ジャック×親指姫 (サイエンティスト)
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1章:結ばれる時
始まりと危機


 カップリング物ですが最初の二話くらいはほんのちょっとだけ重い話です。時期は余章あたり。
 私が脈絡も展開もキャラの性格も考慮しないで好き放題書ける性格だったなら、いきなりイチャイチャラブラブしまくるお話を書きたかったです。残念ながら違うので前置きが長く入ります。早くイチャイチャするところ書きたいなぁ……。
 ちなみに個人的にはくっつくまでのすれ違いとか心の揺れ動きとかも好きだったりします。



 その日は何の変哲も無い平和な一日だった。

 時々ジェイルがうるさい叫びを上げるがそれは珍しくもない普段通りのこと。なので暇を持て余していたジャックは解放地区の方へと散歩に出かけていた。

 目的は特に無かったものの気が付けば位置的に高そうな場所を探してしまうのは、血式リビドーと呼ばれる血式少年としての内なる衝動のせいだろう。特に抗う必要も無いので衝動に突き動かされるまま高くそびえる建物などを探して歩いていく。

 

(あれ、あそこにいるのって……親指姫たち? 何だか様子が変だけど何かあったのかな?)

 

 すると解放地区の入り口近くに差し掛かったあたりで見知った少女たちの姿を見つけた。

親指姫と白雪姫、眠り姫の三姉妹だ。

 何やらかなり焦った様子で顔を見合わせていたり、誰かを探すように周囲に視線を向けていたりで、遠目から見ても様子がおかしいのは明らかだった。

 

「……あ! 親指姉様、ジャックさんです! ジャックさんがいました!」

 

 話を聞くために近づこうと思ったところで白雪姫がこちらを見つけ、他の二人と一緒にジャックの下まで駆けてきた。

 三人ともジャックの姿を見つけて嬉しそうな顔をしたものの、やはりどこか焦りの見える表情をしている。いつも眠そうに瞳を細めている眠り姫でさえもだ。これはさすがにただ事ではない。

 

「ジャック! 良かった、あんただけでも見つけられてラッキーだわ!」

「三人とも、一体どうしたの? 何か事件でもあったみたいな顔してるけど……」

「メルヒェンに捕まっていた人たちが逃げてきたんです! 脱走には皆さん成功したみたいなんですけど、まだかなり多くの人がダンジョンに取り残されているみたいで……」

「ん……ん……!」

「えっ……!?」

 

 緊迫した様子でまくしたてる白雪姫に、言葉少なに眠り姫が頷く。

 予想を上回る事態にさすがにジャックも目を剥いてしまう。囚われた場所からの脱走に成功してもダンジョン内には数多くのメルヒェンが闊歩しているのだ。戦う術を持たない脱走者たちが遭遇してしまえば凄惨な事態になりかねない。

 

「そ、それじゃあ早く助けに行かないと! 赤ずきんさんたちは!?」

「黎明からここまでの道すがら探したんだけどあんた以外見つかんなかったのよ! 時間も無いからもう私たちだけで向かうわよ! ついてきなさい、三人とも!」

「う、うん、行こう!」

 

 戦う術と力を持つのがたった三人という点は不安だが事は一刻を争う事態だ。ジャックは親指姫の指示に頷き、三姉妹と共に解放地区の外へと向かった。

 目的地は元街道沿いエリアの奥の方らしく、さすがに道中のメルヒェンとの戦闘は避けられなかった。ジャックは戦闘の役に立てないため戦ったのは親指姫たち三人だけだが、そこは三姉妹の素晴らしいチームワークのおかげで圧倒的とも取れる戦いぶりであった。最初から戦闘の役には立てないとはっきり分かっているものの、あまりにも圧倒的過ぎて本当に自分がついてきた意味はあるのだろうかと思えるほどだ。

 

「あ、見つけました! あそこです!」

 

 目的のエリアに辿りつき少し捜索したところで、白雪姫が脱走してきた人たちを発見した。見ればちょうどこちらに向かって十数人ほどの男女が駆けてくるところであった。

 そしてその僅かな集団の背後には優に二倍の数はいそうなメルヒェンの集団。恐らく逃げ回る内にダンジョン内を彷徨っていた他のメルヒェンにまで存在を気付かれ、集団の数が自然と増えてしまったのだろう。

 

「大変だ、メルヒェンに襲われてる! 早く助けないと!」

「行くわよ、白雪! ネム! ジャック、あんたは下がってなさい!」

「う、うん……!」

 

 当然の如き戦力外通告だがそもそもジャックの役目は戦うことではない。戦う親指姫たちの様子を見て必要があれば自らの血を用いて穢れを浄化することだ。

 とはいえ今はその役目も無さそうなので、別の方向からメルヒェンが現れたらすぐに伝えられるよう周囲の警戒に務めることにした。親指姫たちが心置きなく戦えるように。

 

「はっ……!」

 

 弓を引き絞り狙いを定めた眠り姫が矢を放ち、最後尾にいた男性を襲おうとしたメルヒェンの頭部を射抜く。矢を押し出すほどの勢いでピンク色の鮮血を撒き散らしながら、その場に倒れ付すメルヒェン。

 そこから更に二発、三発と立て続けに矢が放たれ、逃げる人々の集団と距離が空くように先頭のメルヒェンたちの頭部が、頭部に当たる部位が無さそうなら脚部が的確に射抜かれていく。先頭が倒れ付したことにより足を取られて転ぶメルヒェンが続出し、十分に逃げる人々との距離が開いていった。

 

「いきます! えーいっ!」

 

 そこで少々気の抜けるかけ声を上げ、白雪姫が集団両端のメルヒェンに爆弾を幾つも投げつけていく。連続して発生する小さな爆発と爆風を食らい手足が、あるいは身体ごと吹き飛ばされていく何体ものメルヒェン。

 吹き飛ぶ方向は集団の真ん中寄りで、集団は最早折り重なるようにギチギチに詰まったメルヒェンが密集していた。まるで一網打尽にしてくださいと言わんばかりに。

 

「いくわよ! 纏めて燃え尽きなさい!」

 

 そこを狙って親指姫の魔術が炸裂。

 二十に迫ろうかという数のメルヒェンは地面から噴出す炎の柱に飲まれ燃え上がり、あっというまに一掃されてしまった。見ていて爽快感溢れる倒し方だ。

 ほんの二、三匹燃え残って倒れていないのがいたものの、残りは眠り姫の手ですぐさま地に倒れ伏していく。

 眠り姫が距離的な安全を確保し、白雪姫が敵の位置を調整、そして最後に親指姫が纏めて吹っ飛ばすという三姉妹の絆の強さを窺わせる見事な連携プレイであった。戦いのためについてきたのでは無いと分かってはいるが、正直自分がえらく邪魔に思えるほどである。

 

「ふぅ、結構あっさり片付いたわね。ジャック、その人たちはみんな無事?」

「うん。聞いてみたら先に逃げてきた人たち以外に人数は減ってないみたいだよ。怪我をしてる人は何人かいるけどみんな軽症みたいだし、親指姫が皆を探す時間を惜しんで助けにきたおかげだね。さすがは親指姫だよ!」

「べ、別にあんたに誉められたって嬉しくないわよ! それより、さっさとその人たちを連れて逃げるわよ!」

 

 三人が戦っている間に人々の人数や怪我の程度を確認していたジャックが報告と共に健闘を称えると、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう親指姫。

 照れ隠しなのはさすがにジャックも理解できたので、自然とその可愛らしい反応に笑みを零してしまった。その様子を見られていたらきっと笑うなと怒られたに違いない。

 

「っ……また、きた……!」

 

 一息ついたのも束の間、眠り姫の声に視線を向けると新手が迫ってきているのが見えた。三人に責任は無いが派手に暴れたために引きつけてしまう結果となったのだろう。

 

「次から次へと出てくるわねー……皆、走りなさい! 白雪、ネム! 先導頼むわよ!」

「はい! 皆さん、ついてきてください!」

 

 脱走してきた人たちがいる以上わざわざ迎え撃つのも得策ではないと判断したようで、親指姫の指示の元全員で逃走を図った。

 人々の集団を中央に据えて先頭を白雪姫と眠り姫に任せ、しんがりを親指姫とジャックが担当。正面の方から現れるメルヒェンは白雪姫たちが退治し、側面や背後からの敵は親指姫が叩くが足の速さによっては無視する。要は逃走の妨げになりそうな敵にだけ対処すれば良いのだ。沸いてきた敵を全て律儀に相手してやる必要は無い。

 

「駄目だ、このままじゃ追いつかれるよ……!」

「そうみたいね……」

 

 しかしダンジョンを駆けて行く中で徐々に背後の敵を無視できない状況に陥り始めていた。それどころか追いつかれそうなほどだ。

 全力で走ってもらっているとはいえ怪我人がいる以上、全体の移動速度はどうしても落ちる。追いつかれそうなのは足並みを人々の集団に合わせているのが原因だった。

 それに正面の敵は白雪姫たちで捌けているようだが、背後の敵はそう簡単にはいかない。移動が遅いせいで数が多くなってきているし、何より親指姫は走りながら魔法を使っている。魔法を使えないジャックにはどれくらい大変かは想像できないが、立ち止まって使う方が遥かに楽なのは容易に想像できた。

 そしてその想像は外れではなかったのだろう。親指姫は何度か先頭集団と背後に視線を注ぐと、意を決したような表情で唐突に足を止め振り向いた。 

 

「白雪! ネム! こいつらは私が食い止めるからその間に皆を逃がしなさい!」

「そんな!? だ、駄目です、親指姉様!」

「んー……一人は、危ない……!」

 

 これにはさすがに先頭の二人も足を止めてしまう。

 血式少女である親指姫は確かに一般人とは比較にならない戦闘能力を持ってはいるが、何も全員同じ能力というわけではなく向き不向きというものがある。魔法を数多く操る親指姫は遠距離向きで、身体能力も血式少女としては低めだ。かなり接近される可能性のある一対多数の戦闘は明らかに向いていない。

 

「大丈夫よ! この程度の奴らなら十分離れてれば一人でも相手にできるわ! さっさとその人たち連れて行きなさい!」

 

 しかし親指姫の行動は衝動的なものではなく、自分の能力をしっかり理解した上での行動であった。

 それにこのままでは本当に追いつかれてしまう。誰かが残って足止めをしなければ危険なのは間違いない。

 

「僕も残るよ、親指姫! 戦いの役には立たないだろうけど……」

 

 とはいえ親指姫一人だけを残すのは不安だったのでジャックも残ることにした。万が一にもブラッドスケルター化するような事態があれば対処できるのはジャックしかいないのだから。

 親指姫もそれを理解しているらしく、一瞬躊躇いを見せたもののすぐに頷いてくれた。

 

「分かったわ。ならあんたは囮になりなさい! その間に私が片付けてやるから!」

「うん、分かったよ!」

「じょ、冗談に決まってるでしょ! 何本気にしてんのよあんた!?」

(あ、冗談だったんだ……)

 

 やる意思はあったのだが冗談だったようで怒られてしまい、ちょっと気持ちがへこんでしまうジャックだった。親指姫ならわりと本気で囮にしそうな気もしたのだが。

 

「……分かりました! ジャックさん、姉様をよろしくお願いします!」

「……すぐに皆……連れてくる……!」

 

 親指姫を信頼している妹たちはすぐに迷いを振り切り、再び人々を連れて走り出していく。

 新たに集団を追うメルヒェンが出てくるであろうことは心配だが、すでに解放地区への道程の半ば以上は過ぎている。二人だけでも十分対処できるはずだ。

 

「よーし、派手に暴れてできる限りそこらのメルヒェン引き付けるわよ! 一匹残らずぶっ飛ばしてやるわ! あんたは邪魔にならないようにそこらの隅っこにでも縮こまってなさい!」

「う、うん、分かったわよ……」

 

 言っていることはもっともだが言い方がちょっと酷い気もする。

 少し傷つきながらもジャックは絶対に邪魔にならない程度の距離を取り、親指姫が心置きなく戦えるよう背後の警戒に務めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ、危なっ! よくもやったわねっ!」

 

 間近に迫ってきていたメルヒェンの鋭い爪から逃れ、お返しに風の魔法を放ち細切れにしてやる親指姫。

 やはり足を止めての戦いは走りながらより格段に楽だったが、いかんせん引き付けた数が多いためそれなりの苦戦を強いられていた。おまけに近づかれれば近づかれるほど巻き込まれる可能性が高くなってしまうため広範囲を攻撃する魔法が使えなくなり、余計に距離を取ることが難しくなるという悪循環に陥っている。さすがに一人で引き受けるには少々無謀な数だったかもしれない。

 

「時間は稼げたしそろそろ潮時かしらね……吹っ飛べ!」

 

 別にここに残ったのは掃討や虐殺が目的ではない。あくまでも人々を安全に逃がすための時間を稼ぐことだ。立ち止まってしばらく相手をした時点ですでに目的は達している。今頃白雪姫たちは逃げ出してきた人々と共に解放地区に到着し、仲間達を探していることだろう。

 なのでそろそろ撤退に移ることを決めた親指姫はジャックにそれを伝えようとした。

 

「っ! 親指姫! 後ろから――うわぁ!?」

「――ジャック!?」

 

 その瞬間、背後からジャックの悲鳴が聞こえた。反射的に振り向いた親指姫が見たのは、大型の狼のようなメルヒェンに押し倒されているジャックの姿だった。何とか抵抗しているようだがあのままではすぐに食い殺されてしまう。一刻も早く助けなければ。

 

「待ってなさい! すぐ助け――っ!」

 

 すぐさまジャックを巻き込まない程度の魔法でメルヒェンを吹き飛ばそうとした親指姫だが、突如横合いから凄まじい衝撃を受け逆に自分が吹き飛ぶ羽目となった。

 

「ぅ……あ……!」

 

 そのまま壁に叩きつけられ、全身を駆ける衝撃に喘ぐ親指姫。

 小柄であると自覚している身体はかなりのダメージを受け、しばらく呼吸ができなくなってしまう。

 恐らく今の今まで相手をしていたメルヒェンの一体に殴り飛ばされてしまったのだろう。だがこの程度のダメージで済んだのはむしろかなりの幸運だ。ジャックの危機に気を取られ目の前の敵の存在も忘れ背中を向けていたのだから、下手をすると爪や牙で貫かれていてもおかしくはなかった。

 

「お、親指、姫……! あ、危ない……!」

(っ……私じゃなくて自分の心配しろっての、馬鹿!)

 

 自分が依然として食い殺される危機に晒されているというのに、助けを求めるどころか親指姫の心配さえしているジャック。自分が今にも死にそうな状況で他者の心配をするとは相当の馬鹿である。

 だがそんな馬鹿だからこそ助けなければならないし、死なせたくない。

 

「ジャ、ック……! くっ……こんのぉ!!」

 

 目の前に迫ってきていたメルヒェンに向けて風の魔法を放ちその身を切り刻むと共に、若干ふらつく身体を叱咤して倒れこむような形で体当たりをお見舞いする。

 元々身体能力がさほど高くない上にそんな状態での体当たりなど瀕死のメルヒェンでも倒せるかどうかは怪しいが、これ自体はそもそも攻撃を狙ったものではない。切り刻まれたメルヒェンの身体から吹き出る大量の返り血をその身に浴び、喰らうためのものなのだから。

 血式少女の能力が更に強化される、ジェノサイド化を狙っての。

 

「邪魔すんな! さっさと死ねってのよ!」

 

 ピンク色の返り血を浴びて軽い破壊衝動と興奮、そして身体の内から湧き出る力を感じた親指姫。目論見どおりジェノサイド化に成功したようだ。湧き出てくる力だけでなく、視界の端に踊る自らのツインテールが脱色したように白く染まっている様からもそれが分かる。

 襲いかかってきた数対のメルヒェンの頭をその力に任せて素手で叩き潰し、身体を片手で引き裂き、両手で引き千切る。うら若き乙女が行うにはかなり凄惨かつ残酷な殺し方だが今の親指姫にとってはどうでも良いことだし、何よりもジャックを助けるのが最優先だ。邪魔になる敵を素早く殺す。それができればどうだって良い。

 

「ジャック! 今助けてあげるからもう少し頑張りなさい!」

 

 やっと邪魔者を片付け、再びジャックに視線を向けたその瞬間――

 

(――え)

 

 夥しい量の赤い血が弾ける様を目にして、親指姫は凍りついた。

 覆い被さっているメルヒェンのせいでジャックの姿はほとんど見えないが、位置からして首元か胸元。

 そんな場所から、尋常でない量の血が弾けるように迸ったのだ。

 例え腕を食い千切られたとしてもそこまでは出ないだろうという、信じがたい量の血液が。

 

(嘘、でしょ……?)

 

 たった今目にした光景に途方も無いショックを受けて立ち尽くす親指姫の前で、更にもう一度鮮血が迸る。

 すでにメルヒェンの身体の下は完全に血の海になっているというのに、まるで最後の一滴まで搾り出されたかのような信じがたい量の血が。

 信じがたいが、それは間違いなく現実であった。メルヒェンの血液はピンク色。あの赤い血は、間違いなくジャックの身体に流れていたもの。

 

(間に、合わなかった……?)

 

 親指姫は間に合わなかった。助けられなかった。

 これでもう二度と、ジャックの柔らかな笑みは見られない。

 これでもう二度と、ジャックの優しい声は聞けない。

 親指姫の力不足で、親指姫がここにつれてきたせいで――ジャックは死んだのだ。

 

(ジャック……!)

 

 その絶望と悲しみを感じた瞬間、親指姫の意識は闇に飲まれた。 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ、く……!」

 

 壁に叩きつけられた親指姫に警告を発した直後、ジャックの腕の中で一際大きい破砕音が生じた。

 メルヒェンに組み敷かれ鋭い牙で食らいつかれそうになった瞬間、ジャックは咄嗟にメアリガンをメルヒェンの口の中へと刺し込むことでそれを防いでいたのだ。しかし獣型のメルヒェンの顎の力は凄まじく、徐々にメアリガンが圧壊していく不吉な音が届いてくる。

 このままではいずれメアリガンごと腕が食い千切られてしまう。今すぐこのメルヒェンを跳ね除けなければマズイ。

 

(こうなったら……!)

 

 数瞬思考を巡らせたジャックは一か八かの手段に出ることを決め、牙が腕の皮膚を裂いていく痛みに顔を顰めながらもメアリガンを強く握り直す。そしてセレクターを操作し発射する血液量を高め、喉の奥へと向けて引き金を絞った。

 鈍く小さい発射音。メアリガンを握る手に伝わる重い衝撃と身体に広がる虚脱感。発射された大量の血液はメルヒェンの喉の奥へと勢い良く流れ込んでいった。強引に異物を注がれたメルヒェンは若干怯みを見せたものの、噛み付く力はまだ緩まない。

 

(それなら、もう一発!)

 

 一度で足りないならもっと大きな一撃をもう一度。メルヒェンの口から弾けるように降り注いだ自らの血を身体に浴びながら、ジャックは更に血液量を高め二発目を撃った。

 一発目よりも強い衝撃と、一発目よりも大量に弾ける血液。今度こそメルヒェンは確かな怯みを見せ、ジャックの腕を食い千切らんとする力を弱めた。

 

(う……!)

 

 跳ね除けるには今がチャンスだが、たった十秒程度で大量の血液を消費したことで眩暈に襲われすぐには身体に力がこもらなかった。だがそこは貧血には慣れのあるジャック。ほんの数秒程度で眩暈に打ち勝つと、両脚で思いっきりメルヒェンの腹を蹴り上げた。

 思いのほか吹き飛んだメルヒェンに再び襲われないようふらつきながらもすぐさま立ち上がるジャックだったが、意外にもメルヒェンはそのままもがき苦しみ倒れこんでしまった。血式少女たちを浄化するジャックの血液はきっとメルヒェンにとっては毒に近い代物なのかもしれない。

 

「危ない所だった……親指姫! こっちは大丈――!?」

 

 無事を伝えようと親指姫の方に視線を向けた瞬間、ジャックは最悪の光景を目にして息を呑んだ。 

 視線の先には確かに親指姫がいた。

 だがその姿は親指姫のものではなかった。

 小柄な身体は白い肌が剥き出しとなり、メルヒェンの返り血を受けたような揺らめくピンク色に覆われ、下半身は開きかけの黒い蕾のようなものに包まれていた。深緑の瞳は今や不気味なピンク色に光り、そこに浮かぶ感情は破壊と殺戮の衝動のみ。理性など一欠けらも見当たらない。

 それはまるで愛らしい花の妖精がメルヒェンと化したような、冒涜的で途轍もなく恐ろしい姿。万一の危惧が現実と化した結果であった。

 

(ブラッドスケルター化してる……!)

 

 見た限りでは穢れは溜まっていなかったというのに、少し目を離してしまった隙に最悪の状況になってしまった。一体何故ほんの僅かな時間にそこまでの穢れが溜まったのか。

 しかし理由を考えたり自分の不甲斐なさを嘆いている場合ではない。状況を理解したジャックはすぐさま行動を起した。ふらつく身体を叱咤してメアリガンを構え、狙い定めて引き金に指をかける。

 ブラッドスケルター化した今の親指姫は死ぬまで破壊と殺戮を続ける存在となってしまった。だがジャックなら自らの血を用いて浄化し、元の親指姫へと戻すことができる。いや、それは唯一ジャックにしかできないことなのだ。

 

(……いや、でもまだ駄目だ!)

 

 しかし今すぐ浄化を行うのはそれはそれで危険極まりない。親指姫の周囲には未だメルヒェンが群がっている。そんな状況で元に戻して万一親指姫の意識がなかった場合、どんな結末が待っているかなど考えたくも無い。

 それに今のジャックがブラッドスケルター化を解除できるほどの血を放てば、恐らく気を失って即座に昏倒してしまう。つまり撃てるのは一発限り。射撃の邪魔になりそうなメルヒェンがいる以上、その一発が親指姫に当たらない可能性もある。

 心苦しいがジャックはメアリガンを構えつつも、親指姫が周囲のメルヒェンを片付けるまで待った。狂気の笑みを浮かべ哄笑を放ちながら、メルヒェンを自分さえ巻き込みそうなほどの魔法で、あるいは素手で潰し引き裂く親指姫の姿に胸の痛みを抱えて。

 

「よし! 今戻してあげるよ、親指姫……!」

 

 惨殺を終え周囲のメルヒェンが一掃されたところで、ジャックは走り出し確実に命中させられる距離まで詰めた。

 同時に親指姫がジャックへと視線を向けてくる。仲間や友人を見るような笑みではなく、虐殺の対象を見る狂気の笑みを浮かべて。

 無論自分も対象に含まれているということは最初から分かっていた。敵味方の区別などつかずに死ぬまで破壊と殺戮を続ける。それがブラッドスケルター化だ。だからこそ何が何でも元に戻さなければ危険なのだ。

 震え上がりそうな殺意の視線に貫かれながらもジャックは決して退かず、親指姫の身体に銃口を向け引き金を引いた。だが――

 

(――っ!? う、撃てない!?)

 

 メアリガンからジャックの血液が飛び出すことはなかった。何度引き金を引いても同じ。血の一滴すら放たれない。

 もともとメルヒェンの牙によってかなり圧壊していたメアリガンだ。恐らく先ほどの二射でついに限界を迎えたのだろう。このままでは親指姫を浄化することはできない。ブラッドスケルター化を解除するには相当量の血が必要だ。今ジャックの身体を濡らしている自らの血を全て擦り付けたとしても圧倒的に足りない。

 ならば浄化を行う手段はたった一つ。一切の迷い無く覚悟を決めたジャックは壊れたメアリガンを太股のホルスターに収めた。

 

「っ……!」

 

 それと同時に親指姫が哄笑を放ちながら迫ってきた。どうやら素手でジャックを攻撃するつもりらしい。

 恐怖は感じるものの、むしろジャックは魔法でなくて実にありがたいと心の底から安堵していた。これならわざわざふらつく身体で近づく必要も無い。

 浄化の手段はメアリガンを使って血を浴びせることではないのだ。要はジャックの血を浴びせられれば方法は何でも構わない。例えば自ら自傷して出血した血を浴びせても構わないし――自ら親指姫の攻撃を受け、返り血を浴びせることでも構わない。

 

(親指姫……絶対元に戻してあげるから!)

 

 例え命を賭けてでも。

 ジャックはその場から一歩も逃げはせず、むしろ腕を広げて親指姫を抱き止めるような形で無防備に身体を晒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、れ……じゃ、ジャック……?」

 

 意識を取り戻した親指姫を最初に迎えたのは、視界いっぱいに広がるジャックの安堵の笑みであった。

 意識を失う前の記憶が不明瞭なためかジャックが瞳に涙を溜めるほどの安堵を覚えている理由が分からず、親指姫は羞恥も忘れてその光景に戸惑いを覚えるしかない。

 

「お……親指姫……元に、戻ったんだね……良かっ……た……」

 

 妙に震えた声で喜びを露にするジャック。

 その笑顔に全く血の気が通っていないことに気が付いた次の瞬間、ジャックは糸が切れたように前のめりに倒れた。

 

「ちょっ!? じゃ、ジャック! 一体どうしたのよ――!?」

 

 咄嗟にその身体を抱きとめた親指姫は、腕に纏わりついてきた暖かい感触に息を呑んだ。

 見ればジャックの身体には胸から腹にかけて切り裂かれたような深い傷跡が走っていて、絶えずおびただしい量の血が零れ落ちていた。

 そして足元には尋常でない大きさの血溜り。

 だがその血溜りの中心に立っていたのはジャックではなく、親指姫の方だった。

 まるで親指姫がジャックの身体を切り裂き、返り血を浴びたかのように。

 その状況を認識した瞬間、親指姫は全てを理解し、思い出した。

 

「こ、これ……私が、やったのね……っ!」  

 

 親指姫は先刻ブラッドスケルター化してしまったのだ。ジャックを失ったという絶望と悲しみに耐えられずに。

 そして破壊と殺戮の衝動に支配されるまま周囲のメルヒェンを惨殺し、理由は分からないが無事だったジャックまでも手にかけた。

 その返り血が親指姫をブラッドスケルター化から救い出し、意識を取り戻させたのだろう。

 

「……待ってなさい、ジャック! すぐに治してあげるから!」

 

 当然罪の意識に酷く胸が痛んだが、嘆いたり許しを乞う暇は無い。全力で治癒の魔法を行使して、ジャックの怪我の治療に専念した。どう贔屓目に見ても出血は自然に止まるような量ではなく、止血しなければ本当に死んでしまうかもしれないからだ。謝罪など後で幾らでもできる。

 ジャックの傷の処置を行う中でメルヒェンに襲われたらひとたまりも無いが、幸いといって良いのかブラッドスケルター化した親指姫が周囲に破壊を撒き散らしたおかげで周囲にメルヒェンの気配は無かった。

 とはいえ絶対に安全とは言い切れないので、親指姫は手早くジャックの傷の処置を終えた。

 

「流石にずっとここにいるわけにはいかないわね……ジャック、悪いけど少し歩くわよ」

 

 親指姫一人ならまだしも、意識を失ったジャックを抱えてダンジョンを突破するのは不可能に近い。ジャックが回復するまで安全な場所に身を隠し、皆の助けを待つのが懸命な選択だ。赤ずきんならジャックを小脇に抱えたまま片手で巨大なハサミを振り回し、単独で突破できたかもしれないが。

 幸い近くの壁の一部が崩落して人が通れる程度の穴が開いており、その奥には狭いが空間が存在していた。入り口をメルヒェンの死体か瓦礫で塞いでしまえば安全な場所になるかもしれない。

 僅かな間逡巡する親指姫だが他に当てがあるわけでもないので、しばらくそこへ身を隠すことにした。ジャックを穴の中に押し込み、周囲に転がる適当なメルヒェンの死体を見繕ってくる。後はその死体を引きずる形で親指姫が穴の中に入り、壁を作ることで安全を確保。

 とりあえずはこれで一安心だ。あとはジャックが回復するか、赤ずきんたちを引き連れた妹たちが来てくれるのを待つだけだ。

 ほっと一息ついた親指姫はジャックの容態を確かめようと視線を向け――

 

「――っ! じゃ、ジャック……!?」

 

 ――死体と見まごう程に生気のないその面差しに心臓が止まりかけた。

 まさか止血が間に合わなかったのだろうか。

 最悪の可能性に恐怖しながら、震える手でジャックの首筋に指を当てる。

 

「よ、良かった。一応、脈はあるわね……でも……」

 

 脈はあるが酷く微弱で、触れている首筋はぞっとするほどに冷たい。

 見ればジャックの肌は完全に血の気が失われていて、頬ですら真っ白に色が抜けてしまっている。

 どうやら親指姫の想像以上に出血が多かったらしい。

 周囲はさほど冷えていないというのに、ジャックの身体は寒さに凍え震えているほどだ。せめて身体を暖めてやらなければ、間違いなくジャックは死ぬ。

 

「し、しっかりしなさいよ、あんた……!」

 

 先ほどの死は親指姫の勘違いだったようだが、今回は対処しなければ本当に死んでしまう。

 そうなればやはりもう二度とジャックは親指姫に笑いかけてくれなくなる。二度と声も聞けなくなる。

 その悲しみを考えると涙が零れてくるのを止められなかった。もう二度とジャックを失いたくない。もっとずっとジャックの笑顔を、声を、優しさを感じていたい。できることなら今までよりもずっと傍で、ずっと強く。

 自分でもどうしてそう感じるのか今の親指姫には理解できなかったが、理由を考えるよりも先にやらなければいけないことがある。

 だがブラッドスケルター化を経たせいで親指姫自身もかなり疲弊していて、ジャックを十分に暖められる程の火を魔術でも起すことはできなかった。さっきの治癒が限界だったのだ。何かを燃やして暖を取ろうにも周囲には燃やすものすらなく、仮にあったとしても狭いこの空間で物を燃やすのは正しい判断とは言えない。

 最早親指姫にできるのはジャックが死に行く様をすすり泣きながら見ていることだけだった――

 

(――っ! そ、そういえば聞いたことあるわ! こういう寒さで死にそうな時に身体を暖める方法って、確か……!)

 

 そう思えたが、幸い親指姫は他に一つだけ暖めてやれる方法を知っていた。

 ただ死ぬほど恥ずかしい思いをすることになるし、本当に効果があるのかは正直分からない。あくまでも話に聞いたことがあるだけだ。

 しかし他に考え付く手段は何も無いし、背に腹は変えられない。

 

「……私にここまでさせておいて死んだりしたら、絶対許さないわよジャック!」

 

 そして何よりもジャックに死んで欲しく無い。死ぬほど恥ずかしい思いをしたって、今正に死にかけているジャックとは違い実際に死んだりはしない。

 覚悟を決めた親指姫は恥じらいをどぶに捨て、潔くその方法を実行に移すのだった。

 

 




 果たして親指姫は何をするつもりなのか。まぁ年頃の男の子なら予想はつくでしょうね。

 書いていてふと思ったのはメアリガンの性能について。モーター三種で強化した後の、身体が吹き飛ぶどころか人二人分の落下の勢いを殺せるほどの反動を伴うとはメアリガンの威力は一体どれほどのものなのか。たぶん射出するのを血液でなく何か硬度のある物体にすれば十分メルヒェンと戦えそうな気がします。
 しかもモーターで強化しているということは拳銃のように火薬の燃焼に頼っているわけではないというわけで……そりゃあこんな化け物染みた性能のモーター持っていたらハルさんもはしゃぎますね……。 


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自己犠牲


 ちょっと重めのお話は今回で最後……のはず。理屈と感情のお話。
 ちなみに一章は四話で終わる予定です。二章以降は四話で終わるか微妙なところですが。
 自己犠牲という言葉で、ぼっち飯で有名な俳優がエクソシストとして出てくる映画の最後の方のシーン、地獄の王に中指を立てつつ天国へ旅立とうとするシーンを思い浮かべてしまう私はおかしいんでしょうか……。

 




 

(ぅ……?)

 

 自らの身体を包みこむ温もりを感じてジャックは目を覚ました。しかし目蓋を開けようとしてもなかなか開けることができない。何故か全身を凄まじい虚脱感に襲われていて、目蓋を開ける力もほとんど無いのだ。

 それでも苦心して何とか目蓋を開けると、最初に目に飛び込んできたのは肌色だった。

 たぶん人の肌なのだろう。とてもきめ細かで抜けるような白い肌色なところを見るに、もしかすると女の子の肌なのかもしれない。何故かそれがジャックの顔を包むように広がっていて、温もりで包み込んでいる。

 

「……あったかい、な……」

 

 思考力もだいぶぼんやりしているため状況が理解できなかったが、自分の冷えた身体を包み込む温もりがとても心地良いものだということだけは理解できた。だからこそ口をついてそんな感想を零したのだ。

 その瞬間――

 

「――ジャック!? 良かった! あんた目が覚めたのね!」

「え……?」

 

 自らを包み込んでいた温もりが遠ざかり、驚くべきものが目に飛び込んできた。

 それは何故かジャックに馬乗りになった親指姫の姿。しかも何があったのか瞳に涙を浮かべながら、ジャックが目を覚ましたことに対して喜びの笑みを浮かべている。親指姫がジャックにまたがりそんな表情を浮かべているということも驚きだが、一番気になるのはその服装だ。

 

「もう二度と目を覚まさないんじゃないかって思ってたのよ? 心配させるんじゃないわよ、全く……」

「え……あ……お、親指、姫……!?」

 

 心底安堵したように一息つく親指姫。

 その服装は衣服どころか下着一枚身に着けておらず、完璧に裸だ。リボンで髪型をツインテールにしているところ以外は、文字通り生まれたままの姿をジャックの瞳に晒していた。白い肌も柔らかそうな部位も、上から下まで全部だ。

 

(ど、どうして裸なのさ、親指姫!?)

「あ、血色もちょっと良くなってきたみたいじゃない。顔が少し、赤く……なって、きて……る……」

 

 表情を見て血色がどうの言っていた親指姫が、唐突に言葉を途切れさせて固まった。そうして状況が理解できないどころか混乱して何が何やら分からないジャックの上で、かなり緩慢な動作で自らの身体を見下ろす。

 当然ながらそこには親指姫自身の身体があるばかりだ。ただし、布きれ一枚身に着けていない生まれたままの姿の。

 

「う……あ……あああああぁぁぁ! みっ、みみみ、見るんじゃないわよ! 今すぐ目を閉じないと目玉抉り出すわよ!?」

 

 次の瞬間、一瞬で顔を真っ赤に染め上げた親指姫が身体の要所を隠しつつ飛び退った。

 

「ご、ごめんっ! 何だか良く分からないけどごめ――っ、う……!」

 

 同様に飛び退って後ろを向き全力で目を閉じようとしたジャックだが、身体を起そうとした瞬間目の前が眩んでしまう。

 

「っ! ああ、もうっ!」

「ちょ、お、親指姫!? 一体何してるの!? ていうか本当にどうして裸なのさ!?」

 

 そんなジャックの様子を目にして一瞬不安気に眉を寄せた親指姫が、またも身体に覆い被さってくる。表情はかなりやけっぱちだったが。

 

「あんたの身体が死体みたいに白いし冷たいから暖めてやってんのよ! 勘違いしないでよね! あんたが死んだら困るから仕方なくやってるだけなんだから!」

(あ……そっか。確か僕は……)

 

 恥と怒りを全面に押し出した親指姫の言葉に、ジャックはやっと気を失う直前の出来事を思い出した。

 メルヒェンから逃れるためにメアリガンの最大量に近い血液を二度も放ち、壊れてしまったメアリガンに代わり親指姫のブラッドスケルター化を解除するために自ら身体を切り裂かれ返り血を浴びせたのだ。

 しかもそれらは全てごくごく短時間の出来事だ。そんなことをすればジャックとは種族が違うくらいに筋肉ムキムキの大男でも間違いなく貧血で倒れる。そこにいくとジャックが死なずに済んだのは親指姫による処置とこの対応によるところが大きいに違いない。

 

「あ、ありがとう……で、でも、僕はもう大丈夫だからそんなことしなくても……!」

「そんな青白い顔して何言ってんのよあんたは! 今にも死にそうな癖して強がってんじゃないわよ!」

「へ、平気だよ! ほら、ちゃんと身体だって動かせ――あっ……」

 

 腕をついて身体を起こそうとするものの、あっというまに力が抜けて途端に崩れ落ちてしまう。これでは強がっていると言われても仕方ない。

 

「良いから大人しく暖まってなさい! でも絶対私の身体見るんじゃないわよ!」

「う、うん……分かった……」

 

 どうせこんな状態では親指姫を押しのけて身体を起こすことなどできるはずもない。

 厳しく命じられたことも相まって、ここは大人しく従うしかなかった。

 

「それで……身体は、どう……?」

「え? あ、うん……その、すごく綺麗だったよ……」

「って私の身体をどう思ったかじゃないわよ! あんたの身体の調子がどうかって聞いてんのよ、この変態!」

「ご、ごめん間違えた! その、体調はあんまり良いとは、言えないかな……あんまり、身体の感覚が無いから……」

 

 酷く失礼な勘違いをした上にセクハラ極まりない答えを返してしまい、慌てて謝罪し嘘偽り無く体調を申告するジャック。とりあえず頭に血が行っていないせいで思考能力に異常をきたしているということにしておいた。

 

(でも、本当に綺麗だったな……)

 

 しかし本当に親指姫の身体を綺麗と思ったのは確かだ。小柄で細めでも部位的に丸みを帯びていたり、くびれがあったりでちゃんと女の子の身体をしていたのだから。たぶん感想をここまで口にしていたら幾ら死に体だろうと一発くらいは殴られたに違いない。

 

「そう……な、なら、私の背中に手を回してもっと暖まりなさい。触るのは背中だけよ!? それ以外触ったらぶっとばすから!」

「う、うん、分かった……」

「ひゃぁ!? つ、冷た……!」

 

 強張っている腕を何とか動かし背中に触れると、身体の上で親指姫が変な声を上げて縮こまる。そんな反応をするとは今のジャックの身体は一体どれほど冷え切っているのか。

 

「ど、どう? 暖かい?」

「う、うん……手足の方もちょっとだけ温もりを感じるし、身体の方は暖かくなってきてるよ……」

「そ、そう……なら、もう少しこのままでいれば大丈夫そうね……」

 

 本当に心の底から心配していたらしい。心底安心したような微笑みを浮かべると、親指姫はジャックの胸に顔を埋めつつ大きく息を吐いていた。

 裸の女の子に抱きつかれて胸に顔を埋められるとは、普段なら心臓が飛び出そうなほどドキドキしたに違いない。まぁ今回は血が足りないせいかそこまでは行かず、血液の循環を程良く高めてくれている程度であった。

 

「……ところで聞いても良いかな、親指姫? 僕の身体を暖める必要があるのは分かるんだけどさ、どうしてこんな方法をとってるの……?」

「ほ、本当は火をおこして暖を取ろうと思ってたんだけど、さすがに私も限界だったから仕方なくこんな方法を取ってんのよ。何か凄く寒い所で暖を取る時は……裸で抱き合って暖めあうのが効果的って、聞いたことがあるし……」

「へぇ、そうなんだ……物知りだね、親指姫」

 

 火も灯せないとはさすがにブラッドスケルター化を経て親指姫も体調が悪いのだろう。こんな暖め方をしているのは他に手段がなかったからに違いない。

 しかしだからといって裸でジャックに抱きつくというのは親指姫にとって相当な勇気のいる行為だった筈だ。

 何せ裸で抱き合うということは親指姫だけではなくジャックも裸――

 

「――って、え!? もしかして僕も裸なの!?」

「……あんた、本当に感覚ないのね。実はもう死んでたりするんじゃない?」

「ま、まだ生きてるよ! って、うわっ、本当だ!」

 

 呆れなのか心配なのか判断のつかない声音で言葉を零す親指姫。その細い指先が自分たちの傍を指していたので視線をやると、何とそこには脱ぎ散らかされた二人分の衣服の山と、そこから零れたと思しき壊れたメアリガンを収めたホルスターが。

 結構細かい所に気がつく親指姫にしては衣服を畳まないどころか一緒くたにしている時点で、本当に一刻も早くジャックの身体を暖めようとしていた事実が窺える。

 しかし少しくらい時間をかけても良いのでできれば山の景観には気を使ってもらいたいところだった。

 

(な、何かあの山、色々変なものが見えるよ……!?)

 

 よりにもよって頂上がジャックのパンツな上に、二合目と五合目あたりからピンク色の謎の布切れがはみ出している。あまり見ているとその詳細を観察してしまいそうなのですぐに視線をそらしたが、やはり気になるのは男の性というものだ。

 

「……ごめん。さっき私、あんたのこと……」

「あ、き、気にしないでよ。さっきのは僕が罵られても仕方ないこと言っちゃったせいだから……」

「そのことじゃないっての、この変態! ていうかもうそれ忘れなさい! 私が言ってんのは、その……あんたに、大怪我させたことよ……」

 

 再び勘違いして蒸し返したためにまたしても罵られるジャック。今度こそ殴られるかと思いきやまたしても拳は飛んでこなかった。

 代わりに親指姫は罪の意識を感じさせる切ない表情を浮かべてうつむいていた。たぶん大怪我させた、というのは返り血を浴びせてブラッドスケルター化を解除するために故意にもらった怪我のことだろう。

 

「親指姫は何も悪くないよ。だって僕は自分から親指姫に攻撃されに行ったんだから」

「はぁっ!? ちょ、あんた何でそんな馬鹿な真似してんのよ!? 死にたいの!?」

「僕だってできれば死にたくはないよ。でもメアリガンが壊れてたから、親指姫をブラッドスケルター化から戻すにはそれしか方法が無かったんだ」

 

 親指姫がジャックの身体を暖める方法がこれしか思いつかなかったように、ジャックもあの方法しか親指姫を救う方法が思いつかなかった。だからこそ迷わず実行したのだ。

 

「だ、だからってそんな……! あれだけ血を使って更にそんなことするなんて……本当に死んでたかもしれないのよ!?」

「僕もさすがに危ないことは分かってたよ。でも親指姫を戻すことが優先で――」

「優先なわけないでしょこの馬鹿! 私が助かってもあんたが死んだら意味ないでしょうが! それとも何よ!? 私が助かればあんた自分は死んでも良いってこと!?」

「っ……」

 

 さっき裸を見てしまった時とも、勘違いから変なことを言ってしまった時とも違う怒り方。

 恥らいなど微塵も無い、純粋な怒りからの本物の叱責。

 それだけで親指姫がどれだけジャックのことを心配し、大切に思ってくれているかは十分に理解できた。

 

「……良い、とは言わないよ。でも、他に救う方法が無くて、僕が死んで親指姫が助かるっていうなら、本望だよ」

 

 しかしだからこそ本音を告げた。といっても、誰だろうと少なからずジャックと同じ思いのはずだ。

 目の前で今まさに人が、それも大切な人が死んでしまいそうなら、間違いなく百人中百人が自分の命を賭けてでも助ける。命を賭けるのではなく自分が死ぬのが条件だったとしても、絶対に半数以上は助けるほうを選ぶ。親指姫だって大切な妹たちを守るためなら間違いなくやるだろう。

 結果的には死ななかったとはいえ実際にやってしまったジャックが全面的に許されるわけではないが、同じように守りたい大切な人たちがいる親指姫なら少しは気持ちを理解してくれるはず。

 そう思っていたのだが――パァン!

 

「っ……親指、姫……?」

 

 裸を見ても失礼な言葉を投げかけても殴らなかった親指姫が、平手で頬を強く打ってきた。恥じらいや照れなどではなく、怒りに顔を真っ赤に染めて。

 

「そんな方法で助かって私が感謝するとでも思ってんの!? 馬鹿も休み休み言いなさいこの馬鹿!」

「ば、馬鹿って……でも、他に方法が無かったらそうするしか……」

「だからそれを馬鹿だって言ってんのよ、この大馬鹿! 私が助かってもあんたが死んだら皆悲しむでしょうが!? アリスも、赤姉も、白雪たちも……そんなことも分からないわけ!?」

「……僕だってそれは分かってるよ。それに死んでしまったら皆が悲しむのは親指姫も一緒だってこともね」

 

 正直自分が間違ったことを言っている自覚はあった。

 親指姫が言う通り、誰かを犠牲に自分の命が助かったとしても喜ぶ人間は少ない。ジャックだって自分を助けるために誰かが犠牲になってしまったら素直に喜ぶことなどできない。

 だがそれは助けられる側の感情。助ける側としては自分の命を捧げることになろうとも、大切な人には生きていて欲しい。だからこそジャックは自分が間違っていると知っていても、命を賭して親指姫を助けることを選んだのだ。

 

「だけど僕は目の前で大切な人が危ない目にあっているのに指を咥えて見てるなんてできないよ。君だってもし白雪姫や眠り姫が危ない目にあっていたら、僕と同じ事をするよね?」

「それは……っ! ええ、そうよ! たぶんやるわよ! けどあんたがやるのは絶対許さない! 私は良いけど、あんたは誰のためでも絶対やっちゃ駄目なのよ!」

「ど、どうして僕だけ駄目なのさ! 君の言い方だと僕が命を賭けて君を助けるのは駄目なのに、その逆は良いみたいに聞こえるよ!?」

 

 あの時自分を見捨てるべきだったとでも言うような発言を無視できず、自然とこちらも語気が荒くなってしまう。

 それに言っていることがあまりにも自分勝手で無茶苦茶だ。百歩譲って親指姫を助けることは駄目だとしても、それで他の誰かを助けることさえ禁止されるいわれはどこにも無い。あるとすれば唯一血式少女たちの穢れを浄化できるジャックの血が問題なのだろう。

 だからジャックはそこを指摘されると思っていた。指摘されれば、それは血に価値があるだけで命の価値に変わりは無いと伝える気だった。

 

「そんなの私があんたに絶対死んで欲しくないからに決まってるでしょうが!」

「え……」

 

 だが返って来たのは予想とは全く異なる、身勝手で自己中心的な答えであった。それでいてジャックと同じであり、大多数の人間にとっても同じ理由。ジャックも親指姫に死んで欲しくないと思っていたから、自分の命を賭けてまで助けたのだから。

 予想外だったのは、親指姫の表情。ジャックを叱責する厳しさが浮かんでいるのは先ほどまでと何ら変わりないが、瞳に大きな変化が起きていた。

 その深い緑の瞳が悲しみに揺れ、涙を溢れさせていた。

 

「親指、姫……?」

「……さっき気付いたけど、あんたメルヒェンに襲われた時メアリガンで何発か撃って抵抗してたのよね。でも私には、あんたが食い殺されたみたいに見えたのよ……メルヒェンに首を、食い千切られて……」

 

 その頬を伝わって流れ落ちていく涙に目を奪われ言葉を失ったジャックは、刺々しさが急速に引いていく親指姫の声にただ耳を傾ける。

 確かにメルヒェンの背中しか見えなかったであろう親指姫には、距離の問題も相まって細かい様子は見えなかっただろう。のしかかっているメルヒェンの口元あたりから突然大量の血飛沫が弾ければ、食い殺されたと考えても仕方ない。

 

「……本当に、怖かったのよ。もう二度とこの馬鹿の声も聞けなくなって、もう二度と馬鹿面の笑顔も見られなくなるんだって……私のせいで、ジャックが死んだんだって……それを考えたらどうしようもなく怖くなって、胸が張り裂けそうなくらい悲しくなって……」

(それで、ブラッドスケルター化したんだ……)

 

 その恐怖と絶望、自責の念が穢れとなり、親指姫はブラッドスケルター化してしまったのだろう。数秒後にジャックがメルヒェンを跳ね除け無事に立ち上がる様を目にする暇も無く。

 その証拠に今涙を流す親指姫の瞳の奥には、浄化したばかりだというのに微かなピンク色の光が灯っていた。

 

「あんたが死んだら、私またそんな思いをしなきゃなんないのよ……? もう嫌よ、あんな思いするのは……あんな苦しみ抱えて生きるのは……もう、あんな怖い思いさせないでよ、ジャック……あんたが死んだら、私……私……!」

 

 涙の雫が親指姫の頬から幾つも零れ落ち、ジャックの頬を濡らしていく。今や先ほどまでの厳しさは見る影もなく、ただ悲しみと恐怖に怯える少女がそこにいた。

 

(あの親指姫がこんなに怖がって、子供みたいに泣くなんて……)

 

 見た目はほとんど子供としか思えないし、どことなく気が強くてそれなりに口が悪い。だがジャックよりよっぽど頼りになるしっかり者で、細かい所にも気配りができる面倒見の良い三姉妹のお姉さん。

 そんな親指姫がジャックの腕の中でこんなにも怯えて震え、今にも子供のように大声で泣き喚いてしまいそうなほどに顔を悲しみに染めている。こんな今にも壊れてしまいそうなほど弱々しく儚い親指姫の姿は見たことがなかった。そして、見ていたくなかった。

 

「泣かないで、親指姫……」

 

 その背中に回していた手を頬へと持って行き涙を拭うも、一向に涙は引きはしない。

 一体どうすれば親指姫を泣き止ませることができるのだろうか。どうしたら泣き止んでくれるのだろうか。

 悩み考えた末に、ジャックは一つの方法に辿りついた。

 親指姫が怯えているのはジャックを失うこと。

 ならばジャックが今ここにいるということを、生きているということを深く伝えてあげよう。

 

「っ――」

 

 そしてジャックは親指姫の頬に手を添えると、静かに唇を重ねた。

 未だ身体が死に体のため唇の感触ははっきりとは分からなかったが、腕の中で親指姫の身体が強張ったことははっきりと感じた。

 

「じゃ、ジャック……?」

 

 ほんの数秒程度の口付けを終え親指姫の瞳を覗きこむと、すでに涙は止まっていた。

 代わりに戸惑いと恥じらいに埋め尽くされていて、つい先ほどまで感じていたであろう恐怖や悲しみは微塵も存在していなかった。

 だがそれはそれとして、これだけはちゃんと伝えておかなければならない。

 

「……ごめんね、親指姫。君がそう思ってくれてるのと同じで、僕も君に死んで欲しくないんだ。だからもしまた今回と同じような状況になったら、やっぱり僕は君を助けるよ。ううん、君だけじゃない。例えそれがアリスや白雪姫たちでも同じだよ。大切な人を救えるのにそれをしないで死なせてしまったら、きっと一生後悔するから……」

 

 大切な人に死んで欲しくないのは皆同じ。

 何を言われようと、また涙を流されようとも、大切な人を守りたいという気持ちは曲げられない。

 だからもう自分の命を賭けないなどという約束だけは、絶対にできない。

 ジャックはそれをできる限り優しく、微笑みを浮かべて口にした。

 

「っ……! このっ……馬鹿……!」

 

 みるみる内に怒りに染まっていく頬と、鋭く細められていく泣きはらした瞳。

 もう一度叩かれることくらいは覚悟していたものの、親指姫はたった一言だけ罵倒を零すともう顔も見たくないとでも言うようにそっぽを向いてしまった。

 それでもジャックの身体を抱いたまま暖めてくれているのは、本当に心の底から死んで欲しくないと思っているからだろう。

 

「……ごめんね、親指姫」

 

 ジャックはもう一度だけ謝罪を口にしたが、そこからはもう親指姫は口を利いてくれなかった。

 

 

 

 





 何やら仲たがいしちゃった感じの二人。エッチなことが始まるとか期待していた心の汚れている人たちはいませんよね? ちなみに最近はR18の話ばかり書いていたせいかどの程度まで書いて良いのか分かりませんでした。まぁもともとそこまで詳しく描写できているわけでもないですし、別に気をつけなくても良かった気がします。
 こんな話を書いておいて何ですが、私がゲームをプレイしている時は先頭メンバーがアリス&赤姉だけの時のジャックは立派な盾でした。雑魚戦での被ダメを一回カットできるのは回復手段やアイテムに乏しい状況ではとてもありがたかったです。もちろん2に集録されているリメイク版でも容赦なく盾にする予定。



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ジャックの受難


 前回、何やら(一方的に)仲違いしたような二人。その後のお話。
 実はこのジャック×親指姫がただの妄想だった時点では前回で致しちゃう感じのお話もありました。でもお互いに血塗れな上お外での初めてとかさすがにロマンの欠片も無いのでやめました。ちょっとそれは猟奇的すぎる……。




「あ、ちょうど朝ごはんだったんだね。おはよう、皆」

 

 翌朝、すっかり回復したジャックはちょうど朝食の席であった食堂に顔を出した。

 昨日の親指姫との一件は仲間を連れてきた白雪姫たちにより一応の解決を迎えた。とはいえ裸で抱き合っていたという驚愕の事実は知られていない。幸いにもその頃にはジャックの体調も峠を越えていたため、皆が辿りついた時にはすでにお互い衣服をきちんと身に着けた状態だったからだ。そのためジャックとしては一安心の所であった。

 ただジャックが大怪我をしたことや大量出血で動けなくなるほど弱っているのは普通にバレてしまったため、元街道沿いエリアから黎明の救護室まで赤ずきんにお姫様抱っこで運ばれるという惨い仕打ちを受けてしまった。特に解放地区を通るあたりで感じた好奇の視線が一番辛いものであった。

 まぁ本当に一番辛かったのは、親指姫があれから一切口を利いてくれなかったことの方なのだが。

 

「あら。御機嫌よう、ジャックさん。もうお身体の方はよろしくて?」

「まだ休んでいなければ駄目よ、ジャック。無理はしない方が良いわ」

「ううん、もう大丈夫だよ。皆、心配かけてごめん」

 

 未だジャックの体調を心配してくれているシンデレラとアリスに笑いかけ、体調の良さをアピールする。今回は一日休んでしっかりと回復しているので、眩暈が起きたり倒れたりすることもない。

 強がっているわけではないと皆も分かってくれたらしく、一様に安堵の吐息を漏らして微笑みを浮かべていた。

 

「ふふっ。すっかり回復したようね、ジャック。普段通りの青白い肌で安心したわ」

「どこ見て安心してんのさ、あんたは……まあ体調戻ったみたいで何よりだよ、ジャック。朝ごはん出来てるからいっぱい食べて体力付けなよ?」

「待っててください、ジャックさん! すぐに白雪が食事の用意をしますから!」

「うん。ありがとう、白雪姫」

 

 やはり安心した様子の白雪姫がすぐさま席を立ち、ジャックの朝食の準備に走る。厚意によるものなので断ったりはせず、お言葉に甘えて席について待つことにした。

 

(あれ……?)

 

 その間周囲に視線を巡らせてみたのだが、まだ朝早いせいか皆が席についているわけではなかった。まだ寝ているのか何人か少女たちの姿が見えない。今一番ジャックが気になる少女の姿も。

 

「ねぇ、赤ずきんさん。親指姫たちはまだ起きてきてないの?」

「ん? かぐやとネムは当然としてラプとハーメルンは起きてきてないけど、親指はそこに……って、あれ?」

 

 スプーンでテーブルの一角を指す赤ずきんだが、そこには食べかけの朝食があるだけ。

 どうやら今の今までそこにいたようだがいつのまにか席を立っていたらしい。気がつかなかったのか赤ずきんも首を傾げている。

 

「ついさっきまでいらしたのに……お手洗いでしょうか?」

「そっか……うん。それじゃあ、いただきます」

 

 それなら特に気にすることはないだろう。挨拶をするのは後に回して、ひとまずは白雪姫が用意してくれた朝食を頂くことにした。

 親指姫が戻ってきたなら、二人きりで話をしようと心に決めて。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、結局親指姫はジャックが朝食を終えても食堂には戻ってこなかった。

 ちょっと疑問に思ったが女の子である親指姫には色々あるのだろう。あまり詮索すると失礼になるかもしれないので特に深く考えはせず、ジャックは朝食の後片づけを終え一旦部屋へ戻ることにした。

 

「ちょっとネム、こんなとこで立ったまま寝てちゃ駄目よ。二度寝したって良いからせめて朝ごはん食べておきなさい」

「ん、んー……」

(あ、親指姫だ……!)

 

 そしてその最中、廊下で困り顔の親指姫と八割くらい夢の世界にいる眠り姫の姿を見つけた。傍らには同様に眠そうで目蓋が落ち気味のハーメルンの姿もある。

 しかしジャックに最も強い反応を生じさせたのは親指姫だ。何せその姿を目にしただけで心が浮き立ち、とても幸せな気持ちになってきてしまったのだから。

 たぶん以前までならどうして顔を見ただけでここまで嬉しくなるのだろうと不思議に思ったに違いない。ただし今はちゃんとその理由に気付き、受け入れているので戸惑いは無かった。むしろ当然とさえ思えてしまうほどだ。

 

「くくっ、睡魔に身を任せながらも身を倒さぬとはさすがは姫だ。ワレには到底にゃしえない業でありゅな……故にワレは横ににゃりて再び深き眠りにちゅく……」

「さり気なく部屋戻ろうとしてんじゃないわよ、ハーメルン。あんたも朝ごはんくらい食べときなさい。ていうかあんた寝癖凄いわよ……」

「この魔王たるワレが寝癖だと? 何を世迷いごとを……む、ジャックか」

 

 親指姫たちの前に姿を現すと、眠気にだいぶ舌が緩くなって言葉を噛み捲くり、半分目蓋が落ちているせいで途轍もなく目付きの悪いハーメルンに視線を向けられる。

 ちなみに長い銀髪は重力に逆らい猛烈に逆立っている。あれが寝癖で無いなら一体何だというのか。

 

「おはよう、ハーメルン。それから眠り姫も……半分以上寝てるみたいだけど……」

「んー……おはよう、ジャック……すー……」

 

 ジャックの挨拶に対したぶん寝言で挨拶してくる眠り姫。驚くほど器用な反応だが立ったまま眠れる眠り姫ならこれくらいは簡単なのかもしれない。

 

「それから親指姫もおは――あ、あれ? 親指姫?」

 

 なので特に言及することも無く続けて親指姫に挨拶をしようと顔を向けたのだが、あろうことか忽然と姿が消えていた。ほんのついさっきまでそこにいたというのに。

 意識の大半が夢の世界に旅立っている眠り姫はともかく、ハーメルンもたった今それに気がついたらしく周囲に視線を向けて姿を探していた。

 

「ワレに気取られずに姿を消すとは……さすがは姫の血縁でありゅな。驚愕すべき隠遁能力だ」

「……僕、何か親指姫に避けられてる気がするな……」

 

 朝食の時は偶然と思ったがさすがにこの状況では考えにくい。いくらジャックとハーメルンが傍にいるとしても、無防備にも立ったまま眠ってしまっている眠り姫を放ってどこかへ行ってしまうとは。

 それに避けられる理由には幾つも思い当たる節がある。口も利かず顔も合わせず、一秒でも一緒の空間にいたくないという感じの親指姫の反応からすると、理由はたぶんジャックが怒らせてしまったせいだ。何を言っても命を賭けるのを止めようとしてくれない、死にたがりの分からず屋だと誤解されたままでは仕方ないかもしれないが。

 

「ふむ? ジャック、貴様まさか女子を傷つけるような不埒な行為を働いたのではなかろうな?」

「そ、そんなことは……してない、よ?」

 

 そしてハーメルンの指摘により、それとは別件の失態を思い出してしまう。事故とはいえ裸を見てしまった挙句、自分の意思で許しも得ずにキスまでしてしまったのだ。これらは間違いなく不埒な行為に違いない。

 一番にそれを指摘してきた意外にも鋭かったハーメルンを騙せるとは思えないが、ジャックは何とか誤魔化しを試みてみた。まぁ視線はだいぶ泳いでしまったので確実にバレただろうが。

 

「そうであるか。ならば思い過ごしではないか?」

(あ、バレなかった……)

 

 しかしハーメルンは何の疑いも無く信じてくれた。どうやら鋭いのは眠気に細めた視線だけらしい。

 

「うーん、思い過ごしなら良いんだけどな……」

「うむ、間違いなく思い過ごしであろう! では話は終わったからして、ワレは部屋に戻るとしよう」

「うん、その前にちゃんと食堂で朝ご飯食べてきなよ。あ、できれば眠り姫も連れて行ってあげてくれるかな?」

「うぅ……心得た……」

 

 さり気なく部屋に戻って二度寝を決め込もうとしているハーメルンを引きとめ眠り姫を任せつつ、親指姫との問題をどうするべきか考え込むジャック。

 とにかく命を粗末にするような発言をしたことも不埒な行為を働いてしまったことも頭を下げてしっかり謝罪するべきだし、そうしたいというのが本音だ。罪悪感もあるが、何より親指姫に避けられていると考えるだけで酷く胸が痛んでしまうから。一刻も早く機嫌を直してもらわなければその痛みに耐えられそうに無い。

 しかしここまで露骨に避けられていると簡単には行かないだろう。何せほんのちょっと目を離した隙に掻き消えたように姿を消してしまうのだから、捕まえるのは容易ではない。

 

(でも、絶対話を聞いてもらわないと……!)

 

 それでも何としてでも親指姫に話を聞いてもらいたかった。しっかりと謝罪をした上で、自分の胸の内に芽生えた気持ちを伝えたいから。

 眠り姫の手を取り食堂に向かうハーメルンをしっかりと見送ってから、ジャックは絶対に捕まえると意気込みあたりを探して歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーメルンは親指姫に対して驚愕すべき隠遁能力だと褒めはやしていた。それを聞いた時には隠遁能力は言い過ぎだろうとちょっと呆れたのだが、今やジャックはその認識を完全に改めていた。

 

(親指姫、本当は透明になれるとかじゃないよね……?)

 

 結論から言うと親指姫に話を聞いてもらうことはできなかった。というか捕まえられなかった。

 部屋に訪ねていっても無視されるのはもちろん、時間をずらしたりしているのかもう食事の席で見かけることも無い。たまに姿を見かけた時に何とか捕まえようと試みるものの、いつもあと一歩のところで見失ってしまうのだ。

 親指姫はかなり小柄なので気をつけていても見逃してしまうのではないだろうかと考えたこともあるが、一度などは廊下の曲がり角で曲がった親指姫に数瞬遅れて曲がると、どこにも姿が見当たらなかったというあまりにも理解しがたい事態にさえも遭遇した。

 正直今や自らの能力で自分を小さくしてジャックの目を掻い潜っているのではないかと疑っているほどだ。本当にそんなことができるのかまでは知らないがそれくらい捕まえられなかった。

 

「ちょっとジャック、話があるからあたしの部屋に来な」

 

 そんな日々が五日も続いたせいだろう。ついに赤ずきんからの呼び出しがかかってしまった。呼び出し方が喧嘩に誘われているようでちょっと怯えてしまったのは秘密である。具体的には一発シメられそうな感じで怖かった。

 

「えっと……話って何かな、赤ずきんさん?」

「……ジャック、あんた親指と喧嘩か何かしたろ?」

 

 しっかり手を握られ部屋へと連行された後、話の内容を尋ねると赤ずきんは前置きも無く核心に迫ってきた。

 一応疑問系であったものの表情には一切の疑いは無く、何か後ろ暗いところがあるということは確実に見破られている。さすがにこれではハーメルンの時のように誤魔化すことはできそうもない。なのでジャックは正直に話すことにした。

 

「喧嘩はしてないよ。ただちょっと、意見の食い違いがあっただけっていうか……」

「まあ深くは聞かないけどさ、やっぱりあんたからさっさと謝った方が良いよ。親指が折れたりしないのはあんただって分かるだろ?」

「うん。だから僕は謝ろうとしてるんだけど、なかなか親指姫を捕まえられなくて……」

「徹底的に避けられてるなぁ。一体どんなこと言えばそこまで怒らせることができるのさ……」

 

 赤ずきんも自分が目にしたここ数日のジャックの避けられシーン集を思い出したのだろう。呆れ半分の苦い顔を浮かべながらも視線でじっくりとジャックを責めてくる。

 

「怒らせることを言ったのは認めるけど、さすがに僕もここまでとは思ってなかったな……」

 

 意地悪な視線と罪の意識に居心地の悪さを覚え、視線をあらぬ方向へ向けて溜息をつく。

 実際に自分の命を賭けて親指姫を助けた挙句、次からも同じように命を賭けて助けると言ってしまえば正直誰でも怒るだろう。というか逆の立場ならジャックでも怒る。

 しかし同じ立場なら親指姫も同じ事をすると言ったのだから、厳しく怒りたっぷり注意したとしてもすぐに自然といつも通りの二人の関係に戻ると思っていた。だが親指姫はかれこれ五日間怒ったままだ。それも顔を合わせないどころか同じ部屋にもいようとしないほどに。

 

「やっぱりこういうのは当人同士の問題だろうけど、もう少し頑張ってどうしても親指を捕まえられないっていうならあたしのとこにきなよ。ふんじばるなり閉じ込めるなりして話できるようにしてやるからさ」

「ありがとう、赤ずきんさん。気持ちは嬉しいけどさすがにそこまではしてくれなくて良いよ」

「本当にー? 親指の様子見る限りだとそれくらいしないとあんたとは顔合わせそうにもないよ?」

「僕もそう思うけど、そんなに乱暴な真似したら余計に怒らせそうな気がするからね……」

 

 ただでさえ徹底的に避けられているというのにこれ以上親指姫を怒らせたらどうなるか分かったものではない。

 許して欲しければやはり正攻法で正面から行って謝罪するしかないのだ。正面から行って捕まえられるかは別として。

 

「それもそうか。ま、頑張って早く仲直りしなよ、ジャック。いい加減あたしも皆も気まずくて堪んないからさ……」

「う、うん。頑張るよ……」

 

 やはり気を揉んでいるのは赤ずきんだけではないらしい。自分のためにも皆のためにも、ジャックは一刻も早く親指姫と仲直りすることを心に決めて部屋を出た。

 

「――あ!? 親指姫!?」

「うげっ……!」

 

 その瞬間、ちょうど赤ずきんの部屋の前を通りかかったのか件の親指姫とエンカウントした。

 

(チャンスだ! 今すぐ捕まえ――今『うげっ』て言われた!?)

 

 ジャックにとっては非常に幸運だったが親指姫にとっては最低の不運なのだろう。ジャックの顔を目にした瞬間露骨に眉を顰められた。その上何か『うげっ』とまで言われた気がする。

 

「……っ!」

「ちょ、ちょっと待って親指姫! 少しで良いから話を聞いて!」

 

 そして始まる追いかけっこ。だが今回は一歩踏み出せば何とか触れられそうな近距離で始まった。妨害が無ければ今回こそは捕まえられる。

 そう息巻くジャックはツインテールとスカートをたなびかせて走る親指姫の後を全力で追った。廊下の角を曲がる親指姫だがいかんせんジャックとの距離が近いためいつものような隠遁能力は発揮できないはずだ。これなら勝てる!

 

「っ――白雪! そこで両手両脚広げてそのまま待機!」

「え!? は、はい、分かりました!」

「し、白雪姫ー!?」

 

 しかし今度は訪れた運が逆転する結果となってしまった。

 角を曲がったジャックが目にしたのは、何が何だか分からない顔をしながらも姉の唐突かつ意味不明な命令を愚直に実行し、行く手を遮るように両手両脚を広げた白雪姫の姿だった。その隣には困惑気味のアリスの姿と、奥の方には親指姫の後姿。

 今までの経験からすると今更後を追ってもまた姿を見失うだけだ。残念ながら今回もジャックの敗北である。

 

「はぁっ……惜しかったな。今日こそは捕まえられると思ったんだけど……」

「え? あ! すみませんジャックさん! 白雪、邪魔してしまいましたか!?」

 

 がっくり肩を落として溜息をついてしまうジャックに、自らの行動が及ぼした結果を理解したらしい白雪姫。邪魔をされたのは確かだが悪気があったわけではないので、別に責める気は無かった。

 

「ううん。白雪姫のせいじゃないよ。素直なのは良いことだもんね」

「さすがに今の反応を素直と表現するのはどうかと思うのだけれど……ジャック、まだ親指姫に避けられているのね」

「う、うん。もう五日くらいになるかな」

「うーん……どうして姉様はそんなにジャックさんを避けているんでしょうか……」

 

 あまりにも徹底的に避けられているせいかその理由については皆詮索しようとはしないのだが、やはり気にはなるのだろう。白雪姫は独り言のように呟いていたものの、視線はちらちらとこちらに向けられていた。

 

「それは僕が怒らせることを言ったせいだよ。さすがにここまで徹底的に避けられるようになるとは思ってなかったけど……もしかして僕、親指姫に嫌われたかな……」

 

 あまり考えたくない可能性だがここまで避けられているとなると嫌われたのだとしてもおかしくはない。

 おまけにその嫌いな奴が自分の姿を見るたびしつこく追いかけてくるのだから、怒りが増すことはあれど収まることはないだろう。これでは自分の気持ちを伝えても受け入れられはしないどころか、仲直りすら怪しいところだ。

 

「ジャック、あなたが親指姫に何を言ったのかは知らないのだけれど……そもそも親指姫は本当に怒っているの?」

「え? もちろんだよ。だって僕の話を全然聞いてくれないどころか、顔を合わせようともしてくれないんだから。さっきは不意のことだったから何とか顔を合わせることはできたけど、僕を見た途端『うげっ』って言ってたしね……」

 

 聞くまでもないであろうことを尋ねてくるアリスに、先ほどの親指姫の反応を伝えるジャック。さすがに顔を見られて『うげっ』はかなり傷ついたので誰かに聞いて欲しかったのだ。

 

「そ、そうなんですか……でもさっきの親指姉様、怒っているような顔はしていませんでしたよ?」

「え、怒ってない……ああ、じゃあ嫌そうな顔してたってことかな? さすがにあれだけ追い回せば嫌がられても無理ないよね」

(……あれ? もしかして僕のやってることってストーカーじゃないのかな?)

 

 冷静に考えてみると親指姫の姿を探して歩き回り、姿を見かけると追いかけていくジャックのやっていることは普通にストーカーではないだろうか。

 そんなストーカーを魔法で撃退したりはせず避けるだけなあたり、親指姫にしては非常に優しい対応な気もする。

 

「いいえ、そういった悪感情の表情はしていなかったわ。あれはむしろ、その……恥じらい、という表現が近いかしら?」

「え……恥じらい……?」

 

 首を振ったアリスの口から出てきた予想外の言葉に、思わず自分の耳を疑うジャック。

 聞き間違いかと思って今度は白雪姫に視線を注ぐが、どうやら同じ考えだったらしく首を縦に振っていた。

 

「はい。親指姉様、何だか凄く恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていましたよ?」

「え、本当にそんな顔してたの? 僕への怒りで顔が真っ赤になってるとかじゃなくて……?」

「いいえ。その、ジャックがそんなことをするはずは無いと分かっているのだけれど……あなたにとても恥ずかしいことをされて、必死に逃げてきたような顔をしていたわ」

「ぼ、僕に恥ずかしいことをされて、って……僕はそんなことした覚えは……あ」

 

 あった。十二分にあった。

 お願いしたわけではないが、裸でお互いに抱きついて身体を暖めてもらったこと

 そのために必要だったとはいえ、ジャックの衣服を全て親指姫に脱がせてもらったこと

 事故だったとはいえ、親指姫の裸を上から下までじっくり眺めてしまったこと。

 質問の意図を勘違いして、じっくり眺めた親指姫の裸の感想を伝えてしまったこと。

 そして極めつけは自らの意思で、許しも得ずに唇にキスしてしまったこと。

 

(身体を暖めてもらったのと脱がされたのはセーフだとしても、他は全部アウトだよね……)

 

 最初の二つはギリギリ除外できるとしても、他の三つはどう考えてもジャックにされた恥ずかしいことである。気付いてしまった上に光景や感触を思い出してしまったジャックは、羞恥に顔が赤くなっていくのをはっきりと感じた。

 

「じゃ、ジャック? 何故、思い当たる節があるような顔をしているの……? ま、まさか、あなた……」

 

 そしてその反応を答えと受け取ったのだろう。アリスは信じられないと言った表情で唇を震わせていた。

 

「え!? じゃ、ジャックさん……もしかして、親指姉様に無理やりエッチなことを……!?」

「そ、そんなことしてないよ! 確かに無理やりだったかもしれないけど、あれはそこまでエッチなこと何かじゃ――!」

 

 少なくともキスはそこまでエッチなことではないはずだし、そんな気持ちでキスしたわけではない。心外だと思ったせいでジャックは口を滑らせてしまった。咄嗟に噤むが、時すでに遅し。

 白雪姫は顔を真っ赤にして、逆にアリスは何故か顔を真っ青にして驚愕を露にしていた。

 

「つ、つまり、ジャックは……そこそこエッチなことを、無理やり親指姫にしてしまったということ……?」

「ち、違うよ!? さっきのは言葉の綾で……!」

「い、いやあぁぁぁぁ! 不潔です、ジャックさん! 見損ないました!」

「う、嘘よ、そんな……! ジャックが、そんなことをするなんて……!」

「ご、誤解したまま行かないで白雪姫! あっ、ど、どうしたのアリス!? アリス!? しっかりしてアリス!?」

 

 まるで親指姫のように走って逃げていってしまう白雪姫と、絶望に支配されたかの如く崩れ落ちかけるアリス。

 もしかしてアリスたちの言う通り、親指姫は本当は怒っていないのではないだろうか。ただあの時のことが恥ずかしすぎて、顔を合わせられないだけではないのだろうか。

 本当にそうなのだとしたらまだ希望は潰えていない。しっかりと頭を下げてその件について謝罪し、その後に自分の気持ちを偽り無く伝えればまだ可能性はあるはずだ。

 

(でも顔を合わせたくないくらい恥ずかしい思いをさせたなら、もうしばらく時間を置いた方が良いかな……?)

 

 しかし話をするのは親指姫が顔を合わせられるようになるまで気持ちが落ち着くのを待つのが賢明だろう。あまりにしつこいと本当に嫌われてしまうかもしれない。

 ひとまずストーカー行為を止めることに決めたジャックは、まずは今にもブラッドスケルター化しそうなくらい謎の衝撃を受けているアリスをどうすべきか悩むのだった。

 

 

 

 





 次回、一章終わり。
 次回からやっとニヤニヤできるはずのシーンがちらほら出てくるはずです。正直好きなのはそういうシーンで重い話はあんまり好きじゃないです。物語にはそういうシーンも必要だということは分かっているんですけどね……。



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告白

 一章最後のお話。ついにカップルが成立する……?
 ちなみにゲームで最初に迎えたエンディングは当然の如く親指姫エンドです。もちろんその前に七、八回くらいバッドエンド迎えましたが……。



「はぁ……はぁ……! あ、危なかった……白雪がいなかったら捕まってたわね……」

 

 ジャックの追跡から何とか逃れて自室へと戻り、荒く乱れた呼吸を整える親指姫。さっきのジャックは偶然遭遇したかのような反応をしていたが、実際の所はなるべくしてなった遭遇だ。何せ親指姫は直前まで赤ずきんの部屋の扉に張り付いていたのだから。

 張り付いていた理由はもちろん、中で二人がどんな話をしているのか気になったから。赤ずきんに仲良く手を引かれて部屋に入っていくジャックの姿を見れば、誰だって会話の内容が気になって当然だ。当然親指姫も気になってしまったのだ。

 そんなわけで扉に耳を当てて二人の会話を聞いていると、逃げるタイミングを逃して遭遇してしまった、という間抜けな話である。 

 

「全く……ジャックの奴本当にしつこいわね……」

 

 あくまでも冷たい身体を暖めてやるためにジャックと裸で抱き合った日から五日間。その間ジャックは親指姫の姿を見かけるといつも追いかけてくるようになってしまった。理由はさっき赤ずきんとの会話を盗み聞きしたのでやっと分かった。どうやらジャックは自分が馬鹿でふざけたことを言った事実をちゃんと謝りたいらしい。

 しかし親指姫としては話もしたくないので逃げるしかなかった。そもそもできれば顔も合わせたくない。このままでは状況が一向に好転しないのは分かっているが、どうしても顔を合わせたくない。

 どうにもならない現状に一つ溜息をついたところで、部屋の扉が静かにノックされた。まさかジャックが訪ねてきたのだろうかと親指姫は身構える。

 

「だ、誰よ?」

「私です、姉様。白雪です。入ってもよろしいですか?」

「ああ、白雪……開いてるから入って良いわよ」

 

 ジャックではなかったことに対して安堵し、素直で可愛い妹を招き入れる。さすがにあれだけ唐突に意味不明な命令をされても従ってしまうのはちょっとどうかと思ったが、今回はその行き過ぎた素直さに助けられた。

 

「失礼します、姉様。あの……お話してもよろしいですか? ジャックさんのことで……」

「じゃ、ジャックのこと? 何よ、白雪?」

 

 入ってきた白雪姫に突然ジャックの話題を突きつけられ、驚きに一瞬声が裏返りそうになる。何とか平静を装い答える親指姫だが、強がりはそこまでだった。

 

「ええと、その、親指姉様……もしかしてジャックさんに何か恥ずかしいことをされてしまったんですか……?」

「な、は、恥ずかしいこと……!?」

 

 途端にあの時あったことを全て思い出し、自分の顔が熱くなっていくのを感じながらもどうしようもできない親指姫。

 色々仕方の無い理由があったとはいえ、ジャックと裸で抱き合ったり、ばっちり裸を見られたり。そして自分でもびっくりするほど弱々しく泣きながら、ジャックが大切だから死んで欲しくないと切なくお願いしてしまったこと。

 それらを実際に経験した時はジャックが半ば死にかけていたりしたせいで感じた羞恥は薄めだったものの、すっかり回復した今やもう羞恥心は絶好調だ。ジャックと顔を合わせたら顔から火が出てその火で焼け死にそうなくらい恥ずかしい。ジャックを避けている理由の半分はそれだ。

 

「ね、姉様、お顔が真っ赤です! やっぱりアリスさんの言っていたことは本当なんですか!? ジャックさんに無理やりエッチなことをされたんですか!?」

「な、何よそれ!? そんなあいつに無理やりエッチなことなんて、されて……されて……」

(……き、キスはそんなにエッチなことじゃないわよね? 無理やりされたってわけでもないし……)

 

 とんでもないことを言う白雪姫に否定しようと口を開いた親指姫だが、自然と言葉は途切れていってしまった。少し判断に悩んでしまったからだ。

 とはいえ親指姫の思考が読めるわけも無い白雪姫には、思い当たる節があって言葉を切ったようにしか見えなかったに違いない。

 

「ど、どうして口ごもるんですか、姉様!? や、やっぱり、ジャックさんに……!」

「だ、だから違うっての! そもそもキスなんてそれほどエッチなことじゃないじゃ――!?」

 

 言いかけて咄嗟に口を塞ぐが、少し遅かった。

 畳み掛ける羞恥心への攻撃に冷静さを保つことができず、ついつい口を滑らせてしまった。聞き逃しはせずにばっちり言葉を耳にしたらしい白雪姫はより一層顔を赤くして驚愕を露にしている。

 

「ええっ!? じゃ、ジャックさんにキスされてしまったんですか!?」

「い、今の忘れなさい白雪! 命令よ!」

「む、無理です姉様! さすがに白雪でもそんな衝撃的なこと忘れられません!」

「だったら私が忘れさせてやるから頭出しなさい! 大丈夫よ、ちょっと強くぶん殴るだけで済むから!」

「ひゃぁ!? そ、そんなことよりも姉様! ジャックさんにキスされたということはジャックさんとお付き合いを始めたということですね! おめでとうございます!」

 

 まずは組み敷いて帽子を剥ごうと考えたあたりで、白雪姫がほんの少しだけ引きつった笑みで手を叩いて祝福してくれた。まだ祝福されるような結果にはなっていないというのに。

 

「べ、別に私たちは恋人になったわけじゃないわよ! ていうか、告白とかはされてないし……」

「えっ? ということはジャックさん、告白も無しに姉様にキスしてしまったんですか? ジャックさん、そんなに大胆な方だったんですね……!」

「大胆っていうかただの馬鹿よ、あいつ! 人の話聞かないし、うら若き乙女の唇を奪っておいて謝罪の一つも無いとかありえないっつーの!」

 

 そう、あれはただの馬鹿である。自分の命を賭けてでも他者を助けようとする凄まじい馬鹿。そして何を言ってもそれを止めようとしないとびっきりの馬鹿だ。だからこそ親指姫はあの時分からず屋の死にたがりに愛想を尽かし、もう言葉を交わす気にもなれなかったのだ。

 だがそれは頭に血が上っていた状態のこと。今は自分がどれだけ無茶苦茶なことを言っていたかちゃんと親指姫も理解しているので、もうそのことでジャックに怒りを抱いてなどいない。大切な人が死んでしまうかもしれないという危険に直面すれば親指姫だって同じ事をするし、いつまでも根に持って責めていても仕方ないことだ。まぁだからといって全面的に認めるわけではないのだが。

 

「……あの、姉様。もしかしてジャックさんはそれを謝罪するために姉様と話をしたがっているんじゃないでしょうか?」

「わ、分かってるわよ、そんなこと……」

 

 勢いに任せて言い放ったものの、ついさっき赤ずきんとの会話を盗み聞きしたのでジャックが謝罪のために親指姫を追い回していることは分かっている。何があったか知らない赤ずきんには話せなかっただけで、キスに関しても謝るつもりに違いない。少なくともジャックは許しも得ずに女の子にキスしておいて謝罪の一つもしない、などという人間ではない。

 

「じゃあどうしてジャックさんから逃げているんですか? やっぱりジャックさんが言っていた通り、もう顔も見たくないくらいにジャックさんのことを嫌いになってしまったんですか……?」

「え? あいつ、そんなこと言ってたわけ?」

「はい、凄く辛そうな顔をして言ってました。突然キスしてしまうくらい姉様のことが大好きなジャックさんからすると、姉様に避けられるのはきっと凄く苦しいことのはずです……」

「ジャック……」

 

 あまりにも意外な白雪姫の言葉に、しばし羞恥も忘れて呆然としてしまう。

 親指姫がジャックを避けているのは羞恥心からであって、怒っているからとか嫌いになったからとかいう理由ではない。

 だが親指姫の心情を知ることのできないジャックにとっては、顔も合わせず言葉も交わさず徹底的に避けられているという事実しかないのだ。おまけに最後に交わした言葉は分からず屋の死にたがりへの罵声なのだから、もう嫌われたと考えても無理も無いだろう。

 本当はむしろ――

 

「ねえ、白雪……ジャックは本当に、私のこと好きだと思う?」

「はい、もちろんです! 何とも思っていない人にキスしたりはしないと思います。姉様は……ジャックさんのことは、好きじゃないんですか?」

「私は……私、は……」

 

 ジャックが酷く傷ついているということを知ったせいだろうか。もう反射的に否定をしたり、誤魔化したりする気にはなれなかった。

 それにここにいるのはジャックではなく白雪姫一人だけ。

 どうせキスされたことを知られてしまったのだから、もうぶっちゃけたって良いだろう。

 妹の前でも口に出来ないような言葉を――本人に言えるわけもないのだから。

 

「……あぁ、そうよ! 私はジャックのこと、大好きよ!」

 

 なので半ば自棄になった親指姫はついに本音を口にした。これにはさすがの白雪姫も口元を押さえ、目を丸くして驚いている。

 そう、親指姫はジャックのことが大好きだ。

 勘違いだったとはいえ一度はジャックを失った痛みを味わい、その上二度目は勘違いではなく本当に失いそうになった。その時に感じた途轍もない絶望や胸が張り裂けそうな悲しみが親指姫に気付かせた。自分が抱いていたジャックへの気持ちを。

 喪失感の大きさは裏を返せばそれだけ失ったものの存在が大きかったということ。ジャックを失った苦しみを抱えて生きるのは嫌だと感じた親指姫は、本当は自分がどれだけジャックのことが好きで一緒にいたいのかをたっぷり思い知らされてしまったのだ。とりあえずもっと笑顔を見ていたいとか、もっと声を聞いていたいとかいう微笑ましい感じで終わる想いではなかった。

 ジャックを避けていた理由のもう半分はその想いの強さ故にである。顔を合わせたらジャックへの想いで心の中がヤバイことになって、そんな想いを感じている自分が恥ずかしくなってしまうからだ。

 

「……今の誰かに喋ったら承知しないわよ、白雪! この秘密は墓場まで持っていきなさい! 持ってけないならここが墓場よ!」

 

 本音を語って多少すっきりしつつも恥ずかしさ全開の親指姫は、決して口外しないように釘を刺してから白雪姫の身体を部屋の外へと押し出すのだった。

 

「わ、分かりました、姉様! でも、そうだったんですか。姉様が顔を合わせられなかったのは恥ずかしかったからなんですね!」

「あっさり見抜いてんじゃないっての! 良いからもうさっさと出て行きなさい!」

「で、でも姉様! せっかく両想いなのにどうして――姉様!? 姉様ぁ!」

 

 しかし何やら瞳を輝かせて戻ってくるので、もう一度叩き出してしっかりと扉を閉めた。

 色恋の話がよほど気になるのだろうか。白雪姫は扉をノックして呼びかけしばらく粘っていたものの、やがて諦めたらしくノックと呼びかけは聞こえなくなった。

 

「はぁ……両想いなら苦労しないっての、全く……」

 

 再び一人になった部屋でベッドに座りこみ、重い溜息をつく。

 しっかり自分の気持ちに気付いた親指姫は自分が今何を望んでいるのかもちゃんと分かっている。できることならジャックと恋人になって、いっぱいキスして、いっぱい触れ合って――という具合だ。いっそ清々しいほど恥ずかしい願いである。

 だがそれを実現するには告白というとんでもなく難易度も恥ずかしさも高い行為をクリアしなければならず、それを乗り越えたとしても今度はジャックに受け入れてもらえるかという大問題が待ち受けている。たぶん嫌われてはいないことは分かるものの、異性として好かれているかどうかは正直自信はなかった。

 何せジャックの周りには何人も女の子がいるし、みんな親指姫よりも素直で親指姫よりも女の子らしい外見の子たちだ。それらの筆頭が自分の妹たちだというのが死ぬほど解せないが、要はもっと素直で可愛い子たちがいっぱいいる。

 そんな環境にいるジャックがいくら本気の告白をされたとはいえ、素直ではない上に女の子らしい身体つきもしていない親指姫のことを受け入れてくれるのだろうか。それを考えると恥じらいを抜きにしても勇気が出てこなかった。

 

(け、けど、あの時のジャックの反応思い出すと、わりと……)

 

 親指姫の裸を見た時のジャックの反応。女らしくない身体のはずなのに、ジャックは綺麗という感想を口にしていた。それに裸で抱き合っていたので死に体の癖に随分とドキドキしていたのも分かっている。少なくともちゃんと異性として認識されているのは間違いない。

 それに親指姫に避けられて辛そうにしているということは、少なからず好意を寄せられているのだろう。どうでも良い奴や嫌いな奴に避けられたって辛くはならない。

 だとすれば馬鹿でお人よしで皆に優しいジャックなら、親指姫が本気の気持ちをぶつければ受け入れてくれるかもしれない。

 その上幸運なことにジャックは許可もしていないのに親指姫の唇を奪うという、女の子に暴行を働くに等しい罪を犯しているのだ。あれが泣き止ませるためのものだったということくらいは涙を止められなかった親指姫本人が一番良く分かっているが、本来なら牢獄エリアにぶちこまれるべき大罪だ。

 あるいは、しっかり責任を取るべき大罪。

 

「……そうね、くよくよ悩んでても仕方ないわ! あいつにちゃんと責任取ってもらうんだから!」

 

 ついに勝利の道が見えた親指姫は迷いを振り払い立ち上がった。ジャックだからこそ嫌われていないなら受け入れてもらえるはずだし、駄目ならキスのことを引き合いに出して責任を取らせれば良い。かなり卑怯だが素直になれない親指姫にはこれくらいがちょうど良い。

 正直なところいい加減この逃走生活にも疲れてきたし、そのせいで強まっていくジャックと触れ合いたい気持ちに気が狂いそうになってきたところだ。早くあの馬鹿面をじっと目にしながら、なよなよした声を心行くまで聞きたい。もう自分でもびっくりするくらいジャックに夢中であった。

 

「待ってなさいよ、ジャック! 今夜あんたを私のもんにしてやるわ!」

 

 自分の願いに自分で顔を真っ赤にしながらも、親指姫は今夜決着をつけることを心に決めるのだった。妹には自分の気持ちを教えることができたとはいえ、本人への告白という心の中を全て曝け出す素直さの極致にある行為を、対極にいる自分が本番でできるかどうかはなるべく考えないようにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれ、こんな時間に誰だろう?)

 

 ジャックがそろそろベッドに入って休もうかと考えていると、不意に部屋の扉がノックされた。こんな遅い時間に一体誰が訪ねてきたのだろう。不思議に思いながらもジャックは扉を開けた。

 

「――って親指姫!?」

 

 そしてそこにいた人物に驚愕し、目を丸くした。

 何と五日間努力しても捕まえることができなかった、高い逃走能力と謎の隠遁能力を持つ親指姫が自ら訪ねてきてくれたのだ。一瞬捕まえてふんじばらなければ、と考えてしまったのは赤ずきんの影響か。

 

「……ちょっと邪魔するわよ。あんたにどうしても言っておきたいことがあるから」

「そ、そうなんだ。良かった、僕も親指姫に話したいことがあるんだ」

 

 部屋に上がることを薦める前に上がってくる親指姫に対し、笑いかけながらも逃がさないように扉を閉めるジャック。妙に思いつめた表情をしているので何を言われるのかちょっと怖いが、自分から訪ねてきてくれたのは好都合だ。

 

「そ、それもちゃんと聞いてやるから、まず先に私の話を聞きなさい!」

「う、うん。それじゃあ、言っておきたいことって何かな?」

「え、っと……あ、そ、その……ほら、アレよ……! ああぁぁ……もうっ……!」

 

 しばらくジャックに向けて苦々しい視線を向けたり困惑気味の視線をむけたり忙しそうな親指姫だが、やがて羞恥に耐えかねたようにこちらに背を向けてしまった。

 

(やっぱりアリスたちの言う通り怒ってはいないみたいだ。何だか凄く恥ずかしそうだし……)

 

 やはりアリスたちの言っていた通りだったらしい。親指姫は別に怒りや嫌悪を見せてはいない。さっきのは機嫌が悪そうな反応だったが、どちらかと言えばいつも通りの親指姫で何らおかしいところは無い。本人は否定するものの照れ隠しで怒ったりすることもジャックは知っている。

 

「えっと……良かったら、僕が先に話しても良いかな?」

「す、すぐに終わる話なら良いわよ! 先に聞いてやるからさっさと済ませなさい!」

 

 相変わらずこちらに背を向けたまま恥ずかしそうに言い放つ親指姫。

 できればしっかり目を合わせて話したいが無理やりこちらに顔を向かせれば殴られるだけだろうし、下手をすると機嫌を損ねて出て行ってしまうかもしれない。せっかく自分からジャックの下に飛び込んできてくれたのだから、わざわざ逃がすような真似をするのは愚かなことだ。

 仕方ないのでこのまま伝えることにしたジャックは一つ深呼吸して呼吸を整え、口を開いた。

 

「えっと……一応聞いておくけど、親指姫はまだ怒ってるのかな? 僕がその、馬鹿なことを言って君を泣かせたことで……」

「べ、別にあんたに泣かされたわけじゃないっての! それに、あの時怒ってたのは頭に血が上ってたせいよ。あんたがそういうこと平気でする馬鹿だってのは前から知ってたし、今更これ以上見損なったりしないわよ」

「そっか、良かった……」

(……あれ? これ以上見損なわないってことは最初から見損なってるってこと……?)

 

 何だか親指姫にどんな目で見られてるのか少し気になったが、許可も得ずにキスしてしまったことはまだ謝罪していないので最低と思われていても仕方ない。まぁそもそも謝罪できなかったのは親指姫が逃げてしまうせいなのだが。

 

「そういえばまだ謝れてなかったから謝るよ。ごめん、親指姫……その、勝手に君にキスなんかして……」

「い、一体どうしてキスなんかしてきたか正直に言いなさい! 言っとくけど私は、その……ファーストキスだったんだからね! 変な理由だったらただじゃ済まさないわよ!」

(あ、やっぱりファーストキスだったんだ……)

 

 一瞬顔だけ振り返ってこちら睨みつけてくるものの、すぐにそっぽを向いてしまう親指姫。やはり初めてのキスだったらしい。一応ジャックも初めてだったが男のファーストキスなど何の価値もないだろう。

 女の子にとって大切なファーストキスを奪った理由は、泣きじゃくる親指姫を何としてでも泣き止ませたかったからだ。そしてもう一つ、大切で伝えたい理由から。

 緊張に早鐘の如く脈打つ鼓動をはっきりと感じながら、ジャックはゆっくりと口を開いた。

 

「理由は、どうしても君を泣き止ませたかったからなんだけど……やっぱり、君のことが好きだからっていう理由が一番かな……」

「……え?」

 

 一体どんな理由だと思っていたのか親指姫は唖然とした様子で振り返ってくる。だがいまいちジャックが口にした言葉の意味を理解していない感じだ。やはりもっと分かりやすく口にして伝えなければ駄目だ。

 

「その……僕は、親指姫のことが好きなんだ。友達とか仲間とかの好きじゃなくて、一人の女の子としての親指姫が、好きなんだ……」

「っ……」

 

 なので意を決してはっきりと、勘違いのしようもなく気持ちを伝えた。

 この五日間親指姫を追い回したのは謝罪のためだが、本当は自分の気持ちを伝えるためでもあった。

 あの時初めて見た、親指姫の触れたら壊れてしまいそうなほどに儚く弱々しい姿。いつもの気の強い親指姫とは違う、守ってあげたくなるあの姿。不運というべきか幸運というべきか、ジャックはその時の変わりように心を奪われてしまったのだ。それこそ泣き止ませるための方法にキスを選んで、身の程知らずにも自分がすぐ傍で支えて守ってあげたいと思ってしまうほどに。

 

「だから、もしも親指姫が僕のことを嫌ってなくて、キスのことも許してくれるなら……その、僕と付き合って欲しいんだ……!」

 

 今度はしっかりと意味を理解したらしい親指姫が顔を赤くして絶句しているところへ、ちょっと裏返りそうになった声で最後の言葉を続けて告白を終わらせた。キスした五日後に告白とは順番も時間もおかしいがこれは仕方ない。

 

「……あ、あんた、それ本気で言ってる?」

「こ、こんなこと冗談で言えるわけないよ! 本当に親指姫のことが好きだから、その、恋人になりたいんだ。それに恋人になれれば、また君を泣かせてしまった時すぐに慰めて支えてあげられるから……」

 

 呆然とした感じで尋ねてくる親指姫に真面目に答えを返すジャック。

 本当はもう二度と泣かせたりしないように、と言いたいところなのだがそれは約束できないので口にはできなかった。特に好きになってしまった親指姫を助けるためなら絶対にやると断言できる。そしてそれを口にすれば間違いなく怒られる。

 

「よ、よくそんな恥ずかしげも無く好きとか言えるわね……」

「は、恥ずかしくないってわけじゃないよ。でも、僕が親指姫のことを好きなのは事実だからね……」

 

 恥ずかしいがちゃんと伝えたい。もし逆の立場ならその気持ちを言葉にして何度も伝えてもらいたいからだ。

 たった今、親指姫に自分も好きだという返事を返してもらいたいように。

 

「えっと、その……できれば答えを、聞かせ欲しいなって思ったり……」

「す、すぐに答えられるわけないでしょうが! 考えるからちょっとそこで待ってなさい!」

「う、うん……!」

 

 速攻で断られはしなかったことに安堵して、まだ返事を聞いてもいないのに微笑みながら頷いてしまう。

 物事をはっきり言うタイプの親指姫が考える時間を求めるということは、少なくとも嫌われてはいないということだ。顔を合わせた瞬間心底嫌そうな顔で『うげっ』といわれたジャックとしては、もうその事実だけでも嬉しかった。

 

(だ、だけど断られたらどうしよう……絶対顔を合わせるたびに気まずくなるよね……?)

 

 しかしそれはそれとして返事は気になる。きっと真剣に悩んでいくれているのであろう親指姫の後姿を目にしながら、ジャックは不安な思いでその時を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(こ、これは予想外だわ……!)

 

 なるべく平静を装い背を向けた親指姫は、胸の内で喜びと興奮に暴れまわる心臓の鼓動を必死に抑えこんでいた。

 まさか告白するという一世一代の決心を胸に秘め、断られたなら脅迫も辞さない心構えで向かったら逆に告白されるとは。

 おまけに責任を取る形とかではなく、純粋な好意からの告白で両想いだと分かったのだから正直舞い上がりそうな所だ。少し考える時間が欲しいと言って背中を向けたのも、本当は抑えらない頬の緩みを見られたくないからである。実際の所は素直に何でもできるなら一も二も無く頷いて抱きつき、いっぱいキスしたいくらいに嬉しい。しかしそんな死ぬほど恥ずかしいことができるわけがない。だからここは喜びを抑え、冷静に振る舞わなければならない場面だ。

 

(お、落ち着きなさい、私! ここで喜んで頷いたりしたらダメよ! こういうのは最初の対応で上限関係が決まるんだから!)

 

 それにここで親指姫がジャックへの好意を露にして頷いたら後々の恋人関係に響く。ジャックから告白してきた以上、今の上下関係はこちらが優位。もしも親指姫が下になってしまったならジャックに良いように扱われる恋人関係になってしまうかもしれないのだから。

 何度か深呼吸して心臓の鼓動を収め、必死に笑みを消し去ってから親指姫は振り向いた。そしてなるべく興味なさそうな感じで、務めて平静を装い口を開く。

 

「ま、まぁ、私はあんたのこと……嫌いじゃ、ないし……どうしてもって言うなら、その……特別に、付き合ってやっても良いわよ……」

「ほ、本当に!? 良かった……!」

(何でこんな偉そうな答えでそんなに嬉しそうにしてんのよ、あんたは!)

 

 そんな超上から目線のオーケーでも心底嬉しそうな笑顔を浮かべるジャック。こんなオーケーで喜ばれると自分がどれだけ好かれているかを思い知らされ、せっかく引き締めた頬が緩みそうになってしまう。

 

「べ、別に私もあんたのことが好きだからとかじゃないわよ!? 私を慰めるってことはあんた絶対懲りずにまた馬鹿やるでしょ! そのせいであんたが死んだりしないよう傍で見張るためなんだから! 勘違いしないでよね!」

 

 なので気合を入れるためにもう一度厳しく偉そうに言ってみる。ただしジャックがまた懲りずに同じ事をやらかすのも、傍で見張りたいのも本当のことだ

 

「そ、そっか……本当は、親指姫も僕のことが好きだったらなって、思ったんだけど……」

(あ……)

 

 だがさすがのジャックも好きではないと言われてショックだったらしい。嬉しそうだった笑みに微かに悲しみが混ざっている。

 自分でも素直じゃないと分かっている親指姫だが、こんな時くらいは素直になるべきなのかもしれない。今でこそほとんど恥ずかしげも無く好きだとか言っているが、ジャックだって自分のことが好きかどうかも分からない相手に告白するのはかなりの勇気を必要としたに違いない。だというのにジャックは正面から素直に好意をぶつけてきてくれた。

 やはり少しはその勇気と誠意に応えてあげるべきだ。そもそも親指姫は告白と脅迫をするためにここへ来たのだから、ジャックの気持ちが分かった以上躊躇う必要はないはず。

 なので親指姫は一つ深呼吸をすると、勇気を振り絞って口を開いた。

 

「付き合ってやっても良いけど、条件があるわ! あんたが私を想ってるってこと、ちゃんと証明してみせなさい!」

 

 だがどうしても恥ずかしくて言えず、照れ隠しにそんなことを言ってしまう。

 何で素直に自分も好き、という短い言葉すら口にできないのか。偉そうにふんぞり返りながらも親指姫はちょっと泣きたい気分でジャックに指を突きつけた。

 

「しょ、証明って言われても……どうやって?」

「そ、それくらい自分で考えなさいよ! ど、どんな方法でも良いから、証明してみなさい! どんな方法でも良いから!」

 

 それだけ言い切り、親指姫は腕を組んで顔を上向け瞳を閉じる。これが今の親指姫にできる精一杯の愛情表現だった。

 もっともジャックが気付いてくれなければ愛情表現どころか偉そうに見下しているに過ぎない姿だが。

 

「どんな方法でも……? あ、もしかして……」

 

 そんな声を耳にして片目を開けて確認してみると、ちょっと顔を赤くして親指姫の唇あたりに視線を向けるジャックの姿がそこにあった。どうやらちゃんと気付いたらしい。

 安堵した親指姫はすぐさま瞳を閉じ、高鳴る胸の鼓動と頬の熱さを堪えるのだった。

 

「えっと、じゃあ……」

「っ……!」

 

 ジャックの手が両肩に置かれた感触に驚き、反射的に身体を震わせてしまう。

 初めての時はあまりにも唐突だったので、実は記念すべきファーストキスの感触や実感は良く覚えていない。つまり今回のキスがある意味初めてなのだ。さすがに平静を保とうしても緊張は抑えられなかった。

 

「き、キス、するよ? 親指姫……」

 

 不思議と若干上ずった声で尋ねてくるジャック。

 死にかけで自分が服を着ていないことにも気付けないほど感覚の無かったジャックだ。きっと親指姫と同じく感触も実感もあまり沸かなかったのだろう。

 となると二人ともある意味初めてのキス。口が裂けても言えないがジャックの初めてのキスの相手が自分で嬉しい親指姫であった。

 

「んっ――」

 

 そして、唇が重ねられる。驚愕のあまり一瞬呼吸が止まり、心臓がびくっと跳ね上がる。

 だがそれらは一瞬のことで、すぐに胸の内は暖かな幸せで満たされていった。ジャックと自分が唇を重ねあっているという事実に。ジャックに初めてのキスを奪われたという事実に。

 幸福に酔う親指姫はいつしか恥じらいを忘れ、自然と縋るような形でジャックのシャツの胸元を掴んで口付けに浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……ジャック……」

 

 もう少し深めのキスをしたい。もっと親指姫の唇を深くまで味わいたい。そんな欲求が胸の内で鎌首をもたげ舌が疼いたあたりで、ジャックは何とか口付けを終えた。

 

(な、何か癖になりそうな感じだな、キスって……)

 

 しっかりと感覚のある状態で行った好きな女の子との口付けはかなり刺激が強いものだった。噛み応えがありそうな適度な柔らかさに、舌を走らせてみたくなる滑らかさ。親指姫が零す切ない吐息も相まって、時間も忘れてひたすら耽りたくなる癖になりそうな感触だ。

 ただ幼い容姿の親指姫とキスしている背徳感は結構なものだったので、ちょっとだけ複雑な気分でもあった。まぁこれは恋人として過ごす中で徐々に慣れていくしかない。

 

「えっと……じゃあ、これで僕らは恋人になったってことで良いのかな……?」

「え……わ、わっ!?」

 

 気づいた時には腕の中で夢心地の表情を浮かべていた親指姫だが、話しかけると顔を真っ赤にして飛び退ってしまった。恥じらいからの反応であることは分かっていたのでとても可愛く思えて笑ってしまうジャックだった。

 

「い、言っとくけど、私の恋人になったからって何でもして良いって思ったら大間違いよ! あんまり変なことしたらぶっ飛ばすから覚悟しときなさい!」

(あははっ。何かいつも以上に可愛く思えるなぁ……)

 

 取り繕うように瞳を鋭くして、いつもの雰囲気で語りかけてくる親指姫。ただしやっぱり顔は真っ赤だ。そんな親指姫の様子がどうしようもなく可愛く思えてしまうのは、やはり惚れた弱みというものなのだろうか。

 

「うん、分かってるよ。でも具体的にどの辺から変なことになるのか聞いても良いかな? キスしたり手を繋いだりするのは変なことじゃないよね?」

 

 親指姫なら恥じらいや照れ臭さのあまりそれらを禁止することもありえそうだ。さすがに先ほど口付けの魅力を知ってしまった以上、完全に禁止されるのは辛い。

 

「き、キスとか、手を繋ぐとか……!? そ、そうね。そういうのは……えーっと……そ、そういうのはまた明日決めましょ!」

 

 視線を彷徨わせたり俯いたり首を振ったり忙しそうにしていた親指姫は、最終的に全てを明日に丸投げした。

 たぶん好きだと言われたいり告白を受けたりキスをされたりで今日はもういっぱいっぱいなのだろう。何か言いたいことがあるから部屋に訪ねてきていたはずだというのに、もうそのことは頭に無い様子だ。

 

「きょ、今日はもう遅いし私はそろそろ部屋に戻るわ! おやすみ、ジャック!」

「あ、うん。おやすみなさい、親指姫――」

 

 脱兎の如く駆け出し、部屋から出て行こうと扉のノブに手をかける親指姫。その背中へおやすみの言葉を投げかけた次の瞬間――

 

「きゃあ!?」

「うぬおぉ!?」

「え……?」

「は……?」

 

 扉が勢い良く開き、二名の少女が部屋に倒れこんできた。

 白雪姫とハーメルンが、まるでずっと張り付いていた扉が突然開けられたかのような形で。考えるまでも無く聞き耳を立てていたのは明白だった。ご丁寧にその手には盗み聞きに使っていたであろうコップまで握られている。

 しかも倒れた二人の向こうにはあろうことか血式少女たち全員の姿。意外にもかぐや姫やグレーテルの姿まである。とりあえずこんなところで発揮して欲しくない団結力であった。

 

「おっと、ヤバイ! 逃げるよ、皆!」

「ふふっ。おめでとう、ジャック。想いが通じたわね」

「ねーねー、もしかしてじゃっくたちこどもつくるのー!?」

「お、お待ちなさいなラプラプ! それはたぶん、えーと……まだまだ先の話ですわ!」

「……ん……親指姉様、おめでと……!」

「羨ましいですね~、私もジャックみたいな僕が欲しいです~」

「なかなか興味深いやりとりだったわ。あなたたちの関係や性格がこれからどのように変化していくのか、じっくり観察させてもらうわね」

 

 ジャックと親指姫が視線を向けた瞬間、皆すぐさま蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。ただし瞳を輝かせて部屋に入ってこようとしたラプンツェルはシンデレラに抱えられて。

 

(一瞬で皆いなくなっちゃった。もしかして血式少女って皆逃げたり隠れたりするのが得意なのかな……?)

 

 素晴らしい団結力に逃走能力。何だか盗み聞きされていた気恥ずかしさも忘れて思わず感心してしまうジャックだった。

 

「わあぁぁ!? ま、待ってください皆さん!」

「ま、待てぇ! ワレを置き去りにするなぁ!」

 

 しかし倒れこんできた二名だけは逃げ遅れた上に扉を閉められ、ほぼ見捨てられる形で置き去りにされていた。必死に手を伸ばし皆を呼ぶ姿が哀愁を誘う。

 

「……盗み聞きなんて良い度胸してるわねー、あんたら……ちょーっと私の部屋に来なさい?」

 

 そして青筋を浮かべて震え、引きつった笑顔で二人を見下ろす親指姫の姿が恐怖を誘う。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 出来心だったんです許してください姉様ー!」

「わ、ワレは絶対に屈っしはせぬぞ! ワレは、ワレは……ワレを助けろジャックー!」

「……ごめんね、二人とも。僕、そういうことしたら親指姫に怒られるから……」

 

 可哀想なので何とか助けてあげたかったのだが、さすがのジャックもこんな自業自得な場面で命を賭けてまで二人を助けるほどお人よしではなかった。決して今の親指姫の前に割って入るのが恐ろしいからではない。決して。

 

「じゃ、じゃあ、おやすみなさい、親指姫……また明日ね?」

「……お、おやすみ、ジャック。また、明日……」

 

 改めておやすみの言葉をかけると、親指姫は頬を染めて答えてから部屋を出て行った。逃げ遅れた二人を引きずって。

 めでたく恋仲になれて嬉しさに胸が躍るジャックだったが、実は不安もある。それは親指姫の自分に対する本当の気持ち。

 

(親指姫のアレって、照れ隠し……だったり、するのかな……)

 

 嫌いじゃないから特別に付き合ってあげる、という言葉。それを口にした時の親指姫の様子はいつも通りの照れ隠しに見えた。照れ隠しや恥ずかしさでキツイことを言ったり真逆のことを言ったりするのが親指姫なので、もしかしたら向こうも実はジャックのことが好きで両想いなのかもしれない。

 ただそれはさすがに自惚れが過ぎる気がしていまいち確証が持てなかった。とても大切に想われていることはちゃんと理解しているが、それが異性としての好意に繋がるかはまた別の話だ。

 

(どっちにしろ頑張るしかないよね……うん。親指姫に好きになってもらえるよう、明日から頑張ろう!)

 

 どちらにせよ今よりも好きになってもらえるように、男としても恋人としても努力するべきだ。もしかしたらグレーテルなら男女関係に関する書物を持っているかもしれないので、後で貸してもらえないか聞いてみよう。

 そんな決意を胸に抱きながら、ジャックはベッドに入ってこれからの日々に大いなる期待と微かな不安を寄せるのだった。

 

「助けてくださいジャックさぁぁぁぁぁぁぁん!!」

「何でもするからワレを助けてくれジャックゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」

 

 遠ざかっていく助けを求める声と断末魔の叫びは、なるべく聞かないようにして。

 

 

 





 一章終了。出歯亀は基本。やっとカップルになりました。しかしこの後すぐさまイチャラブバカップルになれるわけもなく……二章はそんなお話です。ちなみに章が変わるごとにイチャラブ度は一段階ずつ上がっていく予定。
 2発売まで約二ヶ月半。そこまでに完結できるかなぁ……。



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2章:カップル成立
恋人協定



 イチャラブ度、レベル1。ついにカップルと化した二人。草食系(貧血)男子とツンデレロリならどっちが積極的かは自明の理。
 このあたりからだいぶキャラが壊れてきます。イチャイチャさせるには仕方ないとしてもなるべく原型を残さないと意味が無いですけど。
 なお、タイトルでどこぞの変人物理学者を思い浮かべた人は海外ドラマの見すぎです。バジンガー。




 昨晩ついにジャックは親指姫に想いの丈をぶつけることに成功し、交際を始めることとなった。

 残念ながら両想いというわけではなかったようだが、それでも親指姫と結ばれたことは喜ばしい限りだ。交際を受け入れてくれた理由が『嫌いではないから』と『馬鹿なことをして死なないように見張るため』なのは少し残念ではあるものの、受け入れてもらえた以上贅沢は言えない。それに好きでもないなら好きになってもらえるように努力すれば良いだけの話。

 なのでジャックは新たな一日を迎えベッドで目覚めた時、これからは心機一転頑張ることを決めたのだった。親指姫に好きになってもらえる、親指姫に相応しい恋人になれるように。

 

「おおっと、できたてカップルの片割れが来たよ! おはよう、ジャック!」

(どうしよう。回れ右して戻りたい……)

 

 そんな決意を胸に抱いて朝食の席に顔を出すと、悪びれる様子も無くニヤニヤと笑う赤ずきんの元気な声で迎えられた。無視して部屋に戻りたいと一瞬思ってしまったジャックは嫌な奴なのかもしれない。

 

「おはようございます、ジャックさん。その、昨日は申し訳ありませんでしたわ……」

「う、ううん。気にしなくて良いよ。確かに話を聞かれてたのはちょっと恥ずかしいけど、これで親指姫とのこと皆に隠したりしなくて良いからね」

「けれど、私達は盗み聞きなどというはしたないことをしてしまいましたわ……ほら、あなたも謝るんですのよ赤ずきんさん」

「えぇー、あたしも? 謝るくらいなら最初から盗み聞きなんてしなきゃ良かったじゃんか。あたしは最初からそういう覚悟で盗み聞きしてたからね」

 

 申し訳無さそうに頭を下げるシンデレラとは対照的に、絶対謝らないとでもいうような得意げな笑みを浮かべる赤ずきん。告白やその他の話を盗み聞きしておいてこの反応。ここは普通怒って然るべき場面かもしれない。

 

(言ったら怒られそうだけど赤ずきんさん男らしいなぁ。僕もこういう風になったら親指姫も好きになってくれるのかな?)

 

 しかしジャック的にはむしろ尊敬したいくらいであった。何気に『謝るくらいなら最初からやるな』が真理をついている。

 そこへ行くと悪いことだと知っておきながら盗み聞きをして謝るシンデレラの方が間違っているような気もしてくるから不思議だ。

 

「おはよう、ジャック。そしてごめんなさい……昨日はあなたの部屋の前を通りかかったら扉に赤ずきんさんたちが張り付いていたものだから、私も会話の内容が気になってしまって……」

「アリスも気にしないで。さすがに僕だってそんな光景見たら気になって仕方ないよ」

 

 とはいえ別にジャックは怒りなど抱いていないので、やはり謝罪してくるアリスにも別段気にしないように言う。

 さすがに部屋の扉に張り付いて聞き耳を立てている仲間たちがいたら、ジャックも好奇心が刺激されて盗み聞きを働いてしまうだろう。そしてやはり謝罪してしまうであろうあたり、あまり男らしくは無い気がする。

 

「ふふっ。おはよう、ジャック。今日から親指姫との交際の始まりね」

「う、うん、おはようグレーテル……あれ? 白雪姫はいないの?」

 

 純粋に祝福しているのか、それとも面白がっているのか分からない薄い笑みを浮かべたグレーテルにも挨拶を返すジャック。

 しかし食堂にいる人数はこれだけだった。不思議なことに今日は結構早起きな白雪姫の姿が無い。

 

「白雪はあたしたちのために犠牲になったんだよ、ジャック。ハーメルンもね……」

(親指姫、二人に一体何をしたんだろう……)

 

 遠ざかっていく悲鳴は聞かないように努めていたので、親指姫に捕まった二人がどのような末路を辿ったのかは正直分からなかった。いや、むしろ分からない方が幸せなのかもしれない。

 とりあえず二人の安否は今は考えないようにして、先ほどから食事の手を止めてずっと黙りこくっていた少女へ満を持して声をかけることにした。

 

「……おはよう、親指姫。隣に座っても良いかな?」

「お、おはよう、ジャック。どうしても私の隣に座りたいって言うなら、考えなくも無いわよ?」

 

 朝から恋人の姿を見られた喜びそのままに笑いかけて挨拶すると、ちょっと頬を染めながらぶっきらぼうに返してくる親指姫。

 少し機嫌が悪そうだが逃げも怒りもせずに挨拶を返してくれるのなら、やはり以前の問題は解決したようだ。同時にそれは昨日の出来事が夢ではなかったということを示している。色々あったせいでいまいち実感が薄かったジャックとしては、アレが現実かどうかちょっと自信が持てなかったので一安心であった。

 

「そっか。僕、どうしても親指姫の隣で朝ご飯を食べたいな。食事の時間に一緒になるのは五日ぶりだからね。寂しかったから今はなるべく君の傍にいたいんだ」

「うわっ、ジャックの奴わざわざ言ってやったよ……」

「ジャックさんの場合優しさなのか本音なのかが良く分かりませんわね。まあどちらとも、という可能性が一番高そうですけれど……」

(え、僕何かおかしなこと言ったかな……?)

 

 赤ずきんが呆れる上、シンデレラが何やら邪推する。しかしジャックとしては別段何か意識して言った覚えは無かった。

 大好きな恋人の傍にいたいのは当然のことのはずだし、そもそも親指姫とは約五日間も食事を共にしていない。隣で一緒に食事をしたいという願いは別におかしなことではないはずなのだが。

 

「っ……! そ、そこまで言うなら仕方ないわね。良いわ、座りなさい」

「うん、ありがとう」

 

 許しを得たジャックは遠慮なく親指姫の隣へ腰を下ろした。何故か異様に顔を真っ赤にしていたが理由は良く分からなかった。

 それよりも気になったのは腰を下ろした途端、アリスが瞳を鋭くして見つめてきたことだ。どことなく責めるような表情なのは気のせいだろうか。

 

「……ジャック、親指姫から話は聞いたわ。あの時何があって、あの時あなたが何を口にしたのかも」

「あ……ご、ごめん……! 親指姫、話しちゃったんだね……」

 

 全然気のせいではなかった。どうやら親指姫を助けるためにジャックがやらかしたこと、その後の命を粗末にするような発言をしたことも知られてしまったらしい。それならアリスが怒るのも当然だ。

 

(でも、裸のことは話してないはずだよね……?)

 

 死にかけのジャックの身体を暖めるためだったとはいえ、裸で抱きついていたことはさすがに話していないはずだ。話していたらあまりの羞恥に五日もジャックを避けていた親指姫がこの場に留まれるわけがない。

 たぶんあくまでも昨晩の盗み聞きの内容の補間として質問攻めにあったのだろう。キスに関してはどう誤魔化したのか見当が付かないが、やたらにぶっきらぼうで機嫌が悪そうだったのは根掘り葉掘り聞かれたからに違いない。

 

「まあまあ、ジャックも悪気があってやったわけじゃないんだしさ。それにもう親指があたしたちの分までたっぷり説教してくれたみたいだし、これ以上責めるのは可哀想だよ」

「そうですわね、それよりも祝福してあげませんと。想いが通じて良かったですわね、ジャックさん」

「ふふっ。おめでとう、ジャック。恋愛によってあなたたちの関係や性格にどのような影響が及ぶのか、じっくりと観察させてもらうわね」

「えっと、ありがとう……?」

 

 ちょっと迷ったが同情と祝福と観察開始の言葉をお礼の一言で纏めておいた。一体何をどこまで観察されるのかは分からないが、グレーテルには男女関係や交際方法が記された書物があれば貸してもらう予定だ。そのお礼と思っておけばある程度は気にならなくなるだろう。

 

「ジャック、あんたこの後何か予定ある? 無いなら私の部屋に来なさい」

「あ、昨日の話の続きだよね? その……どこまでして良いかルールを決めるっていう」

 

 昨晩から今日に丸投げされた、恋人としての触れ合いをどこまで許すかのルール。それをこの後決めるつもりに違いない。その証拠に親指姫は頷くと厳しめの視線をこちらへ向けてきた。ただしやっぱり頬は赤くして。

 

「そうよ。特別に付き合ってやるんだから、私がどんなに厳しいルールを作ったとしても文句言わせないわよ!」

「うん、それで良いよ。僕は今のところは親指姫と付き合えることになっただけでも十分満足だから」

「そ、それでちゃんと満足してるなんてずいぶんと殊勝ね。まあ、その物分りの良さに免じてほんのちょっとくらいなら緩めてやっても良いわよ……?」

(あははっ。何だか親指姫が可愛くて仕方ないや……)

 

 十分満足なのは今のように親指姫の可愛らしい反応がいとも容易く何度でも見られてしまうからだ。ジャックのちょっとした発言で顔を赤くして怒ったり、そっぽをむいてしまったり、照れ隠しに殴ってきたり、正直そんな反応が可愛らしくて堪らない。

 付き合う前から可愛いとは思っていたのだがここまで可愛く思えるようになってしまうとは、どうやらジャックは自分でも思っている以上に親指姫に熱を上げているに違いない。

 

「ふぅん……本物の恋人同士はルールを決めて事務的な交際をするものなのね。それともジャックと親指姫だけが特別なのかしら」

「いやぁ、この場合は親指だけが特別なんじゃないかな。さっきから話を聞いた限りだとジャックはわりとオープンだしさ」

「それよりも交際を始めておきながら触れあいに関しての厳しいルールを作る、ということがそもそも理解し難いのだけれど。そんなルールを必要とするくらいなら何故告白を受け入れたのかしら」

「それは……やっぱり照れ隠しなのだと思いますわ。本人は絶対否定しますけれど、本当は恋人同士の触れ合いをしたくて堪らないことの裏返しではありませんの?」

「あんたらせめて私に聞こえないように喋りなさいよ!? 本人目の前にして好き勝手考察してんじゃないっての!」

 

 そして目の前で堂々と繰り広げられるひそひそ話についにキレて、両手でテーブルを叩いて声を荒げる親指姫もまた可愛らしい。

 

「あははっ。でも、本当に照れ隠しだとしても僕は構わないよ。親指姫はもともと照れ屋だし恥ずかしがり屋だから仕方ないしね。それに僕は親指姫のそういうところも好きだから」

「へぇ……」

「まあ……!」

「っ!? な、い、いきなり何言ってんのよあんたは!? 馬鹿じゃないの!?」

 

 好意を素直に口にすると、顔を真っ赤にした親指姫に脇腹をどつかれる。ちなみに赤ずきんには感心され、シンデレラには恥らいを含んだ微笑みを向けられた。

 

「ふふっ。心が広いわね、ジャック。それともこれが惚気というものなのかしら」

「え? 別に惚気たつもりは無いんだけどな……」

「惚気……そう、これが惚気なのね。何故かしら、別にジャックに怒りを抱いているわけではないのに胸の奥に不思議な苛立ちを感じるわ……」

(あれ、どうしてだろう。何かアリスがすごく怖い……)

 

 相当気に障ったのだろうか。胸に手を当て感情を噛み締めているアリスの身体からは、声をかけるのを躊躇うほどの謎の圧力を感じた。

 それでも何だかんだで皆祝福してくれているようで何よりだ。赤ずきんもからかったりはしているが別にジャックと親指姫の関係を否定したりはしていないし、グレーテルだって観察対象として見ているということは少なからず興味深い関係だと思っているのだろう。

 親指姫との交際について何か反対的なことを言われるかもしれないと不安に思っていたので、ジャックとしては皆の反応に一安心というところだ。もっとも一番関係を祝福してもらいたい少女たちがこの場にいないので、まだまだ安心は出来ないが。

 

「あーもうっ! あんたらいい加減しつこいっての! 食事くらい静かにさせなさいよ!」

 

 しかしそんな不安も親指姫が隣にいると吹き飛んでしまいそうだ。

 皆と同性のせいか質問やからかいが集中してしまう親指姫の反応を暖かい心地で眺めながら、ジャックは幸せな心地で食事を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食後、約束していた通りジャックは親指姫の部屋を訪れていた。

 別に親指姫の部屋に入るのは初めてではないというのに、何故か居心地の悪さと緊張を覚えるのが不思議だ。昨晩からこの部屋はジャックにとって一少女の部屋ではなく恋人の部屋となったので、やはりそこを意識してしまっているのかもしれない。

 

「じゃあそこ座りなさい。一緒にルール決めるわよ」

「う、うん……」

 

 緊張を抱えつつも促されるまま、カーペットの上に腰を下ろす。そして部屋の中央の水面をイメージした感じの丸テーブルを二人で囲むが、意外にも親指姫は向こう側ではなく隣に腰を下ろしてきた。

 

(な、何かもの凄く近いけど、もしかしてこれが恋人同士の距離なのかな……?)

 

 しかも肩が触れ合いそうなほどの近い距離。こんな今すぐにでもキスできそうな距離に座るとは、一応とはいえ恋人にはかなり心を許しているのかもしれない。

 何だかそれを考えるだけで幸せになってしまう単純なジャックであった。親指姫も距離も意識しているのか若干頬が赤い。

 

「で、あんたは具体的に私と何がしたいのよ? す、少しくらいなら、希望を聞いてやらなくもないわよ?」

「あ、その前に親指姫に聞きたいことがあるんだけど良いかな? 白雪姫たちのことなんだけど……」

「……何よ、こんな時に白雪たちのことが気になるわけ?」

(あれ、ちょっと機嫌悪くなっちゃった)

 

 本題に入る前に済ませておいた方が良いと思ったので尋ねたのだが、何故か親指姫はちょっとだけ唇を尖らせてしまった。一体今の言葉のどこに機嫌を損ねる要素があったのだろうか。

 

「……別にあんたが心配するようなことは何も無いわよ。ただ二度と盗み聞きなんてしたくなくなるようにちょっとキツイお仕置きしてやっただけだから。ハーメルン共々ね」

「あ、違うよ。白雪姫とハーメルンじゃなくて、白雪姫と眠り姫だよ。親指姫は二人のお姉さんだから、僕が君と付き合うことに二人は何か思うところはあったりしないのかなって……」

 

 そう、今一番不安なのは白雪姫と眠り姫のこと。

 二人にとって親指姫は大好きなお姉さんなのだから、そんな親指姫とどこぞの馬の骨が突然恋仲になったなら色々と思うところがあるはずなのだ。できれば二人には関係を認めてもらいたいし、誰よりも祝福して欲しい。

 

「……あんた、もし二人が別れろとか言ったらその通りにするつもりなわけ?」

(どうしよう、もっと機嫌悪くなったみたいだ……)

 

 そんな想いから尋ねたのだが更に一段階、親指姫の機嫌が悪くなる。ちょっとした怒りすら見えるがやはり理由は分からなかった。

 

「そんな気は無いよ。僕は親指姫のこと大好きだからずっと君の傍にいたいんだ。もし二人にそんなことを言われても、僕は君から離れたくない。だからもし交際を反対されたりしたら、二人に認めてもらえるように頑張らないといけないなって思って」

「っ……! ふ、ふーん、まあ別に気にしなくて良いんじゃない? 白雪もネムも盗み聞きを楽しんでたみたいだし、一応あんたを認めてるんでしょ」

(あ、機嫌直ったみたいだ。さっきは何がいけなかったのかな?)

 

 さっきまでご機嫌斜めだったのに、どことなく嬉しそうに紙とペンを用意する親指姫。いまいち女心の分からないジャックにはどのあたりの発言が機嫌に影響したのかはさっぱり分からなかった。

 

「さ、それよりもルール決めるわよ。まずは、その……き、キスについて、とか……」

「あ! ちょっと待って、もう一つだけ!」

「……何よ、まだ何かあるわけ?」

 

 再び話を遮られたせいか今度は上目遣いに呆れの瞳を向けてくる。

 そんな様子にさえ可愛らしさを覚えてしまうのは、ジャックが完璧に親指姫の虜となっているからなのだろう。だからこんなことをしても仕方ない。

 

「うん、とっても大切なことだよ。怒られるかもしれないけど、ごめんね? 親指姫――」

「は? ごめんって何が――っ!?」

 

 首を傾げて尋ねてきた親指姫の言葉が途中で途切れ、驚愕に瞳が見開かれる。

 まぁそれも当然だ。言葉の途中で突然ジャックがキスしてその唇を塞いだのだから。

 

「っ……! い、いきなり、何すんのよ……!」

 

 触れ合わせるだけで止めて顔を遠ざけると、火が出そうなくらい顔を赤くした親指姫に睨まれてしまう。あまりにも唐突だったせいか怒りは全く浮かんでおらず、ただただ恥ずかしそうに困惑しているだけであった。 

 

「ごめん。もしかしたらキスが禁止されるかもしれないからその前にしておきたかったんだ。だけどもちろんこれはルール違反じゃないよね? だってまだルールは決めてないんだから」

 

 もちろん親指姫が決めたルールはしっかりと守るつもりだ。特別に付き合ってもらっている身なのだからジャックに好き勝手する権利は無いし、何よりあまり機嫌を損ねると嫌われて捨てられてしまうかもしれない。

 だから今のキスはルールによって縛られてしまう前に行った、思い出の一回というところだ。

 

「あ、あんた、顔に似合わず意外と大胆よね……」

「そうかな? それで……やっぱり親指姫は今のこと、怒る?」

 

 ちょっと緊張しながら尋ねるも、やはり親指姫は別段怒りを感じていないようだ。複雑そうな表情で視線を彷徨わせ逡巡している。もちろんその頬はお決まりのように朱色が射していた。

 

「べ、別にあんたにキスされるのは初めてじゃないし、今更その程度で怒るような私じゃないわよ。まあ、今のを皆の前でやってたらぶっ飛ばしてたところだけど……」

「そっか、良かった。本当は怒られるだろうなって思ってたから」

「何で怒られるって分かってながらそんなこと……ああ、あんたはそういうこと平気でやる馬鹿だったか。今更だったわね」

(あ。納得しちゃうんだ、親指姫……)

 

 心底納得いったらしく自分の言葉に何度も頷く親指姫。ジャックとしては納得いかないのだが、つい先日命を賭けて他者を助けるということをやらかしたばかりなので否定できないのが辛い所だった。

 

「今のは特別に許してやるけど、好き放題キスして良いってわけじゃないわよ! 回数まで厳しく決めてくから覚悟しなさい!」

(回数までってことはキス自体は禁止されないのかな? それならもうどんなルールになったって良いや)

 

 自分でも期待が小さいというかいまいち欲が足りないということは分かっていたが、ジャックは今のところこれで満足だった。親指姫の恋人になれて傍にいられて、その可愛らしい様子を見られるだけでも十分幸せだ。

 そんな幸せに浸りながらジャックは親指姫と肩を寄せ合って話し合い、一枚の用紙を覗き込みながら恋人同士のルールを書き込んでいくのだった。

 

 

 

 





 果たしてどんな協定ができあがるのか。そして親指姫の心の内は。それらは次回。
 個人的にはツンデレにはカップルになってもツンデレであって欲しいです。つ○きすのなごみとか、まし○色の紗凪みたいにカップルになった途端デレデレになるのもそれはそれで好きですけど。親指姫がデレるかどうかはまだ秘密。

 ちなみにこの「親指姫×ジャック」。私の他の作品を見ると良く分かりますが私にしては桁違いに執筆速度が速いです。加筆修正していない下書きならすでに3章半ばまで書き終えているという……思い当たる節としては処女作と同じカップル成立までのところからの4章構成で書いていることくらいです。なお、若干の文字数の違いもありますが処女作は完結に数年かかりました。少しは成長したってことかなぁ……。
 


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2人の妹


 ここからだいぶ不憫な状態の親指姫。ツンデレ娘の内心やいかに。
 こういうすれ違いやもどかしい感じの展開は大好物です。というかニヤニヤできる展開は全部大好物です。





「ま、まあ、こんなところかしらね!」

 

 最後の一文字を書き込んだ親指姫が得意げに笑い、ルールを書き込んだ用紙を見直して何故か即座に眉を寄せる。

 何だかんだで全て決まり終えるまでには一、二時間くらいはかかってしまった。理由としては他愛の無い話を交えてしまい度々脱線したことと、その都度親指姫が顔を赤くして反応を楽しんだジャックが怒られるというセットを繰り返してしまったせいだ。親指姫が顔を赤くした回数は最早数え切れないほどである。

 

(いっぱい怒られたけど楽しかったな。ずっと親指姫の隣にいられたし)

 

 それでもずっと肩を寄せ合って語らっていたのだから、ジャックとしてはとても充実した時間であった。ただその幸せが顔に出てしまい、笑うなと怒られたのは言うまでもない。しかしその反応すら愛しく思ってしまうのだからやはりジャックはもう完璧に親指姫の虜だ。

 

「それで……あんた、この内容に何か文句ある?」

「ううん、特に何も無いよ。親指姫が決めたルールだからね」

 

 自分の立場を考えると何か文句があったとしてもケチはつけられない。というか思ったよりも緩めのルールになったので文句らしい文句は本当に無かった。

 

「本当に何も無いわけ!? い、言っとくけど、一度決めたらしばらく変更はしないからね!?」

「うん。本当に無いよ。それにしばらくってことはまた決め直す機会はあるみたいだからね」

「っ……じゃあもうこれで決定するわよ。よく読んで覚えときなさい」

 

 何故かちょっと鬼気迫る感じで最後の確認を迫ってきた親指姫に頷き、恋人同士の触れあいルールが記された用紙を受け取る。よく読めとは言われたものの、その必要があるほどルールは細かくも無ければ多くも無い。どちらかと言えばかなり大雑把で不出来だ。

 キスは一日に二回まで。手を繋いだり頭を撫でたりするのは親指姫の機嫌次第。抱きしめるのは絶対ダメ。

 ルールは大体こんな感じの探せば幾つも穴が見つかりそうな曖昧なもので、後はその全てに人前では厳禁という注意がついているくらいだ。キスも禁止されるかと思っていたので拍子抜けするほど緩めのルールであった。あるいは親指姫が好きすぎてジャックの感覚が麻痺しているのかもしれないが。

 

「……そ、それで、あんた今日はこれから何か用事でもある?」

「あ。ごめんね、親指姫。できれば早く済ませたい用事があるから、もう行くよ」

 

 もっと親指姫と一緒にいたいが、とても大切な用事だ。

 なのでちゃんと断ってから立ち上がるジャックだったが、どうやらお気に召さない答えを返してしまったらしい。親指姫はご機嫌斜めな感じで睨み上げてきた。その様子も可愛いので危うく笑いそうになったものの、今回は何とか我慢した。

 

「い、いきなり恋人を放ってどっか行くとかどんな用事よ。言っとくけど私と付き合いたいなら隠し事とか無しだからね!」

「うん、分かった。でも用事って言っても隠すようなことじゃないよ。白雪姫と眠り姫に話をしに行くだけだから」

「ああ、さっき言ってたアレね……」

 

 大切な用事と分かってくれたらしく、親指姫も納得したような顔で頷く。

 ジャックとしてはできれば二人への話は早めに済ませておきたかった。親指姫と心置きなく過ごすためにも、心配なことは早めに解決しておくに限る。

 

「いいって言ったのにあんた律儀な奴ねー……何なら私もついてこうか?」

「ううん、大丈夫だよ。それよりも親指姫、改めてこれからよろしくね?」

 

 お姉さんである親指姫がその場にいては二人も話しにくいことくらいあるかもしれない。なのでジャックは優しく断りを入れ、改めて恋人としての挨拶をしておいた。

 

「っ――!?」

 

 もちろん言葉だけでなく、キスも交えた挨拶を。

 

「――だ、だから、あんたはまた突然こういうこと……!」

 

 真っ赤な顔で後退り、口に手を当てる親指姫。

 見る限りでは困惑と恥じらいが浮かんでいるだけで嫌がってはいないようだ。まあジャックにキスされるのが嫌なら最初からキスは禁止されていたに違いない。

 

「キスは一日二回まで。今のはその分の一回を使ったキスだから問題ないはずだよね?」

「わ、分かってるわよ! 今日キスできるのはあと一回だからね! 泣いても笑ってもあと一回!」

「うん。ちゃんとルールは守るから安心してよ、親指姫」

「全く……あんた本当に分かってんの?」

 

 真っ赤な顔で指摘してくるのが可愛いので微笑みを隠せずにいると、やはりご機嫌斜めな表情をされてしまった。

 

「……で? その最後の一回ってあんたいつする気なわけ?」

「えっと……親指姫さえ良いなら、おやすみの挨拶の時にさせて欲しいな。一日二回しかできないならおはようとおやすみの時にすると一日が幸せになりそうだよね」

 

 おはようのキスで一日の始めを幸せなものにして、おやすみのキスで幸せな気分のまま眠りにつく。許された回数が一日二回だけならこれ以上にベストなタイミングは無いはずだ。

 

「ふ、ふーん……おはようと、おやすみに……」

(あれ、今ちょっと笑った……?)

 

 親指姫も良い考えだと思ったのか、ちょっとだけ態度から棘が引いていた。ほんの少しだけ嬉しそうに頬が緩んだように見えたのは気のせいだろうか。

 

「……ま、まあキスしたがってるのはあんたの方だから、いつにするかはあんたの自由よね。好きにすれば?」

「うん、ありがとう。じゃあまた後でね、親指姫」

「あ……そ、そうね。また後できなさい」

 

 おやすみのキスを許可されたことに対してお礼をしつつ、ジャックは親指姫の部屋を後にするのだった。去り際にどことなく寂しそうにしている親指姫の姿を目にして、もうちょっとだけ一緒にいて欲しかったのだろうかという都合の良いことを考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で扉が完全に閉まりきった瞬間、親指姫はその場に突っ伏した。

 

(何なのよこのふざけたルール!? しかもあいつもあいつで何納得してんの!? 私ならこんなルール突きつけられたら絶対キレるっての!)

 

 そして自分の失態と天邪鬼加減を呪いながら、八つ当たり気味に床に拳を打ち付ける。

 自分で決めておいて何だが、親指姫はあんなルールでは全然納得できなかった。一日たった二回のキスなどふざけているとしか思えないし、手を繋ぐことや頭を撫でることが親指姫の機嫌次第など偉そうにもほどがある。しかも恋人同士のように抱き合うことが全面禁止では、もう友達や仲間といった関係に毛が生えた程度の関係にしかなっていない。これでは本当に恋仲と呼称して良いのかすら疑わしい。

 親指姫としては本当はジャックとたっぷりキスしたいし、手を繋いで仲良くお出かけしたり、ぎゅっと抱きしめてもらいながら頭を撫でてもらいたいと思っている。要するに本当はいっぱいやりたかったことをルールとして制限・禁止してしまったのだ。自分でも分かっていたが素直でないにも限度がある。

 

(ていうか……そもそも嫌いじゃないから特別に付き合ってやってる、って思われてんのよね……)

 

 ジャックから告白された時、主導権や体裁を考えて返事をしてしまったのもまずかった。

 本当はジャックのことが好きで好きで堪らないのに、あんな心底偉そうで生意気な返事を返してしまうとは一体何を考えているのか。元々素直に好意を表すことさえ難しい性格だというのにあんなことを言ってしまえば、本当の想いを伝えるどころか前言を撤回することすらできそうにない。そのせいで本当にしたいことやして欲しいことも伝えられない。

 唯一の望みは意外と大胆だったジャックがルールを破って色々してくれるかもしれないことくらいだが、たぶん特別に付き合ってもらっている身だと勘違いしているはずなので絶対ルールを破ったりはしないだろう。ルールは破るためにあるというのに。

 

「これじゃ何のために恋人になったのか全然分かんない……はぁ……」

 

 嘆いてみるが問題になっているのはジャックではなく自分の方だ。自分が素直になれば全て解決する問題だ。

 それが分かっていてもどうにもできない自分の心に、親指姫は絶望的な心地で溜息をつくのだった。

 

『――うわぁ!? ぐ、グレーテル!? いつからそこにいたの!? かぐや姫まで!?』

「……っ!?」

 

 その時部屋の外からジャックの声が聞こえてきたので、親指姫は慌てて立ち上がった。そして何故か自分でも意識しない内に扉に張り付き、耳を当てて会話を探ろうとしてしまう。これでは昨日の白雪姫たちと何ら変わりない。

 

(こ、これはジャックがあの紙を見せたりしないか心配だからよ! 別にジャックが私のことを話すのを聞きたいわけじゃないんだからね!)

 

 自分に自分で言い訳をしつつ、更に強く耳を当てて音を拾おうと試みる。扉のすぐ外で話しているようなので内容ははっきりと聞き取れそうだ。

 

『つい今しがた。あなたが親指姫の部屋の前で一枚の用紙を手に立ち尽くしていたから気になったの。あなたさえ良ければ是非ともその内容を拝見させてもらいたいわね』

『はい~、是非とも拝見させてください』

『……うん。見せるから挟み撃ちするのはやめてもらえないかな?』

(何逃げ道塞いでんのよ! あんたら絶対無理やりにでも見る気だったでしょ!?)

 

 ジャックの困りきった声で何となく状況が想像できてしまう。さしずめ前門のグレーテル、後門のかぐや姫というところか。どっちが前でどっちが後ろなのかはともかく、ジャックにとっては強行突破などできない布陣だ。

 

『ありがとう。拝見するわ』

『……こんなルールを守ってまで自ら進んで親指姫の下僕になるなんて、本当にジャックは物好きですね~。もしかして苛められたい欲求でもあるんですか~?』

『げ、下僕になった覚えは無いんだけどな……』

(そうよ、言ってやりなさい! 僕は親指姫の恋人だ、って!)

 

 別に親指姫は下僕としてジャックを受け入れたわけではないし、ジャックには恋人であって欲しい。そしてジャックは親指姫の恋人だという事実を皆にたっぷりと知らしめて欲しい。色々偉そうなことを言ったり何だりしているがそれが本音の親指姫だ。

 

『恋の奴隷、という言葉もありますからね~。親指姫の虜になった時点で、そなたは立派な下僕と化してしまったのだとわらわは思います』

『……まあ僕から告白したんだから、本当にそうなのかもしれないね。惚れた方が負けって言葉もあるし』

(納得してんじゃないわよ! 惚れた方が負けなら私も負けで引き分けだっつーの!)

 

 いっそ清々しい口調で自ら下僕だと認めるジャック。告白した方が下僕になってしまうのなら、本当は下僕になるはずだったのは親指姫の方だ。告白するためにジャックの下を訪れたのに結局勇気が出なかったため気持ちを伝えられず、結果として逆に告白されてしまっただけなのだから。

 というか勇気の強さで負けてしまったあたり、引き分けではなく親指姫の完全敗北かもしれない。

 

『ふぅむ……どうでしょうか~? 今からでも主人をわらわに変えませんか~? わらわもそなたは嫌いではありませんし、ツンデレ加減が磨きを増している親指姫よりはよっぽど可愛がってあげますよ~?』

『えぇっ!?』

(ちょっ!? 何私の恋人盗ろうとしてんのよ、グータラ姫!? ふざけんじゃないわよこの泥棒猫!)

 

 まさかの恋人を奪い下僕にする発言。それもよりにもよって親指姫の部屋の前で。本気なのだとしたら良い度胸である。

 今すぐ飛び出したくなる怒りを抑えるために、親指姫は歯軋りしつつ扉を引っかくのだった。

 

『あ……えっと、それはちょっと……』

『……そなたはどう思いますか~?』

『ええ、そうね。別に私は下僕に興味は無いのだけれど、恋人同士の触れ合いには少し興味を惹かれるわ。触れ合うことによってどのような感情が生じるか、それが二人の関係性や性格にどのような影響を与えるか。それを知るためには私が恋人を作って実際に体験してみるのが一番かもしれないわね』

『そうですか~。ちょうどここにジャックという適材の男がおりますよ~?』

(はぁ!? ジャックは私のもんなのよ!? 手出したらぶっ飛ばすわよ!?)

 

 まさかの二匹目の泥棒猫登場。しかもジャックへの好意からではなく研究対象への興味からだというのがまた許せない。

 今すぐ飛び出していってジャックは私のものだと叫びたかったが、未だ本当の気持ちさえ伝えられていない親指姫にそんな芸当ができるわけもなかった。

 

『あら、好都合ね。どうかしら、ジャック。親指姫は触れ合いをだいぶ制限しているようだけれど、私と恋人になるのならこの協定で制限されているような行為とその回数に制限は設けないわ』

『つまり好きなだけ不埒な行為を働ける、ということですね~。男にはとても魅力的な条件でしょう~』

『え、えっと……その……』

(っ……! わ、私だって本当はそれくらいさせたって良いわよ! でも、そんなの言えるわけないでしょ! 何であんたらそんなはっきり言えんの!?)

 

 正直恥じらいを抜きにすれば、ジャックにならそんな不埒な行為をされても良いと思っている。しかしついさっきふざけたルールを作ってしまったばかりの親指姫がそんなことを言えるわけも無い。

 もしかしたらジャックはキスすらまともにさせてくれない親指姫に愛想を尽かして二人の提案に乗ってしまうのではないだろうか。ごくりと息を飲んだ親指姫はジャックの言葉を一言も聞き逃すまいと耳を澄ませた。

 

『……気持ちは嬉しいけど、僕は親指姫のことが大好きだから恋人になったんだ。だから、その……他の女の子にどんなに良い条件を出されたって、僕は親指姫の恋人のままでいるよ。親指姫が僕のことを恋人にしてくれている間はね』

(っ! ジャック……あんた、本当にこんな私が好きなのね……)

 

 ジャックが穏やかに口にした言葉は、疑ったことが恥ずかしくなるほどの親指姫への揺ぎ無い好意であった。

 こんなに女としての魅力にも素直さにも縁遠い親指姫をそこまで想ってくれているとは。あまりの嬉しさと恥ずかしさにいても立ってもいられず悶えてしまう。今すぐ出て行ってキスして好意を伝えたいのにそれができない自分が非常にもどかしかった。

 

『そうですか~……ところでジャック、そなたは愛人には興味はありませんか~?』

『あ、愛人……!?』

(いい加減にしろってのグータラ姫ぇぇぇぇ!)

 

 もしやこいつら親指姫が盗み聞きしていることを知っていてからかっているのではないだろうか。

 そんな疑いを抱きながらも盗み聞きを続け、やはり飛び出せない親指姫であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あんなにからかわれて大丈夫だったのかな、親指姫……)

 

 やっとグレーテルとかぐや姫のわざとらしい誘惑から解放されたジャックは、扉の向こうで聞き耳を立てていたであろう親指姫のことを考えていた。

 本人は盗み聞きしているつもりだったのかもしれないが、何やら色々と小さな物音が扉のすぐ向こうから聞こえてきていたのでバレバレであった。そのせいで二人があからさまにジャックを誘惑するという露骨なからかいが始まってしまったのだ。グレーテルの方はいつも通りの薄い笑みなのでともかくとして、かぐや姫の方は終始ニヤニヤしていたのは言うまでも無い。

 心配だったので様子を確かめに戻ろうかと思ったものの、部屋を出たばかりで用事も済ませずに戻るのも不自然だ。なのでとりあえず当初の用事を済ませるために、まずは白雪姫と眠り姫の姿を探して歩いていた。

 

「あ、良かった。二人とも一緒にいたんだね。白雪姫、眠り姫」

 

 すると廊下で並んで歩く二人の姿を見かけたので、ジャックは声をかけて二人に歩み寄る。

 

「ひっ!? ごめんなさいごめんなさい! 白雪、良い子になりますから許してくださいジャックさん!」

「ええっ!? どうして僕を見ただけでそんなに怯えるの!?」

 

 その途端、顔を青くしてうずくまる白雪姫。無論そんなに怯えられるようなことをした覚えは全く無かった。

 

(あ……もしかして親指姫が怒ってたから、僕も怒ってると思ってるのかな?)

 

 思いつくのは精々それくらいであった。しかしこれほどの反応を示すとは本当に親指姫はどんなおしおきをしたのだろうか。

 

「昨日のことなら僕は怒ってなんかいないよ、白雪姫。ただちょっと二人と話をしたいだけなんだ」

「ほ、本当ですか、ジャックさん……?」

「う、うん。本当だよ」

 

 震えながら涙目で見上げてくる白雪姫の手を取り、立ち上がらせる。可愛らしさにちょっとドキッとしてしまったが、これは多分浮気とかそういう類のものではないはずだ。だから背筋に寒気が走ったのは気のせいに違いない。

 

「そ、そうですか。安心しました……それで白雪たちにどんなお話でしょうか?」

「んー……?」

 

 ほっと一息ついていつもの調子を取り戻した白雪姫と、その隣で眠そうにしていた眠り姫が首を傾げる。

 どんな風に切り出すべきか少し悩んだが、やはりこういうことは濁さずそのまま尋ねるべきだろう。二人がどんな反応と答えを示すか緊張しながらもジャックは口を開いた。

 

「その、二人はどう思ってるのかな? 僕が君たちのお姉さんと付き合うこと……反対してたりするのかな……?」

「え? 姉様とのお付き合いについてですか?」

「んー……どう思う……?」

(……あれ? 思いのほか反応薄いや)

 

 とても大事な話のはずなのに、きょとんという言葉が相応しい感じの表情を浮かべている白雪姫と眠り姫。むしろどうしてそんなことを聞かれるのかとでも言いた気であった。

 

「反対なんてしていませんよ? むしろ白雪はジャックさんと姉様はとってもお似合いだと思います! だってりょ――あ! いえ、何でもありません!」

「……ボクも、そう思う……! それにジャックなら、きっと姉様を幸せにしてくれる……!」

 

 白雪姫が一瞬だけ顔を青くしたことを除けば、二人とも笑って祝福してくれた。一点の曇りも無い、信頼溢れる笑みで。

 

(良かった、二人が認めてくれて……でも白雪姫、さっき何を言いかけたんだろう?)

 

 親指姫の言う通り、どうもジャックの心配は最初から杞憂だったらしい。幾ら穏やかな性格の二人でも少しはキツイことを言うかもしれないとドキドキしていたので、ジャックは内心で胸を撫で下ろした。

 

「はい! だからジャックさん、姉様のことをよろしくお願いします!」

「……ん……よろしく……!」

「うん、任せて。僕にできる限りのことをして、親指姫を幸せにしてみせるよ」

 

 ぺこりと頭さえ下げる二人に頷き、はっきりと答える。

 今は特別に付き合ってもらっている立場なのでそんなことを言えた義理ではないのかもしれないが、その気持ちは本物なのだから。できればずっと、親指姫を守って支えていきたい。分不相応で力不足だとしても、自分にできるかぎりのことをして。

 

「ん……? んー……?」

「あれ? どうしたの、眠り姫。僕の顔に何かついてる?」

 

 不意に頭を上げた眠り姫にじっと顔を見つめられ、頬を触って確かめてみるジャック。しかし何かついてるとしたらさっきまでずっと一緒にいた親指姫が気付いているはずだ。それならどうしてこんなに見つめられているのだろうか。

 

「……もしかして、眠り姫は僕に何か言っておきたいことがあるの?」

「え? そうなの、ネムちゃん?」

「んー……親指姉様……ジャック……恋人……?」

(な、何かもの凄く真剣に考え込んでる……一体何を言われるんだろう……)

 

 白雪姫と二人で尋ねるも、何やら眠り姫は首を捻って考え込むばかりだ。やはり親指姫との関係について言っておきたいことがあるに違いない。

 再び緊張を催し息を呑むジャックの前で、ついに眠り姫は口を開いた。

 

「ジャックが、姉様の恋人なら……ジャックはボクたちの、兄様……?」

「ええっ!? に、兄様!?」

「っ!? ネムちゃん……!」

 

 そしてその口から紡がれた予想外の言葉に、白雪姫共々目を見開いて固まってしまう。

 確かにこのまま親指姫との関係が順調に進んでいけば、ジャックが二人の義兄に当たる存在になるということは分かる。しかし幾ら何でも気が早すぎる。交際を始めた翌日に兄様呼ばわりではちょっと反応に困る。

 

「白雪、そこには思い至りませんでした……! ジャックさん! 今日から白雪たちはジャックさんのこと、ジャック兄様と呼びます! ジャック兄様!」

(あれ!? 白雪姫も乗り気!?)

「ん……! 兄様……ジャック兄様……!」

「ちょ、ちょっと待って二人とも! 反対しろとは言わないから、ここはせめてお姉さんが取られたことにほんの少しで良いから怒ったりするべきなんじゃないかな!?」

 

 何故か瞳を輝かせている白雪姫と、嬉しそうに微笑む眠り姫が何度も兄様兄様と繰り返す。親指姫との交際を認めてもらおうと思って話にきたら、祝福されたどころか兄としてすら受け入れられた不思議な展開だ。正直ちょっと急展開過ぎてついていけなかった。

 

「反対なんてしません! ジャック兄様も白雪のことは白雪と、ネムちゃんのことはネムと呼んでください!」

「兄様……ジャック兄様……!」

(どうしよう……恋人が出来たと思ったら妹が二人も出来るなんて……!)

 

 挙句こちらにも呼び方の変更を薦められる。どうやら本当にジャックが兄で構わないらしい。

 

「い、一旦落ち着いて二人とも! いくら何でもそれは気が早いっていうか、ありえないっていうか……!」

「え? どうしてありえないんですか、兄様……?」

「……兄様……姉様とは、遊び……?」

 

 ジャックの言葉に悲しげな表情を浮かべる義妹二人。早速当たり前のように呼称を変えているあたり妙に適応力が高い。

 

「あ、遊びなんかじゃないよ! 本当に好きなんだ! でも二人とも聞いてたから知ってるはずだよね。親指姫は、僕のこと……」

「んー……」

 

 盗み聞きしていたからこそ先を知っている眠り姫の笑顔がたちまち曇っていく。

 ジャックは確かに告白をして受け入れてもらえたものの、それは好意によるものではない。『ジャックが馬鹿をして死なないように見張るため』であり、『嫌いではない』から付き合ってくれているのだ。

 

(あれが照れ隠しなら良いんだけどなぁ……)

 

 もしかしたらそれらはいつもの照れ隠しによる真逆の言葉かもしれないが、実際に親指姫の言う馬鹿なことをして死にかけたジャックだ。本当は好かれている、などと考えるのは自惚れが過ぎる。

 だから実際に二人の義兄となれるかどうかは未知数だ。親指姫に好いてもらえなければ、そもそも恋人でいられるかどうかも怪しい。もしかしたらその内振られてしまうかもしれない。

 白雪姫もそれが分かったらしく笑顔を曇らせ俯くが、不意に何かを決意したかのような毅然とした瞳で顔を上げた。そしてジャックの瞳を真っ直ぐに覗き込んでくる。

 

「……大丈夫です、ジャックさん! 白雪は知ってます! これは本当は秘密なんですけど、姉様はあんなことを言ってましたが……本当はとっても――あ」

「白雪姫、どうしたの……?」

 

 何か言いかけた白雪姫の視線がジャックの背後へと向き、そのまま固まってしまう。気になってその視線を辿り振り向くと――

 

「……白雪ぃ、私言ったわよねぇ? 秘密は墓場まで持って行けって。持ってけないならどうなるか、そっちはちゃんと覚えてるかしら?」

(あ、これ昨日の夜と同じだ……)

 

 そこには真っ赤な顔でプルプルと震え、こめかみに青筋を立てた愛しい恋人の姿。詳しいことは分からないが、白雪姫が親指姫の秘密を暴露しかけたために逆鱗に触れたということだけは何となく分かった。

 とりあえずジャックはゆっくりと足音を立てて歩いてくる恋人のために道を開け、眠り姫と一緒に壁際へ避難するのだった。

 

「……ジャック、ちょっと白雪借りてくわよ」

「あ……あ……! に、兄様っ! 助けてくださいジャック兄様ぁー!」

「……ごめんね、白雪姫」

「に、兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 必死に助けを求めてくる義妹の姿に正直かなり胸が痛んだが、やはり二人の間に割って入る勇気は無かった。できるのは眠り姫と一緒に顔を背け、現実から目を逸らすことだけだった。親指姫にしっかりと捕らえられ、引きずられていく白雪姫の悲鳴が聞こえてこなくなるまで。

 

「親指姫、もしかして心配してついてきてくれたのかな? 僕が眠り姫たちに交際のことを話しに行くって言ったから……」

「……あるいは、兄様のことが大好きで……片時も、離れたくなかった……?」

「それなら嬉しいんだけど……あと、できたらその兄様っていうのはやめてもらえないかな?」

「ん……やだ……」

 

 にっこりと笑って断固拒否する姿勢を見せる眠り姫。やはり兄様という呼び方が気に入ってしまったらしい。

 

「じゃ、じゃあ、せめて僕と眠り姫たちだけの時にしてくれないかな? さすがに皆の前でそんな風に呼ばれたらまた赤ずきんさんあたりにからかわれちゃうだろうし。特に親指姫がね……」

 

 さっき親指姫の顔が真っ赤なのは何か秘密をバラされそうになったこともあるだろうが、たぶん兄様兄様と連呼する二人の話を聞いていたからでもあるのだろう。二人がジャックをそう呼ぶだけでいちいち顔を赤くしていたら、それこそ先ほどのグレーテルとかぐや姫にやられたようにからかわれるに違いない。

 

「………………」

「……眠り姫? 聞いてる?」

 

 しかし眠り姫は全くの無反応で何も答えてくれなかった。というか聞いてはいるし、しっかり目を開けてジャックを見ているのに口を開こうとしない。

 

(あ、これってもしかして……)

 

 何となく意思を察したジャックは仕方無しに口を開き、ちょっとした恥ずかしさに頬を掻きつつ言い直した。

 

「僕と……ネム、たち……だけの時に、してくれないかな……?」

「ん、分かった……兄様……!」

 

 今度こそ眠り姫は口を開き、ジャックの言葉に頷くのだった。

 心底嬉しそうに微笑みながら、やはり兄様という呼称を口にして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 一応断っておきますと別に白雪姫が嫌いなわけじゃないです。何か展開的にこうなってしまったというか、何というか……。
 今回はあとがきに書くことがほとんどないのでどうせなら文字埋めに感想の催促を。ご感想お願いします。あと誰かジャック×赤ずきんをお願いします。
 



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作戦会議


 何かちょっと物々しいタイトルですが実際にはそんなことは無いです。残念ながら今回はジャック未登場。
 でもイチャラブ好きとしてはカップルの片割れがその場にいない状況でもニヤニヤできるお話を書けるようになりたいです。できているかどうかはともかくとして。
 




 ジャックと恋仲になってからおよそ一週間。

 その一週間を過ごし親指姫が抱いた感想。それは――

 

(全っ然、物足りない……!)

 

 ――であった。

 物足りない理由はもちろん、自分のしたい触れ合いが微塵もできていないからだ。ジャックが愚直にルールを守るせいでキスは一日二回しかしてもらえないし、頭を撫でてもらったり手を握ったりなども両方合わせて片手の指で足りる回数。

 こっちから求めればジャックだってもっと色々してくれるはずだが、そこは素直でないことを自負している親指姫だ。素直に求めることも出来ないばかりか、度々真逆のことを口走ってしまう。本当はもっと素直に好意を表し、触れ合いたいのに。

 このままではいつまで経っても幸せにはなれないし、辛い思いが募るばかり。だから何としてでもこの状況を打開しなければならない。ジャックと真の恋人同士――ラブラブなカップルになるために。

 

「そういうわけで相談に乗ってもらうわよ!」

 

 そういうわけとは言いつつもラブラブの件は説明していないが、とにかく他の血式少女たちの力を借りることにした。ジャックも寝付いたであろう夜更けを迎えてから、昼間に予め伝えておいた通り皆を食堂に呼び集めて。

 まあ皆と言ってもあまり力にはならなさそうなので声をかけなかったラプンツェル、深夜の恋愛相談という心底面倒くさそうな集まりの出席を拒否したかぐや姫、ちゃんと協力する気はあったものの眠気に敗北して夢の世界に落ちていた眠り姫は欠席だ。

 

「それで、あたしたちに相談したいことって? 誰かさんと違って恋人のいないあたしたちが力になれるかなぁ?」

「力になれなくても相談にくらいは乗ってもらうわよ、赤姉。でばがめしてたんだしそれくらいは良いでしょ?」

 

 相変わらずからかい混じりの赤ずきんを睨む親指姫。ご丁寧にもコップやら聴診器やらを用意しての盗み聞きをしておきながら何の責任も無いとは言わせない。

 そして皆にはジャックとのことを知られたし話してしまったのだ。力を借りずに放っておくなど勿体無い。どうせなら骨の髄まで利用してジャックとの恋人生活の礎とするべきだ。

 

「まあ面白そうだからあたしはそれで良いけどさ。何だかんだであんたたちの様子を見てるのも楽しいしね!」

「動機が不純ですわよ、赤ずきんさん。私は喜んで相談に乗らせて頂きますわ」

「は、はい、白雪もです! あまり力になれないかもしれませんが、相談相手にくらいはなってみせます!」

「ありがと、皆……」

 

 結局はお人好しの集まりだ。皆笑って親指姫に力を貸してくれることを約束してくれた。白雪姫だけはおしおきの後遺症かちょっと顔が青かったが。

 

「それで相談の内容は何かしら。交際方法や男女関係についてはあまり自信はないのだけれど、ジャックについてのことなら力になれるはずだわ」

「私は逆に交際方法や男女関係についてのことなら力になれると思うわ。ただあくまでも書物から得た知識だから、実際の関係に当てはめることができるかは不安が残るのだけれどね」

「くくっ、ならばワレは闇の力や魔王としての振舞いに関して享受してやろう。さぁ、何でもワレらに尋ねるが良い!」

「……ハーメルン、あんた帰って良いわよ」

「い、嫌だぁ! ワレも仲間の相談に乗るのだぁ!」

 

 アリスとグレーテルはともかくとして、親指姫が最後まで声をかけるべきか悩んだハーメルン。一応声をかけたがとりあえず今の発言で戦力外通告。

 まあ一応力になろうとしてくれているのは分かるのでとりあえずここに置いておくことにした。今にも泣きそうにしているのに無理やり外すのも居心地が悪い。

 

「ジャックのことでも、男女関係についてのことでもないのよ……私が聞きたいのは、その……付き合い始めたのに一度も相手を好きって言わない奴を、どう思うかってことなんだけど……」

 

 とりあえず気になるのはそれだ。親指姫はまず皆にそれを尋ねてみた。

 

「好きって一度も言わない、か……何かそれ身体目当てって感じがして嫌だね。あたしでもたまにで良いから言って欲しいよ」

「か、身体……! で、でも、ジャックさんはちゃんと素直に言ってくれていますよね?」

「本当にジャックさん、躊躇い無く言いますわよね。聞いてるこっちが恥ずかしくなってきてしまいますわ……」

 

 赤ずきんでさえ言って欲しいというのなら皆も大体同じ気持ちだろう。親指姫だってジャックにたくさん好きと言ってもらいたいと思っている。

 

(ってことは、やっぱ私は最低の女ってことね……)

 

 なのでやはり自分が最低な恋人ということを再認識してしまう親指姫であった。

 

「……あら? ジャックが好意を素直に口にしているのなら、親指姫の質問の意図は何なのかしら。好意を口にしない人物にジャックは当てはまらないわよね」

「うっ……!」

「ええ、そうね。告白の時に五回ほど親指姫のことが好きだとはっきり口にしていたもの。ここ七日間で私が把握しているだけでも十八回、親指姫の前で好きという言葉を用いていたわ」

「お嬢のその詳しさは一体……い、いや、何でもないじょ! ぞ!」

 

 グレーテルとアリスの指摘に皆の視線が親指姫に集中する。いつもなら怒り出すところだが罪の意識に耐えかねて無言で視線をそらすことしかできなかった。もちろんその反応が答えになってしまうのは分かっていた。

 

「親指、あんた……」

「お、親指姉様……」

「だって……だって仕方ないじゃない! 私は嫌いじゃないから特別に付き合ってあげるって名目で付き合ってんのよ!? そんなホイホイ好きとか言えるわけないわよ!」

 

 皆もそれは知っているはずなのだが、たぶん照れ隠しによるもので本当はジャックのことが好きだからと思っているに違いない。実際照れ隠しによるものでもあるし、好きだという気持ちも間違っていないので皆の予想は当たりだ。

 だからきっと二人きりの時くらいならちゃんと好意を伝えている、とでも思っていたのだろう。心底呆れたような皆の反応は明らかにその事実を示していた。実際は何一つ本音を口にしていないばかりか、羞恥と嘘で何度も塗り重ねてばかりいるというのに。

 

「……まさか親指姫は本当にそんな理由でジャックの告白を受けたの? できることならまずそこを聞かせてもらいたいのだけれど」

「お、お嬢? 何やら機嫌が悪そうだが一体……ひっ!」

「そ、それは……」

 

 アリスが放つ妙な気迫に気圧されたハーメルンが青くなり、親指姫も言葉を詰まらせてしまう。ちゃんと言い返したかったが恥じらいに口が開かない。『もちろんジャックが大好きだからよ!』と叫べればどんなに楽か。 

 

「ふーん……だったらジャックのことが好きな奴は気持ちを素直に伝えればまだチャンスがあるってことだね! 親指は別にジャックのことが好きじゃないみたいだし、誰がジャックを奪ったって別に構わないんだろ?」

「ちょ!? あ、赤姉、何言ってんの!?」

「そう。なら私は今からジャックのところへ行って胸の内の想いを余す所無く伝えてくるわ」

「は、はぁっ!?」

 

 赤ずきんの言葉にあろうことか一切の躊躇い無く席を立つ真顔のアリス。

 他の奴ならともかくアリスだ。こいつなら本気でやりかねない。瞬間、親指姫の口は勝手に動いた。

 

「ふざけんじゃないわよ! ジャックは私の恋人なのよ! あいつは絶対誰にも渡したりしないんだから!」

(……あ)

 

 そして一拍遅れて頭が言葉を理解した。

 

「あーもうっ!! 何でこんなことで簡単に口滑らせてんのよ私は!? てか何でこれを皆の前で言えんのにジャックの前で言えないのよ!!」

 

 ジャックが奪われるかもしれないと怯えたからとはいえ、よりにもよって嫉妬心丸出しで独占欲に溢れる気持ちを吐露してしまうとは。しかもこんな大勢の前で。その癖ジャックには好きの一言も伝えられない。あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい親指姫であった。この際入れるなら墓穴でもモグラの巣穴でも何でも良い。

 

「なーんだ。やっぱり両想いじゃんか」

「今の言葉、ジャックさんに聞かせてあげたいですわね……」

「それを私たちに言えるなら、ジャックに好意を伝えるくらいわけはないと思うのだけれど……」

 

 ニヤニヤ笑う赤ずきんと呆れ気味に笑うシンデレラ、そして表情を緩めあっさり席に戻るアリス。たぶんアリスは親指姫を煽るために席を立ったに違いない。

 

「わ、私だって努力してんのよ! でもジャックの前に立つとどうしても恥ずかしくて別のことしか言えないのよ! しかも次から言うのが余計に気まずくなること言っちゃうし!」

 

 どうせ言ってしまったのだから親指姫は続けて本音を吐露していった。もちろん本音を口にするのは恥ずかしいが、相手がジャックでないなら口に出せないほどではない。

 そもそも妹とはいえ白雪姫にはジャックのことが好きだという気持ちを教えられたのだ。問題なのはジャック相手の時だけだ。

 

「どつぼにはまる、という言葉が相応しいわね。いっそのこと何も口にしないというのも一つの手ではないかしら。ジャックへの好意を口にしようと努力することで逆の気持ちを伝えてしまうなら、最初から努力することをやめてしまえば良いと思うわ」

「そ、それは幾らなんでもあんまりです! ジャックさんだって姉様に好きって言ってもらいたいはずです!」

 

 グレーテルのとんでもない提案に即座に白雪姫が反対する。

 墓場まで持っていけと命じた約束を破って親指姫の気持ちをジャックに伝えようとしていた白雪姫だ。普通に兄様とも慕っていたし、やはり白雪姫としては親指姫だけでなくジャックにも幸せになって欲しいのだろう。

 

(でも、いっそその方が良いかもね。本当は大好きなのに好きじゃないとか嫌いだとか言うのは私も辛いし……)

 

 しかしグレーテルの言うことも一理ある。下手に気持ちを伝えようとして結果的に傷つけるようなことを言ってしまうのなら、最初から気持ちを伝えようとしなければ良い。どうせ好意を口に出来ないなら何もしない方がジャックだって傷つくことはない。

 だからいっそ本心を口にするのはもう諦めようかと思った直後――

 

「うむ。いくらジャックとて尽くせど尽くせど想い人が振り向かぬのなら、好意も萎えて去ることもあろうな。叶わぬ願いなど抱いていても無意味であろう」

(――っ!)

 

 よりにもよって戦力外通告したはずのハーメルンから、心の内を抉るような言葉をかけられた。実は不安に思っていてあまり考えないようにしていたことを、抉り出して引っ張り上げられ目の前に突きつけられるような言葉を。

 

「……ハーメルン、やっぱあんた帰りなさい」

「な、何故だ!? ワレは今何かおかしなことを言ったのか!?」

「いいえ、あなたは何もおかしなことは言っていないわ。親指姫は図星を指されて逆恨みしているだけよ」

「お、おお、そうか……」

 

 また泣きそうになったハーメルンを慰めるアリス。残念ながら今回は正に逆恨みであった。親指姫もハーメルンが何一つ間違ったことを言っていないのは分かっている。それでも八つ当たりしてしまうくらい、本当は気にしていたことを言われてしまったのだ。

 

「ま、ハーメルンの言うとおりかもね。キツイこと言うけど、いくらジャックでもあれだけ尽くして好きの一言も言ってくれないなら、さすがに親指に愛想をつかすかもしれないよ」

「っ……!」

 

 そして赤ずきんが非常に分かりやすく簡潔に言い直してくれた。

 それは絶対ありえないことではない。ジャックはただでさえ毎度の如く親指姫に生意気で偉そうなことばかり言われているし、時には軽くとはいえ暴力すら振るわれる。健気にもそれらをずっと我慢しているというのに、どれだけ努力しても振り向いてもらえない。そんな日々が続けばジャックだって疲れて諦めてしまうことだってあるだろう。

 そして親指姫に愛想を尽かして、もっと素直で可愛げのある女の子と結ばれる。それもありえないことではない。だがそれだけは絶対に嫌だった。ジャックのことが誰よりも大好きで、これからもずっと傍にいたい。誰にも渡したくない。それが親指姫の本音なのだから。

 

「それが嫌ならはっきりと伝えて差し上げることですわね。ジャックさんならちゃんと好意を伝えていれば、きっとあなたの元から去ることはありませんわ。その、だいぶ夢中になっているようですし……」

「あなたがどれだけ傲慢で威張り腐ったことを口にした事実があっても、ジャックならそれを引き合いに出してあなたを責めることはないはずよ。ジャックのことが本当に好きだというのなら、告白された側という自分の立場に胡坐をかくのはやめて素直に想いを伝えてあげて」

「わ、分かってるわよ! 私だってちゃんと言ってやりたいしジャックと色々したいのよ! でも口を開くと勝手にそういう言葉が零れてくんのよ! もうっ!」

 

 皆親身になってくれているのは分かるが、事はそう簡単ではない。すでに好意を伝えようとして真逆のことを言ってしまう負の連鎖に陥っている親指姫としては、今更どうやって自分の本音を伝えれば良いのか分からなかった。

 

「……どうしても無理というのなら方法は無くも無いのだけれど」

「嘘!? そんなのあるなら最初から教えなさいよ、グレーテル!」

 

 本気で頭を抱え始めた瞬間、何とグレーテルが救いの言葉をぽつりと零した。もちろん親指姫は一も二も無く飛びついた。まさか救い主がグレーテルになるとは意外に過ぎる展開であった。

 

「ふふっ。最初からそれを教えてしまっていたら、ここまでのあなたの本音や反応を観察できなかったでしょう? それに常識か非常識かで考えると非常識な方法だから黙っていたの」

「要するに私がさっきから頭抱えて悩む姿を楽しんでたってことね、あんた……!」

 

 意外かと思いきや救い主の正体は人が苦しみ悩む様を楽しむ悪魔であった。これならグレーテルにぴったりだ。というかその口から常識などという言葉が出てくるとは思わなかった。

 

「全部水に流してやるからその方法教えなさい! この際常識でも非常識でも何でも良いいわ!」

 

 しかしこの際悪魔でもナイトメアでも構わない。

 ジャックに自分の気持ちを伝えることが出来て、ちゃんと恋人らしい触れあいを沢山行えるようになるのなら何でも良い。そしてずっと一緒にいられるようになるのなら頼るものの存在が何だろうと些細なことだ。

 

「ふふっ。ジャックに嫌われてしまう可能性を提示した途端に積極的になったわね。何も難しいことではないわ。方法というのは――」

 

 そうしてグレーテルの口から語られた方法。それは予想の斜め上というか盲点というか、とにかく一般的ではない方法であった。グレーテルが非常識と言うのも納得できるくらいに。

 しかし一般的でないにしろぶっ飛んでいるにしろ、確かに親指姫の本音を伝えることはできそうな方法だった。

 

「それって非常識っていうよりも卑怯な手段だよね……」

「しかも根本的な問題の解決にはならないわね。いえ、ジャックに気持ちを伝えることはできるでしょうけれど……」

「……ま、まあ、良い考えだとは思いますわよ? かなり人を選ぶ方法ですけれど……」

「……うむ。闇の力を扱うには適正があろう。だが案ずることは無い。ワレよりも適正がありゅと……あると判断してよかろう!」

 

 賛同しながらもやはり皆思い思いの感想を零す。そんな中、提案をしてきた本人であるグレーテルは最後の問いを投げかけてきた。

 

「……どうかしら。必要なものは部屋で保存しているから、あなたが今すぐやるというのなら戻って取って来るのだけれど。あるいは後日ということでも私は構わないわよ?」

「親指姉様……どうしますか?」

 

 不安気に尋ねてくる白雪姫。しかし親指姫の答えはもう決まっている。

 

「……やるわ! 今すぐ取って来なさい!」

 

 人に物を頼む態度ではないがはっきりと答えた。

 そう、あの時ジャックの身体を暖めるために裸になった時と同じだ。後でどれだけ羞恥に悶えることになろうとも本当に死んだりはしない。大切なのは躊躇わずに今すぐ行動すること。

 だからこそ親指姫は今すぐ行動を起すのだった。ジャックと本当の恋人になるために、ずっと傍にいるために。勢い余って何をしでかすかちょっと不安な方法で。

 

 





 次回、とんでもないことに。まあゲームをプレイした人なら方法が何かは簡単に想像がつきますね。そもそも未プレイで読んでいる人なんていないでしょうし。
 個人的にはラブラブカップル二人だけのお話だけでなく、ちゃんと周りの人物も関わってくるお話も好きだったりします。冷やかされたり怒られたり、あえて皆の前で二人だけの世界を作ってラブラブしたり……見せ付けられるほうは心底イラっとくるでしょうね……。


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覚醒、親指姫

 ツンデレ親指姫の本気が垣間見えるお話。2章最後のお話。
 正直やりすぎた感が否めませんがこれでも控えた方です。読んだ人がニヤニヤできるお話になっていれば良いなぁ……。




 親指姫におやすみのキスをしてから部屋に戻り、ベッドに入ったジャック。意識が落ちるまで考えているのは今夜も親指姫のことだ。

 

(やっぱり一日二回のキスじゃ物足りないなぁ……)

 

 最初の頃はあんなルールでも別に良いかと思っていたジャックだが、意外と堪え性が無かったのか七日も経った今では物足りなくて堪らなくなっていた。

 本当はもっと何度もキスしたいし、手を繋いで仲良く散歩とかもしてみたい。そしてもし親指姫が許してくれるなら、その身体を膝に乗せて後ろからぎゅっと抱きしめてみたい。親指姫としてみたい触れあいはいっぱいあるのだ。

 

(でも仕方ないか。あの親指姫が恋人になってくれたんだから、今はそれで我慢するしかないよね……)

 

 親指姫はあくまでも『馬鹿なことをして死なないか見張るため』に、ジャックのことが『嫌いではない』から付き合ってくれている。照れ隠しによるものなのかもしれないが真実を知る術はジャックにはない。

 分かるのは一日に二回までとはいえキスを受け入れてくれる程度には好かれている、ということくらいだ。しかしそれがどの程度の好意なのかは男であるジャックには分からない。それにキスすると親指姫は大抵頬を染めてむっとした表情をするので、本当はあんまり快く思っていないのかもしれない。告白の時は幸せそうにしていた気もするが、あれはたぶんキスに慣れていなかったからだろう。

 いずれにせよ今のジャックがするべきなのは不満を零すことではない。親指姫に好かれるような男になることである。そのために明日もグレーテルから借りた恋愛指南の本で勉強あるのみだ。

 ジャックはまどろんでいく意識の中、明日も頑張ろうと心に決めた。

 

「――ジャアアァァァァァァァックウウゥゥゥゥゥゥッ!」

「うわああぁぁっ!? な、何!? 誰!? どうしたの!?」

 

 瞬間、誰かがジャックの名を叫びながらいきなり部屋の扉を開け放った。あまりの驚きに飛び上がり一瞬で眠気が吹き飛んでしまう。

 一体誰なのかと目を向けるものの、部屋が真っ暗な上に廊下からの逆光、更には謎のピンク色の光でシルエットすら分からない。そもそもこんな夜更けにあんなテンションで訪ねてくる知り合いに心当たりもない。しかし声にはどこか聞き覚えがある。

 疑問に思いつつ部屋の灯りを付けると、その人物の姿がはっきりと瞳に映りこんだ。あまりにも予想外な人物の姿が。

 

「お、親指姫!? 何でこんな時間に――って、えぇ!?」

 

 その人物が恋人である親指姫であったことにも驚いたが、その姿にも驚いた。

 何故なら赤かったはずの親指姫の髪は色が抜け落ちたかのように真っ白に変化していたからだ。しかもツインテールを形作るリボンは揺らめくピンク色という謎の素材と化している。

 極めつけはその瞳。落ち着いた深緑の大きな瞳は妖しいピンク色に輝いていた。

 

(何でこんなところでジェノサイド化してるの、親指姫!?)

 

 わけの分からない状況に頭の中が疑問で埋め尽されるジャック。

 百歩譲ってこんな真夜中にジャックの部屋を訪れているのは良いとしても、ジェノサイド化している意味が分からない。まさかジャックを退治しにきたというわけでもないだろう。たぶん。きっと。

 

「え、えっと……親指、姫……? ど、どうしたの……?」

「あはっ、あはははっ……! ジャックゥゥゥ……!」

 

 刺激しないよう控えめに尋ねてみると、親指姫はちょっとイッちゃった感じの笑顔を浮かべてジャックにピンク色の瞳を向けてきた。そして一歩、また一歩とゆっくり歩み寄ってくる。

 

(どうしよう。僕の恋人、死ぬほど怖い……)

 

 正直その怖さはブラッドスケルター化した時と良い勝負だった。あっちは理性が残っていないので仕方ないとして、こっちは理性が残っているのにコレである。あの時は殺意と狂気に満ち溢れた視線を向けられても一歩も退かなかったジャックだが、今はちょっと腰が抜けてベッドから出られなかった。

 やがて親指姫がベッドの脇まで辿り着き、爛々とピンクに輝く瞳で見下ろしてくる。やはりその表情は狂気とまではいかないものの、強い興奮と衝動に突き動かされている危ない笑みであった。

 

「お、親指姫……? えっと、その……ごめん、なさい……」

 

 わけも分からないがとりあえず謝罪してみる。考えられる中でもっともベストな対処を選んだ結果だ。

 しかし謝罪は正解ではなかったらしい。親指姫は笑みをそのままに緊張と恐怖に固まるジャックの両肩をがっしりと掴んできた。決して逃がさないとでもいうように、力強く。

 

(……うん。せめて一目で良いから地上の世界を見たかったな……)

 

 どうやらジャックの物語はここまでのようだ。一体どこで選択を誤ったのか。しかし今更考えても後悔してもすでに後の祭り。

 ジャックは潔く覚悟を決め、目蓋を深く閉じるのだった。

 

「――っ!?」

 

 ――その瞬間、唇に柔らかな感触が押し当てられた。反射的に目蓋を開けると、あろうことか親指姫にキスされていた。

 しかも一日二回行っているただ唇を触れ合わせるだけのキスではない。

 啄ばむように唇同士を食み、その感触を存分に味わう一歩先へ進んだキス。それを親指姫から一方的にされていた。

 

「は、あぁっ……! これよ、これっ……! あんたとのキス、やっぱり最っ高だわ……!」

(……え? あれ、今キスされ……え?)

 

 口付けを止め、至福の笑みと吐息を零す親指姫。そして混乱して何が何だか分からないジャック。

 いつもならキスの後は不機嫌そうな表情をする親指姫だが、今はまるで正反対。今まで我慢していたやりたかったことをついに実行できたかのように、これでもかというほど満足気だった。

 

「でもこんなんじゃ全然足りないわ……! ジャック――!」

「――ん、んぅっ!?」

 

 止んだのも束の間、再開される口付け。

 しかも今度は親指姫がベッドに上がってきた。上半身を起していたジャックを半ば押し倒す形で、馬乗りになって。何だかちょっとした既視感を覚える状態だが今のジャックには懐かしむことができるほど心の余裕は無かった。

 

(ど、どういうこと!? 何で親指姫こんなに大胆にキスしてくるの!? でも唇柔らかくて気持ち良い……!)

 

 一心不乱といった様子で何度も唇を甘く食んでくる恋人の様子と、その瑞々しい唇の感触に困惑するので精一杯であった。

 

「ちょ、ちょっと待って! い、一体、どうしたのさ……親指姫……?」

 

 何とか口付けを止めてもらい、身体を起すジャック。

 とりあえずジャックを退治しに来たわけではないことだけは分かったが、相変わらず真意はさっぱりだった。主にジェノサイド化していることが。

 

「どうしたもこうしたもないっての! あんたが死ぬほど大好きだからキスしたいの! ほら、もっと続けるわよ。あんたも私といっぱいキスしたいでしょ?」

「え……し、死ぬほど大好きって……ええっ!? そ、そうだったの!?」

 

 今までずっと悩んでいたことの答えをあっさり返され、ジャックは先刻以上の衝撃を受けた。まさか予想は自惚れでは無く事実だったとは。しかし何故親指姫がこんなに素直に本音を吐露したのか。

 

(あっ、そうか。もしかしてジェノサイド化してるから、なのかな……?)

 

 ジェノサイド化した血式少女たちは性格や気分が劇的に変化する。完璧に傾向を把握しているわけではないが、親指姫の場合は言うことにも為すことにも容赦が無くなる感じだ。

 つまり今の親指姫は自分の気持ちさえも容赦無く口にして、自分のやりたいことすらも容赦なく為す状態なのだろう。いつもはその容赦のなさがメルヒェンに攻撃として向けられているので今回のような事態は初めてだった。

 

「やっぱ気付いてなかったのね、あんた。いい? あんたに聞かせてやるためにわざわざこんなことしたんだから耳かっぽじってよーく聞きなさい!」

「う、うん……」

「嫌いじゃないから特別に付き合ってあげるとか言うのは全部嘘よ! 私はあんたのこと大好き! 告白されて踊りだしそうなくらい嬉しかったわ! 言っとくけどあの時あんたが告白してこなかったら、私から告白して脅迫してでもあんたを私のものにするはずだったんだからね! 私に色々しやがったんだから責任取れ、って!」

「あ……そ、そうなんだ……」

 

 こっちも踊りだしたくなるくらい嬉しいことを言ってくれているが、親指姫は妖しくピンク色に光る瞳でジャックを睨みつけているのでちょっと怖い。まあこれはジェノサイド化による変化の一つである暴力性の付加なので悪気はないはずなのだが。

 

「じゃあ、僕と君は両想いだったってことなんだね……」

「そうよ! あんたと私は両思い。死ぬほど愛し合ってるラブラブのカップルよ!」

 

 恥ずかしげも無くそんなことを高らかに口にする親指姫。どうも本当に自分の気持ちを容赦なく口にしているようだ。

 それに親指姫の言葉から察するとジェノサイド化したのは自分の本当の気持ちを伝えるため。自分のためにそこまでしてくれる親指姫の想いに、ジャックは心から幸せを覚えるのだった。

 

「そっか……良かった。親指姫も僕のこと、好きだったんだ……」

「生憎と普段は素直に言ってやれないから今言ってやるわ、ジャック! 私はあんたのこと好き! 好き! 大好きよジャック! 一生私の隣にいなさい!」

(何か今プロポーズされたような……気のせいだよね?)

 

 きつい表情を微かに緩めた親指姫が、ジャックの瞳を正面から覗きこみながら何度も好意を口にする。勢い余ってプロポーズされた気もするがそれはひとまず置いておく。

 

「うん。僕も君の事大好きだよ、親指姫……」

「あははははっ! 嬉しいわ、ジャック! これでやっと私たちは本当の恋人になれたってわけね!」

 

 普段なら照れ隠しに怒ったり軽い暴力を振るってきたりする親指姫も、今は満面の笑みを浮かべて喜んでいる。自分の気持ちを包み隠さず伝え、互いに想い合う本当の恋人になれたことを。無論その喜びはジャックも同じだ。

 ただ欲を言うならジェノサイド化した親指姫ではなく、元のままの親指姫から気持ちを聞きたかった。しかし本当はここまでジャックに好意を寄せてくれていたのだから、あまり多くを望むのはあまりにも贅沢だ。今は互いの気持ちが通じ合い両想いの恋人となれたことで十分だった。

 

「……で、それはそれとして」

「うわぁ!?」

 

 しかし幸せに浸っていたジャックは突如胸倉を掴み上げられた。

 

「あんた何で馬鹿正直に一日二回だけのキスとかで納得してんのよ! あんた男でしょうが! ルールなんてもん無視してあの時みたいに私を押し倒して滅茶苦茶にしなさいよ! あの時みたいに!」

「ええっ!? 僕そんなことした覚えないよ!? それにルール決めたのは親指姫だよね!?」

 

 そしてがくがくと揺さぶられながら理不尽な怒りと身に覚えのない過去をぶつけられる。押し倒していたのはどちらかと言うと親指姫の方だし、ジャックがやったのは唇を触れ合わせるキスだけだ。やはりジェノサイド化している親指姫はいつも以上に理不尽であった。

 

「私が素直じゃないのはあんただって知ってんでしょうが! 一日二回だけで満足できるわけないっての! 最低でも千や二千はして来なさい!」

「それってほとんど一日中キスしてるよね!? 本当にそんなにキスして欲しいの!?」

「決まってんでしょ! あんたのこと大好きなんだからそんな一日だって過ごしたいわよ! それともあんたは興味ないわけ!?」

「そ、それは……きょ、興味は、あるかな……」

 

 キスの魅力を知ってしまった今となっては正直興味がある。しかし一日中大好きな恋人とキスなどしていたら正気を保っていられるか自信はなかった。ジャックも一応男なのだから。

 

「だったら今度やろうじゃない! 水も食料も用意して部屋から一歩も出ないでキス三昧の一日を過ごすわよ! もちろん水と食料は口移しね!」

「あはは……う、うん。そうだね……」

 

 そんなジャックの不安をよそに、ニコニコ笑顔でかなりハードな触れあいを約束する親指姫。ジェノサイド化が解けた時、果たして親指姫は自らの言葉と行動による羞恥心に耐えられるのだろうか。さすがにまた徹底的に避けられるのは勘弁して欲しい。

 

「あ、ぁ……っ! ヤバイ、考えてたらまたキスしたくなってきた……! ジャックっ!」

「ん、んっ――!」

 

 そしてまたしても押し倒され、三度始まるキスの嵐。本当に親指姫はジャックのことが好きで好きで堪らないらしい。

 もちろん好きで好きで堪らないのはジャックも同じ。さっきまでは状況が飲み込めずに混乱していたが、今はもうすっかり理解できた。

 

「ふぁ……ジャックぅ……」

「はぁ……親指、姫……」

 

 だからジャックも口付けに答えた。甘く噛み付いてくる親指姫の唇を唇で噛み返し、何度も何度も触れ合わせて。

 こんなキスは初めてなので加減は上手く分からなかったが、それはお互いに同じこと。親指姫の方も触れ合う程度から噛み付くくらいの力強さを行ったり来たりしている。積極的に口付けてくるわりにはぎこちない可愛らしいキスだ。

 だがそんなキスでもジャックはとても幸せな気持ちだった。何せ一日二回しかキスさせてくれなかった親指姫が、自分からこんなにもいっぱいキスしてくれているのだから。こんなにいっぱいキスしてくれるほど、自分を想ってくれているのだから。

 その喜びと湧き上がる愛しさに突き動かされるまま、自分に覆い被さっている親指姫の背中に手を回し――

 

「わ、わぁ……!」

(――えっ!? い、今のって、もしかして……!?)

 

 ――抱きしめようとしたところで凍りついた。開け放たれたままの扉の方から届いた、小さいが間違いようの無い感嘆の声を耳にして。

 

(うわっ、やっぱり!)

 

 親指姫にがっちり顔を固定されてキスされているので瞳だけを何とかそちらに向けると、そこには予想通りというか案の定というか、とにかくそんな光景が広がっていた。要するに全開の扉から顔だけを出してこちらを覗く血式少女たちの姿である。何人か足りないがそれでも六人はいる。

 

「はぁ――! お、親指姫! 見てる! 皆そこから覗いてるよ!?」

「なっ!? 覗いてる……ですって!?」

 

 何とか口付けの隙を見つけてそれを伝えると、不機嫌極まるという表情で皆に視線を向ける親指姫。

 ジェノサイド化した上での怒りのこもった鋭い眼光。これにはさしもの赤ずきんでさえもびくっと身体を震わせていた。なお、白雪姫とハーメルンは今にも倒れそうなくらい顔面蒼白になった。

 

「や、ヤバイ! 早く逃げ――」

「――そんなとこからちらちら覗いてないでもっと近くで見てなさい! こいつが私のものだってことたっぷり見せ付けてやるから!」

「えぇっ!? 追い返さないの!?」

「うーん……あたしもそう返されるとは思ってなかったな。どうすれば良いんだろ……」

 

 まさかの発言に戦慄を禁じえないジャック。いつもの親指姫なら絶対追い返すはずなのに逆に見せ付ける気だとは。赤ずきんでさえちょっと困惑気味だ。

 

(もしかして、今までも本当は見せ付けたかったのかな? 恥ずかしくてできなかっただけで……)

 

 だとするとその照れ隠しによってトラウマを植えつけられたような白雪姫とハーメルンは気の毒としか言いようがない。いや、一番気の毒なのはこれから親指姫にたっぷりキスされる様を間近で赤ずきんたちに観察されるジャックの方か。

 

「そう。ではお言葉に甘えてもっと近くで観察させてもらうわ」

 

 戦慄や困惑をよそに、一番に特等席に陣取るのはやはりグレーテル。頬を赤くする様子など微塵もなく、探究心溢れる知的な表情をしていた。

 

「観察しないでグレーテル! 見ててもあんまり面白くないよ!?」

「そうかしら? 接吻というものは知識としては知っているけれど、間近で見るのは初めてだからとても興味深いわ。できれば他の接吻も見てみたいものね」

「他の接吻、ね……良いわ、やってやろうじゃない! そこでじっくり見物してなさい!」

「ちょっ!? 親指ひ――っ!?」

 

 煽られた親指姫はニヤリと笑うと、またしてもジャックの唇を奪う。それだけならまだ良かったが、今回は更にもう一歩踏み込んだキスであった。何故なら暖かく湿った感触を持つ何かが、唇の隙間を通して口の中へと挿し込まれたから。

 

(こ、コレって……! 親指姫の、し、舌……!?)

 

 あまりにも予想外の展開に目を丸くして固まるしかないジャックと、そんなジャックの口の中へ挿し込んだ舌を蠢かせ咥内を弄る親指姫。

 本当なら親指姫とここまで深いキスができたことを喜びたいところであったが、すぐ傍でグレーテルに、離れた所で赤ずきんたちにがっつり見られているせいでそれどころではなかった。

 

「ん、んぅっ……!?」

「んっ……ちゅ……ジャックぅ……っ、あ……!」

 

 しかしその混乱も徐々にキスの魔力に飲み込まれていく。唇の隙間から零れる親指姫の色っぽい喘ぎもまたその要因だ。完全に飲まれてしまう前に抜け出そうと頑張りはするものの、相手はジェノサイド化した血式少女。どう頑張っても膂力では敵わなかった。

 

(あ……も、もうダメだ……)

 

 舌を弄る刺激的な感覚に脳髄が蕩けていき、次第に抵抗する意思が奪われていく。その内ジャックは考えることすらできなくなり、されるがままに深い口付けを受け続けるのだった。

 

「あー……や、やっぱ二人の邪魔しちゃいけないよね! あたしは先におさらばするよ!」

「わ、わわわっ!? ま、待ってください赤姉様! 白雪もついて行きます!」

「……ま、まぁ、両想いなら私が邪魔をする理由はないわね。ジャック、幸せにね?」

「お、お嬢! ワレもお供するぞ! お嬢のお供をする使命を果たさなければならぬだけで、決して恥じらいに敗北したわけではないじょ! ……ぞ!」

 

 唾液や舌が触れ合う卑猥な水音を立てながらのディープキスを目の前で繰り広げられ、居心地の悪さに耐えられなくなったのだろう。さすがの赤ずきんも顔を赤くして一目散に逃げ出していった。それに続いて同じく真っ赤な白雪姫も逃げ出し、アリスとハーメルンも続いていく。

 

「お、お待ちになってくださいな、皆さん!? あ……」

 

 残った内の一人であるシンデレラも頬を染めて逃げ出そうとしていたが、一人やっかいな人物が残っていることにちゃんと気付いていたらしい。情熱的な口付けを見せ付ける親指姫から視線をそらしつつ、グレーテルの下へと近づいていった。

 

「ほ、ほら、あなたも行きますわよ!」

「あら、何故? 親指姫は見て良いと言っていたのに」

「えーと、それは、その……ジャックさんは見られるのを嫌がっているようですから気持ちを尊重してさしあげてくださいまし!」

「……まあ、この接吻を見られるのが今だけというわけではないものね。分かったわ。親指姫、残りをここに置いていくわね」

 

 そして半ば引きずるような形で連れて行く。最後にグレーテルがテーブルに何か置いていったようだが、顔を正面に固定されているジャックには良く見えなかった。

 

「……あ? 見てなさいって言ったのに何で誰もいなくなってんの? あれだけ覗きと盗み聞きするくらい興味津々だった癖に赤姉たちも何考えてんのかしら」

(……はっ!? ぼ、僕は今まで何を!?)

 

 一旦キスを中断し観客がいなくなったことに対して明らかに不満を見せる親指姫。そして口付けが止んだおかげで正気を取り戻すジャック。しかし相変わらずがっちり押さえつけられているせいで身動きできない。このままではまた同じ末路を辿ってしまう。

 

「……ま、それならそれで良いわ! これで二人っきりで楽しめるしね! さ、続けるわよ!」

「ちょ、ちょっと待って親指――っ!?」

「――痛ぁっ!? あ、あんた私の舌噛んだわね!?」

 

 不意を突かれたジャックはキスを受け入れるタイミングを逃してしまい、口の中へ挿し込まれた親指姫の舌先を噛んでしまった。これにはキス魔としか思えない今の親指姫も口を押さえて飛び退る。不謹慎だが舌を噛んでしまったのは幸運だった。

 

「ご、ごめん、親指姫! わざとじゃないんだ! ごめんね!?」

 

 すぐさま身体を起して頭を下げる。親指姫は恐ろしげに光るピンクの瞳で睨みつけてきていたが、わりとすぐに視線を緩めてくれた。やはり理性はあるのでしっかり話は通じる。

 

「まあ、わざとじゃないんなら許してやるわ。私も上手くできなかったし、良く考えたら間違ったことしてたわ」

「えっ……?」

「こういうのは女じゃなくて男からやってもらうことよね! つーわけでジャック、あんたこれから毎日私にいっぱいさっきみたいなキスしなさい!」

「ええっ!? こ、これを毎日いっぱい!?」

 

 名案を閃いたとでもいうように笑顔で提案する親指姫に度肝を抜かれてしまうジャック。

 こんなにディープで淫らなキスを毎日いっぱいなどしたら正直頭がおかしくなりそうだ。というか触れ合わせるだけのキスを一日二回しか許してもらえなかった今までの日々は何だったのだろうか。

 

「当然でしょ。それともあんた、まさか私とキスしたくないっての!?」

「ち、違うよ! もちろんキスはしたいけど……こういうのはいきなりじゃなくて、その……少しずつ進めて行くものなんじゃないかな……?」

「……まあ、あんたの言ってることも尤もか。私もそう何度も舌噛まれるのは堪んないわ」

 

 痛みを思い出したのか親指姫は苦い顔をして頷く。今まで数えるほどしかキスしたことがないというのに、突然二歩も三歩も進んだキスをがっつり行えば失敗するのは当たり前だろう。やはり段階を踏んで少しずつ慣れていくのが懸命な選択だ。

 やがて親指姫もその考えに至ったらしく、かなり名残惜しそうにしていたがやっとベッドから退いてくれた。

 

「……ならキスは一旦後回しね。先にルールを決めなおすわよ! あんなふざけた建前と羞恥心の塊なんて忘れなさい! そんなもんぶっ壊して愛と欲望の塊に変えてやるわ!」

「あ、愛と欲……いや、突き詰めればそうなるのかもしれないけど……」

 

 好きという気持ちも、キスしたいという思いも突き詰めれば確かに愛と欲望だ。しかしそこまではっきり言われるとちょっと微妙なものがあった。ジェノサイド化を維持するためか試験管に封入されたメルヒェンの血液を呷っていく猟奇的な恋人の姿も相まって。たぶんあれはグレーテルが置いていったものに違いない。

 

(ってことは、たぶんグレーテルたちは一枚噛んでたってことなんだね……)

 

 素直に気持ちを伝えるために親指姫が協力を求めたのか、それとも向こうから協力を申し出たのか。どちらかは分からないが協力していたなら覗きは最初から織り込み済みだったのかもしれない。ただ赤ずきんたちの予想を上回るくらい親指姫が激しく大胆なことをしたから逃げてしまったのだろう。

 

「何辛気臭い顔してんのよ。ほら、さっさとそこ座んなさい。あんたが座んないと膝に乗れないでしょ」

「えっ……ぼ、僕の膝に乗る気、なの?」

 

 しかしそんな微妙な気持ちも期待と喜びに上書きされる。わざわざ一人用の机の前でジャックを招くからにはそういうことだろう。

 

「そうよ。本当はあんたの膝に乗っけて欲しかったんだから。そのままあんたに頭撫でてもらったりして可愛がってもらえたら最高ね!」

「そ、そうなんだ……実は僕も親指姫を膝に乗せてみたいって思ってたんだ。それで、後ろからぎゅっと抱きしめてみたり、キスしてみたいなって……」

「あははっ! 何だ、あんたもだったのねジャック」

 

 前々からしてみたかったことを口にすると、親指姫は嬉しそうに笑いながら近づいてくる。そしてそのままジャックにキスする――

 

「そういうこと思ってたんなら無理やりにでもやってこいっての! あんたが何もしてくれないから私がこんなことしてんでしょうが! 私のこと好きなら押し倒して無茶苦茶にするくらいの気概で迫って来いっつーの!」

 

 ――ことはなく、胸倉を掴み上げられてガクガクと揺さぶられた。ジェノサイド化していつもよりかなり乱暴になっているとはいえ、厳しいルールを作って触れあいを縛った張本人である親指姫に。

 

「お、親指姫! こういうこと言うのはどうかと思うけど理不尽だよ! 理不尽!」

 

 あまりにも理不尽な仕打ちに、さしものジャックもそんな言葉を零してしまう。

 しかしその反面心の中はとても暖かく、幸福感で満たされていた。実は両思いであるということが分かっただけでも嬉しいのに、望んでいる触れ合いさえも大体一緒なのだから。

 これならきっと二人でゆっくり幸せな関係を築いていける。ジャックはこれからの日々をそう確信するのだった。

 

「なにが理不尽よ! ルールなんてもんは破るためにあんの! 馬鹿正直に守ってるあんたが悪いんだっての! でも私はそんな馬鹿正直なあんたがどうしようもないくらい大好きよ、もうっ!」

「わぁっ!? お、親指姫!?」

「あはははははっ! ジャックジャックジャックぅ!」

 

 怒り心頭だったかと思えば突然好意を表し、満面の笑みで胸に飛び込んでくる親指姫。そのまま胸に頬擦りしてきて何度もジャックの名を口にして甘えてくる。

 膝に乗せて可愛がってもらいたいと言っていたことも考えると本当は結構な甘えん坊なのかもしれない。たぶん三姉妹のお姉さんという立場上、今まで甘えたくとも甘えられなかったのだろう。しかし今は好きなだけ甘えて良い大好きな恋人がここにいるわけだ。

 

「僕も君のこと大好きだよ、親指姫。だからこれから毎日いっぱいキスしても良いかな?」

「あはっ! 好きなだけキスしてきなさい! むしろいっぱいしなきゃぶっ殺すわよ!」

 

 ぎゅっと抱きしめて頭を撫でると、上機嫌で手の平に頭を擦り付けてくる。あの照れ屋で恥ずかしがりな親指姫と同一人物なのか疑いたくなるほどの変わりようだ。

 もちろん同一人物なのだが、今の親指姫はジェノサイド化した状態。果たして平時の親指姫もこんな風に甘えてきてくれるのだろうか。それ以前に素直に気持ちを表わしてくれるようになるのだろうか。

 告白を受け入れてもらえた夜と同じく、不安に思いながらもやはり大いなる期待を寄せてしまうジャックだった。

 

 





 これは酷い……ちなみに下書きではもう一段階くらい卑猥でした。
 どう卑猥かというとメルヒェンの血液を試験管から直に飲むのではなく、一度ジャックの口に注いでから……という流れです。
 さすがにそこまで卑猥なのはR18でも早々書いたことないですね。でもキスしながら飴玉を二人で舐めあうっていうのは書いたような……ていうかそっちも赤髪ツンデレツインテールのロリだったような……?
 何はともあれ2章終了です。次章からの二人の関係は一体どうなるのか。とりあえず新章になるのでイチャラブ度は+1されます。もっとイチャイチャラブラブしろ。




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3章:相思相愛?
一転攻勢



 イチャラブ度、レベル2。ついにイチャラブが始まる……?
 ジャック×親指姫の3章です。ちなみに4章で物語自体は終わりですが余裕があれば余章と称してその後のイチャラブを書く予定です。でも余章のお話のアイデアがどれもこれもR18に寄ってしまいそうで困ってます。



 ジェノサイド化した親指姫による、激しくディープな愛情表現を受けた夜からすでに数日。正気に戻るとやはり羞恥に耐えられなかったらしく、しばらくの間親指姫は顔を合わせてくれなかった。食事の席でも顔を合わせられなかったし、偶然顔を合わせればたちまち逃げていってしまう。まさにあの五日間の再来だ。

 とはいえ避けられる理由が分かっているのであの五日間よりは幾分マシであった。まあその間キスもできなかったので正直かなり辛い所だったが、相思相愛であったという舞い上がりそうな事実のおかげで耐えられないほどではなかった。おまけに親指姫がジャックに対して抱いている好意は、控えめに言っても途轍もなく大きな好意。これで喜ばしく思わないわけが無い。

 それに避けられている期間でジャックは自らの気持ちに整理をつけ、心を決めることができた。片思いの恋人ではなく、相思相愛の恋人としての触れ合いをするために。

 

「おはよう、ジャック。今日はやっと親指が朝ごはんの時間に出てきてくれたよ……恋人として、心置きなく挨拶しときな?」

「うん、そうするよ。ありがとう、赤ずきんさん」

 

 そしてやっと親指姫が朝食の席に顔を出すようになったころ、ついにジャックは心構えを行動へと移すのだった。

 

「おはよう、親指姫。やっと一緒にご飯が食べられるね?」

 

 まずは普通の挨拶をすると共に、食事中の親指姫の隣へ腰を降ろす。

 すると一瞬視線がこちらに向き苦い顔をされてしまうが、別段距離を取られることも無ければ怒られることも無い。どうやら親指姫もやっと気持ちの整理がついたらしい。

 

「お、おはよう、ジャッ――んむぅ!?」

「おおっ!?」

「ま、まぁ……」

 

 なので親指姫がたどたどしく挨拶を返してきた瞬間、ジャックはその唇を奪った。突然の凶行に親指姫は顔を真っ赤にして固まり、席についていた他の少女たちが感嘆と驚愕の声を零す。

 

(ま、まあ驚かれるよね。こんなことするのは初めてだし……)

 

 何せ覗かれている時を除けば人前でキスをするのはこれが初めてだ。驚かれるのも無理はない。それはキスを見た赤ずきんたちも、キスをされた親指姫も同じであった。

 

「い、いきなり何すんのよあんたは!? 赤姉たちの前でキスするとか正気なの!? 人前ではダメだってルール忘れたんじゃないでしょうね!?」

 

 正気に戻った途端これ以上ないほど露骨に距離を取り、真っ赤になりながらこちらの正気を疑うような視線を向けてくる親指姫。恥ずかしがっていることも怒っていることも手に取るように分かる反応である。

 

(でも、これは照れ隠しで本当に怒ってるわけじゃない……!)

 

 だが今のジャックには分かっていた。親指姫は照れ隠しに怒っているだけで、本当はとても喜んでいるのだと言うことが。

 

「ごめん、朝の挨拶をしたかっただけなんだ。最近君に会えてなかったから嬉しくてついね。もしかしてこんなことされるのは嫌だったかな?」

「い、嫌に決まってんでしょ! よくもルールを破って人前で私にキスとかできたわね! 後できっついお仕置きをしてやるから覚えてなさい!」

「あははっ。うん、覚えておくよ」

 

 距離を取ったままそっぽを向いてこちらを見ようとしない親指姫。反応も口調も刺々しい。

 

(でもこれも照れ隠しで、本当は喜んでる……はず!)

 

 だがやはり今のジャックには分かる。喜びに緩んだ表情を見られたくないから顔を背けていると言うことが。

 その様子を思い浮かべて可愛らしさに笑いつつ、親指姫の食べかけの食事を目の前まで届けてあげた。途端に憂さ晴らしするように勢いよく食べ始める姿もまた可愛らしい。

 

「ジャック、何かあんたかなり積極的になったね……いや、前からわりとオープンだったし親指に告白もされたから別に不思議じゃないんだけどさ、思ってたよりも大胆っていうか……」

「え? そ、そうかな?」

 

 ちょっと意外だったのかほんの少し目を丸くした赤ずきんにそんな感想を口にされる。確かに今まで皆の前でキスをしなかったというのに、いきなりするようになれば大胆と言われても仕方ない。

 

(でもあんな風にキスされたところをたっぷり見られたんだし、別にもうこれくらいなら……)

 

 しかしジャックはつい数日前、親指姫に押し倒されて濃厚なディープキスを受ける場面をたっぷり見られてしまったのだ。アレに比べればただ一瞬唇を触れ合わせるキスなど恥ずかしくも何ともない。

 もっとも恥じらいを感じようとも親指姫とキスはしたいし、しなければいけない理由があるのだが。

 

「以前まではジャックさんが下手に出ていたはずでしたのに、今や完璧に立場が逆転していますわね……」

「あれだけ素直に好意を表していたジャックを無下に扱っていたツケが回ってきたということね。ただ親指姫も内心では嬉しそうなのだけれど……」

「不思議ね。相思相愛ということが分かってお互いに上下関係が無くなったはずなのに、関係の主導権をジャックが握るようになるなんて。二人の性格から考えて親指姫が主導権を握ると思っていたわ」

「姉様もジャックさんも幸せそうで、白雪も嬉しいです!」

「わ、私のどこが幸せそうだってのよ!? こんなに嫌がってるってのにあんたたちおかしいんじゃない!?」

 

 最早隠す気の無い自分たちに関する雑談にあっさりキレて、テーブルを叩いて必死に否定する親指姫。しかしその怒りに対して誰も驚いた様子は見せなかった。ただし白雪姫以外は。

 

「あー、はいはい。分かってるよ、親指。ジャックにキスされたって全然嬉しくないんだろ?」

「そ、そうよ! こんなとこでキスされたって全然嬉しくないんだから」

「……つまり二人きりの時にキスされたなら嬉しい、ということね。相変わらず素直ではないわね、親指姫」

「そ、そういうことでもないって言ってんの! 二人きりでも人前でもジャックにキスされたって全然嬉しくないんだからね!」

「はいはい。分かりましたから食事中は静かにしてくださいませんこと?」

「適当にあしらってんじゃないっつーの! 私の話ちゃんと聞きなさい!」

 

 親指姫は立ち上がってなおも必死に言い放つが、最早誰もまともに取り合ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食の席に顔を出したのは親指姫より遅かったジャックだが、最終的に食べ終えたのはほぼ同時になった。その理由はジャックが早食いだからとかではなく、親指姫が赤ずきんたちへ食事そっちのけで必死に照れ隠しを行っていたせいだ。もちろん終始まともに取り合ってもらえていなかったが。

 しかしそれも仕方ない。親指姫はつい数日前、皆の前でいかにジャックのことが大好きかということを言葉と行動でこれ以上無いほどに見せ付けてしまったのだ。最早どれだけ言葉で好意を否定しようともジャック自身を含め、誰も信じていはいなかった。

 

「じゃあ行こうか、親指姫?」

「――っ!?」

 

 食後、ジャックは席を立った親指姫の手を取って勝手に握った。途端に赤く染まる親指姫の顔。顔を赤色に染めるスイッチは一体幾つあるのだろうか。

 

「ちょ、ちょっと!? 何当たり前みたいに手握ってんのよ!? ていうか行くってどこに連れてくつもりよ!?」

「えっ、親指姫の部屋だよ? だって僕にルールを破ったおしおきをするんだよね?」

「だ、だからって何で手握んのよ!?」

 

 握られた手と、こっちを見てニヤニヤしている赤ずきんたちに交互に視線を注ぐ親指姫。

 嫌そうなことを言って怒ってはいるがやはりこれも照れ隠しだ。その証拠に握られた手を無理やり離されることはなかった。まあ代わりに万力のような力で締められてはいるが。

 

「ルールを一回破ったからもう一回破っても同じかなって思って。でもこれでおしおきは二回分になっちゃったかな?」

「あ、当たり前よ! きついお仕置きしてやるから覚悟しなさい! 生まれてきたことを後悔させてやるんだから!」

「あははっ、何されたって後悔しないよ。だってそのおかげで君に会えたんだからね」

「……っ!」

 

 脅し文句をかけてくる親指姫に対し思った言葉をそのまま返すと、途端に耳まで顔を赤くされてしまう。それでも何か言おうとしていたものの、開いた口が動くだけで照れ隠しの罵倒も何も出てくることはなかった。

 

「うーん、何か親指がジャックに丸め込まれる図しか見えないな。あたしだけじゃないよね?」

「え、ええ……私は、その……ジャックさんに骨抜きにされてしまう図が浮かびますわ……」

「そもそもお仕置きとは具体的に何を指しているのかしら。ジャックの反応からすると対して苦痛の生じない軽めのものだということは予想できるのだけれど」

「そ、それはやっぱり……キス、とかじゃないでしょうか……?」

「……なるほど。つまり親指姫はたくさんキスしてやるから覚悟しなさい、と言っているわけね。何故かしら、また不思議な苛立ちを感じるわ……」

「そ、そんなわけないっての! もちろん殴って蹴っての暴力に決まってんでしょ! 動けなくなるくらいボコボコにしてやるわ! おらぁ!」

「わぁっ!? ちょ、親指姫!?」

 

 さすがに言葉だけでは否定するのが無理と悟ったのか、それとも完全に無意識の照れ隠しなのか、親指姫は小さな脚で背中に蹴りを入れてきた。

 

「おら、キリキリ歩け! ルールを破ったらどうなるかあんたの身体にたっぷり教え込んでやるんだから!」

「じ、自分で歩くから蹴らないでよ、親指姫……それじゃあ皆、またね?」

 

 今度は執拗なローキックで脚を進ませてくるので、ジャックは皆に一旦別れの挨拶をしてから歩き出した。

 

「あーあ、あれだけやったのに結局親指は変化無しか。ジャックも可哀想に……」

「赤ずきんさん、顔が笑っていましてよ。楽しんでいますわね?」

「せっかく気持ちを伝えられたのだからもう何も遠慮することは無いはずなのに、親指姫は一体何を考えているのかしら?」

「きっと根っからの天邪鬼なのね。一体何時まで素直になれない日々が続くのかしら。興味深いわ」

「親指姉様……」

 

 去り際に聞こえた皆の言葉は、相変わらず素直になれない親指姫に対するもの。

 だがジャックは今はこれでも構わなかった。親指姫がこれ以上無いほどに強い好意を寄せてくれていることは、もう言われずとも分かっているのだから。そう、今はこれでも。

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、これでどこにも逃げ場は無いわよ! よくも赤姉たちの前であんなことしてくれたわね! しかも二回も!」

 

 部屋の扉を背に仁王立ちとなり、敵意溢れる瞳を向けてくる親指姫。すでに部屋の中にいるジャックは唯一の逃げ道である扉を塞がれているため逃げ場はどこにもない。完全に手詰まりの状態だ。

 

(……まあ最初から逃げる気はないんだけどね)

 

 ただしそれは逃げる意思がある場合の話。そしてジャックには逃げる気などこれっぽっちもなかった。胸の中にある意思はむしろ真逆のものだ。

 

「覚悟しなさい! 身の毛もよだつようなとびっきりの――っ!?」

 

 言い終わらない内にジャックは親指姫の正面に立ち、その唇を奪った。鋭かった瞳は驚きに見開かれ、次いで困惑と怒りに揺れ始める。

 

「んっ……ふ、ぁ……!」

 

 だがその両肩に手を置いて更に口付けを続ける。触れ合わせるだけでなく、静かに唇を食む甘めの口付けを。

 多少もがいて抵抗を示していた親指姫だが、それは照れ隠しだと分かっているのでやめてあげない。抵抗は次第に大人しくなり、やがて怒りと困惑が瞳から消えうっとりと細められていった。まるでジャックとのキスがとても幸せだというように。

 

「……大好きだよ、親指姫」

「ぁ……!」

 

 キスを終えて笑いかけながら好意を伝え、その身体をぎゅっと抱きしめる。胸に顔を薄める形になった親指姫の頭を優しく撫で、愛情をしっかりと伝える。さらさらの髪の毛の感触はいつまでも撫でていたくなるくらい癖になる感触であった。

 

「じゃ……ジャック……」

 

 怒りの炎を消し去られたかのごとく、しおらしくなって腕の中にいる親指姫。どこか恥じらいがあるものの、その口から零れるジャックの名にも刺々しさは無い。完全にジャックからの愛情表現を素直に受け入れていた。

 

「……な、何しやがんのよあんたはああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

「うわぁっ!?」

 

 しかしそれは数秒程度のこと。正気を取り戻した親指姫は突如顔を赤くして叫びながらジャックを突き飛ばしてきた。勢いそのまま尻餅をついてしまい、親指姫を見上げる形になってしまう。そして見上げるその面差しには再び羞恥と怒りが溢れていた。それも顔を震わせるほどの。

 

「あんた調子乗りすぎ! こんなに私を好き勝手弄ぶとかふざけてんの!? いい加減にしないとあんたのこと嫌ってやるからね!」

「あははっ、ごめん。でも嫌いになるってことは、やっぱり今は僕のことが好きでいてくれてるんだよね?」

「っ……! だ、だれがあんたのことなんか! 私は、私は別にあんたのことなんて……何とも思ってないんだからああぁぁぁぁ!」

「あ! お、親指姫!?」

 

 どうやら反応できる程度の中途半端な辱めだったのが原因らしい。半ばパニックに陥ったのか親指姫は扉を開けて部屋から出て行ってしまった。

 

「私は部屋に戻るわ! しばらく一人で身の振り方ってもん考えて反省してなさい!」

「あ……う、うん。分かったよ……」

 

 廊下の曲がり角から顔を出して最後にそれだけ言い放つと、ついに姿が見えなくなってしまう。咄嗟に追いかけようとしたがたぶんもう間に合わない。追っていってもまた謎の隠遁能力により姿を見失ってしまうだけだろう。

 なのでジャックは大人しく部屋の中で反省していることにした。実際ちょっと反省が必要だからだ。

 

「……やり過ぎた、ってわけじゃないよね? このくらいはしろって書いてあるし……」

 

 懐から一枚の用紙を取り出し、内容を確認しながら考える。

 この用紙は数日前、ジェノサイド化した親指姫により新たに制定された恋人同士の触れあいルールを書き記したものだ。ちょっと用紙の至る所にピンク色の血の染みが出来ているがその辺はご愛嬌。内容は以前のものとは比べ物にならないほど大幅に変化している。そして以前と最も異なる最大の特徴は『制限』が存在しないという点だ。

 以前のルールではキスに関して、一日二回までで人前では厳禁という二つの制限があった。だが今回新たに制定されたルールは回数と状況の制限が大胆に撤廃。一日二回であったはずのキスは、何度でも好きなだけキスして良いというとても自由なルールに。人前では厳禁という制限は、いつでもどこでも好きにしろという奔放なルールに。それだけならまだしも、むしろ人前だろうと何だろうといっぱいキスしろと推奨されているのだ。表面上は泣こうが喚こうが嫌がろうが、心の中ではジャックにキスされて飛びつきたいくらいに喜んでいるからと本音を語って。

 

(予想はしてたけど、こんなルールを作っても普段の親指姫は相変わらずだなぁ……)

 

 あの時の親指姫は想いを吐露するだけでは飽き足らず、本当に何でも包み隠さず話してくれた。わざわざジェノサイド化した理由に関しても、ジャックが自分から離れていかないようにちゃんと気持ちを伝えておくため、普段からイチャイチャラブラブできる真のカップルとなるためと。

 だが前者はともかく後者は無理に思えた。別にジャックとしては構わないどころかそんな風に触れ合えるならむしろ望む所だが、肝心の親指姫がそう簡単に素直になれるとは思えなかったのだ。

 そして予想は正しかった。親指姫は相変わらず素直ではない。しかしその心の中はジャックとの恋人としての触れ合いに喜びを感じているようだし、もっとイチャイチャしたがっている。ならばジャックがするべきことは一つだ。

 

(……うん。やっぱり僕からもっと迫っていっぱいキスしたり、いっぱい抱きしめたりしてあげよう!)

 

 それこそがこの数日でジャックが心に決めた誓い。愛しい恋人が望む通りの触れ合いをしてあげること。例え照れ隠しに嫌がられても怒られてもだ。

 元々新たに決められたルールで指示されていることだし、ジャックだって親指姫といっぱいキスしたい。手を繋いだり抱き合ったりもたくさんしたい。それに軽くなら人前でもしたいという気持ちもある。

 何故なら親指姫が自分の恋人であることや、こんなにも可愛い女の子が恋人なのだと知って欲しいからだ。ちょっと性格の悪い考えかもしれないが、そんなことをしたくなるくらい親指姫が可愛いのが悪い。その可愛さを思い出し一人部屋の中で笑ってしまうジャックであった。

 

「そういえば親指姫、結局どこに行ったのかな。ここが親指姫の部屋なのに……」

 

 あまりの恥ずかしさに自分がいた場所すら忘れてしまったらしい、その可愛らしさに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、もう……何でこうなるんだろ……本っ当に素直じゃないわ、私……」

 

 部屋の扉に背を預け、一人肩を落として溜息を零す親指姫。

 自室を目指して逃げ去った後、さっきまでいた場所が自分の部屋だと思い出した親指姫は建物内を一周する感じで隣の白雪姫の部屋へと訪れていた。別に自分の部屋に戻ってジャックを蹴り出しても良かったのだが、あんなことを言った手前すぐさま顔を合わせるのも気まずいのでやめておいた。

 

「が、頑張ってください姉様! 兄様は姉様の気持ちを知っているんですから、あと一歩踏み出せば良いだけです!」

「分かってるわよ。でもその一歩が無茶苦茶遠いんだっての……」

 

 その独り言で大体の事情を飲み込んだらしく、白雪姫が精一杯の応援をしてくれる。

 もう姉妹とジャックのみの場所では完璧に兄様という呼称が定着していた。つまりは白雪姫も眠り姫もジャックを義兄として認めているわけで、親指姫との恋仲であることを完全に受け入れているのだろう。もしかしていまいち素直になれない親指姫本人よりも受け入れているのかもしれない。

 

(せっかく気持ちは伝えられたってのに何も変わってないじゃない……あーあ、こんなはずじゃなかったのに……)

 

 ジェノサイド化して想いの丈からジャックとしたい触れあいまであらゆる本音を本人にぶちまけた親指姫だが、実はその最中に勘付いてしまったのだ。こんな方法で普段の自分が素直になれるわけがない、と。

 ジャックに好意を伝えたり表現したりすることは非情に恥ずかしく、照れ臭くてどうしてもできない。なので行き過ぎなくらい大胆になれるジェノサイド化を経て想いを伝える。これでジャックはもう親指姫が抱えている自分への想いを知っている。だからもう遠慮も恥ずかしがりもせずジャックに抱きついたりキスしたり、甘えたりできる――という考えの元での行動だった。

 しかしそれが殴りたいくらい甘い考えだということに、ジェノサイド化したことで気付いてしまったのだ。ジャックが親指姫の気持ちを知っていようと知っていまいと本当は関係ない。親指姫が本当に照れ臭くて恥ずかしいのは、自分の心に素直になることそのものだということに。

 

(結局さっきだって凄く嬉しかったのに、蹴りいれたり突き飛ばしたりなんだりしちゃったし……本当何やってんのよ、私は……)

 

 それでも二人きりの時くらいならあるいはと思ったものの、結果はこの有様だ。せっかくジャックがキスして抱きしめてくれて、その上好きだと囁きながら頭を撫でてくれるという幸せのフルコースを振舞ってくれたのに、突き飛ばして逃げるという心底笑えない照れ隠し。

 手の施しようがないくらい根深い天邪鬼加減に涙が出そうな親指姫だった。

 

「……でも、別にもう素直になろうとしなくて良いんじゃないかしら?」

「え、ええっ!? どうしてですか!?」

「だってジャックはもう私の気持ち知ってるんだし、私がそういう性格だってことも理解してくれてるんじゃない! だったら無理に言う必要なんてないでしょ!」

 

 その事実に気付いた親指姫が晴れやかになった心で顔を上げると、衝撃を受けた白雪姫は目を丸くしていた。

 平時の親指姫が素直に伝えられないだけで、すでにジャックは親指姫の気持ちを全て知っている。ジェノサイド化していても自分がやらかしたことの記憶はちゃんと残っているし、実際にやらかそうと思ったのも自分だ。要するにジャックが好きな気持ちはもう余す所無く伝えてしまった。その気持ちの権化とも言うべき新たなルールまで作ってしまうほど好きだという気持ちを。

 まあさっきは照れ隠しにルールを作り直したことは覚えていない振りをしてしまったが、ジャックのあの積極性から考えると完璧に覚えているに違いない。というかルールを記した用紙を渡してしまったのだから当然だ。

 

「え、ええっ!? それじゃあ姉様はずっとこのまま、兄様に一度も好きと言わないまま過ごすつもりなんですか!?」

「べ、別に一度も言ってないわけじゃないでしょ。いっぱい言って、いっぱいキスしてやったじゃない!」

「で、でも、あれは……」

 

 何か言いかけて言葉を濁す白雪姫。

 言いたいことは何となく分かるが、ちょっとジェノサイドしていたってアレは正真正銘の親指姫自身。だから気持ちは一応親指姫が伝えたものであり何の問題もない。はず。

 ジャックは親指姫のことが好きで好きで堪らないはずなので、相思相愛だということが分かった以上もう離れて行ったりしてしまうことはないだろう。照れ隠しにあれだけ邪険に接していた上、片想いだと勘違いしていたにも関わらず、執拗なまでの愛情表現をしてきてくれた奴だ。だからきっともうこの問題は解決した。

 

「あー、でもそれはそれとして……あいつに弄ばれてるって思うと何か腹立つわ。私ばっかり恥ずかしい思いさせられてんじゃない……」

 

 そうして問題が解決するとまた別の問題が見えてくる。

 赤ずきんたちの目の前でキスしてきたり、手を握ってきたり、不意に親指姫を辱める発言をいきなり口にしたり。以前から辱めは日常茶飯事だったが今日のは特に悪質だ。しかもそんなことをしてくるジャック本人は恥ずかしがっていないのがなおのこと腹が立つ。

 

(やっぱあいつ調子に乗ってんのかも。確かにもう告白受けた方された方とかは関係なくなったけど……)

 

 確かにジェノサイド化からの告白によってジャックとの上下関係はリセットされたようなものだし、愛情を示し触れ合ってくれることが嬉しくないわけではないが、だからといって簡単に主導権を譲る気はない。

 それに親指姫はあれだけ散々辱められたのだ。ジャックにも同じ気持ちを味わってもらわなければ気が済まないし、復讐の権利だって十分にあるはず。

 

「……良し、決めたわ! 見てなさいよジャック、こうなったら絶対仕返ししてやるわ! あんたも私と同じくらい恥ずかしい目に合わせてやるんだから!」

 

 故に親指姫は復讐を決意するのだった。絶対にジャックを辱め、自分と同じ気持ちを味わわせてやると。

 

「ね、姉様……そんなことをするよりも、兄様に好きの一言を……」

「白雪! もちろんあんたにも協力してもらうからね! 協力しなきゃまたお仕置きよ!」

「兄様、ごめんなさい……白雪も協力します、姉様!」

 

 姉からの協力要請に対して、可愛くて素直な妹は笑顔を浮かべて頷くのだった。満面の笑み、というには少々青い顔で。

 

 

 

 




 ツンデレは根深い。そして嫉妬深く根に持ちやすい。だがそれが良い。
 とりあえず今回はイチャラブ度が上がったのかどうか意見が分かれそうなところ。でもこの章の話はあと三つあるわけで……。
 というか最近気づいたんですけど、どうして後に恋獄塔でイチャラブが見られるのに私はわざわざこんな作品を書いているんでしょうか……まあ結局は書きたいからという理由に落ち着きますが、個人的にはパラレル的な恋獄塔よりもちゃんと神獄塔でのイチャラブが見たいと思っているせいもあったり……そういう風に思うのは私だけじゃないですよね……?



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復讐の時


 ツンデレによる復讐劇。いいからさっさと素直になっちゃえよ、と思っていはいけません。
 ここまで来ると自分でも疑問に思ってしまうんですけど、果たしてこのシリーズの主役はジャックなのか親指姫なのか。
 片方だけの内面とかを書いたりするよりは両方を書いた方が楽しいし面白くなりそうなのでこんな感じになっているんですけど、読んでいる方にはどっちが主役に映っているんでしょうかね……。





 ジャックを辱めてやるために親指姫は白雪姫だけでなく、赤ずきんたちにも協力を頼んだ。いつも恥ずかしげも無く好き好き言うジャックが辱められる姿を自分と同じく見てみたいようで、一部の少女たちを除いて皆快く了解してくれた。ジャックには残念だろうが性別の関係で血式少女たちはほぼ全員親指姫の味方である。

 

「みんな僕に話があるって言ってたけど何の話かな? まあ、大体予想はつくんだけどね……」

 

 食堂に呼び出され仲間たちを前にしたジャックは、主に赤ずきんの笑顔を見て苦い顔をしていた。そんな顔をするのも当然だ。これから皆にジャックを辱めさせて親指姫と同じ気持ちを味わわせてやるのだから。

 

「えぇっと、その……ジャックさんは、親指姉様のどんなところが好きですか?」

「え? ど、どうしてそんなこと聞くの?」

 

 先陣を切ったのは白雪姫だった。頬を赤くして、というか妙に瞳を輝かせながらそんな質問を投げかける。

 尋ねられたジャックも同様に頬を赤くしてちょっと戸惑い気味だ。まさか面と向かってそんなことを聞かれるとは夢にも思っていなかったに違いない。

 

「あ、あの、その……き、気になったからです! 皆さんも気になりませんか?」

「ま、まあ、気にならないといえば嘘になりますわね……」

「そうだね。せっかく親指がいないんだから話してみなよ、ジャック?」

 

 そして話すことを皆が強要し、ジャックの恥じらいを掻き立てる。

 今のジャックは自分の恋人に惚れた理由やら何やらを洗いざらい吐けと言われている状況だ。それも話す相手はいつも顔を合わせるたくさんの女の子。

 

(どうよ、ジャック! いくらあんたでも私の好きなところを皆の前で口にしていくのには抵抗あるでしょ!)

 

 そんな状況を親指姫は息を殺してじっくりと観察していた。食堂の片隅に置かれた資材の傍で、以前まではジャックに追われた場合の緊急避難用に用いていた木箱を被って。

 何やらジャックは親指姫が透明になったり自分を小さくしたりできるのではないかと疑っていたようだが、もちろん違うしできるわけもない。からくりは極めて単純。小さくして携帯していた底の抜けた木箱を大きくして被る。これだけだ。

 元々居住スペースに限らず木材や木箱などを含む資材が至る所に置かれているので、廊下のど真ん中とかでない限りは完璧に溶け込める。この避難方法をかなり早い段階で閃かなかったなら、きっと親指姫は二日も経たずにジャックに掴まっていたことだろう。

 

「え、えぇっ……好きなところって、急に言われても……」

「それならジャックは親指姫が好意を伝えてくれないことをどう思っているの? まだ一度も普段の親指姫の口からは好きだとは言われていないのよね?」

(う……)

 

 あまり協力的ではなかったアリスがさり気なくこちらに視線を向けてジャックに尋ねる。これはジャックを辱める質問というよりも親指姫を責める質問に違いない。そして本当は気にしていることである故に苦い思いをしてしまう。

 

「う、うん……本当は言って欲しいけど、恥ずかしくて言えないなら今はそれで構わないよ。言ってくれなくても親指姫が僕のこと好きだってことはちゃんと分かってるから」

(良いこと言うじゃない、ジャック! やっぱり言わなくたって良い……のよね……?)

 

 本当は言って欲しいなら素直に言ってやるべきかもしれない。しかし恥ずかしくて言えないならそれで構わないとジャック自身が言っているのだ。少なくとも今のところは現状維持で文句は無いのだろう。安心した親指姫はほっと胸を撫でおろした。

 

「では親指姫が時々暴力を振るってくることに対してはどう思っているのかしら。書物には乱暴な女性は男性にはあまり好まれないとあるのだけれど」

「いえ、性別に関係なく乱暴な方は好まれないと思うのですけれど……」

(ま、まあ、普通そうよね。私だってもしジャックに乱暴されたりしたら……されたりしたら……あ、あれ……?)

 

 グレーテルの質問とシンデレラの指摘に多少落ち込みつつ、自分の立場に置き換えて考えてみる親指姫。

 しかしジャックがそんな乱暴をしてくるところが上手く想像できないせいか、不思議とそんなに嫌な気はしなかった。やはり上手く想像できないせいに違いない。

 

「……そういうのが、好きな人もいる……ジャックも、そう……?」

「ぼ、僕は別にそういう趣味は無いよ! でも親指姫は照れ隠しでついやっちゃうだけだって分かってるからそんなに嫌じゃないかな。むしろそんな風に照れる親指姫が可愛くて参っちゃうよ」

(な、何で自然にそんなこと言えんのよ、あんたは! もうちょっと恥ずかしがれっての!)

 

 ごく自然ににこやかな笑顔で親指姫が可愛いと口にするジャック。やはり全くと言って良いほど恥ずかしがっていない。むしろ隠れて聞いているこっちが恥ずかしくなってきてしまった。

 作戦ではさすがに皆の前ならジャックももっと恥ずかしがって、そこを赤ずきんたちに更に攻め込んでもらうはずだったというのに。

 

「うわぁ……本当にジャックは親指に夢中だなぁ……」

「では、ジャック。そなたは親指姫のためなら何でもできますか? わらわの僕になれと命じられれば、大人しく従うのですか~?」

(言うわけないっつーの! あんた下僕とか奴隷にジャックが欲しいだけでしょ!?)

 

 相変わらず何でも言うことを聞く奴隷を欲しがっているらしいかぐや姫。もちろん誰にも渡す気はないが、仮に誰かにジャックを渡すとすれば間違いなくコイツにはやらない。かぐや姫に渡すくらいなら待遇がそこまで悪くなさそうなグレーテルの方がまだマシだ。

 

「さすがに親指姫がそんなこと言うわけないと思うけど……でも、何でもはちょっと言いすぎかな? 僕にできることなら、何でもするよ」

(いや、変わんないでしょ。ていうかあんた、何でもって言っても絶対言うこときかないのが一つあるわよね?)

 

 ジャックの発言に思わず眉を寄せてしまう。自分にできることなら何でもすると言っても、自分の命を賭けたりするな、という命令は絶対に聞いてくれないだろう。それを聞いてくれるなら親指姫も苦労はしない。

 

「ん……さすがは、ジャック……!」

「と、ところでジャックさん。ジャックさんは、その……私たちの前で言えますか? 親指姉様のことが好きだって……」

「え? うん。僕は親指姫のこと好きだよ」

(いや、もっと躊躇ったりしなさいよ!? 何で当然みたいな顔で言えんの?)

 

 予め尋ねるよう伝えておいた質問を白雪姫が口にするものの、ジャックは何ら気にした様子も無く答える。皆が目の前にいるというのに何の躊躇いも恥じらいも見えない。親指姫の作戦ではもっとこう、照れて恥ずかしがる情けないジャックが見られるはずだったのだが。

 

「ど、どれくらい好きですか!?」

「ど、どれくらいって言われても難しいな……ずっと一緒にいたいくらい、かな? 僕にできるかは分からないけど、ずっと傍で支えていきたいんだ」

「どんなところが可愛いって思いますか!?」

「えっ、そうだね……やっぱり照れたり恥ずかしがってる時の表情が可愛いよ。本当は笑ってる方が好きなんだけど、最近の親指姫は僕の前だといっつも顔を赤くしてるからあんまり笑顔が見られないんだよね……」

(だから何であんたはそんな恥ずかしげも無く言えんの!? 聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるじゃない!)

 

 白雪姫が畳み掛けていくものの、やはり何ら堪えていなかった。もう聞いているこっちが恥ずかしくなってこの場から逃げ出したくなるような言葉をぽんぽん口にしている。

 しかし木箱を被っているせいで逃げるに逃げられないのがもどかしい。さすがに今は風景に溶け込んでるとはいえ、突然木箱に脚が生えて走り去っていったら怪しさ爆発で気付かない方がおかしい。

 

(あー、もう! こんなはずじゃなかったのに……!)

 

 辱めるのが目的だったはずなのに逆に辱められている。完璧とまではいかないまでもなかなかの作戦だったはずだというのに。

 どうやらジャックの無神経ぶりを見くびっていたようだ。冷静に考えると親指姫の前だろうと好き好き連呼できる心の持ち主では、仲間たちの前程度で恥ずかしがるわけもない。

こうなったらもうこちらもダメージを受ける覚悟でもっと直接的な手段を用いるのが賢明かもしれない。

 

「あー、何かここまで清々しいとからかう気にもなれないよ。親指にこの半分でも素直さがあればジャックも苦労しないだろうなぁ……」

(何で皆納得してんの!? 私そんなに面倒くさいわけ!?)

 

 最早この場でからかうのは無理と判断したのだろうか。赤ずきんが諦めたように口にした言葉に、この場のほぼ全員が頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、作戦その一は見事に失敗した。

 失敗したどころかあの後はいかに親指姫が素直ではないかという糾弾染みた話さえ始まった。ちなみに首謀者は黒髪ショートの少女。一番糾弾する権利があるはずの恋人がむしろこちらの味方をしてくれたことが嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。

 

「前回は失敗したけど今回は作戦ばっちりよ! これなら絶対ジャックを辱めてやることができるわ!」

 

 翌日、かなり朝早く。

 まだまだジャックも寝ている時間に親指姫は作戦その二を実行段階に移そうとしていた。協力者は赤ずきんとグレーテルだ。さすがに二人とも若干眠そうにしているし親指姫自身も眠いが、作戦を実行するにはなるべく朝早い方が理想的なのだ。

 

「じゃ、頼んだわよ二人とも!」

「オッケー。あたしたちはしばらくしたらジャックの部屋に行って、面白おかしく騒げば良いんだね!」

 

 一番ノリノリで協力的な赤ずきんが笑いながら頷いてくれる。さすがにあれだけジャックが恥知らずでは親指姫と同じで何としてでも辱めたいらしい。

 

「そう! もうパーっと頼むわよ! 皆起きてくるくらい大声で!」

「一つ質問があるのだけれど、ジャックを辱めるために親指姫自身も辱められることには気付いているのかしら?」

「そんなもん分かってるっての! でも私ばっかり辱められて不公平でしょうが! 死なばもろともでジャックも同じ目に合わせてやんのよ!」

 

 グレーテルの指摘することは最初から織り込み済み。あのジャックを辱めるためには犠牲も必要だと悟ったのだ。どうせ親指姫は散々ジャックに辱められたのだからそれが一回増える程度大したダメージにはならない。

 

「あんたはそこまでしないとジャックに仕返しもできないんだね……やっぱりジャックが主導権をがっちり握ってるんだなぁ」

「……つまりこれは恋人間の主導権争いなのね。親指姫が勝利しなければこれからはずっとジャック優位の関係が続いていくのかしら」

「そんなことさせないわ! 絶対私が取り返してやるから見てなさい!」

 

 ジャックに主導権を握られたままでは正直先行きも不安だ。もしもジャックが親指姫の想いを利用することを覚えたなら、捨てられたくないならこれをしろあれをしろと鬼畜な命令をされてしまうかもしれない。

 ジャックに限ってそんなことはないと思いたいがあれも一応男だし、今までの自分の発言や行動を考えるとそんなことを命じられても仕方ないくらい生意気で天邪鬼であった。故に辱めるだけではなく、ここで主導権を取り返すことも理想だ。

 

「さあ行くわよ! 覚悟してなさい、ジャック!」

 

 気合を入れつつジャックの部屋へと駆ける親指姫。しかし部屋の前では足音も呼吸も気配も殺し、万が一にも気が付かれて目を覚まさないように注意する。この作戦ではジャックには眠ったままでいてもらわなければならないのだ。

 

(……ジャックはまだ寝てるわね。作戦通りだわ)

 

 音を立てずに扉を開けて室内へと侵入。室内の暗さとベッドの膨らみからジャックはまだ寝ていると判断。ベッドの傍まで近づいて見てみると、横向きで熟睡しているジャックの穏やかな寝顔が確認できた。

 

(気持ち良さそうに寝てるわね。全く、こんな無防備な寝顔して……)

 

 これから親指姫による恐ろしい復讐劇が始まるとも知らず、心底気持ち良さそうな寝顔で夢に浸っているジャック。涎を垂らしたりしているわけではないが全く何と言う馬鹿面だ。しかしその馬鹿面を眺めていると不思議と心が暖かくなってきてしまう親指姫だった。

 

(――って、寝顔眺めてる場合じゃないっての!? しっかりしなさい、私!)

 

 何故か微笑みながら眺めてしまった自分に頬を叩いて活を入れ、気持ちを新たにする。寝顔を眺めにきたのではなく骨を断たせて肉を切る思いで復讐を行うために来たのだ。自分の方がダメージがでかい分、気持ちを強く持たねば実行できるわけがない。

 その復讐を実行するため、親指姫はジャックがまだ寝ていることをしっかり確認してから――服を脱ぎ始めた。 

 

「ふっふっふ……幾らあんたでも目が覚めた時に隣に私がいればびっくりするでしょ? しかも下着姿ならなおさら、ね……」

 

 そう、これが作戦その二だ。

 いくら恥知らずのジャックでも朝目覚めた時に隣に女の子がいればこれ以上ないほど狼狽するに違いない。ましてやその女の子が恋人とはいえ下着姿ならなおさらのこと。おまけに少し待てば赤ずきんたちが部屋を訪ねてくるのだから、そこで親指姫がすすり泣く真似でもすれば最早ジャックは完璧にノックアウトだ。これでやっと普段の屈辱の仕返しが叶う。

 本当は下着姿ではなく裸が一番効果的なのだがさすがにそれは無理だった。妥協と覚悟を決めて下着姿がギリギリのラインである。

 

(さ、さてと、じゃあベッドに……)

 

 完璧に下着姿となったところで、何度か深呼吸して羞恥心を必死に抑え込む。何だか夜這いをかけようとしているようで酷く恥ずかしい気分だ。しかしこれはあくまでも復讐のための行為で不埒な気持ちは一切無い。

 決意を固めた親指姫はジャックのベッドに入るために緊張に震える手でシーツを捲くった。

 

「――って何よこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 ――その瞬間、羞恥心も作戦も忘れて叫びを上げてしまった。

 理由は単純。ジャックの隣に先客がいたからだ。

 

「うー……じゃっくー……」

 

 あろうことかジャックの身体にぎゅっと抱きつく、一糸纏わぬ姿のラプンツェルが。

 

「な、な、な……何やってんのよあんたはぁぁぁぁぁぁ!? 私という者がありながら子供に手を出すとかどういう了見よぉぉぉぉぉぉ!!」

「わぁっ!? な、何!? どうしたの!?」

「うー……なんか、うるさい……」

 

 勢いに任せてジャックの首根っこを引っ掴み全力で揺さぶる。途端に目が覚めたようだが何が起こったのか全然理解できていないようだ。同時にラプンツェルも眠そうにしながら目を覚ますものの、しがみついたまま離れない。

 

「お、親指姫!? 何で僕の部屋にいるの!? ていうかどうして下着姿なの!?」

「それはこっちの台詞だっつーの! 何であんたは裸でラプンツェルと抱き合ってんのよ!?」

「えっ、何のこと……って、うわぁ!? ラプンツェル、また僕のベッドに勝手に!」

「あー、じゃっく! おはよー!」

 

 ジャックが目を覚ましたせいか元気良く返事をするラプンツェル。ただしその姿は長く綺麗な金髪で覆われているところ以外は素っ裸だ。ジャックの目の毒以外の何物でもない。

 

「うん、おはよう……じゃなくて! とりあえず服着てラプンツェル!」

「本当にラプンツェルが勝手に潜り込んできたわけ!? あんたがお菓子で釣って連れ込んだとかじゃないでしょうね!?」

「ご、誤解だよ! ラプンツェルは時々僕のベッドに潜り込んでくるんだ! 自分で連れ込んだりとかしてないよ!」

「おかし!? おかしだーいすき! おかしたべたーい!」

「あんたは黙って服着てなさい!」

 

 瞳を期待に輝かせて迫ってくるラプンツェルはこの際無視。こんなことになるとはあまりにも予想外の展開だった。

 

「おはよー、ジャック! 気持ちの良い朝が来たよー! 今朝は特別にあたしがモーニングコールを――」

「あ……」

 

 そして今度は予定内の展開が続く。ただし本来見せるはずだったのはジャックの隣で下着姿ですすり泣く親指姫、という事案が発生したような光景。

 だが今この場に広がっているのは素っ裸のラプンツェルを隣にジャックを糾弾する下着姿の親指姫という、別の事案が発生したような光景。一体何故こんなことになったのか。

 

「あー……修羅場、だったかな……?」

「さしずめ愛人と迎えた朝に本妻が乱入してきた、という感じかしら。とても珍しい場面に出くわすことができて嬉しいわ」

 

 面白おかしく騒いでジャックを責めてもらう筈だったが、さすがに笑えないのか赤ずきんも戸惑っている。ただしグレーテルのほうはメガネの奥で不気味に瞳を細めて笑っていた。

 

「……ま、親指一筋のジャックがラプに手を出すわけないか。こっちおいで、ラプ。ここにいると夫婦喧嘩に巻き込まれるよ。夫婦喧嘩は食べてもおいしくないし、あんたでもお腹壊しちゃうよ?」

「ええー? おいしくないならいらない……」

「だ、誰が夫婦だってのよ! ていうか赤姉たちちょっとどっか行ってて!」

 

 もう何が何だか自分でも分からないがまずはジャックを問い詰めるのが先決だ。あれだけ恋人である親指姫に好き好き言っておきながら他の女の子に手を出したとしたのなら、たっぷり罰を与えて性根を叩き直してやる必要がある。

 

「はいはい。ほら、行くよ二人とも」

「おなかすいたー。あさごはんたべたーい!」

「私はできればこの後どう展開するのかが気になるのだけれど……仕方ないわね」

 

 親指姫の指示に赤ずきんたちがあっさり部屋から出て行く。どうやら赤ずきんは親指姫に猛烈に熱を上げているジャックがラプンツェルに手を出すわけがないと信じているようだ。

 しかしそれは自分が無関係だから簡単に信じられること。張本人である親指姫はそんな簡単に信じることはできなかった。

 

「で!? あんた本当にお菓子で釣って連れ込んだとかじゃないわよね!? ラプンツェルが寝てる間にいかがわしいこととかしたんじゃないでしょうね!?」

「だ、だから誤解だよ! 大体ラプンツェルはまだ子供だし間違ってもそんなことしないよ!」

「……あんた、それって私を子供だって遠回しに馬鹿にしてんの? もしそうならぶっ殺すわよ?」

 

 ラプンツェルに対し子供だから手を出さない、というのは体型の良く似た親指姫を遠回しに侮辱しているとしか思えなかった。仮にも恋人である親指姫にそんな侮辱をするとは浮気だけでは飽きたらず喧嘩まで売っているのだろうか。

 

「ち、違うよ! 僕は親指姫のこと子供だなんて思ってないよ! だ、だって、あの時見た親指姫の裸は、その……綺麗、だったし……」

「い、いきなり何言ってんのよこの変態! ぶっ殺すわよ!?」

 

 今度は親指姫の裸に対して変態的な感想を口にするジャック。女の子に対してそんなことを言うとはやはり喧嘩を売っているに違いない。

 

「どっちにしろぶっ殺されるの!? ていうか親指姫っ、服! とりあえず服を着て!」

「は……? って、うわあぁぁ!? それ先に言いなさいよこの変態!」

「どっちにしろぶっ殺されるしどっちにしろ変態なの!? やっぱり理不尽だよ親指姫! そもそもどうして親指姫が下着姿で僕の部屋にいるのさ!?」

 

 残念ながら状況がさっぱり飲み込めていないジャックと怒り心頭の親指姫ではまともな会話ができず、事態が落ち着くまでにはかなりの時間を要してしまった。

 一応浮気とかではなかったことを知って安堵した親指姫だが、結局ジャックを辱めるための捨て身の作戦も見事に失敗だ。というか無駄に自分が辱められて散々踊らされただけで終わった。まさかジャックがこれほどまでに手強いとは。

 

(でも絶対諦めないわよ! 何としてでもジャックに目に物見せてやるんだから!)

 

 今後の関係を良好なものにするためにも負けてはいられない。決意を新たに親指姫は新たな作戦を考えるのだった。

 とはいえ本当はこんな努力をするよりも、白雪姫の言う通りジャックに好意を伝える努力をするべきだと分かっていた。恥ずかしくて言えないだけで、本当は自分でもジャックに好意を伝えてやりたい。互いへの好意を言葉でも行動でもたっぷり伝え合える関係になりたいというのが、羞恥心を抜きした理想なのだから。

 しかしそれができないからこそ努力の方向が復讐へ向いてしまっているのだ。一体どうすれば素直になることができるのか。復讐に燃えながらも悲嘆にくれてしまう、複雑な乙女心を持つ親指姫であった。

 

 




 
 甘々なイチャラブも好きですがプチ修羅場もそれはそれで好きです。ヤキモチとか所有欲全開になる展開が堪らない。
 とりあえず素っ裸の幼女が隣にいたら私なら襲いますが、ラプンツェルは微妙な所。可愛いけどまだ心も幼いしギリギリ守備範囲外ってところです。あ、身体が幼いのは余裕で守備範囲内です。
 次回は激動(かもしれない)の展開。多少展開が駆け足なのは冗長にならないためと、早くイチャラブさせたいがためだったり……。



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罪と罰

 急転直下の3章3話。
 当然のようにツンデレしてますが何やらちょっと様子が……?
 あー、早くイチャイチャラブラブさせたいなぁ……。 



 復讐に燃える親指姫が間違った努力を続けること十数日。

 結局というか予想通りというか、どれだけ頑張っても空回りするばかりでジャックを辱めることはできなかった。もちろんその間もジャックは好き好き連呼してきて大いに親指姫を辱めてきた。

 『おはよう、親指姫』と朝っぱらから皆の前でキスするのはもちろん、親指姫が出かけようとするとジャックもついてきて『僕も一緒に行って良いかな?』と問答無用で手を握ってきたりして。

 幸か不幸か二人きりになることがあるともっと酷い。突然後ろから抱き付いてきて耳元で『大好きだよ、親指姫』と囁いてきたり、正面から親指姫を抱きしめて『親指姫は本当に可愛いなぁ』と頭を撫でたりしてやりたい放題。もちろんどれだけ嫌がり怒る様子を見せようとジェノサイドしていた時に決めてしまったルールを頑なに破らずにだ。白雪姫並みにいっそ呆れ返るほど素直な奴である。

 そしてそんなジャックとは真逆に親指姫は呆れ返るほど天邪鬼であった。結局その十数日でも一度も好意を伝えられていないのだから。

 もしかするとずっとこのままヤキモキした日々が続くのではないだろうか。ジャックに想いを伝えたくとも素直に伝えられず、触れ合いたくとも素直に触れ合えず。

 そんな不安を抱いていた折に、事件は起きた。

 

「……で? 何か言うことは?」

「ご、ごめん。また心配させちゃったよね……」

 

 自室のベッドで横になるジャックを見下ろし、軽い怒りを込めて尋ねる。乾いた笑いを浮かべて答えるジャックの表情はだいぶ血の気が抜けて青くなっていた。理由は恐怖や寒さによるものではなく、単純に血が足りていないせい。

 要するにジャックはまた無理をして貧血でぶっ倒れたのだ。さすがに前のようにとんでもない大怪我を負って死の一歩手前まで追い込まれたわけではなく単純にメアリガンの使い過ぎが原因なものの、それでも自分の身体を省みない行為だ。

 どれだけ諭しても絶対ジャックが改めないことは知っているし前に比べればマシな方だが、仮にも親指姫は恋人だ。たっぷり説教して罰を与える権利は十分にある。

 

「べ、別に貧血で倒れた程度で心配なんかしてないっつーの! 私が言ってんのはまた倒れるくらい無茶したことよ!」

「ご、ごめん。もうちょっとなら平気かな、って思って……」

 

 青白い顔で素直に謝ってくるものの、当然改める気などないはずだ。説教で改まるなら親指姫だって苦労しない。

 

「全く……泣いた時慰めたいとか何とか言ってたのが聞いて呆れるっての。そもそも慰めることだってできてなかったじゃない……」

「あ……もしかして親指姫、泣くほど心配してくれたの……?」

「だ、だから心配なんてしてないわよ! それに泣いてなんか無いし!」

(……あー、もうっ! 本当は心配してたのに! 目から汗が出るくらい心配してたってのに!)

 

 恥ずかしさからお約束のように否定してしまうものの、実は涙目で慌てふためき動揺しまくった親指姫だ。もちろん救護室に運ばれたジャックが目を覚ますまで片時も離れず傍で見守っていたし、もちろん目を覚ましたら照れ隠しに色々言ってから逃げてしまった。しっかり顔を合わせたのはある程度ジャックが回復して部屋に戻ることを許可され、実際に戻っていたついさっきだ。

 

「まあ、あんたがそういう馬鹿やる奴だってのは最初から分かってたわよ。けど、だからって簡単に許したりしないわよ! 何をされたって今回ばっかりは丸め込まれないんだから!」

 

 最近はもう照れ隠しに怒ってもキスされたり抱きしめられたりして丸め込まれ、正気に戻ってまた照れ隠しを行うという救いようの無いループに陥っている。だが今回ばかりは丸め込まれるわけにはいかない。

 

「別に丸め込んだりしてるつもりはないんだけどな……じゃあ、何をしたら許してくれるの?」

「罰として今から明日の夜までずっと部屋のベッドで大人しくしてなさい! 一歩だって出るの禁止よ!」

「ええっ!? 明日の夜まで!? ていうかそれって実質明後日の朝までだよね!?」

 

 親指姫がベッドを指し示し高らかに言い放つと、途端に身体を起して驚愕を露にするジャック。一日と少しの間ベッドから出られないのはかなり辛い仕打ちだろう。その間体調が悪くて動けないならともかく、ジャックはただの貧血だ。おまけに体質上貧血からの回復は相当早いので今日中にも全快するに違いない。

 

「安心しなさい。食事くらいは運んできてやるし、トイレならベッドから出て良いわ」

「あ、ありがとう……でも、さすがに明日の夜までは長すぎるんじゃないかな……?」

「ん? 何か文句ある? まさか恋人を心配させた罰に文句なんてあるわけないわよね?」

「な、何もないです……」

 

 にっこり笑いかけながら尋ねるとジャックはちょっと引きつった笑顔で頷いた。ちゃんと身の程と自分の立場をわきまえているようで何よりだ。

 そう思って感心したものの、何を考えているのか引きつった笑みを嬉しそうなものへと変えていた。

 

「親指姫、やっぱり僕のこと心配してくれてたんだね。不謹慎だけど言ってくれて嬉しいよ」

「は、はぁ!? わ、私そんなこと言って――」

 

 反射的に否定しようとするものの、実際に口を滑らせ言ってしまったことに気付き言葉が途切れる。

 普段ならここは照れ隠しに頑なに事実を否定する場面。言っていない、気のせい、耳でもおかしいんじゃないか。ジャックもきっとそんな反応を予想していただろうし、親指姫としてもそう反応する方が楽だった。

 

 

「……そ、そうよ! 泣くほど心配してたわよ! だから大人しく罰を受けなさい!」

「……え?」

 

 だが親指姫は肯定した。羞恥心を堪えて、素直に心配していた事実を認めた。

 すでに口を滑らせていたこととはいえさすがに予想外だったらしく、ジャックは唖然とした様子でこちらを見つめている。まるで自分の耳を疑っているような表情で。

 

「お、親指姫……? 今、もしかして心配してたって……言った……?」

「……っ! と、とにかく私は皆にもあんたのこと伝えてくるから、あんたはそこでじっとしてなさい! その間に歩き回ったらぶっ飛ばして救護室に逆戻りさせるからね!」

「そ、それは嫌だなぁ……うん。大人しくしてるよ」

 

 ジャックの追及と言ってしまった恥ずかしさに耐えられず、親指姫はすぐさま部屋から逃げ出した。

 そして閉めた扉に背中を預け、胸に手を当て暴れまわる鼓動を必死に押さえ込む。

 

(言った!? さっき言ったわよね、私!? あー、素直に言えて嬉しいけど無茶苦茶恥ずかしい……!)

 

 ただの相手の身を案じる短い言葉でも、それをジャックに面と向かって口に出来たのは親指姫にとっては途轍もなく大きな躍進であった。普段なら言おうと思っても絶対に否定してしまったに違いない。勇気と覚悟が足りないせいで。

 

(……けど、この程度で恥ずかしがってたらダメよ! やっとチャンスが来たんだから!)

 

 だが今回はとある理由で胸の中には十分な勇気と覚悟が満ちていた。そして親指姫はこの機を逃すつもりは無かった。たぶんこの機を逃せば一生素直になれないまま終わりそうだから。

 

(待ってなさい、ジャック! 絶対……絶対あんたに好きだって言ってやるんだから!)

 

 そんな考えるだけでも恥ずかしい決意を胸に抱きながら、親指姫は廊下を駆けていった。ジャックを明日の夜まで部屋に幽閉することを、皆に伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

(やっぱり聞き間違いじゃないよね? 口を滑らせたわけでもなさそうだし……)

 

 親指姫が去ってからというもの、ジャックはそのことばかり考えていた。

 確かにあの時、聞き間違いでなければ間違いなく親指姫は口にしたのだ。ジャックのことが心配だった。しかも泣くほど心配した、と。

 親指姫が根っからの天邪鬼なのは最初から分かっているし受け入れているので、正直さっきの言葉はあまりにも意外で実感が薄かった。ジャックが死にかけていた時にはこれ以上ないほど弱々しくその身を案じる想いを口にしていたものの、あの時はだいぶ感情的になっていたのが原因だ。

 少なくとも今の親指姫の精神状態とは似ても似つかないはず。それなのに一体何故あんなに素直にジャックの身を案じてくれたのか。

 

(一回口を滑らせたんだからもう言っちゃえ、みたいな感じなのかな? でもそれにしたって……ん?)

 

 他にすることもないので頭を悩ませていると、不意に部屋の扉がノックもなく開けられた。視線をやるとそこには顔だけ覗かせてこちらを睨む可愛らしい恋人の姿があったが、ジャックが大人しくしているのを見るとその表情を微笑みに緩めてくれた。

 

「へぇ、ちゃんとベッドにいるわね。言いつけは守ってるみたいじゃない。感心したわ」

「もちろん。心配しなくても親指姫との約束だからそう簡単に破ったりはしないよ」

「あー、あんたはそういう馬鹿正直な奴だったか。つまんない奴ね、全く」

(な、何で約束を守ってるのに呆れられるんだろう……)

 

 やはり理不尽だがそれは今に始まったことではない。ルールを守って呆れられるどころかたっぷり怒られたのはまだ記憶に新しい。その後たっぷりねっとりキスされたので余計に記憶に残っている。

 

「もう皆には僕のこと伝えてきたの? アリスと赤ずきんさんあたりは何か言ってなかった?」

「アリスは完全に回復するまで大人しくさせてって言ってたわ。赤姉は……い、イチャイチャするのはほどほどに、って言ってたわね。全く、何勘違いしてんだか……」

(イチャイチャかぁ……親指姫とそんなことできるようになったら嬉しいんだけどなぁ……)

 

 大体予想通りの答えと、予想通りの頬を赤らめる反応に苦笑してしまうジャック。

 確かに赤ずきんの発言は勘違いも良いところだ。これは恋人を心配させた罰を受けているだけだし、そもそもジャックには親指姫とイチャイチャした記憶など無い。こちらから多少強引に迫れば少しの間は大人しく受け入れてくれるが、すぐに恥じらいと照れ臭さを思い出して手酷く拒まれてしまうのだ。少なくとも一方的な触れ合いではイチャイチャとは言えないだろう。

 

「……じゃあ最後に確認するけどもうやり残したことはない? 無いなら明日の夜までもう二度と床を踏めないから、悔いが残らないようにしときなさい」

「ど、どうしてもう二度とこの世の土を踏ませないみたいな言い方してるの……? でも大丈夫だよ。心配かけたことは部屋に戻る時に皆にも謝っておいたし、僕がその罰で部屋に閉じ込められることは親指姫が皆に言ってくれたからね」

「じゃあ今から罰の始まりだからね。ちゃんとベッドで大人しくしてなさいよ?」

「うん、分かったよ」

 

 ベッドから出られないのならできるのは精々読書くらいだ。しかし恋愛に関する本を読んでいることを知られるのが何だか恥ずかしいし、まだちょっと回復しきってないので身体はだるい。

 なのでジャックは再び横になると首元までシーツを上げ、大人しく眠ることにして目蓋を閉じた。

 

(………………あれ?)

 

 しかしガタガタという物音が聞こえてきて目を開ける。視線をやると親指姫が机から椅子を引っ張ってきて、何故かベッドの傍に置いていた。

 そして当たり前のように腰かけ、腕と足を組んでじっとジャックに視線を向けてくる。おまけにそれっきり動こうとしない。まるでジャックをベッドから逃がさないため監視しているかのように。

 

「ちょ、ちょっと待って、親指姫? もしかしてずっとここで僕を見張ってるつもりなの?」

「そ、そうよ。私がずっとここで見張ってればあんたもベッドから出られないでしょ? それに見張ってないとちゃんとずっとベッドにいたか分かんないじゃない」

「それはもっともだけど……別にそこまでしなくても約束は守るよ?」

(ていうかこれ、罰じゃなくてご褒美じゃないかな……?)

 

 ずっと見張るということは当然親指姫もずっとこの場にいなければならない。つまりジャックとずっと二人きりだ。恋人と二人きりでいられる時間は全く苦ではないし、むしろ幸せな心暖まる時間だ。ベッドから出られないことを差引いてもおつりがきてしまうほどに。

 

「あんたに拒否権はないのよ。良いからそこで大人しくしてなさい」

「う、うん……」

 

 何故か頬を赤らめて命令する親指姫に頷くジャック。受け入れる理由はあれど拒否する理由はどこにもない。恋人と二人きりで過ごせるならむしろ願ったり叶ったりだ。

 

(……もしかして親指姫も二人きりで過ごしたいからこんな罰にしたのかな?)

 

 ジェノサイド化した親指姫が語った想いの丈と、ずっと見張っているという話で顔を赤らめている状況。そこに天邪鬼な性格が加われば自然とそんな答えが出てきた。一緒にいたくても何か理由をつけないと恥ずかしくて一緒にいられない、ということなのかもしれない。

 

(ていうか親指姫、こんな近くでそんな座り方しないで欲しいな……パンツが見えそうで全然落ち着けないよ……)

 

 太股半ばまでの短いスカートだというのに、すぐ傍で足を組んで座っているものだからその奥が見えてしまいそうでドキドキする。間近で見ると微かに太股へ食い込むソックスの境目もなかなか心臓に悪い。

 おまけに親指姫も二人きりということを意識しているらしく、視線を彷徨わせて若干頬を赤くしている。それがまた見られて恥ずかしがっているように思えてどうにも居心地が悪い。かといってパンツが見えそうだと指摘することもできず、微妙な沈黙に支配されるジャックの部屋であった。

 

「……そうだ! ごめん、親指姫。やっぱりやり残したことがあったよ」

 

 しかしそこで天啓が舞い降りる。スカートの奥を見てしまわないようにさり気なく身体を起こし、ジャックはそれを伝えた。

 

「はぁ? 今更何だってのよ。まあ聞いてやるから一応言ってみなさい」

「何だかんだで僕ダンジョンから帰ってきて格好そのままなんだよね。このままじゃ少し臭いし汚れてるんじゃないかな?」

「あー、そういえばあんたちょっと汗臭いわね……」

「……っ!」

 

 ジャックの頬近くまで顔を寄せ、くんくんと軽く匂いを嗅ぎそんな感想を零す親指姫。その顔があまりにも近かったので何だか頬にキスされたように思えてちょっとドキっとしてしまった。

 いつも大胆に攻めている癖に純情に過ぎる反応かもしれないがこれは仕方ない。何せまだ普段の親指姫からキスをしてもらったことは一度も無いのだから。

 

「う、うん。だからこのままじゃ親指姫も不快なだけだろうし、できればシャワーを浴びてきたいんだけど――」

「――良いわよ。その後ぶっ飛ばされて救護室戻りでも構わないならね?」

「……ごめん。大人しくしてるよ」

 

 にっこりと可愛らしい笑顔で否定されてしまえばそれ以上何も言うことはできなかった。せめて目も笑っていたなら笑顔を見られた嬉しさを感じられたかもしれないのだが。

 とりあえず目の毒なものが見えたりしないよう、ジャックは先ほどとは少し位置を変えて横になった。

 

「大体あんた男でしょ? そんなに自分の身体の匂いなんて気になるわけ?」

「それは気になるよ。だって親指姫がすぐ隣にいるんだから。大好きな女の子に臭いとか言われたくないからね」

「っ! だ、だから、あんたはまたそんな風に恥ずかしげも無く……」

(……あれ? 何かいつもと反応が違うような……?)

 

 普段なら好きと言われた親指姫は照れ隠しに顔を赤くして怒りを示すところだ。なのに今はどちらかと言えば寂しげというか悲しげな感じで苦い顔をしている。普段と違うことを言った覚えは無いので何故そんな反応をされるのか分からなかった。

 

「……ちょっと待ってなさい!」

「え? あ、うん……」

 

 しかしそんな反応をされたのも束の間。いつも通りの赤ら顔で席を立ち、風呂もある洗面所の方へ向かっていく親指姫。トイレに行くとしてもどうしてわざわざ待っていろと声をかけるのだろう。

 不思議に思って待っていると親指姫はすぐに戻ってきた。ただしその手にお湯が並々と注がれた桶とタオルを持って。

 

「あれ? 親指姫、それ……」

「……正直あんたが臭うと見張ってる私も気分悪くなるしね。か、身体を拭くくらいならやってあげなくもないわよ?」

「えぇっ!? も、もしかして親指姫がやるつもりなの?」

「そ、そうよ! 何か文句でもある!?」

 

 有無を言わせぬ赤い表情で口にして、桶を半ば叩きつけるような勢いで床に置く親指姫。当然ながらお湯がちょっと零れて床が濡れてしまった。せめてもうちょっと優しく置いて欲しかった。

 

「も、文句は無いけど別に君にやってもらわなくて大丈夫だよ。具合が悪いわけじゃないから自分でやれるし……」

「そ、それでもあんたは大人しくしてないといけないでしょ! 特別に私がやってやるから服脱ぎなさい! 上も下も全部よ!」

「え、ええっ!? 下は別に脱がなくても良いよね!?」

 

 乱暴にシーツを剥がれてしまい、その勢いでズボンまで持っていかれそうに思えて咄嗟に押さえるジャック。百歩譲って身体を拭いてもらうのは良いとしても裸に剥かれるのは勘弁してもらいたい。

 

「良いから脱げっての! 逆らったらぶっ殺すわよ!」

「ま、待って親指姫!? あ! 無理やり脱がそうとしないで!」

 

 何やら自暴自棄になった感じの親指姫に無理やり服を脱がされそうになり、ジャックは何とか抵抗しながら説得を試みるのだった。

 最終的には衣服を全部剥がれたら裸になってしまうことを伝えるとようやく沈静化してくれた。真っ赤になった表情からするとそんなことにも気が付かずジャックの衣服を全て剥ごうとしていたらしい。何だか今日の親指姫は危なっかしいくらい大胆だ。

 

「ほら、こっちに背中向けなさい」

「う、うん……」

 

 指示に従い、上を脱いで素肌を晒した背中を向ける。すると暖かく湿った感触が肌に触れ、撫でるように動いていった。

 最終的に脱ぐのは上だけで妥協してもらったものの、今は少し血が足りないとはいえ身体自体は健康だ。そんな状態で女の子に身体を拭いてもらうなどジャックとしてもちょっと不安だった。その女の子が可愛くて大好きな恋人であるからこそ、余計にである。

 

「……あ、あんた、意外と背中広いわね」

「え? そ、そうかな……」

 

 ゴシゴシとジャックの背中を丁寧に拭きながらそんな感想を零す親指姫、居心地の悪さに短い相槌を打つジャック。

 

(やっぱりこれ全然罰じゃないよね。嬉しいけど何か申し訳ないや……)

 

 一人寂しく部屋のベッドで過ごす罰を想像していた身としては、恋人と二人きりで過ごしあまつさえ身体を拭いてもらっているという状況はあまりにも至れり尽くせりの状況だ。この様子だと食事時にはあーんとかもしてもらえるような気がしてしまう。罰の悪さと今の親指姫の妙な積極性も相まって変に落ち着けない。

 

「……な、何か喋りなさいよ。気まずいでしょ」

 

 そしてやはり向こうも気まずいらしい。沈黙に耐え切れないのか恥ずかしそうな口調でそんな指示を飛ばしてきた。

 

「何かって言われても……あ、そうだ。親指姫、良かったら明後日にでもデートしようよ? デートって言っても手を握って街を歩くくらいになりそうだけどさ」

「はぁっ!? で、デートって、あんた……!」

 

 ちょうど以前から思っていたことを口にすると、途端に背後から裏返りそうなほど狼狽した声が上がる。後ろを見なくてもその顔が真っ赤に染まっているであろうことは手に取るように分かった。

 

「嫌なら別にその辺の散歩でも良いよ? 僕はただ親指姫と手を繋いで外を歩きたいだけだからね」

「だ、だから人前で手を繋ぐのは……! その……うぅ……!」

(……あれ、まただ。禁止とか嫌とか言わなくなった……)

 

 またしても普段とは異なる反応を示す親指姫。

 本心ではそういうことをしたがっているのは勿論知っているが、普段なら照れ隠しに怒って否定する所だ。なのに否定もせずに唸ると黙り込んでしまった。

 

(どうしたのかな、今日の親指姫……)

 

 謎の積極性に普段と異なる反応。心配させたのはジャックの方だが、今度は逆にこちらが心配になってきてしまった。やはり何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「……あんたがどうしてもって言うなら、散歩くらいなら付き合ってやるわよ? ほら、腕上げなさい」

「そっか。じゃあ僕、どうしても親指姫と散歩したいな」

「そ、そこまで言うならしょうがないわね。なら明後日を楽しみにしてなさい?」

 

 お決まりのかけあいの末、散歩の約束を取り付けることに成功するジャック。親指姫がこんな言い方をする時は決まって自分も同じことをしたいと思っている時だ。それを恥ずかしくて口にできないだけで。

 

(本当に親指姫は素直じゃないなぁ。でもそこも可愛く思ってるどうしようもない僕がいる……)

 

 しかしジャックはそんなところさえも愛らしく思っている。照れ隠しに怒る姿も、恥ずかしがる姿も可愛らしくて堪らない。親指姫自身は素直になれないことをだいぶ気にしているものの、そんなことはすでにジャックにとっては些細な問題だ。

 もっとも、せめて一回くらいは親指姫の口から好きという言葉を聞きたいのだが。

 

「で、でも勝手に手握ったら怒るからね! あと人がいる所で握るものダメよ!」

「あははっ。怒られてもお仕置きされても良いから握っちゃおうかな?」

「何でそこまでして私と手を握りたいのよ……あんたやっぱりマゾ?」

「ち、違うよ! 親指姫のことが好きだから手を握ったりしたいだけで、別に苛められて喜んだりする趣味は無いよ!」

 

 すごく失礼な誤解をされたので必死に否定するジャック。別に怒られたりなじられたりすること自体が嬉しいわけではなく、親指姫が可愛いから普通に受け入れられるのだ。間違ってもマゾではない。というか親指姫だってマゾの恋人は勘弁して欲しいはず。

 

「……あー、もうっ! 何であんたは! 何でなのよ!」

「い、痛っ!? 痛いよ親指姫! ど、どうして怒るの!?」

 

 しかし何故かキレた親指姫に乾布摩擦染みた力で背中を擦られてしまう。まさかジャックがマゾだった方が嬉しかったのだろうか。本当に今日の親指姫の行動には謎が多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さ、これで身体も綺麗になったし満足でしょ?」

「うん。ありがとう、親指姫。これでだいぶスッキリしたよ」

 

 約十数分後。上半身だけとはいえ身体を綺麗にしてもらったジャックはだいぶスッキリした心地であった。途中で何故か力の限り背中を擦られたりしたせいでちょっとヒリヒリするが、これくらいは照れ隠しで慣れているので問題なしだ。

 

「ふ、ふん。礼を言われるほどのことはしてないわよ。感謝されたって別に嬉しくないんだからね」

(そんな風に言うってことはやっぱり嬉しいんだよね。顔を赤くして照れてて可愛いなぁ……)

 

 頬を赤らめそっぽを向く恋人の姿に、自然と心暖まる想いを抱くジャック。やはり至れり尽くせりの状況でこんなに可愛い親指姫の姿も見られるなら、ベッドから出られないのは間違っても罰ではない。

 

「それで? あんたまだしたいこととかして欲しいこととかある? もう思い残すこと無いならさっさと寝なさい」

「あははっ。何か永眠させようとしてるみたいな言い方だね、それ」

 

 言い方のおかしさに思わず笑い、思い残しがないか考えてみる。

 その間に親指姫は身体を拭くのに使ったタオルや桶を片付けると、再びすぐ傍の椅子に腰掛けていた。まるでここからもずっと見張り続けるかのように。

 

「……ねえ、親指姫。もしかして僕が眠るまでずっと傍で見張ってるつもりだったりする?」

「ふん。私がそんな甘ちゃんだと思ってんの? あんたが狸寝入りして私が出て行った後に出歩くかもしれないじゃない。ずっとここで見張ってるわよ」

「ええっ!? 一晩中見張ってるつもりなの!?」

 

 まさかと思って尋ねると、あろうことか一晩中見張り続けるという予想を上回る答えが返って来た。それはちょっと見張り続ける親指姫の身体が心配になってきてしまう。

 

「そ、そうよ! 何か文句でもある!?」 

「も、文句は無いけど……」

(罰とか見張るとか言ってるけど、これってもう付きっきりの看病だよね……)

 

 薄々気付いていたが今さっきの発言で確定した。たぶん親指姫はまだジャックが回復しきっていないから心配なのだろう。

 しかし心配だから付きっきりで看病したい、などということが言えるわけも無く、罰を与えて見張る形にするしかなかったというところか。そうでもなければわざわざ身体を拭いてくれたり、二十四時間付きっきりなどという発想は出てこないはずだ。もう一周回って愛しくなるほどの天邪鬼加減である。

 

「文句も思い残しも無いならさっさと寝なさい。灯りくらいは消してやるから」

「ま、待って、親指姫。じゃあ……一つお願いしたいことがあるんだけど、良いかな?」

「内容聞いてみないと分かんないわよ。良いから言ってみなさい」

 

 促され口を開こうとするものの、これはさすがにジャックでも言うのに躊躇いがあるというか、変な勘違いをされそうで気が引ける。

 しかし言わないわけにもいかず、なるべく勘違いさせないように心がけて口を開いた。

 

「その……もし親指姫が嫌じゃないなら……僕、親指姫と一緒に寝たいなって……」

「っ!!? は、はぁ!? わ、私と、ね、ね、寝るって……!?」

「あ!? そ、添い寝のことだからね!? どうせ一晩中僕を見張ってるつもりなら親指姫もベッドの中にいた方が寒くないかなって思って!」

 

 やはり未だかつて無いくらい顔を真っ赤に染め上げられたため、早口で誤解を解き真意を説明する。

 一瞬呆気に取られた感じの表情をされたものの、すぐさまその頬の赤みは別種のものへと変わっていった。恥じらいから怒りへと。

 

「だったら最初から添い寝して欲しいって言いなさいよ! 紛らわしい言い方すんじゃないわよ全く!」

「ご、ごめん……それで、ダメかな……?」

「……だ、ダメに決まってんでしょ! 添い寝とか言って本当は何されるか分かったもんじゃないわ!」

 

 意外にもちょっと迷ったらしく、親指姫は少しだけ間を空けて答えた。予想通りの答えとはいえ、あまり信用されていないように思えて残念だった。

 

「そう、だよね……ごめん。じゃあ忘れてくれて良いよ。だけどこのお願いを聞いてもらえないなら、せめて毛布とかに包まって自分の身体を冷やさないようにして欲しいな。女の子は身体を冷やしちゃいけないし、親指姫が風邪を引いちゃうかもしれないって考えるだけで心配だから……」

「っ……」

 

 なのでベッドから一枚シーツを剥いで半ば押し付ける感じで差し出す。本当なら横になってちゃんと暖まって欲しいが、それを断られたならせめてこれだけは何が何でも受け入れてもらう。付きっきりで看病してくれるのは嬉しいものの、それが原因で親指姫が身体を壊したらきっとジャックは自分を許せない。

 何やら赤くなったまま苦虫を噛み潰したような顔しながらも、親指姫は素直にシーツを受け取ってくれた。

 

「それじゃあ、おやすみ。親指姫」

「っ――!」

 

 そしてベッドから身を乗り出し、おやすみのキスも強引に受け取らせる。途端に赤みを増していく可愛らしい面差しに一度微笑みを零してしまってから、再びベッドに横になろうとした。

 しかしその動きの最中、唐突に上着を掴まれ引き止められる。親指姫にしてはかなり控えめな摘むような感じで。

 

「親指姫、どうしたの?」

「っ、うぅ……!」

 

 疑問に思って尋ねてみるものの、何やら居心地悪そうに視線を彷徨わせてばかり。それでも何かを口にしようと頑張っているのは確かだったので、ジャックはそれまでじっと親指姫の言葉を待った。

 

「な……何もしないって、本当に約束できるなら……添い寝くらい、してやっても良いわよ!?」

 

 やがてまるで一世一代の発言でもするかのように、親指姫はぎゅっと目蓋を閉じて力いっぱい言い放った。顔はもう暗闇なら光って見えるんじゃないかと思えるくらい真っ赤だった。

 

「え……ほ、本当に?」

「う、嘘つく必要なんてないでしょ! で、でも、私はまだ寝る前にやることがあるから、添い寝して欲しいならこのまま眠らず待ってなさい!」

「う、うん。じゃあ、待ってるよ……」

 

 予想外の答えに呆気に取られたジャックは投げ返されたシーツを受け取ると、逃げるように部屋から走り出て行く親指姫の姿を見送る。しかし意識を取り戻すにはかなりの時間を要してしまった。

 

(し、してくれるんだ、添い寝……)

 

 仮に親指姫が本心では添い寝をしたがっていたとしても、正直望みはほぼゼロだと思っていた。悲観的になっているわけではなく、交際を始めて未だに一度も好きの一言も言われていないのだから当然だ。

 やはり親指姫には何か劇的な心境の変化があったに違いない。考えられるとすればそれはジャックがまた無理をして倒れたことくらいだが、その程度で本当にここまで変わるものだろうか。

 親指姫が戻ってくるまで、ジャックはいつまでもそんなことを考えて時間を潰すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室に戻った親指姫は即座にその場にうずくまり、火が出そうなほどに熱い顔を両手で覆い悶え始めた。

 理由は単純。恥ずかしさと緊張からだ。

 たぶん酷く寂しそうな顔をしたジャックの姿を見たせいなのだろう。そんな顔をさせてしまった罪悪感と、胸の中で溢れる決意と覚悟が勢いで添い寝を了承させてしまったのだ。おまけにこれ以上ないほど気遣われて優しくされ、とどめにキスまでされては親指姫でも拒む方が難しい。

 この調子なら今夜にでも本当に言ってやりたいことを伝えられそうだが、ちょっと方向がずれて行き過ぎてしまった気がしていた。

 

(ぜ、絶対手は出されないのよね? ジャックはちゃんと約束守るタイプだし、絶対よね!?)

 

 ジャックはただの添い寝と言っていた。何もしないという約束もしてくれた。馬鹿正直に親指姫の決めたルールを守る律儀で素直なジャックだ。少なくとも自分の意思で変なことをしたりはしないはず。

 

(で、でも、もしもあいつが我慢できなくなったりしたら……!?)

 

 しかしジャックもやはり男。親指姫の裸を見た時も死にかけの癖にだいぶドキドキしていたし、復讐を果たすためにベッドへ潜り込もうとした時には下着姿を見て明らかに顔を赤くしていた。

 つまりはジャックにとって貧相な親指姫の身体も間違いなく守備範囲なのだ。それならいくらジャックでも理性を失ってケダモノに変貌する可能性も十分にある。

 

(……あ! 何だ心配いらないじゃない! 未だにジャックに好きの一言も言えない私が素直に受け入れられるはずないし!)

 

 しかしそこに気付いて即座に平常心を取り戻す。恋人に好意の一つも伝えられない根っからの天邪鬼が最高レベルの恥ずかしさを伴う行為を受け入れられるわけもない。

 本当はジャックにならそんなことをされても構わないと思ってはいるが、親指姫が心の中でどう思っていようとも半ば勝手に口や身体が動いて拒否と抵抗をしてくれるだろう。だから心配はいらない。

 

(……け、けど、あいつ意外に大胆で積極的だし、もし強引に迫ってきたら……!?)

 

 心配はいらないと思ったが新たな不安要素が浮かび、またしても混乱と羞恥に見舞われてしまう。

 そう、ジャックは大人しい顔をしている癖にびっくりするほど大胆で積極的だ。いくらジェノサイド化した親指姫に命令されたからとはいえ、人前だろうと親指姫の前だろうと愛情表現に全く躊躇いを見せない。しかも命令どおり親指姫が嫌がっても怒っても関係無くだ。

 そんなジャックが最大級の愛情表現を行うことを決めたとしたなら、当然強引に迫ってくるに違いない。キスやハグ程度でも丸め込まれてしまいがちな親指姫だ。正直絶対に拒否できるという自信は無かった。

 

(や、やっぱり万が一のために下着選んどくべき!? 子供っぽいのとか見られたら恥ずかしさで死ねるわよ!?)

 

 なのであくまでも万が一の事態に備えるため、タンス目掛けてダッシュし引き出しごと衣服と下着を引っ張り出す。しかしそこで親指姫は気付いた。

 

(ちょ、ちょっと待った! ジャックは子供っぽい下着の方が好きだとか無いわよね!? もしくはエロイのが好きとか!?)

 

 見られても恥ずかしくない下着を選ぶのはもちろん、ジャックの好みも考えなくてはならない。しかしその好みが分からない。親指姫のような子供っぽい身体つきで興奮するジャックなら、下着も子供っぽいものの方が好みなのかもしれない。あるいは逆に扇情的な大人っぽいものの方が好みということもあり得る。

 残念ながら親指姫が所持している下着は簡素なものから可愛いものくらいで、大人っぽいものはそもそも持っていない。今更買いに行くこともできないのでこうなったら大人っぽいものは候補から外すしかない。

 

(ああっ、その前にシャワー念入りに浴びて身体綺麗にしないと駄目じゃない! あと髪もしっかり梳かすべきよね!? あ、髪型はどうすんの!? 今のままなら寝やすい髪型だし私っぽいからこのまま行くとして、そういうことされた時は下ろすべき!? それともこのまま!? そこんところどうなのよ!?)

 

 下着を選ぶのも大事だがまず身を清めて整えることも大事だと気付き、すぐさまシャワーの準備に走る。

 タオルを引っつかんで洗面所に入ったり、そのタオルが実はベッドシーツだったことに気付いて戻しに行ったりと、正直親指姫はだいぶ混乱していた。こんなに何が何だか分からない思いをしたのは初めてなくらいだ。

 

「あーもうっ! 何で添い寝の一言でこんなに踊らされてんのよ!? 本当にジャックは大馬鹿野郎ね!」

 

 混乱のあまり理不尽な怒りをここにいないジャックにぶつけ、親指姫はまずは身を清めることに専念した。大馬鹿野郎と罵りつつも、実際は何をされたって構わないくらいにその大馬鹿野郎のことが好きだから。

 

 

 

 

 

 




 何やら怪しげな雰囲気に。果たして次回はどうなることか……。
 まあエッチなゲームなら次は間違いなく告白からのエッチになりますが、これは一応R18じゃありませんしね。普通はそんな展開を書こうとはしないはず。でも私はR18も書いているロリコンなので絶対無いとは言い切れないという……果たして読んでいる方はどっちだと考えるんでしょうかね……。



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大切なこと


 ついにツンデレの親指姫が……?。
 色々怪しい終わり方をした前の話。大人な展開に流れ込んだって不思議ではないですが、果たして……。
  



(ま、まだかな、親指姫……もう一時間になるけど……)

 

 添い寝の約束を結んだジャックは高鳴る胸の鼓動を感じながら、その時を今か今かと待っていた。間違っても変なことはしないが、女の子と一緒のベッドで寝ることを考えるとさすがに緊張を拭い去ることはできなかった。そもそもただの女の子ではなく大好きな恋人なのだから緊張を覚えたって仕方ない。

 

「……じゃ、ジャック……まだ、起きてる?」

 

 ドキドキしながら首を長くして待っていると、ついに親指姫が扉を開けて部屋へと顔を出してきた。その顔が当然のように真っ赤なのはジャックと同じ緊張と、それ以上の恥じらいを覚えているからに違いない。

 

「う、うん。ずっと待ってたからね……もう寝る前にやることは済んだの?」

「す、済んだわよ。それで? まだどうしても私に添い寝してもらいたいとか思ってんの?」

 

 部屋にはまだ足を踏み入れず、扉から顔だけ出して確認してくる。これはいつものパターンで答えろ、ということか。だとすると本当は親指姫もジャックに添い寝してもらいたいと思っていたのかもしれない。

 

「うん。僕、どうしても親指姫に添い寝してもらいたいな」

「……ぜ、絶対、変なことはしないのよね!?」

「うん、約束するよ。絶対変なことはしない」

 

 ただでさえ小さいのに恥ずかしがって余計に小さくなっている親指姫へと、安心を与えるためににっこり笑いかける。

 こんな怯えた子供のような姿を目にしては変なことをする気など間違っても起きない。むしろぎゅっと抱きしめて守ってあげたい気分になってしまうジャックだった。

 

「だ、だったら特別に添い寝してやるわよ。感謝しなさい」

「うん。ありがとう、親指姫……って、あれ……?」

 

 多少安堵した感じで部屋に入ってきて、まだベッド脇に置いていた椅子を片付けていく親指姫。その姿を目にしてジャックは何となく違和感を覚えた。

 

(な、何かさっきまでの親指姫より可愛い気がする……)

 

 どこがどうというわけではないがそんな風に思えた。気のせいでないのは緊張とは異なる胸の高鳴りが教えてくれていた。

 

「な、何よ? そんな馬鹿みたいな顔して私を見て……」

「えっと、何か親指姫がさっきまでと違って見える気がして……」

「き、気のせいよ! 気のせい! どっからどう見てもさっきまでの私よ!」

(絶対気のせいじゃないよね、この反応……でも可愛いから良いや!)

 

 尋ねた途端一瞬で耳まで顔を赤くされたが、可愛くて何か問題があるわけでもないので疑問はすぐにどうでも良くなった。まだちょっとだけ気になるものの、どのみち答えてくれないのだから疑問を抱いていたって仕方ない。

 

「それよりあんた、添い寝して欲しいならもうちょっとそっち詰めなさい。ベッドの真ん中陣取ってんじゃないわよ」

「あ、ごめん。これで良いかな?」

 

 言われるままにベッドの端へと寄り、親指姫のスペースを確保する。枕は一つしかないのでもちろん親指姫のスペースに残し譲った。

 

「じゃ、じゃあお邪魔するわよ……」

 

 灯りを消し、シーツを捲ってベッドの中へと潜り込んでくる親指姫。

 作り出された暗闇に目が慣れた時には人一人分くらいのスペースを空けて、親指姫が隣に横たわっていた。添い寝にしてはだいぶ遠いが、それでも手を伸ばせば触れられる距離。そんな距離に無防備に横たわる愛しい恋人がいる。邪な想いを刺激しそうな状況下にジャックの胸はうるさく高鳴っていた。

 

「な、何か、緊張するね?」

「べ、別に私は緊張とかしてないわよ!? これくらいのことで緊張するとか男の癖にずいぶん情けないわね、ジャック!」

(うん。照れ隠しっていうかもうこれ虚勢だよね……)

 

 もちろん照れ屋で恥ずかしがりな親指姫が緊張していないわけなどなく、薄闇の元でもはっきり分かるほど頬を染め上げていた。それでも必死に虚勢を張るとはいっそ見上げた天邪鬼加減だ。

 

「そっか。情けない恋人でごめんね、親指姫?」

「別に、不満ってわけじゃないわよ。慣れてたらそれはそれで何か腹立つし」

「……緊張してないなら、もうちょっと近くに行っても良いかな? できれば君をぎゅっと抱きしめられるくらい近くに」

「……っ!」

 

 その虚勢を逆手に取られたせいか親指姫が息を呑む。卑怯な手段だができればジャックはもっともっと親指姫に近づきたかった。それこそ間に挟まるスペースなど無くなるほどに。

 

「ち、近づくだけ? それとも、本当に……」

「親指姫が許してくれるなら本当に抱きしめたいな。もちろん、どうしてもだよ?」

「っ、うぅ……!」

 

 魔法の言葉を口にして微笑みかけると罰が悪そうに視線を逸らされる。魔法は絶大な威力を誇るはずだが、さすがに今回ばかりは親指姫も迷っているようだ。いくら恋人で信頼していたとしても、男にベッドの中で抱きしめられるのは抵抗があるに違いない。疑われている時点ですでに信頼されていない気もするが。

 

「抱きしめるだけよ!? それ以外に何かしようとしたらぶっ殺すから! 良いわね!?」

「うん。大丈夫、変なことは絶対しないよ?」

 

 それでもしばらく悩んだ末にキツイ口調で頷いてくれる親指姫。

 もちろんジャックは変なことをする気は微塵も無い。ただ純粋に愛しい恋人を抱きしめて温もりと幸福感に浸り、そのまま眠りにつきたいだけだ。なのでそっと身を寄せると、優しくその小さな身体を抱きしめた。必然的に親指姫はジャックの胸に顔を埋める形となるが、特に抗議の声は上がらなかった。

 

「な、何か、懐かしいわね……この状況……」

「そ、そうだね……抱きしめられてたのは、僕の方だった気がするけど……」

 

 横になって、二人で抱き合っている状況下。今回は服を着ているしお互いに仰向けでもうつ伏せでもないが状況は似たようなものだ。不思議と懐かしさを覚えるのも仕方なかった。それと緊張すら和らいでくるほどの安心感も。

 

「うん。やっぱりこうやって親指姫を抱きしめてると凄く安らげるなぁ。どうしてこんなに安心できるんだろう……」

「死にかけてたから単に強く印象に残ってるだけじゃないの?」

「そうだとしても大好きな人をこうやって抱きしめて身近に感じてるんだよ? やっぱりどっちにしろ安心できたんじゃないかな」

 

 愛しい恋人が腕の中に身を預けてくれている。それだけでも十分幸せで安心できる状況だ。おまけに今日の親指姫は何だかとてもリラックスできる匂いを漂わせていた。うっとりしてしまいそうなくらい甘い、まるで花の蜜か何かを連想させるような香りを。

 

「あ、あんたは本っ当にそういうこと恥ずかしげも無く言う……!」

「最初の頃はちょっと恥ずかしかったけど言ってる内に段々慣れてきたんだ。今じゃむしろ言わないと落ちつかないくらいだよ」

「えぇっ……何であんたばっかり、そんなにすらすら口にできんのよ……」

 

 自分の性格を誰よりも深く理解している親指姫は、ジャックの言葉に羨望と絶望が見え隠れする複雑な表情を浮かべる。

 確かに未だ好きの一言も口にできていない親指姫から見れば、事あるごとにどころか事が無くても口に出来ているジャックの方が異常に思えるに違いない。

 

「何でって言われても逆に困るなぁ。ただ親指姫のことが好きな気持ちを、ちゃんと伝えたいなあって思ってるだけだからね……大好きだよ、親指姫」

「っ! だ、だからあんたは……!」

「あははっ。それに今みたいな親指姫の可愛い反応を見られるからね。照れてる親指姫は本当に可愛いからついつい何度も照れさせたくなっちゃうよ」

「分かった! あんた本当はSね!? そうなんでしょ!?」

 

 今回はちょっとわざとらしかったせいか、腕の中で親指姫が顔を真っ赤にして睨んできた。しかしただでさえ照れ隠しなのに位置的に上目遣いなせいで余計に可愛かった。どうせならもう一度言いたいくらいだ

 

「そんなこと無いよ。だって親指姫が許してくれるなら意地悪するよりも可愛がりたいって思ってるんだから。頭を撫でたり、こんな風にぎゅっと抱きしめたりしてさ」

「あー、もうっ! 本っ当にあんたはぶれないわね!」

「痛っ! お、親指姫……結構、痛いよっ……!」

 

 密着状態で繰り出される連続ボディブローを受け、さすがに苦悶の声を漏らしてしまうジャック。キレ気味なせいかそれなりに力が入っていて一撃一撃がなかなかの重さだった。

 しかし不思議なことに攻撃は徐々に威力を失くしていき、最終的にその手はジャックの胸にそえられ衣服を握り締める形となっていた。どことなく儚さを感じる、弱々しい力で。

 

「ジャック……あんた、私があんたをどう思ってるか知ってる?」

「……うん。僕のことが好き、なんだよね?」

 

 不意のとても真剣な声音での質問に、当然ジャックも真剣に答える。これは自惚れでもなんでもなく事実だ。ジェノサイド化していたとはいえ親指姫本人が自ら吐露してくれた気持ちなのだから。

 だが普段の親指姫ならこんな答えを返せば当然照れ隠しに正反対の言葉を口にする。嫌いだとか、好きじゃないとか。そのためジャックは今もそんな天邪鬼な答えが返って来ると思っていた。

 

「……そ……そ、う……よ……」

(……えっ!?)

 

 しかし今回は返ってこなかった。代わりに返って来たのは途切れ途切れで小さくはあるが、間違いなく肯定の言葉。

 おまけに親指姫は真っ赤になりながらも腕の中で確かに首を縦に振った。一瞬どころか数秒くらい目と耳を疑ったが、間違いなく。

 

(い、今……頷いたよね、親指姫……幻覚とか幻聴じゃないよね……?)

 

 今度は自らの健康状態を疑ってみるもどうやらそちらも問題は無い。貧血による体調不良もすっかり回復して実に健康だし、先ほどのボディブローの痛みからするとこれは夢ではなく現実だ。

 となると今度は親指姫の状態を疑うのが当然のことだったが、いつもの親指姫であることは赤い髪を見れば一目瞭然。別に色は抜けてないし、瞳だってピンク色ではない。ジャックにも親指姫にも問題らしい問題は無かった。

 

「だけど私、結局一度もあんたにそのこと言ってないわよね……」

「そ、そんなことないよ。あの時いっぱいキスしていっぱい言ってくれたし、今だって頷いてくれたじゃないか」

「それは言ったことに入んないわよ! 私が私のまま、自分の口から言ったことは一度もないじゃない!」

「た、確かにそうだけど……」

 

 不可解な状況に混乱しながらも会話を続けるが、より混乱を煽るような内容が続いていく。それも至って真剣な表情と声音で。

 

「あんただってさ、やっぱり言って欲しいんでしょ? 私の口から……その、言葉を……」

(……ああ、そっか……親指姫は、言おうとしてるんだ……)

 

 ここにきてようやくジャックは親指姫の真意を理解した。

 添い寝を始めた時から、あるいは罰と称してジャックをベッドから出さないようにした時から、恐らく親指姫は決めていたのだ。ジャックに自分の気持ちを素直に伝えよう、と。

 正直にジャックのことを心配していたと言ったのも、ジャックの言葉に対して反応がおかしかったのもその決意故のものなのだろう。もしかするとこの添い寝も気持ちを伝えるために自分を追い込むものなのかもしれない。

 

「……もちろん言って欲しいけど、恥ずかしいなら無理に言わなくて良いんだよ? 親指姫の気持ちはちゃんと分かってるから」

「でも、私があんただったら絶対言って欲しい。だってそうでしょ? もし伝えられないまま相手が死んだりしたら、絶対後悔してもしきれなくなるわ……もっとちゃんと、いっぱい言ってやれば良かったって……」

 

 泣きそうな声で続ける親指姫の言葉を否定し、慰めてあげようにもそれはできなかった。間違ったことは何一つ言っていないからだ。

 ジャックだってそんなことになれば一生後悔する。生きている限り悲しみと悔いがどこまでもついて回るだろう。もっとたくさん気持ちを伝えて、もっとたくさん触れ合いたかったと。

 

「あんたが今日倒れた時、そう思ったのよ。結局いつもの貧血だったけど、気付かされるには十分な衝撃だったわ。こういうことでも無いと踏ん切りつかないとか、私って本当馬鹿よね……」

 

 自虐的な微笑みを浮かべ、更に言葉を続けていく親指姫。

 もうジャックは口を挟む気はなかった。キスしたり頭を撫でたり、抱きしめて後押しする気もない。親指姫は今正に自分の力で、天邪鬼な心の壁を壊そうとしているのだから。取り返しのつかない出来事が起きて耐え難い後悔を抱えることにならないように、伝えられる今の内に自分の気持ちを素直に伝え、触れ合える今の内に素直に触れ合うために。

 

「私、素直に言うから……もう、素直になるから……! 聞き逃さないように、耳かっぽじってしっかり聞いてなさい!」

「っ……!」

 

 瞬間、世界が揺れた。正確には身体を転がされ、仰向けにされた。

 その状態で親指姫が馬乗りとなり、ジャックを押し倒したかのような姿となる。さしずめ親指姫が自らの胸の内を、ジャックを決して失いたくないという気持ちを曝け出したあの時と同じように。

 ただしその時とは一つだけ決定的に違うものがあった。それは眼前で揺れる親指姫の深緑の瞳。

 あの時は悲しみや寂しさしか浮かんでいない酷く胸の痛む瞳だった。しかし今やその瞳は決意と勇気に満ち溢れ、見惚れてしまいそうになるほどの美しい光を放っていた。

 

「ジャック! 私、あんたのことが――好き!!」

「親指姫……!」

 

 そして親指姫は躊躇い無く言い切った。死ぬほど顔を真っ赤にしながらも決してジャックから瞳を逸らさず、間近で見つめあったまま。

 ジェノサイド化などしていない、素の親指姫の口から放たれた誤魔化しも偽りも無い純粋な想い。言わなくて良いと言っておきながらも、やっとそれを耳に出来た喜びにジャックの心は感動と喜びに打ち震えていた。

 

「はぁぁ……! や、やっと言えた……! 言えたわ、ジャック! 私、やっとあんたに想いを伝えられたのよ!」

「わぁ!? あ、ちょ、親指姫!?」

 

 しかし親指姫の喜びようはジャック以上であった。馬乗りになったまま天を仰ぎ打ち震えたかと思うと、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。しかもジャックの顔を胸に抱く形で、ジャックの頭に頬擦りする感じで。必然的に親指姫の胸の膨らみは容赦なくジャックの顔面を撫でるのだった。

 

(あ、思ったより小さくないし柔らかい……じゃなくって!)

「す、凄いよ親指姫! そんなにはっきり言えるようになるなんて!」

 

 喜びと感動が煩悩に塗り潰されそうになったので抱かれながらも必死に声を上げる。興奮しすぎて自分が何をしていたのかは気付いていないらしく、親指姫はジャックの頭を解放すると今度は間近で得意げに笑いかけてきた。

 

「ふふん! ならもっと言ってやるからもっと褒めなさい! 好き! 好き! ジャック、大好きよ!」

 

 そして更に二度、三度と躊躇い無く想いを口にしていく。

 今まで天邪鬼という壁に塞き止められていた親指姫の想いは、壁が壊れたことで際限無く溢れ出しているのだろう。今までずっと、言いたくても言えなかった分の想いまでも。

 

「あーもうっ! 恥ずかしいけど一度言えば何度でも言えるようになるじゃない! 何でずっと言わなかったのよ! 本当に私って馬鹿ね!」

「そんなことないよ。親指姫はちゃんと前にも言ってくれたじゃないか。その後いっぱい、キスもしてくれたし……」

「だからあれを回数に含めんじゃないっての! ちゃんと普段の私がやらないと何の意味も無いでしょ!」

「そっか……じゃあ、今の親指姫ならしてくれる?」

 

 期待を胸に抱きながら尋ねるジャック。

 今までの親指姫なら間違ってもあの時のように行き過ぎなくらい大胆、かつ素直に気持ちを表わしてなどくれなかっただろう。だが自力で壁を壊し天邪鬼な心を乗り越えた今なら。

 親指姫は一瞬だけ恥ずかしそうに眉を寄せたが、すぐにそれを微笑みへと変え期待に答えてくれた。

 

「……そうね。ちゃんとあんたに気持ちを伝えられるようになった今なら、きっとできるわ。それに私だってずっと前から思ってたんだから。あんたといっぱい……キス、したいって……」

 

 そうしてジャックに覆い被さった状態のまま、静かに唇を降らせてくる。元々お互いの吐息がかかりそうなくらい顔を近づけあっていたのだ。唇が重なり合うまでに時間はかからなかった。

 

「っ――」

 

 親指姫の柔らかい唇が触れた瞬間、ジャックの胸は突き刺されるような痛みに襲われる。しかしそれは決して不快なものではなく、むしろ暖かい気持ちを溢れさせるどこまでも心地良い痛みだった。

 親指姫とキスをした時にはいつも胸の内に幸せの痛みを感じているが、ここまで強く感じたことは一度もなかった。理由はたぶん、このキスが初めてだからなのだろう。キス自体が初めてなのではなく、素の親指姫からキスされることが。

 

「好き……っ……ジャック……好き……大、好き……ジャックぅ……!」

 

 言いたいこともしたいことも素直にできるようになった喜びのせいか、熱に浮かされたようにひたすら唇を重ね、その合間にジャックへの想いを零す親指姫。あの時の激しさと比べればあまりにも大人しい愛情表現だったが、それを行っているのは間違いなく素の親指姫。

 そこにはもう、今まで好意を表わすのを躊躇っていた照れ屋で恥ずかしがり屋な姿はどこにも無かった。親指姫がそこまで変われたことも、想いを言葉と行為で伝えられていることもジャックは喜ばしい限りだった。

 

(あ……だ、ダメだ……これ……)

 

 だがその喜びの中にじわりと浮かんでくる暗い衝動を感じ、危険を直感して親指姫の身体をそっと押し返し上体を起す。

 当然のことながら親指姫は何故キスを遮られたかも分からず、ジャックの膝の上に座り込んだまま不思議そうにしていた。

 

「ジャック、どうしたのよ……?」

「ご、ごめん、親指姫……もう、キスしないで……」

「な、何で……? もしかして、こんな風になった私は、嫌い……?」

 

 語彙の足りないお願いのせいで酷く傷ついた表情をする親指姫。普段ならここは傷ついた親指姫を抱きしめ、優しくキスして慰めてあげるところ。むしろそうして慰めることこそジャックが親指姫の隣にいる理由とも言える。

 だが今回ばかりは事情が違い、ジャックは全力で慰めたい気持ちを心を鬼にして堪えるのだった。

 

「嫌いなんかじゃないよ。むしろ逆っていうか、その……好きすぎてちょっと、我慢できなくなりそうだから……」

「我慢できなくなりそうって、どういう……っ!」

 

 一瞬首を傾げていた親指姫だったが、次の瞬間その顔は耳の先まで真っ赤に染まった。どうやらちゃんと理解してくれたらしい。

 

「その、僕も男だから……こんなにいっぱい好きって言われながらキスを続けられたら……添い寝じゃすまなくなりそうなんだ……」

 

 それでも念のために言葉を続け、真実を伝えておく。

 正直素直になった親指姫があまりにも可愛らしくて、ジャックの理性は少し危ない領域に足を踏み入れていた。そもそも今の状況は端的に言えば大好きな彼女と真っ暗な部屋の中、一緒のベッドの中で抱き合っているという状況だ。そんな状況でこれでもかというほどキスされて想いをたっぷり伝えられれば、その手のことを意識しない男の方がおかしい。

 おまけに親指姫は今まで一度も好きとは言ってくれなかったし、一度も自分からキスはしてくれなかった。それが今や素直に何度も口にして、その唇をジャックの唇に重ねまくっている。そんな事実と喜びも相まってジャックは余計に興奮を煽られていたのだ。

 

「だから、今日のところはキスは止めて欲しいな……このままじゃ、約束破っちゃいそうだから……」

 

 しかし決して変なことはしないと約束した。

 それにいくら相思相愛の恋人同士でも恥ずかしがりで照れ屋な親指姫だ。その手のことはまだ許す気はないはずだし、あったとしても心の準備がいるに違いない。

 

「……る、ルールは破るためにあるって、何度も言ったでしょ? 破りたいなら、破りなさい……じゅ、準備なら、できてるわ……」

「……え? い、今、何て言ったの……?」

 

 だが親指姫の口から出てきたのは、想定とは全く異なる言葉だった。聞き間違いでなければ、今この場で襲い掛かっても構わないと解釈できる答え。当然ジャックは耳を疑い、もう一度聞き返した。

 

「――っ! だ、だから! 準備はできてるって言ってんの! 何度も言わせんじゃないわよっ、恥ずかしい!」

(え……ええぇぇぇぇぇぇっ!?)

 

 すると親指姫は死ぬほど顔を真っ赤にしながらも、はっきりと間違いのしようも無く言い放ってきた。相応の準備はすでに済ませてきたから、手を出しても構わないと。絶対に変なことをするなと約束させておいたのに、だ。

 

(あ、もしかして寝る前にやることがあるって出て行った時にそういう準備をしてたのかな? そっか、だから何だかいつもより可愛く見えたんだ。なるほどね! ……じゃなくって!)

 

 謎が解けて一瞬すっきりしたものの、すぐに今の状況を思い出すジャック。

 真っ暗な部屋の中、膝の上には愛しい彼女、その心の内はジャックの全てを受け止める準備が出来ている。あとはジャックの選択次第で全てが決まる。

 

(僕が良いって答えたら、するって答えるのと同じことだよね……僕だって男だから興味がないこともないけど……ていうか大いに興味があるけど……でも……)

「ジャック……私、あんたともっとキスしたい……あんたが何も言わないなら、このまま……キス、するわよ……?」

 

 結論を出せずに迷い続けるジャックへ痺れを切らしたのか、それとも今までしたくてもできなかった愛情表現をもっと続けたいのか。膝の上の親指姫はそんな言葉を口にしながらジャックの口元へ唇を寄せてくる。

 合意の上なら何も問題はない。愛し合う恋人同士ならいつかはそんなことをするのも自然の摂理だろう。何もおかしなことは無い。

 考え抜いた末、ジャックが出した結論は――

 

「……ごめんね、親指姫。やっぱり、今日はここまでにしよう?」

 

 ――最初と同じ、手を出したりはしないこと。

 

「ど、どうして……?」

 

 その言葉を受け、キスしかけていた親指姫は眉を寄せて戸惑いを露にしていた。

 やはり親指姫もジャックが手を出してくると思っていたのだろう。そして思っていたからこそ準備をしてきたに違いない。ゆっくり自分の意思でではなく、急いで万が一のために。

 

「……親指姫はたぶん、万が一に備えて急いで準備したんだよね? 最初から今日はそういう覚悟を決めてた、とかじゃなくて……」

「た、確かにそうだけど……私は、あんたになら何されても良いって……ずっと前から、思ってたんだから……」

「でもそれは思ってただけで、実際の心の準備はついさっきしたばっかりなんだよね? 万が一の事態に備えることだけ考えてて、きっと十分に考える時間はなかったんじゃないかな?」

「それは……まあ、今思うとかなり気が動転してたし、焦ってたわね……」

 

 ジャックの問いに親指姫は眉を寄せ、失態を思い出したかのように苦い顔をする。

 一体準備を終えるまでにどんな出来事や考えがあったのかは想像がつかないものの、少なくとも心が一向に落ち着かなかったであろうことは容易に想像できた。そしてそんな状態でまともに心の準備ができるわけが無いことも。

 

「僕は君の気持ちは嬉しいし、正直もの凄く興味はあるよ……でも、君にそんな勢いみたいな感じで心の準備をさせて、君にとって大切な初めてをその場の流れでなんてしたくないんだ」

「ジャック……!」

 

 ジャックの言葉に感極まったように瞳が潤み、幸せそうな微笑みが広がっていく。

 自分の気持ちよりも大切なのは親指姫の気持ちだ。混乱冷めやらぬ状態で終えた心の準備に甘えて手を出すことはしたくなかった。きっと良くも悪くも思い出に残る大切なことだから。

 

「だから今日は普通に一緒に寝よう? そういうことは、本当に親指姫の心の準備が出来たらで良いから……」

「……もうっ! 男なら何も考えずに喜んで襲いかかりなさいよ! あんたって本当に大馬鹿で……優しいんだから……」

 

 そんな風に怒ったかと思えば嬉しそうに笑い、最後にはジャックの腕の中に飛び込んでくる。こんなことを平気でできるようになるとは、一体親指姫はどれだけの急成長を遂げたのだろうか。

 

「本当はそういう風にしたいって、思ってないわけじゃないんだけど……君のことが、大切だから……」

「……分かったわ。いつかちゃんと心の準備をして、もう一度あんたに伝えてやるから……その時は、わ、私をあんたの……好きなようにしなさい……」

「うん。楽しみに待ってるよ……」

 

 やはり自分でも心の準備は急ごしらえのものだと感じていたに違いない。顔を真っ赤にしながらとても夢のある言葉を零す親指姫へと、ジャックは期待を込めて頷いた。

 

「……さて、と。そういうわけなら私は部屋に戻るわ。ジャック、あんた今夜は一人で寝なさい」

「えっ? 添い寝はしてくれないの?」

 

 大人な話が終わった途端、親指姫はあっさりジャックの腕から抜け出ていった。おまけに膝の上からも降りてしまう。今日は添い寝をしてくれるはずだったというのに。

 

「据え膳食わぬは男の恥って言葉知らないわけ? 仮にも心を決めた女を突き放しといて添い寝はしてもらえると思ってんなら大間違いよ! 恥を知れっての!」

「そ、そんなぁ……」

 

 非常に残念だったが見下ろしてくる鋭い瞳には言い訳などできなかった。親指姫の気持ちを考えて言ったこととはいえ、据え膳食わぬどころかどちらかと言えば後で作り直せ的なことを言ってしまったのだ。確かに恥を知れと言われても仕方ない。

 

「て、ていうか、私だって一緒に寝たいんだけど……私、今あんたにキスしたくて堪んないのよ……あんな優しいことまで言うから、今あんたの傍にいたら気持ちが抑えられそうにないわ……」

「あ……そ、そういうことなんだ……」

 

 しかし居心地悪そうに目を逸らして呟く親指姫の素直な言葉で、何となくその真意は理解できた。これ以上ここにいれば親指姫はキスしたい衝動に抗えず、そしてキスをされればジャックは自らの理性が折れてしまう。

 お互い一緒に眠りたいと思っているが、今夜はそれを諦めるのがお互いにとって最善の策なのだ。名残惜しいが仕方ない。

 

「と、とにかく今夜はお互い一人ね。あ、それからあんたもうベッドから出て良いわよ」

「え、良いの? 明日の夜までダメだって言ってたのに」

「目的は達成したからもうその必要も無くなったわよ。それに、これからはこんな面倒な真似しなくたって二人きりでいられるしね」

「……もしかして僕と二人きりで過ごすのと、僕に気持ちを伝えることが目的だったの? 罰とかじゃなくて」

 

 薄々それが目的なのではないかと思っていたのだが、やはりその予想は正しかったようだ。親指姫は頬を染めながらも確かに頷いた。

 

「そ、そうよ。何か文句でもある?」

「ううん、何も無いよ。ただ親指姫らしいやり方だなぁって思って」

「ふん! 素直じゃなくて悪かったわね!」

 

 遠回しに天邪鬼であったことを指摘すると、機嫌を損ねてしまったのかそっぽを向かれる。

 しかしそれは一瞬のこと。すぐにこちらへ顔を戻すと、とても挑戦的な視線を投げかけ指を突きつけてきた。普段通りの親指姫と同じ、気が強くて小生意気な感じの表情で。

 

「だけど、もう今までの私じゃないわ! 明日から楽しみにしてなさい、ジャック! 生まれ変わった私を見せてあげるんだから!」

「うん、楽しみにしてるよ。それじゃあおやすみ、親指姫」

 

 その可愛らしい様子に笑みを零しながら、ジャックはおやすみの挨拶をした。

 本当ならここでキスをするのが習慣だが、今はお互いにキス一回で済みそうにないので残念ながら今回は無し。ちょっと物足りないが仕方ない。

 

「ええ。おやすみ、ジャック……だ、大好きよ……」

「……うん、僕も大好きだよ」

 

 代わりにお互いに想いを伝え合い挨拶を締めた。以前までなら絶対言わなかったであろう親指姫も、今は躊躇い無く口にしている。まだちょっと恥ずかしそうにしているものの、生まれ変わったという言葉が真実なのは明らかだった。

 親指姫が部屋から去った後、残されたのはジャックただ一人。さっきまで隣にあった温もりが無いのは少し寂しいが、今はこちらの方が都合が良い。なのでジャックは満を持して灯りを消し、再びベッドへ潜り込み――

 

(――嬉しいなぁ! やっと親指姫が僕のこと好きだって言ってくれた! これって夢じゃなくて現実だよね!?)

 

 ――今まで抑えていた喜びを爆発させた。あまりの嬉しさにベッドの上で転げまわってしまうほどに。こんな姿はちょっと恋人には見せたくなかった。

 とはいえここまで喜びを溢れさせてしまうのも当然だ。ほとんど諦めていた死ぬほど聞きたかった言葉を、今日ついに親指姫の口から聞くことができたのだから。その上初めて自分からキスしてきてくれた。しかもジェノサイド化もしていないし、どちらも一度きりではなく何度も何度も繰り返し。果たしてこれ以上の喜びがあるだろうか。

 

(生まれ変わった親指姫、か……明日から楽しみにしてなさいって言ってたけど、一体何をする気なんだろう? 明日が楽しみだなぁ……)

 

 相思相愛ではあったが、愛情表現はこちらからの一方通行だった今までの日々。そんな日々は今夜でやっと終わりを迎えたのだ。もしかすると明日からは親指姫も積極的に触れ合いを求めてくるのかもしれない。人前では無理だとしても、二人きりの時なら間違いなく確実に。期待と喜びが大きすぎて今夜は眠れそうに無かった。

 

「それにしても、本当にもったいないことしたなぁ……いや、後悔はしてないけど……」

 

 しかし胸を躍らせながらもあのことについてだけは心底残念に思い気落ちしてしまうのだった。可愛い女の子、それも大好きな彼女の全てを自分のものにできるチャンスをみすみす逃してしまったことを。

 何だかんだ優しい言葉をかけながらも結局はジャックも男で、男の本性はケダモノなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おはよ、赤姉! 今日は気持ちの良い朝ね!」

 

 翌朝、親指姫はどうしても抑えられない機嫌の良さを表情と声音に滲ませながら食堂に顔を出した。

 席についていた赤ずきん達が挨拶を返すことを忘れるほど目を丸くしているが、その気持ちは親指姫にも痛いほど分かる。今の自分がどれだけ晴れやかな笑顔を浮かべているかは、その晴れやかな心持ちの自分自身が一番良く分かっていた。

 

(……でも仕方ないじゃない! だって私、やっと素直になれたんだから! あーっ、まだ自分でも信じらんないわ!)

 

 今まで呆れるほど天邪鬼だった自分が、ついにジャックに胸の内の想いを全て伝えることができたのだ。更にはしたくてもしたくてもできなかった自分からのキスまでも。

 おまけにそれらを一度きりではなく同時に何度も何度も行うことさえできてしまった。正直朝を迎え目が覚めた時には、昨夜の出来事は全て夢ではないかと疑ったほどだ。

 

「ああ、うん。おはよう、親指……何かあんたテンション高くない?」

「そ、そんなことないわよ! いつも通りの私でしょ? ね、白雪!」

「え? は、はい……たぶん……?」

 

 やっと挨拶を思い出したらしい赤ずきんに指摘されて否定するも、どうしても笑顔を隠せない。そのせいで可愛い妹まで首を傾げていた。まあ一応頷いてくれた点だけはやはり素直で従順な白雪姫だ。

 

(さて、と。それじゃあ生まれ変わった私を恋人に見せてやんないとね!)

 

 他の少女たちにも不審の目を向けられているものの、今はそれよりも大切なことがあるので一切合切無視。親指姫は満を持して席についている恋人を見た。何やらとても嬉しそうな微笑みを浮かべている恋人を。

 そんな風に笑っている理由が朝から恋人の笑顔を見られたからだということは、今の親指姫には手に取るように分かった。何故なら自分も同じ気持ちを抱いているから。

 

「……隣座るわよ、ジャック?」

「うん。おはよう、親指姫」

 

 ジャックの傍まで歩み寄り、返事は待たずに隣へ腰を降ろす。

 いつもならここで挨拶を返すとジャックは問答無用でキスをしてくる。毎回それに対して照れ隠しの怒りを露にしてしまった親指姫だが、毎回されると分かっていて隣に腰を降ろしていたのはもちろんそれが嬉しかったからだ。

 

(本っ当に素直じゃなかったわね、私……だけど、もう今までの私じゃないわ! 目にもの見せてやるんだから!)

 

 心の中で強気に言い放ち覚悟を決める。多少の羞恥は感じたものの、不思議と躊躇いはなかった。

 

「……ええ。おはよ、ジャック――っ」

「っ――!?」

 

 挨拶を返すと同時、親指姫はジャックに顔を寄せて唇を重ねた。誰の目にも明らかなほどにはっきりと、親指姫の方から。

 キスと言ってもほんの一瞬唇を触れ合わせただけのキス。それでも胸の中には堪らない幸福感が溢れていた。大好きなジャックとキスしている幸せ、そして皆の前でも素直にキスできるようになったことへの幸せで。

 

「お、親指、姫……?」

「……楽しみにしてなさいって言ったでしょ? これが生まれ変わった私よ!」

 

 戸惑いを隠せずにいるジャックへと得意になって笑いかける。まあちょっと顔は火照っていて恥ずかしいが、それでも耐えられないほどではなかった。親指姫の心は劇的に成長を遂げたのだから。

 恥ずかしいからといって素直に好意を伝えることも、したい触れ合いも諦める。それはあまりにも馬鹿げた考えだ。せっかく大好きなジャックとどんな触れあいでもできる関係になれたのに、せっかくあの時ジャックを死なせることなく助けられたのに。

 今回はただの貧血だったものの、もしもジャックがあそこで死んでいたら。そう考えるだけでも親指姫の心をの在りようを変えるには十分な衝撃だった。そんなことになれば、もう二度とジャックに気持ちを伝えられないし、ジャックももう言葉を返してはくれない。もう二度とジャックにキスできないし、したとしてもジャックはキスを返してくれない。

 だが今なら親指姫が素直になればお互いに気持ちを伝え合えるのだ。お互いにキスだってできるし、存分にイチャイチャラブラブすることができる。もちろん、もっともっと凄いことでもだ。

 

(……あんな想いした挙句一生後悔するなんて死んでもごめんだしね。もう恥ずかしがって躊躇ったりなんてしないわよ!)

 

 もう二度と気持ちを伝え合えず触れ合うこともできない悲しみや絶望に浸り、一生後悔していくことに比べれば感じる恥じらいなど些細なものだ。どうせ恥じらいは一時だけだし、それに耐えれば後はジャックと触れ合ったりする喜びと幸福が待っているのだ。

 そこに気付けばもう躊躇いは無かった。どれだけ他の皆に笑われようとも関係ない。万が一のことが起きて後悔など抱えてしまわないよう、ジャックとしたいことをしたい時にしたいようにする。ひたすらに想いを伝え合い、存分に触れ合う。それが生まれ変わった親指姫が抱いた、ある意味自己中心的とも言える素直な想いだ。

 

「……えっ、あれ? 今、親指からキスした……? あたしの見間違い?」

「い、いえ、確かに私もこの目ではっきりと見ましたわ……」

「わあぁ……親指姉様……!」

「……これは昨日の夜にジャックとの間に何かがあったに違いないわ。でなければ親指姫が私たちの前でジャックにキスすることはありえないもの」

「ということはジャックが解放されたのもそれが原因かしら。親指姫がここまで素直になるだなんて、途轍もない心境の変化があったようね」

 

 しかし親指姫がそんな想いを抱いたことなどジャック以外は知る由も無い。頬をつねって夢かどうか確かめたり、自分の目を疑ったりと皆失礼な反応をしていた。もっとも白雪姫は瞳を輝かせて喜びを露にし、グレーテルはさも興味深そうに口元に笑みを浮かべていたが。

 

「心境の変化なんて何もないわよ。私はただ……ジャックのことが大好きだからキスしただけよ!」

「……っ!?」

 

 恥じらいを覚えながらもそれを皆の前で言い放つと、一部の少女たちはあまりの驚きからか腰を抜かしかけていた。あまりにも失礼な反応だが今までの親指姫の天邪鬼加減を考えると本当に腰を抜かさなかっただけマシかもしれない。

 

「親指姫……」

 

 隣を見るとジャックが何やら今にも嬉し泣きしそうな笑顔を浮かべている。やはり今までのことを考えるとこんな反応をされても仕方ない。だからこそ、これからはもっともっと口でも行動でも好意を伝えてやろう。そう心に決める親指姫だった。

 

「さ、ジャック。早く朝ごはん食べましょ。今日は朝から一緒に散歩に行くわよ!」

 

 その手始めとしてまずは二人でその辺の散歩だ。もちろん手を繋いでラブラブな感じで。ジャックだって本当はずっとそんな風にイチャつきたかったはずなのだから。

 

「う、うん。そうだね……」

(あ? 何か歯切れ悪いわね。せっかく人が素直になったってのに……って、ああ。なるほど)

 

 冴えない表情で頷くジャックの視線の先を見て納得する親指姫。

 そこには親指姫そっちのけでジャックに視線を注ぐ少女たちの姿があった。何やら酷く冷たく鋭い視線や、探究心に溢れた視線、そして半信半疑という様々な視線を。まあ白雪姫だけは微笑ましそうにニコニコ笑っていたのだが。

 

「……ジャック、散歩の後で構わないから後で私の部屋に来てくれないかしら?」

「そうだね。あたしたちとちょっとお話しよっか? 昨日親指に何をしたのかさ」

「ふふっ。親指姫があなたに好意を伝えるようになるだなんて、一体何があったのか知るのが楽しみで堪らないわ」

「わ、私は信じていますわ、ジャックさん……犯罪になるようなことは、していませんわよね……?」

「ま、待って! どうして皆そんな怖い顔してるの!? 僕は何もしてないよ!?」

 

 まるでジャックを糾弾するかのような言葉が少女たちの口から次々と紡がれていく。これにはさすがのジャックもたじたじだ。

 

(あー、やっぱジャックを変に疑ってんのね。私がこんだけ素直になったから……)

 

 歩く天邪鬼だった親指姫が、一晩明けたら自分たちの前でジャックにキスして好意を露にするくらい素直になっていた。そして皆は親指姫が付きっきりの看病をするために、昨夜はジャックの部屋で一緒に過ごしたと思っているはず。

 要するに皆はその一晩でジャックが何かやらかしたとでも思っているのだろう。具体的には鬼畜だったり犯罪的だったりする手法で親指姫の性格を無理やり矯正したとか。

 

「お、親指姫からも何か言ってよ! 僕は何もしてないって!」

 

 変わり様が凄すぎて否定しても信じてもらえないらしい。ジャックは困りきった顔で親指姫に助けを求めてきた。

 実際の所はジャックがそんなことをするなど間違ってもありえない。手出ししても構わないことを伝えた上、自身も本当は手を出したがっていた癖に、親指姫の気持ちを考えて自ら断った誠実なジャックだ。

 だから普通に助けてやろうと思ったのだが、ここでちょっとした悪戯心が沸いて出てきてしまった。今まで散々辱められた復讐を楽に果たせそうだったから。

 

「あ、あんたが私に素直になれって命令したんじゃない……私をベッドに縛り付けて、無理やり……」

「親指姫ええぇぇぇぇぇっ!?」

 

 どれだけ努力しても果たせなかった復讐は、小さく呟いて恥ずかしそうに視線をそらすだけであっさり叶ってしまう。

 いや、復讐だけではない。これからはやろうと思えば好きなだけジャックとイチャイチャできる。好きなだけジャックに甘えたりも出来る。ジャックとやりたかったことは何でも叶えられるのだ。今まで素直になれずつもりに積もった触れ合いたい気持ちを、これからは存分に晴らすことができる。だとすればもう遠慮する気はなかった。

 

(これからはもう存分にイチャイチャしてやるんだから! 覚悟しときなさい、あんたたち!)

 

 これからの甘い日々を思い描くと共に、親指姫は心の中でそう語りかけた。

 酷く冷たい視線を向けられて狼狽しているジャックではなく、今まで親指姫たちのぎくしゃくした恋人関係を大いに笑い楽しんでいた赤ずきんたちに。

 もう二度と笑う気も起きなくなるくらい、ジャックとイチャつく様を徹底的に見せ付けてやることを誓って。

 

 

 

 





 これでめでたくハッピーエンド! めでたしめでたし!
 
 そんなわけがない。むしろここからが本編です。次の章がヤバイことになりそうなのは今回の話の雰囲気で感じ取ってもらえるでしょうか……?
 ちなみにこんな話を書いておいてなんですが、私なら間違いなく襲い掛かってます。当然じゃないですか。男は皆ケダモノだったりオオカミだったりするんですから。
 でもジャックがケダモノでなくオオカミだったら一番危ないのは親指姫よりも赤ずきんな気がする。原作の原作的に……。




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4章:ラブラブカップル
同棲メアメアリ



 イチャラブ度、レベル3。さあ、ここからだ。
 ジャック×親指姫の4章。タイトルはこれしかないと思いました。タイトルの元ネタが分かる人は私と同じくイチャラブ好きのスケベ野郎のはず。ちなみに元ネタだと緑髪の僕っ娘が一番好きです。あ、眠り姫のことじゃないです。





 ついに親指姫が自らの心の壁を乗り越え、素直にジャックへの気持ちを露にした夜。

 あれから数日経過した今、ジャックと親指姫の関係は大幅に前進を果たしていた。とはいえ元々両想いであったので前進したというよりもそれが表面に出てきただけ、という表現が正しいかもしれない。

 しかしそんな簡単な言葉で片付けられないほど恋人として過ごす日々は劇的な変化を遂げていた。例えば朝食の席で顔を合わせる場面でさえ変化がこれでもかというほど分かりやすく現れる。そして今、ジャックはちょうどその場面へ顔を出す所だった。

 

「おはよう、親指姫。今日はずいぶん早いね?」

「やっと起きてきたわね、ジャック。ほら、さっさとここ座りなさい」

 

 声をかけると急かすように隣の席を叩き招いてくる親指姫。そんな可愛らしい様子にいつもの如く微笑みを零してから、ジャックは隣へと腰を下ろした。

 すると食事の手を止めた親指姫が口元を拭い、こちらへ顔を向けてくる。どことなく期待と喜びが見え隠れする微笑みを浮かべた顔を。

 

「確か今日は親指姫の番だったよね。違ったかな?」

「私の番よ、私の。だからほら、早く顔こっち向けろっての」

「うーん、どうしようかなぁ?」

「どうしようかなぁ、じゃないわよ!? 約束したんだから早くこっち向きなさい!」

 

 あえてあらぬ方向に顔を向けお願いを無視してみると、腕やら服やらを掴まれてがくがくと揺さぶられる。

 

(あはははっ。やっぱり親指姫は可愛いなぁ)

 

 これは照れ隠しで乱暴をしているわけではなく、純粋に早くジャックに自分の方を向いて欲しいがための行動。そんな素直な可愛らしさにまたしても微笑みを零してから親指姫の方を向いた。

 

「ごめんごめん。親指姫が可愛い反応してくれるからついついからかってみたくなっちゃって」

「やっぱあんた本当はSね! そんな大人しい顔して本当に鬼畜な奴だわ!」

「もちろん違うけど本当に僕が鬼畜だとしても、君はそんな僕が大好きなんだよね?」

「……っ」

 

 ちょっと自信過剰な質問に親指姫は言葉を詰まらせ眉を寄せる。今までの親指姫ならそんなわけないと怒り出すところだ。

 実際今までは事あるごとに否定され、照れ隠しと分かっていてもちょっと胸が痛くなることを言われた。しかし今の生まれ変わった親指姫は一味違う。

 

「……そうよ、残念なことにね。んっ――」

 

 少し不機嫌そうにしながらも勘違いのしようもなく肯定し、更にキスまでしてくる。

 これが今の、劇的な成長を遂げた親指姫だ。

 ちなみに今日は親指姫の番というのは、朝の挨拶の時どちらからキスをするかの順番のことだ。現在は日替わりで交代していて、明日がジャックの番。このどちらからキスするかを提案したのも生まれ変わった親指姫だ。

 

「……おはよ、ジャック」

「うん。おはよう、親指姫」

 

 キスを終え、間近でにっこりと微笑みあう。ようやく思いのままに触れ合えるようになった喜びと、相手への想いを込めた笑みを浮かべて。

 そして二人で視線を正面に戻すと、そこには様々な表情を浮かべる仲間たちの姿があった。今の一幕を問答無用で見せ付けられ思い思いの表情を浮かべた仲間たちの姿が。

 

「ジャックさんも親指姉様も仲良しになって何よりです! 白雪は嬉しいです!」

「あーあ……本当にもう完璧お熱いカップルになったよ、この二人。親指もすっかりジャックに調教されちゃってさ……」

 

 特に対称的なのが白雪姫と赤ずきん。白雪姫は最早嬉し泣きしそうなくらい瞳を輝かせ感動を露にして、赤ずきんは寝覚め最悪といった感じの表情だ。今までは散々面白がって楽しそうにニヤニヤ笑っていたものの、親指姫が素直になってからというものすっかり大人しくなっていた。

 

「やはりジャックさんによる調教の成果でしたのね……い、一体どんなことをされればここまで人が変わってしまいますの……?」

「たった一晩で親指姫をここまで素直にしてしまうだなんて……さすがはジャックだわ……」

「だ、だからそんなことしてないってば! アレは冗談だって親指姫も後で言ってくれたの覚えてるよね!?」

 

 顔を赤くしていたアリスとシンデレラが勝手に恐れ慄くので必死に否定する。

 親指姫の豹変振りが尋常でないせいか皆に洗脳や調教の疑惑をかけられたジャックだが、結局どれだけ説得や否定を繰り返しても疑惑は一向に晴らせなかった。なので皆の中ではジャックが何やらとても鬼畜な人柄ではないかという認識が徐々に出来上がりつつあるらしい。

 しかしあれだけ天邪鬼だった親指姫が一晩明けて人が変わったとしか思えないほど素直になっていれば、そんな風に思われるのも仕方ないかもしれない。

 

「そ、そうよ! 大体調教するなら私がする方でジャックがされる方でしょ!?」

「いやー、それはどうかな? あたしは親指の方がされる側に思えるよ。ていうかもうしっかりされてるじゃんか」

「私はどちらでも構わないから調教されていく過程を是非拝見してみたかったわ。残念なことに親指姫は一晩明けたら突如豹変していたもの」

「だからされてないって言ってんじゃない! 本っ当に分かんない奴らね!」

 

 珍しく気落ちした様子を見せるグレーテルだが、そもそも調教などしていないので期待に沿うことは出来ない。一体皆は今のジャックを何だと思っているのだろうか。

 たぶんもう何を言っても疑惑を晴らすことは出来そうにないので、仕方なくジャックは否定するのを諦めた。

 

「落ち着こうよ、親指姫。別に僕たち調教したいとかされたいとか思ってるわけじゃないんだからさ」

「………………そうね。別に思ってるわけじゃないし」

(今、何か間があったよね……)

 

 数秒の間を置いて頷いた親指姫に皆の疑惑の視線が集中する。

 調教したいのか、調教されたいのか。どちらかは分からないが少なくとも迷ったことは確からしい。しかし何か触れてはいけない感じの答えが返ってきそうなせいか誰もそれ以上詮索はしなかった。

 

「あ、そうだ親指姫。朝ごはんの後に食後の散歩でも一緒にどうかな?」

「良いわね、それ。でもその前に部屋でイチャつくこと、忘れんじゃないわよ?」

 

 食後の散歩を了承しただけでなく、部屋でイチャイチャすることさえ求めてくる親指姫。まだちょっと頬を染めているものの、これは比喩でも冗談でもなく本気の言葉だ。

 

「もちろん。散歩の時に手を握らせてくれるなら、だけどね」

「何よ、手ぐらいいっつも握ってるじゃない。ていうかあんた、ダメって言っても握るでしょ?」

「あははっ、ごめんね。どうしても君と手を繋ぎたくて……」

「全く……本当に仕方ない奴ね、あんたは……」

 

 ちょっと呆れた顔をする親指姫だが、その口元は微笑ましそうに緩められている。何だかんだでやっぱり親指姫はジャックのことが好きなのだ。そしてもちろんジャックも親指姫のことが好き。お互いにそれはもう間違いも勘違いもできないほど理解している。

 気持ちが通じ合っている嬉しさに、ついついお互いに食事の手を止め見つめ合ってしまうのだった。

 

「おかしいな。あたしたちはからかって面白がってたはずなんだけど……どうしてこんなことになったんだろ……」

「私は別に面白がっていたわけではありませんけれど……この敗北感は一体何ですの……?」

「悔しかったらあんたたちも恋人作ったら? ああ、でもジャックは私のだから他の男にしときなさい!」

「お、親指姫……」

 

 心底切ない顔をする赤ずきんとシンデレラに追い討ちをかけるように、親指姫がジャックの背中を叩きながら笑顔でのたまう。

 当然以前までの親指姫なら口が裂けてもそんなことを言わないはずなので、あまりの驚愕に二人は腰を抜かしかけていたほどだ。ジャックも反応に困って何も言えず、照れ臭さに火照る顔を逸らして隠すしかなかった。

 

「ジャックに調教されたからっていっても、まさか親指にそんなこと言われる日が来るなんて……あたし、もう生きる気力が無いよ……」

「わ、私が一体何をしたと言いますの……?」

「親指姉様がそんなことを言えるようになるだなんて……白雪は感動で胸がいっぱいです……!」

「アリス、あなたの表情が見たことも無いくらいに冷たくなっているのだけれど」

「……何でもないわ」

(僕もアリスのあんな表情初めて見た……怖い……)

 

 親指姫の惚気染みた言葉がよほど気に障ったのだろうか。アリスは最早近づいた者が一瞬で凍りつきそうなほどに冷たい表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食後、親指姫はその足でジャックの部屋を訪れた。

 理由は極めて単純明快。毎朝の恒例となったアレをするため。やっと素直になれた親指姫が自分のしたいこと、して欲しいことを可能な限り洗いざらいぶちまけた結果、こんな日課ができてしまったのだ。もちろんジャックが親指姫の要求を二つ返事どころか嬉々として受け入れたのは言うまでもない。

 そしてその毎朝の恒例。それはまず二人でベッドに腰かけ、親指姫がジャックの膝に身を乗り出す形で身を寄せ――

 

「……んっ……っ……ふぁ……」

 

 ――歯ではなく唇で、ジャックの唇をかぷかぷと食むこと。要するにちょっとだけ進んだキス。

 これはキスの練習も兼ねた、皆の前なのでほんの一瞬で済んだ朝の挨拶の続きである。自分の心に素直になった親指姫としてはあの程度で満足などできない。それに一日の初めのキスという大切なキスである以上、もっとしっかりやらなければいけないことなのだから。もちろん一日の終わりのキスも同様に大切なのでしっかりやるのは言うまでもない。

 

「……うん。もう十分だよ、親指姫。ありがとう」

 

 キスを終えて身体を退くと、ジャックの心底幸せそうな微笑みが瞳に映る。親指姫が素直に好意を表わすようになったおかげか、大体ジャックはいつもこんな感じの顔をしている。馬鹿っぽい笑顔だがそれを見たい親指姫としてはこっちが幸せに笑ってしまいそうだった。

 

「ふぅ……これでちゃんと朝の挨拶の分は済ませたわね。ジャック、明日はあんたの番だからね?」

 

 軽くその腕を叩いて忘れないように釘を刺す。この朝の恒例行事は皆の前で行ったキスの続きなので、キスする側は当然その日の朝にキスする方だ。

つまりは明日の朝ジャックは親指姫におはようのキスをして、朝食後にたっぷり続きをしてくれるという具合である。実に素晴らしい日課だという認識はジャックとの間で共通の認識だ。

 

「うん。それにしても今でもちょっと信じられないなぁ……親指姫がこんなに僕とキスしたがってたなんて……これって本当に夢とかじゃないんだよね?」

「あんたまだ現実か疑ってんの? 私がこんな風になったのそんなに意外?」

「意外に決まってるよ。親指姫だって自分でもそう思ってるんじゃないかな?」

「ぐっ……!」

 

 そう言われると弱い。実際ジャックの告白から今までの日々を振り返ってみると、明らかに無駄で天邪鬼で馬鹿なことしかしてない。最初から素直になっていればこの幸せな日々はもっと早く訪れていたというのに。

 しかし過ぎたことを今更悔やんでも仕方ない。すべきなのは今を楽しむこと。取り返しのつかない事態が容易く起こる世界で、楽しめる内に楽しまないというのは愚かなことだ。

 

「あんたが悪いんだからね! 私がこんな風になるくらい、夢中にさせたあんたが……夢だとか幻だとか逃避してないで、責任とっていっぱい甘えさせなさい!」

「わぁっ!?」

 

 なので親指姫は強く言い放った後、ジャックに飛びついて一緒にベッドに倒れこんだ。

 

「本当はずっとこういうことしたかったんだから! どんだけ我慢してたと思ってんのよ、もうっ!」

「親指姫、本当に人が変わっちゃったなぁ……まあこれはこれで可愛いからどうでも良いや! うん!」

 

 やりたかった抱きつきからの頬擦りを行うと、ジャックも最早細かいことは気にせず嬉しそうに親指姫を抱き返してくる。

 元々心の中では両想いであったものの、最早この五日間で自他共に認める相思相愛のラブラブカップルとなっていた。ただし自はともかく他からの表現はカップルの頭に『バ』という文字がつく。しかしやっと満足のいく触れ合いができるようになったのだからそんなことは些細な問題だ。

 

「……ん? ジャック、それ何よ?」

 

 ジャックに猫のように甘えていた親指姫だが、不意に枕の下から何かが顔を覗かせているのに気付き顔を上げた。

 良く見るとそれは何かの本だった。寝る前に読書でもしていたジャックが枕元に本を落としてしまい、それが枕で隠れていたというだけの話だろう。

 なので反射的に尋ねただけで深い意味は無かった。無かったのだが――

 

「――あ!? こ、これは何でもないよ! それより早く散歩に行こう、親指姫!」

(……無茶苦茶怪しいわ、こいつ!)

 

 ジャックが慌てて身体を起して親指姫を押しのけ、枕で完全に本を隠して誤魔化すように散歩を提言してくれば話は別だ。

 珍しく狼狽した姿を見せるジャックのこの反応。恐らく親指姫に見られると何か不都合が生じる内容の本を読んでいるに違いない。例えば男なら誰でも持っていそうないかがわしい内容の本とか。

 しかしジャックだってやはり男だ。あの時手は出されなかったとはいえ、実際そういうことに興味があると言ったのも覚えている。だからジャックもそんな本を持っていたとしても仕方ない。

 

「……見せてみなさい、ジャック?」

(さもないと一生後悔するくらい酷い目に合わせるわよ?)

 

 なので親指姫はにっこり優しく笑いかけ、早く見せろと控えめに促した。あくまでも表面上は優しく、だ。

 

「……は、はい」

 

 そして親指姫の優しさにほだされたのだろう。ジャックはちょっと顔を青くしながらも大人しく従い、枕の下から取り出した件の本を手渡してくれた。

 

(で、こいつの趣味って一体どんな――)

「――って、何よこれ? ただの恋愛の本じゃない」

 

 それなりに緊張しながら表紙を確かめたものの、予想とは全く異なるまともな本だったことに拍子抜けしてしまう。ページを捲って目次辺りに目を通してみるも、内容は恋愛や恋人との過ごし方についてのアドバイスや注意点などがほとんどの恋愛指南でやはりまともだ。何故ジャックはこんなものを恥ずかしそうに隠そうとしたのか。

 

「必死に隠そうとするからてっきり怪しい本かと思ったわよ。紛らわしいわね」

「ご、ごめん。こんなの読んでるって知られるのがちょっと恥ずかしくて……」

「あんたの恥ずかしさの基準って全然分かんないわ……」

 

 人前でも二人きりでも躊躇い無くキスし、好意を伝えてくるジャックがこんなまともな本一冊で恥ずかしがるとは。そもそもこれは恋人としての関係をより良いものにするため勉強しているようなものなのだから、むしろ誇っても良いはずなのだが。

 

「……でもあんたが恥ずかしがるってんなら理由はどうでも良いわ! 余すとこなく読んであんたのこと辱めてやるんだから! さあ、ジャックは一体どんな内容の本を読んでんのかしらね!」

「親指姫って結構意地悪だよね……」

 

 しかし恥ずかしがるならからかわない手は無い。散歩を取り止めにした親指姫はちょっと珍しく拗ねた様子のジャックの前で読書に耽ることにした。

 

「ジャック、そこ座って私の椅子になりなさい!」

「でもその割には甘えん坊なんだよね。可愛いなぁ……」

 

 しかしそんなジャックの珍しい表情も、その一言であっさり馬鹿っぽい微笑みに変わっていた。拗ねた様子も悪くは無いが、やはり一番見たいのはこの馬鹿っぽい笑顔。

 それを見て心の底から嬉しさを感じつつ、親指姫は満を持してジャックの膝に腰かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意地悪で甘えん坊な親指姫に椅子を命じられ大人しく椅子に徹しつつ、その身体を後ろから抱きしめ温もりと幸福の役得に浸って十五分。

 

(親指姫、だいぶ集中して読んでるなぁ。僕を辱めるんじゃなかったっけ……)

 

 予想外に本の内容が興味を引いたのか、親指姫はすっかり夢中で読書に耽っていた。自分の興味のある箇所にページを飛ばしたりはしているものの、時折『へー……』とか感心したり『んー……』とか苦々しい声を零したりするほどに。たぶん当初の目的はすでに頭に無い。

 

(散歩も良いけどこれも幸せな時間だなぁ。親指姫、抱き心地が良くて暖かいし、良い匂いもするし)

 

 なのでジャックは親指姫の頭に自分の顎を乗せる形で本を覗き込み、一緒に読書を楽しんでいた。

 もちろん読み方や読む早さが違うので読みにくいのは当然だが、ジャックとしては読書よりも膝に乗せた親指姫の温もりと可愛らしさを楽しんでいるので気にはならなかった。その身体や髪から漂ってくる甘い香りに心が穏やかになるのも一つの要因だ。

 

「……ジャック、ちょっとここ読んでみなさい」

「え? 急にどうしたの?」

 

 別々の楽しみ方をして幸せに浸っていると、不意に話しかけてくる親指姫。

 そして読んでいた本のとあるページを指差し、促してくる。突然そんなことを促す理由も気になったので、ジャックは言われたとおりそのページに目を注ぎ文を読み上げた。

 

「えっと……同棲。極めて関係良好な恋仲の男女が一つ屋根の下で共に暮らすこと……?」

 

 親指姫が指差した場所にはそんなことが書かれていた。どうも自分たちの関係に当てはめているらしく、順調に交際が進んでいること前提の内容の部分ばかり見ていたようだ。

 

「私たちっていうか、私だけだけど……ちょっと前までは問題あったけど、今じゃだいぶ仲は良いわよね?」

「そうだね。極めて関係良好って言っても良いんじゃないかな? 僕の膝の上で読書する親指姫なんて今までじゃ考えられなかったもんね」

 

 以前までの親指姫なら間違っても自分でジャックの膝に座ろうなどとはしない。そしてジャックが強引に座らせたとしても大人しく座っているわけも無い。この点だけ考えても自分たちの関係は極めて良好になった。赤ずきんあたりからはラブラブバカップル認定されるくらい。

 

「そ、そうでしょ? つまり私たちだって同棲するためのの条件は満たしてるってことよね?」

「えっと……親指姫が何を考えてるか大体分かるから先に言うけど、僕たちもう同棲してるよ? ここ一応一つ屋根の下だから、僕たちだけじゃなくて皆となんだけどね……」

「あー……そういや、そうだったか……」

 

 残酷な真実を告げると途端に親指姫は肩を落とし、元気を失くしてしまう。

 実際の所ここは黎明の居住スペースなので、一つ屋根の下には親指姫以外にも多数の人々が集っている。この区画に限っても血式少女全員だ。一つ屋根の下で一緒に暮らすことが同棲だと言うなら間違いなくジャックたち全員が同棲している。

 

「……そんなに同棲してみたかったの?」

「だって仲の良い恋人同士は同棲するって書いてあんのよ? で、私たちは仲の良い恋人同士。だったらもう同棲するしかないじゃない!」

「別に必ずしなきゃいけないってわけじゃないと思うけど……」

 

 本に書いてあるとしてもそれは絶対の決まり事ではない。することもある、くらいの認識で構わないはずだ。大体ジャックだってその本は参考程度のもので、馬鹿正直に書いてあること全てを実行したり従ったりなどもしていない。親指姫だってそのくらいは分かっているだろう。

 

(って、ことは……今よりも僕と近くで暮らしたい、ってことかな?)

 

 つまりはそういうことに違いない。ラブラブバカップル認定を受けている今以上の関係になりたいのならそれしか無いだろう。だから親指姫は同棲などと言い出したに違いない。

 ジャックとしても今以上に近くで暮らせるならむしろ望むところだ。何故ならそれは今よりも間近で長い間、親指姫の可愛い姿を見られるということ。今でも十分幸せなのに更に幸せになれる。仮にも男のジャック的には不安要素が無いわけではないが、他ならぬ愛しい恋人の願いでもある。ジャックは心を決めて答えた。

 

「……うん。そんなにしてみたいなら同棲してみよっか、親指姫?」

「は? いや、あんたさっき自分ですでに同棲してるって言ったばっかじゃない」

「うん。でもそれはあくまでも一つ屋根の下の話だよ。だから僕たちは……一緒の部屋に住むっていうのはどうかな?」

「っ……!」

 

 それを提案した途端、親指姫は勢い良く振り返ってジャックに視線を注いできた。頬を染め、驚愕に丸くなった瞳で。そしてどことなく嬉しそうな雰囲気で。

 

「ジャック……前から思ってたけど、あんたって大人しい顔して本当に大胆よね……」

「急に同棲とか言い出した親指姫には言われたくないんだけど……それで、どうかな?」

「……ナイスアイデアよ、ジャック! ご褒美にキスさせてやるわ!」

「本当? それじゃあ、遠慮なく――」

「――っ」

 

 上機嫌で許可を出してくれたので遠慮なく親指姫の唇を奪う。ただし今回は軽く触れ合わせるだけ。そんなに毎回進んだキスを行う必要は無いのだ。これからはいつだってお互いに好きな時に好きなだけキスし合えるのだから。

 

「……でも親指姫、僕と一緒の部屋で暮らすことなんて本当にできるの? 女の子なんだから僕に見せたくないこともあるんじゃないかな?」

「あー、あるにはあるわね。特に着替えとか……まあそういう時は洗面所でも使うわ。あんたを閉じ込めるのにね」

「あ、僕がそっちに行かされるんだね。まあ良いけどさ」

 

 腕の中から良い笑顔でこちらを見上げつつ、そんな解決策を出してくる親指姫。閉じ込めるという表現はどうかと思ったが、親指姫と一緒の部屋で生活できるという夢のような日々が実現するのならそれくらいは構わなかった。

 

「で、一緒の部屋に移るのは良いとしてどっちが部屋移る? 私は別にどっちでも良いけど、あんたは?」

「うーん……僕の部屋、あんまり手を加えてないから殺風景だしね。僕が親指姫の部屋に移るのが良いんじゃないかな?」

「そうね。けど、正直私の部屋の様子だとあんまりあんたに似合わないわよね。あんたが自分の部屋あんな風にしてたら私でも引くし……」

「ま、まあ、それはそうだよね……」

 

 端的に言えば少女趣味で可愛らしい部屋で、男であるジャックが寝起きする。とりあえずとても居心地が悪いということだけははっきりと分かった。可愛いのは恋人だけで十分だ。

 

「……あ、それならこういうのはどうかな?」

「ん? 何か良い考えでもあんの?」

 

 あまりの悩みようにジャックという名の椅子から若干ずり落ちていた親指姫が、期待を込めて下から見上げてくる。

 たぶん先ほどよりもナイスなアイデアだ。上下逆さまになった感じで親指姫を見下ろしながら、ジャックはその考えを口にした。

 

「親指姫が僕の部屋に移るんだよ。ただしその前に僕の部屋を二人で模様替えしてからね。どうせ僕の部屋は手を加えてないんだから、これから僕たち二人の好みに模様替えして一緒に暮らすための部屋を作っていくっていうのはどうかな?」

 

 どうせジャックの部屋が飾りも無く殺風景なままなら、逆にそれを利用するのだ。手を加えていないならこれから幾らでも加える余地がある。それこそ二人で話し合い、お互いの好みに合わせた同棲のための部屋を作り出すこともできる。

 

「っ……!」

 

 伝え終えると親指姫は衝撃を受けた感じの表情で固まっていた。ジャックから見ると顔が上下逆さまになっているのでちょっと分かりにくいが、頬に朱色が指しているので受けた衝撃は好ましい方向のものだろう。

 

「どうかな? ちょっと大変かもしれないけど楽しそうだよね?」

「良いじゃない、それ! 名案よ! 二人で私たちの愛の巣を作りましょ!」

「っ……!?」

 

 その証拠に親指姫は身体を起しこちらに興奮した様子の笑みを見せると、勢いのせいかとんでもないことを口にした。そしてそのまま固まった。

 

(……これ、突っ込んだ方が良いのかな? それとも何事も無かったみたいに流した方が……?)

 

 ジャックでさえちょっと顔が熱くなるような発言だったのだから、親指姫が固まってしまうのも仕方ない。そしてここでジャックが間違った反応を返せばたぶん怒られる。

 

「……うん。そうだね」

 

 なので悩んだ末、最終的に流す方を選択した。突っ込んだ方が怒られる可能性が高そうなので安全策のつもりだった。

 

「そこは何でも良いから反応しなさいよ! 何か無視されると余計に恥ずかしいじゃない!」

「あいたっ! ご、ごめん! じゃあ、えっと……愛の巣を作るって言っても親指姫は巣を作る親鳥よりも生まれた雛鳥っぽいよね!」

「あんた私がまだ子供だって言いたい訳!? 馬鹿にすんのもいい加減にしろっての!」

「やっぱりどっちにしろ怒られるんだね!? でもこの感じ懐かしいなぁ! いたっ!」

 

 しかしそこは親指姫。素直になっても恥ずかしがり屋で照れ屋なのは基本的には変わらないようで、相変わらず理不尽な怒りをぶつけてくる。

 ただそんなやりとりが懐かしく、身体をどつかれながらもジャックはついつい笑ってしまった。そのせいで余計に怒られたのは言うまでもない。

 

 

 





 自分で書いておいて何ですが、これはイラッと来る……。
 同棲に向けて動き出す二人。次回はその続き。

 原作では血式少女たちの部屋はちゃんとコーディネートされていたのにジャックの部屋だけそのままなのが何となく寂しかったです。2ではジャックの部屋ももうちょっと……と思いましたが2ではジャックは……はぁっ……。



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買い物デート


 タイトル通りのお話。
 余談ですが同じイチャラブ話だった処女作では二章でデートしていました。くっついたのは同じ一章なのに。あっちが早かったのかこっちが遅いのか……。
 でもツンデレがいきなりデレデレになるのは何か違うような気もしたので結局こうなりました。まあその分イチャつかせれば問題はない……のかな?






 同棲のための部屋の模様替えを行うことが決まると、親指姫の行動は驚くほど迅速だった。というか考えるよりも行動の方が早かった。何せ話が決まったらすぐにジャックを連れて模様替えのために必要なものを揃えに物資販売所へと向かったのだから。

 

「やっぱ壁は花柄とか可愛いのが良いわよね! 色もピンクとかそういうので!」

「あははっ。やっぱり親指姫も女の子だね。部屋は可愛い感じに仕上げたいんだ?」

「そ、そうよ。文句ある? それとも私には可愛いのは似合わないって言いたいの?」

 

 相変わらずわけの分からないもので溢れかえっている販売所内を二人で物色しつつ、模様替えの相談に花を咲かせる。

 言い方が悪かったせいか親指姫はちょっと機嫌を損ねた感じで睨んできた。しかしもちろんそんなことこれっぽっちも思っていない。

 

「似合わないっていうわけじゃないけど、あんまり意味が無さそうだなって。だって親指姫自身がとっても可愛いんだから部屋の可愛さなんて全然目立たなくなりそうだよ」

「そんな見え透いたお世辞言ったって何も出ないわよ。こ、これくらいしか出てこないんだからね?」

 

 ちょっと頬を赤くして照れながらも、ジャックの頬にキスしてくれる親指姫。気心の知れた仲間たちの前でならともかく、こんな不特定多数の人間がいる場所ではさすがに唇にキスする勇気は無いのだろう。

 しかし積みあがった謎の品物類の影に隠れてとはいえ、こんな場所でキスしてくるようになるとは思ってもいなかった。まあ一応一人だけこちらを見ている少女がいるのだが。

 

「あはっ。これで十分だよ、親指姫。でもピンクの花柄かぁ……ちょっと僕には似合いそうにないなぁ……」

「あー、そうね。男のあんたにはちょっとキツイか……あ、だったらこういうのはどう? 壁はあんたに任せるから、私は床の方を好きに選ばせてもらうわ」

「うん、それは名案だね。じゃあ僕は……水色の花柄とかにしようかな?」

「って結局花柄なんじゃない!?」

 

 半分冗談で水色の花柄を推すと、親指姫は度肝を抜かれた感じでツッコミを入れてくる。実はそういう反応を期待しての言葉だ。

 

「あー……でもあんたなら花柄くらいは似合いそうな感じね」

「ど、どういう意味かな、それ……?」

 

 しかし思いの他受け入れられたため不審に思ってしまう。仮にも男のジャックに花柄が似合うとはどういうことか。自分でも分かってはいるがそんなに男らしく見えないのだろうか。

 

「ま、まあ僕に似合うかどうかも大事だけど、やっぱり親指姫も気に入ってくれそうな感じの部屋にしたいよ。これからは一緒にあそこで暮らすんだからさ……」

「ジャック……」

 

 自分の好みにするのも良いが、相手の好みも取り入れてお互いの気に入る部屋にしたい。それがジャックの望みだ。

 親指姫も同じ気持ちらしく、感銘を受けたように微笑みを浮かべてジャックと見つめ合うのだった。

 

「……ジャックさん、冷やかしは勘弁して欲しいっす」

「えっ、別に冷やかしなんてしてないよ?」

 

 しかしそこで今までずっと黙って見ていた少女に水を差される。もちろん少女というのは販売所で店番をしているくららだ。いつもの少年っぽい笑みも何だか軽蔑に近い感じの睨み顔になっていた。

 とはいえ冷やかしも何もしていないジャックたちにとっては全くの誤解でしかない。

 

「そうよ。買うもん相談してるだけでちゃんと買い物はするわよ?」

「二人とも自覚ないんすか……店の中でイチャつかれるのははっきり言って冷やかし以外の何物でもないっすよ?」

「別に私たちイチャついてるわけじゃないわよね、ジャック?」

「うん。そのはずだけど……」

 

 今の親指姫との共通認識ではさっきのは仲良く買い物しているだけに過ぎない。

 そもそもキスだって唇ではなく頬へのものだったし、ちゃんと人の目を考えた上でのものだ。

 

「こ、これでイチャついてないなら普段どんな風にイチャついてるんすか、お二人は……!」

「そ、それは……ねえ?」

「う、うん……」

 

 丸くした瞳と真っ赤な顔で尋ねてくるくららの尤もな疑問に、お互い視線を向け合いながら濁して答えない。親指姫はもちろん、ジャックでさえもさすがにそこまでは口に出来なかった。口にするにはちょっと恥ずかし過ぎる。

 

(まさか抱き合って頬擦りしてるとか、これでもかってくらいキスしあってるなんて言えないよね……)

「と、とにかく店の中でイチャつくのは禁止っす! それでも続けるならいくらジャックさんたちでも叩き出すっすよ!」

「ご、ごめん。何だか良く分からないけど気をつけるよ」

 

 機嫌悪そうに言い放ちながらスパナの素振りを行うくららに謝罪し、改めて商品の物色を行うジャック。

 何となく謝ってしまうジャックはともかく、親指姫はいわれの無い罪に隣でご機嫌斜めな表情をしていた。

 

「全く、一体私たちの何が問題だってのよ。二人で仲良く話しながら買い物してるだけじゃない」

「うーん……張本人だから分からないだけなのかな。じゃあ親指姫、僕が他の女の子とさっきみたいな感じで買い物してたらどう思う?」

「ん? あんたが他の女の子と、さっきみたいに……」

 

 その言葉で顎に手を当て、視線を上に向けて考え込む様子を見せる親指姫。

 別に深い意味も無く尋ねてみただけなのだが、思案に耽っていた感じの表情は一瞬でこちらへの睨み顔になった。一体親指姫の頭の中ではどんな光景と想いが広がったのか。

 

「お、親指姫、何だか顔が怖いよ? それに僕の足ぐりぐり踏んでるし……」

「……そうね。良い機会だから言っておくわ、ジャック」

「えっと……何を?」

「べ、別にあんたが他の女の子と仲良く買い物するとかは構わないわ。手を握ったりとかも……まあ、それくらいなら許してやるわよ! で、でも、私以外の女にキスなんてしたらぶっ殺すからね!」

 

 そして乱暴な口調と真っ赤な顔で言い放ってくる。さっきまでの反応とその言い方で、さすがのジャックも親指姫が自分の想像で何を感じたのか理解できた。

 

(あははっ。親指姫、想像なのにこんなに怒るくらいヤキモチ焼いてくれたんだ……)

 

 親指姫は他の女の子と仲良く買い物するジャックの姿を思い浮かべ、こんなに怒りを抱いてしまうほどのヤキモチを焼いてしまったのだろう。つまりはそれだけジャックのことが好きで誰にも渡したくないと思っているのだ。

 自分を想ってくれている嬉しさと愛しさに、ついついジャックも我慢できなくなってしまった。

 

「大丈夫だよ、親指姫。他の女の子と仲良く買い物したって、僕がこんなことするのは君だけだから」

「っ――」

 

 少し屈んで親指姫と視線の高さを合わせ、その唇を奪う。あえて周囲の確認はせずに。

 当然のように微笑ましさに溢れる小さな笑いや、煽るような口笛が聞こえてきたがそれらはこの際無視だ。むしろそれらに耐えながらでもキスできる、ということを伝えるのが目的なのだから。

 

「……ふん、どうだか? そんな頻繁にキスするような軽い男なんて信用できるわけないっつーの」

「ええっ!? そ、そんな……」

 

 しかしどうも逆効果だったらしい。キスを終えると親指姫はむしろ軽蔑した感じでそっぽを向いてしまった。

 

(ど、どうしよう。まさか逆効果だったなんて……別に軽い気持ちでキスしたわけじゃないのに……どうしたら信用してくれるのかな……?)

 

 これにはジャックも心底焦りを抱いてしまった。まさかこんな結果になるとは夢にも思っていなかった。

 

「……ぷっ! 冗談よ、冗談。そんな情けない顔すんじゃないわよ?」

「あ!? ひ、酷いよ、親指姫! 僕結構本気で悩んだのに!」

 

 不安に頭を悩ませていると、打って変わってさも愉快そうな笑みを向けてきた親指姫。

 どうやら冗談というか単純にジャックをからかっていただけらしい。今までジャックの言葉と行動に散々辱められた過去があるせいか、親指姫はたまにこんな意地悪をしてくるのだ。

 

(……よし。ここは僕も反撃だ!)

 

 それは別に構わないのだがさすがに今回のはちょっと許せない。なので同じようにからかうことにした。親指姫の性格や考えも大体は把握しているので何を言えば動揺するかくらいジャックには手に取るように分かる。普段は悪用しないだけだ。

 

「大丈夫よ、あんたのことは信頼してるわ。だってあんたにそんな浮気とかできるような甲斐性あるわけないもんね!」

「酷い理由だよ、親指姫……こうなったら意地でも浮気にチャレンジしてみようかな?」

「は、はあっ!? 何言ってんのよあんたは!? だ、大体浮気って言ってもあんた私以外に自分のこと好きな奴なんて知らないでしょ!?」

 

 軽い冗談だというのに顔を真っ赤にして必死な表情で迫ってくる親指姫。

 何だかんだでさっきのヤキモチはわざとでも冗談でも無いはずなのだから、こう言えば動揺するのは分かっていた。そんな親指姫ににっこり笑いかけ、更に言葉を続ける。

 

「そうだね、いるかどうかも分からないよ。だからお兄さんって立場を利用して、白雪姫と眠り姫に無理やり迫っちゃおうかな?」

「だ、ダメよ! あの子たちは絶対ダメだからね! ていうかあの子たちじゃなくても絶対ダメだからね!?」

「どうしようかなー? 僕と違って軽い気持ちでキスするような女の子じゃない君なら、どうすれば良いか分かってるよね?」

「っ……!」

 

 やはりにっこりと笑いかけて優しく尋ねる。要するに浮気して欲しくないならここでキスしてみろ、と。

 当然の如く親指姫は顔を赤くして今にも怒り出しそうな表情をするが、そこは素直に生まれ変わり成長を遂げた親指姫だ。

 

「あーもうっ! 本っ当にあんたは顔に似合わずドSね!」

 

 怒り出しそうな表情のままジャックの胸倉を掴むと、大胆にもそのまま引き寄せてキスしてきた。もちろん周囲からはいくらかの笑いや拍手、口笛が上がる。そんなに客が多くないのは親指姫にとって幸運だったに違いない。とにもかくにもこれで仕返し終了だ。

 

「別にそういうのじゃないよ。さっきのは親指姫に意地悪された仕返しだからね。意地悪されたらちゃんとお返ししないと」

「あんたそんな奴だっけ? 何か私に似てきた気がするわね」

「あははっ。ずっと一緒にいるから影響受けちゃったのかもしれないね?」

 

 怪訝な瞳でじっと顔を覗きこんでくるので笑って答える。誰よりも近くで過ごして二人きりでいることも多いのだから、少しは影響を受けて当然だろう。たぶんグレーテルはこういう変化を観察したがっているに違いない。

 

「とにかく僕は本当に浮気なんてしないから安心してよ。君の言う通り僕にそんな甲斐性は無いし、僕の頭の中はいつも君のことでいっぱいだから」

「相変わらず恥ずかしげも無く言うわね、あんたは……けど私はあんたのそういうところも含めて大好きなのよね、全く……」

「うん。僕も大好きだよ、親指姫……」

 

 呆れながらも微笑んでくる親指姫にこちらも笑いかけ、二人でそのまま見詰め合う。

 心地良い胸の高鳴りに暖かな気持ち。それらに導かれるように自然とジャックたちは再び顔を寄せ合い――

 

「もう勘弁して欲しいっす! なんなんすか!? 片思いの自分をあざ笑うのはそんなに楽しいっすか!?」

 

 ――すぐ傍で上がった怒り心頭の声に、あと一歩という所で水を差されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あははっ……追い出されちゃったね?」

「まさかあの程度で本当に追い出されるなんてね……まあ、確かにちょっとやりすぎたかもしれないわ……」

 

 その後、結局ジャックと親指姫は販売所から追い出されてしまった。まあ正確に言えば反省して半ば自主的に退店した、という表現の方が正しい。

 くららの心の叫びが本当のものだとしたなら、ジャックたちは片思いに身を焦がす女の子の前でいかに自分たちの仲が良いかを見せ付けていたのだから。やられる側からすればかなり惨い仕打ちだったに違いない。

 

(くららなら相手が誰かは少し考えれば分かりそうだけど……詮索は良くないよね。うん)

 

 その辺はプライバシーの問題だ。親指姫もそこは理解しているらしく、くららに追い出されたことに不満を零しつつも発言についての詮索はしなかった。

 

「……仕方ないからその辺の露店でも見て回りましょ。何か掘り出し物があるかもしんないし、少し経てばほとぼりも冷めるでしょ」

「そうだね。じゃあ行こうか、親指姫?」

 

 頷き、ジャックは右手を差し伸べる。

 呆気に取られたような顔をする親指姫だが、それは一瞬のこと。仕方の無い奴だとでも言いた気な微笑みを浮かべ、しっかりと左手を重ねてくれた。もちろんその後は指を絡め、ぎゅっと手を繋ぎあう。

 

「こうやって自然に握り返せるようになるなんて、私もずいぶんちょ――せ、成長、したわね」

「言い直したけど今調教って言おうとしたよね。僕はそんなことしてないよ?」

「わ、分かってるわよ! それくらい成長したってことだっての!」

「あははっ。赤くなってる親指姫はいつ見ても可愛いなぁ」

 

 恥ずかしがる姿も、照れる姿も可愛らしくて堪らない。もちろん笑顔も可愛らしくて堪らない。というかジャックとしてはもうどんな表情でも可愛く思えるようになっていた。悲しみ、寂しさ、苦痛。それらを感じさせない表情なら何でもだ。

 何でもというのはもちろん、今親指姫が浮かべた自信満々に見下すような悪い笑顔も含めて。

 

「ふふん。なら残念だったわね、ジャック? 私も成長したし前ほど赤くなって動揺したりしなくなったでしょ?」

「そうだね。親指姫は見違えるくらい成長したよ。でも僕は別に残念だなんて思ってないよ? その分君の色んな笑顔が見られるようになってむしろ嬉しいくらいだからね」

「どう転んだって結局あんたの得になるのね。何か腹立つわ……」

「そんなこと言って睨んでもそんな顔も可愛いから逆効果だよ?」

 

 隣を歩きながら不満げに半目で睨みつけてくる親指姫。そんな顔をされても事実なのだからしょうがないしやはり逆効果でしかなかった。

 

「でも……これだけ親指姫が成長したら少し不安だな。僕は君と付き合い始めてから何一つ成長してないから、このままじゃ君に愛想尽かされちゃうかも……」

「いやあんたは成長の必要なんてないでしょ!? ずっと前から私に恥ずかしげも無く好き好き言ってキスしてた癖にこれ以上成長とか一体どこを目指す気よ!? 言っとくけどあんたが今以上に成長したら見境無く女の子に好き好き言うただのナンパ野郎に成り下がるからね!?」

「ええっ!? な、何で成長したら大幅に退化するの!?」

 

 冗談かと思いきや親指姫はわざわざ足を止め、赤い顔でジャックを見上げながら慌てたようにまくしたてる。その表情は最早必死さすら感じるほどで、前ほど赤くなって動揺しないと言っていたわりにはそれなりに動揺を示していた。

 ただしすぐに自らの慌てぶりに気付いたらしく、一つ咳払いをするとすぐに落ち着きを取り戻していた。まあ頬の朱色は簡単には抜けていなかったが。

 

「と、とにかくあんたには成長の必要なんてないわよ。それに何があったって愛想尽かしたりもしないから安心しなさい」

「えっ、本当に? どうして?」

「……あんた、あれだけ生意気で素直じゃなかった私に愛想つかしたりしなかったじゃない。文句一つ言わず我慢して、いつも気持ちを伝えてくれてたでしょ? だから私も、絶対愛想尽かしたりなんてしないわ」

「親指姫……」

 

 幸せそうな、それでいて愛しさに溢れた微笑み。素直になってからというもの、親指姫は時折こんな慈愛に満ちた微笑みを向けてくれることがある。

 その笑顔があまりにも魅力的なため、ジャックは目にする度に顔が熱くなるほど強い胸の高鳴りを覚えてしまうのだった。見た目の幼さに不釣合いなくらい大人っぽい微笑みだから。

 しかし幸運か不運か、その微笑みはすぐに悪戯っぽい可愛らしい笑みに変わるのだった。

 

「ま、浮気とかしたら話は別だけどね。そこだけは覚えときなさいよ?」

「そっか……うん。ありがとう、親指姫」

「それはこっちの台詞よ。今まで愛想尽かさないでくれてありがと、ジャック……」

 

 お互いに微笑みあい、再び手を繋ぎ指を絡めて歩き出す。ただ親指姫はそれだけでは我慢できなかったのか、肩が触れ合うほど近くに身体を寄せてきた。

 当然街中でこんな風に手を繋いで肩を寄せ合い、仲良く歩いている男女が注目の的にならないはずがない。親指姫もそれは分かっているはず。分かっていても今はジャックとくっつきたくて堪らないのだろう。

 それができるようになったこと、それをしたいと思うほどに想いを寄せてくれていること。どちらもジャックは自分のことのように嬉しくて、同じくこちらからも肩を寄せて歩いた。

 

「あ、ジャック! これ見て、これ!」

 

 そんな風にラブラブ状態で街を歩き、見かけた露店を冷やかしつつ冷やかされること数十分。そろそろほとぼりも冷めただろうと販売所に戻ろうとしていると、道中に見かけた露店で親指姫がそんな声を上げた。

 販売所と同じく色々おかしなものが並んでいるものの、親指姫が手に取ったのはただの髪飾り。赤色に近いピンク色をしたリボンだった。ちょっとデザインが特殊な感じで、まるで鳥の翼を模しているように見える。

 

「やっぱりピンク色なんだ。親指姫も可愛いものが大好きな女の子だもんね?」

「そうよ、ちゃんと覚えてたみたいね。偉いわよ、ジャック!」

「あははっ、ありがとう」

 

 販売所での失態を繰り返さないためにしっかり言葉を選ぶと、上機嫌でジャックの頭を撫でてくれた。身長差のせいでちょっと撫でにくそうだったので、少しだけ屈んだのは秘密だ。

 

「これデザインが気に入ったわ。つーわけでジャック、これ私にプレゼントしなさい!」

「うーん……プレゼントするのは全然構わないけど、親指姫にこれは似合わない気がするなぁ……」

「……ジャック、やっぱあんた学習して無いわね?」

「ご、ごめん……またやっちゃったね……」

 

 また同じ失敗をやらかしたせいで、器用にも上機嫌な笑みのまま怒りの雰囲気を漂わせてくる。口元も目も笑っているのに妙に怖い。まあ悪気は無いと分かっていたらしく、謝ったらすぐにちょっと不機嫌な程度に表情を緩めてくれた。

 

「全く……それで今回はどういう理由? さすがに可愛すぎるから似合わないってんじゃもう通じないわよ?」

「違うよ、ただリボンの色が親指姫の髪の色に合わないなぁって思って。どっちかっていうとそのリボン赤色に近いからね」

「言われても平気なように備えたら急にまともなこと言い出したわ、こいつ……」

 

 真面目に答えたのにどこか不服そうな表情を向けられてしまう。この反応からすると本当は言って欲しかったのかもしれない。

 それはともかく、本当にリボンの色はあまり親指姫向きとは言えなかった。髪と同じ赤色でもリボンの方が色が若干薄いためだ。いっそ薄いのを通り越して白なら似合っただろうが、これでは正直目立たなくてリボンがあるかどうかも気付けないかもしれない。

 

「でも色合いか。なるほどね、確かに私の髪には合わない感じだわ……」

「あ、でもリボン自体は似合ってるよ? 親指姫はリボンで髪を括ってるイメージがあるから、きっと色さえあえばどんなリボンでも可愛く身に着けちゃうだろうね」

「……油断させて打ち込んでくるとか本当にSね、あんたは。人畜無害な顔してる癖に」

(何で褒めただけなのにいつもSなんて言われるんだろう……)

 

 ただ褒めただけなのにむっとした感じで睨みつけてくる親指姫。しかしやはり褒められたこと自体は嬉しいようで、微かにだが頬にはしっかりと赤みが射していた。

 

「でも色が合わないんじゃダメだわ。あー、せっかく気に入った可愛いリボンだってのに……」

「そんなに気に入ったなら観賞用にするっていうのはどうかな? 部屋のどこかに飾ったり巻きつけたりしてさ」

 

 何だか妙に物欲しそうな顔をしているのでそんな提案をしてみる。色が関係ないならどうやら鳥の翼を模したデザインが気にいったのだろう。そういえば親指姫の部屋のカーテンも鳥の翼のようなデザインになっていた気もする。もしかすると鳥が好きなのかもしれない。

 

「まあそれも良いけどリボンなんだしどうせなら髪飾りに使いたいのよねぇ……ん?」

「……どうしたの、親指姫? 何か僕のことじっと見てるけど」

 

 しばらく残念そうにリボンを眺めていた親指姫は不意にこちらへ視線を向けてきた。そして何か思案するようにじっと見つめてきてそのまま動かない。

 

「……ジャック、あんた私のこと大好きよね?」

「え? う、うん。大好きだよ……?」

 

 その状態で不意に自分への気持ちを尋ねられる。

 もちろんジャックは素直に答えた。親指姫のことは自分を見失ってしまうくらい大好きだ。そして簡単には不埒な真似をしたくないほど大切に想っている。それくらいは親指姫も分かっているはずだ。

 もちろん分かっていても聞きたくなる、というのは知っている。ジャックだって親指姫に好かれているのは知っているが、何度だってその気持ちを聞かせて欲しいと思っている。だからそれは十分理解できる。しかしこんな脈絡も無く唐突な場面で尋ねてくる理由は理解できなかった。

 

「そーよね! じゃあ私のためなら何でもできるわよね?」

(あ、何か凄く嫌な予感がする……)

 

 だが悪戯を思いついたようなあくどい笑顔で尋ねられ、自然と理由を察してしまった。背筋に寒気が走り、冷や汗が流れてしまうくらいの悪寒と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 露店でジャックにリボンを買ってもらい、プレゼントしてもらった親指姫。

 とりあえずその場で髪を結んでみた結果、とても期待通りの可愛らしい様子となった。髪を結んだ箇所にまるで小さな翼を広げた小鳥が止まっているような、そんな可愛らしい様子だ。何故か小鳥が好きというか気になる親指姫としてはやはり満足行くデザインだった。本当にとっても可愛らしい。

 

「……ぷっ! く、くくっ……はははははっ! あははははははっ!」

 

 なのでその可愛らしさに耐え切れずお腹を抱えて笑ってしまう。

 可愛らしさに抱腹絶倒というのは不思議な表現だがこの場では何もおかしくない。なにせその可愛らしいリボンで髪を結び、可愛らしい姿を見せているのは親指姫ではないのだから。

 

「……楽しそうだね、親指姫。君がそんなに笑ってると僕もとっても嬉しいよ」

 

 珍しく皮肉混じりの口調で引きつった笑いを向けてくるジャック。そんなジャックの後頭部では、二羽の小鳥が赤い翼を広げてこれでもかと言うほどに存在を主張していた。

 そう、このリボンで髪を結んでいるのはジャックの方だ。親指姫のことが大好きで、親指姫のためなら何でもできると豪語したのだからその通りにさせてもらった。髪は短いがどちらかといえば女顔だし銀髪なので似合うかもしれないというふとした思いつきなのだが、まさかここまでしっくり来るとは思ってもいなかった。

 

「あ、あんた無茶苦茶似合うわ、それ! すっごい可愛いわよ、ジャック……くふっ……!」

 

 直視すると笑い転げてしまいそうなので必死に目を逸らす。しかしそれでも気になってつい視線を向けて噴出してしまう。

 

「本当? 親指姫に可愛いって言ってもらえるなら嬉しいな……なんて言うわけないよ! もの凄く恥ずかしいよ、これ! 街の人皆見てるし!」

 

 珍しく顔を真っ赤にして詰め寄ってくるジャック。無論恋人の親指姫でさえ衆目もはばからずに笑っているのだから道行く人々の反応など言わずもがなだ。まあ予想外に似合っているせいで好印象という感じなのだが、ジャックとしては逆にそれが嫌らしい。

 

「大丈夫よ、ジャック! そのリボンあんたにぴったりで可愛いわ! 何もおかしくないわよ!」

「おかしくないならせめて僕の方をしっかり見て言おうよ!? 目を逸らしてないでさ!」

 

 せっかく右の親指を立ててばっちりだと認定したやったのにお気に召さないらしい。ジャックはもう顔から火が出そうなくらい顔を赤くしていた。その屈辱に歪んだ表情を見たいが見ると噴出しそうなのでやはり直視はできなかった。

 

「はぁ……やっぱりこれはいくら僕でも恥ずかしくて耐えられないよ。もう外して良いよね、親指姫?」

「えー? どうせならそのままでいなさいよ。言っとくけど似合ってて可愛いのは本当よ?」

 

 ジャックの髪は全部巻き込んで結ぶには長さが足りなかったので、指一本くらいの太さの束をリボンで結ぶ形にしてみた。するとリボンからちょろっと短い髪束が生えている感じになり、色は違うがデザインも相まって小鳥の尻尾のようになり妙な可愛らしさを演出していた。

 要するに今現在ジャックの頭は小さな赤い翼を広げた銀色の尾羽を持つ小鳥が二羽、後頭部に降りて羽を休めているという状況だ。これは可愛い。

 

「それが余計に嫌なんだってば。むしろ似合わないなら僕も冗談で笑えるのに……」

「ふーん……外すんだ? 私のためなら何でもできるって言った癖に?」

「う……」

 

 外そうとリボンに手を伸ばした所で先ほどの言葉を投げかけると、ジャックは小さく呻いて手を止めた。勝手に外したりしないようにわざわざ予め尋ねておいたのだから、引き合いに出さないわけが無い。

 

「まさかアレが嘘なんてことはないわよね? あんたは私のこと大好きだし、とっても優しい奴なんだから約束くらい守る奴よねぇ?」

「うぅ……僕の恋人って、こんなに意地悪だったんだね……」

「あー、そんな情けない顔すんじゃないわよ……そうね。だったら一緒に部屋に戻るまであんたがずっとそのままでいるってんなら、後で何かご褒美やっても良いわよ?」

「……え? ご褒美って?」

 

 泣きそうなくらい情け無い顔をしていたのでご褒美をあげると言ってみると、途端に興味を惹かれたような生き生きとした瞳を向けてきた。意外と現金な奴だ。

 

「ふふん、言ったら面白くないじゃない。それはその時のお楽しみよ!」

「ご褒美……うーん……」

 

 腕を組んで意味ありげに笑いかけ、ご褒美が何かは言わずにおく。

 ジャックはしばし真面目な顔で思案していたが、頭の後ろで可愛いリボンが二つも揺れているのでこれっぽっちも絵にならない姿だった

 

「……それなら、このままでいようかな?」

 

 どうやらご褒美のためにリボンを外さないことにしたようで、ジャックは居心地悪そうにしながらも再び親指姫の手を握ってきた。つまりこの状態のまま街を歩くことを了承した、ということだ。

 

(へっ、ちょろいわね。私が本気になればジャックなんてこんなもんよ!)

 

 今までは散々ジャックに辱められた挙句に復讐も敵わない日々を過ごしていたが、今では親指姫が本気を出せば復讐くらい片手間に達成できる。手の平の上で弄ぶのだって容易いことだ。親指姫は一回りも二周りも成長したのだから。

 

(ま、私が本気になって普段のこいつにようやく引き分けになるだけだけど……ていうかこいつが本気になったら敵わないわね、絶対……)

 

 恐ろしいことに今まで親指姫を辱めてきたジャックの言動や行動は何ら悪意の無い自然なものなのだ。そんなジャックに対して親指姫が本気を出してやっと拮抗状態が生まれた、というところ。意地悪したり意地悪されたり、辱めたり辱められたり。

 もしもジャックが自らの意思で親指姫を辱め、その手の上で弄ぼうと本気を出したなら最早太刀打ちはできないだろう。そうなったらきっと親指姫は完膚なきまでに辱められ、身体も心も余す所無く弄ばれ完全な敗北を喫するに違いない。

 

「あれ、どうしたの親指姫? 急に顔真っ赤にして……」

「な、何でもないわよ!? それよりジャック、そろそろほとぼりも冷めただろうしもう一度くららのとこに行くわよ! 今のあんたを見たらどんな反応するか楽しみね!」

「販売所に買い物に戻るんだよね? くららに今の僕の惨状を見せに行くのが目的じゃないんだよね……?」

 

 顔に出た感情を指摘されるという自然な反撃を受け、誤魔化すために親指姫はジャックの手を握り返し販売所へと向かって走った。

 そんな敗北も悪くはないと胸を高鳴らせてしまった自分への恥じらいと自己嫌悪を誤魔化すために、全力で。

 

「また来たんすか、お二人さん。いい加減冷やかしは勘弁――ぶはっ!?」

 

 そして販売所へと戻った親指姫たちを睨んできたくららは、次の瞬間お約束のように吹きだした。正しく期待通りの反応だ。

 さっきまで目の前でラブラブイチャついていたカップルに対する怒りも、死ぬほど疲れた表情で可愛いリボンを二つも頭に飾っているジャックの姿を見て吹き飛んだらしい。うずくまって必死に笑いを抑えようとしていた。

 

「あははっ、やっぱりそういう反応されるよね……」

「な、何やってるんすか、ジャックさん……くふっ……! あ、だ、ダメっす……! お腹捩れ……ぷふっ……!」

「どうよこれ? 面白いもん見せてやったんだから冷やかしだろうと何だろうとここで買い物させてもらうわよ?」

「わ、分かったんで離れて欲しいっす……! こ、このままだと、呼吸困難で死にそうっすよ……!」

「よし、言質取ったわ! これで心置きなく買い物ができるってもんよ!」

 

 模様替えのためのお買い物が再開できる嬉しさそのままに、ジャックへと笑いかける親指姫。まだちょっと笑えるがあまりにも似合っているせいで徐々に慣れてきていた。こうなるとリボンだけではなくもっとおかしなものを付けさせてみるのも面白いかもしれない。

 

「僕は心置きがだいぶあるんだけどね。頭の後ろに二つくらい、君とお揃いのが……」

「そりゃお揃いの髪型にしてやったんだから当然よ。おかげで少しは人の目もマシだったでしょ?」

「まあね。お揃いだし親指姫がお腹抱えて笑ってたから、罰ゲームか何かだと思ってた人も大勢いたみたいだよ。でも恥ずかしかったなぁ……」

(何か変に可愛くてむかつくわ、こいつ……)

 

 ここまでの道すがら向けられた視線を思い出しているのか、気まずそうに頬を染めるジャック。二つのリボンのおかげで可愛い女の子が恥ずかしがっているように見えてちょっとイラッっときた。やはりこいつ無駄に似合っている。

 

「……あ。そうだ親指姫、同じ部屋で暮らすなら必要な日用品も二人分必要になるよね。歯ブラシとか、コップとか、スリッパとか?」

「そうね。別に今使ってるのそのまま使っても良いけど、新生活始めるなら買い換えるのも良いかもしれないわね」

「だよね? だからどうせ買い換えるなら僕と君でお揃いにするのも良いんじゃないかな? お揃いのコップとか、お揃いの歯ブラシとか」

「っ! それ名案よ、ジャック! すっごいラブラブなカップルって感じがするわ! 本当あんたは良いこと閃くわね、偉いわ!」

 

 非常に冴えたアイデアに感銘を受け、思わず笑顔ではしゃいでしまう親指姫。同じ部屋での同棲を提案したことといい、二人で部屋の模様替えを行うのはどうかと提案したことといい、何だか今日のジャックは妙に頭が冴えているらしい。なのでご褒美にまた頭を撫でてやった。

 

「ただの偶然だよ。今回閃いたのは先に君がお揃いにしてくれたからだし。だから本当に偉いのは親指姫の方だね?」

「ふふっ。一体何やってんのかしらね、私たち?」

「あははっ、本当だね」

 

 するとジャックも笑いながら親指姫の頭を撫でてきたので、二人で頭を撫であうというおかしな様子になってしまう。

 しかしジャックに頭を撫でられるのは心地良くて幸せな気持ちになれるし、こちらが頭を撫でるのもまた違った心地良さがある。そしてそれはジャックの方も同じらしい。なのでお互い少々顔を赤くしながらもすぐには撫でるのをやめられなかった。

 

「もう百歩譲ってイチャつくのは良いっすから、もうちょっと控えめにやって欲しいっす……」

「あ! ご、ごめん、くらら。つい……」

(……ちっ! せっかく良いとこだったってのに……)

 

 しかしくららに非難を浴びせられたせいで、ジャックが撫でるのを止めてしまう。思わず心の中で舌打ちしてしまう親指姫だった。

 

「何か気をつけててもさっきみたいになっちゃうんだよね。どうしてなんだろう?」

「ふふん。それだけあんたが私に夢中ってことでしょ? 全く、仕方ない奴ねぇ……」

「うん、もちろん君に夢中だよ。だけどそう言う親指姫も僕のことが大好きで僕に夢中だったりするのかな?」

 

 何の躊躇いも恥ずかしげも無くさらりと答え、逆に笑顔で尋ねてくるジャック。答えが分かっているのにわざわざ尋ねてくるあたり、優しいジャックもなかなか意地が悪くなってきたようだ。というよりもやはり親指姫に似てきたに違いない。

 

「そうよ! あんたのことが大好きだし夢中になってるわよ! わざわざ言わせんじゃないっての、恥ずかしい……」

 

 以前までは言ってやれなかったし、ちょっと意地が悪くなってきたのは自分のせい。それに今はしっかり口に出して伝えられるようになった。

 なので親指姫はちゃんとその事実を口に出して伝えてやった。やはりまだ恥ずかしいが以前までに比べれば足元にも及ばない程度の羞恥なのだから。

 

「恥ずかしいってのはこっちの台詞っす……」

「あ、ごめん。またやっちゃったね……うん。じゃあ親指姫、そろそろ買い物に戻ろうか?」

「そうね。じゃあ早速お揃いの日用品探しよ! まずは食器から――って、私たち部屋の模様替えに使うもん探しにきてたのよね? 何で食器探そうとしてんの……?」

 

 いざ買い物に戻ろうとした所でふと気が付く。

 そもそもここへ来たのは部屋の模様替えに必要なものを揃えるためだったはずだ。壁紙とかカーペットとかそういう類のものを。

 なのに気が付いてみれば店を追い出された挙句に街を歩き、ジャックにリボンを付けさせて店に戻ってきたかと思えばお揃いの食器を探そうとしている。あまりの脱線ぶりに親指姫は自ら呆れてしまう。

 しかしそんな事実にジャックは呆れるどころかにっこり嬉しそうに笑っていた。

 

「別に先に模様替えする必要なんて無いんじゃないかな。こうやって二人で相談しながら、その時その時の欲しい物を買って少しずつ同棲に備えていこうよ? 時間はかかってもその方がきっと楽しいからさ」

「あんた本当に良いこと言うわね……よし、じゃあ今日はお揃いの食器を探すわよ! 明日は明日、明後日は明後日で物色しながら決めましょ!」

「うん。もちろんデートも兼ねて、だね?」

 

 お互いに笑みを交わし、親指姫はジャックと共にお揃いの食器を探して店内を物色するのだった。明日も明後日も同じように、二人でどこまでも仲良く買い物とデートをすることを約束して。

 

「ちょっと待って欲しいっす! ジャックさんたち明日から毎日ここでイチャつきながら買い物する気なんすか!? 自分これから毎日今のを見せつけられるんすか!?」

 

 そんな親指姫とジャックの幸福に満ちた素敵な日々に対し、失礼なことにくららは絶望の叫びを上げていた。

 

 

 





 
 女装した男の子に興奮するとかそういう趣味はさすがの私にもありませんが、きっとジャックは女装が似合うと思います。
 何か今回は書くことが思い浮かばないので感想の催促でも。どんな感想でももらえたら嬉しいです。





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愛の巣


 前回、買い物デートによりうら若き恋する乙女(くらら)に精神的ダメージを与えた二人。今回は前回に比べれば控えめなんじゃないかな……。
 とりあえず「何やってんだこいつら」とか「爆発しろ」とか感じて頂ければ嬉しいです。





「後はこれを扉にかけて……やったわ! ひとまずこれで完成よ、ジャック!」

 

 字の記された小さな木板を部屋の扉に吊るし、達成感に溢れる眩い笑みを向けてくる親指姫。木板にはこう記されている。『ジャック&親指姫の部屋』と。要するに表札のようなものだ。

 同棲のために色々必要なものを揃え始めて約一週間。部屋の模様替えが一区切りついたのでひとまず完成ということになった。この表札を飾るのが完成させるための最後の行為である。

 ちなみに傍から見るとくだらないことかもしれないが『ジャック&親指姫の部屋』か『親指姫&ジャックの部屋』のどちらにするかを決めるのに十分くらいかかった。一応ここは元ジャックの部屋だし自分の名前が先に来る方が語呂が良いように思えたので、結果的にはこうなった。

 

(やっぱり親指姫の名前を先に持ってきた方が良かったかもしれないなぁ、これ……)

 

 ただし不満を露にした不満を露にした親指姫によって木板はピンクに塗装され、字体は丸みを帯びたとても可愛らしいものに書き換えられてしまった。このファンシーな惨状を見ると名前の順序を気にしたのはとても愚かなことだったと容易に判断できる。

 

「そうだね。まだ完全じゃないけどこれで僕らの愛の巣が完成だね?」

「忘れた頃に言うなっつーの! あんた今のは絶対わざとね!?」

「あはははっ、もちろんわざとさ――いたっ! 痛いよ、親指姫! はははっ!」

 

 せめてもの抵抗として二週間越しの恥ずかしい言葉を繰り出す。

 これにはさすがに成長した親指姫も顔を真っ赤にして怒り出し、ジャックの身体をどついてきた。最近はここまで過剰な照れ隠しを行ってくれなくなったのでとても懐かしく、どつかれながらも笑ってしまうジャックであった。

 

「と、とにかく! 部屋の模様替えは大体完了ね。後は皆にお披露目してやりたいとこだけど……」

「さすがにそんな時間じゃないよね。お披露目するなら明日にしようよ」

 

 まだ深夜というわけではないが早寝の人はすでに床についているような時間だ。さすがに模様替え完了の喜びに任せてこんな時間に無理やりお披露目するのも性質が悪い。

 

「そうね。でも皆を叩き起こして無理やり見せるのもそれはそれで面白そうよね?」

「それはやめようね、親指姫。君がそういうことすると僕が怒られるんだ。飼い主の癖に管理不行き届きとかで……」

「はあっ!? 飼い主って何よ!? てかそんなこと言ってんの誰!?」

「それは、ほら……何か親指姫があまりにも人が変わっちゃったから、僕がそういうことしたんだっていう認識が広がっちゃったせいっていうか……」

 

 初めて聞いた事実らしく驚愕に目を見開き詰問するように寄ってくる親指姫。

 ジャックを飼い主呼ばわりしているのはフードや帽子が大好きな皆のお姉さん的存在の某血式少女や、何でもしてくれる下僕を欲しがっている面倒くさがりの某血式少女だ。むしろこの二人が噂を広めた疑いすらある。

 

「……あんた、まさか私のこと可愛いって言ってんのはペットとしてとかじゃないでしょうね?」

(あははっ、機嫌悪そうな顔も可愛いなぁ。ていうか僕、いつもそんなことばっかり考えてるな……)

 

 瞳を鋭く細めご機嫌斜めに見上げてくる恋人の姿に、お約束のように癒されてしまうジャックの心。単純というか何というか、やはりバカップル呼ばわりされてしまうのも仕方ないのかもしれない。

 

「そんなことないよ。あ、でも時々妹みたいって思うことはあるかな。白雪姫たちが僕のことを時々兄様って呼ぶのと、親指姫が三姉妹の中で一番ちっちゃいからなのかたまに仲良しの兄妹に間違われるんだよね」

「……ジャック、あんた私と同じくらいの身長に縮みなさい」

「む、無茶言わないでよ、親指姫……」

 

 本当は恋人なのに妹呼ばわりされたことがよほど悔しかったのだろうか。真顔で強引かつ突飛な解決策を提案してきた。

 愛しい恋人の願いはできる限り叶えてあげたいしそのための努力も惜しまないが、さすがに骨格レベルの頑張りが必要では挑む気も起きなかった。

 

「やる前から諦めんじゃないわよ! 私はあんたの妹でも姉でも無くて恋人だっつーの!」

「だ、誰もお姉さんとは言って無いけど……うわっ!? ちょ、ちょっと親指姫、首痛いよ……」

 

 背中に飛び乗りジャックの頭を押しつぶそうと両手で圧力をかけてくる親指姫。当然それで縮みはしないので痛いだけだ。

 というか今の親指姫は傍から見ればジャックの背に負ぶさりワガママを言っているただの子供だ。こんなことをしているから身長差も相まって妹呼ばわりされるのではないだろうか。

 

(……でもそんなところも可愛いよね!)

 

 まあそんな様子も可愛いのであえて指摘はせず、やりたいようにさせるジャックだった。首はちょっと痛いものの、親指姫があまりにも小柄なおかげで重さは全く感じないため耐えるのは苦ではなかった。

 

「折れればその分縮まるわね! ジャック、ちょっと痛いけど我慢しなさい!」

「首折れたら死んじゃうよ……とにかくこんな時間に廊下で騒いでたら迷惑だから、もう中に入ろう?」

 

 何とかジャックを縮めようと頑張る妹のような恋人を背負ったまま、扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れる。そして目に飛び込んでくるのは模様替えが済んだ元自分の部屋、現ジャックと親指姫の部屋の内装の数々。

 薄い空色を基調に葉っぱや蔦などの植物を散りばめた感じの壁紙、テーブル近くに置いたニワトリ型のクッション、壊れていて音は鳴らないが小さなハープで時刻を教えてくれる壁掛け時計。この辺はジャックの趣味と言うか、妙に心惹かれたものを揃えた結果だ。

 そして親指姫の方は可愛い花々の模様で嫌がらせのようにファンシーな薄ピンクのカーペットを敷き、自分の部屋から持ってきたテーブルやクッション、カーテンなどを追加。他にも小物を幾つか持ってきている。

 

(居心地が良くて住みやすい部屋に仕上がって良かった。壁紙も親指姫が選んでたらこうはならなかっただろうなぁ……)

 

 都合上まだ手付かずの部分もあるが、少なくともどちらか片方の趣味嗜好に片寄ってはいない同棲にぴったりの部屋と化していた。正直最初は壁紙もカーペットもクッションも無い殺風景な部屋だったとは信じられないくらいだ。

 

「……うん、何度見ても良い感じの部屋ね!」

 

 改めて部屋の様子を目にして同じ気持ちを抱いたらしく、耳の傍で満足気な声が上がる。どうもまだ背中から降りる気はないらしい。

 

「でもまだまだ模様替えの余地はありそうだよね。良いものが見つからなくて結局手付かずの部分もあるし」

「その辺は仕方ないわ。定期的に販売所と露店行って色々探しましょ。もちろんデートも兼ねてだからね?」

「うん。くららには悪いけど仕方ないよね……」

 

 囁くように耳に届けられる、少なくとも自分たちにとっては幸せな提案。

 買い物の時は一応気を付けてはいるものの、親指姫が可愛すぎてついついとても親密な触れ合いを行ってしまうのだ。そのせいでこの一週間はくららにとっては地獄だったに違いない。そしてたぶんこれからも地獄が続く。原因の片割れが言えた台詞ではないが不憫極まる。

 

「今一番欲しいのはベッド周りのものなのよね。毎晩ここで一緒に寝るんだしやっぱ一番拘りたいとこだわ」

「あ……や、やっぱり今夜から一緒に寝るんだね……」

「き、決まってんでしょ。一緒の部屋で暮らすって事は、一緒に寝起きするってことなんだから……」

 

 寝床を共にするという事実を改めて考えてしまい、照れ臭さにジャックの顔は熱を帯びていく。背に負ぶさっているので親指姫の表情は確認できないものの、声の調子から判断して同様に照れ臭さを感じているらしい。

 最初から分かっていたが、部屋で一緒に暮らすということは当然寝る場所も同じ部屋の中だ。しかもお互い抱き合って一緒に寝たいと思っているジャックたち。当然ベッドも同じなのは暗黙の了解のようなものだった。

 

「でも僕のベッド一人用だし、一緒に寝るなら君の部屋のベッドを持ってきてくっつけたりした方が良かったんじゃないかな?」

「ベッドくっつけて寝るんじゃなくて、あんたとくっついて寝たいの! あ、あんただって、そうなんでしょ……?」

「う、うん……できれば、前みたいにぎゅっと抱きあって……」

 

 あまりにも心に素直な親指姫の言葉に加え、あの時の出来事を思い出してしまい更に顔が熱くなる。

 親指姫が初めて素直になり、心だけでなく身体すらも曝け出そうとしてくれた夜。心の準備は明らかに急ごしらえのものだったので気遣って断った結果、そのせいだけではないが結局添い寝も実現しなかった。

 しかし今夜からは思う存分添い寝ができる。ぎゅっと抱き合って毎晩朝まで一緒に眠りに付くことができる。それを考えるともう胸の中が幸せで溢れそうになってきてしまう。

 

「前はあんたがケダモノになりかけてたからできなかったしね……今夜からはその分まで思う存分添い寝しあうわよ? あんたを朝まで私の抱き枕にしてやるんだから!」

「うん! その代わり、親指姫は朝まで僕の抱き枕だね?」

 

 お互いがお互いの抱き枕になることを宣言し、そのおかしさに笑いあう。首を傾けて背中の親指姫の表情を覗き見ると、しっかり頬を染めていたもののとても嬉しそうに笑っていた。

 

「ならさっさとシャワー浴びて一緒に寝ましょ。ジャック、先に私が使わせてもらうわよ。あ、もの凄く時間かかるけど良い?」

「うん、大丈夫。じゃあ僕は今の内にもうちょっと小物の位置とか考えてようかな?」

「そうしときなさい……覗いたらどうなるか分かってるわよね? 一応言っとく?」

 

 ここでやっとジャックの背から降りて、表面上だけは先ほどと同じにっこり笑顔を向けてくる。しかし漂う雰囲気が明らかに異なっているため説明を聞く必要は無かった。

 

「い、言わなくても大体分かるから大丈夫……絶対覗いたりしないから、安心してシャワーを浴びて来ると良いよ」

「……あっそ。なら良いわ。着替え出すからそれまで向こう向いてなさい」

(あれ、何か逆に機嫌悪くなったような……)

 

 誠実な答えを返したというのに親指姫の態度はほんの少しだけ刺々しくなる。

 もしかすると覗く価値も無いと言われたように思えて傷ついたのかもしれない。女の子が複雑な生き物だということくらいは、親指姫と過ごした今までの日々でさすがのジャックも理解していた。複雑さそのものを理解しているかどうかは別の話だが。

 

(だけど『そんなことない! 本当は覗きたいんだ!』とか言ったら怒られるだけだよね……うん、もう間違えないぞ。僕だって学習してるんだからね、親指姫!)

 

 さすがに理不尽さにも慣れてきたので、ここで親指姫のフォローをすれば怒られてしまうのは簡単に予想が付く。フォローに失敗しても成功しても怒られるならきっとしない方が大多数だ。

 

「絶対覗かないけど、本当は覗きたいなって思ってるんだよね……」

 

 しかし親指姫が傷ついたなら全力で慰めてあげたいと思っているジャックは、分かっていながらも自分の意思で口にした。実際には紛れもなく本音でもあるから。

 直後にニワトリクッションが二、三匹顔面に飛んできたのはさすがに予測の範囲外だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふー……もう空いたわよ、ジャック。時間かかって悪かったわね」

 

 もの凄く時間がかかるという申告通り、約一時間後。恋愛指南の本を読んで時間を潰していると、洗面所への扉が開く音と共に声をかけられた。時間がかかったことを気にしているようだが親指姫は女の子なので仕方のないことだろう。まさか一時間も待たされるとは思っていなかったが。

 

「気にしないで。じゃあ僕もシャワーを――わあっ……!」

 

 なので本から顔を上げて親指姫に笑いかけたものの、予想外の光景を目にしてジャックは息を呑んだ。少しばかりの驚きと、予想外の可愛らしさに。

 

「な、何よ? 言いたいことあるならはっきり言えば?」

 

 ジャックの固まった無言の視線に晒され、頬を膨らませて睨んでくる親指姫。

 その装いは何とノースリーブのワンピース。この後はもう寝るだけなのだから正確に言えばネグリジェと言うやつだろう。清潔感溢れる純白の布地にゆったりとしたスカート、そして裾や胸元を水色のフリルによって彩られたとても可愛らしいネグリジェだ。白も水色も親指姫の深緑の瞳や赤い髪を際立たせていて実に良く似合っている。

 しかも普段は黒いリボンでツインテールに結んでいるその赤い髪も、今は下ろされていてだいぶ雰囲気が違って見える。可愛らしくもとても大人っぽい姿に、ジャックはしばらく見蕩れてしまった。

 

「……か、可愛い! 可愛いよ、親指姫! 凄く可愛い! それに髪を下ろしてるせいかな、何だか凄く大人っぽくて素敵だよ! 正直ドキドキが収まらないくらいだよ!」

 

 そして抱いた感想を感情のままに口にする。あまりにも今の親指姫が可愛すぎるせいで軽い興奮さえ覚えていた。

 

「あ、あんた無駄にはしゃぎすぎだっての。別にこの程度なら毎晩見られるんだからそんなに騒ぐんじゃないわよ、全く……」

(え? こ、こんな可愛い親指姫の姿が、毎晩見られるってこと……!?)

 

 あまりの衝撃にまたしても固まってしまうジャック。

 こんな可愛くて可愛くて撫で回したいくらい可愛らしい親指姫の姿が毎晩見られる。それはもう、何と言うか素晴らしいとしか言いようがない。しかも見られるだけではなくぎゅっと抱きしめて眠りにつくことができるのだ。今の親指姫なら頭を撫でて可愛がることだって許してくれる。とりあえずジャックの中でこれだけは確定した。同棲最高。同棲万歳。

 

「そっか……毎晩見られるんだ、毎晩……ふふふ……」

「ちょ、ちょっとジャック、大丈夫……? あんた今、無茶苦茶ヤバイ顔してるわよ……?」

「……はっ!? だ、大丈夫だよ、親指姫! 怖いことなんてしないからそんなに引かないで!」

 

 正気に戻るといつのまにか親指姫は後退りしていて、部屋の隅で怯えた顔をしてこちらを見ていた。こんな反応をされるとはさっきまでのジャックは一体どんな顔をしていたのか。しかしどんな顔をしていたとしてもそれは間違いなく親指姫の可愛さのせいだ。

 

「ま、全く……興奮しすぎだっての。こんなのただの寝るための服なのよ?」

「ご、ごめん。でも、本当に可愛くて……これが毎晩見られるなんて、僕は本当に幸せだなぁ……」

 

 まだちょっと警戒している様子だが信じて近寄ってきてくれる。改めてその姿を見るが本当に可愛らしい。

 

(ていうか……今気付いたけど露出度も高いよね、これ……)

 

 ノースリーブなので肩紐タイプ、おまけに太股半ばまでのミニスカート。寝るための服装なのでだいぶゆったりしているため、ちょっとめくれたりすれば色々見えてしまいそうな感じだ。その危険性のおかげか今度はトリップせずに正気を保つことが出来た。

 

「本当に幸せそうな顔するわねー……あんたのそういう顔見てると私も信じられないくらい幸せになってくるのよね。あーあ、やっぱあんたに調教されたのかしら?」

「だ、だからそんなことしてないよ! 本当に親指姫いつまでもそれ引っ張るよね!?」

「あんたが珍しく取り乱す話題だからよ。ていうか取り乱すってことはやっぱ自覚があんじゃないの?」

「だ、だから違うってば、もうっ……でも、そうだね。あんまりそういうこと言うなら本当に調教とかしちゃおうかな?」

 

 親指姫がしつこく意地悪なので仕返しとしてそんな鬼畜なことを言ってみる。

 もちろん本気ではなく冗談だ。恋人の性格を矯正して無理やり自分の好みに仕立てるなど正直魅力を感じない。何故ならジャックが好きなのはそのままの親指姫なのだから。調教してやるという言葉に対して『逆にこっちが調教してやるわ!』くらいのことを言う親指姫が――

 

「――あ、あんたになら……調教されたって、良いわよ?」

「……えっ?」

 

 しかし聞き間違いでなければ返ってきたのは真逆の言葉。少し顔は赤いものの、表情にはジャックの言葉に対する抵抗や反抗の意思は感じられない。まるでそれを受け入れるかのようにどこまでも大人しい表情であった。

 

「ちょ、調教って、私をあんた好みの性格にするってことよね? 色々恥ずかしいことされるんだろうけど……もっとあんたに好きになってもらえるなら、私……」

「お、親指姫……!?」

 

 耳を疑っていたところへ更に追撃の言葉をかけてくる親指姫。おまけに自らジャックの胸の中に身を寄せてきて、どことなく不安げな表情で見上げてくる。とても可愛らしいが、邪なことを考えてしまうくらい無防備に。

 

(こ、これ……下見たら、見えるんじゃないかな……!?)

 

 ゆったりとしたネグリジェは鎖骨の辺りも露になっているタイプなので、たぶんちょっと下に視線を注ぐと親指姫の胸元が上から見えてしまう。それに普段の衣服ならまだしもこれは寝るための楽な衣服。ブラをしているかどうかで言えばしていない確率が高い。

 そんな服装で調教されても構わないと口にしながら身を寄せてくる。これはもう手を出したって許されるのではないだろうか。約束とかそういうのを破ったってきっと罰は当たらない。どうせ親指姫はジャックになら何をされたって構わないと言っていたのだ。それならもう欲望に身を任せても――

 

「――あっ! そういえば僕まだシャワー浴びてなかったよ! じゃ、じゃあ僕シャワー浴びてくるね!?」

 

 しかしすんでのところでジャックは正気を取り戻し、親指姫の身体を遠ざけた。呆気に取られたような顔をされるものの、返事は聞かずに速攻でタンスから着替えを出して洗面所に飛び込む。

 そして扉に背中を預け、興奮と緊張に暴れ回る心臓の鼓動を収めようと手を当て一息ついた。

 

(あ、危ないところだった……そうだよ。冷静に考えれば親指姫があんなこと言うはずないじゃないか……)

 

 ジャックと親指姫はあの夜約束を結んだのだ。本当に心の準備を終えるまでは決して手を出さないということを。心の準備を終えたなら正直にそれを伝えてもらうことを。そして親指姫はまだ心の準備を終えたとは言っていない。

 

(つまりあれは僕をからかうためのものじゃないか。何か最近の親指姫、僕をからかうのが日課になってきてるみたいだ……)

 

 今までジャックに散々辱められたから、という理由で色々ふざけてからかってくる親指姫だ。たぶんさっきのもそういうことなのだろう。素直になる前でさえ、下着姿でベッドに忍び込むという大胆な真似をしてきたのだから。

 

(あんな可愛い姿の親指姫を毎晩見られるのは凄く嬉しいけど、うっかり手を出さないように我慢しないといけないのは地獄だなぁ……ていうか、親指姫はその辺どう思ってるんだろう……)

 

 もしも毎晩あんな魅力的な姿で先ほどのようにからかわれたら、間違いなく遠くない内にジャックは堕ちてしまう。親指姫のことが大切だからこそ、その場の雰囲気で流されて初めてを奪うことはしたくないのに。

 その想いもちゃんと伝えたはずなのに、あんな風にからかってくるとは一体何を考えているのだろうか。

 

『――ふふふっ、あはははははっ! ははははははっ!』

(あ、何となく分かった……)

 

 幸いと言って良いのか頭を悩ませる必要はすぐに無くなってくれた。背後の扉の向こうから聞こえてくる、心底面白おかしそうな笑い声のおかげで。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふふふっ、あはははははっ! ははははははっ!」

 

 ジャックがシャワーにかこつけて洗面所に逃げ込んだ後、親指姫は我慢できずにベッドの上で笑い転げてしまった。しかしそれも仕方ない。ジャックの反応と表情があまりにもおかしかったのだから。

 

(な、何よ、あの慌てぶり! あんなに赤くなったジャック初めて見たわ! どんだけ純情なのよあいつ!)

 

 いつもにっこり笑って恥ずかしげもなく好意を言葉と行動で伝えてくる癖に、さっきの反応はまるで別人のようだった。

 恥ずかしそうに顔は真っ赤でしどろもどろ、どうすれば良いか分からないとでもいうような混乱した姿。挙句の果てには逃げ去るという腰抜け振り。これを笑うなというのは残酷に過ぎる。

 

「あはははははっ! はぁっ、はぁっ……! ふー、笑った笑った。笑いすぎてお腹痛いわ……」

 

 たっぷり笑って捩れたお腹を摩りつつ、身体を起してベッドに座り直す。

 ジャックの反応は非常に笑えたものの、どちらかと言えば期待通りとは言えない反応だった。何故なら親指姫が本当に期待していた反応は――欲望に負けて手を出すこと、だったのだから。

 

(さすがは私が惚れた男なだけはあるわね。誠実って言うか律儀っていうか、本当に私が準備できるまで手を出さない気みたいだし……やっぱ言ってやんないとダメか)

 

 実は心の準備自体はだいぶ前から出来ていた。勢いやその場の雰囲気とかではなく、今度は純粋に自分の意思でのみだ。

 別に恥ずかしくて言えなかったというわけではない。恥ずかしいは恥ずかしいが生まれ変わった親指姫的には絶対無理というほどではない。ただちょっとタイミングが掴めなかったというか、一体どんな場面のどんな状況で伝えるべきかが分からなかっただけだ。

 なので親指姫は以前からずっとその場面と状況を作り出すために頑張っていた。ジャックもまさか夢にも思わないだろう。実はこの同棲こそがその場面と状況を整えるためのものであるということを。

 

(でもまだ言わないわよ! そういうのって普通男から言ったり……さ、誘ったりするもんじゃない!)

 

 しかしまだその気持ちを伝える気は無かった。いや、もう心も身体も衣服も準備万端だし必ず伝えるが、それは一緒に寝るために二人でベッドに入った後に予定している。

 そもそも幾ら約束したといっても普通その手のことを女に言わせるべきではない。普通は男の方から口にしたり、誘ったり――手を出したりするべきこと。だから親指姫はついさっきジャックにそれをさせようとしていたのだ。要するに向こうから手を出させようと。

 

(ま、襲われないならそれはそれで構わないわ。ていうかどっちに転んでも私は嬉しいだけだしね!)

 

 堪えられなくなったジャックが襲ってくれば願ったり叶ったり。何故ならそれはジャックが誠実さと優しさをかなぐり捨てたくなるほどに親指姫のことが好きで、そして堪らなく魅力的だと思っていることになるからだ。

 ベッドに入るまで手を出してこなければそれもそれで構わない。つまりジャックが自分の欲望やその他に負けないほど親指姫を大切に想ってくれているということになるからだ。

 なのでどう転んだとしても親指姫に損は無い。むしろ喜ばしい結果しか残らない。ならばこれをからかうネタに使わないなどというもったいないことがあるだろうか。もちろん答えはノーだ。ジャックがあんな風に初めて見るくらい顔を赤くしてうろたえてくれるのだから、大いに利用して楽しまなくては。

 

(さーて、ジャックは私のためにどこまで耐えてくれんのかしらね? シャワーから上がったらもういっちょ行くわよ!)

 

 そんなわけでジャックがシャワーを終えて出てきたらもう一度大胆に迫ってみることにした。

 さっきはどうしても抑えられず笑い転げてしまったため、たぶんジャックは笑い声を聞いて親指姫にからかわれただけだと思っているに違いない。ということは続けて迫ればそれもからかいだと思われ、実は親指姫が準備万端だということには気付かれないだろう。

 それでも手を出されるならジャックが親指姫の魅力と自分の欲望に敗北した証拠。手を出されないならジャックが何よりも親指姫のことを大切に想っている証拠。どちらにしろ嬉しい限りでついつい頬が緩む。

 

(ていうか私、本当に素直に色々できるようになったわよね……やっぱ私が気が付かなかっただけで、本当はあいつに調教されたのかも……)

 

 まさか好きの一言も言えなかった自分が、襲われても構わない心持ちで色仕掛け染みた触れあいすら行うようになるとは。自分の豹変振りに親指姫はそんな疑いを抱いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、すっきりした……」

 

 親指姫のからかいから逃げる形でシャワーを浴びに行き十数分。身体と共にちょっと汚れてしまった心をしっかり綺麗にした後、洗面所を出ようと扉に手をかける。

 この扉の向こうにはジャックが慌てふためく姿に大笑いしていた、とても可愛らしく無防備な姿をした恋人がいる。その恋人は自分を辱めた復讐を虎視眈々と狙っているのだ。たぶん反応に味を占めてしまったはずなので、きっとまた先ほどと同じようなからかいをしてくるに違いない。

 

(……よし。今度は流されそうになったりしないぞ!)

 

 なので予め備えておき、決して雰囲気に飲まれて手を出したりしないように心がける。親指姫はまだ心の準備を終えていないはずなのだから絶対に手を出してはいけない。理性を投げ捨ててしまいたいくらい綺麗で可愛くても絶対ダメだ。

 そう固く心に誓ってからジャックは扉を開けた。

 

「あ、ジャック。もうシャワー浴び終わったのね?」

 

 するとベッドに腰掛け手持ち無沙汰気味に足をぶらぶらさせていた親指姫の姿が目に映る。下ろしていた髪はいつも通りに黒いリボンで結ばれツインテールになっているが、服装は変わらず白いネグリジェだ。やはり可愛い。

 

「うん。全く、親指姫ったらあんな風にからかうなんて酷いよ。凄くびっくりしたじゃないか」

「ん、何言ってんの? 誰もあれが冗談だなんて言ってないわよ?」

(――っ! い、いや、騙されちゃダメだ!)

 

 特に躊躇いも無く答える親指姫。しかし今回は騙されない。頬に朱色は射しているが顔がちょっと笑っているし、あんなに躊躇いもなく言うはずがない。これはジャックの反応を期待しての言葉だ。

 

「じゃ、じゃあそういうことにしておこうか。それより親指姫、今夜はどうしようか? 僕はもう寝る時間にしても構わないよ?」

 

 なので軽く流して応対。ちょっと呆気に取られた感じの顔をされたものの、意外にもどうでも良くなったかのようににっこりと微笑んできた。そして自らの隣をペシペシ叩いてジャックを招いてくる。

 

「やっぱせっかくの同棲初日の夜なんだしもうちょっと夜更かししましょ! つーわけでさっさとここ来て私の椅子になんなさい!」

「あははっ、本当に親指姫は膝の上に座るのが好きだよね」

 

 からかいに対して心を強く持とうと決めたのに、あっさりいつも通りの触れ合いを求められてちょっと拍子抜けしてしまう。どうやら今は甘えたりイチャイチャしたりすることの方が優先らしい。確かに今は記念すべき同棲初日の夜だ。

 促されるままベッドに腰を降ろすと、途端に親指姫は膝に乗ってジャックに背を預けてきた。

 

「あー、やっぱりこの座り心地ね。ここは私の特等席よ!」

(やっぱり親指姫は良い匂いがするなぁ。きっと食べたら甘くておいしい……って、僕何考えてるの!? 親指姫はまだ心の準備できてないんだから、手を出すのは絶対ダメだ!)

 

 流されないと決心したはずなのにすでにちょっと動き始めるジャックの心。

 先ほど大人なことを考えてしまった罰だろうか。心癒されるはずの親指姫の甘い匂いに胸は不届きな高鳴りを覚えていた。

 

「さてと、せっかくだしこのままおやすみの挨拶でもしようかしらね。確か今日はあんたからだったっけ?」

「う、うん。そうだよ」

「じゃあ、ほら……あ、でもこのままだとちょっとキスしにくいわね。よっと」

 

 可愛らしい掛け声を口にしつつ、膝の上で親指姫が座り方を変える。普通に腰かける形から横座りへと。膝の下と背中に腕を回し抱え上げればたちまちお姫様抱っこが完成する状態だ。

 

(か、顔、近いよ……あと、やっぱり何か凄く良い匂いがする……)

 

 そして何より顔が近い。身長差があるため親指姫の顔は少し下にあるが、お互いの鼻先が触れ合いそうになるほどの距離だ。それと親指姫の前髪に鼻先をくすぐられる距離。これがまた良い香りがして心臓と理性に悪い。

 

「さ、これでキスしやすくなったわね。ほら、ジャック?」

 

 そんな状態で親指姫は目蓋を閉じ、顔を上向けてキスを待つ。

 思わず悪いことを考えてしまいたくなるほどに無防備な表情。そして姿だ。少し視線を移動させれば、ゆったりしたネグリジェの隙間から間違いなくその胸元が覗ける。今親指姫は目蓋を閉じているのでちょっとくらい見たってバレはしない。

 

(う、うぅ……し、下を見ちゃダメだ……見たいけどダメだ……)

「ん――」

 

 しかしジャックは必死に誘惑に抗い、硬く目蓋を閉じて視線を遮った上で唇を重ねた。バレないからといってして良いわけではない。親指姫だってそんなことをする悪い男は願い下げだろう。

 

「っ……ん……ふ、ぁ……」

 

 重ねた唇を開いて閉じてを繰り返し、親指姫の唇を食む。相変わらずの柔らかく瑞々しい感触。当然ながらその感触はジャックの胸を否応なく高鳴らせ、興奮を煽って行く。

 普段なら心地良い胸の痛みと幸福感だけが訪れるものの、今回は散々変なことを意識してしまったのが原因に違いない。

 

(そ、外に赤ずきんさんたちがいるかもしれない……いや、きっといる! だから変なことしちゃ駄目だ!)

 

 昂ぶる気持ちを抑えるため、部屋の外にでばがめがいる状況を思い浮かべて必死に堪える。前例があったため絶対にいないとは言い切れず、心を落ち着ける効果はかなりのものだった。

 

「はぁ……こ、これで良いよね?」

「あれ……もう、終わり……?」

 

 そして丹念に唇を味わった後、キスを止める。ジャックの方は顔が熱くて妙に息が乱れてしまったものの、親指姫の方はうっとり幸せそうに頬を染めて微笑みを浮かべているだけ。性別が違うとはいえこの反応の差。ちょっと不公平に過ぎる。

 

「……ねえ、ジャック。同棲初日の記念に今日は、その……もっと特別なキスするってのはどうよ?」

「と、特別なキスって……!」

 

 今度は恥じらいに頬を染め、少し躊躇いがちにそんな要求を突きつけてきた。よりにもよって今、このタイミングで。

 

(あ、アレしかないよね……? すっごく、ディープな……)

 

 考えられるのはそれだけだ。唇で噛みあうキスならもう二人で数え切れないほど経験を積んできた。確かにそろそろ先へ進んでも良い頃合だとは思う。というかジャックも最近そう考えていた。しかし果てしなくタイミングが悪い。いや、確かに同棲初日という点自体はタイミングは良いのだが。

 

「あ、あんたの言う通りキスも段階踏んで練習してきたし、そろそろ次の段階行っても良い頃でしょ?」

「えっ、そ、そうかな? もうちょっと練習してからでも良いんじゃないかな?」

(ていうか今はさすがにマズイよ、親指姫……)

 

 微笑んでやんわり否定する裏で冷や汗をかくジャック。さすがに今あんなキスを行えば堪えきれる自信はなかった。仮に外にでばがめ血式少女隊がいたとしても、だ。

 

「……そうね。だったら今ここでもうちょっと練習してからやってみましょ! あんたが練習したいならもちろん付き合ってやるわよ!」

(あ、可愛い笑顔……じゃなくて! つまりここでもっとキスしてから更にディープキスもするってこと……!?)

 

 親指姫の満面の笑みに一瞬見蕩れ、即座に残酷な現実を思い出し理解する。

 それはもう無理というか無謀というか無茶というか。とにかくやれば絶対にアウトだ。それならまだ素直にディープキスのみを行った方が遥かにマシである。

 

「あ、や、やっぱり練習は良いかな? どれだけ練習しても本番で通用するとは限らないし、当たって砕けろの精神で行って見ようよ!」

「なかなか男らしいこと言うじゃない! だったら今度もあんたからやりなさい!」

「う、うん……!」

 

 なので素直にディープキスを行うことにした。

 本当は危険を冒してまでキスをするならキスそのものを断るのが賢い選択だとは分かっている。しかしあの親指姫が自らキスを求めてくれている以上断る気にはなれない。今まで好きの一言すら口に出来なかった親指姫が、大好きなジャックの唇を素直に求めているのだから。

 それに断れば理由はどうあれ傷つけてしまうだろう。断るという選択肢を選ぶのは最後の最後、本当に危ないと思った時だけだ。

 

(あ、あんなキスして、僕の理性は耐えられるかな……で、でも親指姫は僕のこと信頼してるんだ。耐えろ、僕……!)

「――っ」

 

 かつてないほどに心を強く持ち、唇を重ねる。そして微かな隙間から舌先を滑り込ませ、親指姫の舌先と触れ合わせた。

 

「んっ……!」

 

 腕の中でその小柄な体がびくっと震える。しかしそれは一瞬のことで、すぐにジャックの胸元に手を添え口付けに応えてきた。触れ合わせた舌先を互いに擦り付けあうような卑猥な動きで。

 

「ちゅ……っ、ぅ……ふぁ……」

 

 唾液が混ざり合う淫らな水音、親指姫の小さな喘ぎ。それらがお互いの唇の隙間から零れ、二人きりの部屋の中で唯一の音として広がっていく。

 今度はお互いに舌を噛む残念な結果にはならなかった。唇を重ね合わせた状態で舌先を繋ぎ合わせ、少しずつ少しずつ絡めていく。まるで互いに繋いだ手の指先を絡めるように。

 

(や、やっぱり……ダメだ……!)

 

 しかし伝わる温もりはどこまでも生々しく、感覚も癖になりそうな痺れる刺激。残念ながら今のジャックにはそれらを耐え切ることはできなかった。

 

「ふぁ……ジャック……?」

 

 故に親指姫の身体を抱いていた腕を解き、静かに身体を押しやって口付けを止めた。夢心地の表情で幸せに浸っているところを悪いがそれを気にしている余裕はなかった。

 

「さ、さすがにこれ以上は我慢できなくなるから今日はやめとこう? 意味とか理由は、もう言わなくても分かってくれるよね……?」

「……わ、分かってるわよ、それくらい」

 

 ジャックの情けない言葉に対し、親指姫は極めて複雑そうな表情で答える。残念そうな、それでいて嬉しそうな表情だ。キスが続けられなくて残念に思いつつ、ジャックに魅力的に思われていることを感じられて嬉しく思っているのかもしれない。

 

「親指姫はもっとキスしたかったんだろうけど……今夜は寝る場所も同じなんだし、これ以上は、その……」

「そ、そうね……」

 

 大人な話題のせいか頬を染めて言葉少なに頷いてくる。

 お互いに抱き合って一緒に眠りたいとずっと前から思っていたのに、せっかくの機会を一度逃してしまったのだ。それも主にジャックのせいで。さすがに今回も同じ理由で逃したくはないし、記念すべき同棲初日の夜だ。ちゃんと二人で抱き合って幸せな気分で眠りに付き、一緒に朝を迎えたい。

 

「う、うん。じゃあそろそろ一緒に寝ようか? ごめんね、僕のせいで……」

「気にしなくて良いわよ……そ、その代わり! 後でいっぱい続きしてもらうんだからね! 後でいっぱいよ!」

(何でわざわざ二回言ったんだろう。ていうかそこは後でじゃなくて明日って言うとこじゃないかな?)

 

 何故か顔を真っ赤にして言い放つ親指姫の言葉に、ジャックはそんな疑問を抱きつつ頷いた。

 しかしどちらかと言えば言葉よりも表情の方が気になった。先ほどまでは嬉しさ半分落胆半分といった面持ちだったのに、何故か今は落胆の色の方が濃かったからだ。まるでジャックに襲いかかって欲しかったと思っているかのように。

 

 

 





 何やら前の章の三話に似た怪しい雰囲気に。
 賢い人なら次のお話がどうなるかは分かりますね。余章があるかもしれないとはいえ次で最終話ですし。恋獄塔も最低でもこれくらいはイチャイチャして欲しいなぁ。

 ところでメアリスケルター2の幻日譚を読んで気付いたのですが、どうも親指姫は16歳未満の可能性があるっぽいです。三つ子である以上、白雪姫も眠り姫も。
 ということは親指姫は普通に違法ロリ……? つまりこの話でのジャックは……いや、考えないようにしよう……。





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いつまでも2人で


 ジャック×親指姫、最終話。ついに二人は……。
 最早まえがきで語ることはありそうでないです。あとがきにはありますけど。
 とりあえずメアリスケルター2発売を楽しみにしているお方のそれまでの繋ぎにでもなれたなら幸いです。あるいはコーヒーや紅茶の砂糖代わりにでもなれたなら。
 しかしまさか書き始めて三ヶ月程度で最終話に持ってこられるとは……。

 



「はぁ……やっぱり親指姫を抱きしめてるととっても安心するなぁ。気を抜いたらこのまま安らかに眠っちゃいそうだよ……」

 

 ネグリジェ姿の可愛らしい恋人の身体をぎゅっと抱きしめ、安堵の吐息を零すジャック。 二人でベッドに入り身を寄せ合ったジャックと親指姫は、当然のようにお互いに抱き合っていた。ただし身長差のせいもあってか、親指姫の方は抱きしめるというよりもジャックの胸に寄りかかり軽くしがみついているという表現の方が正しい。

 死の一歩手前の自分を引き戻してくれた感触と温もりのせいか、先ほど感じた興奮も一旦は大人しくなってしまうほどの安心感を覚えられた。いっそこのまま身を委ねてしまいたいくらいだ。

 

「安らかに眠るのは良いけど死ぬんじゃないわよ? あんたが言うと何か不穏なのよ、それ……」

 

 そのせいか親指姫が腕の中で顔を上げ、酷く心配そうな瞳を向けてきた。

 

「あははっ。そんな僕がしょっちゅう死にかけてるみたいなこと言わないでよ。さすがに僕だってそんなに危ないことしたりは――」

「――してない、とか言ったらぶん殴って思い出させてやるわよ?」

「ごめん、してます……」

 

 心配そうな表情が妙な迫力を感じるにっこり笑顔になったので、大人しく謝罪し頷く。

 親指姫はジャックの命知らずな行為を許してはくれたが、別に肯定しているわけではないし認めてくれたわけでもない。たまに引き合いに出されて怒られたりすることもしばしばだ。

 

「……そういえばあんたと一緒に寝るのはこれが初めてね。前はちょっと、あんたがケダモノになりかけてたからできなかったし……」

「だ、だって親指姫が初めて僕のこと好きって言ってくれたし、初めて君からキスまでしてくれたんだよ? しかも一回だけじゃなくて凄くいっぱい……言い訳に聞こえるかもしれないけどそんな風になったって仕方ないよ……」

 

 思い出したように頬を染め、更に膨らませて責めてくる可愛らしい親指姫。

 自分も悪いと思ってはいるがアレは親指姫にも責任がある。初めて好意を素直に口に出し、それを何度も口に出し、初めて自分からキスをしてきて、それを何度も繰り返す。これらを別々の時とかではなく同じ時に全てやられてしまえば誰だってケダモノになりかけてもおかしくない。

 

「確かにそうね。あんたは私があまりにも可愛すぎて我慢できなかったんでしょ?」

「うん。正にその通りだよ」

「本当にあんたは何の躊躇いもなく頷くわね。でもそれでこそ私のジャックよ!」

 

 事実なので素直に頷くジャック。ある程度答えは予想していたらしく、頬を染めるといった反応は見られなかった。むしろ嬉しそうに笑われた。

 ただ答え自体では見られなかったものの、一拍置いて自然と頬が染まっていた。何か恥ずかしいことを聞きたがっているかのように。

 

「……今は、どうよ?」

「今は……あの時に比べれば平気かな。もう何度も好きだって言ってくれたし、キスだっていっぱいしてくれるようになって少しは慣れたからね」

 

 あの時は親指姫からの初めての愛情表現が畳み掛けてきたせいで許容量を超えそうになってしまったのが原因だ。今は愛情表現に慣れてきたし、何よりとても安心できる温もりを腕の中に抱いている。なのでケダモノになりかけることもなく添い寝できるので、親指姫だって嬉しい答えに違いない。

 

「……何かイラッっと来る答えね」

「ど、どうして?」

 

 そう思っていたのに返って来たのは不機嫌な返事と視線。反射的に尋ねてしまうと、心底呆れを含んだ溜息まで返されてしまった。

 

「だってあんた、それじゃあ今の私があの時より魅力無いとか言われてるみたいよ? もうちょっと言葉選びなさいよね」

「あ……ごめん。でも、別にあの時より魅力が無いなんて思ってないよ。むしろ今の親指姫、あの時よりも可愛くて凄くドキドキしてるんだ……」

「ふん、誤魔化したって遅いわよ。って、言いたいとこだけど……あ、あんた、本当にドキドキしてるわね……」

 

 ご機嫌斜めな感じだったのに途中で戸惑いを露にする親指姫。

 たぶんジャックの胸に耳を当てる形で身を寄せているから分かったのだろう。ジャックの心臓が早鐘のように打っていることが。

 

(そ、そりゃあそうだよ……今の親指姫の格好、可愛いけど少しエッチだし……凄く良い匂いがするし、柔らかいし……)

 

 親指姫は可愛らしいが露出度が高く生地の薄いネグリジェを身に着けている。間近で見る白い肌にはドキドキさせられるし、生地が薄い分感触も温もりもより深く感じられて更にドキドキ。おまけに甘い蜜を連想させる香りがその赤い髪から漂ってくるのだ。これでは親指姫が反応に困ってしまうほどにドキドキするのも仕方ない。

 しかし反応に困っているのは親指姫だけではない。ジャックもまた反応に困っていた。何故ならドキドキしているのは自分だけではなかったから。

 

「そ、そういう君も、もの凄くドキドキしてるよね……?」

「っ……」

 

 指摘すると痛いところを突かれたとでも言うように眉が歪み、あらぬ方向に視線が逸らされる。

 その薄い膨らみがジャックの胸に密着しているのでわりとはっきり分かってしまったのだ。親指姫も自分と同じ、あるいはそれ以上にドキドキしていることが。

 

「じゃ、ジャック……今から私が聞くこと、正直に答えなさい」

「う、うん……」

 

 見破られたせいか否定はせず、とても真剣な声音で言葉を紡ぐ親指姫。頬が朱色に染まっているのはいつものことだが、その表情は見たことがないほどに真剣だ。

 

(こ、こんなに真剣そうにするなんて、一体何を聞かれるんだろう……)

 

 緊張感に息を呑み、先ほどとは違う胸のドキドキに支配される。軽い怯えすら覚えてしまうほどのドキドキに。

 親指姫はじっとジャックの瞳を真剣に見上げてきていたが、やがてその小さな唇を開き質問を口にした。

 

「あんた……ロリコン?」

「……えっ?」

 

 しかしその質問に緊張感は一気に吹っ飛んでしまった。

 

「ご、ごめん、親指姫。今何て言ったのかな?」

「だ、だから……あんた、ロリコンなの? 小さな女の子にしか興味なかったりすんの?」

「え、えぇっ……」

 

 念のため聞き返してみるものの、返って来たのはやはり同じ質問。しかも変わらず極めて真剣な面持ち。冗談を言っているにしてはあまりにも雰囲気が真面目すぎた。

 

(もしかして……自分が小さな女の子だからそういうのを気にしてるのかな?)

 

 思い当たるとすればそれくらいだった。確かに親指姫は俗に言うロリコンが興味を示しそうなくらいの背格好だ。だからそんな自分にこれ以上ないほど夢中になっているジャックが実はロリコンではないかと疑っているのだろう。そういえば以前はラプンツェルに不埒な真似をしたのかとやたらに疑われた気がする。

 

「お、怒らないから正直に答えなさい! ていうか正直に答えないと怒るからね!」

 

 頬の朱色を更に濃くしてやはり真剣な表情で尋ねてくる。ちょっとだけ怯えたように見えるのは答えが不安だからなのだろうか。しかし肯定と否定のどちらに対して不安を覚えているのかは乙女心の分からないジャックには分からなかった。

 

「え、えっと、少なくともロリコンじゃないと思うよ? 別に小さな女の子にだけしか興味無いっていうわけじゃないし……そもそも、小さな女の子にはあんまり……」

 

 なので素直で危なくない答えを返す。

 別にジャックは小さな女の子にしか興味が無い危ない奴ではないし、そもそも幼い女の子は対象外だ。幼い女の子と言うのは身近な例で言えばラプンツェルがそれに当たる。ラプンツェルはまだ子供なのでそもそもそういう目で見るのは間違っている。

 

「……ちっ」

(い、今舌打ちしたよね、親指姫……)

 

 答えを返すと腕の中で至極残念そうな舌打ちが上がった。もしかするとロリコンではないと答えたことで自分がジャックの興味の対象外だとでも思ったのかもしれない。しかし十分対象内にいるということくらい今までの日々で分かってくれたはずなのだが。

 

「……もしかして、僕がロリコンだった方が良かったの?」

「そ、そうよ。それなら浮気の心配も少なくて済むじゃない。それに……ロリコンなら、こんな私でも満足なはずでしょ……?」

「っ!? お、親指姫っ、何を……!?」

 

 打って変わって切なさに溢れる声音で酷く怯えたことを口にすると、あろうことかジャックの手を取り自らの胸に触れさせる親指姫。

 手の平に伝わってくるのはふにっという感じの柔らかさ。薄いネグリジェの生地を通して僅かだが間違いなくそれが伝わってくる。その行動と感触に混乱し固まる中、親指姫は自らの胸にジャックの手を触れさせたまま言葉を続けていく。

 

「あんたあの時、優しく断ってくれたわよね。私のために……本当はそういうこと、したがってた癖に……」

(あ……もしかして、親指姫は……)

 

 恥ずかしそうに、それでいて申し訳無さそうに言葉が紡がれていく。

 ここまでされればいくらジャックでも続く言葉と真意は理解できた。本当は理解したのではなくそうだと良いという願望なのかもしれないが、どちらにせよ予想は正しかった。

 

「も、もう、我慢しなくて良いわ……準備、できたから……」

「親指姫……」

 

 親指姫はついに心の準備を終えたのだ。強制されるでもなく、万が一に備えるでもなく、自らの意思だけでジャックに全てを曝け出し、捧げることを。その想いと愛情、そしてついに親指姫の全てを受け取れる喜び。正直な所あまりの喜びに飛び上がりそうだった。

 だが喜びに打ち震えるジャックとは異なり、親指姫は酷く不安気な顔をしていた。

 

「けど……ロリコンじゃないなら、あんたの方こそ本当に良いわけ? 私って、身長もだけど……他も、こんなよ……?」

(ああ、そっか……だからロリコンじゃないって言ったら、残念そうな顔されたんだ……)

 

 どうやら浮気や性癖云々が心配でロリコンかどうかを確かめたのではないらしい。自分の小柄で慎ましやかな体型でもジャックが本当に喜んでくれるかどうかを確かめたかったのだろう。だからロリコンではないと分かったことで心底残念に思ったに違いない。そんな心配は杞憂だというのに。

 

「……大丈夫だよ。僕は君のことが大好きだから、君が不安に思ってるその身体だって……本当は襲いかかって色々したいくらい好きなんだ……」

 

 この際なのでもう隠さず本音を口にする。

 身体つきも背格好も関係ない。他ならぬ大好きな恋人の身体だし、ジャックだって男だ。できることなら隅から隅までその肢体を眺め、白い肌を撫で回して感触に浸り、柔らかな肉に舌を這わせて味わい尽くしたいと思っている。酷く独占的で乱暴な想いかもしれないが、自分に想いを寄せてくれている心だけでなく、その身体も自分のものにしたいと。

 

「って、ことは……本当はロリコンってことね!? あんた、やっぱラプンツェルに手を……!」

 

 しかし何やら勘違いして目を吊り上げて怒る親指姫。そして何故かラプンツェルに手を出したと疑われてしまった。

 

「だ、出してないってば! 好きになった親指姫がたまたま見た目幼い子だっただけだよ!」

「ロリコンは皆そんな言い訳するって聞いたわよ! て、ていうか誰が見た目幼い子だってのよ!?」

「ええっ!? 自分でそういうこと言っておいてそこは認めないの!?」

 

 おまけに何やら話が変な方向に逸れていく。

 しかしそれも仕方の無いことだろう。身体を捧げる心の準備が出来たといっても緊張や不安は簡単には拭えないはずだ。特に身体つきなどを不安に思っていたらしい親指姫にとってはちょっとした発言も過度な反応を招いてしまうに違いない。すでに顔は耳まで真っ赤で瞳は混乱に揺れているのだから。

 

「な、何か話がおかしくなったけど……とにかく、僕が嘘なんてついてないのは分かってるよね? あの時だって、さっきだって……君を押し倒して滅茶苦茶にしたりしないように、キスを止めたんだから……」

 

 一つ咳払いして話を戻し、しっかりと瞳を覗き込みながら言葉を紡いでいく。

 親指姫もジャックと見詰め合うことで冷静さを取り戻したらしい。やがて混乱に揺れていた瞳は落ち着きを取り戻し、驚くほどしおらしくなっていた。

 

「……なら……がっかりしたり、しないわよね……?」

「……うん。絶対がっかりなんかしない。それに前にも言ったよね? 親指姫の身体、凄く綺麗だ、って……」

「ジャック……」

 

 事故で見てしまったその身体への感想を口にするも、今回は変態と罵られることもなければ蔑まれることも無かった。反応はむしろその逆。僅かながら安堵の表情を浮かべ、親指姫は自らの胸に触れさせていたジャックの手を静かに離した。

 

「こういう時は、男がリードしないといけないんだよね……? じゃ、じゃあ……」

「っ……!」

 

 お互いの身体を覆っていたシーツを脇に退かし、身体を起して親指姫の上に覆い被さる。さしずめ正面から押し倒したような状態だ。

 心の準備ができていてもやはり冷静でいることは難しいのだろう。親指姫はジャックの下で縮こまり、火が出そうなほどに顔を赤くしたまま凍り付いていた。

 

「ほ……本当に、良いんだよね……?」

 

 自らも緊張による顔の火照りを感じながら最後の確認を行うジャック。

 親指姫のことはとても大切だが、始めてしまえば途中で止められる保証はなかった。相手はただの可愛い女の子ではなく、どこまでも可愛らしい愛しくて堪らない恋人だ。その身体を自由にできるとすれば理性を保てる自信は無い。

 

「い、良いわ……でも、その前に一つだけ……一つだけ、約束しなさい!」

「う、うん……」

 

 小さく頷き、押し倒された状態で気丈に声を荒げる親指姫。

 緊張からか小さな身体は震えていたものの、その言葉を口にするためか精一杯の強がりを見せていた。

 

「……一生、私の隣にいなさいよ……? 私を捨てたり、いなくなったりしたら……ぶっ殺して、やるんだから……」

 

 その震える唇から儚く弱々しく紡がれたのは、言われるまでも無く心に決めていた想い。無論考えるまでも無く頷いた。

 

「うん。約束するよ、親指姫……」

「ジャック……」

 

 一生を共にすることを誓い合い、ジャックは親指姫と唇を重ねた。

 言葉だけの口約束ではなく、行動で誓いを結ぶために。愛しい少女の心と身体、その全てを受け取るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、皆……って、あれ? 本当に皆いる。珍しいね、何かあったの?」

 

 翌朝、朝食の席に顔を出したジャックは珍しい光景に目を丸くした。まだ朝早くなのに何と血式少女たちが全員席についていたのだ。いつもはもっと遅くに起きてくるはずのかぐや姫や眠り姫、ラプンツェルも含めて全員だ。

 

「じゃ、ジャックさん……っ! べ、別に何もありませんことよ!? をーっほっほっほっほ!」

「そ、そうです! 何でもありませんよ、ジャックさん! あははははは!」

(うん、もの凄く怪しい。どう見ても何かあったよね……)

 

 ただし何か様子がおかしい。シンデレラと白雪姫はジャックの姿を目にした途端、慌てて過剰なくらい元気いっぱいに振舞おうとする。おまけに何やら顔は真っ赤だ。一体どうしたのだろうか。

 

「ねえ、赤ずきんさん。シンデレラたちどうしたのかな?」

「ひぇっ!? あ、あたし!? さ、さぁ? あたしは何も知らないなぁ?」

「えっと……アリスは、何か知ってる?」

「ご、ごめんなさい、ジャック……私も、何も知らないわ……」

(赤ずきんさんにアリスまで……一体どうしたんだろう?)

 

 二人の反応に疑問を抱いて赤ずきんに尋ねてみるも、二人ほどではないがあろうことかこちらも同じ反応。アリスに聞いてみても同じ反応だ。

 

「わ、わらわも知りませんよ~?」

「……んー……んー……」

「わ、ワレも知らぬじょ……存ぜぬ、じょ……」

 

 そしてかぐや姫、眠り姫、ハーメルンは僅かに頬を染めて気まずそうに目を逸らす。まだ聞いていないどころか視線を向けただけでこの反応。やはり何かがおかしい。

 

(何だって皆恥ずかしそうに顔を逸らすんだろう。まるで僕が皆に恥ずかしいことでもして気まずくなってるみたい――っ!?)

 

 そこまで考えた瞬間、一つの可能性に思い至った。そして生きた心地がしなくなった。

 何故ならもしもジャックの予想が正しければ、それはもう死ぬほど恥ずかしい思いをしなければならないから。

 

「あらジャック、あなた突然顔から血の気が引いて青くなったわよ。何かショックな出来事でも思い出したのかしら」

 

 眩暈がしてきて倒れそうなジャックに対し、いつも通りの口調と表情で指摘してきたのはグレーテル。この場でたった二人だけ様子のおかしくない少女の内の一人だ。

 そしてたぶん、ジャックが危惧していることを尋ねても恥ずかしげも無く答えてくれそうな少女だ。

 

「ぐ、グレーテル……き、聞いても、良いかな……?」

「何かしら?」

「えっと、その……アリスたちの様子がおかしい理由、君は知ってるかな……?」

「ああ、そのことね。あなたが起きてくるまでその話題で持ちきりだったから知っているわ。昨夜あなたが親指姫と俗に言うセッ――」

「わああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 危惧したとおりの答えが全部出てきそうになったのでジャックは心からの叫びを上げてそれを遮った。

 皆で話していたということは遮っても意味は無かったのだが、できれば聞きたくなかったから。

 

「ねーねー、じゃっく! こどもつくったってほんとうー!? どうやってつくったのー!?」

「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 しかし現実は非情だった。せっかくグレーテルの言葉を遮ったのにラプンツェルが代わりに口にしてくれた。子供特有の純真さと好奇心に瞳を輝かせ、無邪気な残酷さを余す所無く発揮して。

 

「じゃ、ジャック……私からは、これだけは言わせてもらうわ。私たちは別に覗きや盗み聞きを働いたわけではないのよ? ただ、その……壁が、薄いから……」

(あははっ、壁は薄いから大きな声を出せばそりゃあ聞こえちゃうよね! どうして僕はそんなことにも気付かなかったんだろうね!?)

 

 酷く気まずげな表情をしながらジャックを気遣って濁して教えてくれるアリス。しかし濁されてももの凄い衝撃的な事実なので軽く現実逃避に走ってしまう。さすがに自分と親指姫がアレコレしている時の様々な声を聞かれていたという現実は受け入れがたかった。

 しかも皆が皆この場にいるということは、アリスだけでなく皆に聞かれてしまった可能性が大いにある。誰もからかって来ないのはつまりはそういうことだろう。もういっそ消えてしまいたいくらいに恥ずかしいし、もう顔を合わせたくないくらいに気まずい。

 

「ねーねー、おしえてよー! みんなじゃっくにききなさいっていってたよー!」

「ごめん、ラプンツェル。しばらくで良いから静かにしててくれないかな?」

「えー? しばらくってどれくらいー?」

 

 とりあえず無邪気に心を抉ってくるラプンツェルの口は一旦閉じてもらった。

 どうもこの様子だと誰もラプンツェルに事の詳細は説明していないようだ。まあ説明するわけにもいかないので張本人に対応を回すのは分からなくも無い。

 

(生きるのが嫌になるくらい恥ずかしいけど……僕が受け入れるしかないよね、これ……親指姫が知ったら耐えられそうに無いし……)

 

 この現実はできればジャック一人が受け止めなければならない。親指姫は裸を見られたりキスをされたりした恥ずかしさで五日間もジャックを避けていたのだ。同性とはいえ赤ずきんたちに最中の声を聞かれた事実を知れば、もうどんな反応をするかジャックにも想像が付かない。

 

「ま、まあ、あんたたちはラブラブだしそういうことするのも仕方ないっていうか、自然かもしれないってのは分かるよ……だからあたしたちがとやかく言うことじゃないんだけどさ……その、今後もそういうことするつもりなら、もうちょっと声を落としてもらえると助かるかな……」

 

 そして皆も親指姫が耐えられそうにないと思っているらしい。赤ずきんが頬を染めながらもわざわざ異性であるジャックにそういった言葉をかけてきた。

 言う方も言われる方も気まずさの極みだがそこは非情にありがたい。ジャックとしても恋人が辱められるくらいなら自分が辱められた方が遥かにマシだ。

 

「ほ、本当に、ごめんなさい……」

 

 故にジャックは現実を受け止め、深々と皆に頭を下げた。下げられた方も困るかもしれないが他にどうすれば良いのかは良く分からなかった。

 

「ま、まあ、あたしたちから言いたいのはそれだけだよ……一応、親指には気が付いてないふりで通すことになってるからさ……」

「う、うん。ありがとう、皆……ごめんなさい……」

 

 やはり親指姫を気遣ってくれている赤ずきんたち。ジャックが再び頭を下げると皆笑って許してくれた。もちろんその笑いは妙に乾いていたり真っ赤だったり苦々しかったりしていたのだが。

 

「皆、おはよ! 何かさっきジャックの悲鳴っぽい声が聞こえたんだけど気のせい?」

 

 そして幸運なことに今の一幕が終わってから親指姫が食堂に現れた。それはもう晴れ晴れとした感じの最高に輝く笑顔で。幸せなことに何も知らずに。

 皆に勘ぐられるのを避けるために顔を出す時間をずらしていたから良かったものの、もしジャックではなく親指姫が先に顔を出していたらどうなっていたことか。

 

「き、気のせいだよ、親指! さあ、そろそろ朝ごはんにしようか!」

「そうですわね! もう空腹でお腹と背中がくっつきそうですわ!」

「わ、わーい! 皆一緒の朝ごはんはとっても嬉しいです!」

「……ジャック、何か皆テンションおかしくない? ていうか何で全員いんの?」

「さ、さあ、何でだろうね? それより朝ごはんにしようよ、親指姫。食べ終わったら一緒に散歩にでも行こう?」

「そうね。その後はまた販売所行って色々物色するわよ?」

 

 ジャックを含めて皆不自然だったが、幸せいっぱいの親指姫はさほど気にならなかったらしい。満面の笑みでジャックの隣に腰を降ろし、今にも鼻歌を奏でそうなくらいに上機嫌な様子だ。

 できれば親指姫にはずっとこんな幸せそうな笑顔を浮かべていて欲しい。そしてこれからは一生その笑顔を見守り、ずっと二人で歩んで行きたい。考える場面がだいぶおかしい気もしたが、ジャックは心の底からそう願った。

 

「――ねー、おしえてよじゃっくー! どうやってこどもつくったのー!?」

(ラプンツェルウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!)

 

 しかし頬を膨らませたラプンツェルの悪意の無い好奇心に、ずっと幸せそうな笑顔を浮かべていて欲しいという願いは早速叶わなくなってしまった。

 とはいえ自分たちの関係はこれくらいの波乱があった方がお似合いなのかもしれない。少なくとも親指姫は交際が始まってから周りが焦れったく思うくらいずっとぎくしゃくしていた上、素直になってからは周りがうんざりするくらいくっついてイチャイチャしてくるのだから。少なくとも平穏過ぎて盛り上がりに欠けるような関係ではない。

 なのできっとこの波乱も自分たちの関係を大いに盛り上げてくれるに違いない。凍りついた親指姫の顔が徐々に赤く染まっていく様子を目にしながら、現実逃避気味にそんなことを考えてしまうジャックだった。

 





 出番が一番少なかったラプンツェル、最後の最後でとびっきりの爆弾を爆発させてくれました。何か年齢対象ありそうな話とか色々ありましたが具体的な名称云々は出していないのでセーフのはず。
 今回カットしたR18展開ですが、厳密にはカットしたわけではなくそっちに投稿しました。ただでさえ少ないメアリスケルターのSSで更にエロという需要が不明な一品。でもカットするのもどうかと思ったので書いちゃいました。良ければそちらもお読みください。
 そして今回で本編は終わりですが一応余章としての後のお話も予定しています。ただこっちはちょっと投稿が遅くなるかもしれません。むしろ今までが異常なペースでしたけど。
 余章のイチャラブレベルはたぶん四章と同じかもうちょっと上です。でも感覚が麻痺気味の私には判断に自信が無いです……。

 何はともあれここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。あと一ヶ月くらいでメアリスケルター2発売です。恋獄塔も手に入れるためにちゃんと予約はしましたね? ちなみに私はファミ通DXパック(3Dクリスタル付き)を予約済みです。PS4も買いましたし。しかしコントローラーが思いの他ダサい……。
 
 


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余章:2人の世界
イチャラブ禁止令



 余章開始。といってもイチャイチャするだけ。
 まあ最初の1、2話は前置きと言うか準備というべきかなんですけど。しかしそこでもイチャついているのが何とも言えない……。



 

 

「おっ、と。ジャック、そこ段差あるから気をつけなさい」

「え――わぁっ!?」

 

 先を歩く親指姫の注意を聞いていたにも関わらず、ジャックは段差に脚を取られてすっ転んだ。何とか顔面を打つことは避けたものの、地面についた手の平にずきりと痛みが走った。

 

「言った傍から転んでんじゃないわよ、ドジねぇ。ほら」

「あ、ありがとう、親指姫。注意してもらったのに転ぶなんて情けないなぁ……」

 

 呆れた顔をしながらもしっかり手を差し伸べてくれる親指姫。羞恥に顔を火照らせながらもその手を取って立ち上がる。

 まあ一応荒れた石畳の道を歩いているので転ぶのも仕方ないかもしれない。これが整地された道なら否定のしようもなく情けないところだ。

 

「あーあ、服汚れてんじゃない。どっか怪我は?」

「大丈夫、ちょっと腕を擦りむいたけど平気だよ」

 

 ジャックの服の汚れを払いながら怪我の有無を尋ねてくる。呆れた顔をしつつもやはり優しさは隠せていない。三姉妹のお姉さんという立場上か面倒見の良さは抜群だ。

 

「一応見せてみなさい。正直あんたの大丈夫も平気も当てになんないし」

「ええっ、酷いなぁ。これくらいで嘘はつかないよ」

「ふーん、つまり酷い時は嘘つくってことね?」

「う……」

 

 妙な迫力の笑顔で尋ねられ二の句を告げなくなってしまう。心配はかけたくないのでそこそこ酷い怪我なら嘘はつくかもしれないし、実際そんな嘘をついたこともあったりなかったりだ。

 とりあえず返答ができなかったので代わりに怪我をした左手を差し出す。まあ怪我といってもほんの少し血が滲んでいる程度の擦り傷で本当に大したことは無い。親指姫も納得してくれたらしく、しっかり掴んでいた手の力を緩めて頷いてくれた。

 

「まあこれくらいなら大丈夫ね――んっ」

「わぁっ!? お、親指姫!?」

 

 そして唐突に手の平に甘噛みされた。しかも擦り傷の部分を小さな舌で舐めて、汚れや血を吸い上げるように吸い付かれる。あまりの驚きに飛び上がってしまうジャックだった。

 

「何これくらいで顔赤くしてんの? 人前でだって平気でキスしてきたあんたはどこ行ったのよ」

「べ、別にどこにも行ってないよ。君が僕よりも大胆になっただけじゃないかな?」

「あー、確かにそうかもしれないわね……」

 

 頬を染めて居心地悪そうにしながら頷く親指姫。素直になれてからというものかなり大胆になっていた親指姫だが、最近はますます拍車がかかってきている。

 理由として考えられるのはとある恥ずかしい事実が皆に筒抜けになってしまったことだろう。要するにジャックとアレコレした時の声を皆に聞かれてしまったこと。立ち直るのにかなりの時間を要していたものの、復活してからはすっかり吹っ切れたような感じになっていた。

 ラプンツェルの無邪気で残酷な発言によって事実を知った時は懸念どおり一波乱あったものの、筒抜けになったのは同性である血式少女たちだけなのでさほど後に引きずらなかったようだ。ちなみにジャックからすると皆異性なので未だに引きずっている節がある。親指姫同様慣れたのかたまに赤ずきんやかぐや姫にからかわれるので正直困っている。

 まあ最近ジャックが本当に困っているのはそのことではないのだが。

 

「ほら、これで消毒完了よ。あとは白雪に絆創膏貼ってもらいなさ――って、暗い顔してどうしたのよ?」

 

 その胸の内の悩みが顔に出ていたのだろうか。親指姫は酷く心配そうな表情で見上げてきた。

 

「うん……何だか最近、親指姫に世話をかけさせてばっかりだなぁって思って。本当は僕が支えてあげたいって思ってたのに、これじゃあ逆になってる気がするよ……」

 

 すでに心配をかけてしまったので嘘をつく理由も無く、正直に答える。最近抱えていた悩みとは親指姫を守り支えるという誓いが全くと言って良いほど達成できていないことだ。

 死に体のジャックを前に親指姫が晒した儚く弱々しい姿と、その口から零した切なさと悲しみに満ちた案じる想い。それらに胸を打たれ、守ってあげたいという気持ちと堪らない愛しさを感じて親指姫の虜となったジャックだ。本懐は隣で支え慰めてあげることである。

 最初から自分が完璧にそれを行えるような頼りがいのある男でないことは理解していたものの、逆に世話を焼かれて支えられていては自分が酷く無力に思えてならなかった。

 

(親指姫、最近妙に世話焼きになったからなぁ。僕に対して……)

 

 理由は分からないが最近になってジャックに対しての世話焼き加減が急激に増している。そのせいでまるで手のかかる弟か何かのように世話を焼かれがちなのだ。別に嫌ではないのだがやはり複雑な気持ちは拭えなかった。

 

「何かと思えばそんなくだらないこと気にしてたわけ? あんたもつくづく変なことで悩む奴ねえ……」

「く、くだらなくなんかないよ! だって僕は君のことが大好きだから君の力になりたいし、君の力になれることだって幸せなんだから……」

「ジャック……」

 

 その言葉を聞いて親指姫の面差しに愛しさに溢れた微笑みが浮かぶ。その微笑みを浮かべたまま親指姫は正面からジャックの肩に手を置くと――

 

「……大丈夫よ、あんたに私を支えられるほどの男らしさは最初から期待してなかったわ!」

「ひ、酷いよぉ、親指姫……!」

 

 ――飛びきりの笑顔で残酷な言葉を投げかけてきた。

 あまりにも無情な言葉にジャックはちょっと泣きそうになってしまった。確かに男らしくないことは自覚しているがそこまではっきり言われてしまうとは。

 

「あははっ! 冗談よ、冗談。あんたは隣にいるだけで、ちゃんと私の心の支えになってくれてるわよ……」

「親指姫……」

 

 再び愛しさに溢れる微笑みを浮かべる親指姫。今度も冗談に繋げてくるかもしれないと少しだけ身構えたものの、繋げられたのはお互いの手だった。握手するように手を握る力はとても穏やかで、優しさと素直な想いがしっかり伝わってくる。

 

「それにあんたは私を支えるだけで満足かもしれないけど、私は……あんたとは支えあう関係になりたいんだからね? 世話かけさせてるとか気にしないでもっと私を頼りなさい。その分、私はあんたに……甘えさせてもらうから……」

 

 そして頬を染めながらもしっかりと自分の想いを口にしていく。

 三姉妹の長女という立場、そして本人の異様なまでの天邪鬼加減のせいか、素直になってからというもの親指姫はとても甘えん坊だ。皆の前では多少控えめなものの、二人きりだとすぐ膝に乗ってきたり抱きついてきたりするのだから。

 もしかすると親指姫がやたら世話を焼くようになったのは甘える代わりに自分も何かしなければいけないと思ったのかもしれない。あるいはジャックを愛しているからこそ、愛する妹たちと同様に世話を焼いてしまうのか。

 

「そっか……うん。じゃあこれからはお互いに望む方法で支えあっていこうね、親指姫?」

「もちろん。しっかりあんたを支えてやるから、あんたも私をちゃんと支えなさいよ!」

 

 いずれにせよ甘えられるのはとても喜ばしいし、しっかり親指姫の支えになっているなら本望だ。ジャックは微笑みながら、親指姫はどことなく小生意気な笑みで、これからもたっぷりお互いに支えあうことを誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あのさ、あんたたちここがどこだか覚えてる? ていうか今あたしたちがここにいるってこと覚えてる?」

「……あん?」

 

 不意に横合いから届いた赤ずきんの声。反射的にそちらを見た親指姫の瞳に映ったのは――

 

「本当にもうお互いのことしか見えていませんのね、お二人は……」

「もう飽き飽きです~……真面目に働きますからいい加減に勘弁してもらえませんか~……」

「一つの物事に集中していると周囲の状況が認識できなくなることはあるけれど、二人がお互いのこと以外見えていないのもそれが原因なのかしら。興味深いわね」

「う、うぅ……段差一つがきっかけの話で、親指姉様がジャックさんとここまでラブラブできるようになるだなんて……白雪は……白雪は嬉しいですぅ……!」

「……ん……ボクも、嬉しい……!」

「よくわかんないけどラプンツェルもー!」

「私もジャックが幸せそうで何よりだわ」

「お嬢の身体から何やら殺気めいたオーラが……」

 

 ――恥じらいや不快、好奇心、感動、喜びと様々な反応を示す血式少女たちの姿だった。どうしてほぼ全員が揃っているのか一瞬考えたものの、すぐにその理由を思い出した。

 

「あー……そういえば私たち、探索に来てたんだっけ……」

「そ、そうだね。すっかり忘れちゃってたよ……」

 

 今親指姫たちがいるのは解放地区の街中でもなければ黎明の居住スペースでもない。今やメルヒェンの巣窟の一つと化している、かつては賑わっていたであろう元繁華街エリアだ。よくよく周りを見れば無人で寂れた店舗や建物がそこかしこに並んでいる。

 どうもジャックに気を取られすぎて周りの全てが見えていなかったらしい。そしてそれはジャックの方も同じのようだ。つまりは周りが見えなくなってしまうくらいお互いに夢中だということ。

 

「全く。私と話してるだけでそんなことも忘れるなんて、あんた私のこと好きすぎるでしょ」

「もちろん。でもそういう親指姫だって忘れてたんだから、同じくらい僕のことが好きなんだよね?」

 

 肘で小突き小馬鹿にしながら指摘してやると、一切の躊躇いも恥じらいも無い柔らかな笑みで返してくるジャック。

 以前までの親指姫ならここは否定するか誤魔化すところ。そして素直に生まれ変わった親指姫なら自分の気持ちを偽らず頷くところ。

 だが生まれ変わっただけでなく、更に大人の階段さえも登り成長を遂げた今の親指姫にとっては逆に頷くことができない問いだった。理由は簡単。ジャックが想いの強さを誤解しているから。

 

「はっ、馬鹿言ってんじゃないわよ。私の方があんたよりも気持ちが強いに決まってんでしょ?」

 

 親指姫がジャックを愛する気持ちの方が、ジャックが親指姫を愛する気持ちよりも格段に強いのだから。同じくらいなど思い上がりも甚だしい。

 

「あははっ、悪いけどそれはありえないよ。僕が君を想う気持ちは、君が僕を想う気持ちとは比べ物にならないくらい強いんだからね」

「へー、あんたにしては随分と威勢の良いこと言うじゃない?」

 

 しかし指摘してやってもジャックは未だ思い上がっていた。まるで自分の方が愛情が強く大きいと確信しているかの如き自信に満ち溢れた表情で挑発的な台詞さえ返してくる。こんな自信満々な表情のジャックも新鮮で見ていてなかなか面白いが、思い上がった奴にはお灸を据えてやらなければ。

 

「だったらどっちがよりお互いのことを想ってるか勝負よ! 吠え面かかせてやるから覚悟しなさい!」

「よーし、望むところだよ! 勝負の方法は分からないけど!」

 

 詰め寄って馬鹿面を睨み上げるとやる気に燃える瞳とばっちり視線が合う。

 もちろんジャックの瞳に敵意や怒りなど浮かんでいないが生意気なのは確かだ。勝負の方法も分からない癖にあっさり受けて立つところも含めて、妙に感情的というか直情的。やはりジャックは親指姫の人柄やその他の影響を色濃く受けてしまったらしい。つまりそれはジャックが親指姫の色に染まっているということ。

 

(……あーっ、ダメ! 睨みあってんのに頬っぺた緩んでくるわ!)

 

 嬉しさのせいで睨み合う最中に自然と微笑みを浮かべてしまい、同時にジャックの生意気な表情も微笑みへと変わる。睨みあっていたはずなのにいつのまにか幸せな心地で笑顔を向け合う親指姫とジャックであった。

 

「――変な勝負始めるな! ていうかあんたら本当にいい加減にしろー!?」

「何よ、赤姉。さっきからうるさいわね……」

 

 せっかく幸せに浸っていたのにまたしても水を射される。ジャックを睨んでいたものとは違う確かな非難を込めた視線を向けると、赤ずきんは何やら頭を抱えて溜息をついた。

 

「……ジャック、親指。まさかあたしがこんなこと言う羽目になるとは夢にも思ってなかったけど、あえて言わせてもらうよ。あんたたち――もうイチャラブ禁止だ!」

 

 そしてその口から放たれたのはあまりにも残酷で納得できない言葉だった。

 

「ええっ!? ど、どうし――」

「はああぁぁぁぁぁぁぁ!? ちょっと赤姉! 何の権利があって赤姉が私とジャックの関係に口挟むってのよ!? 私たちがイチャラブしたって私たちの勝手でしょ!?」

 

 ジャックの驚愕の声を遮り、赤ずきんに詰め寄って詰問する親指姫。面白がったり冷やかしたりならともかく、幾らなんでも親指姫とジャックがイチャラブすることを禁止する権利など無い。

 

「普段ならあんたたちの勝手だよ。あたしが口を挟む権利も無い。でもこの場ではちゃんと口を挟む権利があるんだ」

「だったら言ってみなさいよ! 一体何で赤姉に他人の恋路に首突っ込む権利があるっての!?」

「親指姫、ちょっと落ち着いて――」

「あんたは黙ってなさい、ジャック!」

「……はい」

 

 親指姫はちゃんと冷静なので宥められる必要などない。なので振り向いて一喝すると、ジャックは大人しく引き下がっていった。

 

「ふふっ。ジャックさん、意外と恐妻家ですのね」

「親指姫のお尻に敷かれていますね、ジャック~?」

「やっぱりそうなのかな、これ……」

 

 引き下がった先でシンデレラとかぐや姫に笑いかけられている。その会話内容についてちょっと思うところはあるが今はこちらが優先。親指姫は改めて赤ずきんに向き直った。

 

「……で? 何で赤姉に私たちのイチャラブに口を挟む権利があんのよ?」

「ここは仮にもダンジョンの中だ。メルヒェンやナイトメアに不意打ちされることだってある。あたしたちはともかく、周りが全然見えてないあんたたちは危なすぎるよ。そこを襲われたら一たまりもないだろ?」

「そ、そりゃあそうだけど……」

 

 嫉妬か何かかと思いきやまさかの正論。意表をつかれながらも何とか言い返そうとしたが胸の中の怒りは途端に萎んでいく。

 確かに先ほどは場所も状況も忘れてついついジャックと話し込んでしまった。赤ずきんに声をかけられなければあのままキスの一回や二回はかましていたかもしれない。というかジャックはどうか分からないが少なくとも親指姫はかますつもりだった。

 

「まあ、ジャックはともかくあんたがそこまでイチャつきたくなる事情は面白おかしく見てきたあたしたちだから良く分かるよ。だからあんたたちを守ってやったって別に良いんだけどさ、あんたたちは全然周りが見えてないから……そのせいで取り返しのつかない事態が起こる可能性はゼロじゃないんだよ?」

「っ……!」

 

 馬鹿にしているわけでも面白がっているわけでもない。赤ずきんは本気で心配してくれていた。そして周りどころかその心配さえ見えていなかった親指姫は自分がどれだけ愚かだったかを理解した。

 唐突に失われてしまうかもしれない今を楽しむために素直になったというのに、それで危険を作り出していれば本末転倒だ。何よりも自分でそこに気付いていなかったことが許せなかった。

 

「あんたたちだってそれは嫌だろ? 自分のせいで相手が傷つくなんてのはさ」

「……そうね。赤姉の言う通りだわ。もうあんな気持ちを味わうのはこりごりよ……ごめん、赤姉。怒鳴ったりして……」

 

 大切な人を失う絶望と悲しみ。それを本当に味わうこと、あるいはそれをジャックに味わわせること。どちらも絶対に嫌だ。

 親指姫は素直に頷き、赤ずきんに頭を下げた。しかし返ってきたのは別段気にした様子も無い眩しい笑みだった。

 

「良いって良いって! ちゃんと分かってくれたならそれで十分だよ。帰ったら二人で好きなだけイチャついて良いから、探索中だけはもうちょっと控えなよ?」

「分かったわ、赤姉……そういうわけだからジャック! 今日からは探索中にイチャイチャするのは禁止だからね!」

 

 振り返り、ジャックへと指を突きつけて言い放つ。思い通りに触れ合えないのは辛いが、安全のためには仕方ない。後でその分もイチャつけば良いだけの話だ。

 

「うん。残念だけど仕方ないよね。僕のせいで親指姫や皆を危ない目にあわせるわけにはいかないよ」

「私も同じ気持ちよ。あ、そういえばさっきは悪かったわね。あんたにも怒鳴ったりして……」

 

 宥めようとしたジャックを怒鳴りつけたことを素直に謝罪する親指姫。しかしこちらも気にした様子は無く、あっさり笑って許してくれた。

 

「ううん、気にしないで。最近の親指姫は素直になっちゃったから、あんな風に理不尽に怒鳴られる機会も減ってちょっと寂しかったところだし」

「怒鳴られる機会が減って寂しいって……あんた、マゾ?」

「マゾじゃないよ。それに……赤ずきんさんにあんなに食ってかかるくらい僕とイチャイチャしたがってるんだって分かって、嬉しかったから……」

「と、当然でしょ……今だって私、あんたとキスしたい気持ちを抑えてるんだから……」

 

 愛するジャックと触れ合える時間は何物にも変え難い、もっとも幸せで心安らぐ時間。それを奪われるとなれば相手が誰だろうと黙っていられるはずが無い。ジャックだって気持ち自体は同じはず。

 まあ親指姫の一喝で小さくなって引き下がってしまったジャックだ。赤ずきんに食ってかかることができるとは到底思えないし、それを望むのは酷というものだろう。

 

「う、うーん……それも良いけど、僕は抱きしめながらキスしたいなぁ……」

「だ、だからそういうのがダメだって言ってんの! 今は我慢しなさい! そ、その代わり、帰ったら好きなだけして良いわ……」

 

 親指姫が赤ずきんに食ってかかった事実が余程嬉しいらしく、ジャックは今にも抱きつきたそうにうずうずしていた。

 それ自体は別に構わないしむしろ望む所なのだが、親指姫の中では触れ合いではなくイチャつきに分類される。だから今は安全のために厳禁だ。

 

「……いや、だからあたしは今みたいにイチャつくの止めろって言ってんだけどさ」

「嘘でしょ!? 今の会話のどこにイチャついてる要素があったってのよ!?」

「た、ただ話してただけだよね、僕たち……?」

 

 なのでまたしても注意されたことでジャックと共に目を丸くしてしまった。まさか見詰め合って言葉を交わしているだけでイチャラブに分類されるとは。

 

「どこと言われても会話の始まりから終わりまで全てです~」

「イチャラブの定義は良く分からないのだけど、不思議と苛立ちを覚える会話だったわ」

「苛立ちは覚えませんでしたけれど、その……何だか照れ臭くなる会話でしたわね……」

「う、うむ。ワレも何故か顔があちゅい……熱いぞ!」

「自分でも気付けないくらい、親指姉様が自然にイチャイチャできるようになるなんて……う、ううっ……!」

「……ん……感無量……!」

「あはははっ! むりょー!」

 

 赤ずきんの偏見かと思い他の少女に視線を向けたものの、どうやら偏見ではないらしい。残念ながら妹たちを含めてほとんど皆がイチャついていると断定していた。

 

「えぇー……私たちがおかしいの?」

「どうだろう。もう自分じゃ良く分かんないよ……」

 

 お互いに夢中になり過ぎで自分を見失いがちだし、確かにちょっと感覚が麻痺している自覚はある。今やキスで終わる仲などではなく同じ部屋の同じベッドで寝起きしている上、身体さえ許しあう仲なのだ。今の親指姫たちにとってキスは最早ただの挨拶。もちろん愛情表現でもあるが、する時の気安さは挨拶とほぼ変わらない。

 とはいえまさか物理的に触れ合ってもいないのにイチャついていると言われるとは。あまりの認識の違いに親指姫とジャックはお互いに見詰め合って首を傾げるしかなかった。

 

「……あははっ。ダメだなぁ、見詰め合ってると何だか頬が緩んできちゃうよ」

 

 しかし見詰め合っているとジャックの表情にはすぐに微笑みが広がった。親指姫への深い愛しさを感じる、優しい微笑みが。

 

「あんた自制心無さすぎでしょ。少しは私を見習いなさい」

「見習えって言ってもそういう君だって笑ってるじゃないか。しかも僕より嬉しそうだよ?」

「し、仕方ないじゃない! あんたの笑顔見てると勝手にこっちも笑顔になんの!」

 

 自分が抱いている愛情の方が強いので、もちろんこちらも同種の笑みを浮かべている。見詰め合っていると堪らない愛しさが胸の内に溢れてきて、どうしても頬が緩み笑顔になってしまうのだ。以前までは照れ臭さで無意識に軽い暴力や罵倒に移れたというのに、今や無意識にじっくり堪能するようになってしまった。

 以前も今もほとんど変わらないジャックはともかく、どうやら親指姫は呆れるほどの天邪鬼か頭が痛くなるくらい素直になるかの二択しかない両極端な性格だったらしい。

 

「あーあ、ダメだこりゃ……」

「ふふふ。関係初期の頃と比べると親指姫は別人のようだわ。恋愛というのはそこまで人の内面を変えてしまうものなのね」

 

 本当に手の施しようがないくらいにお互いに夢中になっている親指姫とジャック。そんな二人に赤ずきんは心底悩ましそうに頭を抱え、グレーテルは興味深そうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 





 呼吸するようにイチャつく様はまごうことなきバカップル。2章あたりではアレだったのにこんなことになってしまうとは……。

 そういえば残念なことにメアリスケルター2が発売延期になったらしいです。6月末から7月中旬に。なんてこった。
 そんなわけでイチャイチャさせて何とか間を持たせる予定です。本編も楽しみだけどやっぱり恋獄塔の方が楽しみかもしれない……。



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ペナルティ


 『禁止令』と来て『ペナルティ』。そして1話のまえがきで書いた『最初の1、2話を前置きというか準備というべきか』という言葉。賢い人ならこの時点で余章の話の流れが何となく見えてきているのではないでしょうか。
 




 元繁華街エリアでの今回の探索は無事に終了した。元々ちょっとした依頼をこなす為の探索だったのでさほど時間はかからない見通しだったのだ。

 ただ無事に終了はしたものの、その最中にジャックと親指姫は事あるごとに赤ずきんから注意を受けてしまった。ジャックたちの認識では決してイチャついているわけではないものの、やはりこちらの感覚が麻痺しているのだろう。赤ずきんだけでなくほとんど全員からイチャついていると断定された。

 これが赤ずきんだけならからかい目的と取れなくも無いが、アリスやシンデレラにまで頷かれては納得せざるを得ない。そして本格的なお叱りを受けるのもまた仕方ない。

 

「それで……話ってやっぱり、今日のことだよね?」

「それ以外に何があんのさ。とりあえずそこに座りなよ、二人とも」

 

 探索から帰還してしばし休息を取った後、ジャックと親指姫はお叱りのために食堂へ呼び出されてしまった。

 食堂で待ち構えていたのは呼び出した主の赤ずきんに加えてシンデレラとアリス、そしてグレーテル。この四人がいるのは別におかしくはないものの、かぐや姫の姿もあるのがジャックとしてはちょっと意外だ。

 

(かぐや姫、何かニヤニヤ笑ってる……)

 

 そして何故かさも愉快そうに笑っているのがまた意外というか、どことなく不安だった。その笑顔がジャックと親指姫の関係がぎくしゃくしていた頃に頻繁に見られた、からかいの笑みと同じなので余計に。

 

「それで何なのよ、赤姉? 言っとくけど私たち用事があったんだからね?」

「あんた全然反省してないね、親指……いや、あんたたちに悪気はないのは分かってるんだけどさ……」

 

 席についた親指姫の第一声に赤ずきんが深い溜息をつく。

 この場で更に休息中に何をやっていたかを口にしてしまうとさすがに怒られそうだ。

 

(ついさっきまでイチャイチャしてました、なんてこの場で言えないよね……)

 

 なのでその事実はそっと胸の奥に秘めておく。

 帰還してからのしばしの休息では懲りずに部屋の中でイチャイチャしていたのだ。もちろんそれは赤ずきんたちにとってではなく、ジャックたち自身がイチャイチャしていると認めるレベルの触れ合い。確かに反省していないと言われても仕方ないかもしれない。

 

「私だって反省してるし止めようと努力だってしてたわよ? でもこの大馬鹿が笑いかけてくると自然に……」

「あははっ。大馬鹿は酷いよ、親指姫」

「ジャック、あんたもか……」

 

 親指姫に親指で示されるおかしさ、そして休息時の出来事につい笑ってしまう。

 大馬鹿と罵りつつもその大馬鹿に猫撫で声を出しつつたっぷり甘えてきたのだから笑うなと言う方が無理だ。なので親指姫と同じく反省の色が見られないと思われたのか、またしても赤ずきんは溜息をついていた。

 

「……まあ、あたしたちもだいぶ人数が多くなってきたし、探索の時はあんたたちを中央にでも据えればぶっちゃけほとんど問題ないよ。だけど万が一のことを考えると周りが見えてないのは問題だし、何より全体の士気にも関わることだからさすがに見過ごせないね」

「ええ、確かに赤ずきんさんの言う通りですわ。お二人の関係に口出しするつもりはありませんけれど、さすがに時と場所を選んだ方がよろしくてよ?」

「もちろん私たちがあなたを守るけれど、やっぱりジャック自身も周囲にある程度は気を配れる状態であるべきよ。親指姫と触れ合うことはいつでもできるでしょう?」

「う、うん。僕もそう思って努力したんだけどね……」

 

 至極真っ当な理由のせいかシンデレラやアリスも真顔で頷く。

 一応ジャックも気をつけてはいたのだが結果としては無意味だった。まるで息をするように自分でも意識せず親指姫と触れ合い、皆の認識でのイチャイチャをしてしまったのだから。

 

「だけど白雪姫と眠り姫はむしろ士気が上がっているわね。親指姫たちが心置きなく触れ合えるようにしなければと俄然やる気を出していたわ」

「ですが赤ずきんやわらわのようにやる気が削がれるのが大半です。なのでこれは真に忌々しき事態です~」

「あんたはいっつもやる気ないでしょうが!? 私たちのせいにすんじゃないわよ!」

(代弁ありがとう、親指姫。僕もちょっとそう思ったよ)

 

 指摘しにくかったジャックに代わり、しっかりそこにツッコミを入れてくれる親指姫。まるで気持ちが通じ合っているかのように思えてまたしてもジャックは幸せに笑ってしまった。

 

「あー、本当にダメだこいつら……」

 

 そんなジャックたちに溜息をつき、額を押さえて呻く赤ずきん。まるでもう手の施しようがないと嘆いている姿。

 だがジャックはそこで確かに見た。赤ずきんの口元に面白おかしそうな笑みが浮かんだのを。

 

「よし、じゃあこうしよう。今度探索中にイチャイチャしたらあんたたちには罰ゲームを受けてもらおうか。とびっきり恥ずかしい感じの罰ゲームをね!」

「ええっ!? 罰ゲームって何!?」

 

 そして今度は包み隠さず笑顔で紡がれた謎の提案。これには隣の親指姫も目を剥いて驚いていた。

 

「じょ、冗談でしょ!? 何で罰ゲームなんか受けなきゃんなんないのよ!?」

「だってそうでもしなきゃあんたたち絶対イチャつくのやめられないだろ? 皆はどう思う?」

「私は反対だわ。ジャックは控えようと懸命に努力しているのに罰を与えるなんて……」

「けれど考えとしては妥当なものだと思いますわ。ジャックさんたちはもう自分ではどうしようもないほど重傷な恋の病にかかっているようですし……」

「やはり恋は人を狂わせるのですね~。ツンデレの親指姫がデレデレになってしまうとは今でも信じられません」

「ふふっ、そうね。以前の親指姫の様子や言動を思い出すと現実かどうか疑うのも無理は無いほどの豹変振りだものね」

 

 赤ずきんに意見を求められた少女たちが思い思いの言葉を口にする。

 残念ながら明確に反対してくれているのはアリスのみ。シンデレラは至極まともな理由で賛成派のようだ。グレーテルはどっちなのか分からないが、かぐや姫が賛成派なのは考えるまでもなかった。

 

「ば、馬鹿にすんじゃないわよ! 私とジャックのはもう恋なんてちゃちなもんじゃないんだから!」

「あははっ、突っ込むところはそこなんだ。親指姫がこんなことを言ってくれるなんて、本当に夢みたいだなぁ……」

 

 明らかにニヤニヤ笑っている赤ずきんとかぐや姫が目の前にいるのに、親指姫が真剣な顔で指摘したのはそこだった。嬉しくて嬉しくてまたしてもジャックは笑ってしまう。

 

「あんたはまたそういうこと言ってるし。そんなに信じられないってんなら前までの私に戻ってやっても良いわよ?」

「う、うーん……そりゃあ前までの親指姫も嫌いじゃないけど、やっぱり今のままの親指姫でいて欲しいな。せっかく素直に二人で何でもできるようになったんだしね?」

「だったら夢見たいとか言ってないで素直に喜びなさいよ。私は、あんたの喜ぶ顔が見たいんだから……」

「親指姫……」

 

 僅かに頬を染めながらも、しっかりジャックと目を合わせて自分の本音を口にしてくれる親指姫。喜ぶ顔が見たいのはもちろんジャックも同じだ。やはりお互い気持ちは通じ合っている。なのでもうお約束のようにジャックは笑い、それを目にした親指姫もまた笑っていた。

 

「……一つ確認しておきたいのだけれど、必ずしもジャックに罰を与えるわけではないのよね?」

「まあね。どっちに罰を与えるかとか、内容とかは皆で相談して決めるってのが良いんじゃないかな?」

「……そうね。ジャックたちの身の安全に関わることだもの。心を鬼にするくらいが丁度良いかもしれないわ」

(あれ!? アリスまで賛成派に回っちゃった!?)

 

 笑いあうジャックたちの姿が余程気に入らなかったのだろうか。手の平を返すようにアリスまで罰ゲームに賛同していた。何故か親指姫をじっと睨みつけて。

 

「ああ、そう。あんたならそう言うと思ってたわよ、アリス……!」

(親指姫もアリスも顔怖いよ……何かこの二人仲悪くなった気がするなぁ……)

 

 親指姫は憎々しい睨みを返し、空中に火花を散らす光景を幻視させる。

 やはり皆の前でも遠慮なく触れ合うようになったどころか、むしろ積極的に触れ合い見せ付けるようになったことが原因なのだろう。素直になってからというもの、何故かこの二人は微妙に仲が悪くなっていた。もっと正確に言うなら皆に多大な迷惑をかけたあの朝の辺りから。

 

「よし、これで満場一致で罰ゲーム決定だ! というわけで親指には早速今日の分の罰ゲームを受けてもらうよ!」

「な、何でいきなり私なのよ!? そういうのは普通男のジャックに受けさせるべきでしょ!?」

 

 高らかに宣言する赤ずきんに対してこちらを指差しながら反論する親指姫。しかし突っ込むべきところは罰ゲームの対象ではなく、この場に全員いるわけではないのに満場一致にされていることではないだろうか。

 

「今までのことを考えると親指姫に罰を与えた方が面白くなりそうですからね~。親指姫のためなら下僕にも奴隷にもなるジャックに罰を与えてもつまらないです~」

「つまらないか面白いかが判断基準なんだね。本当に僕たちへの罰なの……?」

「そんなのやってみないと分かんないじゃない! ほらジャック、私の代わりに罰ゲーム受けなさい! 恋人命令よ!」

「まぁ!? あっさり恋人を身代わりにしましたわ!?」

「ふふっ。辱めに対してはジャックよりも自分の身が優先なのね。他に自分の身を優先する事柄は一体幾つあるのかしら」

 

 背中を押され生贄としてともされるジャックの姿を目にしてシンデレラが目を丸くする。まあさっきまでラブラブな雰囲気を醸し出していたのに突然自分の保身に走れば驚くのも無理は無い。しかも恋人を生贄にするのならなおさらのこと。

 まあグレーテルはさして驚いた様子もなく薄い笑みを浮かべていたのだが。

 

「ええっ……ま、まあ、君のためなら……」

 

 ちょっと納得行かないが親指姫が辱められるなら自分が辱められた方がマシだ。なので一応自分が代わりに受ける気で頷いたものの、アリスが首を横に振ってそれを押し留めてきた。

 

「いいえ、ジャックが罰ゲームを受ける必要は無いわ。受けるべきなのは恋人を身代わりにしようとする捻じ曲がった性根を持つ親指姫の方だもの」

「へー……捻じ曲がったなんて随分なこと言ってくれるじゃない、アリス?」

(やっぱり仲悪いなぁ、何とか仲直りさせてあげられないかな……)

 

 またしても睨みあう二人に自然とそんな想いを抱く。

 原因として考えられるのはやはり目の前でイチャイチャされることくらいか。それが気に障るからだとすればもうちょっと控えれば仲直りしてくれるかもしれない。ということはやはりこの罰ゲームを受けるしかないというわけだ。

 

「まあ今のやり取りで皆も親指に罰ゲームを受けさせるのは賛成だよね。そういうわけだからジャック、あんたにはしばらく席を外してもらうよ」

「えっ、どうして?」

「良いからしばらくどっか行ってな。理由は後で説明してあげるよ」

「う、うん……それじゃあ親指姫、僕ちょっと販売所にでも行ってくるよ」

 

 理由は分からないがジャックがここにいると都合が悪いらしい。親指姫のことが酷く心配なものの、残念ながら逆らって良い立場ではない。なのでジャックは仕方なく席を立った。それと同時、隣の親指姫が恨めしい視線で見上げてくる。

 

「恋人を見捨てていくなんて最低な奴ね。覚えてなさい、ジャック……」

「身代わりにしようとしたあなたが言う台詞ではないわ。恥を知りなさい」

「……えっと、あんまり親指姫に酷いことしないでね?」

「心配いらないよ、ジャック。きっとあんたもお気に召すような罰ゲームになるからさ!」

 

 堪らなく不安で心配だができることは何も無い。無力なジャックは後ろ髪引かれる思いを抱えながら食堂を後にした。

 せめて親指姫が罰ゲームを終えたなら、いっぱい甘えさせて心を癒してあげようと心に決めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じょ……冗談、よね? まさか、本当に私にそんなことさせる気……?」

 

 ジャックが去った後、罰ゲームの内容を聞かされた親指姫は予想を上回る惨さに冷や汗をかいていた。いくら罰ゲームだろうと何だろうとものには限度というものがある。そして内容は明らかにその限度を超えていた。

 

「ジャックに調教されて素直になったあんたを辱めるにはこれくらいはやらないといけないからね。じゃなきゃ罰ゲームになんないよ」

「だから私は調教なんてされてないってのに……って、そんなことはどうでも良いのよ! こんな罰ゲーム絶対やんないわよ!」

「可愛らしくて良いではありませんの。ジャックさんもきっと可愛いと褒めてくれますわよ?」

「…………そ、それでもやんないわよ! だってこんなの馬鹿みたいじゃない! どういうプレイなのよ、これ!?」

 

 ジャックが褒めてくれるというシンデレラの言葉に数秒ほど迷ったものの、やはりできるわけがない。なので親指姫は手渡されたモノを赤ずきんへとつき返した。

 

「まあ、どうしてもできないっていうならそれでも良いよ。その代わり……次から探索に行く時はあんたはお留守番だ」

 

 するとそれを受け取りつつ、そんな意味ありげな言葉をかけてきた。以前までは良く見かけた、さも愉快そうなニヤニヤ笑いで。

 

「はあっ? お、お留守番って……ジャックはどうなんのよ?」

「もちろん私たちと一緒に来てもらうことになるわ。ジャックの力は必要不可欠だもの」

「つまりジャックは恋人を置いて他の女子と旅に出る、ということですね~。もしかすると、親指姫がいないのを良いことにジャックは浮気をするかもしれませんよ~?」

 

 同様にニヤニヤ笑いながら口にするのはかぐや姫。

 きっとジャックが浮気をするかもしれないという不安に狼狽する親指姫の姿が見たくて堪らないのだろう。最近は自分たちが素直にイチャイチャラブラブしているため心底つまらなさそうにしていたのだから。

 しかし残念ながら期待に応えてやることはできなかった。それも当然。不安など感じていないから。

 

「……はん。残念だったわね、グータラ姫? ジャックは私一筋だから他の女に手を出したりはしないのよ。動揺すると思ったなら大間違いだっての」

「そ、そんな……!」

 

 故に親指姫は鼻で笑い飛ばし、逆に動揺するかぐや姫の姿を見下す。

 ジャックがどれだけ親指姫のことを愛しているかは心でも身体でも深く理解している。どれだけ一途なのかは言わずもがなだ。更には手を出しても構わないと伝えたのに裏の裏まで親指姫の気持ちを考え、自分の欲望を抑え込み手を出してこなかった呆れ返るほどの優しさと誠実さ。そんなジャックが親指姫が傷つくと分かっていながら浮気などするだろうか。もちろん答えは否だ。

 

(それにあいつ、やっぱロリコンみたいだし……)

 

 本人は否定していたものの、大人な触れ合いの時のことを考えるとまず間違いない。故に少なくともこの場にジャック好みの女の子はいない。それに親指姫とジャックの関係は極めて良好だし、求めるものは互いに余すことなく捧げ合っている。お互いに毎日幸せいっぱいで充実しているのだから浮気など考えるわけもない。

 

「ふふっ。ジャックさんのこと信頼していますのね? 素敵な関係ですわ……」

「ま、私たちは超ラブラブのカップルだしね。そこらの半端なカップルとは桁が違うわけよ。ねえ、アリス? あいつは周りが見えなくなるくらい私に夢中でしょ?」

「……そうね。確かにジャックはあなたに夢中だわ」

 

 羨望を滲ませた溜息をつくシンデレラの言葉を受け、最近妙にキツイ態度を取るアリス目掛けて容赦なく惚気る。

 そんな態度を取られる理由は何となく分かるのでどうにも恨めしい気持ちを抱けないが、だからといって控える気も遠慮する気も無かった。少なくともアリスに対しては正面から受けてたつのが礼儀というものだろう。なのでいっそ殺意すら感じそうなアリスの視線を堂々と仁王立ちで受けた。

 

「ふぅん、親指姫はジャックが自分以外の異性に手を出すことは無いと考えているのね。だから浮気については何の不安も恐れも無い、ということ。それなら逆の場合はどうなのかしら?」

「……逆?」

 

 そこで不意にグレーテルの指摘が入る。ちょっと意味が分からなかったので首を傾げると、更に補足が入っていく。

 

「ジャックが異性に手を出すのではなく、異性がジャックに手を出す場合。その可能性があるとした場合はどうなのかしら?」

「そ、そんなことあるわけ……あるわけ……」

 

 先ほどと同じく鼻で笑い飛ばそうとするものの、自然と言葉が途切れていく。

 残念ながらジャックに手を出す可能性のある女の子が思い浮かんだからだ。具体的にはすぐ近くにいる黒髪ショートの少女とか。あとは恐らくジャックの好みど真ん中であろう長く綺麗な金髪を持つ幼女とか。

 前者は得体の知れない恐怖があるというか、何をやらかしてもおかしくない気がしてならない。そして後者は無邪気かつ悪気無くジャックへ迫り、好みど真ん中であるが故にさしものジャックでも間違いを起す可能性が無くも無い。

 

「あ、あはははっ! ふ、不安なんてあるわけ、な、ないじゃない! そんなことする奴なんてい、いな、いないわよ!」

「ど、どう見ても動揺していますわね。ジャックさんへの信頼はどこへ行ってしまいましたの……?」

 

 必死に平静を装うもあっさり見破られてしまう。

 誠実で優しいジャックもやはり男でケダモノだと言うことは親指姫が一番良く分かっている。強烈な色仕掛けでもされて無理やり迫られれば本人の意思に関わらず堕ちてしまう可能性はゼロではない。せっかく何の不安も無かったというのに、今この場で不安の種として親指姫の中に根付いてしまった。

 

「それじゃあもう一回聞くよ、親指。ちゃんと罰ゲームを受ける? それとも、ジャックが誰かの毒牙にかけられるかもしれないのに一人でお留守番かな?」

「……何故皆で私を見るのかしら」

「い、いえ、別に……」

 

 皆の視線が自分に集中したせいかアリスが微かな怒りを漂わせる。咄嗟に視線を逸らしたのはシンデレラだけだった。

 親指姫への罰ゲームは発案者である赤ずきんの正気を疑うような内容だ。はっきり言ってこれは罰ではなく面白がってふざけているとしか思えない。だが探索中にイチャイチャしてしまう自分を戒めるにはこれ以上無く効果的なのも事実。痛くも痒くもない罰を受けたって何の意味も無い。

 それに親指姫だってできれば探索中は控えたい。万が一のことが起きて取り返しがつかなくなるのは絶対に嫌だ。ジャックにはこれからも変わらず、一生自分に添い遂げてもらうのだから。

 

「さあ、どうする親指?」

「……上等じゃない! やってやるわよ! 大人の女の覚悟ってもんを見せてやるんだから!」

 

 そしてもちろん他の女には渡さない。例えどんな辱めを受けることになろうとも。

 覚悟を決めた親指姫は再び手渡されたそれを自ら身に着け、自分を奮い立たせる一声を上げた。とても甲高い、まるで鳴き声のような一声を。

 

 

 





 何か妙に仲悪い二人がいますが気にしない方向で。
 果たして親指姫に課せられた罰ゲームとは。とりあえず次回は予想外に長くなったので二分割になりそうです。
 というかやっぱり私の書いたイチャラブ小説の中でも一番イチャついている気がする……気のせいかな……?



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ねこねここねこ(前編)


 タイトルは何かこれが相応しいような気がしました。ちなみに「ねこねここねこ」で私の頭に最初に浮かぶのは、某RPGのけん玉を武器にする少年魔法使い。あんまり面白い格好が他に無いのでずっと着ぐるみだった記憶があります。
 そういえばメアリスケルターでは親指姫は大体ずっとブラッドウィッチでした。一見まともな格好に見えるのに実際には太股むき出しのえっちぃ格好。上はちゃんと厚着なのに下はブルマみたいなのが堪りませんね!





(うーん……親指姫、大丈夫かな。苛められてないかな?)

 

 物資販売所で適当に時間を潰し黎明に戻ったジャックは、真っ先に食堂を目指して歩いていた。

 もうそろそろお昼なので空腹といえば空腹だがそれが理由ではなく、もちろん親指姫のことが心配だから。ずっと食堂にいるはずが無いとしてもやはり確認しておきたくなるくらい。それに販売所で商品を物色している時も気になって気になって仕方なかった。やはりジャックの頭の中はもう親指姫のことしか詰まっていないらしい。

 ちなみに今日はイチャイチャする相手を連れずに一人で行ったせいか、くららは普通に歓迎してくれた。しかし毎日のように目の前でイチャイチャされていたせいできっと毒されてしまったのだろう。帰り際にはいまいち刺激が足りない感じの物足り無い顔をされた。ここまで来るともう申し訳ないとしか言いようが無い。

 

「おっと。ちょうど良いとこにきたね、ジャック? ちょっとこっち来なよ」

 

 罪悪感と不安を抱えながら皆の部屋の前を歩いていると、唐突に赤ずきんが姿を現した。何故かジャックと親指姫の愛の巣、もとい部屋の中から。

 

「あっ、赤ずきんさん。親指姫は無事なの?」

「無事ってあんた、あたしたちが何すると思ってたんだ……良いからちょっとこっち来て耳を澄ませてみなよ?」

 

 一旦眉を顰めた後、眩しい笑顔で扉を叩きジャックを招いてくる。何だかとても楽しそうだ。というか結局親指姫はどうなったのか。赤ずきんの言葉に従うためというより、親指姫の安否を確認するために歩み寄っていく。

 

「それよりも赤ずきんさん、親指姫は――っ!?」

 

 その時――にゃーん。

 そんな可愛らしい鳴き声が扉の向こうから聞こえて、ジャックは息を呑んだ。一瞬耳を疑ったところでもう一度――にゃおーん。

 

(……えっ!? ぼ、僕の部屋に猫ちゃんがいる!?)

 

 理由は分からないが間違いなくいる。いや、理由はどうでも良い。猫が部屋の中にいるという事実が大事だ。

 

「あ、赤ずきんさん、もしかして……」

「ああ、とっても可愛い猫だったよ。たぶんもの凄くあんた好みの猫じゃないかな?」

 

 ニヤリと笑いながら頷く赤ずきん。どうして話したことも無いのにジャックの猫の好みが分かるのか一瞬気にかかったものの、やはりそんなことはどうでも良い。

 

「そっか……よし、怖がらせないようにゆっくり行かないとね。触らせてくれる猫ちゃんだと良いなぁ……」

 

 部屋の中の猫を刺激してしまわないよう、慎重に扉を開けていく。その最中に聞こえたのは――にゃー。どことなく怯えたような鳴き声だ。

 元々猫は警戒心の強い生き物。経緯は不明だが状況的にはこの部屋に閉じ込められたのと同じ。こちらを警戒するのは無理も無い。できればそのお腹に顔を埋めてモフモフしたいがさすがにそれは難しいだろう。

 

(せめてちょっとで良いからナデナデしたいなぁ。一体どんな猫ちゃんなんだろう?)

 

 期待に胸を躍らせながら少しずつ扉を開いていく。しかし不意に頭に浮かんだ懐かしい出来事に自然と手が止まった。

 

(そういえば前にもこんなことがあったっけ。あの時は親指姫が猫の鳴き真似をして狭い所にいるのを誤魔化そうとしてたんだよね)

 

 それは交際を始める前のこと。

 親指姫は狭い所が好きで安心できるらしく、あの時は廊下の物陰で隠れるようにして安らいでいた。しかし偶然通りかかったジャックに物音を聞かれ、猫の鳴き真似をして誤魔化そうとしたのだ。まあ結果的には逆に興味を引いて引き寄せてしまい失敗していたものの、鳴き声は完璧に本物の猫のそれであった。

 

(猫の鳴き真似本当に上手だったなぁ。できればもう一回くらい聞いてみたいけど、さすがにそんなこと頼むのはおかしすぎだよ……)

 

 猫の鳴き真似をして欲しい、などとお願いするのは明らかにおかしい。ジャックに夢中な親指姫でもさすがにそれは引いてしまうだろう。思わず苦笑するジャックはそんな儚い願いを振り払うと、開いた扉の隙間から部屋の中を覗き込んだ。

 

「――え?」

 

 そして、固まった。予想外の光景に対する驚きのあまりに。

 部屋の中には猫は一匹も見当たらなかった。中からあんなに可愛らしい鳴き声がしていたのに。

 しかし代わりに女の子が一人カーペットの上に座り込んでいた。何故か赤い髪の間から黒い猫耳を生やした、愛しい愛しい親指姫が。

 

「にゃー……」

 

 その口から零れたのはどことなく元気が無さそうな、本物としか思えないほど完璧に再現された猫の鳴き声。

 そう、つまりさっきまでの鳴き声は親指姫の口から出ていたものだったのだ。

 

(な、何て……何て可愛い猫なんだ!!)

 

 正気を取り戻したジャックが一番最初に抱いた思いはそれであった。どうして親指姫が猫耳をつけているのかとか、どうして酷く機嫌が悪そうなのかとかは二の次で。

 もうこの可愛らしさの前では理由や疑問などどうでも良かった。ジャックにまじまじと自分の姿を眺められているせいか、親指姫は不機嫌そうな表情のまま頬を染めて視線をそらしてしまう。しかしその反応もまた可愛らしい。

 

「これが親指への罰だよ、ジャック。猫耳つけて猫の真似して過ごすっていう面白おかしい罰さ。なかなか似合ってるだろ?」

「うん。それはもうびっくりするくらい似合ってるよ。でも本当にこんなのが罰なの? 親指姫はともかく僕にとっては全然罰でも何でもないんだけど……」

 

 猫真似を強制されている親指姫はだいぶ恥ずかしそうで機嫌も悪そうだが、当然ジャックの方は痛くも痒くもない。というか胸の中が暖かくて油断するとにやけてしまいそうなくらい幸せな気持ちだ。

 あと気を抜くと今すぐ走り寄って撫で回したい気持ちでもある。

 

「これは親指への罰であんたへの罰じゃないからね。心配しなくても次はあんたの番にしてやるから楽しみにしてなよ?」

「あ、あんまり楽しみにはしたくないかな。今の親指姫みたいなことを強制されると思うと……」

 

 思わず自分が今の親指姫と同じ仕打ちを受けた場合のことを考えてしまい、怖気に震えてしまうジャック。

 可愛らしくて意地悪な恋人にリボンを付けられるという屈辱を受けたことはあるものの、あの時はリボンを付けるのみで人語を封じられたりはしなかったし、後でご褒美にいっぱいキスしてもらった。しかし今回の場合は人の言葉を話すことすら許されない上にご褒美も無しだ。それはあまりにも辛すぎる。

 

「だったら探索中にイチャつくのを止めるよう努力しな。さてと、それじゃあ本格的に罰ゲーム開始だ! ジャック、そこの機嫌悪そうな猫を散歩に連れてってあげな!」

「にゃっ!?」

 

 以前は頻繁に見られた面白おかしそうな笑みを浮かべ、機嫌悪そうな猫を指差す赤ずきん。当然ながら指されたのは親指姫であり、猫真似しながらの散歩という惨たらしい仕打ちを命じられ目を丸くしていた。

 

「えっと……ちょっと良いかな、赤ずきんさん?」

「ん? どうしたのさ、ジャック。リードが必要なら用意してやるよ?」

「い、いらないよそんなの……そうじゃなくて、散歩ってことは今の親指姫を連れて外に出ないといけないってことだよね? 今の、猫みたいな親指姫を……」

「当たり前じゃんか。人前であんな格好でにゃーにゃー言うのはさすがに今の親指でも辛いだろ?」

「にゃー……」

 

 視線を向けられた親指姫は覇気の無い鳴き声を零し、酷く疲れを感じる表情であらぬ方向を見る。さすがに生まれ変わって成長を遂げた親指姫でもこれは辛い仕打ちのようだ。まあ考えるだけでジャックでも辛いのだから当然と言えば当然だが。

 しかしこれは自分たちを罰し律するために必要な仕打ち。愛する人だけでなく、他の皆までも危険に晒す可能性を失くすために。辛くなくては意味が無いし、止めて欲しいとお願いできる立場でもない。

 

「……ごめん、赤ずきんさん。今の親指姫を連れて外に出ることだけは許してもらえないかな?」

 

 それでもジャックは願ってしまった。自分の心の内に生じた想いにあらがえず。

 

「ジャックー? いくら親指が可哀想だからってそれは認められないよ。これは親指を辱めるのが目的なんだからさ」

「ち、違うよ。親指姫が可哀想とかじゃなくて……いや、可哀想は可哀想なんだけど……そうじゃなくて……」

「……にゃ?」

 

 厳しい視線を向けてくる赤ずきんから目を逸らして親指姫の姿を見る。理由が分からないせいか首を傾げ、丸い緑の瞳でじっとこちらを見上げてきている。

 赤のツインテールはまるで尻尾のように揺れているし、鳴き声はもう本物としか思えないほどの再現性。恋人としての贔屓目を抜きにしても声も姿もとてもとても可愛らしい。

 だが贔屓目もプラスされているジャックが感じたのはただの可愛らしさではなかった。頭に付く言葉は『とても』でも『非情に』でも、『死ぬほど』でも無い。

 

「あ、あんなに可愛い親指姫の姿、他の男に見せたくないんだ……できれば、僕だけが見ていたいなぁって……」

「にゃっ!?」

 

 自己中心的にも『他の男に見せたくないほど』だった。

 

「うわー……!」

 

 そんな答えが返ってくるとは予想もしていなかったのだろう。赤ずきんは可愛らしくも頬を染めるとちょっと反応に困ったように視線を彷徨わせていた。

 

「ダメ、かな? 代わりに僕が幾らでも罰を受けるから、それだけは許して欲しいんだ」

「あー……わ、分かったよ。あんたにそこまで言わせるなんてよっぽどだからね……出歩かなくて良いけどその代わりこの区画ではずっと猫のままでいてもらう、ここまでなら妥協してやるよ」

「う、うん。ありがとう、赤ずきんさん……」

 

 しっかり頭を下げて頼み込んだ結果か、それともあまりにもらしくない言葉を口にしたせいか。とにもかくにも外を出歩くことは勘弁してもらえた。

 髪飾りに近いものを身に着けただけでその姿を他の男に見せたくないなど子供っぽいにもほどがある想いだ。しかしそれでも見せたくないと思ってしまったのだから仕方ない。

 

「それにしてもジャックがそんな独占欲いっぱいのこと言うなんてびっくりだよ。あんた本当に親指のことが好きなんだね……」

「にゃあにゃあ!」

 

 呆れを通り越して感心すら見える顔で呟く赤ずきんと、笑顔で可愛らしい鳴き声を上げる親指姫。猫語が分かるわけではないが何となく『あったりまえよ!』と言っているように聞こえた。

 

「さて、と。じゃあ散歩は無くなったしそろそろお昼ごはんにしようか。ジャック、食堂に行くよ?」

「そうだね。じゃあ親指姫、おいで?」

「……にゃー」

 

 思わず本物の猫を呼ぶような言い方をしてしまうと、親指姫はちょっとむっとした顔をしながらもジャックの下へと歩み寄ってきてくれた。歩くと揺れるツインテールはやはり尻尾のように見えてとても可愛らしい。

 恋人としての贔屓目もあるのは間違いないが、この可愛さを感じているのはジャックだけではないはずだ。なので頬を緩ませつつ隣の赤ずきんの表情を盗み見ると、もちろんそこにはジャック同様の微笑みが広がっていた。ただし、明らかに何か企んでいる悪い微笑みが。

 

「おっと、何やってんのさ親指?」

「にゃ?」

「あんたは猫なんだから二足歩行で歩くなんておかしいだろ? ちゃんと猫らしく歩きなよ。這いつくばってさ」

「にゃあっ!?」

 

 そしてあまりにも鬼畜な命令がその口から飛び出した。

 よく親指姫にドSと言われるジャックだが、たぶん今の赤ずきんのように嫌らしい笑みで鬼畜な命令をする人をドSと言うのだろう。

 

「あ、赤ずきんさん、さすがにそれは……」

「あたしだってここまではやりたくないよ。でもこれはあんたたちのためでもあるからね。あたしも罪悪感を堪えて心を鬼にするさ」

「だったらどうして笑ってるの……?」

 

 言っている事はもっともだが明らかに楽しそうな笑みを浮かべているので説得力に欠けていた。

 というか薄々勘付いてはいたが赤ずきんやかぐや姫は罰ゲームにかこつけてジャックたちで楽しむことが目的ではないだろうか。

 

「ま、どうしてもできないっていうなら別にやらなくて良いよ。ただしその代わり――親指はお留守番、だね?」

「……っ!!」

「あ、それでも良いんだ。うん、じゃあそうしなよ親指姫。お昼は運んできてあげるからね」

 

 楽しむことが目的だと思ったが意外にも優しい対応。確かに部屋でお留守番なら誰の目にも留まることはない。なのでジャックはそれを薦めたものの、何故か親指姫は酷く不安そうな表情をしていた。

 

「あはははっ、ジャックは優しいなぁ。でもそういうことじゃないんだよ」

「え、そういう意味じゃないの? あ、もしかして僕と一緒に食べたいのかな? じゃあ僕もこっちで君と一緒に食べるよ」

「にゃぁ……」

(……あれ、そういうことでもないのかな?)

 

 この提案にも表情は晴れない。

 一体何が不安なのだろうか。少なくともジャックには原因が分からなかった。

 

「どうする親指? 大人しくお留守番するか、それとも猫みたいに四つん這いで歩くか。さあ、どっちか選びな!」

「ウウゥゥゥゥゥ……!」

 

 踏ん反り返って命じる赤ずきんに威嚇染みた唸り声を上げる親指姫。

 もしかするとお留守番と言う言葉には何か別の意味が含まれているのかもしれない。そうでもなければ悩む必要も無い選択肢に対して屈辱と羞恥で顔を真っ赤にするはずがない。

 

「えっ、親指姫……!?」

 

 そして、そんな表情をしながらも床に膝を付こうとするわけもなかった。

 

「うわー、本当にやる気だよ……やっぱりあんたらお互いのこと本当に大好きなんだなぁ……」

「にゃー! にゃにゃー!」

 

 床に両膝を突いた親指姫が呆れた様子の赤ずきんを睨み上げつつ何かを言う。ジャックの理想も幾分入った予想だが、恐らく『好きあってんじゃないわ! 愛し合ってんのよ!』だと思われる。

 

(……何だか良く分からないけど、親指姫は僕のためにここまでしようとしてるんだ。それなら、僕だって……!)

 

 親指姫はジャックのために猫真似しながら床を這い蹲るという屈辱的な選択をしたのだ。最近はやたらに世話を焼かせてしまっている上、元々は照れ屋で恥ずかしがりな親指姫にここまでさせる。一生を共にするパートナーとしてはさすがに指を咥えて見ているわけにはいかない。

 ここでジャックがすべきことは、耐え難い辱めから愛する少女を救い上げること。

 

「――にゃっ!?」

「おおっ!? ちょ、ジャック!?」

 

 故にジャックは文字通り親指姫を救い上げた。膝の裏と背中に腕を回し、その小柄な身体をお姫様抱っこすることによって。

 別に身体を抱きしめることは初めてではないしもっと凄いことをした経験が何度もあるのに、腕の中の可愛らしい子猫は赤くなって縮こまっていた。場違いにも一瞬だけこのままベッドに運びたいと思ってしまうジャックだった。

 

「今の親指姫は猫なんだからこんな風に抱き上げて運んだって構わないよね、赤ずきんさん?」

「そ、それは認められないよ、ジャック。これは親指への罰なんだから」

「だからって女の子に地べたを這い蹲らせるなんていうのはやり過ぎだよ。幾らなんでもそんなの見過ごせるわけないじゃないか」

「けどあんたの要求はさっき呑んだばっかりだし、これじゃあ罰ゲームの意味もほとんど無くなるしさ……」

 

 赤ずきんは多少困った顔をするが認める気は無いらしい。

 しかし猫真似くらいならともかくとして、四つん這いで床を歩かせるなど明らかに罰ゲームの範疇を超えている。男ならまだしも相手は女の子。それも自分の愛する少女だ。そんな恥ずかしい真似は絶対にさせない。

 

「……そっか。どうしても認めてくれないなら僕にだって考えがあるよ、赤ずきんさん」

「考え?」

「にゃー?」

「赤ずきんさんにだって僕の血は必要だよね? どうしても認めてくれないっていうなら――赤ずきんさんにはもう僕の血を使わないことにしようかな?」

「なっ……!?」

「にゃぁ……!」

 

 さすがにこの発言には二人とも大きく目を剥いていた。

 しかしそれも当然だ。今のは完璧に否定のしようもなく脅迫なのだから。血式少女の穢れを浄化できる唯一の血を持つジャックがそれを使ってあげないというのは、普通の人間で言えばどんな怪我をしても絆創膏から痛み止めまで治療道具は何も与えないという極めて惨い仕打ちに近い。

 まさかこんな脅迫をされるとは夢にも思っていなかったのだろう。赤ずきんは悔しさを噛み締めるようにしながらジャックを睨みつけてきた。

 

「つ、ついに本性現したね、ジャック! この鬼畜野郎! あたしはあんたが誠実な奴だって信じてたのに!」

「たぶん赤ずきんさんが一番信じてなかったと思うんだけどな。僕が鬼畜だって噂を広めたのも確か赤ずきんさんとかぐや姫だった気がするし……」

 

 その信頼がでたらめなことは分かっていたので裏切った罪悪感は特に無かった。

 むしろ胸の内にあったのは晴れ晴れとした達成感と誇らしさだ。これで親指姫の気持ちに報いることができたのだから。

 

「それに親指姫は赤ずきんさんに食ってかかってくれたからね。僕もこれくらいはしないと君の愛情に示しがつかないよ」

「にゃー……」

 

 腕の中の親指姫に微笑みながら語りかけると、若干夢心地の表情がじっと見上げてくる。

 親指姫はジャックとのイチャラブを禁止されそうになり、赤ずきんにあんなに威勢良く食ってかかった。全ては愛するジャックと触れ合うことが何よりも幸せで、何物にも変えがたい時間だと思ってくれているから。

 ならばその気持ちに応えるのは当然というものだ。それに自分の抱いている愛情の方が親指姫のものよりも大きいのだから負けていられない。

 

「どうするの、赤ずきんさん? どうせ僕は鬼畜だってことになってるんだから今更躊躇ったりはしないよ。親指姫を守るためでもあるんだから」

「わ、分かったよ! もうあんたの好きにしたら良いさ! けど今あたしを脅迫したことは皆に言い触らしてやるから覚悟しときな、ジャック!」

「もともと諦めてるから別に良いよ。ありがとう、赤ずきんさん。じゃあ僕たちは部屋でお昼にするね」

 

 酷く不本意な気持ちをその悔しげな表情に滲ませ、指を突きつけてくる赤ずきん。

 すでに調教と洗脳を行ったという謂れの無い罪を受け、更にケダモノ認定までされているジャックだ。今更噂が一つ増えた程度で堪えはしないし、その程度で親指姫を救うことができるなら安いものだ。

 

「親指姫、どこか行きたいところがあるなら僕がこうやって連れてってあげるよ。これなら這い蹲ったりしなくて済むから恥ずかしくないと思うけど……これはこれで恥ずかしかったりする?」

 

 お姫様抱っこで運ばれる、というのはまた違った恥ずかしさがあるはずだ。なので一応尋ねてみたのだが、そこは生まれ変わった上に成長を遂げた親指姫。

 

「……にゃー!」

「わぁっ! あはははっ。くすぐったいよ、親指姫!」

 

 嬉しそうに笑うとジャックの頬に軽くキスし、あまつさえ舌でぺろっと舐めてきた。さながら本物の猫がやるように、可愛らしく。

 

「あー、親指も満更でもなさそうだ……この罰ゲームは失敗だったかな……」

 

 そんな仲の良い触れ合いを行うジャックたちに対して、赤ずきんは敗北感を露にしながら呟いていた。

 しかし何か楽しいことを思いついたのだろう。その痛々しい表情は次の瞬間ニヤニヤ笑いと化していた。たぶん本人にとっては楽しいことでもジャックたちにとっては真逆に違いない。

 

「……ところでさ、ジャック。最近親指との夜はどうなってんの?」

「え……ええぇぇぇぇぇぇ!?」

「にゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 ニヤけた口から飛び出したのはプライベートを浮き彫りにしようとする悪意に塗れた質問。これにはさすがにジャックも親指姫と共に耳を疑った。

 

「いやぁ、あれっきり夜にあんたたちの部屋から何も聞こえてこないから気になるんだよ。もしかしてあんたたち、もうそういうことはしてないってこと?」

「え、あ、その……」

 

 もの凄く恥ずかしい話題だと言うのに躊躇いも容赦もなく踏み込んでくる赤ずきん。その頬はちょっとだけ赤くなっているものの、親指姫に比べれば微々たる物だ。というかこの場で一番赤くなっているのは恐らく燃え上がりそうなくらい顔が熱いジャックだ。

 

「あんたの要求を二つも呑んだんだからそれくらい教えてくれたって良いだろ? それにあたしたちの安眠にも関係あることだしね。あーあ、あの夜は変な声が聞こえてきて眠れなかったな……」

「う……そ、そのことは確かに悪かったけど……」

 

 言っていることはもっともだが頷くのには途轍もない抵抗がある。

 何せ話す内容は自分と親指姫の夜の生活について。話す相手は仮にも女の子の赤ずきん。これで躊躇い無く何もかも話せる男がいるとしたらまともな神経を持っているかどうか疑いたくなる。

 

「ど、どうしよう、親指姫……?」

 

 困り果てたジャックは腕の中の親指姫を降ろし、助けを求めた。情けないが親指姫はお互いに支えあいたいと言っていたし、話す内容はお互いのプライベートの最も深い所にある。ジャックが自分の考えだけで話して良い事ではない。

 それにジャックとは違い、赤ずきんほどではないが親指姫もこういった話にはそこそこ慣れてきているのだ。ならば助けを求めるのは当然と言える。

 

「にゃううぅぅぅ……にゃあ!」

 

 しばし苦渋の滲む顔をして唸っていたものの、親指姫は決意漲る表情で頷いた。指を三本立てた手を突き出しながら。恐らくこれは許す質問の数に違いない。

 

「み、三つまでってことだね? それで……あ、赤ずきんさんは具体的に何を聞きたいのかな?」

「そうだね……じゃあ一つ目はこれだ。あんたたち、どれくらいの頻度でそういうことしてる?」

(うわぁ……!)

 

 いきなり核心に迫る質問を浴びせかけてくる赤ずきん。それもニヤリと笑いながら。

 今気がついたが恐らくこれはジャックへの辱めだ。親指姫は猫真似しか許されていないので身振り手振り以外では答えられない。はいかいいえで答えられる質問以外は全てジャックが言葉として口にして答えなければいけないのだ。どうやら酷く性質の悪い脅迫を行ったことで赤ずきんの不興を勝ってしまったらしい。

 

「えっと……ど、どうして、してるかどうかを先に聞かないの?」

「してるかどうかもこの質問で分かるから必要ないよ。だから質問を消費させようたって引っかからないよ、ジャック? ほら、早く答えな」

「う、うぅ……!」

 

 考えを読まれていた上、答えを嫌らしい笑みで催促される。よりにもよって女の子相手にこんな話をしなければならないとは。

 泣きたい思いを抱えつつもジャックは何とか口を開いた。隣の親指姫が羞恥を堪えるように身体にしがみついていくるのを感じながら。

 

「ふ、二日に……一回、くらい……たまに、二回……かな……」

「それほとんど毎日じゃんか……あんたもずいぶん元気だね、ジャック?」

(うぅ、恥ずかしい……どうして赤ずきんさんたちはこんな話題を平気で口にできるんだろう……)

 

 意味ありげに笑いかけてくる赤ずきんの笑みを見ていられず、俯いて視線を逸らしてしまうジャック。

 たぶん本人の性格とかも理由として考えられるが、一番の理由は周りに同年代の女の子が多いせいだろう。ジャックの周りには女の子が多いせいで針のむしろ状態だ。女の子特有の悩みや問題は向こうで共有できても、こっちは一人なので自分ひとりで抱え込むしかない。

 

「さてと、二つ目は……何であんたたちの部屋からそういう声がきこえなくなったのか、だね」

「そ、それは……一旦壁紙剥がして、防音素材で壁を覆ったからだよ……それから、あんまり声を出さないようにしてるから……」

「あー、だから壁があんな状態になってんだ……それにしても、声を出さないようにか。へー?」

(あ、そういえば新しい壁紙探さないと! 親指姫がバリバリに破いちゃったからもう酷い有様になってるしね! あはははっ! ははは……はぁ……)

 

 ちょっと逃避してみるがやはり恥ずかしい現実からは逃れられなかった。

 ちなみに部屋の壁紙は引き剥がされたものを貼り直して所々をテープで補修した状態なので実に不恰好な有様だ。何故そうなったのかというと半狂乱になった親指姫が防音素材で壁を覆うために全部引き剥がしてしまったから。

 

「質問はあと一つだけか。さーて、何にしようかな?」

「お、お願いだからもう恥ずかしいのは勘弁して欲しいな……」

 

 赤ずきんたちと違ってジャックの心はさほど強くないのでそろそろ壊れてしまいそうだ。さすがに親指姫のように半狂乱になったりはしないが、泣き寝入りくらいはするかもしれない。

 

「仕方ないなぁ……分かったよ、それならこれだ。ジャック、あんたは猫耳つけてにゃーにゃー言ってる今の親指に襲いかかりたいって思ってたりするのかな?」

「全然分かってくれてない……!」

 

 というか下手をすると今まで一番酷い質問だ。

 こんな特殊な格好と状況に置かれた女の子に劣情を催しているかどうかと言う、明らかにジャックだけを狙い打ちした惨たらしい質問。やはり脅迫の仕返しに違いない。

 

「ほら、答えなジャック。親指もあんたの答えを待ってるよ?」

「にゃぁ……」

「う……」

 

 見れば腰の辺りにしがみついている親指姫は不安げな顔をしてこちらを見上げていた。

 こんな不可思議な状態の自分に劣情を催す変態なのか、それとも催さないまともな人間なのか、あるいは状況も状態も関係なく自分に魅力を感じてくれているのか。残念ながら今の親指姫が何を不安に思っているのかジャックには分からなかった。

 

「……うん。思ってるよ……」

 

 分からないから、素直に自分の本音を口にするしかなかった。一瞬とはいえできればこのままベッドに運んでたっぷり愛でたい、的なことを考えてしまったのだから。

 

「へー……」

 

 その答えに赤ずきんが口にしたのは驚きとも感心ともつかない頷き。もちろん顔は当然のようにニヤついている。言葉が無いからこそ一体何を考えて何を感じたのか分からず、余計に心が傷つくジャックであった。

 

(うぅ……親指姫、きっと幻滅しただろうな……)

 

 安心したのか、落胆したのか。親指姫はジャックの答えに俯いてしまったので結局不安を払拭してあげられたかどうかは見た目では分からない。

 だがこんな猫の鳴き真似しか口に出来ない上、猫耳をつけている女の子の姿に劣情を催すなどちょっと普通とは思えない。だからきっと親指姫もジャックのことを変態と思ったに違いない。

 昼食を運ぶために親指姫を部屋の中に残して赤ずきんと共に食堂へ向かう中、ジャックはちょっぴり泣きそうになってしまった。数々の辱めと親指姫に変態と思われたであろう事実に。

 そして何も言わずただニヤニヤ笑いながら視線を向けてくる赤ずきんのドS加減に。

 

 

 





 実は親指姫の例のイベントを見た時からこんな話を考えていました。にゃーにゃー言う女の子とか可愛いよね。
 さりげなく明るみに出る二人の情……もとい事情。まあ年頃の男女ならちょっとお盛んなくらいがちょうど良いと思いますし、別にあり得なくも無いと思います。そもそもジェイル内は娯楽も少ないでしょうし……。

 それからメアリスケルター2延期のお詫びの一つである恋獄塔のPS4テーマが現在配信中です。もちろん早速ダウンロードしてそれにしました。
 ただ若干見にくいのと上に並んでいる人たちの顔が見えないのが困りもの。PS4の起動画面ってレイアウトできたかな……。



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ねこねここねこ(後編)


 猫プレイの後編。
 どうしてこうなったとしか言いようが無いお話。何かかなり不憫というか極めて気の毒な方がいるような気がしますが些細な問題だと思います。
 



 

 親指姫を辱めから守るため、赤ずきんを脅迫して自室での食事を半ば無理やり認めさせたジャック。そこまでした理由は親指姫に床を這い蹲るなどという惨い仕打ちをさせたくないからであり、同時に今の可愛らしい姿を他の男に見られたくないからでもある。

 とはいえせっかく正気を疑うようなお願いをせずとも猫真似してくれている絶好の機会。あわよくばこの可愛らしい子猫と二人きりで濃厚な甘い一時を過ごして存分に楽しみたかった。楽しみたかったのだが――

 

「本当に素直に罰ゲームを受けていますね~。ほらほら、遊んであげますよ親指姫~?」

「ウウゥゥゥゥ……!」

(まあこうなるよね。一応罰ゲームなんだし……)

 

 ――残念ながら二人きりにはさせてもらえなかった。

 さすがに血式少女全員ではないが、何人かは食堂でなくジャックたちの部屋で一緒に昼食を取ることにしたらしい。何人かというのは赤ずきんに加えて、一人目は袖の中から取り出した扇子を猫じゃらしの如く揺らして親指姫をからかうかぐや姫。

 

「親指姉様、とっても可愛いです!」

「ん……にゃあにゃあ……!」

「まるで本物としか思えない鳴き声ね。猫以外にも動物の鳴き真似はできるのかしら?」

 

 可愛い子猫の姿を目にして悪意無く純真に笑う義妹二人と、鳴き声の再現性に感心するグレーテル。

 そして――

 

「……フッ」

「フシャーッ!!」

(い、今鼻で笑ったよね、アリス……)

 

 何故か嘲るような笑いを浮かべたアリスだ。さすがにこの反応には親指姫も威嚇の声を上げていた。やはりこの二人は仲が悪いというか、妙にお互い目の敵にしている節がある。前はそうでもなかったはずなのだが。

 

「ふふふ、久しぶりに愉快な気分です~。やはり親指姫はこうして顔を赤くしている方が似合っていますよ~?」

「か、かぐや姫、あんまりからかわないであげてよ……」

 

 ぎくしゃくしていた頃のジャックたちの関係を面白がっていたかぐや姫だ。これ以上ないほどからかえる状況なせいか、今は珍しく活き活きとした微笑みさえ浮かべている。もちろん当然の如く赤ずきんも同じ表情だ。

 

「そうだよかぐや、止めときな。さもないとあたしがさっきされたみたいにジャックに脅されるよ。僕の血が欲しいなら跪いて大人しく従え、ってさ」

「なっ!? じゃ、ジャックが本当にそのような鬼畜な言葉をかけたのですか~? よりにもよって赤ずきんに……」

「よりにもよってとはどういう意味さ。言っとくけど本当だよ。こいつは親指を守るためについに鬼畜な本性を現してあたしを脅迫したんだ。ずっと前から怪しいと思ってたけどやっぱりだったよ」

「きょ、脅迫ですか……!?」

 

 赤ずきんの発言に白雪姫が目を丸くして、他の皆は心底驚いたような顔でジャックに視線を向けてくる。グレーテルでさえちょっと意外そうだ。

 とはいえ弱みに付け込んで脅すというあまりにも最低な所業を行ったのだから無理も無い。しかも実はこの場にいる少女たち全員に適用可能な脅しだからこそ余計に。

 

「ジャック、本当にあなたは赤ずきんさんを脅迫したの?」

「う、うん。脅迫したのは事実だよ。でもそこまで酷い言い方はしてないからね。意味は……大体合ってるけど……」

「ふぅん。愛する親指姫を守るためならジャックも鬼になる、ということかしら。これが愛の力というものなのね」

 

 やはり意外そうにしているアリスとグレーテル。

 親指姫から『人畜無害そうな顔してる癖に』とか『大人しい顔して』とか良く言われているジャックだ。もしかするとアリスたちも同じように思っていて、そのせいで驚きが大きかったのかもしれない。

 

「そりゃあ親指姫を守るためならね。でも……こんなことするなんてさすがに幻滅したかな……?」

 

 自分でも最低な脅しだということは理解していた。親指姫はむしろ嬉しそうな反応を見せてくれたが、それは脅しそのものとは無関係な守られる側だったからだろう。傍から見れば軽蔑される類の脅しなのは間違いない。

 なので幻滅されるかもしれないとひっそり怯えていたジャックだが、どうも要らぬ心配だったらしい。

 

「いいえ。愛する人を守るためにあえて非道を行う……素敵だわ、ジャック」

「はい! 親指姉様のためにそこまでするジャックさん、カッコイイです……!」(←素が出てる。白雪姫はたまに言っちゃうけど本人が気付いていないとか?)

「ん……ダークヒーロー……!」

 

 アリスと白雪姫、そして眠り姫は笑顔を浮かべ、むしろ褒め称えるかのようにジャックの行為を肯定してくれた。無論残りの三名中二名は面白くなさそうに眉を寄せていたが。

 

「あ、あははっ。言いすぎだよ、そんなの……ほら、冷めない内にお昼にしよう? いただきます」

「あ、そうですね。じゃあ白雪もいただきます」

 

 嬉しさに緩む頬を誤魔化すため、率先して昼食を摂り始める。

 皆もそれに続いて食前の挨拶を口にし、箸やスプーンといった食べるための道具を手に取っていく。ジャックたちは人なのだから道具を使って食事を取るのは当たり前だ。

 

「何をしているんですか、親指姫~? 猫が箸やスプーンを用いて食事をするわけがありません。今のそなたは猫なのですから、それ相応の食事の摂り方をしていただきませんと~?」

「にゃ……!」

 

 ただし、今は猫としての振る舞いを強制されている親指姫は別らしい。箸を手にしようとした途端、かぐや姫にニヤニヤ笑われながら指摘されていた。

 

「……それ相応の……食事の、取り方……?」

「も、もしかして……犬食い、ですか?」

「にゃにゃあっ!?」

 

 首を傾げて考える三女、それを引継ぎ頬を染めながら口にする次女、そして真っ赤になって怒りを露にする長女。どうやら三姉妹はそこまで酷い罰ゲームだとは思ってもいなかったらしい。

 

(まあ僕は何となくそんなこともあるかなとは思ってたけどね。赤ずきんさんなんて床に這い蹲らせようとしてたし……)

 

 しかしジャックはある程度予想していたので特に驚きは無かった。

 赤ずきんと同じくジャックたちがぎくしゃくしていた頃はニヤニヤ笑っていたかぐや姫なのだから、からかえる時にからかわないなどという勿体無いことはしないはずだ。むしろ驚いたのは床に這い蹲れと命じられた張本人がこれを予想していなかったらしいところだ。

 

「その通りです~。さあ親指姫、食事をするのなら犬のように頭を垂れて情けない姿を晒してください~」

「そ、そんなのさすがに酷すぎます! 親指姉様が可哀想です!」

 

 すぐさま反対してくれるのは白雪姫。女の子、それも自分のお姉さんに犬食いなどというはしたない真似をさせるのは嫌なのだろう。もちろんジャックだって同じ気持ちだ。

 

「はい、親指姫。あーんして?」

「にゃ……?」

 

 だからこそ予め対応策を考えていた。しかし親指姫は予想していなかったのか、目の前に摘んで持って行った食べ物に目を丸くしていた。

 猫が道具を使って食事するのは確かにおかしいが人の手で食べさせてもらう分には問題ない。元々ジャックは親指姫の飼い主とか言われていたのでこれを行う権利も十分にあるはずだ。

 

「猫の親指姫が自分で道具を使って食べるのは無しでも、僕がご飯をあげたりするのはありだよね? 君たちは僕のこと親指姫の飼い主って言ってたんだしさ」

「え……そ、それは~……」

 

 にっこり笑いかけながら尋ねるとかぐや姫は若干戸惑いを見せる。どうやらこちらもこの対策は予想していなかったらしい。

 ただし一度対応策を目にした赤ずきんは別。さして驚いた様子も無く、むしろ軽蔑を瞳に浮かべてジャックを睨んできた。

 

「やめときな、かぐや! 従わないと鬼畜な命令されて仕返しされるよ!」

「そ、そこまではしないってば……はい、親指姫。口開けて?」

 

 まだまだ脅迫を根に持っているらしい赤ずきんの睨みに背中を向け、再び親指姫の目の前に箸を持っていく。

 実はジャックの手で食べさせてもらうのが結構嬉しいのだろう。その頬を目に見えて緩ませ、雛鳥の如く小さな口を開けた。

 

「にゃー……ん」

 

 可愛らしい声を上げる口の中へと箸を進ませ、小さな舌の上に摘んでいたものを落とす。すると小さな口は閉じられて何度か頬が僅かに揺れ動き、最後に喉が上下する。

 

「おいしい?」

「にゃー!」

 

 そこで感想を尋ねると返って来たのは満面の笑みに元気な鳴き声。

 食事も美味しくてジャックに食べさせてもらっている事実も嬉しいらしい。少なくとも猫真似を強制されているにしてはだいぶご機嫌な表情であった。

 

「良かった。じゃあ次に食べたいものがあったら言ってね? はい、あーん」

「にゃー、にゃにゃにゃ」

「ん? どうしたの、親指姫?」

 

 再び食べさせてあげようとしたところ、親指姫は首を横に振りながらジャックの服を引っ張ってきた。さすがに言葉無しでは言いたいことを上手く伝えられないためか普段よりも行動が若干大袈裟だ。とはいえ今の親指姫は人の名前を呼ぶことも許されていないので引っ張って気を引いたりするしかない。

 

「にゃあ、にゃあ」

 

 そして鳴きながらジャックの分の料理を指差し、今度はジャック自身を指差してくる。別のものを食べさせて欲しいなら自分の分を指差すはずなので真意は別のはずだ。たぶんこれは――

 

「えっと……僕もちゃんと食べろってことかな?」

「にゃあ!」

 

 予想を口にすると『そうよ!』とでも言いた気な笑みで頷いてくれる。親指姫に食べさせることにかまけて自分の食事を疎かにするな、ということらしい。

 

「うん、分かった。じゃあ僕も……あ、箸はそのままでも良いよね? 僕たちはもう数え切れないくらいキスしてきたんだからさ?」

「にゃにゃっ」

 

 一応尋ねてみると『仕方ないわね、特別よ?』的な小生意気な笑みが返ってくる。

 気のせいかもしれないが親指姫はむしろこの状況を楽しんでいるようにも見えた。まあ一番楽しんでいるのはもしかするとジャック自身なのかもしれない。

 

「はい、あーんして?」

「にゃー……」

 

 罰ゲームを受けている心地は毛ほども感じないまま、親指姫と共に食事を続けていく。とりあえず今の親指姫は猫だが食事を待つ様子は完璧に雛鳥だった。

 むしろジャックはとても幸せな心地だし、親指姫もどことなく楽しそうだ。傍から見ればお互いとても充実した食事風景に見えることだろう。見ている人の内心は別として。

 

「……これは何ですか~? わらわたちへの罰ゲームですか~?」

「親指も満更でも無さそうだし、ジャックはジャックで嬉しそうだし……こいつらむしろ罰ゲームを楽しんでるよ……」

 

 その傍から見ている人たちのかぐや姫と赤ずきんは心底げんなりしていて、食事が進まないか手を止めて溜息をついている。食欲が失せたのならそれはたぶんジャックたちのせいなのだろう。

 

「ふふふ、ジャックさんも姉様も幸せそうな顔をしてます」

「ん……ラブラブ……!」

 

 対象的に心底微笑ましそうにしているのは義妹二人。親指姫にも引けを取らないほど幸せいっぱいの眩しい笑みを浮かべ、ずっと触れ合うジャックたちを眺めている。ただこちらはこちらで眺めるのに夢中なせいか食事の手が止まっているのだが。

 

「アリス、箸が今にも折れそうな音を立てているのだけれど何故そんなに力を込めているのかしら」

「……何でもないわ」

(あ、またアリスを怒らせちゃった……)

 

 たった二人、普通に食事を進めているように見えたアリスとグレーテルだが、アリスの方はかなり面白く無さそうな顔をしていた。先ほどのはジャックの中ではイチャイチャに分類されるほどのものではないが、傍から見ればイチャイチャしているように見えたのかもしれない。

 

(でもこうするしかないんだ。ごめん、アリス……)

 

 しかし親指姫に犬食いさせるわけにもいかないのでこうして食べさせてあげるしかない。

 赤ずきんとかぐや姫に対しては特に何も感じないものの、アリスに対しては罪悪感を感じながらジャックは食事を続けていった。多少機嫌が悪そうなのに何故か自分へ怒りが向けられていないため、余計に罪の意識を覚えながら。

 

「あ、ジャックさん。頬っぺたにソースがついちゃってますよ?」

「え、本当? どこかな?」

 

 不意に白雪姫に指摘され、頬を触って確かめるジャック。

 しかし指には何もついていなかった。となると反対の方だろう。今度はそっちを触って確かめようとしたジャックだが――

 

「――にゃっ」

「わぁっ!?」

「きゃっ……!」

 

 一声鳴いた親指姫に、ぺろりと反対側の頬を舐められた。

 食事中と思って油断していたのか皆が不意打ちに目を剥いていた。驚きの声を零したのはジャックと白雪姫だけなものの、代わりに何やら細い木材が圧し折れる音がとある少女の手から聞こえてきた。

 

「親指姉様……大胆です……!」

「……ん……ジャックより、大胆……!」

「ふ、二人の言う通りだよ。本当に親指姫って凄く大胆になったよね。びっくりしたなぁ……」

「にゃにゃー!」

 

 頬の火照りと胸の高鳴りを感じながら語りかけると、『どうよ!』と威張る感じの小生意気な笑みが返ってくる。以前はこんなに大胆ではなかったどころか、照れ臭さで好意を素直に表すこともできていなかったというのに。やはり色々あったせいで一回りも二回りも強くなったのだろう。

 

「あははっ、何か誇らしげだ。とってくれてありがとう、親指姫」

「にゃー!」

「あれ、どうしたの? 急に膝枕なんて……」

 

 お礼に頭を撫でてあげようと思ったのだが、親指姫は唐突に身体をカーペットの上に投げ出してジャックの膝に頭を乗せてきた。皆の前では二人きりの時ほど甘えてこないはずなのに、隠す様子も無くむしろ見せ付けるように。

 ただし下からジャックを見上げる形なのにどことなく偉そうな表情で腕まで組んで。これは甘えているというよりも踏ん反り返っているという表現のほうが近いかもしれない。

 

「……もしかして、この状態で食べさせて欲しいの?」

「にゃっ!」

 

 その言葉に膝の上で肯定と思しき鳴き声が上がる。

 やはり親指姫は今の状況を利用しているらしい。猫なら膝に乗ったり擦り寄ったりしてくるのはおかしくないし、食べさせてもらうのもおかしくない。元々甘えん坊で二人きりなら躊躇い無く甘えてくるので、完璧な猫を演じつつそれに乗じて皆の前でジャックに甘えているのかもしれない。

 

「もう、幾らなんでも行儀悪いからダメだよ親指姫?」

 

 しかし仮にも食事中、しかも皆の前でこれは行儀が悪すぎる。なので膝から降ろそうとしたのだが――

 

「にゃあー……にゃあー……!」

「う……」

 

 耳にしているだけで酷く胸が痛んでくる切ない鳴き声を零されてしまう。

 ただし切ないのは鳴き声だけで、本人の顔はかなり得意げ。猫の切ない鳴き真似だけでジャックの心を従えることができると思っているかのように。過剰と言っても良いくらい鳴き真似に自信があるらしい。

 

「……こ、今回だけだからね?」

「にゃーっ!」

 

 まあその自信は思い上がりではなかった。胸の痛みに逆らえなかったため、膝枕したまま食べさせてあげることにした。

 ジャックが親指姫のお尻に敷かれているというかぐや姫の指摘は案外正しかったのかもしれない。したり顔で笑う親指姫の笑みを見下ろしながら、ジャックはそう思った。

 

「あーっ、もう良い! もうたくさんだ! 今回の罰ゲームはもう終わりで良いよ!」

「これならまだ普段のイチャつきを見ていた方が幾分マシです~」

 

 その瞬間、赤ずきんが半ばキレ気味に罰ゲームの終了を宣言した。しかもかぐや姫もその言葉に賛同を示す。一番面白がっていたどころかむしろ自分たちが楽しむためにこんな罰ゲームを提案したというのに、だ。

 

「え……もう終わりなの? まだ始まったばっかりなのに……」

 

 あまりにも唐突かつ早すぎる終了宣言。罰ゲームが終わること自体は喜ばしいものの、ジャックの胸の中にはむしろ悲しみが満ちていた。せっかく子猫と戯れる幸せな時間を過ごしていたのに、それを奪われる形になってしまったから。

 

「ジャック……悲しそう……」

「白雪、ジャックさんの気持ちが分かります。今の親指姉様、何だかとっても甘えん坊で本当の子猫みたいに可愛いですから」

「うん、その通りだよ。でも親指姫は喋れなくて辛いだろうから、これで終わりならその方が良いよね……」

 

 名残惜しさからまだ膝枕している親指姫の頭を撫でる。皆の前でも気兼ねなく甘えることができる状況を逃すのは少し惜しいのだろうか。手の平の下で同じように残念そうな顔をしていた。

 

「赤ずきんさん、本当にもう終わりで良いの?」

「ああ、もう良いよ。罰ゲームなのにあんたらいつもよりも余計にイチャイチャしてんじゃないか。罰ゲームはまた別のを考え直すことにするよ……」

「……だってさ、親指姫?」

 

 膝の上の子猫に向かって笑いかけると、次の瞬間子猫は飛び起きて猫耳を外した。そして現れたのは清々しさ全開の笑みを浮かべたいつもの親指姫だ。

 

「はー! これでやっと好きなだけ喋れるってもんよ! そんなわけで今一番言いたいこと、ここで言わせてもらうわ!」

 

 そして声高に宣言する。赤ずきんたちへの文句だろうかと考えたジャックだったが、その視線は何とこっちに向けられた。早々見られないくらいに嬉しそうな、興奮気味の笑顔と共に。

 

「――カッコ良かったわよ、ジャック! 赤姉を脅すなんてあんたも結構やるじゃない! 惚れ直したわ!」

「あはははっ。ありがとう、親指姫。君も惚れ直しちゃうくらい可愛かったよ。何だか終わっちゃうのが少し残念なくらいにね……」

「あ、あんたもずいぶん物好きな奴ね。全く……」

 

 ジャックの発言に頬を染めて戸惑う親指姫。

 さっきは襲いかかりたくなるくらい可愛いと言ってしまったのだから戸惑うのも仕方ない。むしろ軽蔑されたり罵られたりはしなかっただけマシな反応だ。というかちょっと可愛い。

 

「暗い顔してんじゃないわよ。ほら、ご褒美に今度は私が食べさせてあげるわ! 口開けなさい、ジャック!」

 

 そして今度はニッコリ笑いながらあーんのお返しをしてくれる。ジャックが自分のために赤ずきんを脅してくれた事実が本当に喜ばしいらしい。脅迫という悪行を働いた男に惚れ直すとは、親指姫は案外悪い男が好きなのかもしれない。

 

「はぁ……あたし食堂に行くよ。ここにいると半分も食べてないのに胸焼けしそうだ……」

「ではわらわもご一緒します。甘味の一つも口にしていないのに高血糖になってしまいそうです……」

 

 ついにイチャラブ加減に耐え切れなくなったのか、赤ずきんたちは満腹で苦しそうな表情を浮かべて部屋を出て行った。去り際に見た二人のお昼は半分以上残っていたのでそういうことだろう。それに元々この罰ゲームで以前のような面白おかしい光景が見られると思っていたらしい二人だ。見られないと分かった以上この場に留まる意味は無い。

 というか赤ずきんたちによるとジャックたちは普段以上にイチャイチャしているように見えたらしいので、むしろ普段よりも苦痛に感じる光景なのかもしれない。これくらい二人きりなら別に珍しくも無いのだが。

 

「僕らそんなにイチャイチャしてるように見えたのかな?」

「んー、どうだろ……あんたたちはどう思う?」

「はい! とってもイチャイチャしていました!」

「ん……見てて胸が、暖かくなる……!」

「そうね。定義が分からないから何とも言えないけれど、唇や舌を用いた肉体的接触をしていたからイチャイチャしていた、ということにさせてもらうわ」

 

 親指姫に意見を求められた結果、妹二人とグレーテルが肯定を示す。妹二人はとても幸せそうな眩い笑みで、グレーテルは口元にうっすら微笑みを浮かべて。まあグレーテルの微笑みには妹たちとは違う色が浮かんでいる気がするが。

 

「……そうね。とてもイチャイチャしていたと思うわ。少なくとも以前までのあなたなら考えられないほどの触れ合いよ」

(ああっ、またアリスが機嫌悪そうに……!)

 

 そして最後の一人であるアリスも肯定を示したものの、同時に声をかけるのを躊躇いたくなるほど剣呑な雰囲気を漂わせていた。やはり目の前でイチャイチャされるのはとても気に障るらしい。

 

「ま、あんたたちにはそう見えるかもね。それにしてもあの二人、罰ゲームにかこつけて色々酷いことしたりさせたりしてくれたわね……ジャック、私ちょっと追いかけてくるわ! 文句の一つも言ってやんないと気が済まないっつーの!」

「あ、うん。いってらっしゃい」

 

 這い蹲れや犬食いしろと命じられたことが余程屈辱だったのだろう。まだ食事の途中だというのに親指姫は二人を追いかけて部屋から出て行ってしまった。しかし今はこちらの方が都合が良い。

 元々ジャックは赤ずきんあたりには親指姫の飼い主と言われていたが、ついさっきまでは間違いなく飼い主であり親指姫はそのペットだった。当然ペットの不始末は飼い主の責任だし、悪気は無いのだがどちらかと言えば飼い主であるジャックも一緒になって不始末をしでかしている。

 

「えっと……ごめんね、アリス。今も最近も、何だか僕たちのせいで凄く不快な思いをさせてるみたいで……」

 

 なので一番不快な思いをさせているはずのアリスに頭を下げて謝罪した。

 できれば頭を下げてがっつり謝罪している姿は親指姫に見せたくなかったので好都合だった。別に頭を下げる姿を見られるのが恥ずかしいわけではなく、親指姫の気持ちの問題だ。惚れ直すくらいにカッコイイと思った男がすぐに頭を下げてがっつり謝罪し始める姿を見せるのはちょっと残酷な仕打ちである。もちろんジャックはそんなにカッコイイ男ではないのですぐに現実を思い知るだろうが、少しくらいは夢に浸らせてあげても良いはずだ。

 

「謝る必要なんてないわ、ジャック。私は不快な思いなんてしていないもの」

「でもアリス、僕が親指姫と楽しく過ごしてると何だか不愉快そうだから……」

 

 特に気にした様子もなく優しい微笑みで答えてくれるものの、つい先ほどは声をかけるのも躊躇うほどに剣呑な雰囲気を漂わせていたのだ。さすがにちょっと鵜呑みにはできなかった。

 

「そんなことはないわ。あなたが幸せそうにしていると私も心が暖かくなってきて幸せな気持ちになれるもの。だからあなたは今まで通りに過ごして良いのよ、ジャック?」

「そ、そうなんだ。ありがとう、アリス……」

 

 しかし鵜呑みにできずとも本当に嬉しそうな微笑みで答えられては頷かざるを得ない。それと僅かな緊張と胸の高鳴りを気付かせないためにも。

 

(何かちょっと勘違いしちゃいそうだったなぁ、アリスの今の言い方……)

 

 ジャックが幸せそうにしている姿を見るとアリスも幸せだと言われたせいで、まるでアリスがジャックに想いを寄せてくれているかのように勘違いしそうになってしまったのだ。誰だって仲の良い相手が幸せそうにしていれば自分も幸せを感じるのは当然のことだというのに。

 もしかすると色恋の真っ只中にいるせいでその辺の話題には多少敏感になっているのかもしれない。あまり変な勘違いをすると失礼になるかもしれないので次からは気をつけよう。そう心に決めるジャックであった。

 

「ただ……親指姫がこれみよがしに見せ付けてくることが少し……」

「ご、ごめんね。僕からそれとなく言っておくよ……」

 

 そしてちょっとはイチャイチャするのを控えるようにしよう。それも心に決めつつ、ジャックは深く深く頭を下げて謝った。そこには親指姫が惚れ直してくれたカッコイイジャックの姿は、残念ながら欠片も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……赤姉! ちょっと!」

 

 食堂へ向かう赤ずきんの後姿を見つけた親指姫は早速走り寄って声をかけた。同時に出て行って目的地も同じなので隣には当然かぐや姫の姿もある。だが親指姫が用があるのは赤ずきんだけだ。

 

「何だよ、親指? あたし誰かさんたちのせいで疲れたんだ。文句あるなら後にしてよ……」

 

 煩わしそうというか、本当に酷く疲れきった表情で振り向かれる。どうやらジャックと親指姫のイチャイチャ加減は皆には刺激が強すぎるらしい。

 

「す、すぐ済む話よ。これのこと、なんだけど……」

 

 かぐや姫も加わった二人分のいぶかしむ視線を受けながらそれを差し出す。先ほどまで身に付けるのを強制されていたにっくき猫耳を。

 この猫耳は赤ずきんが解放地区の露店で買ったものであり、親指姫のものではない。何でも親指姫に似合いそうだという理由で少し前に衝動買いしたらしく、前々からこういう遊びか罰ゲームを考えていたらしい。親指姫たちのためと謳っているし尤もな理由もちゃんとあるが、この戒めの罰ゲームも事実は自分たちが楽しむための遊びに過ぎなかったようだ。

 なので罰ゲーム当初、親指姫は後で絶対に文句を言ってやると心に決めていた。この猫耳も全力でぶん投げて返す予定だった。それも当然。このアイテムは自分にあまりにも屈辱的で惨たらしい仕打ちをもたらしたものだからだ。

 

「これ……貰って良い……?」

 

 しかしそれは屈辱と羞恥しか感じられなかった罰ゲームが始まった辺りの話。今は憎いどころかむしろ感謝の気持ちさえ抱いていた。

 何故ならこれのおかげでジャックにお姫様抱っこしてもらえたし、これのおかげで親指姫を守るために赤ずきんを脅迫するジャックという信じ難くも超カッコイイ姿を目にすることができた。おまけに猫の演技にかこつけて皆の前で甘える事もできた。

 ぶん投げて返すことなどできない。むしろこれは手元において置きたい。罰ゲームが終わった今、親指姫はそんな真逆の気持ちを抱いていたのだ。

 

「……ははーん?」

「……ほほーぅ?」

「う……」

 

 しかし赤ずきんとかぐや姫はその奥の気持ちを見抜いているようだ。そうでもなければ酷く疲れきっていた顔が楽しそうなニヤニヤ笑いに変貌するはずが無いし、背筋に悪寒が走るわけも無かった。

 

「良いよ、譲ってやるよ。元々あんたに似合いそうだと思って買ったんだからね」

「ありがと赤姉じゃあそういうことで!」

「あっ、逃げるな! ただでとは言ってないよ!」

「ちっ……!」

 

 許しを得た瞬間走り去ろうとしたが、一瞬早く件の猫耳を掴まれ引き止められてしまう。引っ張り合いで勝てるわけがないので潔く猫耳を手放し、覚悟を決めた。

 

「……なら条件は何よ? い、言っておくけどジャックは渡さないからね!」

「あー、はいはい。あんたの男に手は出さないから安心しなよ。少なくともあたしたちは、だけどね?」

「ぅ……」

 

 含みのある笑みを浮かべつつ猫耳を確保する赤ずきんに、自然と眉を寄せてしまう。親指姫の不安の種までばっちり見透かされているらしい。

 

「さーて、どうしようか。かぐやは何か良いアイデアある?」

「そうですね~。さしあたっては――」

 

 意見を求められたかぐや姫はしばし悩む様子を見せた後に口を開く。

 その口から飛び出てきた提案は意外にも親指姫とジャックのプライベートを暴き立てるものではなく、親指姫を辱めるものでもなかった。そして何よりも、親指姫自身が面白そうだと感じる提案であった。

 

「――というのはいかがでしょうか~?」

「……ナイスアイデアだ! ジャックにはもうちょっと痛い目を見てもらわなきゃね!」

 

 そして親指姫自身がそう思ったのだから赤ずきんが思わないわけもない。さも愉快そうな笑みを浮かべ、ジャックへの復讐心を露にしていた。やられたらやりかえす。仕返しは倍返し、というところか。

 

「というわけで親指、これが交換条件だよ。さあ、どうする?」

「そんなんで良いならむしろ望む所よ。私はジャックとは違うしね?」

「なら契約成立だ! ちゃんとジャックに伝えておきなよ、親指!」

 

 お互いに契約成立の握手を交わした後、親指姫は猫耳を受け取った。ジャックに大いなる幸せと、束の間の悪夢を見せてやるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、ジャックはいつも通りの夜を迎えいつも通りにシャワーを浴びていた。

 罰ゲームが提案者によってすぐさま打ち切られたのでそこからはいつもと変わらない平穏な時間であった。部屋で二人きりでイチャイチャしたり、皆の前で二人で仲良く触れ合ったりと、いつもと変わらない平穏な時間。

 ただし今夜はいつもと一つだけ違うものがあった。

 

「……にゃー」

「……え?」

 

 それは洗面所から出たジャックを、何故かまた猫の真似をしている親指姫が迎えたこと。ベッドの上に座り込み、罰ゲームはとうの昔に終わったはずなのに頭にはしっかり猫耳を装着し、本物の猫のような鳴き声を上げて。

 

「ど、どうしたの、親指姫? もう罰ゲームは終わったのに……」

 

 可愛らしさに癒されつつ歩み寄り、隣に腰かけて尋ねる。

 また話すことを禁じられたりしているのなら答えることはできないが、少なくとも肯定と否定の簡単な質問なら受け答え可能だ。

 

「もしかしてまた赤ずきんさんに罰ゲームやらされてるの?」

「にゃにゃあ……」

 

 首を横に振り否定を示す親指姫。

 それでは何故また猫の真似などしているのか。次なる質問を考えようとしたジャックだが、不意に一つの予想が浮かんだ。できればそうであって欲しいという、願望染みた予想が。

 

「……僕のため、だったりする?」

「……にゃあ」

 

 恥じらいに頬を染めながらも、嬉しいことに親指姫は頷いて肯定を示してくれた。

 たぶん『終わっちゃうのが残念』という言葉を覚えていてくれたのだろう。そして軽蔑するでも呆れるでもなく、ジャックを喜ばせるために再び猫真似をしてくれたのだ。罰ゲームではなく、自分の意思で。ジャックのために。

 

「そっか……じゃあ、本当に猫みたいに可愛がっても良いんだよね?」

「にゃー」

 

 語りかけるとやはり肯定を示される。

 こんなに健気な想いを無下にすることなどできないし、やはり途轍もなく可愛い。なのでジャックは親指姫の想いに甘えることにした。どうせ向こうも甘えてくるのだから。

 

「……おいで、親指姫?」

「……にゃぁ!」

 

 腕を広げて呼びかけると、可愛い子猫は胸に飛び込んできた。自分も心から楽しんでいるような、幸せいっぱいの笑顔を浮かべて。

 

「あははっ。猫になっても変わらず甘えん坊だね。よしよし、良い子良い子」

「にゃああぁぁぁ……」

 

 胸に頬擦りしてくる愛らしい様を楽しんだ後、その頭を優しく撫でてあげる。本物の猫ではないので喉をゴロゴロ鳴らしたりはしなかったものの、代わりにその唇からは至福の吐息が零れていた。

 

(ああ、本当に可愛いなぁ。でも……やってることはいつもと変わらない気がするなぁ……)

 

 可愛さはいつもとは段違いだが、触れ合い自体はいつもとほぼ変化がなかった。親指姫が甘えてくるのも抱きついてくるのも、ジャックが頭を撫でたり抱きしめたりするのもいつも通り。

 

「にゃあにゃあ!」

「わあっ!? く、くすぐったいよぉ! 親指姫……!」

 

 しかし油断した所で頬をペロペロ舐められ、何とも言えぬむず痒さにおかしな声を出してしまう。舐められる場所が首筋に近いので余計にこそばゆい。というかちょっと変な気分を催してしまいそうな感覚であった。

 

「にゃー……」

「うん、どうしたの?」

 

 不意に舐めるのを止め、腕の中からどことなく切ない瞳で見上げてくる。何かをねだるような甘ったるい声を零しながら。

 その瞳はジャックの瞳に向けられていたが、やがてもう少し下の方へ移った。要するに唇だ。

 

「あ、もしかしてキスして欲しいのかな?」

「にゃぁ」

「うーん……猫とキスっていうのは衛生的にどうかと思うなぁ」

「にゃーにゃー!」

 

 現実的な言葉をかけると腕の中の子猫は怒ったような顔をして軽めの猫パンチを繰り出してくる。もちろん痛くも痒くもない、ただただ愛らしいだけの所作であった。

 

「あははっ。冗談だよ、冗談――」

 

 愛らしさに自然と微笑みを零してから、抗議の鳴き声が上がるその唇を塞ぐ。そして解きほぐすように唇を重ねあい、お互いに柔らかな感触を堪能していく。

 

「ん……にゃ……ぁ……」

 

 その合間に隙間から零れるのは、鳴き真似と喘ぎが混ざり合った不思議な吐息。それはとても可愛らしい声。

 もちろん声だけではなく姿も可愛らしい。頭の上には猫耳が生えているし、尻尾代わりの赤いツインテールが二本も揺れている。そして装いは生地が薄く露出度高めのネグリジェ。眺めているだけで心が暖かくなり幸せな気分になれるほど可愛らしい姿だ。

 だが今ジャックの胸を高鳴らせているのは幸せな気持ちではない。それは皆の手前ずっと我慢していた邪な気持ち。本当は罰ゲーム当初の親指姫の姿を見た時からずっと思っていた気持ち。

 

「……ねえ、親指姫」

「にゃー?」

「良く考えると猫が服を着てるなんておかしいよね? だ、だから……脱がせても、良いかな?」

「――っ!」

 

 この死ぬほど可愛らしい子猫を抱きたい。ただ腕を回してぎゅっと抱きしめることではなく、もう一つの意味の方で。それがずっと抱いていた邪な気持ちだ。

 かなり特殊なエッチへのお誘いをしてしまったせいだろう。親指姫は真っ赤になって目を見開いていた。

 

(軽蔑されるだろうなぁ……でももう我慢できないよ、こんなの。親指姫がこんなに可愛いのが悪いんだ……)

 

 軽蔑されたくはないので必死に堪えていたのだが、こんなに可愛らしい様を目にした上、唇の感触と悩ましい鳴き声に襲われてしまえばもう無理だった。

 それにどうせ我慢してもしなくても同じだ。どうせ赤ずきんの屈辱的な質問に答えさせられたせいで、ジャックの邪な気持ちはすでに親指姫も知っているはずなのだから。

 

(……あれ、ちょっと待って。親指姫は知ってるはずだよね? 知ってるし僕がケダモノだってことも知ってるのに、僕のためにこんな格好で鳴きながら甘えてきてるってこと……?)

 

 諦めに似た思考の最中、不意にその事実を思い出す。

 今の親指姫に襲いかかりたいかどうかという質問にジャックは間違いなく肯定を示した。それを親指姫は隣どころか身体にしがみついた状態で聞いていた。そしてジャックがケダモノかどうかは親指姫自身が毎晩のように味わい理解しているはずだ。

 にも関わらずジャックのためと言いながらこんな可愛らしい格好で可愛い鳴き真似をしてくれる。それは何故か。

 

(……そっか。最初からそれも受け入れてくれる気だったんだ)

 

 決まっている。最初からそれも想定済みだったのだ。元々万が一のことを考えて色々な準備をしてくれた過去のある親指姫だ。これくらいのことは最初から織り込み済みだったのだろう。

 

「……にゃあ」

 

 その証拠に親指姫は真意を尋ねることも嫌がることもなく、ただ一言猫の鳴き声を上げて頷いてくれた。酷く恥ずかしそうにしているものの、間違いなく首を縦に振って。

 

「ありがとう、親指姫。それに、ごめんね……こんな危ない奴が恋人で……」

「にゃーにゃー!」

 

 特殊な性癖を受け入れてくれたお礼と最低な恋人としての謝罪を同時に行う。腕の中で上がったのは『全くだわ!』や『本当に最悪よ!』的な不快感の滲む声音の鳴き声。

 だがジャックは悲しみや罪悪感に胸が痛んだりすることはなかった。何故なら腕の中の子猫は、そんなどうしようもないジャックへの愛しさを微笑みとして表わしていたから。

 

「……愛してるよ、親指姫」

「……にゃあ、にゃにゃにゃー!」

 

 お返しに愛を囁きもう一度口付けると、腕の中の子猫は満面の笑みで一声鳴く。

 やはり猫語は理解できないので何を言っているかは分からないものの、今回だけはその鳴き声の意味が確信を持ってはっきりと理解できた。それは間違いなく『私も愛してるわよ!』というジャックへの愛を表わす鳴き声であった。

 

 





 何だこいつら……。
 今回はいつも以上に書くことが思い浮かばなかったので定例の感想の催促を。感想をよろしくお願いします。か、勘違いしないでよね! 別にあんたからの感想が欲しいわけじゃないんだから!
 


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浄化と魂血(前編)

 メアリスケルター2発売後からは初めての更新。ちなみに2は止めどころが掴めず六日くらいでクリアしてしまいましたがリメイク1はまだゆっくりプレイしています。ちょうどアリスの名台詞(大事なことなので二回言った)が出てくる場所。

 2は最初から重い話になるのは予想できていたので良いとして、恋獄塔が思いのほかイチャイチャしなかった上に速攻で終わってしまったのが残念。まあ親指姫の体操服姿がとても良かったのでそのあたりは満足です。ナイスブルマ!






 その日、親指姫は仲間たちを探して居住スペース内を歩いていた。急に依頼が入って探索に向かう必要が出たため、何人か手分けして皆を呼び集めていたのだ。まあ別に誰が誰を探して集めるかというのは決まっていないものの、自分たちの関係を考えれば親指姫がジャックを探すことは当然と言って差し支えない。

 なので親指姫は主にジャックを探して歩いていた。ただし探索地でのイチャイチャが禁止されている上に行ってしまえばペナルティが課せられるため、見つけたら部屋に引っ張って行って僅かな時間でも二人きりでイチャイチャする予定である。そうでもしなければきっと我慢できないからだ。

 

(あーあ、私って本当にあいつに夢中ね……)

 

 そんなジャックと触れ合いたい気持ちを抑えられない自分にほとほと呆れる親指姫。

 しかし羞恥心から素直に想いを伝えられなかった頃と違って幸せいっぱいだし、夢中になっているのは自分だけではなく向こうも同じ。お互いに愛し合っていて関係も極めて良好なのだから何も問題は無しだ。あるとすれば精々ジャックが大人しそうな顔してかなりのケダモノなことくらいか。

 

「じゃっくー、はやくはやくー!」

「こ、声大きいよ、ラプンツェル。お願いだからもうちょっと静かにしてね……」

(ん? 今のジャックと……ラプンツェル?)

 

 不意に廊下の片隅の方から声が聞こえてきたため、足を止めてそちらに目を向ける。

 人の姿は見えなかったが代わりに積まれた資材の裏に人影が見えた。どうやら二人はそこにいるらしい。

 

(あいつ見当たらないと思ったら恋人放って子供と何やってんのかしら……しかも何でこんな隠れてるみたいにこそこそしてんの?)

 

 何にせよ二人見つけたなら働いた方に違いない。ジャックを部屋に引っ張っていって時間ギリギリまでイチャイチャしたって文句は言われないはず。

 親指姫は二人がいると思しき物陰へと足を向け――

 

「ねーねーじゃっく、ほんとにいっぱいなめていいのー!?」

「い、良いけど舐めるだけだよ? 痛いから齧るのはダメだからね?」

(――って本当に何やってんのよ、あいつは!?)

 

 そして聞こえてきた会話の内容に動揺し転びかけた。たぶん歩き出していたら確実にすっ転んでいたに違いない。

 

(ま、まさか……まさか……!)

 

 舐めるだの齧るのはダメだの、怪しさ満点の会話。一瞬お菓子か飴をあげているのかと思ったものの、痛いからダメということはそれは食べ物ではなくジャックの身体の一部に違いない。しかも物陰でこそこそ隠れて、ジャックはどこか焦りのある声音で、ラプンツェルは何も分かっていない感じの声音で。

 そしてジャックは見た目に反してかなりのケダモノ。おまけにラプンツェルは親指姫と同じジャック好みの女の子。だとすればナニをしているのかなど容易に想像がついてしまう。

 

「ジャックっ! あんた私というものがありながらよりにもよってラプンツェルと――」

「じゃっくのち、おいしー!」

「あ、親指姫。変なとこ見つかっちゃったね……」

「えっと……何やってんの?」

 

 危機感に駆られて物陰に飛び込んだ親指姫が見たのは、困った顔をして左手を差し出しているジャックと、その左手の平をペロペロと舐めているラプンツェル。

 想像とはだいぶ異なる光景に虚を突かれたものの、胸の中には困惑ではなく大きな安堵が広がっていた。少なくとも自分が心底恐れたような光景ではなかったから。

 

「ラプンツェルに僕の血をあげてるんだ。ちょっと穢れが溜まってるみたいだったから」

「あ、ああ、そういうことね……」

 

 よくよく見るとジャックの手の平は赤く濡れている。

 ジャックの血液は血式少女の穢れを浄化する特別な血液。舐めさせている理由としては至極まともな答えだ。

 

「でも何で直にあげてんの? 別に舐めさせなくてもメアリガン使えば良いじゃない」

「メアリガンはちょうどハルさんにメンテナンスしてもらってるから今は手元に無いんだ。さすがに直にあげるのはどうかと思ったけど、ラプンツェルは気にしないって言ってくれたからこの方法でね」

「そ、そう……」

 

 気になった血をあげる方法に関しても至極まともな答えが返ってくる。確かに直にあげるのはどうかと思うが、コップか何かに搾り出してそれを飲ませるというのもかなり猟奇的な気がするし洗うのも大変だろう。

 やっていることもその方法も納得できため、胸の内に浮かんだ疑問は全て解決した。

 

「……それだけ、なのよね?」

「え? それだけって、何が?」

「わ、分かんないなら気にしなくて良いわ!」

 

 まだ残っていた不安もジャックの意味を理解していない表情により払拭される。

 ただし怪しい方向の勘違いをしてしまった恥ずかしい事実に顔が熱くなり、ジャックの人間性を疑ったことに対して若干胸が痛んだ。とはいえアレは勘違いされても仕方ないやりとりだったはず。決して親指姫の思考がぶっ飛んでいたわけではなく。

 

「……ていうかあんた、直に血をやってるってことはもしかして自分で傷つけたんじゃないでしょうね?」

「あ、えっと……それは……」

 

 不意に気がついたことを指摘すると、途端にジャックの表情は罪の意識に染まっていく。

 恐らく物陰に隠れてやっていたのはその事実を知られたくなかったからなのだろう。いくら血をあげるためとはいえ自分の身体を傷つける行為だ。そんなことをしたと知ればアリスあたりは特に怒るに違いないし、もちろん親指姫だって怒る。

 

「まあ今回は大目にみてあげるわ。終わったら治してやるからすぐ見せなさい。結構な傷つけたんでしょ?」

 

 ただし今回だけは許してやることにした。しっかり自分でも罪悪感を覚えている様子だし、何より親指姫が恐れたことをしているわけではなかったから。

 とはいえもしも自傷に対して悪びれた様子もなかったり、親指姫という者がありながらラプンツェルに不埒な行為を働いていたのなら容赦なくぶっ飛ばしていただろうが。

 

「うん。ありがと――痛たたっ! か、齧らないでってばラプンツェル!」

「おいしー!」

 

 優しさに溢れた寛大な対応に安堵の吐息をついたかと思うと、傷口に噛み付かれたらしく痛みに飛び上がるジャック。そして邪気の無い笑顔でジャックの手の平に顔を寄せ、その血をペロペロ舐めるラプンツェル。

 

「……っ」

 

 何故だろうか。親指姫が心配したようなことは何一つ無いのに、その光景を見ていると胸の中にもやもやとした気持ちが溢れてくるのを止められなかった。ぎゅっと胸が締め付けられて、二人の間に割って入って怒り出したくなるような気持ちが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気が利くな、ジャック! 礼を言うぞ!」

「どういたしまして。僕が力になれるのはこれくらいだからね」

 

 自らの血液をメアリガンによって射出し、ハーメルンの穢れを浄化したジャックはそう笑いかける。

 今日も今日とて依頼を受けてダンジョン探索の真っ最中だ。さすがにメルヒェンとの戦いは避けられないため必然的にジャックの出番も多くなる。今回の探索では今のを含めて計三回メアリガンを用いていた。とはいえある程度間を置いて三回なので今の所体調は問題ない。なので他に浄化が必要な少女はいないか視線を向けて確認するジャックだったが――

 

(――あれ?)

 

 一人、様子のおかしい少女を見つけた。その少女は愛しい愛しい親指姫だ。

 別に穢れが溜まっているというわけではない。瞳は落ち着きのある深い翠で淀みも何も見えない。というかハーメルンの前に浄化したばかりなので当然といえば当然だ。

 ただ何故か胸の内に湧き上がる感情を必死に抑え込んでいるかのような、非情にもどかしさ溢れる表情をしていた。まるで今すぐやりたいことがあるのにそれを必死に堪えているかのような表情を。

 

「……親指姫、大丈夫?」

「え? あ、ああ、私は平気よ?」

 

 気持ちは分かるのでちょっと心配になって声をかけるも、返ってきたのは間違いなく嘘。本当は甘えん坊でジャック大好きな親指姫が平気でいられるわけがない。

 しかし自分が甘えん坊なことだけは皆の前でも隠している親指姫だ。しっかり平静を装い返事を返してくるどころか、むしろ逆にこちらの体調を気遣う瞳を向けてきた。

 

「それよりジャック、あんたこそそんなに血使って大丈夫なの? 今のでもう三回目よね?」

「時間を置いて三回だからそんなに負担じゃないよ。大丈夫だから心配しないで、親指姫」

 

 優しく笑いかけて顔色の良さをアピールし、しっかり安心させてあげる。

 しかしこの手のことに関しては信用が無いのか、親指姫はジャックの顔を間近からじっくりと見上げてきた。もっとも今回は本当に体調は問題ないので、見た目の様子から嘘や虚勢には取られなかったらしい。見上げてくる不安げな表情に一瞬安堵の笑みが広がり、すぐに嗜めるような若干キツイものへと変化する。

 

「なら良いわ。でもあんまり無茶すんじゃないわよ?」

「うん。あんまり無茶すると君に凄く怒られるからね。でもまあ、怒った親指姫も可愛いからたまには怒られたいかな?」

「――っ! そ……そう……」

 

 冗談めかしてそんなことを言うも、特に返事らしい返事は返ってこなかった。親指姫は赤い顔で一瞬目を見張って何か言いかけたものの、それを飲み込んでただ頷いただけ。『怒られたいとか、あんたやっぱマゾ?』的な言葉も無ければ、『だったら二度と私に怒られたくないくらいのお仕置きしてやるわ!』的な言葉も無い。

 それだけならまだしも頷きに続く言葉も無く、必然的に会話はここで途切れてしまった。

 

「……え……それ、だけ……?」

「親指姉様もジャックさんもいつものかけあいはどうしたんですか? もっとお互いに愛を囁いたりはしないんですか?」

 

 そのせいで眠り姫と白雪姫に心配される。どうやらジャックたち本人だけでなく、他の皆にとっても今の会話はイチャイチャしているとは判定されなかったらしい。

 

「ふぅむ……これはもしや、二人の関係が冷めたということですか~?」

「んなわけないっつーの! 私とジャックは相変わらずラブラブよ! 探索中だから控えてるだけだっての!」

 

 ニヤリと笑うかぐや姫に対し、親指姫が歯を剥いて断言する。

 ちなみにラブラブなのは本当のことであり、探索中に控えようとしているのも本当のこと。少なくともジャックにとっては親指姫との関係は極めて良好で悪い所は何も無い。

 

「……ちっ」

(い、今どこかから舌打ちが聞こえたような……)

 

 しかし何も無いことが気に食わなかったのだろうか。どこかからそれを極めて残念がるような舌打ちの音が聞こえた気がした。ただあくまでも聞こえた気がしただけであったため、何となく音の出所を探るのは止めておいた。きっと空耳に違いない。

 

「へー、もう自分たちで何とかできるようになったんだ。さすがは大人の女だね、親指?」

「と、当然よ! 私はこの場の誰よりも大人なんだから!」

「親指姫、そういうこと声高に言うの止めようよ……」

 

 赤ずきんとかぐや姫のニヤニヤ笑いを向けられ、控えめに提言するジャック。

 今現在周りにいるのは全員女の子なので、そういった話題が始まると肩身が狭いのはジャックただ一人である。まあ話題に出してからかってくるのはこの二人くらいなのだが。

 

「そ、それにしても不思議ですわね。罰ゲームは全くの逆効果でしたのに、イチャイチャを控えるようになってしまうだなんて……」

「ふふっ、きっとジャックへの罰ゲームが効果的だったのね。あの時のジャックは耳の先まで赤くなって羞恥を露にしていたもの。もちろん付け耳の方ではないけれど」

「あ、あはは……確かにあれは堪えたなぁ……」

 

 気を遣ってくれたのか話題を変えてくれるシンデレラ。そして容赦なくジャックの心の傷を抉りに来るグレーテル。

 猫耳を手に入れる代償としてジャックも親指姫と同じ罰ゲームを受けたのだが、あれは死ぬほど恥ずかしい体験であった。特に印象的だったのはお腹を抱えて笑い転げた赤ずきんの姿、それと義妹二人の汚れなき純真な笑顔と可愛いという褒め言葉である。

 

(まあ、その場限りだったけど……)

 

 しかし得たものは大きかったので今や単なる笑い話に過ぎない。手に入れた猫耳は存分に活用して大いに楽しんでいるので、とりあえずジャックも親指姫も懲りていないことは確かだ。つい先日は鈴つきの首輪が仲間入りしたばかりである。

 

「何にせよ自制できるのならもう罰ゲームを受ける必要は無くなったということね。良かったわね、ジャック」

「そうだね。これでもう恥ずかしい思いをしなくて良いから安心だよ」

 

 何にせよこれで怪しげな罰ゲームを強制されることはないし、安全に探索を行うこともできるはず。アリスに慰めを受け、ジャックはほっと胸を撫で下ろした。アリスの声が聞こえたのはさっき空耳が聞こえた方向だった気がすることは些細な問題だろう。

 

「でも……何だろ、この気持ち。何か目の前でイチャイチャしなくなったらなったで酷く物足りない気がするんだ……」

「奇遇ですね、わらわも同じ気持ちです……」

(だ、だいぶ毒されちゃってるなぁ……赤ずきんさんにかぐや姫……)

 

 しかし二人の精神を微妙に毒してしまった罪悪感に苛まれ、あまり穏やかな心地にはなれなかった。くらら同様、この二人も目の前でイチャイチャするジャックと親指姫という刺激の中毒になっているらしい。やはり申し訳ないとしか言いようがない。

 なのでその罪悪感を忘れるべく、ジャックは親指姫へと視線を向けた。愛する少女の可愛らしい面差しを眺めていれば胸の中は幸せな気持ちで満たされ、罪悪感などどこかへ行ってしまうからだ。

 

(あれ……親指姫、どうしたんだろう?)

 

 しかし今、愛する少女の面差しは何やら曇っていた。先ほどと同じ何か胸の内の感情を堪えるように複雑そうに眉を顰め、じっとある方向を見つめている。気になったジャックが視線を辿ってみると――

 

「わーい! じゃっくのち、おいしー!」

「や、やめりょ! こそばゆいではにゃいか! ははははは!」

 

 そこにあったのはじゃれあうラプンツェルとハーメルンという何の変哲も無い微笑ましい光景。まあ片やジャックの血液に塗れていて、片やそれを舐め取っているというのがおかしいと言えばおかしい光景か。

 

(うーん……あんな風に仲良く僕とイチャイチャしたい、って思ってるのかな?)

 

 頑張ってその衝動を堪えているなら、目の前であんな睦まじい触れ合いをされるのはなかなかに辛いことのはず。あんな表情をしている理由も納得だ。

 ジャックも同じ気持ちなので慰めてあげたいところだが、うっかりイチャイチャしてしまいかねないため声をかけるのは得策ではない。ここは心を鬼にしなければ。

 

(……うん。部屋に帰ったらいっぱい甘えさせてあげよう!)

 

 なのでジャックは後でいっぱい甘やかしてあげることを心に決め、この場では我慢しておいた。親指姫が頑張って堪えているのだから、自分だって頑張って堪えなければ。

 

「うー……!」

(あ、凄くもどかしそう……)

 

 しかし感じている辛さはジャックの比ではないらしい。親指姫はいてもたってもいられないという表情で唸り声を上げている。

 そしてその視線はやはりじゃれあうハーメルンとラプンツェルに向けられていた。

 ジャックの血を舐めるラプンツェルと、舐められてくすぐったそうにしているハーメルンに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、今日も無事に終わって良かった。血もそんなに使わなかったから体調もだいぶ良いや」

 

 無事に探索を終え、二人で愛の巣――もとい部屋に帰ってきたジャック。

 今回はメアリガンを使う機会がさほど無かったため、立ちくらみや眩暈などの貧血気味の症状が起きることもなく健康そのものだ。

 

「あ、さっきも言ったけどもちろん嘘じゃないよ。嘘ついたり無理したりすると君に怒られちゃうしね?」

 

 なので体調の良さを示すため、後から部屋に入ってきた親指姫に元気良く笑いかける。

 何だかんだでやっぱりジャックのことを愛していて身を案じている親指姫だ。虚勢でも何でもなく本当に元気だと分かればまるで自分のことのように喜んでくれる。とはいえ嘘をついたり無理をしたりしないのは当然のことだと嗜めつつなのだが。

 

(って……あれ?)

 

 しかし、今回は嗜めることもなければ喜んでもくれなかった。というよりそもそもジャックの話が耳に入っていないらしい。何やら眉を寄せて俯き思い悩んでいる様子だ。ちょうど探索中に何度か見た、何かを必死に堪えるようなちょっと苦しげな表情で。

 

「親指姫、どうしたの? さっきからずっとそんな顔して……」

「ジャック……ちょっとそこ、座ってくんない?」

「え? う、うん……」

 

 心配になって声をかけると返ってきたのは脈絡の無いお願い。

 多少面食らったがここは大人しく従いベッドに腰を下ろした。何か悩みがあるなら長い話になるかもしれないし、探索帰りでお互いに疲れている。話をするから座ってしようということなのだろう。

 

「それで親指姫、一体どうし――っ!?」

 

 お互いベッドに腰を下ろした所で再び話を切り出すジャックだが、今度は物理的に言葉を遮られた。膝に身を乗り出してきた親指姫の柔らかい唇に、自らの唇に蓋をされて。

 

「んっ……ちゅ……ジャック……」

 

 おまけに重なった唇の隙間から小さな舌先が潜り込んできて、絡みつくように動きながら唾液を強引に奪い取っていく。そんな深い口付けにジャックは戸惑いと困惑を覚えて固まり、されるがままになってしまった。

 別にこの手のキスは初めてではないし、もっと凄いことだっていっぱいしている。しかし親指姫がここまで唐突に熱烈なキスをしてきたのは初めてのことだった。そしてキスの激しさも何やらおかしい。お互いの愛情を確かめるようにゆっくりと交わすのではなく、向こうがほぼ一方的にジャックの唇を喰らっているに等しいキスだ。

 先ほどの深く思い悩んだ表情からの激しく貪るような口付け。さすがにこの流れでは何も考えずに受け入れることはできない。ジャックは身を任せたい誘惑に何とか抗い、親指姫の唇を遠ざけた。

 

「……一体どうしたの、親指姫? 突然こんなキスしてくるなんて」

「い、良いじゃない別に! さっきまでずっと我慢してたんだから!」

「ああ、そっか。そういえば親指姫、探索中はイチャイチャしないように我慢してたんだもんね」

 

 お約束のように真っ赤になった表情を目にして、その事実を思い出す。

 今日の探索中には赤ずきんたちにイチャイチャ認定される発言や行為が一切無かったのだ。結構な甘えん坊でジャック大好きな親指姫なのに。

 何度か見かけた複雑な表情はジャックに甘えたりイチャイチャしたいという気持ちを必死に押し殺していたものなのだろう。そして押し殺す必要が無くなった今、我慢していた分も相まってちょっと収まりがつきそうに無いというところか。そうでもなければいくら親指姫でもいきなりあんなに深いキスをかましてくるわけがない。

 

「そうよ! ずっと我慢してたんだからこれくらいイチャイチャしたって良いじゃない!」

「い、良いけど、できればもう少し控えめにしてくれないかな? こんなキスいっぱいされたら我慢できなくなっちゃうよ……」

 

 ジャックも男なのでこんなに可愛らしい少女に抱きつかれながらディープなキスをされまくれば理性を保つのは難しい。おまけにこの少女は大好きな恋人で、欲望を抑える必要は無いと言ってくれたのだから。

 しかし今の親指姫は探索中に我慢していたイチャイチャをしたいだけであって、ジャックと違いそういうことを求めているわけではないはず。故にその求めに応じるために、欲望に従うわけにはいかない。

 

「それならそれで良いからいっぱいキスさせなさい! 私だって、我慢できないわよ……」

「そ、そんなこと言われても……」

 

 皆が寝静まった頃ならともかく、今は探索から帰ってきたばかり。さすがにそんな時間からアレソレするのはちょっと抵抗があるし、誰かが部屋を訪ねて来るかもしれないことを考えると落ち着かない。

 なのでどうやってこの場を切り抜けるべきか悩むジャックだったが――

 

「あーっ、もう良いわよ! させないなら無理やりしてやるわ!」

「うわぁっ!?」

 

 ――痺れを切らした親指姫が胸に飛び込んできて、半ば押し倒される形でベッドに背中から倒れこんでしまった。

 

「ん……っ……ふぁ……!」

 

 そしてまたしても唇を奪われ、深めのキスをされてしまう。

 その激しさはやはり先ほどと同じ貪るような一方的なもの。これではジャックとイチャイチャすることが目的ではなく、ジャックとキスすることが目的としか思えない。それもただのキスではなく、唾液を奪うかなり卑猥なキス。本当にイチャイチャしたいだけなら他にもっと穏やかな愛情表現はたくさんあるはずだというのに。

 

「――ジャック、親指姫。中にいるのかしら?」

「っ!?」

 

 妙に大胆に唇を奪われている最中、部屋の扉がノックされグレーテルの声が向こう側から聞こえた。親指姫は弾かれたかの如く真っ赤な顔で身を起すが、起しただけでジャックの身体の上からは退いてくれなかった。

 

「ぐ、グレーテル!? どうしたの!?」

「あなたに用があるのよ、ジャック。入っても良いかしら?」

「え、えっと、今ちょっと散らかってるから! 入らない方が良いよ!」

「大丈夫、そのくらい私は気にしないわ。失礼するわね――あら」

「わぁっ!? 勝手に入ってきてるし!」

 

 遠慮なく扉を開けて部屋に踏み入ってきたグレーテルが、ベッドの上で組み敷かれる形になっているジャックとその上の親指姫を見てほんの僅かに目を見開く。といっても驚きではなく好奇心を刺激された反応なのがグレーテルらしい。

 

「……お邪魔だったようね。ここは出直すのが一般的なのかしら」

「良いからとっとと用件済ませなさい! 出直してもう一度邪魔されたら堪ったもんじゃないわ!」

 

 特に動じた様子も無いグレーテルに対し、恥じらいに真っ赤に染まりながらも気丈に言い放つ親指姫。相手が相手だからなのか、それともイチャイチャしたい気持ちを抑えていた反動か。どちらにせよグレーテルが出て行ったら続きを始めたいらしい。

 

「それもそうね。ジャック、頼まれていた本を持ってきたわ」

「わ、わざわざ持ってきてくれたんだね、ありがとう……えっと、その辺に置いといてくれるかな……?」

「分かったわ。それじゃあここに置いておくわね」

 

 親指姫に押し倒されているので本を受け取りに行く事ができないため、適当な場所に置いてもらう。やはり動じた様子の無いグレーテルは部屋中央のテーブルに本を置くと、そのまま踵を返して部屋を出て行こうとする。

 

「……ところで今から性交渉を始めるのなら見学しても良いかしら?」

「ええっ!? け、見学って……!」

「良いわけないっつーの! 用が済んだらとっとと出て行きなさい!」

「そう……残念ね……」

 

 しかしその最中に振り返って突拍子も無い提案をしてきて、親指姫にあっさり一蹴されていた。グレーテルらしいといえばらしいが、好奇心や知識欲にも限度というものがある。

 断られたせいかグレーテルは気落ちした様子で部屋を出て行った。そして部屋に残されたのはジャックと親指姫のみ。妙に積極的かつ大胆にキスをねだってくる親指姫と二人っきりだ。

 

「えっと……今みたいに誰かが訪ねて来るかもしれないから、その……今はやめておこう? 後でならキスでも何でも、君がして欲しいこといっぱいしてあげるから」

 

 そう提案すると共に右手を伸ばし、優しく頭を撫でてあげる。

 かなり深いものとはいえただ単にキスがしたいだけの親指姫でも、途中で水を注されたくは無いはず。こう言えばきっと我慢してくれるに違いない。

 そう思っていたのだが――

 

「……お、親指姫?」

 

 ジャックは嫌な予感に見舞われ、控えめにその名を呼んだ。 

 何故なら頭を撫でていた手は拒否を示すようにがっしり掴まれ、こちらを見下ろす翠の瞳には並々ならぬ決意が宿っていたから。その決意がどちらかといえば自棄という表現が近い気もしたので余計に。

 

「……別に良いじゃない! どうせ私たちがそういう関係だってことは皆知ってるんだし、今更何の問題も無いわよ!」

「っ――!」

 

 予感は見事的中し、ジャックの唇はまたしても奪われてしまった。もちろん先ほどと同様、奪われたのは唇だけではない。むしろそちらが本命とでも言わんばかりに、唾液が吸い上げられていく。

 

(ほ、本当に親指姫は一体どうしたんだ!?)

 

 親指姫は甘えん坊だしイチャつきたがりなのでキスをねだられることは珍しくないものの、これは明らかにおかしい。甘く幸せな触れ合いではなく、卑猥で本能に訴えかける触れ合いばかりを望むとは。イチャイチャしたい気持ちを抑えていた反動だとしてもここまで激しくなってしまうものなのだろうか。もしかするとそれ以外の何かが親指姫を突き動かしているのではないだろうか。

 

「ちゅ……あんたは……んっ……私の、もんなんだから……」

(う、うぅ……もうダメだ……)

 

 しかしそんな疑問はすぐに頭の中から薄れていき、ジャックは欲望に飲まれてケダモノになってしまうのだった。

 あまりにも卑猥な口付けの嵐と、何故か独占欲を露にした親指姫の可愛らしさのせいで。

 

 

 





 何か様子がおかしい親指姫。まあ聡い人なら理由は簡単に分かるはず。
 次回は何かもの凄い猟奇的なお話になりそうです。まあ原作が元々血みどろだし問題ないかな……。





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浄化と魂血(後編)



 後編。たぶん私が書いた中でも一番危ない話だと思われます。これならR18の方がまだ健全かもしれない……。
 ところで自分の身を削って少女たちをサポートしていると聞くとすごく頑張っているように思えるのに、自分の体液を女の子にかけていると聞くとすごく卑猥な感じがしますよね。不思議……。







 

 

 きっとアレは探索時にイチャイチャしたい気持ちを抑えていた反動。だからその分の気持ちも満たしてあげればきっと親指姫はいつも通りに戻るはず。当初ジャックはそんな風に考えていた。

 しかし残念ながらその後も変化は元に戻らなかった。今では二人きりの時に交わすキスの半分以上があの卑猥なものになってしまっている。それというのも親指姫がやたらに求めてきたり無理やりしてきたりするから。一応流されないように心を強く持とうと努力はするが、魅力的な上に愛する少女からの特別深いキスの嵐だ。そしてジャックは年頃の男。結果がどうなど言うまでもない。

 

「兄様、それでお話とは何でしょうか?」

「えっと……やっぱり僕たちだけだとその呼び方なんだね……」

「ん……当然……!」

 

 このままでは色々な意味でマズイと考えたジャックは義妹二人、もとい白雪姫と眠り姫へ相談にきていた。親指姫のことを一番良く知っているのは妹であるこの二人だからだ。二人なら親指姫の行動の理由に心当たりがあるかもしれないし、無くても話をすることで何か糸口が見えてくるかもしれないと考えてのことだ。

 まあこんな回りくどいことをせず直接本人に尋ねた方が早いのだが、それは何度か試みて失敗している。聞き出そうとすると猛烈かつ熱烈なキスで誤魔化されてしまうので、本人にもう一度話をするのはできれば答えを掴んでからにしたい。

 

「実は話っていうのは親指姫のことなんだ。親指姫、最近何だかちょっと様子がおかしくて……」

「様子がおかしい? どんな風にですか?」

「それは……えっと……」

「んー……?」

 

 答えに詰まってしまうジャックを首を傾げて見つめてくる義妹二人。

 当然といえば当然の疑問だ。しかし話す内容はどちらかと言えば性的な話題に片脚を突っ込んでいる上、その対象は他ならぬ二人のお姉さん。相談にきておきながら直前で話すべきか迷ってしまうのも仕方ないことのはず。

 

「その……二人きりだと、何だか凄くキスしたがるんだ。ただのキスじゃなくて、とってもディープなキスを……」

 

 とはいえ話さないと始まらないので、恥ずかしい話題だが結局は諦めて口にした。

 こんな話で二人が親指姫に幻滅したりするわけがないし、何よりディープキスされまくる日々が続くのは正直困る。すでに堪えきれず時間帯も忘れて欲望に身を任せてしまった経験が何度もあるのだ。今の所は平穏無事に済んでいるがこれからも無事とは限らない。なるべく早く問題を解決しなければきっと何か一波乱起きてしまう。

 

「でぃ、ディープなキス……!」

「親指姉様……積極的……!」

 

 姉の行いに対する衝撃に驚きを露にする妹二人。しかし真っ赤な顔の白雪姫はともかく、眠り姫の方は恥じらいよりも感銘や尊敬からくる驚きを見せている。白雪姫に比べればこういった話題は意外と平気な方らしい。

 

「親指姫、最近突然そんな風になっちゃったんだ。理由を聞いても誤魔化されるっていうか、はぐらかされちゃって結局聞けないし……二人は何か知らないかな? 親指姫がこんな風になった理由」

「そ、そうですね……最近というのは具体的にはいつ頃か分かりますか?」

「うん。十日くらい前の探索の後だよ。その前はいつも通りだったから、たぶん探索中に何かあったと思うんだ」

 

 まだちょっと顔が赤いものの、白雪姫はしっかり相談に乗ってくれるようなので迷い無く答える。

 変化が過剰で分かりやすかったので時期はまず間違いない。問題は原因だがそちらは皆目見当がつかなかった。少なくともジャックが思いだせる限りでは何の問題もない探索だったからだ。

 

「イチャイチャするの、我慢してたから……?」

「僕も最初はそう思ったんだけど、もう十日も続いてるからたぶん違うと思う。親指姫、探索の無い日もそんな感じだし……」

 

 喋り方がゆっくりな眠り姫にしては珍しく即答するが、その考えは残念ながら間違いだ。探索の無い日どころか今ではおはようやおやすみのキスという特別なものまで侵食されつつある。

 まあそれが嫌かどうかと聞かれれば嫌ではないのだが、やはり起き抜けに大いに劣情を煽るキスをされるのは非常に困ってしまう。

 

「そ、そうなんですか……うーん、白雪も特に思い当たりません。思いつくのは兄様と姉様がいつものようにイチャイチャしなかったことくらいでしょうか?」

「そっか……眠り姫――ね、ネムは他に何か思い当たることはある?」

 

 先ほどとは異なる答えを期待してもう一度眠り姫に尋ねる。

 わざわざ愛称に言い直したのはそうしないと反応してくれないから。三姉妹とジャックのみの時はしっかり愛称で呼んで妹扱いしないと大いに拗ねてしまうのだ。

 

「んー……そういえば、親指姉様……何だか、辛そうな顔してた……」

「辛そうな、顔……?」

 

 ちょっと説明が足りない答え。

 一瞬何のことか分からなかったジャックだが一つだけ思い当たることがあった。十日前の探索の最中、確かに親指姫はそんな表情をしていたのだ。

 

「ん……ボクのこと、見ながら……」

「えっ、眠り姫を見ながら?」

 

 ただしジャックの思い当たる限りではじゃれあうハーメルンとラプンツェルの姿を見て、だ。少なくともそんな表情で眠り姫を見ていた記憶は見当たらない。

 なので本当かどうか再度聞き返したのだが――

 

「………………」

「……ね、ネムを見ながら?」

「ん……ん……!」

 

 言い直すと嬉しそうに微笑み頷く眠り姫。やはり何が何でも愛称で呼んで欲しいらしい。

 

「あ! そういえば白雪も見ました! 十日前じゃなくてこの前の探索ですけど、ネムちゃんが言うような顔で親指姉様が白雪を見てましたよ!」

「え、白雪ひ――白雪も?」

「はい、間違いありません!」

 

 眠り姫の言葉に自らも思い当たることがあったらしい。白雪姫も確信を持った表情で断言してきた。

 

「僕も見たことあるけどそれってどういう時に見たの? もしかして誰かと仲良く触れ合ってた時?」

「んーん……兄様に血を、浴びせてもらった時……」

「あ! 白雪の時も同じです!」

「僕に血を……そういえば、僕が見た時のも良く考えるとハーメルンに血を浴びせた後だったっけ……」

 

 てっきり仲良くじゃれあうハーメルンとラプンツェルの姿に自分たちを重ねているのではないかと思っていたのだが、白雪姫たちの話を総合するとどうにも違う気がする。親指姫は触れ合いよりもむしろジャックの血を浴びたハーメルンの方を見ていたのではないだろうか。確かにそう考えると白雪姫たちの状況と同じになる。

 

「でもそれでどうして辛そうな顔なんてするんだろう。別に自分も穢れが溜まってるってわけでもなかったはずだし……」

 

 同じにはなるが、分からなくなる。イチャイチャしたいの必死に堪えているから、という理由が無くなると他にはさっぱり思い浮かばなかった。

 自分も穢れが溜まっているから同じく浄化して欲しい。でもジャックに負担をかけたくないから黙っている。そういう線も無くはないがいくら親指姫でもブラッドスケルター化の危険を犯してまで堪えたりはしないはず。何よりよく鈍いとか言われるジャックでも血式少女の穢れの蓄積には敏感なつもりだ。自分の唯一と言って良い、それも自分にしかできないことなのだから手を抜いたりはしていない。

 

「もしかして……ヤキモチ……?」

「ヤキ、モチ?」

「兄様の身体は、姉様のものだから……兄様の血も、本当は姉様のもの……」

「な、なるほど……!」

 

 頭を悩ませているとぽつりと呟いたのは眠り姫。視線を向けると僅かながらその頬は朱色に染まっていた。そして隣の白雪姫は真っ赤に染まっていたものの、至って真剣な表情で頷いていた。

 

「あ、あはは、幾らなんでもそんなわけな――」

 

 だいぶ血生臭いヤキモチに思わず苦笑してしまうが、否定の言葉は唐突に出てこなくなった。何故ならそう考えると色々な辻褄が合い、得心がいくから。親指姫の行動の理由や、その真意まで。

 

(……もしかして、そういうことなのかな?)

 

 辿りついた答えにジャックが抱いたのは複雑な気持ち。嬉しいような申し訳ないような、そして恥ずかしいような。とにかく複雑な気持ちだ。

 確かに親指姫はヤキモチを焼いているのだろうが、恐らくこれを本人から聞き出すことはできなかったに違いない。例え全力の誤魔化しを掻い潜っても内容が内容なので絶対に。何故ならジャックの予想が正しければ自分たちにとってはともかく、一般的に考えれば非常に危ない感じの血みどろの話になるから。

 

「ん……兄様……?」

 

 言葉を切ったまま考え込んでいたせいか、眠り姫がジャックの様子に首を捻る。

 どうやら案外鋭い眠り姫でもジャックのように自然と結論は出てこなかったらしい。まあ二人にはディープなキスとしか伝えていないのでいまいち答えに繋がりにくいのだろう。鍵となるのはキスそのものではなく、二人に話していない唾液を奪う行為である。

 

「あ、何でもないよ。それより二人とも、相談に乗ってくれてありがとう。何となくだけど親指姫の真意は掴めたよ」

「本当ですか? 兄様のお役に立てたなら幸いです!」

 

 お礼を言うと白雪姫は本当に嬉しそうに笑ってくれた。

 その可愛らしい笑顔に癒される反面、思い浮かんだ答えを教えて欲しいと言われたらどうしようかと気が気でなかった。ジャックにとってはそうでもないのだが、一般的に考えると性的な話題よりも話しにくいことだから。

 

「じゃあ……ご褒美……」

「えっ、ご褒美?」

「ん……ん……」

 

 姉と義兄の間の若干性的な話なせいか詮索はされなかったものの、代わりに予想外の即物的なお願いが飛んでくる。

 眠り姫は驚きに目を丸くするジャックのすぐ近くまで歩み寄ってくると、目の前で僅かに身をかがめた。

 

(……っ!)

 

 必然的にその豊かな胸の谷間を上から覗き込む形になって二重の意味でドキリとしてしまう。一つ目はいわずもがな、二つ目は軽い罪悪感から。仮でも義理でも兄と認められた以上、妹に対してその手のことを考えてしまうのはいけないことだ。

 

(……あ、そっか。眠り姫にとって僕はお兄さんなんだ)

 

 そこまで考えて眠り姫が望んでいることがやっと分かった。

 ジャックは兄で眠り姫は妹。そして妹が何かとっても良いことをしたなら兄はご褒美に何をしてあげるべきか。答えはたった一つだ。

 

「……うん。ありがとう、ネム」

「えへへ……どういたしまして……」

 

 望みどおり、ご褒美に頭を撫でてあげた。よく親指姫にするのと同じくらい優しく、愛情を込めて。

 ただ単に頭を撫でられることが嬉しいのか、それとも兄に初めて撫でてもらったのが嬉しいのか、眠り姫は幸せそうに笑いながら手の平に頭を擦り付けてくる。さしずめもっと撫でてとねだるように。

 身体的というか部位的というかの話で親指姫には似ていない眠り姫も、この辺りの反応は実にそっくりだ。そしてそっくりと言えばもう一人――

 

「うぅ……」

 

 立ち尽くしてこちらを見つめるもう一人の妹。その表情はちょうどついさっきまで話題にしていたのと全く同じ。

 さすがに今回は状況があまりにも分かりやすく、この時ばかりはジャックにも胸の内が容易に想像がついた。

 

「……白雪もおいで?」

「あっ、は、はい!」

 

 なので苦笑しつつ白雪姫を手招きする。

 理由は簡単。白雪姫は眠り姫だけ頭を撫でられていることにヤキモチを焼いて、自分にもして欲しいと思っているはずだから。しかしそれを自分で言い出せなかったであろうから。

 

「ふふっ、何だかとっても気持ち良いです……」

 

 そしてその予想は間違いではなかった。自ら帽子を取る白雪姫の頭を優しく撫でてあげると、やはり眠り姫に負けないほど幸せそうな笑顔が広がっていく。

 

(うーん、結局どうすれば良いんだろ……)

 

 白雪姫の場合は同じく頭を撫でてあげることで問題は解決したが、さすがに親指姫の場合はそう簡単にはいかない。何せ問題になっているのは親指姫以外の子にまでジャックが血を浴びせていることだ。おまけにそれは必要だからやっていることであり、なおかつジャックにしかできないこと。なので他の子にはもう血を浴びせない、などという選択肢はそもそも存在しない。

 

(となると、やっぱりそれしかないか……)

 

 まあ解決方法、というか妥協案は一応浮かんでいた。とはいえそれを親指姫が受け入れてくれるかどうかが未知数なのと、話が信じられないくらい血生臭くなることが果てしなく不安だった。

 しかし話さなければ解決はしないし、何より日に何度も理性が危うくなる日々が続くだけだ。日々の平穏のためにも、そして胸の内でやり場の無い苦しみを抱えている親指姫のためにも、ここは臆さず攻めなければ。

 義妹二人の笑顔から勇気を貰いつつ、ジャックはついに覚悟を決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、じゃ、ジャック! 見ないと思ったら今までどこ行ってたのよ、あんた?」

 

 義妹二人への相談を終え自室へに戻ると、そこでは親指姫がベッドに座って真っ赤な顔をしていた。

 ただしそれは部屋に入って数瞬の後に見えた光景。実際に一番最初に見えたのはベッドの上でジャックの枕を抱きしめて顔を埋めつつゴロゴロしていた姿である。どうやら一人きりなのを良いことにちょっと弾けていたらしい。あるいはその行動も最近の変化に起因するものなのかもしれない。

 

「ごめん、ちょっと用事があって外に出てたんだ。もしかして寂しい思いをさせちゃったかな?」

「ふ、ふん。別に寂しくなんてなかったわよ? ま、まあ、早く戻ってこないかなってくらいは思ってたけど……」

 

 先ほどの光景に微笑みを抱いたまま尋ねると、親指姫は視線を彷徨わせつつ答える。その頬が朱色に染まっている様子と、先ほどの光景から考えれば寂しがっていたのはまず間違いない。

 そもそも最近ジャックはディープなキスに始まり最後まで流されてしまわないように、極力部屋の中で二人きりになることを避けている。無論不自然に避けていると思われない程度だが、やはり部屋で二人きりで過ごす時間が減ったのは確か。寂しさを感じるのは当然だし、ジャックだってちょっと寂しい。

 

「そっか。今日はもうずっと一緒にいられるから大丈夫だよ、親指姫?」

 

 しかしそんな寂しい日々と理性が危ない日々は今日でおしまいだ。

 まあジャックの考えが間違っていたらまだまだ続くのだろうが、もうその時はその時である。あくまでも凄く困るだけで別に嫌ではないのだから。

 

「だったら馬鹿みたいにそんなとこ突っ立ってんじゃないわよ。ほら、早くこっちきなさい」

「うん。それじゃあ――」

 

 自らの隣へとジャックを招く親指姫。

 ここ十日間の出来事、そして今のどこかそわそわした様子。促されるまま座れば何が起こるかはそこから容易に察しがつくものの、ジャックはあえて素直に腰を下ろした。

 

「っ……ん……ふ……ぁ……」

 

 途端に予想通り膝の上へと身を乗り出し、情熱的に口付けてくる。

 その口付けはやはりとことんディープ。しかしお互いに舌を交えるのではなく、向こうが一方的にそれをしている。おまけにどちらかと言えば唇や舌よりも唾液を奪われている感覚だ。どれだけしても満たされないかのごとく、貪り喰らうように。

 

(……やっぱり、そういうことなんだ)

「……っ、ジャック?」

 

 改めてこの口付けを体験して確信を得たジャックは、両手で親指姫の肩を押して少々強引に距離を空けた。

 拒絶と取られたのか眼前の深緑の瞳が不安気に揺れ、胸が罪悪感にずきりと痛む。しかしこうでもしなければ無理やりキスされ誤魔化されてしまうのだから仕方ない。

 

「……親指姫、君がしたがってるのは本当にキスなの?」

「あ、当たり前じゃない。他に何があるってのよ?」

 

 罪悪感による胸の痛みを堪えつつ、鼻先が触れ合うほどの距離で見つめあいながら言葉を紡ぐ。必死に隠そうとしているが距離のおかげで動揺しているのは手に取るように分かる。故にジャックは決定的な言葉を投げかけた。

 

「そうだね、例えば僕の……唾液が、欲しいんじゃないかな? 僕の、血の代わりに……」

「――っ!!」

 

 言葉はなかったが反応はこれ以上ないほど分かりやすかった。

 激しい口付けで若干上気していた頬が瞬時に真っ赤に染まり、丸い瞳は大きく見開かれる。そして反射的に否定することができていないどころか、真実を突かれた衝撃からか絶句して言葉が出ないらしい。たぶん自分を取り戻したら否定にかかるだろうがもう手遅れである。

 

「やっぱりそうだったんだ。最近君の様子がおかしいから何かあるんじゃないかって思ってたよ」

「そ、そそそ、そんなわけないでしょ! 血が欲しいとか吸血鬼かっての! いくら私が血式少女でも人の生き血を啜る趣味なんてあるわけないじゃない!」

 

 予想通り必死に否定する親指姫。取り繕う笑顔はとても可愛いのだが顔は真っ赤なまま。誰がどう見ても嘘なのは明らかだ。

 

「変なこと言ってないでキスするわよ、キス! あ、せっかくだから猫耳と首輪つけてやろうじゃない! あんたもその方が嬉しいでしょ!?」

「間違ってたらごめんね。君はもしかして……ヤキモチ焼いてたんじゃないかな? 僕が君以外の女の子に自分の血を浴びせるから……」

「なっ……!」

 

 未だ誤魔化そうと健気に頑張っているので、申し訳ないものの追撃を浴びせていく。

 ジャックの予想が間違っていれば親指姫ならきっと怒り出すところだ。しかし反応はまたしても絶句。つまり間違っていないということ。故にジャックは最後まで続けた。

 

「でもそれは必要なことだって君も理解してるから止めさせることは出来ない。だからせめて誰よりも僕の血を浴びたり舐めたりしたいけど、そんなことをさせたら僕の体調が心配になるからキスで……唾液で我慢してる、ってことじゃないのかな?」

 

 これがジャックの頭の中に浮かんだだいぶ血みどろな答え。

 大体は眠り姫が言っていた通り。ジャックの身体は親指姫のものだから、ジャックの血も本来は親指姫のもの。なのにジャックはそれを他の女の子にまで浴びせているからヤキモチを焼かれてしまったのだ。

 とはいえ血式少女にとって穢れを浄化するジャックの血液は必要不可欠。親指姫もそれは分かっているから止めさせるなどという選択肢はなかったはずだ。そのため止めさせるのではなく、自分には他の子よりいっぱい血を使ってもらえば良いと考えたに違いない。

 ただそれはそれでジャックの身体が心配になるため、代わりのもので我慢してくれていたというわけである。要するに血液ではなく、唾液で。

 

「えっと……間違ってる?」

 

 だいぶ危ない方向に突き抜けた予想なので間違っていれば平手の一発くらいは飛んできてもおかしくない。

 しかし幸運なことに何も飛んでこなかった。代わりに親指姫は一つ深い溜息を零し、膝の上から身を引いて隣に座り直した。

 

「……あんた、何でこんな変なことばっかり無駄に鋭いわけ?」

「ご、ごめん……」

 

 そして何故か呆れを孕んだ瞳で睨まれ怒られたので謝っておく。隠していた心情を暴かれたせいかちょっとご機嫌斜めなようだ。

 

「あー、そうよ! 全部あんたの言ってた通り! 私はヤキモチ焼いてたし、あんたの血を欲しがってたわ! 穢れとかは全然関係なくね!」

「やっぱりそうだったんだ。でもどうして黙ってたの? 変に誤魔化さないで言ってくれれば良かったのに……」

「い、言えるわけないでしょうが! あんな血生臭いヤキモチ焼く女だなんてあんたに知られたら死にたくなるわよ!」

「ああ、心配してたのはそっちなんだ」

 

 知られたせいで自棄になったのか素直に本音を暴露していく親指姫。

 どうやらジャックの身体が心配だからというより、血みどろなヤキモチを焼いていることをジャックに知られて幻滅されたくなかったらしい。別にジャックは幻滅なんてしていないし、不謹慎だがヤキモチを焼いてくれたことはむしろ嬉しいと思っている。

 

「心配しなくて良いよ、親指姫。僕は幻滅なんてしてないし、君が結構ヤキモチ焼きなのは最初から知ってるからね」

「嘘ぉっ!? マジで!?」

 

 安心させるためににっこり笑いかけたものの、返ってきたのは酷い衝撃を受けた顔。先ほど心情を暴かれた時よりも衝撃は大きそうだ。まさかヤキモチ焼きなのを隠せているとでも思っていたのだろうか。

 

「本当だよ。でもどうして君が突然そこにヤキモチを焼いたのかは分からないんだ。今まではそんな様子全然なかったのに」

「それは……」

 

 ただ一つどうしても分からない疑問を投げかけると、言い淀んで視線を逸らす親指姫。

 しかし色々な事実を知られたせいでもう完璧に自棄になったに違いない。再びこちらに向けられた視線は睨むように鋭く、面差しは恥じらいと怒りに揺れていた。

 

「全部あんたが悪いのよ! あんたが物陰でこそこそラプンツェルに直接血をあげてたせい! 隠れて思わせぶりなこと言ったりしてたから私……う、浮気か何かと勘違いしちゃったのよ! そのせいでラプンツェルに血をあげてるとこ見てたら何かおかしな気分になって、いつまで経ってもそれが晴れなくて……おまけにあんたが他の子に血を浴びせてるとこまで……!」

(あ……ああ、アレのせいだったんだ……)

 

 ついに答えを得たジャックは心の中で強く頷き、そして自らの過ちを悔いた。

 親指姫がまくし立てているのは恐らく十日前の出来事。あの日ジャックはラプンツェルに穢れが溜まっているのに気付き、血をあげた。メアリガンはちょうどメンテナンスで手元に無かったので、やむなく手の平に傷をつけて直に。

 眠り姫が言っていた通り、ジャックの身体は親指姫のもの。それなのに他の女の子がジャックの肌をペロペロ舐めていたら良い気はしないはずだ。たとえそれが必要に迫られたことでも、浮気やその他の不埒な意思がどちらにも無くとも。むしろそのせいで抱いた気持ちのやり場が無く、結果として親指姫はあのような行為に走るしかなかったに違いない。全ての発端のヤキモチはそれだったのだ。

 仕方ないとはいえ自傷は怒られそうなので隠れてやったのだが、どうやらそれも裏目に出てしまったらしい。恐らく親指姫はジャックが何も知らないラプンツェルに物陰で不埒な行為を強要しているように思えたのだろう。

 

(冷静に考えてみると、確かに凄く思わせぶりなこと言ってた気がするなぁ、僕……)

 

 信用されていないような気がして複雑だが、怪しく物陰でこそこそしていたのだから勘違いされても文句は言えない。下手に隠れてこそこそしたからこんな血みどろなヤキモチを焼かせる結果になってしまったのだ。今回のことは完全にこちらの落ち度である。

 

「……ごめん、親指姫。僕のせいで……」

「ふ、ふん! 悪いと思ってるならもう紛らわしいことすんじゃないわよ! 分かった!?」

「うん、肝に銘じておくよ。それと……君を苦しませた責任も取らないとね」

 

 謝罪だけでは足りないし、何より原因を暴いただけで問題の解決はしていない。そもそも他の血式少女に血を使うのを止めることができない以上解決はしない問題だ。だからこれは妥協案。

 その案を行動に移すため、ジャックは立ち上がると部屋の机へと歩み寄った。そしてカッターナイフを手に取り、ベッドに腰を降ろしたままの親指姫の前へ戻ると――

 

「ジャック? ちょっと、あんた何するつもり――っ!?」

 

 ――刃で自ら手の平を裂いた。

 よりにもよって目の前での突然の自傷行為。これにはついさっきまで真っ赤だった親指姫も顔を青くして一瞬言葉を失っていた。

 

「い、いたた……ちょっと切りすぎたかな?」

「ちょっ、な、何やってんのよあんたは!? 気でも狂ったわけ!?」

「僕は正気だよ、だってこうしないとできないことだからね。ほら、親指姫」

 

 うろたえる親指姫を優しく笑いかけて宥め、ジャックは赤い血がじわじわと溢れてくる手を差し出した。ちょうどラプンツェルに血をあげていた時と同じように。

 

「僕の血、好きなだけ舐めて良いよ?」

「……は?」

 

 そう伝えるものの、意図を理解していないのか呆けた顔をされてしまう。

 確かにだいぶ猟奇的なことを言っているがこれこそがジャックの考えた責任の取り方であり、妥協案だ。

 

「確かに僕の血は皆に必要だから、例え君に止めろって言われたって使うのは止めないよ。でもこの血も含めて僕は君のものなのも事実だ。だから……これからは君の好きな時に、好きなだけ僕の血をあげるよ。それで君が僕にとって特別な存在だってこと、分かってもらえないかな……?」

「ジャック……」

 

 しっかり理解してくれたらしく頬を染めていく親指姫。

 先ほど本人の口から聞かせてもらった通り、血みどろなヤキモチである事実への恥じらいと、それを話してジャックに幻滅されるという不安から言い出せなかっただけで、本当は誰よりもジャックの血を舐めたり浴びたりしたいと思っていたのだ。それならジャックとしては血を捧げることに異存はなかった。むしろ遠慮せずに早く言って欲しかったと思うほどだ。

 

「あ、あんた、もの凄くヤバイこと言ってるって自覚ある……?」

「そういう君もだいぶ危ない方向のヤキモチ焼いてるじゃないか。というかメルヒェンの血を浴びると性格変わるような子にだけは言われたくないよ……」

「わ、悪かったわね! どうせ私は血生臭いヤキモチ焼く血式少女よ!」

 

 反論できなかったのか赤い顔で開き直られる。

 血が欲しいのだ血をあげるだの、一般的に考えれば確かに正気を疑う内容のやり取り。しかし血式少女と血式少年のカップルならこんなコミュニケーションもありだろう。それに形はどうあれ求められるのは嬉しいし、ヤキモチを焼かれるのもまた嬉しいのだから。

 

「ジャック……迷惑、してない? 私、あんたにこんなことさせる面倒な女だし……」

「迷惑なんてしてないよ。立場が逆なら僕だって同じ気持ちを感じただろうし、それに……感じたことが無いわけでもないしね。同じ女の子同士でも、君が他の子を舐めたり舐められたりしてるところを見てると、僕もちょっと……」

「あ……」

 

 ずっと秘めていた気持ちを口にすると、不安げだった親指姫の頬にまたも恥じらいが射していく。

 今は努めて気にしないようにしているものの、肌についたメルヒェンの血を血式少女たちが舐め合う姿を見て何も感じないわけではない。もちろん親指姫が舐めたり舐められたりする姿を見て嫉妬に似た感情を抱いたこともある。ただ皆女の子同士なのでジャックも何とか折り合いをつけられただけだ。

 これがもし異性が混じっていたならジャックだって親指姫と同等かそれ以上のヤキモチを抱いたに違いない。自分と愛し合っている少女が別の男に肌を舐められれば平気でいられる方がどうかしている。

 

「だから迷惑とか気にしなくて良いんだよ。それに、君が面倒なのは今に始まったことじゃないしね?」

 

 迷惑などとありえないし、親指姫は最初から面倒な子だった。そしてジャックはそんな面倒な子が愛しくて堪らないのだから、別にこの程度のことは何とも思わない。むしろ血を捧げることで親指姫の心を満たしてあげられるなら願ったり叶ったりだ。

 

「わ、悪かったわね! 素直じゃなくて!」

 

 素直でなかったことを遠回しに指摘されたと分かったらしく、今度は恥じらいではなく怒りに顔が真っ赤に染まっていく。

 やはり親指姫はこんな風に顔を赤くして照れ隠しに怒ったりする方が似合っている。感情を全て胸の中に溜め込んで辛そうな顔をされるより、こっちの方がよっぽど親指姫らしい。

 

「そこまで言うなら遠慮なんてしないわよ! あんたの血を一滴残らず飲み干してやるんだから!」

「さ、さすがにそれはちょっと困るなぁ。お手柔らかにね、親指姫?」

「ふん! 知ったこっちゃないわよ、そんなの!」

 

 機嫌悪そうに言い放ち、ベッドに腰かけたまま血が流れるジャックの手を取る親指姫。しかしその頬は唾液で我慢する必要が無くなったからか若干緩んでいた。

 ジャックとしても理性が弾けることがなくなるので嬉しい限りだが、もうあんな風に大胆で積極的にキスをしてくることはないと考えるとほんの少しだけ寂しい気持ちもあった。基本的に親指姫は甘えたりイチャイチャするだけで、自分から性的な行為はほとんどしないのだから。

 

「……ずっとヤキモチ焼かせててごめんね。大好きだよ、親指姫」

「私の方こそ、こんなことさせてごめん。大好きよ、ジャック……」

 

 謝罪と共に想いを伝えると、親指姫も同じように返してくれた。まだ血は舐めていないというのに満たされたような幸福に緩んだ表情で。

 そして緩んだ口元はジャックの指へと近づき、流れる赤い血を小さな舌で少しずつ舐め取っていった。その血が尊いものであるかの如く、ゆっくりと時間をかけて丹念に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャック、あんたそんなにメアリガン使って大丈夫なの?」

 

 後日のダンジョン探索中。

 血を使いすぎではないかと心配になった親指姫はジャックへ歩み寄り声をかけた。今回ジャックはもう五回もメアリガンを用いて自らの血を消費している。いくらケダモノなところがあるとはいえ、どちらかといえば線が細い方だしそろそろ貧血を疑いたくなってしまう。

 

「うん、まだ大丈夫だよ。そういう君こそ……大丈夫?」

「わ、私は別に平気よ! ただ、その……帰ったら……」

 

 至って平気な笑顔で返すとむしろ逆にこちらを気遣ってくるジャック。穢れのことを言っているのではないのは微妙に朱色に染まった頬で何となく分かったので、内容を濁しつつ答えておいた。探索を終えて帰ったらメアリガンを使わず直接血を舐めさせて欲しい、と。普通に考えるとだいぶ頭がおかしいお願いだ。

 

「……うん、良いよ。僕は親指姫のものだからね」

 

 にも関わらず、ジャックはにっこり笑って頷いてくれた。

 ジャックが献身的に血を捧げてくれるおかげで、親指姫も血生臭い嫉妬には何とか折り合いが付けられるようになっていた。少なくともメアリガンを用いて他の血式少女に血を浴びせること程度なら問題なく許容できる。

 ただ浴びせられたジャックの血を舐めたりする奴がたまにいるので、その様子を目にしてしまうとさすがに心中穏やかにはなれなかった。それを頻繁に行う奴が自分に良く似た体型、もとい外見をしているので余計に。

 

「ありがと、ジャック……でも、無理すんじゃないわよ? 体調悪くなりそうなら止めときなさい」

「そうだね。さすがに探索終わってすぐはキツイかもしれないし、君が我慢できるならもう少し後にして欲しいんだけど……良いかな?」

「仕方ないわね。だったらまずは休んで私のために体力戻しときなさい」

 

 控えめに尋ねてくるジャックへとあえて仕方無さそうに頷く。

 親指姫は吸血鬼ではないので意識を失うくらい大量の血を求めたりはしないが、探索で予め血を消費した後なら起こりえないことではない。何よりジャックはその手のことに関してはギリギリまでやせ我慢する傾向にあるため、親指姫としてもしっかり休んだ後の方が安心して血を舐めさせてもらうことができる。

 

「うん、そうするよ。僕が気にしないで良いって言ったからだけど親指姫は本当に遠慮ないからね。一回なんかちょっと意識が危なくなったくらいだよ」

「あんたそれ失神しかけてるじゃない! そういうことは早く言いなさいよ!」

「あはは。ごめん、君がとっても幸せそうにしてたから言い出せなくて……」

 

 そして予想通りやせ我慢していた事実が明らかとなり、その原因も明らかとなる。

 親指姫に限らず、血式少女にとってジャックの血液は穢れを浄化してくれるもの。分かりやすい例えならストレスを消し去ってくれるものだ。なのでそれを舐めさせてもらっていると憑き物が落ちたように気持ちがすっきりする。

 更にはジャックが親指姫のために血を捧げてくれている事実も相まり、ちょっとした夢心地になってしまうのだ。夢中になって至福の表情で血を舐めている親指姫の邪魔をしたくないから貧血気味になっても黙っていたのだろう。

 

(こ、今後はもうちょっと自重した方が良さそうね……)

 

 多少の戦慄を覚えながら親指姫はそれを決心した。万一血を舐めさせて貰っている時にジャックが倒れたら救護室に運ばねばならないのだ。倒れた理由の説明など誰が相手でもごめん被る。一般的に考えれば良くも悪くも普通でない触れ合いなのだから。

 

「倒れそうになるまで私が幸せそうにしてるの見てるとか、あんた私のことどんだけ好きなのよ、全く……」

「そうだね。少なくとも君が僕を想う気持ちよりは上だよ」

「あっ、また言ったわねこいつ! ジャックの癖に生意気よ!」

「いたっ! あははっ、止めてよ親指姫!」

 

 またしても自分の愛のほうが大きいという生意気なことをぬかすので、腰の辺りを拳で軽く何度もどつく。止めてと言いながらもジャックは明らかに楽しそうに笑っていた。

 

「――あっ」

「ん? いきなりどうしたのよ、ジャック?」

 

 しかし唐突にその笑顔が消え、僅かに頬が染まっていく。さしずめ何か失敗を犯してしまい、ばつの悪さに耐えられなくなったかのように。

 

(……あ)

 

 その表情を目にして親指姫も気がついた。ジャックは本当に失敗を犯したから罰が悪そうにしているのだ。その失敗とは――

 

「いつものジャックさんと親指姉様が戻ってきました! やっぱり二人はとっても仲良しです!」

「……ん……ラブラブ……!」

「あははは! らぶらぶー!」

 

 今は探索中だということを、この場に皆がいるということを、そしてこの状況でイチャイチャしたら罰ゲームが待ち受けているのを忘れたこと。

 ダンジョンの探索は少し前までは胸に抱えたヤキモチを刺激する場でしかなかった。そのおかげかそこではジャックとの会話は微妙にぎこちなくなりセーフの範囲に留まっていたが、今は胸の中に渦巻いていたやり場の無い気持ちはほとんど無いに等しい。そのせいでいつも通りのラブラブ加減を発揮してしまったというわけだ。

 何たる不覚。何故か嬉しそうにはしゃぐ妹二人とラプンツェルの姿を一睨みし、親指姫は微かな希望を胸に抱いて判定者に目を向けた。

 

「赤姉、今のセーフよね!」

「残念、アウトだよ! というわけであんた達には後で罰ゲームだ!」

「ふふっ、あれ一度きりで終わってしまったのでとても残念でしたよ~? 今度こそわらわ達を楽しませてくれることを願っています~」

「別にあんたたちを楽しませるのが目的じゃないっつーの、グータラ姫!」

 

 だが微かな希望は速攻で打ち砕かれた上、絶望として新たに襲い来る。

 というか赤ずきんもかぐや姫も妙に活き活きとした笑顔を浮かべていた。再び罰ゲームで自分たちが楽しめるからなのは考えるまでも無いことだが、同時に今まで不足していた刺激をやっと得られたからに違いない。ここ最近の探索では胸の内に渦巻く感情のせいでジャックとイチャイチャできなかったため、中毒気味の二人は刺激に飢えていたのだろう。

 

「ふむ、それにしてもさっきの意味深な会話は何だったのだ? 体力が必要だと言っていたにゃ……な!」

「そ、それは、お二人は深く愛し合う恋人同士ですし……えーと、その……ふ、二人での運動ではありませんこと?」

「二人で運動……ああ、もしかして隠語の一種かしら。なるほど確かに運動ね。主に用いるのは腰――」

「ストップ、グレーテル! 違うけどそれ以上言わないで!」

 

 頭を悩ませるハーメルンに対し、濁して答えたシンデレラの言葉をわざわざ補足するグレーテル。そしてそれを頑張って寸での所で止めるジャック。間違っているとはいえ今この場で言わせて良いことでもないのでその判断は正しい。

 

「あら、違うの? じゃああなた達は一体何の話をしていたのかしら」

「え、っと……それは……」

「ち、違わないわよ! あんたの考えてる通りの話よ!」

「ちょっ!? 親指姫ぇ!?」

 

 しかし血生臭い真実を話すことに比べればそちらに思わせておいた方がマシだった。元々親指姫とジャックがそういうことをしているのは周知の事実だ。故に今更口にしたところで痛くも痒くもない。とはいえ顔はちょっと熱かったし、驚愕しているジャックの顔も真っ赤だったが。

 

「……赤ずきんさん、今回の親指姫への罰ゲーム、私にも考えさせてもらえないかしら」

「おっ、やる気だねアリス。良いよ、あんたなら楽しめること考えてくれそうだ」

「うげっ……!」

 

 ただしこの誤魔化しはとんでもない悪手になった。何故なら親指姫の宣言を聞いたアリスが妙に冷たい声でそんな提案をしていたから。

 どうやら今度の罰ゲームは前ほど甘く幸せなものにはならないらしい。

 せっかくヤキモチが拭い去られて晴れやかだった胸の中は、代わりにもの凄い不安で満たされていくのだった。その不安の源が別の女のヤキモチだという事実は、正に皮肉としかし言いようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 血、血、血、血が欲しい。
 ヤキモチ焼きの渇きを癒すために。
 ヤキモチ焼きに注ごう飲み物を。
 欲しいのは血、血、血、血が欲しい。

 右腕にギロチンを形成したくなる血生臭いパロディはともかく、後編終了。何だってこんなに血みどろの話になってしまったのか。でも自分の男が他の女に体液(血液)ぶっかけていれば何も思わない方がむしろおかしい。
 次はR18の話になる予定です。内容はエロイ人なら察せるはず……。
 





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鬼畜な微笑み(前編)


 久方ぶりの親指姫のお話。例の如く二部構成です。
 今更なことですが視点がジャックに行ったり親指姫に行ったりする時は、どっち視点の方が面白いかなどを考えて選んでいます。
 あと全然関係ない話ですが笑顔で毒を吐くキャラとか大好きです。見た目優しげなのに中身鬼畜なキャラとかも。




 

「ん、うぅ……」

 

 朝、親指姫は肌寒さを感じて目を覚ました。同時にまだ不鮮明な意識の中でそれを疑問に思った。

 昨晩は珍しくジャックに襲われたり求められたりしなかったので、ネグリジェはしっかり着込んでいて裸ではない。シーツも寝相で蹴り飛ばしたりすることもなく、ちゃんと肩までかかっている。ならば何故目を覚ましてしまうほど肌寒いのだろうか。

 

「おはよ、ジャック……って、あれ? どこ行ったのよ、ジャック?」

 

 理由はすぐに分かった。本来なら親指姫が目を覚ますまで隣にいるはずのジャックがいないのだ。いつも寝る時はお互いを抱き枕にして、互いの温もりを感じながら心地良い眠りについているのに。

 愛と幸せを感じさせてくれる温もりが隣に無いこと。それが肌寒さで目覚めてしまった原因だった。

 

「トイレにでも行ってんのかしら――って、嘘!? もうこんな時間!?」

 

 何気なく時間を確認した所、いつもならもうとっくに起きているはずの時間を大幅に過ぎていた。しかも十分や二十分という可愛いレベルではない。

 同棲が始まってからというもの、大抵ジャックが起してくれるので最近は起床時間など気にしていなかった。どうやらそのせいでいつの間にか一人では起きられない身体になってしまったらしい。

 

「まさかあいつ、私を置いて一人で朝ごはん食べに行ったとか!?」

 

 こんな時間になっても親指姫を起さず、その姿も無いのならそう考えるのが妥当だ。当然親指姫もそう考え、ジャックへの怒りがふつふつと沸きあがってきたのだが――

 

「……そんなわけないか。私が起きるまでじっと寝顔を眺めてるような奴だしね」

 

 ――今までの朝の様子を思い出すと怒りはあっさり消え去ってしまい、代わりに微かな羞恥と大きな喜びに胸の中が満たされる。

 ジャックは時間になったら親指姫を起してくれるが、それまでは寝顔を眺めて楽しむという趣味を持っているのだ。本人曰く親指姫の寝顔は可愛くて眺めていると幸せになれるから、とのこと。

 そんな奴が眠る親指姫を置いて一人で朝食を食べに行くなどという最低な所業に走るだろうか。いや、それは絶対にありえない。

 

「――あ、おはよう親指姫。今日はずいぶん寝坊したね?」

「じゃ、ジャック!? あんた今までどこ行ってたのよ!?」

 

 ありえないと思っていたからこそ、その時部屋に入ってきたジャックに全力で詰め寄った。

 無論責めているわけではなく、純粋に不安と心配からだ。親指姫のことが大好きで大好きで堪らないジャックが、無防備に眠る親指姫を置いてまで部屋を出て行ったのだ。余程の理由が無ければそんなことは絶対にしない。

 果たしてその理由とは――

 

「ああ、食堂で朝ごはん食べてきたところだよ?」

「……は?」

 

 ――聞き間違いでなければ、その絶対にありえない理由であった。

 

「……何? 寝てる私を無視して一人で食堂行ったってこと?」

「うん。だってお腹が減ってたし、親指姫はぐっすり眠ってたから起すのが面倒だったから」

「め、面倒……?」

 

 念のためもう一度尋ねてみた所、更にとんでもない答えが返ってくる。

 聞き間違いでないのなら、今ジャックは愛する少女を眠りから覚ますことが面倒だとぬかした。おまけに自分の最愛の少女よりも自身の空腹を優先するかのような言葉までも。それも親指姫が大好きなにっこり笑顔で。

 

「……ジャック? あんた、ジャックなのよね?」

「もちろん僕は僕だよ。一体他の誰に見えるって言うのさ、親指姫?」

 

 不安になって尋ねると、返ってきたのは普段どおりのジャックの微笑み。

 ジャックを誰よりも愛する親指姫が見間違えるはずは無い。となると今目の前にいるのは間違いなく本物のジャックだ。

 

「そ、そうよね! てことはさっきのは聞き間違いね! あーもう、本当びっくりしたわ……」

 

 目の前のジャックが本物である以上、先ほど聞いた台詞はただの聞き間違いであることが確定した。

 何故なら親指姫の愛するジャックはあんなことは言わない。そして目の前のジャックは本物。だから発言の方が嘘。微塵も隙の無い完璧な三段論法に親指姫は心の底から安堵を覚えた。

 

「……おはよ、ジャック!」

 

 そしてとりあえず日課であるおはようのキスを行うため、ジャックの胸へと飛び込み両肩に手を添え待機する。

 決して親指姫が異様に小さいと認めるわけではないが、それなりの身長差があるためお互いに向き合い立った状態だと爪先立ちでもジャックの唇に届かないのだ。なのでこの場合はジャックが屈んでくれるのを待つ必要がある。そのため親指姫はジャックを見上げつつ待っているのだが――

 

「……ジャック?」

 

 いつまで経ってもジャックは屈んでくれなかった。

 一体どうしたのか。疑問に思い首を傾げながら見上げる先で、ジャックはにっこり微笑むと――

 

「僕はキスして良いなんて言ってないよ、親指姫。僕とキスしたかったら可愛くお願いしてくれないと一生させてあげないからね?」

 

 ――またもそんな、本物のジャックなら言わないことを口にした。

 

「あ……あ……あ……!」

 

 本物のジャックがまたしてもあり得ないことを口にしたため、混乱のあまり後退りしてしまう親指姫。

 目の前の人物は親指姫の愛するジャック。それは間違いない。

 そして口にしたどこか鬼畜染みた台詞。残念ながらこれも現実だ。認めることを頑なに心が拒否するがもう認めるしかない。

 ではこの二つが同時に存在する原因は何か。親指姫のことが大好きで大好きでもの凄く愛しているジャックが、優しいジャックらしくない意地が悪く鬼畜染みた台詞を口にする理由とは何か。思い浮かぶ理由は一つしかなかった。

 

「赤姉えぇぇぇぇぇぇぇぇ!! グータラ姫えぇぇぇぇぇぇぇ!! あとアリスうぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 犯人達の名を叫びながら、親指姫は着の身着のまま食堂に向かい駆け出した。

 罰ゲームと称して親指姫とジャックの面白おかしい姿を眺めたい愉快犯二人と、新たに加わった嫉妬犯とも言うべき存在の名を叫びながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたら私のジャックに一体何したのよ!? 何か無茶苦茶変になってんだけど!?」

 

 愛しいジャックを変えた犯人達を前にし、親指姫は激情のままテーブルを叩いて詰問する。

 すでに朝食の時間をだいぶ回っていたものの、食堂にはまるで親指姫を待ち構えるように三人が揃っていた。赤ずきんとかぐや姫の愉快犯ペア、そしてジャックと親指姫がイチャつくことを快く思っていないアリスだ。

 他には白雪姫とグレーテルもこの場にいるが、まず間違いなく原因なのは赤ずきんたち三人だ。

 

「あ、あの、親指姉様。まずは身だしなみを整えてきてからの方が良いんじゃないでしょうか? 姉様、パジャマ姿のままですよ?」

「そんなことはどうでも良いのよ! そんなことよりジャックのこと!」

 

 白雪姫の提案は一旦脇に置き、赤ずきんたち三人の方を睨みつける。

 当然のことながら赤ずきんとかぐや姫はいつものニヤニヤ笑い。アリスに至っては何ら悪びれもしない涼しい顔をしている。どちらが一番ムカつくかと言われれば悩んでしまいそうな反応だ。

 

「ちゃんと説明はするよ。とりあえずこれが罰ゲームだってことは理解してるよね、親指?」

「それくらいの察しはついてるわよ! でもどうしてジャックがこんなおかしくなってんの、ってこと!」

 

 罰ゲームを受ける理由は分かっているのでそこは問題ない。少し前までは血みどろのヤキモチのせいで探索中のイチャイチャは自然と気乗りしなくなり、結果的に控えることができていた。そのためしばらくは罰ゲームを科されることもなかった。

 ただしそれは一時のこと。ヤキモチから解放された今は完全に元通りになってしまい、結局赤ずきんたちからアウトという判定を下されてしまったのだ。その時アリスの瞳に浮かんでいた感情は自分が今まで抱いていた感情だからこそ忘れられない。

 

「おかしいだなんて酷いなぁ。僕はいつも通りだよ?」

 

 言い放ち指を突きつけた先には、本人が言う通りいつも通りのジャックの姿。

 おかしくなっているという罵倒に近い言葉を浴びせられながらも苦笑するその姿は、親指姫から見ても自分の愛するジャックそのものだ。

 

「……ジャック、キスして良い?」

「うん。お願いしますって可愛く言い直してくれたら良いよ?」

「どこがいつも通りよ!? あんたそういうキャラじゃないでしょ!?」

 

 ただしそれは外面の話。本来なら了解などいらないはずの触れ合いにさえ、そんなジャックらしからぬ台詞を笑顔で返してくる。これがいつも通りなわけがなかった。

 

「あはははっ、こりゃ傑作だね! さすがアリス、良い提案してくれるよ!」

「やっぱあんたのせいね、アリス! 私のジャックに一体何してくれたのよ!?」

 

 お腹を抱えて笑う赤ずきんの言葉に真犯人を理解し、アリスに鋭く視線を向ける親指姫。怒りのままに睨みつけても涼しい顔は一向に崩さなかったが、『私の』という言葉を耳にした時は若干眉が動いていた。理由は今更考える必要も無いことだ。

 

「私はあなたと過ごすジャックの姿を見て常々こう思っていたの。ジャックは優しすぎるからたまには真逆の人間になってみても良いのではないかしら、と。はっきり言って素直になれなかった頃のあなたと過ごすジャックの姿を見るのはとても辛いものがあったわ。ジャックはあれだけひたむきに好意を示していたのに、あなたは酷い言葉や仕打ちばかりで……」

「っ、く……!」

 

 何か言い返したかったし否定もしたかったが、悲しいかな全て事実なのでぐうの音も出ない。実際親指姫もジャックはちょっとくらいなら反対側に傾いても良いのではないかと思っていた。

 もちろん優しさは美徳だし、ジャックの好きなところの一つだ。それに素直になれなかった頃の親指姫の仕打ちや言動に健気に耐えながらも、ひたむきに愛情表現を繰り返してくれたのも優しさあってのことだ。そう思うのは立場が逆だったなら絶対親指姫はいつかキレていたからである。それくらい自分は天邪鬼な言動と行動を繰り返していた。

 だからそう、もしジャックが鬼畜染みた性格に傾くのならそれはきっと良いことなのかもしれない。今では素直にイチャイチャできるようになったとはいえ、以前までは照れ隠しその他でキツく当たっていたのだからそのツケは払うべきだろう。

 

「い、言いたいことは、分かったわよ。じゃあもう一つ聞くけど、ジャックは演技してるってことで良いのよね? 本当にああいうこと考えてるってわけじゃ……ないわよね?」

「え、えっと……」

 

 不安に思いながら視線を向けると、困ったような顔を見せるジャック。

 答えに詰まるのは実は心の中では考えていたからなのか。それとも――

 

「――いえいえ、演技ではありませんよ~? それでは面白みに欠けるので少々催眠術をかけさせて頂きました~」

「は、はあっ!? 催眠術!?」

 

 そんなかぐや姫の悪びれもしない言葉に、親指姫は不安が吹っ飛ぶほどの驚愕を覚えてしまった。てっきり無理やり演技させているくらいかと思っていたらまさかの人権無視の外道な手法だった。

 

「ちょっと! あんたら本当に私のジャックに何してくれてんのよ!?」

「だから催眠術よ。催眠状態を引き起こさせる技術、またはその研究。強制的に睡眠時に近い状態へ引き入れ、暗示をかけて潜在的な記憶を呼び覚ましたり行動や性格に様々な影響を与えること」

「定義を聞いてんじゃないっての! てかあんたがやったわね、グレーテル!? 早くジャックを元に戻しなさい!」

 

 何の根拠も無いが一番そういったものに精通していそうな雰囲気を持つのはグレーテルくらいだ。故に親指姫は詰め寄って言い放つものの、返ってきたのは見慣れたゾッとするような微笑みだけだった。

 

「あら、何故? これは罰ゲームなのだから私があなたに従う義理は無いはずよ」

「そ、それはそうだけど! 何も催眠術なんて使わなくたって良いでしょうが! せっかく私の色に染まってきてるジャックの性格を勝手に変えんじゃないわよ! ていうか元に戻せんのよね、これ!?」

 

 言い放つとアリスの眉がまたしても不快気に動くが、そんなことは関係ない。ジャックの性格が若干親指姫に染まってきているのは事実だ。

 催眠術には詳しくないので良く分からないが、グレーテルの説明とジャックの様子から判断する限り色々なことができるのだろう。詳しくない故に不安で堪らない。無理やり演技させるくらいならともかく、まさか無理やり内面を変えるという手法で鬼畜に変貌させるとは思ってもいなかった。

 

「もちろん戻せるわ。だけどその方法を知っているのは私だけ。本当は今晩まで元に戻してはいけないことになっているのだけれど、ある条件を飲んでくれるなら個人的に取引しても構わないわ」

「ちょ、グレーテル!?」

「う、裏切るのですか~?」

 

 グレーテルの提案に対し、赤ずきんとかぐや姫が動揺を露にする。

 この二人とグレーテルでは行動理念が根本的に異なるのだから裏切りだって起こるだろう。前者はジャックと親指姫をからかい面白おかしい時を過ごしたい、というふざけたイタズラ心から。後者はジャックと親指姫から恋愛や男女関係に関する知識を得たいという、貪欲な好奇心から。根本的に求めているものが違うのだから、罰ゲームに協力的でも途中で道を違えることは不思議ではない。

 もちろん向こうの連携が崩れること自体は喜ばしいのだが、残念ながら親指姫はぬか喜びであると最初から分かっていた。貪欲で恥じらいの無い好奇心を持つグレーテルが求める条件など容易に想像がつく。

 

「……条件って何よ? 何となく想像つくけど言ってみなさい」

「何も難しいことではないわ。一度で良いからあなたとジャックが性行為に励む所を――」

「――却下よ!」

「……そう。交渉決裂ね」

 

 想像通りの答えをばっさり切り捨ててやると、目に見えて落ち込んだ様子を見せるグレーテル。

 ジャックとの関係はだいぶ深い所まで皆に知られているものの、それはあくまでも事故による結果だ。決して意図して広めたわけではないし、できることなら話したくない話題である。皆同性でもさすがに親指姫だってその手の話題は恥ずかしい。

 

「ま、まあ諦めて今日一日はこの鬼畜なジャックと過ごしなよ。それさえ守ればデートしようがイチャつこうがあんたたちの自由だ。なーに、どんなに鬼畜に堕ちたってジャックはジャックさ!」

「他人事だと思って面白がってんじゃないわよ、赤姉!」

 

 グレーテルの裏切りが未遂に終わったせいか、赤ずきんは再び嫌らしい笑顔を取り戻していた。もちろんかぐや姫も同様だ。

 

「だって他人事ですし~。いずれにせよそなたは大人しく罰ゲームを受ける他にありません。ジャックを元に戻す方法を知っているのは、催眠術を実行したグレーテルだけですからね~」

「ま、このジャックがどうしても嫌だっていうなら別の催眠術でもかけてもらおうか? 例えば、ジャックがアリスをあんたと同じくらい大好きになるようにとかさ」

「はぁっ!? ちょ、そんなの認めないわよ!? こいつは私のもんなんだからね!」

 

 赤ずきんの馬鹿げた提案に対し、親指姫はジャックの腕を引っ張って権利を声高に主張する。

 先ほどまでならここでアリスが仏頂面を保ちつつも僅かに眉を寄せたりする場面だ。しかも先ほどまでとは異なり、言葉だけでなくジャックの片腕を抱くようにして密着しているのだから余計にイラっと来るものがあるだろう。ただし、今回はそういった反応は見られなかった。

 

「な、何故私なのかしら……いえ、別に私は、構わないのだけれど……」

(何構わないとかすかしてんのよ! あんた本当は超乗り気でしょ!?)

 

 代わりに赤ずきんの提案に対して、頬を染めつつ満更でもない表情をしていた。鈍いジャックの手前、口に出してツッコミを入れられないのが何とももどかしい。

 本当に催眠術でそこまでのことができるのかは分からないが、アリスのそんな反応を見たからにはできると考えて行動した方が賢明だ。万が一ジャックの愛情をアリスに向けられたら確実にそのまま流れで行く所まで行ってしまう。それだけは絶対に避けなければ。

 

「わ、分かったわよ! このままで良いから絶対他に余計なことすんじゃないわよ!」

 

 酷く納得行かないものの、親指姫はこの罰ゲームを受け入れるのだった。

 こんな鬼畜染みたジャックと一日過ごすという、拷問にも似た罰ゲームを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、いただきます……」

「ん……いただきます……」

 

 気分は最悪な状態で席に着き、とりあえず朝食を食べることにした親指姫。隣では眠り姫が同様に食前の挨拶を口にしている。

 一旦部屋に戻って身だしなみを整えてきたせいか時間は更に遅くなり、ちょうど起きて来た眠り姫と共に朝食を摂ることとなった。それ自体は何の問題も無いのだが、すでに朝食を摂った癖に食堂に居座る野次馬がいるのが問題だ。具体的には赤ずきん、かぐや姫、アリス、グレーテルの四人。可愛い妹である白雪姫と眠り姫、そして愛するジャック以外にはさっさとこの場から立ち去って欲しい親指姫であった。

 

「うん、ゆっくり食べると良いよ。それじゃあ僕はちょっと外にでも行ってくるから」

「ぶっ!? ちょ、ま、待ちなさい! あんたはずっと私の隣にいなさい!」

 

 その願いが変な風に通じたのか、あろうことかジャックが席を立とうとする。当然親指姫は縋り付くようにして引き止めた。

 

「えっ、どうして?」

「ど、どうしてって……」

 

 返ってきたのはムカつくことに穢れの無い瞳。どうやら本当に引き止める理由が分からないらしい。

 

(不安だからに決まってんでしょ!? 今のあんたから目を離したら何するか分かったもんじゃないわ!)

 

 なので心の中で教えてやる。口に出さないのは今のジャックに対しては逆効果になるかもしれないからだ。

 こんな鬼畜なジャックにその辺を一人で歩かせることなどできるわけがなかった。演技なら問題は無かったのだが、催眠術で性格やら何やらを変えられているのが問題だ。普段のジャックなら浮気なんてしないと固く信じているものの、ぶっちゃけ今のジャックは信用できない。最低でもアリスと二人きりにさせることだけは全力で阻止しなくては。

 

「どうしてもよ! あんたは私の恋人なんだからたまには言うこと聞きなさい!」

「そんなこと言われても、僕はいっつも君の言うこと聞いてるじゃないか。それに僕が君に何か命令したことなんて全然無いよね? だからここは君が僕の言うことを聞くべきなんじゃないかな?」

「ぐっ……ジャックの癖に生意気言うわね……」

 

 いつも二つ返事でほぼ何でも聞いてくれるジャックなのに、今日に限ってはこの反応。やはり催眠術とやらは相当根深く影響を及ぼしているのだろう。こうなるとますます目を離すわけには行かない。例え恥をかくことになろうとも。

 

「と、とにかく私の言うこと聞きなさい! 今のあんたから目を離すことはできないわ! 聞けないって言うなら、言うなら……も、もうあんたに抱かれてやんないわよ!」

「っ……!」

 

 この捨て身の発言に対し、驚愕や羞恥に息を呑む音が幾つか聞こえる。

 何人かは面白がる顔を崩さなかったり、興味深そうに笑っていたり、眠そうにしていたりで表情にあまり変化の無いのがいたものの、程度に差はあれしっかり頬を染めている者も何人かいた。

 一人は白雪姫、一人はアリス、そしてもう一人は――何とジャックであった。

 

(こいつ顔赤くなってんじゃない。やっぱ中身はちゃんとジャックのままってこと……?)

 

 あっさり流したり鼻で笑い飛ばしたりするかと思いきや、まさかの普段どおりの反応だ。てっきり芯まで鬼畜に染まっているのかと考えていた親指姫としては心底意外な反応だった。

 もしかすると今のジャックはただ単に鬼畜に変えられたのではなく、ジャック自身の性格に鬼畜さをプラスされた形なのかもしれない。それならこの反応も納得だ。

 

「へ、へぇ、そんなこと言って良いんだ? だったら僕はもうずっとキスさせてあげないよ?」

「はっ。残念だったわね、ジャック。それで耐えられないのはあんたも同じでしょ? どっちにしろケダモノなあんたの方が先に音をあげるのは分かってんのよ!」

 

 赤くなったまま気丈にも言い返してくるジャックに対し、見下すように笑いかけてやる。

 確かにキスできないのは辛いが、ケダモノなジャックより先に音を上げるということだけは絶対にない。だからこそ親指姫は動揺も無く言い返すことができた。さすがに反論できないようで、これには鬼畜なジャックも苦虫を噛み潰したような表情で口を閉ざしてしまっていた。

 

(ま、鬼畜になったって根っこは優しいジャックってことね! あんたにはやっぱりそういうのは似合わないっての!)

 

 ジャック自身の性格が残っているのなら鬼畜になどなりきれるわけもない。優しすぎるジャックが正反対の人間になるなど所詮は無理な話だったのだ。本人も良く理解したのか、やがて酷く悔しげな表情で俯いた。

 

「……うん、さすがは親指姫。僕のことを良く分かってるね。確かに僕は一日も君とキスできないなんて耐えられないよ」

「素直なあんたは大好きよ、ジャック。だから今謝れば後でいっぱいキスしてやっても良いわよ?」

 

 自ら敗北を認めたジャックに対し、そしてこの状況を作り出し周りで眺めている奴らに対し、勝ち誇った笑みを向ける親指姫。

 何にせよジャックは催眠術を受けても親指姫に夢中なことに変わりは無いらしい。つまりそこを上手く攻めれば今のジャックでも手玉に取ることができるはず。ずっと傍で目を光らせて適宜脅せば浮気など絶対考えないだろう。これなら罰ゲーム中も安心だ。

 

「ううん、必要ないよ。僕は代わりの子にキスするから」

「……あ? 今、何てった?」

 

 故に、親指姫は顔を上げたジャックのふざけた台詞に耳を疑った。

 

「だから代わりの子にキスするって。それなら一日くらいは我慢できるからね」

(こ、こいつ……!)

 

 ご丁寧にもう一度説明してくれたジャックに対し、心の中で怒りが燃え上がる。なるほど確かに鬼畜さがプラスされているだけのことはある。まさかジャックがこんなふざけた台詞を口にするとは思ってもいなかった。

 しかしこれは苦し紛れの反撃に違いない。だからこそ親指姫は余裕を崩さないように落ち着いて答えた。

 

「ふ、ふん! 私以外に誰があんたなんかとキスするっていうのよ? い、言っとくけどそんな奴探したってどこにもいないんだからね!」

 

 そして罰ゲームを提案した奴らから全力で目を逸らす。

 さすがに赤ずきんはやらないだろうが、他の三人なら案外普通に受け入れてしまいそうだからだ。具体的には以前わざわざ親指姫の部屋の前でジャックを誘惑した泥棒猫二人と、すでに降した恋敵。まあ先の二人は下僕欲しさ、及び純粋な知的好奇心などからのものであるが。

 

「そっか、いないんだ。じゃあしょうがないね。僕の立場を利用して言うこと聞かせちゃおう」

「……はい?」

 

 しかしジャックの視線はその三人には向けられなかった。向けられていたのは親指姫の隣、微笑ましそうにこちらを眺めていた妹の一人――

 

「……ネム、おいで?」

「は、はああぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 ――眠り姫だった。

 

「ん……分かった……」

「ちょっ!? ど、どこ座ってんのよネム!?」

 

 衝撃と混乱に頭の整理が追いつかない中、眠り姫は素直に席を立ってジャックの下へと向かう。そして隣の席に座るのかと思いきや、あろうことか親指姫の指定席であるジャックの膝へと座った。

 なお、妹の大胆な行動に驚きを隠せない親指姫であったが、一番驚いているのは隣の席に招いたのに何故か膝に座られているジャックであった。またしても顔を赤くして戸惑っているあたり、やはりジャック自身の性格は残っているらしい。

 

「えっと……ど、どうして膝に座るの?」

「ん……ダメ……?」

「うーん……ま、まあ、良いや。君は僕の可愛い妹だからこれくらいは構わないよ?」

「えへへ……可愛い、妹……」

「なぁ……!?」

 

 そしてプラスされた鬼畜な性格が、あろうことかその状況を許容させる。何と膝に座らせた眠り姫を降ろす素振りなど微塵も見せず、むしろその頭を撫でて可愛がるという度し難い真似までしてくれた。まるで普段親指姫を可愛がってくれる時と同じように。

 可愛い妹に罪は無いものの、この光景にはさすがの親指姫も心底イラっときた。なるほどアリスはいつもこんな気持ちでイチャつく自分たちを見ているらしい。

 

「うん、君は僕の可愛い妹だよ。だからお兄さんの僕の言うこと、何でも聞いてくれるよね?」

「ん……ん……」

 

 表面上は人当たりの良い笑顔で尋ねるジャックに、こくこくと頷く眠り姫。果たして可愛い妹は状況を理解した上で頷いているのだろうか。

 

「じゃあ親指姫の代わりに君にキスしても良いかな? 親指姫、僕に意地悪してキスさせてくれないんだ」

「優しく、してくれるなら……良いよ……?」

「ちょっ、ネム!?」

 

 あろうことか眠り姫はジャックのお願いをあっさりと承諾。これには親指姫だけでなく、お願いしたジャック本人も驚きを隠せていなかった。まさか頷くとは思っていなかったのか、若干戸惑い気味だし頬も赤い。

 

「か、考え直しなさい、ネム! このままじゃこのゲス野郎にこんな馬鹿みたいな遊びでファーストキス奪われるわよ!?」

「あははっ。ゲス野郎呼ばわりはさすがに今の僕でもグサっと来たなぁ……」

 

 何やら本気で傷ついたような声音でジャックが何か言っているが、今はそんなことはどうでもいい。

 当人が状況を理解しているのかどうかは不明だが、このままでは可愛い妹のファーストキスが奪われてしまう。姉として、そしてこのゲス野郎の恋人として、そんな事態は絶対に見過ごせない。

 大体眠り姫だってこんな馬鹿げた遊びの最中にジャックにファーストキスを奪われるのは本望ではないはずだ。

 

「んー……兄様なら、本望……」

「ネムうぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 とか思っていたら本人の口から本望と言われてしまった。しかもぽっと頬を染めて可愛らしく。冗談、と取るにはちょっと可愛らしすぎる反応だ。

 なおジャックにとっても予想外の答えだったようで、必死に笑みを保ってはいるもののその顔は真っ赤に染まっていた。

 

「そ、そうなんだ……じゃあ、キスしても良いよね?」

「ちょっと!? あんた本気でこの子のファーストキスを奪うつもり!? そんなことして責任取れるわけ!?」

「責任かぁ……良いよ? ネムはどうやって僕に責任取って欲しい?」

「……ん……姉妹丼……?」

「ネムうぅぅぅぅぅぅっ!!?」

 

 そんな答えにまたしても悲痛な叫びを上げてしまう。

 もしかするとこの場で一番警戒しなければいけないのは真っ赤になっている鬼畜なジャックではなく、僅かに頬を染めただけでさらりと凄いことを口にする眠り姫の方ではなかろうか。

 

「あ、あははっ……うん。き、君が望むならそういう方法で責任を取ってあげるよ……?」

「ま、待ちなさい! 分かった! 分かったわよ! 言うこと聞けば良いんでしょ!? 一人で出かけたいなら勝手にどこへでも行きなさいよ!」

 

 このままだと本当に妹のファーストキスが奪われそうというか、捧げられそうな気がしたので親指姫はやむなく許可を出した。

 さすがにこんなくだらない遊びで可愛い妹のファーストキスを失くさせるわけにはいかない。それに何より、ジャックが自分以外の女にキスするなんて許せない。今はちょっと催眠術をかけられて心底不快なゲス野郎に成り下がっているが、こんな奴でもジャックは親指姫のものなのだ。

 

「うん、素直な親指姫は大好きだよ? それじゃあ僕は販売所に行ってくるね。言っておくけど、朝ごはんはちゃんと残さず食べないとダメだよ?」

「ぐっ……わ、分かってるわよ! 残さず食べれば良いんでしょ!?」

「うん。ゆっくり食べると良いよ、親指姫。それじゃあ」

 

 そう言って眠り姫を膝から降ろすと、表面上は爽やかな笑顔を浮かべて去っていくジャック。

 すぐさま後を追いかけたい所だが、生憎と朝食を残すと言う手は未然に封じられてしまった。万が一にも妹のファーストキスが奪われたりしないよう、今の親指姫はどんな命令にも愚直に従うほかに無かった。だが希望が全て失われたわけではない。

 

「……白雪! 一生のお願い! ジャックについてって!」

「えっ? し、白雪がですか?」

 

 もう一人の可愛い妹、白雪姫。この子ならきっと味方になってくれるはず。そう思った親指姫は必死に身を乗り出し、先ほどのやり取りのせいか頬が赤い白雪姫の手を取ってお願いした。

 

「えっと……別にジャックさんお一人でも問題ないと思いますよ?」

「あんたさっきの光景見てなかったの!? あいつネムにまで手を出そうとしたのよ!? 一人で街中歩かせるなんて危ない真似できると思う!? できるわけないじゃない!」

 

 一体今まで何を見聞きしていたのか、白雪姫は未だジャックを信じているらしい。目の前で自分たちの可愛い妹が唇を奪われかけていたというのに、まだジャックのことを信じられるとは何と心優しい子なのだろうか。

 ちなみにこの場で誰よりもジャックと深い関係であり愛し合っている親指姫だが、先ほどのやりとりで信頼は完璧に砕け散った。見た目はジャックで根っこもジャックのままでも、催眠術を受けた今のジャックは鬼畜で卑劣な人間の屑だ。何をやらかしてもおかしくない。

 

「いい、白雪!? あいつが何か危ないことしそうだったら口に毒リンゴ突っ込んででも止めなさい! 返事は!?」

「は、はい! 分かりました、姉様!」

 

 肩を掴んでがくがくと揺さぶりながらたたみかけるように言い放つと、頷いた白雪姫は慌てて席を立ちジャックの後を追いかけていった。

 これで一安心、と思いたいところだが事はそう単純ではない。尾行する白雪姫が万が一ジャックに見つかったらどうなるか。眠り姫の唇を奪おうとしたジャックなのだから、同じ妹である白雪姫を待ち受ける結末も同じはずだ。

 ただ親指姫のお願いとはいえジャックを尾行し見張っている以上、白雪姫はジャックから見れば兄を裏切った妹だ。もしかすると待ち受ける仕打ちはもっと凄いものかもしれない。大切な妹の純潔のためにも、一刻も早く朝食を完食して追いかけなければ。

 

「……ていうかネム、あんた本当にジャックにキスされても良いわけ?」

 

 しかしどうしても気になることがあったので、その前に大切な妹の一人に尋ねてみる。本人はすでに席に戻り、何事も無かったかのようにもくもくと食事を再開していた。

 

「ん……良いよ……」

 

 そして投げかけた疑問に対する答えは、ごく当たり前のこととでも言うような微笑みと共に返してくる。

 まあジャックが非常に好ましい人物なのは皆知っているはずなので、誰に好意を持たれていたとしても親指姫は驚きこそすれ不思議には思わない。何といっても泣きたいくらいの天邪鬼だった親指姫が惚れてしまい、素直になってイチャイチャラブラブしてしまうくらいの魅力的な相手だ。それなら自分と似た所があるであろう妹が好意を持つのはむしろ当然と言えるかもしれない。

 

(でも……まさか可愛い妹の一人が要注意人物だったなんて、結構ショックだわ……)

 

 ただしそれを簡単に受け入れられるかどうかは別問題。甚大なショックを受けた親指姫はしばし愕然としてしまった。

 とはいえすぐに愕然としている場合ではないことを思い出し、もうそのショックすらも糧に変えて自棄食い染みた速さで朝食を平らげ始めた。先ほどからずっと自分を見てニヤニヤ笑う奴らのことは、極力視界に入れないようにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……兄様ー! 待ってください、兄様ー!」

 

 罪悪感やら後悔やらで重い歩みを呼び止める声が背後から聞こえ、ジャックは振り返る。ぱたぱたと駆けて来るのは白雪姫だった。

 

「どうしたの、白雪ひ――し、白雪?」

 

 自分の下まで駆けてきたところで声をかけ、呼び方を間違えたので一応言い直す。白雪姫は眠り姫ほど呼び方に執着はしないものの、こう呼んだ方が喜んでくれるからだ。まあジャックとしては未だに呼び慣れないのだが。

 

「すみません、兄様。親指姉様に今の兄様を見張るように言われたので、白雪がご一緒します」

「ああ、うん。それはそうだよね。自分の妹の一人にあんなことしようとした奴、放っておけるわけないもんね……」

 

 当然といえば当然の対応にジャックは思わず肩を落としてしまう。

 確かにだいぶ危ないことをやらかそうとしたのは認めるが、まさかここまで警戒されるとは思ってもいなかった。やはり親指姫は今のジャックが信用ならないらしい。

 

「で、でも、兄様を疑っているわけではないですから元気を出してください! 親指姉様は今の兄様を催眠術にかかっている状態だと思っているんですから!」

「うん。だから余計に気にしちゃうんだけどね。本当にかかってるわけじゃないのに、あんな真似しちゃったし……」

 

 慰めてくれる白雪姫の言葉が余計にジャックの心を抉ってくる。

 実はジャックは催眠術など受けていない。効かなかったとかそういうわけではなく、そもそも最初から受けていないのだ。皆の口から出たかかった云々の話は、ジャックが演技をしていることを親指姫に悟らせないためのものである。先入観を与えておけば多少は演技が下手でも疑われないはず、とは罰ゲームの詳細を聞かせられた時にグレーテルが語った言葉だ。

 

「に、兄様は悪くありません! これは兄様への罰ゲームなんですから、仕方ないんです!」

「うん。それもあるから余計に気にしちゃうんだ。だってこれって本当は僕への罰ゲームだから、親指姫にはまた別の罰ゲームがあるってことだし……」

 

 傍から見ると親指姫への罰ゲームにしか思えないだろうが、実際にはこれはジャックへの罰ゲームだ。親指姫相手にどれだけ鬼畜に振る舞えるかを試すという、何とも悪趣味な罰ゲーム。ちなみに実は素であることを見抜かれたら追加の罰ゲームがあるという悪夢のような厳しさだ。

 なお、この罰の提案者は驚くことにアリスであった。何でもせっかくの機会だから普段とは逆にジャックが親指姫に対して高圧的に振る舞い、色々な命令をして従わせてみれば良い、とのことだ。

 アリス自身はジャックに対して罰を与えるつもりが欠片も無いように思えたのだが、それだけだと罰にはならないと判断されたのだろう。見抜かれたら追加の罰というルールが赤ずきんの手によって加えられてしまったわけである。

 

(だからなるべく意地悪しなくて済むように離れたんだけど、あの様子じゃ食べ終わった途端に追いかけてきそうだなぁ……)

 

 しっかりバレないように演技さえしていれば必ずしも一緒にいる必要はない。そんなルールもあったのでなるべく親指姫から離れることにしたのだが、あの様子ではきっとすぐに追いかけてくるはずだ。

 たぶん今のジャックは目を離してはいけないくらい危ない奴だと思われているに違いない。妹の一人の唇を奪いかけていたというのに、もう一人の妹を見張りに寄越したのがその証拠だ。

 仕方ないこととはいえ愛する親指姫にそこまで疑われている事実に、無性に寂しさを覚えてしまうジャックであった。

 

「そ、そういえば兄様! 白雪、一つとっても気になることがあるんです! お聞きしても良いですか!?」

 

 何度慰めてもジャックが更に沈んでしまうせいか、唐突に話題を変える白雪姫。その優しさに触れてジャックも何とか平静を取り戻すことができた。

 

「良いよ。何が聞きたいの?」

「その、さっきはどうしてネムちゃんを呼んだんですか? 妹ということなら、白雪でも良かったはずですけど……」

「ああ、うん。何となく眠り姫の方が平気そうだなって思ったからなんだけど……ちょっと予想以上、だったな……」

 

 隣に座るよう促したはずなのに何故か膝に座られたし、キスして良いか尋ねても抵抗は微塵も無かった。挙句に責任の取り方に姉妹丼とか口にする豪胆ぶり。元々ちょっと不思議なところがある眠り姫だが、もしかするとかなりの大物なのかもしれない。

 

「きっとネムちゃんも兄様に甘えたかったんだと思います。ネムちゃん、あれで結構甘えん坊さんなところがありますから」

「そうなんだ。やっぱり姉妹なだけあって似てる所もあるんだね。まあ、似てない所の方が多い気もするけど……」

 

 具体的にどこがどう似ていないのかを口にするのはさすがに止めておいた。親指姫の名誉のため、という理由もあるが一番は我が身可愛さからだ。

 万が一親指姫の耳に入ったらジャックは後でキツイお仕置きをされかねない。

 

「……あれ? じゃあ、もしかして白雪も結構甘えん坊な所があったりするのかな?」

「え!? えっと、それは……そのぅ……」

 

 不意に思いついた疑問を口にすると、白雪姫は途端に赤くなって言いにくそうに俯いてしまう。

 どうやらこの三姉妹、甘えん坊なところは皆同じらしい。何とも微笑ましくて可愛らしい三姉妹だ。

 

「あははっ。そっか、白雪も甘えん坊なんだ。じゃあ僕で良ければ甘えたって良いよ?」

「えっ、良いんですか!? 白雪も兄様に甘えてしまっても!」

(あ、予想外に食いつかれた)

 

 冗談半分でそんなことを口にしたのだが、返ってきたのは途轍もなく嬉しそうな反応。やはりこの三姉妹は例外なく甘えん坊らしい。

 何にせよ言ったことの責任は取るべきだ。鬼畜に振舞わないといけないのは親指姫に対してのみで、別に白雪姫たちは含まれていない。

 

「うん。僕は一応君たちのお兄さんだからね。ただ親指姫は結構ヤキモチ焼きだから、機嫌を損ねない程度にしてくれると助かるよ」

「わ、分かりました。それじゃあ、その……えいっ!」

 

 決意漲る表情で頷いた白雪姫は、次の瞬間可愛らしいかけ声と共に行動を起した。ジャックの左手に自らの右手を重ねるという、何のことは無いただの手繋ぎを。

 

「……これで良いの?」

「はい! 兄様と仲良く手を繋いでお散歩です!」

 

 実は以前からやりたかったことなのか、白雪姫は非常に満足気な笑みを浮かべてぎゅっと手を握ってくる。

 考えてみればいつも親指姫とイチャイチャするばかりで、白雪姫や眠り姫と兄妹のスキンシップをしたことは少なめだった。元々かなり早い段階でジャックを兄と認めてくれた二人なので、もしかすると兄妹のスキンシップにちょっとした憧れがあったのかもしれない。

 

「そっか。うん、じゃあ今度は眠り姫も誘って一緒にお散歩しようか?」

「はい! ネムちゃんも喜ぶと思います、兄様!」

 

 それなら応えてあげるのは当然のことだ。親指姫の望みを叶えるのはもちろんだが、妹たちの望みもできる限り叶えてあげるのが良いお兄さんというものだろう。

 なので今度は眠り姫も誘って仲良く散歩することを約束しつつ、ジャックは白雪姫と手を繋いで販売所への道を歩き始めた。

 

(でも……今の僕がこんな風に女の子と手を繋いでる所を見たら、親指姫は何て思うのかな……?)

 

 ただし、頭の大部分はやはり親指姫のことで埋め尽くされていた。

 催眠術を受けて鬼畜な性格に変貌を遂げたと思われているジャックが、妹の一人と手を繋いで仲良く歩いている。おまけにそのちょっと前にはもう一人の妹にキスしかけたのだから、絶対何か怪しく思われて責められるのは目に見えている。

 この罰ゲームが終わりを迎えて真実を伝えた時、果たして親指姫はジャックを許してくれるのだろうか。万が一にも演技だと疑われないようまだまだ意地悪をしなければならない事実も相まって、今から不安で不安で胃が痛いジャックであった。

 

 

 

 

 

 

 





 表面上は鬼畜に振舞いながらも心の中では大いに罪悪感を感じているジャック。後編では更に過激なことに……?
 個人的に眠り姫はわりと大物だと思っています。ドラマCDでラプンツェルに子供の作り方を聞かれた時、伏字が入るほどの直球で答えていましたし。あの時の親指姉様の反応が好きなので今回二回叫ばせました。反省はしていません。
 次回はたぶんジャック×赤姉の方です。あ、でもそろそろ親指姉様のジェノサイドエッチとかも書きたいなぁ……。



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鬼畜な微笑み(後編)


 鬼畜なジャックのお話の続き。親指姫は果たしてどんな目に合うのか。
 何だか今回は年齢対象がちょっと怪しい気もしますが、恐らくは大丈夫なはず……。





 朝食を全力で喉の奥に掻きこんだ後、親指姫は販売所を目指してひた走っていた。

 さすがにものの数十秒で完食とはいかず、掻きこみ過ぎて喉に詰まらせたりというアクシデントもあったために完食にはそれなりに時間を要してしまった。もちろん赤ずきんたちはそんな必死になる親指姫の姿を見られて大変嬉しそうであった。相変わらず趣味の悪い奴らである。

 まあ今はもっと趣味が悪そうで性根の腐った奴のことが優先だ。というか可愛い妹のことが心配だった。もしも尾行していることがバレたなら、今の鬼畜なジャックはきっと白雪姫を人気の無い路地裏に連れ込み、あんなことやこんなことを――

 

(うあああぁぁぁぁぁ!! そ、そんなことしたら絶対許さないわよ、ジャック!!)

 

 色々な感情に顔が火照るのを感じながら、親指姫は販売所への道を全力で駆けて行く。行き交う人々がたまに驚いた顔をするものの、もちろん完全に無視だ。確認するのは人気の無さそうな路地裏だけ。

 しかし幸いにも路地裏には妹を弄ぶジャックの姿は無かったため、特に問題も無く販売所の正面へと到着した。恐らく二人は中にいるはず。白雪姫はまだ見つかっていないのか、それとも見つかってしまったのか。不安と緊張を覚えながらも販売所の戸を開けて中に足を踏み入れる。

 目の前に広がった光景は訳の分からないもので埋め尽くされた店内。そしてまばらにいる客と思しき者たち。その中に何だか嬉しそうな顔をした可愛い妹の姿を見つけ、親指姫は心の底から安堵した。

 

「あー、良かった。無事みたいね、白雪――って!?」

 

 ただし駆け寄ろうとしたところで妹の隣にいる奴に気付いてしまう。

 積まれた商品の影で見えなくなっていたものの、そこにいたのは間違いなくジャックであった。しかも何故か白雪姫とがっちり手を繋いでいる。

 

「な、何がっちり手繋いでんのよあんたは!? 今すぐその子から手を離しなさい!」

「えっ――うわっ!?」

 

 すぐさま駆け寄った親指姫は手刀をその手に叩き込み、無理やり二人の手を離させた。もちろん叩き込んだのはジャックの手だ。

 そして白雪姫を背後にかばい、ゲス野郎を睨みつける。

 

「こ、この子は悪くないんだからね! 私があんたを見張るように命令して、この子は従っただけなんだから! 罰か何かを与えるつもりなら、私が代わりに受けるからこの子は見逃しなさい!」

 

 何で手を握っていたのかは良く分からないが、恐らく白雪姫は尾行がバレて捕まってしまったに違いない。

 だとすれば鬼畜なゲス野郎と化したジャックは絶対に何らかの罰を与えようと考えているはず。それもきっと口に出すのもおぞましくいかがわしい罰だ。絶対に愛する妹をそんな目に合わせるわけにはいかなかった。例え自分がどうなろうとも。

 

「……そっか。じゃあ白雪は見逃してあげるよ。ただし、親指姫には後でおしおきだからね?」

「お、親指姉様ぁ……」

 

 しばし迷った様子を見せた後、ジャックは表面上だけは優しく笑いながら了承してくれた。背後では白雪姫が酷く心配そうな声を上げていたが、親指姫が退けば可愛い妹が酷い目に合ってしまうのだ。たとえどんなおしおきが待っていようと退く訳にはいかない。

 

「じょ、上等じゃない! いかがわしいお仕置きでも何でも好きにしなさいよ、この変態!」

「親指姫、そういうこと声高に言うのは止めようよ……」

 

 なので強気に言い放った所、ちょっと頬を染めたジャックに諌められてしまう。

 頭の中では妹たちの純潔を奪うことを考えている癖に、一体コイツは何を恥ずかしがっているのか。

 

「良くやったわ、白雪。だけどコイツの近くにいるのは危険よ。あんたはもう帰りなさい」

「あ、は、はい。分かりました、姉様……」

 

 ジャックが恥ずかしがっている隙に背後に視線をやり、白雪姫にそう促す。ジャックは白雪姫を見逃してくれたものの、それは尾行に関してのみだ。この場に長居させると別の理由でおしおきをされてしまうかもしれない。

 白雪姫もそれが分かっているらしく、素直に親指姫の言葉に従い販売所を出て行った。ただ去り際に何だかちょっと残念そうな顔をして見えたのが少し気にかかったが。

 

「……それで親指姫、ちゃんと朝ごはんは残さず食べてきたの?」

「食べてきたわよ、残さず全部! あんたのせいで喉に詰まって死ぬかと思ったわ!」

「それは急いで食べる君が悪いんじゃ……あれ? 頬っぺたに何かついてるよ?」

「えっ、ど、どこよ?」

 

 ジャックに指摘され、親指姫は慌てて自分の頬を触って確認する。大急ぎでかっこんで脇目も振らずに駆けて来たので、そんな醜態を晒していたかと思うと気が気でなかった。

 

「……ここだよ、親指姫?」

「ひゃっ!?」

 

 そんな恥じらいと不安に襲われる中、あろうことかジャックは頬をぺろりと舐めてきた。販売所の中とはいえ、周りに人がいる状態で。当然親指姫は恥ずかしくなってきて、すぐさま顔が火照ってきた。

 

「あははっ。顔真っ赤だよ、親指姫。照れてる親指姫は可愛いなぁ」

「こ、この……! 覚えてなさいよ、ジャック……!」

 

 羞恥に打ち震える親指姫を見て、あろうことかジャックは朗らかに笑う。一発殴ってやりたい所だがこのジャックは鬼畜なジャック。愛する妹二人という弱みを握られている以上、親指姫は拳を握って怒りと羞恥を堪えるしかなかった。

 

「……何か、アレっすね。いつもとちょっとイチャつき方が違う気がするっす。もしかしてプレイの一環ってやつっすか?」

「あはは。まあ、そんなところかな?」

「いや、違うでしょ!? 笑顔で大嘘こいてんじゃないわよ!」

 

 そして一連の騒動を見守っていたくららが口にした疑問に対し、大ぼらを吹いて答えるジャックにまたしても怒りを覚えてしまう。

 間違ってもこんなものはプレイではないし、プレイらしいプレイなどしたこともない。猫耳をつけたりにゃーにゃー言ったりするのはあくまでも遊びの一環である。

 

「……本当にどうしたんすか? いつも通りにイチャついてもらわないと何だか調子が狂うっすよ」

 

 普段と親指姫たちのイチャつき方が違うことに気が付いたらしく、そんな毒されているとしか思えないことを口にしてくるくらら。

 同棲のための模様替えに必要なものを手に入れるため、以前から販売所デートを毎日のように繰り返していたせいで完璧に毒されたらしい。今ではいつも通りにイチャイチャしないとむしろ文句を言われるほどになってしまった。

 

「あー……まあ、コイツ色々あってグレーテルに催眠術かけられたのよ。そのせいで見境の無いもの凄い鬼畜になってるからあんたも気をつけなさい、くらら。たぶんあんたもコイツの好みよ」

「え、ええっ!? そ、それは困るっすよ! 自分には心に決めた人が――あっ、いや、何でもないっす!」

 

 念のためくららに注意を促したところ、真っ赤な顔で意味深な言葉を返される。

 心に決めた人とやらが誰なのかは前から見当がついているものの、本人が隠せていると思っているなら口にしないのが優しさというものだろう。故に親指姫は今回も何も言わないことにした。

 

「……ところで、今さっき催眠術とか言ったっすよね。グレーテルさん、本当にそんなことできるんすか?」

「じゃなきゃ私のジャックがこんなおかしくなるはずないじゃない。ていうかその気になれば他の女を好きにならせることもできるみたいよ。全く恐ろしいことするわよね、アイツは……」

 

 こんな鬼畜なジャックと過ごさなければいけないのは極めて苦痛であるが、それも他の女に好意を向けさせないためもの。万が一アリスやかぐや姫、そして催眠をかけるグレーテル本人などに好意を向けるようにおかしくされたら堪ったものではない。そんな危険な状況を招かないために、親指姫はこの鬼畜と過ごす時間を耐え忍んでいるのだ。

 

「そ、そんなことができるんすか!? じ、自分、ちょっと急用を思い出したっす! それじゃあお二人さん、さいならっす!」

 

 恨みつらみ、それと不平不満を込めて答えたのだが、どうもくららはその内容に心惹かれるものがあったらしい。極めて真剣な表情を浮かべたのも束の間、近くにいた人に店番を任せるとそのまま販売所から走り去って行った。

 あまりにも唐突な出来事ですぐには追いつけず、しばらく親指姫もジャックも走り去ったくららのすでに見えない後姿を眺めていた。

 

「……急用って、グレーテルのとこ行くのかしらね?」

「たぶんそうなんじゃないかな。話を聞くだけのつもりなら良いんだけど……」

 

 事態に追いついた後ぽつりと予想を零すと、ジャックはそんな極めてまともそうな言葉を発した。

 人の心を弄ぶのだって大好きなはずの鬼畜で極悪なジャックの癖に、催眠術を否定するようなことをのたまったのだ。これには親指姫も心底驚き、その顔をじっと覗きこんでしまう。

 

「ふーん……今のあんたなら催眠術で無理やり惚れさせるのだって好きなんだと思ったけど、意外とまともなこと考えるじゃない」

「えっ!? そ、そう……かな? 僕はただ、催眠術になんか頼らないで自分の力で何とかした方が楽しい気持ちに慣れるんじゃないかなって思って……」

「……つまり、惚れさせるより無理やりやった方が好みってことね!? 本当今のあんたはとんでもないゲス野郎だわ! 最低よ!」

「あはは……うん、そうだね。僕はゲス野郎だね……」

 

 わざとらしくも自嘲気味の表情で零し、視線を逸らすゲス野郎なジャック。

 どうやら催眠が解けたのかもしれないと一瞬でも考えてしまった親指姫が馬鹿だったらしい。ジャックは催眠術で従順にさせるより、無理やり従わせて嫌がったり泣いたりする反応を見たがっているのだ。

 

(やっぱこんなゲスいこと考える奴、一人にさせておくことなんて絶対できないわ! 何が何でもコイツを傍で見張ってないと! ていうかもう外にいるのもマズイんじゃない、これ!?)

 

 仮に今のジャックが親指姫に似た自分好みの女の子を見つけた場合、果たしてどんな行動を取るのか。人畜無害そうな見た目で警戒を抱かせずに近づき、甘い言葉と優しい言葉を巧みに交えて誘い込み、そこらの路地裏に連れ込む。今のジャックならそれくらいのことはやりかねない。

 もう今日はずっと二人で部屋に閉じこもっているのが賢い選択なのかもしれない。例え親指姫が部屋の中でどれだけ鬼畜で変態的な真似をされることになろうとも、その方が周囲にとって安全なのは確かだろう。

 

「さ、さてと……親指姫、それじゃあ何か掘り出し物が無いか探してみようか?」

「い、良いわよ、そんなの! そんなことより、今日はもうさっさと帰るわよ!」

 

 心と覚悟を決めた親指姫は、気を取り直すような顔をして店内を見回すジャックの腕を問答無用で引っ張っていく。もちろん自分たちの部屋へと帰るためにだ。

 

「えっ、もう帰るの? いつもみたいに一緒に仲良く買い物とかしないの?」

「今のあんたとそんなことする気なんてないわよ! あんたは私と部屋で大人しくしてれば良いの!」

「……そっか、そうだね。うん、じゃあ早く帰ろうか?」

「な、何よ、変に素直じゃない。もしかしてあんた、何か企んでるんじゃないでしょうね?」

 

 抵抗されるのも覚悟の上だったのだが、意外にも大人しく従ってくれる。親指姫には逆にそれが酷く不気味で仕方なかった。今のジャックなら自分の思い通りにならない展開など認めないと思っていたのだ。

 そんな思いを込めた疑惑の視線を向けると、ジャックは朗らかに笑いを返してきた。

 

「別に何も企んでないよ。ただ親指姫にはおしおきをしないといけないから、そのためにも部屋に戻る方が良いなって思ったんだ」

「お、おしおき!?」

 

 そして口からはやはり鬼畜な言葉が飛び出してくる。しかしこれはちょっと予想外だったため、思わず飛び上がってしまう親指姫であった。

 

「うん。だって君が白雪の代わりに罰を受けてくれるんだよね? それに君自身も言ってたじゃないか。いかがわしいおしおきでも何でも好きにしろって」

「た、確かにそう言ったけど! 本当にお仕置きなんてするわけ!?」

「もちろんだよ。だから早く一緒に帰ろうか。それとも、君は今すぐここでおしおきして欲しかったりするの?」

「っ……!」

 

 ちょっと恥ずかしそうに頬を染めながらも、そんな鬼畜な発言を容赦なく口にしてくるジャック。人前で行うのが鬼畜なジャックにとっても恥ずかしいとは、一体どこまでいかがわしく過激なおしおきをするつもりなのか。

 無論親指姫にはそんな趣味も無ければ性癖も無いので、この場でやられるくらいなら二人きりの方が断然マシ。

 

「ああ、もうっ! この変態! 人間の屑! あんた後で覚えてなさいよ!」

 

 故に悪態を吐きながらも、親指姫はジャックの手を引っ張り販売所を出るのだった。

 自分たちの愛の巣とも言える二人の部屋で、愛があるかも疑わしいジャックからいかがわしいおしおきを受ける悔しさに歯噛みしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と。それじゃあおしおきを始めようか、親指姫?」

 

 親指姫と二人で部屋に戻ってきたジャックは、早速恋人へと向き直ってにっこり笑いかける。外見はいつも通りのジャックに見えるであろう表情だが、口にしている言葉は自分でもらしくないと思えるもの。故に親指姫がびくっと若干の怯えを見せたのにも納得だった。

 

(――とは言ったものの、全然気が乗らないなぁ……うぅっ……)

 

 無論これはただの演技であるため、ジャック自身は相当気が乗らない。愛する少女に怯えた様子を見せられるのも、演技だとバレないように鬼畜に振舞わなければいけないのも、何もかもがである。

 しかし演技だと見破られてしまえば追加の罰ゲームが親指姫に下されてしまう。だからこそジャックも心を鬼にして鬼畜に振舞おうと努力しているのだ。

 

「そ、それでおしおきって一体何する気よ! 何されたって、私は絶対屈したりなんかしないわよ!」

「うーん、そうだね。どんなおしおきをしようかなぁ……」

 

 警戒心バリバリでこちらを睨む恋人の姿を前にしつつ、もったいぶる様に顎に手を当て考え込むジャック。

 販売所でもだいぶ鬼畜なことを言ったおかげか、今の所親指姫はジャックの正気を疑っている様子は見られない。このままでもバレないと思いたいところだが、念には念を入れて更に鬼畜に振舞っておくべきだろう。

 

(……そういえば、赤ずきんさんもどうせなら楽しんでみろとか言ってたっけ。でも楽しむって言われても何すれば良いんだろう?)

 

 鬼畜なのはあくまでも演技なので、ジャックには親指姫を苛めて楽しむ倒錯した趣味など欠片も無い。どちらかと言えば抱きしめて可愛がるのが趣味である。

 しかし苛めるようなことをしなければ鬼畜とは言えず、演技かもしれないと疑われる可能性も出てくる。かといって痛いおしおきや苦しいおしおきをすることは心苦しくてできない。そうなると選択肢はかなり限られてきてしまう。

 

(何か親指姫、今なら本当にどんな命令でも聞いてくれそうな気がするなぁ。うーん……ちょっとくらい楽しんでみても罰は当たらないかな? アリスもそんなこと言ってたし、痛いこととかはしたくないし……)

 

 その限られた選択肢を選ぶのもちょっと躊躇いはあるが、この罰ゲームを始めるに当たってアリスや赤ずきんは言っていたのだ。以前はあれだけぞんざいに扱われていたのだから、こういう時くらいそのお返しをしてやれと。言い方や口調に違いはあったものの、意味は大体そんな感じである。

 それにジャックと親指姫は何度も身体を重ね愛し合っている大人の関係。それならこのおしおきも苦しいことや痛いことをするよりは幾分マシなはず。

 

「……じゃあ親指姫、スカートを捲ってパンツを見せてくれるかな?」

 

 なのでジャックはちょっとだけ楽しんでみることにして、おしおきの内容を口にした。とどのつまり恥ずかしくてエッチなおしおきである。

 

「はあっ!? じょ、冗談でしょ!? 何でそんなことしなきゃいけないのよっ、この変態!」

「何でって言われても、君が白雪の代わりにおしおきを受けてくれるって言ったんじゃないか。嫌なら白雪に同じことをさせても良いんだよ?」

「っ、くぅ……!」

 

 真っ赤になって怒りを露にしていた親指姫だが、ジャックが大切な妹のことを引き合いに出した途端唇を噛み締めて大人しくなる。尤も突き刺さりそうな睨みだけはそのままだったが。

 

「や、やってやるわよ、この変態! 今更パンツ見せるくらい何だってのよ!」

 

 そして自棄気味に言い放ちながらスカートに手をかける。

 だが潔かったのはそこまでで、そのまま親指姫は固まったように動かなくなった。やはりそういう雰囲気の時意外は恥ずかしさが先立ってしまうのだろう。羞恥か怒りで震える手でスカートの裾を握り締めてはいるが、捲ろうとする様子は無かった。

 

「どうしたの、親指姫? 早く見せてくれると嬉しいんだけどなぁ?」

 

 その間にジャックはベッドへ腰を下ろし、じっくり眺められるように待機する。

 煽る言葉か態度のせいか親指姫は更に不機嫌そうに瞳を鋭くするものの、今のジャックは鬼畜に振舞わなければならない。

 

「見せてくれないならやっぱり白雪姫の所に行こうかな? あ、それとも眠り姫にやってもらうのも良いかもしれないね?」

「っ……!」

 

 だからこそジャックは魔法の言葉を口にして、更に親指姫を追い詰める。屈辱に耐えかねたかの如く歯を食いしばる音が聞こえてきてちょっと怖かったものの、妹思いの親指姫が大切な妹たちを鬼畜に売り渡すはずもなかった。

 

「このっ、変態……! 後で、覚えてなさい……!」

 

 怒りに染まった罵倒を零し恥じらいにぎゅっと目を瞑りながら、親指姫はゆっくりと自らのスカートを捲り上げていく。

 ソックスに半ばまで包まれた太股、その付け根が露となり、ジャックの目は否応無く釘付けにされる。親指姫の肌を眺めるのはいつものことなのでこれくらい平気かと思ったものの、表情がいつもと違うためか妙に新鮮で興奮をそそられてしまった。

 

(な、何か凄くイケナイ気分になってきた……今の親指姫、凄く可愛い気がする……)

 

 そんな性癖は無いはずなのだが、真っ赤な顔で悔しそうに震えながらスカートを捲り上げていくその姿には妙な胸の高鳴りを覚えさせられる。

 おまけについにその全貌を表した親指姫の下着は何と赤色。本人の髪と同じ色合いなせいか妙に愛しく思えてしまい、ジャックはついつい頬を緩めてじっくり眺めてしまった。

 最低なことこの上ない反応かもしれないが、今のジャックは鬼畜に振舞わねばならないのだから丁度良い。故にジャックは頬の緩みを隠そうとせず、スカートをたくし上げて下着を晒す親指姫の姿を視線で嫌らしく舐め回して行った。

 

「も、もう、良いでしょ……! 終わりに、しなさいよ……!」

 

 それから数分ほど経過した頃だろうか。やがて羞恥に耐えかねたかの如く、親指姫が真っ赤な顔で震えながらもちょっと偉そうに懇願してくる。

 普段は下着を見られるどころか裸を見られ、それどころか色々と大人なことをしているのにこれだけ嫌がるとは一体どういうことなのか。女の子が複雑な生き物だということくらいは理解しているものの、ジャックにはいまいち気持ちが分からなかった。

 

(終わりにしてあげたいところだけど、君に演技だって気付かれるわけにはいかないからもっとやるしかないんだ……ごめん、親指姫!)

 

 気持ちは分からないが、どのみち手を抜くことはできない。

 今のジャックは鬼畜に染まった最低な男。愛する少女を苛めて楽しむ下劣な男。そう親指姫に思われているのだから、そのイメージを肯定する行為を働き簡単には演技だと見抜かれないようにしなければならない。故に絶対にこの程度で許してあげるわけにはいかない。

 

「……そうだね。じゃあ前座はこれくらいにしてそろそろ本番を始めようか?」

「は、はあっ!?」

 

 故にジャックはにっこりと笑いかけ、新たなおしおきを行うことを告げる。あまりにも予想外だったのか、親指姫はスカートをたくし上げて下着を晒したまま驚愕に目を見開いていた。

 

「ちょっと! 今のでおしおき終わったんじゃないの!?」

「僕はおしおきが一つだけなんて言った覚えは無いよ? それにどのみち君は僕に逆らえないんだし、どうでも良い事じゃないかな?」

「……っ!」

 

 拒否すれば妹たちに同じ事をすると遠回しに警告した所、親指姫は悔しそうに歯軋りしながら睨みつけてきた。

 ここまで激しく怒らせることができているなら演技は完璧と言って良いだろう。この調子でおしおきをすればその後はある程度甘く接したとしても、演技だと見破られることはないかもしれない。

 

(……よし! このおしおきを境にもう少し優しく接してあげよう!)

 

 なのでジャックはこのおしおきを境に鬼畜過ぎる真似は控えることにした。あくまでも見破られる危険性が大幅に減りそうだからであって、全てが終わり演技だと言うことを知った親指姫がどんな反応をするかが怖いからではない。まあ怖いのは確かなのだが。

 

「でも僕だってそんなに酷いことはしたくないから、お尻ペンペンで勘弁してあげるよ。そういうわけだからおいで、親指姫?」

「はあっ!? な、何でそんな子供みたいなおしおき受けなきゃなんないのよ!?」

「ん? じゃあ代わりに白雪姫にしちゃっても良いのかな? それとも眠り姫にする?」

「――っ!!」

 

 全力で嫌そうな顔をしてくる親指姫だが、やはり妹達を人質に取られれば逆らうことは出来ないらしい。怒りと屈辱を滲ませながらも、素直にジャックの下へと歩み寄ってきた。

 

「今のあんたは本当にゲス野郎ね! 分かったわよ! お尻でも何でも好きなだけぶったたけば良いでしょ!?」

 

 そして反抗心溢れる瞳で睨みつけつつ、膝の上に腹ばいになってくる。かなりヤケクソ気味なのはそれだけこの仕打ちに納得していないからなのだろう。

 

「うん、素直な親指姫は可愛いね。愛してるよ」

「……ふん! 今のあんたは私のジャックじゃないから、同じ言葉は返してやんないわよ!」

 

 心からの本音を口にするものの、今のジャックは鬼畜で最低なゲス野郎として振舞っている。演技だとは微塵も考えていないのか、親指姫は愛の言葉にそっぽを向いてしまった。ちょっと傷つく反応だがこれなら疑われそうにないので一安心だ。

 

(よし。これで演技だって疑われずに済みそうだ。問題は本当にお尻を叩かなきゃいけないことだけど……仕方ないか。ごめんね、親指姫……)

 

 安心はできるが、実際にお尻ペンペンしなければならないので罪悪感はかなりのもの。それでも覚悟はすでに固めていたので、ジャックは膝の上に這い蹲る親指姫の下着を擦り降ろして丸いお尻を露にさせた。

 

「っ、くぅ……!」

 

 悔しいのか、それとも恥ずかしいのか、親指姫はお尻を露にされて小さく呻き声を上げる。

 どちらにせよ手早く済ませてしまった方が親指姫のためになるに違いない。改めて決意を固めたジャックは右手を上げると、その手の平を小さなお尻目掛けて一気に振り下ろした。

 

「――ひゃうっ!?」

 

 パチンという小気味良い音が鳴り、膝の上の小柄な身体がびくりと震える。決して耐え難い痛みは与えないように加減して叩いているのだが、不思議なことに悲鳴と思しき声は妙に大きく、そして妙に悩ましい。

 その反応にある種の疑念を抱いたジャックは、それを確かめるためにもう一度手を振り上げ――

 

「――んっ! ん、んぅ……!」

 

 ――先ほどよりもちょっとだけ強めに平手でお尻を打った。再び上がる悲鳴とも喘ぎとも取れる声は、やはりどこか悩ましく瑞々しい。例えるならベッドの上で愛し合っている時に上げる声のように。

 

(何か親指姫、ちょっと気持ち良さそうな声出してる……もしかしてそういうのが好きだったりするのかな?)

 

 お尻を叩かれて気持ち良さそうな声を上げるということは、つまりはそういうことだろう。恐らく親指姫は苛められて喜ぶ若干マゾ的な気質があるに違いない。

 以前までは照れ隠しに軽い暴力を働いてきたり、キツイ言葉を投げかけてきた親指姫が実はM気質だったというのはかなり驚きだったものの、ジャックにとっては別段受け入れ難い性癖ではなかった。血を求めてくることに比べれば多少のMっ気くらい可愛いものである。まあアレは性癖とはちょっと違う気もするが。

 

(そういうことなら僕も大助かりだ。このまま続ければ僕は演技だって疑われずに済むし、親指姫を喜ばせることもできるし)

 

 こんなお仕置きをすることに罪悪感があったジャックだが、親指姫の性癖のおかげでその気持ちもだいぶ軽くなってきていた。というかむしろ妙に乗り気になってきたくらいだ。演技だと疑われないために振舞いつつ、親指姫を喜ばせてあげられるのだから乗り気にならない方がむしろおかしい。

 

「何だか気持ち良さそうな声出してるね、親指姫? もしかしてお尻を叩かれるのが気持ち良いの?」

「だ、誰が気持ち良さそうな声出してるってのよ! これは――んんっ! く、悔しいのを我慢してる声よ!」

 

 確認のためにお尻を叩きながら尋ねてみるものの、親指姫は瑞々しい喘ぎを零しながら頑なに否定する。

 しかしどう見ても気持ち良さそうなのは確かだ。たぶん親指姫は今のジャックが鬼畜で下劣で最低な野郎だと思っているから素直に答えてくれないのだろう。

 

「本当に? 嘘を言ったらどうなるか分かってるよね?」

「――っ、うぅ! き、気持ち良くなんか無い! 気持ち良くなんか無いわよ!」

(うーん、どう見ても気持ち良さそうな感じなんだけどなぁ……)

 

 軽く脅しをかけてみるも、やはり頑なに否定される。顔を覗きこんでみれば涙目になっているのが分かったものの、どこか若干蕩けた表情に見えるのも確か。やはり今のジャックが普通ではないと思っているから素直になってくれないのだろう。

 

(さすがにこれ以上そこを突付きまわして意地悪するのも気が引けるし、止めておこう。何より罰ゲームが終わった時が怖いし……)

 

 元々この罰ゲームが終わったらジャックは全て打ち明けるつもりでいたのだ。その時親指姫が自分への仕打ちや行動に一体どれだけ怒るのかを考えると、これ以上突っつきまわすのははっきり言って生きた心地がしなかった。

 

「……よし。それじゃあ今日はこの辺で許してあげるよ、親指姫。痛くしてごめんね?」

 

 何だかとても怖くなってきたのでおしおきはこれくらいで止めることにして、少し赤くなっているお尻を優しく撫でてあげた。ちょっと痛そうだったので擦ってあげただけで、疚しい気持ちは一切無かった。

 

「な、撫でんなぁ! 私にそういうことして良いのはジャックだけなんだから!」

(……何だろう。拒絶されて悲しいけどそんなこと言ってくれるのが凄く嬉しいや)

 

 一切無かったのだが、怒った顔をした親指姫が非常に嬉しいことを言ってくれたおかげで徐々に疚しい気持ちが湧き出てきた。

 以前に比べればかなり素直になった親指姫なので、ジャックへの気持ちを素直に口にしてくれることは最早珍しくない。だが今口にしたジャックへの気持ちはまるで第三者に語るような言い方なのでとても新鮮だった。親指姫は今のジャックが自分の愛してるジャックでは無いと思っているから、当然の言い方なのかもしれないが。

 

「何言ってるのさ、親指姫? 僕は君の大好きなジャックだよ? 催眠術を受けたってそこは変わらないよ」

「違うわよ! 今のあんたはただの最低の屑! 私のジャックはかなりひ弱で貧血でしょっちゅう倒れるもやしみたいに細い奴なのにびっくりするくらいケダモノだけど、誰よりも優しくて誠実な世界一良い男なんだからぁ!」

 

 もっとその新鮮な嬉しさを感じたくてあえて惚けてみたところ、親指姫は顔を真っ赤にして鋭く睨みながら望みの言葉を聞かせてくれた。

 何だか前半部分は愛の告白というより罵倒に近い感じもしたが、全て本当のことなのでジャックはあまりショックを覚えなかった。それに後半の言葉で気持ちが最高に昂ぶっていたから。

 

(マズイ。親指姫がそんな嬉しいこと言うから、ちょっと我慢できなくなってきた……)

 

 確かに親指姫に愛していると言われたことは何度もあるし、優しいや誠実もそれなりに言われたことはある。だが世界一良い男とは今初めて言われたのだ。

 もちろんジャック自身は自分が世界一良い男だとは微塵も思っていないが、親指姫はそう思ってくれている。愛する少女が自分をそんな風に見てくれていたことが分かり、愛しさが溢れて止められなかった。

 

「ちょっ!? や、やめっ、どこ触ってんのよ変態!」

 

 その溢れる愛しさに突き動かされるまま、気が付けばジャックは親指姫の身体を弄っていた。膝の上の小柄な身体を抱くように腕を回し、服の上から仄かな膨らみを揉みしだいて。

 

「君が凄く嬉しいこと言ってくれるから我慢できなくなったんだよ。自分の言葉の責任くらい取って欲しいな? まあ、姉妹丼とはさすがに言わないけどね……」

 

 さすがに今のジャックでも姉妹丼などというとんでもないことを口にするのは恥ずかしかったため、途中で言葉を濁しておく。幾ら演技でも他の女の子とそういうことをするなど考えられないし、考えただけで途轍もない罪悪感を覚えてしまいそうだからだ。

 

「っ、く……!」

「愛してるよ、親指姫……」

 

 なので余計なことは考えず、ただ愛しさの赴くまま親指姫に触れていく。膝の上からベッドの上へと身体を降ろし、のしかかるようにして首元に口付けながら。

 耳元では悔しそうな喘ぎが上がっていたものの、意外にも抵抗らしい抵抗はほとんど無かった。今のジャックはジャックでは無いと思っているのだからてっきり応えてくれないと思っていたのだが、この様子なら大丈夫そうだ。

 なのでジャックは親指姫の愛らしい面差しを眺められるよう仰向けにして――

 

(あっ……)

 

 ――そこでやっと自分の間違いに気が付いた。

 確かに親指姫は抵抗をしなかったが、応えてくれようとしたわけではなかった。恐らくはさっきの濁した姉妹丼発言を、拒否すれば妹達を襲いに行くと解釈していたのだろう。悔しそうに唇を噛み締め、涙を溜めた瞳で憎々しげにジャックを睨んできているのだから。

 

(今の僕とはそういうことしたくないんだ。だったら無理やりするわけにはいかないよね……)

 

 愛する少女のそんな様子を目にしたせいか、抱いていた興奮はあっという間に収まる。不完全燃焼でどこか釈然としない気持ちはあったものの、ジャックの心の中は幸せで満たされていた。

 何故なら親指姫はどこまでも一途にジャックを想ってくれていることが分かったから。

 

「……なんてね、さすがにこんな時間から変なことはしないよ。ただちょっと君の反応を見たかっただけだから心配しないで?」

 

 なのでその頭を軽く撫でてから、身体を起して親指姫の身体の上から退いた。

 ちょっぴり残念だが向こうが嫌がっている以上は仕方ないし、ここで実はただの演技だったと言えば今までの頑張りも台無しになってしまう。そういうことは今日の罰ゲームが終わるまで我慢するしかない。

 

(それにしても……親指姫、本当にいつもの僕が好きなんだなぁ。今の僕にはそういうことさせたくないくらいに。本当はいつもの僕のままだから拒絶されたのはやっぱり悲しいけど、こんなに一途に愛されてることが分かって凄く幸せな気持ちだなぁ……)

 

 本来なら相当辛い時間になるはずだが、今のジャックは幸せいっぱいなのでさほど苦ではなかった。むしろ抑えようとしても笑みが零れてしまうくらいに上機嫌である。しかしそれも仕方ない。同じジャックでも鬼畜なジャックでは駄目だと言うくらい、親指姫に心の底から愛されているのだから。

 

「……ジャック」

「ん、どうしたの? 親指姫?」

 

 そんな風に一人幸せに浸っていた所、愛する少女に名を呼ばれる。なのでジャックは上機嫌のまま顔を向け――

 

「覚えてやがれ、このゲス野郎……」

(……うん、ちょっとやり過ぎたかもしれない)

 

 ――怒りに顔を引きつらせた愛する少女の面差しを目にして、全身に鳥肌が立つのだった。この罰ゲームが終わって全てを説明した時、許してもらえるかどうかを不安に思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うー……!」

 

 ジャックからの辱めに何とか耐え忍び、約束の刻限までのあと数分を今か今かと待つ親指姫。

 催眠術を受けて変貌を遂げたジャックはやはり性根の腐った変態野郎だった。親指姫にスカートを自ら捲らせてパンツを見せろと脅してきたり、お尻を叩いた挙句にそのまま襲ってきたり。どちらも一度だけで再び同じことをされはしなかったものの、この仕打ちだけで今のジャックが親指姫の愛するジャックでないことははっきりと分かっていた。

 

「もうすぐ時間だね、親指姫? 良かったら終わりが来る前に今日の罰ゲームの感想を聞かせてもらえないかな?」

「最悪に決まってんでしょ! とっとと元に戻って私のジャックを返しなさいよ、このド変態!」

 

 傍らから向けられる優しげな微笑みはジャックそのものであるが、中身はこれ以上無いほど汚れている。親指姫の愛する男はケダモノで猫耳や猫語プレイを好む変態でもあるが、どこまでも優しい良い男。

 だからこそこんな見た目だけそっくりな奴は願い下げであり、またその好意に応える気も起きなかった。尤も完全に拒絶すれば大切な妹達に何をするか分からないため、嫌々応えるしかないのが辛い所だ。今も頬にキスしてきたので本当なら殴りつけてやりたかったが、大切な妹達のためにも我慢している。

 

「親指姫、そんなに元の僕のことが好きなの? ちょっと性格が変わっただけで僕も同じジャックなんだよ?」

「今のあんたと私のジャックを一緒にすんなっての! 私のジャックはあんたみたいな最低の屑と違って、優しくて誠実な良い男なのよ!」

「ふーん、そっかぁ……」

 

 思いっきり罵倒してやったというのに、何故かジャックはどこか幸せそうに頬を緩めていた。まるで嬉しくて嬉しくて仕方ないとでも言うように。

 

「何ニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い! あっち向いてなさいよ、この変態!」

「あははっ。でも君はそんな変態が好きなんだよね?」

「だからあんたのことは嫌いだっての! 私が愛してるのはいつもの優しいジャックよ! いつもの!」

 

 まるで自分のことのようにニヤニヤ笑う気持ち悪い鬼畜なジャック。どれだけ嫌おうが罵ろうが毎回こんな調子であり、一向に堪えた様子を見せないのだ。だからこそ親指姫はコイツの扱いに心底困っていた。

 

(あー、もうっ! 早く来なさいよ、赤姉たち!)

 

 またしても頬にキスしてくるジャックに辛抱しながら、部屋の扉と時計とを交互に見てじっと待つ。

 あと少しで罰ゲームの時間が終わり、ジャックにかけられた催眠術も解いてもらえる。そうなれば今日はジャックが鬼畜なゲス野郎に変貌していたせいでしたくなかった触れ合いがたくさんできる。だからこそ親指姫はその時まで必死に辛抱していた。

 そして約束の時間を僅かに過ぎた頃――コンコン。部屋の扉がノックされた。

 

「赤姉っ!? 終わり!? もう終わりよね!?」

「うわっ!? び、びっくりしたなぁ。あんたちょっと反応早すぎだよ、親指」

 

 その音を聞いた親指姫は即座に立ち上がり、素早く駆け寄って扉を開けた。あまりにも素早い反応だったせいか、扉の向こうにいた赤ずきんはノックするための拳を固めたまま驚きを露にしているほどだ。

 

「そんなことどうでも良いのよ! それより罰ゲームはもう終わりなんでしょ!? とっとと私のジャックを元に戻しなさいよ!」

「ふふっ。堪らなく良い顔をしていますね、親指姫~? ジャックと過ごす時間はそんなにも苦痛だったんですか~?」

 

 さも愉快そうに笑うのはかぐや姫。見れば赤ずきんの隣にはかぐや姫だけでなくアリスの姿もある。要するに今回の罰ゲームの仕掛け人が勢ぞろいというわけだ。というかグレーテルの姿が無いのだが、催眠術をかけた張本人がいなくても催眠を解くことはできるのだろうか。

 

「苦痛なんてもんじゃないっての! こいつ私の妹たちを人質に取って私にエロイ真似させたのよ!? 本当なら同じ部屋にもいたくないっつーの!」

「うわー、何やってんのさジャック。確かにあたしも楽しめとは言ったけどさ……」

「ジャック……い、いえ、ジャックが楽しんだようなら何よりだわ。ええ……」

「あ、あはは……」

 

 赤ずきんの呆れたような瞳、そしてアリスの気遣いを滲ませた瞳を向けられ、ジャックは乾いた笑いを零す。

 鬼畜で性根が腐っているはずのジャックが何故か居心地悪そうにしていることにはかなりの疑問を覚えたものの、どうせ今から元に戻してもらうのでどうでも良いことだ。故に親指姫は疑問をあっさり投げ捨て、更に赤ずきんに詰め寄った。

 

「とにかく! 何でも良いからさっさと私のジャックを返しなさいよ! てかグレーテルいないけど元に戻せんのよね!?」

「元に戻す~? 一体何を言っているんですか、親指姫~?」

「はあっ!? 何をって……ジャックを元に戻してくれるんでしょ!? 最初に約束したじゃない!」

 

 だがあろうことかかぐや姫はニヤニヤ笑って惚けるばかり。見れば赤ずきんも同じようにニヤニヤと笑っている。

 まさかコイツら、ジャックを元に戻す気はないのではないだろう。親指姫がそんな恐ろしい考えを抱いた直後――

 

「元に戻す必要なんてないわ。そもそもジャックは催眠術なんて受けていないもの」

「……は? 今何てった?」

 

 ――アリスがとんでもないことを口にした。

 あの鬼畜でド変態で最低な屑としか思えない行為を働き、あまつさえ親指姫の大切な妹達を人質にするようなゲス野郎が、実は外見も中身も間違いなく愛するジャックそのものだということを。

 

「全部ジャックの演技だったんだよ、親指。催眠術をかけたっていうのも、演技だってことをあんたに悟らせないためのもの。あんたに追加の罰ゲームをさせたくないから、ジャックは本気で鬼畜に振舞って演技してたみたいだね。結構やるじゃん、ジャック!」

「あはは……ありがとう、で良いのかな?」

「ふぅん……この反応からすると、親指姫はさっぱり分かっていなかったようですね~。残念ですが追加の罰ゲームは無しということですか~」

「よ、良かった。あれだけ酷いことしてたのにそれが全部無駄になったらどうしようかと思ってたよ……」

「ふふっ。やっぱりジャックは優しいのね。お疲れ様、ジャック」

「ありがとう、アリス。慣れないことをしたせいで何だか凄く疲れたよ……」

 

 驚愕の事実に二の句が告げず、固まってしまう親指姫の前で事実を裏付ける会話が進んでいく。

 鬼畜な振る舞いが演技だと親指姫にバレたら、親指姫に追加の罰ゲーム。だからジャックは頑張って鬼畜に振舞っていたという裏事情も。そしてジャックが間違いなく本物のジャックだという証拠である、こっちも胸が痛んでくるほど酷く罪の意識を覚えている表情も。

 

(あー、なるほど。ジャックは演技で鬼畜に振舞ってたってことね。私が見破ったら私に罰ゲームがあるから。さすが私が惚れた男、とっても優しいじゃない?)

 

 催眠術を受けていないのにあれだけ鬼畜だった理由も理解できるし、親指姫に罰ゲームを与えたくないという優しさも理解できる。立場が逆なら親指姫だって同じことをしたはずなのだから。

 だがジャックと親指姫では決定的に異なる点がある。それはジャックに比べて親指姫は――

 

「へー。あんた正気だったのね、ジャック。全然気が付かなかったわ。随分と演技が上手いじゃない?」

「っ……」

 

 ――心がそれほど広くないという点。幾ら親指姫のためであったとしても、あれだけエロいことや鬼畜な真似をされたりしたのだ。あまつさえ大切な妹たちにまでおしおきしようとしたり、ファーストキスを奪おうとしたりしていた。本気で無くとも簡単に許せるわけが無かった。

 それでも何とか抑え込んで必死に笑顔を浮かべようとするものの、頬も眉も引きつって逆に恐ろしい形相に見えたに違いない。ジャックは怯えたように一歩後退っていた。

 

「よし、用事は済んだしあたしは部屋に戻ろうかな! ジャック、強く生きなよ!」

「ふふふっ、次の罰ゲームでも今回のような面白さを期待していますよ~?」

「おやすみなさい、ジャック。また明日。親指姫、何をする気かは分からないけれどあまりジャックに酷いことは――」

 

 さも面白そうに笑う二人にも牽制してくる元恋敵にももう用は無いため、扉を閉めてジャックへと向き直る。

 そこに立っていたのは間違いなく本物のジャック。親指姫の顔を見て心底怯えた様子を見せる、演技していた時の強気な様子が欠片も見当たらない情け無い姿であった。

 

「お、親指姫……もしかしなくても、怒ってるよね……?」

「ジャックー? あれだけ私に鬼畜なことしといて、ただで済むとか虫の良いこと考えてんじゃないでしょうね?」

 

 にっこり笑いかけながら一歩足を踏み出すと、同時にジャックは一歩後ろへ下がる。その様子は完璧に腰が引けて情け無い姿だ。ついさっきまではアレだけ別人のように振舞っていたというのに。

 

「も、もちろんそんなことは考えて無いよ? でもあれは君に演技だってバレたら君への罰ゲームが追加されちゃうから、バレないように頑張っただけで……」

「そのわりにはあんた随分楽しそうだったじゃない。ニヤニヤ笑って楽しんでたのよねぇ?」

「う、うぅ……! それは、君の反応が素直じゃない頃にそっくりで、可愛くて懐かしくてつい……うわっ!?」

 

 そのままじりじりと距離を詰めて行った所、やがてジャックはベッドに足を取られて腰を降ろしてしまう。当然ながらもう逃げ場など無く、怯えた様子で見上げてくるジャックを親指姫はにっこりと見下ろした。

 

「覚悟はできてるわよねぇ、ジャックー? 歯ぁ食いしばりなさい?」

「っ……!」

 

 抵抗する気はないのか、目を瞑って何かに耐え忍ぶような表情で固まるジャック。どうやら自分が怒られても殴られても仕方ないことをしたとはっきり理解しているらしい。全く随分と情け無い様子だ。

 その鬼畜だった時とは似ても似つかない様子に一つ小さく溜息を零してから、親指姫は怯えるジャックへ向けて更に一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(うぅっ、何されるか分からないけど凄く怖い……!)

 

 足を取られてベッドに腰を降ろしてしまい逃げられなくなったジャックは、恐ろしい笑顔で迫ってくる恋人の姿を前にして固く目蓋を閉ざしていた。

 鬼畜に振舞ったのは他ならぬ親指姫のためだというのに罰を与えられるのはちょっと釈然としない気分だが、仕返しされても仕方の無いことをしたのもまた事実。スカートを捲ってパンツを見せるように命令したり、何度もお尻を叩いたり。あまり気の長い方ではない親指姫なのだから、むしろ今まで良く堪えていたと褒めるべきだろう。

 だからジャックは何をされても抵抗はしない心持ちでいたのだが――

 

「っ……あ、あれ? 親指姫?」

 

 ――特に自分への罰らしい罰は行われなかった。親指姫が行ったのはどちらかといえばいつも通りのこと。つまりジャックの膝の上に座り、ぎゅっと抱きついてきたのだ。

 

「まったく、もう……後で覚悟しときなさいよ、ジャック? 絶対復讐してやるんだから」

「う、うん……ごめんね、親指姫。いっぱい酷いことして」

「謝ったって許すわけないじゃない。だから謝る暇があるならもっと私を可愛がりなさい」

「うん……」

 

 胸に顔を埋めながらもご機嫌斜めな表情で見上げてくる親指姫。そんな愛らしい様子に心からの愛しさと安堵を覚えつつ、ジャックは優しく頭を撫でてあげた。

 何だかんだで今日はジャックが鬼畜に振舞っていたため、普段のようにイチャイチャしていないのだ。甘えん坊でヤキモチ焼きな親指姫からすると、それはかなり辛かったのだろう。少なくともあれだけ鬼畜な真似をされながらもまずは甘えてイチャつくことを最優先に考えるくらいには。

 

「はあっ……アレが演技だったなんて全然気が付かなかったわ。あんた、本当に根っからのクソ野郎に見えたわよ?」

「ご、ごめん。万が一にも君に見破られるわけにはいかなかったから、僕も頑張ってそんな風に振舞うしかなかったんだ……」

「とか言いつつ、あんた絶対本当は楽しんでたでしょ? 正直に言いなさい」

「う、うん。楽しかったのは否定しないよ。君の反応が懐かしかったし、凄く嬉しいことも言ってくれたし……」

 

 久しぶりにジャックに対して好意を表わさない親指姫の姿が見られたし、ジャックのことを誰よりもカッコイイ男だと思っている本音も聞けた。楽しくないわけがないし、嬉しくないわけも無い。調子に乗ってしまうのもまた仕方のないことだった。

 だが今はそこそこ素直になったとはいえ、元来素直でなかった親指姫だ。さすがにあまり口にしない類のジャックへの本音を吐露したことが恥ずかしいらしく、顔を真っ赤に染めていた。

 

「ま、全く! やっぱあんたは見かけによらずドSね! 後で絶対復讐してやるから覚えてなさいよ!」

「それはもう仕方ないから別に構わないんだけど、どんな仕返しをする気なの? 痛いのはできれば止めて欲しいな?」

「ふん、それはその時のお楽しみよ! でも、私が鬼畜に振舞っても絶対コイツには効果無さそうだし、どうすれば良いのかしらね……いっそ逆に突き抜けてみるのもの良いかも……」

(ほ、本当に何をする気なんだろう、親指姫……)

 

 教えてはくれず、ジャックに抱かれて頭を撫でられながらぶつぶつと一人思案している親指姫。ただ『逆に突き抜ける』の他にも『ジェノサイド』という単語が聞こえてきたため、間違っても穏やかで可愛らしい復讐ではなさそうだ。というかむしろこれ以上考えさせない方が身のためである。

 

「そ、それより親指姫、一つ聞きたいことがあるんだ。あの鬼畜な僕といつもの僕なら、どっちの僕の方が良い?」

 

 なので話題を変えることで恐ろしい計画を立てさせないように試みる。

 一応は成功したものの、どうやら尋ねた内容に問題があったらしい。親指姫は頬を染めながら恨めしそうな目を向けてきた。

 

「あんた分かってて言わせようとしてるでしょ? まだ演技が抜けきってないんじゃない?」

「あははっ。実はそうなのかもしれないね。それで、どっちの僕の方が良いの?」

「いつものあんたよ、いつもの! 私の優しくてカッコイイジャック! あーもうっ、これで満足!?」

「うん。ありがとう、親指姫。そう言ってもらえて僕も嬉しいよ」

 

 そしてはっきり本音を言い放つと、再びジャックの胸に顔を埋めてくる。たぶん今に限っては甘えるよりも真っ赤な顔を隠すための行為に違いない。

 鬼畜なジャックならそこを突付いてからかうくらいはしなければいけないが、幸い今のジャックはいつも通りに振舞える。だからこそジャックはそれ以上何も言わず、可愛らしい恋人を優しくかき抱いて愛を伝えた。

 

「で、でも、何ていうかその……いつもと違って変に大胆で意地悪なあんたも悪くなかったっていうか、結構ドキドキしたわ。もしジャックが催眠術とかで操られてじゃなくて、自分の意思でこういうことしてきたら……そんな風に考えてたら、何かそれほど嫌じゃなかったのよね……」

「えっ……?」

 

 しかしその最中、親指姫はそんな意味深な感想を腕の中で零した。捉え方によっては苛められるのが嬉しかったとも解釈できる、非常に意味深な感想を。

 ちょっとどころかかなり驚くカミングアウトだったが、冷静に考えてみると納得のことであった。

 

(そういえば親指姫、お尻を叩いている時に気持ち良さそうにしてたっけ……)

 

 昼間に白雪姫の代わりにおしおきを受けさせた時、お尻を叩かれながらも親指姫はどこか気持ち良さそうな声を零していたのだ。あそこまで鬼畜な真似をされながらも快感を覚えてしまうあたり、やはり親指姫はそういう性癖を持っているに違いない。まあ普段のジャックなら絶対にやらないことだから新鮮で、という理由もあるにはあるのだろうが。

 

「親指姫、やっぱり苛められるのが好きな子だったんだね?」

「ち、ちが――くない、のかしら? もう分かんないわ、自分でも……あんたはそういう女の子、嫌い?」

 

 否定はせず、どこか不安げな瞳で見上げてくる親指姫。そんな事実と様子にジャックが抱いたのはもちろん嫌悪やその他の悪感情ではなく、溢れんばかりの愛しさであった。

 

「あははっ。君のために自傷までして血を舐めさせてあげてる僕だよ? 今更その程度のことで嫌いになったりするわけないじゃないか」

「あー、そうだったわね……何か、逆にどこまで行ったらあんたに嫌われるのかちょっと興味出てきたわ。幾らなんでも心広すぎじゃない?」

「そうでもないよ。だってこれでも僕は怒ってるんだからね」

「は? 何で怒ってんの?」

 

 予想だにしない発言だったのか、不思議そうに首を捻って見上げてくる。そんな様子にますます愛しさを煽られながら、ジャックはにっこりと笑いかけた。つい先ほどまで鬼畜に振舞っていた時の心持ちを思い出しながら。

 

「親指姫、嘘ついたよね? 本当は僕にお尻を叩かれて気持ち良くなってたのに、気持ち良く無いなんて言って」

「あー……そ、それは……ひゃっ!?」

 

 言葉を濁す親指姫に対し、抱きしめていた手の片方を滑らせ小さなお尻を鷲掴みにする。そして驚愕と恥じらいによる身体の動きは、もう片方の手で固く抱きしめ押さえ込む。それらをジャックはにっこり笑ったまま行った。さしずめ先ほどまでの鬼畜に振舞っていた自分のように。

 

「嘘つきの悪い子にはおしおきしないとね。だから今からはおしおきの時間だよ、親指姫?」

「……やっぱり、そういうあんたも結構悪くないわ」

 

 自分の意思でジャックが鬼畜なことをしてきたらと考えると、それほど嫌ではなかった。どうやらその言葉に嘘は無かったらしい。小柄な身体を抱え上げてベッドに横たわらせても、親指姫は全く抵抗を見せずされるがまま。というかむしろ嬉しそうですらある。

 もう罰ゲームは終わったが愛する少女がそれを望み幸せを感じてくれるのなら、鬼畜に振舞うことくらい訳は無い。

 故にジャックはもう少しだけ鬼畜に振る舞い、親指姫を苛めてあげるのだった。普段よりもちょっとだけ、意地の悪い愛し方で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 この後、滅茶苦茶愛し合いました。
 察しの良いお方は気付いていると思いますが、親指姫が考えている復讐方法はジェノサイドなアレです。要するに次の親指姫のお話はR18のジェノサイドエッチです。
 まあハーレムの方のお話もあるので、ジャック×親指姫の話はこれでお終いというところですかね。基本的にはハーレムの方でもジャック×親指姫も書けますし、もし書く時はそっち側でになると思います。というわけで長らく読んで下さった方々、ありがとうございました。親指姫最高!


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