アサルトリリィ異聞:弾薬箱に愛を詰め込んで (gromwell)
しおりを挟む

♯00 プロローグ

 全身の細かな傷と大きく開いた太股の傷口から流れ出る血のせいか、意識が朦朧とし始める。そんな状態でも、彼は足下に転がった拳銃を拾い上げ、空のマガジンを抜いた。

新しいマガジンを差し込んで、弾丸の装填を済ませる。そうして、彼に向かって突き出された手に拳銃を手渡した。

「これが、最後です……」

 カラカラに渇いた喉から掠れた声を絞り出して、弾薬が尽きた事を伝えた。

「……お疲れさまでした。後のことは、わたしが」

 もはや満足に動かない彼の身体が、少女によって、優しくゆっくりとひび割れたアスファルトの上に、仰向けに寝かされた。

 おかげで沈みゆく陽の光で赤く染まる空が見えた。その下に逆光のなか黒く浮かび上がった敵の姿も──

 ヒュージと呼称される人類の敵。ミドル級と呼ばれるタイプが数体、彼の右上空に浮かんでいる。

 地上にはそれより小型の十数体のスモール級の姿もあった。

 首を右へ倒す。すると、九十度傾いた視界に彼女の後ろ姿が見えた。

 赤茶色のセミロングの髪、赤い瞳をした彼よりもずっと年下の少女。華奢な体つきだけれど、それでも軍属の補給係に過ぎない彼よりもずっと強い。

 ──リリィ。

 ヒュージに対抗する為の兵器、CHARMを扱うことの出来る存在。

 彼女が振り返り彼を見た。その揺れる視線に、頷いて見せた。

 ──迷う事は無い。もう自分は助からないのだから。

 そんな彼の意志が伝わったのか、彼女の気配が変わる。

 右手に携えた銀色の剣。その刃が紅く儚い光を放つ。

 彼女のCHARMであるノルト・リヒトが起動したのだ。

 そして、彼女を中心とした円形状に赤い霧が広がっていく。

 半径二十メートルほどに薄く広がった赤い霧。そこへスモール級が三体、飛び込んで来た。

 金属音に似た耳障りな音をぶちまけながら、少女へと突進する三体。

 しかし、それらは全て彼女が左手に持つ拳銃に撃ち抜かれ、落下する。アスファルトの地面にぶつかった後、動かなくなった。

 スモール級であれば、CHARMでなくとも撃破は可能だ。だがたった一発の銃弾で、しかも拳銃でとなると難しい。

 けれども、赤い霧のなかに踏み込んだスモール級は、次々にその体躯を撃ち抜かれて、あるいは紅い刃に両断され倒れていく。

 その光景を見守る彼もまた、赤い霧に触れて、徐々に衰弱していた。

 少女のレアスキル、ツェアレーゲンの効果だ。範囲内の敵味方双方の防御を無効化し、衰弱させる。別名、魔女の血界。

 レギオンと呼ばれるチームでの集団戦術が主流のリリィのなかで、少女が単独で戦わざるを得ない原因。

 非常に強力ではあるが、同時に扱い難いレアスキルだ。

 しかし、味方へのリスクを気にする必要が無いこの状況では心強い。

 少女が弾切れの拳銃を投げ捨てる。

 スモール級は全滅。残るはミドル級のみ。

 この調子なら、彼女は大丈夫。そう彼は安堵のため息を吐いた。

 左耳のインカムから彼がこれまで補給を担当し、そして現在、彼女が撤収を支援している部隊の離脱を知らせるオペレーターの声が聞こえる。

(あちらも大丈夫か……)

 安心したせいか、それとも彼女のレアスキルの影響なのか酷く眠い。もう、このまま意識を手放してしまおう思った矢先、それは姿を現した。

 ミドル級の倍の大きさを誇る巨体が、少女を見下ろしている。

「ラージ級!」

 忌々しげに呟いた少女がラージ級へ向けて駆け出そうとして、数歩進んだところで膝をついた。

 同時に赤い霧も霧散している。

「魔力切れ……!?こんな時に」

 蓄積した疲労もあって、立ち上がる事もままならない彼女に向かって、ラージ級が腕を振り下ろす。

 これまでかと彼は目蓋を閉じた。ほどなく、自らもあれにやられるだろうと覚悟して──

 直後、インカムからオペレーターの叫ぶような声が聞こえた。

「救援部隊、到着!百合ヶ丘所属のレギオン、一柳隊が突入します!!」

 直後、轟音とラージ級の悲鳴が辺りに響く。

 重たい目蓋を開いた彼の霞んだ目に、地面に倒れたラージ級の姿が飛び込んできた。

 損傷は軽微な様だが、長距離からの狙撃によって両脚を撃ち抜かれていた。

「あれほど高い精度の狙撃を連続で……。流石は雨嘉さんですわね。鶴紗さん、わたくしたちも負けてられませんわ!」

「そうね。神琳、タイミングはこっちに合わせて!」

 両腕を支えにして上体を起こし、立ち上がろうとするラージ級。

 そこへ左右から挟み込むように突撃する二人のリリィ。彼女たちのダインスレイフの斬撃がラージ級を襲った。

 華麗な連撃と豪快な一撃によって両腕を斬り落とされ、支えを失ったラージ級が再び倒れる。

「フゥ、人を抱えながらの縮地は疲れるナ」

 その光景に目を奪われていた彼のすぐ傍で明るい少女の声がした。

「酷い怪我だナ、大丈夫カ?あ、この子なら心配いらナイ。無事だゾ」

 褐色の肌のリリィが、ノルト・リヒトを握ったまま気を失った彼女を彼の隣に寝かせた。

「だ、大丈夫ですか!?ってその出血じゃ大丈夫じゃないですよね?どどどどうしよう……!」

 彼の傍に駆け寄ってきた明るい茶色の髪のリリィが、あたふたと慌てた様子で腰のポーチの中身を取り出している。

「落ちつケ、二水。止血の方法は授業で習ったダロ?」

「あ、はいそうでした!」

 少し落ち着きを取り戻した少女の処置を受けながら、彼はラージ級へと視線を向けた。

 その先では、倒れたラージ級へと身の丈を超える巨大なCHARMを構えた黒髪の少女が跳躍する。

 そこへ空に浮いていたミドル級の一体が、体当たりを仕掛けてくる。

「やらせない!」

 ピンクのサイドテールのリリィが構えたブリューナクspから放たれた熱線が、黒髪の少女に迫るミドル級を貫く。

 黒煙を吐きながら落下するミドル級を一瞥した黒髪の少女は薄く笑みを浮かべ、眼下のラージ級へ紫電を纏う斬撃を振り下ろし──

 そこで、彼の意識は途切れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯01 少女と弾薬箱

 目覚めは最悪だった。

 デスクや床などあらゆる場所に、様々な器具が散らかった部屋。そこで彼は意識を取り戻した。

 自らが生きていることに驚きつつも、安堵する。そして、同時に困惑した。

 なんとか両脚は動くものの、その他の部位は存在しないかのように動かないのだ。両腕も、首も、何もかもがだ。

「げぇっへっへっなぁー!」

 そして、さっきからまき散らされている、この奇妙な笑い声。酷く耳障りで、酷く不安になってくる。

「さあ目覚めるのだ、おっさん!君は生まれ変わったのだぁ!!」

(誰がおっさんだ!?)

 あんまりな台詞に対して、全力でツッコミの言葉を叫んだ。そう、叫んだつもりだった。が、しかし部屋には耳障りな男の笑い声しか響いていない。

「ふっ、残念だが音声出力機能は付いていないのだよ。あしからずご了承ください」

 こちらを小馬鹿にしたような台詞は無視した。相手にしたら負けな気がする。

 両脚をなんとか動かして立ち上がってみると、やたらと視点が低い。

 そして、ビデオカメラでも装着されているのだろうか?視界の端には「×1」という表示やバッテリー残量を示すアイコンなどが並んでいる。

「ふむ、歩行機能は概ね正常に機能しているな。む、もう走れるのかね!素晴らし……ぶべらぁ!」

 いちいちこちらの行動を観察し、感想を大声で叫ぶ白衣の男へ、彼は助走たっぷりの飛び蹴りをご馳走した。

 ごめんなさい、負けでもなんでもいいのでコイツを黙らせたかったのです。

「ぐふっ、まさか飛び蹴りを放ってくるとは……。ロボット三原則を無視したこの行動。処置は成功したということか!」

 何やらニヤニヤしながら白衣の男が呟いた。やだ、このひと怖い。

 白衣の男が、ポケットから手鏡を取り出した。

 その、ピンクのラインストーンが煌びやかな、やたらと乙女チックなデコレーションの施された手鏡を彼へ向ける。

 鏡に映ったのは、いつもの見慣れた姿ではなかった。

 いや、見慣れてはいたのだ。ずっと補給任務で常に共に在ったものなのだから。

 薄汚れたスチール製の箱。垂れた眉毛とつぶらな瞳と口、歪なハートマークが落書きされた彼が愛用する弾薬箱が鏡に映っていた。

 ただ違うのは、その弾薬箱に二本の脚がにょっきり生えていたこと。

 そして──

「認識したかね?君は生まれ変わったのだよ」

 白衣の男がかけた眼鏡を無駄にクイックイさせながら告げた。

「自立型補給支援機・弾薬箱さんへと!私の研究成果の結晶として!!」

 信じがたい事実を、悪夢のような現実を……。

 白衣の男は嬉々として、彼に突きつけたのだった。

(う、うん……?)

 ぱたぱたとその場で足踏みしてみると、鏡に映った脚付き弾薬箱も足踏みする。

(ええ……)

 もう間違いない。彼は弾薬箱になってしまっていた。

(なんで?え、なんで弾薬箱!?)

 混乱して白衣の男の周りをぱたぱた走りまわる。そんな彼に少年のように瞳を輝かせた白衣の男が言う。

「僕はいろいろと手広く研究をしていてねぇ。ほら電子生命体とか素敵じゃない?憧れない?」

(憧れません!)

 全身を左右にぶるんぶるん振って白衣の男の意見を全面的に否定する。

「いやいや、でもね?君、心停止しててね、蘇生できなくてね……」

 白衣の男が急にしんみりと語り始めた。ぴたりと弾薬箱な彼の脚が止まる。

「幸い、脳はまだ大丈夫そうだったから、ヒトの電子生命体化の研究素材にぴったりだなって……」

(ちょっとおぉぉお!!)

 げしげしと白衣の男の脛を蹴飛ばす弾薬箱な彼。

(このマッドサイエンティストめ!)

「はっはっは!そんなに喜んでくれなくても」

 ぺろりと舌を出して照れ笑う白衣の男と男の脛を蹴る弾薬箱。

 そんな珍妙な場面が展開される部屋に足を踏み入れる者があった。

 カチャリとドアノブを回す音とともに見慣れた赤茶色の髪の少女が姿を現す。

「随分と仲がいいですね、博士」

「いやあ、照れるなぁ」

 少女の言葉を聞いて、ちょっぴり頬を赤らめた博士と呼ばれた白衣の男が頭を掻いた。

(仲良くないし!照れるなー!)

 相変わらず弾薬箱な彼の叫びは誰の耳にも届かなかった。

「それで、この子が例の補給支援機ですか?」

 よいしょと、少女が弾薬箱な彼を抱きかかえた。

「これ、彼の使っていた弾薬箱ですよね?」

「うん、彼の事は実に残念だった。それに戦術実験部隊は無事だったけれど、これ以上の成果は望めないようなので解散する事になったよ」

 やれやれと博士は肩をすくめた。

「君というリリィと一般兵士の混成部隊でガーデン精鋭のレギオンを支援……。悪くないと思ったんだけどね」

「レアスキルの発動時はスモール級、ミドル級共に対処可能です。ですが……」

「行動時間の短さはともかく、露払い以上の成果は見込めないか……。これじゃあ、君単独での運用と大差ないねぇ」

 んふーと博士はため息を吐いた。

「少しアプローチを変えてみようか。この弾薬箱さんのサポートがあれば弾薬補給の問題も解決するし、君の継戦時間も延びるはずだよ」

 コクリと頷いた少女は抱いた弾薬箱さんの蓋部分を優しく撫でた。

「わたしはあざみ。宜しく」

(いや、知ってるし)

 少女の慎ましい胸に抱かれながら彼はツッコミをいれた。

 特殊なレアスキルを持つリリィと一般兵士たちという変な編成の部隊の補給係を務めること半年。名前くらいは当然知っていた。

(しかしまあ、あの部隊がそんな役割だったとはね)

 ヒュージとの物量差・戦力差を考えれば対抗手段を増やしたいと思うのは当たり前なのかも知れない。例えそれが、微々たるものでも……。

「それで、早速だけどあざみちゃんに任務があるんだなぁ」

 弾薬箱な彼が考え込んでいる間にも、博士の話は続いていた様子。

「とあるガーデンの臨時教導官をやってくれない?いくらCHARMが主力でも、通常火器の取り扱いは必須じゃん?」

 国防軍や鎌倉府の防衛隊が都市の防衛に手一杯で、そういった指導が出来る人員が不足しているらしい。

 それからと、博士はニンマリ笑って言った。

「今度はレギオンとの連携戦術について色々試して欲しいな。ノインベルト戦術とかね」

 よろしくね、と博士はあざみに命令書を手渡すのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯02 百合ヶ丘の洗礼

「任務ついでに、助けてもらった御礼をしてきなさい」

 そう言う博士に研究所から送り出された二人は電車とバスを乗り継いで目的地近くへと到着していた。

 バス停から暫く歩けば目的地である。

 そんなわけで、彼こと弾薬箱さんは今、あざみの足下に寄り添うようにして歩いている。

 彼の姿が変わるとともに、立場と所属も変わっていた。

 対ヒュージ研究機関GEHENA。

 その研究成果及びあざみのサポート役というのが彼の新たな所属先での立場だった。

(死んだと思ったら弾薬箱に転生とか、ラノベかよ……)

 しかも脚が生えていたりとか。

 もう、どこをどうツッコミしていいのやら。

 嘆いてみたところで、状況はなんにも変わったりはしないのが哀しい。

 それでも、隣を歩くこの少女が無事であったことは喜ばしい。

(まあ、自分もこうして生きているし、あまり贅沢も言えないな)

 そんな風に考える事で、彼は何とか現状を受け入れていた。開き直りともいうが……。

 それにしても、校門を過ぎてからどのくらい歩いたのだろうか。ずいぶんと歩いたように思うのだが、一向に建物が見えてこない。

(流石……と言うべきなのかな)

 世界的に有名なだけあって、下手な大学の敷地よりも格段に広い。うんざりするほど。

 長い長い丘の登り坂を歩き続けて、ようやく校舎と思われる建物が見えた。

(あと、ひと息!)

 隣を額に汗を浮かべながらも、涼しい顔で歩く少女に気付かれない程度に気合いを入れ直して、弾薬箱さんは歩く。

 まだ午前中だというのに、日差しが強い。

 肉体的な疲労こそ感じないが、精神的にしんどい。気温が数字で視界の隅に表示されているから尚更だ。

 しかし残念なことに、そんな彼の事情などお構いなしにトラブルは襲い掛かってくるものらしい。

「あら、部外者は立ち入り禁止ですわよ?」

 あと少しで建物の中へ入れるというところで、制服姿の学生と思しき少女に二人は呼び止められてしまった。

(どうしよう、なんて説明したら……)

 赤みの強い髪色の少女の青い瞳に射すくめられた弾薬箱さんが考えを巡らせていると、隣のあざみが動いた。

「本日付けでこちらに配属になりました、臨時教導官兼学生の明野あざみです」

 あざみが着用したブレザー風の上着から一枚の紙を取り出して、少女に見せる。

 紙には鎌倉府防衛隊より発せられた、通常火器取り扱い指導及び訓練相手を務めつつ、勉学に励むようにとのあざみ宛ての命令が記されていた。

「これは失礼いたしましたわ」

「いえ、お気になさらず」

 ゆるふわウェーブの少女とあざみが互いに頭を下げた。弾薬箱さんも慌てて少女に向かって頭を下げる。

「わたくし、楓・J・ヌーベルと申します。どうぞお見知りおきを」

「丁寧な挨拶、恐縮です」

 改めて挨拶を交わすと楓と名乗った少女がすっと目を細めた。

「それにしても……」

 自然に、そうあるべきと思えるような仕草で楓があざみに歩み寄る。

「可愛らしい方ですわね」

 ふわりとあざみを抱きしめた。あざみの方が身長が小さいので、覆い被さる感じのハグだ。

「!?」

 驚きの表情を浮かべるあざみ。それもそのはず、彼女のお尻には楓の手が伸びていた。

(うわー……)

 いきなりの出来事にどん引きする弾薬箱さん。

「……あ、うん」

 そんな彼を尻目に、しばらくフリーズしていたあざみが何やら納得した様子で頷いた。

「……え?ひゃん!」

 不意に楓が可愛らしい声をあげた。あざみの手が楓のお尻に伸びていたのだ。

 ──さわさわ、さわさわ、なでなで……。

 抱き合った二人の少女が互いのお尻を撫であう珍妙な光景が、そこには広がっていた。

(なんだこれ?)

 困惑する弾薬箱さん。

 止めようにも、あざみと楓が密着しているので、実力行使する訳にもいかない。かといって音声が出せない弾薬箱さんには、普通に声を掛けて止めさせる事も出来ない。

 そんなわけで、弾薬箱さんはただアワアワと右往左往するしかなかったのだった。

 そうこうするうちに、ようやく満足した楓があざみを抱擁から解放すると「教室までご案内いたしましょうか?」と、そう申し出てくれた。

 上機嫌の楓に手を引かれて歩くあざみの後ろを弾薬箱さんがついて行く。

 ただし、案内してもらうのは職員室だ。

 その道中、ぼそりとあざみが呟くのを弾薬箱さんは聞き逃さなかった。

「先ほどのは、百合ヶ丘独自の挨拶というわけではなかったのですね……」

 廊下の生徒達の様子を観察した結果、自らの勘違いに気付いてくれた様子。

 ちなみに楓本人にもそれとなく確認済みである。楓曰わく彼女なりの『可愛らしい女の子への挨拶』なのだそうだ。

(あんなセクハラ紛いの挨拶はダメ、ゼッタイ)

 音声出力機能が無いため、弾薬箱さんのツッコミは結局、誰にも気付かれはしなかった。

 そうして、別段何事もなく職員室前に到着。鼻歌混じりに去っていく楓を見送って、あざみと弾薬箱さんは職員室のドアをノックするのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯03 弾薬箱さん、迷子になる

 無機質な灰色の壁に囲まれた部屋。

 やや手狭なその部屋の中央に置かれたテーブルで向かい合う女性と少女の姿があった。

「なにしろ突然だったもので、生徒指導室しか空いてなくて」

 そんな事をしれっと言いつつ、教導官の吉阪凪沙は向かい合うあざみを鋭い目つきで見つめた。

 百合ヶ丘の生徒たちと変わらない年齢でありながら、通常火器の扱い方の指導を任されるような相手だ。警戒は当然といえる。

(ましてや所属があのGEHENAなら、なおさらよね)

 あざみの足下にちょこんと座っている弾薬箱さんも気になるが、ともかく押し付けられたこの仕事を終わらせようと、吉阪は話を進める。

 彼女の持つ命令書が正式なものである事は確認済みだが、それ以外で何か目的があるのか否か。それを確かめねばならない。

(とはいえ、直接聞き出すのは無理かしらね)

 取り敢えずは牽制しておくとして、どこかのレギオンに監視役として行動を共にさせればいい。

(幸い、彼女の任務にはレギオンとの連携戦術の研鑽も含まれているみたいだし)

 そんな目論見も含みつつ、吉阪とあざみは今後の方針について話し合いを始めた。

 そんな生徒指導室のすみっこでは弾薬箱さんがちょっとした疎外感を感じつつ、暇を持て余していた。

 話し合いに参加出来ないので仕方ないとはいえ、存在すら忘れられたように放置されてしまっては淋しい。

(ちょっと偵察がてら学園内を探検してみようか)

 近くをちょっと散歩するくらいは問題ないだろう。そう判断して弾薬箱さんは立ち上がってドアへと向かう。

「ねえ、あなたのその、脚付きの箱みたいなのって、外に出たそうなんだけど」

 いいの?とあざみに問いかける吉阪。

「武器も付いてませんし、それほど遠くへ行くとも思えないので大丈夫だと思います」

 そこは止めるべきなのでは?と思わなくもない。しかし、信用されてると思えばそう悪くないのかもしれない。

 飛び上がって脚の先っぽを引っ掛けて器用にドアノブを回す。

(猫か!)

(猫ですか!)

 そんな吉阪とあざみの声無きツッコミを背中に受けながら、弾薬箱さんは悠々と生徒指導室から脱出したのであった。

 

 

 

(さて、どこに行こうか)

 せっかくの自由時間。満喫しないと勿体ない。

 かといって、あまり生徒たちの目につく所を彷徨くわけにもいかないだろう。

 歩く弾薬箱なんて怪しい物体なのである。ヒュージと間違われてしまっては命に関わる。

 そんなわけで、手近な教室を横切って中庭へと向かう。

 確かベンチなんかも設置されていてちょっとした休憩スペースになっていたはずだ。

 外で授業が行われているのか、校舎内は殆ど人の気配はない。

 これなら少しばかりベンチでぼーっとしても大丈夫だろう。

 中庭の隅の日陰に設置されたベンチに飛び乗ってちょこんと座る。すると、心地よい風が弾薬箱さんのスチール製のボディを撫でた。

(ああー、生き返る……)

 視界の隅に表示された気温の数字が少し下がるのを見て、オッサンじみた台詞を吐く。実際は吐けてないけれど。

 ふっと気が弛むのを感じつつ、ぼんやりとする弾薬箱さん。

 そうやって微睡んでいた意識が、不意にはっきりしゃっきりした。

(ふあっ!?)

 いつの間にかずいぶん時間が経っている様子。

 辺りにはちらほらと体操着姿の女生徒たちが見える。

(授業、終わってる!?)

 どうしたものかと頭を悩ませる。

 こんな怪しい物体。絶対なにかよからぬ物と勘違いされそう。

 CHARMを持ったリリィたちに追いかけ回される自分の姿が自然と脳裏に浮かんできてしまう。いや、いま脳は無いけれど。

 そんなガクブル状態の弾薬箱さんの目の前でひとりの女生徒が立ち止まった。

 ちょこんと屈んで弾薬箱さんと目を合わせて、手を伸ばしてくる。

(やられる!?)

 ビクリと過剰に反応する弾薬箱さん。目の前の女生徒もビクリと伸ばしていた手を引っ込めた。

 弾薬箱さんのつぶらな瞳と女生徒の翡翠色の瞳が見つめ合う。

 少しつり目のクールそうな美人さんにこうも見つめられると、どうにも照れくさい弾薬箱さんであった。

 ともかく、このまま見つめ合っていても仕方ないので立ち去ろうと弾薬箱さんは立ち上がる。

「……迷子なの?」

 眉間に皺を寄せた女生徒の唇から溢れた言葉が弾薬箱さんのハートにグッサリと刺さった。その痛みによって彼は心の中で涙した。

 世間一般ではおっさんと呼ばれても仕方ない年齢で、迷子。

 そう、今の状況は間違いなく迷子そのもの。

 迷子の迷子の子猫ちゃん状態である。にゃおん。

 心なしか弾薬箱さんの塗料の剥げかけた瞳がうるうるしていた。

雨嘉(ゆーじあ)さん?オープンテラスでのお茶会に向かったのでは……」

 そこへ、別の女生徒がやってきた。

 雨嘉と呼ばれた女生徒が、弾薬箱さんを両腕で優しく抱き上げて、あとから来た女生徒の方へ振り返る。

「あ、神琳(しぇんりん)さん……。この子、迷子みたいなの」

 迷子、確定しました。

「午前中に来られた方と一緒に歩いていた物体ですね」

 神琳へ向かって頷く雨嘉。

「うん、持ち主の子、きっと探してる。返してあげなきゃ」

 そんな彼女へ神琳は言った。

「オープンテラスへ参りましょう。二人よりも皆で探した方が、早く見つかりますわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯04 お茶会

 雨嘉の胸に抱かれて、弾薬箱さんは校舎からどんどん離れていく。

 即ち、あざみがいる生徒指導室からどんどん離れてしまっているのである。

 しかし、雨嘉の隣を歩く神琳の監視の目もあって、大人しく抱っこされているしかなかった。

 正体不明の存在に対して神琳は赤と黄色の左右で色の違う目で、しっかりと見張っているのである。

 そうしているうちに、弾薬箱さんは生徒の生活の場である学生寮に到着してしまったのだった。

 女生徒たちのいわゆるプライベート空間の入り口に突入する事になってしまった弾薬箱さんは、ただいま絶賛後悔中だった。

(なんで散歩になんて出てしまったのだろう……)

 あの生徒指導室に居ればこんな事にならなかったのに。

 そんな弾薬箱さんの意識は、楽しげな少女たちの話し声によって現実に引き戻されたのだった。

「あ、雨嘉ちゃん。神琳さんといっしょだったんだね!」

 ピンクのサイドテールの少女が雨嘉に声を掛けた。

 オープンテラスに据えられたまるいテーブルには、ティーポットやカップが並んでいて、紅茶の香りを漂わせている。その周りにある空いた椅子に雨嘉と神琳は腰かけた。

「その抱っこしているのって何ですか?顔が付いてますけど……」

 明るい茶色の髪の少女、二川二水が首を傾げた。あの戦いで彼の応急処置をしてくれた子だ。

「どうやら迷子のようですわ」

 神琳がそう言って雨嘉に抱かれている弾薬箱さんを見る。

(そんなに迷子、迷子と連呼しないで)

 人知れず心を抉られる弾薬箱さんだった。

 しかし、そういつまでもしょぼくれているわけにもいかない。

 気を取り直して辺りを見てみれば、見事に美少女の輪の中にいた。

 その数、九名。

 先日の戦闘においてあざみを救い出してくれたリリィの姿もある。

(もしかしたら、彼女たちが……)

 朦朧とした状態でもはっきりと聞こえた、一柳隊というレギオンの名前。

 とりあえず様子をみることにした弾薬箱さんの目の前で、少女たちの会話はどんどん展開されていく。

「迷子って……。これってただのアンモボックスじゃないの?」

 薄い金色の髪の少女、安藤鶴紗の赤い瞳が弾薬箱さんをジロリと睨んだ。

 聞き慣れない単語にピンクのサイドテールの女の子、一柳梨璃が首を傾げて鶴紗をみた。

「鶴紗ちゃん、アンモボックスってなに?」

「あのね、梨璃。アンモボックスっていうのは弾薬箱の事よ。アサルトライフルや機関銃に使用する実弾を保管する箱」

「そうなんだね。じゃあこの子、アンモちゃんっていうのかな?」

 鶴紗の説明を聞いた梨璃が再び首を傾げる。

(やだなー、そんな名前やだなー)

 そんな弾薬箱さんの言葉は誰にも届かない。

「あの、えっと、それより……」

 口を開いた雨嘉に皆の視線が集中する。

 見かけによらず引っ込み思案な彼女は襲いかかる緊張感で少し声が震えた。けれど、ちゃんと言わないといけない。

「この子の持ち主をいっしょに探してほしいの」

 きちんと言えた。何時もより躊躇う時間もずっと短い。

 黙って見守っていた神琳が、雨嘉には見えない位置でぐっと親指を立てた。グッジョブ、雨嘉さん。

「もちろん!きっと困ってるよね」

 すぐさま、梨璃が頷いた。

「でも持ち主を探すにしても、どうしましょう?」

 二水の視線に雨嘉が首を横に振った。持ち主を見掛けているとはいっても遠目からだ。顔までははっきりと見ていない。

「そのアンモなんたらには持ち主の手掛かりは無いようだしのう……」

 ツインテールの少女、ミリアム・ヒルデガルド・V・グロピウスがうーんと唸る。

「大丈夫ですわ。わたくし、その方を存じ上げておりますの」

 楓がとんと胸を叩いて言った。

 それを聞いた楓のライバルを自称するミリアムがフフンと鼻を鳴らした。

「どうせセクハラでもやらかしたのであろう」

「あらミリアムさん。セクハラとは聞き捨てなりませんわ!あれは挨拶ですのもの」

 ミリアムの言葉などどこ吹く風とばかりに、さらりと言い放つ楓の声を聞きながら、二水と梨璃が顔を見合わせた。

「今日、楓さんの機嫌が良かったのって……」

「あ、あははは……」

 二水の推察を聞いて、梨璃がつい苦笑いを零してしまう。初めて楓と会った入学初日に梨璃も被害に遭っていたのだ。出会ってものの数分で梨璃の引き締まった可愛いお尻には、楓の手が伸びていたのである。

 そんな一年生組のやり取りを二年生である白井夢結(しらいゆゆ)と吉村・thi・(まい)の二人は紅茶を楽しみながら眺めていた。

「持ち主がわかってるなら、大丈夫だナ」

「あら梅。貴女、心配していたのかしら?」

「意地悪な言いぐさだナ、夢結」

 少し頬を膨らませた梅が砂糖とミルクたっぷりの紅茶で満たされたカップに口を付ける。

 面倒臭がりなようで、実は人一倍周囲に気を配っているのが梅なのだ。

「そうかしら?それより梅」

「ん、何ダ?」

「どうやら持ち主を探す必要はなくなったみたいよ」

 白井夢結の視線の先には吉阪と見慣れない少女の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯05 自己紹介

「それじゃあ、あとの事は貴女たちに任せてもいいかしら?」

 なんて、ちゃっかり紅茶をご相伴してった吉阪に、あざみの件を押し付けられた一柳隊。

 雨嘉から弾薬箱さんを受け取ったあざみが、勧められるまま用意された椅子へ腰かけた。

「弾薬箱さんを保護してくれていて助かりました」

 そう言うと、あざみは深々と頭を下げた。

「そんなに恐縮なさらないでくださいな」

 そんなあざみの肩を隣の席の楓が抱くようにして頭を上げさせる。

 その楓の肩越しに梨璃が顔を覗かせた。

「その子、弾薬箱さんって名前なんだね。てっきりアンモちゃんだと思ったんだけど」

「アンモちゃん?」

 梨璃の言葉に不思議そうに首を傾げるあざみ。

「そう、アンモボックスのアンモちゃん」

 なるほどと、あざみが納得する。

「そうですね。改名しましょうか、アンモちゃん?」

 そう言うと冷ややかな視線を自身の膝の上の弾薬箱さんへと向けた。

(勘弁してください)

 あざみの両手で左右からがっちりホールドされながらも、器用に身をよじり、身体を左右に振るような動作をする。全身で拒否の意思表示をする弾薬箱さんだった。

「ところで、そろそろ自己紹介を始めてもいいかしら?」

 それまでじっと静観していた夢結があざみと弾薬箱さんへ鋭い視線を浴びせながら言った。

 吉坂からは名前くらいしか聞かされていないのだ。警戒されたとしても仕方ない。

 ひとまず自己紹介を済ませていた楓を除く、一柳隊のメンバーが学年と名前、それからレアスキルとポジションという割とあっさりな自己紹介を終える。

「では、わたしの番ですね」

 弾薬箱さんを抱いたまま、すっと席を立ったあざみがゆったりと一礼する。

「対ヒュージ研究機関GEHENA所属、明野あざみです。レアスキルはツェアレーゲン。ポジションは装備次第で一通りこなせます」

 言い終わり、再び椅子に腰掛けるあざみ。

 彼女へ向けられた視線は先ほどまでとはまるで違うものだった。

 鶴紗と神琳はGEHENAという言葉に眉を顰めた。

 CHARMの整備や開発を行うアーセナルでもあるミリアムは「装備次第で」という言葉が気になっているのかソワソワとして落ち着きがない。

 大方、あざみのCHARMが気になって仕方がないのだろう。

 梅と夢結はあざみのレアスキルの名を聞くや表情を強ばらせた。

 その他の梨璃や雨嘉、二水は聞き慣れない単語の連続で頭上にクエスチョンマークを浮かべている。

 楓だけは変わらずすまし顔でティーカップに口をつけていた。

 先ほどとは違い、重い沈黙がその場を支配していた。

「……貴女、GEHENAの人間だったのね」

 そんな沈黙のなか、鶴紗の低い声が響いた。

 GEHENAは人体実験を受けさせられた過去を持つ鶴紗にとっては忌むべき名前だ。

 神琳も鶴紗の事もあってGEHENAには良い印象は持っていない。

「では、貴女も生体実験を受けさせられていたのですか?」

 神琳らしい直球の問いだった。

「いえ、わたしは先天的に処置を受けていましたので」

 その問いにあざみはさらりと答えた。

 そんなあざみへ、今度は夢結が問いかける。

「貴女のレアスキルにはそれが関係しているのかしら?」

「そうですね。その為の処置だったと聞いています」

 そんなあざみと夢結のやりとりを聞いていた二水が「あの……」と控えめに手を挙げて発言する。

「あざみさんのレアスキル、初めて聞く名前なんですけど、どういう効果があるのですか?」

 リリィやレアスキルなどなど、その手の知識が豊富な二水ですら知らないレアスキルに興味が湧かないはずがない。

「そうね、私も噂程度にしか聞いたことは無かったし、説明してもらえるかしら?」

 夢結があざみに説明を求め、そしてあざみがそれに答えようとしたその時──

 鶴紗の持つ端末と弾薬箱さんが同時に振動した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯06 黄昏の防衛戦

 ヒュージはケイブという一種のワームホールを通じて襲撃してくる。

 そのケイブの発生の兆候を如何にはやく正確に感知するかが、防衛における最重要課題であった。

 GEHENAが鎌倉府にて試験運用中のケイブ早期警戒システム。従来のそれよりも詳細かつより早期のケイブ発生予測を目指した観測システムである。

 それによりケイブ発生の兆候有りとの連絡を受けたあざみは、百合ヶ丘女学園を飛び出して単身、予測地点へと急いでいた。

 同じ情報は鎌倉府防衛隊を通して鶴紗の端末にも送信されている。だが、彼女は出撃準備を整えて待機と指示された為、百合ヶ丘女学院にて他のレギオンメンバーと共に出撃命令を待っているところだ。 

「まさか、弾薬箱さんに通信機能があったなんて思いませんでした」

 あざみが通信機能を起動中の弾薬箱さん越しに博士へと声をかけた。

 さして驚いた様子も見せず淡々と話すあざみに、オペレーターを務める博士はつまらなそうにため息を吐いた。

「あっれー?もっと驚いてくれるかと思ったのに」

「ケイブの発生予測地点の絞り込みは終わったのですか?」

 博士の無駄口はスルー。状況は一刻を争うのである。

「だいたいはね。でも山沿いの住宅地のほうに寄ってる感じかなぁ」

 通信端末の向こう側で博士がカタカタとキーボードを叩く。

「住民の避難は?」

「まだだね。ケイブ発生の確度はまだ低い状況だから」

 現状の数値では、ケイブの発生の可能性はかなり低いようだ。

「まあ、発生したとしても小規模のものだろうね。ただ、複数の地点でケイブ発生の兆候らしきものが観測されているみたいだから」

 つまりは本命を絞り込まない限り、おいそれと出撃命令を下せない状況。

「そう……、ですかっ……!」

「あー……、大丈夫?たぶんその辺りは上り坂がキツいと思うけど」

「だったら、迎えくらい……!よこしてください!」

 荒い息づかいとペダルをこぐ音が言葉の間に響く。

 ただいま、あざみちゃんはママチャリに乗ってサイクリングの真っ最中なのだ。

「盗んだバイシクルで走り出すー」

 下手くそな博士の替え歌が通信端末と化した弾薬箱さんから聞こえてくる。ちょっとイラっとする下手さだ。

「盗んでません。ちょっと無断で借りただけです」

(それを盗んだって言うんだよ……)

 ママチャリのカゴに押し込められている弾薬箱さんのツッコミは相変わらず誰の耳にも届くことはなかった。

「うーん、まだどれが本命か判別出来ないね。もしかしたら全部でケイブが発生しちゃうかも」

 そうなったら大変だ。こちらの戦力を分散させるとなると、物量で押し切られる恐れがある。

「仕方ない。ここは防衛するにあたって優先順位をつけよう」

 博士の持つ端末には既に幾つかの予測地点で避難が開始されたとの情報が入っている。

 ならば、あざみを優先して向かわせる地点は自然と限られてくる。

「あざみちゃん、このまま山の方へ向かってほしい。少し市街地から外れたところだね。そこには老人ホームがあるようなんだ」

 博士の出した結論は、最も住民の避難の困難な地点へ、あざみを向かわせる事だった。

 避難が完了した地点でケイブが発生したのであれば、少なくとも人的被害は抑えられるはずだ。

「人的被害がでると、世間様の風当たりが強くなっちゃうからねぇ」

 冗談めかして笑う博士に対して、あざみはひと言だけ「了解」と応えた。

 すぐさま、取り出した自前の通信端末を操作して鶴紗の端末へと繋ぐ。

 自転車は片手運転になってしまうが仕方ない。

「何かしら?そちらは好き勝手に動いているようだけど」

 いきなり単独行動したせいか鶴紗の言葉には棘があった。

 しかし、あざみは気にする様子もなく用件を伝える。

「山手のほうの老人ホーム近辺に小規模ながらケイブ発生の兆候有りです。先行して防衛にあたります。ですが、複数の地点でも同様の兆候が観測されています」

「上の方針は?戦力を分散させるの?」

「いえ、避難が遅れている地点を優先して防衛にあたるようにと」

「わかった。通り道の発生予測地点を確認しながらそちらに向かうわ」

 鶴紗は言い終えるとブツッと通信を切った。

 恐らくはすぐにでも移動を始めるのだろう。

 だったら、あざみのやる事はただひとつ。

 ようやく見えてきた老人ホームの建物を見上げて、あざみはペダルを踏みつける足に力を込めた。

 こうして傾いた陽が染め上げる茜色の空の下で防衛戦が始まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯07 迎撃と憂慮

 鎌倉府防衛隊司令部の決定によって、小規模ながら複数存在するケイブ発生の予測地点への対策として、住民を避難させることで無理矢理に防衛地点を絞り込む作戦がとられる事になった。

 住民が残っている地点には各ガーデンからリリィたちが、そして避難が完了した地点は鎌倉府の防衛隊の部隊が展開し、ケイブ発生とヒュージの出現を監視する。

 その作戦に合わせて、二手に分かれる事にした一柳隊。

 梨璃、二水、楓の三名は先行して避難が難しい施設の防衛を行っているあざみの救援へ向かう。

 夢結をはじめとした他のレギオンメンバーはヒュージを誘引・掃討しつつ、梨璃たちとの合流を目指す算段だ。

「あざみちゃん、大丈夫かな……」

 ごとんごとんと揺れる防衛隊のトラックの荷台で梨璃はそう呟いた。

「きっと大丈夫ですよ。彼女、戦い慣れてる感じでしたし!」

 隣に座る二水が明るい声で励ますように言った。

 二水の言葉に嘘はない。

 あざみは彼女のデータには無いリリィだが、それなりに実力のあるリリィだと考えている。

 もちろん、梨璃だってそれを感覚で理解している。それでも梨璃の不安そうな表情は変わらない。

「二水さんの言うとおりですわ。それに、あざみさんには弾薬箱さんも付いていますし」

 見かねた楓が梨璃を優しく頬を撫でながら宥める。

 あの脚の生えた奇妙な弾薬箱が、どう役立つのか楓にはまだわからない。

 だが少なくとも、この場で梨璃の不安を和らげる材料になったのは確かだった。

(それにしても、無茶が過ぎますわよ、あざみさん)

 ぷにぷにの梨璃のほっぺの感触を楽しみながら嘆息する楓だった。

 

 

 

 赤く、朱く染まる空。その下ではあざみが数体のスモール級ヒュージと交戦していた。

 防衛すべき老人ホームを見上げる斜面に陣取ったあざみが、横一列に並んで上ってくるムカデに似た姿のスモール級たちへと銃弾を浴びせた。

 弾薬箱さんから伸びるベルトリンクが、あざみが引き金を引く汎用機関銃のM240Gへとどんどん吸い込まれていく。

 弾薬箱さんとあざみの周辺は空の薬莢が散らかり放題になっていた。

「ケイブ発生は確認されましたか?」

 銃声に負けじと声を張り上げるあざみ。

「あざみちゃんの居る地点から南と西の方に小規模のケイブが発生したよ。でもこれは……」

 応える博士の声には困惑の色が滲んでいた。

「両方とも此処から少し距離が離れているんだ。非飛行型のヒュージがこんなに早く到達するなんて有り得ない」

 博士の言葉を聞きながらもあざみはムカデ型スモール級へ向けてマルチグレネードランチャーのM32MGLを向ける。

 即座に回転式弾倉に収まった通常榴弾六発を連射。

 迫りくる複数のムカデ型ヒュージをまとめて文字通り粉砕すると、ため息を吐いた。

「視認できるヒュージは全滅しましたが、その様子だとケイブの規模を基にしたヒュージ戦力の予測は無意味ですね」

「そうだね。どこか観測漏れがあったのか、それともシステムに問題があったのか……。ともあれ、この早期警戒システムの本格的な実用化は当分おあずけだね」

 GEHENAの推進するケイブ発生地点の規模と時間の事前予測とケイブより出現するヒュージの戦力予測を可能にするシステムをこの鎌倉府で試験運用してみているが、今回の事でまた研究者たちの睡眠時間が更に削られる事になりそうだ。

(ま、部署が違うから僕には関係ないけれど)

 それよりと博士は首を傾げた。

 小規模とはいえ同時多発したケイブに、なにかしら不穏なものを感じたのだ。

(結果的には小戦力の逐次投入と変わらないから、このまま各個撃破されるだろうけど……)

 まさかとは思うが、ヒュージが人類が用いる戦術を学習・模倣し始めたのだろうか。

(ミドル級には知能の高い個体も存在するとは聞いているけどねぇ……)

 ふと思い浮かんだ仮定に背筋を寒くする。

「博士……」

「なに?」

 思考に溺れそうな博士をあざみの声が現実に引き戻した。

「先ほどのヒュージは地中から現れたものと推測します」

 迎撃中に気になったのだろう。

 斜面を下ったあざみが、ちょうど藪の陰に隠れていた、地面にぽっかり空いた穴を見つけていた。

 人がまるっと入れる程の大きさの穴は随分と深そうだ。

「この大きな穴の先に、事前に潜んでいたのか、それともシステムの観測網の外から侵入してきたのか……」

 どちらにしても、博士の仮定はより真実味を帯びてしまう。

(仮にそうなら不味いんじゃないかなぁ……)

 質・量ともに劣勢なうえに、さらに戦術・戦略といった人類側のアドバンテージを失うとなれば、結果は自ずとみえてしまう。

(上層部が焦るわけだ)

 現状でもGEHENA上層部の危機感はかなりのものだ。無謀ともいえる強引な研究や実験を行う程度には。

「あざみちゃん、付近を哨戒して異常なければ一柳隊と合流してくれないかな」

 博士からの指示にあざみが頷く。

「了解」

 その直後、あざみの足下が大きく揺れたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯08 赤の魔女

 突然の揺れに驚く間もなく、地面が盛り上がった為にできた斜面をあざみはコロコロと転がり落ちていた。

 スモール級が出てきたと思われる穴は、揺れのせいですっかり埋まってしまった。

 しかし、そこを中心にして大きく盛り上がった地面は既に見上げるまでの高さだ。

 斜面を転がり落ちたあざみが、地面に突き刺したCHARMを支点にすると身体をくるりと回転させて素早く起き上がる。

(おおおおお!?)

 そんなあざみの目の前を弾薬箱さんが勢いよくバウンドしながら盛大に転がっていった。蓋の開いた弾薬箱さんからポロポロと手榴弾やら拳銃やらが落っこちていく。

 あっという間に転がり去っていった弾薬箱さんを見送ったあざみの視線がある一点を見つめる。

 彼女の視線の先では卵から羽化するように盛り上がった地面を突き破り、見上げるほどの大型のヒュージがズルリと姿を現した。

「……ラージ級ですか」

 醜く膨らんだ蛇を思わせる姿のラージ級が鎌首をもたげると白く濁った瞳を細めてあざみを睨んだ。

 ぶよぶよと波打つ身体は土と泥でまだら模様に汚れている。その胴体の中程から先が鋭く尖った鞭状の細い腕が左右に二本、蠢いていた。

「……ノルト・リヒト起動──」

 あざみの右手が握る銀色の剣の刃が赤く淡い光を放つ。

 その赤い刃を静かに横一文字に振り抜くと、あざみの周りに赤い霧が薄く立ちこめる。

 瞬く間に広がった霧はあざみの周囲二十メートルほどを覆った。

「──ツェアレーゲン展開完了。掃討、開始」

 すっと鋭く細められたあざみの眼から、一切の感情が消えた。

 直後にあざみの足下から襲ってくる、すくい上げるようなラージ級の腕の一撃を一歩下がる事で難なく躱す。

 しなった腕の鋭く尖った先端がゴウと大きな風切り音を残していく。

 砂ぼこりを巻き上げながら、それは大きく弧を描いた。

 続けざまに横薙ぎに襲い来る腕を地面に伏せて避けると、弾薬箱さんがバラまいていった銃器のひとつを拾い上げた。

 その間にもラージ級の左右一対の鞭による波状攻撃が石を砕き弾き飛ばしながら繰り出された。

 そんな砂嵐の如き荒々しい暴力に対してあざみはCHARMを盾にしつつ正面突破を試みる。

 鞭状の腕を身を翻してかわし、散弾のように撒き散らされる砕かれた小石の欠片を防ぎながら、赤い瞳の少女の無謀とも思える突撃は止まらない。

 赤い霧にラージ級がすっぽりと包まれるほどに接近を果たすと、あざみは左手に構えたサイレンサー付きの軽機関銃MP5SD6の銃口をラージ級の頭部へ向けた。

 いまだ止まない鞭と礫の嵐のなか冷静に狙いをつけて引き金を引く。

 ラージ級の体表を覆う彎曲結界と呼称されるバリアの前には、本来ならば何の脅威にもならないはずの小さな弾丸は──しかし、ラージ級の頭部に悉く命中し損傷を与えた。

 大きくのけぞったラージ級の頭部には痛々しく無数の弾痕が刻まれていた。

 予想外の脅威に狼狽えたのか、それともひと息に勝負を決めようと焦ったのか、ラージ級が熱線を放とうと口を大きく開ける。今にも裂けてしまいそうなラージ級の口からキィーンという耳障りな音が放たれる。程なくして防ぎようもない熱線が放たれるだろう。

 その音に構うことなく、あざみは弾倉が空になったMP5SD6をポイッと投げ捨てた。

 身に着けたジャケットのポケットから取り出した手榴弾の安全ピンを引っこ抜くとラージ級の開いた口へと向けてぶん投げた。パイナップルな見た目のそれは、綺麗なアーチを描いてラージ級の口の中へスポッと入った。

 左手の人差し指と親指を立てて拳銃のような形にすると、あざみは人差し指の指先を、浮かべた柔らかな微笑みとともにラージ級の口へと向ける。

「ばーん……!」

 囁くようなあざみの声と共に、赤い霧が立ち込めるなか、鮮烈に濃い赤が散った。

 ラージ級の頭部が吹き飛び、醜悪な身体が力無く倒れて砂煙をあげる。

 その光景を少女は赤い刃をぶら下げて静かに見守っていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯09 合流

 あざみの救援へと急ぐ梨璃、楓、二水の三人が目にしたのは、赤い霧の中で一筋の赤い光を従えて戦うリリィの姿だった。

 彼女が守っているであろう建物を見つけて駆けつけて見れば、既にあざみはラージ級に単独で立ち向かっていたのだ。

「急がなきゃ!」

 シューティングモードのブリューナクspを構えた梨璃があざみの下へ駆け出そうとする。

「いけませんわ、梨璃さん」

 慌てて楓が梨璃の肩を掴んだ。

「楓ちゃん!?」

「落ち着いて、梨璃さん」

 驚きの表情で楓へと振り返った梨璃に二水がゆっくりと声を掛けた。

「二水ちゃんもどうしたの?」

 二水にまで止められた事で梨璃も何か感じたのだろう。足を止めて、楓と二水を見つめた。

「おかしいと思いませんか」

 両腕を振るい、砂嵐の如く攻撃を繰り出すラージ級を見つめながら、二水は呟いた。

「いくら大きいとはいえ、ラージ級の攻撃があんなに鈍いものでしょうか……」

 二水の指摘どおり、あのラージ級の攻撃は威力はそこそこありそうだが、余りに鈍重なのだ。

 かつて百合ヶ丘を襲ってきたギガント級の方が遥かに速く、鋭い攻撃を繰り出してきていた。 

「個体差というにはあまりにおかしいですわね」

 油断なくグングニルを握る楓が眉をひそめた。

 訝しがる彼女たちの目に、ラージ級へ向けて軽機関銃の引き金を引くあざみの姿が映る。

「ラージ級には銃火器って効かないんだよね?」

「そのはずですけど……」

「あざみさん、何をなさろうとしているのかしら」

 三人のリリィの顔には困惑の色が浮かんでいた。

 しかし、次の瞬間にそれは驚愕の表情へと変わった。

「効いてる……!?」

「え、でも……どうして?」

 大きくのけぞったラージ級の頭部に刻まれた弾痕を目にして、梨璃と二水は混乱していた。梨璃は陥落した山梨から避難する途中でミドル級に襲われた経験がある。

 防衛隊の扱うライフルでさえミドル級の足止めがやっとだったのに、まさかラージ級へ損傷を与えられるなんて予想すら出来なかった。

「……赤い霧、ツェアレーゲン……」

 一方、楓は深く記憶の海に潜るように目を閉じていた。以前聞いた、欧州で起こったヒュージ遭遇戦の噂話にそういった単語が出てきたように思う。

(どうせ尾ひれが付いているだろうと聞き流してしまったけれど……)

 確かヒュージと遭遇した即席のレギオンが混乱し、一時的に戦闘不能になった原因のひとつが、とあるリリィが発動したレアスキルだったのでは無かったか。

(噂のとおりなら、いま彼女に近づくわけにはいきませんわね)

 そんな事を考えている間に、あざみはラージ級の口のなかへ手榴弾を投げ入れた。

 赤い霧のなかでなお鮮やかに赤く血煙があがる。

 頭を失ったラージ級の倒れる音で、三人はようやく我に返ったのだった。

 

 

 

「皆さん、お怪我はありませんか?」

 三人と合流したあざみの第一声がそれだった。自分は腕や膝などところどころに擦り傷を負っているのに。

「うん、わたしたちは大丈夫!それよりあざみちゃんの怪我は大丈夫?」

 あざみの突っ込みどころ満載の問いに素直な答えを返した梨璃が、手早く消毒液とガーゼを取り出した。

「戦闘行動に支障はありません」

 手当てしようとする梨璃を制止しながら返答するあざみ。そんな彼女の腕を楓はグイッと引っ張った。

「駄目ですわよ。傷痕が残ったらどうしますの?」

 梨璃から消毒液を借りると楓らしくもなく少々手荒く傷を消毒し、治療する。

 綺麗になった傷口に丁寧にガーゼがあてられ、医療用テープで固定される。

「もう!あまり無茶をなさらないでくださいな」

 もはや何度目になるかわからない叱責があざみの耳朶を叩く。何故だか先ほどから妙に楓の機嫌が悪い。

 そんな楓の様子を目の当たりして、珍しい事もあるものだと梨璃も二水も目を丸くしていた。

「楓さん、もうそのくらいで」

「そうだよ。あざみちゃんも反省してるし、それにまだ作戦中だよ?」

 二水と梨璃が見かねて助け船をだした。

「二水さん、それに梨璃さんも……。そうですわね、今回はこのくらいで勘弁して差し上げますわ」

 ようやくあざみの腕を離した楓が、こほんと咳払いをする。

 気持ちを切り替えたのか、そこには普段どおりの柔らかな表情の楓がいた。

 そう、いつもどおりの楓がだ。

 いつの間にか梨璃を抱き寄せた楓が、その白魚のような指を梨璃の鎖骨辺りに這わせていた。しかも梨璃のすぐ目の前に艶やかに微笑む楓の顔が迫っている。

「ねえ、楓ちゃん。ちょっと恥ずかしいんだけど……?」

「うふふ、恥ずかしげな梨璃さんも可愛らしいですわよ」

「え……っと、ありがとう?」

 なんだか甘いやら何なのやらよくわからない空気が漂う。そんな空気を吹き飛ばしたのは梨璃の大声だった。

「あ!そういえば、アンモちゃんは!?」

 言われてみればアンモちゃんこと弾薬箱さんの姿が見あたらない。

「ラージ級が地中から現れた直後、なかなか素晴らしい速度で転がって行きましたが……」

 冷静にそう話すあざみは視線を地面に向けた。

 そこには弾薬箱さんの落とし物が点々と落ちていた。

 そうしてそれらを辿って歩いてみれば、そこにはバタバタと両脚をせわしなく動かして懸命にひっくり返しの状態から抜け出そうとする弾薬箱さん。

「無事みたいですわよ?」

「割と元気みたいですね」

「助けてあげようよ二人とも……」

 その姿を生暖かく見守る楓とあざみの袖をくいくいと引っ張りながら梨璃が溜め息混じりに言った。その様子を二水は苦笑いしながら見ていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯10 休息と噂話

 梨璃、楓、二水と合流したあざみと弾薬箱さんは防衛隊の輸送トラックの荷台で揺られながら移動していた。

 つい先ほど、夢結から逃げ遅れた民間人の保護と特殊なミドル級から襲撃を受けたとの通信が入り、至急救援に向かっている最中である。

 移動手段である防衛隊の車両に民間人を乗せて退去させた夢結たちは特殊なミドル級を含むヒュージの群れの足止めを行っているという。

「お姉様達の現在位置がここだから……」

 端末に表示した作戦域周辺の地図とにらめっこしながら梨璃が唸る。

「このまま最短距離を行くとして、そのあとをどうしよう……」

 梨璃なりに考えを纏めようとして頭を悩ませている。

「うぅ……。二水ちゃん、お願い」

「あ、はい!」

 そしていろいろ考えた結果、二水と相談して決める事にしたようで、二人で端末の地図を覗き込む。

 そんな彼女たちを見守りつつ、あざみは意識を集中して、自身の魔力《マギ》の残量を確認する。

(ツェアレーゲンをあと一度、展開出来るかどうかですか……)

 レアスキルを中心にした戦い方をするあざみにとっては何とも心もとない。

(弾薬に余裕があるのが救いですね)

 足下をうろちょろしていた弾薬箱さんを抱き上げてスチールのボディをそっと撫でた。

「よろしいかしら、あざみさん?」

 そんなあざみに楓が声をかけてきた。

「先ほどは治療していただいてありがとうございました」

「うふふ、どう致しまして」

 ぺこりと頭を下げたあざみに楓が微笑みを返す。

「それでどういった用件ですか?」

 いつになく真剣な表情の楓にあざみが問う。

「貴女のレアスキルの事でお訊きしたい事がありますの」

 それはあざみにとっても重要な用件だ。彼女たちと共に戦う為にも。

「ツェアレーゲンの効果ですね。ちょうど皆さんにも説明しなければいけないと思っていたところです」

 そうですかと楓が頷く。

 そこへ相談を終えた梨璃と二水があざみへ視線を移す。

「ちょうどよかった。お二人にも聞いてもらう必要があります」

 

 

 

「なんだか凄いんだね……」

 あざみのレアスキル、ツェアレーゲンの説明を聞き終えた梨璃が理解したのかしていないのか、微妙な表情で呟いた。

「わたくし達のマギによる防御やヒュージの彎曲結界を無効化。それに加えての衰弱効果。恐ろしく強力ですわね」

「だけど、敵味方の区別無くというのはあまりにも……」

 楓と二水が難しい顔でうーんと唸った。

 半径二十メートルに及ぶ効果範囲もこのレアスキルを余計に扱いにくくさせている。

 身を守る術が無くなるという事は、ヒュージよりはるかに肉体の強度で劣るリリィにとっては死活問題だ。

 もっとも、世間には防げないなら避ければいいじゃない!なんて言い放つ猛者もいるらしいが。

 ともあれ、あざみがレアスキルを発動している間は無闇に近づき過ぎないように注意する事にした梨璃達であった。

「あ、だからあんなに怪我しちゃったんだね、あざみちゃん」

 梨璃があざみの腕のガーゼを見つめながら呟いた。

「そうですよね。普段なら魔力で守られてるから。あのくらいで怪我なんてしないですから……」

 二水も梨璃の言葉に頷く。

「じゃあさっき楓ちゃんが怒ったのはそれを知ってたから……?」

 何かに気づいた梨璃が楓に視線を向けた。

「ええ、わたくしも耳にしていましたから。マギの守護を消し去る、赤い霧のレアスキルを保持するリリィ。赤の魔女《ロート・ヘクセ》の噂は……」

 渋い顔で楓は白状した。

「赤の魔女……!?てっきりただの噂話だと思ってました」

 二水も噂を聞いた事があるのか、驚きの表情であざみを見る。

「え?そんなに凄いの?」

 ひとり、話題に取り残された梨璃が首を傾げた。

「凄いなんてものじゃないですよ!」

 興奮状態の二水が叫んだ。

「多数のヒュージの奇襲で戦闘不能に陥ったレギオンをたった二人で守り抜いたというリリィのうちのお一人です!」

 完全にオタク心に火の点いた二水がまくし立てて説明する。

「大袈裟ですよ。確かに当初は二人での防衛戦を展開しましたが、すぐに落ち着きを取り戻したレギオンメンバー全員が戦闘に復帰しています」

 それに加えて、レギオンが戦闘不能になった原因のひとつはあざみのレアスキルである。あざみにとっては自分の失敗の後始末をしたにすぎない。

 そんな事実関係も含めてピシャリと訂正するあざみだったが、興奮している二水にギュッと手を握られてしまう。

「ですがッ!第一波のスモール級の群れを単独で殲滅したのは事実ですよね!?」

「ええ。ですが、それはわたしだけの成果ではありません」

 二水にぶんぶんと手を振り回されながらあざみはその問いに頷いてみせたが、もちろん訂正も忘れない。

 確かに押し寄せたスモール級たちを受領したばかりのノルト・リヒトと機関銃MG3を用いて全滅させている。

 けれどそれは、もう一人のリリィが発動させたレアスキル、ヘリオスフィアがスモール級の攻撃を無力化してくれたお陰だ。

 もし彼女がいなければ、瞬く間にあざみの身体は群がるスモール級によってズタズタにされていただろう。

 白い制服姿が凛々しい彼女はその功績を讃えられ、白きアイギスという二つ名を贈られたらしい。

「今度、彼女と連絡をとってみましょうか」

 頬を上気させてあざみの話に聞き入る二水の笑顔を眩しげに見つめながら、あざみはそんな事を口にした。

 かつての戦友である彼女は今、リリィとして活動しつつ防衛部隊の育成と防衛戦術の研究に没頭していると聞く。

 二水と話も合うだろう。

 二つ名を呼ばれる度に顔を真っ赤にしていた懐かしい顔を思い浮かべながら、あざみは喜びのあまりテンションが振り切れた二水に揺さぶられ続けるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯11 救援急いで!

 一柳梨璃、二川二水、楓・J・ヌーベル、明野あざみの四名と弾薬箱さんは鎌倉府防衛隊の輸送トラックを見送り、別行動中の一柳隊が現在交戦しているポイントへと移動していた。

 一塊になって、てくてく歩きながら周囲を警戒しつつ、このあとの作戦を話し合っていた。

「えっと……、展開しているヒュージはミドル級が二体。それにスモール級が十二~十三体。二手に分かれて攻撃中なんだよね?」

 梨璃の持つ通信端末の画面に表示した地図には、夢結たちが民間人を乗せた輸送トラックの離脱を援護する為に陣取った地点が青丸で記入されている。そこに二つのミドル級とスモール級のヒュージの群れが陣取った地点を赤丸で記入する。

「これは……、十字砲火が可能な位置取りですね」

 あざみの指が画面を滑り、ヒュージの群れを示す二つの赤丸から線を伸ばせばちょうど一柳隊の位置で交わる。その間には何の遮蔽物もない。

 夢結からの通信ではミドル級を盾にしたスモール級が遠距離からの射撃を繰り返しているのだという。身を晒しながら防衛戦を展開する夢結達は不利な状況ではあるものの、よくヒュージたちを釘付けにしていた。

 しかし、それも何時まで持つかわからない。

 仮に他のヒュージの群れが現れでもすれば一気に夢結たちは突破され、民間人を乗せた輸送車両が危険に晒さられてしまうかもしれない。

 それどころか夢結たち自身も危機に陥ってしまうだろう。

「ともかく、これでは夢結様たちが下手に行動できませんわ。ここはわたくしたちがこの布陣を崩しませんと」

 楓の指が地図上を滑り、現在地からヒュージの群れの位置を線で結ぶ。

「私たちに近い方のヒュージの群れを攻撃。まずはスモール級を減らしましょう」

 二水の提案に梨璃が頷いた。

「あざみちゃんはBZ《バックゾーン》から援護射撃をお願い」

 梨璃があざみに指示を出す。あざみの消耗具合を考えて負担の少ない後方のポジションにまわしてくれたのだ。

「了解です。後方から援護ですね」

 しっかりと頷くあざみの手には弾薬箱さんからずるりと引っ張り出したマルチグレネードランチャーが握られていた。マギを消耗しつつも彼女の赤い瞳は爛々と戦意を宿している。

「頼りにしていますわ。けれども、あくまで方針は方針。状況に合わせて臨機応変に参りましょう」

 楓があざみへ悪戯っぽく微笑みかけたあとに梨璃に視線を送る。

「うん、そうだね。お姉様たちを助けなきゃ!」

 グッとブリューナクspのグリップを握る梨璃。

 通信では夢結は言わなかったが、此方が動けば当然、夢結たちも何かしら行動を起こすはず。その狙いもおぼろ気ながら梨璃には見当がついていた。

「頑張ろうね!」

 ふんすと気合いを入れる梨璃。楓と二水もそれに真剣な表情で応えたのだった。

 

 

 

 別行動中の梨璃たちへの通信を終えた夢結が深く息を吐いた。

 荷台まで避難民で溢れる防衛隊の輸送車両がもどかしいほどの速度で移動している為だ。

 此処に留まれば複数のスモール級ヒュージからの十字砲火に晒されつづける事になると判っている。

 けれども、多数の避難民を乗せた輸送車両が安全圏に到達するまでは下手に動くべきではないと隊長不在の一柳隊を預かる上級生の夢結は判断した。

「のう、夢結様。わらわのレアスキル、フェイズトランセンデンスであればあんなヒュージなぞ一撃じゃぞ!」

 防戦一方の状況にしびれを切らしたミリアム・ヒルデガルド・V・グロピウスが夢結に詰め寄る。しかし、夢結は首を横に振った。

「今は無理をしては駄目。反撃に出るのは梨璃たちが到着してからでも遅くはないわ」

「しかし、このままやられっぱなしというのは……!」

 苛立ちを吐き出したミリアムは視線を落として、胸に抱いた休止状態のグングニルを睨んだ。

 この危機の最中にミリアムはずっと待機を指示されていたのだった。そんな彼女の大きな瞳は、うっすらと悔し涙で潤んでいた。

「フェイズトランセンデンスは一度きりの強力な切り札。だから、より確実なタイミングで切る必要があるの」

 それくらいわかっているでしょうと、安藤鶴紗が眉をひそめてミリアムに言った。

「む、もちろんじゃ!」

 そんな鶴紗の言葉に気を良くしたのか、ニカッと笑いながらミリアムは返答する。わらわはいわば最終兵器的なアレなヤツじゃな!とすっかり上機嫌である。

 そんなミリアムを眺めつつ、王雨嘉は首を傾げた。

(でも、ミドル級って二体もいるんだよね……?)

 一体はミリアムが倒すとしても残りはどうするつもりなのだろう。

 そんな事を考え込んだせいで眉間に皺が寄った雨嘉へと郭神琳が柔らかく微笑んだ。

「そんなに緊張なさらないで。雨嘉さん」

「ありがとう神琳さん」

 気遣いの言葉にお礼を言いつつ、シューティングモードのグングニルを構えて撃つ。

 雨嘉の射撃で熱線を放とうとしていたスモール級が慌てた様子で攻撃をやめると、ミドル級の陰に隠れた。

 もう一方のヒュージの群れも夢結と鶴紗がうまく牽制し、スモール級の熱線を封じている。互いのヒュージの群れが散発的に攻撃してきているからこそ有効な対処だ。

 しかし数が減らない以上、膠着状態なのに変わりない。

「もう……!」

 まるでもぐら叩きのようにミドル級の陰から頭を覗かせては、ひょいと引っ込むスモール級。

 いい加減、雨嘉が苛立ちをみせはじめたとき、ミドル級の背後で爆発が起きた。その爆発の衝撃でスモール級がふらふらとミドル級の陰から姿を晒す。

 その好機を逃さずスモール級を撃ち落とした雨嘉の視線の先に、待ち望んだ救援の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯12 反撃

 空が濃紺に染まりはじめた頃、一柳隊との合流を目指して進む梨璃たちはミドル級ヒュージと複数のスモール級ヒュージの群れに遭遇した。それは間違いなく、夢結たちを襲撃中のヒュージたちだ。

 安易に近付かず、静かに観察してみるとずんぐりとしたまるっこいシルエットのミドル級は、透明な分厚い膜で黒色の身体全体を覆っていた。そんなビジュアルもあって、まるでぷるんぷるんの水まんじゅうのようである。

 その背中には、てんとう虫的なフォルムのスモール級がわしゃわしゃと重なりあった状態でミドル級の膜に張り付いていた。

「あざみちゃん、お願い」

 そんな言葉とともに、梨璃の瞳があざみへと向けられた。

 たったそれだけの指示。しかし、不思議とあざみは自分がとるべき行動を理解していた。

「了解。通常榴弾、発射します」

 あざみはすぐさまリボルバー式マルチグレネードランチャーを構え発射準備を完了する。

「前衛はお任せくださいな」

 シューティングモードのグングニルを携えた楓が踊るように軽やかな足取りで前衛であるAZ《アタッキングゾーン》のポジションに進み出る。

 梨璃は二水とともに、あざみの両脇についた。BZ《バックゾーン》という後衛のポジションだ。

 そうしてそれぞれがポジションについた直後、あざみのグレネードランチャーから榴弾が発射された。ヒュージとの距離は二百メートルほど。

「着弾……、いま!」

 水まんじゅうなミドル級の頭上で爆発した榴弾が無数の破片を撒き散らす。その攻撃に驚いたのか、一体のスモール級がミドル級の背中から飛び出した。が、すぐさま一筋の魔力《マギ》の光に貫かれて墜ちていく。

「あれは雨嘉さんの狙撃ですわね」

 発射寸前だったグングニルの引き金から人差し指を離した楓が感心したように呟いた。

「二水ちゃん、いくよ!」

「はい!」

 あざみの両脇でCHARMを構えていた梨璃と二水が魔力《マギ》の光弾を射つ。威力よりも速射性を重視しているためか、やや小ぶりの光弾の弾幕がミドル級の周囲を掠めていく。

 それらの攻撃は命中こそしないものの、頭上での榴弾の爆発と相まってスモール級を身動き出来ない状況に追い込んでいた。

「あざみさん、そのままお願いします!」

 二水が叫ぶ。その言葉に従ってあざみは再び榴弾を撃ち込み、ミドル級の頭上で爆発させる。

「よっ、はっ、と……。すぐに終わらせてみせますわ」

 身動き出来ないスモール級を気の抜けた台詞を吐きながら楓が次々と撃ち抜いていった。

 あっという間に最後に残ったスモール級が力尽き、コロリと地面に転がった。

 ぽつんと残ったミドル級は困った様子で膜の表面を波打たせているだけで特に動きはない。

 しかし、このミドル級が問題だった。マギの光弾は膜をへこませたものの吸い込まれるようにかき消され、実弾も膜を貫通出来ずに押し戻されてしまう。

「どうしよう、これ」

「これは困りましたね」

 梨璃と二水が攻撃を受けてもびくともしない、あの憎たらしい水まんじゅうを途方に暮れた眼差しで見つめていた。

 一方で梨璃たちの到着で不利な状況から脱した一柳隊のメンバーは、もうひとつのヒュージの群れへと攻撃しているのか、薄闇のなか魔力の閃光が瞬くのがみえる。

 だが向こうもやはりこのミドル級に手こずっている様子だった。

『そちらも苦戦しているみたいね?』

 通信端末から聞こえる夢結の声も何だか疲れが滲んでいた。時折「ええい離せ夢結さま!わらわは突貫するのじゃー!」というノイズ混じりのミリアムの叫び声も聞こえる。

「お、お疲れさまです」

『ええ、本当に』

 苦笑混じりの梨璃の労りに言葉を返す夢結。

『こちらはミリアムさんで力押しするとして、そちらは何か手段はあるの?』

 もう抑えるのも面倒になったミリアムを本当に突貫させるつもりらしい。まあ、夢結や神琳、鶴紗が援護してやればなんとかなるだろう。

 問題はこちらだった。

 人数は四人と少なく、高火力を発揮するレアスキル持ちもいない。

 こうして話をしている間にも、楓とあざみが水まんじゅうなミドル級をCHARMと通常火器で攻撃しているが効果はないようだった。

「ああ、もう!ぐにゅぐにゅと煩わしいですわ」

 流石の楓も苛立ちを隠せない。グングニルをブレードモードへと変形させ、突撃の構えをみせる。

「これ以上時間をかけてしまっては、梨璃さんとあざみさんとのお風呂の時間が無くなってしまいますわ」

 迫る宵闇に焦った楓がそんな事を叫ぶ。

「えっと、そんな約束してないよね?」

「何故わたしまで?」

 身に覚えのない予定に首を傾げる梨璃と何故か巻き込まれて困惑するあざみだった。

「あ、でもお風呂はともかく楓さんの突撃には賛成です」

 そんな状況で二水がぽふっと両手を合わせた。何やら策を思いついた様子。

「あざみさん、ショットガンはお持ちですか?」

「ええ、AA‐12を所持しています」

「やっぱり!」

 あざみが頷いて足下にいた弾薬箱さんからAA‐12を引っこ抜いてみせた。32連ドラムマガジン付きで毎分三百発のフルオート連射の凄いショットガンだ。

「あざみさんはそのショットガンでミドル級の膜をぶっ飛ばしてください」

 二水がにっこり笑顔でそんな物騒な台詞を吐いた。

 いきなりの暴力的な発言でちょっと引きぎみの梨璃たちに向かってあわあわと手を振りつつ、二水が説明する。

「観察していて気づいたのですが、あの膜はマギを無効化できても着弾時の衝撃は有効なようにみえました」

 そう言われてみれば確かに攻撃を受けているあいだ、ミドル級の膜は少しへこんだような、潰れたような形に変化していた。 

「ですから、より強い衝撃を与えてやればその部分は他よりも膜が薄くなるはずなんです!」

「なるほど、その手薄になった箇所にわたくしのグングニルを突き立てればよろしいのですね」

 いち早く理解した楓が強く頷いた。ヤル気満々である。

「じゃあ、わたしと二水ちゃんはあざみちゃんと楓ちゃんの援護だね」

 梨璃がよいしょとブリューナクspを構えた。

「はい!では皆さん頑張りましょう」

 二水の明るい声が藍色に染まる空に響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯13 任務完了

 西の空が茜色から藍色へと変わる頃。

 一柳隊の奮闘もようやくの終わりがみえてきた。

 二手に別れて夢結たちに十字砲火を浴びせていたヒュージたち。しかし、別行動していた梨璃たちが救援に駆けつけたことで状況は一気に好転したのだった。

 夢結の率いる一柳隊は梨璃たち別動隊と合流せずに、もう一方のヒュージの群れへと反撃を開始した。

 夢結と梨璃の隊は瞬く間にスモール級をすべて撃破し、それぞれ残るミドル級へと攻撃を集中させていた。

 梨璃と二水の援護射撃を受けながらブレードモードへ変形させたグングニルを腰だめに構え駆ける楓。その隣では彼女より頭ひとつ分小さなあざみが二本の脚で必死に走る奇妙な弾薬箱を従えていた。

「わたしが前に出ます。射撃と同時に突撃を」

「ええ、とどめはお任せくださいな」

 最後にちらりと視線を交わし、こくりとお互いに頷く。

 楓は走る速度を僅かに落として、あざみを先行させる。するとあざみは自然と楓をその背に庇う位置についた。

 特に意識したわけではないのだろう。けれどもその行動は彼女が常に与えられた自分の役割を愚直に全うしてきたのだろうと推察するに充分だった。

 あのラージ級との戦い方もそうだ。

 いくらレアスキルの衰弱効果によって動きを鈍らせていたとはいえ、倒すだけが目的ならばラージ級の懐に飛び込んで接近戦を挑む必要はなかったはずだ。

 だとすれば理由はひとつ。防衛目標だった老人ホームの安全を最優先したのだ。

 接近戦であれば高所にある老人ホームへラージ級の熱線が放たれる危険性は限りなく低くなる。その為だけにあざみは自身の防御すら捨てた状態でラージ級の攻撃に正面から向かっていったのだろう。

 そういえば彼女もGEHENAで実験を受けさせられていた事を楓は思い出した。一柳隊の一員である安藤鶴紗と同じように。

 いや、彼女が自己紹介の際に語ったように『先天的に処置を受けた』のであれば、それはGEHENAによって造られた存在といえる。鶴紗のときよりもその処遇は酷いものであったかも知れない。

 どの様な扱いをしても誰も知ることは出来ないだろうし、仮に知られたとしても文句など言えない。あざみの所有権はGEHENAにあるのだから。

(いけませんわね。いまは目の前の敵に集中しませんと)

 楓はぷるぷると首を振って嫌な方向へ向かう思考を振り払う。

 自身を盾にして楓を攻撃に専念させてくれているあざみの行動を無駄にしてはいられない。

 ミドル級との距離はもう幾ばくもない事を楓に見えるように背に回したあざみの左手が教えてくれている。開いた左手が親指から順番に一秒ごとに折られていく。それは攻撃までのカウントダウン。

(三、二、一……、今ですわ!)

 楓が加速した瞬間。滑るように右へとあざみが移動し道が開ける。同時にミドル級ヒュージへと叩きつけられる鉛の暴風。

 透明な分厚いミドル級を護る膜が瞬く間に剥がされ、本体であるだろう黒い部位が露になった。

 後方から援護してくれた梨璃と二水、そして先頭を走ったあざみが切り開いてくれた道を駆け抜けながら楓はグングニルの先端、鋭く尖った穂先にマギを集中させる。

 役割を果たしたあざみを追い抜くその瞬間、思わず視線を向けた楓は絶句した。

 ミドル級の悪あがきなのか、細く伸びた膜の一部が触手のようにあざみの細い首に巻きつき締め上げていた。

 その刹那、楓に迷いが生まれた。

 すぐにあざみの首の触手を切り払うべきか。しかし、その間に膜が再びミドル級ヒュージを覆ってしまうかも知れない。

 そうなればミドル級を倒すのが困難になってしまう。

 振り返るようにしてあざみの顔を見れば彼女は楓を一瞥する事なく、ミドル級ヒュージから視線を外さない。

 その姿が楓の迷いを消した。

「たあぁああッ!」

 楓にしては珍しく雄叫びの如き気合いと共にグングニルを振るった。

 グングニルがずぶりという手応えを残しながらミドル級を穿つ。半ばまでミドル級に埋まったグングニルの先端、ミドル級の体内深くで収束したマギが爆ぜる。

 マギの閃光が内側から黒いミドル級の部位を破壊していく。

 それが収まったあとには、でろっでろの液状に溶け果てたミドル級の残骸が地面にのろりのろりと広がるだけだった。

 

 

 

「まったくもう、あれほど無茶をなさらないでと言ったではないですか!」

 ミドル級の触手から解放されたあざみの首に、今度は楓の白くしなやかな指が触れた。

「大変、結構痕が残っちゃってるよ!?」

 クリーム状の塗り薬の容器を手のひらにのせた梨璃が目を丸くしてあわあわと慌てる姿を横目に、楓はあざみの首に残った触手の絞め痕に薄茶けた軟膏を塗っていく。

「せっかくの綺麗な肌なのですから傷痕など残してはいけませんわ」

 先ほどからあざみの手当てをしながら楓のお説教が続いていた。

「傷痕のない肌を維持することがそれほど重要な事なのでしょうか?」

 自分の肌の傷痕どうこうよりも与えられた任務を達成する事が最優先なのではと、あざみは首を傾げる。

「なんだカ心配になる台詞だナ!」

 女の子なんだカラちゃんとお肌の手入れはしなきゃだゾ、といつの間にか側に来ていた梅が苦笑いを浮かべる。

「そういうものですか?」

「これはまた重症じゃない。GEHENAは女の子の扱いすら知らないんじゃない?」

 鶴紗が皮肉たっぷりの口調で首を傾げたままのあざみに声をかけた。

 夢結たちのほうもミドル級を無事撃破できたようだ。よく見れば鶴紗はフェイズトランセンデンスを発動し、マギを使い果たして動けないミリアムをおんぶしていた。

「の、のじゃあ~……。見たか楓、わらわの活躍を」

「あ、こら!涎を垂らさないよう気をつけなさい」

 最後の力を振り絞って楓へとドヤ顔をきめたミリアムががくりと力尽きた。その満足げに弛んだ口元に嫌な予感を感じたのか鶴紗が注意する。

 そんな光景をのんびりと眺めているうちにあざみの首の手当ては終わっていた。

「はい、おしまいですわ。あざみさん、今日はお風呂には入らない方がいいですわね」

 ちょっと残念そうに手当てをしてくれた楓が言った。そんな楓の様子を訝しげに眺めていた鶴紗が口を開いた。

「あら、楓さん。随分と世話を焼いてるみたいだけど、梨璃よりその子の方が好みなのかしら?」

 そんな挑発的な言葉を吐きつつ、梨璃を抱き寄せて頭を撫でる鶴紗に楓は形の整った眉を上げる。そして何故かあざみを抱き寄せて頬を撫で始める。

「聞き捨てなりませんわね、鶴紗さん。あざみさんはこの度の功労者ですわ。労るのは当然ではありませんか」

 あざみと梨璃を挟んで火花を散らす楓と鶴紗。

 その睨み合いは防衛隊の輸送車が迎えに来るまで続いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯14 帰り道

 あちらこちらにヒュージ襲撃の傷痕が刻み込まれた街中をライトで照らしながら、鎌倉府防衛隊の輸送車両のエンジンが重く唸りを響かせて走る。

 輸送車両の屋根のない荷台には左右の両端に設えられた木箱を並べただけの急拵えの長椅子がある。その右側の長椅子の真んなか辺りに腰かけて、外を不安げに眺める梨璃。

 彼女の視線の先には、住民が避難して無人と化した街がシンと静寂と暗闇に沈んでいた。

 そんな梨璃の隣に座る夢結が優しく言葉を掛けた。

「安心なさい。殆どの地区は被害が軽微だったから明日のお昼には住民が戻ってこられるそうよ」

「よかったぁ……」

 少し赤みが増した頬を梨璃はふにゃりと緩ませた。

 今回のヒュージの襲撃は対処が迅速だったこともあり、防衛隊の隊員に僅かに負傷者が出た程度に被害が抑えられた。街のほうは道路のアスファルトがあちこち陥没したり剥がれてはいるものの、インフラ関係の被害が極めて軽微なのではないかと予想されていた。

 被害に関しての本格的な調査は夜が明けてからになるのだが、おそらくはそう深刻な被害はないであろうというのが鎌倉府防衛隊司令部の見立てだった。

 ふと梨璃が車両のうしろへと首を巡らせた。その時、運悪くタイヤが瓦礫に乗り上げたのかガタリと揺れ、その拍子に浮いた梨璃のお尻が硬い木箱で作られた長椅子にうちつけられた。

 少し荒れた道路を輸送車両は慎重にのそりのそりと走っているけれど荷台はそれなりに揺れが強い。

 あいたたた、と梨璃が姿勢を崩して痛むお尻をさすりながら、輸送車両のうしろにゆらゆらと揺らめく灯りに目を向けた。

 荷台には灯りと呼べるものは足下に置いてある数個のLEDランタンくらいだ。だからその頼り無さげな灯りもはっきりと見えてしまう。

「元気よね、彼女」

 そんな梨璃の視線を追うようにして鶴紗がそんな言葉をこぼした。

「うん。いちばん大変だったの、あざみちゃんだったのに」

 行きの移動中に無断で借りて乗り捨てた自転車を鎌倉府防衛隊の隊員が回収してくれていた。その自転車に何故だかあざみは再び乗って帰ることにしたのだった。

「せっかくですから、夜道のサイクリングを経験しておきたいのです」

 真面目な表情でそんな事を言い出して、自転車を漕ぐあざみを一柳隊の面々は苦笑しつつ黙って見守っていたりする。

「あざみさんの事だけれど、どうだったかしら?」

 たまにブレーキランプに照らされるあざみに視線を向けたままの夢結が訊く。

「夢結さま、それがですね!」

 二水が身振り手振りを交えて夢結にあざみの戦いっぷりを説明していく。

 夢結はそれに相づちを打ちながらさりげなく楓や梨璃にも質問する。そうして、夢結は情報を集めていく。

(現状ではこれで充分かしら)

 ひととおり話を聞いたところで夢結はそう結論付けた。

 たった一度の出撃で集められる情報も限りがある。無理に問い詰めるような真似をしてもこれ以上は何も出ないだろう。

(それにしても、こんなスパイじみた真似をさせられるなんて)

 夢結は内心、ため息を吐くのだった。

 はじまりは教導官である吉坂からあざみに対する監視やら何やらを任務という形で押し付けられたことだった。

 仕方なしにその任務を受けた夢結は、とりあえずどういった人物であるかを調査することにした。

 梨璃たちをあざみの救援に向かわせたのもそういった理由からだ。

 梨璃であればそう警戒されることなくコミュニケーションがとれるだろうし、二水と楓は観察力に優れている。ただし、夢結は吉坂から与えられた任務のことは一柳隊のメンバーにも秘密にしている。特に梨璃は嘘が下手すぎる。簡単にバレてしまうだろう。

 それに梨璃はもうすっかり、あざみを信用してしまっている様子だ。出来るのなら梨璃には誰かを疑うような真似をさせたくはない。

 そんな夢結の事情など誰も気が付く訳もなく、先ほどの水まんじゅうな外見のミドル級との戦いに話題は変わっていた。

「本当に先ほどは肝が冷えましたわ」

「まったく、私が言えた事でもないけど無茶苦茶だわ」

 楓が表情を僅かに強張らせて言葉を溢すと、うんうんと頷きながら鶴紗が同意する。

「そうじゃのう。楓がしくじれば命を落としていてもおかしくない状況じゃぞ」

 ミリアムが楓にジト目を向けながら呆れた様子でそんな言葉を吐いた。

「それは、わたくしの実力を信頼しての判断ですわ。ええ、わたくしがあの程度の事で、しくじるどころか動揺する事すらありえませんわ」

 ミリアムへそう反論する楓。しかし、ここで二水がぽつりと呟いた。

「でも楓さん、あの時、一瞬ですけど戸惑ってましたよね?」

 この一言が図星だったのか楓は身体をくの時に曲げて「うっ!」と呻いた。そのままことんと長椅子の上に倒れ込む。

「楓ちゃん、大丈夫!?」

 倒れた楓の隣に座った梨璃の呼び掛けに力無く応える楓。

「あぁ、わたくしもう駄目かもしれませんわ……」

「え、あの、どうしよう……」

 おろおろとするばかりの梨璃を尻目に、ちゃっかりと頭を梨璃の膝にのっけて太ももに頬擦りする楓。  

「また始まったナ……。楓の悪い癖ガ」

 げんなりした様子で梨璃たちの向かい側に座っていた梅がこてんと長椅子に寝転んだ。

「あの、梅さま!?」

 ちょうど膝の上に梅の頭がのっかったせいで雨嘉が驚きの声をあげた。

「おー……、雨嘉の膝まくらは柔らかいナ!」

 しかし梅は気にした様子もなく、雨嘉の太ももを堪能している。

「梅、はしたないわよ」

 見かねた夢結がそう窘めるが、梅は知らんぷりを決め込んだ。

 長椅子はあと二、三人寝転んでも余裕があるので問題ない。

「神琳もどうダ?」

 だからというわけでもないのだろうが梅は我関せずと梅の反対側で傍観していた神琳に声をかけた。

「梅さま?」

 訝しげに太ももの上の梅の顔を見つめる雨嘉の眉間には深い皺が刻まれていた。そんな雨嘉に起き上がった梅がぽしょぽしょとなにやら耳打ちする。

 そうして、しばらくの沈黙のあとにおずおずと雨嘉が口を開いた。

「えっと……神琳さん。よかったら……その、どうぞ……」

 恥ずかしげに頬を染めて瞳を潤ませた雨嘉が太ももをぽんぽんと叩いた。気弱な性格の雨嘉らしからぬ行動に流石の神琳も戸惑ってしまう。

「雨嘉さん?」

「……」

 試しに呼びかけてみたが返事がない。おそらくは梅の指示だっただろう膝まくらのお誘いが不発に終わって困り果てているのだろう。

 そんな雨嘉を放って置くわけにもいかない。下手に断れば雨嘉を傷つけてしまうかもだ。仕方ないと覚悟を決めた神琳は、恨めしげに元凶の梅を一瞥したあと、羞恥でぷるぷるしている雨嘉に柔らかな笑みを向けた。

「それではお言葉に甘えて、失礼いたしますわ」

 ゆっくりと優しく雨嘉の太ももに頭をのせると、ほどよく柔らかい感触を後頭部に感じた。無意識にほぅと神琳はため息を吐いていた。

「えっと……、どうかな?」

 こちらを覗き込む雨嘉の顔を、何故だか気恥ずかしく感じて、神琳はつい目を逸らしてしまった。

(あ、なんだか可愛いかも)

 いつも毅然としている神琳の意外な一面にそんなことを思う雨嘉。

「たまには誰かに甘えるのも悪くないだロ?」

 二人の様子を見守っていた梅がにぱぁと笑顔でそう言うと、チラリと神琳が雨嘉の顔を見上げた。

「……そうですわね。たまには、ですけど」

 目を閉じた神琳が穏やかに頷いた。

「神琳は頑固で意地っ張りだからナー。見ていて心配になル」

 だからと梅は神琳に優しく言った。

「今回はいい機会だから、信頼してる相手に上手に甘えル方法を覚えるんだナ!」

 梅の言葉に素直に頷く神琳を眺めながら雨嘉は頬を緩ませる。

(誰かに甘えられるのってはじめてかも)

 いつもは誰かに甘えるばかりだった自分が、まさか神琳のようなしっかりとした人物に甘えられる日が来ようとは思いもしなかった。

(なんだか嬉しい……かな)

 しかし、彼女たちは気付いちゃいなかった。

 微笑みを浮かべた雨嘉が神琳を膝まくらする様子を一柳隊のメンバー全員が温かな眼差しで見守っていたことを。

 後に二水は語る。

「あの神琳さんがデレた歴史的瞬間でした!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯15 博士襲来

「やあ、遅くまでご苦労様」

 百合ヶ丘女学院の正門前。教導官の吉坂の隣で鎌倉府防衛隊の輸送車両の荷台から降りた一柳隊のメンバーとあざみを出迎えた白衣の彼はそう労った。

「……なんでいるんですか」

 今朝別れたばかりの博士の登場にあざみの眉間には深い皺が刻まれていた。だいたいお前は研究室でモニタリングしてたんじゃないのか。

 そんなあざみのじっとりとした視線が突き刺さる博士はへらっと笑う。

「せっかくだし僕もあざみちゃんのお友達といっしょにご飯を食べたくてね」

 そんな博士の言葉に一斉に眉をひそめる一柳隊のメンバーと吉坂。小学生のお母さんがよく口にする『同級生だったら誰でもお友達』理論か。

 冷めた雰囲気のなかで空気をまったく読んでないのか満面の笑みを浮かべた博士がワクワクウキウキしている。

「いやあ、誰かと食事をするなんて何年ぶりだろうね」

 そんな博士の様子にあざみがため息混じりに口を開いた。

「わたしと食事を摂っていたのはカウントされないのですか?」

「君のあれは食事じゃなくて栄養補給でしょうに。博士は断固としてあれを食事とは認めません」

 ふんすと鼻息荒く博士はきっぱりと言いきった。

「だって君、いっつもサプリメントとかパック入りのゼリーとか固形栄養食ばっかりじゃない」

 さりげなくあざみの食事情を暴露した博士がつまらなそうに口を尖らせた。

「そんなの目の前で摂取されてもいっしょに食事したことにはならないよ」

 日頃の味気ない食事風景を思い出してしょぼんと眉を垂れた博士が一柳隊のメンバーに視線を向けた。

「もしかしたら、同年代の子たちといっしょに過ごしたらあざみちゃんの食生活も改善されるかなって」

 どっちかというとこっちの方が本題かもしれないと博士は苦笑した。

「なんだか納得しかねます」

 栄養面では理想的な食事を効率良く行っているだけだと自負するあざみは少し不機嫌だった。

「うん、重症だね。あざみちゃん」

 梨璃がしょんぼり呟いた。臨時休暇で訪れた熱海の保養施設で一柳隊と壱番隊のみんなで夕食に鍋を食べた事を思い出していた。

 鍋の味付けや締めを雑炊にするかうどんにするか等々で揉めてしまい、大変な思いもした。けれど、やはり大勢での賑やかな食事は楽しいものだった。

(でも、あざみちゃんはそれを知らないんだよね)

 それがなんだかちょっと寂しい気がするのだ。

「梨璃、そんな顔しないの」

 表情を曇らせた梨璃の肩に優しく誰かの手が触れた。

「鶴紗ちゃん……」

 顔をあげた梨璃の目の前では、口調こそ厳しいものの、何かと梨璃を気遣ってくれる少女が柔らかな笑みを浮かべていた。

「せっかくの機会ですし、いま祝勝会とあざみさんの歓迎会をやりましょう」

 ぽふと両手を合わせて楓が提案した。

「ちょっと、それは私が言うべき言葉でしょう」

「あら、そうでしたの?ですがこういうのは早いもの勝ちですわよ」

「ぐぬぬ……」

 楓に先を越されて悔しげな鶴紗とドヤ顔の楓が睨みあう。

「もう二人とも喧嘩は駄目だよ」

 そんな二人に挟まれた梨璃があたふたと仲裁をはじめる。

 そんな三人を夢結や梅、神琳が温かい笑みを浮かべて眺め、雨嘉と二水がまた始まったと苦笑する。ミリアムはのじゃあーと大きな欠伸をしつつ眠気と戦っていた。

「いやあ、いい子たちだね」

 そんな彼女たち一柳隊を見つめる博士は眩しげに目を細めた。

「ええ、とても」

 そう答えるあざみに歩み寄った博士は彼女の背中に優しく手を添える。

「さあ、行っておいで。それは君の姉たちの願いでもあったのだから」

 博士の言葉に応えるかのようにあざみの心臓はとくんと一際強く鼓動を打つ。

「そうですね。姉さまたち……。いえ、わたしたちの願い。わたしたちを造った母さまの望み。やっとその一歩が踏み出せます」

 まるで熱に浮かされたように呟くあざみの瞳は陶酔に濡れていた。

(やれやれ、これはもはや呪いだね)

 内心ため息を吐きつつ、博士はあざみの足下にぺたりと座る弾薬箱さんへ視線を向ける。

(彼に詰め込んだのは僕の精一杯。だから……)

 何かに祈るように目を閉じる。いや、神など信じてはいない身だ。だから、それは祈りではないのだろう。

(あざみちゃんを頼んだよ、弾薬箱)

 半年という短い付き合いながら彼女の信頼を得ていた補給係のおっさんの成れの果てへ願いを託す。

 自分の立場で出来る精一杯を彼のボディに詰め込んだのだ。出来ないなんて言わせない。

「よおっし、博士がみんなにご飯を奢っちゃおっかなー!」

 閉じていた目を開いた博士はいつもの調子だった。

 じたばたと抵抗する弾薬箱さんをむんずと掴んで無理矢理に蓋を開けると、なかに手を突っ込んだ。

 あんまりといえばあんまりな絵面に唖然とする一柳隊のメンバーと吉坂教導官。

 しかし、お腹は空いているらしく誰も文句は言わない。

 そうしてしばらくかき回すような素振りをしていた博士がずるりと弾薬箱のなかから銀色の袋を引き抜く。

「じゃーん、鎌倉府防衛隊レーションセットー!」

 よいしょよいしょと博士は弾薬箱に手を突っ込んでは引き抜いて、レーションセットの袋を三つ地面にどちゃっと置いた。

 一人分にはあまりに大きな袋が三つも目の前に置かれて驚く者もいれば、レーションと聞いてちょっとがっかりする者もいた。あと、ビールは無いのかとちょっと不満げにタバコを咥える吉坂教導官。

 しかし、銀色のシンプルな袋に印刷された文字に気付いた鶴紗が表情筋を微動だにさせないポーカーフェイスでちいさくガッツポーズした。食いしん坊キャラだと思われるのは心外なのだ。

「それじゃあ、オープンテラスまで袋を運びましょう」

 夢結が早くも息切れしている博士に呆れつつ指示を出した。

 本当は食堂を使いたかったがとっくに閉まっている時間なので仕方ない。

 さっそくそわそわと落ち着かない鶴紗がひとつ、袋を抱える。袋の文字をもう一度確認してニマリと微笑んだ。

 その袋には太めのゴシック体で『焼肉・特上』と印刷されていたのだった。

 

 

 

 その後、オープンテラスはお腹を空かせたリリィたちが肉を奪いあう壮絶な戦場と化したという──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯16 転入初日~HR~

 まだ薄暗い早朝の百合ヶ丘女学院のグラウンド。

 その隅っこで、古びたラジオを頭に乗っけた弾薬箱さんがちょこんとお座りしていた。

 その目の前ではラジオから流れるピアノの音とやけにハキハキとした男性のかけ声に合わせて身体を動かす少女がひとり。

 百合ヶ丘女学院指定の体操服に身を包んだ少女はセミロングの赤みがかった茶色の髪を踊らせながら、もくもくと体操をこなしていく。

 第二体操までを終え、今度は念入りにストレッチを始めた少女の前で弾薬箱さんは器用にラジオを頭から滑り落とすと真上に蹴っ飛ばした。パカリと頭の蓋を開けて落ちてきたラジオを自身の身体に収納する。

(相変わらずどうなってるんだろう、このボディって)

 明らかに容量オーバー、質量オーバーな物体でも問題無く収納出来てしまう自身のボディに恐怖する弾薬箱さんであった。

 ともあれ便利なので重宝しているのもまた事実である。

(まあ、あの変態博士だからなぁ。なるようにしかならないだろうし)

 すっかり開き直った彼は今日も今日とて自分の仕事に打ち込むのだった。

 やがてストレッチを終えた少女──あざみが取り出したのは博士手作りのスタンプカード。それに弾薬箱さんが足先を器用に使ってスタンプをぺったんと押して、二人は日課の朝の運動を終える。

 ちなみにスタンプが全部貯まると博士選りすぐりのソフトドリンクが貰える仕様である。

 そんな感じで日課を終えたふたりは、着替えるために割り当てられた特別寮の部屋へと帰っていく。

 今日はあざみ百合ヶ丘女学院への転入初日である。万が一にも遅刻などあってはならない。

 ふんすと気合いとやる気がから回るふたりは、そういえばまだ制服を受け取ってなかった事に気付かぬままであった。

 

 

 

 百合ヶ丘女学院一年、椿組の教室はいつになく騒然としていた。

 どこからか聞こえてきた転入生の噂が原因である。

「まったく騒がしいですわね」

「仕方ないんじゃない?この時期に転入生なんて」

「それも一年生ですからね。本来ならあり得ないですよ」

 あまりの喧騒に文句を溢す楓を冷やかに一瞥する鶴紗。そんな二人に挟まれた二水が苦笑する。

 一柳隊の面々は転入生の正体がわかっているのもあって、いつもどおり落ち着いたものである。

「それにしても梨璃ちゃん遅いですね?」

 ホームルームの時間が迫るも一向に教室に現れない梨璃を心配した二水はほうとため息を吐いた。

「わたくしがお部屋へ伺ったときにはもういらっしゃらなかったようですし……」

 それとなく梨璃のルームメイトの伊藤閑に訊いてみると、早朝になにやら携帯で通話したあと部屋から慌てて出ていったのだそうだ。

「梨璃さん、おかしな事に巻き込まれていなければ良いのですが」

 楓が心配そうに呟いた。

(いや、貴女と二人きりの方が心配なくらいなのだけど)

(あはは、ですよねー……)

 そんな楓を横目に鶴紗と二水は頬をひきつらせた。

 熱海では梨璃のふとももの付け根にまで手を伸ばした前科がある楓だ。梨璃の貞操に関していえば一番の危険人物である。

 ともあれ、いま梨璃を探しに教室を出てしまえばホームルームに間に合わないだろう。

 そんなやきもきする三人に構うことなく教室のスピーカーからは無情なチャイムの音が響いた。

 続いて教室のドアが開いて吉坂と梨璃が入って来る。

「むむ……」

 二水が眉間に皺をよせて唸った。鶴紗も固唾を飲んで見守っている。

 これはセーフなのかアウトなのか微妙なところである。吉坂の判定に全ては委ねられた。

「一柳さん、手伝ってくれて助かったわ。もちろん遅刻扱いにはしないから」

「えへへ」

 そんなやりとりとする吉坂と梨璃の様子にクラス全体が安堵のため息を吐いた。

 やっぱり誰でもクラスメイトが叱られるのを見たくはないのだろう。

 そんな緊張が弛んだクラスメイトたちが自然と梨璃の抱える物体に注目してしまうのは無理からぬ事であった。

「あの、梨璃ちゃんが抱えているのって何ですか?」

 戸惑いがちに手を挙げつつ、六角汐里が口を開く。同時に彼女の言葉にクラスメイトが一斉に頷いた。

 梨璃が抱えているのはにょっきりと二本の脚を生やした長方形の物体、弾薬箱さんだったのだ。

 奇怪な物体をニコニコしながら抱っこしている梨璃を見るクラスメイトたちは、先ほどとは違った意味で心配そうである。

 黒い表紙の出席簿をパンパンと平手で軽く叩きつつ、吉坂が皆の視線を自身に集めた。ようやく説明が始まるのだろうと全員が背筋を伸ばした。

「今日からこのクラスに転入する事になった弾薬箱よ。みんな仲良くするように」

「「「……はい?」」」

 吉坂の説明が終わると同時にクラスメイト全員の目が点になった。

「正確には転入生のパートナーといったところかしら。それで、肝心の転入生の準備はまだなのかしら?」

 弾薬箱さんの説明を軽くしつつチラリと教室の入り口、閉じたままのドアを見た吉坂が梨璃に目配せした。

「じゃあ、連れてきますね!」

 弾薬箱さんを教卓に座らせた梨璃がドアに駆け寄るとガチャリと開けた。

「ほら、はやく」

「ちょっと、待ってください」

 梨璃に手を引かれて戸惑いがちに教室に入ってきたあざみは百合ヶ丘女学院の制服姿だった。上着を着ていないのでしなやかな二の腕が露になっている。

 しきりに胸元を気にするあざみに吉坂が自己紹介するよう促す。

「頑張ってね!」

 あざみの左手を握っていた手を離して梨璃は自分の席へと座った。

 それを合図にクラスメイト全員の視線があざみの小さな身体に集中する。

 一度、教室を見渡して小さく息を吐いたあざみが姿勢を正して一礼した。

「本日付けで此方のクラスに転入した明野あざみです。よろしくお願い致します」

 ──こうして彼女の学生生活は幕を開けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯17 授業前のあの時間

 突然の転入生を驚きとともに迎えた百合ヶ丘女学院一年椿組。

 それでも当然ながら授業は通常どおり行われていき、午前の授業もひとつの教科を残すのみである。

「えっと、次は銃火器の射撃訓練かぁ……」

 梨璃が教室の時間割り表を眺めながら呟いた。

 昨日の出撃で見た、レアスキルを展開しつつMP5や手榴弾でラージ級ヒュージと戦うあざみの姿が梨璃の脳裏に浮かぶ。もちろんあざみはCHARMも扱う。しかし、彼女は魔力《マギ》をレアスキルの展開・維持に費やす為に主に通常の兵器で戦うという珍しいリリィだ。

 対ヒュージ決戦兵器CHARMを武器に戦うリリィたちだが、授業のなかには通常の軍隊が使用する拳銃や小銃などの使い方を学ぶものがある。

 現在の主力CHARMはグングニルやダインスレイフに代表される遠距離攻撃用のシューティングモードと近接攻撃用のブレードモードという状態に変形可能な第二世代といわれるものである。

 それ以前の第一世代のCHARMは変形機能を持たず、近接攻撃型と遠距離攻撃型に完全に別れていた。

 第一世代の近接型CHARMを扱うリリィはサブウェポンとしてライフルや拳銃などを携帯する者も多かったと聞く。

 この授業もそういった時代の名残なのだろうか。

「でも必修科目だから頑張らないと」

 なんとなく銃は怖いものというイメージがある梨璃は気持ちを奮い起たせて不安を抑える。

「最初から弱気じゃ駄目だよね!」

 握り拳でふんすと気合いを入れる梨璃にあざみが首を傾げる。

「先ほどから何をしているのですか?」

「あ、うん。ちょっと気合いをね。なんだか銃の扱いって慣れなくて」

 それよりと梨璃はあざみの制服姿を見詰めて訊いた。

「制服のことなんだけど、大丈夫?」

 心配そうな梨璃に向けてあざみが薄く微笑みを浮かべた。

「問題ありません。少し胸元が弛いですけど」

「えへへ、よかったぁ」

 早朝にあざみの制服がまだ届いていない事に気づいた吉坂とあざみは急遽、梨璃の制服を借りる事にしたのだった。

 いきなりの頼みに梨璃は嫌な顔ひとつせず、予備の制服を快く貸してくれたのだった。

「……梨璃さんの制服をあざみさんが?」

 二人のやりとりに聞き耳をたてていた楓がなにやら呟いたようだが、多分気のせいだろう。

「こほん!梨璃さん、あざみさん」

 いつの間にか背後に立っていた楓が梨璃の手をとった。

「更衣室へ急ぎますわよ。次の授業に遅れてしまいますわ」

「え?まだ時間あるよ!?」

 驚いた梨璃が時計を指差して言うが楓は首を横に振る。あざみは怪訝な表情で楓の顔を見詰めた。

「いいえ、時間はありませんわよ。着替えたあとにじっくりと観賞……ではなくておかしなところがないかチェックしなければいけませんわ!」

「ちょっと楓ちゃん!?」

 鼻息の荒い楓に腕を抱えられた梨璃が慌てて着替えの入ったバッグを掴んだ。

 そのままズルズルと楓に引きずられるように梨璃は教室から出ていってしまった。

「まったく、仕方ないわね。あなたも遅れないようにね」

 楓と梨璃を追いかける鶴紗があざみを一瞥して教室を出ていく。

「それでは、わたしたちも移動しましょう」

 足下の弾薬箱さんへ声をかけると、あざみはクラスメイトとは別方向へとむかうのだった。

 

 

「あー……。なんで今さら銃器の訓練なんてしなきゃいけないのかしら」

「そんな時間あるならCHARMの訓練に使いたいよ」

「実際、ヒュージ相手じゃ役に立たないんじゃない?」

 着替えを終えて訓練場に着いてみれば、リリィとしていくつかの実戦を乗り越えたクラスメイトがそんな風に愚痴をこぼすのが梨璃の耳にはいった。

 実戦で拳銃や自動小銃を携行したことがないリリィたちがほとんどだから、それも仕方ないことなのだろう。

「そういえば、わたしも出撃の時はCHARMしか持ってってなかったなぁ」

 梨璃があれこれ思い返しても実戦では鎌倉府防衛隊の隊員が携行しているのを見かけたくらいだ。

「そうですわね。わたくしたちはなかなか使う機会に恵まれませんから」

「まあ、手榴弾や閃光弾なんかは補助兵器として充分効果をあげられるんじゃないかしら」

「目眩ましですね!それに昨日あざみさんがやったように物理的な衝撃を与えてスキをつくることも可能ですし」

 左隣の楓がうんうんと頷き、右隣の鶴紗と二水が実戦での具体的な運用法を教えてくれる。

「あの、ところで鶴紗さん。そろそろわたくしの手を離していただけません?」

「貴女が大人しく梨璃のお尻に伸ばした手を引っ込めるなら、よろこんで離してあげるわ」

「あ、あははは……」

 梨璃の背後では梨璃のお尻を巡って鶴紗と楓の攻防がいつの間にやら展開されていたのだった。これには梨璃も若干乾いた笑いしかでない。

「そういえば、あざみちゃんは?」

「たしかに遅いですね」

 梨璃と二水が心配そうに辺りを見渡す。

 楓もなんだか落ち着かない様子だった。

 そうこうしているうちに時間が過ぎて、時計の針は授業開始の時刻を指そうとしていた。

「だいたいCHARMがあるんだし、銃なんて必要あるのかな……」

「だよねー……」

 こちらはこちらでいまだ愚痴を溢すクラスメイトたち。

 一部の生徒のなかには銃火器使用の訓練の存在に疑問を感じる者もいるらしい。

 既にCHARMが対ヒュージ戦の主力兵器であるのだから旧兵器の訓練など無駄ではないのか。そりゃあ使えないよりは使えた方がいいのだろうが、せいぜいスモール級ヒュージを倒すのがやっとの武器の訓練に時間を割くのはどうなのだろう?と疑問に思うのは無理のないことだ。

 リリィとしての全盛期はアスリートと比べてずっと短い。だからこそ出来うる限り無駄をなくし、少しでも力を付けるべく努力している。

 彼女たちもまた、リリィという在り方に真摯に向き合っているのだった。

「……なるほど、そういった疑問を持つのは当然のことですね 」

 そんな場面にジャージに着替えたあざみがひょっこりと姿を現したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯18 明日の為に撃て

「あ、え?転入生!?」

 授業の内容にぶつくさと文句を垂れていた三人組のひとりがふるふると震える人差し指をあざみへと突きつけた。

「はい。本日、転入してきました明野あざみです」

 ホームルームの時と同じように自己紹介をするあざみ。違っているのはクラスメイトのように体操服に着替えずに、教導官用のジャージを着ていることだ。

「は?あんたが教導官!?」

 三人組の別の少女が驚きの声をあげる。まさか転入したばかりのクラスメイトが教導官を務めるなんて予想外もいいところだ。

「貴女に何を教われっていうのかしら?」

 銃器の訓練に不満たらたらな三人組最後のひとりが鼻で笑った。

「銃器の扱い方を教えるのがわたしの任務です」

 何かおかしいでしょうか?とあざみが首を傾げた。

 その仕草が気に触ったのか、三人組が一斉にあざみを睨み付ける。

 そんな険悪な空気が漂うグラウンドに突如、大声が響いた。

「えっと、ラージ級をCHARMも使わずに倒したあざみちゃんなら大丈夫だね!」

「そうですわね。CHARMの光弾が効かないヒュージの防護膜をショットガンの一斉射撃で吹き飛ばしたあざみさんの授業であれば、わたくし是非とも受けてみたいですわ」

「独特の戦術にも私、興味ありますし!」

「あ、えっと。実戦経験はこのクラスの誰より積んでるでしょうから」

 あわあわしながらわざとらしく梨璃があざみの昨日の戦果を叫ぶとそれに続けて、楓と二水があざみが教導官を務めることに賛同の意を示す。最後に梨璃のすがるような視線に負けた鶴紗がだめ押しの賛同を口にした。

 その効果は絶大で不安そうだった椿組の面々も梨璃が言った戦果に疑わしげに眉をひそめたものの、学年トップクラスの実力者である楓に授業を受けてみたいと言わせたあざみに興味津々な視線を向ける。

 不満を露にしていた三人も、流石に場の空気を読んだのか静かになった。

「梨璃さん、楓さんに二水さん。それから鶴紗さん、ありがとうございます」

 一柳隊四人の気遣いに頭を下げたあざみが、ひょいと足下の弾薬箱さんを抱き上げた。ついでに授業開始を告げるチャイムが響く。

「それでは皆さん、早速はじめましょう」

 そんなあざみの台詞とともにパカッと弾薬箱さんの蓋が開く。

 弾薬箱さんのなかからあざみが引っ張り出したのは、こぢんまりとした銃だった。

「あ、なんだか可愛いね」

 コンパクトな見た目に梨璃はホッとしたような表情を浮かべた。あんまり大きいのはやはりちょっと怖いのだろう。

「MP5Kです。シンプルな操作性で扱いやすいサブマシンガンです」

 あざみの簡単な銃の説明に耳を傾ける椿組生徒たちの足下へ弾薬箱さんが歩いて行ってはにゅっとMP5Kを取り出しては配っていった。

 自然と半円形に並んだ生徒たちの前で、あざみが実際に操作して見せながら扱い方を教えていく。

 一通り説明が終わると、二水が首を傾げた。

「ところであざみさん。どうして射撃場ではなくグラウンドで授業なんですか?」

 そう言われれば確かにと、生徒たちは頷いた。もしかして実際に銃を撃つことはしないのかと少し残念そうな顔をする生徒もいた。

「射撃場では実際に動いている標的で訓練するのは難しいですから」

 二水の疑問にそんふうに答えたあざみが手近な数名の生徒を呼んでマガジンを渡した。

「他の皆さんはここで待機していてください」

 そう言い残したあざみが足下に戻って来た弾薬箱さんをひしっと抱き上げて、マガジンを渡した生徒とともにグラウンドの中央へと歩いていった。

 およそ百メートルほど離れたところで、あざみが自身のCHARMであるノルト・リヒトを弾薬箱さんのなかから引っ張りだす。

 何するんだろうと注目する生徒たちの前でおもむろに何かノルト・リヒトを操作したあざみを中心にしてドーム状の結界が広がる。それはノインベルト戦術における特殊弾の起動時に展開される結界を模したものである。

 突然、半径四十メートルほどのマギの膜に閉じ込められ、慌てる生徒たちにあざみは告げる。

「これから先ほど渡したマガジンの銃弾を撃ち尽くすまでに、もしくは五分経過する前に、弾薬箱さんに一発でも当ててください」

 は?と生徒たちの動きが止まる。

(は?)

 そして弾薬箱さんの思考も止まる。

(え?標的?マジで!?)

 身の危険を感じた弾薬箱さんがあざみの腕のなかから脱出して逃走する。

(ちょっ!?出られない!)

 しかし弾薬箱さんのボディはマギの膜にぽよよ~んと跳ね返されてしまう。

「この膜がある限り外には出られませんし、流れ弾が外部に到達することもありません。フレンドリーファイアだけは気をつけてくださいね」

(ちょっとぉおおお!)

 当然ながら音声を出力できない弾薬箱さんの抗議は誰の耳にも届かない。

 ぐりぐりとボディを膜に擦り付けながら外側へ逃げようとする弾薬箱さんの姿を見て、流石に生徒たちも可哀想になったのか銃を向けるのを躊躇っている。

「弾薬箱さんは丈夫なので大丈夫です。それに避けるのも得意なので遠慮は要りませんよ」

 しれっと冷静に弾薬箱さんを追い詰めていくあざみ。

 それでも生徒たちの戸惑いは消えない。

 しかし、そんな生徒たちの背中をこれでもかとあざみはプッシュした。

「弾薬箱さんに命中させたチームは明日のランチをご馳走します」

 マジで?と生徒たちはあざみを見た。

 マジで!とあざみは生徒たちへと親指を立てて見せた。

(あ、ダメだこれ)

 生徒たちの爛々とした瞳を見て弾薬箱さんは悟った。逃げなきゃ、と──

 くるりと右向け右をして駆け出した弾薬箱さんのあとを追うように地面が点々と土埃をあげる。

「ランチー!」

「何としてもAランチをGETしなきゃ!」

「今日は豪勢にデザート付けちゃう!」

 銃を乱射しつつ弾薬箱さんを追う生徒たち。

 こうしてあざみの初授業は幕を開けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯19 駆け抜ける標的

 弾薬箱さんは駆けていた。

 あざみが指名した生徒で構成された即席のチームに追いたてられているのだ。

 左右にジグザグに、あるいはフェイントを交えながら銃弾を回避する弾薬箱さんを生徒たちも必死に追いかける。

 乾いた発砲音が連なり響く直径約八十メートルのドーム状の結界に覆われたグラウンドを両者はまさしく縦横無尽に駆け抜ける。

『お願い頑張って弾薬箱さん!博士のお財布の未来がかかってるの!』

(なんで!?)

 どうしてか事態を把握している博士が通信越しに弾薬箱さんへ声援を送ってくる。

 思いがけない応援に戸惑う弾薬箱さんを無視して博士はずぞぞと鼻をすすりながら叫んだ。なんだか泣き寸な感じで声が震えている。

『さっき、あざみちゃんからメールが届いてね。だけど、このランチ代は経費で落ちないんだ!』

(知ったことか!)

 後方から放たれる銃弾がボディの脇や頭上を掠めるように飛んでいくなか、誰にも届かない叫び声をあげながら弾薬箱さんは走る。

 すでに三分の二のクラスメイトが弾薬箱さんに弾丸を当てることが出来ないまま、弾切れや時間ぎれで訓練を終えていた。

 しかし、残ったメンバーが問題だった。

「なるほど、おおよそ回避パターンは把握できましたわ」

「楓ちゃん離してよ~……」

 淡々と弾薬箱さんの動きを観察している楓。そして背後から楓にがっしり抱きしめられている梨璃。

「要するに逃げ道さえ塞いでしまえばいいのね」

「ですね!ひとりが追いかけて残りのメンバーで弾幕を張れば──」

 作戦を練っている二水と鶴紗。

 そして──

「よし。みんな、そのまま追いかけて!」

 そして、いままさに弾薬箱さんに照準を合わせ、引き金に指をかける六角汐里。

 リリィとして既に活躍中の彼女たちから逃げきるのは絶望的である。

『こうなったら博士の本気を見せてやる』

(やめなさいよ、大人げない)

『僕の財布の中身のピンチなんですぅ。僕にも参加の権利くらいありますぅ!』

(なんか腹立つなその口調!)

 聞こえてないとわかっていても博士への文句は言わずにはいられない弾薬箱さんだった。

「……そこ!」

 そうしてほんの僅か、博士に気を取られて弾薬箱さんの走る速度が緩んだ瞬間、汐里の狙撃が弾薬箱さんのボディの真ん中に命中する。

(やられたー!?)

『うぁああっ!!』

 ついに被弾し博士の断末魔の叫びとともにパタリと倒れた弾薬箱さんを確認して、歓声をあげる椿組生徒たち。

 それを眺めながら淡々と名簿から次の生徒たちの名前をピックアップするあざみ。

「では、次のチームを呼んできてください」

 汐里たちのチームを手招きして食堂の無料券をひとりずつ手渡すと、あざみは結界の一部を解除する。

 彼女たちは大はしゃぎで待機している生徒たちのもとへ駆け寄ってあざみから指定された生徒を呼び集めている。

 こうして生徒たちの興奮と博士の絶望のなか、あざみから渡されたマガジンを受け取った次のチームと弾薬箱さんの追いかけっこが再び始まるのだった。

 

 

 

「えへへ、作戦どおりですね!」

「ええ、見事な作戦でしたわ二水さん」

 小さく控えめにガッツポーズをする二水を褒め称える楓がその豊かな胸の前でぽふんと両手を合わせた。

「私も作戦を考えたのだけど?」

「あら、そうでしたの?けれど活躍したというのなら、この楓・J・ヌーベルがかの弾薬箱さんを仕留めましてよ?」

 自分には何もないのかと鶴紗が不満を漏らすと、楓はどこ吹く風とばかりにそちらこそ褒めてくれてもいいですわよ?と言いたげに胸を張った。

 そんな二人の間に漂うどこか気の抜けたような、されども一触即発の空気を察して「楓ちゃんも鶴紗ちゃんも凄かったよ」と梨璃が二人を褒めてなんとか宥めようと奮闘していた。

 ぽてりと倒れた弾薬箱さんはそんな光景を眺めながら博士がすすり泣く声を通信越しに聞いていたのだった。

 弾薬箱さんの回避パターンの作成と指示に全力を投入した博士だったが、わりとあっさり一柳隊の作戦に嵌められてしまったのだから無理からぬことである。

 特に追いたてる役の梨璃のスタミナがずば抜けていて終始走力が衰えなかった事が博士の予想外の要素であり敗因だった。

「追いかける人員の交代の隙を突くはずだったのに……」

 お陰で他の三人の十字砲火のなかに追い込まれてしまった弾薬箱さんのボディにはあちこちに銃痕が刻まれていた。

「皆さん、お疲れさまでした」

 ぐったりとした弾薬箱さんの取っ手を掴み持ち上げたあざみが、生徒たちから貸し出していた銃を回収しつつ声をかけた。

「でもさ、最初のほうのチームはなんか不利だったよね」

 ひとりの生徒が漏らした不満に皆が頷いた。

 順番が後のチームほど弾薬箱さんの行動を観察し、そこで得た情報をもとに作戦を練る事が出来る分、有利といえた。

「そうですね。特に最後の一柳隊の四人は最初のチームに比べて半分以下の弾薬を使い切ることなく弾薬箱さんに当てる事が出来ましたし」

 さらりと告げたあざみの言葉に大半の生徒たちはクエスチョンマークを浮かべた。

「ああ、やっぱりそういうこと」

 そんななかで鶴紗がむぅっと苦い表情で言った。

「マガジンを装填する時に確認してみたら半分も銃弾が入ってなかったのはミスでも何でもなかったわけね」

「え?そうなの!?」

「はぁ。後半から妙に弾切れがはやいと思ったら……」

 幾人かの生徒たちも気がついた様子だ。

「はい。後半にいくにつれ、支給する銃弾の数を減らしていました。それに制限時間を短くしていましたね」

 そして暴露された事実に一部の生徒たちからブーイングが起こる。

「ですが、結果的には公平だったでしょう。前半のチームは時間と弾薬に余裕があり、後半のチームは事前に情報を得て作戦を立てられるわけですから」

 あざみの指摘でブーイングは収まったものの不満顔な生徒がちらほらいる。

「実戦を体験している皆さんは実感していると思いますが、情報と戦力のどちらかが不足している状況での出撃がほとんどであるはずです」

 ゆっくりとクラスメイトでもある生徒たちを見渡しながらあざみは話を続ける。

「さらにそこに、民間人の保護や施設防衛などの要素が加わればヒュージとの戦闘はより不利な状況で遂行せねばなりません」

 幾人かの生徒がごくりと喉を鳴らす。

「そんな状況下でCHARMが使用出来なくなる場合も当然、想定すべきです。その為の銃火器の訓練であることを皆さんに理解してほしいのです」

 戦場でCHARMよりも銃のほうが調達しやすいのは言うまでもない。鎌倉府防衛隊の隊員のほうがリリィよりも人数は多いし、輸送車両で武器・弾薬の補給も容易だからだ。

「わたしの役割はCHARMに比べて対ヒュージ性能で劣る銃器をわずかでも有効に運用出来るような訓練を実施することであると考えます」

 あざみが静かに瞳を閉じた。つられて弾薬箱さんがぶらりと揺れた。

「わたしはリリィを戦場から無事に帰還させる為に存在するのですから」

 小さく、無意識に溢れたその言葉は、授業の終了を報せるチャイムの音に溶けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯20 緊急指令:Make friends

 白い床に乱雑に器機が散乱する研究室で博士は頭を抱えていた。

 デスクの上に積み重なった書類や書籍の山から、かろうじて埋もれずにいるパソコンのディスプレイ。博士の目の前にででんと鎮座するソレに、あざみからの日々の報告書が表示されている。

 その日のスケジュールや行動などなど、百合ヶ丘女学院での様々な出来事が日記のように書き綴られた報告書は全部で七枚。

 それは即ち、あざみが百合ヶ丘女学院に転入してから、早くも一週間が過ぎた事を示していた。

 ちょっと研究にのめり込みすぎて未読のまま溜め込んでいた報告書の存在を思い出して、ついさっき読み終わった博士は思わず頭を抱えてしまっていた。

「ちょっと待って。マジ待って」

 頭を両手でガシガシ掻いたせいで博士の髪がパイナップルみたく雄々しく立ち上がる。ちょっぴり頭皮も傷付いちゃったかもしれないけれど、いまの彼にはどうだっていいことだ。

「いやいやいや、土曜も日曜もあったんだよ?なのにさぁ……」

 博士はボサボサの髪などそっちのけであざみの土曜と日曜の報告書を読みなおす。

 しかし、何度読みなおしても彼の望む文字はひとつも見つからない。

「いくらリリィだって休日はお友達と遊びに出掛けたりするでしょ!?スイーツのお店とかカフェとかさぁ!」

 だんだんイライラし始めた博士の足が貧乏揺すりを開始する。

「なのにもうなんで、あざみちゃんたらこんな……」

 ついには弾薬箱さんからリアルタイムで送られてくる彼視点の映像の録画分を三倍速で見返し始めた。ちなみに映像のことは弾薬箱さんには秘密である。

「どうしてこんなにお仕事ばっかりしてるのぉ!?」

 そう、あざみの報告書はそのほとんどが自分が教導官を務める授業のカリキュラム作成だとか、参加しているレギオン・一柳隊の自主訓練やヒュージ迎撃の出撃報告。

 もしくはCHARMの整備や開発を行うアーセナルであるミリアムと一緒に考案した弾薬箱さんの強化プランなどなど職務に関係するものばかりなのであった。

 実際、弾薬箱さんの見たものがそのまま記録された映像はその報告書に間違いがないことを証明していた。

 それが余計に博士の表情を曇らせる。

「あのねこういうの博士、望んでないの。もっとこう甘酸っぱい青春の一ページなんかを覗いてみたいの」

 なのに、それなのにである。

「なんであざみちゃんは皆のお誘いを断っちゃうかなぁ!?」

 弾薬箱さんからの映像のなかで何度か一柳梨璃や楓・J・ヌーベル、ミリアム・ヒルデガルド・V・グロピウスといった一柳隊のメンバーから外出に誘われる場面があったのだが、それをあざみは丁重にお断りしていた。

 その姿はまさに仕事が生き甲斐、仕事が恋人のキャリアウーマンそのものである。

 そんなあざみの様子を見た博士はひどく心配になってきた。

「このままだと、あざみちゃんがぼっちになっちゃう!?」

 博士は身をもって知っている。忙しさにかまけてあんまりにも人付き合いが悪いとそのうちに誘ってすらもらえなくなることを。

 それにあざみの“開発”の目的を考えればあんまりコミュニケーション能力が不足するのはよろしくない。深く関係を結ぶのもよろしくないがあまり淡白すぎてもよろしくないのである。

 それなりに連携できる程度にはレギオンメンバーとほどほどの人間関係を構築できたほうが好ましい。

「はぁ……。彼女から引き継いだプロジェクトだけど、どうも順調とはいえないなぁ」

 乱雑に散らかったデスクの上の書類のなかでもずいぶんとぼろぼろになったファイルを手にとって、博士はため息を吐いた。

 Imitat Lily計画と題されたファイルのページをペラペラとめくりながら博士はなにやら考え事をはじめるのであった。

 

 

 

「おや、博士からの緊急指令ですね」

 夕食時の食堂で玉子丼を本日の報告書に添付する資料として写メろうとしていたあざみの端末に博士からのメールが届いた。

 ゆらゆら湯気を立ち上らせる玉子丼をパチリと撮影したあと、あざみはメールを開いてみる。

「またお仕事?大変だね」

 あざみの右正面に座った梨璃が親子丼をはふはふと頬張った。

「本当にお疲れさまですわね」

 あざみの隣の楓が労いの言葉を掛けてくれる。授業の後片付けを手伝ってくれた楓と共に食堂に着いた時には、既に梨璃の両隣には夢結と鶴紗が座ってしまったので楓と隣あって座ることになったのだ。

 梨璃の正面の席はなんとか確保できたからか楓もそこそこに機嫌が良い様子だ。

「ありがとうございます」

 そんな楓と梨璃にお礼の言葉を返してメールに目を通す。食事中のマナーとしてはアウトだが、あざみとテーブルを挟んで向かい合った夢結は黙って見逃してくれるようだ。

「それで、緊急指令って何?大変なことなら手伝うよ?」

 なんだか心配そうに梨璃が訊いてきた。

 あざみの所属する組織が組織だけにろくな内容でないことが容易に予想できた。

 鶴紗のときのように、ひとりで大量のヒュージを相手にするような危険なものなのだろうかと気にしてくれているのだ。

 それに気付いているから夢結も鶴紗も危険に首を突っ込むような梨璃の言動を止めようとはしなかった。もっとも、止めたところで梨璃のことだから断られても手伝ってしまいそうである。

 妙な事に梨璃を巻き込むなと言いたげにじとーっとした視線をあざみに向けてくる鶴紗の様子に夢結は苦笑してカップの紅茶に口をつけた。

「危険な内容ではありませんよ。ただ、少し困惑しているのは事実ですが」

 梨璃を安心させるように意識して微笑みながらあざみは隣で妙にうずうずしている楓に端末の画面をみせた。

「あら、これは確かに困惑しますわね。あざみさんには既にわたくしという気の置けない友人がいるというのに」

 そんな台詞を吐きつつ楓はすまし顔で食事を再開する。そんな彼女に鶴紗がぼそりと呟いた。

「貴女は油断ならないほうの“気の置けない”でしょうに」

 それに反応して楓も口を開く。

「鶴紗さん、それは誤用ですわよ?」

「皮肉で言ってるのよ」

 楓と鶴紗が舌戦を繰り広げている間にあざみの端末は梨璃の手に渡っていた。

 夢結とふたりで端末に表示された博士からの指令を読んだ梨璃の頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。

「あの、これ……。大至急お友だちをつくりましょう。って書いてあるけど?」

 あんまりといえばあんまりな指令に、どういうことだろう?と首を傾げる夢結と梨璃。

「ともかく、命令とあれば従うほかありません」

 どこか途方に暮れた感じで力なく笑うあざみだった。

 こうして博士のみょうちくりんな命令に一柳隊のメンバーは巻き込まれていくのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯21 梅さまといっしょ

「「それで、何で私たちなのかしら?」」

 訓練や授業を終えた生徒たちで華やぐ放課後のオープンテラスの一角に、妙に緊迫した空気を醸し出す空間があった。

 奥の隅っこのテーブルに陣取って顔を付き合わせた三人組の周辺は、混みあう時間帯にも関わらず綺麗に空席となっていた。

 声を揃えて疑問をぶつけたふたりの険しい視線。その先では注文したレモンティーに添えられたレモンの輪切りをはむはむする明野あざみの姿があった。

「実は、おふたりに友だちの作り方をお教え願いたいと思いまして」

 カップにインするはずのレモンを失い、もはやただのストレートティーと化したソレをぐいっと飲み干したあざみが意を決した様子でそんな台詞を吐いたのだった。

「どうして私たちなのかしら?他に適任の子がいるでしょうに」

 眉間に皺を寄せた安藤鶴紗が隣の白井夢結をチラ見して、正面のあざみに他にあたれと告げる。

「そうね。そういうのは梨璃に相談した方が良いのではなくて?」

 夢結も鶴紗の意見に頷いてみせた。

「そうでしょうか?」

 いったいなにを期待しているのかと問い詰めたくなるようなキラキラと輝くあざみの瞳から鶴紗も夢結もついっと視線を反らした。

((明らかに人選ミスでしょうに))

 内心、頭を抱えたふたりだった。

 何せふたりとも事情があったとはいえ、最近まで周囲の人間と距離をとって過ごしてきた身である。突然、友だちの作り方なんてものを訊かれても困るのだ。

「梨璃さんのあの社交性は夢結さまの指導の賜物ではないのですか?」

 不思議そうに首を傾げるあざみの様子に鶴紗はピンときてしまった。

(GEHENAで育成された弊害ね)

 あそこでは自らの意思で行動する自由など存在しない。強制的に押し付けられたものをただ受け入れる他ないのだ。

 とどのつまり、あざみは梨璃のあの性格も彼女を導くシュッツエンゲルである夢結に与えられたものと勘違いしたのである。

 なんとも迷惑であるが、あざみの生い立ちを考えれば仕方のない事だろう。

(私のほうは、さしずめ類似した事例の成功例として参考にするつもりかしらね)

 鶴紗のGEHENAの実験台にされた過去などあの胡散臭い博士が既に調べているのだろう。

「そういうわけだから、こういった事は梨璃に──」

 頼みなさいという鶴紗の言葉を遮って、テーブルの脇からにょっきり褐色の腕が伸びてきた。突如出現したそれは、まだ中身の残っていた鶴紗のカップを引っ掴んでテーブルの下へと姿を消していった。

「何をしてるの、梅」

 夢結がテーブルの下に腕を突っ込んで、梅の首根っこを掴む。そのまま、カップに口をつけた梅がテーブル下からぷらりと釣りあげられた。

「……砂糖が足りないナ」

 夢結の声などスルーして勝手に角砂糖みっつをカップに投入した梅はズズっと紅茶を飲み干した。

 ジロリと夢結と鶴紗が睨み付けるとしぶしぶと梅は説明をはじめた。

「訓練で梅は学院に潜伏したヒュージの役をやってたんダ」

 そうしてオープンテラスの隅っこのテーブルの下に隠れたのはいいが、そこに夢結と鶴紗、そしてあざみが座ってしまった。

「そうしタラ、誰も探しに来てくれなくてナ。さっき時間切れになったんダ!」

 あはは、と笑う梅。

 そういえば何度かやけに落ち着かない生徒たちが食堂に来ていたが、あれが梅の訓練相手だったのだろう。

 知らなかった事とはいえ、迷惑をかけてしまった。

「それは申し訳ないことをしました」

 せっかくの訓練を邪魔してしまったと知って、しゅんと肩を落としたあざみが梅に頭を下げた。当の梅はといえば、夢結に首根っこを掴まれたまま、子猫のようにぷらんぷらんされながらにぱにぱと笑顔だった。

「ん、気にするナ。おかげで楽だったゾ」

 ヒュージとの戦闘のとき以外は大抵、だらっと怠けているっぽい梅らしい言葉だった。

 梅が良いというならそれでいいかと納得したあざみが、せっかくだからと梅にも夢結たちと同じ問いを投げかけた。

「梅さまはどう思われますか?」

 真摯に訊ねるあざみに対して、これまた真剣な表情で梅は口を開いた。

「あざみは難しい事ばっかり考えてるんだナ?」

 そうして梅は自身の左右のこめかみの辺りをむぅーと唸りながらグリグリとマッサージしはじめた。

「ちょっと頭痛くなってきたゾ」

 それはこめかみをグリグリしてるからでは?と鶴紗と夢結は思ったが知らんぷりすることにした。体よく梅にあざみの厄介な質問を押し付けた格好である。

「友達といってもいろいろだからナ」

 ちょっぴり遠い目をした梅が呟いた。

「そうね。どれだけ貴女に振り回されたことか……」

 夢結も遠くをぼんやり眺めながら呟いた。

「そうだナ。梅と夢結みたいに相手を振り回したり、振り回されたりな関係もあるしナ」

「……私は振り回された記憶しかないのだけれど、梅?」

 たははと笑う梅をギロリと睨む夢結。

「実際の友人関係はいろいろと複雑なのですね」

 そんなふたりの様子にあざみは何やら納得していた。

 そんな彼女たちの耳に何やら言い争う声が飛び込んできたのだった。

 ぐるりと見渡してみれば梅と訓練していたと思われるふたりの二年生が怒鳴りあう姿を見つけた。そのふたりの間ではなんとか争いをおさめようと小柄な生徒が奮闘していた。

「あちゃー。あのふたり、梅を見つけようと躍起になってたからナ」

 いくら偶然とはいえ、なんだか反則をしてしまったような気まずさを感じるあざみたちだった。

「仕方ないナ。梅にも責任あるし、ちょっぴり頑張って止めてくるゾ」

 よいしょと気怠げに梅が立ち上がる。そんな梅の隣には申し訳なさげな様子のあざみがいた。

「お手伝いします。もとはといえばわたしが梅さまの隠れていた場所で夢結さまと鶴紗さんに相談事を持ち掛けたせいですし」

 あざみの申し出をそっかーと受け入れた梅がニヤリと笑う。

「助かるゾ。じゃあ耳を貸セ」

 ポソリポソリと何やらあざみに耳打ちする梅の姿に不安を感じたものの無視を決め込んだ夢結と鶴紗だった。

 そして、そんなふたりの予想は見事に的中するのである。

 突然、梅とあざみの仲裁の言葉さえ無視して言い争っていたふたりから悲鳴があがったのだ。

 羞恥で頬を赤く染めたふたりは揃って制服のスカートを抑えている。

「ふむ、赤だったナ……」

「こちらは黒ですね」

 スカートを抑えてぷるぷると震える二年生ふたりの背後にはそれぞれ冷静に呟くあざみと梅の姿があった。

「まぁ〜いぃ〜……!」

「いきなり何するのよ、あんたたち!」

 目を釣り上げた二年生ふたりがギロリと梅とあざみを睨む。

「よし、逃げるゾあざみ!」

「了解です。逃走、開始」

 即座に逃げ出す梅とあざみを先程まで喧嘩していたふたりが追いかける。

「なるほど、スカートをめくるのは喧嘩を止めるのに効果的なのですね」

「あははは、あざみと梅は共犯だナ!」

 どこか楽しげに走る梅と何やら間違った知識を得てしまったあざみ。

「「待てぇ〜!!」」

 そんなふたりを仲良く追いかける二年生ふたり。

「ちょっとふたりとも!?」

 そんなふたりを喧嘩を止めようとしていた小柄な生徒が追いかける。

 そんな光景はこのあと一時間ばかり続くのであった。

 この日を境にしばらくの間、人目のあるところで喧嘩をするとスカートめくりに遭うという噂が百合ヶ丘女学院内でまことしやかに囁かれるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯22 ミリアム式改造法

 ある日の百合ヶ丘女学院の食堂。その片隅にGEHENA所属の研究者であり、あざみの上司でもある博士の姿があった。

 相変わらず無駄に眼鏡を右手中指でクイックイさせている博士の正面には一柳隊所属のリリィ兼アーセナルであるミリアムがチョコレートパフェをもぐもぐしつつ、ちょこんと座っている。

 そんな二人の間には両脚の根元の関節部分がものの見事にもげた弾薬箱さんがビッタンバッタンともがいていた。

 いつものように弾薬箱さんが訓練の標的役で駆け回っていたところ脚部の関節部分のパーツが破損してしまったのが午前中の話である。

 その後、修理の為にあざみに呼びだされた博士と何故か博士と意気投合してしまったミリアムがこうして弾薬箱さん改修プロジェクトを立ち上げてしまっていたのである。

 そして午後三時現在、博士とミリアムはおやつタイムついでに弾薬箱さん改修会議を開催していたのだった。

「うーん、これ以上の補強は無理っぽいねぇ」

「そうじゃのぅ。わらわが見たところ、関節部分の強度は限界じゃな。材質にしても構造にしても、どう弄くったところでそう変わらんじゃろ」

 クククッと口角をつり上げて怪しく笑うミリアムに弾薬箱さんは戦慄した。

「うん、その見立てどおりだろうねぇ」

 うんうんと頷いた博士がニンマリと笑った。

「ほぅ。なにやら考えがあるようじゃの」

 ミリアムが博士が取り出したブツを見ると、にぱにぱと笑顔を浮かべた。

「現状で無理なら大型化しかないよねぇ」

「そうじゃのぅ」

「なので、今回のボディはこれを使用したいと思います」

 博士がどんとテーブルに置いたそれは、弾薬箱さんのボディよりも大きな弾薬箱だった。

「12.7ミリの銃弾用の弾薬箱だ。これくらいのサイズなら拡張性も充分に確保できるだろうし、いろいろ試せると思うよ」

「ほうほう。強度も充分じゃろうし、思いきってあれこれ試すとするのじゃ」

 額をつき合わせるように弾薬箱さんを覗き込むふたり。

 そんな博士とミリアムに弾薬箱さんは力なくふるふると身を震わせることしか出来ないのだった。

 

 

 

「ぱんぱかぱーん!これより、弾薬箱さんver.2のお披露目をしまーす!」

 やたらとハイ・テンションな博士の声が響いたのは翌日の放課後のグラウンドだった。

 とはいえ、観客は銃器の訓練のカリキュラムの見直し中に博士に呼び出されてご機嫌ナナメなあざみくらいのものだが。

「もう修理が完了したのですか」

 標的役の弾薬箱さんの長期離脱を想定したカリキュラム見直しだったために、弾薬箱さんの修理が終わったのであれば素直に嬉しい。

 しかし、あざみの眉間の皺はくっきり浮かんだままだ。

 ジト目で博士のドヤ顔を眺めていたあざみの視線が、博士の背後でなにやらゴソゴソやってるミリアムの方へ向けられた。

 この頃、百合ヶ丘女学院で合言葉のように言われ続ける、ある言葉を思い出したのだ。

『一柳隊の梅とミリアムには気を付けろ』

 梅とミリアムというトラブルメーカーに振り回された被害者たちの深い感慨の刻まれたこの言葉には限りない重みを感じるのであった。

 ちなみに例のスカートめくりの一件で梅の共犯者として悪名を轟かせてしまったあざみも、それとなく警戒対象であるのだったりするのだが……。

 ともあれミリアムに一方的にライバル視され、なにかと勝負を申し込まれている楓からあれやこれやと情報を仕入れていたあざみはじぃっとミリアムを観察するのであった。

 そんなあざみの視線などどこ吹く風とばかりのミリアムがふぃーと息を吐きつつ立ち上がった。

 額に滲む汗もそのままに晴れやかな表情を浮かべたミリアムは博士に向けてサムズアップした。

「うんうん、調整も終わったようだね」

「うむ、わらわ会心の出来じゃな」

 いえーいとハイタッチするミリアムと博士の様子に、なんとなく嫌な予感がするあざみの瞳のハイライトが徐々にオフになっていく。

 そんな彼女の目の前でゆっくりと弾薬箱さんver.2を覆っていたブルーシートが外される。

 あざみの眼前に晒された弾薬箱さんver.2のボディは、これまでよりひとまわり大きくなっていた。

 相変わらず幼児の落書きっぽいつぶらな瞳と口の描かれたボディを支える脚は、装甲に覆われたガッシリとしたものに変わっている。

 そしてなによりもあざみの目を引いたのは、夕日を浴びてボディ表面に無駄に煌めくラメ塗装だった。

 なんだかものすごくキラキラする弾薬箱さんのボディに困惑しつつ、L字に曲がった

脚部の先っぽのブースターに視線を向けたあざみが首をこてりとかしげた。

「この装備は何でしょう?」

 そんなあざみにドヤァと言わんばかりのいい表情でミリアムは告げた。

「うむ、その形態こそは弾薬箱さんver.2強行補給型じゃな」

 両脚の先っぽの二基のブースターによる圧倒的な加速性能でもってヒュージの群れに突入・強行突破し、味方陣地に補給物資をバラまくという迷惑仕様の形態である。

 なお姿勢制御の為の装備は無く、弾薬箱さん本体に丸投げというトンデモ仕様なのだが、博士も立案したミリアムもそこのところはどうにかなるじゃろと楽観していたりする。

「もうこれ、駄目なヤツですね」

 そっとあざみが胸の前で十字をきった。

 弾薬箱さんよ、安らかに眠りたまえ。

「むう、そこまで言うのであればとくとその目で見るがよい」

 ちょっとむすっとしたミリアムが弾薬箱さんの脚部先っぽのブースターを起動させた。

「ゆけ、忌まわしき失敗の予感と共に!」

 点火したブースターから蒼白い炎が溢れると少しずつ弾薬箱さんが加速を始める。

(は!?なに?なんなの?!)

 ようやく意識が回復した弾薬箱さんが内心パニックを起こす。

 だが、加速は止まらない。

 あっという間に、弾薬箱さんのボディは地面を離れて文字通り斜め上方向にかっ飛んでいく。

「おお、飛んだねぇ」

 のんびりと博士が呟くと腕を組んだミリアムが胸を張る。

「どうじゃ。あの速度ならばヒュージの熱線すら容易く掻い潜れるわ」

 なんかぐにゃぐにゃと曲がりくねった航跡を残しつつグラウンド上空を飛ぶ弾薬箱さんを見上げたミリアムはドヤァと得意気な表情を浮かべた。

(のおぉぉぉ!?なにこれ!?なに!?)

 当の弾薬箱さんは脚部を動かしてブースターの向きを調整する以外に制御方法のない状況に声にならない悲鳴をあげながら、何とか着地しようと頑張っていた。

(ブレーキとかないの!?なんなの!?)

 改修作業の為にスイッチをオフにされ機能を停止、そうしてようやく起動したと思ったら唐突に空をかっ飛んでいたという状況に混乱しつつも懸命に脚部を動かしてグラウンドへの着地を試みる。

 しかし、ブースターの出力制御が出来ない。

 弾薬箱さんの視界の左下にプログラム変更の文字と少しずつ増えていくパーセンテージの数字。

 そう、いままさに博士の自信作のブースター制御プログラムを弾薬箱さん本体へとダウンロードしている最中なのである。

(もう駄目だー)

 ついに弾薬箱さんの制御を振り切ってしまったブースターが弾薬箱さんのボディをバレルロールさせつつグラウンドへ向けて流星の如く落下させる。

 そうして、予想される落下点には──

「ん、墜ちてくる?」

「なんじゃと!?」

「なんまいだー」

 ミリアムと博士、そして今回の被害者であるあざみが居たのだった。

 

 

 

 すっかり東の空に星が瞬く頃、百合ヶ丘女学院グラウンドに出来たクレーターを埋める作業に勤しむ三人の姿があったとかなかったとか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯23 神琳とあざみちゃん

 とある休日のこと。

 郭神琳は戸惑っていた。

 彼女の足元にはヒュージ研究の最先端をひた走る組織、GEHENAに所属する研究者の男が体育座りの格好のまま、横倒しにこてんと転がってえぐえぐと泣いていた。

 羽織った白衣が汚れるのも構わずに、縁にレースを贅沢にあしらったハンカチで時折目元を拭いつつ、男はさめざめと涙を流す。

 そんな彼は百合ヶ丘女学院で生徒でありながら銃火器の教導官を務める明野あざみの上司であるGEHENAの研究員。通称は博士である。

 GEHENAという組織には安藤鶴紗の過去の件もあって神琳は全くといっていいほど信用してはいない。

 しかし、である。突然、助けてくださいと涙ながらに訴えてくる博士を無下に扱えるほど神琳は非情ではなかったのだった。

 そんな博士に連れられてやって来た百合ヶ丘女学院特別寮。

 そこにあるあざみの部屋に一歩踏み込んだ瞬間に、あんまりといえばあんまりな光景を目のあたりにした神琳は唖然とし、博士は膝を抱えて倒れたのであった。

 その部屋の印象は、ひとことで言い表すとすれば映画なんかに登場しそうなテロリストや殺し屋のアジトである。

 質素な机やベッドにはところ狭しと拳銃やら小銃やらが並び、壁に取り付けられた吸盤で固定するタイプのフックにはハンドグレネードが吊るされている。隅っこの角では蓋が開きっぱなしの弾薬箱さんが複数のショットガンを生け花チックに生やしつつ、ちょこんとお座りしていた。

 そんな部屋のなかでは、両手をオイルでベトベトに汚したあざみがちょうど愛用のMP7の整備を終えたところであった。

「神琳さんと博士……ですか?何か御用でしょうか」

 作業用の胸当て付きエプロンで両手のオイル汚れをゴシゴシしつつ不思議そうにあざみが首を傾げた。

 あざみにしてみればほぼ誰も訪れない自室に博士はともかくとして神琳が現れたのが驚きなのだろう。神琳としても博士に連れられてない限り、訪れる事のなかった場所である。

「それが、突然この方に助けを求められましたの」

 神琳が部屋のなかを見渡しながら用向きを伝えるも、あざみの首はさらに傾くだけだった。

「博士がですか?」

 心当たりが全くない様子のあざみがやっとこさ起きあがった博士に歩み寄った。

「いったい、今度は何をやらかしたんです?」

 博士の真正面に腰に手をあてて仁王立ちしたあざみが問う。

「…………」

 しかし、あざみの姿を茫然と見つめたあと、博士は鼻血を噴出させつつ気絶したのであった。

 

 

 

 

  とりあえず気絶した博士を弾薬箱さんが医務室へと引き摺っていくのを見送ったあざみと神琳は寮のオープンテラスの壁際の席でお茶していた。

 事態の急展開についていけずに、ひとまずお茶でも飲んで落ち着く必要があったのである。

 休日というのもあって、そこそこ空いてはいるもののそれなりに席は埋まっているのだが、その誰しもの視線をあざみが独占している。

 そんな現状を気にする素振りもなくレモンティーに添えられたレモンの輪切りをモシャモシャするあざみの向かい合って座った神琳は頭を抱えていた。

 神琳には判っているのだ。この状況の原因はズバリあざみの服装であると。

 黒のチューブトップとホットパンツの上から胸当て付きの作業用エプロンを着用しているために、正面からだと裸エプロン状態に見えるのである。

 しかも角のテーブルの隅っこの席にいるために、あざみは基本的に正面から視線を受けることになっているのだが、本人は素知らぬ顔である。

 あざみをわりとガン見している生徒たちは、果たしてちゃんとエプロンの下を着ているのかいないのかが気になって仕方ない様子で「そこんとこどうなの?」と言わんばかりに同席の神琳にもちらりちらりと視線を向けてくる。

(何故こうなりましたの?)

 そんなわけで、さしもの神琳も頭を抱えるほかなかったのである。

「やだ、あざみちゃんたら大胆……」

「銃器の教導官は夜の教導官でもあった……?」

「写真……、写真を撮らねば!」

 周囲の無遠慮な視線に晒されつつも涼しい顔のあざみがぱちぱちと目を瞬かせた。

「皆さん、わたしを見ているようですが何か御用なのでしょうか?」

 心底理由がわからない様子のあざみに神琳は内心ため息を吐きつつ告げた。

「わたくしや皆さんの方向からでは、あざみさんがエプロンの下に何も身につけていないように見えるのですわ」

 神琳の指摘を受けて、あざみは自分の格好を見下ろす。そうして何かしら納得したようにこくりと頷いておもむろに席を立つと、エプロンの裾をぺろりとまくりあげた。ホットパンツから伸びる白い太ももが眩しい。

「このとおり、ちゃんと衣服は身につけていますよ」

 しかし、あざみの天然かつ大胆な行動に目を奪われた周囲の人たちはそんな声なんて聞いちゃいなかった。

 桃色的に騒然となるオープンテラスの惨状を目にして、なんとなく博士が助けを求めてきた意味がわかった気がした神琳だった。

 戦闘や訓練、授業ではしっかり者という印象で頼りになるあざみの私生活や価値観が、まさかこれほど酷いとは思いもよらなかった。というかいろいろと無防備すぎである。

(何かしら間違いが起きる前に、わたくしが何とかしなければ……!)

 ぐっと拳を握りしめてあざみの意識改革と私生活の改善を断行することを決意する神琳。

 そうして、それから神琳に日常生活における常識と生活改善の指導を受けるあざみの姿が百合ヶ丘女学院のそこかしこで目撃されるのであった。

 

 

 

 神琳による生活指導を真面目に受けるあざみの姿を弾薬箱さんのカメラ越しに見守る博士が感涙に咽んでいた。

「普通の女学生の休日の過ごし方を教えてあげてほしいってお願いするはずだったんだけど……」

 しかし、あざみちゃんの裸エプロン状態を目のあたりにした衝撃で気絶してしまったので、お願い事は出来なかった。

 だが、何があったのか知らないけれど幸運にも神琳による生活指導のおかげであざみのポンコツな私生活は改善の兆しをみせている。

「やっと、やっと訓練と仕事とサプリメント漬けのあざみちゃんの生活を見守る苦痛から解放されるんだね……」

 その日、博士は人知れず祝杯をあげたという。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯24 雨嘉とかわいいもの

 王雨嘉(わんゆーじあ)は明野あざみがちょっぴり苦手である。

 真っ直ぐに此方に向けられる赤い瞳も、穏やかながらどこか機械的な冷たさを感じる口調も、リリィとしての真摯さも。そのどれもが自分の弱さを突きつけられているみたいで。

 もちろん、あざみにはそんなつもりはまったくないのだから、雨嘉が勝手にそう感じているだけなのだけれど。

 そんな事をぼんやりと考えてしまうのはそんな彼女が自分の隣をてくてくと歩いているからだろうか。

 どうしてこうなったのかと雨嘉は密かに頭を抱えるのだった。

 

 

 

 それは放課後、あざみが教導官を務める銃火器のカリキュラムで配られた学期間の成績表を寮にある自室で読んでいた時のこと。

 弾薬箱さんを標的として行われた様々な条件下での射撃訓練の内容と結果、それから評価が記された成績表を読んでいくほどに雨嘉の背中が丸まっていく。

(射撃、特に中・長距離はBとA。だけど……)

 評価が高いのはそのくらいで、あとは平均点かそれを下回る項目もある。

 特に水鉄砲を使用しての敵味方入り交じった至近距離での乱戦を想定した訓練の成績が特によろしくない。

 自信のなさが影響してか、フレンドリーファイアを恐れて引き金を引けなかった場面が何度もあった。

 そんなわけで客観的かつ事実そのまんまなあざみのコメントが雨嘉の胸にクリティカルヒットしてしまったのであった。

(ちょっとくらい加減してくれてもいいのに……)

 そんな風に思ってしまうけれど、常日頃からリリィたちの生還率を上げるのが自分の仕事と言い切るあざみの一生懸命さを思えば、甘えた言葉を口にするのは躊躇われた。

「はあ……」

 無意識に重苦しいため息が溢れた。

 ちょうどそんなときに何だか困惑した様子のあざみが訪ねて来たのだった。

 

 

 

 そんなわけで雨嘉とあざみは吉坂教導官に外出許可を得て、百合ヶ丘女学院に程近い商業施設にやって来ていた。思いのほかすんなり許可を得られたのはGEHENA絡みだからなのだろう。

 道すがらあざみに事情を訊いた雨嘉の眉間には前人未踏の険しい渓谷の如く深い皺が出現したのは言うまでもない。

 なんでもGEHENAの研究者のストレス軽減のための物資の調達を命じられたのだそうだ。しかし、その指定された物資というのがある意味で問題なのである。

「かわいいものって、その、具体的にはどんなものなのかな?」

「なんでも、見るからに愛らしい癒し系なかわいいものだそうです」

 雨嘉の問いに答えるあざみの眉間にも深い渓谷が出現していた。

 お互いの眉間の渓谷を見つめあった二人はがっくりと肩を落とす。

「もう癒し系グッズでいいんじゃない?」

「わたしもそう判断したのですが、施設内は香りの強いものや火を使用するものは厳禁だと……」

 残念ながらお手軽に任務達成できそうなアロマキャンドルやアロマミストは規則的にNGなのである。

 ヒュージ関連の種々様々、合法非合法な研究や実験を日夜繰り広げるGEHENAの施設はいろいろと制限が厳しいようだ。

「そもそもどうしてあざみさんに頼むんだろう?」

 どこかのバイヤーにでも依頼すれば良いだろうにと雨嘉は思うのだ。

「さあ?博士をはじめとしてあの組織の人間の思考は理解不能ですので」

 立ち止まってこてりと首を傾げた二人の前にはファンシーな雑貨がショーケースにディスプレイされたショップの入り口。

「とにかく実際に商品を見てみましょう」

 買い物かごを頭に乗っけた弾薬箱さんを引き連れたあざみが、お店に足を踏み入れる。

 ショーケースに目を奪われていた雨嘉は慌ててその背中を追うのだった。

 そうして始まったお買い物はというと、雨嘉の精神力をガリガリと削り取るものであった。

「こういうのはどうでしょう?」

 あざみが雨嘉に広げて見せたのはなんとも言えない微妙なキャラクターがプリントされたタオルだった。

「えっと……、あざみさんはそれで癒されたりする?」

「……商品棚に戻してきます」

 お店に入ってからこんなやり取りの繰り返しである。

 あざみが手に取る商品は何故だか素直にかわいいと言えないものばかりだった。

 きもかわいい系だったりちょっぴり不気味なテイストだったりと、とにかくストレートなかわいさからズレてしまっているのである。

「あの、こういうのでいいんじゃないかなって、思うんだけど」

 雨嘉が選んだのは手のひらサイズのうさぎのぬいぐるみだった。まるっとしたフォルムとつぶらな瞳がかわいらしい。

「なるほど……」

 真剣な表情でそれを食い入るように見つめたあざみがふんすと気合いを入れる。

 どうやら再びトライするつもりのようだ。

 そうして店内を巡りめぐってあざみがチョイスしたものは──

「これはないと思う」

 内気な雨嘉さえも思わずきっぱり拒絶してしまうもの、すなわちもふもふな熊さんの被り物であった。ぬいぐるみっぽくデフォルメされたデザインがポップでキュートではある。だがしかし、被り物である。しかも顔がバッチリでちゃうヤツ。

 ちゃっかり試着しちゃってるあざみの姿はなんだかんだでかわいらしいとは思うけれど。しかし、残念ながらこれをGEHENAの研究員が被るとなると果たしてかわいいといえるのか?そんな光景を想像した雨嘉の眉間に再び深く険しい渓谷が現れた。

「もふもふですよ?」

 しかし、あざみも猫さんの被り物を追加して推してくる。

 いったい何が彼女の琴線に触れたのだろうか。いや、これまでのものよりかわいいのは事実であるのだけれど。

「この肌触りは癒されると判断しました」

 そう言うなり雨嘉に猫さんをぽすっと被らせるあざみ。

 当然、雨嘉の頭部はもふもふに包まれた。

 長すぎず短すぎない絶妙な長さの柔らかな毛が雨嘉の頬を心地よくくすぐる。

 もふもふに包まれた途端、雨嘉の眉間に出現していた深い皺が消えた。

「癒し効果の検証を終了。これより購入手続きを開始します」

 そんなあざみの声が聞こえた気がしたけれどもふもふに夢中の雨嘉は割とどうでもよくなっていたのだった。

 

 

 

 ──後日、視察に訪れた研究施設で、猫や熊などの被り物を被りつつ働く研究員たちの姿を目にしたGEHENAの幹部たちが頬をひきつらせる事になるのだが、それは彼女たちの知らなくて良い話である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯25 鶴紗さんの実験成果

 人体実験の被験者だった安藤鶴紗にとって、GEHENAという組織は嫌悪と恐怖の対象だった。

 百合ヶ丘女学院の理事長をはじめとした大人たちに救いだされ人体実験は中止となったものの、鎌倉府防衛隊を通じて鶴紗はGEHENAの戦力として酷使されている。

 そんな彼女の所属するレギオン、一柳隊にひょっこり加入したGEHENA所属のリリィである明野あざみは、鶴紗にとって脅威だった。

(だった……はずなんだけど)

 目の前で子どもたちに群がられ困惑するあざみの姿を一瞥して鶴紗はため息を吐いた。

 それとなく日頃の行動を観察してきたけれど特に何か企んでいる様子もなく、真面目に授業や訓練、ヒュージとの戦闘をこなしている。

 あざみの上司である胡散臭い白衣の男はともかく、あざみ本人はそれなりに信頼してもいいのかもしれない。

 ぼんやりとそんな事を考えつつ、鶴紗が周囲へ視線を向ければ、まるで憧れのアイドルを目にしたファンのような、やたら瞳をキラキラと輝かせている子どもたちがいた。

 この子どもたちは表向きは鎌倉府が運営している孤児院に引き取られた子たちで、今回の鶴紗の任務はその護衛である。

 郊外の特に遊具もない広場のような公園で存分に遊ばせてやってほしいという鎌倉府防衛隊からの命令に半ば呆れ、しかし拒否はできないのでいろいろ諦めた鶴紗は、何故か同行することになったあざみとこの任務に従事していた。

「あまり遠くに行かないことと、ヒュージが現れたらちゃんと私たちや防衛隊の人たちの指示に従うこと。わかった?」

 鶴紗が注意事項を伝えれば子どもたちは手をあげて、はーいといい返事を返してくる。

「怪我に気をつけて遊んできなさい」

 その言葉を合図に思い思いの遊び道具を携えて子どもたちは広場に散らばって遊びはじめた。

 それを見送って鶴紗とあざみはそれぞれのCHARMを待機状態で起動しつつ、周辺の警戒を始めた。

 いちおう広場の外周沿いに鎌倉府防衛隊の部隊が展開してはいるが、ミドル級以上のヒュージには対処できないし、なにより子どもたちの監視もせねばならない。残念ながら鶴紗たちは遊んでいる時間はなかった。

 情報端末を操作して付近にケイブ発生の兆候が観測されてないことを確認すると、鶴紗は地面に敷いたビニールシートに腰をおろした。

 楽しそうに遊ぶ子どもたちを眺めつつ、持参した魔法瓶のボトルから紅茶を注いだ紙コップを手に一息ついていると、いつの間にやら隣にちょこんとあざみが座っていた。

「……何か用?」

 視線を向けてそう訊いてみれば、不思議そうに首を傾げられた。

「特には」

 そう返事を返すあざみの視線の先には子どもを乗っけてパワフルに疾走する弾薬箱さんの姿があった。

 用事がないならほっといてほしいというのが偽らざる鶴紗の本音だ。

 しかし、何故か鶴紗になついてしまっているあざみは、鶴紗の塩対応もスルーしてあれこれと関わろうとしてくるのである。

「なんの理由があるのか知らないけれど私は貴女と馴れ合う気はないわよ」

 もう何度目かのそんな拒絶の言葉もどこ吹く風とばかりに無視したあざみが通信端末を鶴紗の脇にそっと置いた。

 その意味不明な行動に鶴紗が首を傾げていると、端末から若い男の声が聞こえてきた。

「ゲェッヘッヘッナァ!」

 それは奇妙で珍妙な高笑いであった。

「これ、壊していい?」

 素早く立ち上がり、戦闘態勢に移行した鶴紗が割と本気で愛用のCHARM、ダインスレイフを不快な高笑いを垂れ流す端末に向けて振り下ろそうとする。途端に、高笑いはピタリと止まった。

「待ってやめて!それ壊されたら博士、自腹で弁償なの!」

 必死にお願いする博士の台詞にため息を返しつつ、鶴紗は再び腰をおろした。

「あ、あざみちゃんは周辺の見回りでもお願いするよ。いちおうこの辺りはモニタリングしてるけど念のためにね」

「了解です」

 博士からの指示を受けてあざみは公園内の見回りに出発し、鶴紗から離れていく。

「それで、あの子を遠ざけて何の話なのかしら?」

 殊更冷たい口調で問いかけても、端末の向こうの博士はのほほんとしていた。

「いや、君があざみちゃんを嫌っているみたいだから、あんまり邪険にしないようお願いしたくて」

「邪険になんかしてないわ。接触を最低限に控えているだけ」

 素っ気ない鶴紗の返答に流石の博士も苦笑いするしかない。

「まぁ、GEHENAを嫌う君が僕らを拒絶するのも無理もないのかな」

 博士のお気楽な声色は鶴紗の神経を逆なでした。

「当たり前でしょう。誰だって自分の身体を好き勝手弄くった相手に好感なんて持てるわけがない」

「そりゃあそうだ。どんな理由があったとしても君にとってはあれは理不尽な扱いだったろう」

 鶴紗の精一杯の口撃に対する博士の返答は少しだけ声に陰りがあった。

「僕たちGEHENAの研究者は残念ながら実験の対象であるリリィの都合に配慮してあげられない。それは君が身をもって知っているはずだ」

 必要なら非人道的な実験も辞さないのがGEHENAの対ヒュージ研究の在り方だ。

 人類の必死の抵抗をものともせずジリジリと占領地を増やし続けるヒュージ。

 その脅威をデータという残酷なまでに誤魔化しのきかないカタチで認識しているからこそ、どんな手段をもってしてもヒュージの脅威をはね除ける手段を確立することがGEHENAの最優先の目的だった。

「でもね。少なくとも僕は、君たちが命掛けでもたらしてくれた成果を無意味な数字で終わらせることはしない。それだけは誓って本当だ」

 真剣な口調の博士の言葉を、鶴紗は首を振って否定する。

「信用ならないわね」

「ははっ、そうだろうねぇ。だけどあざみちゃんはいつだってリリィに対しては真摯で誠実だ。それは信用してくれていい」

 いつになく真面目な様子の博士に鶴紗はひとつの疑問をぶつけてみることにした。

「そういえばあの子やたらと私になついているのだけど、理由に心当たりはある?」

 鶴紗本人に全く身におぼえがない以上、博士なら何か知っているはずだ。

 そんな鶴紗の問いに博士はあっけらかんと答えてみせた。

「うん、彼女は人工的にリリィと同等の人間を産み出し、量産する実験計画のベースモデルなんだけどね」

 クローン技術を利用した人造リリィの量産を目的としたImitat Lily計画。

 ヒュージに対する数的不利を覆す目的で始まったそれは初期の段階で頓挫していた。

 量産する基となる人造リリィの製造で行き詰まっていたのだ。

 どんなに試行錯誤しても成育途中で死亡したりスキラー数値が規定値以下だったりと失敗続きだった。

 そんなこんなで博士が頭を抱えていたときにもたらされたのが鶴紗が受けさせられたいくつかの実験の成果であった。

「その成果によってようやく製造に成功したのが、あざみちゃんなわけ。つまり君はあざみちゃん誕生の恩人というわけだ」

 博士の説明を聞き終えた鶴紗の表情はなかなかに複雑だった。

 受けさせられた実験は鶴紗にとって苦痛以外のなにものでもなかった。しかしそれにきちんと意味があったこと。それがなにかの、誰かの助けになっていたのだと知ってなんともいえない気分だった。

「……これからは少しくらい優しくしてあげてもいいのかしら?」

 何とはなしに呟いた鶴紗の視線の先には、子どもにまとわりつかれて困り果てているあざみの姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯26 二川二水は策略家である。

 二川二水を庇った弾薬箱さんがものすごい勢いで吹っ飛んでいく。

 そうして二水はついに追い詰められてしまったのだった。

 所謂チェックメイトというやつである。

「フフッ。さぁ二水さん、観念してくださいましね?」

「ひっ……!」

 二水の前方。十メートル先にいる楓・J・ヌーベルが再び手元に戻ってきたモノを手にして、にたりと嗤う。

「……」

「二水ちゃん、大丈夫。抵抗しなければ痛くしないから」

 すぐ左には白井夢結が油断なく身構え、背後では一柳梨璃がいつになく真剣な表情で似合わない台詞を吐いていた。

 もはや退路はなく、楓の攻撃を避けたところで間髪いれずに夢結か梨璃がとどめを刺しにくるだろう。

 流石にそれを避ける自信はないし、受け止めるなど論外だ。

 背を伝う冷たい汗に眉をひそめながら、二水はこの場で唯一の味方へと視線を向けた。

 二水の視線に気付いた安藤鶴紗がふるふると力なく首を横に振った。

 鶴紗のレアスキルであるファンタズムでも二水が生き残る道筋を見つけることは出来なかったようだ。

「さぁ、いきますわよ!」

 勝利を確信した楓が叫んだ──

 

 

 

 事の始まりは放課後。各レギオンが訓練に励む時間でのこと。

「今日の訓練は、ドッジボールをしましょう」

 ゴム製のボールを抱えたあざみがまるで小学生が遊びに誘うようにさらりと提案してきたのだ。

「ドッジボールって……。あなた、遊んでる暇があると思ってるの?」

 鶴紗が呆れた様子で文句を言った。

 GEHENA所属のあざみに対して相変わらず厳しい態度である。

「理由をお聞きしても?」

 鶴紗の隣にいた郭神琳が興味津々な様子で訊ねる。

「はい。このところ訓練内容がマンネリ化しているように思います」

 そう指摘するあざみの視線の先では、吉村・thi・梅がくあぁとでっかい欠伸をしていた。

「確かに最近、同じような訓練ばかりだったかも……」

 梨璃がポツリと呟くと夢結がゆるゆると首を振った。

「次のステップに進めないのは誰かさんたちの上達が遅いからでしょう?」

 夢結の指摘に苦笑いを浮かべる補欠合格組のふたり。梨璃と二水である。

 ヒュージとの戦闘において重要になってくるのが、如何にヒュージからの攻撃を避けるかということである。

 マギの護りがあるとはいえ、直撃を受ければ少々の怪我では済まないのだ。それこそ、即死の可能性だってある。

 装備しているCHARMにしても防御に使えないこともないが、アーセナル非推奨の運用なので修理を依頼するときにめちゃくちゃお説教されることになる。

 最悪の場合、CHARMの修理の順番が後回しにされたり断られることもある。

 そんなわけで一柳隊の面々はこのところ回避の訓練を行っているわけだが、進捗はあまり芳しくない。

「なるほど、レアスキルの使用も可とすれば訓練としての意義もじゅうぶんだと思いますが」

 意外ことにあっさりと神琳は賛成のようだ。

「えっと、たまにはこういうのも良いかなって」

 梨璃も賛成に一票を投じた。そうなれば自然と残りのメンバーもじゃあやってみようかという空気になる。

 審判を務めるあざみが横十メートル、縦十メートルの正方形をふたつ繋げた長方形のコートをラインカーで引いているあいだに、チーム分けが行われた。

 厳正なあみだくじの結果、梨璃・夢結・楓・神琳・ミリアムのチームと二水・梅・鶴紗・雨嘉・弾薬箱さんのチームに分かれることになった。

 ルールは通常のものに加えて、レアスキルの使用有り。なおかつ相手チームが全員コート外に出た時点で勝ったほうのチームをふたつに分けて試合を再開する。つまり、最後のひとりになるまで試合は終わらないサバイバルマッチなのである。

「最後まで残った方にはひとつだけ望みを博士が叶えてくれるそうです」

 しれっとあざみがそんな事を告げると誰もが目の色を変えた。

「フフフ。ならばこの楓・J・ヌーベル、梨璃さんといっしょにラムネジュースを堪能することを所望いたしますわ!」

「わあ!」

 楓の宣言を聞いて顔を綻ばせる梨璃。しかし、鶴紗と二水は即座に楓の企みを看破した。

(一本のラムネジュースをシェアして間接キスするつもりだ……!)

 鶴紗と二水がアイコンタクトを交わして互いに頷く。もちろん、目的は楓の望みを阻止することである。

 そんなわけで一柳隊のドッジボール対決は始まった。

 チームメンバーの攻撃力の高さを生かして攻める梨璃のチームと戦術を駆使してそれに対抗する二水のチームはなかなかに見応えのある試合を展開していく。

 しかし、である。主に小学生の行う球技と侮るなかれ。マギでもって身体能力を強化したリリィが行うとなればそれはもう別次元のトンデモ球技と化していた。

「のっ……じゃあぁぁぁ!!」

 フェイズトランセンデンスを発動したミリアムがボールを全力全開でぶん投げる。

 文字通り、音速を超えて目にも止まらぬ速さでかっ飛ぶかにみえたボールは、ミリアムの手を離れるやいなや、空気抵抗という壁に押し潰されて破裂した。

「ふにぁあ……」

 へろへろと倒れ込んだミリアムは結局、スペアのボールをぶつけられてアウトとなった。

 これで梨璃たちのチームは楓ひとりとなった。対する二水のチームも二水と鶴紗とおまけの弾薬箱さんが残るだけであった。

 

 

 

 そうして話は冒頭へと戻る。

 地面に轍を残しつつ吹っ飛んでいった弾薬箱さんをあえて無視して二水は前を向く。

(ここまでは作戦どおり……!)

 アタッカーである鶴紗は見るからに疲労困憊の状態である以上、次の楓の狙いは二水だろう。いや、二水でなければ困る。

 鶴紗を残す為に二水は全力を注いできたのだから。

 チームの戦力で夢結や梅、神琳をアウトに出来るのは鶴紗しかいないために、二水は自身を囮にする作戦を立てた。

 作戦どおりに他のメンバーが二水を庇ってアウトになってくれた為に、梨璃たちは最優先で二水を標的としたのだ。

(おかげで鶴紗さんがここまで残った。あとは……)

 それとなくわざとコーナーへ追い詰められてみせたものの、二水の身体が緊張で強張る。あと楓の気迫が恐ろしい。

 しかし、そんなことで負けるわけにはいかないのだ。

(ここが勝負どころです!)

 自身がここでアウトになるのは想定内だが、そのあとのボールの行方が勝負の分かれ目だ。

「さぁ、いきますわよ!」

 楓の手からボールが離れる瞬間、二水は前へと踏み出す。

 少し高めのコースで向かってきたボールは懸命にキャッチしようとする二水の肩にあたると、勢いよく楓の方へ跳ねた。

(勢いも方向も良しッ!)

 ボールにあたった弾みで盛大に尻餅をついてしまったことも二水にとっては幸運だった。

 おかげで相手チームの意識は完全に鶴紗から外れた。

 勝利を確信した楓が戻ってきたボールに悠々と手を伸ばした。

 直後、ボールは突然勢いを増すと同時にその軌道を変えた。そうして楓の手を弾いて地面に落ちた。

「え……!?」

「油断したわね」

 唖然とする楓の目の前には右腕を振り抜いた鶴紗の姿があった。ボールの軌道を変えたのは他ならぬ彼女だったのだ。

「くっ……。ファンタズムですわね」

「ええ。だけどこれは二水さんとみんなが導いてくれた勝利でもあるわ」

 二水たちのチームは初めから鶴紗に勝利させる方針で動いていたのだ。すべては楓の魔の手から梨璃を守らんがためである。

「参りましたわ。残念ですが、梨璃さんにラムネジュースを口移しするのは別の機会になりますわね」

 心底悔しそうに楓が呟く。

 それを耳にした者はもれなくこう思ったという──

 

(鶴紗さんが勝ってくれて、本当によかった)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯27 楓さんはバスのなかで

(まさしく、これは両手に花ですわ!)

 目的地であるショッピングモールのバス停へと向かう、ほぼ貸し切り状態のバスのなかで、楓・J・ヌーベルはご機嫌であった。

 一番うしろの五人掛けの座席の中央に座った楓の両肩には、それぞれ穏やかに寝息を立てる一柳梨璃と明野あざみの頭がもたれかかっていたからである。

 昨晩、遅くまで自主訓練に励んだ梨璃と教導官としての職務で徹夜だったあざみはバスに揺られているうちにすっかり居眠りしてしまったのであった。

 そんな三人の様子を見た弾薬箱さんは自身から取り出した小さめのブランケットをそれぞれの膝に掛けて、ひとつ前の席へ座った。なかなかの紳士っぷりである。

 そんなわけで邪魔者のいないバスのなかで楓はひとり、自身の幸福を噛みしめるのだった。

(本日は、待ちに待った梨璃さんとあざみさんとのショッピング。たしか、おふたりは私服をお望みとか。ここはわたくしがしっかりとコーディネートして差し上げなくては!)

 本日の予定を頭のなかで再確認してふんす、と楓が膝のブランケットの陰で拳を握りしめて気合いを入れていると、バスがガタンと揺れた。

 その弾みで梨璃の頭がずるりと楓の肩からずり落ちて、ぽふんと楓の太ももにぽすんと軟着陸した。端からみれば楓が梨璃を膝枕している状態だ。

 楓の程よい肉付きの太ももと弾薬箱さんが掛けてくれた少し厚手のブランケットが優しく受け止めてくれたせいか梨璃が目を覚ますことはなかった。

(ナイスですわ、ブランケット!)

 心中でブランケットを称賛しつつ、楓は迷わず梨璃の頭を撫でた。というより撫でない選択肢などあるはずもないのである。

 そして知らず知らずのうちに頬を紅潮させた楓が、夢中になって梨璃の桃色の髪を手櫛で梳いてはそのさらさらとした感触を堪能する。

 ここがバスのなかという公衆の目のある場所でなかったら他の部位も撫でまわしていたのだろう。

 けれど、深い青の瞳の奥に仄かな情欲の焔を灯しつつもそれを実行しない辺り、まだ楓の理性は踏ん張っているようだ。

 ともあれ僅かに欲求不満は感じつつも、思う存分無防備に眠る梨璃に触れられるとあって、まさに楓の幸せの絶頂であった。

(せっかくの機会ですもの。思う存分、梨璃さんを堪能しなくては)

 いつもであれば梨璃とのスキンシップを邪魔してくる安藤鶴紗がいないこの機会に普段は欠乏気味な梨璃成分の備蓄をしなければならない。

 それまで頭をやさしく撫でていた楓の手が梨璃の頬に伸びた。手のひらで包むように梨璃の頬に触れる。

 じんわりとした梨璃の体温の温もりが手のひらから胸の奥へと染み込んでくるような感覚は楓を恍惚とさせた。

「はぁ……」

 すべすべつるりとした肌触りとふにふにとした心地よい弾力の梨璃の頬。その感触に思わず艶やかな吐息がこぼれた。

(これはもう無限にぷにぷにしてられますわね)

 薄く施されたメイクが崩れないようさわさわと頬をさする楓の表情筋はすっかりゆるゆるになっていた。

 ひとしきり梨璃成分を補給して落ち着いた楓の視線が自身の左腕に向いた。それはいまだ熟睡中のあざみの両腕にがっちりホールドされている。

 普段の淡々とした言動からは想像もつかない、ともすれば梨璃よりも少し幼く見えるあどけないあざみの寝顔に楓はつい見入ってしまう。

 ヒュージ研究機関であるGEHENAに所属し、百合ヶ丘女学院では生徒として勉学と訓練に励みながらも通常火器運用のカリキュラムの教導官を務めるあざみの年相応の少女らしい姿は楓の好ましいものだった。

(そうでしたわね。いくらしっかりしていると言えど、あざみさんもわたくしと同年代……)

 こと戦闘については知識も能力も非のうちどころのないあざみだったが、私生活については少々残念であったことを思いだした。

 見かねた郭神琳の生活指導でだいぶ改善したと聞いたが、そこのところが少しだけ不満な楓であった。

(わたくしに任せてくだされば、あざみさんをどこに出しても恥ずかしくない立派な淑女にして差し上げましたのに)

 そんなことを考えて思わずぷっくりと頬を膨らませてしまった楓だった。

 GEHENAの所属と聞いたときにはずいぶんと警戒したものだったが、幾度か共にヒュージの迎撃に出撃したり、授業を受けるうちにあの胡散臭い博士はともかくとして、あざみ個人は信頼できると判断していた。

 それは楓のみならず、一柳隊全員の意見でもあった。もっとも、隊長である梨璃ははじめから疑ってすらいなかったけれど。

(念のため、あざみさんの事を調べてみましたけれどいっそ清々しいまでの白でしたわね)

 一時期欧州に渡っていたのはわかっていたため、その辺を中心に自身の交友関係を伝手にして調べてみたのだ。

 少々心苦しくはあったがこれも愛しの梨璃を守るためである。

 そうして得られた情報はといえば、当時のあざみのリリィとしての評価と彼女の参加した幾つかの戦闘のレポートであった。

 迎撃や防衛に際してヒュージの撃破数が低い。評価のほうもヒュージ撃滅への積極性の低さにより、かなり辛辣なものとなっていた。

 しかし、一方で都市部などの防衛を担うレギオンや軍からは高い評価を得ていた。

 これらの評価のあまりに極端な差異に首を傾げた楓であったが、それはすぐに納得へと変わる。

(あざみさんの参加したレギオンの被害が他に比べて極端に少ない?)

 少数だけ手に入った戦闘のレポートのどれもが、ほとんど被害らしい被害を報告していなかった。

 少数の軽傷がほとんどで、ほぼ無傷で戦闘を終えたというものもある。

(無傷で終えた戦闘では決まってあざみさんがポジションについていない……)

 恐らくはヒュージを引きつける囮として別行動をとったのだろう。レポートが示す戦闘の経緯もそれを物語っていた。身を隠して一旦やり過ごしたのちに背後からの強襲やヒュージを特定の地点に誘い込んでからの十字砲火等々である。

 あざみの使うCHARM、ノルト・リヒトは刃から赤い残光を発する。それがヒュージを引きつける囮役にはもってこいなのだろう。

 はぁ……、とため息がこぼれた。あざみの無茶は昔っからだったのだ。

(リリィは大切なもののために命を懸けるものとはいえ、梨璃さんもあざみさんもあまり無茶はしないで欲しいですわね)

 それまで梨璃のぷにぷにの頬っぺたを撫でていた楓の手が、あざみの頭へと伸びる。

『わたしはリリィを戦場から無事に帰還させる為に存在するのですから』

 それはあざみが教導官としての初めての授業の最後に呟いた言葉。

 楓はそれを腹立たしく、けれどどこかこそばゆく感じながら、あざみの頭を撫でるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯28 夢結さまと相談事

 その時、白井夢結は酷く落ち込んでいた。

 原因はここ最近の暑さのせいか大好物のラムネジュースを梨璃が飲み過ぎたことである。訓練等で運動量がかなりあるとはいえ、砂糖が相当量含まれるラムネジュースを十本も飲んでしまえば流石に健康面が心配にもなる。

 シルトである梨璃を導くシュッツエンゲルである夢結はそれを到底看過するわけにはいかずに、梨璃に対して一日のラムネジュースの消費量を制限することを言い渡したのである。

「そういうわけだから、これからラムネジュースは一日に四本までとするわね」

 心を鬼にして冷徹に、無慈悲にそう言った夢結の顔を見上げる梨璃の驚愕の表情とその目尻に浮かぶ涙の粒。

 もっとも、当の梨璃は四本も飲んで良いの!?という驚きと安堵で涙ぐんだのが真相だったりする。

 しかし、そんなことを知るよしもない夢結の胸は、梨璃の表情を思い返すたびに張り裂けんばかりに痛むのであった。

 そんな彼女を放って置けなかった吉村・Thi・梅が明野あざみに自分の代わりにと夢結の相談相手を丸投げ……、もとい依頼したのがつい先ほど。

 しかし、明野あざみは悪名高いヒュージ研究機関であるGEHENA所属なのである。結果、警戒されて夢結が相談事を打ち明ける相手には自身は不適格と判断したあざみが提案したのが、博士から借りたノートパソコンを利用したビデオ通話によるお悩み相談であった。

『そう、それでこんなに落ち込んでいるのね』

 ノートパソコンのモニター越しにお台場迎撃戦で共闘して以来、夢結と親交のある関東地区のガーデンであるルドビコ女学院のリリィ、福山ジャンヌ幸恵が事情を話し終えた夢結に向けて、優しく声を掛けた。

『でも、梨璃さんを思えば言うべきことだったと思うわ』

 幸恵の言葉に俯いていた夢結がようやく顔をあげた。

 その表情は幾らか明るくなった様子をみるにあざみの提案は成功したようだった。しかし──

『大切な梨璃さんが虫歯にでもなったら大変だものね』

 ポロリと溢れた幸恵の言葉で事態はおかしな方向へと進むことになった。

「「はい?」」

 幸恵のどこかずれた発言に耳を疑ったのは夢結の隣で黙って話を聞いていたあざみと幸恵の隣でこれまた話を聞いていた岸本ルチア来夢だった。

「そこは糖分の過剰摂取による肥満や生活習慣病の心配をすべきでは?」

 そんなあざみのもっともな発言に頷きを返しつつも、けれど虫歯も馬鹿にできないのよ、と幸恵は人差し指を立てた。

「幸恵さまっ!?」

「このあいだ、来夢が虫歯になってしまって」

 なにやら慌てた様子の来夢が幸恵が話をするのを止めようとするも時すでに遅しであった。

 

 

 

 それは虫歯になってしまった来夢が幸恵に付き添われて歯科医院を訪れたときのこと。

 幸恵と隣り合って、待合室のソファーに座っていたところ、ズキズキする奥歯の痛みに気をとられてぼぅっとしていた来夢が、治療室内から響いてきた歯科特有のチュイーンというあの音にびっくりして涙目になるという非常に些細な事件が起こったのだった。

 自分のちょっぴり情けない姿をシュベスターである幸恵に見られたのが恥ずかしさもあって余計に涙目な来夢。そんな彼女の様子を見た幸恵が見事に勘違いしてしまったのだ。

 来夢が虫歯の治療を怖がっていると──

 結局、虫歯の治療はすんなりと終えたけれど、幸恵の誤解を解くことは出来なかった来夢であった。

 そんな彼女はどこか遠い目をして、いかに虫歯の治療を怖がって涙目な来夢が可愛らしかったかを語る幸恵の言葉を聞くほかなかったのであった。

「虫歯は治ったけれど、ちゃんと歯を磨けているか心配だわ」

 話の最後に呟いた幸恵の言葉に反応したあざみが放った言葉が事態をさらに混迷の渦に叩き込むことになる。

「それほどに心配なのであれば、確認がてら歯磨きの仕上げをして差し上げれば良いのでは?」と……。

 あざみの発言を聞いた途端に来夢は頬を朱に染めた。

 幸恵はいいアイディアねと喜んだ。

 そして夢結はと言えば、なにやらギガント級ヒュージと決闘でもせんばかりの気迫とともに、あざみから手渡された新品未開封の歯ブラシを握りしめていたのだった──

 

 

 

「あの……、夢結さま?」

 その時、一柳梨璃は困惑していた。

 百合ヶ丘女学院学生寮にある自室でまったりしていた彼女が、そろそろ夜間の自主訓練に出掛けようとした矢先にいつの間にか自室に侵入していた夢結に、これまたいつの間にやら自分のベッドに押し倒されていたという状況である。しかも、夢結に膝枕されてるというのであれば余計にだ。

 豊かなふたつの膨らみの谷間からこちらを覗き込む逆さまの夢結の顔を見上げながら、梨璃は再び「夢結さま?」と問い掛けた。

 そんな怯えたような梨璃の声など届いていないかのように、歯ブラシを片手に夢結は口を開いた。

「梨璃、口を開けなさい」

「え?」

「歯を磨くわ」

「え……?えええ!?」

 この日を境に、一柳梨璃はラムネジュースを飲み過ぎることはなかったという──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯29 一柳梨璃の特訓

「これ以上はわたくし、耐えられませんわ!」

 事の発端は、楓・J・ヌーベルのこんな言葉だった。

 ヒュージとの戦いの狭間の穏やかなひとときを過ごす椿組の教室で、梨璃の頬をひと撫でした楓が驚愕の表情を浮かべつつも舐めるように梨璃の肌に視線を這わせたと思えば、この発言である。

 いったい何事かと二川二水が問い掛けてみれば瞳孔ガン開きの楓が梨璃の柔らかな頬っぺたをツンツンすべく突き出した指先を震わせながら応えた。

「梨璃さんのすべすべお肌が荒れていましてよ!?」

「え?」

 きょとんとする梨璃。そんな梨璃の頬っぺたに二水が鼻先が触れそうなほど顔を近づけてみると、確かに僅かではあるもののお肌がかさついているように見えた。

「こんなのよく気がつきましたね~」

「ふふ、わたくしの梨璃さんへの愛の成せる業ですわ」

 呆れた様子の二水の言葉がまるで自身を褒め称えるかのように聞こえたのか、気をよくした楓が得意げに胸を張った。

「うぅ……、ここ最近おそくまで自主訓練してたからなのかなぁ」

 ぴたぴたと頬に触れながらしょんぼりとした梨璃が呟いた。

「梨璃さんの努力する姿勢はとてもそそる──もとい尊いですけれど、体調を崩してしまっては元も子もありませんわ。もちろん体調を崩してしまわれたとしても安心なさってくださいまし。この楓・J・ヌーベルがおはようからおやすみまで付きっきりで完ッ璧に看病して差し上げますから!」

「楓さん、鼻血が……」

 梨璃を看病する光景を妄想したのか楓が俯いて小鼻を抑えている。ほんのちょっと赤いものが見えた気がしたが気にしてはいけない。

「確かに楓さんの言うことも一理ありますね。それにですよ?不調でヒュージとの戦闘に支障が出ることも問題ですけど、あんまり夜遅くにお部屋に戻るのもルームメイトの方の迷惑になりますから。なにより、見回り中の教導官に見つかってしまったらお説教ですよ!」

 二水がピッと人差し指を立てて梨璃の瞳を見つめながら言った。その真剣な様子に梨璃はこくりと頷き返す。

「でも、少しでも訓練しないと不安で……」

 入学時に比べればだいぶ戦えるようになったとはいえ、実力者の集まる一柳隊のなかでは梨璃が二水と並んでヒュージの撃破数が少ない。それは他のレギオンメンバーとの実力の差を嫌でも見せつけてくるのだった。

 二水のように戦術面でレギオンを支えられれば良かったのだろうが、梨璃はわりと頭脳労働が苦手である。

「そんなわけで、あざみちゃんに協力をお願いしたくて……」

 いろいろと考えた結果、教導官でもある明野あざみを頼ることにした梨璃は、ひとりで職員室の片隅にあるあざみのデスクを訪ねたのだった。

「……なるほど。そういう事情であれば協力は惜しみません」

「わあ、ありがとう。あざみちゃん」

 喜ぶ梨璃から視線を外したあざみが傍らに座っていた弾薬箱さんの蓋を開けて書類ケースを取り出した。

「いえ、これも職務ですので」

 あざみの事務的な淡々とした口調に梨璃があれ?と首をかしげた。なんだろう、違和感を感じる。

「ところで、夜間の自主訓練はどのくらいの頻度で行っているのですか?」

 その瞬間、梨璃はきゅぴーんとあざみの瞳が光ったのをみた。

「ここ最近、授業に集中できていませんでしたね」

「あ、うん……。ごめんなさい」

 素直に頭を下げる梨璃の姿にため息をひとつ溢して、あざみは彼女に夜間の自主訓練の禁止を言い渡すのだった。

 

 

 

「ふああぁ……」

 翌日、まだ陽も上りきっていない早朝に百合ヶ丘女学院指定の体操着を着用した梨璃とあざみの姿があった。

 まだ眠たそうに目蓋をこすりながら欠伸をする梨璃を放置して弾薬箱さんが頭の蓋を開けると、器用に使い古したラジオを取り出した。

 あざみがラジオのスイッチをポチリと押すと、軽快な音楽とともにどこか調子の外れた夏休み朝6時のお馴染みの歌が流れはじめる。それは博士の研究室の片隅にある専用ブースからお届けする個人的なラジオ放送だった。

 博士が熱唱する生歌を華麗にスルーして柔軟体操をはじめたあざみを梨璃が不思議そうに見つめていた。

「えっと……、今から何をするのかな?」

 おおよそ見当はついているものの、あえて訊いてみた梨璃だった。

「ラジオ体操を第二まで行います」

「うん、だよね」

 この音楽ときたらラジオ体操以外あり得ないというシチュエーションに梨璃は頷いた。

「その後、お勉強をしましょう」

「え?訓練じゃないの!?」

 まさかのお勉強発言に驚く梨璃。じゃあラジオ体操の為だけに体操着を着たのだろうか。

 明らかに落胆する梨璃をズビシィと指差してあざみが言った。

「いまの梨璃さんに絶望的に足りないものがあります」

「ふえ?」

 いきなりそんなことを言われてもわけがわからない梨璃が、頭上にでっかいクエスチョンマークを出現させてこてりと首をかしげた。

「それは筆記試験の点数です。このままでは赤点をとる可能性すらあり得ます」

「ええええぇぇぇ!?」

 指差したままのあざみの人差し指の先が梨璃の鼻先にぴとりと触れた。

 そもそものはじまりは夜間の自主訓練で寝不足な梨璃は座学の授業は集中しきれてなかったようで、抜き打ちの小テストの結果はどれも散々なものだったこと。流石に見過ごせないので椿組の担任である吉坂教導官が同級生でもあるあざみに対処を丸投げした結果が今回のコレである。

 対処を任されたあざみは、まず梨璃に危機感を抱かせるよう仕向けることにしたのだ。

「夏期休暇は補習で消費される可能性があります。もちろん梨璃さんは補習優先ですから一柳隊の出撃にも同行出来ません。するとどうなるでしょう?」

 あざみの言葉に衝撃を受けた梨璃が自身が抜けた一柳隊の状況をほわんほわんと想像してみる。

「あれ?意外と大丈夫なような……」

 指揮官をそつなくこなせる郭神琳や楓・J・ヌーベル、経験豊富な白井夢結と吉村・Thi・梅の二年生組、一柳隊の頭脳といえる二川二水に実力者の安藤鶴紗と粒揃いのレギオンである一柳隊。ちょっとくらい梨璃が抜けても大丈夫な気がする。

 しかし、あざみ的にはそんな安心感はいらないので全力で不安を煽ることにした。

「果たしてそうでしょうか」

「ふぎゅ」

 呑気な梨璃の鼻をあざみの人差し指が押した。

「楓さん、鶴紗さん、夢結さまは確実に梨璃成分欠乏症状で実力を発揮できないでしょうし、そんな有り様では梅さまはもろもろ面倒臭がってサボりますよ」

 梨璃は再びほわんほわんと想像してみた。

「──そう言われるとそんな気がしてきたよ。怒れる神琳さんが降臨しそうだよ……」

「はい。そうならないためにお勉強をしましょう」

「うん。私、頑張る!」

 ふんすとやる気をみなぎらせる梨璃の見えないところで小さくグッとガッツポーズをするあざみ。

「やりました」

 梨璃が期末試験で赤点をとる可能性は確かにあるが、一柳隊云々は完全にあざみの捏造である。二水や楓は梨璃の補習に付き合うくらいはするだろうけれど。

 しかし、梨璃のモチベーションを上げるにはレギオンの隊長としての責任感を刺激するのがベストであるとの判断したのだ。

 そうして、あざみの目論見どおりに一週間ほど早寝早起きラジオ体操とその後の勉強に全力で取り組んだ梨璃の成績はちょっぴりあがるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯30 弾薬箱さんと、げへな

 ひとまずは一柳隊の面々と親交を深めたことで、明野あざみへの『お友達をつくりましょう』という博士からの命令は達成とみなされることになった。

 それは同時に、あざみに課せられた任務が次の段階へと進行することを意味していた。が、それには相応の準備期間が必要ということで、あざみはのんびりと日常を過ごすことになった。

 加えて、あざみが担当していた通常火器運用の授業は百合ヶ丘女学院生徒たちのあまりの優秀さのおかげでカリキュラムを前倒しで消化していったために惜しまれつつも終了することになってしまう。

 そんなわけで暇をもて余してしまったあざみであったが、弾薬箱さんのほうはわりとそうでもなかった。

「と、いうわけで弾薬箱さん。これを君に託す……」

 弾薬箱さんの視界に強制的に表示されたビデオメッセージは、そんな言葉を遺して博士がお饅頭の山に顔を突っ込み倒れたとこで暗転、再生が終わった。

(えぇ……)

 そんな映像を突然見せられてドン引きする弾薬箱さんの蓋がひとりでにぱかりと開くと、厚紙でできた箱が二十箱ほど出てきて彼の目の前に積み上がった。

 箱の側面にはやたらまるっこい書体で『げへな饅頭』という名称と消費期限が表記されていた。ちなみに十個入りである。

(なんだこれ……!消費期限が明日までじゃないか)

 差し迫った消費期限に頭を抱えたい衝動に駆られた弾薬箱さんだったが残念。彼には両足しかなかった。

(こんなものをいったいどうしろと?)

 そんな途方に暮れた弾薬箱さんの視界の端にメールの着信を示すアイコンが表示された。

 恐る恐る開いたメールの中身はGEHENA広報課から関係各所へのお願いのメッセージである。

 GEHENAの広報イベントの物販コーナーで大量に売れ残ったげへな饅頭を廃棄するのは忍びないのでどうにか消費してほしいとの内容に、弾薬箱さんは存在しない肩をガックリと落とした。ちなみに同時に販売されたマギリフレクター煎餅は完売したそうだ。なぜだ。

 しかし、このまま放置するわけにもいかない弾薬箱さんは、とりあえず生徒会へ報告したあとで、げへな饅頭を一柳隊のお茶会に出すことにしたのだった。

「これはGEHENAからの宣戦布告なのかしら?」

 青ざめてそんな呟きを溢した白井夢結の手にはティーカップではなく、はんぶんこにされたことで中に詰まった餡を露出したげへな饅頭があった。

「これは流石に駄目じゃろ。食べ物がしていい色をしてないぞい」

 ミリアム・ヒルデガルド・V・グロピウスがいつになく真剣な表情でげへな饅頭のダメ出しをする。

 他の一柳隊メンバーも険しい表情でげへな饅頭を睨んでいるばかりで、誰も口にしようとはしなかった。

(だよね。それが当たり前の反応だよね)

 その光景を眺めていた弾薬箱さんはなにかを悟ったような穏やかな心情であった。

 だって、誰がすき好んで蛍光色の餡が詰まった饅頭を食べるというのか。

 「ううっ、目が……。強烈な蛍光オレンジが目に痛いですぅ」

 二川二水は目が、目がー!とばかりに両手で顔を覆って悶絶していたりする。

「え、っと……」

 蛍光グリーンの餡がやっぱり目に痛いのか目を細めた王雨嘉の眉間には、グランドキャニオン級の深い皺が出現していた。

「原材料の記載では特におかしな材料は使われていないようですけれど……。それに着色料、添加物不使用らしいですよ?」

 雨嘉の隣の椅子に腰かけて、しげしげとげへな饅頭の包装を眺めていた郭神琳が不思議そうに首をかしげた。

「……さすがGEHENA汚い」

 お茶会に饅頭が出るというので密かに楽しみにしていた安藤鶴紗が瞳のハイライトをオフにしてGEHENAに対する呪詛を吐いた。食べ物の恨みは怖いのだ。

「見た目はこんなでも味はお饅頭なんだナ……」

「梅様!?食べちゃ駄目ですわ。ペッってしてくださいましペッって」

「痛い。それは餅が喉に詰まったときの対処方法だゾ」

 蛍光色の水色が爽やかな印象の餡の詰まった饅頭を何でもない様子でひとくち噛った吉村・Thi・梅。その行動に目を剥いた楓・J・ヌーベルが慌てて梅の背中をバチンバチンとひっ叩いた。

「梅さま、大丈夫なのかの?」

 心配そうなミリアムの視線に気づいた梅がニッカリと笑った。

「背中は痛いけど、饅頭は美味いゾ」

 マギの粒子のようなものがげへな饅頭を食べた梅の口から放出されているが、本人が大丈夫というのならそうなのだろう。

 実のところ、げへな饅頭は見た目はともかく開発責任者が自ら老舗和菓子店の職人に弟子入りしたりとやたらとGEHENAが本気で作り上げたお饅頭なのである。なので味は意外と美味なのだ。

 ただもうちょっと見た目に対ヒュージ研究機関的な要素を盛り込むようにという上層部からの要望に応えた結果が、やたらケミカルな蛍光色の餡と食べた者はしばらくのあいだ、口からマギ的な粒子を放出するというギミックだったわけで……。まさにGEHENA驚異の技術力の発露である。

「なんてはた迷惑な饅頭なのかしら……」

 ぽつりと呟いた夢結。

 つまりはまぁ、実態のよくわからないGEHENAの印象なんてそういうものなのだ。

 

 

 

「百由さま、こっち終わりましたー」

「うん、それで最後ね。お疲れ様」

 百合ヶ丘女学院工廠課の真島百由の研究室では一柳梨璃が乱雑に積み上げられていた素材の整理を手伝っていた。

「いやー、助かったわ。いつも手伝ってくれてた後輩はお茶会だからってさっさと逃げちゃうし」

「あ、あはは……」

 部屋の天井に届かんばかりの段ボールの山を思い出して梨璃は苦笑い。

「あ、そうだ。最近、意気投合した研究者からの貰い物だけどよろしければどうぞ」

 百由に差し出された箱を見た梨璃は一瞬驚いたあとに嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。夢結さまやみんなと美味しくいただきますね!」

 百由の研究室から退出する梨璃が抱える箱には、げへな饅頭ラムネ味の文字が──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯31 探し人は姉ですか?

「だからもっと生産数を増やせと言っとるのだ!」

 パソコンのモニター越しに響く叱責の言葉も博士はへらりと軽薄に笑うだけでスルーした。

「そんなことを言われても被験体の培養槽を増やそうにも予算も場所もありません。あったとして、諸々の用意をして生育を促進しても半年はかかるんですよ。他の研究員より貴方を優先して提供しているというのにあまり我が儘を言わないでもらいたい」

 大袈裟にため息を吐いた博士がアメリカンなコメディ調に肩をすくませた。

「この三ヶ月で二体も廃棄場送りにしているにも関わらず、肝心の研究成果は頭打ちではね。これ以上、僕の量産する被験体の供給は無理ですよ」

 ほら、とタブレット端末の画面を相手に見せる博士。

 そこには博士が量産する被験体を切実に催促する他の部署からのメールがびっしりと並んでいた。

「くっ……。そもそも貴様がもっとマシなモルモットを用意しないから」

「いえいえ、ちゃんとした研究員は貴方と違って少なくとも一年は持たせますよ。貴方、ちゃんと安全性を考慮して研究してます?」

 煽るような博士の言葉に顔を真っ赤にした相手は一方的に通信を切ってしまった。まったく、大人げないものだ。

「アレ、よろしいのですか?なんなら──」

 もうひと研究いっちゃうよ?とはしご酒的な軽いノリで問いかけてくる、あざみにそっくりな少女へ向けて博士は首を横に振った。

「君は担当の研究が完了して廃棄処分が決定してるでしょうに。それにもう書類にサインしちゃってるので」

 ぴらりとサイン済みの研究備品廃棄書を少女に渡しながら博士が「お疲れさま」と声をかけたのだった。

 その後、博士から渡された研究備品廃棄書を所定の部署に提出して廃棄場に顔を出し終えたところで晴れて廃棄処分を完了したあざみそっくりの少女は、さてどうしようかと腕を組んだ。

「困ったわね。暇だわ」

 そう、唯一の職であった研究の被験体をお役御免となったので少女はやることがないのである。

 一応、博士のツテで住み込みの再就職先は確保しているものの、それはしばらく休養してからとなっている。なので、とても暇なのである。

 これまでやれ投薬実験だの検証作業だの資料のコピーにお茶汲みだの研究室の掃除だのとやたら忙しいモルモット兼雑用係をやっていたために、こんなにやることがないと戸惑ってしまうのだ。

 仕方ないので街にでも出掛けて、どこかのカフェでのんびりお茶でもしようかと踏み出した足がピタリと止まる。

「そうだ、せっかくなので授業参観に行こう」

 少女のあざみそっくりの顔に、あざみなら絶対にしないであろうウェヒヒ的なニヤけた表情が浮かんでいたのだった。

 

 

 

 百合ヶ丘女学院の廊下を何かを探すかのようにキョロキョロと挙動不審な様子で歩く明野あざみの姿があった。

 怪しさしか感じられないその様子を見詰める生徒たちの視線がズバズバと突き刺さっているものの、当の本人はそれどころではないのか気にした素振りはない。なお、あざみは気づいていなかったけれど、幾人かの生徒はあれ?さっき私服姿のあざみさんを見掛けたような?と首をかしげていた。

「何処ですか姉さまぁ……」

 なかなか目的の人物が見つからず立ち止まったあざみがちょっぴり涙目でうなだれているところへ、ちょうど一柳梨璃が通りすがったのだった。

「あれ?あざみちゃん、どうしたの?」

 いつも淡々としているあざみが見せる切なげな表情にびっくりしつつ、放っておくわけにはいかないと梨璃は声をかけてみた。

「ええ、実は案内していた外部からのお客さまとはぐれてしまって……。こうして探しているですがいっこうに見つからないのです」

 目尻に涙を浮かべてそう訴えるあざみのただならぬ様子に、元来のお人好しな梨璃はふんすと気合いを入れた。

「大丈夫だよ。私もお手伝いするからね!」

「ええ、感謝します。このままでは姉さまが何かしらやらかしかねませんので……」

「へ?」

 お礼のあとに続くなにやら不穏なあざみの言葉に、こてりと梨璃が首をかしげていると──

「ひゃあああー!?」

 絹を裂くような悲鳴が二人の鼓膜に突き刺さったのであった。

「「大丈夫ですか!?」」

 キンキンする耳鳴りをものともせずに現場に駆けつけたあざみと梨璃の目の前に、私服姿でなにやらはしゃいでいるあざみのそっくりさんに抱きつかれた楓・J・ヌーベルがいた。おまけに彼女らの周囲を困惑した様子で弾薬箱さんがパタパタと駆け回っている。

「あのあざみさんがこんな熱烈な抱擁を!?いいえ、いいえ、いけませんわ。わたくしには梨璃さんという運命のお相手がいますのに。それにしたってわたくし、罪な女ですわね。ああ、あざみさんも梨璃さんもわたくしのために争わないでくださいましっ!」

 酷く混乱しているのかそれとも妄想に浸っているのか不明な状態で訳のわからない事を口走っている楓。そんな彼女を梨璃が背中から腕を回して私服のあざみのそっくりさんから引き剥がす。同時にあざみも自身のそっくりさんを羽交い締めにして楓から引き剥がした。

 そうしてようやく落ち着いたのか、あざみのそっくりさんはあざみに頭を下げた。

「あの、ごめんね。お姉ちゃん、リリィの方に声をかけられたのが嬉しくって」

「姉さま、謝罪は楓さんにしてください」

「そ、そうよね」

「そうです」

 ポッと頬を染めたあざみのそっくりさんとあざみのそんなやり取りを梨璃と楓がしげしげと眺めていた。

「姉妹にしても本当にそっくりですのね」

 手を頬にあてて、楓がほぅと息を吐いた。

 双子のような二人に交互に視線を向ける梨璃も目をパチクリとさせている。

 そんな二人に向けて揃って首をかしげたあざみとそのそっくりさんは割りとあっさり爆弾発言を放り投げた。

「私たちは姉妹ではなくて──」

「複製されたクローン体です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯32 やらかされた博士、やらかす

「私たちは姉妹ではなくて──」

「GEHENAの研究のために開発及び複製・量産された実験体のクローンです」

 明野あざみとその姉というおんなじドヤ顔をした二人が仲良く横に並んで、ズビシィッと見事に左右対称にポーズを決めた。

「それはどういうことですの?」

 あざみちゃんズのドヤ顔を鮮やかにスルーしつつ指差した楓・J・ヌーベルが平坦な声で訊いた。

「「これは博士がとりあえず話のネタにでもと考案した決めポーズです」」

「いえ、そうではなくて!」

 楓がバッサリとあざみたちの言葉を切り捨てて見せると、その隣で一柳梨璃が苦笑いを浮かべた。

「あの、ひとまず場所を変えません?目立っちゃってるし……」

 梨璃の指摘にぐるりと辺りを見渡してみればなるほど、多くの百合ヶ丘女学院の生徒たちが何事かと此方を見詰めていた。ぽそりと「まさか梨璃さんを巡っての争いかしら?」等と見当違いな呟きが聞こえた気がする。

「そう、ですわね。ではテラスへ参りましょうか」

 何かしら勘づいてしまったのか珍しく硬い楓の声に促され、あざみたちはオープンテラスへと向かうのだった。

 

 

 

「あ、これやばいかも」

 博士のやたらと大きな独り言が彼の研究室に響いた。

 普段と変わらないのほほんとした口調ながら、その言葉を溢した博士の頬はひきつっていた。

 彼の視線はオープンテラスに向かうあざみちゃんズと楓、梨璃のうしろをてこてこ歩く弾薬箱さんから、本人も知らずに送られてくるリアルタイムな映像を映したモニターとは別のモニターに釘付けだった。

「やっぱり、外部からアクセスした痕跡がある。比較的表層部分だけだけどちょっと前の研究のレポートなんかを盗まれたな」

 ぎゅむぅと眉間に皺を寄せた博士の指がカタカタとキーボードを叩く。

 カタカタカタタタ、たーん!とエンターキーを叩くとモニターに盗まれただろうデータの一覧が表示された。

 そのほとんどは博士の初期のレポートなどで特に重要なモノではなかったが、それでもひとつだけヤバいフォルダ名を見つけて博士の額に汗が吹き出た。

「弾薬箱さんに搭載してる小型人工ケイブ発生・制御装置の開発データ盗まれちゃった……」

 弾薬箱さんのほぼ無限の収納力の正体である博士式人工ケイブ発生装置とその制御装置。

 博士は単純に個人的に借りている貸倉庫と弾薬箱さんの中を繋ぐワームホールとして利用しているが、これが悪用されると割りととんでもないことになりかねないのである。

 極々小規模なワームホールを形成可能なこの装置。

 GEHENAはもちろん、各ガーデンや国防軍の観測装置による警戒網にすら発生を感知されることなく、しかも長時間の維持が可能。人間であればひとりやふたりくらいは簡単に任意の場所へ転移させることが理論的には可能なのである。

「そう、理論的にはね……」

 実際に博士は生き物を使った転送をまだ試したことはないのである。

 もし失敗すれば生命に関わる結果が予想できるのではあるが……。

「何処の研究室の馬鹿がやらかしたのか知らないけど絶対やっちゃうよね」

 しかもおあつらえ向きに、装置を積んだ弾薬箱さんは百合ヶ丘のリリィたちの側にいて、そして彼の視た映像を博士のパソコンへと転送するために常時インターネットに接続されている弾薬箱さんには──

「一切のセキュリティが施されてない状態なんだよね」

 ぽしょりとそう呟いた博士が天を仰いだ。

「そうなんだ。弾薬箱さんっていま、ハッキングやり放題なんだぜ……」

 そんななんともわざとらしい博士の独白に──

 普段どおりで冷静であったなら、簡単に罠だと見抜けてしまうはずのそんなあからさまな言葉に、功を焦ってしまった誰かは、実に軽率に行動を開始してしまったのだった。

 

 

 

 弾薬箱さんが違和感を感じたのは目指すオープンテラスが視界に入ったときだった。

(あ、なんか嫌な感じがする)

 例えればうなじがチリチリとする感じだろうか。あんまり心地のよいものではない。

 その次の瞬間にはスチール製のボディと同じ素材の蓋が弾薬箱さんの制御下から脱して勝手にぱかりと開いたのだ。

(どうせまた博士のイタズラだろうな)

 呑気にそんなことを考えつつ、トトトと小走りに本能的に梨璃の足下から離れようとした瞬間。蓋が開いたことで丸見えな弾薬箱さんの空っぽのボディからぐるぐると渦を巻くワームホール、博士謹製の装置から発生した小型の人工ケイブが姿を現した。

(なんだこれ!?と、とりあえず離れなきゃ)

 もしそのまま弾薬箱さんが梨璃の足下にいたのなら、その瞬間に間違いなく梨璃が吸い込まれていただろう。

 けれど、ほんのちょっぴりとはいえ弾薬箱さんが梨璃から離れたことによって、そんな事態は避けられたのだった。

「梨璃さん、離れてくださいましっ!」

 楓の手が背中を押した勢いで梨璃は弾薬箱さんから離れた。

 危険を感じて咄嗟に梨璃を突き飛ばして人工ケイブから遠ざけた楓だったが自身は半身を既にケイブに飲み込まれた状態だ。

「楓ちゃん!」

 必死に楓へと手を伸ばす梨璃に向けて、楓は柔らかく微笑んだ。

「心配なさらないで梨璃さん。わたくし、必ず貴女のもとへ帰還してみせますから」

 ぐっと親指を立てた楓の左手がケイブのなかへと消えてゆく。わずかに「あいるびーばーっくですわー!」と聞こえた気もする。結構、余裕綽々なのかもしれない。

 とはいえ楓を独りにしておくわけにもいかない。

「楓さんを追います。梨璃さんは一柳隊の皆さんと合流を。今後のことは恐らく此方に向かっているはずの博士と相談してください」

(あのマッドサイエンティスト何をやらかしたんだ!?)

 そう言い残したあざみが両足をバタバタさせて怒りを表現している弾薬箱さんを小脇にかかえて、今にも消えてしまいそうなケイブに飛び込んでいった。

「うん、待っててね。楓ちゃん、あざみちゃん、あとアンモちゃん!」

 一柳隊の控え室へと、ときおり出くわす教導官に廊下を走らない!と注意を受けながらも梨璃は駆けてゆくのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。