暖炉の前で珈琲を。 (warlus)
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暖炉の前で珈琲を。
パチパチと焚き木の爆ぜる音がする。
音の出所はこの部屋で唯一の光源となっている暖炉からだ。
カドックは暖炉の前に置かれたソファに座り、何をするでもなくぼんやりとその火を見つめる。
手にはマグカップと、冷めかけのコーヒー。
石組みの暖炉の上にはコーヒーがなみなみと入ったビーカーが置かれていた。
宮殿は寒く、何より人の気配がない。
営みが無い。娯楽が無い。電気が無い。音楽が無い。
ここは、カドックが宮殿の中にあつらえた、唯一まともな生活空間と呼べるスペースだった。
暖炉もソファもコーヒーも、全てカドック自身が魔術で用意したものだ。
それでも、彼にも用意できない物は存在する。
「…静かだ」
カドックは誰にいうでもなく、ポツリと独り言をつぶやく。
そう、ここには何より彼の愛する音楽が無い。
あの部屋に行けば、稀代の天才のピアノは聴けるが、それにしたって彼にとっては大人しいだけのクラシックだ。
こんなどうしたらいいかわからない夜に、自分を慰めてくれたロックが此処には無い。
外では何時も吹雪が喇叭を鳴らしているため、厳密には全くの無音では無いのだが、それはもう聞き飽きた。
少なくとも、今彼を襲っているどうしようもない惨めさを、埋める何かにはなり得ない。
「…静かだ」
静かだし、寒いとカドックは呟く。
真っ暗闇の部屋。
唯一の光源である暖炉の前でそうして力なく座り込む様子は、一種病的な様にも見えた。
その時、ガチャリと彼の後方にある扉が開いた。
扉の空いた隙間から、廊下の光が差し込み部屋を照らす。
カドックが振り返ると、扉を開けた何者かは、片方の手で人形らしき物を抱きかかえたまま、扉の前に佇んでいた。
「あら、マスター。こんな所で何をしているの?
灯りもつけないで」
彼をマスターと呼ぶ美しい声は、彼のサーヴァントであるアナスタシアだ。
「…別に何も、ただ暖炉の火を眺めていただけさ」
カドックは振り向いたまま、面倒くさそうにアナスタシアに応える。
するとアナスタシアはクスリと面白そうに微笑んで、部屋の中に入ってきた。
「それは随分不健康ね。少し、外に出て運動でもされてきたらどうかしら、マスター?」
「からかうな、アナスタシア。僕はそういう面倒なのは嫌いだ」
「それは失礼」
アナスタシアはカドックの前までしずしずと歩く。
扉は自重によってギギギと音を立てて動き、やがてパタンと閉まる。
再び、暖炉の光だけが部屋を照らす光源となった。
「お隣、よろしいかしら」
「…」
アナスタシアが静かに問うと、カドックは面倒くさそうに二人がけソファの左側に寄る。
アナスタシアも何も言わずにソファの右側にゆっくりと腰を掛けた。
「……」
「……」
しばらく、二人は何も話さない。
二人でぼんやりと暖炉の火を見つめる。
外では轟々と吹雪が舞い、窓を白く照らしているが、それも今の二人の空気を阻害することは無い。
「ねえ、マスター、つまらないわ。何か面白い話は出来ないの?」
アナスタシアは、暖炉の火を見つめたままカドックに話しかける。
カドックもアナスタシアの方に向き合ったりはしない。表情を変えずにそのまま応じる。
「僕がそういう事が不得手なのはわかってるだろう、わがままも程々にしてくれ、王女さま。
君のその問いこそ悪質なジョークだ」
「そうね、勉強ばかりの毎日だもの。ジョークなんて思いつく筈もないわ」
「…仰る通りだ。他のエリート連中に追いつくために、無駄にできる時間なんて無いからな。
まあ、それでも、彼等に追いつけることなんて、今までは無かったがな」
カドックは話しながら、マグカップを持っていない方の手、右手を開いたり握ったりする。
「魔術なんて、所詮は血筋と才能がモノを言う世界だ。僕がどれだけ努力と研鑽を積み重ねた所で、歴史とセンスには敵わない」
自嘲気味に呟きながら、カドックは自分の拳をぎゅっと握りしめる。
するとアナスタシアは、そのカドックの握り拳に、そっと自身の手を乗せた。
あくまで暖炉に目を向けたまま、彼女は彼の握り拳を労わるようにさする。
「おい、離せよ」
「なら自分で振りほどきなさい」
「……」
カドックは振りほどかない。
カドックの拳をさすっていたアナスタシアの手は、とサーヴァントとは思えない弱い力で、彼の拳をキュッと握りしめた。
「今までは、でしょう?」
「…ん?」
「今までは辛酸を舐めさせられて来たわ。それは貴方の勝手よ。でも、今度は勝つのでしょう」
「…どうかな、ここでも僕は所詮凡才だ。未だに彼等からは出遅れている。
やっぱり僕には天才を出し抜くことは出来ないのかもしれない」
言いながら、くしゃりとカドックは顔を歪める。いつもの自嘲的な笑みだ。
「貴方だけでは無理ね。なら私を使いなさい」
「は?」
「は、では無いわ。私は貴方のサーヴァントよ。
貴方がどうしようもない凡才だと言うなら、私を使ってのしあがりなさい。
最初から負け腰の弱虫に使われるつもりはないわ」
カドックが顔を上げて彼女の方を見ると、アナスタシアもまた、彼の顔を見つめていた。
まっすぐ一本に引き伸ばされた唇。
見定める様な鋭い目つき。
そこには、既に何もかもを諦めた故の力強さが宿っている様に、カドックには思えた。
その顔に魅入られた様に釘付けになりながら、カドックははっきりと意志を持って応える。
「そうだな、僕と君の力で、僕は奴等に勝つ」
カドックがはっきりとした口調でそう言うと、アナスタシアはふっと表情を緩めて笑みを浮かべた。
そして身体の力を抜いて、上半身をカドックへと寄りかからせる。
「…おい、離してくれよ」
「なら突き放せばいいわ」
「……」
カドックの抗議もまるで聞かず、アナスタシアはそのままの姿勢で目を瞑る。
カドックも諦めて、彼女を寄りかからせたままにする。
「ねえカドック?」
「ん?」
アナスタシアは目を瞑ったまま、呼びかける。
「なんで私をサーヴァントに選んだの?」
「…言うまでもないだろ、イヴァン雷帝が使い物にならないからだ。
旧来の神を信仰してる彼では、領土の拡大は出来ない」
「それはもう聞いたわ。でも、それが全てではないでしょう。
イヴァン雷帝は強力な戦力だもの。彼さえいれば、神霊とだって真っ向から戦えるわ。
そんな貴重な戦力を、ただ話が合わないからと言う理由だけで手放せる訳が無いじゃない」
「それは…」
アナスタシアは彼の肩に顔を乗せたまま、2・3度身じろぎをする。そして、しっくりくるポジションを見つけたのか、満足げに息を吐く。
「それは?」
「…理由なんて無いよ、ただの気まぐれさ」
「ただの気まぐれで、彼では無く私を選んだの?」
「そうだ、ただの気まぐれで、僕は君を選んだ」
「そう、嘘つきね」
二人の姿勢は変わらない。
カドックは今ひとつ身動きが取りづらそうにして、彼女は満足気に目を閉じたまま、彼に体を預けている。
カドックはどうしていいかわからず、マグカップに僅かに残っていたコーヒーを誤魔化す様に飲み干した。
すると、それが皇女の興味を引いたらしい、彼女はカドックの肩に頭を乗せたまま、不思議そうな顔でマグを見つめる。
「それ、何が入っているの」
カドックは暖炉の上のビーカーを指差す。
「コーヒーだよ、今空になったけどね。
…おかわりを注ぎに行っても?」
「どうぞ」
アナスタシアが体を起こすと、カドックはソファから立ち上がり、コーヒーのおかわりを注ぐ。
ビーカーからコーヒーが注がれるにつれて、部屋の中にコーヒーの形容しがたい匂いが充満する。
「いい匂いね」
アナスタシアは人形を抱きながら、コーヒーを評する。
カドックは暖炉の脇に立ったままコーヒーを飲む。
彼がそこから動くつもりが無いのをアナスタシアは感じ取ると、自分の隣、先程まで彼が座っていた場所をポンポンと叩く。
「貴方の場所はここよ」
「……」
カドックは少し困った顔をしたが、やがて諦めて再びソファに座った。
「そんな飲み物、ここで見たことは無いわ」
「ああ、無いから似たような味を整えて作ったんだ。
とは言っても、本当のそれに比べてたら味も風味も落ちるけどね」
「ふうん」
彼女は曖昧に返事をしながら、興味深そうにカドックの持っているマグを覗き込む。
「見たことないのか?」
「少なくともここでは。生前は、どうなのかしらね。『こちら』の記憶とごちゃ混ぜになって、細々とした事まで覚えていられないのよ。
ねえ、飲んでみたいわそれ」
「わかった。ちょっと待ってくれ、今新しいマグカップを精製して…」
「私はそのマグに入ったコーヒーが飲みたいのよ」
「君は…もういい」
少し不満げに口をモゴモゴしたカドックだが、自身の顔に手をやってマグを差し出した。
アナスタシアはマグを受け取って、両手で温かさを確かめるようにしながら、顔のまで持ってくる。
そしてゴクリと一口分口に含んだ。
「…っぷへ!」
と思いきやすぐに噴き出した。
「っけほ、けほ。ちょっとマスター!
これとっても苦いのだけれど!」
アナスタシアの口には合わなかったらしい。
彼女は噎せながらそのままマグカップをカドックの方に戻す。
すると、
「ぷふっ」
その様子がおかしくて、今度はカドックが噴き出してしまった。
「ちょっと、笑うなんて酷くないかしら、マスター」
マグカップを彼に差し出したまま、アナスタシアは傷ついたと言うふうに目で訴える。
だが、彼はそれにまるで堪えた様子はなく、可笑しそうに体をくの字に折って笑いを堪えている。
「くっくっくっ…いや、すまない。別に君をバカにしているわけじゃないんだ。ただ、君がそんな風に狼狽える様なんて初めて見たものだから、なんだかおかしくて…」
「まったく、失礼しちゃうわ」
彼女は突き出していた腕を再び自分の元まで戻して、マグカップに並々に注がれたコーヒーの香りを嗅ぐ。
「香りはいいのだけれどね。どうしてこんなに苦いのかしら」
「…苦いのが苦手な人は、砂糖やミルクを入れて飲むんだ」
「そう、それを早く言って欲しかったわ」
彼女はもう一度香りを楽しんでから、カドックにマグを突き出すと、彼も今度こそマグカップを受け取った。
カドックはようやく息を落ち着けて、もう一度コーヒーに口をつける。
アナスタシアは、そんなカドックを見ながら、また体を彼に傾けた。
カドックは右肩に彼女の重さを感じても、今度は何も言わない。
再び、沈黙が二人の間に訪れる。
それでもその静けさは、それまでのどうしようもない寂寥感とはまるで違うようにカドックには感じられた。
「ねえ、カドック」
「ん?」
「勝ちましょうね」
「…そうだな」
カドックがそう応えると、アナスタシアは再び目を瞑る。
暖炉はパチパチと音を立てながら、二人を温まりで優しく包み込んだ。
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