く意味を理解できない。

 

「ま、まあそれを作るってんで一部同じく残ることを志望した生徒を置いてその他引き連れて帰ってきた。リンも一緒だし大丈夫だろう」

「だ、大丈夫なんですか……? もう暗くなりますし慣れないことは危険だって言ってましたけど……」

「さあなあ……。そもそも朝にはヴェースギャングとやらを作るだなんて聞いてなかったし、たぶん思いつきなんだと思う。色々不安要素はあらあなあ……」

 

 劉の言葉の文字面だけを見れば不安は解消されるどころかむしろ煽られている。けれど、そんな言葉とは裏腹な口調と思いが安心させるものだった。

 続くであろう言葉を待つレイナの顔に揺らぎはない。

 

「まあ、和也なら大丈夫だろう。和也は危険に突っ込むような馬鹿な真似はしないさ」

 

 声色から既にそれは言われていたようなものだ。落ち着かされた心がそれを受け入れて、レイナはただ頷いた。

 

「それに明日になったら俺達ももう一度大草原に行くつもりだ。回復薬とかの備蓄も持っていくし、まあ大丈夫だろうさ」

「あ、でしたら私も――」

 

 共に行きます、と言おうとしてそれが劉に遮られた。

 

「いや、レイナは里に残ってくれ。明日は生徒たちは連れて行かないから、彼らに今日学んだ人たちで調薬を教えてやってくれ」

 

「ちょっと、聞いてないんだけど」

 

 

 唐突に劉の言葉にレイナの声とは違う声で返事があった。尤もレイナの後ろから来たためにレイナは気づけなかったのだろうが、劉は見えていたので驚くことはなかったが。

 

 

「お絹さん、突然声を出すからレイナがびっくりしてますよ?」

「驚いたのはこっちも同じよ。何? 私達でまた明日も教えろって? 偉くなったものね、坊やも」

「す、すみません……。ですが和也も何か考えがあってのことだと思うんです。どうかお願いします」

 

 ばっと劉が頭を下げる。90度の直角のお辞儀である。お絹は一度小さく嘆息し、その後に言った。

 

「わかってるわよ、ただ無茶な要求だって教えてあげたかっただけ。レイナちゃん、明日も忙しくなるわ。今から準備するわよ」

「え、ちょちょっとお絹さ――」

 

 劉に対し両省の意を述べるとレイナの手を引っ張って去って行った。かつて市場へと売られていく子牛のことを歌ったとも、戦場へと連れてゆかれる我が子のことを謳ったとも言われる曲、ドナドナ。もしかしたらそれが流れるかもしれない。そんな鮮やかさだった。

 後に残された劉には乾いた笑いが張り付いていた。

 

「ははは……ま、まあ俺らはきちんと休んでおこう。大草原までの遠出だし体力は十分に必要だ」

「了解ニャ!」

 

 その為に必要な回復薬などの準備を終えて外へと出る。既に空は暗くなっていた。

 

(和也、無事でいろよ……!)

 

 紺色に染まった空を見上げ念う。暗くなった視界は悪くなり、奇襲を受けやすくなってしまう。警戒されていることを考えれば大丈夫かもとも思えるが、劉はその一つだけで楽観視できるほど経験が浅いわけではない。

 

(生徒連れて暗い中、安全なはずがねえよな……。信じるしかねえんだ。無事でいてくれよ……!)

 

 祈ろうが念じようが何かが変わるわけではない。それだけでモンスターを倒せるはずがないことなどだれでも知っている。ただそれでも祈らずにいられなかった。

 聞こえるはずのない剣戟も、見えるはずもない血潮も無視して。劉は休むために家へと向かった。

 

 

 劉が祈ったのと同じ頃。和也たちはまさに戦闘の真っただ中であった。青い斑点模様の鳥竜種に生徒共々囲まれて、爪と牙が振るわれる。生徒たちも負けじと槍を振るうが悲しいかな、近すぎる距離はむしろそのリーチが欠点となってしまう。なんとか距離を取って振るう。それで漸く生き残ることができていた。

 防具こそつけていなかったが生徒たちと違い一年の経験がある和也は獅子奮迅の働きを見せていた。彼が右手を振るうたび、鳥竜種の鮮血が舞い。彼が左手を掲げるたび、敵の攻撃は弾かれた。

 

「ふっ!」

 

 右切り上げを一閃。剣閃に沿って赤い線が生まれる。それに喜びも安堵も抱けぬまま次の敵へと走る。

 

「うわあっ!!」

 

 誰かの悲鳴。槍を手放し左腕の上にランポスの前肢が置かれ、今まさに首に噛みつかれようとしている少年の悲鳴。

 

「ちっ」

 

 走って間に合う距離じゃない。瞬時にそれを察して盾を投げた。形は違えど土爆弾によって鍛えられた投擲の腕は狙いたがわずランポスの頭へと命中する。

 一匹目は凌いだ。しかし恐怖からか安堵からか少年の動きは精彩さが無縁なもの。すぐに次のランポスがやってくる。

 中空で右手の片手剣を左手に渡し。右逆手で腰元の剥ぎ取り用ナイフを取り出した。それを掌の上で回転させて順手に持ちかえる。

 

「――らぁっ!!」

 

 一振りで二閃。両の手が敵を切り裂いた。

 

「拾え!」

 

 少年に盾を持たせ、それを背にして守るように立つ。尚も向かってくる敵。両の武器をそのままに両の手が振るわれる。イメージしたものは鬼人状態の乱舞。武器をただ滅茶苦茶に振るうだけのはずだった動きがそのイメージによって舞いへと変わる。

 近づくものは切り裂く。命惜しくば逃げうせろ。無言のメッセージを受けて残ったランポスたちは背を返して逃げ出した。

 

 

 

「ぜえーっ…………。ふう……お前ら無事か?」

「なんとか……」

「死ぬかと思った、死ぬかと思った……」

「す、すみません、助けてもらって……」

「疲れた」

 

 息も絶え絶えに返事をする生徒たち。一言だけのリンは疲れてはいるものの落ち着いている。やはり慣れだろう。

 

「っし、すぐにそこに防御壁を作ろう。その後で洞窟に……っ……洞窟に避難して休む」

 

 

 

 

 彼らがいまいる場所は大草原の東の一画だ。南へと通じているのであろう洞窟と、同じく南へと流れてゆく小川があり狩りの拠点とするにはもってこいの場所である。

 遠征をするうえで最も恐ろしいのは見知らぬ土地で獲物を引っ提げて野宿することだ。警戒をしなければならず休まることはなく、獲物を持っている為に常に危険。その危険を避けるために必要なものは遠征用の拠点、すなわちベースキャンプである。

 ゲームに於いて当たり前にあったコレだが、当然そんなものはあるわけない。今まで和也も深く気にしてはいなかったが、モンスターに警戒されて遠征がこれから増えるであろうということ、白鳳村含め狩りに参加する人が増えるということなどの理由、そして偶然見つけたベースキャンプに適した土地。これらが相まってほぼ思いつきの行動をすることになったのだ。今は後悔もしているが。

 

(まあ、ハンターとして必要なものは慣れと経験と考えれば、こいつらにこうして経験を詰ませるというのは悪くないんだが……けどやっぱり思いつきはダメだな)

 

 先ほどのランポスに囲まれたことを思えば特別問題ないなどとはとても言えない。防御壁を作った後なんとか洞窟までたどり着くことができて改めて思う。

 和也たちが半日かけたおかげで、この土地は今洞窟の前にはやや広い広場、その先は丸太や落とし穴などがあり出入りが可能な道は二つしかない。今その二つにも防御壁を用意しモンスターの侵入を難しくしたところだ。絶対安全とは言えないが、しないよりは確実にマシである。

 

 ふう、と安心できる環境になったことで和也含めそこにいた全員に落ち着きと恐怖と、封じ込めていた感情の全てが帰ってくる。戦闘中に余計な感情に振り回されないよう、人の防衛本能だろうが後で纏めて圧し掛かるのはそれはそれで苦しいものだ。

 幸いにも生徒たちにあったのは恐怖よりも興奮と安堵のようだ。顔は上気し、生き残った喜びとモンスターを屠ることができた嬉しさを噛みしめて讃えあっている。

 

「あとあれだ、和也さんの最後のあれ! 鬼神の如き働きってのはああいうことを言うんだろうな!」

「ああ、あれはすごかった!」

(あれ……ねえ……)

 

 好奇と尊敬の目が突き刺さる。今まで見せたことの無い動きだから余計にだろう。和也自身、できるという自信があってやったことでもなかった。それでもできたのは――やはり一重にゲームの経験だろう。

 和也のゲーム時代における愛用武器は双剣だった。ゲームの経験が活きて今まで生きることができた。その上で言うのならゲームにできる限り近づけて生きる方がいいのかもしれない。だがそれを今までしなかったのはゲームがゲームであるが所以だった。

 プレイスタイルは攻撃は最大の防御。回復薬があるということは攻撃を受けても大丈夫という意味、三回死んだらクエスト失敗ということは二回までなら死んでもいいという意味。それが和也のプレイスタイルだ。

 

(無理だな。あれをまたやれとか。他の奴にも教えたくないわ……)

 

 和也に言わせれば双剣を使うなど命知らずだ。安全に戦いたいのなら片手剣を使えばいい。防御よりも攻撃を重視した結果が二刀持ちなのだ。ゲームとは違うやり直しがきかない世界、そこでそんな戦い方はできるはずも教えられるはずもない。

 

「あれは忘れろ……。俺も咄嗟のことだったし再現できそうにねえわ」

 

 あり得ない。そんな拒絶の意思も込めてぶっきらぼうに言った。

 

「え……ですが――」

「再現できたとして……やる気はない。あれを飛竜相手にやれるのか、お前ら」

 

 和也の言葉で生徒たちは押し黙った。むしろ、鬼人乱舞など飛竜相手にやるものである。だが繰り替えすがそれをやるのは命知らずだ。飛竜の足元、頭の前で逃げずに武器を振るうことなど。

 片手剣然り、双剣然り。片手で持つことができるこれらの武器は一撃という物に難がある。それを補うためのものが手数であり乱舞である。しかしそれは己の命を捨てる行為とさえ言っていい。飛竜の爪でも牙でも翼でも、なんでも一撃を受けた後すぐに回復できるのか、できたとしてまた戦えるのか。迷わずイエスと答えられない限り、そのような戦い方はすべきではないだろう。

 

 

「ふう。で、お前らの方はどうだ。武器の調子は」

 

 話を変える意味、それとこうして一部に残らせた意味を含めて武器の調子を尋ねる。曲がりなりにも激しい戦闘の後だ、何かしら思うところはあるだろう。

 

「僕は和也さんの武器のような剣の方があっている気がします」

「あー、お前はそうかもなあ」

 

 最初に答えたのは最後、ランポスに襲われていた少年だ。身長150cm代ほどの小柄な少年で槍を渡しても持たされているという印象が全くぬぐえない。小柄で体力もなく、槍を振るうより暗器のような小さな武器の方が適しているのだろう。ランスが完成したとしたら、猶更武器に振り回されることが目に見えている。

 

「俺はこれで良いです」

「俺は……正直弓って奴の方がいいかと思ってます」

 

 次いで、二人が答える。どちらも165cmほどの、少年とも青年とも呼べない年頃の男だ。

 ほとんど同時に答えた二人だが、一人の答えに納得しなかったのか、呆れたような顔をする。

「またかよ……逃げ腰ならやめちまえ」

「誰も怖いだなんて言ってないだろ!」

「怖いだとは――」

 

 ガン! と音が洞窟内で鳴った。金属と鉱物のぶつかり合った音は狭い洞窟内で反響する。それをやった主である和也は武器を叩きつけた格好のまま睨んだ。

 

「うるせえ……、また鳥竜種を呼びたいのか?」

 

「す、すみません……」

「ごめんなさい……」

 

 二人は白鳳村からの生徒である。座学の授業の時も言い合いをしていた二人で、やはり普段からこの調子のようだ。

 元々ベースキャンプつくりの際にランポスに囲まれたのも、和也が防具をつけていなかったとか警戒が緩んでいたとかもあるだろうが、大本はこの二人が騒いだことが原因である。少し、らしくない行動であったが、その程度の威圧を込めた注意は必要でもあった。

 二人が大人しくなったのを見て、一息ついた。同時に、叩きつけた武器が心配になったが、それを確認するのは気恥ずかしさと威厳が台無しなのでやめておいた。

 

「ひとまず弓は帰ったら試せ。悪いがもうしばらく槍で頑張ってみてくれ。意外とコツがつかめるかもしれん。レンジ、お前は?」

「なんでもいけます。というより、今の所これだってものがないですね」

「ふむ、万能でこなせるというのはいいことだが……いっそのこと劉の大剣借りて試してみるか?」

「い、いえ! あれはさすがに……」

 

 まあそうだろうな、と和也は思う。大剣はその大きさゆえに当然重く、振るう際にかかるGは更に大きい。劉も今でこそ振るえているが、最初はまるで鈍器のような扱いだったのだから。栄養ある物を取ることができるようになり、一年前に比べて誰もが体格が健康的によくなっている。しかしそれでも……あれは進んで持ちたい武器ではないだろう。

 

「じゃあレンジはまだ槍を試してみてくれ。様子を見て今後どうするかは決めよう」

「わかりました」

 

 全員の武器の調子を聞いた後で少し見渡してみる。全員疲れが浮かんでおり休みたいという色がありありと見える。それでももし、モンスターに襲われれば戦わねばならないということは理解しているはずだ。全員、ここに残ることを自ら望んだのだから。

 二人組の一人は逃げ腰など揶揄されているが、そもそも本当に逃げ腰ならばここにいるはずがない。少年も小柄な体躯ながら進んで残り戦った。こうして教える立場にたって、未来を憂えてよかったと思える。

 

「よし、しばらくここで休んで明日になったらキャンプ作りの続きだ。見張りは二人一組の三交代でやろう。まずは俺が行くからお前らは休んでおけ」

「和也。僕も行く?」

「いや、リンはまだ休んでくれ。レンジ、お前が来い」

「――了解です」

 

 経験のある和也とリンは別々の方がいいだろう。そう判断して生徒の一人を連れて行くことにする。レンジにしたのはリオレウスの経験がある分、他よりましだろうと思ったからだ。その他三人に比べればまだ疲労の色が薄い。

 

 洞窟を出て入り口にて外を見据える。暗い、暗い見知らぬ土地。それでもこうして成長して前に進んでいることが理解できれば宵闇など恐怖の対象ではないようだ。和也の眼は明るい世界を見続けていた。

 

 

 翌日、劉とヨウが持ってきた回復薬を飲み干した一同は更にキャンプの作成に勤しんだ。完成を迎えたのはそれより3時間後のことであった。

 

 



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第26話 猫人の宴

 暑い日差しが照りつける日中、太陽の熱が存在を主張する。クーラーやら扇風機やら涼しい夏を過ごす現代に慣れた人は、それらが無いと生きていけないだろう。

 しかし様々な理由でそれらを手にすることができない人もまた存在するのだ。彼らは仕方なく、手や下敷きを扇ぎ少しでも涼を取る。それは、ある事情でモンスターハンターの世界という科学の進んでいない世界へと行ってしまった和也も同様である。

 科学のない世界であろうとすべての物理法則が消えたわけではない。無いと言うのなら作ればいい。クーラーは難しい? なら扇風機なら作れるはずだ。ファンを作ってモーター作って回せばいい、江戸時代に原型があったのだから楽勝だ。

 そうした考えがあったかどうかはさておき。真夏日と言える太陽の下、回転するそれを見て和也はただ体温が冷えていくのを感じていた。

 

 

「にゃはははは! もう終わりかニャ、かかってこいにゃ!」

 

 白い姿の猫人、アイルーが頭上に掲げた槍を振り回している。柄の軌跡がまるで車輪のようなそれ、上へと向けている以上風が来るはずなどないのだが、和也の体温は現在進行形で下がっている。

 

「ちょっちょっと待ってくれ!」

「待たにゃい!」

 

 アイルーの前で腰を抜かしていた男が助命を乞うが聞く耳持たないとばかりに、遠心力を勢いに替えて突き刺した。地面に刺さって穴の開く音がする。

 

 アイルーは男に刺したわけではない。何故ならこれは殺し合いではなくただの訓練であるからだ。故に血を流す必要などなく被害者など生れない。しかしそれでも和也の体温が消え失せていくのは、一重に槍の全長が1mを超すからである。

 

 

「すっげえな、おい……。もしかしてアイルーってみんなこんなにすごいのか……?」

 

 和也の声色は呆然としか取れない。事実、和也にとってそれは言おうと思って発したものではなかった。同じアイルーであるヨウもまた、自身の身長より長い武器を使っていることがボヤキの原因でもある。

 

「あれが特殊。あと笛の効果ってことじゃない?」

 

 同じようにアイルーを見守っていたメラルーがそう答えた。白猫アイルーの名はケイ、黒猫メラルーの名はコン。どちらも、白鳳村近くの猫人の集落より出向いた猫人である。座学初日にその素養を見せた様に、ケイは武器に、コンは研究にその才能を開花させた。

 今見ているのはいわゆる鬼人笛の検証である。もちろんこれ自体試作品であり、果たして鬼人笛と呼んでいいのかはわからない。しかしケイが自身の身長より大きな武器を簡単に振り回しているのを見ると、その効果は正しく発揮されたと考えていいだろう。

 それを手掛けたのはこの場にいる二人、和也とコンだ。満足そうに見つめるコンと違い、和也はどうにも不安げであるが。

 

「な、なあ。本当にあれ笛だけの効果なのか? だとしたらそれはそれでしちゃいけないことをしちゃった気がするんだが……」

「気にしなくていいよ。お互いに有益だったわけだし。次は人に使って同様の効果が見込めるかどうか。せめて種同様レベルがあれば上等かな」

「お、おう。俺もそのつもりだったんだけど……大丈夫かよ……」

 

 和也の脳裏に人体実験と言う言葉が浮かんだ。今目の前に在るものは新しい技術だが、それは幸福も不幸も運ぶことができるだろう。

 それを聞くケイはと言えば和也程気にしてはいないようだ。和也の不安を不思議がっている節さえ見られた。それは声色にも移る。

 

「別にあの子のあれは笛だけの効果ってわけじゃなくて慣れもあるでしょ。人に使ってみて危険だったらその時に考えれば良いんだし、今考えても答えは出ないと思うけど」

「いや、そりゃあそうなんだけどさ……」

 

 和也の声にはどこか力が無かった。

 和也の倫理観は20世紀日本のものだ。人の命は地球より重いなど言われる世界では安全に安全を重ねた物しか許されない。その倫理観が邪魔をしていた。

 

(いいものできたって言ってもいいんだろうけどさ……なんでこうなったし)

 

 すべての原因はついこの間。和也がケイに疑問を投げかけた時のことである。

 

 

 

「にゃにゃにゃ!」

 

 そう、その日もケイは槍をまわしていた。やはり自身の身長よりも長い槍を危うげなく正確に。ケイにとっては簡単な運動と言うぐらいの気持ちだったのだが、偶然それを目撃した和也にとっては驚くべきことだった。

 

「うおっ……すげえよなあ。そんな小さな体でよく持てるよ……」

 

 それは座学の日から思っていたことだった。和也は褒めるつもりでそう言ったのだが、ケイにとっては違ったらしい。端正な――と言っていいのかはわからないが――猫の顔立ちに皺ができる。

 

「それは僕が小さいという侮辱かにゃ?」

「ちっちげえよ! 純粋に人よりも小さな体なのにきちんと扱えてるからすげえなあって思ってたんだよ。人で言えば大剣を振り回しているようなものだろ?」

 

 単純な重さの比で言えば異なるだろうが、てこの原理が示す通り重心が支点から離れれば離れるほど必要な力は多くなる。体が小さなケイは当然持つ筋肉量は少ないはずであり、先端部分が重くなっている槍は更に重く感じるはずだ。それを地面と水平にしてブレることなく持てるのだから感心を通り越して驚嘆していた。

 ケイは和也の弁を信じたようで皺が刻まれた顔を元に戻す。が、上がった眼尻はむしろ下がり、どうやら元に戻ったというより緩んでしまったようだ。

 そのまま緩んだ顔のままでいたケイだが、にゅふふと笑うと腰元に手を当て何かを取り出した。直径2cm程度の赤い玉だ。

 

「にゃはは、別に僕だけの力ってわけじゃないのニャ。実はこれを使っているのニャ」

「これは?」

「食べれば力が湧き上がる不思議な種ニャ」

 

 赤い玉は種らしく、確かによく見れば表面には繊維が見え植物の種なのは間違いない。

 それが種であるということ、食べれば力が湧くということ。一つの答えを導き出す。

 

「なあ、それって――」

「ん? 欲しいの? けどだめ。元々あまり栽培できないし、前に人に食べさせたときは猫人ほど効果が出なかったのニャ。だからもったいないからだめにゃ」

 

 見た目といい効果といい怪力の種だろう。しかしそれについて言及する前にケイはあげないという意思を示した。

 しかし和也の言いたかったことはやや違うため、いやと手を振って否定を示す。尤も、その質問の答えは既に聞いてしまったが。

 

「そんな良さそうなものなのに、どうして交易には出してくれなかったのかなって思ったんだけど……そういう理由ね」

「そうにゃ」

 

 ケイは大仰に頷いた。ケイはこうして狩りをする訳でもないのに食べているが、本来貴重で無駄遣いできるものではない。そのケイも、怪力の種の効果に慣れる為という意味合いがある。

 人の体もそうだが、通常成長・老衰などの変化は緩やかなものだ。トレーニングをしようとも筋肉量の増加は微々たるものであり、力が増えたのに入りすぎて壊してしまったなどと言うことはありえない。しかし、そのあり得ないことを起こすのが怪力の種だ。急激な力の増加は体のバランスを欠き失敗を招く。それを避けるためにケイは普段から服用しているのである。

 

 怪力の種は貴重であり人に対する効果は薄い。ならば試してみたいなど言っても無駄だろう。自分たちの生存確率を上げるものではあるが、答えがわかっているのなら言うこともない。そうしてその会話は終わろうとして……気付く。

 

(あ、でも怪力の種単体じゃ無理でも調合したものならまた別じゃないか? 色々あったよな、怪力の種の調合……)

 

 例えば貯蔵庫の奥深くで眠っている、最早腐ってるのではないかと不安なある飛竜の体液だとか。苦虫とハチミツで増強剤を作ってそれと調合してみるだとか。直接飲まずとも試してみたいことはある。

 

「なあ、相談なんだけど――」

 

 躊躇いは生まれなかった。言っても無駄など考えることもなく、ただ口をついて出て来た。それは聞こえないなどということもなく、ケイの耳に確かに届き――

 

 

 何が原因だったのか。それを再認識した和也はわずかに自己嫌悪に襲われた。考えるまでもなく自分が原因である。

 あれからというもの、調合は瞬く間に進んだ。ケイも和也に対しある程度の信頼は得ていたようで、食べてみるのではなく調合で何かに使えないか試したいということには少しの悩みで了承を得ることができた。知識欲、研究欲という物が高いコンが和也に同調したことも理由の一つだろう。

 苦虫やらハチミツやらは既にある。もちろん、それと思われるものにすぎないのだが。それでも怪力の種との調合を試した結果、鬼人薬のようなものまでは簡単に出来上がった。この時点で種の効果は倍増したのでケイも怪力の種の投資の追加を快く実施し――研究の成果として出来上がったのが今コンの右手に持つ歪な笛、鬼人笛である。

 

(――まさかここまで効果があるとは……。ゲームの鬼人笛と同じものかどうかまではわからないけど、ケイ曰く怪力の種を服用した程度の効果はあるみたいだし……使い減りしなくなったと考えれば十分すぎる成果だよなあ……)

 

 一応、笛に鬼人薬グレートを馴染ませる必要があり、その分を考えれば使い減りはすることはする。しかしその量は微々たるものであり、使う回数を考えればトントンというところ。笛、つまり音の効果なので一人だけでなくそこにいる全員に効果が及ぶだろうことを考えれば上等である。

 

(いや、うん。間違いなく十分すぎる成果だよなあ……。じゃあ何なんだろ……このもやもやした感じは……)

 

 胸の内にある何か良くわからない感情。どうすればいいのかなどわからないが、どうにかしろと胸の内が叫ぶ。しかし何をどうすればいいのかはわからない不明瞭さ、不親切さ。

 

「コンさん、畑の方も見てほしいのですがいいでしょうか」

「あ、はい。わかりました。和也さん、僕は畑の方を見に行くのでこちらの試験お願いします」

「あ、ああ。わかった。いってらっしゃい」

 

 考えに没頭していて気付かなかったが、いつの間にやら畑で怪力の種の栽培を担当していた女性がコンの傍に来ていた。畑のチェックを頼まれたコンは手の笛を和也へと渡して去って行く。

 背丈の違うアンバランスな二人、ともすれば母子に見える二人だが小さいコンの方が先立って歩いている。コンが引っ張っているということを暗示するような光景。本当に優秀である。

 

(優秀、そうか、優秀だな……。それが不安というかこの靄の正体か)

 

 納得がいった、とばかりに晴れ晴れとした表情を見せる和也。しかし次の瞬間には一転して苦笑いへと変化する。

 

(順調すぎて怖い、か。ずいぶんとぜいたくな悩みだ)

 

 交流する人が増えて、おかげで研究により意欲的な人も増えて、研究の材料も増えた。そうして紅呉の里を中心として、世界は順調に回っている。

 この世界に来たばかりの頃、和也はこの世界を全力で殺しにかかってきていると思ったのだ。一年をのんびり過ごした和也の台詞としてはこれ以上ないぐらいに可笑しいが、あの殺意はどこへ消えたと感じてしまう。

 現実に不安を持ってそれを改善しようと思っていたからこそ、問題ないのではないかとまるで騙そうとしているかのような現状は妙に不安を煽られた。

 

(まあ、後は敢えて言うなら猫人の優秀さだな。ケイもコンもそうだが、リンとヨウだって優秀だ。俺が出会った4人の猫人はみんな優秀。――モンスターを滅ぼした後、今度は人と猫人の間で争いが起きたりしないよな?)

 

 苦笑いをそのままに馬鹿な考えを出してみる。和也の知る猫人はその本質が善であり、人といいパートナーになれるという存在だ。彼らが人と殺し合いをする姿と言うのはイメージしにくいなどというレベルではない。

 

 ふと、ぶんぶんとなっていた音が消えていることに気が付いた。ケイは槍をまわすのをやめ、ただじっと和也を見ていた。

 ふっと軽く笑い手にした、人と猫人の共同作品を口元へと持っていく。ヴィーと澄んだとはとても言えない濁った音が鳴り響いた。その音を聞いて力が湧いてくるのは、きっとそれが鬼人笛だからというだけではないのだろう。晴れ渡る太陽、照りつける真夏日の中、額に掻いた汗をそのままにして和也は朗らかに笑った。

 

「よし! 次は対人試験だ。レンジとブライはそこに立ってくれ。ケイは少し離れて耳をふさいで」

 

 誤魔化すように声を張り上げて。和也は試験へと意識を戻した。馬鹿げた不安よりも明るい未来を信じて。

 

 

 

 試験直前に意味もなく笛を吹いてしまったために、ケイに耳をふさがせた意味がないということに気が付くのは、彼らに模擬戦をさせた後のことであった。

 

 

 

 

◆◇◆

 鬼人笛効果試験のあった夜のこと。娯楽も電気もない世界、彼らの就寝時間は早い。

 紅呉の里にはモンスターへの対策が生まれ、嗜好品として酒が訪れ、今なお誰もが何が起きても何とかなるという自信がある。それでも長年の習慣故か、寝る時間は早いままだ。

 そう、就寝時間が早い里。日が落ちて数時間も経てば誰もが寝て静寂が訪れる。そんな中を小さな影が動いていた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫。このままいけば見つからない」

 

 人とは思えぬ小さな体躯を闇に溶かして地を駆けて。音をたてぬ軽やかな身のこなしは人非ざる存在。厳密に言えば猫人は人ではないのだから間違いではない。

 

「工房、見張りなし。このまま行けるよ、コン」

「うん、このまま行けるね、ケイ」

 

 二人の小さな影。その正体は白鳳村より訪れた二人の猫人、ケイとコンだ。日中研究と試験で働いて疲れていたはずの二人だが、疲労など感じさせない優雅ささえある振る舞いである。

 工房の入り口が見える位置のある家の影。そこに隠れていた二人は工房へと向けて走り出した。やはり音はたてない。

 

 紅呉の里の工房は紅呉の里の、いや白鳳村含めての生命線だ。ここなくして人の生活はあり得ないと言っていいかもしれない。そんな場所に二人は人に知られないようにしてやってきた。人目に付かないよう気を付けている姿は暗躍と言う言葉がよく似合う。

 あと20歩、あと10歩、あと5歩。そうして瞬く間に近づいた彼ら。しかし突如としてその動きを止める。二人にとって想定外のことだったのか、今まで音を立てていなかったのだが小さく地面をこする音が静寂の中に響いた。

 

「来ると思ってた」

「にゃにゃ。ここから先は通さないにゃ」

 

 工房の中から現れた小さな二つの影。その二つもまた、暗躍する二人同様に小さかった。奇しくも二組は全く同じ、白と黒の猫人。だが今こうして対立しているかのような姿を見るにどうやら何もかも同じという訳ではないようだ。

 

 

「――どうして」

 

 コンが小さくつぶやいた。

 

「君たちが疲れを口にしたから。僕ら猫人は疲労を簡単に訴えない。体の小さな僕らが更に悪い状態にあることなんて進んでいう必要ないから」

「けど! にゃ、けど疲れをわざわざ訴えるということはにゃにか理由があるってことにゃ。可能性はいろいろあるけどまずここにいれば間違いにゃい。にゃんせここには全てがあるのにゃから」

 

 謎解きをする探偵の様に二人は種明かしをする。ヨウは興奮してきたのか、声を張り上げてしまうし、口調も怪しくなってきている。

 コンはくっと臍を噛んだ。わざわざこのために準備をしたというのにその全てが見透かされていたなんて――と。だが、目の前にいるのは同じ猫人だ。ならば説得が可能かもしれないと考えた。

 

「ねえ、なら君たちも一緒にどう? もちろん僕たちだって君たちのことは喋らない」

「にゃ? それはいいかも……」

「だめ。君たちを見逃さない」

 

 コンの誘惑にあっさりとヨウの心は傾いだ。それまでの毅然とした表情も緩ませて重心を前へと動かす。ここまでほぼ無意識だ。

 しかしリンは凛とした姿勢を崩さずに否定する。そのまっすぐな立ち方を見れば誘惑など無駄だとすぐにわかるだろう。

 

 だが、わざわざこうしてここまで来たコンとて簡単にはひけないのだ。何のためにわざわざ眠い中こうして寝静まるのを待っていたのか。それは一重にあれのためだ。

 

「ねえ。本当にお願い。僕たちだって今日は頑張ったんだ。ならご褒美だってあってもいいんじゃない?」

「どっちかというと、コンは自分のやりたいことやれて満足って感じ――ビャッ、ごめんにゃあ……」

 

 ケイが打たれた鼻の頭を押さえて眼に涙をためた。余計なことを言うのが悪いとコンは目つきを悪くしている。

 

「なんでよ……なんでよ! 僕たちだって頑張ったんだ……! 僕なんか……僕なんか……あれの傍でずっと気にならないふりして笛の製造を頑張ってたんだよ!? もう我慢の限界なんだよ!」

「それでも……だめ」

 

 リンの態度は変わらなかった。コンの切実な訴えを聞く耳持たないと首を振る。

 

「僕は……! 僕らにはどうしてもあれが必要なんだ! 君だってその気持ちはわかるはずだ! なのに……! どうして……!」

「それでも、だめなものは……だめ」

 

 リンは依然としてまっすぐに静かに言い放った。

 

 

 

「リコル酒は……皆好きだから」

 

 

 

 途端、うわああああんと泣き叫ぶ。もちろんその声の主はコンである。

 

「お酒一杯飲めると思ってたのに……マタタビおかずにリコル酒一杯だって思ったのに……! お酒のいい匂いの中すっごい我慢したのに……!!」

 

 ダン! ダン! と地面を叩き咽び泣く。そんなコンの姿を前にして、ヨウは眉をハの字に替えた。

 

「リン……にゃんか可哀相にゃんだけど……」

「僕も同じ……でも一人を許すと他の皆もそうだから……」

 

 ヨウとリンは顔をこっそりと見合せる。二人とも、特にリンは辛そうである。

 リンはコンと同じメラルーだ。それ故にリコル酒を求めるコンの気持ちはよくわかる。人よりも、アイルーよりも、メラルーはマタタビとリコル酒に惹かれている。そこにどんな理由があるのかなどわからないが、確かに本能が欲しいと訴えるのだ。

 しかしリンは今までずっとその感情を自制してきた。とてもつらい、けど我慢できるということも知っている。故に諭そうとここで待っていた。ヨウが共にいるのはついてきたからである。

 

 

「ねえ! お酒美味しいよ!? リコル酒のあの甘酸っぱい香りとかマタタビの蠱惑的な香りとかさあ! 欲しいと思わないの!?」

 

「思うよ。すごく思う」

 

「ならさあ!」

 

「でもだめ」

 

「うわあああああああああんん!!」

 

「リン、容赦ないにゃあ……」

 

 結局、彼らの騒動は騒がしくなって起きてきたお絹が雷を落とすまで続いたそうだ。その時のことをコンは後日こう語る。

 

「あの時のお絹さんすごく怖かった。僕もショックとかでうるさくした自覚あるし僕が悪いんだけど怖かった。でも優しかった」

 

 5人でこっそり飲んだお酒は美味しかったと大変満足そうにしていたそうな。

 

 



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第27話 猪と前兆

 茶色と緑、幹と葉が生い茂る森の中、レンジはただ息をひそめ続けていた。視線の先にいるブルファンゴをただ見つめ続ける。

 今日、レンジは仲間と共にブルファンゴの狩りをしようとしている所だった。共に和也や劉も来ているが、今はすぐそばにはいない。正真正銘、自分たちだけの初めての狩り。その標的とすべくブルファンゴを探し続けようやく見つけた個体だ、失敗はしたくない。

 自身が隠れる木の影よりブルファンゴを挟んだ反対側へと視線をやる。草と木に隠れ見えないが、レンジと同じ和也の生徒がそこにいるはずだ。そこにいるはずの少年が頷く姿をレンジは幻視する。

 そーっと、ゆっくりとだがレンジは手を空へ向けようと挙げはじめた。掌を地面と垂直に向けて、ゆっくりと手刀を振り下ろすのとは逆の動きで上げていく。その姿をブルファンゴを除く全員の目が捉えていた。

 レンジの目に隠れていた生徒がゆっくりと姿を現すのが見えた。もちろん、ブルファンゴにはまだ見えないように隠れてはいるが。その手には弓と矢があり、レンジと同じくゆっくりとした動作で番える。

 準備を終えたのか、今度は幻ではなく確かに射手は頷いた。それに合わせ、レンジもまた頷きを返す。そして――

 

 

 ――掲げた手を一気に振り下ろす。

「ってー!!」

 

 合図と共に矢が放たれた。ブルファンゴをハリネズミに変えるはずの雨は射手の練度と弓の精度の問題ですぐに止まってしまった。しかし、三本ほどがブルファンゴの背に突き刺さり血を流す。

 

「ブモーーーー!」

 

 矢を射かけられたブルファンゴは当然のごとく荒れ狂い威嚇と怒声の咆哮をあげる。それを確認してからか前にか。レンジと仲間もまたそれぞれの手に武器を持ってブルファンゴへと挑みかかった。

 

「でやあああああ!!」

「っらあ!!」

 

 片手剣と槍がブルファンゴへと迫る。ブルファンゴも同じく牙を用いて迫るそれをはねのける。しかし、ブルファンゴにとっては多勢に無勢。結果は言わずもがもな。そのはずだった。

 

「あっ拙い!」

「くっ……逃げられる!?」

 

 自身へと迫る凶刃をブルファンゴも正しく理解したのか野生の勘か、彼は戦闘より逃亡を選択した。逃さんとばかりに囲もうと焦りを浮かべる生徒たち。しかし、その囲いが完成する前にブルファンゴは飛び出してしまった。それで更に焦りを浮かべる生徒たちだが、囲いが完成していた方が突進を受ける可能性があり危険だったためにこの結果は実は幸いとも言えよう。

 

 とにもかくにもブルファンゴは逃げ出してしまった。追いかけようとする生徒たち。しかし捕まれば命はないと正しく理解しているのか、ブルファンゴは命を燃やし尽くす勢いで走る。追いつけない――彼らはそう判断しかけた。

 

「あっあれは……!」

 

 生徒たちが走る先、即ちブルファンゴが逃げようとする先に一人の男が立ちふさがる。木と木、草葉が茂る場所。そこに唯一ある、今ブルファンゴも走っている通りやすいけもの道をふさぐように。

 

「ブモーッ!!」

 

 威嚇と雄叫びをあげてブルファンゴは迫る。男はただじっとしたまま動かず、やがてブルファンゴが突進を当てようと言う距離まで近づいた時――その背にある武器を抜いた。

 

 

 ――ズシュッ

 

 肉を切り裂く音、地面へと刃が突き刺さる音、そしてその後に血が飛び散った音がした。一瞬にして命を失い、残された骸はただ地面へと横たわる。

 男はひきぬくのとは真逆のゆっくりとした動作でそれを背へと背負いなおした。倒した安堵か、それとも落胆か、ふうと短く息を吐く。と、隣にまた別の男が立った。

 

「一刀一殺とでもいいのか。さすがに牙獣種に手こずりはしないか」

 

 隣にたった男、和也はそう声をかける。受けた男は一瞬苦い顔をするも人懐っこい顔へと戻す。

 

「楽って程じゃねえな。油断しなきゃ絶対に勝てる、とは言えるが」

 

 油断すんなってのは身に染みてらぁとやや自嘲を込めて劉は笑う。一番初めの狩りの教訓はまだ生きているようだ。

 

「劉さん、和也さん」

 

 レンジが和也らの元へとたどり着いた。重いものを持ち少しとはいえ走ったのだが、息を切らせる様子はない。

 

「おう、惜しかったな。もう少しだったが」

「弓矢による先制攻撃とその後の追撃は良かった。だが、包囲はするだけ無駄だ。体重差で敵わないからな。囲むのではなく、一人ででもいいから即座に仕留めろ」

 

 褒める劉と窘める和也。飴と鞭の構図だ。レンジはそれぞれに頭を下げ、わかりましたと言って下がった。仲間たちに伝えに行くようだ。

 レンジが離れたのを見計らい、劉はくくっと笑い出した。唐突なものでどうにもわざとらしい。

 

「なんだ?」

「いや、和也は厳しいなあと思ってな」

 

「不服か?」

「いや、まったく。お前の言うとおり、適材適所というやつなんだろうな」

 

 どちらかと言えば楽観思考の劉に鬼教官の役目は無理だ。それ故に、注意、警告、叱咤などの役目は和也ということになる。この関係は和也と劉の二人だけの時からである。

 

 尚もくくっと笑う劉に和也は肩をすくめた。そして遠くを見るように目を細める。

 

「さっきはああ言ったがあいつらだってよくやってると思ってるよ。最後は逃げられこそしたが悪くはなかったしな」

「お、褒めるとは珍しいな」

「けどまあ、まだまだという部分も多い。瞬時の判断は悪い。経験を積まねえとだめだろうな」

 

 最後、囲もうとしていることを言っているのだ。もしも無理やり囲もうなどとすればブルファンゴに体重で負けて突進で吹っ飛ばされるか下敷きになるか。どちらにしてもいい未来ではない。実際はそうならないようにと咄嗟に逃げて怪我だけで済むだろうが、避けてしまっては囲む意味はない。よって、最初から囲もうなどすべきではないのだ。

 

「何より鬼人笛とベースキャンプの設置の二つがある。その効果を考えれば多少は成果が上がって当たり前だ」

「厳しいなあ、おい」

「あいつらを思えばこそだ。油断や慢心は死を招く」

「ああ、それは俺もわかってる。それに、だからあいつらもきちんと注意を受け入れてるんだろうしな」

 

 注意されて嬉しく思う人はそういない。褒められるのではなく注意されれば反発するのが人だろう。それが起きず、きちんと受け入れることができるのは和也や劉に対する信頼ゆえ。言ってしまえば日ごろの行いの成果である。

 二人の間に一度会話は途切れた。和也は何か言おうとしたのか口をやや開きかける。しかしその言の葉は出ることなく飲みこまれた。けれど、ニヤつくように持ち上がった口角がどのようなことを言おうとしていたのかを示している。

 

(鬼人笛の効果ったって力上がった分を扱いきるのは本人の実力、拠点と言っても里の自宅で寝るのに比べればやはり格段に落ちるんだ。それでもしっかり戦えるというのはあいつらの練習の成果。認めたいって思ってることが浮かんでるだろうな)

 

 劉の脳内がそう断じた。正確な所はともかく、大まかな部分は間違ってはいないだろう。和也も厳しく言っているが、内心成長を認め喜んでいる。それは間違いないことである。

 

(素直じゃないってことかね、まったく――)

 

 頼りになるパートナーの意外な一面に苦笑する。不審がって見つめてくるがさらに笑ってごまかした。

 

 

「和也さーん、劉さーん! そろそろ移動しまーす!」

 

 武器の調整や解体が済んだのか、レンジから声がかかった。

 

「ああ、今いく!」

 

 そう返事を返し、二人は歩き出した。その姿は一流のハンターと呼んでそん色ない物――かもしれない。

 

 

 

 狩りを難しくする要因は多分にあるが、今まで和也たちが狩りの成果を上げることができなくなったことは単純な理由だ。警戒されるようになったからである。

 モンスターと言えど生物だ。当然生きることを望む本能を持っている。紅呉の里がモンスターを恐れ隠れ里を作ったように、モンスターもまた和也らを恐れ警戒する。その結果が極端な遭遇率の低下であり、成果が上がらなくなった理由である。

 人とモンスターは住み分けができている。それ故に上がらなかった成果を上げる方法が遠出となる。もちろんこれにも問題はある。遠出した分、帰ることが大変になるのだ。何せ獲物は50Kgを超す。血抜きすることで大幅に減るが、それでもまだ重い。それを持ち帰ることは簡単とは言えない。他にも、時間制限が通常よりも短くなるということもあった。

 これらをすべて解決するのがベースキャンプと言う拠点である。拠点があれば一度そこに帰ればいい。疲れたのならそこで休めばいい。時間が無いのならそこに戻ればいい。拠点が無事完成した結果、遠出をしやすくなった。

 

 加えて、鬼人笛の効果もある。攻撃力が劇的に上がるなどという物ではない。ゲームであれば単純な攻撃力の上昇であったが、現実鬼人笛で武器の切れ味までは上がらないのだから当然だ。しかし力が上がれば武器の扱いは安定度を増し刺突や斬撃はモンスターの体の硬さに負けることなくダメージを与えることができる。単純ではなくとも攻撃力は上がっていた。

 

 他にも研究され続けた回復薬や滋養強壮薬などの効果は発達が目覚ましい。和也も現代で散々世話になった栄養薬や体力増強剤の類は概念が和也より里に与えられ研究が進められている。レンジらが今順調なのは授業の成果だけではない。そうした数々の進歩の結果が今如実に表れていた。

 

 

 油断とも安心とも取れる緊張の程度で草原を歩く一行、そのうちの一人が左手をあげそれを右手方向へと倒した。一行の脚が止まりその方へと視線が向けられる。

 

「鳥竜種発見……黄色い……?」

 

 誰かが声を上げた。確かに視線の先には鳥竜種の群れ、しかしよく見るランポスの青色とは違うようだ。草原の色は緑、黄色はその中で浮かんで見えて間違いということはないだろう。

 

「なんだ……? ランポスじゃないのか……? 和也、あれ何かわかるか?」

「ゲネポス……だな。基本はランポスと同じ鳥竜種だが、あいつの牙は麻痺させる効果がある。遠くから仕留めるのがいいだろう」

「なら弓矢で――準備を」

 

 和也の助言から立てたレンジの指示、それを元に生徒らが動き出す。レンジ以外が弓に矢を番えゲネポスの動向を見守った。

 遠くにいたゲネポスは少しずつ大きくなっている。言うまでもなく近づいてきているのだ。どうやら互いに敵と認識し交戦することを決めたようだ。

 その距離が少しずつ小さくなる。交戦の一歩手前のわずかな時間、全員が緊張で身体を強張らせながら、ただ一心不乱に見つめ続けた。そして――

 

「ってー!!」

 

 ブルファンゴの時と同じように、レンジの指示と共に矢が放たれた。地面と平行に進む矢に、ひょろひょろと勢いのない矢とまるで個性豊かな矢が襲い掛かる。矢を受けて何匹かゲネポスが沈む。それに残ったゲネポスは躊躇いを一瞬浮かべるも真っ向から襲い掛かってきた。数は4!

 

 

「うわっ!!」

 

 襲い掛かられ悲鳴が上がる。見れば飛び付かれ腕で防御はしたもののゲネポスは噛みつき離れないようだ。牙に麻痺毒があるということをきちんと覚えていたのか、懸命に腕を振って引き離そうとする。

 

「くっくそっ!!」

 

 別の誰かがまた悲鳴を上げた。同じくゲネポスに飛びかかられているのだ。

 

「焦るな! 少しだけならどうにでもなるはずだ! 慌てずに落ち着いて対処すればお前らなら大丈夫だ!」

 

 和也が怒声とも叱咤ともとれる声を上げる。そも、襲われているのは弓という遠距離武器から近接武器へと変えることが間に合わなかった者だけだ。ゲネポスも片手剣や槍の危険性は本能的に察知しているのだろう。

 和也の叱咤を受けてか否か、彼らも奮闘する。襲われなかった者はゲネポスを引きはがしにかかり、襲われているものも冷静に対処に努めた。そうなれば多勢に無勢だ。ゲネポスも強靭な鱗に身を守られているという訳でもない。すぐに戦闘は終わりを迎えた。

 

「お疲れ様。ゲネポスの牙には麻痺させる成分があるはずだ。念のため、布かなんかで手を覆って牙を持ち帰ろう。一応皮や爪も持って帰るか」

 

 麻痺弾や罠に使うことができる素材だ。同じように使えるかまではわからないが、有効利用は可能だろう。新たな素材から生まれる新しい物にやや期待をしながら素材の調達に彼らは勤しんだ。

 

 

 

 

「もうそろそろ戻りませんか?」

 

 十分な成果を得てベースキャンプにそろそろ戻ろうかと言う話となった。いくら拠点があると言えど、あまりに溜めすぎれば持って帰るのは億劫だ。確かにいい塩梅だろう。

 

「そうだな。成果も上がったしお前らだけでの狩りもできた。これを繰り返していけば一人前になれるだろう」

「はい!」

 

 和也は帰ることを決めた。まだ昼前だが成果は十分だと考えたのである。ゲネポスの素材をきちんと袋に入れたことを確認し、武器や防具などを忘れるような愚行を犯していないことも確認し、いざ帰ろうかと体を拠点へと向けた。

 そのまま帰ろうとした一向。しかしふと一人が視線を横へと向けてそれに気が付いた。

 

「お……ブルファンゴだ」

「でっけえなあ……。あれだけあれば肉も食いごたえがありそうだ」

 

 白鳳村よりの二人、ジェムとイニ――言い争いが多い白鳳村よりの二人である――はその見つけた牙獣種へと視線を釘付けにしていた。何せ大きい。イニの言うとおり、通常のブルファンゴよりもはるかに大きく体高は二倍ほどもある。

 

「よし、あれを狩るぞ! 和也さん、行ってきます」

「おー、気を付けて行け――!?」

 

 走り出す数人の生徒、その背へと駆けようとした和也の言葉は中ごろで堰き止められた。

 和也はブルファンゴを見つけたと言われても前方へと視線を向けていた。生徒たちの単独でもある程度何とかなるということは分かっていたからだ。そして何より、飛竜を見かけなくなっていたこと。それらが油断の原因だった。振り向いた和也の視線の先には確かにブルファンゴによく似た牙獣種、しかし体躯は大きく牙は大きく鋭く、毛の一部が白い。

 

「お前ら戻れ! ――くそっ! 劉、追うぞ!」

「え!? お、おい! どうしたんだよ!」

 

 既に駆けている故に声は追いつけなかった。いや、確かに届いたはずなのだが興奮故にか聞こえなかったようなのだ。

 劉に声をかけて走り出す。劉が驚いて声を上げるがそれに構っている暇はないとただ前だけを見て和也は走り続けた。

 

 ここにきて、和也と劉の装備が仇となった。生徒たちはきちんとした防具を身に着けていない。ブルファンゴやランポスの毛皮・皮といった軽い素材のものだけだ。対し、和也と劉は飛竜種の外殻を用いた鎧。鉱物で作っているよりはましだが、それでも生徒らの防具に比べれば重かった。当然、走るスピードにも影響が出る。

 

 

「よし、弓構え!」

 

 当然のごとく、生徒たちは和也らを引き離してから構えを取る結果となった。更に、これが実戦経験を詰んだ後だということも仇となる。慣れが手伝い準備は瞬く間に済んだ。

 

 和也らがもう少しでたどり着くと言う時――

 

「ってー!!!」

 

 宣戦布告は果たされる。

 

 飛ぶ矢。空気を切り裂き牙獣種へと迫る。その距離は瞬く間に0となり――その強靭な体皮に阻まれ弾かれた。

 

「なっ!? 硬い!!」

「下がれ!」

 

 宣戦布告が果たされた後、すなわち手遅れになってから和也は到着する。それを嘆く暇さえなく、和也は盾を構え抜刀した。

 

「和也さん!? ブ、ブルファンゴぐらい今度こそ俺達だけで――!」

「あれはブルファンゴじゃなくてドスファンゴ、親玉だ!」

 

 ハッと息をのむ音がした。ドスランポス、ドスバギィ知っている数は少ないが、群れの中には親玉がいるということは誰もが知っている。そしてそれが、別格の強さを持つということも。

 バッと全員がまるで示し合わせたようにドスファンゴへと向けて振り返る。表情や細かいしぐさまではわからない。しかし体をこちらへと向けて怒りを見せていることは全員が理解した。同時に、自分たちがしたことの意味も。

 

(ちっ……、まずいな)

 

 つ……と焦りが浮かぶ。ドスファンゴは間違いなく戦うつもりだ。見逃してくれる、ということはないだろう。それ以前に、喧嘩を売っておいて勝てないから見逃せなど虫が良すぎる話だが。

 

「――まずい、よな。閃光玉や回復薬、あまりねえぞ」

「ああ。それにリンもヨウもいない。俺達だけでってのはずいぶんと久しぶりだな……」

 

 警戒されなくなったことや、生徒たちも順調に育っていたことが災いした。全く無い訳ではないが、それは完全に逃走することを念頭にした用意だ。時間稼ぎや緊急用の応急薬の類はあっても、狩猟用の用意は碌にない。とはいえ、完全に喧嘩を売った後に逃亡をしようとも相手はそれを許さないだろう。何より逃亡の選択肢は相手に見つかっていなくて初めて大きな意味を成す。見つかっているどころか怒らせた後で考えることではない。

 

 今から逃亡を考えるなら相手に戦闘することは危険だと感じさせる必要があるだろう。結局のところ戦うしかない。

 ドスファンゴは突進を開始した。その巨大な体で向かってくる姿は実に恐ろしい。道路の真ん中で突っ立ってトラックが走ってくれば似た体験ができるかもしれない。

 

「避けろっ! 攻撃よりも安全を取れ!」

「ああ!」

 

 まだ距離はある。それでも回避のための行動を開始した。あわよくばこのまま逃げてしまいたいが、それでは他と逸れてしまう。やはり戦うしかないだろう。

 

「う、うわっ!」

「! 大丈夫か!?」

「大丈夫です! けど……これは!」

 

 ドスファンゴは単純に大きい。故に体重も重い。それは即ち突進の威力も上がるということだ。軽自動車とトラック、交通事故にあった時の損害がどちらの方が大きいか、考えるまでもないだろう。

 しかしそんな現代社会においては当たり前のことでも、この世界に於いては当たり前ではない。書物もなく、伝達も遅い世界。自らの手で一つ一つ気づいていくしかない。尤も、体感的に大きい物の方が強いということは理解しているし、本能もより恐れるのだから問題になるほどではないが。

 

 兎にも角にも生徒全員がブルファンゴと、目の前にいるドスファンゴの違いを十分に理解することができた。同時に巨体に似合わぬ速さも持ち備えていることも理解できただろう。全員がその手に武器を持ちなおした。逃亡の難しさも把握したようだ。

 

「狩るぞ! 回復薬はあまりない。安全を考え近づきすぎるな! 攻撃と退避を繰り返し、着かず離れずで戦う。やつの正面には立つな、突進されれば命はないと思え! 加えて、頭を振り回して牙にやられる可能性がある。腹を、後ろ足周辺の腹を斬れ、突け!」

 

 諌める様に、けれど鼓舞するように声を張り上げる。生徒たちは鳥竜種や牙獣種でさえまだ彼らだけで狩ったことが無い。ドスファンゴとの戦闘を彼らメインにするわけにはいかない。だが同時に油断も慢心も、しかし小胆であってもならない。主としてできずとも副としてはしっかりしてもらわねばならないのだ。

 

「劉、やるぞ! 線は避けろ!」

「っ、ああ、了解だ!」

 

 突進の後の振り返ったドスファンゴへと向けて、和也と劉がそれぞれ弧を描くようにしてドスファンゴへと向かう。ドスファンゴと一団を結ぶ線を軸として、線対称の動きでそれぞれが単独で挑む。

 ドスファンゴはそれを待つことなく。攻撃と回避の両方の意味合いから残された生徒へと向けて突進をした。人の個に注目しなければ、数が多いそこを攻撃対象とするのは当然である。

 もちろん和也と劉もそれに対応すべく、描いていた弧を突如鋭角に曲げ向かう。狙うは後ろ足!

 

「シッ!」

 

 一閃、しかし空を切った。動いている分も計算に入れての攻撃だったのだが追いつけなかったようだ。劉も空ぶったのかそれとも攻撃しなかったのか。和也がドスファンゴの方へと視線を向けると無傷のドスファンゴが生徒たちを再び散らしている所だった。散った生徒たちはドスファンゴから距離を取って再び一塊になる。

 

(このまま逃亡……やはり無理。逃げてる途中で後ろから突進されるのがオチだ。逃げ切る前に何人か脱落する。かと言ってこのまま戦闘を続けるのも難しいか……?)

 

 ならばと選択を変更する。

 

「閃光玉! 動きを止めて切りつける! 討伐よりも手傷を負わせ撃退を狙う!」

 

 短く指示を出す。半ば暗号のような短い指示。しかしそれを理解できずに、ということはなかった。

 一人が手早く閃光玉を用意し投げつける。本当はドスファンゴをもっと引きつけてからの方が良かったが、閃光はきちんと効果を与えたようなのでその点は無視をする。和也と劉は二人ともまっすぐにドスファンゴへと駆けた。

 

 

 

 突然だが。目が眩む、暗闇に慣れる。こうしたことは生物の目の明暗に対する順応の有無であり、眼の細胞には明暗にのみ反応する桿体細胞というのがありそのおかげである。これは人に限った話ではなく、すべての動物に存在する。太陽を急に見て眩しく思って目に手を当ててもすぐに回復するだろう。順応にさほど時間はかからない。もちろんそれは和也とて把握しているが、それは目の前でさく裂した場合であり、距離がある状態での話ではない。即ち――

 

「っ!?」

 

 ドスファンゴは頭をふって牙を振るった。その眼には破れかぶれになった自棄はなく理性を伴った光が宿っている。

 

「ちっ、まずっ――」

「おおおおおお!!!!」

 

 当然だが。ドスファンゴの頭は一つしかない。頭を振ったということは重心もそちらに流れているということだ。当然遅れて来た劉の攻撃に反応しきれず――、ドシュッという音を立て肉が切り裂かれ血を流す。

 

 後肢の付け根の辺り、脇腹を切り裂かれドスファンゴは苦悶に顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は単純なものだった。大剣による裂傷を受けたドスファンゴはその後機動力にかけ瞬く間に戦闘は終わりを迎えた。想定外のことと言えばあまりに簡単になってしまったため、手傷を負わせて撃退ではなく討伐してしまったことである。問題はもちろんない。

 その後、解体をしようとするもその巨体さ故に解体には手こずってしまうが大した問題ではないだろう。大きい分重く切り分けるのも大変だった。他にも、問題が。例えば切り分けるのに勢い余って他人を斬りつけようとしてしまったり。例えばふざけていたのか、殴っただ殴ってないだの話になったり。これらは帰り道の雑談程度にはなった。

 

 

「殴られた……?」

「ええ。突然首のあたりを。それも結構勢い付けてですよ」

「だから、知らねえって言ってるだろ? 大体俺その時は結構離れてたのにできねえって」

 

 この会話はジェムとイニだ。いつも小競り合いというか小さな喧嘩をしている二人、周りもまたかと思って呆れと笑いがあった。

 

 

「――少し見せてもらっていいか?」

「え? 跡を、ですか?」

「ああ。勢い付けていたのなら跡になっているだろう。ひどいようなら早いうちに治療もしないといけないしな」

「ああ、なるほど。わかりました」

 

 少しだけ考え込んだ様子で和也はその跡を見せてもらう。簡単なとはいえ防具を着ているのだ、本来草原のど真ん中でやるべきではない。しかしそれでも、和也には気になることがあった。

 

 

(――なんだ……これ……。手で叩いたというより鞭でひっぱたいたような跡だ……)

「痛っ、痛いですよ……」

「あ、ああ。すまない」

 

 つい指先でふれてしまい文句が上がる。イニの首辺りにあった跡、それは太い鞭で叩いたような、蚯蚓腫れにこそなっていないが少なくともただ固いもので叩いた跡ではない。

 

 

(思えば最初から……。授業を始めるために白鳳村から人が来たあの日からあったことだ……。何もいないのに襲われた、っていうのは……)

 

 思い返せばずっとあった。見えない何か、速い何かに襲われているということは。今までじゃれ合っている程度だったと思っていたが、その考えを改める。

 

「劉、戻ったら調査だ。モンスターがいるかもしれない。知らない、な」

「そう、か。了解だ。直ちに取りかかろう」

「ああ。まあ、今日は帰って休んでからだ。それにリンとヨウもいないしな」

 

 逸る劉を抑え、不安を顔に出す生徒たちを宥め。一行は紅呉の里へと戻った。新しい何かがあることを誰もが理解しながら。

 



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第28話 見えないものの探索

 誰も姿を見ていない。けれど増え続けた被害者。姿が無いのだから何も存在しないと無意識に決めつけていたが、逆転の発想が必要だろう。即ち、姿は見えないがいるということだ。

 それがどういうことなのかを話し合うべく、和也と劉は席を設け話し合う。と言っても、モンスターの知識があるのは和也だけなので和也主導のやや一方的なものであるが。

 

「けどよ、誰もモンスターを見ていないんだろ? 本当にいるのか?」

 

 劉は先ずそう問うた。逆転の発想、などと言うが姿が見えないのであればいないと考えるのが当然だ。現代日本でも姿が無いのにいると言われて思い浮かぶのは幽霊の類、つまりオカルトである。和也はオカルト話が嫌いではないが、決して好きでもない。故に和也の説明は根拠あってのものだ。

 

「――早すぎて捕捉できていない、という可能性もある。さらに元々見えにくいとかな」

「そんなやついるのか?」

「ああ。目に見えないほど早いと言えばナルガクルガだろう。覚えているだろう? 白鳳村で戦ったあいつだ。さらにあいつの希少種は夜に溶ける透き通った色をしている……はずだ」

 

 既に一年以上が経ってしまったがために、あまり覚えていないことが増えつつあった。それ故に和也の言葉も断言ではなく、不安の色が顔を出す。知識と言うアドバンテージを失いつつあることには不安が絶えない。

 劉はああーと思い出したことを言葉でも態度でも告げていた。何度か頷いた後、聞いた話を確認するためかそれを口にした。

 

「つまり、和也の推理じゃ敵はそのナルガクルガ希少種。元々見えにくい体をしている上、素早く動くから誰も気付けていないんじゃないか、ということだな」

「――ん、ああ。いくら速く動けて見えにくいと言ってもさすがに誰か気づくんじゃないかとも思うんだが……それ以外の候補が思いつかない。ひとまず、敵はナルガ希少種だと考えよう」

「まあ俺はその敵の正体についてまったく想像がつかねえ状態だ。異存はない」

 

 思い切りのいい言葉に安心して、会話は進む。

 

 

「敵がナルガクルガ希少種だとして、どういう準備が必要だ? いつも通り大タル爆弾と落とし穴で良いのか?」

「そうだな……。いや、今回は痺れ罠も持っていこう」

「痺れ罠?」

「ああ、工房の試作品の一つだ。大型種を対象とし、雷光虫の電撃を使って対象を痺れさせ動きを封じる。お絹さんが言うには試験じゃ上出来だったらしい」

 

 甚く感心した、という顔を劉は見せた。狩りの経験が長い劉はゲームの存在なくとも痺れ罠の有効性に気付いているのだろう。が、その感心を通り越した後、表情を疑問に変える。

 

「なあ、試験って何やったんだ?」

「――聞いてやるな」

 

 紅呉の里では久しくモンスターとの遭遇はない。ブルファンゴやランポスのような小型の牙獣種、鳥竜種でさえ碌に出会えていないのだ。大型種など一年前のナルガクルガとティガレックスを最後に遭遇はない。なのにどうやって試験をやったというのか。

 当然のことだが、試験をやるには対象が必要だ。理論上可能でも実験をしてから結論を出すということが多いように、机上の空論であることを避けることは当然のこと。その試験をもう終えたらしい。対象なしに試験などできるはずがないと言うのに。

 当然の疑問は黙殺によって返される。仕方なしに口を閉じる劉だったが、突如閃いたとばかりにはっと見せる。

 

「まさか……一時期剛二が黒こげになってたのは……」

「――聞くな」

 

 またも黙殺。しかし答えでもある。暫し二人の間に奇妙な沈黙が下りた。表情がありありと、黙祷を語っている。

 

「ある人の偉大な犠牲により痺れ罠の効果はある程度実証された。能力としては大型種に限り一時的に動きを封じることができる」

 

 和也は黙殺をやめた。意味がもうないからである。一応本人の名誉のためにか誰の犠牲なのかは伏せたが何の意味もない行為だ。

 そのようなつもりはなかったのだが、劉は意識をそちらに移す。話は逸れた――というより逸れた話が元に戻った。

 

「ああ、それそれ。さっきも気になったんだが大型種ってのはなんだ? 察するにドスランポスとかは対象外なのか?」

「ああ。平気かもしれねえけどな。お絹さん曰く、人の数倍の大きさのモンスターを対象にするそうだ。そうでないと動きを封じることができないと」

「へえ……。ナルガクルガは……大丈夫か」

「ああ。十分すぎるほどに大きい」

 

 劉の問いに頷いて返す。鳥竜種は小型でも大型でもない、敢えて言うなら中型種といったところか。ゲームであればボスモンスターであり罠にもかかるのだが、試作した痺れ罠の対象となっているかは確かめないとわからない。

 ゲームであれば何気なく使っていた痺れ罠だが、麻痺・雷無効の装備でもなければ電撃は当然それを踏んだ人にもかかる。にも拘らず動けるのは電圧を弄りある程度大型でないと効果が無いようにしているためだ。人には効果なく、モンスターには効果がある。その為には人より数倍程度の大きさを対象とすることが望ましい。

 

「大タル爆弾に罠、回復薬に閃光玉。準備はそんなところか?」

「ああ、そうだな。それに拠点も折角用意したんだし有効に使おう。一度資材はベースキャンプに運び、そこから罠などの用意だ。そうすれば時間をかけて探ることができる」

「時間がかかりそう……ってことだよな」

「ああ。敵がナルガクルガ希少種だとすれば発見は難しいかもしれない。何せ目に見えないのだから。ナルガクルガ希少種じゃなければ正体を探るところから始めることになる。慎重を重ねるぐらいでちょうどいいだろう」

「仕方ない、か。それでも見つからなかった場合はどうする?」

 

 和也は一度考える様子を見せた。しかしすぐに答えを出す。

 

「それならそれでいい……と言いたいところだが現状なにかいるのは間違いない。手がかりが見つかるまで調査だな」

「――了解。長くかかりそうだな」

「ああ。そういう意味でも準備は万端にしておかないとな……」

 

 話を終えた二人はすくっと立ち上がった。外を見る二人の目に写っているのは明るく育った紅呉の里か、それとも遠くにいるであろう飛竜種か。ただ、二人とも無言で外を見続けた後、どちらからともなく言った。

 

「行こう」

 

 

 

◆◇◆

 太陽は空から世界を照らし命を育てる存在だが、常に空にあるわけではない。一日の半分は月と交代するように不眠不休で照らしているという訳ではないのだ。さらに日がある中と書く日中であっても顔を出さない時もまた存在する。つまり天気が晴れでない時である。

 太陽が隠れれば空は暗くなり気温も落ちる。時に涙を流し凍らせて落とすことさえある。紅呉の里周辺に於いては大草原まで出ても気候は安定していることが多いのだが、偶には変化を来たす時もある。今、和也らはぽつぽつと降る雨をベースキャンプの急造のテントにて凌いでいた。

 

「芳しくねえな……」

 

 空が暗いからか声も暗い。和也の呟きは状況についてを物語っていた。

 小雨と言えど天気が悪いために捜索に不向きであること。そうでなくとも拵えた罠には何もかからず姿を見せなかったモンスターは未だ姿を見せないこと。思うように進まない状況に対するいら立ちも呟きには含まれていた。

 

「罠にかかった対象なし、手がかりもなし。本当にいるの?」

「そう思うんだがな。俺も自信を失ってきたよ。イニの傷跡を見るにモンスターがいるのは間違いないと思うんだが……。捜索方法が間違っているのか……?」

「とは言っても地に設置すればブルファンゴがかかるだけじゃないか?」

「そうなんだよなあ……」

 

 手詰まりだ、と和也は嘆く。二人の会話からもわかるとおり、探索用の設置した罠は木と木の間などに中空にかかっている。木を壁にして跳ぶナルガクルガならばひっかかるが、その他モンスターは掠ることさえできないものである。

 ちなみに罠とはただ蔓のロープを掛けたりした程度のもので、ダメージも足止めも狙っていない存在の有無を確かめるだけのものである。行動範囲を知るために設置したのだが、現在行動範囲どころかまったくかからないことから存在さえ怪しい。

 

 

「正直言ってこのまま空振りってのは避けたい。けど、そろそろ食糧にも不安があるしな……。今日明日手がかりなしなら一度帰るしかないだろう」

「成果なし。お絹に何か言われそう」

「うええ、何とか見つけて帰りてえなあ」

「成果なしじゃあ実質里の仕事サボってたのと大差ないからな……。仕方ないっちゃ仕方ないが勘弁してもらえないものかなあ」

 

 探した結果見つからないというのも一つの成果ではある。ある程度捜索をしても見つけることができなかったという事実が生まれるのだから。が、それを理解してくれるかどうかは別だろう。

 お絹に怒られる未来を幻視してため息をついた。そんな和也を見て劉はのんきに笑う。

 

「ははっ、やっぱり和也もお絹さんは苦手か?」

「苦手っていうより……敵わないなあって感じだ」

 

 久しく会っていないが母親という感じだ。決して逆らうことができない、という印象をお絹は与えてくる。実際のお絹が母性溢れているかどうかはさておく。

 

 4人は思い思いに体を休めながらどうするかを思案する。ぽつぽつと降る雨の音だけが静寂の中に聞こえていた。

 

「今まで探して見つからなかったなら、方法を変えるのが有効」

「にゃ! リコルで釣れないにゃらクロムで釣れというニャ」

 

 リンが提案し、ヨウが追従した。何故かヨウの方が偉そうに。

 一方で和也はそれを思案する。同じ方法を使うのであれば同じ結果が得られる、と決まっているわけではない。方法が同じでもその他の条件が違えば結果も異なるからだ。だが、数回同じ方法を試して得られなかった以上、方法を変えるということは悪いことではない。

 

(押してダメなら引いてみろと同じ意味かな。――確かに二人の言うとおりここまで成果が無いんだ。やり方を変えてみるべきなのかもしれない)

 

 和也の脳は賛成を示した。リスクやもう一度罠を張るという手間もあるがそれだけの価値があると判断したのだ。

 よし、とそれを示そうとする。が、その前にリンが口を開いた。

 

「ねえ、初めて聞いたんだけど誰が言ってたの」

「僕にゃ!」

 

 開きかけた口がそのままになった。猫人の使う諺のようなものかと思えばどうやらヨウの勝手な言葉だったらしい。恥ずかしいのか馬鹿馬鹿しいのか、少々唖然としてしまう。

 

 

「――とにかく方法を変えよう。木と木の間に蔓を仕掛ける。高めに設置して小型種がひっかからないようにはしよう」

「それで様子見、だめだったら明後日にでも帰還か」

「ああ。ひとまず今日は暗くなるまでの間にできるだけ新たな罠設置をしよう。碌に見つからないし二手に分かれて――いや、やっぱ一塊になって行こう」

「安全第一、だな」

「ああ。ドスファンゴはなんとかなったが飛竜だった場合どうにもならないかもしれない。やはり油断は禁物だ。できる限り戒めていかないと」

 

「雨が止んでからの方がいいんじゃない?」

 

 話がまとまりかけた所でリンはそう言った。止めるためというより確認の為という言い方だった。確かに雨が降っているのだから、安全を期すのなら滑る危険や視界不良な中の作業は避けるべきだ。

 一瞬の逡巡の後、和也は首を振る。

 

「いや、食料が心もとないしあまり時間を掛けられないのも事実だ。一人を周囲の警戒に回して対応しよう。体力の低下は避けられないが……手早く終えるしかないな。もしこれ以上強く降るようなら帰ろう」

「ん、わかった」

 

 強行策、というほどではないが、雨の中の決行を決定する。口にはしなかったが、雨の中モンスターの徘徊が少なくなること、また雨という今までとは違う条件の違いが何か新しい発見につながる可能性を期待したということもあった。

 

 しかし、リンの心配は杞憂で終わり和也の期待は裏切られる。この日、結局罠を仕掛けるだけで留まり新しいことも危険なことも何一つ起きなかった。

 

 

 

 新たに罠を設置した次の日、前日の雨は止み雲一つないとは言えずともカラッとした晴れた空。再び和也らは捜索を開始し、再び捜索は難航していた。

 

「見つからねえ……ホントどこに隠れているんだ……?」

 

 探せども探せども姿は見えず。そのことに和也は不安と苛立ちを隠せない。

 

(ナルガクルガはそんな隠れられるような大きさじゃない。透過するっていっても完璧じゃなかったはず。大体探索のためにこんだけ彷徨いてるのになんで出くわさないんだ? 同じ場所を彷徨いてるだけだからか? いや、ナルガクルガは動き回るはず。それでも出くわしているはずだ……。まさか、ナルガクルガじゃない……?)

 

 焦り、苛立ち、思考し、悩み、その結果捜索から意識がそれていきなおのことうまくいかない。それが悪循環を生むとわかっていながらどうすることもできない。

 和也は何でも一人でできるなどとは考えていない。しかし知識という点でなら和也は誰よりももっている。モンスターを探るということはゲームによって得たモンスターの知識を発揮すべき場面であり、和也でなくてはならない場面である。それを理解できるからこそ、和也は焦っていた。

 しかし和也一人では同じ着眼点で見続けることになる。それはあまりいいことではない。その意味で、和也は仲間に恵まれたと言えよう。リンから声がかかる。

 

「ねえ」

「――どうした?」

「ナルガクルガってあの黒猫だよね」

 

 正確には稀少種なので黒くはない。しかし色が違うことは既に伝えてあるので外見的特徴のことを聞きたいのだろう。和也は首肯した。

 

「じゃあ気になってたんだけど、本当にナルガクルガの攻撃跡だったの? 爪とか刃で大事になってるんじゃないかと思うんだけど。」

 

 それまで、苛立ち焦りながらも止めていなかった足と手をぴたりと止める。手足だけでなく喉や肺も活動を止めてしまったのか、カラカラに喉が渇き息苦しさを覚える。張り付いた唇を引き離すようにして、和也は答えを口にする。

 

「確かに……そうだ」

(というか当たり前すぎた――! くそっ、なんで気づかなかったんだよ!)

 

 ただ肯定を声にだし、自身への罵倒を心中で発する。姿が見えないという点からナルガクルガ希少種だと考えてしまったが、ナルガクルガ系統は刃やら棘やら、傷痕は裂傷であり痣ではないはずだ。長い尾を叩きつけた場合、棘が出ていなければ同じような跡になるかもしれないが、その可能性は低いだろう。そのような攻撃は風圧も強くさすがに他に気付く人がいたはずだ。

 臍を噛む思いで和也は思考を続ける。罵倒ではなく後悔でもなく、正しい答えを導き出すために。

 

(じゃあなんだ。目に見えない……透明……、くそっ、わからない。傷痕から考えるか……鞭のような蚯蚓腫れ……。鞭……舌……? ――! オオナズチか!)

 

 長い舌を鞭のように扱うモンスターを思い浮かべる。カメレオンのような爬虫類型のモンスターだがその実古龍。周囲に合わせて擬態する能力を持っているが、その完成度の高さ故に実質透過させる能力と言って差し支えない。霞龍という二つ名の通り、正確には透明ではなく霞がかかったようになるのはずなのだが……そこにあると知ったうえで探さないと見つからない程度なのかもしれない。

 

 

(くそっ、役割分担を考えるならおれがもっと早く気付くべきだった!)

 

 いくらリンやお絹など知識、知恵の場面で頼りになる人が増えたと言っても、やはりモンスターに一番詳しいのは和也なのだ。誰よりも早く、和也が気付いておくべきだったと後悔する。

 

「和也どうした?」

 

 突如動きを止めた和也を劉は訝しむ。和也は黙っておく理由もないのでそれを口にすることにした。

 

「作戦変更だ。対象は恐らく、ナルガクルガ希少種じゃなくてオオナズチ、古龍種だ」

「古龍種?」

「ああ。古龍種ってのは……――」

 

 古龍種とは。それを話そうとした和也の口は動きを止める。

 クシャルダオラ、テオ・テスカトル、ナナ・テスカトリ。ひとまずそれらを思い出す。オオナズチとは三すくみの関係にあった他の古龍。しかし、その共通点はなどと言われてもわからないし、ゲームの時でも強くて珍しいモンスターという程度の認識しかなかった。覚えていないというより知らないと言っていい。

 答えに窮した和也は仕方なしに否定を述べる。

 

「――すまん、俺も良くはわからん。ただ、遭遇もあまりしない珍しい種のはずだ」

「ああ、だから和也も気づかなかったのか」

 

 和也が何故気づかなかったかと言われればナルガクルガ希少種だと思った以降は思い込みのせいだ。が、否定はしないでおく。わざわざ自分の過失を事細かに喋る趣味は和也にはない。

 

「――とにかく、敵はナルガクルガじゃない。どうする? このままの装備でもオオナズチとの戦闘は可能だとは思うが」

 

 敢えて問題を言うのであれば心構えと言ったところだろうか。ひとまずの所、このままオオナズチと戦闘しようとしても問題はないだろうと和也は考えた。それ故に、戦うことを前提とした言い方で問う。

 

「俺は問題ない」

「僕も大丈夫にゃ!」

 

 劉とヨウは肯定を示す。

 

「相手の特徴は?」

 

 リンは即答せずにモンスターの特徴を尋ねた。それを聞いて判断する心づもりだろう。

 オオナズチの特徴をナルガクルガ希少種と大体同じと考えての先ほどの結論だ。しかし聞かれた以上は改めて特徴を上げる必要がある。和也は思考を巡らせた。

 

「姿が見えにくく体は硬い。舌が長く、弓矢程度の距離から攻撃が可能だ。けど動きは鈍重で近づけばその辺は問題ないと思う」

「なら戻った方がいい。想定と違いすぎる」

 

 和也の説明を聞いたリンは首を横に振る。リンの出した結論は和也のものとは異なるものだった。

 

「想定?」

「遠距離攻撃をしてくる、っていうのは同じ。でも近づけない相手だったはず」

「ニャア……そう言えば真逆ニャア……」

 

 リンの説明にヨウが追従を示したように、ナルガクルガ希少種には近づくことは難しい。そのために罠と大タル爆弾の多用が考えられていた。しかしオオナズチはむしろ動きが遅く動きを封じる罠は必要性が低くなる。代わりに古龍種故に体力が高いことが想像されるため、爆弾の類は必要性は上がるだろう。

 相手の特徴が違うということは求められる準備も違うということだ。リンが否定したのはそこにある。それを理解した和也は首を縦に振った。

 

「――そうだな。確かに全然違う」

 

 ならば戻った方がいいだろう。それに古龍種が相手というのであれば狩りにかかる時間も増えるのではないだろうか。何せ、ゲームでは2,3回のクエストの結果倒すということがざらだったのだから。

 

「となると、一度戻るのか?」

「ああ、気は重いが……、ああいや、敵がナルガクルガではなくオオナズチの可能性が高いとはわかったし成果なしではないか」

 

 成果なしではないとなればお絹の小言もないだろう。少なくとも前進はしたのだから。それに対策が必要なモンスターである以上、一度帰ることは必須である。それに文句を言うのであれば言い返してやればいい。

 一同はそれまで設置していた罠はそのままに、武器防具、それに持ち物を確認する。帰る前の簡単な確認作業だ。その途中、和也はふと気になったことを口に出した。

 

「拠点の荷物はどうするかな」

「またすぐに来るんだろうし、そのままでいいんじゃないか?」

「それもそうか。よし、このまま戻ろう」

 

 

 ほぼ独り言だったが劉が答えた。それを受けて和也も納得する。劉の言うとおり準備をしてまたすぐに狩り、もしくは調査へと来ることになるのだ。わざわざ荷物をすべて引き揚げることはないだろう。

 それを聞いたヨウも口を開く。普段の陽気さがやや隠れた、陰鬱な色を孕んだ声を出す。

 

「にゃら他の荷物も置いていきたいニャア……重いのニャ……」

「帰る途中で出会う可能性だってあるんだし、ダメ」

 

 武器、防具、大タル爆弾に土爆弾、閃光玉に回復薬。携帯している持ち物だけでも数多い。ヨウとリンが持っている分は和也らに比べれば少ないが、それでも体が小さい分重いのだろう。

 そんな猫人の事情を孕んだお願いは、同じ猫人であるリンによって否定される。事実、身を守るアイテムを置いていくなど自殺行為に等しくしてはいけない行為だ。

 

「そうだな。近くにいるのは間違いないんだ。警戒を怠るわけにはいかない」

「だな。諦めろ、ヨウ」

「にゃぁ…………」

 

 重い物を持ち歩けばその分体力の消耗を招く。そもそも動きも遅くなる。いいことはない。しかし防具や回復薬はモンスターと出会った時の生命線だ。身を軽くして出会わないようにするというのも選択肢としてあり得るが、出会ってしまった時のリスクを考えればそれを取れるはずがない。

 ヨウのお願いを却下して、一行は紅呉の里へと帰路につく。すでに日も高いが、暗くなる前には紅呉の里に帰れるだろう。そうして彼らは歩いて歩いて、大体一時間半ほど歩いた頃。紅呉の里の西の森の中、広場とさえいえる開けた場所へと出た。

 草木は生えず、均したように真っ平らな地面。砂利という程度の小石こそあれど、大きな石は転がっていない平坦な面。平和な世界ならキャンプに最適だと思える広場だった。

 

「あ……」

 

 そんなキャンプに最適な環境でもこの世界に於いてはそんなことはない。開けた場所ということは周囲からもよく見えるということであり大型のモンスターでも来ることが可能な場所ということだ。邪魔な障害物が無いという意味では戦闘の場所として悪くはないが、戦闘が起こりやすい危険な場所とも言える。劉の呻きはそうしたこともあるが、同時にもう一つ悪い予感があったためだ。

 

「どうした?」

「ここ……最初襲われた場所だ」

 

 少しの震えを秘めて劉は手を伸ばす。その指が示す先には人が腰かけるのにちょうどいい丸太が転がっている。近くには明らかに人が作った物と思われる、麻の袋が落ちていた。前回の際の残渣だろう。

 

「いるかも……しれねえな、気をつけろ……」

 

 理由を聞かれればなんとなくとしか答えられない。しかしそれでも和也の脳内は警報が鳴っていた。自然、左手には盾を構え、右手は片手剣の柄に伸びる。

 

「気をつけろって言っても……」

「見えない」

 

 ヨウとリンがそれぞれぼやく。しかし二人とも既に武器は構え言葉とは裏腹に見えない何かを視ていた。

 武器を構え臨戦態勢を取り彼らの間に緊張が奔る。それが杞憂なら良いが、それがないことを全員が知っていた。やがて――どちらが先だったか、彼らは互いに見つめ合う。

 

「――っ」

 

 ギョロリと、大きな目が四人を睨む。口の周りでも舐めようとしたのか、長い舌が宙をさまよった。青みがかかった風景の一部が四足の何かに彩られ、その上方に大きな目玉と舌があるのは軽いホラーでもある。霞龍オオナズチは音もなく姿を現した。

 

「――戦闘よりも逃亡を中心に。少しずつ距離を取って紅呉の里へと逃げる。準備が不十分だと結論は出てるんだ。戦闘はできる限り避けるぞ……」

「け、けどよ……それをやると里にこいつが来ちまうぞ」

「っ……そうだった。くそっ、それじゃあ……――」

 

 

 オオナズチはゆっくりとだが動いている。和也らを敵と見定めたのか、少しずつ前へ前へと。長い舌を宙を這わせいつでもそれで捕まえられるようにと思っているのだろうか。今しないのはさしずめ和也らの格好から異質さを悟って警戒している……のかもしれない。

 和也らも武器をそれぞれに構えなおす。もしもの時のためにという準備ではなく、はっきりとした戦闘のためにと持ち直した。

 

「――戦闘だ! 討伐できなくても追い返す!」

 

 新しい戦いの火ぶたが今、切って落とされた。

 

 

今回、会話が多くなるように意識して書きました。これは多いのか少ないのか、活動報告の方にコメントしていただけると嬉しいです。また、文体についての感想・批評お待ちしております。

 

 

活動報告

普段文章が地の文が多くなるので今回は会話文が多くなるように意図的に書きました。結果、地の文と会話文の比率が3:7。大体会話文が30%です。普段は会話文は18%ぐらいですので今回は本当に多いなあと思います。その分文体等いつもと違うので不安も大きいですが。

地の文と会話文の比率、これぐらいがいいのか。それとももっと増やした方がいいのか、少なくした方がいいのか。また、文体についてなど好みの問題もあるとはいえ皆さんの意見をお聞かせいただけると幸いです。

言われた通りにする、などと言うつもりはなく、あくまでも参考です。そのため、お持ったままの意見を書いてください。よろしくお願いします。

 



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第29話 霞龍オオナズチ

 日本語に『鎬を削る』という表現がある。意味は激しく争う熱戦を示した言葉だ。注目すべきは苦難を乗り越えるという意味の凌ぎではなく鎬、つまり刃物の刃と峰の中間の部分であるということ。

 殺陣と呼ばれる、刀を用いた擬闘であればその派手さのためにか、刃と刃をぶつけ合わせる。しかし実際にそんなことをすれば刃が毀れてしまい使い物にならなくなってしまう。それを避けるための一つが鎬で受ける、もしくは受け流すという物だ。即ち、『鎬を削る』とは受け流す部位である鎬が削れてしまうほどの戦いだということである。

 また、当然のことだが刀というのは金属だ。ならば鎬を削る戦いという物は周囲に甲高い音を響き渡らせていることだろう。その意味でも紅呉の里の東の森では現在、鎬を削る戦いが繰り広げられていた。

 

「だあああああっ!」

 

 掛け声とともに振るわれる武器。次いで響き渡る甲高い音。弾かれたことを告げる音は森中へと響き渡る。

 

「ぐっ……かってえな、おい!」

 

 もう既に何度やったろうか。既に何度となく斬りつけたのと同じように、同じ音と共に同じ結果が見舞われる。

 

(岩の様に硬いとか言うけど、まさにこれだな。硬すぎるだろ……)

 

 オオナズチの体は硬かった。何度斬りつけようとその皮膚は拒み続ける。幾度繰り返そうとも徒労に終わると訴えるかのように。

 余裕を示すためか、事実その通りだからか。オオナズチには動きはない。

 

「っ、斬れねえな……」

「なんなのにゃ、こいつ。おかしいのニャ!」

 

 これは未だ三度目だったか。振り回しの大きさ故に回数はあまりできていない、大剣による攻撃。しかし劉が吐き出した通り、結果は変わることはなかった。

 

(劉の大剣でもダメか。斬りつけるという考え自体をやめた方がいいな。なら!)

 

 斬る、即ち皮膚を裂き筋肉を分かつのは無理があるようだ。筋肉か、皮膚か。恐らくは皮膚だろうが、最外殻である皮膚さえ傷つけることができないのだから仕方ない。だが、攻撃手段とは何もそれだけではない。

 

「劉はあまり攻撃をせず回避と土爆弾の投擲を中心にやってくれ! 距離を取っても舌が来るだけだ、付かず離れずで戦うぞ!」

「おう! だが……こいつはきつい!」

 

 さすがは古龍というところだろうか。致命傷を与えることができない、というものではなく有効打を与えることさえできない。どれだけやれば勝てるのかではなく、どうすればダメージを与えることができるのかから考えなくてはならない。古龍という枠組みに入れられたのは伊達じゃないようだ。

 

 

「ふっ!」

 

 リンが脅威的なジャンプを見せ、ダガーを逆手に持ちオオナズチへと向かった。和也の攻撃、劉の攻撃と続いた一拍の後、攻撃を凌いだと弛緩する瞬間を狙えたかもしれない攻撃だ。

 狙いは鍛えることのできない生物の急所の一つ、眼。地に足を置いたままでは届かない故に、オオナズチの眼前へと小さな体が飛ぶ。だが――

 

――ガキィ

 

 その攻撃も弾かれる。オオナズチは逃げることも迎撃することもせずただ黙って目を閉じたのだ。それはただの眼瞼反射だったのか、攻撃を受ける為だったのか。どちらにせよ瞼は閉じられ、その瞼という薄いはずの皮膚は容易くダガーを弾いた。

 

 

「つ……」

「リン!!」

 

 勢いつけての特攻だったが故に弾かれれば勢いは跳ね返される。リンはまるで車に引かれたかのように、それまでとは反対方向へと飛んでいく。

 思わず呼びかける和也。しかしリンは中空でくるりと体を回転させ、両の足から地面へと降りた。二本の足でしっかりと立つ様はまるで大丈夫だと訴えているよう。

 

「怪我はない。でも攻撃も通じなかった」

 

 そう報告を述べるリンに和也は黙って頷いた。リンの攻撃は今の一度だけだ。しかしリンの小さな体では当然筋力もあまりなく、そのリンが持てるダガーのまた小さなものだ。一点に集中した突きが通じない以上、リンの攻撃は通用しないとみていいだろう。

 

「ニャアッ!!」

 

 パコン、と。それまでとは違った音が響く。が、オオナズチは微動だにせずただ飛んでいたヨウの体が地へと落ちるだけだった。

 

「効果なし、か」

「ひどいにゃ!」

 

 ヨウの抗議を聞き流して思案する。

 

(刺突、斬撃、打撃、全部だめか。外殻が硬い相手には衝撃が有効ってのがよくある話だが……ヨウのあれじゃあその衝撃も期待できないってことか)

 

 武器による攻撃は有効打となり得ない。思考に導かれた結論は絶望的なものだった。リンの刺突の様に眼球を狙い続ければ別かもしれない。そも、ダガーではなく片手剣で和也がやれば異なるかもしれない。

 さらに言えばオオナズチは透明化の能力を常時発動させているのか、色が付いたり消えたりしている。リンの攻撃はもしかしたら瞼によって阻まれたのではなく、眼から単純に外れていただけの可能性もある。

 

 しかしそのような考察は全て無意味だ。皮膚が硬いのであろうと、そも瞼にあたってないのだろうと、攻撃が碌に通じないことに変わりはない。有効打を探る段階の時点で勝利などほど遠い。

 

 ギリ……と。気付かぬうちに刃を強く噛みしめていたようだ、軋む音がする。それを理解してもどうにもならない状態に再度歯噛みする思いだ。

 

 負けられないという意思を持ちながらも、有効打さえ与えることができないという事実に知らずの内に重心は後ろへと逃げ腰が引ける。

 それを見てか、ズは頭をあげた。それを勢いよく振り下ろす。見えにくい透明なボール状の輪郭から、紫色で玉状の何かが吐き出された。

 

「うわっ!」

 

 吐き出されたそれが劉に着弾した。モンスターが吐き出した何か、それがただの唾でないことを直感的に悟った和也は恐怖を捨ててオオナズチへと飛びかかる。

 少しでも意識を引きつけようとした行動は、オオナズチとの戦闘を始めてようやく目的通りの成果を得ることができた。

 

「紫……毒息か? ヨウ、解毒薬を!」

「もうやってるにゃ!」

 

「つつ……ありがとうな、ヨウ。毒対策があったのは幸いだった……」

 

 和也の指示よりやや遅れて劉の声が聞こえる。ヨウの言うとおり、指示前から動いていたのだろう。紫の息から即座に毒へと想像がいったのは、ギギネブラの毒と同じ色だったからだろう。

 一先ず劉は大事に至ることはないようだ。解毒薬の存在は大きい。しかしそれは消耗品である。つまり、今のやり取りだけでも、また和也らが不利な理由が明らかとなった。

 

(長期戦はやるだけ不利だ。体が硬い上大きい分体力もあるだろう。それに毒もある。やるなら短期決戦だ。けど――)

 

 時間をかけることができない理由がはっきりとした。ならば対応は短期決戦だ。時間を掛けずに、反撃する暇も与えない。攻撃が強くとも攻撃されなければ問題はない。かつてのゲームスタイルとも同じ結論だ。

 しかしそれはこちらの攻撃が有効ならばの話だ。現在、和也らの攻撃は何一つとしてダメージに繋がっていない。短期決戦といこうにも、ダメージを与えることができないのならどうすることもできない。

 

(くそっ……まるで全身鎧をまとっているようなものだ。金属鎧をフルに纏っている奴ってどうやって倒すんだ? 確か中世ではハンマーめいた武器で殴り潰していたんだっけか……?)

 

 モンスターハンターにもハンマーは存在した。ハンマーと狩猟笛という打撃武器。尻尾の切断ができない代わりに頭を一定以上殴ることでスタンの効果を与えることができる。

 しかしそんなものはない。今持っていないのではなく用意していない。ランポスとの最初の戦いのときの様に、近くにあるものを利用して、なども無理だろう。オオナズチに有効打を与えられる前に石などを詰める袋のほうが擦り切れてしまう。そも、それだけのことをする時間があるのかどうか、という話だ。

 

 

 結論は変わらない。武器による攻撃はダメージにならず、土爆弾によるダメージなど些細なもの。これだけ丈夫だと温風程度にさえ感じていないかもしれない。

 

 

(――無理。撃退もできねえや。となると……くそっ……)

 

 心中、愚痴る。取れる選択肢は次々に限られていき可能なものは次第に悪くなっていく。現状、和也にとってとれる選択肢は一つしかなかった。

 モンスターと遭遇した時、最初に考えるべきことは討伐だ。モンスターと戦闘し打ち勝つ。そうすれば脅威は去るし他のモンスターに対する力の誇示にもなる。

 できなければ仕方がない、ある程度の力を持っていることを示し撃退すること。討伐できずともモンスターにとって脅威だと感じてもらえれば住み分けはできよう。

 それができないほど力の差があるのなら、手は残ってなどいない。

 

 

「少しずつ距離を取れ。劉は俺と、ヨウとリンは別行動」

「かず――わかった」

 

 言葉は説明には不十分だったろう。しかし劉は和也の意を察したようだ。覚悟を決めた顔で和也の横に並ぶ。

 

「勝てそうにねえ。撃退もできん。選択肢は逃走だけだ。だが、こいつを紅呉の里に連れて行くわけにはいかない」

「だから、誰かが囮になる必要がある」

 

「にゃ……」

 

 和也の説明なのか、独白なのか。覚悟を孕んだそれに、同じく覚悟を孕んだ劉の言葉が続く。

 モンスターから逃げるのであれば、そのモンスターを別の場所へと引きつける役が必要だ。かつて紅呉の里に於いてモンスターと、とりわけ飛竜と出会った場合とるしかなかった方法。そして、取れば必死の方法だった。

 

 

「和也、囮は俺だけでも――」

「三と一に別れれば三を追うのが道理だろうさ」

 

 じりじりと少しずつにじり寄る。動いていることさえ隠す様に。少しずつ近づいているが、その実目的は攻撃でなくリンとヨウを和也と劉の体で隠すためだ。

 

「どうしようも……ないのかニャ……?」

「多分な。現状、討伐も撃退もできん」

「――――わかったにゃ」

 

 寂しそうに、けれど受け止めたことが伺える声色だった。組むことの多かった劉に、少しだけ寂しそうな色が写る。同時に、少しだけ嬉しそうな色も。ほんの一瞬程度浮かんだだけですぐに消えてしまったが。

 

「救いがあるとすればこいつには今まで何度も遭遇しているはずなのに、誰一人として重症は負っていないということだ。逃げ切れる可能性もなくはない。その意味でも俺と劉で囮役だ」

 

 リンとヨウでは足が遅い。逃げた先からの里への生還も難しい。逃げ切ることを期待できるのであれば和也と劉が適役だということは当然である。 

 その意味ではオオナズチの危険度は低いと言えよう。何せ動きは鈍重、今の今まで碌に動きを見せていないのだから。いくら攻撃しようとも動く様子が無いということは恐ろしくもあるが、逃げるという段階に至ってはむしろありがたく思える要素だ。

 

「――和也、僕らは急ぎ走って逃げる。まずその足止めをお願い」

「了解……」

 

 リンがそう告げる。逃げる算段、というより覚悟ができたのだろう。同時に和也も覚悟を決める。

 生き残れる可能性は十分にある。むしろティガレックスの時と比べればましな方だと言えるだろう。だが、もしもオオナズチが本気になれば――。そう考えると状況は絶望的にも思える。

 永遠の別れになることも覚悟して。和也は短く言葉を発した。

 

「行けっ!!」

 

 背後で足音が、そしてそれが段々と遠ざかって行く。それを背で聞きながら、和也ら二人は油断なくオオナズチを睨み続けた。

 

「動きなし……。ありがたいが……」

「そう……だよな。こいつの足止めなんてどうやればいいのかわかんねえし……」

 

 攻撃が通じないのに足止めなんてできるはずがない。それ故に二人はオオナズチに動きが無かったことを安心した。

 しかし同時に不安でもあった。オオナズチの動きが無い、それは余裕であるということであり即ちオオナズチにとってこの戦闘は遊びに過ぎないのではないか――。オオナズチは人間をいつでも殺せるのに、今までそれをしなかっただけではないのか。

 それが正しいのかどうかなどわからない。しかし追い詰められた弱い心はそうした臆病な考えを生み出す。悪い状況が嫌な考えを生み出し、それが更にパフォーマンスを悪くするという悪循環だ。

 それを避けるためか、確認の為か。和也は状況を口にする。

 

「後はこいつと適当に戦いつつ、紅呉の里から引き離すようにして逃走だな。逃げ切ること自体は動きが遅いはずだしまだ可能なはずだ……」

 

「ああ。けどその前にリンとヨウが逃げ切るのを待たねえと。それまでは時間を――っ!?」

 

 劉の追従が途中で遮られた。劉の腰には赤く太い紐が巻きつかれ、劉はそれに引っ張られていく。紐の正体はもちろんオオナズチの舌だ。

 両者の距離は5mは距離が空いていた。それでも届くというのも脅威だが、それ以上にあいていたはずの距離を容易く縮められてしまう。

 

「劉っ!」

「ぐっ……おおおっ!」

 

 しかしここは劉の経験が活きた。劉は捕まったまま大剣を地面へと向けて振り下ろす。地面へ刺さり摩擦が増え、さらに急な重心の移動はオオナズチにとっても想定外だった。巻きつく力が負けて何も掴まぬ舌を巻き戻す。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 劉の背から和也は走りながら声をかけた。隣に並んだ劉は少し冷や汗をかいたようだが外傷はない。

 

「ああ……。けど……涼しい顔しやがって……!」

 

 

 キッと睨む劉は愚痴とも文句とも取れるそれを吐き出した。事実、オオナズチは涼しそうな顔をしている。

 半透明な体は未だ動かず、眼や舌だけが時折中空に現れギョロリと動く。和也らのことを脅威と認識していないのだろう、精々が飛び回る羽虫だろうか。うっとおしいとさえ認識してもらえてないのだからそれ以下かもしれない。

 それを悔しいと思う気持ちと、拙いと危機感を煽られる気持ちと、それでも生きている安心を感じる気持ち。それらが綯い交ぜになって和也の心中に残り続ける。それを捨て去る気概を、打開する術を和也は求めた。

 

(何かヒントはないのか!? 全身覆う固い皮膚、体を周囲に溶け込ませる能力、三種しかいない古龍種……断片的すぎる!)

 

 今までヒントと言えばゲームの知識だった。ゲームで学んだ動き、行動、特徴が役に立った。だが、オオナズチは先頭の経験があまりなく、しかも一人でやるのは面倒だからと他人とやる機会でしか戦わなかった。それはあまりない機会な上、大勢で寄ってたかってタコ撲りという経験。当然ヒントなど見つかるはずがない。精々が大勢で足を斬り続ければ起きてもすぐに倒れる、というゲームならではの攻略法だけ。

 

(違う、熱くなるな……! 目的は逃走だ、間違えるな。だからやるべきことは……)

「少しずつ後退して距離を取ろう。舌は来るのなら諦める」

 

 詰めてしまった距離を離すために半歩にも満たない僅かな距離をにじるようにして後退する。

 舌が来るのなら諦めるなどという消極的な案に劉は一瞬顔を顰めたがとりあえずは従うことに決めたようだ。何も言うことなく同様に僅か程度の距離をさがる。

 舌が来ても対策は現時点でない。だから来たのなら諦めて受け入れ、対策を考えるしかない。何度も喰らううちに予備動作が見えるかもしれない。そんな思いでの作戦――対しオオナズチは和也らと同じ程度の距離、すなわち人の半歩にも満たない距離を歩いた。

 

 

 ――ちっ

 

 そんな舌打ちしたくなる気持ちを隠して和也は再度半歩下がる。しかしやはりオオナズチも同じ距離を詰めた。

 オオナズチはこの場において絶対的上位者だ。故に少しずつ詰めることは警戒よりも甚振っているということが思い浮かぶ。攻撃が通じない以上は、オオナズチは何も考えずに攻めても問題はないのだから。

 

 にじる様な動きを数度繰り返す。その度にオオナズチは動きをまねる様にして距離は変わらない。それの何度目だったか、和也はふと疑問を思った。

 

(――? 硬いのにどうして動けるんだ。石像みたいなのに……。――部位によって硬さが違う……のか? 例えば……そう、関節!)

 

 本当に石像ならば動けるはずがない。動くには伸び縮みすることが必要だからだ。

 人の体でも骨や筋肉という固いものがありながら動けるのは――そも筋肉は動くための部位であるが――筋肉が伸び縮みし骨がそれを支えるからだ。そして関節という駆動部位があるためだ。それに思い当たるのと同時に一つの答えにたどり着いた。それが正しいかどうかはわからないが、和也はそれを信じることにする。

 

 

「劉、攻撃箇所を膝の裏に絞ってみよう」

「――何か考えがあるんだな」

「ああ……。もしかしたらって程度だけどな」

「もしかしたら、か……」

 

 不明瞭な情報だ。モンスターとの戦闘ではすべてが命がけ。故に不確かな情報をもとにした行動は極力避けるべきだ。例えば今回のようなものである。

 しかし劉は大剣を構えなおした。その顔は覚悟をした戦士の顔のまま、戦う意思を見せていた。

 

「十分だ」

 

 その返事に和也は一瞬呆けた顔を見せた。そこまで言い切られるのは想定外だったためだ。

 しかしすぐに戦う顔に替えて作戦を瞬時に組み立てる。

 

「――よし、なら主は俺が攻める。劉は支援を頼む」

「――平気か?」

「大剣じゃあ特定部位の攻撃なんてしにくいだろう。できるできないの話じゃない。やるしかない」

 

 それ以外に方法が無いのだから、と。和也は気迫を見せる。それに呼応したのか、劉もまたある種の覚悟の見せて頷いた。

 

「劉は正面から攻めて注意を引いてくれ。俺は背後から仕掛ける!」

 

 ダッと、走りながら叫んだ。指示の返事など聞かずに。それでも問題ないという信頼あってのことだ。

 オオナズチを避けて背後へと回る。それをしながら横目で劉がオオナズチに近づいていることを確認した。オオナズチは余裕の為か、和也へと向きを変えることなく劉を正面から向いたままだ。

 その余裕を潰してやる――そんな意気込みを込めて片手剣を振るう。リオレイア素材の片手剣はまるで吸い込まれるようにオオナズチのひざ裏へと導かれ……勢いをそのままにして跳ね返された。

 

「なっ――!?」

 

 それはあまりに想定外過ぎた。いや、冷静に考えれば皮膚がそもそも固いのだから、関節部位だろうとそう大きな差は生まれないのだ。皮膚にはもともと伸張性があるものなのだから。

 だが、それは冷静に考えることができれば気づけた話だ。追い詰められた人は容易く自分の都合のいいことを信じてしまう。和也もまた、容易く信じてしまったのだ。

 明らかな誤解、明らかな失敗。いつだってモンスターを前にした失敗は痛みを以て償うことになる。

 

「ぐっ!! ――っ……」

 

 首だけ振り返ったオオナズチはその長い舌を伸ばして和也を振り払う。丈夫な防具の上からとはいえ、腹に受けた一撃に息の詰まる思いをする。

 

「和也!? 大丈夫か!?」

「っ、ああ! けど……硬すぎる……!」

 

 必死の思いで攻撃してもその結果は報われない。いや、そんなことよりも漸く見つけたと思った突破口が間違いだったということを突きつけられたという現実の方が重かった。

 

(部位がそうズレタとも思えねえ……。なんでこんな硬いんだよ……。どうやって動いてるっていうんだよ、化け物め……)

 

 焦燥感が襲い掛かる。あれほど焦るなと念じ続けてきた、諦めるなと思い続けてきた心が、思考を止めてもう無理だと囁きかける。それに屈する屈しないではなく、和也にはどうすればいいのか思いつかなかった。

 実を言えばオオナズチの体は姿を隠す際、尾と角の発電器官から微弱な電流を流し、それによって体の色を変えている。この時、副作用として皮膚を固くする効果があるのだ。つまり、オオナズチは全身固いのでも一部を除いて固いのでもない。本来硬くなどないのである。よって、尾、もしくは角を破壊すれば硬さも失われるのだが……当然今の和也にそれがわかることはない。

 

(万策尽きた、か)

 

 もうどうしようもない、喰われるしかない。そう思いかけた所で目的を違えていたことに気が付いた。

 

(そうだ、逃げるという手があった。というよりそれしかないって思ってたんだった。たぶんそれはできないことじゃない、少なくとも討伐よりは確実だ。けど――)

 

 逃げるのなら。モンスターはできる限り紅呉の里より遠ざけることが望ましい。和也らは紅呉の里とは反対方向へと逃げて振り切って、その後で見つからないようにとこっそり帰らなければならない。

 

(問題はこいつ、碌に動く様子がねえってことだ)

 

 単純に逃げ切る、というのであれば簡単かもしれない。長い舌が面倒だが突破できないことはないだろう。しかし問題はこのままオオナズチをこの場所に放置するのは危険だということだ。紅呉の里は近い。

 なんとかオオナズチを引っ張って行きたい。だが、オオナズチの足はどうやら重いようだ。それでも動かないわけではないのだから時間をかければ大丈夫かもしれないが、姿が見えにくい相手に集中力が保つとは思えない。

 ならば一度里に戻って狩りの準備をして、という手もある。しかしこのまま紅呉の里に戻ることはできないし、かといって逃げてしまえば再発見は難しいのではないだろうか。そも、いざ逃げるという段になった場合、オオナズチも全力を出して捕えに来るのではないか――。

 オオナズチを中心にして和也と劉は反対側に別れてしまっている。その意味でも逃走という手段を今すぐとることは難しい。

 先ほどの動きを考えるに合流はさほど難しくないかもしれない。逃げるにしても戦うにしても一緒にいた方がいい。和也そう考えて少しずつ劉の方へとにじる。劉もまた同様の考えに至ったようだ。双方の距離は少しずつ無くなっていく。オオナズチもそれを止めるつもりはないのか、ギョロリとした目で見つめるだけでやがて和也と劉は合流に成功する。

 

(ちっ……余裕ってことか? 甚振ってるってことか……?)

 

 しかし和也にとってそれは嬉しいことではないというかのように、心中でそう吐き捨てた。嬉しくないわけではないが、余裕を表されるのは苛立ちを覚えるのだ。

 

 さて、どうやって逃げるか。それを思案しようとしたところ、劉に脇腹の辺りをつつかれる。

 

「(――なんだ?)」

 

 しかし劉は黙って顎をしゃくる。その先を見てみるも特に何もなかった。

 

(……? どういうことだ)

 

 この状況でいたずらということはないだろう。だが、劉が示すものの正体もわからない。オオナズチに注意を向けたまま、劉にも注意を払うと劉は今度は少しずつ移動を始めた。それまでのわずかな動きではなく、ゆっくりとだが確実に動いているとわかる動きを。

 劉の意図するところはわからない。しかし何か理由と目的があるのだろう。そう信じた和也は劉に従うことにし、同じ方向へと移動を開始する。同じく……という意味ではないのだろうがオオナズチもまた和也らと同様の動きをする。

 

「和也走るぞ!」

「はあ!? くそっ!」

 

 劉は逃走を選択したようで走ることを告げる。それはいい、先ほどのはなんだったのか。そういう思いを抱きながら和也も走る。

 シュッと短い音がなる。その一瞬後、和也は背後から強い力で押され倒れ込んだ。

 

「痛っ……!」

 

 恐らくは舌だろう。倒れた体を無理やりに起こしながらそう判断する。劉は先に逃げることなく待っていた。

 

「和也大丈夫か!? 走れるか!? 行くぞ!」

「お、おいっ! なんだってんだよ!」

「俺にも、よく、わからん!」

「はあっ!?」

 

 本人にもわからんとはどういうことなのか。疑問は消えなかったがそれ以上の問いかけは吐き出す酸素を惜しんで口を噤む。

 文句の代りに二酸化炭素を吐き出して、答えの代りに酸素を飲みこんで。ただ黙って走り続ける。

 和也らが逃げた時、オオナズチはどうするのかという心配もあったが、オオナズチはまっすぐに和也らを追いかけていた。逃げるものを追うのは上位種の習性だろうか。そうしてしばらく走って、走った先には小さな、20cm四方ほどの土器がいくつか置かれていた。

 

「和也避けろっ!」

 

 土器の傍を通ろうかというところ――実際は危なくて一々そこを通らないが――その場にいないはずの剛二の声が聞こえて和也は反射的に体を横へ投げた。それまで和也の体があった場所をオオナズチの体が飛んで過ぎる。

 

 

 途端――

 

 ――ビリッ

 

 オオナズチの体に電流が奔る。

 

「なっ!? ――痺れ罠!?」

「離れてください!」

 

 驚く暇もないとばかりに和也へと向けた指示が飛ぶ。その意味を深く考える間もなく、ただ和也は後ろへと向けて跳んだ。

 

「一斉掃射!」

 

 その声と共に土爆弾がオオナズチに向けて投げられる。オオナズチや周囲の地面に落ちて小規模な爆発が起きる――はずだった。当たったそれは確かに爆発を起こし、そして――

 

 

――ボゥゥゥゥゥゥン!!

 

 大爆発を引き起こした。

 

 



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第30話 歩み

 時は和也らがオオナズチと遭遇を果たす一日前にさかのぼる。

 茶色い箱が地面に置かれ、その周囲には立ち入り禁止を表す縄が張られていた。傍には男が一人、それらを指さしながらゆっくりと動かし数えていた。

 

「14,15,16……数に問題なし」

 

 彼の名はヤマト。かつてリオレウスが紅呉の里の近くに降り立った時、和也らと共に戦った戦士の一人だ。

 今行っていることは現代で言うところの棚卸である。紅呉の里の発展に従って増え続けた在庫、その中には危険なものも多い。

 特に爆薬系統は平和な現代でも取り扱いが難しい。特別な場所を用意し、取り扱うための資格者が必要になる。紅呉の里でも同様に、保管場所を他と違え知識の習得を必要としていた。その他、牙獣種の脂など火気厳禁のものもここに保存される。同じく専門の知識が必要とされた。

 品質の劣化があればいざ使うという時に困ってしまう。それに紛失があれば危険でしかない。在庫の確認はかつてからあった概念だが、発展に伴い重要視されるようになった。

 

「強度も問題なし、外殻の劣化もなし。異常なし」

 

 以上が無いことを口に出して確認する。確認作業は問題ないのならそれを声に出した方がいいと和也からの指示があったためだ。現代社会においてトップの命令が末端に行くほど浸透していないことを考えれば、紅呉の里の指示連携系統は優れているのかもしれない。

 

「よう、お疲れ。調子はどうだ?」

「剛二さん。ええ、特に問題もなく。さすがは剛二さんの作ですね」

「かかっ、そりゃそうだ。にしてもお前もえげつねえもん考えつくな」

「和也さんの発想を仕上げたに過ぎませんよ」

 

 そこに並ぶ物は見た目は通常の土器と何ら変わりはない。だが、その実剛二の言うとおりモンスターにとってえげつないものだ。

 それに対する評価を軽く流し、ヤマトは自身の疑問を口に出す。

 

「それにしても和也さんたち遅いですね」

「ん? 探索なんだしこんなものじゃないのか」

「ええ、時間がかかるのは承知ですがそれにしてもかかりすぎです。もうそろそろ食糧が尽きるのではないかと」

「ひい、ふう、みい……確かに遅いな」

 

 指を曲げながらヤマトの言葉に同調する。ヤマトの言うとおり、剛二の記憶ならば持って行った食糧はもう残り少ないはずなのだ。

 当たり前の話だが生きるために食事は必要不可欠だ。モンスターとの戦闘を想定する以上、食事を抜くなどという行為は愚行でしかない。食料が無いのなら戦えないということは当然のこと。まさに腹が減っては戦はできぬ、だ。

 力仕事をするのなら空腹というのはまずい。それはかつての紅呉の里でもわかっていたことだ。モンスターとの戦闘などという更に体力が必要なものを食事なしですることがないということは口に出すまでもなくわかりきったことである。

 

「和也さんは常に不測の事態に備える様にと常々言っていました。和也さんも当然そうしているでしょうからもう戻ろうとしているはずです。それが戻ってこない」

「つまり、不測の事態が起きた可能性があるってことか」

 

 実際はその不測の事態に備え、食料を一部現地調達しているので多少余裕があるということがあるのだが。何があるかわからないので現地で調達できたのなら先にそれを食し、保存のきくものは後回しにしているのである。

 兎にも角にもヤマトは和也らが戻ってこないことを異常事態だと考えた。故に剛二の考えを首にて肯定し、さらに考えを述べる。

 

「私たちが行っても二次遭難になるだけかもしれませんが……いえ、周辺の警戒だけでもしましょうか。通常の荷物に加え、回復薬や爆薬を多めに持つとしましょう」

「それなら早めの方がいいな。俺はちょっとお絹の所行ってくるわ」

 

 剛二は貯蔵庫より駆けて行く。自分を尻に敷く奥さんに出かける事情を話すために。一応剛二の名誉のために書いておくと、お絹は薬の管理をしているため、回復薬を多数持ちだす以上は事情の説明は不可欠であった。

 

「了解です。こちらでも準備をしておきます」

 

 そうして駆けて行く剛二の背にヤマトもまた準備をする意思を告げる。一人残ったヤマトは想定される状況から必要な資材の想定を始めていた。

 

◆◇◆

 さて、時は和也らとリン、ヨウの二人が別れた後だ。二人は命を燃やすかのように、ただひたすらに走り続けていた。その顔には助かった安堵はない。ただ勝てなかった、逃げるしかなかった悔しさが刻まれている。

 

「にゃあ……ニャあああああ!!!」

 

 ヨウの雄たけびが響き渡った。悔しさを吐き出す慟哭はただむなしく消えてゆく。疲労を得るだけの意味のない行為だが、それでも吐き出さずにはいられなかった。

 

「ヨウ、黙って」

「っ、リンは……リンは悔しくはないのかニャ!?」

「――走って」

 

 ヨウの問いをリンは封殺した。悔しくないはずがない。他人を犠牲にして生きることをのほほんと受容できるはずがない。それでもどうすることもできないことが悔しくないはずがない。

 それでもリンはただ走り続ける。命を懸けて逃がしてくれたのだから、自分たちが、自分たちだけがもつ情報を紅呉の里に持ち帰るために。

 走って、走って。命を燃料に体を動かし、骨も筋肉も摩耗させて走り続ける。周りの音も景色も捨て去って。何も見えず何も聞こえず。そんな状態で走り続けた結果、リンは木に気付くことなく正面激突した。

 

「リン、だいじょう――」

「――走る」

 

 大丈夫と告げる代わりにただ走ると言ってリンは体を起こす。防具をつけていても衝撃によるものなのか、額から血が流れていた。そのせいなのか、リンは起こした体を再度ふら付かせてしまう。

 

「リン!」

 

 それに気づいたヨウはリンに駆け寄った。顔には憂え気な色が浮かんでいる。

 

「僕が走るから……リンはここで待ってるにゃ!」

「――だめ。――ヨウだけじゃ……不安……。それに……」

 

 もう、ヨウだって疲れてるんでしょ?

 

 そう言おうとした声は出てこなかった。二人とも休息など無視して走った代償に限界が近かった。それでも止まらなければまだ走れたかもしれないが、一度止まってしまったことで体は休息を要求し始めた。

 オオナズチから逃げ切ることはできただろう。二人の足でももう大分走ったのだ。安全は確保されたと言っていい。紅呉の里とて周囲の警戒も準備もなしに不用意にうろつくものは恐らくいないだろう。いたとすればそいつ自身の責任だ。つまり、リンとヨウが走らなくてももういいのかもしれない。

 そんな理屈を二人は受け入れることはなかった。リンもヨウも諦めることなどなかった。何よりも命を懸けてもらって逃げたのに、自分たちが命をかけることができないなど申し訳が立たない。

 

 それは精神論に過ぎないが、それでも無理を通そうとリンは立ち上がろうとした。そう、その時だった。

 

「――っ、リン、ヨウ!」

 

 警戒しながらやってきていた剛二が二人に気付いたのは。

 

 

 リンとヨウからオオナズチというモンスターに襲われ逃げてきたという事情を聞き、警戒をしていた一同は皆口を噤んでいた。それはそうだろう、全員に和也や劉なら大丈夫だという思いがあった。その根拠のない妄想が打ち砕かれた衝撃は重い。そんな中、その事情を想定していたヤマトと剛二は冷静に事態を考察していた。

 

「そのオオナズチというモンスターは当然強いのでしょうが……和也さんはそいつについて何も知らなかったんですか?」

 

 今まで出会ったモンスターならば和也は皆知識を持っていた。まず和也が知らないということを想定しにくかったためそう尋ねた。

 

「全然……知らないってことはない……みたい。けど――あまり詳しくはないって言ってた」

 

 まだ荒い呼吸を整えながらリンが説明をする。それを聞いたヤマトには理解と不可解が同時に浮かんだ。リンもヨウもまだ苦しそうだ。しかし状況の把握は可及的速やかに努めなければならない。ヤマトは気を遣いたい気持ちを捨てさる。

 

「すみませんが聞いたことを全て教えてください」

「お、おいヤマト。そんなことより早く行った方がいいんじゃないのか!? 今急げば和也達だって間に合うかもしれないんだ」

「それはそうですが下手な加勢では意味がありません。私たち全員の命と引き換えに和也さんらを救えるのならまだ意味はありますが……加勢しましたがどうにもなりませんでしたじゃ無駄死にです」

 

 ヤマトの脳裏にリオレウスとの戦闘の際の記憶が蘇る。決してそこにいる意味がなかったということはない。役に立たなかったわけではない。それでも、一度劣勢を作る原因を作ってしまったことが。

 ヤマトは狩り自体よりも調合・人のまとめという方向で才能を発揮した人間だ。故にこの場で考えるべきことは熱くなって突撃をすることではないと理解している。同時に、周りがそれをしようというのなら止めねばならないということも。

 そうした事情があってのヤマトの発言は、周りを冷静にさせる効果があった。自分らが命と引き換えにして和也らを逃がす。それすら選択肢にすべき状況なのだということを理解して。

 

 命をかけることができるかどうかではない。命をかけることに意味があるかという話だ。命をかけることができるということは大前提だとヤマトは言ったのだ。

 ヤマトと剛二のそんな言葉を聞きながら、リンはただ回復に努めた。言葉を紡ぐだけの体力を取り戻すために。そうして、まとめたそれらを口にする。

 

 

「体が硬くて……動きは鈍重……舌が長くて……毒を吐く……。――あと……古龍の一種だって……」

 

「古龍じゃと!?」

「知ってるのか、竜じい」

 

 ううむ、と唸るように竜じいは返事をした。皺だらけの顔を更に皺で歪ませて。 

 

「詳しいことはわしも知らねえ。けんど、一つだけわかっとることがある。太古の昔より姿を変えずに存在し生き続ける全ての生物の頂点に立つ存在じゃと」

 

 竜じいの説明は周りをざわつかせた。言葉の意味を正確に把握できなかったとしても、太古の昔より生き続ける、生物の頂点に立つ、などと手強さを想像させる言葉が並んだのだから当然だろう。

 浮き足立つ者、恐怖におびえるもの、死の覚悟をし悲壮を浮かべるものなど多種多様。その中で剛二は焦りを、ヤマトは決断を浮かべた。

 

「おい……そんな奴が相手なら急いで行った方がいいんじゃないのか!?」

「その通りですが……しかし同時にただ加勢に行ってもやはり無駄でしょう……」

「じゃあ見捨てるってのか!?」

「そんなことは言ってないでしょう!」

 

 思わず声を荒げたヤマト。しかしすぐに冷静さを取り戻したようで言葉を一度切って頭を冷やした。冷静沈着とは言えずとも、少なくとも声だけは冷静さを取り戻し説明をする。

 

「このままただ和也さんたちの所に行っても邪魔になると言っているのです。助勢の仕方は考えなくては……」

 

 思案しながらの説明だったようでそれはすぐに決まった。

 

「急ぎ準備をしましょう。まずは――」

 

 

 ヤマトの考案した作戦とは至極単純なものだった。まずオオナズチをある場所へとおびき寄せ、その場には予め爆弾を仕掛けておく。それを来た時に爆破し爆弾によって倒す。ゲームの際でも時折取られた手である。

 ヤマトらがもってきたものは回復薬、閃光玉、土爆弾、それに数日前にヤマトが資材の確認をしていたあの土器だ。この土器を地面に一定間隔で設置しオオナズチが来た時に土爆弾を投擲した。

 土爆弾による爆撃の威力は大したことはない。そも、土爆弾でなら和也と劉もやったのだ。効果的なはずはなく、大爆発などあり得ない。では何故大爆発が起きたのか。それは一重に、土器の中身が爆薬だから、ということである。

 

 

――衝撃が危険だというのであれば丈夫な土器に予め入れておくのはどうだろうか

 

 ある種単純な思想だったが外からの衝撃が怖い、紛失が怖いということで丈夫な土器の中に入れておく、ということは保存方法として最初のうちに挙げられていた。それを後にヤマトが気付いたのだ。その状態で爆発させれば破片によるダメージを狙える、と。

 ある偶然の結果それに気づいたヤマトは剛二と共に実験を開始。結果、容易く使えるものではないがいざという時に役に立つ榴弾が完成した。

 

 

 もうもうと立ち込める爆煙を見つめ、成功の安堵と役に立った喜びをかみしめるヤマト。自分たちに対する危険なども承知の上の強硬手段と言っていいが、それでも自分のイメージした通りの結果を得られた。それを喜ぶなという方が無理だろう。

 自身よりやや離れた場所で爆煙を呆然として眺めている和也に気付き、ヤマトはそこへと駆け寄った。ちなみに和也はこの榴弾の構想は聞いているが、実験には立ち会ってなかったので初見である。

 

「和也さん!」

「ヤマト……、わりいな、助けられたみたいだな」

 

 それまでの呆然とした様子を少しだけ残して和也は返事をする。爆発による怪我などが無いことに安心する。

 

「そんなことはいいですよ。それよりもご無事でよかった」

「ああ、それよりも……」

 

 言葉と共に和也は煙の出所へと目を向ける。黒煙に隠されて視界など効かぬ場所を、ヤマトに見えないものを見ているかのように見つめた。

 同じ動きをヤマトもして確認をする。しかしやはり黒煙は黒煙のまま。墨を塗ったような黒い煙が天へと昇っているだけでその他には何も見えない。

 

「和也さん……? さすがにこれだけやればいくらなんでも――」

「いや……」

 

 油断なく見据える和也の目は安心するにはまだ早いと訴えている。見れば、劉も同様にじっと源を見据えていた。

 ヤマトは煙を見つめる。ただもうもうと立ち上る煙が目に写るだけだ。代わり映えのしない光景を訝しげに見続けた。やがて、風でも吹いたか煙が揺蕩う。

 

「――来る!」

 

 声が早いかそれが早いか、煙が割れて中から紫と赤、その上から黒で彩られた、四足歩行のモンスターが飛び出してきた。突出した眼を血走らせ、舐めるものもないのに舌を伸ばして。

 

「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!」

「な!? あれでまだ!?」

 

 爆弾の威力は相当だったはずだ。爆風によって飛び散った土器もまた傷を与えたはずだ。しかしそれでもオオナズチは生きていた。有効打には確かになったのだろう、体から血を流し、姿を隠さずに興奮した様子で飛び出してくる。

 

「こいつは体が硬い上に体力も多い! 討伐は無理だと考え撃退を狙うぞ!」

 

 

 

 

 

 最後の決戦が始まった。

 

 

 

 

 

「っし、なんとか効く!」

 

 和也は既にできた傷を深くすべく、片手剣を裂かに持ってナイフのように扱い戦う。オオナズチはダメージのせいか、硬化能力を失った様子で剣は確かに傷を作る。それでもオオナズチは我関せずとでも言うかのようにダメージの影響は見受けられない。

 

「っ……くっ……そ!」

 

 劉は大剣を振るうがオオナズチに警戒されているようだ。長い舌に翻弄され、思うように攻撃ができなかった。それ以前に大剣を背負って逃げている分、和也以上に体力の消耗が激しいのだろう。肩を落とし大剣をぶら下げている。

 

 

「一斉斉射!」

 

 ヤマトは共に来た和也の生徒たちに指示を飛ばす。モンスターの知識という点ではまだまだだが、資材の知識という点で和也に近いレベルを持つヤマトの指示は的確と言えずとも効果があった。

 

「今度は……負けるかってんだ!」

「まだ首が痛いんだよ、この馬鹿野郎!」

 

 ジェムとイニは槍で突く。二度もオオナズチに絡まれたイニは攻撃の手も苛烈だ。

 

「にゃにゃにゃ! そんな攻撃は当たらないのニャ!」

 

 ヨウとは別のアイルー、ケイが身の丈以上の武器を振るう。ちなみにケイが当たらないと言っている攻撃は味方の爆撃である。

 

「いてぇっ!」

「回復薬です!」

「っと、ありがと!」

 

 一人がけがをするのとほぼ同時にレイナが回復薬を差し出した。彼が飲むのも確認せず、次に回復薬が必要になるであろう人を探す。

 

「全員そのままこっちに来な! 次の罠を仕掛けた!」

 

 剛二が指示を飛ばす。それに従い全員がそちらへと流れた。オオナズチも含めて、だ。

 

「グギャア!!」

 

 次の痺れ罠にオオナズチがかかる。その足元には最初と同じ、土器が数個置かれていた。

 

「全員で投げろ! これでトドメと行こうぜ!」

 

 言われるまでもない。誰かがそんなことを言ったかもしれない。指示よりも早く土爆弾は投擲され、爆発を引き起こす。最初と同じく立ち込める煙。しかし違ったのはその煙が晴れた後、そこにオオナズチはいなかったということだ。

 

「ばらばらに……なったか?」

「いや……」

 

 誰かの独白を和也は否定する。爆心地へと近づきそこにかがみこんだ。

 

「引きずった足跡がある。どうやら逃げたようだ。痺れ罠に爆弾まであって、それでも逃げ切るだけの体力が残っていたとは驚きだが……」

 

 爆音と煙で気づきにくかった事情はあっても、それでも気づかれずに逃げたということに驚く。だが、そんなことよりもオオナズチが逃げたということは戦闘は終わったということだ。

 逃げられたということに素直に喜んでいいのか、数人の中に戸惑いが浮かぶ。それを察知した和也はなんとなく、笑いを零した。

 

「何湿気た顔してんだ。全員生き残って撃退した。俺達の勝ちだ――」

 

 

 片手剣を掲げ勝利を宣言する。疲れがあって勝鬨を上げる、とまではいかなかった。それでも、意図は伝わったようだ。戸惑いが消え、安堵と達成感に満たされる。

 

「生き残れるとは思わなかった……かな」

 

 かちゃん、と劉が大剣を和也の片手剣にぶつけながら言った。恐らくは本心だろう。逃げ切れる可能性も十分にあったが、同時に死ぬ可能性も十分にあった。死の覚悟と、生きのこった安堵がごっちゃになった現在ではもうどうだったかなどわからない。

 

「劉は僕が守るって言ったんだから生き残って当然だニャ」

「よいしょっと……僕はちょっと違うけどね。でも無事でよかった」

 

 ヨウとリンが、それぞれ劉と和也の肩に乗って片手剣と大剣の交差した部分に己の武器を重ねた。

 

「生きてもらわないと困りますよ。約束を果たすこと、きちんと確認してもらわないと」

 

 レイナが小さいナイフを同じく重ねて言った。劉の方を向いた様子から察するに、劉に向けての言葉のようだ。

 

「まだ弓もできてないんですし、教わってないことだって山ほどあるのに困りますよ」

 

 悪戯小僧のような笑みで小さな少年が槍を重ねる。

 

「まあでも生き残ったしな」

「それに仕返しもできた、と」

 

 ジェムとイニが笑って重ねる。

 

「皆さんお疲れ様でした。本当に、皆無事でよかった」

「ニャア! これで僕の強さも証明されたにゃ」

 

 ヤマトとケイが思いを告げる。ヤマトもケイもそれぞれ己の武器を重ねた。ヤマトは小さなダガーを、ケイは大きな剣を。この二人だけを見るとアンバランスだ。

 

「全員御苦労、お疲れだった。ま、こうなったらやることは決まってるな」

 

 まとめる様に剛二が言う。決まっているらしいやることとやらに、にやりと笑う者、戸惑う者といた。

 

「生き残った祝いだ! 帰って飯と酒にしようぜ!」

 

 

 

 




謝罪1
オオナズチさんの表記を誤ってオオナヅチとしていました。確認できた部分は訂正済。恥ずかしいミスです。

謝罪2
Q.オオナズチさん古龍だから罠にかからなくね?
A.作者のミスです。しかし麻痺無効も雷耐性も持っていないオオナズチさんがしびれ罠にかからないっておかしくね?とも思い、訂正はしません。


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第三章閑話 一人の生徒+エピローグ

 風を切る音が周囲に木霊する。ビュンビュンと何かを告げたいかのようになり続ける。だがそこに規則性などなく、ただ喚き散らす子供の様。

 銀に輝く一振りが、男の手によって宙を舞う。存在しない何かを振り払うかのような動きは、ただいたずらに男の体力を奪っている。

 水でもかぶったかのような男の顔から一筋の汗が流れ落ちた。男はそれをうっとうしく思ったのか、顔を腕で拭う。当然風切り音は止み、一度動きを止めたことで疲労が男に主張を始めた。

 

 

「…………」

 

 びゅうん。また音がする。男は振るのを再開した。何かに取りつかれたかのような動きを繰り返す。得られるものは何もない。ただ疲労だけが溜まり積もる。

 

「ぜえっぜえっぜえ……だああああああ!!!」

 

 男の咆哮が疲労など吹き飛ばしてしまえという意思と共に吐き出された。それでいきり立たせることができる段階などとうに過ぎた。それもただ、疲労を蓄積させるだけの結果に終わる。

 

「――そろそろ休んだ方がいいですよ」

「ウンカイ。――すまないな、うるさくて」

 

 男はいつの間にか近くに立っていた仲間の声に気付く。ウンカイは、いや男――ヤマトもだが、かつて紅呉の里の近くにリオレウスが降り立った時、和也と共に戦った戦士だ。背は高く劉に比べれば大分劣るが平均よりはがっしりとした体をした青年、眼や鼻は細くのっぺらとしていて、和也が失礼などを気にせず評すれば『仏のよう』と言う顔立ちだ。がっしりとした体つきから衣が法衣のように見え、故に僧兵をイメージしやすいのも原因だろう。

 

 地べたに腰をおろし体を休ませる。荒い息を何とか落ち着かせるとヤマトは自嘲気味につぶやいた。

 

「本当に情けない……この程度でこのざまだなんて……」

 

 この程度とは言うが、重い武器を手に持って動き回ったのだ。体力を消耗するのは当然である。しかしそれを当然だから仕方ないなどといえばモンスターと出会った時どうすることもできない。ヤマトの目的はモンスターと戦えるようになることだ。現状では牙獣種ならばともかく、飛竜種相手では敵うことはない。

 白鳳村での狩りからもうそろそろ一年が経つ。その際にも和也と劉は飛竜を狩った。優れた二人に追いつこうと思うなら飛竜を狩ることを想定すべきであり、即ち現状はやはり力不足である。

 

「別にヤマトさんの問題でもないでしょう? 和也さんと劉さんを気にしているのでしょうけどあの二人は別格ですよ。それに、元々ヤマトさんは体が強い方ではないですし」

 

 ウンカイから見ればヤマトは十分にやっている。元々ヤマトは体が強い方ではない。それがこれだけ動いたのだ、かつては考えられないことでもある。そう言って慰めるがヤマトは納得していない様子だ。

 

「いや、私の問題だろう。皆をまとめる役目は和也殿がしてくれる。ならば私は少しでもモンスターと戦えるようになるべきでしょう。けれど……こうも体が動かないとは……」

 

 そう言うヤマトの目には強い決意が宿っている。この場の思い付きの説得ではとても考えを改められそうにない強い意志だ。ウンカイは眉尻を下げるが口を開くことはなかった。

 

 やがて、十分に休憩をできたのかヤマトは立ち上がる。

 

「とにかく少しでも体を鍛えねば。今はモンスターがいないからいいが、もし出て来た時少しでも役に立てるようになっておきたい」

「ふう。それならお付き合いしますよ」

 

 ヤマトのそれにため息をつきながら、訓練に付き合うことを告げる。きょとんとした眼を一瞬見せたヤマトは伺うように首をかしげる。

 

「別にお付き合いしていただかなくても大丈夫ですよ?」

「放っておいたら何時までもやっていそうですし……それに自分もヤマトさんと同じく、もう今日の仕事は終わってますから」

 

 そういってウンカイは朗らかに笑った。ウンカイ自身が言うとおり、既にヤマトもウンカイもこの日の仕事は済んでいる。

 肉を食い、栄養を多く摂取できるようになった現在、かつてに比べれば体力は十分にあり仕事が終わるペースも早い。仕事が終わった後の時間・体力の余裕は十分にあり、こうした余暇と呼べる時間が存在するようになっていた。

 銀の光が宙を舞う。それは光が紅く染まるまで続いていた。終えた後に帰るヤマト。しかしその顔には達成感はなく、ただ疲労だけが浮かんでいた。

 

 里での仕事をヤマトはサボることなく励む。土器を両腕で抱え一生懸命。その重さ故にか、足はふら付き酔ったかのような千鳥足だ。

 

「ぐっ……よっ……」

 

 重いものを持ち上げようとするためにうめき声を漏らす。その際にも足は右へ左へと落ち着きが無い。腕が上がらないために少しでも上に持ち上げようとつま先立ちになることも原因だ。

 

「おいおい大丈夫かよ。大分疲れてるんじゃねえか?」

「大丈夫……ですよ。こんなことで泣き言いう訳にもいきませんし……」

 

 剛二の気遣いにもそう答えるヤマトだが、言葉とは裏腹に顔色は悪く大丈夫などとはとても見えない。虚勢を張っていることは明白だった。

 ヤマトは持ち上げていたものをおろし、別のものを運ぶために家の外へ向かおうとする。その小さな背中がどうにも不安で、再度剛二は声をかけた。

 

「あんまり疲れているようなら休ませてもらえよ」

「そんな時間も……ないです。とにかく今は……――」

 

 ふらっと……ヤマトの体が傾いだ。足から力が抜けたように倒れ込む。倒れきる前に剛二が腕を持って支えたがやはり疲労はもう限界なのだろう。

 

「ったく、ふら付いてるじゃねえか。やっぱり休め。老には俺から言っておく」

「しかし……」

「しかしもねえよ。休まねえとどうせ失敗するだけだ。今は休め。幸い今は和也のおかげで余裕がある」

 

 その言葉に、ピリッとした痛みがヤマトの胸に奔る。

 和也が紅呉の里にやってきて、生活は劇的に変わった。かつての脅威は糧となり、人は生きることを楽しむ余裕さえ生まれた。モンスターを狩り、生活を豊かにする英雄。英雄は脅威を拭い去るだけでなく、日常生活でさえ向上させた。

 対し自分はどうだろうか。人をまとめ、モンスターから逃げる術を身に着け、人を守る立場にあったはずだ。しかし、今の自分はどうか。かつての役割は和也に譲り、その他の役は他大勢に劣る。それどころかこうして普段の仕事にさえ悪影響を与える始末だ。

 醜い嫉妬だとヤマトは思う。それを理解できるからこそ、下唇を強く噛んだ。己の醜い心内をさらけ出さないように。

 

「わかり……ました。それでは……失礼します……」

 

 そう言ってヤマトは己の足で立ち、それでもふら付く体を支えるために扉の淵に手を置いた。いや、置こうとした。

 

「っ、危ねえっ!」

 

 目測誤りヤマトの手は空を切る。そのまま支えようとした体重は中空に委ねられ、土器の置かれた一画の一部へと飛び込んだ。正確にはその手前に倒れ込み、慣性の法則から少し地面を転がった結果土器のあった場所へと倒れ込んだのである。

 

「おい、大丈夫――っ、伏せろ!!」

 

 剛二は倒れたヤマトへと近寄ろうとした。そうしながら声をかけていたはずだが、突如声をあげて地面へと倒れ込んだ。

 倒れる剛二とヤマト。剛二の伏せろと言った真意を問うことなど必要なく、その答えを知ることとなった。

 

 ――ボゥゥゥゥゥン!!

 

 爆発音。そして黒煙があがる。もうもうとあがるそれは爆薬のものだ。大した量ではないが、そう広くない室内の天井を満たす。

 

「つっ……!」

「剛二……さん……」

 

 地面に倒れ込んだまま剛二は短く呻き声を漏らす。その腕には一本細く赤い筋が走っている。

 

「どうしたの!?」

「大丈夫ですか!? ――っ」

 

 外から異常を察したお絹と和也が入ってくる。二人とも驚きと焦躁を顔に浮かべ慌てた様だ。倒れるヤマトと剛二を見てお絹は慌てて駆け寄ろうとするが、剛二がゆっくりとだが立ち上がってそれを制した。

 

「大丈夫だ。ちょっと切っちまったがそれぐらいだ。ヤマトが少しへまをしちまってな。疲れてるみたいで勘弁してやってくれねえか」

 

 それは和也とお絹に向けて言ったものだった。お絹は剛二本人がそういうのならと納得し、大きな怪我をしていないことに安心した様子を見せる。しかし、和也はそれに答えず、額に力を入れて眉を寄せるだけだった。

 

「ああ、その……な。ヤマトも――」

「あ、いえ、すみません。ぼうっとしてました。むしろこちらの責任です。爆薬の危険性を深く考えてなかった……」

 

 なお言い募ろうとする剛二の言葉を和也は途中で遮った。和也が答えなかったのは怒っているからなどではなく、自責の念に駆られてのことだ。

 爆薬という危険物の扱い、それを和也は十分に把握していたはずだ。だというのにおざなりな管理の仕方に異を唱えなかった。それどころか気づくこともなかった。明らかな失態だ。

 故に和也はそれを恥じ改善のために行動した。爆薬の置く場所を見直し、それ以降管理する人間には十分な知識を教えることに模した。本来あるべき姿へと是正されたのだと和也は思う。

 

 しかし。

 

 ヤマトの胸の内にはただ劣等感が募っていた。自身の失敗のせいで――と。

 

 

 ヤマトの失敗による誤爆事件から数日後、ヤマトは自室にてある話を剛二から聞くこととなった。

 

「授業……ですか?」

「ああ。和也が知識を広めたいとさ。お前やレンジにはリオレウスの時の経験があるからって期待してるみたいだぞ?」

 

 ヤマトやレンジは和也と共に紅呉の里の近くにリオレウスが降り立った時戦っている。故に飛竜との戦闘経験がある数少ない一人だ。

 恐怖の権化たる飛竜との戦闘経験があるということはそれだけモンスターに対する警戒も強く、同時に乗り越えた自信も得ている。

 モンスターに警戒され、モンスターなど怖くないという考えが蔓延りつつある現在の紅呉の里に於いて、ヤマトはモンスターとの戦闘を想定して一人訓練をしていたことを考えれば和也の期待も正しいことがわかる。しかし――

 

「私は……私は行っても邪魔になるだけではないでしょうか……」

 

 あの失敗以降、ヤマトは十分すぎるほどの休息を摂る様にしている。同じ失敗は絶対に繰り返さないという意思が現れているといえよう。その甲斐あって消耗していた体力はだいぶ回復し、同じ過ちは繰り返されないはずだ。しかし、あの事件はヤマトから勇気という物を奪ってしまっていた。

 

「まだ前の失敗を引きずってるのか? 和也も気にしてねえってんだ。お前が気にすることじゃねえぞ」

「それはわかっているのですが……どうもそのように思えなくて……」

 

 ヤマトは目を伏せて力なく告げる。平均より小さいヤマトの体が剛二にはより一層小さく感じられた。

 ヤマトのそれはPTSD,トラウマと言ってもいいだろう。同じ失敗を繰り返すことを恐れ、ヤマトは訓練さえ敬遠がちになっていた。元々必要性に迫られて始めたという訳でもない。自分が訓練してても大した成果はなくそれどことか仕事も碌にできなくなるというある種の事実がヤマトを縛りつけていた。

 精神外傷について剛二には詳しい知識などない。それでもヤマトが過去の失敗を恐れていることは分かったし、そのせいで良いパフォーマンスも期待できないことが理解できる。だがその一方で、男なら勇気を出せという気持ちもあった。

 律儀に姿勢を伸ばして座っているヤマトの肩に手を伸ばす。同年代と比べても華奢な肩は、剛二の手が乗ってビクリと震えた。

 

「和也は気にするなと言っていたぜ。失敗そのものは悪いものでもないともな。ただ、失敗してそれを活かせないのはダメだと言っていた。失敗したままにしちまうのは活かせてないってことじゃねえか?」

「それは……わかっています」

 

 本当に少しだけだが力強い答えが返る。頑張ろうという本人の意思を感じられる答えだ。それならばと剛二は尚言葉を紡ぐ。

 

「むしろ、失敗を引きずっているのなら和也の指導のもと、十分に練習すればいいんじゃないか?」

「それは……そうですね……」

 

 返事は肯定、しかし表情は優れず納得していない様子でもあった。ならばまだ説得を続けた方がいいのかもしれない。しかし剛二にはそれ以上の言葉は出てこなかった。

 一応は肯定の言葉を得られたのだ。これ以上は必要ないかとその場を去ることにする。必要なものが必要な場所にきちんとおかれた部屋を後にして剛二はふっと漏らす。

 

「まじめな奴なんだが、どうしたもんかねえ……」

 

 失敗を反省し、それを悔やんでいるからこそこうして停滞してしまっている。十分すぎるほど責任感を持つのがヤマトだ。和也が来て里そのものが変わっているためにもうわからないが、そのままだったら次期まとめ役になっていただろうと思えるぐらいにはヤマトは責任感が強い。それ故に失敗の責任も強く感じている。自身の責というものがわかりやすい状況だったが故に特別に。

 それらの事情を理解しながらも剛二にはどうすることもできない。後は本人の問題だろう。

 

「ま、なるようになるか」

 

 剛二はそうくくった。括ったというより諦めたと言った方がいいのかもしれない。剛二の呟きは誰にも聞こえることはなく、ただ剛二の耳を満たして終えた。

 

(最後は肯定した以上はあいつは和也の授業とやらを受けるだろうし、それ次第だろう)

 

 ならば自分にはどうすることもない。そう断じて剛二は帰路へと付いた。

 

 

 授業が始まって数日が経った。ヤマトは剛二の予想通りきちんと参加し訓練、勉強に励んだ。元々本人のまじめな性格故にだろう、やるつもりになれば集中力は十分にあった。そのため、こと座学という点においてヤマトは十分な成績を見せる。

 しかし集団教育というものは同時にヤマトの平均より低い体力という物を露呈させる結果にもなった。同じことをやらせてもヤマトは他多数より劣るのだ。それは幼子が大人に敵わないことを示すようなごく当然のこと。本人にとっては納得しうるものではないが、誰にとってもどうしようもないことだった。

 

 そのヤマトは今、野外にてアイルーのケイと共に何かを作っているようだ。小さなタルの外観を調べ、時に中に手を突っ込み、何か目的があってのことは間違いない。

 ヤマトは樽をひっくり返した状態で、赤い団子のような球体の塊を樽の中に入れた。重力によって落ちることが当然のはずだが、それが落ちてくることはない。何かで支えられているのだろう。

 

「えっと……それでこれをこの辺でいいですか?」

「いいと思うにゃ。後は確かめる」

 

 ケイはそう言うと周りを伺うように首を振った。近くには誰もなく、彼らを見咎めるものはない。しかしそれでも数度、ケイは確認を繰り返した。余程不安なようだ。

 

 ――じゃあそれを叩きつけて。

 

 そう言ってケイは少しだけ距離を取る。ヤマトは神妙な顔で頷き、小さなタルを両手で頭の上まで抱え上げ、それを一気に地面へと叩きつけた。

 小規模ながら爆発音。地面にたたきつけたからだけではなく内部からのエネルギーによって樽は破裂する。地面との衝突によって生まれた反動のエネルギーに爆発のエネルギーが加わり、樽の破片はあちらこちらへと飛び散るはずだった。しかし――

 

「にゃっ! できた」

 

 それが成功だったと示す声がケイの口から出て来た。小タルの破片は確かに地面から散らばったがそこに爆発のエネルギーが加わったかのような派手な飛び散り方はしなかった。代わりに上空へと向けて跳んだ破片は重力の枷などないかのように高く上がっていた。

 

 小タルの中には鉱石を使った仕切が複数あり、その見た目に反してとても重い。ケイが指示だけしかしなかったのはそうした理由があったからだ。仕切によって爆発のエネルギーは一方向のみに向けられ、それが空へと向いた結果破片は空高く舞い上がった。

 

「うん、いい出来です。このままだと威力が足りないですから何か工夫が必要ですね……」

 

 ヤマトは満足そうに呟いた。言葉の字面だけを見れば満足とは言えないが、ひとまず目的に適った結果が得られたことが嬉しいのだ。実験の第一段階は成功、じゃあ第二段階に移行しよう。これだけである。

 ヤマトの言った『威力が足りない』ということはケイにもわかっていることだ。んー、と口元に手を当てて考えるケイは気軽な口調で案を出す。

 

「先に土爆弾をつけて飛ばすのはどうにゃ?」

「面白いけど……たぶんまだ足りないですね」

「うーん、後は牙とか爪とかの破片をいっぱいつけるとか……あ、カズヤ」

「え、和也さん?」

 

 ヤマトとケイで案を出し合っているところに近づく人がいた。そこまで大きな音を出したわけではないが、爆発音を出したのだから人が近づくことはおかしくはないだろう。

 ケイはいち早く近づいてきた和也に気付いたがヤマトにとっては不意打ちだった。驚いて少々体を震わせる。

 

「えってなんだよ、ヤマト……。それにしても二人とも面白いことやってんな」

 

 ヤマトの反応に口を尖らせるような態度を見せるが和也は面白そうな口調でそれを言う。事実、ヤマトとケイがやっていたことを和也は面白いと思ったのだ。

 

「い、いえ、これは別に遊んでいたわけではなくてですね、遠距離に対する攻撃手段の確立を考えまして――」

「何焦ってんだよ……。別に悪いとは思ってないぜ? むしろお前の言うとおり、遠距離攻撃手段になり得るしいいことだと思うが」

「そ、そうですか……」

 

 ヤマトは和也に咎められていると思ったのか焦って弁解を述べる。汗を浮かべて慌てて言い募る姿はまるで怒られる子供の様だ。

 しかし和也は純粋に面白いと思っていたので咎めるつもりなどない。最初の時点ではっきりとそれを告げたつもりだったがまだ足りなかったようだ。

 ヤマトは元々和也に対し劣等感を抱えている部分がある。そうでなくとも現在の和也とヤマトの関係は教師と生徒だ。勝手な行動に対する後ろめたさもあって、怒られると感じてしまったのだ。先の事件もあってヤマトは和也に対し負い目を感じていたことも原因だろう。

 そうやってほっとする様子のヤマトにケイは『だから堂々としていればいいって言ったのにゃ』と告げる。事実、別に焦る必要などなかったのである。

 

 乾いた笑いを浮かべるヤマトだったが、和也は二人のやっていたことに殊更興味を示した。

 小タルを使った爆弾と言えば小タル爆弾だが、それで遠距離攻撃と言えば打ち上げタル爆弾だ。洞窟の内壁に張り付いているモンスターを落とす時などに使うアイテムだが、誰に言われるでもなく自分たちでこうした発想にたどり着くことに和也は純粋にすごいと思ったのだ。

 ヤマトもケイも武器を使った戦闘訓練ではあまりいい成績を出せなかったので、教師としてはここは褒めるべきでは――など思う。

 

「でも二人ともこういう何か作るってのが好きなのか? 調合とかも張り切っているように見えたが」

「面白いニャ! 混ぜたり作ったりするのは楽しいニャ」

「私は……なんでしょう。必要なものを作らないとって思ってです」

 

 和也の問いにケイは元気よく肯定を示した。猫の顔に満面の笑みを浮かべ、溢れんばかりのやる気を体と言葉で示している。一方でヤマトはあまり気の乗らない返事――のように見える。

 確かに必要なものは誰かが作らねばならずヤマトは責任感からそれを考えただけの可能性もある。けれど、先ほど威力の向上についてケイと考えあっていたヤマトはそうした義務だけでやっていたようには、少なくとも和也にはとてもそうとは思えなかった。

 

「――人には得手不得手があるからな。調合が苦手って奴もいるし。ヤマトやコンがこれら得意ならこっち方面で任せてみようか」

「賛成にゃ!」

 

 先ほどの返事でも示した通り、ケイは和也の提案に即決で快諾した。ヤマトの即答が得られなかったことも想定通りで恐らく拒否感はないはずだと和也は考えていた。そのため和也はヤマトへと向き直り改めて尋ねる。

 

「そりゃあ良かった。ヤマトはどうだ?」

「あの……いいのでしょうか」

 

 内から湧き上がる喜びを抑えるような、仕事中に遊びに行っていいと言われた子供のような、おずおずとした調子でヤマトは尋ねた。和也の確信通り、ヤマトは調合を任せられるということに強い意欲を見せている。

 

「良いも何も、こっちから任せたいんだって」

 

 和也は笑って肯定を示す。この世界に来てからだいぶ鍛えられた――地球ではむしろ感情を隠す無表情が多かった――笑顔は果たしてヤマトを安心させる効果はあったのか。それはヤマトにしかわからないだろう。

 ただ敢えてひとつ述べるのであれば、自身が尊敬し自分より優れていると思う相手に頼られるということは何よりも心地よいものだった。

 

「なら……お願いします」

 

 ヤマトははっきりと受ける意思を見せた。強い意志を秘めた眼をまっすぐに和也に向けて、任せて大丈夫だろうと感じられる強い口調ではっきりと。

 

「よし、決まりだ。良い物作ってくれること期待してるぜ? お絹さんの下で回復薬作るってのもいいが、二人とも今は好きな物作ってもらう方がよさそうだな」

「好きなもの……ですか?」

 

 好きなものを作っていい、と言われヤマトは戸惑う様子を見せる。里の備蓄を使って遊んでいいと言われたと感じたのだ。好きなものを作っていいとは他者の強制を受けずやりたいようにやっていいという意味だが、取り違えてしまったのである。

 

「ああ。要は自分が作りたい、作った方がいいと思ったものを作ってくれってことだ。今は遠距離攻撃やってたんだろ? ならその続きで構わない」

「うーん……後はどうやって威力あげるかが問題ニャ」

 

 説明を受けて理解を示した二人は考える。先ほどまでの思考の続きを示す。二人は腕を組み、首をわずかに動かしながら思考を続けた。やがて、ヤマトははっと顔を上げる。

 

「和也さん、ご相談があるのですが――」

 

 

 

 ヤマトの発想は過去の失敗から思いついたものだった。爆発によって土器を壊し破片によって怪我をさせてしまった事件。あれはそのまま飛竜種に対する攻撃手段になりうると考えたのだ。

 オオナヅチとの戦闘によって使われたそれらは成功を見せる。確かにダメージを与え、結果討伐も撃退も無理だと思われていたオオナヅチを撃退する結果となった。これはヤマトの成果だと言っていいだろう。本人は、『和也殿の爆薬という発想あってこそ』と譲るつもりはないようだが。

 

 手榴弾が爆風でなく破片を飛ばして攻撃するように、ヤマトの発想もそうしたものだ。土器の硬さはさほどでもないが、それでも爆風によって飛ばされた破片は凶器と化す。剛二のと言うとおり、えげつない代物だろう。

 

 和也にとってこれは一つの契機だった。和也や劉抜きでではないが生徒たちは強大な敵と戦い、これを撃退した。この経験は間違いなく今後とも活かされるだろう。和也らがいなくなっても大丈夫かもしれない。ならばこの平和は半永久的に保たれる――かもしれない。

 

 

 

 時は流れて違う時代。人も物も変わった時代。それでもモンスターは決して滅ぶことなく生き続け、人々に恐怖と暴威を振るい続ける。

 けれどもう一つ変わらないものがある。人はもう、モンスターにおびえ続けるだけではない。彼らは己の知恵と勇気を振り絞り戦い続ける。

 

「回復薬に大タル爆弾、砥石、準備完了」

「じゃあ行こっか。目標はティガレックス! 今日中に見つけて狩るよ! 皆困ってるんだからね!」

「へいへい。んじゃお参りも済ませたことだし行きますか」

 

 時代が変わってもハンターは生き続ける。人と生活を守るために。

 彼らは向かう。モンスターと戦うために。彼らの背には多様な武器を交叉させた人の像が立っていた。

 



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