赤ずきん! リメイク (イーストプリースト)
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『1話 あかずきんは鴉に会いに行った』

 テントの中、サーカスの子役が手を止めた。

 大人たちは全ての準備が終わり、最後の確認を行っている。

 その間にできた子供たちは自由時間でそれぞれ遊んでいた。

 しかし、車椅子にのった女性が入ってきた瞬間に手を止め、顔をほころばせた。

 大祖母(グランマ)と呼ばれる彼女はこのサーカスを取り仕切る役割を果たしており、彼らにとっては母親の代わりのようなものだった。

 その傍らには一人の少女を連れていた。赤ずきんの下からぴょこりと狼の耳が生えた少女。それをぴくりと動かして、周囲を興味深げに見渡してた。

 少女が大祖母(グランマ)に何か確認を取ると、頷いて、子供たちの中に混ざりにとてとてと走ってくる。それを周囲の大人たちは微笑ましげに見ている。

「あの、ボクも遊びに入っていいですか?」

 鈴を鳴らすような声だった。

 赤い頭巾の下から金色のふわりと波立つ髪がこぼれている。

 金色のぱちりとした大きな瞳。ふんわりと香る匂いにどぎまぎして少年が顔をそらし、それを相方の少女がむっとした顔で見ている。

 赤い頭巾の少女はその様子に気付いてないようで、にこにこと無邪気に笑っていた。

「いいよ。今日はもう練習も何もないから」

 ジャグリンのピンを少年が置く。彼の長い袖の仕方からは爬虫類のような鱗が見えた。

 少年は思う、きっと彼女も自分たちと同じく外から迫害されて、ザ・カーニバルにやってきたのだろうと。

 他の子供たちや大人たちもそうである。ここに来る前の記憶を失っている人も多いがきっとそれだけ酷い目に遭ったに違いない。

 だから、ここの人員たちは仲間で、家族なんだ、と大祖母(グランマ)は言っていた。

 差し出した手を赤い頭巾の少女が握る。温かな感触にどきりとしたのも束の間、握られた手を強く引かれ、前へつんのめる。可憐な外見から予想できない程の力強さ。

 咄嗟に足を踏み出して、倒れることは避けたが、赤い頭巾の少女に体を預けた形になる。

 鼻立ちの高い人形染みた整いを見せる顔、それが間近にあり、少年が思わずどぎまぎしたところで、赤い頭巾の少女は手を振り上げ。

 少年の眼窩に指を差し込んだ。温かな眼窩深くに指を差し入れ、反転させ、掬うように眼球を抜き出した。

 絶叫が響き、団員達が息を呑んだ。

 少年が思わず、手を振りほどこうとするが万力のような力に締め付けられ、振りほどくことができない。口に手を抑えていた相方の少女が、落ちていたピンをもって赤い頭巾の少女もって殴りかかる。赤い頭巾の頬をそれでおもいきり強打し、やっと少年が解放される。片目を抑えてへたりこむ少年に少女が近づき、何か声をかけている。

 指先に感じる温かな感触。ぬるりとした血。ぷにぷにと柔らかな眼球。悲痛な少女の叫び。へたりこんだ少年のうめき声。熱い感触と痛む頬。赤い頭巾の少女の腔内でころころと固いものが転がっている。どうやら歯が折れたようだ。

「ボク、これ大好きです。だから、もっと遊んでください」

 赤い頭巾の少女が弾むように言うと、彼女の背後から2本の太い、毛むくじゃらな、腕が現れる。それは狼のような毛並みと鋭い爪を持った腕であった。

 そして、それを蹲る少年を開放する少女へと伸ばして――

 

 

 赤い頭巾の少女が箒で地面を掃いている。

 太ももが露出した短いスカートに、ブーツ。腰元まで届く大きな赤い頭巾が印象的だ。その頭巾の下から金色のふんわりとした髪がもれ、箒の動きに合わせて、ゆらゆらと揺れている。

 楽しげに微笑み、埃を一ヵ所にまとめると、塵取りでまとめてゴミ箱へと捨てた。

 袖口で額を拭い、満足そうに赤い頭巾の少女が頷いた。

 ふと、顔を上げ、時計を見る。

「あ、時間ですね」

 そういって、とてとてと歩いていった先には、複数個の洗濯機。大所帯であるサーカスを支えるには1つの洗濯機ではとても足りないのだ。

 少女は手際よく、洗濯機の蓋を開け、洗濯物を出していく。彼女の長い頭巾の下からは狼の腕が現れ、他の先滝の蓋を開けて、同じく洗濯物を取り出していた。

 彼女は超人(サイオン)の一種だ。

 1930年代を境に現れ出した、普通の人間とは違う、特殊な能力を持った超人たち。その中でも生まれついて能力持つ超人(サイオン)に分類される能力者だ。

 超人(サイオン)は生まれついての能力者であり、生まれつき体の全体、あるいは一文が通常と違うものであることが多い。

 この赤い頭巾の少女は、通常は人間と同じであるが、必要に応じて狼と人間が混じったような部分を出現させて操ることが出来る超人(サイオン)だ。

「オオカミさん、オオカミさん、早く干してしまいましょう。皆さんの食事も作らないといけませんから」

 少女の頭巾の中から、“Gau”と返事が返ってきた。彼女の能力は少し特殊で、自律稼働しているようだ。

 少女の身の丈より大きく長い腕が、人がすっぽりと入ってしまいそうな籠を両手に1つずつ持つ。中には湿った服が無数に入っており、道化師の服やレオタードなどの姿見受けられる。

 少女自身も抱えるように籠を持ち、特に苦にした様子もなく外へと歩いていく。

 途中、サーカスの団員と思わしき人物と出くわす。少女は陽気に挨拶を返すが、挨拶された相手はおびえた様子で少女から距離を取り、目を合さないようにして道を開けた。

 外へと向かう道、何人かに出会うが、反応は似たようなものだった。

 みな一様に、赤い頭巾の少女に出会うと恐れ、怯え、避けようとするのだ。

 赤ずきんが、口をへの字に曲げ、3人目にすれ違った人に後ろから手を伸ばす。背中を叩かれた彼は、片手で籠を抱く赤ずきんの姿を認め、あからさまに怯えた顔をすると、赤ずきんの腕を振り払い、その場から走って逃げる。

 赤ずきんが頬を膨らませて不満げにしていると、声がかけられた。

「赤ずきんさん」

「なんですか、大祖母(グランマ)?」

 現れたのは車椅子に座った、妙齢の淑女。

 車椅子の肘落ちの先に球体がついており、それに白い手袋に包まれた手が置かれている。

 モーターの音を響かせ、大祖母(グランマ)の車椅子が動き出す。彼女自身はタイヤを自らの手で動かしてはいない。ハンドルやスイッチのようなものも見当たらず、どうも彼女の思考を読み取って車椅子が動いているようだ。

「あ、もしかして! 今日は遊べるのですか! みんな、遊んでくれないからボク、とても退屈してたのです」

「はい、その通り。今日は“兎”のお手伝いをしてもらいます。良いですか?」

「もちろん構いません。ボクに任せてください」

「よろしい……、では、早めに洗濯物を干して、食事と行きましょう」

「はーい」

 赤ずきんは洗濯物を干すために、とてとてと籠をもって外へと向かうのだった。

 

 

 夜、閑静とは言い難い雑多な夜の街であるが、人の姿は少ない。

 そんな中、一際目立つ、もとい、人の目を引く車が路上に泊まっていた。

 兎である。ピンク色の車体に、ピンク色の耳のようなパーツでフロントガラスの上に取り付けられている。何の意味があるかわからない装飾品であるが、持ち主の並々ならない兎への執着を表しているようだ。

 それは銀行の前に留められていた。その銀行から現在、盛大に警報が鳴っている。

 正面のガラスが割られている。ガラスが割れる音。地面に散らばったガラスを踏みしめ、バニースーツの集団が現れる。それらはバニースーツを着込んだ、目を黒いマスクで多い、毛むくじゃらの脚がタイツから見えている。ふさふさの胸毛をたたえた分厚い胸元のバニースーツの集団。異様としか言えない兎の集団であった。

「さぁ、お金を奪うのよ!」

 そのうちの一人、唯一兎の耳をつけた男が女言葉で集団に号令を下す。

 部下と思わしき男達が、手際よくATMにドリルで穴を開け、ラップトップパソコンから伸びるコードを基盤へとつけていく。ハッキング。部下の男が持っているラップトップパソコンにアルファベットの羅列が走る。

 腕を組んだ兎耳の男がいらいらとした様子で、腕を組んで、指で叩いて、それを見ている。

「ボクが持って逃げたほうが早くないです?」

「それじゃあ、ダメよ。それじゃあ、強盗と変わらないわ。その場で盗んで逃げていくからいいんだわ」

「これは強盗じゃないのです……?」

「怪盗よ」

 その隣にいた赤ずきんが、頭にクエスチョンマークを浮かべたように首をかしげているが、どうやら、目の前の兎男なりの美学がそこにはあるようだ。

「さぁ、華麗に盗んで兎の様にはねて逃げるわよ。さっさとしなさい」

「ぴょーん、ぴょん♪」

 赤ずきんが頭巾の上に、手を掲げ兎の耳を作り、兎の真似をする。

 その時であった、入り口に1つの影が現れる。

 それはマスクの男であった。アイマスクで顔を隠し、黒いマントを身に纏っている細身の男である。彼の隣にプロペラを内蔵したドローンが飛んでおり、この場をカメラで収めていた。 

 マスクの男は迷いのない歩調で、兎男の集団へと近づいていく。

「あらやだ、ゼロじゃないの。相変わらずコスプレしちゃってまぁ」

「………度し難い格好の君に言われたくないな」

「この格好の何処が度し難いのかしら、失礼しちゃうわ」

 鼻を鳴らす兎男。みっちりと鍛えられた太い腕。厚いゴムのような太い脚にV字の海パンを履いている。人が見れば、マントの男と兎男のどっちの意見に賛成するかは伏せておく。

「こんなに可愛い格好をしてるのにその良さがわからないなんて、あなた目が腐ってるんじゃなくて?」

「正直、吐き気を堪えているのだが」

「なんですって……っ!!」

 兎男から怒気が発せられる。彼は背中に手を回すと、兎のキャップがついた棒状のものを取り出す。

「こんなにかわいいのにわからないなんて、吹き飛んでしまいなさい」

 両手の指で挟んでいたそれが投擲される、瞬間を狙い、マスクの男が大きく踏み込み、マントから細剣(レイピア)を抜きつつ、兎男に突きを放つ。

 ――マスクオブゼロ。

 巨大マスメディアW.A.E.V.に所属するヒーローショー番組に所属するヒーローであり、幼いころにあこがれた怪傑ゾロの恰好でヒーロー活動を行っているヒーローだ。

 その戦闘スタイルは小説と同じく、細剣(レイピア)を用いたものであり――。

 慌てて引いた兎男を庇い、入れ替わるように部下の男達が前に出てくる。

 一人目の男が拳銃を向けた瞬間、細剣(レイピア)が疾り、銃身を強かに横に打ち付け、射線を逸らす。切り返し、しなった細剣(レイピア)が部下の腕を切りつけ拳銃を落とさせる。

 その横から大鉈を持った巨漢が現れ、横薙ぎに切りつけるが、マスクの男、ゼロは左足を一歩引き、そのまま右足を斜め後ろへと送ることで、鉈の一撃を避けつつ、鉈を振り終えた男の側面を取った。

 あとは踏み込み、腕と足に数発、素早い突きが放たれる。

 巨漢が人形の糸を切ったように崩れ落ちる。正確に関節を貫いたため自重を支えられなくなったからだ。

 ゼロがぴっと細剣(レイピア)を振り、血振りを行う。

 敵の攻撃を避け、細剣(レイピア)を見舞う。それは蝶のように舞い、蜂のように刺す、という言葉を体現しているようであった。

 このような華麗ともいえるスタイルが番組内で人気を博しているヒーローであり、瞬く間に、残りの人員も無効化してみせた。

「すごい、すごいっ!」

 兎の男の隣で赤ずきんが目を輝かせて、拍手をしている。

 黒煙が煙る。兎男の放った兎印手榴弾を躱したゼロが白煙を背後に現れる。

 男達が暴れたため、室内は酷い有様であった。

 椅子は切り裂かれ、硝子や電灯は割れ、ATMは見るも無残に拉げている。防犯用のシャッターは凹んでいるが破れていないのは救いであろうか。

 ゼロはマントについた埃をはらい、レイピアを振った。

「さぁ、あとはお前たちだけだ。観念するなら受け入れよう」

「そんなわけないでしょう。さぁ、やってしまいなさい、赤ずきん」

「さぁ、ゼロさん。遊んでくださいな!」

 そう言うやいなや、あかずきんの背から太くたくましい、巨柱のような狼男の腕が生えたと思うと、手近にあったATMを持ちあげ、ゼロへと投げつける。

 ゼロがステップを踏んで避ける。

 赤ずきんが身を沈め、踏み込み。いつの間にか狼の脚へと変化した足がぎちりと膨らみ、地面を強く踏み抜いた。ゼロの眼前へと一気に距離を詰める。

 ゼロは落ち着いたまま、細剣(レイピア)の切っ先を上下に揺らし、足先を狙って突きを放つ。赤ずきんは自ら細剣(レイピア)の先に足を置き、刃を受ける。

 やや骨を外れた細剣(レイピア)が肉を先、あかずきんの足を貫通する。足はいつの間に元の細く白い普通の足へと戻っており容易に肉が裂けた。

 満面の笑みの赤ずきんが背中から生やした狼の腕で剣を掴み、もう反対の方の手がゼロへと伸びる。

 その時、赤ずきんの顔に布が欠けられ、視界が遮られる。ゼロがマントを翻し、赤ずきんの顔を覆ったのだ。しかし、赤ずきんの行動は止まらない。白く細い、少女の腕がゼロの腕をつかむと、鈍い音をたて、それを握り潰した。

「―――ッッ!!」

 声にならない悲鳴が響くなか、ゼロの身体が浮かび上がる。あかずきんが力任せに投げ飛ばしたのだ。

 ぐぺっ、と間抜けな音がしてその場が鎮まる。

 視界が戻った赤ずきんを周囲を見渡してみると、兎男とゼロがぶつかり、二人とも仲良く壁に衝突していた。壁には赤い血と、脳漿らしき白い物体、そして、そのままずり落ちるように肉塊が2つ落ちていた。

「あ、ごめん、間違えちゃいました」

 赤ずきんが口を手で押さえ、謝る。そして、不満そうに顔をゆがませた。

「それにしてももっと頑張ってくださいよ。遊び足りないじゃないですか」

 二つの肉塊の傍に近寄った赤ずきんは膝を抱えて座りこみ、先ほどまで動いていたゼロに向って話しかける。

「もっと、もっと遊びたいのです。みんな遊んでくれないから。だからほら、大鴉(レイヴン)ほどじゃないにしても、もっと頑張ってください。ボクは寂しいと死んじゃうのですよ?」

 赤い頭巾が僅かにずれ、側頭部から対に生えている狼耳がピクリと動く。

 しばし、頬を膨らませるあかずきん。

 肉塊をちょんちょんとつつきつつ、赤ずきんは不満を隠さない。

 どうしてこんなに簡単に壊れてしまうのでしょう、ボクはまだまだ遊びたいのに、と。

 この細剣(レイピア)を突き刺してないのに、それでお腹を切り開いて、また縫い付けて、遊びたいにのに。どうしてそんなに簡単に死んでしまうのですか?

 みんなみんな簡単に壊れちゃう、どこかに壊れない、ボクだけが遊べる友達がいないでしょうか。と赤ずきん。寂しそうな表情で兎男の耳を千切っていた。

 それをじっと宙に浮いているドローンに搭載している写す。静かな室内にプロペラの音が響く。

 乾いた発砲音。ドローンが何者かに撃たれて落ちる、地面に落ちた機体は擦れながらしばしスライドし、止まった。落下の衝撃でカメラのレンズが割れたようだ。

「やれやれ……。また、お前か赤ずきん。何か最近よく会うが暇なのか?」

 呆れたような声が響く。

 現れたのは鴉であった。鳥のくちばしを思わせるように鼻が伸びた白いペストマスクに、広いつばのついた帽子。マスクの目の部分についたレンズが無機質に赤ずきんをとらえている。黒いロングコートに全身に身を包み、腰の左右にはホルスターが嵌められていた。

 黒いブーツで地面を踏みしめながら、入り口から鴉のような男が入ってくる。

 歩くたびに、2対に分かれた鴉の羽のようなマントが揺れる。

 その格好を認めた赤ずきんの顔がほころび、輝かんばかりの笑顔となった。

「あ、ゼロのヤツ、死んでるじゃねぇか。やったのはお前か、赤ずきん?」

「うん! ボクが――」

 言葉が終わるよりも早く、銃弾が赤ずきんを捕える。

 致命的な一撃(ヘッドショット)

 ホルスターに収められていたはずのリボルバーを目にもとまらぬ早技で抜いた大鴉(レイヴン)が赤ずきんを撃ったのだ。

「……チッ」

「あは」

 仰け反った態勢の赤ずきんから笑いが零れる。

「あはははは、最高です! あなたは簡単に壊れないでくださいね?」

 そして、頭を揺らして元の態勢に戻る。見ると、オオカミの腕が赤ずきんの顔を庇い、銃弾を防いでいた。

 大鴉(レイヴン)が溜息を1つついた。

 そのまま、立て続けに3発、発砲。近くのATMを投げつけようとした狼の腕に直撃させる。狙いは先端、指の部分。

 千切れはしないモノの、その衝撃で掴んでいたATMを赤ずきんが落とした。

「毎回思うんだけど、頑丈すぎなんだよなぁ……。撃たれた死ねよ、生物としてよぉ」

 銃弾を受けてもものともしない赤ずきんに呆れつつ、もう1つのホルスターから2つ目のリボルバーを大鴉(レイヴン)が抜いた。

 赤ずきんはうきうきとした様子で、背中にある肉塊を掴み、大鴉(レイヴン)へと投げつける。

 大鴉(レイヴン)が近くにあった机を蹴り上げ、その影に隠れる。その机に肉塊がぶつかり、衝撃に少し揺れた。反対から見れば骨が突き刺さっていることが分かったであろう。まるで散弾のようだ。

「やれやれ――」

 大鴉(レイヴン)が溜息を1つ。

 契約によって得た魔法の力でリボルバーに自動的に装弾が行われる。

 そして、その場から転がり、机の背後から脱出する。

 直後、机が吹き飛ばされ、壁に激突する。赤ずきんから伸びた狼の腕が殴り飛ばしたようだ。

 転がり立ち上がった大鴉(レイヴン)が銃口を赤ずきんへと向けた。

「――狩りの時間だ」

 

 

 とてとて、と赤ずきんの小さな手が懸命に籠をもって駆けている。

 背中から2本の狼の腕がそれぞれ籠を1つずつ持っている。

 赤ずきんは抱きかかえるように籠を持っており、オオカミの腕はわしづかみだ。

 大きさとしては業務用のゴミ箱ほどもある大きさであり、小柄な赤ずきんにとっては抱えるほどのサイズであるが、巨大な狼の腕にとっては問題なくわしづかみしている。

 中にはずっしりと濡れた洗濯物が入っているが、赤ずきんは苦にした様子はない。

 白い珠のような肌には傷1つ残っておらず、短いスカートから露出している足にも傷痕は残っていなかった。

 トレードマークの赤い頭巾がふんわりと揺れる。

 ザ・カーニバルはサーカスを隠れ蓑に悪事を重ねるヴィラン組織だ。

 故に停留している限り、サーカスを開催していることであり。

 大所帯であるため、家事の量も必然的に膨大となる。

 赤ずきんを含め、様々な理由でサーカスに不向きな人員は身の回りの世話をする役割に回っている。赤ずきんは主に掃除、洗濯や食事の作成、いわゆる家事が担当となっている。

 通路の反対側から赤ずきんの姿を見つけた団員が慌てて、角を曲がって引き返す。普段なら寂しそうな顔をする赤ずきんであるが、今は気にしない。

 いまは先日のことを思い出しているから気にならないのだ。

 その後、銀行は半壊し――主に赤ずきんが原因――痛み分けとなったが、あそこまで何度も遊んでも壊れないヒーローは初めてである。

 なにやら大祖母(グランマ)たち上のほうが悪だくみをしているようで、しばらくこの土地に停留しているが、このように楽しい時間を長く過ごせるのは初めてだった。

 次はどうすればいいかな、と赤ずきんは首をかしげる。

 あのリボルバーが厄介だからあれで防げないほど硬くて大きいものを投げつければ近づけるかな。近づいて、掴めば骨が折れるかな。どんな音がして折れるんだろう。そのまま腕を引きちぎったらどんな声をあげるんだろう。吹き出る血はなにいろかな。中身はきっと男の人だけど、もしかしたら女の人かも。首をもいで確かめてみたいけど、それじゃあすぐに死んじゃう。じゃあ、どうすればいいかな、下をつぶしてみればいいかな。うーん、けど、すぐに死んだら遊べない。ああ、じゃあ、1つ1つ潰していこう。足の先からぽきりぽきりと折っていけばいいんだ。一通り潰したらもいでみて……ああでも、せっかく鴉みたいな格好してるんだから、鳥みたいに焼いてみるのも面白いかも。

「ねぇ、オオカミさん、どうすればいいと思います?」

「……uuuuuu」

 赤ずきんが顔を上げて訪ねてみる。頭巾の中から帰ってきたには唸り声だけだった。

 赤ずきんが生まれた時から、一緒にいる、このオオカミさんは赤ずきんにもよくわからない。狼の頭をした人間のようで、全身が狼の毛皮に包まれた毛むくじゃらの生命体で、赤ずきんの好きなように操作することが出来る、彼(?)にも意志のようなものがあるようで、自律して行動することがある。

 また、赤ずきんの身体から(オオカミ)を生やすだけでなく、赤ずきんの身体を(オオカミ)の身体に変化させることも可能だった。

 ああ、それにしても、と赤ずきんは思う。あの大鴉(レイヴン)のことを考えるのは本当に楽しい。次に会ったら、こうしようかな、それともこれかな、と次々に考えが思い浮かんで止まらない。

 それに胸がぽかぽかとして、とても楽しいのだ。大祖母(グランマ)と一緒にいる時との感覚とはまた違う。これはどういう感情なのだろうか、赤ずきんにはわからないが、とても楽しいというのは確かだった。

 ぱんぱんと洗濯物を伸ばして、手際よく洗濯物の紐へとつけていく。

 晴天。この調子なら雨が降る心配もなさそうで、洗濯物はよく乾きそうだ。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、赤ずきんは作業を続けていく。

 そして、作業が終わり、

「よしっ」

 と赤ずきんはうなずいた。風になびき、洗濯物が揺れている。

 心地よい春の陽気。

 ふふん、と笑いが零れる。このような気持ちになったのは初めてだ。

 胸が暖かくて、楽しくて。

 会いたいな、と赤ずきんは思う。

 さわっと、風がなびき、草や花が揺れる。ぽかりぽかりとした温かな日であった。

 木陰に身を寄せ、目についたものを赤ずきんが手に取った。

「会わない」

 しかし、そろそろ何かの企みが大詰めを迎えるようで、大祖母(グランマ)も容易く出歩かない様に、と言われている。先日は久しぶりのお出かけだったのだ。

「会う」

 けれど、この気持ちを確かめてみたいと、赤ずきんは思う。

「会わない」

 この気持ちってなんだろう。今まで、遊んだ相手には感じたことのない感情であった。

 なぜなら赤ずきんが遊んだ相手はすぐに壊れてしまったから。

「会う」

 ここザ・カーニバルには赤ずきんのような異形がたくさんいた。先天的になんらかの超人種であったもの、また後天的に何らかの要素で変化したもの、特に種類は問わず、どこにもいけずに零れ落ちてきてしまった者達の流刑地のような場所であった。

 だから、赤ずきんのような狂人であっても完全に排斥することはなく在籍することはできている。

「会わない」

 しかし、赤ずきんが遊ぶにはまだまだ脆すぎるのだ。手足を千切ればすぐに動かなくなってしまうし、頭を捥げば死んでしまう。ガソリンをかけて火だるまにしてみれば、すぐに焼死してしまうし、お腹に石をつめて池に落としてみれば、そのまま沈んでしまう。

 一度、とあるヴィランに丸呑みされた時は臭くて狭くて最高であったが、それでも中から内臓を掻きまわしてみたら、すぐに動かなくなって、赤ずきんはがっかりした。

「会う」

 やがて、みんなで遊ぶのも限界が来たので、ヒーローの方に目を向けてみた。

 そして、すぐに落胆した。 なぜなら、ヒーローはザ・カーニバルにいる怪人たちより脆い人物が多いのだ。

 変異種(サイオン)被検体(エンハンスド)は意外と切ったり捥いでも生き延びるのだが、体現者(ジャスティカ)は常人が鍛えただけの存在であるため、あかずきんがちょっと力を込めただけで死んでしまう。

「会わない」

 だから、赤ずきん(ボク)が遊んでも壊れないような友人が欲しい。

 そう願っていたいた時に出会ったのがあの大鴉(レイヴン)である。

 赤ずきんは歓喜した。何回であっても、何回戦っても決して壊れない相手が対に現れたのだ。

 故に、どうしようかと悩んでいた。この気持ちを確かめに会いに行きたい。けれど、大祖母(グランマ)に怒られるのは怖い。

 だから、占いで決着をつけようと思う。

 恐る恐る。最後の1つを引き抜く。

「会う。……会うですか!」

 赤ずきんは満面の笑みを浮かべる。

 うん、と一度頷くと、赤ずきんは決心を固め、赤ずきんがサーカスのテントを出ていく。

 後には足の捥がれた蜘蛛が地面の上でうねうねと蠢いていた。

 



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『2話  狩人は狼と出会う』

 さっきまで仲間だったものがつるされている。

 男の目の前で、自らの腸を引きずり出され、それを首にかけて吊るされたのだ。

 柔らかい腸は首に食い込むことはなく、しばらくばばたついていた手足が力を失いだらり垂れ下がる。

 ズボンが濡れ、尿が脚を伝い、黄色い水と据えた匂いが周囲に広がる。

「言われた、……言われたとおりにしたから、これで許してくれ!」

  先ほどまで仲間だったものが、辺り一面に散らばっている。

 片付けるに折りたたまれたもの。割れたガラスを1枚1枚食べさせられたもの、胴体に首がうめられたもの、その死に様は多種多様であった。

 男は焦燥した顔でそれをみせつけられた、最後の1人である。男には先ほどまで響いていた仲間たちの叫び声が脳裏に染みついている。

 無傷で助かるのなら、たとえ尻を舐めろと言われれば喜んで舐めるであろう。

 言われたとおりに、情報屋にこの場所と所業を伝えると、電話を落とし、男が少女に泣きついた。

 少女はんーと、しばし考え、男の手を取ると。

「来るまで暇そうなので、遊んでくださいね」

 少女が男の親指と人差し指を掴む。

「え、あ。待ってくれ! 人間は縦には――――」

 そして、二の腕まで縦に引き裂いていくのだった。

 

 

―――覚えているのは何かの衝撃で体が浮いたと思ったら、目の前にいきなり壁が迫ってくる瞬間までだった。

 次に目が覚めた時は瓦礫の下であった。

 幸運なのか不幸なのか、いくつかの瓦礫が重なった下に埋もれているようで、下半身が動かない。上半身はなんとか動くのだが、うつぶせの状態からひっくり返ることは出来なかった。

 頭から頬にかけて液体が流れる感覚、疼くような痛み、手で触って確かめてみると、ぬるりとした血と、裂けたような傷痕……どうやら額が割れているようだ。

 幾度か、瓦礫の外で走るような足音が聞こえ、叫んでみるが聞こえなかったのか、あるいは聞こえても無視したのか、助けは来なかった。

 目が覚めてから、幾度も地響きが続いている。ぱちりぱちりという音と共が響き、灰色と黒色が混じった煙と共に火の手が廻ってきた。煙にむせて、がれきの下の彼は咳込む。

 涙を流しながら、視界が暗くなってくる、頭がくらくらとし、思考がぼんやりとしてきた。

 どうしてこうなったのだろうか、と彼、小鳥遊 優は思った。

 今日は父と母に連れられて、買い物に来ただけのはずだった。

 それがいきなり地響きがして、地震かなと思った瞬間、唐突に吹き飛ばされ、がれきの下に埋もれてしまった。

 まだまだ、幼い手が必死に地面を掻くが悲しいほど無力である。

 このまま死ぬ、その事実を認識したとき、涙が自然と零れ、咳ごみながらも必死に地面をひっかきもがく。

 爪先に砂が入り、痛みが走る。じゃり、と音をたてるが、コンクリートはびくともしない。

 その時だ。

「――生きたいか、契約者の子よ」

 唐突に声が響く。地の底より響くような重く低い威厳に満ちた声。

 この世ならぬ不吉を孕んだ声に小鳥遊は本能的に恐怖を覚える。

 見ると視界の先に1羽の烏が留まっている。

 それは煙を苦にもしておらず、嘴を動かし人語を話している。

「ならば、我と悪心を集める契約をせよ。父との盟約、その続きを果たせ。そう誓うのならば、その命を救ってやろう」

 そして、どうする?と問う烏。鳥に表情はないのだが、嘴の端がつり上がり、笑っているように小鳥遊には見えた。

 悪魔との契約、絵本で読んだ言葉が小鳥遊の脳裏によぎる。

 しかし、選択肢はない。その烏の言葉に

「お願い、契約するから助けて――」

 と答えたのだった。

 

 

 けたたましい音がする。

 それは丸い形をした目覚まし時計だ。頭上の左右にベルがついており、真ん中のハンマーのような部分が左右を打ち鳴らして音を鳴らしている。その時計に向い手が伸び、目覚ましい時計の裏にあるアラームのスイッチを切った。

 のそりとベッドから男、小鳥遊(たかなし)(ゆう)が起き上がり、頭を掻いた。ちらりと外を見ると既に日が沈みかけた黄昏時。茜色の空から黄赤の陽射しがさしこんでいる。

「……あの時のことを夢見たのは久しぶりだな」

 額をも見ながら小鳥遊が独り言をつぶやく。

 そして、両手を天井へ向け、大きく背伸びをした。

「なんというか……、俺もまともだったってところだな、うん」

 頷きつつ、顔を洗おう、と言い、起き上がると、洗面所へと歩いていった。

 

 

 地下。

 家の下にある秘密の訓練場。

 小鳥遊がホルスターにリボルバーを収め、コインを弾く。

 弾かれたコインがくるりくるりと宙を舞いながら、地面に落ちる。コインが落ちた瞬間にリボルバーを抜き、的を撃った。

 そして、ストップウォッチを止める。

 0.1秒……、数字を見て小鳥遊が顔をしかめる。

 自身の最速よりもはるかに遅い。どうも、連日の狩りで疲労がたまっているのだろうか……いや、俺の腕前がまだまだ安定してないだけだな、と小鳥遊は自嘲した。

 穿たれた2つ(・・)の的の下に、弾は落ちていない。

 これはこのリボルバーも銃弾も実物ではなく、不可思議な魔法の力で作り出されたものだからである。

 幼少の頃、かつてのヒーローのほとんどが致命的な傷を負いながらも鎮めた怪獣災害――セカンドカラミティ。それに巻き込まれ、両親を失い、自らも瀕死の重傷を負った小鳥遊は父親が契約していた狩りの魔王ザミエルと「悪心を集める」契約を交わす代わりに一命をとりとめた。

 いま、小鳥遊が訓練に使っているこの地下室もその遺産の1つだ。

 幼い小鳥遊は知らなかったが、どうでも小鳥遊の父親は依頼と引き換えに悪人(ヴィラン)を討つ、殺し屋に近いヒーローをやっていたようだ。元々クレー射撃の選手でもあったが、それに加えて拳銃も扱う訓練を行うために、この地下室を密かに作成したようである。

 その恩恵にあずかれているのだから小鳥遊に文句はない。

 リボルバーを回し、薬莢を取り出し、中を点検する。

 1度、消して元に戻したのだから、新品同様に問題はないのだが、しないとどうも落ちつかない。

 この出し入れ自由な――しかも出すたびに整備も終わってる――リボルバーも含み、狩りの魔王との契約により、小鳥遊はいくつかの恩恵を得ている。

 それは正体を隠蔽する変身であり。

 それは弾切れがなくなる加護であり。

 それは悪心を感知する能力であり。

 そして、6発と1発の魔弾だ。

 この生涯に7発まで撃てる魔弾は、6発までは狙った位置に当たるが、7発目は大切なものの命を確実に奪う弾丸となる。そのような呪われた弾丸である。

 もっとも、小鳥遊にとって、大切といえるほどの人物は現在思い浮かばず――せいぜい仲の良い友人ぐらい――この7発目を撃てば、自分がうたれるのだろう、と小鳥遊は考えている。

「さてと……、このぐらいかね」

 しかして、魔王との契約を果たすために、今日も狩りに出る予定の小鳥遊であるが、その前の準備運動(ウォーミングアップ)として行っていた射撃を切り上げる。

 大よそ千発ほど撃ち、守備は上々。軽く手を振りながら、耳栓とゴーグルを外す。

 簡易的に人の形が書かれた木のターゲットは穴だらけとなっていた。

 ホルスターとリボルバーを虚空へ消し去る。もし、これが実銃であったなら弾代に頭を悩まさなければならないが、魔法の力で銃弾が充填され、撃った弾も消えるため、銃弾の代金に悩まされる事はない。魔王との契約で得た利点の1つだった。

 軽く体を伸ばして、準備体操をすると、そのまま小鳥遊は地下射撃場を後にした。

 

 

 小鳥遊がいくつか持っている捨てて良い携帯電話のボタンを押し、馴染みの情報屋に電話をかける。

「さてと、今日はどんなネタがあるやら」

 現在、世間では超人といわるような超能力に目覚めた人間やあり得ない奇跡ともいえる魔法、どうやって得たのかわからないような技術を使い悪事をなす悪人(ヴィラン)が両慮跋扈している。

 それゆえに、悪人(ヴィラン)に恨みを成す人間は多くいる。

 小鳥遊が電話をかけている情報屋はそれらの人間から依頼を受けては、小鳥遊のようなヒーロー崩れに依頼を流す商売を行っている。情報屋自身も何か恨みがあるようで、1度会った時、車椅子にのっていたが、悪人(ヴィラン)が原因でそうなったようだ。

「……お前か」

「ハロー、なにかいいネタない? しばらく余裕はあるんだけど、やっぱり貯蓄できるうちにしておきたくてな」

「…………」

「ん、どしたん?」

 いつもなら、ここで簡単な紹介と値段の交渉が始まるのだが、情報屋にしては珍しく困惑してるような雰囲気で口ごもっている。

 電話越しに感じる相手から迷いを感じる、試しに読んで(・・・)でもいいのだが、それなりに信頼してる相手への礼儀として小鳥遊はなにもしないでおいた。

「かなり怪しいのだが、ザ・カーニバルの傘下の組織で、誘拐を担当するチームの情報が入っている」

「やけに具体的だな。それで何を迷ってるんだ?」

「いや……それが唐突に情報網に乗せられたうえに、どうも彼ら自身が自分でばらしたようでな。正直、怪しいところしかないのだが……」

「確かに怪しさしかないな」

「どうする? これでいいのなら、格安でいいが……」

「まぁ、試しに行ってみるか」

「報酬はいつものところで頼む」

「あいあい」

 電話が切れる。

 仮面の下で小鳥遊は鼻を鳴らし、にやりと笑う。

 

 

 ひらり、と二又に分かれたマントを揺らしながら、大鴉(レイヴン)、こと小鳥遊(たかなし)(ゆう)は情報屋から得た場所へと歩いてくる。

 鼻が丸味を描き地面に垂れるように伸びたペストマスクをつけているため表情はうかがい知れないが、首を軽く振り、周囲を警戒している。

 郊外にある寂れたビル。そこをまるまる1つ借りてるようで、用途は誘拐、及び、誘拐相手の一時保管所、らしい。

 あまり手入れが入ってない地域らしく、街灯の電気が数度点滅している。

 ビルの壁には落書きが目立つ。小鳥遊がコンクリートの上に生えた名も知れない短い草を踏む。

 ビルを見上げると、電灯がついていない。まだ夜は更けておらず、起きてる人員がいてもおかしくない。監禁場所であることを考えると、むしろ常に誰かしら起きていそうなものである。

 ザ・カーニバルの傘下であるため、理解できない理由で見張りがついていないかもしれないが、それでも無防備にもほどがある。

 そして、なにより、小鳥遊が得ている加護の1つ、悪心を感知する能力が大きな悪心を感じ取れないのだ。

 小鳥遊としては言葉にするのは難しいのだが、他人が抱いてる悪なる心、それを匂いの様に感じ取れる能力である。それは害意や悪意といった危害を加え、陥れるといった心を指すようだが、その度合いが大きいほどより、刺激的で鼻につく匂いのように感じるのだが……。

 しかし、相手がザ・カーニバルということもあり、あまりこの能力を過信してはいない。あの怪人集団はまったく悪心を抱かず、己が嗜好(フェチ)を満たすために他者を踏みにじるものも少なくない。

 小鳥遊がぱっとおもいつくだけでも赤ずきんがいる。子供の様に無邪気に、虫の足を千切る様に手足をもいでも悪心の匂いを感じなかった。きっとあれは、ただ楽しいから壊してる、だけなのだろう、度し難いにもほどがあると小鳥遊は思うが。

 そんなことを考えながら、小鳥遊がドアノブに手をかけ、捻る。それは特に抵抗もなく、あっさりと回る。軽く扉を引いてみると、抵抗はない、このまま力を入れれば開きそうだ。

「………」

 仮面の裏で小鳥遊が目を細める。

 小鳥遊は一気に扉を開くと、転がりながら通過、すぐさま近くにあった壁に身を寄せて拳銃を構えた。警戒して入ったものの罠や待ち伏せの類はない。

 周囲に敵影はなく、不気味なほど静かであった。

 ビルの中は灯りがついておらず、暗い。道に困るほどではないが、薄暗いため不気味である。

 何かが潜んでいたらうっかり見逃してしまいそうで、大鴉(レイヴン)は警戒度を1つ上げる。

 まだビルに入ったばかりであるが、饐えた、そして鉄臭いにおいが漂ってくる。嗅ぎなれた匂い、即ち、血の匂いだ。たぶんであるが、まだ流れてそんなに時間がたっていないと思われる、強い鉄臭いにおい。下手人はこの場にいるか、逃げても遠くは逃げてないと思われる。

 それに反して、悪心を感じられない点が小鳥遊にとっては不気味であった。

 つまり、何らかの危害を加えた犯人がここにいるのなら、それは殺意や害意を抱くことなく他人を傷つけられる人物に他ならない。

 そんなことをつらつらと考えながら、血の匂いが強い方へ向かって歩いていく。何処に何があるか検討はつかないが、まずは事件現場へいけば何かつかめるだろう、と行き当ったりばったりに考えていた。

 廊下に目を落とすと、べったりとついた血の痕が見える。恐らく大けがをさせた相手をひきずったのではないだろうか。それを辿る様に小鳥遊が歩いていく。

 小鳥遊の悪心感知(・・・・)が1つの心をとらえた。

 覚えのある感じ。様々な悪人を見てきた小鳥遊でさえ、あまりみかけたことのない純粋な殺意の匂い。

 覚えのある、柘榴のようなにおいに小鳥遊は目を細め、歩を進める。

 やがて1つの部屋へと辿りつく。ビルの他の部屋と変わらない一室。中からなにか少女の――聞き覚えのある――鼻歌が聞こえてくる。

 小鳥遊は仮面の下で面倒そうな顔をしたが、ため息を1つつくとドアノブを握った。

 部屋の中は地獄のような光景であった。

 腸で首をつられてぶらりぶらりと垂れ下がっている物。

 手足が折りたたまれ、折れた骨が突き出た肉塊。それは頭も胴体に埋め込まれており、その上で荷物を折りたたむように4つ折りにおられ重ねられていた。

 指が全て欠損した死体がある。それらの回りに指が転がっておらず、周囲を見渡しても指らしきものが落ちてない事から食べさせられたのではないだろうか。加えて、件の彼は口から血を流しており、その口に血の滴る状態でガラスを突っ込まれたまま事切れていた。

 そして、この景色を作り出した下手人であろう少女は、素手で人間を引き裂いていた。小鳥遊が見ると、手足の指の間ごとに、肩や股の間までに縦に引き裂いていっている。薄く暗褐色の肉が見え、白い血管がぽろりと零れ、同じく白い骨に絡みついていた。

「あ」

 気絶したことが不満なのか、頬を膨らませて引き裂いた腕をぶらぶらとしていた少女が大鴉(レイヴン)に気付くと、振り返り、笑顔を作る。

 間髪入れず、大鴉(レイヴン)はその笑顔に銃弾を叩き込んだ。

「やった大鴉(レイヴン)だ! 一番最初に当たりを引きました!」

 銃声は1つのようであったが、マズルフラッシュは3度。3発の弾丸は少女――赤ずきんの背後から生えた狼男の腕が彼女を抱くように防御し、弾かれる。

 目の前の少女は最近、何度も遭遇してるザ・カーニバルの一員である。狼の身体の一部を自在に体から生やし、見た目にそぐわぬ怪力や頑丈さを持つ怪物だ。

 なにやら小鳥遊を見掛けると「遊んで!」と戦闘を仕掛けてくるのだが、小鳥遊のほうは得るものが少ないのでできれば、あまり関わり合いになりたくなかった。

 信じられないことに悪心をほとんど感じないので殺しても悪心を得ることができないうえに、単純に頑丈で力が強いので厄介極まるのだ。

 また、知り合いのヒーローも何人か殺されており、残虐なことをして喜んでいる姿を見る限り、小鳥遊としては近づきたくない手合いであった。

「おい、人として銃弾があたったなら死んでおけよ」

「そんなことより遊んでください。今日は何をしますか? 刺し合い? 殴り合い?」

「よーし、射的ゲームだ。手足は3点、胴体5点、頭は10点。(まと)はお前な」

「やった! それなら簡単に壊れないでくださいね?」

 赤ずきんが可愛らしく小首をかしげ、膝を曲げて身を沈める。

 二人の距離は大よそ5mほど。

 轟音、赤ずきんが強く地面を踏み抜く音。踏み抜いたコンクリート床が凹んでいた。

 赤ずきんが手に持っていた男で小鳥遊に殴りかかってくる。が、縦に引きちぎられていた腕は脆くなっていたようで、腕が千切れ、途中で放物線を描いてあらぬ方向へ吹き飛んでいく。そのまま天井にぶつかった男がまのぬけた音をたて、つぶれた。

 突っ込んでくる赤ずきんを避けるために、斜め前に転がる小鳥遊。突撃してきた赤ずきんの拳が空を切って、小鳥遊が入ってきた扉を吹き飛ばす。ちょうど入れ違う形で、赤ずきんの背後へと回った、小鳥遊は立ち上がりつつ、左右の拳銃(リボルバー)を乱射。

 赤ずきんの背から銃弾を浴びせつつ、テーブルを蹴り上げ、その後ろに身を隠す。赤ずきんの怪力の前には目隠し程度にしかならないが、それでも次の行動に移るための余地ができる。

 打ち込んだ銃弾は狼男の腕が全て受け止めていた。

 仮面の下で小鳥遊が口笛を吹いた。ちょうど入ってきた入り口に赤ずきんが陣取っているため、撤退できそうにない。

 となると、次の手は、と小鳥遊は月明かりが指す窓に向って発砲、端から順に窓ガラスを割っていく。

「おい、あかずきん! この惨状はどういうことだ!?」

 算段を立てつつ、急いでその場から移動する小鳥遊。予想通りテーブルが吹き飛ばされる。障害物の少ない室内で、赤ずきんの相手をするのは小鳥遊であっても骨が折れる。

 嫌いではないのだが、小遣い稼ぎ気分で着てる今日、相手をしたくはなかった。

「えーとですね、あなたに会いたくて来ちゃったんですけど」

 赤ずきんの背中から生えた狼男の腕が肥大化する。

 赤ずきんの体躯と変わらない大きさから、天井に届くほどまで。

 それは両端から蠅をつぶすかのように押しつぶそうと迫ってくる。

「会えるかわからなかったですから、ちょっと仲間の1つをつぶして情報を流してもらいました」

 小鳥遊が前方に向って飛び込み、伏せる。

 壁が迫ってくるようなものであったが、それでも“腕”であることは変わりなく、丸い両腕の間にできた僅かな隙間に入ることでなんとか回避した。

 伏せたままの姿勢で発砲、マズルフラッシュが光る。弾丸は赤ずきんの足元――足首に吸い込まれるように直進し、そして、着弾。そのままあらぬ方向へ吹き飛んでいく。

 あかずきんのニーソックスの下からは剛毛が覗いており、どうやら足元を狼男の体に置換しているようで、毛皮に弾かれたようだ。

 どういう原理かは知らないが、赤ずきんから生えてくる狼男の部分は尋常でない頑丈さをしている。銃弾をくらってもこゆるぎもしないし、一度、地獄兵団の改造バイクの群れに轢かれ、踏みつけられ続けても怪我をした様子はなかった。

 一方、生身ともいえる少女の部分は狼男に比べると頑丈さ、強靭さに劣るようで、人間の力で容易に傷をつけることができる。現に先日死亡したマスク・オブ・ゼロの細剣(レイピア)の一撃で刺し貫くことができた。

 赤ずきんが狼の腕を振り上げる。瞬間、跳ね起きた小鳥遊が数発、真正面から数発銃弾を撃ち込む。あかずきん、それを右の狼腕で防禦。

 狼腕が目隠しになったところで、小鳥遊が右側へと回り込む。

 先ほどまで小鳥遊がいた場所に左の狼腕が振り下ろされ、轟音をたて、床が凹み、巻き込まれた死体から血がはじけ飛んだ。

 仮面の下、乾いた唇を舌でなめて、にやりと小鳥遊が笑い銃を構える。右手はまっすぐ、左手は僅かに斜角をずらして。発砲。マズルフラッシュが数度煌めいた。

 弾丸は吸い込まれるように赤ずきんに打ち込まれ、これまでと同じように赤ずきんが狼腕に防御され、そして、背後から頭に衝撃を受けて前へと仰け反った。

 弾丸を角度をつけて壁に打ち込み、反射させ、後方から撃ち込んだのだ。

 しかし、どうやら、頭巾の下も狼の身体に変換してるようで、仰け反っただけでダメージは少なさそうだ。

 後頭部を撫でている赤ずきんを尻目に、両手の拳銃(リボルバー)を乱射しながら、窓へと近づく大鴉(レイヴン)

 窓から脱出する気かな、と赤ずきんは思い、スカートの下から出てきたオオカミの足が力いっぱい地面を踏み抜く。

 小鳥遊よりも早く窓側に近づき、とおせんぼうをするように小鳥遊の前に立ちはだかる。赤ずきんに右側へ回り込むように小鳥遊が移動しつつ、乱射。

 近距離からの発砲であろうと、赤ずきんは苦も無く受け止め、前進。小鳥遊が銃口を上下に向け、発砲。

 上下方向に斜めに発射された弾丸が挟み撃ちをする様に赤ずきんへ迫るが、それを後退して、赤ずきんは避ける。

 小鳥遊はその場に釘付けにする様に両手の銃を乱射しながら後退する。

「あはは、どうしますか、狩人さん?」

「そりゃ、決まってんじゃねぇか」

 狩人(レイヴン)は後退しながら――

「逃げる」

 そして、破壊された扉から一目散に逃げ出した。

「あ」

 先ほど窓を割ったのは、窓から逃げると思わせるための囮である。

 今までの攻防は扉の前に陣取った赤ずきんを移動させ、悟らせないためであった。

 「ずるい!!」

 赤ずきんは頬を膨らませて、狩人(レイヴン)の後を追いかけ始めた。

 

 

 息を切らしながら小鳥遊がビルの入り口から脱出する。

 赤ずきんを壁を蹴り上げ、狭いビル内を立体的に移動していたが、牽制に銃弾を撃ち込みつつ、最初に稼いでいた距離を活かして逃げ切ることができた。

「遊んでくださいよ!」

「お前と遊ぶのは楽しいが、実入りが少ないから断る!」

 走りながら、もぎ取った扉が投げつけられる。

 当たる寸前の所で小鳥遊が身を伏せて回避する。扉がかすめてずれた丸い鍔の帽子をなおしつつ、跳ねるように起き上がる。

 もう少し遅かったら頭が柘榴の様に破裂していただろう。仮面をつけて走ってるせいか、少し苦しい頭に、ぞくりと興奮を伴う恐怖が走った。

「――ああ、くっそ。我がながら度し難い」

 小鳥遊が、仮面の下でにやりと笑う。

 先ほどから何度か死にかけているが、それゆえに感じる、この背中がぞくりとする恐怖を、興奮を、小鳥遊は病みつきになるほど愛していた。

 壁に横に突き刺さった扉をチラ見しつつ、街角を曲がる。

 小鳥遊が目を見開いた、背後の赤ずきんに気を取られ過ぎていたが、どろりと腐敗したようなにおいを感じ、あわてて周囲を見渡した。

 この腐臭はは現実にはない匂いであり、彼の悪心感知で感じたにおいにすぎないが……何かいるということは確実だった。

 何かが羽ばたく音。月明かりが何かに遮られる。

 上と感づいたときにはすでに手遅れ、人型の何かがこちらに急降下してきている。

 咄嗟に、両手を交差し鋭い鍵爪の一撃を防御する。

 自らを覆っている黒い布が裂け、血が零れる。

 それは両手が蝙蝠の羽となっている超人(サイオン)であった。

 彼は再び羽ばたき空へと舞い上がる。

 小鳥遊は軽く腕を振るい、動作を確認。痛くはあるが、我慢は出来る範囲。銃を撃つのに支障はなさそうだ。ならば問題はないと、判断した。

「ちっ、はずれをひいちまったか。これもお前の差し金か、赤ずきん?」

 やれやれと首を振りつつ、赤ずきんに視線を送るが、彼女も不思議そうに首をかしげていた。

「あれ、なんでここにいるのですか蝙蝠さん?」

蝙蝠男(バットマン)? いや、男蝙蝠(マンバット)だな、ありゃ」

 ふわりと、蝙蝠の超人(サイオン)が街頭の上に降り立つ。

「キキキキ、それは――」

 甲高い笑い声、耳に不快に響く音に、大鴉(レイヴン)が片耳を抑える。

 見た目が蝙蝠だけあって、超音波の能力ももっているのかもしれない。

 巨大な耳、蝙蝠がそのまま人型になったような彼はにたりと笑う。

 そして、彼の乗っている街灯の下から一つの人影が出てきた。

「あなたを連れ戻しに来たのですよ、あかずきん」

「…………あ、大祖母(グランマ)

 それは車いすに乗った品の良い感じのする女性であった。

 丸い球体のついた車いすは介助者もなく、彼女自身が押してるわけでもないのに自動的に移動している。

 黒く薄い布が垂れた帽子をかぶっており、半透明なその布が目を隠していた。

 白い手袋に、黒い喪服のようなドレスを着用しており、若々しい見た目に反して落ち着いた、幾年月を経たような雰囲気を醸し出している。

「この大事な時期においたが過ぎましたね、さすがに見過ごすことはできません。さぁ、帰りますよ。帰ってきついお仕置きです」

「嫌です! ボク、やっと会えたのに、まだ遊んでもらってないのに帰りたくありません」

「聞き分けのない子ですね」

 大祖母(グランマ)がため息をつく。

「そろそろお祭りを始めるのはあなたも知ってるでしょ。それに、私達がつかってる家族の1つをつぶしましたね、あかずきん」

「うん」

「さすがにそれは見逃せませんよ。なんでそんなことをしたのですか」

大鴉(レイヴン)に会いたくてやりました」

「そうですか……そうですか」

 赤ずきんの言葉を聞いて、事態を静観してた狩人(レイヴン)へと視線が向く。

 薪が燃える匂い、どうやら怒りを抱いているようだ。それは小鳥遊に向いている思われる。

 その動作に呼応して、街角や塀の裏から、ザ・カーニバルの怪人たちがぞろぞろと現れる。小鳥遊は、「やっぱり囲まれていたか」と思い、壁にもたれかかっていたまま、ため息をつく。

「あなたですか?」

「何がだ」

「あなたが赤ずきんを誑かせたのですね?」

「は?」

 大祖母(グランマ)狩人(レイヴン)を睨みつける。

 冗談を言っているようではなく、その眼は本気だった。

「彼女は乱暴なところもありますがいい子なのですよ。何か理由がなければこのようなことをするはずがありません。ならば、あなたが誑かした以上の理由が思い浮かびません。だから、白状しなさい。赤ずきんに何をしたのです?」

「老眼鏡買えよ、ババア」

 ザ・カーニバル。

 奇怪な行動原理を持つ犯罪組織(ヴィランズ)と聞く。

 彼らはあらゆる美を汚す――すなわち、各々の美意識(フェチズム)に応じた犯罪を行い世に仇なし、現在が楽しければいいという刹那的な狂人集団と小鳥遊は聞いていたが、どうやらその風評に間違いはないようだ。

 ある町ではサーカスの講演を行い、その講演の最後に客人たちを爆殺し、そのまま爆破テロを行ったとも聞くが、どうやら彼らを見ているとそのような後先を考えないことをしてもおかしくない雰囲気をがある。

 そして、どうやら目の前の大祖母(グランマ)はおそらく“家族”――多分、ザ・カーニバルの団員達を指す――に対して多大な思い入れがあり、彼らが不都合なことをするのは、ザ・カーニバル以外の人間に介入があったからだと、思い込んでいるようだ。

 これも1つの思い込み(フェチズム)か。

「つーか、赤ずきんを引き取って帰るならさっさと引き取って帰ってくれ、俺は今日、損続きだからさっさと帰りたいんだよ」

「えぇ、ボクとの関係は遊びだったんですか?」

「……!!」

 口元を抑える大祖母(グランマ)

「おい、火事の現場にガソリンを撒くな、赤ずきん」

「先ほどだって大鴉(レイヴン)、乱暴に扱ったじゃないですか」

「やっぱり、あなた赤ずきんにひどいことを……!」

「微妙にあってるから否定しづれぇ……」

 大鴉(レイヴン)は頭を抱えて溜息をついた。このままだと会話が進みそうにない。

「んで、さっさと引き取るなら引き取って帰ってくれ、そろそろ警察も来るだろうし」

「もちろんです」

 大祖母(グランマ)が、すっと片腕を上げる。

 彼女の背後に控えていた異形の集団が、すくりと動き出す。

「あなたを始末した後に、ですね」

 複数人のピエロ、街灯の上に立っている蝙蝠男、ガロンハットをかぶり農業用の巨大なフォークを背負った全身タイツの男、ナイフでジャグリングしている腕が4つの女、他にも多数の異形の集団。

 夜闇の中で彼らがゆらりと動き出した。

 ざらりとした舌触りを感じ、小鳥遊が顔をしかめる。

 仮面がなければ、唾でもはくのだが、軽くため息を吐く。

「結局こうなるか……くそったれ(Fuck)!!」

 小鳥遊(レイヴン)(リボルバー)を構える。

 矢継ぎ早に8本のナイフが投擲される。それを撃ち落としなら小鳥遊がこの場から離脱しようと走り出す。

 耳障りな音、宙を舞う男蝙蝠が胸を膨らませて息を吸ったかと思うと、甲高い衝撃波を伴う超音波を小鳥遊に放つ。

 小鳥遊は銃を消し、耳を抑えて、それを防御する。耳の奥に響く音、鼓膜が縮み、高所に飛んだ時のような締め付けられる痛みが苦しめられる。思わず、その場に立ち止まってしまう。

 街灯が音により割れ、硝子が飛び散る。

 その小鳥遊の頭上に、ラジコンの飛行機が飛来、玩具と思わしき小指ほどの爆弾を落とす。小鳥遊が歯を食いしばって、その場から転がり、避けると、彼が先ほどまでいた場がボンッと音をたて、小規模の爆発と共に白い煙が上がる。

 男蝙蝠の超音波攻撃が止み、頭がくらくらするものの行動する余裕はできた。

 ならば、と周囲を狩る見渡したところで、足元に1つの影。

 先ほどナイフを投げつけてきた4つ腕の女が懐に潜り込んできた。女は地を這うように片手を地面につけ、3つの支えで地面を進んでくる。

 新たに出現させた拳銃(リボルバー)を女に打ち込めたのは長年の鍛錬の成果だ、半ば反射的に打ち込んだそれを女は右方向に避ける。しかし、それは罠。自らの左腕をあげると、そこには小鳥遊が右手でもう1つの拳銃(リボルバー)を出現させていた。

 発砲。マズルフラッシュ。

 しかし、その弾丸は外れる。女は腕だけで跳躍――さすがはサーカスを隠れ蓑にしてるだけあって身軽なようだ――小鳥遊を飛び越えながら、袖口から滑り取り出した4本のナイフを小鳥遊へと投げつける。

 小鳥遊は右腕を首に回し致命傷を避け、左手の拳銃(リボルバー)握り手(グリップ)で顔に向ってきたナイフを弾く。

 残りのうち一本は肩に刺さるが、浅い。行動に支障はないと判断した小鳥遊は、振り向きざまに数発、女に打ち込むが、彼女は連続してバク転し、それを回避する。

 口笛を吹いて、それを賞賛しつつ、小鳥遊は次の行動について思案する。

 このまま包囲網の中にいれば、いずれ小鳥遊は狩られてしまうだろう。小鳥遊は決して耐久力に優れる方ではない――むしろ、耐久力自体は人間と変わらない。

 魔弾自体は大火力というわけではなく、この状況で全員を投げるほどの火力は出ない。

 赤ずきんは何やら大祖母(グランマ)と話している。

  逆転できるだけの火力がなく、増援は期待できず、サイレンの音も聞こえない。警察や他のヒーローたちは動いていない用だ。

「きひひひっ……」

 あまりの危機に小鳥遊は笑いが出た。

 最高である。

 この状況を切り抜けられたらきっと楽しいだろう、と小鳥遊は左右のホルスターに拳銃(リボルバー)を出現させる。

「さぁ、来い。お前ら。俺はここにいるぞ、見事、取って見せろよ」

 ずれた丸い鍔突き帽子を拳銃の先で突き上げてなおす。

 背後はコンクリート壁。宙を舞う男蝙蝠、ラジコンの飛行機。

 目前には4つ腕の女や巨大なフォークを持ったガロンハットの男、上半身で二人の男女がくっついてる異形、蛙の様に座り込む少年などなど怪人がずらりと並ぶ。

 宙を舞う男蝙蝠が大きく息を吸う。先ほどの超音波攻撃。

 それが放たれる前に、蛇のように右手が腰の拳銃(リボルバー)に伸び、銃を引き抜くと男蝙蝠へと射撃。

 男蝙蝠は、大きく羽ばたき空へと飛翔。弾丸が彼の目下、見当はずれの方向へと飛んでいく。

 飛んでいく――はずだった。

 男蝙蝠には何が起こったかわからなかっただろう。

 射出された弾丸は不可思議な力で宙を曲がり、男蝙蝠を追跡すると、そのまた下から脳天までを一気に貫いた。

 小鳥遊がうち放ったのは生涯に6発しか撃てない、悪魔の弾丸――魔弾であった。

 これは小鳥遊が思い描いたとおりに狙った場所に対して、因果を捻じ曲げ必中する弾丸である。

 大祖母(グランマ)が悲鳴を上げる。

「マンバット!?」

「まんまかよ、おい」

 その悲痛な叫び声は“家族”が殺されたためか。

 どうでもいい疑問を流しつつ、蛙のような少年が下を伸ばしてくる。その舌を躱し、躱しざまに反撃に二発、マズルフラッシュがたかれる。

 蛙の青年は腹部に弾丸を打ち込まれ悶絶し、胴体部で二人の男女が分かれている異形の男性の頭に穴が開く。片割れらしき女がぎょっと目を見開くが、続けて飛んできた弾丸に沈黙させられた。

 その異形が倒れた後ろから一人のずんぐりむっくりな男がそのコートを大きく開く。

 コートの下から現れた脂肪たっぷりの太った腹。その腹部はどこかに繋がってるようで、テントらしき背景に道化師(ピエロ)が大砲に火をつけている。

 小鳥遊は連射。途端、男が巨大化し、銃弾は全て腹部へと吸い込まれ、どこかへつながっている景色へと流れていった。

 銃弾によりピエロが倒れるが、しかし、時すでに遅し。轟音を立てて、大砲が発射される。

 迫りくる大砲。回避を優先していれば射線から逃れることができたかもしれないが、今は無理であった。

 周囲の時間が遅くなる、周りの光景がゆっくりと見え、不自然に思考が加速したように感じ、小鳥遊はその光景を眺めるように見ていた。

 ああ、これで終わりか、と楽しそうに笑う。

 そして、最後に反撃せんと、腕に力を込めて。

 横から突撃してきた何かに吹き飛ばされ、壁に激突する。

大鴉(レイヴン)はボクの遊び相手です!」

 大砲を狼の腕がわしづかみにして受け止める。体重が軽いためか、赤ずきんの身体が後ずさり、地面に狼の爪によるひっかき傷が刻みつけられる。

 ふわりと金色の髪が揺れ、赤く長い頭巾が腰元まで垂れ下がる。

「……手加減しろよ」

 壁にたたきつけられ、咳ごみながら小鳥遊が立ち上がる。

 背中と脇腹がずきずきと痛み、杭を打ちつけられたかのように胸が苦しく息苦しいが、とりあえず、立ち上がることはできた。

「まったく、どういうことだ?」

「遊んでください、狩人(レイヴン)さん。ボクはあなたと遊びに来たのです、ですからボクが壊す前に壊されると困るのです」 

「いま死ぬか、あとで死ぬかの違いじぇねーかな、それ。まぁ、なら共闘いっとく?」

「わーい、なら、このあとで遊びましょう!」

「いいぞ」

「え?」

「一緒に共闘する代わりに、お前と遊んでやる。それでいいぞ?」

「本当ですか?」

「ああ」

「本当に? 本当ですね? 嘘ついたら許しませんからね?」

「嘘はつかねぇさ。ただし、一般人への被害はなしだからなー」

「えー」

「そこは頷けよ」

 よろりと立ち上がった小鳥遊が赤ずきんへと近づき、拳を突き出す。

 赤ずきんはよくわからないようで小首をかしげるので、「こういときは軽く拳をつきあわせるんだぜ」と小鳥遊が言うと、ぱぁと顔を輝かせて、拳を突き出した。

 ただし、加減はしてないようで鈍い音と共に、ごちんと拳がつきあたり、小鳥遊は痛そうに腕を振るう。

「赤ずきんちゃん。どうして……」

「ごめんなさい大祖母(グランマ)

「ダメ、ダメですよ、赤ずきん。その人は悪い人です、一緒にいてはあなたにも危害が及びます。ただでさえ、仕込みが終わろうとしてるのです、あなたも巻き込まれてしまいます」

「仕込み……?」

 小鳥遊が疑問を呈する。

 大祖母(グランマ)から悪意の匂いがしないのが逆に怖かった。

 彼は赤ずきんを盾にしつつ、牽制の弾丸を撃ち放つ。

 縮小したずんぐりむっくりの男が急いでその場から逃げ出した。壁の裏に逃げ込んだ男に、小鳥遊が電柱に銃弾を撃ち込み、軌道を変えて、足に打ち込むと、勢いをつけたままころがり、地面に思いきり転んだ。

「何を企んでやがるんだか」

「教えるはずありません。それよりも赤ずきんちゃん。お願い、戻ってきて」

 赤ずきんが首を横に振る。

「やっと見つけた、初めての遊び相手ですから嫌ですよ。それにボクもよくわかってないけど、しばらく一緒に遊んでみたいのです。だから」

 赤ずきんが言葉を切る、大祖母(グランマ)を見つめて、申し訳なさそうに目を逸らす。

「だから、これは初めての家出です。ごめんなさい、大祖母(グランマ)。ボク、悪い子になります」

 大祖母(グランマ)が何か言おうとしたところで、小鳥遊が発砲。銃弾がかすめて言葉が途切れる。

 遠くでサイレンの音が聞こえてきた。

 先ほどから騒ぎや発砲音から警察に連絡がいったのだろう。

 大祖母(グランマ)が何かを噛むように沈黙し、小鳥遊(レイヴン)を睨みつけた。

「……あなたは絶対に許しません。あかずきんに何かひどいことをしたら地の果てまで追いつめますからそのつもりでいなさい」

「おー、怖い怖い」

 小鳥遊が肩をすくめて大祖母(グランマ)の怒気を受け流す。

 そして、怪人の集団が少しずつ、夜闇に溶けるように退いていく。

 男蝙蝠や二つ叉の男女の死体も回収されたようで、すでにのこっていない。

「さて、俺達も逃げるべきだが……」

「え、今から遊ばないのです?」

「捕まるわ!」

 赤ずきんが不満そうに頬を膨らませる。

「とりあえず、場所を変えよう。少し遠回りして、家に行くぞ」

「え、大祖母(グランマ)が知らない人についていってはいけないって……」

「おい、悪い子。さっき言ったことを思い出せ」

 と、赤ずきんの腕を引いて、小鳥遊(レイヴン)もその場を後にするのだった。

 



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『3話 おばあさんの家はどこ?』

 鼻を刺激する刺激的な匂い。小鳥遊の経験からすると、これは殺意の匂いである。

 それを知覚した瞬間、小鳥遊がふとんを跳ね除け、ベッドから転がり落ちるように離れた。

 軽い金属音。「あ、痛っ!?」という戸惑った声が聞こえた。

 見ると入り口のところで赤ずきんが頭を摩って痛みを散らしていた。彼女の足元には小鳥遊が昨夜しかけておいた、たらいが落ちている。

 赤ずきんの手にはナイフ。昨夜に仕掛けておいた罠にひっかかったのだろう。

「……なにしてるんだ、赤ずきん?」

「ご飯を作ったのになかなか起きてこないのでナイフ(これ)で起こしに来ました」

「そのまま永眠しちまうわっ!」

 赤ずきんが小首をかしげる。

「それよりも朝御飯つくりましたから、起きてください」

 自らの頭を摩る。頭巾の下から露出してる狼の耳がぴくぴくと動いた。

「え……、はっ? お前、料理できたの?」

「あ、酷いですね。ボク、これでもザ・カーニバルにいた時は家事担当だったんですよ?」

 呆気にとられ目をぱちくりとする小鳥遊に対して、あかずきんが頬を膨らませる。

「もう……、とりあえず冷めたらまずくなりますから早く降りてきてくださいね?」

 そういって、赤ずきんが踵を返し部屋から出ていった。

 

 

 昨夜、ザ・カーニバルから逃れた後、赤ずきんに二股に分かれたマントを着せ、念のために遠回りする形で、同じ道を何度も繰り返し通ったり、唐突に道を変えたりして尾行に気を付けて家へと戻る。

 そのころには夜も更けており、二人とも疲れていたのか、赤ずきんに空いている客間の布団だけを指示して、小鳥遊は速攻で布団に入った。あの後、朝まで何もなかったことを考えると、赤ずきんも早く寝たのだろう。

「……それにしても料理できるのはマジで意外だわ」

「さすがに酷いですよ?」

「いやー……だってなぁ……」

 小鳥遊視点から見た赤ずきんは、出会うたびに喜々として殺しに来る相手でしかなかった。そのため、おいしい料理を作れることは意外でしかない。

 そして、ぱくりと小鳥遊は目玉焼きを口へ運んだ。

 赤ずきんはソースを、小鳥遊は醤油をかけて目玉焼きを食べている。

「それにしても……どうしたもんかなぁ……」

 小鳥遊が頭を抱える。

 ザ・カーニバルに本格的に狙われてる以上、しばらくは学校を休んでそちらの対処に集中したいところである。仮病に装っての休暇届けや闇医者に支払う偽装書類の出費も頭が痛いところである。

ザ・カーニバル(あいつら)が何をしようとしてるかは知らないのか、赤ずきん?」

「ボクはほとんど知りませんよ。よくわからないボンベ?を運んだりした程度ですし。それもトラックにもっていくまでで、どこにもっていったかは知らされてないです」

「別に止める義理はないが、放っておいてもいいことなさそうだしなぁ……」

 小鳥遊が溜息を1つ。

「とりあえず、偵察と強襲を兼ねて、赤ずきんが知ってるザ・カーニバル(あいつら)の居場所、教えてくれないか?」

「あ、いいですよ。ボクも皆で遊んでみたいですし」

「………、聞いた俺が言うのもなんだが、いいのか? 元々は仲間だろう?」

「??? みんなで遊ぶのは楽しいですよ?」

「裏切りじゃねーのか、つー話なんだが」

「いつもは構ってくれないから、いまなら遊ぶのにいい機会と思います!」

「あーうん、何も考えてないのな、よくわかった」

 能天気に笑う赤ずきんに小鳥遊がこめかみを抑える。

 何を話しても暖簾に腕押しな気がするが、今、彼にとっての味方は赤ずきんぐらいである。

 他のヒーローとは折り合いは良くなく、警察に至っては殺人者としてマークされている――別にヒーローに殺人許可は出てないのだから当然だ――小鳥遊にとって、彼の身元がばれていないのは多大な利点であり、それを放棄してまで共闘できる相手となる、目の前の赤ずきんぐらいなのである。

 どのくらいの付き合いになるかわからないが、その相手が話が通じてるか通じてないかよくわからない相手というのは頭の痛い話であった。

 それはそれとして、“悪心感知”を持つ小鳥遊としては、日常的に感じる人の悪心――すなわち、腐臭を赤ずきんからあまり感じず、過ごしやすい相手ではある。

 しかし、それは、赤ずきんが悪意も無く相手を殺傷できる相手であるという証明でもあるため、油断はできない。

「それはそれとして昨日の約束、果たしてもらってないですよ」

「それなんだが、1日の終わりに1回、1時間ぐらい戦うじゃダメか?」

「えー……嫌です、もっともっと遊びたいです!」

「俺はそんなに頑丈じゃねぇよ……」

「なら、今から遊びます?」

「それも困るんだが……なら、こうしようぜ」

 小鳥遊が拳銃(リボルバー)を具現化し、留め金を外す。

 1つの弾丸だけ指で押さえ、残りの弾丸を弾倉(シリンダー)から滑り落した。

 そして、弾倉(シリンダー)を回転させる。

賭け(ロシアンルーレット)をしようぜ」

 そして、拳銃(リボルバー)を机の上に置く。

「最後まで引き金を引いた奴の勝ちだ。お前が勝ったら好きなだけ遊んでやる。だが、俺が勝ったら、遊ぶ(たたかう)のは1日1時間だけ。それまでに悪いことしたら遊ぶのはなし。あとついでに、ザ・カーニバル相手に戦うのを手伝うつーことで」

「何か条件が不平等ではないですか?」

「お前は狼化を使っても構わないし、先に撃っていい。ああ、念のために弾倉(シリンダー)をいくら回してもいいぜ」

「本当に約束を守ってくれますか?」

「もちろんだ」

「本当に? 本当に守ってくださいよ……?」

 不安げな調子の赤ずきんに小鳥遊は鷹揚にうなずた。

 おずおずといった調子で、赤ずきんが拳銃(リボルバー)を手に取ると、側頭部に当てる。

「おっと待った。拳銃をそこに当てても即死はできないぜ。やるなら、拳銃を咥えて斜角を少し上に向けるか……眉間から狙うか、だな」

 小脳か脳髄を狙うんだよ、と小鳥遊は言う。赤ずきんはしばらく銃口を眺め、逡巡した。

「あのボクが銃を咥えて、次の大鴉(レイヴン)の番になったらどうするのです?」

「おなじように咥えるに決まってんだろう」

「………」

 しばし、銃口を眺めて、赤ずきんが困ったように沈黙し、

「あの、眉間にしましょう。眉間。大祖母(グランマ)がつきあってもいないのにキスしたりしてはいけないっていってました」

「……あー、あー、なるほど間接キスな。お前、意外とそういうの気にするタイプなのな」

「む、ボクも乙女ですよ?」

「はははは。ナイスジョーク」

 赤ずきんが頬を膨らませて、拳銃を眉間に押し当て、引き金を引いた。

 撃鉄が下ろされ、かちりと間の抜けた音が響く。

 銃弾は発射されない。

「まぁ、眉間(みけん)では案外死なないんだけどなぁ。ちょっと待ってろ」

 小鳥遊が席を外し、そしてすぐに戻ってくる。手には透明なビニール袋が3枚、そして、輪ゴムを持っている。

 小鳥遊が拳銃(リボルバー)を手に取り、

「間接キスが嫌ならこうすりゃいいだろう」

 その銃口を3枚の袋で覆い、口に咥えた。

 そして、引き金を引く。

 結果はさっきと同じだった。

 銃弾は発射されない。

「ほれ」

 小鳥遊が1枚目のビニール袋を外して、あかずきんへと手渡す。

「デリカシーがありません……」

 心なしか落胆したようなあかずきん。

 彼女は眉間に銃口をくっつけ、引き金を引いた。

 同じく撃鉄が落ちる音がして、弾倉(シリンダー)がまた1つ動く。

 銃弾は発射されない。

「まぁ、そういうなよ。むしろ、そういうの気にするのがマジで意外なんだが」

大鴉(レイヴン)の中でボクはどうなってるのですか」

「その赤い頭巾の由来を聞いた限り、あんまり気にする類には思えなくてな」

「ええ、返り血が目立たないからこの赤ずきんは大好きです。可愛いでしょ?」

 小鳥遊が拳銃(リボルバー)を咥え、引き金を引く。

「かわいいのは認める」

 そして、袋を外すと赤ずきんへと渡した。

「しかし、それ以外の部分がマイナスすぎるんよなぁ、お前……」

 ふんわりとした金髪にくりっとした金色の眼。

 白い肌にぱちりと長い睫が彼女の丸い目を彩っている。

 時代錯誤のような赤い頭巾であるが、可憐な少女である彼女には似合っていた。

 本当に見た目は可憐なのが罠だよな、と小鳥遊は目を細めた。

 彼の頭の中で疑似餌という言葉が思い浮かぶ。

「むむむ。……、けど」

 赤ずきんがためらいなく引き金を引く。

銃弾は発射されない。

そして拳銃を机の上に置き、満面の笑みで両手を挙げて万歳する。

「賭けは僕の勝ちです!」

 5回目となる赤ずきんの手番。

 銃弾は発射されなかった。

 となれば、必然――、弾が入っているのは最後の弾倉(シリンダー)だ。

「はは、なにいってるんだ?」

 小鳥遊が、机の上に置かれた拳銃(リボルバー)を手に取り、口に咥える。

 歯でしっかりと噛み、斜角をわずかに上げる。

 通常、生物の死とは小脳や延髄の破壊による身体生命維持に必要な部分が破壊され停止することだ。

 大型の拳銃であるなら、頭を打ち抜けばそれらの部分に損傷を与える可能性は高いが、拳銃(リボルバー)は違う。

 弾が小さいため、ともすれば致命的な部分に当たらない可能性があるのだ。

 だから、拳銃を咥え、自ら延髄の部分を狙う。

 もし、弾がそれたとしても発射の衝撃で延髄が破壊される可能性が高い。

 故に、小鳥遊の今の態勢は必然的に死亡する可能性が高く。

 そして、彼はためらいなく引き金を引いた。

 銃弾は発射された。

 

 

「せいぞんせんりゃくぅー、ってやつだ」

「わーい……痛っ」

 いつものペストマスク姿へと変身した小鳥遊。

 テンションの高いその言動に、赤ずきんがぱちぱちと拍手して追随しようとして、痛みに顔をしかめた。

 赤ずきんの右手にいくつかの裂傷がはしっており、未だ肉が蠢き直っている途中であった。

「んー、人間とは思えない早さの治り方してんなぁ」

「傷者になった責任をとって遊んでくださいね?」

「誤解を招くようなことを言うなよ」

 引き金が引かれた瞬間に伸ばされた赤ずきんの手が弾倉(シリンダー)ごと銃身を握り潰したため小鳥遊は無傷であったが、衝撃でしばらく呻いていた。

 暴発に近い状態となったが、幸い銃の暴発時の怪我の原因となる破片は赤ずきんの手の中に納まり、衝撃も彼女の手により大分緩和していたため小鳥遊に損傷は少なかった。

 代わりに赤ずきんの手がずたずたの酷いことになっていた。

 白い皮膚に容赦なく鉄片が刺さり、血がにじみ出ていたがためピンセットで1つ1つ取り除き、簡単な手当てを終えた。

「よーし、静かになー、一応隠密行動してるから」

「テンションが高いのは小鳥遊の方だと思いますよ?」

「まぁな」

 そして、朝食が済んだ後、闇医者に偽の診断を書くように依頼したり――無駄にぼったくられた――学校へのしばらく病欠を報告したり忙しかったが、それらを片付けた後、赤ずきんの知る、ザ・カーニバルの拠点の一つへと訪れていた。

 赤ずきんが言うにはいくつか拠点を持っているらしいが、知っているのはここだけらしい。

 昨日と同じく郊外のはずれにある人の寄り付かない場所に立っている普通のビルだ。

 ここになにやらボンベのようなものを運んだりしたらしい。

「妙だな」

「何がですか?」

「悪心を感じねぇ」

「……悪心ってなにですか?」

「あー、言ってなかったか……。まぁ、わかりやすくいうなら悪い心だ。こう人を傷つけようとか、こいつむかつく、とか。お前みたなあんまり感じねぇ奴は例外で、たいていの人間には備わってるものなんだが……」

 ある程度距離が離れていても、小鳥遊は人の悪い心を感じ取ることができる。ならば、目の前のビルからも同じく感じ取れるはずなのだが、どういうことか悪心を一切感じ取ることはできない。

「んー、となると」

 あっさりと隠れるのをやめて茂みから小道へと出る小鳥遊。

 赤ずきんが首をかしげて、その後に追随した。

「隠れて侵入するんじゃなかったのです?」

「いや、もう出払ったあとだろうな。これ」

 長年共にあった感覚だけに小鳥遊はこの悪心感知を信頼している。

 この感覚にひっかかるものがないとなると、なんらかの対策が施されてるか、あるいは――相手が既にいないか、だ。

 今回は後者だと、小鳥遊は断定した。

「やっぱりな」

 堂々と真正面から扉へと入り、中を見渡す。

 中は既に引き払われており、道具や荷物などは1つも残っていなかった。

「既に引き払った後か」

 何か置いてあったらしきところに誇りが積もっており、それ以外の場所との埃のつもり具合が違うところを見ると、直近まで何かあったのは確かなようだ。

 小鳥遊たちも決して遅くはないのだが、昨日ザ・カーニバルと遭遇してからすぐに拠点を動かしたのだろう。

 そこまでして守る計画が、この街で進行しているのかと思うと、小鳥遊はへの字に口を曲げた。

「とりあえず、しばらく探索してみるかね」

「家探しですか?」

「だいたいあってるな」

 しばし、二人はビルの内部を物色したが、特にめぼしいものは出ず、「金の目のものぐらいおいていけよ」と小鳥遊は愚痴っていた。

 

 

 くるりくるりと車輪が回る。

 ひじ掛けの先端が球状となっており、それに触れている手から神経の電気信号を読み取り、その大型の車椅子は稼働する。

 小柄な大祖母(グランマ)がすっぽりと入るほど大きく、椅子も通常の者とは違い、柔らかいクッションとなっている座・背もたれ。彼女の意志でその背もたれや首の支えの角度を調整することができる。

 その車輪も4つではなく6つとなっており、車いすの車輪というよりは自動車の車輪のような分厚いモノとなっている。

 特性の車椅子に座り、ゆったりと動いている大祖母(グランマ)であったが、その様子は落ち着いているとは言い難かった。

「大丈夫かしら、赤ずきん。あの度し難い(からす)に酷いことされないといいのだけど……」

「……逆、ではないか?」

 その隣を歩く4本腕の女性が困惑したようにつぶやく。

 大祖母(グランマ)は家族と認めた相手には懐深いのだが、盲信といえるほど相手を好意的に捉えるのが、欠点であると4本腕の女は思う。

 多腕というだけで気味悪がれれ捨てられた身としては、居心地の良い場所を用意してくれた大祖母(グランマ)のことは嫌いではないが。

 身内を殺した相手を心配する気など毛頭ないのだが、あの赤ずきんと共にいるのなら今頃、殺されているのではないかと多腕の女は思う。

 なにせ、あの赤ずきんときたら、遊びと称して出会い頭に殴りつけてくるわ、無邪気な顔で放火してくるわと、やりたい放題であった、その上、殴り返されたり、復讐されても喜んでいるのだから、手に負えないものだった。

 結果的に、彼女を気にかけていたのは大祖母(グランマ)ぐらいであったが、自業自得いうものだろう。

「それでお祭り(カーニバル)計画の方はどうなっております?」

「問題なし。X化合物は各地に配置中」

「よろしい。ああ……これでみんな家族になれますね。とてもいいことです」

 にこにこと柔和な笑みを浮かべる大祖母(グランマ)

 多腕の女も来るべく祭りの日を思い笑みを浮かべた。

 

 

 陽射しが窓から差し込む。

 かつては賑やかだったビルの内部であったが、今は外から入る雑音だけが響いている。

 風の音、虫の鳴き声、車の騒音。

 赤ずきんは廊下を歩きながら、かつての光景を幻視する。

 所せましと並んでいた箱、あの廊下を曲がった先には大きな部屋があって、そこに猛獣たちが檻に入れられ飼われていた。

 ふと、窓から外を覗くと、そこから見えるビルの前に広がる空き地が見える。

 つい先日まで、赤ずきんが慌ただしく洗濯物をもって歩いていた空き地であった。

 今はそれらすべてが夢だったように消え去っている。

 ふと、胸に去来する不思議な感覚に赤ずきんは首をかしげる。

 かつて通った学校が廃校になったと聞いたような不思議な感覚。

 赤ずきんにはそれが何なのかわからなかった。

「オオカミさんはわかりますか?」

「gruu?」

 赤ずきんが頭巾の中に話しかけるが帰ってきたのは唸り声だけだった。

「何に話しかけてるんだ、お前?」

「オオカミさんですよ」

 大鴉(レイヴン)が振り返って赤ずきんを見る。

 仮面で見えないが、きっと訝し気な目をしているのだろう、と赤ずきんは思った。

 小鳥遊は、内心、まぁコイツの電波は今に始まったことじゃないか、と納得して再び探索に戻る。

 ふわりふわりと羽のように二又に分かれたマントの先端が揺れている。

 その背中を見て、赤ずきんは考える。

 もし、この爪をあの背中に突き立てたらどんな反応をするのか、と。

 赤ずきんは鍵爪に変えた自らの手を小鳥遊の背中にかざした。

 鋭い人狼の爪が、小鳥遊の背後で、光を反射し、煌めいた。

 きっと柔らかい肉を引き裂き、脆い骨を簡単に折り、温かな内臓に届くだろう。

 けれど、一度、零してしまって簡単に殺したらつまらない。

 しかし、安心してください、ボクはお腹を縫うのは得意です、と赤ずきんは思う。

 だから、ちゃんと縫ってあげればしばらくは持つだろう。

 ああ、けれど、それをするともう遊んでもらえないかもしれない、と思い至り、赤ずきんははっとする。

 1日1時間とはいえ確実に遊んでもらえるのだ、それをふいにするのはとても持ったいないことではないだろうか、と赤ずきんは思う。

 けれど、いますぐ遊んでほしいのも事実である。

 本当のことを言うのなら、もっといっぱい遊んでほしいのだ。

 けど、遊んでもらえなくなるのは怖い……、と困ったように眉根を寄せるあかずきん。

 とりあえず、引き裂いてから考えようと、腕を振り上げようとした瞬間、小鳥遊の腕が蛇の如く自らの腰元へ伸び、拳銃(リボルバー)を抜くと、赤ずきんの眼前へと突き付けた。

「悪だくみかい、赤ずきん?」

 意を決した瞬間にそれを制される形になった赤ずきんの動きが止まる。

 予想していなかったタイミングで驚かされたに近い形になったため思考が一瞬止まったのである。

 いつもと違う悪心(あじ)を舌先で転がしながら、小鳥遊は言葉を続ける。

「やりたきゃやればいいと思うが、俺の方が早いから返り討ちにしても文句言うなよ?」

 ――あと、約束破ったら本気(マジ)で遊んでやらないからな。と小鳥遊が付け加える。

 そして、肩をすくめて、立ち止まった赤ずきんを放って進んでいく。

「……びっくりしたね、オオカミさん」

「gau……」

 頭巾の下から返事が返ってくる。

 多分、あのタイミングで撃たれても防げはした。しかし、それでも意識の外から唐突に拳銃をつきつけられ驚いたのは確かだ。

 まるで己の心を読んだような小鳥遊の動きに、赤ずきんは不思議なうれしさを感じる。

「ねぇ、大鴉(レイヴン)

「んー、何か見つけたのか?」

「違いますよ。ボク、いまとっても嬉しいのですけど、なんででしょう?」

「はぁ……? いや、俺に聞かれても知らねぇよ。精神感応(テレパス)じゃあるまいし」

「じゃあ、なんでボクの考えが分かったのです?」

「いや、全部はわかってねぇよ? ただ、お前から殺気を感じたから反応しただけだし」

「つまり。つまり、ボクのことを気に掛けて意識してくれてたのですね」

「まぁ……そうなるな」

 その答えに赤ずきんはにっこりと笑い、たったっと小鳥遊の横に並ぶ。

 ああ、話し相手がいるって楽しいな、と微笑み。

「なにしてるんですか、大鴉(レイヴン)。早く行きましょう!」

 困惑してる小鳥遊を置いて先に進んでいった。

 

 



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『4話 孤狼に返る遠吠え』

 

 頬を摩る風が気持ちの良い夜だった。

 雲の切れ間から顔をのぞかせた月光が夜道を照らす。

 赤ずきんの少女のふんわりとした髪が、照らされた月光を写し、煌めいた。

 草木も眠る夜更け、少女が出歩くには不向きな時間である。

 ましてや、その背後にボロボロになったペストマスクの男がついて歩いていたらなおさならことであった。

「あーくそっ、こいつマジで手加減しやがらねぇ……」

「楽しかったです! 次はその腕を引きちぎらせてくださいね?」

「絶対ぇ、やだ」

 上機嫌の少女はくるりと振り返り、満面の笑みを浮かべる。

「それにしても、月の綺麗な夜ですね。わおーんしていいです? わおーん」

「好きにしろ、好きに」

 狼の耳をピクリと動かし、赤ずきんは振り向いたまま、後ろ向きに歩いていく。

 よほど上機嫌なのか、わかりやすく尻尾がぶんぶんと振るわれていた。

「はーい、わおーん」

「Waoooooooooon!!!」

「わおーん!」

「!?」

 再び振り向いた赤ずきんが可愛らしく言った直後に、彼女の頭巾の下から夜を引き裂かんばかりの声が張り上げられる。

「な、なんの声だ……?」

 唐突な獣の声に、小鳥遊が若干引き気味である。

「オオカミさんですよー?」

「いや、オオカミさんってなんだよ?」

「オオカミさんはオオカミさんです」

「いや、……いやいいわ、お前に聞いてもまともな答えが返ってきそうにねぇ……」

「?」

 首をかしげる赤ずきんに大鴉(レイヴン)はため息を吐いた。

 十字路に差し掛かり、左側の道に工事注意の看板にを見かけた。

 最近、工事が多いなと小鳥遊は思う。

「んー、やっぱり1時間は短くないです? もっと、もっと遊びましょうよ。大鴉(レイヴン)の眼球を抉って飴玉みたいに舐めたいなー」

「……あれだよな。お前って、相手を玩具か何かと思ってないか?」

「違いますよ! 遊び相手です! ボクはみんな()遊びたいんですよ!」

「そこがみんな()じゃないから玩具だっつってんだよなぁ……」

「むぅ……」

大鴉(レイヴン)の意地悪ー」

 背後から彼女の顔は見えないが、赤ずきんはきっとむくれているであろうと、小鳥遊には容易に予想できた。

「さて、帰って……さっさと寝よう。今日はいろいろありすぎた……」

「くたびれてますね。明日もボクが朝御飯を作りましょうか?」

「そうして欲しいのはやまやまだが……ほら、今日決めただろう、家事は交代してやると」

「んー、ボクは日課なんでどっちでもいいんですけどね」

「俺が気にするんだよ……」

 他人との共同生活経験が少ない小鳥遊としては自分でできることをしないのはなんとも座りが悪いのである。

「朝といえばボクが拳銃(リボルバー)を握り潰さなかったらどうしてたのです?」

「死んだぞ」

「それは駄目です。ボクと遊べないじゃないですか」

「俺は掛け金(いのち)を賭けた、なら負けたなら払わないとなぁ。賭けつーのは負けがあるから楽しんだよ。特にリスクが高ければ高いほどな」

 まぁ、勝負自体に勝ったのは俺だがな、と小鳥遊は笑う。

「やっぱり大鴉(レイヴン)は意地悪です」

 と、赤ずきんは破顔した。

「ボクのこと、命を懸けていいほどに高く買ってるのですか?」

「まさか」

 と小鳥遊が肩を竦めた。

「付き合いが長いわけでもないんだから、そんなに簡単に相手の値段を決めれるかよ」

 だがな、と小鳥遊。

「これからデカい組織相手に共同戦線を組むんだから、そのための義理ぐらい通すさ」

 だから――、

「これからよろしくな赤ずきん。ザ・カーニバル(あいつら)を退けるまでは互いに仲良くやろうぜ」

 と小鳥遊が手を差し出す。

「はい!」

 赤ずきんは傷痕の残る手で、握手した。

 

 

 

 日も昇らぬうち、鳥の鳴き声もまだ上がらない早朝。

 地下にある秘密の鍛錬場。

 そこで息を浅く吐きながら、小鳥遊が日課の鍛錬を行っている。

「……10っと」

 壁に備え付けられ、螺子で固定された鉄棒を用いての片手懸垂を3セット。

 毎日行っている筋トレの一環だ。同じ部位を常に鍛えても効率が悪いので、日により鍛える部位を変えており、今日は腕を重点的に鍛えるようだ。

 彼は狩りの魔王との契約により、装弾の必要のない拳銃(リボルバー)を出現させることができるが、それだけだ。それで戦い悪心を集めていくには、日々の鍛錬は欠かせないのである。

 次にホルスターと銃を出現させ、ゆっくり動作を確認するかのように銃を抜き、構え、再び戻す動作を繰り返していく。

 速さは必要ない、むしろ重要なのは自らの身体がどのように動くかを把握することである。

 頭の中で、何処か動いているかをゆっくりと把握しながら、イメージ通りに動けるように遅く、緩やかに手を伸ばしては銃を引き抜いていく。

 それが千を超えたあたりで、一息つくと、ホルスターを消して、次の鍛錬へと向かう。

 電光掲示板のような装置のスイッチをオンにして、そこからコードが伸びている銃型の機械を手に取る。

 それをホルスターに収めると、機械のスイッチを押した。

 机を挟んで反対側、同じく白い線で人型が描かれた黒い掲示板が置かれてある。

 小鳥遊がそれを見つめ、ホルスターにある銃型機械に手をそっとかけて、機を待つ。

 そして、黒い提示版に光が灯った瞬間に、銃型機械を抜き、引き金を引いた。

 視線を横に移し、電光掲示板のような機械に目をやると「0.08秒」と描かれている。

 それ見た小鳥遊はへの字に口を曲げた。遅い。

 もう少し早く撃てるはずであったが、知らぬ間に力んでしまい、速度を殺してしまったのだろうか。

 首を軽く振り、体の調子を確かめ、再び、機械のスイッチを押す。

 再び、腰に手を伸ばし、次の瞬間を待った。

 それを繰り返し、一息ついたところに、小鳥遊が何かに気付いたように背後の扉へと視線を向ける。

「おはようございます。なにをしているのです?」

 赤い頭巾の少女が地下鍛錬場に入ってくる。

「鍛錬だ。毎日続けないと、腕が鈍るからな」

 小鳥遊が機械を片付けた、小鳥遊が奥にある別室の扉を開き、赤ずきんに来るように促す。

 首を傾げた赤ずきんが、素直にその後に続いた。

「つーか、どうやってここみつけたんだお前。俺、教えた覚えないぞ」

「ボク、鼻も耳もいいんですよ?」

 頭巾の下から突き出ている狼耳をぴくりと赤ずきんが動かした。

 奥の部屋は射撃場のようだった。

 小鳥遊がゴーグルと耳当てをつけ、拳銃(リボルバー)を出現させ、的に向け、

「そうか」

 発射した。

「お前も、ゴーグルと耳栓付けたほうがいいぞ。まぁ、お前なら流れ弾が飛んできても平気そうだが」

「先に言ってくださいよ……」

 狼耳をペタリと伏せて、赤ずきんは耳を抑えていた。

 反響した音がうるさかったのか、赤ずきんが顔をしかめている。

「つーても、その狼耳を塞げる耳当ては持ってないしなぁ」

「手でふさぎます」

「いまさらだが、耳が4つあるのな。お前」

 こくこくと赤ずきんが頷いた。

「うーん、ボクも撃ってみたいです」

「お前に拳銃を持たせたら、気まぐれにこっちに向けてきそうなんだが」

「えー、そんなことないです」

 にこりと笑う赤ずきんを見て、小鳥遊は信用できねぇ、と思う。

 赤ずきんの視線を背後から受けながら、小鳥遊は連続して的に向って発砲する。

 通常は6発までの拳銃(リボルバー)であるが、魔王の加護を持つ小鳥遊には関係がない。明らかに6発を超えても、なお引き金を引き続ける。

「それにしても不思議な拳銃(リボルバー)ですね。弾切れもしませんし、いつもいつの間にか手に持ってますし」

「ああ、…………そういえば誰にも話したことないのか」

 赤ずきんの声に1度、射撃をやめ、銃口を天井に向け、杖の様に振るう。

「俺は狩りの魔王と契約しててな、この銃も烏の衣装もその加護でもらってるもんだ」

「出せる銃は拳銃(リボルバー)一択で、弾切れもしねぇ」

「あの曲がる弾丸もですか?」

「ありゃぁ、魔弾つって、生涯に6発と1発しか撃てねぇんだよ。そるじゃなきゃ、もったいぶる理由もねぇしな」

「6発と1発? 何か不思議な表現です」

「ははは、まぁ、そう思うよな」

 小鳥遊が肩をすくめて笑う。

「6発は普通の魔弾。打てば意のままに当たる魔弾だ。されど、最後の1発は所有者の大事なものの命を必ず奪う弾丸だ。だから、6発と1発と表現してるのさ」

「……、最後の1発は誰に当たるのですか大鴉(レイヴン)?」

「さぁな、両親は死んでるし、親戚は寄り付かねぇ。友人はいるが、かけがいのないものかつーと首をかしげるし、かといってヒーロー連中もそこまで付き合いのあるやつもいねぇしなぁ……。多分、俺自身の命を奪うんじゃねぇかな」

 赤ずきんに背を向けたまま手をひらひらと動かす小鳥遊。彼がどのような表情をしているか、彼女は見ることができなかった。

 

 

 サングラスをかけ、つけ毛を装着し、髪の長さを調整する。

 ボルサリーノ――少しクラシックなソフト帽をかぶり、スーツにネクタイを着用した。

 就活ぐらいにしか使わないと思っていた革靴を履き――

「そのネクタイで首を絞めたいです」

「お前の頭の中、脳みその代わりに毛皮でも詰まってんじゃねーの?」

 赤ずきんの言葉にげんなりとなった。

 彼女は猟師(レイヴン)の作り出した、二又に分かれたマントを加工してケープ状に羽織っていた。

 家の場所を特定されても困るから、ある程度離れたところで消失させ、認識阻害を解除するつもりである。

「そんでどこに行きたい?」

「拷問場です!」

「んな物騒なもんが堂々と構えてたら嫌だわっ」

 馴染みの情報屋やヴィランに恨みを持つグループに電話を入れ、ザ・カーニバルの動きがないか調べてみたが、昨日から動きがぱったりと途絶えてるらしく新しい情報は何も入らない。

 そのため、主に赤ずきんを囮にして怪人たち(ザ・カーニバル)の一人でも釣れないかと、街に繰り出すことにしたのだが……。

「えと、それなら人がいっぱいるところに行ってみたいですね」

「………人で遊ぶの禁止な」

「そんな!? 大鴉(レイヴン)は残酷です」

「いや、お前の方が残酷だからな」

 恐らく拷問の類を考えているのに悪意の匂いがしないのはすごいな、と小鳥遊は目を細める。

「むむむ……困りましたね。ボク、あんまり街に出たことないのです」

「ほう、……監禁でもされてたのか? 危なすぎて」

大祖母(グランマ)がとても過保護なので、任務以外で外に出してもらえなかったのです。酷いと思いません?」

「残当。まぁ、あいつモンペっぽくはあるな」

「いい人ではありますよ。よく引き裂いたり抉ったりしても許してくれましたし、他のみんな見たいに潰しても死にませんでしたし」

「俺は大祖母(グランマ)が聖母に見えてきたぜ……。つーか、なに? あいつ再生能力者なわけ?」

「はい! 手足の1本ぐらいなら引き抜いてもすぐに生えてきます」

「それならずっと大祖母(グランマ)に遊んでもらえばよかったんじゃねぇか?」

大祖母(グランマ)は忙しいのでボクがずっと独占してるわけにもいかないのです。それに大祖母(グランマ)はボクがなにをしてもにこにこしてるので面白くないのです」

「あー……お前、相手が反応しないと楽しくないのな」

 こくこくと頷く赤ずきん。

「それにしても街って何があるのです?」

「……一言で答えるには雑多すぎるなあ。ま、そういうことなら今日はいろいろと行ってみるか」

「はいっ。早く行きましょう!」

 小鳥遊が歩き出す。

 赤ずきんは楽しげに笑うと、その後ろを追うのだった。

 

 

 雑多な音が響く。ぬいぐるみが並べられ3つ叉の捕獲機(キャッチャー)がいくつか並んでいる。

 その傍にはお菓子がいれられくるりくるりと回っている筐体が見える。

 少し進むと画面の中で二人の男が構え、大立ち回りを繰り返しているデモ画像が見えた。

 他にもカーテンのかかったプリクラをとる筐体や銃を模した機器で襲い掛かるゾンビを撃ち殺すゲームなどが見える。

 小鳥遊がくるといつも胡椒のような苛立ちを表す刺激臭や、優越を表す腐った果実の匂いが充満してるが、慣れたものなので小鳥遊は特に反応しない。

「まぁ、まずは定番のゲーセンかな」

 空調が淀んだ空気を運び、独特の空間を醸し出しているここは、ゲームセンターであった。

 様々な筐体が雑多な音を出しているためか、赤ずきんが狼耳をぺたりとしおれさせていた。

「何をするところなのです?」

「ゲームをするところだな。やったことあるか、ゲーム?」

 首を横に振る赤ずきん。

 小鳥遊が銃を模した機器のある筐体に近づき、100円玉を2枚入れ込む。

「なら物は試しさ」

「こうですか?」

 渡された銃型の危機を小鳥遊に向け、引き金を引く赤ずきん。

 当然のことだが、弾丸は出ない。

「あれ、なにもでませんよ」

「そりゃそうだ……。お前、本当にしたことないのな」

「……あ、わかりました。これをこの機械に投げつけて壊すのですね」

「やめろ、弁償とかしたくねぇ」

 そうこうしてる間に、ゲームが進みだし、画面の中にゾンビたちが写り出す。

 それは遠くにいるうちはよたよたと歩いて来るが、ある程度近づくと掴みかかるようにして速度を上げてくる。

 小鳥遊はにやりと笑って、それらの頭を吹き飛ばしていく。

 赤ずきんが首をかしげているため、彼女の分のゾンビも撃ち殺した。

「こうやって、画面の中の敵を撃ち殺していくんだよ」

「?」

 画面の中でストーリーが自動的に進んでいく。

 扉を開けてビルほど巨大な4つ手のゾンビが出てきた。

 それに向って半信半疑ながら赤ずきんが引き金を引く。

 数多の弾丸が4つ手ゾンビに降り注ぐが、有効打になっていないのか、ゾンビの動きは止まらない。

「正直、飽きてきました」

「ゲームとか嫌いなのか?」

「というより単純につまらないです。音はうるさいですし、なにより実際にこの手で殴りかかるほうが楽しいじゃないですか」

「そういうもんか」

 こくこくと首を縦に振る赤ずきん。

「なら、ああいう人形とかどうだ?」

「千切ったら楽しそうです」

「普通の女の子ってかわいいものが好きなんじゃないのか……?」

 赤ずきんが首をかしげる。

「よくわかりませんが、店内のガラスを全部割ったりしたら楽しそうです。大鴉(レイヴン)、一緒に割りましょう?」

「いや、弁償代が洒落にならないからな」

「みんなで遊んじゃいましょうよ。そうすれば払わなくていいですよ」

「普通に指名手配されるわ」

「そうなったら――」

 赤ずきんが小鳥遊の手をとって微笑む。

「ボクと一緒にどこまでも逃げましょう。それで言った先々でいっぱいいっぱい殺して遊びましょう。きっと楽しいですよ」

 端から見ると付き合ってる(カップル)ように見えるのか、通路を通る相手にうんざりしたような視線を向けられる。

「俺が好きなのはな、赤ずきん」

 その手を小鳥遊は軽く振り払う。

「勝負であって殺しじゃないんだよ」

「努力をして、対策を練って、用心を怠らず、準備をかかさずに実力をつけたうえで、あとは運を天に祈るようなギリギリの一線。それを踏破するのが好きなんだ」

「??? 殺せば一緒じゃないですか」

「……まぁな。だが、互いに好む過程が違うのさ」

「わからないですねぇ……」

 赤ずきんは首をかしげる。

「逆にお前は何が好きなんだ?」

「みんな大好きですよ!」

「お、おう」

「だって、みんな殴れば声をあげてくれますし、ぴくぴくと痙攣してる様とか楽しいですよ? なんでみんなやらないのか不思議なくらいです」

「そりゃ、痛いのは嫌いだからな」

「ボクも痛いの嫌いですよ?」

「え?」

「え?」

「けど、お前撃たれて喜んでなかったか?」

 とりあえず、二人は銃型の機器を筐体に戻し備え付けのソファへと座り込む。

「殴られたり撃たれたりするのは大好きですけど、ただ痛いのは嫌いですよ? 当たり前じゃないですか」

「お前のあたりまえがたまにわからねぇ」

 小鳥遊が目を細める。

「じゃあよぉ、他のやつもお前と同じで痛い目に合うのは嫌いで、だからお前が嫌われてるってわからねぇの?」

「だって――」

 小鳥遊が自動販売機でサイダーを2本買って、1本を赤ずきんに渡す。

 赤ずきんがプルタブを開け、飲み干すと炭酸に目をつぶった。

「みんなで遊ぶと楽しいですから、こんなにも楽しいですから皆にも楽しんでほしいんですよ。ボクを殴ってもいいですから、殴らせてください。引き裂いてもいいですから引き裂かせてください。ねぇ、お願い――」

「――お願いですから、ボクと一緒に遊んでください」

 精神が汚染されているのか、脳が壊れているのか、認知が歪んでいるのか、あるいは別の何かか。何が原因なのか、そもそも原因があるのかわからないが、この赤ずきんは歪んでいる。

 狂人というのにも種類がある。

 何かに執着し、そのために他のことをすべて切り捨てるタイプ。

 何かの感情だけを追い求め、それ以外の全てから眼をそらして走り抜くタイプ。

 何が起ころうとも、自らの信念を追求し、犠牲を払っても前に進み続けるタイプ。

 罪悪感がなく、他者に共感を抱かず、良心が欠如しているタイプ。

 様々なタイプを見てきたが、この赤ずきんもいずれかの狂人にあてはまるだろう、と小鳥遊は思う。

「ねぇ、大鴉(レイヴン)。ボクもたまには少しだけ大人しくすることもあるんですよ?」

「え、マジ?」

「その反応は傷つきます。それでもやっぱりだめでした。なんででしょう。兎が好きというから、兎の皮を剥いで置物に被せただけなのに」

「残当すぎるぞ、おい」

「むむむ。……不思議なのは大鴉(レイヴン)はなんで、ボクから離れないのです?」

「理由は2つだな。1つは対ザ・カーニバルの同盟者としての筋だ」

「終わったら離れるのですか?」

「初めはそのつもりだったかが、ちょっと考えが変わってるな」

「? どういうことです?」

「これが終わったらよぉ。どっちかが死ぬまで殺し合おうぜ? まぁ、俺が勝つから死ぬのはお前だがな」

「え、本当に? 本当に最後の最後まで遊んでくれるのです?」

「もちろんだ、お前は俺が殺してやる。殺して、その誰とも交われない業から解放してやるよ」

とてもうれしい(・・・・・・・)です! じゃあ、ボクもうんと苦しめて殺してあげますねっ」

「いや、そこはスパッと殺してほしいつーか……」

 小鳥遊はあきれ気味に溜息を1つついた。

 

 

 

 雑多な人の群れ、アナウンスや店内のBGMがせわしなく流れている。

 白い床を踏みしめながら、赤ずきんは目を輝かせる。

「わぁ、みんなで遊んだら楽しそうですね、大鴉(レイヴン)

「やめろよ? フリじゃないからな、やめろよ?」

 カップルや友人同士、あるいは子連れでカートを押している物など、様々な人物が各々の目的に従い歩いている。

 ここは大型デパートだ。

 道行く人々は狼耳と尻尾がついた少女(赤ずきん)を奇異な目で見ている。

 超人(サイオン)が出現しだして早70年以上経つが、それでも社会には完全に受け入れられてるとは言い難い。特に超人種の中でも外見的に特徴の出やすい超人(サイオン)は独自の集落をつくって暮らしていることも珍しくなく、惜しげもなく特徴を隠していない赤ずきんは珍しいのだろう。

「さて、どこに行く? 俺はデパートに来たら服とか靴とか見ていくが」

「ボクはこの服に不満はないですよ」

 身を覆うほどの赤い頭巾を首のところでベルトで止め、足がほとんど露出しているミニスカート、木鋲のついたレザーソールのおかげで、脚の残りの部分が逆に協調されているような気がする。

「そういえば、似たような様な服装ばかり持ち込んでたな、お前……」

 頭巾の下から出ているふんわりとした金髪が歩くたびに揺れている。同じく金色の瞳は気分がいいのか、柔和な光が宿っている。

 先ほどから周囲の視線がちらりちらりと彼女に向くのは超人(サイオン)であることがだけが理由というわけではないだろう

「はい! ボクの頭巾、返り血が目立たないから大好きです」

「お前、見てくれだけはいいんだからもうちょっと服とかに気をつかったらどうだ」

「………かわいい、です?」

「それは否定できないな」

「……えへへ」

 赤ずきんがはにかんで頬を掻く。

「それじゃあ、ボクはここに行ってみたいです」

 赤ずきんが壁に掛けられているフロアの地図を指さす。

「キッチン用品店か、お前にしては穏当だな」

「はい、今すぐに行きましょう!」

 赤ずきんが小鳥遊の腕をつかむ。

 みしりと――たぶん、これでも加減してるのだろうが――痛む腕に顔をしかめながら小鳥遊はエレベーターに連れていかれる。

 仲がよさそうな二人に時折嫉妬の視線が注がれるが、小鳥遊はつとめて無視する。

「おいおい、初めてなんだろう? わかるのか?」

「わからないですけど、とりあえず乗ってみたいのです」

「はぁ……ま、時間に余裕はあるしやりたいようにやってみればいいさ」

 自分以外に手を出すようなら止めればいいし、と小鳥遊は心の中で付け加える。

 もし、道が分からないようなら後ろから声をかければいい、他に興味があるものができたのなら、そっちによればいい。

 とかくアテはないが、たまにアテもなくふらついてみるのも悪くはない、と小鳥遊は思うのだった。

 

 

 

 キッチン用品場。

 子供用の可愛らしいキャラクターの顔を模した皿や、色とりどりのグラス、何種類もある箸などが並んでいる。他にも細長かったり、幅広だったりする包丁や皮むき器、泡立て機、白いまな板などなど、様々な調理器具が並んでいた。

 それらを赤ずきんは興味深げに吟味するように見つめていた。

 そういえば、と小鳥遊は思う。意外と料理が上手かったかから、案外寮にこだわる気質なのかもしれなと、赤ずきんの真剣さを見て、考えた。

 しかし、当の赤ずきんはまた違うことを考えていた。

 包丁はいくつあってもいいかな、気の向くままに突き刺してもいいし、手足を縫い付けるように使うのも面白そうかな、と赤ずきん。

 お皿も割って目に入れてくと楽しそう、あ、加えさせて顎を殴りつけてもいいかも。

 それにしても、そんなにボクの姿は珍しいのかな、と赤ずきんは首をかしげる。

 道行く人々は奇異な視線を赤ずきんに投げかけている。

 それは彼女の狼耳や尻尾であったり、赤い頭巾であったり、あるいは可憐な容姿に対する興味であったり様々だ。

 赤ずきんは遊んでほしいのかな、と、菜箸を手に取ってみる。これ下瞼にいれて、くりっと手のひらを返せば、きっと簡単に眼球を取り出せるだろう。

 ああ、けれど、そんなことをしたら、大鴉(レイヴン)は怒るかもしれない。

 それはそれはとても楽しそうだけど、もう遊んでくれないのは寂しいかな、と思う。

 大鴉(レイヴン)は約束を守る限り、あっちもきちんと答えてくれるみたいだから、できる限り約束は破りたくないです、と赤ずきん。

 約束といえば、先ほど交した約束。最後に一緒に遊ぼうという約束。

 自分とこうも真正面から向き合おうとした人間はいままでいただろうか?

 成り行きからではあるが、いなかった気がする。

 ザ・カーニバルであっても自分は腫物のような扱いであったし、大祖母(グランマ)は自分に構ってくれたが、他にもたくさんの人を世話してたし、直接的にぶつかり合ってきてくれることはなかった。

 自分と真正面から向き合って(ころしあい)してくれた人間は他にいなかった気がする。

 ああ、だからだろうか、今はとても楽しい。

 こんなにも楽しいは初めてだ。だから、お礼に彼は絶対に自分の手で殺そう、と赤ずきんは思うのだった。

 

 

 日も暮れだしたのか、空はすっかり茜色。

 烏らしき黒い鳥が、規則正しく並びながら空を飛んでいる。

 その下、木の近くを蝙蝠らしき黒い鳥がうるさく鳴きながらも無数に飛び交っていた。

 道行く人々も昼間よりはスーツを着た男女が多くなり、きっと仕事が終わって帰っている途中なのだろう。

 しかし、夕方とはいえ、いつもより空の赤さが赤い様な、と小鳥遊はいぶかしんだ。

 夜に近くなり温度の下がった風が、二人の間を流れる。赤ずきんの頭巾を揺らし、金色の髪が風に揺られてふんわりと浮かぶ。

「そういえば」

 そんな時間だ、赤ずきんが何かを思い出したかのように口を開いた。

「ボクから逃げないもう1つの理由ってなんですか?」

「単純に楽しいからだが」

「え?」

「え?」

 赤ずきんが目を見開き、初めて昆虫を見たような奇異なものを見る視線で小鳥遊の顔をまじまじと見つめた。

「はじめて言われました」

「……まぁ、普通そうだよな。だが楽しいのは本当だぞ。まず、お前には嘘がない」

「嘘? どういうことですか?」

「俺が悪心を感知できるっての話したよな。それに付随して、そいつがどんな悪行を成したかをある程度読めるんだよ。だから、テレビとか見ると面白いぞ?」

 聖人面しながらそいつがなにしたか見れるから、最高の茶番劇だ、と小鳥遊は嘲笑(わら)う。

「その点、お前はやってることといってることに乖離がないからな。ついでになに言っても動じないから話しやすいしな」

「いっておきますけど、ボクも少女で乙女ですからね?」

「はっはっはっ、そりゃ初耳だ。つーか、お前、何歳だ?」

「16……だったはずです」

「同い年じゃねーか」

 まじまじと小鳥遊が赤ずきんを見る、あどけない容貌に自身の胸程しか背丈のない赤ずきんはとうてい同い年には見えなかった。

「え、なに? じゃあ、俺、いま、同い年と同棲してることになってんのか」

「そんなことより、続きを聞かせてください」

 電光掲示板が見える。本日の簡易的なニュースの他に時刻が見える。

 すでに18:00を回っているようだ。

 それにしては空が赤いままのようだが……、これはもしかすると、と小鳥遊は顔をしかめる。

「お前もマイペースだな……。他の理由は単純に楽しいからだな。お前と一緒にいると常に気を貼ってないといつ殺されるかわからないからな。だって、お前、今も気を抜いたら殺しに来るだろう?」

「当然です」

「だから、その緊張感が楽しいのさ」

 いつ背後から引き裂かれるのか。その兆候を見逃さず、小鳥遊も銃を抜くタイミングを探り続けてる。

 赤ずきんが他意なく軽く手を差し伸べてから、気まぐれで小鳥遊の腕をつかんで、そこから力を籠めるだけで致命傷だ。彼女の力は小鳥遊の骨を容易く折り、筋肉も握り潰すだろう。

 また、彼女が力を込めて跳躍すれば弾丸と同等かそれ以上の速度で移動できるはずだ。

 故に小鳥遊はその動作ので始めを見逃さずに先手を打つしか手がない。

 その上で弾丸があたっても毛皮の上ならば攻撃を気にせず突撃できるのだ。

 そんな相手と一緒にいる小鳥遊は生きるために彼女を注視せざるを得ず。

 だからこそそのギリギリの一線を見極めることが楽しいのだった。

「だからまぁ、お前との生活は楽しいぜ? 見た目だけならいい目の保養だし」

「お風呂とか覗いたら怒りますよ?」

「肉食獣に手を出す趣味はねぇ」

「それはそれで何か複雑な気分です」

「女って面倒くせぇ……」

 小鳥遊がずり下がったサングラスを指で押し上げる。

 サングラス越しであっても陽の光は見えるし、赤くなっているのが分かる。

 どちらにしてもこの時間まで陽が沈んでいないのは異常なはずで――

「ところで、赤ずきん。地獄兵団って知ってるよな?」

「あ、あの面白いお兄さんたちですね!」

 荒れ果てた砂漠の世界であるジオット。赤方偏移という、とにかく赤い世界らしいのだが、その異世界を支配し、他の世界へ略奪に来る集団が地獄兵団だ。

 彼らの世界はとにかく赤いらしく、その彼らが現れる際も、このように空が赤く――。

 そして、地を轟かすようなバイクの音が聞こえてきた。

 ビルの合間、暗い影がなす都会の死角ともいえる様な場所から棘のついた巨大なバイクに乗り、ショットガンを片手に地獄兵団の略奪部隊が走ってきた。

 その背後には店一軒ほどもある巨大なスピーカーからけたたましい音楽を奏でるミュージシャンたちが彼らの戦意を増幅させている。

 彼らの世界は物資が不足し、なにより女性が存在していないため、滅びないために他の世界へと略奪に来ているらしい。

 その存在理由に則り、手あたり次第に周囲のものを略奪しようとした瞬間。

 その先頭が黒髪の女性に蹴られ、吹き飛んだ。

 現れたのは黒い髪をなびかせ、ぴっちりとしたスーツに身を包んだ女性だ。

 目だけを隠す覆面を着用し、凛とした視線を地獄兵団に向けている。

「お、ワンダーガールだ。あいつが来たなら被害は抑えられるな」

「ねぇ、大鴉(レイヴン)。ボクたちも遊びにいこう?」

 赤ずきんが小鳥遊の手を引いて、地獄兵団の方を指さす。

「一緒に壊して、一緒に殺そう? きっと楽しいよ」

「だな。やろうか」

 小鳥遊も笑う。

「つーわけでちょっと待ってな」

 軽く手を振ってビルの合間に消える小鳥遊。

 そして数分もしないうちに戻ってきた。どうやら変身するのをカメラに移されるのを嫌がったらしい。

 仮に映っても契約の効果で、変身前後が結びつくことはないのだが、念には念をいれるようだ。

「んじゃ、行くか」

「行きましょう! いっぱいいっぱい殺しましょうね」

 いつの間にか、黒髪の女性以外にも他のヒーローも集まってきてるようだ。

 多種多様な集団が地獄兵団と敵対し、周囲の住人を守っていた。

 サイレンの音も聞こえだす、どうやら警察も急いで駆け付けてきているようだ。

 警察さんも大変だねぇ、と小鳥遊は人ごとのように思い。

 そして、赤ずきんと並んで目の前の喧騒に身を投じていった。

 

 



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『5話 オオカミさんたちの宴』

 

 喧噪は遠く、通路一つ挟んだ先から聞こえる。

 電柱、冷たいコンクリートの壁、地面から名も知らぬ細長い草が生えている。

 荒々しい肌をしたアスファルトの道を男が走っていた。

 男は息を切らしながら、何かから逃げるように必死に走る。

 その後ろを悠々と一人の女性が追いかけていた。

 黒く美し長髪を背後になびかせて走る。

 アイマスクに全身を網目模様のタイツで包んだ彼女は、この街でも有数の実力を誇るヒーローだ。

 ザ・カーニバルの人員らしき怪人が、なにやらラジコンを操り泥棒をしようとしていたので止めようとして逃走され、現在に至っている。

 そして、怪人が慌てて右に曲がり、ぎょっとしたように動きが止まる。そこは高いビルに囲まれた行き止まりだ。男は慌てて、ビルのドアに手をかけてみるが、鍵がかかってる様で動かない。

 彼は懐から拳銃を取り出し、ドアノブを吹き飛ばそうとしたが、背後からこつりこつりと音がして振り向くと、彼女(ヒーロー)がすでに追いついていた。

 咄嗟にそちらに発砲するが、彼女は避けようともしない。

 叫び声と共に乱射した弾丸のうち何発かは彼女に当たったたものの、それらは弾かれて、周囲へと――散らばる前に女性の右手が消える。

 銃弾が切れたようで拳銃は引き金を引いてもかちりかちりと音がするだけだ。

 女性の右手が開かれ、自らに当たって弾かれた弾丸がころりころりと地面へと落ちた。周囲への跳弾が危ないため、銃弾を掴んで周囲に散らばならないようにしたのだ。

「投降して。いまなら怪我をしなくて済むわ」

 女性の投降勧告に、怪人は俯く。

 そして、卑下た薄気味悪い笑みを浮かべると、

「やだね。地獄まで捕まえに来てみろよ」

 と、懐からスプレーを取り出し、自らの口へ含むと、一気に中身を吸いこんだ。

 怪人が倒れ、女性は慌てたように駆け寄る。

「ちょっと……!?」

 瞬間、変化が始まった。

 男の肌色が土煙色になり、左腕が内側へと引っ込むと同時に、右腕が同じだけ伸長する。

 下あごが大きく肥大化し、がちりと下の歯が突き出て鋭く変貌した。

 右目は針穴のように小さくなり、逆に左目が巨大化する。

 そして、右手の甲から鍵爪のようなものが伸びる。

 右手でスプレーを握り潰しながら、突き出た鍵爪を女性に突き刺さんばかりに、刺し伸ばしてくる。

 女性はそれを防御するまでもなく、柔らかそうな腹部で受けると―――そのまま、前進して無造作のストレートを一発叩き込む。

 変貌した怪物はその一撃で宙を舞い、人型の痕をつけて壁へとのめり込んだ。

 そして、うめき声をあげると埋め込まれたまま気を失う。

「………、なに、これ?」

 戦闘自体はあっさりとカタがついたものの、唐突に変貌した男に戸惑いを隠せない女性。

 男の手に握られていたぐしゃりとつぶれたスプレー缶がからんころんと地面へ落ちる。

 それを女性が拾う、独特の刺激臭がするのは中に入っていたガスの残滓なのだろうか。

 いずれにしてもこれ一つだけでと考えるには楽観視が過ぎるだろう。

 人を怪物に変えるガス。予想でしかないが量産できているとすれば、それはどのような悲劇を引き起こすだろうか。

 彼女はその嫌な想像に口を歪ませるのだった。

 

 

「さて、歓迎準備は整いましたかな?」

「……ええ、もちろん」

「順番はそれぞれくじ引きで決めた通り、問題ですな?」

「不本意だが……したがってやろう」

「おや、剣呑、剣呑。そのような視線を向けられると吾輩、脚が震えてしまいますぞ?」

「ふん」

 豊かに蓄えた顎髭を摩りながら飄々と答える男に対して、もう一人の彼は不愉快そうに鼻を鳴らすと目を逸らした。

 余裕そうに見えるが髭の男は胸中で、そっと胸をなでおろした。

 この男はあの赤ずきんの同類であり、気に入らなければすぐに殺しにかかる狂犬である。どうやら、今は目の前の目的のために見逃されたようである。

 傍らにいる蝶型のマスクをつけた女性はそのやりとりを興味なさそうに見ており、自らの爪の手入れに夢中だ。

 なんともまとまりのない面子であるが、一つだけ共通項があった。

「まぁ、大祖母(グランマ)は良い人ではあるけど、甘すぎよね」

「ええ、まったくですな。あれを再び懐に戻そうなどと正気の沙汰ではありません」

「あの女、いつの間にか消えやがって」

「ははは、三者三様。それぞれ意図はちがえど、目的は同じ、協力し合いましょうじゃないですか」

 そう、3人の目的は“赤ずきんの排除”だ。

 そのために大祖母(グランマ)に秘密で集まったのである。

「さて、吾輩は赤ずきんを」

「俺はあの大鴉(レイヴン)を」

「そして、私が本殿で待ち構える流れね。……あなたたちが失敗するのを期待してるわ」

「ぬかせ、変態」

「まま、仲間……いえ、家族通しで喧嘩してもしょうですぞ?」

 髭の男が笑顔で二人をなだめる。

 大祖母(グランマ)が家族というと暖かい響きがこもっているのだが、この男が言うとひたすら胡散臭い印象しかない。二人はそれを隠さずに男へと視線を向けるが、男はどこ吹く風だ。

「さて、吾輩、少し用事があるので席をたたせていただきますぞ」

「ああ、好きにしろ」

「何人かもらったわよ」

「ええ、好きにして構いませんよ」

 男はステッキを持ち、

「どうせ、あれらはもう用済みですから」

 こつりこつりと地面をリズミカルに叩きながら歩いていった。

 

 

 もし、地獄というものが本当にあるというのならそれは此処のことを言うのだろう。

 空調には特に念を入れているため、ビルの中に臭気は漂ってこないが、もし部屋に入ればその匂いを忘れることは出来ないだろう。

 監視カメラから見える画像はそれを感じさせるに十分だった。

 部屋の中にはバールやドライバー、バーナーといった工具や皮むき器や包丁などの調理器具、そして、明らかに人を傷つけるためにつくられた器具が無造作に置かれている。

 誰もいない部屋ではそれらはきちんと整理され、光沢すら放っているところを見るときちんと整備されているのだろう。

 監視カメラには、スプーンを眼球の下の突き立て掬っている状態や足の爪先からバーナーでじっくりとあぶっている部屋、ローラーのようなものが2つ回転してる中に手をつっこまされ潰されているさまなどが粛々と写されている。

 品の良いスーツに造花の胸飾りをつけ、顔の上半分を鉄仮面で覆った紳士はステッキを付きながら、監視カメラの画像を眺めている。

 彼は整えている品の良いひげの生えた口を歪ませ、嫌悪感をあらわにしていた。

「供給している吾輩がいうのもなんだが、胸糞悪い光景ですな」

「……」

「ああ、君達はよく見ているといい。これからの未来ですからな」

 彼の後ろにいる数人の少年少女に言いながら、もう片方の手でもっていた縄の先を黒服の男へと渡す。

 ザ・カーニバル。

 サーカスを隠れ蓑とし、世界各地で誘拐を繰り返し、主に子供を誘拐して売り飛ばすことで収入を得ている悪党(ヴィラン)組織である。

 彼ら少年少女は、それらの被害者であり、――そして、この鉄仮面の紳士の個人的な楽しみに使われた残滓であった。

 紳士にとっても用済みとなったため、売り下げ先に連れてこられたのである。

 青ざめた顔色でうつむいたまま、連れていかれる子供たち。

 唇を震えさせるものや、必死に抵抗するものもいたが、黒服の屈強な男が無理矢理摘み上げて連れて行く。

 紳士は彼らの行く末に同情を示しつつ、踵を返そうとして――

「おや?」

 監視カメラの一つに見知った顔を見つけ、憎悪に身を震わせた。

 

 

「相変わらず、そら恐ろしい怪力だな」

 ビルの一角、瓦礫に変わった階段を見ながら小鳥遊は感心したように言う。

 目前の階段は手摺が拉げ、コンクリートの階段は瓦礫となり欠落している。

 数階分が一気に破壊されているため、飛び降りるにはどこかから紐を調達してこないとならないだろう。

 そして、小鳥遊の目前で、赤ずきんから伸びた人狼の腕が壁を掴み、みしりみしりと砕きながら道を閉じて、塞いだ。

「よっし、これで反対側も終わり。順調で気持ちいいなぁ」

「早く早く、遊びに行きましょう!」

「その前に、監視室あたり潰そうぜ。上の方に会ったいっとう堅牢そうな部屋がそれだろ」

「えー、ボクは早く遊びに行きたいですよ」

「お前、それで前回のかちこみの際に敵がわんさか出てきたの忘れたのかよ。防弾チョッキを着てなかったら、俺は撃たれた時に死んでたぞ」

「楽しかったですねっ」

「このやろう……」

 赤ずきんの果実のような甘い匂いに混ざり、ふわりと腐臭を感じる。

 それと同時に小鳥遊の腕が動き、廊下の曲がり角へと拳銃(リボルバー)を向けた。

 数は大よそ8人。

「赤ずきん、合図と共にまっすぐとべ。遊べるぞ」

「もちろんです!」

 狼耳をぴくりと動かし、赤ずきんが爛々と目を輝かせる。

 同じ方向を向いていた当たり、赤ずきんも気づいていたようだ。

「3」

 赤ずきんがぐっと身を伏せる。

「2」

 小鳥遊が撃鉄を引き上げる。

「1」

 二人が軽く視線を交した。

「―――貴様らぁ! なにもの………っ」

 黒いスーツを着た男たちが現れる。

 ジェラルミンだろうか、盾のようなものを持った男達が数人、前方を硬め、その背後から黒光する銃口が小鳥遊達を狙っている。

 あれで不意打ち気味に挟まれたら対処しきれたかなーと、小鳥遊は目を細め、瞬きを一回。

 その間に男達の目前まで赤ずきんが飛び出す。

「こんにちわです」

 そして、彼らに微笑みかけ。

 腕を一閃、盾の上から殴りつけた。

 

 

 鉄仮面の男が夜道を歩いている。

 繁華街、様々な人がまばらに歩いているが、皆、一様に鉄仮面をつけているピネローの顔を興味深そうに見ている。

 それをどこ吹く風と、ピネローは視線を受け流し、先ほど出てきたビルを見返し、懐から一枚の写真を取り出した。

 そこにはペストマスクをつけた男性と二又のマントを羽織った赤ずきんが写っていた。

 小鳥遊の認識阻害――直接、目にした、または機器に映った場合はそれを阻害し、情報が残らなくなる能力であるが、なんらかの機器を通して、さらに機器の上から別媒体で記録すれば、情報を残すことは可能なのである。

「さて、君達の地獄は今日ではない。また会う日を楽しみにしていたまへよ」

 これで、仇敵だちの姿を捕えることができた。

 そう思い、ピネローはにやりと笑う。

 そして、軽い足取りで雑踏の中へと消えていった。

 

 

 小鳥遊の拳銃(リボルバー)の銃口から煙が立ち上る。

 白い煙に薄く消えていくと共に、6つの人が倒れる音がした。

 銃口の先を軽く吹いた小鳥遊が、モニターに視線を移すと、顔をしかめた。

大鴉(レイヴン)! 見てください! とっても楽しそうですよ、ボクたちも一緒に遊びましょうよ」

「俺はごめんだなぁ……」

「えぇー、こんなに血がどばぁってでて、悲鳴がきゃーきゃー聞こえて、楽しいじゃないですか」

「やだよ、そんな夢に出てきそうなの。俺に加虐嗜好はねぇからな?」

 何度か遭遇した構成員らしき人物たちを、文字通り引き裂きながらも辿り着いたのは警備室であった。

 それぞれの部屋と廊下を監視するための数多のモニター、アナウンスを伝えるためのマイクに、外と通話するための白い電話。扉は通常より頑丈なものとなっており、奥には構成員の控室らしき部屋があった。

 殺した構成員の足を持って小鳥遊がひきずっていく。そして、控室へと投げ入れた。

「なぁ、赤ずきん。俺とお前だとお前の方が怪力だと思うんだが?」

狩人(レイヴン)はか弱いですからね。もっと力をつけてください」

「俺は普通に筋力ある方だからな? それより、死体の始末を手伝ってくれよ」

大鴉(レイヴン)はいっつも意地悪ですから嫌です」

 べー、と口の端をひっぱり舌を出す赤ずきん。

 小鳥遊が部屋を物色しながら、鍵や書類などを懐に入れていく。

「まぁ、痛めつけるのは嫌だが……。なんなら一緒に殺していくか?」

「一緒に遊んでくれるということですか?」

狩人(レイヴン)、嘘つかないアル」

「やった! 約束破ったら承知しないですからね! 大鴉(レイヴン)は一緒に遊んでくれますけど、あんまりたくさん殺したがりませんし」

「そりゃ、必要分殺せればいいからな。あと、被害者は助けること」

「えぇー……皆殺しにしましょうよー」

「俺はあくまで狩りに来てるだけだからな、無駄な殺しはごめんだね」

「もうっ……!!」

 頬を膨らませながらも、赤ずきんは小鳥遊の手を引いて部屋を出ていった。

 

 

 そこは異様な熱気に包まれていた。

 数人の紳士淑女が熱のこもった目でくるりくるりと回転する的を見つめている。

 そのうち一人が机の上のダーツを手に取ると、的に向って投げつけた。

 ダーツの鋭い先端がわずかに弧を描いて的へと飛んでいく。

 的にダーツが突き刺さり、的と合わせてぐるぐると回っている。

 彼らは遊戯のような感覚で、残忍な光を宿した眼で的が止まるのをまだかまだかと待っていた。

「耳、耳だ! 俺は鼓膜を破ってみたい」

「性器はあとにしてほしいわね。まだまだ楽しみたいもの」

「さきほどは右手でしたから、次は左手だとうれしいかな」

「いきなり手はもったいない。まずは指から楽しんでいきましょう」

 そして、次第に回転がゆるくなり的が止まる。

 ダーツが突き刺さっている場所は「目」と書かれていた。

「おお、やりましたな。これは当たりですぞ」

 腹がでっぷりと出た小太りの男がにやりと笑い、スプーンを取る。

「では、次は私の番ですね。少し失礼させていただきましょう」

 そして、被害者の待つ台へと向かう。

 それは凄惨なものであった。

 

 ベッドに一人の少年がくくりつけられている。

 まだまだ幼い見た目、十代の前半であろうか。

 彼は口を乱暴に縫い付けられ、荒く息を吐きながら呻く事しかできない。

 手首、足首、肘、膝と各所を革ベルトで拘束されており、申し訳程度に身じろぎをするのが精一杯の抵抗であった。

 左肘の静脈にはいくつかの注射痕がついており薬物であろうか、目の焦点があっていない。

 腹部には対になるように皮膚の下を通して黒色のリボンがコルセット状に縫い付けられ飾られていた。

股間には赤く丸い機械が取り付けられており、どうやら一物を包み込んで震えているようだ。

 彼の右の指はすでにいくつか落とされており、血だまりに浸っている。

 第一関節を斬り落とされた人差し指の先には小さな蛸が張り付けられている。蛸は触手を少年の指に絡ませ、その頭上と一体化している口を少年の斬られた指に這わせ、貪っていた。

 小太りの中年が彼に近づくとスプーンを眼前で振り、見せつける。ぼうっとした瞳がスプーンを捕える。

 無反応なのが面白くないのか小太りの男が少年の頬をひっぱたく。

 乾いた音、少年の頬が滲んだように赤くなる。

 少年がもがもがと口を動かすが、縫い付けられているため声にはならない。

 自失状態だった彼の反応が戻ってきたことに気をよくした男がゆっくりとスプーンを下眼窩へと近づけていく。

 少年の目が見開かれ、首を振って避けようとするが、太い指を添えられ無理矢理固定される。

 あえてゆっくりと、少年の恐怖を楽しむかのようにスプーンを近づけていく男。

 少年が歯を震わせ、目を見開いて懇願するも、スプーンは止まらない。

 幾度祈ったかわからないが、少年が神に祈る。どうか、これを止めてくれ、悪い夢なら醒めてくれ、と。

 しかし、無情にも銀色の匙が少年の下眼窩に突き刺さり、鈍い痛みを伴いながら突き刺ささり、少年の視界を歪ませる。

 そして、一息に男が手頸を返すと、少年の視界が暗転し、遅れて激痛が走る。

 抉り出された目には赤い肉片がついており、眼球の底面には白い神経が一筋たれさがっている。

 じわっと、血が滲みだす。

 男がスプーンの上の眼球をころりと転がし、満足そうに笑う。

「ほぉら、君の目玉だよ。茶色が綺麗だねぇ」

「――――っ」

 抉り出された目と少年の目が合い、声にならない悲鳴が絞り出された。

「それ、私に下さらないかしら?」

「いいとも」

 蝶の仮面をつけた女性に、男がスプーンごと手渡すと、女性はそれを一息に口に含み、飴のように転がした。

 中年男性は再び席に戻り、次はどの部分になるかと楽しみに、回る的を見ている。 

 古代中国で行われた凌遅刑というものがある。籤を引いて、出た部位の肉を少しずつそぎ落としていく刑罰で、それを見た民衆たちは異様な熱気に包まれていたらしいが、その気持ちが分かるものである。

 共通の目的を持って遊ぶというのは童心に帰ったような楽しさを覚える。同時に、自分があの生贄の場所にいないということには無上の安堵感を覚える。だから、この遊びはやめられないのである。

 そして、再びダーツが投げられた、が、しかし、その行く末を見ることは出来なかった。めきりめきりと扉から発せられた異音に視線をそちらにとられたからだ。

 現れたのは金色の髪をふわりとなびかせ、につかわしくない二又に別れたマントを着た少女。

 中年の男性が、少女の容姿に「ほぅ」と息を漏らした。

 ふんわりとした波打つ髪をした人形染みた少女はにこにこと笑いながら、無援助に部屋へと入ってくる。

 何かのサプライズであろうか、とこの場の人間が疑問に思っていると、彼女が中年男性の手を掴んだ。

 柔らかな感触、甘い匂いがふわりと香る。

 体温が高いのか、少し熱い。

「みんなで楽しくなりましょう?」

 浮遊感。視界がぐるりと回転し、天井が映る。あまりにとうとうな光景に中年男性は目を白黒する。ああ、自分は振り回されているのか、とどこかぼんやり、彼は思う。

 それが彼の最後の思考であった。

 片手で中年男性を赤ずきんが振り回し、その部屋にいた人間を薙ぎ払ったのである。

 肉片と肉片がぶつかり合い、鈍い音をたてて、そこら中に血や目玉、歯などが散らばった。

「むぅ、もうちょっと頑張ってください。一緒に遊べないじゃないですか!」

 理不尽に怒る赤ずきんの横を狩人(レイヴン)が通り、台に縛り付けられている被害者のところへと歩いていく。

 拳銃を抜くと、指に噛みついている蛸の頭を吹き飛ばし、拘束具を開放していく。

「よう、助けに来てやったぜ? 大丈夫か?」

 少年に陽気な声がかけられた。少年がおっかなびっくりと大鴉(レイヴン)を見る。

 残った目は怯えを表し、乱入者に対してどう対応していいのかわからないようだ。

「よっし、まぁ、騙されたと思ってついてきな」

 しばし、考え、説得をあきらめた大鴉(レイヴン)が少年に背を向けた。

「ただ、それは自分で外せよ」

 と、大鴉(レイヴン)が指をさす。その先には少年の股間にいまだ取り付けられている機器があった。

大鴉(レイヴン)、それはなんですか? 握り潰していいですか?」

「トドメになるだろ、やめてやれ。あと触るな、ばっちぃぞ」

「ばっちぃ……何が汚いのです?」

「そりゃまぁ……あー……」

 首をひねる赤ずきん。その姿になんといったらいいものか、小鳥遊は迷い考え、

「とにかくほうっておけ、行くぞ」

「えー、どういうことですか、大鴉(レイヴン)

 赤ずきんの首根っこを捕まえ、引きずりながら部屋から退出していった。

 

 

 その部屋では悲鳴が響いてた。先ほどまでは肉が焦げる不快な臭いが漂っていたが、今は何かを削る気味の悪い音が聞こえてくる。

 少女が一人、小刻みに震えている。

 彼女は目隠しをされ、鎖で部屋の端に繋がれ、恐怖に打ち震えることしかできなかった。

 口もボールギャグを嵌められ、涎を垂らしながら呻く事しかできない。彼女は心の中で姉に謝りながら、ガタガタと震えている。

 下腹部に当た棚感触を感じたのはさっきのことだろうか、脚部が濡れており、若干寒気を感じるが、それ以上に恐怖で寒いため、気にしている余裕はなかった。

「さて、小休止だ」

 音が止んだ。

 張りのある声と共に、からんからんと何かが放り捨てられる音がする。

 姉の短く喘ぐ声、激痛が一時的に止み、短く呼気を繰り返している。

 こつりこつりと何者かが少女に近づいてくる。

「お姉ちゃんは頑張ってるよ? それに対して君はどうなのかね?」

 と、男の声が聞こえる。

 小一時間ほどまえ、この男は姉と(しょうじょ)、どっちかを助けてやろうと尋ねてきた。

 震える自分を庇い姉が自ら立候補し、少女は拘束されて、姉が拷問されている様を聞かされていた。

 不意に、少女のボールギャグが外される。

「さて、頑張ってるお姉ちゃんに敬意を表して、選択肢をあげるよ」

「……!」

「君が志願すればお姉ちゃんを助けてあげよう。どうする?」

 少女の息が止まる。

「考えるまでもないよね? お姉ちゃんは君のために身代わりになってくる死んだんだから、次は君が変わってあげなよ。それとも君のお姉ちゃんに対する思いはそんなものなのかな?」

 視界を塞がれていたため、なにをされたのかはかわらないが、先ほどから響く悲鳴と不快な音の数々、そして鼻につく吐き気を催す匂い。

 目が見えていないからこそ、何があったのかの想像が描き立たれてしまった少女は声が出ない。

 声をださなければならない。何か言わなければならない、そうしなければ姉はこのまま死んでしまうだろう。

 そうして、何か言おうと口をあけたところでぱくぱくと言葉にならなかった。

「じゃあ、あと5秒ねー。」

 少女が歯を食いしばる。

 男が楽し気にカウントを進めていく。

 言わなければならない。先ほど姉は自分の身代わりになってくれたじゃないか。

 神様、どうか、今一度、一度だけ自分に勇気をくださいと、心の底から少女は祈る。

 息があらくなる、少女の肩が小刻みに震えた。

 そして、少女が口を開いた。

 しかし、言葉が出ることはなく――息が漏れただけであった。

「あーあ、君は本当に白状だなぁ」

 先ほどと同じくパリッと整った高級そうなスーツに身を包んだ男は、その顔をにやけさせているのだろう。

 どこか安堵している自分に対して少女が死にたくなるほど嫌悪感を抱いた。

 その腕に何か冷たい感触を感じ、焼けつくような痛みがはしる。

「―――っっつっ!?」

「これはデスソースといってね。世界一辛いモノなんだ」

「デスソース?」

「そうだよ。――ところで話は変わるが、人間の神経というものは打撃などの圧力よりも刺激物や酸の方が強く痛みを感じるというのは知っているかね?」

 ひりひり、と焼かれた痛みに呻きつつ、少女が疑問を浮かべる。

 熱く痛い。煙草を押し付けられたような痛みとは違い、しみいるような痛みであった。

 ほんの数適だと思われるのに、ひりひりと焼け付き、少女の顔が苦痛に歪む。

「それが……どうしたの?」

「簡単だよ。いま、君の姉の腕をノコギリで斬り落としたんだけど、その断面にこれをかけるんだ。どれほどの悲鳴になるんだろうね?」

「そんなっ。やめて! お姉ちゃんにひどいことしないで!」

「じゃあ、君が変わってやればよかったんだよ」

 と男の声が遠ざかっていく。

 少女が大声で喚くが、男は気にしてないようだ。

 ―――ああ、神様、仏様、悪魔様、なんでもいいから、お姉ちゃんを助けて!

 少女の命が果たして天に届いたのかもしれない。

 扉が勢いよく開かれる。

大鴉(レイヴン)大鴉(レイブン)! 次です、次は楽しく殺しましょう!」

 ふわりと、淀んだ空気の部屋に新鮮な風が入る。

 男は驚いたようにそちらを向く。

 赤い頭巾に二又に別れたマントを着た少女。

 その頬には食べ残しのようにべったりと血がついている。

 他にも体の随所に赤い血や白い脳漿が付着しており、羽織っているマントは黒いため、なおさら汚れが目立っていた。

 ――運が良かったのかもしれない。

 獲物を発見した赤ずきんが一息に男に対して突進する。

 男が反射的に持っていたデスソースを投げつけた。

 飛んできた液体の刺激臭を感じ取ったのか、赤ずきんが大きく跳ね上がり、部屋の隅、その天井まで一気に後退する。

 男が走り出した。が、飛び散った血に足を滑らせる。

 その横を天井を足場にとびかかった赤ずきんが抉る。

「ひぃぃぃ!?」

「あっ」

 赤ずきんの攻撃は男が足を滑らせたため外す。

 追撃に移ろうとしたところに小鳥遊が扉の前に姿を現す。

 小鳥遊が唐突に放たれた狼の腕を前転して回避、地面に寝転がりながら射撃。

 弾丸は赤ずきんに当たる。

 赤ずきんは当然のように狼の腕で弾丸を掴む。

 が、男から意識が外れた。

 その隙に、男が勢いよく部屋から駆け出ていった。

「あー……逃げらました」

「まぁ、屋上から飛びおりる度胸がない限り逃げられないから放っておけ」

 今の悪行を暴露する度胸もないだろうと、小鳥遊。

 もし助けを呼べば、このビルの内部で行われている悪事が暴露され、ただではすまないだろう。

 だから、あとで追いかければいいだけだ。

「っていうか、唐突に殺されかけたんだが、なにかいえよ」

「んー……惜しかったです!」

「おいっ。俺が死んだら遊んでやれないらな」

「むー……あ、でも、殺すために遊ぶから一緒じゃないですか?」

「今度の遊ぶ時間からいまのぶん減らしてやる」

「悪魔! 大鴉(レイヴン)は悪魔です! ボクの楽しみを奪わないでくださいよっ」

「おーう、楽しみ潰しかけたやつが言うなよ」

 なにやら和やかな雰囲気の二人が入ってくる。

 少女の声がなにやら「わぁ、すごい!」と楽しげな声をあげたあと、しばし無音が続いた。

「だ、誰なのです?」

 少女が戸惑い気味に呟く。

 二人分の足音が聞こえ、少女の目隠しがはぎとられた。

 目の前には血にまみれた金髪の少女と鴉のくちばしのように長く伸びた鼻をしたマスクをつけた男が目の前に立っている。

 彼は手慣れた手つきでバンドを外す。

 少女は一瞬ひるんだが、すぐに姉の様子が気になり彼らの横をはしる。

 それをペストマスクの男が止めた。

「やめろ、すでに事切れている。……すさまじく無残な姿だからな、見ても親族だってわからねーよ」

 見ると手術台の上には二又に別れたマントがかけられており、手術台から血が零れ落ちて、血の池を作っている。

 手術台の下には大根のように足が落ちており、その切断面は酷いモノであった。

「まぁ、大人しくしてくれたら安全な場所に―――」

 ふと、魚の腸が腐ったようなにおいに小鳥遊の言葉が止まる。

 少女が無言で立ち上がると、小鳥遊達を突き飛ばして、何かを拾うと、部屋から出ていった。

 恐らく――

「……復讐、か」

「放っておいていいのです?」

「まぁ、ついて来ない分には俺の責任じゃねぇしな」

 嗅ぎなれたその匂いは悪意の匂いである。

 恐らくはいま部屋を出ていった男に対して復讐をするつもりなのだろう、と小鳥遊は思う。

 少女が部屋でていった扉をしばし小鳥遊は見つめていた。

 

 

 上機嫌に赤ずきんが歌を奏でながら廊下を歩む。

 脚を弾ませて歩くたびに、スカートの端がふわりふわりと浮かぶ。

「上機嫌だな、赤ずきん」

「はい! 誰かと一緒に遊ぶのはとても楽しいですから」

「“遊ぶ”の定義が度し難くなければ友人たくさんできそうなんだがなぁ、お前……」

「友人? 友人ができると楽しいですか?」

「そうそう。ほら、何か一緒に買い物したり馬鹿話したりして遊ぶんだよ」

「遊ぶですか?」

「いや、お前の期待するような遊びじゃないぞ」

「そうなのです? 大鴉(レイヴン)はそっちの方が楽しいですか?」

「ヒリつく勝負とどっちが好きかつーと……大差はないな。まぁ、一般的にはそっちのほうがいいんじゃねぇの」

「そんなことより壊したり殺す方が楽しいです。なんでみんなそんなことが楽しいですか?」

「そりゃ、そっちの方が楽しいからだろう。普通は斬った張ったなんざ好きじゃねぇんだよ」

「こんなに楽しいのになんでです?」

「そりゃ痛いのも苦しいのも嫌だし、手足とか千切れたらもうくっつきゃしねーんだから怖いんだよ」

「不思議ですね」

「だめだこりゃ……」

 本気で首をかしげている赤ずきん、小鳥遊はため息一つついて、歩を進める。

「まぁ、そんなことはどうでもいいんですよ大鴉(レイヴン)。次はどうやって殺します?」

 次の階へ続く階段に赤ずきんが歩を進める。

 この階はあまり生存者はいなかった。できるなら次は間に合うといいのだが――もっともそれが被害者にとって幸運かはわからないが、と小鳥遊は思う。

「どうって……俺は銃殺オンリーだぜ」

「えー、もっといろいろと殺しましょうよ。ほら、ここ鋼鉄の少女(アイアンメイデン)とかありましたよ。そこに閉じ込めて、熱した油に放り込んだりしましょう?」

「お前のその発想はどこから来るんだ……」

「むー、あんまり意地悪すると約束守りませんよ?」

「おおっと、そりゃ困るなぁ。……まぁ、嬲るのはごめんだが、悪人殺すのはいくら殺しても構わんさ」

「やった、じゃあ、一緒に楽しく殺しましょう!」

 次の部屋を指さす赤ずきんに、小鳥遊は目を細め、その後ろをついていった。

 

 

 意外にも静謐だった空気に血や嘔吐物の匂いが混じり始める。空調はしっかりしていたようだが、下階の扉を壊してきたため、その匂いが漏れ出してきているのだろうか。

 それとは別に肉が腐ったようなにおいが混ざる。これは小鳥遊にしかわからない悪意の匂いである。

 その中でもひときわ強く、階を超えてもなお匂うのは先ほどどこかにいた被害者の少女だろうか。とりあえず、無事であることを祈りつつも、先に進むことにした。

 酷い匂いに晒され、こみあげる吐き気に小鳥遊が顔をしかめる。

 慣れたものではあるが、やはり気分がいいものではない。

 そういう意味では強すぎる殺意の匂いで周囲を塗りつぶしている赤ずきんの存在は小鳥遊にとってはありがたいものであった。

 小鳥遊の目前、視線を下げた先でふわりふわりと赤ずきんの長い金色の髪が揺れている。

 ところどころ付着した血が渇いてるため、赤褐色となっている部分がちらほら見えるが、煌めきは薄れていない。

 あまり外見に気を払う性格には見えないが、しかし、端麗に整った赤ずきんの容姿に陰りが見えないのは小鳥遊には不思議であった。

「どうかしたのです?」

「いやぁ、別に」

 視線の気付き首を傾げた赤ずきんが、疑問符を浮かべながら前に向き直る。

 とてとてと歩く、赤ずきんの背を見ながら、小鳥遊は目を細める。

 彼女の動きはとてもわかりやすい、予備動作を隠す気がない――、というより、そもそも意識すらしていないのだろう。

 たとえば、動き終えた時に軸となる足に完全に体重が乗るので、次に踏み出す足が丸わかりである。他にも、殴打しようとするとき、思いっきり振りかぶって殴りかかってくるため、恐らく素人であってもすぐに気付くであろう。

 問題はそれらの分かりやすい要素があってもなお、それらを止めきれない赤ずきんの怪力と、毛皮の防御力である。

 小鳥遊にそれを突破できる心当たりは一つしかない。しかし、あれは軽々しく使えるものではなく、その仕える機会を淡々と待っていた。

 赤ずきんが廊下を踏み出す。それにあわせてイメージの中で、拳銃を抜き引き金を引く。

 その時、赤ずきんが振り向いた。

「ねぇ、大鴉(レイヴン)。やっぱり、ボクのこと見てません?」

「いやぁ、可愛いなーと思ってただけさ」

「可愛い? どこら辺がかわいいのです?」

「そうだなぁ……」

 しばし、小鳥遊は考え、

「匂いかなぁ……」

「変態っぽいですよ、大鴉(レイヴン)?」

 密かに気にしていることを言われ、小鳥遊(レイヴン)は無言で胸を抑えた。

 

 

 男が一人、壁に手をつけて息をつく。

 鼻と唇の間には短い髭、短く切りそろえた髪。大人しそうな印象の顔立ちではあるが、紺色のスーツが絵になっていた。

 年は中年手前といったところだろうか、彼は後ろを振り返り誰も来ていないことを確認すると、その場に座り込んだ。

 どのように逃げたかは覚えていないが、いまのところのおかしな二人組は追いかけてきてはいないようだ。

「逃げ切れた……のかな?」

 どっと疲れが感じ、一息をつく。

 そして、一度落ち着いたせいか、怒りが込み上げてきた。 

 なんだ、あのイカレタ二人組は、唐突にやってきたと思いきや自分を殺そうとするなんて頭がおかしいのではないか、と腹立ちまぎりに壁を殴りつけた。

 痛みで我に返り、誰も来ていないか周囲を見渡す。

 すると、足元になにかの跡がついていることに気付く。

 血だ。先ほどまで嬲っていた女の血や臓物がべったりとついており、それが男が走った痕跡となって少しずつ残っているようだ。

 これは不味いと思った時、足音がしたため、男がそちらを振り返る。

 同時になにか冷たいもの掛けられ、激痛に顔を抑え、地面の上を転がる。

「デスソースよ。あんた自分で説明してたでしょ、目に入ると失明するかもしれないんでしょ?」

 焼けるようにひりつく痛み。特に直接目に入ったため、目を開けることができない。

 何か女の声らしきものが聞こえるらしいが彼としてはそれどころではなかった。

「あんたが殺したお姉ちゃんの痛みはこんなものじゃなかったわよ……っ!」

 頬にかかる髪を耳に払いながら、少女が歯を噛みしめる。

 部屋から持ち出した手の平サイズのナイフを懐から取り出すと、逆手にもって転がる男の上の馬乗りとなった。

 暴れる男に有無を言わせず、持っている刃物を何度も何度も振り下ろした。

「お姉ちゃんの仇! これが姉の味わった痛みだ! どうだ、わかったか!」

「……ころして、ない」

「ふざけるな! 私が解放された時にはすでに事切れていたぞ!」

 少女の膝を男が掴んだ。

「お願いだ、助けてくれ……」

「こんっの……っっ!!」

 息絶え絶えとなった男に容赦なくナイフを振り下ろす。

 男が掴んでいた手が床へと落ちた。

 息を荒げながら、少女がナイフを引き抜いた。

 ぬちゃりと、血の糸を引きながらナイフが引き抜かれた。

 未だ怒りは収まらない、激情に身を任せてしまったが、もっともっと苦しめて殺すべきであった、と少女は後悔した。

 せめて姉と同じだけ苦しめるべきだった。

 姉と言えば、男の言った言葉が気になる。この男は姉を殺していないといった。しかし、少女が解放された時には姉は死んでいたはずだ。

 よくよく考えると、男が問いかけを投げかけるまで、姉は生きていたし、姉が死んでいるのならデスソースで語っていたような苦しめ方はできないはずである。

 ならば、もしかして、信じたくはないが、あの男が嘘をついているのではないかと、少女は疑念が走った。

 自分を助けた人が嘘を吐いたなどとは考えたくはないが……、しかし、はっきりさせないわけにはいかないと、少女は血をしたたらせながら歩き出す。

「お姉ちゃん……」

 最後に思い出すのは姉の悲鳴。姉と変わってあげられなかった自分が、とても心苦しかった。

 

 

 一度、元の部屋に寄った後、少女はあてもなく建物の内部を歩いている。

 探すといっても、手がかりも無く見つけるにはこの建物は広い。

 ペストマスクの男は安全なところに、とは言いかけていたもののその場所のことは聞いていない。殺した男のように足跡を残してるわけでもないようなので、動作がしたらいいものか、と頭を悩ませていると、先ほどの少女らしき声が響いていた。

 鈴を鳴らしたような可愛らしい声を頼りに少女は歩いていった。

 

 全身を血にまみれさせた少女がペストマスクの男に楽しそうに話しかけている。

 「殺そう?」という物騒な言葉聞こえてきたため、二の足を踏んだが、勇気を出して少女は一歩踏み出した。

「あの……」

「お? さっきのやつか、どうした? 安全な場所に行きたいなら、つれていってやるぜ」

「あの……、お姉ちゃんを殺したのはあなたですか?」

「あー……」

 ペストマスクの男が困ったように頭を掻く

「まぁ、誰が殺したかと、というなら俺だな」

「………」

 小鳥遊の舌がざらり、と砂を舐めたような感覚を覚える。

 不審に思った小鳥遊が彼女の悪行を軽く見つめる。

 死体が腐ったようなにおいがするのだが、どうもそれが小鳥遊には向いていない。

 むしろ、自分に対して向いている様だ。

「……どうして」

「うん?」

「どうして、お姉ちゃんを助けてくれなかったの?」

「絶対に助からないからだな。あそこまで損壊されてちゃ、どうあがいても死ぬ。それなら、その前に楽にしてやった方が慈悲ってもんさ」

「せめて、せめて一言ぐらい話をさせてくれてもよかったじゃない……っ」

「舌が二又に裂かれてなければな。ありゃ、喋れねぇよ」

 小鳥遊が赤ずきんに指示し、先に扉の中へと進ませる。

 小鳥遊が少女に向き直った。

 彼女は幽鬼のような表情で俯きながら刃物を持った手をだらりと垂れ下げている。

「そんなのあんたの勝手じゃないじゃない! まだ生きてたんでしょ! 生きていたのに! なんであなたが決めつけるのよ!」

 きっと小鳥遊を睨みつけ、斬りつけてくる少女。

 そのナイフを小鳥遊は銃の握り手(グリップ)で弾く。

 技術もなにもなく振り回される刃物。

 一歩、二歩と下がりながら小鳥遊はそれを器用にも防いでいく。

 彼にしては珍しくバツが悪そうに、どうしようか迷っていた。

 殺してもいいのだが、特に殺意が湧く理由もない。

 仮に踏み込んで突き刺されも、衣装の下に着込んだ装甲を貫けるほどの攻撃力はなさそうだ。

 ある種の余裕が珍しく彼に悩みを抱かせていた。

「なぁ、やめにしないか? 嘘を吐いたのは謝るが、やったことは間違えてないはずだぜ。落ち着いて考えればわかるはずだ。それに銃を持った相手にとびかかるのは危ないぜ」

「うるさい、うるさい、うるさい! もう私にはお姉ちゃんしかいなかったの! それをあんたは自分の都合で奪ったんだ!」

「―――本当にそうか?」

「ッッ。何を知って――」

 ぎらり、とペストマスクしたで男の目が光ったように少女は思う。

 ざらりと、心を舐められたような嫌悪感を覚える。

「“私がお姉ちゃんと変わってあげれば助けられた。けど、怖くて無理だったの”」

「―――――ッッ!!!」

「お前の本当の後悔はそれだろ。恐怖で麻痺していた心が解けてきて、冷静になってきて自覚できはじめてんだろう。だから、本当に許せないのは――」

「やめて! それ以上、言わないでっっ!!」

 少女が目をつぶり、小鳥遊へとナイフを突き刺す。

 奇妙な柔らかな感覚を一瞬感じ、刃物は服の下の硬い装甲に阻まれる。

 そして、小鳥遊が少女の腕をつかむ。

 万力のような――とはいかないものの、しかし、それでも男性らしい力強さで。

 少女は腕を固定された。

「なぁ、やめないか? 何もしなければ安全なところまで案内してやるからよ。とりあえず、生き延びれば、また別の償いができるかもしれないぜ」

 少女が腕を振りほどこうと、もがくが、びくともしない。

 大きな瞳に涙を溜め、 

「……私は、私は――っ」

 腰の後ろに手を回す。

 そして、取り出したのは釘抜きのついた鋭い先端の金槌。

 勢いよくそれを振り抜き、小鳥遊へと殴りかかり、

 それよりも数瞬早く、マズルフラッシュが何度も瞬いた。

 体重が軽い少女はがくりがくりと何度か体を揺らし、血を流しながら、地に伏す。

「……ごめ……なさ……、おねえ……」

 焦点の合わない瞳で少女が呟き、手から凶器が落ちる。

「………」

 しばし無言で佇み、小鳥遊は軽くタメ息を一つ。

 そして、少女に近づくと彼女の瞼を閉じると、振り返る。

「殺したのです? 大鴉(レイヴン)

「まぁな。そうしてやるのが……望みだったみたいだしな」

「いいなー、ボクも一緒に壊したかったです」 

 赤ずきんが頬を膨らませる。

 小鳥遊が鼻で笑った。

「俺はごめんだね。無駄な殺しはやっぱり後味悪ぃ……」

 そして、生存者はまだいないか、赤ずきんが入ってきた部屋の中を確認した。

 

 

 通報によりかけつけた警察が、小鳥遊達が脱出したビルを囲んでいる。

 あの後、少数ながらもいた生存者は監視室から発見されて助かることだろう。それより先は小鳥遊達の知ったことではなかった。

「おー、大騒ぎになってるなー」

「階段壊したんですけど、登れるんでしょうか」

「そのうち消防車でもきて、その梯子で突入するんじゃないか?」

「なるほどです。ひとっとびで入ればいいのに」

「それができるのはお前だけだな」

 数人、ビルの中にいた敵を屋上から投げ捨てたためか、下は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている。

「しっかし、まぁ……」

 回収した資料を見ると、テレビに映っているような有名人の名前や有力企業の人物なども記載されている。

「これはすごい騒ぎになりそうだなー。まぁ、関係ないけど」

 小鳥遊に情報を送ってきたヴァラン被害者連合に、資料の写真を送る。

 これから大騒ぎになりそうではあるが、小鳥遊にとっては興味がないことであった。

「騒ぎになれば面白くなるんですか?」

「ばれれば、な」

「じゃあ、ばらしちゃいましょうよ。ほら、あそこに警察の人たちがいますよ!」

「嫌だぜ、俺は普通の生活がしたいんだ」

「えー」

「普通に生活するついでに、殺しとスリルが味わえればそれでよし。それ以外は余分だね」

「つまんないですよ、そんなの。もっともっとたくさんいろんなものと遊びましょうよ」

「安心しろよ赤ずきん。こんなヤクザな生活してたら、騒動のほうが嫌でも勝手にやってくる。そんときゃ大暴れできるぜ」

「その時は一緒に遊びましょうね、大鴉(レイヴン)

「もちろんだ。……さて、今日は遅いし、また明日、なにか食べに行くか?」

「お肉!」

 郊外へと歩いていく二人。

 サイレンの音を背に受けながら、二人は街の雑踏の中へと消えていった。



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『6話 二人が別れて一人になった』

 

 強奪した金でステーキを食べに行ったのも、もはや指で数えるよりも前の話。

 しかし、未だにザ・カーニバルについて手がかりがつかめない二人は、自宅でのんびりと過ごしていた。

「あんまりごろごろしてるオオカミさんではなく豚さんになっちゃいそうです」

「お前は細すぎるからもう少し太ったほうがいいがな」

 ソファーの上で寝転ぶ赤ずきんの、あまりに細い腰を見ながら小鳥遊は言う。

 この赤ずきん、ゆったりした服や大きな頭巾でわかりづらいのだが、かなり細身である。

 こいつ、体重が40キロもあるのだろうか、と小鳥遊は思いながら、彼女の隣に座った。

「小鳥遊はボクがぶーぶーしてるほうが好きですか?」

「別にデブが好きつーわけじゃねぇけど、お前は細すぎるからなぁ……」

 小鳥遊が透明なガラスのテーブルの上にあるテレビのリモコンを取り、スイッチを入れた。

 リビングに置かれたテレビが点灯した。

 小鳥遊の太ももに頭をのっけて横たわった赤ずきんもテレビへと視線を向ける。

「お前、本当にもうちょっと肉喰ったほうがいいぞ……」

「悪い悪いオオカミさん、ボクのことを食べちゃうのですか?」

「こいつみたいに人食い(カニバリズム)の趣味はねぇ……」

 テレビに映っているニュースキャスターを小鳥遊は顎でしゃくる。

 悪心感知に付随する機能により、狩人(レイヴン)はその人物がどのような悪事を働いたのかを読むことができる。

 50代ぐらいの髪に白いものが混ざり始めた中年の男性。

 スーツをきちんと着こなし、眼鏡をかけた落ち着いた印象で、何年もニュースで見かける顔である。

 ある意味、この番組の常連ともいえる人物であった。

「殺人は見えねぇから、どっかから肉だけ買って食ってるんだろうな」

「この人とは遊びに行かないのですか?」

「やべえのは人肉食(カニバリズム)だけで、他のことは子供の時に万引きしてたり、喧嘩してたり、若い頃に恋人にむかついて殴ったりしてる程度だからなぁ。わざわざ首都まで飛行機に乗っていく気にはなれんな」

「ええー、狩人(レイヴン)は悪人を見たら即座に全員殺すんじゃないですか?」

「お前は俺を何だと思ってんだ」

 俺は殺人鬼じゃねーぞ、と小鳥遊。

「つーか、そんなに殺してたら報復くらうわっ。さすがに全員殺してたら罪悪感を感じるぞ……、オレは良心的だからな」

「良心的? 良心があると、報復するのです?」

「大事なやつが殺されたら怒るのは正当な怒りだぜ? それがどんな悪党だろうと、そいつを大事に思う奴に取っちゃ大事な奴さ」

 許すだけが良心じゃねぇだろうさ、と小鳥遊は続ける。

「つまり、大事な人を殺せば楽しく遊んでくれる人がたくさん来るんですね」

「おい、文脈が繋がってねーぞ」

「何か間違いましたか?」

「間違いしかねぇ」

「よくわからないです。まぁ、それよりも。小鳥遊の目があったらボクももっと楽しいものが見えるのでしょうか」

 赤ずきんがそっと、小鳥遊の顔に指を這わせる。

 つーっと頬を撫でて、下の瞼へと指を押し当てる。

 小指が瞼の下に軽く食い込み、瞼が押され、瞳が少し押し気味に変形する。

「これもってても面白くはねぇぞ。人間の(つら)の下なんざ、覗いてもろくなもんがねぇしな」

 オレが仮面をかぶってるのと同じだな、と小鳥遊はせせら笑う。

 赤ずきんが爪をつきたてようか、このまま指をつっこもうか悩んでいたら、小鳥遊が顔をあげて赤ずきんの指を瞼から離した。

 もし、赤ずきんが瞳を抉るつもりだったなら、小鳥遊は片目を失っていただろう

 早鐘を打つ心臓が心地よく、小鳥遊はぶるりと走った震えを楽しんだ。

 そして、ニュースに飽きたのか、リモコンを操って、番組を次々と変えていく。

「……そもそも何で猟師(レイヴン)は仮面をかぶっているのです? 顔がばれていたほうが、復讐に来てくれるから、いっぱい遊べますよ?」

「普通、逆だからな? 復讐されるとか面倒くさいにもほどがある」

「けど、大鴉(レイヴン)は危ないこと大好きじゃないです??」

「俺が好きなのは準備と工夫をきちんと重ねた上で行う勝負だ。それに、危ないこと大好きな奴は、安全対策はがちがちにやるもんだぜ」

「でも、ほとんど正体がわからない隠蔽能力があるなら、悪人に限らずどんどん殺したほうがよくないです?」

「いや、別に俺は殺すのが好きなわけじゃないんだが……」

 小鳥遊が軽くこめかみを抑える。

 赤ずきんは仰向けとなり、きょとんとした顔をしている。

 小鳥遊が下を向くと、ちょうど目線が合う形となった。

 くりっと丸い、金色の瞳が見える。

 自動的に赤ずきんの悪心が感知される――やはり、殺意しかないな、と小鳥遊。

「まぁ、理由としちゃ2つ。まずは俺達みたいなヤクザな生きたかしてるやつらがあんまりカタギに迷惑かけたくないんだよなぁ」

 ため息交じりに、

「ほら、俺達は平気で命を投げ捨てる度し難い奴らだろ。そんな奴らが死ぬのは勝手だが、そうじゃない奴らを巻き込むのは迷惑極まるだろう」

 赤ずきんの目を覗き込みながら、小鳥遊はセカンドカラミティの時を思い出していた。

 暴れまわる巨大な怪物、崩れた瓦礫の街、燃え上がる都市、気にしてはいないが忘れられない記憶ではあった。

「もう1つはやっぱ、卑怯な理由だが報復が怖いな」

「えー、楽しいですよ? 勝っても負けても遊んでくれるんですよ」

「そりゃお前だけだ。苦しんで死ぬなんざまっぴらごめんだぜ。死ぬならすっぱり死にてぇ」

 誰が痛い目にあいながら死にてぇものか、と小鳥遊は目を細めた。

 その様を見て、可笑しそうに赤ずきんが笑う。

狩人(レイヴン)はわがままなこと言いますね」

「わがままじゃなければ人殺しなんてしないさ」

 小鳥遊も同じく笑う。

 そして、視線をテレビの方へと戻す。

 赤ずきんも同じく膝を枕代わりにしたまま、テレビへと視線を向ける。

 ふわり、と赤ずきんの殺意の匂いが漂う。

 これは小鳥遊にしかわからない香りであった。

 人によりどぶであったり、焼ける炎ようであったり、ハーブに近いモノであったりと違いがあるのだが、赤ずきんの場合は柘榴に近い。

 決して不快ではない――むしろ小鳥遊は気に入っているぐらいである。

 特に彼女がいれば、他の不快な匂いが気にならなくなるのがとても心地よい。

 そしてそれ以上に、おいしそうに感じる匂いなのである。

 そんなことをつらつらと考えながら、音量をあげるべく、小鳥遊はリモコンを手に取った。

 

 

 

 白い簡素な、透明なガラスの張られているテーブル。

 テーブルの上には、造花が飾られている。

 それを挟んで、スーツを着た男性とマスクをつけ、ボディスーツに身を包んだ女性が座っている。

 毎回ゲストを呼んできて、質問や雑談を行う番組であるが、今回は、マスク・オブ・ゼロと同じくW.A.V.Eに所属するアイドルヒーローのようだ。

 W.A.V.Eの配信してるヒーローバラエティ番組の一つであり、真偽ごちゃ混ぜではあるものの、どのようなヒーロー、ヴィランがいるかわかるため、小鳥遊も好んでみている番組の1つだ。

『はい、みなさんこんにちは。本日はしばかれたいと足元にはいつくばる信者急増中のヒーロー、アウラルネさんにお越しいただきました。いや、実際には初めてお会いましたが、すさまじい格好ですね』

 全身をぴっちりと覆い、胸元だけが大きく露出したボディスーツ。

 ウェーヴががかった緑色の髪。

 薔薇の装束が書かれたマスクが顔の上半分を覆っているため、顔はわからないが露出している口元は小振りで、形の整った唇が露出している。

 凹凸を帯びたスタイルの良い女性であり、たいていの男性は胸元に目線が行く。

 腰には棘のついた鞭を携帯しており、植物を操る超人(サイオン)らしい。

「あの鞭で遊びたいです」

「おう、やめーや」

 耳をぴこぴこと動かしながら、赤ずきん。

 尻尾をふわっと振るわせて、アルラウネの持っている棘付き鞭を見ている。

 テレビでは、司会者とアルラウネが雑談を交している。

『ええ、敵を屈服させるのって痛快でしょ? 特に薔薇の蔓で縛られた悪人(ヴィラン)の悔しがる顔とか見ものよ』

『なるほど、アルラウネさんは悪人(ヴィラン)の悔しがる顔をみたいから、殺さずに拘束するのですね』

『ええ、そうよ。殺すなんてもってのほか、殺してしまったら苦痛に歪む顔が見られないじゃない。それにヒーローに殺人許可は出てないわ』

「……ああ、この姉ちゃん。人を殺したことねぇな」

 TVを見ながら、小鳥遊。

 どうやら、悪心感知でアルラウネの過去を読み取ったらしい。

「?? 屈服させるより殺す方が楽しいのに不思議なことを言う人です」

「馬鹿だな、死ぬ死なないかの勝負の方が楽しいぞ。んで、このねーちゃん、言うほど女王様でもねぇな」

「どういうことです?」

「過去の悪事履歴が、ヒーロー活動と些細な事しかないからな。アイドルヒーロー特有のキャラづけだろうな」

 女王様キャラっぽいのを演じてて、内心恥ずかしがってると考えると、なんかエロイなと小鳥遊。

 巨大メディア会社W.A.V.Eと専属の契約をしたヒーローはそれぞれキャラづけをして表舞台で活躍しているアイドルヒーローも多いと聞く。彼女(アルラウネ)もその一人なのだろう。

「ふーん……??」

 赤ずきんはよくわかってない様子で、視線をTVに戻した。

『さて、アルラウネさん。あなたには多数の質問が届いております』

『あら、豚どもが何かしら?』

『はっはっは、これは手厳しい』

 最初の手紙は――と言ったところで、TVから猛獣が唸り声をあげる様な声が響く。

 アルラウネが訝しげな顔をして、司会を見るが、司会も心当たりがないようで、不思議そうに見返した。

『なにが――?』

 カメラが叫び声のほうへ向けられる。

 そこには全身が緑色に変色し、頬が不自然なほど肥大化した、まるで蛙のような面をした人型生物が立っていた。

 それは、耳に響く不快な声を響かせ、涎を唇の端から零している。

 その涎が床に落ちると、床が音をたてて溶ける。どうやら溶解性の物質でできてる涎のようだ。

 中途半端にシャツの残骸がついているが、初めから来ていたのだろうか、それとも誰かから奪ったのであろうか。

 スタジオの人々が面食らっている中、アルラウネの対処は迅速だった。

 腰に吊るしてある棘付きの鞭を抜き放つと、即座に蛙男に打ち付け、鞭を巻き付けた。

 そして、柄にあるボタンを押す。

 アルラウネの持っている鞭には植物の種が仕込まれおり、柄元のスイッチを押すと先端部にある種から落としていくことができるのである。

 彼女が能力を発動する。途端。蛙男に付着した種が芽吹き、蛙男を瞬時に縛る。

 蛙男が口を開いて、何かを吐き出そうとするが、その前に蔦が口に絡みつき、二重三重巻き付き、その動きを止めた。

 蛙男は苦しそうにもがき、遮二無二がむしゃらに体を動かし、なんとか脱出しようとするができない。

 その場で体をくねらせ、まるでまな板の上で必死に足掻く魚の如く、じたばたを荒れるが、それでも蔦の拘束が外れることはなかった。

 やがて、くぐもった悲鳴が上がると、蛙男はばったりと倒れ伏し、そして動きを止めた。

『なんだったのかしら、これ』

『わかりません。が、しかし、あなたのおかげで助かりました。さすがですね――』

 司会の男がにやりといやらしく笑う。

 口角を吊り上げ、

『――この人殺し』

『はっ?』

 そして、顔が裂けた。

 どこに納まっていたのだろうか。

 顔が納まる位置にはかぼちゃが乗っている男へと変身する。

 腰元から丸い帽子を取り出して被った。

 彼こそはザ・カーニバルの幹部の一人、

『トリック・ドワーフ!?』

『そうだぜ、ヒーロー。アルラウネ……今、お前が殺したのはなぁ』

 にたぁ、とかぼちゃの口が笑う。

 悪意が込められた表情で、トリックドワーフが告げる。

『オイラたちが作った化合物Xで変化した一般人だぜぇぇ……!』

 証拠を見せようかぁ、とトリックドワーフが細長い円筒状のものを取り出すと、ピンを抜いた観客席へと投げつける。

 空中でアルラウネが鞭をそれに巻き付ける、引き戻そうとするが、それよりもはやく、円筒からガスが引き出され、観客席へと降り注ぐ。

 蜘蛛の子を散らしたように逃げようとしていた観客たちがガスを浴びたた途端、胸を抑えて倒れ、涎をまき散らして、床で悶えている。

 そして、変化が始まった。

 あるものは異常に腕が伸び始め、あるものは唐突に頭部が肥大し、代わりに手足が委縮してキノコのような状態となる。

『はっはっはっ、これがお前がさっき殺した怪物の正体だぁ、ヒーローぉ! たしかヒーローに殺人許可は出てないんだったよなぁ? やっちまったぜぇ』

 その言葉にアルラウネが唇を噛み、苦虫をつぶしたかのような表情となる。

 ぎょろりと目で呵々大笑するトリックドワーフを睨みつけるが、何か口を開きかけるが、身体を震えさせながら噛み殺し、観客の方へ鞭を走らせた。

『覚えておきなさいよ……っっ!!』

 そして、鞭から種がばら撒かれる。

 種は瞬時に根付き、急成長、怪物化した観客に絡みつき、その脚を止めていく。

『無事なものは逃げなさい! ここは(わたくし)が受け持つわ!』

 鞭で地面を打ちすえて宣言するアルラウネ。

 その言葉に、おろおろとしていた観客が一斉に出口へ向かおうとして、渋滞した。

 そのため、アルラウネは再び鞭を振るい、観客を整列させた。

『なんでぇ、インタビューには答えないのか。つまんないのー』

 かぼちゃ頭の男、トリックドワーフはつまらなそうに答えた。

『さぁて、テレビの前のヤツラは見たなぁ?』

 トリックドワーフがテレビカメラを両手でつかみ、片目で覗き込むように顔を近づける。

『これが、X化合物だ。簡単に教えてやると進化薬つーやつで、人間(おまえたち)超人(おれたち)に進化させるんだが、まだまだ未完成でな、こんな感じに怪物になっちまうんだ』

 トリックドワーフがカメラから離れ、観客席を写す。

 アルラウネが必死に鞭を振りながら、蔓を伸ばし、自らに突進してくる怪物を捌いている。

 理性がないのか、彼らは手足が縛られようとも、手や足を無理やり引きちぎってアルラウネのほうへと突進していく。

『ちょーっとおつむがついていってないんだろうなぁ。まぁ、そんなことはどうでもいい。それもこれも大鴉(レイヴン)ってヤツが悪いんだぜー?』

 テレビを見ながら、大鴉(レイヴン)は「はあっ??」と言う。

『おいらたちザ・カーニバルはよぉ、仲間意識が強いんだ。だから、大鴉(レイヴン)つーやつがおいらたちの仲間である赤ずきんを浚ったのが悪いんだ』

 わざとらしく涙を流すような動作を行い、芝居がかった仕草で、トリックドワーフが言う。

 ご丁寧なことに、テレビにでかでかとホルスターを腰につけたペストマスク――すなわち、ヒーロー活動をしているときの小鳥遊を描いたらしき絵が写された。

 恐らく、特徴をメモにとっておいて、あとで絵に描き起こしたのだろう。

『だーかーらー、ゲームをしようじゃないか。明日の正午までに、この大鴉(レイヴン)をこの都市にあるツインタワーに吊るせ。そうしなければ、町中に仕掛けたガスと爆弾のプレゼントだ!』

 そう言い終わり、トリックドワーフが大笑する。

 かぼちゃ頭に彫られたぎざぎざの口が大きき開き、耳障りな笑い声を発している。

 笑い終わった後、唐突に証明が消え、スタジオの中が真っ暗となる。

 次の瞬間、再び照明が付き、灯りが戻るとトリックドワーフの姿は消えていた。

 そして、街の一角で巨大な破裂音が響いた。

 

 

「よし、殺そう」

 防刃コート、防弾チョッキ、プロテクターに鉄板、硬質ゴム、と、いつもの狩りを行うときの防具を着込んだ小鳥遊。

「二人で、遊びに行くのですね」

 その隣で、赤ずきんはにこやかに笑う。

「その通りだ。さて――」

 家に閉じこもってやり過ごすという選択肢もあるのだが、どこにガスや爆弾があるかわからない以上、巻き込まれる危険性も常にある。

 ならば、一角に留まるよりも自ら繰り出してザ・カーニバルの面々を狩っていくほうが性分に合うというものだ。

 このような大掛かりな騒ぎを起こした際、ザ・カーニバルの怪人たちは同時に大暴れすることが多い。ならば、片っ端から狩って本拠地の場所を吐かせた方が早いだろう。

 無論、目論見通りにいくとは限らない。敵は怪人だけではない。

 小鳥遊を捕えようとする住人もいるだろうし、何らかの事故に巻き込まれ、不運にも命を落とすかもしれない。

 故に――、

「――楽しくなってきたな!」

「はい!」

 目的は本拠地、騒動に巻き込んだ落とし前をつけるため、小鳥遊達は街へと繰り出した。

 

 

「なんで?」

 これもまた一つの地獄であった。

 繁華街で一つの爆弾が爆発する。

 それと同時に、透明なガスがばら撒かれた。

「どうしてこうなったのよ!」

 アイマスクをつけ、全身を白黒のタイツに身を包んだ少女が叫ぶ。

 彼女こそがワンダーガール。現存してるヒーローの中でも上位に入る能力を持った異邦人(ハービンジャー)だ。

 ふよふよと宙を浮かぶ、彼女の目下では阿鼻叫喚が発生していた。

 ガスの影響だろうか、突発的な変身に耐えきれず、倒れるもの。

 理性を失って周囲に襲い掛かる者。

 変身した異形から逃げ回る者など、多種多様な反応が繰り広げられている。

 それを見たワンダーガールは一目散に地面へと降り立った。

 取り残されたのだろうか、少年が一人泣いている。

 小柄なワンダーガールの腹部くらいの身長だろうか。

「ボク、大丈夫?」

 ワンダーガールが声をかけると、泣いている少年が彼女の方を向いた。

「あのね、あのね、お母さんが……」

 彼は鼻水を垂らして、真っ赤に泣きはらした眼でワンダーガールを見つめた。

 ワンダーガールが視線を向けると、そこには赤い血の上に伏した女性の姿。

 どうやら、少年の母親が誰かに殺されたのだろう。

 ワンダーガールは痛まし気に目を伏せる。

「そう……大丈夫。私がどうにかするから」

「違う。違うんだよ、お姉ちゃん」

 ワンダーガールの裾を少年が掴み。

「ボクがお母さんを食べちゃったの」

 そして、頬が裂け、少年の身体と同じぐらい巨大化した口でワンダーガールへとかみついた。

 がちり、と音が鳴り、

 少年の歯はワンダーガールの肌を貫通しない。

 小鳥遊をして、赤ずきんより堅いのではないかと言われている彼女の身体は、この程度に攻撃にびくともしないのだ。

「大丈夫、大丈夫だから」

 ワンダーガールがそっと少年を抱きしめた。

「だから、いまは、ちょっと眠りなさい。起きたら、解決してるから」

 そして、少年を気絶させると、その場で繁華街のガスを一息で吸いこみ、一気に宇宙まで飛翔。

 そこでガスを吐き出すと、繁華街へと戻り、怪人と変性した一般人を鎮圧するのだった。

 

 

 飛行船の中。

「さてはて、ついに祭りが始まりましたな」

「なんでもいい。あいつらはどこだ?」

 地上の喧騒を見下ろしながら、鉄仮面の男が隣の男に話しかける。

「ギガスよ。たまには他のことに興味を持ったらどうかね?」

「貴様はいちいち虫に注意を払うのか、ピネロー」

「なるほど、違いない」

 飛行船の中では無数のモニターが映像を映しだしている。

 二人は長閑にその映像を見つめていたが、やがて目当てのものを見つけ出した。

 ペストマスクを着用した怪人と赤い頭巾の少女が、別の怪人を襲っている姿だ。

「発見したな」

「ああ、……付近にいるのはターニャか。あやつに時間稼ぎをさせよう」

 鉄仮面の男、ピネローは懐からスマートフォンを取り出した。

 

 

 車道ではガスにやられて異形化したためか、玉突き事故が至る所で発生している。

 怒号と悲鳴が響き、人々はどこに逃げたらいいのかわからないようだ。

 爆発の影響か落ちてきたガラスがつきささった人たちがどこをめざしていいかわからず彷徨っている。

 路上に取り残され泣きわめく子供。

 血を流して倒れている男女がそこもかしこに転がっていた。

 警官隊が列を組んで、人々を誘導しているが、いかんせん数が足りておらず、動きも鈍い。

 そういえば、少し前に襲撃した地獄のようなビルにいた面子に警察の関係者もそれなりにいたようで、現在、警察内部もごたごたが続いていたのだろう。そこにこのパニックで動きが鈍っているようだ。

 普段ならきびきびと動いている彼らの動きはやはり鈍かった。

 それに比例するかのように人々の被害は増えていく。

 ビルの内部や公民館など避難所に成り得るところに優先的に爆弾が仕掛けられている様で、それらが爆発するたびに多数の犠牲が発生し、さらに安全な場所、というところがわからなくなっていく。

 混乱した人々が町中へと逃げのびると、そこには異形化し理性を失った怪物たちが襲い掛かる。

 警官隊が銃で威嚇しているが、やはり数が足りない用だ。

 一人が怪物に引き倒されながらも、反撃で投げ捨てていたが、そこに他の怪物がのしかかっていく。

 小鳥遊は歩きながら、その怪物を射殺した。

 怪物だけではない。 色とりどりの怪人たちがそれぞれの凶行に走っている。

 

 白塗りの顔。赤い球体をつけた鼻。とんがり帽子。

 いわゆるピエロの恰好した男が、火炎放射器を振り回している。

「さぁさぁさぁ、どうせすべてはショーなのさ!」

 裏声であろうか、耳障りな高音で笑いながら、火炎放射器を振り回す。

 哀れにもそれに焼かれた被害者は即死することはできず、身を炎に包まれ、地面の上を転げまわる。

 火炎放射器――単なる炎を射出する武装ではなく、まず粘着性の可燃物を高速で放射してから着火するという原理でできている。そのため、一度火がつけばそれを消すことは容易ではなく、口元すら火に覆われるため息をすることさえできない。

 被害者たちは手足がおりたたまり、縮まった姿勢で、焦げた死体を晒している。皮膚が完全に焼けており、彼らの親族が見ても見分けはつかないだろう。

 やはり火はよい、とピエロは笑う。

 ぼうっと燃やすだけで、蓑虫のように転がりまわる人間を見るのは大変笑えるものである。せっかくの祭りなのである。もっともっと、ああ、もっと燃やして遊ぼうではないか。と、ピエロは上機嫌に周囲を見渡し、商店街の傍で縮こまっている人を発見する。

 まだ年の桁が一桁らしき子供がしゃがみこんで泣いている。それを困ったように女性がなだめ、スーツを着た男性が険しい顔で周囲を窺っていた。

 ピアスをつけたパンクファッションの男性が何かを見つけたらしく、指をさして全員を誘導しようとしてたところに、ピエロは火炎放射器の筒を向け――。

 ピスッと、小さな音と共に火炎放射器の燃料部分に穴が開く。

 不思議そうに燃料タンクを確認するピエロの目前で2発目の弾丸が着弾し、ピエロが炎に包まれた。

 大鴉(レイヴン)がつまらなそうに、銃を下ろす。

大鴉(レイヴン)! 大鴉(レイヴン)! 見て見て、こんなに楽しいことになってますよ! 片っ端から刺して、裂いて、切り裂いて、潰して、遊びましょう!」

「楽しいことになってんのは否定しねぇけどよぉ」

 火だるまになった道化師(ピエロ)がごろごろと地面を転がる。

 赤ずきんが目を輝かせて、道化師(ピエロ)が焼けるさまを見ていた。

「やっぱり一般人が巻き込まれてるのは萎えるなぁ」

 ため息交じりにそういった。

 怪人たちの視線がペストマスクの男へと降り注ぐ。

大鴉(レイヴン)……赤ずきん――っ!」

「この裏切り者!」

 男女、様々な格好のメンバーが罵声を投げかける。

 大鴉(レイヴン)という言葉に、市民たちの視線も彼らに向いた。

 ご丁寧に今も、大々的に放映されている顔写真付きの放送も無関係ではないだろう。

 街角にある巨大スクリーンの映像にもばっちりとペストマスクの男が名前付きで放送されている。

「ごめんなさい! 無断外泊はいけないことでした!」

「……いや、違うと思うぞ」

 赤ずきんが口に手を当てて大声で言い返す。

 団員たちの顔が険しくなるなか、小鳥遊は仮面の下で目を細めて呆れていた。

 怪人を含めた周囲の人間から殺意や悪意が入り混じった匂いを見初め、小鳥遊が肩で笑う。

「貴様、どうして仲間たちを殺してでていった! どうせ出ていくなら、黙って出ていけばいいだろう! それともそこの誘拐犯に何かされたのか?」

「殺すぞ? ああいや」

 気に障ったのか鉄仮面をつけた男に銃弾が飛ぶ。

 それは仮面の目の部分に着弾すると、赤い花を咲かせ、男は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 容赦のない射殺に、一般人が恐れをなしたように距離を取り始める。

「殺した、だ」

「わわ、大鴉(レイヴン)。先に始めるのはずるいです。ボクも皆で遊ばせてください!」

「別にいいけど、一般人は殺すなよ?」

「えー。たまにはそっちとも遊びたいです」

「えー、じゃない。えーじゃ。楽しくゲームしてる隣で矢鴨してたら萎えるのと同じ感じだよ」

「んー……むー、仕方ないですね。じゃあ、美味しいミートパイ作ってくださいね」

「合点招致。美味しいヤツ作ってやるよ。」

 小鳥遊は笑って、拳銃を構える。

 2つの銃口が日光の下で鈍く光った。

 

 

 状況は混沌としている。

 化合物Xの効果は個人差が激しいようで、直接吸ったとしても、怪物化する場合としない場合があり、しかも効果が表れ始める時間も個人で差が大きい様だ。

 そのため、無事だと判断され、避難所代わりの市民館や病院に収容された後に怪物化し、被害が出たりしているため、町は完全に混乱に陥っていた。

 警察の人々やヒーローたちも必死で鎮圧にあたっているが、どれが敵でどれが守るべき味方なのか、その見極めが難しい状況であった。

「こっちだ! はやくしろ!」

 それでも動いている人はいる。

 一人の警官が逃げまどう住民を誘導している。

 彼らはおびえた表情のまま、避難所に指定された公民館へと道を急いでいた。

 爆弾とガスによる恐怖から急いで家を出たものの、町中が混乱していたため、どうしていいのかわからず途方に暮れていたところに声をかけられたのだ。

 若干安らいだように、数人の警官に連れられ道を急いでいる。

 何度かナイフを持った怪人が現れたが現れたが、警察官の方が数が多かったため、撃退することができた。逮捕する余裕はなかったため、いまごろ道端で気絶しているだろう。

 そして、駅前に差し掛かったところで――。

「お、まっぽじゃーん」

「かんくー?」

「まじかぁ、じゃあ、警察ばっち集めしようぜー?」

 数十人からなる多数の怪人たちが現れる。

 ナイフを始めとしてジャグリングのピンやなぜかボーリングの弾、また、短機関銃といった標準的な武装をもっているものもいた。

 装備のバラバラさから、各自好きなもので武装しているようだ。

 割れた駅の窓から住人達を見つめている物もいれば、何人も駅の入り口にたむろって進路をふさいでいる物。

 また、ぞろぞろと路地裏から歩いてこちらに近づいてきている物もいた。

 住人たちの顔がこわばり、恐怖に体が竦む。

 警官たちもこわばった顔をしていたが、やがて目配せをして、住人達の前へと出た。

「……私たちがなんとか時間を稼ぐから、逃げてくれ」

「は、はい!」

 逸り襲ってきた怪人が投げつけてきたジャグリングのピンを、左腰から抜いた警棒ではじき落す。

 警官がたちが残る中、住人は混乱する街へと後戻りする。

 ビルからその様を見ていた髑髏マスクの怪人が軽機関銃を住人達へと向ける。

 そこで一発の弾丸と飛んでくる。

 それは、髑髏マスクの怪人の額を撃ち抜いた。

 しかし、他の数人が銃弾を発砲する。

 警官が頭を抱え、伏せる。

 目を閉じ、当たらないことを祈る。そして、周囲から悲鳴が聞こえた。

 もしかしたら、逃げ出した住人にあたったのかもしれない、とそろっと目を開けると、そこには赤い少女が楽しそうに笑っていた。

 短いスカートから露出している脚はオオカミの毛皮に覆われ、銃弾が当たっていても、全く意に介してない。

「赤ずきん! 警察と住人は怪我をさせるなよ!」

「なら、殺してもいいですか?」

「殺すのも禁止!」

大鴉(レイヴン)、禁止禁止多いです!」

 少女が頬を膨らませる。彼女は背中から狼男の腕らしきものを生やし、伸ばすと、怪人を引き裂いた。

「一緒に遊んでやってんだろ?」

「うーん……、うん、いまはそれで納得しましょう!」

「やれやれ……」

 もう一人はペストマスクをつけた怪しい男だった。

 両手に拳銃(リボルバー)を持ち、二股に分かれた黒いマントを羽のように翻しながら、ザ・カーニバルの怪人へと銃弾を浴びせていた。

 時に赤い少女を盾にしながら、的確に銃弾を撃ち返し、特に遠距離から攻撃できる相手を優先的に狙って撃ち抜いていた。

 大鴉(レイヴン)

 ザ・カーニバルから指名手配されている、この騒ぎの中心人物であった。

「お勤めご苦労さんっ! 言いたいことはいろいろとあるだろうけど、今は住民の避難を優先してくれないか?」

 そういう彼の言葉に警官たちは互いに頷きあうと、住人たちを呼び寄せて、少なくなった怪人たちの横を通っていく。

「協力、感謝する」

 一言。

 その言葉に、小鳥遊は肩をすくめ、

「さぁ、狩りの時間だ」

 銃口を怪人たちへと向け直す。

 

 ――実際のところ、赤ずきんの動きは単調である。

 力任せに思いついたように振り回すだけ、小鳥遊が出会った時からこれまで、変化はない。

 しかし、銃弾すら意に介さない毛皮と、鋼鉄すら木の枝のように容易く折り曲げる怪力を持つ彼女にとってはそれだけで十分だ。

 故い、彼女の戦法はただただ単純だ。力いっぱい地面を踏みしめて、飛び跳ねるように近づき、鍵爪で敵を引き裂く。それだけで、10mを超える距離を容易く詰め、怪人をあっさりと殺してしまう。

 そして、その隙をついて、光線を放とうと拳を光らせた別の怪人の頭部に3発の銃弾が撃ち抜かれる。小鳥遊が、赤ずきんの隙をカバーするように合間を縫って銃撃する。

 赤ずきんが跳ねる、駅ビルの5階にいた怪人と赤ずきんの目が遭った。彼女は笑って、鍵爪を怪人の服にひっかけると、壁に着地。入れ違いになる様に、怪人が空中へと投げ出される。

 悲鳴を上げて、怪人が地へと落ちた。

 赤ずきんが気の赴くまま戦う中、小鳥遊はその援護へと回っていた。

 赤ずきんが突撃し、かき乱したところを、的確に小鳥遊が撃ち抜く。マズルフラッシュが焚かれるたびに、怪人側はどんどんと倒れていく。

大鴉(レイヴン)! 二人で遊ぶとこんなに楽しいのですね!」

 赤ずきんが、宙で反転しながら小鳥遊に笑いかける。

 彼女が着地し、前傾したところで、小鳥遊が進行方向の怪人の脚を撃ち抜く。

「ははは、それには同意するぜ」

 地を這うように前に飛び跳ねた赤ずきんが、手を振り上げる。白く小さな指が怪人の顎に突き刺さる。赤ずきんはそれをぐるりと振り回し、別の怪人へと投げつけた。

 しばらく共に暮らしながら、狩るために動きを観察していたため、赤ずきんの動きは容易く予想できる。

 蛙のような怪人の喉元がぷくりと膨らんだ瞬間、赤ずきんの背中が僅かに引かれる、それを見た小鳥遊が、右手で牽制の弾丸を蛙男に向い打ち放つ。

 蛙男は弾丸が飛んできた方向へ向かい、ゲロのようなものを吐きかけた。

 それが触れた瞬間、弾丸とばら撒かれた地面が解けて、どろりと穴が開く。

「うわ、汚っ!?」

 赤ずきんにもわずかにかかったようで、毛皮から煙が上がっている。どうやら物理にはめっぽう強いが、科学的な性質のものなら幾らか通るようである。

 新たな情報を脳内でメモりつつ、赤ずきんにとって相性の悪い蛙男に銃弾を浴びせかけ、沈黙させた。

「痛いです、もう。痛いのは嫌いなんですよ」

「その気持ちを他のやつにも分けてやれ」

 反撃で火炎放射が飛んできたため、小鳥遊は転がり駅の柱への裏へと隠れる。

 炎が彼のマントを焦がし、防具越しに熱さを感じるが直撃は避けた。

 小鳥遊が再び柱の背後から出てくる。

 赤ずきんがジグザグに移動しつつ拳から炎を出す怪人へと近づく。

 包帯を巻いた男は両手を炎で包み、まるで蛇のように自らの回りに炎を展開した。

 小鳥遊は赤ずきんの背後へと移動し、赤ずきんを目くらまし代わりにして銃弾を撃ち込む。

 彼女の背後から撃たれた弾丸は怪人とも赤ずきんともはずれていたが、代わりに怪人が左右に動けば当たる軌道であった。これにより怪人の逃げ道は塞がれた。

 怪人が決死の覚悟で、真正面から炎を赤ずきんに放つ。

 赤ずきんの肩が盛り上がり、オオカミの顔が現れる。

 それは大きく息を吐くと、炎を真正面から押し返した。

 怪人が自らの火にまかれながらにやりと笑う。

 口まで炎でふさがれながらそれでも彼に息苦しそうな様子はない。

 どうも炎を纏い、炎そのものに対しては耐性がある超人(サイオン)のようだ。

「赤ずきん、そこをどけ」

 赤ずきんがその場から飛び上がる。

 空いた射線に小鳥遊が銃弾を叩き込む。 

 怪人は笑った顔のまま、銃弾を撃ち込まれ、その場に倒れ伏した。

 炎がそのまま彼の体を包み、燃やしていく。

 煙が上がり、嫌な臭いが周囲に流れゆく。

「さて、次は――」

「よくもやってくれたな」

「あ、ターニャ」

 とてとて、と小鳥遊の元に戻ってきた赤ずきんが、見知った顔に笑顔で手を振った。

 ターニャと呼ばれた4つ腕の女性が駅に続く大通りから、小鳥遊たちのほうへ現れた。

 

 

 赤い頭巾の少女が、ターニャに向って笑いかけている。

 狼の顔が肩から生え、その脚は灰色の毛皮で覆われていた。

 赤い頭巾が乗っている彼女の腕は、脚と同じく灰色の毛皮に覆われており、その手は鋭い鍵爪へと変貌していた。

 それでもなお。

 彼女は可愛らしかった。

 ふんわりとウェーブのかかった金色の髪は太陽の光を映して煌めいている。

 くりっと丸い金色の瞳は無邪気に笑っている。

 いまは灰色の毛皮に覆われているが、それでもなお、ちょうどよい肉付きの脚はすらりと曲線を描いており、見る者の目を引くものだった。

「オオカミさん、オオカミさん。ターニャが来ましたよ。何か用なのでしょうか?」

『GRRRR……』

「あいつ、ターニャって名前なんだな」

 そんな能天気な会話を大鴉(レイヴン)とかわしていた。

 ペストマスクの男と異形の少女。

 まるで趣味の悪い絵のような一面であった。

 そんな二人を見てターニャは仮面の下、顔を不快そうに歪めた。

 

 ―――私は、醜い。

 白い簡素な、最低限、目と口の部分に穴があいているだけの仮面。

 ターニャはそれを外すことはない。

 4本の腕の異形。

 それだけではない、彼女の身体には生まれてこれなかった姉妹の身体がくっついている。

 腹部から生えるように出ている小さな、手の平サイズの少女。

 それは首から先がターニャの胴体に繋がっており、生きていた。

 他にも、臀部の上、背骨の末端部から少し肉のようなものが垂れており、小さな尻尾のようになっていた。

 故に、自らの姿は醜いと、彼女は思う。

 余分で邪魔なパーツが付きすぎている。

 だから、今の状況は心地よかった。

 彼女が嫌う、一般的な普通の人間が、異形へと変わり果てていく。

 その様は、自分と同じところに落ちてきているようで、とても心地よかった。

「赤ずきん。大祖母(グランマ)が心配していました。戻りませんか?」

「嫌です。ボクはまだ大鴉(レイヴン)を殺してません」

「そこは、俺と一緒に戻りたいとかいう場面じゃねーかなぁ。行かねぇけど」

 同様にターニャにとってザ・カーニバルは安寧の居場所だ。

 自らと同じような異形の集団(フリークス)たちが集う、あの場所はとても心地が良いのだ。

 姿か精神か、あるいは両方のために迫害された、彼女(ターニャ)のような人物も多く、ターニャもまた、ザ・カーニバルに対して深い忠誠心を抱いていた。

「それはよかった。これで、安心して赤ずきん(あなた)を殺せる」

「遊んでくれるのですか?」

「ええ、私はあなたが嫌いでした。私の居場所で、その仲間を平気で殺そうとするあなたが」

「それは違いますよ」

「何が違うのですか?」

「ボクはみんなで遊びたかったのですよ。だから殴りかかったのですけど、みんなが簡単に壊れちゃったんですよ」

「外からの意見だが、それを殺すっていうんだがな?」

「……やはり、あなたとは話にならない」

 ターニャが腰に手を回し3本のナイフを持つ。

 赤ずきんは笑顔で両腕を狼化。狼耳をぴくぴくと動かし、尻尾をふりふりと動かした。

「まぁ、待て待て」

「なんですか、大鴉(レイヴン)? ターニャは一般人でも警察でもないですよ?」

「いや、そうじゃねぇんだ。あいつとは一度戦って逃げられてる。そして、あいつの技は俺から見てもほれぼれするほど素晴らしい」

 小鳥遊が赤ずきんを押しのけ、前へと出る。

「だから、俺に戦わせろ。俺の早撃ちとあいつのナイフ。どっちが早いか勝負だ」

「ボクもターニャと遊びたいです!」

「3つ巴でもいいんだが……、それだとお前が圧倒的に有利だからなぁ」

 赤ずきんが頬を膨らませて、小鳥遊を見つめる。

 不満さを隠さず、じろりと小鳥遊を睨みつけた。

 それすら愛嬌がにじみ出ているので、ターニャは苛立った。

 小鳥遊は、懐を探り、1枚のコインを出した。

「よっし、じゃあ、コインで決めようぜ」

「イカサマしませんか?」

「しない、しない。ほれ」

 小鳥遊が振りかぶり、ターニャに向ってコインを投げつけた。

 100円玉だ。

 受け取ったターニャは困ったように、その硬貨を見つめる。

「……どうしろと?」

「あんたが投げな。それなら不正もないだろう」

「…………」

 仮面の上からも不満がありありと見えるが、二人同時に相手にするよりも勝機があるため、ターニャはしぶしぶ従う。

 ナイフを逆手に持ちながら、器用にコインを指の上にのせて、上へと弾いた。

 くるりくるりと、少しくすんだ色の硬貨が宙を舞い、ターニャの足元へと落ちた。

 足の裏でくるりと回っているコインをターニャが踏みつけた。

「あ、脚で隠されると見えませんよ」

「お前、見えたら確実に当てるだろうからな……表」

「む、先に言うのはずるいです。裏」

「……表だ」

「よっしゃ!」

 小鳥遊がガッツポーズした。

大鴉(レイヴン)ばかりいつもずるいです」

「いつもつきあってんだから、たまには俺にもハメを外させろよ。おあいこだろ?」

「………夕飯のお肉2倍で勘弁してあげます」

「受け賜ろう」

 小鳥遊が赤ずきんの前に出る。

「よっ、久しぶり!」

 まるで友人に対する気軽さで小鳥遊はターニャの方向へと歩を進める。

「……貴様に用はない。巻き込まれたことは気の毒だと思うが、失せろ」

「……驚いた。ザ・カーニバルにもまともな奴がいるんだな」

 小鳥遊が歩みを進める。

 両手の拳銃を消し、両腰のホルスターに再生成した。

「いやまぁ、お前に関しては俺のほうから用があるんだ。さっきの会話聞いただろ?

 お前のナイフと俺の早撃ち。どっちが強いか勝負しようぜ」

「私に何のメリットがあるんだ」

「ねぇよ」

 小鳥遊が進んでいく。もはや二人の距離は10mを切っている。

 一般的にナイフと拳銃を比べた場合、近距離ではナイフのほうが有利とされている。

 触れ合うほど近い距離であった場合、抜く、狙う、放つの3アクションが必要な拳銃に比べ、抜いてそのまま切りつけることができるナイフの方が早いとされている。

 しかし、それ以上の距離があった場合はどうか。

 これも6m以上離れていない場合、ナイフと相討ちになるとされている。

 銃にはストッピングパワーというものがある。

 これは銃や小火器から放たれた弾丸が生物に着弾した際、生物を行動不能にさせる指標を表す。

 使用されている弾丸にもよるが、拳銃はストッピングパワーが強いモノではなく、致命傷や神経の断絶が起きなければ、走り寄ってナイフで突きさすことが可能である。

 そして、小鳥遊はターニャと5mほどの距離を開けて止まる。

「まだるっこしいことはどうでもいい。俺とお前は敵同士だ。会えば殺し合う。その形が違うだけじゃねーか」

 困惑するターニャを置き去りにして、大鴉(レイヴン)が言葉を続ける。

「だから、これからはただの遊びだ」

「俺の早撃ちとお前のナイフ。どっちが上か勝負しようぜ? 生い立ちもしがらみも因縁も全てどうでもいい。そんなことよりも全力で遊ぼう」

「命なんてコインみたいなものだ。弾けば消える程度なもんだ。だから、この一瞬を楽しもうぜ」

 そして、勝手に構える。

 後ろ手を腰の近くに回し、銃床の上で待機する。

 相手の動きがあれば即座に銃を引き抜き撃つことができるだろう。

 わざわざ距離をつぶしてくる不可解な行動を訝しがっていたターニャであったが、小鳥遊の言動を聞いて理解した。

 この男もまた、ある種、ザ・カーニバルの同類。即ち、己で決めた自己ルールに従って生きる類だ。

 それに加えて、大鴉(レイヴン)と呼ばれる男は自らの外見ではなく、ただただナイフの腕を評価しているようだ。

 ナイフの技術は血反吐を履くような訓練の末に得たものであり、それが評価されるのは敵であってもうれしいことであった。

 だから、1つ。試したくなった。

 ターニャがナイフを逆手で握ると、そっと仮面に手をかける。

「?」

 ペストマスクの男は訝し気にターニャを見つめる。

 仮面の下から現れた顔は二人分の顔であった。

 顔の中心を境いに、左右に1つずつ、口や鼻がついており、目は左右に1つずつと、その間に1つついていた。

 しかし、小鳥遊にとってそのようなことはどうでもよい。

 今重要なのは、目の前の敵と決着をつけるという一点のみだ。

「これが私の素顔だ。醜いだろう?これを見てどう思った」

「どうでもいい。死んじまえば美人もブスも大差ねぇよ。俺とお前が戦って死ぬ。それだけで十分だろうが」

「……、ふん」

 ターニャの頬が僅かにつり上がる。

 なるほど、どうやら大鴉(レイヴン)はナイフの腕しか評価していないらしい。

 それはそれで失礼な話であるが、この容姿に驚かず、純粋に自らの技能だけを評価していることは、ターニャに取って、何か誇らし気な気分であった。

「やっと、その気になったか。意外とスローターターな奴だなぁ」

「……ほざけ、度し難い奴め」

 ターニャがナイフを構えた。

 無手の右手を前に、逆手に構えた左を後ろへ。

 右足を前方に送り、重心を後ろ脚に乗せ、半分体が開いた構え。

 肩から生えるように出た残りの二本の腕はナイフを順手で握り、仁王像のように腕を振り上げると、切っ先だけ小鳥遊へと向けた。

 重心は後ろへと乗せている物の、身体は低く構え、上体は前傾し、小鳥遊から見ても隙が見当たらない。

 強敵を前に、小鳥遊が仮面の奥で唇を舐めた。

 吐息を1つ。

 じりじりと距離をつめてくるターニャに対して、小鳥遊は努めて脱力をすることに注力をそそいだ。

 右足を一歩前へ、半身となる。ターニャの視点から見ると、右側が前に、左側が後ろとなり、完全に左半身が隠れる形となった。

 小鳥遊は、右手を銃床に添え、引き金を包むようにそっとにぎった。

 余計な力は速度を殺す。

 必要なのは、適切なタイミングで反応して、狙い、引き金を引く事である。

 焦りや恐怖で、力付くで抜けば、(りき)みでぶれて狙いを外してしまうだろう。

 それはこのターニャを前に致命的な隙となる。

 それがわかっているため、小鳥遊は精神を集中し、緊迫した場で体を弛緩させた。

 緊迫感を保ちつつ、身体は弛緩させるという矛盾した行為を両立させていた。

 ターニャがにじり寄る。

 小鳥遊が待ち構える。

 目線を読もうとも、3つ目である分、普段より読みづらく。

 肩の動きを読もうにも、4つ腕である分、いつもより見るべき点が多く。

 普段の鍛錬の成果なのか、軸のぶれが少なく、隙が読みづらい。

 こと、隙の少なさ、という点であるのなら赤ずきんとは比べ物にならない。

 街の狂騒が遠くに聞こえる。

 全身を覆う衣装の上から、風が通るのを感じる。

 破られたお菓子の袋が、風に流されていた。

 赤ずきんが、不服そうに二人を見ている。

 

 ターニャの突き出された右手が僅かに上がり、左手がその後ろに隠れる。

 その瞬間、小鳥遊が発砲した。

 ターニャが大きく、身を伏せながら前進する。

 低く、4本の腕、拳で地面につけて。

 小鳥遊の膝よりも低く、身を伏せ、しかし、普通に走るのと変わらない速度で、疾駆する。軽業を得意とする彼女は、腕一本であっても、自らの身を支え、腕で立つことができるほどのバランス感覚を持つ。

 地を這う蜘蛛のような疾駆。

 右手で抜いた銃を下に向けるが、間に合わない。

 立ち上がりながら伸ばされたターニャの左手が、小鳥遊の右手を捕えながら、上へと跳ね上げる。

 同時に逆の手が小鳥遊の右関節を外側から強打しようと伸び、他の2本の腕は腹部と首を切りつけようとして、それを予想していた小鳥遊が、右半身を囮に隠していた左腰の拳銃(リボルバー)を一瞬早く抜いた。

 攻撃に気を取られていたターニャの反応が遅れる。

 銃床でターニャは真ん中を強打され、そのまま銃を押し付けられるように上へ擦り殴られ、眼球を強打され、一瞬ひるんだ。

 その隙を逃さず、小鳥遊が発砲した。

「信じてたぜ、お前なら躱してくると」

 最初の接敵から、一撃目は必ず避けてくると読んでいた小鳥遊は、右半身を囮に、左の拳銃で倒すことを想定していた。

 それが上手くはまり、勝つことができたのだ。

 金属音をたて、ターニャのナイフが地面へと落ちる。

 小鳥遊は、丁寧にターニャを地面へと下ろすと、仮面を再び被せた。

 そして、道の脇へと移動させると、4つの手を組んでおいた。

 先に動きを予測していた小鳥遊のほうが一瞬早かった。

 勝負を分けた分かれ目はそれだけである。

 その事実に、小鳥遊は仮面の下で笑う。

「ふぅ……あぁ、くっそ……楽しいなぁ」

 ぶるりと、身体が震える。

 唇をちろりと舐めた。

「ははは、これだからこの遊びはやめられたない。

お前は良い敵だった。感謝するぜ」

 小鳥遊はターニャの死体に軽く頭を下げると、赤ずきんの元へと歩いていく。

 

 

 対峙するターニャと小鳥遊を離れて見ながら、赤ずきんは頬を膨らませた。

「オオカミさん、ボクだけ仲間外れとか酷いと思いませんか?」

『Grrrr…………』

 自らの頭巾に語り掛けると唸り声が返ってくる。

 じりじりとにじり寄りつつある二人が楽しそうで、赤ずきんとしては大変面白くない。

 いますぐにでも乱入して赤ずきんも二人と遊びたい。

 けど、大鴉(レイヴン)に怒られるのが嫌で我慢することにした。

 それにしても、と赤ずきん。

 毎晩、あんなにたくさん遊んでるというのに、大鴉(レイヴン)はやっぱりボク以外とも遊びたがるのですね、と胸の内がもやもやするものを感じる。

 だから、夕飯のお肉を2倍にしてもらうと言ったが、大鴉(レイヴン)の分まで食べてしまうことにした。

大鴉(レイヴン)なんて、御飯抜きになっちゃえばいいんです」

 口をとがらせながら、自らの手をみながら赤ずきん。

 大鴉(レイヴン)の自殺まがいの銃撃(ロシアンルーレット)を受け止めたために、久しぶりに負った怪我の痕が見える。

 銃身を握り潰したためか、暴発に近い形になったためか、その小さな手には火傷痕と幾筋もの傷が残っていた。

 特に理由があるわけではないが、この傷は赤ずきんにとって“お気に入り”であった。

 自分でも止めた理由はわからない――多分、遊んでもらえなくなるから、きっと、たぶん――が、この傷は二人が共にいると約束した証だ。

 それが、何故か、とても心地よい。

 本当に自分はどうしてしまったのか、赤ずきんは自問自答するが、答えは出ない。

 もともと、その感情の正体がわからず小鳥遊の元を訪れたのだ。しかし、未だにの答えはでそうになかった。

 ただ、この楽しい生活がずっと続けばいいなぁ、と赤ずきん。

 それはとても、とても素敵なことだと赤ずきんは思う。そのためなら、いつもより大人しく振る舞うのもやぶさかではなかった。

 ターニャを倒した小鳥遊が、赤ずきんのほうへ歩いてくる姿が見える。

 赤ずきんはころっと笑顔に表情を変え、とりあえず、不満げにさせた罰として大鴉(レイヴン)に殴りかかることにした。

 

 

 赤ずきんが跳ねるように小鳥遊にとびかかる。

 爛々とした笑顔で、諸手を広げて落ちてくる赤ずきんを、小鳥遊は右に一歩ずれて、回避した。

 地に落ちる寸前、赤ずきんがくるりと地面を転がり受け身を取った。

「もう、なにするんですか! おとなしく殴られてください」

「どうして殴られると思ってるんだ?」

「え」

「おい」

 不思議そうに首をかしげる赤ずきんに、小鳥遊は脱力した。

 ころころと転がったためか、二人の距離が再び離れる。

「さっきは、ああいましたけど、やっぱり小鳥遊ばかりターニャと遊んでずるいです。ボクもあの4本腕とか引きちぎりたかったです」

 頬を膨らませて、赤ずきんが不満げに言う。

「お前、絶対、仲間から嫌われてただろう」

 肩を笑わせて小鳥遊がいつもの軽口をたたく。

「え」

 赤ずきんが目を見開く。

 いつもとは違う返しに、小鳥遊が訝しむ。

「あんまり遊んではもらえなかったです。あんなに楽しいのに、なんでかみんな殴り合ったり殺し合ったりしないんです」

 赤ずきんの瞳が小鳥遊を捕える。

「けど、大鴉(レイヴン)は違いますよね?」

 笑顔が消え、真顔となる。

 丸いが見開き、表情が消える。

 普段のある種、快活な少女から表情が消えた。

「そうだなぁ――」

 小鳥遊が答えようと、仮面の下で口を開いたところで。

 鼻につく匂いを感じ、小鳥遊が空を見上げる。つられて赤ずきんも見上げた。

 彼らのいた位置の影が濃ゆくなり、間を置かずして、巨体が空から降ってくる。

「なんだ!?」

 土煙が舞い上がり、コンクリートが割れる。

 衝撃で窓が割れ、きらきらと破片が降り注いだ。

 小鳥遊の視界に入ってきたのは巨大な人間であった。

 身の丈はビルの6階ほどはあるだろうか。車を軽々と持ち上げるほどの巨体と怪力、専用の服なのか全身を緑色のタイツのようなもので覆っている。

 指の一本一本すら電柱より太く、普通の人間など握るだけでつぶすのは容易だろう。

 彼は、道端に落ちていた車を1つ持ち上げると、軽々と小鳥遊へと投げつけた。

 大きく、その場から引いて回避する小鳥遊。

「あ」

 赤ずきんが巨人を見て、

「ギガス君です。お久しぶりです」

「………」

 巨人が赤ずきんの方を向いた。

 その赤色の瞳は敵意や怒りで濁っており、様々な感情が綯交ぜとなっている。

「?」

 赤ずきんが首をかしげる。ギガスはしばし、無言であったが、赤ずきんから顔を逸らすと、小鳥遊へと向き直った。

 無視されたのが嫌だったのか、あるいは小鳥遊との会話を邪魔されたことが気にくわなかったのか、赤ずきんはむっとした表情で、片手を鋭いかぎ爪へと変化させる。

 その彼女の回りにゆらりと人影が現れる。

 彼らは、どう見ても一般人だ。

 リング状の首輪をつけ、怯えきった表情で赤ずきんの回りを囲っている。

 手には銃器や日本刀といった明らかに通常持ちえない凶器を持っていることから、近隣の人々というわけではないだろう。

 しかし、殺傷の意志があるかというとそのようにはみえず、銃器の重さにふらついている人員も珍しくない事から、どうにもちぐはぐな集団であった。

 悲壮感に塗れた彼らの背後、空に浮かぶ飛行船の巨大モニターに映像が映し出される。

 そこにはさるぐつわを噛まされ、椅子に縛られた子供たちが映し出されている。

「頼む!死んでくれ!」

「あなたが死なないと、子供が!子供が……!」

 彼らはたどたどしく短機関銃を持ち上げる。持ち方もよくわかってないのか、抱えるように持ち上げるものや、片手で構えているものも存在した。

 引き金に指をかけると、反動で銃が跳ね上がり。あるいは、御しきれずに銃口がぶれまくり、あらぬところを斉射している。

 50、60の銃口が集まり、弾丸をばら撒けば、それなりに当たるというもの。

 赤ずきんが弾丸を受けて、少しよろめいた。

「んー」

 しかし、ダメージが入った様子はなく、彼女は暢気にも奇妙な集団を眺めている。

 赤い頭巾で半分隠れた顔に銃弾が辺り、頭巾が跳ね上がる。

 可憐な少女の顔、その半分が無骨な狼のものへと変貌していた。

「今回、狩人(レイヴン)は禁止って言ってませんでしたね! なら、いっぱいいっぱい遊べます」

 そして、両手も変貌する。

 袖口から見えていた白く華奢な手が膨張し、ぞろりと灰色の毛が生え、その指先には白く太い、鍵爪へと変化する。

 銃弾を喰らっても平然としている異形の少女に恐れをなしたのか、彼女を囲っている集団が面食らったように顔を引きつらせ、数歩下がる。

 それでも彼らは自らを奮い立たせ、赤ずきんから逃げることはなかった。

「あはっ。オオカミさんたち、頑張ってください!」

 

 

 品よく仕立てられた革靴が飛行船の床を踏みしめる。

 鉄仮面の男、ピネローが一歩歩くたびに、金属音が室内に響く。

 ふよふよと飛ぶ船内には、無数のモニターが置かれ、それらは下の赤ずきんと謎の集団との戦いを映していた。

「――家族愛、という言葉がある」

 ピネローはモニターに向っておいてある椅子の後ろを歩いていく。

大祖母(グランマ)がよく提唱している言葉であるが、吾輩はそれに共感を覚え、多大な賛同をするものでね」

 こつりこつりと、硬い音が響く。

 鉄の仮面で覆われた顔は表情を映し出さないが、豊かな白いひげを蓄えた口はにやりと笑っている。

「本来は他人でしかないはずの人間たちが家族という名のもと連なり、協力し合う関係。何とも素晴らしいとは思わないかね?」

「そのためには時に無私の、自己を犠牲にすることして家族の丈に尽くす、その在り方。これこそ、まさに人間の美しさというものではないか」

 両手を広げ、ステッキをくるくると回しながら、室内を徘徊する。

 楽し気にモニターに視線を向けた。

「まさに今の状況のようにであるな」

 そして、無数に並べられている椅子の1つに顔を近づける。

 そこに座らされられているのはまだ5歳ぐらいの子供。

 彼はさるぐつわを噛まされ、恐怖と絶望に顔を歪ませながらモニターに見入っていた。

「君のご両親はぜったに叶わないとわかる赤ずきんに対して、果敢にも挑みかかっている。なぜかわかるかね?」

 んん?と、聞くが、答えられるはずもない。

「愛だよ、愛。家族に対する、君に対する愛情。それらが彼らの脚を進めている。何とも素晴らしいことではないか」

 画面の中では、涙ながらに挑みかかる男女を赤ずきんが引き裂いてる。

「普段はさらった子供の命と引き換えに、夫婦同士や別の家族と殺し合わせて見たりするのだがね、今回は特別な趣向として赤ずきんに挑んでもらうことにした。万が一、彼らが勝てば君達は開放するつもりでいるが――」

 そして、ピネローが話しかけている子供の親に、赤ずきんが手を伸ばす。

 その子が大きく目を見開き、やめて!と懇願するかのように首を振る。

 が、そのような祈りは届くことなく、その首を引き抜かれた。

 脊髄がだらんと垂れさがる。その衝撃的な死に様をみたためか、子供が大きく目を見開き、そして、次の瞬間、彼の首に巻かれたリング状の爆弾が爆発し、首が弾けとんだ。

 これで、何人目だろうか、飛行船の室内では、同じように首を爆破された子供の死体が散乱している。

「ふむ。やはり無理なようでありますな。それにしても、現場にいれば事情がわかるであろうに、このように無残に殺すとは。やはり、あの赤ずきんは人でなしですな」

 君もそうで思うだろう?と、ピネローは他の椅子の子供へと話しかけた。

 

 

 赤ずきんの能力は実のところ単純である。

 強靭な皮膚、頑強な剛毛、重圧な筋肉、それらを併せ持つ人狼化。

 即ち、超人種(サイオン)としても明らかにおかしな水準を持つ耐久性(タフネス)(パワー)である。

 守りであるのなら短機関銃の斉射を喰らってもケロリとしており、また、攻めに回るのなら鋼鉄を容易く曲げ、人間など紙の如く引き裂く。

 現に今も襲ってきた集団の一人、防刃・防弾コートに身を包み、その下に装甲を着込んだ男の腹部を、まるで水に手をいれるような気軽さで、手を貫通させ、その内部を掻きまわしていた。

 つんざくような絶叫が駅前に広がり、周囲の人間が恐怖におののく。

 が、自らが死ねば、同時に子供が死ぬ。

 ピネレーと名乗る鉄仮面の男は、首輪について懇切丁寧に説明し、実際に1つの家族を殺して実演して見せた。

 故に、彼らとしても引く訳にはいかなかった。

 赤ずきんの小さな鼻がすんすんと動く。

 彼女は大きく息を吸った。

 ――実のところ、ピネレーは彼らが赤ずきんを討つことなど全く期待してなかった。

 度し難いが戦闘力だけは確かな怪人や訓練した戦闘員すら彼女に傷をつけることはできないのだ、素人に武装させてむかわせたところで戦果は火を見るより明らかだろう。

 だから、1つ策をつけることにした。

 彼らには説明していない赤ずきんの弱点。

 即ち、彼女もまた生物であることだ。

 物理的な火力をほとんど無視するほど強靭な彼女であるが、それでも食事し、呼吸する生物には変わらない。

 故に、彼らの首輪には無色無臭の毒ガスが仕込まれているのである。

 いくら赤ずきんであっても、それを喰らえば無事では――。

「ふぅー」

 赤ずきんが首輪に対して息を吹きかける。

 強風とも変わらないそれは、爆発した首輪の爆風を毒ガスごと退ける。

 吹きかけられた息に揺られた観葉植物が横倒しとなった。

 途中にいた集団のうち数人が、泡を吹いて倒れる。口の端から泡を零し、地面の上をひっかいて苦しみを表している。

 どうやら息がすえていないようだ。

 本来、無臭であるはずなのだが、それでも赤ずきんの鼻はそのあり得ない臭いを感知した。

 恐らくガス――とまで考えはしなかったのだが、なにかありますーとぼんやりと考えた、彼女の対処法は単純だ。

 大きく息を吸っておき、爆発の瞬間を狙って息を吐き出し吹き飛ばす。

 文字で書くと簡単であるが、文字通り強風の如きソレは効果的であった。

 知らされていなかったとはいえ策が通じなかった以上、彼らに勝ち目はない。

 しかし、それでも愛する子供のため。

 彼らは最後まで赤ずきんに立ち向かっていった。

 

 

 赤ずきんの背中から生えた狼男の腕が、3人の被害者をまとめて、雑巾のようにねじりあげる。彼らは血の泡を吹きだしながら、骨が皮膚を突き破り、1つにまとめられた。

 それを放り捨てながら、赤ずきんは飛行船を見上げる。

 子供たちが移っていたモニターには既に生存者はなく、部屋にはその残骸転がっている。

 脳漿や目玉が飛び散った部屋には鉄仮面の男が写っており、溜息をついている。

「まったく、このように美しい家族愛を引き裂くとは。君には人の心がないのかね?」

「楽しかったですよ。もっともっと遊んでください。大鴉(レイヴン)に禁止されずに遊べるのも久しぶりなんです」

 飛行船の中にいるピネローに聞こえるはずもないのに、律儀に答える赤ずきん。

「まぁいい。吾輩の元に来たまへ。貴様に顔を剥がれた恨みを剥がしてくれよう」

 赤ずきんは笑顔でうんうんと頷く。

 地面を思いっきり踏み抜いた。

 赤色の弾丸となった彼女は、駅を足場にビルの屋上に昇り、そこから一息に上空に浮かぶ飛行船にまで、跳躍した。

 

 

「……あいもかわらず、出鱈目であるな」

 先ほどまで破裂音が響いていた部屋で鉄仮面の男、ピネローは呟く。

 画面は飛行船内部の監視へと切り替わっており、そこには床を引き裂き侵入してきた赤ずきんが写っている。

 大きく穴の開いた床には、ふよふよと浮かぶ白い雲が映っており、気圧の影響か穴から外へ向かい吸い込まれるような空気の流れが発生しているようで、室内の塵やゴミが吐き出されている。

 彼女の赤い頭巾も、穴の方向に向かってはためいていたが、彼女は気にした様子もなく、扉を壊すと、船内へ進んでいった。

「だが、その余裕もどこまで続くかな?」

 そして、ピネローは船内の防衛装置を発動させた。

 

 

「あはははは! たーのしー!」

 赤ずきんが大笑する。

 二重、三重に装甲を増やした船内の壁に銃弾が反射する。

 各所に設置された機銃が赤ずきんに向って斉射されるが、彼女は一切、気にしていない。

 床を蹴り、壁を足場にして、時には天井すら移動に利用し、立体的に移動する彼女に機銃の動きがついていけていない。

 しかし、数に任せて、複数個の機銃による掃射はもはや弾丸の壁が形成されているような状態となっており、動きについていけないまでも、ある程度は彼女に当たっていた。

 されど、当たってはいるのだが、人狼形態の彼女には一切ダメージはなく、弾の雨の中をまるで何もないかのように進んでいく。

 トレードマークである赤い頭巾などはずたぼろとなっていたが、彼女自身に損傷はなかった。

「どこにいるかわかりませんから一気に行きましょう」

 赤ずきんが装甲に覆われた破壊して、次々と部屋を移動する。

 重機関銃すら破壊されない装甲壁であるが、彼女には濡れた和紙のように容易く破壊されていく。

 彼女が鼻を動かし、昔、嗅いだことのある匂いを探す。

 きょろきょろと、周囲を見渡した後、にぱぁと表情を輝かせ、懐かしい匂いのするところへと一気に駆け抜けた。

 

 

 みしり、と音がする。

 床の敷物が歪んだと思うと、みきみきと、引きのばされ、千切られる。

 空いた穴から、狼男の爪が現れ、さらにその穴を大きく広げた。

 現れたのはぼろぼろになった赤い頭巾を来た少女だ。

 彼女は楽しげな様子で、鉄仮面の男へと話しかけた。

「とーちゃく、です。久しぶりですね、ピネレー。元気にしてましたか?」

「どの口がいうのかね?」

 鉄の仮面で覆われた彼の表情はうかがえないが、その言葉には憎悪が滲んでいた。

 品の良いのスーツの下が蠢き、破れる。

 その下から見えるのは黒い鋼鉄に包まれた体。

 それらの機体が開き、中から発射口が覗いている。

 こつりと、杖を突くと、彼の背後から無数の銃火器が現れた。

 床が開き重機関銃が上昇してくる。

 天井から機銃から降りてきて銃口が赤ずきんへと向けられた。

「貴様に顔を剥がれてからというもの、今日まで貴様のことを忘れたことはなかったぞ」

「あれは楽しかったですね。もう一度しましょうか?」

「……獣は言葉を解さないか」

「む、それは酷いです。女の子に掛ける言葉じゃありませんよ」

「貴様を女とみる輩がいるのであるか? 相当なもの好きか被虐嗜好者(マゾヒスト)ぐらいであろうよ」

「ひどい。ひどいですよ、ピネレー」

「事実であろうが、この化け物が」

 赤ずきんが頬を膨らませ、目を細めて抗議する。

「いっておきますけど、ボクも傷つくことはあるんですからね?」

「はっ、貴様に人心などという上等な物はなかろう」

 見ろ、と部屋の惨状を指さした。

「これが貴様がやったことだ。人心があるのなら、あのような惨状で手を止めるはずだ。あのような哀れな者達に手を掛けるはずはなかったはずだ。しかし、貴様はそうではない

 これこそが、貴様が(けだもの)という何よりの証ではないか!」

 本心から怒っているようで、口から唾を吐き出しながら赤ずきんへと怒鳴りつけるピネレー。それに対し、赤ずきんは不満げに口をとがらせ、目を逸らす。

(けだもの)とか女の子に言うと嫌われますよ、ピネレー」

「嫌われ者の貴様には言われたくないな」

「そんなことはありません。今はちゃんと遊んでくれる人がいます。ものすごく仲が良いんですよ?」

「本当に、そう思うのかね?」

「むむむ。どういうことですか」

「君のような度し難い人物に好意を抱くようなもの好きがいるとでも?」

「けど、大鴉(レイヴン)とは仲良くやってますよ」

「本当に仲良くやってるのかね? 命惜しさに媚びてるだけではないのかね?」

「そんなことないですよ!」

 赤ずきんが反論する。

 彼女に人の心は判らないが、ザ・カーニバルに所属していた時の経験から、避けられていないのは判る。

 ともに遊んでくれる大鴉(レイヴン)が自分を嫌っているはずがない。そのはずだ。

 そう、赤ずきんは自らの手に残る傷を見ながら思う。

 しかし、ピネローはそれを鼻で笑った。

「それは本当に貴様のことを気に入ってるのかね?」

「気に入ってくれてると言ってくれました!」

「はははは、あり得ないことであるな。貴様を受け入れてくれたのは大祖母(グランマ)ぐらいであろう。その大祖母(グランマ)すら貴様を裏切ったのだ!」

「そんなことないですよ! ボクのこと気に入ってると言ってくれましたし、好きか嫌いかといったら好きだと言ってましたよ!」

「まぁ、なんとも微妙な好意だな」

「それに、ボクのことを殺してくれるとも言ってくれました! つまり、最後まで遊んでくれるんです!」

「なんとも倒錯的なあったものだ。やはり、君は人の心というものがわかってないな、馬鹿な赤ずきんよ」

 肩をいからせる赤ずきんに対しピネレーは薄笑いを浮かべた。

「いいかね? 君はもともといた集団を裏切ってきたんだ、そんな信用ならない相手。しかも悪役(ヴィラン)を信用する人物などおらんよ」

「加えて言うなら、君を殺すというのはそのままの意味であろう。大方、吾輩たちの脅威が消えた後に殺すという意味であろう? それは、ただ自らの生活のために不要な貴様を消すというだけであろうよ」

「そもそもだ、貴様は人を殺すこと、弄ぶことをやめようとしない度し難い存在だ。そんな人間に好意を抱く? 友達になる? そんなバカな話があるものか。あるとしたなら、それは貴様と同じような殺人鬼であろうよ。しかし、奴は違うであろう?」

 ピネレーは大鴉(レイヴン)の情報について思い返す。

 姿、形はなんとかつかめたものの大方の情報や本拠地は不明なままであるが、彼が関与した事件についてはそれなりに知ることができた。

 大鴉(レイヴン)、関わった事件の加害者に関しては容赦なく殺していくものの、被害者や巻き込まれに対して手を出すことは好まず、できる限り助けようとする傾向があるヴィジランテだ。

 目の前の誰彼かまわず殺そうとする赤ずきんとは違い、それなりに社会性がある人物であると思われる。

 ならば、赤ずきんを殺すといったのは本心では、ただ邪魔だったからであろう、とピネレーは考えた。

「確かに大鴉(レイヴン)は余計な殺しはするなって、よく言ってますけど……」

 赤ずきんの言葉に確信を深めるピネレー。

「なるほど。では翻って貴様はどうだ? まぁ、答えを聞かずとも駅前の死体が答えだろうが」

 この赤ずきんのことだ、誰彼構わず殺そうとするのは変わってはいないはずだ。

「……よく注意はされてます」

「どうせ、誰れ構わず殺そうとしているのであろう?」

「違います! できる限り苦しめてみたいだけです! それに普段よりは大人しくしてますよ」

「毎日殺されかけて、殺しに来た相手に好意を抱く相手なぞおらんよ。ザ・カーニバルで散々体験したことであろう」

「確かに、みんな何故かボクのことを避けてましたけど……」

「そこで“何故”と出るから貴様は嫌われるのだ」

「そんなことは――」

 と、ふと少し前の問答を思い出す。

 皆に嫌われていると、言った大鴉(レイヴン)は本人はどう思っていると言おうとしていたか。答えを聞く前に分かれてしまった。

 答えが出ずに沈黙する赤ずきん。それを見たピネレーが嘲笑う。

「貴様のような暴力の化身に好意を抱くものはおらんよ」

「いいか―――」

 そして、会話は終わりとばかりに、機銃が一斉に赤ずきんへと向く。

 ピネレーの身体からも銃口が突き出てくる。

「貴様は、誰にも、愛されない」

 そして、銃弾が発射される。

 赤ずきんは避けない。

 その白い肌が変化する。

 灰色の剛毛を纏う人狼へと。

 そして、ゆっくりピネレーへと歩んでいく。

「そんなことないです」

 白く細い指は太く変わり、鋭利な鍵爪が生える。

 頬が大きく裂け、口が突き出て狼の顔へと変化する。

 その分厚い筋肉と体毛は銃弾をまるで雨の様に浴びながら、しかし、全く気にせずに歩みを進める。

 彼女の背後、堅牢な装甲で作られた壁が銃弾の圧力に耐えきれず凹んでいくが、彼女は気にも留めない。

 しかし、それは予測していたピネレーはにやりと笑うと、切り札を切る。

「化け物ものめ。しかし、何度も言おう、お前を愛する者などいない。その事実を胸に――」

 突き出てくるのは誘導弾。

 着弾した衝撃を一点に集め、戦車の装甲すら貫通する代物だ。

 ピネレーの本体にも同じく対戦車用の徹甲弾が装填される。

 相手の装甲よりも固い代物を、高速で叩きつけれやれば分厚い装甲であっても貫通できる。そのような思想で使われた厚い装甲を破るための弾だ。

「貴様は、ここで死ぬがよい」

 白煙を残して誘導弾が発射される。

 AIで同期しているピネレーの身体から同じく無数の徹甲弾が発射された。

 赤ずきんが腕を振るい、いくつかの誘導弾を切り落とす。

 しかし、全てを防ぐことはできず、無数の徹甲弾と誘導弾が彼女の身体を捕えた。

 耳をつんざくめくような轟音が響く。部屋の中なので反響するそれらは常人であるなら鼓膜が破れていただろう。

「―――そんなことないもん」

 しかし、煙の中。

 爛々と輝く瞳がピネレーを捕える。

 金色の瞳は無表情にピネレーを見据えると、銃弾の雨が降りしきる中、高速で人狼の腕が伸ばされた。

 機械化されたピネレーは部屋に張り巡らせておいたセンサーと同期させ、赤ずきんの動きを見切っている。

 故に、いくら早く動かそうとも、彼女が動き出した瞬間をセンサーで捕え、ピネレーは先に回避行動へと移っている。

 伸ばされた狼の腕は回避される。

 しかし、彼女の腕は止まらない。そのまま、飛行船の床に振り下ろされると、一気に飛行船の外まで引き裂いた。

「馬鹿者ものめ! 床を壊してどうする!」

 怒鳴るピネレー。

 しかし、赤ずきんはそんなことを気にせず、言葉を重ねた。

「そんなことないもん! 大鴉(レイヴン)はボクのことを気に入ってるといってくれましたし、ボクのことを最後まで面倒見てくれるっていってくれました!」

 子供が駄々をこねるかのように出鱈目に腕が振り回される。

 そのたびに、床が裂け、天井が破裂し、機銃が薙ぎ払われる。

 徹甲弾と誘導弾はそれなりに利いたのか、痛そうなそぶりは見せている物の損傷はなさそうである。

 最後に腕が天井へと伸ばされ、防弾性の気球を貫通する。

「だから、そんな意地悪なこと言わないでください!!」

 さんざん室内が壊され、同調しているセンサーからの情報が途絶える。

 床が裂かれたため、気圧の変化により室内から外へ強烈な吸気が発生しており、ピネレーの動きが鈍る。子供の死体や部品が外へと盛大にばらまかれた。

 そこへ、気球の破壊による飛行船の墜落である。

 飛行船内は大きく揺れ、まるで振り回されているかのようにしっちゃかめっちゃかとなった。

 くるりくるりと円を描きながら墜落していく気球。

 脱出しようと、ブースターのついた機械の羽を展開するピネレー。

 しかし、窓を突き破る一瞬前、赤ずきんの伸ばされた腕が彼の足を一本、そぎ落とす。

 配線を垂らし、螺子や歯車を落としながら窓から脱出する、ピネレー。

 内部の弾丸をすべて使い果たしていたのも幸いした、重量が軽くなった分、早く動くことができた。

 落ち行く飛行船を尻目にピネレーはこの空域を脱出した。遠からず、燃料は尽きるがその前に安全な場所まで移動することはできるだろう

 そして、飛行船はそのまま螺旋を描きながら地面へと落下し。

 そのまま追突するのだった。

 

 

 炎上する街。

 墜落した飛行船からむくりと、ひとつの影が現れる。

 ぼろぼろとなった赤い頭巾は煤こけており、汚れが目立つ。

 白い服に赤い返り血が目立っている――赤ずきんだ。

 彼女はぱんぱんと埃をはらうと、特に怪我も無く歩き出した。

 ピネレーは好かれていないと言っていたけれど、そんなことはない。

「ない、はずだもん……」

 珍しく弱気な様子で、赤ずきんが呟いた。

 墜落した飛行船に驚き、事故の様子を見に来た野次馬には目もくれない。

 少なくない野次馬がこの様子をスマートフォンなどで撮影しているが、彼女は気にした様子もなかった。

 そして、鼻をすんすんと動かし、大きく跳躍すると。

 ビルの壁を蹴り上げ登りながら小鳥遊を探すのだった。



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『7話 怪鳥は爪を鳴らす』

 

 小鳥遊がリビングでくつろいでいる。

 テレビではバラエティ番組が映っており、芸人の話に合わせ、観客と小鳥遊が笑う。

 それを退屈そうに赤ずきんが見ている。

 赤ずきんは小鳥遊の膝に頭を乗せたまま、

「小鳥遊はボクのことを怖がらないのです?」

「あん? どうしたんだ、赤ずきん」

「みなさん、ボクのことを怖がって近寄ってこないので、小鳥遊がそうしないのが不思議だったのです」

 小鳥遊はテレビから視線を外し、

「まぁ、お前は狂っちゃいるが、怖くはないな」

「怖くないのです? あれ、前、怖いって言ってたような気がしますよ?」

「そりゃ、恐怖あるが……怖さはあんまりねぇんだよなぁ……」

「矛盾してますよ、大鴉(レイヴン)。どっちかはっきりしてください」

 小鳥遊の腹をつんつんとつつく赤ずきん。

 赤ずきんとしては軽くつついたつもりであるが、小鳥遊にとっては鉄棒でつつかれたような痛みを感じ、顔をしかめる。

「痛ぇよ……。恐怖と怖さはまた別なんだよ。お前みたいな強者は強みを推しつけてくれうだけだから動きを読みやすい。だから、恐怖は会っても怖さは少ないんだよ」

 そうだなぁ、と小鳥遊は少し考え。

「それよりも俺は少年が腐ってるやつが力を持っている方が怖いな。あいつらは手段を択ばないからな」

 まぁ、そういうやつほど、俺の餌なんだが、と付け加える。

 赤ずきんはやはりよくわかっていないようで、小首をかしげていた。

「つまり、どういうことですか?」

「お前はかわいいってことさ」

「むー、なにか誤魔化された気がします」

「気のせいだ」

 頬を膨らませる赤ずきんを見て、小鳥遊は笑うのだった。

 

 

商店街を手早く鎮圧したワンダーガールは空を飛び、街の惨状を眺めながら、次は何処に救援に向かうべきか考えていた。

 白と黒のタイツに包まれた豊満な胸を揺らしつつ、彼女は宙をふよふよと浮かび、高速で飛行していた。

 轟音が響く、ワンダーガールが音の方を向く。

 そこには巨人が瓦礫の山を振り上げ、いま、まさに投擲しようとしていた。

 それを見たワンダーガールは次の目標を定め、黒白の稲妻と化した彼女は空を裂き、

そちらへと舵を切った。

 

 

 ――巨人というものがある。

 人をはるかに超え、山や谷に匹敵するのではないかと思えるような巨大な人型生物である。

 北欧の巨人や日本のデイダラボッチなど、各地に国生みの逸話などに絡む通り、スケールの大きな話に絡んでくることも多い規格外な存在だ。

 しかし、彼らは強大ではあるものの、実際の扱いとしてはどうかと言われると引き立て役が多いと言える。

 聖書に語られるダビデとゴリアテの如く、巨人の強大さが語られた後に英雄に華麗に倒されるまでが一つのセットとなっていることがままある存在である。

 本当に――?

 本当に巨人はそのような存在なのだろうか。

 例えば人間の大きな武器の一つに投擲、というものがある。石をもって投げる、というシンプルな動作だけど、あまたの動物が攻撃できない位置から一方的に攻撃できると畏多大なアドバンテージがある戦略を取ることができた。

 ならば。

 人間よりもはるかに大きな存在である巨人がそれを駆使したならば、それはもう投擲などという生易しいモノではなく、爆撃に匹敵するほどの火力となるだろう。

「……あー、くっそ、やべぇ、俺じゃ火力が足りねぇ」

 轟音。

 小鳥遊のすぐ傍を一抱えもある巨大な瓦礫が飛んでいく。

 風切り音だけでも身がすくむほどであるが、直撃せずとも、瓦礫が被弾した影響で発生する砂利だけでも、叩きつけられるように当たるため痛い。

 小鳥遊が服の下に装甲代わりの鉄板やプロテクターをつけていなかったら、この砂利だけで挽き肉になっていたかもしれない。

 それでも既に鉄板は拉げ、プロテクターには罅が入っている様で、あまり無防備に喰らい続けるのは危険であった。

 現在、小鳥遊が生き残っているのは金属製の巨大な支柱の後ろに隠れているからであり、その柱も既に度重なる投擲で拉げ曲がり、一部はすでに破断して、ぎざぎざとした断面を晒している。

 先ほどの戦いで屋根が壊れていたのはむしろ幸いだったかもしれない。

 屋根が残っていたら、投擲に巻き込まれ崩落し、小鳥遊も巻き込まれていたかもしれない。

 柱の後ろに隠れながら、小鳥遊はこれからどうするかの算段を考える。

 全身を覆っている黒い衣装はすでに擦り切れ破れ、マントも片翼が千切れ飛んでいた。

 仮面の部分も罅割れてきていたので、一度、全身の衣装を再形成しなおす。

 幸い、怪我は軽傷程度で済んでるものの、このままここにいても無事という保証はない。

 というよりも、このまま柱が壊れれば、爆撃のような投擲でやられるのは目に見えているので、早々に手を打つ必要があった。

 砕けたガラスを鏡代わりに状況を確認する。

 巨大化して皮膚も厚くなっているのか、ただ銃弾を撃ち込んでも有効打にはならないようだ。

 ギガスは、と言えば、無造作にビルをむしり、小鳥遊の方へと投げつけている。

 その表情に真剣さはなく、ただ、ただ面倒くさそうな表情と共にやる気なさげに投げつけてきている。

 それを見ながら、どう吠え面書かせてやろうかと、思案した。

 小鳥遊の周囲に轟音、衝撃が彼を揺らす。

「さん、にー――」

 油断しきっているギガスは片手でビルをむしっており、もう片方は手持ちぶたさ、つまり連続して投げつけられることも無く、次弾をもって構えてもいない。

 三度、小鳥遊の回りに轟音、周囲の建物にも容赦なく瓦礫が降り注ぎ、いくつかの建物が倒壊する。

 安全策を取るのなら、瓦礫の礫をやり過ごしつつ、この場を脱出することである。

 小鳥遊の弾丸は単体では皮膚を貫通できないため効果をなさず、また、一撃で殺しきるだけの威力が出ないため、反撃で返り討ちに会う可能性が高い。

 ならば、ここは一時撤退するべき場面ではあるが――

「いち、ゴー!」

 上から瓦礫が降り注ぐ中、柱の影に隠れ射撃。そして、柱の影から出ると駆けだした

 だからこそ、大鴉(レイヴン)は前へと出た。

 何故か走らないが、ギガスの悪意は小鳥遊へと向かっている。

 故に、小鳥遊が逃げると他にそれ向く可能性があった。

 また、このような悪心を逃すのはもったいない、それを喰らって悪心収集の足しするつもりであった。

 そしてなによりもこの状況から勝てたならきっと楽しいだろう。

 ぎりぎりの敗北しそうな状況から逆転を狙うのは小鳥遊の何よりの楽しみの一つであった。

 ギガスが眉を顰める。

 大鴉(レイヴン)の攻撃は彼の皮膚を貫通できず、ほとんど意味はなかったはずだ

 訝しかみながらもビルを掴もうとして、唐突な痛みに顔をしかめる。

 指の間に針を突き刺されたような痛み。

 小鳥遊が拳銃を抜いていた。

 銃口から白煙が上がる。

 ギガスの指先に銃弾が埋まっている。

 指と爪の間、その隙間を狙った銃撃。

 赤ずきんとの高速戦闘で慣れたため、できるようになった離れ業であった。

「この……むしけらがぁっ!!」

 激昂するギガス、ビルの破片を投げつけようとする。

 しかし、それよりも先に小鳥遊が銃を撃ち放つ。

 狙いは――眼球。

 それに気づいたギガスが開いてる腕で目を庇う。

 連続した発砲音。

 肘に痛みがはしり、ギガスは混乱する。

 小鳥遊の拳銃(リボルバー)では火力不足で、ギガスの皮膚を貫通することはできなかったはずだ。

 しかし、小鳥遊は一度撃ち込んだ部分に連続して命中させることで、銃弾を押し込み有効打へと変える。

 小鳥遊がギガスが視界を塞いだのをいいことに死角に入るように回り込む。

「小賢しいっ!!」

 ギガスがビルの屋上を掴み上げる。

 小鳥遊の周囲に、瓦礫を防ぐことができる障害物はない。

 「そこだ」

 そして、小鳥遊は仮面の下でにやりと笑った。

 建物を周回するように回り込んだ弾丸。

 小鳥遊の反対方向から飛来したソレ。

 完全にギガスの死角から飛んできた一撃が、ギガスの片側の目に突き刺さり、そして、視界を奪った。

 野太い悲痛の声が響き渡る。

 ギガスが片目を抑えながら、暴れている。

 それに巻き込まれないようにしながら小鳥遊がギガスの側面へと回り込んだ。

 大粒の涙を流しながら、ギガスが小鳥遊を睨みつける。

 視界の片方が完全に闇に閉ざされ、光を失っていた。

 目で触ると血と子硝体を流し、目の奥の弾丸が突き刺さったのか、ずきりずきりとする。

 魔弾。

 小鳥遊が柱を出る前に放った魔弾がギガスの視界を奪ったのである。

 そして、ギガスにそれを悟られないため、あえて建物を大回りする軌道で魔弾を放ち、小鳥遊は自らを囮にすることとした。

 弾丸が途中で瓦礫に遮られないか、気づかれて目を防がれないかなど、ある種の賭けであったが、小鳥遊は勝利した。

 しかし、悟られないためにあえて大回りのコースを選択したためか、飛距離に比例するかのように威力は落ちていたため、目を貫通して脳までは達していないようだ。

 さらにダメ押しとばかりにギガスの耳穴に銃弾を撃ち込む小鳥遊。

 体格差からすると虫にさされるようなダメージに過ぎないが、それでも神経の多く通った敏感な部分に、高温の銃弾を撃ち込まれてはたまったものではない。

 ギガスの顔に苦悶の表情が浮かび、大きく跳躍する。

 小鳥遊が舌打ちした。

 次は耳を聞こえなくしてやるつもりであったため、跳躍して距離を取られるのは困るのである。

 ギガスが着地する。地面が大きく揺れ、小鳥遊はバランスを取るため、片膝をついてその場にとどまった。

 ギガスが腕を振り回し、周囲のビルを薙ぎ払う。

 幸い、距離を取っているため、小鳥遊は瓦礫の降り注ぐ範囲の外であった。

 それでも、飛来物に気を付けながら立ち上がり、ギガスを見据える。

 ギガスが、瓦礫篇を掌に握る。

「動くな、大人しく潰されろよ、虫けら」

「そんな言われ方をした聞くと思うかい?」

「思うね。お前が避けるのなら、次はこの瓦礫をあっちの街中へと投げつける」

「――テメェ、下らん真似してんじゃねぇよ」

 ギガスが混乱の渦中にある都市部を指さす。

 この巨人が瓦礫片をそちらに投げつければ、どれほどの被害が出るか。

 空から降り注ぐ人間大の瓦礫片、災害といっても過言ではない。

「俺にそんな脅しが通じるとでも思うのか?」

 小鳥遊が拳銃(リボルバー)をギガスへと向ける。

「お前みたいなヒーローはこういう状況になるといつも動けなくなるんだろう?」

「………」

 無言。しばしの時が流れ、小鳥遊が銃を下ろした。

 にたり、と嗜虐的な笑みをギガスが浮かべ、腕を振り上げる。

 ぎりっと、小鳥遊が歯を食いしばる。

 考えろ、考えろ、考えろ。

 まだ何か手はあるはずだ。

 あの瓦礫が投擲される前に仕留めきれれば、助かる。しかし、そのために必要な火力が小鳥遊にはなかった。

 魔弾は軌道こそ自在に操れ、必中の一撃ではあるが、威力自体は通常弾と大差ない。

 弾切れの心配なく撃ち続けることはできるが、しかし、いま必要なのは弾数ではなく威力である。

 ならば、なにか手はないかと周囲を見渡す。爆発物でもあれば有効打になるかもしれないが、視界に映る中にはありそうにもない。

 もし、赤ずきんが傍にいるのなら、小鳥遊が牽制を入れ、その隙に赤ずきんが有効打を繰り出せたかもしれない。

 ここまで考えたところで、赤ずきんがいること前提の思考をしていることに気付き、小鳥遊は仮面の下で笑う。

「まったく――」

 いつから、あいつがいるのが自然になったのやら、と、肩を竦めた。

 ギガスの投擲が放たれる。

 視界の端に一条の白と黒の閃光が見えた気がした。

 

 

 死とは生命を燃やし尽くす劫火のようなものではある、とは誰の言葉だったか。

 顔見知りのヒーローの言葉だった気もするし、敵対したヴィランの言葉だった気もする。

 ゆっくりと動く時間の中で小鳥遊は場違いな言葉を思い出していた。

 しかし、小鳥遊に言わせるならば死とは深夜の海原でおぼれるようなもの、だと思う。

 薄い星明りの中、周囲には何もなく、得体のしれない海底へと沈んでいく。

 必死にそれに抵抗するが、やがて力つき、海原に沈み、そして痕跡すら残さず消え去るのだ。

 そうなってしまえば何も感じられなくなる。

 呼吸ができなくなるような苦しみも、殺してくれと懇願したくなるような痛みさえも消えてなくなるのだ。

 で、ある故に、痛みも恐怖も生きているものの特権である。

 走馬燈が走る。

 頭はこれまでの人生を思い返しながら、身体は勝手に動く。

 無駄だとわかりつつも、手近にあった尤も大きな瓦礫の後ろに転がり込み、身を伏せる。

 もはや賭けである。瓦礫を楯に身を伏せて被弾面積を下げ、当たらないことを祈るしかない。

「ああ、くそっ――」

 余りに不利な条件の賭け。であるゆえに、小鳥遊は楽しげに笑う。

 このような不利な賭けは小鳥遊が好むところで合った。

 瓦礫の影に隠れ、一秒、二秒、三秒――。

 いつまでも待っても来ない瓦礫片に、小鳥遊の頭に疑問符が浮かぶ。

 そろりそろりと、瓦礫の影から周囲を窺うと、

「まったく、なにやってんのよ」

 そこには白と黒のタイツにアイマスクをつけた、豊満な胸をした女性が浮かんでいた。

「まさか、お前に助けられるとわな、ワンダーガール」

「……どういう状況なの、これ?」

 彼女の名前はワンダーガール。

 地球の外からやってきたらしい異星人(ハービンジャー)であるらしいが、小鳥遊も詳しいことは知らない。

 基本的にお人よしであり、引き金の軽い小鳥遊とはソリが合わない。

 しかし、小鳥遊が殺される寸前であったため、介入し、助けてくれたようだ。

 彼女が受け止めた瓦礫片が転がっている。

「あの巨人といま戦っててな、ちょうど今死にかけたところだな」

「わかった、片付けてくるから動かないでね?」

「あー……ちょっと待ってくれ、あれは俺が倒すから、お前……ワンダーガールは周辺被害だけ止めてくれないか?」

「なにいってんの、たったいま死にかけたところでしょ。変な意地張ってないで、私に任せなさいよ」

「相変わらず人がいいな。……まぁ、なぁ、頼むよ。譲ってくれ」

 烏の仮面とワンダーガールがにらみ合う。

 ワンダーガールが振り向き、ふよふよと浮かび、この場を後にする。

「自分で言ったんだから、頑張りなさいよね」

「恩に着るぜ」

 そして、目にも止まらぬ早さでこの場から飛び去った。

 白と黒の閃光がどこかへと飛んでいく。

 小鳥遊が拳銃(リボルバー)を構え直す。

「さぁ、情けないことになっちまったが、仕切り直しと行こうじゃないか」

 そして、銃口をギガスへと向けた。

 

ああ、この虫けらが、とギガスが苦虫を潰したかのように顔をしかめる。

 幾度と潰そうとしようがなかなかつぶれず、うろちょろとするサマはまるで小蠅にまとわりつかれるかのような鬱陶しさがある。

 こいつも握っただけでつぶれるような脆弱さしかないくせに、生意気にもほどがある。

 ――俺に今まで敵なぞいなかった。

 どいつもこいつもちょっとつまんで握れば、それだけでつぶれるような虫けらと大差なかったはずだ、とギガスは思う。

 それにケチが付き始めたのは、あの赤ずきんと出会ってからである。

 あの赤ずきんはギガスを容易く投げ捨てたかと思うと笑いながら殴りつけ、助けてくれと懇願する彼を無視して殺しにかかった。

 周囲が必死に引きはがしたことでなんとか一命をとりとめたものの、それ以来、ギガスの心には拭い難い屈辱が刻まれたままであった。

 俺には敵などいなかったはずだ、それなのに自分が赤ずきんに懇願して命乞いしたことが屈辱でたまらない。あの時のことを夢で見て、汗だくで起きるような日々はもう嫌だ。

 だから、あの赤ずきんが執心するコイツ(レイヴン)を先に殺して後悔を味合わせた上で、ピネローに負傷させられた赤ずきんを殺してやろうと思っていたのに。

 ペッと、ギガスが忌々しそうに唾を吐いた。

 ちょこざいな、とギガスは苛立ち、足を上げ、踏みつけ、地響きを起こす。

 揺れた大地に、小鳥遊がぐらつきバランスを取る。

 その隙を逃がさず、ギガスはとにかく周辺の建物をがむしゃらになぐりつけ、その破片をまき散らす。

 駅前だけでなく、裏通りや商店街の方にも破片が飛んでいくが、そちらは白黒の閃光となったワンダーガールが防いでいく。

 小鳥遊はマントを翻しながら、頭上に注意し、避けていく。

 細かい破片には被弾しつつも、危ういながらも致命的な瓦礫は避ける。

「どうした! もっと力を出してみろ! 全力で俺を殺しに来い」

 瓦礫片の合間を縫っては放たれた弾丸が、無残に鉄骨を晒しているビルの骨部分に当たり、傾斜をつけてギガスの耳へと突き刺さる。

「っっっ!?」

 熱せられた鉛玉が耳に突き刺さり、地団駄を踏んでいたがるギガス。

 彼が地面を踏みつけるたびに烈しい揺れが発生するが、小鳥遊は慣れてきたのか、バランスをうまくとる。

 目ざとく周囲を見渡し、ビルの屋上についている看板が外れかかっているのを見ると、そこを銃撃、看板を落とす。

 それはギガスの足の甲に突き刺さる。質量のある看板が、ギガスと同じぐらいの高さである6階建てのビルが落ちたのだ、流石の巨人もタダでは済まないようだ。

 足の甲半ばまで突き刺さったそれを足を振り抜き、小鳥遊へ飛ばすが、小鳥遊は難なく避ける。

 高速かつ立体的に移動する赤ずきんの挙動に比べれば、余裕を持って避けることができる

 

 小鳥遊が3発、傷口に銃弾を撃ち込む。

 傷口を刺激され、ギガスが絶叫を上げた。彼の脳内に一瞬、アレを使うかと迷いが生じるが、すぐに振り払う。あれは切り札であり、まだ使うときではない。

 ギガスが足で周囲を薙ぎ払う。

 距離があったため、小鳥遊は後退し、避けることができた。

 そこへギガスが大きく息を吹きかけた。

 突風と変わらない強烈な息吹は小鳥遊の身体を容易く浮かび上がらせ、ビルへと叩きつける。

 そこへギガスが踏み込み強烈な殴打を繰り出した。

 落ち行く小鳥遊が、割れた窓の冊子を掴む。

 硝子がぱきり、という音を立て、手袋に突き刺さるが、歯を食いしばって我慢した。

 足を振り勢いをつけ、窓冊子にひきつけるようにして体を投げ、辛くもギガスの一撃を回避する。

 小鳥遊が口笛を吹いた。

 そのまま、拳と交差するように空に身を投げ出す。

 そして、ギガスの腕へと飛び乗った。

 一歩間違えればそのまま地面へと叩きつけられ死亡していたであろう。

 虫けらが、とギガスが不快げに手で小鳥遊を掃う。

 まるで虫を払うような動作であった。

 しかし、それは慢心が過ぎた動作であっただろう。

 これまで有効打が少ないため、油断していたかもしれない。

 掃われるよりも早く小鳥遊が腰のホルスターに入っている拳銃(リボルバー)を抜いた。

 打ち出された弾丸は誤らず、ギガスの残った目へと突き刺さり、ギガスは光を失った。

 ギガスの一撃を受けた小鳥遊は宙に放り出される。

 しかし、ギガスが巨大すぎたのが幸いして、地面に叩きつけられる前にビルにぶつかり、割れた窓から中へと入ることができた。

 そして、即座に出てくると、そこに巨人の姿はなかった。

「……あん? どういうことだ」

 仮面の下で、小鳥遊が眉を顰め、訝しがんだ。

 

 

 巨大化する超人(サイオン)と周囲には思われているギガスであるが、実は逆に縮小も可能なのである。

 ギガスは小鳥遊に両目を潰されたため、10センチほどに縮小し、逃走へと舵を切っていた。

 周囲は見えないが、ここまで小さくなればあとは瓦礫片の間に隠れていれば見つからないはずである。

 根が合わない歯、ばくばくとなる心臓がうるさい。

 しかし、この騒動が終わり、なんとか本部に辿り着くことができれば、再生手術で目をも再生することはできるはずだ。

 ならば、いまは何としても生き延びることだ。生き延びれば俺の勝利だ、とギガスはほくそ笑んだ。

「なるほどな」

 小鳥遊の声が聞こえる。ギガスの心臓が跳ね上がる。

 だが、ギガスがどこにいるかはわからないはずである、赤ずきんのような超感覚を小鳥遊は持っていないはずである。

 しかし、小鳥遊は迷わずまっすぐとした足取りでギガスがいる瓦礫片へと歩いていく。

 いや、小鳥遊は気づいていないはずだ、こちらへ来るな、とギガスは念じる。

 真っ暗な中、音しか聞こえないのがもどかしく、怖い。

 嫌な想像が頭を駆け巡る、もし、自分の位置がばれていたとしたらどうしよう。

 巨体から縮小化までは瞬きよりも早く行える。

 であるから、あのタイミングで行えば、誰に気付かれるよりも早く小さくなり隠れることができたはずだ。しかし、もしかしたら宙を飛んでいたワンダーガールが見ていて教えたのかもしれない。

 いや、まさか、とギガスの思考は堂々巡りする。

 見つからないようにと、なににでもなく必死に祈った。

「お前、意外と器用だな」

 しかし、祈りは届かない。

 あっさりと瓦礫片をどけ、ギガスを発見する小鳥遊。

 小鳥遊の悪心感知はいくら大きさが変わろうとも問題なくギガスの悪心を感知していた。

 分厚い肉の様な匂い。

 銃口をギガスへと向け、ふと、あらぬ方向を向く小鳥遊。ふと、薄く柘榴の匂いを感じた。

 黒い拳銃(リボルバー)が爪のように光り、小鳥遊が視線を戻す。

 銃口をギガスへと向け打ち込む。

 しかし、その弾丸はギガスへと当たるも弾かれた。

「おお??」

 続けて連射。しかし、弾丸はとおらず、ギガスは弾かれた様に宙を舞い、離れたところで着地。必死に逃げ出した。

 小鳥遊がその周囲に銃弾を撃ち込み、誘導する。

 弾丸そのものは効かないが、盲目状態で周囲に撃ち込まれた際に発生する音は問題である。

 正直、身が竦み、思わず、音の発生場所から距離を取ろうとする。

 ギガスの縮小化は、その巨体を一気に縮小することで、巨大な質量をも圧縮して縮小するため、並大抵の攻撃は皮膚を通ることすらできない。

 ある意味、巨人化しているときよりも堅牢な防御能力を誇っていた。 

 自らの身体に弾丸が通らない事がわかったギガスがにやりと笑い、逃走を開始する。

 攻撃が通らないなら問題ない、逃げ切ってやると、ギガスが走り出し。

「チェックメイト」

 ギガスを誘導していた小鳥遊が意地悪く笑った。

 その目前にひらり、ひらりと見覚えのある姿が舞い降りる。

 赤い頭巾に、身体に巻かれたベルト。

 ふわりと翻るスカート。

 金色のふんわりとウェーブのかかった髪。

 爛々と輝く瞳。

 甘い、甘い美味しいそうな柘榴の香り。

 ビルの屋根を伝い、飛び越え、小鳥遊の目前へと降り立った。

「あれ?」

 赤ずきんが首をかしげ、足をどける。

 その下には虫けらのように踏みつぶされたギガスの姿があった。

 

 

 小鳥遊が溜息をつき、手袋を外す。

 硝子で切り裂かれた手袋の下からはぱっくりと裂けた手が現れる。

 服の下に纏っている装甲も各部が凹んでおり、場所によっては砕けて役割をはたしていない箇所もあった。

 しかし、

「まぁ……幸運なほうだな」

 戦闘が終わりアドレナリンの分泌が途切れだしたのか、体中から痛みを感じ出す。

 身体の各所に熱い痛みを感じる、痛みを感じるというはことは生きていることだ、と小鳥遊は思う。

 今回はワンダーガールに助けてもらわなければあの時点で死んだいただろう。

 再び、安堵から溜息を1つ。

 小鳥遊は背後に手を回し、包帯を取り出すと、手に巻きだす。

 傷がすぐに治ることはないが、それでも大分マシなはずだ。

 赤ずきんは小鳥遊の手をジーっと見て。

「ねぇ、大鴉(レイヴン)。その傷、ぎゅーっとしちゃダメです?」

「されてたまるか、痛いわ」

「もっと痛がってほしいなって」

「それで頷くが阿呆いるかよ……。それよりあの鉄仮面の男はどうした?」

「んー」

 くんくんと赤ずきんが鼻を動かす。

「ピネローの匂いがしますから逃げてると思いますよ」

「お前の鼻すげぇな。……ところで、どっちに逃げてるかわかるか」

「はい!」

「なら、そいつを見える位置まで俺をつれていってくれ。

……落とし前をつけてやる」

 ギガス戦の時にちらりと見えたピネローの所業。

 セカンドカラミティの際に両親を亡くし、以来、一人で生き続けてきた小鳥遊にとって、故意に親子を殺すピネローの所業には思うところがあった。

「はーい」

 赤ずきんが小鳥遊を担ぎ上げる。

 小鳥遊に対して配慮のないその行為は、ちょうど小鳥遊が痛めているところに赤ずきんの肩があたる。抗議してやろうとおもったが、あまりの苦悶に小鳥遊を声をあげることができなかった。

 

 

「あれです!あれ!」

 赤ずきんが指をさした先には、背中から金属製の翼を広げブースターで飛ぶ何かが見えた。

 小鳥遊は目を細めて、よく見ると先ほどモニターで見た鉄仮面が見えた。

 悪心感知を発動させ、彼の悪行を一覧する。

 親子を攫い、子を救うためという名目で、親同士を殺し合わせたり、悪事を働かせていたようだ。

 現在の本拠地にはいないようだが、別の支店にまだまだ拐された人物がいるようだ。

有罪(ギルティ)だな」

 そして、小鳥遊が拳銃(リボルバー)を構えた。

 彼我の距離はキロをすでに超えている。

 拳銃の有効な射程距離は50mほどと言われているため、完全に射程の外だ。

 しかし、それは通常の拳銃だった場合である。

 

 魔王や悪魔という存在は契約を交わして力を課し、対価として代償をいただく存在である。故に悪心を狩りの魔法に捧げるという代償の代わりに与えられた、確実に当たる弾丸――即ち魔弾はその常識の外にある。

 もし、これが最後に放たれる7発目の弾丸であるのならば、それは狙いを誤らず確実に大事な人の命を奪う呪いとなるだろう。

 されど今から放たれるのは普通の魔弾も十分に常識から外れた代物である。

 小鳥遊が放ったそれは狙った位置に、狙い誤らず飛来した。

 

 

「まったく、何という日だ」

 赤ずきんに顔を剥がれた恨みを晴らしてやろうといくつか策を練っていたというのに、それらすべてを真正面から力押しで突破されるとは思わなかった。

 赤ずきんはピネローが思うよりもはるかに怪物であったのだ。

 まぁよい、一度帰還して、次の方法を――と考えていたピネローに異変が起きる。

 背後から着弾した弾丸がピネローを穿ち、そのブースターを破壊する。しかし、その魔弾は動きを止めず、さらに宙を駆けると、ピネローの鋼鉄の義手の関節を穿ち、そして、そのままの勢いで義足の関節部分を破壊した。

 推進機とバランスをとる方法を喪失し、錐揉み状に墜落するピネロー。

 繁華街の裏道に墜落した彼は強かに全身を打ちながらも、まだ息があった。

 歯車が周囲に散らばり、発条が飛び出て、オイルが全身から漏れている惨状であるが、これも全身を義体化した恩恵であろうか。

「いっ……たい、なに……が……?」

 しかし、何が起こったかわからないようで、疑問符を浮かべながら、周囲を伺っている。

 足音が聞こえる。

 見ると、全身が膨れ上がった異形や毛むくじゃらに鍵爪の生えた怪物が彼に近づいてきている。

 化合物Xで異形化し住人達であろう。

 それはもはや人としての理性はない。

 故に、新たに発見した獲物に対して鍵爪を振り上げ――

 路地裏に絶叫が響き渡った。

 

 

「お前はそこで朽ち果てろ」

「あー、酷いことになってますね。ボクもしたかったです」

「見えるのか?」

「はい! ピネレー君がどんどん無残なことになってますけど、なかなか死ねないみたいです。機械の身体になったせいでしょうか」

「ふーん、‥‥…まぁ、当然の報いってやつだな。さて、一休みしたら奴らの本拠地へ向かおうぜ」

「あれ、場所がわかるのです?」

「さっき、“見た”からな」

 ピネレーの悪心を閲覧した時に、現在の本拠地が見えた。

 あの場所なら小鳥遊は知っている。

 ふよふよとワンダーガールが小鳥遊達のほうへ飛んできているのが見えた。

 ピネローの他の犠牲者の救出はワンダーガールにでも任せることにして、とりあえず、今は休むことにした。

 

 



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『8話 Q.――――――』

 

 日は高く昇り、騒乱はまだまだ止みそうにない。

 ビルの屋上から下界を覗いてみると、異形化した人員を相手に整列した機動隊の面々がポリカボネート製の盾でを壁を作りなんとか押し返している。

 耳を澄まさずとも、遠くで新たに乾いた発砲音が聞こえる。

 悪意も敵意も混じり合いすぎていて、把握するのも困難だ。

 轟音が響く、捕まっている手摺が僅かの震え、どこかでまた爆発が起こったのか、と小鳥遊は思った。

「それで、これからどうするの?」

 ふよふよとわずかに上下しながらワンダーガールが宙に浮いている。

 彼女は手のひらサイズの携帯電話を腰のポーチに戻しながら、小鳥遊へと尋ねる。

 まさか不倶戴天の相手であるワンダーガールとメールアドレスの交換をする時が来るとは思わなかった、と小鳥遊はスマートフォンを腰元のポーチへと戻した。

 よく壊れてなかったな、と小鳥遊は自分のスマートフォンに感心する。

 ばっさばっさ人を殺す小鳥遊と基本的に人死にを嫌うワンダーガールでは、根本的なところで合わないのである。

「俺はさっきった通りヤツラの本拠地に乗り込もうと思う。お前はピネロー……あー、くそ野郎がかどわかした人達の救出とか頼むわ」

 あと、ガーディアンシックス(G6)とかへの報告もなー、と付け加えた。

 ガーディアンシックス。

 超人(サイオン)改造人間(サイオン)魔法使い(ミスティック)機械使い(テクノマンサー)旧人類(ジャスティカ)異邦人(ハービンジャー)などなどに分類されるヒーローたちの代表で作られたヒーローチームである。実力はあるのだが、いかんせん数が少ないため、頻発する悪党(ヴィラン)の被害に後手に回っているのが現状だ。

 それでもヒーローたちの顔として深く認識されており、ヒーローと一般的に彼らを指し、在野のヒーローへの影響力も強い組織であった。

「まぁ……いいけど、死なないでよね。あなたみたいなのでも、死なれると気分が悪いんだから」

「むしろ、死んだほうが、これから出る死人が減ったんいいんじゃねぇのかな?」

 小鳥遊はくつくつと笑う。

大鴉(レイヴン)が死んだがボクが困りますよ。もっともっと遊びたいんですから」

「間接的に死ねっていうのやめろよ?」

 小鳥遊が自らの腹を摩る。

 もしワンダーガールが一度庇ってくれなかったら、死んでいたことだろう。

「……そういえば、聞きたかったんだけど、その子は誰なのかな」

「赤ずきん、だ。こいつが俺のところに押しかけて来たことがそもそも始まりなんだよ」

「え、大鴉(レイヴン)が誘拐したんじゃないの?」

「お前は俺がそんなことするように思うのか?」

 こくこくとワンダーガールが首を縦に振る。

 小鳥遊は頭を抱えた。このお人よしがそう思っているということは他の奴等はいわぬもがなである。

「いいか。俺は変態でもないし、誘拐するぐらいならさっさと撃ち殺してるからな」

「いや、誘拐も殺人も両方おかしいからね」

「そうですか? ボクは撃ち殺したり殺されたりする方が楽しいと思いますよ」

大鴉(レイヴン)、この子なんなの……?」

 物騒な物言いの赤ずきんに、ワンダーガールは目を白黒させている。

「頭がおかしいんだ、そっとしておいてやれ」

大鴉(レイヴン)、女の子はそれにひどいと思いますよ?」

 それに、と赤ずきんが付け加える。

「そろそろ行きません?」

 ちらりと赤ずきんがワンダーガールを見る。

 赤ずきんにしては珍しいじとりとした視線を受けて、ワンダーガールが不思議そうに眼をぱちくりとしている。

「な、何なの?」

「べっつーにー……です」

 っぷい、と赤ずきんが顔を逸らし、小鳥遊の裾を引っ張った。

 小鳥遊が面倒そうに視線をそらし、溜息を一つ。

「……俺達はそろそろ行くが、そっちはどうするよ、ワンダーガール」

「……私は救出と、この騒動を止める方に動こうと思うわ。また会えるかわからないけど、どうかあなたも無事にいてね、大鴉(レイヴン)

「あいよ。そっちもな」

 そして、ワンダーガールはあっという間に飛び去った。

 彼女の速度は隼もかくやというほどで、長くきらめく黒い髪をなびかせながら、ビルの下の争乱に加わり、瞬く間に異形化した人々を止めていく。 

 大きく息を吸ったかと思うと、相手を凍り付かせる息を吐き、誰かがビームを放出すれば同じく目からビームを撃ち返し、はたまた、高速で回転して竜巻を起こして一気に巻き上げていく。

 この分なら遠くないうちに、下の鎮圧は終わるだろう。

 小鳥遊がひとつ息を吐いた。腹部の痛みは止まらないが、事が終わるまでは問題なく持ちそうだ。

 赤ずきんがつまらなそうに下を見ている。暴力的な状況で彼女がそのような態度でいるのは珍しいものである。

 小鳥遊の裾を赤ずきんがひっぱり、

「ねぇ、早くいきましょう。ボクはみんなで遊びたいです」

 小鳥遊は片目を閉じて、先ほど悪心感知で読み取ったことを思い出す。

 彼の悪心感知は、悪心を五感で見たり読んだり舌で転がしたりできるが、同時に相手の記録を読むことも可能である。

 それでピネローの記録を読み取ったわけである。

 読み取った記録のうち、ここに来る前に居た、山奥にある寂れた山荘。

 恐らくは資産家のものと思われる豪邸、そこにザ・カーニバルの面々が陣取り、荷物などを運び込んでいた。

 推測であるが、そこを今の本拠地にしているのではないかと、小鳥遊は思う。

「ま、あとはいってみて、だな」

 確証はない。しかし、何の確実な手がかりがない以上、直接行ってみるしか手はなかった。

 

 

 赤ずきんに抱えられ、ビルの上を伝い、山の中へと入り、コンクリートで作られた山脇の道路や木の上を大きく飛び跳ね、小鳥遊達は悪心感知で覗いた山の奥へとやってきた。

 傾斜の大きな山面から、中腹ほどにある平地に設置された大きなテントを見ている。

 ここから周囲を見渡すと、反対側の山にある山頂へと至るロープウェイのワイヤーがおぼろげに見える。

 本拠地と断定したものの、確実にこの場所が本拠地という確証はなかった。

 しかし、ピネローの心の中を覗いたときに様々な物資や化合物Xを保管しているらしい場所はここのようだ。

 場所の通報自体はワンダーガールから伝わると思われるので、小鳥遊達は落とし前を付けることを優先することにする。

 少なくとも小鳥遊と赤ずきんに執着しているのは、ザ・カーニバルの一派である大祖母(グランマ)のはずだ。故に、大祖母(グランマ)さえ討てば、当面はザ・カーニバルの目から逃れることができる。はずだ。

 もしできないのであれば。

「なぁ、赤ずきん」

「なんですか?」

「もし、あいつら手を引かなかったら」

 赤ずきんが首をかしげる。

「あいつらが全滅するまで一緒に殺しまわろうな」

「! はいです! いっぱい殺して遊びましょう」

  やっぱり大鴉(レイヴン)と一緒にいると楽しい、と赤ずきん。

 誰に祈るかはわからないけれど、できれば、ザ・カーニバルのみんながこれであきらめなければいいな、と願う。そうすれば、大鴉(レイヴン)と一緒にみんなで遊ぶことができる。  

 赤ずきんの顔が自然とほころんび、大きな裂傷の入った手を撫でた。

「おかしいな……」

 小鳥遊が首をひねる。

 彼の持っている異能の1つ悪心感知。

 人の悪なる心を感じ取る異能であるが、それを用いても、あのサーカスの中から悪心を感じることができない。

 赤ずきんが狼の耳をぴくり動かし、耳をすまし、鼻をくんくんと鳴らして、んー、と考え込む。

「何も感じ取れない、か?」

大鴉(レイヴン)もですか。ボクの耳や鼻でもだれがいるかわからないです」

「もぬけのからなのかねぇ……」

「わからないです。入ってみますか?」

「物は試し、立ち往生しててもしょうがねぇしな」

 誰もいなくても何かの手がかりがあるかもしれない、と二人はテントにむかう。

 ぬかるんだ地面を踏みしめ、青い匂いの草を踏みつけ、テントが張られている平原に足を踏み入れ――

「どういうことだ……?」

 瞬間、小鳥遊は一人でテントの中にいた。

 

 

 薄暗い、赤いテントの下。

 小鳥遊はステージの上に立っており、周囲は木の板でできたリングとなっている。

 木の板には楽しげに風船を配るピエロの絵と、それを笑顔で受け取る子供たちが描かれており、板から隔離された後ろには観客席がステージを囲むようにしてすり鉢状に配置されている。

 この意味が分からない状況に対し、小鳥遊の動きは迅速だった。

 小鳥遊は身を低くしたかと思うと、地面を転がり、木の板の傍まで近づくと、身を低くしたまま、銃を出現させ、周囲を警戒する。

 赤ずきんは――いない。

 意味が分からないものの、どうやら赤ずきんと小鳥遊は分断されたようだ。

 立体映像(ホログラム)? 瞬間移動? 亜空転移?

 疑問が頭をかけぬけるが、確証は出てこない。

「あんまり警戒しなくてもいいですよ?」

 と周囲を警戒する小鳥遊に優しげな声がかけられる。

 小鳥遊は声の方向に向かい、銃口を向けた。

 悪心感知ではなにも感じ取れなかった。どういう絡繰なのか、小鳥遊は仮面の下で眉を吊り上げる。

 団員が入場するためにあけられている門、その近くに人影が見えた。

 それは手摺の先にある球体に手を置き、介助人もいないのにひとりでに動く車椅子に乗っている妙齢の女性であった。

大祖母(グランマ)か」

「はい、私は大祖母(グランマ)と呼ばれています。初めまして、というべきでしょうか、大鴉(レイヴン)

 大祖母(グランマ)大鴉(レイヴン)は面識がないわけではないが、落ち着いて話したことは皆無である。

「何のようだ?」

 銃口を大祖母(グランマ)に向けつつ、背後や団員が隠れることができそうなところを警戒する大鴉(レイヴン)。  

 普段なら悪心感知で隠れていても気づくのだが、今は悪心感知が正常に機能していない以上、それに頼るのは危険であろう。

 何の用かは知らないが、こうして大祖母(グランマ)がでてきた以上、彼女は囮の可能性も高い。首魁みずから姿を現すことで視線を誘導し、その隙に団員に囲まれて袋叩きにあったらたまらない。

 しかし、大祖母(グランマ)は特に意に介した様子はなく、むしろ、自然体そのものといったように、手を組み、にっこりと笑い、

「お話をしましょう。私はそのために出てきました」

「………はぁ?」

 唐突に申し出る。

 それに対して小鳥遊は困惑したように声をあげた。

 



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『9話 ――――――Answer』

 きぃっと音がする。

 車椅子を操作し、大祖母(グランマ)が小鳥遊の元へと近づいてくる。

 小鳥遊は油断せずに銃口を向けたままだ。

「それでは――」

 乾いた発砲音。

 大祖母(グランマ)の胸元に穴が開く。

 続けて三発。

 胸に2発、頭に1発。

 小鳥遊の掲げる拳銃(リボルバー)の先端から白煙が上がる。

「ふぅ、赤ずきんでも探すかな」

 だらりと糸が切れたように前かがみとなった大祖母(グランマ)に背を向けて、テントの中から歩き出す小鳥遊。

「乱暴ですね。せっかちさんは嫌われますよ?」

 しかし、背後から穏やかな声が聞こえたため、急いで振り返り。再び発砲。

 銃弾を浴びた大祖母(グランマ)が僅かに動き、そして、やれやれと首を振る。

 彼女は自らの頭脳に指をさしこむと、赤い血を垂らし、白い脂肪を除け、ほのかに桜色をした脳をくちゅりくちゅりと描き分けながら銃弾を摘出した。

 徐々に閉じゆく体の傷。

 顔にかかる白く濁った――おそらく脳漿を払いのける。

 黒い喪服には臓器の一部がついているが、気にしていない。

 彼女は溜息をつきながら、胸の傷に指を伸ばす。

「話をしましょう。私もあなたも人間でしょう。人間は話をするものです。違いますか?」

「俺もお前も獣みたいなものだろう? 獣の言語なんざ一つだけさ」

「あら、獣もきちんとコミュニケーションをとりますよ。サーカスですから、いくばくかのペットがおりますからよくわかります」

 そうかい、と返し、小鳥遊は沈黙する。

 赤ずきん曰く、大祖母(グランマ)は再生能力者らしい。

 赤ずきんがぐちゃぐちゃにしても死ななかったらしいが、どうやら誇張ではなく本当にそのレベルで肉体を再生できるのようだ。

 大祖母(グランマ)はいともたやすく肉体を裂き、弾丸を摘出している。彼女は痛がってる様子が見せないため痛覚が働いてるかも怪しいものである。

 そりゃ、赤ずきんが飽きるはずだと、小鳥遊。

 あの赤ずきんは苦痛を好む。破壊も大好きなようだが、反応が薄い相手を壊し続けるのは楽しくないのだろう。

「それで、はなしってなんだ?」

 火力が足りないことを悟り、良い考えが浮かぶまで時間稼ぎに、小鳥遊は会話を続けることにした。

「ええ、簡単な話です。―――、大鴉(レイヴン)、あなた家族になりませんか?」

「は?」

 大祖母(グランマ)の言葉に小鳥遊は一瞬呆ける。

 余りにも予想外な言葉であった。

 悪心は感知されない。しかし、いま、この感覚を信用しすぎることはできない。

「あそこまで赤ずきんが懐くのは珍しいことです。ですから、あなたと赤ずきん、ともに家族になりましょう」

「おいおい、頭が湧いてるのか? 俺はお前の家族を散々ぶち殺してるんだぞ?」

「ええ、そのことについては罰を受けてもらいます。もちろん家族が死んだことは悲しいですよ? けれど、それよりもまずに生きてる家族のことを考えるべきでしょう」

 大祖母(グランマ)がにこりと笑う。

 名前にそぐわない若々しい彼女は、無邪気に笑った。

「ですから、赤ずきんとあなたが家族になってもらえればそれだけで多大な戦力なります。ですから、ほら、家族になっていただけないでしょうか?」

「むしろ、家族になってもらえると思ってる方がびっくりだぜ……」

 小鳥遊が呆れる。

「どうしてです?」

「どうしてもくそも、俺達は敵対してるんだろうが」

「家族になっていただけるなら、私たちが全力で守りますよ。それに」

 あなた、と大祖母(グランマ)は軽く唇に指を当て

「赤ずきんのこと、好きでしょう?」

 と小鳥遊を指さして言う。

「ほぉ? どうしてそう思うんだ?」

「はて、好きというのは言い過ぎかもしれませんが、好意を覚えてるのは確かでしょう」

「それについては否定はしないが……」

 やっぱり、何も考えず撃ち殺すべきだろうか、小鳥遊は徐々に引き金を絞り始める。

「そもそも、私たちは異形が生きるために形勢された集団です」

 ザ・カーニバル。

 変人奇人怪人たちが集う奇妙な集団であるが、彼らは現代の社会に迫害された超人(サイオン)が集まり形成された集団という。

 故に、“普通”の人間を憎み、彼らを弄ぶような犯罪を繰り返しているらしいが……。

 小鳥遊がこれまでの面子を思い返しても、確かに、社会に適合できそうな人員しかいなかった。

 思い出すのは赤ずきんと、4本の腕をもったナイフ使いだ。

 真面目そうな女ではあったが、あの容姿ゆえに集団からはじき出され、ザ・カーニバルまで流れ着いたのだろう。

「それはあなたもそうでしょう?」

「ふざんけな、俺はまともに生きてるわ」

「これまでは、でしょう? これからはどうしますか、あなたの顔は知れ渡っています。これまでのように単独で姿を隠すのは難しいですよ」

「やったやつが言うなよ」

「はい。ちょっと悪戯させていただきました」

 にっこりと大祖母(グランマ)が笑顔を作る。

 年にそぐわない邪気のない笑顔であった。

 むかついたので、一発、小鳥遊が発砲する。

 トマトを潰したようにグランマの身体が弾けるが彼女は気にしていない。

 まるで水をつついてるみたいだな、と小鳥遊は思った。

「しかし、時はもう戻せません。あなたの顔は知れ渡ってしまいました。それにあなたが単独で姿を隠そうとするのは後ろ盾がないからでしょう」

「………」

「あなたを守る者はあなただけです。ですから、あなたは身元を徹底的に隠さなければならなかった。しかし、これからはそれができない。

 だから、私たちがあなたを守りましょう」

「……なんで、俺なんだ?」

「正確に言うとあなた自身がほしいというもありますが、それ以上にあなたがいれば赤ずきんを味方につけられる、というのが大きいですね」

 これまでの戦いにおいても赤ずきんは傷を負っていない。

 戦力として見るなら、これほど強い超人(サイオン)もそうそういない。

 ならば、小鳥遊達が今まで出した被害を流して、小鳥遊自身を抱えても二人を味方につけるだけのメリットが彼女にはある、と大祖母(グランマ)にはあるのだろう。

「それに、彼女は私の家族です。家族を心配して、幸せになってくれるなら手を尽くすのは当然でしょう?」

「なんで、そこまでやるんだ……?」

 狂的とまで言える大祖母(グランマ)の家族愛に、小鳥遊が疑問を呈する。

 自らを投げ捨てているともいえる献身的な大祖母(グランマ)ははっきりいって異様である。

 彼女の愛はいま生きているザ・カーニバルの面子へと向けられている。それが最優先のようだ。

「当たり前でしょう。私たちは社会に捨てられた。異様な能力を使えるといだけで、異常な姿というだけで。ならば、彼らを拾った私たちが見捨てたら彼らは何処に行けばいいというのですか」

 ですから、と大祖母(グランマ)

「私は彼らを愛します。彼らは私の大事な家族です。家族ですから守る。当然のことでしょう」

 と、彼女は言った。

 そして、小鳥遊へと手を伸ばす。

「さぁ、大鴉(レイヴン)。あなたも私たちと家族になりましょう。安心してください。赤ずきんと共に入れるように、あなたを改造して差し上げます。何度壊れても、何度も直してさしあげます」

 ですから、と

「私たちの家族になっていただけませんか?」

「今の話のどこに家族になりたいと思わせる要素があったんだ、度し難いぞ……」

 呆れたような小鳥遊の言葉に、大祖母(グランマ)がきょとんとした顔で首をひねる。

「気に入っていただけませんでしたか?」

「おっし、わかった、お前、赤ずきんの親だな。この話が通じない感じはまさしくあいつの親だ」

「あら……、そういっていただけると嬉しいですね」

 にこにこと大祖母(グランマ)

「馬鹿な子ほどかわいいといいますかね。直接的な血のつながりはないのですけど、なかなかいうことを聞いてくれなくて大変だったのですよ」

 大祖母(グランマ)は頬に手を当て、何かを思い出すように瞳を閉じる。

「けれど、比較的素直な子でもありましたから、結構言うことを聞いてくれるのですよ? 

けど、殺傷以外のことにあまり興味を示さないのが心配でしたから……ふふ」

 大祖母(グランマ)はゆっくりと息を吐く。

 赤ずきんの成長を見守ってきた彼女に取って、今までの時間を再び噛みしめ直しているみたいだ。

 若々しい女性ではあるが、もしかすると見た目通りの年齢ではないかもしれない。

 余りに強い再生能力を持つ彼女は老化すらもその能力で抑えきれてしまうのかもしれない。

 すくなくとも小鳥遊には赤ずきんの記憶を語る大祖母(グランマ)は、とても老成しているように見えた。

 いうならば、木陰でゆっくり本を読む老後の女性のような雰囲気だ。

「そういう意味では殺傷以外にも興味を持ってくれたことがうれしいのですよ」

「………」

 大祖母(グランマ)が笑う様子を見ながら、小鳥遊は今までのことを思い出す。

 気を抜けば殺しにかかる赤ずきん。

 楽しそうに敵をぐちゃぐちゃにしている赤ずきん。

 遊びと称して、木ごと潰しに来る赤ずきん……

 小鳥遊は首をひねった。

「逆に1つ聞いてもよろしいですか?」

「なんだ」

「あなたは赤ずきんのどこを気に入ったのですか?」

「気に入ったとか一言も言った覚えがないぞ」

「そうですか? ピネレーが持ち帰ったあの“ビル”の監視映像では随分と仲が良さそうでしたよ」

 どうやら小鳥遊が知らないうちに、仮面の男(ピネレー)があのビルにはいたようだ。

「教えてください。私は恋愛話とか聞くの好きなのですよ」

「…………」

 改めて問われ、小鳥遊が沈黙する。

 そもそも、小鳥遊が赤ずきんを気に入った理由は何だったのであろう。

 外見は良い。それは小鳥遊も認めるところだ。

 よく血まみれになる割にふんわりと良い香りがする不思議な彼女。

 波打つふわふわとした金色の髪。

 色素の薄い白い肌。

 あり得ない怪力を持っている割に感触は柔らかで、何より軽い。

 割とよく食べる割に、折れてしまいそうなほど細く、こいつ細すぎて大丈夫か?と小鳥遊はたまに心配している。

 しかし、その外見に惹かれたかと問われると首をひねる。

 外見は確かに良いのだが、その行動は危険すぎる。

 にこにこと笑って食事をしていても、突発的にフォークで刺してこようとするし、

 鍛錬中に後ろから狼の腕を伸ばそうとしていたことも1度や2度ではない。

 寝ているときにそーっと鈍器を持ち上げて忍び寄ってきたときは思わず拳銃を抜いた。

 他にも捕獲した敵の手足を折る……までなら許容範囲であるが、捕まえた敵同士を縫い合わせている姿は正直、引いた。

 改めて問われると問題行動しかない。

 さりとて小鳥遊が赤ずきんを嫌っているかと言われると、むしろ気に入っていると答えることができる。

 遭遇した時のころ合いから今までを思い出し、どうして気に入っているのか小鳥遊は自問自答する。

「―――ああ」

 そして、ふと思い至る。

「そうか。そうだよな」

 首を縦に振り、得心がいったように小鳥遊が一人納得する。

 大祖母(グランマ)は訳が分からず、困惑したように小鳥遊を見る。

「どうしたのです?」

「いや、俺がどうしてアイツを気に入ったか考えていてな」

 と、小鳥遊は言う。

 そういえば大祖母(グランマ)からも嫌な感じはしないな、と小鳥遊は場違いに思う。

 悪心感知を持つ小鳥遊にとって、他者に対する害意や悪意があればそれを敏感に感じる。

 相手が何をしていたかを見る場合は、疑似的に経験するように感じることが出来るが、普段の感知はむしろ、音や匂い、そして味に近い形の感知である。

 悪い心を持った相手特有の匂いを感じ、その心を味のように感じる。

 それはとても――不味いのだ。

 そういう意味では、大祖母(グランマ)は先ほどの話をしている間にも、そういう感覚を感じていない。すなわち、本気の善意で先ほどの度し難い話をしていたのだろう、と小鳥遊は思った。

 悪心が薄い、という意味では大祖母(グランマ)も赤ずきんもとても似ている。

 本当に親子みたいだな、と思わぬ共通点に小鳥遊は含み笑いをする。

 大祖母(グランマ)は不思議そうに小鳥遊を見た。

「ふふ、よろしければ聞かせてもらいたいですね。それとも、一目惚れでしょうか?」

 それはそれでロマンチックですね、と大祖母(グランマ)はにこにこと笑う。

「あいつさ、ある意味で嘘がないんだよなぁ……」

「といいますと?」

「まぁ、そのままの意味なんだけどよ」

 悪なる心。すなわち、悪心。

 他人に危害を加えようとする害意であり、

 だれかを陥れようとする悪意であり、

 何かを殺そうとする殺意であり、

 時に、行き過ぎた善意で相手の事情を省みない押し付けすらも範囲に入る。

 それぞれ味が違うものであるが、どろどろと煮詰まった、より濃ゆいものほど、下水が腐ったような腐臭とゲロと下痢を混ぜ合わせたような異様な味がするのである。

 反面、獲物を殺して得た時の悪心の味は不思議なものでこれまでの下水煮込みのような味から、爽やかな果物のような味へと変化する。どうしてそうなるかは小鳥遊にもよくわかっていないが、よくわからない原理があるのだろうと、小鳥遊は考えていた。

 しかし、それでも普段の味や匂いは筆舌に尽くしがたい不快なものである。

 例えば、小鳥遊が学校生活の中で一度、軽いイジメがあった。

 小学生ぐらいのときだ。クラスの女子の一人の荷物が隠され、それが学級委員会でとりざたされたのである。幸いにも沈黙に耐えれなかった女生徒の一人が主犯格の名前を零し、主犯格の少女が荷物を返したため、大事には至らなかった。

 が、それに参加した5人のうち主犯格を除く4人が、主犯格に責任を擦り付けた時の味といったら……。

 小鳥遊は思わず、トイレに駆けだし吐いてしまった。

 それからは、それよりも濃ゆい匂いや味の――そしてそれにふさわしい惨状――を見続けていた為に日常生活程度の悪心では動じなくなったものの、それが小鳥遊が悪心感知に耐えれなくなったはじめての記憶としてよく覚えている。

「たしかに赤ずきんは素直な子ですから、嘘をついたりは苦手ですね。そこが気に入ったのですか?」

「いや?」

 小鳥遊が首を振る。

 黒い衣装の上にペストマスクをつけているため、鴉が首を振るっているようだ。

「そういうのじゃないんだよな。なんつーか、純粋なんだよ」

 赤ずきんは殺意の塊である。

 赤ずきんから見て他者とは殺して傷つけて遊ぶものである。

 その上で構ってほしがり、遊んでほしがりであるため、他人と積極的に遊ぼうと――殺そうとしてくる。

 ある種、突き抜けている。あるいはそれしか機能が存在しないゆえに、純粋ともいえる少女である。

 故に、その混じりけのない心は小鳥遊にとって心地よいモノであった。

 他に柘榴に近い香りと、どことなく甘酸っぱい味がする殺意。

 あまりに清んでいるためか、他の悪心すらも塗りつぶして染めてしまう殺意。

「ああ、そうだよ。だから、俺はあいつを殺したい」

 殺して、

「殺して、あいつの悪心を刈り取って喰らいたいんだ」

「……おかしくはないですか? 共にいて心地よい相手を殺したいのですか?」

「はっ、……だからこそ(・・・・・)だ。俺は赤ずきんを殺して、あの美味しそうな悪心(つみ)を喰らいたいんだよ」

「―――ああ、初めてなんだ。初めて、人の悪心を自分で食ってみたくなった相手がなんだよ、あいつは」

 だから、常に共いた。

 常に共に居て、観察し、

 どうやって狩ろうかと考えていた。

「はははは、そうか、そういうことだったのか、我ながら度し難いなぁ。そりゃ、そうだ」

 腐臭と下水の中で生きてきた。

 それでも尊い光は多くて、それは嫌いではなかった。

 しかし、それでも飢えていたんだ、と小鳥遊は自覚した。

「あんなに美味しそうなやつは初めてだからな、そりゃ喰いたいに決まっている」

 砂漠に一人で、何日、何年も彷徨った先に湖をみつけたようなものだ。

 そんなものを見つけたら他のやつに渡したくはないに決まっている。

「ああ、それに大祖母(グランマ)、俺を死なないように改造する、だって?」

 は、はははは、と小鳥遊は笑う。

「いらねぇよ。いつ死ぬかわからないからこそ、楽しいんだろうが。命は一つで簡単に壊れる、だからこそ、それを賭けて、戦い、勝利した時が最高に生きてる感じがするんだろうが」

 予想もしていなかった応えなのか、しばしばと大祖母(グランマ)が目を瞬かせる。

 怪人集団であっても、ここまで外れているのは珍しいのだろうか。

「……見誤っていました。あなたが、そこまで壊れている人間でしたとは」

 基本的に小鳥遊は常識的である。

 そのため、このような心を秘めていたとは大祖母(グランマ)も予想外のようだ。

「さぁ、始めようぜ。大祖母(グランマ)。俺は赤ずきんを殺す。絶対に殺す。誰にも私はしない、アレは俺の獲物だ」

 小鳥遊が、2つの拳銃を構え直す。

 黒光する銃口はまるで爪の様に大祖母(グランマ)へと向けられた。

「もし、お前が家族を謳うのなら。家族を救いたいと願うのならば

 ―――俺から救って見せろよ、大祖母(グランマ)よ……っ!」

「……度し難い人」

 大祖母(グランマ)が車椅子に備え付けられた機能を発動させる。

 小鳥遊は二丁拳銃を構え、走り出した。

 

 

 

 そこは真っ暗な場所であった。

 高い視力を持つ赤ずきんの目をもってしてもどこまで続いてるかわからない闇。

 地面も真っ黒で、軽く踏み鳴らしても音は聞こえない。

「先ほどまで大鴉(レイヴン)と一緒にいた筈ですよね、オオカミさん?」

「Gau」

 ボロボロとなったフードに話しかけてみると、オオカミさんの声が帰ってくる。

 彼?もよくわかっていないようだ。

 すんすんと鼻を鳴らしてみるが、匂いは特にない。

 音も何もない静寂に満ちた空間。

 とりあえず、赤ずきんはとてとて、と歩き出してみる。

 手を前に出してみても何かに触れる感覚はない。

 温度は寒くもなく、あたたかくもない。

 ピネレー戦で服がボロボロの状態でここまで来たので、寒くないのは少しありがたかった。

 首をひねりながら歩いていると、暗闇の中に唐突に天幕が見えた。

 赤ずきんにはよく見覚えのある天幕。

 すなわち、サーカスのテントだ。

「…………?」

 首をひねって、テント幕の裏側に回ってみるが、そこには何もなく、ただ、闇が広がっている。

 どうやら正面から覗いた場合だけ、テント幕が見えるようだ。

 考えても仕方がないと、赤ずきんはテント幕を開けて、中へと入る。

 中は長いトンネルのようになっており、そこを通った先に1つの開いた扉が見えた。

 サーカスの団員が入場する入り口に酷似している。

 振り返ってみると、いつの間にか天幕は消えており、背後には真っ黒な壁しかない。

 じゃりっと、砂を踏みしめながら、赤ずきんが光に向って歩いていく。

 

 まず、目についたのは黒い服を羽織った男であった。

 彼はペストマスクに似た仮面をつけており、先端が二つに分かれた羽のようなマントをつけている。両手には拳銃(リボルバー)を握っており、装甲に覆われた車椅子を対峙している。

 次の瞬間、装甲車椅子の一部が開き、砲弾を発射した。

 ペストマスクの男に着弾し、彼はあっけなく全身が吹き飛んだ。

 赤ずきんの足元に彼の腕だけが、べちゃりと飛んでくる。

「え……」

 ぽかん、と赤ずきんが呆ける。

 その目前で、装甲車椅子が変形し、装甲が真ん中からぱかりと開き、車いすの後部へとしまっていく。

 中から大祖母(グランマ)の姿が現れる。

「おや、赤ずきん。あなたを誑かした相手は始末しましたよ。家出はここまでです」

 と、優しげな声で微笑みかけた。

 しかし、それを聞いているのか聞いていないのか。

 赤ずきんは生気の消えた瞳で、腕をぼうっと見た後、拾い上げる。

 大祖母(グランマ)は不思議そうに首を傾げた。

「……最後まで遊んでくれるって言ったじゃないですか、うそつき」

 自らでも不思議な喪失感に、自分でもよくわからず赤ずきんが腕を見つめる。

 赤ずきんは腹が立っていた。

 それが彼女自身でも理解ができなかった。壊れた相手なんて面白くもないから、放置してどこかにいくのが常だったはずだ。

 それなのに大鴉(レイヴン)の遺体を前にすると無性に腹が立つ。

 どうしてボクを置いて死んでしまうのです、と頬を膨らませる。

 けれど、何か違う。

 赤ずきんが口を開き、一口、小鳥遊の腕を齧った。

 血に塗れ砂利がたっぷりとついた服ごと、もぐもぐと咀嚼する。

 鉄の匂いと肉の柔らかさに混じり、じゃりじゃりと砂利の不快な感覚が口内に広がる。

 それでも、赤ずきんはもぐもぐと残った腕を食べていく。

 鋭い犬歯で肉を裂く。

 どろりと流れてくる血に唇をつける。

 大祖母(グランマ)の前であるため、啜るのは怒られるそうだから、舌でなめとり嚥下する。

 そして、少しずつ口に含んで、もぐもぐと食べていく。

「……ねぇ、大祖母(グランマ)。ボク、なんで猟師(レイヴン)を食べてるのでしょう?」

「私に聞かれても理由は判りませんよ、赤ずきん」

 困ったような、または引いてるように頬を引きつらせている大祖母(グランマ)

 赤ずきんは首を傾げ、自問自答しながら食事へと戻る。

 はむりはむりと食べていくと、やがて固い骨へと当たる。

 かみ砕くのは容易であったが、欠片が地面へ落ちるのがもったいなく思い、前歯で少し削っては仲の柔らかい髄を舌ですくって喉へと運ぶ。

 自分でも食べている理由はよくわからない。

 ただ残った是を誰かに渡すのは嫌だった。

 ただ、食べるだけならオオカミさんに任せれば一口で終わるだろう。

 しかし、それも嫌であった。

 できれば、自分で独り占めしてしまいたい。

 そう考えたところで、

「あ、そうか」

 

 ――他の人に渡しくないんだ。

 と赤ずきんは気づく。

 そう考えると、先ほどから腹が立っている理由は簡単であった。

 自分以外に狩人(レイヴン)が殺されたことに腹が立っていたのである。

 自分のこの手で、爪で大鴉(レイヴン)を殺してしまいたかった、そう、赤ずきんは後悔した。

 やがて、残った爪先の断面にそっと口付けして、

 一息でそれを口の中に放り込む。

 こきりこきりと味のしない爪を口の中で砕き、そして、呑み込んだ。

 冷たい鉄の味を名残惜しいように口の中で転がし、目を閉じてゆっくりと赤ずきんは味わう。

「うん、そうです」

 そして、大祖母(グランマ)の向かい合わせに立つ。

「ごめんなさい、大祖母(グランマ)。ボク、もうちょっと家出を継続しますね」

 ぺこりと頭を下げる。

「だから、行ってきます。あと――」

 ――大祖母(グランマ)はそんな顔しませんよ?

 と、言って、オオカミの腕を大祖母(グランマ)へと伸ばすと、一息に握り潰した。

 絶叫が響く。

 途端、景色ががらりと変わる。

 肩眼鏡をかけ、右側面からポニー状にした髪を垂らしている女性。

 彼女はザ・カーニバルの団員の一人、ピュグマだ。

 周囲には大小さまざまな人形が置かれており、無機質な瞳を赤ずきんやピュグマに注いでいる。

 此処は彼女の私室である。

「なんで……? なんで、心が折れないの? あなた、今まで簡単に壊れた相手なんて見向きもしなかったのに」

「………、なんででしょうね?」

 ピュグマの疑問に赤ずきんも首をひねる。

 その理由は彼女自身もよくわかっていない。

「けど、ピュグマ。あなたの幻術空間で見たのはさすがのボクもちょっとカチンと来てるのです」

 ピュグマの能力、それは幻想の空間を作り出し、そこに閉じ込める能力である。

 そこで心が折れた場合、永遠に精神が幻術の空間に閉じ込められてしまう。

 人形マニアである彼女は気に入った相手を幻術空間に閉じ込めて、心を折り、その身体を人形のように所有するのを好んでいる。

 だから、赤ずきんが執着している大鴉(レイヴン)が呆気なく死ねば、支えが折れると思ったのだが……当てが外れたようだ。

 

 赤ずきんが狼の腕を、ピュグマの身体ごと振り回し、部屋にある人形を破壊していく。

「やめて! やめてやめてやめて! 私の可愛い人形には手を出さないで!」

「あ、いい悲鳴ですね。もっともっとあげてください」

 足を人形にたたきつけられているため、ピュグマの脚は骨が飛び出し、酷いことになっているが彼女はそれを意に介さず、涙を浮かべながら、お気に入りの人形の傍へと這いずっていく。

 そこで自らを生人形の前に盾のようにかかげなが、涙ながら首を振るう。

「私は! 私はいくらでもこわしていいから、この子たちだけは逃がしてあげて! お願いよ」

「んー……」

 赤ずきんが少し思案した顔となる。

 がくがくと震えながら赤ずきんを見据えるピュグマ。

「ねぇ、大鴉(レイヴン)の場所はわかりますか?」

大鴉(レイヴン)? わかる! わかるとも!」

「なら、教えてください」

「いまなら、上のテントで大祖母(グランマ)と交戦中だ! だが急いだほうがいい、早くいかないと大祖母(グランマ)が始末してしまうぞ!」

「大丈夫ですよ」

 にっこりと赤ずきんが笑う。

大鴉(レイヴン)は約束を守る人ですから」

 

 

 ――戦車というものがある。

 地上戦においてほとんどのものを貫通する主砲と自らの砲撃すら弾く装甲を持った、地上戦における王者だ。

 戦闘形態の大祖母(グランマ)はそれに近いものであった。

 車いすが変形し、大祖母(グランマ)を覆うように全体に展開された装甲。

 攻撃の時のみハッチが開き、そこから現れる銃火器や小型誘導弾(ミサイル)

 移動手段はホイールのままであるが、動き自体に陰りはない。

 弱点となりえそうなホイールもほぼ全て装甲でカバーされ、地面と接地する僅かな部分しか露出していない。

 そこに弾丸を当ててみたところ防弾製のようで、弾かれてしまった。

 一応、防弾チョッキと簡易装甲(プロテクター)を装備している小鳥遊であるが、重火器の前では紙と変わらない。

 そんな絶体絶命の状況を前に、彼は

「アッハハハハハ――!!」

 楽しげに笑いながら、地面を転がり、銃弾をなんとか回避する。

 周囲の壁は次々と木片へと変わっていき、テントが発火する。

 掠めた銃弾の熱さに小鳥遊は顔をしかめる。

 そして、さらに笑みを増した。

 ひとえに彼が生き延びているのは、敵の攻撃力の高さによるところが大きい。

 大祖母(グランマ)の攻撃は一人に対して行うには火力、範囲ともに高すぎるものであった。

 さきほどから発火したテントの内部は煙に包まれ、テントの一部の残骸が転がっている。

 これのおかげで発生した煙や残骸の陰に隠れることで大祖母(グランマ)の攻撃からかろうじて隠れることができている。

 もしかすると赤外線センサーなどもついてるかもしれないが、この火の手が上がってる空間では感度が著しく落ちていることであろう。

 一歩間違えれば銃弾を浴びて即死である。

 しかし、だからこそ、小鳥遊はこの状況が楽しくてしょうがない。

「ほんっと、楽しいなぁ、おい」

 銃弾が背の上をかすめるたびにぞくぞくする。

 先ほど掠った場所がずきりずきりと熱い痛みを感じる。

 死んでしまってからはきっと味わえないであろう。

 だから、

「俺はいま、生きている……!」

 そして、小鳥遊が残骸の横から飛び出す。

 小鳥遊を探し、注意深く移動していた大祖母(グランマ)は即座に小鳥遊に気付き、反転した。

 しかし、それよりも一瞬早く、小鳥遊の拳銃(リボルバー)が3度、火を噴いた。

 銃弾はまっすぐに大祖母(グランマ)へと向かう。

 それはぐにゃりと曲がり、大祖母(グランマ)の乗る装甲車椅子の車輪へと襲い掛かる。

 魔弾だ。

 魔王の力で特異な軌道を描くその銃弾は装甲で覆われ、地面からわずかに見える車輪の間を通ると、その片方の関節部に到達し、突き刺さり詰まる(・・・)

 もし、大祖母(グランマ)が移動していたならば、回る車輪に阻まれ銃弾は届かなかったであろう。

 しかし、小鳥遊が身を投げ出すように、彼女の背後に現れたため、反転することで一瞬止まらなくてはならなかった。

 そのわずかにある隙を小鳥遊は正確にとらえたのだ。

 魔弾であろうとも、威力自体は通常の弾丸と変わらない。

 故に、戦車と同等の装甲を貫くことはできない。

 しかし、移動するための車輪の駆動部を詰まらせることができるのならば、行動不能することはできるだろう。

「―――っっ」

 小鳥遊が片腕を抑えながら、地面を転がる。

 賭けには勝ったものの、彼が支払った代償もまた小さくはない。

 地面に落ちるよりはやく襲い掛かった銃弾が、彼の片腕を捕え、破裂させる。

 いまは、わずかについた肉でつながりゆらゆらと揺れている状態だ。

 しかし、このまま、残骸に隠れ移動してしまえば、小鳥遊は勝つだろう。

 戦車といえど、機動力を殺がれてしまえば、その能力は大幅に減少する。

 強固な装甲と威力の高い主砲、加えて、車と変わらないほどの速度で移動できる陸の移動城塞、それが戦車の利点なのだから。

 しかし、大祖母(グランマ)はここで負けるわけにはいかない。

 ここで負けてしまっては、大事な家族(赤ずきん)が殺される。

 それだけは決して見逃すわけにはいかなかった。

「―――逃がしません!」

 で、ある故に、後先考えず、全ての武装を展開する。

 射出口(ハッチ)を開き誘導弾や、重火器を展開し、小鳥遊を狙う。

 もし、直接当たらなくても、その砂利を喰らうだけで人間など挽き肉なる火力である。

 大祖母(グランマ)は生体操作可能な鉄球を握りしめ、発射の命令を送ろうと――。

 して、小鳥遊の姿に気付く。

 彼はいつの間にか、拳銃(リボルバー)を腰のホルスターに収めていた。

 早撃ち(クイックドロウ)の姿勢。

 もしかして、彼が大祖母(グランマ)の動きを止めたのは、この一瞬、早撃ちで勝負するためではないか。

 ふと、大祖母(グランマ)はそう思ったのだ。

 そして、小鳥遊が銃を引き抜き―――

 交差するように互いに引き金を引いた。

 

 

 口を開ける。

 何か声を出そうとするが、うめき声すらあげられない。

 狭い装甲車椅子の内部は紅蓮の炎に包まれていた。

 重武装であったことが仇となり、小鳥遊が放った弾丸が誘導弾に着火、それから誘爆を起こしたようだ。

 厚い装甲はそれでも彼女を車内に閉じ込め、外に出る道を塞いでいる。

 突き刺さった鉄片が彼女の動きを縫い留める。再生能力は働いているが、わずかな延命にしかなっていない。

 いずれ、車内の酸素が尽きつか、自らに燃え移っている炎による窒息のどちらかで命が尽きるであろう。

 それでも最後に思うのは残した家族たちのことであった。

 ああ、乱暴者のギガスは他の団員とうまくやれるだろうか。

 ピュグマは人形を集めるのはいいけれど、もうちょっと外に出るといいのだけど。

 子供たちは他の場所に移動させたけど、次の来る人員はまともに扱ってくれるかしら。

 そんなことを心配しながら、大祖母(グランマ)は車内で焼け死んでいった。

 

 ぱちりぱちりと音がする。

 目を開けた小鳥遊はテントが燃えているさまをぼうっと眺めた。

 それから、痛む体を推して、背を柱に預けて無理矢理立ち上がる。

 仕切り代わりの板も燃えている。

 どうやら、先ほどの戦闘で起こった火が燃え移っているようだ。

 自らも酷いありさまであった。

 片手はほぼ千切れた状態であり、皮1枚でぶらさがっているようだ。

 血がどばどばと流れているため、残った手で腕の付け根を抑えて止血した。

 これでしばらくは持つだろう。

 服の下に着こんでいた装甲も大分砕けており、砂が突き刺さっていた。

 いくつかは肉まで食い込んでおり、小鳥遊を断続的に苛んでいるが、生きているから問題なし、と小鳥遊は結論付ける。

「さて――」

 赤ずきんのやつはどこかね、と周囲を見渡す。

 怪我の影響か、よろよろとしているもののギリギリ歩くことは出来そうだ。

 赤ずきんの姿は見えないが、奥であろうか。

 彼は赤ずきんを探すべく、団員が登場する入り口の方へ歩こうとして。

大鴉(レイヴン)!」

 同じくたった今、ここに到着した赤ずきんと鉢合わせた。

 彼女の横に、焼け落ちた鉄骨が落ちてくる。

 が、彼女は小鳥遊を一心に見つめている。

大鴉(レイヴン)、もしかして死んじゃうのです……?」

「まぁ、ちっとやべぇな。だが安心しろよ」

 小鳥遊が止血していた手を放す。

「約束はちゃんと果すさ」

 そして、拳銃(リボルバー)をホルスター内に出現させ、構えた。

 赤ずきんの速度を考えると、撃てて後1発か、と小鳥遊は考える。

「やだ。やだやだ、ボクはもっと小鳥遊と遊びたいです!」

「無茶言うなぁ……。まぁ、安心しろよ」

 涙を浮かべて、首を振る赤ずきん。

 それに対して、小鳥遊は変身を解除して笑いかける。

「俺たちみたいなのはどうせ地獄行きだ。だから、地獄に行ったらそっちで一緒に遊ぼうぜ?」

「本当に同じところに行くのですか? 約束してくれますか?」

「もちろんだ」

 ぐらりと、小鳥遊の身体が揺れる。

 さすがに血を流し過ぎたか?と思い、小鳥遊が背を壁に預けた。

 正直、身体が重く、酷くだるい。

 いますぐに横になって眠ってしまいたかったが、それでも赤ずきんの前では意地でも立ってやろう、と小鳥遊は立ち続ける。

「さぁ、だから、最後ぐらいは遊ぼうぜ? 約束しただろう、俺はお前を殺すって」

「……はい! けど、ボクも大鴉(レイヴン)のことを」

 二人がにっこりと笑い合う。

「ボクがこの手であなたを殺したい。だから、ここで死んでください」

 瞬間、赤ずきんの全身が灰色の毛皮で包まれる。

 はちきれんばかりに足が膨れ上がり、それに呼応するように小鳥遊が銃床に手をかける。

 彼女が地を蹴り上げると同時に、小鳥遊が拳銃(リボルバー)を抜いた。

 銃弾よりも速い速度で地を駆ける彼女より早く撃てたのは、ひとえにこれまでの小鳥遊の鍛錬と経験によるものだろう。

 地に身を伏せ、いまにも飛び出さんと力を入れた瞬間を狙って、赤ずきんの眼前に銃弾が飛び込んでくる。

 意識が小鳥遊に向いた一瞬を狙った銃撃に、数瞬、面食らうが、しかし、赤ずきんは気にしない。

 なぜなら、彼女にとって銃弾など脅威にならないからだ。

 誘導弾や対物狙撃銃、または重機関銃。これらの対人には過剰な火力であっても彼女の毛皮を貫通することはできない。

 故に、彼女はこの銃弾に一切の脅威を感じなかった。

 しかし、対する小鳥遊は勝利を確信する。

 最後の銃弾。これこそが彼の最後の切り札である。

 だから、最後に――魔弾の話をしよう。

 悪魔とは契約を対価に恩恵を与える存在であり、魔王とは利益と共に代償を奪う存在である。

 故に、6発の魔弾を撃ち終わった小鳥遊に残る最後の弾丸は、彼の一番大事なものを奪う対価の弾丸である。

 故に最後の弾丸は確実に命を奪う呪いといなり、赤ずきんの毛皮を貫いた。

「――――ああ」

 初めて自らに通った攻撃に赤ずきんが目を見開く。

 既に踏み込んだため、少しだけ狙いがそれが弾丸は胸に大きな穴をあけ、再生能力を封印する。

 それは明らかな致命傷であった。

 これはおそらく7発目の――――。

 それを悟った赤ずきんはその意味を感じ、頬をほころばせる。

「うれしい。……けど、もっと遊びたかった、な」

 しかして、彼女に宿ったオオカミは止まらない。

 獣化が解けた彼女の腕から上半身を乗り出したオオカミの口が、小鳥遊の肩を捕えると。

 一口で噛みちぎり、2人はもつられるように倒れ伏した。

 

 

「……っっっ。まったく……」

 自らの上にのっている赤ずきんを残った腕で、そっと赤ずきんを抱き寄せる。

 もはや彼に立ち上がる力は残されていない。

 肩から胸部までを噛みちぎられた傷口からはどくどくと血が溢れている。

 倒れた彼の目には焼けていくテントが見える。

 すでに周囲に火が回っており、脱出することは不可能なようだ。

「こうしりゃあ、普通に可愛いんだがなぁ……」

 溜息と共に赤ずきんの顔を見る。

 彼女は満ち足りた顔で微笑んで目を閉じていた。

 まるで眠っているようなそれは良い夢を見ているようだ。

 それに脱力して、小鳥遊も、ふっ、と笑う

「ああ、感謝する。狩りの魔王、赤ずきん」

 そして、彼女を抱きしめたまま、天を仰いだ。

「おかげで、俺は楽しく生きることができた。まったく――」

 焼けた鉄骨が落ちてくる。

 装甲車椅子に当たり、大きな音をたてた。

 テントの中は赤々と燃える炎に包まれていく。

「――最高の人生だったぜ」

 そして、小鳥遊が見ている天井がずるりと、ずれ。

 複数個の炎を纏った鉄枠が彼の元へと落ちてくる様を。

 くつくつと笑いながら、小鳥遊は見ているのだった。

 



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