魔法仕掛けの妖精人形とそのマスター (勇樹のぞみ)
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01 憧憬

 夢……

 夢を見ている。

 過ぎ去った時の夢。

 セピア色の、切ないほどの郷愁を帯びた夢を。

 

従姉(ねえ)さん、その人形は何?」

 

 夢の中の従姉さんは記憶どおりの透き通るような大人の笑顔で、手のひらの上の小さな人形を見つめていた。

 

「ああ、スレイアード」

 

 俺は彼女の静かだがよく通る声に自分の名前を呼ばれるのが好きだった。

 そして俺に向き直った従姉さんは大切な宝物を見せるかのように手のひらの上のものを差し出した。

 

「これは魔装妖精。人工精霊石をコアに持つ自動人形(オートマタ)よ」

「魔装妖精……」

 

 従姉さんの手のひらの上、眠るように瞳を閉じる人形を見つめる。

 人の手によるがゆえの芸術的な美しさを持つ人型。

 その面差しはどこか従姉さんに似ていた。

 

 だが……

 周囲の情景が暗転し、今度その人形を手にしていたのは叔母だった。

 黒い喪服を着た叔母の手のひらに載せられた壊れた人形。

 

 先の魔導大戦では多くの人が戦い死んだ。

 戦略兵器である魔装妖精の適合者(マスター)だった従姉さんも戦場に立ち、そして……

 

 この壊れた魔装妖精は従姉さんの形見だった。

 

「さぁ、あの子にお別れを言って」

 

 嫌だ。

 俺はまだ従姉さんのことを……

 

 

 

「従姉さん!」

 

 叫びながら目を開ける。

 俺は寝起きが良い方では無いのだが、あの夢の後だけは頭の芯が冷えたように眼が冴えてしまう。

 こうして目覚めを迎えるのは何度目のことだろう。

 まだ夜の気配が去り切っていない時刻。

 しかも今日は安息日だ。

 神さまとやらだってまだ寝ているだろうに。

 

 俺は衝動に突き動かされるように、狭いアパート部屋の一角に場違いに置いてある高級ドールハウスを覗く。

 そこでは従姉さんから受け継いだ魔装妖精、ファルナが装備を解除した半裸姿で寝入っていた。

 美しい曲線を描く、すらりと伸びた足がニーソックスに包まれている。

 布団代わりのハンドタオルは大きくめくれあがっていて、黒の下着姿の身体が露出していた。

 (シルク)のベッドに翼を休めて微睡むその何とも艶めいた姿に、ごくりと生唾を飲み込み凝視してしまう。

 そうして気付く。

 

「……最低だ、俺」

 

 俺の下半身は素直に反応していた。

 人形であるファルナに。

 

「んぅ?」

 

 俺の邪な視線を感じ取ったのか、ファルナが目を覚ます。

 小さく伸びをして、俺に向け記憶の中の従姉さんと同じ笑みを浮かべた。

 

 ……知ってる、スレイアード。心に焼き付いて消えない一瞬を、永遠って言うのよ。

 

 従姉さんがいつか口にした言葉を思い出す。

 銀の髪に澄んだすみれ色の瞳。

 気品と鋭さを兼ね備えたファルナの凛々しい顔立ちが、従姉さんと重なった。

 

「おはようございますマイ・マスター、スレイアード様」

 

 音楽的ともいえる声がファルナから発せられる。

 そしてその目が俺の下半身に向くと、彼女は口元を手のひらで押さえながら艶めいた笑みを見せた。

 

「マスターのえっち」

 

 俺は危うく崩れそうになった表情を片眉を跳ね上げることで何とか誤魔化し、ぶっきらぼうにこう答える。

 

「朝だからな」

 

 起き抜けの生理現象だということにしたのだ。

 

「むぅ」

 

 そんな俺の反応に、ファルナは何故か不満そうに頬を膨らませる。

 そして寝床から立ち上がると形のいい裸体を誇示するように晒した。

 

「それではマスター、装備を着せてもらえますか?」

「ん? ああ……」

 

 俺はファルナのねだるような、それでいて恥ずかしいようなといった表情に弱かった。

 普段は上品に澄ましているだけに、甘えられると無条件に可愛がりたくなってしまう。

 

 頭の中から獣じみた衝動を追い出すと、芸術品に触れるように慎重にファルナの身体を手にとって外装パーツを一つずつはめていく。

 肌の露出は減っていくが、優美な外装パーツは彼女の魅力をいやがうえにも引き立てた。

 藍色を限りなく濃くして黒に近づけたようなとても深い透き通るような色合いを基調に、金の縁取りが良いアクセントとなっているシックで気品のあるものだ。

 中でも両足に履かされたピンヒールと脚の曲線美は人形なのに、いや人形だからこそ完璧な色香をまとっていた。

 ここだけの話、そういう性癖を持つ人間だったら是非とも踏んでもらいたくなるだろうと思えるほど。

 

 一方で、殊更に異彩を放っているのは彼女の左手に装着された大型のクローアームだった。

 

「ファルナ、左手の調子は?」

 

 元々、悪魔型魔装妖精の格闘用義肢だったが、左腕を失ったファルナのために俺がジャンクから流用したものだ。

 使えるものがそれしかなかったとはいえ、優雅な容姿を持つ彼女には異質すぎるもので……

 しかし、ある種の魅入られるような凄みがあった。

 

 だがファルナにはまったく気にした様子が無い。

 俺の問いに、落ち着いた声で答える。

 

「ノーマルな右腕側とのバランスのモーメントチューンが問題でしたが、マスターが補正して下さったお蔭で許容できる範囲に収まっておりますわ」

 

 そう告げるとファルナは両手を広げてその場でくるりとターンして見せる。

 そして貴族の令嬢のように右足を斜め後ろの内側に引き、左足の膝を軽く曲げ一礼。

 軽やかで、かつ気品に満ちた動きだった。

 

「それよりも日常生活で大きな物が掴みやすいのが便利ですね。バターナイフとかコーヒースプーンとか」

 

 彼女はむしろ楽しそうに言ってのけた。

 

 つぎはぎの義体(ボディ)

 魔装妖精はこの大陸に伝わる錬金術(アルケミー)と、遙か東方の秀真国に伝わる式神(シキガミ)傀儡(クグツ)の術の合成でできている。

 しかしその製造技術は魔導大戦でこの国、ヴォレス帝国のかつての中心地、帝都の旧市街と呼ばれる区域と共に失われていた。

 適合者の身体に受容器(レセプター)と呼ばれる印を打ち人工精霊石と契約を交わす技ももう無い。

 今できるのは出来合いの部品を組み合わせた間に合わせの修理だけだ。

 

「それではコーヒーを淹れますわね」

 

 ファルナは腰から黒く輝くプラズマの翼を展開してふわりと飛び立つ。

 優雅に黒き翼を翻す様は天使、いやそれ以上の美しさで人を魅了し惑わす堕天使のようだと言うのが一番あっているだろう。

 そうして彼女は部屋に備え付けのミニキッチンに向かう。

 

 コーヒーとはいっても俺たち庶民が飲めるのは大豆(ソイビーン)を炒って作った代用コーヒー(ソイカフェ)だった。

 本物は南方からの輸入に頼っている高級嗜好品だからだ。

 ファルナはコーヒーサイフォンにミルで荒目に挽いた豆と水をセットすると、クローアームの手のひらに埋め込まれたファイヤークリスタルに接続(アクセス)、そして起動。

 炎の精霊力を導き出しアルコールランプに火を灯す。

 そうしてクローアームでマグカップの取っ手を掴むと引きずり運んだ。

 

「マスター、お砂糖は?」

「そうだな、今日は一杯で」

 

 ファルナの問いにそう答える。

 コーヒーはブラックでも飲むが、日によって気分次第で変えていた。

 甘いのも嫌いではない。

 ファルナが淹れてくれるのならば、だが。

 

「マスター、アカデミーはしばらくお休みでしたね。本日は何を?」

 

 俺は帝国アカデミーの練金科に進んでいた。

 無論、ファルナの修理と維持のためだ。

 今ではファルナだけが従姉さんの生きた痕跡なのだ。

 

「昼はゆっくり休もう。ただ研究資金が底をつきそうだから夕方には金の腕亭に行ってキトンから仕事(ビズ)を回してもらうか」

 

 キトンは帝都の裏社会(アンダーグラウンド)では名の知れた仲介屋(フィクサー)だった。

 汚れ仕事に銃器(ガン)火薬(パウダー)、裏の情報に至るまで、金になるなら合法(リーガル)非合法(イリーガル)を問わず何でも取り扱う。

 俺とは魔装妖精の部品を手に入れるために知り合った仲だった。

 

 魔装妖精の研究は今後もファルナを維持していく上で必要不可欠だが何しろ金がかかる。

 費用の捻出のため、俺はキトンから定期的に裏の仕事を紹介してもらっていた。

 

 スポンサーは貴族やら金持ちやらこの帝国を経済力で支配する巨大商会やら。

 彼らは自分たちの手を汚せない場合に、死んだ親父がやっていたような裏の世界の傭兵に仕事を依頼する。

 非合法な人員の引き抜き(ヘッドハンティング)、機密の奪取、施設の破壊工作、情報操作による謀略、そうした危険だが、その代わり報酬も高い仕事だ。

 前回の仕事から一カ月、そろそろまた仕事を受けないとまずいところだった。

 

「ブランクが長いと戦いの勘が鈍るしな」

「だったら、まず顔を洗って来て下さいな。朝食の準備は私がやっておきますから」

 

 小さな身体ながら精霊の力を使うことのできるファルナは器用に料理を作ることができた。

 何の変哲もないベーコン一つでベーコンスープ、ベーコンステーキ、ベーコンシチュー、ベーコンサンドなど様々なメニューを作る彼女は優秀だ。

 俺たちが酒の肴にする干し肉(ジャーキー)だって、彼女の手にかかればポークビーンズ、スープにシチュー、干し肉サラダなどちゃんとした料理に化ける。

 俺は彼女と一緒になってから世話になりっぱなしだった。

 

 そして玄関の方でガラスの容器が立てる硬質な音がした。

 

「ああ、牛乳配達が来たようですわ。それでは今朝は干しエビとホタテ、サーモンジャーキーを入れたシーフードミルクスープを作りましょうか。海産物の出汁がミルクに溶け出て美味しいですわよ。ジャガイモを入れればそれがそのミルクを吸いますし」

「朝から本格的だな。大丈夫か?」

 

 聞いただけで起き抜けにもかかわらず食欲をそそられるほど美味そうだがファルナの負担を考えて聞く。

 朝は火を使わないメニューがこの国では普通なことだし。

 

「そんなに手間のかかるものでもありませんわ。ジャガイモとニンジンを入れても五分も煮込めば出来上がりますから」

「……さすがだな」

 

 感心するほかない。

 

「トーストはいつも通り二切れ焼いて、バターだけですね」

「そうだな。いつもので頼む」

 

 表面だけをパリッと焼いて中はふっくらな厚切りトーストに、バターをザクザク言わせながら塗ったものは食べ飽きることのない朝の定番だった。

 チーズがあるなら薄切りに(スライス)したそれを輪切りにしたピーマンと共にトーストに乗せ、蓋をしたフライパンでチーズがとろけるまで焼いたものも美味いが。

 

「自家製のマーマレードもありますが?」

「なら、そいつももらうか」

「デザートはヨーグルトでいいですか? ジャムはアプリコットとラズベリーがありますよ」

「ラズベリーでいいんじゃないか?」

「了解しましたわ」

 

 出会った時には深窓のちょっと世間知らずのお嬢様といった感じのファルナだったが、俺と一緒に暮らすようになってずいぶんと慣れてきたような気がする。

 ここまで来ると人間の嫁なんて居なくてもいいんじゃないかとすら思えた。

 

「それじゃあ頼む」

 

 俺はそう言って洗面台に向かう。

 顔を洗った後、朝の日課となっている体力錬成のトレーニングをこなしている内に朝食は出来上がっていることだろう。

 常に鍛えておかないと、いざと言う時に身体は四分の一以下の実力しか発揮できなくなるからな。

 キッチンから漂ってくる香ばしい匂いを感じながら、俺は黙々とトレーニングに取り組むのだった。



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02 裏の仕事の時間

 夕闇も迫りつつある頃。

 

「あら」

 

 ファルナがつぶやき、何かを見つけ出そうとするかのように中空を見つめた。

 俺には感じ取れない声を聴いている時の彼女の癖だ。

 

「シズカさんから交霊(アクセス)がありましたわ。至急の仕事(ビズ)があるので、いつもの店に来て欲しいそうです」

 

 仲介屋(フィクサー)のキトンは彼女自身、魔装妖精シズカの所有者(オーナー)だった。

 助手としてこんな風に便利に使っている。

 

「分かった。すぐ行くと返事をしてくれ」

 

 俺は返答をファルナに頼む。

 仕事が欲しいと思った矢先にタイミングよく入った依頼。

 これは吉兆か、それとも凶兆か。

 気を付けなければならないのは神と悪魔は常にぐるだということだ。

 幸運も不幸も本質は同じ、とも言うが、さて……

 

 使い込んだ払い下げの軍用ジャケットに袖を通し、胸のポケットにファルナを入れる。

 彼女はポケットの中でもぞもぞと動くと顔だけを外に出し収まった。

 出かける際のファルナの定位置だった。

 

「やはり、ここが一番落ち着きますわ」

 

 ファルナはどこか、とろけるような陶酔を感じさせる声を出す。

 

「そうか?」

 

 俺はわざと素っ気なく答える。

 どうしてもファルナには甘くなってしまう俺だったが、裏の仕事を受ける際にそれでは困るからだ。

 その上で、変装用の伊達眼鏡(アイウェア)をかけ鍔広の帽子をかぶる。

 そうやってよそ行き用の仮面をかぶった俺は、たすき掛けに布製の大型の鞄を、それから大振りの細長い布製の鞄を肩に掛け背に回すと安アパートを出た。

 

 このアパートは旧市街外縁部で辛うじて焼け残っていたところを借りているものだ。

 ボロでも俺一人とファルナが住むには十分な物件だったが、入居者の素姓を問わないため様々な住人たちが居る。

 その住人の質のせいか安息日だというのに仕事帰りの人々とすれ違った。

 彼ら普通の労働者たちの時間は終わりだ。

 もうすぐ裏の仕事の時間になる。

 

 俺がファルナと共に向かったのは、まっとうな市民たちが住む清潔で安全な新市街と、かつての魔導大戦の戦火で焼け落ちスラムと化した旧市街との境に位置する緩衝地帯だった。

 

「相変わらず、ここは活気が凄いですわね」

 

 ファルナが辺りを見回しながらつぶやく。

 

 酒場が林立し娼館(ハコ)が軒を連ねる。

 客を当て込んだ美しい娼婦たちが居並ぶ通り(ストリート)を武器や闘争などとはまったく無縁な普通(カタギ)の人間とコートやジャケットの下に物騒な物を隠している危険な空気をまとった連中が肩を並べて歩ける限定区域。

 求めれば得られぬ快楽は無いとまで言われる、至上の享楽とスリルが味わえる歓楽街だ。

 

「人間以外の姿も普通に見かけますしし」

 

 ファルナが言うとおり、路地裏には旧市街のスラムからはみ出てきた亜人……

 小柄でもみっしりと肉の付いた身体を持つひげ面の岩妖精や、醜悪だがどことなく憎めない愛嬌を持つ小鬼。

 雲を突くような巨体を誇る牛頭族、青い鱗が光るトカゲ人などがたむろっていて、時折表通りに鋭い視線を投げかけてくる。

 

「ここは人間から差別を受ける亜人たちが、大手を振って歩ける数少ない街だからな」

 

 俺はこの街が気に入っていた。

 ギャングやマフィアのような犯罪組織(シンジケート)が幅を利かせているものの、この街には危険と隣り合わせに混沌とした魅力があった。

 

 俺たちが向かったのは、そんな猥雑でありながらきらびやかで渾然とした街の一角にある金の腕亭という酒場だ。

 周囲の店のランプに照らされた、さんざめく通りから外れ裏通りに足を踏み入れる。

 表通りの華やかな印象は消え失せ薄汚れ雑然とした街並みが顔を現した。

 旧市街を囲んでいた崩れかかった城壁の一部に古びた石畳。

 それらを尻目に知っている者しか入り込みそうにない奥まった所にある秘密めいた建物にたどり着く。

 分厚い木の扉には店名を刻んだ真鍮製のプレートがきっちりと磨き上げられ飾られていた。

 

 扉を開けて中に一歩足を踏み入れれば、ほの暗い店内に穏やかで流麗なピアノの演奏が流れる。

 外とはうって変わって落ち着いた、綺麗で上品なバーだった。

 暖色系の内装でまとめられた居心地の良い空間。

 

 ピアノの音に耳を澄ませながらファルナが言う。

 

「いつ来ても、気持ちのいいお店ですわね」

 

 彼女は従姉さんの影響か音楽などの芸術を好んでいた。

 そして実際、魅了の力を持つ歌もこなして見せる彼女は自分のことを楽器に例え、天上の名器と呼ぶ。

 

「ああ、そうだな」

 

 俺はファルナの言葉にうなずいた。

 ここは貴族や金持ち、あるいは力のある商会の代理人が自分たちの手を汚さず、旧市街の不法住居者……

 市民権を持たない貧民や亜人たちに裏の仕事を依頼する場所として活用されている店、その中の一つだ。

 

 客も荒事に長けた一癖も二癖もありそうな面子が揃っていた。

 ジャケットやコートで鍛え上げられた身体を覆い隠し、その腰や懐には大抵、黒光りする鋼の武器が見え隠れしている。

 刀剣類以上に目立つのは銃口から黒色火薬(ブラックパウダー)丸い鉛の弾丸(ボール)を込めて発射するマスケットの短銃か。

 

 銃が鍛冶や金属加工を得意とする岩妖精の中でも、ごく一部にだけ秘匿された武器だったのは過去のことだ。

 帝国は岩妖精との交易に麻薬(ドラッグ)を流すことで銃の技術を手に入れていた。

 

 もっとも、背は低くとも強靭な身体を持つ岩妖精にとって麻薬は煙草程度の嗜好品にしかならない。

 そして逆に、帝国の市井には岩妖精たちから横流しされた麻薬と銃器がこんな風に蔓延することになっていたが。

 

 そんな連中が、あるいはテーブルで、あるいはカウンターで、思い思いに黙々とグラスを傾けていた。

 無論、居るのは人間ばかりじゃない。

 大ジョッキで酒をあおる民族色豊かなフェイスペイントとモヒカンが印象的な岩妖精。

 狼の毛皮を頭からかぶっているのは小鬼の呪術師(シャーマン)か。

 斜に構えて紙巻煙草(シガレット)を燻らす闇妖精はおそらく暗殺者で、喫っているのも危ない薬が混ぜ込んであるものだろう。

 

 中にはあからさまに銃を抜いて磨いているやつまで居るが、誰も注意を払うことすらしない。

 撃ち合いが起これば黙って自分の銃を抜くだけのこと。

 生き残れば酒を飲み続けることができるだろうし、死んだら酒の心配などせずに済む。

 この店に集まる連中の間では、そんなことは珍しくもない。

 

 麦酒(エール)六杯分の金で殺し屋が雇えるし、それ以下の小銭のために命を落とす者が絶えないのがこの街だ。

 帝都の治安を守る衛兵もめったに来ないため、派手な立ち回りもまた多い。

 

 カウンターの隅には、天井に頭がつかえるのではないかと思われるほど大きなトロール鬼の用心棒(バウンサー)が特注サイズの燕尾服を着て控えていた。

 騒ぎを起こすような輩は彼の剛腕につまみ出されるという寸法だ。

 硬い皮膚と筋肉に覆われたその巨躯には、刃物はもちろん銃ですら生半可なことでは歯が立たないだろう。

 

「キトンは?」

 

 俺がカウンター越しに馴染みのバーテンダーに声をかけると、それまで丹念にグラスを磨いていた彼は無言で店の奥を示した。

 なるほど、あちらのボックス席か。

 

「それじゃあ俺には麦酒を持ってきてくれ」

 

 そう彼に伝え、慣れた店内をよどみなく進む。

 

「麦酒ですか?」

 

 俺の酒の趣味を知るファルナがポケットからいぶかしげに問いかける。

 麦酒は帝都では水代わりに子供にも飲まれているものだった。

 度数は低い。

 

「ああ、仕事(ビズ)を前に酔っぱらうわけにもいかんからな」

 

 俺たちを待つ仲介屋(フィクサー)のキトンはこの業界でも有名なやり手の美女だった。

 薄暗い店内でも、爆乳とも言うべき大きな胸が特徴のメリハリが効いた身体は目立つ。

 柔らかな栗色の猫毛に好奇心に輝くエメラルドの瞳。

 

「いいねぇ、一度でいいからあんな女とやってみたいよな」

「マジか? お前亜人に手を出す気かよ」

「だって、その辺の人間の女よりか、あの娘の方が良くねぇ?」

「そりゃあな、アノときもすっげいいんだろうなー」

 

 この店にそぐわない勘違い野郎どもが、彼女に惹かれてひそひそと言い合っているのが耳に入ってくる。

 

「綺麗なものほど汚したいっていうか」

「いっそのこと輪姦(まわ)しちまうか?」

「いーんじゃね、どうせそういうつもりだったんだろ」

 

 キトンの美貌に中てられているとはいえ言いたい放題、好き勝手に語ってくれるもんだ。

 

 当然、高い感度を持つファルナの(センサー)にもそれらの雑音は届いていて、彼女はその低俗な内容に眉をひそめた。

 俺はそんなファルナを胸のポケットの上からそっと撫でてなだめる。

 もの言いたげに俺を見上げる彼女にこう告げた。

 

「どうせ口だけだろうし放っとけ。そもそもあんなやつらが手を出せるほど彼女のガードは甘くないしな」

 

 そしてそんな些末なことより、キトンが待つボックス席に同席している見慣れぬ男の方に気を配るべきだろう。

 ファルナも俺の視線の先を追って気づいたか、そちらに目を凝らす。

 

「一緒に居るのが今回の仕事(ビズ)の依頼者でしょうか?」

「そうだろうな」

 

 ファルナのささやきに答えながら、俺はさりげなく相手を値踏みした。

 

 男は無難な夜に合わせた燕尾服姿だった。

 しかし抜け目なく周囲に気を配っている様子からその筋の者とわかる。

 オーバーコートを脱いでいるにもかかわらず手袋を付けたままなのも気になった。

 というのも身体に彫り込んだ呪紋を隠しているとも取れるからだ。

 

「ファルナ、眼を貸してくれ」

「はい、マスター」

 

 俺の視界ががらりと変化する。

 抑えられた照明により薄暗いはずの店内がくっきりと明るく映り込み、更に依頼人らしき男について解析された情報が現実に追加される形で表示された。

 拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)と呼ばれる術式によるもので、ファルナが霊的経路(チャンネル)を通じて、自分の妖精の視野(グラムサイト)から得られた情報を共有させてくれたのだ。

 

「やはりな」

 

 男の身体の表面に沿って走るのは、常人には見ることのできない魔力の線。

 人体に百八箇所ある神経の集中点をつなぐ線を魔法の染料で彫り込んだものだ。

 それにより驚異的な反射スピードを得るための呪的紋様、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のきらめきだった。

 

 呪的紋様……

 呪紋は、人体に備わった魔力を自動的に消費して効果を現すものだ。

 魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)以外にも皮膚硬化(ハード・スキン)などといった身体強化(フィジカル・エンチャント)

 邪眼避け(アンチ・バロール)呪術避け(レジスト・マジック)といった護符(アミュレット)

 変わったところでは一時的に心肺機能を引き上げ、痛覚を遮断(キャンセル)させる狂戦士化(アドレナリン・ブースター)などがあり、戦闘屋には必須の機能向上(アップグレード)とされている。

 

「ありがとう、ファルナ」

 

 俺はファルナとの接続を切る。

 とたんに元に戻る視野に映る情報はごくわずかで、眼がいきなり老化したかのようないつもの喪失感が俺を襲った。

 本来なら魔装妖精の視覚にこそ違和感を覚えなければならないはずなのだが、彼女との感覚の共有はまばゆいほど素晴らしく……

 だからこそ酷く危うい。



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03 猫妖精の仲介屋とクノイチ型魔装妖精

「あら、早かったわね」

 

 仔猫(キトン)はその通り名(ストリート・ネーム)にふさわしく、機嫌の良い猫のように瞳を細めるとボックス席に俺たちを迎え入れる。

 その頭には髪の間からぴんと尖った猫の耳が顔をのぞかせていた。

 腰からは優美にカーブを描く長い尾がすらりと伸びている。

 彼女は猫妖精なのだ。

 九つの命を持つ(ナイン・ライブス)と言われる神秘に包まれた魅惑的な一族。

 身に着けた動物性の香料、霊猫香(シベット)が鼻をくすぐる。

 

 彼女のほっそりとした首筋にはチョーカーが巻き付けられ、それに下げられた水晶(クリスタル)が光を反射して煌めいていた。

 一見首輪のようにも見え、倒錯的とも蠱惑的とも感じられるがこれは単なる飾り(アクセサリー)ではない。

 

 この水晶は別名、妖精の涙と呼ばれる妖精族の記憶が封じられている結晶だ。

 今付けているのは隠密行動に長け戦闘力も高い闇妖精の物か。

 これがチョーカーを通じて脊髄の魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)と接続し、記録されている妖精の技能を再現するのだ。

 このために彼女の全身には、とある闇医者の手により透明な魔法の染料でDランク相当、軽度の魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋が刻まれていた。

 

「ようキトン。久しぶり」

 

 俺は彼女が持つ見事な男のロマン、実にけしからん胸の隆起に向かって挨拶をした。

 

「どこに向かって言ってるの?」

「そりゃ本体にだろ」

 

 ショートジャケットを羽織ってはいるものの、その下は露出の多いビスチェとホットパンツという挑発的な格好だ。

 これに反応しないのは男じゃないだろう。

 

 キトンは沈黙。

 そしてこう言う。

 

「……あなたって、最低だわ」

「そのセリフは言われ慣れているよ。色々なやつに、色々な意味でね」

 

 いつものやりとりだ。

 

「不潔ですわ、マスター」

 

 ファルナが歯ぎしりして悔しがるのもまたいつものこと。

 

「そんなに胸が大きいのがいいなら、乳牛とでも結婚するといいんですわ」

「おいおい……」

 

 つんとすねたように言う彼女に、頬が引きつりそうになる。

 虫も殺せないような顔をして強烈な毒舌をふるうものだから違和感が酷い。

 慣れている俺でもそう思うのだから大概だ。

 

 まぁ、身体のサイズを別にすればファルナだって芸術的とも言えるプロポーションの持ち主なんだがな。

 

「まったく、私が乗りそうな胸ですこと」

 

 ファルナはそう言ってポケットの中から飛び出し、実際にキトンの胸の上に立とうとするが、

 

「し、沈みますわ!」

 

 深い胸の谷間に落ち込んでしまい、わたわたともがくことになる。

 

「た、助けて下さいまし、マスター」

 

 いや、さすがにそこに手を突っ込む訳にはいかんだろ。

 

「あ、あんまり動かないで」

 

 キトンも危険な場所にはまり込んでいるファルナと、彼女から受ける刺激のせいか顔を赤らめ身体をよじる。

 

「むぎゅっ」

 

 あ、ファルナが押しつぶされた。

 男だったら泣いて喜ぶシチュエーションなんだろうがな。

 

 それはともかく、ファルナが何とか危険地帯から這い出た所で俺は聞く。

 

「シズカはどうした?」

 

 俺が見慣れたキトンの相棒、魔装妖精のシズカの姿を探すと、

 

「お呼びになりましたか?」

 

 不意に、耳元にそっと告げられるソプラノの柔らかな声(ウィスパーボイス)

 

「っ、シズカ……」

 

 肩にかすかな重みを感じちらりと視線を向ければ、どこからともなく忽然と現れた手のひらサイズの小妖精が黒装束姿で俺の右肩に乗っていた。

 

 事前に気配はまったく感じられなかった。

 彼女は隠密哨戒型魔装妖精なのだ。

 秀真国の影響を色濃く受け継いだ外装からクノイチ型とも呼ばれる。

 

「相変わらずだな。調子はどうだ?」

 

 苦笑しながら問うと、シズカはその性格を表すかのように控えめに微笑んで見せた。

 

「おかげさまで問題はありません」

 

 ささやくような、それでいて良く通る美声。

 

「いつもシズカのメンテナンスをありがとうね、スレイアード」

 

 そうキトンが言うとおり、俺はシズカの整備も請け負っていた。

 

「マスター、無駄口はそこまでにして下さいな。キトンさんも急ぎの用件だったんじゃないんですの? あとシズカさん、私のマスターから離れて下さい」

 

 ファルナが話に割り込んだ。

 その声はいかにも不機嫌そうだ。

 艶やかに輝くプラズマの黒き翼を腰から展開して宙に浮き、腕組みをしている。

 彼女は俺が人間、妖精を問わず女性と親しそうにしているといつもこうだった。

 自動人形とはいえ女性型ということか。

 

 何とかしてくれとキトンに視線で助けを求めるも、

 

「魔装妖精も女の子なんだから、扱いは慎重にね」

 

 と、笑顔で返されてしまう。

 俺にできるのは肩をすくめて見せることだけだった。

 そんな俺に、キトンは何でもないようにさらりと問う。

 

「やっぱりまだ彼女のこと、忘れられない?」

 

 一瞬だけ、動きが止まった。

 これだから、この女性は苦手だった。

 

「……忘れられるはずがない」

 

 俺は当然のこととして言った。

 

 従姉さんの面影を魔装妖精(ファルナ)に求める。

 決して健全とは言えないだろうが、そんなのはこの街では普通だ。

 誰しもが歪みを抱えながら生きている。

 いや歪みの一つでも持ち合わせていなくては生きづらいのがこの街だった。

 

 人の過去に深入りするのは情報も扱う仲介屋(フィクサー)の性か、キトンの悪い癖だ。

 詮索屋とお喋り魔は長生きできないのがこの業界だと彼女自身、分かっているはずなんだがな。



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04 スミスという名の依頼人

「いい加減、用件に入って下さいませんか」

 

 俺のことを気遣ったのか、ファルナが強引に話を進めようとした。

 

「これは失礼」

 

 キトンは謝罪を口にするが、一方で微笑ましそうにファルナを見やる。

 

「ふふふ、この小さな頭の中では自分のことと、あとはご主人様のことしか考えてないんだから」

 

 それに対し、ファルナは言う。

 

「私の思考なんて、前のマスターを失った時に崩壊していることは自覚済みです。心も砕けてしまったに違いありませんわ」

 

 ファルナは俺と同じ人を失った者同士だ。

 しかし、

 

「それでもマスターはパズルを組み立てるように、私を癒して下さいます。そんな人を愛しく思うのはおかしいのでしょうか?」

 

 問いかけの言葉でありながら、何人たりとも口を挟ませない口調。

 

「いいえ、誰にも否定することなどできはしません。ロジックではないのですから」

「……そう」

 

 そこに俺の注文していた麦酒(エール)をウェイターが運んできた。

 俺は相場のチップを加えた代金を引き換えに渡してそれを受け取る。

 

 そしてウェイターが十分に離れたところで、キトンはすっと表情を営業(ビジネス)用の微笑みに切り替えた。

 ここまでの彼女の無駄口は邪魔が入らなくなるまで間を持たせるためのつなぎでしかなかったのだ。

 そうして同席していた男……

 今回の仕事の依頼主を紹介した。

 

「マクドウェル商会のスミスさんだそうよ」

 

 マクドウェル商会といえば、この北の大国ヴォレス帝国でも屈指の大貴族、マクドウェル伯爵が経営する巨大商会だ。

 傘下に置いている中小の系列商会やお抱えの職人たちを合わせれば、扱っていないものなど無いとまで言われている。

 帝国を経済力で支配している巨大商会の一つ。

 しかし、

 

「スミスさん、ね」

 

 そのありふれた名前からしてあからさまな偽名。

 そして最初に見抜いたようにただ者ではない様子から、商会の工作員(エージェント)と見て間違いは無さそうだった。

 

 ファルナとの接続により強化された視野に映っていたスミスの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のランクもB。

 速度特化型でない限りほぼ最高のグレードだった。

 そしてその解析パターンは軍用の呪紋であることを示している。

 帝国軍で一部の強化兵向けに採用されているタイプだ。

 軍の出身者か?

 マクドウェルは腕の立つ元軍人の再就職先としては有力なところだから、おかしなことではないが。

 

 しかし…… 近くで改めて見ると分かるが、スミスは息を飲むような美形だった。

 整った造作に滲み出る野性味が男らしい精悍さを与えていた。

 髪は金の直毛でこれもまた美しい。

 

 俺は呆れた。

 偽名を使っていてもこれでは意味が無い。

 後で特定するのも難しくないだろう。

 まぁ、一夜限りの割り切った大人な関係で済めば、この美人さんについてあれこれと詮索せずに済むんだがな。

 

「そして、こっちがスレイアードとファルナ。見ての通り、魔装妖精とその所有者よ」

 

 キトンはそう俺たちを紹介した。

 ファルナが不満そうな気配を抱くのが分かったが、手をかざしてそれを抑える。

 こちらの手の内を無暗にひけらかす必要は無い。

 

 だが、スミスは顔をしかめた。

 

「私は荒事向けの要員を手配したはずだが?」

 

 疑問に思うのも無理はない。

 その条件だったら、がっしりとした身体に魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)皮膚硬化(ハード・スキン)などの呪紋を限界(エッジ)まで彫り込んで、マスケットの短銃と共にコートの下に隠した屈強の男たちを想定するはずだ。

 それで現れたのが呪紋を入れた様子もない若造と、小さな妖精では納得できないのが普通だ。

 

「仕方がありませんわね」

 

 ファルナはそうつぶやいて、左手のクローアームを腰部背面ラッチにマウントした大型銃にまわした。

 その次の瞬間だった。

 抜く手も見せずに彼女は銃をスミスの眉間に向け照準(ポイント)していた。

 

 悪魔型魔装妖精の主要武装の一つ、魔導銃サンダラー。

 精霊力の電撃変換機能を持つ強力な武器だった。

 

 それを魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋を入れているスミスに反応すらさせずに抜いて見せた。

 魔装妖精は素早いのだ。

 人間とは基本となる能力(スペック)自体が違った。

 

 サンダラーの呪的チャンバーには既に雷撃(ライトニングボルト)一発分の精霊力が充填され、解放されるのを待っている。

 わずかに漏れ出す紫電がそれを現していた。

 

「気に入って頂けました?」

 

 ファルナはスミスに向かって銃口を突きつけたまま、すまし顔で微笑んで見せる。

 

「なるほど、お嬢さんの実力は本物らしい」

 

 スミスは納得した表情でファルナを見る。

 

 それを確かめた上で、ファルナはサンダラーを腰に戻した。

 依頼人に対して悪びれた気配もない。

 彼女にとっては、いや魔装妖精にとってはマスターがすべてなのだから。

 

 一方、残った俺にスミスは疑いの目を向ける。

 そちらがそういう態度に出るのなら、と俺は表情を改めて手札を切った。

 

「俺はマクドウェル商会の代理人にコネがあるんですけど」

 

 直接的な武力と同じか、それ以上に人脈というのはこの業界で力を持っているのだ。

 活用しない手はなかった。

 表だろうと裏だろうと、世間は人と金とコネで成り立ち回っているのは同じ、というのは傭兵をやっていた死んだ親父の言葉だ。

 

仕事(ビズ)を依頼するなら正式にそちらを通してもらえますか? 失礼だが危ない橋を渡る以上、保証が欲しい」

 

 マクドウェル商会の仕事であるというのなら、取引の実績があって信用のおける代理人を通すのが望ましい。

 俺の要求はまっとうなものだった。

 

 しかしスミスは明らかに顔をしかめた。

 弱みがある証拠だ。

 そしてスミスは状況を説明する。

 

「実は私が情報を入手したのがつい先ほどでね。正式な手順を踏んでいる時間が無い。正直、今話している時間も惜しいくらいだ」

 

 焦燥を感じさせる声。

 俺の指摘は依頼人の痛いところを突けたようだった。

 その結果に満足しつつも、俺は失礼にならないよう表情に出すことは控える。

 この辺は依頼人への配慮の内だ。

 

 スミスは薄く笑って見せる。

 

「それに、できれば今回のことは私のレベルで上手く処理しておきたいのですよ」

 

 内に秘めた功名心を暗に匂わせた言葉だった。

 

「なるほど。商会の工作員(エージェント)を使わず俺たちを雇うのも、それが理由ですか?」

 

 俺は探りを入れるのも忘れない。

 この業界、問わず語らずが建前だが、しかし裏をまったく取らない考えなしでは長生きできない。

 

「そういうことです。私の権限で動かせる人員はみな旧市街に不慣れでして。万が一の取りこぼしを防ぐには旧市街の裏にも通じた外部のプロを雇わざるを得ないのですよ」

 

 スミスはそう答え、更に付け加える。

 

「我々が動くことで他の商会の注意を惹き、介入を招くのも好ましくありませんし」

 

 無難な答えだったが、それがどこまで本当かうかがい知ることはできなかった。



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05 仕事(ビズ)の内容と報酬(ギャラ)

「それじゃあ、お互い納得ができたところで私たちは席を外しましょう」

 

 俺とファルナが軽い駆け引きの末、依頼人を認めさせたと見たキトンは、そう言ってそそくさと席を立った。

 

 一緒に居たはずのシズカはいつの間にか消えていた。

 彼女はいつもこうだった。

 だが大丈夫だ。

 彼女は必要な時には必ず居てくれる。

 

 ともかくここからは依頼人と具体的な仕事の話だ。

 スミスは語る。

 

「なに、簡単な話です」

 

 俺は苦笑いが漏れないよう顔の筋肉を引き締めた。

 依頼人の言うことは常に変わらない。

 どんな仕事もさも簡単そうに上手く話す。

 まぁ、難しい仕事を難しくやるのはプロではない。

 難しい仕事を簡単にこなすからこそプロフェッショナルだとも言えるのだが。

 

「仕事の内容は、廃墟となった旧市街の東の外れに潜伏している小鬼たちから黒い鞄を奪うというものです」

 

 襲撃と強奪はこの世界では基本とも言える仕事だ。

 だが、ただし、とスミスは続けた。

 やはり簡単なだけの仕事ではないようだ。

 

「目的の物を狙っている者は他にも居て、すぐに出ないと先を越される可能性があります」

 

 まず時間の制約と競争相手の存在があった。

 スミスの表情にも若干の焦りが見られることから、時間が無いという話は嘘ではないらしい。

 

「また長引くと小鬼に応援も来るようです」

 

 そして更に敵の増援だ。

 なかなかに複雑な背景(バック)を匂わせる言葉だった。

 

 ファルナは形の良い眉をかすかにひそめた。

 その秀麗な顔に浮かぶのは困惑だろうか。

 

「そうは言っても私たちには足がありませんわ。辻馬車を捕まえたとしても、夜の旧市街なんかに行ってくれる酔狂な御者は居ないでしょう?」

 

 それを請け負う者も、裏の世界に居ることは居る。

 普段は普通の辻馬車を装いながら、特別料金でどんな人物もどんな荷物もどこへでも素早く運送するプロの運び屋。

 東方風にカミカゼとも呼ばれている。

 

 だが、彼らを手配するには時間が無さ過ぎた。

 今からでは間に合わないだろう。

 

 しかし、それに対してはスミスが提案した。

 

「そこは私が馬車を出しましょう」

 

 なるほどと俺は納得する。

 二重の意味で。

 だからスミスに確認する。

 

「じゃあ、スミスさんも一緒に行くと」

「ええ」

 

 スミスはうなずく。

 次いで彼は燕尾服の懐から硬貨の入ったずっしりと重い袋を取出した。

 報酬(ギャラ)について話を詰める。

 

「報酬は金貨で十枚。すぐにでも仕事にかかってもらいますから、全額前払いでお渡しします」

「必要経費は?」

 

 すかさず聞く。

 遠慮なしに撃てるぐらいには欲しかった。

 足が出るのを怖れて使える弾を数えながら戦うのはごめんだ。

 俺の装備だと弾代、そしてファルナのメンテ代も嵩むからな。

 

 スミスは少し考える素振りを見せた。

 

「それでは経費として金貨五枚を上乗せしましょう」

 

 そう言って報酬に更に追加する。

 金払いが良くて結構なことだ。

 スミスからの提示(オファー)は、これぐらいの仕事なら十分なものだった。

 しかし俺はここで、わざと顔をしかめて見せた。

 

「全額前払いなのは好評価だが、商会の代理人の保障が無いやばい話にしちゃあ安過ぎないか? 急ぎで、しかも危険な仕事(ビズ)なんだし報酬(ギャラ)には色をつけてもらわないとな」

 

 この辺はちょっとした駆け引きの内。

 

「そうですわね」

 

 ファルナも自然に話を合わせてくれる。

 俺はスミスだけに聞こえるよう小声で付け足した。

 

「何なら内々にキックバックに応じてもいい」

 

 キックバックとは支払い代金の一部を謝礼として支払人に戻すこと。

 この場合は、

 

 契約額を上げてくれたら上乗せしてくれた分の何割かをスミス個人に賄賂(リベート)としてお渡しますよ。

 どうせ商会から経費として支払われる金なんだから山分けしましょうよ。

 

 と持ちかけているわけだ。

 取引相手に利益を提示してぐるになってもらう手法で、金払いを良くする他に……

 こちらの方がより重要だが、相手を抱き込むことで裏切りにくくすることが目的だった。

 

 だがスミスは所属する商会に対する忠誠心が強いのか、こちらの思惑を見透かしているのか、うっすらと笑うだけで首を振った。

 

「現場で得た物は鞄以外、すべてそちらの物にして頂いて結構です。私は目的の鞄さえ手に入れば良いのですから」

 

 とスミスは言うが、ことはそれほど簡単ではない。

 

「それは相手を皆殺しにして死体から金を漁れと? 無茶を言いますね」

 

 俺は平坦な口調で身もふたもなく語る。

 態度からも呆れは隠せなかった。

 

「ビジネスはもっとスマートにやるものですわ、スミスさん」

 

 ファルナも同意する。

 まぁ、言っていることには同感だが、少し理想が過ぎるとも思う。

 現実ってやつはもっとシビアで泥臭い(ウェットな)ものだからな。

 だがスミスは俺たちの指摘を受けても動じなかった。

 

「敵対する者は容赦せず排除する。当たり前の話では?」

 

 平然と言ってのける。

 

「そうですかね? 競合相手の働きが常にこちらの不利益になるとは限らないでしょう?」

 

 俺は疑問を挟むが、スミスは一顧だにしなかった。

 

「限らない? そんなあやふやさは必要ないでしょう。我々の前に立つ者は少なくとも味方か敵か、どちらかでしかありえない」

 

 根本的な価値観が、かみ合っていなかった。

 可能な限り戦闘というリスクを回避して目的を達しようとする俺たちに対し、スミスの考えはもっとシンプルだ。

 邪魔者は殺して奪う。

 単純だが、それゆえにゆるぎない行動原理だった。

 それもまた一つの考え方。

 マクドウェルのような巨大商会の競争では弱肉強食が当たり前なのだから。

 

「やれやれ物騒だな。あんた、そう言って一体何人をその手に掛けたんだ?」

 

 大仰に肩をすくめ探りを入れてやると、

 

「さて、我々のような者にとって殺人は紅茶のようなものでは?」

 

 スミスは涼しい顔をして言う。

 

「嗜みってやつです」

 

 思わず息を飲んだ。

 そんな俺とファルナにスミスは語った。

 

「人生は生きるに値しない。だから慈悲の心をもって幕引きをさせてあげる。それだけの話でしょう?」

 

 こいつは本物だな。

 仕事でなけりゃ極力お近づきにはなりたくないタイプだ。

 まぁ、それはともかく。

 

「なら、足りない代金分は身体で払ってもらおうか」

 

 仕方ない風を装って、俺は折衷案を切り出した。

 十分であるはずの金額についてごねて見せたのは、相手の譲歩を引き出すための布石だった。

 

「どういう意味ですか?」

 

 警戒したように問うスミスに、俺は笑って取引を持ちかける。

 

「現場に自分も行くってことは、どうせ俺たちがしくじったときには横槍を入れて目的の品を確保するつもりなんだろ」

 

 俺は依頼人が同行を申し出た時点でそこまで読みきっていた。

 俺は確かに若いが、裏の世界のことは十分に熟知している。

 

「だったら最初から協力体制を取っていた方が、仕事(ビズ)の成功率は上がる」

 

 時間に余裕が無いからといってストレートに力づくで行くのは趣味じゃない。

 これぐらいの細工はさせてもらう。

 

「なるほど」

 

 俺の提案に、スミスも納得した様子だった。

 

「しかしあくまでも主力はあなた方で、自分は保険ですよ」

 

 そう釘をさすのは忘れなかったが。

 

「それは当然ですわ」

 

 ファルナはうなずき、俺も同意する。

 こうして俺たちは報酬の金貨を受け取るとスミスと共に店を出た。

 仕事の始まりだった。



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06 スニーキングミッション

 スミスが用意したのは二輪一頭立ての小型の馬車だった。

 二人乗りの、詰めれば三人まで並んで乗れる客室があった。

 御者には車両後方にある一段高いバネ付きの座席があり客室の屋根越しに手綱を取るようになっている。

 辻馬車で利用されている型と同じものだ。

 

 それを引くのは見事な黒の毛並を持つ半妖精馬だ。

 水の妖精馬がまれに雌馬を襲い孕ませた仔を半水棲馬(ケルピー・ハーフ)と呼ぶ。

 父親譲りの強靱な体躯を持つが、父親と違って人間にも何とか飼い慣らすことができるため軍馬として高い人気を持つ。

 そんなものを使えるのだから、

 

「さすが商会勤め。いい馬車を使っていますね」

 

 感心したようにファルナは言う。

 

「個人の持ち物ですか?」

 

 俺はスミスに聞いてみた。

 

「ええ」

 

 と肯定の返事がある。

 

「私たちにも、こんな風に使える足があるといいですね、マスター」

 

 ファルナの言葉に対しては、俺は馬車に乗り込みながら答えた。

 

「冗談、ここまでハマりたくない。何年ローンです?」

「放っておいて下さい」

 

 痛いところを突かれたのか、スミスは素っ気なく答える。

 

「それでは行きますよ」

 

 オーバーコートを着込み、御者台に腰かけたスミスが手綱を操る。

 その手際はなかなかに良い。

 そして備え付けのランタンに軍用の遮光カバーを被せて前方下方向だけを照らすよう極力明かりを絞った馬車が走り出す。

 馬蹄が一定の調子で石畳を叩く音と、一対の車輪が回る音がする。

 乗り心地が良いのは岩妖精が鍛えた良質の鋼による板バネが車軸を支えているからだ。

 

 馬車は暗い夜の旧市街を東に向かって軽快な音を立てながら進んだ。

 身を切る風が夜の息吹をささやきかけてくる、そんな気配がした。

 

 ……地獄騎行(ヘルライド)か。

 

 ファルナが寒さでも感じたかのように、ポケットの中で俺の胸に身体を寄せた。

 俺は大丈夫だという意味も込めて、ポケットの上から彼女をそっと撫でたのだった。

 

 

 

 三十分ほど馬車を走らせると目的地に到着する。

 かつて帝国の中心だった旧市街は魔導大戦末期の吸血鬼撲滅戦で失われており、戦いの爪痕があちこちに残る荒涼とした廃墟となっている。

 新市街が建てられ市民の大半がそちらに移住したことから再建されることもなく放置されており明かりもまばら。

 人通りも周囲の廃墟に住み着いた不法住居者(スクワッター)を時折見かける程度だ。

 ボロボロになった壁には乱雑に描き込まれた落書き(グラフィティ)

 

 スミスは馬車を止めた。

 

「さて、どのような手段をお考えで?」

 

 そう俺たちに作戦を聞く。

 

「私が潜入と攪乱でしょうか。小さいし姿隠しの力も持っていますから」

 

 魔術戦闘を得意とするファルナが即座に答えた。

 気負いのない声だったが、同時に確かな自信も感じさせる涼やかな声音だ。

 

「鞄の確保は俺がやろう」

 

 俺もうなずく。

 と言うか手のひらに乗る小妖精サイズのファルナにはできないことだから、この役割分担は当然だった。

 

 俺は変装と闇に溶け込むカモフラージュのため濃緑に染められた軍用三角巾をバンダナ代わりに口元に巻いて顔を隠す。

 この業界、目立ちたがり屋より恥ずかしがり屋の方が長生きできるのは常識だった。

 軍用の三角巾は本来の医療目的のほかに、このように口元に巻いて防塵マスクにしたり、首筋を守るネッカチーフ、汗止めに頭に巻くヘッドバンド、覆うように被れば頭部を保護する帽子代わりになる。

 応用範囲が広く持っていると便利だった。

 

「分かりました。目的の鞄を持った小鬼たちが居るのはこの先の空き地です」

 

 そう告げた後、スミスは念を押す。

 

「競争相手が居ること、そして時間をかけると小鬼たちに増援が来ることをくれぐれも忘れないで下さい」

「了解ですわ」

 

 ファルナはプラズマの翼をのばすと空中に飛び上がった。

 月光の元、踊るように優雅なステップを踏むとその姿がかき消える。

 妖精の舞踏と呼ばれる呪術的歩法によって、見る者の霊的死角に滑り込んだのだ。

 

(それじゃあ行ってきます)

 

 霊的経路(チャンネル)を通じて俺に告げる。

 それは同時に俺へ彼女の視覚情報も伝えていた。

 魔装妖精が魔導大戦中、偵察用ミニ・ドローンとして活用されていた所以である。

 

(視界が明るいな)

 

 霊的経路(チャンネル)が繋がっている俺たちは双方向に思念を交わすことができる。

 

妖精の視野(グラムサイト)は闇を見通しますから)

 

 それゆえ明かりが無い低光度条件下(ロー・ライト・コンディション)でも魔装妖精たちの視界に問題は無い。

 視野の共有だけでも感じられる能力が何倍にも拡張されたような万能感に、実際の肉体の方が非現実に思える。

 俺は歯を噛みしめて流されないようこらえた。

 

 人の気配も明かりも絶えた大気は暗く澄んでいた。

 月だけが混沌都市と呼ばれるウォレスの帝都すべてを見ている。

 廃墟の影が地面に明暗を作りだし闇に潜むものを隠してくれる。

 そんな闇夜をファルナは気配を殺し慎重に低空を飛び、音を立てずに移動する。

 

 こんな静かな場所ではかすかな音でも思いがけないほど遠くまで届いてしまうからな。

 帝国軍の斥候兵(スカウト)狙撃兵(スナイパー)、傭兵など隠密行動を行う者も、何かに当たると音を立ててしまうヘルメットではなく戦場に合わせ目立たぬ色で染められたブーニーハットを愛用しているし、銃や刀剣類の鞘にも帯状の布をきっちりと巻いてカモフラージュと消音の処理を施したりしている。

 軍で支給される数打ちの剣の鞘は力がかかると軋みを上げるため、それを防ぐためにもきつく布を巻いておくのは有効だしな。

 

 そして音の進む速度は常に一定。

 聴覚に優れた者なら音の大きさと方角でこちらの位置をつかんでしまう。

 特に今回の相手は小鬼だ。

 抜き出た強さは持たない彼らはその分、臆病で慎重で狡猾だ。

 臆病さゆえに周囲をいつも警戒している。その察知能力を侮ることはできない。



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07 フリントロック式グレネードランチャー

(スミスって人、どこまで信用できると思います?)

(さてな。俺も仕事(ビズ)を引き受けはしたけれど、彼を完全に信じたわけじゃないからな)

 

 俺はファルナと霊的経路(チャンネル)を通じて声なき会話を交わす。

 スミスにはちょっと聞かせられない本音話だ。

 

(マクドウェル商会の代理人に確認するのが一番なんだが、スミス氏は内密で動いているようだからな。それを漏らすような真似は依頼人を裏切ることにもなりかねんし)

(その辺はこの仕事(ビズ)を仲介して下さったキトンさんとシズカさんに裏を取ってもらうしかないですね)

 

 確かに。

 それにシズカなら今現在も裏で動いているはずだ。

 

 敵に近づいたことからファルナは腰部背面ラッチから魔導銃、サンダラーを取り出し用意した。

 この大型火器は普通の魔装妖精の手には余る。

 左手を悪魔型魔装妖精の大型クローアームに換装したファルナだからこそ扱えるものだ。

 

 馬車に残っていた俺もそれに倣い、背にまわしていた細長いバッグから使い慣れた銃器を取り出した。

 

「それは……」

 

 スミスが息を飲む。

 

 俺が取り出したのは寸詰まりの奇妙な銃だった。

 撃鉄(ハンマー)火打ち石(フリント)を備えた火打石発火(フリントロック)式の長銃の銃床(ストック)と機関部を持っているが、銃身(バレル)があるべき場所にはずんぐりとしたカップが配置されている。

 このカップに各種弾頭、通常は炸薬を詰めた爆弾、榴弾(グレネード)を装填し、銃に込められた火薬により撃ち出すこれは、

 

擲弾発射器(グレネードランチャー)っていうやつですよ」

 

 冷たい鋼の銃が月光に冴える。

 

「こいつは個人が携行できる火器の中で一番強力なものなんです。その威力はそこいらに出回っているマスケット銃とは比べものにならない。ぎっしりと火薬が詰まった榴弾を込めて放てば、爆発により凶悪な鉄片をばらまきそれだけで周りのものすべてを粉砕する」

 

 俺の声には自然と熱がこもった。

 俺は銃の力に信頼を置いていた。

 いや、力そのものを信頼していると言った方がいいか。

 だから選んだ銃器がこの擲弾発射器(グレネードランチャー)だった。

 有象無象を区別なく吹き飛ばす暴力装置。

 強烈な反動が身体を痛めることも厭いはしない。

 

 強大な威力と反動(リコイル)の凄まじさが災いして帝国軍制式装備の座を追われた悲劇の兵器。

 それがこの擲弾発射器(グレネードランチャー)だった。

 

「それだけじゃない。教団や帝国軍特殊部隊が持つ呪的装備を使えば、通常の武器では傷付かない魔物すら屠ることが可能だ」

 

 破壊僧の異名で知られる天僧騎士団(ボンズ・ナイツ)が扱う聖榴弾(ホーリーグレネード)辺りが有名か。

 

「そんな代物を使おうとは、戦争でも始めるつもりですか?」

 

 呆れたように言うスミスに、笑って擲弾発射器(グレネードランチャー)を掲げて見せる。

 

「簡単ですよ。なんてったって弾代は雇い主(クライアント)持ちだ」

 

 必要経費を別に請求するのはこいつのためだ。

 

「このずしりとくる重さと怪物じみた反動の強さが俺の命を守ってくれる保証なんですよ」

「ふむ、それがあなたの相棒って訳ですか」

「そうですね。太くてでっかい暴れん坊をぶち込みたがるのは男の習性(サガ)ってもんでしょう」

 

 俺は死んだ親父から戦う術を教え込まれていた。

 それもきれいごとでは済まされない裏の仕事のための技術だ。

 銃器の扱い、格闘や隠密行動のための技能……

 ただ指示に従い、黙々と身体を鍛える。

 それが昔の俺の日常だった。

 

 今の俺は自分のためにその力を使う。

 かつて親父から学んだ様々な技は生き抜くために役立ってくれていた。

 鍛え上げられた(シクスセンス)力量(テクニック)は伊達ではない。

 

「その大砲で、いったいどれだけの人を殺したのですか?」

 

 スミスの問いには、こう答える。

 

「さぁて。業務日誌をつけるような仕事(ビズ)じゃないんで」

 

 あんたほどじゃないはずだぜ、と心の中で付け足して置く。

 そんなやりとりをしている間にも、状況は進行していた。

 

(あれですね)

 

 精神に響くファルナの思念。

 目的の空き地が見えてきた所でファルナは停止する。

 廃墟の影に身を潜め索敵(サーチ)

 目標を視認(サイト)

 

 辺りには月明かりしか無かったため、もし俺が現場に同行していたとしても空き地にうごめく人影があることぐらいしかわからなかっただろう。

 小鬼は夜目が利くので明かりを必要としないのだ。

 

(人数は四人か?)

 

 俺は現場から脳裏に送られてきた映像から見て取る。

 それに加えファルナには、

 

(人影が小さいから確かに小鬼のようですね。全員が武器を持っています。うち一人が黒い鞄を持っていますわ)

 

 ということが識別できたようだ。

 

「まだ先を越されてはいないようだな」

 

 俺は同行しているスミスのために偵察結果を口に出してつぶやいた。

 ファルナは素早く周囲の地形に視線を走らせる。

 空き地は、元は家屋が建っていたのだろうが、それは完全に破壊され今では壁の一部や石を積んだ基礎を残すだけとなっていた。

 小鬼たちはその中心に居て、周囲は見通しのいい道路に囲まれている。

 

(普通なら、気付かれずに近づくのはかなり難しそうだな)

(そうですわね。私の姿隠し(コンシール・モード)の効力も攻撃を始めれば解けてしまいますし)

 

 相手はその辺まで配慮しているのだろう、襲撃のし辛い場所だった。

 ファルナは更に周囲に目を向けると道路を挟んで建っている二階建ての廃屋に目を付けた。

 

(あそこなら気付かれずに行動できそうですね)

 

 そしてファルナは俺に告げる。

 

(私が敵を分断させます。マスターはスミスさんと連携して目標の確保を)

「分かった」

 

 そうつぶやくと、こちらをうかがっていたスミスと目が合う。

 

「どうしたんです。まさか失敗を?」

 

 スミスは聞いてくるが、

 

「いや、襲撃はファルナが担当する。俺たちは目的の鞄を確保する手はずだ」

 

 それでも疑わしそうにこちらを伺うスミスに、少し砕けた口調で言ってみる。

 

「まともにやりあうのは馬鹿だけさ。下手すれば揃って棺桶に入ることになる。銃さえ持っていれば子供だって人を殺せるご時世だしな」

 

 そう俺は説明する。

 今回の目的はあくまでも鞄の奪取だ。

 派手に撃ち合う必要はない。

 たかが金儲けに自分の命を軽はずみに賭けてどうする、ってことだ。

 

「分かりました」

 

 スミスも納得してくれたようだ。

 そして俺たちもまた現場を臨める位置へと静かに移動する。



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08 小鬼とブービートラップ

 ファルナは目を付けた廃屋へ壊れた戸の隙間から侵入する。

 荒れた室内には破れたクモの巣があった。

 床の上には半乾きの泥。

 このことからごく最近になって何者かがここに足を踏み入れているということが分かる。

 そして、

 

(やはりありましたね。ワイヤー・トラップです)

 

 ファルナは暗闇の中、低く張られたワイヤー・ロープを発見する。

 優れた視覚を持つ魔装妖精ならではの感知能力だった。

 常人なら構えた銃の筒先に指輪のような重りを付けた糸を垂らしておくなどの工夫が要る。

 ワイヤー・ロープに先に引っかかり、罠を動作させることなく危険を察知できるからだ。

 

(簡単な鳴子罠だな)

 

 ファルナからの視覚映像を受け、俺はトラップを識別した。

 ワイヤーの先には小鬼らしい粗野な工芸品、木と骨で作った簡単なガラガラが釣り下がっている。

 気付かず引っかかると、これが警報を鳴らす仕組みだ。

 

(で、これを避けて歩く位置には……)

 

 パンジステーク。

 何も無いように偽装されているが、踏み抜くと毒の塗られたスパイクが足に突き刺さる罠だ。

 引っかかったら負傷する上、驚いて警報まで鳴らしてしまうだろう。

 いやらしい仕掛け方をする。

 もっとも空中を飛んでいるファルナには関係ないが。

 

 階段を見つけて二階へ。

 目標の居る空き地に向かって遮蔽の取れる窓をとりあえず三カ所、お互い離れた所に探し確保する。

 ファルナが潜んでいる建物から道路を挟んで相手の居る空き地の中心までは、結構な距離がある。

 傭兵の多くが扱うマスケットの短銃では狙うのが難しい距離だ。

 

 しかしファルナの銃は丸い鉛弾を黒色火薬(ブラックパウダー)でただ撃ち出すだけの一般に流通しているマスケット銃ではなかった。

 銃身(バレル)には呪化旋条(エンチャント・ライフリング)が刻まれ、これがチャンバーに充填された精霊力を加速、呪化して撃ち出すのだ。

 これにより命中精度(グルーピング)有効射程(レンジ)はマスケット銃や通常の魔術の倍以上を誇る。

 人工精霊石をコアに持つ魔装妖精専用の銃。

 

 そして闇を見通す妖精の視野(グラムサイト)を持つファルナには、旧市街の暗闇も障害にならない。

 彼女は建物の影から小鬼の一人に慎重に狙いをつける。

 目標は斧を杖のように携え、鉤爪のような形をしたナイフを手の内で弄んでいた。

 

(妙なデザインのナイフですわね)

猫の爪(キャットクロウ)と呼ばれているやつだな)

 

 俺はファルナの声なきつぶやきに答えてやる。

 

(柄頭に輪が付いていて、そこに人差し指を入れて逆手に構えるんだ。一見、素手のように見えるし鎌刃は引っ掛けただけで大きく傷を広げる。不意打ちや密着しての組討ちにはもってこいだ)

 

 そして手を開いても輪に指を通しているため落とさない。

 そのまま他の作業、習熟すれば銃を操作することさえできるため、帝国軍の特殊部隊でも使われていた。

 最近では裏社会(アンダーグラウンド)でも出回るようになったが、それなりの伝手が無いと手に入らないはずなのだが。

 

(鍔が無いようですが?)

(そりゃあ、鍔を頼りに切り結ぶもんじゃないからな)

 

 俺はその辺を説明する。

 

(そもそも不意の打ち合いで折れないよう、刃先の切り結びは極力避けるのがナイフという武器だ。その上で、太い血管の走っている首筋、手首の内側、腿の付け根などといった急所を狙って先に刃を繰り出すんだ)

 

 そういうことだった。

 その時、雲が切れ月明かりが差し込んだ。

 それにより小鬼たちが身にまとう闇に溶け込むような緋色のフード付きマントがファルナの視界に飛び込んだ。

 

 秀真の国から渡ってきたという小鬼の暗殺者集団、俗にレッド・ニンジャと呼ばれる者たちが蘇芳色と言われる濃い赤紫の装束を身に着けていることからも分かるように、明るいところでは赤は目立つが、暗いところになると逆に青や黒などといった色より目立たなくなり闇に紛れる。

 夜間迷彩というやつだ。

 

 そしてファルナは小鬼たちの正体に気付いた。

 

「あれは赤ずきん(レッドキャップ)?」

 

 赤ずきん(レッドキャップ)はその名のとおり、血の色をしたずきんを好んで被る小鬼の仲間だ。

 可愛らしい少女のようにも見えるがその本質は殺人者で、赤いずきんは犠牲者の返り血で染め上げられているという。

 よもや目標がそれだったとは驚きだ。

 

 また上から見ることで辛うじて分かったが、赤ずきん(レッドキャップ)たちは深穴を掘ってそこをカマドとし煮炊きをしている様子だった。

 ファイア・ホールと呼ばれる小鬼たち独自の技法で、風上に別に空気穴を掘ることにより穴の中で焚火ができるのだった。

 利点は光を余所に漏らさないことで、潜伏中、特に戦場で火を使うならこれ以上の方法は無いと言われている。

 

(暢気なものですね。こんな状況で火を焚いて料理ですか)

 

 ファルナは呆れるが、俺は首を振った。

 

(食える時に食うのが戦場の常識だからな。それが温かなものならなお良い)

 

 冷たい食べ物は消化に体力を浪費させられる。

 厳しい環境下にあった場合など、衰弱や低体温症から動けなくなり最悪死ということにもなりかねない。

 

 そういった意味で小鬼たちのサバイバル能力、もしくは宴会開催能力は凄まじいものがある。

 戦場はもちろん、帝都のど真ん中でも水路のザリガニやウナギ、飛来するカラスやキジバト、その辺に生えているタンポポなどの野草を採ってきてあっという間に酒の肴にしてしまう。

 帝国軍でも小鬼には食糧を三日分以上は渡さないという。

 勝手に酒に醸して飲んでしまうからだ。

 

 こんな状況でなきゃ、俺も携帯治療(ファースト・エイド)キットに消毒と気付けのために入っている蒸留酒のミニボトルを片手に混ざって、彼女たちが本当に噂どおり美少女揃いなのかを確かめてやるところなんだが。

 

 だが、不意に風を切って何かが赤ずきん(レッドキャップ)たちの元に飛来すると、陶器が割れるような音と共に彼女らの足元に紅蓮の炎が広がった。

 油入りのビンに火を付けて投げつけたもの、いわゆる火炎ビンによる攻撃らしかった。

 

 急に明るくなった現場に小柄な姿を浮かび上がらせる赤ずきん(レッドキャップ)たち。

 彼女らは一斉に空き地に残された壁などに身を隠す。

 

 その反射速度にファルナは軽く目を見張った。

 ファルナの妖精の視野(グラムサイト)には赤ずきん(レッドキャップ)たちの身体の表面に沿って走る魔力の線が映っていた。

 魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋が持つきらめきだ。

 おそらくランクはC。

 さほど高度なものではないが、それでも常人の倍ほどの速度を与える代物だった。

 相手はただの小鬼ではなかったのだ。

 

 そして、そこに複数の足音が近づいて来る。

 

「くっ、依頼人が言っていた競争相手ですか?」

 

 空き地横の路地からマスケットの短銃を手にした人間の男たちが連携を取りながら突撃して来た。

 その数、四人。

 無個性なオーバーコートとがっしりとした体つきから、どこかの商会の工作員(エージェント)と見て取れる。

 一人だけ(バレット・クロスボウ)を背負っており、先ほどの火炎ビンの投擲はこれによるものらしかった。



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09 襲撃者

 男たちは空き地に残された壁などに取りつくと、それを遮蔽に銃撃を加え始める。

 夜の闇に銃声が響き渡り、互いに銃火が交わされた。

 

 互いに……

 そう、赤ずきん(レッドキャップ)たちが携えていた斧は、柄にマスケット銃が組み込まれた仕込み銃だったのだ。

 火炎ビンの炎により照らしだされ、夜目が利くという利点を覆されて一気に不利に陥った赤ずきん(レッドキャップ)たち。

 その内の一人が倒される。

 

(マスター、どうします?)

 

 ファルナが困惑した様子で霊的経路(チャンネル)を通じて俺に相談してくる。

 

(パーティーが始まっちまったか。共倒れを狙いたいところだが、時間がかかると赤ずきん(レッドキャップ)たちに増援が来るんだったな)

 

 可能なら両者が争って数を減らしてくれた後に目的のものを奪いたかったが、状況はそれを許してくれそうになかった。

 

(そうでしたわね)

 

 仕方なくファルナは銃を構える。

 幸い敵はまだ彼女に気付いていない。

 ファルナから丸見えの位置でマスケット銃に銃口から黒色火薬(ブラックパウダー)と鉛弾を込め直している新手の襲撃者の一人に狙いを定めた。

 銃身(バレル)の手元にある照門(リアサイト)から覗いたファルナの視界には、目標の顔に重なるように銃口の上にある凸型の照星(フロントサイト)が映っている。

 

(見ていてくださいな、少し大きめの花火を上げてさしあげますわ)

 

 そして引き金(トリガー)が絞られた。

 電撃変換能力を持つサンダラーにより、雷撃(ライトニングボルト)へと変換されたファルナの精霊力は破裂音にも似た轟音を立てて白光と共に放たれた。

 超高密度に圧縮されていた力が銃口を飛び出した途端、直径がファルナの背丈ほどもある閃光へと変化。

 雷のように加速し目標を襲う。

 

 それを受けた男が声も無くのけぞった。

 雷撃(ライトニングボルト)には当たり前だが感電の追加効果がある。

 例え意識を保てたとしても筋肉が痙攣を起こし、しばらくの間、身体が自由に動かせなくなるのだ。

 だから一撃で倒れ伏し行動不能に陥る。

 

 ファルナは素早く音を立てないように見つけておいた次の狙撃地点へと移動する。

 雷撃(ライトニングボルト)は暗闇の中ではかなり目立つのだ。

 それは自分の位置を暴露することになる。

 

 やはりと言うべきか、次の瞬間にはファルナが元居た位置に銃弾が叩き込まれる。

 新たな狙撃地点から密かに見下ろすと、襲撃者の内一人がファルナの射撃に反応して空き地に残された壁を遮蔽にして銃を撃ち込んでいた。

 Cランク相当の魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋を身体に刻んでいると思われる。

 しかし、

 

「反応速度は悪くありませんが、対応が教本どおりなのが今一つですわね」

 

 ファルナの言うとおり、撃ったらさっさと動かないと位置が丸わかりだ。

 上を取られているから物陰に身を寄せても隠れきれていないし、ファルナの雷撃(ライトニングボルト)なら身体のどこかに当たれば感電の効果により無力化される。

 今の状況に対して、遮蔽を頼りにその場にとどまって銃撃を続けるのは悪手というものだった。

 

 一方、残りの二人は突然の出来事に反応できていなかった。

 見たところ、この二人には魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋は仕込まれていない様子だ。

 

 瞬時にそれだけを見て取ると、ファルナは再びサンダラーを構える。

 戦いに際して彼女の力は圧倒的だ。

 魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋により加速された者の反射速度を更に上回るスピード。

 通常、人体に入れられる魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のグレードの限界はスピードに特化したとしてもAランクまでだが、魔装妖精の素早さはそれとほぼ同じか、やや上だ。

 

 ファルナは自分からの攻撃に対応できていない襲撃者の一人を狙うと、再び引き金(トリガー)を絞った。

 銃身(バレル)に刻まれた呪化旋条(エンチャント・ライフリング)がチャンバーに装填された精霊力を加速、呪化し正確に、ためらいなく目標を撃ち抜いた。

 夜の闇には花火が良く似合う。

 

 戦いのための牙を研ぎ澄ました戦士。

 それが魔装妖精だった。

 

「鴨撃ちですわね、これは」

 

 倒れる相手を尻目に、更に次の狙撃地点に移動しサンダラーを構える。

 眼下を見渡すと形勢不利と見たのか襲撃者の内、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)を刻んでいると思われる素早い一人が赤ずきん(レッドキャップ)たちの前に躍り出た。

 ファルナの妖精の視野(グラムサイト)が、その背中に一際光る呪紋の輝きを捉える。

 

「まさか……」

 

 そのまさかだった。

 飛び出した男に赤ずきん(レッドキャップ)たちからの銃撃が集中し傷を負うが、それをものともせずに戦い続ける。

 

 男が使ったのは第十二肋骨の周囲に刻まれ、副腎髄質に作用しアドレナリンを任意に分泌させる狂戦士化(アドレナリン・ブースター)の呪紋だった。

 一時的に心筋収縮力の上昇、心、肝、骨格筋の血管拡張、皮膚、粘膜の血管収縮、消化管運動低下、呼吸器系の効率上昇といった身体機能の強化、更に痛覚の遮断を起こす。

 効果時間が限られていること、使用後は反動が出ることから常用はできない。

 しかし、いざという時には有効な手段だった。

 

 そいつが囮となって赤ずきん(レッドキャップ)たちを引きつけている間に、もう一人の男が密かに回り込んで目標の鞄を狙っていた。

 

(おあつらえ向きだな。そのまま見逃してやれ)

(了解です、マスター)

 

 ファルナは銃を構えながらも、わざとそれを見送った。

 迂回していた男が鞄をひっつかみ、急いでその場から逃げ出す。

 囮となった襲撃者が頑張っているため、赤ずきん(レッドキャップ)たちはそれに気付かない。

 逃げ出した男はファルナのサンダラーの射程からは遠ざかるが、彼女が焦ることはなかった。

 

(狙いどおりですね。わざわざ見逃しておいた甲斐がありました)

 

 こうして賽は投げられた。

 これが吉と出るか凶と出るかは、ブツの確保を担当する俺たち次第だ。

 

 そしてファルナは静かにその場から離脱する。

 戦い続けている赤ずきん(レッドキャップ)たちと襲撃者からの追撃は無かった。



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10 ブツの回収

 闇夜に繰り広げられる銃撃戦を、俺とスミスは離れた所から息を潜めて見詰めていた。

 俺はファルナとの視覚の共有を切り、密かに息を吐く。

 独りになった孤立感が背筋を震えさせるのを、左手をきつく握りしめることで耐える。

 グローブをはめていたおかげで、爪が手のひらに食い込むことだけは避けられた。

 

 魔装妖精との長時間の感覚の共有はとても危うい。

 自分があいまいになり溶け出すような多幸感。

 溺れてしまったら多分、とても楽になれるのだろうが、しかし……

 

 俺は信じられないほど鈍重な自分の肉の身体を苦労しながら動かし、静かに時を待つスミスに目を向ける。

 俺たちからもランプの明かりが一つ、その場から離れるのを見通すことができた。

 馬車の座席に乗り込み、すかさずスミスに指示を出す。

 

「ファルナが目標の分断に成功した。あの逃げるランプを追って下さい」

 

 御者台のスミスが確認の声を上げた。

 

「あれが目的の物を持っているという確証は?」

 

 俺はファルナの目を通して見ていたことを伏せ、当然のことのように説明する。

 

「ファルナからの銃撃が止んでいる。目的を達した証拠だ」

 

 確かに現場では赤ずきん(レッドキャップ)たちと襲撃者との間で散発的な撃ちあいがあるだけで、ファルナの雷撃(ライトニングボルト)による攻撃は止んでいた。

 納得したスミスは馬に鞭をくれる。

 走り出した二輪一頭立ての軽快な馬車はすぐに逃げ出す男を捕捉した。

 

「どう料理します?」

 

 そう問うスミスに、

 

「轢いちまえば?」

 

 俺は平然と答える。

 手綱を握るスミスは口の端を歪めた。

 その大振りな犬歯を剥き出し笑う。

 

「……無茶を言いますね」

 

 口ではそう言いつつもどこか愉しげな反応に、俺は背筋にぞくりとした寒気を感じる。

 スミスは車輪を激しく軋ませながらも、見事な技量で馬車を操ると逃げる男を引っかける。

 

「ピギャッ!」

 

 半水棲馬(ケルピー・ハーフ)に足蹴にされた男は豚のような悲鳴を上げて石畳の上を無様に転がった。

 

 俺はすかさず擲弾発射器(グレネードランチャー)を片手に馬車から飛び降りる。

 地面を転がって勢いを殺し、身を起こした。

 派手なスタントを演じたが、丸みを帯びた擲弾発射器(グレネードランチャー)はこのように扱っても服に引っかかったりしないし自分を傷付けたりもしない。

 銃を構成する部品は火打石の先端以外は絶対に尖っていてはいけない、とはこの擲弾発射器(グレネードランチャー)を用意してくれた岩妖精の銃職人(ガンスミス)の言葉だったが、なるほど実際に使ってみれば納得だ。

 

 男はうずくまったまま動けないでいる。

 ここは銃を使われる前に片づける手だった。

 こちらに気付き何とか立ち上がろうとする男の元に駆け寄り、その手にあったマスケットの短銃を蹴って弾き飛ばしてやる。

 そうして擲弾発射器(グレネードランチャー)を突きつける。

 長銃と同じく銃床(ストック)は鎖骨に当たらないよう肩ポケットと呼ばれる右肩にある窪みに当てるが、反動が大きいため頬付けはしない。

 

「動くな。さもないとおたくの胴体に風通しのいい穴が開くぞ」

 

 実のところ無抵抗のやつを撃つ趣味は無いのだが。

 ザコに興味は無いからな。

 しかし男は俺と擲弾発射器(グレネードランチャー)を見て笑った。

 

「お、俺は知ってるぜ。擲弾発射器(グレネードランチャー)は爆弾を撃ち出すためのもんだ。この近距離で役に立つはずがねぇ!」

 

 男の身体が不意に跳ね上がった。

 ダメージを感じさせない動き、そしてその足元に転がった薬ビン。

 

 戦闘薬(コンバット・ドラッグ)か!

 

 (ヤク)をキメて一時的に痛覚を鈍らせ無理矢理力を絞り出しているのだろう。

 反動(クラッシュ)や副作用を考えると多用できる手段じゃないんだが。

 

 男はポケットに突っ込んでいた手を抜くと同時に手にした得物のボタンを押す。

 ばね仕掛けで刃が勢いよく開いたそれは飛び出し(オート)ナイフというやつだった。

 衛兵が犯罪者と相対した場合に短銃や警棒を手放さず片手で素早くナイフを使った作業ができるため採用していると聞くが、実際には裏社会(アンダーグラウンド)で暗器として使われることの方が多い。

 携帯性が高く非常に攻撃的で使い方によっては銃よりもはるかに危険なものだからな。

 こんな風にポケットから出した瞬間にボタンを押し、そのまま相手を突けば不意を打てるし音も無く人を殺せる。

 

 だが、

 

「そうかい?」

 

 俺はそう答えながら擲弾発射器(グレネードランチャー)をしっかりと構えると引き金(トリガー)を絞った。

 火打石が火打金を叩く音がすると同時に火薬の破裂音が轟いた。

 長く耳に残る銃声と共に胡桃材(ウォールナット)銃床(ストック)を押し当てていた肩に痛烈な反動が走り肉と骨がぎしりと軋んだ。

 発射に使う火薬の量は普通の長銃と大して変わらないが、飛ばす物の質量がけた違いだ。

 それゆえ銃床(ストック)から肩へと伝わる反動は分厚いゴム製の衝撃吸収材(リコイルパッド)を台尻に付けていても化け物じみていた。

 過去、制式化していた帝国軍でも使用者は必ず肩を抜かれたと言われていたほどで、常人が扱うには銃床(ストック)を地面に着けて撃つ必要があった。

 減圧室を設けた低反動のものも開発されたと聞くが実用化にはほど遠く、結局擲弾発射器(グレネードランチャー)は帝国軍制式装備から外され姿を消したのだった。

 

 そして銃口から大きな弾体が撃ち出された。

 切れ目のある円筒状で、先端にくぼみがある非殺傷のゴム(スタン)弾だった。

 先端のくぼみが受ける風圧で切れ目に沿って十字形に開いて飛翔すると、立ち上がろうとしていた男にぶち当たる。

 そして巨大な鉄槌(スレッジハンマー)で殴りつけたかのように、その身体を薙ぎ倒した。

 

「また、つまらないものを……」

 

 撃ってしまったものだと独り言ちる。

 擲弾発射器(グレネードランチャー)から立ち上る、むせかえるような硝煙の匂いが鼻についた。

 

 男は完全に意識を失ったようだった。

 久しぶりの戦闘の幕引きとしては物足りないがこんなものか。

 大事なものを回収するなら、もっとましな工作員(エージェント)を使っておけって話だな。

 

 非殺傷の、しかも高価な弾をわざわざ使うのは我ながら甘いとは思う。

 鋳型さえあれば適当に鉛を鋳溶かして自作することもできるマスケット銃の弾と違って、擲弾発射器(グレネードランチャー)の特殊弾頭は値が張るというのに。

 俺もヤキが回ったか。

 

 まぁ、きれいごとで済まない汚れ仕事(ダーティーワーク)もクールに、そして手際よく片づけて見せるのもプロというものだったが。

 

 俺は頭を振って気分を切り替えると、男が持っていた黒く四角い鞄を回収する。

 中身に興味はない。

 下手に知れば自分の立場が危うくなることだってある。

 ただの金の元、そう考えて馬車に戻る。

 スミスは俺から鞄を受け取ると流れるような自然なしぐさで、

 

「それではここで、お別れと行きましょうか」

 

 狂気を秘めた薄笑いを浮かべながら平然と短銃を向けてきた。



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11 裏切り

「もちろん抵抗してもらっても結構ですよ。私はいつも他人に苦痛を与えること、そして他人が私に苦痛を与えてくれることを望んでいます」

 

 いかれた発言とは裏腹に澄んだ瞳を輝かせ、本当に嬉しそうに言う。

 

「苦痛を受け入れるということは何であれ、とても愉しいものです」

 

 スミスは笑うがしかし、

 

「同時に苦痛を与えたいという欲望、それも限り無く膨らんでいくものですがね」

 

 やれやれ、こいつは本物の快楽殺人者(フリークス)だな。

 

「目的の物を奪取させ不要になったら口封じに始末する、か。汚い手だがありうる話だ」

 

 俺のつぶやきに、スミスの笑みが深まる。

 整った顔をしているだけにまるで死神と対しているような迫力がある。

 その瞳に光るのは職業的(プロフェッショナル)な冷たさではなく偏執的(マニアック)な熱さだった。

 これがこの男の本質か。

 

 月光を蒼く弾くスミスの短銃は銃身内に螺旋状の溝(ライフリング)が刻まれているのが銃口から見て取れた。

 一般的なマスケット銃ではない。

 螺旋状に切られた溝は銃弾に回転を与え弾道を安定させるもので、通常の短銃の数倍もの命中精度(グルーピング)有効射程(レンジ)を持つ岩妖精の業物だ。

 まぁ精度以前に短銃は銃器の中でも最も扱いが難しいもので、その性能を生かすには我流ではなく正式な訓練が必要なのだが……

 ここで自分の命を賭けてスミスの腕を試す訳にも行くまい。

 

「俺には妖精の守りがあることを忘れてないか?」

 

 冷静に指摘する俺に、スミスは笑った。

 

「フフ、あのお嬢さんがどの辺りに居るか分かりませんが、今から呼んでも間に合いませんよ。あなたはここですぐに死ぬのだから」

 

 しかし、

 

「妖精なら、そこに居る」

 

 次の瞬間、夜の闇を突如破ったかのように小さな黒影がスミスの背後、上方に現れた。

 黒衣をまとった小妖精がコマのように回転しながらスミスの首筋に当たり、手にしていた刀……

 秀真国から伝わる片刃剣が脊髄を一撃で断つ。

 そこは魔装妖精が持つ僅かな長さの刃物でも確実に命を奪うことができる人体の急所だった。

 

「たけき者も遂には滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ……」

 

 決して大きな声ではないが、聞く者の耳に涼やかに刻まれる美声。

 共に感じる乾いた夜風が肌に心地良かった。

 昼間の陽気が嘘のように大気が冷えている中、魔装妖精シズカが愛刀を手に倒れ伏すスミスを見下ろしていた。

 

 素早さに特化された彼女は、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋をもってしても実現不能と言われるEXランクに相当する速さを持つ。

 そのスピードのみが可能とする不可避の一撃だった。

 

 俺はシズカに笑いかけてやる。

 

「君にしては派手な登場だったな」

「たまにはよろしいでしょう?」

 

 俺の軽口にも気立てのよい彼女はつきあってくれる。

 しかし礼を言うのが本来だろう。

 

「助かったよシズカ。ありがとう」

「お役に立てて嬉しいです」

 

 その言葉が嘘でないことを証明するかのように、シズカはひっそりと笑ってくれた。

 月の光の下で咲く花のように儚い笑み。

 しかし彼女は表情を改めて俺に聞く。

 

「あの、一つ分からないことがあるのですが」

「お前に分からんことは、俺にだって分からんことかも知れんぞ、シズカ」

 

 俺の返答に、シズカは不意を突かれたような、ぽかんとした顔をする。

 俺を何だと思っているのやら。

 そんな彼女に苦笑しつつ、俺は問う。

 

「で、聞きたいことって?」

「あっ、はい。先ほどのお言葉ですが、私の気配を感じ取っていらっしゃったのですか?」

 

 隠密哨戒型魔装妖精である彼女。

 俺に所在を知られたのが驚きだったのだろう。

 俺は首を振って、何てことはないタネを明かした。

 

「正式な代理人を通さない依頼だ。キトンが保険のためにシズカをスミスの追尾に付けていることは予想ができていたのさ」

 

 彼女は気配も音もなく相手を殺す術に長けていることだしな。

 俺たちの稼業じゃ当然の処置だろう。

 信用し過ぎるやつは長生きできない仕組みだからな。

 人の生き死にに汚いもくそもあったもんじゃない。

 

「なるほど、さすがスレイアード様。私のことをよく解っていらっしゃる」

 

 そう言ってシズカは俺の肩に止まった。

 そして、ささやくように言い募る。

 

「主と呼ばせては頂けませんか?」

 

 万事控え目な彼女にしては珍しく積極的な言葉だった。

 精一杯の勇気を出して言ってくれたのだろう。

 抜き出た体術により体重を感じさせないはずの彼女の身体が、心地良い重みとして肩に感じられた。

 しかし、

 

「うちには俺のことを自分のものだって主張する、お嬢様が居てな」

 

 苦笑が漏れた。

 ファルナに対して?

 いいや自分に対してだ。

 

「シズカを肩に乗せたというだけで、浮気をした亭主のように責められそうだ」

 

 そうおどけて見せる俺に、シズカは小さく笑ってくれた。

 

「そうですね。マスターの肩は私のものですわ、って以前も仰ってましたっけ」

 

 シズカは自分では使わないお嬢様調の言葉遣いまで真似して俺の道化芝居に付き合ってくれる。

 

「俺の肩は俺のものなんだが……」

 

 誰だってそうだが、自分は自分自身のものだ。

 誰かに所有されて安心するのは健全ではないだろう。

 人間だろうと……

 魔装妖精だろうと。

 

「ファルナさんがうらやましいです。この間も自分の義体(からだ)は隅々までマスターの手が入っていて、触られていない所なんか無いと自慢されていました」

 

 シズカは本当に羨望するかのように言うと、聞き取れるかどうかといった小声で内心を漏らす。

 

「……私のことは、定期メンテナンスでもそこまで診ては頂けないのに」

 

 シズカの本音に困惑しつつ、俺は言葉を返す。

 

「いや、ファルナは損傷した状態で引き継いだから全身に手を入れているだけで、シズカはそこまでする必要は無いだろう?」

 

 すると、シズカは瞳を潤ませて恨めしそうに俺を見た。

 

「私は必要ないと仰るのですか?」

 

 その声は頼りなげに震えていて、俺は慌てて言いつくろった。

 

「いや、そういう意味じゃないって」

 

 言葉というのは不自由なものだ。

 人が作ったものなのだから、使い勝手が悪いのはしょうがないことなのかも知れないが。

 

「ああ、何だったら今度のメンテナンスの時に隅々まで診てやるから」

 

 俺がそう言うと、シズカは一転して顔を真っ赤に染める。

 

「そ、それは恥ずかしいといいますか…… でもスレイアード様が仰るなら逆らえませんから、私」

 

 シズカはしどろもどろになってつぶやくように言う。

 メンテナンスの話でどうしてこうも色めき立つのか分からないのは俺が人間だからか?

 いや男だからなのだろうな、と思った。

 

 夜風が身体を冷やしていく。

 慎み深く、よく気配りができて、思いやりがあって。

 そんな夢のように完璧な人間など存在しない。

 だが、シズカはそうだった。

 

 しかし彼女は魔装妖精。

 自分たちの願いをそのまま形にした、理想的な人格を彼女に持たせた俺たち人間が、それに惑わされるのは身から出た錆と言うべきだろうか。

 多分、俺はずっと迷いながら生きていくんだろうな。

 そう思う。



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12 死なない男

「済みません。スレイアード様にとって、私たちの想いは重荷ですね」

 

 私たち。

 彼女はこんな時でもファルナのことまで考えて言葉を選んでくれる。

 

 幼かったあの日、俺は従姉さんが遺した魔装妖精、ファルナの継承を選んだ。

 だが、実はその前にガキだった俺に合わせて負担の少ない戦術級魔装妖精が用意されていたのだ。

 俺のためだけに生まれた彼女。

 それを知ったのはずいぶん後のこと。

 運命のめぐり合わせに驚いたものだったが。

 だから俺はこう答える。

 

「いいや、そのくらいの荷物でへこたれるほどヤワじゃないさ。少しぐらい俺にも背負わせろ」

 

 ここで俺にないがしろにされれば彼女たちには立場が無く、存在の意味すらあいまいになる。

 それが魔装妖精だった。

 

 同情ではないつもりだ。

 俺は同情など嫌いだし、施しを受けるのもごめんだ。

 だが理解と助けは必要だろう。

 誰であろうとも。

 

「スレイアード様……」

「お前はしっかり者だが、何とは無しに放って置けない所があるな」

「私が、ですか?」

 

 そうだな、俺は少し考えてから口を開く。

 

「どこか、寂しそうに見えるところがあるせいかな」

「……っ」

 

 瞳を真ん丸に見張ってシズカは言葉を失う。

 その瞳が泣きそうにうるんだように見えたのは気のせいか。

 それに完全に気を取られた、その時だった。

 不意に視界の端で死んだはずのスミスの身体が跳ね起きた。

 

「なにぃ!」

 

 シズカが仕留め損ねた?

 いや、それはない。

 では?

 

「今夜のことは忘れて下さい」

 

 スミスはそう念を押すと、犬歯をむき出し凄みの効いた笑みを見せた。

 馬車に飛び乗り夜の闇へと走り去る。

 

「シズカ……」

 

 俺のつぶやきに返事はない。

 スミスが動いた瞬間、シズカは再び身を隠していた。

 今頃は、そのままスミスの馬車を追っているところだろう。

 

 しかしスミスは何者なのか……

 俺は首を振った。

 

 気を取り直して残された手がかり、気絶したままの男の身体を素早く調べる。

 オーバーコートの下には燕尾服があった。

 薄い鋼でできた防刃板を入れたベストを着込んでいる様子から、どこかの商会の工作員(エージェント)らしく思えた。

 しかし、どこの商会かは特定できなかった。

 

 あとはシズカがどこまでスミスを追うことができるかだが。

 いずれにせよ倒れたままの男の持ち物の中で価値があるといえば、俺が蹴り飛ばしたマスケットの短銃ぐらいか。

 こいつは授業料代わりにもらっておいてやろう。

 今回の件で男が学習したかどうかは保証できないが。

 

「……悪く思うな。あんたの弱さが招いたことだ」

 

 この男には始末されないだけマシと思ってもらう。

 燃えないゴミと一緒に出しておくわけにもいかんしな。

 

「ご無事でしたか、マスター」

 

 そこにファルナが帰ってきた。

 プラズマの翼をきらめかせながら宙に静止する。

 波打つ絹糸の髪。

 月光を水のように浴びながらたたずむ姿はまるで芸術品のようだった。

 

「ああ、今夜は月が綺麗だからな。妖精(シズカ)と散歩していたのさ」

 

 おどけて言うが、

 

「シズカさん?」

 

 ファルナの声が低くなった。

 あ、これはしくじったか?

 

「マスター……」

 

 ファルナは目を座らせて俺の肩に顔を寄せる。

 先ほどシズカが止まった場所だ。

 

「他の魔装妖精(おんな)の匂いがしますわ」

 

 分かるのか!

 いや、おそらくは魔装妖精の力の源になっている精霊力の残滓、俗に言う妖精の通り道をファルナが持つ妖精の視野(グラムサイト)が捉えているのだと思うが。

 シズカは隠密哨戒型魔装妖精なので潜伏中はまず検知できないが、隠形(ステルス)を解いた場合はその限りではないようだ。

 ファルナは頬を膨らませながら言葉を重ねる。

 

「私でも滅多に乗せてもらえないマスターの肩に乗るなんて、許せませんわ」

 

 ファルナはぷりぷりと怒りながら言葉を重ねる。

 

「マスターもよその妖精をホイホイ肩に乗せるのは止めて下さい! 匂いまで付けられて!」

 

 いや、匂い付け(マーキング)って考え過ぎだろ。

 

「ここは私のものなんですよ!」

 

 ここって、俺の肩か?

 

「いや、俺の肩は俺のものだろう」

 

 俺はそう主張するが、ファルナに抗議される。

 

「そういうことを言ってるんじゃありませんわ!」

 

 それじゃあ、どういうことなのか。

 ともかく、この場にいつまでも居るのは危険なため、俺はファルナをなだめつつ速やかに帰路につく。

 口元を覆っていた軍用三角巾を外すと、

 

「マスター、肩に乗せて下さい」

「いや、首筋がくすぐったいから勘弁して欲しいんだが」

「マスターはよその妖精は乗せられても、自分の妖精を乗せられないんですか。私はマスターの伴侶なんですよ」

 

 病んだような表情で恨めしそうに言われては、妥協するしかない。

 

「いや、分かった。分かったから」

 

 ファルナを肩に乗せて、

 

「マスターの首筋……」

 

 そう言ってふらふらと身を寄せるファルナに、首をすくめる。

 

「だからくすぐったいから止してくれ」

 

 そう告げるとファルナはぐっと詰まり、そして瞳を逸らしておずおずと口を開いた。

 

「あの、その、寒いんです」

「何?」

「で、ですから……」

 

 消え入りそうに言う彼女に、やれやれと思いつつ譲歩する。

 

「分かってる。俺はただの暖房器具さ」

「マスター……」

 

 ファルナは、とても嬉しそうに俺に寄り添った。

 俺も笑って見せる。

 俺みたいな野郎の笑顔がどこまで気持ちを伝えてくれるのか、いささか疑問ではあったが。

 そうやって夜の旧市街を歩きながらスミスの件を話すと彼女も首を傾げた。

 

「あのシズカさんが仕留め損ねたとは思えませんが……」

「ああ、だからこそ問題なんだ。まぁ後はシズカに任せるほかないが」

 

 それから男から巻き上げたマスケットの短銃を見せながらファルナに説明をする。

 

「こいつの処分もある。足がついたら嫌だから、さっさと故買屋(ブローカー)に洗浄してもらうべきだな」

 

 特殊な品でもないから素早く始末すれば問題ない。

 

「行きがけの駄賃、ですか? 悪い人ですわ」

 

 ファルナは小さく笑う。

 

「なぁに、誰も見ちゃいないさ」

 

 俺は夜空を見上げて言う。

 

「月と妖精以外はな」

 

 そもそも旧市街のスラムに転がった男はこの辺りに住む不法住居者(スクワッター)にとっては美味しい臨時収入のようなもの。

 あのまま放って置けば朝までには身ぐるみ剥がされていることだろう。

 だから誰が奪ったかなんて何の意味も無くなる。

 

「何だか世知辛い話ですね」

「まぁな。しかし同情するのもきりが無いし、弱肉強食の自然界の掟が普通に適用されている、とも言えるだろうな」

 

 それで俺たちも飯が食える訳だし需要と供給ってやつだ。

 俺たちは旧市街(スラム)の住人、金の出所を気にできるような身分でもない。

 商会勤めの賃金奴隷(ウェッジ・スレイブ)のように店の看板で食い扶持が確保できるわけでもないからなぁ。

 ともかく。

 

「スミスの追跡調査と一緒にキトンに頼もう」

 

 

 

 こうして、その日の仕事(ビズ)は終わった。

 戦利品の短銃は元値の二割五分で売れた。

 故買品の買い取りは基本が三割だ。

 足下を見られるともっと安く買い叩かれるのが普通だから、悪くない値段で売れたことになるだろう。

 

「良かったですね、マスター。帰ったら南方から仕入れていた赤ワインを開けましょう? 塩味の効いたシェーブルチーズもありますし」

 

 ファルナは澄ました笑顔でそう言った。

 そう、従姉さんそっくりの表情で。



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13 再び金の腕亭へ

 夕暮れ時のアパートの中、ファルナは取り込んだ俺の洗濯物の山にダイブしていた。

 

「ふかふかですわー」

 

 身体を俺のシャツの上で伸ばしながら心地良さげに言う。

 

「ああ、珍しく良く晴れていたからな」

 

 そう答える俺に、ファルナは俺のシャツに顔を埋めて何事かつぶやいた。

 

「マスターの匂いがしますわ」

「ん、何だって?」

「な、何でもありませんわ」

 

 慌てた様子で顔を隠す。

 しかし耳や首筋が赤くなっているのが見て取れた。

 何をやっているのやら。

 

「洗濯物を畳んだら金の腕亭に行くぞ」

 

 俺がそう告げると、ファルナは洗濯物から身を起こした。

 

「はい。キトンさんとシズカさんに、あのスミスという男について分かったことを伺うのですね」

「ああ、情報通のキトンにシズカの能力の組み合わせだ。何がしかは分かっているはずだ」

 

 スミスについては色々と気にかかったが、キトンに会えば分かるだろうと俺は思考を放棄していた。

 推理しようにも材料が絶対的に足りていない状態だ。

 考えてもどうにもならないことで延々と悩むのは利口じゃない。

 人間には割り切りが必要だ。

 

 俺は使い込んだ革のパンツと濃いグレーのシャツを着込むと、バックアップとして左脇の下の隠蔽(コンシールメント)ホルスターに小型の護身銃を身に着けた。

 発火に雷管(プライマー)を使うパーカッション式の、手のひらに収まるぐらいの短銃身の拳銃だ。

 

 その他にナイフを二振り。

 どちらも(ブレード)は白磨きではなく、光の反射を抑える黒染め仕上げで刃先(エッジ)のみが銀に研ぎ澄まされている。

 片方は小型で切れ味鋭い作業用。

 もう一方は大振りで柄頭をハンマーのように使ったり幅広の刃をスコップの代わりにしたりとラフにも扱える頑丈な物だ。

 どちらのナイフも軍用の数打ちだが良く使い込み、自分で研ぎ、手のひらに十分馴染んでいる。

 

 人差し指と親指を鍔に添えて軽く押すように持つ、斬る、刺すなど応用範囲の広い基本のセーバー・グリップ。

 柄を握りしめ、柄頭を使って打撃を与えるためのハンマー・グリップ。

 くるりと手の内で回し、逆手に構える刺殺用のアイス・ピック・グリップ

 逆手に握ったナイフを、腕の陰になるように隠し持つカモフラージュ・グリップ。

 様々に持ち替え、重心や握り心地を試していつもどおりであることを確認する。

 

「そのナイフも長く使い続けていますわよね」

 

 ファルナが俺を見上げながら言う。

 

「軍が使っている量産品でしょう? 鋼が柔らかくて刃持ちも良いとは…… もっと良い品に替えたらいかがです?」

 

 その言葉に俺は首を振る。

 

「固くて折れるよりは柔らかくて曲がる方がまだマシだ」

 

 軍用ナイフの鋼材が柔らかめなのはそのためだった。

 刃持ちの悪さは切れ味が落ちる都度タッチアップ、小さな携帯用砥石で刃を立ててやることで応急的に補えるしな。

 

「そもそも俺は実戦で証明(バトル・プルーフ)された武器しか信じないからな」

 

 実際、

 

「ナイフ一つ取ってみても、こんなシンプルな道具が壊れる訳が無いと思っているやつがほとんどだが、これが結構折れるんだ。構造やデザインが悪くて弱い部分ができることもあるし、鍛造の段階で人間には気付けないほど微細なひびが入ることもある」

 

 それが現実だった。

 

「傭兵は武器に命を託して戦うんだ。流行の最新式ナイフを持って戦闘に臨んで、刺して、折れました。この世とさようならじゃあ話にならない」

 

 帝国軍に採用されている軍用品は、そういった問題を一つ一つ解決していったものだけが残り、使われる。

 だからこそ信頼が置けるのだった。

 一流の刀剣鍛治(ブラックスミス)銃職人(ガンスミス)は剣や銃身のサンプルを実際にひん曲げてみて折れないことを確かめるというが、そこまで手を尽くしたぜいたく品を傭兵稼業なんぞに使うのはよほどの趣味人だけだしな。

 

 そうして、それらの装備を隠すため払い下げ品の軍用ジャケットを羽織った。

 ポケットには携帯治療(ファースト・エイド)キットと、防水マッチ、蝋燭、鏡、油紙製のエマージェンシー・シート、折りたたみの小型ナイフとノコギリ、針と糸、細いロープなどがコンパクトに収納されたサバイバルキットを突っ込む。

 

 その上から擲弾発射器(グレネードランチャー)の弾頭を詰めた軍で弾薬運搬用に使われている防水コットン製の鞄をたすき掛けに身に着け、背には擲弾発射器(グレネードランチャー)を収めた細長い鞄を担ぐ。

 左手には鉛が仕込まれた革手袋。

 最後に変装のため鍔広の帽子と共に伊達眼鏡(アイウェア)を身に着けて準備は完了だ。

 

 そうしてスミスからの仕事(ビズ)を片づけた翌日の夕刻、俺はファルナを連れて金の腕亭へと向かった。

 ついでだから早めに行って晩飯を取ることにする。

 午前中に日課のスクワット、腕立て伏せ(プッシュ・アップ)などを中心とした筋トレと柔軟(ストレッチ)を行ったので身体の切れ(コンディション)は良い。

 どんな事態にも対応できるよう運動量は控えめにしておいたので、疲労も残っていない。

 

「よう、スレイアード。久しぶりじゃねぇか」

 

 金の腕亭に入ると、俺を認めた相手から声がかけられた。

 

「ああ、ここのところ忙しくてね。調子はどうだい、兄弟」

 

 この馴染の小鬼の男は旧市街の一角を占めるガーディアン・ギャング、赤き竜の顔役(フェイス)だった。

 

煙草(モク)持ってないか? 今ちょうど切らしてよう」

 

 このとおり、重度のニコチン中毒者(チェーンスモーカー)でもある。

 

「仕方ないな。一本だけだぜ」

 

 俺は懐から闇市(ブラックマーケット)で手に入れた煙草を渡してやる。

 

「いいねぇ、紙巻(シガレット)か」

 

 帝国で煙草というと普通は刻み煙草のことを言い、パイプで喫ったり、新聞紙などで巻いて手巻き煙草にして喫うのが一般的だ。

 新聞紙なんてインク臭くないのかとも思うが、好きなやつはそれが逆に良いのだと言う。

 

 一方、紙巻煙草(シガレット)はそのまま喫えるからか帝国では軍の支給品となっており、そこから一般にも広まっていた。

 俺が持っていたものも軍からの横流し品だった。

 軍から正規の払下げ(ミリタリーサープラス)品を扱っているルートもあるが、この街でそんなものを行儀良く利用するようなやつはまず居ない。

 出所を気にできるような身分でもないしな。

 

 男はヤニで黄色く染まった尖った歯が目立つ口元に煙草をくわえる。

 そして手近にあったランプのホヤを開けて火を点け美味そうに煙を吸い込んだ。

 紫煙と共に言葉を吐く。

 

「昨日あたりからうちの縄張り(シマ)で勝手をするクソッタレどもが出て、幹部連中の機嫌が悪いんだ」

 

 この男は情報通なのだが、煙草を吸うと口が極端に軽くなる性質(タチ)だった。

 

「ここだけの話、マフィアが絡んでるって話も聞く。気を付けな」

 

 紙巻一本でこういった情報が得られるなら安いものだ。

 

「自分は吸わない煙草を持っていると思ったら……」

 

 ファルナが感心半分、呆れ半分で俺を見る。

 煙草はこんな具合に潤滑油代わりになるからな。

 

 ただし一流の傭兵には極度の酒や煙草愛好家はいない。

 長時間の待機中に我慢ができなくなり精神的にも悪影響が出るからだ。

 特に潜伏中の煙草は禁物だ。

 愛煙家は感覚が麻痺しているが、その臭いは遠く、顔も見分けられないような距離に居る人間にまで届いてしまうことがある。

 鼻の利く亜人相手だとなおさらだ。

 夜なら煙草の火で所在がばれることもあるしな。

 また、灰や吸殻を捨てれば痕跡を残すことになる。

 公安や賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)といった都市の猟犬たちは、そういったものを足跡の代わりに辿って獲物に喰らい付くのだ。

 彼らの嗅覚を侮ることはできない。



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14 食事、そして異変

 常連たちに適当にあいさつをしつつ、俺はファルナと店の奥を目指す。

 

「マスターのこちら側の世界での交流関係ってよく分かりませんわ」

 

 ファルナは首をかしげて胸のポケットから俺を見上げる。

 普段の俺はどちらかというと不精というか、積極的に交友関係を広げていくタイプじゃないからな。

 意外なところで顔が効くのが不思議なんだろう。

 だが、

 

「傭兵にとって人脈(コネ)は財産だからな。これが貧弱だと仕事(ビズ)にもなかなかありつけないし、仕事(ビズ)があったとしても能率が落ちる」

 

 苦笑しながら話してやる。

 物語などにありがちな、ネットワークに属さず己の実力だけで生きていく孤高の傭兵なんぞ、現実に居たら食いっぱぐれて孤独死するだけ。

 格好良くも何ともない。

 

「一匹狼じゃあやって行けないのが傭兵という生き方さ」

 

 その分、余計なしがらみも増えるし、金や労力を消費して維持しなければならない関係なども生じるが。

 さっきの煙草みたいにな。

 

 

 

 カウンターの前に置かれた石板(ボード)白墨(チョーク)で今日のメニューが書かれている。

 

「どんぐり食い向けのメニューまであるんですのね」

 

 ファルナは感心したように言う。

 どんぐり食い、とは森妖精たちを揶揄した呼び方だ。

 過去の従軍経験のせいか、彼女は唐突に品が良いとは言えないスラングを口にすることがあった。

 

「この店は菜食主義者の森妖精や宗教上の理由で肉食を禁じられている者、はてまた森妖精の真似をする人間、妖精かぶれ向けのメニューも扱ってるからな」

 

 サラダなどの単なる野菜料理だけでなく、豆から作られる肉もどきまである。

 もちろん、食後のどんぐりコーヒーも。

 

「森妖精の鋭い感覚は、植物油でなく豚脂(ラード)を使っているようなエセ菜食料理を一発で見分けちまう。だから森妖精向けの菜食料理を作れるってことは、それだけしっかりと管理された厨房(キッチン)を持っているということで、信用できるんだ」

 

 もっとも、ここの厨房機器(ハード)自体は軍の払い下げの野戦炊事車(フィールドキッチン)、シチュー砲とも呼ばれる馬で牽くあれを店の奥にぶち込んだだけで、品質は炊事兵上がりのコック長の腕が保っているって話だが。

 

証明された食べ物(ハラルフード)と言われるものですわね」

 

 ファルナも知っていたか。

 俺はうなずいてやる。

 

「森妖精たちが好んで利用するから人間至上主義者たちは近寄りもしないんだが。もったいない話だよな」

 

 確かな品質の料理を出すということで多少割高ではあるが、金はスミスから受け取ったものがあった。

 

「今日はドネルケバブにするか」

 

 ぐるぐると回る縦型のグリルに、パプリカを挟んだラム肉やチキンが積み重ねられあぶられている。

 焼けた表面を包丁で削り、パンに野菜と共に挟んでソースを付けて出してくれるものだ。

 

「コロッケもおいしそうですわね」

「ファラフェル、豆のコロッケだな」

 

 カウンター席に着き、店員に注文する。

 肉はせっかくだからラム肉を。

 野菜はトマトにタマネギ、キュウリにレタス、パセリがあり選ぶことが可能だが、俺は苦手なものは無いため全部入りで注文する。

 ソースは香辛料が効いたバリバリに辛いもの、ニンニクソース、ハーブソースの三種類から選べるが、何なら二種類、あるいは全部入りでも可能だ。

 まぁ、これも俺は、

 

「全部」

 

 面倒なので全部入りにする。

 

「ついでに、ファラフェルも頼むか」

 

 豆のコロッケも頼む。

 元々、肉の代用食品として作られたもの。

 ヘルシーフードなので身体にもいい。

 しかし揚げたてを出してもらったファラフェルに噛り付いて、俺は驚いた。

 

「ただの豆のコロッケのはずが、おかしいくらい美味いぞ」

 

 その昔、肉不足の際に森妖精がレシピを伝え、貴重なタンパク源として食べられたというファラフェル。

 

「あら、これはなかなか……」

 

 霊的経路(チャンネル)で俺と味覚をつないだファルナがつぶやいている。

 作り方(レシピ)を盗むつもりなのだろう。

 

「この香り立つ風味はパセリとコリアンダー? 香辛料が使われていますわね。豆料理なのに?」

 

 そう彼女が言うとおり風味を良くするための工夫がこらされており、たまらない美味しさだ。

 帝国では香辛料は肉の防腐処理や臭み消しに使われるのが主な役目。

 こんな風に肉料理以外に使われるのは珍しかった。

 もちろん焼きたてのラム肉に野菜たっぷりのドネルケバブの方もいけるがな。

 

 手早く屋台(ストリートベンダー)などのクイックフード、ジャンクともストリートフードとも言われる干しダラとジャガイモを豚脂(ラード)で揚げたフィッシュ・アンド・チップスやロブスター一匹を丸ごと使ったという流行りのロブスターロール、東部名物深皿ピザなどで済ませるのもいいが、時間と金に余裕があればこんな風にちゃんとした食事をとるのもまた良い。

 俺たちにとって、いや旧市街の住人たちにとって食事は楽しみであると共に、これからの過酷な生活を戦うだけの活力を蓄えるための儀式でもあるからな。

 食べ物が得られることに祈りや感謝をささげながら味わって食べ、自分の血肉にするんだ。

 

 傭兵家業でも一番大事なことは食事が美味く食えるってことだった。

 美味く食べられさえすれば、どんなにつらい状況でも最後まで気力が続く。

 

 店内を見回せば中央には十卓近くの丸テーブルがあり、夕時とあって俺たちの他にも多くの客たちがひしめきあっている。

 岩妖精や小鬼、トロール鬼、トカゲ人、馬人族など様々な亜人たちまで混じっているのが特徴だ。

 

 食事を終え満足した俺はふと顔を上げた。

 店の外に妙な気配があることに気づいたのだ。

 

「何だ?」

 

 そっと気取られぬよう酒場の窓から周囲を観察すると、店の周りを何者かに包囲されているのが分かった。

 この雑然とした歓楽街の界隈には似合わない、揃いのオーバーコートを着た無個性な男たちだ。

 いずれかの商会の警備員と思われる、がっしりとした身体つきをした男たちがこの建物を監視している。

 ざっと見ただけでも二十人以上は居た。

 おそらく隠れている者も含めれば、もっと居るだろう。

 この酒場に集まっている裏の稼業に身を置く連中にそれを知らせると、彼らの間にも緊張が走った。

 

「こいつはまた。逃げられそうな隙はないか?」

 

 裏口も密かに確かめてみるが、どうやらこちらも押さえられているようだった。

 

「どこのやつらか知らんが、裏の世界の住人たちと正面からやり合う気か」

 

 相手はかなり強引な手合いらしい。

 俺は覚悟を決める。



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15 強襲

「ファルナ、キトンに連絡はつくか?」

 

 俺は胸のポケットの中で大人しくしていたファルナに話しかける。

 ファルナはしばし宙をにらんだ後、表情を曇らせ首を振った。

 

「駄目です。シズカさんに霊的経路(チャンネル)が繋がりません」

隠形状態(ステルスモード)で潜伏行動中か」

「おそらく」

 

 隠密哨戒型魔装妖精であるシズカは存在を隠しての潜入工作を得意とするが、この状態の彼女はあらゆる捜査を無効化するため霊的経路(チャンネル)を通じた交霊(アクセス)も受け付けなくなるのだ。

 仕方がないと、俺は次善の策を講じる。

 

「ファルナ、お前だったら煙突から逃げ出せるな」

 

 姿隠しの能力もあることから包囲網の突破も可能だろう。

 

「キトンの所まで一っ走り使いを頼まれてくれ。あいつが巻き込まれると厄介だ」

 

 腕のいい仲介屋(フィクサー)は傭兵にとって生命線ともいえる。

 これがどうにかすると情報やら物資やらの線が断たれてしまうのだ。

 この騒ぎを俺が避けることはできないにせよ、キトンにまで被害を広げるのは事後の巻き返しなどを考えても下策だった。

 もっともそれも、俺が生きてこの場を切り抜けられなければ何の意味も無いが。

 

「でも、それではマスターが……」

「なに、一人舞台をやりたがるのは男の性ってもんさ」

 

 心配するファルナに俺は笑ってこう言って見せる。

 

「女の前では特にな」

「マスター……」

 

 ファルナは思いつめた様子で俺を見つめた。

 真摯な態度で言い募る。

 

「必ず無事でいてください」

 

 その願いには力強くうなずいて見せた。

 

「ああ必ず。どんなときだろうと決してあきらめはしない」

 

 ファルナは最後まで俺の心配をしながら煙突へと潜り込んだ。

 

「やああってやるぜ!」

「銃を持っているやつは集まれ!」

「テーブルを倒してバリケードにするんだ!」

 

 傭兵たちが気勢を揚げ、店内がにわかに活気づく。

 血の気の多いことだ。

 硝煙の匂いと血と暴力が身に染み付いて消せない。

 そんな連中だった。

 

「俺たちの倍、敵が来たって一人あたり二人ずつやればいーんだよ。簡単な話じゃねーか」

 

 全身に彫り込んだ皮膚硬化(ハード・スキン)の呪紋を誇らしげに見せつける大男が叫ぶ。

 皮膚硬化(ハード・スキン)の呪紋は皮膚を硬質化させ、鎧のように身にまとうものだ。

 板金鎧をも貫く銃器の蔓延と共に鎧が廃れた現在、防具の代わりとして人気がある。

 

「自分を基準に計算するなよ……」

 

 呆れの声がどこからか漏れた。

 乱戦になった場合、人数の差は技量の差を埋めるからな。

 少しばかり腕が立っても格闘で複数を相手にするのは愚の骨頂だ。

 格闘技に幻想を抱いているやつ(アマチュア)はその辺、誤解していることが多いがな。

 

 俺も格闘に備え、邪魔になる軍用ジャケットを脱いで肩に引っ掛けた。

 カウンターに歩み寄って、いつものやつを注文する。

 

「蒸留酒をストレートのダブルで」

 

 こんな時に?

 とでも言いたげなバーテンに、片頬を吊り上げ犬歯をむき出して笑ってやる。

 

「せっかくお客さんが来てくれたんだ。丁重に迎えてやるのが礼儀だろ」

 

 そして入り口、そして裏口のドアが大きな音を立てた。

 

「おいおい、何の騒ぎだ? ノックにしちゃ激しすぎるぜ」

 

 誰かが陽気にはやし立てる。

 俺は窓にも気を付けた。

 手慣れた者ならドアよりそちらから侵入してくる。

 守る側からすれば、真っ先にバリケードを組むのはドアだと決まっているからだ。

 窓からの突入、ウィンドー・エントリーは帝国軍特殊部隊などでもよく使われる手だった。

 

 三度目の轟音でドアが破られた。

 オーバーコートの男たちが一抱えもある鉄柱に取っ手を付けた破城槌(バッテリングラム)を使って無理やり侵入口を確保したのだ。

 侵入用(エントリー)ツールにはこの他にハンマーや手斧(ハチェット)などが使われることが多い。

 銃が蔓延した帝国だが、鍵に弾を打ち込んでも壊れないばかりか跳弾で怪我をするのが落ちだからだ。

 

「ヒューッ! こいつはマジだぜ」

「マナーがなってない連中だな。ドアは開けて入るもんだぜ」

 

 軽口を叩く傭兵たちの前に襲撃者たちが素早く突入してくる。その手には硬い樫の警棒が握られていた。

 更に後方にはマスケット銃を構えた一団が控え威圧してくる。

 

「大人しくしろ!」

「へへへ、聞いたかよおい。大人しくしろだとさ」

「誰が商会の犬なんかに従うかよ!」

 

 降伏勧告に対して金の腕亭に集った面々は天井に向けて派手に銃を撃って挑発する。

 それに対抗して商会の側からも威嚇射撃が行われる。

 鉛弾が天井を穿ち、むせかえるような硝煙が店内に立ち込めた。

 

「今だ!」

「行くぞ!」

 

 マスケット銃の再装填には慣れた者でも時間がかかる。

 (クロスボウ)のそれよりは素早く行えるので油断はできないが、戦い慣れした傭兵たちがその隙を見逃すはずが無かった。

 

 狭い室内ゆえ、取り回しのいいナイフや手斧(ハチェット)、ブラックジャック、あるいは撃ち終えたマスケットの短銃の銃身を棍棒代わりに握りしめ、傭兵たちは商会の警備員たちに襲いかかる。

 マスケットは単発ゆえ、こうやって撃った後は鈍器として殴りつけるのに向くよう銃把(グリップ)の尻を金属で補強をしているものが多いのだ。

 

 そして混戦になってしまえば銃は使えない。

 俺の方にも警棒を振り上げた警備員が駆け寄って来た。

 やれやれ、せっかちなことだ。

 

「ほらよ、一杯目は俺のオゴリだ」

「ぶっ!?」

 

 俺は手にしたグラスの中身をそいつの顔面に飲ませてやる。

 眉や前髪にまで派手にぶっかけてやるのがコツだ。

 眼だけだと瞼を閉じられ袖で拭われたらお終いだが、毛髪に引っ掛けてやれば少し遅れて垂れてくる。

 そこを狙うのだ。

 

 目に入った強いアルコールに瞼をこする男に近づき、左の拳を顎めがけて叩き込んでやる。

 商会の警備員ともなればコートの下に鋼の防刃板を入れたベストを着込んでいると考えられるから胴への攻撃は避けたのだ。

 

 確かな手ごたえ。

 俺の左手には拳の部分に砂状の鉛を仕込んだ革の手袋、サップ・グローブがはめられていた。

 鉛の粒は拳を握るとギュッと凝縮され拳を守ると同時にパンチ力を素手の何倍にも引き上げる。

 レンガも一突きで割れるほどだ。

 一撃で脳を揺らされた相手はあっさりと倒れ込んだ。

 カウンターバーの向こう側で目を丸くしてこちらを見ていたバーテンに、俺は肩をすくめてこう言ってやった。

 

「酔いつぶれたらしい」

 

 たった一杯でこれじゃあ、準備運動(ウォームアップ)にもならんな。

 そして次の相手が警棒を構えじりじりと近づいてくるのに笑って見せる。

 

「よしなワン公! 給料安いんだろ。そんなものを振り回してるとろくなことにならんぜ」

「うるさい!」

 

 そう叫んで打ち掛かって来るやつに、今度は手にしていた軍用ジャケットを放ってやる。

 広がるジャケットに視界を遮られることを嫌った警備員は警棒で薙ぎ払おうとするが、ジャケットを巻き込むためその速度は減じている。

 見切るのは難しくない。

 

 そうやって空振りさせてしまえば、後は隙だらけの体勢をさらけ出すことになる。

 そこを内懐に飛び込めばいい。

 仮に反撃を受けたところで間合いが近すぎる不十分な体勢から放たれた打撃など無視できる。

 こちらが無手で、自分が有利な武器を手にしているという驕りがあるから反撃への警戒が薄いし、間合いを外され有効な攻撃ができなくなっていても武器による攻撃に固執してしまう。

 そこを突くのだ。

 

 相手の右手を踏み込んで捉えた。

 警棒を逆にテコとして利用し手首の関節を極め投げてやる。

 床に転がった相手は痛みにだろう右手を抱えて立てなくなった。

 

「言わんこっちゃない。人の忠告は素直に聞くもんだぜ」

 

 手加減せずにやったから骨が折れたか、軽く済んでも関節が脱臼しただろう。



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16 拘束

 更に続く混戦の中、マスケット銃に火薬と弾丸を再装填した警備員が引き金(トリガー)を引くが弾は明後日の方向に飛んで行った。

 

「下手くそめ」

「遊技場でコルクの弾を撃つオモチャの銃で練習して来い。そんなんじゃお菓子の箱一つ落とせないぜ」

 

 傭兵たちからヤジが飛ぶ。

 そして俺も、お返しとばかりに背に回していた擲弾発射器(グレネードランチャー)を手にし構える。

 引き金(トリガー)を絞ると同時にぎしりと肩に伝わる反動。

 大柄なクマのような身体を持つ警備員の腹にゴムの非殺傷弾を叩き込み、見事に昏倒させる。

 

大当たり(ジャックポット)!」

 

 周囲から歓声が上がった。

 

「どこの連中かは知らんがこの喧嘩、高くつくぜ」

 

 俺はそう言い捨てると擲弾発射器(グレネードランチャー)をバーテンに預け、右手を牽制、左手を止めに使いながら警備員たちを相手に戦い続ける。

 周囲を見れば他の傭兵たちも得物を手に健闘していた。

 敵は数で攻めてくる。

 いずれは押し切られるかもしれないが、裏の世界の住人の面子にかけて、それまでにより多くの出血を敵に強いることが必要だった。

 舐められないためにも、自分たちに手を出したら痛い目に遭うということを教え込んでやるのだ。

 

「ヒャッホー! ここは通さねぇぜ!」

 

 髪の毛を逆立てた闇妖精がナイフを手に、身体を張って警備員の前に立ち塞がる。

 その得物は裏の世界でもごく一部にしか流通していない暗殺専用の両刃ナイフ(アサシン・ダガー)だった。

 

 両刃ナイフ(ダガー)はとっさの場合に持ち替える必要が無いのが長所だが、このアサシン・ダガーの真の恐ろしさは刃の左右方向にわずかに角度が付いているところにある。

 ナイフを持って構えてみれば分かるが、刃が内側に傾斜していればその刃は斬りつけた相手の身体の中心部に向かって入っていく訳だ。

 そんな剣呑な品も、それなりの伝手さえあれば手に入るのがこの業界だ。

 

「ヒョウ!」

 

 奇声と共にフェイントを織り交ぜながら戦う闇妖精。

 ナイフの刃渡りといっても決して侮ってはいけない。

 腕を鞭のようにしなやかに使いこなし、よく伸ばしてくる熟練者だと、その刃渡りは実際の数倍にも当たるように感じられるほどだ。

 素人がナイフを使うと大抵は袈裟懸けに斜めに斬りつけるか、度胸がある者でも腰だめに構えて突き刺すかのどちらかになるが、手練れともなるとそれだけではない。

 逆袈裟だって使うし上下左右、自在に使い分ける。

 水平斬りや突きもお手のものだ。

 

 そして傭兵経験者に見られるのは、首を真横から斬りつける攻撃と、わき腹から肝臓を狙う刺突だった。

 特に後者は骨に当たらないよう肋骨と肋骨の間に刃を水平に刺すのが特徴で致命傷となる危険が高い。

 事前の知識が無いと避けるのが難しい一撃だった。

 

 また他方、人形のように吹っ飛んでいく警備員に、その発生元を見やれば、

 

「ミートパイの具にしてやるぜ!」

 

 巨漢のトロール鬼が、自慢の拳を存分に振るい血の雨を降らせていた。

 そもそもリーチとウェイトが桁外れのトロール鬼。

 そのパンチは鉄槌のごとき破壊力を秘めていた。

 細かなテクニックなど圧倒的な力の前にはかすんでしまう。

 

「どうした腰抜け、ブルっちまったのか?」

 

 そう雄たけびを上げ、警備員たちを挑発する。

 多勢に無勢、劣勢のくせに皆、笑っていた。

 しかし、それは当然だった。

 ここは新市街と旧市街の境界線にして緩衝地帯の歓楽街。

 彼らの庭だ、縄張りだ。

 商会の連中が一時的に力を振るおうとも、最後には必ずこちらが勝つのだから。

 泥沼の消耗戦が繰り広げられようとしていた。

 

 

 

 傭兵たちも健闘したが、警備員たちの人海戦術に最終的には制圧された。

 乱闘で帽子と伊達眼鏡(アイウェア)を無くした俺は身柄を拘束されていた。

 占拠された金の腕亭の一室に連行され、敵の親玉と対面する。

 

 驚いたことに相手は茶褐色の長い髪を持つ美女だった。

 切れ長の琥珀色の瞳。

 細面で鼻筋も通っている。

 ただ表情に険があってそれが冷たい印象を与えていた。

 知性の方が先に立ってしまっている、いわゆるクールビューティーだ。

 背はあまり高くなく痩せている。

 

 鋭い目つきの、若いながら相当なやり手の雰囲気を漂わせた女はフォックスと名乗った。

 俺は後ろ手に縛られ椅子に座らせられていたが、フォックスは俺の前に立つと無言でいきなり腹を殴りつけた。

 

「ぐっ」

 

 俺が息を詰め、動きが止まったところで思いっきり顔を殴り倒す。

 喧嘩慣れしたやり口。

 商会の暴力担当というわけだ。

 女だからといって甘く見ることはできないタイプだった。

 俺は椅子から床に転げ落ちた。

 

「サルが、人間様と対等に椅子に座ってるんじゃないっ!」

 

 フォックスは言い放つ。

 

「くうっ……」

 

 俺は床の上でうめき声を上げる。

 ボディを打たれた衝撃に息が詰まり、殴られた頬は後からうずくように痛み出した。

 世の中には女に責められて悦ぶやつも居るというが、残念ながら俺はそうじゃなかった。

 アカデミーの悪友(アホ)共なら「我々にはご褒美です!」ぐらい言いそうな美人が相手で、できることなら代わってやりたいところだがな。

 

「自分の立場が少しは分かったか!」

 

 フォックスは突き放すように言う。

 そして苦痛に歪む俺の顔を覗き込み耳元で恫喝する。

 

「貴様らがやったことは分かっているんだ。大人しく鞄を返してもらおうか」

 

 男言葉が板についている。

 この女はこれが地か。

 

「鞄?」

 

 聞き返したとたん、頬を更に一発殴られる。

 

「とぼけるな。昨日の晩、貴様らが旧市街の現場から奪い取った物だ」

 

 やはりその件かと思いつつ、俺は素直に話す。

 痛みに屈したわけではない。

 ここは従順な態度を示した方が、相手の情報を引き出せると踏んだからだ。

 

 そもそも無理に逃げようとせずに捕まったのも、その方が状況を掴むのに手っ取り早いからだった。

 商会という大きな組織相手にいつまでも逃げ回っていても、らちがあかない。

 組織というのは社会の縮図で内部では複雑な力学が働き、人間は居てもそれはトップですら替えの効く部品でしかない。

 そんなものに個人が真っ向から立ち向かうのは難しい。

 一方で、逆に懐に飛び込めば目の前の女、フォックスのような実際に殴れる敵として具現化してくれる訳だ。

 

 女を殴るな?

 こういう女が好きなのは男女同権ってやつだろ。

 俺は相手に合わせる性質なんだ。

 

「鞄はマクドウェル商会のスミスと名乗る男が持って行った。……中身については知らないし、それ以上は分からない」

「嘘だっ!」

 

 フォックスは俺の言葉を虚言と断じ、更に殴る。

 

「マクドウェルのやつらに機密を手にしたような動きは見られん。マクドウェルに渡したなどと、そんな見え透いた嘘をつくな!」

「本当だ…… 少なくとも依頼人はそう名乗っていた」

 

 そう答えつつも、俺は相手の発言から断片的にではあるが状況を読み取っていた。

 やはりスミスが持ってきたのは額面どおりの仕事(ビズ)ではなかったようだ。

 

「依頼だと? 貴様のような若造が傭兵の真似事か?」

 

 ただのチンピラと侮っていたのだろう。

 そんな相手から出た言葉に、フォックスはいぶかしげに眉をひそめる。

 

「生きていくためには金を稼がないといけないからな。俺は自分にできることをやって生きているだけさ」

 

 俺は縛られたまま肩をすくめて見せた。

 まぁ、俺が傭兵をしているのはファルナのため、魔装妖精の研究費を稼ぐのが目的だったが、こんなやつを相手にそこまで説明してやるつもりは無かった。

 

 俺はしなければならないことをするだけだ。

 それを見てどう思うかは周りの人間の自由だと思う。

 俺を見て良く思おうと悪く思おうとそこにはその人間自身の判断、人間性が現れる。他者は自分自身を映し出す鏡だ。

 だから俺はフォックスが何を思おうとそれを止めるつもりはない。



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17 生死を問わず(デッド・オア・アライブ)

「スミスという男は金の髪をした野性味のある美形だった」

 

 俺はスミスのことを話す。

 

「あれだけ特徴的な人物だったんだ。人相書きでも作れば特定は可能だと思うが」

 

 フォックスは胡散臭そうに俺の話を聞いていたが、一応、部下に命じて俺の証言からスミスの人相書きを作らせた。

 しかし、それでもフォックスの尋問は止まない。

 俺の襟元を掴み上げ、締め上げる。

 

「貴様、苦し紛れのでっち上げを言っているんじゃないだろうな。この私をこれ以上怒らせたらどうなるか……」

「怒った顔も魅力的(チャーミング)だぜ」

 

 俺の軽口に拳が飛ぶ。

 そうやって俺を痛めつけながら詰問するフォックスだったが、しばらく俺が耐えていると息を切らし、らちがあかんと吐き捨てた。

 そして、不意にその表情が邪に歪んだ。

 

「貴様が嘘をついていようといまいと、関係ない方法を思いついたぞ……」

 

 やつは俺の鼻先に、今回の襲撃のため用意したのだろう、俺の人相書きを描いた紙を突きつけた。

 その下に走り書きで文字を加える。

 賞金、金貨二十枚。

 生死を問わず(デッド・オア・アライブ)

 

「三日だ! 時間をやろう! その間に鞄を私の元へ持ってこい。でなければこの手配書を帝国中にばらまいてやる。帝国のどこにも貴様らの居場所は無くなるわけだ」

 

 フォックスは狂気に満ちた表情で宣言する。

 金と権力で人を縛るつもりか。

 だが力で繋がれ自由を失ったからといって絶望するほど俺は青くは無い。

 そもそも誰だって思いどおりに生きられる訳じゃないし、状況は時間の経過と努力次第で変わるものだ。

 それより俺には別のことが気になった。

 

「貴様ら? 貴様らと言ったのか?」

 

 フォックスは鼻で笑うと、もう一枚の紙を手に取った。

 

「そうだっ!」

 

 俺に見せつけられたその紙には端正な魔装妖精の絵姿が描かれていた。

 

「貴様らのことはすべて分かってるんだよ! このまぬけが!」

 

 ファルナの人相書きだった。

 得意げな様子でフォックスは口汚く俺をののしる。

 

「貴様を捕捉したこの我々に気付かれないとでも思ったのかっ」

 

 俺とてそれを予測しなかったわけではない。

 しかし考えたくなかったというのが本音か。

 自分一人ならどうなろうと納得ができる。

 しかしファルナが、従姉さんが遺してくれた彼女の運命がかかっているとなれば話は別だった。

 この境遇から断固として脱しなければならない。

 

「ふん、顔色が変わったな。悔しげなところが実にいい表情だ」

 

 フォックスは傲慢に笑う。

 だがしかし、そこで居直ることができるのが俺だった。

 あくまでも、しぶとく状況に対応する。

 俺に言わせれば運なんてものは力ずくで引き寄せるものだ。嘆くばかりで不運なめぐり合わせに自分でしがみついていてもしょうがない。

 

「なら報酬とは言わんが、必要経費ぐらい用意してもらわんと仕事(ビズ)の成功率が下がるんだが」

 

 しかし、それには殴る蹴るの暴行が返ってくる。

 

「指名手配をしないでもらえるだけ、ありがたく思え」

 

 フォックスは侮蔑もあらわに言い捨てた。

 俺は苦痛に顔を歪めながらも反論する。

 

「理不尽な。少々の金を惜しんで仕事(ビズ)の成功率を下げるなんて、計算高いビジネスの世界の人間とは思えないな」

 

 そんな俺に、フォックスはさげすみの表情を浮かべ見下しながら言う。

 

「サルがビジネスを語るなど、ばかばかしい」

 

 そして酷く嫌そうに告げた。

 

「貴様らのような薄汚いサルどもを手助けするのは心底気に入らんが、機密を取り戻すためだ。こちらで調べ上げた情報を渡してやろう」

 

 その、情報をまとめたらしい紙束を部下に命じて用意させる。

 

「無論、我々も調査を続けるが、後は賞金首になりたくなければ自分たちの力でどうにかするんだな。我々に報告する場合はこの住所の酒場に来い」

 

 そう言ってフォックスは連絡先を記したメモと紙束の資料を俺の懐にねじ込んだ。

 先ほど作ったスミスの人相書きの写しも一緒だ。

 話が終わるとフォックスたちは俺を放置し馬車でたちまち走り去った。

 

 拘束から解放され、強張った腕を揉み解すと体中に鈍痛が走る。

 一方的にいたぶってくれたフォックスの顔が脳裏にちらついた。

 

 人は正義に駆られているときほど反省を失うことはない、か。

 あの女も自分の正義で動いているんだろうけどな。

 

 そうは思うが、俺がそれを許容するかはまた別問題だった。

 そして、そこにファルナが帰って来た。

 

「マスター! ご無事ですね」

 

 泣きそうな表情を浮かべてファルナは言う。

 

「まぁ、見てのとおりボロボロだけどな。酷いもんだ。俺の一張羅が台無しだぜ」

 

 俺は自分の様を見下ろし苦笑するが、ふてぶてしい態度は崩さなかった。

 

「だが、次は勝つ」

 

 そう宣言して見せる。

 ファルナは驚いた顔をして、

 

「もう勝つ算段がついているんですの?」

 

 と思わずといった様子で聞く。

 俺は笑った。

 

「そんな贅沢なものは無いよ」

 

 ファルナの形の良い細い眉が寄せられる。

 呆れられたか。だがね、

 

「見込みのない場面でも強気に通すことを、世間では勇気と呼ぶのさ。あきらめたらそこで、あらゆる可能性がゼロになるからな」

「それは……」

「俺は何もあきらめない。何もかも取る。すべてだ」

 

 そう言って胸を張る。

 降りかかる火の粉は払う主義でね。

 ファルナは微妙な表情でため息をついた。

 

「そうでしたわ。マスターはいつも、それがどうしたの一言で済ませるんですから」

「納得の行く結論に達したようで何よりだ」

 

 ファルナがそれで安心するというのであれば盛大に慌てふためいてやってもいいが、実際には何の役にも立たんからな。

 起きたことは覆せないし、これからだって成るようにしかならない。

 そして俺はファルナからキトンに連絡が付いたことを聞いた。

 おそらくキトンはしばらく様子を見た上でこの店に顔を出すだろう。

 

「それよりもマスター、早く手当てをしないと。病院に行った方が……」

「そこまでの傷じゃないさ」

 

 旧市街で開業している闇医者たちは市民権の有無を問わず、銃創だろうと刃傷だろうと何も聞かずに治してくれる。

 衛兵に通報することも無い。

 無論、金さえ払えばだが、これが闇医者のくせに高い。

 いや闇だからこそボるのか。

 そんな訳で、世話になるのはできる限り遠慮したい。

 俺は心配するファルナに携帯治療(ファースト・エイド)キットを手渡しながら、椅子にどっかりと座り込んだ。



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18 現状確認は手っ取り早く

 ファルナから手当てを一通り受けた俺は金の腕亭の奥にある、とあるボックス席を借りて彼女と相談することにした。

 バーテンに預けていた擲弾発射器(グレネードランチャー)も返してもらい弾を再装填する。

 磨き上げられた樫のテーブルの上で、擲弾発射器(グレネードランチャー)はランプの光を受け鈍く輝いた。

 火打石を備えた撃鉄(ハンマー)を上げると、一回分の火薬を詰めた紙包みの端を歯で噛み切って火皿に火薬を入れた。

 火皿はバネ仕掛けで閉じられる火蓋によって塞がれ、俺は残りの火薬を包み紙ごと銃口から薬室に入れ、槊杖(ラムロッド)と呼ばれる棒で突き固める。

 そしてたすき掛けにした大型のバッグから取り出した弾頭を筒先のカップに装填した。

 これら一連の操作は慣れれば(クロスボウ)の装填より素早く行うことが可能だった。

 

 装填したのはゴム(スタン)弾だ。

 榴弾ではとっさの場合に至近距離では爆発に巻き込まれるので使えないし、使える間合いがあったとしても問答無用で撃ち殺すのは相手が重要な情報を握っていた場合などに面倒なことになるからだ。

 ゴム(スタン)弾は榴弾、催涙弾、発煙弾のように完全な効果は望めないが、突発的なアクシデントに対応するには使い勝手が良かった。

 殺るならこれで動きを止めた後、バックアップの護身銃なりナイフなりで止めを刺せばよい。

 

 俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)を再び鞄に仕舞い込むと、ファルナにフォックスとの一件を簡潔に説明した。

 渡された紙束の内容を共に確かめる。

 

 まず、奪われた黒い鞄は保護ケースになっていて、大小さまざまな木型が収められているという。

 文字と一緒に絵も描かれていることから鞄の外観も分かる。

 やはり鞄はスミスが持ち去った四角く黒いもので間違いないらしい。

 しかし、

 

「この木型が何かについては記述無しか」

 

 フォックスの言っていた機密が何なのかは分からなかった。

 

「木型といえば何かの模型でしょうか?」

 

 考え込む俺に、ファルナが言う。

 

「鋳物を作るための木型というのも考えられるな」

 

 俺が言っているのは鋳造するときに溶かした金属を注ぎ入れる砂型を作るための元になる型だ。

 鋳物は冷えると少し縮むため、それを見越して大きめに作られる。

 帝国アカデミーの錬金科でも実習時に扱ったことがある。

 商会が機密として扱うなら、何らかの機器の部品の型かも知れない。

 

 俺はページをめくる。

 次の紙面からは機密盗難事件の経緯、として説明が始まる。

 事件は商会内の対抗派閥が隠し持つ機密を納めた鞄を、小鬼の傭兵を使って奪取したことに端を発する、と書かれていた。

 

「商会の内部対立か」

 

 いきなりの不穏な内容に俺は顔をしかめる。

 一方、ファルナは別のことに反応した。

 

「小鬼の傭兵といえば……」

「昨日の現場に居た、あの赤ずきん(レッドキャップ)たちのことか?」

 

 どういうことかと資料を読み進めると、答えが書いてあった。

 あろうことか、この小鬼たちが機密を持ったまま行方をくらませたというのだ。

 

「傭兵が雇い主を裏切った?」

 

 ありえない話だった。

 そんな真似をしたら次から仕事が受けられない。

 信用で成り立っているのが傭兵の世界だ。

 

 この小鬼たちが機密を売り払おうとした先はマクドウェル商会だと推測されている。

 

「はぁ、やっぱり取引相手はマクドウェル商会で間違いないのか。こいつは気が重いな」

 

 俺はため息を漏らす。

 

「マスター、マクドウェル商会なら、代理人の方にコネがあるのですから有利じゃないんですか?」

 

 俺の肩に乗ったファルナが耳元でささやく。

 同じ資料を二人で覗き込んでいるため声が近い。

 俺は首を振って答える。

 

「もう既にブツがマクドウェルの代理人の手にあるとしたら? マクドウェル商会から強奪なんてとてもじゃないけどできないぞ」

 

 そうなったら完全に詰みだ。

 どうしようもない。

 

「でもスミスさんが本当にマクドウェル商会の工作員(エージェント)だったのか、本当のところはまだ不明ですわよね。仮にマクドウェル商会の者でも、代理人には内密での行動でしたから終わったわけではないと思いますが」

 

 ファルナが冷静に指摘した。

 確かに、フォックスも機密がマクドウェル商会に渡った様子は無いと言っていた。

 

「そこに賭けるしかないか」

 

 そうして二人で資料の確認に戻る。

 小鬼たちが旧市街の某所にてマクドウェル商会と取引を行うという情報をつかんだ我々は、機密を奪回すべく工作員(エージェント)を送り込んだとある。

 

「もしかして、あの時、赤ずきん(レッドキャップ)たちを襲った男たちのことですか?」

「そのようだな」

 

 この工作員(エージェント)たちは敗走したが、かといって取引相手と想定されるマクドウェル商会が機密を入手した様子もない。

 そして生き残りの工作員(エージェント)の証言と、機密を奪回して逃走した工作員(エージェント)が何者かに襲われ機密を奪われていることから、現場に他の襲撃者が存在したことが判明。

 追跡調査を行った。

 結果、割り出されたのが俺とファルナだった。

 紙面には俺たちの人相書きが並んでいる。

 それを見た俺は改めて、ファルナのためにもこの状況を打破することを誓う。

 

 とはいえ、フォックスが傭兵のことを信じられない理由も分かった。

 雇い入れた傭兵は契約を破るようなろくでなしで、しかもようやく押さえたと思ったら他の傭兵に機密を横取りされる。

 これだけ立て続けに痛い目に遭えば、疑心暗鬼に陥ることもあるだろう。

 

 もっとも、だからといってそれを理解してやる義理は俺たちにはこれっぽっちも存在しないわけだが。

 俺はやつの保護者(パパ)じゃない。

 やつに殴られた痕が鈍く疼いた。

 一方、ファルナは首を傾げていた。

 

「そこが分からないんですけど。どうして私たちの身元がばれたのでしょう? 夜の取引現場は月明かりだけ。仮に目撃者が居たとしても判別はできないはず」

「そうだな。そもそもファルナは顔を見られてもいない訳だし、どうやって見つけたのやら」

 

 俺も疑問に思うが、その辺については紙面では何も触れられていなかった。

 

「まぁ、そいつも聞いてみるか」

 

 俺はそう言いつつ静かに席を立ち、素早くボックス席の仕切りを横に引いた。

 

「うわっ!」

 

 俺たちが入っていたボックス席の隣には、こちらに耳をそばだてていたのだろう、いきなり開いた仕切り板に驚いている小柄な若い男が居た。

 念のためファルナに眼を借りてみたが、呪紋を入れた様子もなく魔導士でもない。

 つまりは、

 

「ふん、商会の工作員(イヌ)か」

 

 使い走りというやつだった。

 

「ち、違……」

「違うとは言わせん」

 

 俺は相手の腹にブーツの爪先を叩き込み黙らせる。

 

「げはっ」

 

 うずくまる男をボックス席に引きずり込み、耳元でこう言ってやる。

 

「それ以外に、そんなピカピカのボタンを見せびらかし、折り目正しい糊の効いた服を着た人間がこの店に来るかよ」

 

 俺や、この店の客の服を見てみやがれ。

 使われているボタンや金具は銃を用いた戦闘に対応した、飾り気のない低視認性の艶消しのものだ。

 馬が嫌う光物で騎馬を牽制する戦場は過去のもの。

 今時の傭兵はそんな細かなところまで気配りを欠かさないものだ。

 徹底している者なら更に障害物に引っ掛けたりしないよう隠しボタンになった衣服を選ぶぐらいだしな。

 

 そして糊付けされた服は洒落ていて商会の人間にとっては制服みたいなものだったが、小鬼やトロール鬼の持つ闇を見通す瞳、帝国アカデミーの最新の研究では赤外線視力と呼ばれる視野には見つかりやすくなるのだという。

 かつては糊を効かせた軍服をバリバリ言わせながら着るのが粋だと言われていた帝国軍でも糊付けは廃止されている。

 それどころか赤外線視力に隠蔽効果を持つ布地や染料さえ開発されているという噂もある。

 アカデミーでの研究以前に、経験的にそれを知っている傭兵たちがそんな服を着るはずが無い。

 

 だから糊の効いた服を着てこの店に足を踏み入れるといったら商会の人間。

 それも二流の連中ぐらいだった。



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19 尋問

「ここは特別な席でな。相手に欺瞞情報を流す場合や敵対者をおびき寄せるために隣に物陰になる席をわざと用意してあるんだ。隠し扉の仕掛けもそのためのものだ」

 

 男にそう告げながら、俺は先ほど開けた引き戸を再び閉める。

 扉は完全に仕切り板と区別がつかなくなった。

 

「フォックスの手の者だな」

 

 俺の断言に、男の肩がわずかに揺れる。

 

(脈拍に変動あり。正解のようですわ、マスター)

 

 魔装妖精特有の鋭い感覚(センサー)で男の動揺を感知したファルナが霊的経路(チャンネル)を通じてそうささやく。

 やはりな。

 あれだけ傭兵に不信を抱いていたフォックスだ。

 賞金首にするという脅しがあったにせよ、更に監視をつけるだろうということは容易に予測ができた。

 だからこそ、この特別なボックス席を借りたのだ。

 

「違……」

 

 言いかける男の腹に再び蹴りを叩き込む。

 

「そうは言わせんというのが聞こえなかったか?」

 

 物覚えが悪いことだ。

 

「まぁ、あくまでも関係無いと言い張るのならそれでもいいさ」

 

 俺は頬を釣り上げ笑って見せる。

 

「これから貴様を尋問するのに、何の遠慮も要らないってことだからな」

 

 男の表情が絶望に染まった。

 

「黙ったり嘘をついたりするたびに指を一本ずつ折る。それでも立場が理解できなければ次はナイフでそぎ落としてやる。指で足りなければ耳や鼻だ。どこまで耐えられるか見ものだな」

 

 サディスティックに頬を釣り上げ喉の奥で笑ってやると、男は恐怖にだろう硬直した。

 

 まぁ、ハッタリなんだがな。

 無抵抗のやつをいたぶる趣味なんぞ俺には無い。

 大体拷問なんて手の込んだ真似は異常者(サイコ)でもない限りやる方もひどく疲弊するのだ。

 できることならやりたくない。

 必要ならためらわないがファルナの眼もあることだしな。

 

 俺の言動に、ファルナは顔をしかめて言う。

 

「丸っきり悪役の台詞ですわね、マスター」

 

 俺は首を振った。

 

「いいや、俺は慈悲深いぜ。大人しくしてりゃ、俺だって子供はいじめやしない」

 

 男の背の低さを揶揄してやると、相手は簡単に挑発に乗った。

 

「お、俺に手を出すと組織が黙っていないぞ」

「……なるほど、アッバーテ系列の商会か」

 

 はっと口をつぐむ男だったがもう手遅れだ。

 阿呆が。

 犯罪組織(シンジケート)をバックに持つ商会など帝国ではアッバーテしかあり得ない。

 

(アッバーテといえば、背後にマフィアが控えていることで有名な巨大商会でしたわね)

 

 ファルナの言うとおり、アッバーテ商会とマフィアのつながりはかなり有名な話だ。

 アッバーテの会長アブラーモ・アッバーテは合法な事業を拡充する一方で非合法、半非合法な事業をマフィアたちに分け与え、その上納金で大きな利益を上げていた。

 自らが持つ合法的な事業で資金を洗浄(ロンダリング)し更にマフィアに恩を売るという寸法だ。

 アッバーテ商会の役員は、マフィアの首領たちで占められているというのは周知の事実だった。

 

「だが貴様程度を使ってるところを見ると、アッバーテ本体ではないな。配下のどの商会だ?」

「それは言えねぇよ。分かるだろ、命がねぇよ!」

 

 男は蒼褪めた顔をし、震える声で言った。

 

「なるほど、マフィアは裏切りには厳しいからな。お前が身元を吐いたと見れば、俺たちが手を下すまでもなく組織が速やかに始末をつけてくれるか」

 

 男の顔色が蒼白を通り越して土気色になる。

 

「勘弁してくれ……」

「なら、きりきりしゃべることだ。これ以上、俺たちと接触を続けていると全部吐い(ゲロっ)たと思われるぞ」

 

 そして、霊的経路(チャンネル)を通じて俺の指示を受けたファルナが対照的に優しく囁く。

 

「今ならまだ素知らぬ顔でお別れすることが可能ですわ。後はお互い口をつぐめば良いのです」

 

 示された一筋の希望に、男は縋るようにファルナを見た。

 ファルナはただ黙って秀麗な顔に微笑みを浮かべるだけだ。

 慈愛に満ちた天使のように、そして破滅へと誘惑する悪魔のように。

 そうして、ついに男は肩を落とした。

 

「俺はアボット・アンド・マコーリー商会の者だ」

「聞かん名だな」

 

 俺が目を細めると、男は慌てて言った。

 

「そりゃあ仕方がねぇ。うちはアッバーテ系列のアボット商会と独立商会のマコーリー商会が、最近合併してできた商会だ」

 

 商会の合併・買収(M&A)はビジネスの世界ではよく行われる手法だ。

 市場や人材、機材の確保、ブランドを育てる手間と時間(ヒマ)を金で買う。

 またその他にも多額の技術開発費を費やすことなく相手商会が持つ高度な先端技術情報の入手が可能になるからだ。

 しかし、

 

「実情はマフィアの力を使ったマコーリー商会の乗っ取りといったところか?」

 

 男は黙り込むが、ファルナの感覚は誤魔化せない。

 

(そのようですわ)

「図星のようだな」

 

 内心を見抜いたように言う俺に、男は化け物でも見るかのような目を向けた。

 それではアッバーテは何のためにそんなことをしたかだが。

 

「アボット商会というのは、何を扱っていたんだ?」

 

 男はしばし迷っていたが、心の内を見透かすように言い当てる俺に観念したのだろう、重い口を開いた。

 

「銃だ。新式銃の開発、そう聞いている」

 

 俺は盛大に顔をしかめた。

 きな臭いにもほどがある。

 最新式の銃の技術など、物によってはこの国どころか世界の均衡を揺るがす恐れがあった。

 

「他には?」

「お、俺の知っていることはこれで全部だ。嘘じゃねぇ」

 

 ふむ、この男はただの下っ端、これ以上情報を引き出すのは無理だろう。

 

「命だけは助けてやろう。後は自助努力ってやつで何とかするんだな」

 

 俺はボックス席の隠し扉を開くと男を解放した。

 情報を漏らしてしまったこの男が裏切り者として処分されるか否かは、当人の機転と努力次第といったところだ。

 最悪死んだところで、不運なやつが不運な最後をとげたというだけ。

 俺には何の関わりも無いことだし、関わるつもりもない。



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20 マスター、そこをどいて下さいな。そいつ、壊せないっ。

 扉を閉めてため息をつく。

 

「これでフォックスの背後(バック)は分かったが」

 

 ファルナも秀麗な顔を曇らせながら言う。

 

「マフィアですか……」

 

 マフィアなんぞと関わるなど絶対に避けたい部類の話だった。

 組織を敵に回すことになったりしたら酷く厄介だ。

 

「次はスミスさんの正体と行方ですわね。マクドウェル商会の代理人には連絡を取らないのですか?」

 

 ファルナの確認には、肩をすくめて見せる。

 

「例の物はマクドウェル商会も狙っているだろうから、こっちも迂闊なことを言えないからなぁ。そんな状態で、もしうっかり漏らしてしまったらまずいことになるし」

 

 大商会の代理人は頼りになるコネだが、もろ刃の剣でもある。

 相手とは持ちつ持たれつの対等な関係だ。こちらの情報を伏せたまま向こうの情報だけをもらうわけにも行かない。

 

「まぁ、アボット・アンド・マコーリー商会側が信用できなかったら、遠慮なく見限って連絡を取らせてもらおう」

 

 俺はあっさりとそう言い切る。

 

「それじゃあ仕事を斡旋してくれたキトンさんに聞いてみましょうか。裏を取ってくれているはずですわ」

 

 ファルナが提案する。

 キトンは俺たちとの約束通り夜になると、その見事な爆乳を揺らしながら金の腕亭に現れた。

 彼女の相棒である魔装妖精、シズカも一緒だ。

 キトンは事情を聞くと聡明そうな整った顔を曇らせて、いかにも申しわけなさそうな表情で言う。

 

「問題のある仕事(ビズ)を回した私にも責任の一端はあるわ。できる限りの協力はするから」

 

 その言葉にファルナは首を傾げる。

 

「そこまで責任を感じるんですか? 私たちは素人じゃないんですから、仕事を受けた後の責任は本人たちにあると思うんですけど」

 

 そのつぶやきには俺が小声で答えた。

 

仲介屋(フィクサー)は信用も資産の内だ。臭い仕事(ビズ)を人に回したとなると、今後の取引に関わるから気を使ってるんだろ。うかつな仲介屋(フィクサー)は死んだ仲介屋(フィクサー)であるって言葉もあるぐらいだしな」

 

 直接触れることも見ることもできないものだが、信用という資産は馬鹿にならない。

 行いを積み重ねることでしか構築できず、失うときはたった一つの誤りや裏切りですべてが消え失せる。

 信用とは人格であり魂であり、その人間そのものとも言えるだろう。

 

「裏切られたからといって、どこかに訴え出るような真似ができない裏社会(アンダーグラウンド)だからこそ信用は大切なのさ。こっちの世界じゃ信用だけが保証なんだ」

 

 それを聞いていたキトンはほろ苦い笑みと共に言葉をこぼした。

 

「今の私には痛い言葉ね。どうしていつもそう、ありのままを口にするの?」

「他のことを言ったところで役に立たんからな」

 

 キトンはファルナに向かって口の端を上げ笑顔を作って見せる。

 

「飾らない人よね」

「知ってますわ。私のマスターなんですから」

 

 ファルナは何を今更という様子だ。

 本人の目の前で寸評を語り合わないで欲しいが。

 それでスミスのことだが、

 

「ごめんなさい。急な仕事(ビズ)で報酬が高額だったから事前に裏を十分取っていなかったの」

 

 とキトンは謝る。

 そんな仕事でも仲介をしたのは彼女が隠密哨戒型魔装妖精シズカを相棒としているからだった。

 シズカにスミスの追尾をさせれば裏は取れると判断したのだろう。

 リスクを踏まないと大きな儲けを望めないのはどこでも一緒だ。

 しかしシズカが謝罪した。

 

「昨晩、スミスさんの馬車を追跡しましたが、相手は裏の世界の方々が利用する厩舎の一つに馬車を預けて、その後、不覚にも見失ってしまったのです」

 

 真面目な彼女は悔やむように言う。

 

「私がもっとしっかりしていれば……」

「いや、気にすることは無い。相手が上手だったってだけの話だ」

 

 俺はシズカに自分を責めないよう声をかけてやる。

 しかし彼女は納得しない。

 瞳を潤ませ俺の胸にすがる。

 

「あーっ!」

 

 ファルナが声を上げるが、思いつめているシズカには届かないようだ。

 そのまま俺に懇願する。

 

「罰を下さい。どんなことでもいたします。信じられないような酷いことでも…… いえ私、その方が嬉しいです」

 

 なぜ、そこで陶酔したような声を出されるのかが本気で分からない。

 

「マスターが他の魔装妖精(おんな)を……」

 

 地の底から響くような低音。

 ファルナがサンダラーを抜いて迫る。

 

「マスター、そこをどいて下さいな。そいつ、壊せないっ」

「止めろファルナ、シャレにならん!」

 

 俺は慌ててシズカを掴んで引き離す。

 

「あっ」

 

 とっさのことで力を入れ過ぎてしまったが、嬉しそうに声を上げるシズカはどういうつもりなのか。

 力を緩めると残念そうな顔をするし、それを見たファルナが肩を震わせながらサンダラーを照準するし。

 キトンは口の端をきゅっと釣り上げ小悪魔的な笑みを浮かべた。

 

「悪い男よね。あっちこっちで女の気を狂わせてると今に地獄に落ちるわよ」

 

 いくら何でもそれは人聞きが悪過ぎるぞ。

 

「ともかく!」

 

 声を上げて場を仕切り直す。

 

「誤魔化してるわね」

 

 キトン……

 

「どうして、この子たちってあなたのことをこんなにも好きなのかしらね?」

 

 俺が知るか。

 馬鹿な男にとって女は永遠に謎さ。

 思考停止するなと怒られそうだがな。



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21 ドコにナニをねじ込ませる気だ

「まぁ、私もあなたになら愛を強制的にねじ込まれても構わないんだけど」

 

 キトンはそう言って妖艶に笑う。

 愛ってねじ込むものなのか?

 表現が露骨すぎるだろ。

 

「少しは自粛しろ。話に収拾がつかんだろうが」

「演劇なら、どんなに話が込み入っても機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)が降りてきてお仕舞いなんでしょうけどね」

 

 意外と知的(インテリ)な一面をのぞかせるキトン。

 そういえば新市街のいいところの出だとも聞く。

 ここの水がなじんだのかすっかりこの街の住人と化しているので普段はまったく感じさせないが。

 

 キトンたち猫妖精は常若の国(ティル・ナ・ノーグ)とも呼ばれる妖精界に独自の王国を築いて生活している。

 教育水準も高く二カ国語を操る者も居るという彼ら、特にその貴族は帝国では厚遇されていた。

 大抵の人間の国では妖精貴族を認めないものだから、これは世界最大の人種の坩堝と呼ばれる帝国ならではのことだったが。

 まぁ、それはそれとして言い返す。

 

「劇ならそれで済むが、収拾がつかなくなっても続くのが人生だぞ」

 

 今の俺みたいにな。

 しかし俺の返事にキトンは幼い少女のようにきょとんとし、そして満面の笑みを浮かべた。

 彼女が頬を上気させて口にしたのは、

 

「さすが帝国アカデミーの特待生」

 

 という言葉。

 うん?

 

「それがどうか…… ああ、ネタが通じたんで嬉しかったのか」

「うちの両親に挨拶を」

「どこまで話が進むんだよ!」

「いいことを教えてあげる。ビジネスと恋愛ではね、すべての行為が許されるのよ」

「許されてたまるか!」

 

 お嬢様の思考はよく分からん。

 

「獲物を目の前にした猫のような顔をすんな! 興奮で瞳孔が真ん丸に開いていて本気で怖いぞ」

「そう言うスレイアードは目を細めちゃって。それは信頼の証……」

「俺の目は元々こうだ」

 

 そもそも猫と一緒にすんな。

 

「ともかく!」

 

 俺はシズカに向かって話す。

 

「俺が思うに、生きるってことは夢や理想からはほど遠くてな。人に面倒を掛けないやつなんか居ない。結局、お互い仕方ないなぁで許される範囲で許し合って生活して行く。それを死ぬまで続けるのが人生というものさ」

 

 それが俺の人生哲学だった。

 

「スレイアード様でも、そう思われるのですか?」

 

 驚いたようにわずかに口元を開けてシズカは俺を見る。

 彼女の瞳に俺はどんな風に映っているのか。

 俺は己の心の内を正直に告げる。

 

「当たり前だろ。人間、一人でできることには限界がある。だから俺はお前やキトン、そしてファルナと支え合って生きてるんだ」

 

 ファルナにちらりと視線を向けてからシズカに向き直る。

 精いっぱいの優しさを込めて語りかけた。

 

「シズカだって一緒だろう?」

「……はい」

 

 シズカは彼女らしく奥ゆかしい様子で笑ってくれた。

 

「これは慰めの言葉にかこつけて、シズカを口説いていると見ていいのかしら?」

「うちのマスターはそんな手の込んだ人ではありませんわ」

「じゃあ天然だっていう訳? 息をするように女の子を落としておいて自覚無しなんて、そのうち刺されるわよ」

 

 そんな話は聞こえないようにやってくれ。

 俺は後で一つ使いを引き受けてくれとシズカに頼み込む。

 シズカは嬉しそうにうなずいてくれた。尽くす女というのは彼女のような女性を言うのだろうな。

 そして話を戻す。

 

 キトンの持つ情報網で調査を続けていたのだが、あれだけ特徴的な人物であるにもかかわらずマクドウェル商会配下の工作員(エージェント)にはスミスらしき人物は見つからないという。

 この辺の調査結果を報告しようとして今晩、彼女は俺たちを呼び出したのだ。

 

 その矢先に、俺たちがフォックスの襲撃を受けてしまったのだが。

 まぁ、自宅でくつろいでいるところを襲われて部屋を荒らされなかっただけマシともいえる。

 巻き添えになった連中や金の腕亭の亭主には悪いと思うが、そこまで責任は取れない。

 文句はあの世間知らず(フォックス)に言ってくれ。

 

「スミスがマクドウェル商会の工作員(エージェント)だと名乗ったのは、偽りだった可能性が高いわ」

 

 キトンが結論づける。

 もっとも、こういうのは商会の極秘情報だから彼女の情報網に引っかからないことも十分ありうるが。

 

「その辺は、最終的にはマクドウェル商会の代理人に聞いてみるさ」

 

 俺は肩をすくめた。

 ファルナはキトンに問う。

 

「それじゃあ、取引現場に居た四人組の銃を使う赤ずきん(レッドキャップ)の傭兵たちについては何か知りませんか?」

「それなら調べるまでも無いわ」

 

 キトンはファルナの説明を聞くと言った。

 

「四人組で銃を扱う赤ずきん(レッドキャップ)の傭兵といったら、特戦隊と名乗っているチームしかないわ。主にサムっていう亜人に顔の広い仲介屋(フィクサー)から仕事(ビズ)を受けていたと聞くけど」

赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊?」

 

 耳慣れない存在に、ファルナは思わずといった様子でつぶやく。

 キトンは詳しいところを説明してくれる。

 

「ええ、特戦隊というのも名前だけじゃなく、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋で身体を強化していて銃器の扱いも得意という話よ」

 

 確かにあの晩、現場に居た赤ずきん(レッドキャップ)たちは銃を使い、Cランクとはいえ魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)も持っていた様子だったが。

 キトンは眉根を寄せると言う。

 

「ただ小鬼だけに欲深くて、報酬のことで雇主ともめることが多いとも聞くわ」

 

 なるほど、それは赤ずきん(レッドキャップ)に限らず小鬼たち全般が持つ性分だ。

 

「その調子で依頼主のアボット・アンド・マコーリー商会を裏切って、マクドウェル商会に機密の売り渡しを図った。フォックスからの資料とも話が合うが……」

 

 俺は考え込む。

 

「サムという仲介屋(フィクサー)については?」

 

 ファルナの問いに対しては、キトンはこう答えた。

 

「珍しい、トロール鬼の仲介屋(フィクサー)だそうよ」

 

 ほう?

 

「彼らの中では珍しく腕力に訴えるよりいい稼ぎ方があるみたいだって気付いた男でね。一流の仲介屋(フィクサー)に成り上がるため、鋭意営業中らしいわ」

 

 なるほど。

 

「トロール鬼が仲介屋(フィクサー)として地位を固めるのは、並大抵のことじゃないだろうからな」

 

 亜人に差別意識を持つ人間が少なくないという現実がある中で、人脈(コネ)対外交渉(ネゴシェーション)が重要になる仲介屋(フィクサー)として成功するには人一倍の努力と狡猾さ、そして運が必要だろう。

 

「ええ、だけどその一方で亜人に多くの人脈を持ってるらしくて、亜人の傭兵と主に取引しているそうよ。それとこれは、ここだけの話だけど……」

 

 キトンは声を潜めてこちらに顔を近づけた。

 鼻腔をくすぐる香水、霊猫香(シベット)の匂い。

 テーブルの上に載せた両腕に身体を預けているので豊かな胸元が強調される。

 しなやかなボディラインがまさしく猫科の動物を想わせた。

 

「軍とのパイプを持っているって噂もあるわ」

「帝国軍と?」

 

 思わぬ情報に、答えるファルナの声も自然と小さくなった。

 

「帝国がトロール鬼の衛兵を雇ったり小鬼の軍勢を組織したりしているのは知られている話だけど、その採用の窓口になっているっていうの。軍の高官とぐるになって軍籍を売っているとも聞くわ。もちろん軍用装備の融通も効くみたいよ」

 

 なるほど、あの赤ずきん(レッドキャップ)たちが軍の特殊部隊で使われているナイフ、猫の爪(キャットクロウ)を所持していたのもそういう裏があったとすれば納得だ。

 仕入れルートが限られている品はそれなりのコネが無いと手に入らないし、そもそも高い。

 闇市場(ブラックマーケット)でだぶつき安値で取引されている汎用品とは訳が違った。

 そしてキトンは姿勢と声量を戻して何でもないように続ける。

 

「ついた通り名(ストリート・ネーム)がストリート・ディーラー。大きな身体に着込んだコートの下にはその手の売り物がわんさかって寸法ね」

 

 成り上がるためには何でもやるって感じだな。

 まぁ、そうでもしないとやって行けないんだろうが。人生の機微を感じるな。

 

「よく知ってますわね」

 

 感心が半分、呆れが半分といった様子でそう告げるファルナに、キトンは片頬を釣り上げ答える。

 

「それは商売敵の情報ですもの。それなりにね」

 

 意味深に笑う彼女に、俺は肩をすくめる。

 

「怖いね。皇帝の晩飯(ディナー)のメニューすら調べられるんじゃないのか?」

 

 裏の世界でも悪名がとどろく悪辣帝バートを引き合いに出してみたが、

 

「その分、払えばね」

 

 軽く言い切られて顔が引きつった。

 美人が苦手になりそうだ。



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22 何を知っているかではなく、誰を知っているかだ

 キトンは表情を改めて言う。

 

「ともかく赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊が裏切ったおかげで、サムも雲隠れせざるを得なかったとはもっぱらの噂よ」

「なら、接触は無理ですわね」

 

 ファルナは小さく、ため息交じりにつぶやく。

 

「線は切れたか……」

 

 俺も失望の声を漏らした。

 残念だが仕方が無い。

 

「他に役立ちそうな情報は?」

「今のところ無さそうね。ところでスレイアード」

 

 キトンは俺に向かって言う。

 

「手配を依頼されていた品だけど、岩妖精のアルベルタが用意できたって言っていたわよ」

「何の話だ?」

「忘れたの?」

 

 キトンは少しだけ首を傾げて答える。

 柔らかな性質の栗色の髪がふうわりと流れた。

 

「前に擲弾発射器(グレネードランチャー)の弾の手配を私に頼んだじゃない。一つは裏に手を回したお蔭で渡せたけど、もう一方はアルベルタに頼んでおいたのよ」

「ああ、その話か」

 

 俺は納得するが、そこで思いだした。

 

「それだ! それじゃあ出かけようかファルナ」

「どこへですか?」

 

 俺の言動では何がそれじゃあなのか分からないだろう。

 しかし俺はファルナの問いに当然といった口調で答える。

 

「だからアルベルタのところへだ。聞きたいことがある」

 

 古い格言にもこうある。

「肝心なのは何を知っているかではなく、誰を知っているかだ」と。

 人脈(ネットワーク)、そして足を使った情報収集(レッグワーク)の両方が問題の解決には必要だった。

 俺は席を立つと、キトンとシズカに別れを告げた。

 

「それじゃあ今夜はこれで。また何かあったら連絡してくれ」

「ええ」

「お気をつけて、スレイアード様」

 

 シズカは慎ましやかに俺のことを案じてくれた。

 

「ああ、ありがとうシズカ」

 

 俺は少しだけ笑ってシズカに答えると、慌ただしく店の外へと歩き出す。

 胸のポケットへと押し込めたファルナが抗議の声を上げた。

 

「もう、マスターはシズカさんに甘いんですから」

 

 俺は笑って答える。

 

「魔装妖精に対して甘いのは自覚しているが、特別なのはファルナ、お前だけだぜ」

「マスター……」

 

 ファルナは陶然とした様子で俺を見る。

 そんな彼女に俺は語り掛けた。

 

「まだ夜は長いぜ、ファルナ」

 

 

 

 建ち並ぶ店のランプが照らし出す夜の街、そこに居る者も様々だ。

 可憐な容姿を持ち見事な歌声を響かせる自動人形(オートマタ)

 墨染めの僧衣を着た四つ腕種族の托鉢僧。

 エキゾチックな顔立ちをした放浪民族の踊り子。

 娼館(ハコ)の女を…… 場合によっては男娼を斡旋する闇妖精のポン引き。

 小鬼のダフ屋。

 教会の辻説教師。

 怪しげなストリートの物売りなどなど。

 

 そんなひしめく人々の喧騒の中を軍用ジャケットを身にまとった俺と、その胸ポケットに収まったファルナが移動する。

 街に立つ客引きの街頭娼婦(ストリート・ガール)たちが若い俺に目を付けるが、威嚇するように睨むファルナに諦め引き下がる。

 彼女たちの唇からは「妖精憑き」という言葉がつぶやかれた。

 魔装妖精が持つ魔性に魅入られた者たちを指す言葉だ。

 いい度胸をしている。

 まぁ、そうでなければ麦酒(エール)一杯分の小銭のために命を落とす者が絶えないこの街で、娼婦なんぞしていられないだろうが。

 俺は苦笑して聞き流す。

 

「しかし妙だな」

「何がですか?」

 

 ファルナの問いに、俺は答える。

 

赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊が裏切ったって話さ。仲介屋(フィクサー)は信用が大事なんだから、そんな連中にいつまでも仕事(ビズ)を回したりするか?」

 

 そこが俺には分からなかった。

 

「俺ならさっさと関係を切るね」

 

 断言する。

 

「軍とのパイプを持っているって話も、妙にきな臭いしな」

 

 俺は顔を大げさにしかめる。

 帝国軍、そしてそれにつながる悪辣帝バートは黒い噂が絶えない対象だった。

 そして俺の話に集中していたファルナは、

 

「俺を見てくれーっ!」

「きゃあっ!?」

 

 不意に響き渡ったひときわ大きな野太い叫びに驚き、可愛らしい悲鳴を上げて首をすくめた。

 素っ裸で筋骨隆々、脳筋(マッチョ)な肉体を晒して叫んでいるのは、近頃よく話題に出る筋肉教団(マッスル・ブラザーフッド)か。

 錬筋術秘典と呼ばれる本が教典で、健全な魂は健全な裸体に宿るというのが教義らしいが妙なものが流行るものだ。

 

「人は容易く裏切るが、身に着けた己の筋肉は決して裏切ることはない! 筋肉サイコー!」

 

 宗教は麻薬(ドラッグ)よりたちが悪いとは言うが。

 

「こっ、ここって自己主張の激しい人ばかりですのね」

 

 突然のことに何事かと辺りを見回していたファルナは、改めて気づいたようにそう漏らす。

 

 そうだな、最近の流行(はやり)は鋲打ちの黒革のジャンパーや細いパンツ、リストバンドや(シルバー)のアクセサリーか。

 反逆的で過激なスタイルが特に目立つ。

 まぁ、銀のごついアクセは尖ったやつらに限らずこの街では人気だったが。

 教会の聖印(ホーリー・シンボル)すらファッションとして身を飾る物になる。

 

「根無しのやつが大半だからな」

 

 俺はファルナに説明してやる。

 

「自己主張が激しくてもいいさ。忘れられるほど孤独なことはないからな」

 

 ファルナは俺の言葉をかみ砕くかのようにしばし沈黙し、

 

「……自分の存在を誰かに知っておいて欲しい、と?」

 

 そうつぶやく。

 

「ああ、そう願う者も受け入れてくれるのがこの街さ」

 

 あらゆる願いを、望みを、欲望を否定せず丸呑みにしてしまう。

 そういった奥深さがこの街にはあった。



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23 合法ロリの銃職人

 アルベルタの店は歓楽街の外れ近くの建物にあった。

 表向きの商売、鍵職人(ロックスミス)を示す大きな鍵の形をした看板が目印だ。

 本人はどっちが本職か分からないと嘯いてはいたが。

 

 俺たちは建物に着いたら階段を下りて行く。

 店は地下にある。

 ノックすると、ドアの下から漏れていた明かりが消えた。

 そしてのぞき窓から、こちらをうかがう気配がする。

 

「さすがに手堅いな」

 

 感心して俺はつぶやく。

 

「どうかしたのですか?」

 

 ファルナの問いに、俺は説明する。

 

「相手の姿を確認せずに扉を開けるなんてのは論外だとして」

 

 これは基本だ。

 

「部屋に灯りを点けたままだと扉の前に立ったとき、影でそれがばれるだろ。そこを狙われるのを警戒してるんだ」

 

 分厚い木のドアも、銃を撃ち込まれたら容易く貫通してしまう。

 

「……なるほど。慎重な方なのですね」

 

 ファルナは感心したようにほっそりとした頤をわずかに引いた。

 そこに扉の奥から籠った声がかけられる。

 

「何だ、あんたか。誰にもつけられていないだろうな」

 

 そう確認される。

 

「ああ、ただ連れが居るがな。俺の魔装妖精だ」

 

 そう告げると鍵が外れる音が三度してからドアが開いた。

 明かりが消された部屋の中から現れたのは、俺の胸下ぐらいの背丈の人影。

 一見して幼女のようにも見える女性だった。

 燃えるような赤毛は頭の両脇でシニヨンに結い上げられ、碧い瞳は抜け目のない光を宿している。

 端正な顔立ちをしているが、片頬を釣り上げた笑みがどことなく男前に感じられる。

 

 着ているのは東方風の絹のドレスか。

 詰襟、袖なし、身体に密着したタイトなデザインと深いスリットが煽情的なもので、小柄な彼女が着るとギャップが酷く……

 ある意味背徳的な魅力がある。

 サテン地のドレスは上品で、重い感じがするのに身体にしっとりと張り付いて身体の線がくっきりと出るのが艶めかしい。

 そして、

 

「はい? えっ、子供?」

 

 彼女を見たファルナが素直過ぎる言葉漏らす。

 俺は思わず額に手のひらを当てて天井を仰いだ。

 案の定、目の前の女性はファルナに伝法な口調で食ってかかる。

 

「誰が子供よ! 背が低くてもあたしは岩妖精。これでも立派に成人してるんですからね!」

「はい?」

 

 ファルナが目を丸くする。

 

「でっ、でも岩妖精は女性にもひげが生えていると…… 岩妖精は岩から生まれるとも聞きますけど」

 

 俺はファルナの口にした言葉に苦笑しながら説明してやる。

 

「そいつは岩妖精の男女比が男に極端に偏っていて、貴重な女性を他種族の者が見る機会が無かった故の偏見だな」

 

 それが一般人の認識ではあるが。

 

「えっ、それじゃあ?」

 

 俺はうなずく。

 

「彼女がアルベルタ。この店の主人にして岩妖精の銃職人(ガンスミス)だ」

 

 アルベルタは、どうだ分かったかとばかりに小さな胸を張る。

 外見が外見だけに酷く子供っぽく見え微笑ましい。

 彼女は一部熱狂的な信者から合法ロリなどと呼ばれ崇められていた。

 そんなアルベルタに、俺は挨拶代りに冗談の一つも飛ばして見せる。

 

「真っ暗だな。キャンドル灯して聖歌でも歌うのか?」

 

 アルベルタはいつもどおり鼻で笑う。

 通常、鉱山や洞窟などに住居を持つ岩妖精たちだったが、都市に出るような変わり者はこんな風に地下で暮らすことを好む。

 暗がりは彼らの味方なのだ。

 岩妖精は生まれながらの山師で、洞窟や岩山に育まれた闇を見通す生来の妖精の視野(グラムサイト)を持っていた。

 

 アルベルタがランプに再び火を灯すと店内が照らし出された。

 酒場を改装したという店舗にはバーがある。

 壁には表向きの商売の品、大小の鍵が掛けられていた。

 俺とファルナが中に入ると、その背後で再びドアに鍵がかけられる。

 三つもあるのはそれだけ備えが必要だということでもあった。

 

「相変わらず用心深いな」

 

 俺はそう声をかけた。

 アルベルタはその親指をランプの火にあぶるいつものパフォーマンスを見せながら……

 長年金属加工を行ってきたこの岩妖精の親指はほとんど熱さを感じないのだ。

 そうしてことも無げに言った。

 

「商売柄もあるけど、あたしら亜人は用心深くないと人間たちの間では生きていけないからね」

 

 人間の、亜人への差別の酷さを物語る言葉だった。

 亜人たちの歴史は人間との血なまぐさい戦いの歴史でもある。

 鉱業を営む岩妖精とは鉱山の利権をめぐって常に争いがあったし、原野に住む小鬼やトロール鬼は野山を切り開き生活圏を広げようとする人間たちと衝突する度に討伐の対象とされ土地を奪われてきた。

 人間たちにとって亜人は人ではないのだ。

 

 実際、人間の亜人に対する差別は根深い。

 亜人への嫌悪は人々の無意識の領域にまでじっくりと染み込んでいるのではないかと思われるほどだ。

 少しでも異質なものがあれば排除してしまうのが、人間の悲しい性なのかも知れなかった。

 

「まぁ、今の皇帝が即位してからは風向きも変わってはきてるけど」

 

 肩をすくめて見せるアルベルタに、ファルナが答える。

 

「悪辣帝バートは亜人の力を利用する政策を取っていますからね」

 

 確かにな。

 岩妖精との交易は麻薬(ドラッグ)を対価として払いながらも行うし、衛兵には強靭な身体を持つトロール鬼を採用する。

 小鬼の軍団を指揮し、暗殺(ウェットワーク)や盗みの技に長けた闇妖精まで影で雇い入れているとはもっぱらの噂だ。

 

「だからあたしらみたいな根無しの亜人たちは揃ってヴォレス帝国に流れ込んで、帝都の旧市街界隈に住み着くことになるのよ」

 

 原初(はじめ)の森で閉鎖環境系を内包した完全環境都市(アーコロジー)を形成し閉じ籠っているはずの森妖精ですら、この街には居るからな。

 

「あたしの氏族(クラン)の故郷に緑が甦ったのも、皇帝の口利きのおかげだって言うし」

 

 岩妖精の精錬所から出る鉱毒で酸の雨が降り禿げ山だらけになった錆びた工業地帯(ラスト・ベルト)が短期間で緑化されたのも、皇帝が森妖精の力を利用したおかげだという。

 鉱業により自然を破壊する岩妖精と自然に生きる森妖精との仲は険悪で、普通なら力を貸すわけが無いからだ。

 酸性の土でも旺盛な繁殖力を示すニセアカシアにより緑化された山は養蜂に最適で、アカシア印の蜂蜜、それから作られる蜂蜜酒(ミード)は帝国の特産品にまでなっている。

 そんな普通ではありえない種族間の協業が唯一見られるのが帝国で、その中心である帝都は世界最大の人種の坩堝と呼ばれていた。



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24 アルベルタの過去

「でも、それでも、あんたのように偏見を持たない人間は貴重よ」

 

 アルベルタに親しみを込めた声でそう言われる。

 亜人や異教徒は人間じゃないと考える者は確かに多いからな。

 人間こそ至高の種族だと思い込んでいる狂信者、人間至上主義者は社会のあちこちに確実に根付きその枝を伸ばしている。

 声高に主張を叫んでいる連中はまだ対処がしやすい方で、本当に危険なのは素顔を隠して社会に溶け込んでいるやつらだ。

 しかし、

 

「止してくれ。褒められると背中がかゆくなる」

 

 そういうのは柄じゃない。

 

「傭兵の世界じゃ種族は関係ない。実力がすべてだからな」

 

 俺は端的に答えた。

 別に俺は博愛主義者じゃないからだ。

 

「それはいい考え方ね。まぁ、だからこそあたしも傭兵たちを相手にこの商売を続けているんだけどね」

 

 アルベルタは顔を綻ばせ快活に笑って見せた。

 

「けど傭兵にも色々居るわ。亜人との付き合いをビジネスライクに割り切っているやつ。身内に人間以外を抱えていて、それが当たり前になっているやつ」

 

 俺を追い越してカウンターの向こうに回るアルベルタの視線が、ファルナに注がれた。

 そうして俺に向き直ってアルベルタは聞いた。

 

「あんたはどっちなのさ、妖精憑き」

「無論、両方に決まってるさ」

 

 俺の答えを聞いて、アルベルタはまた笑った。

 

「迷わず答える所が気に入ったわ」

 

 アルベルタはファルナに向き直ると言った。

 

「魔装妖精のお嬢ちゃん、こいつを手放さないように気を付けるのね。こういうやつはなかなか居ないわ」

「それは…… 当り前のことですわ」

 

 真剣なアルベルタの言葉にファルナは戸惑った声を上げた。

 アルベルタは遠い目をして語った。

 

「昔、若いころのあたしは、今とは違って相手を選ばず人間に銃を売っていたわ」

 

 子供のような外見のアルベルタが昔だの若いころだのと言うと違和感が酷くて仕方が無いが岩妖精は人間より長寿。彼女は確実に俺より年上だった。

 

「何故だか分かる?」

 

 アルベルタの問いに、ファルナは少し考えてから答えた。

 

「その方が、もうかるからですか?」

 

 アルベルタは首を振る。

 

「いいえ、あたしは亜人を差別する人間が憎くてしょうがなかったからよ。あたしが売った銃で人間たちが殺し合うのが楽しくて仕方がなかったわ。差別主義者(レイシスト)たちが集まったギャングが抗争で全滅した時には、それ見たことか、天罰だ、勝ったぞ、って喝采をあげたもんだったわ」

 

 言葉の割にアルベルタの顔に刻まれたのは苦い笑みだった。

 

「けどね、勝ったとか負けたとかそういうことじゃなかったのよ。いくら怒りや憎しみにすり替えようと頑張ってみても悲しみは消えないわ。あたしは、本当は差別があることが、人間が差別をしてしまうことがどうしようもなく悲しかったのよ。それに気づくまで、ずいぶんとかかってしまったけど……」

 

 アルベルタは両の手のひらに視線を落とす。

 まるでそこから零れ落ちてしまった何かに思いを馳せるかのように。

 

「だからお嬢ちゃんには、手遅れになる前に気付いて欲しいのよ」

 

 湖面のように澄んだ瞳でアルベルタはファルナを見つめた。

 

「分かってますわ。マスターがいい人なことぐらい……」

 

 ファルナは小声で答えた。

 嬉しいことを言ってくれる。

 思わず頬が緩んだ。

 アルベルタはそんな俺たちを見て小さく笑った。

 それは本当に暖かな笑みだった。

 

 俺はこの岩妖精の銃職人(ガンスミス)が、そして彼女が作った銃が気に入っていた。

 職人が作ったものは、使い手と共に様々な運命を辿ってゆく。

 持ち主の助けとなり、共に生き、苦楽を分かち、そしていずれは消えてゆく。

 俺は働いてものを作るやつらがとても好きだ。

 だからアルベルタに自分の銃を任せていたし、尊敬もまたしていた。

 

「晩飯の最中だったのよ。つきあってくれる?」

 

 アルベルタはそう問うが、その手元にあるのはグラスに入った酒だけだった。

 食べ物などどこにもない。

 

「おいおい、晩飯を飲むのは止めとけよ。身体に良くないぜ」

 

 酒好きの岩妖精らしいと言えばそれまでだが。

 

「放って置きなさいよ。何を飲む?」

「そうだな、ミルクでももらおうか」

 

 俺は敢えてそう言ってみるが、

 

「そんなもんある訳ないでしょ」

 

 にべもなく断られる。

 どうやらジョークが通じなかったらしい。

 俺は肩をすくめた。

 

「何をって、そもそも蒸留酒しか置いてないんだろ」

 

 岩妖精は酒好きで有名だが、中でもアルベルタは蒸留でアルコール度数を高くした強い酒しか飲まないことを俺は知っていた。

 錬金術(アルケミー)の応用によって造り出された生命の水(アクアヴィテ)

 特に純度を高めたものは医療用として使われ、俺の持っている携帯治療(ファースト・エイド)キットにも気付けのためのミニボトルが入っていた。



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25 酒は蒸留酒に限る

「ミルクはともかく、たまにはワインぐらい飲まないのか?」

 

 そう尋ねると、アルベルタは鼻で笑った。

 

「酒は蒸留酒に限るわ。ワインなんてかび臭い酒は大地にでも飲ませておけばいいのよ。できるまで何十年も待つなんて、暇人のすることだわ」

 

 やれやれ、質実剛健な反面、せっかちなのは岩妖精の性か。

 

「なら、ホットをワンフィンガーで」

「ワンフィンガーとはまた薄いわね」

 

 俺の注文をアルベルタは笑う。

 ワンフィンガーとは、グラスに指一本分の太さの高さまで酒をつぐことだ。

 

「酔っている場合じゃなくてな」

 

 俺は憂鬱さを隠しきれない声で答える。

 それに強いアルコールは口の中や唇の傷に沁みる。

 まぁ、豪快に酒で消毒するのも良いかも知れなかったが。

 

「蜂蜜は入れる?」

「ああ、頼む」

 

 アルベルタはグラスに蒸留酒を少量入れ、お湯を注ぐ。

 そこに蜂蜜を入れて軽く撹拌(ステア)する。

 

「そっちのお嬢ちゃんは?」

 

 アルベルタは彼女の手元を興味深そうに見ていたファルナに尋ねた。

 

「ショットグラスがあればそれで。生のままで頂けますか?」

 

 魔装妖精は人工精霊石をコアに持つ。

 それに宿った精霊の力で動いていた。

 基本的に飲食は不要だが、料理をこなすため味見程度の摂取は可能だ。

 そして、

 

蒸留酒(スピリッツ)なら精霊力に変換が容易ですしね」

 

 そういうことだった。

 だからファルナにはショットグラス……

 人間で言う一口分の小グラスにそのままの蒸留酒が出される。

 そして俺には蒸留酒のお湯割りが出される。

 この飲み方をすると香りが高く、蜂蜜の甘味が疲労を癒してくれる。

 

「疲れているときには、これが一番いいな」

 

 俺は一口味わうとつぶやく。

 

「酒本来の、繊細な味わいはわからなくなるのが難点だけどね」

 

 笑いながらそう言うのはアルベルタだった。

 アルベルタがひいきにしている蒸留酒は帝国西端の冷涼な土地で造られている上物だ。

 時をかけて湿地帯に堆積された泥炭(ピート)の煙であぶった大麦が原料で、力強く立ち上がるスモーキーな香りが特徴だった。

 樫の樽に詰めて寝かせることで豊かな香味を身につけた蒸留酒は、熟成させた月日を飲む者に感じさせる。

 

「確かに、いいお酒を飲んでいますね」

 

 とは、生のままの蒸留酒をショットグラスを抱えながら飲むファルナの言葉だ。

 アルコールの影響か、朱に染まった頬とわずかに緩んだ表情が煽情的だ。

 一方で、その左腕に装着された悪魔型魔装妖精用の大型クローアームは、こういう物を持つ場合でも便利そうだった。

 

「お嬢ちゃんの旦那はこんな酒、飲ましちゃくれないの?」

 

 笑いを含んだ声でアルベルタが言う。

 

「俺を旦那って呼ぶな」

 

 俺はそっぽを向いてグラスを傾けた。

 アルベルタは磊落に大声で笑った。

 

「何よ何よ、照れ隠し?」

 

 そして呆れ声で言葉を続ける。

 

「お嬢ちゃんもこんな愛想が無い男の、どこが気に入っているんだか」

 

 それは俺も同感だ。

 ファルナもシズカも、どうして俺に固執するのかが分からない。

 俺は無言でグラスを傾けた。

 しかしファルナは視線を泳がせるとこう言った。

 

「だって、マスターはするのが上手ですもの」

「ごはっ!」

 

 思わずむせる。

 酒を吹き出さなかっただけマシか。

 

「あはは、らし過ぎるわね。学生の癖に、このケダモノが!」

 

 ひいひい言いながらアルベルタは爆笑する。

 

「ファールーナー」

 

 俺は若干の怨みを込めて彼女を見るが、ファルナは頬を朱に染めながら視線を外していた。

 いや、彼女が言っているのはメンテナンスのことだ。

 義体の隅々まで診られるのは魔装妖精にとって羞恥を覚えるものだっていうのは分かっている。

 だが、それにしたって人聞きが悪過ぎた。

 仕方なしに俺はアルベルタの笑いが治まるまで待つのだった。

 しばらくして、笑い過ぎで目尻に滲んだ涙を拭いながら、アルベルタは改めて俺に尋ねる。

 

「で、今日はどうしたのスレイアード。擲弾発射器(グレネードランチャー)の調整?」

 

 この銃職人(ガンスミス)の持論は「道具は使い手を映し出す鏡。心を込めて使っていれば、その分必ず応えてくれる」というもので俺はそんな彼女だからこそ愛銃の調整を任せていた。

 

「そうだな、引き金(トリガー)のタッチが八分の一ほど重くなっている」

 

 俺がそう言って擲弾発射器(グレネードランチャー)から弾を抜いて渡してやると、アルベルタはあっという間にばらばらに分解。

 そして汚れを落としたり油を注したりしながら組み上げて見せる。

 

「これでどう?」

 

 俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)を受け取ると、動作を確認した。

 がたつきや余計な遊びが無いこと、動作がスムーズなこと、引き金(トリガー)が適度な硬さを保っていることなどを調べる。

 

「まるで玩具を与えられた子供のようにも見えますわね」

 

 とは、ファルナ。

 そりゃ、あんまりだ。

 俺は改めて擲弾発射器(グレネードランチャー)に弾を込めながら、おもむろにアルベルタに取引を促した。

 

「それで…… 注文のものを見せてもらえるか」



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26 手札は何枚でも持つもの

 アルベルタの顔がわずかに引き締まる。

 

「例のやつね? ええ、三発試作してみたわ」

「試作品か?」

「一年間の保証書でも欲しいの? 真贋保障の無いグレイマーケット品とは物が違うのよ」

 

 グレイマーケットとは正規の販売ルートを通さない市場のこと。

 並行輸入品とか言われるやつのことを思い浮かべればいいだろう。

 地域ごとの品物の価格差を利用しているところは普通の商売と同じだが、金のかかる宣伝は正規ルートで販売している巨大商会にただ乗り、保証も無しのため安値で売ることができる。

 場合によっては税金逃れのための密輸(スマグリング)が行われていることでもあるし。

 

 問題なのは保証が無いことが偽物を売るにも都合が良いということで、実際かなりの量のまがい物が出回っている。

 そのため合法的な市場と、完全に非合法なブラックマーケットとの中間にあるもの、グレイマーケットと呼ばれているのだ。

 

 俺は肩をすくめた。

 

「もちろん分かってるさ、あんたは間違っても禁酒と職人のプライドを汚すような仕事(ビズ)だけはしない女だ」

 

 その俺の答えが気に入ったのか、アルベルタは整った白い歯を見せ機嫌よく笑った。

 

「一発を撃ってみたけど、なかなかの破壊力よ。もっとも、とても人間に対して撃つような代物じゃないけどね。それに……」

 

 言いよどむアルベルタに、俺は懐から金貨を差し出して見せた。

 

「どうした、金ならあるぜ」

 

 アルベルタは渋い顔をした。

 

「いや、そうじゃなくてね」

 

 アルベルタは自分の上着に手をかけると、大胆にも右肩を晒した。

 そこから覗く真っ白い肌と下着(キャミソール)に反射的に目を逸らそうとして、しかし男の本能が逆らったのか見てしまった肩口に大きな青あざがあるのに気付く。

 

「それは…… 撃った反動でできたあざか?」

 

 擲弾発射器(グレネードランチャー)を使っている俺には、すぐに分かった。

 

「ええ、弾体が重すぎるんだわ。反動が扱える限界を超えている。あんたたち人間なら、一発撃ったらしばらく肩が使い物にならなくなるんじゃない?」

 

 岩妖精は小柄なくせに人間以上の力を持つ種族で、そんな彼女が言うからにはかなりきつそうだったが、

 

「……構わんさ」

 

 俺は他人事のように言った。

 手札は何枚だって持つものだ。

 鬼札(ジョーカー)となりうるなら、なおさら。

 アルベルタは店の真ん中にでんと鎮座している鋳鉄製の機械の横を通り抜けると、部屋の奥へと向かう。

 この回転式砥石を組み込んだ金属研削加工用の足踏み機は、安く再生(リビルト)された品を手に入れたのだと聞く。

 そして作り付けの大型金庫を開けて俺の依頼に従って用意してくれたものを取り出してくる。

 

「これが注文の品よ」

 

 擲弾発射器(グレネードランチャー)の弾頭が、黒光りする木製のカウンターの上に差し出された。

 俺はそれを手に取って品を確かめると、代金を引き換えに払った。

 受け取った弾頭は肩からたすき掛けにされた布製の鞄の中に仕舞い込む。

 そしてアルベルタが言う。

 

「それと、あんたが使ってる護身銃にもいい弾ができてるわよ」

 

 俺の前に銀に光るどんぐり状の銃弾(ブレッド)が差し出される。

 

「ミスリル・チップ。威力は保証付きよ」

 

 銃弾を示してアルベルタは詳しい説明をするが、なかなか良さそうなものだった。

 

「値段次第だがいくつかもらおうか」

「そう来なくっちゃ。あんたとあたしの仲だし、特別にお友達価格(メイト・レート)ってやつで譲ってあげるわ」

 

 アルベルタは素早く装填するために火薬と弾がまとめて入れられた紙薬莢(ペーパーカートリッジ)を差し出した。

 歯で端を噛み切って銃口から火薬を注ぎ、包み紙ごと弾丸を銃に込めるものだ。

 代わりに俺は金貨で代金を支払う。

 さすがに値は張ったが、俺は特に値切ったりせず気前よく払うと、アルベルタに話を切り出した。

 

「ところでアルベルタ、弾を買ったサービスに少しばかり教えて欲しいことがあるんだが」

「あたしみたいな職人に何を?」

 

 カウンター越しに対応するアルベルタに、俺は尋ねる。

 

「銃身内に螺旋状の溝(ライフリング)が刻まれている岩妖精の銃を扱っているのは、帝都ではあんた以外にも居るのか?」

 

 アルベルタは考え込む。

 答えるまで少しの間があった。

 

「いや、あたしが知る限り居ないはずだけど、どうかした?」

 

 俺はスミスの似顔絵をカウンターに差し出した。

 

「尋ね人が銃身(バレル)に溝が刻まれている見事な短銃を使っているのを見てね。この男なんだが」

 

 アルベルタは似顔絵には視線を落とさず、あごに指を当てながら俺を見返した。

 端正な容貌とは裏腹に古だぬきを思わせるあざとい表情が浮かぶ。

 

「見返りは?」

 

 この先は代償次第のようだ。

 顧客の情報をおいそれとは流せないのだろう。

 

「手持ちは金しかないが、それでもいいなら」

 

 アルベルタは俺を値踏みしつつうなずいた。

 先ほどの金払いの良さが効いたのだろう。

 

「……分かったわ」

 

 そしてアルベルタはスミスの顔を描いた絵に見入ると、とたんに顔をしかめた。

 

「これって、もしかしなくても金の髪の男?」

 

 思わずといった調子で言葉を漏らす。

 どうやら当たりを引けたらしい。

 

「知っているのか?」

 

 俺は勢い込んで聞いたが、アルベルタは身体を引くと思案するように腕組みをした。

 

「ん、まぁ、教えてやってもいいけど…… いい話と悪い話があるわ。どちらから聞く?」

「いい話から」

 

 ファルナが口を挟む。

 こちらを見て笑うその表情が、かつて見た従姉さんのものと重なった。

 従姉さんも、美味しいものは先に食べる質、だったな。

 そんな俺たちにアルベルタは鼻を鳴らした。

 

「ならいい話からだけど…… 確かにこいつはうちの客よ。有名人だから名を言っても問題ないでしょ。情報料も要らないわ」

 

 そう言ってアルベルタは教えてくれる。

 

「ナイトウォーカーと呼ばれる傭兵よ」

 

 おいおい同業者かよ。なんとなくそんな気はしていたが。

 

「一部からは不死身の男と言われているわ」

 

 何とも大げさな言いようだったが、アルベルタの表情は真剣だった。

 

「単なる噂だけじゃないのよ。話によると銃弾の雨を受けても無傷で生きのびているとか」

「それは相手にしたくないですね」

 

 ファルナはもの憂げな声音でつぶやく。

 

「人狼か吸血鬼か?」

 

 俺が口にしたのは裏の世界でも噂に上がる不死身の化け物だ。

 

「そうかもね」

 

 銃が効かない相手となると最悪、その辺りを想定しなければならないか。

 なるほど、あの美しさも人外の者とすれば納得がいく。

 

 教会で使われていた銀の燭台を鋳溶かして造られるという呪的装備、銀のナイフあたりが必要かも知れない。

 銀は滅菌と浄化作用を併せ持ち、銀の武具に傷つけられた者は同時に魔力を奪われるためダメージを受けることになると聞く。

 また別の説では銀は月神の金属であるが故に夜の生き物に効くのだとも。



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27 夜を歩むもの(ナイトウォーカー)

「で、悪い話ってのは?」

「やつを敵に回すのは止めておいた方がいいわ」

 

 アルベルタは真顔で忠告する。

 

「正真正銘の殺人狂よ。凄腕で化け物じみた生還率を誇るけど、その実力を目にした者は少ない。敵対者は皆殺しにされるからよ」

 

 顔をしかめて言う。

 

「元は魔導大戦の英雄だったとも聞くけど。栄光に満ちた帝国の守り手。白銀の騎士、紺碧の風神、黒の魔装姫……」

 

 最後の名前にファルナがぴくりと反応した。

 それは彼女自身と従姉さんを指す言葉だった。

 そうしてファルナはぽつりとつぶやく。

 

「まさか、金色の守護者?」

 

 なるほど、やつの見事な黄金の髪を思い浮かべる。

 らしい名だった。

 

「まぁ、そんなだったから誰も継続して使うやつは居なかったんだけど、今は契約を結んで雇われているって話ね。……雇い主の名は、確かオドネルとか言ったはず」

 

 初めて聞く名前だ。

 

「そのオドネルっていうのは?」

「アボット・アンド・マコーリー商会の役員らしいけど、それ以上は知らないわ。でもナイトウォーカーを雇う所を見ると手段を選ばない手合いみたい。まともなやつなら殺人狂なんか使わないでしょ」

「アボット・アンド・マコーリー?」

 

 思わぬ名前が出たことに、俺はファルナの方を向く。

 彼女も俺を見つめていた。

 しばし顔を見合わせる。

 

「これではっきりしたな」

「そうですわね」

 

 酔いも冷めたといった顔でファルナはうなずく。

 俺は言い切った。

 

「これはアボット・アンド・マコーリー商会の内部抗争だ」

 

 それが結論だった。

 

「ともかくアルベルタ、教えてくれてありがとう。これで何とかなりそうだ」

「そうですわね。ありがとうございます」

 

 俺たちはアルベルタに改めて礼を言い、酒を飲み干す。

 そして俺は席を立つと懐から取り出した硬貨をアルベルタに向かって指で弾いた。

 

「これは?」

 

 飛んできたそれを反射的にキャッチしたアルベルタに、こう言ってやる。

 

「酒の礼とチップさ。多過ぎるようなら神様とやらに俺たちの無事を祈っておいてくれ」

 

 不要だと言われた情報料の代わりに、そう言って金を大目に渡して店を出る。

 祈りなんてのは有り得ないことを神にお願いするような都合の良いものじゃない。

 やるべきことをすべてやった人間が、最後にその想いを託すもんだ。

 そういう意味で、アルベルタには重要な情報と装備を提供してもらっているんだ。

 あとは祈ることぐらいしかやってもらうことはない。

 

「じゃあなアルベルタ。また世話になる」

 

 別れを告げる俺に向かって、アルベルタは笑った。

 

「ええ、またいつでも来なさい。あんたのようなやつなら大歓迎よ」

「お世話になりましたわ」

 

 最後にファルナがそう言って、俺たちは地下にある店から抜け出した。

 そしてフォックスが連絡先として指定した酒場に向かうため、今度は辻馬車を拾って乗り込んだ。

 

 馬車はまっとうな市民が生活する新市街へと入り込む。

 よく手入れされた街路樹が並び、路上には煙草の吸殻すら落ちていない。

 灯火夫の手により街灯が灯され、路地にはランプを持った衛兵の姿だってある。

 そんな清潔で安全な街並みが続いているが、その代わり旧市街の住人にとってはメシのタネになるようなものが何も転がっていない、退屈で息が詰まりそうな街でもあった。

 

 フォックスに指定された住所にあったのは新市街の商業地区にある洒落た酒場、黒い靴下亭だった。

 小奇麗な店の中には燕尾服姿の客が多い。

 アボット・アンド・マコーリー商会のアボット系の派閥が使っているらしい高級店だ。

 床には分厚い絨毯が敷かれ、一歩足を踏み出すごとにブーツがわずかに沈み込む。

 

 亭主に繋ぎを頼むと店の若い者が使いに走り、しばらくしてフォックスが護衛を連れて現れた。

 夕方に別れて、その日の内に連絡があったことに驚いている様子だった。

 彼女のような美女を見返すことができるのは、わだかまりを別にしても気分が良い。

 そしてフォックスは俺の報告を聞くと、苦々しげに言う。

 

「裏切り者か…… 考えたくはなかったが、あり得る話だな」

 

 思案顔でしばし黙り込むが、それでも決断を下した。

 

「だが貴様らの話を鵜呑みにするわけにはいかん。十分に裏付けを取った上で対処する。半日後に例の酒場で待て」

 

 そう告げて一方的に席を立つ。

 

「おいおい、例の酒場って金の腕亭か?」

 

 騒ぎを起こした場所を平然と使うなんて非常識な姉ちゃんだな。

 俺は呆れる。

 

「でも半日後といいますと明け方になりますわ。お客さんたちもお家に帰って寝ているころですよね?」

 

 言われてみればそのとおりか。

 まぁ、あの店の常連たちのねぐらなんぞ、棺桶(コフィン)と呼ばれる二段に仕切られたベッドの上だけが個人スペースという集合家屋住まいや、廃墟などに住んでいる不法住居者(スクワッター)、変わったところでは帝都に網目状に張り巡らされた運河に浮かぶボートに一切合切の家財道具を詰め込んで生活するボートピープルだったりすることがほとんどで、(ホーム)と呼ぶには語弊があるがな。

 

「そうだな。まぁ、とりあえず俺たちも自分のヤサに帰って寝るか」

 

 席を立って店を出る。

 辺りには夜空に屋根の輪郭を浮き立たせ背の高い建物が並んでいた。

 商会勤めの賃金奴隷(ウェッジ・スレイブ)たちはもう帰宅し、お決まりの大豆食品(ソイフード)で夕食でも取っているんだろう。

 路地に人影はない。

 

 帝国では秀真国から伝わった大豆とその加工食品が平民に対する肉、乳製品の代用品として浸透していた。

 豆腐(トーフ)ハンバーグに砕いた高野豆腐(コーヤドーフ)で作るひき肉もどき、豆乳(ソイミルク)などなど。

 味はまぁまぁだし肉より身体にいいくらいだと聞くが……

 俺だったらもっと簡素に青い内に収穫したものを茹でて塩を振っただけの枝豆(エダマメ)の方が好きだった。

 大豆は絞って油を作ったり、絞りかすを家畜の飼料にしたりするため大々的に栽培されていて、安値で取引されている。

 そのため平民の懐には優しいが、俺たちは家畜じゃないと嫌う者も居る。

 

 そして辻馬車でも見つけようと大通りに向かおうとしたときだった。

 人気のない夜の商業地区の街路に革の手袋越しに手のひらを打ち合わせる音、拍手がしたのは。

 俺は素早くファルナと聴覚を繋ぎその優れた感覚で方向を特定。

 妖精の視野(グラムサイト)により索敵(サーチ)

 目標を視認(サイト)

 共有した視覚にマーカーで示される脅威、一体の人型の姿を捉える。

 思わずため息が漏れた。

 

「なんてこった…… 今日は災厄のバーゲンセールか? こんだけ色々あったっていうのに、仕舞いに死神まで出て来やがるか」

 

 人気の無い夜の商業地区の街頭に、金色の髪にオーバーコート姿の男がふらりと立っていた。

 芝居がかった仕草が自然と似合う。

 

 スミス、いやナイトウォーカーだった。

 夜の闇に美貌が輝く。



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28 クロックアップ

「デートの約束をした覚えはないんだが?」

 

 俺の軽口に、やつは口元を笑みの形に歪めて見せた。

 

「よもやあなた方が私のところまでたどり着くとは思いませんでしたよ。私自身が表立って動くと身元がばれる可能性が高いからといって、あなたたちを使ったのは失策でしたか」

 

 そしてスミスは言い放つ。

 

「言いませんでしたか、私は。昨日の晩のことは忘れて下さいと」

 

 そう告げて口の端を釣り上げる笑顔に凄みがある。

 俺はさりげなく背中の鞄を下ろすと、横に空いた穴に手を突っ込んで擲弾発射器(グレネードランチャー)の銃把を握った。

 鞄で覆ったままのそれをナイトウォーカーに向ける。

 鞄の先には穴が開いていて、この状態で撃てるようになっていた。

 

「俺たちを見張っていたのか? いや違うな。そんなことをするより始末した方が早い」

 

 疑問を口にする俺に、ナイトウォーカーは種明かしをした。

 

「あなた方を見つけたのは偶然ですよ。敵対する派閥の動きに網を張っていたところに、あなたたちが私の正体を持って現れた」

 

 その場の酒の勢いでつい機密に関することまで話してしまう者も居る。

 そんな商会の人間の行きつけの酒場というのは敵対勢力から見れば最高の情報収集の場だ。

 

「フォックスがつけられていたのか」

 

 情報が筒抜けなことに、俺は頭を痛める。

 相手の手は予想以上に長い。

 ナイトウォーカーはうっすらと微笑んだ。

 

「……あなたたちのことは風の噂で聞きました。あの有名な妖精憑きとその妖精だとね」

 

 その呼び方、今夜はよく聞く。

 しかし、

 

「風なんぞと噂話をするのはどうかと思うが」

 

 鼻で笑ってやる。

 

「そいつは裏の世界の人間の呼び方だな。帝国アカデミーに言わせれば学生番号の数字の羅列がそうなのだと。そして魔装妖精たちにはマスターかドクターと呼ばれるのさ」

 

 ナイトウォーカーの表情が引き締まる。

 

「……そして度胸もいい。今までこの業界であなたが生き残って来られたのはそのしたたかさのお蔭か、あるいはよほど強運の星の元に生まれたのか」

「無論、両方に決まってるさ」

 

 俺は迷うことなくそう答える。

 どちらか一方だけですべてが片付くほど現実は単純じゃないからな。

 だが、ナイトウォーカーは笑みを深めるだけだった。

 

「それも今日で終わり。やはりあなたたちはここで始末しておくべきですね」

 

 内に秘めた殺意を抑えきれないとでもいうように宣言する。

 その無造作に羽織られたコートの下には剣呑な武器が隠されているはずだった。

 

「あの世への旅は二人の方が寂しくないでしょう?」

 

 ナイトウォーカーからの威圧感(プレッシャー)が強まる。

 しかしファルナと感覚を繋いでいるせいで今一つ現実感の薄い俺にはさほど効かなかった。

 いや、死への緊迫感が逆に生きていることを感じさせ心地良い。

 危険な兆候だった。

 

「そんな気遣いは無用だぜ」

 

 俺は余計なお世話とばかりに言ってやる。

 無駄口で挑発しながら相手の呼吸を、攻撃タイミングを計るのだ。

 人間、息を吸ったところに攻撃を仕掛けられても即座に対応できるが、息を吐ききったところに仕掛けられると弱い。

 無論、こちらもしゃべるということは逆に呼吸を読まれ攻撃を受ける危険もあるから呼吸は小さく。

 上半身、肩の動きも意識して抑える。

 それを見透かしてかナイトウォーカーは笑う。

 

「さすが、落ち着いていますね。しかし頭に鉛弾を撃ち込まれてもそうして居られますか?」

「よしてくれ。あいにく頭はこれ一つでね。替えが無いんだ」

 

 そして不意に、ナイトウォーカーの手が素早くオーバーコートの懐に伸びる。

 

(ファルナ、クロックアップ)

(レディ)

 

 ファルナとつながっている状態の俺は、思考の一部を彼女に肩代わりしてもらえるため一時的に意識を加速(クロックアップ)させることが可能だ。

 体感時間が引き伸ばされ、周囲が止まって見えるように感じられる。

 単純に素早さを上げる手段としては魔導士の魔術や、皮膚に魔法の染料で神経のバイパス回路を書き込む魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋などの身体強化(フィジカル・エンチャント)があるが、それらは思考、そして判断まで早くなる訳では無い。

 それに比べ、身体能力はそのままでも思考が加速されていれば余裕をもって対処、そして的確な反撃が可能だ。

 魔装妖精とのつながりを深め、そのアシストで動作から極限まで無駄を省く最適化を行うならなおさら。

 

 ファルナの支援で加速された意識の中、俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)の狙いを定めて引き金(トリガー)を引こうとする。

 重い生身の身体にもどかしさを感じるものの、ナイトウォーカーの動きを確実に捉え、無駄のない理想的な動きで迎撃ができる……

 はずだった。

 

 しかしナイトウォーカーの抜き打ちの速度はそれを更に上回った。

 霊的経路(チャンネル)を通じて共有したファルナの妖精の視野(グラムサイト)には、ナイトウォーカーの身体の表面に沿って走る魔力の線が映っていた。

 全身の神経をバイパスしてずば抜けた反射神経を得る呪紋、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のきらめきだった。

 Bランク、実用上は最高とも言えるグレードの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋の効果、それがこれか!

 

 ファルナと接続することで拡張された視界に脅威警告が赤く鋭く点滅する。

 ほんの一瞬のことが酷く間延びして感じられた。

 

 ナイトウォーカーの手に握られた短銃が俺を狙い、しかしずしりと腹に響く轟音が俺の隣でした。

 

 やつの身体が雷撃(ライトニングボルト)を受け吹き飛ぶ。

 ナイトウォーカーの抜き撃ちをなお上回るスピードで放たれたのはファルナの魔導銃サンダラーによる銃撃だった。

 俺は絞りかけた引き金(トリガー)を止めたが、しかし構えは解かずに告げる。

 

「下手な芝居は止めたらどうだ、金色の守護者」

 

 ふつふつと笑い声が夜の街に響く。

 それは、倒れたはずのナイトウォーカーから発せられたものだった。

 

「その名を知っているとはね」

 

 驚いたことに、いややはりと言うべきか銃撃の影響を感じさせない動きでナイトウォーカーがむくりと立ち上がる。

 その光景は異様だった。



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29 喪失者

「ちっ、少しは痛がって見せろってんだ。可愛げが無い」

 

 毒づく俺に、やつは笑う。

 

「それは無理というものです。先の大戦で傷付き過ぎたためか、この身体は痛みというものを失って久しい」

 

 痛覚を喪失した特異体質?

 それがやつの不死身の正体か?

 

 油断なく身構えながら思考を巡らせる俺に、ナイトウォーカーは酷く楽しげに言い放つ。

 

「だからこそ、私は命がけの戦いがしたい。生きているという実感を、死の危険を感じることでしか持てなくなった私は戦って戦って戦い抜いて、そうして死にたい。私に残された最後の望みは自分の心の臓が背中まで貫かれ、血飛沫の噴き出す音をこの耳で聴くことなのですよ」

 

 それが殺しを続ける理由か。

 だがそんなものは俺には関係が無い。

 従姉さんが命賭けで終わらせたはずの戦争をまだ一人で続けているやつに酷く腹立ちを感じるだけだ。

 しかし、

 

「あなたにもこの気持ち、分かるのでは?」

 

 見透かしたような言い草に、我知らず片頬がぴくりと跳ねた。

 

「図星、ですね」

 

 こいつ、俺がファルナとつながることで現実感を喪失しつつあることを見透かしてやがるのか。

 だとしたら、この男は俺の未来の姿だとでも言うのか?

 冗談じゃない。

 

「一緒にすんな、この阿呆が」

 

 苛立ちが最高潮に達する。

 不意に警笛が路地に鳴り響いた。

 サンダラーの銃声を聞きつけた衛兵のものだろう。

 

「ここでは勝負はつけられないようですね」

 

 ナイトウォーカーは身をひるがえすと言った。

 

「次は邪魔が入らないところで心行くまで殺し合いましょう。我が戦友、黒の魔装姫の継承者よ」

 

 それだけ言い残して走り去る。

 

「手加減抜きの雷撃(ライトニングボルト)が直撃したはずなのに……」

 

 ファルナがつぶやく。

 やつは本当に不死身なのか。

 この局面では引き分け(スティルメイト)とせざるを得ないだろう。

 魔装妖精とただの所有者(オーナー)には荷が重い。

 まさかこのタイミングで出会うとは思っていなかったため、アルベルタから手に入れた奥の手も装填していないしな。

 やつを殺し切るには準備が足りなかった。

 

 何もできなかった俺はファルナとの感覚共有を解く。

 危機に瀕したせいか、かなりの深さまで結びついていて切り離すのに意志の力を振り絞る必要があった。

 反動もまた酷く、嫌な汗をどっとかく。

 俺は身体と精神の震えを無理やり抑えると、ファルナにうながした。

 

「衛兵が集まる前に、ばっくれるぞ」

 

 そう言って俺は通りを走り出す。

 やがて前方に客待ちの辻馬車を見つけた。

 

「旧市街との境にある歓楽街に行ってくれ」

 

 御者にそう指示し、その場を走り去る。

 何とも騒がしい夜だぜ。

 馬車のシートに背を預け、ため息をつく。

 

「マスター……」

「うん?」

 

 ファルナは俺の顔を見つめながら聞く。

 

「マスターは、こんな時でも笑うのですね。怖くはないのですか?」

 

 俺は笑っていたか。

 そうだな。

 昔、坊さんに先行きを考えて不安になるのは望みが高いからだって言われたが、望みを持たずに生きていたって仕方が無い。

 それは物事の表と裏なんだ。

 どうせ最後は皆死ぬって分かってるんだから、この身体に熱量がある内は上を目指して戦っていたい。

 だから俺はファルナにこう答える。

 

「怖いさ、だが俺は天邪鬼でね。脅されれば脅されるほど反抗してみたくなるのさ」

 

 そいつが俺の性ってもんさ。

 そう、おどけてみせる俺に、ファルナは口元をほころばせてくれた。

 硬質な美貌がそれだけで柔らかに花開く。

 いい笑顔だった。

 戦場では笑えなくなったやつから順に二度と笑うことができなくなる(しんじまう)って傭兵をやっていた親父も言っていたしな。

 ユーモアを込めた減らず口っていうのは人が生み出した生き残るための高度な知恵ってやつなんだろう。

 こうして、その日の晩は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 深夜の帝都、瀟洒な邸宅が並ぶ閑静な高級住宅地。

 その中でも一際重厚な造りの屋敷でベッドに横になっていた男は、ふと風を感じて目を覚ました。

 閉めていたはずの窓が開いており、夜風が厚手のカーテンをはためかせていた。

 月光の差し込む窓辺に小さな気配。

 

「誰だ」

 

 男の問いに答えたのは、ささやくような若い女の声。

 

「私はとある方からの使いです」

「使い?」

「アッバーテを仕切る幹部の一人であるあなたに、折り入って話したいことがあるのです」

 

 男は目を眇めた。

 上品さの中にどこか冷徹な光が混ざり込んだ視線。

 

「この私が誰なのかを知っていて、ここまで忍び込んだというのか」

 

 威圧を込めた声は、しかし風を受けた柳のように流された。

 

「私にとってはこの程度の警備、無いも同然ですから」

 

 沈黙。

 そして、

 

「ランプを点けても?」

 

 男の問いには即座に答えが返る。

 

「いいえ」

 

 今度の声は男の耳元、すぐ側で聞こえた。

 月光を一瞬弾いたのは鋭い刃。

 しかし、それもすぐに納められた。

 

「私のことは知らない方がいいでしょう。いえ、今夜の接触も無かったことにするくらいが丁度よろしいです」

 

 女の声がささやく。

 

「良いお話があるのでそれを聞いて頂ければ、ですが」

 

 しばしの沈黙の後、男は再び聞いた。

 

「葉巻は良いかね?」

「……いいでしょう」

 

 男はサイドテーブルに載ったケースから高級そうな葉巻を取ると、専用のカッターで端を切り落とし吸い口を作る。

 そうやってからマッチで火を付けると口にくわえた。

 紫煙を吐いて、そして言う。

 

「話を聞こう」



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30 奪還の指示

 一夜明けて翌朝。

 食事を終えた俺は、ファルナと共に金の腕亭に向かう。

 朝靄と冷えた空気が朝の匂いを運んでくる中、通りには人気がほとんど無い。

 夜に属するこの街が息づき、酒場に客が溢れる時間はまだまだ先だ。

 

 開店前の店を借りて、俺は背負っていた筒状の鞄を下ろす。

 中から黒光りする擲弾発射器(グレネードランチャー)を取り出した。

 筒先のカップに納められた非殺傷のゴム(スタン)弾を抜くと、たすき掛けに身に着けていた大きめの頑丈な布製の鞄から昨晩アルベルタから入手したばかりの特殊弾頭を取り出して装填しなおした。

 護身銃の方にもミスリル・チップを込める。

 

「しかし銃じゃあ、どうやっても強化神経持ちにはかなわないな」

 

 昨晩のナイトウォーカーとの対峙を思い出し、俺は頭をかく。

 銃の速さを競うなどやらないで済むならそれに越したことはないのだが、そうも行かないのが現実だ。

 

 ナイトウォーカーの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のグレードはBランク。

 これ以上となると他を犠牲にしたスピード特化型になるし、施術にかかる費用も莫大となり現実的では無い。

 傭兵が入れられる呪紋としては最速と言って良いものだろう。

 

 俺も魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋を入れられれば良かったが、若い内に肌へ呪紋を刻むと、どうしても成長と共に狂いが生じてしまう。

 呪紋は刺青と一緒で彫り直しが効かない以上、これは無視できない問題だった。

 相手の攻撃タイミングを見切り、こちらの攻撃タイミングを悟られないようにすることが可能なら速さは絶対の優位では無いともいうが。

 

「大丈夫ですわ、マスター。戦いは私に任せて頂ければ」

 

 ファルナもまた、魔導銃サンダラーの調整を終えると応えてくれた。

 

「あたたかい、マスターのぬくもりを感じられる場所。幾度となく繰り返す過去の辛さを思い起こさせる悪夢も、未来の戦いへの憂いも、マスターの隣なら恐くはない。マスターと一緒なら生きていける」

 

 それは、誓いにも似た言葉。

 

「私はマスターの魔装妖精なのですから」

 

 そう言って、花開くように笑ってくれる。

 俺は彼女が伝えてくれた言葉の意味を深く噛み締めた。

 銃に対して抱いていた、意識されない心のしこりが解けていく気がした。

 自然と笑みがこぼれる。

 

「ありがとう、ファルナ」

 

 彼女に感謝の言葉を。

 ファルナはどうかしたのかとでも聞くように小さく首を傾げるのみ。

 従姉さんと同じ微笑みを浮かべるのみだった。

 

 そして俺とファルナが金の腕亭で待機していると、フォックスが部下を引き連れて現れた。

 一夜明けて見るやつの表情は苦虫をダース単位でまとめて噛み潰したかのように不機嫌極まりないものだった。

 せっかくの美人が台無しだ。

 

「腹立たしいことだが、貴様らの推測を認めざるを得ないな。犯人はオドネル。獅子身中の虫というわけだ」

 

 フォックスは重々しく告げる。

 

「貴様らも既に知っているかもしれんが、我が商会はアボット商会とマコーリー商会の合併で成立したものだ。そのため内部は完全に結束できているとは言い難い」

 

 それはアボット・アンド・マコーリー商会成立の経緯からも予想ができたことだ。

 俺は納得の上、フォックスの言葉に耳を傾ける。

 

「オドネルはマコーリー商会出身の中堅役員で、かなり強硬なやり口で競争を勝ち抜いてきた男だ。そしてやつは常軌を逸したことに、今回の件で商会の利益を犠牲にしてまでライバルを蹴落とす算段をしているようなのだ」

 

 苦々しげにフォックスは顔を歪める。

 内部統制が効いていないとは切迫した事態だな。

 

「だが我々がそれを知った以上、思い通りにはさせん。そこで貴様らには働いてもらう」

「あ、やな予感」

 

 一方的な通告に俺は顔をしかめる。

 しかしフォックスはそれを無視して俺たちに命じた。

 

「例の鞄はオドネルが所属するマコーリー派の工房の中にあると思われる。貴様らで内部に潜入して奪われた重要機密を奪回するのだ」

 

 やはりか。

 嫌な予感ほど良く当たるものだ。

 

「簡単に言ってくれるな……」

 

 俺はため息交じりにそうぼやく。

 

 貫通(ペネトレーション)抽出(エキストラクション)

 保安の厳しい目標の商会に侵入して情報やサンプルなどを奪取するのは、手荒い手法だが商会における情報戦では良くある話だ。

 プロを使えば痕跡も残さず強奪することも可能だし、被害に遭った商会は対外的な信用を守るため「秘密情報が盗まれた」とは公表したがらない。

 結果、公安に被害届を出さないケースが多いからだ。

 目標の商会の従業員を抱き込んで情報を引き出したりするスパイ行為より手っ取り早く、場合によっては確実だ。

 

 とはいえ、

 

「そこまで分かったのなら、あんたたち自身の手で機密を取り戻したらどうだ?」

 

 うんざりとした俺の指摘に、フォックスは顔をしかめた。

 

「同じ商会内といっても各工房の警備体制はまだ統一されていない。警備に命じて我々の工作員(エージェント)を送り込むわけにはいかんのだ」

 

 そこは一枚岩ではない内部の事情が許さないらしい。

 

「それに確かな証拠があるわけでもないのだ。失敗した場合を考えれば我々が直接手を下すわけにはいかない」

 

 この辺は商会が工作員(エージェント)などを独自に抱えているにも関わらず、裏の傭兵を使う一般的な理由でもある。

 失敗しても切り捨てが可能な外部のプロを使い、ことを収めるのだ。

 

「そもそもナイトウォーカーなどという化け物を相手取るのだ。まともにやって我が商会の工作員(エージェント)を食われまくるわけにも行かん。遺族への年金支給にも限度というものがあるのだぞ」

「ぶっちゃけたな。それが本音か」

「すべて本音だ」

 

 フォックスは俺たちに告げた。

 

「ゆえに貴様らに偽装をして潜入を図ってもらう必要がある」

 

 確かに警備を味方にできないのであれば、そうするしかないだろう。

 

「それはまた厄介ですわね。あとはどれだけ事前情報と支援が受けられるかですけど」

 

 ファルナがつぶやく。

 厄介と言いつつも、他人事のように聞こえる声音がクールな彼女らしかった。

 フォックスは不本意そうに顔を歪めながらも、ファルナの言葉に答えた。

 

「こちらでも可能な限りの用意は整えたつもりだ。その代わり機密は絶対に取り戻すのだ。貴様らが賞金首になりたくなかったらな」

 

 マクドウェル商会側に寝返ろうかと内心考えつつも、俺はフォックスの話に聞き入る。

 そしてフォックスの部下が潜入の準備を説明してくれた。



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31 最終通告と、それを理解できない女狐と

 フォックス側から提供されるのは、まず偽の身分証が二人分。

 これを使えば工房と契約している清掃業者を装って敷地内に侵入することができるという。

 

 次は目標となるマコーリー派工房に関する情報を収めた紙の資料。

 目的の工房は物流の関係から各商会の工房が多い臨海地区の一角にある。

 敷地は広く、周囲を高い塀と海に囲まれている。

 敷地内には建物が三棟並び、その内の一つ、三階建ての建物がオドネルの管轄する工房だった。

 

 問題の鞄はその工房内にオドネルが保管していると考えられる。

 工房の内部構造や警備状況は不明。

 

「内部の状態はともかく、警備状況が分からないのはまず過ぎる」

 

 俺は舌打ちする。

 

「オドネルに関する資料はありますか?」

 

 ファルナの質問に人相書きが示される。

 壮年のいかにも才気に走ったような面構えの男だ。

 オドネルは工房の建物に私室を持っていて、用心のためか最近はそこで寝泊まりをしているらしい。

 更に俺は質問する。

 

「工房の始業時間は?」

 

 始業は八時。

 夜間、オドネルと護衛は別として警備員以外の職員は居なくなるという。

 

「ふむ」

 

 資料は以上ですべてだった。

 他に清掃業者に偽装した荷馬車と作業服が用意されている。

 

「服は防刃板入りか? 生地は難燃素材だろうな?」

 

 俺はフォックスの部下に確認する。

 難燃素材とは羅紗(ラシャ)のように元々燃えにくい布か、防炎薬剤を塗布し燃えにくく加工した布をいう。

 

「いや、ただの一般的な作業服だ」

 

 平坦な口調の答えが返ってくる。

 

「そこは張り込もうぜ。何のための下準備なんだよ」

 

 理想を言えば防弾ベストが欲しいが、絹を特殊な四層織りにした布地で仕立てられているというそれは目の玉が飛び出るほど高い。

 

 それに比べて銃弾の直撃は防げないが、跳弾やある程度の刃物には耐えて見せる防刃板。

 火の気がつきものの火薬を使った戦場を潜り抜けるための難燃素材。

 これらを使った衣服はこの業界ではごく一般的な物だ。

 

 マスケット銃は銃口からだけでなく、手元の火皿からも点火薬が火花を散らすものだしな。

 難色を示す俺に、ファルナがささやく。

 

「潜入してから中で着替えてもいいんじゃないですか?」

 

 俺は首を振った。

 

「いいや、業者になりすませるんだったら昼中堂々とやった方がいい。夜間、完全に人が居なくなるなら、相応の警備が敷かれるだろうしな」

 

 番犬だったら可愛いものだが、実際には凶悪な魔獣が敷地内に放たれたりする。

 定番は黒妖犬(ブラック・ドッグ)辺りか。

 夜と死の先触れとも地獄の番犬(ヘルハウンド)とも呼ばれる。

 黒い仔牛ほどもある巨体を持ち、燃えさしの石炭のように赤く底光りする魔眼は暗闇さえ見通し侵入者をそれこそ地獄の底まで追い立てる。

 その爪は灰色熊をも超える破壊力を持ち、牙は鋼鉄の防具ごと人体を噛み砕いて見せるというから恐ろしい。

 

 潜入のために用意されたものについて説明が終わると、再びフォックスが話し始める。

 

「清掃業者を装って用意した身分証で敷地内に潜入しろ。工房の警備が管理する名簿にも載せておいたから正門は問題なく通過できるはずだ」

「相手にばれていなければな」

 

 俺はため息まじりに言う。

 昨晩のナイトウォーカーのこともある。

 こちらの動きが見透かされている可能性があるため、潜入には別の手を考えた方が安全かも知れなかった。

 フォックスは言う。

 

「潜入した後の行動は任せる。目的の鞄を取り戻せれば手段は問わないし責任も問わない」

 

 つまり言外に、機密奪還の過程で工房に損害が出ようとも、そして多少の死傷者が出ようとも許容すると伝えている訳だ。

 この辺は暗黙の了解というやつだった。

 

「ただし鞄の中身を傷付けることだけは絶対に避けろ。作戦を終えたら、この酒場で鞄の受け渡しだ。目的の物を確認したら解放してやる。賞金首になりたくなければ必ず目的を完遂しろ。以上だ」

 

 俺はフォックスに対して言う。

 

「要するに俺たちは、あんたたちの商会の内紛に巻き込まれただけだったってわけだ」

 

 オーバーに肩をすくめて見せる。

 これぐらいの嫌味は示しても罰は当たらないだろう。

 

「ここから先を俺たちにやらせるつもりなら、仕事(ビズ)に見合った報酬を用意してもらう必要があるんだが? 俺たちもボランティアをやっている訳じゃないんでね」

 

 善人気取りで奉仕活動なんぞやったところで銅貨一枚にもなりゃしない。

 悪目立ちして後で面倒なことになるだけだ。

 

 そもそも善人というのは裏の世界の傭兵をやる上ではマイナスの評価にしかならない。

 後ろ暗い仕事を依頼するんだから、良心なんぞに行動を左右されるようなやつには任せられないのだ。

 だから適度に悪党(ロクデナシ)で金に汚いやつの方が信用される。十分な金を払っている限り裏切らないからだ。

 

「俺は自分の腕前に見合う報酬の仕事(ビズ)しかしないんだが」

 

 金に固執する訳じゃないが、技量には正当な評価を求めるのが俺の主義だった。

 金は大事、これ以外のことを言うやつは信用するなというのは親父の遺言だったが、これは詐欺に気を付けろと言っているだけじゃない。

 対価の伴わない仕事は不確実だったりいい加減になったり、要はプロの仕事ではなくなってしまうということも意味してるんだ。

 

 しかし、

 

「貴様らのような輩に払う金などない」

 

 とフォックスはつっぱねる。

 俺はフォックスに忠告する。

 

「このままだとあんたらは完全に傭兵たちの信用を失うことになるぜ。今後、必要になったとしても協力する傭兵は居ないだろう。今からでも仕事(ビズ)を依頼した形にして報酬を払った方がいいと思うが?」

 

 俺の主張はこの業界の常識にのっとったものだった。

 

「はした金をケチって将来に損失を出すのは賢い商人のやり方じゃないだろう? 金は合理的に使ってこそ意味がある。必要な費用まで出し渋る倹約家は表の世界でも裏の世界でも大成はしないもんだぜ」

 

 投資するからその分儲かるわけで、その投資を出し渋れば儲けもまた望めない。

 当たり前の話だろうに。

 

 商人に商売について説くのもおかしなものだがな。

 この期に及んでも、まだ俺が忠告をしてやっている意味を汲んで欲しいところだ。

 しかしそれでもフォックスは、

 

「無事解放してもらえるだけでもありがたいと思え」

 

 と言い捨てる。

 そのかたくなさはいっそ見事とも言えるものだった。

 

「サルと契約を交わす人間が居るか?」

 

 フォックスはその琥珀の瞳に蔑みの表情を浮かべ、俺たちを見下す。

 

「居ないっ! 貴様ら薄汚い傭兵などと結ぶ契約など無いのだよ」

 

 その眼は言葉どおり、対等の人間を見るものでは無かった。

 美人なだけにそういうのが好きな連中なら背筋をぞくぞくさせるんだろうな、と思えるほどきっぱりとしたものだ。

 生憎俺にはそういう感性は備わっていなかったが。

 

「俺たちと契約するつもりはないということだな」

 

 俺は念を押す。

 

「当たり前だ」

 

 フォックスは言い切った。

 ならば相応の対応を取らせてもらう。

 俺は腹を決めた。



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32 小さな彼女の嫉妬

「だったら、それとは別に防刃板を仕込んだ作業着を用意してくれ。布地は難燃素材で」

 

 俺は別の要求をする。

 

「そんなもの、自分たちで何とかしろ」

 

 と、にべもなくあしらわれるが、俺は食い下がった。

 

「ブツの手配には時間がかかる。仕事(ビズ)の成功率にも関わるぜ」

 

 作戦の成功率を引き合いに出され、フォックスは逡巡する。

 

「……そこまで言うなら、いいだろう。手配しよう。ただし貸すだけだ」

 

 俺は商会の用意した臭い服なんて誰が要るかと思うが、ここは黙っていた。

 フォックスは他に何かないか確認するが、

 

「俺はいいが?」

「私も特には」

 

 口を挟まず交渉の経緯を見守っていたファルナも同意する。

 そしてフォックスは立ち去った。

 それを見送ってからファルナは言う。

 

「武器ならともかく、防具だったらお店でも買えるんじゃないんですか?」

 

 俺の注文はブラフだった。

 

「いや、どうせこの場限りのものになるから余計な出費は控えたいだろう」

 

 人の悪い笑みを浮かべて俺は言う。

 

「それに、これで工作のための時間が稼げる」

「時間稼ぎ?」

 

 ファルナは切れ長の眼を細めた。

 この上、更に俺は細工をするつもりだった。

 

 

 

「さぁて、それじゃあ奥の手を切るか。気は進まんが」

 

 そうつぶやく俺に、ファルナは軽い調子でさらりと聞く。

 

「なら、止めておきます?」

 

 俺が止まらないことを知った上での微笑を含んだ小気味良い問いかけ。

 俺は小さく首を振って言う。

 

「実際、手札がブタばかりという状況が頻繁に起こりうるのが現実ってやつだからな」

 

 だからこそ、

 

「コネとか技術とかイカサマとかは、そういう状況を無理やりひっくり返すために使うのさ」

 

 俺はファルナを連れ新市街へと向かった。

 距離があるため四輪二頭立ての乗合馬車に乗る。

 二階建ての座席が特徴で、俺たちは後方に備え付けられた螺旋階段を上る。

 普通、女性はスカートを穿いているので二階席は使わないのだが俺の胸のポケットに入ったままのファルナには関係ない。

 

「風が心地良いですね」

 

 雨が降らない限りは、上の席は眺めが良いので快適だ。

 

「そうだな」

 

 胸のポケットから出した顔を穏やかな風に晒しながらつぶやくファルナに、俺は言葉少なにうなずいた。

 乗合馬車に揺られ辿り着いたのは、帝都の商業的な中心とも呼べるビジネス街だった。

 

「凄く場違いな所に来たような気がしますわ」

 

 興味深げな声でファルナの感想が述べられる。

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

 俺も同意した。

 ごみごみして汚れていても、やはり住み慣れた旧市街の方が気楽だった。

 街路には塵ひとつなく、ものものしい衛兵たちによって治安は守られている。

 

 頭抜けたのっぽの姿はトロール鬼で、悪名高い悪辣帝バートが雇っている近衛兵(ガーダー)だ。

 その巨体から繰り出される攻撃はもちろん凄まじいが、皇帝を守る盾としての役割こそが期待されているとも聞く。

 この肉の壁、いや生きた城壁を突破して警護対象に危害を加えることをできる者が果たして存在するかどうか。

 

 治安の良い新市街では武器をぶら下げて歩いていると公衆の面前で脅迫行為に使用したことになり捕まってしまう。

 板金鎧をも貫く銃器が蔓延した結果、時代遅れとなってしまった金属鎧の類も同様だ。

 

 だから俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)をバッグにしまって肩に掛けている。

 左手の鉛入りグローブは隠し武器のようなものだ。

 

 長居は無用なため、俺は目的地まで真っ直ぐ歩きマクドウェル商会の本店を訪ねる。

 

「アボット・アンド・マコーリーを裏切る気ですか?」

 

 ファルナが気遣うように尋ねるが、俺は涼しい顔をしてこう答える。

 

仕事(ビズ)重複受付(ダブルブッキング)なんて、この業界じゃあ日常茶飯事だぜ」

 

 報酬の二重取りを考えないだけ、良心的だと思ってくれ。

 それにフォックスのやつにこっちの忍耐にも限度があると教えてやりたいってこともある。

 

「フォックスの動きが漏れているかも知れない以上、後ろ盾は別に欲しいところだからな」

 

 俺はファルナを安心させるよう笑って見せた。

 

「まぁ、実際のところはマクドウェルの代理人の話を聞いてからだ。運命がカードを混ぜ、われわれが勝負するってな」

 

 地価高騰に伴ってか奇抜なデザインの建物が目につく街並みの中、マクドウェル商会の本店は逆にオーソドックスな建物なので並外れた規模と相まって非常に目立つ。

 圧倒的な存在感を示す玄関ホールを潜ると、受付にて俺は自分の名前を告げ代理人を勤めるジョエル氏を呼び出してもらう。

 いかにも商会の人間らしい上品なツーピースを着込んだ美人の受付嬢に、いくつもある応接室の一つに通された。

 お茶も出されたが、天下のマクドウェル商会だけあって香草茶(ハーブティー)などの代用茶ではない。

 東方から輸入されている本物の紅茶だった。

 

「さすがマクドウェル商会。受付嬢のレベルも高いんですのね」

 

 俺がクッションの効いたソファーに浅く腰かけるとすぐ、ファルナは俺にささやいた。

 どこか拗ねたような声だった。

 

「どうした?」

 

 俺は首を傾げて問う。

 何か、彼女の機嫌を損ねるようなことがあったのだろうか?

 

「いえ、紳士的に振舞うマスターを見て、相手が変われば対応も変わるのだなと思っただけですから」

 

 そして、半目に閉じた瞳から含みを持った視線を俺に向けて言う。

 

「マスターも、やっぱり人間の男性だということですね」

 

 刺々しい声に俺は笑った。

 

「何がおかしいんですの?」

 

 ファルナは俺のことをにらむ。

 そんな表情も魅力的な彼女に言ってやる。

 

「あんなの社交辞令だろ。当たり障りのない仮面を着けてやりすごしているだけだ」

 

 単なる大人の知恵、マナーってやつだ。

 

「俺が本当の素顔を見せるのはファルナ、お前に対してだけだよ」

 

 ファルナは不意を突かれ驚いたように涼しげに見える口元を半開きにした。

 そして頬を朱に染めつぶやく。

 

「そんな言い方、ずるいですわ……」

 

 ずるくて結構。

 俺はそういうやつだからな。

 自然と浮かぼうとする笑みをファルナに怒られないよう抑えた。

 

「別段、仕事中に女を口説く趣味は無いしな」

「マスターに無くたって、相手がそうじゃないとは限らないじゃないですか」

 

 それは考え過ぎと思うがな。



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33 巨大商会の代理人

 何とか機嫌を直したファルナは応接セットのテーブルの上に移る。

 お茶に添えられたマシュマロに手を伸ばした。

 

「一つ頂いて行きますか」

 

 珍しい菓子を手にファルナは言う。

 

「うん?」

「串などに刺して直火で焼いてとろけさせても美味しいですし、クリームの代わりにコーヒーに入れると表面がじんわりと溶けてよく合うのですよ」

 

 そんな楽しみ方があったとは知らなかったな。

 そしてしばしの後、ジョエル氏が秘書と共に姿を現した。

 俺とファルナは立ち上がって彼を迎える。

 

「君の方から訪ねてくるとは珍しい。何かあったのかね?」

 

 油で丁寧に撫でつけた髪に精力的な光を宿す灰色の瞳が印象的なジョエル氏は、仕立てのいいフロックコートを普段着のように自然に着こなしている男だった。

 巨大商会であるマクドウェルの内部でも相応の地位に就いている幹部(エグゼクティブ)であることがそれだけでもうかがえた。

 

 そのこめかみには極小の魔法陣(マジック・サークル)が描かれている。

 毛髪に隠れて見えないが、ジョエル氏の頭部には魔法の染料でこれと繋がった呪紋が刻まれているはずだ。

 脳の短期記憶に接続(アクセス)し各種知識や技能を一時的に外部から取り込める頭脳端子(ブレイン・ジャック)だった。

 

 タフな対外交渉(ネゴシェーション)業務の多い商会の代理人には、財務、法務、人材、経営戦略、交渉術など、多くの領域に精通することが必要だ。

 彼はその助けとなる知識を記録水晶(メモリー・クオーツ)と呼ばれる記憶媒体から取り入れ(ダウンロード)、活用しているのだろう。

 

 お互い応接室に備え付けのソファーに座ったところで交渉に入る。

 

「実はアボット・アンド・マコーリー商会の機密について、やっかいな状況に陥っていましてね」

 

 と二日前、機密が入った黒い鞄をマクドウェル商会のスミスと名乗る男に渡したところまで俺は話す。

 

「君もまた想定もしないようなところで我が商会とアッバーテの抗争に関わったものだな」

 

 俺の話を聞いたジョエル氏は難しい顔をして語り出した。

 

「その機密というのは独立商会であるマコーリー商会が開発していた新式銃のことだ。完成後、我が商会が生産を担当し安価に帝国軍へと納入される予定だった」

 

 ジョエル氏は機密の内情をいともあっさりと口にする。

 

 軍はマクドウェル商会の重要な取引先で大口の収入源の一つだ。

 軍部の高官の天下りも多く受け入れており、それら元高級軍人が見返りに軍への便宜を図る。

 そういった密接な関係もある。

 

 その上でジョエル氏は状況を語った。

 

「だが、それに目を付けたアッバーテ商会が、系列のアボット商会を使ってマフィアの力でマコーリー商会を強引に乗っ取り合併。アボット・アンド・マコーリー商会が生まれた」

 

 機密の内容が内容だけに、話はアボット・アンド・マコーリー商会だけではなくアッバーテ商会本体にまで関わるものだったらしい。

 最初から技術を獲得する目的で商会の買収、合併を行うのは大商会ではよくやる手法だった。

 

「しかしマコーリー派の役員はアッバーテ商会のやり方に反発し、新式銃の機密を渡すことを渋った。そのためアボット派は傭兵、赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊を雇いそれを無理やり奪取した。我が商会にとって幸いだったのは、その特戦隊がアボット派を裏切って我々に機密の引き渡しを打診してきたことだった」

 

 だがしかしジョエル氏は表情を曇らせた。

 

「問題が発生したのはその後だった。新式銃の木型を奪取した傭兵の赤ずきん(レッドキャップ)たちが、我が商会との取引前に何者かに襲われたのだ。その襲撃者から更に木型を奪ったのが君たちだということは分かったが、我々はスミスなどという工作員(エージェント)は知らんし、そのような命令を下した事実もない。その男は何者なのだ? 機密は今、誰の手にあるのだ」

 

 ならばと俺は更なる情報を開示する。

 

「スミスの正体と木型の行方はつかみました。しかし我々は、アボット・アンド・マコーリー商会から裏切ったら賞金首にすると脅されている状態でしてね」

 

 するとジョエル氏は食いついてきた。

 

「あの新式銃の機密は我が商会の利益につながる非常に重要なものだ。我々に機密を渡せば金貨五十枚を代金として払おう。無論、賞金首の話も潰してやる。なに、我が商会の帝国に対する影響力をもってすれば、そんなもの造作もない」

 

 その言葉を受けて俺はアボット・アンド・マコーリー商会の内情を話す。

 機密はマコーリー派の工房に潜入して、オドネルから奪還する予定だと。

 

「アボット・アンド・マコーリー商会のオドネルね」

 

 ジョエル氏は秘書に指示をして部屋から送り出すと、俺たちに向き直った。

 

「分かった。それでは前金で金貨二十枚を渡そう。残りは木型と引き換えになる」

 

 秘書に指示を受けたのだろう、すぐにジョエル氏の部下が金貨を持ってきてくれた。

 さすが巨大商会であるマクドウェルの代理人。投資も思いきりが良い。

 

「他に我々ができることはあるかね? この件ではかなりのところまで支援を行うことが可能だが」

 

 その発言からも、マクドウェル商会がだいぶ入れ込んでいることが伝わってきた。

 

「なら潜入の手配を。アボット・アンド・マコーリー側が用意したものは、敵に見透かされている可能性があるので」

「よかろう。今日中に手配することにしよう」

 

 ジョエル氏は満面の笑みで要求に答えてくれた。

 やはりマクドウェル商会、仕事が早い。

 その言葉を受けて、俺はファルナに話を振る。

 

「それを伺って安心しました。ファルナは?」

「私からは特にありませんわ」

 

 彼女は言葉少なに同意を示した。

 その返答を確認してから俺はジョエル氏に聞いてみた。

 

「ただ情報を持っていたら教えてもらえますか? オドネルとナイトウォーカーのことを」

 

 その申し出に、ジョエル氏は表情を改めた。

 

「オドネルか。少し待ってもらえるかね?」

 

 そこに先ほど席を外した秘書が小さな双突水晶(ダブルポイント)を持って帰ってきた。

 ジョエル氏がこめかみの頭脳端子(ブレイン・ジャック)にそれ、記録水晶(メモリー・クオーツ)を当てると微細な光が結晶内に走り呪紋が輝いた。

 

「そうだな…… まずオドネルだが、彼はマコーリー商会出身の中堅役員であるものの、アッバーテの強引なやり方に反発する他のマコーリー派とは一線を画す。己の利益のためなら何でもすることで最近のし上がってきている。アッバーテと同じか、それ以上にマフィア的だよ、彼は。それは殺人狂で有名な傭兵、ナイトウォーカーを使っていることでも明らかだ」

 

 石に刻まれた記録から脳裏に必要な情報を呼出(コール)したのだろう、ジョエル氏は言った。

 

「殺人狂、ですか」

 

 その言葉は岩妖精のアルベルタの発言と重なるものだった。

 

「ナイトウォーカーと言えばその筋では有名な殺人鬼だからね。不死身と言われ仕事の達成率は高いが、やつは必要以上に血を流す。まともな者なら絶対に使わないね。いずれ確実に扱いきれなくなり破滅する」

 

 巨大商会の代理人を勤める者として断言する。

 その言葉には説得力があり俺は納得した。

 

 確かに、敵対した者を皆殺しという時点でやつはプロとは言い難かった。

 素人からすると目撃者を消すのは秘密を守る上で確実で良い手段だと思えるだろうが、実際には死体という物証を量産しているだけに過ぎない。

 また度を越した殺人は恨みを買い、採算を度外視した追跡や報復を呼ぶ。

 相手が費用対効果にこだわる商会だったとしても、大量の殉職者を出したのに報復も反撃もしないのでは、士気(モラール)が崩壊して組織が成り立たなくなってしまうからだ。

 警備だって固くなるだろうから、いいことなど一つもない。

 

「金色の守護者、堕ちた英雄か……」

 

 ジョエル氏が思わずといった様子でつぶやいた。

 

「知っているのですか?」

「ああ、魔導大戦時、帝国軍には幾人かの英雄が居たが、その内の一人だね」

 

 ジョエル氏は苦い表情をして答えた。

 

「金色の守護者。大戦末期の吸血鬼撲滅戦の英雄だ。戦場では敵をどれだけ多く殺せるかが英雄の条件で、彼はその条件を完璧に満たして見せた。しかし……」

「戦争は終わった」

 

 従姉さんの死と共に。

 ジョエル氏はうなずくとこう言った。

 

「だが彼はそれを認めないかのように殺し続けた。そうして英雄は堕ちた。逆はまず無いだけに、余計に始末が悪い」

 

 俺は昨晩のナイトウォーカーの言葉を思い出す。

 敵は稀代の英雄にして不死身の殺人鬼だ。

 死神とワルツを踊ることになりそうだと思いつつも口を開く。

 

「とはいえ悪党としては二流ですね。俺たちを殺しそこなっているくらいだ。だからこうして反対に命を狙われる羽目になる」

 

 もちろん俺だって易々と殺されるつもりなど無いが。

 

「それって私たちの方がより悪党だと言ってるように聞こえますから、止めて下さいな。相手は人狼か吸血鬼みたいな不死身の化け物ですわよ」

 

 とはファルナの感想だ。

 あながち間違っていないかとも思うが余計なことは口にしない。

 

「不死身の化け物が相手とは、まるで悪から世界を救う伝説の勇者のようだね」

 

 そうにこやかに言ってのけるのはジョエル氏だ。

 それに対しては肩をすくめて見せた。

 

おとぎ話(ファンタジー)じゃないんだ。悪党を倒しただけで世界が救われる訳が無い」

 

 現実ってやつはそんなに単純にはできていない。

 もちろんジョエル氏だって良く知っているはずだ。

 ただし、

 

「俺たちは死刑執行人じゃないし、俺たちがあいつを裁くわけでもない。やつはやつ自身に裁かれるだけだ。ああいうやつは自らの業によって滅びるのさ。昔から決まっている」

 

 これだけは言って置く。

 

「そして、やつには貸しがある。俺たちはただ、その貸しを返してもらうだけさ」

 

 するとジョエル氏は目を細めて笑った。

 

「若いというのは良いものだ」

 

 そうして独白するように言う。

 

「それは勇気であり、意志の強さであり、現状に甘んじるより前進することを選ぶこと。そして昨日の痛手を理由に臆病にならず冒険に挑む心だ」

 

 これは彼なりの励ましの言葉なのかも知れない。

 

「それでは機密の受け渡しの場所と時間を決めよう」

 

 ジョエル氏が促す。

 こうして機密を横流しする段取りが決められたのだった。



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34 潜入準備

 金の腕亭に戻ると、亭主が声をかけてきた。

 

「スレイアード、店に荷物が届いてるぞ」

「分かった。ありがとう」

 

 アボット・アンド・マコーリー商会からは難燃性の生地を使い薄い鋼の防刃板を入れた作業着が届いていた。

 普通の品と見分けが付かず、変装として身に着けるのに適している。

 

 それからマクドウェル商会が用意した潜入の準備が届いた。

 目標の工房と契約している下水整備業者に手をまわして用意した偽の身分証明と合鍵だった。

 整備点検の連絡を工房に対して入れるので、これを使えば業者を装って敷地内に侵入し下水道へ通じる入り口の扉を開くことができるという。

 

「これで少しは楽ができそうですね」

 

 少しだけ緩んだファルナの声は用意された物が使えると判断したからか。

 

 下水整備業者から得たという情報によると、施設の地下には下水道が各建物からつながっているという話だ。

 この下水道は外部に出ることなく海に直接つながっているため、比較的警備は甘いと考えられる。

 下水道へは各建物のほかに、整備室から侵入できる。

 

「つまり、そこから下水道を辿って目的の建物に侵入すればいいんだな」

 

 さすがマクドウェル商会が用意した段取りだった。

 良く考えられている。

 

「細かな配慮とクオリティはフォックスが用意したものとは比べ物にならんなぁ」

「そうなのですか?」

 

 この辺はファルナには分からないか。

 俺は説明してやる。

 

「フォックスが用意した清掃業者に偽装するって手段も定石(セオリー)なんだが、今回は同業者が相手だからな。逆に見透かされる可能性が高い」

「清掃業者が?」

「商会の従業員が忙しく働いている中、清掃員は誰にも気にかけられることなく安い賃金で職場の清掃、汚れ仕事を静かに勤めている」

 

 ここがポイントだ。

 

「つまり、ほとんど誰にも気にされずに行動できること、金次第で雇い主を裏切る可能性を持つこと、これは利用する側からすればかなり都合がいいものなんだ」

 

 フォックスもおそらく金で清掃業者を買収しているはずだ。それも大した額ではないだろう。

 

「しかも安値で外部業者に委託しているものだから、管理は酷くいい加減だ。以前、機密情報を扱う公安で抜き打ちのチェックを行ったことがあったが……」

 

 結果は酷いものだった。

 

「身元が不確かな者の出入りを防ぐため事前に業者から名簿の提出を受けていたが、実際に作業していた清掃員のほとんどが名簿の名札を付けただけの別人だったそうだ」

 

 請負業者が人件費を削るために勝手に雇ったバイトや孫請けの業者を報告することなく使っていたんだろう。

 こんな風だから、俺たちのような者が紛れ込むのもまたたやすい。

 

「だから使いやすいが、しかし同業者からすると見え透いた手でもあるって訳さ」

 

 そういうことだった。

 そしてマクドウェル商会からは、下水整備業者のものに偽装された荷馬車も用意されていた。

 下水整備業者の作業服、工具箱、資材などが積まれている。

 

「明日九時頃に着くよう目的の工房に向かおう」

 

 俺はファルナにそう提案する。

 ファルナは静かな声で真意を尋ねた。

 

「わざわざ次の日まで待つ理由は?」

 

 俺は二つの理由を彼女に説明する。

 

「ナイトウォーカーにこちらの動きがつかまれている可能性がある以上、焦って突っ込むのは考えものだ。ここは時間を置いて行った方がいい」

 

 これが一つ目の理由。

 

「そして始業して休憩に入る前、この辺が一番、通路に人通りもなく行動しやすい。古い友人(ダチ)にも商会に勤めているやつが居てな。そいつから聞き取った話だが」

 

 これが二つ目の理由だった。

 

「そうなのですか」

 

 俺の説明に、ファルナは澄んだ瞳を瞬かせて納得した様子を見せた。

 そんな彼女へ、更に商会の実態を教えてやる。

 

「付け加えれば、警備のしっかりした大商会の本店でさえ、中に入ってしまえば作業服を着た人間なんて誰も気にしなくなる。商会の人間以外にも、掃除のおばちゃんや建物整備の作業員なんかが、いつもうろついてるんだからな」

 

 警備員ならともかく、一般の従業員の意識などそんなものだった。

 

「そこまで考えているわけですね」

 

 ファルナは感心した様子で俺のことを見る。

 一方で、俺はナイトウォーカーのことを考えていた。

 果たして不死身の化け物を倒し切れるのか……

 そいつはやってみないことには分からないってものだった。

 

「まぁ、今日は帰って英気を養うか」

「そうですわね。ジャガイモとカリフラワーがありますから、蒸して腸詰と一緒にお食べになりますか?」

 

 ファルナからの提案に、俺も相好を崩した。

 

「いいなそれ。蒸かしたイモをバターや塩で食べるのがまた美味いんだ」

 

 素朴ではあるが、これがまた堪えられない味だった。

 そしてカリフラワーもまた美味い。

 ファルナは芯も皮を剥いてスティック状にして調理してくれるが独特の甘みがあって、香ばしく焼き上がったソーセージと共にワインによく合うのだ。

 しかし、そこでふと気づく。

 

「あれ? うちに蒸し器なんてあったか?」

 

 台所をファルナにほとんど任せているとはいえ、俺も調理器具ぐらいは把握していた。

 

「あら、普通の鍋でも蒸し料理は可能ですわよ」

 

 ファルナは何でも無いように言う。

 

「どうやって?」

 

 首を傾げる俺に、ファルナは少し得意そうに説明した。

 

「石ころを鍋の中に敷き詰めて少量の水を注ぐだけですわ。これに食材を入れて蓋をして火にかければ蒸し料理ができます。ついでに蓋の上に重石を乗せれば内部が高温高圧になって短時間に調理が仕上がりますし」

 

 俺は、ほうと唸った。

 

「それはまた考えたな」

「軍隊式の調理法ですわ。前線には蒸し器なんてありませんから、鍋とどこででも手に入る石ころを使うんです。蒸し料理は食材の旨みと栄養を逃さない調理法ですからね。カリフラワーなんかは茹でると水を吸って甘みが残りませんし」

 

 そうしてファルナは遠い目をする。

 彼女の従軍経験は、そのまま従姉さんとの思い出に結び付く。

 普段は何でもないように暮らしてはいるが、ふとした拍子にこうやって思い出され、胸に痛みをもたらすのだ。

 

 だが、誰であっても平等にいつかは死ぬもんだ。

 自分のそのときに少し笑って死ねたらそれでいい。

 だから俺は話題を変えるため提案する。

 

「時間もあることだし、お前の義体のメンテナンスでもするか?」

 

 そう俺が促すと、ファルナはやはり食いついてきた。

 

「それはいいですけどマスター、今回もやっぱり待機状態(スリープモード)にならなくてはいけませんか?」

「ん? そりゃあ、そっちの方がいいだろう。細かい所に触れている時に、変に反応されたら困るし」

 

 メンテナンス中、魔装妖精を待機状態にするのは万が一の事故を防止するためだった。

 

「へ、平気ですわ」

 

 そう言うファルナだったが、

 

「やっぱりマスターの指が私の義体(からだ)の隅々まで触れるのを感じていたいですし」

 

 と小声でだが本音を漏らす。

 

「ファルナ……」

 

 俺は右手でファルナをカウンターの上に押さえ込んだ。

 ファルナは俺の人差し指を左手で抱え込んで……

 そして顔を赤らめながら俺から視線を外した。

 

「ほら、ファルナだって意識してるだろ」

 

 と言うか無意識に俺の指に爪を立てるのは止めてくれ。

 背中の爪痕は男の勲章と言うが、この場合はどうなんだ?

 

「ま、マスター……」

 

 言葉に詰まるファルナだったが、

 

「お前ら、そういうのは帰ってやれ」

 

 金の腕亭の亭主が俺たちに突っ込むのだった。

 

 

 

 帰宅して、

 

「あ、あら? おかしいですわ。待機過程(プロセス)が起動しませんね。これでは待機状態(スリープモード)に入れませんわ」

「いいから、さっさと落ちてくれ……」

 

 まだ、その話を続けるファルナだった。



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35 潜入

 俺はマクドウェルが用意した擬装用の作業服を着込んだ。

 作業服は動きやすさを第一に考えられているため、軍服に似て戦いやすい。

 ことにマクドウェル商会が用意したのは難燃性の生地でできている上、胴部には蒼く輝く岩妖精の呪化鋼板を打ち出して造られた防刃板が仕込まれている。

 更にひじとひざにパッドが当てられており、これによりとっさに無理な姿勢をとっても身体を痛めることが無くなっていた。

 

 頭には鍔付きの作業帽(ユーティリティーキャップ)を目深にかぶる。

 作業帽については民間用も軍用も大きな変わりは無い。

 ヘルメットのようにハードな防護は期待できないが、それでも射撃時に飛ぶ火の粉や、その辺にぶつけたり擦ったりした際に頭部を保護をしてくれるものだ。

 ヘルメットと違って何かにぶつけても音を立てないため隠密行動をとるには都合がいい。

 

 まぁ、そもそも帝国軍ではヘルメットすらろくに支給されず、支給されたとしても視聴覚を制限する旧来のものは銃を使う現場に嫌われた。

 それゆえ、こういった作業帽で戦場に立つ兵士が大半だったりするのだが。

 

 最後に新調した変装用の伊達眼鏡(アイウェア)をかけて準備は完了だ。

 

「その眼鏡も似合ってますわ、マスター」

 

 俺の様子を見ていたファルナは、そう言って瞳を細めた。

 

「目立たないための変装なんだがな」

 

 俺は笑って、ファルナをいつものように胸のポケットに隠した。

 

「んっ……」

 

 ファルナはポケットの中、落ち着かない様子でもぞもぞと身体を動かす。

 

「どうした?」

「いえ、防刃板が邪魔でマスターのぬくもりを感じられないものですから」

 

 俺は苦笑するほかなかった。

 

「そいつは我慢してくれ。こっちも命がかかっている」

 

 ポケットから顔を出して周囲を眺めるファルナに言う。

 

「潜入する時は隠れていてくれよ」

「もちろんですわ、マスター」

 

 ファルナは承知する。

 

「でも現在では職業妖精も増えているそうですし、さほど問題にはならないかも知れませんね」

 

 職業妖精とは戦後、戦う場を失った魔装妖精たちを民間で雇用するようになったことから生まれた言葉だ。

 

 かつては戦略兵器と呼ばれ、その力は戦場の地形すら変えるとまで言われた魔装妖精たち。

 だが現在では適合者の身体に受容器(レセプター)と呼ばれる印を打ち人工精霊石と契約を交わす技は失われていた。

 適合者を持たない魔装妖精たち単体では並みの魔導士以下の力しか振るえなくなっている。

 

 ただ、そもそも魔導士の存在自体が希少なので精霊魔術(シャーマニック・マジック)が使える魔装妖精たちは様々な分野で重宝されているという。

 決して表沙汰にできる商売ではないが、キトンの所に居るシズカも似たようなものだろう。

 

「よーし、いい子だ」

 

 俺はマクドウェル商会が用意してくれた荷馬車を走らせて、臨海地区の一角にあるアボット・アンド・マコーリー商会のマコーリー派の工房を目指す。

 

「マスターって馬車を動かせたんですのね」

「任せておけって。俺が運転できないのは馬の居ない馬車だけさ」

 

 そもそも女よりは楽だしな。

 マコーリー派の工房は事前情報どおり海に面していて、外周を高い塀に囲まれていた。

 

「これでは中の様子をうかがうことすらできませんね」

 

 ファルナは形の良いほっそりとした眉をひそめて俺にささやく。

 

「まぁな。その上、この手の塀の上にはガラスの破片なんかが埋め込まれていて乗り越えを防止しているのが定番だしな」

 

 警備施設の定石ってやつだった。

 

「さすがに侵入者への備えは万全ですか」

 

 ファルナはため息まじりに言うが、俺は首を振った。

 

「それがそうでもない。こんなものハシゴがあれば乗り越えられるし、ガラスの破片も毛布を被せてしまえばそれで終わりだ」

 

 高い塀は目隠しにはなるが、本気で襲撃をかけてくる者にはあまり意味が無い物だった。

 

「しかし…… 傑作なのは、外部の人間が接触可能な場所にゴミ置き場を設ける神経だな」

 

 俺はそこにゴミに偽装した仕掛けを捨てるふりをしながら設置する。

 

「ゴミ置き場が?」

「ああ、ゴミは情報収集において相手の機密を探り出す有力な手段だし、そうでなくとも放火などの犯罪に利用されることがある」

 

 まぁ、その隙を狙わせてもらう訳だが。

 人目が無いうちに手早く済ませ、馬車に戻る。

 

「いよいよですね」

 

 そう告げるファルナにはこう答えてやる。

 

「なぁに、夕食(ディナー)までにはすべて片が付くさ」

 

 正門は閉じていて、体格の良い守衛たちが頑張っていた。

 その腰には黒光りするブランダーバス、いわゆるラッパ銃がぶら下げられている。

 

 これは大口径、ラッパ状の銃口から黒色火薬(ブラックパウダー)と鉄くず、石、木片などその辺にあるものを何でも詰めてぶっ放すことが可能な、極めて野蛮で強力な散弾銃だった。

 ラッパ状に広がった銃口は、馬上や船上、そして暗がりでも火薬、弾が込めやすいという利点を持っている。

 そのため銃床(ストック)を廃し、銃身(バレル)を切り詰めたピストルモデルはまともな鉛弾と組み合わせて海兵や駅馬車の護衛、そして彼らのような商会の警備員(セキュリティ・ガード)などに好んで使われていた。

 

 俺たち傭兵や工作員(エージェント)なども場合によっては使う。

 射程が短いという欠点があるものの一発で敵をなぎ倒せるし、警備側と同じ武器を使っていれば発見されても味方と誤認される可能性がある。

 また撃ち合いになっても同じ発砲音なので敵味方の判断が難しくなり少人数で動く襲撃者側に有利に働くからだ。

 

 そして俺たちの前にはちょうど見覚えのある清掃業者の馬車が並んでおり、密かに様子を窺っていると手綱を握っていた作業服の男が強引に守衛室へと連れ込まれていた。

 

「やはりか」

 

 俺はフォックスが用意した馬車を囮として使ったのだ。

 俺と似通った背格好の彼は小遣い稼ぎの素人だ。

 間にその筋から手配したカットアウト、つながりを遮断し隠匿する要員を介しているため、どんなに洗っても俺たちとの関係は辿れないようになっている。

 

「そのまま使っていたら、今頃捕まっていましたね」

 

 ファルナが小声でささやく。

 だが勝負はここからだ。

 フォックスの馬車が守衛によりどかされ、俺たちの番になる。

 

「こちらになります」

 

 指示されたとおりに偽造された身分証を差し出す。

 

「うん?」

 

 首を傾げる守衛。

 そうしてしげしげと俺の顔を見る。

 

 やばいか?



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36 下水道へ

 仕方が無い。

 俺は視線を余所に向ける。

 目を逸らしたと見た守衛がこちらを勘繰る前にぼそりと、しかし相手に聞こえるようにつぶやく。

 

「煙?」

 

 俺はゴミ捨て場に時限発火装置と擲弾発射器(グレネードランチャー)に使う発煙弾を組み合わせたものを仕掛けておいたのだ。

 それが作動し、煙を吹き出していた。

 

「むっ、火事か?」

 

 慌てて走り出す守衛。

 そうすると先ほど囮を連行したせいで、その場に残っているのは経験の浅そうなまだ若い男が一人だけになってしまった。

 

「通っても?」

 

 俺は何でも無いかのように聞く。

 背に冷や汗をかいていたが、気力で表情には出さない。

 

「あっ、ええ」

 

 曖昧にうなずく相手に、俺は馬車を敷地内に走らせた。

 守衛室から完全に離れたところで大きく息をつく。

 

「何重にも保険をかけておいて、ようやく通過か」

 

 まったく、冷や冷やさせられるぜ。

 

「ここだな」

 

 下水の整備室を見つけ、近くに馬をつなぐと用意された合鍵で中に入る。

 鍵開け(ピッキング)用の道具と技術は持っているのでこの程度の鍵ならどうにでもできるが、楽をできるのに越したことはない。

 そこから鉄のはしごで降りて行ける下水道は完全な暗闇だ。

 

「海へとつながっているだけあって、磯の香りがするな」

 

 鼻を鳴らす俺に、ファルナがうなずく。

 

「下水の臭いがしないのは素直に助かりますけどね」

 

 彼女は外見にふさわしくきれい好き……

 汚れには神経質なところがあった。

 

 俺は馬車の荷台に積まれていた工具箱から携帯用のランプを取り出すと火を灯す。

 それを腰に吊るしポケットの中のファルナと共に下水道の内部に下りた。

 足元には棚状の突起があり、それに沿って進むことができる。

 レンガでできた壁からはかすかな滴がしたたり、不気味な音を立てて下水の流れに落ちていた。

 

「何か居ます」

 

 ファルナが息を詰めて言う。

 とっさにつながれ共有された彼女の妖精の視野(グラムサイト)には一塊の生命体が放つオーラが映り込んでいた。

 その正体はつやつやと光る何十匹ものネズミ、キラー・ラットがひしめいているものだった。

 

「ひっ」

 

 思わず悲鳴を上げそうになるファルナの口を慌てて塞ぐ。

 騒ぎは起こしたくないし、まとめて襲い掛かられたらそれこそひとたまりもない。

 

「刺激しないよう、ゆっくり通り過ぎるぞ」

 

 俺は押し殺した声でファルナにささやく。

 彼女がうなずき返したところで、手を離し慎重に進む。

 

 ある程度近付いた所でキラー・ラットたちが一斉に辺りに散らばった。

 その場には下水に迷い込んだのだろう、キラー・ラットたちの犠牲となった小動物の無残な死骸が残されていてぞっとする。

 対応を間違えれば、次には俺がああなる運命だ。

 

「気を抜かないで下さいマスター。まだ周囲の物陰に潜んでこちらをうかがっておりますわ」

 

 ファルナの押し殺した声による警告。

 じりじりとした緊張に冷や汗をかきつつもゆっくりと進む。

 刃物の上を渡るような歩みに神経をすり減らしたが、何とかパスする。

 

 と、思った瞬間、ぬるつく足場に足を滑らせた。

 何とか踏みとどまったが、バシャンと立てた水音にキラー・ラットたちが反応する。

 

「ちっ!」

 

 俺は飛びかかって来るキラー・ラットたちを振り払いながら下水を走った。

 

「あそこです!」

 

 ファルナの指示(ナビゲーション)により目的の建物の真下と思われるところまで辿り着いた。

 上へと通じる縦穴がある。

 下水道に向け伸びている何本もの管、そして鉄のはしごが取り付けられていた。

 それに取りつき、よじ登る。

 狂乱状態のキラー・ラットたちはそのまま足元の下水道を通り過ぎて行った。

 

「やれやれだぜ」

 

 ようやく大きく息をつき、今度ははしごをよじ登る。

 しかし途中でファルナの警告。再び生命のオーラが現れた。

 

警報茸(スクリーマー)だ」

「すくりーまー?」

「触れるとけたたましい金切り声を上げ警備を呼びつけちまうキノコさ。原木に菌を植え付けて置けば勝手に育つから、こんな風に警報として使われることが多い」

 

 俺はナイフを抜く。

 処理方法は傭兵をやっていた親父から習っていた。

 慎重に、かつ素早く行わないといけない。

 そうして一息に根元を刈り取った。

 

「ふぅ……」

 

 こうやって悲鳴を上げる間もなく処理できれば問題にはならない。

 

「焼くとパンのように食えるって話だが」

「下水に生えているものを食べるんですの?」

 

 ファルナは嫌そうに顔をしかめる。

 

「だから今回は捨ててるだろ」

 

 そうやって警報茸(スクリーマー)を処理し終わり、更に登ると鉄の蓋に突き当たった。

 

「物音は?」

 

 ファルナはプラズマの翼をきらめかせながら宙を舞い、蓋に耳を当てる。

 

「特には聞こえないようですね」

 

 人には捉えられない音まで拾う聴覚センサー(みみ)を澄まし、そうつぶやくファルナに俺は同意する。

 

「なら蓋を開けて上に出よう」

 

 俺が重量のある鉄の蓋を持ち上げて隙間を作ると、すかさずファルナがそこから出て周囲を確認(クリアリング)する。

 

「大丈夫ですわ、マスター」

 

 その声に応じて蓋を完全に開け、這い上がる。



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37 サドンアタック

 狭い小部屋だった。

 外に出る扉が一つだけある。

 ファルナと共に扉に耳を当てて外の様子を探る。

 ここからが本番だ。

 

「良さそうですわ」

「分かった」

 

 誰も居ないときを見計らって外に出た。

 そこは広いホールになっていた。

 右側に二つの扉、左側に扉と通路、奥の方に階段が見える。

 

「階段を使って三階へ行こう」

「他の階は無視するのですか?」

「高い地位に就いている人間は大抵上の階に居るものさ。権力志向が強いやつなら特にな。人を見下して偉くなったつもりでいるんだろう。ついでにナイトウォーカーも居るはずだ」

「昼間、警備のある場所なのにですか?」

 

 ファルナには必要性が感じられないのだろう。

 しかし俺は確信を持っていた。

 

「孤独だからだろ」

 

 権力者はえてしてそういうものだ。

 だからこそ番犬を手元に置きたがる。

 

 途中、何人かの職員ともすれ違ったが、作業服を着ている俺たちに意識を向ける者は居なかった。

 事前にファルナに話したとおり、内部に入ってさえしまえば作業服を着た業者など誰も気にしないようだった。

 しかし俺たちが目的の三階へ向かおうとしたときだった。

 

「まずい。警備の巡回だ」

 

 二人組の警備の制服を着た男たちが階段上方から現れた。

 ただの職員と違って素通りはできないだろう。

 

(どうします?)

 

 霊的経路(チャンネル)を通じてファルナが問う。

 

(今から隠れたらかえって怪しまれる。黙ってポケットの中に居ろ)

 

 俺はそう答え、自身も自然な風を装う。

 警備員たちはやってくると声をかけてきた。

 

「どちらの方ですか?」

「あ、下水の点検に来たピーターズ工務店ですが、給湯室はどちらですか?」

 

 俺はすまし顔で、いけしゃあしゃあと言ってのける。

 

「ピーターズ工務店? 聞いてないぞ」

 

 首を傾げる警備員に、俺は困った顔をして見せた。

 

「連絡が来てないんですか? 正門じゃあ、ちゃんと受け付けてくれたんですが」

 

 そしてこう続ける。

 

「どうもこの棟の排水に問題があるようで、確認に来たんですけど」

 

 それを聞いて警備員は納得する。

 

「想定されていた点検範囲の外だから、こちらまで連絡が来なかったのか?」

「念のため後で正門の警備に問い合わせてみるか」

 

 俺に給湯室の場所を教えて巡回に戻る。

 俺とファルナは教えられたとおりに給湯室まで行き、警備員たちの姿が見えなくなったところで息をつく。

 

「何とか誤魔化せましたね」

「まぁ、こんなもんだろ」

 

 俺たちは再び上の階を目指す。

 今度は特に問題なく三階に着いた。

 やはりホールに出る。

 周囲を見回すが、

 

「案内板は見当たらないな」

警備(セキュリティ)の関係でしょうか? でも扉にはプレートが付いていますわ。虱潰しに見て行くしかないですね」

 

 わずかに険しい表情をして見せるファルナに、俺は首を振った。

 

「いや、全部見なくても南東の部屋から順に見て行けばいいはずだ」

「理由は?」

 

 短く問うファルナに、簡単に理屈を説明する。

 

「日当たりの関係だ。一番偉い人間を北側の部屋や西日の差す部屋には普通入れない。しかもオドネルは寝泊まりする私室まで持ってるんだろ」

 

 なるほどとファルナも納得した様子だった。

 一番南東の部屋を調べてみると秘書室だった。

 

「どうやら当たりを引いたようだな。その隣は?」

 

 目的の役員室かと思ってプレートを見るが、違っていた。

 

「総務ですね」

「役員室には秘書室を通じてしか入れないのか?」

 

 分からないが、試してみる価値はありそうだった。

 廊下に人目が無いことを確認してから、俺は背に回したバッグから擲弾発射器(グレネードランチャー)を取り出す。

 磨き上げられた木製の銃把はいつもどおり手にしっくりと馴染んでくれた。

 

 更にメインで扱う武器に問題が起こった場合に切り替える予備の武器も手早く確認する。

 戦闘中に悠長にトラブルを解決している暇は無いからだ。

 常に最悪のケースを想定しておけば、実際の行動はより簡単になる。

 

「いきなり例の弾頭で大丈夫ですか?」

 

 心配するファルナに、俺は笑って見せる。

 

「まだるっこしいのは嫌いでね。準備運動は無しさ」

 

 ファルナは不承不承という感じでうなずいた。

 それだけ俺を想ってくれているってことだが。

 

「発砲すれば、それほど時をおかずに警備が駆けつけてくると思いますが」

 

 その忠告にはこう答える。

 

「なに、それだけの時間があれば大抵のことにケリが付く」

 

 それだけ迅速に俺たちは動く。

 その上で、

 

「死んだ親父曰く、後のことは後で考えろってね」

 

 度胸と割り切りが必要だった。

 勝負は一瞬、機会は一度きり。

 それに俺は命を賭けに(ベット)して挑む訳だ。

 ファルナも魔導銃サンダラーを構えた。こちらは常と変らぬ自然体だ。

 

「扉を開け放って、壁を遮蔽に不意打ちでいいか?」

 

 銃撃戦では遮蔽物を利用することだ。

 ドアの前で固まったり、ドアから入ったところで銃を構えたりしてはいけない。

 チームで行動しているなら後続の邪魔になるし、そもそも室内に居る敵が反撃する場合、まずドアの方向を狙うからだ。

 まぁ遮蔽といっても、建物の内壁は姿が隠せても銃弾を貫通させてしまうソフトカバーにしかならない場合が多いので、その点は注意しなければならないが。

 

「了解です」

 

 ファルナの短い返事を受け、俺はタイミングを計る。

 俺はドアの左側、ファルナは右側に立つ。

 俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)を右に構えるし、ファルナは左のクローアームでサンダラーを保持するので、遮蔽物の陰から射撃を行う場合はこのポジションがやりやすいのだ。

 とにかく敵に対し身をさらさないこと。

 

 状況によっては右利きでも左構えに切り替えた方が良いが、火打石発火(フリントロック)式の銃器では点火薬を込めた手元、右側面にある火皿からも火花が噴き出す。

 火皿を顔から離して構える短銃ならともかく、肩に銃床(ストック)を当てて抱え込んで撃つ長銃、そして擲弾発射器(グレネードランチャー)ではこの発射時の火花を至近から顔面に浴びることになるため状況に合わせて左構えに切り替えるということはできなかった。

 

(ファルナ、クロックアップ)

(レディ)

 

 ファルナの支援により意識を加速。

 同時に素早く扉を開け放つ。



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38 一瞬の死闘

 調度の整えられた部屋の中で、まず認識されたのはソファーに腰かけた黄金の髪の野性的な顔立ちの男。

 ナイトウォーカーだ。

 その表情に浮かんでいるのは驚愕だった。

 相手も真っ昼間から警備された建物内でいきなり襲撃を受けるなど予測もしていなかったのだろう。不意を突くことができていた。

 

 だが一瞬の硬直の後、素早く反応して懐の短銃を抜くのはさすがだった。

 驚異的な反射速度だ。

 確実に魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋を身体に刻み反射神経を加速させているのが分かったが、それだけではない。

 ナイトウォーカーの抜き撃ちは不意を打ってもなお、俺のスピードに迫っていた。

 瞬きするほども無い紙一重の違い。

 それでもナイトウォーカーは銃を構えて見せた。

 

 実用上最速と言われるBランクの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の呪紋の効果、それにナイトウォーカーのずば抜けた身体能力が掛け合わされているが故の速さか!

 霊的経路(チャンネル)を通じて共有したファルナの視界に、脅威に対する警告が赤く点滅した。

 総毛立つような戦慄を俺は気力でねじ伏せる。

 

 わずかな、本当にわずかな差で俺の隣で頼もしい銃声が先に吠えた。

 ファルナの魔導銃サンダラーの咆哮だった。

 彼女の素早さはAランクの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)の持ち主をも凌駕する。

 

 サンダラーから放たれたのは通常の雷撃(ライトニングボルト)ではない。

 威力を最大に上げた雷光放電(ライトニングプラズマ)だ。

 感電の効果がナイトウォーカーの動きを止める。

 

「もらった!」

 

 これで終わらせる。

 引き金(トリガー)を絞り終えると同時に火打石が火打金を叩く。

 痛烈な反動と共に弾頭に装填されていた多数の鉛製の矢弾がナイトウォーカーに襲い掛かる。

 

 擲弾発射器(グレネードランチャー)を撃つとき、強烈な反動と共に感じる力の行使に伴うこの解放感。

 日常生活では味わうことのない、否定できないこの興奮を何と呼べばいいのか。

 

 そしてアルベルタから仕入れていた特殊弾頭、フレシェット弾がナイトウォーカーの心臓を中心にズタズタに引き裂いた。

 人体に使うには、あまりに過剰な攻撃力を持った弾頭だった。

 まぁ、威力が強ければ強いほど撃たれた方は苦しまずに死ねるんだから逆に人道的だとも言えるが。

 

 最後の力で引き金(トリガー)を絞ったのかナイトウォーカーの銃が跳ね上がり、銃弾が明後日の方向に吐き出された。

 

「これなら、いくら不死身でも生き返れまい」

 

 戦いはその熾烈さとは対照的に、あっけないほどの時間で決着がついた。

 互いの命を賭けた精神を削り合うような一瞬が過ぎた後、立っていられたのは俺たちだった。

 だが、勝敗を決めたのはほんのわずかな差でしかなかった。

 

 俺はファルナとの接続を解除。

 意識の変成が急に元に戻る感覚に、貧血にも似た眩暈を覚える。

 俺は壁に身体を預けることで倒れ込みそうになるのを何とかこらえた。

 

「マスター……」

 

 ファルナは俺の様子を心配そうに気遣うが、それでも周囲への警戒を怠らなかった。

 俺が動けない間は彼女だけが頼りだからな。

 当然の対応だ。

 そして数秒後、俺は何とか動けるまで回復した。

 

「人狼か吸血鬼だったのでしょうか?」

 

 ファルナは倒れたままのナイトウォーカーを見てつぶやく。

 真っ昼間からの予想外の襲撃という不意打ちを仕掛けていなかったら、倒されていたのは俺たちの方だったかもしれない。

 室内戦闘ではスピード、奇襲、勇敢な攻撃の三大原則が戦いを制する。

 相手に考えさせる隙を与えず常に先手を取ること、誰であろうと抵抗させる間を与えず制圧することが大事なのだ。

 

「地獄でまた会おうぜ」

 

 やつの遺体にそう声をかける。

 別段、ナイトウォーカーに恨みを持っていた訳でも無いし、殺人鬼だから死んで当然とも思わない。

 こいつと比べて自分がマシとも思わない。

 どんな大悪人と比べたところで、それで自分の正しさが証明される訳じゃないからだ。

 それは例え一度も手を汚さぬ人間だったとしても同じことだった。

 

 俺は秘書室の中から内鍵をかけると、クサビ代わりに大振りのナイフを打ち込んだ。

 これで万が一鍵を開けられたとしてもしばらくは持つ。

 いくらここが騒がしい工房だとはいえ発砲音は誤魔化し切れないだろう。

 時間が無い。

 

 擲弾発射器(グレネードランチャー)を収めて懐からバックアップ用の護身銃を抜いた。

 銃に弾を込め直している暇すら今は惜しかった。

 続く扉は南側の奥に一つ、重厚な物があった。

 

「そこだな。次も扉を開け放って壁を遮蔽に不意打ちでいいか?」

「はい、分かりました」

 

 ファルナはサンダラーを構える。

 最大の脅威、ナイトウォーカーを排除することができたため、今度はファルナとの接続による意識の加速は行わない。

 あれは多用できる手では無い。

 使いすぎると現実に帰ってこれなくなる危険があるのだ。

 

 扉を開け放つ。

 豪奢な内装の部屋に王者のように椅子に腰かけている男。

 フォックスの用意した資料で見た顔、オドネルが居た。

 

「何だ貴様ら、就業時間中にノックもせず……」

 

 銃を持った俺たちに気付いたのか、言葉を途切れさせる。

 俺は軽く笑顔で牽制した。

 

「こんな所へハイキングに来るやつがいると思うか? 弁当も持ってきてないぜ」

 

 しかしやつは俺たちに銃口を向けられてもなお、怯える様子もなく出迎えた。

 

「ほう、ここまでたどり着いたということは警備をかいくぐった上で、あのナイトウォーカーを退けたというのか。若いが、かなりの腕前のようだな」

 

 感心したように言う。

 上品(ノーブル)話し方(アクセント)だが、どこか酷薄さを感じさせる声だった。

 

「私の部下にならないか? 金なら望むだけ出そう。金には金、力には力。私はそれをアッバーテの手先のマフィアどもから学んだよ。君たちにも悪い話ではあるまい」

 

 オドネルの身に染みついた価値観が、露骨に現れた物言いだった。

 不正な手段により利益をかすめ取ることを覚えてしまった者は、中々それを止めることができない。

 悪銭身につかずと言うが、実際にはこの男のように身についてしまうから厄介なのだ。

 

 俺はオドネルの誘いを突っぱねた。

 

「金や力のためだけに生きるような単純な人生は歩んでないんでね。悪いが他を当たってくれないか」

 

 そしてファルナが、俺の隣で凛とした声を上げる。

 

「昔の偉い人は言ったそうですわ。もっとも良い復讐の方法は自分まで同じ行為をしないことだと」

 

 そういえば従姉さんは昔の人物の格言に詳しいところがあった。

 そして実際問題、汚い手に汚い手で対抗するのはお勧めできない。

 勝ち負けもへったくれもない泥仕合になるのが落ちだからだ。

 

 サンダラーで武装し複数の敵も一発で薙ぎ倒せるファルナを前衛(ポイント・マン)に、護身銃を構えた俺を後衛(バックアップ・マン)に配したツーマン・セルで室内に足を踏み入れる。

 待ち伏せが無いことを素早く確認(クリアリング)

 

 オドネルは警備に連絡する素振りが無い。

 不死身だというナイトウォーカーに絶対の自信を持っているのか。

 

「ナイトウォーカーには心臓に止めを刺した。助けを期待しても無駄だぞ」

「心臓に止めだと?」

 

 面白いことを聞いたとでもいうようにオドネルは嗤う。

 

「それだけか?」

「なに…… っ!?」

 

 不意に総毛だつような悪寒が走った。

 この魂まで凍らせるような、死そのものの気配は!

 

「ファルナ!」

 

 もどかしくも警告を発するが、わずかに間に合わない。

 ファルナの身体が何者かに背後から掴み上げられた。

 

「あうっ!」

 

 ファルナの腕からサンダラーが落ち床に転がる。

 音もなく彼女の背後に忍び寄った者の正体は!



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39 不死身の人狼

「ナイトウォーカー!」

 

 美形なだけに口の端を上げて見せる表情には凄みがあった。

 

「すみませんね、私としたことがノックするのを忘れました」

 

 すまし顔で言ってのけるナイトウォーカーに、俺は首を振って見せる。

 

「お互いそんなことを気にする柄じゃああるまい? 先におくつろぎのところをノックも無しにお邪魔したのは俺たちの方だしな」

 

 そう軽口を叩いて見せるが状況は悪い。

 護身銃を握る手に緊張でじとりと汗をかく。

 それでも格子状の滑り止めが彫られた紫檀(ローズウッド)製の握り(カスタムグリップ)は、小ぶりながらぴったりと手の内でなじんでくれたが、しかし……

 ナイトウォーカーは俺の内心の焦りを見透かしたように余裕の表情で答える。

 

「いえいえ、私たちは傭兵でしょう? 仕事(ビズ)を受けたら休暇は無し。早出、残業は無制限。スト権も無し。ついでに言えば徹夜(オーバーナイト)もありありですからね」

 

 二十四時間常在戦場か。

 さすがは元英雄、心構えからして違うもんだ。

 

 そして不意に変化が始まる。

 ナイトウォーカーの精悍な顔が、わずかな内に形を変え牙を生やした狼のものになる。

 心臓の傷が盛り上がり、先ほど撃ち込まれた矢弾を吐き出した。

 綺麗に痕が消える。

 ファルナを捕まえた腕にも、いや全身に金色の体毛が生えた。

 

「心臓に止めを刺した?」

 

 あざ笑うオドネル。

 

「そんなものでは、彼は死なない!」

 

 人型の金狼、それがナイトウォーカーの正体だった。

 

「うおおおっ!」

 

 恐怖を払うかのように俺は叫ぶ。

 サイトを使わず訓練された感覚のみで構えた護身銃を至近距離からナイトウォーカーの腹部、今度は肝臓に目掛けて撃ち込んだ。

 短銃身の小型銃だから胴体に当てるだけでは駄目で、撃つなら急所を狙う必要があるのだ。

 下手な個所を狙うと反撃を受ける恐れがある。

 

 肝臓は撃たれたら激痛でまず動けなくなり、更に多量の出血により死に至る部位だった。

 普通の相手なら確実に葬っているはずの手ごたえ。

 しかし、

 

「妙な弾丸を使うものですね」

 

 それでもナイトウォーカーは倒れない。

 小さく身体が揺れただけだ。

 その身体から俺が撃ち込んだ弾丸が床に落ち、転がった。

 

 弾頭は見事にひしゃげている。

 潰れることで銃弾の持つ運動エネルギーを撃たれた者の体内で開放し、大ダメージを与えるミスリル・チップ。

 (アルコール)(ドラッグ)で痛覚が麻痺している犯罪者相手でも確実に仕留めることのできる弾丸だったが。

 

 だが、変身した人狼の強靱な肉体はそれすら瞬時に癒すのか。

 至近からの銃撃を受けたというのにナイトウォーカーは口元すら歪めない。

 この鋼のような強さはどこから来るのか?

 そんな思いに駆られるほど、その姿は異様だった。

 

 逆にナイトウォーカーの腕の一振りで俺は吹き飛ばされた。

 人外の怪力。

 

「ぐはっ!」

 

 部屋の端まで派手に飛んで、ようやく止まる。

 

「マスター!」

 

 ファルナが悲鳴交じりに俺を案じる。

 

「服に仕込んだ防刃板があったから大丈夫だ。万が一の備えはしておくもんだな」

 

 そう言って彼女を安心させようとするが、上手く行ったかどうか。

 ダメージが酷く俺は仰向けに倒れたまま、すぐには立ち上がることができない。

 確実に相手の命を削り取ってゆくような、容赦のない一撃だった。

 痛みに顔が歪むのが分かった。

 

 このままでは負ける。

 この場合の敗北は俺たちの死を意味する。

 

「凄いパンチだな。あんた、傭兵なんてヤクザな商売は止めて拳闘士にでもなったらどうだ?」

 

 それでも何とか減らず口を叩いて見せる。

 ピンチな時ほど強がって見せるのが俺の流儀だ。

 ナイトウォーカーは少し驚いた様子だった。

 

「この期に及んでそんな口が利けるとは、やはりタフな人ですね。あんな大砲を抱えながら非殺傷の弾を使う生ぬるい男かと思ったが、先ほどの襲撃は素晴らしかった。よもや心臓を蜂の巣にされるとは思いませんでしたよ」

 

 ナイトウォーカーは楽しげに言った。

 

「便利だろ。通販で買ったんだ」

 

 俺は回復のための時間稼ぎに軽口を叩いてみるが、やつは笑って受け流すだけだった。

 

「もっとも私を殺し切るには不足でしたがね。切り札は最後まで取って置くものですよ」

 

 そう言って牙をむき出す。

 やつにしてみれば結末が気に入らなければ何度でもひっくり返せるゲームの盤みたいなもんなんだろう。

 反則だぜこいつぁ。

 勝負になりゃしない。

 

「バカバカしい。スリルを、死を感じたけりゃ、一人で身投げでも何でもすりゃいいんだ」

 

 付き合いきれないと俺が顔をしかめると、やつは鼻で笑った。

 

「そういう訳には行かないのですよ。ただ自殺するだけなんて嫌なんです。もっと、もっと私は戦いたい。戦って、戦い抜いて、死中に在る生を感じたい。そうすることでしか私は自分の命を、生きがいを感じることができないのですから」

 

 戦いの果てに痛み(ペイン)を失ったやつには、そうすることでしか自分の生を認識することができないのだろう。

 

「止めることも考えましたが無理でした。他になんのスリルも喜びもなかったんですから」

「スリルのために人を殺すな」

「私は人の生と死をこの手で感じたかった」

 

 そう言って、ナイトウォーカーは嫌味なほどさわやかに笑って見せる。

 

「世界から人が多少減ったからといって、どうだというのですか?」

 

 それはまぎれもないやつの本音なんだろう。

 生きていることを確かめるためにやつは戦い続ける。

 

「ファルナを…… 放せ」

 

 絞り出すように呻く俺に、ナイトウォーカーは嗤った。

 

「女性のピンチを救う騎士(ナイト)にでも、なったつもりですか?」

 

 俺は立ち上がろうと、あがきながら答える。

 

「彼女が望むなら、騎士(ナイト)だろうと道化だろうと何にでもなる。生憎白馬は風邪気味で、その分は我慢してもらわなければならないがな」

 

 それは俺の本心だった。

 

「だったら屍になることも厭わないというわけですか」

 

 ナイトウォーカーは面白そうに言う。

 その瞳は殺したくて仕方が無いとでもいうような光を宿していた。

 

「残念、俺はそう簡単には死なない主義でね」

 

 俺は喘ぎながらもそう答える。

 この状況でもなお、俺は死ぬ気はなかった。

 あきらめない内は決して終わりではないのだ。



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40 信じるということ

 オドネルはナイトウォーカーについて語る。

 

「彼こそ不死身の絶対的強者、人狼だ」

 

 そして傲岸に宣言する。

 

「彼と手を結んだ私に恐れるものなど何もない! 彼の力と新式銃の技術さえあればアボット・アンド・マコーリーの背後に居るアッバーテ商会はおろか帝国、いや世界ですら手にすることができるだろう」

 

 その顔は狂気に歪んでいた。

 

「夢かと思って笑うかね? 構わんよ。人は己の理解できないことを嘲笑するものだからな」

「よう、かっこいいぜ演説屋!」

 

 俺は何とか立ち上がりながら混ぜっ返す。

 力が思うように入らず膝が笑いそうになるが、それでも強がって見せた。

 死体置き場(モルグ)昼寝(シエスタ)を決め込むにはまだ早過ぎる。

 

「次は自作詩(ポエム)の朗読辺りが似合ってるぜ」

「何?」

 

 俺をにらむオドネルに言ってやる。

 

「くどくどと、うざったいんだよ。そうやって言い訳をするのは、自分に自信が無いからじゃないのか?」

 

 この、口を開くたびに己の底の浅さを晒していることに気付いていない様子の男は。

 

「人を見下して、自分が上だって言い聞かせていないと安心できないんだろ? 本当のあんたは、ただの臆病者だ」

 

 オドネルの表情が醜悪にひん曲がる。

 

「強がりを! よしっ、この妖精の手足をもいでやれ。自分の立場というものを分からせてやるのだ!」

「下種が!」

 

 瞬間的な強い怒りが俺の身体を突き動かした。

 右のパンチを牽制に、左の鉛入りグローブをナイトウォーカーに叩き込む。

 しかし、

 

「見え見えだっ!」

 

 ナイトウォーカーは片手で俺の左拳を受け止めていた。

 

「何か仕込んでいるようだが……」

 

 その鋭い爪が革のグローブに食い込む。

 

「その程度の牙では人狼は倒せない!」

 

 ナイトウォーカーの前蹴りが腹部に叩き込まれる。

 グローブはずたずたに引き裂かれ、俺は再び弾き飛ばされた。

 今度は隣にあった書庫らしき部屋まで転がった。

 

 ちっ、今のでアバラを何本か持って行かれたか。

 内蔵も傷つけたらしく、咳込むと鈍い痛みと共に血塊が吐き出された。

 オドネルは笑う。

 

「グハハハハ、思い知ったか若造。自分の力が通用しない相手というものを。勇気や努力でどうにかなることと、ならないことが分からん馬鹿から先に倒れていくものだよ」

 

 しかし、

 

「それでも私はマスターを信じますわ」

 

 ファルナの凛とした声。

 その物言いにオドネル、そしてナイトウォーカーは鼻白んだ様子だった。

 

「……分かりませんね。なぜそんな迷わない瞳をしていられるのです? 策があるのですか、目論みがあるのですか、それとも見た目どおりのただの人形なのか?」

 

 ファルナの迷いのない言動に、ナイトウォーカーは眼をすがめて問う。

 

「マスターは自信家なのです。だから言葉に遠慮がありませんし態度も大きい」

 

 ファルナが言い返すのが聞こえる。

 彼女が注意を惹きつけている隙に、俺はよろめく手足を叱咤して書庫でやつを倒すための算段をする。

 血反吐をはきながら擲弾発射器(グレネードランチャー)と護身銃に再装填。

 最後のフレシェット弾の弾頭から矢弾を引き抜き、室内にあった材料で特製の弾頭を準備した。

 

「でも絶対に嘘はつかない。信頼できるのです。マスターがあきらめたと言わない限り、そこにはまだ可能性が残されています」

 

 我ながらよくここまで信用されているものだと思う。

 この期待には応えねばなるまい。

 だがナイトウォーカーはファルナの言葉を否定した。

 

「自信家ね。……妖精のお嬢さん、自信はいつか崩れるものですよ。必ずね」

 

 ナイトウォーカーの口調の陰に見え隠れするのは確信か。

 

「裏切られないという確証はどこから来るんです?」

 

 ナイトウォーカーはファルナの言葉を虚言と断じる。

 

「一生自信たっぷりに生きていけるのは、奇跡のような幸運の持ち主かよほど鈍いか。そうでなければいずれ気付きます。自分が抱いている自信になんて、何の根拠もないってことに」

 

 その言葉にはナイトウォーカーがたどってきた人生の重みが感じられた。

 不死身の存在が語る、真実の重みが。

 しかしファルナはあっさりと言い切った。

 

「それは、あなた自身の話でしょう?」

 

 ファルナは興味なさげに言い捨てる。

 

「そんなものを私に告白されても困りますわ。ひねくれ者の人生相談なんかに構っている暇などありませんから」

 

 俺は鈍く疼く痛みも忘れて吹き出した。

 声を上げて笑ってしまう。

 

 彼女の言うとおり、この人狼は自信……

 自分自身の価値や正しさを痛みと共に見失ってしまったのだ。

 だから魔導大戦の英雄、金色の守護者はただの人殺しに堕ちた。

 

「貴様ら……」

 

 ナイトウォーカーの声色が変わる。

 しかし、

 

「否定できないんだろ?」

 

 俺は声を振り絞って言ってやる。

 

「生きている実感が無い? 当り前だ。俺たちを上手く使おうとしたように他人を利用しているだけの生活に充実もクソもあるわけないだろ。自分自身では何もしていないっていうのに」

 

 ファルナが話を引き延ばしてくれている内に、戦う準備は整っていた。

 

「あんたが他者を傷つけずにいられないのは、そうしないと自分というものが保てないからだ。自分の方が強いんだ、上の存在なんだと常に言い聞かせていないと自分の存在に自信が持てないからだ」

 

 そういう意味ではナイトウォーカーとオドネルは似た者同士と言えるかも知れない。

 

「そんな、自分の弱さを認める勇気を持たないやつに、俺とファルナが負ける道理がない」

 

 足を踏ん張り、再び立ち上がる。

 生きるということは今を足場に立つことだ。

 過去を顧みるのもまた大切だし、未来へのヴィジョンだって無いよりはあったほうがいい。

 だが今、この瞬間に在るべき確かな自分と言うものが無ければ、そんなことを考えた所で意味はない。

 今に全力を尽くすから未来が拓ける。

 誰にでもできることだと俺は思う。



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41 最後の適合者(マスター)

「次が最後の一撃だ。擲弾発射器(グレネードランチャー)のでか過ぎる反動に、もう身体が耐えられない。最悪、命を落とすかもな」

 

 ごまかしは効かなかった。

 本の日焼けを防ぐためにカーテンによって日光が遮られた書庫の中にあっても、俺が手のひらに受けた血糊の赤ははっきりと浮かび上がっていた。

 咳込むと、更に痛みと共に血を吐く。

 

「分かりませんね。人形相手にどうしてそこまで必死になれるんです?」

 

 ナイトウォーカーは呆れたように言う。

 

「ファルナは従姉さんが、俺の大事な人が遺してくれた大切な……」

 

 そう言いかけ首を振る。

 過去、従姉さんを失った時に味わった喪失感。

 そして怖れ。

 そいつは俺の心に刻みつけられた傷痕だった。

 

 しかしな、だからと言っていつまでも過去に怯えて生きる訳には行かないのさ。

 

「いいや違うな。それだけじゃない。いつも一番近くに居て、誰よりも俺のことを想ってくれる。そんな相手を守りたいと思うのに理由が要るか?」

 

 いつまでも過去に負けているなんて冗談じゃない。

 忘れてもらっちゃ困る。

 

 今は俺がファルナのマスターだ!

 

「俺はファルナを守る。堕ちた英雄が立ちはだかるというのなら、英雄殺しを果たしてでも守り抜いて見せる。それが愛しているということだ」

 

 好きなものは好きと言えるのは勇気だと俺は思っている。

 それこそつまらない世間体だの意地だのは捨てて素直でいられるのは勇気だろう。

 

「マスター……」

 

 ファルナは感極まったように瞳を潤ませて俺を見つめた。

 彼女には酷く長い間待ってもらった。

 そんな気がする。

 

「それが、あなたの愛ということですか」

 

 ナイトウォーカーは呆れたように言う。

 

「しかし、これ以上どうすると言うのです? あなたの妖精は我が手にあり、最後の牙も折られた。あなたにはもう何も残っていない。幕の引き時ということです」

 

 単なる事実を告げるだけの口調。

 だが、

 

「残っていない? いいや、幕引きはこれからさ。あんたのフィナーレを飾ってやらなきゃな」

 

 要るのは奇跡か?

 なら起こしてやるさ。

 俺はグローブから解放され、露わになった左拳を見せつけながら言った。

 

「魔装妖精が信じてくれている限り、そして俺が魔装妖精を信じている限り、俺たちに不可能はない」

 

 俺の拳に輝く呪紋!

 

「まさか…… 受容器(レセプター)!?」

 

 ナイトウォーカーが驚くのも無理はない。

 適合者の身体に印を打ち人工精霊石と契約を交わす技は失われたはずだった。

 従姉さんに近しい魂の持ち主として予備登録されていたものの、幼さから魔導大戦への参加が見送られた……

 そう、俺がおそらく最後の適合者だった。

 

 ナイトウォーカーの手の内にあるファルナがこらえきれないと言うように澄んだ笑いを響かせた。

 

「私は最初から所有者(オーナー)ではなく、適合者(マスター)と呼んでいましたよ」

 

 俺は力ある言葉(コマンド・ワード)を言い放つ。

 

最終融合(メガ・フュージョン)!」

 

 ファルナの身体が爆発したように輝きを放ち、ナイトウォーカーを弾き飛ばす。

 肉眼でも見えるほど膨大な精霊力が周囲から集まってきた。

 

「我が同胞たちよ。マスターに勝利の約束を!」

 

 ファルナは集う精霊たちを受け入れる。

 魔装妖精のコアとなっている人工精霊石は適合者と精神融合を果たすことで戦略級の力を扱うことができる。

 適合者の精神を制御式に、人工精霊石に降ろした膨大な精霊力に指向性を与えてやるのだ。

 身体が拡張されたような感覚と、巨大な力を手にした万能感が俺を包む。

 だが、その負荷は適合者にすら精神崩壊を頻発させたほどのものなのだが。

 

(大きな欠落を抱えているのね……)

 

「従姉さん……」

 

 俺はファルナの中に在る従姉さんの気配を感じる。

 融合中に死亡した従姉さんの魂は、今なお色濃くファルナの中に残っている。

 

(今ここにこうして在ること。それ自体が、あなたにはこんなにも辛いことなのね)

 

 ひどく優しいものに包まれる感覚。

 

(その欠けた心を満たしてあげたい。好きよ、スレイアード。あなたを愛しているわ)

 

 その暖かな優しさが、俺を融合の重圧から守ってくれる。

 しかし従姉さんのことを引きずったままの俺だったら、溺れてそのまま飲まれてしまっただろう。

 感覚を繋ぐだけでも深刻なレベルで影響と反動を受けるくらいだ。

 完全に融合を果たしてしまったら、自分が自分でなくなってしまう恐れは常にあった。

 

 ナイトウォーカーのように、生を感じるために戦い、殺し続ける存在に俺もなってしまうかも知れない。

 やつは「もしかしたらこうなってしまうかも知れない」俺自身の未来の可能性だった。

 だからこそ嫌悪し、否定した。

 その裏にあったのは怖れ……

 

 だが今の俺は違う。

 現実を見つめること、乗り越えること。

 自分に出来ることから目を逸らさないこと、心を偽らないこと。

 それができたからこそ取れる手段だった。

 

「それならばっ! 融合前に適合者を片付ければ!」

 

 疾風のようにナイトウォーカーが俺に飛びかかってきた。

 Bランクの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)が獣人化しても生きているのか、それとも生来の能力だけでそれだけのスピードを生み出せるのか。

 その拳が唸りを上げるが、俺がファルナに命じる方が先だった。

 

「ファルナ、アクション!」

 

 岩に鉄槌を叩き付けたかのような轟音!

 そしてナイトウォーカーの拳がぴたりと止まった。

 

 それを受け止めたのは、俺とナイトウォーカーの間に割り込んだファルナの魔術障壁(シールド)だった。

 彼女が突き出した左の手のひらを中心に、展開された魔法陣が半透明に輝きゆっくりと回転している。

 

 精神融合によって俺と感覚を共有したファルナが、涼しい顔をしてナイトウォーカーに問う。

 

「その程度の牙で、魔装妖精が倒せるとでも?」

 

 先ほどと攻守は正に所を変えた。

 違うのはファルナに装備された悪魔型魔装妖精の大型クローがナイトウォーカーの拳の中指を握り、押すことも退くこともかなわなくしていることだった。

 

「痺れますね。妖精とはいえさすが女性、強烈な殺し文句です」

 

 ナイトウォーカーは破顔した。

 

「これが適合者を持つ魔装妖精ということですか」

 

 一転して、牙をむき出し闘争心を露わにする。

 それは獲物を前にした獣の形相だった。

 ファルナと、その背後に居る俺をにらみつける。

 常人なら、その視線だけで心の臓を凍り付かせていただろう。

 生物の本能に直接作用するような凄みがあった。

 

 しかしファルナと精神融合を果たした俺には通用しない。

 相手の目をしっかりと見返して言い放つ。

 

「あんたの休める場所はもう地獄だけだぜ」



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42 適合者を持った魔装妖精の力

 ナイトウォーカーは挑発するように笑った。

 

「人狼を斃すには銀の武器で重要器官を再生不可能なまでに破壊するか、それこそ一撃で存在を消滅させるほどの強力な魔術を行使するぐらいしか通じない」

 

 ナイトウォーカーが敢えて自らの滅ぼし方を口にして見せるのは、そんな真似はできないだろうという自信があるからか?

 いや、この男は愉しみたいのだ。

 生死を賭けた戦いというものを。

 

「当然、そんな大魔術を構築する時間を与えてやるつもりなどありませんよ」

 

 不敵に挑みかかるナイトウォーカーの言葉に、俺はファルナへ命じる。

 

「イッツ・ショウタイム! ファルナ、ファイヤークリスタルに接続だ。焼き切ってやれ」

 

 挑戦には実力で対処する。

 俺たちは一つだ。

 やつの力に怯むことなど、ファルナが許しても俺自身が許さない。

 

「イエス、マスター」

 

 ファルナは確かな声で答え、俺の指示を実行する。

 ファルナの左手のクローアームの手のひらには小粒だが良質の炎の精霊力を発揮させる結晶、ファイヤークリスタルが埋め込まれていた。

 

「剛腕爆砕、紅蓮掌!」

 

 爆発的な炎が上がる。

 精霊力を魔術として構築してから放つのではなく義体から直接放出させる。

 秀真国の式神(シキガミ)傀儡(クグツ)の術の流れをくむ大技だ。

 絶叫を上げナイトウォーカーが飛びずさる。

 

 桁外れもいいところのパワーに空間が揺らいで見えた。

 膨大な精霊力を行使しその力は戦場の地形すら変えるという戦略級魔装妖精であるファルナに、悪魔型の異名を持つ最強の駆逐魔装妖精、炎帝(イフリート)の左手。

 俺はとんでもないものを組み合わせてしまったのかも知れない。

 

 だがしかし、俺の口から洩れたのは感嘆の声だった。

 

「驚いたな。ファルナの紅蓮掌をかわすやつが居るとはな」

 

 本当なら全身炎に包まれているところだったが、やつは捩じ切られた中指一本を犠牲にして逃れきっていた。

 

「でも、それももう居なくなりますわ」

 

 単なる事実を告げただけ、といったファルナの言葉。

 そのとおり。

 勝負がついた時、この場に立っているのは俺たちだけだ。

 傷口を押さえるナイトウォーカーに向かって言い放つ。

 

勝負(コール)だナイトウォーカー、最後の晩餐は無理でも、神様に祈る時間ぐらいは待ってやるぜ」

 

 時間稼ぎのため、そう言ってやる。

 普段どおりのファルナの武装では倒し切るのが難しいからだ。

 

「ふふ、気が利いていますね」

 

 返事をするナイトウォーカー。

 

 ……かかった!

 

 やつはこちらに時間を与えず畳み込むべきだったのだ。

 この選択が、勝負の天秤を俺たちの方に傾けさせる。

 不死身ゆえに死に鈍感なのがお前の弱点だ。

 

「死んでいく者には誰だって憐れみを感じるものさ」

 

 そう言いながら俺はポケットからファルナの身の丈を超える、魔装妖精が扱うものとしては長大な太刀……

 秀真国に伝わる片刃剣を取り出した。

 

「ははは、死ぬのはどちらでしょうね?」

 

 ナイトウォーカーは笑って見せる。

 にらみ合う俺たちをよそに、ファルナは俺に向かって左の手のひらを差し出した。

 

「私に紅蓮剣を」

 

 俺はその言葉に従い、太刀を渡してやる。

 鞘からするりと抜かれる刃。

 

「ブレード・コネクト!」

 

 ファイヤークリスタルの力が握りしめられた柄を通して希少金属、ヒヒイロカネの刀身を赤熱させる。

 

「伝説にある多頭竜(ヒドラ)は無限再生する頭を持っていましたが、傷口を焼かれることで再生力を奪われました」

 

 周囲の大気に揺らぎを生じさせるほどの高熱を放つ紅蓮剣を構え、ファルナは問う。

 

「再生能力を持つと言う人狼。しかし、この紅蓮剣でその身を焼き切られてもまだ不死身と言えますか?」

「悪魔め……」

 

 毒づくナイトウォーカーに、俺は笑った。

 

「そいつは褒め言葉だな。悪魔の方が天使よりも美しい。そうでなけりゃ悪魔に誘惑されるやつなんて居ないからな」

 

 魔装妖精(ファルナ)の持つ美しさは、それほどのものだと俺は思う。

 彼女に比べれば宝石などただの石ころに過ぎない。

 

「知らないようだから教えてやる。適合者と精神融合を果たした魔装妖精が扱える精霊力は、その時の適合者の精神力に比例するんだ」

 

 紅蓮剣の刀身の温度が上昇して行き、色が真紅から暗いオレンジ色になり黄色みを帯びた白へ。

 

「今日は最高に乗ってるんだ、隕石だって気合で割って見せるぜ」

 

 さらに青みがかった白に近くなる。

 沸き上がるのは強大な力を自在に操れるという快絶な感覚。

 はち切れんばかりにみなぎる力。

 

「どうだ。この勝負、一丁賭けてみるか? あんたが勝ったら大陸横断旅行とやらに招待してやるぜ」

 

 しかしナイトウォーカーは、俺の挑発に笑って見せた。

 

「このまま何も感じずに四十年生きるのか。それとも十年か? 長過ぎます。 私には、私であることを感じられる一瞬の方がはるかに大事なのですよ」

 

 それがこの男の本音か。

 

 轟ッ!

 

 ナイトウォーカーは咆哮(ハウリング)を放つ。

 人とは声量が根本的に違うそれは、生ある者に原初的な恐怖を抱かせ身体をすくませる。

 野生の肉食獣の雄叫びは凄い、腹に響くというが、それ以上だった。

 空気が振動し、俺たちの身体をビリビリと震わせる。

 だがしかし!

 

「効きませんね!」

 

 俺と精神融合を果たしたファルナは小動一つしない。

 

「チィィッ!」

 

 舌打ちしつつ、なおも必殺の意志を秘めてナイトウォーカーは飛びかかってくる。

 人外の身体能力が生み出す致死の一撃。

 それをファルナの剣戟が迎え撃つ!

 

 一刀両断!

 

 ナイトウォーカーの身体が炎に包まれ、一撃のもとに切断される。

 

「言っただろう、今日は絶好調なのさ」

 

 先の魔導大戦のさ中でも見られなかっただろう、力と力、殺意と殺意の熾烈なぶつかり合いだった。

 しかし、

 

「グッ、ガアアアアァァァッ!」

「そっ、そんな……」

 

 ファルナが目を見張る。

 ナイトウォーカーは炎に焼かれながらも、しかし確かに身体を再生し始めていた。



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43 切り札

「やはり、か」

 

 俺は擲弾発射器(グレネードランチャー)を構えた。

 やつが立ち直る前に仕掛ける!

 

「退け!」

 

 俺はファルナが飛び退くのと同時に、まだ動けないでいるナイトウォーカーに向けて擲弾発射器(グレネードランチャー)を放つ。

 引き金(トリガー)を絞ると火打石が火打金を兼ねた火蓋を叩いて火花を散らした。

 それが火皿の火薬に引火して薬室の火薬を激発させるのだ。

 その爆発で擲弾発射器(グレネードランチャー)のカップに入れられた榴弾が撃ち出されると同時に、榴弾の底部にあった導火線(タイム・ヒューズ)に火が付く。

 強烈な反動に肩が軋み、傷ついていた身体に耐えがたい痛みが走った。

 

「なっ!」

 

 爆発にやつの身体が呑み込まれる。

 この距離で榴弾を使われるとは思わなかったろう。

 鉄片を周囲にばらまき広い殺傷範囲を持つ破片榴弾ではなく、火薬の爆発の力だけで攻撃する爆裂榴弾だからこそ効果の範囲が限られ、こちらも巻き込まれずに使えるのだ。

 その上、

 

「ぐああああっ!?」

 

 ナイトウォーカーの絶叫。

 使用したのは聖榴弾、爆発時に聖灰をぶちまける対不死仕様の特殊弾だ。

 不死身であっても、いや不死身だからこそ効く。

 以前、キトンから仕入れてもらった横流し品だったが、すぐ使うあてが無くてもまめに投資しとくもんだな。

 

 俺は更に懐から護身銃を抜いた。

 擲弾発射器(グレネードランチャー)の射撃に伴う反動で俺の身体はすでに限界を迎えていたが、そこは融合を果たしたファルナのアシストで強引に動かす。

 爆煙を割って倒れ込んでいるナイトウォーカーに駆け寄り、その耳から頭に護身銃を叩き込んだ。

 

 撃鉄(ハンマー)雷管(プライマー)を叩いて発火させ、その火花が火門を通じて発射薬に火を付け爆発させる。

 これがどんぐり型の銃弾を撃ち出すのだが、銃弾の底部はスカート状にくぼんでいてコルクのクサビが打ち込まれている。

 発射時の圧力でこのコルクが押し込まれることで銃弾が外側に膨張、銃身(バレル)に刻まれた螺旋状の溝(ライフリング)に押し付けられて回転する。

 この仕組みのお蔭で銃口から弾丸を込めるときには抵抗なく行え、発射時には銃身内の螺旋状の溝(ライフリング)に食い込みながら密着することができるわけだ。

 

 こうして回転を与えられた弾丸は高い安定性と直進性を持ち、普通の丸い弾丸をただ撃ち出すだけのマスケット銃とは比較にならないほどの命中精度を示す。

 

「がっ!」

 

 ナイトウォーカーは床に転がる。

 頭蓋骨が保護していない耳の穴からミスリル・チップで脳を破壊されては、さすがの人狼も無事では居られない。

 

「よくもっ……」

 

 それでも傷口を押さえながら、ナイトウォーカーは立ち上がろうとする。

 しかし、

 

「な? なにっ!」

 

 急に平衡感覚を失ったかのように、どさりと受け身もとれずにその場に倒れ伏す。

 

「な、何が起きている? こ、こんな馬鹿な! か、身体に力が……」

 

 ナイトウォーカーの身体が、がくがくと震える。

 

「身体に力が入らないっ!? た、立ち上がることができないっ!」

 

 必死に手を突き立ち上がろうとするが、かなわない。

 

「吐き気がするっ、眩暈までっ。ど、どういうことだ、この私が気分が悪いなど。この私が銃に撃たれたぐらいで立つことが…… 立つことができないなんて!」

「岩妖精が作った、ミスリル・チップと呼ばれる特別な弾丸のお蔭さ」

 

 擲弾発射器(グレネードランチャー)に再装填しながら、俺は種を明かす。

 

「違うのは材質だけじゃ無い。先端を窪ませた形状により命中すると体内で弾痕より大きくマッシュルーム状にひしゃげて内部を破壊する」

 

 普通のマスケット銃じゃあ使えない。

 銃身(バレル)螺旋状の溝(ライフリング)を掘って、どんぐり状の弾丸に回転を与えて直進させる、岩妖精の特製の銃だからこそ使える特殊弾頭だった。

 

「そいつを耳から頭蓋骨の中に突っ込まれたんだ。弾丸を外に吐き出すこともできず、脳の再生が邪魔されているのさ」

 

 腫瘍が脳を圧迫しているようなものだ。

 そのせいで脳の機能に不具合が生じている訳だ。

 

「こ、ろ…… して…… やる」

 

 呪いの言葉を吐きながら立ち上がろうともがくナイトウォーカーに、俺は歩み寄る。

 

「驚いたよ。紅蓮剣に焼かれ、聖榴弾を喰らい、ミスリル・チップを脳に受けてなお立ち上がろうとする化け物が居るとはな」

 

 そう告げて、ナイトウォーカーの左胸に擲弾発射器(グレネードランチャー)を押し当てた。

 もう、そうしないと当てる自信が無かったのだ。

 先ほどの一撃が正真正銘、擲弾発射器(グレネードランチャー)をまともに撃てる最後の攻撃だった。

 

「だが、もう居なくなる」

 

 震える指で必死に銃把を握る。

 引き金(トリガー)を絞る瞬間が酷く間延びして感じられた。

 

「何者だろうと撃ち貫くのみ!」

 

 発射。

 反動で肩とそれを支える腰の筋肉が断末魔の叫びに似た軋りを発するが、死ぬ気でこらえる。

 ゼロ距離から放たれたのは、

 

「ごはっ、こ、これは……」

「部屋にあった椅子の足から削り出した、白木の杭だ」

 

 それは不死者……

 吸血鬼に止めを刺す最も確実な方法だった。

 ナイトウォーカーは血と共にうめき声を吐く。

 

「ばか、な…… こんな、もので人狼が……」

真銀(ミスリル)の弾丸を撃ち込まれて、死なねぇ人狼なんざ居ねぇよ」

 

 俺はナイトウォーカーに告げてやる。

 

「吸血鬼撲滅戦の英雄、金色の守護者。あんたはとっくの昔に吸血症に感染していたんだよ」

 

 感染性の不死症という点では、人狼も吸血鬼も似たようなものだ。

 その上、生来の人狼としての不死身さを持っていたから気づかなかったのか。

 ナイトウォーカーが驚愕に眼を見開く。

 

「なる、ほど、痛みを感じられない訳…… とうの昔に死んでいた、とは」

 

 杭打ち機(パイルバンカー)として働かせた擲弾発射器(グレネードランチャー)に心臓を背中まで刺し通されて、ナイトウォーカーはようやくその呪われた生に終わりを告げた。

 

「切り札は最後まで残して置くもんだぜ」

 

 俺はナイトウォーカーにそう言ってやる。

 しかし、

 

「おおおぉぉぉぉっ!」

 

 最後の咆哮!

 ナイトウォーカーは消え去る寸前の力を振り絞り跳躍。

 とっさに避けた俺目掛け襲い掛かってくる。

 

「させません!」

 

 迎え撃つファルナが放つのは、幾条もの剣筋の乱舞。

 物理法則を無視したかのような速度で振るわれるそれは、すべてがほぼ同時に放ったとしか思えぬものだった。

 これがAランクをも越えるスピードを持つ彼女の技だ。

 

「この刃、断てぬものは無いと思いなさい」

 

 すれ違いざま、瞬時に八分割されるナイトウォーカーの身体。

 だがそれだけでは終わらない。

 炎の精霊の力が乗せられた剣は切り口を燃え立たせ、そして……

 

「弾けろ!」

 

 爆発させる!

 斬って燃えて爆発!

 

 不死身の人狼は、太刀を振り切ったファルナの背後で壮絶な最期を遂げた。

 

「感謝するんだな、ナイトウォーカー。やっと死ねたんだ」

 

 俺の口からそんなつぶやきが漏れた。

 思えば、彼が英雄という立場も省みず命を懸けた戦いを求めていたのは、死に場所を探してのことかも知れない。

 今となっては分からないことだが。

 

「ファルナ、融合解除(フュージョンアウト)

「了解です、マスター」

 

 精神融合を解く俺たち。

 名残惜しいが、従姉さんの魂を含有したファルナとの融合は長くは持たない。

 これ以上は俺の魂が戻ってこられなくなるのだ。

 それだけ、好きな人と魂の欠落を埋め合う行為は魅惑的なのだ。

 

 だが俺は食卓の向かいに誰かが居てくれる幸せも知っている。

 ファルナと一つになってしまってはその喜びを感じることもできなくなるからな。

 ナイトウォーカーはそれを知らなかったから、ただ一人で周囲の者を食らい尽くすしか無かったのだろう。

 大事な存在が自分の他に在ったか無かったか。

 それだけが奴と俺との違いなのかも知れない。



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44 命の配達(デリバリー)

 そしてその光景をオドネルは呆然と見つめていた。

 

「ナイトウォーカー? ……ナイトウォーカー! おい、答えろナイトウォーカー!」

「やつはもう休んでるぜ。口も利きたくないとさ」

 

 ナイトウォーカーに代わってオドネルに答えてやる。

 死者は安らぎの無へ、生者は現世(うつしよ)で苦労する。

 それが決まりだった。

 

「灰は灰に、塵は塵に、安らかにお眠りですわ」

 

 これはファルナの祈りの言葉。

 

「ばかな、ばかな、ばかな。こんな小さな妖精ごときにやつが倒されるなんて、嘘だ。不条理だ。でたらめだ」

 

 オドネルはうわ言のようにつぶやく。

 

「あなたには分からないでしょうね」

 

 ファルナは言う。

 

「あなたの求めた金や暴力とは違う、自分に打ち勝つという力を。土壇場でもなお、互いを信じて行動できる絆というものの強さを」

 

 元々、人間と魔装妖精の精神融合の成功率は適合者であってもゼロに近く、融合事故の危険性を常にはらんでいる。

 それをお互いの持つ信頼と想いの力で補い、成功へと導くのだ。

 

「あなたの求めた、かりそめの力なんて弱いだけ。そんな力より強いものを私はもう知っています」

 

 それは俺とファルナと従姉さんとの間につながる魂の絆。

 従姉さんが死んでもなお遺してくれた大切なものだった。

 

 そしてオドネルの首筋に鋭い太刀の刃先が突きつけられる。

 ファルナの紅蓮剣だ。

 

「ふ、ふひぃ」

 

 首筋に近付けられた刃の熱さに震えおののき、オドネルは情けないうめき声をあげて腰を抜かす。

 

「た、助けてくれぇ」

 

 自信の……

 いや、過信の源になっていたナイトウォーカーを目の前で斃されたためだろう。

 態度を一変させて降伏する。

 先ほどまでの傲慢な様子からは考えられぬほど情けない姿だった。

 

「今から詫びを入れても遅すぎるぜ」

 

 そう言って笑う俺に、オドネルの表情が絶望に染まる。

 それを見届けたファルナは、俺の肩に止まり耳元にそっとささやいた。

 

「お怪我は?」

 

 短いが、確かに自分を心配してくれるファルナの言葉。

 

「なぁに朝、出がけに赤まむしドリンクを飲んで来たからな」

 

 軽口の一つでも絞り出す。

 

「とっとと逃げ出すぞ。早いところドクの所で手当てを受けないと、死神に会えそうだ」

 

 歯をむき出して笑って見せた。

 

「応急処置だけでもしておいた方が……」

 

 俺の無理を見抜いているのだろう、ファルナは気づかわしげに言うが、

 

「ここじゃ駄目だ。早いところ逃げ出さないと警備に捕捉される」

 

 俺は強壮剤の瓶を取り出すと親指でコルクの栓を飛ばして飲む。

 各種薬草に蜂蜜と酒精(アルコール)を混ぜ込んだ速効性の薬だ。

 身体の芯がかっと熱くなり、残っていた痛みも何とか紛れた。

 

 少しだけでいいから何もかも忘れて休みたかったが、まだ仕事(ビズ)は終わっていない。

 俺はオドネルに命じた。

 

「さて、それじゃあ例の物を出してもらおうか」

 

 オドネルはおどおどと壁の金庫から例の黒い鞄を取り出す。

 

「まぁ、偽物を金庫に保管しているわけがないから、これで間違いないんだろうが」

 

 一応、中身を確かめ本物であることを確認する。

 そこに秘書室の方から扉を叩く音が聞こえる。

 

「お客様が来たようですわ。ドアの前で騒いでいます」

 

 ファルナが検知したように警備の者らしい。

 ただし工房から響く音もあるためか、明確に何があったかはつかんでいないようだ。

 もう一仕事必要かとため息をついた俺はオドネルに追い返せと命令しようとしたが……

 

「あら?」

 

 ファルナが気の抜けた声を上げる。

 廊下に居る警備員の声が不自然に途切れていた。

 そして、

 

「……ただ、春の夜の夢の如し」

 

 不意に響いたこの声は!

 俺は扉に打ち込んでいたナイフを抜き、内鍵を解除してドアを開けた。

 倒れ伏している警備員たちの上に在る、小さな黒影は、

 

「シズカさん?」

 

 ファルナの言うとおり、黒装束に身を包んだ隠密哨戒型魔装妖精シズカの姿がそこにあった。

 

「融合成功、おめでとうございますファルナさん。やはり主を、マスターを持ってこその私たち魔装妖精ですよね」

 

 彼女はうらやましそうにファルナと俺を見る。

 すべてを隠れて見ていたのか。

 

「殺ったのか?」

 

 倒れ込んでいる警備員たちを見て尋ねると、シズカは首を振った。

 

「血を流すと色々と不都合がありそうですから、春香の術で眠って頂いただけです」

 

 そいつは都合がいい。

 連中を部屋の中に引っ張り込んで転がして置く。

 

「お怪我をしていらっしゃいますね、診せて下さい」

 

 シズカは軍用魔装妖精らしく、医術と応急処置の技能(スキル)を持っていた。

 

「少しだけ、こらえて下さい」

 

 魔装妖精のコアになっている人工精霊石が持つ精霊力が、俺の身体にじんわりと浸透し、

 

「ぐっ!」

 

 身体に走る鋭い痛み。

 

「折れた肋骨を接ぎ直しました。無理は禁物ですが、命の危険は無いはずです」

 

 気遣わしそうに言うシズカに、俺は礼を言う。

 

「ああ、助かる。シズカ、命の配達(デリバリー)ありがとう」

 

 シズカは少しだけ目を見張ると、

 

「はいっ」

 

 満面の笑顔で答えてくれた。

 それを見たファルナが、

 

「何だか美味しいところばっかり、シズカさんに取られている気がします」

 

 と漏らしていたが。

 

 つまずいて倒れるだけで楽になれそうな状況から脱することができたんだ。

 素直に感謝してやってくれ。

 

「それじゃあ撤退だが…… おいおい、どこへ行こうって言うんだ?」

 

 そろそろと、その場から逃げ出そうとしていたオドネルを、俺は芝居気たっぷりに引き止める。

 オドネルは執務室の横手にある扉を開いた所だった。

 そこは豪華な家具が揃ったオドネルの私室だ。

 宿泊用の大きなベッドもある。

 

「監禁にはちょうど良い部屋だな。あんたには、俺たちが脱出するまでここで眠っていてもらおう」

 

 俺は床に落ちていたファルナの魔導銃、サンダラーを拾って彼女に渡した。

 

「そ、それで私を撃つつもりか」

 

 怯えるオドネルにファルナは微笑んだ。

 

「良い夢を」

 

 ファルナは十分加減した雷撃(ライトニングボルト)でオドネルの意識を刈り取った。

 

「それじゃあ、さっさとばっくれるぞ」

 

 ポケットにファルナを入れて来た経路を戻ることにする。

 シズカが警備員を黙らせてくれたお蔭で脱出するまでの時間は稼げるはずだった。

 

「俺の切り札を見て驚くな」

 

 部屋の窓からカーテンの隙間越しに、外を巡回する警備員を見てつぶやく。

 

「まだ切り札を残されていたのですか?」

 

 感心するシズカに言ってやる。

 

「切り札は何枚だって持つものさ。そして何枚持っているかを明かす必要はない」

 

 廊下の様子を確認して速やかに撤退する。

 

「そら、俺の逃げ足の素早さを見ろ」

「それが残っていた切り札ですか」

 

 ファルナが呆れ声でささやいた。

 本当の逃走用の切り札はというと、ここに潜入する前にゴミ捨て場に設置した時限発火装置がそうだった。

 万が一の時の陽動用に、俺は時間差で作動するそれをもう一つ仕掛けたのだ。

 今度のは唐辛子を主成分とし激しい咳、くしゃみ、涙などの症状を引き起こす催涙弾と組み合わせてある。

 この催涙弾は公安の特殊部隊でも専属のガス・マンを配して使用されているほど強力なものであり、より悪質だった。

 

 手札は二手三手先を考えて切って置くものだ。

 まぁ、無駄になったようで幸いだが。

 こうして俺たちは無事、脱出することができたのだった。



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45 結末、そして黒い裏話

 俺は荷馬車を約束の旧市街の廃墟となった倉庫に停める。

 マクドウェル商会の代理人、ジョエル氏が自ら護衛を連れて出迎えてくれた。

 

 オーダーメイドと一目でわかる上質なオーバーコートを着たジョエル氏が頭脳端子(ブレイン・ジャック)を刻んでいる他は完全な生身(ナチュラル)であるのに対して、護衛たちは一様にオーバーコートがはち切れそうな見事な体つきに、指先まで覆う手袋を身に着けていた。

 警護対象を守るための最高グレード、Aランクの皮膚硬化(ハード・スキン)に実用上最速のBランクの魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)

 限界一杯まで呪紋が刻まれた肉体を銃器と共に隠しているのが推測された。

 彼らに一対一の戦いを挑もうと考える馬鹿者はまず居ないだろう。

 (ドラッグ)(アルコール)で頭が逝かれてでもいない限り。

 

 そして護衛の他に居るのは技術系らしきスタッフたちだった。

 奪取してきた黒い鞄を俺が渡すとさっそく彼らが中身を確認し、ジョエル氏に間違いが無いことを報告する。

 ジョエル氏はとても満足そうにうなずいた。

 

「確かに、約束のものは受け取った」

 

 彼の指示で護衛の男の一人が袋に入れられた仕事料の残金、金貨三十枚を差し出す。

 俺はそれをそのまま受け取った。

 相手とは誠実な取引の実績がある。

 この場で金貨の枚数を確かめるなどといった無粋な真似をしなくても確実なビジネスができるのだった。

 ジョエル氏は仕事(ビズ)の代金を支払った上で言う。

 

「今後、君たちに賞金が懸けられるような動きがあれば、我々が当局に働きかけ取り下げられるように手配しよう。それでいいかね」

「ええ、そうしてもらえると助かります」

 

 そのようになる可能性は少なかったが、保証があるに越したことはない。

 ジョエル氏は完璧ともいえる営業向けの笑みをわずかに崩して本音らしきものを吐露する。

 

「正直、今回は君たちに助けられたよ。この件では私もかかりきりで、妻にだいぶ不満を抱かれていてね」

 

 ジョエル氏にしては珍しくプライベートなことまで口にした。

 それだけ俺たちに気を許しているというポーズか。

 しかしそこで、ファルナが妙に悟った様子でこう言った。

 

「人間なんかと結婚するからですわ」

 

 人間以外である彼女が口にすると何やら奥深いものがあるが……

 もう少し言葉を選んで欲しいと思うのは俺だけだろうか。

 

 ジョエル氏は機知(ウィット)に富んだジョークでも聞いたかのように声を上げて笑ってくれたが。

 そして彼は笑いが収まるとこう続ける。

 

「まぁ私的なことはともかく。上の方も喜んで下さるはずだ」

 

 こちらもリップサービスなのかも知れなかったがしかし、

 

「マクドウェルの、上?」

 

 雲の上過ぎて今一つ現実感が湧かなかった。

 ファルナが冗談めかして言う。

 

「まさか会長などと仰いませんよね?」

 

 会長といえばもちろんマクドウェル商会の頂点、マクドウェル伯爵だ。

 ファルナは笑うが、ジョエル氏の表情は笑みの形のまま変わらない。

 

「まさか……」

 

 言葉を失う俺たちに、ジョエル氏は言う。

 

「あまり追求しないでくれたまえ。人見知りをする方でね」

「はぁ」

 

 人見知りねぇ。

 そりゃあ、ホイホイとその辺に顔を出すような気安い人物ではないが、その言い方はどうかと思う。

 

 そして俺は引っかかっていたある疑問について聞いてみた。

 

「最後に一つだけ、教えてもらえますか?」

 

 これは俺の純粋な知的好奇心から出た質問だった。

 

「なんだね?」

「いえ、都合良く赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊が、アボット・アンド・マコーリー商会を裏切ったのが引っかかっていまして」

 

 俺は言ってみる。

 

赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊をアボット・アンド・マコーリーに紹介したのは、軍にパイプを持つと噂される仲介屋(フィクサー)でした。そして新式銃の納入先は軍。これは偶然でしょうかね?」

 

 ジョエル氏は口元に笑みを浮かべた。

 

「いい読みをしている。とだけ言っておこう」

 

 それが答えだった。

 

「それはどういたしまして」

 

 俺は苦笑する。

 つまりサムとかいう例のトロール鬼の仲介屋(フィクサー)は軍の指示を受けて、最初から裏切らせる予定で赤ずきん(レッドキャップ)の特戦隊をアボット・アンド・マコーリー商会に送り込んだのだ。

 マクドウェル側も、それを承知していたということだ。

 

 そもそもマクドウェル商会がアッバーテ商会によるマコーリー商会の乗っ取りをみすみす見逃しているのがおかしかった。

 ジョエル氏の話ではマコーリー商会の開発した新式銃をマクドウェル商会で生産する予定だったというが、それには高額の対価、技術料の支払いが発生するはずだ。

 だが、こうしてアッバーテが荒らした商会から機密を奪うことができれば、そんな費用は掛からない。

 そこまで考えるのは穿ち過ぎだろうか。

 

「スレイアード君、協力関係にある相手ですら裏で出し抜くのがビジネスの世界だよ」

 

 俺の考えを読んだように、ジョエル氏は言った。

 

「敵はどこに潜んでいるか分からん。ある意味、マフィアなどを相手にするよりよっぽどシビアだ」

 

 そう語る彼は、そのシビアな案件を日常的にこなしているのだろう。

 余裕の笑みを浮かべていた。

 

「それでは今回はこれで。君たちとは今後も良い付き合いを続けて行きたいものだ」

 

 そう言ってジョエル氏は上機嫌で立ち去って行った。

 ビジネスは常にこうあって欲しいものだと俺は思う。

 

「これで仕事は終了ですね」

 

 やっと肩の荷が下りたという、気だるげな表情でファルナは言う。

 しかし俺は首を振った。

 

「いいや、金の腕亭に招かれざる客が居るはず」

 

 いい加減、うんざりしつつ肩をすくめた。

 刺激の無い日常を過ごしているときには好き好んで裏の世界の仕事に足を突っ込む気になるが、スリルに満ちた駆け引きが続けば今度は平和な日常が恋しくなる。

 ……我ながら勝手なものだが、人というのはそういうものだろう。

 

「まぁ、さっさと片付けて美味い飯でも食うか」

「どうなさるおつもりですか?」

 

 ファルナの問いには口の端を釣り上げて答える。

 

「無論、釘を刺しに行くさ」

 

 そう告げてから、彼女には聞こえないように小声でつぶやく。

 

「固くて、長くて、ぶっといものをな」

 

 ファルナは俺を見てあきれた様子で言った。

 

「楽しそうですね、マスター」

 

 俺は人の悪い笑顔が浮かんでいるのだろうな、と思いつつも口元を歪める。

 

「分かるか? 事実を知ったときのやつの反応を考えると、最高に楽しくて仕方が無い」

 

 ファルナは苦笑交じりに言う。

 

「知ってはいましたが、マスターは本当にいじめっ子(サディスト)ですわよね」

「人聞きが悪いな。そいつは相手によりにけりさ」

 

 否定はしない。

 

「自分で撒いた種を刈り取らせる。ただそれだけのことだ」



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最終話 妖精と共に歩む未来

 俺たちが金の腕亭に行くと、フォックスが護衛を連れて待っていた。

 奪取してきたものの受け渡しを要求するが、俺は白々しく告げた。

 

「何の話だ? 機密は既にマクドウェル商会の手に渡っているんだが」

 

 一瞬、何を言われているのか分からない様子であっけにとられていたフォックスだったが、その意味を悟ったのか怒りの声を上げる。

 

「裏切ったのか、貴様!」

 

 美人なだけに激高すると迫力がある。

 しかし俺は悪びれることもなく淡々と言ってやった。

 

「裏切るも何も、俺たちと契約するつもりはないって、その口で言っただろう。だから俺たちとあんたの間には何の関係もない」

 

 実際、俺の言うとおりなのだが、フォックスの怒りがそれで収まるはずも無かった。

 俺たちをにらみ憎々しげにおどしつける。

 

「貴様ら、賞金首になっても構わないと言うのか」

 

 フォックスからの威圧に、しかし俺は飄々と肩をすくめて見せる。

 

「賞金首の話ならマクドウェル商会が妨害してくれるって保証してくれたぜ」

 

 フォックスは顔面を怒りに痙攣させた。

 

「こ、こんな真似をして、ただで済むと思っているのか?」

 

 なおも言い募るフォックスにうんざりとして俺は答える。

 

「だから懇切丁寧に忠告までしてやって、契約しないのかって聞いただろう。それを断ったのはあんたの方だ。あんたさえ、きちんとしたビジネスをしてくれれば今頃、機密は元に戻っていたはずなんだぜ」

 

 サルと見下していた相手にビジネスについて諭され、憤懣やるかたないといった様子のフォックスはなおも怨嗟の声を上げる。

 

「立場が分かっているのか。貴様のようなゴミ屑など、どうにでもできるのだぞ」

 

 その物言いに、さすがに俺も呆れを隠せなかった。

 

「分かってないのはそっちだろうに。こっちはちゃんとしたビジネスをするよう念も押したし仁義も筋も通したんだ。この話はあんたたちの上層部、アッバーテ商会の背後(バック)まで通してあるからな」

「そ、そんなことが可能だと……」

「不可能だとでも?」

 

 冷めた目をして言ってやる。

 俺はアッバーテ商会の幹部の一人、大手マフィアのボスの所にシズカを使い(メッセンジャー)に出したのだ。

 正式に仕事(ビズ)として依頼をしてもらわないと機密をアボット・アンド・マコーリー、ひいてはアッバーテに確実に引き渡すことについて保証をしかねるという話だ。

 アッバーテにとっては、はした金で仕事の達成率が変わるというのだからアボット・アンド・マコーリーの背後に居る者に口をきいてくれて損は無いはずだった。

 

 だがボスは平然と自分にそんな義理は無いと言い切った。

 曰く、マフィアというのは基本的にのし上がることしか頭にない人種で、他とたまたま利害が一致して手を結んでみたところで隙あらば相手の喉元に喰らい付こうとするのが習わしだということ。

 そしてそれはアッバーテ商会の役員たちを構成するマフィアの間でも同じ。

 

 シズカと結んだ霊的経路(チャンネル)越しにそれを知った俺が次に用意した取引は、アボット・アンド・マコーリーが機密を得られなかった場合にはその失策をボスの地盤強化に使ってもらいたいということ。

 筋を通すべきところを通さずにアボット・アンド・マコーリーが下手を打ったから親商会のアッバーテに損害が出たのだと指摘してもらうのだ。

 ボスはアボット・アンド・マコーリーの背後に居る者、アッバーテ内のライバルに打撃を与えられるし、こちらは保護してもらえる。

 

 ただ何かをしてくれと泣きつくだけなら子供にもできる。

 しかしそれでは取引にはならない。

 相手にも利益がある話でなければ、持ちかける意味が無いのだ。

 

 こうして俺は手打ちにしてもらえるよう密約を交わしたのだった。

 そして更にファルナが駄目押しをする。

 

「私たちのことより、帰って商会に自分の席が残ってるかどうかを心配した方がいいと思いますが?」

 

 涼しげな声できついことを言う。

 俺は思わず笑ってしまった。

 おかげでアバラが痛む。

 

「き、貴様ら……」

 

 フォックスの頬が引きつった。

 

「私たちが見ているのは物事そのものではありませんわ。そこには常に自分の在り方が投影されているのです」

 

 ファルナは淡々とした口調でフォックスに告げる。

 

「あなたが私たちを見下し、対等の契約を結ぼうとしなかったのは人を信じることのできない、あなた自身の弱さがその裏にあったからですわ。その弱さがあなたの敗因。たった一つの単純(シンプル)な答えです」

 

 俺は店の出口を示して言う。

 

「お帰りはあちら。俺たちはビジネスマナーってものを心得てるから安心しな。次はきちんとしたビジネスとして顔を合わせたいもんだね」

 

 皮肉交じりに言ってやる。

 しかし、

 

「もっとも、あなたに次があるならですけどね」

 

 と、ファルナが言うとおりであったが。

 言葉に詰まるフォックスが沈黙の末、口にしたのは、

 

「私がもし契約を交わしていたなら我々に機密を渡していたというのか? 貴様は私を憎んでいるはずだ」

「そいつはあんたの考え方であって、俺の意見じゃないな」

 

 まぁ、人間は自分の理解できる範囲でしか物事を見ることはできないが。

 

「それに人生にもしは無い」

 

 そう切って捨てる。

 フォックスは憤怒の形相で吐き捨てように言う。

 

「地獄に落ちろ」

 

 その呪いの言葉に俺は苦笑して答える。

 

「……地獄の味なら知ってるさ。恐ろしく苦いそいつを噛みしめることで自分の牙を研ぎ澄ませてきたんだからな」

 

 俺にとって傭兵は副業(サイド)だが、遊びでやっているわけじゃないんだ。

 それぐらいの経験は積んでいるさ。

 

 そしてフォックスはいまいましげに鼻を鳴らすと立ち去って行った。

 彼女にどんな処分が下るかは、俺たちのあずかり知らぬところだった。

 

「これで、この件はお終いでしょうか」

 

 俺の肩に腰かけて翼を休ませるファルナは、さすがに清々した様子でつぶやく。

 

「ああ、中々に楽しいお相手だったが、もう俺たちとは踊ってくれそうにないな」

 

 俺は頬を歪めて笑った。

 

「ただの若造と舐めるからさ」

 

 リスクから逃げ回り、利潤だけを求める者は大成しないと言う。

 リスクのある仕事に挑み、失敗と痛手をこうむったとしても、そこから更に乗り越え進むことこそが本当の成長につながるのだと俺は信じる。

 

 そして俺の顔を見たファルナは微笑みを浮かべてくれた。

 見た者の脳裏に鮮やかに残る笑みを。

 それは従妹さんの笑顔にそっくりで、ファルナの中に今なお残る従姉さんが笑ってくれたような気がした。

 おそらく従姉さんの魂はこれから時間をかけてファルナと一つになって行くのだろう。

 

 俺は意を決して、しかし何気ない風を装って話し出す。

 

「この先、俺が人を愛して結婚したとしよう」

「マスター?」

「それで戦争が起きたりしたら、俺はその女を守るため戦場に立つだろう。そこで二人の運命は分かたれる」

 

 俺はファルナに笑いかける。

 

「だがファルナ、お前とは最後まで一緒だ。俺はお前と並んで戦場に立ち運命を共にするだろう。それこそ最後まで、死が二人を分かつまで離れることは無い」

 

 ファルナは泣きそうな顔をして言う。

 

「マスター、そこは死んでも離さないって言って下さいな」

「そうか、そうだな……」

 

 俺にできるのは自分の本当の気持ちから目を逸らさないこと、心を偽らないこと。

 一度自分の心を偽れば、死ぬまでそれを続けなければならない。

 嘘を隠すために別の嘘を重ねて、そんなことを際限も無く続けなければならない人生などごめんだ。

 

 人は愛とはただ一つの極まった形だと思い込んでいるが、実際は一人一人違うものだと俺は思う。

 だから苦しく、だから楽しい。

 

「いい天気だな」

 

 俺は窓から覗く、狭く四角い帝都の空を見上げながら言う。

 

「はい」

 

 ファルナは一つうなずくと澄んだ声で、かつて従姉さんが好きだった言葉をつぶやく。

 

「神は天にいまし、世はすべてことも無し」

 

 

 

  魔法仕掛けの妖精人形とそのマスター 完




 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 ご意見、ご感想等、聞かせていただきますと、次回作の参考になります。
 それではまた。


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