山羊と羊の輪舞 (山羊厨)
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1話


誰もが振り替える武骨なマスク越し。

 

 

 

 

 

 

 

今日も吸いづらくなった肺へ、薄い酸素を必死に送る。

 

 

呼気に曇るガラスの向こう側に広がる地獄絵図に、知らず嘲笑(わら)いが口の端にのぼる。

 

 

 

 

 

吹き荒ぶ血煙。

 

弾け飛び身を汚す肉片。

 

苦悶の声と呪詛を耳に、視界に広がるのは血と汚染された黒い土が混ざり合う大地。

 

 

「遥か昔は地に伏せて大地を覗けば必ず緑があって虫がいたそうだよ。そんな素敵な世界、一度でいいから見てみたいなぁ」

 

 

不意に遊んでいた友が呟いていた言葉が脳裏に蘇る。

 

 

では、この光景は何だ?

 

 

血潮が舞い、肉片が飛び散り、絶叫が耳に残る、この日常は。

知っているとも。

生を受けて産まれたことを、呪いたくなる。

呼気一つくことにすら金銭を要求される、この地獄の如き世界に反吐すら出ない。

 

 

才があろうがなかろうが生まれが全てを決める。

 

 

報われることなく使われ、(むし)られ、(むさぼ)られ。

削り取られて使えなくなれば、入れ替えられて終わり。

己が人生は何だったのかと曇ったガラス越しに振り返る。

 

産まれ堕ち、物心ついて己が状況を理解した頃には両親は居なくなった。

それでも必死で喰らいつき得られた仕事は部品の一部。

来る日も来る日も変わらず、ただ記された役目をこなすことを求められ、能力は必要なく才能も要らず、ただ熟すだけの日々。

自己主張も、意識も、反論も、抵抗も、何も要らない。

 

ただ、そこにある『部品』たれ。

 

我らを生かす部品であれば使ってやると言わんばかりの上流階級。

それに唯々諾々と従うしかない、呼吸どころか鼓動すらも支配された中流、下流階級。そして貧民階級(俺達)

そんな生にもしがみつき、死にたくないと足掻くなら。

自分の中に思い出以外の何が残るのだろうか。

 

そこに生はなく、ただ記憶だけがあり。

過去があるだけで、現在も未来もない。

 

それでも辛うじて残せた反抗心が、逆に俺を追い詰めることになるかもしれないと思いながらも抵抗した日が、行く先を決定づけた。

 

 

 

 

ただ、意見を述べただけだった。

 

 

 

どう考えてもやり方がおかしいと。

より効率的に動かすことが出来るうえ、これまで以上の利益が望める。

そう考えて述べた意見だった。

 

それがプライドを傷つけたのか。

 

あっという間に追い込まれ、進退窮まることになった。

呼吸する為に最低限必要なフィルター一つ買えないほどに追い詰められた。

唯一の心の支えと幾ら生活が苦しくてもログインを欠かさなかったのに、ログインの為の電力を維持することも出来ない。

 

ただログイン出来ない俺を待って優しい仲間達が窮地に陥るよりはと、何も説明しないまま引退すると告げた時の…彼の沈黙が忘れられない。

 

 

 

 

アバターは表情一つ動かさないはずなのに呆然としているようだった。

事情を聴こうと向けてくるアイコンは笑顔なのに、泣いているような声をしていた。

ボックスから出して預ける数々のアイテムを受け取ってくれているはずなのに、拒否されている感覚すら覚えていた。

 

「戻れたら還ってきますから」

 

泣き叫び、喚きすがる姿を途切れ途切れに隠す姿に思わず吐いた言葉が嘘になると分かっていたのに、言わずにいられないほど衝撃を受けていた俺達のギルドマスター。

彼は変わらず墳墓(ホーム)を守ってくれているだろうか。

 

「モモンガさん」

 

すまない。

やっぱり嘘になった。

 

必死で身を捩り、銃身を投げ捨てて身を庇う。

激痛と灼熱が全身を焼き、苦痛に悶えてのたうち回る。

なんのことはない、これまで眺めてきた光景が己の身に起きただけ。

 

友の姿が脳裏を駆ける。

 

マシンガンのようにエロトークをかます鳥人。

電脳世界で触れる土の塊を一つ持ち上げて眺めただけなのに、こちらが呆れるのにも気づかず日が暮れるまで本来の土の成分から用途、その可能性に至るまで語りつくす蔦の塊。

戦闘中に卑猥な動きをワザと繰り返し、いつ垢バンを喰らうかとキャストタイム中に冷や汗を流させる流動体。

言動一つ、行動一つが厭味ったらしくも眩くて目を反らすことも出来ない偽善野郎。

博識、賢人、様々な知識を持ちながらも行動や目的が残念なギャップ萌え蛸。

どんな難問もあっけらかんと単純明快にして笑い飛ばすわりに、勝敗に拘る半魔巨人。

あんな奴もいた、こんな奴もいた。色々な馬鹿をやって、ギルマスに怒られながら毎日を過ごしていた。

 

ありとあらゆる異形種が巡り、慄いてもよいはずなのに笑みしか浮かばない。

 

焔が身体を甞めてゆく。

髪はおろか表皮全てを甞めつくし、高熱の元に溶かしてゆく。

 

瞳を彩る水晶体すら高温に沸き立ち、濁りのない黒目を白濁に変えて。

口から昇る絶叫は聞きなれた自分の声なのに、自覚のない意識は徐々に乖離する。

焼け焦げたマスクでは呼吸も出来ないというのに無様に泣き喚き、のたうち回りながら胸を掻き毟り息絶えていく。

 

乖離する意識の端で最後に視界に収めた紅の映像が結び付けた姿は、唯一造った我が子の姿。

 

焔によく似た朱色のスーツが良く似合う。

万物を引き付ける声に見合う所作と相応しい言動をと唸りながら学んで選び、定めた姿(設定)

我が子に似合うデザインをと、散々悩んだ眼鏡の奥に隠した煌めく瞳を見たかった。

防具も神話級(ゴッズ)一着しか用意できていないのに。

お前の為に合うデザインの礼服や普段着を揃えてやりたかったのに。

道具だって必要だ。共に作ることを夢想して、俺と同じ趣味をと設定したのに道具がないとか、お話にもならない。

 

殺意と、憤りと、怨みと、口惜しさ。

哀しみと、申し訳なさと、寂しさと、虚しさ。

幾多の感情は焔と共に焼き尽くされて無に返ってゆく。

 

積もり積もって積み重なった想いは報われず、全ての結果は上流階級(アーコロジー)の思いのまま。

無力な彼の心が今際に思い懐かしむのはひとつしかなく、故に願う。

 

 

『還りたい。』

 

 

 

そうして僅かな酸素と食料を奪い合う上流階級(アーコロジー)同士の数多の戦場の片隅で、ひとつの生命が消え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堕ちた。

 



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2話

聖王国東部に位置するアベリオン丘陵。

 

緑豊かな牧草地に燦燦と降り注ぐ日差しは暖かく、流れる風は心地よく。

本日の仕事もはかどりそうだと牧場従事者達は笑みを浮かべる。

築いた牧場は当初より三割増しで施設を増築し、主力商品である羊皮紙の生産を一手に担っている重要施設である。他にも家具や備品の作成・販売も視野に入れており日々商品開発に力を注いでいる。

 

より良い羊皮紙を取る為に家畜の世話は欠かせない。

本日の運動をさせるべく彼等は畜舎の扉を開いて家畜を出そうとして動きを止めた。

柵で囲われた広い放牧場の中央、風になびく牧草の上に昨日まではなかった物体が転がっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

黒く焼け焦げた人間らしき物体。

それが牧場の中央に突如として現れたと聞き、銀の尾を持つ悪魔は御方より預かった秘宝が懐の内にあることを確かめて、自ら確認の為に赴く。

 

部下達によれば昨夜は存在せず、何者も牧場に侵入してはいないと言う。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)が脱走・侵入双方を警戒し警備する牧場内に気づかれずに出入りしたのであれば相当な実力者。

置いていったモノは罠の類だと推測されるが、微動だにせず生きているのか死んでいるのかも不明。ならば自身で確認するのが最も早く確実と彼は判断を下した。

 

大天幕から放牧場まで幾つかの天幕の間を縫って進み、やがて見えた柵の中に確かに黒い物体が見える。

 

周囲を警戒する影の悪魔(シャドウデーモン)が一礼し、開いた出入り口から物体へと近づいてゆく。

同じように背後についてきた影の悪魔(シャドウデーモン)拷問の悪魔(トーチャー)が左右を固め、それへと武器を向けるがやはり反応はない。

 

左右を見渡しても柵に損傷はなく、内側についた棘にも放牧場の柵の周りを更に囲う茨にも異常は見られない。侵入したのなら出入り口からか、『飛行(フライ)』を使ったか。『転移門(ゲート)』という可能性もあるが少なくとも牧場の存在を知らなくては使えず、存在を知る亜人はほぼ魔法を使わない。

敵対行動か、罠か、それとも見せしめか。実に興味深く、彼は黒い物体の前へと屈み込む。

 

生命の精髄(ライフ・エッセンス)

 

HPの虚偽情報を見せる魔法を使っているならともかく、見る限りそんな様子もない。なんせ微動だにしないのだ、出来ないと言った方が正しいか。

 

黒い物体は炭化した、かつて人だったものだ。

両手足は炭となり果てて何時崩れてもおかしくなく、頭部や胴体部も表面が炭化している。じわじわと牧草に滲み出している血液。ひび割れた部分から滲み、周囲を赤く染め始めている。あと数十分も持たないと彼は判断した。

 

御方に納める羊皮紙を作成する大切な牧場に全く相応しくない。

敵の意図は掴めないが牧場を汚されるのは不快極まる。だがしかし(つま)み出せとは何故か口に出来なかった。妙な違和感を覚えている自分に困惑する。

 

この私が?

戸惑っているのか?

この死にかけの物体に?

 

己の心の動きが信じられず右腕が胸を掴めば、そこに刻まれる確かな鼓動が焼け焦げた物体を見るたびに跳ねるのを理解する。

意識が向かわぬのに身体が反応するとは、なんと面白い現象だろうか。

 

確認したステータスは既に瀕死。

流血の継続損傷(バットステータス)付きでHPが尽きるのも間もなくだろう。見立て通りだと満足感を覚える半面、何故か焦りを自覚して彼は眉を顰める。

 

何故感じるのか分からない焦りと早鐘を打つ鼓動。この異常な状態は焼け焦げた個体によるものなのか、それとも敵による罠の一種なのか。胸元には秘宝がきちんと収まっているし自分は特殊能力に特化した悪魔だ、状態異常などかかるはずもないというのに。

 

今にも命尽きようとしている個体を暫く見下ろしていたが、やがて彼は拷問の悪魔に回復の指示を出す。

 

処分はいつでもできる。

だが喪えば戻らないのだから当然の処置だ。

 

そう己を納得させ、大天幕へと引き返す。

シャルティアを洗脳した奴らを捕らえる罠の一部である自分が、罠を張り巡らせてある大天幕から、いつまでも離れているわけにはいかない。アインズ様へ献策する案も精査しなければならないし、近々エ・ランテルへ行く予定もある。

やることは山のようにあり、彼はそれをこなせる能力を創造主から与えられているのだ。御方の為に創造主より設定された能力を持って成果を出す。かくあれ、と造られた被造物にとって何よりも誇らしいこと。

 

けれど拷問の悪魔による大治癒(ヒール)を受ける個体に後ろ髪を引かれ、大天幕へと戻りながらも普段は閉じている宝石の瞳を薄く開いた瞼から覗かせながら、度々振り返る。

 

何故こんなにも気になるのか。

分からない。

気まぐれに過ぎないかもしれないが死なせては駄目だと判断した。

 

けれど何故そう判断したのか。判断した自分自身が分からない。

創造主に与えられた一と定められた叡智をもってしても解けない心に困惑しつつ、己に与えられた職務を全うするため歩み去る。

 

 

 

 

一方、焼死体の回復を任された拷問の悪魔(トーチャー)達は困惑しながらも大治癒をかけ始める。

しかし身の奥まで焼かれた為か、残りHPが僅かだからかは分からないが背の皮を剥がれた人間も一度で元通りにしてしまう位階魔法がなかなか効かない。

 

なぜ?

個体差や体質等が原因で回復量が変わるものなのだろうか?

 

初めての症例に困惑を隠しきれず、仲間と視線を交わし合う。

この牧場の最高責任者であり、栄えあるナザリック地下大墳墓の第七階層守護者である彼からの命令。簡単に癒せるものと思い込んでいたが、このような症例は前代未聞。

ひょっとすると高位の神官でもあるメイド長の力が必要になるかもしれないと蒼褪める。

 

役に立たないと判断されればどうなるのか。

 

最上位悪魔(アーチデビル)である彼の責めは死すら生ぬるいと聞く。

彼は仲間に優しいが、優しさも無制限なわけではない。ナザリックの為にならないものは必要ないと簡単に切り捨て、処分することもできる男なのだ。治せないとは言えない、まずは隠して様子を見よう。

 

一体が大治癒を続けて施しながら、もう一体が黒焦げの個体を抱えあげる。

目指す場所は家畜を押し込めている小屋の奥にある解体室。その奥に自分達にあてがわれている部屋がある。そこに運び込もう。

 

振り返る最高責任者の視線から隠すように小屋へと向かい、阿鼻叫喚という言葉が相応しい場所へと運び込まれる彼の意識は、(いま)だない。

 

 



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3話

時間は瞬く間に過ぎていき、牧場の最高責任者は至高の御方への報告と別の仕事を片付ける為に魔導国首都エ・ランテルへと旅立った。

いつ指示を受けた個体のことを聞かれるかと戦々恐々としていた拷問の悪魔達も胸を撫で下ろす。

 

彼らが連れ込んだ個体は未だ回復の兆しを見せない。

死んではいないというだけで生きているとも言いきれない個体は、彼らの部屋の片隅に居場所を与えられていた。

それも薄い布と言っても間違いではない程度だが、敷布や掛布すら与えられている。彼らは悪魔であり人間など家畜同然だというのに。人間には破格の待遇と言って良いだろう。

 

何故そのような待遇を与えられるに至ったのか?

身動きはおろか意識すらない死体同然の人らしきものに。

その理由はひとつ、一向に回復しない人間を介抱する彼らが何故か貴重な夢を見始めたから。

 

連れ込んだ当初は当然、床に転がし大治癒をかけるのみであった。

全く治る見込みのない個体に苛立ちを覚えながらも魔力をありったけ使い込んで大治癒を使い続けるのも、守護者の「死なせないように」という意図を含んだ命令を受けたため。そうでなければ面倒のないように、あっさり死に至らしめている。

 

同じく部屋を共にしている悪魔の能力を借りてステータスを確認しても、かけた大治癒に劇的な回復をするわけでもなく、現状を維持する変異体。大治癒を吸収しているのか、僅かな体力の増量と共に出血による体力の減少が一時的に止まり、一定の時間が過ぎると徐々に目減りし始める。データをとっておこうと記録しながら大治癒を続けた結果、当然拷問の悪魔(トーチャー)の魔力が切れた。

 

彼らにとって使い慣れた魔法といえども何十回も使い続けていれば枯渇するのは当たり前。

この個体に使った大治癒の数だけ羊皮紙(スクロール)作成用の皮を剥ぐことができ、御方に献上することが出来たのにと嘆きながら意識を失う拷問の悪魔。

 

彼は本来睡眠不要の悪魔種、意識を失うことなど状態異常時か殺害される以外にはありえない。

枯渇する前に回復するために休むこともできず魔力を切らせた結果、意識を失った。

それは人で言えば眠るという行為に等しい。突如意識を失って倒れ込むという若干物々しいものだが。

 

そうして彼は夢に見たのだ。己が召喚された日を。

何者にも変えられぬ、神以上と讃えて憚らない至上の御方に掬い上げられ使命を賜った、あの忘れられぬ至福の時を。

 

数分の時を経て魔力を取り戻した彼は、共にある仲間へと恍惚の表情で夢の内容を語り、話を聞いた仲間は羨ましくてならない。

眠ればそれが見られるのならばと眠ってみても夢は見られず、どうすれば良いものかと二人で寄って頭を悩ませる。

その傍らで放置してしまっていた保護対象が僅かな体力を使い果たして死にかけ、慌てて大治癒を連続でかけ直す。

 

そして再び訪れる至福の夢。

 

彼らは気付いた。

この個体を完全に癒すことは極めて難しいが「死なせぬように」が最高責任者たる者の命令であれば、全力で応えなければならない。そう。

 

たとえ羊皮紙(スクロール)の作成が多少遅れたとしても。

 

こうして彼らは情報を共有し、仲間達と交代で癒えぬ個体の治癒を始める。

2人1組。決して死なせぬ。

一体の魔力が枯渇するまで大治癒をかけ続けて個体が死なないよう体力を維持し、魔力が尽きて昏倒すれば待機していた一体が間を空けることなく大治癒をかけ始める。

やがて至福の夢から覚めた拷問の悪魔が次の一体を呼びに行き、大治癒をかけ続ける一体の側に待機するのだ。至福の夢を見る為に。

 

それを繰り返す。

延々と、途切れることなく繰り返していく。

いつまでも見ていたいと願ってやまない夢を見るために。

 

 

では彼らを虜にした夢とは、どんなものなのだろうか?

 

 

昏倒した彼らの脳裏に闇が訪れ、やがて溢れる光の本流。それと共に圧倒的な多幸感が彼等を包みこむ。

逆らうことは己の存在を真っ向から否定することだと魂核から理解する。

 

召喚陣が照らし出す彼の方の表情は、さも愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべている。

 

その陰影は残虐さを醸し出し、彼らを魅了した。

なんと強く、美しく、尊いのか。御身の全てに己が存在総てを捧げる為にあると魂に刻み込む。

我等下僕(シモベ)に命を与え、かくあれかしと存在を定めて下さった悪魔の中の悪魔たる方。捻れた大きな角を持ち漆黒の毛皮を纏う山羊頭の最上位悪魔(アーチデビル)

御方に生を与えられ、初めて(まみ)えた夢見る。

 

拷問の悪魔(トーチャー)か」

 

ぽつりと零された己の種族に、不満を(いだ)かれたのかと不安が胸に込み上げ、御方より感じる強大な力と気配に打ち震えながら(かしず)き、命が下されるのを待つ。

 

自身の力不足は承知している。

本来であれば御方の足元はおろか、取り立て侍る価値も無いほど圧倒的な力の差。

御身を御守りすることは極めて難しく、足手まといにしかならないだろう身を呪う。

 

御方に望まれて召喚されたわけではない。

御方に尽くせる力は私にはなく、御方は私をお望みではないのだと更に頭を深く垂れた。

 

せめて御方の手を煩わせることのないようにと首を差し出す。

打ち捨てられるくらいなら処分を望んだ。けれど、そんな下僕(シモベ)の心など歯牙にもかけず御方は何でもないように笑う。

 

「なら氷結牢獄に配置しよう。ニューロニストの部下は多ければ多いほど良い」

 

悪魔には珍しく大治癒も使えるし、見た目もピッタリだしな。

そう言って鋭利な鈎爪を備えた麗しい御手で下賤な下僕の頭を撫でてくださったのだ。

 

 

 

次々と召喚され、生み出されてゆく仲間達。

どれ程の力をお持ちなのか、全く疲れる様子も見せず様々な種類の悪魔を作り出されてゆく姿に覚えるのは崇拝の念。

一体一体に指示を与え、配置されてゆく様はまさに魔の中の王。最上位悪魔の王たる姿を拝謁し、全ての悪魔が傅き、恭しく頭を垂れて忠誠を誓う。

 

「ずいぶん回したんですね、ウルベルトさん」

「モモンガさん、来てたんですか。階層も整ったんで配置しようと思いましてね」

「自動でポップしないんですか?」

「しますよ?けどランダムなんで、雰囲気に合う悪魔を置きたくって。ポイント使いきる勢いで回してます」

「ええ!?大変じゃないですか。ウルベルトさんのポイントって、相当貯まっているでしょう?」

「まぁ、カンストしてから放置してましたからねぇ。まだまだ残ってますよ。回すだけだからいいんですけど流石に飽きてきたなぁ」

「この光景見たら分かりますよ、まさに地獄絵図じゃないですか」

「壮観でしょう」

 

召喚主たる御方が腕を広げて至らぬ我らを自慢してくださる姿に胸を熱くする。

 

灼熱の神殿に向けて赤く染まる大地を埋め尽くし、(かしず)く悪魔達を見下ろしながら笑い合う至高の御方々を夢に見る。

まさに至福の時だった。

至高の御方と、今は無き至高の御方が我ら下僕(シモベ)の誕生を笑い合いながら言祝(ことほ)ぎ、命を与えて下さった時の夢。

 

僅かな魔力を回復する間に夢見て、目を覚まし。

再び見たくて繰り返すのだ。

そうして積もり積もった遅延が直属の上司に気づかれるまで続き、気づいた彼が動き出す。



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4話

 

彼の者は仮面の道化師。

牧場の最高責任者が不在の間の代行責任者として、牧場の全ての管理を任されている悪魔である。

彼の設定は「人々を幸せにすること」という単純明快なもの。

だが彼の幸せとは通常とは違い、相当にネジ曲がった意味で人々を幸せにすることにある。

その見た目や行動とは異なり己の生有る限り責務を全うしようと励む、生来の働き者だ。

 

彼は近頃極端に少なくなった羊皮紙(スクロール)の補給数に気付き、作成者たる拷問の悪魔達を全て集めて最近羊皮紙(スクロール)の数が減っているのは何故なのかを問うた。

恐れ、畏まりながらも彼らが告げたのは最高責任者からの預かりものの存在。

理由を聞いた彼はペストマスクに覆われた顔を盛大にしかめる。

 

そのような言伝は聞いていない。

厄介なお荷物を拷問の悪魔達が預かって養っていたとは知らなかったが、それほどまでに素敵な夢ならば自分も見てみたい。羨ましい。

治癒魔法が使えないことが、こんなに口惜しいことになるとはと密かに臍を噛む。

 

至高の御方々に頭の先から爪の先、果ては細胞の一つに至るまで創造していただき、設定していただいた己が身に不満を覚えることなど一切ない。そんな気持ちを抱く下僕(シモベ)など皆無だろうと断言出来るほどだが、己が目覚めた時を繰り返し見ることができるのは無上の喜びだろう。

 

だから案内させたのだ、その個体のもとに。

(まみ)えたことにより自分の中に得も言われぬ感情が沸き上がろうとは思いもせず、無防備なままで。

 

潜った天幕の中は薄暗く、その片隅に薄い掛布に(くる)まれる人間種とおぼしき個体。

肌はいまだ黒く焼け爛れていたが、牧場で見つけた時よりは幾らか回復したらしく肌から体液が滲み出ることは少なくなっていた。

異形種ならばともかく人間種としては生きていることが不思議なほどの火傷。体表のほぼ全てを焼かれている時点で死亡しているはずだ、人間種ならば。皮膚呼吸すらできていまい。

多少不満に感じつつ薄い布団に包まれる個体を覗き見れば、熱を出しているのか浅い呼吸を繰り返し苦し気に震えるばかり。

 

これわこれわ、素晴らしい。

彼らわこの人間を幸せにしているようだ。

そう道化師は笑顔を浮かべる。だが個体が痛みに呻く声を耳にした瞬間、上げた口角が凍り付いた。

 

喉の奥まで焼け爛れているのか、一度呻いただけであとは濁った呼吸音を響かせるのみ。

道化師はおどけた動作でありながらも恐る恐る(くる)まれた個体へ顔を近づけるが、低い喘鳴を繰り返すばかりで先ほど聞こえた声は一つも混じらない。

だがしかし彼には覚えのある声だった気がしたのだ。

彼の方に、似ている気がした。

 

彼は一から創造された被造物。

創造主に連れられて第九階層の円卓で、栄えある御披露目を御方々にしていただいたことがある。

彼の姿形、動作を御方々につぶさに確認していただき、その場で認められて初めてナザリックの所有物として存在が許されるのだ。

一つ一つの動作を確認し、笑っていただけたことの嬉しさ。

かくあれと創造主に定められた己の存在意義を御方々が広げ、定められた役目に対して会話を交わされる光栄。

交わして下さった御方々の姿を、動作を、声を。全て覚えている。

 

「この個体わ、いつ治すのですか?」

「それなのですが、プルチネッラ様。治らないのです」

「治さないのでわなく、治らないのですか?」

「はっ。幾度も大治癒をかけるのですが治癒が進まないのです」

 

かけぬよりはましだが、かけたとしても大幅な回復は見込めないのだ。

本来ならば早々に諦めて死なせ、様々な材料としての使用や稀有な症例として解剖し、保存の魔法をかけて保管を検討するところ。たが個体が死ねば魔法を使い続ける対象がなくなり、御方の夢が見られなくなるのが惜しい。

 

「…この場に置くのわ邪魔になります」

「では処分ですか」

「場所を移しましょう」

「は?」

 

移す?

思いもよらない言葉に呆ける悪魔をおいて、道化師は無造作に個体を抱え上げる。痛みに声にならない悲鳴を上げる個体に気づき、速やかに魔法を発動する。

 

麻痺(パラライズ)

 

麻痺魔法をかけるが治癒魔法同様効きづらい。だが多少の痛みは緩和されたのか声なき悲鳴は少なくなった。

痛みを僅かなりと軽減させようと気遣いつつ彼が向かうのは一つの天幕。彼自身が最高責任者より与えられた空間だ。

 

「プルチネッラ様!」

「人間種にそこまでの厚遇は…!」

「デミウルゴス様が望まれたのですから、最善を尽くすべきでしょう」

 

そう、階層守護者が望んだのだから己が成すのは当然のことだと自分自身に言い聞かせる。

決して人間種など気にかけてはいないのだ。

 

「これまで通りトーチャーわ2体1組で私の天幕に通いなさい。場所が変わるだけです、他わ何も変わりません」

「…かしこまりました。」

「毛布を手に入れて来なさい。無ければ羊達が身に着けていた服でも構いません、出来るだけ多く用意なさい」

「はっ!」

「きちんと洗うのですよ?」

 

振り向きもせず言い置いて、己の天幕へと放牧地を突っ切って歩いてゆく。

かの道化師がおどけた様子も見せずに歩く姿は稀の一言。ましてや放牧地で運動させられている両脚羊と同じものを担ぎ、なおかつ気遣う様子を見せるなど。

拷問悪魔よりも、その姿を目にした羊の方が目を丸くして立ち尽くす羽目に陥った。

 

バサリと己の天幕の入り口を通り抜け、小振りの天幕の内側へと入る。

彼は道化師として御方々を喜ばせるために創造された。その存在意義を万全に果たすため、彼の天幕には技を磨くための様々な道具が所狭しと置かれている。

至高の御方により賜った彼の設定を万全に果たすべく、日夜訓練と共に新たな技の開発を怠らないペストマスクの道化師。

そのための大切な道具を足蹴にし、一体が横になれるだけのスペースを作る。

肩に担いでいた個体は既に息も絶え絶え、横たえても呻き声すら出せず、瀕死の体を震えさせるばかり。

 

「大治癒を施しなさい」

「かしこまりました」

 

即座に側についていた拷問悪魔が大治癒を開始する。

ろくに回復していないように見えるが、これが微々たるものでも回復しているのであれば命尽きることはない。

その事実に安堵の息を吐きかけ、慌てて自制する。

 

なんなのだ、これは。

何故この個体は己をここまで掻き乱すのか。

 

羊の幸せは己の幸せ。

爪を剥ぎ、皮を剥ぎ、磨り潰して身を喰らわせ。

侵し、犯させ、嘆かせ、怨嗟に意識を塗り潰す。

その幸せを羊に味わわせ、施すはずの自分がどうしたことだ。

 

今、この手にある下等生物たる人間種の。

身を包むに相応しい寝具を準備できぬ己を恥じている。

なんということだ。

卑しく貧しい人間種が身を傷めないか、心を砕いているなど。

栄えあるナザリック地下大墳墓の従僕として嘆かわしい!!

 

そうは思えど、己を律することが出来ない。

 

何故満足に御身を包むことが出来るほどのアイテムを準備しておかなかった。

御身が痛みに苦しんでいらっしゃる、私にメイド長ほどの力があれば!

いや、違う!!

これは至高の御方ではない。

只の下等生物、搾取されるに相応しい・家畜・であって・御身でわ…

 

「…ぅ」

「!」

 

痛みを訴える呻き声を耳にした瞬間、己が権限を持って拷問悪魔を四人一組へと変更する命を下していた。

即座に増やされる拷問の悪魔の数。だが連れてきた人間種は明らかに治癒範囲が増したらしく、痛みに呻く回数が減っている。

 

何をしているのだ、私は。

人間種の幸せを減らし、自分の幸せを減らしているはずなのに。

あの御声に似た声が、痛みに歪みながら流れることがないことに喜びを覚えている。

 

人間種の幸せを求めるように定められた私であるはずなのに。

らしくない。全く持ってらしくないと顔をゆがめつつも。

 

「いいんじゃないですかね、道化師らしくて。俺は嫌いじゃないですよ?むしろらしくて良い」

 

そう言って下さった御方の御声に似ているから。

痛みに呻く声など、聴きたくなかった。

ただ、それだけ。

 

暫くして、拷問悪魔たちが大量の衣服を持って訪れて。

空けたスペースに所狭しと詰め込まれた衣服の上にかけられた清潔なシーツ。

この個体が流す体液の量を考えれば数時間中に汚れ意味なくなるのだろうと分かっているのに、傍らには予備のシーツ。

 

なるほど。

自覚なくとも自分と同じ心境らしい。

 

「…失礼を致します、至高の御方」

 

呼びかけた名に目を見開く拷問悪魔を視界に収めつつ、温かな湯に浸した布を宛がう。

拭う布に付着する赤黒い皮膚に眉を顰め、拷問悪魔に回数を増やすよう指示を出しながら麻痺魔法を使う。

己の中に確信があった。

 

この個体は、至高の方々の内の一柱に違いない。

 

羊同様脆弱な種たることに変わりはないが、その声色はかつて彼が聞いた声と寸分違わず。

恐ろしいのに優しく、情けなくもこちらが涙を浮かべてしまい更に深く首を垂れる羽目になる、至高の御声。

何があったのかは分からないが、やるべきひとつだ。

 

「我々が御守り致します。我ら下僕(シモベ)が必ず。必ず御身を御守りします」

 

そうして恭しく頭を垂れる。

その背後に控える拷問の悪魔達も同じく傅き、全ての牧場に悪魔が膝を折った。

即席で作り上げられた簡易ベッドに沈む個体が、神に等しい玉体だと牧場に使える悪魔全てが認識した瞬間であった。

 

 

 



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5話

 

ローブル聖王国に存在するナザリック両脚羊牧場の朝は早い。

 

眠らぬ悪魔達は朝早くから羊達の食事を作り始める。

昨日死亡した羊を潰して飼料を作ったり、一晩中羊の面倒を見ていた者と交代したり、放牧場の柵を手入れしたりもする。そして従えた下等種から新たな羊を受け取ったりもするのだから毎日が目まぐるしく充実した日々だ。

 

放牧場が存在している平原には数十種類の種族が生活を営んでいるが、その中であっても最弱の種、いつ淘汰されてもおかしくない種族であるのが彼、ガーラントの所属する兎族だ。

 

獣人で人間種より強靭だが攻撃手段が少なく、俊敏で相手を翻弄できるのに倒すことが難しい。見た目の良さから徒党を組んだ人間種に狩られることが多く、かといって同じ獣人にも足手まといになるために嫌がられ、多種族に食料として喰われることもある。ただ極めて旺盛な繁殖力と逃げ足で生き延びて来た種族と言っても過言ではない。

 

そんな彼らだったが、今はこの牧場を中心に急速に勢力圏を広げ始めている新興勢力のひとつだ。

 

その機動性にモノを言わせて翻弄し分断し罠にかけて追い落とす。

これまでに無い頭を使った戦い方を初めて、以降負けなし。兎族と聞けば近隣の亜人、獣人を戦かせるほどになった。それもこれも獣人族の情けとして見逃されていた最後の兎族の縄張りに突如現れた銀の尾を持つ恐るべき悪魔のおかげ。

 

今餓えることがないのも、他を恐れることがないのも、己の種族に誇りを持って他種族を虐げることが出来るのも、全て彼が授けてくれた策。全てが彼の功績であり、彼らがいなければ自分達はとうに滅んでいただろう。心から感謝してもしきれない。彼らから見放されないよう、常に寄り添い、望みを叶えなければと彼は拳を握りしめて決意を固める。

なぜなら、ここのところ牧場の様子が変わったのだ。

 

これまで牧場への出入りは自由だった。けれど七日ほど前から、受け渡しや来訪は前もって知らせるように通達がなされたのだ。

彼らがこの地に牧場を築いて半年以上が過ぎている。これまで何度も襲撃にあっているが一度たりと負けたことはなく、危機に陥ったこともない牧場だ。

それもそのはず。この牧場を営む全ての悪魔が一騎当千の強者揃いなのだ。

 

この牧場の支配者たる銀の尾を持つ悪魔は言葉ひとつで他者を死に至らしめ、おどけた動作で笑いを誘うペストマスクをつけた道化の悪魔が両手を飾るきらびやかな道具が一度放てば、放った回数以上の死を撒き散らす。

羊を引き渡す時に会う悪魔一体だけでもアダマンタイト級冒険者に匹敵し、牧場内部に招かれる際につけられる影に潜り込む悪魔すらミスリル級を下らない。

 

一事が万事そうなのだ。

己以上どころか英雄級、神話級以上の存在が当たり前のように存在し、尚且つそれが一介の下僕(シモベ)に過ぎないと平然と宣う狂った牧場で、先触れを必要とする事態とは如何なる事態なのか。ガーラントの興味はつきない。

 

今日、彼は兎族代表として牧場を訪れている。

新たな羊が多数手に入ったので献上品として納めたいと申し出に来たのだ。羊を捕らえた時に得た手荷物に魔術アイテムも数点存在していた。

羊のみならず魔法アイテムは悪魔達をひどく喜ばせる。魔法アイテムは高額だ、両方が手に入ることは滅多になく彼らの関心を買う一隅のチャンスだと彼らには思われた。

 

牧場の柵を通り越し、敷地内に入る。

これこそ兎族の真骨頂、機動性には一日の長があるのだ。たとえ影の悪魔が相手と言えど影に潜り込まれていなければ咎められることはない。しかも早朝、陽が登り始めた時刻。多くの種族がすべからく眠りから目覚める時間だ。

 

「最高支配者たるデミウルゴス様への献上品を一刻も早くと思い持って参りました」

 

言い訳は完璧、誰が最高の支配者に逆らうだろうか。誰も居はしない、全て支配者の意のままが正しいのだ。よって俺の主張は正しい。なんせ最高支配者への貢ぎ物を捧げに来たのだから。

 

ガーラントは意気揚々と牧場を進む。

 

進む彼の視界に写るのは建てられたばかりの真新しい畜舎。羊の数が増えるにつれて次々と増築されていく様は圧巻だ。

まるで初めから建てる予定があったように美しく、効率よくバランスのとれた畜舎が訪れる度に立ち並んでいる。これが彼の方の御技かと惚れ惚れと溜め息が出る。

全てが計算され、それ故に事象が回り、思い通りの結果を得る。森羅万象。かくあれかしと定められ、全てが定められた道を進むのみ。

 

「なんという叡智か・・・」

 

彼へは銀の尾を持つ悪魔を想い身震いする。

全てが思い通り、ありとあらゆる事象が彼の思うがままに進み、従えるのだと信じてやまない。

 

早まるな、おれ。一つずつ、一つずつだと己に言い聞かす。

今の自分は一介の兎族の一人。例え次期族長と言えど悪魔達にとっては塵芥と同じなのだ、驕ってはならない。

まずは一体。引き渡しにまみえる悪魔に侍って、次を狙う。そして仮面の悪魔に侍り、彼の支配者を虜にして更なる高みを。

 

俺なら出来る。

一族総勢が認め、他種族すら欲しがる俺だから出来ることだ。

自信を持て。

 

彼の野望は凄まじい。

いずれ一介の僕と称する最高支配者よりも上の存在へ侍ることを望んでいるのだ。

悪魔達が口にする「至高の御方」が頂点。なら「御方」とやらに侍れば良い。俺に溺れさせれば全ては俺の物になる。

 

ある意味で彼の持論は勿論正しい。色に溺れる支配者は過去には幾人も存在したのだから。

 

「寒…せ…か?」

「本…は梅…。…の御心を…。…。」

 

微かに耳に聞こえてきたのは商談で接する悪魔の声。

その声は語り掛ける相手を敬い、かつ気遣う言葉をかけている。

薄気味悪い肌色を持った悪魔達で彼の好みではない。

自ずと身を隠すことを選んでしまい、隠れてから舌打ちする。これでは疚しいことをしていると宣告しているも同然、侍るなどもってのほか。下手を打った、日を改めることにしよう。

 

本来なら彼は正しく、素晴らしい指導者と成り得る男だ。

自己犠牲の精神を知り、正道を知る正しきものに成りうる可能性のある生物だった

だがその生物は、己の気を引いた声に後ろ髪を引かれて振り替える。

 

牧場内は先触れがない限り立ち入り禁止。

なら、常ならば事務的な声を出して羊を受け取っていた彼らが猫撫で声を上げて機嫌をとる相手は誰?

俺より価値を認める、それはどんな種族なのか。

 

 

 

 

古来より、好奇心は猫をも殺すという諺がある。

猫を殺そうと思えば苦労することになる。容易には殺せぬ猫だが、好奇心を持って伺おうとする猫であれば簡単に殺すことができるのだ。

 

 

 

 

牧場の片隅。

瑞々しい朝露が光を弾く、目に柔らかな新緑を纏う牧草地に小さな天蓋が一幕。

それは薄く美しい布を風に揺らされながら存在している。

 

周囲に侍るはアダマンタイト級とおぼしき悪魔達。仲間の悪魔が拷問の悪魔と呼んでいた稀少な治癒魔法を使う悪魔で、欠損した部位すら元通りに直すことができると言う。

そんな神代の魔法を使う悪魔達が天蓋の中へと徐に両手を差し伸べる。

 

大治癒(ヒール)

 

紡いだ言葉は多くの者が到達することのできない領域。

辛うじて使うことのできる神官がいても一度で己の魔力の枯渇するため拒否する魔法がいとも容易く行使され、対象を柔らかな光が包み込んで天蓋の内側を染めてゆく。

 

その光を遮り手のひらを翳し、視覚の維持を優先する。天蓋の中にいるのが何なのか確かめたい。大治癒は羊から皮を剥がし、狂気に陥った羊を元の状態に戻すときに使用すると聞いていた。

 

「試してみるかね?」

 

ニタリと笑う悪魔の言葉を震えながら全力で拒否したことは記憶に新しい。その大魔法を複数体で惜し気もなく使うとは、あの天蓋の中央にいるのは誰なのか。

 

銀の尾の悪魔?

まさか。彼が怪我を負うとは考えられない。

全身どころか髪の一筋に至るまで力を感じる人外の生物だ。

 

ならばペストマスクの悪魔が?

いや、彼は代行と言えど拷問の悪魔に傅かれる様子はなかった。同等の仲間という様子で羊達を管理している姿を幾度も目にしている。

他の悪魔も同様、天蓋を準備してまで尊重する立場の者が思い付かない。

 

では誰なんだ?

 

近くにある天幕の影に隠れて様子を伺う。

複数体の拷問の悪魔が入れ替わり立ち替わり大治癒を施し、恭しく退出の言葉を紡いで各々の仕事へと向かう様は異様だ。

周囲に蠢く枯れ枝のような黒い人型は影の悪魔だろう。風に靡く薄絹の端を押さえて徐々に昇る陽光が天蓋の中央に居る存在に直接当たることがないよう配慮している。

この牧場の最高支配者たる銀の尾を持つ悪魔に対してすら、ここまで心を砕いて仕える様子は伺えなかった。これは。

 

「至高の御方って奴か!」

 

千載一遇の機会。

通達は至高の御方の滞在を示していたのだと気付く。

 

悪魔達が常々口にする下等生物が至高の御方の視界を汚さないようにとの配慮なのだろう。大治癒を必要とするのなら怪我を負っているのだ、弱っているのかもしれない。気分転換か、はたまた日光浴でもしているのか。陽の光は身体に良いと聞いたことがあるから、そのためかもしれない。

弱れば心細く人恋しくなるはず、生物であれば。

生物だよな?

同種の悪魔という可能性もあると気付いて暫し悩む。

 

悪魔達は尊大だ。

同種と仲間以外は家畜と下等生物にすぎないと宣う。だが銀の尾の悪魔もペストマスクの悪魔も、この美貌は認めてくれた。「まだマシな部類ですね」と零れた呟きは忘れていない。

 

「何をして、いるのですか?」

「!」

 

考え事に気をやっていたガーラントの側面、頬にかするように白い物体が横切り、背後から顔だけを覗かせたのは仮面の悪魔。ペストマスクに隠され金属特有の光を放つ目が不穏な気がして、背中を滝のような冷や汗が流れる。

 

「立ち入りにわ先触れが必要だと伝えているはず」

「申し訳ございません!先触れとして参りましたが、いらっしゃらなかったので入りました!お許しください!」

「・・・誰もいなかったのですか?」

「はい!」

 

背後に立つ彼の正面に回り込み、跪いて許しを乞う。

生物の可動域以上に首を傾げて静止した仮面の悪魔は先程までガーラントが見ていた先へと視線を送り、納得したように首を元の位置に戻す。

 

「・・・なるほど。今回だけわ許しましょう」

「あ、ありがとうございます‼」

 

悪魔の視線の先には天蓋に侍る幾体もの悪魔。自分達の最上位種にして至高の支配者の帰還に浮き足立っているのが理解できた。

己ですらそうなのだ、滅多に拝謁の機会がない彼等は尚更だろう。

 

視界の中で反省したのか頭を深々と垂れて離れてゆくのに頷いて、彼自身は天幕へと寄る。兎族の先触れが来たのなら本隊も近い、御方の天蓋を即安全な場所に移さなくてはならない。早足で天蓋へと向かい、けれどすぐに足を止めることになった。後ろに兎がついているのだ。

 

「何をしているのです?」

「いえ、あの、先触れに参りまして」

「それわ聞きました、シャドウデーモンが向かっています」

「その、あの、献上品の内容をお伝えしようかと」

「後で確認します」

「デミウルゴス様は、どちらに・・・」

「今わ出ています」

 

下から舐めるように見上げてくる兎の意図が掴めない。

一刻も早く御方を大天幕へ移動したいのに、まとわりついて離れない兎が煩わしい。

 

彼の到着とガーラントの先触れで家畜が来ると察した悪魔達は兎族がやって来る方角へと一斉に向かい、残るは治癒魔法をかけ続ける拷問の悪魔のみ。

牧場の見回りの為に御方の側を離れたのは数十分ほどであるのに、こんな近くまで侵入者を近づけてしまうとは何という体たらく。早急に警備体制を見直さなくてはならないし、配置を変えるにもデミウルゴス様へ相談するのが良いだろう。一刻も早く連絡をとらなければ。

 

「用件が済んだのなら去りなさい」

「い、いえ。お手伝いをと思いまして・・・」

「不要です」

 

一言捨て置き、歩み寄った寝台の元に跪き頭を垂れる。

捨て置かれ呆然としていたガーラントも御方の前であることに気づき、慌てて膝をつく。

 

「御心をお騒がせし大変申し訳ございません。これから更に騒がしくなりますので御身を大天幕へお運び致します」

浮遊(レビテーション)

 

天蓋に侍っていた二体の悪魔が一歩引き、彼の魔法と共に寝台ごと浮き上がる。

虎視眈々と寝台へ近づく機会を狙っていたガーラントは天蓋ごと浮き上がった寝台に驚きつつ、移動を始めた彼を追う。

 

「お、お待ちください」

「何故着いて来るのですか」

「おれ、いや私はお役に立てます。身の回りのことも一通りこなせますし、牧場の責任者様も貴方様も認めて下さった見目もあります」

「それが何ですか」

 

さも当然のように言い捨てて鼻白むガーラントから目を離し、遠くにあれど他よりも一際大きく見える天幕へと天蓋を移動させるのを急ぐ。その様子に呆気にとられたものの、ガーラントは諦めの悪い男だ。

 

「御方にもお気に召して頂けるはずです!」

 

彼が発した言葉は道化師の琴線に触れたのか、彼は足を止めた。ゆっくりと振り替える道化師に対し、期待に目を輝かせてガーラントは跪き更に言葉を続ける。

 

「朝も昼も夜も、絶えず御方の元に侍りましょう。御満足頂けるよう心を尽くして仕えます。決して後悔は」

「時間です」

 

立ち止まった仮面の悪魔の視線の先に多数の人影。大天幕への移動は間に合わないと彼は判断する。

追従していた拷問の悪魔に左右を守るよう指示を出し、そっと寝台を草原へと降ろす。道化師と二体の拷問の悪魔が天蓋の奥へ深々と謝罪の意を示して頭を垂れると、即座に人影に対応すべく立ち上がる。

寝台の前面に立ちはだかり到着を待つ彼らの中からは、既にガーラントの存在は省かれていた。

 

一方、羊を引き連れ魔法アイテムを抱きながら来た兎族は、最高責任者代行と周囲に侍る悪魔の警戒心も顕な様子に困惑する。

道化師の側には次期長と目されるガーラント。

一族の期待を受けて己を売り込んでいたのだろうと察したが、上手くいかなかったのか。いや、背後に寝台がある。上手くいったのか?

いまいち掴めない状況に判断に迷い、彼は無難に献上品を捧げる方向に定めた。

 

「兎族が第一の戦士、ウナバルトス。最高責任者たるデミウルゴス様へ貢ぎ物を持ってまいりました」

「よく来ました。最高責任者わ所用により出ています。代行の責任を持って私が預かりましょう。羊わ全て拷問の悪魔が引き受けます、畜舎へ入れて下さい」

「畏まった、代行責任者殿。…ところで」

 

胸に手を当てて恭しく指示を受け取ったものの、ウナバルトスの視線は天蓋から外れない。

草原に天蓋つきの寝台。

なんという違和感、用途がとても気になる。

 

「その寝台は今から使われるのであろうか?」

 

我らが次期族長の色香に惑って関係を持てば上出来。多少下の話になるが、この道化師は話が分かる類いの悪魔だと彼は知っている。

例え違っても何らかの情報は得られ、損はない。そう考えての発言だった。

 

「貴方にわ関係のないことです」

 

話題にのせること事態が不敬。

そう判断し頑なに拒否を示す道化師に、ウナバルトスは面食らうことになる。

 

常とは全く違う態度。

明確な拒否と威圧すら漂い始めた空気を感じてウナバルトスは地雷を踏んだことを確信する。

危険だ、これ以上後ろの寝台について話を振ってはいけない。

そう警告音を発する自信の本能に応じて了承を返し、貢ぎ物を渡して引き返すつもりだったのだ、彼は。

ただ、その場に空気の読めない男がいただけの話。

ウナバルトスが隊列を率いて踵を返した後、それは起こった。

 

寝台を覆う天蓋を吹き飛ばしてしまうほどの突風。

巻き上げられ、引きちぎられた薄布は空を舞い、畜舎の方角へと姿を消す。

代わりに動いたのは悪魔達。引きちぎられた薄布を留めようと動くが間に合わず、降り注ぐ陽の光を遮らんとするも遮る物もない。

寝台ひとつが複数人横になろうと余裕をもって眠れるサイズだ。数体の影の悪魔が遮ろうとも隠せる大きさではなく、寝台の中央に横たわる者は衆目に晒され、更に陽光に照らされることになる。

 

剥がれた天幕の内に隠されていたのは豪奢な寝台の中央に沈む炭化した人間種と思しき人型。

その人型が横たわるシーツは周囲が全て血と膿に汚れており異臭すら漂う有り様、その一部の隙もなく焼け爛れた身体に陽光は容赦なく降り注ぎ、焼きゴテを当てたかのような痛みを伴う。

 

「うう・・・!」

 

寝台から上がる声に対する反応は二つ。

 

「人間!?」

「何故人間がこんな所に!」

「助けてくれ、逃がしてくれぇ‼」

 

怒りと侮蔑を顕にする兎族と、彼等に羊として率いられる人間種が同種を目にして助けを求めて泣き叫び。

 

「御方様!」

「陽を遮れ、一筋たりとも御方に当てるな‼」

「下がれっ、下等種族共!御方に触れるでないっ」

 

彼の呻きを受けて殺気立ち、陽を遮る物を求めて走る悪魔。押し寄せる人間種を弾き飛ばし、彼の安否を問う悪魔達。

 

浮遊(レビテーション)!』

 

彼の声が痛みに歪み、呻きが鼓膜を震わせる事態に仮面の悪魔は魔法を唱える。

御身の安全を最優先にしなければならぬ。

大恩ある御方が、痛みを訴え助けを求めていらっしゃる。

御方が求める全てを成せぬ己の愚かさの、なんたることか。

混乱極まる思考の中、御身の安全を最優先にと寝台の移動を選び取った行動は最悪の結果をもたらした。

 

「人間種風情が!」

 

吐き捨てるように怒鳴るガーラントは兎族の機動性に物を言わせて浮き上がる寝台へと飛び乗り、横たわる御方の腕を掴んだのだ。

 

一瞬で沸き起こる灼熱に爛れた怒りが仮面の悪魔の脳を焦がす。

なんという失態。御身が休む寝台に下等生物が土足で上がり、尚且つ無体を働くなど。

今まさに黒く爛れた御方の頭を鷲掴みにしようとしていたガーラントを怒りに歪んだ表情を湛えた仮面の悪魔が力任せに弾く。横凪ぎの手刀を横腹に受けて、腹部から異様な音を響かせながらガーラントは文字通り宙を一回転して草原へ転がってゆく。

 

「あが、いあ”あ”あ”あ”あ”あ”・・・っ」

 

横腹を殴られて弾き飛ばされた彼の腹は骨が砕け、陥没していた。折れた骨が内臓に刺さり、鮮血を噴き出している。激しい痛みを伴い、喉元に鉄臭い液体が込み上げて声と共に体外へと流れる。

 

助けて欲しい。

痛みを止めて欲しいと悪魔達を見上げても、彼等の関心は寝台の上で苦しむ存在に向けられている。

連続してかけられる大治癒。各天幕から集まってきた拷問の悪魔が集い、更に唱えられる数々の魔法に描かれる複雑な魔方陣。全く聞いたことのない魔法の数々にウナバルトス達兎が戦く。

 

影の悪魔が近くにある天幕を剥がし天蓋の枠へかければ、段々と痛みが治まってきたのか聞こえる呻きが少なくなり、悪魔達はようやく安堵した。

御方の容体が落ち着き、暗い天幕の中だけでは傷口が膿んでしまうと外へ御出願ったというのに、更に痛む結果になるとは。

 

一方、痛みに悶えながら這いずり回るガーラントに差し伸べられる手はない。

彼の視界に寝台の人間が幾体もの拷問の悪魔から治癒魔法をかけられているのが映る。大治癒が唱えられるたびに淡く輝く人間の身体。

 

何故?

何故おれを治してくれない?

痛い、苦しい。

無礼な家畜を引きずり下ろそうとしただけなのに、何故おれがこんな目に。

脆弱な家畜同然の人間が、強靭で強大な力を持つ悪魔達に傅かれているのに。何故。

おれの方が役に立つのに。

悪魔なのに騙されている、家畜が御方であるはずがないのに。

 

一方、ウナバルトスは寝台に人間が横たえられていたことに驚いたが、悪魔達の騒ぎようと対応に更に驚いていた。

尋常な対応ではない。惜しげもなく治癒魔法を連発し、更に痛みを与えないよう自らの身で影を作る悪魔が数多く居ようとは想像すらしたことがない。

それも相手が同種なら納得できたのに、人間だと?

御方、と呼んでいたからには目上なのだろうが・・・人間が?

彼の脳裏に過去連れてきた羊達の末路が過る。

 

凄惨な加工場。

幾度も繰り返し採取される様々な部位の羊皮紙。

悲鳴と苦痛と鳴き声が幾重も聞こえる畜舎の数々。

 

有り得ない。

効率よく使い回す、まさに家畜扱いの人間に対して絶対に有り得ない。

特別視する理由があるのか?

それは何だ?

それを得ていれば、いつか悪魔達の気が変わる時にも生き延びられるかもしれない。

 

ウナバルトスは簡易天蓋に覆われて見えなくなるまで、赤黒く爛れた人間を凝視する。

 

そして彼等が連れてきた羊達も横たわる人間らしきモノを穴が開くほど見つめていた。

自分達よりもみすぼらしい人間。

全身を火傷で爛れさせていて汚ならしい。

火傷や傷が膿んできているようで、豪奢なベットにかかる素晴らしく肌触りが良いだろうシーツを膿と血で汚して。

髪すら燃え尽きて人形のよう。

痛みが引いたのか、今は微かに呼吸音が上がるだけ。

 

何故高位の悪魔達が寄って集って助けたのか、理由が全く分からず混乱する。

ひょっとして人間を好む悪魔なのか?

脆弱だから保護しようと集めているのかもしれないと希望を抱くが、こちらに振り向くペストマスクを付けた悪魔に、そんな希望はないことを知る。

マスクをしているはずなのに、その悪魔がこちらを見る目が虫を見る目と大差ない。一歩、一歩と後退る。

 

拷問の悪魔と影の悪魔へ寝台の移動を託し、道化師は笑顔を浮かべて両腕を広げる。

 

「さて、御待たせしました」

「ひっ」

「指示わ何も代わりません。羊わ畜舎の影の悪魔(シャドウデーモン)が預かります」

「か、畏まった」

 

指示自体は確かに変わらない。

けれど道化師の纏う空気は顕かに変わっている。満面に貼り付けた笑顔の方が仮面のよう、静かな怒りを湛えているようにも見える。

ペストマスクを飾る丸い金属の瞳が嘲笑(わら)う。

 

「良いですね?羊わ全て畜舎に納めて下さい」

 

頷くウナバルトス達兎族の戦士へ念を押す悪魔。

 

「御方への礼を失する家畜わ、全て無駄無く使いますから」

 

怯える羊を引き連れて離れる兎族から目を逸らすことなく見送って、悪魔は足元へと視線を向ける。その先にあるのは今だ芋虫のように這い、血反吐に塗れた兎が一匹。

 

「君わ確かに麗しい見た目をしています。先ほどわ断りましたが気が変わりました、申し出を喜んで受けましょう。ええ、そうですね。とても良い。きっと御方にもお喜び頂けると思います」

 

力なく投げ出された兎の足をおもむろに掴んで向かう先は、牧場の中でも一際家畜の嘶きが木魂する場所。

暫く引きずられていた兎も何処へ向かっているのか理解して悲鳴を上げ、必死で草を握り、止めようともがく。

けれど草は引きちぎられ手の平に残るばかりで止められない。大地に爪を立てようと泣き喚こうと道化師の足は止まらない。

 

「ワタシわ道化師、御方々に創造していただいた忠実なる下僕(シモベ)。ワタシわ御方々を楽しませる為にあり、人々を平等に愛し、幸せをもたらすことが出来ればワタシも幸せとなるのです」

 

悲鳴を上げ、助けを求め続ける兎が悪魔を見上げれば、悪魔の目前にまで近づいた天幕が見える。所々が赤黒く湿り気を帯び、怨嗟の声が木魂し、助けを求め、神を罵り嘆く言葉が耳朶を打つ。

 

「いや、嫌だ!助けてください、お願いします。何でもします、どんなことでもしますから離して下さい嫌だ嫌だ行きたくない。そこは嫌なんです何故おれをココへ連れて嫌だ助けて誰か止めてくれ嫌だ嫌だ嫌だ嫌」

 

本来なら悲鳴を聞いた時点でウナバルトスが助けに駆け付けるはずなのに来ないのは何故なのか分からない。

家畜を預ける畜舎から、これまで聞いたことのない多くの悲鳴と金属音が響いているが、ガーラントに思考を巡らせる余裕はない。

逃げたいのに足首を握りしめる悪魔の握力は骨を砕いてもおかしくない強さ。蹴っても蹴っても緩むことなく確実に血塗られた天幕へと近づいてゆく。

天幕の出入り口に被さる布を捲り上げる拷問の悪魔が見え、全身の震えが止まらず、口から零れる言葉は拒否する単語を繰り返すばかりで悪魔達には通じない。

 

「悦びなさい。御心を騒がせた身であるにも関わらず、貴方は御方の目を楽しませるに値するとワタシが認めました」

 

すっと差し出した兎の足を拷問の悪魔が恭しく受け取り、頬を緩ませる様は怖気を誘う。

 

「御方の目を楽しませれば、栄えあるナザリック地下大墳墓にあるワタシの居室に置き場を用意してあげましょう。ワタシわ約束を守る道化です」

 

金属性のペストマスクに刻まれた丸い瞳は変わることがないはずなのに、ガーラントの目には確かに今、新月が三日月へと細く変化するのが見えた。金属で作られているはずのペストマスクが、まるで顔に直に張り付く皮膚のような。

そんな馬鹿な。

産まれながらに金属と同化している生物など、いるはずがない。

 

思考は無駄の以外の何物でもなく、覆われる視界。

足どころか両腕を囚われ、問答無用で首に枷を巻かれて、持ち上げられた先にある光景を彼は知っている。

両手足を繋ぐ鎖と様々な解体道具が吊るされた特別製のベットがあるのだと、牧場を案内された時に見たのだから。

 

「やぁめぇぇてええええぇぇぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんと素晴らしい。また一人、ワタシわ家畜を幸せに出来た! 全ては創造主の、至高の御方々の御業(みわざ)なるかな‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恍惚の溜息を吐く道化師の背後で、牧場中の悪魔が一堂に会し大天幕の中央に佇む寝台の側に跪く。

 

薄衣揺れる天蓋の向こう。

中央に横たわる存在は未だ目覚めず小刻みに震えを繰り返すのみ。

混濁した意識と壮絶な痛みの外で繰り広げられる死の連鎖を一切知らず、痛みが僅かに和らぐ折に訪れる睡魔に身を委ねるしかない。

 

 

 

 

「我ら下僕(シモベ)一同、至高の御身に絶対の忠誠を誓います。

 

御身に尽くし、御身の盾として御守り致します…

 

 

 

ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 

 

 

 

 

 

その日。

 

牧場へと羊を連れて行った者の帰りを、日が暮れて翌朝になっても待ち続ける女の姿が見られた。

その兎族の女の腕に抱かれる幼子は健やかな寝息をたてて口元を薄く微笑ませているのに対し、抱く女の頬には沈む夕陽を反射して流れる雫がこぼれていた。

 

 

 



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6話

ギリリ、と押し出した刃は常に手入れを怠らない。

欠けなく、曇りなく、研ぎを重ねて使う鋼は滑らか。

 

情を込めて手入れした道具は持ち主を裏切らず、柔い肉を巻き込みながら食い込んで。

生暖かく芳しい液体が重力に抗わず、とぷりと流れ落ちる。

光の加減によって艶めき波打つ緋色の液体は技を魅せる者の心を潤し、耳に心地よく響く調べは妙なる吐息と共に悦楽を運ぶ。

 

逸品、という言葉に相応しいと職人は笑む。

御方の視覚と聴覚を彩るに相応しい姿を晒してくれる逸品だと確信を持ち、きっと気に入って下さるに違いないと感じれば感じるほどに道具を振るう手にも力が入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いだああああぁっぁ、ぁぁぁああああ、あぼぉおおぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふむ。

少々毛皮が痛んでしまったが許容範囲だろうか?

念の為、やり直すことにしよう。

 

『大治癒』

「…っひ、嫌ああああぁぁぁ!っおご、っぅ」

 

うむ、粋が良い。御方もさぞ御喜び下さるはず。

 

前脚は必要だろうか?

いや、これは相応しくない。暴れて振り回されてしまえば御方の衣装を汚すことになりかねない。これは必要ないだろう。

 

ごり、ごりゅり。と骨を断つ。

 

だが白い毛皮は素晴らしい。

これほどの毛並みは丘陵で滅多に見かけることはない。

この毛皮は全て張り付けるようにすれば、更に見栄えが良くなるはず。奏でる調べと相応しい見目と、どちらも必要なものだ。

 

みちち、べりっ。皮を残して肉を剥ぐ。

 

調度品として飾るべく細工を施す対象が暴れのたうつが飛沫が舞うばかり。

これは打ち付けねば御方がご覧になれないかもしれない。

急遽、補助を頼んでいた仲間に素材を頼んで作業を続けていく。

 

「ひぎっ、いがああぁぁぁぁ…」

 

肉を剥ぎ。

骨を断ち。

神経を晒させ。

抉り、引きずり出し、千切って。

納得がいかなければ初めからやり直す。

 

ずるりと引き出す頭部に付いた、蛇の尾を思わせる骨はビチビチとのたうち回り、飛沫で辺りを染めていく。

職人の手は止まらない。素材の息も絶えていない。

御方の為に。

御方の目に敵うべく。

 

 

 

全ては至高の御方に相応しく、あるべき姿を整えるべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この牧場は、数々の用途をこなす為に多くの天幕と放牧場で構成されている。

規模でいえば小さな村と言える程度でまとめられ、非常時には瞬く間に撤退できるよう、幾通りも考えられる状況下での最大規模。

 

その中心に位置するのが最高責任者用の大天幕だ。

一目で他と違うことが解る大天幕は、通常の天幕の三倍もの広さを有している。

 

数本の支柱で簡単に建てられる構造はしておらず、数十本の支柱に太い梁や筋交いを渡し、更に二重三重の幕を張った上に床自体も草原に布を張る造りはしておらず、板で設えている。

その上に敷かれた絨毯は常に手入れが行き届き、調度品もそれに見合うように選び抜かれて、とても丘陵とは思えない贅沢な空間だ。

牧場経営と共に最上の罠としても機能するよう、本来ならば必要のない生活環境を十全を期して整えている。

 

だが、それでも到底不足と言って憚らぬ存在を彼らは有しているだけだ。

 

夜空一面に星が瞬く前に、それぞれの天幕に火が灯る。

最高責任者が不在のまま大天幕にも灯った光は柔らかく室内にいる者達の姿を朧気ながらも照らし出し、忙しなく働く影を映し出す。動く影は毎夜幾日も続いて常に大天幕にある存在を羊達に知らしめる。

 

消えていく(どうほう)達。

これまでとは違い、声一つ上げただけで地獄の悪魔に相応しい形相を浮かべて、死すら生ぬるいと言わんばかりの所業を行う彼等に、羊達は震えあがる。

何かがこれまでと違う。

不用意に声を、音を、発することによって、他の音が消えてしまうことが問題なのか。

はたまた、それによって聞く者が不快に思うからこそ抑えようとするのかは分からないが、音を立てることによって目をつけられることだけは理解できた。

 

羊達は息をひそめ、痛みに耐える。

飢えに、不快感に、与えられる苦痛に耐えるのは一重にそれ以上の苦痛を己が身にもたらさない為。

じっとして、息をひそめていれば彼等は通り過ぎてくれる。

痛みをもたらさず、足早に去っていくことが増えたと感覚で理解しているから、彼等は息を潜めて天幕の外の音に耳を澄ませる。

 

悪魔達が奏でる慶びの(うた)を聞きながら、己が身に厄災が降りかからぬようにと、両脚羊(シープ)達はただ息を潜めている。

 

 

 

 

 

 

その日の朝は、彼らにとっては常と変わらぬ朝だった。

 

朝陽が射し、涼やかな風が薫る草の香が爽やかな香りを運び、入り立てで眠れぬ両脚羊が呻き声を一晩中上げる穏やかな朝。

変わらず大治癒を施す拷問の悪魔を傍らに、御方は寝台の上で眠りにつかれている。

 

人間種は弱く、儚い。

扱うにも細心の注意が必要で本来なら腕の一本、足の一本が折れるくらいは些細なこと。

だが御方に痛みを施すなど、身を千に切られても余るほどの大罪だ。

下僕(シモベ)にとっては決して譲れぬ一線でもある。御方に施した麻痺魔法が切れる時間を計算し、掛け直す為に仕事を中断して大天幕を訪れる。

効きが悪い魔法も、御方の痛みを僅かでも退ける補助になればと思うからこそ、欠かすことはできない。天幕の出入り口に垂れる布を寄せて入室するのはペストマスクの悪魔。

最早日常風景と化した動作なのに、相変わらずも恭しく、炭化した御手に触れながら麻痺魔法を施す。

 

御方の身体は魔法による回復方法と比べれば遅すぎるほど遅いのだが、徐々にだが確実に回復し始めた。

多くの羊で試した結果、従来の薬湯や薬草を中心に据えつつ、治癒魔法を重点的に施すことで、一部分だが状態を正常にまで引き上げることに成功したのだ。

 

御方の上半身、しかも頭部や内臓などの生命維持に重要な器官を重点的に回復する。

そして徐々に末端まで行き渡らせる方法を選択、その選択は確実な成果を悪魔達にもたらした。

 

人間に最大限の幸せを与える為には彼等の全てを知る必要があり、悪魔は生まれながらにしてその知識を持っている。特に拷問の悪魔などは良い例だ。

自然発生にしろ、そうでないにしろ、生まれて数秒で人間にあらゆる方法で苦痛を与えることが可能なのかを知っている。

何処が重要で、どの神経を切れば、どの部位が動かなくなるか。

その部分が動かなくなることで、人間にどれほどの絶望を与えることができるのか。

何処が最も痛みを感じさせ、苦痛を長引かせるのかを本能で知っている。

 

本能が知る真逆のことを御方へと施せば、魔法のみに頼った方法よりも確実に治癒が進むようになったのだ。

通常であれば拷問にしようする薬草を使用して痛みを軽減させ、痛んだ部位を最小限で切り離し、大治癒を重点的に施せば炭化した部分も回復が可能になった。

限定的に回復することで無闇やたらに回復魔法を連発することなく、低位なれどスクロールの補充に足る数まで採取することが可能となり、ナザリックへの資材も滞ることなく送ることができる。

僕として最大限の努力と効率と思考が最大の結果をもたらしたと言えよう。

 

麻痺魔法を掛け終わり、退室の言葉をのべようと頭を上げて寝台の上の御方の目蓋がうっすらと開いていることに気付き、仮面の悪魔は身動きを止めた。

 

御方は数度の瞬きのあとに、暫く上を見つめた後で目を閉じる。

 

彼の魔法を受けて痛みが和らぎ、意識を取り戻すほどの体力が戻ったのだろう。

けれど、開いた瞼の内側にある瞳は白く濁りきっていた。

何も見えていないと気づいて拷問の悪魔達は青ざめる。

この日から集中的な両目の治療が始まった。

そして至高の御方の意識も時折戻るようになる。

 

一喜一憂、意識が戻るが視界が利かず、下僕(しもべ)を認識しないまま再び眠りに落ちてゆく。

下僕の分際で御方の視界を汚すべきではないが、認識していただきたいと全ての悪魔が望んでいる。

己を視界に認めていただき、御声を聴き、声をかけていただけたら。

どれほど幸せなことだろうか。

 

悪魔達のやる気が最大限にまで上がり、治療速度は加速する。

 

同時に実験を繰り返され、消費される羊の数も更に増えるゆく。

惜しみなく大治癒を使い、人体の様々な実験を重ねて、情報をまとめて精査してゆく。

御方とは違い、羊達は魔法で元に戻るのだから使わない手はない。やはり至高の御方には、最善の方法でもって苦痛なく治癒していただきたいのだ。

そうして昼夜問わず繰り返される実験と検証と治療。飲食不要、睡眠不要であり、常日頃から勤勉な悪魔が忠義に燃えて更に勤勉になると手が付けられないものらしい。

 

瞬く間に濁り切った瞳は水晶体はおろか核細胞の一つまで治癒が行き届き、元の色を取り戻して。

大治癒の魔法と共に眼窩へと納められ。

 

 

麻痺の魔法が切れる頃に、御方は意識を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僅かに感じる痛みと共に目を覚ます。

身体は重く、倦怠感に包まれて動かす気にもなれない。

 

けれど、これまで闇に包まれていた視界が輪郭を滲ませながらも色を映すから、閉じようとする瞼を何とか開くように努める。

気を抜けば即閉じてしまいそうになりながら見る景色は、立派な骨組みを覆う薄茶けた布が一面に広がっていた。

風を孕んでいるのか、所々がたわんでは戻りを繰り返している。

 

どこだ、ここ。

こんな外壁じゃ、汚染物質塗れの空気が入る。

除去フィルタ付きの人工肺だって数十分ももたないぞ。

こんな薄い布みたいな壁じゃ人工肺目的の犯罪者に襲われたらひとたまりもないだろう。

何の抵抗もなく入れてしまう。

 

戦場だからか?

捕虜に価値はない……というかデメリットしかないはず。

おかしい。

何で俺は生きてるんだ?

 

状況を把握しようと霞がかる頭で考えるが、サッパリ理解できない。

 

あの時、俺は死んだはずだ。

焼け焦げて炭化するのを見ているし、この目だって視界の端から欠けて見えなくなったはず。

そんな俺を捕らえる意味がない。

生かせば空気どころか食料も何もかも必要になる。

捕虜に使う消耗品などない、あれば戦争なんてしていない。

じゃあ、何で今俺は生きてる?

どうして、見えてるんだ。

 

情報が足りない。

目が動く、眼球を動かすことが出来る。首も…動くのか。

表皮だけが炭化したなら皮膚が破れて痛みがあるはずなのに、それすらない。何かもっと、何かないか。

 

首を捻って左を向く。

布に覆われた骨組みにそって視線を巡らせば、そこに見慣れた物がある。

目を引く色合い、特徴的なペストマスク。

御披露目で見て結構気に入っていた道化の悪魔。

 

「…プルチネッラ」

 

仲間が付けた名を呼べば飛び上がり、片腕を胸につけて大仰なほど恭しく礼をとる。

顔を伏せる刹那、金属のペストマスクが泣き顔に歪んだように見えたが、気のせいか?

あの仮面、そんな機能ついてたのか。知らなかった。

 

左には見知った道化がいるだけなら右側はどうだ、と反対側を向く。

瞬きをするたびに重くなる瞼。まずい、めちゃくちゃ眠い。

苦労してこじ開ける瞳に映るのも、また見知った悪魔。

 

うん?

 

拷問の悪魔(トーチャー)か…」

 

死人のような肌の色、身をキツく覆う衣装。

腰回りを飾る数々の拷問道具が鈍い光を放ち、そのフォルムが恐怖を醸す。うん、相変わらずの悪魔らしい悪魔だ。

新たに得た情報に暫し頭を悩ませて、得た結論はひとつ。

 

「俺、いつの間にログインした・・・?」

 

声になるかならないかの、微かな呟きを口の端に上らせながら瞼を閉じる。

痛みが増してきたと感じ、ログインしたなら痛みは感じないはずだと疑問を抱く。

 

「・・・ウルベルト様、御身に触れることをお許し下さい」

 

そう断りの言葉と共に左手に感じる温もりと圧迫感。

左側ならプルチネッラか。

 

・・・声、出せたのか?

 

そんなシステムはなかったはず。

アップデートで音声パッチが当たったのか?

いや、待て。NPCがPCに自主的に触れるとか、どんなプログラム組んだんだヘロヘロさん。

抗えない睡魔に抗がおうと温もりを握ってみれば。

 

麻痺(パラライズ)

 

またも聞きなれた魔法を唱える、聞きなれない声。

 

なんだ、これは。

一体何が起こってるんだ?

 

全く理解できず納得すらしないまま痛みが消えて、睡魔に屈して意識を失っていくしかない。疑問が湧くのに尋ねることもままならず、視界はおろか意識まで闇に包まれる。

 

 

 

 

 

そうして大天幕の中、声にならない歓喜の渦が巻き起こる。

 

 

 

 

聞き間違いでも。

勘違いでも。

思い込みでもない。

 

自分達の名を一瞬の戸惑いもなく当然のように呼ぶ、紛れもない御方の声と言葉に悪魔達は喜びの涙を静かに流す。

 

「失礼を致します。至高の御方」

「御方にこの身の全てを捧げます」

「御方の為に仕えることこそ我らが悦び」

 

許可を得ずして各々が彼の体に手を触れさせて、寸断なく始まる大治癒の魔法。

連続し途切れも絶え間もないまま唱えられる治癒魔法は、眠ったばかりの御身を白く染め上げてゆく。

 

御方の体はまだ万全ではない。

末端に行けば行くほど炭化して恙なく使えるようになるまで時間がかかる。

御方の快癒こそが我らが慶び。以降も変わらぬ忠誠と努力を誓い、悪魔達の献身は続いてゆく。

 

頭部、内蔵、各器官と重要部位はほぼ治癒し、次に取りかかるのは手足。

見た目はともかくも生命の維持に必要な部位の維持は確保できた。

次いで胴の繋ぎ目から徐々に手先、指先へと至り、損壊部分は慎重に切り離して再生してゆく。

 

かかる時間は数十日。

必要な薬草を探して干し、擂り潰して使えるまでに準備し、魔力を溜めて大治癒を絶やさぬようローテーションを組んでも、腕一本を治しきれるかどうか。

 

身体中の筋肉を癒し、筋を癒し、皮膚を癒してようやく寝台から離れることが出来るようになるだろう。一日も早い回復を願い、状態を維持する者達以外が退出の礼をとり足早に大天幕を後にする。

数人の悪魔の唱える魔法以外に聴こえるのは、微かな、しかし規則正しい呼吸音。

 

牧場の最高責任者は、まだ訪れていない。

 



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7話

 

久しぶりに闇以外の景色を見た翌日、いつも通り麻痺が解ける時間帯にウルベルトは目を覚ました。

 

そして今、とても困惑している。

眼前に広がる明らかに現実的ではない光景が理解できない上、空想上の生物であるはずの見知った悪魔達が、自ら積極的に彼の世話をしようと行動するのだ。

 

騒がしいわけじゃなく、この天幕の中は静かなもの。BGMが絶え間なく流れているくらいで全く気にならない。

けれど目を覚まして以降、悪魔達が絶えずこちらの様子を伺っているのが分かる。息をひとつ吐くだけで耳を傾け、視線を向ければこちらを向いて深々と頭を下げる。何か言いつけられるのを心待ちにしているように。

 

NPCがこんな動きをしただろうか?

一定の空間を歩き回り、時折立ち止まる。敵プレイヤーがいれば襲いかかり、ギルドメンバーには礼をして決められたパターン通りの行動を繰り返すくらいだったはず。

 

それに拷問の悪魔はだいたいを第五階層の氷結牢獄に配置した。

第七階層にも色合いが良いレア種を多少配置した記憶があるが、青白い肌からしてニューロストの部下にと配置した奴らのはず。俺が知る限りナザリックに布張りの天井を持つ部屋などない。引退後に造ったのなら分からないが。

 

ここは何処だと傍らに控える悪魔に問えば、聖王国の丘陵にある牧場だと言う。そんな国の名は知らない。

知らない場所、知らない部屋、見知っているはずなのに全く知らない行動や言動をする悪魔たち。混乱極まり、気絶するように意識を失うことも度々あるが、それでも現状を知ろうと努める。

 

目覚める頃にやってくるプルチネッラに聞きたいことは山程あるが、尋ねることが出来る時間も僅かしかない。

痛みが激しくなると麻痺を掛ける許しを乞うて来る。

痛みが麻痺すると睡魔に負ける。

 

許さず耐えれば泣き顔の仮面で懇願を始めるから話が殆ど進まない。

やがて痛みに思考が混濁し、次に目が覚めるまで麻痺と治癒の魔法を施され続けている。

そうして目が覚めること八度目で、俺はようやく自分の置かれた状況を理解した。

 

俺、アバターじゃない。

 

初めはユグドラシルの中だと思っていたが、NPCの自由度が高すぎた。

何故動けないのか問えば身体は治療中だと言う。

意識がある間だけでも大治癒を何度も重ねがけされているんだ、いくらカンストプレイヤーのHPが高くても完全回復するはずなのに治療中とか意味が分からない。

 

そもそも痛みがあるのがおかしい。

ゲームの中でも痛覚があれば脳が勘違いを起こして死ぬ可能性があるから痛覚は備わっていない。にもかかわらず俺が目を覚ますのは痛みがあるからで、この時点で根本から破綻してる。

 

そして何もかもが現実的(リアル)すぎる。

目覚めたばかりでは気づかなかったが幾度も繰り返せば気付く。気付きたくなかったのかもしれないが。

 

鼓膜に風が過ぎる音を伝えて風をはらむ天幕が、遊戯(ゲーム)じゃないと訴えている。

かなり大きな天幕だ。幾本もの柱が天幕を支えていて現実の俺の部屋の何倍もある。そんな天幕の内側を風が通り、血生臭い香りを運んでくる。

ユグドラシルに嗅覚はない。理由は痛覚同様だ。

風が吹くたびに天幕を揺らしたり臭いを発したりなど、どれだけの容量を喰うのか。悪魔たちが一々反応することもそうだ、NPCの行動がPCの行動ひとつで変わるプログラムなど組めるはずがない。

 

許容範囲外の事態に頭では理解しても、心が理解しきれない。

けれど水を求めれば、嬉々として拷問の悪魔が飲ませてくれた。あんな美味い水を飲むのは人生で初めてで、やっぱり夢かと思ったが水は消えてなくならないし、望めば悪魔が幾らでも注いでくれる。

 

そうして現実だと渋々ながら認めたあとに、俺の身体はどうなっているのか確認した。

記憶の通り炭化した手足とケロイド上の皮膚。

ところどころ皮膚がなくなり筋繊維が露出した部位のある身体を、被せたシーツの下に隠されていたことを知った。

 

そりゃ痛むはずだ。

むしろ痛みで死んでない方がおかしい。

これは、あれか。

切れる頃にかけ直しに来るプルチネッラの麻痺魔法のお陰か。

麻酔代わりなのか。

いろいろ突っ込みたい部分はあれど、俺が真っ先に思ったのは。

 

 

 

 

魔法効かなくて当たり前。

むしろ何で僅かでも効いているのか、俺が聞きたい。

普通死んでるはずだろう?

これ、現実世界の俺の身体だ。

 

 

 

 

情けないことに認識した直後の記憶は、あまりない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の目覚めは幾分か落ち着いて迎えることができた。

布張りの天井も数体の悪魔が目覚めたのを察して膝をつくのも、左側にプルチネッラが控えているのも見慣れた光景になった。

 

「おはようございます、ウルベルト様」

「おはよう。・・・何処を治した?」

 

前回目覚めた時より若干寝苦しさが薄れている。

自分の意識が戻るのと、過ぎた時間が同等ではないことは既に理解していた。

 

「はっ。背中から腰に掛けての治癒を行いました。背骨わ損傷なく無事でしたので背筋と共に表皮を再生いたしました」

 

なるほど。

通りで前回までと違って横になっていても背中に痛みがないわけだ。

しかも皮までって相当無理したんじゃないか?

一部を治すのに精製した大量の薬液と何十の大治癒を連発することが必要だと聞いてる、数十体以上は必要だったはずだ。

 

「拷問の悪魔達を使い潰してないだろうな?」

「我等僕を御気遣い下さる必要わ座いません。御方のお役に立つのであれば、悦んで自ら身を捧げることでしょう!」

「・・・」

 

違う、そうじゃない。

そうじゃないんだ、プルチネッラ。

拷問の悪魔達の無事を知りたいのに、何故そんなくっそ重い忠誠心を知らにゃならんのだ。

 

「無事なら連れて来てくれ、礼を言うから」

「礼など!とんでも御座いません、遠慮なく使い潰して下されば良いのです!」

「死んでないなら連れてこい」

「はっ、畏まりました」

 

これだ。

頼むと通らないが、命令だと通る。

一時が万事この状態、普通に接しようとしても恐れ多いことだと受け取らない。けれど、こちらが上位者として押し付ければ嬉しそうに従う。

 

コイツら、俺の状態を分かっているのか?

今の俺は悪魔じゃなくて人間だぞ。悪魔にとって人間は玩具だろう。

少なくとも俺は悪魔にとってはそんなもんだと思ってた。デミウルゴスの設定にも書いた覚えがあるくらいだ。

 

身体はろくに動かせないどころか生きているのもおかしい状態で、しかも人間種。

拷問や実験、娯楽に食用など人間の用途はナザリックにおいては幾つもある。余すことなく使いきれるのが人間種。ナザリック地下大墳墓において人間種は下等種族ながらも非常に価値が高いのだ。特に悪魔族にとっては実に好ましい菓子扱いされるほど。悲鳴も、嘆きも、その存在が司る負の感情すべてが甘露に等しい。

 

そんな悪魔たちの巣らしい牧場に、人間種のまま俺は居る。

いつくびり殺されてもおかしくないどころか、殺してくれるかどうかすら怪しい状態だ。

死ぬ前に治癒魔法で癒して再利用。悪魔達がうっかりミスして殺してしまわない限り寿命が切れるまで永遠に苦痛が続く。

 

悪魔にとって死は逃亡。楽に殺してしまっては悪魔としての名が(すた)る。如何に長く生かし、苦しめ、嘆かせ、喚かせ、絶望させ、のたうち回らせるのか、それが存在理由と言っても過言じゃない。設定が設定通り反映されるならデミウルゴスはやる、俺がそう造った。

 

この身体じゃ自殺も無理。

舌を噛みきっても側に控える拷問の悪魔が癒してしまう。

どうにもならんと諦めたのに、拍子抜けするほどコイツらは目覚めた時から変わらない。

そもそもアバターじゃないんだ。山羊頭でも悪魔でもなくなったのに、コイツらはどうやって俺だと分かったんだろう。

 

疑問は尽きず、傍らの拷問の悪魔を見つめてみれば何か用があるのだと判断したのか膝まづき、胸に手を当てて此方を伺う。

こんなところはゲーム通りで、本当に現実なのか今一つ信じきれないでいる部分でもある。

 

「聞きたいことがある」

「はい。何なりと」

「今の俺は人間だ」

 

おい待て、痛ましそうに顔を歪めるな。

現実世界のものだけど俺の身体に違いはないだろ。

 

「お前達が見知った姿とは全く違うはずなのに、何故俺だと分かった?」

「はい。プルチネッラ様が御方の御声を覚えておりました」

「声?」

 

拷問の悪魔達を連れて戻ったプルチネッラを労い、拷問の悪魔達に礼を言い、これからも宜しく頼むと言い添えれば涙を流して誓われた。

正直、ドン引きだ。

お前らMP切れで青息吐息状態なのに、なんで急に元気になるんだ。

 

こら、働こうとするな。

大人しく魔力が回復するまで休め、俺を治癒させようとするな。

呼び出した俺が悪かった。せっかく回復した魔力絞って俺に大治癒掛けようとすんな!

 

休みを取らせても不都合がないかプルチネッラに確認し、一日の休みを言い渡す。

一斉に絶望の表情を浮かべるコイツらの気が知れない。

譲歩して魔力が完全回復したら仕事に戻っていいことにした。どんなブラック企業だ。

 

呼び出した悪魔達を戻らせてプルチネッラに話を聞く。

驚いたことに道化師の御披露目時に交わされたギルドメンバー全員の声を覚えていると言う。自分が生身だとか回りが悪魔だらけだとかショックなことは山程あったが今回ばかりは度肝を抜かれた。

まさかのNPC自らによる重度ストーカー宣言とか、誰特だ。

 

「ワタシわ御方々の御声のみならず!仕草、言い回し、癖に至るまで全てを!そう、全てを記憶しております‼」

「え」

「ウルベルト様わ我が創造主様と共にワタシの設定について楽しげに話しておられした、それわもう天にも昇る心地でございました」

「そ、そうか」

「以降、ワタシわ創造主様に賜ったお役目を全うする為日夜励んでおりましたが、ウルベルト様に訪れていただいた時にわ一層力が入ったと記憶しておりマス」

「そう、なのか?」

「それわ、もう‼お近くを通られた時ワタシをご覧くださり、笑って下さいました。コチラを見ながらでしたので柱に頭をぶつけられ、とても心配致しました」

「え”」

「他にもたっち・みー様と戦闘を始められたり」

「げ」

「止めに入られたモモンガ様に、よくお叱」

「よく分かった、もういい、それ以上言うな!」

 

コイツらの種族が悪魔だから云々よりNPCの存在自体がダメージを与えてくるとは思わなかった。

ゲーム時代でも類をみないほどのダメージを受けた気がする。

コイツがここまで覚えてるなら他の奴らはどうなるんだ、恐ろしい。

 

そんなこんなでダメージをかわしつつ探りを入れていけば、本来俺達ギルドメンバーにはギルドメンバー特有の気配というか威圧というか、何やら誤魔化せないものが漂っているらしい。

ナザリックへログインすると、ログインした人数に応じて気配が濃くなるので人数も分かるようだ。

僕なら絶対に間違えることのないほど圧倒的な気配で玉座の間に居ようと一階層のスケルトンですら感じるらしい。

なにそれ、怖い。

 

「領域守護者のみならず階層守護者ともなれば感知能力にも優れます」

「そう、だな」

「ワタシわ残念ながら力及ばず創造主を判断出来ませんでしたが」

「階層守護者ならば己の創造主がお戻り下された気配も悟ることが出来たと!思っております」

 

おい、やめろ。俺のデミウルゴスもストーカーです宣言などいらん。

なんか色々と痛くなってきた。

 

「・・・寝る」

「これわ申し訳ございません、ウルベルト様。麻痺をお掛けしても宜しいでしょうか」

「頼む・・・」

 

もう寝よう、そうしよう。

なんか疲れたし、また目覚めたら今日のことは忘れてから考えよう。

 

・・・はぁ。

 

 

 



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8話

 

魔導国首都エ・ランテル。

 

 

華やかな首都というより質実剛健といった風情の建物が立ち並ぶのは三国の境目の都市だからか。先日魔導王アインズ・ウール・ゴウンの治める地となった都市は、賑わっている。

 

帝国における魔導王の宣言を聞いて各国から冒険者が集まってきているのだ。冒険者が落とす金を目当てに商人が集まり、商人が持ち寄る品を求めて市民が集う。まさに活気付き始めた都市だ。

こうして賑わうまで紆余曲折あったが、内政における立役者はと聞かれれば彼だと関わった誰もが答えるだろう。

 

字も姓もなく、階級を表す称号名もない。

ある程度以上の地位にあって、ただ名があるだけというのは王国や帝国、法国でもありえないことだが、彼には名しか存在しないそうだ。本人が静かな笑みを浮かべて告げるのだから間違いない。

あえて付け加えるのであれば「階層守護者」という階級がつくそうだが、何処の階層かを知るものは魔導国中枢のみ。

 

魔導王の宣言を受けて、彼の両腕と言われる異形種の絶世美女「守護者統括」アルベドと「階層守護者」デミウルゴスの指揮のもと、ようやくこのエ・ランテルに従来の冒険者とは違う、未知を開拓する本来の意味での冒険者の育成を目的に学院が創られた。

カッツェ平原に向けて出島のように創られた学院は貴賤を問わず、個人の能力により合否が判断されるという。

そのテストとして初年度に百人ほどが採用されることとなったのだ。

 

魔導王の力、財力、智謀。

どれをとっても並び立つ者がないと言える王が直々に創る学院だ、期待しない者などいるはずもない。

苦々しい顔をしながらも王国出身の冒険者すら首都入りを果たし、アルベド・デミウルゴスの両名はそれすら読んでいたのか、宿が溢れて泊まれないといった苦情が未だ出ていない。

優秀さを通り越して空恐ろしさすら感じる智謀の持ち主だ。それが三人も、となると絶望しか感じないと帝国・法国の内政官は戦慄する。

 

そんな智謀の双璧と呼ばれつつある二人の内の一人、デミウルゴスはアインズより誉め言葉をいただいていた。正しく御褒美である。

 

「よくやった、デミウルゴス。素晴らしい成果だ」

「全てはアインズ様より道を示されていたからこそ成ったと考えます。お誉めいただくには及びません」

 

豪奢な部屋の中、窓へと顔を向けつつ背後で跪くデミウルゴスへ労いの言葉をかける。過分な言葉に恐縮するデミウルゴスを見下ろし、一・二度頷いた。さも当然と言わんばかりに。

重々しく頷いてはいるが内心では「ちょっとフラフラ遊びに行ってたら草案どころか学院まで出来てて、あとは客読んだり試験して合否判定するだけとか、どんだけ有能なんだデミウルゴス!」と戦慄してたりするが、おくびにも出さない。

 

そして佇むアインズの側に控えるアルベドも微笑みを絶やさない。

内心ではデミウルゴスが誉められて悔しく、ハンカチを噛み締める心境なのだが。

 

「さて、デミウルゴスよ。この度の成果として褒美を考えているが、何が良い?」

 

褒美については散々悩んだ。

悩んで悩んで悩み抜いたがサッパリ思い浮かばず、苦し紛れの「自分で考え付かないんだから本人に聞くのが一番だよね!」作戦である。

 

だが、これが悪手であることはモモンガ自身も承知していた。

なんせこの悪魔、欲が全くない。実は種族間違ってないかと訪ねたくなるほどの無欲、いやドM極まる社畜精神の持ち主なのだ。

 

尋ねても遠慮され、尋ねても陳謝しながら断られ、「下僕(しもべ)の功績はアインズ様の功績です」と心から笑顔を浮かべて宣う悪魔なのである。

毎回断られるたびにモモンガは思うのだ。

 

「ウルベルトさん、悪魔なのに欲がないとか間違ってます」

 

と。タブラであればギャップに萌えていたのかもしれないが残念ながらモモンガにその属性は備わっていない。

 

幾度も幾度も重ねてきた作戦だが、いつか当たるかもしれないからやめられず、今日も懲りずに聞いてみた。これで断られたら本格的に自分で褒美を考えなくてはならない。脳味噌無いのに頭が痛いとは、これ如何に。

だが今回、極めて稀なことにモモンガに軍配が上がったようだ。デミウルゴスが初めて悩むそぶりを見せたのだから。

 

(あるの?あるのか?珍しい、ここでしっかり労わないと!)

 

これを逃すまいとモモンガは畳み掛ける。

 

「どうした?これまでお前に満足のゆく褒美を与えたことがないのだから、遠慮しなくてよい。言ってみよ」

「はっ。大変申し上げ難いことながら・・・」

「ふむ、なんだ?」

「お暇を頂きたいのです」

(えっ、休日もないほど働きづめだった?そういえばデミウルゴスが前に休みを取ったのっていつだっけ!)

 

超有能エリート、退職のお知らせ。

眉尻はおろか、長耳まで下げて申し訳なさそうに申し出るデミウルゴスに、一瞬退職届を幻視して青ざめる。もっとも青ざめられる血肉がないが。

モモンガの心境も知らず、デミウルゴスは理由を述べ始める。

 

「実は第七階層や牧場の様子が気になっております。紅蓮やプルチネッラから報告は受けておりますが、久しぶりに確認をかねて部下達を見て回ろうかと。そう時間はかかりませんので、是非お願いしたく。」

(あ、退職届じゃなかった。良かった。)

 

誰にも知られることなく滝のように流れ出ていた内心の冷や汗は無事終息し、こっそりと安堵に胸を撫で下ろす。

デミウルゴスに頼りきっている現状、絶対に手離せない社畜エリートなのだ。ごめん、デミウルゴス。

 

「なに、気にすることはない。やらねばならんことは終わっているのだろう?」

「はい、恙無く。あと試験を設け、合否を下すのみかと。」

「では問題ないな。一日と言わず数日休んでくると良い。」

「よろしいのですか?」

「問題ないとも。なぁ、アルベド?」

「はい、アインズ様」

(ほら、アルベドもそう言ってるし大丈夫!なはず)

 

輝く笑顔を浮かべて大きく頷く女淫魔にモモンガは満足げに頷き、彼女が興奮で翼を膨らませていても気付いた様子がない。銀の尾を持つ悪魔は(おもむろ)に眼鏡のブリッジを上げ、彼女に対して注意を促す。

 

「アルベド。アインズ様にくれぐれも粗相のないようにお願いしますよ」

「あら、私がいつ粗相をしたのかしら?」

「具体的には三ヶ月ほど前かと。謹慎を言い渡されたこと、忘れたとは言わせませんよ?」

「ぐっ」

 

顔をしかめて悔しげな女淫魔と苦い顔を隠さない銀の尾の悪魔。同様の智謀を持っているからこそ相手の考えていることも大方読めてしまう。

この女淫魔、最近調子に乗りすぎではないかね?とか、さっさと自分の持ち場に帰れ造物主!などなど言葉を交わさずとも意思の疎通が叶ってしまいそうなのが嫌すぎる。

困ったものですと溜め息と共に呟き、モモンガへと退室の挨拶を述べる。何か問題があった場合は遠慮なく召喚してくれるよう頼み、銀の尾の悪魔は執務室を後にした。

 

「アインズ様!この、ア ル ベ ド が!デミウルゴスよりもお役にたって見せますわ‼」

「あ、ああ。頼りにしているぞ、アルベド」

「くふーっ!!」

「アルベドよ、距離が近い。少し離れてくれないか」

「も、申し訳ありません。アインズ様」

 

少し、早まったかもしれない。

早速デミウルゴスに帰って来てほしくなってしまう。

ダメだ、俺。頑張れ、俺。

いつもデミウルゴスに苦労をかけている分、休暇中ぐらいは頑張らないと。

グッと両手を握りしめ、決意を固めるが

 

「では本日の執務を始めます。持って来てちょうだい」

 

アルベドの呼び掛けに開いた扉から一人、二人と人造人間メイドが持ってくる書類の山に眩暈を覚える。いや、目も存在しないのだが。

 

「こ、これ全てデミウルゴスが片付けていたのか?」

「いえ」

「そうか、いくらデミウルゴスでも」

「まだ三割ほどかと。ご安心ください、午前中には書類が揃う予定ですわ」

(ブラック企業も真っ青なくらいブラックだったわあああぁぁ‼)

 

ごめん、デミウルゴス。

本当にごめんなさい、戻ってきて!

 

心の奥底から湧き上がる罪悪感と共に、決して言葉にしてはならない本音が全身に轟く。

 

デミウルゴスは去った、つい数分前に。

そんな彼を呼び戻して何が最高責任者か。ギルドマスターか。

彼をここまで働かせていながらフラフラ遊んでいた自分が情けなく、ウルベルトさんに申し訳ない。

 

(他の守護者はもうちょっと自由にしてるっぽいのになぁ・・・)

 

吐くことの出来ない溜め息をつきながら羽根ペンを握り締め、笑顔で書類を手渡してくるアルベドに対応しつつ、黙々と書類との格闘を始めた。

 

 

 

 

 

 

彼が御方に暇を告げて向かった先は羊皮紙(スクロール)を管理する司書室。

低位ではあるが職務に使う数々の羊皮紙(スクロール)魔道具(マジックアイテム)を数体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が管理している。

 

「おはよう、司書長」

「これはこれは。おはようございます、デミウルゴス様。如何なさいましたか」

「アインズ様に暇をいただいてね。久しぶりに守護階層と領域の確認をしたいんだよ」

「それはそれは。守護者として当然の欲と言うべきですかな」

「そう明け透けに言われてしまうと恥ずかしいとしか言いようがないね」

 

苦笑を浮かべる銀の尾の悪魔に司書長は顎骨を開いて笑う。

ひとしきり笑われてから案内されるのは転移の魔法がかかった鏡が置いてある奥の間。司書長へ礼を述べて彼が鏡を潜れば、死の騎士が取り囲むナザリック近くの山小屋へと抜け出る。

 

「お戻りとは珍しいですね。如何なさいました、デミウルゴス様」

「いや、何もないよ。アインズ様にお暇を頂いたんでね」

 

お暇。

ナザリックにおける僕全てが拒否する言葉にユリ・アルファは戦慄する。

体調を崩したのかと心配する彼女に先程司書長へと語った説明と同じ話を語れば、アンデッドでありながら安堵の溜め息をつくユリ。それに笑い、霊廟に向けて歩いてゆく。

第二、第三階層を最短ルートで抜け、シャルティアと恐怖公へと挨拶を済ませ、第四階層のガルガンチュアに顔を出し、第五階層ではコキュートスの住居である大雪球(スノーボールアース)を訪れて近況を話し合う。

 

出された茶は凍っていたが彼にかかれば適温へと戻すのも簡単なこと。

みるみるうちに湯気を立てる紅茶に雪女郎が慌てて下がり、驚かせたことを謝罪するというハプニングもあったが友の近況も聞けて満足し、暇を告げる。

 

ニグレドとニューロスト達にも挨拶と捕虜の近況を聞くべく氷結牢獄を訪れ、彼は牧場に勤める部下の行動を知ることになった。

曰くプルチネッラが数枚の山羊の皮と創造主が残した宝石や装備品の類を持って、縫製の出来る者は誰か悩んでいたらしい。

 

「プルチネッラが?」

「そうよん。牧場で使いたいってん」

「山羊の皮を牧場で?」

「ええん。家事全般スキルを持ってる者が牧場にはいないから困ってたと言ってたわん。私、縫い合わせる(・・・・・・)のは得意よん、手伝ってあげたのん」

「それは、ありがとう。しかし何に使うつもりなのか・・・」

「貴方の指示じゃないのん?創造主様より賜った品も縫い付けたのよん、それなりの防具になったはずだわん」

 

そんな指示はしていない。

しかも自身の創造主が残した品々を使用させるなど、彼にも出来ないことだ。

 

「何かあったんでしょうかね・・・」

「少し気になっただけよん」

 

彼から受けていた報告は平穏そのもの。日夜人々を幸せにする為、部下共々励んでいるという。

羊皮紙(スクロール)の供給量が多少落ちたとあったが、個体数が減った羊を捕獲しようにも丘陵近くを通りがかる機会が減って手に入りづらくなったので、新たな種類の羊を飼うことになったとも聞いている。

 

第七階層を見回ってから牧場へ向かう予定だったが、大図書館(アッシュールバニパル)羊皮紙(スクロール)の供給量を調べてからの方が良いかもしれない。何かあったのであれば供給量でおおよその日にちが判断できる。

貰った情報の礼を述べ、挨拶と共に別れると所定の位置にある転移門を潜った。

 

第六階層のアウラは疑似ナザリックの建設のため不在だが、マーレがいる。

案の定転移門を潜った時点で感知されたようでリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使い転移してきた。

 

「久しぶりだね、マーレ」

「お、お久しぶりです。何か、あ、あったんですか・・・?」

 

自分が訪れるのは仲間達の警戒を呼び起こすことに繋がるようだと苦笑するしかない。こうも頻繁に同じことを聞かれるのだから。

しかし何度同じことを繰り返されても身内に優しい悪魔は丁寧に経緯を説明し、次の階層へと続く転移門に向かいながら土産話として御方の近況を話す。杖を抱き、目を輝かせて聞くマーレの頬は紅色に染まっていた。

 

そして第七階層。

転移門を抜けると門の上へ被さるように待機していた紅蓮へと声をかけ、労う。うねうねと身体をくねらせて喜びを表現する紅蓮に笑い、羽を広げて飛び立つ。

眼下に見える溶岩の領域。久しぶりの守護領域に胸の内を喜びが占める。

御方の役に立つのは望外の喜び、だがやはり自分の居場所は此処なのだ。

 

無数の悪魔が彼を見上げ、礼を取る。

彼はこの階層を作り上げ、自分達を召還・創造した至高の御方の最高傑作であり階層守護者。この階層の全ては彼の創造主が一から作り上げ、命を吹き込んだ者達で溢れている。

崇拝と忠誠を一身に集めていた創造主が心血を注いで作り上げた彼に従わぬ悪魔は、この階層に存在しない。

噴火を繰り返し、階層の隅々まで絶え間なく溶岩が流れる。悪魔と溶岩が全てを舐め、燃やし尽くし、破壊しつくした世界の奥にある赤熱神殿に彼は降り立った。

 

「お帰りなさいませ、デミウルゴス様」

「戻ったわけではないのだがね。何か変わったことはなかったかい?」

「変わったこと、でございますか?」

 

赤熱神殿を守る三魔将に留守中の労を感謝し、用件を述べる。休暇としての守護領域の見回りと聞いて彼らしいと笑いながら三魔将は異常ないことを報告する。中央に位置する玉座に腰かけて話を聞いていた彼はとても穏やかな微笑を浮かべていたが、嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)の言葉で微笑が崩れた。

 

「ほう。プルチネッラが階層を駆け抜ける、ですか」

「はい、彼が駆けるというのは初めて見ましたので。驚きました」

「今では見慣れましたが当初は何があったのかと」

「羊皮紙の納品時ですわ。いつも何を慌てているのかは存じません」

 

やはりおかしい。

隠すつもりがあるのかないのか微妙だが、積極的に告げるつもりはないようだ。もう少し(くつろ)ぎたかったが仕方がない。

部屋には牧場から戻ってから寄ろうと心に決め、三魔将に改めて礼と今後のことも頼んで第九階層に向かう。

 

転移門を出れば一般メイド達が清掃に勤しむ手を止めて、こちらへ向かって次々と頭を下げる。

御方々の為の空間であるロイヤルスイートを清め整える手を己の為に止めさせるわけにはいかないと、手を振って止めさせる。何事かと近づくペストーニャに事情を説明し行く先を告げれば、今度は彼女の口からプルチネッラの名が告げられた。道化師に呼び止められたことが数度あったらしい。

 

「とても何かを言いたそうにしていたのですが、ロイヤルスイートを見回されてから謝罪を受けましたわ。呼び止めて申し訳なかったと」

 

そういうことが数回あり、以降は第九階層を速足で歩き去る姿が度々目撃され、一般メイドに苦言を呈されていると。

 

「それは・・・大変申し訳ないことを」

「いえ、デミウルゴス様の責任ではありませんし気にしておりませんが、これから牧場に向かわれるのであれば彼に伝えていただけないかと思いまして」

「分かりました、必ず伝えましょう」

「ありがとうございます。では、何かあるのでしたら御力になりますのでおっしゃって下さいとお伝えくださいませ」

 

苦言を伝えるのだろうと思っていた彼は呆気にとられ、後に苦笑する。カルマ値が善に偏る実に彼女らしい言葉だ。

感謝の言葉を述べて別れ、御方住まう第九階層に相応しく粛々と歩を進め、やがて訪れる第十階層大図書館(アッシュールバニパル)

 

羊皮紙(スクロール)作成を手掛けているティトゥスに羊皮紙の納品具合を尋ねると、三ヶ月程前に納品量が極端に落ちたが、その後徐々に数を増やして今は多少落ちることがあるものの依然と同程度の納品量に落ち着いているとの言葉を得た。

 

他所の悪魔であれば己の欲望に負けて遊びを優先することもあるだろうが、このナザリックで生まれた悪魔が自分から仕事を放棄することは有り得ない。熟す仕事が御方への忠義になるのだと芯から理解している。

三ヶ月前に牧場で何か重大なことがあった。報告するに値しないと判断したのか故意に隠しているのかは不明だが最近のプルチネッラの態度を鑑みるに、その何かは今も続いている。

すぐに牧場へ飛び、プルチネッラに何があったのか問うべきだ。

 

敵の襲撃か?

シャルティアのように洗脳を受けたのか?

本人の意思があるのであれば隷属か、強制的な支配を受けている可能性もある。

戦力を整えていくべきかもしれない。

私は御方より秘宝を預かっているから洗脳を受けることはないが、連れて行く悪魔達が洗脳されては危険だ。しかも対象が単体とは限らない。

 

様々な可能性を鑑みて、彼はまず自分で様子を確認することに決める。

自分ならば急に牧場へ戻っても問題ない。

連絡を忘れていたとでも急用など如何様にも言い含められる。

 

司書長に礼を述べて踵を返し、速足で向かうのは設置された転移門。転移門(ゲート)羊皮紙(スクロール)を使うには表層まで出なくてはならない。

影の悪魔を何体か連れ、ナザリックの表層へと至る。

己の影に潜ませて羊皮紙(スクロール)を開けば、目の前に開ける転移門。繋がるのは遥か遠くアベリオン丘陵。

 

何があっても対応できるよう最大限の警戒を滲ませて自らの武器である尾を揺らしながら転移門を潜れば、闇の向こう側に存在していたのは、誰一人存在しない大天幕であった。

 

 

 



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9話

 

デミウルゴスが転移門をくぐった先にあるのは、常と変わらぬ大天幕の一角。

背後で転移門(ゲート)が閉じてゆくが大天幕の中はいつもと同じように誰もおらず、気配もない。

目立った変化と言えば中央に位置していた寝台が無くなっているぐらいで罠もなく、何者かが襲ってくる気配もない。

 

だが、彼はしっかりと異常を感じ取っていた。

静かすぎるのだ。

 

「散りなさい」

 

言葉と共に影から飛び出す幾体もの悪魔。四方へと散り、伸びる影にそって大天幕の外へと移動していく。

偵察と補足の両方を担わせ、一定の距離を調べ終えれば戻るよう言いつけた。

 

暫く待てば戻る悪魔達からの報告は異常なし。

襲撃者の影無し。設備の被害無し。両脚羊(シープ)の損害も無し。天幕群の中に異常は見られず、のどかな風景が広がっていると言うが、それ自体が異常だ。

彼の耳に啼き喚く両脚羊(シープ)の声も、指示する悪魔達の声も聞こえないのだから。ただ、風が草を揺らす音と天幕が揺れはためく音が聞こえる。

 

何があったのかと訝しむ彼の元に傅く悪魔の内、一体だけ戻って来ていない。

その悪魔が向かった方向は大天幕出入り口の反対側、エイグァーシャー大森林方面。

この短時間で捕らえたか?

レベル30近い影の悪魔を捕らえるとなると、この世界では相当腕の立つ輩と見える。一度戻るべきか、それとも行くべきか。

 

転移すれば即座に大天幕を訪れるプルチネッラの姿は現れず、確実に彼を支配下に置いていると考えられる。

プルチネッラは無能ではない。

むしろ御方々の前で技を披露する役目柄、技能に優れている。大天幕を監視対象に置いていないとは考えられない、相手側には既に知られている。

 

「二体は影で待機を。残りは別の影へ潜みなさい」

 

ニグレドに伝言(メッセージ)を飛ばし、影の悪魔達へ指示しながら出入り口へと歩き出す。

万が一、自分が倒された場合は秘宝を回収しナザリックへ帰還せよと重々言い含めて。

敵の顔をこの目で拝むのも一興、とデミウルゴスは出入り口の布を跳ね上げて外へ出た。

 

燦々と降り注ぐ陽光の元、踏み出した革靴が柔らかな牧草を踏みしめる。

裸足で歩んだとしても傷つくこともない牧草地、この時間であれば羊の放牧を行っているはずだが、姿形も見えない。明らかに異常。

初めから誰もいないかのように静まり返っているが、彼には感じる。畜舎の奥で出来る限り息を殺して存在感を消そうとしている羊が多数いることを。

数か月前には姿を見せた瞬間には嘆き泣き叫び許しを請う羊が、息を殺して己の存在を消そうとするほどの相手が大森林の側にいるようだ。

最上位悪魔(アーチデビル)たる自分よりも恐ろしいと羊は考えているらしい。

 

試しに近くの畜舎にかかっている天幕を引き剥がせば囚われている多数の羊は怯え、少しでも身を離そうと檻の隅へと縮こまりガタガタと大きく身を震わせる。

試しに一体檻から出させてみたが、声を上げれば恐ろしい存在の注意を引くと本能に刷り込まれているらしく、悲鳴を上げることなく持ち上げられながらも必死でもがいている。

 

(なるほど。どうやったのか分かりませんが、見るべきものがあるようですね)

 

胸元の秘宝を撫でながら大天幕を回り、二・三の天幕を縫って何も建っていない丘陵へと踏み進む。

見えてくるのは遥か遠くに緑繁る森林。

オーク族や兎族など近隣にある亜人を制圧し使役して牧場を維持してきた。

通りがかる羊どもを捕らえて献上すれば、力を貸すか税を免除する。そういう仕組みも作り上げた。

まだまだ低位の羊皮紙(スクロール)は必要。むしろ消耗は早まるばかり、今失うわけにはいかない。

 

進んだ先に見えてきたのは生い茂る新緑なびく森林地。

森林の目前に大天幕から消えた寝台がその存在を主張している。その傍らには彼の部下たる道化師と寝台の周囲を固める多数の影の悪魔。彼らを従えた存在は寝台の上に居る、随分と侮られたものだと彼は眉を顰める。

 

道化師は当然此方を把握しており、寝台を背にして此方を見据えている。

周囲を固める影の悪魔も既にこちらへ意識を向け、一歩動く動作にすら神経を張り、挙動の一つ一つを注視している。

この世界では過剰戦力と言える彼らだが、彼にとっては大したことはない数。

レベル100は伊達ではない。守護者としての戦闘能力で数えれば下から数えた方が早い彼だが、この程度であれば容易く殲滅が可能だ。

 

問題は寝台の上の存在か、と道化師から視線を反らし視線を移す。

 

大天幕に置かれていた寝台は睡眠不要の悪魔には必要のない代物。

ただ罠にかかる敵に対して必要な小道具に過ぎないものの、階層守護者たる彼に相応しい品をと用意された品だ。

 

天蓋から垂れる薄布が揺れる寝台は広く柔らかく使う者の体重を受け止め、柔らかな眠りを誘う。

四隅にある柱は太く、美しい文様を描きながら光を通して流れてゆく薄い天幕。強烈な陽の光を柔らかく弾き、内側にいる者を安眠に誘う計算されつくしたフォルムは、まさしくナザリックで作られたと誉れ高き一品。

その柔らかな敷布の上に佇む小さな影が、この異常事態を引き起こした原因。

 

強さは全く感じられない。

薄布越しに見える形は小さく細く、ほぼ動かない黒い塊。

その黒は身に纏う毛皮によるもので縁を彩る宝玉の数々が薄く発光し魔法の効果が継続していることを伝えてくる。

見ただけで分かる補助魔法の効果があると分かる毛皮のローブは、ニューロストが言っていた道化師の創造主が残した品々を施した品だろう。

だがしかし己の創造主が残した品を己自身が使用せず他者に装備させることなど、被造物としてありえない事態だ。

 

洗脳の確率が格段に跳ね上がったと判断し、後ろ手に組んでいた手を解いて立ち止まる。

薄目を開いて交わす視線からは何も読み取れず、デミウルゴスは先手を打つため支配の呪言を発しようとしたが、

その前に寝台に寄り添う道化師が彼に向けて深々と礼をしたのだ。

 

そして道化師は口元に指を添えて「静かに」と言える動作を見せた。

どう考えても敵対しているとは思えない動作に困惑し、デミウルゴスは動きを止める。更に道化師は口元に添えた指に他の指を添えた手の平を静かに寝台へと向けて再び頭を下げたのだ。

静かに見て、理解せよ。と言いたいらしい。

貴方になら分かるはずという無言の信頼の光を滲ませた瞳を向けられる仲間想いの彼が、その意図を無下にできるはずはない。

 

向けられた手の平に従って寝台の上に目を移すが、寝台の上の姿は此方に気付いた様子がない。

だが先ほど放った影の悪魔が一体、消滅はおろか捕縛すらされずに寝台の側に侍っていることに遅まきながら気が付く。

 

何をしているのか。

指示を全うせず、時間すら守らず、道化師を従えたらしい元凶に尻尾を振るとは何事かと心中は怒りに満たされるが、影の悪魔は知らぬ顔で寝台にいる者の言葉を熱心に聞き、幾度も頷いて大森林方面へと姿を消した。

寝台を離れる直前、頭を撫でられてウットリと恍惚の表情を浮かべながら。

 

何と嘆かわしいことか。

人間種を恐怖に陥れることが糧となる我等悪魔が尾を振るなど!

ますます怒りが湧いてきて道化師を睨み付けるが、かの道化師はどこ吹く風。微笑ましそうに張り切って去っていった影の悪魔を見送っている。

一体何を考えているのか。読み切れなくて歩を進めながら怒りのままに言葉を発しかけた時。

 

小さな小さな吐息が流れた。

 

敵対の意思がないのであればと距離を詰めたことにより聞こえた寝台上の存在がつく吐息に、一言も紡げなくなる。震える足で更に近づくことで薄布の存在の姿は確認できるようになり、その姿に絶句する。

高く積まれたクッションに身を横たわらせ、空を仰ぎ見る黒山羊のローブに身を包んだ塊。その塊は小さく頼りなく見え、ローブの端から伸びる腕は細く皮膚を繋いだ痕だらけ。全く力を感じさせないのに、彼の耳が捕らえた吐息が彼に自由を与えない。

 

やがて森林の方面から多数の影の悪魔達が飛び出し、各々が最上の笑顔を浮かべて駆けてくる。

自分が役目を与えた時以上の、遥かに勝る喜びを全身で伝えてくるのが理解できる。

そして寝台の上の存在へと献上される獲物。小さな小さな、生きたままの兎の子供であった。

 

「…小さいな」

 

おっかなびっくり、影の悪魔から渡された子兎を恐々としながらも左腕一本で受け取っている。

膝に置き、怯える子兎が動かないのを確認してからゆっくり撫で、その温もりを堪能している男。

その様子を温かい目で見つめる多数の悪魔。そして、私。

ああ、そんな。嘘だろう。

 

「よくやった、影の悪魔(シャドウデーモン)

「お喜び頂けましたでしょうか?」

「勿論だ、一度触ってみたかったモノだ。ありがとう」

「か、過分な御言葉。恐悦至極にございます・・・っ!」

 

涙を浮かべる影の悪魔に胸中を嫉妬が荒れ狂う。

彼の方にお褒めいただくのは私の役目だったのに。

私を見て、私を造り、私を愛で、言葉を掛けて下さっていたのだ、いつも。

それは全て私のものだったのに、何故今貴様が甘受している?

内心を荒れ狂う嫉妬の逆風が吹き荒び、萎えることがない。

 

気付けば道化師の前を通り越し、御方を驚かさぬよう寝台の側へと傅いた。

遮る薄布も気にならず寝台の上の存在だけを見つめ、震える唇が名を紡ぐ。

 

「ウルベルト様・・・」

 

呼ばれて気付いたのか、ようやく振り返って下さるが、その姿に血の気が一気に下がる。

纏った黒い毛皮の下は間違いなく人間の身体。痩せ細り継ぎ接ぎだらけなのは腕の皮膚だけで、顔はおろか身体の大半も焼け爛れて歪な肌を晒している。

血色も悪く死人一歩手前と言われても納得してしまいそうな姿。

御身に何があったのか。誰がこんな仕打ちをしたのか。

疑問が渦巻き尽きないまま、創造主の言葉に耳を傾ける。歪な口が奏でるのは懐かしい創造主の声。

 

「お帰り、デミウルゴス」

「只今、戻りました。ウルベルト様」

「仕事は終わったのか?悪魔でもキツい量の仕事をこなしていると聞いてるぞ」

 

語られる御方の身体は、間違いなく人間種。

雄々しい創造主の影も形も見当たらず、力の欠片も感じない。

けれど間違いなく創造主の声。

目を細めて笑う表情も頭を撫でる仕草も溜め息をつく調子まで全てが記憶に当てはまる。

模倣することはできるだろうが、ここまで記憶と一致させることはできないだろう。姿形を似せる方が遥かに簡単なのだから。

 

私の無様に震える声に気付いたのだろう。

喉の奥で笑われて左腕を差し出される姿に、そっと目を伏せ頭を垂れる。

情けないと叱責されるのだと項垂れた頭に、創造主は手を乗せて下さった。

ゆっくりと撫でて下さるそのタイミングは、御方が身を隠される直前までのものと全く同じ。

薄目を開いて御方を見れば、瞳の色こそ違うものの、その眼差しも変わらないまま。

 

還って来て下さった。

 

心の内側にポツリと零れ落ちた言葉が、胸を絞める。

やがて疲れたのか頭上から頬に滑り、胸元に戻そうとされた手を、己の頬から離れる前に捕らえて握り混む。

なんと不敬な下僕(シモベ)だろうか。

けれど、確かめずにはいられない。

 

暖かい。

 

御方がいらっしゃる。我が唯一にして無二の創造主が。

御側に居たいと、役に立ちたいと、ただ姿を見ることができる距離に、置物としてでも構わないから共に居たいと願ってやまなかった方がいる。

ひとり残された赤熱神殿で、どれほど願っても、どれだけ求めても、泣き叫び乞い喚いても、得られなかった方がいる。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト様」

 

握り締めた手に額付き、恐る恐る頬を擦り寄せる。

理想の悪魔たれと創造されたというのに、なんという醜態か。

とても御方に見せられない。

こんな、頬を伝って御手を濡らすほどの体液を溢す様など、情けないと呆れられてしまう。すぐに止めなくては。

 

「お帰り、なさいませ。ウルベルト様」

 

どれだけ律しようとしても声の震えを止められない。

御身を拘束するなど不敬極まる、離さなくてはならないと理解できているのに御手を離すことができない。

 

還って来てくださった。戻ってきてくださった。

どれほど御方の姿形が変わっても創造主であることに変わりなく、下僕(シモベ)が感知する至高の御方としての力が無くとも、私にとって唯一の方であることに変わりない。

 

「ウルベルト様、ウルベルト様」

「・・・聞いている」

「お逢いしとうございました・・・」

 

還って来て下さった。

戻ってきて下さった、我々の元へ。

我等の手が届く場所まで戻ってきて下されたのだ。

なんという行幸か。

 

何があったのかは分からない。どんなことが御身に降りかかったのかも分からないけれど、今御方がここにいらっしゃることだけが確かな真実。

 

止めようとしても止まらず、滝のように流れ出て全身の体液が枯渇するのではないかと疑うほどに涙が溢れる。

御手を汚してしまい不快に思われてもおかしくないのに、創造主は握りしめる被造物に好きにさせて下さる。優しき創造主。

 

還って来て下さった。

還って来て下さった。

還って来て下さった。

還って来て下さったのだ、私の元に。

 

「御待致しておりました、ウルベルト様」

「ああ・・・。ただいま、デミウルゴス」

 

もう二度と、見送ったりはしない。

私が、我等が御守り致します、何者からも。

だから二度と別れなどと仰らないで下さい。

 

 

 



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10話

 

 

跪き涙を流すデミウルゴスに、自分が創った通りの見た目をしているが性格はこんなだったろうかと内心で首を傾げる。

 

何故微笑まない?

笑顔で追い詰め、嗤いながら弄ぶのが悪魔の本分だろう。

種族関係から考えても俺は虐げられる側。

デミウルゴスは強者として俺で遊ぶ権利がある・・・はず、なんだがなぁ・・・。

 

「も、申し訳ございません!」

 

すがり付かれた左手が段々冷たくなっていくのに構わず、こっそりと溜め息をつけば即気付かれた。

無様な姿を見せたと青ざめて詫びるデミウルゴスを宥めてクッションへと身を沈める。

初めて目にする自然を堪能するあまり随分と長居をしてしまったらしい。

天幕を出たときよりも身体がずっと重く感じる。

 

「デミウルゴス様、寝台を大天幕へ移動致しマス」

「それは私が。事情の説明を」

「はっ」

「ウルベルト様、失礼致します」

 

いちいち許可とる必要もないんだが、と思いつつも承諾しないと何一つ始まらないのは既に経験済み。

頷けば飛行(フライ)羊皮紙(スクロール)が燃え尽きるのと同時に寝台が浮き上がる。いいな、俺もやりたい。

 

浮遊(レビテーション)とは違い、進行方向も速度も高度も術者の思いのまま。

足元から僅かに浮き上がらせようと思うとゲーム内でも繊細なコントロールが必要だったが、流石は俺のデミウルゴスだ、そつなくこなす。

緩やかに大天幕へ向かって進む寝台の上は仄かな日の光が暖かく、流れてくる風は気持ちよく眠気を誘う。

プルチネッラがデミウルゴスに敬意を説明しながら進む間に微睡めば、今朝からの出来事を思い出す。

 

 

 

身体の大部分が人として、まあ、見られるように整い始めた。

 

見た目はまだまだ悪いが皮膚は皮膚として寒暖の差や風を感じることが出来るようになったし、四肢の内で左腕だけだが動くようにもなった。

かなりの日数が必要だったが指先まできちんと動く。

魔法という現象が凄いのか、拷問の悪魔達の執念が凄まじいのか判断出来ないが、二度とまともに動くとは思っていなかったから感動もひとしお。

大喜びで礼を言ったら、その場に居た全員に号泣された。なんでだ。

 

こいつらは本当に喜怒哀楽が激しい。そんなんで悪魔をやっていけるのか、人間騙せるのか心底不安になる。

お前らの本分だというのに大丈夫なのか?

 

補助があればベッドから身を起こすことも出来るようになり、俺が寝かされているベッドが結構広いことも、ベッドが置いてある部屋もかなり広いことを知った。

やっぱ上を眺めるだけじゃ分からない、聞くのと見るのとじゃ大違いなのを改めて知る。

 

そうして聞いた、この世界のこと。

ギルドのこと、モモンガさんのこと、こいつらのこと。

 

理解の範疇を越えすぎていて頭から煙が出そうになるが、プルチネッラがナザリックへ連絡しようとするのを止めて考えた。

今の俺の状態は絶対モモンガさんの負担になる。

今だってこいつらの負担以外の何者でもない、これ以上迷惑はかけたくない。

ただでさえプルチネッラや拷問の悪魔を勝手に借りているようなものなのだから。

 

身体を治してくれるのは非常にありがたい。

身体が動くようになって介助も必要なくなれば、今後のことも考えられるようになる。

今はコイツら頼り、如何ともしがたいが仕方ない。好意を向けてくれることに甘えてしまうが頼もうと今日まで来た。

 

ようやく余裕が持てるようになり天幕の外が気になる。

ここはユグドラシルじゃないという。

 

天幕の中は全て毛足の長い高級感のある絨毯が敷かれ、あちこちに配置してある美術品かと見間違うほど芸術性の高い家具の数々。

 

「御方が住まうにわ、相応しくありませんが」

 

と言っていたがはっきりいって分不相応だ。主に俺の価値が下的な意味で。

十分過ぎると礼を言えば慌てられ恐縮される毎日に慣れる日が来るのか甚だ不安だが、やっと自力で動けるまでになったのだからと身を起こせば気になるのは天幕の外。

一体どんな風景が広がっているのかが気になった。

 

初日。

プルチネッラに言い募って寝台を天幕の外へと出してもらうことに成功する。

 

目の前に広がる数々の天幕と緑の絨毯。

影の悪魔達が何故か念入りに天蓋の布を抑えているのが気になったが些細なこと。抜けるような蒼い色と白磁の雲が広がる空に言葉すら出なかった。

 

空気をマスク無しで吸い込んでも咳き込まない。

目が痛くもならず涙も出ない。

肌を刺す刺激も無く、ぬめるような感覚も張り付く感覚も、何もない。

 

緑の絨毯の縁に水の光が煌めき、そよ風に揺られて露を落とす様。

数メートル先だというのにはっきりと形を見せる自然。

天幕の遥か向こうには山脈、というやつだろうか?

滲む緑の山々が目に優しくて、突然目の前をふわりと通り過ぎる色彩鮮やかな生き物に度肝を抜かれる。

 

「あれは、何だ?」

「蝶で御座います。捕らえますか?」

「いや…、いい」

 

さも当たり前のように答える影の悪魔にも驚きながら首を振る。

 

蝶。

どんな生き物だろうか?

ブルー・プラネットに聞けば事細かに教えてくれるだろうか…。

いや、こんな光景見たら、狂喜乱舞のまま走り出して全く帰ってこないかもしれない。

何もかもが新鮮で、何もかもが驚くことばかり。

そして、この稀な環境に順応しているNPCに驚く。

 

ナザリック地下大墳墓には第六階層があった、あそこは大自然をテーマとする自然愛好家達の自慢の階層だ。

だが所詮は資料を集めた作り物なのに、自然があることが当たり前であるかのようにNPC達は認識しているようだ。

俺達ギルドメンバーは自然が自然としてあること自体が奇跡のような感覚だというのに、当たり前と捉えているとは。

そうして深く考えすぎて疲れたと判断されてしまい、初日は終了した。

 

二日目。

今日は天幕群の先へ行きたいと駄々を捏ね、太陽のまぶしさに目を細めながら進んだ先にあった柵。

そしてその中を惰性のように行き来する裸の生き物を見た。

 

あれは何かとプルチネッラに尋ねれば両脚羊(シープ)だと朗らかに答えられる。

羊か。それは確かに家畜の種類だが、柵の中を歩く姿はどう見ても俺と同じものにしか見えない。

あれはあっち側で、俺はこっち側、その違いは一体何なんだ?

 

「至高の御方わ、何者にも代えがたき御方なのです」

「…いや、でもな?どう見てもあれは俺と大差ない

「御方であることに違いわないのです!!」

…そ、そうか」

 

あまりの剣幕に最後は押し敗けたが、どうにも納得がいかない出来事だった。

 

そして今日。

柵の方向ではない方へ行きたいと告げて渡された黒山羊のローブ。

縁を彩る宝玉の数々はユグドラシルで採れる多少の耐性を秘めた石。

ユグドラシル産は高価なのだと聞いて理解していたから断ったものの、「御方の為に仕立てましたゆえ、使っていただけぬのであれば廃棄わ免れません」などと言われてしまえば使わないわけにはいかない。

 

羽織ったローブは補助魔法がかかっているのか、風による体感温度の違いはなくなり快適。

俺自身が関わらないことであれば魔法は正常に作用するらしい、なんとも不思議なことだ。

俺という不純物が混ざった瞬間、効果が格段に落ちてしまう。

悪魔達がひどく嘆いていたのを夢現で聞いていた、俺が聞いていたとは思わないだろうが。

 

そうして出掛けた大森林で動物の赤子が居たら生きて捕まえてこいと指示を出す。

とても柔らかくて温かくて可愛いのだと小動物を飼っていたギルメンが力説していたのを思い出したからだ。

影の悪魔達が幾度も行き来しながら張り切って捕まえて来た数々の動物の赤子を見せてくれるが、手を伸ばしても爪が御身を傷つけるからとなかなか触らせてくれない。

 

そんな中で差し出された耳の長い小さな生き物。

これは見たことがある。

そうか、これが兎という生き物か。

兎の耳(ラビットイヤー)でよく目にしていた耳だと感心した。

 

そうして小動物に癒されていた矢先に現れたのがデミウルゴスだ。俺の創ったNPC、理想の悪魔である。

俺が設定した通りであれば死にかけの不審な人間が一人、己の管理領域を無断で占拠しているのだから憤慨ものだろう。

めくるめく拷問の始まりかと遠い目になったが、そんなことはないらしい。

泣かれ、腕を握りしめられ、戻ったことを喜ばれるとは思わなかった。

 

だから、俺は今山羊頭の悪魔じゃないのに何故分かるんだ。

ペロロンチーノに押し付けられて渋々プレイしたエロゲに居た病んでるキャラクターとNPCが被っている気がしてならず、密かに戦慄しているうちにデミウルゴスによるプルチネッラ達に更に輪をかけたような手厚い看護が始まった。

どうしてこうなったのか。

 

寝ても覚めても傍らから自作の悪魔が離れない。

 

痛みを訴えるまえ、僅かに眉をしかめただけで察して宝石の眼が麻痺をかけてくる。

昼夜を問わず間近に侍って給水やら給餌やら、やたらと甲斐甲斐しく世話を焼く。

いつのまにか三魔将やニューロストが居て、目が覚めるたびに身体の何処かが治っている。

明らかに上がった治療速度、増えた人員、離れない階層守護者。プルチネッラによれば忙しい筈なのに。

 

「デミウルゴス」

「はい、ウルベルト様」

「仕事があるんじゃないのか」

「御心配には及びません。アインズ様より休暇を頂いておりますので」

 

静かな笑顔を浮かべる自作の悪魔に眉を潜める。

千切れんばかりに銀のプレートで包まれた尾を振る彼の周りで三魔将が雑用をこなし、少し離れた場所では軟体の悪魔が拷問の悪魔と共に治療計画を話し合う。

 

道化師は鼻唄を歌いながら力作らしい置物を設置し、素晴らしい音楽を奏でるのです。是非御方に!と胸を張る姿を見て眩暈を覚えた。

今は「近頃元気がありません、治癒わ足りているのですが」などと言いながら埃を払っている。何やら満足のいく成果があったらしく、自室に飾ることが決定したようだ。

騒がしい天幕の中、いくらなんでもこの数のNPCが大墳墓の外に出ていることがおかしいのだ。

 

「モモンガさんに言ったな?」

 

ボソリと呟いた言葉は耳の良い悪魔達にはしっかりと聞こえたようで、全員が身動きを止めた。

プルチネッラに目を向ければ申し訳なさそうに跪いて頭を垂れるし、ニューロストも三魔将も同様に膝をつく。

彼の世話を嬉々として焼いていたデミウルゴスも居住まいを正し、頭を垂れた。

 

「アインズ様におかれましては、ウルベルト様の身を大変心配されております」

「・・・」

「ナザリックへの一刻も早い御戻りを御望みでいらっしゃいます。どうか、ウルベルト様」

 

我ら僕も同じく、一刻も早い御帰還を望んでおりますと深々と頭を下げるデミウルゴスに応じるように悪魔達も頭を下げる。

そこまでしてもらう必要など全くないんだが、と思いながらモモンガが遠見の鏡でこちらを見ているのだろうと察した。

 

「ナザリックであれば即治癒に必要なアイテムも人員も豊富に揃っております。この地ではいささか距離がありますので万全とは言いがたく・・・」

 

皆まで言わなくても理解はしているつもりだ。

物資を運ぶためにもスクロールが必要、護衛にも手を割かなくてはならない。

ナザリックに戻れば全てが揃っていて、俺が人間種でも戻ることに表だって反対するものはいないということなのだろう。

ただ俺がモモンガさんに知られたくないと呟いたから聞いた悪魔達が伝え、配慮してくれているわけだ。モモンガさんが。

 

「モモンガさんに迷惑になるから嫌だったのに、モモンガさんに気遣われていたら本末転倒だよなぁ・・・」

「ウルベルト様・・・」

 

恐る恐る顔色を伺う自作の悪魔の表情は多分に怯えを含んだ子供のようで憐れみを誘う。

 

こいつは悪魔で、俺は人間。

力関係は明らかなのだから懇願や嘆願などする必要などない。

レベル差は圧倒的なのだから捕らえて連れて行けば事足りるというのに膝を付き、頭を下げて許可を得ようとする。

得なければ動けないと言わんばかり、少なくともこの牧場内でデミウルゴスに敵う生き物など俺を含めて存在しないのに。

 

自作の悪魔から視線を外し、天幕の隅に飾られている両脚羊の置物を眺める。

両手足を切り取られ、精密な彫り物を施された薄い板の中に二の腕から先と腰から下を埋められて存在している。

そう、本来ならあれが人間種の正しい楽しみ方だろう。

 

飾られた初日は痛みを訴え、呻き、嘆き、舌のない口から怨嗟の声を上げて此方を睨み付けてきていた。

拷問の悪魔の姿を視界に入れては助けと癒しを求めていたが、今は両の目蓋を糸で縫い合わせられて見ることも出来ない。

道化師の言葉を用いるのなら「物としての分を弁える為の処置」だそうだが、正しく悪魔の所業だろう。

 

死にかければ大治癒を施して存えさせ、苦痛と怨嗟を長引かせる。

同様の存在として俺も同じ状態になってもおかしくないのに、同じように大治癒を施されて炭と変わりない身体を蘇らせてゆく。

そんな姿を身動き一つ自由に出来ず、苦痛に苛なまれながら眺め続けるのだから睨まれて当然、俺に対する殺意を向けて当然だと俺は思うが悪魔達にはそうじゃない。

 

「ウルベルト様、御気分を害されましたか…?」

 

震える声でかけられた問いに緩やかに首を振りつつ小さな溜め息をこぼす。

ここまで配慮されている身でありながら拒否し続けるのは只の我儘だ。

 

今の俺の身は間違いなく庇護される側で、庇護してくれているのは悪魔達、ひいてはモモンガさんだ。

モモンガさんがこうして俺を気にしてくれているからこそ治療も続けてくれているのであって、俺一人なら確実に野垂れ死んでいただろう。

礼も言いたいし、戻ってこられなかったことを謝りたい。

 

「戻ろうか、ナザリックに」

「「「畏まりました」」」

 

ぽつりと呟いた囁きは彼を伺っていた全ての悪魔の耳に届き、大天幕中が歓喜に包まれる。

 

呟きを皮切りに即時帰還の準備が即座に整えられた。

もともと牧場にはナザリックに絶対に必要な物は置かれていない。

ただ両脚羊(シープ)羊皮紙(スクロール)が採取できるように造られた施設である。療養していた大天幕ももともとは階層守護者が使うに相応しいものという基準で選ばれた品々であって、至高の御方には相応しいとは言えず、下僕(シモベ)達は内心では忸怩たる思いを抱えていたのだ。

 

ナザリックへの帰還に必要なのは御身のみ。

御身に相応しい品は全て第九階層に揃っている。

帰還時の人員の確認、牧場へ残る者の指示と確認を簡単に済ませ、三魔将やニューロニストがウルベルトの治療に必要な道具を抱えて終了である。かかった時間は四半刻もあっただろうか。

 

早い、早すぎる。

もう少し時間がかかるだろうと構えていて全く心の準備が出来ていないウルベルトの焦りを他所に、背後に配下を従えたデミウルゴスが恭しく寝台上の彼へと傅く。

 

「お待たせ致しました、ウルベルト様」

 

満面の笑みを湛えて頭を下げたデミウルゴスの右側にある空間に黒い染みが一つ浮かぶ。

その染みはみるみるうちに拡がって大柄な三魔将も楽々と入ることが出来るほどになった。

 

魔法詠唱者自身が異形種であれば人間種より大柄なのは当たり前、当然異形種が使う転移門(ゲート)のサイズは何も設定していなくても大きめだ。

山羊頭の悪魔であった頃には気づかなかったが、今のウルベルトからすれば大門と称した方が良いほどに大きい。

 

「それでは失礼致します」

「いや、失礼いたしますじゃない。自分で歩く」

「ですが・・・」

「遅いのは分かっているが自分で歩きたいんだ」

「はっ、畏まりました」

 

嬉々として寄ってきたデミウルゴスに抱き上げられて戻るのはみっともないと速攻で断り、ウルベルトは寝台の端に寄る。

 

デミウルゴスに見つかって以降、即刻やって来たニューロスト以下第五階層の拷問の悪魔がフルタイムで治療に当たり、マーレなどのドルイド系魔法詠唱者が薬草をエンドレスで育て上げ、アウラ等狩人、または薬師系職業取得者が日夜採取を行い、薬を作り続けて先日無事五体の治療が完了したのだ。

あとは崩れたり溶けたりと醜い皮膚を整えながら、筋力を取り戻すための訓練を行えば通常通り歩けるとのニューロストの言葉通り、まだまだ介助が必要だが歩くことができるようになっていた。

 

先に三魔将がウルベルトへ向かって頭を下げ、メイドに先触れを行うために門の中へと消えて行く。

それを見送りながらデミウルゴスが差し出した手を掴んで立ち上がり、奈落の底へ繋がっているかのような印象を与える転移門(ゲート)へと足を進める。

これが繋がっているのは一体どのあたりかと考えながら。

 

表層にある霊廟か。

第九階層の回廊か。

円卓の間か、それとも玉座の間か。

出る場所が何処であろうと待っている相手だけは変わらない。

 

一歩一歩、動きづらい足で毛足の長い絨毯を踏みしめて進んで行く。

辿り着いた闇の門へと自作の悪魔と共に身を沈めれば、眼前に広がるのは豪華絢爛たる回廊ではなく見慣れた自室の広間(ホール)であった。

 

 



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11話

 

「お帰りなさい、ウルベルトさん!」

「…ただいま戻りました、モモンガさん」

 

闇を抜けた先にあった自室の広間(ホール)中央に佇む死を体現した友の姿がある。

変わらぬ姿に時間が巻き戻ったかのように感じ、何一つ臆することなくウルベルトは言葉を紡げた。口の端に当たり前のように上った言葉、当たり前のように紡がれる言葉と声は耳に優しく響いて、友の変わらぬ姿勢を教えてくれる。

 

「…お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」

「「「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」」」

 

友と傅く黒翼の女淫魔を中心に広間の両側へ整列したメイドと侍従が一斉に頭を下げる。

たった一つの所作だが洗練され尽くした美しさを感じさせ、見知った制作者達のこだわり感じて、自然と口が笑みの形をとってゆく。

 

懐かしい友の姿と規則的に廊下を往き来していた懐かしいNPCを前にして、彼は感じていた緊張が自然と抜けていくのを感じる。緊張が抜ければ自然と周囲を眺める余裕も出てくる。

 

ギルドメンバー一人一人が所有する第九階層ロイヤルスイートにある自室は広い。

 

もともと攻略前のナザリックは広大なマップを有していた。

それをギルド拠点として登録し、各階層の構想、配置図や担当者を決め、現実(リアル)では決して得ることができない拘りや欲望の数々をせめて遊戯(ゲーム)の中でだけでも実現させようと力を入れたのが、この第九階層(ロイヤルスイート)

各々に与えられた部屋に盆栽をイメージして全てを詰め込むギルメンもいれば、現実に住まう空間に対するストレスを晴らそうと細部にまで拘ったギルメンもいれば、ほぼ放置で物置仕様のメンバーもいる。

 

その一つ一つが広く、贅沢極まる空間を費やした奥には巨大な浴室、バーカウンター、ピアノが置かれたリビング、主寝室、客用寝室、専用料理人が料理するためのキッチン、ドレスルーム、書斎、応接室、談話室、ダンスホール、テラス、個人所有の書籍を納める書庫、遊戯室など多岐に渡る過剰とも言える空間があり、果ては仲間によって造られ与えられたメイドや侍従の部屋さえ備え付けられている。

個人のコレクションアイテムを飾る部屋や中庭、裏庭、更には海岸や山脈などの景観を個人所有の自室に増築するギルメンも居たほどだ。それぞれの趣味がアバター同様に表れているのが自室と言えよう。

 

ウルベルトも自室には拘った方だが、引退する前に所有していたアイテムのほぼ全てを宝物殿へ移動していたため、自室に残るアイテムは金貨に換金すら出来ないゴミ同然の品ばかりで、がらんどうだった。

だが目の前に広がる自室には数々の古風な調度品が並び、色鮮やかな生花が控えめに活けられ、レア度など関係なく自室に相応しいと気に入って揃えた数々の品。

自身が引退し、整理する前の姿を映し出している。

 

扉から差し込む明りを取り込むテラスの外には、濃紫の闇に浮かぶ古城と冷ややかに輝く大きな月。

古城の膝元を飾る幾多の山々は濃い霧を纏いながら静寂を湛え、霧の海に所々に浮かぶ青白い光の帯。幻想的とも言える世界が広がっている。

もとは課金して貼り付けた広大なテクスチャだったはずなのに、そんな姿は微塵も感じさせず、森から月光を反射しながら古城へ向けて白い梟が飛び立ち、薄い雲が陰影を揺らめかせながら流れている。

 

とても遊戯(ゲーム)で作ったとは思えない空間が広がる見慣れた自室のはずなのに全く違う空間に乾いた笑いを浮かべそうになった時、自らに近づく影に気づいた。

デミウルゴスに介助された自分に触れることができる者は限られている。デミウルゴスを超える攻撃力と素早さを持つ敵対者か、仲間だけ。

 

「無理はダメですよ、ウルベルトさん。部屋は」

「整ってございます」

「ちょ、モモンガさん」

「ちょっと我慢してくださいね」

 

気づいたときにはモモンガに俵抱きされ、焦りながら抗議の声を上げるがモモンガは気にも止めない。

いくら遊戯(ゲーム)中に仲良く遊んでいたからといっても自室の寝室など無用の長物、遊びに来ていても有りかは知らないし、互いに睡眠など必要なかったのだから知る必要もなかったが現実となった今は違う。一般メイドが指し示した先へと足を早めるモモンガに抗議の声を上げる。

 

「待った、待った!自分で歩けるって」

「まだ治ってないんでしょう?」

 

告げるギルドマスターの声色は固い。常々聞いていた声色より遥かに固く、声色に身を案じる色を滲ませて問われれば、否と唱えることもできず沈黙するしかない。

返答とも言えない沈黙に状態を察したモモンガは足を早めてメイドが先導する奥へと彼を運んでいき、侍従は悪魔達を寝室近くの控えの間へ案内する。

 

やたらと多い部屋数を有効に使い、メイド等に世話に必要な部屋や物を整えるように指示を出していた。

複数の控え室や調合室、メイド達の部屋など様々な用途に使用しても部屋はまだまだ余る。

皆で話し合って階層を拡張しておいて本当に良かった、まさしく廃人の域だ。うん、知ってる。

自分達の過去のノリを思い出し若干微妙な気持ちになりながらもモモンガの歩みは止まらない。

 

到着した部屋は自室の最奥に位置していた。両開きの重々しい扉を侍従がゆっくりと押し開けば、控えめに家具が備えてある空間が広がる。

護衛が控える部屋であり、メイドが奥へと進み更に奥にある扉を開いて脇に控え、モモンガへ向かって静々と腰を折る。

 

淡い鉄灰色と深い藍色が配色された寝室の中央には御簾が降り、その奥にある寝台は細かな細工が幾重にも施された異業種が楽に横になれる懐古趣味の彼らしい品。

幾重も連なるドレープがかかった藍色のカバーを引っ剥がして俵抱きにしていたウルベルトを横たえれば、なんと途中から振動にやられて顔色を青くし、ぐったりと寝転がる姿にギョッとする。

ゆ、揺らし過ぎた?

 

「大丈夫ですか、ウルベルトさん」

「あまり、大丈夫じゃない…」

「ニューロスト!」

「畏まりましたん」

 

モモンガの後ろについていた彼等は段々とウルベルトの具合が悪くなってゆくのを冷や冷やしていたが、相手は至高の御方の長、おいそれと諫めるわけにもいかず、どうすべきかと右往左往していた。

ようやくウルベルトの具合が悪いことに気付いてもらえ、内心では安堵しながら粛々と治療道具を準備する。

 

ウルベルトには本来絶大な効果を齎す治癒魔法がほぼ効かない。故に御方に必要なのは彼等にとっては原始的とも言える手法だ。今回は振動による吐き気や眩暈と比較的軽いもの、よってニューロストは香りによる治療を選択した。

 

安静にしたうえで香りにより更なる回復効果を齎す、普段から花の香りを身にまとう彼女らしい選択と言えよう。

やたらと花の匂いを嗅ぐ羽目になるウルベルトとしては内心複雑なものがあるのだが、効果があるのだから大人しく受け入れる。

 

ウルベルトが治療を受けるのを尻目にモモンガは着いてきていた悪魔達を振り返り、労った。

 

「各々良くやってくれた。おかげで我が友を無事迎えることが出来た、礼を言う」

「勿体無きお言葉」

「ナザリックに居れば安心だ、如何なる事が起きようと対処ができる。暫しウルベルトさんは絶対安静、面会謝絶とする。滞った役目を果たすが良い」

「はっ」

 

アインズの言葉に頭を垂れながら、デミウルゴスは一人肩を落とす。ようやく戻ってきてくださった創造主の元から離れなくてはならないことに落胆せざるを得ない。

 

牧場での日々は彼にとって幸福に満ち溢れたものであった。

御身の側から片時も離れず侍り、御身に必要な全てに添う。創造主の為だけに自身の特殊能力(スキル)を使い、今の御身にとって必要な品を揃え、御身が望まれた時に身を差し出し支える。

あまりの幸せに眩暈を覚え、弛む口元を意識して引き締めねばならないほど幸福な時間。

だが創造主の安全はデミウルゴスにとっても最重要。幸福な時間の喪失に肩を落としても、自身の我儘で御身を危険に晒すわけにはいかない。

 

頭を下げる下僕(シモベ)にモモンガも密かに胸を撫で下ろす。

 

現実の人間としての姿のままでウルベルトが異世界に来たことを聞き、心底心配していたのだ。

命尽きてもおかしくない怪我を負っているといい、意識を取り戻しはしたが、それまで何時死んでもおかしくない状態だったという。何があったのか、誰にやられたのかも当然調べるつもりだが、本人を確保して安堵したい。

何より今の彼は人間種、カルマ極悪揃いの悪魔に囲まれて無事でいるのか。

 

執務中、ウルベルト帰還の連絡を受けて即迎えに行こうと思ったのに拒否していると聞き、流す機能もないくせに涙目になった。自分を気遣ってくれるのは嬉しい。けれど戻ってきてくれる方がもっと嬉しい。けれど、無下にはしたくない。

せめて一目だけでもと、パンドラズ・アクターにぬーぼーさんの姿をとらせて覗いた牧場の光景に、幾度精神抑制が働いたか。

 

違うんです。

こんなことをしているとは想像もしていなかったんです。

この世界特有のキメラとか、モンスターだと思っていたんです。

 

人間種の阿鼻叫喚渦巻く牧場を見た彼に、以前の自分ではないと誤解されたのではないかと気が気ではない。

天幕一つ一つを覗かせてナザリックの為に使い尽くされる両脚羊(シープ)を見るが彼らに心動かされることはなく、ただ友に失望されたのではないかと心配でたまらない。それもようやく見つけた姿に驚愕と憤怒で塗り潰されたが。

 

よくぞ生きていてくれたと感謝した。

 

余す箇所なく全身が焼け爛れた姿は、現実世界で顔を会わせた面影を見る術もなく、寧ろ人としての形を保っているのが奇跡のようだ。

デミウルゴスが傍らに侍る寝台の中心で、呼気ひとつつくたび痛みのためか小さく震える、爛れた皮膚を薬草と包帯に包まれた友の姿。

主が痛みを感じていることを察したデミウルゴスが眼鏡をはずし、煌めく宝石の瞳が主によって与えられた力を遺憾なく発揮して、主の痛みを取り除く。その姿を見ながら胸にポツリと黒い滴が堕ちる。

 

人間は痛みに弱いのに。

よくもこんな。

俺の、友を。

誰が、何処の奴がやったんだ。

倍では足りん。十倍、百倍、それでも足りん。

楽に死ねると思うなよ、必ず(あがな)わせてくれる・・・!

 

怒りのあまりに言葉も出ないなどということがあるとは思いもしなかった。

だが怒気は周りに漏れ出ていたのだろう、気付けばパンドラズ・アクター以外の下僕(シモベ)が震えながら平伏していたことに驚いたものだ。

 

即日治療に必要な人員や物資を整えたが場所だけは如何ともしがたい。

護衛を配置してもプレイヤーの襲撃を受ければひとたまりもない。やはり不落拠点として最強を誇るナザリックが一番、なんとか戻ってきてくれないだろうかと悩む日々だった。

けれど、それももう終わり。

ウルベルトさんは還ってきてくれたのだから。

 

「ウルベルトさんも、治療を最優先にしますから出歩かないで下さいね」

「ええ?」

「何出歩く気満々なんですか、怪我人なんですよ?お願いしますね」

「はーい・・・」

 

ガックリと肩を落とすウルベルトに軽く笑い、身の回りを世話する下僕(シモベ)を呼び込む。

 

「基本的にウルベルトさんの私室は治療が完了するまで立ち入り禁止です。本当なら八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を付けたいんですけど・・・」

「何か問題があるんですか?」

「ええ・・・。ウルベルトさん、今は人間ですよね」

「…ああ、なるほど…」

 

言葉を濁すモモンガの意図に気づいてウルベルトも納得する。自分が牧場で常々疑問に思っていたことを、モモンガも懸念しているのだ。

 

「セバス、ユリ」

「はっ」

 

モモンガの言葉に応じて隅に控えていたセバスが進み出る。その背後に控えていたユリ・アルファも同じく歩を進め、礼をとる。

 

「基本的にセバスが室内を取り仕切ります。ユリも付けますので何かあれば二人に言ってください」

「・・・なあ、モモンガさん」

「我儘は受け付けません」

「あ、ハイ」

 

セバスはちょっと…と言おうとしたのをあっさり看破され、ウルベルトは肩を竦める。

 

「ニューロストや拷問の悪魔には元の役目に戻ってもらいますけど、パンドラとペストーニャが治療に当たります。パンドラ、傷に響くから控えめに。控えめにな」

「はっ、くわぁしこまりました!」

「控えめにしろと言ったろ!?」

「も、申し訳ございませんっ」

 

全く、と腰に手を当てて怒るモモンガに恐縮するパンドラズ・アクター。

それを眺めていると脇に控えていたペストーニャが彼に向かって深々と一礼する。その周囲には一般メイドが五名控え、同じく礼をしていた。

 

創造主の治療や世話は今後彼らが担当、執事とメイドとして当然の仕事だが、握りしめた拳に刺さる革手袋越しの爪が痛みを施すが、それを止める気にはならない。

創造主の側に侍ることをアイツに譲るなど、至高の御方の指示でなければ承諾したりはしない。

ギリギリと握り締めた掌を爪が傷付ける間際。

 

「デミウルゴスもパンドラと交代で付き添って貰う事になる、心得ておくように」

 

弾かれたように顔を上げれば御方々の瞳が己へと向いている。

被造物の任務に支障が出るのではと気にされる創造主に、何の心配もないと笑って否定下さり。

 

「デミウルゴスには何時も助けられていますが、なかなか報いてやれなくて。創造主に会えるのは被造物にとって何よりの幸せだとパンドラに聞きましたし、ウルベルトさんも安心でしょう?」

「そうなんですか?デミウルゴスは役に立ってます?」

「もちろんです。居ないと困るくらいですよ」

「そうですか…。よくやった、デミウルゴス」

 

お褒めの言葉を賜る。

被造物が十分な働きをしていると伝えてくださる誇らしさ。

それを受けた創造主に労って頂く嬉しさ。

揺れる尾を止められないが、見咎める者はいない。創造主と至高の御方に褒められて幸せにならない下僕(シモベ)などいない。

 

「パンドラには私の代わりにエ・ランテルへ赴くこともあるし、モモンの代わりを勤めることもある。頼んだぞ」

「畏まりました、お任せくださいアインズ様」

「アルベド。ウルベルトさんが回復するまで今後はこの体制で行う。調整せよ」

「畏まりました…」

 

深々と頭を下げれば、呼び名がアインズであることを不審に思われた創造主に御方が経緯を話し始め、セバスに退室を促されて御姿を瞳に焼き付け、アルベドと共に悪魔達を連れて退いた。

 

創造主の側に御方が椅子を創り出されていた、治癒を進める傍らで募る話をなさるのだろう。

御方の喜びようはこの上なく、実に喜ばしい。

セバスにくれぐれもと念押しして退室し、それぞれの持ち場へ戻る。

 

「それではアルベド。私は牧場へ戻りますので頼みますよ」

「ええ、任せてちょうだい」

「ウルベルト様の御身体が心配ですので、出来る限り早急にお願いします」

「分かったわ。あなたのことだから急くあまり自分の役目を疎かに、なんていうことはしないと思うけれど」

「勿論、ウルベルト様に顔向けできないことは致しません」

 

では、と踵を返し転移門へと向かう。

彼女は優秀な守護者統括、己の言葉を違えたりはしないだろう。早急に片付けるべき仕事の段取りを確認しつつ足を踏み出したが、ふと振り返る。

 

視界に絢爛な回廊を照らすシャンデリアの下。

赤い絨毯の上を静々と歩く姿も麗しくたおやかな守護者統括が映る。

 

「アルベド」

 

声をかければ、ゆっくりと振り返る花の(かんばせ)

白い肌に濡れ羽色の艶髪を揺らし、慈愛を湛えた微笑みを浮かべて此方(こちら)を見て、首を傾げる。

 

「どうしたの、デミウルゴス?」

「いや…」

 

何となく声をかけた方が良いと感じたのだ、などと何の根拠のない言葉を言えるはずもなく、失礼を詫びて転移門を潜る。

 

御信頼いただき任された仕事は多いが、それこそ忠誠の証。

創造主より賜った能力に不足など存在せず、寧ろ余裕があるくらいだ。素早くこなし、一刻も早く創造主の元に戻ろう。

決意も新たに転移門を抜け、アベリオン丘陵へと降り立つデミウルゴスは、着くと同時に拷問の悪魔達を召集し矢継ぎ早に指示を出し始めた。

 

 

 

転移門の向こうへと消える同僚の姿を見送り、アルベドも踵を返して回廊を歩み始める。

御方の指示を反芻し、どうすれば最短で最善の方法かを検討しながら。

回廊の途中で出会うメイドの御辞儀に応えて労いつつ、微笑みを浮かべながらアルベドは考え続ける。

 

「ああ、手順が狂ってしまったわ…」

 

困ったこと、と時折美しい眉を顰めるが気を取り直すように首を振り、また微笑みを浮かべて。

 

「アインズ様御自身の時間も必要ね。御方とお話になりたいことが沢山あるでしょうから…」

 

仕事と時間の調整もしなくては、と頷きながら部屋へと戻り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああぁぁぁぁ!憎い、憎い、憎らしいいいいぃぃっ‼︎そのまま野垂れ死んでしまっていれば良かったものをおおおぉぉぉ!!!!今更、今更現れて戻るなんて、許せるものか!ああああぁぁんなにいいぃぃぃ、独占してえええぇぇぇ!わた、わたしの・わたしの愛しい御方をおぉぉぉぉぉ!!おおおぉのおおぉぉれええぇぇぇぇぇ‼︎許さない許さない許さないぃぃぃぃ‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広すぎて全く表に音が届かぬ薄暗い最奥の部屋の一室で。

隅でボロボロになっていた重厚な朱色の布は、怨嗟と憎悪と殺意溢れる呪言を受けながら更に細かく引きちぎられて、踏みにじられることになった。

 

 

 

 

 

 



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12話


叡智の結晶が静謐な空間に集められ、重ねられ、選り分けられ、積み上げられる。

ここは神の居城。

魔法の神髄を知る方が住まう無二の城だと、フールーダは心の底から込み上げる感動に打ち震える。

 

己が知りうる限りの知識を差し出し、自国を裏切ってまで欲した叡智が、魔法の深淵が詰まった神の居城の大図書館。存在を聞いた時から訪れることを願ったが、大した功績も立てていない身で願えば評価を下げることになりかねない。

必死で欲を制し、知りうる限りの知識を纏め、手に入るだけの文献を揃えて献上し、恐る恐る願って得た許可。望外の悦びに倒れかけたのも記憶に新しい。

 

司書長の教えによれば膨大な書物は全て御方と呼ばれる方々が集められ、揃えられた品。今は姿を隠された御方々が外部より持ち帰られた叡智の数々であり、持ち出しが許されるものではない。師より与えられた死者の書を読み解くべく、与えられた仕事をこなしながら日夜通い詰め解読に勤しむが、未だ大部分が読めないまま。だが、これまでと違い知識を得る術を与えられている。目指すべき頂を示していただいているのだ。

 

これまで無為に過ごしていた時間より遥かに有益。たった一文字の解読に数冊の本やこれまで培った知識が必要になる有意義としか言えない時間と空間にフールーダは日々感謝を捧げている。

 

大図書館までの長い道のりを歩み、入室の許可を受けて佇めば目の前で大きな扉が開いてゆく。

荘厳な空間と静けさが彼を迎え入れ、芳しい紙の香りが漂う正面広間で彼は首を傾げた。

 

広間のカウンターで傷みかけた本の修復や未整理の書物を丁寧に確認している司書達がいない。

カウンターの奥に位置する司書長の部屋にも気配がない。常ならば部屋で巻物を作っている様子が伺えていたのに、魔法の光の一つも漏れていないのはフールーダが大図書館を訪れるようになって初めてのこと。

このまま声もかけずに入室して良いものかどうか、非常に悩む。

 

周囲を確認しても人影?はなく、書物がギッシリと詰まった棚が左右どちらにも整然と並び、上を見上げれば更に伸びる棚。飛行(フライ)を使わなくては取れない書物も多数存在するのだが、管理する司書が浮かんでいる様子もない。

解読に必要な本の在り処は分かっているため問題はないが、一声かけねば礼を失すると思われる。

顎髭をひと撫でしながらフールーダは司書を探して歩き出した。

通り過ぎる書棚の壁面に飾り付けられた紋章を確認しながら進んで行く。

 

一種類の紋章が飾り付けられた書棚は、一人の御方によって集められた書物だと初めて大図書館を利用する際に説明を受けた。御方一人一人が象徴たる紋章を持ち、その紋章が刻んである書棚が紋章の御方の所有物。

もともと書物を好む御方がおり、また御方々が互いに貸し借りをする際に待ち合わせる手間を省くために大図書館が造られた。

 

御方々が持ち寄られた書物は多岐にわたり、物語から神話、魔道書から料理本に至るまで様々。

代償となる品々を捧げ、怪物を召喚することも可能な書物も多々あり、司書長の管理の下、厳重に保管されているという。

是非見せていただけないか頼んでみたが、御方の許可があっても捧げる品が用意できねば無用の長物だと諭された。機会があれば再度お願いしたいものだと思いつつ、幾つもの書棚を通り過ぎる。

 

すると書棚の間から光が漏れている場所があることに気が付いた。

 

大図書館(アッシュールバニパル)は基本的に薄暗くなっている。

至高の御方々が残された大切な書物が傷むのを抑えるためだ。

司書達が傷んだものから修復を行っているが数が膨大なうえ、幾度も修復が可能なわけではないから出来るだけ傷まないようにと配慮されているのをフールーダは知っていた。

 

だというのに周囲を明るく照らす光源が大図書館(アッシュールバニパル)内にあるとは。司書が作業の為に照らしたのかと思えど、即座に首を振る。それはない、司書達は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)以上、闇視(ダーク・ヴィジョン)が使えるのだから必要ない。

では一体何があるのか。

司書がいないのであれば注意を促したほうが良いかもしれぬと光が漏れる書棚の奥へと進んでゆけば書棚は不意に途切れ、広い空間が姿を現した。

 

こんな場所があっただろうか?幾度も通ったがフールーダは全く気付かなかった空間だ。

自分が歩いて来られる場所なのだから遠くない。師の本を読み込むために幾度も書棚を行き来したが、こんな場所は存在していなかったはず。

 

周りを見れば10列以上もの大きな書棚が全て周囲に寄せられている。

この空間は必要があって作られたのだと知り、驚愕しながらも眩い明りが満たす空間に足を踏み入れようと一歩踏み出したところで、フールーダの目の前を闇が遮り立ち止まる。

見上げればフールーダも初めて見るモンスターが、そこに居た。黒い蜘蛛似た八肢を持つ強力なモンスターが光る瞳を彼に向けていたのだ。

 

「此処は御方が憩われる場所。去れ」

 

ぽつりと告げられた言葉の意味は理解できた。

だが身体が動かず、必死で頷くが去ろうとしないことに害意があると判断されたのか蜘蛛型のモンスターがゆらり、と揺れかけ死を覚悟し。

 

「何をしている?」

 

何の緊張感もなくかけられた声に殺気が霧散する。

腰が抜けたフールーダは、蜘蛛型モンスターが傅いた先にいる存在にようやく気が付いた。

 

開いた本を片手に持ち、周囲に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)どころか死の支配者(オーバーロード)すら侍らせて手が届かない位置にある本を取らせている人間の男に。

相手もフールーダに気が付いたらしく目を丸くしている。

 

「ドッペルゲンガー?いや、人造人間(ホムンクルス)か?どっちにしても珍しいな」

 

こちらを認めてすぐ傍にいる死の支配者(オーバーロード)へ手に持っていた本を預けて気軽に近寄ってくる姿に、八肢の蜘蛛型モンスターの方が慌てだした。

迂闊に近寄っては危険だと慌てて側へ寄り、男の歩みを止めようと脚をバタつかせているが男は意に介さない。

お前達がいるんだから大丈夫だろうと近寄ろうとするが、それを死の支配者(オーバーロード)が止める。自分達は何があろうと護り切る所存だが、護られる御方自身が寄られては護りたくとも護れない。

御方の興味は人間に移ったが、興味対象の正体が分かれば御方の興味が薄れるかもしれないと司書長は考える。

 

「御方様。彼はフールーダ・パラダイン。現地で強者に分類される魔法詠唱者(マジックキャスター)であり、人間(ヒューマン)種です」

「へぇ。現地の魔法詠唱者(マジックキャスター)か」

「は…」

 

人間の男に対して恭しく説明を行う司書長に面食らう。

もともと司書長たる彼は人間である自分にも丁寧な物腰をしていたが、これほど恭しくはなかった。

男はこちらを見て何やら納得したように頷くと背を向けて光の元へと歩き出す。

 

「ちょうど良かった、現地の魔法詠唱者(マジックキャスター)の話を聞いてみたかったんだ。こっち座ってくれ」

 

ちらりと視線を向けられて自分に命じているのだと分かって狼狽するが、彼に拒否権はない。

モンスターだけでなく司書達の視線までもが己に集まったのを感じ、身の危険を覚える。

 

「こんな時間に大図書館(アッシュールバニパル)に来るんだ、時間あるんだろ?」

 

と軽々しく宣う男がフールーダを促すから、震える身体を叱咤しながら立ち上がり後ろに続けば、書棚が除けられた空間の中央には美しい造形を持つ寝椅子と机。側にはワゴンが控えられ、給仕の為に控える複数のメイドの姿も見られる。

頭上に灯る小型の太陽のような永続光(コンティニュアル・ライト)が寝椅子に凭れる主の手元を照らすように配置され、椅子周辺の床に乱雑に積み上げられた書物の数々に目を剥く。

叡智が詰まったこの世に一冊しかないであろう書物だというのに、まるで大した価値がなく捨て置くかのように扱うなど。

 

「な、なんということを…」

 

慌てて駆け寄り拾い上げるが、その隣にもページが広げられたまま無造作に捨て置かれたらしき書物。

気づいた瞬間には拾いに向かい、拾い上げて安堵しながら視線を上げれば、その先にも無造作に落ちている書物に絶句する。

どれもこれも見たことのない文字列をしていて、フールーダが把握できていない品々だと理解し、フツフツと怒りが腹に溜まる。

 

それも取り上げよう書物に伸ばした彼の手を遮る小さな手。

眉を顰めて視線を上げれば、魔道王様の居室でもあったことのあるメイドが怒りの表情を浮かべていた。

 

「フールーダ様、御方の許しなく書物に手を触れるなど不敬です。即刻元へお戻しください」

「し、しかしメイド殿。これらの書物は大変貴重な…」

「御方の許しなく御方の品へ触れることはなりません」

 

普段の控えめながら楚々と、しかし確実な働きをする素晴らしいメイドと評価している女性にきつく言い含められて後ずさる。

 

「お戻しください!」

 

メイドは更に一歩踏み出し、彼が書物を拾い上げた床へと華奢な指を突き付ける。

彼女のあまりの剣幕にタジタジとなるフールーダを助けるのは、この場には一人しかいない。

 

「まぁ、俺が片付けなかったのが悪かった。そう怒るな」

「そんな、御方様に非などございません!」

「片付けておけば怒ることもなかったんだし、今回は俺に免じて許してやってくれ」

「御方様がそうおっしゃるのならば」

 

軽く謝る男に心底恐縮してメイドが深々と腰を折るが、悪いのは散らかした自分だと取り合わず。

男は司書達へ床に散らかした本の片付けを頼めば、集った死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は「畏まりました」と声をそろえ、あっという間にフールーダが取り上げた本と散らばった本を持ち去ってゆく。

 

それを残念そうに見送るメイドに気づいた男が机に伏せてあった本を手に取り、片付けてくれるよう手渡すと表情を輝かせて直ぐ戻りますと一礼して去ってゆく。

残されたのは男と司書長と死の支配者(オーバーロード)とフールーダだけだ。

 

「さて、と。座れる場所がここしかなくてな、悪いが隣に…」

「お待ちください。私が御用意致します」

 

一つしかない寝椅子に座って隣を指さす男の言葉を司書長が遮り、上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)を唱えて新たな椅子を創り出し、目の前で行使された自分が使える最高位階以上の魔法にフールーダは目を輝かせる。

その様子をみた男が喉の奥で笑う声を聞いて我に返り、居住まいを正す彼を尻目に男は司書長を労い、フールーダへと椅子を勧める。そうして男は質問を始めた。

 

初めて使った魔法は何かから始まり、どんな魔法が扱えるのかを尋ね、扱う感覚はどんなものなのかを聴く。

ありとあらゆることが知りたいと言わんばかりに溢れる質問の嵐に面食らいながら答えるが、時間が経つにつれて段々と答えられない質問が増えてきた。

 

戻ってきたメイドの給仕により喉を潤し、更に質問は続いてゆく。

その好奇心溢れる様子を見てメイドは笑みを深め、男が座る寝椅子の側に佇む司書長の纏う雰囲気は柔らかくなってゆく。

その変化に困惑しながらフールーダは矢継ぎ早に繰り出される質問に己の経験を交えながら答えてゆく。

不明であれば分からないと答えても、男は気分を害すことがないのが救いと言うべきか。

 

新たな魔法はどう習得するのか。

そもそも習得魔法を選ぶことができるのか。

未習得の魔法を羊皮紙などの形で購入し、習得することは可能か。

 

練度によって習得が阻まれていた壁がなくなった時、それが例えば戦闘中でも壁がなくなったことを理解することができるのか。

その場合でも瞬時に習得可能かなどなど、やたらと実用性を求めていてフールーダ自身経験がなく答えられないことも出てくる。聞かれて初めて気付く場合もあるほどだ。

 

そもそも、この男は誰なのか。

人間の男であることは一目見て理解できる。

だがメイドはおろか司書長までが敬う人間が居ようとは。

 

男自身は非常に柔らかな雰囲気を纏う人間に見える。

 

最近は人間を雇うことも検討し、実際雇い入れている場所もあると伺っている。

そういう形で雇い入れた人間だろうかと考えたが、雇用人を彼等が敬う対象とするとは考えにくく、男が纏う衣装は破格の品。見ようによってはこの絢爛豪華な居城の主人である魔道王と変わらぬ衣装を身に纏っているのだ。

 

サラリと着こなしている上下揃いのシャツとスラックスは一見では大した品ではないように見えるが、布地の光沢が違う。身動きによって撚れることなく、またその動きを阻むこともなく、ごく自然に動く体の線にそって布が流れてゆくのだ。余程上等な糸を使わなければ、こうはなるまい。

また独特の光沢は魔法による補助がかかっていると思われ、喉が鳴る。

 

寝椅子に掛かっている黒い毛皮のローブにも一つに帝国の国家予算何年分にも匹敵するだろう何らかの魔法がかかっていると予想される宝玉が幾多も使われ、左手の薬指を除いた指全てに嵌る指輪の一つ一つの輝きは国家予算以上であり、かつはるかに超える。

幾つもの首飾りや腰回りを彩るベルト、それを彩る装飾の数々。

その全てが魔法の品だと理解してゆくにつれ、フールーダの額に脂汗が浮かび始めた。

 

何者なのかが酷く気になる。

ひょっとして自分は今、ドラゴンの舌の上に乗っているような状態なのかもしれぬと思い、段々と答える口調も重くなって。

 

「…どうした?」

 

機嫌良く質問を投げかけていた男に気づかれた。

持てる情報が少なすぎて分からないことは聞くのが良い。最も誤解を生まずに済む方法であり、目の前の男が容易く機嫌を害したりしないことは、これまでの会話で理解している。

質問し過ぎたかと頭を掻く男を前に意を決して尋ねることとした。あなたは何者かと。

 

男は目を瞬き、暫くして空中に視線を彷徨わせて悩みだした。

首を捻ってブツブツと呟きながら悩む姿を見守るメイドと司書長の視線が時折こちらへ刺すように向けられる。

明らかに敵意を込められていると感じられて聞かねば良かったかと後悔が押し寄せたとき、男の中で結論が出たようだ。こちらの質問に対して返す答えを告げる男の顔は妙にスッキリとしていたが、聞いたこちらは更に混乱を極める。

 

逆なら伝承で伝え聞いたことがあるが、男が言葉にした存在はこれまで聞いたことがない。

そもそも可能なのか?

その種族としての弱さを嘆き異形として成る存在は数多く聞くし、実際に存在しているがこの男は異端すぎる。

種として優れる異形が何故寄りにもよってと思わざるを得ない。それともからかっているのか?

 

「俺はウルベルト・アレイン・オードル。元異形種だな」

 

今は人間種だと笑うが、冗談にしても酷いものだ。

この男、冗談のセンスは皆無に等しい、とフールーダは密かに評価を付けた。

 



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13話

 

大図書館(アッシュールバニパル)で会った爺さんは経験を交えて話す内容も面白いし、何か考え事をしたり悩んだりするたびに髭を撫でる仕草も親近感を覚える。何より魔法馬鹿っぽいところが話も合いそうだし、側に仕えるNPCの態度に目を白黒させる姿も面白い。

 

うんうん、気持ち分かるぜ。

俺もなんでこいつらがいつまでたっても態度変わらないのか分からないんだから。

異形種と人間種ってホント相容れないよなぁ。遊戯(ゲーム)でも争ってたんだから現実(リアル)だと尚更だろうしなぁ。

 

なーんて思いながら目の前の髭爺さんを愛でていたのが悪かったのか、デクリメントとティトゥスの視線が不穏だ。となると見えないが護衛の為にモモンガさんがつけてくれたはずの八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も…まずい、見過ぎたらしい。

 

落ち着けー、お前ら落ち着けー。

大丈夫だ、気に入ったからって付いてったりしないから心配ないぞー…。

 

ナザリックへ戻った日に感じていたNPCのヤンデレ感的中にウンザリしつつ、手を振って彼等の不穏な視線を霧散させる。

 

よし、デクリメント茶菓子持ってこい。俺は今茶菓子が食いたい気分になった。

ティトゥスは手帳持ってこい。書棚に突っ込んどいたはず…閉架書庫?なんでそんなとこに入っ…いや、責めてない。大丈夫だ、気にしてない、自害しなくていい。持って来てくれればいいだけだから行ってこい、な?

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)、二人が離れるからお前らが俺を護れ。姿見せるだけで抑止力になるだろ。

…モモンガさん、つけすぎじゃないか?10体って…まさか、まだ隠密で隠れたりしないだろうな?

よしよーし、お前らはちゃんと役に立ってるぞー、良い子だなー…。

 

デクリメントが張り切って準備した茶菓子を口に放り込みつつ溜息を押し殺す。

俺が気を使わなくちゃならないとか、どういうことだ…。

モモンガさんの苦労が偲ばれて涙が出そうだ。そのうち悟りの境地を開くかもしれないな、骸骨だけに。

 

自己紹介の後に茶菓子をすすめつつモモンガさんの保護下にあることを伝えれば納得していない顔をする。何故だ?

 

「魔道王陛下におかれましては無駄なことを一切行わない方だと…失礼ですが、あなたは腕の立つ戦士か騎士いらっしゃる?」

「いや」

「では盗賊や斥候などの任務をこなしておいでですか?」

「いいや?」

「では気配遮断の指輪をされておいででしょうか?」

「いや、していないが?」

「…大変失礼ですが、その、魔道王陛下が興味を持たれるには…些か…」

 

なるほど。段々と言葉尻が小さくなったが、俺では不相応だと言いたいらしい。モモンガさんのコレクター魂を知っているとはなかなか見所があるな。

殺気あてられて冷や汗かいてろ、助けてやらん。

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)だとは思わないのかと聞けば生まれながらの異能(タレント)を持っているという。相手が何位階まで使えるかを見破ることができると。

爺さん、生まれながらの異能(タレント)持ちか!

聞いてはいたが便利そうだ。使用してても傍目には分からないし、かなり使えそうな生まれながらの異能(タレント)だ。だから俺を見て魔法詠唱者(マジックキャスター)じゃないと判断したと。

 

「俺は魔法を全く使えないってことか」

「はぁ、その、身共には全く感じられず…」

 

ダラッダラ冷や汗流しながら答える髭爺に深々と溜息をつけば、更に顔色を青白くさせる。下僕(シモベ)からのプレッシャーが相当キツイようだ。

髭爺には魔法が使える使えないに関わらず相手の力が目に形として見えるらしい。

村人が使う第零位階生活魔法すら見えるのに、俺からは全く!これっぽっちも!!見えないと。つまり俺は村人以下ってことか。

 

現実の身体だ。魔法が使えないのは当たり前なんだが、せっかく剣も魔法もモンスターもいる世界なんだから使って見たかったというのが本音。大厄災だって現実ならどうなるのか見たかった、切実に。

…あー…使いたかったなぁ…。

 

未練がましい思いが頭をグルグルと回っているうちにティトゥスが戻り、手帳を受け取ってパラパラとめくる。別に必要だったわけじゃない、場を治めるのに思いついただけなんだが…

 

「これ、なんで書庫入りになったんだ?」

「御方直々の手記でございますので」

 

ギルドメンバーが書いたってだけで重要書物扱いってことか。俺の手帳よりぷにっと萌えやベルリバー達が持ち込んだ書物データの方が貴重だと思うんだが、価値観が違うのか…。

 

手帳の中には懐かしいメモが沢山詰まっている。

すっかり忘れてたイベントアイテムの取得方法や魔法の効果範囲、より威力を上げる方法を模索した跡など様々なことを書きつけた覚えがある。

 

字、汚いな。お、ここ間違ってる…直しとこ。

時間あるし、ちょっと字の練習とかした方がいいかもなぁ。この世界、キーボードも音声や脳波入力もないから面倒臭いが記して残しときたいし…?

 

添え付けて置いたペンで間違いを直そうとして、髭爺からの強い視線に気付く。

 

なんで涎垂らしそうな形相でこっちを凝視してるんだ?

なんかあったか?

 

「…なんだ?」

「そ、それを見せていただけまいか…?」

「手帳なんて見せるもんじゃないだろ」

「へ、閉架書庫の書物ですぞ!?是非、是非読ませていただきたい!」

「いや、無理だって。興奮しすぎだ爺さん」

 

なんで個人の私物を初めて会った爺さんに見せなきゃならん、恥ずかしい。

大図書館(アッシュールバニパル)なんて来る奴は決まってたし、隠し場所にいいかと思って放り込んだだけだ。まさかNPCが整理するとか思わなかったんだよ。

 

だが心の中で言い訳している間にも目の前の髭爺のテンションは上がっていく。

なんだこの爺さん、魔法上昇(オーバーマジック)混乱(コンフュージョン)常時効果(パッシブ)なのか?

 

「そもそも、その書物を手帳と申されておりますが、その紋章を御存知なら書かれた方のことも御存知のはず!」

 

待て、落ち着けお前ら!

違うから、この爺さんちょっと興奮してるだけで害そうとかしてるわけじゃねぇから!

 

「この紋章はかつて魔道王様の盟友であられ、最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)であられた方の紋章!その方の書かれた書物とは即ち最深淵にある叡智が詰まった書物!」

 

おおおおぉぉい、武器を置け!

待てだ、待て!じっとしてろ、動くな!

デクリメント!?茶器を武器にしちゃいけません!

武器は置けって言っただろおぉぉっっ!?

 

「その書物にあろうことか追記しようとするなどっ!冒涜にもほどがはぁっ!?」

「御方に対する無礼は!絶対っ、許しません!!」

「ああぁぁ…あんなに置けって言ったのに…」

 

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)死の支配者(オーバーロード)抑えるのに精一杯。興奮しすぎて無闇に近づく爺さんはデクリメントに撃退され、床で痛みに悶えている。

 

流れるようにワゴンへと茶器を置く動作から一転、勢いよく振りかぶってのトレイ投擲で前頭部を的確に捉えるとは。なんてトレイ捌きだ、恐るべし一般メイド。

近距離とはいえ寸分も的を外さぬ正確な投擲技術、ペロロンチーノにも無理ではないかと思えるほどの躊躇のなさとと技の冴え。メイド服は決戦兵器って意味、確かに理解したぜホワイトブリム(違)

 

だがしかし一般メイドの攻撃による髭爺の被ダメージは気絶状態には至らなかったようだ。直ぐ近くまで興奮しながらにじり寄って来ていたところを倒された為、より距離が近くなっていたらしい。

下僕(シモベ)を嗜めようと近づく俺の左足を握り込み、動きを阻まれて。

 

「しょ、書物を…」

 

と執念が力を込めさせたのだろうが今の俺には強すぎる。砕ける!と痛みを覚悟し。

 

『動くな』

 

騒がしい大図書館(アッシュールバニパル)が瞬時に静まり返る。

 

『御方に触れる汚らわしい指を即座に離し』

 

言葉一つで左足を握り込んでいた手が弾かれるように離される。

 

(ぬか)づき、赦しを請いたまえ』

「も、申し訳ございませんでした!お赦しください!!」

 

大図書館(アッシュールバニパル)内に響く深みのある声は、思い描いた通りの良い音色。

正面広間に接する通路に目を向ければ、俺に対しては効果を激減させる呪言を操る朱のスーツを着た悪魔が苛らただしげに銀の尾を立てている。

 

「デミウルゴス」

「大事ございませんか?御身足に怪我を負われては…」

 

ないとばかりに左足で床を数度踏みしめれば、厳しく固まっていた口角を緩やかに上げて片腕を胸に当て優雅に腰を折る。

 

「第七階層守護者、デミウルゴス。御身の前に」

「…ご苦労。お帰り、デミウルゴス」

 

たった一声、一節の労いの言葉に立てていた尾を緩やかに落とした後、それはそれは嬉しそうに左右に振り始める。なんて分かりやすい奴だろう。

それだけ飢えていたのだろうと察せられて後ろめたい気になるが、悪魔が親に飢えることなんてあるのか?という一抹の疑問を覚えつつ歩み寄る被造物を迎える。

 

これが今の俺の日常。

友に庇護され、友の遺した子等に護られ、己が被造物に養われる大厄災の魔(グランドカタストロフ・デビル)とか、もう嗤うしかない。

 

「ティトゥス」

「は…」

「説明をお願いできますかね?何故御方の身に害が及ぶような事態になったのか」

「畏まりました」

 

被造物に寝椅子の上まで誘導されて腰かければ、再度周囲を下僕(シモベ)固める。銀の尾を俺の側で揺らしつつ安全を確認してから始められた会話に耳を傾ける。爺さんは床に額づいたままだ。

 

もう老年だってのに、屈辱だろうなぁ。

申し訳ない。うちの子、俺に害意を向けるモノに容赦なくて…。

なんでこんなに過保護なのか俺にも分からんから対処のしようがなくてな。諦めて欲しい。

 

「なるほど、そういうことですか」

 

え?何がそういうことなんだ?

頭の中は疑問符でいっぱいだが、「お赦し願えますか?」と宣う悪魔を赦さぬ道理がない。むしろ助けてもらった側の俺が赦さんとか、何様だ。いやいや、そういえば至高の御方(笑)だったな、俺。

 

『面を上げることを赦す』

 

ようやく支配の呪言から解き放たれた髭爺はへたり込んで震えている。

これはレベル差を実感したのか、屈辱を覚えているのか難しいとこだなぁ…。

 

「己の分を弁えていますか?」

「は、申し訳ございませんでした…」

「口だけの謝罪など必要ありません。弁えているかどうかを私は尋ねているのですがね?」

 

あ、謝ればいいんじゃないのか…?

厳しい表情を崩さない被造物を見上げて震える髭爺と、同じく被造物を寝椅子の上から眺めながら震える俺。なんだろう、俺が造ったのにやまいこさんを彷彿とさせる…説教怖い。

 

一礼して拝借の旨を伝える被造物に頷いてやれば、机に置いた手帳を手に取る。そしてくたびれた表紙に刻印された紋章をゆっくりと指で撫で始めた。

 

「記された御方は最強魔法詠唱者(マジックキャスター)であり他の者が追記するなどもっての他と?」

「はっ、申しました」

「よろしい。大変正論だと思います。御方が記された品を御方々以外が触れることすら私達にとっては赦されないことです、御方自身の許可がない限り。この事も理解していますか?」

「はっ、唯一無二の書物ですから当然かと…」

「ふむ。そこまで理解しておきながら、何故分からないのかが理解に苦しむのですが…いいでしょう」

 

分かっていない髭爺を嘲るように悲しむように最上位悪魔(アーチデビル)が首を振る。お前、その仕草似合うな。そんなモーション組んでもらったっけ?

 

で、何々?爺さんは何を分かってないんだ?

んで、俺は何を理解出来てないんだ?

全然分からんのだが。

 

「周りをよく見なさい」

 

そう示されてグルリと見渡す書棚。この辺り一帯の書棚は俺が集めた書物データで埋まっている。これがどうかしたか?

 

「棚から書物に至るまで全て同じ紋章が刻まれています、即ちこれら全てが一人の御方の所有物」

 

素直に頷く髭爺さんをデミウルゴスの背後で眺めながら自分も頷く。

そりゃ俺が集めたから俺の物って認識なんだろうが、それがどうした?

 

「御方の所有物を御方が如何様にしようと我等如きが口を挟むべきではない、ということです」

 

色々すっ飛ばして結論来た!?

俺の物を俺がどうしようが口出しすんじゃねぇよ、ってことか?

それで分かるのか?そもそも爺さんは何をわかってなかったんだ?

 

「そ、それはつまり…おおおぉぉぉ!」

『動きを止めよ。御方へ無礼を働くな』

 

何に気づいたのか頬を上気させて膝立ちになりにじり寄ろうとする爺さんに護衛が殺気立つが、瞬時に呪言によって止められる。

強制的に止められているというのに興奮が治まらない様子にデミウルゴスも少々引いているようだ。

気持ちはわかる。涎垂らして目がいってるからな、中毒者がラリってるようにしか見えない。

 

「全く、君はもう少し落ち着きを持つべきではないかね?」

 

床に投げ出していた足を、そっと寝椅子の上に引き上げて胡坐を組む。何するか分からん爺だな、獲物を狙うような眼光が向けられてくるのが怖い。

 

「至高の御方とは存じませず!何卒、何卒お赦し下さい!儂は魔法の深淵を目指しておりまして、どうか!どうかその叡智を儂に授けては下さいませんかあぁぁぁぁぁ!!」

『落ち着きたまえ』

 

支配の呪言に抗い全身を震えさせながら言い募る爺怖い。そして呪言連発するデミウルゴスも落ち着け。

お前、呆れはじめてるだろう。殺した方が手間がなくて良いんじゃないかとか考えてるだろう。最上位悪魔(アーチデビル)の名が廃るから、せめて利用方法を検討するくらいはしてくれ。

 

「申し訳ございません、ウルベルト様。栄えあるナザリックに属するものとしての教育が行き届かず。この罪、如何様にも…」

「いや、何も気にしてない。だからお前が責任を取る必要もない」

「寛大な御言葉、感謝致します」

 

いやいや、お前らのおかげで実質被害無いし、現地人に引退した奴を知っとけとか不可能だろ。引退したら居ないも同然なんだし。

再び動きどころか口すら封じられた爺さんを見れば、懇願の視線を向けてくる。

 

本当に魔法が好きらしい。より多くの魔法を、より威力のある魔法を使いたいという気持ちは良く分かる。

ユグドラシルを始めた頃に夢中で調べたもんなぁ。どんな効果で、どんな威力で、どんなエフェクトか、初めて使う時にはワクワクしたもんだ。

 

しかし教えてほしいと言われても、爺さんの生まれながらの異能(タレント)のおかげで今の俺が魔法を使える可能性はゼロだと分かった。

爺さんは第六位階まで使えるそうだし魔法詠唱者(マジックキャスター)としては今の俺より遥かに優秀なんだが。

 

その旨を伝えようと、今の俺には魔法が使えないと言葉にすると下僕(シモベ)の様子が激変する。

メイド達は泣き崩れ、司書達は御労しいと天井を仰ぎながら嗚咽を漏らし、護衛は無言で全身をガタガタと残像が見えるほど大きく震わせている。デミウルゴスに至っては尾の先まで硬直し、微動だにしない。

 

な、泣き崩れるな!

しょうがないだろ、使えないもんは使えないんだって!

 

失望させたかと様子を見守っているとデミウルゴスが一つ背を震わせて硬直していた銀の尾をゆらりと下ろし、こちらを向くと(おもむろ)に傅いて頭を下げる。

 

「ウルベルト様。御方が御方であられるのに変わりはありません。御方を我ら下僕(シモベ)が御守りするのは当然のこと。更なる忠誠を捧げ、御方の憂いを払う所存にございます」

 

決意を新たにし、表情を引き締め尚一層の忠誠を誓う被造物に言葉を失う。

 

「我らは御方々に一から造っていただいた身、我等を形作る全てが御方々の所有物。どうぞ我ら下僕(シモベ)を存分に御使い下さい」

「御方の為、一層の働きを誓います」

「「「誓います」」」

 

影に潜んでいた(おびただ)しい数の影の悪魔(シャドウデーモン)すら這い出し、この場にいる全ての下僕(シモベ)が傅く様は圧巻の一言。髭爺さんも目を丸めてこちらを凝視している。

 

こ、ここで俺が出来ることなど頷くくらいしかないんだが…なんだこれ、なんだこれ。

何このハードモード、凌げる気がしないんだが。

ペロロンチーノ、今すぐ還れ。捕まらずに回避するルート開拓して即教えてくれ、頼む。

 

頷き一つで下僕(シモベ)の表情は輝き、深々と礼をして各々の持ち場へと戻っていく。

精神的に疲れ切った俺の様子に、部屋へ戻ることをすすめてくるデミウルゴスを留めて爺さんへと顔を向けるが、微動だにしない爺さん。あー、そっか。

 

「デミウルゴス」

「畏まりました…『自由にして良い』ただし、御方に失礼は許さないからこころするように」

「あ、ありがとうございます…」

 

全身の力が抜けてようやく身を起こすことが出来た爺さんの目の前、寝椅子に胡坐をかいたまま手帳をめくっていく。

 

「ってことで、今の俺が教えることは難しいんだが俺も魔法には興味があってな」

「は、はい」

「爺さんが俺の実験に協力してくれ」

 

実験の協力であれば我等がと申し出るデミウルゴスを抑え、下僕(シモベ)でなく現地人がいいんだと説き伏せる。

お、あったあった。

見つけたページを破り取って爺さんの前に滑らせれば、俺と紙片を交互に見直して震える指で拾い上げる。

 

「それをやる。読み込んでこい」

「は…こ、これは?」

「第七位階連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)の俺なりの解釈だ。別に使えなくても構わん、理解しておけば使えるようになるかもしれんしな」

「お、おおおおぉぉ…」

「かわりに俺に魔法を見せてくれ。どんな感じになっているのか見てみたい」

 

パタリと手帳を閉じてティトゥスへ渡せば、オロオロと掌にのせられた手帳と爺さんの手元にある紙片を見交わしている。

 

「どうした?」

「お、御方の手記を人間種などに譲って良いのでしょうか…?」

 

構わないと肩をすくめて寝椅子から足を下せば、当然のように被造物の腕が目の前にある。自力で立ち上がるのは力がいるから介助が必要だと知っていて、率先して補助しようと手を貸してくれるのだ。相変わらず出来た子である。

 

「俺が居るんだから、また書き直せば良いだけのことだ」

 

ここ特有の効果があるのなら新たに書くのも面白い、と続ければ納得したのか引き下がる。

爺さんに読めるかどうか聞いてみれば、単語は読めているようだが繋ぎと解釈が今一のようだ。司書に翻訳を頼めば快く引き受けてくれる。うん、有能揃いだな。

 

「では、楽しみにしている。都合の良い日を連絡してくれればいい」

「承りました、ありがとうございます!」

 

床に伏して礼を述べる爺さんに頷いて回廊へと歩き始めれば、周囲の警戒と先触れに護衛とメイドが御辞儀をして去ってゆく。

視界の端にチラチラと映る銀の尾が機嫌よく振られているのを確認しながら、魔法使わせるならモモンガさんに円形闘技場(コロッセウム)貸してもらわないとと思いつき、ゆっくりと部屋への道を辿り始めた。

 

 



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14話

 

転移門(ゲート)をくぐり抜け、偽装を解いて回廊へと向かう。

今日は時間が急いてしまった、友の治療も終わっているだろう。眠る前までの時間はあまりないのだし急がなくては。

 

通常なら執務を行うところだが執務室に繋げた転移門(ゲート)から当然のように付き従うアルベドに大体の経緯は聞き、急く案件はないことを確認する。

 

「今日のウルベルトさんの予定は何だ」

「…ウルベルト様におかれましては、筋力トレーニングを兼ねて大図書館(アッシュールバニパル)まで(おもむ)かれたとのことでございます」

 

大図書館(アッシュールバニパル)まで?

遠かっただろうに随分頑張ったんだなぁ、ウルベルトさん。ひょっとしたら疲れて眠ってしまっているかもしれない。

 

「デミウルゴスは戻っているのか?」

「はい…本日の業務を終えまして、御方の元に侍っております」

「そうか」

 

ならデミウルゴスに伝言(メッセージ)で確認すればいいか、と早速伝言(メッセージ)を送れば早々に繋がる。

 

「私だ」

<これはこれは、アインズ様>

「ウルベルトさんの様子はどうだ?」

<ウルベルト様におかれましては、只今自室にて晩餐を召し上がられました>

「そうか。これからそちらに向かうと伝えて欲しい」

<承知致しました>

 

これで良し、と。

ウルベルトさん、今は人間種だから食事も睡眠も必須だからなぁ。一緒にご飯が食べられれば良かったんだけど、この身体じゃ無理だし。

 

還った頃には少ししか食べられなかった食事も段々と食べる量が増え、人造人間(ホムンクルス)の三分の一ほどを食べられるようになったと聞いている。副料理長も張り切って作っているのだろう、飯が美味過ぎるって呆然としていた顔を思い出して笑う。

 

不意に強烈な視線を背後から感じ、足を止めて振り返れば変わらぬ微笑みを湛えるアルベドと彼女の背後に控える下僕(シモベ)達。

周囲を見回しても首を傾げるメイドや何かあったのかと緊張を漂わせ始めた護衛がいるだけで、痛みを感じるほどの視線を向ける者はいない。

 

何だ?監視魔法か?

だが防衛網や探知魔法が発動した気配はない。

 

「…アルベド、今何か感じなかったか?」

「何でございましょう。私は何も感知致しませんでしたが…」

「そうか…」

 

うーん、アルベドが把握してないとなると気のせいかな?

アルベドが構築した防御網をくぐり抜けるのは至難の業だろうし、世界(ワールド)アイテムは玉座が弾くしなぁ…。

 

いささか腑に落ちないながらも納得し、先へと進めば見えてくるのは彼の私室。扉を守る蟲人が礼姿勢を取るのをやめさせれば、室内に来訪を伝える。

 

「ここまでで良い」

「ですが、アインズ様。御一人で来訪されるのはいささか不用心かと…」

「アルベド、何度も言っているだろう。友に会うだけなのだから必要ない」

「…畏まりました。繰り返す愚行をお赦し下さい」

「良い、お前の全てを赦そう」

 

大仰に頷いてゆっくりと開いていく扉へと向き直る。

私室を守る大扉に隣接する広間には既に友の姿があり、それを認めて笑う。デミウルゴスの伝言を受けて迎えに来てくれたようだ。

 

「お疲れ様です、モモンガさん」

「ウルベルトさんもお疲れ様です」

 

遊戯(ゲーム)時代と同じように笑って迎えてくれる友の姿に喜びを鎮静化されながら歩み寄り、下僕(シモベ)へ退室するように告げれば心得て下がってゆく。

友に侍るデミウルゴスも労えば恐縮したように礼を取り、己の創造主へと退室の言葉を述べる。それと同時にウルベルトさんの影からぞろぞろと這い出る影の悪魔(シャドウデーモン)

彼が戻って来てから、こうして部屋を訪れて下僕(シモベ)を退けることが恒例となっている。

 

やはり二人だけで気兼ねなく話をしたい。

互いの希望が合致した結果、円卓で守護者を交えた話し合いを延々と続けて勝ち得た権利。初めてウルベルトさんと二人だけで部屋に残れたことを確認した瞬間、喝采を叫んだものだ。

 

アルベドとデミウルゴスが身辺を案じて護衛として下僕(シモベ)の残留を推し、パンドラズ・アクターは賛同の意を示してくれたが他の守護者も二人だけで時を過ごすことに反対こそしなかったが、せめて自室前の回廊に護衛を配置することを強固に希望し、そちらを採用することでこうして今下僕(シモベ)を退室させることに成功している。

 

「御苦労だった」

 

そう述べればアルベドは嬉しそうに表情を緩め、黒い翼を羽ばたかせて傅く。片や

 

「また後でな」

 

と紡ぐウルベルトさんに嬉しそうに表情を緩めて傅くデミウルゴス。

最近表情豊かだなぁと感慨深く眺めているうちに重厚な扉が静かに閉じていった。

 

「…」

「…」

 

閉じた扉を二人して眺め、下僕(シモベ)が入って来ないかを確かめるのも最早日常。

 

「…もう居ません?」

「『生命感知(ディテクト・ライフ)』『発見探知(ディテクト・ロケート)』…居ませんね、大丈夫です」

 

室内から下僕(シモベ)が完全に出て行ったことを確認して太鼓判を押せば、はあああぁぁぁぁ…と大きな溜息をついて友が床にへたり込む。

 

これもいつも通り。まあ初日は本当に驚いたけど。何処か痛むのかと焦ってパンドラを呼びかけたほどだから。

精神的な疲れから解放されて脱力してるんだと説明された時には大笑いしたが、今日は更に疲れていたようだ。へたり込んだ挙句に絨毯にゴロリと横になってしまう。

 

「どうしました?大丈夫ですか」

「ほんと疲れた、今日は疲れきったよモモンガさん…」

「一体何があったんです?」

 

寝転がった友の側へとしゃがみこみ、経緯を聞く。

 

今日は大図書館(アッシュールバニパル)に行ったって聞きましたよ?

え、フールーダに会ったんですか?入り浸ってるとは聞いてましたけど…魔法、使えないんですか?それは残念でしたねぇ…。

動じてないように見える?

沈静化はしてないですよ?

まぁ、現実世界の姿なんでそうじゃないかなーとは思ってたんで。

ははっ、忠誠の儀を受けたんですか。それは疲れたでしょう、転がってもしょうがないです。

 

「笑い事じゃないんですけどー…」

 

こちらがあまり動じないのを見て拗ねたのか、絨毯をゴロゴロゴロと寝転がりながら扉へと進んでいく。

 

「そんなことしてると汚れますよ?」

「汚れませんよ、毎日メイド達が綺麗にしてくれてますから」

 

なんだここ、掃除まで完璧とか。砂どころか埃や色落ちすら見つからないって、現実(リアル)の俺の部屋の方がよっぽど…などとブツブツ言いながらも起き上がる彼に手を貸す。

 

「って事で、円形闘技場(コロッセウム)貸してください」

「いや、意味分からないんできちんと説明して下さい」

「魔法で遊びたい」

「より分からなくなりました」

 

社会人ギルドなんだから必須なのにと笑えば、友も笑いながら開いたままの扉を抜ける。

 

自分の部屋とは違い、基本的に彼の部屋の中にある扉は全て開け放たれている。彼が行きたい場所を塞がないようにとの配慮だ。

 

彼は自分で自身の部屋の扉を開けることができない。

時間をかけて全身を癒し、漸く自力で動き回ることができるようになって初めて発覚した現象。前例のない独自の現象に、彼自身が困惑していた。

人造人間(ホムンクルス)であるメイドが開くことが出来る扉を友は開けられない。彼女達が手を添えるだけで開くのだから筋力が足りないわけではない。

けれど力を込めて押しても叩いても微動だにしないのだ。まるで彼がそこに居ないかのように何の反応も示さない扉。

 

彼に開けられないのならメイドに開けさせれば良い、とメイドの数を増やして対処したが何をするにも手を借りなくてはならない状況は彼の精神的な負担になったようだ。

下僕(シモベ)の手を都度借りることを良しとせず、積極的に行動しなくなってしまったのだ。

 

このままでは衰えてしまい、病んでしまう。

御方が病に陥れば、治療するのは至難の技だとパンドラとニューロスト双方が結論を出した。

基本的に強者である怪物(モンスター)が闊歩する領域(フィールド)に生える薬草を採取して新たな薬剤を作るより、魔法力で癒すこの世界で魔法薬以外の薬学が発展するはずもなく、彼が難病を患えば待っているのは死しかない。

 

この世界では王族ですら手が届かない非常に高価な魔法薬が数えきれないほど宝物庫に眠っているというのに、友を癒す一助にもならないのだ。魔法が効きづらい体質とは、これほど厄介なのかと愕然とした。

 

もし、何かの拍子に彼が死んでしまったら?

無事に過ごしたとしても人間種には寿命がある。現実世界を鑑みれば、彼は長くてもあと20年程で寿命を迎えてしまう。

失う時を想像するだけで幾度も沈静化を繰り返す。

 

現実世界に甦りはない。

魔法薬すら効きづらいのに蘇生薬や同系統のアイテムが彼に効くとは思えない。

アンデッドとして甦らせようにも魔法を使用する時点で論外だ。効きづらい彼では失敗する確率の方が遥かに高く、崩れ去ってしまえば取り返しがつかない。

 

シャルティアによる吸血鬼化も考えたが、こちらも難しい。

特殊能力(スキル)による吸血鬼化という事象が彼に通じるのかが分からない。現にデミウルゴスの支配の呪言をほぼ無効化しているのだから効かない可能性の方が高いと見るべきだろう。

 

試すにしてもシャルティアの牙にかかる必要があり、頸動脈を牙で貫くことになるのだ。

摂取量を間違えれば出血多量で死に到り、牙から吸血鬼化するための分泌物が出ているのなら身体が拒否反応を示せばショック症状で死んでしまう。

万が一、億が一でも危険が伴うのであれば行わない。

 

ずっと望んでいた憩いの時間が、やっと戻って来たのだ。

不用意な行動で失うなど以ての外。友の身の安全は何より勝る。彼自身の為だけではなく、自分の為にもだ。

 

彼が戻って来てくれたことで自分が如何に以前と変わったのかを知り、それを自覚したが嘆くことはなかった。

 

アンデッドは執着を持って甦る。

特にアンデッドの魔法使い(マジックキャスター)系統は負のエネルギー、この世界では生前の執着心がそれにあたるのだろう。それが高じてアンデッドになる。フールーダなど、今死んだら確実に死者の魔法使い(リッチ)として甦るだろう。

そして骸骨魔術師(スケルトン・メイジ)を経て死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に至り、最終的に死の支配者(オーバーロード)を種族として選択した俺も、この世界に来た時点でそれが適用されている。

 

ゲームからこの世界に切り替わる寸前、俺が考えていたことは仲間達を懐かしみ、逢いたいと願い、居ないことを嘆いていた。

つまり。

俺の執着対象はギルドメンバー。

彼等に関わること全てに執着し、譲歩などあり得ない。

 

切り替わる前は彼らの事情を知り、納得して見送っておきながら帰還を待ち望んでいた。

けれど戻ることはないだろうと哀しみながら諦めてもいた。

 

だが世界が切り替わり、変質した俺には諦めるという選択肢自体がない。

死の支配者(オーバーロード)に寿命はなく、永劫とも言える時間を待ち続けるつもりだったが、もう待つ必要もない。

彼が彼のまま、同じ時を共に過ごし続けるにはどうすればよいのかを考え、その為に必要な方法を探せば良い。

 

見つけられずに彼が寿命を迎えてしまえば(しかばね)を抱えながら彼が甦る方法を探し、(しかばね)が朽ちてしまえば頭蓋を抱えながらアンデッドと成る方法を狂ったように探し回るのだろう。確信がある俺を俺自身が嘲笑う。

 

だって。

今の彼は、この部屋の扉を自力で開くことも出来ないんだ。

自室内の扉は全て開け放たれていても、回廊を繋ぐ扉は閉じたまま。

友が気まぐれに散歩をしようと思っても、その扉を開くことすら出来ない。出て行き(引退し)たくなっても、もう出ることも出来(去る手段すら)ないんだから。

その事実に悦びを覚える俺がいる。

 

「ってことで、円形闘技場(コロッセウム)貸してください」

「…えーっと、すみません。もう一度お願いできます?」

「今、説明したじゃないですか…」

「ちょっと考え事してて半分聞いてませんでした…」

「…骸骨って寝れました?睡眠無効じゃ?」

「半落ちじゃないですから。もう一度お願いします」

 

ちゃんと聞いててくださいよと怒る友に両掌の骨を合わせて謝る仕草をすれば、困った顔をしながら再度説明してくれる。頼まれると断り切れない仲間想いなところも以前のままで変わらない。

 

何かないか、何か。

彼を留める方法が。

 

魔法も効きづらく魔法薬も効果は薄い。

蘇生アイテムも彼には使えないが、転職アイテムならどうだろう?

まずは実験を行って、どのように変化するのかを確認するところから始めるか。

効率よく情報を収集するためには大規模な実験場が必要か。さて、どのあたりに建てるか相談しないと…。

 

ユグドラシルとは違うかもしれないが威力やエフェクトが見たいんだ!と力説する友を眺めて頷きながら考える。

 

友には魔法が効きづらい。

効かないというわけじゃないのが気になるところだ。

何かがあって効果が減少しているのか、それとも何かが制限しているのか。

これが解ければ、おそらく彼にも魔法が効く。そして使えるようにもなると思うのに。

 

けれど魔法が効きづらい代わりにユグドラシル時代のような職業や種族による制限も、彼にはない。

料理をしようと思えば出来るし、杖や剣も装備が可能で枠の上限もない。

魔法の効果を持つ装備品を幾つでも重ね付け出来るから、それが分かってから宝物庫をひっくり返して彼に効果のある装備品を山のように揃えた。

 

課金しなければ一つしか装備できない首飾りを何重にも巻くことも出来るし、腰のベルトに幾つも付けた鎖やチャームも全て状態異常を退けるアイテム。

指輪も耳飾りも服から靴に到るまで、全てが彼を介さずに効果を発揮する装備品で固めてある。

 

毒を退ける。

支配を跳ね返す。

混乱を無効にするなどなど。

耐性を上げるなどの効果を持つ物は効果がないことは検証で分かったが、装備品自体が効果を発揮する品なら問題なく機能する。

 

これで多少なりと友を守ることが出来る。

両手の指全てに指輪を嵌めた時には「重い、重すぎる…せめて二個くらいで」と言われてしまったけれど、護りは多ければ多いほど良い。

 

「ってことで!」

 

不意に聞こえた彼の声に我に返る。

しまった、また考え込んでいたらしい。

 

円形闘技場(コロッセウム)、貸してもらいますよ!」

「断定だった!!」

「これで三度目ですよ、当たり前でしょう」

 

円形闘技場(コロッセウム)利用券、一日分ゲット!と喜ぶ彼の姿に苦笑しながら同席する旨を伝えれば、快く承諾してくれる。

彼にしてみれば遊戯(ゲーム)現実(リアル)の差異を魔法で見てみたいという胸躍るイベントなのだろうが、俺にとってはあちら(・・・)こちら(・・・)の違いを確認して仲間を留める為の情報を蓄える為に必要なこと。むしろ自ら動かず友が準備してくれたのだ、感謝しかない。

 

「それで、それはいつ頃なんですか?」

「あー…実は都合がいい時に連絡してくれればいいって伝えてて…」

「…未定ってことですか?」

 

これは困った。

モモンとして赴いている時に連絡を受けた場合はどうしよう。

アインズとして執務中だった場合は、どうやって場を抜けようかと様々な場面と予測を組み立て始めた目の前で、友が困ったように眉を顰めるから。

 

「無理だったら参加しなくていいし」

「いや、大丈夫ですよ。俺も見たいですし」

「そうですか?無理なしで頼みますね?」

「勿論です」

 

大丈夫かどうかなど既に問題ではなく、どうとでも出来ることを友はまだ理解していない。

 

かつてユグドラシルで最強の一角を担っていた彼にとって、今この世界は己を超える強者ばかり。

ナザリック地下大墳墓(ギルドホーム)内では扉一つ開くことが出来ず、彼が最も得手としていた魔法ひとつ使用できず、村人ですら人造人間(ホムンクルス)を超えるレベルを宿している未知の世界。

 

レベル1にすら届かない彼が、レベルをカンストしている異形種(モンスター)に敬われる。

そして、その頂点に立つ(モモンガ)という異形種(プレイヤー)盟友()と執着されている時点で、通常の人間種に分け隔てなく降り注ぐ普通(当たり前の日常)という幸福の対象外となったことを。

 

 

 

 

貴方が知ることは生涯ないと誓おう。

友よ。

 

 

 

 

 



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15話

ナザリック地下大墳墓は文字通り地下にある為、陽の光は一切射すことはない。

維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)を装備している者であれば睡眠、食事、疲労が無効となるため一日中でも働くことが出来るが主要NPC以外に準備することはなく、一般的な侍従やメイドは装備していない。

しかし彼、彼女達はその忠誠心から24時間休憩なく働き続けることが出来るが他ならぬ至高の御方により止められ、泣く泣くローテーションを組んで食事、睡眠、休憩を挟んでいる。

私達にとって御方当番は至福の時間。その時間がもう一人の御方が戻られたことにより大幅に増えたのだ。

 

御方は現在御力はおろか御身体すら失っておられ、自身の身を護ることも出来ない状態でいらっしゃる。

ようやく御身体の状態が安定され、御自身の意思で動くことが出来るようになられた御方。その身の周りの御世話は全て私達下僕にお任せ下さったのだ!

 

「今日も頑張るわよっ」

「「「「おーうっ!」」」」

 

本日のウルベルト様当番のメイド達は起床と同時に身を清め、身支度を整えて食堂へと足を運ぶ。

取り放題となっている食事を次々とトレイにのせて席に着くとお腹がいっぱいになるまで詰め込み、(あらかじ)め決めてある集合場所へと集まった。

 

御方の起床は実に規則的でいらっしゃる。

動けるようになって直ぐに起床時間を決められ、その時間に永続光(コンティニュアル・ライト)を灯すよう指示をいただいている。その時刻の半刻まえに侍従と共に入室する。

 

そこらじゅうに見受けられる使用した後に頬を緩めて頷き合い、メイドと侍従が掃除と整頓の為に散ってゆく。

御方の部屋が使用前に乱れているなどということは許されない。いつ如何なる時でも御方が使用なされる前に、視界に入る直前には美しく整っていなくては。

御方に相応しく整えられる己が身に感じる充足感。ああ…私、今、御方の御役に立ってる…っ!

 

これまで毎日整えている御方々の居室は埃一つ積もることなく維持してきた。

それは我々御方々に仕える下僕としての最低限の仕事であり、決して職務を全うしているとは言えないものであった。

 

御方々がおわした頃は毎日が清掃と整頓と修復の連続。

それはそれは至福の日々だったけれど…今は遠い昔の話。

 

整えた部屋そのままに翌日を迎え、また埃を払い整えて次の日を迎える。

ただ、ただ、整えて。

埃を払い、整える日々。

 

位置を戻すことも絨毯にこびり付いた砂や泥、回廊のそこら中に落ちている羽や落ち葉を片付けることもなく、壁や床や家具に造られた細かな傷を修復することもない日々。

我等の存在意義として与えられた使命には遠く及ばない時間が延々と過ぎてゆく毎日だったのだ、これまでは。

 

幾人の侍従やメイドが涙をこぼしただろう。

掃除の途中で雫を落とし、慌ててそれを拭き取って、また同じ場所で雫を落とすのだ。

 

御方々が騒ぐ、賑やかな声に耳を澄ますこともない。

喧嘩を始められた御方々を嗜めているうちに興奮したのか、宥めていた御方自身が放つ魔法によって傷ついた壁を修復することもない。

回廊を進まれていた創造主が足を止めて注目され、至らぬ下僕(シモベ)を咎められるのかと畏まれば「…丈が変わってる?ペロロンさんか!」と即座に変化に気づいていただき、居室に招かれて正していただいたことも度々あった。

あの頃は全てが当たり前のようにあって、毎分毎秒が輝いていたのに。

 

御方々が去られ、ただ一人残ってくださった慈悲深き御方の嘆きは深く、円卓の間から姿を表すこともないまま時間だけが過ぎてゆくだけだった。けれど、もうそれを嘆くこともない。

 

世界を違えた今、慈悲深き御方は新たな世界を掌中に収める為に動き出し、我ら下僕を使ってくださる。

そして御方の元にウルベルト様がお戻りになり、我ら下僕を頼って下さるのだ…!

 

「シクスス、涎が垂れてるわよ?」

 

はっ!?

いけないいけない。御方の御部屋を汚してしまうところだったわ!

 

慌てて口元の涎をハンカチで拭い、礼を述べてから掃除を終えて生花を飾る。

 

配色、バランス、角度…左側からの見栄えが良くないかも?

もう少し…こう、こう…かな?

よし、完璧っ!

これなら御方の視界に入れて頂いても見苦しくないはず!

 

個人的に満足してひとつふたつ頷き、周囲を見渡せばメイド仲間が同じく己が飾った品を確認して満足気に頷いている。

本日のテーマは蒼、ウルベルト様に御満足頂ける出来であれば良いのだけれど。

 

御方を迎える準備を整えて御方の寝室近くにある執事室に入室すれば、既に下僕が集まっていた。

セバス様から放たれる強い視線に強張り、深く頭を垂れて遅れを詫びる。

 

「準備はいかがですか?」

「「「滞りなく」」」

 

室内は全て美しく整えられ、埃ひとつ存在しない。足元を彩る絨毯もその毛足の流れに乱れひとつない。

廊下を落ち着いた蒼を基調としたグラデーションを醸す花が咲きみだれ、白亜の壁に施された飾り彫りに汚れひとつなく純白を保っている。

 

「よろしいでしょう、では。」

 

全てを確認して執事長たるセバス様が頷き、御方の寝室の扉を静かに叩く。

その時刻は御方が指定した時刻、私達が入室してから既に半刻が過ぎていた。

 

起床された御方はむくり、と寝台から頭をあげられ分かったと言わんばかりに片手を上げて下さる。

それを確認して礼をとり、御方の朝食の準備に取り掛かる。

セバス様は御方の側へ本日の御当番メイド一人と共に残り、予定の確認とお召替えを手伝われるのだ。いいなぁぁぁ…。

 

やがてお召替えを終えられた御方がダイニングに姿を現され…あ、あのコーディネートは!

私がウルベルト様に似合うのではないかと密かに考えていた一揃いっ!

 

素敵、素敵です、ウルベルト様…。

やはりお似合いになられる…なんて眼福でしょう。

はっ、まさかウルベルト様は下僕の無言の要望を察してくださったのでは?

私がお召替えを手伝わせて頂いている時に気にしているのに気づいて下さり、私が当番の日に叶えて下さったのでは…!

 

なんとお優しい、流石は至高の御方。

アインズ様も常々下僕を気にかけて下さり、ウルベルト様は至らぬ下僕の無言の要望に応えて下さる。このシクスス、今後も御方々の為に尽くすことを誓います…っ!!

 

ダイニングへと足を運んでくださり、セバス様が引いた椅子に腰掛けられた御方。

侍従が用意した朝食は私達に比べればとても少ない。ゆっくり召し上がって下さるのに合わせて給仕を行うが、こんなに少なくて昼まで持つのかとても心配になる。

 

今朝食べてきたトレイ山盛り3枚分に比べれば微々たる量、これは昼食前後のティータイムにもキチンと召し上がって頂かなくては。

あっ、セバス様も心配なさっているのかデザートを勧められて…こ、断られた…。

デザートは別腹説は御方々には通じないというの?

三層にも重ねられクリームと季節の果物がふんだんに使用されたケーキなんて、わたしなら勧められればホールで食べられるわ…っ!?ま、まさか、まさか…!

 

「私達、食べ過ぎなんじゃ…」

 

雷のように閃いた言葉を思わず口に出してしまい、それを耳にした瞬間に仲間達も目を見開く。

カッ!!という音が聞こえてきそうな形相に次いで、なんてこった!と言わんばかりの表情を浮かべる。

幸い御方は紅茶で喉を潤しておられたため気づかれていないが、後程セバス様には叱られてしまいそう…くすん。

 

朝食を終えられ席を立たれる前にセバス様は御方に来客を告げ御方が頷き認められれば、ダイニングに通じる扉が控えめにノックされる。

開け放たれた御方の居室では不要と言える習慣だが、彼の方だけは頑なに守り、御方への無礼を働くことはない。それも当然か、己を創造なされた御身に礼を失するなど下僕の風下にも置けない(やから)だろう。

扉を静かに叩いた銀の尾を持つ守護者は、御方と視線が合えば即傅く。

 

「おはようございます、ウルベルト様」

「ああ、おはようデミウルゴス。出るのか?」

「はい。アインズ様より賜った役目を果たしに参る前に、御挨拶をと愚考致しました」

 

顔を綻ばせて御方を見上げる守護者様の嬉しそうな表情。ぶんぶんと振れる尾が彼の気持ちを表していて、見ていて微笑ましい。

 

だが微笑ましさも一転、御方の側へ立つセバス様を見た瞬間に能面を付けたかのように消え失せる。

御方へ深く頭を下げて礼を取り、(おもむろ)に立ち上がったかと思えば厳しい表情を向ける守護者。だが向けられた執事長は全く動じていないようだ。

 

「おはよう、セバス」

「おはようございます、デミウルゴス」

 

ごく自然に交わされた朝の挨拶が酷く不穏に聞こえるのは私だけだろうかと最小限の動きで周囲を見渡せば、仲間達も冷や汗を流しているようだ。

 

「我が創造主たるウルベルト様への朝食、きちんと配慮してくれたのだろうね?」

「当然でございます。ウルベルト様の体調は元より栄養面、精神面、体調まで全て考慮しておりますので心配には及びません」

「え」

「それは重畳。玉体を第一に考えて職務を全うしてくれるだろうと信じているとも」

 

おかしな発言はひとつもないのに互いに剣を突き付け合っている気がするのは何故なのかしら?

途中、おかしな声が聞こえた気がしたけれど…?

 

気忙しく銀の尾を揺らす守護者は口元のみに笑みを浮かべ、鋼の執事長は鉄壁の表情を綻ばせていた目元を再び引き締めて相対している。

その間で二人の様子をゆったりと眺めながら、一度は断ったデザートの皿を引き寄せてフォークを深く突き刺している御方。ザクザクと突き刺しながら何やら目が泳いでいるのは気のせいかしら?

 

「それではセバス、ウルベルト様は病み上がり。くれぐれもよろしくお願いしますよ?」

「畏まりました」

「私は夕刻前には戻りますので、それ以降は君は必要ありません。自分の時間を十分に取るとよいでしょう、君が気にかけている人間種の世話もあるだろうしね?」

「…お気遣い、ありがとうございます」

 

どんどんと重くなる空気の中でも変わらず食事を続け、優雅にナプキンで口元を拭う御方を視界に認め、給仕を再開する。

不穏な会話は御方に一礼することにより消え去り、名残惜し気に去る守護者の姿を見送り、御方も席を立たれた。御召し替えを促す執事長に常ならば必要ないと切って捨てる御方が珍しく応じ、執事長と担当メイドを連れて姿を消し。

 

去られたテーブルを片付けて幸せに浸る。

 

御方の役に立つこと。

御役に立てること。

自らが居なければ成り立たないことがあることの、何と幸せなことか。

 

これまで当たり前にあったことを失い。

そして喪失の日々を過ごして。

再び与えられる機会を得られたことに、感謝を。

 

決して、失望させぬ働きを誓います。

だから、お願いです。

ずっとずっと、御方々の御側に仕えさせて下さい。

それが我等の存在意義であり…幸せなのですから。

 

 

 

御方々が居られない居城を護る身の虚しさに、耐えられる者の姿が私には思い浮かべられない。

 

 

 

 

 

 

あの虚しく、哀しい日々が、もう二度と来ませんように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近、メイド達が倒れるって報告が来てるんですけど」

「えっ、なんで?」

「それが食事量の低下が原因かと…」

「…人造人間(ホムンクルス)って、消耗が欠点じゃなかったですか?」

 

慌てて一般メイド相手に御方々が種別講習を行ったことは、余談である。



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16話

「なんであいつら、あんなに仲悪いんだろうなぁ・・・」

「貴方がそれを言いますか」

 

ウルベルトの何気ない呟きに思わず突っ込みを入れるモモンガは何も悪くない。

全ては自身の遊戯での行いを棚に上げつつ眉根に皺を作りながら昼食を頬張る彼が悪い。絶対悪い。

 

「だってさ、あいつら顔合わせるたびに剣呑な空気纏うんだよ」

「・・・ええ、そうでしょうね」

「そのうえ、すぐ嫌味を言い合うしさぁ」

「そうですね、いつものパターンですよね。よく知ってます」

「いつ喧嘩に発展するか、見てるこっちがヒヤヒヤするって言うか、胃が痛くなってくるし」

「それ、遊戯時代の俺の状態だって分かってて言ってませんか?ウルベルトさん」

 

珍しく昼食に同席できたモモンガに、これ幸いと下僕を下げて二人で囲むテーブル。

 

量こそ少ないが現在のナザリックで出せる最高の食材を、御方の希望によりシンプルに仕上げたメニューが並んでいる。

一般的なメニューを頼んだつもりでも至高の御方の口に入る料理。

見た目シンプル、素材最高級という金に糸目をつけぬアーコロジー上流階級が幾ら大枚をはたいても口に出来ない贅沢の極みとも言うべき品々を、食べる当人だけが知らないまま無造作に口に運んでいる。

 

モモンガは摂取する臓器自体がないので嗜好品にもならず、保温の魔法をかけたティーポットからカップに手ずから紅茶を注いで香りを堪能している最中。

その眼窩に浮かぶ緋色の光がジットリと責めるように自分を見ているのが分かり、ウルベルトはフォークに刺した瑞々しい野菜と絶妙な茹で加減の卵のサラダを口に押し込みながら・・・そっと目を逸らした。

 

「こ、この人、分かってて言ってる!」

「・・・いや、そんなことは・・・」

「絶対分かってますよね!ギルド時代の貴方とたっちさん、そのままじゃないですかっ」

 

ウルベルトだってちょっとは理解はしていたのだ、ただ感情がついていかないだけで。

治療中は意識がとぎれとぎれなためか気づかないまま過ごせたが、身体を治して意識を保てるようになれば嫌でも気づくし、モモンガから聞いていた被造物は創造主に似るという事象を嫌々ながらも認めざるをえない。

 

メイドに周囲を囲まれながらセバスとデミウルゴス、どちらか片方と過ごす時間は実に穏やかだ。

 

デミウルゴスは被造物だからか、常に俺を立て、俺に従い、何一つ不自由を感じさせることはない。

俺の意思を最優先に先を読み、ありとあらゆる段階を経て手段を準備し品を用意して、俺の希望に添う。

 

流石は俺が創った最高位悪魔というべきか。

人間種を堕落させる術に長けているというべきか。

 

俺の取る仕草一つ、表情一つを読み取って、意図を汲む。最近など眼差し一つで意図を読み取るほどで言葉すら必要じゃなくなりつつある有り様だ。

そこには、ただ創造主の役に立ち必要とされたいという想いが、濾過を重ねて純度を上げ、更に極めたと言っても表現しきれないほどの想いがあるのをヒシヒシと感じて、拒否が難しい。

 

返ってセバスは人間種としての全うな在り方を促す。

規則正しい生活と、至高の御方として相応しいあらゆる生物が是と認める姿勢を望み、促すのだ。

悔しいことに、それが自身の為になると理解するから否定が難しく、明らかに無駄だと思えること以外は受け入れざるを得ない。

そしてセバスはデミウルゴスほど干渉してこないため、正直に言えばある意味では楽なのだ・・・人として生きるのならば。

 

距離感。

これは俺にとって最も必要なもので、セバスは初日からこれを察したらしい。

流石は人の善性を信じるアイツの被造物というべきか。

職場以外に人との関係を持ってこなかった俺にとって四六時中気配がある中で過ごすというのは、ある意味苦痛だ。

それに早くから気づいたのはデミウルゴスではなくセバスで、私室においてそれとなく距離を置いてくれるのが有難かったりもする。

ただ・・・何か癪な気がするだけで。そう、ちょっと気に食わないだけで、俺にとっては悪いことじゃないのが腹立つだけで。

 

そんな、俺にとって必要な空間を作り出す二人が顔を合わせるたびに衝突するのだ。

モモンガさんの言をいただけば因果応報。

だが今は俺のレベルが段違いだから勘弁してほしい。100レベルVS1レベルとか、ハードルが高すぎる。

 

レベル100の纏う剣呑な空気というものが、あれほど周囲に圧力を発するものだとは思っていなかった。

ましてやワールドチャンピオンとワールドディザスターの言い合い、しかも双方いつドンパチやらかしてもおかしくない状態など、フレンドリーファイヤが無効であっても冷や汗ものだったろうと今なら分かる。分かりたくなかったが。

 

「ふっ、俺が悪かったと言えば満足なのか?モモンガさん」

 

暗い顔で悩んでいた俺が急に発した言葉に警戒をあらわに身構える骸骨。

表情豊かだなー。

いやリアクション豊かなのか?

 

「な、何を企んでいるんです?」

「はっ。モモンガさんは俺を過大評価し過ぎているようだ」

 

もっきゅと頬に肉の塊を押し込んでから嘲笑うように表情を歪めれば、怯えたようにティーカップを抱え込み周囲を探る骸骨。

 

どうやら俺は彼に対して随分と酷い扱いをしていたようだ。

こんなに怯えるなんて・・・心外だなぁ?

いやなに。俺は人として最低限必要とする礼儀を行おうとしているだけですよ?

 

そう。

最低限の、礼儀を・・・ね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、恰好つけるのは頬に貯めた肉を食べ終わってからにしてくれませんか?」

「うん、俺もそう思った。これ滅茶苦茶うまいな!」

 

頬に詰め込んだ肉の美味さ、台詞を発するより噛む方を優先してしまう。

くっそ、この世界は食事事情が良すぎるのが問題だよな!

これじゃ格好がつかないと急いで食べ終え、モモンガさんが注いでくれた紅茶を飲み干して、淹れるだけなら出来るんだけど茶葉を入れようとすると失敗するのは何故なんだろう?とティーポット片手に首を傾げる骸骨を眺めながら、ゆっくりと席を立つ。

 

午後からはモモンガさんは執務。

俺は今日もトレーニングがてら大図書館で本を漁ると告げれば、散歩がてら送るとの申し出。

その気遣いは嬉しいが下僕を回廊で待たせてあると説明すると、非常に残念がっていた。

また今度頼みますよ、モモンガさん。

 

初めは待たせるつもりなどなく、待たなくても自分で行けるとは言ったんだが、護衛もなく御方を一人で歩かせるなど…!とメイドが絶望の表情を浮かべたから諦めた。

あれは押し通したら自害云々になる流れだ、何度も経験してるから分かる。

そして止めさせるのに宥めたり説得したりと多大な労力を必要とする羽目になるんだ。

あれは辛い、けれど死なせたくないからやるしかない。なら初めから諦めた方が良いと言う結論に達した。

 

おかしいよな。

俺敬われてるんじゃないのか?

モモンガさんは少し押せば折れてくれると言っていたのに、俺が押せば自傷自害事件勃発寸前で俺が諦める羽目になるとか、どういうことだ…。

 

全く納得できない思いを抱えつつ、モモンガさんと共に部屋を出れば下僕達が恭しく頭を下げ、それに鷹揚に応えるモモンガさん。

実に様になっている。流石隠れて幾度も練習したのだと拳を握りしめて力説していただけのことはある。

その魔王具合、さっきまで部屋で怯えていた骸骨と同一人物とは思えない。なんて表裏が激しいんだ、本人も嘆いてたけど。

 

待機していた下僕の中に佇むアルベドを見つけ、軽く驚く。滅多に姿を見せないアルベドが回廊にいるとは珍しい。

いつも玉座の間にいた印象しかないが今は生きているから動いていて当たり前だが、ほとんど姿を見ない。

モモンガさんを送りに来る時以外は執務室か私室に入り浸っていると聞いているから、執務に携わらない俺と接点がないのは当然なんだが。

 

「どうした、アルベド。緊急の用件か?」

 

声をかけた方が良いのか悩んでいるうちにモモンガさんがアルベドに気づき声をかければ、満面の笑顔と共に彼へと礼をしてから話し始める。

 

普段接していないNPCに声をかけようにも、どうすればいいのか悩むもんだな。

転移したばかりの頃からNPC相手に指示を出していたモモンガさんは流石柔軟性に富むギルド長だと感心して眺めていたが、二人の側に控えているメイドの表情を見て首を傾げる。二人を見て困惑しているようだ。

 

何故だ?

 

会話に耳を傾けてもおかしなことはない。

ただ、モモンガさんが席を外している間の報告をしているだけだ。

回廊でする話じゃないから困惑してるのか?

 

それとなく周囲に目を向ければ扉の前を護っている蟲人も、八肢刀の暗殺蟲も同じような雰囲気を漂わせている。

気づいていないのは俺とモモンガさんとアルベドだけ?

そんなにおかしなことがあったか?

 

「では、ウルベルトさ…どうした、お前達」

 

下僕の困惑顔を見て困惑している俺に気づいたモモンガさんが下僕に問えば、アルベドに問題があったようだ。

俺たちにはサッパリ分からないが下僕の常識において非常識であるという。

 

曰く俺に対する礼が欠けていた、と。

 

俺とモモンガさんは顔を見合わせる。

俺の顔にも彼と同じ表情が浮かんでいることだろう…って皮膚どころかアイコンすら無いのに表情を悟らせるとか、すごいな。

 

思い返せば普段俺達二人が揃っている場合、下僕達はまずモモンガさんへ礼をして、次に俺へと礼をとり用件を切り出していた。

言われて気づくくらい気にしていなかったが、確かにこれまで礼を欠いた下僕はいない。急ぎの場合でもモモンガさんへの礼と共に、姿勢そのままで俺へと頭を下げるくらいはしていたはず。

 

俺達としては「下僕の常識って細かすぎない?」と思うくらいなのだが彼等にとっては当然のことで、それを守護者統括という重要な役目を賜るアルベドが欠いた、ということに困惑していたらしい。

下僕の言を聞いたアルベドが静々と俺の前に進み出て深々と礼をとる。

 

「私としたことが礼を失しましたこと、深くお詫び申し上げます。どうかお赦しくださいますよう…」

 

跪いて謝るほどのことじゃないんだが、どうしたものか。

モモンガさんを伺えば、こちらじっとを見つめて伺っている。赦してほしいらしい。

いやいや、祈るように両手を握らなくていいから。

俺、遊戯時代そんなに心狭かったですかね?

そりゃ、気に入らないと魔法ぶっ放してた覚えはありますが…そうか、それがダメだったのか。

 

脳裏に蘇る遊戯時代の楽しい遊びと戯れが、現実世界となった今では暴虐の数々という扱いになることに気付くが、それはひとまず棚上げし今はアルベドだと跪く彼女を見下ろして頷く。

 

「謝罪を受け取ろう。気にしてもいなかったしな」

「…寛大な御心に感謝致します」

 

深々とお辞儀しすぎて旋毛(つむじ)しか見えないアルベドに告げてモモンガさんを振り返れば、眼窩の光を細めてウンウンと小さく頷いていた。

本当に表情豊かな骸骨だなー。

そんなに嬉しいんですか、周囲に花飛んでるのが見えそうですよ?

 

「それじゃ、モモンガさん。また後で」

「ええ。残念ですが、また夕食時に」

「…間に合うんですか?」

 

最近仕事増えちゃって大変なんですよー!とか言ってなかったか?ついさっき、食卓で。

間に合わせます、と震える声で小さく答えるモモンガさんに笑い、下僕を引き連れて未だ跪くアルベドを置いたまま回廊へと歩み出す。

俺が居たままじゃ顔上げにくいだろうしな、あとは頼みますね。

 

広い第九階層にある娯楽施設を眺めながら時間をかけて散歩しつつ、第十階層へと続く階段を目指す。

 

俺が足を向けた方向へ本日付きのメイド達が先触れに赴くのだが、第九階層にまで足を踏み入れた敵対者は存在しない。

俺の記憶にあるだけでも存在しないし、モモンガさんからもサービス終了まで誰一人足を踏み入れていないと聞いている。

 

それなのに先触れが必要って、なんだろう?

何に警戒してるんだ?

 

今の脆弱な俺じゃ、曲がり角で鉢合わせてぶつかっただけで跳ね飛ばされて重傷を負うってことは理解してるが、ギルメンはモモンがさんしか居ないし、回廊を走る下僕なんて見たことがない。

首を傾げながらも進む先はショットバーのある区画。アバターに似合う雰囲気だから気に入ってよく行っていた場所だ。

久しぶりに覗いてみようと思ったのだが、回廊の先が何やら騒がしく人だかりが出来ている。

 

あれは先触れとして行ったメイド達じゃないか。

ひょっとして、あの人だかりの中に気をつけていた奴がいるのか?

 

常々感じていた疑問が解消するかもしれないと足を早めれば、残って付き従っているメイドが焦り始める。やはり原因は人だかりの中心にいるらしく、メイド達は全員知っているようだ。

聞いても誤魔化してハッキリと答えないし、おかしいと思っていたからちょうどいい。

 

俺の接近に気づいたメイド達が慌てふためくが、気にするなと言い置いて足を進ませ人だかりを割る。傅くメイドと侍従の中心に小さな青いぬいぐるみが一つ。

あれ?

 

「これはこれは!ウルベルト ・アレイン・オードル様!御快癒されたと伺っておりましたが、こうしてお目にかかれるとは望外の喜び!心よりお慶び申し上げます」

「・・・」

「…ウルベルト ・アレイン・オードル様。どうかなさいましたか?」

 

ぬいぐるみが喋った!?



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17話

青い羽根を全身に纏い、金髪を頭上に戴いた、腹に白い羽毛を持つペンギン。

動いて喋って掃除する、セバスに次ぐ副執事長という高位につく身だと三角の腕?を胸元にあてて自慢げに胸を張るぬいぐるみ…もとい、エクレアという名のペンギン型NPC。

 

デミウルゴスが管轄する第七階層の悪魔達なら知っているし、人造人間やアンデッドなら巨大最古図書館で最早見慣れたが、完全獣型のNPCは初めてだ。

近くで見ようと屈めばメイドはおろかエクレア自身が両腕を上げてアワアワと頭を上げて欲しいと懇願する。

 

間近で見ることも出来ないのか、至高の御方って奴はと落胆していると覆面を被った侍従達がエクレアを抱え上げてくれる。

おお、御苦労。これならよく見えるな。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様がこのナザリックにお戻りになられたと耳に」

「ウルベルトで構わん」

「よ、よろしいのですか?」

「長いだろう、いちいちフルネームで呼ぶ必要はない」

「な、なんたる光栄…!」

 

ペラリ、と小刻みに震えるペンギン型ぬいぐるみの片腕をめくってみる。

やけに艶やかだな。

濡れてるのか?と撫でてみる。

ヒンヤリとはしているが濡れてはいない。

もともと光沢のある羽根をしているらしい、興味深い。

 

「ウ、ウルベルト様がお戻りになられたと耳にした時には、ついにこの時が来たと私は確信致しました!」

「そうか」

 

これ、何で出来てるんだ?

素材はなんだろう?

どんなクリスタルぶち込んで課金したら、こんな生き物が創つくれるんだ。誰が創ったっけ?

 

「ついに、この私が!」

「うん?」

「ナザリックを支配する時が訪れたと…っ!」

「ふーん…」

 

抱え上げる侍従の掌の下から掬い上げるように持ってみる。

 

へぇ、あたたかいな。

動くだけでなくて体温もあるんだな。

NPCに直に触れるなんてデミウルゴス以外はしたことがなかったからなぁ、気づかなかった。影の悪魔には体温なんてないし。

デミウルゴスは二つ名にふさわしく炎系のスキルを持ったの最上位悪魔だからか触れれば熱いくらいなのは知ってるが、普通のNPCは触ったことないからなぁ。

でも、こいつは普通って言えるのか?

 

疑問を覚えつつ撫でくり回す。

なんだか癖になる撫で具合というか、体感温度というか、柔らかさというか…。

 

人型でなくても温かいとなると、アンデッド系は冷たくなるのか?

レイス系統は魂を云々とかいう人間種にとっては物騒極まりないフレーバーテキストがあったはずだから、スケルトンとか危険性の少ない奴を触らせて欲しいと今度モモンガさんに頼んでみようか。

いや待て、スケルトン系ならモモンガさんも当てはまる。それはセクハラだ、心臓掌握(グラスプハート)されてしまう。

 

「ウルベルト様には是非、我がナザリック簒奪計画に加担いただきたく…」

「なるほど。お前の言い分は分かった」

「おお!御理解頂けましたか!!」

 

取り上げたペンギンを手に戻そうと侍従が慌てているが、それを強引に抑えつけペンギンを抱えてみる。

 

ほーう、なかなか重いな。

ずっしりしてる。

これ、良い筋力トレーニングになるんじゃないのか?

 

「だが、俺に願うには対価が足りないとは思わないか?」

「た、対価…でございますか」

「そうだ」

 

羽根が生えているのにムニムニとした触り心地とは何がはいってるんだろう、これ。

拷問の悪魔に頼んだら知らせてくれないかなー…ダメかなー…。

創ったギルドメンバーに怒られそうだな。

 

部屋に戻ったら誰が創造主か調べておこうと心に決める。

頼めそうな奴だったら拝み倒して中身調べてもらおう、そうしよう。気になって仕方ない。

 

「悪魔に対価が必要なことなど、このナザリック地下大墳墓の栄えある副執事なのだから知っていて当然であり必須。にもかかわらず・・・」

 

両腕に抱えたエクレアを目線まで持ち上げれば、怯えた表情を作るペンギン。

 

お前。

誰に、何を、願ったか。

分かっているのか?

 

「この私、ウルベルト・アレイン・オードルに、このナザリックを手中にする為、力を貸せと。願ったのだぞ?」

「・・・!」

「相応の対価を払ってもらわねばなぁ」

 

ニヤリと嗤えば羽毛があるにも関わらず、真っ青になったのが分かる。

ほんとモモンガさんと言い、エクレアといい、実に器用でからかいがいがあるなぁ。

 

ま、しないけど。

モモンガさんを裏切るとか、頼まれてもお断りだ。

彼に対する嘘は一回で懲り懲りだよ。

 

青ざめて震えるぬいぐるみは、これ以上言葉を紡ぐことは難しそうだと判断し、小脇に抱える。

 

なんというジャストフィットサイズ。まるで抱えてくださいと言わんばかりの抱え心地に戦慄する。こいつの創造主は・・・先々まで見据えすぎていると断言できる!

どんだけ心地よさを追求してんだ、ありがとう!

 

もふっとした心地よさを小脇に抱えつつ下僕達を振り返れば、付いていたメイドもエクレアを支えていた侍従も呆気にとられた顔をしていた。

なんだ?礼を失したアルベドより失礼だって自覚、あるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小脇に抱えたエクレアはそのままにメイドが開いた巨大最古図書館(アッシュールパニバル)の大扉を抜ければ、伝言で連絡を受けていた司書達が勢揃いで出迎える。

毎日の事だから必要ないと言っても、仕事を止めてまで従わなくて良いと言っても、放っておけと言っても付き従う。

下僕の性質と言うべきか、管理領域にギルドメンバーが訪れるのは誉れであり、従うことが無上の歓びだと嬉々として説明する彼らを見て悟った。これは抗うだけ無駄だと。

 

最近諦めてばかりだな。

ダメだ、気にするな。

気にしたら負けな気がする。俺は負けたわけじゃない、たぶん、きっと、おそらく。

自身の役目について嬉々として語る下僕には勝てない気がするとか思っちゃいけない…。

 

ペンギン…もといエクレアに始終付いている覆面侍従には今日は休みと言い渡し、今日一日このペンギンは俺が連れ回すと伝えてある。

彼らの役目は整理整頓清掃世話。

ブラック企業ですら真っ青の二十四時間勤務だというのだから当然取るべきだろうと強制的に休みを押し付けた。モモンガさんも推奨しているし、ギルド長の指示に従わない下僕は仲間内でも反発をくらうはず。

 

何故そんな勤務形態なんだと問えば、このペンギン、扉一つ開くことが出来ない上に移動にも時間がかかり、その補助をする役目があると…そりゃ、この短い手足じゃ届かないだろうよ…。

それに扉一つ開けられないのは俺も同じ身、なら俺が連れて歩けば手間もかからないし筋力アップにもなると連れて来た。決して撫で具合が気に入ったわけじゃない。そう、気に入ったわけじゃ…撫で撫で。

 

ペンギン片手に目的の書棚から一冊の本を抜き取り、メイドに渡して寝椅子へと戻る。

 

今日も今日とて連絡を受けた司書達が魔力無駄遣いの代表と言っても差し支えない書棚大移動で設けた俺専用の読書スペース。

毎日作っては戻し、作っては戻しを繰り返している呆れ果てたこの空間、俺の気分によって移動すらするという巨大最古図書館(アッシュールパニバル)作製者ですら考えたことのないような贅沢極まりない使い方をしている。

 

司書長のティトゥスに至っては寝椅子自体を創造して魔力消耗しながら提供しっぱなしっていう…違うんだ。俺は普通に共同スペースで読もうと思ってただけなんだ。

ただ初日にちょっと疲れたから溜息ついただけで。

使えない下僕だなんて意図はこれっぽっちも含んでなかったのに、なんでこんなことに…。

 

過去の経緯を振り返り、思わず小脇に力を込めれば柔らかく温かい感触。ああ、癒される。

 

「あ、あの、ウルベルト様…」

「なんだ?」

「副執事長は私共が持ち運びますので」

「そ、それが良いと思いますぞ!私を持ち運ぶのは下僕の仕」

「必要ない、俺が取り上げたしな」

 

メイドとの会話に口を挟むペンギンのくちばしを片手で握り込んで黙らせ、寝椅子に転がす。

ボテッと音が出そうな落ち方をしたペンギンが畏まりながらも後ずさって逃げ出そうとするのを肘で抑え込み、そのまま肘掛がわりにしてメイドから受け取った本を開く。

肘の下でジタバタしているが人の身である俺に遠慮しているのか弱々しいもの、本気で嫌なら弾き飛ばせるのに。

つまり嫌がってはいないと勝手に判断してページをめくっていく。

 

その間にメイドはティータイムの準備を始め、司書達は俺が持ってきた本の開いているページに関連する文献を巨大最古図書館(アッシュールパニバル)中から集め出す。俺が気になった時に直ぐ差し出せるよう準備をしてくれているのだ。

そうして先日髭爺さんが目を剥いた状態になるわけだが、もう爺さんに驚かれることもない。

 

モモンガさんによると下僕達の懇願により俺がここにいる間は立入禁止と申し渡されたらしい…すまん、本当にすまない爺さん…。

下僕の過保護ぶりが何かあるたびに加速度的に増している気がするのは気のせいだろうか。

 

若干遠い目になりながら肘下の温もりを持ち上げて膝に抱え上げる。

 

「ひえ!?」

 

机に開いたままの本を置き、膝に抱えた物体に顎を載せて文字を追う。

ふーん、暗殺虫はこんなスキル構成してたのかぁ…。ドロップアイテムは何々?アイテム図鑑は…お、ありがとう。

 

ドロップアイテムの使い方や効果を合わせて読みたいと視線を流せば、目的のページを開いた図鑑が差し出される。

差し出したのは当然ティトゥスだったが、その眼窩の灯火が俺の目線の下に固定されている。

俺の膝上にはペンギンのぬいぐる…違った、エクレアだ。

 

何とも言えない複雑な表情を浮かべて側に控える司書長。誰も彼も複雑な顔をしているのは俺がエクレアをやたらと構うかららしい。

 

そんなに下僕を構うのが珍しいのか?

俺はよくデミウルゴスの調整や第七階層の改造の際にキャラを弄ったり配置を変えたりしに行っていたんだが。

 

抱きしめていた両腕から力を抜けば、青いペンギンは簡単に膝上から抜け出た。

そこをしっかりと捕まえて再び膝上に抱えれば、膝に乗せた瞬間微動だにしないペンギン…どうした?

 

「お、御方の!膝に乗せていただける光栄に感謝を!!」

「…?」

 

うーん…?

つまり、俺の膝の上に乗るという事態は栄誉…てことか?

 

「はっ、下僕にとってこの上のない栄誉かと!」

 

周囲に侍る下僕達に確認を取るように視線を合わせれば、頷く下僕多数。

マジか。

デミウルゴスを膝に載せたこともないのに、まさか第一号がペンギン型NPCとか…悪くない。

自身の膝にそんな価値があろうとは驚きだが、エクレアの造形を考えれば接触は不可避じゃないかとウルベルトは首を傾げる。

 

どう考えてもエクレアの創造主は自身が彼を持ち運ぶ気満々で作っているようにしか思えないのだ。

サイズ・感触・外見、全てが「可愛い」を基本に創造されているように見える。だから覚えていなかったのだろう。

ひとまず渋い顔をする下僕達を宥めてエクレアには話相手を務めるように言い渡す。

なんせ彼を世話する従僕達に休みを言い渡したのは自分だ、今日一日しっかりと面倒をみるつもりでいる。

 

「ウルベルト様が私の計画に加担下されれば、計画は必ずや成ります!」

「ほぅ…」

 

本の続きをめくりながら、エクレアが滔滔(とうとう)と語るナザリック簒奪計画を聞き流しつつ適当に相槌を打つ。

 

そんな話をするエクレアをメイドや司書達が嫌がり、それとなく離そうとしているがエクレアはウルベルトの肘の下、許可なく強制的に連れ出すことも出来ず苦言を呈すことも出来ない。仕方なく嫌悪を含んだ視線をエクレアへと向けるだけ。

それに気づいて苦笑しつつ、また一枚ページをめくる。

 

途中のティータイムでは出されたミニサンドイッチの欠片をくちばしの中に押し込んでみたり、紅茶を分けてみたりと餌付けもしてみる。目を白黒させながら口に詰められた食べ物を咀嚼しているペンギンはなるほど癒される生き物だ。

 

簒奪計画を誰にはばかることなく延々と語り誘い続ける根性も見上げたもの、それを強引に止めたり排除しようとする下僕がいないのは創造主が設定しているからだろう。

その内容がどんなものであっても、ギルドメンバーが設定したものである限りナザリックに所属する下僕はその存在意義を否定しない。設定されている被造物を否定することは、創造したギルドメンバーを否定することになるからだ。至高と崇める存在を無条件で肯定するのだ、そうあれと設定されない限り。

 

「インクリメント、これを」

「畏まりました。すぐ戻ります」

 

なかなか面白い本だったな、次はどの本にしようか。

読み終わった本を今日の担当メイドであるインクリメントに手渡せば、笑顔で受け取り大事そうに胸に抱きしめて元あった棚へと返却に行く。

 

その姿を見送りつつ寝椅子に転がし肘下にキープしていたエクレアを小脇に抱え直して席を立つ。

次は誰の書棚にしようかと歩き出せば背後に司書達が続く。もう慣れたから止めもせず小脇に抱えたエクレアに目を向ければ、青いペンギンは手足をダラリと垂れたまま諦めたように揺られていた。

 

「それで?」

「はっ、それで…とは?」

「延々と聞いたが、その簒奪計画を実行に移しているのか?」

「勿論でございます!」

 

え、実行してるのか?

それはマズいな、モモンガさんに教えとかないと。

設定による妄言かと思って聞き流していたが実行しているとなると看過できない。ちょっと聞いといた方がいいか?

 

「具体的には何をしているんだ?」

「このナザリック地下大墳墓を簒奪するため、私は常から行動に移してまいりました!」

「ほう。余念がないな」

「はい!我が悲願を果たすため、毎日の行動が大切かと」

 

俺が歩くたびに小刻みに揺らされながらも短いフリッパーを丸め、決意を込めた瞳をこちらに向けるエクレア。

 

「日々!完璧な掃除を行っております!!」

「…」

 

堂々と宣言したエクレアの真摯な瞳が本人の本気を語り、思わず足を止めて腕の中のペンギンを凝視する。

きっと御理解いただける!

そう、ペンギンの表情に溢れる信頼を見た。

 

「…掃除、か」

「はい、『掃除』でございます!」

「そうか…」

 

それから彼の口から語られる言葉の数々。

彼は真剣に簒奪計画を語っているのだろうが、俺の耳が悪いんだろうか?掃除の仕方の蘊蓄(うんちく)にしか聞こえない。

 

如何にして隅に残された汚れを落とすか。

こびりついた汚れの性質によって使う道具や洗剤をどのように見極めるか。

また最終手段として魔法の使用も視野に入れ、日夜新たな簒奪計画としての掃除の仕方を研究し邁進していると語るペンギンの全身からはやる気が(みなぎ)っていた。

数々の書棚を過ぎていても、このペンギン型異形種の語りは止まらない。なんて情熱だ。

 

え?

それでお前、俺に代償支払って簒奪計画に加担させた上で…何をさせるつもりなんだ?

掃除?掃除なのか?

仮にも大厄災の魔だった俺が、(ほうき)片手にゴミ集めなきゃならんのか?

それはそれで面白そうだが…せめてハタキにしてくれないか?

まさか、落ちない汚れの最終手段として俺を使おうとか考えてたりしないよな!?

嫌だぞ、そんな使い方!今は見る影もないが、かつてはギルドで最強を誇る魔法詠唱者だったのに!

 

夕食に同席すると宣言していたモモンガさんに訴える愚痴リスト第一行目に堂々とランクインさせつつ、語るエクレアをそのままに足を向ける棚に対する意識はなかった。

むしろエクレアの語る内容に興味がありすぎて見ていなかったという方が正しいか。

 

 

 

エクレアに向けていた視線の下、輝く床面を見る。

 

 

 

自身が設定して回った階層。

それは第七階層だけではない。

如何に悪を極めるか。

極めた悪は何をなすべきかを考えては提案し実行に移してきた己を思い出す。

 

悪ふざけして極端な設定をしたNPC。

如何に生きとし生ける者が最悪だと叫ぶ環境を創れるか。

生きる為に必要なあらゆる要素を削り、最低限以下の生活を送りながらも課金を繰り返して成した数々を振り返る。

 

これ、どこに繋がってんだろうなぁ…。

あいつめ、顔見たら絶対に殴るからな。

 

そう心に刻みつつ、小脇に抱えた温もりだけを抱きしめて転移罠に身を委ね。

 

諦めの溜息を吐いた。

 

 



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18話

転移罠。

起動させた者を指定された場所に落とす単純な罠である。

 

押されたら、落とす。これだけだ。

だからこそ使いやすく、設置しやすく、かつ探知されにくい。起動するまでは危険性すらないから安価で手に入る使い捨てアイテム。

だが、そんなアイテムがナザリック地下大墳墓では即死級の罠になることもある。

 

何の耐性も装備もなく覚悟もない状態で突如己が居る環境を劇的に変えられたら、どうなるか。

 

第四階層の地底湖に放り込まれれば、水に関連する魔法やスキルがなければ溺れて沈むことになる。

第五階層の雪原に放り出されれば、数十分も経たずに寒さに凍えて動けなくなり氷柱になる。

第七階層の溶岩地帯に放り出されれば、耐えることさえ出来ないまま体の芯から燃え上がり欠片も残さず燃え尽きる。

 

もともとナザリック地下大墳墓は低レベルの人間種が生き残れるような環境ではない。

だからモモンガは許可を出さないのだとウルベルトは知っていた。

 

歩けるようになってからウルベルトは第九・第十階層以外の階層に行ったことはない。

第九階層から上の階層へ行くには転移門を通らなくてはならないし、彼が触れても起動しない。誰か伴を連れて行かない限り管理者であるオーレオール・オメガは転移門を開かないのだ。

 

現実世界の体であることで、彼女は俺を知覚出来ない。

 

遊戯世界の山羊頭の悪魔(アバター)なら持っているはずのギルドメンバーたる気配が存在しないから感知出来ない。

伝言(メッセージ)も使えず、念話(テレパシー)も使用できない。魔法を込めた羊皮紙(スクロール)を持っていても、何の効果も発揮しない。

 

そんな俺がナザリックの中で好き勝手に散歩に出たら、どうなるか。

火を見るよりも明らかだ。

 

何も知らず知性もない自動湧きの(ポップ)モンスターや、新たに加わった全盛期以降(俺を知らない)のNPCに捕まって貪り喰われて死ぬことになる。俺が人間種だからこそ確定と言える結末だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんせ俺達(ギルドメンバー)は、徹底的にPKする(俺達を殺す)人間種(プレイヤー)共を嫌い、憎み、(反撃)していたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏みしめた足元。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よろけながらも何とかバランスをとって倒れ込むことなく済んだ。手元に抱える温もりは変わらず、柔らかな感触を伝えてくる。こちらも落とさずに済んだようだ。

 

視界は黒一色。

全て闇に覆われている。

 

呼吸出来ている。

身体は燃えず、寒さも感じない。

 

この時点で第四、第五、第七階層ではないことが分かった。

考える時間もないまま溺れているか、囚われているか、死に絶えているからだ。

 

次いでしゃがみ込み、失ってもまだマシだと判断した利き手以外の掌で足元に触れる。

微かに湿った感触。

これは何かは分からないが沈み込むこともなく、喰われることもなく、蠢くモノもない。第二階層でもないようだ。

 

「ウ、ウルベルト様。ここは…」

「黙れ」

 

告げた言葉に過剰反応し、腕の中の温もりが硬直する。

レベル1の感知能力など知れたもの、通常の人間と対して変わりはしない。聞こえる範囲、見る範囲、感じる範囲も現実世界の俺達と大差ないのがレベル1。

 

 

 

だがレベル100は文字通り桁が違う。

 

 

 

漏らした声一つ、言葉一つを聞く。

隠したつもりの姿を見つけ、現実であれば遥か遠く認めることすら出来ない距離を軽々と見通す。

 

鷹の目(ホークアイ)を唱えれば、ただでさえ広い視界に更に上乗せされた景色の確保が可能だ。

己が感知する領域すら通常の人間であれば分からない範囲を知る。空気を感知し、振動を察し、現れた相手の体温により上昇する温度すら感知するのだ。

 

知られる要素は出来る限り下げたいと考えるのは必定。

 

 

 

「エクレア」

「はい!」

「魔法は使えるか?」

「侍従ならば使用できますが…」

 

自分は使えないということか、と選択肢の一つを塗り潰す。

 

微かな希望?

ひょっとしてという観測?

そんなものは、この墳墓には存在しない。

 

今あるものが全て、(つちか)い己が血肉になるまで練度を上げていないスキルなど無用の長物でしかない。

 

 ただ、ただ己が持つ純粋な力のみが意味を持つ世界を体現したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文献にも記載してありますし。これ、作れば面白くないですかね!」

「どれですー?」

「これ、無理じゃない?攻略的に」

「アリアドネに引っかかりそうじゃありませんか?」

「成せば為る、為さねば成らぬって奴ですよ!俺達なら出来ますって」

「ええ?確かに面白そうではありますけどぉ…」

 

 

 

「はいはい!

  迷ったときは多数決です。ウルベルトさんの意見に賛成の方は手を挙げて下さいねー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして創造(つく)った、地獄なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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19話


己が創造ったNPCを連れ、転移門を抜ければ青空の下。遠くに見える天幕の数々、その白が目に眩しく映る。

柵の中を行き来する両脚羊を視界におさめても何の感情も湧かず、むしろ結構な数がいることに安堵した。

 

これだけいるのなら、まだまだ実験できる。しばらく補充を考えないで済むのはありがたいなぁ。

 

「ようこそお越し下さいました」

「出迎え御苦労。早速見せてもらおうか」

 

忙しいだろうに今日もしっかりと出迎える彼を労い、足を向ける先は天幕群とはまた別の方角であり目的地。

 

揺れる木々の奥に進めば進むほど陽光は遮られて、影を落としていく。

耳に届いていた葉が擦れる音や鳥の声もやがて聞こえなくなり、足元をくすぐっていた雑草すら枯れ果てて一面が茶色に染まった森の一角にポツンと朽ちかけた小屋が一つ、佇んでいた。

 

なんの戸惑いもなく朱色のスーツを纏った悪魔は主人と同僚の為に、その朽ちかけた小屋の扉を開いて中へと促す。

常ならば主人をこのような相応しくない場所に招くことに忸怩たる思いを抱く彼だが、今は二人をこの小屋の中へと招き入れることに喜びを覚えていた。

 

彼の主人もまた、悪魔の促しに疑問一つ覚えることなく足を止めることもなく小屋へと入っていく。そして、彼の同僚も。

扉を開いたその先には地下へと続く階段が設けられており全く光の射さない階段の奥は暗く闇に覆われているが、彼らには何ら問題はない。彼らには闇を見通す能力があり、魔法があり、力がある。足を進めた主人について二人も共に降りて行く。

 

微かな足音を残して三体の異形種を呑み込んだ階段は、ゆっくりと姿を滲ませて朽ちかけた床面と変わりない姿をまとい、何もなかったかのように閉まる扉の奥に消えていった。

 

 

 

 

 

 

足音響く狭い通路を抜ければ、やがて唐突に広い空間が広がる。

その手前で数体の悪魔が傅き彼らを出迎えた。見窄らしいのは表に建つ小屋のみで、地下には異形種三体が横並びで歩いても触れ合うことなく移動できるほどの通路が縦横に巡っている。その各区画の管理を担う悪魔達だ。

 

報告を促す朱色のスーツを纏った悪魔に応え、各々が任されている区画の報告を述べていく。満足気に頷く御方を見て喜色を浮かべ、施設の奥へと案内する。奥へ奥へと続く通路に光はない。

 

こちらへ。

 

促す悪魔達の導くままに主人は伴を連れて歩き出す。

静かな通路に彼の方の足音が響き、闇の中で左右から足元を薄明るく照らし出すのは四角く切り取られた縁。

その一つに足を止めて視線を流せば、中には肉の塊が蠢いていた。

 

皮膚を持たず肉が剥き出した姿は赤と青の毛細血管を身にまとい、体液を滲ませて濃い桃色をした肉を揺らしている。

ぐちゅり、ぐちゅりと音を立てながら壁に添って進み、突き当たっては動きを止めて暫くすれば突き当たった壁に添って動き出す。ぐちゅり、と音を立てながら。

 

それが動いた跡にはぬらぬらと光る太い筋が残り、それを延々と繰り返しているのか壁側に添った床面だけが湿っている。延々と繰り返していると理解できるだけの知性も残されていないようだと悟って、つけもしない溜息をついた。

 

これ(・・)では使えない。

 

対面に位置する四角く縁取られた空間へと緋色の灯火を向ける。四角く切り取られ硝子が埋め込まれた先に縋りつく物体は成れの果て。

 

ありとあらゆる場所から口と思われる亀裂が生えては呟きを残して体表から消えてゆき、ブツブツと意味をなさない言の葉を残してゆく生命体。

これが生まれた時、彼の方が再誕されたかと喜んだ悪魔は多く、御方の世話をと希望した者も多いが時間が経るにつれ彼の方ではないと悟り怒りと失望と共に放置されているモノだ。

 

そんな成れの果てが収められた箱が続いている。

視線を巡らせれば見える幾つもの枠。少し進んだ先にある十字路を左右に曲がっても同じ光景が幾つも並んでいる。幾つも、幾つも、幾つも、幾つも。

そしてそこには同じようなモノが何体も収められているのだ。今現在も生み出され、これからも収められてゆく。

 

「なかなか上手くゆかぬようだな」

「はっ。形をほとんど残さず崩れてしまいます」

 

主人の言葉に残念そうに眉を潜めるスーツの悪魔は貴重なアイテムを無駄に消費したことを主人と同僚に詫びた。

だが元々は自分が持ちかけた話、彼のせいではないと主人は取り合わず同僚もアイテムの消費を悲しみつつも、及ぼす効果が様々とは興味深い!と嬉しげだ。こちらの世界でのアイテム使用による効果と解明に興奮している様子。

頬に笑みを滲ませてスーツの悪魔は更に奥へと二人を促す。幾つもの枠を横目にしながら彼らは何の興味も示さぬまま、やがて足を止めたのは小さな部屋。

 

その中央に椅子に縛られた状態で腰掛ける男が一人。

こちらの音に気づいたのか弾かれたように顔を上げ、左右へと仕切りに顔を振っている。

 

嫌だ嫌だと言わんばかりの姿に「御方々の御役に立てるというのに」と案内する悪魔が顔を顰める。

これだから下等生物は…と言いたげな表情をしていたが、小さく首を振り気分を入れ替えて部屋の中にいる配下へと合図を送る。

小さく礼をした配下は男へと近づいた。

 

闇の中での出来事。男にとったら物音がして恐怖に震えた次には眼前に見たこともない悪魔がいるのだ。恐怖以外の何者でもない。

度重なる皮の採取で弱り切っていたはずなのに、部屋どころか通路に響き渡る絶叫を上げて拘束から逃れようと身をよじる。

 

「…煩いな」

 

御方の思わず漏れた呟き。

いつまでも続く耳障りな絶叫は、それを好む悪魔達にすれば甘美な響きだが御方の耳を煩わすものでしかないとスーツの悪魔が男に声を発することを禁じる。

何かをされたわけでもないのに声が出なくなったことで男は更に混乱したが、彼らが羊の心境を気にすることもなく男の側に控える配下に首肯すれば配下の悪魔が男の前で掌を開いた。

 

手の上にのっているのは小さな小さな楕円形の物体。

それを大切そうに指で摘み、男の額へと押し当てる。するとそれは男の額へと突き刺さった。

悪魔が指を離してもそれは刺さったまま、男は顎の拘束が外れたことでそれを振り落とそうと激しく頭を振るが落ちることはない。

それどころか額に刺さった楕円形の物体は、埋まっていない側がまるで花開くように六片に分かれて埋まった先と同じように額へと突き刺さる。

そして刺した切っ先部分から皮膚の内部へとその先を伸ばし始め、男の額はおろか顔を過ぎ首へと頭蓋骨の側を潜って皮膚を盛り上げながら下へ下へと進んでゆく。

 

「侵食が始まりました」

 

絶叫を上げているのだろう、顎が外れんばかりに大口を上げて何かを振り落とそうとするかのように上半身を絶えず動かす。

それに応じた悪魔が男の拘束を緩めれば、椅子から崩れ落ちるように床へと転がり額を掻き毟るが埋め込まれた物はなく、自身の血を滲ませるだけ。

 

六片が潜り込んだ先を阻もうと考えたのか、頬へと爪を突き立てるが柔らかな皮膚を切り裂くのみで皮膚の下へ下へと潜り込んだモノの欠片も掴めない。むしろ頬の中へと突き立てられるだけの鋭利な爪があること自体がおかしいと、己の両手を目の前にかざせば自分の両腕が黒く染まり、鋭利な長い爪が生えて始めている。

 

「成功か?」

 

人としての体を保ちながらも変化する男に悪魔の主人は喜色を浮かべる。

 

体が作り変えられていると知り、その元凶である配下の悪魔から逃れようと縋り付いたのは硝子だった。通路の闇に紛れてスーツの悪魔の尾が見えなかったのだろう。尾に気づかなければ彼は同種にとても良く似ている。

助けてくれ、と喚いているのか口を大きく動かしている。ぱくぱく動く口は実に滑稽だが、その姿を眺めている間にも変化は進んでいる。

 

両手だけではなく徐々に肩まで黒く染まり、両目からは血涙を流している。

その瞳自体も一度苦しみながら目を押さえ、次に目を開いた時には瞳孔は縦に割れていた。虹彩も美しい海のような蒼だったのに今は真紅に染まっている。

 

助けて。

助けて。

助けてくれ。

 

必死に呼びかけても声にならず、同種だと思った男は笑みを浮かべるばかり。

 

痛い。

嫌だ。

変わりたくない。

 

訴えても言葉にならず、スーツの男の隣に佇む骸骨がこちらを指差し、傍らに控える軍服姿の異形種へ語りかけているのが見える。

これまで見たことのない姿をした異形に怯えて後ずさっても、その先にいるのは力では到底かなわない悪魔達。

 

殴りかかっても簡単に自分をねじ伏せ、肩と腕を握る悪魔の腕。

子供を抱きかかえ、妻の手を引いて逃げても捕らえられ、筆舌に尽くしがたい目にあわされた。器具から逃げようと身をよじっても微動だにせず、四肢を押さえる悪魔の群れ。

逆らっても連れて行かれ、泣き喚いても皮を剥がれ、愛しい妻も可愛い子供も奪われた。哄笑をあげて愉悦に歪む悪魔の顔。

それでも死ねず、血と肉に塗れて転がる己の目の前で妻と子供を弄ぶ。目をくり抜かれ鼻を削がれ頬を抉られ胸を切り落とされ、泣き叫びのたうちまわる二人を嬲り、あらゆる箇所を剥がして悦ぶ悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔。

 

助けは来ない。

人間なんて一人もいない。

妻と子供はやがて仕打ちに耐えかねて糸が切れたように物言わぬ骸と化した。

 

英雄なんて物語にしか居はしない。

神など信じて敬虔に、真っ当にと生きるだけ無駄だったのだ。

日々感謝の祈りを捧げていても誰も助けに来はしない。次は自分ではないようにと、目を逸らして震える奴しかいなかった。

 

自分の血に塗れた床を転がり間近で止まった子供の眼球は硝子玉のようで、誰にも奪われるものかと腹に納めて幾日過ぎた?

救いはないのに、なんでオレは、いつまでもナニかを待っているんダロウ…?

 

体内でプツリと何かが切れる音を聞き、彼は何もかもを放棄した。

 

 

 

 

 

「あああぁぁぁぁーあーあーあーあーああぁ…」

 

目の前で泣きながら硝子にすがっていた男が突如動かなくなり、小さく震えたあと声を上げながら見たことがないほどの大口を開ける。

顎の関節部分を己の筋力だけで捩じ切ったような開口。上下に開いた唇の左右が裂けて上唇は頭頂部へ、下唇は顎を包み込み更に降って胸近くまで達している。そして変化は収まらず更に開いて自身を包み込んでいく。まるで皮をかぶるかのように、殻に閉じこもるかのように唇は更に裂けて、背中から腹に達しても止まらない。

 

「やはり、こうなりましたか…」

「なんと!このような変化が幾度もあったのですかっ」

 

突然の変化に眼窩の灯火を大きくして驚く主人に気づかないまま、スーツの悪魔は残念そうに呟いた。

同僚の言葉に苦笑を浮かべて小さく頷く彼は、目の前で変化し続ける人間だったモノが溢す呻きか嘆きかに愉悦を覚えているようだが、その一方で一向に進展しない実験に僅かながら苛立ちも感じているようだ。

 

「ある一定の変化までは耐えるんだが何か一線があるらしくてね。一定を超えると姿形を保てなくなるのだよ」

「なるほど、その一定を超えた時点でこれまでと同様!崩れて面影すらなくなってしまう…と」

「御方の求める結果を一向に用意することができない己が身の不甲斐なさ、大変申し訳なく思っております」

「…かまわん。その為にパンドラズ・アクターを伴ってきたのだからな」

 

枠の中を眺めたまま動かない主人にスーツの悪魔が膝をついて詫び、それに気づいた主人は頭を上げろと促す。

敬愛する主人が己の名を口にしたことで喜びを体現するポーズを決める被造物。

それを目に納めて緑色に光る主人。もっとも、その光は誰にも見えないのだが。

 

「人の扱いに長けているデミウルゴスに、アイテムの扱いに長けているパンドラ。協力すればより良い結果が得られよう」

「はっ、微力を尽くします」

「くわぁしこまりましたっ‼︎」

 

胸に手を当てて鋭利に微笑むスーツの悪魔の傍で、黄色の軍服姿の貌無しが敬礼する。踵から素晴らしく響く音を鳴らして。

それを見て再び緑色に発光する主人。だが、その光は残念ながら誰にも知覚できていない。

 

彼が創った被造物はこんなにカッコいいのに、なんで俺が創った被造物はこんなに残念な出来になっちゃったかなぁ。

同じ病気にかかっていたはずなのに結果が天地の差って、なんでだろう…。

 

一抹の虚しさを空洞の胸に秘めつつ、「頼んだぞ」と声をかけて再び枠の中へと視線を投げれば、そこには既に変化を終えて丸々としたピンク色の肉の塊があった。

 

テラテラと滑り光る塊は先程通り過ぎてきた枠の中にいたものと同じもの。ただ体表を流れる体液が先程よりも多い気がするのは、変化したてだからだろうか?

床を濡らす体液は次から次へと体内から湧いて出て、まるで涙をこぼしているようだと感じたが即座に首を振る。

 

ただの肉の化け物は感じないし考えない。ユグドラシルでは人肉を食すNPC用の嗜好品として消費するだけのアイテム扱いだったモノだ。

 

経過観察は必要かと、悪魔達に一定期間更に変化することがないか確認するよう言い渡す。

彼に合わせて出来るだけレベルが低い成人男性を選んで実験を行なっている。

失敗続きなのはレベルの問題か、それともこの世界でアイテムが変質したか。人種の問題もあるのかもしれない、彼に合わせて黒目黒髪を集めて行う区画も作るとしよう。

 

「…と思うが、どう思うか」

「素晴らしいお考えかと存じます!」

「はいっ、同条件を揃えれば揃えるほど安全性が〜…ん増しますからっ!」

「安全性か。そうだな、それは重要だ」

 

ウキウキと相談を始めた被造物と悪魔は矢継ぎ早に意見を交わし、見る間に綿密な計画をたててゆく。側に控える配下に指示を飛ばし、まるで以前からの気の合う仲間のようで微笑ましく、彼らなら任せておいて問題はないかと主人は灯火を細めた。

 

「ああー…あぁぁぁ、あー…」

 

嘆きとも呻きとも判断がつかない声をあげながらゆらゆらと進み始める肉の塊。

よろよろと前に進み、またひとつ前に進む動作がまるで何か失ったものを求めているかのように見えた。

 

「お前に感謝しよう、名も知らぬ人間よ…」

 

眼窩の灯火を揺らめかせて進む肉塊を眺める。

その姿に気づいた下僕達も声を潜め、呟く主人を見つめて跪く。

 

「お前のおかげでひとつ、実験が済んだ。これはとても大切な実験でな、僅かな情報でも積み重ねが必要なのだ」

 

ひとつ進んでは体中から体液を溢れさせ、床を湿らせて水たまりが出来そうなほど長い時間をかけて進む肉塊。

何を求めているのか、何かを欲しているのか。

それだけを求めて愚直に進もうとするそれを飽きもせず眺めていた主人は、やがて…そっと顔を伏せた。

その姿にスーツの悪魔も軍服の顔無しも気遣う色を相貌に刷くが、主人は気づかない。

 

求めても求めても得られない。

今日こそは、今日こそはと待っていても誰も訪れず、胸中に残る虚しさは…よく知っている。

 

「お前の献身に報いよう。お前の家族、血縁は我が国で安寧を得る権利を得たのだ。誇るがいい、身一つで贖えたのだからな…デミウルゴス?」

 

理解したかと無言のうちに問いかける主人に応え、悪魔は深々と頭を垂れて承諾の意を伝える。

 

この身を捧げれば戻って来てくれるのであれば、いつでも、いくらでも捧げたのに。現実世界には取引するような悪魔は存在しなかった。

だが今は違う。あの頃とは違う。居るのだから失わぬ方法を何としても見つけ出すだけ。

それをすることが出来る力が、今の俺にはあるのだから。

 

「お前のおかげであの人を留める術に一歩近づいたかもしれないのだからな」

 

そう呟いて微笑(わら)う主人に軍服の顔無しも跪いた。

 

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)

 

己の慈悲深い創造主が望むのならば叶えると思わぬ被造物は存在しない。

最早進むことしか出来ない肉塊にすら慈悲を施す我が神のなんと慈悲深いことか。被造物の胸には創造主を讃える言葉が豪雨のように降り注ぎ止む気配を見せない。

 

やがて肉塊を眺めていた主人が次を促し、応じた悪魔達が更に奥へと主人を促す。

 

その先に居るのは哀れな羊。

抵抗など考えられず、ただ静かに身を潜めて災禍が去るのを待つ羊か。はたまた牙を折られて転がる羊か。または自己犠牲に悦を覚えて自ら身を捧げる羊か。

どんな羊であろうとも羊であるなら変わりないのに、羊だけが気づかない。

 

 

 

捕食者達は高らかに嗤い。

 

新月の夜に啼き叫びながら

 

羊達は踊り狂う。

 

 

 

全ては慈悲深く、御優しい御方々の為にあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

突如入った伝言に思わず言葉を失った。

その声に注目する下僕達の視線を集めているのは理解しているが、それどころじゃあない。

 

「見失った…?」

 

血の気など存在しないはずなのに、かつてないほど血の気が引いて貧血を起こしそうな感覚を知る。

一気に目の前が暗くなった。

立っているのが辛い。

けど、何もしていない方がもっと辛い…!

 

「どういうことだ!!」

 

怒鳴り散らしてもどうにもならないことは理解していたが、それでも鎮められないのが感情だ。

 

何時だ。

どれくらい時間が経った?

即座に連絡したのか!

そもそも彼の行動範囲内の罠を解除していないとは何事だ!

 

「今すぐ探せ!侵入者は全て捕らえよ、無傷でだ‼」

 

環境耐性系のアイテムは彼を経由するから(ことごと)く無効だったはず!

何故こんなことになったんだ!!

 

実験施設建立の視察に訪れた御方へと入った伝言に取り乱す様子を見て動揺する悪魔多数。

 

 

「無傷で保護せよ!

 ウルベルトさんに傷一つつければ只では済まさんぞ…っ!!」

 

 

口に出した固有名詞に目の前にいたスーツの悪魔から表情が抜け落ち、この上なく悲壮な顔が真っ青に染まる姿を初めて見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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20話

感想、お気に入り登録、評価、いつも誠にありがとうございます。


数多くの書棚に囲まれた図書館でも書棚と書棚の間は広く、警戒は怠らず御方が向かう先々に目を通していたのに。

 

「ウルベルト様!」

「ウルベルト様ガ!」

 

御方の足元に唐突に陣が現れ瞬く間に御方の姿が呑み込まれたのだ、執事助手と共に。

 

光を認めた瞬間、御方を遠ざけようと駆け出しても間に合わず姿が消えるのを見送ることしか出来ないとは。

なんという体たらく、これが護衛と言えるか!なんと無能な下僕なのか!

 

「ウルベルト様!ウルベルト様ぁぁ!!」

「お待ちください、ウルベルト様っ」

 

後方に控えていたメイド達が駆け寄れど既に姿はなく、縋り付いても華奢な指が柔らかな木で出来た床材の上を滑るだけ。司書長が即座に大図書館中の捜索を指示するが姿形も見当たらない。

 

転移罠の痕跡を探しても僅かな光を残して消え去ってしまい、どこに繋がっていたのか探すことも出来ない。

設置した者にしか行き先は分からないように出来ているのかもしれぬとホゾを噛む。

 

他に同じような罠がないかと付近を探っても1つも見つからず、起動のための条件があるのではないか。

それとも御方を巻き込み起動したアレが設置された最後の罠だったのか判別出来ない。

一帯からメイドを引かせ、出入り禁止にしつつ己ができる最善を考える。

 

「スグニ、アルベド様ニ連絡ヲ!」

「はいっ」

 

幾人ものメイドと共に数体の暗殺蟲が止める間もなく駆け出し、司書の一体が守護者統括へと伝言を飛ばす。

大墳墓で起こった異常事態、本来であれば防衛指揮官としての任を賜る守護者や直属の守護者へ即時連絡に駆けるところだが双方共に賜った任務をこなすため不在。ならば守護者を纏める役を賜る彼女に連絡するのが筋だろう。

 

そしてもう一つ、アインズ様よりウルベルト様に何かあった場合には即座に連絡するよう指示を受けている。

 

決して無くさぬよう自らの身に縛り付けて持ち歩いていた羊皮紙を開く。叱責を受けようが自害を賜ろうが、この重大事を己が直接慈悲深き御方に伝えねば気が済まない。

開いた羊皮紙はすぐに燃え尽きて、御方へと意識を繋ぐ。

 

『暗殺蟲か、どうした?』

「ウルベルト様ヲ見失イマシテゴザイマス」

『え?…見失った?』

 

御方の絶句ととれる沈黙に身を刻まれるような恐怖を抱くが、この身を惜しむつもりは毛頭ない。

 

『どういうことだ!』

「第十階層大図書館ニテ転移罠ガ発動シ、ウルベルト様ガ巻ガ込マレマシタ。コノ罪、如何様ニモ償イマスユエ!ドウカ、ウルベルト様ノ捜索ヲ許可願イタク…何卒!」

 

自害を命じられる前にと、目の前に御方がおられないことは百も承知で床に頭を伏せ懇願する。

己の無能は身に染みて理解したが、せめて御方に無事第九階層へお戻り頂いてから果てることを御許し願いたい、その一心で言い募る。

返ってきた御方の命は無能な下僕に与えるには過分と言えるほどの温情溢れる命令。

 

『今すぐ探せ!侵入者は全て捕らえよ、無傷でだ‼︎」

「畏マリマシタ!」

『無傷で保護せよ!ウルベルトさんに傷一つつければ只では済まさんぞ…‼︎』

「元ヨリ承知!温情感謝致シマス‼︎」

 

プツリと切れた念話に伏せていた頭を上げて仲間達を見れば、既に察していたのか全て集まっていた。

司書長に守護者統括への説明をお願いすれば、静かに頷き任されたと確約してくれる。

 

「我が管理領域で起きたこと。御方々へ御詫びの言葉もない」

 

司書長としては御方を迎えるにあたり万全を期したのだろうが罠をひとつ見落としてしまったことは明らかな落ち度。

忸怩たる思いを抱えているのだろうが貴殿のせいではないと慰めることもできない。

この場にいる者全てが失態を犯したのだ、御方の身に万が一にもあってはならないこと。御方を危険に晒しているのだ、今現在も。

 

あとは頼むと言い置いて九体を率い、大図書館を駆け抜ける。

八肢全てを使っての移動術は速度特化の下僕の中でも上位に位置する速度を誇る。その速度をもって回廊を駆け抜け転移門へと向かう途中、メイド達を後ろに従えた統括が優雅に第九階層から降りてくる姿を目に納める。

 

慌てるメイドの話に耳を傾けながら困り顔で階段を降りる姿は優雅そのもの。

 

回廊を走る我らに気づいて声をかけてきたが、会釈のみを返して駆け抜ける。

御方の身の確保が最優先、統括殿の話はのちほど別の者が伺うように伝えておくとしよう。一刻でも早く御方を見つけ、無事にお戻り頂かなくては…!

十体の八肢の暗殺蟲は一陣の風にように第九階層を駆け抜け、転移門へと飛び込んだ。

 

 

 

 

一方、肝心の捜索対象者は。

 

 

 

 

「御方が地に腰を下ろされるなど、土に塗れるも同然の行為。この私に箒さえあれば!この程度の領域、一掃し征服してお見せしますぞっ!せめて布巾の一枚もあれば…はっ、道具に頼らぬ簒奪をなせとの示唆では…!これは新たな簒奪課題と考えるべき、むご…」

 

くちばしを抑えられながらも滔滔(とうとう)と語るペンギンを抱えて、光が一筋も刺さない場所で呑気(のんき)にしゃがみ込んでいたりする。

 

 

 

 

 

 

御方が消えた書棚の前に佇む守護者統括に対して司書長が経緯を告げ、彼女の指示を仰ぐ。

側には幾体もの死の支配者が控え指示通り動けるようにと耳を傾けているが、彼女は棚に目を向け罠が張られていた床へ目を向け、何かを考え込んでいるようだ。

 

「アルベド様、何か?」

「いえ…」

 

一向に御方を探す指示を出さない彼女に不信を感じ目を向けるが、その表情は浮かない。

 

「おかしいわ。アインズ様から指示を受けて現在各階層の罠は必要最低限の罠を残して停止しているはずなの」

「それでは、この罠は…」

 

ここは第十階層、必要な罠など玉座の間以外には存在しないと言っても過言ではなく、思わず発動した場所を見返す。

この罠はナザリック地下大墳墓の防衛システムに組み込まれていない罠?そんなことが可能なのか、最奥であるこの第十階層に罠を張ることが出来る者が侵入したと?

 

「アインズ様に御報告に上がらなくてはならないわ」

「それであれば八肢の暗殺蟲が既に」

「…アインズ様に?」

「ウルベルト様に関わることです、当然かと」

 

何を不思議がっているのかと首を振る司書長の耳に微かに舌打ちのような音が聞こえたが、振り向いても守護者統括が微笑んでいるだけ。

その彼女の背後でさざ波のような騒めきと共に足音高く至高の主人が現れる、背後に二人の守護者を従えて。

 

足音を耳にした瞬間、慈愛という言葉を体現するといっても過言ではない微笑みが花開くように瑞々しい大輪の花を思わせる笑顔に変わり、振り返る。

 

「アインズ様!御戻りを出迎えもせず、大変失礼を…」

「よい。状況は?ウルベルトさんは見つけたか」

「只今八肢の暗殺蟲が捜索に向かい、私達は現場の確認を致しておりました」

「そうか。すぐ各階層守護者、領域守護者に通達を出せ。この書棚は…」

 

統括の言葉に耳を傾けながら即座に大図書館の閉鎖を下知し他に罠がないか調査することを厳命する。

接近、または接触によってしか発動しないタイプの罠であれば再び起こる可能性が高いのだから当然の処置。

 

「畏まりました。シャルティア、ヴィクティム両名に各階層を調べるよう通達致します」

「…二人だけか?」

 

複数いる守護者のたった二名しか上がらない名に疑問を覚えて尋ね返すが、理由を聞いた主人は頭を抱えた。

 

シャルティアは第一、第二、第三階層の守護に残っているが、コキュートスはリザードマン及びクアゴアの村の統治に出ずっぱり。

ガルガンチュアは動かせず、アウラは大森林周辺の任務に赴いている。

マーレは自分とパンドラ及びアルベドが不在の魔導国で留守番中であり、セバスに至ってはウルベルトさんの散歩時間に合わせてデミウルゴス管理の牧場に必要な食材の調達に行っているとは。

 

そして肝心の防塞指揮官たるデミウルゴスは牧場の管理と実験、魔王計画などなど多岐に渡る任務で不在がちであり、パンドラは彼自身が呼び出して伴っていたのだ。最優先事項を睨んだつもりでいて、肝心要である彼の周囲を手薄にするとは。

 

「アルベドは両名に彼の捜索を指示、全ての下僕に即座に人間種への危害を加えることを禁じろ」

「…承りました」

 

指示を成すべく深々と頭を下げて淑やかに大図書館を歩み去る女淫魔。

それを視界の端に納めながら主人は空間へ片腕を突っ込み小さな宝箱を取り出す。

 

人材豊富と思われたナザリックだが、こうしてみると案外人手が足りない。

第九、第十階層だから安全だと安心していたが、今の非力な彼にレベル100の守護者を常時の護衛としてつけていないとは迂闊すぎた。

彼が戻れば即見直そうと反省もそこそこに背後に控える二人へと振り返れば、捜索の指示を今か今かと待ち望む最高位悪魔と創造主の期待に応えるべく張り切る軍服の顔無し。

 

開いた宝箱の中に大切に納められている幾多の指輪のうちの二つを手に取ると悪魔と顔無しへと手渡し、驚愕を相貌に刻む被造物達を黙らせて命令を下す。

 

「こ、これは!」

「緊急事態だ、使用を許可する。デミウルゴスは第七階層、パンドラは第五階層だ。部下を使って捜索、並行して守護者不在の階層を捜索せよ」

「畏まりました!」

「待て!」

 

即座に立ち上がろうとする彼らを留めて、首を振る。

 

「前言を撤回する、彼の身が最優先だ。何を使っても構わん、許可する」

「御方の下知、承りました!」

「連れ帰れ。必ずだぞ」

 

主人の厳命に双方が深々と頭を垂れ、指輪を装備すると一礼と共に転移する。

それを見送り、膝をついて深々と謝罪の意を示す司書長と司書達に視線を向ければ更に深く頭を下げる。

 

「御方様、我が管理領域において御方に害を成すことになり。此度のことは我等の首でもって贖う所存にございます…」

「待て、面を上げよ。私は検めなくてはならない場所があるのだ、歩きながら話を聞くことにしよう。何があった」

「はい…」

 

そうして経緯を聞き出しつつ第九階層へと彼らを引き連れる。

 

彼は自身の手で扉を開くことが出来ない。

つまり自身の部屋だけでなく他のギルドメンバーの部屋へ強制転移させられても出てくることは出来ないのだ。

 

自身の創造主だけでなく至高の御方々と崇める者達の私室を、清掃業務時間以外にみだりに開くことは赦されないと下僕達が戒めているのを知るモモンガは自ら扉を開くべく回廊を進む。

 

ギルドメンバーの中には「うぇぇぇぇいっ私室!なんて甘美な響き…実験施設創るぞぉぉぉ!」とか「私の趣味満載にして、い い ん で す よ ね ?」とか「鉄の処女は絶対配置しないと。牡牛の銅像とか、あとは…あっ、予算。ちょっと稼ぎ(PKし)に行ってきますね!」などなど不穏な発言をしていた者達がいた。

 

その施設に彼が巻き込まれている可能性も無きにしも非ず。

凝り性が集うと素晴らしいものが出来上がり、その出来栄えにも拘りにも愛情を感じるほど自慢に思う仲間達だが、彼等の趣味が彼を傷つけるとか洒落にならない。

 

モモンガは彼らの説明を聞きながら階段を駆け上りつつ、私室を開ける合鍵を探し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

一方、その頃彼らが探し求める捜索対象者は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「御方様」

「戻ったか」

「はっ!影の悪魔、御身の前に」

「「「御身の前に」」」

「御苦労。報告を聞こうか」

 

ペンギンと共に闇に置き去られた御方に異常を感じ、影から這い出る影の悪魔を使って周囲の索敵を終わらせていたりする。

 

 

 



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21話

ギルドの指輪を使い現れたのは大白球(スノーアースボール)

その前に黄土色のコートをはためかせながら降り立ち、雪上についたブーツが柔らかな雪に捕らわれて沈み込む。

 

歩いて進める深さなら御の字。

場所によっては腰から上まで埋まり、身動きが取れない状態でモンスターに襲われることもある第五階層。

通常の警戒状態であれば、ただ進むだけでも凍結による継続ダメージや移動阻害効果が続くため対策は必須、種族特性に耐性を持っていなければ確実に装備枠の一つを潰すか、MPを削り高位のバフで耐性を得なくては探索することも難しい。警戒状態が解除されている現在は吹雪などの天候で煩わされることはないものの、気温が氷点下であることが当たり前という体温を持つ生物には非常に生き辛い階層である。

 

穏やかな天候の中、表面に積もる雪の結晶が風に吹かれて空中を踊り煌めく様が見られ、実に幻想的。

凍りついた樹木も光を反射して瞬き、千変万化の顔無しが吐く呼気も口元から吐き出された瞬間に凍りつき、細かな氷の粒となって煌めきながら宙を舞う。時折降る雪が雪原についた足音を消し、積もった雪が音を吸収する。凍り付いた木々には氷柱が垂れ、雪を掻き分けた足元には凍り付いた河が広がる静寂に包まれた白銀の世界。

自然に縁のない現実世界の人間達にとっては、まさに夢のような世界だろう。

もっともこの絶景をダメージを受けることなく眺められるのはギルドに所属するメンバーくらいなものなのだが。

 

彼の転移に気づいた門番の知らせにより大白球(スノーアースボール)から雪女郎(フロストヴァージン)達が出迎え、それに恐縮しつつも自己紹介を怠らない顔無し。

本日も彼のムーブが冴え渡る。

 

創造主がこうあれ!と定めた存在意義そのままに大仰なアクションを披露しつつ、最後まできちんと動作を決めて見せた。上げた腕、軍帽の角度、視線の位置から全体のシルエットに至るまで隙なく完璧に。

主人が見ていたら連続して緑色に発光していたことだろう。くどいようだが、その光は誰も知覚出来はしないのだが。

 

「初めまして、お嬢さん方!ん私はパンドラズ・アクターと申しますっ、以後…お見知りおきを」

「こ、これは御丁寧に…雪女郎でございます」

 

困惑しつつも御辞儀で応える彼女達の心優しさに感動しつつ、顔無しは要件を切り出す。

守護者不在の階層を検めよとの創造主の命、彼の方を無傷で連れ帰れと仰せなのだから。

 

「此度は私の創造主たるんー…アインズ様!!の命により階層探査に参りました」

「あ、アインズ様の被造物でいらっしゃる?」

「探査を命とは、一体何があったのでしょうか?」

 

二種類の驚愕が場を占めているのに多少首を傾げつつも顔無しは説明を怠らない。

階層守護者の不在は彼らに従う下僕にとっての重大事、その留守を預かる間に不祥事を起こしたかと不安に駆られているのだろう。

気持ちは痛いほど理解できる。

自分とて自らが不在の時に宝物殿からアインズ様並びに御方々が集められた至高のアイテム類に支障が出ていたら、創造主にどのように詫びればよいか!考えるだけで身が竦みそうな事態だ。

 

「探査要件はウルベルト・アレイン・オードル様の捜索です」

 

周囲に集っていた彼女達の表情が驚愕に歪む。

 

第九、第十階層の下僕以外の階層の下僕達は、至高の御方々の一柱たる彼の帰還を知らされてはいたが姿形を確認していない。

現在は悪魔種ではなく人間種であることを考慮し、ナザリック内部の混乱を避ける為に二人で詳細は控えようと話し合って決めたことだが、それが完全に裏目に出ていた。やはり知恵者と定められた三人の内のいずれかに相談すべきだったのだろうが、今さら言っても仕方がない。

よって彼女らは今現在の御方の姿を知らず、至高の御方たる証である気配が一向に増えないのは何故なのか不思議がっている状態なのだ。

 

「今現在、侵入者及び人間種への攻撃を一切禁止し無傷で捕らえよとの命が出ているはず…ですが…」

 

驚愕を刷いた表情が更に驚くのを目にした顔無しが「おや?御存知ではない?」と尋ねれば、そのような通達は受けていないと彼女達は答えた。ふむ、と一つ頷く顔無しは何も問題はないと笑う。

 

「御手数をお掛けしますが領域守護者及び下僕の皆様方に通達をお願いします。私は一足先に探査を行わせていただきますので」

「畏まりました」

 

慌てふためきながら通達に向かう雪女郎を尻目に彼は軍帽に指を引っ掛け、深々と被りなおした。

気を取り直すように短い息を吐き、空中に氷の粒をまき散らしながら肩を竦めた次の瞬間、ぐにゃりと全体像が歪む。

他に所用があるかもしれないと控えていた雪女郎が驚き一歩後ずさる目の前で、軍服の顔無しの姿は彼女らの良く知る姿へと変貌を遂げた。

 

その姿を取る者が彼の方ではないのは分かっている、目の前で変化したのだから。

だが、その姿を目にして跪かぬわけにはいかない。彼の方々の姿を違える下僕はいない。

 

「ぬーぼー様!」

「そのとぉぉぉぉりっ!で、ございます。探査に最も相応しいのは彼の方かと!!」

 

御姿をお借り致しましたと深々と腰を折り、直った時点で発動する彼の技。

発動のエフェクトと共に周囲に散る目を最大有効範囲まで飛ばし、くまなく探す御方の姿。レベル100の異形種という初めから備わっているステータスに輪をかけた感知能力は、効果範囲内に存在する生物の体温だけでなく鼓動、状態に至るまで詳細な情報を彼に与えてくれる。流石は至高の御方だと感嘆しつつ、大白球近くにはいないと断定して移動を開始した。

 

階層守護者に比べれば多少時間はかかるがギルドの指輪の転移機能と合わせれば、各所への通達よりも遥かに早く階層内を調べ終えることが出来る。彼の方が凍りつく前に確保することも可能だろう。

 

流石は我が君!と自らの創造主の智謀を讃えて憚らない被造物。

実際には貴重・希少性・価値云々よりも効率最優先を狙った結果なのだが。

 

第五階層を捜索していらっしゃらなければ第四階層に移動することにしましょうか、と千変万化の顔無しは転移先で再び御方の技を展開しながら考える。

 

デミウルゴス殿は第七階層、己が守護階層にいらっしゃる。

不在階層は第五、第六。けれどガルガンチュア殿の起動に時間と金貨がかかる第四階層も言わば階層守護者不在の地と言えるかと。彼であれば私がこのように判断することも察してくれるでしょうし。

 

そうしよう、と頷きつつ範囲内の探索を終了し御方が居ないことを確認する。

では次だとギルドの指輪を起動して、再び移動し探索する。この繰り返し。

彼の方を見つけて無事連れ帰れば、父上は喜んで下さる。ならば張り切らぬ被造物はいない。

 

「何より褒めて下さるでしょうし!ひょっとしたら頭を撫でて下さるかもしれません…っ」

 

これは楽しみです!!と雪原の中、一人張り切りぬーぼーの姿を取っているというのにポーズを決める顔無しを咎める下僕は周辺には存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃の捜索対象者はと言えば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御方の身に何かあってからでは遅いのです」

「その通りでございます。我等下僕一同、御方の身の安全を第一に考えております」

「御方の身に触れれば一大事!領域守護者殿自身が細かな制御は難しいとおっしゃっておられますゆえ…」

「「「地に足を付かれること自体が危険でございます、ゆえに!」」」

 

 

 

 

「「「どうぞ、我等を御使い下さいませ‼」」」

 

 

 

 

周囲の索敵の結果を報告しつつ、徐々に熱気を込めて危険性を訴える影の悪魔が自分達を椅子として使えと宣いながら四つん這いになり迫りくる恐怖。

腕に抱えた温もりを力いっぱい抱きしめ、ギブギブ!と叩かれるフリッパーの痛みと迫る影の悪魔に言葉もなく抗い必死で首を振っていたりする。

 



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22話

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熱に焼けた石板の数々を踏みしめ自らの守護領域に一瞬で辿り着く。

己に施された御方の慈悲と御方々の奇跡に感謝しつつ、案ずるは自らの創造主。

 

何者からも護ると心に誓ったのに彼の方を再び生命の危険に曝す、この愚かな被造物に御方は再び赦しを与えて下さるだろうか…?

 

急く胸の内と絶望を予感する心を抱きながら降り立った赤熱神殿は、創造主が己に下賜くださった管理領域を束ねる端末。

降り立つと同時に紅蓮へと移譲していた権限を強制的に剥奪する。

これも創造主が己に与えてくださった絶対無比の権限。

彼から強制剥奪した感覚は本来なら階層守護者として存在する己の感覚の一部、ウルベルト様に定めていただいた役目と共に与えられた感覚器官。

譲渡していたそれを取り戻し、自身に接続して彼は閉ざされた瞳を開く。

 

眼鏡と瞼と意思に厳重に閉ざされた宝石の瞳。

創造主が苦労したと幾度も呟きながら加工し、己へと与えて下さった瞳を開いて全てを見る。

 

 

 

私は炎獄の造物主。

このナザリック地下大墳墓の防塞指揮官にして被造物の最終防衛線としてある、第七階層の守護者。

墳墓を犯す何者も赦さず迎撃する存在であり、墳墓に所属するありとあらゆるモノを把握する者。

 

 

 

その能力を取り戻し接続した瞬間、第七階層のスキャンを終了する。

己の知覚に一分の隙はなく、賜った階層の隅から隅までを舐めるように調べ尽くして下すのは配下たる悪魔達への命令。

彼の指示に従わぬ悪魔は存在しないのだから、最も信頼に足る者達と言えよう。

 

「第六階層へ移動を。闘技場は省き、各エリアへ散り制圧したまえ」

 

己が掌握する階層の状況を把握し、千変万化の顔無しの思考を読み、己が管理領域の直ぐ上の階層が残されていると察した。

かの階層は転移門が闘技場内で完結しているにも関わらず、大墳墓内で最も広大な敷地を誇っている。

第一階層から己が守護する領域までを把握する防塞指揮官(・・・・・)に相応しい知覚範囲を持って、彼が自身の思考を読み行動すると読んでの指示。

 

「遠慮は必要ないのですがねぇ。ですが、感謝しますよ」

 

彼が創造主とのコミュニケーションに飢えていることを察したからこそ、創造主との触れ合う機会を減らしても仲間を想う優しい心遣いに素直に感謝し、足を進める銀の尾を持つ守護者には僅かな余裕が戻っていた。

 

何故なら、彼が接続した管理領域の履歴に侵入者が存在しないから。

 

不敬ながら御方は現在人間種。

侵入すればいくら警戒状態になくとも空気すら赤く染まる我が領域で生き残ることは出来ない。

出現し呼吸すれば食道から焼けただれ、肺胞はおろか肺の全てが炭と化す。

それを成すのが自身が治める階層だと良く知っている。以前の襲撃で燃え尽きる愚か者共を嗤っていたのだから。

 

御方が我が領域で死を迎えられたなら潔く後を追う。

 

御方を自らの手で死に至らしめたと等しい状況で、生に甘んずる気はない。

身を千に切られようが幾多の輪廻に流されようが幾億の刃に刻まれようが、御方に添うと心に決めた。

かくあれと御方が与えて下さった感覚に間違いはない。

 

我が管理領域に御方は出現されず、燃え尽きることはなかったのだと知った時点で体中から力が抜けたが、まだ御方は無事第九階層に戻って下さったわけではない。油断できない。

 

悪魔達が転移門を抜けて行くのを確認し、再び起動させるのはギルドの指輪。

込めた力を解放し、ギルドの指輪は寸分違わず朱色のスーツを着た銀の尾を持つ悪魔の姿を瞬時に搔き消した。

 

 

 

 

 

 

その日、彼等はたまたま闘技場近くで訓練を終えて通りがかっていた。

 

今日も森の賢王として知られた存在であるハムスケ殿と共に新たな武技を習得すべく汗を流し、なんとなく習得の為の切っ掛けというか、感覚というモノを得た気がした。

強くなれるかもしれないという予感を覚え、期待に胸を膨らませながら与えられた宿舎に戻る途中。

 

普段は物音さえしない闘技場に突如恐怖を感じ、一斉にそちらを向く。

見た目は何も変わらない、いつものように佇む闘技場なのに雰囲気がまるで違う。

何故恐ろしさを感じているのかも分からないが、それに加えて威圧感さえ覚えて彼らは後ずさる。

 

何が起きたのか分からない。

これまでは普通に過ごせていた、至上の主人の指示に従い研鑽を積んでいただけ。

他者から攻撃を受けているのか?

だが強者がひしめくこの墳墓の奥にある階層まで辿り着ける者がいるとは思えない。

 

なら主人の実験か?

いつかのように人間種を誘き寄せて何かを確かめようとしているのかもしれない。

けれど、それならそうと通達くださるはず。なぜ、こんな、突然。

我等は彼の御方の不興をかったのか…?

 

蜥蜴人が寄り集まって闘技場を見る先で黒々とした塊がありとあらゆる場所から噴き出す。

円形闘技場の出口、窓、屋上。ありとあらゆる空間から湧き出し散っていく黒い塊をみて目を見開く。

アンデッドやスケルトンなら見ることがあるが、外の世界では滅多に目にすることはない存在自体が強大な種族。

 

「あ、悪魔!」

「なんてことだ…!」

 

無数の悪魔が地を走り、空を駆け、耳障りな叫びを上げながら大地と空に溢れ始めていた。

 

その姿を確認して即構えるが一体一体が森の賢王すら児戯に等しいと嗤いながら嬲り殺せる存在達。使い慣れた武器を構えても、こんなに頼りなく感じる。まるでいつかの日のようで、その結末さえ同じなのではないか恐怖に(おのの)きながら荒い呼吸を繰り返す。

 

こんな存在が今まで何処にいたのか。

やはり攻撃を受けているのだろうか?

守り神様の敗北などありえないが我々では何の役にも立たない。

だが大恩ある方の危機を黙って見ているなどということは出来ない、たとえ塵芥(ちりあくた)に等しかろうと!

やるぞ!と仲間達と視線を合わせ頷きあい、構えた武器を振り上げて地を走る悪魔へと走り出す。

 

だが振り絞った勇気もたった一声の前に力を失い、強制的に跪く羽目になる。

 

その声を耳にした瞬間、自身の身体が自らのものではなくなったように言うことをきかなくなった。

悪魔目掛けて走るつもりでいるのに足は意思に反して動きを止め、力一杯握っていたはずの武器から簡単に指を離してしまう。自分の身体が自分に反抗する、この感覚には覚えがある。

 

『第六階層に存在する全ての者よ。動きを止め、武器を離し、跪け』

 

あの、赤い服を着た銀の尾を持つ姿が脳裏に甦る。

決して声を荒げたりはしない。ただ静かに言い聞かせるように指示を出す。

微笑みながら発し流れる深みのある美声は声量に関係なく通り、周囲に言葉を伝えていく。そして従わせるのだ、強制的に。

だが以前受けた言葉より今受けている言葉は遥かに強く、反抗の意思どころか思考力すら奪われて、蜥蜴人達は唯々諾々と従った。

 

階層中に通るのではないかと思うほどに力のある声の波動は周囲に騒めく一切の生物から物音を消した。

 

地獄の焔壁(ヘル・ファイヤーウォール)

 

また紡ぐ言葉から周囲を黒い焔が壁となって取り囲む。

暗く淀んでいるのに普段目にする炎より遥かに熱く、遠くにあるのに己が燃え尽きてしまいそうなほどの熱量。逃げたくても身体は動かず、口さえ開くことが出来ない。熱い、死ぬ、熱い、死んでしまう!

その焔で出来た壁に向けて、彼の悪魔はそっと囁くように言葉を紡ぐ。

 

『御方を探したまえ。我が唯一にして無二の方を。

 決して傷つけず、自らの身をもって守り、私に伝えなさい。疾く去り、一刻も早く彼の方を探り当てよ』

 

その言葉を紡いだ途端、周辺を囲っていた焔は霧散し形を成す。

 

霧散した小さな火の粉が自らの姿を変え、形を変えて造物主が望む姿をとってゆく。

速度を重視したフォームを望み羽根を重視し創造した姿、そして御方を確認する瞳。御方の身代わりとして役立てるHPも重視して創造する生き物は…小さな小さな、羽虫の姿。

今強度も強さも必要ない、今必要なのは情報を収集する能力と御方の盾として身を費やせる力。

だが、それが持つ力は第三位階の火球(ファイヤーボール)を受けたとしても耐えうる強さを持ち、その姿形が小さくとも強者であると周囲に知らしめる。

 

『行け、私の被造物達よ』

 

銀の尾を持つ悪魔の言葉に従い四散する羽虫に似た悪魔達。

その数は何百、何千、何億に上っただろうか。飛び去れば新たに造り、また飛び去れば新たに作ること幾度目。

そうして蜥蜴人達に気づいた悪魔がこちらへと視線を向けた時。

 

「!」

 

弾かれたようにスーツの悪魔が一方向を睨み、背に漆黒の羽を広げて羽ばたき始める。

中に浮く彼の姿を呆然と見守る蜥蜴人など、全く意に返さない悪魔は視線をくれた先にある光景を既に見ているのか、焦る表情を浮かべて力強く一翼を仰ぐ。

 

「ウルベルト様。今、参ります…!」

 

呟きに等しいのに、通る言葉を耳にして目を見張る蜥蜴人を置き去りに、第七階層守護者は自らの創造主を求めて羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、その頃求められる創造主は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい!確かに私が知る限り、シャルティア様は夜毎入り浸っておられますが」

「事実なのか…!」

 

 

自らが抱える柔らか癒し系生物と、護衛としてついていた影の悪魔からもたらされるギルドの長に秘められた性癖に、戦慄と多大な精神的ダメージを受けていたりする。

 

 

 



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ウルベルトさんと蠱毒の穴

お気に入り登録、栞ありがとうございます。


牧場での治療中にも聞いたBGM。

低く、高く、重なるように響く歌のような声を漏らしながらふやけた肉の合間に空く三つの穴から絶え間なく水を垂らし蠢くモノ。

 

声を漏らしながら蠢くソレを視界に収めつつ、視点を目の前のモノに固定する。

垂れ下がった皮膚の間から姿を覗かせるのに視線を合わせて目を細めた。

 

 

不遜に。

傲岸に。

ギルドメンバーに対する下僕達の印象を壊すことなく過ごす。

モモンガさんとの約束でもあり、俺の身を護る為のものでもある約束。

記憶にないモノでないことに安堵を覚えると共に、彼であることに眩暈を覚えるが顔には出さない。いや、出せない。

 

生き物の怯えを感じて悦び這い寄る仔がいる。

彼の巣穴に宿るありとあらゆる姿の仔供達が食い合い、貪りあい、生き残ったモノが新たな巣穴を得て生きる為に這い回る場所。

 

それが第六階層の領域の一部、蠱毒の大穴。

新緑に囲まれた大地の一部に空く大穴の底にある領域であり、生命の坩堝と言える場所でもある。最悪の意味で。

 

彼の仔供達が互いを貪るこの場所で、巣穴となるのも生物。

生物が生きる身体を巣穴として彼の子供達は分裂し更に増えるが成体にはなれない。

巣穴を出来るだけ長く生かしながら食い、仔供達は互いを食い合い、更に強く厳選された個体が数を増やして巣穴を食い破り巣立ちて、更に別の個体を巣穴とした子達と争い合う闘争の地獄。

 

 

その中で対峙する領域守護者から感じるのは疑念。

己を含む下僕全てが慕う御方を偽る不埒者ではないかと訝む気配を感じる、注視し自身から微動だにしない視線から。

一切の油断を感じさせない姿勢が、俺を認めていない語っている。

 

「久しいな、餓食孤蟲王」

「…御帰還を心より御喜び申し上げます、ウルベルト・アレイン・オードル様…」

 

相手の出方を伺いたくても心境はどうあれ立場は俺の方が上。

俺が声をかけねば奴は返答はおろか頭を上げることすらせず、表情を知ることも出来ないと深いため息を押し殺しつつ声をかける。

 

表情ひとつ、声色一つが相手の感情を知り、考えを読み取る貴重な情報。

立場を貶めることなく情報を得ることが出来るのは、相手が己を知りたがっているからこそのこと。ならそれを逆手にとって情報を出し渋りつつ相手の情報を出来る限り絞り取る!

 

よし。

無理いぃぃっ!

 

領域守護者の顔を見て決意の一息後に諦めの叫びが胸中に至り、モモンガさんに心中謝りつつ心に抱いた課題を盛大に振りかぶり投擲する。

唯一自ら認めて戴いた上位者であるモモンガさんの魂の叫びを心から拝聴していたつもりだったが、実行するには荷が重すぎて無理だった。

ごめんモモンガさん…。

表情すら理解できねぇんだから無理だよ…!

 

少卒ですら危うかった俺に学はなし。

人として最低限の人格を形成しる私生活すら記憶にあるのは一人の食卓。たまに帰る両親は疲れ果てて会話するどころではなかった。

ただ、たまの休日に撫でられ抱きしめられた覚えがあるだけ。

 

そんな俺は両親が口煩く励めと言う勉学に興味を持てるわけでもなく基礎である小学すら卒業ギリギリだった。

むしろ親の叱る声を求めて拒否していたのだと、今なら言える。そんな俺は一般的な成人が持てる知識を有しているなどと言えはしない。

知識があれど実行しないのでもなく、知識あれど手段を知らないのではなく。

 

 

 

ただ知ろうとしなかった。

見ず、聞かず、知ろうとしない俺に学などあろうはずがない。

 

 

 

生ある限り知る術のない知識であって、知る必要のない存在と認識される生き物(むしけら)だと分別されていただけでなく己がそう認めていたのだと、彼の姿を見て記憶が呼び起こされる。

遊戯上で縁を結んだ友と仲間達を見て、それを知る屈辱を思い出す。

 

広く、視界を保て。

 

自身が見ていると認識しているものだけでは足りない。

奴らの視界は俺が持つソレとは違う、俺に見えぬソレを息をするように知り得て活かす奴らなのだと刻みつけろ。

知らぬうちに情報を切り捨てている可能性を否定するな。

思い込みで可能性を消す愚行を犯すなと過去の己が叫び出す。

 

与えられた基礎が足りないのなら、今得ている情報を活かし利用する。

己が力量が足りないのなら己に有利な状況を作り出せばいい、それを作り相手を嵌めれば思うがままに奴らが踊り狂うのだから得て喰らえばいいのだと浅ましい己が目を覚ます。

 

奴を負かすためだけに得ようとした全ては奴を倒すためだけに納まらず、奴を這いつくばらせる為に培ったはずのソレは他者を這いつくばらせる力になる喜劇。

 

 

 

 

知識があれば知れたそれを、自ら切り捨てたのは己自身なのだと、知りたくなかったから強がった。

 

 

 

 

…ああ、懐かしい。

ただ奴に勝ちたかっただけなのに、いつからこうも頑なに勝つことにこだわるようになったのか。

 

胸の内に喚くモノを自覚しつつ、否定したくて捻じれる胸を片手で握り込む。

 

 

自覚したくなかったのに。

消え去れば忘れられるのではなかったのか。

 

 

あらゆる情報を得て奴に正当な反論を宣う卑小な己も思い出して吐き気がする。

こんな自分になりたかったわけじゃないのに、こうならなければ生きていけなかったと思考に浮かび口の端が歪むのを知る。

 

 

 

奴を嗤い。

自身を嗤い。

世間を嗤い。

遊戯を嗤う。

 

 

そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが俺。

これが、俺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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