須賀咲になりたくて (小早川 桂)
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1:『須賀京太郎は時を戻って』
気が付いたら、小学生時代に戻っていた。
何を言っているのか、よくわからないと思うが、俺もわからねぇ。
待て待て待て。
落ち着いて、よく考えろ。
今日は俺の奥さんの誕生日で、ご機嫌をうかがうべくケーキを片手に仕事から帰っていたはず。
なのに、どうして俺はランドセルなんか背負っているんだ?
おかしいだろ!
「うぉぉぉ! 夢なら醒めろ! 醒めてくれ!」
「ダ、ダメだよ、京ちゃん。頭を電柱にぶつけちゃ」
「え?」
一心不乱にヘッドバンキングしていると、腕を引かれて止められる。
振り返れば、かわいらしい女の子が立っていた。
俺は彼女の名前を知っている。
「……咲?」
「そ、そうだよ? 宮永咲だよ? 忘れちゃった……?」
宮永咲。
忘れもしない俺にとって大切な女性だ。
改めて、じっくり見れば面影がはっきりとある。
ちんちくりんなところとか、特徴的な髪の跳ね方とか、今にも泣きそうなその顔とかぁぁぁ!?
「ち、ちがうんだ、咲! 今のは冗談で!」
「ぐすっ……冗談でも、そんなこと言わないでよぉ……」
かっ、かわいいぃぃぃぃ!!
あー、ダメです、ダメです。
そんな涙ぐんで、上目づかいされたら父性がくすぐられちゃう!
もう! そんな風に服の袖をちょんちょん引っ張らないの!
キュン死するだろうが!
「悪かった、悪かったって! ほら、これでいいだろう?」
そう言って、俺は咲の小さな手を握りしめる。
おてて、ぷにぷにぃぃぃ!
「……えへへ。京ちゃんの手、あったかいね」
「……! そ、そんなことねぇよ」
「そうかな? でも、こうしてるとね。安心するけどなぁ。……ねぇ、京ちゃん?」
「な、なんだよ?」
「これからも、こうやって私と一緒に帰ろうね?」
この後、めちゃくちゃおててつないで学校から帰った。
◆ ◆ ◆
そんな日々を繰り返していたら、中学時代に突入した。
そして、ようやく俺はあることに気づく。
「……あれ? 俺と咲が出会ったのって中学じゃなかったっけ?」
そう。生前(仮にそうする)の記憶の通りであれば、俺が宮永咲を知るのは中学時代なのだ。
ロリ咲があまりにも可愛いから忘れてはいたが、これが大事なことだ。
絶対に忘れないようにしないといけない。
「ねぇ、京ちゃん、京ちゃん」
「なんだ、咲? ちょっと俺は考え事をしているから、また後で――」
「クッキー焼けたよー。はい、あーん」
「――あーん!」
「どう? おいしい?」
「うん、うまい! 咲のお菓子は世界一だなぁ!」
口に広がる香ばしさあふれるクッキーは、何を隠そう、俺の自慢の幼馴染の手作りだ。
中学生になった咲は、それはもうもうメキメキと女子力を上げていった。
元々やればできる子だったんだろう。
俺の知っている咲とは、かけ離れて過ぎていて、別人を疑う域だ。
唯一の共通点である趣味の本を読むことが好きだった咲は知識をどんどん吸収し、こうやってお菓子を作ってくれる。
これが部活終わりの俺の楽しみなのだ。
「京ちゃんが喜んでくれて嬉しいよ。はーい」
「あーん!」
差し出してくる咲の誘惑には勝てず、一枚、また一枚と口に運ぶ。
あー、美味しい。
なんて幸せなんだ、俺は……。
手作りのお菓子を食べさせてくれる可愛い幼馴染がいるとか……こんなに人のぬくもりを感じたのは、いつ以来だっけ……。
仕事では上司と部下からの板挟み。家に帰ればテーブルに置かれたカップラーメン。結婚しているはずなのに妻がいない朝。
やばい……泣きたくなってきた……。
「きょ、京ちゃん? どうしたの? おなか痛い?」
「ち、違うんだ、咲。ちょっといろいろあってな」
「そっか……大丈夫だよ、京ちゃん」
視界が真っ暗になり、咲に抱きしめられていることに気づく。
ほのかな甘い香りと小さくも柔らかな胸に包み込まれ、ざわついた心が落ち着いていくのを感じた。
そっと背中を撫でられる。
ゆっくりと上から下へ。嫌なものを消し去るように。
「きっと辛いことがあったんだよね。そんな時は私もこうされると、すごく落ち着くんだ」
「咲……」
「だからね、今はいいよ。京ちゃんの嫌なことを私が受け止めてあげる」
「さきぃぃぃ!」
泣いた。
情けなく涙を流した。
同級生の胸に顔を押し付け、わんわん泣き散らかした。
界さんが仕事で本当に助かった。
こんなところを見られたら、何を言われるか、わからないからな。
責任を取ってもらうとか言われたら……あれ?
それ、最高にハッピーエンドじゃね?
なにはともあれ、いつまでも咲に抱き着いているわけにもいかない。
俺は彼女から離れる。すると、あることに気づいた。
「ごめん、咲。服が汚れちゃったな……」
「ううん。別にいいよ、気にしなくて」
「いや、それじゃあ、俺の気が済まない。ダサいところ見せちゃったからさ……今度はいい格好させてくれ」
「うーん……あっ、じゃあ、こうしよう?」
咲はポンっと手を叩くと、ずいっと顔を寄せる。
……まつ毛、長くてきれいだな。
「……京ちゃん?」
「い、いや、なんでもない。それでなにを思いついたんだ?」
「うん! 今度……一緒にデートしてほしいなって」
「デート? いつも付き合っている本の買い出しとか、みたいな?」
「ちがいますー。本当のデートですー」
ぶっぶーと自分で効果音をつけて、バッテン印を作る咲。
「京ちゃんがデートプランを考えて、私をエスコートするの。朝から夜まで、私を喜ばせるために頑張るの。洋服代はいらないから、態度で示してほしいなぁって」
「なんだ、そんなことか。それなら簡単だ」
「そうかな? 私はそんな簡単に崩れる女じゃないよー?」
「でも、俺、いつも咲のこと考えてるし」
「うんうん……うん?」
「咲ばっかり見るようにしてるし」
「そ、そうなんだ、へぇ……」
「これからもずっと咲と一緒にいたいからさ……って、咲? どうしたんだ? 顔、赤いぞ?」
「……京ちゃん。私が死んじゃうから、それ以上はダメ。近づくのも禁止」
「えっ、でも」
「大丈夫だから。わかった?」
「はい」
有無を言わさぬ迫力に俺も素直に従う。
でも、それもすぐに霧散して、今の咲は俺から顔を背けるばっかりだ。
髪からのぞける耳は真っ赤だし、さっきから体も何かを耐えるようにプルプル震えているし、心配なんだが……。
まぁ、本人が問題ないって言ってるんだから、とりあえず俺がするべきことは一つ。
咲をメロメロにするような、甘い一時をプレゼントすることだ。
咲って恋愛小説大好きだし、きっとそういうのに憧れてるんだろうなぁ。
相手が俺なのは我慢してほしいが、そのぶん気持ちを込めて作ろう!
この後、俺は咲にお礼を言って帰宅し、来る彼女とのデートへと備えた。
そして、そのデートで咲に告白された。
◆ ◆ ◆
「もう高校生かぁ、はやいな」
「そうだね、ダーリン」
「ダーリンはやめてくれ、恥ずかしいから」
「自己紹介は須賀咲でよかったよね?」
「おっと、間違いしかないぞ」
「あっ、ごめんね。そうだよね。京ちゃんの気持ちも考えずに……」
「わかってくれたらいいんだ」
「うん。私は宮永咲で、京ちゃんが宮永京太郎だったよね、ごめんごめん」
「ははは、お茶目さんだな、咲は。それも違うぞ」
「えっ!?」
「えっ?」
そんな会話をしたのも、もう一ヶ月前。
県内でもハンドボール強豪校に通っている俺たちは汗を流し、今は帰路についていた。
さすがに中学とはレベルが違うけど、上手くやっていけているのは咲のサポートがあるからだと思う。
咲は清澄を選ばずに、俺と同じ高校を選んだ。
マネージャーとして、一緒に慣れないことを頑張ってくれている。
「いやぁ、クタクタだな。もう肩が上がらん」
「だったら、マッサージしてあげようか? 今日はお父さんいないし」
「マジか! じゃあ、今日は俺の方に直帰だな。ありがとう、咲」
彼女の頭を撫でると、咲は恥ずかしげにうつむく。
また、その表情がいちいち可愛いのだ。
正直、力が無さすぎて気持ちよくないけれど……必死になってくれている姿に癒される。
完璧少女と言っても過言ではないだろう。
それくらいに咲は素敵な女の子だった。
容姿は一緒でも俺の知る咲の面影は全くない。
俺の知る宮永咲は、この世界にはいない。
――それが寂しくもあった。
「……でね、この前……って、聞いてる、京ちゃん?」
「……あっ、悪い。ちょっと上の空だった」
「大丈夫? 練習のし過ぎなんじゃない? いつも個人練もしてるし」
「プロになりたいんだから、これくらいは必要だよ。平気、平気」
「そっか……。でも、無理はしないでね。一生懸命な京ちゃんは好きだけど、怪我する京ちゃんは見たくないよ」
「わかった、わかった」
生前ではなれなかったプロ。
そこまでハンドボールに打ち込んでなかったし、高校では何もかもが中途半端で……。
だからこそ、今度は人生に真摯に向き合いたかった。
それに……。
「……?」
咲を幸せにしたかった。
今でも不安に思う時がある。
彼女はこんなに俺に尽くしてくれて……俺は対価を支払えているのか。
彼女はとてつもない麻雀の才能がある。
俺が無理矢理にでも麻雀部に入れれば、彼女はきっと輝かしい栄光を手に入れることができただろう。
こんな俺に関わらなければ。
そう思うと、聞かずにはいれなかった。
「なぁ、咲。よかったのか?」
「なーに?」
「お前、麻雀強いのに麻雀部に入らなくて。ここも結構強かっただろ?」
やってしまったと後悔したのは、隣を歩く彼女の表情が曇ったのを見た後。
トッププロとして毎日、忙しい身であることを知っている俺からすれば何気ない一言だった。
だが、それは彼女の以前の未来を知っている俺だからわかること。
――この世界線の咲は俺の前で一度たりとも牌を触っていない。
咲は困惑して、動揺を隠せずにいた。
声を震わせ、尋ねてくる。
「……どうして京ちゃんが、それを知っているの?」
うかつだった。
咲にとって、麻雀そのものが辛い過去。
俺は慌てて、彼女の手を握りしめて言い訳を並べる。
「いや、ほら、界さんに聞いたんだよ。咲のこと」
「……お父さんから?」
「そうそう。実は内緒にしていたかったんだけど……咲にサプライズプレゼントしようと思ってたんだよ。で、界さんと咲のこと語り合ってて、その時にな」
かなり苦しい。
苦しいが、矛盾はないはず。
俺はおそるおそる彼女に目をやる。
「なんだ。お父さんが教えちゃったんだ。もう私、びっくりしたよ~」
さっきまでの威圧感はなくなり、咲はホッと胸をなでおろしていた。
それどころか、頬に手を当てて、腰をクネクネとさせている。
「それに京ちゃんもプレゼントだなんて……私は幸せ者だよぉ」
その言葉に胸がちくりと痛む。
「は、ははっ。そろそろ付き合い始めて一年だろ? だから、記念になるものをな」
「そっかそっか。嬉しいなぁ」
そう言うと、咲は腕を絡めてくる。
そのまま歩き始めたので、俺も合わせて動き出す。
「……ね、京ちゃん」
「なんだ?」
「私ね。欲しいプレゼントあるんだ」
「あー、もうバレちゃったしな。何でもいいぞ。これでも結構、ためてるから」
「ううん。お金はかからないから大丈夫だよ。いつもデートの時はおごってくれてるし」
「それは男として格好つけるところだからいいんだよ。……で? なにが欲しいんだ? もう隠す意味もなくなったから遠慮せずにいてくれ」
「キス」
「……え?」
「私、京ちゃんと毎日キスしたい」
どうやら聞き間違いじゃないようだ。
幼馴染も気が狂ったわけでもなく、真面目に俺にお願いをしている。
その眼に冗談は含まれていない。
「毎朝、学校に行く前とか……何気ないときにでも……ダメかな?」
小悪魔的な彼女のお願いを断れる奴がいるのだろうか。
いや、いない。
「ちょうど、今ならだれもいないよ? だから、ここに返事が欲しいな?」
そう言って、咲は瞳を閉じる。
俺たちを見つめるのは、夜空に浮かぶ星々だけだ。
少しだけ躊躇したものの、恋人の誘惑に理性はあっという間に呑み込まれ、俺は唇を重ねた。
二話は明日か明後日に投稿するよ
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2:『宮永咲は変えたくて』
小鍛冶健夜さんが結婚した。
初めはいつものエイプリルフールかと思われたけど、よくよく考えれば発表されたのはお正月。
どうやら今回は本当のようで、その一報は世界を震わせた。
それから数か月、女子麻雀界は祝福に満ち溢れ、男子麻雀界は混沌に陥っていた。
飢えた
牌のお姉さんとか、牌のお姉さんとか、牌のお姉さんとか。
とにかく世の中の全ての未婚者に希望を与えた当事者と私は二人で飲んでいる。
女にもいろいろあるのだ、いろいろ。
「健夜さん。どうやって結婚したんですか?」
「んー、どうって言われると難しいんだけど……」
「だけど?」
「簡単にまとめると、麻雀を極めれば、時空をねじ曲げられるってことかな」
「私、八冠目指します」
そして、私は健夜さんの持つ最年少八冠保持記録を塗り替えたのであった。
◆ ◆ ◆
「よしっ……こんな感じでいいかな?」
なるほど。
健夜さんの言った通りだ。
私は望んだ通り、小学生の姿になっていた。
京ちゃんと同じ学校に通う、彼の幼馴染として。
「きっとすこやさんもこうやって若い頃から根回ししたんだろうなぁ」
ある意味、光源氏計画……。
そもそも何を思って、こんなことを試してみたんだろう。
普通の人間は過去を変えようとか考えたりしないし、実行にも移さない。
アラサーは時代を越えられる。
……結婚意欲って、すごい。
「私も人のことをとやかく言える立場じゃないけど」
自虐気味に笑うと、私は今後の予定を組み立てに入る。
目標は決まっていた。
そこに至るまでの間、最も大きな分岐点は間違いない。
だけど、今はそれよりも――。
「えへっ、えへへっ。小学校の頃の京ちゃんも可愛いなぁ」
今、私の隣を歩いているのは小さい京ちゃん。
写真では見たことあるけど、実物も比べ物にならないくらい可愛い。
はっきり言えば、たまらない。
でも、心配なことがある。
それは京ちゃんが突然、道中の電柱へとヘッドバットをし始めたから。
なになに? 時空を歪めたら、京ちゃんの頭も歪んじゃった?
いやいや、まさか、まさか。
そんな私の心配も杞憂だったみたいで。
「悪かった、悪かったって! ほら、これでいいだろう?」
昔の京ちゃんも、優しいままだった。
ていうか、京ちゃん……しょ、小学生なのにちゃんと男の子してるおててだよ……!
何度かぎゅっ、ぎゅっと握りしめる。
やっぱり安心感を感じるなぁ、京ちゃんの隣は。
「……ねぇ、京ちゃん?」
「な、なんだよ?」
「これからも、こうやって私と一緒に帰ろうね?」
私がそう尋ねると、京ちゃんは「あ、う……」とおぼろげに言葉を返す。
思春期特有の恥じらいがあるようで、その顔は真っ赤だ。
……まぁ、それに関しては私も他人のことを言えないけど。
やがて京ちゃんは顔を逸らして、どんどん先を進んでいく。
返事は結局なかったけれど、私にはすぐにわかった。
だって、京ちゃんは家につくまで手を離そうとはしなかったから。
◆ ◆ ◆
私が読んだ小説の中にも、いわゆる逆行ものと呼ばれる作品はあった。
その主人公たちは得てして、自分だけの持つ知識をフルに活用して危機を乗り越えていく。
そして、この世界においての主人公は私だ。
私だけが未来の記憶を要し、私にとっての地獄の未来を変えられる。
だから、私はまず自分磨きを第一優先とした、
料理がまともにできず、お惣菜やインスタントがメインだった日々とはおさらばするんだ。
それでいて、京ちゃんへのアピールは忘れない。
学校にいる間はずっと京ちゃんにべったりなおかげで、自然とライバルの数は減っていった。
朝の登校から部活終わり、いや日常生活まで私が握っていると言ってもいいだろう。
「はい、京ちゃん。あーん」
「あーん!」
焼きたてのクッキーを京ちゃんの口へと運ぶ。
どうやらお口に合ったようで、私がクッキーを口元まで持っていくと、京ちゃんは美味しそうに食べてくれる。
あんなにも苦手だった料理の類が、こっちでは趣味にまで昇華していた。
人間やりたいことがあれば、できるものである。
「咲のお菓子は世界一だなぁ!」
それに、こんなにも好きな人に褒めてもらえるなら嫌でもやる気になるだろう。
恋する乙女は単純なのだ。
京ちゃんにも喜んでもらえるし、よかったよかった。
本当に京ちゃんにしてあげたかったことが少しずつ叶って……私は幸せ者だなぁ。
そんなことを考えているときに京ちゃんが急に泣き出しちゃったのには、びっくりしたけど。
多感な時期だもん。
私にはわからないところで辛いことがあったのかもしれない。
だったら、私は支えになりたい。
もう後悔はしたくないんだ。
きっと私が本当の中学生の宮永咲なら、躊躇していたんだろうけど。
「今度……一緒にデートしてほしいなって」
何度も悔やんで、やり直したのだから。
「ちがいますー。本当のデートですー」
立ち止まるなんてことはしていられない。
「えへへっ。楽しみだね、京ちゃん!」
私がーー京ちゃんを幸せにするんだ。
そして、私たちは恋人同士になった。
◆ ◆ ◆
「京ちゃん。お弁当作ってきたから一緒に食べよ」
「おっ、サンキュー。俺の好きなハンバーグ入れてくれた?」
「うん。今日も練習厳しいから、しっかり食べて栄養つけてね」
「おっ、相変わらずいい彼女だなぁ」
「彼女違います。嫁さんです」
「お、おう」
そう返すと、引き気味に高久田くんは学食に向かった。
私たちは机をくっつけて、お昼ご飯にする。
結局、私と京ちゃんは清澄じゃない高校に行った。
まぁ、私が意地でも清澄を拒否したからなんだけどね。
清澄に行ったら、どんな流れで麻雀に関わってしまうかわからない。
それなら私は京ちゃんに合わせて、別の高校に進学するだけ。
幸いにも、勉学には困らなかったし。
そういえば、京ちゃんも私が思っていたより全然賢かった。
その辺りもやっぱり過去を弄ってるから変わってるんだろうか。
……もし、健夜さんが独身になったら申し訳ないから、いざというときは高久田くんを紹介しておこう。
「京ちゃん、美味しい?」
「ああ、とっても」
「お嫁さんにしたくなった?」
「咲はいいお嫁さんになれると思うよ」
「じゃあ、結婚しよっか」
「待って。今のはプロポーズじゃないから」
何はともあれ、私の目指す未来へと着実に近づいている。
そう思っていた。
あの時までは。
「お前、麻雀強いのに麻雀部に入らなくて。ここも結構強かっただろ?」
ガツンと側頭部を殴られたような衝撃。
思考が混沌を極める。
どうして、京ちゃんがそのことを知ってるの?
私が京ちゃんと過ごすにあたって、最も遠ざけてきたものが麻雀だ。
だから、そんな言葉が出てくるわけがないのに。
動揺が隠せない。
いつもと変わった様子の私を心配して、京ちゃんは慌ててお父さんに聞いたと言う。
ねぇ、京ちゃん。
知ってる?
京ちゃんは嘘をつくとき、相手の手を握る癖があるんだよ?
今も、慌てて私の手を掴んだよね。
……きっと、何かの間違いだ。
あの癖も私が時空をねじ曲げる前の京ちゃんの癖。
こっちの京ちゃんも同じ癖を持っているなんて、あり得ないよね。
私は自分に言い聞かせる。
まだまだ京ちゃんとしたいことは、たくさんあるんだから。
あっちで出来なかったことが、いっぱい。
どうやら京ちゃんはプレゼントをくれるらしい。
だから、私は考えていたお願いを一つ打ち明ける。
「私、京ちゃんと毎日キスしたい」
私の要求に、京ちゃんの目は点になった。
「毎朝、学校に行く前とか……何気ないときにでも……ダメかな?」
だけど、私が面白半分で言っているわけじゃないとわかると、彼の表情が引き締まる。
真面目な京ちゃんのことだから、真剣に考えてくれているんだろう。
そんな貴方だから私は好きになったんだよ。
「ちょうど、今ならだれもいないよ? だから、ここに返事が欲しいな?」
私は瞼を下ろした。
それから少しの間が空いて、優しく唇が重ねられた。
次は土日と用事があるので、月曜日か火曜日。
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3:『二人は後悔したくなくて』
頭がくらくらする。
ぼやけた視界。
それでも見慣れた天井だとわかったが、身を包む布地はどこかいつもより心地いい。
ていうか、下半身がスースーする。
見やれば、下半身どころか上まで開放感あふれる格好をしていた。
「どうなってんだ……?」
こめかみを指で抑えながら、寝返りを打つ。
すると、そこには俺の彼女が裸でいて、柔和な笑みを浮かべていた。
「おはよう、京ちゃん」
彼女の姿を見て、脳内にかかっていた靄が晴れた。
記憶が加速し、今に至るまでの経緯を思い出させてくれる。
そうだ。
俺と咲は二十歳になったお祝いで二人でお酒を飲んで、酔った勢いでそのまま――。
「ということは、ここは家か……」
「そうだよ、私たちの愛の巣だよ」
「なんか卑猥に聞こえる」
「昨晩したばっかりだけど?」
ごもっとも。
反論の余地がなく、俺は押し黙る。
高校を卒業後、同じ大学に通うことになった俺と咲は二人で少し大きめのマンションの一室を借りた。
うちの親父も界さんもすっかり俺たちが結婚する腹積もりのようで、説明するまでもなく資金繰りしてくれたのだ。
当然、働き始めたら返すつもりだけど。
「ふんふふーん」
咲は鼻歌を奏でながら、気分よさげに朝食を作っている。
俺はと言えば、その光景に感動を覚えていた。
エプロンをつけた恋人がキッチンで料理している……!
できたての温かい料理がテーブルに並んでいる……!
「美味しい……美味しいなぁ……!」
「もう京ちゃんったら……なんで泣いてるの?」
「いや、ちょっと思うところがあってな」
「変なの。例えば、どんなこと?」
「世の中には奥さんに料理を作ってもらえない旦那さんもいるんだよな、と思ってさ」
冗談めかして、俺は前世の自分の状況を話す。
……いや、あれは仕方がなかったんだけどな。
お互いに忙しくて、いつの間にかすれ違っていた。
ちゃんと結婚を決めた時には、好きという気持ちがあったんだ。
それは今でも覚えている。
流されるように結婚したけれど、それでも彼女のことは好きだったんだ、俺は。
だから、離婚しようとは思わなかったし、あの日もケーキを買って帰ってたんだっけ。
「へ、へぇ。やけに具体的だね」
「そういう夢を見たってだけだよ。咲もそういうことないか?」
「私はないけどなぁ。……で?」
「え?」
「その旦那さんは奥さんのこと好きだったの?」
ずいっと身を乗り出してくる咲。
どうして、そんなにも必死なのだろうか。
……まぁ、ここは別に答えても大丈夫だろう。
俺の実体験とは、よもや思わないだろし。
「愛してたよ。当たり前だろ?」
「そ、そっか……そうなんだ……」
「でも、奥さんはそうは思ってなかったかもしれないけれどな」
「……そう、かな? そんなことないかもしれないよ」
「いや、そんなことないって」
「そんなことあるよ!」
「うおっ!?」
や、やけに突っかかってくるな。
もしかすれば、同じ女性として感情移入しているかも。
それにしても、こっちの咲にしては珍しい。
でも、今のほっぺを膨らませた咲は、どこか俺の知っている元の彼女の面影があった。
……あいつ、今頃何してるんだろうなぁ。
俺のこと……少しでも思ってくれているのだろうか。
「あっ、ごめん。ちょっと興奮しちゃった……」
「いや、気にしてないから大丈夫だぞ。それより食べようぜ。せっかくの料理が冷めちまう」
「そ、そうだね。食べちゃお。食べちゃお」
俺と咲はたたずまいを直して、再び楽しい食事に戻る。
そんな今朝の一幕だった。
◆ ◆ ◆
「じゃあ、そろそろ出るよ」
「うん、いってらっしゃい。頑張ってきてね」
そう言って、私は京ちゃんの頬に軽く唇を当てた。
「元気出た! いってきます!」
京ちゃんは力こぶを作ると、飛び出していった。
ハンドボールの練習試合があるのだ。
京ちゃんはハンドボールのプロ選手としての内定が確実で、日本代表に選ばれるほどだ。
少しでも協力できたなら、私も鼻高々だよね。
本当は京ちゃんの活躍を見に行きたいところだけど、今日は料理を作るために自宅待機だ。
京ちゃんが勝ったらお祝い料理。負けたら慰め料理。
どっちにしろ、今日は手料理を振舞うつもり。
だから、買い物に、お掃除、お洗濯と大忙し。
それも私と京ちゃんが大学に進学して、それを機に同棲生活を始めたからだ。
ふふ、うふふ……ここまでくれば結婚も間近。
そっと自分の唇をなぞる。
自然と、笑みが漏れた。
「……やっと、できたね」
少しずつ自分の夢に近づいている。
私の夢。
それは京ちゃんとしっかりとした結婚生活を送ること。
互いを思いあう夫婦として。
「それにしても……今日の京ちゃんにはびっくりさせられたなぁ……」
つぶやいた言葉に、自分の以前の姿が記憶の底から浮かび上がってくる。
それは
麻雀の仕事が忙しかったからって言い訳して、家のことは何も顧みなくて。
辛い思いばっかりさせていたと思う。
そう。そのはずなのに。
「……好きで、いてくれたのかな」
すぐに頭を振って、そんな甘い考えを吹き飛ばす。
ずっと、ずっと彼には迷惑をかけ続けていた。
自分から迫ったのに、いざ夫婦生活となったらなかなか向き合えなくて。
彼が私と結婚してくれた事情も知っている。
いつも両親が結婚しろばかり言ってきて『うるさい』って愚痴を漏らしてたもんね。
きっと彼も愛想をつかしていたはず。
だから、私はやり直したんだ。
今度は本当の。名義だけじゃない、本物の奥さんになるために。
京ちゃんに愛された、須賀咲になりたくて。
「だいたい、京ちゃんが前の記憶を持っているわけないしね」
高校の時に一度だけ、それっぽいことがあったけど。
あれも何かの勘違いだろう。
「さてさて。今日もやれることから、やっていかないと」
私はもうプロ麻雀士じゃない。
家庭的な専業主婦を目指す一般的な女子大生。
これでいい。
麻雀に未練がないと言えば、嘘になるけれど。
一応、一人の時に練習はしているし。じゃないと、雀力が落ちるかもしれないし。
もし予期せぬ事態が起こった時に、また時空を歪めないといけないからね。
「今日も一日頑張っちゃおう!」
私は腕まくりをして、こぶしを突き上げた。
※ごめんなさい! 詰めないといけない案件が出来たので、更新は17日になります!
やりたいことができてきた感じ。
次で最終回だと思います。
投稿は日曜日か月曜日になります。
用事が早く終われば、その分だけ早まるので頑張る。
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4:『須賀京太郎、須賀咲』
「え……咲!?」
幼馴染のあいつと再会したのは、親に用意されたお見合いの場だった。
高校時代をただ流れるままに過ごした俺は上京して、就職した。
ハンドボールのように熱中することができず、働いて、飯食って、寝て、働いて。
最初の頃は何ともなかったけど。
一人暮らしは楽しいなんて思っていたけど。
見知らぬ土地で三年間過ごして、思ったことがたくさんある。
寂しい。辛い。死にたい。
もちろん自殺なんてする勇気はなく、結局感情を押し殺して職場へ向かう。
自分が自分じゃないように感じ始めた。
そんなときに、両親から久しく一通の手紙が届いた。
お見合いを組んだから、指定された日に会えという内容だった。
きっと電話じゃあ断られると思って、こういう強硬手段に出たんだろうな。
「……まぁ、いいか」
相手には悪いけど、結婚する気なんてさらさらないし。
「……それに向こうも無職の男なんて、お断りだろ」
俺は来週にでも辞表を出すつもりだった。
理由と訊かれたら……なんでだろうな。
ただ、すべてを辞めたかった。
投げだしたいのかもしれない。
少しでも楽になれるのなら……多分、そう思い込んで自分を保っている。
「会うだけ会って、断るか」
――と、思っていたんだけど。
「えへへ、京ちゃん。久しぶりだね」
「お、おう。その……きれいになったな」
本当に見違えるくらい、きれいになった。
俺が知っているのは、高校生になっても迷子になって、一人でどこにも行けないポンコツ咲で……。
目の前にいる着物が似合う美少女ではなかった。
「よかったぁ。一生懸命にお化粧頑張ったんだよ。チームメイトに手伝ってもらって」
「プロ雀士になったんだもんな……」
「そうだよ。試合とか見てくれてる?」
「わ、わるい。忙しくて、テレビとか見る暇なくて」
「そっかぁ。京ちゃんもお仕事頑張ってるもんね」
そう言われて、胸が痛んだ。
俺、何もやれてないんだ。
お前みたいに輝いてなくて、ただ怠惰に毎日を過ごして、あのころから何も成長してない。
そうやって、本音をぶちまけたかった。
「はは、まぁな」
けど、乾いた笑いでごまかす。
無駄なプライドが邪魔をした。
「こうやって話すのも、三年ぶりだっけ」
「おう。だから、咲が……その、本当にかわいくなっててビックリした」
「ふふっ。……京ちゃんも、格好良くなってるよ。顔つきとか、キリっとして大人っぽくなってるし」
「そ、そうか?」
「うん。私は今の京ちゃん、結構好きだな」
……やべぇ。
前までなら茶化して返せたはずなのに。
今……すっげえニヤニヤしてる。
咲も咲で照れてるし……。
「ま、まぁ、なんだ。せっかく会えたんだし、ゆっくり話そうぜ」
「うん。そうだね。積もる話もあるだろうし」
そして、俺たちは昔のように話し始める。
それからの時間はとても楽しいものだった。
友達とこうやって話すのは、いつぶりだろうか。
「あっ、もうこんな時間」
楽しい時間はいつになく早く過ぎてしまう。
時計を見やれば、すでに三時間も経っていた。
……そんなにしゃべっていたのか、俺。
「そうか。咲といるのが楽しくて、全然気づかなかったよ」
「私も。やっぱり京ちゃんはお話が上手だね」
「意識したことはないんだけどな。咲もずいぶん堂々と喋るようになったと思うけど」
「インタビューとか受けている内にちょっとずつね」
「なるほどなぁ」
咲も成長しているということだろう。
対して、俺はどうだろうか。
そう思うと、一気に恥ずかしさがこみあげてきた。
ただ堕落の道をたどろうとしていた昨日までの自分を殺したくなるくらいに。
「京ちゃん? どうかした?」
「あ、いや、なんでもない」
「なら、いいけど。なんか怖い顔してたよ?」
「そ、そうか? 別に気分が悪いとか、そういうのじゃないから気に病まないでくれ。本当に咲といる時間は楽しいんだ」
「……本当に?」
「ああ、もちろん」
「じゃあ……これからも会ってくれる?」
「え?」
咲は俺の隣に座ると、指をからませて、こっちを見つめてくる。
「……実はね。今日のお見合い、私がおばさんたちにお願いしたんだ」
「……え!? そうだったのか!?」
だから、親父たちも無理やりだったんだ。
咲のことも自分の娘のようにかわいがってたもんな、二人とも。
「で、でも、なんで?」
「……京ちゃんってそういうところは昔から変わってないね」
「ご、ごめん。でも、本当にわからなくて」
「理由なんて一つに決まってるよ」
咲が身を乗り出す。
距離が縮まっていく。
このまま遮らなければ、どうなるか。
わかっている。
わかっているけど、俺はそのまま受け入れた。
正直に言えば、今の俺は咲んことが好きなのか、わからない。
だけど、彼女のためなら。
「京ちゃんが好きだからだよ」
俺のことを好きと言ってくれる彼女のためなら頑張れるかもしれないと。
「京ちゃんに……ずっとそばにいてほしいんだ」
そう思った。
「咲っ!」
起き上がると、見慣れた天井。
あっちとは違う、大学生の俺が暮らす部屋。
……そうだよ。俺はなんで、こんな大事な気持ちを忘れてたんだ。
ちょっとのすれ違いで、嫌になって、こっちの優しい咲に甘えて……。
違うだろ?
俺は、あの『宮永咲』が好きになったんだろ。
だったら、何してるんだよ、バカ野郎!
「……京ちゃん?」
隣で寝ていた咲がシーツで肌を隠して、心配そうにこちらをのぞき込む。
「大丈夫? 怖い夢でも見た?」
「……いや、大丈夫だよ。ありがとう、咲」
俺はそう言って彼女の髪に沿って、撫でる。
「とっても良い
◆ ◆ ◆
お見合いを終えた後、三か月の交際期間を経て、俺は咲と結婚した。
あの日から俺は変われたと思う。
彼女はテレビで輝いている。
プロとして、麻雀界の中心の一人として。
なら、俺はそんなあいつに相応しい男にならないといけない。
だから、今まで以上に仕事に没頭して、地位を求めた。
そのかいもあって、俺は若くして課長にまで上り詰めた。
「……でも、それが間違いだったんだよな」
代償に俺は咲との時間を失っていた。
ただでさえ、彼女はプロ雀士としてスケジュールを縛られている。
なのに、俺が仕事に打ち込めば、会えなくなるのは考えればわかることだったのに。
咲のために思ってやっていたことが裏目に出ていたんだ。
今ならわかる。
だから、俺はどうしたい?
答えは、すぐに用意できた。
「わぁ、すごいね! 京ちゃん!」
咲が周りを見渡して、喜んでくれる。
俺は咲を都内の有名なレストランに連れてきていた。
高層ビルから一望できる景色は、それだけで気分を高揚とさせてくれる。
ここは前の世界で、俺が咲にプロポーズを申し込んだ場所だった。
「でも、京ちゃん……大丈夫? すごく高そうだけど……」
そうやって以前も心配してくれたよな。
あたふたしてさ。
「気にしなくていいよ。格好つけさせてくれ」
「うん、わかった。じゃあ、遠慮なくっ」
あの時を繰り返すように。
食事の前に俺は切り出した。
「咲。大事な話があるんだ。聞いてくれないか?」
「は、はい」
彼女もある程度、察しているのだろう。
背筋を伸ばして、俺を見つめる。
その瞳は俺の言葉をまだか、まだかと楽しみにしていることを語っていた。
……そして、俺は今から。
「俺の好きな子の話だ」
そんな彼女にひどいことをする。
「そいつと俺は幼馴染で――中学の頃に出会った」
「……え?」
咲の顔が驚愕と動揺に染まる。
けれど、俺は止まらない。
俺の愛した彼女の元へ戻るためにも。
「ポンコツでさ。目を離したら、すぐに迷うし。なのに、頑固で言うこと聞かなくて」
「…………」
「ずっと俺が面倒を見てやらないといけないなって、勝手に保護者面して。同じ高校に行って、また一緒に過ごすんだと勘違いしてたんだ」
「……」
「そいつは実は俺が思っている以上にすごい奴で、気が付けば遠い場所に行っちゃって……でも、俺はそこに立ち止まったまま、大人になっちゃって」
自分でも何を言っているのか、だんだんわからなくなる。
気が付けば考えていた言葉を忘れて、思ったことをそのまま口にしていた。
「疎遠になって。未熟なまま大人になって俺は本当にダメで。でも、あるきっかけで、またそいつと出会って。その時、彼女は俺のことを好きって言ってくれたんだ。それが……とんでもなくうれしかった」
「京ちゃん……」
「こいつのためなら俺は何でもしてやりたいって思った。いい生活させてやって。いい家に住ませてやって。おしゃれな服買って、うまいもんたくさん食べて!
少しでもあいつに相応しい男になろうと思ったんだ」
握りしめたこぶしに爪がくいこむ。
感情がほとばしって、涙があふれてきた。
「でも、俺はバカだからさ。そいつの気持ちを全く考えてやれてなくて。また離れそうになってるんだ。でも、そんなのは嫌だから。あいつを絶対に手放したくないから。だから、だから」
「――お前とは結婚できない」
はっきりと告げて、頭を下げる。
どうやって元の世界に戻れるのか、わからないけど。
絶対に咲のもとへ俺は帰ってみせる。
そして、伝えるんだ。
自分が、どう思っているのかを。
「…………」
痛い沈黙が流れる。
こっちの咲からしたら、俺が言っていることはほとんど理解できないような内容だと思う。
どんな罵倒を食らっても、構わない。
俺は彼女の時間を無駄にさせたのだから。
「……そっか。そんなに大切な人がいるんだね」
「ごめん! 謝って、済む問題じゃないのはわかっている。どんなことをしてでも償うから」
「ううん、大丈夫だよ、京ちゃん。だから、顔を上げて?」
そう言って、咲は俺の顔を掴んで、無理やりに視線を上げさせる。
そうして視界に映った彼女は笑っていた。
いや、涙は流している。ぽたぽたと涙をこぼしていた。
だけど、咲は笑っているんだ。
「京ちゃんは、その子のことを好きなんだよね」
「あ、ああ。世界で一番愛している」
「なら、その子のもとに行ってあげないといけないね」
咲がそう言うと、視界がぐにゃりと歪み始める。
激しい酔いが襲い、立っているのがやっと。
ぐわんぐわんと脳が揺れて、意識を失いそうになる。
そんな中でも、はっきりと聞こえた。
「あっちで待ってるね――あなた」
◆ ◆ ◆
「うぉっ!?」
情景が一気に変わった。
手にはケーキを持ち、俺はスーツ姿。
体も大人のものだ。
「さっきまでのは夢だったのか……?」
いや、そんなことはない。
だって、あの時、彼女は確かに言っていたんだ。
「……咲が待ってる」
俺は急いで、元来た道を戻っていく。
一人の女性以外のことは考えられない。
ただ咲に会いたかった。
そして、彼女は待ってくれている。
きっと、きっと、あの場所で!
「くそっ……俺も年を取っちまったな……」
本当に無駄に年齢を重ねてしまった。
その間にもっと咲に出来たことはあったはずなのに。
仕事を一生懸命に取り組んできた。
すべては咲のためにって思っていたけど、それは一つも彼女のためになんかなっていなかったんだ。
「咲! 咲……!」
大きく息をしながら、彼女の名前を呼ぶ。
だけど、あのレストランの外には彼女の姿はなかった。
間違えたのか、俺は……!
「……だったら、違う場所を探すまで――」
すぐに体を翻す。
すると、後ろに彼女が立っていた。
その小さな肩を上下させながら。
「……なんだよ。変わってねぇなぁ」
待っているって言ったのに、なんでお前の方が遅れてるんだよ……。
らしい結果に、思わず笑いがこみあげる。
そして、俺は彼女に歩み寄り、強く強く抱きしめた。
「――咲。好きだ」
「うん」
「結婚しよう」
「……うん」
そして、俺は彼女の唇を奪った。
◆ ◆ ◆
あの摩訶不思議な現象から四か月が経った。
後から聞いた話だと、あれは咲が起こしたらしい。
彼女も彼女なりに悩んでいて、俺との関係をやり直そうとしてくれていたのみたいだ。
なにはともあれ、元の関係に戻ったのだから良しとしよう。
……いや、以前よりももっと咲のことを好きになった。
俺たちは引っ越し、新居に移っていた。
奮発して、一軒家。それも一括払いで。
「ほとんど咲の貯金からなのが、情けないけど」
「まだ気にしてるの? いいんだって。私も使い道なかったし、こうやって二人のためになるんだから万々歳だよ」
なんて度量の大きい嫁。
こんな女性がいたら惚れる。
あっ、もう惚れてたわ、俺。
俺たちは一度、離婚した。
それでお互いの身の元を整理して、咲はプロ雀士を辞めて専業主婦に。
俺は変わらずの課長。一家を支える真の大黒柱として、これからも頑張っていくつもりだ。
そして、今日は新たな記念すべき日である。
「……咲!」
「なにー? 京ちゃんも荷物運ぶの手伝ってほしいんだけど」
「すぐにやる! でも、ちょっとこっちに来てくれ」
「はいはーい」
運動不足な彼女は疲れた表情だったが、俺の手元にある物を見ると、頬をほころばせた。
「これ、一緒にやろう」
「……そうだね」
俺と咲は木のプレートを持つと、枠へとはめ込む。
それには『須賀京太郎』と『須賀咲』の二つの名前が刻まれていた。
「……いい感じだな」
「だね」
顔を見合わせて、笑う。
俺たちは再スタートするのだ。
新しい人生を。
その第一歩を踏み出した。
今回で完結になります。
あと一話くらい外伝で投稿するか、迷いますが、とりあえず本編は完結です。
改めて小説を書くことの難しさと、楽しさを学べたと思います。
みなさま、どうぞお付き合いくださってありがとうございました。
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