Snow globe (三枝 月季)
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Snow globe

 連載中の小説を進めないで何してんだって感じで、そちらの読者の皆様には申し訳ないです。

 一月末からチビチビと取り掛かっていたカドアナ短編小説。わたくしの性癖に付き合わせる形で書き上げてしまいました(実装当日にギリギリで仕上がるという体たらくぶり)とてつもなく趣味全開なお話に仕上がっていますし、細かいところは察して。というような部分も多いので注意されたし、あとfateという事でちゃんと出逢いと別れを書きたかったんです。

 ・回想シーンが多く含まれている為、時系列がバラバラで分かり辛い部分も多いかもしれません。雰囲気で乗り切って頂けるとありがたく思います。(すみません)

 ・カルデア側のサーヴァントには、ちょっとした選出基準を設けております(だからと言って、どうというわけでもありませんが。皮肉?めいた何かを見い出して楽しんで頂けると嬉しく思います)

 ・あと、KANA-BOONさんのスノーグローブがイメージソングだったりします。



「令呪を失った貴方には、利用価値は残されていません」

 

 淡々とした宣告に、あかぎれの目立つ右手(・・・・・・・・・・)が痙攣した。蚊の鳴くような声が、何故。と唇を震わせたのは、凍土の厳しい寒さのせいだけではない。少年の精一杯の虚勢だった。

 

「私と貴方が行動を共にする必要性はなくなりました」

 

 言い聞かせるように続けられた。少女の硬く凛とした声音に、少年はビクリと身体を震わせて、隈の目立つ虚ろな瞳を見開く。風前の灯火のような暖色が、一縷の望みに縋るように、少女へと向けられた。

 

「アナスタシア、僕は――」

 

 雪氷を踏みしめ、少女の名を呼んだ次の瞬間。痛みと共に少年の身体が傾ぐ。

 

「――……っ!!」

 

 受け身も満足に取れずに、強かに頭を打ち付け視界が爆ぜる。更には息つく暇もなく、腕をひねられ、押さえつけられた。その一連の手慣れた犯行に、彼が反撃に転じる隙など微塵もなく、倒れ込んだ凍土の肌を刺すような冷たさと、口内に平がる鉄錆の味に意識を灼かれながら、少年はくぐもった声を上げた。

 無論、華奢な体躯のアナスタシアの為せる技ではない。現に彼女の小さな防寒靴は、少年の揺れる視界の先から動いてはいなかった。しかし、命令を下したのが彼女である事もまた、明白で疑いようのない事実だった。混濁した意識でも、真っ白な雪原に映える黒軍服の姿は見誤りようがない。

 

(…………殺戮猟兵(オプリチニキ)

 

 対照的な色彩の景色に在りながら、巧みに影に潜みし、皇女の優秀な近衛にして、凄腕の狩人達。アナスタシアへと厳かな最敬礼を贈る彼らの姿には、どうしたって本能的な恐れが先立つ。すると、そんな少年の怖気は反抗的な姿勢として相手に伝わってしまったらしく、腕を締め上げる力が増した。

 対して、アナスタシアは粛々と寄り添う殺戮猟兵に労いも一瞥もくれず、凍てつくような美貌に光る蒼い炎で、痛みに呻く少年を見据えて口を開いた。

 

「意味はありません」

 

 頭を打った衝撃の余韻と吹雪に荒れる視界では、その表情を読み取る事すら難しいのに、彼女の透き通るような声は非情に(・・・)鮮明だった。

 

「貴方が此処に居る理由はもうありません」

 

 今までに聞いたことのない。温度の低い声に鼓膜が震え、声にならない嘆きが白い吐息となって霧散した。

 耳を塞いでしまえたら、どんなにか良かっただろう。それすらもままならない己の脆弱さが、少年はただ、ただ、悲しく恨めしかった。

 

「そのまま凍え死ぬなり、あちらに投降して生き恥を晒すなり、好きになさい」

 

 続けられた言葉に、少年は瞼を震わせ唇を強く噛む。

 

(君に必要とされなくなった僕に一体何が残る)

 

 そんな言葉をかけられるくらいなら、殺された方がマシだと思った。決して死にたいわけではなかったし、死が恐ろしくないわけでもなかった。ただ、自分を損ねる以上に、彼女を失うのが怖かった。

 それは、なんて女々しいエゴだろうか。と己を詰って尚、否定する事の出来ない情動だった。

 

「……待っ」

 

 ようやく絞り出した声と同時、力強い腕に身体を引き起こされ、鳩尾に重い一撃を喰らう。堪らず、その場に膝を折りながらも、少年は睨むように少女を見つめた。強烈な痛みに霞む視界の中、意識を手放す刹那に彼が見たのは、背を向けた彼女の白銀の髪と――

 

「さようなら。カドック」

 

 手向けのような別れの言葉、それは彼女の口から語られる最初で最後の少年の名だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

 それは決して、互いに望んだ結果ではなかったと思う。けれど確かに、運命の出会いと呼べるものだった。

 

「貴方が私のマスターなのですね?」

 

 聖堂内に反響した、硝子のきらめきのような声の主は、その美声に見合った容姿を備えていた。長い銀糸の髪と同色の睫に彩られた瞳は薄い蒼。陶器のようにきめ細やかな肌と柔らかな曲線を描く顎の形。加えて、雪のような白と晴天のような青を基調とした、上品な厚手のドレスから覗く、折れそうな程に細い首筋からは、美しさが香るかのようだった。

 それはまさに、冬と言う概念を余すことなく体現した美少女と言えた。

 

「ええと、君は……キャスターのサーヴァント?」

 

 対して、その美貌に呆けた白髪の少年の口からは、恐る恐るというように言葉が紡がれる。病的な肌白さに、満足に眠れてもいないのか、眼窩に浮かぶ隈が目立つ、暗澹とした雰囲気を纏う少年である。彼は目の前の気高くも美しい光景を、怯えの滲む琥珀色の眼で凝視していた。

 

「いいえ」

 

 少女の返答は風のない夜のように深く、微かにあどけなさを残した表情は眉一つ動かない。自らに向けられる畏れを、当然と享受する姿勢からは、頑なな決意と共に、彼女の抱えた悲しみが窺い知れるようもであった。

 

「……私はアナスタシア。アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ」

 

 ささやかな沈黙のあとで、少女は静かにその名を告げた。排他的ですらある響きであったにも関わらず、少年の表情からは緊張が和らぐ。どうやら、牽制の意図に反して、彼女の名前は彼から信用の類を買ってしまったようだった。

 

「……あ、えっと、よろしく、アナスタシア」

 

 そうして無防備にも伸ばされた手へ、アナスタシアは初めて年相応の少女らしい戸惑いを見せながらも、憑かれたように腕を伸ばした。稜々とした勢いを削いだ愚直さに応えるように。けれど、指先と指先が触れ合うかと思われた刹那――

 

「カドック・ゼムルプス!!」

 

 重厚な低音に名指しされた少年の背筋が伸び、それと共に彼の腕も反射的に引っ込んでしまう。結果として、行き場を失ったアナスタシアの瑞々しい手を丁寧な所作で取ったのは、聖堂の奥から現れた祭服姿の偉丈夫だった。彼は滑らかな手の甲へと敬愛の口づけを贈ると、ゆったりとした動きでカドックへと向き直り薄い唇を開く。

 

「ああ、失礼。驚かせてしまった事は詫びよう。しかし、口の利き方には気を付けたまえ、少年。サーヴァントとはいえ、殿下が要人である事に変わりはないのだから」

 

 恭しくも、どこか人を喰ったような口調で話す男からは、その泰然とした雰囲気も相まって、妙な迫力すら感じられるが、神父。と窘めるようにあがった鈴の音に、場の実権が誰のものであるのかは言明されたに等しかった。

 

「無理もありません。今も昔も私への注目は死後のほうが多いようですから」

 

 含みのある語り口は、皮肉や自嘲とは無縁そうな彼女にしては刺々しく、白皙の(かんばせ)はやはり、元通りの無表情へと戻っていた。

 

「……出過ぎた真似をお許しください。アナスタシア皇女殿下」

 

 唇を笑みの形に保ったまま謝罪を述べる男を、アナスタシアは目配せ一つで下がらせると、ドレスの裾を捌き、カドックの元へ歩み寄り――

 

「参りましょう。マスター」

 

 すれ違いざまに囁いた。そうして、主と呼んだ少年を顧みることなく、歩調も緩めずに遠ざかっていく小さな背中からは、儚さよりも退廃的な覚悟が滲む。数瞬、遅れて追従した痩せた少年の双肩もまた、酷く頼りなく繊細に見えた。

 

 残された男は独り、静かに嗤う。それは、両者の出会いに添えた祝福であると同時、彼らに待ち受ける苦難を暗示しているようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「……ん、ぅ」

 

 その覚醒は気持ちのよい代物とは到底、言えなかった。身体中の感覚は鈍かったし、何より、頭部と腹部にそれぞれ、種類の違う痛みがあった。ただ、不思議と寒さは感じず、全身を何かに包まれているような感覚と共に、薪のはぜる独特の音が耳に響いた。けれど、普通ならば安堵を覚えるであろう。それら温もりに対して、幸福を感じる事は出来なくなっていた。

 

「目が覚めたようですね」

 

 瞬間、パタンと書物を閉じる音と共にかけられた。耳馴染みのない落ち着いた低音に、カドックの心身には緊張が走る。

 

「気分はどうですか?」

 

 まず、視界に入ったのは、こちらを覗き込む薄い蒼。次いで白い頭髪。それは、偶然にしては酷く皮肉の効いた色彩の取り合わせだった。

 

「……ここは」

 

 暫しの瞠目の後、カドックは硬い声で尋ねる。その問いが誰何でなかったのは、意識が未だどこか夢現であったからかもしれない。しかし、手を貸され、半身を起こす段に至ると、その夢想も消え去った。温かくも硬い掌は、余りに彼女からはかけ離れていると思えてならなかったからだ。更に付け加えるならば、暖炉のあかりに照らされた仄暗い室内は、必要最低限の家具を置いただけの殺風景なもので、品のある豪奢な造りをしていた城の内装とは雲泥の差を感じられた。

 すると、そうした落胆の気配を察してか、目の前の青年は少しだけ逡巡するような間をおいてから口を開いた。

 

「……すまないが、その質問には上手く答えられない。僕にもよく分かってはいないから」

 

 それは、なんとも的を得ない答え方ではあったが、同時に、嘘を言っている気配も感じられなかった。故に、カドックは、彼から渡されたグラスに満ちる無色透明を、何の警戒も抱かずに口に含んで、もんどりを打つ事となった。

 

「ああ、これは言わなかった僕の落ち度だ」

 

 と、きまりの悪そうな嘆息と共に背を擦る手を感じつつ、カドックは涙目になりながら激しく噎せた。

 液状化した炎を呑むような感覚は強烈で、あえぐように呼吸をするたびに、灼かれた喉には冷気が刺さる。極寒の地で、体内から暖を取るのに酒が常套手段であるとされるワケを体感した瞬間であった。

 そうして、痛みと熱で如実に生を実感してみれば、嫌でも向き合わされる。そう例えば――

 

「い、え、僕も油断していましたから」

 

 彼女が居なくても自分は生きていられるのだと言う事実に。

 

「大丈夫ですか?」

「はい」

 

 労わりへの答えは早かった。愚問を一笑するかのような、投げやりな模範解答。

 

「……そうですか、それは何よりです」

 

 続く青年の返答もまた、定められた儀礼句のように無難なもので、当然の様に会話の途絶えた部屋の中では、くべられた薪が炎に蹂躙される音だけが雄弁だった。

 しかし、素性不明の見知らぬ人間と共に過ごす静寂ほどに、居心地と気味の悪い時間もない。

 

「……貴方は、サーヴァントですよね?」

 

 意を決した問いかけが、確信を覚えながらも断定の形に至らなかったのは、人類史に名を残した英霊と言うには、彼に覇気が感じられなかったからかもしれない。尤も、元来の小胆さの成せる技と言っても間違いではなかっただろうが、ともかく、青年はそんなカドックをどこか感心するように見つめ返すと「流石はマスターの先輩にあたる人物だ」というような意味合いの呟きを溢した。

 

「なぜ、僕を助けたのですか?カルデアにとって僕は裏切り者の大罪人(・・・・・・・)でしょうに」

 

 殺される謂れはあっても、助けられる理由に心当たりなどない。というカドックの責めるような訴えに、青年は微かに顔を顰める。しかし、その苦悩の滲む表情は、気分を害したと言うには些か感傷的に見えた。

 

「……きっと、マスターならば、こうしていたでしょうから」

 

 それはつまり、この救済措置が彼の独断によるものである。という証左に他ならなかった。

 

「貴方は医者か何かですか?」

「まさか、医術の心得があるだけで、僕は医者という職業からは対局に位置する人間です」

 

 素朴な疑問に返された。くたびれたような達観した物言いは、カドックの良心を咎めるには充分だった。青年の正体については分からないままではあったが、自分の発言で彼が多少なりとも傷付いた事は理解できた。

 

「そう、ですか」

 

 けれど、どうにも謝罪を言う気にはなれず、今更ながら、カドックは命の恩人との向き合い方に戸惑いを覚える。例えるならそれは、同族嫌悪のような感情であったのかもしれない。そうして迎える二度目となる静寂は、先のものよりも沈鬱に思えてならなかった。窓の外の降雪の音すら感じられそうで、そんな錯覚がとても惨めだった。

 

「…………一人にして貰えませんか」

 

 途端、深く長い息を吐き、両手で顔を覆いながらカドックは告げる。その声は潤んでこそはなかったが、血を吐くように低く割れていた。

 

「……安静に」

 

 そんなカドックの懇願に対して、少なからず言葉を探すように黙していた青年はけれど、慮るような釘を刺して音もなく姿を消した。

 

「……っ」

 

 瞬間、カドックは絶望を振り切るようにベッドへと横たわる。簡素な作りのそれが軋む音が、酷く大仰に辺りに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 止まない雨はなく、明けない夜もないが、覚めない眠りはある。それは誰の元にも平等に訪れるが、かつての少女が迎えたそれは、招かれざる客のように横暴なものだった。そして、一度定められた運命からは逃れられぬのかもしれない。

 

「私のマスターから離れなさい!!」

 

 少女の悲鳴に近しい怒号が荒れた室内に反響する。割れた窓から吹き込んだ冷たい風が、裂かれた寝具からこぼれた水鳥の羽を舞い上がらせた。

 

「ああ、なんと。よもや、凍り付いた世界で、かようにも美しき声との出会いがあるとは」

 

 すかさず、歌うような男の美声がその叫喚を賛美するも、少女の耳には入ってこない。

 

「……アナ、スタシア」

 

 と名を呼ぶ掠れた声に、アイスブルーの瞳が見開かれる。白い羽の吹雪に彩られた視界の先で、詫びるように弱々しく眉根を下げた少年。その首筋には鈍く光る異形の手があてがわれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の起こりは数分前、時刻は深夜二時を回ろうかというところ。一際大きな館の一段と整った部屋、暖も明かりもないその一室には、鏡台に向かい髪を梳く少女が一人。寒さに震えることも、宵闇に怯えるそぶりも見せずに、静かに座している。屋敷全体が息を顰めているかのような静寂の中、彼女の微かな挙動は水面を揺らす波紋のように、痛い程にシンとした空気に小さな緩みを持たせていた。

 極寒の雪国では夜の帳ですら白く、窓から射しこむ月明かりでさえ、冷気を纏っているかのように青白い。その為か、姿見に映る彼女の整った面立ちは幽鬼のようで、いつにも増して壮絶な美しさを湛えている。白銀の艶やかな髪には冠のような光輪が輝き、澄んだ瞳の蒼は暗がりの中、深みを増して見えた。しかし――

 

(……酷いものね)

 

 誰もが見惚れる美貌の少女は、自らを殊更に美しいとは思えず、鏡面に映る己をせせら笑った。と言うのも、彼女の思う美の憧憬は、今も昔も変わらず、母や姉達の持ち物なのである。だから、夜毎、鏡の前に立つのは己の美貌に溺れる為ではなく、面影を探すと言った意味合いの方が正しいのだ。それは寂しさを埋める手立てであると同時、憎しみを忘れない為の儀式でもあった。

 

(まるで、嘘っぱち)

 

 そういった背景も少なからず影響しているのであろうが、皇女と言う肩書で浮かべるには余りに野卑で空虚な嘲笑はけれど、氷彫刻のように険の立った雰囲気を幾分か和らげ、少女特有の可憐さを匂わせる。いっそ悲壮なほどに。

 

(私の全盛期はこんなに綺麗なものじゃない)

 

 正しくは、花の香の代わりに腐臭を纏わせ、一族の血で染められたドレスを着ている。そんな醜悪な姿であってしかるべきだろう。殺されたあの瞬間の目も当てられぬほどの暴虐が、アナスタシアの終わりであり、始まりであるはずなのだ。だのに、これでは余りに悍ましい(・・・・)

 

(戦場に美しさなど、微塵もいらないのに)

 

 アナスタシアの戦いは姿形の美で牽制し合うような稚拙なものではない。もっと、ろくでもなくて惨たらしいものだ。だが、そんなものにでも縋らねば、アナスタシアは己を簡単に見失う。

 

(……大丈夫)

 

 喚ばれたからには意味があり、応じたからには動機がある。覚悟などは後付けで構わない、元より後戻りは許されぬのだから。

 

(私の氷は溶けない)

 

 自らを宥めるように髪を梳きながら言い聞かせる。暗示のように、祈りのように。

 

 しかし、パスを伝わる揺らぎが、アナスタシアの安寧を脅かす。尋常ではないそれからは、確かな動揺が感じ取れるというのに、その割には彼が助けを求めて来ない事が引っ掛かった。

 

『……マスター?』

 

 控えめな問いかけに返答はなかったが、故にこそ、アナスタシアからは危機感が薄れる。なにせ夜も深い。睡眠を要さない英霊は兎も角、生身の人間であれば、とっくに入眠していても可笑しくはない。大方、悪い夢でも見ているのだろうと結論づける。同時に、その悪い夢が誰かの記憶(・・・・・)である可能性(・・・・・・)については考えないようにした。

 けれど、そんな思いもむなしく、キャスターとしての能力が異変を察知する。城内に張られた魔力網に鼠が掛かったのだ。

 

(――侵入者!!)

 

 今まで感知できなかったという事実を鑑みれば、相手がアサシンであろう目星は簡単に付けられた。となれば、彼の動揺の理由にもおのずと辿りつく。

 

『マスター!!令呪を、早く!!』

 

 油断していたつもりなどはなかったのだが、結果として、慢心していた事を暴かれたようなものだ。と自戒しながら、アナスタシアはバネのように立ち上がると、焦燥のままに声を荒げた。しかし――

 

『……めだ。来ちゃ、駄目だ!!』

 

 返って来た反応(令呪)に、焦りは苛立ちへと形を変える事となる。

 

『何を――』

 

 愚かなことを。と続けたはずの声が彼に届いた気配はない。

 

(――念話を切った!?)

 

 にわかには信じられなかったが、確かに彼は自身の意志で、こちらとの繋がりを断ったようだった。途端、アナスタシアは混乱し、けれどすぐに一つの仮説に行きあたる。

 

(この侵入が暗殺ではなく迎えなのだとしたら?)

 

 脳裏を掠めた考えに思わず、扉の前で歩みが止まる。まさか。と一蹴するには状況は限りなく黒であるように思われた。そもそもが彼に、古巣相手に非道を行う器量や意志が備わっているとは思えた試しがないのだから、許されるのなら(・・・・・・・)帰ろうとしても何ら可笑しくはない。寧ろ、当然の結果と言えるのではないだろうか?

 

(……………………そうよ)

 

 冷気に晒されて赤くなった手の平を取らなかった時点で、見限られるのは自明の理だ。歩み寄るそぶり一つ見せない小娘に尽くす義理などなくて当たり前で、哀れみだけで優しくするにはアナスタシアの過去は重いだろうから。

 

(…………でも、それがなんだと言うの)

 

 仮にそれが真実だとして憤りは感じない。ただ、少し、ほんの少しだけ、落胆を覚えるだけ、それだけだ。元より、マスターを擁立する事には懐疑的ではあったのだ。リスクを負ってまで得る令呪の恩恵が、如何ほどのものかと――

 

 なのに、次の瞬間にはアナスタシアの身体は機敏に動いていた。自分でも驚くほどの軽快さでドアノブを回すと、転がるように廊下を駆ける。理由は、硝子の割れる音を聞いた、気がしたからだった。焦る胸中を抱えながらも、久方ぶりに感じたドレスの煩わしさに、少女は懐かしい感傷を覚える。だからだろうか、その荒い息遣いは乾いた笑いによく似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アナ、スタシア」

 

 と震えた息を吐いた少年は、壁に凭れながら(より正確に言うならば、壁に縫い止められた状態で)痛みを堪えるような表情で、こちらを凝視していた。同じようにアナスタシアの意識も、刃の表面を伝い滴り落ちる濃い赤へと囚われる。

 

「…………カルデアのサーヴァントですね」

「……然様」

 

 髑髏仮面の怪しい風体の男は、壁際へと追いやった少年の首根を、凶器と化した指先で挟んだまま、もう一方の手を胸に当て、器用にアナスタシアへとお辞儀を返す。突飛な見た目に反して、紳士的な態度ではあったが、片手間に少年の肌に刃を入れた状態を維持している事実は覆らない。だが、それだけに狡猾さが窺えた。ならば、やりようもあるのではないか。とアナスタシアは判断した。

 

「……そう、御用向きを聞いてもよろしくて?」

 

 先ほどの態度とは打って変わり、アナスタシアは無防備なほどに落ち着いた声音で問いかけた。相手の警戒心を和らげる為に歩み寄って見せたのだ。しかし――

 

「すべては愛しきクリスティーヌの為」

 

 面を上げた男は蕩けるような美声で狂気を謳った。瞬間、少女は悟る。目の前の鼠は話が通じる手合いではないのだと。

 それでも表面上の平静さは保てていたのだ。怪人の(かいな)に己の主が絡め取られるまでは。

 

「……――!!」

 

 細身ながら、自身よりも上背がある怪人に、後ろから抱き竦められるような状態で身動きを奪われた少年は、喉元に据えられたままの金属の冷たさと傷口の熱さに、唾をのみ怯え、けれど、覚悟は出来ていると言うかのように僅かに口角を上げた。その表情からは前向きな諦めや自身への鼓舞というよりは、アナスタシアを労わるような感傷が窺い知れた。

 

「……ああ、いけない。これは由々しき事態だ。私にとっても、無論、きみ達にとっても……そうであろう?」

 

 甘言にも似た響きの脅しに、アナスタシアの頬が小さく痙攣する。理由は分からない。屈辱か、それとも恐怖か、はたまた怒りか。何もかもが不明瞭ではあったが、心の奥底で激情という名の氷山の一角が肥大化した感覚は確かなものだった。そうして湧き上がったそれ、普段は抑圧されている感情の奔流が向かう対象は、彼らのどちらでもあると同時に、どちらでもないような気色の悪さまで覚えて、アナスタシアの眼差しには底冷えするほどの剣呑さが光る。

 

「…………さて、別れの言葉を言うのなら手短に済ませてもらいたい。その後は耳を塞いで、目を閉じるのが賢明である。とだけ進言させていただこう」

 

 途端、歌唱のようであった怪人の口調が豹変する。滑らかさはそのままに、絶望的なまでに容赦なく冷酷な声色でその時を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から述べれば、アナスタシアは怪人の忠告に一切従わなかった。けれども、伸ばした腕がマスターに触れることも、展開した魔術が怪人を捉える事もなかった。

 空を切る己の手の白さ、視線の先で震える琥珀色、脳裏にこびりついたままの血の赤、そして、砕けた氷の煌めき――

 

「邪眼を開いてッ!!ヴィイ!!」

 

 彼女にしては珍しい頓狂な声が、割れた窓から雪原へと放たれる。一瞬遅れで窓際にすり寄って眼下を見下ろせば、彼を連れたまま、驚異的なスピードで落ちていく黒点を蒼い閃光が照らし出したところだった。

 

(まだ、追いつく)

 

 ヴィイに存在が露見したのだ。そう簡単には逃げおおせるはずがない。そも、この世界はアナスタシアの庭に等しいのだから。

 そうして追跡の為に自身も窓べりに立つ、声が掛かったのもその時だった。

 

「これはッ!!一体何が起きたのです?」

 

 数名の慌ただしい足音の中からあがった、深みのある声色のわざとらしい驚嘆に、アナスタシアは振り返ることなく答えた。

 

「賊です。マスターが連れ去られました。ヴィイの眼が南下する彼らを捉えています」

「殿下、御自ら追跡なさるおつもりですか」

 

 咎めるような、ともすれば、呆れたような響き。そこに、誰をも案ずる気配などなく、ただ、ただ、面倒事を疎む(展開を愉しむ)感情が見え透いていた。

 

「敵は暗殺者一人、とは言え殺戮猟兵(オプリチニキ)では荷が勝ちすぎるでしょう」

 

 すると、足手まといと断じられたに等しい為か、神父に伴い部屋へと踏み込んだ黒軍服達は傅き低頭する。それを空気だけで察しながら、アナスタシアは凍土を見やる目元を厳しく寄せた。

 

「ですが、殿下を誘い込むための敵の罠である可能性も――」

「罠ならば内から喰い破ればいいだけの話です」

 

 煩わしい事を言うなとばかりに一蹴して、アナスタシアは白魔の中へと身を投げた。

 

「………………ご武運を」

 

 果たして、銀の斑を駆り、雪原を往く、苛烈な皇女に神父の思慮が汲まれたのか否か。ともあれ、その夜の吹雪は長く、激しく、厳しいものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷の皇女と謳う怪人の攻防、その顛末は呆気ないものだった。一際強い風が少女の頬から真紅と銀糸を攫い、氷像の砕け散る音は断末魔に似た響きを風に乗せた。

 冷めた目でその死を一瞥して、アナスタシアは主である少年へと詰め寄る。

 

「一体、何を考えているのです?」

 

 アナスタシアの叱責に、新雪のように混じりけのない白頭がビクつく、そして、そんな挙動が酷く癇に障った。

 

「人の身でサーヴァントと戦おうとでも?それが叶うだけの腕が自分にあるとでも思ったのですか?」

 

 詰りながらも、冷静な自分がそうではないと囁く。彼の愚かさに蛮勇から生じるものなどないと。ならば考えられる可能性は――

 

「それとも、私に頼るくらいならば、死んだ方がマシとでも思ったのですか?」

 

 その言葉に、少年は弾かれたように顔を上げた。琥珀の瞳は相変わらず怯えを映している。

 

(……やっぱり、あの頃と同じく、私は疎ましく厭わしいのだろうか)

 

 嘆きと憤りがないまぜになって反吐が出そうな気分だった。これ以上の問答に意味などは見いだせないと判断したアナスタシアは、怪人に引き裂かれて無に帰した雪豹を喚び戻す。細密な氷の結晶の毛皮に銀の斑を浮かべた、宝玉のような濃紺の瞳の美しい獣は、蘇ってすぐ、可憐な主にすり寄ると、甘えるように喉を鳴らした。

 

「……違う」

 

 ふと、雪豹を愛でるアナスタシアの耳が微かな主張を捉える。

 

「今更、何を――」

「君を、危険な目に遭わせたくなかった。傷つけたくなかったんだッ!!」

 

 一笑に付そうとした途端、吹雪に抗うように上がった慟哭。その意味に、アナスタシアは面食らう。そして、少年は糸の切れた人形のように、凍土に倒れ伏した。極度の緊張を強いられた事と、防寒の万全でない状況で冷気に晒され続けたせいで、心身を削られたからだろう。とは言え、このままでは冷たさに神経までもが屠られてしまう。

 雪豹に二人乗りも可能ではあるが、文字通りの氷雪で形作られた獣に、寒さで死にかけている人間を乗せるのは、トドメを刺すに等しいだろう。流石にそれでは寝覚めが悪いと、アナスタシアは雪鳥(せっちょう)の伝令を飛ばす。言伝を聞き次第、城の者が迎えの雪馬車を寄越してくれるだろう。それから、雪豹に手伝ってもらいながら、少年の態勢をうつ伏せではなく仰向けに変える。凍土に直に面するのはよくない為、アナスタシアの外套を間にかませた。最後に、風雪を凌ぐ為の雪洞を作ってようやっと、アナスタシアはしゃがみ込んで息をつく。

 

(……まるで、毒ね)

 

 彼が意識を手放す直前に叫んだ言葉が、今になってじわじわとアナスタシアを蝕んでいた。怪人と戦った際に抉られた頬から流れ出た血は、既に凍りついているはずなのに、とても熱く感じる。思わずと顔に走る三本線をなぞるも、やはり傷口は開いてなどいなかった。

 

 ああ、この胸に去来した思いをなんと呼べばいいのだろう。

 

 初々しく、浮ついた自分は酷く新鮮な耄碌だった。サーヴァントでもなく、皇女でもない。ただの女の子扱い(・・・・・・・・)なんて、不敬以外のなにものでもないだろうに。湧き上がったのはどうしようもない歓喜と、あふれんばかりの悲哀だった。

 

 てらいのない彼の思いは、素直に受け取るには甘すぎる。それは呼び水のように、アナスタシアの心中に凍る。憎しみという氷塊をも溶かし得る脅威だ。

 

(せめて、こんな出逢いでなかったなら……)

 

 と、そこまで考えてから、アナスタシアは目を伏せ自嘲した。どんな形であれ、彼との巡り合わせを喜べば、あの暴虐をも肯定しなければならなくなる。それは、できない。でも、出逢わなければ良かった。とも思えなくなってしまっているのは事実。相反する気持ちに眩暈すら覚えた。

 

(マスターが彼でなければ良かった?)

 

 端的に言ってしまえば、彼は良くも悪くも優しすぎるのだと思う。誰にでも簡単に心を寄せる事が出来る狡さを持った愚か者なのだ。そして、そんな愚かしさに絆されるくらいには、アナスタシアも情を捨てきれずに懊悩する哀れな皇女だったという事だ。

 

(私は貴方の居た世界を壊そうとしているのに)

 

 流れる血も凍るこの世界で、彼の涙は凍る事を知らない。それは救いのようでもあり、断罪のようでもあった。

 

 思わずと、濡れた頬へと手を伸ばす。一見して、なんて事のない動きではあったが、確かに、衝動的な行為だった。言葉にできない感情の発露だった。けれど、桜色の指先が彼に触れるか触れないかの刹那――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「…………下、アナスタシア殿下」

 

 低い声の呼びかけに、小さな頭部が動き、分厚いフードがずれると共に、銀の髪が流れるように零れ落ちた。雪馬車の小さな窓から射しこむ夕陽の赤に照らされているにも関わらず、アナスタシアの物憂げな美貌の血色は悪く、造りの好い椅子に身体を預けている様相も相まって、その光景からは耽美な趣すら感じられた。

 

「……私は、眠っていたのですか?」

 

 色素の薄い瞳を雪馬車の戸口へ向けて問う。問われた近衛はくぐもった声で答えた。曰く、いつの間にか寝入っており、且つ、疲れた様子であったから居城に着くまでの間は起こさずにいたのだという。

 

「……そう」

 

 その気遣いに端的な呟きを返して、アナスタシアは雪馬車から降りる。長く揺れる場所にいたせいか、少し足下がフラついたが、心配そうにすり寄った黒軍服に縋るような真似はしなかった。

 

「夢を見たせいね」

 

 微苦笑と共にこぼれた呟きに、近衛も、門兵も、出迎えの使用人も、誰も彼もが首を傾げる。

 

「悪い夢を……」

 

 幸福な夢ほど目覚めれば悪夢に塗り替わる。夢の中の幸福を現実に持ち込む術を持たぬのだから当然だろう。だから、失うくらいなら自分から手放したほうが悲しみは少ないはずだった。それで彼に恨まれようと、恨まれる(・・・・)可能性すら排除される(・・・・・・・・・・)事とは比べようもない(・・・・・・・・・・)のだから。

 

 或いは、一思いに。“一緒に死んで”と懇願できるくらいに豪胆な悪女であれば簡単だったやもしれないと、アナスタシアは途絶えたパスの行方に未練のような感傷を抱く。そして、手遅れになる前に別れて正解だったと、やはり、嗤ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

「……下、アナスタシア殿下!!」

 

 意識の彼方で切迫した声がした。同時に目前にあった彼女の気配が遠ざかる。

 

「丁度よいところに来ましたね」

 

 皇女らしい毅然とした声音が、黒い影を雪洞の中へと招き入れる。数瞬遅れて、無骨な手の鈍い感触が身体に走った。獣の皮に包まれ、担架で運び出され、絨毯の上へと横たえられる。

 

「出して」

 

 簡潔な命に鞭の撓る音と馬車馬の嘶き、窓から射しこみ揺れる月明かりに浮かぶ。不揃いに髪を切られ、痛々しい傷跡を負った彼女。けれど、その氷の美貌にヒビはなく、アナスタシアは相も変わらず。絶冬の統治者として揺るぐ事はない。

 

 分かっていたはずなのに、何故だかそれが無性に悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 二度目となる覚醒は何かに導かれるように意識が急速に引き上げられるような感覚を伴っていた。

 いつの間にか寝入っていた事にささやかな驚きと呆れを覚えながら、身体を起こそうと思い立った瞬間、薄い壁を隔てて漏れ聞こえてくる話声に気付く。

 

「相変わらず、影の薄い男だな、汝は」

「影が薄いも何も、僕はアサシンなんだけれど」

 

 声は女性と男性のものであるようだった。低い方はあの青年である事は分かったが、凛とした。どことなく古風な語り口は知らない人間のものである。だが彼と対等に会話している事を鑑みるに件の女性もまた、サーヴァントであろう事は容易に想像できた。

 

(もしかしなくても、これってヤバい状況なんじゃ……?)

 

 とっさに息を詰める。彼女の目的が分からない以上、存在を気取られるような真似はしてはいけない気がした。加えて、青年の口からこと(・・)が語られる恐れと、状況を把握した彼女の出方が未知数という事実に、極寒の中だというのにカドックの背には汗が伝う。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりも今まで何をしていた。偵察に行ったきり、なかなか帰って来ないのをマスターが心配していたぞ」

 

 青年のさりげない主張をバッサリと切って捨てて女性は詰問する。

 

「その事なんだけれど、実は皇女に見つかってしまって、マスターの元に戻るのを躊躇していた」

 

 皇女。という単語に知らず心臓が跳ねる。そして、ほんの少し、何かが引っ掛かる。けれど、その引っ掛かりの糸口を見つけられぬまま、カドックは静聴を続けるしかなかった。

 

「……なるほど、アチラにコチラの居場所を知られる危険性があると思い単独行動をしていたというわけか?一度見つかった以上は何処に目があるかは知れんからな」

「……うん、ただ、念話も切ってしまったのは、やりすぎだったかもしれない。マスターには申し訳ない事をした」

「いや、警戒するに越したことはないとは私も思うが……それにしても臭うぞ(・・・)

 

(ッ!!)

 

 冷えた女の声に、完全にバレた。とカドックはキツく目を閉じる。そして、いつぞやの襲撃の際にもそうしたように、最悪の展開への覚悟を決める。が――

 

この身体(サーヴァント)にも堪える寒さはあるよ」

「ならば、酔いが回って剣先が鈍る事も有りうるか?」

 

 話題は意外な方向へと転んだ。軽口と言うには些か毒の効いた言葉の応酬からは、彼らの距離の近さや、共通の主を持つが故の対抗心のようなものが微かに透けて見える。仲間であると同時に好敵手のような関係なのかもしれない。

 

(そういや、アイツもそうだったな)

 

 まだ癒えていない首筋の傷を擦りながら、苦笑する。見るからに狂っているあの男の話す言葉は独特過ぎて、正確には理解出来やしなかったが、彼がカルデアのマスターに心酔している事は明らかだった。

 

(……よく考えたら、凄いな)

 

 数多の英霊と契約し、英霊同士の仲をもそれなりに保ちながら、彼らを束ねているカルデアのマスターは異常としか思えない。少なくとも自分が同じ立場になって彼と遜色ない働きが出来るかと問われれば答えはNOだ。

 

(アナスタシアにだって、マスターらしい事をしてあげられたかどうか分からないし……)

 

 どのみち、彼女には見限られ捨てられているのだから、然もありなん。と言ったところだろうが。

 

「……兎も角、もう隠れ潜む必要はない。現に汝は襲撃をされていないし、マスターは夜明けと共にあの城へ総攻撃をかける事に決めたからな。すぐにでも合流しろ」

「……そうか、わかった」

 

 厳然とした女の言葉に、胸が痛む。主従でなくなった今、アナスタシアに助力する事は叶わず、だからと言って、カルデア側に簡単に寝返れるほどに図太い神経も持ち合わせてはいない。居場所を見失った心身を完全に持て余していた。

 

「ああ、それと。汝は黒騎士と組め」

「なぜ?湖の彼には水辺の聖女がついているだろう?」

 

 純粋な疑問は謙遜と敬意に溢れていた。僕よりも彼女のほうが適任じゃないかと。女は答えない。身振りで答えたと言う気配もない。

 

「……まさか、彼女が落ちたのか?」

 

 その驚嘆からは、にわかには信じられない。という思いが汲み取れた。

 

「ああ、そのまさかだ。タラスク(宝具)で黒騎士を庇った末にな」

「彼は?」

「無事だ。辛うじてではあるが」

 

 悔しさの滲む声音に、暫し悼むような沈黙が降りる。カドックの心中も複雑を極めた。

 

「……そうか。だから僕と組ませるつもりなのか」

 

 それにしても、貴重且つ偉大な癒し手を失った。と彼は厳しい声色で続けた。

 

「……砦の攻略においても彼女は重要な役を担っていた分、戦意は確かに削がれたが、それで折れるほどに吾々もマスターも弱くはない。そうだろう?」

「……彼女以外に落ちたサーヴァントは?」

「先走って死んだ奴以外にはいない」

 

 憮然とした女の態度には苛立ちや軽蔑じみたものが窺い知れる。狩りの作法も知らん愚か者が。と吐き捨てるような呟きが続いた事からも割とドライだ。

 

「……抜けたメンバー分の穴埋めはどうする予定でいるんだ?」

「まず、マスターの警護にマシュと白百合の騎士がつく事に変更はない。負傷した黒騎士も今は前線からは下がり、マスターの傍に控えている。私や汝のような斥候は他のサポートに回る。そういった意味では、手は大いに越したことはなかったかもしれんがな」

「……アタランテ、彼も僕らと同じカルデアのサーヴァントで仲間じゃないか。そうキツくあたらなくても」

「アレに焚き付けられた皇女によって、マルタは落とされたに等しいのにか?」

 

 お優しいことだ。と鼻を鳴らす女の真名はアタランテ。俊足と類まれなる弓術を誇った。ギリシャ神話に名高き、女狩人である。そして、アナスタシアから仲間を庇い殉職したとされる聖女はマルタ。暴虐の竜、タラスクを説伏せしめたとされる女傑――

 と、ここまでで既に大物と言える名前の連続で軽く混乱気味ではある。

 

「……分かった。今はこの話はよそう。話の腰を折って悪かった。続けて」

「……吸血鬼たちは各々、マスターへと迫った敵で喉の渇きを癒している。まぁ、些か興じ過ぎているきらいはあるが、相手の士気を下げる分には丁度いい」

 

 確かにあの二人は敵に回したくはないな。という青年の深いため息と、吸血鬼という形容から、悲惨な想像は容易い。殺戮猟兵も震え上がるほどだと言うのだから相当なのだろう。

 

「狂った元帥は言わずもがな、竜の魔女と行動を共にしている。マルタ亡き今、猛き氷の皇女に真っ向から対抗できるのはオルタの業火だけと言えなくもない」

「となると攻略の要は彼女か」

「ああ、当初はマルタの宝具で広範囲を薙ぎ払う予定だったが、現在はオルタの宝具で一点突破という方向で大方の検討はついている。火力が足りない場合は適宜助力はするがな」

「城内に踏み込んだあとの事はどうするつもりでいるんだ?」

「中がどうなっているのか分からない以上は何とも言えないが、単独行動と全体行動は避けた方が無難だろう」

「各個撃破と全滅を回避しながら、皇女を探すという事か」

「相違ない」

「……言うのは簡単でも実際は厳しいだろうな」

「厳しかろうが、為すしかないだろう。今までの戦いでもそうしてきたように」

 

 違うか?と言う問いに彼は言葉を返さなかった。首肯したのか否かも判然とはしなかったが、アタランテはさして気にしていない様子で続ける。

 

「私は先に戻る。汝はせめて酔いを醒ましてから来い」

 

 言うだけ言って彼女の気配は立ち消える。姿こそ見る事は叶わなかったが、初夏の風のように颯爽とした雰囲気と鋭い気品を窺わせる人物だと感じた。

 

 静けさが戻ると同時、あえぐように息を吐く、毛布を握り込んで固まった拳は直ぐには元に戻らなかった。

 

(………………行かなきゃ)

 

 暗がりで震えながら、まず思った事はそれだった。理由は単純でだからこそ難解だった。

 

(…………守りたい)

 

 この熱と彼女を。そうして――

 

(僕は罪に殉ずる)

 

 決意と共にいつの間にか吹雪は止んでいた。飛来するもののない凪いだ空は優しかったが、それは同時に彼女の疲弊を意味しているような気がして、少年は居ても立っても居られないとばかりに立ち上がり行動を起こす。隣室の暗殺者の事は最早頭になかったが、彼の妨害が挟まれるような事態は起きなかった。

 

 雲の切れ目から覗いた満月の柔らかな月明かりに照らされる中、申し訳程度の防寒で雪原を征く。やすりがけでもされているように頬がヒリつく感覚には絶望にも似た歓喜を覚えた。

 厳しく寄せられたカドックの目元は見えない未来を模索し、怯えた琥珀は相変わらず、アナスタシアが傷つく事を恐れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 正直、予感がないわけではなかっただけに、その結果に対しての驚きは少なかった。けれど、もぬけの殻となった寝台に残る微かな温かみを知覚すれば、多少の感慨も浮かぶ。止めに入らなかった分際でだ。

 

 死にに行かせる為に助けたわけではない。と相手を詰りたくなるような感傷と

 

『なぜ、僕を助けたのですか?』

 

 処刑人としての性、職業病とも言える業か。或は羨望から生じたやっかみもあっただろう。

 

『ごめんなさいね……?靴、汚してしまったわ』

 

 懐かしい悪夢を見た(愛しい声を聞いた)気がして、青年はかぶりを振る。なるほど、確かに酔っているのかもしれなかった。

 

 白み始めた空が、窓の外に残った足跡を浮き彫りにする。彼が間に合うのかは分からない。何より、間に合ったところで、結果はそう対して変わらないだろう。だが、それを彼自身が理解していないとも思えなかった。彼は恐らく全てを覚悟の上で(・・・・・・・・)、それでも彼女の元へ戻ると決めた(・・・・・・・・・・・)のだ。

 

(……………………主よ、罪深き我が業をお許しあれ)

 

 カルデアのサーヴァントである自分は彼に味方する事は出来ない。けれど、主とよく似た在り方を魅せた少年の結末が、せめて、幸福なものであるようにと祈るくらいは赦されてもいい気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 神聖な雰囲気すらある城を、年代的な黒衣に身を包んだ壮年の長身が歩く様は良く映えた。

 蒼白の神経質そうな面長の顔立ちには、年齢を重ねた深みが滲み。蓄えた髭と同じ、薄い色をした長髪に混じる返り血が、一際目を引くその人物には、支配者としての風格が備わっている。他所の城でさえこれなのだから、彼本来の領地では、更に覇気が増すのだろう事は想像に難くない。

 

「あら?取り逃がしてしまわれるなんて、貴方らしくもない」

 

 ふと、男しかいないはずの空間に、媚びるような声がした。それは、厳然とした景色には不釣り合いな響きを有している。

 

「カーミラか」

 

 名指しされ、衣擦れと共に柱の陰から現れたのは、顔の半分を仮面で隠した銀髪の女。ドレスと言うには露出度の高い真紅の長衣を纏ったその姿には、妖しいまでの艶やかさがあった。

 

「別に逃がしたつもりはない。アレの行く先には竜騎兵(ドラグーン)が居る」

 

 ぞんざいな対応に、唯一と晒されたカーミラの口元(美貌)が笑みの形に歪む。濡れた唇は淑女と言うには色香が濃く、杖を撫でる指先にはエナメルの光沢が攻撃的な彩りを添えている。

 

「それならば、私が処理しても同じことではなくて?いい加減、殺戮猟兵(皇帝の犬)の相手にも飽いてきたところですし」

「ほう、宗旨替えでもしたか?貴様の獲物は無垢なる少女であったと記憶しているが」

 

 侮蔑の感情を隠そうともしない揶揄の響きは、聞きなれた糾弾でもあり、何より、同族にそれを言われた事が、カーミラにとっては、気安く看過できない程度には不愉快ではあったが――

 

「貴方のほうこそ。腑抜けたのではなくて?悪魔(ドラクル)として名高いその牙は折れたのですか。ヴラド公」

 

 明確な殺気はヴラドではなく、その背に迫った皇帝の犬(・・・・)を血だまりに沈めた。その苛烈さに、ヴラドの眼光には鋭さが増す。

 

「実に可愛げのないことだ。槍の貴様の方がまだ(・・)愛嬌がある」

「あら、奇遇ですこと、私も丁度、槍の貴方の方がまだ(・・)威厳に満ちている。と感じたところでしてよ」

 

 嘆息と嘲笑、乱立する杭と拷問具。途端、花弁の様に辺りに舞った鮮血は夜の貴族(吸血鬼)には似合いの華であった。

 

「それにしても、しつこいですわね。こうしている間に先を越されるような事があったら、どうしてくれようかしら!!」

 

 足元に頽れた人影、その凶器を握る手を踵の高い靴で踏みつけて、カーミラが毒づく。

 

「どのみち、例の皇女の相手は貴様には荷が勝ちすぎているだろうに、相変わらず強欲な女だ」

 

 その焦燥に駆られた激しい癇癪を、冷めた目で見やってヴラドは続ける。

 

「そもそも、彼奴に熱き血潮が流れているのか甚だ疑問なところよ」

「まさか。いくら、氷の皇女とてそれはないでしょう」

 

 あんまりだ。と言うカーミラの主張は、内容よりもヴラドに対する呆れの方が強かったかもしれない。

 

「ないという事を証明する手立てもなかろう。少なくともこのままではな」

 

 試すような物言いと同時、場になだれ込んできたのは、先程の倍はいるだろう殺戮慮兵の大軍。その光景に、いよいよ我慢が限界に達したのか、きつく杖を握り込んでカーミラは言い放つ。

 

「……いいでしょう。ならば、どちらの牙が先に皇女を捉えるか競争ですわね?」

「ふん、興はのらんが、致し方なかろう。貴様にくれてやるには、惜しくはあるからな」

 

 そうして互いに背を向けると、両者共に高らかに宣言した。

 

「では、世界に呪わしき我が名を吼え立てよう」

「さあ、蹂躙と虐殺の時間よ。抗いなさい、全力で」

 

 それから、白亜の美しい城内が深紅に染まるのにそう時間は要さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「止まれ、でなければ胴から首が離れると心得よ」

 

 後方からかけられたアルトの美声と、首元で光る刃紋に、カドックは歩みを止めざるを得なかった。氷像のようにその場で固まりながら、冷や汗が背中を伝う感覚に嬉しくない既視感を覚える。

 

「クリプター。カドック・ゼムルプスとお見受けするが、如何に?」

 

 慇懃であるがゆえに、怖気の走る誰何であった。忠誠心の高さを窺わせる彼(ともすれば彼女)は己が主に害なす敵を許しはしないだろう。

 この前の怪人よりは話しが通じる相手だろうが、だからこそ理解を勝ち取る事が難しい事柄もある。好き勝手にカルデアを荒らした敵の我が侭に、彼が首を縦に振るとは到底、思えなかった。

 

(……詰んだか)

 

 ギリリと奥歯を噛み締める。綺麗さっぱり諦めるには、それこそ首を落としてもらう他なかった。

 

「……沈黙は肯定と受け取るが?」

 

 騎士らしい、清廉された殺気が放たれる。憎しみではなく微かな慈悲すら籠っていると感じたのは錯覚だろうか。ともあれ、覚悟を決めるのにはもう慣れていた。だのに――

 

「――彼はもうクリプターでもマスターでもない。ただの無害な少年だ」

 

 割って入った声と太刀が、カドックの急所に据えられたレイピアをはじく、途端、甲高い音が反響し、辺りには火花が散った。

 

「なぜ、止める!?」

「首斬りは君の領分じゃないだろう?リア・ド・ボーモン(・・・・・・・・・)

 

 憤りに震えた騎士の刃を受けながら、青年は低く言葉を返す。

 

「ならば、キミが手本を見せてくれるのかい?ムッシュ・ド・パリ(・・・・・・・・・)

 

 すると、可憐な面立ちからは予想も出来ない力強さで、騎士は太刀をはじき返して距離をとった。

 

「……彼を見逃して欲しい」

「断ると言ったら?」

「君の行動しだいでは敵対行動に移らざるを得ない」

 

 青年の言葉に、騎士は理解出来ない。と言うように眉根を寄せる。

 

「マスターに対する背信行為だ」

「そうかもしれない。でも少なくとも今の彼に脅威はない。君も気付いているだろう?彼は令呪を持ってはいない」

 

 瞬間、騎士の凛々しい瞳は青年からカドックへと移される。末端は既に紫へと変色した手、その白すぎる甲には何もない(・・・・)

 

「だからと言って、彼の罪過がなかったことにはならない。何より、再契約される可能性もあるだろう」

「……それは、その通りだ」

 

 同意を返された事で、いよいよ訳が分からなくなったのか、騎士は辟易とした所作で剣を鞘へと収めた。

 

「……何を考えている?」

 

 その段に至ってようやく、青年はカドックへと視線を向ける。凪いだ瞳は恐ろしいほどに誠実な光を宿していた。

 

「彼の相応しい最期を」

 

 紡がれた言葉の厳しさ(優しさ)にカドックは感謝するように目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 広大な敷地に入り組んだ設計、要塞として正しい形を成した城。一見して、何の欠陥もない造りをしたそれは、その実、強大な墓標にも等しいだろう。とアナスタシアは独り夢想する。それもこれも、無粋な客人達の靴音が憂鬱な記憶を思い起こさせたからに違いない。

 

「ごきげんよう?皇女サマ!!」

 

 露骨に好戦的な挨拶と共に、乱雑に扉を破壊して室内へと押し入った、漆黒の鎧姿の女は、口元を卑しく歪めて、アナスタシアへと燃えた刀身の雨を降りかける。それを氷の盾で難なく防ぎながら少女は玲瓏に答えを返した。

 

「随分なご挨拶ですこと。何処のご出身(英霊)かは存じ上げませんが、程度が知れますね」

 

 手に持ったグラスの水を振り撒いて、アナスタシアは冷笑を返す。

 

寂れた地下室を死に場所に選ぶような(陽の目も浴びずに死ぬ)。無様な皇女に言われても、痛くも、痒くもないわ!!」

 

 近場にあったテーブルを蹴りあげ、矢のように飛んできた氷柱の猛威をやり過ごしながら、女は哄笑する。すると、その一瞬を逃さぬとばかりに、彼女の背後から、蛸の足にも似た触手が伸ばされた。それは、アナスタシアの見開かれた瞳、その眼孔を穿つギリギリの距離まで迫るも、次の瞬間には凍えて砕け散る。

 

「――ですが、ジャンヌ。わたくし、この地下室にはどこか懐かしさのようなものを覚えます。そこはかとなく、COOLな感じがすると申しましょうか?」

 

 そう、粘着質な声を上げたのは、いつの間にか、女の傍らに表れていた巨漢。

 彼はヒトデを魔改造したような、品のない使い魔を連れ歩きながら、城の最奥に位置する決戦の場を、飛び出した異様な眼で舐め回すように見渡していた。

 

「……ジル、折角の気分に水を差すような真似はしないで貰えるかしら?」

「しかし、ジャンヌ――」

「黙れ、黙りなさいジル。ああ、もう。なんで貴方はいつもそうなのかし――」

 

 しかし、言い終わらぬうちに、異変を察知してか。女は飛び退く、その足元に居たのは白く小さな獣だった。あっと言う間に、アナスタシアの元へと走り寄ったその犬は、彼女に抱きかかえられると嬉しそうな鳴き声を一つ上げる。すると、それを合図としたかのように、真っ暗な地下室の至るところから、何かの息遣いや唸り声が漏れ聞こえ始めた。

 

「腹心の忠告に耳を貸すべきでしたね。救国の聖女」

 

 咆哮一つ、暗がりから跳躍した雪豹の心の臓を呪旗で貫き、間髪入れずに喉笛へと牙を剥いた狼の首を剣で刎ねながら、女はアナスタシアをねめつけ吐き捨てる。

 

「……オーケー、殺すわ。あの女と私を一緒にした時点でアンタ。救いようがないもの」

 

 触手の蠕動と獣たちの息遣い。氷雪の煌めきと業火の揺らめきが、微かな明かりを灯す中、復讐に燃える金の瞳と憎悪に凍った蒼い瞳が交錯する。正反対なようでいて、とても似ている皇女と魔女の殺し合いの一幕は、こうして上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「マシュ、ランスロット。オルタが皇女と接敵した。場所は此処から近い!!」

「ですが先輩、デオンさんを待たなくても大丈夫でしょうか?」

 

 上階の戦乱を避けるように城の下層を征くカルデアのマスター一行はその数を減らしていた。

 

「デオンなら多分、無事だよ。相変わらず上階には念話が繋がり辛いけど、あの場面でオレが居るほうが、かえって、彼には足手まといだっただろうから……」

 

 殺戮猟兵に囲まれた時、彼が囮役を買ってくれたからこそ、此処まで来れたのだ。と思う反面、少年の胸騒ぎが止むことはなかった。

 

(まるで、誘い込まれているみたいだ)

 

「……嫌な予感がする」

 

 目の前に続く道を睨んで無意識にそう呟いていた。濃くなる冷気が心までもを震わしてくるようだ。

 

「先輩?」

 

 と心配そうに上がった声に振り返れば、自身も怪我を負っているというのに、こちらを労わる盾の少女と、深手を簡単な治療で誤魔化して剣を握り続ける黒騎士の姿。それは痛々しいものではあったが、同時に誇り高いものでもある。上階に残った面々もまた――

 

(――戦っている)

 

 誰もが皆、戦っている。生きる為に生き抜くために戦っている。それが分かるから、自分も恐怖と戦える。

 

「……マシュ、ランスロット。もう少しだけ力を貸してほしい」

 

 震える拳を強く握り込んで、されど真っ直ぐな瞳と脚色のない言葉で告げる。盾の少女も黒騎士も当然のように同意を示した。

 

「…………ありがとう」

 

 やおら、開いた唇を迷わすように震わせて少年は呟いた。その言葉(謝意)は感謝であると同時に謝罪でもある。そしてまた、彼の長所と短所でもあった。

 

「……行こう!!」

 

 それが出陣の合図だった。何処にでも居そうな少年の、けれど、彼にしか務まらない戦が確かにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「チッ、キリがないったらありゃしない!!」

 

 皇女に迫りながらも、闇の中から伸ばされる爪や牙に、ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕は決定的な瞬間を見い出せずにいた。

 

(ジルの海魔がいてこれか!!)

 

 殊更に、詰る意志などはなかったが、キャスターとしての彼らの格の違いに、悔しさを感じずにはおれなかった。そも、ここは皇女の工房なのだから、当然と言えば当然だったのやもしれないが。

 

「復讐に焦がれた炎などで溶け落ちるほど、私の氷はヤワではありませんよ」

 

 もう何度目になるかも分からぬ剣の投擲をはじきながら、冷たく言い放つ皇女にオルタは歯噛みする。

 膠着しているだけならばいいが、疲弊の差がありすぎる。それだけならまだしも、皇女の殺気が本気のものではない事実に、苛立ちが募ってしょうがない。

 

(舐めやがってッ!!)

 

 マントを翻し、駆ける。すぐさま皇女の左右から牙を剥いた狼が現れた。

 

「邪魔だッ!!」

 

 大口を開けて飛び込んできた二匹を呪旗で食い止めて、そのまま自分は旗の下を潜り抜ける。

 

「ジャンヌッ!?」

 

 武器を手放す豪胆さを咎めるように上がったジルの叫び声に、皇女の氷の美貌にははじめて、動揺の色が浮かぶ。それをいい気味だと嘲るように、オルタの口角は上がった。

 

「喰らえッ!!」

 

 剣を高く振り上げ下ろす。その瞬間、視界の端を銀の斑が駆け抜けた。そして散る、赤。

 

「――――…………ッアァア!!」

 

 反響する咆哮。獣の氷の牙は、剣を握るオルタの片腕、その肘から先を過たず喰いちぎった。けれど――

 

「――アンタも、道連れよッ!!」

 

 一瞬早く、獣の動向を悟ったオルタは、残った腕で落下する剣を掴むと態勢低く踏み込んだ。

 

「――なっ」

 

 驚愕に見開かれた皇女の瞳、オルタの勝ち誇った表情。それはどちらも歪む(・・・・・・)

 

「…………ハハッ、なんとか間に合った。かな」

 

 身体の中枢を貫かれ、口から黒い血を吐きながら、白髪の少年は緩く後ろを振り返る。その琥珀の瞳と震える蒼が交錯した瞬間――

 

「マスターッ!!」

「ランスロットッ!!」

 

 少女の悲鳴と、何者かの名を呼ぶ、切迫した少年の声が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「刻限だ、急いでコンテナに戻り給え。マスター」

 

 宝城のあとかたを目に焼き付けるように見つめていた少年は、鼓膜を震わす男の声に振り返る事なく応じた。

 

「あと少し」

「駄目だ」

 

 だが、返って来た力強い答えに、致し方ないという風に息をついて目を伏せる。それは彼の雰囲気からはかけ離れた、やけに大人びた所作だった。

 

「分かったよ」

 

 一度だけ、天を仰ぎ見てから振り返れば、自然の景色には些か不釣り合いな、都会的な紳士の姿が映る。時折舞う白い風にインバネスコートがはためいていた。

 

「ふむ。どうやら、此度の冒険はいつにも増して、堪えるものがあったと見える」

「……そんなに顔に出てる?」

「いいや、私だからこそ見破れる(・・・・・・・・・・)くらいには隠せているとも」

 

 コンテナへと歩を進めた少年の顔を、至近距離から覗きこんで紳士は笑う。

 

「なんか、嬉しくないなぁ」

「褒めようとしていないのだから当然だろう?」

 

 並んで歩きながら紳士はさらりと言ってのける。が、そんな冷淡さと親切心の中間のような態度が少年には丁度良かった。

 

「いいかいマスター?雪原の白兎を見つけるのは大変だろうが、不可能ではないのだよ」

 

 そうして、かけられた言葉に、少年はもう一度だけ白い世界を見渡した。けれど、あの時の自分の叫び声、そこに籠った意味が、制止であったのか扇動であったのかの答えを見つける事は終ぞ叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

 狂乱の雄たけびと共に背中に走った冷たさと熱さに、少女は敗北を確信して膝を折る。同時に、少年も胸元を朱に染め上げて仰向けに倒れ込んだ。

 

 意識の外では何人もの人間が喚き散らす声と崩壊の足音を捉えながらも、二人は相手を視界に収める。瞬間、蒼と琥珀がしっかりと邂逅して、互いの流した赤が混じりあう。白い頭部と銀の毛先にはとてもよく映えた。

 

「……最後に、一ついいかな?」

 

 呼吸する事さえ苦痛だろうに、カドックの言葉はしっかりとしたものだった。無論、それが見え透いた意地であるという事に、アナスタシアは気付いていた。気付いていたからこそ、貝の様に口を閉ざして、彼の言葉に耳を澄ます。

 

「――口づけを許して欲しい」

 

 そうして、告げられた想いにアナスタシアは息を呑む。それから面はゆそうに、けれど瞳には滂沱の涙を溜めて頷いた。すると、カドックは頭をもたげ、指先で掬ったアナスタシアの銀糸の髪。その一房へと慈しむように唇を寄せた。

 

「…………僕の物語は此処で終わる。けど、君は違う」

 

 永遠にも似た刹那を越えて、続けられた言葉に、アナスタシアは緩く首を振った。微かな挙動ではあったが、込められた否定の感情は強いようだった。蒼い瞳から零れ落ちた雫がカドックの頬を濡らす。その熱が強烈に心を灼いた。

 

「その名の通り、君は何度でも生まれ変わるだろう」

 

 気休めではなく、確かな予感として、いつか見た気高く美しい光景は心の奥深くにあった。それと共に、これから先の彼女の隣に居るのは自分ではない。という厳然とした事実には、言いしれない悔しさも覚えたけれど。

 

「でも、大丈夫。僕は」

 

 喉を鳴らし、ひととき瞼を降ろして、開く。万感の思いの込められた琥珀の瞳、その眦からは抑えきれない感情が伝う。

 

「君を照らす夜空の輝きに、君へと降り注ぐ雪に、そして、君の傍らで咲く花となって、君の傍に居る。そうして君と共にある」

 

 信じて、と最後に繋げた言葉は、耳に拾う事すら難しい、酷く掠れた吐息だったけれど。

 

「貴方は、愚かよ」

 

 雪解けのような涙を流しながら、確かにアナスタシアは春の訪れを感じさせる微笑みを溢したのだった。

 




 補足。

 Q.カドックの令呪はいつ使いきったのか?
 A.ファントムの襲撃時に一画(この為にアナスタシアは霊体化を用いて助けには行けなかった)その後はアナスタシアから別れを切り出された際に、彼女に使用を迫られて二画とも消費。この時の恩恵を利用してアナスタシアはマルタを撃破、ランスロットに重傷を負わせることに成功している。

 Q.二人(カドアナ)の出会ったシーンで聖堂とあるけど?
 A.一応はペトロパヴロフスク聖堂を意識しては見たのですが、正直なところ、ふわふわとした認識しかありません……。(アナスタシアの居城もペトロパヴロフスク要塞の認識で書こうとは試みたのですが、断念してます。雰囲気でお楽しみください)

 Q.所々で出てくる神父は何者?
 A.黒幕だと思える安心感?というか信頼と実績を積んでいらっしゃるあの方のつもりです。“純正な”あの方ではないですが(多分、疑似鯖化してますよね?)

 Q.サンソン先生どうしちゃったの?
 A.酔ってるんですよ(多分)

 Q.ファントムさん犬死に?
 A.いいえ、彼のクリスティーヌへの愛が暴走したおかげで、カドック君が捨てられるので、ぶっちゃけ、ファントムさんは影の立役者です。

 Q.マルタさんが不憫では?
 A.マルタさん、作者も好きなキャラなのでちゃんと書きたかったんですけど、この時に用いた宝具が防御宝具のタラスクさんのつもりでいたので、描写に悩んだところがあったんです。お察しください。

 Q.アタランテちゃんファントムさんに厳しすぎでは?
 A.傍から見ればファントムさんは確かに暴走しているので致し方ない所はあるかと。でも、彼女の怒りは細かく見れば、マルタさんが落とされたこと以上に“群れ”の足並みを荒らしたことのほうに比重が寄っていると思います。

 Q.吸血鬼コンビのシーンいる?
 A.気付いたら書けていたので

 Q.なんでリア・ド・ボーモンのほうで呼んだの?
 A.皮肉のようなものです(ロシア帝国に潜入した時の名)

 Q.アナスタシアが抱っこした白い犬は何?
 A.史実の彼女が殺された時、その亡骸から犬の死体が転がり落ちた。というようなエピソードがあるとかないとか耳に挟んだので。因みに作中に出てきた動物は全てアナスタシアの使い魔(雪獣)多分、熊とか鹿とかもいたと思う。

 Q.地下室に居たアナスタシアは戦意がなかった?
 A.どちらかと言えば、はい。どのみちマスターなしではいろいろとキツい部分もあったのでしょう。最終的には城と運命を共にするつもりでいました(カルデアの戦力とマスターも道連れに出来れば御の字)因みに城と地下室の関係は氷山のイメージ(あくまでイメージ)で居たので、取り敢えず地下室はかなり広さと認識して頂ければ(因みに史実の彼女も地下で殺されています)

 Q.結局のところカドックはアナスタシアを好いていたの?
 A.好きか嫌いかで言うならば好いていました。ただそれが恋情であったのか、サーヴァントという強者に対する媚びであったのかはご想像にお任せ致します。

 Q.その名の通りってどういう意味?
 A.アナスタシアと言う名前には、復活した女。という意味もあるそうです。

 Q.本当のアナスタシアはどんな子?
 A.この作品における彼女は、殺された皇女である自分は世界を恨まなければならない存在である。という価値観に囚われた少女としてのキャラ付けをしたつもりでいるので、本当の彼女は何処にでも居る年頃の女の子の部分があるのではないでしょうか?故にカドックからの視線に困ってしまったんでしょうね。

 Q.補足って……結局は全部作者の妄想ですよね?
 A.全く持ってその通りです。描写不足を補う為の言い訳です(自戒)


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