もしも、燕結芽に兄がいたら (鹿頭)
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胎動編
もしも、燕結芽に兄がいたら


燕結芽。

 

世間からは折神紫の親衛隊四番席だの、天才刀使や戦闘狂なんて風に言われているし、これらは全て事実でもある。

 

けど、そんな事は全然僕には関係のない話だった。

結芽は結芽。

 

僕のたったひとりの大切な妹。

それだけで十分だ。

沢山色眼鏡をかけるのはあまり好きじゃない。

 

昔、彼女が御刀に選ばれたのはとても誇らしいし、我が事の様に嬉しかった。

 

 

周りは、天才、神童と偶像の様に褒め称え、祭り上げていく。

 

とは言えやはり、彼女自身が一番嬉しかったのだろう。

誰よりも強ければ、己の強ささえ証明すれば、周りが勝手に褒めはやす。

 

小さい結芽に、周りの高評価と言うのは余りにも甘美な毒だったのだろう。

 

持ち前の天賦の才も手伝ってか、結果として結芽は天に昇る龍の如く実力を向上させていった。

 

更に、伍箇伝一の歴史を持つ、綾小路武芸学舎(あやのこうじぶげいがくしゃ)に入学する事も出来た。

 

一度は挫折を味わうか、と少し心配したが、そんな事は全然なかった。

事実として、誰も止めるものは居ないのではないか、と錯覚する位に強く、頂点を独走していたし、一切負けなかった。

 

右に出る者無し。

将来は約束されているに等しい──否。

約束されていた。

 

が、しかし。

その後、そんな物を嘲笑うかのような出来事によって挫折を味わう事になるとは、僕はその時全く考えてなかったし、想像する事もなかった。

 

ある日、結芽は突然倒れ、病院に搬送された。

どうやら肺が生まれつき悪かったのではないか──と医者は言っていた。

その上、俗に言う所の不治の病、と言うやつだった。

 

訳がわからない。

 

医者から詳しい話を聞いた上で思った事だ。

まるで、足元の地面は実は深淵覗く暗闇に、一枚の布切れを挟んだだけだ、と誰かに言われたような心持ちだった。

 

不治の病。

刀使としては最早絶望的。

それどころか、残りの余命は幾ばくも無い。

長い物に巻かれにきた様な有象無象が離れて行くのは当然だった。

 

それはまだマシな話だったし、そんなもんだろうと元々認識もしていたので、気に留める事も無い。

 

しかし、だ。両親が、見舞いに行くのを渋り始めたのは全くもって慮外。理解の外を行っていた。

 

自分の娘じゃないのか。どうして?

 

疑問を抱いた僕は、何故か、と真っ正直に問うた。

それが、この者らの本性を暴く事になるとも知らずに。

 

最早、あの子に構っている時間が無駄だと。

その様な事を言っていた様な気がする。

その時の事を鮮明には覚えていない。

覚える気にもなれないから、本当にそんな事を言ったのかどうかもわからない。

 

ただ現実として、彼らがそれから一切結芽の病室へ脚を運ぶ事が無くなったのは確かだ。

 

怒りを通り越して何も思わず、そう言うニンゲンだったのか、と素直に納得した自分が居るだけだ。

自分でも、随分と冷静に受け止めれたと不思議に思っている。

 

その後、両親が見舞いを取りやめる事を命じて来たり、今更何やら言ってきたが、そんな事はどうでも良い。

僕は大学を休学し、一人結芽の見舞いに足繁く通った。

 

彼女に残された時間が残り僅かな様に、僕が結芽と過ごせる時間も等しく僅か。

 

そんな、大切な時間を大学に注ぎ込む気にはなれなかった。

 

理由も理由だったので、親族は兎も角、大学側とは争う事も無く、すんなりと休学許可が出た。

 

その日から終日、面会時間ギリギリまで結芽の側に居ることが出来るようになった。

 

「お兄ちゃん、大学は?」と、数日くらい後に尋ねられた。

急に滞在時間が長くなったのだ。不審に思うのも無理はない。

僕は正直に「休んだ」と、それだけ伝えた。

「そうなんだ」と。結芽の返事も簡単なものだった。

 

それから、「ねぇ、パパとママは」と、結芽は尋ねてきた。

 

とうとうこの質問が来たか、と少し苦々しく思った。

 

はてさて一体どう答えれば良いのやら。

しばらく逡巡したが、嘘を言ってもバレるだろうし、やむなく正直に答える事にした。

 

「もう、来ないよ」

 

「………なんで」

 

僅かに絞り出す様な声だった。

そしてその言葉は俺にはとても辛いものだった。

両親が来ない、と言うのは寂しい。

その事を、僕はよく理解している。

 

「…ごめん。僕なんかより、やっぱりお父さんやお母さんの方が「違う」

 

「違う。なんで、お兄ちゃんは来てるの?」

 

ハッと結芽を見る。どうやら、僕の認識が甘かった様だ。

すっかり曇ってしまった淡い空色の瞳には、困惑や疑問ではなく、恐怖から来る不安の様なものが見て取れる。

 

「────ふぅ」

 

息を吸い込み、ゆっくり吐き出してから、柔らかく微笑んで見せる。

 

結芽ではなく、ただ自分を安心させる為に。

僕には、恐らく彼女が求める様な答えは持ち得ていない。

その事実から来る恐怖を押し殺す為に。

他ならぬ僕自分自身が、この瞬間を今一番恐れているのだ。

 

「──お兄ちゃんだから……ってのはダメか、そうだよな、納得いかないよな…」

 

結芽が訝しむ様な表情を浮かべていたので、話を振り出しに戻す。

煙りに巻ければ良かったのだが、病床に就いている今、総てが疑わしいのだろう。

事実、医療関係者を除けば俺しかこの病室に訪れる者はいない。

 

「自分の気持ちを、僕は口で上手く説明出来ないんだけど……」

 

だから、行動で示してきたつもりだったけど、心身共に傷ついた結芽では伝わらなかった。

 

そう考えると、納得いかないのも当然だったのに。自分で自分に呆れる。

 

「そうだね……うん。結芽はさ。頑張ってた。御刀に選ばれた時から、みんなに凄い所を見せたい!って言ってさ、頑張ってたよな」

 

「………うん」

 

「実際、結芽は強かった。誰にも負けなかった。そんな結芽を見て、僕も嬉しかった。けど、本当の所は、別に凄い所が見たかったわけじゃない」

 

「え」

 

「そりゃあ、凄いにこしたことはないさ。でも俺は、結芽が嬉しそうにしてたから嬉しかったんだ。ただ凄いから嬉しい、とかじゃなくてさ、結芽だから、なんだよ」

 

「………かんない」

 

「わけわかんない!」

 

「なんなの!?さっきから!ずっとずっと!」

 

「おい、あんまり叫ぶと……」

 

「他の奴はみんな居なくなった!パパやママまで見放した!なのに、なのに……っ!」

 

興奮して急に大きな声を出したので、案の定咳き込み始めてしまった。

 

落ち着かせる意味も込めて抱きしめる。

跳ね除けようとしたのか、身体が震える。

しかし、それは一瞬にしか過ぎなかったので、そのまま背中をさすり始める。

 

「それに……お兄ちゃんは…」

 

咳も止み、落ち着いて来た頃に、結芽は口を開いた。

 

「結芽。それは言わない約束だ」

 

天才と、替えの効く凡人。二人並べれば何が起きるのかは、火を見るよりも明らか。

 

だが、僕はそれで構わなかった。

僕にとっての幸福は、少し人とは違ったようだから。

 

「あれこれ言ったけど、僕はね」

 

「結芽が好きだから、側にいるんだ。それ以外に理由は……無いかな」

 

結芽を抱きしめながら言う。

少しでも、僕の気持ちが伝わるように。

誰かを、僕を。信じられるように。

そんな、思いを込めて。

 

「ぅ…っうう……ばか……ぁ…」

 

「うん、泣きたい時は、泣けば良い。今の今まで、結芽はちょっと……頑張り過ぎたんだから」

 

その言葉が最後の堰を切ったのか、結芽は泣くのを止めようともしなかった。

心配したのか、近くを通りかかった看護師が見に来ることも有ったが、大丈夫、と追い返した。

 

その日から、結芽はまた笑ってくれるようになった。

 

 

 

それは良かったんだ。

でも、でも。

 

前提として、結芽は助からない。

その事を忘れて───いや、忘れたかったんだ。

 

結芽は、日に日に目に見えて弱っていく。

 

その事実から目を背けたくなるし、弱っていく結芽を見たくないと脚を止めようとする。

だが、此処で止まるのは。

 

やめる事だけは絶対にしたくないし、してはならない。

何があっても最後まで居たい。

 

そう願っているし、誓ったからだ。

違えるなら、死んだ方がマシだ。

 

しかし、運命というのは無情なモノで、とうとう結芽はあまり口を開かなくなった。

肺が病巣になっているから、息をするだけでも辛いし、話も出来なくなる。

 

変わる事なら変わってやりたい。

───どうして、どうして。

何で、よりによって結芽なんだ。

 

「……ぃちゃん………」

 

微かに、僕を呼ぶ声が聞こえる。

それを僕は、聞き逃す訳がない。

 

「うん?……なんだい、結芽」

 

「こわいよ……」

 

「っ………」

 

思わず涙が潤む。

結芽の方がずっと辛いだろうに、こっちの方まで悲しくなる。

涙なんか出ても、なんの慰めにも、解決策にもならないだろうに。

 

「だから、手。握って……」

 

絞り出すように請うのは、無垢な願い。

少しでも、恐怖から逃れたいと、不安を和らげたいと願う根源的な祈りだ。

 

「──ああ、もちろん」

 

それに、答えない訳が無い。

ゆっくりと差し伸ばされる手を、両手で包み込む様に握る。

 

「あったかいね……」

 

「そっか」

 

辞めてくれよ、そんな事言うの。

まるで、まるで。

 

 

もしも、この世に神が座すのならば───

 

硬く目を閉じ、今もその身を襲う苦痛に耐えている結芽を目の前にして、そう願わずにはいられない。祈らずにはいられない。

 

だが、願いも祈りも天上の神には届かず──替わりに来たのは、人の皮を被った悪魔だった。

 

 

「失礼する」

 

黒く、鋭い刃を思わせるような長い髪。

白い軍服じみた服に身を包むのは、この国の国民なら大半が知っているで有ろう人物。

 

「折神……紫…」

 

その人が、そこには立っていた。

 

「何故……「燕結芽」

 

僕の問いには目もくれず……いや、実際この人は僕の事は一切見ていない。

眼中にない、と言うべきか。

 

「お前の命……後少しだけ猶予が得られるが、どうする」

 

「……は?」

 

何を言っているんだ?

どれだけ手を尽くしても、延命すら不可能だったのに。

折神紫は、何を知っている?

 

「それは──「私は今、燕結芽と話をしている。少し静かにして貰えるか」

 

まるで射殺すよう。

有無を言わせぬ、とはこの事か。

思わず息を呑む。

 

「私の手を取り()()を打てば、刹那に等しい時間だが……再びお前は輝ける」

 

そう言ってポケットから取り出したのは、紅く煮えたぎる様なナニカ。

まるで、まるで───

 

「……ノロ」

 

「そうだ。根本的な解決にはならんがな」

 

僕の代わりに、結芽の呟きが聞こえる。

折神家は、いや、この女は、一体何をしているんだ?

 

「──結芽」

 

「決めるのは本人だ。保護者とは言え、口を出されては迷惑だ。……外してくれるか」

 

正論だが、無茶苦茶な暴論でもある。

はっきり言って何言ってんだこの女、と叫びたかったが、それが通るのが折神家。

 

わかった、と場を外すしか無かった。

 

 

◆◆◆

 

 

「さて、どうする?再び輝くか、このまま弱い自分を最期に遺したまま消え去る、か。二つに一つだ」

 

折神紫は、威風堂々、と言う言葉が似合う、絶対者の視点から燕結芽を見据える。

事実、決定権は結芽の側に有るが、生殺与奪は折神紫が握っている。

 

 

「わたし…は……」

 

燕結芽は迷う。

ノロを入れてまで、誰かに己の凄さを見せたいのか、と。

もしも、最初から兄が居ないので有れば、自分を勝手に見放した者達への意趣返し。謂わば復讐としてこの手を取ったであろう。

 

しかし、兄は別だった。

凄くても、凄くなくても、兄は側に居たのである。

最後のその時まで、居てくれるのである。

 

だけど、少しだけ。

もう少しだけ、兄と居られるなら。

 

もう一度、頭を撫でてくれるなら。

もう一度、抱きしめてくれるなら。

 

逆に、抱きつくのもいいかもしれない。

 

(あ────)

 

強い敵を倒して、凄い所を見せて。

 

もう一度、褒めて欲しい。

 

……もう一度?

 

その時、ふとある事に気付いた結芽は、自らの記憶を辿る。

辿って、辿って。

さながら走馬灯を回すように。

 

でも、それでも。

 

今まで、一度も────

 

「ほめて……貰ってない…」

 

燕結芽は気づく。気付いてしまった。

 

周りの歓声と言う名の雑音に紛れていたので無く、そもそも。そもそも。

喜んでいた記憶はあれ、今の今まで一度も。

 

「お兄ちゃんに……まだ、褒めて貰ってない……!」

 

これがもしも、死の淵ならば悔やんでも悔やみきれない。

怨霊となって化けて出る勢いだった。

 

しかし、今は違う。

 

「決めた」

 

「そうか」

 

まだ、出来る。まだ、もう少しだけ、やり直せる。

 

私は、私は────

 

 

◆◆◆

 

 

 

ノロを体に取り込む事によって、結芽はまた──と言っても、ほんの少し、少しの猶予なのだが、刀使として動ける様になった。

 

嬉しいやら、悲しいやら。複雑な気分ではあったが。

 

その実力はやはり本物だったようで、今では折神紫の親衛隊第四席……に収まっている。

 

第四席とは言うが、実際は「私の方が全っっ然!他の子よりも強いもーん!」だそうだ。

しかし、席順は親衛隊加入順だったので、後に不満げにしていたのを思い出す。

 

 

結芽が早々に親衛隊に抜擢された時、すごいじゃないか、と頭を撫でつつ褒めた……思い返せば、その時初めて褒めた、と言う事になってしまったが。

 

兎に角、その時に褒めた時は、「でしょー?私は強くて凄いんだもん。だから…だか……ら……うっ…ぐすっ……ぅう……」

 

「結芽!?」

 

「ううう…っ……やっと…やっと……褒めてくれたね………私…私……」

 

「………あっ」

 

結芽がノロを打つ事を決めたのはもしや僕のせいなのでは?と悟り、今でも降ろせない罪悪感を胸に抱く事になった。

 

そんな僕は、「ノロを利用している事を知ったのだから、わかるな?」と言う事で、大学はそのまま辞め、折神家に飼い殺されている。

 

家への対処は折神家の方で全部やってくれたのは素直に有り難かったが。

 

僕は結芽の側に大抵は居る為、嫌でも折神家のブラックさを目の当たりにする事になっている。

 

とは言え僅かな猶予が出来たので、そこそこの立場を利用し四方八方手を尽くしてどうにかこうにか結芽の病気を治せないか調べまわっている。

 

………見つからない、けど。

 

 

「あー、もう暇ー、つまんなーい!」

 

そう言って部屋に入って来たのは、結芽。

ありがたい事に個室を与えられている。

結芽の分も別に有るには有るのだが、使われる事はまず無い。

必ず此処に結芽は来る。

 

 

「こんなんじゃお兄ちゃんに褒めてもらえなーいー!」

 

駄々をこねる結芽。

まるで子供の様……子供なのだが。

 

「本人目の前にして言わなくても……」

 

苦笑する。

初めて褒めた時から、事あるたびに褒めて欲しい、とねだる様になった……なってしまった、と言うべき、なのだろうか。

 

個人的には、危険で、命を削る刀使はもうして欲しくないのだが……

何分、ノロが無いと生きられない。

 

だからこそ、なんとか出来る方法を探しているのだが……

 

「おにーちゃーん!!」

 

結芽は飛び付く様な勢いで抱きついてくる。

当然、そのまま抱きしめ返す。それが恒例の行事になりつつ……いや、なっている。

 

それは別に構わないのだが、衆目を憚ること無く抱きつくから困る。

 

 

折神紫や、他の親衛隊の「仲が良いのだな」と微笑む獅童真希や、「ふふ」と愛想笑いで済ませる此花寿々花。そもそも何考えてんのか判らない皐月夜見は兎も角。

 

高津のおば……鎌府の学長が一瞬だけ此方に目線を向けただけで、何も言わないのが一番気味が悪かった。

一番なんか言って来そうなのに。

 

 

同じく鎌府の沙耶香ちゃんが何やら羨ましそうに見ている様な気がするのは多分気の所為だろう。

いやでも鎌府真っ黒だしな、うん。

試験管ベビーとかだったらどうすんだよ、とは思う。

 

 

「お兄ちゃんはなに考えてるのかなー?」

 

「こら、人が考え事しているのを読むんじゃありません」

 

「えー、だってさー」

 

「私が居るのにお兄ちゃんが別の事考えてるんだよ?嫌だよそんなの」

 

「あー……ごめん」

 

「もう!ちゃーんと、私の事、見ててよね?おにーちゃん」

 

結芽は上目遣いで、笑いながらそう言い、それから。

 

「私がいなくなっても、結芽の事、覚えててね」

 

壊れそうな雰囲気を醸し出しながら、今にも消えてしまいそうな声音で言う。

 

「……縁起でもない事を言わないでくれ」

 

「………それは、わかって…いるけどさ。やっぱり……」

 

「わかったから。わかったから、な。ちょっと休もう、な?」

 

今の結芽には、躁鬱傾向が見られる。

自分の余命は、ほんの少しだけ伸びただけ、と言う事を理解しているので、時々発作が出てしまう。

 

そんな時は、強く抱きしめて、寝かしつける。

それの繰り返しを過ごしている。

 

人はいつか必ず死ぬ。

だが、結芽は早すぎる。余りにも早すぎる。

 

こうして腕の中で小さな寝息を立てて寝ている彼女が、数年持つか持たないか、なんて思うと気が可笑しくなりそうになる。

 

僕も、病気なんだろう。

 

「済まない、結芽は……ああ」

 

ノックもそこそこに、鎌府付近にある自宅……その部屋に入って来たのは獅童真希。

結芽に用事がある時は大抵此処に来る。

 

最初こそはノックと言うか、呼び鈴を鳴らした後、こちらがドアを開けるのを待ってくれてたのだが、最近はどこで合鍵を手に入れたのか、自分でドアを開ける様になった。

 

………今は鍵の交換を検討している。

 

「また、か」

 

獅童は沈痛な面持ちで呟く。

 

「ああ」

 

「済まない、ボクも探しているのだが……」

 

「いいよ、気にしなくて。合衆国の方を当たっても無いんだ。今の医学じゃあ──」

「そんな事は!」

 

大きな声を出す獅童。

彼女もまた、どうにかして結芽の病気が治らないか、と真剣に考えている人の一人だ。

以前、どうしてなのか、と聞くと、「目標が勝手に消えられると困る」とは言っていたが、多分根はとっても優しい子なのだろう。

 

「しーっ、声が大きい」

 

「あ、す、済まない」

 

結芽が起きてしまいかねないので、注意する。

恐る恐る結芽を見ると、変わらずかわいい寝息を立てているので一息をつく。

 

「………後、どれぐらいだろうか」

 

「一年無い、だろうって」

 

「……どうして、そう平然を装えるんだ?」

 

此処で平気なのか、とは聞かないあたり、気配りが出来る子だと感心している。

 

「結芽の前だから、かな」

 

「そう、か」

 

「そういうものだ……所で、結芽に何の用が?」

 

「……いえ、すみません。忘れました」

 

「ありゃ」

 

嘘だな。

態々此方に配慮してくれたのだろう。

それ程重要な事と言うわけでもなさそうだが。

 

「……御伽噺に出て来る様な、薬でも有ればいいのだが」

 

「無いから御伽噺なんだ。無い物ねだりしても、な」

 

場の空気が重くなる。

「では、また来る」と気まずさに耐え兼ねて、真希の方が出て行った。

 

「ほんとな、そんな薬が有れば、な」

 

神話にはそれ程万病の薬、と言うものは出てこないが、龍の鱗を煎じて飲む、など民話等には数多く登場する。

 

そんな万能薬が有れば、有れば……と。

一度は失いかけている分、余計にそう思う。

 

「ノロの力も付け焼き刃に過ぎない。あの野郎ホント余計な事しやがって」

 

命の恩人であり、下手に希望を持たせた分余計にタチが悪い。

 

(全てが明るみになる事があったら、どうなるのか)

 

少なくとも、タダでは済まないだろう。

いくら日米両政府が噛んでるとはいえ、限界がある。

人類の敵……と思われている存在に転がされているなんて、国民感情が許す訳がない。

 

「どの道、詰んでるのかね。僕らは」

 

 

 

その後、起きた事件。

 

御前試合の決勝戦の事だった。

出場選手たる十条姫和が、折神紫を襲撃。

失敗に終わるも、衛藤可奈美と共に逃亡。

それに伴い、全国各地に潜伏する舞草の活動が活発化。

 

そして、結芽の命のカウントダウンが始まる。

 

全てが潮時、なのだ。

 

 

それに加え、糸見沙耶香及び柳瀬舞衣との交戦から帰って来て以来、結芽は時折肺の辺りが痛む様になった。

 

その頃から、僕は結芽の居ない時にストレス性の嘔吐を繰り返している。

 

結芽の前では絶対に悟られまいと気丈に振舞ってはいるが、最近は血も混ざってきている。

 

その事を知った獅童は定期的に胃薬を送ってくるし、此花は精神科への受診を勧めてくる。

精神科にかかってどうこうなる様なもんじゃない。

どうしようもない所まで来ているのだ、と一人自嘲する。

 

「ただいまー」

 

長船から結芽が帰ってきた。

不満気にしている様子を伺うに、結芽曰く一番強い千鳥のおねーさん───衛藤可奈美には、逃げられたのだろう。

 

「もー、つまんなーい!どいつもこいつも逃げてばっか!」

 

「そりゃあ逃げるでしょ、向こうの本命は折神紫(大荒魂)なんだし」

 

「それは、そうなんだけど……」

 

「千鳥のおねーさんは多分いちばん強い。だから、おねーさんを倒せば、私は……」

 

「結芽。頼むからさ、もう」

 

「……いくらお兄ちゃんの頼みでも、こればっかりは譲れない、かな」

 

なんだかんだで、結芽も刀使、なのだ。

実力を証明したい。

その気持ちは、理解は出来る。

 

「そう、か」

 

「うん」

 

「わがままな、私でごめんなさい」

 

理解は出来るが、感情が納得いかない。

泣いて懇願すれば、結芽は行くのを辞めてくれるのだろうか──なんても思う。

 

「わがままなのは、昔っから知ってたよ」

 

「ちょっ!なによそれー!」

 

けれど、それはしてはいけない。

遅かれ早かれ、結芽の命はもうじき燃え尽きる運命。

 

ならば、本人のやりたい様にやらせるのが、一番だと、思い……たい。

 

「来るとしたら、多分今日の夜中だと思う」

 

「思ったより早いんだな」

 

結芽の命も。

あの様子じゃ、多分。

 

「うん、向こうも焦ってるからねー」

 

焦っているのはどっちなんだ。

喉元まで出かけた言葉を必死で呑み込む。

 

「だからさ、戻って来たら、いーっぱい褒めてほしいな」

 

そんな事を言う結芽は、このまま、もう居なくなるのか、そんな風に、思うと。

胸が張り裂けそうになる。

 

「勝てばな」

 

「当たり前じゃん、私は強いんだよ?」

 

だから強がる。

自分で自分を押し殺し、仮面を被る。

そうでもしないと、先に僕の方が限界を迎えてしまいそうだから。

 

「……ごほうび、期待してるね、おにーちゃん」

 

「僕に出来る事なら、何でもするよ」

 

ああ、出来る事なら。

本当に、帰って来てくれるのなら。

僕は、何だってするさ。

地獄の底に堕ちたって、構わない。

 

「じゃあ、そろそろ。時間、だから……」

 

「うん、結芽。いってらっしゃい」

 

「………いってきます」

 

これが最後の会話になるのだろうか。

そう思うと、今すぐにでも泣きたくなるし、叫びたい。

 

「あ、そうそう」

 

結芽は、何かを思い出したのか、ドアの前で踵を返す。

 

「だいすきだよ、おにーちゃん」

 

花が、桃が咲いたような。

一瞬の春を思わせる、儚くも凛とした笑顔。

最後にそんな表情を見せて、今度こそ部屋から出ていった。

 

「……なんだよそれ」

 

最後の最後にそれはズルいだろう。

本当に、本当に。

 

「わがままな子だよ、お前は」

 

もう、限界だった。

そのまま膝から崩れ落ち、声を上げて泣き叫ぶ。

僕は、最後までダメな兄だった。

 

「……一人には、させないからな」

 

◆◆◆

 

 

 

時は少し進み。

 

(うう……)

 

結芽は、限界を迎えた身体を引きずるようにして歩いていた。

 

(こんな事、なら……いや。それはダメ)

 

こんな形で。

自ら弱いと断じた者達に邪魔されて、千鳥のおねーさん(衛藤佳奈美)との決着もつけられないと知っていたら───とふと思ったが。

 

それは、制止を振り切ってまで向かった自分に。

何より、兄に対しての裏切りになるから。

それは、自分の方が弱いと、暗に言ってるように思えるから。

 

「でも……」

 

視界も自然と霞み、石灯籠にもたれかかる。

もうすぐ、自分の命は尽きる。

そう自覚している。

ここで、終わりなのだと。

 

「最期は、側に……いて、欲しかった、なぁ……」

 

短くも、それなりに満ちた人生だったが……

後悔は、尽きなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完全にお亡くなりになられたのが確定してしまいました。
ちょっともう悲しすぎる

こっからはとじみこ時空でも行くんじゃないんですかね

てか結芽ちゃんって循環器系の病気だったのね……


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幕間 その1

結芽ちゃん爆死です



「あー!もー!どうして私ばっかお留守番なのー!」

 

上等な革で出来たことが一目でわかる、重厚な椅子。

それに堂々と座る少女──燕結芽は、今回の親衛隊派遣で、自分のみが留守番な事に不満を抱いている。

 

「こんな時に限ってお兄ちゃんはどっか行っちゃうし…………そう言えば、お兄ちゃんどこなんだろ」

 

珍しく、朝からふらふらと何処かへ行ってしまった兄。

荷物の量的には、鎌府からは出ていないと推測は出来たが。

 

「よっと」

 

結芽は、椅子から飛び出るようにして降りる。

名案が思い浮かんだのだ。

 

「探しに行こっと!」

 

丁度いい暇つぶしも兼ねれるし、純粋に興味がある。

結芽は部屋から出ると、やや浮かれながら兄を探しに行くのであった。

 

「ふんふふんふふん♪」

 

鼻唄混じりに鎌府の広い敷地を歩き回る結芽。

 

が、しかし。

 

「………………」

 

目ぼしい場所は粗方探し終えた。

それなのに、何処にも居ない。

それどころか、影もない。

そうなると、段々と機嫌も悪くなると言うものだ。

 

その時、ふと頭を過ぎるものがある。

 

「……まさか、外に出た?」

 

私に言わずに?何故?どうして?

突然、得も言われぬ様な不安が押し寄せる。

不安は次第に焦燥、恐怖、絶望などと言った、暗いモノを次々と呼びよせる呼び水となる。

 

「紫様からは外に出るなって言われてるけど……」

 

「ま、別に良いよね」

 

そうと決まれば話は早い。

一刻も早く、見つけ出さねば。

暗いモノを無理矢理押し付けて、単身外へと向かう。

 

「おにーちゃーん……居ないなぁ」

 

口ではさも何でもないように言っているが、その実不安で堪らない。

自分を見捨てた両親(パパとママ)の様に。

もう二度と、帰ってこないのではないか。

一抹の不安は、次第に根拠もないのに確信めいた不安へと肥大化して行く。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。どこなの?私、そろそろ寂しくなっちゃったなーって……」

 

足取りは重く、覚束ない。

周囲の風景が、急に色褪せて見え始めているのは、見間違いなのだろうか。

頭の中が掻き混ぜられたような気分。

実際、動悸も早くなっている。

 

「…………やだよ」

 

ポツッと口から漏れ出る弱音。

自分は強い。

弱い自分は何処にも居ない。

そう思って憚らないが、しかし、事実は違ったのだ。

 

「………やだよぉ…そんなの……」

 

しゃがみ込み、とうとう泣き出してしまう。

本来ならば、この時点で本部に戻るのが適切なのだろうが、そんな思考は全然浮かばないし、思いもしない。

 

只々、悲しくて、哀しい。

まるで、御刀で心臓のあたりを貫かれたよう。

実際には、そんな経験は一度も無いのだが。

胸が張り裂けそうで。

 

涙を必死に堪える。

それでも、全然止まってくれなくて。

両手で拭うのが関の山だった。

 

そんな時。

 

 

「…………結芽?」

 

「!!!」

 

とても良く聞き慣れた、聞き間違え様が無い声が背後からする。

 

「…あ…ぁ、っあ………」

 

お兄ちゃん。

振りむきざまに、声に出して叫びたいけど、泣き噦っているから、喉は上手く音を声に変換してくれない。

手を伸ばそうにも、震えが止まらない。

 

「一体どうし……ホントにどうした!?」

 

しゃがみ込んで、黙っている結芽を不審に思ったので、回り込んで良く見ると泣いている。

驚くのも無理はない。

 

「お、にっ……いっ」

 

目の前に移動したのに気づいたのか、顔を上げる結芽。

頬は赤く染まり、目からは溢れんばかりに涙が流れている。

そして、途切れ途切れになる、言葉にならない声。

 

「………ごめん、僕が悪かった」

 

それらの事実から何があったのかを大体把握すると、一言謝ってから、そのままに抱き締める。

 

「おにっ、い……ちゃ」

 

「うん、わかったから。とりあえず戻ろっか」

 

未だ泣き噦る結芽を撫でるなりしてあやしつつ、どうにかこうにか移動させようにも、腰が抜けてしまったのか歩けない。

仕方ないな、と苦笑しつつ抱き上げる。

 

(大きくなったな……抱っこし辛い…)

 

などと感慨深いものに浸りつつ、鎌府に併設されている本部へ戻るのであった。

周囲の目が、やけに暖かかったのは気のせいだろう。

 

 

◆◆◆

 

 

「えーと……」

 

本部に戻ってからも、暫く泣き続けていた結芽を何とか落ち着かせてから話を聞いた。

 

「結芽、突然待機になっちゃったのね……」

 

昨日、親衛隊が何処だったかは覚えてはいないが、派遣されるって話を結芽から聞いていた。

その事を踏まえ、昨日の時点で外へ出るような仕事を貰って来たのだが、まさか土壇場になって規模が思ったよりも小さいと言う理由で結芽が残留組になっていたとは思ってもいなかったのだった。

 

「うん……」

 

所在なさげに頷く結芽。

落ち着きを取り戻してはいるが、大分気が滅入っている。

 

「今回の件は全面的に僕が悪かった」

 

「………どこ」

 

「うん?」

 

「私置いて、どこに行ってたの」

 

一瞬、目が虚に見え───否、実際目が虚になっている。

もしも御刀がその手に握られていれば、刺し殺すのでは、と考えてしまう位には危ない目だった。

 

それに、やましい事は何も無い。

案じる事も、隠す事も無かった。

 

「買い物だよ。書類運搬ついでにな」

 

「買い物?」

 

書類運搬は良くある事だ。

データ化、更に高度なセキュリティ化が進んだ現代社会。

 

それに置いて、最も機密性の高い保存方法が未だに紙なのは、皮肉な事でもある。

どっかの省庁も未だに手書きで書類がやり取りされている……らしい。

 

 

能力は平凡だが、放っておくには知り過ぎていると言った立ち位置から、折神家に飼い殺しに近い状態にはなってはいる。

が、流石に何もしないと言うのは士気に関わったりと色々と面倒だ。

 

なので、そう言ったような最低限ではあるが、そこそこ重要、と言った微妙な仕事が回ってくる。

その事を知っているためか、特には触れてこない。

 

「うん、買い物」

 

「買い物って……その袋?」

 

机の上にある袋を指差す結芽。

虚だった目は、元の輝きを取り戻していた。

 

「そうだよ」

 

「ふーん……何買ってきたの?」

 

「いちご大福。本当は帰ってきた時に、って考えてたんだけど……

 

「ほんとう!?」

 

いちご大福は結芽の好物である。

その証拠に、目の輝きが増している……様な気がした。

 

「本当。ハイこれ」

 

「あ!これって中々手に入らないやつじゃん!」

 

「あ、やっぱり知ってた?」

 

「知ってるも何も、何度か行ったけど必ず売り切れてたんだもん」

 

「そんな人気なのか……」

 

思わず、そんな呟きを零してしまうのを、結芽は聞き逃さなかった。

 

「え?お兄ちゃん知らなかったの?」

 

「え!?あ、いや。知ってたよ?知ってたとも」

 

明らかに知らない、と言うか。

昔から、嘘が下手すぎる、とでも言うのだろうか。

 

「絶対知らなかったでしょ……お兄ちゃん」

 

「はい、知らずに買いました」

 

「……だよね…お兄ちゃんはそう言うの調べる暇とか無いもん、ね……?」

 

だいたい私が側に居るし。

兄の事は誰よりも知っているのです。

そんな優越感にも似た何かを持っている。

 

だが。

 

「……………」

 

どこか違和感を覚える。

なんだ、なんだこの感覚は。

具体的には、誰かの影を感じる。

 

「結芽、どうした?」

 

「ねぇ、お兄ちゃん。本当は誰から聞いたの?」

 

「うん?あー……夜見ちゃん、からかな」

 

「あー!やっぱり、そうだよね!そーゆーの知ってるのって、夜見おねーさんくらいだもん」

 

面白くない。なんだこの感じ。

私のお兄ちゃんが、私の知らないところで色んなことを覚えて。

 

それは別に良い、ハズ。でも、なんかムカツク。

胸にモヤモヤと縹渺としたモノがかかる感覚がする。

 

「真希は……あー…うん、アイツは兎も角。寿々花はこの手の知らないのか?」

 

「うーん、寿々花おねーさん、お嬢様過ぎてそーゆーのはちょっと疎いからねー」

 

真希おねーさんは杏仁豆腐間違えるし。

 

「あぁ……そういう」

 

私の知らない所でお兄ちゃんが何をしてようとそれは自由だけど。

そう、他の親衛隊の子と一人で話すのは、なんかヤダ。

 

嫉妬にも似た──事実嫉妬なのだが。

表情には出ないように、明るく振る舞う。

 

「ふふん。ありがと!嬉しいよ、お兄ちゃん」

 

嬉しい。嬉しいのは事実だ。

それは間違いない。

だが、皐月夜見(他の女)から聞いたもの、と考えると、途端に────

 

「ほら、いっしょに食べよ?」

 

「ああ、そうするよ」

 

私の命は長くない。

お兄ちゃんの事を考えると、私だけ……ってのは良くないのは頭ではわかっている。

でも、それでもやっぱり。

 

私の事だけを、見て欲しい。

 




書けば出る事を祈る


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幕間その2

だから結芽ちゃん出ないんだけど


時に、僕はこの警視庁刀剣類管理局折神家本部、及び鎌府女学院内に於いての評価は割と宜しくない。

 

大半の職員に燕何某ってどんな人か、と聞いてみよう。

すると、大抵は燕結芽()おまけ(付属品)と答えが返ってくる事だろう。

事実と言えば事実なので、特に否定もしないが。

 

まあでも、本部の職員は一応社会人ではあるので、自分の不利益になる様な事はしたくないからか、実害は無い、と言うかゼロである。

 

問題は鎌府の娘達である。

 

本部も鎌府の人達は僕が妹と居ることに関しては割とどうでも良いと言うか、特に何かある事はない。

時たまこっそりと写真を撮られるくらいだ。

 

だが、ここで結芽の立場を思い出してみよう。

折神紫親衛隊第四席───それが燕結芽の世間的評価である。

いくら、僕自身がそんな事を気にしなくても、世間はそう見る。

その兄、と言う事はだ。

 

つまりは必然的に僕は他の親衛隊と関わる事がそこら辺の学生より多い。

この事が親衛隊ファン過激派とでも言うべき刀使達の───妬み嫉み憎しみ羨望殺意と言ったような、あらゆる負の感情を向けられる理由になる。

 

お陰で、親衛隊四人が出撃してしまった時は、色々と苦労が絶えない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……チッ」

 

舌打ち。

「あぁ、コネの…」

からのギリギリ聞こえる声で陰口。

 

めっちゃ怖い。

 

「獅童様に近づく不埒者」

 

「寿々花様に手を出そうとする下衆」

 

と言うのも、こんな風に刀使の子達からは認識されている。

自分から近づいた覚えも、手を出そうとした事も考えた事も全くない、と言うのに。

 

思わず溜息が出る。

良く、溜息をすると幸福が逃げるとは良く言ったものだ。しかしながら、今が不幸のどん底なので、それは無い───

 

「すみません、余所見をしていたものですから……」

 

「良いんです、こちらも悪いんですから」

 

突如、背後からの襲撃。

書類の束が宙を舞う。

 

前言撤回、どうやら幸福が逃げて行ったようだ。

 

「あー…ごめんなさい、この後任務があるので……」

 

「いえ、お構いなく。このまま行かれて下さい」

 

「……すみません」

 

と手口がアレ。

ぶっちゃけもう持たない。

 

獅童派と此花派が共闘を始めた際には、傍観中立を決め込んでいて、僕としては非常に有り難かったのだが。

 

最近になって合流を果たしてしまった。何故だ。

この両閥は二人の仲が良くなるにつれて結束も強くなっていく……とか言う噂もある。

 

 

お陰でこの鎌府学舎内の地理には、誰よりも詳しいと言う自負がある。

ひたすら人を避けるために……まあ、避けられない時もあるんだけれど、設計図に載って無い部屋に逃げ込んだり、道を通ったりするのもお手の物。

 

 

 

「と言うわけで、男性職員を増やして……」

 

「折神家の本部とは言え、鎌府は女子校だ。これ以上は無理がある」

 

「本庁は……」

 

「ここで何をしているか、知らぬ筈も有るまい?」

 

「そうですね」

 

強まる視線の圧。

彼女(タギツヒメ)は別の次元に存在しているのだと強制的に認識する。

 

「それに、今し方親衛隊の方も戻る」

「そうですか。……所で、ご存知なら止めるなりして頂けると非常に有り難く……」

 

「……一体どれだけの刀使を処分対象に上げれば良いのだろうな」

 

「ですよねー」

 

頭を掻く。

仕事辞めようかな、いろいろ無理だろうけど。と口の中で言葉を留める。

 

「諦めろ。死にはしないだろう」

 

「人間、特に男は脆いんですよ……特に僕」

 

「まあ良い。……所で、舞草の動きは?」

 

折神紫───否。

大荒魂タギツヒメの眼が緋く煌く。

その圧倒的な迄の圧によって必然、肌は粟立ち、背筋は凍りつく。

 

此れこそ正しく悪鬼羅刹の禍神である、と再認識させられる。

 

「さあ?僕は舞草の人間()()()()ので。それに、別に言わなくてもご存知なのでは?」

 

内心、気圧されてはいるが、おくびには出さず、回りくどく話す。

それすらも予定調和、と言われればそれまでなのだが。

 

「一面的な情報は精度を欠く」

 

「………だから言え、と?」

 

「色々と便宜を図ってやるが?」

 

「便宜、ねぇ……それなら、結芽の病を治す方法の一つや二つ、見つけて頂きたいモノですな」

 

心の底から思う事だ。

もしも結芽の病気が治るのであれば、喜んで悪魔にすら魂を売るし、地獄の底で燃やされようとも構わない。

 

 

「舞草に近づいたのはそれが理由か?」

 

「ええ。でも、舞草でも無理でしたけどね」

 

真希や寿々花の会話の中にも度々出てくる舞草。

 

折神紫の正体がタギツヒメと知り、その上で叛旗を翻す為にアレコレやっている組織にして、S装備の開発者たるフリードマンが在籍する組織だ。

 

何か結芽を治す手掛かりがあるかも知れぬ、とスパイ容疑をガッチガチにかけられながらも接触した事が有る。

 

一応、フリードマンは合衆国に居る友人に問い合わせてはくれた。

しかし、無情にも治療は難しい。と言う結論だった。

 

「それに、どちらにも情報を流さないって約束しましたし?裏切れって言うんだったら……さっさと持ってこいよ、治療法」

 

しっかりと、目を見据える。

はっきり言って子犬が狼を睨むようなモノなのだろうが……それでも、譲れない意地がある。

 

「時間の無駄だな」

そう呟くや否や、空間を占有していた禍々しい空気が霧散する。

 

「好きにしろ。どうせ大勢は変わらん」

 

「そりゃどうも」

 

わざと悪態を吐く。

出来れば、二度とこんな場面には遭いたくないな、なんて祈りながら。

 

 

「たっだいまー!」

 

「あっ、おい結芽!」

 

部屋の扉が勢い良く開け放たれたかと思うと、結芽が入って来た。

それを咎める様に、同じく入って来た真希が制する。

 

「あれ?お兄ちゃん、なんでここに?」

僕を見つけた結芽が尋ねてくる。

 

「圧迫面接……かな」

 

「ふーん。なんか大変そうだね」

 

「……実際、大変だったよ」

 

「ちょっと二人共!?紫様に不敬では無くて!?」

 

驚いた寿々花が大きな声で咎める。

確かに不敬なのだろうが、中身を知ってる者としてはそれ位許して欲しいものだ。

 

「良い、寿々花。……私は屋敷へ戻る。皆も下がって良い」

 

折神紫は個々人のそれぞれの了承の返事を聞き終えると、執務室を後にした。

 

 

「今、紅茶を出しますね」

 

折神紫が執務室を後にしてから、始めて動き出したのは夜見だった。

「どうぞ、座っててください」と他の三人に促しつつ、手慣れた所作で紅茶を淹れる。

その様は、実に絵になると言うか、瀟洒と表そうか。

 

淹れ終わる頃には、部屋一帯に紅茶の香りが漂っていた。

 

「……セイロン…に何かブレンド…してる?」

 

「!わかりますか」

 

 時々ドマイナーな茶葉を仕入れてくるけど、これはわかった。

少しは驚いてくれたのか、夜見の目が僅かに大きく開かれた。

 

「一応。何と、まではわからないけど」

 

「……でしたら、今度お教えしま「はいそこー、ストップ!」

 

すると、結芽が会話に割り込んで来た。

 

「もー、お兄ちゃん!よみおねーさんと二人で私のわからない話しないでよね!」

 

隣に座りつつ、如何にも私は不満です!と自己主張しているのか、唇を尖らせている。

 

「そんな事で怒るなんて、結芽はまだまだ子供だな」

 

真希が苦笑しつつ発言する。

隣の寿々花も微笑ましく見ているような視線だ。

 

「あー!またそうやって子供扱いして!」

 

結芽がむくれた顔をする。

思わず頭を撫でようと手が伸びる。

 

「お兄ちゃんまで子供扱いするの!?」

 

「あっ、ごめん。嫌だったか?」

 

「えっ。あっ、いや……別に、嫌…とは言っては、いないんだけど……ね?」

 

頬は朱が差し、手を後ろに回し体をよじらせている結芽。

「はいはい」と言いつつ期待に添うようにちゃんと頭を撫でる。

 

視界の隅では寿々花が顔を伏せ、肩を震わせている。

真希は相変わらず苦笑いしていた。

 

「どうぞ」

 

そんな時に夜見が紅茶を出してくれる。

結芽はまだ少し、紅茶が苦手そうだが。

 

しばらくすると、結芽がこんな事を聞いて来た。

 

「そういえばさー、お兄ちゃんは大人の条件って何だと思う?」

 

「突然だな」

 

「いやー、おねーさん達からは納税口調背の高さーって意見があったんだけど、お兄ちゃんはどう考えてんのかなって」

 

「大人、ねぇ……」

 

「そんなの、わからないなぁ」

 

「わかんないの?」

 

「大人の癖して子供みたいな人もいれば、子供の癖に大人びてる人もいるし……老人になっても子供の様な好奇心を持ち合わせている人だっているし……うーん、何なんだろうねぇ、大人って」

 

「お兄ちゃんは、自分の事大人だと思う?」

 

「いや、全く。出来ないことが多過ぎて、何が出来ないのかもわからないのに、大人って名乗るのはどうなんだって思うよ」

 

多過ぎる、と言うのは違う。

正確には大き過ぎる、のだが。

そこは言わない、言うわけ無いが。

 

 

「よくわかんないや」

 

「僕もわかんないな」

「……そういえばさ、前に親衛隊のみんなで温泉いった事があってさー」

 

話は変わり、ふと親衛隊結成初期の頃の話を持ち出す結芽。

 

 

「ああ、懐かしいな」

 

「ありましたわね」

 

「……はい」

 

三人共に懐かしいのか、感慨深げな表情を浮かべる。

しかし、その後結芽が爆弾を投げてくるとは、その時の僕では知る由もなかった。

 

 

「そしたらさー、おねーさん達、みんなおっぱい大きくてさ───」

 

「ん"ん"っ"」

 

飲み込んだ紅茶が気管支に入り込みむせる。

 

その上、鼻の方にも逆流し、陸なのに、溺れかけているという状態に刹那にして叩き込まれた。

 

「ちょっ、ゆ、結芽!?何を言いだすんですの!?」

 

「さ、流石にその話はどうかと思うぞ、結芽」

 

寿々花、真希共に驚いたのか紅茶を吹き出しかけるが、そこは流石かちゃんと飲み込んだ。

 

因みに夜見は「大丈夫ですか?」と背中をさすってくれた。

 

「ねぇ、燕さん。結芽の教育、どうなってらして?」

 

結芽では無く、此方をタギツヒメにも劣らぬ眼力で睨みつける寿々花。

 

「どうなんですの?」

 

「もー、寿々花おねーさん、どうしてそんな怒ってんのさ。何かおかしな事言った?」

 

一瞬の沈黙。

空気が凍るとはこの事を指すのか、と現実逃避したい僕の頭はそんな事をぼんやり考えている。

 

 

「……無自覚、なるほど。真希さん、結芽は任せましたわ」

 

「ああ、任された」

 

真希が立ち上がり、結芽の方へと向かう。

 

「場所、変えますわよ」

 

「……はい」

そして、寿々花はとても人の温かみを感じさせない、能面のような表情をしていた。

 

「あっ、ちょっ「はい、結芽はボクから話があるからね」真希おねーさん!?なんかいつもより力強い……」

 

両肩をがっちりと掴み、結芽を動かせまいとする真希。

 

 

「あの、少し待っては……」

 

その時、事態を傍観していたと思わしき夜見が、口を開いた。

 

 

「夜見?どうしたんですの?」

 

「まだ、結芽の話が終わってなかったものですから。早計に有罪と決めつけるのはどうか、と思いまして」

 

この弁護人無しの有罪確定裁判に弁護人として名乗り出たのは、意外な事にも夜見だった。

まさしく、救いの手。

今の僕には、夜見が輝いて見えた。

 

 

 

「なるほど。夜見の話も一理ありますわね。それで、その…話の続き、何と言おうとしたので?」

 

「え、揉めば大きくなるって聞いたから、今度揉ん「はい、結芽。ちょっとボクと話そうね」あー!ちょっ真希おねーさん!?」

 

 

────あ、終わった。

 

ここから先は絶望しかない地獄の底。

どうやら、先程のは救いの手では無く、蜘蛛の糸だった様だ。

「行きますわよ。二度と、陽の光を拝めるとは思わない事ね」

 

さながら処刑場に連れて行かれる様な心持ちで、僕は彼女に着いて行くのであった。

 

「……………」

 

夜見は、その光景をただ見つめていた。




「あーあ。真希おねーさんも寿々花おねーさんもダメだね。そーゆーのがどんな話か位、私が知らない訳ないのに、すっかり騙されちゃって」

「ま、これでおねーさん達のお兄ちゃんに対する意識は低くなったと思うから成功、かな?……ちょっと、よみおねーさんが気になるけど、ね」

「さーて、お兄ちゃんのとこ行こっと!」


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幕間その3

(リセマラを考える顔)


いつもは結芽と一緒に出るのだが、今日は非番。僕は休みである。

 

しかしながら、荒魂と戦う刀使は、休みが余り無い。特別職国家公務員とか言う国際法もびっくりな身分だ。

まあ、刀使になれるのが若い女の子だけ、って事を考えると、ね。

 

親衛隊は身辺警護もその職分に入っているが。

 

ある日の、そんな朝。

 

「ない!……ない!乾いてない!」

 

「朝からそんな格好でどうした、結芽」

 

結芽が下着姿で部屋中を走り回っている。

一体どうした事なのだろうか。

 

「ワイシャツ乾いてなかった……!」

 

「またか!昨日の内に確認しなかったのか?」

 

「全部乾いてると思って……」

 

調子が下がり気味で、そう言う結芽。

思い返せば、良くこんな事が起きる。

 

「仕方ないなぁ………僕の着るかい?」

 

「お兄ちゃん……の?」

 

「袖丈詰めて……いや、時間ないな。安全ピンかなんかで止めることになると思うけど…大丈夫?」

 

「うん、うん!私は全然大丈夫だよ!」

 

「よし、ちょっと待って」

 

本人の了承も得られたので、ワイシャツを取りに衣装棚へ向かう。

 

こんな事がしょっちゅうあるなら、袖丈詰めたの……するくらいなら、結芽のワイシャツ買い増しした方が良いな。

本格的に出費を検討しなければ。

 

てか、アレって確か………

ふと何かを思い出しかけるが、ぼんやりとしていて形にならない。

一先ずは棚にあげる事にした。

 

「ほら、これ着て」

 

棚から引っ張り出してきた、自分のワイシャツを結芽に渡す。

 

「えー、せっかくだからお兄ちゃん着せてよー」

 

結芽はそれにわがままを言う事で答えてきた。

自然な語調で頼んできた為、わがまま、と言うよりは少し違うような気もするが。

 

 

「あんまりわがまま言うんじゃないぞ?別に良いけどさ」

 

我ながら甘い、とは思う。

だが────いや、よそう。

思考を無理矢理打ち切る。

 

「わーい!お兄ちゃん大好き!」

 

「うん、僕も結芽が大好きだよ」

 

「……………………」

 

「良し、先ずは袖通すから腕上げて……結芽?」

 

反応が帰ってこない。

石像の様に固まってしまっている。

 

「おーい、結芽ー、どしたー? 」

 

「………!あっ、ご、ゴメン!ちょっと、考え事して…た」

 

声をかけ続けると、ようやく動いた。

話が聞こえなくなるまで真剣に考える事があるのか。

少し気になったが、流す事にした。

 

「そっか。はい!腕、水平まで上げてー」

 

「はーい」

 

袖を通しやすくする為に、腕を上げてもらうよう頼む。

結芽は大人しく言う事を聞いてくれた。

 

 

「……よし、後は袖上げて……留めると」

 

安全ピンで肩側に上げた袖を留める。

応急処置気味では居るが、結芽なら上手いことやってくれると勝手に思っている。

 

「ボタン留めるよ」

 

「うん」

 

(あー……不味い。手、当たりそう)

 

ボタンを下から留めていくわけだが、その。

必然的に手が胸を掠めるかもしれない訳で。

 

そうならないように、細心の注意を払おうとするが……しかし、余計な事を考えてしまったからか、予想は的中してしまう事となる。

 

 

「…ん…っ………」

 

「…………ごめん」

 

両端の見頃を中央に寄せる際、指が胸に触れてしまう。

結芽は艶めかしい声を微かに漏らす。

 

その時、僕はやってしまったと罪悪感を抱く。

意図せずとも謝罪の言葉も数秒遅れ、何とも簡潔なものとなってしまった。

 

 

「ううん、大丈夫。気…にしてないよ」

 

ポツリ、と漏らす様な言葉。

それが気まずい沈黙を更に引き立たせる。

 

 

「…後は、自分で出来るよね」

 

最初に気まずさに耐えかねたのは他ならぬ僕だった。

沈黙を破り、逃げる様にその場を離れる。

 

「……えっ…あー……じゃ、じゃあ、髪の毛、梳かして欲しい、かな」

 

事は出来なかった。

 

「え……あ、ああ。わかった」

 

了承し、櫛を取りに行く。

内心気まずさを引きずってはいるが、向こうは然程気にして無い、と言う事なのだろうか。

 

「引っかかったりとかしてないか?」

 

結芽の長い髪を左手で優しく持ち上げ、右手に持った櫛を使って、ゆっくりと梳かす。

 

傷んだり、枝毛一つない髪は抵抗無く梳かす事ができる。

とは言え、一応礼儀として聞く事にする。

 

「うん、いつも通りだよ」

 

「それは良かった。じゃ、纏めるよ」

 

「はーい」

 

結芽のお気に入りのシュシュを使って、いつもの様にサイドテールに纏め上げる。

最早手慣れたものである。

 

「良し、出来たっと」

 

「えへへー、ありがと」

 

見慣れてはいるが、笑顔はいつ見ても良いものだ。

少し温かい気持ちになるが、それと同時にそれを塗り潰して尚余りある様な、底知れぬ不安が僕の内から滲み出てくる。

 

 

「じゃあ行ってきます、お兄ちゃん」

 

「ああ、いってらっしゃい」

 

それを悟られぬように、気丈に振る舞う。

いや、結芽は賢い子だから、ひょっとしたら気づいているのかも知れないが。

 

 

「特別職国家公務員は大変だ……」

 

結芽を見送った後、自然とそんな言葉が口をついた。その時ふと、ある事に気づく。

 

「ん?そういえば、親衛隊のワイシャツってデザイン統一されてた様な……」

 

冷や汗が一筋、頰を伝うのを感じる。

 

「……ま、今日に限った事じゃないから大丈夫…だよね?」

 

そう自分に言い聞かせる。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「御機嫌よう結芽。あら?そのワイシャツ……ああ。またですの?結芽」

 

朝、結芽が執務室に入ると、此花寿々花が最初に気づく。

当然、いつもとは違う服装にも。

しかし、いつもと()()()()()()のだ。

 

 

「なんの事か、わかんないよー。寿々花おねーさん」

 

言い訳する気も隠す気も無いのか、わざとらしい笑みを浮かべる結芽。

 

 

 

「おい、結芽。燕さんが非番の時はいつもそれだな」

 

獅童真希が咎める。

一度目ならば兎も角。何度も続くとこう目に余ると言うものだ。

 

 

「もー、真希おねーさんは疑り深いんだから。偶然だよ、偶然」

 

大袈裟に手を振る結芽。

その様子に真希の目が細められる。

 

「あのな、結芽。一応制定品だぞ、ボク達親衛隊の制服は。それだと服務規程に反してだな……」

 

「真希さん。こうなった時の結芽が聞いたこと、ありますか?」

 

事態を傍観していた夜見が口を挟む。

 

「む……夜見。それを言われると…いや、そう言う問題ではないと思うぞ?」

 

夜見の言にふと納得しかける真希。

しかし、何か違うと思い直す。

 

「そうでしょうか……?」

 

 

「それでしたら一層の事、私達の方で用意した方が早いのではなくって?」

 

「え、ちょっ」

 

話を聞いていた寿々花が、ふと思いついた事言う。

それを聞いた結芽はたじろぎ、動揺する。

 

 

「それは良い案だな、寿々花」

 

同意する真希。しかし───

 

「ヤダ!絶対ダメ!そんなことしたらお兄ちゃん非番の時は私もう来ないよ!?」

 

「やっぱり確信犯じゃないか!」

 

急転、真相を告げる結芽。

間違いではなかったかと真希は頭を痛める思いだった。

 

「はぁ……結芽、良いですこと?確かに、私達親衛隊は制服については一定の改造が認められています。ですが、中のワイシャツは最低限統一する、と言う───」

 

「何それ、私のお兄ちゃんのワイシャツ着たいってこと?」

 

説教をし始める寿々花に、結芽はジト目で言い返す。

揶揄しただけかも知れないが、語尾が上がり調子な辺り、少し怒っているかもしれない。

 

「そ、そんなこと言ってませんわ!」

 

結芽の返しに面食らった表情の寿々花は、思わず声を荒げる。

 

「こればっかりはいくら寿々花おねーさんの頼みでも絶対ダメ!」

 

「だから違います!」

 

「ハハハ、そろそろ時間だ。その話は後にしよう」

 

真希が笑いながら両者を諌める。

 

「後……?ひょっとして、真希おねーさん…?」

 

「……ボクは一言もワイシャツが着たいって言ってない」

 

「あ!今言った!言ったもん!」

 

しかし、結芽はからかうのが楽しいのか、話の矛先を真希にも向ける。

 

 

「結芽、もうふざけるのも大概によせ。紫様の出迎えに上がるぞ」

 

「無理矢理話を逸らした!へー、真希おねーさんそう言う事しちゃうんだー」

 

真希は話を流すが、結芽は尚燻らせようとする。

 

「結芽!!」

 

「はーい、そろそろやめまーす」

 

いい加減に頭に来た真希。

さしもの結芽も、これで引き下がる事にした。

 

 

「ハァ……少し、疲れましたわ」

 

寿々花が頭を抱える。

 

「…………………」

 

「……どうしたのかな?よみおねーさん」

 

沈黙を保っていた夜見に、結芽がニヤニヤしながら様子を尋ねる。

 

「別に、なんでもありません」

 

「ふーん……そうなら、別にいいけどさ」

 

本心であるかは、また別の問題だ。

 

 

◆◆◆

 

 

「今回は親衛隊四人の派遣を先方は要請している。しかし、確認されている彼我の差を考慮するに、四人は明らかに過剰だとボクは思うが……」

 

「でしたら、私が待機します」

 

真希の言に自分から買って出る夜見。

 

「良いのか?」

 

「はい。私では、余りお役に立てそうには」

 

「……すまない、夜見」

 

「真希さんが気にする必要はありません」

 

真希の謝罪を受け流す夜見。

謝罪を受ける権利はない、と考えているからだ。

 

「……わかった。では、任せた」

 

「お願いしますわ、夜見さん」

 

「ええ、寿々花さんこそ、お気をつけて」

 

「…………………」

 

二人が声をかけていく中、結芽は一人、夜見を値踏みする様に見つめている。

 

「……お気をつけて」

 

結芽の他の二人とは違う方向の視線に思う所はあるが、敢えて触れる事はしなかった。

 

 

「おねーさんに言われなくても平気に決まってるからだいじょーぶ」

 

「そう、ですか」

 

「じゃ、行ってきまーす」

 

三人を見送る。

待機中では主に書類仕事を片付けたりして、緊急時に備える。

と言っても、今回は結芽が同伴しているので、まずあり得ないが。

 

だからこそ、出来る事。

 

「……………すみません」

誰に向ける訳でもなく呟かれた言葉。

その言葉を皮切りにして夜見は、動き出すのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「いざ休みになると、やる事なくて逆に疲れる……」

 

「結芽ー…は……ああ、派遣任務か」

 

「寝るか……?」

 

「ん?誰だろ、こんな時間に」

 

と言うか来客自体が珍しい、と言うか。

人が来ないと言うべきか。

そんな悲しい事をふと思い出しながら、扉を開ける。

すると、そこには───。

「あれ、夜見ちゃん?どうしたの?」

 

皐月夜見。

親衛隊第三席にして、本日は派遣だか出張だか遠征だかで鎌府管区には居ないはずだが……

 

「その、待機になりまして…あの……」

 

待機になったと言う夜見。

なんか似たような事が以前にもあったような、と脳裏に浮かぶ。

 

「あの?」

 

「先日、紅茶の事をお教え出来れば、と提案しようとした事……覚えてますか?」

 

不安げに確認してくる夜見。

何の事かと不訝に一瞬思ったが。

 

「………ああ!思い出したよ。教えてくれるのかい?」

 

先日確かにあった、そんな事があったぞ。

途中で、結芽が話始めちゃったから、有耶無耶になってはいたが。

確かに、思い出した。

 

「は、はい。私で良ければ……ですけど」

 

「もちろん!是非是非!…あ、どこで……」

 

「一通り、お持ちしましたので……」

 

と言って大きめな箱型のケースを見せてくる夜見。中には茶器だの色々入っているのだろう。

用意が良いのは、夜見ちゃんの個性ではあるが。

もしも断られたら如何するつもりだったのか。

 

これがセールスの人だったら、何も思わないのだろう。

しかし、そのまま引き返していく夜見ちゃんを想像してしまい、急に変な罪悪感を覚える。

 

「ほら、上がってって」

 

「………失礼します」

 

罪悪感から逃げたいだけじゃないか、と一瞬嫌な思考が回る。

いけない、最近はどうも卑屈だ。

 

 

「………案外、片付いてますね」

 

「結芽も居るからねー。必然的に片付けるようにもなるよ」

 

「そう、ですよね」

 

表情に影が落ちる夜見。

声の調子も少し悪くなったように感じる。

 

 

「?まあ、台所は好きに使って良いから」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

「まず、紅茶……例えば一口にダージリンと言っても、茶園が違えば味も微妙に変わっていき───」

 

「また、摘み方、時期、発酵でも───」

 

「ブレンドをする事によって、また一味変わった楽しみ方が───」

 

 

 

 

「………奥が深い、と言うか。沼ジャンル…と言うべきか……」

 

一連の流れを踏まえて、思った感想が、それだった。

 

「沼……?」

 

「ああ、イヤ。なんでもない。喩えが悪かったかな」

 

しかしながら、その意味は伝わる事はなかったので、謝罪すると同時に、伝わらなかった事に安堵する自分がいる。

 

 

「はあ……」

 

「それにしても、さ。夜見ちゃんは紅茶が本当に好きなんだね。話は面白いし、それに淹れてくれた紅茶、全部美味しいよ」

 

何気なく伝えた感想。

それに夜見は頰を赤らめた。

 

 

「……しょ、しょしい」

 

「しょしい?」

 

聞き慣れない言葉だ。

思わず鸚鵡返しする。

 

「あ、えと、それは違くて、そ、その……」

 

「ああ、方言……出身は東北辺りかい?」

 

先程の独特な()()()から、そう推測する。

 

「!は、はい。秋田です。その、申し訳ありません……やはり不快、ですよね」

 

「何謝る事あるのさ。良いじゃん、方言使っても。かわいいんだし」

 

卑屈に自己嫌悪している夜見へ、そうではないと肯定する。

しかし、その肯定の仕方が不味かった。

 

「か、かわ……」

 

「……?……あっ」

 

とんでもない風に切り取ってしまった事に気づく。

しかし、後悔は先に立たなかった。

 

「きょ、今日は帰らせていただきます!」

 

顔を真っ赤にした夜見が頭を下げる。

 

「あ……ああ。…またおいで」

 

「……………はい」

 

一応、社交辞令としての礼儀を交わしておく。

 

 

「あぁ……やっちまった…」

 

先程の発言に、僕は頭を抱える。

 

「セクハラとか……う、うーん…」

 

親衛隊の刀使に訴えられたら負けるだろうな、なんて考えたり。

しばらく自己嫌悪に浸っていた。

 

「あ、忘れてってる」

 

机の上には、茶器が置かれたままだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「たっだいまー!」

 

「おい、結芽。余りはしゃぐな」

 

任務を終え、執務室へと戻ってきた親衛隊。と言っても、折神紫は居ないが。

 

「はーい!……あれ、夜見おねーさんさー、なんか、いつもとおかしくない?」

 

夜見を見つけた結芽は、疑問をぶつける。

 

「そ、う……でしょうか」

 

しどろもどろになりながらも、何とか返答をする夜見。

 

「うん!なんかおかしいんだよなー」

 

当然、その違和感を機敏に察知し、夜見の元へと近づく結芽。そして───

 

「ねぇ、よみおねーさん…楽しかった?

 

耳元で囁いた。

 

「!!!」

 

何の事か、夜見にはすぐにわかった。

()()()()()

心臓を掴まれたような気分だった。

 

「おい、二人ともどうした?」

 

「うーん、なんでもなーい」

 

そんなやりとりを訝しんだのか、真希が尋ねる。

しかし、詳しい事までは聞こえてはいない。

 

「夜見!ちょっと顔色、悪いのではなくって?」

 

寿々花が、顔色が悪くなった夜見を心配する。

 

「……本当だな、大丈夫か、夜見?」

 

「は、はい。私は平気です」

 

「……余り無理はするなよ。後はボク達でやるから今日は下がっていいぞ」

 

ノロの影響か何なのか、体調を崩した夜見に真希は帰るように促す。

 

「………すみません」

 

「本当に大丈夫ですの?送りましょうか?」

 

それに素直に甘んじる夜見。

その様子に、寿々花は益々心配する。

 

「いいえ、それには及びません。失礼しました」

 

覚束ない足取りで、部屋を後にする夜見。

 

「…………」「…………」

 

真希と寿々花の二人は顔を見合わせるのであった。

 

「ねぇねぇ!私も帰っていいー?」

 

夜見が帰ったのを見て、結芽もまた帰りたいと言う。

 

「………燕さんによろしく言っといてくれ」

 

書類仕事では、居ても居なくても変わらない結芽。むしろ邪魔になる事すらある。

故に、帰らせる事にした。

 

「はーい!じゃ、おねーさん達さよーなら!」

 

「ああ」「ええ、お疲れ様」

 

 

 

「にしても…酷いな、この量は」

 

書類の山を前に頭が痛くなる真希。

 

「ええ……本当」

 

それは寿々花も同じ事だった。

 

「………帰れるのか?」

 

「今日は無理でしょうね……」

 

二人は、溜息を吐いた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「そう言えば……その紅茶、よみおねーさんの?」

 

家に帰ってから、しばらく経った結芽。

何時もとは見慣れぬ物、と言っても、執務室では見慣れているのだが。

 

「ああ、そうだよ」

 

結芽の問いに肯定する。

 

「ふーん……やっぱり来てたんだ」

 

「やっぱり?」

 

「あ、いや、今日おねーさん、待機で暇だったでしょ?」

 

「うん。そうだね」

 

「だからそうなんじゃないかなーって」

 

「なるほど…?」

 

結芽の推測に納得しかけるも、何かおかしい。

まるで、推測と言うよりは、確信していた様な。

 

「他には?」

 

「え?」

 

「他に、よみおねーさんとなんかした?」

 

結芽から有無を言わせない様な圧力を感じる。

まるで蛇に睨まれた蛙の様な気分。

悪い事をしていないのに、した様な気分に不思議となってしまう。

 

 

「いや……特には。紅茶の話教えて貰ったり、飲んだりしたくらいだよ」

 

「ふーん…ま、いっか。お兄ちゃん、それよりさ、聞いてよ!」

 

余りの話の唐突な変化に先程の圧力が霧散し、何時もの結芽に戻った、と思う程。

 

「うん?」

 

「私ね、今回も真希おねーさんや、寿々花おねーさんよりもずっとずーっと多く荒魂倒したんだよ!ね。ね、凄いでしょ、凄くない?」

 

興奮しているのか、前のめりになって話す結芽。

満面の笑みも浮かべている。

 

「そっか、今回もか。結芽は凄いな!……ああ、本当に」

 

口ではそう言うが、本心は違う。

個人的な願いは、もう刀使としての活動はやめて欲しいと思う。

危ない、のは勿論だ。でも、そこは結芽だ。負ける事はないだろうと信じている。

しかし、これ以上身体に負担をかけて欲しくない。

 

真実、偽りざる本音だったが、それすらもロクに言えないのが僕と言う、人間の底を感じさせてしまう。

それが、心底嫌で堪らない。

今にもこの首を掻き毟りたくなるほどに。

 

 

「でしょ、でしょ!もっと褒めても良いんだよ!」

 

「よーしよしよし、結芽はかわいいな」

 

気がつけば、顔がもう目と鼻の距離まで接近してる。

撫でるよりは、抱き締めた方が早かった。

 

「ゃ…も、もうお兄ちゃん!違うでしょ!……いや、違わないけど…」

 

「ああ、ごめんごめん。でも。結芽はな、本当に、大切な。妹だよ」

 

抱き締める力が強くなる。

緩めようとも考えたが、このまま消えてしまいそうな感覚に陥ってしまう。

 

「えへへー……お兄ちゃん、今日は一緒に寝よ?」

 

腕の中の結芽が身動ぎ、顔をこっちに向ける。

疑問形の上がり調子だが、有無を言わせないような圧力を感じる。

 

「今日はって……いっつも一緒に寝てるだろ?」

 

とは言え事実はそうなので、何故かと聞く。

 

「もー、そーゆーのは気分の問題なの!」

 

頬を膨らませる結芽。

思わず指でつつきたくなる。

 

「そうなのか、それは悪かったな」

 

「もー、デリカシーがないんだからー」

 

「…………ごめん、本当」

 

デリカシー、と言う言葉に、昼間にやってしまった事を思い出した。

何に謝っているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。

 

「お兄ちゃん?」

 

何か不審に思ったのか、結芽が尋ねてくる。

 

「いや、なんでもないよ。……もう寝るぞ」

 

時間も時間だ、丁度いい。

 

 

「うーん…もうちょっと起きてたいけど……お兄ちゃんが一緒なら、どっちでも良い、かな」

 

「……そっか。じゃあ、一緒に寝よっか」

 

「うん」

 

一度離そうかと思ったが、個人的な理由からそのまま抱きかかえた。

結芽が嫌がらなかったので、そのままベッドへ移動し、床に就いた。

 

 

 

 

 




「お兄ちゃん………」

「ん?」

「ずっと…側に…いてよね……」

「ああ、もちろん」

「えへへー…だいすき」

「うん、僕も」


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もうちょっとだけ、世界が優しかったら。その1

舞草も色々怪しくなったお陰で何とか、なんとか。


「舞草襲撃、ねぇ」

 

誰も居なくなって、伽藍堂になった執務室に呟きが木霊する。

僕は此処で書類仕事をしている。

 

先程、折神紫───もといタギツヒメが舞草の拠点は長船女学園だと特定した。

一週間以内に機動隊を動かして奇襲を仕掛ける……そうだ。

その主軸には、結芽が居る。

 

「結芽にはもう、危ない事はやめて欲しいんだけどなぁ……」

 

最近、結芽が胸の辺りを押さえる事を見るようになった。

と言うか、見てしまった、のだが。

 

症状的にも、もう長くはないだろう。

痛みを抑える様にノロを打つ事も見る様になった。

 

「ハァ……」

 

溜息を吐き、紅茶を口に含む。

ストレスで禿げそうな僕に、さっき夜見が「少しでも、落ち着いて頂けたら」と傷ついた自分の身を押して淹れてくれた。

 

個人的には、その痛々しい姿にますますストレスが溜まったが。

高津学長を刺すべきか迷ったくらいだ。

 

舞草が勝ってくれたりしないかねぇ、とか思ったりもしている。

 

 

「……誰だ」

 

書類の山に虚空を眺めていると、鳴る事が滅多にない僕の電話が着信を知らせる。

 

誰からか、と思い宛名を見ると、不明の文字。

 

「ハァ……はい」

 

「Hi.I'm Friedman」

 

「……フ……今更何の用ですか」

 

電話の主はリチャード=フリードマン博士。

以前に、結芽の件でツテを頼りに会いに行った事がある。

無駄足だったけど。

 

その博士が、一体僕に今更何の用なのだろうかと訝しむ。

 

「君のsisterの事なんだがね、治るかもしれないよ」

 

「………………は?」

 

電話が手の中から滑り落ちそうになる。

震える手で慌てて持ち直し、話を聞くため耳を澄ませる。

 

「君から、以前カルテのコピーだの治療データだとか色々貰っただろ?それをツテに回して見たら、まぁ……なんだ、自分なら確実に治せる、と言うのが居てね」

 

「…………ノロで延命しているが、もう限界が近いんだぞこっちは。間に合うのか」

 

「少々リスクは有るがNo problem、だそうだ。最も、安全性の為に最初はノロを利用する形にすると言ってたよ。個人的には複雑だけどね。ま、徐々にノロを除去していく、との約束は取り付けたがね」

 

「……ダブルスタンダードって言うんでしたっけ?そう言うの」

 

「個人的には複雑、と言っただろう。ま、だとしても折神紫のそれとは方向性が随分違うと思うがね」

 

「……合衆国の理論どうもありがとう。で、期間はどれくらいになる?」

如何にも、と言った様なご高説が伺えた。

毒づきながらも話を進めていく。

 

「病気の根治は兎も角、ノロの除去の関係上、少なくとも4ヶ月以上の長期間に渡って入院にはなるだろうが……まあ、詳しい事は後で本人に聞いてくれ」

 

「……条件は?」

 

「親衛隊が一人抜けるだけで我々にとっては充分だ。なんなら、無事に治療出来たら治療費はこちらで引き受けよう」

 

「随分と気前が良いんだな」

 

皮肉を吐く。

余りにもこちらに分がある様に見えるからだ。

それ程までに、向こう側は急いでいる証でもあるが。

 

「win-winだよ、win-win。君は妹が治り、我々は親衛隊の一人を戦わずして倒すんだ。これ程有益な事は無いだろう」

 

「………で、何処に連れて行けば」

 

「───と言う病院に連れて行けば良い。諸々の手配は済ませてある」

 

「もしも、断ったら?」

 

「君の妹の病気が治ると言うんだ。……ましてや君が断るものかね」

 

当然と言わんばかりの語り口だった。

実際、当たっていたので、見透かされた様で気分が悪くなった。

 

「礼は言わないぞ」

 

「無論だ。治ってから言ってくれ」

 

「治ったらな」

 

この言葉を最後に、通話を終了させる。

舞草も、折神──タギツヒメも、結局大して変わらない。

そんな感想を持った。

 

「…………クソっ!」

 

執務室に、机に拳を叩きつける音が響き渡る。

その弾みでカップは倒れ、紅茶が溢れる。

机は僅かに軋むも、物が良い為か、何事もなかったかの様に佇んでいる。

 

更にストレスが増し、とうとう山積みにされている書類を薙ぎ倒してしまう。

書類の山が崩れ落ち、辺りの床に散乱する。

 

「只今戻りました……!?」

 

親衛隊の三人が、部屋に入ってくる。

その内、夜見が部屋に入ってくるなり、僕の周りで起きている光景を目の当たりにする。

当然、心配して駆け寄ってくる。

 

このタイミングでか、と僕は奥歯を噛みしめた。

 

「どうされたんですか?」

 

「……………ちょっと、眩暈が……」

 

夜見の問いかけに、眩暈と嘘を吐く。

具合が悪いのは事実だが、正直言うのはマズイ。そう思ったからだ。

 

 

「確かに、具合が悪そうですわね……少し休まれたらどうですの?後始末は、私達がやっておきますので」

 

新たに部屋に入ってきた寿々花が言う。

 

「嘘です」

 

このまま貫けるか、と思ったのも束の間。

夜見に嘘を見抜かれてしまった。

 

 

「夜見?」

 

寿々花が疑問を呈する。

 

「目眩、してませんよね」

 

「夜見?何を……」

 

真希が口を開く。

説明しろ、と言う意味を込めて。

 

「書類の崩れ方が薙ぎ倒したのと一緒です。そうでもなければ、そこまで崩れません」

 

「そうなのか?」

 

「……………」

 

何故そんな事を知っているのか、と言いたくなるような見事な推論。──事実当たりなのだが。

三人の視線に、押し黙るしかなかった。

 

「何故、そんな事を?」

 

真希が咎めるように言う。

事実、目が鋭くなっている様にも思える。

 

「書類の多さに、つい…」

 

「そんな理由で蹴散らす様な人じゃないだろ……燕さん。今のは流石にボクでも分かるぞ?……何を隠しているんだ?」

 

真希は一枚上を行っていたのか、それとも僕が下手なのか。

隠し事の存在まで言い当てられてしまう。

 

 

「何も、隠してなんか……」

 

「私達では信頼に足らない、と?そう仰りたいんですか?」

 

それでも尚誤魔化そうとするも、寿々花が悲しげな表情を浮かべているのを見てしまい、急にバツが悪くなる。

 

「いや、だか…………」

 

夜見は無表情にこちらを見つめている。

真希は静かにこちらを見据えている。

寿々花は、悲しげな顔をして見ている。

 

三人とも、浮かべる色は違うが、僕の口を割らせるには十分過ぎていた。

 

「……………も」

 

「も?」

 

「舞草に、以前接触した事がある」

 

「!?」「!」「……!」

 

今回の件を説明するにあたって、過去の事から説明しなければならない。

 

 

「………裏切っていたのか?」

 

「裏切ってなんかないよ、今は、な」

 

「今はって………持ちかけられたのか?」

 

「まあ、ね」

 

「何故、接触を……?言い方は少々卑しく有りますが、貴方も少なからず紫様から恩を受けた筈……!」

 

寿々花の疑問。

親衛隊と言う立場上、最もな疑問だったが、少し、違った。

 

 

「舞草……イヤ、リチャード・フリードマンが在籍していたDARPAなら、何か手掛かりか何か握っているかも、と思ってな。ホラ、向こう医学も研究してるし」

 

「………まさか」

 

「そう。そのまさか、だ。治せる。そう言ってきた」

 

「本当ですの……!?」「………!」

 

寿々花と夜見の両名は、驚きを隠せない、と言った様子だった。

事実、僕も驚きを隠せなかったし、それ以上にどうするのか、と頭を悩ませ精神を更に擦り減らす事となったが。

 

 

「そう、なの……か。結芽は、彼女は、治せるの、か」

 

その中で、真希は少し違った雰囲気を醸し出していた。

 

 

「真希さん?」

 

「結芽は舞草襲撃及び長船摘発の為に後数時間で警視庁のヘリに乗る筈だ。急がないと、マズイぞ」

 

真希が急かしてくる。

と言うより、彼女がここまで賛同を示すとは思わなかった。

 

「罠かも知れな……」

 

「そんな事はわかっている!」

 

余りにも急な発言に、寿々花が苦言を呈するも、一蹴する真希。

 

「この行動が紫様への叛逆にも捉えられかねないのも、充分わかっている!そんな事、ボクだって理解しているさ」

 

「───だが、結芽はどうなる?」

 

「例え逆賊を誅伐したとて、結芽がこの先も生きれるかと言ったらそうじゃない!」

 

 

まくしたてる様に、思いの丈をぶちまける真希。

僕が思ってた以上に、結芽の身を案じていた。

そう言う事なのだろう。

僕と同じで、藁にもすがる思い、なのだろうか。

 

「それは……」

 

「フリードマンはこの手の類で冗談は言わないから、罠ではないとは思うけど……」

 

これ幸い、都合が良いと真希に乗っかる形で罠では無い、と言うふうに場を持っていく。

 

「だとしても、どうするんですの?紫様が結芽を行かせると決められた以上、覆す事は……」

 

しかし、ここで寿々花が根本的な問題点を提示する。

それには頭を悩ませる一同。

一体、どうするべきなのか。

親衛隊にとっては、折神紫の決めた事を覆す訳には───

 

 

「………作戦実施直前、燕結芽は昏睡に陥り病院に運ばれた、という事にすれば」

 

「……夜見?」

 

意外にも、解決策の一つを提示したのは、夜見だった。

 

「それくらいしか、紫様……と言うより、高津学長を……」

 

「……成る程、確かに筋は通っている…結芽の代わりには……まあボクが行くとして、だ。そういえば、結芽が拒否したらどうするんだ?」

 

「あ」

 

盲点も盲点。

想定外も良いところだった。

なんせ、真希に言われて漸く気づくくらいだからだ。

 

……そう言えば、結芽曰く千鳥のおねーさん……美濃関の衛藤可奈美ちゃんがとても強い、と言う事で何としてでも戦いたい、と意気込んでいた……!

 

「……考えてなかった、とでも言いたげな顔ですわね、貴方」

 

「……でしたら、これを」

 

そんな中、夜見がおもむろにポケットから一本のアンプルを取り出す。

 

「ナニコレ」

「麻酔薬、です」

 

「麻酔薬」

 

「軍用ですから、直ぐに効果が現れます」

 

無骨なデザインの、いかにも軍用ですと主張するその形に、思わずたじろぐ。

何処から一体手に入れてきたのか、全くもって不明だ。

 

「……何で、持っているんですの?」

 

「何かの役に立つかと思い……」

 

寿々花の問いかけに、さらりと答える夜見。

 

「……それが何かしらの役に立つ時って、いろいろかなりマズイ状況だと思うけど……まあ、兎に角貰っておくよ。ありがとう」

 

「礼には及びません」

 

とは言うけど、こんな物騒なものを結芽に使いたくねぇ!と心の中で叫んだ。

 

 

「そろそろ行かれた方がよろしくてよ?」

 

時計を見た寿々花が促してくる。

 

「…わかった。……みんなありがとう」

 

「一段落したら、みんなでお見舞いに行かせてもらいますわ」

 

「うん、お願いするよ」

 

握り締めたアンプルをポケットにしまい、部屋を後にした。

 

◆◆◆

 

 

 

 

「……結芽!」

 

「あ、お兄ちゃん!なーに?見送りに来てくれたの?」

 

「ちょっと、話がある。良いかな」

 

「いいけど……」

 

待機室に居た、結芽を連れ出す。

なるべく人目がない様な部屋を選んで、そこに入っていく。

 

「人の居ない所まで、なんて大切な話っぽい……と言うより、そうなの、かな」

 

空気を察した結芽は、いつもとは違って、真面目な顔つきになる。

 

「うん、そう。大切な、話だ」

 

「なに?」

 

「結芽。もしも、さ。結芽の病気が治るとしたら、どうする?」

 

「………え」

 

話を聞いた結芽は、大きく目を見開き、とても信じられない、と言った様子だった。

僕だってまだ信じられていないが。

 

「舞草にね、まあ……知り合いが居てね。その人が治せる人が居るって言うんだ」

 

「…………何、それ」

 

「結芽?」

 

「だから、千鳥のおねーさんの所に行くのやめて欲しいって?」

 

結芽は怒りを露わにする。

 

「これから病院に行く事になるから……うん、そうなるね」

 

「絶対ヤダ!…そうやって、治らなかったらどうするの……」

 

最初こそ怒鳴るような感じだったが、段々と消え入りそうな声になって言った。

不安な気持ちで一杯なのだろう。

 

「……うん。治せる、と向こうは言うけど、僕だって半信半疑だ。本当に治せるかは断言できない」

 

「なら……」

 

「でも、僕はこのまま何もしないよりは全然良いと思ってる」

 

僕も不安だ。

 

「前とは違って、可能性が無い訳じゃ無い。なら、賭けてみる価値は有ると思う……けど」

 

だけど、不安の中に光があると言うのなら、それに向かって漕ぎ出していきたい。

前に進まなきゃ、何も始まらないし、生まれないから。

僕はそう考えている。

 

 

「私……私、は…」

 

「私は、やっぱり……」

 

「ダメかい?」

 

言い淀む結芽。

最悪を覚悟して、ポケットの麻酔薬を握ろうとするが───

 

「………お兄ちゃん」

 

「……私のこと好き?」

 

「うん、勿論」

 

「もし、もしもだよ。もしも、その、ダメだった時───」

 

「一人には、絶対させない。言っただろう?ずっと側に居るって、さ」

「………ばか」

 

「ごめん。やっぱり結芽が居ないのは、僕には辛い」

 

暗に示した事を察してくれたのだろう。

安堵しつつも、怒られてしまった。

その仕草はかわいらしいものだったが。

 

「……抱っこして」

 

「いいよ」

結芽を抱き上げる。

抱き上げた結芽は、僕にいつもよりも強めの力で、しっかりと抱き着いてくる。

 

「…………お兄ちゃんに任せる。ちゃんとセキニン、取ってよね」

 

「何処で覚えたんだか……」

 

「………えへへ、ナイショだよ」

 

麻酔薬は、使わなかった。

と言うか、使わずに済んでよかった。

心底から安堵している。

あんなもん結芽に使うとか、なんかが一生ついて回るって。

 

 

この件、タギツヒメは知っているかもしれないが、極力人に会わないようなルートを通って本部を抜け出し、指定された病院へと向かった。

 

不安ではあるが、治る事を固く信じて。

 

「お兄ちゃん」

 

「なに、結芽?」

 

「大きくなったら、結婚、しよ?」

 

「ホントどこで覚えたの!?」



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波瀾編
もうちょっとだけ、世界が優しかったら。その2


波瀾編突入。
展開上あんまり弄れない


「あー!もー!つまんないー!」

 

「気持ちはわかるけど……もうちょっと、もうちょっとだけな?」

 

「そのもうちょっとっていつー!?」

 

「だって入院してからもう四ヶ月も経つんだよ!?その間に紫様は千鳥のおねーさん達に負けちゃってるし……荒魂はいっぱい出てるし……」

 

「私だってまた千鳥のおねーさんと戦いたいー!」

 

あれから4ヶ月。

無事に治療も終え、すっかり元気になった結芽は今、身体に残ったノロを抜き出す為に長期間の入院を強いられている。

 

その事が、本人にとってはこの上ない退屈の種となっているからか、口を開けばすごく強い千鳥のおねーさん……衛藤可奈美ちゃんと戦いたい、と言っている。

 

「可奈美ちゃんね……仕事が忙しくなければ、お見舞いに行くんだけどな…って言ってたっけ」

 

「え?お兄ちゃん、会った事あるの?」

 

結芽が問いかける。

本当に最近の話なので、結芽に言うのを忘れてしまっていた。

 

悪い癖ではあるが、元気に笑っている結芽を見ると、安堵と喜びのあまりに全て忘れてしまうのだ。

 

「最近、鎌府でね。可奈美ちゃんが沙耶香ちゃんと話してた時に、結芽の事が話題に上ってたから、つい声かけちゃった」

 

「へー、千鳥のおねーさん、覚えててくれたんだ……えへへ」

 

「みたいだね、結芽」

 

はにかむ結芽に、こちらも嬉しい気持ちになる。

 

──

────

──────

 

「そう言えばさ、親衛隊の天然理心流の子ってすっごく強かったんだよね!」

 

「……第四席の子?」

 

荒魂退治を終え、鎌府のとある一角で休憩を取っている衛藤可奈美と糸見沙耶香の二人。

最近、どこか物足りなさを感じている可奈美は、かなり強かった刀使が居る事をふと、思い出していた。

 

 

「うん!一回だけ……あ、御前試合の時も含めると二回かな?それでまあ、戦ったんだけど……そう言えば、本部でも親衛隊は三人だけしか居なかったけど……どこに居るのかな?」

 

「入院してるよ」

 

「!?……えっと…」

 

「可奈美。その人、お兄さん」

 

「お兄さん……って…え、そうなんですか!?」

 

「うん。燕結芽のお兄ちゃんです」

 

結芽に関する会話が聞こえてきた。

 

普段なら、口を挟む前に何かしらの自制心が働くのだが、方や顔見知り(糸見沙耶香)がいた為に大丈夫かと、声をかけてしまっていた。

 

それに、衛藤可奈美は結芽が言う所の千鳥のおねーさん。と言うのもあった。

 

「……お久しぶりです」

 

「うん、久しぶり」

 

「え、沙耶香ちゃん知り合いだったの?」

 

「うん。でも、あんまり関わった事は……」

 

「無い、ね。基本的に僕って事務仕事だからねぇ」

 

「うん。何度か顔を合わせた程度」

 

「へ〜……あ、あの、入院って……」

 

少し、気まずい表情を浮かべながら尋ねる可奈美。

 

「ああ、結芽は昔っから、循環器系が悪くてね。まあ、その。不治の何とかって類だったんだよね、それで」

 

「あっ……えっと……」

 

「だった、だからね。今は元気だよ。まあ、色々あってまだ入院はしてるけど……」

 

「無事だったんですか!?あー…良かった……!」

 

不治、と切り取って聴いてしまい、もしやと最悪の想像をしてしまったが、そんな事は全然なかった事に、心から安堵する。

 

「その御刀……千鳥、だったっけ?」

 

「あ、ハイ!そうです」

 

「結芽がね、千鳥のおねーさんと戦いたいって良く言ってたんだよね」

 

「はい!私も同じ気持ちです!」

 

「可奈美……」

 

一も二もなく即答する可奈美に、少々引いてしまう沙耶香。

 

「はは、ありがとう。伝えておくよ。えっと……」

 

「可奈美。衛藤可奈美と言います。可奈美で構いません!」

 

「可奈美ちゃんね。うん。退院したら頼むよ、その時は」

 

「はい!あっ……お見舞い、行けたらいいんですけど……」

 

「最近、荒魂の数が多いもんね。仕方がないさ」

 

「はい。忙しくなければ、伺ってたんですけど……」

 

気が咎めた様な、重い面持ちをする可奈美。

 

「大丈夫。退院した後に、ね?」

 

気にしなくて良い。

退院後に、試合をしてくれれば、結芽はそれで良いと思う。

そういう事を暗に伝えようとしたのだが……

 

「はい……あーでも!」

 

「でも?」

 

「沙耶香ちゃん!今日ってこの後どうしてたっけ!?」

 

「え、あ……多分、荒魂さえ出なければ、自由」

 

「よし、本部長に今日行けないか掛け合ってくる!」

 

「可奈美!?」

 

突拍子の無い、と言うわけでは無いが、余りにも突然の可奈美の行動に驚愕する沙耶香と

同じく、驚愕の色を隠せない。

 

 

「多分大丈夫!美炎ちゃんだって言ってたもん!なせば、なるっ!って」

 

「何か、違うと思う」

 

「よし!……あ、お兄さん、その前に連絡先の交換……

 

───────

─────

───

 

「……え?おねーさん、ひょっとして来てるの?」

 

今日行けないか、と可奈美が言っていた事を聞き、半信半疑ながらも、期待に駆られる結芽。

心なしかそわそわしている様にも見える。

 

「多分…来るとしたら…そろそろ……」

 

「あの…失礼しまーす」

 

「……ほんとだ、本当に千鳥のおねーさんだ!」

 

本当に話通りに見舞いへと訪れた可奈美。

絶無と言える位には()()()()()は訪れていなかった為、喜び様もかなりのものである。

 

「そうだよ、結芽ちゃん!」

 

「久しぶり!」

 

「うん!久しぶり!覚えててくれてうれしいよ!千ど……あー」

 

「可奈美。衛藤可奈美だよ」

 

今更千鳥のおねーさん呼ばわりはどうかと思い、改めようとしたのを察したのか、可奈美は改めて自己紹介をする。

 

「うん、可奈美おねーさん…だよね。改めてヨロシク、おねーさん」

 

「あ、ねぇねぇ、ずっと気になってたんだけど、紫様を倒した時ってどんな感じだったの?」

 

「え?あ、いやー、なんて言うんだろ、説明が難しいっていうか……」

 

「……暫くしたら戻るから、ゆっくり」

 

ガールズトーク……と呼ぶにしては殺伐とした内容の会話が始まった。

ああ、刀使なんだなと再認識させられる。

同室はせずに、席を外す事にする。

 

「あ、ハイ!お構いなく」

 

「うん、わかった!」

 

席を外す事にしても、拒否反応を示さない結芽。

 

「……うん、喜んでくれて何より、だ」

 

それは、心から嬉しく思う出来事だった。

 

「ま、お見舞いなんて来ないしなぁ……」

 

「真希はフラフラしてるし、寿々花は鎌府で入院中」

 

「夜見は───」

 

 

同じ病院で入院中だし。

 

 

「夜見は……起きてるね。調子はどうだい?」

 

「……ハイ。お陰様で」

 

皐月夜見が入院している病室へ入る。

彼女は体内に残留しているノロの量が他の人より多い為、更に期間がかかるのだとか。

 

──といっても、サンプル数の絶対値が少ないので、何とも言えないが。

 

「それは良かった。と言っても、昨日振りなんだけどね」

 

基本的には折を見て毎日顔を出している。

結芽が寝てるか何かしらで僕が居なくても大丈夫な時、だけだが。

 

 

「……あの、良いんですか?」

 

「結芽かい?それなら、今は可奈美ちゃんがお見舞いに来てるから大丈夫かな」

 

「そう、なんですか?」

 

あまり耳慣れない人物に、少なからず驚愕を覚える夜見。

 

「うん。だから邪魔するのも悪いかなーって思ってさ。だから大丈夫。夜見が気にする事じゃないよ」

 

「ですが……その…」

 

「もー、すぐそうやって自虐的になるんだから」

 

「……すみません」

 

「別に怒ってる訳じゃないんだから、謝る必要はないんだよ?あ、これにも謝っちゃ駄目だよ?」

 

「…………はい」

 

「…………」

 

「あの……」

 

「なんだい?」

 

「ご迷惑に、なってませんか?」

 

俯く夜見に、

 

「迷惑って……何言ってんの。本当に迷惑だって思ってたら、そもそも手なんか伸ばしてないよ」

 

そんな事はない、とその言葉を否定する。

 

──

───

────

 

 

 

「あれは……夜見、だよな」

 

折神紫体制から折神朱音──舞草への体制移行の後処理に追われる日々。

結芽が寝静まってから、深夜に鎌府学舎へ行っては書類を作成したり、処分したり。

 

はっきり言って、折神紫時代の方が楽だった。

そう懐古していると、曲がり角に見慣れた人物の影が。

 

 

「…………げ」

 

壁に張り付き、姿を伺う。

高津学長じゃん……!とは、声には出さなかった。

ただ、また何かロクでもない事をしでかしている。

何故か、確信めいたものがあった。

 

「───!!───!」

 

「………………」

 

「聞こえないが……何を話して……?」

 

高津学長に着いて行く夜見。

その光景を目の当たりにして、なぜか、無意識のうちに、足が前へと出ていた。

 

「おや、高津学長ではありませんか」

 

「……誰かと思えば……裏切り者…!」

 

舞草に通じていた……半分以上誤解なのだが、そう思われる人物の登場に、憎悪を隠さない高津。

内心、変わらないな、と苦笑いを浮かべる。

 

 

「どっちが……で、こんな所で何やってんですか?夜見も」

 

「貴方には関係無いじゃない?早くあの小生意気な妹の所にでも帰ったらどうなの?」

 

「関係無い、ねぇ………夜見?」

 

ラチがあかない。

そう判断し、質問先を夜見へと変える。

 

「……………」

 

「行くわよ、夜見。そんな男、無視しなさい」

 

「……はい」

 

しかし、答える事は無かった。

 

「夜見!」

 

「………離してください」

 

思わず腕を掴んでしまう。

ここで掴まないと、もう駄目な気がして。

ここが、最後になるのではないか、と。

そんな気がして。

 

「どうして、学長と?」

 

「アナタには関係の無い…「少し黙っててくれますか!?」

 

 

「聞かせて欲しい」

 

話に割り込もうとする学長に怒鳴りつける。

以前だったら絶対に……多分こんな事は無かったな、とぼんやり思った。

 

掴む手を離し、言葉に耳を傾ける。

 

「………たしは」

 

「私は、何にもなれない、から」

 

そう答える夜見は、今までに見た事ない様な位に、悲痛。悲壮感が漂っていた。

 

「真希さんや寿々花さん、そして結芽さん達とは違って、私は弱い。だから、ノロを求めました」

 

「そう。貴女は「だからうるさいって!」

 

夜見の独白。

それすらも割り込もうとする高津学長に、嫌気が差すと共に。

そういやこんな人だった、と思い出す。

 

 

「学長に、ヒメについていけば…私は………きっと…」

 

「……ヒメ?」

 

聞き慣れないフレーズ。

《ヒメ》とは一体、何のことだろうか。

 

「っ…夜見!行くわよ!」

 

「………っ」

 

何か聞かれたらマズイ事だったのだろうか。

強引に夜見の手を掴み、引っ張ろうとする高津学長。

 

「…………えい」

 

それを見てからは、早かった。

ポケットには、手持ち無沙汰になっていた麻酔薬。

それを素早く取り出すと───

 

「っ……あ…お前、何…を…!?」

 

高津学長の首筋目掛けて突き刺す。

薬剤が流れ込む音がする。

意識が朦朧とし、その場に倒れこむ高津学長。

 

「や、やってしまった……」

 

ここまで効果があったのか。

一体何を渡してんだよ、と内心毒づく。

 

「それ、は……」

 

「そう、貰った麻酔薬。結局使わないまま取っておいたんだけど、まさか此処で使う事になるとは……」

 

「……どうして、ですか」

「うん?」

 

「どうして、私に、構ってくれるんですか?」

 

夜見の、疑問。

余程大事な事なのか、しっかりと目を見据えている。

 

「私は……結芽さんとは違って、貴方にとってはどうでも良い筈なの…に」

 

「違う。それは違うよ」

 

「そんな事……!」

 

「確かに、確かに僕は結芽の事は大切だけどさ……だからと言って、親しい人をむざむざ見捨てる様な真似なんかしたくないよ」

 

「…………」

 

「あ!信じてないだろ。ひどいなー……流石に傷つくぞ?」

 

そう、笑って見せる。

こんな事を思ってたのか、と心の中では痛々しく思いながら。

 

「…ごめんなさい」

 

「うん、まあ……そう言う事だから、さ」

 

手を指し伸ばす。

掴んでくれる事を信じて。

 

 

「高津学長じゃなくて、僕と一緒に来ないか?」

 

夜見が自分を愛せる様に、なるまで。

掴まれたら、離さないつもりでいた。

 

 

──────

────

──

 

 

 

「それは……」

 

「別に今すぐ、って訳じゃないけどさ、もうちょっとだけ僕を信じては、くれたりしないのかな」

 

あんまり信用されてないのか、と少々悲しくなる。

 

「…………」

 

「ね、夜見?」

 

「……良いんですか?」

 

「なにが?」

 

「私なんかが、貴方の所に居て。ご迷惑にならないですか?」

 

静かに雨が降りはじめるように、言葉をゆっくりと紡ぐ夜見。

その言葉は、何処か悲壮感、或いはコンプレックスを感じさせた。

 

 

「迷惑だなんて思ってたら、こんな事言わないし、それに今更だろう?」

 

だから、僕にできるのは微笑んで、肯定する事だけ。

そう、思ってたし、考えていた。

 

「……良いんですね?本当に、本当に。私、迷惑かけてしまいますよ?それでも、それでも……」

 

筈だった。

 

「うん。迷惑なんて思わないよ。だからね、夜…み……?」

 

「…………」

 

「おい、いきなり起き上がると……」

 

そんな中、突然、体を起こして、カテーテルだとか、チューブだとかを引っかけない様にゆっくりとベッドに腰掛ける夜見。

 

「燕さん」

 

「……うん?」

 

「少しの間で良いんです。私を、抱き締めてくれませんか?」

 

一体、何を、と考えたのも束の間。

夜見がこんな事を懇願してきた事は、青天の霹靂とでも言うべきなのだろう。

 

何故、とは問わなかった。

断ってしまえば、このまま消えてしまいそうだと、何故かそう感じたから。

 

「…………うん、いいよ」

 

ゆっくりと近寄って、少々遠慮気味になりながらも、腕を回す。

普通感じる事のない、誰かの温もり。

それに、どこまで強く抱き締めれば良いのか、と戸惑いを覚えるも。

 

「本当は、ずっと前からこうして欲しかったんです……」

 

「…………夜見?」

 

腕を回した段階で、夜見もまた、僕へと手を回していた。

僕の意思に関係なく、強くも、どこか嫋やかだと思わせる様に夜見は抱きしめて来る。

 

「結芽さんに遠慮して、言い出せませんでしたけど……今、だけは」

 

更に強くなる力。

もう、離さない、離したくない、と────

 

 

「貴方の温もりを感じてても、良いですよね」

 

「……………そっか」

 

そう言っている様に思えて、ならなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ふーん、真希おねーさんがねー…」

 

「本当は、言っちゃダメなんだけど……」

 

裏で何が起きているかとは露知らず。

こちらはこちらで他言無用の情報を流すと言う行動に出ている人が居た。

 

「結芽ちゃんなら心当たりがあるかな、って思って」

 

「うーん……」

 

フードを被り、他の刀使を襲いノロを奪っている刀使が居る。それは獅童真希だ。

と先程可奈美からは聞いたものの。

 

「うーん…………」

 

考え込む。

 

「わかんないなぁ……」

 

考え込んでもやはり、結芽には何故真希がそんな行動に出るのかが、わからなかったようだ。

 

「そっか……」

 

「だってさ、そもそも真希おねーさんが他の子を襲う理由が無いもん」

 

「それは、ノロを…確保する為、とか?」

 

「私程じゃないけど、真希おねーさんだってそれなりに強いし、寿々花おねーさんも夜見おねーさんもノロを抜く為に入院してるから、なーんで真希おねーさんだけなんだろうな、ってちょっと不思議かな」

 

「うーん…成る程」

 

そう言われてみると、そうかも知れない。

可奈美はどこか納得していた。

 

「あんまり役に立たないと思うけど…」

 

「いや、良いの全然!私達だって、何にもわからない事だらけだし」

 

「あ、あー、いや……うーん…」

 

「結芽ちゃん、どうかしたの?」

 

「お兄ちゃんなら、なんか知ってるかも……ってちょっとだけ思って…」

 

ふと、もしや……?と思いつく。

まさか、なとは思うけど。

 

「お兄さん?……獅童さんとは、どんな感じだったのかな?」

 

「…………フツーだと思うけど」

 

「?……あ、でもこれ以上広めるのは…」

 

一瞬、不機嫌そうに見えたが、良く分からずに流す可奈美。

 

「私には教えたのに?」

 

「うっ、それを言われると……」

 

「ごめんごめん、おねーさんついからかいたくなっちゃうんだもん」

 

「もー、ひどいよ結芽ちゃーん……ん?」

 

「……!ごめん結芽ちゃん。私もう行かなきゃ!」

 

折神家から──今は舞草だが。

支給されている、端末型スペクトラムファインダーが荒魂の反応を感知する。

 

「荒魂?」

 

「うん、そう!この近く!」

 

「あー、うらやましいー!こっちは暇だよー!もー……」

 

未だ病院から出られぬ身を恨む。

入院しなきゃ、元も子もないのはわかっているけど。

いざ元気なったら、それはそれで暇だった。

 

「あはは、退院したら、試合しようね、結芽ちゃん!」

 

「うん、可奈美おねーさん。約束!」

 

「うん、もちろん!約束だね!」

 

指切りをして、約束を交わす二人。

お互い、実に晴れやかな表情だった。

 

「じゃ、…あーっとそうだ!」

 

「?」

 

「結芽ちゃん、携帯持ってる?」

 

「うん、持ってるけど……」

 

「連絡先、交換しよ!」

 

「……もちろん!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

「そういえばさ、お兄ちゃんって真希おねーさんが何してるのか知らないの?」

 

「真希?」

 

可奈美が帰った後、入れ違う様に戻って来た兄。

一瞬、何か違和感を覚えたが、今は機嫌が良い為、あまり気にはならなかった。

 

 

──

───

─────

 

 

「……なぁ、真希」

 

「……なんだ?」

 

「僕の家に飯を食べに来るのは全然良いんだけどさぁ……」

 

「そのフード、何とかならないの?」

 

獅童真希。

現在は、一時的に家に上がり込んでいる。

舞草に合流する事なく、そのまま姿を消した筈の彼女が、尋ねてきたのは、いつの事だっただろうか。

 

 

「ご飯とフードをかけているのか?……そうだな、30点と言った所か」

 

「違うわバカ。その格好何とかしろって言ってんだ。痛いし、それじゃ、お前の追ってる"ヒメ"とやらとモロ被りって話じゃないか」

 

黒ずくめなフード付きのローブを纏って、日本を駆け回る真希。

曰く、折神紫から逃げ出し、3つに別れた三人?のヒメを追っているのだとか。

 

 

「うっ……とは言ってもだな…やっぱり、姿を隠さないとマズイだろう?」

 

真希はごもっともな事を言っている様だが。

 

「ふつーに長船学長に頭下げれば良い話じゃないの?」

 

なのである。

情報提供しろよ。なんて風に思った事は数知れず。

 

「まあ、それも考えたが……」

 

考えてんじゃねえか。

内心呆れてしまう。

 

「てか結芽の見舞いはどうした、来てくれないのか?」

 

「…………ボクだって行きたいが…バレるだろ、長船の学長に」

 

「いやまあ、そうだけどさ…」

 

「……それに、今もノロが体内に入ってるボクだからこそ、奴の気配を追う事が出来る」

 

「だから今は、止まる訳にはいかないんだ」

 

「……ま、あんまり気を張り詰め過ぎないようにね?」

 

そう言われてしまうと、引き下がる他ない。

深く首を突っ込んでも、刀使ならぬ身では死ぬだけだからだ。

 

「ああ、わかってるが……それより、だ……」

 

「?」

 

「ここまでして貰ってだが、その、良いのか?本当に」

 

何やら、ソワソワしてる真希。

 

「何の……ああ、良いよ全然。気にしなくて」

 

食事に、まあ、色々。

口座使うと特定されるかも知れないし、色々と世話を焼いていたのだが、本人からしたらやはり、気が咎めるのだろうか。

 

「だが、世話になり過ぎ……と言うか…その、だな?」

 

「……ん?」

 

何やら、変わった雰囲気。

嫌な予感を感じる。

事実、真希の頬が紅潮している様な……いや、している。

 

「もう、ボクには、返せる様なものが……その………ボク自身の……」

 

そう言って、着ている衣服を少しずつはだけさせてく真希。

 

「真希」

 

「……な、何、だ…?」

 

「正座」

「……えっ」

 

「正座」

 

何をしようとしているのか、粗方の事は悟ったが、色々とマズイ事は疑いようもない。

此処は、歳上として説教をする事に決めた。

 

「あ、ああ」

 

「まずさ、タギツヒメを追いにさ、協力者も無しにどうして流浪の旅に出ようと思ったの?」

 

まずは話を根本に持っていく事で、有耶無耶にしようと図る。

 

「それは、責任を感じて……」

 

「舞草に最初っから色々説明して、ノロの除去待って貰えば良かったじゃん」

 

「…………それを言われると、その。なんだ、困る」

 

「困るんだったら最初っからやるなよ……と言うか、頼ってきたのはそっちからでしょうに……」

 

この際、良い機会だからと今迄思っても言わなかった事を打ち明ける。

 

 

「…………そうだな」

 

「ファンの子は?って聞いたらさ、『迷惑はかけられないし、それに、ボクの事を信用してくれるかもわからないから……図々しいのは、解っているが……頼む、助けてくれないか?』って頼んで来たのは真希でしょ?」

 

「……ああ」

 

過去の話を持ち出され、バツが悪くなる真希。

何とか空気を違う方向へと反らせたかと内心勝ち誇る。

 

「寧ろ、良く僕の事は頼ってくれたね」

 

「……それは……その……頼れる人が、他に思い付かなかった……から」

 

頬に朱が差した顔を逸らし、目を合わせない様にする真希。

 

「……それなら、気にする方が失礼だよ、真希。頼られた方が言ってるんだからそうなんだ」

 

「………申し訳ない」

 

自爆したかと内心冷や汗をかくが、杞憂だった様だと胸を撫で下ろす。

 

「危ない真似をするな、とはまあこの際言わないが……少しは自分の身を大事にして欲しい」

 

「……ああ、肝に銘じるよ」

 

「じゃ、これでこの話はお終い!以上!」

 

自分から話を終わらせる。

この手の話は長くなる上に、終わらせるタイミングが掴めない為に、やる手法だ。

これが初めてだが。

 

「…………そうか」

 

「…頑張ってね」

 

「ああ。勿論だ。それと……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

礼を言う真希。

断る理由も無いので、キチンと受け取る。

 

「あの……」

 

「本当に、良いんだな……?」

 

終わったと思ったら、終わってなかった。

若干目を潤ませながら、やや上目遣いになる真希。

 

「良い!もういってらっしゃい!」

 

席を立ってその場を離れる。

そうでもしないと──

 

「…………残念だ」

 

押し倒されそうで怖かったから。

 

 

─────

───

 

 

「…………本当、何処で何してんだろうね」

 

「…………本当に知らないの?」

 

ふと何時ぞやの事を思い出し、目が遠くなる。

あの時は大変だった。

その後もちょくちょく危険な目に遭っているけど。

 

「うん、()()()何してんのかなんて、僕にはわからないよ」

 

「ふーん…そっか」

 

藪蛇は怖い。

どう説明しろと、と困るし、もしも誰かに聞かれたら迷惑になるだろうから、此処は誤魔化す。

 

「うん。寿々花と違って、本当に居場所がわからないからね、真希は」

 

「寿々花おねーさんは……」

 

「鎌府で入院している。今日はやっと見舞いに行ってあげれたかな」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ、結芽をお見舞いに来る予定が見舞われる事になるとはーって苦笑いしてたよ。その帰りに、可奈美ちゃんと沙耶香ちゃんにも会ったんだよ」

 

 

───

─────

───────

 

 

「やあ、元気してる?」

 

「燕さっ……あなっ、貴方!?生きてらしたの!?」

 

4ヶ月振りに見る、親しい顔に驚愕の色を隠せない寿々花。

 

半ばこの世を去っているのではないか、と薄っすら考えていただけに、その驚きは格別だ。

 

「ひどいなぁ…ちゃんと生きてるよ。結芽もね」

 

「まあ……!それは嬉しい話ですわ!久々に良い話を聞きましたわ!ここの方、何にも教えてくださらないんですもの。心配、しましてよ?」

 

「……それは申し訳無かった。謝る」

 

携帯で連絡はした筈なんだけどな、とは思うが、恐らくは情報規制が入っているのだろう。

そう考えると、結芽の入院している病棟はマシな方だったか、と思う。

 

「いやー、にしてもさ…寿々花とは、四ヶ月ぶり…になるのかな」

 

「ええ、本当!真希さんと言い、夜見と言い。誰も来ないんですもの。寂しかったですわ」

 

「ごめん……言い訳するなら、お見舞いの手続きに時間がすっごく掛かったと言うか……舞草に良く投降したね」

 

「……これでも此花家はそれなりに名の知れた家ですから。流石に、これ以上家に泥は塗れませんわ……」

 

「ああ……そりゃそうなるか」

 

詳しく聞いた事無いが、京都でも有数の名家の令嬢らしい寿々花。

言葉遣いくらいでしか、その片鱗を見れなかったが。

 

「もう、カンカンでしたわ……見合いとかの話も全部御破算だ、と」

 

「お見合い?あー…ま、そりゃあるか」

 

この位の名家では割とある事、らしい。

それ位些細な事だった、とは親御さん達は言っていたそうなので、安心はしたが。

 

 

「ええ。親が決めたなんとやら、ですわ。今回の一件で破談になったみたいですけれど」

 

「破談」

 

何とも返し難い会話になって来た。

実に便利な鸚鵡返しを多用し始めている。

 

 

「ええ。表には出てきませんが、舞草──と言うより、長船近辺では私達親衛隊は色々有名ですもの」

 

「…………」

 

「お陰で纏まる話も一切纏まらない、とお怒りでしたわ……」

 

「そりゃ……うん。大変だね」

 

完全に他人事、と言うか。

返し辛い内容なので、当たり障りのない様に返すので精一杯、と言うか。

 

「ええ!本当に大変ですわ!」

 

「す、寿々花?」

 

「勝手に決めといて、勝手に破談にされて、その上更に遠ざけるように鎌府の奥に入院ですわよ!?これを大変と言わずに何というんですか!」

 

矢継ぎ早に話し始める寿々花。

余程話したい事があるのか。

 

「その上真希さんは訳の分からない事やってますし!その上夜見とも中々連絡が取れない!もう、もう─────」

 

「…………」

 

「あー、疲れましたわ……久々に言いたい事を言うだけ言った気がしますわ…」

 

「……そっか。疲れてたんだね」

小一時間ほど長々と愚痴を聞かされた。

半分以上マトモに話を聞いていなかったが、それだけはわかった。

 

 

「ええ、本当」

 

「………本当は、貴方が貰ってくださると、嬉しいのだけれど……」

 

「……えっ?」

 

刹那、時が止まった。

何を言っているのか、理解出来なかった。

 

訳のわからなさに、頭の上をひよこの群れがぐるぐると回っている様な気がしていた。

 

 

「………あ、ああああ!!!ここ、こへは違うんですの!あーいや違わ……いや、違う!えーと、えー、あー、こ、これは…ですね!」

 

「……あの、落ち着い……」

 

永遠にも思える沈黙の後、壊れた様に弁明を始める寿々花。

しかし、噛みまくりで、明らかに動揺しているとわかる。

 

「あー!うぅっ……あー、も、……もも、もう!今日は帰って下さいまし!!!」

 

「う、うん」

 

勢いに押されながらも、これ幸いと病室を後にする。

 

「あああぁぁ……」

 

背後には、顔を覆って蹲る寿々花がいた。

 

 

─────

───

──

 

「……うん、まあ元気そうだったよ」

 

色々と別の事を思い出してしまった。

結芽には言えないな、と苦々しく思う。

 

そう言えば、帰る時、鎌府に居た子達が何やらジロジロ見てはヒソヒソ話していたけど、まさか、な。

 

 

「……なら良いけど」

 

「けど?」

 

「なんか、変な事言われたりしてない?」

 

「……例えば?」

 

「………いや、やっぱり何でもないや」

 

「……そっか」

 

最近、結芽の何やら勘がいい。

ひょっとしたら全部バレているのでは?と錯覚する程で、焦っている。

こっちだって対処に困っているのに、結芽にまで嫌われたら、と思うと涙が出そうになる。

 

「…………おふろ入りたい」

 

「あー……」

 

「シャワーだけじゃもうヤダ!」

 

「それは……何とも言えないなぁ……」

苦笑する。

安全面だか何だか知らないけど、浴槽が無いらしい。

詳しく見た事ないから分からないけど。

 

「しかもお医者さんか看護師さんに一々言わなきゃいけないんだよ!?シャワー浴びるだけなのに!」

 

「決まりだからなぁ……そればっかりは……うん」

 

「あっ……ね、ねぇ、おにーちゃん」

 

「…………なんだい」

 

嫌な予感というものは、良く当たるものだ。

 

「私、カラダ、拭いて欲しいんだけどなぁ……」

 

そんな提案を、結芽はして来た。

 

 

「…………看護「ヤダ」

 

看護師にダメ元で任せようと思ったが、矢張り駄目だった。

 

「……………」

 

「おねがい………」

 

最近、と言うか。

結芽の病気が治ってから、こう言う事がしょっちゅう起きる。

 

このままだと本気で何かがどうにかなりかねない。

それだけが心配だった。

 

流石に、色々マズイでしょ……とは何度も言っているけど…

 

「……………………」

 

「……………だめ?」

 

「……………背中だけな」

 

僕の意思が弱いのか、結局は妥協して流されてしまう。

 

「ほんと!?」

 

「背中だけだからな、そこは譲らないぞ」

 

「ふふーん。大丈夫、大丈夫おねがいしまーす」

 

 




絶対に妹なんかに負けないんだから……!


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そのさん!

「さて、お前に今日、ワザワザ来てもらったのは他でも無い」

 

──鎌府学舎内。

警視庁刀剣類管理局特別祭祀機動隊本部が設置されている、唯一の場所。

かつては折神紫が陣頭指揮を執っていたが、今は舞草が引き継ぎ、長船真庭学長が本部長となっている。

 

そこに僕は来ている。

 

「ほぼ毎日の深夜に仕事しに来てるんですけど……それは一体?」

 

頻繁に。

 

「この事は他言無用だが……最近、刀使達へのノロの強奪を主眼とした襲撃が後を絶たない。その犯人はフードを被った刀使なんだが……」

 

無視。白々しいまでの対応に思わず、抗議の意を込めた目線を送る。

 

面会時間が終わった後、……或いは結芽が寝た後に、病院から真っ直ぐにこの鎌府本部へ向かい、折神朱音体制への引き継ぎ事項を作っていた……のも今は昔。

 

刀使そのものに対する世論の風当たりの強さからか。それとも命の危機が伴う仕事だと言う現実が再認識されてきたからか。

 

兎に角、人手が足りなくなって来た為に、そのままずるずると仕事が増えていき、無給だと言うのに、遂には驚異の仕事量になってしまった。

 

これ以上働いてられるか、僕は眠いんだ。

労基法はどうしたと真庭本部長に意を決して言おうとした所……

 

「治療費」

 

なるほど、有難いお言葉を頂く事ができた。

 

「どうぞ話の続きを続けて下さい」

 

その様に自然と口が動いた。

 

「ウチの刀使の報告によると、そのフードの刀使が……」

 

そう言う本部長は、頭を抱える様にしつつも話を続けた。

 

「獅童真希だった、って言うもんだからな」

 

(あの馬鹿……)

 

内心で溜息を吐く。

ダダ被りだと言うのに、どうしても辞めない。

あれは最早遅い厨二病か何かか? と納得……言ってしまえば、諦観の域に達しようとしていたその矢先の出来事だった。

 

「何か知ってたりはしないか?」

 

「…………」

 

「知ってそうな顔だな。だから呼んだんだが」

 

「歳のこ……すみません」

 

答えあぐねていた所、何か話さなければどう考えても怪しい。

その考えが、つい口を滑らせてしまう。

 

「うん?どうした?私は何も言っていないぞ?」

 

「……そんな怖い笑みを浮かべないで下さい、頼みますから。イヤホント」

 

大荒魂もかくや、と言わんばかりの有無を言わせぬ、威圧。

本来笑顔と言うのは────なんて話が脳裏によぎった。

 

 

「ま、からかうのはこれ位にするとしてだな……」

 

 

「心臓に悪い……」

 

「惚れたか?」

 

「違う人にやってくれませんかねぇ……」

 

「オイオイ、そんなに照れんなよ?ま、いい加減にして……話を元に戻すぞ」

 

やっぱ苦手だわこの人。

心底遣り難い、とはこの人の事を指すんだろう。

一方的な超越者の目線に立っていた折神紫(タギツヒメ)の方が接しやすかった。

真庭学長と僕では、人生経験の差で勝てない。

内心そう愚痴る。

 

「獅童真希について、聞きたいことがある」

 

「イヤだと言ったら?」

 

「治療費払え、2人分」

 

「そうゆうのって、何でしたっけ。思い出したんですけど、強請り集り?脅迫?」

 

「此処が警視庁の看板を掲げている事を忘れているようだな」

 

「鬼かよ」

 

「鬼で結構。と言っても、聞きたい事はそう複雑じゃない。獅童真希は本当にノロを強奪するに足る動機があるのか、と言う事を聞きたい」

 

「それなら、無いとしか」

 

恐らく既に半分裏が取れてるのだろう。

後はシロだと決定づけるだけの証言を集めている……そう言った所か。

 

で有るのならば、これ以上隠し立てする必要もない。

真希には悪いが、これ以上事態をややこしくされ、本気で敵扱いされ始めたら事だ。

 

「それならさっさと出頭する様に言ってくれ、別に悪い様にはしないと付け加えてな」

 

「随分話が飛びますね」

 

やっぱり把握している、という事を認識するには十分な言葉だった。

 

「此花寿々花にも獅童真希の動機の有無は確認済みだが…念には念だ。それに、どうせ所在は知ってんだろう?」

 

「じゃあ、何でまたノロの強奪犯の容疑者なんかに?」

 

「ウチの薫……薫が目視したそうだが……少々親衛隊には当たりがキツイからな。色眼鏡でも掛けてんだろうなとは思ってた」

 

「薫……ああ、益子の」

 

「何だ、知ってたのか」

 

「あんまり良くは思われてないですからね、彼女からは」

 

以前……と言っても、この4ヶ月の間の話だ。

益子薫とは、深夜、死にそうな顔をしてふらふらと歩いている彼女と何度かすれ違ったり、顔を合わせた事がある。

 

その時に、嫌い、とかそう言う直接的に言われる事こそ無かったものの、睨みつけるような、かと言ってやりきれないような、複雑そうな目線を向けてくる事が有った。

 

 

「ま、そうだろうな……アイツの性格からして」

 

「側から見ると、僕なんてタギツヒメ主導のノロの人体投与実験の幇助者ですしね。しかも……妹、での」

 

「……私は何も言わないぞ」

 

真庭本部長は腕を組み、目を閉じている。

眉間には皺が刻まれており、重苦しい空気が漂っている事を更に強調しているかのようだった。

 

「とは言えすまない。ウチの薫が」

 

「いえ。実際、事実ですし」

 

「難しい所だな、お前の立場は」

 

「……恐縮です」

 

ウチ(舞草)に一度来なけりゃ、刀使じゃないお前は、まあ……適当な理由付けて豚箱行きか……他の鎌府や旧折神紫(タギツヒメ)派共々、左遷だったな」

 

定型の謝罪を終えたと思えば、何とも返し難い、もしもの話に、薄ら寒いものを感じる。

 

「危なかった……のか?」

 

「ああ。はっきり言って頼ってくれて助かった。お陰で余計な手間が省けた」

 

「とは言いつつも、ものすっごく警戒してらしたじゃないですか、真庭さん」

 

いつだったか。

長船へ何だかよく分からない微妙であやふやな自分の立場を利用して行った事がある。

 

 

「当たり前だろう?舞草を知ってる事とか病気とか、全部ブチまけた上でコネをアテに元DARPAの方のフリードマンに会いたいーとか、確実に殺しに来たか、そうでなければただの馬鹿だと思うだろう?」

 

「はいはい、僕はただの馬鹿ですよーだ」

 

「その癖、他の事は全然話さないわ、交渉が下手クソ過ぎてな……ま、裏は取ったが」

 

「馬鹿野郎、少しは考えろよな……」

 

「馬鹿で結構。色々余裕が無かったんですよ、こっちは」

 

僅かに伸びた時間の中で、結芽の病を治す手掛かりを求めて、文字道理東奔西走していた頃だったか。

 

「余裕が無いのはわかるけどさ…ま、お陰でウチらはお前をこき使ってる訳だが」

 

労働基準法を100回読んで来てほしい。

そう切実に願っているが、一度も叶った事はない。

風の噂によれば、益子薫も似たような思いを抱えているとか。

 

「……ま、何にせよ良かったな、治って」

 

「ええ、其処だけは心の底から感謝していますよ、其処だけは」

 

治療費を保証するとか言いつつ深夜無給激務暗黒環境に放り込んだので負の数に振り切れている。

明らかに釣り合いが取れない……様な気もするが、蓋を開けてみると、と言う話があるので中々難しい所だ。

 

夜に僕眠れないのを何処と無く察しているのか、結芽が昼寝する事も多くなった。

ただ単にやる事が無いだけなのかも知れないが。

 

「ま、私は話を通しただけだし、それに、具体的な方法を見つけてきたのはフリードマンだ」

 

「でもまあ、その時は二重基準じゃないのか、って言いましたけどね」

 

「ああ、そうらしいな。思わず笑っちまったよ」

 

「事実、新体制への風当たりは厳しいし、その上、方向性が違うだけでノロの利用は変わりない…と言うか、あんまり変わってないのでは……?」

 

「厳しいこった、……ま、こっちにも色々理由があるんでな」

 

初めて言い澱む。

本気で色々言えない事があるらしい。

やっぱり、あんまり変わらないのかと思う。

 

「僕としては、仕事減らしてくれるのを希望しますがね」

 

「お前のそう言うとこ、嫌いじゃないぜ」

 

「そりゃどうも。所で、まだでしょう?」

 

「うん?」

 

「ワザワザ獅童真希の件や、ましてや世間話の為だけに呼び出したんですか?」

 

本題に入る。

この二つの話だったら、深夜業務中に片手間で聞けば良い。

だが、態々深夜帯を避けたと言うことは、それなりに重大な判断を迫られる、と言う事だろう。

個人的には、最後の一線は超えなかったか、とヒヤヒヤしていたが。

 

 

 

「それもそうか、そりゃ判るよな……」

 

溜息をつく真庭本部長。

その後、姿勢を僅かに正し、此方へと向き直る。

 

「先程本題と言ったが、こっちが本命だ」

 

「……何ですか?」

 

「燕結芽を退院させたい」

 

「!」

 

真庭本部長が本命と言う話。

薄々気づいてはいたが、矢張りそう来たか。

 

事実、荒魂の多発に刀使も足りていない今、身内の贔屓目ながらも、今の舞草体制にとっては、文字通り結芽は喉から手が出るほど欲しい人材だろう。

 

「理由は……ま、言わなくても判るよな」

 

「本当に入院期間ワザと長かったのかよ……」

 

「なんだ、そっちにも気づいてたのか」

 

「………………」

 

頰が引き攣る。

思ってたよりも嫌な業界らしい。

いや、よく考えるとかなりブラックだった。

 

 

「燕結芽は他の2人とは違って時期も少し早かったし、身体上絶対量も比較的僅かだが少なかった。問題の臓器は……まあいい。その上彼女はノロの力を使用しなかったそうだな?……その影響か、人体との結合がほぼなかっ……そう睨まないでくれ。仕方なかったんだ」

 

「と、言いますと?」

 

「親衛隊は、今では針の筵だろう?根回しとか大変だったんだぜ?」

 

「ま、そう言う事にしておきますが……」

 

事実なんだろうけど、その場でホイホイ納得する事は悪手だ。

その事をこの4ヶ月間で痛いほど学んだ。

仕事が気付かぬうちに増えているなんて、もう嫌だ。

 

 

「一応、本人の意思を尊重させて頂きたい。決めるのは僕でも貴女でも無く、結芽だ」

 

「当然だ。そこまでウチは腐ってない。ま、お前の妹の事だから、答えは見え切っていると思うけどな」

 

だろうな、と言う感想しか出てこないのが、何とも言えない。

 

「後は……」

 

「後は?」

 

「皐月夜見の方、何とかなりませんかね」

 

「皐月夜見?ああ、そう言えばお前が入院の申請してたっけな」

 

「はい」

 

結芽が退院すれば、あの病院へ向かう事は少なくなる。

そうなると、夜見を放って置く事に繋がりかねない。

目の届かない所に居られるのは、不安だし、何より約束を違える事になる。

 

「親族に任せれば良いものを…お人好しと言うか…それとも……ふぅん?」

 

「違います」

 

「へぇ……どうだか」

 

ニヤニヤと口角が上がり気味だ。

何というか、暇な人と言うか。

その癖本人には聞かない辺り、何と言うか。

 

 

「彼女は2人より量が多かったからな……ま、定期的に通院はして貰うぞ」

 

「ありがとうございます」

 

「後は、此花寿々花ももうじき退院できるとは思うぞ」

 

「ふむ」

 

「別に私から言っても良いが……ま、面倒だから帰るついでに伝えてくれや」

 

「何ですか、それ……。いや、別に伝えるのは問題ないですけど」

 

「良し、もう下がって良いぞ。獅童真希に宜しく」

 

「居場所が解らないのに、言えませんよ」

 

「はいはい、ンなこたぁ解ってるよ」

 

部屋から退出する。

精神的に疲れた。

何処まで把握されているのかが心配になるが……大方把握されていると見て良いだろう。

一先ず、寿々花の見舞いへと行く事にする。

 

 

 

◆◆◆

 

 

「と言うわけで、もうそろそろ退院できるって」

 

「それ、本当ですの?」

 

寿々花の病室。

相変わらず暇を持て余していた彼女は笑みを浮かべて喜びを見せる。

 

「本当。嘘じゃないと思う」

 

「やっとですのね……」

 

安堵からか、溜息を吐く寿々花。

 

「四ヶ月、長かったですわ……」

 

「寿々花は一人きりの時間が長っ……」

 

「そこですわ!!!」

突然、或いは当然なのか、大声を上げる寿々花。

 

「此処に来ると言えば、お医者さまに真庭本部長位ですのよ!?」

 

いやまあそうだろうな、との感想を抱く。

何とも言えぬ雰囲気に、言葉が出ない。

 

「もっと貴方が早くに来てくれたらどれ程楽だったか……!」

 

「え、あ、ああ……ご、ごめん」

 

無意識の内に出た言葉は、定型にしても程があるだろうと。

後に思う。

 

「ええ、本当。結芽は兎も角、夜見は羨ましかったですわ」

 

「…………」

 

「全く……加えて真希さんは何やら妙な嫌疑もかけられてますし…」

 

「ああ……」

 

「あっ……え、えーと…」

 

「心配しなくて良いよ、僕も知ってるから」

 

「……ヒヤヒヤしましたわ。最近、少し気が抜けていけませんね」

 

「大丈夫なのか?」

 

「ええ、問題有りませんわ。……多分ですけど」

 

何やら不穏な事を言う寿々花。

 

「それにしても、真希さんですわ……!連絡は取れないし、フードなんか着て場を混乱させますし……ホント、何をやってるんだか……」

 

「さ、さあ……?」

 

「そういえば、燕さん。真希さんの匂いが移ってますわよ」

 

「ハァ!? え? ウソ、いつ!?」

 

「……嘘ですわ。真希さんの行方……どころか、貴方の所に居るんですのね」

 

正直、カマかけられるのに慣れてないと言うべきか、寿々花が上手だったと言うべきか。

どちらにせよ、完全に確信めいたものを寿々花は持っただろう。

 

「わかりやすくて呆れますわ……」

 

「……まあ、うん」

 

とは言え、それにすんなり引っかかる方もどうかとは思うけど。

 

「…………成る程、つまりは私だけ蚊帳の外、と言うことですのね」

 

「そんなこ…………」

 

「結芽は良いです。貴方の妹ですもの。そこは逆立ちしたってどうしようも有りませんわ。…それと、夜見は同じ病院だそうですわね?」

 

否定しようにも、矢継ぎ早に話されては、口を挟む隙がない。

それが更に誤解を招いている気がする。

 

「うん。そうだけど」

 

「……彼女は目の届く範囲、と考えればまだ納得出来ますわ。高津学長に着いて行く寸前だったそうですしね」

 

不思議な話、良くもまあ、丁度よく立ち会えたと思う。

あのタイミングじゃなければ、夜見はきっと───

 

「そう考えますと、夜見の手を貴方が摑んだのは……ええ、僥倖と言えるでしょう……しかし」

 

「……しかし?」

 

「真希さんは……入院された、と言う話を一向に聞かないどころか、先程も言いましたけど、寧ろ場を混乱させている……ですわね?」

 

「は、はい」

 

「その上で、燕さん。貴方に伺います」

 

「真希とは普段、何処でお逢いに?」

 

「…………家」

 

「どなたの?」

 

「僕のです……」

 

「はぁ? ……失礼。どう言う事か、当然説明してただけますわよね?」

 

「はい、よ、喜んで……」

 

僕の知らないこわい寿々花を、見てしまった。

 

◆◆◆

 

 

 

「取り敢えず真希さんは一発叩かせて頂く事にします」

 

「…………」

 

「これらの話を踏まえて、貴方には聴きたい事が有りますわ」

 

「はい、何でしょう」

 

「……私の事は、お嫌い…なのですか?」

 

そう言う寿々花の顔は伏せ気味になり、目には涙が潤んでいる。

 

「……え?」

 

「だって、夜見は貴方が面倒見て、負う必要もない責任を背負って馬鹿やってる真希さんの事は、何だかんだで世話をしてらっしゃる……一方、この私、此花寿々花はこの四ヶ月間、放っておいた……と」

 

「それは……」

 

言葉に詰まる。

いくら言い繕っても、客観的に見れば事実なのだし、言い訳のしようがない。

 

「ねぇ、燕さん。私の何が気に触るのですか?」

 

ずい、と前のめりになる寿々花。

その目はしっかりとこちらを捉えて居る。

 

「容姿? 話し方? 声? それとも性格?……幾ら考えようと、想像を巡らせようとも。こればっかりは答えがでませんの……」

 

醜い事に、この場をどうやって切り抜けようか。

そんな事しか思い浮かばない。

この手の経験値が圧倒的に足りなかった自分を怨む。

いや、足りてればそれはそれで中々に屑だと思うが。

 

「ですので、教えて下さる?」

 

「え…………」

 

しかしそれは、杞憂に終わった。

 

「ふふ、冗談ですのよ。本当に私の事が嫌なら、そもそも今も来てないでしょうに」

 

「も、もう。心臓に悪いなぁ……」

 

安堵する自分に軽く自己嫌悪を起こし、

苦虫を噛み潰した様な気分になる。

 

「で、実際の所、夜見や真希さんにはこの四ヶ月の間でどんな事をしたのかしら?」

 

「は、はい?」

 

しかしその嫌悪感は刹那に吹き飛んでいった。

 

「四ヶ月間、何も無かったなんて事は無いでしょう?ですから、お、同じ事を私にしてくださらない?」

 

「……!?」

 

「それでチャラにして……差し上げますから」

 

「え、えぇ……」

 

恥じらう寿々花。

こんな行動に出るとは、全く予想もしていなかった。

一体なんの対抗意識を燃やしているんだ。

と言うか、何を想像しているんだろう。

 

「あら、四ヶ月分の代金と考えれば破格。有情だと思わなくって?」

 

戸惑う僕を急かす寿々花。

 

「……わ、わかった……やれば良いんだろ、やれば……!」

 

抱き締めれば良いんだろう!

ヤケになった自分は、寿々花を抱き寄せる。

 

「ふぇ……い、いきなりハグだなんて……ど、どんな事を……!」

 

 

 

 

「…………はい、お終い」

 

「え?」

 

「これだけ?」

 

「これだけ」

 

これだけ?と聞かれても、これだけしか無い。

本当に、何を想像していたんだろうか。

 

 

「……因みに、どなたに?」

 

「……よ、夜見に」

 

「真希さんには?」

 

「ご飯を振舞ったり……?」

 

「え……燕さん料理……コホン。あ、あの。もっと、こう無かったんですの?その……」

 

「……何を考えてるのか知らないけど、無かったよ」

 

「意外と皆さん、奥手と言うか……ヘタレといいますか……」

 

(真希は危なかった、とは言えないなぁ……)

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「もう一度、お願い出来ます?」

 

「え……う、うーん……良いけど……」

 

 

 

「温かいですわね……」

 

「…………」

 

「私って、どんな抱き心地がするのでしょうね? 自分の事って、解らないじゃない?」

 

「…………辞めていい?」

 

「だーめ。もうちょっとだけ……あ、少し緩めて下さらない?」

 

寿々花の要望どうり、腕の力をわずかに緩める。

それが、思わぬ事態を招くとも知らずに。

 

「んっ……もうちょっと…あ、そのくらい」

 

「……ぇい」

 

寿々花のたおやかながらも、しっかりとした両の腕が、僕の後頭部へ回ったかと思うと、そのままに引き寄せられる。

 

「!?」

 

そして気がつくと、僕の唇は寿々花のそれに重ねられていた。

 

突然すぎる出来事に、実際経過した時間は僅かなのだろうが、僕には世界が停まっている様に思えた。

 

「…………どうです?結芽さんとは……存じ上げませんが…他の子とは初めて、でしょう?」

 

離れていった寿々花が話している。

しかし、今の混乱した頭ではあまり良く意味を反芻出来ていない。

 

「………………」

 

「私も……不慣れと言いますか、そ、その……と、兎に角。これで帳消しですわ」

 

「ああ、うん………」

 

必然、生返事になる。

 

「ここから先は……そ、その…貴方が望むので有れば、わ、私としても吝かではないと言いますか……何と言いますか……退院したら…その……し、したいな、なんて……」

 

伸ばした指先を左右軽く交差させつつ、自らの口元に当てているその様子は、恥じらいながらもそこはかとない気品を感じさせる……

 

なんて、現在の状況とはいまいちズレた感想を得た。

 

「………今日は!もう!帰らせていただきます!」

 

動いた頭脳は、口をそう動かす。

身体はそれに追随する様に、踵を返して、足早に部屋を飛び出していった。

 

「あっ!燕さ……もう……」

 

「私だって、凄く恥ずかしかったと言うのに……むぅ…………」




「なんだかたいへんなことになってしまったなぁ……」

先程の事を……余り掘り返さないでおこう。

「取り敢えず、帰え……む」

通路を進んでいくと、向こうから歩いてくる影。
それは、肩に小動物のような荒魂を乗せている……益子薫だった。

「……………よう、色男」

すれ違いざま、僕以外に聞こえるか聞こえないかの声量で、そう呟く益子薫。

「え?」

思わず尋ね返す。

「ねねー!」

しかし、それに返事が返ってくる事はなく、頭上のねねが鳴くだけだった。

「…………まさか」


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もうちょっとだけ、世界が優しかったら。 その4

夜見さんの闇落ちが凄まじい勢いで進んでいく原作。
こころがつらいです。


「……あ」

 

「起こしちゃった?」

 

秋になり、肌にも寒い季節。

けれど、病室は相変わらずと一定の温度に保たれている。

しかしベッドは結構固い。

空調だけとれば快適とも思えるような空間から別れを告げに、此処に来ている。

 

 

 

「いえ、貴方の足音がしたものですから。当たっていたので」

 

「……そ、それなら良いんだけど」

 

足音で人が判断出来る特技を持つ人がいるとは言うが、実際当てられると中々に戸惑う。

 

「それで、本日はどの様なご用件なのでしょう」

 

「ご用件って……そんな大層なモノじゃないし、畏まられる事も無いと思うけど……」

 

「取り敢えず、退院。まだノロは抜け切ってないから、定期的に通院はしてもらう事にはなるけど……」

 

「結芽さんは?」

 

「結芽も退院。人体との結合もほぼ無かったらしいし」

 

「……では、何故私も退院なのですか」

 

戸惑う様子を見せる夜見。

慎重に言葉を選びつつ、説明する。

 

「確かに、そのまま入院継続でも良かったんだけど……なんかイヤでさ」

 

「……そう、なんですか」

 

「あ、もしかして……イヤだった?」

 

だとしたら、ちょっと悲しいな、なんて思いつつも。

 

「そんな事はありません。少し驚いただけです」

 

「驚いた?」

 

「本当に、連れてってくれるんだな、って」

 

「信じてなかったの……?」

 

少し形は違うが、信用が無かったか、と思った途端、悲しくなるが──

 

「いえ、そういう訳ではなくて……」

 

少し、間が空き。

それから夜見は、言葉を紡いでいく。

 

「……嬉しいな(おもしぇ)って」

 

「そっかー」

 

「あ、あの……」

 

「あ、ごめん! つ、つい……」

 

無意識か意図的かはわからないが、方言がつい出てしまった夜見。

恥じらいながらも、はにかんでいる。

その何処か子供めいたその様子。

 

それに、ふと庇護欲めいたものが湧き、ついいつもの癖で頭に手を伸ばしていた。

 

うっかりしてたと謝罪し、手を引っ込めようとするが。

 

「いえ、気にせずに、そ、そのまま……」

 

「そ、そう?」

 

良い、と言われると。

それはそれで恥ずかしくなる。

こう言うのは、確か天邪鬼って言うんだよなと、羞恥を紛らわす為にぼんやり考えていると。

 

「……あの、時々で良いんです」

 

「なにが?」

 

「こうして、撫でてもらえたら……嬉しいです。……別に、抱きしめて欲しいとは、言いませんから……」

 

「…………ずるいよなぁ」

 

「え……」

 

これで抱きしめないのは、なんと言うか、違うというか。

なんかこう、見捨ててしまう様な。

なんとも言えない気分になる。

 

こんな時期が結芽にも……いや、夜見は結芽より歳上だった。

などと奇妙な事を考える。

 

「あの…無理にやらなくても……」

 

「………落ち着く?」

 

「それは……その、ハイ。そう……ですけど」

 

「それなら良いんじゃないかな。一度不安になると、人間って直ぐ変な方向に向かって走ってきやすいからねー」

 

「そう……ですね」

 

心当たりが有るのか、素直になる夜見。

 

 

「…………暖かいです」

 

目を閉じ、こちらに体重を預ける夜見。

不安がある程度安らげば、幸いだ。

 

「こうしていると、囲炉裏の火にあたっているような……そんな気持ちになれます」

 

「囲炉裏」

 

「その……すみません。変なものに例えてしまって……」

 

「いや、良いさ。あたった事はないけど……その、暖かいんだろ、囲炉裏は」

 

想像しづらい例えをされたな、とは思うが、穏やかな火の温もりに勝るものはなかなかない。

そう考えると、抱きしめるのは効果があったのだろう。

 

 

「…………結芽さんが羨ましいです。いつも、こんな気持ちに浸れるんですから」

 

「………………」

 

「あ、ごめんなさい。こんな話をすると、気まずくなりますもん……ね」

 

バレたら怒られるかな、どうしようかな。と瞬時に思考を巡らせてしまった僕を、知ってか知らずか、気遣う夜見。

 

「ありがとうございます。もう、平気ですし、これ以上は結芽さんに悪いです」

 

自分から離れていく感覚がしたので、そっと手を離す。

とは言え、少々名残り惜しそうに見られると、悪い事したか?と勝手に心に少し疵が走る。

 

「そろそろ、結芽さんの所に行ってきてあげて下さい。諸々の手続きは自分でやりますので」

 

「大丈夫なの?」

 

「紫様の秘書を務めてた事、お忘れですか?」

 

「そう言えば……そうだったね」

 

四ヶ月以上前の事だが、意外と忘れているものだ。

 

「酷いです。少し傷つきました」

 

「ご、ごめん……」

 

「冗談です。終わったら、結芽さんの病室に行きますね」

 

「うん、わかった」

 

冗談を言われ、からかわれた。

その事に夜見も女の子なんだな、とそんなたわいもない事で再確認する。

 

さて、次は結芽の病室だ。

そのまま別れる形で、向かって行った。

 

 

◆◆◆

 

 

「と言う訳で結芽。なんか退院出来るらしいぞ」

 

横に備え付けられてある椅子ではなく、ベットに腰掛けている。

結芽に、退院する事と、経緯を説明していた。

 

「ほらやっぱり!わざとだったでしょ!?」

 

「ホントに当たってるとはなぁ……」

 

大声で、自分の主張の正当性が確かめられた事を主張する結芽。

此処には結芽と僕しか居ないのに、かなり声が大きい。

 

大分興奮しているらしい。

それもそうだ。

結芽からしたら漸くの退院なのだから。

 

「ふふーん、可奈美おねーさんと試合したり、一緒に荒魂退治出来るのかなー?あ、連絡しなきゃ」

 

「退院するって事で……」

 

「もちろん!……あー…」

 

「結芽?」

 

「……よみおねーさんは?」

 

思い出した様に、事実思い出したのだろう。

夜見の事を尋ねてくる結芽。

 

「退院だよ。定期通院が必要だけどね」

 

「連れてくの?」

 

「そのつもりだけ……ど?」

 

普段の結芽とは違う、頰を膨らませている様子。

いかにも私は怒っていると無言で訴えているようだ。

 

「ふーん……ま、別に?別に良いんだけどね?」

 

「ゆ、結芽?もしかしなくても、怒ってらっしゃいます?」

 

「ううん。怒ってなんかないよ。あのままお兄ちゃんがよみおねーさんを連れて来なければ、今頃なにしてるのかなんて、わからないもん」

 

「結芽……!」

 

「だから怒ってない。このまま家まで連れてくつもりのお兄ちゃんなんかに、怒ってなんかないんだから」

 

「やっぱり怒ってるじゃないか……」

 

態とらしく、投げやりに話す結芽。

理解は示しているが、納得がついてない……と言った所だろうか。

自分の都合で振り回して申し訳ないな、と思う。

 

「べっつにー?」

 

「うーん……あっ」

 

「あっ……?」

 

ふと、真希の事を忘れていたと思い出す。

どの道、言わなきゃいけないのだ。

 

「………………話すから、耳を」

 

そっと耳に近づくが、息がかからないように、細心の注意を払う。

色々面倒な事態を招くかもしれないし。

 

「─!…、……!──」

 

「えええええ!!!?」

 

「声が大きい!」

 

何やら変な嫌疑がかけられている手前、大っぴらに言うのもまーた面倒な事を招きそうだと思い、真希の現状をこっそりと伝えたのだが……。

 

「えー!いや、えっ、えええ……うーん…」

 

「ホントにさ、何してんの?」

 

逆に怒られてしまった。

ちょっと覚悟はしてたが。

 

「いや、だってさ……」

 

「それってタダ甘やかしてるだけじゃないの?ふつーに合流させれば良い話じゃないの?」

 

真希を家に呼んで何かと世話を焼いて居る事をただ甘やかしているだけ、と切り捨てられたしまった。

中々に手厳しい。

 

「それは、前々から言ってはいるけど……」

 

「そこ、悪いとこだよねー、お兄ちゃん。まあ、良いとこと言えば良いとこなんだけど……」

 

「じゃあ、別に……」

 

「でもやっぱり甘やかしすぎ」

 

「うっ…何も言えない……」

 

「私が付いてないとどーなるか心配だよ!もー!」

 

結芽は一瞬、御刀の峰を肩に当てるのと似た様な動きになったが、何も持っていないのに気づき、何事もなかったかの様に、手を後ろで組む。

 

体に染み付いた動きとはこの事か、と苦笑する。

 

「………そ、そう言えば、これからも側に居られるんだよね」

 

「………いや、いつかは兄離れしてもらわないと困るんだけど……」

 

「ありがとう、お兄ちゃん。……早速なんだけどさ、約束覚えてるよね?」

 

「おい、人の話を……」

 

「ヤダ」

 

「ちょ…ゆ、結芽?」

 

衝撃が走る。

ここ最近で久々に拒絶されてしまった。

話を聞かないなんて、無かったのに。

悲しいな、と内心涙を流したが、そんなのは刹那でなかった事になるとは、思わなかった。

 

「私言ったじゃん! 責任とって結婚してねって! そしてお兄ちゃんはわかったって言ったじゃん!」

 

「そんな事は言ってません!!!」

 

「嘘つき! ちゃんと私聞いてたんだよ!?」

 

「一体何がどうしてそうなってしまったんだ!」

 

頭を抱えて考える。

不安から来る的なヤツ……だと思っていたが、本気でこんな事を考えているとは思わな……くは無かったが、兎に角マズイ。

色々とマズイ。

何とかしなければ……

 

 

「……あ!わかった!ふふーん、なるほどなるほど……」

 

「な、何がわかったんだ……?」

 

たじろぐ。

一体どんな言葉が飛び出て来るか、今の結芽は僕の想像の範疇を超えているからだ。

 

「照れてるんだったら、最初っから言ってよね、お兄ちゃん。もー、いじわるなんだからー!」

 

「……違う!」

 

照れ……と言うか、焦りというか。

似た様な感情は抱いている。

しかし、全てが都合良く解釈される今、どうこの妹に立ち向かうべきなのか。

 

「良いの良いの。もー、お兄ちゃんったら。戸籍上はダメでも、ないえん?ってのがあるから大丈夫だよ! 私調べたんだ!」

 

「なんてことを調べてるんだ!?」

 

非常にマズイ。

中途半端に間違った核爆弾級の知識を仕入れている。

このままでは、大変な事になって───

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。だからさ。もう、他の人とキスなんてしなくてもいいんだよ?」

 

「!??」

 

背筋が凍る。

 

「私知ってるんだよ? 寿々花おねーさんがキスして来たんだって?」

 

「え……あの、なんでそれを……」

 

肌が粟立ち、頭が急速に冷え渡る。

 

「お兄ちゃんの事だもん。わからない訳ないよ」

 

どういう事……なんだ。

何故、知っている?

あの時、見ていたと思わしき人物は益子薫だ。

もしや、他に───?

 

 

「ね、お兄ちゃん……」

 

猫撫で声を出しつつ、枝垂れかかってくる結芽。

それに、何処かで味わった様な空気。

この流れは非常にマズイと、己の何かが警鐘を鳴らす。

 

「結芽、ちょっとそれは…落ち着こ……」

 

「んむ……」

 

制止しようとするも。

言葉を紡ごうとした口は、あっけなく塞がれてしまう。

 

「んっ…………本当にイヤなら、ムリやりどかせばいーじゃん」

 

口の自由が戻ろうとも、二の句が出ない。

 

「ふふっ、それとも……お兄ちゃんはヘンタイさんなのかな?」

 

───いつから。

 

いつから、こうなってしまったのか。

 

いや。前から。結芽に依存のケは有った。

以前は兎も角、病気による余命の心配も無い今。

それをどうにかこうにか解除、自立させていこうと自分なりに努力してきたつもりだったのだが……。

 

「な……な、結芽。落ち着こう。な? 少し……ちょっと疲れてるんだよ」

 

「やーだよー」

 

 

説得を試みるも、力無い言葉は届かない。

 

 

「私ね……頑張ったんだよ? ずーっと我慢してきたの」

 

 

証拠に、現に結芽は聞く耳を持たない。

 

 

「お兄ちゃんが好き……大好き…ううん。言葉じゃとても、言い表せないよ……」

 

 

 

このままでは。

 

 

 

 

「ねぇ、シよ?」

 

 

 

 

 

このままでは、絶対にマズイ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あまり、お兄さんを困らせてはいけませんよ、結芽さん」

 

そんな中、この場に割り込む夜見。

正直助かった。

あのままだと、どうなっていたのか、解らない。

 

「夜見おねーさん、なんで邪魔するかな……」

 

「ここで割り込まないと大変な事になりますので。病院ですよ、一応」

 

いや本当。

何とか助かった。

 

 

「もー……てか、よみおねーさん、何で服違うのさ」

 

親衛隊制服に身を包んでいる夜見。

僕は一番見慣れているので、なんだかホッと一息ついた気持ちだ。

 

「退院手続きをとりましたので」

 

「ちょっと!私まだ手続きも何もしてないよ!?」

 

「………夜見は退院っても、入院しないだけみたいなもんだし、手続きは、まあ……自業自得としか」

 

少し前の事が無ければ、今頃書類でも書いていたんじゃないかな。

にしても危なかったと内心安堵の叫びを上げる思いだ。

 

「えー?……うーん…そう言う事なら…」

 

「すみませんね、結芽さん」

 

その言葉とは裏腹に柔らかく微笑む夜見。

逆にその態度が、結芽の苛立ちを煽っている様にも見える。

 

「なーんかさー……随分余裕そうだよね。羨ましいとは思わないんだ?」

 

「別に、そう言うのでは……」

 

「ふーん?」

 

何やら、険悪な雰囲気が漂い始めた。

空気の急激な変化に、今までのも含め、胃が痛くなる。

 

「よみおねーさんはいっつも我慢してるからねー……ホントはどーだか」

 

「…………」

 

「……じゃ、じゃあ僕は書類書いてくる」

 

気まずい空気。

これ幸いと逃げ出していく。

実際、書類は書かなければいけないし。

 

 




「あー!」

「逃げちゃった……」

「賢明な判断だったと思います」

「……邪魔しないでよ」

「燕さんを困らせたくないので」

「……あっそ」


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もうちょっとだけ、世界が優しかったら。その5

秋風が吹いている。

少々肌寒いなか、道を歩いて行き、自宅に到着した。

 

住居に関しては、舞草への体制変更が有ったが、変わらず折神家の運営する官舎が使用出来ているので、勝手が変わらずに少々安心している。

と言うか、転職していないんだから、そうじゃなくては困る。

 

「ただいまー」

 

「ああ、お帰り。ワイシャツにアイロンかけて置いた……ぞ?」

 

「……何してんの?」

「真希さん?」

 

玄関を開けると、真希が居た。

僕にとってはまあ……時々ある光景だが、結芽と夜見は初めてだった。

 

 

「……結芽、夜見。ああ……久しぶりだな」

 

「いや、あの……何…してるの、真希おねーさん?」

 

「何って……うん、世話になってる分、家事をだな……」

 

「その格好は?」

 

そう言う結芽。

事実、真希の格好を見てみると、いつもの制服ではなく私服。その上に割烹着と言うスタイルだった。

 

「ああ、これか? 制服のままやるのもどうかと思ってだな。……料理は厳しいがな」

 

「胡椒と砂糖を間違える人を厨房に立たせる訳にはなぁ……」

 

一度、本人の希望もあってやらせて見たら、ご覧の有様だった。

杏仁豆腐と蟹雑炊を間違えるのは結芽の冗談だと思っていたのだが、あの件以降、本気でやりかねないと認識を改めた。

 

 

「真希おねーさん……」

 

「結芽さん。何故でしょう。真希さんに腹が立ちます。色んな意味で一体何をしているんでしょう、この人は」

 

「わかるよ。すっごいわかる。話だと、真希おねーさんは……」

 

「ハイ。ヒメ…タギツヒメを追っている筈。とは言え少し厄介になっているとは聞いていたものの、これは……」

 

「なんだ? まるで新婚……みたいか?」

 

「言ってません」

 

「んなわけないじゃん」

 

「……全否定する事ないじゃないか」

 

真希の言葉を間髪入れずに否定していく二人。

見ていて少し可哀想な程だ。

僕は何も言わないし、考えてもいないが。

 

「と、取り敢えず……中にね?」

 

「はーい」

 

「そうします」

 

玄関で立ち話を続けるのもなんだと思うから、中に入るよう促す。

 

「ああ、靴は下駄箱に頼むよ」

 

先に入ったのは夜見だった。

靴を脱ぎ、左右揃えてから丁寧に靴を揃える。

それを見た結芽も真似をする様に、同じ事をしていく。

 

「ああ、コートを……」

 

「私がやります」

 

コートを脱ぐと、真希と夜見が声をかけてくる。

 

「それくらいは自分でやらせて……」

 

「ああ、わかったよ」

 

「ハイ」

 

「………………」

 

しかしそれくらいは自分でしたい。

流石にそこまでやってもらうのは気が引ける。

だから結芽、そんな出遅れちゃったよ……みたいな悲しい顔をしないでくれ。

 

疲れた、と少し長めに息を吐く。

 

 

「真希さん、良いですか」

 

席に着くと、夜見が真希に話しかける。

 

「……なんだ、夜見」

 

「何故、ヒメをお一人で追っていたんです。とても、真希さん一人では倒せる相手とは思えませんが……」

 

「む……少し傷つくな」

 

「事実ですので」

 

「まあ…………紫様がタギツヒメだと見抜けなかったボクが出来る、最低限の贖罪だから、かな」

 

「その、しょくざい?がどうしてお兄ちゃんの家に居る事に繋がるのさ? おかしいでしょ」

 

「……ボクは馬鹿だった」

 

歯を食いしばり、苦虫を噛み潰した様な表情の真希。

そのまま、懺悔にも似た独白が続く。

 

「背負う事の無いはずの責任感に突き動かされ、周りが見えなくなっていた。だけど、一人では成せる事に限界がある」

 

「当然ですね」

 

あっけらかんに返す夜見。

しかし、真希はそれを気にすることなく話を続けていく。

 

「気配を追っていた時に、途中で忽然と消える様に途切れる、事実消えてるんだが……色々重なって丁度まあ……心が折れそうだったんでな。助けを求めたら、暖かく手を貸してくれたよ」

 

「成る程、燕さんの優しさにつけこんで転がり込んだと言う訳ですか。本来の目的は忘れて」

 

「それは違う、と言いたい所なんだが……最初に尋ねた時の事を良く覚えてないんだよな」

 

 

──

───

─────

 

結芽が入院中の頃だった。

病室を後にしてから、鎌府本部へ行き、夜遅くまで書類を作成したり弄ったりし終わり、家に帰っていく……そんな日の事だった。

 

家に帰る途中、黒い人影が歩いてくるものだから、危ない奴が近寄って来た、と逃げる寸前だったが、よくよく見るとどうも見覚えがあった。

 

「真希ちゃん?」

 

「燕、さん……」

 

そう、獅童真希だった。

彼女は、タギツヒメが倒されて……三つに分裂してから忽然と姿を消していた。

一体何処に行ったのかと心配していたら、此処で再開する事になるとは思わなかった。

 

「どうしたんだい? それに、そんなフードなんか着てさ」

 

「それは……」

 

言い淀む真希。

事情がやはり有るようだ。

しかし、何やら声音が震えている。

 

「取り敢えずさ、夜も遅いけど……ウチ、来るかい?」

 

「………良いのか?」

 

「もちろん。ほら、付いて来て」

 

「……ああ」

 

ワケありと見たので、家へ連れて帰る。

此処まで精神的に弱ると言う事は、何やら危ない橋を渡っているような気もしないでもないが。

 

◆◆◆

 

 

「飲み物は……」

 

「………水でいい」

 

「そう?」

家に着き、取り敢えずソファーに座らせる。

着くまでの間、会話が無い事による空気の気まずさに比べれば、今は余程良い。

僕は、少々距離を置いて左隣に座る。

 

「あー…元気だった?」

 

「まあ、な」

 

「そっか。それは良かった」

 

話題が続かない。

何をしていたのか聞けば良いのだろうが、それをやるのは少し違う気がする。

だからこう、当たり障りの無いような話を振ろうとするが、何せ話題の引き出しが無い。

 

一、二度会話をしただけで終わってしまう。

どうしたものかと考えていると。

 

「…………聞いてくれないか」

 

「なんだい?」

 

意外な事に自分から切り出して来た。

要らぬ気を回した、と言う事なのだろうか。

 

とは言え、真希がどこをほっつき歩いていたのかは気になる。

ゆっくり耳を傾ける事にした。

 

 

 

「ボクは……タギツヒメを追っているのは……薄々知っているとは思うが」

 

「あー……」

 

「だが、この通り一人では限界があったよ。何度追っても、ヤツは霞の様に何処かへ消えて行く。どうしようもないと思ったよ、正直」

 

「大変、なんだね」

 

月並みな表現だが、それ以外に言葉がない。

刀使でもない僕は、何もする事が出来ない。

その事実が、仄暗い物をチラつかせる。

 

「……それにノロはな、()()んだ」

 

「渇く?」

 

「ああ。言葉に言いようもない程の……親を求める様な、何かが足りない様な強烈な渇きだ。まあ……早い話がくっつこうとする、磁石みたいな力なんだが。それを利用して追っているんだが……」

 

「成る程ねぇ……」

 

結芽もそんな渇きを感じていたのだろうか。

ふと、そんな事を思う。

だから、ちょっとばかし僕に甘えすぎているのだろうか。

だとすると、これから反抗期とか来るのだろうか。

 

……! と言う事は、お兄ちゃんって呼んでくれなくなるのだろうか───

そんな事を考えてしまい、少し悲しくなる。

 

 

「まあ、それもあまり上手くいっていないけどね。ハハハ……」

 

「ま、取り敢えずゆっくりしてきなよ。僕は……まあ適当な所で泊まるからさ、好きに使いなさい」

 

自虐に走る真希。

それを見た僕は、話をこちらから切り上げる。

取り敢えず、この辺にしといて、適当なホテル……この時間空いてるとこあるの……か?

さてどうしようかと考えていると。

 

 

「気持ちは有難いが……今は一人になりたくない、かな」

 

「……真希ちゃん?」

 

空気が変わるのを肌で感じる。

少々ながら嫌な予感がする。

 

ああ、これはマズイ───

 

漠然としたカタチだが、確信めいたものが、確かにそこにはあった。

 

「ああ……そんな他人行儀で呼ばないでくれよ、真希で良い。寿々花や夜見は呼び捨てだろう?」

 

「まあそうだけど……」

 

事実ではある。

寿々花は確か向こうから言ってきたし、夜見は……その場の勢いで呼び捨てにしてしまったのが定着した……だったはず。

それを気にしていたとは、今知ったが。

 

「ホラ、真希だ。呼んでみてくれ」

 

「……真希」

 

「ああ……うん、中々良いものだな」

 

「そ、それなら良いんだけどね」

 

頰が朱に染まる真希。

常とは違い、なにやら様子がおかしい。

 

どう対処すれば良いのかわからない。

その上、気のせいではなく、なんだか物理的に距離が近くなっている。

 

 

 

「……すまない、ちょっとだけ」

 

「……ま、真希?」

 

真希がちょうど僕の右肩に頭を乗っける形で、くっついて来た。

 

「いっただろう?ノロは渇くって。ボクだって人が恋しくなったりするさ」

 

「それなら寿々花に……」

 

「おいおい、別に誰でも良いって訳じゃないんだぞ? 燕さんだから良いんだ」

 

唐突な告白。

そう言う意味、で言ったのだろうか。

それとも、単に歳上故に父なり兄なりの距離感なのだろうか。

そんな訳はない、と思うが。

僕だって、そこまで馬鹿じゃない、が……

 

「……大分疲れてるみたいだね、今日はもう寝なさい」

 

誤魔化す。

流石に、向き合うのは危ない。

何がマズイかって、歳の差がマズイし、何より、結芽に殺されそうな気がする。

 

「そうやって寝かしつけたら、何処かへ行く腹積もりだろう?」

 

そう言う真希は、僕の右腕に自分の左手を絡ませてくる。

 

「あ、あのー」

 

「兄妹そっくりだな。ずっと見てないと、すぐ好き勝手して居なくなるんだから、な」

 

真希の方向を見ると、すぐ近くに顔がある。

そんな時、目線が、ふと合う。

 

「やっと、見てくれたな」

 

嬉しいぞ、などと言いつつ、真希は空いていた筈の右腕まで使って、僕を離すまいとしてくる。

しかし、そうなると真希の姿勢的に、その。

当たる、訳で。

 

「ま、真希? 離れましょう? ね? ね?」

 

「むぅ……寿々花みたいな事言うなよ……」

 

「真希……!?」

 

現状を打開しようと目まぐるしく脳を回転させるが、裏がえった声に、似つかぬ変な口調が出てしまう。

それが真希の何処に触れたのかわからないが、更に密着度は増していく。

 

「良いだろ、別に。不安なんだよ……こっちは」

 

さっきまでとは違い、打って変わって消え入りそうな声色だ。

しかし不安、とあり。

その事は少し冷静さを取り戻す事に成功する。

 

「とは言えな、その……女の子がな?」

 

「なんだ、女として見てたのか。ボクの事」

 

しかし実際は、冷静になったとかそんな事は全然なく。

寧ろ事態は悪化の一途を辿り始めている。

 

「あー…いや、そう言う意味じゃなくてな……」

 

「……てっきり、興味ないのかとヒヤヒヤしてたよ」

 

そんな事をつぶやく真希。

これは本格的にマズイかもしれない。

 

 

「確かに、ボクの事を変な風に色眼鏡で見ない所が良いなー……とは思ってたけど」

 

勢いに任せてか、とんでもない事を続々オープンさせていく真希。

このままだと押し切られてしまいそうだ。

てか、押し切られそう。

 

「余りにも個人としてしか見てくれないから、終いには逆に困っていたが……そう、か……見てくれていたか」

 

「落ち着け。今日はもう遅いから、な?」

 

「……夜はこれから…だ、ぞ!」

 

「うぉっ!?」

 

真希が寄りかかっていた右腕を極められる。

そのまま体勢を崩され、操られ。

ちょうど、真希に押し倒される形になってしまった。

 

「真希、あのな……」

 

「………………」

 

真希は無言のままに、そのまま倒れこんでくる。

 

「…………真希?」

 

しかし、そのまま動かない。声をかけて見ても、返事がない。

すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 

「あ、寝落ちしてるコレ」

 

内心、危なかったと安堵の息を吐く。

右手の自由が戻ったので、ひっくり返すようにして抜け出す。

 

「しかし、何故……」

 

酒なんかあるわけ無いし、薬なんかもあるはずも無い。

深夜テンション……な訳ないか。

 

考えても答えが出るはずもなく、どうしてこうなったと首をひねりつつ、真希をベッドまで運んで行った。

 

……今日は、ソファーで寝よう。

 

 

──────

────

──

 

(寧ろ覚えてなくて良かったよ)

 

「なにそれ」

 

「都合が良いですね」

 

(本当にな)

 

「その日から……まあ、色々と世話になってな。だが、世話になりっぱなしというのも性に合わなくてな」

 

「そう言う人でしたね、真希さんは」

 

「ああ。まあ……なんだ。御礼も兼ねてな、何かしようと思ったんだ」

 

「ふーん。じゃお疲れ。もういいよしなくて」

 

結芽が手をひらひらと振る。

 

「おいおい、そう言うなよ結芽。お前親衛隊の頃から荒魂退治にかこつけて手伝いサボってただろ?」

 

「うっ……今は関係ないでしょ!?」

 

結芽は真希の反論に、答える事が出来なかった。

と言うか、そんな事してたのか、結芽。

 

「関係大アリだ。ボクは負担を余りかけたくないからこうしているが、結芽だと増やすだけだろ」

 

「……お兄ちゃん?」

 

「結芽さん。燕さんは否定しかしませんから。そこで聞くのは卑怯ですよ」

 

口を開こうとしたら、間髪入れずに夜見が口を挟む。

まあ、否定しようとは思ってた、けどさ。

 

「むー!よみおねーさんまで何なのー?」

 

「……まあ、二人とも。あんまり結芽をいじめないであげて、な?」

 

「お兄ちゃん!」

 

「はいはい、わかったから」

 

ひし、と抱きついてくる結芽。

そのまま頭を撫でてやる。

 

「ほら、言った通りです」

 

「ハァ……」

 

溜息をつく真希。

夜見も呆れている。

別に、これくらい可愛いもんだから、いいじゃないか、と思う。

 

「……じゃあ真希おねーさん、寿々花おねーさんの所行こっか」

 

「す、寿々花か? なんで突然そんな話に……」

 

結芽の突然の提案に、戸惑う真希。

ちなみに結芽はこの間も僕から離れようとはしない。

 

「やっぱり3人だと足りないじゃん、4人じゃないと」

 

「だ、だがな……」

 

「……ふーん? やっぱりねー」

 

「結芽?」

 

何か確信めいた物を掴んだらしい結芽。

 

「真希おねーさん。寿々花おねーさんに怒られるのが怖いんだー!」

 

「そんな、事は……!」

 

真希の声に力が籠っている。

そんな事あるな、これ。

 

「じゃあ行こっか。大丈夫だよ、真希おねーさん。私もついてくしさー」

 

「ゆ、結芽……」

 

「大丈夫ですよ、真希さん。私もついて行きますから。親衛隊四人の同窓会だと思えば」

 

「夜見……」

 

結芽と夜見の二人が、真希を連れてこうと誘う。

断れない展開に、真希の顔が中々渋い。

 

「あ、お兄ちゃんはお留守番しててよ。増えたら困るし」

 

「……何が増えたら?」

 

「なんでもなーい」

 

まあ、何となくは意味がわかるが。

流石にそこまではないでしょう。

とは言え、親衛隊四人水入らず。

無理に行くことも無い。

 

「まあ、そう言う事ですので。真希さん、行きましょう」

 

「……だが」

 

「行ってきなよ」

 

なので、渋る真希の背中を押す。

 

「燕さん……」

 

「別に、殺される訳じゃないんだし……ね?」

 

確かにこの四ヶ月間、ロクに顔も出さず、一丁前にフードなんか着て場を混乱させていたとは言え……この期に及んでまだ行かないと言うのは流石にマズイだろう。

 

「行ってきなよ、真希」

 

「……ああ、わかった。行ってくる」

 

「じゃあしゅっぱーつ! さ、おねーさん達行くよ!」

 

「いってらっしゃい」

 

 

◆◆◆

 

 

 

親衛隊が一堂に会した。

真希が寿々花に叩かれ、説教。

それを結芽がニヤニヤしながら眺めたり、夜見が窘めたり。

 

そんな一連のやりとりを終えた後、事件は起きた。

 

「で、話が終わったところ悪いんだけどさー、寿々花おねーさん。おはなしがあるんだけどー」

 

きっかけは、結芽だった。

 

「なんですの? 結芽」

 

「お兄ちゃんになに勝手にキスしてくれてんの?」

 

「……は?」

 

結芽の発言に、真希が寿々花の方を勢い早く見る。

その眼光は鋭い。

 

(結芽さんはもっと凄かったって、言えばどうなるんでしょうか)

 

夜見は思っても言わない。

その言葉が更に波乱を巻き起こすと知っているからだ。

 

「あら、結芽。知っていたの?」

 

寿々花は動じる事はなかった。

その姿勢に、結芽は寿々花は開き直ったのだと思った。

 

「当たり前じゃん。お兄ちゃんの事だよ?」

 

「おい、寿々花! どう言う事だ!?」

 

寿々花の肩を掴む真希。

 

「別に。貴女には関係なくって? 真希さん」

 

「関係大有りだ! ボクの頰を叩いてまで心配してくれていた寿々花はどこへ行ったんだ!」

 

「あの私とその私は別ですわ。人間、誰しも仮面を使い分けるものでは?」

 

「うっ……それは…そうだが」

 

「なーに言い負けそうになってんの! 真希おねーさん! もっとしっかりしてよ!」

 

あっさりと言い負かされる真希に、呆れる結芽。

(結芽さんが言う事じゃないと思いますよ)

夜見は、此処でも何も言わなかった。

 

「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだから、ちゃんとそういうのはしっかりさせないとー」

 

「あ?結芽。それは許容出来ないな。第一、燕さんは誰のモノでもないだろう」

 

寿々花に掴みかかり、しかしあっさりとあしらわれた真希が、その矛先を結芽に向ける。

 

「誰のものでもないのは真希さんが言うまでもなく、当然の事です。つまり私がどう仕掛けようとも自由ですわ」

 

それを利用する寿々花。

 

「なあ、セクハラって女性からでも成立するんだぞ?」

 

「嫌がらなければセクハラには当たりませんのよ?」

 

「いや、なに難しい話してるのか知らないけどさ、勝手に盗らないでよ」

 

三者三様、辺りに火花が散る様。

 

 

「あの、取り敢えずですね。一度落ち着いてください」

 

この空気はいけないと夜見が仲裁に入るも。

 

「なんです? 貴女が一番目があるからって、そう言うのは良くありませんわ」

 

「そうだぞ、夜見。お前は仕方がない部分があるとは言え、それはズルい」

 

──駄目。

寧ろ刃先がこちらに向いただけの様だった。

 

「そうだよー。よみおねーさんは少しお兄ちゃんに甘えすぎ」

 

「それは結芽が言って良い事では無いな」

 

「そうですわね。一番甘えている人が何を言うのでしょう」

 

確かにそうだ。

結芽以外の三人の意思が共通した瞬間だった。

 

「私はいいんでーす」

 

「そんなんだからいつまでたっても彼は自由にならないんです!少しは自立しなさい!」

 

「お兄ちゃんは私といるのが幸せだからいーんでーす!」

 

「そんなわけあるか!兄はお前の為に居る訳じゃないんだぞ!?」

 

「…………くせに」

 

「結芽?」

 

「なにもわかってな「あ の ! ! !」

 

「うえっ!?」「うわ!?」「きゃ!?」

 

 

 

 

このままでは険悪を通り越して大変な事になる。

だから、夜見は普段出し慣れない大声を出してでも、流れを断ち切り、話を止める必要があった。

 

仲が悪くなった、何て彼が聞いたら、頭を抱えるかもしれない。

それに。

四人、仲が良いのが望ましい。

そう信じているからだ。

 

「よ、夜見の大声……初めて聞きましたわ」

 

「よ、夜見……?!」

 

「…………な、なに?よみおねーさん」

 

三人共、初めて聞く夜見の大きな声に驚き戸惑っている。

策は功を奏した様だ。

 

 

「この後、真庭本部長の所へ今後の事について話し合う予定です。……皆さん頭を冷やして、その話は、後にしませんか?」

 

と言ったらしめたもの。

これ幸いと夜見は仲裁の締めに入る。

 

「……すまない。少し頭に血が上り過ぎたよ。ああ、ここは夜見の言う通りにしよう」

 

「……ええ、そうですわね。私も頭を冷やしますわ」

 

「えー、でも私、難しい話はわかんないよー?」

 

と結芽の言葉。

そういえばそうだった、とどうしようか夜見が思考を巡らせたその時。

 

「じゃあ結芽。衛藤さん達の所へ行ってはどうです?」

 

「え、可奈美おねーさん居るの?」

 

寿々花から図らずとも助け舟が入ってきた。

 

 

「ええ。その筈ですけれど……」

 

「ホント!?ちょっと行ってくるね!」

 

一も二もなく、踵を返して部屋から出て行こうとする結芽。

 

「ハイハイ、転ばないように気をつけるんですのよ? それと、一応御刀を受領して起きなさい」

 

「わかった、ありがとう! 寿々花おねーさん!」

 

途中でつまんない、とか言われても困るので、御刀の事だけ伝えて見送る事にした。

 

「……夜見。助かりましたわ」

 

「いえ。礼には及びません」

 

先程の夜見の意図を察した寿々花が、礼を言った。

 

 

「……なあ、二人共。少し、大事な話があるんだが───」

真希が、何かを思いついた。

本部室に行くのは、少し後になりそうだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「可奈美おねーさん!」

 

「結芽ちゃん!」

 

「もう退院出来たんだね!おめでとう!」

 

「うん!私もおねーさんに会えて嬉しいよ!」

 

広場にて抱き合う二人。

 

「おい、可奈美!そいつは親衛隊の……!」

 

「……誰?」

「十条姫和だ!」

 

一体何事だ。

そいつは親衛隊の人間だろう。

何故そんなに仲がいいのか、と姫和は思った。

 

「ごめんごめん、忘れてたよー。確か…御前試合の時のおねーさんだっけ?」

 

「忘れ……」

 

あんなに派手な事をやったというのに、忘れられていた事に動揺を禁じ得ない姫和。

余りのショックに目眩がする。

 

「あの、可奈美ちゃん?」

 

側から様子を見ていた、柳瀬舞衣が可奈美に声をかける。

 

「あ、おねーさんは確か……えーと、そうだ!沙耶香ちゃんと駆け落ちしてたおねーさん!」

 

「か、かけお……ち、違います!」

 

結芽はこのおねーさんは知っていると揶揄いの意味を込めて言う。

 

「舞衣と、駆け落ち……?」

 

「はいはい、沙耶香ちゃんは気にしなくていいのよー?」

 

約1名、効果があった様だ。

舞衣はそんな糸見沙耶香に微笑みかける。

 

 

「おい、どうしてお前が此処に居るんだ?」

 

「私より背が小さい…おねーさん……?」

 

結芽に声を掛けてきたのは益子薫。

結芽は見覚えがある様な気がするが、背の小ささを揶揄う事にしたようだった。

 

「余計なお世話だ!」

 

「ごめんなさーい」

 

当然、怒る薫。

一片の謝意も篭ってない詫びの言葉で返す結芽、

 

「確か、結芽ちゃんは獅童さんをここに連れに来たんだよね?」

 

「うん、そうだよ。さっき可奈美おねーさんには連絡したもんね」

 

他の5人に説明するように、此処にきた目的を問う可奈美。

 

 

「獅童真希を連れて来た? どういう事だ?」

 

「これ以上話がややこしくなる前に合流しないと、って思ってねー」

 

薫が疑問を呈する。

獅童真希は、確か───

 

「ややこしい……つまり、アレデスかー?」

 

意味を察する、古波蔵エレン。

 

「フードの刀使は獅童真希じゃなかったのか……面倒だ…」

 

その言に、そう言うことかと全てを悟る薫だった。

 

「ほんとにねー、厄介な話だよ」

 

「ええい!良く訳がわからないぞ!」

 

そう言うのは、ショックから立ち直った姫和だった。

 

 

「じゃあここでself introduction といきまショーウ!」

 

「えーと……?」

 

自己紹介しようと切り出したのはエレンだった。

可奈美の知り合いは私のFriend! みたいな思考なのだ。どうしようもない。

 

「私はエレン。古波蔵エレンと申しまーす! これからよろしくお願いしマース! つば九

「それは辞めた方が良いんじゃないかな……」

 

「む、そうデスか?」

 

「うん」

 

可奈美は、エレンが言おうとしたアダ名を制止する。

良くわからないけど、色々マズイ気がして。

 

「まあ、可奈美が言うなら……じゃあ、ゆめっちで良いデスカー?」

 

「おっぱいも態度もおっきいおねーさんだね……」

 

さしもの結芽も、やりにくいと皮肉を吐く。

 

「Yes!私はいつでもBIGなのデース!」

 

「……………」

 

しかし、彼女には通用しなかった。

理解して、やっているのかもしれないが。

 

 

「エ、エレンさんはそう言う人だから……」

 

 

「じゃあ次はオレだな。オレは薫。益子薫だ」

 

「で、こっちはねね」

 

「ねねー!」

 

「ナニコレ……荒魂?斬って良いの?」

 

先程保管室から受領した愛刀。

ニッカリ青江の柄に、右手をかける。

 

「コイツは良い荒魂だ」

 

斬られてはかなわないと薫が事情を端的に説明する。

 

「ねねねー!」

 

「うわ、くすぐったいなぁ……もー」

 

柄から手を離した結芽に、飛びつくねね。

 

「ねねが懐くって事は、ノロも抜けてるし、成長性がある証拠だな。良かったじゃないか」

 

それを見て、薫が思う。

 

「何の?」

 

「胸の大きさのだ」

 

「うわっ、ヘンタイじゃん。やっぱり斬って良い?」

 

そんな薫の、ねねの説明に、やっぱり斬った方が良いな、と確信する結芽。

 

「絶対ダメだ。ほら、戻れ。ねね」

 

「ねー!」

 

ねねの尻尾を掴み、強引に引き剥がす薫。

呆気なく離れて行った。

 

「!って事は……姫和」

 

「お、おい!何故私を見る!?」

 

そして、ある事に気付いてしまった薫。

姫和の方をニヤニヤしながら見る。

 

 

「お前だけだな、ねねが懐かなかったの」

 

「止めろ!」

 

意図を察した姫和が叫ぶ。

 

「あー……まあ、良い事あるって。平らなおねーさん」

 

全てを察した結芽は、自分なりに言葉を選びながら慰める。

 

「煩い……!」

 

しかし、全ての言葉が今の姫和には追い討ちにしか聞こえない。

膝から崩れ落ちて行った。

 

「わ、私は舞衣。柳瀬舞衣。で、彼女が」

 

「沙耶香。糸見沙耶香。知ってると思うけど」

 

そんな空気を見かねてから、舞衣が沙耶香と共に話し始める。

この二人とは、結芽は一度刃を交えている。

 

「あの時暇だから連れ戻しに行ったの私だしねー。まーもうどうでも良いけど」

 

「暇だったの……」

 

当人から明かされる真実に、何とも言えない気分になる舞衣。

 

「……で、そこで落ち込んでるのは姫和ちゃんよ。十条姫和。……さっき言ってたと思うけど」

 

一向に挨拶をしない……する気力もない姫和の事を代わりに紹介する舞衣。

 

「元気出して下さいひよよーん!胸が無くても、ひよよんは十分に魅力的デース!」

 

「…………何故ここまで辱めを受けねばならないんだ……」

 

エレンが純然たる善意から発言するが、所詮は持つ者と持たざる者。

何の慰めにもならない。

これでは更なる追い討ちだ。

 

「そ、そう言えば、獅童さんは?」

 

落ち込む姫和から醸し出される空気を変えようと、話を変える可奈美。

 

「他のみんなと一緒に執務室? アレ、本部室だったかな……?」

 

「なるほどー」

 

結芽は良く覚えていなかったが。

 

「にしても、これで親衛隊四人が勢揃いとはな。どうせお前たちも戦うんだろ?」

 

「うーん……よみおねーさんはどうだろ。ちょっと良くわかんないかな。ノロが多いからまだ病院通わないといけないんだってー」

 

薫の問いに対して曖昧な返答をする結芽。

 

「え、そうなの?」

 

「色々あったからねー」

 

可奈美の問いにも、お茶を濁す。

 

 

「所で、結芽ちゃん」

 

「なーに?」

 

結芽の耳元に近づく可奈美。

声の大きさも絞られている。

 

「此花さん、本当に付き合ってないの?」

 

「は……あー、アレね。本当に付き合ってないよ」

 

(そう言えば、あの話可奈美おねーさんからケータイで聞いたんだよねー)

 

 

─────

───

 

《ねえねえ、結芽ちゃん!》

 

《なーに?》

 

《あのさ、聞きたい事があって……》

 

《聞きたい事?》

 

《結芽ちゃんのお兄さんってさ……此花さんと付き合ってるの?》

 

《どうゆう意味?》

 

《こないだ、此花さんに用事があって、病室の前まで行ったんだけど……》

 

《ど?》

 

《その、入ろうとしたら……キス、してて……》

 

《そうなの?》

 

《うん》

 

《その時は、急いでその場を離れたんだけど、気になって》

 

《本人に聞くのもなんか恥ずかしいし、結芽ちゃんに聞いてみようと思ったんだけど……》

 

《どうなの!?》

 

《付き合ってない!》

 

《絶対にない!》

 

《えええええええええ!?》

 

──

───

────

 

 

(まさか、あんな行動に出るとは思わなかったなー)

 

「はぁ!?アレでか!?」

 

その現場を目撃していた一人である薫が驚きの声を上げる。

 

「何、ちっちゃいおねーさんも見たの?」

 

「小さい言うな! ……まあ、な」

 

「ふーん……」

 

「でも付き合ってないよ」

 

結芽は改めて否定する。

いや、否定しなければならない。

そうでなくてはならないからだ。

 

「あの……流石にそ、その……そこまでしといて、付き合ってないって言うのは…」

 

「何?えーと……舞衣おねーさん。何か文句あるの?」

 

「文句って、そんな大袈裟な事じゃないけれど……」

 

恐らく見聞きしたのであろう舞衣が苦言を呈する。

この年代の常識ではそう言う事、だからだろう。

 

「おい、何の話だ?」

 

「ひよよんはそのままのひよよんでいて下サーイ!」

 

何のことだかさっぱりわからない姫和。

エレンが誤魔化す。

 

「な、おい!どういう事だ!?」

 

「舞衣。私もみんなの話に付いてけない……」

 

話が良くわからないのは自分だけじゃなかったと、これ幸いと舞衣に尋ねる沙耶香。

 

「沙耶香ちゃんはクッキーあるから、向こうで一緒に食べましょう?」

 

「……うん!」

 

そんな純真な沙耶香に、話を聞かせたくないと舞衣がクッキーを勧める。

 

「え!舞衣ちゃんのクッキー!?私も食べたい!」

 

「おい、舞衣。チョコミントは勿論あるよな?」

 

飛びつく可奈美と姫和。

 

 

「もう……ちゃんとみんなの分もあるから、そんな興奮しないで」

 

二人に呆れながらも、人数分有ると保証する舞衣。

 

「そんなに美味しいの?」

 

そんな様子を見て、当然の事ながら気になってくる結芽。

 

「うん!舞衣ちゃんのクッキーはね、すっごく美味しいんだよ!」

 

「それじゃあわからないだろ……」

 

太鼓判を押す可奈美に、そんな可奈美に苦言を呈する姫和。

 

 

「ハイ。結芽ちゃんもどうぞ」

 

そんな時に、舞衣はクッキーをおもむろに取り出し、勧める。

 

「……いただきます」

 

素直に受け取る結芽。

それを恐る恐る口に運ぶ。

 

「…………おいしい!」

 

「でしょ!?」

 

口にあった様だ。

 

「それは良かった。まだあるから、どうぞ」

 

その様子を見て、更にクッキーを勧める舞衣。

 

 

 

 

「あの空気から一瞬で自分の場に……そう考えると凄いぞ」

 

「流石はマイマイデース!」

 

そんなやり取りを見て、薫とエレンが講評する。

 

「……と言うより、薫が出歯亀しに行かなければ良かったのデワ?」

 

「……でもやっぱり気になるじゃないか?」

 

「それはソーなのデスが……ムムム……難しいデース」

 

「てか、此花寿々花も良くやるよな………」

 

「ノンノン、薫。乙女はいつでもBurning Love!なのデスよー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もしも真希さんが寝落ちしなかったら?
個別ルート突入でもしてたんじゃないかな


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六。

ヒスリヒメに頭を抱える→生放送に涙を浮かべる→ヒスリヒメに頭を抱える→ゲーム版PVを見る→真希さんの高まる主人公力と結芽ちゃん復活ルート疑惑に胸が高鳴る


刀剣類管理局本部 某所───

 

「夜見の情報の裏は?」

 

「取れた、と仰ってましたわ」

 

タギツヒメは綾小路武芸学舎に居る。

皐月夜見が、以前に真庭本部長に提供した情報だ。

その情報の裏が取れた事を寿々花は先程、本部長の口から聞いていた。

 

そんな事を、パイプ椅子に座りつつ話していた。

 

「それで? 仕掛けるのか?」

 

タギツヒメは人間への憎悪の塊と言っても過言ではない。

向こうが聞く耳を持たない限りは相互理解は不能だからこそなのだが……。

 

「それは、教えて下さいませんでしたわ」

 

首を横に振る寿々花。

それを見た真希は歯軋りをするが───

 

「恐らく、相楽学長の出方を伺ってるのでは? 結芽さん、こちら側に居ますし」

 

「……どう言う事だ?」

「もうちょっと、詳しく教えて下さらない?」

 

夜見の言葉に疑問を抱く真希。

寿々花も同じく、続きを促す。

 

「相楽学長は荒魂の研究で人々の病気を治せないか、と考えていました」

 

「……そうなのか?」

 

「ハイ。最も結芽さんは、向こう数十年は一般に降りない予定の技術でどうにかなった訳ですけど」

 

「……それ、逆に逆恨みしないか?」

 

「何処の国も真っ黒ですわね……」

 

無表情の夜見から聞かされた話に、二人はそれぞれの感想を抱く。

 

「と言うか、何故そんな事を知っているのか気になるんだが……」

 

「さあ……私は相楽学長ではないので、判りませんし、ネタ元は秘密です」

 

「夜見、お前がこっちに居てくれて良かったよ……」

 

心の底から思う真希。

これから起こる事も含めて。

 

「……所で、そろそろ良くって?」

 

寿々花が呟く。

 

「ハイ。先程出て行った結芽さんは今頃、衛藤さんと試合をしている頃です。この部屋の周りに人の影も有りません」

 

「盗聴器の類は?」

 

「なし。全て良しです」

 

「では、第4回目となる作戦会議を始める!」

 

夜見の確認報告を受けた真希が、声高らかに宣言する。

 

「今までの総括からですね」

 

「……1回目は結芽を引き剥がす為に、結芽をどうやって自立させるかで大揉めに揉めたのだけれど……」

 

足を組み替えると、1回目の概要を寿々花は話した。

平和的に展開した事を寿々花は同時に思い出していた。

 

「無理ですね」

 

「ああ、無理だな。だから本丸である燕さんの方をなんとかしよう、と言う方向性になったんだったな」

 

真希が1回目の総括。

ようやくスタートラインに立っただけで、何も進まなかったな、と思い出に耽る。

 

「ハイ、具体的には結芽さんと過ちを犯してしまう前に先に既成事実を作ろう、と言う事で2回目は纏まりましたが……」

 

「独占しようとしても、誰も得をしないから、独占はナシ。誰が先を越すかも不問にする事に3回目でなったな。……もう斬り合いはゴメンだ」

 

今まで、あれ程死力を尽くした事が有っただろうか。

と言うか、夜見は弱いって自己申告してたじゃないか、あの狸め。

全然弱くないじゃないか。

 

あの時の真希はそう思ったし、寿々花も溜息を吐いた。

 

 

「……結芽が聞いたら、切り掛かってきそうなものですけれど」

 

「結芽は精神的にまだ未熟だから独占欲が強いのかと思ったが、アレは違う。依存だな。ま、無理もないが……」

 

「……経緯的に、理解はしますが」

 

「私も理解はしましたわ。……ですが、やはり兄妹と言うのは…」

 

「現代じゃ許されないからな……難しい所だ」

 

こめかみを抑える真希。

言葉に尽くしがたい心境に、どうする事も出来ない。

幾ら結芽が願おうとも、この国はそれを許さないのだ。

 

「……私達のやろうとしてる事も、世間から見たらどうなのでしょう」

 

「話を変えよう。どうやって既成事実を作るか、だが……」

 

「押し倒して貰う、と言うのはどうですの?」

 

「いやあの、ちょっとお二人」

 

ふと冷静になった夜見が、自分達の状況の再考を二人に促した。

しかし、都合の悪い事は見たくないのが人間と言うものだ。

 

「…………何か、何故かは判らんが、うまく行かない気がする」

 

「どなたか、経験者の方に伺うとか……」

 

「寧ろ、こんな状況を経験した事ある人が居たら是非とも話を伺いたいです」

 

「………撤回しますわ」

 

「…………」

 

「…………」

 

沈黙の帳が降りる。

自分から目を背けた事象は、周り巡って自分達の前に立ちはだかるのだと、嫌が応にも自覚させられる様な時間だ。

 

それを破るのは───

 

「なあ、実際、そう言う経験……有るか?」

 

大きな爆弾でなければならない。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

沈黙を継続する寿々花と夜見。

つまりはそう言う意味だと真希は捉えた。

 

「…………真希さんは?」

 

ポツリ、と寿々花が返す。

 

「………有るわけないだろう」

 

真希は顔を逸らし、頭を掻いた。

 

「あら、あんなに男女問わずおモテになるのに?」

 

「……それとこれとは関係無いだろう、寿々花。第一キミ、縁談とか有る様な名家なのに、その……無いのか?」

 

「一応、作法は心得てますのよ? ま、その前に破談になったワケで……」

 

バツが悪そうに笑う寿々花。

 

「そう言えばそう、だったな……」

 

溜息をつき、頭を抱える真希。

 

「ですが、お陰でこの場に立てているのですもの。運命って意外とロマンチストなんですのね……」

 

自分の髪の先端を指で弄る寿々花。

頰にはうっすらと朱が差し、口元は綻んでいる。

 

その様子を見た真希は辟易とした。

夜見は相変わらずの無表情だったが。

 

「私達のことを意識してない、訳じゃないんですのよね、夜見?」

 

「私を連れ出したり、真希さんの面倒を見たりなんかする、相当なお人好しでしたが、寿々花さんがやってくれたお陰で、ここ最近は妙に距離を感じます」

 

「あら? 夜見だってなんかしてらしたんじゃなくて? 何が『私は、そう言うのじゃ……』ですか。そう言うのを蜘蛛って言いましてよ?」

 

辺りに、静かに火花が散り始める。

火蓋が切られるかもしれない、そんな険悪な空気が漂い始めている。

 

「お前ら……そんな事してたのか」

 

「真希さんは、家でタダ飯食ってたかと思えば、掃除洗濯の家事やり始めて、挙句には料理を教わってたんですってね?」

 

真希の何気ない一言にも噛み付く寿々花。

 

「キミはキスとハグだろう!? 全然比較にならないぞ!」

 

煽られた真希。

耐性が無かったのか、すぐさま噛みつき返す。

 

「お二人共、ここは落ち着いてください。争いは禁物と、第3回会議で協定を結んだハズです」

 

夜見が取り直す。

共倒れしてもいい事はないし、あの兄妹が先に過ちを犯しかねない。

我々は協力すべきなのだ、という事で一致したからだ。

 

 

──自分達のことは棚に上げて。

 

 

 

「……色々言いたい事は有りますが、ええ。それで意識はしている、でしたっけ?」

 

夜見の提案を受け入れ、話を戻す寿々花。

 

「ああ。押し倒してくれるとは到底思えんがな。……こちらから押し倒すか?」

 

「現状、方法がそれしかないのだけれど……」

 

もはや正常な思考が困難になっている中の思考。

堂々巡りになるのも、無理はなかった。

 

「それだと……時と場所。それから()()の話になりますね」

 

「「!」」

 

「三人同時に、と言ってもですよ? やっぱり、その()()しか無いわけで……」

 

「………なあ」

 

「なんです?真希さん」

 

「燕さんって、今まで彼女居た事あると思うか?」

 

「……………」

 

誰かが生唾を呑んだ。

 

それを皮切りに、空気が一気に冷たいモノへと変貌していく。

 

変わりゆく雰囲気の中。

まるで示し合わせたかの様に、立ち上がった三人の手が、腰に佩く御刀へと影が伸びる様に伸びていく。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

ゆっくりと、鯉口が切られていく。

 

「止まるなら、ここですわよ?」

 

そう言いつつも、寿々花は九字兼定を抜刀している。

椅子を避け、じりじりと背後に間合いを取っている。

 

「説得力が無いな」

 

とは言いつつも、真希の手には薄緑が握られている。

 

「誰が先を越すか、不問なのでは?」

 

決めた約定を違える気か、と夜見が問う。

だが、この問いには意味が無いと鼻から切り捨てている夜見は、水神切兼光を構えている。

 

「そう言う事と有れば、致し方ないのではなくって?」

 

「確証はないんですけどね」

 

寿々花と夜見は写シを貼る。

最早、誰にも止められない。

 

「あの時の続き、と行こうか」

 

写シを貼った真希。

そのまま刀を振り上げ───

 

 

 

 

 

「私もまーぜて!」

 

「!」

 

真希の背後から袈裟懸け(斜め)に切ろうとする、乱入者の一閃。

 

真希は刀を振り上げた勢いそのままに、迅移にて振り返り、それを受ける。

 

「チッ……! 結芽!」

 

八幡力を発動し、結芽を押し払う。

 

「もー、そーゆー事なら早く言って欲しかったなー」

 

奇襲を仕掛けるも、失敗に終わった結芽は、押し払われた勢いを利用して後ろに跳びく。

着地し、ため息をつくと、担ぐ様に肩に御刀の峰を当てる。

 

「言うわけないでしょう? 貴女は───」

 

結芽に切っ尖を向ける寿々花が言い終わらない内に──。

 

「おねーさん達以外に、邪魔するヤツは誰もいないんだから!」

 

予備動作無しの三段階迅移を駆使した鋭い突きを放つ──!

 

「……くっ!」

 

刀を横に倒す、天然理心流独特の平青眼の構えから放たれたそれは、鳩尾、喉、眉間を狙った三段の突き。

 

正確に放たれるそれを、寿々花は鞍馬流の手首を駆使する、独特の巻き落としで右側へといなす。

 

「そう来ると───」

 

時に幕末。

天然理心流は田舎剣法と謗られていたと聞く。

何故ならば。

 

 

勝つ為ならば、手段を選ばないからだ。

 

 

 

「思ってたよ!」

 

「な!?」

 

右側へと跳ね除けられた御刀から右手を離し、近くに有ったパイプ椅子を、八幡力を駆使し、寿々花の顔面目掛けて投げつける。

 

「もーらいっ!」

 

顔目掛けて椅子が飛んで来た事により、視界が奪われた、その一瞬の隙を結芽は見逃さない。

 

パイプ椅子毎、寿々花の顔を貫かんと刃を突き立てる───!

 

「はぁっ!」

 

結芽が突き刺すニッカリ青江が、寿々花を貫こうとしたその刹那、夜見が上から叩き落す。

 

「ちっ!」

 

夜見は切り落とした勢いそのままに結芽を貫こうとするが、結芽は迅移で横へ飛び退く。

 

「もー、なんで邪魔するかなー」

 

無邪気に笑いながらそう言うが、目元は笑っていない。

 

「私達個々人では、結芽さんには敵いませんので」

 

「へー、わかってんじゃん」

 

そう言うと結芽は、夜見へと襲い掛かる。

 

「く……」

 

唐竹()逆袈裟斬り(斜切り上げ)袈裟斬り(斜め)

途切れる間も無く、次々と放たれる様々な斬撃は、次第に夜見を追い詰めていく。

 

「そう言う事ならっ!」

 

夜見の苦境に、薙ぎ払って入る真希。

結芽は受け流し、跳びのき、また刀を振るう。

 

「何処までも出鱈目な!」

 

寿々花の参戦により、三対一となったこの剣戟。

親衛隊とあって、流石の連携。

言葉を交わさずとも、結芽を三角点の中心に追い込む様に動く。

 

「おねーさん達の手は読めてるんだよー!」

 

囲まれる前に、常に誰かがもう一方の剣線上に被る様に移動し、連携を崩そうとする結芽。

その際も、辻斬りの如く素早く刀を振るう。

 

「クソっ、此処まで強かったか!?」

 

「可奈美おねーさんと毎日試合してるから、ねっ!」

 

「ぐっ……!」

 

真希は鍔迫り合いに持ち込むも、逆に刀を上に払い上げられ、鳩尾に肘鉄を入れられ、脚を払われる。

 

「真希さん!」

 

足払いを受け、倒れ込む真希が斬られない様、援護する寿々花。

 

「こんな簡単にひっかかるんだね!」

 

寿々花が振るった刀に合わせて、同じ剣線上に斬りつけてくる結芽。

 

「きゃっ!?」

 

鎬に逸らされ、僅かにブレた寿々花の九字兼定は、主人が拳を斬り落とされる事を許してしまった。

 

「いやー、凄いんだよね可奈美おねーさん。これも教えてもらったんだ。確か……《十文字勝ち》だったっけ?」

 

確か、柳生新陰流だったっけ、可奈美おねーさんと結芽は呟く。

その様子に、歯噛みするしかない寿々花。

 

「いっぱい勉強になるよ!」

 

すぐさま真希を斬りつける結芽。

 

「っ……!」

 

何とか膝を立てて受ける事に成功する真希。

だがら結芽の御刀が下にジリジリと火花を立てつつ下がって行く。

切先が抜けた途端、顔面を貫く積りだ。

 

「私を忘れられては困ります!」

 

膠着する状況に、結芽へと斬りかかる夜見。

真希を救う事には成功した様で、結芽は迅移で背後へと逃げる。

 

「どうする? あ、まだノロ残ってんだっけ? 使う?」

 

「舐めやがって……!」

 

結芽の挑発に怒りを募らせる真希。

 

「まー別に? 使っても勝てると思うし? このままお兄ちゃん諦めてくれたら嬉し……うわっとと!」

 

「挑発に乗ってはいけませんわよ、真希さん?」

 

怒りに今にも飛び出しそうな真希の代わりに、結芽へと横薙ぎに斬りかかる寿々花。

 

「……ふーん、使わないんだ」

 

「癪に障りますからねっ!」

 

一閃、二閃と、煌めく斬撃の応酬。

だが、互いに流派の()を知ってる結芽には中々その一撃は届かない。

 

「別におねーさん達がお兄ちゃんの事好きなのは別にいいやって最近は思うんだけどさー」

 

剣戟から先に離脱した結芽は、靴の先で地面を何度か小突く。

 

「私が妹だからって遠ざけようとするのが気にくわないの!!!」

 

結芽は前方近くに居た、寿々花を無視して真希や夜見に、勢いを更に増して襲いかかる。

 

 

「くっ……」

 

「っ……おお!!!」

 

受け流し切れずに、数回、斬りつけられる夜見。

対して、結芽の実力に並ぶ事を目指して鍛錬を続けてた真希。

 

長い事見てきた結芽の僅かな隙とも言える癖。

不思議とそれが、今なら見える。

その刹那に───。

 

「……っええ?!?」

 

御刀を一振り。

見事に胴を斬り裂いたその一閃は、結芽を驚愕させるに足るものだった。

 

「ボクだってな、お前の気持ちは理解出来る。だが、それとこれとは───」

 

「何がわかるの!!!」

 

斬り裂かれ、否定された結芽の怒りは怒髪天を突く。

 

「凄い凄いってあれ程私を褒めてた人間は私が凄くなくなった途端にみんな離れた!……パパやママもだよ!?」

 

「……結芽」

 

「それなのに、お兄ちゃんはずっと側に居た! どんな時でも側に居てくれた!」

 

感極まったのか、それとも別の何かか。

慟哭する結芽の眼からは、涙が溢れていた。

 

「それなのに好きになるな!? ふざけないでよ!! 私から、私から───」

 

「……来ます!」

 

「お兄ちゃんを奪るなぁあああ!!!!」

 

三段階──否。それすらをも上回るのではないか、と見まごう迅さで、三人目掛けて吶喊する。

 

「な……」

 

「ちょっと!? 速すぎやしません!?」

 

場所を気取られない様に、右へ左へ、一秒たりともその場に留まることなく、稲妻の如く移動を重ねる結芽。

 

「……っ!」

 

持ち前の勘で、幾ら対処しようとも、経験した事の無い速さに翻弄されていく。

 

 

 

 

賽は投げられた。

 

天秤は、何方へ傾くのだろうか。

 

 

 

 

 

 




次回辺りにルート分岐するかな……
20話の夜見さんに思う所があるのでやさしい世界にしよう
夜見さんが一番覚悟決まってんのはわかるけどさぁ……
バッドもやりたいね


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もうちょっとだけ、世界が優しかったら。その7

バッドエンドとお説教エンドを当初予定していたが、思ったより血生臭くなったし、結芽ちゃんがかわいそうなのでやめました


結芽の三段階に勝るとも劣らない迅移に、天然理心流の素早く、鋭い斬り込みに翻弄される三人。

 

飯綱の如く斬られ、じわりじわりと削られていく。

 

「これで───」

 

潮時と見た結芽は、一気に終わらせに掛かろうとする──!

 

「終わりっ!」

 

稲妻が走る様な線を描き、三人の間を斬り払い抜けて行く。

 

「っ……!」

 

「…………困りましたわね」

 

「…………」

 

結芽の振るうニッカリ青江の下に斬り伏せられ、何度目かの写シが剥がれる。

 

三人は最早、写シを貼り直す気力も、肉体も限界だ。

それを見た結芽は満足そうに、切っ先を向けつつ宣言する。

 

「……私の勝ちだね」

 

しかし、何時もの結芽とは裏腹、勝ちだというのにその表情は重かった。

 

「…………」

 

「……邪魔、もうしないよね?」

 

一歩、二歩と歩み寄りながら、ニッカリ青江を振り上げる。

 

「……結芽」

 

このままだと、本気で斬り殺しに来かねない。

例え写シが貼れなくても───

柄を握りしめる。

 

「もうい───!」

 

振り下ろそうとした刹那、結芽のポケットが震える。

 

「……お兄ちゃん」

 

先の振動は、携帯の着信を知らせる合図だった。

結芽は青江を下ろすと、すぐに通話に出る。

 

「もしもし? どーしたのー? ……え、本部長が探してる? 親衛隊全員? 連絡しても出ないって? ……近くには、居るけど……」

 

通話越しから聞こえる会話に、三人は空気が変わった事を把握した。

 

「……わかった、今すぐ行きまーす、はーい、お兄ちゃん大好きー!……ハァ」

 

溜息を吐き、携帯をポケットに仕舞い込む結芽。

 

「おねーさん達ー、真庭の……本部長がロビーまでよんでるってさー」

 

「本部長が、ですの?」

 

「なーんか知らないけどさー……おねーさん達、連絡あったなら言ってよねー、せっかく良いとこだったのにー!」

 

「……すまない、行こうか」

 

画面をタッチし、携帯に着信が来ていない事を確認する真希。

 

「ええ、そうですわね。正直助かりましたわ……

 

「……ハイ」

 

他の二人も同様に確認する。

 

「もー、ホラ行こーよー、怒られちゃっても知らないよー?」

 

そう言って、先に進んで行く結芽。

それを見た三人は、何故ここまで変わるのか、と頭を抱えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「これで良いんですね、本部長」

 

携帯を置く。

至急出頭せよと連絡が入り。

行ってみれば、大変な事が起きていた。

なんでも、武道場でも無いのに、激しい剣戟音がすると通報が有ったそうだ。

 

「ああ、お前は一回死んだ方が良いな」

 

「…………」

 

「大体よぉ、お前何してんの?」

 

「ハイ」

 

正座の姿勢へと自然と移行する。

以前から、この人には頭が上がらない。

 

「このクッソ忙しい時によ、地雷起爆させないでくれるか?」

 

「……申し訳も有りません」

 

「ハァ……燕。お前の妹さ、ありゃカウンセリングかなんか受けた方が良いぞ……どーしてあそこまで放っておいたんだか……」

 

「……放っておいた訳無いだろうに」

 

ムッとしたので、思わず言い返す。

 

「そう言う事じゃねぇよ、アホ」

 

「……はい?」

 

しかし、意味が違うと否定され、アホと罵倒される。

前からって言うか、最近この人こんな感じ。

 

「お前さ、アイツの気持ちに応えてやろうって気、あんのかよ」

 

「…………結芽は、妹……ですよ」

 

「奴さんからしたら唯一残った肉親で、最も親しい男だ」

 

ずっと、側で結芽を見てきた。

アイツの事は誰よりも知っている自信だってある。

 

当然、前から結芽が向ける感情の意味も知っている。

 

だけど、応えるには余りにも結芽は幼すぎる。

未だ第二次反抗期にすら突入していないから、そこらへんで……と思ってはいたのだが。

 

「と言うよりは……タイミングが早過ぎたな、お前の場合。アレで落ちないヤツなんて早々いねぇよ」

 

「…………」

 

「お前より良く見える奴が現れるんだったら、それはどう言う状況なのかねぇ。……想像出来ねぇな、アタシには」

 

「ハハ……」

 

「何笑ってんだよ、アホ、お前の事だろ」

 

「イテッ」

 

確かな事実に乾いた笑いしか出なかった所を、真庭本部長に額を小突かれる。

 

「パワハ「……あぁ?」

 

「なんでも有りません」

 

「よろしい」

 

本部長は深く椅子に腰掛けて足を組み、溜息を吐く。

これこそパワハラの極み。

マスコミにリークすれば一発だと思った。

 

 

……絶対しないけど。

職的な問題で。

 

 

「親衛隊三人は、まぁ……一先ず置いとくとして、結芽は結月にでも話しさせるかねぇ……」

 

「と言うと……相楽学長、ですか?」

 

「ああ。お前の妹、割と懐いてただろ」

 

確かにそうだ。

ノロの是非は兎も角、あの時の折神紫と、相楽結月が、病床に根付いていた結芽へ救いの手を伸ばしたのは事実だ。

 

その後何かと結芽を気にかけていたし、剣術だとか色々教えていた。

 

しかし、あの人は───

 

「ああ、こっちに離叛したからそう言うのは心配しなくて良い」

 

「……そうなんですか?」

 

「フリードマン強請った方が早いとさ。それにしても色々面倒な性格になってたぜ……」

 

「……な、成る程」

 

「じゃ、アタシは行くかんな。事務処理頼んだぞ」

 

そう言うと、足速に去って行く真庭本部長。

後には、大量の物理書類にどれ位なのか診断したくもない電子データが残されている。

 

「……この量を?」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「久し振り。退院おめでとう、結芽」

 

「ありがとう、相楽学長」

 

真庭本部長に呼び出された後、結芽は綾小路武芸学舎の相楽学長が話があるとして、一人で呼び出されていた。

 

恩人の一人でもあるので、結芽は嫌がる事なく出頭していった。

 

「すまなかったな、色々」

 

「ううん、そんな事ないよ。あの時、学長達が来なかったら、こうして生きれる事も無かっただろうし」

 

「……そう、か」

 

結芽の話を聞いた相楽学長は、数秒、目を閉じた。

 

「今日私が来たのは……まあ仕事だがな、序でに話をしようと思って呼ばせてもらった」

 

「お話?なーに?」

 

「………兄の事は好きなのか、今でも」

 

「もっちろん! ……で、何が言いたいのさ」

 

先程までの笑顔とは打って変わり、口こそ笑っているが、目が笑う事をしていない。

 

「妹だと言う事は、理解しているんだろうな」

 

「………まあね」

 

「難儀なものだな」

 

相楽学長は溜息を吐く。

 

「だとしても結芽、甘え過ぎだろう」

 

「へ?」

 

想像していた事とは違う事を言われた結芽は、間の抜けた声を上げる。

 

「そんなんだったら、いつまで経っても手のかかる妹のままだぞ」

 

「え、えーと……」

 

「どうした?」

 

「叱ったり……しないの?」

 

「人の話は黙って聞け!」

 

一喝する相楽。

 

「……は、はい!」

 

結芽は自分の気が緩んでる所に一喝され、思わず姿勢を正す。

 

「第一、もたれ掛かるだけだと、向こうが潰れてしまう。そんな時に潰れないように支えようとする娘が出てきたらどうする気だ? あっという間に転がるぞ?」

 

「そ、相楽、学長……」

 

結芽は事の重大さに声音が震える。

助けを求めるように、相楽を呼ぶ。

 

「……何も難しい事は言っていない。少しは自立しろ、と言いたいんだ。私は」

 

「じ、自立………?」

 

「確かに、甘えると言うのは、お前の年齢的には許容されるのだろう。だが、疲れてる時に更に追い討ちをかけるように甘えに行く、と言うのは些か頂けないな」

 

「…………」

 

「お前の兄は、お前が一番辛い時に支えてくれたんだろう? なら少しくらいは、負担を軽くする様に努めても良いんじゃないか?」

 

「それ、どうやれば良いのかな……わからないよぉ……」

 

「……家事の手伝い「真希おねーさんが勝手にやってる」

 

暫し無言になる相楽学長。

 

「……よみおねーさんもお茶淹れたりしてるでしょ、それから最近は寿々花おねーさんが……なんだっけ、帳簿付けてるし……」

 

なんかレシートの写真とか送って貰ってんだよね、前は勝手に手に入れてたらしいけど。そんな事を呟く結芽。

それを聞いた相楽の表情は変わっていく。

 

「完全に周回遅れじゃないか……!」

 

「そーなんだよ!!! もうどうすれば良いの!?」

 

「此処までか……!」

 

相楽学長は頭を抱えてしまった。

 

「私、このままだと……」

 

「……荷物、だな」

 

「どどどどどうしよ!?」

 

椅子から崩れ落ちる様に学長目掛けて駆け出す結芽。

両肩をがっしりと掴み、前後に揺さぶっている。

 

「お、落ち着け結芽。取り敢えず───」

 

 

話は聞かせて貰った!

「ねー!」

 

威勢の良い大声と共に、乱暴にドアを開け放って来た、一人の少女と、一匹の荒魂。

 

「きゃ!? 何!?」

 

「紗南の所の……?」

 

突然の乱入者に、驚く結芽。

それに対し、学長ともあって比較的冷静な相楽。

 

「ちっちゃいおねーさん……」

 

「益子薫だ! ちっちゃい言うな!」

 

「おい、此処は一応立ち入り禁止のはずだが……」

 

「オレは悪くねぇ、コイツが勝手に此処までオレを案内して来ただけだ。そしたら、こんな面白い話してんだからな、驚いたぜ」

 

「ねねー!」

 

クックックと悪い笑みを浮かべる薫。

肩に乗っているねねも、同様の仕草を見せている。

 

「やっぱり退治するべきなのかなぁ……」

 

腰に手を伸ばすが、空を切る手。

ニッカリ青江を持って来ていない事を悔やむ。

 

「待て待て燕結芽。オレに良い考えがあるぞ? 聞きたいか? 聞きたいよなぁ!?」

 

「お前、何をやろうとしているのか……」

 

益子薫を立場上制止しようとする相楽学長。

しかし。

 

「嘘だったら、その荒魂斬っちゃうんだから」

 

言い終わる前に、結芽が話を聞く姿勢になっていた。

 

「へへ、そうこなくっちゃな。……良し、耳を貸せ耳を────」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あーもー、何だよあの書類の量……」

 

時計の針も良い感じになって来た頃に、漸く書類の山が片付いた。

 

幾ら身分上は折神家本部預かりだからと言えども、かの労基法を無視する邪智暴虐の真庭本部長を何とかしなければならない。

 

……本当に何とかしようとすればやりようは幾らでも有るけれども。

 

真庭紗南への愚痴をブツブツと唱えながら帰路に着く。

 

「疲れ……結芽?」

 

玄関の扉を開けると、今日は鎌府の宿舎に泊まっている筈の結芽が立っていた。

 

「お、お帰りなさい……お兄…ちゃん。遅かった、ね」

 

しかも随分と大人しい。

まるで借りてきた猫のようだ。

 

「……どうした、結芽」

 

「な、なにが? 別に、いつもと変わらないよ?」

 

誰の入れ知恵だ、コレ。

裏で糸を引いている奴の事を考えると頭が痛くなった。

 

「そ、そっか……他は?」

 

「今は……私だけ、だよ」

 

「あっ、あ、ハイ」

 

いつもの天真爛漫、元気溌剌! と言った結芽ではなく、どこか淑やかさを感じさせる仕草に戸惑う。自分の妹なのに。

 

何がどうしてこうなったのか。

 

「服の着替え「自分でやるから」

 

「あ、そ、そう……?」

 

雰囲気に呑まれ、食い気味に返答する。

自室に戻り、荷物を放り投げると、着替え始める。

その間、ずっと一体誰が糸を引いているのか、と言う事を考えていた。

 

「お兄ちゃん、こっちだよ」

 

「…………」

 

結芽の所へと戻ると、布団の上で正座した結芽がぽんぽん、と自分の膝を叩いていた。

それが何を意味するのか。

 

「おねがい……」

 

結芽は頰が朱く染まり、恥ずかしがっている。

何故自分からやっといて恥ずかしいのか判らないが、コレで断ると流石にかわいそうだと思った。

 

「……今回限りだぞ」

 

結芽の膝へ恐る恐る頭を乗せる。

布越しに感じられる、幼いながらも、筋肉質な割としっかりとした感触。

 

どうしたものかと思っていると、視線が合った。

そこには、普段とは似ても似つかわない、柔らかい笑みを浮かべた結芽が居て。

 

「……どう?」

 

鈴が鳴るような、優しい声音。

いつもとは明らかに違う仕草に、何故だか恥ずかしくなる。

 

「え? あ、ああ」

 

「もー、そんなんじゃわからないよー」

 

「ご、ごめん」

 

「ごめんじゃなくてさー、……ねぇ、気持ちいい? ちゃんと落ち着ける?」

 

「…………まあ、はい」

 

こんな状況で落ち着けるか!

声を大にして上げたい言葉だった。

一体、今日の結芽はどうしたんだ。

いや、此間に比べると全然可愛い方なんだが。

 

「よかった」

 

そう言うと、頭を撫でてくる。

ゆっくりと、優しい手つきだ。

 

思えば、やった事はあっても、された事は無かった気がする。

 

それなのに、よくわからないが、何処か懐かしい気持ちがする。

 

そんな事を思っていると、眠気に襲われたのも相まって、欠伸が出そうになった。

 

「……お兄ちゃん」

 

「……ん?」

 

「いいよ」

 

「流石にそれは結芽が、疲れないか……?」

 

「いつもお兄ちゃんに迷惑かけてばっかだしさ、いいんだよ」

 

「…………」

 

少し気に食わないので、起き上がる。

えっ、と戸惑う結芽を抱き上げ、そのまま布団に横たわる。

 

「お、お兄ちゃん……?」

 

「………………」

 

答えるのも気怠い程眠い。

抱きしめる力を少しだけ強める。

 

「……そっか。おやすみ、お兄ちゃん。……想像してたのとちょっと違うけど

 

何か聞こえた気がしたのを最後に、そのまま意識は眠りへと沈んでいった。

 

 

 

 




「あ、おい、結芽。どうだった?」

「……良かったよ! まあでも、予定通りには行かなかったなぁ」

「うーむ、思ったよりも責任感強いな。……何とか切り崩したいな」

「薫おねーさん、どうすれば……」

「まあまあ、オレに任せろって。あの三人に吠え面かかせてやるよ。その方が面白そうだしな」


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閑話集
イヴ閑話的な


本編視聴後ワイ(頭を抱える)

とじともワイ(頭を抱える)

今のワイ (頭を抱える)

今回は時系列とか無視してます。
ぶっちゃけリハビリ的なアレです


「映画のチケット、ですか」

 

「うん。百貨店のクジ引きでクリスマス記念のペアチケット当たってさ、どうかなって」

 

「結芽さんの方が良かったのでは?」

 

「……結芽にはちょっと早いかな」

 

以前、いちご大福を買いに百貨店に行った時の抽選券が、見事にペアチケットと引き換えられた。

結芽と見に行くには余りにも危険すぎる早すぎる内容に困っていた。

 

とは言え、当たったものだ。

そのまま捨てるには惜しいな、と考えつつ当日を迎えたのだが、結芽が『今日は用事あるー!』といってどこかへと出かけていった為、夜見を誘う事にしたのだった。

 

「拝見しても?」

 

「ああ、どうぞ」

 

チケットを渡す。

 

内容は確か、売れっ子のアイドルだとかが主演を務めている、恋愛モノ、だったか。

何かと話題を博しているから、駄作という事はないだろう。

 

「私でよかったのですか?」

 

「真希と寿々花に渡そうとも考えたんだけどね、二人もなんか用事あるみたいだったし、かと言って捨てるのもどうかと思ったんだけど……ダメかな?」

 

「そういう事でしたら、付き合わせていただきます」

 

 

◆◆◆

 

 

「ごめん、遅れた」

 

待ち合わせに余裕を持って現地に来たら、もう既に夜見が着いていた。

正直言ってなにも遅れてなどいないのだが、待たせてしまったのは事実だ。

 

「いえ、遅れてませんが」

 

「……寒くなかった?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

「そっか。……とりあえず、行こっか」

 

「ハイ」

 

会場の映画館は、ここからはそう離れていない。

少しペースをゆっくり目にして、街を歩いていく。

 

街は仄かに日が暮れ、ポツポツと街灯が辺りを照らしていた。

 

「それにしても…私服なんだね」

 

「なにか、可笑しかったでしょうか」

 

黒のタイツに、膝が隠れる程度のワンピース。上から羽織る様にカーディガンを着込んだ、冬で少し寒そうではあるが、それを加味しても十分に可愛らしい服装だった。

 

「まさか。似合ってるよ」

 

「はあ。そうですか」

 

余り意に介さない夜見。

最初の頃は結芽も僕も困ったものだったが、今となっては彼女の個性として受け入れる事が出来ている事を、改めて思う。

 

確か、僕が彼女を見た時は────

 

 

──

───

─────

 

「……君、大丈夫かい?」

 

「問題ありません」

 

「頰、腫れてるけど……」

 

「大丈夫です」

 

「いや、一応冷やした方が……」

 

「次の任務がありますので、これで」

 

ああ、そうだ。取りつく島もない。

そんな感じだった。

 

今思い返すと、高津学長のいつものヒスに巻き込まれた後───と言うのは適切ではなかったか。

兎にも角にも、ファーストコンタクトは割と良くなかった。

 

そこから時間を経るにつれ、いろんなことがわかってきた。

高津学長に、異常とも取れる次元の忠誠を誓っていた事。

 

夜見はどうも刀使としての才能はなく、代わりにと言うのもなんだが、ノロとの適合率が凄く高かった。

 

そこを高津学長に拾い上げられた。

だから──と言った様な理由からだったのだろうか、細かい事はわからない。

 

多分、「刀使」に対して何かあったのが、その時すり替わった、だろう。

 

兎に角、ふとした弾みにそんな結論に至った時は、苦虫を噛んだどころか、寧ろすり潰して呑み込んでしまった様な気分だった。

 

(まぁ当人が良いなら…いやでも……うーん……いやダメだろ…でも、しかし……)

 

一人勝手に煩悶する僕は、よほど酷い顔をしていたのだろう。

結芽からは「えっと…だ、だいじょうぶ?」などと顔を覗き込まれた覚えがあった。

 

とはいえ見知った人が何を言われようが叩かれようが平然と受け入れる様は、見ていて辛いモノがある。

何というか悪い男に引っかかってしまった人を見るようなあの感覚。学長は女性だけど。

 

真希や寿々花も、知っていてもどうしようも出来ない様な感じだったと思う。

 

 

とは言え。

 

流石にすぐ眼の前ってのは見過ごせない。

 

「っ!?……離せ!」

 

丁字路を行こうとしたら、罵声が聞こえてきた。

そのまま素通りする予定だったのだが、気がつけば、振り上げた右手を背後から強く摑んでいた。

 

「聞こえているのか!!!」

 

「聞こえてますよ」

 

そう吐き捨て、払いのけるように手を離す。

 

「チッ…!」

 

こちらを睨みつけながら、右手を摩る学長。なんとも鋭い眼光だ。

気を引き締めなければたじろいでしまうだろう。

 

「もういい!!」

 

コネの分際でだのなんだのと普通に罵倒される事を覚悟していたのだが、意外にもそれはなかった。

いやまぁ、あの人外面だけは良いから、ヒスの捌け口は身内の刀使だけなのかもしれない。……もっと悪いな。

 

流石にあの状況、分が悪いとでも思ったのだろうか?

しかしあの人に限ってそれは無いと思うし、そんなんだったらもっと楽なのだが、兎に角この場は終わった。

 

問題は次。

 

「…………」

 

皐月夜見。彼女の方だった。

さてどうするか、と悩む。

 

話した事そのものはあるし、それとなく学長の件についても再考を促す様な事もあったが、ここまで直接的な行動に出た覚えは、なかった。

会釈もそこそこに立ち去るのだろうか。それとも拒絶の意を示されて終わるのだろうか。

妙な緊張が、その身を走った。

 

 

「真希さんか、寿々花さんにでも頼まれましたか」

 

「いいや」

 

「では、結芽さんですか」

 

「いいや」

 

「では、何故」

 

厭に抽象的な問いだ。

彼女の琥珀色の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。

 

「なんで、か」

 

前にも、こんな質問を問われた気がする。

 

「夜見ちゃんがすごく頑張ってるのは、ちゃんとわかってるから、その、なんだ」

 

「…?」

 

「もっと胸を張って生きていいんだ」

 

「………」

 

「あっ、その…慣用句的な意味だからね? 誤解しないで…ね?」

 

「ハイ、解ってます」

 

「…………」

 

今度はこちらが言葉に詰まった。

多分、届かなかったのだろう。僕ごときで何とかなるのなら、真希や寿々花が何とかしている、か。

 

身体を大事にしろ、とは言えない。

ノロを打ち込んでいる時点で、妹にまでそれを容認している時点で、それは空虚なものだ。

 

だけど。

 

彼女には自分を大事に、心の面で自分の事をもっと大切にして欲しかった。

 

「………君の事が心配だ」

 

そんな事を呟いて、その場を立ち去った。

 

 

─────

───

──

 

 

 

(アレからどうなったんだっけ)

 

なんか、いつからか少しずーつ対応が良くなっていって……ダメだ、上手く思い出せない。

悩んでいると、ふと。夜見の視線がある一点に留まった様な気がした。

 

「どうかした?」

 

「いえ、なんでも」

 

とは言うが、少し気になる。

ちょっと前の映像を頼りにあちこち見渡す。

 

近くにあった、ちょっと古風な感じのアクセサリーショップだろうか。

 

「時間はまだあるよ」

 

「えっ……」

 

「寄ろっか」

 

「………すみません」

 

どうやら当たりだった様だ。控えめに向かっていく。

ドアの向こう側には、レトロな雰囲気を醸し出しつつ、清潔感のある空間が広がっていた。

 

足取りは変わらず、とは言え少し浮かれた様な感じで店内を物色する夜見。

 

正直、こう言うのに興味を持っていたとは驚きだった。

 

「………」

 

一瞬、立ち止まった夜見。

しかし直ぐにまた歩き出したが、確かに視線はある一点に留まっていた。

 

少し前の感覚と、同じだった。

 

不自然にならない様に過ぎ去り様に見ると、月の意匠のネックレスが目に映った。

 

(……ちょっと高くない?)

 

驚きの余り立ち止まってしまった。

よく見ると、銀色の三日月に、詳しくはないので判らないが、精微に工夫を凝らした彫刻が施されている。手の込んだ美しいもの、と言うのが見て取れる。値札に偽りはないだろう。

 

ちらりと夜見の方を見ると、目が合った。

 

「…………」

 

「…………」

 

暫しの沈黙。

 

「あの……」

 

最初に口火を切ったのは、夜見だった。

 

「そろそろ、行きませんか」

 

腕時計を見ると、確かに良い頃合いだ。

 

「うん、そうだね」

 

同意する様に歩き始める、が。

 

「ちょっと待ってて」

 

先程のネックレスを手に取り、会計へと運ぼうとする。

 

「あ、あの……」

 

夜見は腕を掴んできた。

一旦、立ち止まってそちらを向く。

 

「うん?」

 

「いいんですか?」

 

「もちろん」

 

 

◆◆◆

 

 

「……あの、有難うございます」

 

胸元に銀に光る、月を象ったネックレス。

彼女──皐月夜見には、よく似合っていた。

 

「今日は12月24日だからね。それくらいあっても良いさ」

 

「そう、でしょうか」

 

「うん」

 

誕生日プレゼントなのか、クリスマスプレゼントなのかは、明言しなかった。

 

「それにしても……」

 

先程まで見ていた映画。

 

「まさか終盤主人公が刺されるとは……」

 

「ハイ。しかも刺した犯人がエンドロール後に幼馴染だったと明かされたのは中々驚きました。しかもコネを使って迷宮入りにするとは」

 

「幼馴染エンドっぽかった分、驚いたなぁ。僕は犯人はてっきり米好きの転校生だと思ったんだけどなぁ…」

 

「私はお嬢様が英国料理に舌と頭をやられた弾みで…だと思いました」

 

「それにしても宝塚上がりの人は凄かった」

「そうですね、鬼気迫る演技でした」

 

そんなたわいも無い話をしながら、道を歩いている。

 

「あ……」

 

頰を濡らす、白い粒。雪だ。

それと同時に、イルミネーションが点灯し、街を彩る。

 

「今年も終わりですね」

 

「色々有ったなぁ」

 

「帰りましょうか」

 

「そうだね」

 

「燕さん」

 

「うん?」

 

「……メリー、クリスマス」

 

「メリークリスマス。夜見」

 

 

 




「あれ、は?」「……あら?」「あー!」

「夜見おねーさんが私服だってのがそれでもう珍しいのに、のに、お兄ちゃんといっしょに歩いて……?え?」

「真希さん」

「わかってるよ、寿々花。燕さんには聞くことがいろいろありそうだ」


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Anotherな世界

(今ならバレない)


 

 ───先の事件。

 

 『刀剣類管理局本部襲撃テロ事件』は、首領である折神朱音らの拘束。

 

 実行犯であった衛藤可奈美、十条姫和ら計六人に相手に、折神紫局長は療養する程の怪我を負われながらも、()退()と言う結果で一応の勝利を収めたが───燕結芽が殉職。

 

 とは言っても、実際はノロで騙し騙しやってきた身体の限界が、衛藤可奈美と文字通り死力を尽くした戦いをした為に来てしまったからだし、それにとうの本人は、おそらくこの結末は後悔していないと思う───けど。

 

 あの時、引き止めていれば。

 そう思った。

 

 本人の、結芽のやりたい様にやらせなければ。

 もう少し、もう少しだけ───と。

 

 酷く我欲に塗れた暗いモノが、胸中を駆け巡る。

 あの日の夜以来、この感情を何度も、何度も何度も何度も反駁している。

 

 現実から目を背けても。

 べったりと瞼から離れない、彼女の死に顔。

 

 ───安らかな表情だった。

 死力を出し切った、自分の全てをぶつけた果ての、境地だったのだろうけど。

 

 自分が独り、置いて行かれた様な気がして。

 

 彼女の後は、追っていない。

 

 いや、追えなかった。

 

 というのも───美濃関・長船の両校学長が舞草の一員であった為、その穴を埋める様に業務が折神家本部へと回ってくる。

 

 自分に関係ある書類かどうかを選別し、目を通したならサインする。

 違うなら別の人に回す。

 自分に関わりのあるモノなら、対応する。

 

 最近はこの事務処理ばかり。

 全く嫌になる。

 

 幼い結芽の代行として以前は事務処理を行なって居たが、その結芽が居ない。

 

 本来はお役御免となるのが組織として健全な在り方なのだろうが、何分人手が圧倒的に足りない。

 

 お陰で、僕自身舞草とは少々ほの暗い付き合いすら有るのだが、療養中の局長からも何も言われず、このまま有耶無耶になる形で事務をしていられるくらいで、普段、余り疲れが表情に出ない夜見が、真希にも分かるくらいの忙しさ。

 

 この状態で消えようものなら後を追うどころか、一人違う場所に堕ちかねないし、そんな彼女達を置いて行くのは、赦されない、けど。

 

「────1日中何もしない時間が欲しい」

 

 その前に過労死でポックリと逝ってしまうのではないか……?

 そう思うほど、刀剣類管理局は激務に追われていた。

  業務自体はなんて事ない、今までやってきた事ではあるが、その量が圧倒的な上、政治との調整も重なってくるからだった。

 

「全く、燕さんに同感ですわ……」

 

 呻く様に同意を返した寿々花。

 それはいつも纏う気品すら陰って見えるほど。

「………出来るなら。ボクもそうしたいね」

 

 賛同する真希も、覇気のない表情で頷いた。

 

「……ですが、現状では難しいと思います」

 

「せめて学長だけでも決めてから療養して欲しかったねぇ……」

 

 夜見の言葉に併せて愚痴をこぼす。

 

「燕さん。紫様に対して少々不敬ではなくて?」

 

「そうかもしれないけど……まさか、決める事も出来ないくらい悪いとか言わないよね」

 

 脳裏にノイズが走る。

 

 浮かぶのは、病床の結芽。

 

「い、いいえ。そう言う訳ではありませんわっ、ただ、日頃のお疲れに加え、叛逆者達との激闘が重なって、と言う感じでいらして……」

 

 何やら慌てた風に早口になる寿々花。

 次第に口籠っていく寿々花の隣に座る真希が、寿々花を咎める様に見ていて───。

 

「そっかぁ…もう暫くは忙しいな」

 

 自分の言葉を最後に、部屋には筆の走る音と、キーボードが叩かれる音で再び満ちる。

 

 

「……………」

 

 だけど、仕事から少しでも意識を割いたからか。

 ほんのちょっとだけでも結芽の事を思い出したからか。

 

 胸にぽっかりと穴が空いた様な喪失感が、じわじわと毒が回る様に胸の底から這い上がってくる。

 

「……実は。紫様は長期の療養に入られるかもしれません」

 

 寿々花がぽつりと呟いたのを、聞いた。

 

「そっか。それは……つらいね」

 

 とすると、代理が置かれるのは間違いないだろう。

 個人的には鎌府学長だけは嫌だ。

 仕事は出来るけど、人格的に僕はあの人が嫌い───と言った極めて個人的な理由によるものだが。

 

 そこまで思った所で、僕を見つめるみんなの顔が、驚いた顔をしているのに気付く。

 

 先程の自分の発言に、何か不味い所があったらしい。

 

 自分ではどこが不味かったのかはわからない。

 相当気が滅入っているらしい。

 

「……うん、ダメだね。少し休憩するよ。5…10分くらいいいかな」

 

 そう言って笑って、作業を進める手を置く。

 自分では笑ったつもりだが、上手く笑えているだろうか。

 

「……いや。全員で長めに休憩しよう」

 

 真希がそう言った。

 

「あら、真希さんが休憩を取ることに積極的だなんて、珍しい事もあるものですわね」

 

 真希のその言葉に、寿々花が揶揄うように応える。

 

「寿々花、キミね…ボクをなんだと思っているんだ。ボクだって人の子だよ」

 

「そういう所でしてよ、真希さん」

 

 寿々花は呆れて溜息を吐いた。

 

「……では、私は紅茶を淹れてきます」

 

 そんなやり取りを横目に、夜見は立ち上がる。

 

「そうそう、丁度老舗の和菓子屋で買った苺大福があってね。せっかくだし食べよっか」

 

 そう言って、鞄から取り出す。

 保冷剤もちゃんとあるので、傷んだりはしていないから安心だ。

 

「いやぁ、それにしてもダメだね。つい癖で一人分多く買っちゃった」

 

 ついつい、いつもの癖で五人分。

 結芽もこの店の苺大福を気に入っていたから、よく買っていた。

 

「………」

 

「………」

 

「………では。失礼します。お菓子を載せるお皿も持ってきます」

 

 そう言って、夜見は部屋を後にした。

 

「少し、机の上を整理しようか」

 

 扉が閉まるのを見届けてから、真希がそう言って、書類を纏めていく。

 

「書類が目については、折角の紅茶も楽しめないものね」

 

 寿々花もまた、手早く自分の前にあった書類を纏めていく。

 

 二人に倣う様に同じ事をしていく。

 

 纏め終えた資料を別の卓に移し終えて、暫くすると、扉が開いた。

 

 お盆に載ったティーセットを片手に、夜見が戻ってきたようだ。

 彼女は手近な卓上にそれを置くと、カップとソーサラーを並べ始めた。

 

「皿ちょうだい」

 

「ハイ」

 

 買ってきた苺大福を皿の上に移し替えて、三人の席へ並べていく。

 一つ、余った分はそのまま残して、保冷剤と共に閉まっておく。

 

 

「どうぞ。今回はダージリンにしてみました」

 

 そうしていってると、夜見が僕の前に紅茶の入ったカップを置いた。

 

「ありがとう、夜見」

 

 お礼を言ってから紅茶に口をつけつつ、さっき机から取っておいた書類に目を通す。

 

「いけません」

 

 上から声が降ってくる。

 恐る恐る顔を見てみれば、少し怒っている様だった。

 そのまま、書類は夜見に取り上げられてしまった。

 

「………おっと」

 

 苦笑いを浮かべていると、そんな呟きが聞こえた。

 

 真希の声だった。

 

 彼女もまた、片手に書類を持っていたらしく、ゆっくりと元あった場所に置いていた。

 

「真希さん、貴女ったら本当……」

 

 呆れる寿々花の声が、部屋にこだましたのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 木々が冷えた夜風にそよいでいる。

 

 本部から帰庁する時───泊まりでもない限りは、ここに寄るのが習慣になっている。

 結芽が最後に眠っていた場所だ。

 

 死者を悼むとは、名ばかりの自己満足であり、今もなお思い出に取り残されている事を確認するだけ。

 傷口を切開する行為にすぎないし、ここに、何がある訳でもない。

 

 終わった事に別れを告げ、前を向かねばならないのが人だと言う。

 

 けれど、自分の時は止まったまま。

 

 

「───来たよ、結芽」

 

 

 未だに、目を瞑れば思い出は鮮明に。胸に秘めて前になど進めるものか。

 別れなど、告げれるものか。

 

「いやぁ、今日も大変でね」

 

 そうして過去を抉り続けると、次に頭を巡る数多のたられば。

 

 あの時。

 

 この時。

 

 その時。

 

 いつだって頭をぐるぐると駆け巡るのはいつだって醜い後悔───下らない。

 

 そんな事は分かっている。

 そんなものに意味なんて一つもない。

 

 結芽は死んだのだ。

 もう、どこにも居ない。

 

「────そうそう、苺大福。つい、買っちゃってね」

 

 深く吸い込んだ息を吐き出してから、苺大福を取り出す。

 

「結芽も食べたいだろうからね、持ってきたよ」

 

「ホント!?」

 

 

 ───呼吸が止まった。

 

 

 その刹那、あり得ないと思った。

 

 そんな筈はない。

 

 聞こえるはずがない。

 

 なぜならば。

 

 何故、なら。

 

 だって、だって。

 

「────ゆ、め?」

 

 恐る恐る、ゆっくりと振り向くと、そこには。

 

「あっ、えーっと……」

 

 そこ、には。

 

 死んだ筈の。

 

 いなくなった、はずの。

 

「その……ホントはね、ちょっと驚かせようと思って──わっ」

 

「───!!!」

 

 強く、強く抱きしめる。

 

 間違いなく、それは結芽の鼓動。

 温もりを感じる。

 

 ああ、嗚呼。

 

 どうしてとか、なんでなんだとか、そんなのはどうだって良い。

 

「結芽…!ゆめっ、なんだなっ…」

 

「うん───ただいま、お兄ちゃん」

 

「─────」

 

 堰を切った様に、涙が溢れ出す。

 今まで塞ぎ込んでいたもの、抱え込んでいたものと一緒に。止めようもなかった。

 

「………で、でもっ…どう、やって?」

 

 どうやって、戻ってきたのだろうか。

 それは、至って当然の疑問だった。

 

 ひとしきり泣き終わって。

 本当に結芽がここに居るのだと、状況が飲み込めてから、尋ねた。

 

「え? あー、うんとね。結芽ね、気がついたら隠世にいたの」

 

「隠世に……?」

 

「うん。そしたらさ、タギツヒメが話しかけてきてさ」

 

「───タギツヒメが?」

 

「うん」

 

 

◆◆◆

 

 

『兄に会いたくはないか?』

 

『……誰?』

 

『我の事は…タギツヒメとでも呼ぶが良い』

 

『タギツヒメって…紫様に憑いていたって?』

 

 そんな事を一度だけ兄が言っていたのを、結芽は思い出した。

 

『我を受け入れよ、燕結芽。そうすればお前は再び兄とも過ごせる日々が得られるのだ』

 

『………お兄ちゃん、と?』

 

『ああ……しかし、人は死ぬ。

 脆弱が故に死ぬ。

 それ故に再び、お前とは死に別れる事になるだろう。

 だが…我の力を使い、荒魂とヒトを融合させ、未熟な種を上位の存在へと進化させる。

 そうすれば、人類は永遠に生き続ける』

 

『………そしたら、みんな、一緒に、楽しく暮らせる?』

 

『そうだ。悪い話ではあるまい? さて、どうする? 燕結芽───』

 

 

◆◆◆

 

「とゆーワケでー、結芽はお兄ちゃんのトコに戻ってきたのでしたー!」

 

 腕の中で快活に笑う結芽は、えっへんと聞こえてきそうな位満面の表情だった。

 

「……それは、結芽がやりたい事なのかい?」

 

「うん! だってそうすればさ、真希おねーさんや寿々花おねーさんに夜見おねーさんともね、ずっとずっと楽しく過ごせるんだよ?」

 

 似た様な事をぶつくさと以前高津学長が言ってた様な気がするから、デタラメと言う訳ではないのだろう。

 問題は、確かそのプランだとみんなみんな結芽の精神支配下に置かれる事になる。

 

 タギツヒメが結芽を利用する気であれ、結果的に命を救った、或いは蘇らせた事については感謝している、けど。

 

「そっか……そっか」

 

 細かい事はひとまず置いておこう。

 今はただ、この幸福を噛み締めていたい。

 そう思うから。

 

 微笑みながら、結芽の頭をゆっくりと撫でた。

 

「ん……えへへ、もっと撫でてよ、お兄ちゃん」

 

「わかってる。わかってるさ、結芽」




Another時空を知らないって?
ぼくらも全然わかんないから安心して欲しい


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Anotherな世界 そのに!

なんと!プリズマ☆イリヤ13巻の特装版同梱の画集にまひろせんせー描き下ろしの燕結芽ちゃんの絵が掲載されているんだ記念


「失礼します」

 

 扉がノックされた後に、礼儀を欠く事なく入ってきたのは、獅童真希。

 

「はーい」

 

 答える部屋の主は、結芽だ。

 

「舞草残党の日高見派についての対応なのですが……」

 

「んー、とりあえずみんな捕まえといてよ真希おねーさん」

 

「承知致しました、結芽様」

 

 そう言って真希は恭しく一礼し、部屋から退出しようとする。

 

 そんな光景を、結芽が座る席の少し後ろから置き物の様に見ていたが、思わず口を開く。

 

「………その結芽様っての、やっぱり違和感しかないんだけど」

 

「いえ。そう言うわけにはいきません……燕様」

 

 その言葉に、溜息を吐いた。

 

 ───今の結芽は、刀使の祭祀礼装に似た衣冠を纏い、真希より格上の様に振る舞っている。

 

 否。

 事実として、今や結芽の方が立場が上だった。

 

 ───と、言うのも。

 

 折神紫が長期の療養に入る寸前、『結芽を自分と思い、仕えるように』と最後に遺したのだ。

 その言葉が本当に、折神紫の自由意思によるものだったのかは、わからない、けど。

 

 その上に、今の僕の立場は、摂関政治を行なっていた藤原氏の如くだ。

 

 そりゃそうだ。刀剣類管理局が対外的にどうなっているのかは兎も角、折神家当主から全面的に権限を移譲された存在の、兄。

 

 僕の事を不快に思っていたであろう連中まで、誰も彼もが阿ってくる。

 

 だけど、一番堪えたのは。

 今までの、温かった親衛隊はそこには無いという事。

 

 それが、寂しくて、淋しくて。

 胸の何処かに穴が空いたような気分で仕方がない。

 

「だから、前にも言ったけど僕達しか居ない時くらいはやめて欲しいな、って」

 

「…………いえ、紫様の御命令でもありますので」

 

 右手で米神を揉みながら、長い溜息を吐いた。

 

「ハァ…もーいいよ、真希おねーさん」

 

「はい。では、失礼します」

 

 結芽が促すと、真希は恭しく退室して言った。

 

「………僕はね、親衛隊の三人には、今日にでも、前みたいな関係に戻りたいんだけど。さっきも僕の肩身が───じゃなくて。

 真希も寿々花も夜見も結芽様燕様ーってみんな仰々しいし、何より…寂しい」

 

 ───本心だった。

 余りにも唐突に来た別れと言っても過言ではない。

 この現状は、宜しくない。

 打破すべきだと、自分は考えている。

 

「───大丈夫だよお兄ちゃん。総浸食計画さえ成功すれば、みーんな元通りになるんだから」

 

 そうやって結芽は自信満々に答える。

 

 余談だが、全人類冥加計画──とでも言い換える事の可能なこの計画の名前は、タギツヒメによるモノらしいが───

 

 答えるまでに若干の()()が、あったのを、見逃さなかった。

 

「本当ならいいんだけどね」

 

「……お兄ちゃん。わたしのこと信じてないの?」

 

 ───酷く、冷たい声。

 

 こんな声を聞くのは、結芽が入院していた時以来だろうか。

 僕は仕方なく、溜息混じりに言葉を紡いだ。

 

「実は───結芽の治療法を探していた時に、舞草に行った事があってね」

 

「えっ…?」

 

「あ、折神紫局長はご存じだからその点は安心していいよ」

 

「あっ…そ、そうなんだ」

 

「うん。ま、その時色々聞いてさ。タギツヒメが信用できないんだ、僕は」

 

「お兄ちゃん。タギツヒメは───」

 

「ああ、わかってる。わかっているとも。結芽の命の恩人…荒魂?な事は重々解っている。それにね、結芽」

 

「何?」

 

「────注射が怖いんだ」

 

「………へ?」

 

 結芽は呆気にとられた。

 

「前々から思ってたけど、なーんで針で刺さなきゃいけないのかなぁ!? もっとさ、あるでしょ、こう、痛くないやり方! ないの!?」

 

 僕は結芽の両肩を掴み、軽く前後に揺らして畳み掛ける様に言った。

 

「えっ、えーと、わたしに言われても……」

 

「結芽が入院してた時だって針刺さってるの見ると背中がこう、ゾワゾワしてたんだよ……」

 

 肩から手を離して、自分の両肩をさする。

 

「そ、そうだったの?」

 

「そうなんだよ……ノロってどーせ僕も打つんでしょ? 針でブスっと。飲み薬とかないの」

 

「うーん……ちょっと難しいんじゃないかなって思うな」

 

「ないかぁ…」

 

 そう言って、しゃがみ込んで床を指でぐるぐるなぞった。

 

「それにさぁ、アレでしょ、定期的に何本も打ってたでしょ?」

 

「え? うん、そうだけど」

 

「うげぇ……」

 

 そのまま床に崩れる様に倒れ込んだ。

 

「んー、わかった!」

 

「なにが?」

 

「お兄ちゃんの分のノロはね、ちゃーんとトクベツなのにしようと思ってたんだけどね、もっともーっとトクベツなのにしてあげる!」

 

「でも、打つんでしょう?針で、ブスッと」

 

「もー!ちゃんと一回で済むよーにするから、もうちょっと待っててよね!」

 

「やっぱり打つんだぁ…おしまいだぁ……」

 

 そう言いながら、ソファーまで這いずると、縁から足を外に投げ出しつつ、上に寝転がった。

 

(───ま、コレで誤魔化せたかな)

 そんな、手応えを感じた。

 

 正直、総浸食計画自体は判断を保留している。

 

 本当に、結芽の言う通りに誰も彼もが楽しく永遠に過ごせる世界が訪れるのなら、それに越した事はない。

 

 人類と言う種にとって一つの解だと思う。

 

 だが、問題は力を貸しているのが人類に怨みを持っているであろうタギツヒメだと言う事。

 

 それに僕が舞草に近づいていた事を知らなかった辺り、タギツヒメとの記憶の共有はしていないと見える。

 

 この事は、以前に折神朱音から話を聞いていたが───この一点で、騙されているのではないか?との疑念が全く拭えないのだ。

 

 冥加になっている近衛隊を初めとした一部の子達は、自分の意志が感じられない。

 とは言え、同じノロを血中に受け入れている親衛隊の三人はちゃんと自分の意思がある様に見えるから、その点は意図的な挙動なのだろう。

 それが結芽の意思なのか、タギツヒメの意思なのか区別が僕にはつかない。

 

 もしかしたら、そんなのはないのかもしれないけど。

 

「でも、意外だったな。まさかお兄ちゃんが注射がニガテだなんて」

 

 椅子から降りた結芽は、そのままソファーに寝転がってる僕の頭のすぐ側に座る。

 

「そりゃあ、僕にだって苦手な物くらいあるよ」

 

「アハっ、だよねー」

 

 そう笑った結芽は僕の頭を軽く持ち上げると、そのままにじり寄り、自分の脚に頭を乗せた。

 

「…………ねえ、結芽」

 

「なーに?」

 

「随分と遠い所まで来ちゃったね」

 

  結芽の碧色の瞳が揺れる。

 

「……お兄ちゃんが側にいるから、結芽は大丈夫だよ」

 

「……そっか」

 

 柔らかく微笑む結芽の表情をこの目に収めると、目を閉じ暫し思索に耽る。

 

───やはりタギツヒメが嘘をついていた時の事は考えておかねばならないと、そう結論づけた。

 

 その際は十条姫和に、衛藤可奈美の力が間違いなく必要になるだろう。

 

 結芽は強い。

 贔屓目抜きにしたって、すごく強い。

 

 折神紫を辛うじて退けることが出来たのは、そもそも折神紫がタギツヒメに抵抗していたから。

 その時に、結芽がタギツヒメは嘘をついていた、と思っていなければ───

 

(その時は──結芽を裏切る必要がある、けど)

 

 考え得る限り、自分にとっても最悪の手段。 

 そんな事はしたくない。

 

 ───だが、その後は?

 

 総浸食計画なんて、一般的に考えれば悪の秘密組織が企む様な事だ。

 実行していた結芽はどうなる?

 タギツヒメがやったと精神鑑定で逃げ切るか?

 そんな事が罷り通るのか?

 

 仮に事態が徹底的に隠蔽されたとしても、それでもどこかで結芽を怨む連中は出てくるだろう。

 そうなった場合、どこまで守り切れるのだろうか。

 

(頼むから、嘘だけはついていてくれるなよ、タギツヒメ)

 

 乗りこんだ船が泥舟だとしても、引き返さない、引き返せない事だってある。

 

 神を名乗る存在に、祈らずにはいられなかった。



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