モノクロームリリィとの日常 (カサノリ)
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第7回シンデレラガール総選挙編
4月10日


モノクロームリリィとの30日

 

 

「ねえ、今日は何の日か分かる?」

 

 そこは、とある芸能プロダクションの一室。春の日差しが心地よい、そんな穏やかな昼下がり。午前中に外を駆け回り、疲れて張った足を休めながらも、積み上がった仕事のためにパソコンへと向かうという、絶賛社会人をしていた私へと、そんな質問が投げかけられた。

 

 何でもない質問。本当に何でもない質問なのだが、それを彼女はやたらと品がよく、あるいは蠱惑的に問いかけるのだ。わざわざ私の耳元で。

 

 思わずぞわりと怖気が背中を駆け上っていく。

 

 そして慌てて振り返る私を見て、彼女はくすくすと、いつものように魅力たっぷりに微笑んでみせる。触れ合うほど近づいてしまった距離だった。瞳の奥まで見えてしまいそうな、それに見とれてしまった私に罪はないだろう。

 

 いつも通りといえばいつも通りの、そんな日常。私の人生の半分は仕事であり、半分はからかわれることでできている。

 

 そんな後者の半分に寄与しているのは、目の前の速水奏。私の担当アイドルの一人である。

 

 午前中にラジオ収録の仕事を終えた彼女は、ついさっきまで、次の仕事までの一時を紅茶片手に過ごしていた。

 

 陽だまりの中で、まどろむような、穏やかな。その姿は映画のワンシーンのように様になっていた。のだが、いつの間にやら、誘惑するような視線で近くに忍び寄ってきていた。

 

 美人モデルから悪戯小悪魔への見事な転身である。

 

 ええい、そうやってころころとキャラを変えるでない。

 

 しかしながら、私も彼女と出会ってから長い時間を過ごしている。いつまでもおたおたとさせられるわけにはいかないのだ。

 

「今日は4月10日だね。なんの日だったかな?」

 

 初心な少年のように早打つ鼓動を隠しながら、努めて冷静に。私は意図的に、あるいは無意識にその答えをはぐらかす。

 

「あら、そんなそっけない返事なんて。……悲しい」

 

 目を細めて、声を小さくさせる奏は本当に悲しんでいるように見える。そして、私はそんな彼女を見て、胸が締め付けられるのを感じるのだ。

 

 だが、しかし、彼女のそれが単なるからかいだとも知っている。

 

 わかっていても、心が揺さぶられる。演技者としての奏の資質は、そうした底知れないものにあった。それこそ、天使から悪魔まで、どんな存在にでもなれるほどに。

 

 プロデューサーとしては、やりがいと、嬉しさを感じるそれ。だが、日常のからかいの中に混ぜてこられると、その、なんだ、困る。

 

 そうして私が奏にあたふたと対応していると、もう一つの柔らかな声が届けられた。

 

「奏ったら、またPさんからかってるの? だめだよ、今日は私の番なんだから」

 

「早い者勝ちよ、加蓮。それに、悲しいのは本当のこと。こんな簡単な質問なのに、答えてくれないなんて」

 

 それは、奏とはまた違う、けれど可愛らしい魅力を持った少女。やっほ、なんて軽くスキップをしながら部屋へと戻ってきた。

 

 北条加蓮、私のもう一人の担当アイドルである。そして、私をからかうもう一人の小悪魔だ。

 

 麗人という言葉にふさわしくミステリアスで、それでいて、ふと見せる少女らしさに魅了させられる奏。

 

 一方で、年頃の少女のかわいらしさと活発さを存分にあふれさせ、しかし、隠し切れない芯の強さを魅せる加蓮。

 

 どこか似ていて、それでいて似ていない。そんな一見ちぐはぐな二人は、幸運にも私の担当アイドルとなってくれている。彼女らの努力のおかげで着々と人気を得て、目下のところ、順風満帆だ。それこそ、あの頂に手が届きそうなほどに。

 

 私はそんな彼女ら二人、アイドルユニット「モノクロームリリィ」を担当するプロデューサーであり、賢く、魅力的な彼女に日々振り回される子羊でもあった。

 

 そして、そんな子羊は今、ちょうど二人のアイドルにからかわれている。

 

「それで、今日は何の日なんだ?」

 

「この期に及んで、誤魔化すんだ~。後で大変だよ、Pさん」

 

 加蓮は横目でとなりの少女を指す。そうね、などと目で語る奏に私はまたも背筋を凍らせられる。

 

「ほんと、簡単な質問なのに」

 

「私だって知ってるよ、その答え」

 

「「駅弁の日」」

 

 その時の私の顔はさぞ見ものだっただろう、事実、小悪魔二人は、くすくすと私を見て笑顔を浮かべている。

 

 とても魅力的な笑顔だった。

 

「4月10日は駅弁の日。駅弁の弁の字が数字の4と漢字の十の組み合わせになるから、ってね」

 

 奏が訳知りの博士のようにチャーミングに記念日の由来を教えてくれる。

 

「にしても駅弁か、よりにもよって」

 

 職業柄、移動の多い私たちにとっては馴染の深いもの。だが、そんなに熱心に話題に出すものだっただろうか? うら若き女子高生が二人とも。

 

「えー、ダメ? 駅弁。それじゃあ『婦人の日』もあるよ? 私たち、まだ婦人って歳じゃないけれど、女だし」

 

「ここでの婦人は、女性全体を指す言葉でしょうしね。漢字を替えて夫人、って書くとPさんも他人事じゃないんじゃない?」

 

「なんでまた」

 

 だって、と奏は唇に指をあてる。

 

「まだ探してる途中でしょう? 隣を歩いてくれる相手」

 

「あ、でも、心当たりはあるんじゃない? 鈍感、っていうタイプじゃないし、Pさん」

 

「……駅弁の話をしよう」

 

 この話はまずい、と話題を戻す。

 

 駅弁、駅弁。このところめっきりとバリエーションも味も向上した駅弁。技術の進歩というのは凄いものだと、考えてしまうのは中年一歩手前だからだろうか。

 

「ちなみにプロデューサーさんが好きなお弁当は?」

 

「牛タン弁当、仙台の厚いやつ」

 

「やっぱり。よく食べてるもんね。

 

 あ、でも、もう蒸気のやつは勘弁してよ? 次やったら隣に座らせないからね」

 

「美味しいんだけどなあ、あれ」

 

 アツアツの弁当という、矛盾に満ちた存在は、何時だって魅力的だ。加えて愛してやまない牛タンのそれときたら。分厚い歯ごたえ、染み出る旨味。麦飯と出会った時のハーモニー。

 

 だが、加蓮の言った通り、蒸気の出るタイプは、音と香りで注目を集めてしまう。以前、それを加蓮の隣でしでかしてしまい。大いにお叱りを受けたのだ。

 

 以来、彼女たちと居るときには自重している。

 

「そういう加蓮はどうなんだ?」

 

「そんなにこだわりないけれど、ポテトがあると嬉しいな」

 

 駅弁というよりハンバーガーセットを買った方がいいかもしれない。

 

「私は。そうね、からあげ弁当、かしら?」

 

「ほう」

 

 それは意外だった。ビターチョコ、コーヒー。ミステリアスを地で行く奏のチョイスとしては面白い。

 

「だって、食べた後の誰かさんの視線が面白いもの」

 

 唇を指さす。

 

「あー、そういうこと。Pさん、ダメだよ? 女の子は視線に敏感なんだから」

 

「待て! そんなことはない! 誤解だって!!」

 

 慌てて弁解する。確かに、食べた後、わずかに照らされた唇と、それを上品にふき取る様子には僅かに心が揺さぶられたが。

 

 断じてよこしまな思いは抱いていない。断じて。

 

「ふふ、でも、悪い気はしないわよ? 私は、ね」

 

「今度、私も試してみようかなー。なんて」

 

「……勘弁してください」

 

 一度意識してしまったら、どうしようもないではないか。どうしたことか、からあげ弁当が出るたびにからかわれることは確定してしまったようだ。

 

 せめてもと、冷や汗を流しながら、私は弱弱しく哀願したのだった。

 

 

 

 

 そんな何でもない雑談をしているのが私たちの愛すべき日常であり、なぜか始まった駅弁談義を続けて半刻ほどすると、次の仕事の時間が迫っていた。

 

「それじゃあ、行ってくるわ。大丈夫、任せておいて」

 

「Pさん、私、頑張るからね」

 

 いつもより、心なし大きい声。

 

 そう言って二人は仕事に向かう。そんな二人を見送って、私は仕事に戻った。ふと、にぎやかな二人がいなくなった静寂が寂しく身に染みていく。

 

 プロデューサー等と偉そうにいうものの、最後にできることは、無事を祈って見送るくらいの物。ステージでも、どんな仕事でも。せめてもと、背中を支えてやりたいが、それもできているかどうか。

 

 心なしキーボードを打つ音が大きくなる。

 

 二人はあえて話題に出さなかったのだろう。今日の、あの何でもない話も私に変に気負わせたくなかった、そういった理由。

 

 それくらい、長く二人の担当でいるのだ。わかっている。

 

(でも、)

 

 だが、彼女達が気負う必要はないのだ。彼女たちは既に素晴らしいアイドルであり、ガラスの靴を履く資格があると、私は確信している。

 

 これからの一月も、その先も。彼女たちは彼女たちらしく魅せていけばいい。

 

 後ろで支えることしかできないから。だからこそ、その魅力を広めて、輝かせるのは私の、あるいは私たちの仕事だ。

 

「やるぞ」

 

 4月10日、第7回シンデレラガール総選挙、開催。




総選挙、開催。

今年こそ、速水奏と北条加蓮の二人を頂へ。そして、モノクロームリリィに曲がほしい。その一心に書き上げた本作です。

二人の魅力がどうか、少しでも伝わりますように。


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4月11日「ガッツポーズの日」

 4月11日。

 

「ガッツポーズの日、ねえ」

 

 加蓮はカレンダーをぱらぱらとめくりながらつぶやく。ほっそりとした指が伸ばされているのは、私の机にある日めくりのそれであり。その持ち主たる私はといえば、近くにいる加蓮のせいで仕事が進められずにいる。

 

 少し開けている窓から、華やかな風が吹いてくるたび、加蓮のふわりとした髪が私の頬を撫でていくのだ。集中できようはずはない。

 

 加蓮はそういうところをわかっているようで、時々、面白そうににっこりと私に笑顔を向けるのだ。

 

 くそ、悔しいが可愛い。

 

 そして、もう一人の担当といえば、助け舟もなしに、ファッション誌などをめくりながらソファーでゆっくりとしていた。

 

 珍しく、二人とも本日の午後はオフであった。うら若き乙女の休暇なのだから、おしゃれな買い物にでも出てよいのに、何を好んでか、この平凡なオフィスで時間を潰すことが多いのである。

 

「ガッツポーズ。私、奏にはそういうイメージないけれど。どうなの? したことある?」

 

「小さい頃だったら、あったかもね。加蓮は?」

 

「ポテトがいつもより大盛りだったとき。でしょ、Pさん?」

 

 確かに、あの時の小さい「やったぁ」は可愛らしかった。そう言うと、奏はあら、なんて言いながら、私のほうをゆっくりと振り向く。

 

「そんな話、聞いたことないけれど。……私に隠れてデート?」

 

「いやいや、なんでそうなる!?」

 

「そう、デートなのね」

 

「違う「うん、楽しかった」。加蓮!!?」

 

 違います、奏さん。ただ単に収録後に夕飯をおごっただけです。ファミレスで。色気もなにもあったもんでもないだろう。

 

 慌てて弁解するものの、当の奏は、いつの間にやら週刊誌を置き、

 

「へえ…」

 

 なんて不穏なことをつぶやきながら窓を背に仁王立ちする。

 

 その髪には、夕陽が差し込んで、元の色と混じっては得も言えぬ存在感を示していた。私は蛇ににらまれた蛙のように、震えあがる。

 

「私、あなたの公平さを保とうとする、ちょっとエゴが混じったところも、好きだったのだけれど。そう、いつの間にやら秘密なんて抱えるようになったのね」

 

 昨日も言った通り、奏は演技上手だ。声も表情も意のまま。おかげで逆光に照らされた悪魔のような雰囲気をにじませながら近づいてくる奏に、私はなすすべもできない。

 

 そっと小刻みに震える私の肩に奏は手をかける。

 

「どうしてくれようかしら」

 

 私は怯えればいいのやら、間近に見る奏の顔に見惚れればいいのか、分からなくなる。そのまま、魂でも抜き取られるように、指が一撫で。

 

「……なんてね♪ 私も今度は誘ってちょうだい、もちろん、二人っきりでね」

 

 指が離され、奏が満面の笑みを浮かべると同時に、私はそっとため息を吐いた。もう、どうにでもなれと。なすすべもなく頷く。

 

「奏、そういうとこ要領いいよね」

 

「チャンスは見逃さない主義なのよ。加蓮と同じでね」

 

 乾いた笑いを漏らす私をよそに、うちの姫様二人は朗らかな会話に戻っていく。何度も同じ手に引っかかっている私が悪いのだろう。

 

 ちなみに、奏には言っていないが、加蓮からは事前に食事の約束をさせられてしまっている。しかも今度は洒落た洋食店で。これがばれたとき、今度はどんな約束をさせられるのやら、だ。

 

 ところで、今日はガッツポーズの日だという。私はついぞスポーツをする経験がなかったため、友人とゲームをしたときくらいにしか、ガッツポーズをとったことはない。

 

「私たちの周りだと、奈緒は気持ちいいくらいにガッツポーズしてたかな」

 

 ガシャガシャまわして、目当てのが出た時とか、と加蓮はトライアドプリムスの仲間である神谷奈緒を引き合いに出す。

 

 あの元気のいい娘が、担当Pと共に雄たけびを上げているのは、申し訳ないがよく似あっていると思ってしまった。

 

 さぞかし、加蓮は面白そうにその様子を見ていたのだろう。渋谷さんにも可愛がられている神谷さんには、人知れず親近感がわいていたりするのだ。

 

「LiPPSだと、そうね。美嘉くらいかしら? ついこの間見てしまったのよ。向こうのプロデューサーさんとデートの約束取り付けた時に、こっそりやっているの」

 

 おお、あの堅物もとうとう年貢を納めたのか、とひそかに同僚の吉報に喜ぶも、あの朴念仁がそれをデートと認識しているかは別の話だ、と考え直す。

 

「ちなみにガッツポーズのガッツは、あの有名なボクサーさんに由来するそうよ。知っている人はそんなにいないかもしれないし、諸説あるみたいだけれど」

 

「ほんとかよ!?」

 

 慌ててスマホで検索してみると、確かにそう書いてあった。

 

 二十数年生きてきたが、今まで知らなかった。

 

「世の中、まだまだ知らないことがあるもんだ」

 

 あ、おじさんみたいな発言だった。などと まだまだ若者気分でいたい私は少しの自己嫌悪を感じつつ、そりゃそうか、と納得する。

 

 身近にいる彼女らのことすらも、知らないことのほうが多いくらいだ。仕事の時等はいつもそう。ふとした時に魅せる隠された一面はいつだって新鮮で、惚れ惚れとさせられる。

 

「ちなみにPさんが一番最近にガッツポーズしたのは?」

 

「君たちのライブが成功した時」

 

 何を当たり前のことを。

 

 毎日汗を流している姿も、不安や焦りに顔を曇らせる姿も見てきたのだ。その二人がステージの上で輝いている。これほど嬉しいことはない。

 

「……ほんと、ずるい人ね」

 

「ほんと。良い顔で言ってくれるんだもんね」

 

 なんだ、どうした?

 

「なんでもないわ」

 

「そーそー。あ、でも、いつか刺されないように気をつけてね。流石に泣いちゃうんだから」

 

 加蓮がそんな、物騒な予言をくれる。とはいってもだ、私はそういう性分なのだから仕方ない。

 

 喋りながらもキーボードに手を走らせて、しばらく加蓮は私の様子を黙って見ていた。しかし、そろそろ日も暮れて久しい。まだまだ未成年の二人を夜遅くまで置いていくわけにはいかない。

 

 言わずとも、察してくれたのか、奏は加蓮を誘うと、帰る準備を始める。どこかで夕食をとってから帰るという。『今日はPさんの奢りにしないから、安心して』なんて。今日は、ではなく、今日も、にしてほしいものである。

 

 薄手のコートを羽織り、先に出た加蓮の後を追うように、奏も出ていこうとする。

 

 ふと、その背中に聞きたいことができた。

 

「奏、ガッツポーズ、本当にやったことないのか?」

 

 奏は、不思議そうな顔をする。私も、ふと思いついただけで、どこか変な質問だったな、と思い直す。

 

 だけれど、奏は少し微笑むと、

 

「どっちだと思う?」

 

 と逆に問うてきた。

 

「そうだね、経験ないと思う」

 

「ふふ、正解。でも、どうしてそんな質問したの?」

 

 そう尋ねられると少し言いよどんでしまう。

 

「いや、その、なんだ。もしガッツポーズしてる奏を見れたら、そりゃあ可愛いんだろうな、ってね」

 

 年頃の娘に何を言っているのやら。自分が自分で恥ずかしくなり、私の頬は熱を帯び始めた。

 

 奏は、珍しく呆けたような表情を一瞬だけ浮かべて。いたずらっ子のように私に言った。

 

「それじゃあ、貴方がさせてみて、私の、初めて。

 一生に一度の、そんな、とびきりの魔法をかけてくれたなら、その時は見せてあげてもいいよ。貴方だけに、ね」 




モノクロームリリィの魅力_1『瞳』

奏の瞳は宝石のようで、どこまでも、引き込まれるほどに美しい。それが時に怜悧に、時に柔らかく変化していきます。何時みても、何度見ても飽きないですね。

加蓮の瞳は喜びに満ちています。愁いを帯びていても、かっこよくきめていても、雄弁に語るのは、楽しく、嬉しいという感情。それを見るたびに、ああ、応援したいと思ってしまう。

魅力あふれる彼女たちの目を、ぜひいろんなカードで見てみてください。


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4月12日「世界宇宙飛行の日」

ウチのPさんは少しロマンチストです。宇宙、いいですよね。


 4月12日、世界宇宙飛行の日。

 

 1961年、ガガーリンが人類で初めて宇宙へたどり着いた日。そして、地球は青かったと証明した日だ。

 

 まだ宇宙旅行は遠い未来の話。そうは理解しつつ、だが、育ちすぎた少年の私には宇宙という言葉はそれだけで興味と興奮を刺激する。

 

 私と奏はそのような日に、某所の科学館で開かれた宇宙展へ招かれていた。奏はプレゼンターの仕事で、私はプロデューサーとして。

 

 そのオープニングセレモニーにて奏は、シックなドレスを身にまとい、星々を背にして有名な童話の朗読を披露した。囁くような、それでいて芯の通ったつややかな声は、さながら空の果てから降りてくるようで。

 

 観客は皆、星を見上げながら、夢の世界に思いを馳せていた。

 

 元々、奏の代表曲「Hotel Moonside」にちなんで、月の石を展示する本会にふさわしい。そんな話題性を見込んでの抜擢だった。言葉の語呂合わせで選ばれた、実力を見ないでの判断。けれど、私たちの目論見通り、そんなオファーの期待を超えたパフォーマンスを奏はしてみせた。

 

 そうしてイベントが好評に終わり、閉館を迎えた展示室。そこを、私たちは隕石やら銀河系の模型やらを眺めながらのんびりと散策していた。

 

 せっかくだから、とスタッフの方が特別に中を回らせてくれたのだ。

 

 密やかに天文を好む私にとっては、降ってわいた幸福である。見て回るすべてが面白く、黙って付き合ってくれている奏にあれはなんだ、これはなんだ、と。気がつけば私ばかりが話してしまう。

 

「ふふ」

 

 不意に隣を歩く奏が笑い出した。

 

「なんだい、急に」

 

「ごめんなさい。でも、目を輝かせているPさんが子どもみたいで可愛らしいんだもの」

 

 どうやら、いささか以上にはしゃぎすぎていたようだ。

 

「いくつになっても男の子は宇宙ってものが好きなんだよ」

 

 ちょっとふてくされたように言う私を見て、奏は面白そうに笑いながら手で口元を抑えた。

 

 かすかな音楽だけが鳴る、二人だけの展示室。ころころと鈴を鳴らすような奏の笑い声が心地よく響く。

 

 それを少し聞いていたくて、ふと声を止めた。瞬間、途端に館内は表情を変える。

 

 広く、夜を迎えて薄暗い、二人きりの世界。それこそ宇宙に浮かぶ箱舟のように静寂を与える。少しばかり怖いくらいだ。

 

「まるで、空の果てみたい……」

 

 奏の静かな声が、空気にしみわたっていく。

 

 空には星。輝く光に照らされて、何も言わず私たちは歩みを進める。そうして、星々の間をくぐり抜けた先。

 

 ふと、奏が足を止める。

 

 目を向けるのは、ひときわ大きく、記念碑のように置かれたパネル。そこに示されたのは歴代の宇宙飛行士と、宇宙開発の歴史。そこには大きな喜びも、同じくらいの悲しみも載せられている。

 

「どうして、人は宇宙を目指すのかしら」

 

「奏?」

 

「昔も、今も、宇宙に行くのは命がけ。

 イカロスのように恐れを知らないわけではないのに。その翼の儚さも、空の果ては、時間も凍り付くような暗闇だと知っていても。孤独も、寂しさも」

 

「……それでも、彼らは飛んだのね」

 

 そう零す彼女の心の内を私は全部わかるわけではない。けど、そこにあったのは、少しの羨望と、わずかの怖さだろうか。

 

「でも、その怖さに打ち勝って、そして未来に夢をつなげてくれてるんだ。彼らのことを詳しく知っているわけではないけれど、それを知ってたから、きっと飛べたんだと思う」

 

 アポロ11号が月に降り立ったのは、もう私が生まれる、遥か昔のこと。いつか、と、ひそかに宇宙旅行を夢見ている私の出番はまだないけれど。

 

 それでも、いつかと夢見れるのは、先人の血と努力のおかげだ。感謝しかない。

 

 そんなことをいうと、奏はそっと、私の袖をつかんだ。

 

「相変わらずのロマンチスト。ダメよ、私たちを置いて宇宙に行ったりしたら」

 

 静かな声。

 

「馬鹿言いなさい。宇宙に行くときは二人を連れて宇宙でライブをする時だと決めてるんだ」

 

「その時、私と加蓮は宇宙のトップアイドル?」

 

「もちろん」

 

 子供っぽいといわれようとも、荒唐無稽と言われようとも、私の夢はそれなのだ。心に決めたのだから、仕方ないだろう。

 

 奏は少しの微笑みを送ってくれた。

 

「そう。そうなのね。私たち、宇宙の果てでも貴方と一緒。……良いの? 一生からかっちゃうけれど」

 

 それはお手柔らかに頼みたいものである。私はえらく哀願するような声を出した。

 

 すると、奏は少し不満げに頬をふくらませる。

 

「もう、雰囲気に合わせなさいよ」

 

「恋愛映画みたいなのは、少し苦手だ」

 

 私はアクション大作のほうが好きなのだ。言うと、奏は年頃のままに笑い出す。

 

「子どもみたい」

 

 少し大人びた少女がいるのだ。少し子供みたいな大人がいたって問題ないだろう。

 

 不意に奏が、隣から離れて。彼女は、星の間を少し手を広げて歩いていく。

 

 夜空を泳ぐ、青い花弁。幻視の中、奏の声が近くから聞こえる。

 

「昔はね、空の果てに行こうなんて、思えなかったの。期待しても、そこにあるのはきっと、空虚と、暗闇だろう、ってね」

 

「今は?」

 

「貴方と、加蓮と、みんなとなら。……きっと楽しい」

 

 ひらひらとゆったりと踊るような奏に惹かれ、私はしばしの宇宙旅行を楽しんだ。火星を抜け、土星の輪を手にすくい。

 

 そのゴールはホールの真ん中、巨大な月のオブジェ。お互い知らない間に、そこを目指して歩いていたのだ。

 

「私ね、宇宙一のアイドルになる前に、行ってみたいところがあったの」

 

 奏は私の手を引いて、オブジェをゆっくりと、踊るように回っていく。

 

「けど、もう着いちゃった」

 

「月の、裏側?」

 

「誰もいない、誰も知らない、そんな場所。けれど、貴方となら簡単に来られるのね」

 

 奏が私の目をじっと見つめる。金色のそこに私の顔が映っていた。そっと、手が肩に回される。

 

「手錠に鍵をかけて、てね。……ねえ、どうする? 今は誰も見てないよ」

 

「それ、は。……でも、まだダメだよ。いつか、本当の月の裏側にだって連れて行って見せるから」

 

 少しの名残惜しさを感じつつ、けれど、お互いに分かり切った答えだった。ふと、お互いに気障な台詞を言ったものだと、少し吹き出してしまう。

 

「ほんと、ムードが台無しね」

 

 けれど、そんなところも、私たちらしさだった。




奏の可愛いところ

大人のようで、クールなようで、そして蒼い。そんな奏ですが、意外とプロデューサーに対しては甘えがちで、とても信頼してくれているのを知っていますか?

彼女との日々は、きっと刺激的で、ロマンチックなものとなるでしょう。

そんな奏に清き一票を、どうかお願いいたします。


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4月13日「喫茶店の日」

甘いお菓子は好きですか?


 忙しいアイドル生活。さて、その忙しさは何処にあるのか。

 

 例えば、都内に限らず、各地を飛び回ることがある。これは大変なことだ。加えて、高校生でもある彼女たちは、当然学問もついて回る。

 

 ライブひとつをとっても、綿密な打ち合わせ、本番の倍どころではきかないレッスンが必要だ。

 

 これを自分ができるか、と言われると、彼女たちに振り回されるだけでもへとへとな私は、無理だ、と断言してしまう。まだまだ若いのに頑張っている二人にはどれだけ感謝してもしきれない。

 

 さらには、売れっ子となった彼女たちは日常生活でもファンの視線を考えなければならない。

 

 とかく忙しいアイドル稼業。華やかな裏には、それ相応の大変さもあり、それを軽減することも私の仕事である。

 

 長々と話したところで、本題はというと。忙しい彼女たちにも、一息つけるような隠れ家というのは必要なのだ、ということである。

 

 それは例えば、私のオフィスであったり、

 

「あら、いらっしゃいな。今日も同じものでいいの?」

 

 カランカランとベルの音と共にドアを開けると聞き馴染んだご婦人の声。それに透き通る紅茶の香りが鼻孔をくすぐった。

 

「ええ、いつものでお願いします」

 

 この隠れた喫茶店であったりする。

 

 

 

 午後の暖かい日差しが差し込む、華やかな店内。いつも通りおしゃれな二人は、後ろ手に隠していたそれを店主へと見せる。

 

「はい、これプレゼント」

 

「私と加蓮で選んだの。気にいってくださると嬉しいわ」

 

 渋谷さんのお店で選んだという花束だ。もうだいぶお年だが、いつまでも可愛らしく、上品な店主は、ほにゃりと笑うとそれを優しく受け取る。

 

「あらあら、こんなおばちゃんにプレゼントなんて。いったいどうしたの?」

 

「いつもお世話になっているマスターさんと素敵なお店に、ね」

 

「実はね、4月13日は『喫茶店の日』なんだって。日本で初めて喫茶店が作られた日」

 

 話によると、上野にて『可否茶屋』という名前のお店ができたのが1888年の今日だという。

 

 そのお店は不幸にして、しばらく後に閉店したそうだが、開店日が記念として残り、今も名前が伝わっている。きっと、愛されていたのだろう。

 

 そんな記念日に私たちは日ごろの感謝の気持ちを示そうと、馴染の喫茶店を訪れたのだ。

 

 プロダクションに近い立地にある、この喫茶店は人通りから離れ、都会に珍しい静けさを保っている。それでいて味よし、雰囲気よしと、実に隠れ家向けの店だった。

 

 学生時代の私は授業を時折サボっては、ここでのんびりとすることが多かったが、社会人となって、今度はアイドルを連れてくることになるとは。社長にスカウトされる前の私だったら想像もつかなかっただろう。

 

 プレゼントに店主は大層喜んでくれた。ひとまずは、と空いていた花瓶へそれを挿すと、『今日はおごらせてちょうだいな』と、私たちを案内してくれる。

 

 そうして私たち三人はいつも通り、フロアの中央にある、木でできた円卓に座った。真ん中には店主のお手製であるフェルトの白ウサギと黒ウサギがお茶を楽しんでいる。

 

 いつの間にやら作られていたそれは、勘違いでなくとも、二人をモチーフとしたのだろう。

 

「はい、今日のおばちゃんおススメの特別紅茶セット。加蓮ちゃんはアップルパイで、奏ちゃんはレモンパイね」

 

「ありがとう! わあ、今日も美味しそう!!」

 

 加蓮はカップを手に取ると、そっと香りを楽しむ。

 

「今日の紅茶、いつもと少し違う?」

 

「あら、ほんと。いつもより、少しすっきりしてるのかしら」

 

 あいにくと私には分からなかったが、お嬢さんたちは流石に敏感らしい。

 

「分かってもらえると嬉しいわあ。友達の冒険家さんがね、外国で珍しいお茶が手に入ったからってお土産に持ってきてくれたのよ。それを使ってみたの」

 

「へぇー。良いの? そんなに大切なのもらっちゃって」

 

「いいのいいの。お茶だって可愛い女の子に飲んでもらった方が嬉しいはずだもの」

 

「……」

 

「奏は……、だいぶお気に召したみたいね。感想は?」

 

「沈黙こそ雄弁に語るものよ」

 

「なるほどー。でも、私は素直においしいって言っちゃうんだよね。

 

 奏や凛と違って、おすましっていうよりも、まだまだやんちゃに楽しみたいもの」

 

「ふふ、加蓮はその方が魅力的よ。ね、Pさん」

 

 話を振られた私だが、どちらがどちらというのにはあまり考えが及ばなかった。さて、やんちゃな御転婆姫か、澄ました令嬢か。

 

「いや、どっちも捨てがたいし、魅力的だな」

 

「ふふ。それなら、お嬢様気取ってみるのもいいかもね。たまには♪」

 

 ある種のアンバランスさがモノクロームリリィの魅力であるが、私は彼女たちに固定のイメージを作ってはいない。身内のひいき目を抜きにしても、二人は何にでも似合う。その中で振る舞いや周囲に与える印象が異なる二人は、自分の色を保ちつつ、絶妙にその色を混ぜ合わせ、昇華する。

 

 単に白と黒。そんな決めつけで終わらないのが、このユニットの魅力だ。

 

「今は休憩中なんでしょう? お姫さまたちほっといて仕事のことなんて考えたらだめよ?」

 

「確かに」

 

 しばらく加蓮の次の仕事について考えてみると、顔に出てしまっていたようだ。店主からお叱りを受けてしまった。

 

「昔は、この店来ては、授業だるい、だの、彼女できないだの愚痴ってたのにねえ。いつの間にやらワーカーホリック。人って変わるものね」

 

 体は大事にしなさいよ、と店主は困ったように言う。昔を知られているというのは安心な反面、気恥ずかしいものだ。

 

「へー、Pさんの昔ばなし? 聞きたいな!」

 

「あらあら、また弱みが増えちゃうわよ。いいの? プロデューサーさん」

 

「君らにこの店見つかった時から覚悟はしてるわい」

 

 せいぜい私の灰色に染まった青春を知って愕然とするがよい。それで少しは優しくしてくれ。

 

 きゃいのきゃいのと話す三人を尻目に、私は自分の注文がやってくるのを待った。楽しそうに話しながらも手は休めていなかった店主がお盆と一緒に戻ってくると、私は少し口の中が潤うのを感じる。

 

「はい、特製フルーツパフェ!」

 

「待ってました!!」

 

 ひゃっほいと私はテンションを最高潮にする。日頃の疲れた脳と体を休める至極の甘味の到着だ。

 

「いつみてもすごい絵面だよね」

 

「いつにも増して、うん、子供ね」

 

「君らにはわからんのだよ。トップまで生クリームたっぷりのパフェの貴重さを。ソフトクリームじゃないんだぞ、この尖塔が!」

 

 甘さ控えめで口触りのよい生クリームを起点に、イチゴ、オレンジ、ブルーベリーなど彩り鮮やかなフルーツがさながらステンドグラスのように配置されている。パーフェクトビジュアル、パーフェクトハーモニー、テイストグッドだ。

 

 私は相も変わらず若干刺さる視線を受けながら、少しずつ塔を攻略していく。橘師匠のパフェ攻略法は免許皆伝済みだ。

 

「んー。まろやか」

 

「月一度の楽しみ、なんていうから私たちも言うことないし」

 

「人の好きなものに口を出すなんて野暮なことはしないけれど、ねえ」

 

「なんだ、何が問題なんだ」

 

「「サイズ」よ」

 

 マスター特製「ジャンボ」パフェ。

 

「太るわよ?」

 

「もういい年なんだから」

 

「大丈夫。うまいものには何も悪いことなどない」

 

 三村大先生。そうですよね。

 

 実際のところ、年がら年中走り回っているおかげで私はむしろ痩せ形である。仕事を辞めた時を考えると若干の不安があるが、向こう20年は辞めるつもりはない。つまり、あと240回はパフェが食べれる。

 

「確かにそうだけど。……言ってもしようがないかもね。そうね、おなかがポッコリするまでは黙っていましょうか」

 

「だね。ちょうど今はいい感じだし」

 

「そこを超えたら、どうしてしまおうかしら?」

 

「ふふ、その時はまゆじゃないけど、管理だよ。管理。あ、でも想像したらちょっと楽しそう」

 

 何やら物騒な会話が進められている気がするが私はそこへ思考を割くことなくパフェに熱中する。ただ、量が量である。奏と加蓮がパイを食べ終わっても、私のパフェはまだまだ残ってた。

 

「……ねえ、Pさん。少しちょうだい?」

 

 おもむろに加蓮が尋ねてくる。

 

 少し迷い。まあ、食べかけじゃないところからなら良いか、と頷く。

 

「いいけど、それこそ食べ過ぎでないか?」

 

 なんといっても体が資本のアイドルだ。体調管理も大切な仕事である。

 

「少しだったら大丈夫、大丈夫。そのかわりに、とびきり甘くしてもらうから」

 

「? まあいいけど」

 

 店主からスプーンをもう一本貰うと、それを加蓮に渡す。だが、それを加蓮は受け取ろうとせず。

 

「あーん」

 

 と顔を突き出して目を閉じ、かわいらしい口を少し開けた。

 

「ちょっと待て加蓮。それはちょっと、」

 

「だめぇ? 今は誰もいないし、ちょっとくらい良いじゃない?」

 

「そこにいる奏とマスターはどうした!?」

 

 とあわてて奏たちを見るが、二人とも顔を背け、見てませんとアピールをする。

 

「ほらほら、せっかくだから、ね?」

 

「いや、さすがに問題だろう!?」

 

 だが、こうなった加蓮がめったに身を引くことなどない。つまるところ、逃げ道はないに等しい。そして、

 

「Pさんの初恋の人の名前は……」

 

「マスター!!」

 

 それだけは言うなと言っておいただろう!!

 

 叫ぶ声もむなしく響く。結局、私が折れたのは言うまでもない。

 

「うーん、おいしいおいしい。これで明日も頑張れそう」

 

「そうですか」

  

 ほくほくと、加蓮はたいそう満足げに頬に手を当てにこり顔。

 

 私はといえば、どっと疲れてしまい。その分の気力を回復しようと深層のアイス部を掘削していた。

 

 結局、店主は秘密はばらしておらず。加蓮はカマをかけただけだったのだと。相も変わらず、からかい上手というか、頭が回る。ただ、そう話した時の加蓮の不敵な笑みが気にはなっているのだが。マスター、ばらしてないよな?

 

「はい、じゃあ次は奏ね」

 

 と、不意に加蓮はスプーンを渡してくる。

 

「あら、いいの?」

 

「いいの。私だけなんて不公平でしょ? ね、Pさん」

 

 私は同意したつもりはない。

 

「ほんと、あなたのそういうところ好きよ、加蓮。……それじゃあ、Pさん、私にも情熱たっぷりに、ね」

 

 と私の返事も待たずに今度は奏が目を閉じる。なぜかとびきり艶っぽくだ。何を求めてるつもりだ、何を!!

 

「なに、ってわかってるでしょう?」

 

 吐息大目に、ゆったりと言うんじゃない。だが、確かに不公平なのは事実だったので、公平さを保ちたい私としてはしぶしぶとパフェを差し出す。

 

「んっ、おいし……」

 

 なぜ、パフェを食べさせただけで、こんなに如何わしいことをしている気分にさせられるのだろうか。

 

 ファンから見たら眼福なのかもしれないが。プロデューサーの立場を考えるとグレーどころか、ほぼブラックである。ギルティだ。暴走婦警に見つからないようにしないと。

 

 奏はかすかに微笑みながら、ゆっくりと味わうように目を細める。そのしぐさに、またも仕方なくドキリとさせられる。にやにやとからかうような加蓮の視線は無視する。変に勘繰られないよう、少し勢いよくパフェを平らげることで誤魔化した。

 

 どんなに巨大なものでも、無くなるときはあっという間だ。私の甘美な塔は音もなく胃袋の中へと消えていく。

 

「ふぃー」

 

「あら、お疲れみたいね」

 

「だめだよー、しっかりと休まないと」

 

 誰のせいだ、誰の。

 

「「さあ?」」

 

 二人はにっこりと、見惚れるような笑顔を見せてくれる。小気味いいクラッシックのBGMに心を落ち着かせながら、私たちはしばしの安らぎを感じながら、談笑に花を咲かせるのだった。




モノクロームリリィの魅力_1『髪』

奏の雰囲気とアイドルとしての姿にとても似あった髪型だと思うのです。クールで、かっこいい。それでいて時々、困ったように髪をくるくるともてあそぶのも、かわいらしいですよね。ツインテールの風イベントで見せたツインテール姿の破壊力も、普段の髪型の魅力があってのものでしょう。

加蓮の場合、カードごとにがらりと髪型が変わるのが、本当に楽しみです。それでいて、どれも似あっていますし、前髪だけはいじらないというこだわりも微笑ましいものです。ほんと、お洒落さんというのにぴったりで、なかなかそういうところに頓着しない筆者は憧れてしまいます。




今日はのんびりな喫茶店の日でした。明日は昨日に奏単独回を行ったので、加蓮のお仕事の様子を書きたいと思っています。

それでは、どうか二人に総選挙の投票をお願いいたします。


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4月14日「オレンジデー」

花嫁のカード、どれも良い


 4月14日、オレンジデー。

 

 私と加蓮はとある飲料品メーカーの新作オレンジジュースのプロモーションにきていた。しばらく前から進行していた企画で、今日が総仕上げ。最近封切られた、加蓮が主演するCMに合わせ、ミニコンサートを含めた広報ステージが予定されている。

 

 ただ、それはあと半日ほど後のことで、今は衣装の最終確認と後々に使うための写真撮影。

 

 私の視線の先、加蓮は沢山のオレンジ色の中、煌めく笑顔でカメラに向かっている。その姿は、私の想像なんて簡単に飛び越えるほど似合っていた。

 

 考えてみればそれもそうで、加蓮とオレンジ色は縁が深い。トライアドプリムスでの彼女のパーソナルカラーはオレンジであるし、髪の色や、少し小麦色の入った肌はオレンジを連想させる。なので、私も企画を聞いたときは、すぐに加蓮を推していた。

 

 ちなみに奏にはブルーベリーのイメージがある。私の勝手な想像ではあるが。何時か、そんな仕事を取ってきたいな、なんて。そんなことを考えていると、

 

「ねえねえ、Pさん、可愛いでしょ!」

 

 加蓮の楽しげな声が耳に飛び込んできた。その方向を見ると撮影に一区切りがついたのか、加蓮が私のところまで駆け寄ってきていた。加蓮は目の前で止まると、その場でくるり一回転。

 

 そうすると、ふわり、フリルがふんだんに使われたドレスがひらめき、私はそれにしばらく目を奪われてしまう。オレンジをコンセプトにしたそれを着込み、舞い踊る加蓮は、まさしく童話の姫のように美しく、可憐に見えたのだ。

 

「あ、ああ。可愛い。うん、すごく」

 

「やった!」

 

 可愛い。

 

「喜んでもらえて嬉しいよ。実は、オレンジの被り物をする案も面白いと思ったんだけど、こっちにしてよかった」

 

 巨大なオレンジをかぶり、それが展開して衣装となる、というのは画期的なアイデアに思えたが、何やら嫌な予感がしてストップをかけたのだ。

 

「えー……」

 

「いや、ロマンあるだろ、巨大オレンジ」

 

 すると、ほにゃりとした笑顔が一転、加蓮は冷たい目を向けてくる。あ、まずいと思ったが、考えていた以上に第一案は不評だったらしい。

 

「ねえ、Pさん。私、あなたのプロデュースにはすごい感謝しているし、信頼しているけど。時々、すごいセンスするよね……。悪い意味で」

 

「むう。ダメか」

 

「ダメ」

 

 まったく、もう。と、加蓮は途端に頬を膨らませてしまった。

 

 私はあわててごめんごめんと謝る。けれど加蓮は悪戯すきな笑みでこう言うのだ。

 

「だーめ、乙女のときめきを台無しにしたんだから。しばらく許さないよ」

 

「どのくらいまで?」

 

「んー、Pさんが、おいしいジュースを買って来てくれるまで」

 

 加蓮は小さくウィンク。

 

 思わず、そのくらいお安い御用でございます、お嬢様。などと、調子に乗って言ってみると。加蓮はすぼめた口を崩して、笑い出した。よほど似あわなかったらしい。年がら年中スーツ姿なのだから、そう悪くはないと思うのだが。

 

「もー、そこまでされると逆にはずかしいじゃない! ほらほら、行って行って! のどがカラカラの加蓮ちゃんにすっきりした飲み物をくださいな、ってね」

 

 そうして笑顔の加蓮に背中を押される。確かに撮影はまだまだ続き、午後はステージまである。これからの長丁場を頑張ってもらうためなら、少しの労力くらい、安いものだ。

 

 手を振りながら撮影に戻る加蓮を少し目に焼き付けて、少々駆け足で買い出しに向かったのだった。

 

 オレンジデー。

 

 オレンジの花言葉が『花嫁の幸せ』であることにちなみ、バレンタイン、ホワイトデーに続く第三の恋人の日として盛り上げていきたいと、ここ数年いくつものイベントが企画されるようになった記念日。

 

 とはいえ、バレンタインなどと比べると日本ではまだまだマイナーなイベント。今日のステージも、定着を目指して企業が必死に考えた企画なのだろう。奏はそれに商業主義万歳ね、なんて少々ひねた意見を述べていたが、私としては二人の魅力を広める機会である。商業主義万々歳! そう声高に叫ぼう。

 

 そんな大きな期待を背負ってのイベント。開始前は少しの緊張もあったのだが、途中、スタッフさんの楽しそうな顔とすれ違い、少し踊りだしたい気分になった。彼らの笑顔は、加蓮の仕事ぶりが好評な事の何よりの証だ。

 

 そうしてペットボトル片手に上機嫌で戻ると、加蓮はオレンジ色の風船に囲まれて楽しそうに踊っていた。

 

 ひらりひらりと。ステップを刻むたびに髪が広がり、ドレスが波打っていく。

 

 笑顔を満開に咲かせて。目をキラキラと輝かせる。それが周りに伝わり、全てが明るく、幸せな風に包まれていくのだ。

 

 それはまさしく童話のシンデレラであり、かつて彼女が語ってくれた夢のようで。

 

 不意に出会った頃のことを思い出した。スカウトした時の、今より少し捻くれて、寂しそうな目。しばらくの間はレッスンをしてもらうのにも苦労していたこともあった。そんなハラハラして、楽しかった過去の日を。

 

「……」

 

 すると、花嫁の日なんて意味にあてられたのか、目が滲んできてしまう。まいった、と慌ててハンカチを取り出した。まだまだ若いつもりでいたが、いつの間にやら父親気分になってしまっているとは。

 

 そんな感傷の中、写真撮影はつつがなく終了するのだった。

 

「ねえ、Pさん。さっき泣いてたでしょ」

 

 見られていたか。と後悔したのは撮影が終わって、控室でくつろいでいたとき。加蓮が楽しそうに尋ねてきた。

 

 質問の形でありながら、まあ、見られていたので確信していたのだろう。からかいたそうな様子が隠しきれていない。なので、私はちょっと気恥ずかしく否定から始めてしまう。

 

「そんなことない」

 

「ふふ。だめだよ、誤魔化しちゃ。知ってた? Pさん嘘つくと片方の眉が少し動くの」

 

「ほんとか!?」

 

 慌てて眉を抑えると、加蓮は大きく声を上げて笑いだした。

 

「あはは。そんなことしたら嘘だってバレバレじゃない! もー、そんなだから奏にも私にもからかわれちゃうんだよ」

 

「また騙された……」

 

 加蓮はかわいい、かわいい、などとぽんぽんと肩を叩いてくれるが、されるがままの私は憮然とするしかない。

 

「ほら、すぐ拗ねちゃって。慰めてあげよっか?」

 

「からかった張本人が何を言ってるんだ、まったく」

 

「ふふふ。でも、泣いてるとこ見られちゃったPさんもかわいいけど。私を見て泣いてくれたんだよね。……うん、嬉しいな」

 

 Pさん泣かせられるアイドルになれたんだから、ね。

 

 言葉を残した加蓮は、一歩のジャンプで私の前まで飛んでくると、すっと私の腕を取り、自身のほっそりとした腕にからませる。

 

 突然だったので私はなすがまま。ぎゅっと力を込められた腕から、加蓮の温度が腕を伝う。

 

「加蓮?」

 

「このドレス、もしかしなくてもウェディングドレスだよねー。うら若き乙女に二度もドレスを着させるなんて。結婚できなくなったらどうしちゃお。

 こんな日だからかな? 私もちょっとはしゃいじゃってるね」

 

 いたずらっ子のような笑顔が隣にある。 

 

「あれ? Pさん、ドキドキしちゃってる?」

 

「ノーコメントで」

 

「ふふ。こんなに可愛いアイドルが腕を組んでるのに、ドキドキされなかったら私のほうががっかりしちゃうもの」

 

 そういうと、加蓮は私に体重を預けて、もたれかかってきた。

 

 いつもより近い距離で。それでようやく聞こえるような小さな呼吸と、静かな質問。

 

「ねえ、凛がウェディングの撮影をしたとき、担当さんに言ったんだって。『私の結婚式の時、プロデューサーはどこに立つんだろうね』って。Pさんは……アタシの結婚式の時、どこにいてくれるのかな?

 後ろで見守ってくれるの? それとも、付き添って……今みたいに横?」

 

 問われて考える。『花嫁の喜び』。いつか、そんな日も来るのだろう。誰か、信頼できる相手と出会い、幸せな新生活へと旅立つ日が。

 

「その時は、うん。傍で見られたら嬉しいことはないけれど」

 

「でも?」

 

「今はもっと、アイドルを楽しんでる加蓮を見ていたいな」

 

 そう正直に伝えると、加蓮は嬉しそうに目を細めた。

 

 最後にぎゅっと力を込めて。静かに、手を離す。

 

 目の前にある瞳にはきらきらと喜びが光り輝いていた。

 

「うん! アタシも、今はもっとアイドルやって、もっといろんな人に知ってほしい。北条加蓮っていう、貴方が育てたアイドルを、ね」

 

 それは、そう言ってくれたのは。

 

 私にとって、これほど嬉しいことはなかった。

 

「まったく、いつもからかってくれるくせに……」

 

「あれ、また泣いちゃう?」

 

「泣かないよ。それに、もう仕事の時間だ」

 

「残念。それじゃあ、もう一度、私のパフォーマンスで泣かせちゃおうかな。今度はごまかしきれないくらいに」

 

 そのぐらいの意気でやってくれ。まだまだ加蓮には見せてあげたい景色があるのだ。

 

 と、歩き出そうとする私に、後ろから加蓮は不意に言う。

 

「でも、アタシの結婚式の時、Pさんには後ろよりも、横よりも。もっと、いてほしい場所があるんだけれど。……ね、どこだと思う?」 

 

 その時の顔を見ることはできなかった。振り返った私に向けるのは、いつもと同じ可愛らしい笑顔で。

 

「なんてね♪ って奏の真似」

 

 そう私の肩を小突くと、加蓮はスキップしながらドアを出ていく。

 

「ほら、ぼやぼやしてると置いて行っちゃうよ!」

 

 引き留めたのは、どっちだ。と苦笑を浮かべ、私も小走りで後を追う。まだまだ加蓮に振り回される心地よい日々は始まったばかりだった。




加蓮のかわいさ。

加蓮は初期とのギャップが印象的ですよね。最初は少しつんつんしているし、言葉の上ではやる気もない。けれど、頑張った結果、綺麗なドレスが似あう素敵なアイドルになってくれます。

そうなると、もうプロデューサーに対する信頼感が強くて、守ってあげたいという気持ちでいっぱいに。筆者としてはシンデレラにはまったきっかけが『煌めきの乙女』のカードでしたので、加蓮はひたすら幸せにしてあげたいという思いがありますね。

そんな可愛くいじらしい加蓮にガラスの靴を! 



ウェディングに関連した日ということで加蓮回。加蓮はウェディングのシチュエーションが似あいますよね。如何でしたでしょうか。

明日からは新しい一週間ということで、彼女たちの友人たちにもちょこちょこと出てもらおうかと考えています。


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4月15日「ヘリコプターの日」

今日はのんびり回。フレちゃん、けっこう書き手泣かせですね。でも、その分楽しかったです。雰囲気だせているといいのですが……。


「フンフンフン、とっても大好き~、フレコプター!!」

 

「ねえ、フレちゃん、そのいろいろなところに危ない歌は何かしら?」

 

 4月15日。LiPPSでのトークショーを終えた奏はユニットの仲間である宮本フレデリカさんと共に、馴染の喫茶店で優雅なティータイムと洒落こんでいた。私はその付き添いである。仲のよい友人二人の時間だ。私は邪魔をしないように少し離れて、静かに報告書を書いていた。

 

 店主が用意してくれた紅茶の華やかな香りを楽しみながら、少しリラックス。そこに著作権やら大きいものを敵にまわす自由すぎる歌声が響いていく。

 

 奏に尋ねられたフレデリカさんは、いつも通り楽しそうな顔で朗らかに頓珍漢なことを話していく。

 

「フレコプターだよ、奏ちゃん。知らないの? 世界の一大ムーブメント、南極でも大人気なんだから」

 

「南極の人口ってどれくらいなの?」

 

 んー、わかんない。と相変わらず雲をつかむような、柳のような、ともかくフレデリカなフレデリカさんだ。そんなフレデリカさんは、ちょいちょいと、指をまわして見せる。

 

 どうやらヘリコプターの真似らしい。

 

 個性的な面々がそろい、若者を中心に爆発的な人気を博しているLiPPS。奏はそこでリーダーを務めている。このユニットはトライアドプリムスと同様に事務所内でのコラボユニットだ。

 

 羽衣小町の塩見さん、レイジーレイジーの一之瀬さん、フレデリカさん。それにカリスマギャルとして絶大な支持を集める城ケ崎さん、と企画当初はこの濃い面子をどうやってまとめるつもりだ、と各々のP達と頭を抱えたものだ。

 

 今となっては杞憂に終わっているが、あの時期は各々のPがいろいろと心労で狂っていた。私もパフェの消費量が信条に反して週3になるほどに。そして、この喫茶店が二人にばれることとなったのだ。

 

 そんな話はともかくとして、明るいようでフレデリカさんは悩み事があるみたく、少しばかり頬を膨らませていた。

 

「それで? 今日は随分とフレコプターを推すのね」

 

「じつはね、プロデューサーがね、飛んで行っちゃったの、ヘリコプターで。でも行き先がわからないんだー。どーしよーってちょっぴりお悩み中」

 

「あらあら、相変わらずフレちゃんたちのPさんはアグレッシブ。あなたも見習ったら? 同期なんでしょ?」

 

 かしまし娘たちの楽しそうな様子を眺めながらノートパソコンで仕事を進めていた私は顔をあげる。

 

「あの人間離れしだした奴を見習ってみろ、君らも大変なことになるぞ。ヒマラヤに行きたいわけじゃないだろうに」

 

 あの変貌ぶりには一之瀬博士の人体実験説が疑われるのも仕方ないことだろう。

 

 にしてもヘリコプターとは、アイドル連れてないのなら撮影でもあるまいし。一体何をやっているのだろうか。

 

「それもそうね。一度くらい行ってみるのも悪くないけれど。幸子ちゃんみたいには上手くできないでしょうし。そういえば、フレちゃんは最近だとどこに行ったの?」

 

「ふっふっふ、知りたい? 実はね、ラピュタ!」

 

「ナスカ、な」

 

 地上絵と空中都市は全く別だ。

 

 学生組だから回数は多くないが、それでも月1回くらいは海外ロケを行っている。海外経験豊かな一之瀬さんと、見た目はフランス令嬢のフレデリカさんだから安心して許可だせる企画だが、時々巻き込まれる輿水さんには同情する。

 

(輿水さんのPとあいつは仲いいからなー)

 

 バラエティの神が舞い降りた、と神託を受けたかのように踊り狂っていた二人組はわが社のP業界でも異端の部類に入っていた。

 

「だからアイツいなかったのか、今日は」

 

 元々全員がそろう必要はないので、大がかりなライブでなければ担当のP達が2人ほど、責任者として同行するのが常だが、今日は城ケ崎さん担当と私の番だった。まさかヘリコプターに乗ってどこかへ行ったとは。

 

 置いていかれたフレデリカ嬢はご機嫌斜めのようで、ケーキを平らげると、今度はぐだーっと机の上にもたれかかる。

 

「お行儀が悪いわよ?」

 

「アタシもババババーって飛んでみたいなー。ほら、奏ちゃんの好きな映画みたいにね」

 

「……まだヘリ使ったことなかったのね。その方が驚きだわ」

 

「ヘリ……」

 

 単語が頭の中をぐるぐるとめぐっていく。奏と加蓮と、ヘリ。

 

「あら、プロデューサーさん、また何か思いついたの?」

 

「いや、ものすごくキメた衣装で、ビルの屋上とか、カッコよくないかなって。奏のイメージに合いそうだし」

 

 ヘリを使って、ビルの下から上へ向かって撮影するのだ。夜明けの光が奏を照らして、影が広がっていく。

 

 そんなイメージが出来上がっていった。

 

「わーお! いいね、それ!! 奏ちゃん、あれだよ、アレ! あんな感じがいいよ!!」

 

「せめて対象くらいは明言してほしいわ」

 

「そうだな! あれがいいな!!」

 

「Pさんまで……。悪ノリしてる?」

 

 いやいや、そんなことはない。おそらくフレデリカさんと私のフィーリングは一致している。そんな空気を感じるのだ。

 

 そう言うと奏は小さくため息をつき、呆れたような目を向ける。今日はフレデリカさんがかき回してくれているからか、少し優勢だ。珍しいこともある。

 

「奏はどうだ? ヘリ使ってやりたいこととか無いの?」

 

 奏にも尋ねてみると、そうね、と彼女は手を頬に当てて考えるように少し黙る。

 

「うん。プロデューサーさんの案、悪くないと思うわよ。最近は夜のイメージばかりだったし、今度は朝焼けなんて、面白そうじゃない」

 

 気にいったのか、奏はにっこりと微笑むと、小さく頷く。

 

「よかった! 気にいってくれたか!! よし、帰ったら企画の準備だな。これから忙しくなるぞ」

 

 そうと決まれば、あとは形にするだけだ。もっともっと磨き上げて、奏の最高の舞台にしないといけない。気合を入れて、店主特製ティーを勢いよく飲み干した。

 

「いーなー、いーなー奏ちゃん。お仕事たのしそー」

 

「楽しいのは否定しないけれど。これでも大変なのよ? Pさん、時々無茶なノリをしだすものだから、加蓮と一緒に困らせられることあるもの。フレちゃんこそ、お仕事楽しいでしょ?」

 

「もっちろんのロン! フレデリカちゃんがフレちゃんになるのはお仕事とあと、もう一つ大事な……なんだっけ? なんか忘れちゃったアレのおかげだもん!」

 

「ふふ、フレちゃんらしい。フレちゃんのプロデューサーさんも早く戻ってくるといいわね」

 

「そうそう、フレちゃんをほっといたプロデューサーはあとでフレちゃんの刑にしないと! 奏ちゃんとプロデューサーさんとのデートの時間も少なくしちゃったし、もーお仕置きだよ!」

 

「あら、これデートだったのかしら?」

 

「デートだよ。奏ちゃん、すごい楽しそうだったもん! 何となく!!」

 

 奏とフレデリカさんはそんなことを話しながらニコニコと。年頃の娘さんには笑顔が似あう。

 

 それは、灰色の青春を送った私にはとても美しく、尊いものに感じられる。そんな仲間と巡り合えたのなら、この世界にスカウトした甲斐もあったものだ。

 

 不意にスマホが震えだす。着信元を見ると、フレデリカさん達の担当で。

 

「なに? マグロ?! お前何やってんの!?」

 

 電話口でわめきたてる同期の頓狂な発言に愕然とさせられる。慌てて言われるがままにメモをとらされる私を尻目に、アイドル二人は最後に一口、紅茶を飲むと、笑いあう。

 

 奏はほんと困ったというような苦笑い、フレデリカさんは華やかな極彩色の笑顔。

 

「マグロ? ツナ? 缶? すごいねー。食べ放題かも!」

 

「……貴方のところ、本当に飽きそうにないわね」

 

「んー、奏ちゃんのとこも、同じじゃない?」

 

「……それもそう。ふふふ、ほんと、飽きない毎日だわ」

 

「そうだ! 今度は加蓮ちゃんと奏ちゃんも行こうよ! えっと、そうそうバミューダ!!」

 

「一体何を見に行くつもりよ。でも、そんな冒険も一度くらいはいいかもね。楽しみにしてるわ」

 

 奏はちょっと苦笑い。今日は珍しくからかわれなかったが、たまには困り顔を見れるというのも新鮮なものだった。




奏の友人関係。

自分とキャラが近い子も、意外に思える子も、とても交友関係が広いのが奏ですが、元々人間関係で悩みを持っていたんですよね。

そんな女の子がアイドルになって、目標となる大人や同年代の友達に囲まれているというのはとても尊いことだと思うのです。


投稿初めて1週間。皆さまのご感想、ご評価、ありがとうございます。拙作ではありますが少しでも奏と加蓮のことを知っていただけると幸いです。

今週も奏と加蓮に清き一票をよろしくお願いいたします!


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4月16日「チャップリンデー」

参考にしたのはモダンタイムズです。たまには白黒映画を見るのも面白いですね。


「おーい、お待たせ! 今戻った!!」

 

 と私は少しスキップをしながらオフィスに戻る。

 

 土日と忙しくイベントをこなしてくれた二人は、今日は代休ということで学校が終わった後は予定を入れていなかった。はずなのだが、いつの間にやら事務所にきて、のんびりと共に宿題などしている。

 

 ただ、私は仕事に追われていたので、二人に仕事のねぎらいやら何やらもしてやれず放置してしまっていた。休日にわざわざ来てくれた二人である。仕事も終わりを迎えたので、申し訳なさもあり、気晴らしにと三人で見るための映画を借りに出ていたのだ。

 

「おかえりなさい、Pさん。今日はどんな映画を持ってきたの? 鮫? ゴリラ? それともアリゲーター?」

 

 出迎えてくれた奏はさも楽しそうに質問してくる。

 

 私はさっと手に持ったレンタルバッグを後ろ手に隠す。と、奏の向かいでノートに向き合っていた加蓮が、サメやらなにやらの単語に合わせて、怖気が走ったかのように肩をびくりと震わせた。

 

「二度とあの徹夜の鑑賞会はしないからな」

 

 決してB級映画ハンターというわけではないが、奏は趣味が映画鑑賞というだけあって、恋愛映画以外ならば何にでも興味を示す。

 

 時折はテーマを決めて、私と加蓮を引き連れて鑑賞会を開いたりもするのだ。

 

 それは例えば、ロケ終わりに旅館に泊まったときなど。それが名作SFやら、サスペンスやら、たまに加蓮チョイスによるロマンス特集なら良いのだが、ごくたまにB級映画特集が開かれる。

 

 一本くらいなら笑って流せるが、それが数本続いたときには精神が追い詰められる寸前となる。なんの罰ゲームだろう。連続四本目にして加蓮の堪忍袋の緒が切れ、アイドル二人による決闘が行われたのは記憶に新しい。

 

 下手をすればユニット解散の危機であった

 

 そんなわけで、しばらくB級やら鮫やらは禁止となっている。

 

 あら、残念。とか笑っている奏を無視して、私はバッグから借りてきたものを取り出した。自分で見る分も含めて4本ほど借りてみたが、この時間からならここでは1本ほどしか見れないだろう。

 

 厳選しなくては。

 

「それって、チャップリンだっけ?」

 

 加蓮がポテトを手に近づいてくる。

 

「そうそう、今日はチャップリン生誕の日らしくてね。レンタル店で特集してたんだ。加蓮は見たことある?」

 

「あんまり内容までは覚えていないけれど。小さい頃、病院でちょっとだけ。

 

 ああいうところだと、派手なアクションとか見られないでしょ? 

 

 それで、愉快で楽しい名作劇場、みたいな感じで上映会とかあったの」

 

 そういう加蓮は特に昔のことを気にはしていないようで安心する。病院の話が出てきたときは、少しチョイスを間違えたかと思ってしまった。

 

 しかし、なるほど、無音映画だとそういう使い方もあるのか。

 

「あ、ごめん、Pさん。心配かけちゃったかな?」

 

「ん? いや、そんなことないよ。それじゃあ、見てみようと思うんだけれど良いかな?」

 

 そう尋ねると、加蓮は「じゃあ、これ」と名作タイトルを指さす。

 

「今ならもっと楽しめそうだし。そういえば奏はどうなの? さっきから黙っちゃってるけれど」

 

 そういえば、と奏を見る。すると彼女はいそいそとソファーの上のマットの配置を直し、お茶菓子を用意しているところだった。いつもより、動きがせかせかとしている。

 

「あら、どうかしたの?」

 

「いや、何も言うまい」

 

「うん。珍しいなーってね」

 

「そうかしら?」

 

 楽しみに思ってくれているのは良いことだ。うん、正直に可愛い。

 

 奏が用意してくれたソファに腰を深く沈ませ、テレビのスイッチを入れる。しばらくすると、少し古めかしい音楽と共に、白黒の画面が躍動し始めた。

 

 喜劇王チャップリン。

 

 映画史に、世界に大きな影響を与えたコメディアンであり、映画監督であり、偉大な役者。

 

「喜劇王。そんな異名で知られているけれど、彼の作品には笑いだけでなく、風刺や人間愛、それに理不尽な悲しみまでいろいろな要素が組み込まれているわ。

 

 彼自身も大戦期の激動の中で、思想や弾圧、政治的なしがらみ、そして多くの敵意にさらされたの。けれど、そんな環境の中でも折れずに自分の信念を通したのよ」

 

 映画を見ながら、折を見て奏は説明をくれる。

 

 奏のそんな要点を抑えながらのナビゲーションは、とても心地よく。耳にすっと入っては余韻を残していく。

 

 私自身、こういって映画を多く見始めたのは奏の影響があるが、世界に広く知られる作品たち。半世紀以上の時間がたってもなくならない作品の輝きというものが確かに感じられた。

 

「うわっ、すごいね。人の顔ってあんなに動くんだ。それに変な動き」

 

「コメディの無声映画だもの。パントマイムは重要な要素。……これが時代遅れって評価を受けたのだから、社会はいつも移り気が激しいものだわ」

 

「台詞なしでもストーリーがわかるってすごいな。少し字幕あるだけだぞ、これ」

 

 生き生きと動いていくキャラクターはとても演技には見えなくて、その中でひときわ奇妙な主役が存在感を放つ。怒りや悲しみや、そして大きな喜びが表情と目だけを見ても伝わってくるのだ。

 

 脇を見ると二人とも真剣な表情で映画を見つめている。アイドルもまた演技者であり、映画やドラマの経験も少なくはない。やはり演者としての目で見ると真剣になってしまうのだろう。

 

 特に加蓮の表情は、映画を見ているようなそれではなく。

 

 1時間半ほど。何時しか私たちは何かを語ることを止めて映画へと没頭していた。

 

 そして白黒の世界の幕が静かに降りて。

 

「いや、いい映画だった!」

 

 三者三様に息を吐いて、ソファの背もたれにぐたりと背を倒す。休憩時間のはずだったのだが、思わず見入ってしまった。

 

 はい、感想戦なんて宣言をして奏はお茶に手を伸ばす。私も背を伸ばすと、座りなおし、クッキーの袋を加蓮へと手渡した。

 

「小さい頃はなんだか退屈してたけど、今日はすごい楽しかった。最後なんて頑張れ頑張れって応援しちゃって。……すごいね」

 

 加蓮は感心しきりといった様子でクッキーの袋を握りしめたまま、空のDVDのパッケージを見つめる。

 

「加蓮、すごい真剣に見てたな」

 

「うん、勉強になったと思う。コメディをやりたいわけじゃないんだけれど、人を惹きつける演技。私もそんな風になってみたいから。

 

 ほら、今やっているドラマの撮影でも、奏やベテランさんの演技みてるとさ。私もまだまだだなって思うし、それなら負けたくないじゃない」

 

 確かに、アイドルとしてのライブのパフォーマンスではお互いに優劣はないが、演技という一面においては奏が一歩、加蓮に先んじている。それは事実だろう。

 

 ただ、加蓮は負けん気が強い子だ。同じ舞台に上がるたび、そしてそうでなくても日常の様々な場面から奏の演技力を吸収していっている。お互いに高めあえる環境で加蓮の演技力は鰻登りに上達していた。

 

 そんな、熱く挑戦心に燃える様子の加蓮を見て、気晴らしのつもりで借りた映画が思わぬいい刺激になったことに感謝する。 

 

「奏は何度か見たことあるんだろ?」

 

「ええ何度も。けれど、何度見ても新しい発見があるのが名作よ。深く知ろうとすればするほど、秘密が増えて、それを知りたいと追い求めてしまう。

 

 素晴らしい映画はね、時に相手を恋に落とすほどに魅了してしまうのよ」

 

「で、もっともらしいこと言って、素直な感想は?」

 

「Pさんにしては、最高のチョイスだったんじゃないかしら?」

 

 今日もアクション大作かと思ってた、と言う奏に、私は小さく「うっさい」と苦笑いを返す。

 

「でも、恋に落ちる、か……」

 

 一度目に見たとき、二度目に見たとき。視点を少し変えるだけで作品の捉え方は大きく変わるのだという。もっと喜劇王の人生や、一つ一つのシーンの作りこみに目を向けると、私にも変わった世界が見えるのだろうか。そう考えると、何度も見てみたい、もっと色々な面を知りたいと思える、人生を変える映画があるのもうなずける。

 

 そして、それは私にとって、

 

「……なんか、奏と加蓮見てるときみたいだな」

 

「うん?」「あら?」

 

 やば。

 

 と、私の第六感が空気が変わったのを察した。

 

 まずいと思った時には、両脇をホールドされている。そして、それはそれはいい笑顔の二人はなにやら妖艶な雰囲気をまといながら両側から顔を近づけてきていた。

 

「ねえ、Pさん。もしかして……、今の口説いていたのかしら」

 

 奏、指でなでないで! くすぐったい!

 

「気づかなくてごめんね。Pさんを、恋におとしちゃってたなんて。……責任取らなくちゃ、いけないよね?」

 

 加蓮、君、ほんと演技うまくなったのはわかったから! それを今使うんじゃない!

 

「そうね……」

 

「うん、やっちゃおうか……」

 

「何を!?」

 

 と身動きできない私はなにやら温かいやら柔らかいやらに囲まれながらパニックに陥る。くそっ! 今日は何もないと思ってたのに!!

 

「ちょと待て、言葉のアヤだって」

 

「またまたぁ、大丈夫。ちゃんとわかってるもん」

 

「いや、わかってないって!!」

 

「……恋愛映画は苦手だけど、今日くらいはいいわよ? そんな場面を演じるのも、ね」

 

「ごめん被る!!」

 

 と、結局は散々にからかわれた私は、この後の夕食をおごることを条件にようやく解放されたのだった。

 

「くそう、しばらく映画なんか借りてこないぞ」

 

「まったく、映画に当たらないの、Pさんが可愛いこというのがいけないんじゃない」

 

 と、加蓮は落ち込む私の頭をぽんぽんと叩く。奏はと言えば、携帯をいじりながらディナーの店を探していて。

 

「ここなんてどうかしら? 雰囲気もよさそうだし、誰かさんの懐にも、ちょうどいいんじゃないかしら?」

 

 とはいっても、そこそこ値段張るね、その店。ただ、うん。そうだな。

 

「……まあ、仕方ない。仕事頑張ってくれてるお礼だ。喜んでおごるよ」

 

 やった! と喜ぶ加蓮と静かに楽しそうな奏に苦笑いを送る。こうしてみんなで過ごす日常というのは、悪くない。今日もまた映画みたいに上手くはいかない、愛すべき毎日が終わろうとしていた。




モノクロームリリィの好きな映画

奏は恋愛映画が苦手と公言していますが、どういった映画が好きなのでしょう。きっとコミュではサスペンスが好評でしたし、映画賞を取るような名作も多くみているのでしょうね。
ただ、恋愛映画は「苦手」なだけで、嫌いとは言っていない。もしこっそりと見ていたりしたら。そう考えるととても可愛らしく思えます。

一方の加蓮は恋愛映画とか好きでしょうね。アイドルになる前は映画を見るのも嫌いだったかもしれませんが。今は希望に満ちて、いろいろな作品から技術や意欲を取り入れようとしているんじゃないかな。
奈緒と一緒にアニメ映画を見に行って、ついつい熱中し、泣いちゃったりしたら、かわいいですね。



新しい週はじめは、二人のまったり姿から。

明日は二人での仕事の様子を描いてみたいと思います。それでは今週も加蓮と奏に清き一票を!!


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4月17日「恐竜の日」

今日は少し難産でした。恐竜も好きなんだー!!


「太古のロマン、ね。私、昔のことは振り返らない主義なのだけど」

 

「でも、うちのPさんは。……やっぱりそういうのも好きなんだね」 

 

「ははは。当たり前だ」

 

 恐竜の日を迎えた今日。私たちはとある県の恐竜博物館へやってきていた。今週開催中の恐竜展、その模様を全国区のトレンド番組内で放映するというので、そのナビゲーターの仕事をいただいたのだ。

 

 二人が館内をめぐる様子を生中継し、最後には地元の子ども達と一緒に発掘体験。

 

 十代後半から二十代と若者が幅広く存在するウチのファン層。だが、せっかくならもっと広く、二人の魅力を知ってほしかった。子ども達が興味を示す恐竜紹介を行うことで低年齢層まで広く知ってもらおうというのが今回の企画の目的だ。

 

 そういうわけで、いつもの洒落た服は封印。奏と加蓮はさながら恐竜探検隊のような作業服に身を包んでいた。

 

 ライブや普段の華やかさとは正反対で、地味なベージュに安全帽、ロングパンツといった武骨な衣装だが、やはりというか、そんな格好でも二人の輝きは色あせていなかった。むしろ、いつもと違う様子が新鮮で魅力的でもあった。

 

 モノクロームリリィの探検隊。いいかもしれない。

 

 と、そんな言葉が頭をよぎるが、すぐにふるって消し去る。

 

 いやいや、そんな思考はあの同期と同じになってしまう。仕事となればついてきてくれるだろうが、コメディよりもクールを、汗と泥よりも可憐さを見たいというのが世間の、そして私自身の望みだった。

 

 さて、そろそろ放送開始時刻。中継なので、始まったら助け船は出せない。最後にいろいろと確認しておこう。

 

「加蓮は体調大丈夫か? 一応、日差し避けは用意されているし、気温も高くないだろうから安心だとは思っているのだけど」

 

「うん。今日は体調もばっちりだから、大丈夫だよ」

 

「それなら良いけれど、もし立ちくらみとかあったら、合図出してくれよ。生放送だからといっても、体のほうが大事だからな」

 

「もー。心配してくれるのは嬉しいけど、大丈夫、大丈夫」

 

「何かあったら私もフォローするから安心して。それに、加蓮はそこまで柔じゃないわよ」

 

 確かに、奏もいるし大丈夫だろう。

 

 昔のことを気にしてか、デビュー当初はやせ我慢して体調を崩しかけることもあった加蓮だが、最近はそんな無茶も鳴りを潜めていた。

 

 とはいっても、大切な担当だ。大丈夫だと信用していても、心配してしまうのは仕方ないとわかってほしい。だが、そう言うと加蓮も少し拗ねてしまうだろうから、そんな言葉は胸にしまっておく。

 

「分かった。それなら任せるよ」

 

 そう言うと、加蓮は小さく笑って、

 

「ありがと」

 

 小さくブイサイン。その笑顔と様子を見ると、私も気が落ち着いてくるのを感じた。

 

「そういえば、プロデューサーさん、発掘体験の時は何か発見したほうがいいのかしら? 学芸員さんの指示に従ったらいいって、ディレクターさん達は言っていたけれど」

 

 今日は、二人の新鮮な驚きの絵がほしいということで、発掘体験の部分は場所と道具のつかい方を指導されただけで詳しいディレクションがなかった。

 

「一応、ある程度までは発掘が進んだ場所を使うらしいから、やみくもに探すよりは見つかる可能性があるみたい。だけど、実際出てくるかは五分以下だろうな。何か見つからなかった時のために、事前に化石は用意してあるそうだ」

 

「仕込みを使わなかったのは、Pさんの案?」

 

「二人ともそういうの使わなくても、きっと見つけると思ってね。ちょっと苦手だろ? そういう仕込み」

 

「ふふ、それじゃあ、ご期待に応えるとしましょう」

 

 さあ、それそろオンエアだ。私はバックヤードに下がり、スタッフたちとカメラ越しの彼女たちを見る。

 

 服装は違うけれど、いつもと同じ。自然体でありながら、画面越しに人を魅了するアイドルの姿だ。

 

『今日も元気にセイハロー! みんなに今日のトレンドを紹介する、「トレ探」のコーナーがやって決ました。なんと、本日は素敵なゲストが! こちらの方たちです!!』

 

 と、アナウンサーの紹介に合わせて、入場。

 

『こんにちは。モノクロームリリィの北条加蓮と、』

 

『速水奏です。今日はよろしくね」

 

 朗らかな笑顔の加蓮と、少しセクシーにウィンクする奏。

 

 とても魅力的な表情に、私も心が熱くなる。

 

 少しばかり曲やイベントの紹介時間をもらった後、二人はアナウンサーと共に博物館の学芸員の案内で館内を巡っていく。日本で初公開となるモンゴルで発見された大型肉食恐竜の全身骨格、日本原産の首長竜。時には巨大なアンモナイトのレプリカを持ちあげてみたり。

 

 カメラが向けられているので少しは演技も入っているが、二人とも本当に楽しそうに館内を巡っている。それこそ、ここに立つ私でさえ楽しさが伝わってくるほどに。

 

 そうして、滞りなく中継は進み、最後は屋外の発掘現場へ。

 

 地元の小学生たちとの共同作業ということで、3年生の子供たちが30人ほど待機してた。係りの方の指導を受けつつ、小さなハンマーを使ったり、刷毛を使って周りを探ったり。

 

 一緒に作業をする小学生の様子を見てると、やはりというか、男女で反応が違っているのが面白い。どちらもはしゃぎがちなのは同じだが、加蓮の方には男の子が多め、で、奏の方は女の子が多い。かなり熱心に奏の顔を見つめては照れているような子もいる。

 

(奏、女性にも熱心なファンが多いからなあ)

 

 早速小さいファンたちを獲得した様子の二人。しばらく黙々と作業を進めるも化石というのはなかなか出てこない。さて、放送終了も近づいてきたから、判断をするか、と考えたとき、

 

「あら?」

 

 と奏が驚いたような声を上げた。

 

 

 

 放送終了後、着替えて作業の汚れを落とした二人と、私は合流し。控室でお茶を飲んでいた。

 

「にしても、ほんとに見つけるとは」

 

「ほんと、しかも二人ともなんて」

 

「ねー。私も驚いちゃった」

 

 奏と加蓮は二人とも、小さなサメの歯の化石を掘り当てた。しかもほとんど同じタイミングで。

 

 信じていたが、それでも改めて二人の運を引き寄せる力に驚かされる。おかげで子どもたちも大興奮、いい絵も取れてスタッフも満足げだった。

 

 その戦利品である小さな黒い化石を手に取って、二人と一緒に眺める。何千何万と昔のものなのに、形は欠け一つなく、きれいに光り輝いていた。

 

「そういえば、この化石はどうすればいいの?」

 

「ん? 館長さんが言うには、そんなに珍しいものでもないし記念にもっていっても良いそうだ」

 

「あら、太っ腹、でも……」

 

 アイドルに持っててもらったほうがサメも浮かばれますよ。なんて冗談めかして彼は言っていた。ただ、それを見つめる奏は少し考えこんでいるようで。

 

「どうした?」

 

「……大したことじゃないわ。ただ、死んでしまった命を掘り起こすのって、なんだか可哀そうな気がしてね。

 

 学術的な価値については理解しているし、研究者さん達の真剣も知っているから、的外れな感傷だと思うけれど。ちょっとだけ、ね」

 

「そっか、奏もか。私もね、見つけられたのは嬉しいけど、このサメも静かに眠っていたかったのかな、って思ったら、ちょっと可哀そうになってきちゃった」

 

 自分たちで掘り起こしたものだからだろうか。二人は遠い昔に生きたサメに思いを馳せているようだった。

 

 きっと、そういった個人の感想に正解も何もないのだろう。私は喜んで記念としてしまうだろうし、研究者はそれを広く役立てようとする。ただ、はるか昔のサメの、小さな歯であっても、その感情に思いを巡らせるのは、やさしい二人らしいと思った。

 

「じゃあ、こうするか」

 

 そんな二人の望みを形にするのが、私の仕事だ。

 

 

 

 

「ほんとPさん、ロマンチックなの好きだよね」

 

「ふふ、でも、うん。いい提案だわ」

 

 私たちは展望から海を眺める。博物館から少し車で移動した、海を臨む丘の上。

 

「いいだろ? 事前に調べていたのが功をそうした、ってな」

 

 少しは観光してもいいかと思って調べていた中にあった、絶景の海の景色。ゆるやかな暖かい風が私たちをなでていく。

 

 きれいな日本の海の姿が私たちの前に広がっていた。

 

「ここなら、サメの魂も浮かばれるだろ」

 

 えいっと二人から預かった化石を大遠投。ちょっと距離はあったけれど、これなら無事に水へと戻って行けただろう。

 

 それを遠くから眺め、三人でしばらく夕焼けが沈んでいく海を見つめる。見事な夕焼けと、ちょっとの達成感。奏も加蓮も、満足げだった。

 

「……サメの恩返しとか、ないかな?」

 

「えー。夜中にサメが訪ねてきたりしたら、怖いじゃない」

 

「サメが歩いてきたりしたら、それこそ映画みたいね」

 

 B級のな。

 

 ただ、大昔から生きて、足跡を残してくれた偉大なる大先輩だ。

 

(もしよければ、二人を見守ってやってくださいな、てね)

 

 二人が歴史に大きな足跡を残す、そんなアイドルとなるように。




モノクロームリリィのお仕事

奏と加蓮、二人とも、元々は人との付き合い方に悩んでいただけあって、お互いの気安い距離感がわかっている様子がデレステなどで描かれてきました。きっと、アイドル活動でも、お互いを何でもないように支えあって、そして高めあえる仲のいいユニットとなってくれるでしょう。

そんな二人の出会いの物語。きっと考えてみたら面白いと思えます。




さて、とうとう一週間を超えて八話目となりました。開始当初は無茶かな? 自分でも悩みましたが、皆様の支えがあって、書き続けることができています。これを二週間、三週間と伸ばし、目標の三十日に到達させていきたいと思います。

それでは明日も奏と加蓮に清き一票を!!


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4月18日「よい歯の日」

シンデレラの世界ではどんなCMが作られているんでしょう? あの世界に暮す人たちがうらやましくなってしまいます。


 白と黒、二色の花びらが舞い散る舞台、そこに二人の歌姫が立っている

 

 白のベールと黒のベール。

 

 顔は見えない。

 

 私は静かにそこへと近づいていく。ふらふらと誘われるままに。

 

 花に惹かれる蝶のように、あるいは、火に飛び込む蛾のように。

 

 面前に二人がいる。そっと手が引かれた。

 

 触れ合うほどの距離。

 

 ベールの下、瑞々しい唇と、いたずらな瞳。

 

 そしてベールがめくられて

 

「ねえ、」

 

「どちらにキスしてほしい?」

 

『白の純情、黒の誘惑』

 

『貴方の唇を虜にするのは、どちら?』

 

『BANDAMリフレッシュガム。スイートミント、ブラックブラック、新発売』

 

 

 

 と、そんなCMであった。

 

 4月18日、よい歯の日。狙ったのか、狙ってないのか、そんな日に封切られた二人が出演するCM。ひたすらに蠱惑的で、誘惑するような。一度味わったら二度と戻ってこれないような。そんなCMは多くのファンを虜にするだろう。

 

 切なく求める加蓮と挑発するように誘う奏。

 

 二人のユニットとしての初仕事であった、あのウェディングの時とコンセプトは似ている。やはり、あの仕事の世間に与えた影響は大きかったのだろう。今回の会社も、同じような構図の絵が欲しいということで、ウェディングではないが黒と白のドレス姿で撮影を行ったのだ。

 

 そんなCMを私は自宅で見ている。

 

 時刻は午後11時。今日も二人の仕事を見届け、ようやく家に帰りついたところだった。仕方ないことだが、この時期は仕事が忙しい! 軽く夕食を自作し、疲れをいやすように腹に力の源を取り込んでいった。

 

 ふとネットを見てみると、『やばい』、や『マジ興奮した』といった語彙力を失ったファンたちの叫び声がSNS上にあふれている。まだこの者たちはマシな方で、熱心なファンの皆さんは言葉すら失っていただろう。

 

 内容知ってた私だってそうなったんだから。

 

「いや、これは反則だって」

 

 しかもHPではロングバージョンも公開中。覗いてみようと思ったら、重くてアクセスができなくなっていた。

 

 二人の評判が上々なことに一安心。さあ、もう少し仕事をして寝るとしよう、なんて考えていた私の携帯がフルフルとなる。

 

 なんだろう、と思い、着信元を確認。少しの疑問を持って電話に出る。

 

「もしもし、どうした?」

 

『ねえ』

 

「うん?」

 

『キスしても良い?』

 

 と、艶やかな、脳天を突き抜けるような甘い声に私は……、

 

「ダメ」

 

『もー、そこはノリに付き合ってくれてもいいじゃない!』

 

 何を言っているのだ、この小娘は。と、こんな夜中にかけてきた加蓮にお小言をくれてやる。

 

 そのノリに付き合ったらどこまで引きづりこまれるか分かったものではない。

 

「今何時だと思ってるんじゃい」

 

『あー、忙しかった? ごめんね?』

 

 と、加蓮はちょっと不安げな、しおらしい声。そんな声出されると、怒るに怒れないじゃないか。つくづく彼女たちには甘くなってしまう私である。

 

「いや、忙しくしてないから大丈夫だよ。ちょうど夕飯食べたところ」

 

『よかった。ちゃんとご飯作ったの? コンビニ弁当ばっかりじゃ体に悪いんだからね』

 

「ジャンク大好きの君が言うセリフかい。ちゃんと自炊してますよ。今日は豚汁だ」

 

 簡単に作れて、栄養価が高く、しかも安い。ひと工夫で味もだいぶ変わるため、いろいろと試行錯誤してみるのも楽しいのだ。

 

『男の人の一人暮らしって感じだね。あ、今日は、とか言ってるけど、毎日豚汁つくってるんじゃない?』

 

「うぐっ、そんなことないぞ。今度フランス料理のフルコースを作って見せてもいい」

 

『やっぱりそうなんだ! ふふ、料理、作りに行ってあげようか? これでも練習してるんだよ?』

 

 それは魅力的な提案かもしれないが、我が家という最後の聖域にまで侵入されると、二人に対する防波堤がなくなってしまう。ましてプロデューサーの家に連れ込んだとなるとスキャンダルどころではないじゃないか。

 

『えー、ケチ!』

 

 断ると、加蓮は電話の向こうでへの字顔。声の調子でどんな顔しているかも想像できてしまう。そんな様子に苦笑い。

 

「それで、電話したのは何か相談事とか?」

 

『ううん。ただ、ちょっと電話したかっただけ。卯月じゃないけど、たまには何でもない話したかったから』

 

「そっか」

 

 私だってふと誰かの声を聴きたくなることがある。特に夜とくれば猶更。普段は奏や、渋谷さん、神谷さんがいるのだろうが、私を選んでくれたというのは嬉しいことでもあった。

 

「そういえば、あのCMもう見たか? ちょうどさっきのドラマ枠で流れていたんだけど」

 

『見た見た。自分が出てるCMってちょっと照れちゃうけど、あの撮影で撮った映像が、あんなふうに変わるんだなって思うと、楽しいよね。

 

 それに、奏の目とか仕草、思わずドキッとしちゃった』

 

「加蓮も負けてないさ。きっと、ファンだけじゃなくてお茶の間の人全員が二人に見惚れたと思う」

 

『ありがと。それじゃあ……、Pさんはどっちが魅力的だったと思う?』

 

 といたずら心たっぷりな、難しい質問。さて、素直な感想では、

 

「魅力的なのが加蓮で、魅力的なのが奏だ」

 

『もー、そういうの八方美人っていうんだよ?』

 

 君らくらいにしかこんなこと言わないから安心しろ。

 

 だーめ、厳正な評価を期待します! なんていう加蓮をなだめる。そうはいっても二人とも違った持ち味があって、どちらも虜にされるほど魅力的だ。優劣なんて決められるはずがないだろうに。

 

『それじゃあ、ガムの味だったらどっちが好き?』

 

「それは加蓮の白いやつの方だなあ。刺激強すぎるのは少し苦手」

 

『やった勝っちゃった! 明日奏に自慢しちゃおっと』

 

「それ言った後の奏の反応が怖いんだけど!?」

 

 奏なら『それじゃあ、味見してみる? きっと甘いわよ』なんて言いながら顔を近づけてくるんじゃないだろうか。容易に想像できる。

 

『ふふ、私も今、同じようなの考えちゃった! きっとそうなるよねー。さすがPさん、私たちのことわかってる♪』

 

「もう、どうやってからかわれるかも想像できてしまうのが悲しい。しかも回避はできないだろうからね」

 

 ちょっと警戒したところで、その網をやすやすとすり抜けてくるのだ。困ったものである。

 

 そんな何でもないことをのんびり話していると、そろそろ日付が変わる時間。

 

 久しぶりの長電話だった。いつも会っているとは言え、この近いようで遠い距離間は、常とは違う心地よさもあった。島村さんが長電話にはまってしまうというのもよくわかる。

 

「それじゃあ、そろそろお仕舞にするか」

 

『そうだね。……ありがと、付き合ってもらっちゃって』

 

「こっちも楽しかったよ、ありがとう。まあ、たまにはこういうのもいいかもな」

 

『じゃあ、また今度も電話しちゃおうっと! ふふ、楽しみ!!』

 

 はしゃいでいるような加蓮の声に少しの名残惜しさを感じる。ふと、明日が早く来ればいいのにと願っている自分がいた。

 

「それじゃ、お休み」

 

『お休みなさい、Pさん。また明日ね』

 

 そんなやさしい声を聞き、電話から耳を放そうとする。すると、

 

『あ! そうだ、Pさんのスーツのポケット、寝る前に探ってみて! 忘れないでね!!』

 

 と最後に残した謎の言葉。

 

 電話が切れた後、なんだなんだと探ってみると、胸ポケットの奥になにやら硬い手触りを感じた。

 

「これって」

 

 ほんの小さな袋に包まれたそれは、小さなハートマーク入り。口紅だろうか、これ?

 

「まったく、油断も隙もあったもんじゃないな」

 

 開けてみると、ガムの2ピース。さっきのCMのミントとブラック。きっと椅子に掛けていた時に仕込んだのだろう。

 

『ねえ、どっちを選ぶの?』

 

 そんな二人の声が聞こえた気がした。

 

「夜はミントで、朝はブラック、ということで勘弁してください」

 

 私はそう言ってミントを放り込む。加蓮のように、甘くて、少し刺激的な爽やかさ。

 

 今夜はいい夢が見れそうだった




北条加蓮の長電話

加蓮は電話が長いイメージありますね。凜や奈緒と一緒に夜更かししてそうなイメージ。加蓮は表情も感情表現も豊かですから、長電話していても飽きそうにないです。
電話口からあの甘い声が聞こえてきたら、きっと時間も忘れてしまうでしょうね。





明日は少し冒険の日かな?

モバマスの方ではぷちこれ、デレステでも新イベントが始まりますね。Spring screamingの後に未完成の歴史来ないかな?と期待している筆者です。

それでは、明日も加蓮と奏の応援、投票をよろしくお願いいたします。


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4月19日「地図の日」

子どものころのワクワクは、今も残っていますか?


「志希、失踪したそうよ」

 

 昼下がりのオフィス。フレデリカさんや城ケ崎さん達と食事に出ていた奏と加蓮は、何やら小さな紙をもって戻ってきた。

 

 口に出すのは、いつも通りの失踪者名で。

 

「またか」

 

 私はそっか、またかーなどと週一回ぐらいの報告と化したそれを聞く。最初の頃は社を上げて捜索したり、警察を呼ぶか何とかで大騒動になったものだ。もう、今は昔のこと。すでに慣れ切った私たちは少しの苦笑いでその事実を受け止める。

 

「そう、また。担当さんの手元には一枚の地図が送られてきたってフレちゃんが言ってたのだけど……」

 

「地図、なんだと思う。……たぶん」

 

 と二人とも困惑顔。

 

「そんな変な地図なのか?」

 

 尋ねると、それがこれなのよ、と奏は見せてくれる。だが、それは

 

「……地図?」

 

 なにやら曼荼羅のような、幾何学的な紋様が一面に書かれた紙だった。確かに、これは地図かどうかも判別ができない。

 

「これ、ほんとに地図なの? え、なんか変な物質の構造式とかじゃないの?」

 

「書き置きに『この地図を解明してお宝を手に入れるのだ。にゃはは』って書いてあったそうだから。しかも、それを担当さん、一瞬で解いて走っていったって」

 

「アイツ、マジか」

 

 一ノ瀬さん、フレデリカさんの担当である同期を思い出す。

 

 最初はあまり目立たない、大人しい奴だと思っていたのに。一ノ瀬さんの担当になって以来、どんどんと人間離れしていった彼。先日のヘリコプター騒動の後、土産だと言って巨大なマグロの頭を送りつけてきた時には愕然としたものである。

 

 ただ、浅利さんの手を借りて漬け丼としたそれは旨く、加蓮と奏にも好評だったことには感謝する。浅利さん曰く『最高級のクロマグロ』。一体全体どこで何をしてきたのやら。

 

「Pさんはどう? 解ける?」

 

 と奏に聞かれ、あいつに解けるなら、私にだって、と数分くらい悩んでみるが。

 

「……わからん」

 

 ギブアップ。無理だ。

 

「私も試してみたんだけどね、まったくわからなかった……」

 

 と知恵熱出していそうな加蓮は疲れたようにジュースでのどを潤していた。

 

「どうも、図と文字で構成されている、ていうのは確からしいのだけど」

 

「文、字?」

 

 え、どこが文字なんだ、この摩訶不思議アドベンチャーの。

 

「さすがは一ノ瀬博士。見てる世界が違う」

 

「それについていってる、あちらのPさんも大概変わってるわね」

 

 ほんと、あの暴走娘のところは毎日楽しそうだな、と地図を放り投げる。まあ、しばらくすればあいつがとっ捕まえて戻ってくるだろう。最近は捕獲時間のタイムトライアルと化している。最短時間は現在1時間。そろそろ大台を超えるころだろう。

 

「失踪してからどのぐらいたった?」

 

「そうね、ちょうど50分ほど」

 

 じゃあ、そろそろかな。と思ったころ、下の方から『にゃー!?』と一ノ瀬さんの嬉しそうな叫び声が聞こえた。

 

「新記録更新だな」

 

 と密かにメモを取る。思った以上に早かった。

 

「ほんとに私たちのプロデューサーはPさんでよかったよ」

 

 ため息を交えながら加蓮が普段ならばうれしく思うことを言ってくれる。だが、文脈を読むとあまり褒められてない気がするのはなぜだろうか。

 

「誉め言葉よ、一応」

 

「やっぱり一応かー」

 

 どたどたと騒がしい喧騒を聞きながら、私は茶をすする。うん、今日もお茶がうまい。

 

 地図と言えば。

 

「そういえば、昔、宝の地図にあこがれたことがあったな」

 

「それって何年前の話なの」

 

 失礼な、少なくとも何十年前と言ってくれ。

 

 というものの、どうも二人には信じてもらえないようだ。そんなに子どもか、私は。

 

「Pさんなら、今でもそういうの探してそうだもん」

 

「……否定はしない」

 

 先日、鷺沢古書店で古めかしい地図を見つけたときはテンションが上がったものだ。その地図が指し示す場所も判然とはしなかったが。白坂さんが怪しげな反応を示していたが、大丈夫だったのだろうか、あれ。

 

「ほんと、男の子ってそういうの好きよね。暗号にミステリー、宝の山」

 

「いや、奏だって想像してみたらいいんだ。きっと楽しいぞ。海賊に宝を守る番人、冒険の旅!」

 

「奏の場合は……女盗賊とかどう? ビジュアルは最高にはまりそうだけど」

 

「そこまで要領よくないわよ、私は。宝を奪っても、すぐ取り返されちゃいそう。そういう加蓮は囚われのお姫様かしら?」

 

「うーん、そういうシチュエーションなら、私も冒険家の方に回りたいんだけどなー」

 

 そうやって楽しそうに二人は想像を巡らせる。奏の盗賊も、加蓮の姫もどれもきっと似合うし、それが逆でも当然、魅力的だ。

 

 ただ、私としては……

 

「じゃあ、二人がナビゲーターで、私が冒険家とか」

 

 そういうワクワクは自分でもやってみたいものだ。ただ、そう言うと二人はちょっとにやりと一笑い。

 

「いいの? 罠のあるほうに誘導しちゃうわよ」

 

「うーん、Pさん相手だと、そういうことしたくなっちゃうかも」

 

「……二人ともずっと隣にいてください」

 

 その絵を想像すると寒気が走った。せめて目の届くところにいてもらったほうが安心だ。主に私の身の安全が。

 

 と、

 

「二人ともどうしたんだ?」

 

 なぜか二人とも後ろを向き、心なし耳が赤いような……。

 

「なんでもないわ」

 

「いや、でも」

 

「ほんと、いつか刺されちゃうんだからね」

 

「なんで!?」 

 

 いや、変なこと言った自覚はあるが。そこまで言われなくても……。

 

 などと落ち込んでいると、そういえば、と思い出したことがあった。

 

「あれはどこだったかな、っと。あった」

 

「Pさん?」

 

 私は机の中を探して奥からファイルをとりだす。一番下の棚、その一番奥。ずっとそこにしまい込んでいたその背表紙は私が入社したときの日付だ。

 

「懐かしいな、これ」

 

 中に封じられている古ぼけたA4紙には、奇妙な文字と、地図が書いてある。

 

「あら、これ事務所の見取り図ね」

 

「正解。これ、入社式の後の歓迎会で配られたんだ。いつか、この地図を解いてみたら面白いものが見れるってね。先輩から」

 

「へー、先輩って?」

 

「神谷さんのプロデューサー」

 

「なるほど。Pさんに劣らずロマンが大好きだもんね。それで、Pさんは解けたの?」

 

 加蓮は答えが分かったように、ちょっと苦笑い。当然、私の答えは決まっている。

 

「それがなあ。しばらく頑張ってみたけれど、その後は忙しくなってしまって」

 

「あらら、それじゃあ謎のままなんだ」

 

 もう、だいぶ昔のことになってしまった。地図はちょっと茶けて古びてしまったけれど、未だ形と文字は残っている。今から解いても、きっと、遅くはないだろう。

 

 私は精一杯に恰好をつけて、二人にそれを差し出した。

 

「さて、可愛い探検家さん達は、この謎を解けるかな?」

 

「あら、それじゃあPさんはゲームマスターね。でも、私たちが解いても良いの? Pさんの問題だったのに」

 

「教えられたのは、アイドルとプロデューサーは一心同体だってこと。じゃあ、みんなで解いても私が解くのと同じじゃないかなってね」

 

「それじゃあ、Pさんの自慢のアイドルが知恵を出してみるとしましょうか」

 

「そうね。Pさんの宿題を解いてあげましょう」

 

「なんか、そう言うと宿題やり残した子供みたいなんだけど」

 

 奏はクールな中に隠し切れない楽しさを。加蓮は本当に面白そうに。

 

 地図を手に取り、ああでもないこうでもないと。

 

 私はそんな様子を見ながら、さて、地図の先にはどんな宝が待っているのかなどとまだ見ぬ冒険に夢踊らせる、はずだったのだが……。

 

「「解けたよ」わよ」

 

「早くない!?」

 

 どうやら、ウチの冒険者たちはとんでもなく優秀だったようだ。私のロマン思考はあっけなく終わり。謎解き所要五分の時間を解いた私たちは宝の隠し場所へと向かうのだった。




モノクロームリリィとロマン

クールアイドルであり、かっこいいお仕事をしていたり、豊富な知識をもっている二人。けれど、その心の奥は茶目っ気たっぷりですし、ロマンチックなシチュエーションにあこがれる少女らしさもしっかりとあります。

冒険を求めるというのは、男の子が多いかもしれませんが、二人も結構ノリノリに付き合ってくれるかもしれませんね。そんな冒険を一度はしてみたいものです。



さて、10話。全体の期間の1/3となりました!! 皆様のお気に入り登録、評価、そして温かい感想、本当にありがとうございます。
加蓮のPさんも、奏のPさんも、今年は勢いがありますね。これなら二人そろっての上位入賞、そしてシンデレラガールへの道も開けるかもしれません。

それでは明日も、奏と加蓮に清き一票をお願いします!!!


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4月20日「郵政記念日」

すみません、投稿予約がうまくいっておりませんでした。


 4月20日。私はテレビ局との交渉をまとめて事務所へと帰る途中であった。めっきり暑くなった春の午後。汗を拭き、上着は片手に抱えて。今日は服を間違えたかもしれない。

 

 そうして、暑い暑いといいながら歩き、不意に足を止める。あと十分ほど歩けば事務所。だが、そこにある郵便局の前に見知った顔が見えたからだ。それも、

 

「神谷さん?」

 

 加蓮と同じトライアドプリムスの神谷奈緒さん。そのふんわりとした髪が行ったり来たり、郵便局、いや、ポストの前をぐるぐるとしていた。

 

 何やら腕に抱えものをして、どこかそわそわとしている。

 

 何かあったのだろうか。 

 

 その様子が少し心配になり、声をかけることにする。だが、少しの駆け足で向かおうとすると、彼女の視線に入る手前で腕が引かれた。

 

「!?」

 

「しーっ!!」

 

 すっかり混乱してしまい、私はあわてて声を上げようとする。だが、今度はやわらかく、ひんやりとした手で口をふさがれる。思わず、スパイ映画のような展開だ、などと頭の奥でそんな馬鹿な考えがよぎる。だが、引きづりこまれた物影で私はいつもの声を耳元で聞いて、途端に混乱は収まった。

 

「大丈夫、大丈夫、私だから」

 

「加蓮!? なにやってるんだ!?」

 

 物陰から手を伸ばしていた加蓮はウィンクをし、かわいらしく口の前で指一本。その小さな頭の向こうには、どこか申し訳なさそうに頭を下げる渋谷凛さんもいた。

 

 いつもはザ・クールなのに珍しく困り顔のへの字眉。

 

「渋谷さんまで、何やってんの……」

 

「あーごめんね、プロデューサーさん。特に変なことをしているわけじゃないんだけど」

 

 物陰に隠れてストーキングしているのが変な事じゃなければ何なのだろうか。

 

 説明しづらそうに頬をかく渋谷さんを見かねて、加蓮に説明を促す。すると、加蓮は目をたのしそうにきらきらと輝かせながら私の両手をつかんで言うのだ。

 

「Pさんも協力して! 奈緒の一生に一度の大勝負なんだから!!」

 

「せめてもっと具体的に頼む」

 

 その勢いに気圧されながら話を聞くところによると、神谷さんは担当プロデューサーへの日頃の感謝を込めて手紙を書いたそうだ。で、それを今日までに投函すると、郵便局で特別な判を押してくれるそうで。

 

「一年に一回、今日だけの特別のハンコでね、恋が叶うとか言われてるんだ♪」

 

 と楽し気な加蓮。SNS上で大いに話題になっているとか。……うまい事盛り上げたな、郵便局。

 

 手紙が珍しくなった現代。いろいろと付加価値を模索中なのだろう。

 

「え、じゃあ、なに、神谷さん告白するの?」

 

 一個人としては喜ばしいし、先輩の慶事なら応援してあげたいが、立場もある。

 

「あ、それは違うよ。内容は普通に感謝の手紙」

 

 と補足してくれる渋谷さんに一安心。

 

「それなら普通に投函すればいいんじゃないか?」

 

「もー、わかってないよ、Pさんは。そういうことにも緊張しちゃうのが奈緒のかわいいところじゃない」

 

 本当に楽しそうだね、加蓮。

 

 そんな彼女が浮かべるのは、見惚れるくらい満面の笑顔。だが、その顔で日頃からかわれている私は、俄然神谷さんの応援をしたくなってきた。

 

 ただ、加蓮達の存在を知らせるとなると、がっちりと腕をつかまれているので大声で呼ぶくらいしかないが、そんなことをするほど無粋じゃない。

 

 結局、私は彼女たちとともに神谷さんを見守る道を選んでしまうのだった。そうして一分、二分どころか……。

 

「あ、また戻ってく」

 

「だめだめ! そっちに行っちゃ……!! あ、良かった戻ってきた」

 

「ふぅ……」

 

 初めてのお使いか!!

 

 ハラハラドキドキと神谷さんを見守る二人へ、心の中で大きくツッコミを入れる。にしてもあれだね、渋谷さんも加蓮側なんだね、やっぱり。

 

「あ、うん。ああしてる奈緒かわいいし」

 

 と涼しい顔で渋谷さん。加蓮との縁でいろいろと仕事を共にしているが、こうした面を見るのは珍しい。仕事の場面ではお茶目さは少なめだし。

 

 ただ、こうしている様子を見ると、先輩の『あの子はかなり可愛いぞ?』という評価もよくわかる。

 

「すごいな、もう十分くらいたつ」

 

 神谷さんの往復回数も相当な回数となっている。その時間、ずっと動き回ってる神谷さんも大変だろうが、ずっと見守っている私たちもかなり汗をかいてきた。

 

「……これ、日よけに使って」

 

 加蓮にスーツの上着を渡す。女の子二人くらいなら十分に隠せるだろう。あまり長い時間、日差しにあたっていないほうがいい。

 

「あ、うん、ありがと……」

 

「どういたしまして」

 

 にしても、どれくらい時間かかるのだろうか。

 

「手紙書くのもすごい時間かかったからね」

 

「執筆中も付きっ切り?」

 

 さすがにそれはちょっと引く。

 

 私の目線が訴えていたのか、加蓮はちょっと慌てて手を振り否定する。

 

「そんなことはしていないよ! 一ヵ月くらい前からせっついていたんだけど。……書きあがったのは昨日」

 

 長い。

 

「神谷さん、ほんと恥ずかしがり屋なんだな」

 

「「そこがいいんじゃない」」

 

「……そうだね」

 

 先輩ともしょっちゅう何でもないことでツンデレ気味の喧嘩を繰り広げているそうだし。ただ、そんなところも彼女の魅力なのだろう。純情で真摯な姿勢はファンの心をつかんで離さない。

 

「あ!!」

 

 と、渋谷さんが大きな声。慌てて神谷さんに視点を戻すと彼女はポストから少し離れたところで何度も深呼吸。

 

 うおおおお!

 

 なんて言いそうな勢いでポストへ向かうと、最後の一瞬、けっこうためらって、抱えていた手紙をポストへと放り込んだ。

 

「やった!」

 

 私は思わず、ガッツポーズ。と、私の横を通って、加蓮が一直線に神谷さんへ向かっていく。そのままタックルするように抱きついて、彼女の髪をわしゃわしゃと撫でながら、

 

『やったね、奈緒! がんばったねー!!』

 

 なんて、こちらまで聞こえる声でほめたたえている。

 

 一方の神谷さんは、顔を真っ赤にしながら、

 

『やっぱり見てたんだなー!? またやられたー!!』

 

 なんてパニックを起こしていた。けど、言葉とは裏腹に、その顔は嬉しそうで。

 

「加蓮ね、奈緒のこと本当に応援してたから」

 

「渋谷さん」

 

「奈緒が書くのやめようとするたびに励ましたり、今日も、楽しんでるように見えて、まあ、楽しんでもいたんだろうけど、心配してたんだ」

 

「加蓮は優しいからね」

 

「……やっぱり、プロデューサーさんも気づいてたんだ」

 

「そりゃプロデューサーですから」

 

 いつもより手がひんやりしていた。

 

 時々、人との距離感に悩むことはあっても、仲間と友達を誰よりも大切に思っている。それが北条加蓮という優しい女の子だ。

 

「ふふ、いつもプロデューサーさんがからかわれているところしか見てないけど、加蓮とプロデューサーさんもいいコンビだね」

 

「失敬な」

 

 渋谷さんの認識でも私はからかわれ要員だったとは。誰か、クールな大人としてみてくれる人はいないのだろうか。

 

「加蓮、からかうの本当に楽しそうなんだから」

 

 笑いながら言う渋谷さん。それを受け入れるのは中々納得いかないものではあるが。

 

 加蓮が楽しんでいるのなら、仕方ないか。

 

 あちらで可愛がられている神谷さんと、じゃれついている加蓮のもとへ渋谷さんも向かう。それにやっぱり驚く神谷さん。そんな、仲の良い友人たちの姿を見ながら、私は心が温かくなるのを感じた。

 

 あの景色を見れたのなら、すこし暑い思いをしたのも悪くない。

 

 

 

 帰り道。私と加蓮は二人と分かれ、事務所への短い距離を散歩していた。日が陰ってきて、少し涼しい風が流れてくる。

 

「今日はありがと、付き合ってくれて。ほら、奈緒、担当さんと仲がいいじゃない。話も合うし、すごい信頼してる。だから、改めてお礼言いたいけど、口でいうのが恥ずかしかったらしいから」

 

「このくらいお安い御用だよ。それより、ちょっと暑かったけど体調は大丈夫か?」

 

「うん! ぜーんぜん平気だよ。Pさんのスーツのおかげかな?」

 

 そう言ってくれるとありがたい。そう笑いあって。少しの楽しい時間を過ごす。

 

 たった10分ほどの散歩道。少しの時間でもう事務所が目の前だ。

 

「ねえ、Pさんも手紙とかもらったら嬉しかったり?」

 

「そりゃあ、ね。中身にもよるけど」

 

 答えると、加蓮ははにかみながら、

 

「じゃあ、はい、これ」

 

 手渡されたのは可愛らしい柄の便箋。不意打ちに、私は少し受け取るのが遅れる。

 

「そういう顔が見たいから、からかっちゃうの! あ、これラブレターとかじゃないから、安心して。それとも残念だった? ……奈緒と同じで、いつもお世話になってるPさんへ」

 

 中身は恥ずかしいから後で見てね、とにっこりと笑う加蓮に思わず頬が赤くなるのを感じる。

 

「……なんか、最近みんなから色んなものをもらってばかりだな」

 

 しみじみと言葉を紡ぐ。

 

「けど、私も奏も、Pさんから色々なものをもらっているから、おあいこだよ」

 

 だったら、

 

「それじゃあ、また、お返しもらえるように頑張らないと、かな?」

 

「じゃあ、今度は何あげようかな、考えとくね!!」

 

 君たちの活躍している姿だけで十分だよ、なんて、気障な言葉は少し気恥ずかしくて言えなかった。




北条加蓮と友人

デレステのコミュだと度々衝突したり、すれ違ったり、少し人づきあいが苦手な加蓮。けれど加蓮ほど友人を大切にしている子もいないと思うのです。
本音を言ってしまえるほど信頼しているから、ぶつかり合うこともあるのでしょう。
加蓮がこれからも仲間と楽しく仕事ができますように、私ももっと応援していきたいです。



それでは、明日も奏と加蓮に投票をお願いいたします。


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4月21日「ローマ建国の日」

ローマといえば何か、と考えたときに出てきたのは「舞台」でした。

そんなわけで、奏と演技のお話です。


 舞台というのは不思議なものだと思う。

 

 テレビのように彼我が区切られているわけでもない。あるのはちょっとだけの高低差と、幕のみ。それも題目が始まる前で、一度幕が開いてしまえば物質的な隔たりは此方と彼方にはないのだ。

 

 けれど、ほんの近い距離にもかかわらず、私は彼方を違う世界のように認識してしまう。

 

『私は今を生きて、死んでいる。永遠の命、それを満たすものはどこにあるのか』

 

 ナレーションが流れる中、人影が闇の中から現れる。

 

 一筋の光。

 

 降り下りたそれが一人の少女の姿を浮き彫りにする。

 

 常とは違う白いドレス。それと正反対な黒い手袋。それは身に架せられた業の象徴なのか。

 

 吸血鬼。悲しき永遠の住人が今日の奏だ。

 

 舞台の中。スポットライトに照らされた奏は緩やかな身振りを加えながらマイクへ向かって言葉を紡ぐ。

 

 それは遥かな昔の吟遊詩人のようで。

 

 言葉が空間にしみわたっていくたびに人々はほうと息を吐く。臓腑の奥からせりあがっていく感嘆と、畏怖の心。

 

 次第に演者が増えていく。

 

 吸血鬼が拾った一人の少女。彼女を狙う奴隷商。少女の探し求める父親。そして、吸血鬼を仇と狙う剣士。

 

 今日の演目はそんな彼らの物語を紡ぐ、朗読劇。

 

 ドラマや舞台演劇とは異なり、動きが制限される中、表情と声でどれだけの演技をできるのかが課題。

 

 だが、それに対しても奏は演技者として卓越した才能を発揮する。

 

 吸血鬼の抱えた葛藤。隠し切れない小さな命への愛。そして、決断を下す強い瞳。声と表情だけでない。息遣いと音圧。現地でなければ体感しえないそれを用いて、舞台空間を広げ、観客を物語の世界へと没入させていく。

 

 ラストシーン。

 

 吸血鬼は震える声を必死に抑えながら旅立つ。その瞳から一筋の涙が。

 

 

 閉幕。

 

 

 その一拍の後、緊迫の空気が弛緩していく。じんとかすかな脳のしびれ。ふと見ると私の手も震えていた。次第に観客の間に温かさが戻っていく。

 

 万雷の拍手の中、奏はひときわ丁寧な礼を示した。

 

 

 

 舞台裏。スタッフへの挨拶や来客対応を終えた私は奏の元を訪れた。ノックの後に控室に入ると、奏は椅子に腰かけ静かに目を閉じている。

 

「奏」

 

 私が一言声をかけると、彼女はゆっくりと目を開けた。少しぼんやりとした、彼方を見つめるような瞳。

 

 私はそれを見て、

 

「ほい」

 

「きゃっ!?」

 

 冷たいジュースの缶を頬へとくっつけた。思わず出てきたのは、ほんとにたまに聞くことのできる可愛い悲鳴。

 

「……Pさん」

 

「お疲れ様」

 

 そう告げると、奏はじっと私の目を見て、それから仄かに頬を緩めた。

 

「ふふ、ええ、ありがとう。……けれど、乙女の頬に悪戯するなんて、悪い人ね。女の子を起こす手段なんて古今東西キス以外ないのに」

 

「あいにくと日本は情熱の国じゃないのでね」

 

「あら、それじゃあ、そこまで連れて行けばキスをくれるのかしら?」

 

「それは保証できないけど、行きたいなら、いつか連れていくよ。約束する」

 

 楽しみにしてる、なんて奏は笑って。一口、ジュースを口に含む。

 

 ちょっと乱暴な、その仕草も絵になった。

 

「どうだった? 今日の舞台」

 

 のどを少し動かして、奏は落ち着いたように息を吐くと質問をくれる。私は言うことをもう決めている。

 

「最高だった。また最高を更新したと思う」

 

「そうね、うん。私も、すごく充実してる。まだ彼女の心が私の中に住み着いているもの。どこまでも人恋しくて、それでも憎まずにはいられない、悲しいあの娘が」

 

 奏は演技をするとき、役へとひたすらに没入していく。演技と普段の自分を切り離し、役へと変化した速水奏を演じ切る。

 

 そうして演じきった後、こうして役を演じた結果を静かに受け入れて、再び速水奏へと戻っていくそうだ。

 

 不意に下から私を見上げるように、珍しく幼い表情を浮かべながら、奏は手を私に差し伸べる。

 

「Pさん、ちょっと手を貸して?」

 

「う、うん?」

 

 静かな奏の頼みに怪訝思ったが、右手を差し出した。

 

「そう、この手」

 

 奏は私の手を静かに握る。両手で包み込むように。少し震えて冷たい温度が私の手へと伝っていく。

 

「じゃあ、今度は私の目を見て」

 

「それは、どうして」

 

「お願い」

 

 言われ、奏の瞳へと目を向ける。劇中では鋭く細められていたそれは、今は静かに私を見返していた。

 

 見ていると吸い込まれそうになるのを、懸命にこらえる。

 

 しばらく、手の温度を感じながら、彼女と無言の時間を過ごす。

 

 不意に奏は大きく息を吐いた。

 

「……ありがと」

 

「何か役に立ったかな?」

 

「ええ、とても。……自分で感じるよりも、誰かに認めてもらうことでわかる。そんなことも多いから。それが貴方なら猶更ね」

 

 少しだけ、心細そうな声に、胸の奥でひやりとしたものが伝った。

 

「……無理はしてないよな」

 

 それを拭いたくて、少し、言葉に硬さが混じる。

 

 けれど、奏はにっこりと安心をくれるように笑顔を見せてくれた。

 

「それは大丈夫。楽しかったわ。本当にやり切った充実感もある」

 

 そういって笑う奏はすっかり元に戻ったようだった。その様子に安心して胸をなでおろす。

 

「本当に不思議ね」

 

 奏はそう言葉をこぼした。

 

「演じているときは私が私じゃないみたい。大女優に、女子高生、騎士に、吸血鬼に、もっとたくさんの人生を演じて。

 

 昔の私ならどうなってたのかしら、あやふやになって。蕩けてしまったかもしれない」

 

「それは、怖いね」

 

 私は想像するしかないが、一人の人生を生きるのに必死な私ではそんなに多くの人生を背負いきることはできないだろう。

 

 いつも思う。奏という細い躰にどれだけの人生と視線が集まっているのか。それは、彼女にとって負担になっていないのか。って。

 

「ふふ、貴方のほうが怖がってどうするの?

 

 大丈夫よ。貴方が見てくれているだけで、舞台の私は『アイドルの速水奏』でいられるんだから。何を演じていても、何になったとしても、私は貴方のアイドル。……だから、目を離したらだめよ」

 

 そっと手にかかる力を感じる。とても重いけれど、決して重荷じゃない。

 

「そんなこと、しないよ。何時だって奏には夢中にさせられるんだから」

 

 奏を見ることに飽きるなんて、一体どんな天変地異が起きればそうなるんだ。

 

 そんな未来を私は一片も想像できない。

 

 奏はそんな私を見て、しっとりと頬を緩ませた。

 

 とても魅力的な、どこまでも飽きさせない等身大の女の子の表情。

 

「じゃあ、もっと夢中にしてあげる。もっともっと、成長する私を見せてあげる。そんな嬉しい言葉をくれるPさんに、二度と私から離れられないくらいに、ね」

 

 そうやって、普通の女の子は楽しそうに笑うのだった。

 




速水奏と演技

演技上手と評されて、実際に演じていると述べるセリフも多いなど、奏と演技は切り離せませんよね。どのカードでも表情が真に迫っていて、どきりと心が奪われます。
そんな奏ですが、普段の姿も演じているのか、というとそれは違うと思っている筆者。きっと、Pの数だけ奏の解釈も多くなるのでしょう。その謎めいたところも奏の魅力ですね。



本日は速水奏役の飯田友子さん、宮本フレデリカ役の高野麻美さんが出演された朗読劇を見てまいりました。やはり、劇を間近で見られるというのはとても素晴らしい経験でした。

明日も上演され、当日券もあるそうです。もし皆さまご興味あれば如何でしょうか?


中間発表も迫ってきました。投票もう済まされたでしょうか?
ドキドキワクワクの中間発表、二人がどの位置に立てるのか、楽しみです。


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4月22日「よい夫婦の日」

新妻加蓮、新妻奏。

想像するだに恐ろしいパワーワードです。


「理想の夫婦像?」

 

「そう。来週の取材で、それが聞かれるから、ちょっと考えてほしくてね」

 

 私はそう言って、二人に紙を渡す。ブライダル雑誌から送られてきた、取材の質問書。ある程度当日までに考えておいてほしい、とのことだった。その内容を見て、少し二人は困惑顔。

 

 奏は顔をあげて質問をしてくる。

 

「……これ、どんな答えを用意すればいいのかしら? アイドルや高校生らしい結婚観か、それとも私たちの素直な考え方か」

 

「私たち二人とも、ちょっとひねくれているからね」

 

 加蓮は少し皮肉っぽく、にやりとしながら言う。

 

 確かに、二人とも少しばかり独特な考え方を持っているだろうが。

 

「そこは、二人の素直な考えを書いていい。私たちに聞いてきたのだから、そういう答えがほしいんだろう」

 

 世間一般が求める結婚像を述べるのも、それはそれで普段とのギャップが魅力的に聞こえるかもしれない。ただ、二人とも、そんな型に収まるアイドルじゃない。少しくらい変わった考えを述べてくれたほうが話題にもなるだろう。

 

「Pさんがそう言うなら。そうね、素直に答えてみましょうか」

 

「けど、どう書けばいいかな。私、そんなに結婚生活のイメージとかないんだよね。小さい頃はあれだし、ついこの間までは捻くれちゃってたし」

 

「それなら、こうすればいいんじゃないかしら?」

 

 と言うと、奏と加蓮は顔を突き合わせながら小声で何事かを話し始める。困惑する、というよりも嫌な予感に冷や汗をかき始めた私をよそに、およそ一分ほど。

 

 顔をあげた二人は、見惚れるほどの笑顔で私を見るのだった。

 

「た、タダイマー」

 

 私はひたすらに感情を殺した声でドアをくぐる。『大根、ここに極まれりね』なんて奏の声は無視した。

 

 と、私の前に駆け寄る影。どん、と軽くタックルを受けると同時に柔らかい感触。

 

「か、かれん!?」

 

 腰に抱き着いてきた加蓮は小悪魔のように笑うと、妖艶な声で、私を見上げる。

 

「なぁに、あ、な、た」

 

 君、ほんとにこんな結婚生活が理想的なのかい!?

 

 雑誌の趣旨からは明らかに離れていっているような気がするのだが、加蓮は私の言を聞かなかったようにふるまう。ちょっとシナを作って、唇へ指を添え、

 

「こんな可愛い新妻加蓮ちゃんを前に、そんな態度なんて、ひどいわ、あなた」

 

 絶対に、そんなこと思ってないだろ。

 

 ぞわりぞわりと冷や汗だけが量を増す中、あんな提案を受けるべきじゃなかったと、改めて後悔する。

 

『結婚生活をシミュレーションしましょう。もちろん、相手はPさんで』

 

 なんて奏の提案。やめておけばいいものを、二人の勢いに押し負けてしまった。

 

 そして加蓮を相手に、新婚夫婦の真似をさせられているのだが。加蓮は何を思ってか、こてこての色っぽい新妻演技。

 

「そんな演技、どこで覚えたんだよ」

 

「んー、奈緒の漫画♪」

 

 神谷さんには今度、教育的指導をしなくては。

 

 そんな憤りの思いも、体に密着する加蓮の感触にどぎまぎとされる私の中では形になろうとしない。

 

 赤面が広がり、汗をかき続ける私を満足げに見上げると、加蓮は勢いよく離れ、その場でくるりと一回転。

 

「よし、Pさん成分も回収したし、離してあげる!」

 

 かわいい。

 

「……」

 

 奥から私を見つめる奏の目は無視することにした。断じて邪な思いは抱いていない。

 

「それで、どうする? ご飯も用意できてるし、お風呂もあるよ?」

 

 と、再び新妻演技とやらを始めたのか、無駄に色っぽく言う加蓮。私はなるべく感情を表に出さないようにして淡々と答えた。

 

「ご飯で」

 

「それじゃあ、ご飯ね。はい、上着ちょうだい。疲れたでしょう?」

 

「……ありがとう」

 

 言葉だけならとても優しい奥さんのはずなのだが、いちいち指で体を触ったりするのはやめてくれ。あ、こら、息吹きかけるな! そういうのは奏の役回りだろ!!

 

「それは流石に抗議の声を上げさせてもらうわよ」

 

 私の番、覚悟しておいてねと、奏。加蓮は私の態度を見るたびに満足げに笑いかける。

 

 さて、食卓なのだろう、私の机まで加蓮に手を引かれて移動すると二人、向き合い座る。この歳になってままごとをしているようなシチュエーションに私はそわそわとさせられる。

 

 だが、完全に悪ノリモードとなった小悪魔は、私の顎に手をかけると、

 

「そ、れ、じゃ、あ。私の愛情をたっぷり込めた料理。……食べさせてあげるね」

 

 と、突然、唇を寄せてきて。

 

「っ……!?」

 

 と、私が情けなく顔をのけ反らしたのを見て、ケラケラと笑い始めた。

 

「もー、むりだよ! Pさん、顔が面白すぎ!!」

 

 腹を抱えてしまった加蓮に私は言い返す言葉もなく、憮然とするしかない。さんざんにもてあそばれた私の純情はどうすればよいのか。断固抗議する。警察はどこだ!

 

「ふふふふ、あーだめ。こういうのはやっぱり似合わないね、私。礼子さんや美優さんみたいにアダルティにならないと」

 

 あの人らにやられたら、男でまともに立ってられるものはいないだろう。

 

 むしろ、無理して大人ぶるよりも今の加蓮のほうが魅力的ではある。そんなことは今は言わないのだが。

 

「さて、じゃあ、次は私の番ね」

 

 忘れてた。

 

 笑みをこらえていることが伝わる、そんな奏の声が地の底から響いてきた。

 

「お手柔らかにお願いします」

 

「ふふ、さて、どうしましょ」

 

 まずは帰宅のところからね、と言われ、私はなすすべなく、再び扉の前へと向かわされる。

 

 加蓮のあれを受けて奏がどう出るのか、私には想像できなかった。ただ、ここで逃げるわけにもいかないので、素直に扉を開ける。

 

「ただい、ま!?」

 

 私は声を裏返す。奏はすでに扉の目の前にいたのだ。俯き、そっと私の胸に手を添える奏の姿は私が想像していたものではなく。私はうろたえを隠すことができない。

 

「おかえりなさい。……寂しかったのよ」

 

 奏はそっと体を寄せてくると小さく囁く声を体に染み渡らせる。

 

 脳髄が痺れる。か細く、壊れてしまいそうな様子に、演技を忘れてしまいそうになる。

 

 が、加蓮の。

 

「Pさん、演技、演技」

 

 という楽し気な声が私の意識を現実へと引き戻した。

 

「ご、ごめんな、奏」

 

 必死にそんな声を出すと、さらに奏はせつない声で囁いてくるのだ。

 

「ううん、良いの。あなたは悪くないわ。……悪いのは、私よ。貴方と離れるのを、一時も待てない。よわい、わたし」

 

 と声に涙が混じり始める。

 

「ごめんなさい。こんな姿、あなたの妻としてふさわしくないわよね」

 

 わたし、わたしと。肩を震わせ始めた奏。理性の内では演技のことも、加蓮が笑い転げていることも認識しているのだが。

 

「そんなことないって、奏は、その、」

 

 反射的に言葉を告げようとした私の唇を奏が指で制する。

 

「いいの。わかってる。言葉はいらないの。

 

……貴方は優しい人だから」

 

 

 だから、唇で教えて、私が、貴方の妻だって。

 

 

 私はその言葉に息を呑み、唇が吸いこまれそうになって

 

「なんてね♪」

 

 とにっこりと金色の瞳を細めた奏を前に正気を取り戻した。

 

「心臓、に、悪い!!」

 

 私はどうしようもなく動悸を高まらせながら大きく息を吐く。

 

「さっきの加蓮の番の時、ひどい言葉を言うのだもの。お、か、え、し」

 

「アハハ、もー、おなかくるしい!!」

 

 加蓮へと向くと、彼女はぴくぴくと震えながら、ソファーの上のマットに頭をうずめていた。その中に隠れた顔は、声だけでわかる。

 

 私はそんな二人の小悪魔に弱らせられながら、せめてもと頼みごとをした。身から出た錆とはいえ、もう、精も根も尽き果てていた。

 

「たのむから、取材の時は素直に答えてくれよ」

 

 二人の返事を背中に聞きながら、屋上で気分転換するか、と私は部屋を出るのだった。

 

 

 

「ねえ、奏。どこまでが演技だったの?」

 

「加蓮こそ。作った口調はともかくとして、態度は本物に見えたけど?」

 

「ふふ、ナイショ」

 

「私もよ♪」




モノクロームリリィとの結婚生活

ウェディングのカードが初出となったモノクロームリリィ。そんな彼女たちの結婚生活、どうなるでしょうか?
私は案外二人とも寂しがり屋だったりしたら可愛いかなって思ったりしています。



大変遅くなりましたが、何とか日付が変わる前に投稿ができました。

明日は通常通りに投稿予定です。とうとう中間発表当日ですね。奏と加蓮、二人の飛躍を祈って!!


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4月23日「秘書の日」

いよいよ中間発表! ですが、今日はひとまずいつもどおりで


 これは夢だ。眠っているとき、あまりの現実感のなさに夢だと認識することもあるという。その類だ。

 

 ただ、苦しい夢だった。

 

 私は何者かを引きずって、暗いトンネルの中を歩いていく。大きく、丸いものだった。ロープで結び付けられ、ひいひいと息を吐きながら這いずりながら。

 

 この先にある一筋の光へ向かって。

 

 まったく夢の中とは言え、私は何をやっているのか。理性が訴える。

 

 せめて背負ったものの正体くらいは見てみたい。目を凝らしながら、後ろを振り向くと。

 

『ぴにゃあああああああああ!!』

 

 ……

 

「…さん、Pさん!」

 

「うーん、あっちいけぶちゃいくぅー。……はっ!?」

 

 どこか見覚えのある丸いキャラクターを見て、私は目を覚ました。あわててきょろきょろと辺りを見回すと、心配そうにこちらを見ている二人のアイドルがいる。

 

 私が目を覚ましたのを確認すると、大きくため息。

 

「お昼休みから帰ってきたら、うなされていたのよ」

 

 そうだった。仕事を溜め込んでいてしまったので、大急ぎで昼を食べ、そして机に向かっていたのだ。だが、昨日から徹夜してしまったからだろうか。気絶するように眠ってしまったようだった。

 

「もー、心配かけさせないでね」

 

「あ、ああ。ごめん」

 

「Pさんの体も、私たち以上に健康を守ってもらいたいところだけど……。すごい量の書類ね」

 

「あの蛍光緑の有能悪魔に渡されたんだ」

 

 これ、やらないとだめですよ。と、つみあがった書類を持ってきたアシスタントを思い出す。

 

 それを説明すると、加蓮はちょっと怒った様子でぷんすかと、奏はこめかみを押さえてため息をはく。

 

 私はといえば、二人に心配をかけてしまったことが申し訳なく、頭を下げるしかない。だが、二人は積みあがった書類を私の机から取り上げると、それを共用机に置いた。

 

「まったく、それで徹夜? ……仕方ないか」

 

「そうね。Pさん、私たちで手伝えることある?」

 

「いや、それはさすがに」

 

 今日は午後は二人とも仕事はない。だからといって二人に手伝わせるわけには。

 

「いつだったか、アイドルとプロデューサーは一心同体、なんて言ってくれたじゃない。今日はPさんが困っているみたいだし、少しくらいは手伝わせてほしいわ」

 

 真剣に見つめてくる二人。確かに、心身ともに限界に近い。そうして休んだりすると、今度は二人の活動に支障が出てしまう。

 

「……わかった、ありがとう」

 

 それと、二人の心遣いがうれしかったのも事実だった。

 

「それじゃあ、私がどんどんと書類を見て行くから、それを指示したファイルに閉じこんでくれないか」

 

「それくらいでいいの?」

 

「それをしてくれるだけでありがたいよ」

 

 意外と穴を開けて、中に閉じるという作業も大変なのだ。枚数が多ければなおさら。

 

 その作業がなくなるだけでも、私は書類を捌く速度を大幅に上げることができる。

 

「じゃあ、これ、1番で」

 

「はい」

 

 隣に立つ奏へ書類をわたす。

 

 奏はそれをてきぱきとファイルにまとめてくれる。手馴れているわけではないが、見ていてまったく心配にならない。

 

 そうして収め終えると、また私の隣に来て、次の書類を持っていってくれる。

 

 ふと、そんな様子から秘書をやってもらっているような錯覚に陥った。確かに、OLに間違われるという奏は有能なできる秘書という感覚を与えてくる。

 

 こんな秘書いたらなあ。なんて、まだまだ下っ端のPの愚痴がもれそうになる。けれど、それを閉じ込めて黙々と作業をすることを選んだ。

 

「はい、加蓮。次は3番に」

 

「はーい♪」

 

 一方の加蓮は奏よりも元気よく。ただ、いつもの甘い声は返事だけで、手伝いをするしぐさは真剣そのもの。

 

 そんな風に返事と小さい指示だけが続いて行くオフィスは今まで無かったほどに静かだった。いつもが騒がしいというわけではないのだが。それでも、二人の会話が無いだけで室内の様子が変わる。

 

 時々窓から入り込むかすかな涼しい風の音。それすらも感じ取れるほどに、少しの応答の声を除いて無音が広がっていた。

 

 こういう雰囲気になると、得てして仕事は速く終わるものだ。あれだけ溜まっていた書類も要領よく無くなっていく。

 

「なんだか、こういうのもたまにはいいね」

 

「加蓮?」

 

「だって、普段、Pさんがどんなお仕事しているのか分かるじゃない」

 

「ライブのスタッフさんたちのお仕事は、私たちにも分かりやすいものね。けど、Pさんたちのお仕事って、こういう書類仕事とか、普段は見せてくれないでしょ?」

 

「まあ、そりゃね」

 

 アイドルに裏方の不安ごとを持たせないように働くのがプロデューサーの務めだ。彼女たちがステージできらきらと光り輝けるように、徹底的に準備する。こうした事務仕事に気をとらせるわけにはいかない。

 

「時々手伝ってあげようか? 今日みたいに」

 

「だめ。二人にはアイドルとしてやってほしい仕事が山ほどあるんだ。こういう細々したのはもっと大人になってから幾らでもできる」

 

 もっと、この子達には夢へと向かってきらきらしてほしかった。

 

「……よし、それじゃあ。これで終わりだ」

 

 小一時間ほど。驚くことに、それだけで書類は捌けていった。うまく集中ができ、効率よく処理することができたおかげだろう。

 

 大きく息をして背筋を伸ばす。

 

 肩をまわすとぽきりぽきりと、ひどく凝った音がした。けれど、重荷がなくなったからか、不思議とその硬さも心地よい。

 

 と、その肩にそっと手が置かれた。

 

「うわっ、ほんとにがっちがちじゃない!? お風呂上りとかマッサージとかしてる?」

 

「えっと、加蓮はどうしたんだ?」

 

「うん。揉んであげようと思って」

 

 言うやいなや、細い指先に力がこめられる。少し痛いくらいだけど、どこか心地いい。

 

「ほらほら、おじいちゃん? どこが凝ってますかー」

 

「私はおじさんでもないし、ましてやおじいちゃんでもない!!」

 

 お兄さんだ、まだ!!

 

「はいはい。じゃあ、ここかな? ぎゅーっ」

 

「ぐぅう」

 

 思わず声が漏れる。痛いけれど、確かに気持ちいい。つぼが的確に押されているのがよく分かる。

 

「加蓮、上手なのね」

 

「そこそこ得意だよ。病院にいるとね、こういうことも教えてもらえることあるんだ。ずっと寝てばかりだといろいろほぐさないといけないから」

 

「あー、そこ。気持ちいい……」

 

 ぐりぐりとされるたび、息が抜けて行く。

 

 と、少ししたら手が離されて。

 

「はい、次は奏の番ね」

 

「ふふ。任されましょうか。加蓮、Pさんの弱いところ、教えてくれる?」

 

 また違った指の感覚。加蓮と違って少し探り探りだが、それでも丁寧に凝りをほぐしてくれる。

 

「たまには、感謝の気持ちをこめて労わって上げましょう」

 

「そうだね。また元気になって、いっぱいからかわれて貰わないと」

 

 そんな会話を遠くで聞きながら。私は心地よい刺激の中に落ちていくように意識を遠のかせていく。起きがけとは違って、それはとても心地よい眠りだった。




さて、中間発表。予約投稿ですので、書いている際には結果が分かりませんが。
奏と加蓮がよい順位につけていますように!!

明日からも二人への応援、投票、お願いいたします!!


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4月24日「植物学の日」

中間発表!

加蓮中間3位!!

奏Co5位!!

まだいけます! 二人そろっての総選挙CD出演、その夢が見えてきた!!


「みんな! 今日は来てくれてありがとう!!」

 

「まだまだこれからよ!! 私たち二人が、夢の世界に誘ってあげる!!」

 

 明るく夢を広げる加蓮と、怪しく夢へと堕とす奏。アンバランスな二人による、不思議な調和によって成り立つライブステージ。

 

 軽快な音楽と、突き抜ける歌声が会場中に満ちていく。

 

 今日はダンスに力を入れているので、二人とも動きやすい衣装。パンツスタイルの奏と加蓮はお姫様というよりも、クールな踊り子。特に加蓮は普段、激しいダンスを中心にするのは珍しいからか、私としても新鮮な感想を抱く。

 

 そんな二人に合わせて、観客が激しい歌に合わせてコールとサイリウムで盛り上げる。いつも思うことだが、彼らの存在というものは大きい。

 

 私のいる少し離れた場所から見るサイリウムは、星々が輝いているようで。これほど美しいものがあるのか、と思わず目を奪われる。それはステージの二人も同じなのだろう会場のボルテージが上がるごとに、二人も目に見えて楽しんでいる様子が伝わってくる。

 

「それじゃあ、今日のラスト! いくわよ!!」

 

「最後までついてきてね!!」

 

 二人の渾身の声。

 

 そうして、今日もライブが終わる。きっと、私と同じように、今日の日を観客は忘れることはないだろう。

 

 

 

 私たちの事務所は定期的に大型ライブを行っているが、それとは別にユニットライブも活発に行っている。今日は後者の方で、ファンクラブの会員を中心に行なったライブハウスでのイベントだった。

 

 観客たちの満足げな顔を見届けて。私はいくつかの差し入れをもって控室へと向かう。入って言うのはいつもと同じ言葉だ。

 

「お疲れ!! 最高だった!!」

 

「もう! Pさん、いつも同じこと言ってるじゃない」

 

 と笑っていう加蓮。そうは言ってもだな。どれだけ言葉を尽くしても、この言葉を超えることはないだろう。君たちのライブは最高だ。何時だって前回を超えていく。

 

「ふふ、褒め上手。だけど、たまには言葉だけじゃなくて唇でご褒美くれてもいいんじゃないかしら?」

 

 奏もかなりテンションが上がっているようだ。汗をぬぐいながら、色気を出して唇を指さす。正直、男としては魅力に参ってしまいそうだが、そういう罠にはまってしまうと奏の思うがままなので、必死に目を向けないようにする。

 

 そういうやり取りもいつものこと。

 

 二人と少し談笑しながら、持ってきたペットボトルやら、お菓子やらを机に広げていく。

 

 すると、楽屋の中に置いてあるいくつもの花束が目に入った。

 

 今日は熱心なファンの方が多く、彼らはありがたいことに、ライブのたびに花束やフラワースタンドを送ってくれる。イラストなどの手間と工夫を凝らしてくれたそれらは華やかに部屋を飾ってくれていた。そして、そこには

 

「やっぱりユリの花が多いな」

 

 モノクロームリリィ。言うまでもなくリリィはユリの花だ。手紙もそうだが、ユニットでのライブではその花を模した贈り物が多い。

 

「おお、青いユリだ」

 

 その中の一つに、白と青のユリの花束が存在した。思わずそれを手に取ってみてみる。青は食紅を使ったのだろうか、とても鮮やかなそれは一際目を引いた。

 

「いつも送ってくれる方から。綺麗でしょ? 自然界ではあり得ない色。人が心を配らないと実現しない、想いの結晶」

 

 奏はその青が気にいったようで、そっと一房をなでる。紫やそれに近い色のユリは品種改良によって存在するが、鮮やかな青というのは珍しい。

 

「白が加蓮で、青が奏、かな?」

 

「どうかな? トライアドプリムスだと私も黒だったり、青だったり着るし」

 

「けれど、私は青か赤が多いもの。きっと、青が私なのでしょうね」

 

「うーん、私が『純粋』『無垢』ってガラかなぁ」

 

 加蓮はうーんと、腕を抱えて悩む仕草。

 

 白ユリの花言葉は確かにそれである。

 

「私は加蓮ほど純粋な女の子もいないと思うけどね」

 

「それ、褒め言葉かな?」

 

「もちろんよ。それに黒のユリよりも綺麗でアイドルらしい花言葉じゃない? ね、Pさん?」

 

 と、奏は言う。確かに、奏のイメージを黒百合としてしまうと、途端にアイドルらしくなくなってしまうが。

 

「いや、そんなわけではないぞ? ああ、加蓮が純粋だっていうのはそうだと思うが」

 

 と私が否定する言葉を告げると、珍しく怪訝な顔を奏は浮かべた。

 

「確かに、色違いのユリって意味でモノクロームリリィってつけたけれどね。

 

 奏は黒百合っていうイメージでつけたわけじゃないさ。元々あの花はユリの仲間ではあるけれど、少し離れた仲間だし」

 

 ユリの学名がLiliumと、私たちがよく知るリリィという名前の元なのに対して、黒百合というものはFritillariaというらしい。形が似ているから混同されがちだが、れっきとした別の植物である。

 

「へー、Pさん植物にも詳しいんだ」

 

「ユニット名決めるときにいろいろと調べたからなあ」

 

 二人の看板となる名前だ。よく頭を悩ませたのを覚えている。ロゴにも色違いだが、形は同じユリを採用しているのだ。

 

「てっきり花嫁衣裳も黒だったから、そうだと思っていたのだけれど」

 

「奏に『呪い』なんて花言葉は似合わないだろう?」

 

「『呪い』と『愛』なら、私らしいかなって思っていたわ」

 

 そう言う奏は気を悪くした様子もなく、それでもよかったのだけど、なんて妖艶な笑みを浮かべて見せる。確かに、そんな顔を見ると、少し禁忌や秘密を連想させて。奏にもそれらの言葉を抱くことはできるかもしれない。

 

 けれど。

 

「奏も加蓮もどちらも純粋で綺麗で、キラキラと輝くアイドルだよ。色は違うけど同じユリ」

 

 だから、モノクロームリリィは対等で、けれど、まったく違うアイドルのユニットなのだ。

 

 と自信満々に言ってみると、二人はぽかんとした表情。

 

「すごい、Pさんがプロデューサーみたい」

 

「てっきり語感で決めたとばかり思っていたけれど。そこまで考えていたのね」

 

「ちょっと私の評価どうなってるの!?」

 

 子どもみたいで、ロマン主義なのにねー等と笑いながら見直した等といってくる二人に少し憤慨する。そんなに普段の私は子供っぽいか!

 

 ごめんね!!

 

「けれど、うん。いい名前だと思う。改めてだけどね」

 

「Pさんが私たちどう思ってるかも分かったしね。そっかー、純粋かー」

 

 そう言う二人はどこか嬉しそうで。からかわれがちな私は少し憮然とするも、現金なものだ。二人がそう言って、嬉しそうにしてくれると、何でも許せてしまう。

 

「純粋」「無垢」そして「高貴」

 

 女性としての美の象徴であるユリの花。

 

 まだまだ先が長いアイドルの道。二人が歩く、その未来でこの名前が彼女たちの忘れられない良い思い出となるように。

 

「二人とも、話があるんだ」

 

 だから、今日、この喜びを共有できることも、その未来への一歩になればいいと思う。

 

「総選挙の中間結果、でたよ」

 

 私は二人にその言葉を告げたのだった




モノクロームリリィの名前

最初に名前を聞いたとき、どんな意味だろうと思いました。けれど、不思議と頭に残って、調べてみると、また解釈が難しい。
けれど、とても綺麗な名前だと思うのです。少し不器用で、けれど進む道に純粋なアイドル二人が共に抱く名前。いつか、他の方の解釈も聞けたら、と思っています。



さて、中間発表!! 加蓮と奏、二人とも昨年から大躍進!! 奏が総選挙CDに入るには楓さんと文香、茄子さんを超える必要がありますが、それもまた負けず嫌いの奏らしいですね。

明日は少し頑張って、二話分投稿しようと思っています。奏と加蓮がそれぞれ主役の一話ずつ。

それでは、明日も二人への投票、よろしくお願いいたします。


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4月25日「落とし物の日_加蓮」

落としたもの、やり残したこと、少しの悔い、きっとみんな持っています


 4月25日。彼女たちに中間結果を告げた次の日。

 

 出社した私は、オフィスに入ると奇妙な書置きを見つけた。私の少し散らかった机の上に、そっと置かれた一枚のメモと、そこにクリップで挟まれた白い紙。

 

 メモの筆跡は、ウチの姫様の一人のもので。

 

 どうやって置いたのだろうか。今日はオフの日だったはずなのだが。もしかしたら私より早くオフィスに来ていたのかもしれない。

 

 メモに書かれた丸い女の子の文字。そこには、

 

『探してください♪』

 

 とカラフルな色で書かれ、クリップに挟まれていたのは私の名刺。

 

 私はそれを見てしばし、ため息を吐いて、頭をかく。あの失踪娘の癖が移ったのかも、と少し心配になった。

 

 

 スーツを揺らしながら、事務所を出て五分ほど。

 

 都会の雑踏の中を私は小走り気味に移動する。

 

 四方八方に名前も知れぬ多くの人々。それが数秒の邂逅の後に流されていく。誰も、そこにいるのに互いを認識もしていない。そんな寂しい都会の景色。

 

 その中でたった二人だけの大切な人を見つけられた私は、世界でも有数の幸せ者だと思っていた。

 

 そんな私に幸せをくれた少女が目の前にいる。最初に出会った、その場所に。

 

 あの時と同じ制服、髪型。バッグまでその時のまま。けれど、あの時と大きく変わった楽しさにあふれた瞳の輝き。

 

「失礼」

 

 そんな景色に懐かしくなったのか私も少し趣向を凝らしてみた。かつては自然にできなかった笑顔を浮かべて。そして、同じ言葉を彼女に告げる。

 

「アイドルに興味ありませんか?」

 

 彼女がその言葉に振り向く。

 

 少女は、加蓮は、私を見てその顔をほころばせるて、大切なものを噛みしめるように、私の名前を呼んでくれた。

 

「Pさん」

 

 少し恥ずかし気な、はにかむ声。

 

 私たちは少しの駆け足で歩み寄ると、加蓮は私の手を握る。もう、その目にはあの時の寂しげなものはない。満面の、花咲くばかりの笑顔が私を見つめていた。

 

「ふふ、やっぱり見つけてくれるんだね」

 

「不思議なものでね、あの名刺見たときに直ぐにこの場所が分かったよ」

 

「うん。Pさんが私にくれた、最初の宝物」

 

 加蓮に名刺を返すと、嬉しそうに胸元でぎゅっと。そして、大切なものを扱うように大事にしまい込んでくれる。

 

「ふふ、やっぱりこれ持っていると元気が出るんだ!」

 

「少しはお守りになっているといいんだけどね」

 

「だいじょーぶ、ちょっとひどい神様よりも私を守ってくれてるよ」

 

 ふふふ、と加蓮ははにかみながら、私と腕を組む。

 

「ね、ちょっとだけでいいから散歩しよ!」

 

 その笑顔を前にして、断る言葉を私は持ってはいなかった。

 

 少し人混みから離れて、静かに風が流れる中を私たちは歩いていた。特に何を話すわけでもないけれど、とても心は穏やかで。加蓮は私の手をつかんだまま、ずっと笑顔を咲かせている。

 

 ゆっくりと踊るようなテンポ。

 

「……すごいね。少し歩いているだけなのに、こんなに楽しいなんて」

 

 加蓮は空を見上げる。

 

「綺麗な青空に、涼しい風、それに隣にはPさんがいて。それだけで楽しくなれるなんて、昔は思えなかったよ」

 

 柔らかく、丁寧に腕に力が込められた。伝わる温もりと、少し伝わる心臓の音。きっと私の大きな音も伝わっているだろう。

 

「昔の私、大変だったでしょ?」

 

 そうだね、と少し考えて答える。

 

「不審者扱いされるわ、口を開けばめんどくさいだわ、初ライブだと倒れそうになっちゃうわ」

 

「あはは! ほんとひどいね、私。でも、Pさん一度も怒らなかったよね。叱ることはあったけど、倒れちゃうときまで」

 

「あの時ばかりは本当に心配したんだからな」

 

「分かってる。もう、変な無茶はしないよ」

 

「うん、信頼してる。その後、奏も事務所に来て」

 

 そう言うと加蓮はまずい話題になった、とばかりに目線をわざとらしく逸らす。

 

「私、おもいっきり拗ねちゃって。それで嫉妬しちゃって……」

 

「今でも不思議なんだけれど、よく仲良くなったな」

 

 加蓮の初ライブの後にスカウトしたのが奏だった。一見、何事もそつなくこなす奏に加蓮は目に見えて対抗心を見せていたし、奏も本心を明かそうとしなかった。

 

 奏自身も加蓮に対抗心を抱いていたから。

 

 『必死に何かを努力した経験、なかったもの』とは、後に奏が語ったことだった。

 

 少しギクシャクした毎日が、突然終わり、そして二人は仲良くなった。

 

「何があったんだ?」

 

「女の子のひ、み、つ。特にPさんには一生ヒミツ」

 

 と加蓮はにこやかに笑う。何があったのか気になるところだが、それは二人の大切な思い出なのだろう。

 

 私はその言葉に少し苦笑いを浮かべるに留めた。今が二人にとって楽しい時間なら、それでいいのだ。

 

「いろいろあったね。苦しいことも、悔しいこともあったけど。けど、どれも楽しかった。そう思えるのは、応援してくれるファンのみんなと、奏や凛、奈緒、大切なみんなと。それと、Pさんのおかげだよ」

 

 どこか、過去を懐かしみながら言う加蓮。そんなに昔のことではないのに、たくさんの思い出があって。私も言葉に合わせていろいろな景色が浮かんでは消えていく。

 

「こら、まだエンディングじゃないぞ」

 

 そんな全部終わったみたいなこと言うんじゃありません。と、加蓮は舌を出し、ごめんなさい、と。

 

「私だって、まだ終わらせないよ! まだまだ頑張って、まだまだ走り続けて、もっと高いところまでいって。それで、みんなにキラキラとした夢を見せられるような、アイドルになる」

 

 それが私の夢。

 

 だから。

 

 加蓮が足を止めて、私へと振り向く。

 

 騒がしい都会の、静かな場所で、私は大切なアイドルと向き合っている。

 

「Pさん、もう一度アタシをスカウトしてくれない」

 

 少し緊張した、けれど強い決意を秘めた目が、そこにあった。きっと素晴らしいアイドルになる。いつも、いつでも、私は加蓮を見るたびにその姿が目に浮かぶのだ。だから、

 

「君にはトップアイドルになる資質がある。きっと、そこまで連れていく。だから、アイドルになりませんか」

 

 私は新しい名刺を差し出した。

 

 あの日と同じ、少し緊張に震えた私の指。そこに細い指が添えられる。

 

 加蓮は、それを静かに受け取ると、そっと俯き、静かに口を開いた。

 

「……アタシ、特訓とか、練習とか、下積みとか努力と、気合とか根性とか、そういうキャラじゃないんだよね。体力もないし」

 

 それはあの時と同じ言葉。けれど、

 

「けどね、変わっていくから。特訓も、練習も下積みも、気合と根性も、大好きになる。だから、アタシを」

 

 

 

「私をトップアイドルにして、Pさん」

 

 

 

 静かな、加蓮の全てを込めた決意の声。私は溢れだしそうな思いをこらえ、加蓮の手を取る。

 

「ああ、きっと! きっとトップアイドルにしてみせるよ」

 

 触れた手は少し震えて。けれど、力が籠められ、熱いくらいだった。加蓮の夢。その熱が伝わってくる。加蓮は少し目を見開き、そして、静かに涙をこぼす。

 

「あの時、言えなかった言葉。やっと言えたよ……。

 

 今でも信じられない。アタシがアイドルになって。それで、こんなに沢山のファンの人に応援してもらって。それで、もしかしたら、トップに届くかもしれないなんて。

 

……夢じゃないよね」

 

「大丈夫、夢じゃない。それに、まだまだ先がある。トップに届いても、まだ見れない景色もたくさんあるんだから」

 

「……あはは! まだまだ先の、綺麗な夢があるなんて。ほんと、Pさんは魔法使いだね!!」

 

 涙を拭って、加蓮は私の腕をぎゅっと握りしめる。

 

「それじゃあ、私の素敵な魔法使いさん。これからも、私のプロデュースよろしくね!!」

 

 もちろん、私の答えは決まっていた。




今日は十一時ころにもう一話投稿いたします。

加蓮と過去。
きっと、加蓮にとって過去は苦いものでしょう。あまりプロデューサーにも過去の話はしたがらないですし、同情されたりするのも苦手。
けれど、あの時の経験が人々に夢を与えたい、そんな加蓮の夢へとつながっています。きっと、加蓮はこれからも、過去を踏みきって、大きく飛躍することができるのでしょう。


そんな彼女の夢が見えてきた中間発表。

どうか、加蓮にガラスの靴を。


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4月25日「落とし物の日_奏」

本日二本目。


「ねえ、少しいいかしら? ちょっと付き合ってほしいのだけど」

 

 4月25日。奏はふと真剣な顔で私に尋ねてきた。

 

 誤解を恐れずにいえば、奏は面倒をかけないタイプだ。仕事は何でもこなしてくれるし、その現場全てで最高のパフォーマンスを続けてくれている。

 

 普段のからかいはほんのご愛敬。

 

 何か頼みごとをされるときでも、自然体な雰囲気で尋ねてくることが多かった。

 

 そうした何時もの面から見ると、今の奏は少し違った雰囲気で。

 

「もちろん、どこへ?」

 

 私は一も二もなく頷くのだった。

 

「ありがと、Pさん」

 

 そんな小さな感謝の言葉に私は少しの不安を感じ……。

 

 

 

「で、どうしてこうなってる」

 

「ふふ、楽しいわね♪」

 

 そんなシリアスなムードはそれほど長く続かずに。私は奏に連れられて、都会のど真ん中を歩いていた。それも仕事をするわけでもなく、つまるところ、ウィンドウショッピング。

 

「たまにはいいでしょう?」

 

「そりゃ良いけれど。奏、買い物長いからなー」

 

 仕事は終わらせてきたから良いとして。以前も多くの荷物を持つことになったの忘れてないぞ。

 

「あら、ひどいわ」

 

 そんな風に笑うと、奏は私の腕に自分のそれを絡ませて、そっと体重をかけてくる。奏は決して重くはないのだが、その温もりだったり感触は私を戸惑わせるのに十分だった。

 

 珍しく鼻歌なんて歌いながら。奏は私を連れて、おしゃれな街角をふわふわと。

 

「いつも思っていたのよ。Pさん、同じような服ばかり着てるし。休日もスーツでしょう? もしかして私服とか、持っていないのかなって」

 

 そういう奏に私はとっさに反論しようとするのだが。

 

「いやいや、そんなことは……。まあ、着ることめったにないけど」

 

 あれ、私服に着替えたのいつだったっけ。等と呟くと、奏はため息を吐いて、ほんとうだとは思わなかったわ、と。

 

「もう! だめよ、少しは自分の生活も豊かにしないと。心の余裕と楽しみは想像の源。夢を作る仕事なら、気をつけないと」

 

 確かに、言うとおりである。二人のプロデュースの楽しさにかまけてしまっていたが、もっと生活に喜びを満たさなくてはいけないかもしれない。うんうん考えていると。ぎゅっと腕に奏の体が押し付けられる。

 

「ふふ、それじゃあ。今日は私がPさんをプロデュースしてあげる。普段と逆ね♪」

 

 心底楽しそうな奏は、私をあちらこちらの店へと連れまわす。

 

 さすがに女の子はこういったおしゃれな街をよく知っている。路地裏の小さな店にはおしゃれな小物。見るからにワイルドな店にはレザージャケットやどこかアメリカンな服。

 

 普段私が向かうことはない店に入っては、奏は楽しそうに私を着せ替え人形としていく。アイドルのプロデューサーなので衣装デザインの参考にするためにも女性向けのトレンドにはアンテナを張ってはいる。

 

 けれど、自分の服というのには中々無頓着であった。

 

「あら、こういうのもいいんじゃないかしら?」

 

「いや、流石に派手すぎるだろ」

 

 虎柄のジャケットにサングラス。奏はくすくすと笑っているので、その褒め言葉と思われるものも信用ができない。

 

「Pさんはロマンチストなのに、こういうところは保守的なんだから。もっと冒険しないとだめよ?」

 

「奏にそう言われる日が来るとは」

 

「私だって挑戦する楽しさは教えてもらったもの、他でもないPさんにね」

 

 それじゃあ、次はこれ。と新しい服に袖を通す。これはまたおしゃれなジャケットだけど。

 

「いいのかな、こういうのも……」

 

「Pさんも素材は良いんだから、堂々としていれば似合うわよ。うん、かっこいい」

 

 なんて、奏はおだててくれる。私はついその気になって少し鏡を見つつ姿勢を正してみたり。なんか、似あっている気がしてきた。

 

「……買ってみようかな」

 

「それじゃあ、その服を来て、デートの続きと行きましょう」

 

 デートという所は否定してもいいかな?

 

「けど、町行く人はどう思うかしら? こんな時は年上に見えるのも悪くないわね」

 

 なんて、店を出るや否や、奏は再び体を寄せてくる。いつもよりも多めの笑顔はとても魅力的で。私は服とは不釣り合いな戸惑い顔のまま、再びの探索へと連れ出されるのだった。

 

 もう日が暮れ始めている。

 

 私たちは海を見つめながら自販機で買った缶ジュースを並んで飲んでいた。傍らにはいくつかの紙袋。

 

 どれも私の服や、生活グッズやら。こんなに自分のものを買ったことは初めてかもしれない。

 

「綺麗な夕焼け。世界の全部が同じ色になって、融けてしまいそうな怖い色。けど、あなたと一緒ならそれも一興、かしら?」

 

「……すまん、うまい返しが思いつかない」

 

「あはは! そうだと思った。それがPさんだもの、仕方ないわよ」

 

 本当に今日の奏は表情が大きく変わって。長く見てきた顔なのに、それでもますます魅力されていく。

 

「今日はどうしたんだ? いきなり」

 

「迷惑だったかしら?」

 

「そんなわけないさ。楽しかったよ、本当に」

 

「……ありがとう」

 

 そっと私たちは寄り添い、沈みゆく夕陽の最後の名残を見送る。

 

「……あの時もこんな場所だったわよね。貴方が、私を求めてくれた場所。もう、随分と昔のことに思えるけれど。けど、本当に毎日が輝いていて。貴方が私を輝かせてくれたの……」

 

「奏?」

 

「ううん。特に何かあったわけじゃなくて、ね。ただ、忙しい日々の中で、何かやり残したことはないかって、そう思ったの。

 

 だから、いつもお世話になってるPさんに、何かしてあげたかった。そんなこと言ったら少女趣味すぎるかしら?」

 

 いたずらっぽくいう奏と、そんな可愛らしい言葉に呆とさせられる私。まったく、この子はいつもそうやって驚かせてくれる。

 

「いや、とても嬉しいし、そんな奏が魅力的だよ」

 

 なんて、少し気障なことを言いたくなったのは、雰囲気に中てられたからか。

 

 そうすると、奏は一歩、私との距離を縮める。瞬間、空気が変わるのが分かった。

 

「もう、いつもは雰囲気なんて考えないのに。こういうときばかり嬉しいこと言うのね。……ほんとずるい人」

 

 お互いの息遣いの、その温度すら伝わってくる距離。少し赤らめた顔の奏はそっと、掌を私の手に重ねる。

 

「けど、そんなずるい人だから私はアイドルになったの。貴方の偶像に。誰かに見られる私が、私自身になるなんて。昔の私なら、きっと許せなかったのに……」

 

 すっと伸ばされる手が私のネクタイをほどいていく。

 

 首元に伸ばされた手がこそばゆく。けれど、私は奏の瞳に、声に、姿に魅了されて動くことができない。いや、この奏を見たくて、動きたくなかったのだ。

 

 むき出しの肌に奏の手が触れる。耳の奥で、心臓の鼓動がうるさいほど。

 

「……Pさん、貴方から見て、私はどう? 貴方の望んだ、理想のアイドルになれている? 魅力的な、あの人たちを超えて、頂に立てるような……」

 

 少しの不安に揺れる瞳に。私は迷いなく頷いた。

 

「もちろん。私が望んだ。そんな想像をはるかに超えていくアイドルが速水奏だ」

 

「……ありがとう、私のプロデューサーさん」

 

 そっと、最後に温度を残し、奏が離れる。少し後ろを向き、そして、私に渡される細長い箱。

 

「それじゃあ、これは前祝いのプレゼント。Pさんが、貴方の言う宇宙一のアイドルのプロデューサーになる、その日のね」

 

 奏に促されるまま開けたそこには、白と青の調和が美しいネクタイ。

 

「Pさん、私、きっとトップに立つわ。加蓮にも、憧れのあの人たちにも負けない、トップアイドルに。だから」

 

 その時はそのネクタイを着て、隣に居てね。

 

 奏はそう言うと、輝くばかりの笑顔をくれるのだった。

 




さて、少し遅れてしまいましたが、中間選挙上位入賞記念ということで、無事に二話分を投稿できました。

落とし物の日ということで、普段は二人が言いそびれた言葉だったり、行いだったりをテーマにしてみましたが、いかがだったでしょうか?


二人と出会って、私もまたいろいろな挑戦ができています。この小説もそう。日常生活でも多くの力をくれています。

そんな二人が共に頂へ立てる。そんな日を夢見て。


明日も二人へのプロデュース、投票、よろしくお願いいたします!!


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4月26日「よい風呂の日」

今日は三人でまったりの日。温泉、たまには行きたいな。


「いぃいゆーだーなー、あははん」

 

 なんて、相当に間の抜けた歌を歌いながら暖かいお湯の中へと体を沈める。

 

 体を包む暖かさ。触れ合う空気さえぬくもりを感じる。少し手を体に添わせるとすべすべとした気持ちよさが広がるのだ。

 

 日本人に生まれてよかったと思うのは、こういうときである。ああー、体に沁みるー、心が潤うー。

 

 私は日々の疲れをお湯の中に絞り出すように、湯の中で大きく伸びをした。

 

 今日は二人のラジオ番組の公開録音ということで、有名な温泉街へとやってきている。出張録音に、来てくれた人向けにミニライブ。

 

 それが終わったので、私たちは温泉宿に宿泊することとなった。普段の一人旅なら決して宿泊できる値段ではないが、そこはアイドルが泊まるということでプライバシーには人一倍厳しいところを選んでいる。

 

 こういう時、会社が宿泊料金を出してくれるというのはありがたいことだ。そして、二人が頑張ってくれているので、おまけにあずかれる。

 

「かんしゃ、かんげき、ありがたやーありがたやー」

 

 感謝の気持ちがあふれて、なむなむと拝んでみる。体が蕩けていく中で極楽浄土にいる気分となっていた。

 

 と、仕切りの向こうから聞きなれた声が響いてくる。

 

「Pさーん! そっちどう!?」

 

 と加蓮は大きな声で呼びかけてきた。周りを気にしない声に、向こうにも誰もいないのだろうかとちょっと疑問。

 

 だが、こちらも今はだれもいないので。

 

「きもちいいんじゃー!!」

 

 等と湯だった頭で返事をしてみる。

 

「あはは! ほんとにおじさんみたい!」

 

 と笑い声。それが途端に、

 

「きゃっ!? もー、そんなとこ触らないでよ奏!」

 

「せっかくの裸の付き合いじゃない。たまには女の子らしく、スキンシップしましょ?」

 

「あ、もう! そんなとこダメ!」

 

 そんな声が響いてくるものだから、私は途端に居たたまれない気分となってくる。事実として本来聞いちゃいけないものなのだろうが、あの二人のことだ。私がいるとわかった上でわざとやっている。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

 

 座禅。あの小悪魔たちの手に乗るか。私はもっと温泉を楽しみたいのだ!

 

 だが、

 

「じゃあ、私も!」

 

「ふふ! 大胆ね!! じゃあ、どちらが先にまいるか、勝負しましょ」

 

「よーし、それじゃあ、こう!!」

 

 なんて、可憐な乙女二人の声に、私の瞑想等は役に立たず。

 

「出るか……」

 

 いそいそと温泉から撤退するのだった。

 

 

 そうはいっても十分に温まった後。少し扇風機に当たりながら火照りを冷ますと、自販機からコーヒー牛乳を買う。昔懐かしのビンにテンションを上げて。

 

 男湯の暖簾から出てしばらく待っていると、二人も上がってきた。

 

「あ、Pさんだ。声聞こえなくなったけど、やっぱり出ちゃったんだね」

 

「残念ね、待っていれば珍しい声も聞けたのに……」

 

「そんな手には乗りません!!」

 

 加蓮も奏も浴衣に半纏をまとった姿。やっぱり女の子であり、ふろ上がりも身だしなみはしっかりと整えている。

 

 けど、風呂上がりの色気というべきか、上気した肌やら何やらはとても刺激的で私は少し頬に熱を感じる。

 

 それを見た二人は少しにやり。

 

「Pさん、まだ体に熱が残ってるの、さわって、みる?」

 

 なんて奏は私の隣でおもむろに首元を開いてみたり。声につられてそちらを見てしまった私に罪はないと弁解したい。

 

 白く、なまめかしい肌が見えた瞬間に回れ右。

 

「あ、私がいいんだー。ふふ、見せてあげよっか?」

 

 と逃げた視線の先には加蓮が。ちょっと赤みを帯びて、しっとりとした胸元を少し開いて。

 

「No!」

 

 私は目を閉じて上を向き叫ぶ。

 

「あはは! もー、誰もいないんだし、ちょっとくらいならいいのに」

 

「ほんと、Pさんは思った通りに反応してくれるんだもの。からかいがいがあるんだから!」

 

 あはは、ふふふ、と楽しそうな二人の声が瞼の向こうから。ところで、ちょっと離れてくれないだろうか。ちょっと温かい温度が、感触が!

 

 もう少しからかわれて、開放される。温泉に入っていた時よりも汗をかいてしまった。

 

「まったく、もう少しは恥じらいってものをだね」

 

 誤魔化すためにコーヒー牛乳をぐびぐびと飲んでいく。同じ長椅子に座る二人も手にはフルーツ牛乳。

 

「あらひどい。私たち、Pさん以外にはこんなことしないわよ?」

 

「私にもしないでください」

 

「だーめ♪」

 

「だめですか、そうですか」

 

 最後の一口。すぐにレトロな味は喉元を通り過ぎていく。ふいーっと心を落ち着かせるために息を吐く。小さいころ、コーヒー牛乳が大好物だったな。

 

 二人も同じように、けど少し上品に懐かしの甘い飲み物を飲んでいく。

 

 懐かしい味、なんて奏は独り言ち。

 

「ノスタルジックって不思議よね。泣きたくなるような、ほほえましいような、そんな不思議な感覚。どこから来るのかしらね」

 

「そりゃあ、胸の奥だろう」

 

 この感情がどこから来るのか、ある人は脳というかもしれないが、私はこの高ぶりをくれる鼓動こそを信じたいものである。

 

「やっぱり、そういうと思った!」

 

「Pさんの答えはわかりやすいものね」

 

「お、とうとうロマンがわかってきたか!」

 

 二人が私の趣味嗜好を理解してくれるとなると、嬉しいもの。そういうと、二人は少し苦笑い。

 

 それはちょっと、なんて。

 

 むう、残念だ。

 

 待合室を出ると、窓からきれいな夕焼けが広がってくる。高台にある宿の夕日は絶景だと聞いていたが、なるほど。息をのむほどの美しさだ。

 

 二人も楽しそうにそれを眺めて。加蓮が小さな声で歌いだす。

 

「ゆーやけこやけー♪ いいよね、この町。温かくて、ふわふわして、ふふ、また来たいな」

 

「そんなに好きになってくれたなら、仕事とってきた甲斐があったな」

 

「ほんと!? 嬉しいな!」

 

 そういう嬉しい顔を見せてくれるので、私も頑張れるのだ。なんて。忙しい仕事の合間の、ほんの一休み。素敵な温泉、綺麗な夕日に、立派な宿。そしておいしい夕食。

 

 そんな素晴らしい経験を二人と共有できる喜びを感じながら、一日が終わる。

 

 

 

 はずだったのだが。

 

「奏……」

 

「ふふ、なあに?」

 

「その手にあるのは何なんだ?」

 

「いいもの♪」

 

 私の部屋に押し掛けてきたのは見るからにわくわくしている奏と、どこか顔色が悪い加蓮。大丈夫、体調が悪いわけじゃないのはわかっている。

 

「明日は午後からでしょう? 場所も近いし、朝までのんびりできるじゃない。それじゃあ、どうやって楽しもうかって、そう思ったの」

 

 だからって、君、君ねえ。

 

「さあ、映画を観ましょう」

 

「B級はやめろぉ!!」

 

 奏の手にあるのはサメやらワニやらゾンビやら。より取り見取り。よく集めたなあ、そんなゲテモノラインアップ!

 

 私たちのノスタルジックはどうすればいい!

 

「大丈夫、きっと懐かしい思い出がよみがえるはずよ。映画の不思議なところよね」

 

「そりゃ思い出すのは悪夢だよ!?」

 

 ずいぶんと長くB級を禁止してきた。その反動が来たのだろうか、奏はえらくテンションを上げていた。

 

「か、加蓮!」

 

「ふふ、Pさん。私はもうあきらめたよ。……ねえ、奏。せめて私に選ばせて」

 

 なんて、うつむいた加蓮はあきらめ顔で。さっきまであんなにはしゃいで、歌まで歌って。

 

「そんなあ。あんまりだぁ」

 

 神様はいないのだろうか。

 

「ちょっと! そこまで言わなくてもいいじゃない!!」

 

 もう、失礼! なんて奏の抗議は無視する。そして、加蓮はDVDをデッキに入れ。

 

 少しの黒画面を待ってロゴがテレビに映し出されていく。

 

 これから一時間ほどの悪夢が始まるのだ。私は覚悟を決め、身構えて。

 

「ほら、始まるわ、よ?」

 

 奏が言葉尻をすぼませる。

 

 そこに映るのは何時の間にやら見慣れてしまったB級のロゴではなく。

 

「ふふふ、甘いよ奏。私が何の対策もしてないと思ったの……」

 

「か、加蓮、あなた!」

 

「すり替え、成功!!」

 

 よくやった加蓮!! ひゃっほうとジャンプしてハイタッチを交わす私たち。

 

「奈緒セレクトの甘い甘い少女漫画原作映画集!! 付き合ってもらうわよ、奏!!」

 

 よく考えたら、それ私もつらいやつ!

 

「ほらほら、観念しなさい。始まった映画だもん、最後まで見ないと罰が当たるよ!!」

 

「……せめて、終わった後に一本でいいから見させて」

 

 なんて、奏の敗北宣言。珍しい勝利の余韻に浸りながら、私たちのにぎやかな夜は更けていくのだった。




モノクロームリリィと温泉

デレステでの絡みが多い二人ですが、カードのシチュエーションも結構似ていますよね。恒常はPと二人でデートのような。そして限定は温泉シチュエーション。
普段は見れない姿というのはいいものです。


さて、皆様もそろそろGWですね。そんな時にも頑張らないといけないプロデューサー業というのも大変ですが、アイドルたちの笑顔が待っていると思うとつらくないのが不思議です。


それでは、明日も二人へ投票をお願いいたします!!


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4月27日「婦人警官の日」

スーツ姿の衣装とか、出てきませんかね?


「私たちは友達じゃないわ。まして親友でもない。ただの仕事だから、私たちは共にいただけ。……今まではそれが上手くいっていただけよ」

 

「……そうね、アタシも何時かこんな日が来るんじゃないか、そう思ってた。初めて出会ったあの日から」

 

 暗い室内。奏と加蓮が向き合い、互いを睨み付ける。そこにあるのは紛れもなく敵意であり。譲れない信念を前に、二人の関係は決裂の時を迎えていた。

 

 互いに立場がある。今一時は手を取り合わなければいけない。けれど、その後は……。

 

(交わることは、二度とないだろう)

 

「「これが、私たちの最後の……」」

 

 二人の声が重なり、そして……。

 

 

 

「はいカットォ!!」

 

 監督の一声とともに緊迫した空気が弛緩していく。

 

 セットの向こう側に立つ二人も、少し肩の荷を下ろして、一段落。

 

「ふぅ」

 

 見ているだけでも緊張はするものだ。二人の演技の成功に、私も安心し、大きく息を吐いた。そこへ二人が戻ってくる。

 

 少し汗をかいて、やり切ったという充実感に満ち溢れた輝く姿。私はそんな二人にねぎらいの言葉を興奮気味にかけて、タオルを手渡す。よく冷やしておいたそれを首に当てたりして、気持ちよさそうに肩をすくめる二人。

 

「いやー、私もえらく緊張してしまった」

 

「Pさんが緊張してどうするの、もう」

 

 加蓮がからかってくるが、君らの演技は真に迫りすぎていて、時々怖いばかりだ。

 

「そういう風に演じているのだもの、誰も逃がさない地獄の蓋が開いたように、ってね。もう引き返せない雰囲気、出てたでしょ?」

 

「ああ、完ぺきだったと思う」

 

 向こうで映像を確認している監督も満足げだ。何といってもドラマのダブル主演、重圧もあっただろうに、よく頑張ってくれた。

 

『モノクローム 黒と白の迷宮推理』

 

 刑事ドラマである。謎を解くためなら手段を選ばない切れ者と、事件解決よりも被害者感情を重視する人情派。そんな二人の新人女刑事コンビが凶悪犯罪に挑む。そんな二時間ドラマ。

 

 成人の刑事役に未成年のアイドルというのも中々アンバランスに思えるかもしれないが、ぴしりとスーツで決めた二人は脇を締めるベテラン勢に引けをとらない存在感を示している。

 

 きっと、二人の魅力は視聴者にもよく伝わるだろう。放映前から各種媒体で話題はよく広まっている。

 

 ひとまずはクライマックスへと至る山場の撮影は終わり。最後は高層ビルの上で犯人と対峙するラストシーンへとつないでいく。あと少しで長い撮影も終わりだ。

 

「はい、お疲れ様」

 

 キンキンに冷えたジュースを追加で渡す。クーラーは効いているとはいえ、緊迫した空気を出すためにはとてつもない集中力を必要とする。

 

 早々に堅苦しスーツを外すと、ワイシャツとネクタイを緩めて、二人は休憩を始めていた。

 

 今日はかわいらしさやお洒落さというよりクールさがよく強調されている。スーツ姿も、よく似あっていた。

 

 今の着崩した姿も、少しの色気というか、また違った魅力を醸し出して。今度は、こういう姿での撮影もやってみてもいいかもしれない。

 

 そんな新しい仕事のアイデアが思い浮かんでいくが、ひとまずはこの仕事の成功を祈ろう。

 

「どうだった? 刑事ドラマって」

 

 ちなみに私は恋愛ドラマを見るよりは好きである。

 

「楽しいよ。大人っぽくクールにかっこよくっていうのも好きだし、演技力とか、そういう実力出せるのって面白い。

 

 あと、奏はやっぱりすごいね。さっきのシーンなんかピリピリ迫力が伝わってきて、すこし怖いくらいだった」

 

 加蓮は少し興奮気味にそう言う。

 

「加蓮のおかげよ。演技はお互いのやり取り。どちらかが強いだけじゃ、高められないもの。加蓮のおかげで、いつもより集中できて、いい演技ができたの」

 

 それじゃあ、お互いの勝利だね。と、加蓮と奏は缶ジュースを打ち合わせ乾杯する。

 

「そういえば、将来的に連続ドラマになるかもしれないって話も出てるぞ。もちろん、視聴率次第だけどね」

 

「ほんと!? そうなったら嬉しいな! きっと大変だけど、楽しいもん」

 

「単発ドラマと、連続ドラマだとまた少し表現が違ってくるでしょうけど、それもまた面白そうね」

 

「ちなみに奏はどちらが好きなんだ?」

 

 と聞くと、奏は少し思案顔を浮かべて。

 

「単発かしら? 映画と同じように、一本のために全部を注ぎ込めるのは、やりがいがあるわ」

 

 確かに、連続ドラマだと完走するまで走り続けなくてはいけない。力の入れ方も毎回全力とはいかないだろう。

 

「けれど、たくさんの経験がいただけるというのはありがたいことよ。私だってもっと演技を極めてみたいもの。もちろん、歌も、踊りもね」

 

「そう考えると、アイドルってほんと大変だよねー。覚えることがたくさんあるもの」

 

 それが本当に楽しい、なんて加蓮は嬉しいことを言ってくれる。

 

「けど、これで続編作ったら、奏はどんな立場になるんだ?」

 

 今回のドラマのラストでは、奏は警察を辞職し、怪しげな笑みと共に暗闇の中へと消えていく。そんな筋書きとなっている。

 

 果たして続編が作られたとき、奏は敵となっているのだろうか。

 

 きっとネット上では大論争となるだろう。

 

「私としてはもう少し捻った展開が欲しいところね。単純に敵と味方なんて、シンプルすぎるじゃない?」

 

「なるほどね。そうなると、味方のような敵のような、謎を探られるキャラってわけだ」

 

 いつも秘密を探って、なんて挑発的な笑みを浮かべる奏だ。きりっとして謎を追い求めるのも良いが、怪しい美人キャラももちろん似合う。

 

 そんなことを話していると、

 

「それじゃあ、こういう話はどうかな?」

 

 なんて加蓮の提案。

 

 

 

 ……夜の街の中、小さな街灯の下で二人は出会った。

 

『久しぶりね、加蓮』

 

『奏……。探してたんだよ、どうしていなくなったの!?』

 

『どうしても欲しいものがあったの、あなたといる、心地いい空間ではどうしても手に入らないものが、ね』

 

『なに!? 貴方は何が欲しいの? 私とは仲間じゃ、友達じゃなかったの!?』

 

 加蓮が涙を流しながら、訴えるも、奏は怪しげな笑みを浮かべるのみ。

 

『私が欲しいもの……それは』

 

 

 

「貴方よ、Pさん……」

 

「だから、なんでそうなるの!?」

 

「だーめ、私がもらってくの」

 

 なんて、いつの間にか二人の寸劇はいつものからかいへと変貌している。クールな刑事ドラマだったはずなのに、殺伐とした昼ドラが始まるような脚本へと変化していた。

 

 にやりと笑った脚本家は少しポーズを作って一言。

 

「最後に求めるのは、愛なんてアイドルらしいじゃない?」

 

「そうね、下手な脚本だと陳腐になってしまうけれど……。そんな趣もいいかもね、ドロドロと蕩けていくような女の愛と、嫉妬と、涙の物語」

 

 それ、相手の男は最後どうなるんだ?

 

「うーん、刺されちゃうんじゃないかな?」

 

「やっぱり!?」

 

「刺されるだけで済むといいのだけど……」

 

 奏は何を想像してくれているのだろうか、まったく。

 

 それよりはもっと王道を行く刑事ドラマのほうが良いと思うのだ。もう十分に奏と加蓮のキャラも立っているのだから。

 

 なんて話をしていると、

 

「その脚本、いいな」

 

 と背後から監督の声が。髭面の監督は何やら腕を組みながら、路線変更、友情出演なんて物騒なことを話し始めた。

 

「あらら、どうしよ」

 

「共演相手、Pさんを指定しちゃダメかしら?」

 

 さて、このドラマの行く末は。私は先の不安に頭を抱えるのだった。 




モノクロームリリィのドラマ

もし二人が主演のドラマがあったら……
加蓮は恋愛ドラマが見たいですね。ラブデスイベントのようなドロドロの物語でもいいですし、爽やかな学園ドラマでも可愛いでしょう

奏はミステリーなんてどうでしょう? 洋館に住む安楽椅子探偵とか、似あいそうじゃありませんかね? 

ミリシタのようにドラマ仕立ての話が作られることが、ひそかな望みです。


少し遅れてすみません!

ですが、今日も無事投稿できました。さて、のこり期間も少なくなってきましたね! 
明日も加蓮と奏に清き一票をお願いいたします!!


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4月28日「缶ジュース発売記念日」

それぞれのアイドルが好きなジュースの味とか、知ってみたいですね


「暑いなあ……」

 

 4月28日。私たちは事務所近くの会場で打ち合わせを済ませた後、帰宅の途についていた。歩いて20分くらいの距離。少しくらいは運動しても良いだろう。何て思っていたのだが。

 

「あつーい」

 

 加蓮が小さくつぶやく。額から玉のように汗をかいている彼女の姿は少し色っぽくは見えるが、少し苦しそうなので、そんな感想は抱けない。

 

 地面から上ってくる熱に、靴の中も暑いし、体の周りを纏う空気も熱を持ってるようだ。

 

「Pさんも加蓮も、そう暑い暑いと言っていたら余計に暑くなるわよ」

 

 隣を歩く奏は私たちと比べて薄手のシャツだ。だが、奏も涼しそうな顔をして、手で首元を扇いでいる。言葉とは裏腹に暑さを我慢しているのがわかる。

 

 つい先ほどまで、それこそ会場を出るまでは雲がかかっていて、少し涼しいくらいだった。それが、雲が晴れた途端にカンカン照り。アスファルトは熱せられて温度が上がってしまっている。

 

「加蓮、大丈夫か?」

 

「うーん。とりあえずは、ね。少し歩きたいなんて提案したの私だけど。ちょっと、失敗かなあ」

 

 加蓮は蕩けてしまいそうなほどに背を丸めて歩く。

 

「仕方ないわよ。同意したのは私もだし、Pさんもだもの」

 

「そうそう、歩けるときに歩くのは大事なことだぞ。とはいえ、」

 

 流石にあと10分ちょっと歩くのは私はともかく、二人にはきついかな。流石に暑くなりすぎだ。

 

「よし、ちょっと休憩しよう」

 

 すぐに決める。

 

「いいの?」

 

 と加蓮は少し心配そうに。尋ねてくるが、仕事のスケジュールは完ぺきに把握している。彼女が心配することにはならないから安心してほしい。それよりもアイドルの体調管理のほうが大事だ。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。……やったぁ!」

 

 やっぱり少しきつかったようだ。加蓮は休憩と聞くと見るからに元気になった。

 

 そんな彼女に急かされながら、私たちは近くのショッピングモールに入る。真っ先に向かったのは自販機コーナー。二人とも伊達眼鏡に帽子をかぶることで変装しているとはいえ、人が多いところに行くのは避けるべきだし、下手に店に入ると出るタイミングを失ってしまいそうだった。

 

「おーラインナップがすごいな」

 

 私は思わずそれを見て感嘆の声を上げる。

 

 コーナーには自販機が5つほどあって、懐かしのジュースから、最新のエナジードリンクまで何でもござれ、といったラインナップ。

 

 少しテンションを上げて、二人に尋ねる。

 

「二人はどれがいい? もちろん奢るけど」

 

「たまには私たちもPさんに奢ってもいいんだけどね」

 

 加蓮が嬉しい申し出をしてくれるが、そこは少しかっこつけさせてほしい。

 

「それは二人が大人になってから期待するよ」

 

「それじゃあ、」

 

 と奏はいくつかのパネルを見て。これ、と指さす。

 

「オレンジジュース?」

 

 聞くと、奏は少し恥ずかしそうに笑う。

 

「子どもっぽいかしら?」

 

「もちろん、そんなことないよ」

 

 ただチョイスが可愛いと思っただけだ。

 

「じゃあ、私はこれ!」

 

 一方、元気よく加蓮が示したのがメロンソーダ。もうすっかり元気になったようだ。それにしても、見事にジャンク系だなあ。

 

「今ね、もう暑さにやられて大変だから、しゅわーとすっきりしたい気分なの」

 

「加蓮はコーラとソーダが多いわよね」

 

「流石ジャンク姫」

 

 そう呼ぶと、加蓮はじとーとにらんできて、頬を膨らませる。

 

「Pさーん、そのあだ名、二度と呼ばないでって言ったはずだよね」

 

「あーすまん」

 

 そういえば以前に呼んで怒られたっけか。簡単に謝ると、ますます加蓮は頬を膨らませる。

 

「もっと真摯に謝って! Pさんのことロマン魔人とか呼ぶよ?」

 

「すみませんでした!」

 

 私は勢いよく頭を下げる。流石に人前でそう呼ばれるのは勘弁してほしい。そう言うと加蓮は胸を張って威厳たっぷりに言うのだ。

 

「許しましょう。寛大な加蓮ちゃんに感謝しなさい」

 

 ありがたき幸せ。今日はディナーなしに許された。

 

「で、Pさんはどれにするのかしら?」

 

 問われて考える。

 

 さて、どれにするか。オーソドックスにコーラという手もあるし、疲れた体にエナジードリンクというのも良い。だが、一番下の段のそれを見た瞬間に目が引かれた。

 

「これにしよう」

 

 私がボタンを押すとがたんと音。このジュースが転がりだしてくる音は結構好みだったりする。それを取り出すと、奏は少し微笑んで、

 

「あら、それにしたの?」

 

「懐かしい味が飲みたくてね」

 

 プルタブを開けると、しゅわっと軽い音。選んだのは懐かしのプチプチオレンジだった。一口口に含むと、すっきりしたオレンジ味に内側に入った果肉の感触が心地よい。

 

「あはは、本当にそれにするなんて!」

 

 加蓮が腹を抱えだした。すると、奏は加蓮に私の勝ちね、なんて勝利宣言。どうしたのだろうか?

 

「うん?」

 

「二人で勝負したのよ、Pさんがどのジュースを選ぶのかなって」

 

 なんだと。

 

「奏がそのプチプチオレンジを選んで」

 

「加蓮がコーラ」

 

「惜しい。直前までコーラとの二択だった」

 

 加蓮はもうっ、と悔しそうに唇を尖らせる。

 

 それにしても好みまで把握されてしまっているとは。そんな感想を素直に言うと、奏は不敵にウィンクで返す。

 

「貴方がアイドルのことを理解してるみたいに、私たちもプロデューサーさんを理解しているの。どう? 素敵な関係性でしょ?」

 

 いい事は言っているし、大まかには同意するけれど、話しているのはジュースの好みの話だろうに。そう言うとさらに笑顔が深くなって、

 

「ふふっ、Pさん、私たちが知っているのが好みのジュースだけだと思う?」

 

「……え、怖いんですけど」

 

 そう言われると、どこまで知られているのか不安になる。何まで?

 

 いや、二人のことだ。もう私生活の大部分を見透かされていても不思議じゃない。

 

「ほらー、奏。Pさん怖がらせちゃダメでしょー」

 

「はいはい。加蓮お母さんに怒られちゃったわね、ふふ」

 

「えー私がお母さん? でも、奏が娘は苦労しそうだなー」

 

「そうでもないわよ? 手間がかからない子供だもの、これでも」

 

 なんて、二人は勝手に話を進めていくが私としては疑問が残されたままだ。けど、ちょっと待って、本当にどこまで知ってるの?

 

「それはナイショ」

 

「あ、そうだ、奏は勝者の報酬を手に入れないと!」

 

 そう加蓮が言うと、奏はそうね、なんて少し手を顎に当てて思案顔。

 

「で、ジュース当ての報酬は何だったんだ?」

 

「それが特に決めていなかったのだけど……。そうね」

 

 というと、奏は、私の手を引いて自販機の前に連れていく。

 

 少し悪戯っぽい微笑みで、自販機を指さすと。

 

「これからまた炎天下の中に行くでしょ? もう一本、ジュースほしいと思っていたのだけど」

 

「それくらいなら、もちろん買うけど?」

 

「ううん。今度は私たちがお金を出すから大丈夫。ただ……」

 

 なんだろうか?

 

「うん。Pさんが選んで? 私たちに似合いそうなジュース」

 

 そんなことで良いのか?

 

「ええ、面白そうだもの。Pさんが私たちの好みをちゃんと把握しているのかどうかってね」

 

「それなら……」

 

 私は二つジュースを選んだ。

 

 

 

「……当ててくれたのは嬉しいけれど、ね」

 

「……あんなにあっさり当てられると、少し悔しいわね」

 

 ふふん。君たちが私の好みを知っているように、私も君たちの好みを知っているのだよ。

 

 少し上機嫌な私は二人を連れて、甘い味を口にしながら帰路へと戻るのだった。




モノクロームリリィとフルーツ

加蓮はやっぱりオレンジですね。色合いもそうですが、ちょっと大きいオレンジをもって微笑んでいる姿が似あうと思います。味も甘くて少し酸っぱい、そのバランスも加蓮!って感じ。

奏はブドウかブルーベリーですかね。ブルーベリーという青い果実に、白く可愛らしい花というのも奏の二面性に似あっていると思いますし、ワインの原料となるブドウも、一筋縄ではいかず、妖艶な奏に似合うでしょう。

765と同じく新しい衣装でフルーツ衣装は出ないでしょうかね。

それでは明日も二人の応援、投票、よろしくお願いいたします!!


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4月29日「畳の日」

うわーっ! 投稿予約が間違っていた! 数分遅れてしまいましたが、29日分です!


 小川のせせらぎ、緑の自然、涼しい風に靡く髪。

 

 ちょっと裾から生足を出して、ウィンク。

 

 可愛いい笑顔があふれている加蓮はそんな風にポーズを取りながら、カメラへと目線を送る。

 

 今こうしているだけでも魅力的なのに、プロのカメラを通した写真だと、どれだけ可愛くなるのだろう。

 

 何枚も少しずつ構図を変えながら続く写真撮影。今日もだいぶ時間をとっているが、つらそうな様子も見せず、楽しそうに頑張ってくれている。

 

「はい、今日もよかったよ加蓮ちゃん!」

 

「ありがとうございます!」

 

 事務所でも馴染のカメラマンさんが最後にオッケーを出して、今日の撮影は無事に終わり。世間にお披露目できる日が楽しみだ。

 

 今日は加蓮と共に雑誌のグラビア写真の撮影にやってきていた。場所は都内近郊の里山。まだまだ都心と違って自然が残っている場所だ。厳しくなってきた暑さを避けることもできて一石二鳥のコンディション。古民家カフェを撮影の起点とし、大自然の中で天真爛漫な姿を撮るというのがコンセプトだ。

 

 昨日に引き続き、暑さは厳しいものがある。そんな暑さを軽減してくれる涼やかな小川の水は見ているだけでも温度を下げてくれる。浴衣の衣装に身を包んだ加蓮は、ちょっと水に足先をつけたりして、はしゃぎながら休憩中。

 

「Pさんもちょっと遊ばない?」

 

 なんて楽しそうな提案をしてくれるが、

 

「スーツに水はかけないでくれよー」

 

「あはは! やっぱり引っかかってくれないか」

 

 私の危機察知能力を甘くみないで欲しいものだ。君と奏のおかげで毎日のように鍛えられているのだから。

 

 そう言うと加蓮はにやりと蠱惑な笑顔。

 

「ふふ、そんなこと言っちゃうと、私も奏ももっと本気を出しちゃうよ? Pさん骨抜きにしちゃうかも」

 

 まだ本気じゃなかったのか、と思いつつ、これ以上やられたら冗談抜きで骨抜きだ。

 

 まいった、降参と両手を上げて苦笑いしながら、加蓮の元へと向かう。とりあえず上着は脱いでおいた。キラキラと輝く水面へとゆっくりと手を差し入れる。

 

「うおっ! けっこう冷たいな!」

 

「なんていったってまだ春だもんね。でも、このぐらいの冷たさも気持ちいいよ? ほらっ」

 

「っ!?」

 

 と加蓮は長く浸けていた右手を取り出して、私の首元にタッチ。ひんやりして気持ちいいが、突然だとびっくりとしてしまい、背筋をピンと伸ばした。

 

「かーれーんー!」

 

「やり返してもいいよ? ほら、ここあたり空いてるし」

 

 自分のうなじあたりを指さす加蓮。やり返してあげたいところだが……。そこに手を出す勇気はないのだ。

 

「私が良いって言ってるんだけど……。じゃあ、えいっ、えいっ」

 

「加蓮! やめて、ちょっと、冷たい!?」

 

「乙女心がわかってないPさんにはお仕置き!」

 

 そうやって少しの間、はしゃいで首元がちょっと濡れてしまった私たちは、古民家カフェへと戻っていく。定年後にこの店を開いたという夫妻は水羊羹と抹茶を用意してくれていた。

 

「良いお店ですね」

 

「そうでしょう? 主人と一緒に惚れ込んでしまいまして、定年後はここをカフェにしようってね。最近はこういうお店も流行っているみたいで、お客さんも結構来てくださるの」

 

 眼鏡をかけたご婦人は「こんな可愛いお客さんを呼べて嬉しいわー」なんて。加蓮は結構気にいられているようだ。

 

 カフェは広くゆったりとした木造平屋建て。居心地がよいように控えめながらも飾り付けられた室内には、木造テーブルに加えて、畳敷きのスペースがある。結構広い。

 

 私たちはその畳スペースに座布団を敷いて、そこに座っている。

 

「けっこうフカフカして気持ちいいね」

 

「良い畳ってこうなるみたいだね。うちの実家の畳なんて、もうがっちがっちだったけど」

 

「Pさんのお家って和室があるんだ?」

 

「そんなに立派なものじゃないけど。加蓮の家は全部洋間だっけ?」

 

「そうそう。だから、こういう和室は新鮮! ほら、この間の旅館とかも和室だったじゃない? ベッドじゃなくてお布団敷いたり、皆で並んで寝るのも憧れだったんだ」

 

 そう言うと加蓮はにっこりと笑顔を浮かべる。なるほど、移動教室なんかは行けなかったのだから、そういう経験もなかったのだろう。加蓮が楽しめるなら、もっと、そういう仕事を増やしていこう。

 

「ありがと」

 

「どういたしまして」

 

 私たちは水羊羹をいただくことにした。普通の羊羹と比べて、口当たりがとてもよく、本当になめらか。 

 

 それに合わせてちょっと苦みがあるお抹茶を啜ると、もう極上だ。和の空間に、食事。全身で雰囲気を味わうことができる。

 

 目の前には和服美人もいるし。おしとやかに抹茶を口にしている加蓮は戦国時代の姫みたいにも見える。可愛くなかったことなんてないが、やっぱり何度でも可愛いと思ってしまう。

 

「Pさん、ちょっと見とれてる?」

 

 と着物を見せびらかして、ウィンク。やっぱりばれてしまうみたいだ。ちょっとごまかすために話を変える。

 

「私も甚平でも持って来ればよかったかな? って思った。ほら、こういう和室だとやっぱりスーツは堅苦しいし」

 

 そう言うと、加蓮は思いっきり悩み顔。

 

「……Pさんのスーツ以外の姿、想像できないんだけど」

 

「奏といい、失礼だなあ君たち!」

 

 夏の暑さ軽減のために一応甚平は持っているのだ。流石に部屋着だけど。そう言うと、ごめんごめんとちょっと謝る加蓮。

 

「Pさんももっと色々な服を見せてくれてもいいのにね」

 

 そう言ってくれるのは嬉しいのだけど。

 

「いやいや、君らと違ってお洒落じゃないし」

 

「そのファッションをチェックしてあげるのも楽しいの。ね、今度は私服で来て、約束!」

 

 ほら、指切りなんて小指を出してくる加蓮。そのワクワクした顔に、仕方ないな、なんて同じように指を出し、結ぶ。

 

 うーん、仕事の時は流石にまずいけど、どこかで機会は作れるだろうか?

 

 そんなのんびりした午後の休日。このままお洒落な思い出を作れればよかったのだけれど。

 

「……Pさん、ごめん、立つの手伝って」

 

「……ごめん、今は無理」

 

 正座で足を痺れさせてしまうというオチがついてしまうのは、実に私たちらしい休息であった。




加蓮と和服

夜宴シリーズ、私、結構好きなんです。どんなカードが来るかなって思ったら、まさに可憐な着物姿! どのアイドルも魅力的なカードが多いですけど、やっぱり加蓮のものはお洒落で、かわいらしいものが多いですよね。


気がつけば、ランキング入りしており、淡々とした日常話を書いている身からすれば感謝しかありません。

皆様に奏と加蓮の魅力が少しでも伝わると幸いです。
それでは、明日も二人への総選挙投票、よろしくお願いいたします!!


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4月30日「図書館記念日」

奏の眼鏡姿はやばい


 4月30日、図書館記念日。

 

 だからというわけではないが、奏と私は共に図書館を訪れていた。少し先の企画になるが、写真集で使えそうなシチュエーション探し。今日訪れたこの図書館は歴史が古く、演出次第ではかなり幻想的な雰囲気を出せそうとピンと来た場所だった。

 

 館の人々には話を通しており、好きに見ても良いとのこと。平日の昼間だからか、人は少なく、静かな本の香りの空間が少しロマンをかきたてる。

 

 そんな本の間を歩いていくと、いろいろなシチュエーションが思い浮かんでくるが。

 

「鷺沢さんとか、好きだろうな」

 

 うちの事務所の文学少女のことをふと考えた。たとえば、あそこの少し日が入る角の椅子。あんなところで静かに本を読んでいる姿を想像すると、それだけで絵になるだろう。知恵の女神とか。

 

 そんなことを考えると、奏は私の頬をおもむろにつねりあげる。

 

「あら、貴方の素敵な偶像が隣にいるのに、他の子のことを考えるなんて……。失礼な人ね」

 

「いひゃい、いひゃい」

 

 抗議の目を向けようとして、背筋が凍りつく。奏は口元を弧にしてるが、目だけは笑っていない。まずい。久しぶりに怒らせた。

 

「ごみぇんなさい!」

 

「怒っているわけじゃないのよ? 少し、嫉妬と、自己嫌悪。こんなに近くにいるのに、貴方の心を虜にできないなんて、アイドルとしても、女としても自信無くしてしまいそうだもの。……どうしてしまおうかしら」

 

 奏につねられたまま、私は本棚の影へと連れ込まれる。奏は頬をつねるのを止めたかと思うと、今度はがっつりと、私の肩を片手でホールド。寄せられた耳元で、くすぐるように囁かれる。

 

「加蓮との淑女協定もあるから、この先は無しにしていたのだけど、ね。貴方が悪いのよ、Pさん……」

 

「やめなさい、ちょ、奏!? 何するつもり!?」

 

「消せない跡を残そうかと思って、貴方が私だけの虜になるように……」

 

 そう言って、首筋に寄せられる唇。

 

 ほんとに、それはまずいから!

 

「……なんて、ね。今日はここまでにしておきましょうか♪」

 

「……ふぃー」

 

 思わず本棚を支えにうなだれる。今度ばかりは喰われるかと思った。

 

「私は蛇か何かかしら?」

 

 少しはからかいモードが外れたようだが、まだまだ選択を間違えると先の展開へ逆戻り。せめてもと、少しかっこつけて奏をほめる。

 

「とびきり禁断の美の女神さまだよ。相手を石に変えちゃうほどの」

 

「もう、おだてても調子に乗るような安い女じゃないのだけど」

 

 そうは言っても、少し頬が赤くなっているのは黙っておく。ちなみにおだててるわけじゃない。本心だ。

 

「そういうことにしておきましょうか。……そうね、それじゃあ女神の速水奏は、Pさんを石にしたくないから、こうすることにしましょう」

 

 と、奏はハンドバッグから何かを探り、

 

「ふふ、これで良いでしょ?」

 

 紅い縁の伊達眼鏡。

 

「……」

 

「何時だったかしら、眼鏡かけてあげたら、Pさん顔真っ赤にしちゃったじゃない? ……やっぱり、眼鏡、好きなんだ」

 

 といたずらな目が、可愛い眼鏡越しにこちらを見つめてくる。

 

「一つ弁解しておきたい。私は決して眼鏡という無機物が好きというわけじゃなく、眼鏡をかけた奏が魅力的だと判断しているだけだ」

 

「じゃあ、外そうかしら」

 

「……あと少しだけ、そのままで」

 

 素直がよろしい、と。奏はそのまま本棚の間をスキップで。まったく、君は日に何度私の心臓を刺激すれば気が済むのやら。

 

「あら、刺激的じゃない女なんて、つまらないでしょ? 何時だって、特別な人には私だけを見て、私だけの虜になって、私だけの特別になってもらいたいじゃない」

 

「奏……」

 

「一般論として、ね。なんて、予防線張ったほうがいいかしら」

 

 そう言って笑う小悪魔は、窓から差し込む光に照らされて。まさしく女神のように輝いている。ほんと、いつかは彼女に魂まで奪われそうだ。

 

「で、だ。仕事にそろそろ戻ろうか」

 

「あら、そうだったわね」

 

 いくらロマンチックな建物とはいえ図書館だ。少しはしゃぎすぎてしまったよう。

 

「もう、Pさんがいると夢中になっちゃうじゃない」

 

「私のせいかな?」

 

「……もともとのきっかけを考えるとPさんが起点でしょうに」

 

 確かに、鷺沢さんの名前を出したのがきっかけだ。けど、奏が拗ねたりしなかったらよかったのに。

 

「さて? それじゃあ、写真撮影でしょう。こんな大きい図鑑を持ってみたり……、あちらの机でファッション誌を呼んでみたり。そんな場面はどうかしら?」

 

 そうだね。そう言うのも面白そうだけど……。

 

「あら、Pさんはどんなシチュエーションがお好みかしら? なんでも従うわよ?」

 

「児童書コーナー行ってみるか」

 

 あら? なんて奏は少し困惑顔。

 

 そうして、私は奏と共に児童書コーナーへとやってきた。子ども達が靴を脱いで上がれるスペースに、色とりどりの絵本。どんぐりやウサギのクッションが笑顔で私たちを迎えてくれる。

 

「こういう場所にくるのは、本当に久しぶりね……。ちょっと懐かしい」

 

「ちょっと奏、靴を脱いで座ってみないか?」

 

 そう頼むと、奏はちょっと澄まし顔で座ってみる。うん、良い感じかもしれない。

 

「それで? 絵本とか見てみればいいの?」

 

「うん。頼むよ」

 

 そうすると、意図がわかったように少しにっこりと笑顔を浮かべて。奏は小さな絵本をとり、膝の上で開く。普段の大人びた表情がほぐれて、昔を懐かしむ女子高生の笑顔。

 

 私はそれを一枚、ぱしゃりと写真を撮る。

 

「……いいな、これ」

 

 奏の大人と少女の中間のような、そんなアンバランスな魅力がよく現れていると思う。きっと、本職のカメラマンさんなら、もっとずっとよい絵が取れるだろう。

 

 奏にも喜び勇んでそれを見せる。

 

「……ほんと、時々Pさんには驚かされるわ」

 

「時々?」

 

 もっと驚かせたいのだけどな。

 

「そのぐらいのほうが長続きするそうよ? どんな関係とは言わないけれど、ね」

 

 そう言いながら、奏は面白いものを見たように写真を見つめる。どうやら、気にいってくれたようだ。

 

「ねえ、もう少し絵本、読んでもいいかしら?」

 

 ちょっとだけ照れ臭そうに一言。

 

「もちろん。懐かしくなった?」

 

「ええ、Pさんの思惑通りに。せっかくだからPさんも少し座ってみましょうよ。貴方が好きだった絵本とか、教えてくれないかしら? Pさんも、もう少し私の眼鏡姿、見れるでしょ?」

 

 一石二鳥よ、なんて。奏はそう言って、ぽんぽんとゆかいな表情のクッションを叩く。

 

 私はそれに、少し笑みを返して同意した。たまには童心に帰るのも悪くない。

 

 そうして、私は女神と共に、幼い日の思い出に浸りながら、穏やかな時間を過ごすのだった。




奏と本

奏は教養豊かな子ですが。きっと、いろいろな伝記や、神話の本などもよく読むのでしょうね。文香やありすとも、読書談義で盛り上がりそうです。漫画とかも、変に読まず嫌いせずに読んでくれそうですが……。
彼女の好きな本、いつか知りたいですね。


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5月1日「スズランの日」

可愛い花には毒がある。けど、惹かれてしまうのはなんででしょう。


「ボンジュール!」

 

「ぼんじょるのー!!」

 

 などと奇妙な挨拶と共に我がオフィスを訪ねてきたのは、事務所の暴走娘ことレイジー・レイジーの二人。昼下がりののんびり時間の強襲だった。

 

 私はそんな彼女たちを見て、しばし、目を白黒させた後、はあ、と小さくため息。今は奏も加蓮もレッスン中でこの部屋にはいないのだ。ストッパーがいない。

 

 もはや、私の運命は天に任せるしかないのだ。

 

 諦めきった私の様子を見ると、

 

「ちょっとちょっとー! フレちゃん達が遊びに来たんだよー。もっともっと喜んでくれてもいいんだよ?」

 

「そうだー、特別待遇を要求するー!!」

 

 途端に腕を振り上げて笑顔で抗議を始める一ノ瀬さんとフレデリカさん。突然やってきたのに傍若無人なことだが、それでもまったく腹が立たないのは、この二人の独特の雰囲気のせいだろうか。本当に人に好かれる空気を纏っている。

 

 きゃんきゃんと、抗議を続ける二人はそれで可愛らしい。だが、怒られて喜ぶ趣味は持ち合わせていない。そうだな、と私は引き出しの中を漁り、

 

「それじゃ柿ピーとか食べる?」

 

 今あるものはそれくらいしかないのだ。差し出すとぴょんとジャンプで奪われた。

 

「やった! 私ピー食べよ」

 

「んー、それじゃあ志希ちゃんは柿ね」

 

 食べよ食べよ、なんてポリポリとげっ歯類のように懐かしスナックを食べ始める二人は見事なまでに小動物のようで。そのままじっとしてれば深窓の令嬢そのものだ。柿ピー食べてるけど。

 

 いや、やっぱり騒いでないとどこか物足りないな。

 

 あっという間に食べてしまった二人がまた話を脱線させる前に、こちらで主導権を握らないと。と、考え、私は口を開く。

 

「それで、お二人さんはどうしたんだ? まだ奏たちは戻ってきてないけど」

 

 時間を見るにあと三十分ほどで戻ってきそうではあるのだが。そういうと、二人はちょっと笑って。

 

「ちがうよー、今日は、Pさんに用事!」

 

「そーそー、びっくりした? 志希ちゃん達の気まぐれ行動なのであーる!」

 

 ほう。それはまた珍しい。

 

「そりゃまた、ちょっと恐ろしくもあるんだけど嬉しいな。……けど、まさか、人体実験とかしないよね?」

 

「んー、してほしいならやってあげるけど?」

 

 と一ノ瀬博士はにやりと邪悪な微笑み。

 

「……、やっぱり止めときます」

 

 まだまだ生身のプロデューサーでいたい。そう言うと、「だと思った、にゃははー」と楽しそうな一ノ瀬さん。ひとしきり楽しそうに笑った後。二人は、

 

「さぷらーいず!」

 

 なんて言って、小さな包みをくれるのだった。

 

 

 

「……で、それがこのスズランの花、だったのね」

 

 嵐のような二人が去って、少し後、レッスンを終えた二人が戻ってくると、共用机に小さな花瓶が置かれ、そこに小ぶりで可愛らしい花をつけたスズランが活けてあった。花瓶は私が用意したものだが、花のほうは一ノ瀬さんとフレデリカさんのプレゼント。

 

「ありゃりゃ、Pさんもスミおけないなー。いつの間にあの二人も落としちゃったの?」

 

 なんて、からかい笑顔で花をつんつんとつつく加蓮。

 

 その言い方は心外である。私はスケコマシでも何でもない!

 

「それがどうやら、社内のP達全員に送ってくれたみたいなんだ」

 

「珍しいわね。担当さんはともかく、事務所のみんなになんて」

 

「今日がそう言う日なんだって」

 

 二人が花を渡す時に言っていた言葉を思い出す。

 

『5月1日はフレちゃんの第二の故郷フランスだと、スズランを送る日なんだって! たぶん!』

 

 よく調べずに贈ってきたのかい、と内心ツッコミを入れた。

 

 ただ、彼女らが去った後に調べてみたのだが、そういう風習がフランスにあるのは本当らしい。スズランの花ことばにちなんで。

 

「お世話になった人に改めて感謝を伝える日らしいね」

 

「へー、それでスズランを送るんだ。おしゃれなこと考えるんだね」

 

「あの二人が贈ってくれたのが、ちょっと意外だけどな。その分、嬉しいもんだ」

 

 時々、あのチームに巻き込まれて困ったことにもなるけど、こうして感謝されると、そんな日常も可愛らしいものである。私たちのところでこの大きさだと、あのPのところには結構大きな花が送られたではないか。

 

「明日は天変地異が起こるかもしれないわよ?」

 

 天変地異よりは一之瀬博士の気まぐれの方が恐ろしいので大丈夫だ。事務所内バイオハザードは二度と勘弁してほしい。

 

「それもそうね、ふふ」 

 

 三人でしばしの間、スズランを見つめる。意外と本物を見る機会というのは少かったりする。じっと見ていると、釣り鐘のような小さな花は、本当に可愛らしい。贈呈用の花として人気があるのも頷ける。

 

「『幸福の再来』って面白い花言葉だよな」

 

 それがスズランの意味。

 

「そうね。ただ単に幸福がやってくるのでなくて、一度慣れてしまった幸福を見つめ直して、改めて感じる。少し謙虚で、健気な言葉ね」

 

「花だけじゃなくて、言葉も可愛いんだね。私、これずっと見てられるかも」

 

 しんみりと呟く奏と、気にいったのか花を指でつつき続ける加蓮。と、奏は唐突に、

 

「加蓮、触った後はちゃんと手を洗わないとダメよ」

 

 と、少しからかう様な口調で注意。

 

「どうしたの? 学校の先生みたい」

 

「スズランね、毒があるのよ」

 

「え!?」

 

 ぎょっと花から手を離す加蓮。奏は面白そうに言葉を続ける。

 

「スズランはこんなに可愛らしいけれど、全身に猛毒が含まれているの。下手な毒物よりも強力なものがね。気をつけないと、おなか壊しちゃうわよ?」

 

「……うわー、こんなに可愛いのに、意外と怖いんだね」

 

 あはは、と苦笑いを浮かべながら加蓮は手をナプキンで拭う。可愛い花には棘があるというが、まさか猛毒まで持っているとは。と、そんな奏の説明を聞いていると唐突に頭の中に嫌な予感が浮かび上がってきた。

 

「……一ノ瀬博士、まさかスズランでバイオテロなんて考えてないだろうな」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、再びぎょっと驚く加蓮。

 

「……きっと大丈夫よ。フレちゃんもいるし」

 

 そう言う奏も、少し冷や汗をかいている。きっと、大丈夫だ。大丈夫。私たちは必死に自分に言い聞かせるのだった。

 

 そんな風に、少し嫌な予感を纏って一日が過ぎていった。幸いにして、誰一人として被害が出なかったことに安堵した5月1日。ちょっと危ないプレゼントで感謝を表そうとするのもあの二人らしいといえる。

 

 ちなみにうちのお姫様たちは、あのスズランが気にいったのか、後日、造花を入れた小さなガラスボールを贈ってくれた。今は机の上におかれているそれは、ふとした拍子に私の心を癒してくれている。

 

『幸福の再来』

 

 二人と出会えた幸せを、これからも忘れず、大切にしたいものだ。




モノクロームリリィと感謝の言葉

感謝の言葉というのはいくら言われても人の心を温かくするものですが、加蓮も奏も、カードやコミュなどで折に触れては素直な言葉を贈ってくれます。
意外と言葉に出そうとすると恥ずかしがったりもしてしまいがちですが、そんな素敵な二人と出会えたことに、Pとしても感謝の言葉を贈っていきたいですね。

それでは、のこり1週間。加蓮Pが逆ガチャブーストという気合が入るなど、まだまだ先が見えない総選挙ですが、二人がよい結果になることを祈って。

明日も二人への投票、応援、よろしくお願いいたします。


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5月2日「交通広告の日」

 電車の中吊り広告というのは、意外と勉強になる。短い時間で人々の印象に残るようにレイアウトを工夫してあるし、世間で話題になっている情報をすぐに知ることができる。

 

 そして、時折あるのだが。

 

「お、今日は羽衣小町か」

 

 通勤の途中、少しの間の満員電車。私は見上げる先にそれを見る。

 

『よっしゃ京都へ行こう』

 

 というえらく気合の入ったキャッチフレーズが添えられて、和服美人の二人がポーズをとっている広告。はんなり笑顔の小早川さんと、少し悪戯しそうな塩見さん。あの写真を見ると、確かに京都へ行きたいと、そんな気分になってくるのが不思議だ。

 

 それにしても、職業柄、知り合いが身近なところで活躍しているとことが多くある。あの暴走婦警は時々、防犯広告に出てくるので、ぎょっとさせられることもあるし、資格習得の広告では新田さんは引っ張りだこ。そういう同僚たちがふと見ると近くにいる、というのは少し不思議な感覚もあり、もちろん嬉しくもあるのだ。

 

「京都、行ってみるか……」

 

 なんてぽつりとつぶやくと、いきなり後ろから。

 

「その時は私たちも連れて行ってくれるのよね」

 

 と、耳元でささやかれる。

 

「!?」

 

 電車内で叫ばなくて、ほんとよかった。こんなとこで目立ったらいろいろとまずいことになること請け合いだ。かろうじて叫びを飲み込んだ私は、後ろで微笑みを浮かべる奏と加蓮を認め、大きくため息をついた。

 

「…っ、二人とも、いたの!?」

 

 たしかに今の時間は学校終わりで事務所に向かうのと同じくらい。だが、これまで鉢合わせることはなかったのだ。

 

「ふふ。たまたまだよ、たまたま。駅のホームでPさんを見つけたから、あとを追いかけちゃったの」

 

「そうしたら周子達をみて、旅行したいだなんて言うのだもの、ちょっといたずらしたくなっちゃった。」

 

 そんなことを言って笑う二人。こうして偶然に会えるというのは嬉しいが、心臓に悪いのは止めてくれ。

 

 事務所の最寄り駅までは後10分ほど。珍しい機会なので3人での出勤を楽しむ。とはいえ、目立たないように小声で囁くように。奏はつい先ほどまで私が見ていた広告を見上げると、少し微笑んで、

 

「けれど、ほんと綺麗な広告よね。桜の舞う中に着物でしょ? 羽衣小町の名前の通り。Pさんが京都へ行きたくなるのも分かるわ」

 

 そうは言うが、

 

「奏も負けてないと思うけどな。この間の初詣の仕事、すごい好評だったぞ?」

 

 着物姿という点では負けていない。

 

「そうね、でもやっぱり地元出身っていうステータスは大きいわよ? 二人とも和服美人に加えて、京都のお嬢様。雅さと妖しさ、京都の二面性にもぴったりじゃない」

 

 私が少しムキになったのが面白かったのか、くすりと笑って奏はそう言う。

 

 そう言われると、京都での仕事という点で羽衣小町というユニットに勝てるアイドルはそうはいないだろう。

 

 ちなみにモノクロームリリィでも、こうした中吊り広告の仕事はよく来ているのだが。

 

「何時だったっけ? 刺激的過ぎるからってお蔵入りになっちゃったの」

 

「ああー、あの話だね」

 

 加蓮がいうのは口紅の広告に奏が採用されたときの話だ。抗議というわけではなく、むしろ話題になりすぎてしまったので早々に下ろされてしまったあれ。

 

「結局、その騒動で逆に話題になったんだよな」

 

 奏の唇だけしか写っていないのに、刺激的過ぎるとは。気持ちはわかるが、世の人々はもう少し耐性を持ってほしい。本気出すともっと凄いのだから。

 

「それは体験談かしら?」

 

「ノーコメントで」

 

 公共の場所で唇を寄せてくるのはやめなさい。

 

 ちなみに加蓮が出た中吊り広告で一番面白い展開に転んだのは、ポテトの広告だ。某ファストフード店のポテト強化月間の時。

 

「あれは面白かったな」

 

 と、横目で加蓮をからかってみる。そうすると加蓮は少し顔を赤らめて、頬を膨らませる。

 

「うっ、ちょっと羽目を外しすぎただけじゃない!」

 

 大量のポテトに囲まれて満面の笑顔を浮かべる加蓮という、普段のお洒落や美人な加蓮を見ている人からすれば、さぞ意外だっただろう絵。広告は大ウケしたのは良いが、その後しばらくポテトのCMに引っ張りだこだった。

 

「あの時ばかりはポテト食べ過ぎで大変だったよ……」

 

「行く現場全部で、律儀に食べちゃうんだもの、しょうがないわ」

 

 奏は少し呆れたようにつぶやく。

 

 ちなみに奏も巻き添えをくらって、ポテトを食べさせられたのは補足しておく。ついでに私も。しばらくポテトは見たくもなくなった。

 

 そう考えると、いろいろな広告やらに出てきたものだ。と感慨深い。

 

「Pさんはどうなの? 街を歩いて、電車に乗って、そうしたら私たちが写っているの」

 

 と、奏はそんな質問を意味深に投げかけてくる。

 

「そうだね……」

 

 広告とか、街角のスクリーンとか、そういう媒体を通して二人を見れる。それは、二人の日ごろの頑張りの賜物だ。それが形となって私の周りに広がっていると考えると、それは。

 

「もちろん、嬉しいさ。もっともっと、二人がいろいろなところで見れるようにしたいってそう思うぐらいに」

 

「ふふ、そうなったらいつでもどこでもPさんを見てられるわね。……なんて言ったら重すぎる?」

 

 言い方!?

 

「ごめん、なんか想像したらワクワクしてきちゃった。Pさんの隠し事も全部わかっちゃうのか……」

 

 加蓮まで!? いや、奏よりも加蓮の方が真剣みが高くないか!?

 

 全く、と私は大きくため息を吐く。

 

 そんな風な日常の延長は電車がついた音で一時停止。さてさて、私が毎日監視される、そんな少し怖くて嬉しい未来が訪れるようにお仕事を頑張らないとな。

 

 私たちは電車を降りて、事務所へと向かうのであった。 




モノクロームリリィと広告

加蓮も奏もファッション広告なんかは容易に想像がつきますが、意外性のあるCMというとなんでしょうね?
奏は学習塾の先生役等も似あいそうですし、加蓮は大自然の観光ツアーとかではしゃいでいる姿も見てみたいです。
アイドルが日常にあふれているアイマス世界の住人は本当に羨ましいな、と思いますね。


それでは明日も加蓮と奏への投票をお願いいたします!!


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5月3日「ゴミの日」

たまには整理整頓も


 連休の初日といっても、芸能の世界では稼ぎ時。ただ、まだまだ学生の二人には少しは羽を伸ばしてほしいと思って今日明日はオフとしている。

 

 誰もいないオフィスという珍しい場所。仕事を粗方終わらせた夕方。そして、私はこんな機会だからと荷物の整理を行うことにした。5月の3日は「ゴミの日」。掃除にはぴったりの日だろう。

 

 とはいっても、

 

「案外片づけるものはないな」

 

 必要なのは私の机周りくらいのものだ、と苦笑いが出てしまう。それも中身を確認して、捨てるもの、保存するものに分けていけば直ぐに終わり。じゃあ、部屋の周りでも掃除しようか、とあたりを見回す。

 

 加蓮も奏もきれい好きなので、雑貨品などはきれいに整理されていた。特に、お気に入りの物が飾られている棚は、写真に撮って見せびらかしても構わないくらいに。

 

 こうしてみると、加蓮は神谷さん達の影響か、花を模したものや、キャラクター雑貨が多い。一方の奏は、これは当初は意外ではあったのだが、ピンク色のものを選んでいることが多いのだ。

 

 本人が公言しているわけではないが、そう言うところも可愛らしいとは思っている。

 

 そんな個性豊かな小物といい、観葉植物と言い、壁にかけられた写真といい。私の周りは彼女たちが用意してくれたものであふれている。折を見ては、それらを持ってきて、二人は部屋の中をにぎやかに、豊かにしてくれてきた。

 

 そんな最初の一つは小さな額縁に収まっている写真。

 

「……懐かしい」

 

 私が真ん中で困った顔で立ち尽くし、その両脇でお互いに目線をそらしている仏頂面の二人。加蓮が初ライブを終えたことで私が正式にプロデューサーとなり、そして奏をスカウトしたことで、この部屋を与えられたのだ。

 

 私たち、モノクロームリリィの始まりの一日。そのころはユニット名も決まっていなかったのだが。

 

 いつか加蓮が語ったようにあの頃の二人は冷戦状態というか、一触即発というべきか、常に妙な緊張感を伴っていた。奏をスカウトしたときなど、加蓮は「嘘つき」等と涙目で訴えてきたし、奏には「私だけじゃなかったのね」等と冷たい目で見られる始末。

 

 私に原因の大本があるのは理解している。二人とも機嫌を直してくれるまで結構な時間がかかった。

 

「よく落ち着いてくれたもんだなあ」

 

 と一人ごちる。今も秘密とされているユニット結成前夜。二人の秘密会合がきっかけ。

 

 何が起こったのは私は教えられてはいないが。きっと、知るべきではないのだろう。私がいろいろと走り回っている間に、少女たちは互いに影響を受けて成長していた。

 

 それを壁から外して、布で磨く。折を見て綺麗にはしているので、そこまで埃もたまってはいなかった。

 

 続いて、後に撮影された写真も同じように掃除を。衣装合わせ、初ライブ、その後の打ち上げに、合同ライブでの大役を果たした時や、旅行を行った時の写真。

 

 こうして考えると、いくつもの写真が私たちの日常を見守っているのだ。それだけ長く皆で続けてこれているのはありがたく、そしてこのままもっと多くの思い出を残していきたい。

 

 ただ、だんだんと険が取れて仲良くなっていく二人は可愛らしいのだが、それに比例して、からかわれて汗を流す私の写真が増えていくのは、笑っていいのやらなんやら。最新の写真などは、何がどうしてやら、私は変な仮装をさせられてしまっている。

 

 思い出を一つ一つを丁寧に。そして、掃除を終えて、一息をついたころ、ドアがノックされた。誰かお客様だろうか。いや、ノックの調子から見ると、きっと。

 

「はいどうぞ!」

 

 声をかけると、

 

「「来ちゃった」わ」

 

 と、予想した通り、二人がひょっこり顔を出した。私が驚く顔を浮かべると、悪戯成功といつもの笑顔。見事なまでにドッキリ成功という顔。

 

「二人とも、せっかくのオフだったのに」

 

 私がつぶやくと、奏は手に提げていたいくつかのビニール袋を示し、

 

「しっかりオフは楽しんだわよ。加蓮と二人でショッピングしてきた帰り」

 

「それでPさんにもお土産ー!」

 

 一方の加蓮は袋から小さな紙の箱を取り出して、にやり顔。それは近場でも有名なケーキ店のものだった。それを机の上に置き、「どうぞ!」と言って開かれるそこには色とりどりのカップケーキ。

 

「そろそろあのパフェが恋しくなる頃でしょうけど、我慢しなくちゃいけないPさんへ」

 

「Pさんも私たちも甘味が恋しいお年頃だから、ね?」

 

「ほんと、君ら最高」

 

 私に用意されたのは、フルーツと生クリームがたっぷりのそれ。あと1週間は我慢をしなくてはいけなかったので、少しの糖分補給は待ちわびていた。

 

「よし、すぐ食べよう、すぐに! 飲み物、紅茶でいい?」

 

 コーヒー派の奏も、甘いケーキには紅茶が良いだろう。テンションを上げて言う私に二人は苦笑い。

 

 そうして私は整理していた荷物を脇に放り出して、カップを用意した。

 

「そういえば、掃除でもしていたの?」

 

 紅茶を注ぐ私に、奏が目ざとく質問してくる。

 

「うん、二人も休みだし、自分の机の周りとかね。二人の私物とかはもちろん動かしてないから、安心して」

 

「そんなに気にしなくても良いのに。で、何か面白いものとか出てきた?」

 

 加蓮は少し目を面白そうな色に変えて聞いてくる。面白いものってなんだよ。

 

「ほら、前に宝の地図が出てきたじゃない?」

 

「とんでもないところから柿ピーも出てきたわね」

 

「私の机の中は四次元ポケットじゃありませんよー」

 

 ただ、

 

「壁の写真を見ていたら、懐かしくなったよ。昔と今じゃ、二人の表情とか全然変わったしね」

 

「あの頃の写真? 私は改めて見るのは恥ずかしくなっちゃうなー。ひどい顔していたし」

 

「たまには昔を思い返すのも良いけれど、未熟な頃を見返すのは中々勇気がいることだものね」

 

「二人が気になるなら、外すけど? どうする?」

 

「ふふ、大丈夫」

 

「そうそう、飾って置いたら、なにか、ご利益ありそうだし」

 

 確かに、ご先祖様よろしく見守ってくれている感じはするな。

 

「それよりも、」

 

 と奏と加蓮はちょっと座り方を直すと、私へと笑顔を向けて言う。

 

「明日も私たちオフよね?」

 

「うん? もちろん」

 

「Pさんもオフよね?」

 

「いや、そんなことないけど」

 

 何を言っているのだ、と疑問に思ったら、

 

「ふっふー、オフにしたの」

 

 加蓮は少し得意顔で、千川という署名が入った有給休暇の承認届を取り出す。その取得者はもちろん私となっていて。

 

「何時の間に!?」

 

 やられた、と頭を抱える。

 

「せっかくのお休みを仕事尽くしにするなんて、もったいないじゃない?」

 

「で、ちひろさんに相談したら『いいですよ』って言ってくれたの」

 

 あの人に頼ると、後々が少し怖いのだが。まあ、それは良い。確かに二人が休んでほしいというのなら、休むべきなのだろう。この間も仕事溜めてへばってしまったし。

 

「そっか。じゃあ、何をするかな」

 

 とはいえ、休みだからとやることはないのだが。

 

 そう言うと、二人は綺麗な笑顔で告げる。それはとても魅力的で、ある種恐ろしい言葉だった。

 

「Pさん、デートしましょ♪」

 

「もちろん、私たちとね!」

 

「……え?」




モノクロームリリィと小物

加蓮は学校のバッグにうさぎのキーホルダーが着いていたりと、かわいらしい小物が着いていますよね。アイマス世界はしっかりとキャラクターの好みやブランドが設定されているのが面白いとは常々思っていたり。加蓮もそういった好みは友人の影響を受けていそうです。
一方で奏がピンク色のグッズを好んでいる可能性があるというのはちょっと意外で、普段とのギャップが破壊力あります。


ここにきて、デレステでモノクロームリリィがそろって背景へ出てくるという嬉しいサプライズがありましたね。筆者は現状、盛大に爆散しております。
さて、そんなリアルは無視した前振りの本日。明日はみどりの日ということで、のんびりとデートでもしてもらいましょう。

それでは、明日も奏と加蓮への投票を、どうかよろしくお願いいたします。


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5月4日「みどりの日」

デートという名のお遊び回。

甘くしすぎず、けれど甘くというのは中々配分が難しいものです。


 5月4日、GWも半ばの呑気な休日。私は久しぶりの休日の朝、駅の出口に立ち、少しの待ち時間を楽しんでいた。

 

 集合時間まであと30分。こういうときは早めに辿り着くものだ、と少ない経験ながらも弁えてはいる。

 

 あたりは少なくない人だかりだ。中でも、たくさんの子ども達が親御さんと笑顔を浮かべ、手に可愛らしい荷物を下げながらスキップしている。とある自然公園の最寄り駅。天気も良いので良いピクニック日和だろう。

 

 昨日、2人から『デート』の提案を受けたときは大いに狼狽えたのだが、まあ、実情はたまには3人で遊びに行こうというもの。若い娘たちの中に私が入っても楽しくないかもしれないが、2人に押し切られてしまった。そして、提案がピクニックというのも意外ではある。

 

 街中でショッピングや映画というのなら、よく誘われることがあるが、アウトドアというのは初めての経験だ。

 

 そうして少し待っていると、

 

「あ、Pさん!」

 

 と加蓮の大きな声が聞こえた。声のしたほうを向くと、加蓮と奏が手を振っていた。

 

「待たせてしまったかしら?」

 

 と、奏。私は笑いながら答える。

 

「いや、さっき来たとこだよ」

 

 むしろ、2人を待たせるよりはずっといい。

 

「乙女としては待ち人に焦がれるというのも、やってみたいけれどね」

 

「けど、Pさんにしては気が利くし、早く来てくれたのは素直に嬉しいな」

 

 2人はそう言って満足したように笑ってくれる。と、私は2人が抱えている大きなバスケットに気が付いた。結構大きそうな荷物に興味が引かれる。

 

「それ、持つよ?」

 

「紳士的なところは素敵だけど、せっかくだから私たちで持つわよ。そうね、帰りがけはお願いしても良いかしら?」

 

 そう言ってくれるのなら、無理にとは言わないけど。

 

「それにしても、本当に私服で来たんだね、Pさん」

 

 加蓮はそう言うと足先から天辺までじっくりと私の服装を見てくる。昨日あれだけ念を押されたからか、スーツは止めて私服にしたのだ。

 

「ど、どうかな?」

 

 少し緊張しながら見せてみる。加蓮も奏もファッションセンスが抜群だ。その2人からどんな評価を受けるのか、というのは気になるし、若干の不安もある。

 

「……」

 

「……」

 

 2人とも少しの間、私の服装を見て。真剣な表情がふと解ける。

 

「良いんじゃない? もっと無茶したPさんも見てみたいけど、お洒落にまとまってると思うよ」

 

 加蓮がそう言って私の肩を軽くたたく。

 

「もっと普段から私服にしてもいいんじゃないの?」

 

「流石に仕事中はね。でも、たまの休日くらいにはいいのかな?」

 

「ふふ、その時はまた見せてほしいわね。定期的にPさんのセンスをチェックしないと」

 

 そういう加蓮と奏はいつも以上にお洒落で眩しいばかり。意外だったのは加蓮が動きやすそうなパンツスタイルであるのと、一方の奏がフリルが多めのお嬢様のような恰好であること。

 

「せっかくだからいっぱい遊びたかったの」

 

 加蓮はそんなことを言って少し照れ臭そうに笑うのだ。

 

 3人で並んで歩き、入場券を買う。入場すると、豊かな植物に目を奪われながら中央の広場へ。一面柔らかい芝生に覆われたそこには多くの親子連れが遊んでいたが、幸いにも無事に木陰にスペースを取ることができた。

 

 私が持ってきた大きいシートを広げて、荷物を置くと、小休止。普段がビルと人混みの中で生活をしているからか、こういう一面の緑は珍しく、何でもないことなのに満たされていくのを感じる。

 

「やっぱり、植物の緑は心を休ませてくれるわね。この一瞬だけはアイドルも普段の生活も忘れて、童心に帰れそうだもの」

 

「けど、気を抜きすぎてばれちゃったら後が大変だからな」

 

「あのお花見の時みたいに? ふふ、あの時は苦労したわね。楓さん達が歌いだしちゃって」

 

「周りを誤魔化すためにPさん達が踊りながら「お願いシンデレラ」歌ったんだよねー。あれ、ほんとに笑い死んじゃうかと思ったんだから」

 

 私たちの苦い歴史である。しかも高森さんがその様子をベストショットしてくれたものだから、社報に乗って全体に共有されてしまうというおまけ付き。

 

「う、過去のことは思い出さなくてもよろしい! にしても、人は多いけど、しっかり運動できそうだな。どうする?」

 

 ちなみに私のバッグの中には加蓮がリクエストした通りに色々な遊び道具を揃えてきた。バレーボールに、サッカー、バドミントン。何でもござれだ。

 

「それじゃあ、まずはこれ!」

 

 加蓮はバドミントンを指す。まずは、という所から、本気で遊びまくるつもりらしい。体力持つのかしら? なんて奏のからかう言葉に、

 

「ふふん、見てなさい」

 

 と謎の自信を見せていた。

 

 さて、それじゃあお手並み拝見と行こうか。私たちは均等に広がって羽を突き始める。とりあえずはラリーで肩慣らし。私自身、ちゃんとラケットを扱うのは久しぶりなのだが、うまく返すことはできるようだ。

 

 少しの間のラリーが終わると、自然とスピードが上がり、何ともなしに三人での勝負が始まった。

 

「よしっ!」

 

 私が絶好球をスマッシュすると、奏はそれを掬いあげるように難なく加蓮へ。加蓮はそれを力いっぱいに私の方へと叩きつける。

 

「くっ!?」

 

「やった!!」

 

 加蓮が喜びの歓声をあげる通り、私は大きく空振りし、羽は地面へ。というか、これって。

 

「これ、二対一になってないか?」

 

「なんのことかしら」

 

「あ、一番多く落とした人は罰ゲームね!」

 

 やっぱりそう言う展開か! と戸惑いながらも、俄然燃えてくる私であった。だが、ひたすら技巧的に私のスマッシュを捌く奏と、それを受けて後先考えない剛速球で返してくる加蓮というコンビは、ライブでのそれと同じくらいに息のあったコンビであり、

 

「ひぃ、ひぃ、くそう……」

 

「はい、Pさんの負けー。はぁ、はぁ」

 

 結局私は、多少の善戦はしたものの、数の不利を覆すことはできなかった。

 

 同じように大きく肩で息をする私と加蓮へ、涼しい顔した奏がタオルをくれる。一種目目だというのに2人とも熱中をしすぎてしまった。

 

「もう、2人ともヘロヘロじゃない」

 

「ご、ごめーん、奏お母さん」

 

「誰がお母さんよ、もう。ほら、少しお昼のお休みにしましょう? 加蓮もこの後動けなくなったら勿体ないじゃない?」

 

「はぁはぁ、そうだね、休みにしようか」

 

 実は私も二の腕がきつい。普段使わない筋肉はこれほどに体を蝕むのか。

 

 幸いなことにふらつきながら逃げ込んだ木陰は涼しいくらいで。少し休めば再び動くこともできそうだった。加蓮と2人、汗を拭きながら休んでいると、その間に奏がいろいろの準備を進めてくれていた。

 

「それじゃあ、お昼にしましょう。さあ、どうぞ」

 

 奏は楽しそうにバケットの中身を開く。2人が持ってきたそれには色とりどりのサンドイッチや、唐揚げ、そしてポテトが入っていた。

 

「もしかして、これって?」

 

「そう、私たちの手作り。昨日加蓮と2人で作っていたの」

 

 ポテトがあるのが加蓮らしい。これだけ用意するのは大変だったろうに。

 

「男の人の食べる量って、ちょっと分からなかったから。少し作りすぎちゃったの」

 

「Pさんは存分に食べていいからねー」

 

 なんて優しく言ってくれるのに感動を隠せない。最近は自炊といってもトン汁ばかりだった。外食以外で人の温もりを感じる料理は久しぶりだった。あらんかぎりの感謝の言葉を贈った後に、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「はい、どうぞ」

 

「……奏、今日は本当にお母さんみたいなんだけど」

 

「……そんなこと無いわよ」

 

 そう言う奏は少し耳が赤くなっていた。ともかくとして、私は2人のお弁当に舌鼓を打つ。加蓮は以前、料理も勉強していると言っていたが、奏も同じだったそうで。どの料理も食材の良さが引き出された極上のものだった。

 

「美味しい……」

 

 思わずこぼれてしまった感嘆の声。2人はそれを聞くと、嬉しそうに笑ってくれる。

 

「そう言ってくれると頑張った甲斐があったよね」

 

「そうね。……あら、Pさん泣いてる?」

 

 泣いてないやい! けど、泣くほど美味しいのは事実であった。

 

 存分に食べて、笑って、そして私はバドミントンの罰ゲームを受けて。その内容は割愛しておく、が、日ごろならともかくとしてこういう人のいるところではやられるのは恥ずかしいものだと言っておく。

 

 そんな風に存分に遊び、楽しんだ一日も、ゆっくりと終わりを迎えていき、夕方。

 

「はー、よく遊んだ!!」

 

 私は盛大に体を伸ばす。もう体中がバキバキであった。明日は筋肉痛が確定的。後先考えずに遊びほうけたのは何年ぶりだろうか。

 

「もう無理、限界……」

 

 そして、奏に少し支えられるように立つ加蓮も、私と同様にへばりきってしまっていた。口をへの字にして、足が少しがくがくと。そうしているのも小動物のようで可愛いのがすごいと思い、奏と共に苦笑いを浮かべた。

 

「それで、Pさんも今日は楽しめたかしら?」

 

 帰りの駅へと向かう途中、奏がそう尋ねてきた。もちろん答えは決まっていて、その言葉を告げる。

 

「そう言ってくれると、私たちも誘ってよかったって、そう思えるわ」

 

「2人はどうだった?」

 

「あら、言葉にしないと分からないほど、鈍感じゃないでしょ?」

 

 と、軽く叩かれる。まったくその通りだ。

 

「私たちはアイドルとプロデューサー。もちろんお仕事の関係が基だけど、それでも今までの思い出や関係性はそれだけじゃ計れないじゃない? きっと、こうして個人個人の関係を深めていくのは、大事だと思うの」

 

「私は奏みたいに難しいことは言えないけどね。でも、Pさんがスポーツやっているところなんて初めて見たし、いろいろとPさんのことが知れて嬉しかったよ」

 

「そんなかっこいいとこ見せられなかったけどね」

 

 と私は苦笑いする。結局、どの種目でも2人のコンビを崩すことはできなかったのだ。

 

「そういうところも可愛げがあっていいじゃない」

 

「そうそう。必死になってるところも、ちょっとはかっこよかったよ」

 

 なんて言ってくれる2人に甘えてみるとするか。

 

「さて、じゃあ、次はいつ遊びに行こうか! Pさんのオフも押さえておかないといけないし、ちゃんと計画しないとだよね」

 

「ちょっと、もう次の計画か?」

 

「当然じゃない。まだまだお互いに知らないことはいっぱいあるでしょ? そうね、今度はサーカスを観に行くのなんてどうかしら? 最近話題の公演があるって聞いたのだけど」

 

「サーカス、いいね! じゃあ、今度はそこにしようか!」

  

 次の計画が着々と進んでいくのに、喜んでいいのか、戸惑っていいのか。ただ、私はそうしてまた3人で過ごす休日を想像すると自然と笑顔が出てくるのだ。

 

 また、こんな休日が得られるように、明日からは新しい仕事が待っている。




モノクロームリリィと休日

公式でカード化されているものだと、私は加蓮と行く遊園地や、奏と行く映画というものに強く惹かれてしまいますね。
それ以外だと、何がいいかなと思うと、加蓮とはバーベキューだったりとアウトドア、奏とは演劇鑑賞等をしてみたいと思っていたり。
二人の出番が増えていくと、きっと、もっと色々な場面が見れるのでしょう。


それでは、明日も二人への応援、投票、よろしくお願いいたします!!


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5月5日「子どもの日」

すみません。リアルの事情で少し遅れました!


 一人の少女がアイドルになるために必要なのはなんだろうか。煌びやかなステージか、人を惹きつける歌声か、あるいは演技力か。そんなわけはない。いくら、それらを用意したところでアイドルにはなれない。

 

 アイドルとはそれを応援するファンがいてこそアイドル足り得るのだと、私は考えている。

 

 そして、加蓮も奏も、ファンをとても大事にしているアイドルだ。そんな二人の努力と笑顔は、多くの人に希望を与えてくれる。だから、

 

「今日もたくさん届いたぞ」

 

 私は喜び勇みながら、手にいっぱいの便箋を抱えてオフィスへと戻った。それらは全て、ファンの皆さんが贈ってくれたものだ。

 

 色とりどりの手紙、今どきは珍しい手書きの文章、記念切手も貼られている。一目見ただけで、どれだけ心が込められているのかが伝わってくる。

 

 二人のアイドルへと真心を込めた贈り物。

 

 加蓮も、奏も、それを見つけた瞬間に、明るく笑顔を咲かせる。

 

「ありがと、Pさん!」

 

「嬉しいわ、たくさんいただいたのね」

 

 それらを机の上におくと、二人は楽しそうに広げ始めた。奏は一枚目、特に白い色が鮮やかな便箋を開くと、目を丸くして頬を緩める。

 

「あら、このファンの人、新婚旅行ですって。ふふ、私たちのライブで知り合ったそうよ。ほら、ハワイからポストカード」

 

「え! ほんと!? あ、ほんとだ……、幸せそうだね」

 

 私も見させてもらうと、そこには綺麗なドレスに身を包んだ女性と、それを支える男性。美しい海のポストカードが一緒だ。二人が言ったように、熱心にプレゼントを贈ってくれていたファンの名前がそこにあった。

 

 二人が縁となって絆を結んだというのは、とても不思議で、そして嬉しい思いになれることだった。

 

「気が早いかもしれないけど、お二人にお子さんが生まれたら、二人のファンになってくれるだろうね」

 

「その時、一緒にライブに来てくれたら、嬉しくて私、泣いちゃうかも」

 

 なんて加蓮は嬉しそうに、その手紙をしまう。私もその時が楽しみだった。

 

 同じように言葉を尽くした手紙を一つ一つ、丁寧に読み進めていくと、少し珍しいものがあった。

 

「これって」

 

 それは画用紙で作られた便箋だった。まだまだ形が整っていない字で書かれた住所と宛名。中には同じように丸く大きい字で書かれた手紙と、クレヨンで書かれた二人の似顔絵。

 

「ふふ、かわいいわね」

 

 なんて、奏は愛おしいものを見つけたように、その似顔絵をじっと見つめた。この間のライブで来た、白と黒のドレス姿。そして、それを書いたのが、

 

「まだ小学生1年生だって……」

 

「しかも、女の子。ほらほら、見てよ奏! 奏のことが大好きだって」

 

 奏の似顔絵のほうには大きなハートマークが書かれていた。手紙を読んだ加蓮は少しからかう目線でこのこのっ、と肘でちょいと奏をつつく。

 

 この間の恐竜展の仕事の時に二人を知って、ライブの映像を見てくれたのだそうだ。まだまだ親はライブに連れて行ってはくれないが、大きくなったら見に行きたいと、そう書いてくれている。

 

 その手紙を見ながら、お互いに褒め合ったり、からかいあったり。そんな二人を見ていると、自然と言葉が出てきた。

 

「……その子に会いに行ってみる?」

 

「いいの?」

 

 奏が驚きながら尋ねてくる。私は苦笑いをしながら、もちろんと頷いた。前には、もっと大変な無茶ぶりもあったじゃないか、と

 

「前にも、沖縄まで行った事があるだろ? この子の場合は関東だし、しっかりスケジュール調整すれば時間はとれるはずだよ。今から企画するとして、ちょっと先になるだろうけどね」

 

 1,2カ月くらいなら待ってもらえるだろう、これだけ熱心な手紙を書いてくれたくらいだ。それを聞くと、

 

「それじゃあ、その時は私のファンにもなってもらえるように、いっぱい誘惑しないとね♪」

 

 なんて、加蓮は挑発的に奏へ視線を送る。すると、奏も対抗して、

 

「あら、こんなに小さいのに私の魅力がわかる子だもの、加蓮に扱いきれるかしら?」

 

「ふふ、それじゃあ、勝負だね、どちらの魅力が届くかって」

 

 笑いながらバチバチと火花を散らしあう二人を見て、私は少し不安に思ってしまった。この二人の本気の誘惑を受けたら、その後の成長に影響を与えてしまうのではないか、なんて愉快な不安を。

 

 

 

 そんなやり取りから少しして、私が少しの外回りから帰ってくると、奏は部屋で一人、先ほどの手紙を見つめていた。先ほどとは違う、少しだけ悩むような表情。

 

「奏、どうかした?」

 

「Pさん……、ううん。少しだけね」

 

 そう言うと、奏は私を隣に座るように促す。私はそれに従ってソファへと腰を下ろした。

 

「この子が私に会いたくて、必死に絵を書いてくれたと思ったら、ね。感傷的になっちゃったの」

 

「不安になった?」

 

「やっぱり分かっちゃうのね。……この子が見て、憧れたのは、テレビの向こうのアイドル『速水奏』。けれど、偶像でない私と出会った時に、この子の憧れを壊してしまわないかって。

 

加蓮にはああ言ったのに。……情けないかしら?」

 

 そんなことはない。

 

「そんな風に不安に思っているのは奏がファンの方のことを大切に思っているからだろう?」

 

 一人待つファンただ一人のために、その場所へと行ける奏だからこそ、幼いファンへと思う気持ちは強く重いのだと思う。

 

「子どもだからこそ、きっとそんな純粋な奏の思いが伝わるはずだ」

 

 だって、私がファンになったのは、そんなアイドルである速水奏なのだから。それを見せれば、この子はきっと奏を想い、応援してくれる。

 

 そう伝えると、奏はくすりと可憐に笑った。

 

「……ほんと、Pさんは時々鋭くて、ずるい言葉をいうんだから」

 

「まあ、普段が不器用だからね」

 

 奏みたいにうまいせりふ回しが思いつかないだけなのだ。

 

「わかってると思うけれど、私だって不器用なのよ? それを、必死に隠しているだけ。そんな普通の高校生が速水奏だもの。そんな私がアイドルになるには、Pさんくらいに不器用でロマンの塊がプロデュースしてくれないと、ね。

 

 理想のアイドルを示してくれるのは何時だってプロデューサーさんだもの。……そうね、それを見せることができたら、この子もきっと喜んでくれるわね」

 

 そう言って奏は似顔絵を大切に眺めて、楽しそうに笑顔を浮かべるのだった。

 

 数か月後、サプライズで手紙の子の元へ訪問した奏と加蓮は、小さい女の子に大切な思い出を残すことに成功する。その子がライブに笑顔で訪れてくれるのは、それから数年後のことであった。




それでは、明日も二人への投票をよろしくお願いいたします!!


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5月6日「コロッケの日」

コロッケの日といえば、某デレパ……。


 誰も知りたくはないだろうが、私の食生活について少し話をさせてほしい。

 

 以前に語った通り、私は基本的に夕食は自炊。朝食もその残りを使って簡単に済ませている。問題は昼食。特に弁当などは用意しない。

 

 これにはウチの業界の事情も関係している。例えば、ライブを初めとしたイベントの場合、先方がお弁当を用意してくださる。外回りの仕事の時は、二人と一緒に外食をすることがほとんどだ。わざわざ弁当を持っていかなくてもよい。

 

 ただ、悩ましいのは事務所で取るとき。方法は二つある。一つは食堂だ。ただ、食堂は奏や加蓮を初め、アイドル諸君が食事をしていることが多く、何となく、その姦しい空間に気恥ずかしさを感じてしまったり。同期たちや、アイドルに誘われない限りは中々足を運ばない。

 

 もう一つが、購買だ。事務所のエントランスにスペースが作られ、そこで手作り弁当が販売されている。ラインナップも豊富で、お財布にも優しい。私の場合、そちらで買わせてもらうことが多いのだ。

 

 前置きはともかく。今日も私は昼時に購買へ向かっていた。

 

 鼻歌を歌いながら、階段を降りていく。すると、弁当屋の待ち列の中に、ウチの子の姿を見つけた。

 

「あれ、加蓮?」

 

 間違いなく加蓮。彼女はなにやら楽しそうに待ちながら、スマホをいじっている。だが、どうしたのだろう? 今日は奏がLiPPSの仕事で外に出ているので、他の友人たちと食事を共にするのかと思っていたのだが。

 

 気になった私は、階段を少し早足で降りると、加蓮のところまで向かうのだった。ちょっと離れたところから、手を降りつつ声をかける。すると彼女は私に気づいて、手を振り返してくれた。

 

「あ! Pさんもお弁当?」

 

「私はいつも通りね。けど、加蓮は珍しいよな? 今日は弁当なの?」

 

 聞いてみると、意外なことに加蓮は首を振る。

 

「ううん、ちがうよ。さっき、凛たちと軽く食事はしてきたの。で、今日のお目当てはアレ」

 

 そう言うと、加蓮は購買の脇に立てられた小さな旗を指さす。そこには、

 

『手作りミニコロッケ新発売』

 

 と美味しそうなコロッケの絵が写っていた。それを見て、私は、ははぁと納得がいく。

 

「なるほど、ポテト狙いか」

 

「うん。歩いていたらね、良い匂いにふらふらって引き寄せられちゃって♪ ほら、見て! 美味しそうでしょ?」

 

 何て、年相応にはしゃいだ声が耳に飛び込んでくる。そんな、ワクワクして、目をキラキラと輝かせている加蓮を見て、体調管理とかうるさいことは言わないことにした。加蓮もジャンクフードが好きなだけあって、その分の自己管理はしっかりしているから、まったく問題にはなっていないのだ。

 

 ただ、そうして楽しみに待っている加蓮の様子を見ると、私も無性に、そのコロッケを食べたくなってしまい……。

 

 思い立ったら吉日とばかりに、すぐに後方に並ぶ。

 

 そこからは少しの間は空腹との戦い。それに耐えた数分後、目の前にいくつもの弁当と、芳ばしいコロッケの香りが広がった時、大きく腹の奥が動くのを感じるのだ。

 

 店先に並んだコロッケ。アイドル達のちょっとしたおやつにもなるように考えられているのか、サイズが小さく抑えられたそれは、揚げ立ての印に熱を放ち、衣が金色に輝いている。なるほど、これを前にすれば加蓮でなくとも食べたくなって当然だろう。

 

 私はすぐ、簡単な幕内弁当と一緒に大きいサイズのコロッケを買った。そうして列の外へと出ると、加蓮は律儀に私を待っていてくれて。そして、二人でオフィスに戻るとソファに座って、お茶と一緒にコロッケを広げる。

 

 カリカリの衣に豊かな香り。見るからに、美味そうだ。その感想を抱いたのは私だけではないようで。

 

「Pさん、お先に♪」

 

 なんて、加蓮はさっさと一口目を食べだした。そして、そんな彼女に急かされるように、私もコロッケを口に運ぶ。

 

「いただきます!」

 

 サクっと一口。それだけで、味が口の中全体に広がっていく。甘いジャガイモに香り豊かなひき肉と野菜のコラボレーション。特に最高といえるのは、やはり主役のジャガイモだ。きめ細かくすりつぶされたジャガイモはふかふかとして、それでいてなめらかな舌触り。

 

 それらが芳ばしい衣の中に閉じ込められているのだ。サクサクとした食感とのギャップが、得も言われぬ食感を産みだす。味から感触から何から何まで楽しむことができる。

 

「はふぅ、幸せだ……」

 

 気がつけば、一息に食べ終えてしまっていた。私はだらけ切った感嘆の声で、弁当屋のおばちゃんを称賛する。素晴らしい腕前である。なんて料理評論家みたいに。

 

「ほんと、何個でも食べてられるよ、これ」

 

 と横を見ると、同じく顔を蕩けさせた加蓮がいる。女の子が食べ物を美味しく食べている姿は可愛いというが、加蓮は本当に幸せそうに食べるのだ。それがジャンクでもポテトであっても、見ているだけで幸せになれる。

 

 ただ、あんまりにも次を食べたそうに言うので、せめて一、二個で我慢してほしい。とは言ってみた。信頼はしているけど、念のために、軽くお願い。

 

「あはは、だいじょーぶだよ。私だってアイドルなんだから、そこはわかってます♪」

 

 だが、ポテト騒動を知っている私は苦笑いを返すしかなかった。

 

 そうして、二人そろって極上の手作りコロッケを食べ終え、少しお茶でリフレッシュ。のんびりとしていたら、加蓮が私へと質問してきた。

 

「Pさんもコロッケ好きなの?」

 

「そうだな。元々、好きだったのはそうだけど。ほら、家だと作るのに時間かかるだろ、コロッケ。ジャガイモふかして、潰して、それで最後は油で揚げる。なかなかそんな時間が取れないから、外食以外だと食べれない」

 

「つまり?」

 

「一人暮らしにはありがたい食べ物なんだよ」

 

 商品だとわかっていても、何となく愛情を感じられるのだ。

 

「そういう加蓮は?」

 

「私の場合は、油がたくさん使ってあって、サクサクの食感が楽しいし、それに、ちょと大雑把な味付けが大好き」

 

「さすが、」

 

 と例の禁じられたあだ名を呼びそうになり、とっさに口を噤んだ。

 

 あはは、と苦笑いして誤魔化そうとするも、何を言おうとしていたのかは筒抜けのようで、あとでお仕置き、なんて小声で宣言される。何をされるのかが怖いものだ。

 

「けど、コロッケは愛情を感じる食べ物なんだね。Pさんにとっては……」

 

「手間暇イコール愛情ではないって考えてはいるけどね」

 

 実家の母の味なんかを思い出してしまうのだ。

 

「ふーん」

 

 と、そんなことを話すと、加蓮は少し考え顔をして、最後に楽しそうに笑うのだった。

 

 

 

 翌日のお昼時。なぜか、前日に今日はお弁当買わないでね、なんて言われた私と奏はオフィスで静かに加蓮を待っていた。

 

「いきなりどうしたのかしら、加蓮」

 

 と心当たりがない奏は少し困惑顔。けれど、ちゃんとお弁当を用意してはいない。

 

 私としては昨日の今日なので大方の予想というものはできていたが、黙っておいた。加蓮がせっかく考えてくれているのだから、水を差すのは野暮ってものだろう。

 

「お待たせ、二人とも♪」

 

 上機嫌で戻ってきた加蓮。その手には、大きなタッパーが抱えられていた。

 

「それ、どうしたの?」

 

「ほら、奏にも話したじゃない。ちょっと料理も勉強中だって。昨日、試しに作ってみたから、おすそ分け」

 

 ご覧あれ♪ なんて声と共に広げた中には、ちょっぴり不格好だけど美味しそうなコロッケが口直し用のおにぎりと一緒に綺麗に並べられていた。

 

「味見してみたけど、ちゃんとコロッケになっていたから、食べてみて」

 

 なんて、少しドキドキするように声に緊張の色が混じった加蓮へ、私と奏はお礼を言うと、さっそくコロッケへと手を伸ばした。

 

 少しサクサク感は少ないし、ちょっとだけジャガイモもコロコロとしている。けれど、

 

「うん、美味しい!」

 

「ほんと、よく作ったわね、加蓮」

 

 奏は驚いたようにそう言うと、笑顔で二口目を食べる。そんな私たちの様子に安心したのか、加蓮も座って、自分の分を食べ始める。

 

「でも、いきなりコロッケだなんて、どんなきっかけがあったのかしら?」

 

 奏が食事の合間に加蓮へと笑顔で尋ねる。

 

「ひ、み、つ。でも、私の愛情がたっぷりと込められているから、二人とも大事に食べてね♪」

 

 なんて、楽しそうな加蓮の笑顔も楽しみながら、私はちょっと甘いコロッケを楽しむのだった。




モノクロームリリィと料理

自分の中では二人とも料理が上手そうなイメージが強い奏と加蓮ですが、どんな料理が得意なのか、と考えるといろいろ想像が膨らんで楽しいですね。
奏はちょっと手間のかかる和食なんかを真剣に作っているのが似あいそうです。周子に料理を教わっていたり。
加蓮は人に食べてもらう料理はすごい気を使いそうですね。自分が普段ジャンクを好むのに、家庭料理は健康志向だった、なんて光景が目に浮かびます。



さて、明日から最後の3日間。とうとうここまで来ましたので、頑張って完結させてみせます。

それでは、明日も加蓮と奏に、清き一票を!!


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5月7日「博士の日」

志希にゃんお手製香水とか、発売しないですかね。


 5月7日、昼下がりにオフィスへ戻った私は、少しいつもと違う感覚に足を止めた。

 

 なんだろう、と少し考えて、良い香りがほのかに漂ってくることに気が付いたのだ。爽やかな、花の香りに似ているけれど、これまでに嗅いだことがない。

 

 香りの発生源を探してみると、それが見つかった。

 

「なんだろう、これ」

 

 それは、小さく丸い球だった。私の机に置かれたそれは、半透明で、薄いピンク色。ビー玉くらいだろうか。

 

 原因を発見したのはいいが、触るのにはためらわれた。十中八九、あのレイジー博士の仕業だと勘が囁くのだ。香水に奇妙な物体の組み合わせで外れるわけがない。

 

「ふふ、今回は引っかからないぞ」

 

 等と苦笑いをしながら勝利宣言をした私を、閃光が襲ったのは、次の瞬間であった。

 

 

 

「それで、こうなったと……」

 

「またやられちゃったかぁ……」

 

 奏と加蓮が呆れたようにつぶやく。二人が見るのは、バスタオルを首に下げて、少し濡れた私。シャワーを浴びた私は、水気を取りながら、

 

「あの一ノ瀬博士、いつか見てろよ……」

 

 と呟く。にゃははー、と楽しそうに笑う彼女の姿が脳裏をかすめ、少し歯ぎしりしながら。そうやって唸る私だが、二人は、

 

「いやー、あきらめた方がいいと思うよ、Pさん」

 

「向こうが間違いなく上手だもの」

 

 なんてなだめてくる。確かに、お返しする方法も思いつかないし、逆に反撃されて、今度こそ改造人間みたいにされるのが関の山だ。そんなことはわかっているのだが、せめて思うのくらいは勘弁してもらえないだろうか。

 

「それにしても破裂する香り玉なんて、また変わったものを作ったものね」

 

 奏が言った通り、私の机に置かれていた玉は人を感知すると破裂して、香水を撒くというもの。一ノ瀬博士だけでなく、池袋博士との合作だったのかもしれないが、それをしたたかに浴びた私は、えらく華やかな香りを放つ者となってしまった。

 

 しかも、シャワーでもそこまで香りが落とせていない。せめてもの救いは、他の人の不快になるほどの強さではないことだが。

 

 ただ、一ノ瀬さんも本当に人に害あるものをばらまく子ではないが、女物の香水を使われては、私としては羞恥で穴に飛び込みたくもなるのである。せめて男性用のものにしてくれればいいのに。これから外回りの仕事がなくて本当に助かった。

 

 なんて、疲れてソファへと座った私の隣へ、加蓮が腰かけると、

 

「どれどれ、くんくん、ってほんと、良い香り……」

 

 なんて、加蓮はすっと私の二の腕のあたりに顔を寄せると、どぎまぎする私に構いなしに、香りを嗅ぐ。そして、驚いたようにつぶやいた。

 

「一ノ瀬志希だもの、素敵な香りはお手の物。きっと、それも新作の香水でしょうね」

 

「へー、それじゃあ、もしかして世界に一点ものだったり?」

 

「可能性は高いわよ。けれど、志希のことだから、何となくで作って、作り方は覚えてない、なんてこともありそうね。……♪」

 

 奏も、こら、止めなさい。良い香りかもしれないが、それ、私の腕だから。

 

 二人から何とか逃れようとするが、結局は捕まって、その場から動けなくなってしまう。なんだこの匂い、女性を呼び寄せる効果でもあるのか。私はげんなりとしながら息を吐く。

 

「まったく、そんな貴重なものを炸裂球に使うなんて、贅沢なもんだ」

 

 特許とかにも成るだろうに、それをいたずらに使うのがらしい。

 

「でも、これ本当に取れるのかしら、香り」

 

 確かに、洗っても全然落ちなかったが……。

 

「いや、でも、さ、流石に取れるだろ」

 

 希望にすがるように二人を見るが、どちらも困ったように顔をしかめるだけ。

 

「ほら、Pさんに仕掛けるときって、たいていは向こうのPさんへ悪戯仕掛ける準備じゃない?」

 

「そうね、向こうは耐性ができているから、先にこちらでテスト、っていうパターンが多いわ」

 

 あの同期と来たら、一ノ瀬さん、フレデリカさんの二人掛かりでも、下手な悪戯では動揺しなくなってるからなあ。ただ、うちのPさんはちょうどいい練習台なのかもね、なんて、失礼なことを言うんじゃありません。

 

「そうなると、試作品だから落ちない、なんて欠点があったり、なかったり?」

 

 加蓮は少し楽しそうにそんな怖い想像を話す。下手すると私は一生芳香剤のままなのか? 私は外回りやライブの仕事をしているときにいちいち怪訝な顔で見られる、そんな私がイメージされてしまうのだ。

 

 そうして青い顔になった私へ、奏はにやりとしながら話しかける。

 

「確かに、男の人の香りとしては少し華やかすぎるわよね……。それなら、一つ、解決策があるのだけど」

 

 なんて、甘い言葉には罠があると、そう知っていたはずなのに、狼狽えていた私は愚かにも、それにすがってしまうのだった。

 

 そして数分後、

 

「……一ノ瀬博士ほんと恨むぞ」

 

 私は少し重い体を引きずるようにして、一ノ瀬さん達のオフィスへと向かう。ともかく香りを消す方法を聞きださないといけないのだ。

 

「なるほど、これは名案♪」

 

 なんて加蓮が上機嫌な声を出す。

 

「ええ、これならPさんの香りだってばれないし、他の人の注目も逸らせるでしょ?」

 

 そりゃ香りは誤魔化せるかもしれない。だが、別の視線がズバズバと突き刺さっているのだが。大概の視線が、またか、と告げるそれだったのには安心していいのか、抗議すればいいのか。

 

 なにせ、私は両手に奏と加蓮がひっついているのだから。それもがっしりと。おかげで私は顔が熱くて仕方がない。

 

「こうすれば、私たちの香りだと思ってもらえるし、安心でしょ?」

 

 と奏は楽しくて仕方ないと言わんばかりに本日最大の笑顔を見せる。

 

「どこが安心なんだ、どこが」

 

 どう考えても君たちが楽しんでいるだけだろ。と抗議をしてもいつも通り、二人に敵わない私は、少し二人を引きずりながら先を急ぐしかないのだ。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、私、この香り結構好きだから、いつまでもくっついていられるし」

 

「あら、加蓮もそうなのね。ほら、Pさん、もしもの時は一生くっついてあげるから大丈夫よ」

 

「全然大丈夫じゃない!!」

 

 だが、そうして苦労しながら向かった先、肝心の一ノ瀬博士は不在。私は膝から崩れ落ちて二人に大いに慰められるのであった。




ちょっと短いですが、本日は忙しかったのでここまで!

みなさん、投票券は貯まっていませんか? 投票し忘れる前に、早めに奏と加蓮への投票をお願いいたします!


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5月8日「総選挙最終日前日」

とうとう明日が締切ですよ! 投票はお早めに!!


 例えば、この世界が明日終わるとして、その最後の一日をどうやって過ごすのか、なんてよくある質問を考えたとき、私はやはり、最後まであの二人を見ていたいと思う。アイドルとしてイキイキと、キラキラと輝いている姿が見えれば、きっと私は本望だろう。

 

 5月8日。一月にわたって行われた総選挙期間も明日で終わり。それぞれのチームが、ユニットがそれぞれに奮闘を重ねてきた一月の最後に、事務所で合同のライブイベントが開かれていた。元々競い合うための総選挙でなく、お互いが奮起するため、様々に挑戦を行うための総選挙。

 

 そんな頑張りの最後は、みんなで一つのライブを作りあげ、そして、一緒にアピールを行うのが恒例だ。

 

 広いアリーナのステージに、煌びやかなアイドルたちが舞い踊る。曲目もアイドルらしい明るく可愛らしい曲から、甘々にキュート、カッコよくクールに、燃え上がるほどのパッションを、なんて彩り鮮やかなもの。

 

 そして、奏と加蓮は。

 

「……さあ、行くわよ加蓮」

 

「緊張してる? 奏?」

 

「ふふ、それは加蓮もじゃない? でも、」

 

「楽しい、うん、そうだね。やっぱり緊張して、ドキドキして、けれど、楽しいんだよね」

 

 ステージの袖で加蓮と奏が不敵に笑う。中間選挙の高順位を反映して、二人の出番はトリのすぐ近く。

 

 その後のセトリに備えるのは、歴代のシンデレラガールズやトップ10の常連組。

 

 そして、最後に待つのは前回のシンデレラガールである高垣さん。

 

「二人とも、そろそろ準備良いかな?」

 

 私は最後に二人へと話しかける。

 

「随分と、気合入っているみたいだけど?」

 

「大丈夫、コンディションは最高潮。いつでも行けるわ」

 

「久しぶりに大きなライブだもん、楽しまなくちゃ」

 

 自信に満ちた二人の声。けれども少し、緊張で強張って、自信にあふれて、今か今かと待ちわびている、そんな立派なアイドルの顔がそこにある。

 

 今日の二人は、モノクロームリリィの名前の通り、黒と白の華やかなドレス。そして、歌うのはユニットとしてのデビュー曲に、二人のソロ。曲にダンスに、そして、最後には少し長めのMC。

 

 長い長いステージ。そこに飛び出せばいつもと同じく、私にはできるのは見守ることだけ。

 

「じゃあ、出番だよ。……奏、加蓮、輝いてきて」

 

 だから、気持ちを目いっぱい込めて、言葉を伝える。

 

「ええ、それじゃあ見ていて、Pさん。貴方のアイドルのステージを」

 

「終わった後は、美味しいドリンクを用意していてね♪」

 

 そう満面の笑顔をくれた二人は、光り輝くステージへと駆け出していく。爆発するような歓声を浴びながら、モノクロームリリィは妖艶に、可憐に、そして二人が合わさり、何者にも代えられない魅力を広げていく。

 

 そこにあるアイドルの姿を私は見つめながら、私は拳を強く握る。もっと、もっときれいに輝くと。もっと、もっと頑張れと。そして、無事にステージから戻ってきてほしいと。

 

「……二人とも、すごいステージですね」

 

 すると、背後から、落ち着いて、優しい声が聞こえてきた。

 

「……高垣さん」

 

 二人のステージを見つめたまま横目で確認する。

 

 高垣楓さんが、二人が憧れるシンデレラガールの姿がそこにあった。イメージカラーの薄緑色のドレスに、シンデレラガールの証であるティアラをつけて。

 

「こんにちは、プロデューサーさん」

 

 高垣さんは私に微笑みを向けると、ステージの上で歌い踊る二人を見つめて、さらに言葉を続ける。

 

「二人が今日、あいさつに来たんです。勝ちに行くから、待っていてくださいって」

 

「……まったく、あの二人らしい」

 

 私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。宣戦布告なんて。言い出したのは奏だろうか、加蓮だろうか。いや、きっと二人ともにだろう。絶対に負けない、と。

 

「でも、このステージを見たら納得です。きっと、会場中の人が二人に魅了されている。……すごいですよね、歌うたび、演じるたびに二人はすごいアイドルになっていく」

 

 私はその言葉に肯いた。

 

 奏も加蓮も順風満帆なアイドル人生を送ってきたわけじゃない。加蓮は体力に課題が残っていたし、奏もそつなくこなしているようで、アイドルとしての自分を確立するまで、多くの悩みを抱えていた。

 

 それでもファンの人たちに支えられて、互いに高め合って、仲間との絆を結んで、アイドルとして一歩一歩ステージを登ってきた。そして、とうとう頂点がつかめる位置までやってきている。

 

 キラキラと、多くの星々の中でも、一際輝くアイドルに。

 

「けど、高垣さんも負けるつもりはないんですよね」

 

 そう言うと、高垣さんはそんな二人を楽しそうに見つめて、もちろん、なんて、悪戯っぽく笑顔を浮かべた。

 

「私と私のプロデューサーさんも、皆さんに負けないチームですから」

 

 自信に満ちた顔だった。

 

 そう高垣さんが告げたのと、ステージが終わるのはちょうど同じくらい。

 

 溢れんばかりの歓声に見送られて、二人はいったん、私たちのところまで戻ってくる。汗を流しながらも、その顔は充実感にあふれていて。やり切ったと、言葉はなくとも、それが伝わってくる。

 

「どうだった、Pさん? それに、楓さんも」

 

 魅了されちゃったでしょ、なんてアイドルらしくウインクする奏。

 

「もー、ステージ終わるの早すぎ! まだまだ歌いたいのに!!」

 

 なんて昔を感じさせない元気な声でおねだりする加蓮。

 

 私がそんな二人へ返す言葉は決まっている。

 

「二人とも、」

 

「「「最高だった!」」」

 

 被せられて少しぽかんと口を開けてしまう私。そして、予想されていたことに気づいて、苦笑い。

 

「あはは、もー、何度も言ってくれるからわかっちゃうよ!」

 

「うーん、語彙力をもっと増やした方がいいのかな?」

 

「下手な言葉で飾られるよりも、Pさんの気持ちの方が嬉しいもの、そのままで良いわ」

 

「……そうだね」

 

 最高のアイドルによる、最高のステージだったのだから。他に言葉はいらない。

 

 そして、二人のステージを見届けた高垣さんも、

 

「二人とも、すごいステージでしたよ。……けど、私もまだまだ譲る気はないですから」

 

 なんて、普段とはらしくない挑発的な言葉で二人をねぎらう。

 

 その言葉に二人は少し互いを見つめて、そして、モノクロームリリィは決して逃げることはなく、笑顔で返すのだった。

 

「勝つのは」

 

「私たちだからね!」

 

 きっと、何時だって、どんな時だってそう言える二人だからこそ、もっとずっと高みへと昇っていくのだろう。そんな二人の頑張りが形になるのは、あと少し先のことだ。




とうとう最終日が迫ってきて、この小説も終わりを迎えると思うと、考え深いものもありますね。


最後にいう言葉も変わりません。
どうか、速水奏と、北条加蓮、二人のアイドルに清き一票と応援をお願いいたします!!


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5月9日「告白の日」

祭りの後の寂しさと、これからの決意表明を。


 5月9日。

 

 私は最後に自分のアイドル二人へと一票ずつ投票すると、大きく天を仰いで息を吐いた。

 

 ついに、今日で終わりだ、というちょっとの達成感がある。

 

 もちろんこれがエンディングではないし、これからも彼女たちのアイドルとしての道は続いていく。私のプロデューサーの道も同様だ。

 

 けれど、一つのお祭りのような、この日々は濃厚で、楽しかった。まだ結果はわからないが、それでもいつかの輝かしい未来へつながるだろうし、そして、その後も思い出話として笑いあうことができるのだろう。

 

 最上階の投票箱に丁寧に二人の名前を書いた紙を放り込むと、事務所を出る。

 

 向かうのは事務所近くのホールだ。今日は少しばかりおめかしをしたスーツに身を包んでいる。総選挙の終了と、前日のライブの打ち上げが行われているのだ。最後に少し外回りの仕事があった私は、少し遅れて会場へ。

 

 ホールのエントランスに入ると、そこには珍妙な景色が広がっていた。例えば、輿水さん担当とレイジー・レイジー担当の同期Pが悪魔降臨の儀式と見まごう、そんな踊りを繰り広げている。またぞろバラエティの神でも降臨したか。

 

 以前も見かけたそれに、一ノ瀬博士とフレデリカさんに囲まれて青い顔の輿水さん、P達の奇行を祓おうとしている羽衣小町担当の同期というさらにカオスと化した光景があふれている。

 

 天井付近には、サーカスのようなロープギミックでゆっくりと移動していく巨大な、うん、巨大な太陽が存在する。

 

 他にも、神谷さん担当の先輩が、南条さんと共にヒーローごっこに興じているし、神谷さんがそれを見て苦言を呈しながら顔を赤らめている。

 

 そして、それをベテランの渋谷さん担当Pが上層から、その様子を見守っていたり。あの人も大概、ああいうシチュエーション好きだよなあ。

 

 相も変わらず個性豊かで賑やかな事務所の面々が、いつも以上に個性を爆発させていた。皆、一張羅に身を包んでいるが、今日ばかりは緊張感から離れてはしゃいでいる。

 

 そんな彼らと比べると、私はやっぱりまともじゃないか、と思ったが、『君ほどにからかわれているPはいない』とかつて上司から苦笑いと共に贈られた言葉が頭をよぎった。

 

(いや、流石にそんなことはないんじゃないかな?)

 

 と自分でも不器用なごまかしをして、ホールへと向かった。

 

「あら、遅かったじゃない。待ちくたびれちゃった♪」

 

「ふふ、私たちを待たせたペナルティは重いよ?」

 

 ホールに入るとすぐ、ウチの姫様二人が私の元に来てくれる。

 

「そのドレス……」

 

「そう、あのブライダルパーティーの時の衣装に似せてみたの。衣装さんには少し無理言っちゃったけど、どうかな?」

 

 加蓮は薄紅色、奏は紺色のドレス。それは、モノクロームリリィとしての初仕事となったブライダルパーティーの仕事で二人が着ていたドレスとよく似ている。まばゆくばかりのその姿に、頬が熱を帯びる。

 

 すると、加蓮はウインクをしてくるりと一回転。めちゃくちゃ可愛い。

 

 そういえば、二人から親し気にからかわれ始めたのも、あの時からだったか。その最初のからかいは……。なんて油断していると、

 

「あら、そんなに加蓮ばかり見つめていると嫉妬しちゃうわ、ね」

 

 すっと、奏が瞳を潤ませながら、腕を絡めてくる。大胆に露出した首周りの肌が艶かしい。そして、その細い指で二の腕が撫でられると、背筋にぞわぞわと刺激が奔る。

 

「か、奏!?」

 

「……やっと、私を見てくれたのね……。もう、目を離したらだめよ?」

 

 なんて、妖艶な声と微笑みで誘惑する奏。それに続いて加蓮が、

 

「もー、奏にばっかりデレデレしたらダメ! 私も、ほら、魅力的でしょ? やわらかくて、あったかいし」

 

 もう片方の手も取られて、そこに体が押し付けられる。活発で可憐な笑顔がすぐそばにある。そして、

 

「ねえ」

 

「どっちを選んでくれるの?」

 

 二人の声が耳元で響く。

 

「……もはや、これくらいでは動じません!」

 

 私は毅然とした態度で言い放つ。これは、一度目のからかいの再現だった。あの時の、まったく耐性がなかった私は顔を真っ赤に染めて、卒倒しそうになっていた。今の私はそんなことにはならない。成長したのだ!

 

「そんなこと言って、顔真っ赤だね」

 

「心臓の音も、おっきいわ。……あの時と同じくらい、熱い音が響いてくるもの」

 

 成長したはずだ!

 

「じゃあ、このまま会場を回ろうよ! 凛と奈緒にも見せたいし」

 

「食事のことなら安心して、Pさんのお世話は、私たちが務めるから」

 

「……すみません。やっぱり、勘弁してください」

 

 悪戯な笑みを浮かべる二人を前に、変な意地を張らずに、降参を告げるのだった。そして、

 

「また、やられた」

 

 楽しいBGMと笑顔があふれる会場の中、私は肩を落として呟いた。

 

「ほらほら、せっかくのパーティーなんだから拗ねないの。ポテト美味しいよ。食べる?」

 

「……美味い」

 

「じゃあ、次は唐揚げなんて、どうかしら。ほら、いつか言ってたじゃない? 唐揚げを食べた唇が素敵って」

 

「記憶を捏造してない!? むぐっ」

 

 あれは奏が好きな弁当という話だったはずだ。なんて言い募ろうとしたら、口へと唐揚げが放り込まれる。美味しいのだが、味があんまりわからない。

 

「ほら、次に何が食べたい? なんでも取ってあげるよ!」

 

 腕組みから解放されたのは良いのだ。だが、私の手は依然、二人の柔らかい指に包まれたまま。そんな格好なので、周りの同僚たちからは面白いものを見るように見られている。もとより、私たちのチームはそう思われているのだろうが。

 

「あら、迷惑?」

 

 なんて、奏は笑顔で聞いてくる。それに何か言い返そうとして。いや、今日ぐらいは素直になるか、なんて思い直す。

 

「はあ……。二人にされて迷惑なことなんて、何もないよ」

 

 昔も、今も。だから、同じことをされてもドキドキしてしまうのだ。

 

「だから、私達も甘えたくなっちゃうんだよ♪」

 

 それは分かっているんだけどね。

 

「でも、今日は素直に言ってくれたから。……ねえ、Pさんがしたいことがあるのなら。何でも、叶えてあげるよ……」

 

 奏は今日一番に魅力を溢れさせて、首元に唇を寄せると、そう囁いた。そう言ってくれるなら。なんて。

 

 じゃあ、私が何をやりたいのか、何が欲しいのかをしばらく考えて。

 

「……パフェが食べたいなあ」

 

 ジャンボパフェ。早くあの糖分が欲しいのだ。そう言うと、奏と加蓮はちょっとため息を吐き、

 

「……もう、期待したのは間違いだったかしら」

 

「……0点」

 

 100点解答の方が恐いから、それで今は十分だよ。なんていうと、二人も苦笑いを返してくれた。そして、奏は手に力を込めると言った。

 

「それじゃあ、ロマンチストなのに女心がわからないPさんに、素敵なアイドル2人が雰囲気の作り方をレクチャーしてあげましょうか」

 

 

 

「うわー、良い景色!」

 

 海辺を臨むベランダへ出ると、彼方に天の川のように街の灯りが広がっている。その景色に加蓮が感嘆の声を上げる。いつまでも見ていたい。二人に連れられていったのは、そんな恋愛映画のワンシーンみたいに素敵な場所だ。

 

 ただ、まだまだ春の夜風は冷たい。二人とも薄手の格好だから、少しだけ心配になってしまう。

 

「寒くない?」

 

 私が尋ねると、奏は、気配りできるじゃない、なんて笑みを浮かべる。

 

「平気よ、ありがとう。それに、本当は私たちもちょっと暑いくらいだったんだから。……理由は察してほしいけれどね」

 

「……そう言うなら、からかわないでくれると嬉しいんだけどなあ」

 

 なんてしみじみと呟くと、加蓮はにっこりと笑顔を浮かべながら言うのだ、

 

「からかわれるPさんが可愛いんだもん。それに……、なかなか素直になれない、そんな面倒な私たちなりのコミュニケーション」

 

 少し赤らめた顔に、少し気恥ずかしくなって、ポリポリと頬をかく。

 

「それじゃあ、雰囲気ができたところで……、加蓮?」

 

「そうだね、じゃあ、Pさん。少し後ろ向いていて?」

 

「うん?」

 

 言われて、素直に後ろを振り向く。もういいよ、と数秒の後に言われて、彼女たちに向き直る。

 

「小さいものだけど、いつもの感謝の気持ち」

 

「はい、大事にしてね」

 

 二人の手には小さな白い箱。思わぬサプライズに、私はほおが緩むのが止められない。

 

「ああ、その、嬉しいな。……開けてもいい?」

 

「もちろん♪」

 

 箱の中には、銀色に輝く綺麗なネクタイピン。それは、ユリの花を模したそれで。

 

「どうかしら? モノクロームリリィの敏腕プロデューサーさんに似合いそうだと思ったのだけれど」

 

「ユリの花言葉は『純粋』『無垢』、それに『気高さ』。Pさんが私たちらしい言葉っていってくれるでしょ? でも、Pさんもそういう人だと思ったの」

 

「ロマンチストで、夢を追いかけて、こんなに面倒なアイドルにも愛情を注いでくれる大切なPさんにはぴったりでしょ♪」

 

 思わず瞼が熱くなるが、流石にカッコつけたいので我慢する。

 

「……まったく、今日はパーティーだからって、もう」

 

「総選挙の間、駆け回ってくれたPさんにお礼が言いたかったし。それに、ねえ」

 

「5月9日は告白の日でもあるんですって。アイスクリームの日よりもロマンチックだし。それなら、少しは素直に成りたかったの」

 

 二人はそう言って、笑顔を浮かべて私の手を取った。二人のアイドルが輝く笑顔を贈ってくれる。

 

「それじゃあ、私たちの大切なプロデューサーさん」

 

「トップアイドルになっても、その先まで」

 

「「私たちのプロデュースをよろしくね」」

 

 そんな嬉しい言葉をくれる大切なアイドルへ。私は感謝の言葉と共に強く頷くのだった。




総選挙お疲れ様でした!! そして、本作品もひとまずは完結となります!!

選挙期間中、なにかアイドルのためにできないかと思い、書き始めた本作ですが、最初は3日目が超えられるか、1週間が超えられるか、と恐る恐る進めてきました。
そんな私を支えてくださったのは応援してくださった皆様のおかげです。そのおかげで完結まで書き進めることができました。

毎日書くということで、記念日を題材にしてみましたが、ちょうどいいタイミングでよさそうな題材が来たりと運にも助けられています。そして、大好きなアイドル二人を題材に小説を書くのも初めてでしたが、書くたびに増々二人が好きになっていく自分がいました。

ひとまずは完結ということですが、またいつか、奏と加蓮の二人を題材に、作品を作りたいとも思っています。

それでは、最後まで拙作にお付き合いいただけた皆様、そして、奏と加蓮を応援してくださった全てのPさんと、素敵なアイドルの二人に感謝を込めて、この話を締めさせていただきます。

本当に、ありがとうございました! アイマス最高!!


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モノクロームリリィと過ごす日々
5月23日「キスの日」


皆さまお久しぶりです! 総選挙お疲れ様でした!
二人とも最高を更新して、けれどまだ先がある、そんな先々が楽しみな結果だったと思います!

そんな二人を書く事がやっぱり楽しくて、復帰となった今作。これからは週一回水曜日更新を目途にしていこうと思います。




 5月23日。

 

 総選挙の結果発表やお祝いの席が少し落ち着いて、私たちも皆、日ごろのアイドル業務へと戻っていた日のことである。私と奏はとある式典に参加していた。少しシックな装いの会場には一般客に加えて、多くの報道陣も集まっている。

 

 私が少し離れたところから、スポットライトが当てられた舞台を眺めていると、

 

『それでは、今年度のキスしたいアイドルNo.1に輝きました、速水奏さんの登場です!』

 

 ナレーターの言葉と、それに続く大きな拍手と共にドレスに身を包んだ奏が壇上に現れる。今日は一段と気合が入っているのか、妖艶さが常の5割増しくらい。登場の瞬間からフラッシュの雨が降り注ぐが、ひるむことなく奏は一歩一歩、歩みのたびに魅力を振りまいていった。

 

『今日はありがとう♪』

 

 と、マイクの前に立った奏は観客へ向けて、おもむろにキスを投げて見せる。ゆっくりと、深い水底へと引きずり込むような、そんな小悪魔なキス。居並ぶ観客の何人かが胸を押さえて蹲ったのは見間違えじゃないだろう。そして、後方から女の人の断末魔のような悲鳴も聞こえる。

 

 彼らは本当に無事なのだろうか、と私も少し胸を押さえながら、あえて他人事のような感想を考えた。

 

 今の歳でこの様子なら、もっと成長したらどうなってしまうのだろうか。考えても栓のないことだが、私ももっと耐性をつけていかないと、飲み込まれてしまいかねないし。そんな将来も少し楽しみな私がいる。

 

 奏はそんな観客の様子にも楽しんだように微笑みを向けて、ついでとばかりに少し私の方向へもウィンク一つをよこしてくれる。そうしてたっぷりと時間をかけて、ファンサービスを行うと、マイクに向かって感謝の言葉を述べていった。

 

 5月23日はキスの日。奏にとってこれほど似合いの日はないだろう。私としてはキスアイドルというくくりでプロデュースはしているつもりはないが、奏の仕草や言動から、やはり、特徴として取り上げられることも多い。

 

 そうすると、モノクロームリリィとしても例のガムのCMやら唇やキスに関連した仕事が舞い込んでくることも多く、加蓮も奏に刺激されて、機会を与えられるたびに大人の魅力を獲得していく。

 

 彼女たちにからかわれる私人としての私は、そんな魅力が増していく彼女たちに時折困らされたりもするのだが、第一にプロデューサーとしての私はそうやって二人の魅力が広まっていくことが嬉しくて仕方がなかったりもするのだ。

 

 今日参加したのは、そんなキスの日にちなんで、キスでイメージされる芸能人が集まった式典。化粧品業界が中心となった表彰式である。

 

 壇上には演技派のベテラン俳優や、キスを持ちネタとする芸人さん、そして若手の男性モデル等、錚々たる面々が集まっているが、その中に並び立っても奏は見劣りせずに存在感を放っているのは、流石というべきだろう。

 

 総選挙の結果を自分のモチベーションへと昇華した奏は、今日も一層魅力的に輝いている。

 

『それでは最後に。速水さん、今のお気持ちをどなたに伝えたいですか?』

 

『もちろん、いつも応援してくれる大切なファンのみんなに。……いつもありがとう、愛してるわ』

 

 と、もう一度追い打ちの投げキッス。さらにどよめく会場、明らかに温度が数度上がっただろう。だが、その中で先ほどの女性の声が聞こえないのは不安だったり。果たして、無事でいるのだろうか。

 

 そんな不安を抱きつつも、会自体は滞りなく終わって。終演後も、外に救急車が呼ばれる様子はなく、私はそっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 式が終わってしばらく経って。私は奏と合流しようとスタッフの人波の中をすり抜けていた。しばらく探していると、奏を舞台袖に見つける。

 

 どうやら共演者の皆さんと談笑していたようだ。普通なら物怖じしそうな大物を相手に、上手く話を続けているようで、時折楽しそうに笑う様子も。

 

 だが、私を見つけたのか、奏は彼らに何事かを話すと、その場から離れて私の方へと駆け寄ってきてくれた。

 

「もう少し話していてもよかったのに」

 

 私が苦笑いしながら言うと。

 

「流石にアカデミー賞俳優相手は緊張してしまうもの。Pさんとの方が気が休まるの」

 

 なんて、冗談めかして笑顔をくれる奏と共に控室へと戻る。

 

 お互いにドリンクを飲んで気を吐いて。一段落。落ち着いたところを見計らって私はスタッフから渡された記念のメダルを奏へと渡した。

 

「はい、今日はおめでとう。素敵だったよ」

 

「ありがとう、Pさん。でも、キスアイドルとして受賞というのは嬉しいけれど、不思議な気分ね」

 

 奏は少し苦笑い。確かに年齢的にはアンバランスではあるし、私のように奏の実際の姿を知っていると猶更。……いや、普段もそこまで変わらない気もするが、まあ、気持ちは分かる。

 

 だが、よい結果をいただけたのは、それだけ奏が魅力的で、世間やファンの皆さんも奏の虜になっている証拠だろう。

 

「褒めてもご褒美はキスしかないのだけど。お望みなら、今この場所であげましょうか?」

 

「それをもらうと困るんだけどなあ」

 

 私が頬を掻いて誤魔化すと、奏は

 

「残念ね」

 

 、なんて。すると、奏はふとした悪戯を思いついたように、少し流し目をよこした。

 

「そういえば、さっき言い寄られたのよ。俺とキスしてみないか? なんて、あのモデルさんに」

 

 と、挑発するように言葉を放る。

 

「ふーん」

 

 気のない返事が私の口から漏れ出る。

 

「あら、嫉妬してくれないの?」

 

 そうやって言うときは上手く躱した時だと分かっているからね。

 

 私は冷静にそう言う。だが、奏は私の顔やら手足をじっくりと観察するように見て、

 

「で、本音は? ふふ、見ればわかるわね」

 

 とりあえず、そのモデルさんは要注意リスト入りである。まあ、奏の様子を見るとお互いに冗談の言い合いだったのだろうから、そこまで心配していないが。

 

「ほんと、わかりやすい人なんだから。そこが良いのだけど……。慣れないポーカーフェイスは諦めて、もっと正直になったほうがいいわよ?」

 

 なんて、奏は楽しそうに言うのだった。

 

「にしても、17歳のアイドル相手になあ……」

 

 少し釈然としない私は腕を組んで、ちょっとばかり顔をしかめた。

 

「でも、Pさんも知ってのとおり、キスしないか? なんて簡単に言ってくる人は実際に多いのよね。……そんなに軽い女に見えるかしら?」

 

 奏も少し思案顔。

 

「そんなことはないさ。ただ、チャンスに賭けてみたいって人がいるのは分かるかもしれない」

 

 雰囲気は年齢以上に大人びてはいるし。何より奏は魔性というか、惹かれる雰囲気を纏っている。痛い目を覚悟で手を出してみたい、なんて不埒者もいるだろう。

 

 ただ、そんな物言いの人は奏には相手にされるべくもないのだが、

 

「そうね、私を本気で欲しいって、身を滅ぼしてでも求めてくれる人なんて、そうそういないもの。どこかの誰かさんみたいな人は、ね……」

 

 さあ、誰のことかな。

 

 意味深な目線を向けてくる奏から目を逸らす。と、途端に悪戯っ子のような雰囲気を纏い、窘めるように言うのだ。

 

「良いの? そんなつれない態度していると、ふらふらと何処かへ行っちゃうんだから」

 

「ほんと、それは止めて、お願い」

 

 一ノ瀬博士のようなことされると地の果てまでも探しに行かなくてはいけないじゃないか。同期のチームの惨状を知っている私は拝むように哀願する。奏にはせめて、そんな失踪癖は持ってほしくないのだ。

 

「どうしようかしら? 誰も知らない場所に逃げて、追いかけてくる貴方と逃避行なんていうのも楽しそうじゃない?」

 

「私の気が休まらないよ、それだと。そりゃ、いざとなったら地の果てでも探しに行くけど」

 

 いつかは宇宙の果てに連れて行ってあげるのだから、地の果てくらい近いもの。そう言うと、奏は声を上げて笑って。

 

「ふふ、そうやってすぐに探すと言ってくれる貴方なら大丈夫よ。Pさんから離れることはありえないから……。そう言うと重すぎる?」

 

 等と言う。ちょっと期待するような、幼さの混じった視線に私は少し頬を熱くさせられた。

 

 まったく、総選挙が終わって以来、加蓮と共に絶好調が続いているようで、ますます私は太刀打ちができなくなっているじゃないか。

 

 結局、頬をかきながら、押し黙ってしまう。そうすると、奏は満足したように微笑むのだった。

 

 こら、これ見よがしにドリンクを変な飲み方するのやめなさい。

 

 そう言って、私はため息を吐く。ちょっとの沈黙。どうしたことか、奏はそんな私の様子を呆と少しの無言で眺めると、不意にドリンクを置き、私にむかって歩み寄ってきた。

 

「奏?」

 

 尋ねると、

 

「そうね、すこし気まぐれなんだけど、刺激が足りなかったのかなって。Pさん、まだ汗をかいていないじゃない」

 

「いや、もう十分なんだけど!?」

 

 あれか、ため息はいたのが悪かったのか。弁解しようとする私をよそに、奏は少しの熱を帯びたように妖艶な笑みを浮かべると、一歩一歩と距離が縮めてくる。

 

 常のからかいなら、私はもっと必死に止めたはずだった。

 

 けれど、近づいてくるごとに私は言葉を失っていく。

 

 奏の目には真剣な色があって。私はいつでも、その色を前にして、誤魔化すことはしたくないと思っていたから。

 

「今日はキスの日。私も少しはしゃいでいるのね……。たまにはご褒美を欲しがったらダメかしら?

 愛の証、契約の象徴。甘美に見えて、うっかり差し出すと容易く身を滅ぼす。口づけを捧げてくれるなら、私は貴方のもの……。プロデューサーさんはどうする?」

 

 すっと、奏の熱が近づいてくる。

 

 私はそんな奏に出会いのあの日を思い出す。今でも忘れられない、時間が止まったような瞬間と、奏の熱。浮かされているのは、私も同じかもしれない。

 

 少しずつ、私たちの間が近づいていく。奏の魔性の性だ、なんて言い訳はするつもりはなかった。それを言うのなら、出会ったときから私は奏に魅了されているのだから。

 

 あと少しで熱が伝わる。そんな距離を二人で保って。

 

「これ以上は、ダメ」

 

「……うん、そうね、十分ね」

 

 奏は少しだけ私から離れる。顔を赤らめながら唇に指を添える。

 

「きっと、もう、確認なんて必要ないのね。私は貴方のもので、貴方のアイドル。それで、今は十分すぎるくらいだもの」

 

 一人、言葉を飲み込むようにつぶやく奏。私はそんな彼女に少し見とれ、

 

「でも、これくらいのご褒美はちょうだい」

 

 言うなり、奏が私の手の甲へと落とした唇を避けることができなかった。

 

 少し濡れた、暖かく、柔らかい感触が手の甲から全身へと伝っていく。じんと染み入るそれに、なお一層私の顔は熱を帯びていった。

 

 そんな少し慌てた私の様子を見て、奏は赤く染めた頬を緩めて、囁くのだ。

 

「ようやく汗かいてくれた。けど、これくらいで赤くなったらダメじゃない。もっといい反応を見たくなっちゃうんだから……」

 

 そうして、人差し指は私の唇へと。

 

「ふふ、確認はもう必要ないの。けれど……、いつかの未来でもう一度教えて欲しいわ。あの時よりも情熱的に、狂おしいほどに。……私を求める貴方の心を、ね」

 

 そう言って奏は楽しそうにキスを投げるのだった。




復帰の第一回目は奏とキスのお話。奏とキスは切っても切り離せませんが、中々に考察しがいもある題材だと思います。
奏にとってのキス。皆さんにも多様なイメージがあるでしょうが、私は端的に「契約」や「証明」といったイメージで。奏にとって人との結びつきの象徴。

そんな奏が最近のカードではキスを欲しがるセリフが少なくなっている、というのはプロデューサーとの関係性を考えると想像がはかどります。

奏はいろいろと考察を交えていくのも面白いですので、お時間があるときには台詞をじっくり読んでみるのも良いかもしれませんね。


それでは、今週も速水奏の応援をよろしくお願いします。


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5月30日「女子将棋の日」

現実世界の方が、時折フィクションよりも突拍子もなく、面白いことが起こるというのは興味深いですよね。
そんな漫画みたいな事も起こっている将棋の日の話


 ふと手持ち無沙汰となった時、現代人の多くはスマートフォンという便利な道具を持っている。もっぱらそれでゲームをしたり、本を読んだりというのが多いのは私も同様だが、そればかりでは刺激が足りなくて物足りない。

 

 そんなときのために、私たちの部屋には小さいゲーム盤等が置かれている。それは、加蓮が持ってきた人生ゲームであったり、奏が持ってきたチェスであったり。そして私が持ってきているのが、将棋盤だ。

 

 夕方、本格的なものではないけれど折り畳み式でマグネットで駒を張り付けられるそれを前に、私はうんうんと唸っていた。

 

 考え込んだ末に、一手、歩を前に動かすと、今度はくるりと返して相手方に立って考える。

 

 そうして自分自身を相手にどうやったら勝てるか、等とやり合うのだ。意外とこれが存外楽しくて、マイブームとなっている。

 

 そうして一人で楽しんでいると、休憩を満喫していた奏がやってきて、盤上を覗き込んできた。綺麗な金色の目が盤上を眺め見て。すると、奏は少し頷くと、

 

「あら、今日はこちらがご贔屓なのね」

 

 微笑みながら、丁度私へと対峙している側を指す。そして、それは奏の言葉の通りであった。

 

「……そうだなぁ、今日はこっちだな」

 

 今日は奏が指した側が有利となっていて、私は少しの残念さにため息を吐いた。

 

 本当ならば、どちらも均衡した勝負を演じた方が面白いに決まっているし、上達もするのだが、知らず知らずにどちらかが勝つように考えてしまっている自分がいる。本当にうまい人ならば、そうしたこともないのだろうが。素人に毛が生えた程度の私が行うと、こうなってしまうのだ。

 

「中々に難しい……」

 

 昔からの癖だが、どうにも抜け出せないのである。そうした上手くはいかないところも面白いのではあるが、できれば上達したほうが良いに決まっている。

 

 そんな私が頭を抱える様子を見たせいか、奏はおもむろに椅子を持って来て、私の真向かいに座った。そうして、机に置いてある扇子を取ると、それを少し開いて、構えてみせる。そして、

 

「一人で悩むのも大切だけど、せっかくの盤上競技だもの。Pさん、お願いしても良いかしら?」

 

 ドラマで出てくる女性棋士のようにそう告げるのだった。真剣に見つめてくる目といい、怜悧な表情といい、とても似合っているのは言うまでもない。

 

 私はそんな申し出に、少し考えてから頷く。

 

「奏は、今日はもうオフか……。うん。それじゃあ、お願いするよ」

 

 こうした地味な趣味に若い女の子が理解を示して、共に遊んでくれるというのはありがたいことである。私もついつい嬉しくなって、そんな奏に合わせて、精一杯に恰好をつけ、盤上を整えなおす。そして、一手を進めるのだった。

 

 

 

 この部屋のもう一人の姫である加蓮が戻ってきたのは、そんな対局が始まって30分くらい経ってのこと。今日の加蓮はトライアドプリムスとの合同レッスンがあったので、奏より遅れての到着だった。

 

「つかれたー」

 

 なんて少しふにゃふにゃと無防備に戻ってきた加蓮。だが、私たちが将棋を指しているのを見ると、ぴょんと面白いものを見つけた子犬のように、元気を取り戻して近づいてくる。

 

「なになに、今日は奏とPさんが勝負しているの?」

 

「Pさんが一人寂しく遊んでいたからね、私も頭の体操」

 

 加蓮の質問に奏は調子がよさそうに微笑んで返事をするのだが、私はといえば、そんな余裕がない。私の王将は守りをずたずたに崩されて、奏の駒に追い詰められていたからだ。

 

 分かっていたことだが、奏は本当にこういった勝負事に強い。元々、基礎的な駒の動かし方や戦術は教えてはいたのだが、そこから少し勉強しただけで私が相手にならないほど上達しているのだ。

 

「くっ、これでどうだ」

 

 私は頭を必死に動かして駒を動かす。だが、奏は笑みを深くすると、あっさりと次の手を打って、

 

「はい、王手」

 

「ならっ、これで」

 

「じゃあ、これで詰みよ」

 

 と、鋭く差し込まれた手に、あっさりと私は頭を下げさせられるのだった。完敗。私は大きく肩を落として、ため息を吐いた。

 

「もう抜かれるとは……」

 

 口からついて出るのはぼやきの声。教えたのが私であるので、一応は私が奏の師匠に当たるのだろうが、こんなに早く恩返しされてしまうとは。

 

「Pさんの教え方が上手だったからよ。それに、貴方の指し方って、本人そのまま。まっすぐで、チャンスを見つけたら迷わず向かってしまうのよね」

 

 そこが弱点、と奏は言う。

 

「傾向と対策が練られていたら、そりゃ負けるか」

 

 やはり、私が奏をやり込めるというのは、中々に難しいようである。

 

 一方、そんな私達の様子を、加蓮は楽しそうな、少しうらやましそうな顔で眺めていた。

 

「やっぱり奏って強いんだ?」

 

「弱みを見つけるのがうまいというか、すごいやりづらい相手だよ。ほんと、流石」

 

 もう一度、私も勉強しなおさないといけない。

 

 最後に奏と私は顔を向かい合わせ、お互いの健闘を称えるように、もう一度頭を下げる。

 

 すると、加蓮は何か思うところがあったのか、

 

「……ねえ、Pさん。私ともやらない?」

 

 静かにそう言うと、加蓮は奏に場所を替わってもらって、私の真向かいに。その目には、はっきりと闘志の色。どうやら、奏に触発されたようだ。私としても、せっかく興味を持ってくれたのだから対局するのはやぶさかではない。ただ、疑問が一つ。

 

「あれ、加蓮ってルール分かるの?」

 

 奏と違って加蓮が将棋を指しているところは見たことがない。

 

「昔に同室だったおじいちゃんから、駒の動かし方くらいは教わったんだ」

 

 なるほど、ただ、それも昔のことだろうし、実力はそんなに高くないように感じた。

 

「でも、初心者だと思って手を抜いたら怒るんだからね」

 

 私が考えていること等お見通し、とばかりにふふんと、自信満々に言う加蓮。私もそんな様子に全力で戦うことを決意するのだった。

 

「それじゃあ、本気で。……お願いします」

 

 私と加蓮は向き合い、頭を下げる。そして、白熱した勝負が繰り広げられるはずだったのだが、

 

「……むぅ」

 

 20分ほど経って、悔し気に頬を膨らませた加蓮にも容赦せず、

 

「はい、王手。というか、詰みだね」

 

 私は最後の一手を打って、無情にも宣言する。

 

 加蓮は弱かった。

 

 予想を覆すことはなく。私は加蓮に危うげなく勝利する事となったのである。

 

 言っていた通り駒の動かし方などは分かっていたのだが、流石に戦術も何もないとこうなってしまう。こちらもハンデなしで全力で挑んだのだから、仕方ない結果といえるだろう。

 

「加蓮は攻め気が強すぎるんだよな」

 

 もう少し防御にも気を使わないと、と調子よく講評する私。大人げないと思いながら、しかし、久しぶりに完勝出来たことに調子に乗ってしまっていた。すると、加蓮は悔し気に体を震わせて、

 

「……一週間」

 

「うん?」

 

 ぽつりと、そんな言葉を呟く。よく理解ができなかったその言葉に私が、疑問を返すと、

 

「一週間でPさんに勝ってみせるんだから! 一週間後にまた勝負!!」

 

 だんっと音を立てて立ち上がると、加蓮はめらめらと炎を瞳に灯しながら、宣言。よほど私に負けたのが悔しかったようだ。

 

「……わかった。じゃあ、一週間だな」

 

 私はにやりと一笑いし、そんな加蓮の挑戦を受けて立つ。もとより、こうしたロマンあふれる展開は大好物。

 

 それに、加蓮の強みはこの負けん気の強さだ。一度こうと決めたら考えを変えないだろう。

 

 ただ、アイドルとしての活動に手を抜くことはないから、練習期間はそこまで無いであろうし、少し時間を空けたとしても、勝機は少ないように思えた。思ってもみない展開にテンションが上がったこと、そして油断も間違いなくあった。だからだろうか、こんな馬鹿な提案をしてしまったのは。

 

「じゃあ、加蓮が勝ったら、奏と加蓮に豪華ディナーをプレゼントすることにしよう」

 

 私は鼻高々にそう宣言する。その瞬間、奏と加蓮の眼が鋭く光ったのを見て、考え直さなかった私は間違いなく愚か者だったのだろう。

 

 

 

「……なんだこれ」

 

 ミニライブに、サイン会にドラマの撮影に。あっという間に時間が過ぎて一週間後。夕方、部屋へと戻ってきた私を、思いがけない景色が待ち構えていた。

 

 いつもは共同机が置かれている中央のスペースに、それはそれは立派な将棋盤が置かれ、そこに敷かれた座布団に座るのは、

 

「待っていたよ、Pさん」

 

 見事な着物姿の加蓮。その出立は、まさしく女流棋士のそれで。少しお澄ましした様子も含めて、目を奪われてしまった。

 

「いや、約束は覚えていたけれど。……ここまでやる?」

 

 私は呆然と一言。遊ぶなら精一杯遊ぶというのはわかるが、ここまで凝ったステージを作るとは。そんなことを呟くと、審判の位置についた奏は楽しそうに笑いながら、

 

「女の想いを侮ったらだめよ? 加蓮、この一週間、それはもう頑張ったんだから」

 

 妬けちゃうわね、なんて目を細めながら言う。

 

 私はその様子に、途端に冷や汗が背筋を伝い始めた。ここまでやったからには奏が言う通り、生半可な特訓はしていないはずだと分かったからだ。

 

 声を震わせながら、尋ねる。

 

「……ちなみに、加蓮の師匠は?」

 

「私と周子、紗枝、そして芳乃」

 

 考えうる中で最悪のラインナップであった。私の弱点を熟知している奏に加えて、遊びと翻弄の天才、事務所随一の打ち手のそろい踏みである。特に後者二人には、私は一度も勝てたことがない。

 

 いくら時間は少なかったとはいえ、彼女らから教えを受けたとなると……、

 

「Pさん、ディナーの用意、よろしくね♪」

 

 自信満々の一言。

 

 扇子で口元を隠しながら、目だけで挑発的な笑みを浮かべる加蓮。だが、私も少しの不安を押し殺し、負けまいと笑みを作って、座布団へと座る。

 

 正直、恐ろしくもあるが、こんなに面白いこともそうそうない。

 

「それじゃあ、加蓮。……よろしくお願いします」

 

「お願いします!」

 

 珍しくお互いに畏まったように礼を交わし、私達にとっての世紀の一戦が始まるのだった。

 

 その後に繰り広げられたのは手に汗にぎる決戦。そんな戦いの結果を言うのは野暮かもしれないが、私の財布の重みが失われたとだけ述べておく。




加蓮は本当に負けず嫌いなところが魅力的です。夢に向かって真っすぐに、壁にぶつかることがあっても、あきらめずにトップへ向かって輝いていく。

そんな加蓮との日々は刺激的で興味が尽きないことでしょうね。

それでは、今週も加蓮と奏のプロデュースをよろしくお願いいたします!


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6月13日「はやぶさの日」

先週は筆者都合により休載し、申し訳ございませんでした。

今週は少しおセンチな気分で星の話を。


 群青の空の中を一筋の光が降りていく。その小さな身体にたくさんの希望を載せて、幾重の年と距離を旅した彼は、役目を終えて光り輝き散っていった。

 

 今日ははやぶさの日。8年前の今日、小惑星探査機のはやぶさが地球へと帰還したのだ。その身を犠牲にしながら、科学の発展のために重要な贈り物を残して。

 

 ひそかに天文を愛してきた私にとっても、はやぶさの成し遂げた偉業は記憶に新しく、そして鮮烈な経験だった。目をつぶっていても、あの映像がすぐに思い出せるほどに。

 

 そんな日に少しセンチメンタルになったのか、私は事務所の窓から空を見上げていた。もう日が暮れてしまって黒く染まった空のカーテンには満点の星が広がっている。

 

 どれもこれもが、遠く離れた場所から、地球まで光を届けている。それは、まるで……。

 

「どうしたの? ちょっと元気なさそうだけど」

 

 そうして呆けていた私を心配してくれたのか、加蓮が私の隣に立って、優しく尋ねてくれる。

 

「あ、ああ。ごめん。少しぼんやりしちゃってね」

 

「またロマンチックなことを考えていたんでしょ? 星を見上げて、あの星に行きたいなー、とか?」

 

「そんなとこ、かな?」

 

 気分を変えようとしてくれたのだろう。お茶目に目を細めて言う加蓮に苦笑いを返す。

 

 ただ、自分でもなぜここまで感傷的になったのかはよくわかってはいないのだ。少しだけ心がフワフワしているというか、心ここにあらずというか。

 

 私の心の内の不安定さを察したのか、今度は奏が微笑みかけてくれる。

 

「言葉にならない感傷なら、逆に話して楽になることもあるけれど、どうする? 私たちは取り止めのない話でも喜んで付き合うし、それを望まないなら、ただ傍にいるけれど?」

 

 私もそう言うときはあるから、と理解を示してくれる奏。加蓮も、私も付き合うよ、と背中をぽんぽんと叩いてくれた。

 

「それじゃあ、ちょっと気分転換に行こうか」

 

 何事もそうやって心ごと寄り添ってくれる人がいるというのは幸運なことである。優しい二人に感謝して、私はちょっとした場所移動を提案した。

 

「まだまだ天の川は見えないかな。ごめんな、こんなところまで連れてきて」

 

 私は夜空を見上げながら呟く。

 

「ううん、大丈夫よ。……いい場所ね。私は好きよ、この開放感。自分が大きな世界の一部だって思えるもの。ちょっとだけ怖くて、けれど孤独ではないって教えてくれるようで」

 

 奏はそんなことを感傷たっぷりに言う。ベンチに腰掛けて、上を見上げる様子はやはり、少しだけ大人っぽくて綺麗であった。

 

 私たちがやってきたのは事務所ビルの屋上。風が穏やかな等は、昼時の隠れたランチスポットして有名だが、流石に夜となると人は私たちしかいないよう。私たちにとっても馴染み深い場所だが、時間帯が変わると途端に雰囲気が一変していた。

 

「改めて来ると、やっぱりすごい事務所だね、ここ。ほら、下が遠くて怖いくらい!」

 

「加蓮ー! 頼むから落ちないでくれよ!」

 

「そんな危ないことはしないって!」

 

 手すりをしっかりとつかみながら、下を覗き込む加蓮にちょっとだけ不安に思い、声をかける。加蓮も、すぐに満足したのか、スキップしながら戻ってきてくれたので、一安心。隣に腰かけた彼女に、私はココアの缶を渡した。

 

「ありがと! ホットなんだね?」

 

「まだまだ寒いくらいだからね。それに、夜空の下ならホットココアって相場が決まってる」

 

「それも、Pさんのロマンかしら?」

 

「そういうこと。満天の星、とまではいかないけれど、センチメンタルな星空の下で体を温めるってのは良いもんだ」

 

 学生時代はそれを一人でやっていたが、今は付き合ってくれる人が二人もいる。そう思うと、何でもないココアがさらに美味しく感じられた。

 

「この星空の下を、はやぶさは帰ってきたのね……」

 

「……知ってたんだ」

 

「ほんとは、私も奏もピンとは来なかったの。だから、スマホで調べて。ほら、Pさんもはやぶさの小さい模型、部屋においてるから、それかなって」

 

「二人とも、やっぱり名探偵になれるよ」

 

 やっぱり、この二人には隠し事は無理だな、と改めて納得して、熱いココアを飲んでいく。そうして、ほっと溜息を吐くと、すごく素直な気持ちがあふれてきた。

 

「二人はまだ小学校くらいだった時かな……」

 

「そうね……。私はその時、映像を見ながら思っていたわ。何年にも及ぶ旅は無視していたのに、無事に帰ってきたら途端に大喜びなんて、現金だなって」

 

「はは、辛辣だね」

 

「今よりも、もっと捻くれていたときだもの」

 

 奏はコロコロと笑う。私の頭の中では、少し冷めた目でニュースを見ている様子が容易に想像できた。今は、きっと私たちと一緒に楽しんではくれるだろうけど、昔の奏なら、そう思うのも仕方ないかもしれない。私自身も心のどこかではそういう思いは抱いていたし。

 

「私は全然ピンと来ていなかったなー。宇宙とか夢とか、興味なかったし。あ、今はもちろん違うよ!!」

 

 慌てて手を振りながら弁解する可愛い様子に苦笑い。

 

「分かってるって。で、私は……、そうだね。帰ってくるはやぶさを見て、正直、羨ましいって思っていたよ。歴史に名前が残る偉業で。まだまだ若かったから、いつかは私も同じくらいにでかいことをやりたいとかさ」

 

 そして、

 

「その後、アイドルのプロデューサーになるときに思ったんだ。絶対にはやぶさみたいに偉大なアイドルをプロデュースするんだって」

 

 アイドルは時に、星に例えられる。誰もが見上げ、うらやむ光り輝く存在。そんな星々の間を勇敢に旅して、誰よりも歴史に残ったはやぶさ。

 

 そんな風に、一瞬でも歴史に残るような、そんな人たちをプロデュースできたら、それは素晴らしい仕事だろうって。

 

「今は、違うのかしら?」

 

 その質問に、私は空を見上げながら、大きく息を吐き、答える。

 

「はは、そうだね。昔とは全然違うよ。加蓮と奏と出会ってさ。だいぶ欲張りになったんだ……。

 ほら、はやぶさって最後はきれいに燃えて無くなっちゃったじゃない? もちろん、遺ったものはあるし、今も跡を継いで宇宙を旅しているはやぶさ2もあるけれどさ。最後は流れ星になっていなくなっちゃった……」

 

 その儚さが人々を感動させたのも確かだ。だが、隣で笑ってくれている二人が、そんなことになったら。歴史に名前を残す代わりに永遠に消えてしまったら。

 

「それは嫌だって思った。だから、今の夢は、二人を宇宙一のアイドルにプロデュースすること。いつかは燃え尽きてしまう星でも、はやぶさでもなくて、いつまでも光り輝いて、宇宙いっぱいに夢を届けるアイドルを」

 

 ただ、星を見ていたら、ちょっとばかりの不安が頭をもたげてしまったのだろう。

 

 そう、素直に言うと、左右から頬が引っ張られた。

 

「いひゃい、いひゃい」

 

 抗議の目線を向けると、奏は少し苦笑いして、加蓮はちょっとだけ頬を膨らませて。

 

「……なんで?」

 

「Pさんが子どもっぽいのは分かっていたことだけど。ちょっと寂しいこというんだから、お仕置き」

 

 加蓮がこぼれるように笑って、今度は人差し指で頬を突っつき始める。

 

「そうね。私もお仕置き♪ 理由は加蓮と同じよ」

 

 指がもう一本増えて、私は左右からの攻撃を捌くことができず、なすがままになってしまった。ひとしきり、そうして私で遊んで満足したのだろう。加蓮はふと、踊るように立ち上がると、夜天の下で大きく手を広げる。

 

「改めていうのもなんだけどね。私はPさんが見せてくれる夢が素敵だから、アイドルになろうって決意できたの。それで、私も同じように夢を世界中、ううん、宇宙いっぱいに届けるアイドルになって、北条加蓮を知ってもらうのが夢になった」

 

 夜空いっぱいに告白するように、加蓮は上を向いて声を上げる。

 

「私も、同じ。何も知らなかった私をこの世界に連れてきて、夢を見せてくれたのはPさんよ。

 アイドルとプロデューサーの夢は同じでしょ? だったら、一人で悩むなんて水くさいじゃない」

 

 奏がそう言って私の手を取って立ち上がらせてくれる。そうして三人で立って、さっきと同じように星を見ると、その光も応援してくれている気がするのだから、不思議だった。

 

 なんだか気恥ずかしくなって、私は頬をかく。

 

「……いや、ほんと、そんなに真剣な悩みじゃなかったんだけどなぁ」

 

「本音は?」

 

「小さな悩み事にも、そう言ってくれるのは嬉しい」

 

 私は、ネクタイピンを気づかれないようにぎゅっと握る。まったく、ついこの間、勇気をもらったのに、また心配かけてしまったとは。

 

 それなら、私はいつも通り、子どもっぽいロマンチストに戻るとしよう。

 

「さて、せっかくだから天体観測でもしようか! 実は、部屋に双眼鏡が隠してあるんだけど……」

 

「Pさんの机の一番下の段でしょ? しかも、三つ。用意がいいんだから」

 

「やっぱり知ってるんだ、敵わないなぁ」

 

「その代わり、Pさんには私たちの知らない星のことを教えてもらわないと、ね♪」

 

 さてさて、私に教えられることがあるのやら。けれど、それなら、今度は星がよく見える場所に連れていかないとな。それこそ、はやぶさのように星が間近に見える場所まで。




アイドルマスターシリーズで筆者が好きなのは、決してアイドルとPが恋愛だけの関係でなくて、仕事のパートナーとしての信頼感が基礎となっているところだったりします。

アイドルがPに支えられることもあれば、Pもアイドルに勇気をもらって一緒にトップを目指していく。そんな前向きな勇気をくれるアイマスはやっぱり最高ですね。


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6月20日「薄荷の日」

こんな加蓮らしい日もあるのですね。

奏の新曲も我が家に届いた嬉しい日でもあります。皆さんはif、もう聞かれましたか?


 部屋に帰ると珍しい景色を見た。

 

「すー、すー」

 

 ソファーをベッドのようにして、加蓮が小さく寝息を立てている。今日は午前中にトレーナーさん、しかも麗さんのレッスンが入っていた。きっと少しばかりきつかったのだろう。最近は気温の寒暖差も激しいから、その負担もあったのかもしれない。

 

 一瞬だけちょっと心配して、穏やかな様子にほっと胸を撫で下ろす。

 

 そうしてちょっとだけその可愛らしい無防備な顔に、胸をほっこりとさせて。私は戸棚の中から薄いブランケットを出し、加蓮にそっとかけた。ついでに机にちょっとした小物をおいて、仕事へ戻る。

 

 穏やかな加蓮の寝息と少しだけ開けた窓から差し込む優しい風をBGMに、カタカタとキーボードをリズム良く叩いて十数分。

 

「うぅん」

 

 そんな可愛らしい声を上げて加蓮がゆっくりと目を開けた。少しだけいつもしっかりと整えている髪が乱れていて。目をしばしばと細めている。

 

「やあ、おはよう」

 

「……おはょー。……ってPさん!?」

 

 快活に手を上げて挨拶すると、加蓮はのんびりな返事をして、その後、気が付いたように飛び起きた。あんまりな驚きように、髪がふわっと舞い上がって加蓮の額にかかる。

 

「そんなに急いで飛び起きると心臓に悪いぞ」

 

「そ、そうだけど! ってこっち見ないで!!」

 

 手をばたばたと動かすと加蓮はそそくさと鏡へと向かってしまう。流石に寝起きの顔は見られたくなかったのだろう。珍しい様子に、まじまじと見てしまったのは、やはり、少しばかりデリカシーが足りなかったか。

 

 しばらくは、向こうのほうから慌てた音だったり、恥ずかしそうな声が聞こえてきたり。私はそれに肩をすくめながら、お詫びの印に紅茶を煎れるのだった。目覚めに良い温かいハーブティーを淹れて、ちょっとだけ私も一休み。

 

 そうしていると、加蓮はしばらくして戻ってきたのだが、悪い予感が当たって、見るからに拗ねてしまっていた。ふくれっ面で頬を突き、ジト目を向けてくる。

 

 コチコチと、時計の針がしばらく鳴って。

 

「……ごめんね」

 

 いつものように折れたのは私のほうが先。素直に頭を下げると、加蓮は気まずそうにため息をちょっとだけついて、

 

「……もう。まあ、私があんなところで寝てたのが悪いんだけどね……。あと、ブランケット、ありがと」

 

 少し赤くなった顔を隠すように、そんなことを加蓮は小声で言うのだった。

 

「そういえば、これ、なんだったの?」

 

 気を取り直したように、加蓮は机の上におかれた緑色の小物を指さす。

 

「ああ、寝起きが爽やかになるっていう香りを出してくれるんだ。ミントの香りね」

 

 私はその小物を手に取って、少しばかり扇いで香りを嗅いでみる。強くはないが、ほどよいミントの香りが鼻孔を楽しませてくれた。

 

 ミントは花言葉が「目覚め」というだけあって昔から気付けやリラクゼーションに利用されている。それでなくても、清涼感のある香りは好きだったので、小物屋で発見したときに衝動買いしてしまったのである。

 

「それで起きたときに、すっきりした気分だったのかな? ふふ、わざわざ出してくれたんだ♪」

 

「いやー、それが買ったは良いんだけど、使い時がなくてね。効果あるかなーって試してみたんだよ。言うなれば、実験?」

 

「えー、ひどい! もう、そんなこと言うなら、今度志希の実験に渡しちゃうんだから」

 

 それは勘弁してもらいたい。苦笑いをしながら、余計なことは言わないほうがよかったかな、と少し反省。

 

「せっかくPさんのこと、見直してたのになー。私に合わせてミントにしてくれたのかな、とか。そういうこと想像してた乙女心を返してよ」

 

 加蓮も少し笑いながら、本気か、そうでないか、ぷんすかと腕を組んだ非難の声あげていた。確かに、ミントと言えば、加蓮の代表的な曲である「薄荷」を忘れるわけにはいかないが、

 

「ミントの香りは好きだからね、昔から」

 

「じゃあ、曲のタイトルをつけたのもPさんだったり?」

 

「まさか」

 

 いやいや、そういうことはない。音楽に関することは作曲家さんたちに何時も任せているし。ただ、出来上がった曲を聞いて、加蓮が歌う姿がとても楽しみになったことは覚えている。

 

「ふふ、いつかPさんが曲名をつけてくれても嬉しいんだけどね。

 けど、ミントが私にとって特別な名前になるなんて、不思議だよね。曲の中身もそう。昔は歌うような恋とか愛とか分からなかったし、それに名前も不思議だった。けど、何度も歌うと、いつも私の中でも言葉や音が形を変わって、それが楽しくて、時々せつなかったりするんだ」

 

 奏みたいだったかな? なんて加蓮は照れ臭そうに言う。

 

「そう言ってくれるなら、プロデュースした甲斐があったし、関わってくれたスタッフさんも喜ぶよ。ちなみに、最近歌った時は、どんな気持ちを込めたのかな?」

 

 興味がわいて、加蓮に尋ねてみる。すると、加蓮は少しだけ目を細めて、照れ臭そうに、

 

「色々な景色を見せてくれる、ファンのみんな、それに奏やPさんとの時間がいつまでも続きますようにってね。昔はいつまで続けられるのかなって不安もあったけど。今は、純粋にそんな気持ち。

 ……そういえば、私、いつかはこんな風に歌いたいって夢もあるんだ」

 

「へぇー、それはどんなの?」

 

「好きな人に、思いっきり感謝と愛情を込めて。なんて、まだまだ私には早いけど!」

 

 加蓮は先ほどの照れ臭さはどこにやら、一転、からかう様な視線と一緒に言うのだった。まったく、不意うちでドキドキさせるんじゃありません。

 

「いいじゃない! 今日は私の方がPさんにドキドキさせられたんだから、ね。

 そうだ! Pさんも少しお昼寝したらどう? 今度は私が寝顔を観察してあげるし、寝起きは私流に『薄荷』で起こしてあげるから!」

 

 それはとてもうれしい言葉であり、同時に恐ろしい提案でもあったり。ただ、加蓮、自分の膝をぽんぽんと叩くのは止めなさい! それだけはNoである。

 

「だめぇ? ……まあ、寝ちゃえば、こっちのものだけど」

 

 小声で言っても、聞こえていますよ。

 

「まったく、そんなこと言うから眠気もさめたじゃないか」

 

「ふふ、残念♪ でも、せっかくだから奏が戻るまでに一曲歌ってあげようか? アイドル北条加蓮の、Pさんへの独占ライブなんて、すごく贅沢でしょ」

 

 そうして加蓮は優しく微笑むと、小さく手を胸に当てながら、ゆっくりと歌い出すのだった。新しい世界と愛に気づいた、可憐な少女の歌を。




『薄荷』、加蓮の曲として世に出たときは、曲名といい、歌詞といい、加蓮らしくない曲だなーと感想を抱きました。

けれど、何度も聞くうちに優しいメロディーが加蓮らしいし、恋を歌った歌詞も、アイドルや新しい出会いと同じく、これから加蓮が体験していくそんな出来事を歌ったいじらしいものだと思えて、今ではすっかりお気にいりだったり。

皆さんも、せっかくですから薄荷を聞き返してみてはいかがでしょうか。


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6月27日「演説の日」

たまには大声で叫んでもいいじゃない。


 時に人々は言いたいことを溜めこむことがある。社会や友人や、あるいは恋人へ。言いたいことを我慢して円滑な関係を保とうとする。それが悪いとは言わないが、そうした我慢は大きなストレスともなるのだろう。

 

 それはアイドルでも、プロデューサーでも同じだ。

 

 今日は演説の日。我が社のホールには立派な演説台が作られていた。一年に一度、ストレス解消を目的として自由に社員みんなへと演説できる、そんな催しがわが社では開かれる。それは例えば、私にとっては懐かしい、学生たちの主張のような、そんな企画だ。

 

 参加は特に強制ではないのだが、やはり、皆も大声で訴えたいことはあるようで、たくさんのアイドルやプロデューサーが壇上の下では列を成している。

 

 例えば、

 

「平伏しなさい、豚!」

 

 時子様が鞭を振るいながら皆々様を見下ろし、かなりの数の同僚が平伏していたり。

 

「な、なんで、きのこより、あのタケノコが人気なんだ……! そんなの我慢できねえ、ヒャッハー!!」

 

 星さんが某お菓子に関する社内アンケートの結果に怒りを爆発し、プロデューサーと共にメタルを奏で始めたり。ちなみに私はタケノコ派である。

 

「週休七日の実現はいつになるんだー! もう杏は騙されないぞー! プロデューサーは謝れー! 休ませろー!!」

 

 双葉さんが諸星さんに抱えられながら、ウサギを振り回しながら訴えたり。まあ、あれは例年通りであり、口が達者なあちらのプロデューサーによって、さらなる仕事へと放り込まれるようになるのだが。

 

 そんな悲喜交々の様子を私と奏は客席から見ていた。私としては特に訴えたいことはないので、見学である。諸星さんに引きずられて壇上を降りていく双葉さんを乾いた笑いと共に見送っていると。隣に座った奏が悪戯な笑顔と共に私の顔を覗き込んできた。

 

「Pさんは訴えなくても良いの? 『もうからかうのは止めて』みたいなこと」

 

「言ったら、それをネタにからかわれるから言わないの」

 

 もはやそのようなことは分かり切っているのだ。

 

「それに、ほら。実例があそこに」

 

 私が指さした先では、神谷さんがもふもふの髪を振り乱しながら、

 

「凛も加蓮もあたしをからかって遊ぶのはヤメロー! あたしだって怒るときは怒るんだからなー!! 最近はPさんも加わってくるし、うがー!!!」

 

 終いには拳を振り上げながら熱弁を振るっている。本人が大真面目も大真面目なのは、伝わってくるのだ。ただ、余りにもその様子が可愛らしい。

 

「ほら、見てごらん。渋谷さんも先輩も、ついでに他のみんなもほっこりした顔で見てるだろう? 演説したときの私の未来だよ、あれが。神谷さんみたいに可愛くもないのだから、なおさら悲惨だ」

 

「確かに、凛も加蓮も、楽しそうにからかうでしょうしね……」

 

 私が手を合わせて哀悼を示すと、奏も納得がいったようにため息。こら、君もからかい側だろうに。

 

「私がからかうのはPさんだもの」

 

「……私にも同情してほしいよ、少しは」

 

「だーめ♪」

 

 肩を落とす私を尻目に、会はどんどんと進んでいく。世界一周強行ロケを提案する輿水さんのプロデューサーに、社内のどこかに魔王が眠っていると訴える羽衣小町P。奴も普段は真面目極まりないのに、時々変な電波を受信するのはなぜなのか。

 

 他にもお山への愛と渇望を訴える棟方師匠に、主張と言うよりも皆に大声でエールを送る日野さん、とまじめなものからネタに塗れたものまで、いくつもの演説が終わり。次に壇上に上がったのは、

 

「お、来た来た」

 

「さて、何を話すのかしらね、加蓮は」

 

 我らが北条加蓮である。私たちも、彼女が何事かを演説することは聞いてはいた。もっとも、何を話すのかは知らない。

 

『ふふ、楽しみにしててね』

 

 等と不敵な笑みを浮かべていたので、私としては、背筋に冷たいものが走ってはいるのだが。

 

 ゆっくりとマイクの前まで歩いた加蓮は、きっと表情を固めて、口をゆっくりと開き、心の声を訴え始める。

 

「私はとある人に言いたいことがあります」

 

 ゆったりとした調子から始まった演説。その視線はなぜか私の方向を向いていて。その第一声は私を大いに驚かせることとなる。

 

「Pさん! 過保護はもう止めなさいー!!」

 

「……はい?」

 

 そして、その大声と内容に、私は間の抜けた声を上げるのだった。今、何といった、あの子。

 

「ああ、そういうことね……」

 

 奏も納得したように笑うのは止めて!?

 

 冷や汗がドバドバと出始めた私をよそに、加蓮は声を張り上げて熱弁をふるい始める。

 

「確かに! 確かに! 私だって女の子だから大切にされて嬉しいよ? だけど! 私のPさんは限度を知りません! ちょっと前はくしゃみしただけで毛布に湯たんぽ、ストーブの前に強制連行! 疲れてふらりとしたら病院に一直線! 今でも、Pさんの仕事カバンの中には各種薬が完備されているのを私は知っています!!」

 

「ちょっと待て!?」

 

 これはあれだろう!? 演説にかこつけてからかってるだけだろ!?

 

 こら、周りのみんなも生暖かい目で見るのは止めろ!! 何が『お熱いですね』だ!? プロデューサーとしての仕事です!?

 

「ほら、つい先週、加蓮がちょっと気だる気にしていたら、医務室に連行しちゃったじゃない? きっとそれが原因よ。この頃はPさんの心配性も収まってて、加蓮も喜んでいたのに、昔に逆戻り」

 

 奏は苦笑いをしながらそう言って、残念ね、と私の肩を叩くのだった。

 

「Pさんはもっと私を雑に扱うことを覚えなさい! それで食事にショッピングにも付き合いなさいー!!」

 

「最後のはもう関係なくないかな!?」

 

 とうとう加蓮に向かって哀れな声を出した私は、決して悪くはないだろう。

 

 

 

 加蓮の大演説が終わり、皆の生暖かい目に見送られながら私は会場を脱出した。そうして、気を取り直して自販機でコーヒーを買うと、気が抜けたように休憩スペースに座り込んで。すると、その隣に、わざわざ着いてきてくれた奏がちょこんと座って丸まった私の背をなでてくれた。

 

「ほら、元気出して、Pさん」

 

「……疲れた。久しぶりにがっつりと疲れた……。いや、確かに加蓮の健康のこと、おせっかいすぎた、と思うときはあるし、今日は無礼講だから、気にしてはいないんだけど」

 

 不意に会心の一撃を受けた気分だ。

 

「ふふ、けれど、あまり雑にしても加蓮は嫌がるかもしれないわね」

 

「女心って奴は難しいもんだ……」

 

「はっきりと口に出すだけ可愛らしいものよ? それだけ心を開いている証だもの。口に出すことで心の澱みを出すこともできるし。きっと、加蓮もすっきりしたでしょうから、終わった後は甘えてくるんじゃないかしら?」

 

 奏は口元に手を当てると、面白そうにのどを鳴らす。けど、それってまた、からかわれるってことと同じじゃないかな。なんて、考えたり。そうしてゆっくりと心を落ち着けていると、少し隣の奏のことを考える。

 

「そういえば、奏は何か言いたいこととか、無かったの?」

 

「私?」

 

 私がうなずくと、奏の金色の目は珍しく驚いたように見開いていた。

 

「ほら、奏だってたまには羽目を外して大声出したいこととか、言いたいことはあるんじゃないかなって思ってさ」

 

「……Pさんは、私が大声で叫ぶ場面が想像できる?」

 

 確かに、奏のキャラクターで叫んでいる様子はイメージしづらいかもしれないけど、

 

「言いたいこと言うときがあっても良いじゃないか、奏だって」

 

 皆好き勝手なことを言っているのだから、奏だって堅苦しいこと考えないで叫んでも良いはずだ。いつもしっかりしてくれているのだから、たまに我儘言っても罰は当たらないだろう。

 

 そんなことを言うと、奏はちょっとだけ黙って、ふと嬉しそうに笑うのだ。

 

「そうね……。けど、今日は止めておくわ。今から大声出すのは、少し恥ずかしいもの」

 

「そう? ちょっと残念だな」

 

 私が肩をすくめると、けれど、と奏は小さくつぶやいて。

 

「ふふ、せっかくPさんがそう言ってくれるのだから……。我儘聞いてもらっても良いかしら?」

 

 なんて、悪戯を思いついたようにウィンクをするのだった。




アイドル達の主張!みたいな番組があっても面白そうですが、奏ではいざ叫ぶときはどんな声を出すのでしょうね。Near to youや秋めいての時も少し恥ずかし気な声でしたし、普段とは違う一面を見れそうです。


さて、日曜日は奏の生誕祭!
奏が何を思いついたのか、それはそのときのお楽しみに。


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7月01日「速水奏の誕生日」

ギリギリになりましたが奏! ハッピーバースデー!!


 奏にとって、世界はどんな風に見えているのだろう。

 

 ふと、そんなことを思うときがある。

 

 それは例えば、彼女が鮮やかな夕陽を見上げて、何か物悲しいものを見たように途端に目を伏せるときや、雨上がりの幽かな景色の中で歩幅を小さく、噛みしめるように歩くとき。

 

 奏は小さな世界の変化の中に、色鮮やかな自身を融かす。

 

 私はそんな彼女を見るとき、なぜだか、とても美しいものを見るような、あるいは悲しいことと出会ったように思うのだ。こうして、隣で歩いているのが不思議なほどに。不意に襲い来る感傷のようなものだ。

 

 そんな私を目ざとく見つけて、

 

「あら、私が隣で歩いているのに、どこに目移りしているのかしら?」

 

 奏は少しだけ目を細めながら私の顔を覗き込む。ついでに袖も引っ張って。私の失敗を咎めるような様子ではなくて、それもきっと面白いと、楽しむような笑顔で。

 

 私がその笑顔にほうと息を呑むと、涼しい夏風が私たちの間をなでるように過ぎ去っていった。そうして、私の何気ない感傷も遠くへと運んで行く。風と共に、この空の青色が薄紅に変わり、奏の髪のような鮮やかなそれに染まっていく。

 

 そんな世界の移り変わりの中を二人。私たちは何でもなしに歩いていたのだ。

 

 語り合うのは、最近の仕事のことや、加蓮とショッピングに興じたこと。はたまた、短い夏休みの間に皆でどこかへ出かけようか、なんて僅かな未来の予想図も。

 

 そのような中で私が呆けてしまったのだから、奏からすれば失礼極まりないだろう。ただ、私を見つめる瞳に満ちているのは、咎めるのではなく、どこか答えを待ちぼうけるような色。あるいは、私の考えていたことなんて奏にはお見通しだったのだろうか。

 

「あー、その……。奏のこと、考えてた」

 

 彼女に、私は素直に答える。言った後なので、仕方ないことだが。私はそれだけを言うのに、なぜか気恥ずかしくなって頬を掻いた。そんな様子を見せてしまったのだから、あとは奏のペース。

 

 そのはずだったのに。

 

「ふふっ、嬉しい♪」

 

 そう言って奏は歌うように笑うのだった。

 

 逆に驚かされたのは私の方。いつもならば、

 

『そう……。本人が隣にいるのに、貴方の中の私に何を語りかけていたのかしら? せっかくだから正直に話してみない?』

 

 なんてからかうように言われ、最後には心の奥のヒミツまで暴かれるはずだった。なのに、さっきのそれは初々しい少女のようで。私はそれはそれは間の抜けた顔をしていたのだろう。奏は手を口元に当てると、くすくすと可愛らしい音を鳴らす。

 

「からかわれなかったのが、そんなに意外だったの?」

 

「そりゃ、まあね。いつもの調子を思い出してごらんなさいよ」

 

「もう、失礼ね。けれど、たまにはこんな私も良いでしょ? Pさんを飽きさせないように、私たちだって考えるんだから」

 

「じゃあ、……作戦成功ってことかな?」

 

「半分だけ、ね。私のことを考えてくれて嬉しいのは本当よ? だって、こんなに胸が高鳴っているのだから」

 

 そう言うと、奏はそっと胸元に手を当てて、片眼を閉じて、「確かめてみる?」なんて唇をゆっくりと動かした。

 

「……遠慮しておくよ」

 

 吸い寄せられそうな心を閉ざし、私は夕日に隠れて頬を赤くしながら、そっぽを向く。そうして数歩を歩くと、奏は踊るように一歩の距離を近づいて。添えられた細い感触が、私のシャツ越しに伝わってきた。まったく、遠慮したのに。

 

「伝わったかしら?」

 

「……」

 

 なんだか言葉を素直に言うのが悔しくて、私は口を閉じたまま。

 

「良いわよ、陳腐な言葉は必要ないから。眼は口ほどにって言うけれど、本当に正直な人。目も見なくて良いんだから」

 

 ただ、そう言う奏自身も、今日はどこか素直な言葉だった。ちょっとだけ仕返しをしたい気持ちもあって、私は素直にその疑問を言葉にして、奏へと向けてみる。

 

 すると、奏は少しの間だけ言葉を止めて、

 

「当ててみて?」

 

 と、妖しい音を奏でてみせる。私は手を顎に当てて考えてみた。なぜ、速水奏は今日は素直なのか。すぐに考えられる理由はいくつかあるけれど、その一つ目は

 

「あー、もしかしなくてもバレてるのかな?」

 

「今日この日に、妙に淡白なみんなの言葉。突然散歩に行こうなんて言い出した嘘が下手なPさんも加われば、分からないほうが変じゃないかしら?」

 

 隠し事をされていると、逆に正直になりたくなるの、と本気かどうか、天邪鬼な言葉。奏の予想通り、今頃事務所では加蓮や城ケ崎さん達によるサプライズパーティーの準備が整えられているはずだ。確かに、城ケ崎さんは特にだが、皆わかりやすかったからなあ。

 

「一つ目は当たり。けれど、それだけしか思い浮かばないPさんじゃないでしょ?」

 

 二つ目どうぞ。と、手で促され。さて、じゃあ次に……。最近、奏にとって刺激的だったことは……。

 

「新曲の歌詞のこと、かな?」

 

「それも、正解。おかげで少しは素直な言葉を言えるようになったみたい」

 

 ついこの間、私は奏から小さな「我儘」を聞かされた。それは、新曲の制作に参加してみたいというもの。もちろん、作詞家さんの了承を受けてだが、奏も歌詞について意見を伝える機会を作ったのだ。

 

「まさか、その曲が『繊細な女の子の恋の歌』だったなんて、思わなかったけれど……。でも、私から零れた言葉が歌になるなんて、そんな機会がもらえたのは嬉しかったわ」

 

 実は私は、曲のコンセプトを最初から知っていたり。そんなことばれたら後が怖いので秘密のまま。だが、いつものミステリアスさを抑えて、等身大の女性の心情を歌った楽曲は、これまでの奏のイメージとはまた違った一面を開拓してくれた。

 

「ファンのみんなには好評だったよな。奏がバラードで、恋の歌。まあ、歌詞を最初に見たときは冷や汗出たけれど……」

 

 私はその時のことを思い出して、背筋をぞくりと震わせる。作詞家の先生から送られて来た歌詞には、どこか私たちの出会い、あの日の夕暮れを想起させる言葉があった。もっとも奏自身は、

 

「ふふっ、前にも言ったけれど。どこかの誰かに宛てた言葉じゃないわよ? 貴方が勘違いしてくれるなら、悪い気はしないけれどね?」

 

 そう言って悪戯に誤魔化すのみなのだが。おかげで、あの曲が歌われるたびに、私は緊張するし、加蓮はじとりと視線を向けてくるのだ。

 

 それらに加えて、いくつかの理由を考えてみて。中には正解もあったり、勘違いもあったり。ああだこうだと、この小さな散歩の道に彩を添えて。

 

「随分とたくさん、理由を考えてくれるのね」

 

「いや、ほんと奏のことを考えると、どれだけ考えても時間が足りないから大変だよ」

 

「そういう所を楽しんでくれるPさんも素敵だと思うけれどね」

 

「む……」

 

 今日は不意にそんなことを言うのだから困る。言葉を詰まらせた私を見て、目を細め。そして、奏は囁くように言葉を続ける。

 

「けれど、こうは思ってくれないのかしら?」

 

 奏は私の顔に唇を寄せて囁く。

 

「特別な日くらいは、貴方だけに素直になりたいなんて、ね?」

 

 今は加蓮もいない、私だけの時間だもの。

 

 そんな言葉と共に、一歩、二歩と、ちょっと前進のステップを踏んで。

 

「私をアイドルにしてくれてありがとう。今日この日に、そんな言葉を贈ったら、ありきたりすぎるかしら?」

 

 奏は夕陽の中に躍り出て、満面の笑顔を浮かべた。金色の光の中、それはまるで女神のようで、ありふれた少女のようで。目を離すことができない。

 

 そして、私はその素直な言葉に胸を熱くしつつも、その先に一人のアイドルを幻視する。一面のスポットライトと歓声の中、世界で一番のステージに立つ速水奏の姿を。そうして、こうも思うのだ。

 

 きっと奏は何にだってなれるのだろう。何でもできるのだろう。色鮮やかに世界を捉えて、それを、どんなものにも変えられるのだろう、なんて。

 

 それは先ほど感じた、寂寥にも似た感傷の再来。

 

 まだまだ小さなその躰には溢れんばかりの可能性が隠されている。あるいは、奏が選んだアイドルと言う道も、私のプロデュースさえ、彼女にとっては足枷となるのではないか。そんな不安を抱いたことも一度や二度では収まらない。

 

 けれど、

 

「夢のような小さな旅も、そろそろお終いね。さあ、それじゃあ戻りましょうか。……これからも、いつまでも、エスコートをお願いね?」

 

 私はもしかしたら我儘なのかもしれない。奏という女の子が、自分で選んだこの道で、こうして笑顔を咲かせてくれるのなら。世界へ夢を届けてくれるのなら。そして、彼女が私を望んでくれるのなら。

 

 私は隣でその道を支えていきたいのだ。決して笑顔が途切れぬように。

 

 結局、奏の問いかけには答えなかった。ただ、その言葉に隠せない笑顔がこぼれ出て、ちょっとだけ歩幅が伸びるだけ。そして奏も、満足げに歩幅を合わせて。長く伸びた影と一緒に私たちの居場所へ向かう。

 

「そういえばPさんのプレゼントは何かしら?」

 

「教えたらサプライズにならないだろ」

 

「あら、その目だと……。ふふっ、頑張ってくれたのね。もっと簡単なものでもいいのに。たとえば、ここに触れてくれるとか」

 

「それはダメだし、サプライズを予知しないで!?」

 

「じゃあ、いじわるはここまでにしましょうか。心配しなくても、ちゃんと期待しているわよプロデューサーさん♪」



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9月05日「北条加蓮の誕生日」

加蓮! ハッピーバースデー!!!


 9月5日といえば、私にとって忘れてはならない日。忘れたくない日。何よりも祝いたい日。なにせ、私の大切なアイドルである北条加蓮がこの世に生まれた日なのだから。

 

 ただ、去年の誕生日は、加蓮にとって、少し恥ずかしい日にもなってしまったのだろう。私たちの思いが暴走して、本気で祝いすぎたためか、加蓮が思わず泣いてしまったから。とても素晴らしい会だったのだが。その後は恥ずかしさからか、二日ばかり、加蓮は顔を真っ赤にしながら不貞腐れてしまったり。

 

 かすかに聞き知るところ、かつての加蓮の誕生日は寂しいものだったというので、彼女にしても複雑な思いがあったのだろう。

 

 では、前回を踏まえた今年はどうするか? 加蓮が泣かないように少しは手加減するべきだろうか。普通にお祝いして、楽しかったね、で終わらせるべきだろうか。

 

 否。そんなわけはない。そんなことはあってはならない。

 

 いっそ、もっと感動させてやろうというのが、私と奏の考えだった。

 

 いつにもまして気合が入る私や奏。城ケ崎さんや渋谷さん、神谷さん達、アイドルの仲間たちを巻き込み、加蓮のサプライズパーティーの準備はひそやかに、しかし、しっかりと進行している。

 

 プレゼントや特大のケーキ、ポテトの準備。私もプレゼントをかなり前から準備をしたり。

 

 この調子なら、必ずや加蓮を大喜びさせることができるだろうと、私たちはその未来を心待ちにしていた。

 

 そんな、加蓮の誕生日が間近に迫ったある日。

 

 私は加蓮の尋問を受けていた。

 

 

 

 それは曇り空の日だった。何となく湿気が多く、じめじめっとして気分が上向かない日。そして、その日は加蓮と二人きり。奏はLiPPSの活動で遠出していたため、不在だ。

 

 その時の私は、いつもなんだかんだと大騒動を起こしてくれる五人のかしまし娘を城ケ崎さんのプロデューサーと、羽衣小町プロデューサーの二人に任せて一安心。からかわれる相手が一人になったことに肩をくるくると回していた。

 

 そんな私を、加蓮が連行したのだ。ご丁寧に手錠まで持ってきて。

 

「Pさん、ちょっと来てね」

 

 なんて素晴らしい笑顔とともにガチャリと私の手に手錠がつけられた。

 

 そうして連れていかれたのは、誰が作ったのか、警察ドラマでよくある取調室。ほんとに誰だ、事務所にこんなところを作った奴は。あれか、暴走婦警か? おそらく間違いないだろう。次いでに加蓮が持っている手錠も、彼女の物だろうな。

 

 ともかく、私はいつものように周囲の生暖かい視線を受けながら連行され、取調室の固い椅子の上に座らされる。手は手錠によって椅子に結び付けられて。

 

 そして刑事の位置に座った加蓮は、私に向かって。

 

「で、どこまで決まってるの?」

 

 と、問いかけてきた。うちのもう一人のアイドルから学んだだろう、妖艶な表情。刑事というよりは女スパイか何かのようで。

 

「……何のことでしょう?」

 

 私はとぼけることに決める。

 

 もちろん、私は加蓮が言いたいことは分かっていた。彼女の誕生日サプライズパーティーのことだ。もちろん、サプライズなので、加蓮に内容を知られるわけにはいかない。

 

 私が決意と冷や汗と共に、完璧なポーカーフェイスを浮かべていると、加蓮は「ふーん」などと暗い笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと視線を送りながら立ち上がり。すたすたと私の後ろに回ってくる。

 

「ねえ、Pさん……」

 

 ふっ、と加蓮の甘い香りが後ろから伝わってくる。次いで、首に手が回され、背もたれ越しに加蓮がもたれかかる。私は汗が噴き出して、どうにもならない。文字通り、私の命運は加蓮に握られているのだ。

 

 耳元で心地よい加蓮の声がささやかれる。

 

「お、し、え、て」

 

 頭の中がとろけさせられるような声だった。見事な尋問術に、私は口を割りそうになる。

 

「ぅぬ……、ダメだ!!」

 

「だめぇ?」

 

「……」

 

 鉄の意思かはともかくとして、秘密は守り切った。

 

 十分くらい、天国のような、主に地獄のような時間が続き……。

 

「もー! いいじゃない! 少しくらいは私に教えてくれたって! 私が主役なんだよ!?」

 

 いやいや、主役だからこそ、言えないじゃないか。そんな私の無言の抗議は無視される。加蓮は私を椅子から解放すると、駄々をこねるように私の肩をつかんで、ぶんぶんと揺さぶった。私はそんな彼女のなすがまま。

 

「とはいってもなあ、みんな頑張って用意しているんだから。私だけが話すわけにはいかないよ」

 

「もぅ。どーせ、Pさんや皆に泣かされちゃうんだからさぁ……。少しは覚悟させてくれてもいいじゃん……」

 

 口をすぼめてうつむく加蓮。なんだか仲間外れにされたような、そんな寂しさが伝わってきてしまい。必要なこととは言え、なんだか彼女に対する申し訳なさが募ってしまう。なんだかんだと、私は彼女たちに甘いのだろう。

 

 そのすまないという気持ちが、口をついて出てしまった。

 

「加蓮、約束するよ。ちゃんと加蓮が楽しめる会にする。それに、加蓮が望むなら、何か埋め合わせもするからさ」

 

「……埋め合わせ?」

 

 加蓮が表情を隠しながら小さくつぶやく。

 

「ああ。買い物とか、食事とか。好きな時に付き合うし、他のことでも。だから、ほら、機嫌直して」

 

 その、私が言ってしまった言葉こそが、まさしく小悪魔が求めていたソレだったのだろう。加蓮は途端に、にやりと口を弧にして顔を上げた。

 

「それじゃあ、今から私の共犯になって。Pさん♪」

 

「はぃ!?」

 

 

 

「逆、サプライズパーティー?」

 

 私は間の抜けた顔をして加蓮に尋ねた。加蓮はといえば、尋問室から私たちの部屋へと場所を移し、ソファの上でご満悦な笑顔で頷いている。

 

「そう、逆サプライズ! 私のパーティーの時に、私がみんなにサプライズでお祝いするの」

 

「えっと、加蓮の誕生日なのに、みんなを?」

 

「だって、私だけ一方的に驚かされたり、お礼を言うなんて不公平じゃない! でも、誕生日だし、せっかく驚かすなら良いことしたいし。だから、みんなにもサプライズを仕掛けるの。

 例えば、奏には新曲発売のお祝いでしょ? ヒーロー映画出演のお祝いでしょ? 凛もアニバーサリー曲。奈緒にはライブの主演記念!」

 

 つまり、加蓮は自分の誕生日に、自分だけでなく周りのみんなのお祝いもしてしまえというわけらしい。そして、なぜ私がその共犯に選ばれたかといえば。

 

「Pさんなら、みんなに黙ってケーキの注文とか、いろいろと頼めるでしょ? みんなが勘付きそうなら、私に知らせることもできるし」

 

「……加蓮さん。それは世間でいう二重スパイというやつでは?」

 

「正解!」

 

 結局、サプライズの内容をばらせなどという無茶な頼みは断られると思っていたのだろう。ただ、そこで私が申し訳なく思って、隙をみせるから、そこで引きずり込んでしまえと。本当にスパイみたいな手口だった。

 

「それって、あとでみんなからつるし上げをくらうやつじゃない……」

 

「だめ?」

 

「いいよ」

 

 私はその先の未来を想像してうなだれるが。結局は加蓮の可愛い頼みごとを聞くことにする。私一人の犠牲でみんながハッピーになるのなら、それが私の幸せである。それに、逆サプライズという響きには、何かロマン心を刺激された。

 

 それに、みんなも一緒に祝いたいというのは、とても加蓮らしい優しい提案だと思ったからだ。

 

 そして、その日から私と加蓮による密やかな企みが開始されたのである。

 

 ……奏には何度も不審な目を向けられていたことは、気にしないことにする。あれは、たぶんバレていた。

 

 

 

 加蓮の誕生日まで残り二日と迫った日。私はみんなの目から逃れて、こっそりととある部屋へと移動していた。そこは小さな応接室で、加蓮との逆サプライズパーティーの会合場所としたところ。そんな風に移動していると、自分が本当のスパイとなったようで、少しだけわくわくしたり。

 

 その小綺麗な部屋へ入ると、加蓮はすでにやってきていて、私に小さく手招きをくれる。私は導かれるまま、小さなソファに座る加蓮の隣に腰を下ろした。……もともと応接室なのだから、もう一つくらいソファがあるはずだが。

 

「片付けちゃった♪ まぁまぁ、遠慮なく座ってよ!」

 

 ということらしい。それはともかくとして、小さいソファだから、かなり加蓮との距離が縮まってしまい。加蓮は楽しそうだが、私としては少し緊張が勝ってしまう。そうしていたずら笑顔を浮かべる加蓮に、私は懐から厚い封筒を取り出して手渡した。

 

 緊張を隠そうと、少し芝居がかった口調で。

 

「……これが約束のブツだ」

 

「ふふ、ご苦労、プロデューサー君。でも、あはは、やっぱりPさんはスパイとかかっこいいのは似合わないって!!」

 

 まったく、なぜ笑うのか。少しは様になっているはずだぞ。たぶん。ともかく、私は肩をすくめながら、持ってきた品を机に並べていく。

 

「方々を探し回って、選りすぐりの逸品を選んできたから。気に入るのがあればいいんだけど」

 

 置かれたのは、加蓮と私や奏、みんなで写した写真だ。それも仕事の物ではなく、仕事の合間のちょっとした息抜きや、遠出した先で遊んだ写真、そして、私たちのオフィスでのんびりしているところ。

 

 世間でいうところのオフショット。

 

 加蓮も加蓮で、自分のスマホなどで撮ったみんなとの写真を集めて持ってきている。

 

 その目的はアルバムづくり。逆サプライズパーティーなのだから、全て逆。みんなのお祝いもするし、みんなとも共有できるプレゼントを用意したかった加蓮。それなら、みんなとの思い出を集めてアルバムを作ろう、と提案したのは私。

 

 こういうみんなが写ったアルバムなら、パーティーの最中にみんなで回し読みし、思い出を話せる。それに、終わった後は加蓮に思い出の詰まったプレゼントとして送れる。我ながらいいアイデアだと思えた。

 

 そうして私たちは写真を一枚ずつ見ながら、アルバムを作り始めた。ともあれ、あまりしんみりするのが嫌だと言う加蓮の意向に合わせて、写真はなんとなく愉快なシチュエーションを選んだもの。

 

「あはは! これっ、奈緒が変な顔してるー! ほらほら、Pさん。こっちも面白いよ」

 

「それ、私が一ノ瀬博士に実験台にされてるやつなんだけど。……それも載せるの?」

 

「もちろん! ふふっ、髪の毛が七色になっちゃってるね。奏の面白い写真も欲しいけど……。さっすが奏、なかなか隙が無いなぁ」

 

「そこはそれ、伊達にプロデューサーはやってませんよ」

 

「と、いうと?」

 

「……秘蔵写真はこちらに」

 

「あーあ、いけないんだ♪」

 

 そのことに関してはありがとう、レイジー・レイジー。奏をやり込められる人間はなかなかいない。

 

 私はにやりと笑って加蓮に写真を差し出す。自ら地雷原に踏み入れている自覚はあるのだが、奏もこの写真なら笑ってくれるだろう。あとで私のお仕置きは確定しただろうが。

 

 私たちは肩を並べながら、何枚もの写真をアルバムに添えていく。あれがいいかな、これがいいかな。そんな風にあれこれと言い合いながら並べていくと、思い出が形になっていくようで胸が熱くなる。そうしていると、加蓮が言葉を零した。

 

「……なんか、いいね。こういうの」

 

 ささやくような、染み入る声。

 

 それに返したのは、私のたった一言。

 

「うん」

 

「それだけ? 家族みたいだな、とか、もっと続けたいな、とかそういうロマンチックな感想ないの?」

 

 加蓮が苦笑いしながら肩を叩く。ただ、私はこの空間にいることを言葉にはしたくはなかったのだ。何だろうか。ほっとするような、少し緊張するような、それでいてワクワクするような。何とも言えない気持ちが湧き上がってくる。そう伝えると、加蓮はわずかに頬を染めて、

 

「ほんと、たまにズルい」

 

 そんなことを口をとがらせながら言う。そして、私の一番変な写真をアルバムに載せてしまうのだった。

 

 アルバムはだんだんと形になっていく。パズルのピースがはめられていくように、加蓮の笑顔と努力の記憶が彩り豊かに映し出されていく。

 

 そこに、出会ったときのへの字に結んだ口や、何かに諦めてしまった顔はない。影が差して、先が見えないような目もない。そこにいるのは、精一杯人生を楽しんで、精一杯アイドルを楽しんでいる加蓮の顔がある。

 

 ぱちりぱちり

 

 一個ずつ思い出を当てはめて……。

 

 すると、加蓮が持ってきた写真から、一つの思い出が零れ落ちる。

 

「……これって」

 

 加蓮が呆然と、その写真を見つめる。それは、おそらく、加蓮が選んだ写真ではなかったのだ。きっと、彼女をよく知る人が、おせっかいを焼いて混ぜてくれたものだったのだろう。いつでも、彼女を心配して愛している人が。

 

 ただ、それを見たときに私は迷ってしまう。加蓮のそれに、簡単に立ち入っていいのか。彼女が時に、私に見せたくないものを持っているのを知っているから。

 

 だけれど、次の瞬間。そんな迷いを見せた私の腕に、加蓮がしがみついていた。顔をうつむき、隠しながら。どこか、涙ににじんだ声で。

 

「Pさんも、見ていいよ。ううん、見てほしい」

 

 そっと手渡されたそれは、真っ白な写真だった。

 

 まだまだ真っ白な人生の写真。その一ステップ目の。小さな小さな体が踏み出した、スタートライン。

 

『Happy Birthday』

 

 加蓮とは違う、少し落ち着いた文字は、その人たちの願いそのもの。

 

 私たちは、その小さく、大きな姿を見ながら、しばしの間口を閉ざしていた。時折思い出したように、加蓮が腕を震わせるが、私はそちらを見なかった。数秒ほどたって、加蓮が小さく口を開く。

 

「ねえ、Pさん。この子、この後どうなっていくんだろうね。きっと、苦しいこともあるし、もう生きたくないって諦めちゃうときもあるし、この写真を撮った人たちをいっぱい困らせちゃう」

 

 私はその心細げな言葉に、頷きを返す。確かにそんな人生が待っているのだろう。けれど、それで終わりじゃない。

 

「そして、その子はアイドルになって、仲間と一緒にたくさん頑張って。たくさんの人の笑顔をつくって。トップアイドルになって、幸せになる」

 

 私は噛みしめるように、その言葉を紡いでいった。全てがまだ叶ったわけではないけれど、まだ少し先かもしれないけれど、それが現在進行形の未来だ。

 

 加蓮が息をのむ音が聞こえる。腕にかかる温度が熱くなっていた。

 

 次の瞬間、加蓮はそれこそ、幸せいっぱいだと、そんな元気な声で返事をくれる。

 

「うん……。まだまだ未来のことだけど、その時にちゃんと笑顔でいられるように……。ふふっ、そんな未来を作るなら、Pさんは責任重大だね!」

 

「加蓮と会ったときから、ちょっとくらい大変なのはわかってたって」

 

 からかうように言う私に、ようやく加蓮は笑い声をあげてくれた。

 

 加蓮には言わないが、出会った時に、私は覚悟を決めていた。中途半端だなんて許されない。この子の人生を預かった責任が、私にはある。

 

「それじゃあ、加蓮。この写真はどうする? アルバムに入れるか、大切にしまっておくか」

 

「それは、もちろん入れちゃうよ! それでパーティが終わったら、この写真を入れちゃったおせっかいな誰かさん達に、このアルバムを見せてあげるんだ!!」

 

 加蓮の顔を見る。少し涙がにじみながら、けれど喜びに満ちた笑顔がそこにある。

 

「あ! その時はPさんも同行してもらうからね。アルバムの名編集者だし、いろいろ見たり聞いたりしちゃった責任もとってもらいたいから!!」

 

 それは、とても楽しい日になるだろう。言っておくが、加蓮。私にだってあの人たちに伝えることはたくさんあるからな?

 

 その後に開かれたパーティーについて、もう語ることはない。

 

 その日、笑顔を満開に咲かした女の子が、たくさんの仲間に囲まれる。そんな世界で一番幸せな日があった。

 

 語ることはそれだけで十分なのだから。




担当の誕生日ほど嬉しいことはないですね!
それに合わせたデレステSSRも、アニバーサリーに誕生日!
加蓮が友人達と一緒な姿には目頭が熱くなります。

えっ? 私は取れたかって? 野暮なことを聞かないでください、天井行きそうです。


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9月19日「ミステリアスアイズ イベント開始日」

とうとうイベント開始日ですよ!

今日はイベント開始前に、こんな話があったかもなぁと考えた話になります。なので、コミュと齟齬がありますが、その点はご了承ください


 それは、すっかりと涼しくなった日の出来事だった。

 

 私はいつものデスクに向かい、黙々と作業中。ふと肩の凝りをほぐしながら、外を見ると、広がるのは変わらぬ都会の景色。ビルのイルミネーションに、下行く車の大行列。人口の星とはよく言ったもので綺麗なもの。ただ、毎日、本当の星を見上げていると少し物足りないとも思ったり。

 

 時刻は夜十時。

 

 この頃になるとめっきり気温が下がってしまい、背広を羽織らないと寒いくらいだ。

 

 部屋には私一人。うちの姫様たちは仕事を終えて、とっくに家路についている。私も仕事自体は終わっており、あまり長く会社にいるとちひろさんには怒られることになるのだが……。

 

 少しだけやりたいことがあって、私は一人、無断の居残りをしていた。

 

 それもあと少しで終わり。明日は大事な用事もあるし、また加蓮と奏に心配をかける前に、家へ帰って休もうと、最後の手間に集中して。数分後、ようやく作業が終わる。後に残る仕事は、それを持って事務所から帰るだけ。そのはずだったのだが……。

 

 オフィスのドアがおもむろに開いて、

 

「まだ残っていたの?」

 

 不意打ちの声が飛び込んできた。

 

「!?」

 

 その展開に、私は背筋をピンと伸ばして驚いてしまう。帰ったはずの奏が、そこにいたのだから。

 

 彼女がいるのは予想外。さらに、私の残業は彼女にだけは見せてはいけないもの。私は企み事がバレていないかと不安になるが、彼女が声をかけたときに、とっさに右手がソレを引き出しに放り込んでくれていた。

 

 グッジョブ、私の右手。本当に良い仕事をした。いつもいつも驚かされ、鍛えられた反射神経がこんなところで役に立つとは。

 

 そんな私自身に安堵していいのか、嘆けばいいのか。私は微妙な気持ちになって息を吐く。

 

 さて、私の心をかき乱した奏はというと、見た目はいつも通りだ。からかうように微笑んで、私のそばまで歩いてくる。腰の後ろで手を組んで、モデルみたいな歩き方。なんだか、纏っている雰囲気も大人のようで。

 

 私の目はくぎ付けになる。

 

「あら、見とれてくれるのね? いいわよ? 今は誰もいないのだから……」

 

 やはり見た目は奏は上機嫌。そして、彼女との距離があっさりと半歩の距離まで近づいて。口から零れるのは、ささやき、惑わす小悪魔の問いかけ。何かに期待した顔に深夜の事務所。彼女が言う通り他には誰もいない。見られることもなく、彼女は無防備で、さらにはどこか誘うような。

 

 だから、彼女に私は……。

 

「ていっ!」

 

「いたっ!?」

 

 軽くデコピンを打ち込んだ。元より女性に傷をつけるほど紳士を捨てたわけではないから、痛くはないほど軽く。けれど奏は思わずといった様子で、可愛く悲鳴を上げる。私の行動は、さしもの奏も予想外だったのだろう。

 

 少しだけ奏を上回れた。本当に、久しぶりに。……ちょっとだけ。

 

 すると奏はどこか拗ねたような視線を向けてくる。先ほどの大人びた雰囲気は少し薄れて。その目は『不満だ』と訴えているが、私にとて言い分はある。

 

 私は壁にかかった時計を指さす。

 

「今、何時ですか?」

 

「そうはいっても、丑三つ時には遠いわよ?」

 

 今日はごまかしてもダメ。

 

「い、ま、何時ですか?」

 

 今度は少し強く言う。

 

「……夜十時」

 

 すると奏もしぶしぶと答える。その通り。すでに夜遅く、奏が事務所にいていい時間ではないのだ。先ほどは加蓮と一緒に帰っていったのに、何を思って戻ってきたのか。

 

 私は怒っています、と態度でアピール。すると、やはり奏も申し訳ないと思っていてくれたのだろう。小さく頷きを返してくれた。その様子に私も息を吐き、肩の力を抜く。

 

 ともあれ、奏がこんな時間に考えもなしに戻ってくることはない。そして、明日に控えている仕事を考えれば……。きっと、彼女なりに色々考えてしまったが故の行動だ。ならば、私がプロデューサーとしてするべきことは一つだけ。

 

「よし、送るから帰るぞ。で、少し話をしようか」

 

 私は荷物を手に取ると、うつむいたままの奏を連れて事務所を出るのだった。

 

 

 

 私たちの事務所から駅までのルートはいくつかあるが、今日、私が選んだのは、その中で一番静かで、人が少ないルート。夜闇に照らされた海辺の道だ。この道は奏も気に入っている道で、二人してたびたび歩くこともある。例えば、彼女の誕生日などに。

 

 暗い夜道に、二人だけのゆっくりな散歩。靴音だけが夜のしじまに響いていく。

 

 既に奏の家には仕事の都合で遅れるとの謝罪を入れておいた。あと三十分ほどなら時間をとれるだろう。その五分を互いに無言で歩く事に使って。秋の風が冷たく、私の頭も覚まし、考えをまとめてくれる。

 

 その静寂を破ったのは、奏の小さな呟きだった。

 

「……ごめんなさい」

 

 それは何に対しての謝罪か。夜遅くに戻ってきたことか、私に家族へと頭を下げさせてしまったことか。それとも、今の心の内で考えていることについてか。聡明な奏のことだ、たくさんのことを考えてしまったのだろう。

 

 ただ、私も彼女に言うことがある。

 

「こちらこそ……。ごめん」

 

 足を止めて彼女へと謝った。だが、私の言葉に、奏は少しだけ眉をひそめて首を横に振るのだ。

 

「そんなこと、言わないで。貴方が悪い事なんて何一つないんだから……。簡単に頭を下げたりしないで」

 

 表面上の謝罪なんてしないでほしい。そう、奏は言う。だが、それは奏の間違いだ。私には確かに非があるのだから、謝らなければいけない。アイドルとプロデューサーは一心同体。先輩の言ってくれた言葉は、成功の時にも、失敗の時にも働く。

 

「私だって、間違ったことをしたさ」

 

「……何のこと?」

 

「奏を不安にさせたこと。プロデューサーとして、絶対にやってはいけないことだよ」

 

 奏が仕事の前に不安を持ち込まなくていいように、輝く舞台に行けるように整えるのが仕事。それを果たせなかったんだ。

 

 だから、ごめん。

 

 もう一度頭を下げると、奏はうつむき、唇をきゅっと噛みしめてしまう。夜の影がそうさせるのか、どこか泣いているようでもあり。私は彼女に素直に尋ねてみる

 

「……明日からの仕事のこと、かな?」

 

 奏の感情は複雑で、わかりにくい時もある。長く一緒にいても、確かに、そんな時がある。けれど、加蓮と違って表に出さないだけで奏の心も同じくらいにまっすぐだ。だから、今回の原因については、私は自信をもって答えられる。

 

 その証拠に、奏の肩は少しだけ震えを見せた。

 

 私が確信を持てるのは、それくらい。実際に彼女が何を迷い、相談したがっているのか。心の内を見透かす能力なんてない私は、正確に知ることはできないから。後のことを話してくれるかは、奏次第だ。だから、奏が少しでも話しやすいように、会話だけは途切れさせないことにする。

 

「明日は海外だもんな……。もう、荷造りは終わった?」

 

「……ええ、必要なものは全部しまい込んだわ」

 

「じゃあ、パスポートの写しとか、予備の財布は? パスポートやチケットは先輩が預かってるとはいえ、用心に越したことはないから」

 

「貴方に言われた通り、三度は確認したから、大丈夫」

 

 それらを忘れると、現地での不安が途端に増すのだ。私は四度は確認する。

 

「それは、少しやりすぎじゃない?」

 

「……四度確認したら、そのままバッグの外に置き忘れたことがあったな」

 

「ふふ、Pさんがそうして慌ててるところ、想像できちゃうわね」

 

 私が肩をすくめると、ようやく奏の顔がほぐれてくれた。

 

 その後も、時程や、いざという時の緊急連絡先。私への連絡方法などを一つ一つ確認していって。奏がすべて確認していることに、逆に私が驚かされてしまう。本当に、この子はしっかりしている。私なんかよりも、よほどだ。

 

 けれど、それは『何もしなくていい』とはイコールではなくて。

 

 私から確認したいことを全て尋ね終えると、奏は少し息を吐き出し、私から目を離して空を見上げる。そうして、ぽつりと心を零してくれた。

 

「……やっぱり、私はまだ子供なのね。Pさんにも心配かけてばっかりで。ありがとう、気遣ってくれて」

 

 奏の顔に浮かんでいたのは、少しの自嘲の色で、私は言葉を閉じて考える。

 

 大人と子供。私は終ぞ、その明確な境界など分からないまま過ごしてきた。事実として、私は大人でありたいとは思うけれど、心根は子供のようだと言われることが多々ある。大人と子供に境界はないのだ、なんて頭のいいひとは言うかもしれない。

 

 だが、今、目指すべき誰かを見つめている奏にとって、その違いこそが大きな重みとなってのしかかっているのだろう。

 

 いくら大人びているように見えて、いくらしっかりしていても、奏はまだ大人ではないのだから。

 

 奏は目線を私に戻し、少しうるんだ瞳で語りかけてくる。

 

「……Pさん、私がこのお仕事をもらったとき、話したことを覚えてる?」

 

 それは、もちろん。

 

「『今回の仕事は、一人でやりたい』だったね?」

 

 その言葉に奏は頷いた。

 

 今回の仕事は長期の海外ロケ。私と、今回の奏の仕事相手となる彼女のプロデューサー、どちらかが代表して付いていくことになっていた。そこで、奏は私に、同行しないように頼んできたのだ。

 

「貴方を信頼していない、なんて、そんなことは決してないわ。きっと、一緒に来てくれたら何より心強いし、私は貴方に頼ることができる。

 けれど、今回だけは私一人で彼女と向き合いたかった。私の全力であの人に並ぶことができるのか。あの気高い姿に挑戦したかった……」

 

 私は、奏がそのことを告げた時を、はっきりと覚えている。少しの緊張を涼やかな顔に隠しながら、決意を告げたことを。だから私は奏の希望を受け入れた。もとより加蓮の活動もあるし、先輩プロデューサーには全幅の信頼を置いている。だから、あとは奏の心次第だった。

 

 今の奏はその時とは違っている。あの時、隠した不安を抱え込んだような。少しだけいつもより前かがみの背中。

 

「でも、いざ、明日からお仕事。その時になって……。いつも輝いて、憧れてきた彼女。あの人に負けたりしない。そう決めたつもりだったけれど、ただのやせ我慢だったのね。

 だって、あの人に挑むとき、いつも私は支えられてきたもの。Pさんに、加蓮に。私は一度も、勝ったことが……、追いつけたことがないのに」

 

 

 

 明日からはたった一人なんて

 

 

 

 それでも、決定的な一言だけは封じ込めて。奏は、彼女の心のように、荒々しく静かな言葉を吐き出した。

 

 冷たい風が吹く中、微かに肩を震わせる奏を見つめる。

 

 順位があるわけではないのだ。奏と彼女、高垣楓の間には。

 

 それでも、奏はずっと高垣さんを意識してきた。彼女の中に目指すべき姿を見出して、追いつきたいと、静かな炎を燃やしてきた。決して顔に出したことはない。でも、長く見ていればわかること。

 

 そして、先の総選挙。結果が全てではないけれども。奏は去年よりも成長して果敢に挑み、高垣さんにわずかに至らなかった。

  

 私は奏の気持ちをわかるなどと、そんな傲慢なことは決して言えない。言えないが、彼女の気持ちに寄り添いたいと思ってきたから。今は、知ってると言わせてほしい。

 

 悔しかっただろう。悲しかっただろう。その気持ちを表に出すことはないが、奏は誰よりも繊細で、気高いのだから。

 

 だから、今、少し足踏みをしてしまった奏に言いたいことは一つだけだった。

 

 

 

「じゃあ、高垣さんに追いつく日が来たな」

 

 

 

 私ははっきりと言い切った。誰も聞いてはいないだろうが、満天の星の下で宣言した。あの舞台で金星や木星がどれだけ明るく輝いていようとも知ったことか。どれだけ他の星々が輝いていようとも知ったことか。

 

 奏は追いつく。

 

 今だって、負けているなんて思っていない。

 

 私の子供じみた宣言。それを聞いた奏はその綺麗な金色の瞳を見開いて、唇を震わせながら。つぶやき声が彼女から漏れる。

 

「Pさん……、貴方、私の言葉を聞いてたの?」

 

 信じられないと、そんなことを言う奏。だが、私はしっかりと頷く。

 

「一字一句ね」

 

「それで言うのが、その台詞?」

 

「冗談で言うほどユーモアがあるわけないじゃないか、私に」

 

 私は奏を見つめながら、ゆっくりと口を開く。 

 

「奏。不安に思う気持ちは、諦めた相手に持つ感情じゃないよ。諦めてたら、真剣に悩めない。いつか追いつけるって、奏だって信じているし、その目標が目の前だから、不安になれるんだ」

 

 だから、今の奏は、あと一歩のジャンプで高垣さんに並べる位置にいる。

 

 それが誇らしいし、そんな気持ちを持てるのなら、きっと一人での仕事も乗り越えることができると確信している。むしろ、今日、相談に来てくれて、それは深まったくらい。

 

 それに、私だって彼女たちに思う気持ちあるのだ。

 

「……高垣さんもだけど、プロデューサーの先輩もすごいだろ?」

 

「え、ええ。そうね、いつもすごい仕事を持ってきて、敏腕なんて呼ばれているわ」

 

「それでどれだけ仕事してるのかって思って、昔、仕事を覗いたことがあったんだ。そうしたら、あの人は一日中、高垣さんの世話だけしてた。高垣さんのギャグをほわほわ笑いながら採点したり、気が乗らない彼女を引っ張って行ったり、で、夜は大人組の飲み会で介抱役。

 あの『仕事ぶり』で、あんな良い仕事をとってくるなんて、どんな魔法を使っているのかって。正直、追いつけるとは思えなかったし、落ち込んだよ」

 

 まさに雲の上の人。私はああはなれないと、諦めていた。

 

 そう素直に言うと、奏は私の手を取って、怒ったように眉を顰めるのだ。

 

「そんなことないわ……! あなただって……!!」

 

 私は認めないと、そう思ってくれている。私はそんな大切な人に頷きを返した。

 

「そう思ったのが、奏達に出会うちょっと前の話」

 

「え……」

 

 私は元々、人に誇れるものなんて無い人間だった。だから、最初はあの先輩に悔しさを抱けるべくもなかったのだ。けれど、私はその後、加蓮と奏に出会えたから。二人をトップにすると決めて、三人四脚を始めたときから、それは変わった。

 

「今はさ、悔しいって思えるんだ。あの人がすごい仕事をするたびに、負けてられない、私も奏達をもっと輝くステージに連れていけるって。奏のプロデューサーとして、あの人に負けてないって信じられる。

 そりゃ、今でも、やられたって思う時はあるし、不安に思う気持ちも時々出てくるけれど。あの人に追いつけている。そんな勇気をくれたのは、奏たちだよ」

 

 それでも、総選挙の時は堪えさせられた。あの二人、大人しくしていると思っていたら、いつの間にやら上位に食い込んでいたのだから。あれは参った。

 

 次はそうはさせん。

 

 そして、その心をくれたのは、奏と加蓮だ。奏が高垣さんに並ぶことだって無謀だとは思っていない。

 

「だから、私は奏の今回の仕事をあまり心配していない。まあ、海外だから体調とか安全は心配だから、夜眠れなくなったりもしたけど。高垣さんとの仕事に関しては、全くね。ずっと君を見てきたから、奏なら、高垣さんに並べる。そう断言できるから、この仕事をとってきた。

 君が、私に信じさせてくれたから。

 ……奏はどうかな? 今でも、高垣さんに、かなわないって思ってる? どうやっても追いつけないって、そう思う?」

 

 奏はその問いかけに、すぐに答えた。首を横に振ることで。

 

 彼女がうつむいた顔を上げると、そこには強く輝く金の瞳。一番星と同じ色、私に希望をくれた神秘の色だ。

 

「……ううん。アイドルの速水奏なら、貴方が作ってくれた私なら、きっと追いつける。虚勢の仮面を、大人の衣を、大きな嘘を身に纏ってでも、楓さんに並んでみせる。

 私はもう、たった一人の、ただの速水奏じゃないのだから」

 

 少し声を震わせながら少女は宣言してくれる。だから、私は素敵なアイドルにふさわしいように、精一杯格好をつけて、こう返すのだ。

 

 

 

「それじゃあ、奏、高垣さんを飲み込んできな」

 

 

 

 今は少しだけ敵わないのなら、隣に並ぶついでに、吸収してやればいいのだから。そう、いかにも決めた調子で言うと。

 

「……それ、サメ映画みたいな台詞ね」

 

 奏が力が抜けたように呟いた。

 

「それを言っちゃあ、台無しじゃない!?」

 

 私は天を仰いで、嘆きの声を上げる。せっかく景気いいこと言ったのに。台詞のチョイスがB級とは、締まらないじゃないか。

 

 けれど、そんな私に、奏は声を上げて笑ってくれる。

 

「あはは! もうっ、やっぱりPさんにカッコいいだけの台詞は似合わないわ。だって、貴方はロマン大好きで、大人なのに、ちょっと子供みたい。そこが誰より魅力的で。……信じられるのだから」

 

「じゃあ、私も敏腕プロデューサーでいいのかな?」

 

「ええ。他の誰かが否定するなら、私がいつでも証明してあげるわよ。

 ……そうね、らしくなく力が入りすぎていたみたい。たとえ、貴方たちが傍にいなくても、私は一人じゃない。こんな簡単な真実にも気づけなかったなんて」

 

 笑いながら、目元の光るものをぬぐった奏は、そのまま、すっと唇に指を当てて、

 

「ねえ、私のことをちゃんと見てくれているPさん……。もう一歩の勇気が出せるモノ、くれないかしら?」

 

 片目を閉じた。いつものライブ前のような、彼女にとっての特別で普通な問いかけ。

 

 私は喜んで応じることにする。

 

 あと一歩、距離を詰めて。

 

 奏が少し、のどを動かした。それは、期待するように。

 

 なので、私は彼女が求める物を贈る。

 

「それじゃあ、これ、持って行って」

 

 そうして、私は奏に、あるものを手渡した。

 

「もうっ、Pさん……」

 

「手作りのお守り。けっこう、出来もいいだろ? 加蓮の分と二つ分。中に私と加蓮からの手紙入れておいたから、向こうについたときにでも読んでくれると嬉しいな」

 

 加蓮からは、

 

『面と向かって言うのは恥ずかしい事も書いたから、絶対にPさんには見せないでね』

 

 などと言付を頼まれている。

 

「加蓮らしいわね……。それで? Pさんは何を書いてくれたの?」

 

「それは見てのお楽しみに」

 

「……それじゃあ、今すぐ見るとしましょうか」

 

「ちょっと!?」

 

 私が慌てて止めようとすると、奏は笑いながら、ひらりひらりとその手を躱す。

 

「なんてね♪ 大丈夫よ、不安になった時、大切に読むわ。……嬉しい。

 でも、もっと一瞬だけの大切な時間、くれてもいいのに。それは少し残念だわ」

 

 なんて、調子とは裏腹の本気の言葉。

 

 ちょうどいい。私だって、あと一つ、言っておきたいことがあるのだから。

 

「……さっきさ、奏、言っただろ? 『心配させるのは奏が子供だから』だって。

 けど、私が奏を心配しているのは、子供だとか、アイドルだとか、そんな陳腐な理由じゃないからな。それだけは誤解しないでほしい。

 ……奏のことが大切だから心配してるだけだ」

 

 ただ子供だという理由だけで、私はあれこれ世話を焼けるほど、人間出来ていない。だから、そんなことをするのは奏と加蓮くらいのものだ。気恥ずかしくも、言いたいことは言うべきだと思い、奏に告げる。

 

 すると、奏に浮かんだのは、今度こそいつも通りの、からかい上手で蠱惑的な表情。けど、どこか本心を隠しきれていない嬉しそうな顔。

 

「……ねえ、それ、誤解してもいいの?」

 

「それはダメ」

 

「ふふ、私は誤解したいな……。それじゃあ、それはただの嘘?」

 

「嘘をつけるほど器用じゃないのは、奏が一番分かってるだろう?」

 

 奏が求めている答えとは違うかもしれないが、そう思う私の気持ちだけは、本当だ。まったく、気恥ずかしいことを言わせるんじゃあないって。

 

 私がにわかに顔を熱くしながら言い切ると、奏は笑顔を浮かべて頬を突っついてきた。今だけは肩の力を抜いた、速水奏としての時間を楽しんで。そして、最後に輝く笑顔を向けながら奏は決意を贈ってくれた。

 

「……ありがとう、プロデューサーさん。お守りに、言葉に。勇気、たくさんもらったわ。

 そこまでしてくれたのだもの、貴方の期待に応えないとね。成し遂げた、その瞬間は見せられないかもしれないけれど。追いついて、あの人に並んだ私を見るのは、貴方が一番乗り……」

 

 だから、

 

「思い切り魅了しちゃうから、覚悟しないとダメだよ」

 

 そうして笑顔と決意を残し、奏は旅立っていった。

 

 

 

 そんな話があったのが、少し前のこと。

 

「なるほど、なるほど。それで奏はあんなに上機嫌だったんだ」

 

「奏……。結局、話したとは」

 

「うん。今って海外電話も気軽にかけられるから便利だよね♪」

 

 秋の昼下がり、私と加蓮は事務所のオフィスでソファに座りながらお茶を飲んでいた。話題は奏の大きな挑戦の話。奏が海外出ているときも、加蓮は電話をかけていたと聞いたが、あの出発前夜の話までしていたとは。

 

「お互いに変な隠し事はナシ。それが約束だから」

 

「で、それを私に話した理由は?」

 

「うーん。私もPさんと夜の散歩、してみたいなーって」

 

 加蓮はそう言って可愛らしくウィンクを贈ってくる。だが、答えはノーだ。

 

「だめ。未成年はちゃんと帰りなさい。残業っていう面倒なことはね、若いうちはしないでいいの」

 

「そういうこと言うと、Pさんもおじさんみたいだよね」

 

「お兄さんだ! まだ!!」

 

 いつも通り、私が叫ぶと、加蓮は分かったのか、分かってないのか、面白そうに笑うだけ。まったく、何度も言っているのに、分かってくれないとは、悲しい。

 

 そうして私が肩を落とすと、おもむろに加蓮は隣に座ってきて、顔を覗き込ませつつ、

 

「じゃあ、今は夜の散歩はあきらめるから……。私がお酒飲めるようになったら、最初に誘って? それでその後に一緒に散歩! それでいいでしょ?」

 

 その未来を待ち遠しそうに加蓮は尋ねてくるのだ。そんなに楽しそうにされたら、私に断る気持ちはない。私は加蓮に頷こうとして……。

 

「あら、Pさんとのお酒は、私が先の予定よ?」

 

 奏が帰ってきた。

 

 出待ちしていたのか、誤解するような絶妙なタイミング。

 

 今日が奏の帰国日。先ほど、空港から連絡を贈ってくれたので、そろそろ到着時間する予定だったのは確か。その足元には大きなトランクがあり、今しがた到着したところだろう……。そして、このタイミングである。

 

「……いいところだったのに」

 

「抜け駆けは禁止、それが協定内容だったはずよね」

 

 だから、悪く思わないでね。

 

 なんて。帰ってきて早々、加蓮と奏が近くでバチバチと火花を飛ばし始める……。と思いきや、二人はすぐにパチンとハイタッチ。さっきの寸劇は何だったのか、軽く抱き合い、お互いの無事を喜んで。

 

「おかえり、奏!」

 

「ただいま、加蓮。はい、これお土産よ。加蓮が好きそうな、健康に悪い色をしたベーグル。本当にこれでいいの?」

 

「これがいいの! ほんとに買ってきてくれたんだ、ありがとう!! Pさん、さっそく食べよ!」

 

 そうして、加蓮は鼻歌を歌いながら、わざとらしく奥の給湯室へ向かってしまう。部屋に残ったのは、彼女の意図通り、私と奏だけ。加蓮がせっかく気を利かせてくれたのだ。ご厚意に甘えることにする。

 

 私と奏の目が、しっかりと交わされる。そこにあったのは、また一つ成長した、きらきらと輝くアイドルの姿。

 

「おかえり、奏」

 

「ただいま、プロデューサーさん」

 

 きっと旅先ではたくさんのことがあったのだろう。高垣さんに振り回されただろうし、ユニットとして、一つの姿を描くためにぶつかり合うこともあったに違いない。

 

 見ただけでそれが分かる。それくらい、帰ってきた奏は輝きが増していて。何より無事に帰ってきてくれて。私はそれが、何より嬉しかった。

 

 そうして奏は、誇らしげに伝えてくれる。

 

「ちゃんと帰ってきたわよ。貴方の期待通り、楓さんと一緒に最高の私を作り上げて。だから、もう一度言うわ、私のプロデューサーさん。

 魅了しちゃうから覚悟していてね?」

 

 その言葉に、私は強くうなずきを返す。

 

 奏が歩んだ、新しいステージ。それが見れるのは、もうすぐだ。




さて、本日15時から、ミステリアスアイズイベントが始まります。

……正直に言うと、複雑な気持ちもありました。このイベントが始まるということは、モノクロームリリィのイベントが遠のいた。そういうことでもありますから。
最近はモノクロームリリィの名前を出してくれる人も増えてきて、期待していたところも、正直あります。


でも、この話を書いているうちに、そんな小さな気持ちで、奏や加蓮のプロデュースができるのか、そんな思いになりました。


今年でなくても、来年がある。再来年がある。いつか、二人の曲やイベントが来る。その日を実現するために、落ち込んでいる暇なんて無いと。

なので……。

イベント期間中。毎日更新するから、お楽しみに!!


明日はバスの日! 久しぶりに緩く優しい話を書こうと思います


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9月20日「バスの日」

連続投稿2日目!

皆さま、イベントはお楽しみでしょうか? 筆者も時間を見つけては走り回っています。


 私見ではあるが、秋というのは四季の中で一番、旅に向いている季節だと思う。穏やかな気候に、おいしい果物、外を見れば彩り鮮やかな景色ときた。それに加えて暑さや寒さに煩わされることもない。

 

 そうだ旅をしよう。

 

 そう言いたくなるのは仕方ないではないか。

 

「それで選んだお仕事が紅葉狩りの写真撮影」

 

「しかも山奥でなんて、いかにもPさん好みね」

 

「きっと楽しいぞ、紅葉狩り! 二人にも似合う!! 秋を感じられる!!」

 

 私はテンションを上げて二人に満面な笑顔を向けた。秋らしさを前面に出した雑誌のグラビア撮影。ついでにファンクラブの人たちへの特典にも。と、考えて、私は鮮やかな紅に染まった紅葉林を撮影場所に選んだ。

 

 今は、そこへ向けての移動中。けれども、二人から帰ってくるのは、苦笑い。それはなぜかと聞いてみると。

 

「紅葉狩りは初めてだし、楽しいと思うよ?」

 

「私も経験ないから紅葉狩りには期待してるの」

 

 撮影内容や活動自体には肯定的。二人も紅葉狩りは楽しみにしてくれているのだろう。加蓮は衣装以外にも、ハイキングによさそうな靴を持ってきているし、奏もピンクの小さなデジタルカメラを、バッグにしまっている。

 

 二人にとって問題なのは。

 

「……何時までも景色が変わらないね」

 

「東京じゃないもの……。田畑と森と、澄み渡る青空。好ましい景色だけど、そうね、一時間は長いわ」

 

 加蓮と奏が同時にため息をついた。

 

 撮影は明日。場所は某県の山奥にある紅葉林。そうとなれば、移動時間だけでも大層なものだった。加えて、私たちの移動手段はバス。それもローカルの、よく揺れる、人のいないバス。

 

 撮影場所であるハイキング場までは一時間ほどの行程だったのだが、今はようやく半分過ぎたところだ。加蓮たちも最初のうちは外を見つめて楽しそうにしていたのだが、あまりにも景色が変わらないので、少し飽きが入ってきてしまったのだろう。

 

「Pさん、どうしてバスを選んだの?」

 

 加蓮が少し頬を膨らませながら尋ねてくる。確かに、電車で行けば、もう少し早くつけるのだろうが。私にだってちゃんと選んだ理由はある。

 

「だって、風情がないし」

 

「もう、このロマン男」

 

 私が肩をすくめて弁明し、奏がため息を吐いた。

 

 そうは言っても、せっかく秋を感じられる仕事なのだ。ただ単に、紅葉を見て、綺麗だね、可愛いね、では撮れる絵にも雰囲気が乗りにくい。特に奏と加蓮は過程も含めて絵を作っていくタイプだ。田舎特有の、ゆったりと流れる空気を感じた方が、きっと撮影にもいい影響が出ると思える。

 

 そう説明すると、奏も加蓮もなんだかんだと納得したようにうなずいてくれるのだが……。ゆったり空気がもたらす退屈だけは如何ともしがたい問題だった。

 

 

 

 それから五分ほど、私たちは互いに、書類を確認したり、文庫本を読んだり、携帯を弄ったり。

 

 ふと、外を見ると、窓のところに赤とんぼが並走していた。東京でも、ちらほらと見れるようになったが、涼しい、こちらの地方の方が数は多いよう。十匹ほどの編隊が空へと昇っていく。退屈なのには違いないが、こうした風情というのは良いものだ。特に、都会で生きる人間には必要だと思える。

 

 そうして外の景色へと、意識を飛ばしていた私。不意に、席の隣に重みが加わった。横を見ると、そこには加蓮が座っている。客がいないので、私たちは三人それぞれに二人席を占有していたのだが。

 

「なんで座ってるの?」

 

「暇だったし、Pさんにかまってもらおうと思って」

 

「……運転中に歩くと危ないぞ」

 

「だいじょーぶ。そんなに揺れてないし」

 

 言外に元の席に座りなさいと訴えるが、私のことはお構いなしに。加蓮はほわほわと、可愛く笑顔を咲かせている。少し機嫌は戻ったようだが、私としてはこの後の展開が怖い。そして、向かい側に座る奏はといえば、

 

「……」

 

 無言でこちらを見つめていた。

 

 とはいえ、加蓮の行動を咎める様子もなく……。

 

「奏はじゃんけんで負けたから。まずは、私が十分間、Pさんの隣ね」

 

「十分間、私はおもちゃか」

 

 預かり知らぬところで決まった運命を知った私。長いなー、と。椅子に体重をかけて天を仰いだ。退屈を募らせた加蓮が隣に座っている。場所は逃げ場がないバスの中。これから何をされるか怖くて聞けない。

 

「もー、さすがにバスの中だし、変なことはしないよ?」

 

「バスの中でなくとも、しないで欲しいんだが」

 

「……ここで満足しないと、明日、Pさんが紅葉に埋まるかもしれないね。なんだっけ、あれ、スケキヨ?」

 

 犬神家かよ! しかも、埋まっているのはスケキヨじゃないのだ、実は。加蓮が指を頬に当てながら首をかしげると、奏も向かいの席から、

 

「せっかく紅葉林なのだから、菊人形の方がいいんじゃないかしら?」

 

 なんて物騒なことを言ってくる。

 

「それ、首落ちてるやつだよね!?」

 

 犬神家の菊人形。子供のころにドラマで見て以来、トラウマである。それはさすがに冗談だとはわかっているのだが。微笑みを浮かべた奏がスケタケ、スケタケとつぶやいているのが恐ろしい。

 

「だから、そんな未来が来ないように、今だけ我慢してね♪」

 

 戦慄を顔に浮かべて、冷や汗をかく私。加蓮は少し身を寄せてきて笑う。彼女は未来を回避するために私に構えと言っているのだ。

 

 それが対等な取引ではないことはわかっている。もはや私には未来が予知できていた。

 

 どれだけここで彼女が満足しようとも、明日、私は紅葉まみれになると。

 

 ともあれ、加蓮が暇で仕方ないというのなら、私も付き合うのにやぶさかはない。ゲームでも、話でも、なんでもしようという気になるのだ。しかし、そんな簡単な話になるはずもなく。

 

「こらっ、加蓮、離れなさいって」

 

「だめ。ほらっ、さっきからガタガタ揺れて危ないから」

 

「さっき、揺れないからってこっちに来たじゃないか……」

 

 加蓮がなぜか右手に組み付いてくる。夏ではないので、熱くはないのだが、それ以前に色々と問題である。柔らかいやらなにやら。それでも全く嬉しくないのは何故だろう?

 

 そのまま私が加蓮をなんとかかんとか引き離そうとし、そのたびに加蓮がくすぐったりと邪魔をしてくる。そんなバス内の一大決戦が繰り広げていた時、不意にバスが停車した。

 

 何事かと外を見てみると、バス停があった。

 

 もちろん、市営バスなのだからバス停に止まるのも当然。だが、ここまでほとんど客は乗ってこず、ほとんど素通りしていたから失念していたのだ。

 

 ドアが開き、乗ってきたのは、どこか上品な老婦人。

 

 彼女にとっても、さえない一般男性の私はともかく、可愛いらしい二人がいることは驚きだったのだろう。物珍しそうに目を見開いて、丁寧に頭を下げてから、席へと向かおうとしていた。ただ、その足は不自由があるようで。杖をつき、どこか足取りは危なっかしい。

 

 私はそれを見て、立ち上がろうとして。 

 

「あ、私が……」

 

 通路に近い加蓮と奏が先に動いていた。二人でご婦人に手を貸し、席へ誘導していく。特に加蓮は、過去の経験からか、手慣れた様子。ご婦人はそうして、私たちの近くの席に座るのだった。

 

「ありがとうね。お嬢さんたち」

 

「ご迷惑ではなかったかしら?」

 

「全然! 嬉しいわぁ。ここ辺りは若い子は少ないのよ。それなのに、こんな素敵な子たちに会えるなんて。今日はいい日だわ」

 

 ご婦人は、朗らかな笑顔で二人にお礼を言う。二人も、少し照れくさそうな様子だが、やはり嬉しそうに頬を緩める。するとご婦人は二人が私の隣に座ったのを見て。

 

「あら、皆さん、仲がよさそうですけど……。もしかしてご家族かしら?」

 

 そんな嬉しいことを言ってくれるのだ。ただ、残念ながらそれは間違いなので、私はやんわりと否定するために口を開く。

 

「いえ、実は……」 

 

 だが、

 

「わかる? 実はそうなの!」

 

「かれん!?」

 

 加蓮がそれはそれは面白そうな顔で、いや、楽しそうな顔で私の言葉を遮った。そして、ご婦人は、加蓮の隣で顔を白黒させている私を見ても、加蓮の悪戯だと思わなかったのか、続けて。

 

「わかるわよぉ。こんなに仲が好さそうなんですもの? けれど、みんなお若いから、どういうご家族なのかしら?」

 

 なんて話を広げていく。こうなると会話は加蓮のペースだ。

 

「おばあちゃんは、どう思う?」

 

 加蓮がまだなんとか誤解を解こうとしている私を抑えながら、尋ねてしまう。ご婦人はしばらくの間、悩まし気な顔をして。一分くらい考えたのだろうか、今度は爆弾を投下した。

 

「わかったわ! そちらの落ち着いた子がお兄さんの奥さんで、あなたが妹さんでしょう? これでも、人を見る目は確かなのよぉ」

 

 ご婦人、貴方は調子よく笑っているが、大間違いである。そもそも大前提からして間違っているから、この車内は間違いだらけなのだが。ただ、私としてはその言葉を聞いた加蓮たちの反応が怖かった。

 

 ぎこちなく首を動かすと、向かいの奏は澄ました顔。だけれど、目だけは『大勝利!』と言わんばかりに爛々と輝いている。そして、隣の加蓮はといえば……。

 

「いもうと……、よりにもよって妹……」

 

 中々に大きな傷を負ってしまったようだ。前の椅子に手をかけて、崩れ落ちている。壊れたラジオのようにぶつぶつと呟きながら。その比喩が適切な姿を、この目で見る日が来るとは。

 

(だが、加蓮。すべて君の蒔いた種だぞ)

 

 そんな加蓮の様子を見たご婦人は、今度こそ何かおかしいと気が付いたようで。

 

「あら、間違えたかしら?」

 

 なんて言うのだ。今しかないと、今度こそ否定するために私は口を開こうとして。

 

「そのとお……」

 

「間違っていないですよ。あの人が私の夫です。でも、加蓮ったら、妹扱いされるのが嫌みたいで。ふふ♪」

 

「かなでぇえええええええ!!?」

 

 今度は奏が追いうちの燃料を投下した。会話が収集つかず、さらに燃えて燃えて、燃え上がる。奏に非難の目を向けると、彼女は

 

「なあに、あ、な、た?」

 

 なんて言いながら素知らぬ顔で、投げキッス。えらくコテコテの夫婦像である。そして、奏を見る加蓮の目は、暗くよどんで、アイドルのそれではなかった。スケキヨも真っ青のホラーぶり。

 

 ただ、世の中上手くいくことといかないことが交互に来るのが常。奏にもその法則は正しくあてはまるようで。先ほどから私たちを翻弄しているご婦人はまたも何かを考え付いたようだ。ぼんやりとした顔で、奏と加蓮を見比べて、口を開く。

 

「でも……、やっぱりおかしいわねえ。ご夫婦なら、隣に座るものだもの。あ、分かったわ! やっぱり、かれんさんが奥様なのね!!」

 

 ご婦人、やはり間違える。こうなってしまえば、加蓮と奏の張り合いに残されるのは泥の沼だけ。

 

「加蓮、十分たったから交代の時間じゃないかしら?」

 

「奏ったら、そんなにお兄さんの隣がいいの? だーめ、ここは奥さんの位置だから」

 

「……こうなったら」

 

「……勝負つけるしかないわね」

 

 二人して鋭い視線をぶつけ合うと、加蓮は奏へと向かっていき、何やらゲームをしながら私の隣席の争奪戦を始めるのだった。私はm少し寂しくなった隣の感覚を得ながら、疲れたため息を深々と吐く。するとご婦人は私に耳打ちしてきた。

 

「うふふ、本当に可愛らしいお嬢さんたちね」

 

「……やっぱり、最初からわかってましたね?」

 

 ずっとご婦人の二人への呼び方は『お嬢さん』だ。二人を成人女性だとは思っていない。苦笑いと共にそう言うと、ご婦人もころころと声を楽しそうに転がす。

 

「ごめんなさいね。久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらったわ。……なんだか、貴方たち見てると、若いころを思い出してねえ。私の旦那さんなんて、お兄さん、あなたにそっくりだったわ。

 本当にからかわれるのが苦手で、すぐ、そうやって面白い顔をするの」

 

 その言葉に私は肩をすくませるしかない。からかい上手も、ここまで年季が入ったら大したものだ。奏も加蓮も、ご婦人と同じくらいの年になれば、こうなるのかもしれない。

 

 けれど、さすがに年長者。ただからかうだけでなく、こんな言葉もくれた。

 

「貴方たちのご関係はわからないわ……。でも、かなでさんも、かれんさんも、貴方のことを頼りにしてるわよ。同じくらい大切に思ってる。女の子ってね、顔はお化粧で隠せるけど、目だけは嘘はつかないの。

 大事にしてあげなさいね?」

 

 その言葉に、私は微笑みながらしっかりとうなずくのだった。

 

 しばらく後に、ご婦人はバスを降りて行った。もう、おそらくは出会わない、一瞬の邂逅。けれど、いつかあのご婦人が見るテレビに、二人が出ることがあったなら。その時は逆に驚かせることができるかもしれない。そんな可能性も考えられるのは、芸の道に生きる楽しみなのかもしれない。

 

 ご婦人は最後に、奏と加蓮に、からかったことを謝って。そして、二人に綺麗な紅葉のしおりを渡していた。

 

 少し不思議な、半分に切った紅葉の葉っぱを使った、二つ一組のしおり。何となく割符を思わせるそれを、加蓮と奏に一組ずつ渡してくれて。何やら男には秘密だと、こっそりと二人に耳打ちをしていた。

 

 さて、その後直ぐに、二人がしおりの片方を渡してきたのはどういう意味があるのか。それはあるいは、数十年後に明かされるのかもしれない。ゆったりとしたバスでの出来事は、いつかの未来に楽しみをくれる、素敵な出会いだった。

 

 ああ、そうそう、未来といえば。私の未来予知は確かに当たることになる。

 

 

 

 紅葉の海でおぼれたプロデューサーというのは、世界で私ぐらいに違いない。




こうした緩い話を書くのは久しぶりですが、やはり楽しいですね。

それでは、ミステリアスアイズだけでなく、モノクロームリリィの応援もどうかよろしくお願いいたします!!


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9月21日「ファッションショーの日」

最近は色々な衣装が見れて面白いですね。

イベントでの奏の衣装が、初期SRの蒼翼チックだったのは個人的に熱いポイントです。


 9月21日、ファッションショーの日。

 

 アイドルの仕事は多岐にわたる。歌や踊りや、それらを発表するライブやドラマ。そして、その中には写真集などのヴィジュアルが求められること、もちろん多い。

 

 そうでなくても、人が他人と出会ったとき、最初に認識するのは見た目。

 

 アイドルにとって、歌よりもダンスよりも、人を引き付ける容姿を持っていることはファンを得る最初の条件ともいえるかもしれない。その容姿といっても美貌、可愛らしさ、愛嬌など色々と種類があり、化粧や服装で魅力が変わるなど、本当に奥が深いものだ。

 

 本日、事務所の主催で開催されたのは、いつもステージドレスを注文している会社や、取引のある服飾店と共同でのファッションショー。アイドル達が思い思いの服装を選んで、魅力を競い合う催し。

 

 もちろん、奏と加蓮も参加することになっている。なので、私は会場となるイベントスペースで控えていた。

 

 今、私がたつのは観客席の近く。会場の入りは満員御礼。多くのアイドルが参加するとあって、世間の注目も高く、それに合わせて装いも本場のそれに引けを取らない本格的な物を用意している。

 

 純白のランウェイに、レッドカーペットが敷かれたり。演出用の機材や仕掛けも多彩に備え付けてあったり。相変わらず、やると決めたら、とことん。うちの事務所らしい。

 

 そんなファッションショーだが、実は、少し面白い風習がある。

 

 イベントまで、プロデューサーは担当アイドルの衣装を知ることができないのだ。

 

 普段のイベントの場合、アイドルたちの意見も取り入れながらだが、プロデューサーがデザイナーと交渉しながら話を進めることが多い。けれど、このイベントでは、アイドル自身が着る衣装を選ぶことになっている。プロデューサーは内容には干渉せず、デザイナーとアイドルで衣装を作っていく。

 

(だから、毎年、驚きがいっぱいだよな……)

 

 普段はフリルたっぷりのドレスを着ているアイドルが、クールでカッコいい服を着たり。一方で、普段着ぐるみを着たり愉快な演出をする子がお姫様のような衣装を着たり。そうして会場投票で一位も決定する。

 

 ちなみに、去年の一位は一ノ瀬博士。あの男装は、中々堂に入っており、会場の度肝を抜いていた。

 

 そんなイベントなので、今日は観客だけでなく、普段一緒に仕事をしているプロデューサーの目も明かしてやろうと、気合を入れているアイドルも多い。

 

 なので、私も加蓮たちには直接会わず、電話で確認を済ませて、本番を迎えたることになった。さて、二人はどんな衣装を選んだのだろうか。

 

 

 

 灯りが落ちて、ショーの幕が上がる。華々しいアイドルの行進、その栄えある第一陣は、

 

「みんなー! になと一緒に踊るですよー!!」

 

 元気な声が、広い会場中に響き渡る。BGMは遊園地のような、陽気で明るいもの。

 

 妖精がモチーフだろうか? 羽が付き、可愛らしいフリルを着た市原さんがステージから飛び出て、踊りながら行進を始める。そうした奇抜さは、ウチの事務所らしいし、会場もほんわかした雰囲気に包まれていった。

 

 だが、続いて出てくるアイドルは会場を混乱の中に叩き落す……。

 

「私もになちゃんと一緒に踊りますよ♪」

 

 高垣さんだった。

 

 高垣さんがいた。

 

 同じような着ぐるみを着た高垣楓が飛び出してきた。

 

「うっそだろ?」

 

 思わず声が漏れてしまうが、それは会場の総意だったと信じたい。

 

 市原さんと合流した高垣さんは、一緒に手をつないでダンスを踊りながら、時には少し歌ったり、ステップを踏んだり。見惚れるほどのパフォーマンスと身に着けた着ぐるみが変な相乗効果をもたらして、なんと反応したらよいのかわからなくなる。

 

 なので会場にいる人々は口をあんぐりとさせながら、彼女らの奇妙な行進を見守るしかなかった。

 

 いや、世間で言われるイメージの割に、高垣さんの実態はあれなのだが。市原さんと踊る高垣さんは、それはそれで似合っているというか、和むのも確かなんだが!

 

 そして、気になるのは高垣さんの担当P、先輩がどんな反応をしているのか。

 

 ゆっくりと後ろを見てみると、彼は『あいつ、やりやがった!』と言わんばかりに無言で笑い転げている。相変わらず懐が広いというか、図太いというか。

 

 市原さんと愉快なお姉さんたちの行進は、顔を真っ赤にした着ぐるみの二ノ宮さんが出てきたところで、綺麗にオチがついたのだった。

 

 波乱から始まった今回のショー。まだまだアイドルの行進は始まったばかり。

 

 ぴにゃこら太をイメージした緑の衣装で出てきた綾瀬さんに、どんな手品を使ったのか金色の発光体と一緒に歩いていく一ノ瀬博士。フレデリカさんはなんとウェディングドレスだ。

 

 皆が思い思いの恰好でパフォーマンスを繰り広げるが、心なし、皆、かなり挑戦的な衣装を選んでいる。普段のイメージを壊すような。……挑戦しすぎなような気もするが、それくらいがちょうどいいのだろう。

 

 普段は見せないアイドルの素顔や意外さ、あるいは奇抜さというものは、やはり観客にも好評のようで。パフォーマンスにつられて、時に笑ったり、感嘆の声を上げたりと反応は上々である。

 

 そうして楽しく、華やかな時間が過ぎていくと、私も、奏や加蓮がどんな衣装を選んだのかと気になりだして……。

 

 そして……。

 

「「おぉ……!」」

 

 現れたアイドルに、会場のどよめきが大きくなる。特に若い女性が、くぎ付けだ。数多の視線の先にいるのは、白い礼装に身を包んで、腰には剣を靡かせた麗人の姿。

 

「こうきたか……!」

 

 私は思わず手を打って天を仰いでしまう。

 

 それは加蓮だった。

 

 いつもはフリルがついた女性的な衣装が多い加蓮。ダンスが主体のステージの時は、活発な格好をすることもあるのだが、それでも女性的イメージを外れたものは、めったにない。

 

 けれど、今、加蓮が身に纏う衣装は、はっきりとモチーフが『王子』だと分かるもの。おそらく、神谷さんのステージ衣装をイメージしたのだろうか。表情や歩き方も凛々しい王子のそれだった。

 

 そして、王子にエスコートされるのは……。

 

 もう一人のアイドルが登場すると、またも会場のどよめきが大きくなる。今度は男性が多い。

 

 白いフリルに、小さなティアラ。歩く姿はしとやかなソレで。

 

 速水奏は、可憐な姫となっていた。絵本にでてくる姫が、そのまま現実に現れたような。

 

 姫と王子。それは物語のモチーフとして広く知られてもので、楽曲やステージ演出でも使われるものが多い。ありふれていつつも、いつの時代も人々を魅了してやまないキャラクター。

 

 だからこそ、それを演じ切るというのは難しい。誰もが皆、理想の王子や姫を心の中に住まわせているからだ。普段、二人が演じるのは逆のタイプなので、なおさらだ。

 

 きっと、彼女たちはあえて、それをモチーフに選んだのだろう。そして、その果敢な挑戦でもって会場を虜にしてみせた。

 

『まだまだ可能性があることを魅せてあげる』

 

 二人は、見るもの全てに告げているようで。私も、彼女たちの可能性を広げるために、一層の力を入れないといけない。そう思わされるステージだった。

 

 

 

 さて、二人のステージが終わり、少しの空き時間。今、会場では観客による投票が行われており、一位が発表されることになる。このタイミングとなると、それぞれのプロデューサーはアイドルを労いに控室に向かったり……。

 

「ほーらー、待て待てー!!」

 

「ぅおおおおおおお!?」

 

 ……ひとまず、光る球を使って、担当プロデューサーを追い回している一ノ瀬博士は見なかったことにする。

 

 さて、そのように慌ただしいバックヤードを通って、私は二人の控室へ向かう。ドアをノックをして返事を待ってから、扉を開ける。

 

「お疲れ様!」

 

 そうして部屋へ一歩踏み込むと、

 

「……」

 

 奏が目を閉じて立っていて、私は途端に身体を硬直させた。

 

 まだ衣装はあの時のお姫様のまま。加蓮はといえば、私が開けたドアの影でこちらを見守っている。さぞ楽しそうな顔をしているのが気配だけで伝わってくるのだ。

 

 私は微妙な顔をしたまま、奏を見つめて、

 

「ダメ」

 

「……つれないわね。せっかくのあつらえ向きの衣装なのに」

 

 奏は肩をすくめながら目を開けた。

 

「この控室は王子様の城でも、森の花畑でもないからね」

 

 ついでに、私はどちらかといえば魔法使いなので、役目に適当なのは加蓮だ。そんなことを言うと、奏は少し面白そうに目を光らせて。

 

「それもそうね……。加蓮、どうかしら?」

 

 なんて標的を変えて、加蓮へウィンク。しかし、加蓮も慣れたもので、ひらひらと手を振ると、

 

「パス! 今日の私は男装したお姫様の設定なの。だから、私も王子様に目を覚まさせてもらう方」

 

「じゃあ、この場には王子様がいないということで、御開きにしよう」

 

 私はそう言って事態を収拾しようとする。けれど、奏は悪い笑顔を浮かべて、こんなことを言うのだ。

 

「そうね、ここにいるのは二人のお姫様と、乙女をたぶらかす悪い魔法使い。……映画だと、魔法使いは倒される方じゃないかしら?」

 

 悪い魔法使いとは人聞きが悪い。むしろ、こうして翻弄されるなんて間抜けな魔法使いではないか。私としては物理的に戦える魔法使いが理想的なのだが。

 

「それも面白そうだけど……。残念、まだ出番が残っているし、魔法使い退治は全部が終わった後かな?」

 

「ふふ、後が楽しみね、Pさん」

 

 私は後が怖いです。

 

 ともあれ、二人は元気そうで、この後の出番の準備も出来ているようだ。そして、身近で見ると、改めてだが……。

 

「どう? 一味違った私たち、目に焼き付けてくれたかしら?」

 

「カッコいい衣装も似合ってるでしょ? 今度はこういうステージを用意してくれてもいいんだよ?」

 

 本当に、ほれぼれするほど似合っていて、少し恥ずかしくなってしまうくらい。

 

「ああ、近いうちに用意させてもらうよ。……ありがとう、二人の魅力、また教えてもらったよ」

 

 長く一緒に仕事を行っていると、知らず知らずにイメージを固定してしまうことがある。そうならないように、意識しているつもりだが、今、私はこうして二人の魅力に驚かされている。気づかないうちに、考えが凝り固まっていた部分もあるようだ。

 

 そんな私に、奏も加蓮が新鮮な驚きと発見をたくさんくれるのは、とてもありがたく思えることで。この職業が一人では成り立たないという、当たり前のことを強く思い出させてくれる。

 

「純粋無垢で可憐な姿も、輝きながら演じられる。これも、一つの成長ね」

 

「私だって綺麗でかわいいだけじゃない、主人公を目指すんだから」

 

 笑顔と宣言をバックヤードに残して。私に大切なことを教えてくれた二人は、素敵なアイドルとして、素敵な舞踏会へと戻っていくのだった。

 

 

 

 ちなみに、今年の最優秀賞は上田鈴帆師匠であった。

 

 『ギャラクシースズホ』はズルいよ、ほんと。




イベント、走るの大変だ……


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9月22日「カーフリーデー」

奏、お酒はどのくらい強いのでしょうね?

実は弱かったりしたら可愛いと思いますが、強くてもカッコよくて好さそうです。


 私事ではあるが、実は私は車を持っていない。運転免許自体は取得しているのだが、使うとしても、もっぱら社用車だ。この東京という大都会、駐車場を探すのも一苦労。いたるところに鉄道網が張り巡らされており、駅の配置は細かすぎるくらい。 

 

 東京に住んでいる限り、車を積極的に使わなければいけない場面というのは、実は少ない。

 

 そして、私が車で出勤しないことには別のメリットもある。大人になると、絶対に車に乗ってはいけない日もあるのだ。例えば、こんな大人らしい食事時など。

 

「それじゃあ、二人の仕事の成功を祝して、乾杯!」

 

「「乾杯!」」

 

 僭越ながら、私が音頭をとらせてもらった。三つのグラスが涼やかな音を響かせて、無礼講の合図を知らせてくれる。時間はちょうど夕食時、私と奏がいるのは少しこじゃれたレストラン。

 

 そして、今日、テーブルを囲むのは私たちだけでなく、

 

「うふふ、美味しいですね。さすが海を渡ってきたお酒」

 

 おいseaと言いたいのだろうが、あえて反応しない。見てるだけ。

 

「そんなにしーっと見られると、照れちゃいますよ?」

 

 seeだけに。

 

「今日も絶好調ですね、高垣さん」

 

 少し面白かったので、苦笑いしながら私は両手をあげた。そうして降参を彼女に示す。私たち二人の目の前で、高垣楓さんが上機嫌にワイングラスを傾けていた。

 

「ええ、もちろん。今日は奏ちゃんも一緒ですし、プロデューサーさんとは初めてのお食事ですから♪」

 

 確かに、知り合ってから長いが、高垣さんと食事をするのは初めてだった気がする。パーティー会場などではご一緒することもあるが、あれは厳密な食事とは言いづらいものがあるから。高垣さんも楽しみにしてくださっていたら、恐縮だ。

 

 少し照れ隠しを含めて、ワインを口に含んでみる。うん、口触りも良くて飲みやすい。私は渋い味は少し苦手なのだが、注文通り、楽しく飲めるお酒だった。

 

 今日は奏と楓さんの仕事が、無事に終了したことを祝して、ささやかな打ち上げを開いていた。

 

 今回の仕事を期に始動した二人のユニットもいくつか仕事が決まってきているし、一つ、プロデューサーである私も高垣さんとお話をしておきたかったところ。そんなときに、奏の方からディナーのお誘いがあった。高垣さんとの予定が入っているので、私もどうかと、言ってくれたのだ。

 

 ところで、私としては珍しいことに今日はほどほどに飲酒を解禁している。

 

 高垣さんが一緒なのが理由としては大きい。自分一人だけが酒を飲んでいる場面というのは、中々に居心地が悪くなってしまうものだし、私も、せっかくだから美味しい酒を飲んでみたかった。

 

 そんな私が一口目のワインを楽しんで、グラスをテーブルに置くと、奏がこちらを見ていた。興味深そうな瞳。

 

「貴方がお酒を飲んでいるところ、初めて見るわね……」

 

 奏がぽつりと零したのは、そんな少しの驚きを満たした言葉だった。そういえば、彼女たちの前で酒を飲むのは初めてだったか。なんて、それを聞いて思い出したり。

 

「打ち上げやパーティの会場で、貴方、頑なに飲んでなかったじゃない? てっきり、飲めないか、弱いとばかり思っていたの」

 

 よく見てるな。なんて、改めて奏の観察力に感心する。けれども、それが分かっているのなら、あの約束はどう思ってか。

 

「……そう思ってた割に、将来の酒の約束はしたよね?」

 

 奏の酒が解禁になったら真っ先に飲もうという約束をしたのは、随分と前のことだ。

 

「ええ。もしそうなら、うん、色々と期待できると思ったから……」

 

「何する気だったの!?

 ……そりゃ、打ち上げって言っても、ああいうところは仕事だし。私は何かあったらすぐ動けるようにしてないと。それに……」

 

「それに?」

 

「いや、なんでもない」

 

 間違っても、君たちから酒臭いなんて思われたくない、なんて少しの見栄っ張りもあるのだ。ただ、それを言葉にするのは気恥ずかしいので口ごもると、奏は何だか、可愛らしいものを見るような目を向けてくる。

 

「ふふ、それなら私からは聞かないであげる。あえてね」

 

「……ほんとに心読んでない?」

 

「読む必要は、感じないわ♪」

 

 わかりやすいもの

 

 なんて、楽しそうにジュースを飲む奏に、私は参ったと肩をすくめるのだ。そして、そんな私たちを見ながら、高垣さんはニコニコと楽しそうに笑顔を浮かべていた。

 

「本当に、奏ちゃんの言っていた通りなんですね、プロデューサーさんは」

 

 どうやら、フランスでの生活中、色々と私のことも話題にされてしまったようだ。私の存在が、二人の話のネタになったというのは嬉しい事なのだが、奏がなんと私を言っていたかは気になるところ。色々と愉快なことが伝えられていないかと、恐る恐る尋ねてみる。

 

「……ちなみに、奏はなんて?」

 

「えーっと、『からかいやすい』ですとか、『分かりやすい』。あ、それに『驚く顔がかわいい』というのもありましたね」

 

 予想通りであったが、やはりそういうことか。それが事実なのだろうから、文句のつけようもないのだけれど、もう少しオブラートが欲しい。

 

「あら、誉め言葉よ。それも、とびきりのね」

 

「うーん、そう思っておくよ。でも、高垣さんにってことは、先輩にも伝わってるな」

 

 密やかにライバル視している先輩にまで私の惨状が伝わってるとなると、少し由々しき事態ではある。とは言っても、普段の事務所での様子で社員の皆には周知の事実だろうが。

 

 私が頬を掻いていると、高垣さんはにっこりと笑って、うれしい言葉を贈ってくれる。

 

「でも、あの人もプロデューサーさんのことを褒めてましたよ? 貴方たちは本当に楽しそうにお仕事してるって。それに、加蓮ちゃんも奏ちゃんも、会うたびに魅力的になっているって。私も、もちろん、そう思います」

 

「……奏と加蓮のおかげです」

 

 あー、もう、不意打ちでそういうこと言われると弱いんだ。

 

 私は目じりに力を込めて、色々崩れないように踏ん張る。さすがに奏の前でそういう場面は見せたくない。なんて、珍妙な顔をしていたら、奏が嬉しそうにしながら、けれども少し私の袖を引いて呟くのだ。

 

「それは謙遜が過ぎるわよ? ここは素直に三人のおかげだって言ってくれた方が、嬉しいわ」

 

「……三人でやってきたおかげです」

 

「ええ、わかります♪」

 

 全く、女性たちには敵わない。そして、楓さんも加えて、なんだか奏が二人いる気になってくる。そのおかげだろうか、高垣さんへ緊張感を抱いていない私がいるのも確かなのだ。きっと、私にとって奏との距離感は心地がいいものなのだろう。

 

 そうして、私たちの素敵なディナーは、終始朗らかな笑顔と楽しみに満ちたものになった。特に、奏のフランス奮闘記など、大いに楽しませてもらった。

 

 

 

 奏もいるので、ディナーの時間は少しだけ早めにお開きとなった。すでに時刻は八時半ほど。とはいっても、あの出発前夜と比べれば許容範囲で、少しのんびりできる時間。

 

 私たちはレストランを出て、駅への道をゆっくりと歩いていた。

 

「……高垣さん、すごかったな」

 

 私は大きくため息を吐く。多くの場合、すごいという言葉を高垣さんへ向ける時は、綺麗だとか、素敵だとか、そういう感嘆を内包してのすごい。けれど、今夜のソレはだいぶ意味あいが違って。

 

「貴方が一緒だったからかしら? いつもよりご機嫌で、ペースも早かったわね」

 

 奏もうなずき、微笑んだ。

 

 何かと言われれば、高垣さんのお酒の量だ。結局、二時間ほどのディナーの間、グラスは流れるように空いていき、最後の方はボーイさんの笑顔も引きつっていた。先輩が迎えに来た時には、彼の背中に伸びたカエルのようにへばりついていたほど。

 

 噂には聞いていたし、実際の現場をいくらか見聞きしたこともあるが、彼女の親しみやすさを実感する。ついでに、先輩との仲の良さも。

 

 そして、そんな高垣さんが上機嫌に話していた、彼女との共同生活を送った奏の苦労も、推し量れた。

 

「フランスにいた間も、大変だっただろ?」

 

 奏、なんだかんだと世話焼きだから。

 

 尋ねると、奏はしみじみと実感するように、少しうつむき、息を吐く。

 

「こんなものじゃなかったわよ? 楓さんに甘えられたら、手に負えないくらいだったもの。……それでも、飲んでいる様子も可愛らしいのだから、困ったものだわ」

 

「確かにね。……楽しかったな」

 

 ぽわぽわと笑顔を浮かべながらグラスを仰いでいる高垣さんは可愛らしく、見ているだけで楽しいくらいだ。これを止めようという気にはなれない。

 

 久しぶりの飲酒であったが、本当に楽しく飲ませてもらった。他の成人アイドルや、プロデューサーたちが高垣さんとの飲み会を心待ちにしているというの頷ける。

 

 そうやって私がからからと笑うと、横を歩いていた奏から視線が送られているのに気づく。彼女は、何やら思案顔でじっと私の顔を見ていた。なんだか、少し心あらずというか。

 

「……」

 

「……奏?」

 

「いいえ、仕方がないことを考えていたのよ。人は微かな仕草から幻想を生み出すもの。……ほんの少しの違いなのにね」

 

 彼女の呟いた言葉が込める意味を、私は受け止めることができなかった。

 

 それで構わないと言うように、彼女は一歩を大股で飛んでみる。さらりとした髪が、風に揺れた。どこか幻想的に見えるのは、私が酔っているからだろうか。奏は一歩先から振り向くと、

 

「ねえ、お酒を飲むのって楽しい?」

 

 そう尋ねてくる。誤解でなければ、少し、羨ましそうな。けれども、少し意味合いは違うような。

 

 私は考える。酒、お酒。私にとって、それはあまり重要でない気がするのだ。飲み会となればお酒を飲まずにはいられない。そういう楽しみ方もあるだろうが、私はそう思ったことが一度もなくて。むしろ、

 

「気が許せる人と飲めたなら、それは楽しいと思うよ」

 

「……そう」

 

 気のない返事。

 

 私はきっと、一人では、あまり楽しめない性質なのだ。誰かと一緒に楽しく過ごせる時間、お酒はその少しのアクセントとして存在してくれればいい。だから、誰か、親しい人と飲めれば、それが幸せなのだ。

 

 なので、

 

「だから、奏と飲める日が来るのは、楽しみだな」

 

 そんなことを言うと、奏はこめかみを押さえて、悩み深げにため息を吐いていく。

 

「……はぁ、時々、貴方が分からなくなるわ。鈍感を通り越して、鋭すぎるときもあって。ねえ、からかわれているのは、演技だったり……。いえ、そんなことはないわね、絶対に」

 

「そこまで器用なわけないだろうに」

 

 それを言ったら、奏の方がよっぽどだ。長い付き合いでも、まだまだ謎だらけ。いつだって知りたいという魅力が尽きない。そんな風に、お互いに気づけることが多いというのは、良いことだろう。

 

「……そういえば、私、気づいたことがあるの。今日はプロデューサーさん、あれでも抑えていたでしょう? お酒」

 

 いつもの調子に戻ったのか、悪戯な笑みを浮かべた奏が尋ねてくる。その眼は殆ど確信していると、嘘が付けない鋭いそれで。

 

「うっ、ばれてた?」

 

「楓さんがいたから遠慮していた、というのが本当のところかしら?」

 

 何となく、食事の時に奏から視線を感じていたのだが、やはりばっちりと観察されてしまっていたようだ。私は少しだけ恥ずかしくて髪を撫でてしまう。

 

「さすがに、私が酔い潰れるわけにはいかないからね。実は、もう少しは飲めたり……」

 

 それを正直に告げると、奏は口を押さえながらころころと笑う。なんだか、将来に面白いアイデアを見つけたような、そんな笑顔。

 

「……それじゃあ、私との未来では、遠慮しないで飲んでもらおうかしら? 貴方の可愛らしいところ、たくさん見れるでしょうから」

 

「酔っぱらった私なんて、ただ面倒なだけだと思うぞ?」

 

「それも貴方だもの。それに、安心して? 楓さんのおかげで人のお世話は得意になったから。Pさん一人くらい、ちゃんと介抱してあげるわよ」

 

 そうして奏は楽しそうにウィンクをよこしてくれる。

 

 私は想像する。

 

 いつか、もう少し大人になって、さらに魅力を増した奏とおしゃれなバーでグラスを傾けるのだ。その時は今よりもっと遠慮なく、めいっぱい二人の時間を楽しんで。

 

 その後、酔いつぶれた私を面白そうに弄りまくる奏まで想像して、吹き出してしまう。

 

「あら、遠い景色でも見えたのかしら?」

 

「そして、その時が楽しみだと思ってさ」

 

 けれど今は、目の前にいる奏との時間。精一杯、今が素敵な時間となれるよう、二人の普通で特別な時間を、私は楽しむのだった。



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9月23日「万年筆の日」

イベントも四日目迎えると、厳しいですね。

みなさん、頑張って!


 アイドル事務所の日々の業務といえば、多くの人は華やかな姿を想像するかもしれないが、実際には一般的な事務仕事の方が多いくらい。アイドル達がレッスンに勤しんでいる間、プロデューサーは各種の書類や資料を作ることがほとんどだ。

 

 プロデューサーという名前の一会社員。私も、例にもれず書類仕事の真っ最中。

 

 しかも、手書きで回答しなければいけない書類がたまっていたので、パソコンはわきに置いて、机の中からペンを取り出して。

 

 良く手になじんだ、黒のボールペン。書き心地が好きで、随分と前から同じものを使用している。それを使って、さらさらとサインをしたり、書き込んだりしていると、なんだか気分がよくなってきた。比喩でなく、魔法を書いているような。

 

 白紙の紙に綺麗に文字を書けたときなんて、不思議な達成感を感じる。

 

「フンフンフフーン プロデリカー」

 

 私は書類を捌きながら、その上機嫌に体をゆだねて鼻歌をかすかに歌っていた。

 

 そうしていると奏と加蓮が部屋へと戻ってくる。今日もレッスンは無事に終わったようで。少し疲れているが、まだまだ元気な若者の空気が部屋にやってきた。

 

 帰ってきた二人へ、私は陽気に声をかける。まだまだ文字の魔法は解けていない。

 

「二人とも、お疲れ!」

 

「……おつかれさまー。もうヘトヘトだよ。……でも、なんだかPさんは元気だね?」

 

「私たちがいない間に、こっそりお楽しみ? 隠れてパフェでも食べに行ったのかしら?」

 

 なんて奏が探り探りという視線で尋ねてくる。確かに、甘いものでも食べてきたら、これくらい上機嫌になるだろうが。今日はそうではない。

 

「そういうわけでも無いけど、何となく気分が良くてね」

 

 私はひらひらと手を振りながら答える。すると、奏はデスクの近くまで歩いてきて、私の手元をじっと見て。そうして、何かに気づいたように、眼を弧にして耳元でささやいてくるのだ。

 

「……もしかして、字がきれいにかけたから、上機嫌だったの?」

 

 なぜバレた。

 

「あ、図星の顔。奏、よくわかったね」

 

「文字には書いている人の気持ちが出るのよ? 今のPさんの文字は、だんだんと昇り調子で筆がのっているから。きっと書いていて楽しくなったのね」

 

「……正解」

 

 素直に答えると二人は口を押えて面白そうに笑ってしまう。一方、何だか子供っぽいところを見られてしまった私は、顔が熱くなってきて。それをごまかそうと下手な口笛を吹いてみたり。

 

「別に隠さなくていいのに。楽しくお仕事ができたんだから、よかった、よかった」

 

「くそぅ、子ども扱いして……」

 

 加蓮なんて頭をぽんぽんと叩いてくる。ええい! 機嫌がよくなったんだから仕方ないだろ!?

 

「ごめんごめん。私だって気持ちはわかるよ? ほんとに。手帳を綺麗に書けたり、ネイルの細かいところが上手くいったら嬉しくなるし」

 

「ええ、それに私たちのために仕事してくれているのだから、堂々としていればいいのよ」

 

 そうはいっても、ちょっと面白そうな顔しているのは何故だろうか。

 

 私は何とも微妙な気持ちを書類に叩きつけるべく仕事に戻る。先ほどと同じように、ペンですらすらと文字を書いて……。ただ、二人はなぜか、私の手元を見たまま。まだ何か気になることでもあるのだろうか?

 

 尋ねてみると、

 

「ううん。Pさんの文字をまじまじと見るのって、初めてだなって思って」

 

 加蓮が先ほどとは違う、面白そうな顔で言う。私の書く文字に、何か楽しいことがあるのだろうか?

 

「ほら、文字って人によって雰囲気が違うでしょ? 凛の文字は凛としたカッコいい文字だし、奈緒のは奈緒って感じの、ちょっと力入った文字だし。それでPさんの見ると……」

 

「やっぱり男の人の字をしているから、興味深いのよ。私たちの字とは全然違うわ」

 

 そういうと、奏がペンを催促してくる。渡してみると彼女は捨てる予定のコピー紙を取り出し、その余白に文字を書いて、私に見せてくれた。

 

「ほら、見比べても違いは一目でしょう?」

 

 それを見て、私は頷きを返す。

 

 彼女が書いたのは、私が書類に書いたものと全く同じ文章。だが、奏の文字は細く、それでいて女性らしさを残した文字だ。私の角ばったそれとは全く違っている。

 

「じゃあ、私も!」

 

 同じように加蓮も文字を書き記していく。今度は丸く、可愛らしい文字だ。二人とも、何となく性格が伺い知れるような、個性的な文字。

 

 最後に、僭越ながら、私ももう一度文字を書いて。三人の文字が縦に並んだ。人によって文字が違うのは当たり前かもしれないが、こうして見てみると、中々に興味深い。何だか文字が個性をもって踊っているようだ。

 

 けれど、可愛らしくしなやかな文字に挟まれた私の字は、二人に翻弄されながら、ぎこちないダンスを踊っているようで。

 

「字も私みたいになってる……」

 

「? 何を想像したの?」

 

 いや、何でもない。ちょっとだけ自分の想像で落ち込んだだけだから。

 

 そういえば、二人と一緒にいれば、サインや予定表などで文字も見ることは多いのだが、こうしてマジマジと観察するのは初めてだった。確かに二人が言うように、文字の特徴というのは興味深く思える。

 

 私がそんなことを考えながら、ふむふむと頷いていると、加蓮が何か面白いことを考えたように目を輝かせた。

 

「ねえねえ、Pさん! 名前書いてくれない?」

 

「名前って?」

 

「えっと、とりあえずは私たちの名前!」

 

 とりあえずというのはどういう意味か。私が疑問を浮かべると、加蓮は私の腕をつかみながら催促。ともあれ、彼女がどうしても欲しいというのなら、単なる文字だ。そんなに出し惜しみするものではない。

 

 私は加蓮の言う通り、二人の名前を書いてみる。すると、二人はまたも面白そうな顔で文字を見て、

 

「Pさんの文字で書かれた名前って、今まで考えたことなかったけど、改めて見たら、なんだか面白いね。書いてもらったのは思い付きだけど、うん」

 

「Pさんも律儀ね。簡単に書いてもいいのに、丁寧に書いてくれてるわ」

 

 そう言って褒めてくれたり、喜んでくれるのは、嬉しいこと。私の平凡な字が二人の楽しみになってくれるなら、望外の喜びだ。さて、そこまでは良かったのだけど、

 

「じゃあ、次にPさんの名前書いて?」

 

「? いいよ」

 

 すらすらとペンを動かして……。

 

 私の平凡な名前が白紙に書かれる。うむ、普通の名前だ。書いたそれを見せる。

 

「もう一個、同じの!」

 

 なんて加蓮は要求。それに従って、普通の名前がもう一つ増える。さて、私の名前なんかを手に入れて、加蓮は何がしたいのだろうか? すると、書き上げるなり、加蓮はその紙をひったくって、私の手の届かないところへ持って行ってしまう。

 

 その顔には隠しきれない悪戯心が浮かんでいた。

 

 あの顔は怖い。

 

「ありがとうPさん! それじゃあ、なにもしないから、持っていくね!」

 

「ちょっと待って!? そんなの、何かするに決まってるじゃないか!?」

 

 いまさらながら、何かをしようとしていることに気が付いた私は、椅子から立ち上がり悲鳴を上げる。しかし、一度決めた彼女を止められるはずもなく、加蓮は部屋を飛び出していった。

 

「……一体、どこへ行く気だ」

 

 私が呆然として呟くと、奏は微笑みながら、

 

「多分だけど、晶葉の所じゃないかしら?」

 

「……なんで?」

 

「ふふ、そこは貴方が考えなくちゃ。けれど、うん、とっても可愛らしいアイデアだと思うわよ?」

 

 そう言うと、今度は奏が上機嫌。楽しそうに鼻歌なんて歌ってる。と、そこで加蓮がバンと扉を開けて。

 

「奏も、ほら、行かなきゃ!」

 

 なんて奏も呼び出し。

 

「……お呼びのようだから、私も行ってくるわね。安心して、少しはブレーキ役もしてあげるから♪」

 

「……お願いします」

 

 奏は私の哀願に頷きつつも、最後にニヤリと怪しい微笑み。私に不安だけを残して部屋を飛び出していった二人。

 

 結局、彼女たちが何を企んでいたのか、私は分からないままであった。

 

 その後、何人かのアイドルから、からかい声で「おめでとー」なんて言われたのは関係があるのだろうか。城ケ崎さんだけは顔が真っ赤だったし。

 

 少し未来のことをつゆ知らない私は、ため息をつきつつ、静かになったオフィスにて書類へと再び手を伸ばす。気を取り直してお仕事再開、と思いきや。

 

「……やばい」

 

 書き損じ。

 

 ペンで書いた文字は書き直せない。そんな単純なことを覚えているべきだったのだろう、私は。



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9月24日「清掃の日」

さあ、イベントも折り返しです!

左の親指が痛くなってきましたが、まだまだ頑張ります!!


「よーし、運ぶぞ……。一、二、三!」

 

 腰に力を入れて、掛け声とともに持ち上げる。途端に腕にのしかかる、したたかな重み。普段は重いものを持つことが少ないので、腰も悲鳴を上げていた。

 

 本棚はさすがに大きいだけあって、持つのは少し大変で、ゆっくりとしか動かすことができない。それでも、二人の綺麗な声にサポートを受けながら、部屋の外へと持ち出し、廊下へと置いた。

 

 腕が重みから解放されると、途端に吹き出すのは汗。

 

「ふぅ……」

 

 大きく息を吐き、呼吸を整え、首にかけたタオルで汗を拭きとった。空調が聞いているはずなのに、妙に体が熱い。比べるのはあまりにも失礼だが、これよりも激しいレッスンを繰り返し、そして笑顔を咲かせているアイドル達への尊敬の気持ちが沸き立ってきた。

 

 あとで甘いものを奢ってあげよう。なんて考えが頭をよぎる。ただ、あまり休む時間もないので、すぐさま部屋へと戻らなくてはいけない。まだまだ、やるべきことはたくさんあるのだ。

 

 最後に大きく、上を向きながら息を吐き。オフィスの扉を開けると、全開の窓から、涼しい秋風が流れていて、汗を乾かしながら、体を冷ましてくれる。その部屋で待っているのは、

 

「お疲れさま、プロデューサーさん。でも、まだ一つ目よ? もう応援が必要かしら?」

 

 奏がそんな労りの言葉を送ってくれる。以前にチアガールの仕事も行ったから、そのテクニックで応援してくれるのなら、さぞ元気が出るだろう。だが、まだまだ甘えるわけにはいかない。

 

「まだ大丈夫だよ、ありがとう」

 

「そう、それならいいのだけれど。私たちと違っていきなりの運動だし、無理したらダメだから」

 

 微笑む奏に頷きを返す。彼女は今、三角頭巾にマスク、ジャージにエプロンという格好で埃を落としていた。何とも家庭的な格好で、新鮮な感じ。そして、同じ格好の加蓮も掃除機をかけながら、埃だらけだった本棚の裏を綺麗にしてくれていた。

 

「うん、きれいになった!」

 

 と、達成感溢れる笑顔。どれどれと覗いてみると、加蓮が言う通り、そこにはもう埃一つなく、部屋をいただいた時と同じような光る床が見えていた。

 

「ほんとに綺麗になったなあ」

 

「ふふん、私もやるものでしょ? 少しは家庭的なところもアピールしていかないと!」

 

 誰にアピールするつもりだ、誰に。なんて、私は苦笑い。しかし、加蓮の言葉通り、二人が手伝ってくれるおかげで、みるみる部屋がきれいになっていく。そんな姿を見ると、プロデューサーである私が力を入れないわけにはいかない。

 

「うぉおおお! パワー!!」

 

 景気のいい掛け声とともに共用机を持ち上げる私。さぞ私はパワフルに見えているはずだ、なんてロマンに酔っぱらった頭が考えるけれども、

 

「うーん、それはセンスがないかなー」

 

「もう少し重いものじゃないと、画にはならないわね」

 

 二人からの評価は散々なもので、私はあえなく肩を落とすのだった。

 

 

 

 9月24日、清掃の日。その記念日にあやかって、今日は事務所を挙げての大掃除が行われていた。

 

 夏の繁忙期が終わったので、寒くならないうちに埃を落としておこうと、毎年恒例のイベント。もちろん、共用施設は、プロにお任せするのだがオフィスくらいは自分たちで掃除をしようと、各プロデューサーがそれぞれのやり方で掃除を行っていた。

 

 まず事前に五十嵐さんによる猛烈お掃除レッスン。座学から実地までの5ステップをマスターしたプロデューサーたち。準備は万端。

 

 そんな日なので、元々奏と加蓮は休みとなっていた。けれども、二人は去年と同じく、掃除を手伝うと申し出てくれた。事務所全体でも、仕事が入ってしまっていた子は除いた、全員が参加してくれていて……。改めて事務所の子たちは皆、いい子だと思わされる。それに応えるために仕事を頑張らないといけないとも。

 

「よしっ、次……」

 

 その気合に任せて、私は次にロッカーを持ち上げた。私が普段、スーツの替えなどを入れていたソレ。持ち上げると結構重い。

 

 二人が心配そうに私を見てくれるが、大丈夫と顔で返事をして、廊下へと運び出す。

 

 さすがに二人に重いものを持たせたり、怪我をさせるわけにはいかないので、奏と加蓮の仕事は、埃落としと掃除機がけ。私が主に家具の搬出をしなくてはいけないので、そういう掃除仕事をしてくれると、とても助かる。

 

 廊下にロッカーをゆっくりと置く。すると、各階から物を動かす大きな音が聞こえてきた。同僚たちが働いているのだろう。ただ、その中にはこんな声が混じっていたり。

 

『こら待て助手! それを動かすと!! ほら見たことか!?』

 

 上層から池袋博士の叫び声が聞こえてきたり。ついで爆発音。

 

『うぉおおおお!! ボンバー!!』

 

 なんて日野さんの叫び声と、ドスンという大きな音。

 

『お掃除中のみんなー、差し入れだよー』

 

『元気になるおくすり、無料配布チュウー!!』

 

 私たちの部屋にも不吉な配達人が迫っているようだ。

 

「城ケ崎さん、これくらいでしたら、私だけで運べるのですが……」

 

「い、いいから、いいから! 二人の方が効率良いし!!」

 

 なんて、隣の部屋から同期と顔を赤くした城ケ崎さんが一緒にテーブルを運び出していたり。お隣も大変だな、なんて。主に城ケ崎さんが。

 

「あら、どうしたの? 心ここにあらずって様子だけど?」

 

「いや、かくも賑やかな我が事務所かな……ってね」

 

「? ……そんなの、わかりきったことじゃない?」

 

「……そうだね」

 

 本当に、賑やかな事務所だなと感慨に浸りながら、私も掃除へと戻っていく。よし、次はテレビを運ばないと。

 

 

 

 そうして三人で、小一時間ほど掃除を行っただろうか。最後まで残っていた大型ソファーを同期のPに手伝ってもらいながら外に出して、大きな家具はすべて搬出が終了。今だけは壁に掛けた写真も段ボールにしまい込んであるので、真実、中には何も残ってはいない。

 

 足を踏み入れると、まっさらな部屋。

 

 加蓮と奏のおかげで、そこは本当に輝くほどに磨き上げられており、私は思わず感嘆の声を上げてしまう。

 

「毎年のことだけど、綺麗になるもんだな……」

 

 それはどこか、懐かしい記憶を刺激した。小学校のころ、大掃除でワックスがけが終わった教室。何人かの友達と、スケートごっこなんて行った、遠い記憶。ピカピカになった床を見ていると、どうにもうずうずしてきて。

 

 周りに誰もいないことを確認して、思わず滑ってみたり。

 

「おお、滑る滑る!!」

 

 すうっと、部屋の端まで移動。私は年甲斐もない喜びに浸っていた。すると、

 

「みーちゃった♪」

 

「はっ!?」

 

 驚き、振り返るとすぐそこにはニヤニヤとする加蓮と、呆れ顔でため息を吐く奏がいた。掃除が終わったので二人はいつもの制服姿。こんなに早く戻ってくるとは思っていなかったのに。

 

「見てた、の?」

 

「一部始終、ばっちりと。……もう、子供ね」

 

 なんて、奏は母親みたいなことを言ってくる。返す言葉もなく、私は彼女たちへと平謝り。いや、冷静に考えれば謝ることではない気もするのだけれど。

 

 そして、加蓮は私の行動を見て、何やら面白いことを考えたようで。目を輝かしながら、部屋の真ん中に陣取ると、ステップを軽快に踏む。ワンツースリーと、アイドルらしい素敵なダンス。

 

「ふふ♪ ほんとにつるっつるだね。広くて、今ならダンスも出来る。そうだ! ……ねえ、Pさん、踊ってみない?」

 

「いやいや、そんな子供みたいなことは」

 

 もちろん誘いに乗るわけにはいかない私は、はははは、なんて乾いた笑いを浮かべて胡麻化そうとする。けれども、加蓮は一層、笑みを深めて私の手を捕まえようとしてくるのだ。

 

「もー、それをPさんが言うかな! ほらっ、待ちなさい。せっかくだし、ほら! 私と踊れる機会なんて、そうそうないよ?」

 

「ダメだって!? か、かなで!! 助けて!!」

 

 思わず、奏へと救難信号。先ほどの行動に呆れていた奏だ、きっと止めてくれるはず。

 

 しかし、

 

「Pさん、捕まえた♪」

 

 背後からがっしりと腕がつかまれた。何事かと見れば、目を弧にした奏がいて。そのまま私はポイと加蓮へと引き渡されてしまう。

 

「ナイス! さっすが奏!!」

 

「加蓮、一通り済ませたら、私にもくれるわよね?」

 

「奏も!?」

 

「誰も見ていないもの。少しはハメを外しても、問題ないでしょ?」

 

 ついつい、常と違う景色であったため失念していたことではあるが、ここは事務所のオフィスである。

 

 人目もなく、他に誰もいない。私たちと二人の悪戯姫の根城。つまりは、いつも私がからかわれる場所であった。その場所にいる限り、加蓮と奏に敵うわけもなく……。

 

「Pさんはもう少し体を鍛えないとダメね。本当におじさんになっちゃうわよ?」

 

 奏が楽しそうに微笑むと、ようやく私の手を解放してくれた。私は汗をかき、大きく息を吐きながら床へとペタンと尻をつく。

 

 散々に踊りあかして十数分。

 

 ダンスというのは、どちらかがリードを握れば、後はされるがまま。そして、私は二人に勝てるはずもない。

 

「ぜーっ、ぜーっ、きっつい!!」

 

「はい、お疲れ様! Pさん、お茶だよ」

 

 加蓮が一杯のお茶を差し出してくれる。私は思わず齧り付くように飲み干して。けれど、全身を使った踊りに披露した体はがくがくとあちこちで筋肉が悲鳴を上げている。

 

 もう、今日は肉体労働は勘弁! 

 

 なんて考えていたら。

 

「プロデューサーさん、荷物を入れる時間ですよ」

 

 ドアからにゅっと顔を出した蛍光緑の悪魔による宣告が下される。外にあるのは、先ほど散々苦労して運び出した家具たち。私は満身創痍。

 

「は、ははは……」

 

「あ、あはは……。ごめんね、Pさん」

 

「……後でたくさん労わってあげるわ」

 

 後日、私は掃除を一生懸命にこなしたと社長からお褒めいただくことになる。けれどもその証拠になった筋肉痛が、アイドルにからかわれた結果などと言えるはずもなく。そのことで二人から大いにからかわれ、慰められることになるのだった。



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9月25日「主婦休みの日」

2000位ボーダーすごいですねー。

奏さんイベントがこれだけ盛り上がるのは嬉しいことです。


 以前に話したことがあるが、私は昼食の時、主に社内の購買を利用している。なんと言っても作りたての熱々弁当の魅力。お弁当屋のおばちゃんたちの真心が込められた温かいご飯を食べつつ、残り半日を頑張る体力を蓄えるのだ。

 

 私の生活にとって、そんな購買は必需品だったといえる。

 

 それが無くなると、私はどうすればいいのかなんて、考えたことがなかった。

 

 

 

「えっ!? 明日からお休みですか!?」

 

 いつも通りの昼休み、私の悲痛な叫びがエントランスホールに響いた。

 

 色とりどりの弁当を見比べて、今日、私が選んだのはハンバーグ弁当。それの代金を払っていると、レジ打ちのおばちゃんの横に、大きく書かれた文字を見つけてしまった。それは、

 

『来週はお休みします』

 

 という簡潔な文字。慌てておばちゃんへと確認すると、どうやら店員の皆さんが海外旅行に行ったり、孫の結婚式にでたり、ぎっくり腰になったりと、外せない用事が固まってしまったそうで。仕方なくお休みとなったそうだ。

 

 おばちゃんたちにも自分たちの生活がある。だから、こういうことがあるのは当たり前かもしれない。

 

「ごめんねー」

 

 陽気に微笑むおばちゃん。彼女たちが休むことに問題はない。ただ、問題は、来週の昼の食事を、どうすればいいかを考えなくてはいけないことだ。

 

 

 

 そして翌週、月曜日。

 

 私はオフィスにて、自作の弁当を広げていた。

 

 土日の間、私はよく考えた。コンビニ弁当は少し味気ない。加えて、それを食べているのを見ると、加蓮や奏が心配してくるからやめておく。

 

 それでは、食堂へ行くのはどうか? 考えてみたが、向かった瞬間に一ノ瀬博士やらが面白そうに悪戯を仕掛けてくる気がして。

 

 一週間くらいなら、自力で何とかなるのではないか? そう思ったのだ。

 

 そうして持参したプラスチックの弁当箱を見る。それは少しだけ古びていて、使っていた大学時代から、随分と時間がたったな、なんて懐かしさを感じるもの。あの頃はソコソコに簡単な自炊を行ったりしたものだが、今ではその時の記憶は薄れてしまっている。

 

 さて、そんな懐かしさに浸る時間もあまりないので、食事をするべく、私は弁当の蓋を開けてみた。

 

 だが、

 

「寄ってる……」

 

 私は目を平らにして、弁当箱を見つめ、溜息と共に呟く。

 

 弁当の難しいところは、作っていた時の味や、見た目を維持することが難しいこと。私の弁当は、通勤電車やら何やらで動いてしまったからだろう。ご飯は片側に寄って、潰れてしまっていた。

 

 さらに、そうして空いたスペースに短く切った野菜は舞い散って、サラダの体をなしていない。さらに簡単に炒めたメインディッシュたる肉。しかし、そこから出た汁は、あちらこちらに染み出してしまっていた。

 

 ざっくばらんに言うと、見た目は相当に悪い。

 

 とはいえ、さすがに自分が作ったものなので、残念に思いつつも手を合わせて食べ始める。見た目と味に相関はないにせよ、見た目相応の味だった。

 

 そうして私がもしゃもしゃと昼を食べていると、二人が部屋へと戻ってきた。

 

「ただいまー」

 

「戻ったわよ」

 

 そんな二人へ私は、手を挙げて挨拶。今日はずいぶんと食事が早かったなぁと思っていると、加蓮と奏が弁当箱を見つけた瞬間に机までやってくる。

 

 常ならず大股で勢いよく。

 

 私が見知らぬ弁当箱を持っていることに驚いたのか。どことなく、加蓮が険しい顔で、奏が怖いほどの無表情。

 

 けれども、私の弁当の惨状を見た瞬間にその険は取れて。二人はなぜか安心したのか、ほっと胸を撫でていた。一体どうしたというのだろうか?

 

「……ふぅ。Pさん、そのお弁当、自分で作ったの?」

 

 気を取り直したのか、加蓮がほほ笑みながら尋ねてくる。先ほどの奇妙な行動に疑問を抱きつつも、私は素直に頷き、口を開いた。

 

「ほら、今週、購買休みだろ。で、他に作ってくれる人もいないからね。たまにはいいかと挑戦してみたけれど、やっぱり失敗した」

 

「ふーん、作ってくれる人、いないんだ……。で、Pさんの頑張ったお弁当は。あらら、ほんとだ。寄っちゃってるね」

 

 私が弁当を見せて、加蓮が苦笑い。奏も微笑みながら的確な評価をしてくれる。

 

「……そうね。貴方の食事量だったら、もう少し小さいお弁当箱を用意した方がいいんじゃないかしら? ご飯はもう少し量を足して隙間を無くして。それで余ったスペースにおかずを詰め込むのよ」

 

「な、なるほど」

 

 さすがに、よく知っていると思い、私は思わず声を漏らす。

 

「たしなみと少し経験が多いだけよ。それに……」

 

 奏は、ちょっといい? なんて断ると、割りばしで弁当箱からお肉の切れ端を拝借。それは止める間もなく、彼女の艶めかしい唇へと吸い込まれていき。

 

「うん♪ 私には少し塩辛いけど、美味しくできているじゃない」

 

 私が呆然としている間に、味見した奏は、笑顔で誉め言葉までくれた。

 

 彼女が気にしていないのならいいが、なんか少しの気恥ずかしさもある……。そうして自分が作ったものを、美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。

 

「奏だけ? 塩っ辛いのなら、私、好きなのに」

 

「それじゃあ、加蓮も試してみる?」

 

「もっちろん!」

 

 こらこら、君たち。この弁当の持ち主は私なんだけれどね。

 

「いただきます!」

 

 やっぱり止める間もなく、加蓮も私のおかずを持っていってしまった。そして、それはあっさりと笑顔の加蓮の口に消えていく。普通に食べているけれど、本当に、二人は文句ないのだろうか。

 

 加蓮はそれをゆっくりと噛みしめるように食べて、にわかに上機嫌になって感想をくれる。

 

「あ! 私は好きだよ、この味付け! ふふ、Pさんと味の感覚似ているのかな?」

 

 加蓮、ジャンク好きだからね。

 

「うーん、単に男は醤油多い方が好きっていうだけかもしれないし」

 

「そこは似ているねって言ってくれる方がポイント高いんだけど。まあ、今日はPさんの手料理食べれたし、いいかな♪」

 

 加蓮はそう言ってほくほくと頬を緩めてくれた。

 

 元々、この弁当は突然の思い付きで作ったものだった。見た目も悪いし、正直なところ、明日は止めておこうかと思っていた。けれど、こうして二人が褒めてくれるのを見ると。

 

「明日も作ってみようかな……」

 

 なんてやる気も出てくるのだ。

 

 

 

 そして明くる日の昼休み。前日の宣言通り、私は自作の弁当を共用机に広げていた。今日は向かい側に加蓮と奏も座っている。彼女たちの手の中にも小さな弁当箱。

 

 昨日、私が再びの弁当作成へ意欲を燃やした時、二人がせっかくだから全員で弁当の品評会をしようという提案してくれたのだ。

 

 さて、料理を勉強しているという二人に、果たして改善版ランチはどう見えるのか。

 

 ライブ前のようにドキドキしながら蓋を開き、

 

「よ、よかった……」

 

 今日は安堵のため息をつく。見下ろす小さな箱には、今日は寄ることなく白米と野菜や肉がそのままの姿で収まっていた。少なくとも、ごちゃりとしたものを二人に見せなくても済んだ。

 

「昨日、二人がアドバイスくれたおかげだな」

 

 昼休みの後も、本を持ってきてくれたり、メールで作り方を教えてくれたりと色々と手を焼いてくれたのだから、感謝するしかない。

 

 そう言うと、二人は少しだけ驚いた顔になって。

 

「Pさん、結構器用よね。色々と意見は言ったけど、一日でこんなに変わるなんて」

 

「そ、そう?」

 

「うん。すごいと思うよ。見た目は綺麗。それじゃあ、味は……」

 

 加蓮がおかずをちょいと取っていき。けれど、その顔が驚きに変わる。

 

「あれ、ちょっと薄味になってない!? まさか奏に合わせたの!?」

 

 加蓮はそういうと、悔しそうな顔で私を見てくる。そうはいっても、今日はこっちの味付けにしたかったのだから、仕方ないじゃないか。

 

「……こうなったら、私好みの味付けをしっかりと教えてあげないと」

 

「それはどうかしら? 私だって、自信あるわよ。月並みな言葉だけど、気持ちも込めたから、ね」

 

 そうして加蓮と奏は自分達の弁当を私に突き出してくる。どちらも丁寧に手が込められていて、見ただけで楽しくなる華やかなお弁当。それを持った彼女たちの目は、ぎらぎらと燃え盛っていて。

 

「さあ、Pさん?」

 

「どっちを味見する?」

 

 この奇妙な品評会は、購買のおばちゃんが帰ってくるまで、毎日繰り返されることになる。

 

 良かったことは、私の夕飯のレパートリーにトン汁以外も追加されたこと。大変だったのは、二人の好きな味付けを記憶しないといけなかったこと。

 

 でも、たまには彼女たちと食卓を囲むのも楽しい、なんて期待して。時折、私は弁当を作るようになった。



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9月26日「台風襲来の日」

たまには二人でバチバチと。




 ユニットとはどうあるべきか、そんなことを同僚と語り合うことがある。

 

 気の許せる仲間との調和

 

 ライバル同士のぶつかり合い

 

 あるいは違う者同士の化学反応

 

 けれど、そこに答えはなく、それでいいとも思っている。人と人が結びついて、何かが起こらないということはないのだから。必ず、そこに新しい輝きが生まれるのだから。

 

 

 

 私たちの事務所の仕組みは、少し変わっている。もとより、規模や、それに反した自由度といい、奇抜なプロダクションではあるのだが。

 

 まず最初に新人プロデューサーが仰天させられるのは、そのプロデュースの方針だ。

 

 入社したてのプロデューサーはまだ試用期間。まずは一人、アイドルを担当してライブを成功させる。

 

 アイドルの選び方も自由で、ライブへの道のりも自由。自分で街角でスカウトしたり、オーディション合格者から選んだり。ライブまで時間をおいても、いきなりオーディションへ放り込んでもいい。

 

 ともかくとして、ライブを成功させることが合格条件。そして、その後、担当アイドルの正式なプロデューサーとして認められる。

 

 その次に行うのは、もう一人の担当アイドルを決めること。

 

 うちの事務所では、一人のプロデューサーが最低二人のアイドルを担当することになる。

 

 この時、担当の二人の扱い方も自由だ。ユニットを組ませてもいいし、それぞれで単独にプロデュースを続けてもいい。

 

 けれど、必ず新しい仲間を加える。それが決まりだ。

 

 厳しいアイドル業界、信頼できる仲間を得ることは大きな仕事を成功させるよりも重要なこと。互いに支えあい、切磋琢磨できる環境でこそ、トップアイドルは生まれる。それは、うちの社長が若いころに学んだことだともいう。

 

 そして、私にとっては前者が加蓮で、後者が奏。

 

 まずは加蓮で試用期間を全うして、その後で奏をスカウトした。

 

 さて、そのような形で続いている私のチームだが、加蓮と奏はモノクロームリリィだけでなく、事務所内ユニットのトライアドプリムスやLiPPS等のユニット活動も積極的に入れている。そうなると、二人が一人のアイドルとして対決する機会が減ってしまっていた。

 

 

 

「ということで、今度のライブは二人それぞれの全力が見たい」

 

 とある日の夕暮れ、私は二人にそう言い切った。

 

 加蓮と奏は仲が良い。それは趣味だけでなく、心の波長が合うように、互いの良い理解者として今日までを過ごしている。喧嘩をした姿というのは最初期以外、あまりない。

 

 だが、そうはいっても、加蓮も奏も互いにトップアイドルを目指すライバルだ

 

 時には二人で全力を出して、競い合うのもいい機会だろう。

 

 奏は高垣さんと共演して、一皮むけた。

 

 加蓮も総選挙という場所で大きな結果を得た。

 

 今、この時こそ、二人が互いの実力を改めて確かめるのに、ちょうどいい時間だと思えた。

 

 そして、そんな仕事を告げられた二人はというと。

 

「……」

 

「……」

 

 私の前に立つ加蓮と奏は、しばしの間、互いに無言で見つめあっていた。そして、

 

 パンッ

 

 鳴らされたのは軽快なハイタッチの音。

 

 二人はさわやかな笑顔を浮かべて、やる気十分だという気持ちを示している。

 

 加蓮は目の奥が燃え上がるみたいに輝いて。奏はクールな表情をかぶりながらも、熱い想いを隠していない。

 

「確かに、最近は一緒の仕事が多かったし、久しぶりにぶつかり合うのも良いよね。私も、奏の全力見てみたいから……」

 

「受けて立つ……、なんて余裕ある台詞は言えないわね。けれど、勝つのは私よ」

 

「ふふ、それはこっちの台詞だから!」

 

 そんな二人のやり取りに、きっとこの仕事も二人の大きな成長につながることを確信した。いつだって、二人は私を驚かせてくれるのだから、今回も、必ず。

 

 二人に用意したステージは一月後に開かれる。決して大きくはない箱だが、その分、観客の反応はステージに立つ二人へと分かりやすく伝わるだろう。二人のアイドルとしての技量が直接会場に反映される、シビアな場所。

 

 そして、その日から加蓮と奏のステージに向けた特訓が始まった。

 

 

 

 とはいっても、三人での仕事に大きな変化が起きることはなかった。

 

 加蓮も奏も先のステージを意識している動いているが、それはどこか、互いに競い合えるのを楽むそれで。それ以外の仕事やオフの時は、いつも通り二人で仲良く、頻繁に私をからかいながら過ごしている。

 

 けれど、そこから離れると……。

 

「ほら! テンポが遅れてるぞ!! そんなことで速水に勝てると思うのか!!」

 

「……! はいっ!!」

 

 レッスン場にトレーナーさんの大声が響く。そして、それを受けた加蓮も、大粒の汗を流しながら、負けない声で応じた。加蓮はまた、激しいダンスに戻っていく。

 

 私はレッスン場の扉の前で、そんな彼女をじっと見つめていた。私は今しがた来たところ。けれど、そのことにも加蓮は気づいていない。

 

 ステージ開催を発表した日から、二人のレッスンはますます激しいものとなっていた。いつかの日と違い、コンディションや先のスケジュールを意識しつつも、一回のレッスンで着実に得るものがある様に。アイドルとして高みに上るためのレッスン。

 

 その光景は私の目を捕え、離すことはない。

 

「……お疲れ様、加蓮」

 

 レッスン後、私はスポーツドリンクを加蓮に渡した。加蓮は息も絶え絶えのようす。きっと身体を動かすのも億劫だろうに、汗をぬぐいながら、笑顔でそれを受け取った。

 

「ありがと! ちゃんと見てくれたよね?」

 

「うん。良いレッスンだったよ。……それに体力も、もう大丈夫みたいだな」

 

 昔のように体力が切れて表情も作れない、なんてことはない。

 

「Pさんったら……。もう、いったい何時のことを言ってるの?」

 

 私がからかいつつ言うと、加蓮は苦笑いを浮かべて、ぷんすかと抗議をしてくる。

 

「ごめんごめん。いや、少し感慨深いと思ってね。二人と出会ってから随分経ったけれど、やっぱり成長したなって」

 

 加蓮のレッスンを見ているうちに、しみじみと考えてしまったのだ。すると、加蓮は目に真剣の色を灯して、口を開く。

 

「うん。けれど、まだまだだよ。もっと磨き上げないと、あっさり奏に負けちゃうから」

 

 固い声。けれどもそれは、一瞬で。すぐに加蓮は頬を緩ませながら、言葉を零していく。それは、別の場所で頑張っている奏を想像してか。

 

「……奏、すごいよね。初めて会ったときから、すごく綺麗で、かっこいい子だなって思っていたけれど。毎日、ううん、一瞬見ている間にも、どんどん魅力的になってる」

 

 ずっと一緒にやってきたから、その変化は私だけでなく、加蓮にも確かに伝わっていることだろう。私は頷きを返す。それは奏だけで成しえた変化ではなく、

 

「そうだね。けど、それは加蓮が一緒にいるからだと思うよ」

 

 すると、加蓮は本当にうれしそうに、微笑みを浮かべて。そして、遠い場所を見つめながら言葉を続ける。

 

「それなら嬉しいな。ねえ、Pさん。私ね、奏のこと仲間だし、ライバルだし、友達だと思ってる。けど、やっぱり尊敬もしてるんだ。

 奏はいつだって理想の自分を持ってる。私はまだ知らなくて、探り探りで目指しているそれを。だから、一番に輝いている自分を演じ切ることができるの。

 怖さとか緊張とか、全部を自分の中で受け止めて、ステージの上で眩しいほどに素敵なアイドルになる」

 

 すごいよね。

 

 その言葉は自分に言い聞かせるように。

 

 確かに、奏の真骨頂は演技だろう。彼女は、その聡明さと感受性の豊かさで、自分の理想のアイドル像を現実へと映し出す。少女も、大人も、アイドルも、全てが思うがまま。影の努力と不安を、奏は理想という『嘘』で包み込みながら昇華できる。

 

 だから奏のステージに、人は夢を見る、理想を見る。奏自身を眩しく思う。

 

「でも、私はそれに追いつきたい。奏の目指す理想のアイドルに。トップになるには、絶対に超えなくちゃいけないから。追いついて、追い越して、もっともっと輝きたいから」

 

 そうして加蓮は汗をぬぐい、決意と共にレッスンへと戻っていくのだ。遠くに立つ、ライバルの背中を目掛け、走り続けるために。

 

 

 

 決意と挑戦の思いを抱いているのは奏も同じ。

 

 別の日、奏はボイスレッスンに臨んでいた。何度も何度も、指導を受けながら、ワンフレーズ、一音を見つめて、心と感情をこめて歌い上げる。そうして、一歩一歩、歌を完成させていく。

 

 ただ歌を歌うだけではない。

 

 一つの歌の裏には計り知れないほどの汗と努力がある。

 

 だから、一つの曲を歌い上げ、休憩に入った奏は、レッスン場の壁にもたれながら、大きく肩を上下させていた。じっと、自分の中で歌と見つめあうように。

 

 そんな彼女が不意に顔を上げて、向かいにたたずむ私を見つめてくる。

 

 お呼びとあらば。

 

 私は奏のそばに行くと、同じように壁にもたれてみた。しばらくの間、二人して無言で過ごし、そして、不意に二人そろって笑顔を零す。

 

「もうっ、何か言ってくれてもいいのに」

 

「いや、言葉が迷子になっちゃって。でも、うん、凄かったよ……」

 

 まだレッスン。ステージはまだ先。

 

 だけれど奏の歌は常以上に情感たっぷりで、感情に訴えかけてきた。気を抜いたら、立ったまま泣いてしまいそうなほどに。

 

 そんな感想に、奏は嬉しそうに頬をほころばせてくれる。

 

「ありがとう。やっぱり、貴方が見てくれると違うわね。心の込め方も、訴え方も」

 

「そんなに役に立ったかな?」

 

「いない時とは大違いよ。貴方は私のプロデューサーで、何より最初のファン。観客を喜ばせる歌い方。それができているか、貴方を見ていればわかるの。

 だって、貴方はニクいくらいに素直で分かりやすい人だから」

 

 それは褒められているのだろうか。そんな言い回しに苦笑いしながらも、私はその言葉を嬉しく思う。奏の役に少しでも立てているのなら、プロデューサー冥利に尽きる。

 

 けれど、今日の奏はそこで顔をうつむけた。

 

「でも、それだけじゃ加蓮には勝てない……」

 

 加蓮と同じ、固く結んだ言葉。そうして先を見据えるように視線に力を込め、奏は前を向き直す。

 

「私はこうして嘘と技術で塗り固めて、アイドルになっていく。ファンを魅了する、輝く姿を作り上げる。

 ……けれど、加蓮は違うわ。がむしゃらなほどに真っ直ぐに、それでも一歩一歩を大切に踏みしめて進んでいくの。加蓮のまま、心のままに輝いて。

 だから、あの子のステージは人の心を動かすのよ。渾身の輝きを、一目も離せないほどに」 

 

 加蓮は白紙からのスタートだった。

 

 体力もなく、アイドルとしての実力は下から数えた方が早いほど。けれど、その白紙のスタートラインを踏み出してから、彼女は歩みを進めるほどに輝きを増していく。毎日の発見に、一つ一つのステージに、そこに在ることに喜びを得て、ステージで満開に花開いていった。

 

 だから、加蓮のステージから、誰も目を離すことはできない。

 

 奏はそんな加蓮に羨望を向けながら、それでもと強く拳を握り、宣言する。

 

「けれど、私は負けたくないの。加蓮が眩しいほどに輝いていても、それで諦めるほど安い夢じゃないわ。

 私だって手を伸ばしたい。私たちで作った『速水奏』を纏って、あの輝く姿を追い越したい。そして、いつかは私自身も……」 

 

 心から輝くために。

 

 奏の理想はどこまでも遠く、今は嘘まみれかもしれない。けれど、それを本当にしていくために、輝く自分となるために。奏は歩みを止めることはない。

 

 

 

 モノクロームリリィ。

 

 黒と白、色違いの美しい花。

 

 形は同じ、美と気高さの象徴。けれど、その在り方と、目指し方は正反対。

 

 がむしゃらに、一直線に、眩しいほどの夢への熱量で魅了する。

 

 しなやかに、したたかに、作り上げた理想の仮面を被って魅せる。

 

 だけれど、二人とも心に抱くのは同じ想い。

 

 輝く自分になりたい。憧れた、理想の姿にたどり着きたい。

 

 そして、目指す場所が同じだから、二人は共に歩むことができる。

 

 時に憧れ、時にぶつかり、それでも理解し、夢を分かち合う。

 

 だからこそ、モノクロームリリィは。

 

「ねぇ、私のステージに誘惑されたでしょ?」

 

「ふふ、私のステージにくぎ付けだったよね?」

 

 加蓮と奏は。

 

「それじゃあ、最後は私たちのステージ」

 

「正反対の二人だから」

 

「「誰も彼も、魅了してあげる」」

 

 二人で、どこまでも輝いていく。




如何だったでしょうか?

今話では、私なりのモノクロームリリィというユニットの解釈を行いました。

奏と加蓮には美容やからかい、過去の出来事。二人で共有できる物事も多く、だからこそ、互いに理解者として寄り添えているのだと思います。

けれど、アイドルとしての在り方は全く違って見えて、だからこそ、二人の調和は奇跡のように尊く見えるのではないか。

私はそう思えてなりません。

皆様の解釈はいかがでしょうか?


なんだか、書いていてエピローグみたいな語り口になりましたが、まだまだ続きますよ!

さて、明日はとうとうイベント最終日、皆さん、頑張りましょう!


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9月27日「世界観光の日」

イベントお疲れさまでした!


 先日、奏は高垣さんと共にフランスを旅した。

 

 二人が主演の映画撮影。その場になぜかフレデリカさんの出現情報もあるというのが不思議ではあるが。同期のレイジー・レイジーPが何かしたのだろうか?

 

 ともかくとして、その旅は刺激がありつつも楽しい旅だったとは折に触れて奏と高垣さんが話してくれた。お洒落なカフェに、酒に、食事に、酒に、美術品に、酒に。あれ? 高垣さんが話してくれたの、九割くらい酒の話じゃない? なんて思ったり。

 

 さて、当然ながら、そのような話を聞くとき、多くは加蓮が傍にいる。そして、羨ましくも楽しい海外旅行の話を聞いていると、今度は自分も行きたいと考えてしまうのが人というもので……。

 

 

 

「うーん、南国ビーチはもう行ったし……。アメリカでLA? ハリウッド? それよりもイギリスでオシャレな旅っていうのも……。イギリスはフィッシュアンドチップス。……チップスかぁ。いいかも……」

 

 その日、私と奏が出先から戻ってくると、加蓮はソファに座りながら、何やら呟きつつ悩んでいた。よく見ると、その膝の上には雑誌が広げられていて。それを色々とめくりながら考え中。そして、雑誌の中身は……。

 

「何を読んでいるかと思ったら、観光雑誌?」

 

「あ、おかえり! Pさん、奏!」

 

「ただいま。しかも、海外旅行の雑誌か。……どこか行く予定あるの?」

 

 私は尋ねてみる。もしそういう予定があるのなら、スケジュールを空けることもやぶさかではないのだが。

 

 しかし、そのことに対しては、加蓮は苦笑いを浮かべながら手を振って否定した。

 

「ううん、ちがうよ。ほら、奏が楓さんと旅行行ってきたじゃない? その話を聞いてたら、私もまた海外のお仕事に行ってみたいなーって思って」

 

「それで、カタログ見ながら考えていたんだ?」

 

「うん。見てるだけでも、結構楽しいよね。色々と先のことが想像できてさ」

 

 なんて、加蓮は楽しそうに見ていたページをテーブルに置いてくれた。広げられているのはロンドンの写真だ。有名な駅に、通りに、そして加蓮がつぶやいていたフィッシュアンドチップス。

 

 ふと考えると、カフェに座りながら、フィッシュアンドチップスを嬉々として食べる加蓮の姿が容易に想像がついた。

 

 そうでなくても、お洒落な加蓮は、イギリスの街並みにも良く溶け込めるだろう。

 

 奏はしみじみと頷く。

 

「確かに、加蓮は好きかもしれないわね、イギリス」

 

「奏はどう?」

 

「そうね……。今はフランスに行ったばかりだから。加蓮が前に行った、南国ビーチの方が気になるわね」

 

 すると、奏は目を細めながら、私へ『連れてってくれる?』なんて、吐息交じりの問いかけ。さて、奏のビーチ写真集なんて、ファンにとっては夢のような企画だ。立ち上げれば、直ぐに実現できそうではある。

 

「うーん、来年には実現できるように善処する」

 

「それじゃあ、期待してるわね♪」

 

 本当に期待してくれている声。さて、それならこちらの力の見せ所だ。場所や日付はどうしようか、などと頭の中でカチャカチャとコンピューターを動かし始める私。けれど、それを遮ったのは加蓮の声。

 

「ちょっと待って?! その前に私のお仕事の方が先でしょ!? 奏の南国ビーチより、私の海外ロケ!!」

 

「いや、順番とか、そーいうのとは、ちょっと違う気が……」

 

「不公平なんて絶対ダメなんだから!!」

 

 確かに加蓮の言葉にも一理ある。けれど、そもそも、海外ロケをやるとも決まっていなかった気が……。

 

 ともあれ、加蓮もやる気十分ということなら、私としても企画を作ってみることに否はない。奏の企画への想像を固めて、脇に置いて、改めて私は加蓮に尋ねた。

 

「よし。それじゃあ、加蓮はイギリスロケが希望なの?」

 

「うーん、そこがちょっと悩みどころなんだよね。候補はイギリスと、ドイツとポーランドで」

 

「その共通点、何?」

 

 えらく離れているぞ、その国々。私がはてなマークを浮かべていると、奏が加蓮の隣に座って、肩に手を置く。私に向けるような、からかう視線で。

 

「加蓮、あなたポテトで行先決めてるでしょ?」

 

「そ、そんなことないって!」

 

 奏が言うや否や、加蓮は真っ赤になって否定した。けれど、奏には確信があった。

 

「でも、どれもポテト料理で有名じゃない。ほらっ、Pさんも見てよ、これ」

 

 と、奏が件の名物料理ページを示してくれる。確かに、ドイツは言うまでもなく、ポーランドもポテト料理が有名と書いてある。

 

「加蓮……」

 

「違うって!? さすがに私もポテトだけで決めたわけじゃないんだから! ほらっ、お城とか、メルヘンとか、色々あるでしょ!?」

 

 尚も否定する加蓮。けれども私と奏は、はいはい、と生返事。好きなのはいいけれど、海外行ってまでポテトを食べる気だったとは。このままではポテトアイドルを襲名してしまう。

 

「むぅ……。それじゃあ、例えばPさんだったら、どこに行きたいの? お仕事とか抜きで」

 

「そうだなあ、仕事じゃなければアマゾンとか?」

 

 大変だろうけど、密林の奥地は行ってみたいところ。

 

「前にも言ってたものね、冒険に行きたいって」

 

「Pさんだったら、蛇に食べられちゃいそうだけど」

 

 ポテトの件でむくれ面の加蓮が、そんな不吉なことをぼそりと呟く。

 

「それか、オーロラを見に、北極圏とか」

 

「なんでPさんは、そんなに危ない場所に行きたがるの……」

 

 加蓮のジト目が私に突き刺さる。いや、そういう場所の方が、珍しいものが見えそうじゃない。輿水さんも、偉く大変だったみたいだけど、いい思い出なんて語っていたし。

 

「私がポテト好きなら、Pさんはロマン好きじゃない……」

 

「返す言葉もありません」

 

 

 

 さて、そんな、女子からは奇異に思われる私の旅行プランは置いておき、加蓮の海外企画に戻る。実は先ほど加蓮が挙げてくれた中に、琴線に触れるものもあったのだ。

 

「……ポテトは置いておくとして、イギリスは良いかもしれない」

 

 私を組みつつ、つぶやいた。

 

「だから、ポテトじゃなくて良いから!」

 

「意地張っちゃって……。英国なら、ポテトもついでに食べれるじゃない? いらないの?」

 

 なんて奏が目を細めて尋ねると、加蓮は少し迷いつつも、

 

「……いる」

 

 と、顔を赤くしながら小さくつぶやいた。くそ、可愛いな。

 

「おほん! ……でも、英国は写真撮影でも、PV撮影でも映えるし、アリな選択肢だと思うな。紅茶に、騎士に、古い町並み! きっと、いい画が撮れると思う」

 

「紅茶を片手に、カフェでお洒落かぁ……。うん、楽しそう!」

 

 加蓮も直ぐにそんな想像をめぐらせたおかげか、機嫌を直してくれたようだ。その調子に、次々と想像を描いていく。

 

「他にも、ロンドンといえば、魔法の駅とか、有名探偵の家なんてあるし……。けど、それなら……」

 

 私は奏の方を見る。魔法使いの小説といえばだ。

 

「奏、あの小説、結構好きだったよね?」

 

「え、ええ。夢に溢れているようでいて、イギリス社会への風刺も効いているし、読み応えあるもの」

 

「じゃあ、二人で英国撮影なんて、どう?」

 

 私は二人へ提案する。件の探偵物だってバディものだし、魔法使いも一人より二人の方が映えるだろう。二人とも、ハットにステッキなんてシックな格好も似あうに違いない。

 

 それに、

 

「いいね! 私たち、一緒に海外に行ったことはないし。私は大歓迎だよ!」

 

 加蓮が言うように、私たちチーム全員での海外仕事というのは、今までに経験がなかった。奏もそんな加蓮の言葉に微笑んで。

 

「……加蓮がそう言ってくれるなら、ええ、私も行ってみたいわね」

 

 なんて、楽しそうに返事をしてくれる。さて、そうすると企画はどんなものがいいだろうか? 探偵衣装や魔法使いは鉄板として……。

 

「この場合、ホームズが奏かな? それで私がワトソン」

 

 加蓮が私のつぶやきを聞き、考えつつ答える。

 

「お互いにホームズでも良いんじゃないか? 二人して刑事ドラマもやったし」

 

「それは欲張りが過ぎる気もするわね。それよりも、加蓮がホームズはどう? 私はワトソンの方が好きよ? 彼がいないと物語は始まりすらしないのだから」

 

「けど、ワトソンをいつも翻弄するのがホームズだし。むしろ、私の方がワトソンの役回りのような……」

 

 小学生の時はホームズにあこがれたものだが、近頃はワトソンに共感して仕方のない私。そんなことを話すと、奏は、

 

 あら

 

 なんて首をかしげて。

 

「Pさんにはもっといい配役があるのだけど」

 

「うん? レストレード警部とか?」

 

「いいえ。モリアーティ教授」

 

 意外な答えである。私はそれを聞いた瞬間、珍妙な顔になったと思う。なにゆえに私がモリアーティに配役されるのか。

 

「モリアーティって確か悪役でしょ?」

 

「ええ、ホームズの対をなす天才的犯罪コンサルタント。影の犯罪王よ」

 

「ああ……、なるほど……」

 

 しかし、加蓮まで納得顔になったのは、何故だろうか? 尋ねてみると、二人はにやりと笑みを作り、

 

「だって、私たちの仕事を企画して、サプライズを仕掛ける人だもの。悪い悪いプランナー。それなら、Pさんが適役でしょ?」

 

「Pさんがワトソンみたいに、後ろに控えているのは想像できないよね。むしろ、一番に飛び出していくほうがPさんらしい」

 

 ということらしい。

 

 二人はそういう理屈でP=モリアーティ説がしっくりくるのだとか。

 

 でも、茶化してはいるが、そのほうが適切だと言ってくれるのは、プロデューサーがアイドルと対だと認めてくれているということで。そういう意味合いで言ってくれるなら、嬉しいとも思う。

 

「それじゃあ、悪いプロデューサーが、二人にサプライズ英国旅行を送ってあげるから、その時を首を長くして待ってて」

 

 なんて、気障なセリフも言ってみて。

 

 ……けれど、綺麗に物語は締まらない。

 

「その時は、ライヘンバッハも入れておいてね♪」

 

「え!?」

 

「ホームズを演じるなら、定番のシチュエーションでしょ?」

 

「あ! それなら、私も知ってるよ! モリアーティが落ちちゃうシーン!」

 

「それって私が落ちるやつじゃない!? え!? なに!? 私、モリアーティやらなきゃダメなの!?」

 

 後はいつも通り、二人して私をからかいだす。

 

 さて、私は滝つぼに落ちるのか。

 

 けれどそんな愉快な想像も今はすべて想像の中だ。

 

 きっと、愉快で楽しく、美しい思い出となる二人との海外企画。そんな新しい舞台へと二人を導けるように。

 

 私は今日も、二人に翻弄されながら、笑顔で仕事を進めていくのだった。




皆さま、ミステリアスアイズイベント、お疲れさまでした!

そして、私もイベント期間毎日更新を全うでき、久しぶりに二人とものんびりわちゃわちゃと過ごすことができたと思います。

また、初めてイベントを走って、ランカーの皆様のすさまじさを認識したり、イベントコミュでも奏さんの内面をもっと知ることができたりと、個人としても奏Pとしても、気づきが多い、とても良いイベントでした。

では皆様、また次の機会に。
また面白そうな記念日の題材やイベントが始まりましたら、気ままに書いていこうと思っております。


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第8回シンデレラガール総選挙編
4月16日「大志を抱く日」


開幕だー!!!


「質問です。今日は何の日でしょうか!」

 

 春の温かさを窓辺から取り入れて、ちょっと風に揺らされる、昼下がりの事務所。部屋へ入るなり、私は意を決して、声高々に宣言した。そんな私を、ソファで思い思いに過ごしていた二人は怪訝そうな顔で見てくる。

 

 少し芝居をかけて、いつになく真剣な雰囲気に、逆光を浴びての位置取り。傍から見たらいきなりの奇行に、二人の反応は至極まっとう。であるが、私にもこれだけ意気を上げた理由があった。

 

 なにせ、いよいよ祭りが始まる。

 

 私は少し目を閉じて思い出す。去年、大切なアイドル二人が果敢に挑戦し、頂きに手をかけつつも、わずかで逃したことを。その後、笑顔で過ごしながらも、悔しさを胸に秘めていたことを。

 

 そのリベンジがなるかもしれない、そんな大きな挑戦の始まりには、気合を入れすぎるくらいがちょうどいいと思えた。

 

 だが、そんな私を見る奏と加蓮、変わらずに担当アイドルでいてくれる二人は呆けた表情のまま。

 

 加蓮はファッション雑誌をめくる手を止めて。

 

 奏はコーヒーカップを静かに机に置いて。

 

 私が太陽のような熱血ぶりなら、彼女たちは風を受ける花のようにしなやかに。そんな様子にちょっとの違和感を抱いたが、それも杞憂だったようだ。

 

 二人は一瞬、顔を見合わせると、私へとそれをゆっくり向けてきた。柔らかく、親愛ある笑顔に変わり、私の意図が伝わったと確信が持てる様な、穏やかな言葉がつくられる。

 

「いったいどうしたの、Pさん? そんなに仰々しく言うなんて」

 

「ほんと、ほんと。今日が何の日か、なんて私たちも、もちろん分かってるよ?」

 

「ああ! そうだよな!」

 

 私だけの気合で終わらずに済んだと、安堵できる、確信に満ち満ちている二人の声。

 

 もちろん、一番に頑張ってくれているのは、アイドルである加蓮と奏。私の役割はそれと比べれば微々たるものであるけれども、チームとして一致団結して困難に立ち向かっていった先に、結果が伴うもの。

 

 だから、私は声を張り上げて、

 

「今日は! シン……」

 

「「チャップリンデー!!」」

 

「……はい?」

 

 声は重なることはなかった。

 

 ひゅうと春一番のような風が私だけに吹き抜け、髪を大げさに揺らす。ばさばさと、目の前に揺れていく黒髪に、間の抜けたように口を開けた私。

 

 一方で、そんな私をしり目に、珍しく大きな声を上げた二人は満面の笑みを浮かべている。そして二人は、私を置いて、てきぱきと準備を始めてしまった。

 

 奏はバッグからDVDを出して。加蓮はコーヒーとクッキーを用意して。

 

 これから何を始めるのか、と聞かれれば、そんな二人の様子からは映画鑑賞会以外に答えはない。奏なんか、いつになく瞳にワクワクした色を浮かべて、あれがいいか、これがいいか、とプレイヤーの前で品定めをしている。それらはどれも良く知られた喜劇王作品。

 

 いや、私だってみんなで見てみたいけれど、今はそんな話をするつもりじゃなかったのに。

 

 なぜ、ホワィと、状況が読み込めない私をよそに、二人が話を進めていく。

 

「もう一年も前だよね。みんなでチャップリン見たのって」

 

「ええ。時がたつのは早いものだけど、Pさんが覚えていてくれたなんて嬉しいわね。加蓮は初めてだったんじゃない? チャップリンに触れたの」

 

「そーそー。あの後、奏と一緒に色々見たけど、あの時が初めて。あ、そういえば。あの日のディナー、美味しかったよね? 今日もPさん、奢ってくれないかな?」

 

「Pさんも鈍感じゃないもの」

 

 奏が言うなり、妖艶な目つきで私を見つめてくる。『もちろん、分かっているわよね?』なんて、無言の主張がそこにはあった。

 

 そして、私だってその日のことを忘れてはいない。一年前の今日、皆でチャップリン映画を見て、最後には二人に奢ることになったことを。そして奏の望む通り、二人を夕飯に連れて行ってもいいと思っている。

 

 相変わらず二人の頼みに弱い私は、あっけなく頷こうとして……。

 

「って! ちょっと待った! 確かに今日はチャップリンの日だけど!! もっと別の意味もあるだろ!?」

 

 四月十六日は喜劇王の記念日。ではあるが、私たちにとっては、アイドルとプロデューサーという立場からすれば、もっと大事な意味があるのではないだろうか。例えば、一年に一度の大きな祭り騒ぎなんて。

 

「あら、勘違いだった? そうね、他には……」

 

「ほらっ! 奏や加蓮がこれから頑張るイベントが……!」

 

「あ、奏! じゃあ、これじゃない? 『女子マラソンの日』!」

 

「違うって!?」

 

 加蓮が自信満々にスマホを掲げ、私は頭を押さえて崩れ落ちた。

 

「……へえ、日本で初めて、女子フルマラソンが開催された日、ね。私たちも、マラソンの開会式とかでゲストをしたこともあるけれど」

 

「ねえ、Pさん、今からマラソンするのはちょっと……。Pさんもおじさん間近だし、準備しないと怪我しちゃうって」

 

「しないって!! そして、まだお兄さんだし、全部間違っているから!!」

 

 加蓮の、真剣に私を心配する顔。この一年でさらに演技力に磨きをかけた、本当に私のことを気にかけていそうな絶妙な表情。

 

 たしかに『女子』マラソンなら、加蓮と奏も参加するかもしれない。その時には頑張ることになるかもしれない。だが、二人の口ぶりは、自分が走ることを欠片も想定していないのはなぜだ。どうして、『女子』マラソンを私が走ることになる!? 

 

(一キロそこらでリタイアが関の山だ。走らないけど! そして、私はまだ若いって!!)

 

 内心で二人にツッコみを入れながら、しかし、この段階で二人の魂胆は分かっていた。遅ればせながら、いつも繰り返されてきたことだと想像がついた。

 

(また、からかわれている!!)

 

 二人もそれを私の表情で察したのだろう。隠すことなく、からかう目線を向け始めた。

 

 私たちの日常と化している、二人によるからかい。それは一年がたっても変わらず、私はからかいに弱い子羊のまま。一方で、二人はますます、からかい上手に。

 

 いつも私は悪戯な二人の声に、仕草に、表情に冷や汗を流してばかりいた。

 

 なので、ここからの流れの予想はついている。そして、私が逃れられないことも分かっている。

 

 加蓮も奏も映画鑑賞の準備をストップすると、ゆっくりと、けれども速やかに私の左右に陣取った。ほっそりとした指先が延ばされ、掴まれる私の二の腕。両脇に可愛らしいアイドルが二人もいるというのに、気分は蛇に丸のみにされる鼠だというのは何故だろう。

 

 暗い森に誘う様なくすぐる声。細められ、向けられる悪戯な瞳。妖艶に、年相応に、あるいは魔女のように、二人が語り掛けてくる。

 

「ふふっ、ねえ、運動不足のPさん。貴方の今年の目標に、フルマラソン達成なんて、どうかしら?」

 

「知ってるよ? この間、ジャンボパフェ食べてたこと」

 

「それも、約束破って週に二つも……。た、い、へ、ん」

 

 奏の指が頬を撫で、私の肌が波立つ。加蓮の声が耳を突き抜け、脳髄を痺れさせる。隠し事がバレていた罪悪感もあって、私の口は震えて、拙い弁解しか漏れない。

 

「いや、あれはつい……」

 

「だめだよー。少しは体も労わらないと。それに、年取ったら痩せにくくなるって言うもんね。私たちも大切なPさんがメタボなんて困っちゃうから」

 

 そんな、怖いほど労わる声を聞きながら、ゆっくりと肩にかけられた手に力が入れられ、私は地面へ沈んでいく。無理に引きはがすこともできたのに、抵抗できず、されるがまま。からかわれていると分かりつつも、こうなった二人相手に主導権を取り戻せるはずがない。そこへゆっくりと、二人の体が迫ってきて……。

 

 耳元で温かい吐息、触れた場所は熱く、火傷しそうなほど。

 

 そして、

 

「……いだだだだだだだっ!?」

 

「まずはストレッチからかしら?」

 

「だね。ほら、ゆっくり息を吐きながら、ぐーっと」

 

「ストップ!? ストップ!!?」

 

 屈伸である。あの、学生時代にやられたような、後ろから体重をかけられるアレ。足を延ばして、指先をつま先に付ける屈伸。だが指先が付くどころか、半分も曲がらないまま、私は悲鳴を上げる他なかった。

 

 背中は柔らかいやら、痛いやら、やっぱり痛いやら。こら、加蓮! どさくさに紛れてくすぐるんじゃない!? 奏も、息かけないで!! ギブ! もう無理!!

 

「うわっ、すっごい固いんだけど。もっと運動しないとダメだよ、ほんと」

 

「……」

 

「奏、ちょっと楽しそうじゃない?」

 

「そんなことないわよ?」

 

 唐突に始まった地獄の柔軟体操は、私のギブアップの叫びも虚しく十分ほど続いた。だが、立ち上がった時、身体が健康になったかもわからないまま。そして、散々な目に遭った挙句、私のスケジュールに、ふろ上がりの柔軟と年内のマラソン挑戦が決定してしまった。

 

 ようやくと、話が元の軌道に戻りそうになったのは、もはや入れる気合も、張る大声も出せなくなったころであった。

 

「ひどい、目に、あった……!!」

 

「あ、あはは……。ちょーっと、やりすぎちゃった?」

 

「……というか、自分の体が、ね」

 

 ぜえぜえと息を吐きながら、なによりショックを受けていたのは自分の体のこと。少し押されたくらいで悲鳴を上げるとは何事か。加蓮が言う通り、将来がちょっと不安になってしまう。

 

 けれども、

 

「ふぅ……」

 

 息を整え、スーツの襟を正す。なんだか、部屋へ入ってきたときと違ってスッキリしていた。無理に気合を入れたり、上へ上へと段飛ばしに進んでいこうという気持ちが占めていた頭の中。それが、騒いだからか、空っぽになって、プレッシャーもない。

 

 そうして思い出すのは、聡明な二人が、今日が何の日かを知らないわけがないこと。だから、ここまでのからかいは、

 

「あー、その、ごめん。ちょっと先走ってた」

 

 二人は心配してくれていたのだと思う。決めていたパフェを食べる数を破るほど、ここ最近は忙しく走り回っていたし、怒られないように、隠れて残業も繰り返していた。

 

 そんなこと、毎日顔を合わせていれば、百も承知だったのだろう。

 

「二人には、心配かけちゃったかな?」

 

 そう言うと、二人は微笑みを零し、

 

「少しだけ。私たちのことを考えてくれるのは嬉しいけれど、貴方の体が大切だもの。変に構えないで、気を抜いても良いんじゃない?」

 

「いい結果貰っても、Pさんが倒れちゃったら、流石に泣いちゃうんだから」

 

 加蓮と奏が、肩を優しく撫でながら言ってくれる。

 

「……そうだね、その通りだ」

 

 そして、私も同じように小さく笑って答えた。

 

 ここまで三人四脚で頑張ってきたのだ、そこで一人だけ先走っても、躓いてこけてしまうだけ。

 

 奏と加蓮が、私の手を引いて、立ち上がらせてくれる。何時も、いつでも、きらきらと輝いている。ステージでも、仕事でも、そして、こうしている今も。

 

 立派なアイドルで、魅力的な女の子は、大舞台を前に、いつも通りに笑っていた。

 

「心配しなくても大丈夫。ここまで頑張ってきたんだから、今年だって、来年だって、ちゃんと輝いていけるよ。貴方が育ててくれたアイドルだもん。任せといて!」

 

「加蓮に言いたいこと言われちゃったわね。でも、ほら、Pさん。さっき調べたら、面白いこと分かったの」

 

 奏が差し出してくれたスマホの画面。今日の記念日として、チャップリンデーや、女子マラソンの日が並んだ、そこには。

 

「どこまでも輝いて、上を目指していくのがアイドル、でしょ? 貴方の言うように、宇宙を目指せるくらいに。偶然かもしれないけれど、そんな私たちのスタートにはちょうどいい日だと思うの」

 

「『ボーイズビーアンビシャスデー』、か」

 

「私たちはガールズだけど、それでも」

 

 四月十六日。クラーク博士が教え子に夢を告げた日。

 

 昔はボーイズだけが大志を抱けた時代であったけれど。今は伝説のアイドルたちが歌ったように、乙女だって大志を抱ける時代だ。

 

 そして、時代の名前も変わるという時こそ、シンデレラたちには……。

 

「じゃあ今日は、『大志を抱く日』だね」

 

 大きく花咲くような夢を抱いて欲しい。そして、それを叶えてほしい。

 

 私は気を取り直し、今度こそ自分らしくカッコつけて手を上げる。無茶な目標でも達成する主人公たちのように、夢を追いかける彼女たちにふさわしいプロデューサーとして。

 

「やっと、ロマン大好きなPさんに戻った?」

 

「二人のおかげ」

 

「それじゃあ、私たちらしく、トップを目指して走りましょう」

 

 軽やかな音と一緒に、三つの手がてっぺんに向かって重なる。ファンとプロデューサーとアイドルたちが、切磋琢磨して駆け抜ける、そんな一年に一度の祭典の、今度こその始まり。願わくば、二人のアイドルに栄光がもたらされるように。

 

 第8回シンデレラガール総選挙、開幕。

 

 

 

「……いったい、どうしたの?」

 

「いや、さっきのあれで、腰が……」

 

「ほんとにおじさんになっちゃった?」

 

「私はお兄さんだ! まだ!! ……たぶん」

 

 今年も私たちらしく、頑張ろう。




総選挙、再び開催!

去年に引き続き、今年も三十日連続更新を目指していきます!
そして、速水奏と北条加蓮の二人を頂へ。モノクロームリリィの曲とイベントも諦めません!

二人の魅力がどうか、少しでも伝わりますように。

面白いと思っていただけたら、ぜひ、二人へ清き一票を!


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4月17日「なすび記念日」

去年は恐竜の日でしたから、別の記念日を。色々と調べてみると面白いですね。


「四月十七日だから、『よいなす』かぁ」

 

「日本語の語呂合わせって、時々強引だよね。『す』って、いったいどこから来たの?」

 

「縁起を担いでっていうのは、PRに役立つものなのよ。仕方ないわ。ナスの旬は夏と秋。春にも食べてもらいたいから、多少強引でもってところでしょうね」

 

 奏が言うように、この国において縁起というのは大事だ。大安吉日とか、語呂合わせ。そういう記念日は有難がれるもの。色々と理由付けられたイベントには、彼女らもゲストとして呼ばれることが多々ある。

 

 そんな類とアイドル業は切っても切れない縁があるのだ。当然、私だって仕事の種になると、カレンダーとかイベントには気を張っている。

 

 まあ、そんな日本の事情はさておいて、なぜ真昼間からうら若いアイドルと額を突き合わせてナスビの話をしているかと言えば、私たちの目の前に、丸々肥えたナスビが置かれているからに他ならない。

 

 今日は『なすび記念日』。おいしい茄子をみんなで食べようという日。モノクロームリリィというユニットと野菜のナスというのはあまり関わりはないが、個性的な面々がそろった事務所には、それに縁がある仲間もいる。このナスビも、そんな彼女からのお土産。

 

『茄子と一緒に、茄子ですよー』

 

 一時間ほど前、いつものお決まりというか、持ち芸というか、ほんわりとした台詞と共に、鷹富士茄子さんが部屋を訪れた。小早川さんとはまた違った、大人な大和撫子。幸せに満ちた、やさしい笑顔を見ていると仕事疲れも晴れていく気がする、不思議な幸運のアイドル。

 

 そんな彼女の手にはビニール袋に入った艶やかな茄子が下げられていた。

 

『じつは、私たちでキャンペーンに参加してきまして、お土産にとたくさんいただいたんです。でも、ほたるちゃんと私たちのプロデューサーさんでは食べきれなかったので』

 

 物産会でキャンペーンガールを務めたミス・フォーチュンのお二人。イベントは大盛況で、会場は人だかりができたとか。そして、盛況ぶりを喜んだ農家の皆さんがお礼代わりに、こぞって事務所にナスを送ってくれたのだという。

 

 ちなみに、幸運の鷹富士さん、不幸だったらしい白菊さんを率いるプロデューサーは『貧乏神』だなんて呼ばれている。見た目は普通の好青年なのに、とんと金には縁がない後輩。その彼が段ボール一杯のナスを持ち帰っていた姿を、私も目撃していた。

 

 それでも、ナスの量はあまりに多く、傷ませるわけにもいかないので、こうしてお裾分けに来てくれたそうだ。こちらとしても、そんな事情もあるのなら、優しい申し出を断る理由はない。

 

『ありがとうございます! ちゃんと美味しくいただきますね』

 

『おひたしとか、焼きナスにしたら美味しかったですよ』

 

 鷹富士さんから茄子を受け取って、部屋へ帰っていく彼女を見送って。ずっしりと丸まったナスをうちの姫様二人にも見せて、現在に戻る。

 

 英語でエッグプラントという様に、卵型の瑞々しい野菜は、蛍光灯の光を浴びてつやつやと宝石のように光っていた。野菜には詳しくはないが、スーパーで見るナスとは輝きからして違っている。もしかしなくても、ブランドものだろう。丸かじりしても、そのままで食べられそうなほどに、見ているだけで美味しさが伝わってくる逸品。

 

 そんな、テーブルの上に広げたナスを、加蓮も奏も面白そうに見ていた。九つあるので、一人三つずつを持って帰ればちょうどいい。さて、プレゼントをどうやって料理しようかと、男やもめの私は考えていると、

 

「ほんと、美味しそう! ねえねえ、ナスって揚げてもいいんだっけ?」

 

 加蓮が期待に目を光らせて尋ねてきた。フライドポテトならぬ、フライドエッグプラント。いや、語呂が悪いが、それを作るつもりだろうか加蓮は。

 

「揚げナスは有名だけど、ポテトみたいにしたら台無しじゃないかしら? そうね、揚げても、シンプルな味付けの方が良いわよ? それとも、素直におひたしとか」

 

「天ぷらもいいかもな。鷹富士さんからのナスなんて、それこそ縁起物だから、素材の味を損ねないようにしたいし」

 

「もー、二人とも。私だって、そこまではしないって。

 じゃあ、家に帰ったら頼んでみよっと。そういえば、Pさんはちゃんと作れるの? ナス料理」

 

「……味噌汁に入れるくらいは」

 

 ふふん、とジャンクフードをからかわれたお返しとばかりに、目を細めた加蓮には、小声で返すしかない。

 

 毎日トン汁を食べているような私に期待はしないで欲しい。二人のおかげで、前と比べれば、料理もするようになったが、まだ素人に毛が生えた程度。すると、奏もすっと横目にからかいの色を灯して、試すように言うのだ。

 

「ふふっ、それなら私たちで作ってあげても良いわよ? 加蓮もお料理、もうすっかり一人前だから一緒に、ね?」

 

「特訓の成果、見せてあげたいんだけどなー。そのためには、知りたいことがあるんだけどなー」

 

「まだ君たちには家は教えん!!」

 

 安息の地は易々と奪わせるわけにはいかないのだ! 

 

 そう言って大きくバツ印を腕で描く私だったが、二人の表情は面白そうな、あるいは微かに憐れむようなものだった。実は、うすうすと感じていることがある。けれども、決して口にしたくはない。実は既に、なんて。

 

 そんな想像は胸に秘めて、ナスへと無理やりに視点を戻す。こら、二人とも、あからさまにニヤニヤするんじゃない。怖いだろ!

 

 なにはともあれ、この総選挙の開始直後に食べるには、ナスはちょうど食材だと思う。なにせ縁起物で、加えて、幸運の鷹富士さんからの頂き物。それに頼るつもりは欠片もないけれど、二人が怪我なく過ごせるくらいには役立ってくれそう。

 

 そんなことを考えていたら、ふと気になることが出てきた。

 

「一富士二鷹三なすび、なんてよく言うけれど、由来って何なんだろう?」

 

 正月のたびに初夢のネタで挙げられる三つの縁起物。それらを初夢で見れたら、一年が幸せになるとかならないとか。ただ、三つが並ぶにしては、富士山と鷹はともかく、ナスは珍しいとも思う。

 

「何となーく、よく聞くけど、確かに言われてみたら変だよね」

 

「そういうのは、得てして単純なところが由来だと思うわよ。例えば、ナスだって……」

 

 奏がさらさらと、メモ帳に字を書いてくれる。そこに在るのは、同じ音の二つの言葉。

 

「なるほど、ナスと『成す』、か」

 

「それじゃあ、今の時期にちょうどいいね」

 

「他にも、昔に名産物として挙げられたからなんて説も。……確か、駿河の国って静岡の方だったわよね?」

 

 ほんと、奏は色々と知っている。調べてみると、確かに富士山も、鷹も、ナスも、静岡の名物として有名だったらしい。それだけなら、一地方で広がるだけだが、三つをプレゼンした人物が偉人となれば、全国区にもなろう。

 

 その人物とは、

 

「将軍、家康!」

 

「なんでPさんがテンション上げてるの……」

 

「ロマン好きだもの。歴史ものなんて、らしいじゃない?」

 

 酷い言われようだが、家康がナスを含めた名物として挙げたことも有力な説だそうな。そりゃそうだ、江戸時代には文字通り神様だったんだから、それにあやかりたい人は山ほどいただろう。

 

 となると、鷹富士さんの守護神は家康公だったり、等と考えてしまう。どこぞの漫画よろしく、鷹富士さんの後ろに鎧武者が控えていて、彼女を悪霊から守ったり……。

 

「そろそろ戻ってきなさーい」

 

「いひゃい、いひゃい」

 

 頬を引っ張られて、そんな妄想から引き戻された。横に座った加蓮には、呆れたようなジト目を向けられてしまっている。

 

「私たちをおいて、ぼんやりしちゃうなんて、Pさんも罪作りな人ね」

 

「ほんと、忘れられないように、色々しなくちゃいけないかな?」

 

「ごめんなさい、ほんと」

 

 こんなことをしているから、毎度からかいのネタを提供してしまうのだ。

 

 こほんと咳払いをして、ランチを奢るって約束をして、その後で多分からかわれるだろうけど、それはなるべく考えないようにして。

 

「あー、そうそう! このページによると、家康の好物がナスなんだってさ。それに、今日がなすび記念日なのも、家康の命日にちなんでらしい」

 

「あ、話逸らした」

 

「可哀そうなPさんに乗ってあげましょ。でも……」

 

 ふっと、奏の纏う空気が変わった気がした。少し静かに、手の中の野菜を見つめて、

 

「ナスも幸運だったわね」

 

 小さく、親しみのこもった言葉をつぶやいた

 

 私はそんな奏の言葉にピンとこなかった。加蓮もそれは同じようだ。奏の言葉は、どこか、目の前の野菜に感傷を持っているような調子だったから。それは決して、悪い意味を想起させるものではないけれど、奏には、どこか手の中のナスが特別なものに見えたようだった。

 

 私たちの視線を受けた奏は、軽やかな笑顔と共に言う。

 

「だって、ナスは美味しくてもただの野菜。けれども、徳川家康っていう名プロデューサーのおかげで、お正月のアイドルになれたんだもの。そんな人に好きといってもらえて、見出してもらったことは幸運だと思わない?」

 

 奏のほそい指が、ナスの瑞々しい表面を撫でていく。労わる様に、親しみを込めて。そして加蓮も、奏の言葉に思うところがあったのか、不思議な共通点を持っていた野菜を丁寧に持ち上げた。

 

「そう言われると、うん、そうだね。

 それに、そんな野菜なら、私たちにも縁起がいいって思う。幸運に恵まれた先輩として、力を貸してくれるって」

 

 そう言い、加蓮と奏が私を見る。ナスを先輩と呼んだ、その意味を分からないほど、私だって察しが悪い訳じゃない。

 

 二人がそう思ってくれていることは、とても嬉しくて。そんな二人と出会えた自分こそが幸運だなんて、胸がいっぱいになるほど。だから、言葉ではなくて何かの形で報いたかった私は、一つ、楽しい思い出を作ろうと考えた。

 

「よしっ、せっかくだから、何か作って食べようか! 二人はそろそろレッスンだし、帰ってきたときまでに用意しておくよ」

 

「ナスのお味噌汁かしら?」

 

「……プラス一品くらいは、考えておく」

 

「じゃあ、期待しちゃうよ? 幸運がたっぷり詰まった料理。ふふっ、Pさんの手料理なら御利益ありそうだね」

 

 さて、二人が期待してくれているなら、何を作ろうか。洒落たものはできないけれど、精一杯の愛情をこめて迎えるとしよう。

 

 二人がどうか、幸福にアイドル生活を送れるように。




去年は奏を超えて声を手にした女神茄子さん!
今年は奏も負けていられませんから、彼女の幸運にもあやかって頑張っていきたいと思います。

それでは、今日もモノクロームリリィの二人に、幸運と清き一票をお願いいたします!


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4月18日「発明の日」

今日は「発明の日」に加えて「お香の日」。

加蓮も奏も、いつ見てもオシャレで、すごいなって感心するばかりです。


「香りって不思議よね。こうして華やいで、残るのは一刹那。けれど、その一瞬だけでも十分。酔いしれて、魅了されて、そして記憶にさえ結びついてしまうの」

 

 シュっと一吹き。

 

 それだけで何でもない部屋が変わる。広がる、春の豊かな香り。野花のように、密やかに。涼風のように、繊細に。嗅ぐのは初めてなのに、その香りが春を想起するのは何故だろう。

 

 いつか、覚えていないほどの昔の記憶か。それとも、今、春を振りまく、魅力的な笑顔のおかげか。

 

 奏は呆けた私を見るなり満足げに微笑んで、手の中の小瓶を机に置いた。

 

 ラベルも何もなく、ただ、薄青色の液体だけが微かに揺れるソレは、どこか宝石のようなきらめきを湛えている。添えられているのが、芸術品のような奏の指なのも、眩しく見えた原因だろうか。

 

 続いて、可憐な声が空気の彩りを変えていく。

 

「じゃあ、私は、これかな」

 

 加蓮が小瓶を一振り。エメラルドの軌跡を描きながら広がった香りは、加蓮のウィンクと同じような悪戯な感傷をもたらした。ちょっと刺激的で、それでも爽やかな。どこまでも幸せに満ちた香り。

 

 加蓮もそれを気に入ったのか、目を細めて、すんと息を吸い込むと、強い頷きを一つ。

 

「うん、良い香り……。私はこれにしようかな」

 

「そうね、加蓮に似合うと思うわ」

 

「そういう奏は?」

 

 尋ねられた奏は、そうね、と呟きながら色とりどりのガラスを見比べて。最後には笑みを零しながら一つをつまみ取った。顔の間近に寄せて、青い光を唇に灯しながら、囁くように。

 

「最後のこれ」

 

「へー、ちなみに理由ってあるの?」

 

「しいて言えば、誰かさんが一番、好きそうだったから。なんて、言ったら乙女らしいでしょ?」

 

 私はそんな奏の言葉に、ポーカーフェイスを保とうとしたが、くすくすと笑う二人の様子を見るに、それは失敗していたのだろう。いちいちドギマギしていては心臓に悪いが、こればかりは止められない。

 

 私たちの部屋に違った色をもたらしてくれた、華やかな香りたち。それは、なじみ深い仲間から貰った、試作の香水だった。

 

『色々作っちゃったから、あげるー』

 

 なんて、突然やってきては、十個ほどを置いていったのが誰かなんて、もはや言わずとも分かるだろう。嵐のように去って行こうとする彼女を引き留めて、安全かどうかだけでも確認するのに苦労させられた。今頃は担当Pとフレデリカさんと一緒に、アマゾンに着いたころだろうか。

 

 一週間ばかり留守になるから、ラボの中を整理して、試作品を持ってきてくれたそうな。

 

 一ノ瀬博士謹製ということで、二人ほどではなくとも、彼女に巻き込まれがちな私は戦々恐々とさせられたが、それは杞憂に終わり、二人によってどれも、『無害な』香水であることも分かっている。

 

 その上で部屋に広がった香りを楽しんでみると、今さらであるが、化学者としての一ノ瀬博士の腕が素人にも理解できた。

 

 香水は化学物質の組み合わせによって、『らしい』香りを生み出すもの。仕事の都合上、製造方法を知る機会があったが、一滴一滴を慎重に組み合わせて、時間の経過による変化すら個性にしていく、繊細な作業だった。

 

 二人に倣って、ピンク色の小瓶を摘まみ上げ、ふたを開けて手で扇いでみる。すると、桜だろうか、ついこの間に催した花見を思い起こさせられた。だが、材料に花びらの類は使用していないだろうし、私だって、桜の花の香に、覚えるほどの印象はない。

 

 知らないのに、知っている。そんな人間の感覚を惑わせるその技術は、魔法とも言い換えられるだろう。

 

 小さくも技術の結晶を、興味深げに見ていた私に、加蓮が語り掛けてくる。

 

「ねえねえ、Pさんもどれか選んでみる?」

 

「えっと、私も?」

 

「うん。オシャレに良いんじゃない?」

 

 私と香水と言うと、先年の取れない香水騒動を思い出してしまうが、今回は二人により、しっかりと安全も確認されている。それなら、せっかくの機会であるし、少し冒険してみたい気持ちもあった。きっと、部屋に広がった上機嫌に影響されたのだろう。

 

「男の人が付けるなら、これなんてどうかしら?」

 

「あ! これ、さっき良いなって思ってたんだ。でも、ちょっと私たちには合わなくて。Pさんには、ちょうどいいかもしれないね」

 

 二人が選んでくれた、黄色い小瓶を手に取る。嗅いでみると、強い癖はない。けれども、存在感がないわけではないなんて、矛盾をイメージさせる。

 

 すれ違った一瞬だけで爽やかさを感じさせるような、纏う雰囲気を変えていく香水だ。

 

「香水って、ヴェールみたいなものなの。つけた人の周りを明るくして、守ってくれる。もちろん、香りが強すぎたら、本当の自分も見えなくなってしまうけれど。これくらいなら、貴方の魅力も増すはずよ」

 

「私たちも、Pさんが良い香りなら、楽しくなるしね。あ、もちろん、普段が変ってわけじゃないからね?」

 

「はは、分かってるよ」

 

 確かに、香りを纏って、雰囲気を変える。二人と過ごすようになって、そういう変化にも理解を深めることができた。何より、アイドルの傍に控える仕事上、身の振る舞いには気を付けているが、こういう小道具を試すのも、一つの挑戦としていいかもしれない。

 

 私が頷きを返すと、二人はぱっと、笑顔で顔を見合わせた。

 

「今日は、私たちがPさんをプロデュース、だね」

 

「スーツ姿も様になっているけれど、たまには遊び心が必要だもの」

 

 さて、それじゃあ、まずは親しい仲間に披露してみようか。羽衣小町のPは、化粧の類にも詳しかったし、色々と合わせ方とかをアドバイスしてくれるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、小瓶をころころと手のひらで転がす。

 

「一ノ瀬博士も良いものを作ってくれたな。あとで、ちゃんとお礼を言わないと」

 

 暴走するのが玉に瑕だが、やはり、市販品とは一味違う。そして、それは事務所内だけでなく、ここ一年で世間にも広まるようになった。例えば、彼女がコラボ企画で作った香水は、一躍ベストセラー商品となっている。アイドルというネームバリューだけでなく、純粋に良さが広がった結果。

 

 他にも池袋博士が、子供向けのロボットオモチャを発明しており、それも前年度のベストセラーとなっていた。

 

 あくが強い、なんてうちの事務所は言われがちだが、それが強み。私としても、こうした仕事をしていなければ、こんなにすごいアイドル達と出会えなかっただろう。加蓮と奏と出会えただけでなく、事務所は私にたくさんの縁を紡いでくれている。

 

 私も、そんな縁に感謝を込めて、加蓮と奏の世界を広げていきたいと思っているが、

 

(……そうだな)

 

 香水を見ながら、ふとアイデアが浮かんだ。

 

「二人とも、商品のプロデュースとかしてみない?」

 

「……それって、志希みたいに?」

 

「うん。技術じゃなくて、アイディアを出すって形で。二人のセンスなら、私だって自信もって推せるし、実際に評価されてる。何か作ってみたいものがあったら、実現できると思うんだ」

 

 奏も加蓮も、自分の世界観をもって、それを実現できるファッションセンスを持っている。ティーンのファンには、二人に影響を受けた人も多い。今の時代のカリスマといえば、城ヶ崎さんが有名だが、二人だって高く評価されているのだ。

 

 商売という観点からも、何より二人の可能性を広げるという点からも、いいアイデアだと思った。

 

 提案後、二人は考えるように、数秒黙ったが、すぐに顔を上げる。瞳の中に楽しさがあふれ出していた。よかった、どうやら、二人にとっても提案は気に入るものだったようだ。加蓮なんて、こぶしを握り締めて、やる気満々の様子。

 

「私たちのブランド、かぁ……。あー、もーっ! 想像したら楽しくて仕方ないんだけど! Pさん、期待させたんだから、ちゃんと実現させてよね!!」

 

「加蓮ったら、はしゃいじゃって」

 

「そりゃあ、憧れますし? そういう奏だって、唇、ちょっとうずうずしてるのは、どうしてかなー?」

 

「私だって、年相応の女の子だもの♪」

 

 まだ企画も何も始まったばかりだが、先例は事務所の中にもたくさんいる。決して、無茶な話ではない。ただ、方向性くらいは決めておくべきだろう。私は頭の中で、二人が得意なこと、興味があることを並べていく。そして、モノクロームリリィというユニットの方向性からいっても……、

 

「例えばだけど、加蓮はネイル、奏はリップのプロデュースをしてみる?」

 

 こういうコラボブランドというと服飾や小物が一般的。その中でも、世間での認知度も高く、二人が好んでいるのが今挙げたものだ。だが、提案に対して、返ってきたのは意外な答えだった。

 

「うーん、確かに、ネイルだったら自信もって提案できると思うけど」

 

「私もリップなら自信あるわね。でも……」

 

 歯切れが悪い。理由を聞いてみると、

 

「せっかくPさんが作ってくれる機会だし、何かもっと挑戦してみたいんだ」

 

 そういうことだった。ネイルもリップも、二人がそれぞれ得意なこと。上手くできるだろうが、それだけでは、少し物足りない。

 

 新しい分野を開拓し、もっと成長したい。二人の答えには、そんな向上心が満ちていた。

 

 それを聞いて、私にだって堪らない嬉しさと、楽しさが溢れる。だって、二人はまだまだ、自分の可能性を模索している。もっともっと、成長したいと考えていると、伝わってきたから。

 

 なら、そんな二人に方向性を示すのがプロデューサーとしての仕事。

 

「じゃあ、こういうのはどうだろう?」

 

 ユニットにとって、オシャレが好きな女の子にとって、そして夢を追いかけるアイドルにとって、大切な仕事となるように私は一つの提案をしてみた。 

 

 

 

 後日、とある有名ブランドからコラボ商品が発表されることになった。それは、モノクロームリリィによるリップとネイル。けれど、少しだけ挑戦的なことも加えている。

 

「やっぱり、奏のセンスは良いね。ほら、私の指にもぴったり!」

 

「いつも、誰かを見ているからね。それに、このリップも良かったわよ? Pさんったら、ちょっと近づいたら真っ赤になっちゃったもの」

 

 今回のコラボにおける発案者はそれぞれ、リップが加蓮で、ネイルが奏だった。二人の得意なことを交換した形だ。はじめは戸惑いも伴っていた二人だが、今の笑顔を見ると、いい結果を迎えられたと自信が持てる。

 

「いいアイデアだっただろ?」

 

「ええ、本当に。これなら互いに挑戦できるし、隣に専門家もいるから、アドバイスも貰える」

 

「ほんと、こういう時は凄腕プロデューサーっぽいから、ずるいよね。いつもは、からかわれてるのに」

 

「い、いや、そこは二人が原因なんだから」

 

 とはいえ、こちらが用意したのは方向性だけ。こうして商品が無事に形になったのは、二人の努力と工夫のおかげだ。聞くところによると、既に女の子たちからは評判が高く、予約も殺到している。上手くいけば、第二第三段を企画できるかもしれない。

 

 何より、

 

「楽しいお仕事だったね」

 

「加蓮?」

 

「いつもは買い物して、組み合わせるだけだけど、今回は自分の『好き』を形に出来た。世の中の女の子のあこがれを作ることができた。……だから、ありがとう」

 

 加蓮は作り上げた理想のリップをじっと見つめて、噛みしめるように呟き、お礼を言ってくれる。そして、加蓮も奏も、この経験から一つ、学んだことがあるそうだ。

 

「なにかを作り上げるって、こういう気持ちなんだね。ふふっ、もしかしなくても、Pさんもプロデュース、面白いでしょ?」

 

「アイデアを出して、組み合わせて。それで、可能性をカタチにする。Pさんは、私たちのこと、すごいって言ってくれるけど。貴方も負けて無いわよ」

 

「加蓮、奏……」

 

 ふとした思い付きから始まった仕事ではあったけれど、このコラボ企画も二人の世界を広げることに役立ったなら、これほど嬉しいことはない。

 

 上を向き、じんと、感動を抱く私。だが、間近に気配を感じて、目線を戻すと……。

 

「と、いうわけでー」

 

「これは、Pさんへのお礼♪」

 

 二人の笑顔があった。

 

 二人が満面の笑顔と一緒に迫っていた。

 

 全身から悪い予感がした。

 

「いや、ちょっと待ってくれ。そのネイルとリップは何なの? それに、それって一ノ瀬博士の香水……!」

 

「ふふふっ、この間、男の人用の美容も色々調べたんだ」

 

「それが意外と、楽しそうなのよね。だから、試してみたかったんだけど、身近にはPさんしかいないもの」

 

 つまり、

 

「Pさん、今日は外に行かないでしょ?」

 

「いやいや、ちょっと、心の準備が……!!」

 

 二人がやろうとしていることは分かるが、こちらにだって色々と覚悟が必要だろうに。実験台はいやだ!!

 

 だが、結局は、二人に勝てるわけがなく、私は色々といじくりまわされることになってしまうが……。

 

「Pさんをプロデュースするの、楽しくなってきたんだよね」

 

「私たちだけじゃなくて、貴方も一緒に成長しましょ?」

 

「……ほどほどにしてください」

 

 二人が楽しいなら、それでもいいか。

 

 諦め、身を任せる私と、楽し気な二人の声。その後、当然のことだが、二人によってアレンジしてもらった私は、出先で評判がよかった。

 

 だが、女性にも好評だったと聞いて、二人が不機嫌になったことに、責任はないと声高に言いたい。




最近はアイマスのコラボ商品が多く出ていますが、加蓮と奏ももっといろいろなグッズ出ないかな、と期待しています。

モノクロームリリィのユニット商品なら尚良し!

そんな未来を招くためにも、今年も頑張ってまいります。

それでは、今日もモノクロームリリィの二人に、幸運と清き一票をお願いいたします


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4月19日「飼育の日」

加蓮は犬っぽい、猫っぽい?


 走る。

 

 走る。

 

 爽やかな春の風の中を、芝生を踏みしめ、思い切り。風鳴りが耳元をくすぐるが、もっともっと、そうして彼方を駆ける、小さな影へと追いつくために。私は、懸命に足を動かしていた。

 

 あと一歩、もう一歩。

 

 そうすれば、幸福に包まれることができる。この世の物とは思えない、安らぎを感じることができる。そのためなら、もっと力が出せるし、スピードも出せるはず。

 

 息が上がろうが、構わない。

 

 そして、

 

「ゴール! Pさん、お疲れ様♪」

 

「……っはぁ!」

 

 加蓮の声に迎えられるなり、私はまだひんやりとする芝生へと飛び込み、身体を沈ませた。仰向けになって、青空の下、荒い息を零す。肋骨の奥から、痛いほどに動悸。そのまま、運動後のジンとした痺れに体をゆだねていると、小さな影がぴょんと飛び込んできた。

 

 汗にまみれた顔に、温かい感覚が広がる。

 

 ああ、こんなに愛らしい者がこの世にいるなんて……。

 

 私は破顔して、彼女を抱きしめながら名前を読んだ。

 

「ハナコは元気だなぁ」

 

「わうっ!!」

 

 褒められたことが嬉しいように、ハナコは一声を上げて、また頬をなめてくれる。長い柔毛の奥の、つぶらな瞳は宝石のようで、人とは違う、純粋な感情まで見えてくるよう。かわいい、ほんと、かわいい。抱きしめたら、温かく柔らかいのだから、もう反則だ。

 

 渋谷凛さんの愛犬であるハナコ。その彼女を連れて、私と加蓮は散歩に来ていた。

 

「ハナコ、楽しそうだね~。Pさんにかまってもらって嬉しかった? うれしかったんだ~」

 

 もふもふっぷりを満喫する私を、加蓮が覗き込んでくる。

 

 すると、私よりも加蓮の方に慣れているからか、ハナコはぴょんと私の腕から飛び出し、加蓮へとダイブ。その愛らしい仕草に当てられたのか、加蓮はハナコを抱え、頬釣りをしながら甘い声を上げた。

 

 猫かわいがりならぬ、犬かわいがりの加蓮。ハナコを見つめる目が、デレデレである。今まで見たことがないくらい、蕩けている。今日は運動しやすいパンツスタイルなので、加蓮も芝生に転がりながら、ハナコの体を撫でていき、その蕩け具合は増すばかり。

 

 私は、そんな加蓮と、なされるがままに尻尾をぶんぶん振っているハナコに苦笑いをしながら、上半身を起こし、腰に付けたペットボトルを口に運んだ。スポーツドリンクをのどに通すと、ふぅと一息。

 

 ハナコと少しの距離を競争してみたが、久しぶりの全力疾走はきつかった。日ごろの運動量をもう少し見直した方が良いかもしれない。犬とはいえ、小型犬のハナコと同着になってしまったのは、果たして良いのか、悪いのか。

 

「かれんー、そんなに可愛がって、明日家に帰すときにごねるなよー」

 

「それは私の台詞だって! 私はいつでもハナコと会えるもんね」

 

「うっ! そ、それはそうだけど」

 

 一日だけとはいえ、こんなにハナコの愛らしさを知ってしまったのだ。私は、この子のいない世界に耐えられるのだろうか。

 

 そんな会話で分かる通り、この場に、ハナコの飼い主である渋谷さんはいなかった。そもそも東京にいない。担当Pである先輩と一緒に、出張に出ている。ハナコが私たちと一緒にいるのも、それが理由だった。

 

 本当なら、渋谷さんの家でお留守番のはずだったハナコ。だが、運悪くご両親も仕事の関係で遠出してしまう。

 

 悩んだ渋谷さんを待っていたのは、アイドルによる壮絶なハナコ争奪戦であった。

 

 可愛らしいハナコを一日でもお世話したいと、渋谷さんと仲いいアイドルたちが、こぞって手を挙げ、決勝戦は神谷さんと加蓮の一騎打ち。そして、手汗を握るような、握らないような、神谷さんの照れた叫びが響いた死闘の末に、加蓮が一日飼い主の座を射止めた。

 

「ほんと、今日がオフでよかったー!」

 

 加蓮がハナコを抱えて、立ち上がり、歓喜の舞をぐるりぐるりと踊っていく。ハナコを預かるのだから、今日はオフ。奏も、高垣さんと、そのプロデューサーと一緒に北海道に出ているので、ちょうどよかった。

 

 だが、なぜ加蓮の休日に、私もいるのかと言われると……。

 

『プロデューサーさん? また有給消化してませんよ?』

 

 などと、怖い顔をした蛍光緑の有能悪魔に迫られたからである。今年から色々と厳しくなるなかで、残業を繰り返していたのが問題だったよう。休みを取れとせっつかれてしまったのだ。

 

 そして、休日に何の予定もなかった私を、加蓮が誘ってくれて今に至る。

 

『フルマラソンするんだから、ちょっとは運動しないと!』

 

『そんなこと、ひとっことも言ってないんだけど!!?』

 

 何度も念押ししているのに、奏も加蓮もそのつもりで動いているのが怖い。このままでは、年末辺りに勝手にエントリーされていそうである。

 

 閑話休題。

 

 そんなわけで、私は加蓮の誘いを受け、ハナコと共に近場の運動公園にやってきていた。長い毛の犬は、気温が高すぎてもダメらしいが、今日は風も涼しく、ちょうどいいくらい。ハナコも、芝生の上でゴロゴロと転がって楽しそうである。

 

「はい、Pさんも撫でてあげて」

 

 十分に可愛さを堪能したのだろう。加蓮からハナコを受け取り、私も腕でそっと包んで一撫で、二撫で。犬を飼育した経験がないので、力加減が分からず、恐る恐るだったが、ハナコは気持ちよさそうに目を閉じてくれた。

 

 横に腰を下ろしながら、加蓮が静かに言う。

 

「なんか、やさしい顔してるね」

 

「いつも、こんな感じじゃないか?」

 

 あまり、怒るのは得意じゃない。それこそ、仕事で怒ったことなんて数えるくらいしかないはずだ。例外は、加蓮と出会った後の一回くらいだろうか。

 

「それは、そうなんだけど。なんか、優しさの種類が違うっていうのかな? ほら、私たちの時と違って、子供の面倒見ているみたいな」

 

「うーん、そうなのかな」 

 

 ハナコを撫でながら、考えてみる。確かに、そうかもしれない。加蓮と奏もしっかりしているから、ハナコのように、触れたら壊れそうな不安はない。信頼しているし、私の方が二人に翻弄されっぱなしだから、気が抜けないところがある。

 

 それと比べると、この腕の中にいる命は。

 

 ぎゅっと、ハナコを抱く手に、力を込めてみた。ふわふわした毛皮の奥の、細い体が露になる。どくんどくんと、人と違う鼓動と、熱いほどの体温も伝わってくる。確かな命の感触と、それを支える、不器用な私の手。

 

「なんか、ちょっと怖いな」

 

「……そうだね」

 

 私を安心させるようにか、加蓮の手のひらが、そっとハナコの頭を撫でる。不意に黙った私たちを、小さな頭がきょとんと見上げてくる。なんの心配をしていない、愛くるしい顔。

 

 加蓮が、そんなハナコを見つめながら、目を細めた。

 

「私、小さい頃は犬が飼いたかったんだ。……ううん、犬だけじゃなくて、猫とか、ハムスターとか。私がいた場所じゃ、一緒にいられない子たちを飼ってみたかった」

 

「……今はどうなんだ?」

 

 加蓮は、ハナコをわしわしと撫でながら、少し悩んだように眉をひそめる。ちょっとの頷き。

 

「今は……、ハナコみたいな子と毎日いられたら楽しいなって思うよ。けど、私は凛みたいにしっかりしてないから、どこかで傷つけちゃいそうで」

 

 加蓮の言葉は、心細さと、それでも確かな芯があった。自分が飼い主となる。その義務と責任がどれだけ大きいのかを、渋谷さん達から知った、今の加蓮。だからこそ不安だというけれど、そんな加蓮の気持ちは、

 

「それも、成長だよ。それに、こんなに優しい加蓮なら、立派な飼い主になれると思う」

 

 アイドルになって、多くの仲間と出会って、加蓮は優しさと思いやりを表に出すようになった。莉嘉さん達、年少の子に慕われ、面倒もよく見るようになった。今の、ハナコを思いやる気持ちも、責任感と、優しさと、思いやり。しっかりと未来を見据えていなければ、そんなことを考えることはできない。

 

 すると、加蓮は少し頬を染めて、照れくさそうに笑った。

 

「ふふっ、ありがと。そういうPさんは、どうなの? 動物とか、お迎えしたことある?」

 

 問われたので思い返してみるが、

 

「昔、縁日でもらった金魚を飼ってたよ。けっこう長生きしてね。十年くらいだったかな、もう、まんまるのコイみたいになってた」

 

「へえー。そんなに大きくなるんだ」

 

「魚もさ、エサをくれる人とか、分かるみたいで、近づいたら口を開けてぱくぱくしながら待っているんだ。かわいかったな……」

 

 ただ、そんな金魚にも寿命がある。最後には死んでしまった。朝起きて、水面にひっくり返っていた金魚を見た時の気持ちは、ぼんやりと残っている。悲しいとか、寂しいとか、そういう言葉では表せないけれど。

 

「最後は悲しかったけど、楽しい時間だった。だからかな、こうやってハナコと触れ合ってたら、いつかはまた、家族を迎えてみたいって気持ちにもなるよ」

 

 けれども、この仕事は不規則で遠出も多い。家で待っていてくれる家族がいないのなら、時期じゃないのだろう。

 

「ただ、大きな動物を飼ったことはないから、そこは不安かな」

 

 金魚の比でなく、大変だろうし。すると、加蓮はなぜか自信たっぷりに言うのだ。

 

「Pさんこそ、良い飼い主さんになれると思うよ。そこは保証してあげる」

 

「そりゃまた、なんで?」

 

「だって、すっごくめんどくさくて、手がかかる子でも、見捨てないでくれるんだから」

 

「……」

 

 加蓮は言ったっきり、ふいと横を向いてしまった。その顔までは分からないけれど、桜色に染まった耳をハナコが腕の中から興味深げにじっと見つめていた。まったく、照れくさいなら言わなきゃいいのに。

 

「手がかかる子の世話も、楽しかったんだ」

 

「……気まぐれな黒猫ちゃんみたいに?」

 

 加蓮は猫のように軽く握った手を胸の前で揺らして見せる。今度は、こちらが頬を赤くする番。

 

「前言撤回。悪戯猫と一緒だと、ドキドキして仕方ない」

 

「じゃあ、どっかに置いて来ちゃう?」

 

「残念ながら。一緒にいないと、もう、物足りなくなっちゃった」

 

 ハナコを腕の中から離してあげると、芝生の上でちょこんと座り、私たちの傍から離れないでいた。すごく可愛くて、お利口で、愛らしい。けれども、私にとって魅力的なのは、ちょっとわがままで、悪戯好きなお姫様。

 

「だから、これからも一緒にいて欲しいな」

 

 まだまだ、たくさんの思い出を共に作り上げていきたいから。成長していく彼女らを、一番近くで見ていたいから。

 

 加蓮は満足げに笑うと、ちょんと私のおでこをピンとはじく。そして、悪戯な子猫のように立ち上がると、ハナコと共に駆け出してしまう。

 

「ふふっ! そんなこと言っちゃって! たくさんからかわれちゃっても知らないよ?」

 

「もう、覚悟してるって!!」

 

 そんな、やさしくて、いたずらで、大切なアイドルのもとへと私も走り出す。

 

 これからも、隣に立って歩くために。




加蓮も奏も、動物衣装って未だないですよね。秋めいてを除いて。……バニーっ。

加蓮も奏も、猫コスとか似合いそうですが、いつか、そんなイベントが来ないかと期待しています。

それでは、今日もモノクロームリリィの二人に、清き一票をお願いいたします!!


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4月20日「女子大の日」

速水奏のキャンパスライフ、なんて。いつか雑誌で連載されそうです。


 速水奏。十七歳、女子高生。

 

 そう、十七歳。

 

 制服を着ていてもOLと間違えられたり、成人顔負けの色気を出せたり、大の大人をからかい倒せるほどの小悪魔っぷりを発揮したりするが、奏はまだ女子高生。

 

 まだ若い彼女には、たくさんの選択肢が残っている。

 

 例えば、こんな場所に通う、そんな未来も待っているかもしれない。

 

 

 

「……広いわね」

 

 花が散り去った後、深緑を纏い始めた桜並木を見上げ。奏が大きく息を吸い、零すのは小さな感想。

 

 その視線のさらに奥には、古めかしい門と大きな建物。私たちの事務所も存在する、都会の喧騒とは違う、芸術的な風情を感じさせる学び舎。

 

 奏の小さな感想は、それら全てへの感嘆が込められているように感じた。

 

 私は、そんな奏の隣に立って、共に門をくぐっていく。ちょうど上に、門を臨んだとき、時を刻んだその先で、奏がここを居場所とするかもしれないなんて、ふと思った。

 

 

 

 先にも述べたが、速水奏は女子高生であり、数年も待たず、進路を決める時期が来る。そして、その中には『大学』という選択肢も存在する。いや、聡明な奏にとっては、そこへ向かうことは当然なのかもしれない。

 

 そんな奏と共に訪れたのは、女子大学。都内でも有数の、歴史あり、権威がある学び舎だ。ただ、奏がまだ大学生でない以上、ここへと来たのはアイドルの仕事として。

 

 高校生でありながらも、大学生らしさ、いや、大人っぽさを感じさせる奏を、受験のポスターに使いたいとの申し出があったのだ。

 

 学生服姿と、その後のキャンパスライフ。そんな衣装を一人で着こなすこともできるし、奏は今の女子高生にとってカリスマ的な人気を誇っている。加えて、伝統を重んじる校風からも、奏の凛とした雰囲気はお気に召したようだった。

 

 今日は、そんなオファーをくれた大学スタッフとの顔合わせ。ポスターが作成されるのは数か月先のことだが、顔をつないでおくのは大切である。この後は撮影スタジオなどの仕事になるので、此処に来る機会は少ないだろうし、なおさら。

 

 門をくぐり、広がる視界の中を探っていくと、春の陽気に当てられて気ままに過ごしている学生がたくさんいた。奏にも伊達眼鏡に、大人締めな服装を選んでもらって正解だった。芸能人が来たとなったら、彼女たちも血相を変えるだろうから。

 

「それにしても、女子大ってこんなに静かなんだな」

 

 目の前の光景に私は声を零した。

 

 辺りを見回しても、ベンチで静かに本を読んでいる学生が多いし、歩き方も気品があるように感じられる。服のセンスもいいが、派手さは抑えられている。『上品』という形容が正しく、奏の雰囲気とも合致するところがある。なるほど、スタッフが奏を選んだ理由も理解できた。

 

 すると、隣で静かに歩いていた奏が、伊達眼鏡の奥から興味深げな視線を向けてくる。

 

「私はこういう場所、来ることがあまりないから、よくわからないのだけど」

 

「こちらの場合、普通の共学大学だったから」

 

 そりゃ、騒がしいことこの上なかった。広場ではボールを追いかけ騒いでいる者もいたし、友人と大声を出しながら歩いていたり。文化祭ともなれば、もう無法地帯である。

 

 かつての懐かしい光景を思い浮かべながら言うと、奏はころころと笑う。

 

「ふふっ、Pさんも学生時代ってあったのね」

 

「そりゃ、もちろん」

 

 生えてきたわけじゃない。

 

「そうかしら? 貴方はいつ見ても、ずっとスーツだもの。生まれた時からスーツ姿だと思ってた♪」

 

 奏は冗談めかして言い、私は、自分のスーツの襟に思わず手を伸ばす。自分の服装を見てみると、やっぱりスーツ。最近は、二人に勧められて私服も増えたが、まだまだスーツ姿をからかわれてばかりだ。

 

 ちょっと悔しかったので、当時に来ていた服装を思い浮かべてみるが……。

 

「……やっぱり、スーツっぽかったかも」

 

「はぁ、そこまで筋金入りだとは思わなかったわ」

 

 二人で苦笑いをして、広場の横を通り過ぎる。

 

 今はのんびりとした時間だ。元々大学側に断って、早めに到着していた。打ちあわせまで、あと一時間ばかりはある。奏はこの先で大学生姿を撮影されるのだから、大学の雰囲気を感じた方が良いと考えてのことだった。

 

 公開されている校舎に入ると、外の柔らかい雰囲気とは一転、今度は固めの教室が立ち並んでいる。この学生の憩いの場と、研究の最先端とのギャップも大学ならではだろう。窓ガラス越しに、中をのぞくと、授業を行っているところがあった。

 

 あ、あの子、参考書で隠しているけれど寝てるな。机の下でスマホを弄っている子もいる。すると、横から呟く声が。

 

「こういう大学にもいるのね。不真面目な人って」

 

 奏が何でもないように言う。ただ、そこには、少しは予想していたという感情がにじんでいた。

 

「奏?」

 

「ううん。理想と現実は違うものだって、分かってるもの。殊更、ショックなんて受けていないわ。……理想はつくることもできるって、今は分かるから」

 

 覗き込んだ目は、いつかの夕暮れ、私と出会った海岸のものと似ていた。奏が何に悲しんでいたのか、どんな事情があったのかは聞いたことがない。

 

 けれど、今の視線は似てはいたが、確かな違いも感じられた。現実を受け止めて、けれど、それだけが全てじゃないと、先へ進もうとする強い意思も。

 

 なら、こういうことを尋ねてもいいかもしれない。

 

「奏は将来のこと、どう考えているんだ? 大学進学とか、アイドルに専念するとか」

 

「どうしたの? いきなり」

 

「大学に来るなんて、せっかくの機会だし、ちょっとね。もちろん、今決めることじゃないし、無理に考えなくてもいい」

 

 ただ、いつか来ることならば考えるのに早いも遅いもない。進学するともなれば、仕事をセーブしないといけない時期もあるし、現時点の考えを聞いておきたかった。

 

 すると、奏は手を顔に当て、ゆっくりと考えながら口を開く。

 

「そう、ね。……正直にいうと、あまり考えていなかったわ。今の生活はとっても充実しているし、もっと先に進みたいって気持ちもある。けれど、数年先の進学となると、ね。

 ……逆に聞いてもいい? 人生の先輩としては、貴方はどう考えてるの? 私は大学に行くべきだと思う?」

 

 聞かれたなら、リアルな話をしてもいいかな。

 

「あくまで一例だよ。

 それで、私の大学生活は……。あまり、身になるもんじゃなかったな。友人も少なかったし、講義で今も覚えていることなんて、そんなにない。サボって、喫茶店に行くことも多かった」

 

「……そうなのね」

 

 奏は少し眉を顰める。しかし、それだけが全てじゃない。

 

「ただ、意味がなかったなんて思ってないんだ。学生生活の悔しさとか、そういうのが胸に残ってて……。今、きっと、後悔しないように動けるのは、学生生活のおかげだと思う。そうして、奏と加蓮と会えたんだから、全部チャラかな」

 

 すると、金の瞳が見開かれ、その奥にキラキラとした色が広がった。灰色の学生生活とは真逆の可能性。

 

「だから、私が奏に何か伝えられるなら。奏がどんな道を選んでも、きっと、君にとって大きな糧になる。それは、信じているよ」

 

 奏は、とても賢く、聡明な子だ。どんな経験をしても、どんなことを学んでも、今の奏なら大きく羽ばたくことができる。

 

「もうっ、かいかぶりすぎよ、なんて。でも、嬉しいわね」

 

「奏はなにか勉強したいこと、ないのか?」

 

 興味があることを伸ばす場所として、大学は最高だ。しっかりと選べば、望んだトップクラスの教育を受けられるし、第一人者と無償で出会うことができる。

 

「例えば、文学は? 奏、神話とか文化的なこと好きだろ?」

 

「いいわね。気の向くまま、赴くままに、物語を掘り下げて、人々に思いをはせる。ただ、その研究も楽しいでしょうけど、趣味のままに留めておきたい気持ちもあるの」

 

「それじゃあ、いっそ分野を変えて、科学とか」

 

 白衣も十分以上に、似合うと思うし、眼鏡をかけていれば様になる。一ノ瀬博士とも親しいし、あの観察眼は研究にも役立てることができる。

 

「ふふっ、それは止めておこうかしら。興味はあるけれど、それでも研究では、志希に敵いそうもないから」

 

「芸術分野」

 

「漠然としすぎ。映画撮影なら、面白そうね」

 

「教育学は? 奏は良い先生にもなれると思うぞ?」

 

「あら、言葉がちょっと強いわね。もしかしてPさん、私みたいな先生に会いたかったり?」

 

 眼鏡をちょっと動かしながらの、挑発的な目。そりゃあ、奏みたいな先生がいたら、大人気になるだろう。……私だって、ね。

 

「お、オホン。じゃあ、心理学」

 

「誤魔化しちゃって。そうね、心の中、形のない神秘の宝箱。興味深いと思う」

 

「哲学」

 

「……今までの中では、しっくりは来るわ」

 

 ちょっと真面目に考え始めた奏に、苦笑い。

 

 どんな学問を取り上げても、奏には似合うと思えた。本当に奏は多才だし、新しい分野に飛び込んでも、得意を伸ばしても、大成できるだろう。

 

 けれど、そうして歩いているうちに、奏が口に手を当てて笑い出す。

 

「どうしたんだ、いきなり?」

 

「ううん、ちょっと。Pさんと話していて気が付いたの。私、大学のことなんて、まだ考えられないけれど。私のやりたいこと、学びたいことは、一つの道につながっているって」

 

 奏は踊る様に一歩前へ出て、晴れやかな笑顔と一緒に言うのだ。

 

「アイドルの道に、ね」

 

 小さくも、しっかりとした言葉。それは、奏が自分の未来として、アイドルの道に迷いがないと、そう宣言するようだった。逆に唸らされるのは、こちらのほう。

 

「文学は表現力に、哲学は振る舞いに、心理学はパフォーマンスに。芸術に、他のだって」

 

「きっと、何を学んでも、何を得ても、この道につなげることができる。……ほんと、アイドルって興味が尽きないお仕事だわ」

 

 楽しくて仕方ないという彼女は廊下を一歩、一歩。確かな足音と一緒に、奏は今、未来を歩いていく。

 

 なんにでもなれる。どんな道でも輝ける。そんな、未来溢れる彼女を見て、けれど……。

 

 奏は、そんな私の心を察したように、ちょいと袖を引き、目を細めた。悪戯なお姫様のように、魔性の魔女のように、夢に挑むシンデレラのように。

 

「でもね。誰にでもなれるかもしれないけれど。どんな道も行けるかもしれないけれど。……私を輝かせてほしいのは、ただ一人だけ。

 ……そのこと、忘れちゃだめだよ?」

 

 その未来だけは、決まっているようだった。




奏、演技もそうですし、知識とか振る舞いとか、本当に多彩で惚れ惚れしてしまいます。
そんな彼女の可能性を見るためにも、素晴らしい結果を得たいものです。

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4月21日「民放の日」

 アイドルの仕事も多様だが、アイドルの活動場所も同じくらい色々な場所がある。ライブハウスに、デパートに、コンサートホールに、果てはドーム。ファンとの距離や、動員数、そういった特徴も様々だ。

 

 その中で、テレビという場所が果たす力はまだまだ大きい。それが全国区なら影響力は絶大。よりファンを増やそうとしたら、テレビ出演は大きなチャンスとなる。

 

 ありがたいことに、加蓮たちも有名になるにつれて、多くのテレビ仕事が舞い込んでくるようになっていた。そして、多様なテレビ番組の中には、こんなものもあるわけで……。

 

「北条加蓮さん。次が、最後の問題」

 

 スポットライトが当てられたステージで、厳めしい顔をした初老の男性が鋭い視線をつくる。それが向けられているのは、緊張に顔を固める加蓮だ。

 

「この問題に正解すると、賞品の金のポテト獲得です!」

 

 続いて声を張り上げるのは、司会者の隣に立つアナウンサー。超高級品らしいフライドポテトのパネルを持ち、客席へと掲げる。文字通り、金色に輝いているそれに合わせて、客席が湧き上がった。

 

(そして、加蓮も……)

 

「……っ!!」

 

 めっちゃくちゃ気合が入っている。

 

 ぐっと、小さな手を握り込み、装飾された解答席の後ろで決意の表情。絶対に、ポテトを手に入れると、執念すら感じる。正直に言えば、私にポテトの価値はわからないが、加蓮があそこまで本気なのを見ると、余程の逸品なのだとは理解できた。

 

 そんな加蓮を満足げに見て、司会者は朗々と問題を読み上げる。

 

「それでは、ラストクエスチョン!

 北条さんの大好物であり、今回の賞品でもあるフライドポテト。その発祥の地を自称し、博物館まで建てている街は、どこでしょう?」

 

 1.ベルギー:ブルッヘ

 2.フランス:パリ

 3.アメリカ:ワシントンDC

 4.イギリス:ロンドン

 

「奏は分かるか?」

 

「……さすがに、わからないわね」

 

「アメリカじゃないかな? ジャンクフードだし」

 

「風評としてはイギリスの方がそれらしいけども。1番はどうかしら? 他の選択肢と比べて知名度は落ちるし、十分にありえそうじゃない?」

 

「でも、フライドポテトって、有名な料理だし、大都市発祥じゃないかな……」

 

 あーだこーだ。控え席に座る奏と小声で話す。博識な奏はいち早く良い結果で出番を終えていたが、この問題には珍しく困り顔。

 

 一方、当の解答者である、加蓮はと言うと。

 

「……ふふっ」

 

「見てくれ! 加蓮が笑ってるぞ……!!」

 

「漫画みたいな台詞回しね」

 

 加蓮は不敵に笑っていた。それは、答えが分かっているということか。それとも、分からないなりに、覚悟を決めたということか。

 

 どちらにせよ、ロマン主義の私にとっては、王道な挑戦展開。テンションを上げざるを得ない。

 

 だが、司会者もさるもの、景品に立ちはだかる門番として、加蓮の笑みを受け止めると、淡々とルールを告げていく。

 

「アシストツールはすべて使い切っております、北条さん。もはや自力で勝ち取るしかありません」

 

「大丈夫だよ。私は、この手で未来を掴み取る。もう、止まってなんていられないから……!!」

 

「素晴らしい心構え! ですが、それが通るかは貴方次第!!

 さあ! 解答を、どうぞ!!」

 

 ゆっくりと、加蓮が口を開いて、

 

「……1」

 

 静かな声だった。

 

 静寂が広がる会場。かすかな咳払いさえ、反響し、伝わるほどに。それは、加蓮の緊張が伝ったためだろう。

 

 司会者は顔色を変えない。彼は、一秒、二秒と加蓮を見て、カメラを見て、手元を見て、を繰り返す。そうして、彫りの深い顔をしかめると、

 

 

 

「……」

 

「……っ」

 

「……!」

 

「……(こくん)」

 

「……!!」

 

 

 

「いや、喋れよ!!?」

 

「この司会者さん、タメが長いのよ」

 

 いくらなんでも長すぎる。こら、スタッフ! 『ここでCM!』じゃない!! それにCM中なのに、まだにらみ合ってんじゃないか!! こっちだって、黙っているのは辛いんだよ!!

 

 CMがあけても、まだ五分ほど。無言による加蓮と司会者の応酬が続き、司会者がとうとう折れる。

 

「ファイナル、アンサー?」

 

 小さく呟いた最終確認。

 

 加蓮は躊躇わず……。

 

 

 

 そんな番組終了後。

 

「やったー! ポテトー!!」

 

 控え室で、加蓮は小躍りしながらギフトカードを胸に抱いていた。頬を染めて、神谷さんをからかっているときのような、幸せそうな顔。

 

 そんなリアクションで分かる通り、あの問題の答えは1番。皺だらけの司会者も悔しそうに祝福しながら、賞品を加蓮に手渡すことになった。

 

 ただ、そのポテトの貴重さが分からない私たち、特に奏が少しからかいたげに、加蓮を見る。

 

「そんなに欲しかったの? このポテト」

 

「奏はわかってない! これは、普通のフライドポテトじゃないの。最高品質のジャガイモを、一流シェフが調理したポテト。ポテト界の王様なんて言われてるんだから!

 ほんと、未央達を巻き込んで、クイズ修業した甲斐があったよ!」

 

 ジャンクフードなのに、高級品とはこれいかに。いや、そういう料理があるかもしれないが、見た目は普通のポテトである。

 

「あ、そういう顔するなら、Pさんにはあげないからね。全部、私で食べるから」

 

「そこまで言われたら気になるじゃないか! 一本だけでも!」

 

 私も物欲には弱かった。

 

 ともあれ、例のポテトが届くのは一週間後くらい。引換券だけは受け取って、今日はおしまいだ。しかし、私たちが持ち帰るものはもう一つある。

 

「さっそく帰ったら見るわよ」

 

 奏がにっこりと微笑みながら、手に持ったバッグを掲げた。

 

 今日、二人が参加した番組は国民的人気クイズ番組。先の加蓮への問題のように、各ゲストの好みをテーマにした出題をすることで有名だった。

 

 予想通り、加蓮にはポテトやネイルを中心に。奏には芝居や映画を。

 

 そんな趣味の隙間を縫うように、番組は難問を出してきたが、奏はマニアックなそれらをスルスルと解いて、あっさりとクリアしていた。あの司会者もあっけにとられるほどの鮮やかさ。加蓮の時、あれほどしつこかったのは、その悔しさもあったからかもしれない。

 

 なので、奏も賞品を手に入れている。加蓮はポテトだったが、奏の場合は、

 

「映画百本セット、ね」

 

「ただのセットじゃないわ。名作の完全版セット。映画館で見る主義だけど、往年の名作が復刻上映されることは少ないのよ。だけど、ソフトを買うのもね」

 

 これまた私にはピンとこなかったが、映画マニア垂涎の名作集とのこと。アイドルの稼ぎはあるとはいえ、完全版商法が横行する高価な映画ソフトを買いそろえることは気が引けていたらしい。そのため、好きな景品を選べるこの番組は、渡りに船。

 

 こうして奏の、ひいては私たちの映画コレクションが充実することとなった。

 

 二人とも、自分の望んだ景品を手に入れた結果。そして、アイドルとして番組に出て、手に入れたというのは感慨深いものがあるようだ。

 

「昔、テレビを外から見ていた時は、賞金とか持って帰らないはずだって思たんだよね。まさか、アイドルになって、答えが出るなんて思わなかったよ」

 

「番組によっても、仕組みは違うようだけど。加蓮もポテトアイドルになってまで出たんだから、これで没収されたら大変よね」

 

「ポテトアイドルなんて、呼ばれてないんですけどー」

 

「……いや、明日には広まってそうだな」

 

 賞品は得られたが、もしかしたら失ったものもあるかもしれない。

 

(今の世の中、拡散力は馬鹿にできないからな)

 

 加蓮の歓喜の表情を見たネットユーザーなどは、嬉々として広めるだろう。事実、去年から、加蓮=ポテトの認識は徐々に広まっている。

 

 私の脳裏にポテトの被り物をして、バーガーショップのCMに出ている加蓮の姿が思い浮かんだが、すぐに頭を振り、愉快な妄想をはらった。それは別の仲間の得意分野だ。

 

「まあ、心配しても仕方ないさ。加蓮も奏も、趣味を取り上げてもらったから、ファン以外にも親近感が広がるかもしれないし。変な風評が出ても、次のパフォーマンスで覆せばいい」

 

「その言い方だと、次のお仕事は」

 

「ライブ、ね?」

 

 私は二人へと強く頷く。

 

 最近、テレビ露出を増やしていたのも、近くに控えた大型ライブの布石として。知名度を上げて、新規の客を増やす。もちろん、その中には好奇心だけ先行する人もいるだろう。けれど、二人が最高のパフォーマンスで魅せれば、見事にファンに変わることは、容易に想像できた。

 

 宣言を聞いて、奏はクールに、加蓮は情熱的に、二人の気合が入る。

 

 やっぱり、バラエティ番組もいいが、アイドルの仕事をしているときこそ、二人は『らしい』。二人を見て、さらに気合を充填した私は、さらに勢いをつけるために一つのアイデアを思いつく。

 

「よしっ! それじゃあ、戻ったら準備で忙しくなるし……」

 

 私は、奏が持った映画ソフトの山から、一本を取り出し、

 

「その前に、景気づけに、映画でも見ようか!」

 

 空へと掲げた。先の成功を祝した、パーティーを開くために。

 

 だが、

 

「……あ」

 

「……はぁ」

 

「……ん?」

 

 二人の応じる声はなかった。むしろ、加蓮は顔が引きつり、奏は面白そうに眉を緩ませながらも大きくため息。何が起こったのかもわからない私は、掴んだソフトを見て。

 

「……なんで?」

 

 顔を青くしながら、つぶやく。

 

 奏の話では、名作映画百選だったはずだ。ターミネーターとか、初代ゴジラとか、そういう名作の集合だったはずだ。それなのに。

 

「そのクイズの答えは、『傑作』だから。たしかに、傑作は傑作よ。……Z級の」

 

 私が掴み取ったものは、俗にいうクソ映画。何の遊び心か、そんなものが一本だけ紛れ込んでいたのだ。

 

 妙に高尚に作った表紙の奥から、チープなCGと迫力のない声が私を呼んでいる。

 

 それを見なかったことにして、そっと袋へと戻そうとする私。だが、その手は、奏によってがっしりと掴まれてしまった。

 

「それをしまっちゃうなんてもったいないじゃない。百本の中の一本なんて、逆にレア。反面教師にして楽しみましょ♪」

 

「……Pさん、なんてもの選んだの」

 

「……気づかなかったんだよ」

 

 そんな言い訳は何の役にも立たない。結局、私と加蓮は二時間の苦行を与えられることになった。

 

 一方で後日、ライブは大成功の内に終了する。もしかしたら、逆に厄払いになったのかも、なんて。そして、加蓮の手に入れたポテトだが、

 

『ジャンクっぽくない』

 

 と、加蓮には不評だったことは、ことさらに言うことではないだろう。




実写デビルマンの視聴を終えたカサノリです。

奏があれを見ていないことを望みます。



それでは、本日もモノクロームリリィに清き一票を!
よろしくお願いいたします!!


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4月22日「アースデー」

今日は自然と触れ合いながらのんびりと


「奏は海、好きだよな?」

 

「ええ、そうだけど。いきなりどうしたの? この間、二人して海を見たばかりじゃない」

 

 言われ、二人でオフの日に行った海を思い出す。奏も随分とリラックスし、自然な様子を見せてくれた冬の海。その後の写真撮影も、新たなファン層開拓に留まらず、奏の可能性を引き出すことにつながったと満足している。

 

「加蓮も海は好きだろ?」

 

「いきなり泳げって言われたら嫌だけどね。簡単な海水浴だったら好きだよ」

 

 こんがり日焼けをしたいとは、夏になるたびに聞かされていたこと。いきなり日焼けギャルになられても困ってしまうけれど。答える声を聴くに、加蓮も年若い乙女らしく、山よりは海派なようだ。

 

 二人から答えを聞いて、私は書類を置き、頷く。半ば予想はできていたから、後は考えていた台詞を言うだけ。私は立ち上がり、奏の傍へと静かに近づいていく。緊張に顔をにじませて、こくりと、不自然に喉が鳴った。

 

「Pさん? ……ふふっ、真剣な顔しちゃって。そんな顔してたら、キス、したくなっちゃうよ?」

 

 そんな私の神妙な様子を見て、奏はいつものようなからかいモードに早変わり。澄ました顔で、片目を閉じ、誘惑する様な表情を作る。私が戸惑わされ、翻弄される顔だ。

 

 奏と私の距離が近づき、吐息まで触れそうな距離で向き合う形。そして、そのまま唇が、けれども触れることはなく、

 

「なんてね。隙を見せたら……」

 

 ネタ晴らしのように、奏が誘惑の空気を掃って、くるりと一回転。後は、加蓮や奏が私の赤くなった顔をからかって終わりというのが『いつも』の流れ。

 

 だが、今日は少し違う。

 

「そうだな。海でキスしよう」

 

「だめじゃ……、え?」

 

 私の唐突な一言で、奏は固まってしまった。

 

 

 

「キス、キスね。ふふっ、確かに、ここなら素敵なキスになりそうね」

 

「魚の『キス』だけどね」

 

 彼方に伸びる水平線が、緩い曲線を描いているのを眺めながら、二人が呆れたような声を出す。

 

 数日後、私たちが訪れたのは、少し田舎の海岸だった。前日に近くの田舎町で写真撮影を行ったモノクロームリリィ。

 

 ファンクラブの広報用の写真として、今回は趣を変えて、日本の原風景と女子高生のアンバランスさをテーマにした。日本本来の豊かな自然の中、異物でありながらも、景色に溶け込むという不自然さに惹かれる写真を撮り終えて。さすがに東京に戻るのは遠いから、一日宿泊することにしたのだ。

 

 明けての今朝、私たちは海岸を訪れている。海の端から端まで広く見渡せ、そして、藻や岩も少ない砂浜が広がっているそこは。

 

「キス釣りの名所!!」

 

 竿を担ぎながら、ひゃっほうと叫ぶ私に、二人の半目が突き刺さる。

 

 私が語ったキス。

 

 それは接吻ではなく、魚類のキスのこと。天ぷら料理が有名で、柔らかくヘルシーな味が人気の魚。温かくなった春先は、キスが良く釣れる時期でもあった。

 

「ほら、奏は魚のキスにも興味ありそうだったし、加蓮もめったにない経験だから」

 

「で、あの誤解させそうなセリフは?」

 

「……いつもからかわれているから、つい」

 

 たまには、私も二人を翻弄する方に回りたかったのである。

 

 加蓮は、そんな私の告白を聞くと、奏を横目で見ながら、ちょいちょいと肘でつっつく。目を弧にして、口に手を当て、あらあらまあまあ、みたいな様子で。

 

「まあ、私は何か隠してると思ってたけど? どこかの誰かは、すっごく焦っちゃってたよね? 耳まで真っ赤にして」

 

 神谷さんを相手にするような、楽しそうな口調だった。加蓮としては、めったにない奏をいじれるチャンスを逃がす術はなかったのだろう。一方、導火線の前でタップダンスするような加蓮に、戦々恐々とする私。

 

 だが、当の奏は淡々とした口調のままだった。

 

「せっかくPさんがああ言ってくれたんだもの。少しは心が動いても仕方ないじゃない? それに、いつもを思えば、こういうのもご愛敬よ」

 

 気にしていないと、そんな風に釣り道具を整理していく。私はそれを聞いて、胸をなでおろし、大きく息を吐いた。

 

「でも……」

 

「うぇ!?」

 

 気を抜いた隙だった。奏がすぐそばにいる。瞳の奥に、間の抜けた顔が見えるほど。迫力ある金の瞳は語るよりも強く彼女の意思を示していた。そして、奏の吐息が耳元に、細い指が首元に。

 

「……やられっぱなしは性に合わないの」

 

 覚悟しておいてね。

 

 そんな無言のプレッシャーに、私はこくこくと頷きを返すしかなかった。人を呪わば穴二つ、なんていうが私はどんな穴に埋められることになるのか。視線の端で爆笑し、砂浜を叩いている加蓮を眺めながら、私は冷や汗をかき続ける。

 

「……ま、まあ、気を取り直して。二人の分も竿は用意できたから、始めようか」

 

 リールを付けて、針と仕組みも。あとは、エサを付けるだけで釣りは可能だ。

 

「随分と手慣れているわね。昔、やってたの?」

 

「祖母の家が、こういう所にあってね。小さいころに少し。あと、二人を連れてくるから予習も多少はして来たよ」

 

 せっかく連れてきたのだから、一匹も釣れませんでしたではつまらない。楽しい思い出を作ってもらいたいと思うのは当然だ。そして、コンディションは良好。気温は緩み、風もないでいる。旅館の人曰く、今年は爆釣しているとのことだから、今日も期待大だろう。

 

「えっと、これを投げて、後はずるずるって引けばいいんだっけ?」

 

 加蓮が竿を握ると、横にゆっくりとスイングするように竿先をずらしていく。

 

 キス釣りの場合、特別な竿の動きは必要なく、初心者に優しい釣りと呼ばれている。先につけた『天秤』という仕掛けを砂地に引きずる様に動かすだけだ。

 

「そうそう。後は糸のテンションを保つように、ゆっくりとリールを回して、の繰り返しだな。加蓮、筋いいと思うぞ」

 

「ふふっ、そりゃあ、アイドルやってますから! ダンスを覚えるのと比べたら、これくらい朝飯前だよ」

 

「そうね。もしかしたら、加蓮が一番に釣れるかも。確か、時合いとかもあるんでしょ? のんびりおしゃべりもいいけれど、早く始めないと。

 はい、これがエサらしいわよ」

 

 言うなり、奏が加蓮へと小さな発泡スチロールの箱を渡す。私が止める間もないほど、スムーズな流れ。加蓮が蓋を開け、

 

「……きゅう」

 

「加蓮ー!!?」

 

 砂浜へ崩れ落ちた。

 

 それもそのはずだろう。餌箱の中に入っていたのは、こういう魚釣りで一般的な虫エサ。だが、そのシルエットは、覚悟もなしに見るにはショッキングなもの。特に女性にとっては。

 

 加蓮が砂浜で後ずさりながら、手をばたばたと振る。

 

「無理、絶対無理! それは無理!!」

 

「もう、加蓮ったら、耳まで真っ赤にしちゃって♪」

 

「奏、さっきの仕返しでしょ!!」

 

「何のことかしら? でも、少し見た目が不慣れなものでも、立派な命。そこまで嫌うと可哀そうよ」

 

「うっ……。じゃあ、その、どうやってつけるの? Pさん」

 

 言われたので、手袋をしながら一匹をつまみ上げ、針を口から通していく。そんな動作が加蓮にどう見えるかといえば、返ってくるのは当然の反応だ。

 

「……せっかく、Pさんが連れてきたんだから。これも、経験……。こんなところで差を……」

 

 据わった目で、ブツブツと壊れたように呟き始める加蓮。覚悟を決めろと、自分で自分に言い聞かせる様子。加蓮の指が、震えながらも餌に向かおうとして。

 

「まあ、生餌使わなくてもルアーがあるんだが……。って、痛ぁ!?」

 

「……もうっ!! ……もうっ!!」

 

 なぜ、奏でなく、私が叩かれなければいけないのだろう。そうして、しばらくの間、加蓮の無言の怒りに私は晒されることになった。

 

 

 

 そんなドタバタを繰り返して、ようやくと釣りに入ったのは、ちょうど時合いに入った時間。練習を何度か繰り返して、私以外はワームルアーを付けての開始だ。

 

 二人とも、ぎこちなくはあったが、しっかりと針を飛ばしていく。それから、五分ほど。最初の反応があった。

 

「……わわっ!? ちょっとPさん! なんか、震えるんだけど……!!」

 

 加蓮が慌てたように叫び声をあげる。その手に握られた竿を見てみると、確かに、竿先がぐんぐんと動いている。初心者でもわかるくらいの引きとなると、期待大だろう。

 

「加蓮、落ち着いて、ゆっくりと引いていけばいいんだから」

 

「っていっても! これ、逃げちゃったりしないよね!?」

 

 まさか、加蓮もいきなりヒットするとは思わなかったのだろう。手が震えている。このままだと、竿まで撮り落としてしまいそうで、私は思わず走り寄った。

 

「手を貸すから、しっかり持っててくれ!」

 

「え!? ちょっ、ちょっと! いきなりはまずいって!?」

 

 ちょっともそっともない。加蓮の手を支えるように、上から包むと、まずはフッキングし、糸を巻いていく。手ごたえからして、かなりの大物だ。キスは小型のも多いのに、一投目からとは。こちらだって、加蓮の成果を無駄にはしたくない。

 

 白浜の向こうから、仕掛けが戻ってくると針先には大きな影があった。

 

「よしっ!」

 

 だいたい二十センチくらいのシロギスだ。狙った通りの白く透き通った体に、流線形のフォルム。砂浜の姫だなんて、釣り人に言われるのも納得の綺麗な魚。ついでに丸々と肉付きも良くて、食べ応えもありそうだ。

 

 じん、と吊り上げられた感動を感じながら、針を取って加蓮に手渡す。

 

「すごいじゃないか! ほんとに才能あるかも……って、どうしたんだ?」

 

「……あとで大変だから」

 

「なんで!?」

 

「しーらない。ちゃんと考えといてね」

 

 いや、二人して色々慌ててたから仕方ないというか。頬を染め、唇をすぼませた加蓮をなだめながら、キスをクーラーボックスにしまい込む。これは、爆釣の気配、なんて思っていると。

 

「ねえ! こっちも当たったわよ!」

 

「おっ!」

 

 今度は奏の方だ。急いで奏の所に向かうと、竿が大きくしなっている。それを奏は細腕で支えていたが、ふと力を抜いて。

 

「……ちょっと厳しいわね。Pさん、教えてくれるかしら?」

 

「まかせとけ」

 

 頼られると漫画のお助けキャラみたいでテンションが上がってしまう。ぐっと細い腕を支えるように握り込むと、本当に引きが強くて、もしかしたらキス以外の魚かもしれないと想像。もしやカサゴか、タイか、高級魚か。

 

 だが、上がってきたのは、まんまるに膨れ上がった、どこか憎めない顔だった。

 

「……クサフグだな。しかも、でかいし」

 

「ほんとに、大きく膨らむのね」

 

 ぽよんぽよんと膨らんだフグを突っつきながら、心なしか楽しそうな奏。とはいえ、食べれない魚だから、リリースしてあげなくちゃいけない。奏の綺麗な指に載せられて、大海原に戻っていくクサフグ。それを見送ったころから爆釣が始まった。

 

「Pさん! Pさん! また来た、また!」

 

「あら、こちらも。ふふっ、しっかりと釣れるのも分かるし、楽しいわね。今度はこちらも、しっかりキス」

 

「私も。おしっ、来た! ……ってまたフグか!」

 

 釣ったり、釣られたり、時々からかわれたり。

 

 たまにはこんな風にのんびりする日も楽しいもの。大変なアイドル生活、それも総選挙期間中でも、そんな日があってもいいと思うのだ。

 

 一時間ばかり、三人で海を眺めながら、のんびりと釣りを楽しむことができた。

 

「それじゃあ、ボウズのPさん」

 

「からかったことも含めて、罰ゲームね♪」

 

 プロデューサーに休まるときはないのかもしれないけど、そんな毎日も楽しい。




それでは、本日もモノクロームリリィに清き一票を!
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4月23日「世界本の日」

ちょっと遅れました! ごめんなさい!


 目が覚めた時、見渡す限りの本棚が広がっていた。地平線の向こうまで、遠く遠く。背の高い本棚が整然と並んでいる。

 

 見覚えがない、幻想的とさえ思える景色。

 

 私は、今、どこにいるのだろうか。

 

 実体のないように、心が揺らめいて、視線だけが本棚を上から下へと巡っていく。

 

 そのまま流れるように、幾重にも折り重なり、色とりどりの表紙が並ぶ本棚を抜けて。そして、たどり着いたのは、大きな地球儀が置かれた広間だった。落ち着きのある、シックな様相。

 

 大図書館という言葉こそ、ここにふさわしい。

 

 ただ、こんなに立派な図書館なのに、人が誰もいない。無人ということもあるまいに、まさか、何かトラップが仕掛けられているダンジョンかと、ロマン脳がワクワクを発進した時だった。

 

 地球儀の片隅から、司書だろうか、一人の女性が出てくる。

 

「お待ちしていました」

 

 細く、透き通った声。カラスの濡れ羽色というべき美しい黒髪の奥から、宝石のような瞳が輝いていた。どこか、よく知っている仲間と似ている少女。

 

 そんな司書の少女は、私の元までしずしずと歩きよると、何も語らず、一冊の本を手渡してきた。

 

 思わず受け取ったそれ。夜のような深い青色の厚い本。驚くべきことに、その表紙に描かれていたのは、見覚えがある少女だった。

 

(奏……?)

 

 まだ幼い奏が、夜の湖で踊っている絵。

 

 言葉を失い、私は静かに佇む司書を見つめる。すると、彼女はしっとりと微笑んで小さな口を開いた。

 

「……人には、物語があります。辿った人生、それを描くだけで、必ず一つの本は出来上がる

 この本も、そうしてつくられた一冊です」

 

 奏の人生の本だと、司書は言葉少なめに言う。

 

 だが、そうして本となるのは、完結した人生だけの話だ。ゴールを迎えた人生だ。これが奏の本ならば、彼女の人生はゴールを迎えたというに等しい。

 

 そんなこと、あるわけない。

 

 私の感情が訴える。まだ、彼女には見せられていない景色がたくさんある。果たしていない約束もある。こんなところがゴールだなんて認められない。

 

 言い募ろうとする私を、司書が人差し指を掲げて制止する。私の心を読んだのか、首を横に振り、

 

「安心してください、プロデューサーさん。これは、未完成の本です。彼女のお話は、まだ途中。けれども、不思議ですね。この中には完結している話もあるんです。

 ……人生は物語。この本の中には、枝葉のように断ち切れた歴史も刻まれている。……彼女は、それを貴方に見てもらいたいと思っているようです」

 

 司書がゆっくりと本を開く。

 

 奏のように、細く繊細な文字で描かれた物語。そこを覗き込むうちに、私の意識は深く深く沈んでいった。

 

「それでは、どうか良い旅を……」

 

 

 

 まどろみから覚めると、そこは街の中だった。

 

 よく知る渋谷の喧騒に、道行く人だかり。その真ん中に、私は立っている。私はいつの間にやらスーツで、景色はどこか靄がかかったまま。誰も私を見もしない、ぶつかりもしない。幽霊のように、すり抜けていくだけだ。

 

 見慣れた、奇妙な街の中で、戸惑うままの私。だが、一つの景色が飛び込んできて、私は目を奪われてしまった。

 

「ねえねえ、昨日のツイート、バズっちゃったんだけど!」

 

「またぁ? どーせ、てっきとーに煽ったんでしょ」

 

「目立てばいいじゃん! ねえねえ、奏は?」

 

「いいんじゃない? でも、もっと刺激的なこと、しちゃえばよかったのにさ」

 

 今どきの、どこにでもいる女子高生の集団。スマホを片手に、きゃいのきゃいのと、顔を寄せ合い、一つの生物のように歩いている。彼女たちの世界は小さな画面の中だけで、完結。

 

 互いを見ないまま、スマホの灯りを頼りに周りを確かめる様な、かしましく、ありきたりな女子高生。

 

 その中に、見慣れぬ奏を見た。

 

 服装はこだわりを捨てたように、お揃いのコーデ。化粧も、目立たず溶け込むように意識したもの。そして、何より、大きな声で笑っている。

 

(……ふつうの女子高生みたいに)

 

 十七歳の女子高生として、どこにでもいる誰かと同じように。仕事に追われることも、汗を流す必要もない。自由によって身を包む生活。

 

 速水奏のありえた景色。

 

 けれど……。

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 場面が変わる。

 

 都心のど真ん中から、紅にそまった学校に。喧騒が消えて、静寂が広がり、うるさいほどに静か。そんな学校の中、奏は図書館にいた。

 

 放課後を迎えたのだろうか、周りには誰もいない。ただ、物言わぬ本だけが奏を囲んでいる。神話に、民話に、哲学に。私では読むのが難しい、というか、読んでいる途中で寝てしまいそうな分厚い本の砦に、奏は一人いた。

 

「……」

 

 だが、奏は気にする素振りもない。パラパラと本をめくり、何かを見つけると、ノートに書きこむ。

 

 その思考にふける様は、往年の文豪や作曲家を感じさせるほどに堂が入ったものだった。

 

 何を書いているのだろう。手元に置いてあるノートを見ると、繊細な彼女には似つかわしくない、書きなぐった文字の山。

 

 まだ形を成していないが、ポエムか、小説だろう。奏はそれを完成させることのみに集中していた。

 

 自分の世界だけがあれば十分と言いたげな、世界から切り離されていることも平気という様子。

 

 自己世界の表現者として、それのみをストイックに追い求めているような、ある種の美しさすら感じられる姿がそこにあった。

 

 感受性が強く、繊細な奏。

 

 その長所を活かせた姿だろうけれど、その一点だけを見つめた目は……。

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 三たび、景色が変わる。

 

 今度の奏は、私が知る姿と最も似かよっていた。

 

 少し気崩した制服姿に、存在感のある雰囲気。けれど、その表情はどこまでも異質だった。

 

 自然に見える。笑顔も、微笑みも、友人と話す仕草さえ。

 

 けれど、そのどれもが同時に不自然。

 

 その奇妙さを、彼女と周りの人々との関わりが、強く伝えてくる。

 

「あのっ! 奏先輩! 今度、私たちの応援に来てくれませんか!?」

 

「ふふっ、貴女たちのような可愛い後輩のためなら、いつでも喜んで♪」

 

 慕う後輩の前では、頼りがいがある憧れの先輩に。

 

「ねえ、奏! 今日の課題忘れちゃったんだけど、助けてっ!」

 

「もう、仕方ないわ。放課後、何か奢ってくれるなら、ね」

 

 同級生の前では、親しみがある、ただの少女に。

 

「奏ちゃんって、いつもみんなに囲まれてるよね。ちょっと、頼まれて欲しいことがあるんだけどいいかな? 人手が足りないんだ」

 

「先輩……、頼ってくれて嬉しいです」

 

 先輩の前では、甲斐甲斐しい後輩に。

 

 人に合わせ、状況に合わせ、奏は七色に自分を変えていた。学校という現場においては、そのふるまい方は正しいのだろう。

 

 誰も、奏を疎まない。誰も、奏を拒まない。

 

 誰も、奏の本当を知らない。

 

 奏が仮面を付けていることを、誰も知らない。きっと、もう、奏でさえも。

 

 そんな姿は……

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 そうして、短い旅は終わり。

 

 目が覚めると、再び、私は司書の前にいた。ズシリと重い感触に、手元を覗く、奏の本がぴたりと閉じたまま腕の中にある。とても重いけれど、耐えられないことはない。

 

「いかがでしたか?」

 

 司書が問いかけてくる。宝石のような瞳が、嘘を許さないように私を覗き込んだ。

 

「彼女には普通の生活が待っていたかもしれません」

 

 ただの女子高生のように、他愛のない会話に混じり、何者でもない日常を送り、何も残さないまま、過ごしていく。

 

「彼女には自分の世界を深める術があったかもしれません」

 

 奏が自分の豊かな心の中と向き合って、それだけを表現する術を見つけたら。きっと、彼女は唯一人の表現者となれただろう。世界に一人の、奏の世界の住人となれただろう。

 

「彼女は自分を隠して、意のままに振る舞う未来があったかもしれません」

 

 誰も彼女の本当を知らないまま。誰もが彼女を理解したと、思い込む。奏はその世界で、皆の中心だ。皆が味方で、無理解者。

 

「……そういう未来があったかもしれない」

 

「ええ。彼女がアイドルとならなければ」

 

 高潔を捨てていれば。

 

 世界に沈み込めば。

 

 仮面を張り付ければ。

 

 迷った道で、あの夕暮れの海岸で出会わなければ。アイドルとは違う、別の形での未来にたどり着いたかもしれない。

 

 それは決して不幸な未来じゃない。

 

 どの世界でも、奏は上手くやっていた。私が知らない速水奏として、悪くない未来を掴み取っていたはずだ。アイドルのように、辛く、厳しい世界にいなくても良かったはずだ。

 

 そう、アイドルに縛られない世界だ。

 

 私は、大きく息を吐き、目を閉じる。

 

 アイドルも、奏の枷なのではないか。そう思ったことは一度や二度ではきかない。アイドルにして、トップアイドルという道を作ることは、エゴじゃないか、と。 奏の可能性を、世界の深さを知るたびに、私が彼女をアイドルとしたことさえ、枠に押し込めただけじゃないか、と。

 

(けれど……)

 

 垣間見た三つの世界、決して、悪くはない世界。リスクはない世界。

 

 そこで出会った三人の奏を思い浮かべ、私は目を開けた。

 

 前に立つ司書が、不意に微笑む。胸をなでおろしたように、緩やかな服の上に腕を添え、そして、静かに声を空気に震わせた。

 

「だから、私はこの本を託されました。……我ながら、老婆心だと思います。ですが、貴方たちの本に、幸福な結末が描かれるのを、私は待っています」

 

 

 

「あら、ようやくお目覚め?」

 

 くすぐるような声が耳元から聞こえた。

 

 ゆっくりと目を開けると、目の前に綺麗な顔がある。女神かと見間違うほどに整って、けれど、無機質なんかじゃない。目の奥には確かな好奇の色がある。

 

 『速水奏』が微笑みながら私を見つめていた。

 

 体を起き上がらせると、タオルケットが腹の上から落ちる。周りを見回すと、見慣れた事務所。そして、私はソファの上。少し頭がぼんやりしているのは、間違いなく寝起きなのが原因だろう。

 

 思い出せるのは、仕事を終えて、一安心と休憩をしたところまで。外を眺めると、既に春の夕暮れが広がっていた。

 

「ふふっ、部屋に戻ったらうたた寝しているんだもの。起こしても良かったけど、お仕事は終わっているみたいで、気持ちよさそうだったから」

 

「じゃあ、タオルケットをかけてくれたのも、奏か。……ありがとな」

 

「どういたしまして。私も七変化するPさんの顔、楽しませてもらったからね。お礼はそれで結構よ」

 

 ウィンクし、くすくすと笑う奏。それを見ていると、どれだけ私は愉快な顔をして寝ていたのか、と心配になってしまう。間違いなく奏のスマホには、その時の顔が保存されているだろうし、加蓮に伝わるのも時間の問題。

 

 翌日のからかいの種ができてしまったことに苦笑しながら、頭を振り、奏の顔を見た。

 

「……どうしたの?」

 

「いや」

 

 かすかに、覚えている夢で、色々な奏と出会った気がする。友人をたくさん作ったり、思索にふけったり、仮面を上手に被ったり。そうして、奏は世界を上手く生きていけただろうけど。

 

「……今の奏が、いちばん魅力的だなって」

 

 なりたい理想があって、目指したい目標があって、自分の世界をどこまでも広げていく。そんな少女のような、大人のような、からかい上手な女の子。

 

 あの場所で見た、どの可能性よりも、その笑顔は素敵だった。

 

 奏はそれを聞くと、にっこりと満面の笑顔を作る。少し照れくさい台詞だったのに、奏はいたって普通に。いや、当たり前のことを聞いたように、こう言うのだ。

 

「貴方が育ててくれた私だもの、当然でしょ?」

 

 それを聞いて、私の中の迷いも晴れていくのを感じる。

 

 きっと、この道を行ってもいいのだと。この道が正しかったなんて、先は分からないけど。確信は持てないけれど。

 

 奏が望んでくれる道は。この笑顔が見れる道は、絶対に信じられるから。

 

「ああ、そうだね。私は、奏のプロデューサーだから」

 

 奏が一番輝ける場所へ、連れていこう。




ちょっと遅れました! ごめんなさい!

色々と白熱している総選挙! ですが、奏も負けてはいられません!!

どうか、奏に清き一票を!!


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4月24日「宇宙望遠鏡の日」

「あれがデネブ、アルタイル、ベガ、だね……」

 

「残念、違う。なんで、その三つなんだ」

 

「えー、違うの? 奈緒が好きなアニメの歌なんだけど、すっごく大きく光ってるから、あれかなって。

 Pさんも、もう少し浸らせてくれてもいいんじゃない? せっかくのシチュエーションなんだから。ほらほら、Pさんの大好きなロマンですよー」

 

 加蓮が頬を膨らませながら、ジト目を向けてくる。私はそれを聞きながら、苦笑い。そういえば、そういう有名な歌もあったと思い出していた。

 

 加蓮が挙げたのは夏の大三角の三ツ星。ただ、春の時期にはそれらは見ることが叶わない。今は地球の裏でかくれんぼ。夏の季節まで、留守番中。

 

 今日見に来たのは、もっと素敵なもの。

 

「それで? 流れ星まで、あとどれくらいなの?」

 

「そうだなぁ。時間としては、もう差し掛かっているけど。極大まではしばらくかかりそうだ」

 

 二人で空を見上げる。冬の透明感とは比べるべくもないが、春霞も少なく、星々がキラキラと輝いている。今の時期とすれば、天体観測にうってつけの夜。

 

 丑三つ時には程遠い、けれど、太陽が沈んで久しい時間に。私と加蓮は天体観測に来ていた。

 

 

 

 事の始まりは、数時間前。

 

 この日、私と加蓮はミニライブのためにとある地方都市へと訪れていた。日が高いうちにイベントは無事終了。スタッフとの軽い打ち上げに、地元の名産品を見て回る小旅行も楽しむことができた。そして、ホテルに一泊し、明日には帰るだけ。……なのだが。

 

「……よし、出発するか」

 

 車を前にして呟く。加蓮と別れた後、私は厚着の準備をして地下駐車場にやってきていた。目的が目的なので、経費でなく、自費で借りたレンタカーに乗り込み、エンジンをかける。

 

 そうして緩やかに道路を走り出しながら、私はこれから向かう景色に思いをはせた。

 

 今日は数年に一度の流星群。東京の明るさの中では、消えてしまう微かな光だが、都会から離れたこの場所ならば、よく見えるだろう。こっそりとトランクには天体望遠鏡もしまい込んで、準備はバッチリ。仕事終わりの息抜き、スタートである。

 

「~♪」

 

 私は陽気に鼻歌を歌いながら、道路を悠々と進んでいく。小さいころによく聞いた、星を見にいくヒットソング。午前二時には至っていないけれど、暗さはそれくらい。明るさが無くなれば、宙はここまで暗いのか、と改めて考えさせられた。

 

「文明によって、見えなくなったものもある……」

 

「それって、なにかの台詞?」

 

「覚えてないけど、そんなのがあった気がしてね」

 

「へー。確かに真っ暗だし、星もよく見えそう」

 

「絶好のコンディションだよ、かれ……」

 

 

 

 ちょっと待て。

 

 

 

「……なんでいるの!?」

 

「隠れてたから♪」

 

 私が驚き、叫び声をあげると共に、ご満悦にネタ晴らしを済ませた加蓮が後部座席から乗り出してきた。バックミラーに映る、顔が引きつる私と笑顔の加蓮。ハンドル操作を誤らなかったのは、褒めて欲しい。

 

 

 

「まったく、まさか隠れてついてくるなんて」

 

「気づかないPさんも、悪い」

 

「分かるか!?」

 

 神妙な顔で頷く加蓮に、再び大声を出す私。山近くの自然公園に、それが響き渡る。近くに民家がなくて、本当に良かった。

 

「でも、何も言ってくれないPさんも悪いでしょ? ずっとこそこそしてるし、一人で駐車場に行くし。私に隠れてデートかな、とか思ったんだから」

 

「こんなところに来て、デートなんてしないし」

 

 相手もいないし。

 

 そう言うと、加蓮はふふん、と軽やかに笑い、私が組み立てている望遠鏡に目を向ける。

 

「それじゃあ、さみしーいPさんのために、私がデート相手になってあげる。かわいいアイドルと二人っきりで星空観察なんて、めったにないんだからから、感謝してね?」

 

「夜中に連れ出したなんてバレたら、大変なんだけどなぁ。普通は」

 

 言いつつ、夜遅くなる予定はなく、加蓮のご両親には報告を入れておいた。『お任せしますね』なんてあっさりした返事までもらってしまう始末。

 

 加蓮が芝生の上でとんとんと踊りながら、楽しげな様子で話しかけてくる。

 

「ほら、この間、飛鳥と肇と『未完成の歴史』歌ったじゃない? あの時のMVのセット惑星だったし、私もちょっとは星のこと、知りたいって思ってたんだ」

 

「……ここまで来たら、仕方ないか」

 

 そんな加蓮を見て、反論する気はなくなってしまう。私だってあのMVに触発された部分もあるし、自分が好きなことを、大切な人に興味を持ってもらえて嬉しくないわけがなかった。

 

 私はそんな彼女を待たせないためにも早めに望遠鏡をセッティング。位置を調整し終え、望遠鏡のレンズの所に加蓮を呼んだ。

 

「流れ星、望遠鏡で見るの?」

 

「いや、望遠鏡はそういうのには向かないからね。目当ての流星群はまだ見えないし、ちょっと他の星を見てみようかと思って。

 位置とピントは合わせたから、見ても大丈夫だよ」

 

「どれどれ~。って、あれ? よく見えないんだけど?」

 

「そんなに目を近づけなくていいんだ。少し離すくらいで……。そう、それで見えないかな?」

 

 すると、加蓮が声を上げる。

 

「あ! オレンジ色の星だね。これって、なんの星?」

 

「ん? ……ポテト」

 

「……なに?」

 

「だから、ポテト」

 

 『いみわかんない』って表情を浮かべた加蓮に思い出してもらうのは、例の撮影の時の話だ。加蓮がジャガイモと間違えた星。それが、加蓮が今見ている木星。

 

 ジャガイモには見えない、大きくオレンジに輝く星が、加蓮には見えているはずである。

 

「もうっ! 忘れてって言ったのに!!」

 

「はははは。たまには反撃もしないと!」

 

 暗い中なのに、加蓮が顔を真っ赤にしていることが声だけで分かる。自分のことを棚に上げるが、うかつなことを言うのが悪いのだ。

 

 そんな照れ怒りの加蓮に背中を叩かれながら、いくつかの星を覗いていく。加蓮も望遠鏡を使うこともなかったらしく、新鮮な驚きを見せてくれた。土星の輪っかを見た時は、楽しそうな歓声を上げるほど。

 

 誰だって土星の姿は知っている。けれど、映像や写真ではなく、自分の目で見れたという経験は、きっと新鮮だ。幼いころ、私も星の世界に魅了されたように。そんな感動を加蓮とも共有出来たなら、嬉しいことこの上ない。

 

 

 

 そうして、たくさんの星を覗き、星の世界を堪能したあと……。

 

 私たちはシートに寝そべりながら、満天の星空を眺めていた。望遠鏡をのぞき、自由に楽しんだ時とは違う、静かな空気。

 

 星は動かず、私たちを見下ろしている。

 

「なかなか見えないね、流れ星……」

 

「流星群って言っても、規模に違いがあるからなぁ。こればっかりは気長に見ないと。……寒くはない?」

 

「あっためてくれる? ……なーんて、冗談、冗談。そんなに真っ赤にならないでよ。ちゃんと、あったかいから」

 

 夜の静けさに溶け込むように、小さな声を二人で交わす。お互いの姿は見えないのに、どんな顔をしているかは手に取るように分かる。そんな、いつもよりも距離が近くなったような錯覚を味わいながら。

 

 その感傷の中で、加蓮の透き通った声が私に届く。

 

「……星って綺麗だね」

 

「うん」

 

「こんなに暗い世界でも、きらきら輝いて。こんなに手が届きそうなのに、まだ届かない」

 

 加蓮の細い手のひらが、宙へと伸ばされていた。

 

 手の先、ひと際大きく輝く、一等星。じっと見るほどに、あの光は近づいてくるが、その光を掴むことはできない。

 

 

 

 遠い、遠い。どこまでも遠くで輝いて、人々を魅了する星。

 

 

 

 加蓮はそれをまっすぐに見つめていた。恐れることなく、ひるむことなく、夢と希望をたっぷりに。そして、

 

「……遠いけど、絶対にたどり着いてみせるから。アイドルの星にだって、宇宙一のアイドルにだって。……その先にも、私たちなら行ける」

 

 強く、勇気づけられる声だった。言葉にしながら、加蓮は何を思っているのだろうか、なんて。昔の自分なら、加蓮と出会ったばかりの自分なら分からなかったと思う。けれど、今は、加蓮の気持ちもしっかり受け止めることができた。

 

「それが、ついてきた理由なんだ」

 

「うん。一緒に、目指すものを見ておきたかったんだ。奏にも、他のみんなにも負けないで、たどり着く場所。きれいな、夢みたいな世界を。Pさんと一緒に」

 

 加蓮が身じろぎする。

 

 こぶし一個分ほど、私たちの肩が近づいて。

 

 私も、肩を並べながら、宙に目をこらす。いつかの夜に二人に語ったように、はやぶさよりも、星々よりも。決して輝きが消えないアイドルの未来を思い浮かべた。

 

 星に例えられる、アイドル。あの一等星のように、輝きたいと誰もが願っている。けれども、そこがゴールじゃないと思うのだ。

 

「……星ってさ、あの光は過去の物なんだって。星が放った輝きが、長い時間をかけて地球にたどり着いて、それを私たちは見てるだけ」

 

「……それじゃあ、あの先に、なにがあるか。ほんとは分からないんだ」

 

 私は頷きを返す。もしかしたら、その先では、星が無くなっているかもしれない。もっと強い輝きを放っているかもしれない。

 

 そんな未だ見たことない世界がゴールに近い場所。

 

「……じゃあ、望むところ、だね」

 

 加蓮の言葉は強かった。

 

「きっと、私たちが目指す場所も、今の私が想像できないほど輝いているから。アイドルとして、北条加蓮が輝いた先には、きっと素敵な場所があるって、信じてるから

 だから、プロデューサーさん。私も前に進むから、一緒に目指そうね」

 

 柔らかい手が、私と重なる。

 

 そんな加蓮の決意を、星だって祝ってくれたのだろう。

 

「……あ」

 

「流れ出したな」

 

 一筋、二筋、三筋に四筋。

 

 軌跡を描きながら、大小さまざまに。星が踊るように流れていく。三度唱えても、間に合うほど、数が多いが、私たちは口を閉ざしたままだった。

 

「願いごと、唱えなくていいな」

 

「うん。私は、私たちは自分で叶えてみせるから」

 

 加蓮が目指す、アイドルの頂点。それが見えるのは、きっと、そんなに遠くはない未来。一等星よりも輝く少女を見ながら、私はただ、それを信じていた。




明日はもっと早く投稿できる予定です!

それでは、加蓮に清き一票を、お願いします!!


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4月25日「歩道橋の日」

 人がたくさんの所を歩いていると、時々、考えることがある。

 

 私は、アタシは、この中に入れなかった人間だって。

 

 みんな普通に、日々を過ごしている。友達を作って、学校に行ったり。恋人を作って、デートをしたり。会社に行って、家族を守ったり。そんな理由がなくても、自分がここにいることに迷ったりしない。

 

 そんな、ありふれた景色。

 

 私は入れなかった。

 

 今はもう、気にしてはいないけれど。じゃあ、羨ましくないのかって聞かれたら、今でも嘘。それは私になかった世界だから。『あたりまえ』を知りたいって気持ちは本物で。Pさんは、そんな気持ちを分かって仕事を入れてくれる。

 

 旅行に、合宿に、海水浴に遊園地。そんな気遣いと、同情とか半端な気持ちがないのは本当に嬉しかったりするんだ。

 

 ふと、そんな『あたりまえ』を生きる、周りを見回してみる。

 

 午後の渋谷だから、人が多かった。それも、スーツ姿の人が半分くらい。格好はPさんと似ているけど、私とは無関係な人たち。

 

 ねえねえ、今、目の前にアイドルが歩いているんだけど、気づかない? そんなに当たり前の景色って必死なの? Pさんなら、私が何処にいても気づいてくれるよ?

 

 気を抜いたら、そのまま流されてしまいそうな社会の中で、私はあの人のことを思い浮かべる。

 

(……Pさん、なら、ね)

 

 私の担当プロデューサー、魔法使い。まあ、人生を半分捧げても、全然平気な人。そんなことを、面と向かって言ったら恥ずかしいけれど、それくらいの感謝や想いはある。

 

 彼と出会わなかったら、私はどうなっていたんだろう。

 

 あの狭くて、消毒液の匂いが染み付いた部屋から追い出されて、空っぽのままで不機嫌に街を歩いていたアタシ。あんな肩出して、見るからに自棄になっていますって顔で彷徨っていたら、どうなったかなんて、今考えたらぞっとする。

 

 だから、最初にスカウトしてきたのが、あの真面目で、子供っぽいPさんだったのは私の人生にとって一番の出来事だって断言できる。

 

 そんな風に考え始めていたからかな、何度か、スーツさんにぶつかってしまった。でも、みんな、私も見ないで、どんどんと先に。

 

(……もうっ、人が多いなぁ)

 

 せっかくのオフだったから、買い物に出たのに、何だか落ち着けない。一休みができるところはないのかって見回したら、ちょっと先に細い歩道橋があった。

 

 こんなに人がいっぱいなのに、誰も使っていない場所。

 

 だけど、よく見てみたら……。

 

「あ!」

 

 一人だけ、知っている子がそこにいた。

 

 

 

 人混みを眺めていると、時々、考えることがある。

 

 私は、あの中に耐えられなかった人間だったって。

 

 何でも要領よくできる、手間がかからない子。そんな風に思われていたけど、それは表面的なだけ。

 

 みんなと話して笑顔満開、なんてできなかった。誰かと合わせて、友達百人なんて夢のまた夢。結局、憧れだけが先行して、がんじがらめになっていた、容量悪い子。それが私の正体だった。

 

 だから、人混みを見ていると怖くなることもある。

 

 そこに、私はいられなかった。

 

 もしかしたら、独りでも、彼らと合わせる方法を見つけられたかもしれない。けど、あの時の私にとっては、たった一つのことが大切で。自分勝手で。学校生活にも耐えられなくなって、自棄になっていた。

 

 仮面を剥がして、憧れを捨てるくらいなら、なんて。

 

 その意地を、ぎりぎりで拾い上げてくれたのは、プロデューサーさんだった。

 

 視界の下で流れていく、スーツ姿の男性たち。あの人も、同じスーツ。個性的なのは、からかわれる時の、あの可愛い顔くらい。スーツの人たちと同じで、違う、プロデューサーさん。

 

 貴方たちはそんなに急いでどこに行くのかしら? ここにアイドルがいるわよ? 澄んだ青空と、涼やかな風に身をゆだねて、少しは気休めしても良いんじゃない? そうすれば、貴方もステージの主役よ?

 

 けれど、そんな戯れに付き合ってくれるのは、アイドル仲間ならともかく、あの人くらいなものね。

 

(……ロマン好きのPさんくらい)

 

 仮面を肯定して、煌めく場所を与えた人。素直な言葉は難しいけれど、私にとって……。ううん、やっぱり言葉にするのは野暮。心の中だけでも、陳腐な言葉では台無しにしたくない人。感謝してて、彼無しの『速水奏』は考えられない。

 

 比翼の、なんて言葉は綺麗すぎるけれど。いつかはそう伝えても良いかもしれない。その時の彼は、きっと、ちょっと赤くなって、それでもあっさりと笑うのでしょうね。

 

 もし、出会わなかったら。

 

 変な器用さはあったから、どこかで諦めて、仮面も捨てて。心を殺しながら、人混みに紛れて涙を流す。そんなありがちな映画の、悲劇のヒロインを気取っていたかしら。今、共にいる彼女に、そんなこと言ったら喧嘩する代わりに散々にからかわれそうだけどね。

 

 だから、最初にスカウトを受けたのが、あの思い切りが良すぎるプロデューサーさんだったことに、私は感謝してる。初対面でキスを迫る女を、重い私を受け入れてくれたから。

 

 そんな、彼に倣ってロマンチックな少女思考に浸っていると、視界の端に見慣れた顔が来た。

 

(……あら、こんな偶然、映画みたい)

 

 巧妙に隠れたかくれんぼを、見つけた鬼のように。加蓮は踊るような笑顔を浮かべて、私のところに上ってくる。

 

 そうして、忘れられた歩道橋の上。喧騒から離れて、私たちは出会う。ふと、それは、加蓮との出会いのそのもののように感じられた。

 

 

 

「こんな昼間っから、なーにをしてるのかな、奏は?」

 

「ふふっ、そうね。道行く人を眺めて、人間はこんなに小さいのね、なんて悦に浸っていたり?」

 

「それ、この間の悪役演技じゃない。あの撮影の時、ほんと奏怖かったんだから」

 

「加蓮がどんどん上手くなるんだもの。私だって必死になるわ」

 

「私だって役者経験も積んできたからね♪ そろそろ、奏にも勝っちゃうよ」

 

「それは、どうかしら?」

 

 

 

 そう言うと、奏は、すっと視線を鋭くする。心の中まで見通すようなそれは、女神か何かだと思った。心がきゅっと締め付けられる。言葉を重ねるより、一つの演技だけで、奏の宣言を私に伝えてくる。

 

 速水奏。

 

 友達で、相棒で、色んな意味でライバル。

 

 けれど、言葉で表すのは難しい関係だと思う。一番の親友は凛と奈緒だし、相棒はPさんだし、ライバルは何人もいる。前に『ちょうどいい距離の見届け人』なんて、奏のことを呼んだけど、あの時だけの言葉。今は味気ない。

 

 そこをしいて言うなら、奏とは、波長が合うんだ。

 

 アイドルの活動とか、目指すものとか、だいぶ違うなって思う時があるけど、何時間一緒にいても飽きないし、ライブや、一緒に誰かをからかう時なんて、奏の考えていることが分かってしまう。

 

 けど、こうして奏の凄さを感じる時には……。

 

(なにより、負けたくないよね)

 

 出会ったときのような、けれど、全然違う気持ちが湧き上がってくる。そんなことを考えたからかな。あの時のことを思い出した。

 

(……ほんと、Pさんにしては最悪のタイミングだったよね。……ううん。もしかして、狙ってたのかな?)

 

 最初のライブを大成功させて、Pさんのクビも回避して、アイドル生活楽しいって喜びまくっていた時。幸福の絶頂にいた私の前に、奏はいきなり現れた。

 

 一目見ただけで、綺麗で、存在感があって。ダンスも、歌も、演技も、私より上。

 

 勝てないって思った。

 

 だから、不安に思って、せっかく手に入れた場所を奪われるなんて勘違いして、嫉妬して大喧嘩。それが、モノクロームリリィの始まり。

 

 その間、Pさんもだいぶ大変だったって聞くけど、人に相談もなしに踏み切ったんだから、それくらいは許して欲しいと思う。あ、だめだ。相談されても、たぶん、あの時の私は猛反対したから。

 

 ほんと、よく仲良くなったよね。Pさんのやけっぱちみたいな方法で話し合って、色々と協定やらなにやらを結んで、今はそんなの関係なく仲良くしているのは、不思議だと思う。

 

「ねえ、奏」

 

「なに?」

 

「ううん。奏と一緒でよかったなって」

 

「いきなりどうしたの?」

 

「さあ? こんなきれいな青空を見ていたからかな?」

 

 ごまかして、でも、言葉は本物。奏の見ている世界を、目指しているものを、近くで見られる。こんなに刺激的で、楽しいことはないんだ。お互いに追いついて、追い越して、それでも肩を並べて、ここまで来れた。

 

 そんな奏と私の関係を、簡単には表せないけれど、それがちょうど良いんだと思う。

 

 

 

(ほんと、この子は……)

 

 言いっぱなしで、加蓮は空を見ながら朗らかに笑っている。私だって、同じことを思っているけれど、そう簡単に口には出せない。キャラじゃないなんて言い訳ではなくて、単純に言葉にすることを恐れてしまうから。今の仲間は、そういう所を分かってくれるけど。甘えてしまっているのだろう。

 

 北条加蓮は、私にとって……。

 

 やっぱり、一言では表せないわね。

 

 まず、いい友達。趣味も合うし、話していて飽きない。私のこと、なんでもなく扱って、からかったり、からかわれたり。私たち二人とも、昔に色々あったし、距離感もちょうどいい。

 

 次に、アイドルとしては仲間でライバル。

 

 それで、ここが複雑だけど。私にとって、初めてのライバル。アイドルになるまで、張り合ったり、競い合ったりする相手はいなかった。目指す理想はあっても、目指し方が、わからなくて、そこに並ぶ人も当然いない。

 

 今は、加蓮と私、トップの目指し方は違うけれど、それがまた面白くて、

 

(負けられない)

 

 それが出会ってから、変わらない思い。自分は頑固なんだと思っていたけれど、筋金入りね。

 

 そんな加蓮との出会いは、私から見ても、最悪だった。加蓮にとっては悪夢そのものでしょう。

 

 あの海でプロデューサーさんと出会った後。Pさんを信じて、いきなり大きなライブに放り込まれて、アイドルに目指すべきものがあるってわかって。……加蓮がいたことを知った。

 

 一目見ただけで、羨ましくて、勝てないって思った。

 

 だって、私とは全然違うもの。小手先の技術が勝っているからって、そんなの関係ない。アイドルへの情熱は、自分を表現できる勇気は、私には足りなかったから。

 

 それに、加蓮も私に対抗して、どんどん技術が追いつかれていく。焦るわよね。焦って、怖くて。でも、そこまで経って、私はアイドルに本気なんだと分かった。

 

 狙ってやったなら、あの人もやり手だけど。どうなのかしら? 意外と、偶然とロマンの産物かもしれない。正反対の二人がタッグを組むなんて、あの人が好きそうなシチュエーションだから。でも、そのおかげでからかわれるようになるなんて、思ってもみなかったでしょうね。

 

 ほんと、詰めが甘くて可愛い人。

 

 でも、そんな彼が紡いでくれた縁が、今の私を支えてくれる。

 

「加蓮」

 

「今度は何?」

 

「私も負けないわよ」

 

「……ふふっ。なんか、素直なの珍しいね」

 

「こんなきれいな青空を見ているからよ」

 

 加蓮の情熱が私を高く登らせてくれる。諦めと達観に沈みそうなとき、頬を張ってでも走らせてくれる。そんな加蓮と一緒にアイドルができるのは、本当に楽しくて仕方ない。

 

 

 

「……あれ? あそこにいるのって」

 

「ほんと、Pさんね。同じようなスーツなのに、あんなに目立っちゃって」

 

「というか、私たちが見つけちゃうのが、ね」

 

「せっかくだから、からかっちゃいましょうか」

 

「じゃあ、今日は……」




とうとう明日は中間発表!

加蓮、奏、頑張れ!!!


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4月26日「七人の侍の日」

加蓮 中間発表 総合二位!!

奏 中間発表 属性五位!!

いける! 二人とも、上位入賞が狙える!!


 社会とは移り変わっていくもの。特に、芸能界なんて流行り廃りが激しくて、一年や二年のスパンで入れ替わってしまうのが普通だ。だが、そうして変わっていくのも強さであり、新しい風が吹かないと、土台から壊れてしまう。

 

 というわけで、この春にかけて、私たちの事務所にも新人がやってきたのだが。

 

 ……それがまた、濃い面々であった。

 

「ねえねえ! ぼくがんばったよね! もう朝から一時間も踊ってばっかりで頑張ったよね! だからもう休んでもいいよね!? ううん! こうして踊るより、へばってるの流した方が炎上狙えていいんじゃない!?

 ほらほら、あきらちゃん! いますぐ生配信しようよ! 『現役アイドル、レッスンでダウン』とか! なんでもいいから流そうよ!!」

 

「いや、それはだめデスって。怒られるのとか、めんどうですし」

 

「えー!!? じゃあ、あかりちゃん! インスタ入れたばっかりだよね! ぼくの流してよ!」

 

「えっと、インスタのアップロードって……」

 

「あかり、それ、ダメなヤツ」

 

「いいんだよ! 燃え上がれば正義なんだよ!! 今の時代、燃えるのが一番手っ取り早いんだよ!! 

 ……って、トレーナーさん!? ぎゃー! ごめんなさい! ごめんなさい! 炎上とか、そんなの冗談だから!! えっ、ご、五時間追加!? たすけてー! 誰か助けてー!!!」

 

 うるさい。

 

 それが扉を開けて飛び込んできた景色だった。加蓮と奏と、ついでに私も現状視察ということで予約をしていたレッスン室。時間通りに来てみると、そこに文字通りの阿鼻叫喚が広がっていた。

 

 普段から音楽やダンスの音が響いて、決して静かな場所ではない。だが、そんなレッスン場がここまで騒がしくなるのはいつ以来だろうか。アイドルの中には、最初のころレッスンを拒否した子もいると聞くけど、ここまでうるさくなかっただろうし。

 

 そして、その発生源は三人、いや、主に一人と巻き込まれた二人の新人アイドルだった。騒がしい夢見さんと、おとなしめな砂塚さん、そして、

 

「確か、あかりんご!」

 

「違うって、あかりだって」

 

 ……あの奇妙なリンゴの着ぐるみが、頭から離れなくてな。

 

 そんなわけで、つい最近に事務所にやってきた新人アイドル、明るく手を振ってくる辻野さんと、ぺこりと頭を下げる砂塚さん、マストレこと麗さんに首根っこを掴まれて断末魔をあげている夢見さんに見送られながら、奥のレッスン部屋へと私たちは向かった。何人ものアイドルが同時にできるように、レッスン場の部屋数は多いのだ。

 

 途中、さっきの惨状に苦笑いを浮かべていた二人と話をする。

 

「にしても、逆に新鮮だったな」

 

「レッスンから逃げたりするの、今は乃々くらいだよね? それも、すっごくたまにだけ。あそこまで凄いのは久しぶりに見たよ」

 

「加蓮だって、色々言ってたのは最初だけだったし」

 

「それ。私も聞くだけしか知らないけど、大変だったらしいわね、加蓮」

 

「うっ……!? もうそろそろ忘れてほしいんだけどなぁ」

 

 加蓮は頬を掻きながら言うが、そんな日々も私にとっては大切な思い出だ。墓場の中までもっていくことは決定している。

 

 きっとあの新人たちも、私たちのように、今日の日を懐かしく思うのだろう。例外的に三人も担当することになった、あちらのプロデューサーも、聞くところによるとやり手だというし。まだまだアイドルっぽくない三人が、今後どう成長するか、同僚として楽しみでもある。

 

 ところで、かしまし三人娘以外にも、事務所には新人がやってきている。そして、

 

「二人は、他の新人とも会ってたよな?」

 

「私は千夜とレッスンでばったり。けど……、まだ本気っていう感じじゃなかったわね。戸惑っている、というのが正しいのかしら」

 

「あ! 私はちとせとスタジオで。仲良く話せたけど、ちょっと壁があるかな。入ったばっかりで、仕方ないけどね。あと……、ううん。これはただの勘違いだったらいいけど」

 

 二人から話題に上る『Velvet Rose』。どこか不思議な雰囲気を持った主従コンビは、事務所の中でも異質な雰囲気を纏っていた。付き添いでアイドルになったと公言してはばからない白雪さんは、馴染むのが特に難しそうだが、担当プロデューサーはほわほわと笑顔を絶やさない、これまた変なヤツでもある。

 

 多分、最後にはどうにかなるのだろう。

 

 そして、もう一組。我が事務所初の双子アイドルだ。

 

「颯とは、今度、セレクトショップ案内するって約束したんだよねー。あの子、ほんと、後輩って感じで可愛いんだー。きっと、磨けばもっともっと光るから、美嘉達と計画中♪」

 

 久川姉妹の颯さん。都会に憧れる、元気で明るい子。そんな彼女を紹介された時、私も加蓮と颯さんは打ち解けやすそうだと印象を持った。

 

 一方で姉の凪さんは、一風変わっている不思議なタイプ。そちらとは奏が接点があった。

 

「あの子も、見ていて飽きないし、楽しいわよね。フレデリカも可愛がっているし、今度LiPPSを見に来るそうよ。……志希と引き合わせるのが、少し不安だけど」

 

「い、いや……、さすがに変な方向性に目覚めたりしないだろ」

 

 言動とか、かなり特徴的だけど、科学方面とかには。ただ、フレデリカさんと一ノ瀬さんの組み合わせよろしく、どのように転ぶか分からないのが怖い。凪さんの制御には、担当の手腕に期待するとしよう。主に私の平穏のために。万が一、一ノ瀬博士に弟子とかできたら、実験台は向こうの担当と私だ。

 

 あの大学生にしか見えない後輩、マジで頑張れ。

 

「で? プロデューサーさん的には、誰か気になる子は居ないの?」

 

「私たちの事務所らしくて、どの子も面白そうだけど」

 

「うーん」

 

 問われたので考えてみる。このアクの強い事務所に放り込まれた、七人の新人。世間的な事務所の知名度を考慮しても、気概は十分だと思う。その中で、誰に目が行くか、といえば、

 

「白黒コンビだな」

 

「へー。キレイ目が好きなんだ」

 

 加蓮も奏も、その分かってますよって目はやめて!

 

「い、いや。ほら、ユニット名がVelvet Roseだし、モノクロームリリィとなんか似てるからライバルキャラみたいだなって」

 

 アイドルの名前も白黒で、モノクロだ。ヴィジュアルの方向性も似ていないことはないし、どっかで勝負することになりそうだと予想している。

 

「その時には、きっと手に汗握る戦いが……!」

 

「結局、そこに行くのね」

 

「はいはい、ロマンロマン。まあ、私たちも負ける気はないから? その時にはPさん好みの大勝利をプレゼントしてあげるよ」

 

 それでは、期待して待ってるとしよう。ちょうど総選挙も迫っているし、いっちょ先輩としての力を見せてあげて欲しい。新人も、入ったばかりでいきなり総選挙というのも大変だが、アイドル業界の実際を勉強できる機会だ。精一杯、頑張れ。

 

 

 

 そんなことを考えていると、ふと、七人という数に思い当たるものがあった。

 

「そういえば、シンデレラガールも七人か」

 

 歴代の総選挙優勝者『シンデレラガール』。元々が互いに高めあうことが目的の総選挙。なので、称号がイコールでトップアイドルじゃないが、優勝者には違いない。当然、誰もがトップに足る実力を持っている。

 

「面白い偶然ってあるものね。いいえ、偶然というよりも、必然かしら? そういう重なりを考えてみるのは面白いことだわ」

 

「また奏は意味深なこと言って。でも、もう七人もいるんだね。シンデレラ七人なんて言ったら、雲の上っぽいけど、普通に友達だったりするし、気づかなかったよ」

 

 加蓮が笑顔で言う。そんな彼女の言う通り、誰もその称号に驕ることなく、いい意味で自分らしく毎日を過ごしている面々。加蓮とも奏とも良い友人関係を築いている。

 

 ただ、友達であると同時にライバル。そして、私たちはその座に手をかけている。ここらで一つ、彼女たちのことを改めて考えてみるのもいいかもしれないと思った。

 

 『彼を知り、己を知らば』というやつだ。二人とも自分のことは分かっているだろうから、改めて、彼女たちを。そういうと二人もたまにはいいね、と同意してくれた。

 

 まず、考えてみるのは、

 

「初代の十時さん。アイドルらしいっていえば、アイドルらしい子だよな。優しくて、おっとりした可愛いタイプ。素でそういう性格だから、根強いファンが多いし」

 

「ほんと、みんなに好かれているの、すごいなーって思うよ。喧嘩も見たことないし」

 

「愛梨が喧嘩したら、それこそ何か不吉の前触れでしょうね」

 

 奏が冗談めいて言うが、私もそれには首を振るしかない。十時さんには何時までもぽわぽわと明るくいて欲しい。

 

「次に、二代目が蘭子」

 

「十時さんに続いての、これまた濃い神崎さんか。あのキャラクターは他には真似できないし、ファン層の強さも納得できる」

 

 奇怪ともとれる言語や、仕草。それでもにじみ出る可愛さと、気品はあの子だけの持ち味だ。

 

「それと、最近は二宮さんと居て、昔より柔らかくなった。それで、女性ファンも増えている感じだし、侮れない……。あ、そうそう! 神崎さんの言葉、私も完全にマスターしたぞ!」

 

「おめでとう。でも、他のプロデューサーさんたちよりは遅かったわね」

 

「難しいんだよ、あの言葉」

 

 一時期、誰が呼んだか通称『熊本弁』。熊本県及び、小日向さんへの風評被害である。

 

「それで、三代目が……」

 

「我らが渋谷凛! なーんちゃって。そういう風に言ったら、凛も照れちゃうのが可愛いんだよ」

 

 加蓮が所属するトライアドプリムスの渋谷凛さん。上司の担当アイドルにして、事務所の古参メンバー。

 

「凛は凛。そういう確固としたキャラクターがあるのが強みね」

 

「頑固だからねー。けど、担当さんには一途だったり、子犬っぽいところも人気あるのかな?」

 

 ファンになると、渋谷さんの優しさや気遣いに触れて、抜け出せなくなるのだとか。普段はしっかりと固めてる表情が緩むときを見たいと、多くの人が支持している。

 

「次が、周子。……あの子は、言わずもがなね」

 

「自由って言葉が服着て歩いてる感じだし、それでいて、しっかり者だし。なんか、凛とは違った意味で、周子らしさって真似できないよね」

 

「最近は小早川さんと一緒に、ますます手を付けられなくなってきたな。

 ……それで、次がとうとう島村さん」

 

 いつも思うのだが、島村さんのいう普通とは何なのだろう。気が付くと何時間でもレッスンしていたり、気が付かないうちにすごいことをやってのけているイメージがある。

 

 すると、加蓮は彼女とも仲が良いからか、答えを持っているようだった。

 

「卯月がやってるとさ、自分もそこに追いつけるんじゃないかって思うんだよね。変な器用さとか、才能は見えないから、卯月の口癖みたいに頑張れば、この子みたいに輝けるって」

 

「卯月が女の子に人気なのも、そこがあるんでしょうね。あの子は親しみやすくて、それでもギリギリで手が届かない。水面に映る、儚い光みたいに。それを感じさせるのも、一つの才能でしょうけど」

 

「なるほどね。島村さんがレッスン場で頑張ってるの見ると、私だって仕事、頑張ろうって気になるな」

 

 カリスマ性のある人間はいくらでもいるが、あの普通さで、人を励ませられる人間はそうはいないということだ。

 

「あとは、最近に勝ち取った二人ね。……楓さんと」

 

「菜々ちゃん。楓さんは歌姫で、女神で、それでダジャレ好きみたいな親しみもある。……正直、ようやくかって思ったな。私も奏も目標にしてるし、納得」

 

「それで、安部さんは……。ありゃずるい。何しても話題になるし」

 

 強烈なキャラ付けに、ファンも思い切りが良すぎる。感動系でもギャグ系でも、ほんと、どんな演出でもできてしまうのが恐ろしい。今年も、何をしでかしてくるか……。

 

 そうして、一通り、面々を振り返ってみると、やはり共通するのは、一つのことだ。

 

 加蓮も奏も、そのことはしっかりと分かっていて、笑顔でやるべきことを宣言する。

 

「自分らしさを大切にすること、だね」

 

「追われる時、追う時。人は安易な道を探しがちだけど、そうして逃げた先にはトップには立てない。シンデレラガールは、自分を貫き通した先にしか待っていないのでしょうね」

 

 どんなに立場になっても、自分らしさを。

 

 そして、加蓮も奏も、アイドルとして、一人の人間として、素晴らしい資質を持っている。だから、二人がトップに立つ時は、きっと、それを輝かせられた時だ。

 

 当たり前だけど、ふとした拍子に忘れがちな、大切なことを、二人はしっかりと胸に抱いている。だから、私も二人のことをそんなに心配はしていない。

 

「それじゃあ、中間発表ももうすぐだし。改めて、目指すはトップだけ!」

 

「もちろん。誰にも、夢を譲るつもりはないんだから」

 

 自信満々に前に立つ二人。それを見て、私も一人、胸の中で気合を入れなおす。輝くばかりのアイドル二人。その背中を押して、トップへ連れていくために。




まだまだトップに立つには壁が厚いですね。

それでも、今年も手が届く位置まで来ました。そして、来年を待つつもりもありません。加蓮は未央を。奏は文香と楓さんを。そして、追いついてくるライバルを超えて、上位へ。

皆さんの熱い応援も、どうかよろしくお願いいたします。

モノクロームリリィを! 総選挙CDで!


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4月27日「哲学の日」

 京都、古都の街。日本人なら、一度くらいは訪れたことがあるだろう。観光名所の数で言えば、日本で間違いなくトップ。最近はその環境客が多すぎて、過ごしにくい街になっている気がするが、そこは千年の都。いつかは改善するだろう。観光地としての年季が違う。

 

 私と奏がそんな京都を訪れたのは、PV撮影のためだった。清水寺周りなど、祇園や荘厳な寺院といった撮影スポットが盛りだくさん。羽衣小町の看板がいたるところに見られる中、奏は舞子のように可憐な撮影を終えた。

 

「着物は、お正月以来かしら? あの時は妖艶で、幻想に誘う役だったけれど、今日は花飾りをつけて、古都に溶け込む町娘……。

 人が衣装に持つイメージって不思議よね。こうして歩いているのと、夜闇に預けているのと。衣装も、人も何も変わらないのに、見る人が抱く心は全く違う。貴方は、その違いが何処から生まれるのか、考えたことある?」

 

「そうだな……。衣装、人、そういうものが同じなら、後は振る舞いと表情。つまり、演者の行動によるんじゃないのかな?」

 

 奏が華やかに笑っていれば、それは青春を楽しむ町娘。

 

 奏が薄紅を付けて微笑んでいれば、幻惑する魔の者に。

 

 そう答えると、奏は微笑みを浮かべて首を傾げる。

 

「そうね。私が行う一挙手一投足。それが物語を作る。貴方が望む通りの私として。でも、それも一つの要素でしかないと思うのよ。

 人の心を動かせるのは、その人だけ。結局、感情はその人の歴史から生み出される。観測した物語を、心の中で近似して、『妖艶』や『清楚』っていうイメージで枠組みに入れる」

 

 つまり、何も知らない赤子に見せても、感情は生まれない、と。

 

 考えてみれば、そうかもしれない。私だって、撮影のイメージを考える時は、過去にあった作品の影響がある。子供のころに見た、美しい映画や、ヒロインの姿だ。それらを知っているから、他の人も知っていると考えるから、感動を作り出せる。

 

 けれど、

 

「あれ? それじゃあ、一番最初ってどうなんだろう? 記憶が感情を作るっていうなら、赤ん坊はどうやって感動するのかな?」

 

 いや、知らないうちに、周りの人から感情を学んでいるのか。それとも、元々脳に感情を生み出す機能があるのか。考えれば考えるほど、何かありそうだけど答えは出てこない。

 

 そういうと、奏は口に手を当てて、含むように笑う。

 

「さあ? 私が言った言葉が正しいかもわからないもの。それに、もし正しかったら、原初の人間の感情は、どこから来たのかしら。文化もない世界で、感情が生まれた理由。

 ……ふふっ、答えのない問題よ。でも、そんな問いを考えるのは、面白いわ」

 

 春の木漏れ日を浴びながら、奏と二人、小道を歩きながら、何気ない会話を楽しんでいた。

 

 奏は藤色の上品な着物に袖を通し、共する私はスーツ姿。お嬢様と護衛みたいに見えれば格好がつくが、私の背格好ではせいぜいが小間使いだろうか。

 

「そんなことないわよ? 私が高貴な身分なら、貴方はそんな女が心奪われる、秘めた相手……。なんて、見る他人によって印象も変わるんじゃない?」

 

 言いつつ、奏が簪をつけた小さな頭を、私の肩に寄せてくる。仄かな温かさが増したのは、春の日差しのせいじゃない。

 

「ほら、そうして頬を染めていたら、それらしいでしょ?」

 

 まったく、奏には言葉で勝てる気がしない。こうして『哲学の道』を歩く間、何度も翻弄されてばっかりだ。小さな哲学者、速水奏は絶好調である。

 

 哲学の道。日本の偉大な学者が、考えをまとめるために歩いていたという小道である。ガイドブックにも載っている、ある意味、日本一有名な小道かもしれない。

 

 実際に歩いてみると、他の名所とは違って和やかな空気の流れた道だ。脇に並ぶのも、古民家に、それを用いたお土産店。

 

 規模はそこまで大きくないが、お洒落な店を横目に見る。散歩の後で、加蓮へのお土産を探すのに良いかもしれない。

 

 この京都にあって、落ち着ける場所は、

 

「……確かに、考え事をするにはちょうどいい道だな」

 

「そうね。静かな中で体をゆっくり動かして。のんびりと、時間も忘れて」

 

「奏もそうしてみたい?」

 

「私はそこまでストイックではないもの。今日は貴方とおしゃべりをしていた方が、有意義よ。それに、会話をするのも、思索を深めるいい方法でもあるしね。例えば……」

 

 そういうと、奏が石畳の上で一二とステップ。コツコツ、スタッ。着物だから小さく、けれど、蝶のような印象。

 

「はい。貴方には、何の音に聞こえたかしら?」

 

 奏が覗き込むように尋ねてくる。

 

「今ので?」

 

 無言の、楽しそうな頷き。じゃあ、考えてみようかと、五秒ほど。

 

「……日向で踊っている猫、かな?」

 

「ふふっ! いい答え。でもね、少し深読みしすぎよ、Pさん」

 

「じゃあ、答えは?」

 

「速水奏が踊っている音。なんて、どうかしら? 目を奪いたい人をくぎ付けにするの」

 

 そのまんまじゃないか。

 

 思わず苦笑いをする私に、同じ表情の奏。私の手を取ると、また一歩、先へと歩みを進めながら言葉を躍らせていく。

 

「そう、そのままよ。でも、そんな単純でも何かを考える行為が、哲学だと思うの。高尚なことを考える必要はなくて。世界の真理とかを考えるのが、好きな人もいるでしょうけど」

 

 大昔には、科学的なことも哲学と呼ばれたらしい。ソクラテスとか、その時代。この世界はどうやってできているのか、空気は何でできているのか。賢人たちは考え続けた。

 

 きっと、それを証明する術はなかっただろう。けれど、毎日のように考え、人類の礎を作った。だから、奏が言う通り、先に何が無くとも、人が持つ考える力を使うことが哲学なのかもしれない。

 

「じゃあ、私たちとそんなに変わらないのかな? なんでも考えることが哲学なら、毎日、頑張って生きようとか。奏と加蓮をもっと輝かせようとか」

 

「本来は、難しい言葉は使う必要もなくて、ね。

 ただ、あくまで考えは個々人の内面にあるから、それをそのままに伝えようとすると、回りくどくもなってしまう。……その点で、私は悪い例なのかもしれないわ」

 

 ちょっと弱気な声だった。

 

 私は奏の横顔を見る。金色に輝く、綺麗な瞳が、目の前の景色を素直に映し出している。きっと、奏には私なんかより細かい世界が見えていて。それを受け止め、心を巡らせている。

 

 だから、時々、奏の言葉には分かりにくいところもあるのだ。でも、それは、

 

「それは、奏が真摯で、やさしいからだと思うよ」

 

「……どういうこと?」

 

 向けられる瞳。少し、不安に揺れている気もする。けれど、そんなに心配することもないと思うのだ。

 

「だって、奏が言葉を考えて使うのは、しっかりと気持ちを伝えたいって証拠だから。わからないなら適当に、とか。そういう手抜きをしない。

 だから、奏が言っていることがちょっと難しくても、それが分かった時、私は嬉しいんだ」

 

 奏が言葉を尽くして、伝えてくれる世界。それを共有出来た時、私は世界が美しいものに見える。

 

 この何気ない散歩道も、空も、全てが綺麗でたまらない。

 

「……ふふっ」

 

 くだけた音。一瞬の呆然と、こみ上げたような笑顔が生まれていた。奏は珍しくお腹を抱えたように笑いながら、それでも嬉しそうに。今の奏に、着物はちょっと似合わなかった。

 

「哲学者は大概ロマンチストだと思っていたけれど。ほんと、貴方は素敵な哲学者になれるわよ? Pさん。でも、そんな道には行かせてあげないわ。ずっと、私たちのプロデューサーでいてもらわないと困るから!」

 

 小道のゴールが見えてくる。ちょっとしたかけっこのように、奏が足を速めて、私は追いつくために駆け足。風に乗りながら、奏の声が聞こえる。はしゃぐような、大人っぽくない声で。

 

 そして、

 

「いつかは、簡単な言葉で伝えてあげる。勇気を出して、そのままの私で。その時、貴方はどんな気持ちをくれるのかしら? ちゃんと答えてくれないと、ダメだよ?」

 

 奏が、とてもやさしく、そのままの言葉で言った。




奏は難しい言葉を使いがち。ですけど、その中にある本心はきっと、透き通って純情なのだと思っています。

そんな奏が、本心を教えてくれる時を。私たちで作りましょう!


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4月28日「アクアフィットネスの日」

二日遅れ! ごめんなさい! 追いつくように書いています!!


「ねえねえ! どう? 似合ってる?」

 

「はいはい、似合ってるから」

 

「そんなこと言って、こっち見てないでしょ? せっかくなんだから、隅々まで見て良いんだよ……。って、いたっ?」

 

 などと、うちの姫様がおっしゃっているので、忠実な子羊たる私は、頭に軽くチョップを落とすのであった。力は込めていないが、加蓮は頭を押さえて恨みがましい目を向けてくる。

 

 そうはいっても、じっくり見てもアウトで、見なくてもアウト。なら、簡単に見ながら、加蓮の意図を封じるのが私の選択肢。

 

 なぜなら、今、北条加蓮は水着姿だったから。

 

 水着。アイドルの水着。

 

 活発な印象を与える、オレンジのビキニ。それを着ているのが、加蓮なのだから、魅力的でないわけがない。正直に言えば、ものすごく似合っているし、見惚れてしまう。

 

 だが、それはそれとして、ファンに見つかったら、ただじゃすまない場面である。

 

(……なぜこうなったのか)

 

 私は頭を押さえてため息。加蓮と奏を相手に安請け合いをするものではないと、骨身に沁みている。にもかかわらず、再度の惨状。加蓮と奏の頼み事は断れないと、骨身より奥に刻み込まれているのだろう。

 

 

 

 そんな哀れな私と、ぷんすか加蓮が立っていたのは事務所内のプールサイド。

 

 エステルームやら、フィットネスジムやら、やたらと設備が整っている我が事務所には、温水プールなどという物も用意されていた。噂によると、たまに水泳好きなアイドルが泳いでいるとか、レッスンの一環で使うとか、暴走婦警によって彼女のプロデューサーが投げ捨てられているとか。

 

 そんな、私たちは普段使いをしない場所。その場所に合わせて、私とて珍しく水着にパーカーに着替えていた。スーツを着ないで事務所にいるなんて、正直、違和感でおかしくなりそうである。

 

 では、なぜ、この場所に加蓮と二人でいるのか。

 

「泳ぎの練習したいっていうのに、その水着はダメだろ……」

 

「分かってないよ、Pさんは。女の子は、いつだって綺麗な姿を見せたいものなんだから。……それとも、Pさんはスクール水着が好きだったり?」

 

「んなわけあるか!?」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ私。

 

 事の発端は、水泳が苦手な加蓮が、どうしても泳げるようになりたいと訴えたこと。夏になるまでに、どうしても。何度も何度も手を変え品を変えのお願いに、折れてみたらコレである。

 

 なぜ、レジャーの海水浴で着るような水着で来るのか。見た目より、機能性重視を私は望んでいる。とはいえ、着替えてというわけにもいかず、私は渋々と加蓮と共に、ぬくいプールの中に入ることになった。

 

「そもそも、泳ぎの練習なら、他の子に頼んだらいいじゃないか」

 

 例えば、奏とか、渋谷さんとか。すると、加蓮は、はあ、と大きく息を吐く。手を挙げて、私がさもデリカシーがないという様子で、

 

「それができたら、苦労しないって。ねえ、Pさん。例えば、私が奏や凛の前で泳げるようになりたいから、付き合ってって言ったら、どうなると思う?」

 

「どうなるって……」

 

「泳ぎの練習の間、ずーっといじってくるに決まってるんだから! 特に奈緒とか! 美嘉とか! それよりも、みんなが知らないうちに泳げるようになって、驚かせたいの!!」

 

 それは普段から、からかいまくっている加蓮の自業自得ではないだろうか。神谷さんや城ヶ崎さんが、隙を見逃さないと目を光らせているのは。

 

 だが、加蓮は一歩も引く気は無さそうだ。こうなった加蓮はてこでも動かないことを知っている。向上心と熱意は人一倍だ。今日は、主に変な方向に発揮されているが。

 

 仕方ない。こうなったら、加蓮が泳げるように全力を尽くすだけである。

 

「……私だって、普通に泳げるだけだから。あまりコーチを期待しないでくれよ」

 

「はーい! 私としてはー、Pさんがぷよぷよになっていないか確認するのも大事だったり♪」

 

 言うなり、加蓮の細い指が、パーカーの上から腹をつついてくる。何とか、沈み込まず、固いままの腹筋に一安心。

 

「うわっ!?」

 

「ほんと、固い! Pさん、ちゃんと鍛えてるんだ!」

 

「……もう、フルマラソンするのは確定したようなもんだから」

 

 多少は鍛え直しておかないと、怖くて仕方ないのだ。

 

 その後も、しばらく加蓮の攻撃に耐えて、練習に来たのか、遊びに来たのか、満面の笑顔の加蓮に付き合うことになってしまった。

 

 本来の目的を果たせたのは、私がなぜか頭からびっしょりと濡れて、加蓮がほくほくと満足げになった後。私は、ぺったりと張り付いた髪の毛を乱暴に払いのけながら、無理くりの大声を出した。

 

「はい! 練習!!」

 

「ふぅ! 満足、満足! じゃあ、泳いでみるね……」

 

 加蓮が細い体を水に沈めていく。

 

 まずは水になれるように、体を浮かせて、簡単に手で一掻き二掻き。以前、グラビアの撮影で南国に向かったときと比べて、少しは水に慣れたようだ。

 

 微かに揺れる水の中、細い体がすいと進んでいく。

 

 そんな加蓮を見ていると、不思議でもなく、舞い踊るお姫様のように感じられた。滑らかな髪が水に揺れて、絹のよう。出会った時よりも、メリハリがついた体は、それは当然、アイドルらしい。

 

 加蓮が顔を伏せていてよかった。今の表情を見せたら、からかわれること間違いない。

 

 そうして数十秒たち、ざばっという大きな音が響く。

 

「ぷはっ! はぁはぁ……。 どう? 少しは良くなってるよね?」

 

 乱れていた前髪を急いで直しながら、加蓮が尋ねてくるので、私は慌てて頷きを返した。

 

「あ、ああ。ちゃんと泳げてたよ。そのくらいできるなら、別に焦らなくても良いんじゃ?」

 

「でも、夏になったら奏と海でしょ? Pさん、こっそり計画してるの知ってるんだから」

 

「こっそりなのに、なんで知ってるの!?」

 

「どうしてかな?  ……でもさ、奏達と遊んでるときに、やっぱり付いて行きたいんだ。置いてけぼりなんて、まっぴらごめんだもん。

 というわけで、Pさん。改めて、水泳教室、お願いね」

 

 確かに、まだ泳げるというよりは、水遊びくらいの技量だ。加蓮は昔の事情もあって、まともな水泳の授業を受けていないというから、これも頑張ってきた成果だろう。

 

 となると、泳げる形を教えるのが良い。

 

「じゃあ、まずはバタ足とか、クロールとか、泳ぎの形から見ていくとしよう」

 

「先生! ちょっとはさわってもいいよ?」

 

「言ってないでまずは始めなさい!」

 

 予約の時間は二時間くらい。既に三十分余りが経過していたから、あまり時間はないのである。加蓮のからかいたげな瞳をよけながら、私も泳ぐフォームを見せながら、加蓮の泳ぎ方にコメントを加えていく。

 

「もう少し肩の力を抜いた方が良いな。ちょっと力任せになってるとこ、あるから」

 

「こんな感じ?」

 

「で、掻いた後は、少し流れに身を任せる。それで、ゆっくりまた掻く。……うん、いい感じ」

 

 流石に、物覚えが早い。レッスンのおかげで体の使い方も分かっているのだろう。アドバイスをうけると、すぐに加蓮は吸収し、動きを改善させていく。

 

 そんなどんどん上手くなる加蓮を見ていると、私だって教えるのが楽しくなってくるのだ。

 

「……さすがにプロデューサーやってると、教えるのも上手だね」

 

 手を片手ずつ、交互に支えながら、クロールの動きを伝えていると、加蓮が感心したという様子で呟く。

 

「どうだろう? 仕事相手にイメージとかちゃんと伝えないといけないから、分かりやすい言葉とか、普段から気にしているからかもね。

 加蓮の方こそ、さすがは人気アイドルって感じだよ」

 

 すると、不意に加蓮が悔しそうな顔をした。

 

「そのアイドルと、水着で、こんな距離で一緒にいるのに……。Pさん、あんまりドキドキしてないの?」

 

「だから、なんでそういうとこ気にするんだって」

 

 からかいの一環か、そんな言動がさっきから多いのは気になっていた。

 

「アイドルだもん。身近な他人の反応は、気にして当然でしょ? ……どうなの?」

 

 加蓮が泳ぎを止めて、澄んだ瞳を向けてくる。

 

 何も思わないのか、と言われれば、それは嘘だ。だとしても、いちいちドキドキしてたら、仕事にならない。アイドルプロデューサーをしている身の上で、それを表に出すのも、よくはない。

 

 ただ、そう言う加蓮はどこか、物悲しそうな色を瞳の奥に湛えていて。

 

「それは……。いや、ほんとは平気ってわけじゃないんだ」

 

 だから、ぎりぎりの境界を渡るように、小声でつぶやく。

 

 加蓮が魅力的じゃないっていうなら、この世に魅力的な人なんていない。

 

 そこまでごにょごにょと口を動かした時だった。ざぶん、と大きな音。目の前から加蓮が消える。下を見ると、水に潜った加蓮は、私から顔を背けていた。それから、少しして水から飛び出し、ついでとばかりに水をかけてくる。

 

「加蓮?」

 

「まあ、焦るつもりはないんだけど……。妹扱いじゃないなら、良いかなって」

 

 不思議な表情で小声でつぶやいた加蓮は、そのまま再び水に潜ると、すいと泳いでいく。あっという間に上手になった泳ぎ方。私は呆然と加蓮の背中を見送るしかなかった。

 

 

 

 その後は、元気いっぱいに戻った加蓮と共に水泳のレッスンを続けた。

 

 加蓮はどこか落ち着いたように、からかう様子もなく、しっかりと泳ぎに集中していく。それは、どこか目的を達成したような、そんな印象を与えてきた。

 

 クロールに、平泳ぎに。それに息継ぎも。まだ不器用だが、形になっていく。それを間近で見ていた私は、唖然とするばかりだ。

 

「……ほんと、上達が早すぎるな」

 

 元々、加蓮は器用な子だ。体力的な問題があった最初の頃は、それが足かせになって上手くレッスンでも結果を出せなかったけれど。それがどうだ。今は体力も十分になって、ネイル趣味を得意とするほどの器用さと集中力が、この上達の速さに繋がっている。

 

 ぱしゃりぱしゃりと、加蓮がゆっくりながらもコースの端から端へ。二十五メートルを泳ぎ切った加蓮は、満足げにプールから上がると、私の所へと駆けてくる。

 

「ねえ、見ててくれたよね? 私だって、ちゃんと泳げるんだから!」

 

 達成感と充実感にあふれた顔がそこにあった。

 

「ちゃんと見てたよ。それにしても、ほんと、短い時間だったのにすごいと思う。……随分、気合入れてたな、加蓮」

 

 遊び目的とは言え、普段のレッスンと同じくらいの気迫を感じられた。

 

 すると、加蓮は照れ臭そうに笑いながら、

 

「うん。だって、できないことが『できる』に変わるのって、楽しいんだ。もう、昔とは違って、やるかやらないかだけ。他に邪魔するのはないなら、飛び込んで、できるようになりたい」

 

 花咲くような加蓮を見ていると、とても勇気をもらえるのだ。

 

 それは、アイドルとしての魅力だけでない。頑張っただけ、頑張りが形になる。そんな生きるために必要な、希望を、加蓮は目の前で見せてくれる。

 

 今日もまた、加蓮は一つ『できる』を増やしていく。アイドルとして、それを他の人に広げて、伝えていく。

 

「じゃあ、今度は背泳ぎ覚えたいな! Pさん、また付き合って!」

 

「……今度は運動用の水着で来てくれよ」

 

「さあ? どうしよっかな? でも、どんな私でもPさんを夢中にするのに、変わりはないからね?」

 

 見た目だけじゃなく、その夢と人生で。加蓮の姿は、私たちの目を捕らえて離さない。

 

 そんな加蓮の背中を支えられることは、私にとって、確かな誇りなのだろう。




それでは! どうか加蓮に清き一票を!!


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4月29日「昭和の日」

令和になってしまいましたが、まずは昭和の日!

時代が変わる日を、二人と見られるのは、感無量です


『歴史が変わる日を前に、皆さんはどう過ごしているかしら? こんにちは。速水奏です』

 

『私たちはいつも通り、オシャレしたり、楽しく過ごしてるよ。こんにちは。北条加蓮だよー』

 

『今日のモノクロメモリーズは特別版の生放送。放送中もメールを受け付けるから、たくさんお話を聞かせてちょうだい』

 

 ラジオブースの中で二人が向き合い、和気あいあいと話を続けている。奏のはきはきとした、凛とした声。加蓮のふんわりと柔らかい声。リスナーに届くのは声だけ。それだけでも、二人の豊かな感情は伝わっているだろう。

 

 今日は定期配信している二人の冠ラジオの生放送。時代が変わるということで、これまでの二人の活動を振り返る企画も行っていた。収録現場はいつもと変わらないが、さすがに企画が企画だけあって、新鮮な気分。

 

 私は、当然、ブースには入れないので、スタッフと隣の部屋で控えていた。目の前の机には山盛りの紙束。全部、今日の放送のために、全国各地から届いたメール。それを放送作家さんが選別して、数枚を二人へと渡しているが、こうしている今もパソコンにはいくつものメールが届き、作家さんたちが必死に読み込んでいる。

 

 二人が人気な証拠。私も嬉しいことこの上ないが、一方でスタッフさんには頭が下がる。こうして素敵な番組を作られるのは、彼等の助けがあるおかげだ。

 

「今日も二人、調子良さそうですね」

 

「ええ、特別企画ということもあって、やる気もあり余ってるみたいです」

 

「それは、私も嬉しいものです。まだ気が早いですが、次の時代でも、よろしくお願いします」

 

「こちらこそ」

 

 番組プロデューサーと簡単に挨拶を交わす。すると、視線を逸らしていたのがばれたのか、加蓮が不意に私へと手を振ってきた。ちょっと目が笑っていない。

 

「……ははは、随分と気にされているようで」

 

 隣に苦笑いをされながら、ちゃんと見ているぞ、と手を振り返す。すると、加蓮は目を細めて、挑戦的な笑みを作り、手元の紙を見た。

 

『それじゃあ、最初のお手紙は……。「いっぱんピーポー」さんから。パトカー?』

 

『ふふっ、加蓮の発音だと、それっぽく聞こえちゃうじゃない』

 

『冗談だって! 人って意味だよね。これでも、ちゃんと勉強はしてるんだから! えっと、「そろそろ年号も変わりますが、お二人が印象に残っているお仕事って何ですか? 次の時代になっても応援しています」だって』

 

 すると加蓮も奏も、ふとした昔を思い出すように、台本を置いて一呼吸。

 

『そうね……。随分と色々なお仕事をさせていただいたけど』

 

『ライブに、モデルに、ドラマに、吹き替えに。どれも楽しくて、一番の思い出。でも、その中で印象的っていうと』

 

『最初のお仕事』

 

『だね』

 

 二人が顔を見合わせて、微笑む。それは間違いなく、二人のファーストライブのことを言っているのだろう。私だって忘れるわけがない思い出だ。

 

 かつては緊張であったり、不安を抱えていただろうに。今はもう、二人とも、懐かしむような優しい表情で思い出を語っていく。

 

『緊張でがちがちだったけど、ステージに上がるとね。みんなが声をくれたんだ。サイリウムがキラキラって、ほんとに星空に包まれてるみたいに。

 ……嬉しくて、泣いちゃいそうで。それが、今でも私を支えてくれてる』

 

『もう、随分と前で、私たちも成長したけれど……。それでも、私たちを受け入れてくれた場所は、特別なのよね。過去を振り返るためじゃなくて、前に進むために。原点を忘れたことは無いわ』

 

 目の前のパソコンから、いくつもの通知音が鳴り響く。二人の発言に合わせて、幾人もの人がメールを送ってくれていたようだ。中を覗くと、まさに、そのファーストライブを見ていたというリスナーがいた。

 

 すかさず、二人へとその情報を伝える。

 

『え!? その時のお客さんからメール来たんだ! 聞きたいような、ちょっと恥ずかしいような……』

 

『加蓮はずいぶんと大舞台だったって聞くけど。それなら、お客さんの数も多かったし、覚えている方も同じくらいいるんじゃない?』

 

『そうそう。びっくりするくらい大きいステージだったんだ。企画した誰かさん、ほんと、容赦ないなって思ったよ』

 

『ステージまで頑張った貴女への御褒美だったのよ』

 

 奏が、わかってるわよ、みたいな表情。

 

 私はぎくりと、肩を動かすしかない。奏が語った通りだ。体力つけて、歌って踊れるようになるまで、加蓮は長くかかってしまった。毎日汗水流して、ふらふらになるまで頑張ってきた彼女に、夢のようなステージを送りたかった私は、つい、新人アイドルにしては大きすぎる舞台を用意して。

 

 ほんと、プレッシャーに負けずに、加蓮は頑張ってくれたと思う。

 

『そういう奏は、最初っからライブだったんだっけ?』

 

『そうね……。それこそ、アイドルがよくわかっていない頃よ。事務所に来て、少しレッスンして、それで次の日にライブが決まったって』

 

『うわぁ……。無茶苦茶やるね……』

 

 だんだん、肩身が狭くなってくるのは何故だろう。送られてくるメールにも、『ひっでえ』やら『鬼じゃね』やら、そういうことが混じってくる。

 

 すると、奏は困ったように苦笑いをした。

 

『でも、それが良かったのかもしれないわ。アイドルがどういう存在か、何をして、どこへ向かうのか。真正面から、ファンの人たちが教えてくれたもの。

 あの経験が、私をアイドル『速水奏』にしてくれたって、今は思うわ』

 

 メールの内容が『やるじゃん』、『許してやる』に変わっていって一安心。

 

 二人とも、このラジオの時はあっけらかんとアイドル生活のことを話したりする。コアなファンの人には好評で、初見の人も魅力を発見。ついでに私の胃が痛くなる。

 

 周りのスタッフさんの生暖かい目を受けながら、私は二人の話に耳を傾けることにした。

 

『じゃあ、次のメールは「ピンクの奏ちゃんが可愛いです!」さんから。女性の方だね』

 

『ふふっ、ありがとうございます。それじゃあ、これは私が読もうかしら。「この間の奏ちゃんの写真集、買いました! 海辺のピンクのドレス。奏ちゃんの表情がすっごく柔らかくて。カッコいいだけじゃない魅力を知りました!」』

 

 今度のお手紙で書かれたのは、奏の直近の写真集だろう。夜のイメージが強い奏。そんな奏の新しい一面を開拓しようと、奏の素顔や少女らしさを捉えた写真を多く載せたのだ。

 

『私の周りでも、評判良かったよ。奈緒とか凛とか。あとは、まゆも。「奏ちゃん、可愛いですね~」って』

 

『ありがとう。私にとっても挑戦だったから、素敵な感想を頂けて嬉しいわ。夜に甘えてばかりじゃ先には進めないもの。貴女や楓さんたちから学んで、吸収して、先に進んでいく。その一歩になった……。

 加蓮も、今度のお仕事、ちょっと挑戦してみたんじゃない?』

 

『あ、その話、しちゃってもいいのかな?』

 

 加蓮が私の方を向いて、首を傾げる。

 

 どのみち、この番組の終わりでも報告することだから、開示のタイミングは任せても良いだろう。私が頷きを返すと、加蓮がにっこりと笑顔を浮かべて、マイクに向かう。

 

『今度、新しい写真集を出すんだけど、「宝石」をテーマに素敵なドレスを着させてもらったんだ。いつものゴシックな感じじゃなくて、大人っぽいヤツ。みんなも驚くくらい、新しい私を見せられるから、期待しててね♪』

 

『私は一足先に見せてもらったけれど、お姫様じゃなくて、女王様。加蓮の表情にも注目して欲しいわ。……でも、撮影が終わった後、喜んでハンバーガーを食べてるときは、いつもの加蓮だったって聞いてるわよ?』

 

『もーっ! すぐそういうこと言うんだから! でも、それもいいでしょ? 私はまだまだ女子高生で、ジャンクなのも好きだけど、大人っぽく誘惑とかもできちゃう。

 奏の相棒としては、そういう演技でも魅せていきたいんだよね』

 

『あらあら。気を抜くと、すぐにお株が奪われちゃうわ』

 

『そんなこと、思ってないくせに♪ 奏も負けず嫌いだから、すぐ先に行っちゃうんだもん。演技でも、いつかは追いつくから、待っててよね』

 

 そうして、二人は頂いたメールを読みながら話を進めていく。

 

 思えば、長く二人と仕事をしてきた。二人が語っていく通り、小さなライブも大きなライブも経験した。ドラマにも出演したし、加蓮は映画の主役も。奏は子供向け番組でライバルキャラなんて演じてみた。

 

 そして、私も二人にからかわれながら、楽しい仕事を続けてこれたと思う。

 

『時間も迫ってきたから、これが最後のメールかしら? 「魔法使い」さん、から』

 

『ふふっ、魔法使い、ね』

 

『「二人に出会ってから、毎日が輝いて、楽しくて。素敵な思い出をたくさん頂きました。新しい時代になっても、二人を応援しています。これからも、自分らしく輝く場所を目指してください」。……だって』

 

 加蓮と奏が、なんだか、察したように微笑むと、しっとりと私へと視線をくれる。

 

 だが、私には何のことだかわからない。

 

 ほらほら、書いたのは『魔法使い』とやらで、私じゃないからね。そこ、変な笑顔はやめなさい!

 

『ふふ。熱心なファンがいてくれて、とっても嬉しい。

 同じように応援してくれるメール、たくさん頂いているわ。そして、私たちも、そんな貴方たちから勇気をもらってるの。安心して? 期待に応えて、それ以上を魅せてあげるから』

 

『目指す夢はトップアイドル。それで、そこからさらに上を目指す! 新しい時代になっても。ううん。新しい時代だからこそ、私たちは、未来を切り開いて、もっと輝いていくよ!』

 

 一人じゃなくて、ファンがいて、仲間がいて。背中を押されながら、二人は真っ直ぐに前を向き続けている。

 

 時代が後ろに振り向かないように、ただ、前へ。

 

 そんな二人だからきっと、新時代にもっと輝くアイドルとなれるのだろう。




……新元号。

ですが、加蓮ガチャでは爆死しました。

そのおかげで投票券がいっぱい、いっぱい!!
担当アイドルのためになれるなら、私は満足です。


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4月30日「ヴァルプルギスの夜」

 4月30日。

 

 外回りを終えた私は、少し疲れた肩をほぐしながら事務所へと戻ってきた。夕暮れも終わって、深い青色が広がる空を見上げながら、部屋で待っているだろう二人の顔を見てから帰ろうとドアをくぐる。

 

 そこから広がるのは、いつも通りの明るく、広いロビーのはずだった。

 

 購買や弁当屋が品物を広げたり、アイドル達がソファに座りながらドリンクを飲んでいたり……。

 

 そんな場所のはずだった、のだが……。

 

「な、なんじゃこりゃ!?」

 

 私は鞄を取り落としながら叫ぶ。

 

 目の前には、普段のロビーとは似ても似つかわしくない景色が広がっていたからだ。

 

 光あふれた純白の壁には、各種暗色のペイントやら壁紙が貼られ、キャンドルや、どこか幽霊じみた可愛い人形がぶら下がっている。さらに、ロビーに設置されているのは、これまた燭台が置かれた、巨大な円卓。その上にはチキンやらパンプキンパイやら、おそらくはアイドルが手作りしたのだろう、豪奢な料理が並べられている。

 

 何より、

 

「あ! Pさん、お疲れ様!」

 

「ふふっ、驚いちゃってるわね」

 

 魔女の宴のような様相のロビーには、魔女のコスプレをしたアイドル、そして、困惑気味ながらも思い思いに楽しんでいるプロデューサーたちが溢れかえっていた。

 

 それは、私に話しかけてきた加蓮と奏も同様。

 

 二人とも、装いが違う魔女衣装に身を包んでいた。

 

「私は、小悪魔風の魔女。ちょっとした仕組みで、羽も動くんだよね」

 

 言いつつ、加蓮の背中につけられた蝙蝠風の羽がパタパタと動く。頭に被った魔女のとんがりハットにも、小悪魔の角が付けられ、スカートからは尻尾まで。

 

 そんな、くるりと回りながらチャーミングに笑う加蓮を見るなり、私は頭までしびれたように誘惑されてしまった。

 

 しかし、その陶然も長くは続かない。

 

「……っ!?」

 

 呆然としていた私の頬に、細い手が添えられる。柔らかく、それでも強い力で向きを変えられた私の視線は、今度は、愉しそうな笑みを浮かべた奏へと。

 

「加蓮がかわいいかわいい魔女っ子なら、私は深淵に誘う魔女という所かしら?」

 

 奏の顔が近くに。アイシャドウや唇は、いつもよりも存在感がある色。その上で、肩や胸元を大きく開いた煽情的な魔女コスの上に、黒いストールを羽織っていた。

 

 魔女の館の奥で、ワインをゆらしているような。

 

 そんな魔女の指が、ゆっくりと撫でるように下へと流れ、顎へと添えられて。

 

「……今宵は魔女の夜。太陽が邪魔をするまで、貴方は私たちの虜。ねえ、貴方はどちらと過ごすの? 可愛い小悪魔と、私。……ふふっ、決められないなら、私たちで分け合っちゃうなんて言うのも一興ね」

 

 いつの間にやら、奏の隣に、加蓮まで並んでいる。小悪魔と名乗った以上に、妖艶な表情を浮かべて、獲物を前に舌なめずりするように。

 

 二人の、魔的な魅力。ぐらぐらと理性が揺さぶられた私は、彼女たちへと引き寄せられ、

 

「……っ! 誘惑には負けん!!」

 

 思い切り尻餅をつくように、そこから逃れた。

 

 すると、二人とも残念そうな、楽しそうな、普段と同じ笑顔を浮かべる。くすくすと、くすぐるような音。いつもと同じパターンだが、周りの雰囲気に、コスチューム。二人の演技も合わさって、破壊力は抜群だった。

 

「最近はPさんも、ちょっと手ごわくなっちゃったから♪」

 

「久しぶりに、ね。かわいかったって言ったら失礼だけど……。ふふっ、でも、そうやって抗っちゃう貴方が素敵よ」

 

「……もう、なにがなんだか」

 

 私はただ、冷や汗を流しながら困惑するしかない。

 

 帰ってくると、事務所は魔窟と化しているし、魔女になった二人は私をからかってくるし。……いや、後者はいつも通りなんだけれど、ね。

 

 すると、普段通りに戻った奏が、ウィンクをしながら説明をしてくれる。

 

「4月30日から5月1日の夜。この夜は『ヴァルプルギスの夜』って呼ばれているのよ」

 

「……何の夜って?」

 

「ヴァルプルギス。端的に言ってしまえば、魔女の宴ね。ケルト文化に由来して、今でもヨーロッパでは魔女のコスプレをして皆で楽しむ祝宴になっているそうよ」

 

 近頃では、有名なアニメーションで取り上げられたこともあって、名前だけは認知度が上がっているそうだ。その名前の意味までは知らない人が多いだろうが。

 

 いずれにせよ、日本では、まだまだマイナーすぎるイベント。

 

 私は、ほおほおと頷きながら周りを見る。確かに、この部屋といい、みんなの恰好といい、そのイベントになぞらえているが……。問題は、なぜ、そのイベントが事務所で開かれたのか。

 

「そりゃもう、私たちの中で、そういうイベントが大好きなのは……」

 

 加蓮が指先を向けると、ホール中央階段に作られた祭壇に堂々と立つ姿が目に入った。

 

「今宵は呪われし同胞たちの宴!! 世の縛りから解き放たれ、欲望のままに楽しもうぞ!!」

 

 他のアイドル達よりも、一段も二段も気合が入った衣装は、まさに魔女の大ボス。しかも、おそらくは手作り。そして、独特の熊本弁(仮称)を操る者といえば、一人しかいない。

 

「……神崎さん発案か」

 

 私は納得の息を吐いた。

 

「あと、サポートに飛鳥も。二人して気合入れちゃってね、担当プロデューサーさん通して社長にまで話しとおしたんだって」

 

「ほとんど秘密で進めていたみたい。私たちも、さっき教えられたわ」

 

 このイベントをサプライズで開こうとすれば、社長に許可を貰わないといけないが、よく許可が……。いや、あの社長なら笑って出すだろう。専務辺りが反対したかもしれないが、あの人も大概乗せられやすいところがあるから。

 

 それでも、食事の用意を手伝った三村さんや佐久間さんをはじめとした、一部アイドル以外には知らされていなかったそうだ。

 

 だが、ノリの良さに定評のあるうちの事務所。コスチュームを渡されてしまえば、後はこの通りに大宴会の始まりである。

 

「それで、二人も魔女に大変身ってことね」

 

「似合ってるでしょ?」

 

「怖いほどに」

 

 言うと、二人は意味深な視線を私に向けて、そして、互いに頷きを交わした。

 

 何を考えているのだろうか。……ほんとに恐ろしいのだが。

 

 そんな予兆に、戦々恐々としていると、二人が隅から紙袋を手渡してきた。その中には、男性用だろう、黒いローブが入っている。

 

 広げてみると、ちょうど私とピッタリなサイズ。

 

「せっかく魔法使いの夜。スーツでいたら、呪われちゃうわよ?」

 

 だそうなので、奏に促されて、私もローブを羽織ってみる。そこで、後ろからポンととんがり帽をかぶれば、不格好ながらも魔法使いに見えるだろうか。

 

 さらに、ローブのポケットには、某映画に出てくるような杖まで収められていた。手に持ってみると、何だか、ホンモノの魔法使いにでもなれそうで……。

 

「……ふふふ、『ウィンガー……』なんて」

 

 ちょっと楽しい。

 

「あ、スイッチ入っちゃったわ」

 

「うちのPさんだけじゃなくて、どこもプロデューサーさんって子供っぽいところあるよね。紗枝と周子のプロデューサーさんなんて、陰陽師の格好してたり」

 

「ただ、あいつの場合は手持ちなんだよな……」

 

 今も、悪霊退散だのなんだの大真面目に言っている同期。私も人のことを言えないが、普段はまるきり紳士なのに、変なスイッチが入るとああなる。

 

 そんな彼の近くに、虚空を見つめて一喜一憂している白坂さんがいるのは、少し意味深。

 

 他にも、魔法使いとはいっても、特撮の魔法使いキャラに扮した神谷さん担当の先輩。佐久間さんの担当は、どうしたのだろうか。ぼんやりとしたまま佐久間さんにされるがままになっている。

 

 魔女、魔法使い。日常の陰に隠れて、非日常を生きるモノ。その仮装をしているからだろうか。せっかくの魔女の夜に、皆は思い思いに楽しんでいた。

 

 私たちも例にもれず、同僚たちの間を歩き、各々の衣装を褒めあったり、少し踊ってみたり。

 

 そうして、時間が過ぎていって……。

 

「でも、こういう雰囲気もいいわよね。日常を過ごす空間が非日常に。かつて歴史の陰で生きた魔女は、きっと華やかさとは無縁だっただろうけれど」

 

 歩き疲れた私たちは、椅子に座って軽い食事を楽しんでいた。

 

 奏がパンプキンパイを持ち上げ、フォークで小さく切り分ける。艶やかな口に一欠けらを運ぶと、美味しそうに眼を細めた。すると奏は、もう一つフォークを取り出し、一欠けらを取ると、私の口へ。

 

「せっかく、日の元に出れた魔女と魔法使い。今はアイドルもプロデューサーもないわ。はい、どうぞ」

 

「それじゃあ、遠慮なく」

 

 フォークを受け取ろうとしたら、それは拒否されて、加蓮に後ろから羽交い絞めにされながら口へ運ばれる。

 

 甘いけど、複雑な気分。

 

「じゃあ、今度は私の番だね」

 

「当番とかじゃないと思うんだけど……」

 

「不公平になっちゃだめだよねー。はい、チョコケーキでいいかな? 真っ赤なベリーソース付き♪」

 

 奏のを、受け取ってしまった手前、加蓮のも拒否することはできない。加蓮はうっすら頬を染めながら満足げ。舌に蕩けていったチョコケーキも濃厚で、少し酸味があるソースと合わさって美味であった。

 

 すると、

 

「ふふっ……」

 

「あら……」

 

「……あの、お二人とも、なんでそんなにこわ、いや、楽しそうな顔を」

 

 二人が不意に距離を詰めてくる。加蓮も奏も、意味深な表情で、これまた怪しげな笑みを浮かべている。そこまで近づかれると、ほんと、いつもよりも妖艶な衣装も相まって、気が気でない。

 

 耳元でこそばゆいほど微かな声。

 

「ちょっと、ドキドキしてきたんじゃない?」

 

「ね? 頬が赤いよ?」

 

「それは、二人がこんなに近くにいたら」

 

 魅力的なアイドル二人相手。当然だろう。しかし、二人の笑顔は、どこか違う意味を込めているように見えた。

 

「そう言ってくれるのは、嬉しいな。……でも、ほんとに、それだけかな?」

 

「……え? え?」

 

「魔女の特徴って何かしら。一般論として、呪い、薬草、それに……。怪しいお薬」

 

 いやいや、そんなことはないだろう。なんて考えてみたが、ちょうど目の前で、怪しげなフラスコを片手に立ち去っていく一ノ瀬博士。そのフラスコの中身は、あのソースのように赤い色。

 

「……っ。いやいや、さすがにただのからかいだよな? な?」

 

「さぁて? どうでしょう? でも、せっかく魔女になってみたんだし」

 

「いつも通りなんて、面白くないでしょう?」

 

「からかわれるのは変わらないじゃないか!? しかも二回目だ!!」

 

 耳元に響く、悪戯な笑み。男心を揺さぶる、二人のアイドルの声。それを聞きながら、夜が明けても、新時代になっても、こうしてからかわれるのは変わらないんだろうな、なんて。

 

 もしかしたら、私にも魔法があるのだろうか。そんな恐ろしくも、楽しい未来がはっきりと思い浮かんでしまう。そうして二人に翻弄されながら、特別な、でも平凡な夜が更けていった。




奏も加蓮も、魔女コス似合いそうですよね。

妖艶な可愛らしい魔女衣装、こないかな。


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5月1日「扇の日」

「えー、明けまして、でいいのかな?」

 

「それはちょっと違うんじゃないの? お正月になったわけじゃないし」

 

「元号が変わったと言っても、日本だけ。世界全体で見れば、特別でない毎日と変わらないわ」

 

「じゃあ、普通におはようでいいか。おはよう、二人とも」

 

「ええ。新しい時代をあなたと迎えられて嬉しいわ、Pさん」

 

「これからもよろしくね♪」

 

 長く生きてきた平成の世の中が変わって、令和という時代を今日、迎えた。

 

 実際に時代をまたいだ気分を聞かれると、いまいちピンと来てはいない。私は平成になって直ぐに生まれた人間で、加蓮と奏はど真ん中な平成世代。どちらも、生きている時代の名前が変わるというのは初体験。ワクワクでもあり、不安でもある。

 

 若い二人はともかく、私など『平成生まれは遅れてる』などといつかは言われそう。一方で、新時代という響には大いなるロマンを感じて。

 

 とはいえ、私たちの日常は変わらなかった。新時代にまつわるイベントに呼ばれたりもしたが、それくらい。

 

 時代が変わった日を、私たちは部屋のソファでのんびりとお茶を飲みながら過ごしていた。

 

 お客さんが訪れたのは、そんな時のこと。

 

「どーもー、おじゃましまーす」

 

 のんびりとした柔らかい声。もちろん聞き覚えがあって、ノックもなしに入ってくるくらいに親しい相手だった。奏がテーブルにカップを置くと、すまし顔で声をかける。

 

「周子、いきなりどうしたの? ここ数日、見なかったけれど」

 

「ちょっと京都に行って、お仕事してきたんだよね」

 

 その割に服装がハワイアンなのはどうしてだろうか。

 

 奏のLiPPS仲間であり、私たちとも縁が深い塩見周子さんが手に小さな包み紙を持ってきていた。

 

「というわけで、お土産。二人とプロデューサーさんの分も」

 

「あ、私のも?」

 

「そーそー。ほら、この間、京都撮影のお土産くれたでしょ? あの金平糖、結構おいしかったから」

 

 ちょっと奮発した高級品。和菓子屋の娘である塩見さんにも喜んでもらえたなら嬉しい。そのお礼だと言って、それぞれ手渡してくれたのは、細い包みだった。

 

「これは?」

 

「ん? 扇。お土産屋さんのよりはちょっといいヤツだから、大切にしてね?」

 

 許可を頂いて包みを開けてみると、塩見さんが言う通り、扇が出てくる。広げてみると、上質な和紙に花の模様。私のは白地に桜で、奏は空色に桔梗。そして加蓮は薄緑、というかミントっぽい色にユリ。

 

 私はスーツに扇で、ちょっとアンバランスかもしれなかったが、奏と加蓮には当然、よく似あう上品な品だ。

 

「なーんとなくのイメージで選んだけど、よく似合っててよかったよ」

 

 そう言って、塩見さんはふらふらと手を振りつつ部屋を出ていく。この後は別のチームにお土産を持っていくのだそうな。口ぶりとは違い、きっとみんなに合った柄を選んでくれたのだろう。彼女も、最近は特にしっかりしている気がする。

 

 そんな彼女を見送った後、私は改めて扇を触ってみた。

 

 学生のころ、京都旅行で扇を買ってみたが、お世辞にも高品質といえず、しばらく使ったらすぐに破れてしまったことは良く覚えている。それと比べると、これは破格に上質な品だろう。もしかしたら、実家から貰ってきてくれたのかもしれない。

 

 扇を手に、じっと眺めたり、軽く振ったりしていた私に、加蓮が面白そうに尋ねてくる。

 

「Pさん、あれやらないの? あのバッて広げるの」

 

 加蓮が言っているのはアレだ、扇の端をもって、振る動作。そうすると、扇は最後まできれいに広がる。カッコいいのは間違いなく、子供たちがやりたがるのだが、扇を痛めてもしまうのだ。

 

「さすがに、それでだめにしちゃうのはこりごりだからね」

 

「じゃあ、やっぱりやったことあるんだ?」

 

「加蓮もやりそうだよね」

 

 それも夢中になって。

 

 すると、加蓮はすぅっと目を細めて、扇を口元に当てて、ゆっくりと開いていった。いつぞやの着物での撮影を思い出させる、和の艶美な仕草。

 

「私はわんぱくより、大人の魅力を出したい気分なの」

 

 吐息多めの台詞に、扇で隠されていないのは視線だけ。

 

 そんな加蓮は、和と洋、大人と少女が入り混じる不思議な魅力を感じさせた。この間のジュエルテーマの撮影以来、加蓮の大人っぽい魅力がさらに増したように感じているが、思わず頬に熱をもってしまうほど。

 

「……ん、まあ、その、そういうのなら扇も似合うな」

 

「ふふっ、見て加蓮。Pさんったら真っ赤になっちゃってるわよ」

 

「分かってるから、言わないで!?」

 

 奏に言われると余計に恥ずかしくなるじゃないか。

 

 

 

 その後、二人は扇を手に、いろいろとポーズを決めてみたり、ダンスに取り入れられないかと検討もしていた。そのあたりの考え方は、さすがはアイドルと思わされる。

 

 また、着物を着る様な、和風の仕事を入れても良いかもしれない。

 

 そう考えていると、奏が楽し気に呟く。

 

「でも、不思議ね。時代の名前が変わった日なのに、こうして伝統の小道具を使って、踊りや撮影のことを考えているなんて」

 

「そこは、ほら、アイドルとかは時代も越えていくものだから」

 

 温故知新というのが正しいのかもわからないが、アイドルの歌や踊りも、古くからある伝統を下地にして、発展させてきた文化だ。最新の時代に生きるアイドルの技術にも、歴史は生きている。

 

「羽衣小町なんて、その最先端かもしれないね。着物で、扇を使って。でも音楽は和風のロック。Pさんの言う通り」

 

「特に扇って、昔から舞とか歌を書くのにも使われてたらしいし、逆に今日にはふさわしいのかもしれないな。長くアイドルの傍にあった道具として。

 さっき加蓮がやったみたいに、扇で顔を隠したり。そうして、不思議な魅力を引き出すのは伝統的な手法でもあるんだ」

 

 隠されたものを見たいというのは、人間で共通する興味の心。特に奏の持ち味であるミステリアスな魅力は、まさにその心から生まれるモノだろう。知りたい、分かりたい、理解したい、と。

 

 そんな話をしていると、奏がふと思いついたように、扇を広げて顔の前でかざしてみせる。

 

「顔を隠して、秘密を作り、その奥を知りたければ、もっとこちらへ……。

 ねえ、聞いたことある? 平安時代は、恋の相手の顔を見れるのは、結ばれる時だけだったそうよ。それ以外の時は、言葉を交わすだけか、会えてもこうして顔を隠すの」

 

「それは聞いたことあるな。なんだっけ? やり取りも歌だけだったり」

 

「みんな、Pさんみたいにロマンチストだったの?」

 

 いやいや。そんなまさか。

 

 しかし、奏はまさにその通りとでも言いたげに、笑みを輝かせた。

 

「呪いや占いが信じられていた時代だもの。名前も、顔も、教えるのは本当に信じられて、結ばれたい人にだけ」

 

「へえー、ほんとにロマンチック」

 

「それと、もう一つ。昔はお化粧が崩れやすかったから、顔を隠しておいた方が一安心だったみたいね♪」

 

「それ聞いて、気持ちはよーく分かりました」

 

 加蓮が心底理解できたと言いたげに、扇に頭を下げる。

 

 調べたところ、昔のお化粧は質が悪く、厚塗りが基本だったそうな。そうなれば、固まった白粉がひび割れたり、パラパラと零れてしまうことも多々ある。崩れた顔なんて、見せたくないというのは、女性にとって当然のこと。

 

「それはそうだよ。私だって、今日は失敗しちゃったかなって日は外に出たくなくなるし。ましてPさんたちの前に出るのは嫌だもん」

 

「右に同じね。大切な人の前に出るのは、いちばん綺麗な私でいたい。今も昔も。もう役割を終えたけれど、扇は私たちを守る仮面だったのかもしれないわ」

 

 なるほど、と私は頷く。

 

 加蓮も奏もオシャレには人一倍気を使っている女の子だ、遠い昔といえど、そんな気持ちは共感できるものだったのだろう。

 

「でも、昔の人も大変だっただろうな。顔も見れないで、結婚相手とか決めるのって」

 

「ふふっ、案外、相性を図るのにはちょうどいい方法だったかもしれないわよ? 今の時代よりもね。

 私は見た目もその人の一部だし、心が出てくる大切なものだと思っているわ。それでも、歌や声だけで気持ちを通わせるのも、一つの純粋な行為だと思えるの」

 

 先入観もなしに、相手が選ぶ言葉や単語、気持ちを込めた声だけで、恋をして、愛を知る。

 

 言うなり、奏はそっと目を細め、扇を広げた。今度は顔がすっぽりと隠れるように。私の側からは、奏の表情は伺い知ることはできない。

 

 聞こえてくるのは、奏の声だけ。

 

 鈴を転がすような、あまくて、少し刺激的な音の響きだけだ。

 

「どうかしら? こうして顔を隠していても、貴方には気持ちが伝わってくれる?」

 

 確かに、こうして声だけでやり取りをするのは、なんとも特別な気持ちになる。けれども、

 

「やっぱり、声だけじゃなくて、ちゃんと奏を見たいな」

 

 時には電話で話し込むのも、相手との距離を縮める手ではあるが、私としては奏の姿をちゃんと見ながら話をする方が好きだった。

 

 すると、奏も扇を畳み、にっこりと微笑みを浮かべる。

 

「ありがとう。確かに、こういうのも風情あるけれど、声だけで十分なんて言われたら困っちゃうところだったわ」

 

「ねえねえ! じゃあ、私は?」

 

「そりゃ、決まってるよ。ほら、扇を下げて」

 

 今度は加蓮が扇で顔隠しするが、加蓮の場合も気持ちは変わらない。

 

 奏の涼やかな声、加蓮のとろける様な甘い声。どちらもそれだけで人を引き付けることができる。だが、あの扇の奥にある、加蓮のころころと変化する表情、奏の冷静な中からふと漏れる感情はかけがえがない魅力だと思っている。

 

 それが見れないのは、もったいない。

 

「Pさんは平安時代には似合わないのかもしれないわね」

 

「二人とそうそう会えないっていうのなら、ちょっとごめん被るな」

 

「ほんと、たまにそういうこと言うんだよねー

 あ、私たちもやってみたんだし、Pさんも顔を隠してみたら? ちょっとだけ」

 

 加蓮が私の扇を広げて、顔の前に。というか、けっこう近くて、ほとんど視界がゼロになってしまう。

 

「ここまで近づけると何も見えないんだけど」

 

 などと、軽く抗議をしてみる私。

 

 しかし、

 

「……」

 

「……」

 

 何でもないことのはずだった。

 

 加蓮と奏も同じことをしたし、それが私の顔になっただけ。

 

 だが、不思議なことに、返ってくるのは無言ばかりだった。先ほどとは打って変わった様に、私はにわかに不安になる。もしかして、声が変だったり、顔を隠したらおかしいとか思われているのだろうか。

 

「あ、その、そういうことじゃないんだけど……」

 

「ええ。声も、格好も、いつもと変わらないけど……」

 

 ようやくの声は、どこか、こそばゆい感情を運んでくる。

 

 そして二人に妙な緊張感を感じたまま、身動きができない私は、ふいに音とは違う感触を得る。

 

(甘い香り……)

 

 二人のつけている、香水の香り。普段は微かにしか感じ取れないそれが、近くに来ていた。一度目が奏で、二度目が加蓮。

 

 扇の奥、見えないところで一瞬。すぐに離れて消えていく残り香。

 

「はい。ここまで!」

 

 ぱっと明るくなるように。視界が晴れて、いつもと変わらない二人の顔が見える。奏はすまし顔で、加蓮ははにかむような笑顔で。

 

 扇で隠す前と何も変わらない。けど、ちょっとだけ違いがあるような……。

 

 だが、そんな当惑も、あの香りと一緒に消えていく。

 

「なーんでもないよ。でも、Pさんには見えないっていうの、たまには良いかもね」

 

「私たち二人とも、そんなに素直な方じゃないから」

 

 そうして、顔を隠すこともない、普段通りの日常に戻っていく二人に、まだ呆然としたままの私は置いていかれるばかりだった。




そろそろ総選挙も後半戦!

奏と加蓮への応援、お願いいたします!


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5月2日「緑茶の日」

 アイドルとは言え、加蓮も奏も人間。もちろん、その中で変わらぬ偶像を求められるのがアイドルという仕事であるが、それでも、人間であることに変わりはない。

 

 怒ったり、悩んだり、悲しんだり。そういう感情が揺れ動くときはある。

 

 そんな時こそ癒しや、悩みを相談できる場所が必要なもので、私もそんな一人でありたいと思っている。

 

「こんにちは。マスター、二人大丈夫?」

 

「あら、いらっしゃいな。見れば分かるでしょ? ちょうどお客さんたち帰っちゃって、ガラガラなの。……奥の席が空いているから、勝手に使っちゃって」

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 夕方、馴染みの喫茶店の戸を、加蓮と二人でくぐる。いつも通りにエプロンを付けた初老の店主。彼女の言う通り、幸いにも客は他にいなかった。むしろ、大学時代に利用を始めてから、この店が満員御礼になったところなど見たことがない。

 

 味よし、雰囲気よしなのに、なぜと思い。同時に、なぜ潰れないのかと不思議に思う。もしかしたら、私が来るのが、いつもベストタイミングだからかもしれないが。

 

 穏やかなクラシックだけが染みわたる中、勧めに従って奥の席に向かうと、そこにはやはり黒と白のフェルトのウサギがいた。何度か代替わりをしている彼等だが、今はお姫様のようなドレスの衣装をまとっている。少し前に店主をライブにお誘いした時、加蓮と奏が来ていた衣装に似ていた。

 

「よいしょっと。今月はもうパフェは食べたから……。ショートケーキにしようかな。加蓮はどうする?」

 

「……じゃあ、チーズケーキ」

 

 少し元気のない声。

 

 私はただ頷いて、店主へと注文をする。二人とも紅茶のオリジナルブレンドを添えて。

 

 その後の数分ほど、私は曲名も知らないが、聞き覚えのある音楽に耳を澄ませて、加蓮はちょっと暗い顔のままでうつむきがちに指先を撫でていた。

 

 ふと、こすれたようなネイルが目に入る。力を入れて引っ掻いてしまったような。

 

 加蓮はそれを気にしたように、気まずげな視線を向けていた。

 

「……美味しいな」

 

「うん……」

 

 店主も空気を察してくれたのか、いつもと変わらない調子でケーキとお茶を用意してくれて、私たちは言葉少なめにケーキを小さく食べていく。

 

 生クリームも自作しているという特製のショートケーキは甘さが控えめで、上品な味。加蓮が食べているチーズケーキも以前試したことがあるが、そちらは濃厚な風味が売りの一品。

 

 それらを半分くらい食べたところで、加蓮がフォークを置いた。そこから躊躇う様に一秒、二秒。そして、加蓮が口を開き、

 

「……その、ごめんなさい」

 

 小さな声で謝った。

 

 加蓮の言葉の意味は分かっている。私だって、今日の現場にはいたし、何があったのかも理解している。そして、加蓮が思っている以上には事は深刻ではない。

 

 けれど、加蓮がそれを殊更に気にする理由もわかっていた。

 

「加蓮」

 

「うん」

 

「あまり気にすることじゃないよ」

 

「うん」

 

「スタッフの人たちも、加蓮の味方をしてくれてる。話を聞いたら、監督だって分かってくれてた。今後の仕事に影響が出ることなんてない」

 

「うん」

 

「……でも、加蓮は悔しいんだな」

 

 その言葉に加蓮は黙って頷きを返した。

 

 今日はとある音楽番組の撮影。トークと、音楽のソロステージを頂けた加蓮は、しっかりと自分の役割を果たした。最高のパフォーマンスと、トークで、番組に支障は何もない。

 

 ただ、問題は。

 

「……ほんとは、無視すればよかった。よくあるやっかみだって分かってたし、この後も一緒に仕事するわけじゃない。でも、大切なお仕事を……」

 

 よくある、といえばよくあることだ。

 

 芸能界も一つの人間社会。良い人間ばかりというわけは当然なくて、不真面目な人間も大勢いる。

 

 加蓮が出会った共演者、若手のシンガーソングライターだったか、はそんな一人だった。私だって話は聞いている。プライドが高くて、攻撃的な言動をすることがあると。歌一本でのし上がってきたという自負がそうさせるのかもしれないが、スタッフ受けは良くなかった。

 

「気持ちは分かるよ。『アイドルと一緒に出るなんて嫌だ』だもんな」

 

「でも、我慢すればよかったのに。……駄目だね、私。我慢できなかった」

 

 売り言葉に買い言葉というやつ。加蓮が思わず漏らした苦言に、相手がさらに……。

 

 身内びいき無しに見ても、延々と愚痴を漏らしていた先方の方が印象は悪い。おそらく、あちらのマネージャーが、方々へと頭を下げているだろう。私も下げられた。

 

 ただ、そんな相手方のことよりも、

 

「……加蓮はプロだから。プロのアイドルだから、そこは最後まで我慢するべきだった」

 

「そう、だよね」

 

「それでも我慢できないなら、私に言ってくれて良かったんだよ」

 

「……うん」

 

 加蓮は、仕事の場所で感情的になってしまったことを後悔していた。

 

 元々、加蓮は感情豊かで、自分に正直な子だ。特に神谷さんや渋谷さんと一緒にいる時など、意地を張りあってぶつかり合ったりする。しっかりしているように見えて、女子高生なのだからそれは仕方ない。それは、イコールで仕事に真剣に取り組んでいることの証明だ。

 

 けれど、人一倍に仕事に熱意を持っている加蓮だからこそ、今日の出来事は大きな後悔に繋がってしまったのだろう。

 

「加蓮……」

 

 私は、すこし言葉を選ぶ。

 

 大人として、プロデューサーとして、彼女にかける言葉はたくさんある。謝らなければいけないし、注意しないといけないし、励まさないといけない。

 

 だから、迷いながらも口を開こうとして。

 

「まあまあ、辛気臭い顔してないで、こういうのも飲んだら?」

 

 トン、と音を立てて、湯呑が置かれた。

 

「マスター?」

 

「いい茶葉が入ったからね。たまには喫茶店で緑茶ってのもいいでしょ? 緑茶ってね、リラックス効果があるらしいわよ?」

 

 湯呑から立ち上る、温かい湯気。そこから豊かな緑茶の香りが鼻をくすぐる。さっきまで食べていたケーキとは少し趣は違うが、マスターの言う通りに落ち着くのには役立ちそうだ。

 

「せっかくだから、ほら、冷めないうちに!」

 

 促されて、口へと運ぶ。

 

 火傷はしないくらい。けれど、熱いお茶は、確かに凝り固まっていた頭の中をゆっくりとほぐすように、温度と味を全身に運んでくれた。

 

「……美味しいね」

 

 向かいに座る加蓮も、店に来てようやく笑みを零す。少し安心したように、頬をほころばせて、温度を体に染み渡らせるように、そっと湯呑に手を添えて。

 

 マスターの言った通り、少しは加蓮の元気に繋がってくれたなら……。

 

「……茶摘みの歌って知ってる?」

 

「八十八夜、とかそういうのだよね?」

 

 暦の上では、五月の今頃。茶摘みを行うのに最適な時期。

 

「美味しいお茶ができるまで、それだけ長い期間がかかるらしいんだ。

 お茶の葉だけじゃなくて、野菜とかも、美味しくなるまでは色々な苦労がある。加蓮が好きなジャガイモだって、虫よけしなきゃだし、余分な芽を取ったりしないといけないし」

 

 お茶の葉だって、収穫した時はただの苦い葉っぱ。それを乾燥させたり、すりつぶしたり、美味しいお茶に変わるまではたくさんの苦労がある。

 

「それにあやかるってわけじゃないけど。アイドルだって似たようなところはあると思う。加蓮が最初のころ、レッスンに苦労していたこととか、奏と喧嘩したこととか、トラプリの二人とぶつかり合っちゃうところとか。

 ……でも、加蓮はそれだけで終わらなかっただろ?」

 

 苦労と挫折を繰り返した分だけ、成長して、高みへ上って、今のアイドル北条加蓮がある。

 

 だから、

 

「今日の出来事だって、今は後悔が先に立っているだろうけど、きっとこの先につながるはずだよ。慰めとかじゃなくて、加蓮がそういう強い子だってこと、私は分かってるし、信じてるから」

 

「……」

 

 加蓮はただ無言でそれを聞いて。けれどすぐ、大きく湯呑を傾けて、ちょっと豪快に飲み干す。何かを吹っ切るように。それで、再び立ち上がるために。

 

「トップに立つなら、悩んでも、迷っても。最後は『思い切り』が私らしいよね……」

 

 上げられた顔を見て、私は胸の奥が暖かくなる。お茶とは違う、もっと奥の所。加蓮の希望溢れた眼を、顔を見ると、いつだって私は嬉しくてたまらない。

 

 迷っても、悩んでも、最後は自分らしく思い切り。

 

 加蓮はその言葉の通り、私に言う。

 

「ねえ、Pさん。あの人とまた共演させて」

 

 今日喧嘩をした相手と、もう一度。

 

 私は苦笑いをして、懐から手帳を取り出した。

 

「そういうと思って、予定は確認していたんだ。やられっぱなしは嫌だ、だろ?」

 

「さっすが、Pさん。アイドルを、私を見損なわれたままじゃ、悔しいもん。ちゃんと、あの人にだって認めさせないとトップに立てないし、私は納得できないから

 でも、もしかしたら、また上手くできないかもしれないから……。その時は、Pさん」

 

「任せといて」

 

 下げる頭ならいくらでもあるのだから。

 

「それじゃ、その日に向けて、まずは元気を取り戻さないと。甘いもの食べて、糖分補給だ」

 

「あ、Pさん、もう一個ケーキとか食べる気じゃないよね? 太っちゃうからダメ。その代わり、このチーズケーキちょっとあげるから、それで我慢して。はい、あーん」

 

「だから、それは!?」

 

「思いっきり甘いのは保証するよ♪」

 

 そうして、調子が戻った加蓮に散々に振り回されながらも、私たちは再チャレンジを誓うのだった。

 

 後日のテレビ撮影で共演した時、例の彼女から『アイドル舐めて悪かったわよ』という言葉をいただいたことは報告しておく。



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5月3日「リカちゃん人形誕生日」

「変わらない夢はあるのかな?」

 

「変わらない今はありえない?」

 

「でも」

 

「ここはその一瞬」

 

「「さあ、夢のような一夜を過ごしましょう」」

 

 スポットライトが照らされる。

 

 シルエットは、人形のよう。けれど変わらぬ美しさの中に、人の温かさを包みこんで。理想の虚像を描きながら、現実の心を内に秘めて。

 

 そんな二人の影をステージに浮き彫りとしたのは、極彩色の光だった。

 

 赤

 

 緑

 

 青

 

 音楽に合わせて明滅する光たち。色が重なり、新たな色が。色が離れて、彩色が。つかず離れず、淡い色。

 

 そして、色が重なり光となって……。

 

「「「うぉおおおおおお!!!」」」

 

 爆発音のように、観客の叫びが会場を満たす。待ち望んだ歓喜の時に、ファンの皆も準備万端。そんな彼らの存在と反響と共に、日常が非日常へと一転した。

 

 その中心。輝くステージにいるのは、美しい偶像。

 

 加蓮と奏。

 

 黒と白のゴシック衣装に身を包んだモノクロームリリィは、光と歓声を浴びて立ち上がる。人形のように静的に。けれども、ただの操り人形ではなく、主さえ堕とすほどの魅力を振りまきながら。

 

 そして、

 

「……っ」

 

 私はごくりと息をのむ。二人が閉じていた目を開けた、ただそれだけで空気が張り詰めた。微睡から目覚めたような、虚ろな眼。誰にも向けられることないそれは、けれど、確かに私を射止めたような気がしてならなかった。

 

 そして、それは私だけが抱いた感傷じゃない。

 

 沈黙が広がっていく。

 

 先ほどまで、あれだけ興奮と期待に胸を躍らせていた観客。その全体が叫びを止めている。決して、彼等の興味が失われたという意味じゃない。むしろ、逆。誰もが、ステージから目が離せなかった。

 

 会場全体が、息さえ張り詰める様な緊迫に浸かっていく。

 

 きっと、この空間を共有する全員が思っただろう。私たちは今、彼女たちの手のひらの上だと。

 

 隷属したような静けさの中で、奏と加蓮が微かに微笑んだ気がした。

 

 魅惑の人形たち。その舞踏会の幕が開く。

 

「―――♪」

 

「――♪ ―――♪」

 

 緊迫と恍惚を行き来するように、二人の歌声が解き放たれていく。

 

 静やかなバラード。けれど、怪しげな響きを交え、深い水底へと魂を誘う恋の歌。共に披露されるのは『人形劇』というテーマらしく、激しくはないダンス。だが、それは激しくないがゆえに、いっそ魔的だった。

 

 数瞬、奏がほほ笑む。

 

 数瞬、加蓮が物憂げに。

 

 一瞬、奏が挑発した。

 

 一瞬、加蓮が誘惑した。

 

 ひらり、ひらり。踊りのワンテンポごとに移り変わる、二人の表情。

 

 歌で、表情で、彼女たちはファンを翻弄していく。私には、彼女たちの微笑みが焼き付いたように、移り替わる色の中で、ファン一人一人に刻まれた一瞬は、きっと異なっているだろう。

 

 ただの一つのステージ。されど、抱くイメージは千差万別。

 

 正反対の、けれど似通った二人による人形劇。その成功と二人の成長を間近で見られる喜びが溢れながら、私は最後まで二人の舞台を見続けていた。

 

 ただただ、彼女たちに従う人形のように。

 

 

 

 終演後。

 

 ステージは予想通りに最高のフィナーレを迎えた。定期的に行っている中堅規模のライブ。とはいえ、昔と比べれば箱の大きさもそれなり以上。客入りは満員御礼。

 

 その誰もが、恐ろしいほど美しい者に出会ったかのような、ふらふらとした足取りで会場を出ていったのだ。今日のステージコンセプトを考えても、彼等に挑戦的なモノクロームリリィの魅力を伝えることはできたと確信している。

 

 そんな、翌日の社会復帰が心配になってしまうファンを見送って、控室で私たちはささやかな祝杯を上げていた。

 

「それで? 今日のライブは」

 

「もちろん、ね」

 

「ああ、最高だった!!」

 

 いつもの、それでも精一杯の言葉。

 

 私の掛け声に合わせて、紙コップが宙で触れ合う。そのまま、加蓮も奏もドリンクを飲み干して、一呼吸。私だって、ライブからこっち、全く喉が通らなかったので、こうしてウーロン茶を飲むことで生きる実感を取り戻していた。

 

 まったく、このままだと石か、人形にでもなってしまいそうだった。

 

「Pさん、大げさすぎだって」

 

「いや、そんなことない! ほんと、加蓮も奏も、最高のパフォーマンスだったし、最後の方はファンの人たちの方が人形みたいになってたぞ」

 

 ほとんどサイリウムを動かす自動人形だった。タガが外れたように、目から涙をこぼし続ける者もいたが、それをぬぐわないでいるから、余計に人形みたいに。

 

 ただ、そんな日常では見ることができない反応は、それだけ観客がステージに熱中してくれた証拠でもある。

 

 私がそんな様子を伝えると、奏も加蓮も満足げに微笑んでくれた。

 

「それくらいに記憶に焼き付いてくれたなら、私たちも頑張った甲斐があったわ。もちろん、舞台袖で固まっていた誰かさんの、胸の奥にも、でしょ?」

 

「こっちが声かけるまで、ぼーっとしてたもんねー」

 

「……うっ!?」

 

 ニヤリとからかいたげな眼。そのまま、フリルたっぷりのドレスの肘で、加蓮が私の脇腹をちょいちょいとつついてくる。そして、図星の私はそれに反論することなんてできない。

 

 だって仕方ないじゃないか! 私は二人のプロデューサーであるが、それ以前に大ファンでもあるのだから。

 

 ステージを終えた興奮に酔っぱらったように、私は素直に白状する。

 

 すると、奏が袖で口元を押さえながらくすくすと笑みを零した。

 

「こんなフリルたっぷりのドレスを着せて、『人形劇』をテーマに。貴方の突拍子もなくて、素敵なアイデアにしっかりと応えられていたようね

 プロデューサーさんまで人形になるなんて、意外だったけれど♪」

 

「そりゃあ、ね。二人なら、ただの人形で終わるはずがないし」

 

 元々、演出家さんと相談した時から、予感はしていたのだ。ますます演技とパフォーマンスに磨きがかかっていく二人。こういう独特の演出を行ったら、きっと本番で化けると。

 

 そして、今回のライブでは、大化けに化けた。二人の演技によって、魅了されたファンと観客が人形へと大変身。結果、アイドルとファンと、会場全体を巻き込んだ『人形劇』の完成である。

 

「可愛いだけのお人形なんて、私たちには合わないでしょ?」

 

「手の中にいたと思ったら、いつの間にか飛び出して……。世話をしているつもりが、召使いに。愛される人形と、愛を注ぐ持ち主。でも、本当はどちらが主なのかしらね」

 

 言って、奏が意味深に目を細める。

 

 アイドル。

 

 偶像。理想の具現体。

 

 語源の上での意味。だが、決して彼女たちは愛でられるだけの人形じゃない。そのパフォーマンスと演技で、ファンを魅了し、

 

 『愛させる』

 

 そうして自らの力でファンを導いていくのも、一つのアイドルの姿なのだろう。

 

 ただ、

 

「さて、ちょうどいい機会だもの、たまにはPさんを人形にしちゃうのも、一興じゃない?」

 

「え!?」

 

「あ! いいアイデア! Pさんが、どこで固まっちゃったのか、気になるもんね。じゃあ、奏は左からで、私は右から……」

 

 人を人形に代えるのは、ステージの上だけにしてほしいものである。




総選挙期間も残りわずかになってきましたねー。

少しずれて更新になってしまっているので、ここらで追いついていきたいものです。


どうか、面白いと思っていただけたら、加蓮と奏に一票をお願いいたします!


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5月4日「ノストラダムスの日」

「Pさん、これ持って行った方が良いよ?」

 

「……これは?」

 

「ぴにゃこら太人形。昨日、奈緒がガチャガチャで当てたの、貰ったんだ」

 

 加蓮から手渡された緑のぶちゃいくを見る。あの、どこが可愛いのかは分からないけれど、記憶に残ってしまう存在感のままサイズダウンしたぬいぐるみに、キーホルダーの鎖が付けられたもの。

 

 それは良いのだが、加蓮はなぜ渡してきたのだろうか。

 

 そして、加蓮だけじゃない。

 

「私からも。これ、良いんじゃない?」

 

「今度は、サングラスか」

 

 ハリウッドスターが使うような結構派手目のヤツが奏から渡される。私が普段使いするには難しいセンス。奏なら似合うだろうけど、身分を隠すどころか、周囲から目立って仕方なくなるだろう。

 

(……で、これは何なのだろうか?)

 

 私は手の中に納まった、二つの贈り物を見る。

 

 二人はこれからレッスン、私は営業で外を回る予定だった。二人の次なるライブの打ち合わせ。先方は何度も出会った相手で、特に変わったことはない。私はいつも通り、身支度を仕上げて、ドアから出ていこうとしていた。

 

 そんな時に、二人がそれぞれ、謎グッズを手渡してきたのだから、私としては困惑をするしかない。

 

「まあまあ、特に何もなかったら笑い話だし」

 

「別に持っているだけでもいいの。鞄の中に忍ばせて、気が向いたらかけてみるくらいでも、ね」

 

「そういうなら、じゃあ」

 

 二人とも曖昧な答え方。疑問が解けたわけではないが、時間が余っているわけでもなかった。私は二つの珍品を鞄にしっかりしまい込むと、ドアを出て、

 

「じゃあ、無事に帰ってきてねー」

 

「怪我がないのが一番よ」

 

 なんて不吉な二人の声に送り出されるのだった。

 

 

 

 そして、数時間後。

 

「あ、帰ってきたんだ! ……って、あー」

 

「本当に当たっちゃったわね」

 

 レッスンを終えたのだろう、少し疲れた様子の二人がドアを開け、そして深いため息を吐く。その視線の先にあったのは、濡れ鼠になって、髪にタオルをあてている私だった。奇しくも、二人の忠告通り、困難極まる営業活動となってしまったのである。

 

「……」

 

「何があったの?」

 

「……上からバケツの水をかけられて」

 

「それから?」

 

「足の小指をぶつけて……」

 

「まだありそう」

 

「自販機に千円のみ込まれたり、打ち合わせ先の人が、急病だったり」

 

 致命的ではないが、不幸な出来事が立て続けに起きていた。車に轢かれたり、誰かに絡まれたりしなかったのは良かったが、そんなことが起きていたかもしれない。

 

 不思議なのは、この不幸な出来事が起きるだろうと、二人が予想していたこと。

 

 私が服を変え、髪を乾かし終えるのを待って、二人がデスクのところまで一冊の本を持ってきた。

 

「今日発売のファッション誌なんだけど、ここ」

 

「でも、普通の占い欄に見えるけど」

 

 この星座の人はラッキーデーやら、運勢が悪いからラッキーアイテムを持ちなさい、みたいな。紙面の構成としては一般的な占いコーナー。年若い女性たちが面白半分ながら覗くところ。

 

 加蓮も奏も、もちろん、そういった雑誌を見ているが……。

 

「二人とも、あまりそういうのは気にしないと思ってた」

 

「いつもは、ね。けれど、ほら、今日占いしたのがこの二人なら、私たちだって考えるわよ」

 

 言われ、奏の細い指が置かれた先を見る。

 

 いつも占いを担当する、何とかという占い師は今日は休み。その代わりとして占いを担当した人の名前を見て、私は、雑誌を持ったまま深く深く、溜息をついた。

 

 そして、叫ぶ。

 

「……よりにもよって、依田さんと鷹富士さんかぁー!!」

 

 GWの特別企画、噂の幸運アイドルによる診断。

 

 そのお鉢が回ってきたのが、我が事務所のスピリチュアル二大巨頭となれば、加蓮も奏も気にせざるを得なかったのだろう。

 

「神様とか運命は信じてないけど、茄子さんと芳乃は」

 

「ほんと、この企画をした人、あの二人を甘く見ていたわね」

 

「それで、私の運勢が……」

 

 

 

 大凶

 

 

 

『外に出るのは危ないので、家でゆっくりしてください。特に、午後からは命にかかわりますよー』

 

『それでも出なければいけないなら、災いを払う道具を身につけるべきかと~』

 

 デフォルメされた二人の顔と台詞。

 

 ズバリ、私の誕生日がそこに載せられていた。

 

 誕生日。

 

 そう、誕生日である。

 

 なぜここだけ誕生日なんだ。他の所は星座で大雑把な区分けなのに!?

 

「狙い撃ちというか、それだけ運が悪かったというか」

 

「それでラッキーアイテム、いいえ、厄除けがサングラスとぴにゃこら太だったのよ」

 

「それまた珍しいチョイスだな……」

 

 私は鞄から、二人が渡してくれた二つの厄除けを取り出す。ぴにゃこら太はずぶぬれになって、サングラスは微妙に傷がついてしまっていた。

 

 もしかしなくても、厄を破ってくれたのだろうか。

 

 そうなると、途端に申し訳なさが溢れてくる。

 

「あー、そのごめん。せっかく貸してくれたのに」

 

 ぴにゃこら太は加蓮が友達から貰ったものだし、サングラスは値段が張りそうなもの。無事に戻せなかったのは申し訳ない。そうして頭を下げるけれど、二人は苦笑いしながら。

 

「もうっ、気にしないでいいわよ? 貴重でも物は物。それでPさんが無事に帰ってこれたなら安いわよ」

 

「奈緒には後でお礼を言わないとね」

 

 とのことだった。そう言ってくれるのは、本当に嬉しい。

 

「二人とも、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「占いによると、屋内にいれば安全らしいから、ここにいる間は大丈夫そうね」

 

 奏がテレビのスイッチを入れる。時刻は午後五時。二人はこの後、レッスンなどの予定はなく、後は私たちでスケジュールを確認してから解散の予定だった。

 

 ちょうど夕方のワイドショーが放送される時間。いつも、何となく情勢が分かればいいと、数分付けたりするのだが。

 

「あら、ここでも」

 

「彼女って、確か……」

 

 ロケのVTRに出ていたのは、別の事務所の新人アイドル。何度か仕事先でも見かけたことがあるが、謙虚で真摯な女の子だったことを覚えている。

 

 その子が、全身をお守りやら、珍妙な格好で固めていた。

 

「ああ、あの子の誕生日も挙げられているわね。Pさんほど酷くはないけれど『凶』」

 

「……なむなむ」

 

 両隣に立つユニット仲間たちも周りに注意を払っているようで、普通の和やかなシーンなのに、妙な緊張感が漂っている。いい意味でインパクトがありそうで、トレンドをかっさらっていきそうな絵だった。

 

 あの子も無事に今日が終わってくれることを祈らずを得ない。

 

 そんな画面を見ながら、ふと考えてみる。

 

「占いを見た時に、凶とか出たら、今日は一日不幸だーって思ったりするけどさ。今日の私のことを考えたら、それも少し違う気がするな」

 

 朝一番から不吉の知らせを聞きたくないというのは、人の心理としては正しいけど。

 

「それはそうね。元々不幸だったのを、事前に観測して知らせるのが占い。Pさんのように、危機を回避……、できたかは分からないけど。少なくとも、毎日の向き合い方は変わるでしょうね」

 

「一方で、断言されたから、不幸になるなんてこともあるし、捉え方は難しい問題だな。ほら、二人は知ってるか分からないけど、ノストラダムスの大予言なんて、何もなかったはずなのに、信じて怖がった人は不幸になったり」

 

 鶏が先か、卵が先か。占いが先か、運勢が先か。

 

 こればかりは本当に見えているのか分からないが、鷹富士さん達にしか判断できないのかもしれない。そして、そんな運勢を信じてばかりでも、人生に迷ってしまう人もいるが……。

 

「この雑誌の企画、今回だけっていうから一安心だね。毎日、茄子さんたちの占い聞いたら、参考になると思うけど、それだけで疲れちゃいそうだから」

 

「加蓮は運命、信じていないものね」

 

「それを気にするよりは、自分の足で歩きたいから」

 

 奏も涼やかな笑顔になっているから、言葉にせずとも、加蓮とも気持ちは同じなのだろう。そんな風に未来を信じて、惑わずに向かえるのは、本当に頼もしいことだと思える。

 

 私も二人を見習って、しっかりプロデュースしていかなければ。

 

 今日は大凶だから、少しは気にしてしまうけれど。

 

 そうして、鷹富士さんと依田さんの占いを思い出すと、忘れていたことが一つだけ。

 

「ん? ちょっと待って。……帰るとき、どうしよう」

 

「あら」

 

「あー」

 

 あの占いでは、『午後』が最悪の運勢と書いてあって、命までかかわると。それを笑い飛ばすには、先ほどの営業はシャレになっていない目に合った。

 

 今度はサングラスをかけて、ぴにゃこら太の着ぐるみでも動員するべきか、なんて考えていた私の耳に。

 

「「ふふふ」」

 

 不敵な声が届く。

 

 ぎぎぎぎ、と金縛りを受けたようにゆっくりと振り返る私の目に、件の雑誌を大広げにした加蓮と、その横で口元を緩めた奏。

 

 加蓮が無言で指さすのは、先ほどの一覧表の次ページ。

 

 大枠で『最悪の運勢を避けるための方法』なんて書かれているところ。

 

「ねえ、心配性のPさん。ここにとっておきの方法、書いてあるんだけど、どうする?」

 

「ほ、方法って、なんでしょう?」

 

「よくあるおまじないよ。ええ、本当に。それでいて、効果はバツグンなおまじない」

 

 そのページに書かれている文章を読むのが怖い。

 

 占いが載せられていた『女性向けファッション誌』。それを読む人が好みそうな話題といえば、相場は決まっている。

 

 とめどなく冷や汗を流す私の横に二人の影が迫る。

 

「なになにー。『悪い気を散らしてくれる異性と腕組み歩けば、自ずと厄もはらわれましょう』だって。芳乃、すっごい的確なアドバイスだよね」

 

「厄除けだけじゃあ、不十分だったもの。こうなったら、徹底的にやらないと、Pさんが危なっかしくて仕方ないわ」

 

「あの、二人とも。私、この後、家に帰るんですけど……」

 

「うん。分かってるけど?」

 

「付いてくると、その、家が……」

 

「ええ。マンションの前までちゃんとついていくわ」

 

「やっぱりバレてる!?」

 

 二人はにっこりと笑いながら、今さら気が付いたのとでも言いたげな様子。

 

 私は乾いた声を漏らすしかない。選ぶのは、この後も不幸な目に合うか、二人と腕組歩きながら、既にバレている家へと向かうか。

 

 どちらも選ぶのにためらうが、どちらが被害が少ないかといえば……。

 

「それじゃあ、遅くならないうちに帰りましょう?」

 

 右に奏が、

 

「占いは信じないけど、これはこれで良いことありそうだしね」

 

 左を加蓮が。

 

 私は二人にずるずると連れていかれることになった。

 

 果たして、これは運が悪いのか、それともどこまでも幸福なのか。まあ、答えは決まっている。

 

 そんな私にとって大変な一日の終わりに、教訓が一つ。

 

「家の場所、知らなかったなんて……!!」

 

「思わせぶりな女には、ご注意を♪」

 

「これで本当に分かっちゃったから、嘘はついてないよ?」

 

 占いも運勢も、それをうまく使う人が強い、ということだ。



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5月6日「国際ノーダイエットデー」

ポテト


 ダイエット。

 

 聞くと身につまされる言葉、第一位。

 

 プロデューサーとして、アイドルである二人には強いてしまう言葉。と、同時に中年に差し掛かり、肉体が衰えてきた私にとっても。食事の節制は苦しいものがあるが、健康な肉体を維持するためには仕方のない、日々の試練でもある。

 

 ジャンクフードと呼ばれる脂や添加物多めの食事を好む加蓮にとっては、私や奏よりもその誘惑と我慢は大変なものだろう。そんな申し訳なさを私は心の奥底で感じてはいた。たまには、加蓮の心のゆくまま、好きなものを食べさせてあげたい、なんて。

 

 そんな甘い夢。だが、その日が実際にやってくると……。

 

 

 

 

「んーっ! おいし♪ このお店はしんなりしてるんだね」

 

「……」

 

「えっと、ちゃんと食レポをメモして。はい、あとはPさん、よろしく」

 

「……」

 

「Pさん、どうしたの? そんなに暗い顔して」

 

「どうしたって、飽きたの」

 

 私は加蓮から渡された小麦色のあん畜生。いや、失敬、フライドポテトを見る。

 

 脂で表面がテラテラと、光を浴びて金色に輝く、塩気の効いたジャンクフード。私だって、たまにはファストフード店で食べて、その暴力的なうまさに体を癒されることがある。

 

 好きか、嫌いかで言えば。好きな食べ物。

 

 だが、

 

「八軒目は、つらいっ……!」

 

 私は、ポテトを前に崩れ落ち、泣き言を漏らすしかない。その前には悪戯っ子な笑顔を浮かべる加蓮が、また一本、小さな口へとポテトを運んでいた。

 

「ほらほら、今日はノーダイエットの日っていうし」

 

「じゃあ、加蓮が全部食べてくれ……!」

 

「そんなに食べたら太っちゃう♪」

 

「私はいいの!?」

 

「大丈夫、大丈夫! マラソンしたらそれくらい消費できるから!」

 

「まだ決まってないって!」

 

 なぜこんなことになったのかといえば、これも仕事の一環だった。

 

 以前からポテトを含めたジャンクフードが好物だと公言してきた加蓮。事務所の管理下で始めたインスタグラムでも、奏や、トラプリの二人、他にも仲がいいアイドルとバーガーショップなどに行く写真が多く投稿されている。

 

 そうなると、話題のアイドルの意外な好物とあって、広報に使いたい企業が様々な企画を持ち込んでくるのだ。以前も大型チェーン店のCMに出たり。

 

 今日の場合も、全国のファストフードが加盟する団体が仕事相手。ありがたいことに、各店に掲載するポスターに加蓮を起用したいと申し出てくれたのだ。全国各所に掲載されるとなれば、今までの仕事に加えてさらに知名度が上がること間違いなく、私も加蓮も大いに喜んだ。

 

「だけど、ポテトへ一言コメントが欲しいなんてっ……!」

 

「私は別に良かったんだけどねー」

 

「じゃあ、全部食べてくれよ!?」

 

 店を回って、それぞれのポテトの持ち味を簡単に表現する。字面にすれば簡単なことだが、そうしようと思えば当然、食べ歩きをしなければいけない。

 

 それが、苦行。

 

 外を歩いて、店に入り。ポテトのSサイズを注文して。そして三分の一くらいを加蓮が食べたら、あとは私が食べる。私が食べる。三分の二を私が食べる。

 

 私が。

 

 三分の二といっても、積みあがれば相当量だ。

 

「ほら、前にいっぱいポテト食べた時は私も苦しくなって、一週間くらいはポテト嫌になっちゃったでしょ? 今回のお仕事はそういうのダメだし、ここはPさんに一肌脱いでもらわないと」

 

「おかげで私の胃袋はポテトで占領されているんだが」

 

「がんばって♪」

 

 ほんと、加蓮は楽しそうな顔するなー、なんて。

 

 他に巻き込めそうな神谷さんや奏、城ケ崎姉妹などは誰もがお仕事。そんな日に予定を入れ、かつ、甘く見ていた私が全面的に悪いので仕方ない。次点で、押し付けてくる加蓮にもちょっと責任はある。

 

 そういうと、

 

「む、その言い方はひどいんじゃない? 私はポテトを押し付けているんじゃないの。おいしいおいしいポテトを、Pさんにも食べさせてあげてるの」

 

 したり顔で笑みを浮かべる加蓮に、私は「はははは」と音だけの笑顔を浮かべるしかなかった。

 

 あと四軒くらい回らなければいけないのだが、既に疲れてきている。美味しいポテトとはいえ、そればかりを食べすぎるのは辛い。

 

 どんなバラエティの仕事に出そうとも、加蓮と奏を食べつくし企画に出すのは止めようと、私は固く固く心に誓った。この日の一つの学びである。

 

 すると、加蓮は、私の顔をじっと見つめていたかと思ったら、突然に。

 

「そんなに大変なら、ちょっとスパイスをあげる。はい、あーん」

 

「また?」

 

「また。

 Pさんにこうするの、けっこう楽しいんだよね」

 

 加蓮は頬をつき、少し緩めた視線のままでポテトを差し出してくる。この間のケーキだったり、奏もそうなのだが、加蓮はこういうからかいが好きなのだろう。さすがに慣れてきたから、私も素直に従って。

 

「どう? 美味しくなった?」

 

「……それは、そうなんだよな」

 

 悔しいことに、普通に食べるよりも美味しく感じてしまう。からかわれていると分かっているのに、恥ずかしいのに。味は変わらないのに。

 

 『だれか』と一緒にすることが特別に変えていく。

 

「ふふっ」

 

 そんなことを考えていると、加蓮が不意に笑顔を零した。尋ねると、彼女は頬に色を込めながら、すこしむず痒そうに。

 

「ううん。Pさんも同じこと感じるんだなって。私だけじゃないんだって思ったら、さ」

 

「うん?」

 

 疑問を浮かべる中、加蓮がまた一つ、ポテトをつまんで私に差し出す。

 

「こうやって、誰かと一緒に食べたり、食べさせたりって楽しいよねって話。寂しくないし、笑うことができるし」

 

 加蓮の指先で、少し首を垂れているしおしおのポテト。

 

 それはどこにでもあって、みんなが食べている量産品でジャンクフード。それでも、そうしてみんなと共通の体験をできることが、加蓮にとっては楽しいのだと。

 

 渡されたポテトを黙って口へ運ぶ。けれど、口に入れた瞬間、にやっと加蓮が笑って指を少し前へ。触れた味は、ポテトと同じ塩味。

 

 それが伝わってくるのに戸惑って、目を白黒させた私に、加蓮は無邪気な笑顔を浮かべた。

 

「こういうの好きなんだ。この場所で、この人とじゃなきゃできないってこと!」

 

 何でもない日に、何でもないように笑って楽しんで、食事を一緒にしたり、からかったり。その楽しさを、加蓮は全身で表現していた。

 

「そうだね」

 

 だから、加蓮と一緒にいると、毎日が楽しいのだろう。彼女が心の底から思ってくれているから、その気持ちが伝わって、私にとっても。

 

「とはいってもだな。加蓮、次の店からはポテト、半分は食べてくれよ」

 

「えー、やっぱり?」

 

「私も加蓮との時間が好きなので、食事も『一緒のもの』を希望します」

 

 私だけ三分の二を食べてたら、全部一緒の時間とは言えないじゃないか。

 

 加蓮は苦笑いを浮かべて、手を軽く挙げた降参のポーズ。久しぶりに加蓮を上回れたかと私がほっと胸をなでおろしていた矢先だった。

 

「……全部、一緒」

 

 眼を伏せ、上げた先、さっきの感傷的な様子はどこへやら、今度こそ小悪魔加蓮は狙いを果たしたとの怖くて可愛い笑顔を浮かべていた。

 

「なら、私もやったし、Pさんも食べさせてくれないとダメだよねー。全部一緒にするんだったら」

 

「……あっ!?」

 

「ふふ、油断大敵だよ。ちゃんと言ってたの聞いちゃったし」

 

 加蓮は喜び、ポテトをポイポイと私の口へ放り込むと、手を取って立ち上げる。

 

「それじゃあ、次のポテトを食べに行こう! だいじょーぶ。きっと美味しいから。どんな場所でも、どんな味でも、Pさんと一緒ならね」

 

 これから食べるのがまたポテト、というのはちょっと不満であるが、加蓮と気持ちは一緒だった。

 

「……その代わりに、ポテトを忘れるくらい美味しくてお手頃なレストラン、教えてくれよ。連れてくから」

 

「何が良い? バーガー? チキン? それともケバブ?」

 

「ジャンクから離れて!?」




最近はネタにされがちな加蓮のポテト好きですが、きっと、色々な憧れや喜びが入った気持ちなのでしょう。

残り一週間! どうか、加蓮と奏の応援をお願いいたします!


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5月7日「コナモンの日」

 流れる演歌、少し染み付いた煙の臭い、周りから響く笑い声。オシャレさという言葉と無縁で、それでも市民の憩いの場所として上等なとある店。

 

 例えば、そんな店の暖簾をくぐった時に、涼やかな美貌のアイドルが卓を囲んでいたら。きっとびっくり仰天すること間違いない。

 

 つまり、この光景を誰かが見たら、ひっくり返るということ。

 

 クールで美しく、誰をも魅了する人気アイドルユニット『モノクロームリリィ』が、お洒落な喫茶店でも、レストランでもなく、ごくごく普通のお好み焼きを焼いているなんて。

 

 私だって、そうなのだから。

 

 

 

 奏も加蓮もしっかりしているとはいえ未成年のアイドル。テレビなど芸能活動には時間制限がある。法律に違反しては、アイドル活動どころではない。なので、私たちも仕事は日が沈んで少しが経つまで。その後のパターンはいろいろだ。

 

 各々分かれて、各自の家で食事をする。もしくは、女の子同士でどこかに食べに行く。そして、嬉しい事に、私が一緒に食事することも。

 

「だいぶ遅くなったな」

 

「そうね。少しリテイクも出してしまったから、仕方ないけれど」

 

「ほんと、疲れたー。それに、お腹も……」

 

 収録のあったテレビスタジオを出て、駅に向かって肩を並べて歩いていく。皆、少しの疲れを感じながらも、仕事を終えた達成感を胸にして。そうして明るい繁華街の中を抜けていくと、香しい食事の匂いが鼻をくすぐった。

 

 カレーに、ラーメンに、ピザに、他にもたくさん。三大欲求を刺激する誘惑。

 

 誰かが言い出すのは時間の問題だったのだろう。

 

「……ねえ」

 

「……うん」

 

「……よし」

 

 奇しくも、全員が頷くのは同時。それに苦笑いを零し、私が二人に話す。

 

「せっかくだから何か食べて帰るか! 今日は私が奢るから」

 

「やった! でも、この間も奢ってくれたし、お金大丈夫?」

 

「そこは、二人が頑張ってくれているからね」

 

 心配かけるほどには苦労はしておらず、そして散在するほどの趣味は持っていないのだ。そこ! 寂しい独身男性なんて言うなよ! 天体観測とか、趣味は趣味でちゃんとあるから!

 

「ふふ、もう少し贅沢してもいい気がするけれど。それで? 今日は誰がお店を決める?」

 

「そうだな……。この前は私が選んだから、今日は二人に任せるよ」

 

「あのイタリアンレストラン、すごく美味しかったよね。じゃあ、同じようなところは避けて……」

 

 加蓮と奏がこそこそと、相談を交わしていく。そんな二人を横目に、私は周囲の店を見回してみた。こういう時二人が選ぶのは両極端。普通のファミレスか、もしくはオシャレなレストラン。どうしてか私の財布事情まで精通している二人は、そこに合わせるように店を決めている。

 

 今日の財布の中身は、たっぷり。つまり、選ばれるのは、少し値を張るレストランか、と予想していた。

 

「Pさん、決まったよ」

 

 加蓮が袖を引くので、そちらへと視線を戻す。さてさて、姫様たちはどんな店を所望しているのか。

 

 すると、加蓮と奏は照れくさそうな顔で、すぐ近くにあった暖簾を指さしていた。古めかしく、それでいて味と趣がある店。

 

 私はそれを見て、

 

「……え?」

 

 あんぐりと口を開けるのだった。

 

 

 

「こういうお店、あんまり入ったことないんだよね。奏は? 作り方わかる?」

 

「私だってそんなに。クラスの女子たちが話しているのを聞いたくらいかしら。そういう機会には縁がなかったし、家で作ってもらったことはあるけど、ごく一般的な知識だけ」

 

「じゃあ、頼りになるのは、Pさんだけだね。任せちゃう」

 

 言われ、どんと置かれた千切りキャベツやら、解いた小麦粉やら、海鮮が詰められた鉢。何かと言われればお好み焼きの具材。その横には銀色に輝くヘラも置かれている。そして、向かい側に座る二人は、好奇心満々という視線を向けてきた。

 

 つくるのはやぶさかではないし、お安い御用。ただ、二人がこの店を選んだというのは意外で、興味深い事だった。

 

 けれど、それを今尋ねるのは野暮というもの。私は黙って具材をかき混ぜ、それをそっと、熱された鉄板の上に載せる。じゅーじゅーと音と蒸気を上げるお好み焼き。

 

「やっぱり慣れてるんだ」

 

「学生時代にソコソコやったし、たまに家でも」

 

 ホットプレートでも、フライパンでも、お手軽にできる料理なのだ、お好み焼きは。ちなみに今焼いているのは海鮮玉。焼けたイカと桜エビの香りが食欲を刺激してくる。

 

 そうして鉄板に接した面が固まってきたら、ヘラをそっと差し入れ、

 

「よっ! ほっ!」

 

「ふふ、お見事」

 

 軽く手を叩いて称賛をくれる奏に、少し得意顔を返す。ひっくり返ったお好み焼きには、綺麗な小金の面が広がっていた。自画自賛だが、上手くできたと思う。

 

 それを何度か繰り返して、まずは一つ目。ヘラで切り分け、ソースとトッピングをかければ完成だ。

 

「はい、召し上がれ!」

 

「ありがと! これって、Pさんの手料理だよね。いつ以来だっけ、あのお弁当の時くらい?」

 

「それくらいになるかしら。……さて、お味は」

 

 奏が割りばしで小さく裂いたお好み焼きを、ゆっくりと口元へ。小さく、艶がかった唇の奥へとお好み焼きは消えていく。

 

「んっ。……ちょっと熱いけど、美味しいわね」

 

 少し我慢しながら、口元を押さえて一口二口。そんな仕草が少し色っぽくて、見惚れてしまう。本当に、何を食べても絵になるな、なんて。

 

 奏はそうしてお好み焼きを食べ終えると、舌をちろっとお茶目に出し、笑顔をみせた。お気に召してくれたなら嬉しい。

 

 すると、今度は加蓮が勢いよくお好み焼きを自分の取り皿に。

 

「じゃあ、私も。……うん。美味し! 

 特にイカ。この間、魚釣りに行ったときに天ぷらも食べたけど、お好み焼きでも、コリコリしていい感じだよ」

 

「あの天ぷら、美味しかったよな……。二人のキスの天ぷらも」

 

「私のキス?」

 

「そっちのキスじゃないです」

 

 唇を指さないの。

 

 奏の仕草に皆で笑い、私も一片を取って、食べてみる。うん、大丈夫。美味しくできている。

 

「ちょっと濃い味が美味しいよね。縁日の焼きそばみたいで」

 

「それは、誉め言葉なのか?」

 

「加蓮にとっては誉め言葉よ」

 

「ほらそこ! ジャンク姫とか思わないの!」

 

「はいはい。じゃあ、次のジャンクフードを作ろう。……加蓮、やってみる?」

 

 私は加蓮にヘラを渡した。加蓮はそれを手に取ると、少し困惑の顔を浮かべる。いきなりポンと渡されたのだから、仕方ないが、そこは挑戦心溢れる加蓮。すぐに気合を入れると、目の前で音をたてるお好み焼きへ挑みかかった。

 

「……っ、これ大丈夫? ほんとに崩れない?」

 

 ヘラを差し入れ、一筋汗を流し、緊張の声。

 

「崩れても美味しいから大丈夫だって」

 

「それ、かな子みたいね。加蓮、もう少し力は抜いた方が良いわよ? 返す時だけに力を入れるように。そう、良いわ」

 

「ありがと、奏。……じゃあ、いくよ」

 

 ごくりと、加蓮が緊張の一瞬。ライブ会場に飛び出していくような気合の入れ方に私だって固唾をのんでしまう。どうか、加蓮に成功を……!

 

「……っ!!」

 

 銀のヘラが閃いて、お好み焼きが宙を舞う。元はバラバラのキャベツに海鮮。それが細くつながった、弱くて儚い存在。それが、一回転して、

 

「やったぁ!」

 

「よしっ!」

 

 見事な着地を果たしてみせた。文句の一つもつけようがない、見事なヘラ捌き。私は思わず鉄板の上で加蓮とハイタッチ。蒸気に包まれながら、小気味いい音が鳴る。

 

 そうして高まったテンションのまま。

 

「これで加蓮もお好み焼きマスターだな!」

 

「Pさん、ちょっとその名前はセンスないよ……」

 

「同感。また変なロマンに染まっちゃったの?」

 

 どうやら、マスターの名前を加蓮はお気に召さなかったようだ。確かに、工夫もないし、ジャンク姫と大して変わらない気もするから、それもむべなるかな。

 

 その後、加蓮に変わった奏も華麗な返しを見せて、和気あいあいと。

 

 姫様たちはソコソコな食事量に留めないといけないので、小一時間ほどで私たちの珍しい食事会は幕を下ろしていった。

 

「Pさん、ご馳走様」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。どうだった? 正直、二人がこの店を選んだのは意外だったんだけど」

 

 普段の二人だったら選ばないだろうし、他のアイドルと一緒の時も選びにくい店だと思う。飲んべえの大人組ならともかく。

 

 すると、二人は可愛らしく笑いながら言った。

 

「だから、こういうところに来たかったんだ」

 

「ええ。ここは私たちには縁が薄い場所。アイドルとしても、女子高生としても。けど、そういう場所に興味がないわけではないのよ。年頃の女だもの」

 

「それに、私たちにはPさんがいるから、安心できるしね」

 

 みんなで来れて、楽しく、満足できたと二人は言ってくれた。

 

 アイドルはどうしてもパブリックイメージに縛られる。目麗しい二人はそれだけでも、目立ってしまうし、それで毎日を制限してしまうことだって多い。

 

 だから、私がいることで少しでも二人が経験を増やすことができたなら、それはとても嬉しいことだと思う。

 

「じゃあ、数年後は楽しみにしてて。お酒の約束を果たすときは、面白いお店に連れてってあげるから」

 

「ふふ、楽しみだね! あ、でも、その時は、すっごい高いお店にしてほしいなー。お洒落なお店のところ」

 

「私は、Pさんの隠れ家に行きたいわ。また秘密、色々探したいもの」

 

 さあ、その時が来たら、喜んでくれるだろうか。いや、三人でならきっとそうなる。

 

 まだまだ先のことも、これからの何気ない毎日も。二人にとって素敵な思い出となるように。今はまだ私が半歩先を進みながら、しあわせな今日を終えていった。



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5月8日「声の日」

『この作品が描かれたのは、二十世紀の初め。愛を知り、喪失し、その痛みがカンバスへと向き合わせた。彼女の作家としての評価を決定づけた初期の傑作と呼ばれています』

 

 朗々とした、艶がかかった声。

 

 それに導かれるままに目の前の絵を見る。

 

 絵画に詳しいわけではないが、語られる通りに、叩きつけられるような激情がひりひりと伝わってくる気がした。中央に置かれた抽象的な人の顔。そこの絵の具が殊更に厚く塗られているため、立体的な迫力がそうさせるのか。

 

 まして、耳のイヤホンから声が流れるたびに、この絵画の世界へと魂が惹かれていくような錯覚も。

 

『愛に狂った作家と、その人間性の具現。眺めていると、引き込まれてしまいそう。ふふっ、この絵みたいに、貴方へと心をぶつけて、沈めてしまうのも面白そうね』

 

「奏、ちょっと怖いからストップ」

 

 最後は口調を変えて、ちょっとしたホラー映画みたいな調子だった。私は思わず背筋をぞわりと震わせて、マイクで奏に懇願する。

 

 くすくすと、イヤホンの向こう側で奏が笑顔を零してるのが伝わってくる。

 

『ふふ、そうね。ちょっと趣が違うかも。でも、Pさんがあんまりぼんやりと見ているから、つい、ね』

 

「最初の作品からこの調子なら、あとが怖いなー」

 

『安心して? ここからはちゃんと台本に従うから』

 

 そうだといいな、と私は願うしかない。ある意味、この空間に奏と二人きりで、逃げ場はない。天上から声を送る奏にただただ従うしかない。そんな状況も、この美術館というステージにマッチして、楽しくもあるのだが。

 

 今日の奏は声の仕事。

 

 声の仕事といっても、吹き替えに朗読劇に、アニメやゲームのアフレコなど色々なバリエーションがあるが、今回は美術館での解説音声の仕事だった。

 

 最近の美術館では特別展示のたびに豪華ゲストによる解説を企画される。例えば、その作家や作品に携わった芸能人だったりが。素敵な声を聴きながら、美術の世界に没頭するというのも、面白く興味深い体験と人気を博している。

 

 そして、奏が抜擢されたのは、近代ヨーロッパで活躍した女性画家の特別展だった。以前から、朗読の仕事など、演技上手な仕事ぶりは評価されていた。そして、若くして愛に散った画家というコンセプトも、退廃的な演技ですら魅せる奏とマッチしていると判断されたのだろう。

 

「ああ、やっぱり似合うな……」

 

 一人ごちる。

 

 以前、奏と博物館を訪れて、二人きりで回った時のことを思い出す。あの時も、奏の声を聞いていると落ち着けて、しんみりと温かな空気の中で宇宙を楽しむことができた。

 

 静かな空間に、一滴。奏の存在感のある声が、この部屋の雰囲気を強調させていくのだろう。

 

『もうっ、褒めても何も出ないわよ。それよりも、台本あわせ、進めましょう?』

 

「奏だって、ちょっと悪戯したじゃないか」

 

『さあ、どうだったかしら?』

 

 私は大きく飾られた絵画を背にして、順路に従って次の絵へと。

 

 解説の台本は美術館側が用意している。ただ、それを読み上げる奏としては、声のテンポや時間を調整しなければいけない。第一に客の目的は鑑賞だから、長すぎず、短すぎずのちょうどいい時間で収まるように。

 

 今、私達が行っているのは、その合わせ作業。私の頭には小型カメラを付けて、観客役。別の部屋で奏が、その映像を見ながら、手元で台本を読み上げる。そうして、実際に観客がどう感じるかを伝え、完成度を高めていくのだ。

 

 少し歩き、足を止める。『2』と描かれたパネルが添えられた、絵画の前。

 

『この風景画は、彼女がつかの間の平穏を得た一年の間に描かれました。明るい配色に、のびのびとした筆遣い。それまで纏っていた重苦しさから解放されて、見る者を和ませる一枚となっています。

 ……けれども、彼女の平穏は長くは続きませんでした』

 

「いい感じ。けど、最後の台詞は、もう少し軽く仕上げても良いかもしれないな。迫力がありすぎる」

 

『そう? じゃあ、もう一度……』

 

 そんなやり取りを繰り返しながら、じっくりと時間をかけて、奏の声と美術をシンクロさせていく。

 

『でも、面白いわね。こういうのも。

 距離は離れているけれど、見ている景色は同じ。声をやり取りしながら、想いを重ねていく。もどかしくて、切なくて、でも心は満たされていく』

 

「そうだね。あとさ、今日はいつもより嬉しいこともあるんだ」

 

『顔が見えないから、からかわれなくて済むこと?』

 

 冗談めかした言い方に、苦笑い。

 

「顔が見れないのは、前にも言ったけど、やっぱり物足りないよ。

 嬉しいのは、奏の演技に私も関われること。いつもは、そういう指導、トレーナーさんや監督さんたちに任せているから」

 

 今回に限っては、美術館を訪れた一般人の視点が必要。だから、私が奏の声を聴いて、どう感じたのか、何を思ったのかを伝えて、奏が演技を磨き上げていく。

 

 いつもの仕事でだって、奏と加蓮がますます綺麗に輝いていくのを感じ取れる。けれど、更に近い場所で、力になれるのは楽しく、誇らしいことに思えるのだ。

 

『私としては、メイク前を見られるみたいで、気恥ずかしいところもあるのよ?』

 

 奏も加蓮も、一番綺麗なところを見て欲しいとはよく言っている。その気持ちもわかるのだが、たまにはその過程も感じてみたいと思うのは、仕方ないことだと思って欲しい。

 

『仕方ない人』

 

 奏が楽しそうな、わざとらしいため息。そこに、私はただ肩をすくめて応えた。

 

 

 

 そこから小一時間ほど、私は奏の声と共に、悲劇の女性画家の生涯を追っていく。

 

 孤独な幼少時代。

 

 愛を知った思春期。

 

 つかの間の安堵と、喪失。

 

 画家としての大成と孤独。

 

 奏の適切な解説は、そのトーンから、息遣いから、全てを使って彼女の人生を私に伝えてくれた。もちろん、仕事は忘れず、やり直しを繰り返しながら、真実味を加えていく。

 

 時には、色っぽい絵が出てきて、悪戯な笑顔を浮かべていただろう奏が揶揄うことを言って来たりも。奏の解説を聞きながら過ごした時間は、私の一生を押しなべてみても、静かで贅沢な時だと感じられた。

 

 そんな時間の終わりに。

 

「……はぁ」

 

 私は感嘆する。短い生涯の最期に、画家が遺した最大の作品。サイズは大きくはない。モチーフも判然として分からない。人の顔なのか、大輪の花なのか、それとも、この星の姿なのか。

 

 分からないけれど、この絵は私の目を離そうとはしなかった。最初に奏が語った通り、画が手招きをして、深い場所まで引き込もうとしているような。

 

 ただ、声や動きを忘れたように、呆として立っていた私に、

 

「……画家は何も言い残しませんでした。彼女の死後、アトリエの片隅から見つかった絵。それには、『私の最高の作品』とわずかな書き残しがあるのみです」

 

 すっと割り込むように、奏の声が重なった。それは、イヤホン越しの遠い声ではなくて、横に立つ彼女自身がくれる音。いつの間にやら、だ。

 

「来ちゃった」

 

「うん。ありがとう」

 

「最後の絵は、一緒に観たかったのよ。声を届けるのも良いけれど、貴方と同じ、どこか物足りないから」

 

 そうして、二人並び、前だけを見ながら、静思いを馳せていく。

 

「モチーフも、題材も、テーマも、何もわからない絵。きっと、彼女はそんな絵を残して、共有して欲しかったのではないでしょうか。こうして大切な人と並び、一つの物語を読み進めるように。

 ……誰かの鎹になりたかったのではないでしょうか」

 

「それは……」

 

「さあ、どこまでが台本でしょうか? でも、今は野暮なことは考えないで。ただ、こうして二人。

 声だけじゃない。体も心さえも、近くに寄せて、時間を共に過ごしましょう?」



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5月11日「何でもない日」

加蓮、総合2位

奏、総合17位

二人とも頑張った。

来年こそは!!


 また少し日付が進んで、空に昇った太陽の照り付けが強まってきた頃。

 

 珍しくも二人がオフの日。けれども二人は事務所に来てくれて、テレビを付けながら紅茶とコーヒー片手に過ごしている。声はここまで聞こえてこないが、お互いの指を見ながら笑いあっている辺り、ネイルの話でもしているのだろうか。

 

 私はぱちぱちとキーボードを打ちながら、そんな二人を横目で見ていた。何でもないことなのに、仕事がはかどる。居心地がいい空間というのは、いい仕事に必須なんて聞くが、二人と過ごすようになってからは実感を伴って分かるようになった。

 

 笑顔もあって、音楽もあって、時々からかわれたり。何でもない幸せな日常。

 

 何でもないというのは、私たちだけのことではなくて、

 

「ほんと、珍しいな」

 

 事務所の机に置かれている日めくりカレンダーを見つめ、私は一人ごちた。記念日が毎日記載されているカレンダーは、例えば仕事を計画したり、三人でのイベントごとを企画したりするときに役立ててきた愛用の品。

 

 今日、そこには何の文字も刻まれてはいない。

 

 

 

 記念日がない。文字通り、何もない日。

 

 

 

 それをじっと見ていると、

 

「あら、ほんとね。何もないなんて珍しいわ」

 

 いつの間にやら奏と加蓮が背後からカレンダーを覗き込んできた。ふわりと華やぐ香りに、肩に添えられた細く温かい手。思わず胸が高鳴ってしまうが、それは魅力に惑わされたというよりも、相も変わらず突然にドッキリさせてくる事への驚きが原因。

 

 毎度のことでも慣れることはない。私が気を抜いていると、すぐにからかってくる。刺激があるのは良いことで楽しいのだけど、もう少しだけ手心が欲しいところだ。

 

 そう言うと、

 

「でも、からかう方も大変なんだよ? 毎日同じパターンだと誰かさんも慣れちゃうし」

 

「慣れさせてください」

 

「だーめ♪ それじゃ、Pさんの魅力も減っちゃうから」

 

 加蓮はそう言って、私の頬を柔らかい指先でぷにぷにと触ってくる。こんなおじ、いや、お兄さんの頬を突いて何が楽しいのか。いや、愉しいんだろうなあ。加蓮、すごい良い笑顔しているし。

 

 からかい大好きなお姫様達は置いておいて……。こら、髪の毛を引っ張るでない。ヘアアレンジは加蓮の専売特許だが、私はそこは保守的だ。

 

 カレンダーに視線を戻して、話を続ける。

 

「おほん。最近は何でもかんでも記念日を付けるから、毎日何かしらあるって思ってた」

 

「今日も著名人の命日だったりはするけど……。確かに、○○の日ってつかないのね」

 

「探せば何かありそうだけど。語呂合わせとか」

 

 5月7日だから『コナ』モンの日だったり。

 

 加蓮が言う通りに、語呂合わせはこの手の記念日にありがちな付け方だ。あとは、日本あるいは世界で最初に何かが行われた日が多いだろうか。無理くりな名付け方でも、今は殆どの日に記念日が設定されている。

 

 そこが今日は白紙。それを見ていると、不思議な感覚にもなるのだ。

 

「毎日、このカレンダーには何かが書かれていたから、ちょっと寂しいんだよな。……語呂合わせで、何かつかないかな?」

 

「えっと……。単純に考えて『511』で『濃い』日なんて? それとも、恋の日とか」

 

「それなら5月1日の方がらしいんじゃないかしら? ……けれど、言葉で思いつくのはそれくらい。変則的だけど『コイ・1』で『初恋の日』なんてどう?」

 

 ロマンチックすぎる? なんて、発言した後で少し恥ずかしがっている奏。加蓮はそれを見て、からかいたそうに目を細めるが、奏は途端に澄ました顔で誤魔化すことに決めたようだ。

 

 一方で私は、奏のアイデアに納得しつつ、目の前のパソコンで探ってみる。

 

「いいアイデアだけど、残念。『初恋の日』は他に設定されてる。10月30日だって」

 

「どうしてその日なの?」

 

「えーっと、島崎藤村が『初恋の詩』を発表した日だそうだ」

 

「藤村って、作家さんだっけ?」

 

「ええ。著名な、ね。藤村の初恋も、素敵な詩よ。子供のような無鉄砲な恋ではなくて、何気ない仕草の中から恋を見つける。静かで、深い、ちょっぴり大人の恋心。私には恥ずかしいくらいに」

 

 奏は眼を閉じ、艶やかな唇を煌めかせながら詩を朗々と読み上げる。その鈴が鳴るような響きに耳を澄ませると、目の前にリンゴ畑の情景が思い浮かぶようだった。

 

 ちょっとした相手の姿、考え方を知るたびに、魅力に感じて恋をする。

 

(……気持ちは分かるな)

 

 だって、私だって毎日のように恋をしているようなものだ。加蓮と奏が新たな一面を見せてくれるたびに、心の奥底まで魅了されて、もっと二人を支えたいと願っていく。それは一般的な『恋』ではないけれども、二人のアイドル、あるいは少女に魅せられているという点では似通った感情だ。

 

 二人と過ごす中で感じる、不思議で温かい、特別な気持ち。

 

「ねえ。Pさんって、時々そういう目をするよね?」

 

 加蓮が突然、声をかけてくる。私がそれに首を傾げると、

 

「無意識だとしたら、注意した方が良いわよ? 本当に。思わずからかいたくなっちゃうから。いろんな人に、ね」

 

「それは、たぶん大丈夫だよ」

 

 きっと、二人の前でないと、こういう気持ちにはならないから。

 

 声に出すと、またもや良いネタになるだろうから、そんな本気は胸にしまい込む。そして、それを考えているうちに思いついたことも。

 

 私はそっとカレンダーを取り出して、次いで筆立てからボールペン。前に二人からプレゼントされたものだ。それをカチリと一押しして、今日の日付に向かわせる。

 

「何か思いついたの?」

 

「記念日ってさ、別に世界とか日本にとって特別な日じゃなくてもいいんだなって」

 

 例えば、誕生日だったり、記念日だったり。それらの日付は人によって異なる。加蓮の誕生日9月5日は『黒の日』や『生クリームの日』に設定されているけれど、私にとってはそれらの日はどうでもいいくらいに加蓮の誕生日が大切。奏の誕生日、7月1日も同じこと。

 

 二人と過ごす毎日が、私のカレンダーを塗り替えていく。

 

「だから、今日にイベントがないなら」

 

 さらりと、書き加えられる文字。

 

「あら……」

 

「へぇ……」

 

 加蓮と奏が、面白そうに呟いた。

 

「そういう名前つけちゃっていいの? もっと特別にしたくてからかっちゃうかもしれないけど?」

 

「それがいいの。いつかは、こちらだってからかい返してあげるし」

 

 突然に宇宙一のライブでもプレゼントしてあげたら、二人とも目を白黒させて驚くだろうから。その時には、たくさんからかってみたいと思う。

 

 そうして

 

 奏が澄ました笑顔で、ステップを踏むように。

 

 加蓮が華やぐ笑顔で、舞い踊るように。

 

 モノクロームリリィはステージの上で輝いて、多くの人に笑顔と夢を届けてくれる。それを傍で見れるなら、私もどこまでも頑張れると思うのだ。

 

 だから、この毎日は素敵な未来へ続く、特別な日常。

 

 例え、今日が特別な出来事がなくても、世界にはごく普通な日だったとしても。

 

 5月11日。今日も『モノクロームリリィとの日常』。

 

 そう書けば、私たちにとって、かけがえのなく、素敵な一日になるのだから。




ひとまず今年の総選挙も終わりました。

私としては、毎日更新が途中で崩れてしまったりと悔いが残る結果になりましたが。また二人を描けたことはとても嬉しく思っています。

来年はどうするかは決定していませんが、またモノリリの二人が活躍する小説を書いてみたいとは思っています。

それでは、またお会いできることを祈って。

アイマス最高!!


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第9回シンデレラガール総選挙編
6月10日「時の記念日」


第9回シンデレラガール総選挙!

今年も、毎日更新を可能な限り行ってまいります!

ただ、毎年同じ期間では、ネタも少なくなってしまうので、タイトルを変更。
今年は『総選挙最終日までの一年間』をテーマとして、色々な話を出していけたらなと思っています。

どうぞ加蓮と奏の応援と合わせ、お楽しみいただければ幸いです。


 カタカタ、カタカタ

 

『時が経つのはなんて早いのか。年齢を重ねるたびに強く感じるようになると、私も幼いころには聞かされた――』

 

 かくいう私も、一年一年と誕生日を迎え、望むと望まずとに関わらず、彼女らの言う「おじさん」への扉に近づいている身であり、世間の例外に漏れず、時の速さを年々実感していたりもする。

 

 気が付くと、四月が七月になり、七月が十月に、十月から一月なんてあっという間。

 

 私の年で、こんなに早く感じるのだから、老人たちは早送りもかくやという速度で一年を過ごしているんじゃないか。なんて、しみじみと思ったりもし、それを愚痴るたびに我らが小悪魔二人は『Pさん若返り計画』という題目の元、若者の街へと私を連れ去り、ファッションの実験台にするのだが……。

 

 時は早く刻み、世間も遷ろう。

 

 一年はあっという間に終わってしまう。

 

 しかし、私にとって幸いなのは、どれだけ時が早く感じようと、退屈を感じることはないということ。

 

 私個人は平凡な隙の多いサラリーマンであるが、私の隣には世界を笑顔に染め上げるアイドルがいてくれる。

 

 退屈を覚えようものなら、その次の瞬間には冷や汗と動機息切れに襲われることは間違いない。……けっして、それは年齢の問題じゃないぞ。彼女たちが繰り出す多種多様のからかいのためだと明言しておきたい。

 

 つまり、なにが言いたいかというと――、

 

 

 

「……前置きが長いわ」

 

「Pさん、詩の才能は無さそう」

 

「うわぁ!!!??」

 

 私は突如として耳元に響いた二つの声に、情けなく大声を出し、ひっくりこけそうになった。

 

 たちまち、私の世界は一転。

 

 真っ暗の中にPCのモニタだけが光っている集中状態から、いつもの日常へと逆戻り。見慣れた部屋に、見慣れた間取りの事務所へと。

 

 けれど、いまいち何が起こったのか分からなかった私は、ぐわんぐわんと自分の大声で耳鳴りする両耳を抑えながら、周囲をぐるぐると見渡して。

 

 私の担当アイドルである加蓮と奏。モノクロームリリィの二人は、そんな私を見ながら、くすくすと苦笑していた。

 

「ふふ、ごめんなさい。驚いたかしら? 聞くまでもないわね」

 

「あはは♪ もー、すっごい大声! 後ろから抱きついた時の奈緒と同じくらい!」

 

「いつもやってるものね、加蓮。だから平気な顔しているの? 私なんて、ちょっと耳が痛いくらいなのに」

 

「んー、慣れちゃったのかな? 奏も奈緒をからかってみたら、分かるかも」

 

「ふふ、それも面白そうだけど……。でも、やめておくわ。私まで加わったら、さすがに可愛そうね」

 

「……私は良いのか、私は」

 

 ようやく私も事態を把握し、半目を二人へ向けながら、愚痴をこぼす。

 

 奏の言う、加蓮と奏両方から毎日のようにからかわれてしまう『可愛そう』に該当する人物は確実に一人いる。

 

 私だ。

 

「Pさんは……。もう、ねえ?」

 

「別枠、かな?」

 

「そこで憐れみの視線を向けないで!?」

 

 いったい誰が私を『可愛そう』な目に合わせているというのか。そこ! 二人! 目を逸らすな! ニヤリと微笑むな! 私へ向ける愛はないのか!

 

「あら。愛はこれでもかっていうくらいに籠めているわよ? 気づいてくれないのかしら?」

 

「毎日毎日、たくさんの愛情を、Pさんにあげているのに。そんなこと言われたら、悲しいなー」

 

 二人はそう言って、さも悲しそうな口調と表情を作って、私のメンタルへと圧力をかけてくるが、口元の緩んだところだけはあえて隠していなかった。

 

「もっと分かりやすい愛はないのか!?」

 

「じゃあ、キスしましょうか? 誰から見てもはっきり分かる、愛のアプローチ……」

 

「やめて!?」

 

「奏の持ちネタ、こういう時便利だよね」

 

「持ちネタ呼ばわりは、抗議するわよ、加蓮」

 

 その後、十分くらい『分かりやすい愛』を示そうとする二人に、散々にからかわれることになるのだが、それは割愛させてほしい。

 

 ともかく、部屋の中を逃げ回り、大きく息を乱した私は自席へとようやく戻った。幸い、パソコンには書きかけの文章が消されずに残っている。その画面を覗きながら、奏が尋ねてくる。

 

「それで? その文章、何だったの?」

 

「ん? まあ、隠すほどのものじゃないからいいか。……業務記録とは別に、日記でも書いてみようと思ってて」

 

 私はパソコンを二人へ見せる。フリーの日記ソフトで、日付は今日。

 

「これが記念すべき一日目。御覧の通りの前置きが長い文章です」

 

「あんまり内容に凝ると、後に続かないわよ? もっとも、プライベートなものだったなら、私たちの方が野暮なことしてしまったと思うけれど」

 

「いや、読み返してみると、実際そうだし」

 

 徒然なるままに、じゃあるまいし。これじゃ、日記どころか、小説家気取りだ。そして文章アイデアに優れるわけでもない私なら、三日ボウズは間違いなかっただろう。

 

「もっとシンプルに書き直すことにするよ、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 奏が少し安心したように、微笑む。

 

 すると、今度は加蓮が、興味津々という顔を寄せてきた。

 

「でも、珍しいね。男の人が日記を書くなんて」

 

「二人の周りじゃ、誰もつけてないの?」

 

「男の子は少ないんじゃないかな?」

 

「中高生なんて遊びたい盛りでしょうし。一方の女子は、世間のイメージ通りに書いてる子が多いわね。ブログだけじゃなくて、今でもノートに」

 

「まゆとか奈緒のは見せてもらったことあるよ、私」

 

 確かに私も、佐久間さんが大切そうに日記を抱えているのは見たことがある。けれど、神谷さんまで持っているとは驚きだ。

 

「奈緒の日記イメージよりも乙女乙女してて、可愛いんだよね」

 

「ちなみに加蓮。そんな乙女な日記を、神谷さんが加蓮に見せるとは思わないんだけど」

 

 どうやって中身を確認したのか、知りたいような知りたくないような。

 

 加蓮はそんな私の半目に、悪戯なウインクで返した。……神谷さんには、後でお菓子でも奢ってあげよう。

 

「それで? 乙女じゃないけど、夢見がちなPさんは、どうして日記を書き始めたのかしら?」

 

 金色の眼が面白そうに私を見ている。尋ねられつつも、その理由を奏は勘付いているんじゃないかな、とか思ったり。

 

「大した理由じゃないんだけど、二人と過ごした日常、残しておきたいなって思って」

 

「……ふふ」

 

 アイドルの仕事は、幸いにも形が残るものが多い。人々の記憶の中で思い出になるのは言うに及ばず、雑誌に、映像に、音楽に。加蓮や奏の生きた証は、何十年も残されていく。

 

 けれど、アイドルである彼女達がどんな日常を過ごしていたのか。

 

 それを覚えられる人は、思った以上に少ないと思う。彼女たちの家族に、友人に、それに私くらいだろう。

 

 ふと、そんなことを考えたら、私が過ごしているこの日常はかけがえがないもので、少しでも私が感じたことを残しておきたいと思い立った。

 

「私達がからかっちゃったことも?」

 

「そこは、微妙にぼかしたり……」

 

「だーめ♪ ちゃんと私たちとの思い出、残してくれないと」

 

 そう言うと、奏と加蓮は楽しそうに私のパソコンを奪ってしまう。カチャカチャとキーボードで叩かれるのは、間違いなく、今日の私が驚いた様子と、彼女達がどれだけの笑顔でいたのか。

 

(このままだと共用日記になっちゃいそうだけど……)

 

 まあ、それも一つの楽しみだろう。

 

 私はそんなモノクロームリリィの日常を眺めながら、壁にかけられたカレンダーを見る。

 

 ついこの間、第八回の総選挙が終わり、また新しい一年が始まった。加蓮にとっては間違いなく勝負の年で、奏も更なる飛躍を果たす機会。

 

 これから一年後。二人が更に光り輝くときに、この日記にどれだけの思い出が書かれているのだろう。

 

 そんな未来を夢見ながら、私は刻まれていく大切な日常を見守っていた。




加蓮はいよいよ勝負の年。

奏ももちろん、負けてられない。

私の目標は変わらず、モノクロームリリィでの総選挙曲参加です!!

二人に清き一票をお願いいたします!


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6月27日「女性雑誌の日」

総選挙最終日まで323日な6月27日。

アイドル達は普段、どんな雑誌を読んでいるんでしょうね。

アイマスの世界をもっと覗いてみたいと、常々思っています。


 アイドルのプロデュースという仕事をしていると、女性文化に触れることが多い。

 

 アイドルに似合った仕事を取るために、ファッションやコスメの流行を追うのは当たり前。奏も加蓮も、女性からも人気が高いアイドルだから、彼女達へ向けたイベント企画も多く、私は女性受けのよい企画を立てる必要がある。

 

 女性の世俗に疎いとあっては、不自由が出てしまうのだ。

 

 なので、立派なプロデューサーを目指す私も、リサーチは欠かさず行っているのだが――。

 

 性別という壁は確かに存在し、時に気まずい場面を生み出すこともあるのだ。からかうタイミングを狙っている彼女たちが傍にいれば、なおさらに。

 

 

 

「さて、最近の流行は――」

 

 営業周りを終えた午後。私は自分の机で雑誌を読んでいた。

 

 世間のサラリーマンに観られたら、ともすればサボっていると思われてしまう光景だが、これも立派な仕事。

 

 私が読んでいるのはティーンエイジャーを対象にしたファッション雑誌で、加蓮たちも愛読しているものだ。そして私にとっては、最新の流行を調べる教科書でもある。

 

 そんな雑誌の今月の特集はカフェ。インスタ映えする店の紹介から、タピオカに替わる流行スイーツ。うちの姫様二人も好きそうな内容だが、時にはネタも。大写しになっている、シンクのソースがかかったパフェは、胃の奥をキリキリとさせるものだった。

 

「……タバスコパフェは、ヤバいだろ」

 

 加蓮と奏も同じ雑誌を目にしているだろう。心の奥で、二人がこの店へと連れ出さないことを切に願う。こんなリアクションに困るパフェなんて、加蓮は特に面白がりそうだ。

 

『ねえ、パフェが大好きなPさん? このおいしそーなパフェ、一口食べてみない?』

 

 などと、にっこり悪魔の笑みを浮かべながら、真っ赤で刺激的なパフェを向けてくる絵が思い浮かんでしょうがない。その直後、机に突っ伏してぴくぴくしている私の姿も。この第六感が虫の知らせだと、思いたくなかった。

 

「……次行こ、次!」

 

 気を取り直して、ページをめくる。

 

 そこからは定番のシチュエーションに合わせたファッション特集。ネイルサロンとヘアサロン特集。あとは、まあ、ティーンが興味を持ちそうな恋愛と、関係の深め方。

 

 少しばかり過激な内容が入っているのにも慣れたが、これが昔から変わらない内容なのか、それとも最近の世代特有なのかは調べたいような、調べるのが怖いような。

 

 そうしてページを進めていき、

 

「アンケートコーナー、今月は『百年の恋も冷める彼氏の行動』なんだね」

 

「男にとっては、肩身が狭い話題だ……」

 

「けど、より良い関係でいたいなら、節度は気にしないといけないわよ?」

 

「……そりゃごもっとも。ところで、二人とも?」

 

「「なに?」」

 

「いつから?」

 

「さあ?」

 

「いつからでしょう?」

 

 真実を知るのが怖いので、私は無言を通した。いきなり背後から現れるというのは、心臓に悪いだけでなく、ある疑問も生じさせる。

 

 もしや、この部屋のどこかに隠し扉でもあるのではないか、そういう妄想。もしあるなら歓迎するし、使いたいぞ、ロマンだし。だから二人とも、早く秘密を教えてくれ。

 

「そうね……。貴方の机の引き出しの中、とか?」

 

「ド〇えもんか」

 

「それとも、Pさんの影の中?」

 

「どの映画の影響だよ?」

 

「小梅が見せてくれたホラー映画♪ 気づかれずに、背後に忍び寄っちゃうの……」

 

 言いつつ、奏が微笑みと共に、私の背に指を這わせたので、ゾクゾクと妙な震えが広がった。

 

 奏が雰囲気を作ると、本当に引きずり込まれそうだ。出会ってから随分と長く立つけど、よく無事でいるな私、と常々思う。

 

 そして、奏によって私の意識が割かれた瞬間に、加蓮が「えいっ」という可愛い声と共に私の手から雑誌をとりだし、奏と共に読み始めてしまった。何を思ってか、私へ聞こえるくらいの音読まで加えて。加蓮の甘い声がとろりと流れてくる。

 

「なになにー。彼氏の冷める行動、いち! 『束縛が激しい』」

 

「好きなお仕事を入れてくれる。お休みもほどほどで、オフも言えば合わせてくれるし……。そうね、大丈夫そう。

 二番目は、『金銭感覚が合わない』」

 

 ……ん?

 

「これも当てはまんないんじゃない? 食事はファミレスが多いから」

 

「私たちも高級志向はないし、相性いいわね」

 

「そうだねー。あ、でも、ライブの後とか、特別な時はオシャレなお店に連れて行ってくれるし、そこはポイント高いよ」

 

 まてまて。

 

 誰の話をしている。いや、分かるけど。

 

「三番目、『浮気』! うわー、これはやられたら怒るけど」

 

 そこでちらりと、加蓮が私の方を見て、

 

「……だいじょうぶ、じゃないかな?」

 

「そう、ね」

 

 なぜ今度は断言しない!

 

「この間、美優さんとお茶してたでしょ?」

 

「楓さんとも、飲み友達になったって聞くわよ?」

 

「美優さんは相談に乗ってただけだし! 高垣さん以外にも暴走婦警に川島さんもいたよ、その飲み会! っていうか、私の行動当てはめてるよな、やっぱり!! 彼氏じゃないのに!」

 

「でも、プロデューサーとアイドルって言ったら、恋人も同然でしょ?」

 

「普通の恋仲よりも親密かもしれないわね」

 

 ねー、とか、二人で顔を合わせながら笑わないの!

 

「毎日一緒にいて、買い物にも付き合ってくれて、食事も誘ってくれるし、水着もドレスも見たでしょ?」

 

「それで悩み相談にも真摯に乗ってくれるんだから、なんて素敵な彼氏♪」

 

「からかわない!」

 

「からかいじゃなかったら……どうするのかしら?」 

 

 奏が目を細めながら囁く言葉は、顔を背けて躱しておく。

 

 私は加蓮から雑誌を奪い返すと、机のロッカーへと放り込み、椅子に座ってため息を吐いた。随分と疲れて、体中から力が抜けてしまっている。

 

 そんな私の様子を見て、加蓮と奏は少しだけ労わるような苦笑を向けてくる。

 

「もー、ごめんごめん! ここまでにするから!」

 

「理想の彼氏って言うのは、あえて否定しないけどね」

 

「……ちなみに、その雑誌には理想の彼女とか乗ってないの?」

 

 私は読もうとして、加蓮に取られちゃったから。

 

 すると加蓮は自分のバッグからもう一冊、同じ雑誌を取り出してくる。

 

「もちろん載ってるけど……Pさん、気になる?」

 

「貴方の好みに、少しは合わせてあげるわよ? 私たちも」

 

「じゃあ、からかわない彼女をください」

 

「「それは無理!」」

 

 満面な笑顔で断言する二人へ、私は乾いた笑顔を浮かべるしかなかった。




今日も加蓮と奏の応援を、お願いいたします!!


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7月5日「ビキニスタイルの日」

総選挙最終日まで315日な7月5日。



「ねぇ? プロデューサーさん?」

 

「ん?」

 

 なんで、とぼけた声なんだろ。

 

「こっち、見ないの?」

 

「……加蓮、空を見てみなよ。カモメが、ほら、一、二、三と」

 

 あ、なるほど。誤魔化す気なんだ。

 

「寝たりしたら、悪戯しちゃうよ? それとも、そっちのほうがよかったり?」

 

「!」

 

 声に真剣な感じを混ぜたのが良かったね。

 

 Pさんはギクリとした表情になると、勢いよく立ち上がって、慌てて私の方を見る。砂浜のさらっとした爽やかな音も、Pさんにかかったらコミカルな効果音。思わず、大人っぽくしてた表情が崩れて、笑ってしまった。

 

 いつもと違う服装なのに、そんなところはいつものまま。からかわれやすい、私たちのプロデューサーのままだ。

 

 けど、私は彼の姿を見ながら、少しだけ胸の奥が高鳴る。事務所でも、仕事場でも、もしくはオフの時でも。よほどのことがない限り、スーツ姿のプロデューサーさん。それが、今、夏の陽ざしに照らされた水着姿で目の前にいる。

 

「ふーん」

 

「な、なに?」

 

 薄いパーカーを羽織って、腰から下は短パン。もう少しお腹が出ているかも、と予想していたけど、ちゃんと痩せてて、腹筋も割れているのは良いね。

 

 奏に報告してあげないと。去年のPさんダイエット計画、大成功だって。

 

 アイドルやっていると、皆、水着を着る機会はあるし、それが男の人に人気だっていうのも分かるけど、実は女の子も、男の人の水着姿にドキドキしたりするってこと、知らない人は多いみたい。

 

 それは、目の前のPさんも同じで、

 

「水着も似合ってるよ、Pさん♪」

 

 わりと本音を言ってあげると、Pさんは耳まで真っ赤になってしまった。

 

 

 

 白い砂浜。群青の空。碧い海。そこに吹き抜ける夏風。

 

 あの部屋で夢見ていた真夏のビーチは、アイドルになってからは身近になったけど、今でも変わらず特別だ。私の横で真っ赤になっている魔法使いさんが、連れ出してくれて、たくさんの思い出をつくった場所だから。

 

 この青色を見るたびに、女の子らしいワクワクが溢れてくる。でも今日は少しだけ、違うドキドキが隠れていたり。

 

 だって、この広いビーチに、人は二人だけ。Pさんと私だけ。

 

 カメラマンさんも、大勢のスタッフさんも。奏も、凛も、奈緒も、だれもいない。夏の海に水着姿で二人きりなんだから、デートって思ってもいいはず。

 

「よっ、と!」

 

 そんなチャンスにのんびりするのも、もったいない。まだ顔の赤さが取れないPさんと目線を合わせるように、私も立ち上がってみる。ずっと寝ころんでいたから、ちょっと体が重いかな。水で遊ぶならちゃんと準備運動しないと。

 

 体を前に、後ろに傾けて。それが終わったら、脚を伸ばして。

 

 ちょっと刺激的? 大丈夫、狙い通りだから。

 

「ほら、Pさんも! 一緒に!」

 

「あ、ああ」

 

 ふふっ、と屈伸しながら緩んだ顔を隠す。

 

 今、私のこと、ちゃんと見惚れてくれてたよね?

 

 夏らしいカラフルなビキニ。もちろん、体のメンテナンスはばっちりで、今の私に隙は無い。

 

 現役アイドルの水着姿なんだから、見る人みんなを魅了できないとね。特に、Pさん相手なんだから、ドキドキさせられなかったら、自信なくなっちゃうもん。

 

 それに今日の水着には秘密がある。

 

(だーれかさんの好み)

 

 彼が選んだ水着。

 

 北条加蓮の仕事として、私に一番似合ってると思って着せてくれたもの。

 

 昨日、この場所で私たちはグラビア撮影をした。少し時期は早かったけど、ちょうど気温は暑いくらい。だから私とプロデューサーさんは、事務所所有のビーチでてきぱきとお仕事をした。

 

 その次の日をオフにしてたのは、私とちひろさんの内緒話だったけど、ね。

 

 あとは、スタッフさん達も昨日のうちに帰って、オフをそろえた……、そろえてもらった私たちだけでプライベートを満喫中! ちゃんと水着は衣装さんから、もう一着買っていたから、準備も完璧。そのことを教えた時のPさんの顔は、今思い出しても緩んでしまうくらいに面白くてかわいかった。

 

 そうしてつくった時間。私のアイドルとしての水着が、完全プライベートのビーチにいる。その組み合わせがどんな効果を生んだかは、Pさんを見たら丸わかり。

 

「あれー? Pさん、どうしたの? いつもより、ぼーっとしてるけど?」

 

 準備運動は終わったのに、Pさんは気恥ずかしそうな顔で、私へ視線を送ったまま。それは、望んだとおりの反応だった。

 

(大成功♪ いつもは水着を見ても、Pさん、そんなにリアクションくれないもんね)

 

 からかわれ上手のPさんは、プロ意識がしっかりしてる。アイドルにしてもらってから、水着グラビアも何度も撮ったけど、撮影現場では、真剣に私たちへアドバイスを貰えてきた。信頼が置ける頼もしい姿だと思う。下品に鼻の下を伸ばされるよりは、ぜんぜん良いし、好印象。

 

 だけど、オフの日にまで、同じ態度でいられるのは、なんか嫌だ。

 

(前に事務所のプールで水泳練習を頼んだ時なんて、一瞬見惚れてくれたけど、その後はコーチモードで、水着には興味なさそうにしてたよね?)

 

 ただでさえ、私と比べたら大人っぽい奏も傍にいるんだから、こういう時に女の子として意識してもらわないと。何かを期待している訳じゃないけれど、そこは負けたくない私の意地だ。

 

「よしっ! 準備運動もできたし、Pさん、なにする?」

 

「なにって?」

 

「Pさんもお休みは久しぶりでしょ? ちゃんとこのビーチを満喫しないと。ゴムボールも持ってきたし、ビーチボールとかどう?」

 

 明るく快活に。茜みたいな元気の良さで言うと、Pさんも乗っかりやすい。

 

 その狙い通りにPさんも楽しそうに頷く。私と見つめあって寝そべっているよりは意識しないで楽そうだ。……けど、

 

「あ! その前に日焼け止めしないと」

 

「っ!?」

 

「Pさん、背中お願いしても、いい?」

 

 演技もだいぶうまくなった私。ギャップって、良いでしょ?

 

 子どもみたいに明るくして、貴方の気が緩んだところで妖艶に。色っぽさをいつも出してる奏とは違う、私だけの武器。

 

 それがトドメだったみたいで、Pさんは諦めたように苦笑いしながら、私のお願いを聞いてくれた。ちょっとだけ仕事の時とは違う、プライベートのPさんとして。

 

 

 

 ただ楽しい時間が続いてく。

 

 誰もいないから、騒いだり、駆けまわったりしても大丈夫。他の所で、そんな風に私が遊んでいたら、ファンのみんなにも気づかれちゃうけど、ここなら自由で開放感いっぱい。

 

(こういうの、めったにないよね)

 

 私が毎日を楽しめるようになったのは、Pさんと出会って、アイドルになってから。アイドルの仲間と海で撮影をしたり、ちょっとの自由時間を楽しむことはあったけど、プライベートの海で遊ぶことは少なかったと思う。これでも芸能人だから、周囲を騒がせないようにしないといけない。

 

 でも今日は、ビーチバレーをしたり、砂に大きな文字を書いたり、お昼にはスイカ割りをしたり、もちろん、海に浮き輪を浮かべたり。

 

 はしゃいで笑って、楽しんで。思い出が私の中に満たされていく。凛は私のこと『エネルギッシュ』って言うことあるけど、そのエネルギーの源はこれ。楽しんだ分だけ、私はどんどん先へ進む勇気を貰える。

 

 そんな一日は、あっという間に過ぎていって。

 

「あー! 楽しかったー!!」

 

 光が少し陰り始めた砂浜で、私は大声で叫んでいた。肌寒くなってきたから、上着を羽織って、でも、足元はまだひんやりな海に浸して。体から出てくる熱を冷ましながら歩く私の隣は、Pさんがエスコート。雰囲気は悪くない。

 

「満足した?」

 

「まんぞくまんぞく♪ でも、夏はまだ始まったばっかりだし、またこうやって遊びたいなー。今度は、事務所のみんなと一緒にね」

 

「了解、ちゃんとスケジュール調整できるようにしておくよ」

 

「さっすがPさん、仕事できる人!」

 

 嬉しいな。楽しいな。私の幸せを守ってくれる人がいる。この先の未来にたくさんの思い出が待ってる。

 

 あとはもう少しだけ、Pさんにも大人だって思ってもらいたいけど、どれだけ効果あったかな? 最後は、子どもみたいにはしゃぎ回っちゃったから。

 

 一日を思い返しながら上を見上げた時だった。

 

「きゃっ!?」

 

「加蓮!?」

 

 足が滑った。水に濡れた砂が柔らかくて、大きな一歩で地面がほぐれたから。

 

 このまま転んでも、きっと怪我はしない。それはビーチだから、安心。だけど、この一日の最後が、砂だらけで汚れちゃうのは、いやだな。

 

 スローモーションみたいにゆっくりと体が傾く感覚の中で、私がそんなことをぼんやり考えていたら、

 

「っ!!」

 

 背中と腰と。私を支えてくれる固くて暖かい感覚。

 

 目を開けたら、Pさんが私を真剣に見下ろしていて、それから顔も近くて。

 

(ああ、ずるいな……)

 

 今日は私がドキドキさせる日だったのに。

 

 大人っぽい私の魅力に気づいてもらって、もっと夢中になってもらうはずだったのに。

 

「加蓮、大丈夫?」

 

「……うん、ありがと」

 

 ドキドキしているのは私で、こんなに優しくしてもらえるなら、まだ子ども扱いでもいいかなって思っちゃった。

 

 夕焼けにも感謝しないと。

 

 こんなに赤くなった顔、Pさんに見せられないから。




デレステの夏に現れた加蓮の水着、色々と衝撃的でした。甘すぎる。可愛すぎる。

どうか、加蓮に清き一票をお願いいたします!


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7月20日「ハンバーガーの日」

総選挙最終日まで300日な7月20日。



 7月20日。世間の例にもれず、私の高校も休みに入って、夏のアイドル活動も活気を帯び始めている。

 

 私個人としては、そんな熱に浮かされるような、騒がしいお仕事も嫌いじゃないけれど、こうして時折はのんびり、風に身を任せて歩くのも好き。隣に、信頼と親愛を寄せる相手がいればなおさらに。

 

「この間おススメした映画、ちゃんと見てくれた?」

 

「奏のおススメだからね、ばっちり」

 

「ふふ、ありがとう。それで? だったらちゃんと感想を教えてくれないと、ね」

 

 都会の雑踏から少し離れた散歩道。

 

 午前のお仕事を終えた私とPさんは、そこをゆっくりと歩きながら、ランチ場所を探していた。午後の予定は雑誌の取材だけど、時間はまだある。だったら慌てず、二人の時間を楽しむのが有意義。

 

 そんな私の心境を知ってるのか、知らないのか。多分、気づいていて気づかないふりだと思うけど、Pさんは特に緊張する様子もなく、頭をうんうんとひねらせながら映画の感想を言う。

 

「少し難しかったな。あの少年は幽霊だったのか、それとも、主人公が見ているもの全てが幻覚だったのか。

 ほら、ラストの病院のシーン。レビュー見たら、作中の日付が違うとか、普通の病院じゃあり得ないとか。そういう考察も書かれていて」

 

「あなたは気づいていたの?」

 

「いくつかは。でも全部は無理だったな」

 

 ああ今、彼が思い浮かべているシーンが、私の頭の中にもある。

 

 ロマンチックすぎる考え方かもしれないけれど、心と心が通じ合っている感覚に似ている。同じことを考えて、同じ視界を得ていることが、彼との親しさの証にも思える。きっと、映画がデートスポットとして有名なのも、そんな心の作用が関係するのでしょうね。

 

 そのことに上機嫌になりながら、けれど、彼と同じように感情は隠して、私は話を続ける。もっともっと、彼の考えと私の気持ちをシンクロさせたくて。

 

「ああいうトリックは、監督のお得意だから。作中のいたるところに配置されていたはずよ」

 

「やっぱりかぁ。そういう奏は? よく見てると思うから、考えとか、教えてくれたら嬉しいんだけど」

 

「洋画を読み解くには、聖書だったり、民話の知識も必要なの。……でも、言葉だけだと分かりにくいでしょうから」

 

 良いことを思いついて、彼の優しい顔を見つめる。

 

 私の眼が、とびきり魅力的に映るように。

 

「今度、一緒に観に行かない? あの映画」

 

 さて、Pさんは誘いにかかってくれるかしら? 私の予想では五分五分くらい。でも、こうして期待の色を籠めれば。

 

「……そうだな。うん、お願いするよ。奏と久しぶりに映画館に行くのも楽しみだ」

 

 ふふ。

 

「何か月ぶりかしら? 事務所では一緒に観ているけれど」

 

「撮影とかライブとか忙しかったからなー、もう三か月くらいだと思う。あ、そういえば、奏に新しい映画出演の話来てるぞ」

 

 思い出したようにPさんが伝えてくる。映画のお仕事。それはアイドルとしてのステップアップや私の興味、得意を考えたら、願ってもない話。だけれど、この間に出演した作品のことを思いだしたら、少し背筋が固くなってしまった。

 

 私が顔から笑顔を消したのを見て、Pさんは慌てて手を横に振る。

 

「今度はサメ映画じゃないから!」

 

「そう願いたいものね」

 

 美波達と撮影した、あの映画のことは記憶に新しい。

 

 色々と映像作品に出て、端役も悪の幹部も、主人公も演じた。でも、ある意味で『らしい』スタッフと作品に出会ったのはあの件くらい。お仕事だし、今は良い経験だったと思うけど、もう一度、あの映画に出たいかと言われれば、遠慮したい。プロらしくないと言われても、私にだって本音はある。

 

 ああいうのは時折の息抜きに鑑賞するくらいが、私にとっての気楽な向き合い方。

 

 それじゃあ、次のお仕事はどうなるかな。

 

「……」

 

「か、奏?」

 

 探るようにPさんの眼へと視線を合わせる。

 

 いつ見ても、子どもっぽさと大人らしさが同居した眼。彼自身も私のこと、そういう風に言っているけれど、私が彼と同い年になった時に、この目の色を出せるかと言えば、難しいかもしれない。大人っぽい高校生が大人になれば、ただの大人だから。

 

 それで、その子どもみたいに無邪気で、でも大人なプロデューサーの眼は――、

 

「ふふ♪ 話をちゃんと聞くの、楽しみにしてるわ」

 

 気が進まない類の映画じゃなさそうで安心。むしろ、Pさんはかなり面白がっている。びっくり箱の中身を早く開けたい子どもか、それともパーティーの準備を進めている父親か。私が一番輝ける舞台を用意してくれたと、そんな予感がある。

 

 けれど、期待が溢れた時に、ふと頭の片隅をよぎったことがあった。

 

(……出たい仕事、やりたい仕事)

 

 考えてみると、私は仕事に対して嫌だと思ったことはあまりない。

 

 色々な映画も見て、世の中はそんなに夢だらけじゃないとも知ってる。だから、私にとって、許容のハードルは高くないもの。

 

(けれど)

 

 大人っぽく見られたり、この体つきであったり。それは他のアイドル仲間にも言えるけれど、安売りしようとすれば簡単のはず。この間の監督が、そんな要素を求めて私たちを起用したように。

 

 あの時も、プロデューサーさんが止めてくれたから、そこまでおかしなことにならなかったけれど。

 

(きっと、知らないところで、私たちは守られているのでしょうね)

 

 前にPさんが言ってくれたように大人の世界から。プロダクションに、スタッフさんに、そして何より、プロデューサーさんが。それでいて、気づかせてもくれないし、縛るつもりもない。私たちが望むことを手伝ってくれる。

 

 それは私にとって――。

 

「……ねえ、プロデューサーさん。食べたいものがあるの」

 

 考えながら、プロデューサーさんに伝える。これからすることは、私らしくないけれど、この人は否定しないだろうと思いながら。

 

 

 

 それから少しして、私たちは公園のベンチに並んで座っていた。

 

 おしゃれな喫茶店でも、ファミレスでも、ランチタイムのレストランでもなく。ご近所さんが遊びにやってくるくらいの普通の公園。世間が知る『速水奏』のイメージとは離れた場所。

 

(それに、これも)

 

 私が抱えていた紙袋も、きっと、ファンのみんなにとっては意外だと思う。加蓮はお仕事でもそういうの隠さないし、私も時々食べるけれど、ね。

 

 再生紙の厚ぼったい感触を探り分けて取り出した、まだ熱が残った包み紙。それは、誰もが知ってるジャンクフードの王様、ハンバーガー。

 

「今日はどうして、それを選んだんだ? ちょっとしたレストランとかもあったのに」

 

 隣で同じようにハンバーガーの包みをほどいているPさんが尋ねてくる。付き合い長いから意外とは思っていないけれど、気にはなるみたい。

 

「今日はこっちの気分だったの。それに、こういう時に奢ってくれるの、感謝してるけれど、お財布の中身とも相談しないとダメよ?」

 

「うっ!」

 

「加蓮と私と、ランチにディナーに、けっこうな出費でしょうから」

 

「……二人は気にしないでいいんだけどな」

 

 ぽそりと、Pさんの声は、私に聞かせないつもりだったのでしょうけど、夏風が私の耳に運んでくれた。

 

(ほんと、いじらしい)

 

 からかったり、いじったり、それでご飯を奢ってくれて一日が終わるっていうパターン。その時、Pさんは財布のひもを緩める時に悔しそうな表情したりするのに、本音ではそれに頓着していない。私たちのこと最優先。

 

(このハンバーガーもそう。私たちのやりたいこと、好きなこと、ちゃんとわかって、その通りに)

 

 私がテイクアウトにして、公園に誘った時も、ちょっとは驚いていたけれど、やりたいようにさせてくれた。

 

 そして、

 

「いただきます。……っ」

 

 私にとっては少し冒険。口元は隠すけれど、大きく開いて、がぶりとハンバーガーへ。口の中でケチャップと、みずみずしくはないレタスとピクルスと、お肉の味が広がる。

 

 アイドルとしては褒められた画じゃなくても、そんな風に食べてみたいと思うのも大人になっていない私の本当。唯一つの決まった方法じゃなくて、迷って試してを繰り返す。

 

 そんな私を見るPさんは、一瞬だけあっけに取られて、その後は微笑ましそうに苦笑いしながら、私に倣って大きな一口。

 

 そうして二人で食事を終えた時には、彼の口には少しのケチャップがついていた。

 

「Pさん、子どもみたい♪」

 

「そういう奏も」

 

 Pさんがすまし顔で唇を指さす。キスのお誘いなら喜んで、だけど、これは私もっていうサインね。ケチャップがついちゃった年相応の顔が、今の私。

 

 こんな私の顔を見る人は、きっといないでしょうし、増やすつもりもないけれど。この人には見せてあげたいとも思う。迷って、悩んでを許してくれて、挑戦させてくれる。私の道のりを支えてくれる人にだけは。

 

『貴方のおかげで、私は楽しく歩けています』

 

 って伝えられるように。




ジャンクフードのイメージは加蓮が強いですけれど、奏もPの前ではそんな無防備な姿を見せてくれるかも?

どうか、奏に清き一票をお願いいたします!


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8月1日「島の日」

総選挙最終日まで288日な8月1日。



「ねえ……起きて?」

 

「すぅ、すぅ」

 

「……もう、寝つきが良いのはけっこうだけど」

 

「むぅ……」

 

 真っ暗な視界の中で意識が浮上していく。最初はボンヤリ聞こえていた、奏の声が、ちかく、ちかく――。それでも、目覚めにはならない。私の中には多忙により育成された睡眠欲という悪魔がいる。

 

 彼が誘うのだ。さあ、眠るがいい。起きれば休む暇などないぞ、と。

 

 だから、すまない。奏の顔をした、目覚めの天使よ。

 

 私はもう少し――。

 

「しょうがないわね……」

 

 

 

「起きないと、キスしちゃうよ?」

 

 

 

 

「っ!?」

 

 細く艶やかな言葉と耳にかけられた吐息。それをもって悪魔は滅び、私は飛び起きた。

 

「えっ!? えっ!?」

 

「おはよう、Pさん。ちゃんと起きれて偉いわ」

 

「……かなで?」

 

「うん、奏よ。……ふふ、少し残念だったかもね。あなた、すごく無防備で、本気でキスしたくなったもの」

 

 などと、いつものように挑発的なことを言う奏は置いておき、私は急いで周りを確認する。首を動かそうとしたら、痛みが奔る。少し寝違えてしまったようだ。肩も痛い。ぼんやりしたまま体を起こそうとするも、それは敵わない。元より、私の体は座った体勢だったから。

 

「あ、そっか……」

 

 ようやく、自分がいる場所を思い出す。

 

 ゴウっという特有のくぐもった音が響き渡る、狭く細長い室内。ここは飛行機の中で、私たち二人は移動の途中だった。目的地へ向けた二時間ばかりのフライトだが、私は離陸した直ぐ後には眠りに落ちて。

 

 頭上を見ると、既にシートベルトの装着ランプが点滅している。

 

「すぐにランディングするそうよ? アナウンスを聞いて起きないなら、そのままでも良かったけど。Pさん、気圧で耳が痛くなるって言ってたから。はい」

 

 奏が苦笑いしながら細い手を伸ばしてくる。手のひらに乗せられていたのはのど飴。

 

 ほんと、気遣いが上手だな、奏。共演者からの評価が高いのも納得。

 

 ただ、

 

「ありがとう、奏」

 

「どういたしまして。

 せっかくの二人きりなのに、私を放置したお仕置きは、しっかりするから、お楽しみに♪」

 

 本気九割、冗談一割な眼は、止めてくれ。

 

 私にしかしない? 私にもしないで。

 

 

 

 そうこうしているうちに、飛行機は無事、空港に到着した。

 

 手荷物を受け取った私たちが空港を出ると、出迎えてくれるのは柔らかな暑い風。

 

 東京よりも、私たちを包む湿度も高いけれど、それは決して不快じゃなく穏やかに。同じ日本であるのに、都会の忙しさに慣れた私にとっては、異国に来たような錯覚さえ与えてくる。

 

 そして奏は、

 

「んっ、なつかしい……」

 

 白いワンピースで風を受けながら、両手を広げていた。

 

 MVの一シーンになりそうな、女神の休日とでも表現できそうな。そんな景色に目を奪われながら、私は奏に言う。

 

「……来てよかったな」

 

「ええ、本当に。ありがとう、Pさん。また、ここに連れ出してくれて」

 

 奏は満面の笑顔を浮かべてくれた。

 

 実はこの沖縄の離島を奏と訪れるのは二度目だ。

 

 一度目は忘れもしない、たった一人へ向けたファン感謝祭。遠い場所から奏に届いたファンレター。それを送ってくれたファンのために、奏はこの島を訪れることを望み、小さなサイン会と、穏やかな空気の中で過ごした日のことは、思い出深いものとなった。

 

 その地を今回、再び訪れることになったのだが、

 

「島の観光PRだから、前よりものんびりできると思うぞ」

 

 この訪問も仕事の一環。村役場の人から、島の紹介に協力してほしいと頼まれたのだ。

 

 前回のことは、奏の希望もあって殊更に大きく喧伝しなかった。奏はこの島の穏やかさを気に入っていたし、それが乱されるのは不本意だったから。

 

 ただ、人の口は止められないもので、口コミで、奏のファンへの献身は話題になり、奏自身も島の思い出をトーク番組で話す機会があった。結果、島を訪れる観光客が増えたのだという。

 

 自然にあふれた離島と言っても、人が住み、暮らしている場所。競争を皆が求めないとしても、忘れられてしまったら、人は生きていけない。島の魅力を広めることは大切なこと。

 

 それが島を苛む事になりそうなら、奏も辞退したろうが、村役場の方は島の優しい雰囲気こそをアピールしたいって熱弁したため、奏も快くオファーを受けることになった。

 

「それで? 私はのんびりと島で過ごして、それでカメラマンさんに撮ってもらったり、観光体験をすればいいのよね?」

 

「あと、この間と同じでサイン会も。……あの子も来てくれるみたいだよ」

 

「ふふ、嬉しいわね」

 

 この島と奏を結び付けてくれたファンの子は、今も変わらず、奏を好きでいてくれるようだ。

 

 

 

 空港から、役場の方が用意してくれたホテルに移り、少し休憩して。そのあとすぐに奏の観光体験は始まった。ただ、すぐにといっても、都会の『すぐ』のような慌ただしさはなく、あくまでゆったりと。

 

 奏は案内されながら、紺碧の海を眺める砂浜に足跡を残し、シーサーの焼き窯を見学し、特産の果物に舌鼓を打ち。

 

 他にも――

 

「っ! ……来たわ」

 

 海へ乗り出したボートの上で、奏は握った釣り竿に力をこめていた。竿先は大きくしなりながら、水中へと引き寄せられ、離れたところから見守る私にも、かかった魚の大きさを伝えてくる。

 

「ふっ! ……これ、相当大きいわね!」

 

 懸命に針を合わせて、巻き上げて。

 

 そんな奏の姿に、カメラマンや案内役の方は不安げだが、私は心配していなかった。奏は細腕だが、毎日レッスンをこなした現役のアイドル。そこらの魚に負けることはない。

 

 そして数分後には、

 

「ふふっ、綺麗な魚!」

 

 奏は大きな真紅色の魚を釣り上げてみせた。それはいつか、奏が纏ったドレスの色にも似て。本当の海にも、これほど色鮮やかな魚がいるのかと、私達に感慨を与えてくれた。

 

 ちなみに、その魚はこの海域で一番の高級魚らしく、我らが夕飯に綺麗に並ぶことになる。ついでに、私へと大量の泡盛を飲ませ、奏に恥ずかしい写真を撮られる原因とも。

 

 美味しいのが悪いんだ、魚も、泡盛も。だからそれを加蓮に見せるのは、やめてくれ、お願い。

 

 一晩が明けても、まだまだ楽しみは続く。

 

 森林をハイキングし、

 

「ここ、藍子が好きそうね」

 

「高森さんパワーが合わさったら、どれだけゆるふわになるんだ」

 

「時間が止まっちゃうかも♪」

 

 スキューバダイビングも体験、

 

『Pさん、見て。カメが泳いでいるわ』

 

『人懐っこいなー、この子。触らせてくれるなんて』

 

 浜辺に上がったら、ダイビングスーツを脱いだ奏にドキリとさせられ、

 

「あとでじっくり見せてあげても、いいけど?」

 

「……風邪ひくから、早く着替えなさい」

 

「あら。もったいないことするわね」

 

 夜はスタッフさんと打ち上げを兼ねたバーベキューを行った。黒豚はどうしてこんなに美味しいのか。そして泡盛も。

 

「Pさん、こっち来てから食べてばっかり。また太っちゃうわよ?」

 

「美味しいから大丈夫!」

 

「今年もフルマラソン決定ね……」

 

 最後は奏に少し呆れられながら、私の苦難が決定したりと、盛沢山な一日を過ごした。

 

 

 

 そして、翌朝。まだ、太陽が昇ったばかりの時間に。

 

「おはよう、Pさん」

 

「奏も、おはよう」

 

 何となく、早くに目が覚めて、ホテルの前に広がる砂浜へ。頭をよぎっていた予感は正しく、そこでは奏が穏やかな涼風に髪を揺らしながら、遠くの海を見つめていた。

 

「……」

 

「……」

 

 私も、彼女の隣に腰を下ろして。ただ、記憶に焼き付けるように白波の音と、夜明けと、香りへと感覚を傾ける。

 

 たったの二日間。けれど、もっと長く、島で過ごした気がする。たくさんのことを経験したのに、島は変わらず、のんびりと優しかった。

 

 そうして数分経った頃、奏が不意に口を開く。

 

「前に言ったこと、覚えてる? すべてを忘れて、この島で貴方と二人。そんな生活も悪くないって」

 

「忘れるわけがないよ」

 

 今の生活を捨てて。それは私にはまだ難しいことだが、奏と過ごす未来予想図は魅力的だった。そう告げた奏の、切なそうな瞳も全部覚えている。

 

 奏は静かに、水平線の向こうを見ながら言う。

 

「もしかしたらって……そう思ってた。この島に来て、あの時のように貴方と二人でいたら。胸の奥からあふれるかもって。心のままに、捨ててしまうかもしれないって。

 この島に来る前は、そう思っていたの」

 

「うん」

 

「でも、不思議ね。ここで過ごした二日間は前とは色が違った。

 たくさんの人が私たちを迎えてくれて、思い出をつなげてくれて。私も普通の女の子みたいに居られたけれど。

 ……この島と私をつなげてくれたのは、アイドルとしての私と、ファンに、貴方」

 

 すべてを捨てていたら、ここにはいなかった、と。

 

「この静かさを求める私もいる。私が得てきた経験と想いを捨てては、ここに居られない。そう感じる私もいる。

 ……きっと、まだ結論は出せないのでしょうね。思わせぶりなことを言っても、まだまだと、先を望むのも私自身だから」

 

 遠くへと、独り言う奏へ、私は何も助言することはできない。奏自身が感じる通り、どんな未来を望むかは、奏がこれから決めていくこと。まだ彼女は道の半ばにあるから。

 

「……けど」

 

「うん」

 

「奏が決める時、それがどんな道でも。私は傍にいて、背中を押すよ」

 

 プロデューサーとしても、奏のファンとしても、そして、奏を大切に思う人間としても。

 

 それを聞いた奏はなにを思ったのか、そこまでは私には分からない。けれど、奏は噛みしめるように一時、目を閉じて。それが開かれた時には、奏は楽しそうに笑った。

 

「でも、その時はまだまだ先ね。……まずは、私をここへ呼んでくれた素敵なファンに喜んでもらわないと♪」

 

 朝焼けに照らされながら立ち上がる奏は、私の手を取って先導するように歩みを進める。

 

 はるか先は、私にも奏にも見通せない。それでも、今の一歩一歩が、輝く未来に繋がっていると、奏には分かっているようだった。




奏と海があれほど似合うのは、何故なのか。

デレステ四週目SSR、画になるんだよな……


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8月24日「愛酒の日」

総選挙結果発表まで288日な8月24日。

選出したアイドルは、私の趣味です。


 妙な緊張感が、室内を支配していた。

 

 一歩対応を間違えたら、地獄の底まで一直線という危機感。私の背筋を伝いながら、全身へ伝播するそれが、今すぐに回れ右をして部屋を出て行けと叫んでいる。しかしながら、私の良心とプロデューサーとしての使命感が、何とかしなければと訴え、両足を地面に縫い付けて動かさない。

 

 石のように表情を固めていると、真横からふにゃふにゃ声が絡みついてくる。

 

「ねーえー、Pさぁーん! 私、いっつも言いたいことがあるんだけど!」

 

 横を見るのも怖い。

 

 顔を真っ赤にした加蓮が、私の首に腕を巻きつけ、しだれかかりながら大声を発しているから。

 

 使命感と良心の前に、加蓮が原因で動けないのでは、と? いわぬが華だ。そういうのは。

 

 私は加蓮をなだめるため、落ち着きを装って尋ねる。

 

「か、加蓮? 言いたいことって?」

 

「ん? んー? ききたい? ねえ、聞きたい? Pさん?」

 

 この時点で聞きたくないんだけど、そうしないと離してくれなさそうだからなぁ。

 

 私が頷くと、加蓮は満足げにほころばせた顔を、更に耳元に近づけてくる。そうなると、自然、加蓮の柔らかさも急接近し、私の心臓音は爆音と化した。

 

 加蓮から漏れる、温かい吐息が、私の耳を撫でて――

 

「どーしてPさんは! 私に過保護なのー!!」

 

「ぎゃーっ!?」

 

 大声! でかい! 耳が割れる!!

 

 ついでにぐんぐんと加蓮の腕が振り回され、私の頭部もつられ、ぐるぐると動いちゃいけない挙動をし始める。

 

「昔よりマシだけど! わがまま聞いてくれるけど!! 今もすーぐ心配するし! レッスンもまだまだできるのにストップかけるし!! 私だって、もう、自分のことは面倒みれるのー!!」

 

「わーかった! わかったから!! ストップ! ストップ!!」

 

「……でも」

 

 今度はいきなり、声は小さく、微笑ましいと思える仕草で加蓮が呟く。

 

「えへへー。そうやって、やさしくしてくれるのー、すきだよー」

 

「……」

 

 ほんとさぁ。そろそろ限界なんだけど、理性がその。

 

 感情抑制という物が消え去っている加蓮から私自身を救うため、室内を見渡す。そこには奏以外に二人のアイドルもいるのだが、いずれも救いの手にはならなさそう。

 

「うふふ! どーしたのー、かれんちゃーん! わぁー、プロデューサーさんにだきついてるの、いいなー。わたしも、プロデューサーさんと、もっとちかくに居たいのに。あのひと、すぐににげちゃうのー。

 でもねー、しごとだと、すっごくセクシーな衣装とかもってきたり! どうなのかな? わたしのこと、きにしてくれてるのかなー? してくれてるよねー、うふふふ」

 

 一人目、いつも落ち着き、女神のように優しい新田さん。

 

 しかし、彼女はソファにもたれかかったまま、加蓮へ話しかけ続けている。顔が上気し、襟元が非常に色っぽいが、向こうの担当Pの反応が怖いので、なるべく視界にいれたくない。

 

 新田さんが笑い上戸とは。

 

 ああ、あと、新田さんの担当に関しては心配することはない。ヤツは確かに紳士だが、その過保護っぷりは私以上。アナスタシアさんと新田さんコンビを前に既に陥落している。

 

 そして、

 

「うっ、ひっく! ……こんな、失敗をしてしまうなんて、私はやはり、未熟です。プロデューサーさんに、しっかりとお礼をいうことができませんでした。詩にすれば、興味をもっていただけると。そう思ったのに……」

 

 もう一人、文学少女の鷺沢さんは顔を俯け、袖で涙をぬぐっている。

 

 こちらは泣き上戸。ぽたぽたと流れた涙が、豊かな胸元を湿らせており、だいぶ厄介な景色だ。

 

 新田さん、鷺沢さん、そしてうちの加蓮も。全員が全員、見ての通りに酔っぱらっている。どうしてこうなった、と考えるのは私の日課だが、今日はいつにもましてひどい。

 

(原因は……)

 

 心当たりは一つ。

 

 皆の傍に落ちている銀色の包み紙と、そこに入っていたチョコレートケーキ。

 

 もっと言えば、それを持ってきた、あのダジャレ女神にあった。

 

「たかがきさーん!!!!」

 

 

 

 一時間ほど前、ちひろさんに書類を提出した私が戻ってくると、部屋の中は賑やかになっていた。

 

「あ、おかえりー」

 

 加蓮と。

 

「おかえりなさい」

 

 奏と。

 

「お邪魔してます!」

 

「……お邪魔しています」

 

 新田さんと鷺沢さんが楽し気に机を囲んでいたのだ。

 

 この四人は特段に珍しい組み合わせではない。奏は新田さんとユニット活動をしているし、同じくユニットを組んでいる鷺沢さんは奏と同期入所に当たる。加蓮にとっても、鷺沢さんとは総選挙関連の仕事で一緒になることが多い。

 

 さて、そんな彼女たちが今日は何しているのか、と考えると、新田さんの手元にあるティーカップが目に入った。

 

「いらっしゃい。今日は、みんなでお茶会?」

 

「はい! アーニャちゃんがロシアの紅茶を持ってきてくれて。それがすごく美味しかったから、おすそ分けに。……お仕事、お邪魔になりませんか?」

 

「ああ、私にはお気遣いなく。この後、色んなところと打ち合わせ尽くめだから」

 

「それじゃあ、その前にPさんも一杯飲んでいかない? 紅茶、ちょっと変わった味だけど、美味しいよ」

 

「そうしたいのは山々なんだけどな……。残念だけど、すぐに行かないと」

 

 誘ってくれた加蓮に謝りつつ、私は荷物を手に外へ出ようとする。午後のお茶会なんて、これまで縁がなかったな等と考えながら。ドアノブを掴んだ私は、そこでとあることを思い出した。

 

「あ! 冷蔵庫にお菓子入ってるから、好きに食べていいよ」

 

 アイドルで忙しい彼女たちには、素敵なティータイムを過ごしてもらいたい。紅茶に甘いスイーツが添えられれば、さぞ美味しいだろう、と。

 

 今朝、高垣さんがお土産にとくれたものが、この場にちょうど良いと思ってしまった。

 

 思ってしまった。

 

 それが、こんな事態を招くとも知らず。

 

 

 

 まさか、外国産の甘い甘いチョコケーキが、

 

「ウィスキー入りなんて……!!」

 

 生地とチョコにウィスキーを染み込ませた大人向けのものだった。もちろん、未成年だって食べることは禁じられておらず、罰もなし。ただ、それでもお酒に弱い子なら酔っぱらってしまうくらいに、酒の濃度は高かったよう。

 

 結果、こうして酔っ払いアイドルが出来上がってしまった。

 

「加蓮! 離して! こら!」

 

「いーやーだー!」

 

「ほんとに酔っぱらってるんだよな!? これで演技だったらさすがに怒るぞ!?」

 

 速やかに場を収集させたいんだから!

 

 確か、加蓮も含めて、彼女らは今日の仕事もレッスンも終えていた。今後に支障はない。お菓子はお菓子。慣れてないから酔っぱらっただけで、酒が抜けるのも早いはず。まずは落ち着かせて、水でも飲ませれば、万事解決。

 

 しかし、加蓮一人に自由を奪われている私が、残る二人を対処できるわけもなく、このままでは泥沼は間違いない。最後の希望は、この騒ぎにどうしてか沈黙を保ち、静かにソファへ座っている奏だけ。

 

 私は大声で奏へ呼びかける。

 

「か、かなで! 助けて! ヘルプ!!」

 

「……」

 

 けれども、奏は変わらず無言。遠目から見て、奏は顔を赤らめたり、頭がフラフラする様子もなし。見た目だけはいつものクールビューティ速水奏のままなのに、その沈黙が恐ろしく感じる。だが、ここで諦め、大騒動にするわけにもいかず。

 

「奏ー! 助けて―!!」

 

 ないふり構わない必死の叫び。

 

 するとようやく、奏はすくっと立ち上がり、ゆっくりと私の方へ。

 

「加蓮! ほらっ、奏が来たから! もう終わり!」

 

「かなでー? かなでだったら、いいよー、Pさんのここ、空いてるからー」

 

 ええい、この酔っ払い!! 成人祝いの時は、ちゃんと酒量を見張るからな!!

 

 そんな動きにも奏は静かなまま。とうとう私の目の前まで来ると、うつむいた、小さく綺麗な顔をゆっくりと上げて、

 

「ふふ、素敵ね……♪」

 

「奏もかよ!?」

 

 顔色は変わってない。見た目だけなら素面同然。けれど、眼だ。奏の宝石みたいに綺麗な眼。それが潤んで揺らめいて、普段の二倍か三倍か、いつも以上に色香が増している。

 

 それに近づいたからこそ分かる。奏が纏っている雰囲気も、湿っぽく、気絶しそうなほどの陶酔を与えてきた。

 

「ねえ、もっとよく見せて? 貴方の、かわいい照れた顔を……」

 

 奏の手が頬へと伸ばされ、そろりと撫で上げられると、全身に鳥肌が立つ。

 

 この逃げ場のない状況で、私もとうとう万事休すかと、年貢の納め時化と覚悟を決めようとした時だった。

 

「あー、ずるい! 私のこと、ちゃんと見てよ!!」

 

 加蓮が奏の手を引きはがした。

 

「……加蓮、譲ってくれるんじゃないの?」

 

「ゆずる……? そんなわけないでしょ? 場所があいてるって、だけ。かなでにもー、わたさないんだからー!」

 

「ふふ、ふふふふ。やっぱり先に貴女と決着つけないといけないのね、加蓮」

 

 潮目が変わるとは、このことだ。二人は互いに微笑みながら、けれど周りの空気はバチバチと痺れている。まさにそれは、彼女たちが出会って、ユニットを組んだ当初とそっくり。

 

 私にとっては、千載一遇のチャンス!

 

「今だっ!!」

 

「「あ!」」

 

 加蓮と奏の腕の間からすり抜け、一目散にドアへと。

 

 援軍が必要だ。

 

 加蓮と奏二人がかりで、私が勝てるはずはない。だれか、すぐにでも状況を解決してくれる人! それこそケーキをくれた高垣さんとか、川島さんの大人組!!

 

 後ろから二人が近づいてくる気配の中、私は勢いよくドアを開ける。

 

 すると、そこには人影があった。

 

 それは私が求めていた、このトラブルを解決してくれる助っ人で、同時に一番助けを求めたくなかった人物。

 

 天才科学者が不敵な笑みと共に言う。

 

 

 

「にゃははー。お困りかな? プロデューサーくん♪」

 

 

 

 おぉう……。

 

 

 

「あれ……私たち、何してたんだっけ?」

 

「美波も、文香も、寝ちゃってるわね」

 

「ツカレテネチャッテタンダヨ」

 

「「なんで片言なの? Pさん」」




まだまだお酒が飲めない二人ですが、その時が来たらどんな飲み方をするのでしょうね。

どこかの可能性を覗いてみたいと思ってしまいます。


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9月4日「クラシック音楽の日」

総選挙結果発表まで254日な9月4日


 人には様々な一面がある。

 

 長く一緒にいる夫婦でも、仕事仲間でも、どれだけの時間を共有していても、相手のふとした仕草を意外に思ったり、その人の新しい要素を見つけることもある。

 

 私とて同じ。担当アイドル二人の魅力を引き出すためにも、奏と加蓮とは長く時間を過ごし、信頼を築いてきた。そんな私でも、二人について知らないこともあったり、ついつい固定観念を持ってしまうこともある。

 

 これから語るのは、加蓮と奏に驚かされた、そんな日の備忘録だ。

 

 

 

 アイドルプロデュースをしていると、多種多様な業種と関わりをもつ。

 

 歌に関しては作曲家、作詞家、編曲に、音響・収録関連のスタッフ。撮影の仕事ではカメラマンに照明、その他、撮影スタジオや、野外撮影の場合はお役所にも。

 

 ドラマ、映画、声、ライブでもそうだ。私たちは毎日、多くの人に支えられ、アイドルを輝かせることができる。そんな業界にいて、普通の会社員では知り合えない人々と縁を結べるのは、私の喜びでもあった。

 

 そして、加蓮と奏がそんな人々と関わり、いい仕事をしてくれると、少し嬉しいこともある。お歳暮やお礼など、プレゼントを貰えることもあるのだ。

 

 相手方からすれば、私たちを認めた証であり、次の仕事につなげるための挨拶でもあろうが、まだまだ高校生のうちの姫様達に、美味しいお菓子や、ちょっとしたお土産を持たせてあげられることは嬉しい。

 

 あの日も、私たちの事務所には仕事先からプレゼントが送られてきた。

 

 二人のレッスン見学を終え、部屋へと戻った私は、机に置かれていた封筒を発見した。差出人は都内で有名な高級レストラン。プライベートでは私と縁がないところだったが、

 

「お、この間のレストランからか」

 

 先日、加蓮と奏がPR動画に出演したのだ。

 

 モノクロームリリィは大人の魅力も出せる、と世間から高い評価を受けており、こういう大人な場所での仕事も舞い込んでくる。

 

 このレストランがオファーを出したのも、若い層にも知名度を広げ、憧れを持ってもらいたいという狙いがあったようだ。そうして二人は、クールなドレスを纏い、素晴らしい映像をレストランへと提供した。

 

 後日、担当者の人から、

 

『あの映像、すごく反響が良かったんですよ! 今度、何かしらお礼をさせてください!!』

 

 と大喜びで告げられたのも、記憶に新しい。

 

 これが、その『お礼』だろうか。考えながら中身を取り出すと、予想の通りに感謝の手紙と三枚のチケットが入れられていた。

 

 私はチケットの内容を見るなり、ソファでレッスン疲れを休めていた二人を呼び寄せる。

 

「加蓮! 奏!」

 

 面白い話が来たのだと、私の声色で分かったのだろう。二人は楽しそうに走り寄ってきた。

 

「なになに? いいこと、あったの?」

 

「新しいお仕事かしら?」

 

「いや、仕事じゃないんだけど。ほら、この間、二人が撮影したレストランのこと、覚えてる?」

 

「もちろん! 綺麗だったよねー。大人の空間って感じで。高い天井に、シャンデリア、クラシックの演奏も!」

 

「結婚式場としても有名だと聞いたけれど、納得よね」

 

 加蓮は目を閉じ、レストランの姿を思い浮かべているのだろう。奏も、彼女個人の好みとも合わさって、良い思い出が残っているようだ。

 

 二人がそんな気持ちでいてくれるなら、ちょうどいい。

 

「で、この手紙、そのレストランからのお礼状なんだけど……。ふふふ」

 

「あ、もったいぶり始めた」

 

「ドラムロールはやらないわよ? ロマンチストさん」

 

 いやいや、私は心の中でやるぞ。発表したら、二人とも喜んでくれるのが目に浮かぶからな。

 

 私は意味深な笑顔をたっぷりと見せた後、二人へとチケットを差し出した。

 

「フルコースディナーへの招待券!!」

 

「「!?」」

 

「しかも三枚入り!」

 

「「!!」」

 

 撮影の時は、スケジュールが押していたのもあって、簡単なランチメニューを試食させてもらった私たち。その少しの機会でも、レストラン自慢の極上な味は私たちの舌を楽しませてくれた。

 

 みんな思っていたはずだ、これがフルコースならばどれだけ素敵な食事となるだろう、と。

 

 それが実現するとあっては、喜ばないほうがおかしい。加蓮はいきおいよくチケットを取ると、隅々まで見渡し始め、奏はその少し後ろから覗き込むように。

 

「うわっ! これ、しっかりしたフルコース! メニュー見ても、どんな料理か分からないやつ!」

 

「えーっと、ポテトはメニューになさそうだけど、加蓮はいいの?」

 

「かーなーでー。オシャレな食事なんだから、フライドポテトにはこだわらないって」

 

「ふふ、分かってるわよ。それじゃあ、ちょうどチケットも三枚だし、加蓮とPさんと私でディナーね。楽しみだわ」

 

 驚きから、段々と想像の景色が固まってきたのだろう。加蓮はもう待ち遠しいとばかりに尋ねてくる。

 

「ねえ! いつなの!? スケジュール、ちゃんと空けるから!」

 

「えっと……。書いてある期間中なら、いつでも使えるみたいだな。で、二人とも予定が空いているのは……来週の日曜日」

 

 あの日は午前中にサイン会。その後なら時間はたっぷりある。

 

 それに、日曜はレストランで特別な催し物も予定されているそうだ。せっかくなら体験してみるのも良い。

 

「クラシックの生演奏があるって」

 

 音楽に浸りながらフルコース。上品なスープ、ふっくら柔らかなパン、サラダは素材の味がたっぷりで、メインは柔らかいステーキ。いかん、考えるだけでよだれが出てくる。

 

「あぁ……素敵ね。普段の私たちだと経験できない時間。お食事だけじゃなくて、いい勉強にもなりそう。

 ……そういえば、Pさん。私たちのドレスコードは、大丈夫なの?」

 

「そっか! ちゃんとしたレストランだから。服も必要だよね。撮影の時はドレス用意してもらってたけど……」

 

「私は大人なんで、ちゃんとスーツを準備していくけど、二人は気にしなくて良いんじゃないかな? まだ高校生だから、制服で代用できるはず」

 

 二人はドレスに慣れているが、ディナーの場でも堅苦しくなっては楽しめないだろう。そんな風に考えて、私は軽く返事をした。その時の私は、複雑な女性の心理など考えることもなく、

 

「「……」」

 

 加蓮と奏が、私をじっと見ていたことにも気づかなかった。 

 

 

 

 そうして私たちは約束の日を迎えた。

 

 それまでの一週間、彼女たちに変化はなく、普段通りにアイドル活動を楽しみ、ともすれば、週末のご褒美のことを忘れているようにも感じられた。ミニライブにサイン会に、レッスンに。何かの準備をしていると、私は気づくこともできなかった。

 

 レストラン前に移動した時もそう。タクシーでエントランスに降りた時、奏は静かに微笑んで、加蓮はこれからの食事に目を輝かせていた。

 

 私はと言えば、そんな二人の手前、気負わないように平気なふりで、中に入り、受付でチケットを見せるだけ。

 

 それを認めたスタッフの人が尋ねてくる。

 

「ようこそ、おいでくださいました。席にご案内する前にお荷物をお預かりいたします。お連れの方のご用意は」

 

「二人は特に……」

 

 既に学生服姿だったから、そのまま案内して大丈夫だと、そう伝えようとして、

 

「あ、私たち準備があるから!」

 

「Pさんは先に行ってて」

 

「あれ、なにかあるの?」

 

「せっかくのレストランだもの、お化粧とか、少しは直しておきたいの。Pさんは気づかないかもしれないけれど、お仕事の後だと、少し崩れていたりするのよ」

 

「そういうの、妥協したくないからねー」

 

 などと、二人は私へ手を振りながら控室へと向かい、私は当初の予定とは違って、先に席へと向かうことになった。

 

 レストランの中は、以前に訪れた時と、大まかな内装は変わっていないが、ライトの色や飾られている花などは季節に合わせてアレンジされていた。そして、ホール型の客席の真ん中では、既に楽団がスタンバイしている。コンサートの開始は、三十分後。

 

 景色を横目にウェイターに案内されたのは、会場が広く見渡せる窓際。さらに夜景の美しい港を展望できる場所だ。おそらく、店内で最も眺めが良い位置で、そんな気配りに感謝の気持ちがいっぱいになる。

 

 これらの体験でも、既に胸躍らされるものがあったが、まだまだメインはこれから。二人が来ないうちに満足してはいけない。

 

 席に座って、静かにマナーよく。

 

 それで十分、二十分と時間が過ぎて……。

 

「……おかしいな」

 

 いくらなんでも遅いと思い始めた。あの口ぶりだと、長くても十分くらいかと思っていたが、やってくる気配もない。

 

「……」

 

 入り口やウェイターの動きに目を配ってみるも、やはり見当たらない。

 

 途端に心配になる。セキュリティはしっかりしているはずだが、二人はアイドル。トラブルが起こっていたら、取り返しがつかない。

 

 スタッフに尋ねるか、と立ち上がろうとした時だった。背後から、声が飛んできたのは。

 

「こちら、空いているかしら?」

 

 上品で艶やかな女性の声。

 

 その声の主を、私は直ぐには思い出せず、誰かの悪戯だと思って、立ち上がりながら断ろうとするも、

 

「悪いけど、人を待って、て……」

 

 その言葉は途中で消えてしまう。

 

 振り向いたところに立つ女性。

 

 グリーンのロングドレスを着こなした、誰もが目を奪われるその人は、私の知っている顔で、けれど、いつも以上に成熟した女性らしい魅力を放っていたから。

 

「かれん……」

 

 声に何の感情ものせられないほど、私の頭はのろまになって、それでも視覚だけは加蓮を捉えて離さない。

 

 そして、加蓮がいるということは、

 

「あら、加蓮にばかり見惚れて、エスコートしてくれないの?」

 

 今度も私の背後から。

 

 そこでは奏が、真紅のドレス姿でしっとりと微笑んでいた。

 

 こちらもまた、一目で陳腐な感想など吹き飛ぶほど、美しく、この世の者とも思えない。

 

 くすくす、と静止しきってしまった私の周りを、花をめでる蝶のように加蓮と奏がゆっくりと踊る。

 

「ふふ、驚いちゃって」

 

「せっかくのディナー。……着飾らないわけがないでしょ?」

 

「ええ。ただの子どもと侮っちゃいけなかったのよ」

 

「私たちは、アイドルだからね?」

 

 ああ、困ったな。

 

 こういう時、彼女たちをエスコートするのは私のはずだったのに。

 

 加蓮たちが私の手を、肩をとって、席へ座らせ。当人たちは向かい側へ。

 

 タイミングを見計らったように、微笑まし気な眼で私たちを見る、老ウェイターがボトル片手にやってきた。

 

「お嬢様方のご要望でしたので。お楽しみいただけると幸いです」

 

「事前に相談して、準備してもらったんだ」

 

「荷物少ないから安心してたでしょ? サプライズのために事前に預けておいたの♪」

 

「あー、もう、驚かせてくれちゃって……」

 

 私としては、もう笑って受け入れるしかない。この驚きも、心の高まりも、二人を甘く見ていた罰なのだろう。彼女達だって、日々、女性として進化していることを見落としていた。

 

 グラスに注がれる紅いワイン。私と違って、二人のはノンアルコールだけど、それを感じさせないほどふるまいは洗練されて、誰よりもレストランの華となっていた。

 

 ウェイターが一礼し、

 

「今宵は存分にお楽しみください」

 

 それが合図。

 

 楽団の演奏と共に、彼女達が主役の夜が幕を開ける。

 

 クラシック。

 

 音楽だけでなく、洗練された一流の存在を表す言葉。

 

 魔法使いの想像すら簡単に超える、一流のアイドルにとって、これほどふさわしい空間はなかった。




加蓮も奏も本当に十代なんでしょうか? 
あんなにドレスが似合う高校生。末恐ろしい。


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9月17日「キュートな日」

総選挙結果発表まで241日な9月17日


 突然、加蓮が言い出した。

 

「奏ってさ、隙が無いでしょ?」

 

「……まあ、ね」

 

 速水奏。

 

 ミステリアス。大人っぽい高校生。演技上手。

 

 そんな彼女にも、朝が弱かったりと年相応の弱点はある。しかし、高垣さんという大人アイドルに対しても世話役を買って出たり、並外れたしっかり者であることも間違いない。最近だと新田さんと撮影をした時くらいか。『驚かされてしまったの』なんて言ってたのは。

 

 奏は隙をめったに見せないという加蓮の言葉は間違っておらず、私も頷きで返した。

 

 だから、と加蓮はスマホを取り出し、目にメラメラと気合を灯しながら宣言する。

 

「私、隙だらけの写真を撮りたいの! 奏の!!」

 

「何を言い出すんですか、加蓮さんよ」

 

 私はいったいなんだと思いながら、加蓮をとりあえずソファに座らせ、話を聞くことにした。

 

 加蓮は悩んでいますと言いたげに腕組み、頭を傾げながら、もっともらしく語り始める。

 

「最近ね、みんなの隙だらけの写真撮るのが好きなんだ」

 

「うん。知ってる」

 

 私も被害者だから。

 

「そうそう。一番多いのがPさんで、次に奈緒。あと、凛に、美嘉に、りーな、飛鳥、まゆ。それから、最近上手く撮れたのが忍とありす。……隙っていうか、炎上しそうな写真が撮れたのは、りあむで」

 

「多いな、被害者」

 

「被害者って言わないの、モデル!」

 

 加蓮が指折り、今までのターゲットを数えていくが、私の想像を超えて、随分な数になっていたようだ。

 

「そもそも、なんでそんな写真が撮りたいんだ?」

 

「かわいいから♪」

 

「えぇ……」

 

「引かないの! Pさんは撮られる側だから分からないだろうけど、まゆとかは撮ってあげたら喜んだりするんだよ? 我ながら可愛い写真が撮れてるし。

 えっと、例えば……これとか!」

 

 言うなり、加蓮はスマホを向けて、一枚の写真を見せてくる。

 

 そこに映っているのは、渋谷さん。ザ・クールを体現し、普段は落ち着き払っている彼女と愛犬ハナコの写真だ。

 

「ほらほら! これ、可愛いでしょ? ハナコが凛に飛び乗って、顔をぺろぺろしてて!」

 

「たしかに、この写真は良いな」

 

 渋谷さんの私室で撮られただろう写真では、渋谷さんが気の抜けた顔をしてハナコとじゃれあっていた。普段の事務所や仕事では表に出てこない、渋谷さんの年相応の一面を見事に切り出し、可愛いと呼べる写真に仕上がっている。

 

 これだけなら、名カメラマンと加蓮を褒められる。しかし、

 

「あと、これは私の代表作!」 

 

「どれどれって、うわぁ……」

 

 さらに続くのは、神谷さんの写真。

 

 渋谷さんの写真が微笑ましかった分、この写真を見た私は、何とも言えない哀愁を強く強く感じることになった。

 

「……どうやって撮ったんだよ、これ」

 

「談話室に千佳が置いていったのを奈緒が使ってて。周りに誰もいないと思ってたみたい。そこをパシャリと」

 

 神谷さんは写真の中で、魔法少女のステッキを片手に決めポーズをしていた。

 

 効果音やエフェクトまでつきそうな、見事なまでのポーズ。これが隠し撮りだと思わなければ、仕事用と言っても騙せそうな出来だ。

 

 けれど、

 

「私ながら、ベストショットだった……」

 

「なんて哀れな……」

 

 仕事を終えた匠のような仕草で加蓮が頷く中、私は涙をこらえる。

 

 写真は一枚だけじゃない。バーストした音を神谷さんに気づかれたのか、カメラに向かって走ってくる神谷さんの大慌てで真っ赤な顔まで何枚も写されていた。

 

『消せよ加蓮! 消せー!!』

 

 とか、当時の叫びまで聞こえてきそうな、臨場感たっぷりの写真群。その後の神谷さんの苦労を考えると、涙が禁じえない。

 

 それはそれとして可愛いにもほどあるが。

 

「あとは、寝転がって読んでた本を、頭に落としちゃった飛鳥。担当さんにプレゼント渡す練習してた美嘉に……」

 

「あー、もうオッケー。分かったから。これ以上は見せなくて良いから」

 

「もちろん、Pさんのもたくさん」

 

「見せなくていいから!?」

 

 ちらっと映ったぞ、なんだ今の! どこで撮った! その顔に落書きされた私の写真は!! ほんと、油断も隙もあったもんじゃないな!!

 

 そうして自称・名カメラマン北条加蓮の説明を聞いた後で、いよいよ本題。加蓮が再び頭をひねりながら、相談してくる。

 

「でもね、奏の写真は撮れないんだよねー」

 

「そりゃ、加蓮に対しては隙見せないだろ」

 

「なんで?」

 

「狙ってるの気づいてるだろうから」

 

 奏は周りをよく観察している。加蓮が写真撮るのにはまっていることも、承知の上。だったら、加蓮が飽きるまでは上手く躱そうとするに違いない。

 

 奏に隙がまるで無いとは思わないが、そこを狙われているとなれば、隠し通す意地と器用さが奏にはある。

 

「そっかぁ」

 

 加蓮は納得したように大きなため息を吐く。

 

 しかし、これで止まってくれるわけもない。加蓮は人一倍負けず嫌いで、向上心が強い。奏との勝負の様相を呈した、この写真合戦を諦めるわけがないのだ。それを知る私は、加蓮の次の言葉へと身構える。

 

 そして、加蓮はバンっと机へと手を置くと、有無を言わさない雰囲気で私へ言うのだ。

 

「それじゃあやっぱり、Pさんにも協力してもらわないとね♪」

 

「断るのは……」

 

「ムリ!」

 

 そこはダメじゃないのか。無理ってなんだ。選択肢もないのか。

 

 ないんだろうけど。

 

 

 

 その日から、加蓮による『奏、隙あり』作戦が始まった。

 

 写真を撮るのは加蓮の役割。私がやるのは、加蓮の作戦に従って奏を誘導すること。

 

「まずは、居眠り写真を狙ってみよう!」

 

「そんなこと言っても、薬を盛るとかはナシだぞ」

 

「当たり前でしょ!? けど、何もしないままなら、奏が居眠りとかしなさそうだし……」

 

 物陰でこそこそと作戦会議を終え、私は行動開始。

 

 ちょっとした準備を整え、加蓮が隠れたタイミングで、奏が部屋へと戻ってくる。

 

「ただいま、Pさん」

 

「おかえり。今日はレッスンどうだった?」

 

「久しぶりにハードだったわ。伊吹ちゃんと一緒にマストレさんのレッスンだったから、踊って踊って……。脚もくたくたになっちゃった」

 

 言葉通りに、奏は力なくソファに体を沈める。とはいえ、横になることもなく、背筋を伸ばして座った姿勢だ。加蓮が求める隙はない。

 

 そこで私が奏へと運んだのは、温かい紅茶。カフェインの眠気覚まし効果は承知だが、疲れている体の芯がポカポカに温まれば、流石に眠気が勝ると考えた。

 

 許せ、奏。

 

 悪いとは思うし同情するが、私も奏の隙あり写真を見たい気持ちもある。

 

 その内心は面に出さず、奏の目の前に紅茶を注いだティーカップを置く。すると奏は、嬉しそうにお礼を言ってくれた。

 

「ありがとう。……こんなに労ってくれるなら、がんばった甲斐があったわね」

 

(うっ)

 

 穏やかに、愛おしそうにティーカップを取る奏へ、私の罪悪感も最高潮に達するが、奥で我らを見守る加蓮が剣呑な雰囲気を飛ばしてくるのも感じて、私は動くに動けない。

 

「……おかわりもあるから、どうぞ」

 

「ふふ、どうしたの? 今日は執事になってくれるのかしら」

 

「いつも頑張ってくれてるから、今日くらいはね」

 

 誤魔化しつつ空いたカップへと紅茶を淹れようと。けれど、その私の腕へと、奏が手を添え、

 

「え、奏?」

 

「優しくしてくれるのも嬉しいけれど……」

 

 そのまま、ぐいと腕が引かれ、私の体もソファへと沈んだ。

 

「紅茶よりも、この温もりが……、貴方が私を癒してくれるの。だからこのまま、少しだけ。秘密の午後に……」

 

 目を閉じた奏は私へと体重を預け、お互いの鼓動まで重なりそうに――。

 

 ならなかった。

 

「ちょっと待ってよ!!??」

 

 バンっと大きな音が私を誘惑から呼び覚まし、その音の主の加蓮が顔を真っ赤にさせて目の前に出てきていた。

 

「あら、いたの? 加蓮」

 

「いたよ! 絶対に気づいてたでしょ、私がいること!」

 

「さあ? 部屋の奥で息をひそめているから、触れてほしくないのかと思って♪」

 

「むむむ~っ。Pさんも! さっさと離れる!!」

 

「は、はい!」

 

「……まったく、油断も隙も」

 

 等々、加蓮の作戦は失敗した上に、ご機嫌が斜めになってしまった。

 

 

 

 しかし、こんなことがあっても、加蓮は諦めない。その後も、私を巻き込んだ作戦は続く。

 

一.奏は朝が弱い作戦

 

「遅刻とか、欠伸とか! そういう隙あり写真を!!」

 

「そう、うまくいくかなぁ……」

 

「挑まないと夢は叶わないよ! Pさん!!」

 

 ノリノリな加蓮の予想を裏切り、奏は遅刻も欠伸もすることはなかった。

 

 

 

二.甘いもの作戦

 

「美味しいスイーツを前にしたら顔も緩むはず!」

 

「だからって何回もおごるのは、キツイ!!」

 

 財布事情を考慮して作戦中止!

 

 

 

三.びっくり箱作戦

 

「麗奈にもらったこれを使えば……!!」

 

「あれ、これもう開けかけて……、うわぁ!?」

 

 悪戯女王が上手で失敗! 

 

 

 

 そうして、

 

「加蓮、もう諦めた方がいいって」

 

「だめだよ! ここまで来たら、一枚くらい撮らないと!」

 

「こんなにあからさまだとバレるぞ」

 

 何度も何度も作戦が失敗に終わった末、最後の手段とばかりに加蓮は奏に張り付いて、隙を見つけようとしていた。

 

 そして今、私たちはフレデリカさんと談笑している奏を、柱の陰から見つめている。だが、私はこの尾行に懐疑的だった。

 

「こんなにすぐ、奏が隙を見せるわけないって」

 

「わかんないよ? フレデリカと一緒だったら、奏も油断するし――」

 

「フレデリカさんが何か起こすかも、か」

 

 加蓮はそこに期待しているようだ。確かに、フレデリカさんは愉快で楽しいことが大好きで、奏と最も親しい友人ともいえる。そんな彼女は行動が予測できないことでも有名。何かが起こるかもという可能性は、僅かにあった。

 

 そして都合よく、その予感は当たることになる。

 

 加蓮が突然、私の腕を引っ張った。

 

「あ! Pさん、見て見て!!」

 

「フレデリカさんが、なにか……!」

 

 フレデリカさんがハンドバッグに手を入れ、明るすぎる笑顔を浮かべていた。奏はといえば、外を眺めているようでそれに気づいていない!

 

 次の瞬間、加蓮は奏達の元へと走り出す。これが待ち望んでいた瞬間だと確信し、加蓮の眼がギラギラと輝いていた。

 

 距離を詰めたのと、奏がフレデリカさんの方へと向いたのは、ほぼ同時。

 

 そして、フレデリカさんが素早く腕を伸ばして、奏の顔へと。

 

 

 

「奏ちゃん、どーん!!」

 

 

 

「奏、隙あり!!」

 

 

 

 フレデリカさんの大声と、加蓮がカメラを光らせたのは同時だった。

 

 一秒、二秒、無音が続き、加蓮が笑みをわずかにこらえ……。

 

「ふ、ふふふふ」

 

 奏が目を丸くしている中、加蓮は勝利の雄たけびを上げた。

 

「やった。やったー!」

 

 跳びはね、私に意気揚々と見せてくる写真。そこには、懐かしのコントで見る、髭眼鏡をかけた奏が大写しになっていた。奏の端正な顔に、アンバランスなぐるぐる髭眼鏡。間違いなく、速水奏にとっては隙だらけな瞬間のキュートな写真。

 

 最初は乗り気でなかった私だが、この見事な一枚を見ると、達成感が生まれるのを止めることはできなかった。いつもからかわれている私が、加蓮の助力とはいえ、一矢を報いることができたのだから。

 

 だが、私たちは忘れていた。

 

 相手は速水奏だと。

 

 聡明で、演技力に優れたアイドルだと。

 

 

 

「今よ」

 

 

 

 奏の鋭い声。

 

 瞬間、

 

 パァン! パァン! パァン!!

 

「きゃあ!?」

 

「うわぁ!??!?」

 

 加蓮を中心に巻き起こる破裂音。舞散る紙吹雪とテープ!!

 

 さらにはカシャカシャカシャカシャ、シャッター音まで。

 

 しかし、私たちには、その正体が何かと判別することもできなかった。突如として訪れた情報の多さに、パニックになってしまっていた。

 

 そして、嵐のような数十秒が過ぎた後、加蓮はテープと紙だらけとなる。ともすれば、髭眼鏡の奏より無防備な姿。

 

 加蓮が言う隙だらけの姿に、加蓮自身がなってしまっていた。

 

 その原因は物陰から飛び出し、私たちを取り囲んだアイドル達。

 

 彼女たちの姿をようやく確認した加蓮は顔を真っ赤にさせ、体を震わせて、ようやく一言を発する。

 

「あ、あ、あんた達……!!」

 

 神谷さん、渋谷さん、城ヶ崎さんに、他にもたくさん。見覚えがありすぎる、加蓮に写真を撮られた被害者の会。

 

 彼女達は各々のスマホ画面に、今しがた撮影した加蓮のハプニング写真を見せ、晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 

 奏が、華麗に髭眼鏡を取り払いながら彼らの前に立つ。

 

「みんなから相談を受けたのよ。加蓮に一泡吹かせたいって。でも、私だけ犠牲を払わないのも、フェアじゃないわよね……?」

 

 奏は加蓮が握りしめたスマホを指さし、堂々と告げる。

 

「撮っていいのは、撮られる覚悟がある者だけよ。

 私の写真と、この瞬間。痛み分けってことで、どうかしら?」

 

 この場面こそは第一次写真合戦の決着と、事務所に知られることになった奏の宣言。軍師奏が策士加蓮を負かした瞬間だった。

 

「う、うぅ~!! 覚えておいてよ! 奏ー!!」

 

 えらくノリノリの奏を前に、悔し気に走り去る加蓮が、この騒動の一先ずの決着。

 

 けれど、忘れてはならない。彼女は北条加蓮。

 

 敗北のままで終わらせるわけがなく、第二次写真合戦が巻き起こるのは、まだまだ先の話だ。

 

 そして、その渦中に巻き込まれた私の感想を、一言述べさせて欲しい。

 

「私だけ撮られ損じゃない?」

 

「加蓮と楽しそうだったから、その分よ♪」




加蓮、奈緒や他の子ともわちゃわちゃ楽しくやっていそうですよね。

時にはやり返されることもあったり? そんな事務所の様子をもっと知りたいものです。


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9月29日「洋菓子の日」

総選挙結果発表まで229日な9月29日


「ビターと」

 

「スイート♪」

 

「「どっちがお好き?」」

 

 

 

「どっちもです!!」

 

 

 

 チョコレート片手に加蓮と奏が微笑み、最後に三村かな子大先生が両方とも美味しそうに食べて、満足げに。

 

 どちらが好きかと言われて、両方食べてしまうという大物っぷりだが、そこが良いと評判のCMだ。

 

 ライブが始まる前の提供紹介のように、番組のスポンサーでもある、そのCMがモニターに流れていた。そして、スタジオの中央には、落ち着いた色のエプロンを着た加蓮たちが立ち、観客へ笑顔を向けている。

 

 今日の収録は、料理番組。その名も、

 

『どっちも料理でショー』

 

 料理じゃなかったら何が出るんだ、とツッコみ入れられがちなタイトルである。

 

 とはいえ、この名前も的外れではない。番組で調理を担当するのはゲストのタレントたち。だが、彼等には料理アドバイザーが一切つかないのだ。当然、料理経験がない者が起用されたときは四苦八苦することになる。

 

 ハンバーグのはずなのに、岩石が出てきたり、

 

 カレーにマグロの眼が浮いていたり、

 

 コールタールのようなホットケーキが顕現したり。

 

 青く染まった鳥料理だったり。

 

 まあ、それらは極端な例だが、作られる料理の出来がお世辞にも褒められないことは……多々ある。芸人さんは、そこらへん上手くネタに繋げたり、料理上手アピールをしたりするんだが。

 

 ある意味で、現代らしい番組だ。結果が明らかなことに人々は興味を抱かない。完成までドキドキの方が、エンタメとして好かれる。失敗した料理も、失敗しても絵的には美味しい。そのような要素があって、バズりやすく、このSNS全盛期に視聴率も上々で推移していた。

 

(とはいえ、今回は笑い話にはならないぞ)

 

 スタッフルームから二人を見守りつつ、胸を張る。

 

 世間では広がっていないが、二人は料理上手だ。奏はデビューしたての頃に仕事でチョコレートケーキを作っているし、加蓮もあのネタに振りきった料理番組をトラプリ三人娘で盛り上げた。プライベートでも、料理を練習していたりと経験豊富。

 

 クールな彼女らが家庭的な面をもっているのも、ファンにはギャップとして刺さると思うし、仕事の幅を広められるだろう。ここで一つ、見事な手並みで周りを驚かせて欲しいと考えていた。

 

 何よりこの番組は、我らのホームグラウンド。

 

 番組MC兼試食係は、私も崇拝する三村かな子大先生。多少、ゲストが料理を失敗しても、あの魔法の言葉『美味しいから大丈夫』によってゲストを持ち上げてくれると、大人気。三村さんが傍にいることで、二人もリラックスしているように見えた。

 

「はい! そろそろ本番入ります!!」

 

「あ、もうそんな時間か」

 

 考えている間にCMも一通り終了していたようで、ADのアナウンスを合図に収録がスタート。

 

「よろしくね♪」

 

「「キャァアアアアア!!!」」

 

 その早々に奏が観覧席へとウインクと投げキッスを贈り、観客の女性全員が一斉に黄色い歓声を上げて顔を覆った。初見の人は驚くだろうが、加蓮も三村さんも慣れたもの。

 

 三村さんは元気な声で進行を戻していく

 

「さて、今日の『どっちも料理でショー』。ゲストはモノクロームリリィの北条加蓮ちゃんと、速水奏さんですっ♪ 私とは、同じ事務所で仲良しなんですよ」

 

「よろしくね、かな子!」

 

「お手やわらかに♪」

 

「こちらこそ! 今日のテーマは『お菓子』ですけど。奏さんは少し甘いのより、ビターな味がお好きでしたよね?」

 

「そうね。甘いお菓子も好きだけど。好みっていったら、刺激的でビターな方よ。加蓮は?」

 

「スイーツ? ビターもいいけど、甘い方が好きだよ。マカロンとか、プリンとか!」

 

「ふふっ、お菓子の好みって人によっていろいろですよね♪ 私も一緒に食べる人の好みを考えて作ってますっ。

 あ! さっきのCMで流れていた新作のチョコレートも、お二人の好みに合わせてビターなチョコと、すっごい甘いホワイトチョコのセットでお取り扱いされていますから、ぜひ、買ってくださいね!」 

 

 その他、皆で買い物に行った話や、事務所でのお茶会等、仲の良さが伝わるフリートークが五分ほど続いて。とうとう二人のクッキングタイムとなる。腕まくりし、気合も十分な加蓮と奏。そんな彼女たちが選んだお菓子は、

 

(ガトーショコラか)

 

 しっとりと、口溶けなめらかなチョコケーキ。

 

 料理の中でも、お菓子作りは時間がかかってしまうのが常だが、ガトーショコラの場合、効率よく作業を行えば、時間は短くて済むそうだ。収録放送だから編集できるとはいえ、半日も時間はかけられない私たちにもちょうどいい。

 

 もちろん、それは二人に料理スキルがあればの話であるが、だからこそ、PRにもってこいともいえる。何より、難しいくらいの方が二人は燃える。

 

 そんな期待を二人は裏切らず、スタッフが驚くほどの見事な手際で作業は進められていった。小麦粉や卵や砂糖を混ぜ合わせて生地を作り、チョコも湯煎に。合間にはトークを挟み込む余裕もある。

 

「二人は最近、印象に残ったスイーツってありますか?」

 

「最近かー。あ! この間、話題のカフェに行ったよ。タバスコパフェがあるとこ」

 

「えぇ!? あのパフェに挑戦したんですか!?」

 

「あら、かな子は試さなかったの?」

 

「もちろん試しましたよー! でも、すっごく辛くて甘かったから……。加蓮ちゃんは大丈夫でした?」

 

「ふふ、大丈夫だったよ。それに、ああいう体験も、面白いよね」

 

 などと楽し気に。

 

 しかし、番組を見る者は知らないだろう。加蓮は一口だけ食べて、後は私が平らげたことを。そして事情を知る奏はといえば、自信満々に話す加蓮を生暖かい眼で見守っていた。

 

「奏さんは?」

 

「そうね……。私、映画を見た後、喫茶店でお茶をすることが多いのだけど、行きつけのお店で新作ケーキを頂いたの。ラズベリーを使っているから、少しだけ酸っぱくて、けれど爽やかな甘さに夢中になっちゃった」

 

「ラズベリーですかー♪ ケーキにアクセントでいれると、美味しいですよね!」

 

「実は今日も……」

 

 そう言いながら、奏はキッチンの下に置かれた冷蔵庫を開け、タッパーを取り出す。その中には、奏がちょうど話していた紅色の果物が入れられていた。

 

「チョコレートケーキにラズベリーっていうのも、ぴったりでしょ? 今日の隠し味にしようと持ってきたの。チョコレートの甘さに蕩けて溶けて、けれどその中にはピリッとした刺激が。大人のキスみたいに、夢中になってしまいそう♪」

 

「キ、キスですかぁ……。やっぱり、奏さん、すごく大人」

 

「ねえねえ、奏? 一人だけ隠し味持ってくるのはずるいんじゃない? 私には何かないの?」

 

「ふふ、そういうと思って、ちゃんと持ってきたわよ」

 

 奏は微笑みながら、もう一度冷蔵庫を探る。

 

 加蓮は何が出てくるかと、好奇の視線を向けて、奏を待ち――。

 

 そして出てきたのは、

 

「はい、タバスコ」

 

「……っ!?」

 

 瞬間、北条加蓮はロボットのようにフリーズした。

 

 

 

 後日、加蓮はこの時のことを私に語ってくれた。

 

 夕日がさす窓に寄りかかり、黄昏ながら。

 

「思い出していたの、遠い昔の、辛かった記憶。私がどうしても忘れたい思い出……」

 

 それは、

 

 

 

「トライ……、お菓子づくり対決……」

 

 

 

 タバスコを見た時、加蓮の脳裏に浮かんだのは、その番組と繰り広げられた狂気の宴。

 

 神谷さん、渋谷さんと出演した加蓮は、妙なテンションの司会者と、ノリだけはよい審査員、そして負けず嫌いな仲間達がそろったことで、知らず知らず暴走した。

 

『センスの違いを見せてあげる!!』

 

『トライアドプリン!』

 

『ドライカレー&ライス!!』

 

 記憶にこだまするのは、ノリノリな宣言。もはや、アイドルとして立っていたことも忘れ、この珍番組で渋谷さんにガチ勝負を挑んでいた。

 

 オンエアー後、燃え尽きたように横たわる加蓮と、その横でプリンを黙々と食べる奏という光景を見たことは、私にとっても忘れ難い。

 

 そして、再びの料理番組で現れたネタ調味料を前に、加蓮は考えた。

 

(これを使った方が、ウケは良いかもしれない……)

 

 番組に染め上げられていたと、加蓮はしみじみ語る。

 

「ふふふふ、お料理番組に求められるものが、私には分からなかったんだ……」

 

「普通に料理すれば良かったんじゃ?」

 

「それだけ、あの体験は強烈だったのよ」

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 では、番組の進行はどうなったのか。

 

 加蓮はかつての忌まわしい狂気によって、全身が支配されようとしていた。

 

 バラエティ番組はウケが命。それを一度体験してしまった以上、呪いは加蓮と共にあり続ける。

 

 加蓮は奏が冗談で差し出したタバスコを掴み、ボールの中へと入れようとした。

 

 

 

『美味しいから大丈夫だよ!』

 

 

 

 司会者もそう言っているじゃないか、と考えながら。

 

 けれど、

 

 がしっ、と加蓮の暴挙は二つの手によって抑えられる。呆然と、腕から伝う温もりに正気を取り戻しながら加蓮が見たのは、自分を優しく見守る、二人の顔。

 

「かなで……、かなこ……」

 

「大丈夫よ、加蓮。ここはネタ番組じゃない。私も、かな子もいる。たとえ、私たちが勝負をしていても、貴女は一人じゃないわ」

 

「加蓮ちゃん、料理は愛情、だよ」

 

「っ!!」

 

 加蓮は手の中のタバスコを見る。これを入れれば、ショコラはどうなる? 見た目だけはチョコレートで、中身は灼熱地獄。それが果たして、愛情と言えるのか、と。

 

(Pさんにだったら、愛情で通じるけど)

 

 おい。

 

(今、私はここにアイドルとして立っている! アイドルは、夢と希望を届ける存在! 私がみんなに届けたいのは、いっぱいの愛情!!)

 

 そしてそっと、加蓮はタバスコを、おいた。

 

 こつんと置かれた瓶はとても軽かった。

 

「加蓮……」

 

「加蓮ちゃん……」

 

「ごめんね、奏、かな子。私、また呑まれそうになってた。料理番組とバラエティの呪いに。

 そして、ありがとう。私はもう、迷ったりしない。北条加蓮として堂々と、この料理で魅せてあげる!!」

 

 流れるBGMは『薄荷』。

 

 加蓮を支え続けたソロ曲を聞きながら、今度こそ本当の隠し味を取り出す。

 

「私らしいお菓子、それは……」

 

 ミント。

 

 濃厚なチョコレートの中に、爽やかな薄荷の香りを。

 

「これが正真正銘、私の愛を込めたガトーショコラ!!」

 

 加蓮の宣言。

 

 盛り上がる会場。

 

 微笑む奏に、ごくりと喉を鳴らす三村さん。

 

 そうして一騒動を乗り越えた二人は無事、チョコレートを三村さんへ差し出すことになる。特徴豊かなそれらを、もぐもぐといただいた三村さん。

 

 宣言するのは今度こそ、心の底からの賛辞。

 

 

 

「おいしいー♪」

 

 

 

 こうして、加蓮と奏の料理対決は、無事に幕を閉じた。

 

 ……後日、例の下りが強調された放送を見た加蓮は、しばらくタバスコを避けるようになったが、それは別の話。




加蓮はコミカルな役どころもおいしい。

総選挙も一週間が過ぎ、ますます過熱してきましたね。

どうかモノクロームリリィの二人への応援を、お願いいたします!


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10月1日「眼鏡の日」

総選挙最終日まで227日な10月1日


 眼鏡。

 

 眼鏡。

 

 眼鏡といえば、どういうイメージがあるだろう。

 

 眼鏡は元々、視力の矯正道具だ。江戸時代には日本に伝来していたとも聞き、私たちが思うより古くから人類に寄り添ってきた。

 

 文化的には、サブカルチャーの興隆と共に、文学少女や清楚といったイメージが付与されている。男性の眼鏡に対しても、真面目や紳士や、中には鬼畜といった変わり種まで。眼鏡というアイコンは、象徴的存在となった。

 

 深く愛され、日常で目にしないことはない眼鏡。

 

 彼らは今日も、私たちの傍で光を放ち続けている。

 

 そんな眼鏡はアイドル業界において、一般とは異なる意味で重用されていた。

 

 

 

「こりゃまた……」

 

 外回りを終えて部屋に戻ってきた私は、その景色を見て絶句していた。

 

 私たちが使っている団欒用の長机。いつもはお茶だったりお菓子だったり、雑誌が置かれている場所だが……。そこに隙間なく眼鏡が並べられていたのだ。

 

 色や形も様々なメガネフレームが何十個も。アイドルプロダクションではなく、眼鏡屋に迷い込んだのかと錯覚するほど。

 

 そして加蓮と奏はといえば、それらの眼鏡を真剣な眼差しで見つめていた。一つ一つ、手にとっては鏡を見て。加蓮は時折髪型も変えながら、試着していて。

 

 その光景を見ながら、よく似合うなーとか、かわいいなーとか、眼鏡フェチな感想が生まれるが、今はそれより、この状況を理解することが必要だ。フェチ心を封印しながら、私は説明を求めた。

 

「どうしたんだ? こんなに大量の眼鏡」

 

 すると加蓮は青いフレームの眼鏡をかけながらウインクをした。

 

「ふふっ、驚いたでしょ? 春菜が持ってきてくれたの」

 

「スポンサーの眼鏡メーカーからのプレゼントですって。好きなのを一つ、くれるみたいなの」

 

 奏も薄い色のサングラスをかけながら。二人とも良く似合っているのは言うまでもない。

 

 私も眼鏡を一つ取ってみる。最近よく見る、べっ甲色のオシャレ眼鏡。そのフレームを見ると、知っている文字が小さく刻まれていた。

 

「どれどれ……って、あのブランドのか」

 

 上条春奈さん。言わずと知れた我が事務所の誇る眼鏡アイドル、今年度ベストメガニスト。

 

 彼女はその活動を通して、様々な眼鏡メーカーと仕事を共にしてきたが、この眼鏡ブランドもその一つで、豊富なデザインとカジュアルさで若い女性に人気と聞いている。

 

「それでプレゼントしてくれたのか、太っ腹だな、あのメーカー」

 

「ふふっ、春菜に感謝しないと。私たちもちょうど、新しい眼鏡が欲しいって思ってたから、嬉しいんだよね♪」

 

「あれ? 二人とも、眼鏡は持ってたよな?」

 

「いくつかはもちろん。だけれど、眼鏡もファッションの一つだもの。バリエーション豊かな方が、服との合わせ方も工夫できるのよ。変装用とはいえ、ね」

 

 なるほど、と私は奏の説明に頷いた。

 

 アイドルにとって、眼鏡という変装道具は必需品だ。

 

 デビューし人気を得て、街中の人から知られる存在ともなれば、同時にプライバシーの侵害やストーキングのリスクも高まってしまう。いかにファンのことは信用していても、世の中全員が善人ではない。

 

 それらプライバシーを守るため、プライベートで帽子や眼鏡を用いるアイドルは非常に多い。人は顔の輪郭や髪型で記憶することが多いらしく、シルエットを変えられるメガネは変装の王道。

 

 加蓮と奏はファッションの幅がとても広いのも幸いし、街にいても見つかることはめったにないというが、いざという時用に眼鏡は持ち運んでもらっている。

 

(けど、その眼鏡をファッション道具として利用してるのは、凄いよな)

 

 二人とも使いこなしが上手いのだ。

 

 逆に使い方をもっと気を付けて欲しいのは、髪がピンクな夢見さん。いくら変装道具を使っても、かなりの頻度で発見されては世間を騒がせている。

 

 この間もトレンド一位に躍り出ていた。

 

「同じ色の美嘉は見つからないのにね。どうして、りあむばっかりなんだろ?」

 

「美嘉は周りに合わせるのも上手いから。りあむの場合は、動作や声も含めて目立っちゃうのよ」

 

 変装もファッションも奥が深いものだ。

 

 感心して頷く私。そこへ奏が、一つの眼鏡を持ちながら、視線を向けてきた。

 

「さて、Pさんも戻ってきたことだし、私たちが魅力的になれるよう、アドバイスを貰えないかしら? この眼鏡なんてどう? 私に似合ってる?」

 

 紅色で細身のフレームだ。

 

 長方形のレンズと合わせて、オフィスワークの女性がかけているイメージ。挑発的な視線をよこしながら足組み、ソファに座る奏がそれをつけると、彼女が持つ女性的な魅力がぐっと引き立つ。

 

「あり、だね。よく似合ってる。

 でも、プライベート用なら、もう少し崩しても良いかな?」

 

 ますますOLに間違えられてしまいそうだ。

 

「それなら……」

 

 奏が机の上を見渡したところで、加蓮が奏の肩を突っつき、笑顔で眼鏡を差し出してくる。

 

「眼鏡どうぞ! これとかいいんじゃない? ちょっと可愛い感じで」

 

「あら、これ……。ふふっ、良いわね♪」

 

 今度はピンクフレームの小柄な眼鏡。レンズは卵型で、奏のミステリアスに輝く金の瞳を活かしつつ、可愛らしさを加えている。

 

 うん、良く似合ってるし……。

 

「……Pさん、ちょっと照れちゃってる?」

 

「そういえば眼鏡好きだったよね? 私たちがかけてるとき限定で!」

 

 既にバレちゃってるから言い訳のしようもないが、素敵な女性への賛辞だと思って欲しい。

 

 加蓮と奏が眼鏡をかけているんだぞ?

 

 普段はお茶目で悪戯好きな加蓮が眼鏡をかけてすまし顔でいたら、大人なギャップでドキリとする。

 

 奏は一流モデルや映画俳優にも劣らない美貌へ、クールな眼鏡がプラスされるのだ。鬼に金棒、女神に眼鏡。

 

 魅力的だと思わないなんて、罰が当たる。

 

 私は好きなことは否定しないぞ。

 

「あははっ! かわいく抵抗するPさんもいいけど、正直に話してくれるのも楽しいね」

 

「ご褒美に、今日は一日中、眼鏡で過ごしてあげてもいいわよ?」

 

「……上条さんに倣って、眼鏡メーカーの仕事を取ってくるとしよう」

 

「お仕事の話に逸らしちゃった♪」

 

 なんとでも言いなさい。

 

 奏はかけていた眼鏡を外すと、傍らに置かれた眼鏡ケースの中にしまい込む。どうやら気に入ったようだ。

 

「私はこれにするわ。ありがとう、加蓮。お礼に私も加蓮のを選んであげたいけど……いい?」

 

「もちろん! 奏チョイスは間違いないもんね。じゃあ、大人っぽいの、お願い」

 

「承りました、お嬢様♪」

 

 恭しく、有能秘書というか、有能メイドみたいな仕草。

 

 そして奏は、テーブルを見渡し、眼鏡の一つ一つを吟味していく。普段から互いにネイルやリップを試しあっている間柄だ、加蓮に一番似合う眼鏡をシミュレーションしているのだろう。

 

 ふ、と奏の視線が左端に止まった。そのまま、ついっ、と伸ばされた指がつかんだのは――、

 

「アンダーリム?」

 

 縁が下半分だけ。アンダーリムの細身のフレームだ。色は黒っぽく、けれど光を浴びると淡い緑色がにじみ出る。

 

 それは加蓮が想定していた以上に、堅実で大人向けの作り。加蓮もこれまでに付けたことのないタイプだったのだろう。

 

 加蓮はそれを恐る恐ると顔へと運び、

 

(……あぁ)

 

 観た瞬間、私は心の中で感嘆した。

 

 加蓮自身も自分の姿が意外そうで、鏡へと目を凝らしている。

 

 例えば、加蓮が大人になったと想像して。髪を纏めた加蓮がこの眼鏡をつけていたら、自立した立派な姿となるだろう。

 

 それはともすれば、成長しきった姿と世の人には思えるかもしれない。

 

 けれど、今、この眼鏡をかけているのは十六歳の加蓮。

 

 瞳の中にたくさんの可能性を満たしている。ならば、このレンズも、色も、可能性の一部。少女から大人へとその道を歩もうとする加蓮を導いているようにも感じられた。

 

「……すごいね」

 

「眼鏡に合わせて、大人っぽくまとめるのもいいし、少しおてんばに眼鏡を振り回しちゃってもいい。加蓮の腕の見せ所ってね?」

 

「うんっ! ありがと、奏。がぜん燃えてきた!」

 

 新たなファッションの入り口を開き、加蓮は着火したようだ。あれやこれと、髪型をアレンジしながら眼鏡を試している。気持ちがメラメラと燃えてるから、大人っぽさは隠れてしまったが。今後、この眼鏡をつけた加蓮が、どんな魅力をみせてくれるのか、私も楽しみだった。

 

 そんな加蓮を見ながら、奏が呟く。

 

「眼鏡って不思議よね。人の印象も、性格さえ変えてしまうことがある。着けているだけで真面目に見えてしまえば、見られる方もそう思い込んでしまったりね。

 物語のシチュエーションにもありがちでしょ? 眼鏡を外したら、世界が変わる。羽化するように美人へ変わるって」

 

 でも、と奏は微笑んだ。

 

「それは眼鏡が望んでいるものとは、違うと思うの。

 囚われるんじゃなくて、道具として使いこなして欲しいのに、それに振り回されて、最後は捨てられるなんて、かわいそう」

 

「その点、二人や上条さんは安心だな」

 

 眼鏡をつける、つけないも一つの味。

 

 自分を取り巻く全てを使って、魅力を磨き上げているみんななら、きっと眼鏡も喜んでいるはずだ。

 

「ふふ、アイドルだもの。いろんな可能性を試して、輝く自分を魅せていかないと、ね」

 

 奏はそこで息を吐き、

 

「じゃあ、今度はPさん、試してみましょうか」

 

 等と言い出した。

 

「え!? 私も!?」

 

「春菜、部屋のみんなにって言ってたから。Pさんの分もあるわよ。せっかくだから、色々試してみないと」

 

「ふふっ、今度はPさんの眼鏡をコーディネート! スーツにバッチリ似合う、クールなのがいいかな?」

 

「それとも……。いっそ遊び心たっぷりに? 貴方、遊び心はまだまだ足りないみたいだから」

 

 加蓮が黒ぶち眼鏡を取り、奏が虹色フレームを取り、私へ付けようとじりじり近寄ってくる。

 

「……お手柔らかに」

 

「ええ♪ 私たちにしてくれるように、素敵なプロデュースをしてあげる」




奏の眼鏡姿、とても似合っているんですよね。
加蓮も眼鏡で登場しないだろうか……


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10月7日「ミステリー記念日」

総選挙最終日まで221日な10月7日。

今回は普段と違い、一風変わったミステリー仕立てでお送りします。


 人里離れた山奥に、その洋館は佇んでいた。

 

 稀代の実業家であり、宝石コレクター、そして裏社会においては犯罪組織の総締めとして知られた黒田金雄。心の辞書に『信用』の二文字が存在しない男の別荘。

 

 夜より深い漆黒に仕上げられ、月の光を写し出すことから、『月光館』の名で知られた豪奢な建造物は、しかし今、月の光の代わりに煌々とした赤いランプに照らされていた。

 

 館を取り囲むパトカーの中から、一人の女性が現れる。

 

 若く小柄で、美人という形容詞が物足りないほどの顔立ち。けれど、目は勝気に、振る舞いは堂々と。

 

 男物のトレンチコートを靡かせながら帝都警察が誇る女警部、北条加蓮は事件現場へと向かう。

 

(……冷たくて、寂しい場所)

 

 加蓮は重苦しい扉を開けると、館へとそんな感想を得た。聞くに、館の主の疑心暗鬼のせいで、内部で働く者は数人の使用人だけ。このような建物を作っておきながら、客さえめったに呼び寄せないらしい。

 

 本来なら、無人であっただろうこの場所は現在、加蓮の部下である警察官たちで溢れている。指紋や毛髪、犯人の形跡を探そうと、あちらこちらへ視線を飛ばす彼等を横目に、加蓮はまっすぐ先へ。

 

 そうしてたどり着いたのは、広間の隅、ひっそりと飾られた西洋甲冑のショーケース。通常なら、ぐるりと広間を探さないと気にも留めないそれは、今だけは人目を集めていた。

 

 その横にはぽっかりと隠し扉が開いているのだ。ショーケースの角にスイッチがあり、それによって開けられる仕掛けなのだと、鑑識は語る。

 

「お金持ちが考えることって、ほんと小説じみてるね」

 

 加蓮は呆れを一つ残しながら、隠し扉の先、地下へと続く階段へ。

 

 狭い。人一人がやっと通れる通路。

 

 元から、館の主だけが通ればいいと、そんな自己中心的感情で作られたのだろう。それを二十段ほど下り、最後に待つのは生体認証とパスワードが待つ鋼鉄の扉。もっとも、それら強固なセキュリティは意味なく、扉は開けっ放しになっていた。

 

 ようやくと光が入り、開けた視界には、やはり大量の警察官が現場検証に勤しんでいる。

 

 陰気な館の中と比べれば、その部屋は加蓮にとって興味深くはあった。地下にあるとは思えない、広々とした円形の室内。中央から放射状に整然と並んだ強化ガラスケースの中には、色とりどりの宝石が光り輝いている。

 

 ここは黒田が贅を尽くし集めた、黒田のみを客とする宝石コレクション。

 

 しかし部屋の中央は、不自然にスペースができていた。

 

 黒田コレクション最大のダイヤ『白芙蓉』が、そこには飾られていたはずだが、痕跡すらない。

 

 僅か数十秒の停電の合間に、白芙蓉が盗人によって奪われたのだ。

 

 それが加蓮がこの場所へ呼ばれた理由。

 

 代わりに立つのは、宝石よりも存在感を放つ、一人の女性。

 

 加蓮は彼女の姿を認めると、大げさに息を吐き、『不満です』という感情を表に出しながら話しかけた。

 

「宝石どころか、ケースごと綺麗さっぱり! 階段から持ち出せる大きさじゃないし、監視カメラには何も映ってない。認証もパスワードも、人が入った形跡一つない! ……ついでに」

 

「私がいて、この体たらくって?」

 

 女性が呟いた。

 

 凛として、どこか蠱惑的で、囁くような声なのに、誰もの耳にも届く声。

 

 加蓮は渋々頷いた。

 

「……認めるのは嫌だけどね。『LiPPS探偵社』の速水奏がいて、まんまと盗まれるなんて」

 

 細身のスーツを身に纏い、けれども男装で妖艶な表情を持つ女性。

 

 彼女こそは名探偵として声望を欲しいままとする、LiPPS探偵社の速水奏。加蓮とは共に『迷宮入りなし』と称され、帝都の紙面でライバルと呼ばれる美貌の探偵だった。

 

 

 

 加蓮をこの場所へと呼んだ通報の主は奏だ。

 

 夜中に前ぶりもなく、加蓮の携帯を鳴らしてきたのだ。けれど、『月光館で白芙蓉の盗難事件が起きた。至急警察をよこせ』という奏の言葉を、加蓮は最初に疑った。

 

 公僕である警察として、あくまで素人である探偵へ競争心は存在するも、数々の事件を共にし、奏の探偵としての能力は認めがたくとも、加蓮は認めている。

 

 奏が現場に居ながら、白芙蓉を奪われたとは、にわかに信じられなかったのだ。

 

 しかも、犯人が国中を騒がせる大怪盗だということも。

 

「怪盗ヨリコ……。たしか、奏が前に一泡吹かせた義賊気取りだよね?」

 

「ええ。強欲な資産家から宝飾品を奪うのが彼女の流儀。ご丁寧に予告状を送り付けてね」

 

「古典的な……。で、それでも警察が捕まえられなかったのを、奏がお縄にしたと」

 

「すぐに逃げられたけど♪」

 

 言いつつも、奏の顔に悔しさなどはなく、むしろ好敵手への賛辞のようなものが感じられれ、加蓮はそんな態度に三度目となるため息を吐いた。この探偵は事件解決よりも、謎やスリルを求める傾向が強い。そこが何より警察とは相いれない部分。

 

「予告が届けられたのは?」

 

「一昨日。この館の主で……」

 

 奏はそこで部屋の奥を見つめ、

 

『なにが名探偵だ! 聞いて呆れる!! 貴様らも、警察ごときがわしの館にずけずけと!! いいか! わしは必ず宝石を取り返すぞ!! いいか、必ずだ!! 貴様の悪評もまき散らしてくれるぞ!! 名探偵など……うっ、し、心臓が!!!」

 

 階段の上から届けられる、しゃがれ、冷静をかいた叫びへと肩をすくめた。

 

「騒いでいる品性が足りない人へ。それで私たちに依頼が」

 

「警察じゃなくて、探偵へなんて。後ろ暗いのが丸わかり……」

 

「でも、判断は悪くなかったと思うわよ。これでも帝都一の探偵を自負してるから」

 

「結局、怪盗に出し抜かれたんじゃ意味ないでしょ?」

 

 加蓮の嫌味ともとれる言葉に奏は、

 

「ふふっ、どうかしら」

 

 と、意味深な微笑みを浮かべる。

 

「……」

 

「さて、ここで問答をしてるのも勿体ないわ。一緒に事件でも検証しない? 加蓮」

 

「はぁ……」

 

 奏は呆れ顔の加蓮を連れて、入口へと。

 

 加蓮は奏についていきながら、事件の状況を整理した。

 

 館の警備体制は隠し扉、パスワード、指紋認証、探偵速水奏。

 

 さらに、それらを華麗に突破し、白芙蓉を持ち出したとして、続く難関は階段だ。狭く、小柄な加蓮でも窮屈に感じた。宝石だけならともかく、ケースごと持ち運ぶことはできない。更にそれを山奥から持ち出すには大型の車両が必要。トラック痕などは、現在発見されていない。

 

(一見すると不可能犯罪。だけれど、探偵ヨリコは不可能も可能にするって言われてる)

 

 万人の見守る中、美術館から王冠を盗み出した。

 

 帝国一の金庫から金塊を奪った。

 

 それが怪盗ヨリコ。奏に敗れるまで、百戦して無敗。彼女の存在を思えば、この不可思議な現象にも、トリックが存在するのではないかと考えざるを得ない。

 

(でも……)

 

 一方で、加蓮の中には別の疑念があったが……。

 

「……このセキュリティ、元から手が加えられていた可能性は?」

 

 それを胸の中に留めて奏の説明を待つことにする。奏が何を考えているかは分からない以上、下手に自分の考えをぶつけない方が良い。

 

 奏は扉を細長い指で触りながら、話を続ける。

 

「ないわね。予告の一時間前に志希が調べて、異常なしと判断してる。館のシステムは独立しているし、外部から手出しはできない。それに、犯行時刻は私がこの扉の前に張り付いてたから」

 

「でも、停電は発生したんでしょ?」

 

「消えるのは灯りだけで、警備には影響しない仕組みになっていたの。館の主は詮索されるのが嫌いなようで、地下に関連するシステムしか触らせてくれなかったけど。

 どちらにせよ、私がここに立っている間、扉は開かれなかった。このルートの侵入者は可能性が低い。中の様子も、手元のタブレットで確認を続けていたわ。停電が起こる間を覗いてね」

 

「……だったら、監視映像のすり替え」

 

 加蓮が考えたのは、よくある手だ。変化のない映像だからこそ、数日前の画像をループさせ、監視の目を外す。奏が来る前に部屋に忍び込んでおけば、内部に入るという一つの関門は突破可能だ。

 

 しかし、奏はそれも否定した。

 

「あり得ないわね。事前に中は確認したし、その時に目印となるボールも置いておいたの。画像のすり替えなら、すぐに分かるわよ」

 

「ボール?」

 

「ええ。スイッチを押したら、刺激的な不思議なボール。白芙蓉が消えた後にはちゃんと起動しておいたわ」

 

「うわっ、それ……」

 

 部屋に置いたものと同形状らしい、奏の細い指に挟まれた銀色の金属球を見ながら、加蓮は苦い声を出す。

 

 彼女には、その球へ警戒するに足る記憶が存在していた。彼女の脳裏にはLiPPSが誇る科学者であり、更にはトラブルメーカーとして名高い女性の奇妙な笑い声が響き渡っていく。

 

 一方で奏は、そんな加蓮の様子へ微笑みを浮かべていた。可愛らしい友人を愛でる様な仕草だった。

 

「ええ、これは加蓮も知っての通り、スイッチを押すと無色の催涙ガスが出るの♪ 中に人がいたら、誰一人として意識を保てなかったはずよ」

 

「強烈だもんね、それ。ほんとに……。

 ちなみに今日は他の娘は? 美嘉なんて一緒じゃないのが珍しいくらいなのに」

 

「依頼人が『館の人数は減らしてくれ』って、追い出しちゃって」

 

「それでこの結果、か」

 

「あら? 私たち五人がそろってたら、こうはならなかったって。そう言ってくれるのかしら?」

 

「……騒がしくて、怪盗も入る気がなくなるってだけ」

 

 そうしておくわ、等とくつくつと奏が喉を鳴らしながら言う。

 

 この美貌の探偵が加蓮と出会ってから、既に長い時間が経っているが、見た目に似ず古いタイプの刑事が挑みかかってくるのを、内心で楽しんでいることは明らかだった。

 

 加蓮がいると、金の瞳が鋭く輝いているとは探偵仲間の談。

 

 そこまでの説明を受け、加蓮は腕を組みつつ、奏へと問う。

 

「なに企んでるの?」

 

 説明を受けて、やはり、違和感はあった。

 

 どうやって侵入されたのかも不明。どうやって逃げられたのかも不明。なのに、奏はまるで焦っていない。

 

 加蓮が知る限り、この奏に限って、事件未解決はあり得ないのだ。仮に真実へとたどり着けないとしても、証拠の一つも見つけられないはずがない。

 

 そして何より、自分と同じくらいに負けず嫌いな奏が、出し抜かれて黙っているなど、天地がひっくり返るような出来事だ。

 

 考えられるのは一つ。

 

(もう、奏は真相を掴んでる)

 

 だからこそ、美貌の探偵は余裕でいるのだ。怪盗を追う気もないのだ。

 

 そんな刑事の勘を見抜いているのか、奏は加蓮の肩に細い手を置くと、耳元でささやく。夜の危険へといざなうような、妖艶な言葉を。

 

「教えてあげてもいいわよ……? 今夜、私のワトソンを務めてくれるなら、ね」

 

 並の人間なら魂さえ奪われかねない魔的な言葉。それが加蓮の脳裏を包み込もうとするも、加蓮とて誇りある刑事。それを意にも解さず、手を払いのけてみせる。

 

 逆に不思議な色を放つ瞳をまっすぐに見つめながら、加蓮は笑った。

 

「冗談。奏がホームズを気取るなら、私はコロンボ。後ろに付いていくだけなんて、ガラじゃないの」

 

 言い放つ。

 

 そうすると今度こそ、奏は声を立てて笑い出した。先ほどの傾国の美女のごとき声とは裏腹な、年相応の明るい笑い声だった。

 

「それじゃあ、ルテナント? 彼らしく犯人の目星はついているの?」

 

 疑問へと、加蓮は強く頷く。

 

 白芙蓉が消失したトリック。それ自体は見当もつかない。だが、それは謎が好きな奏が勝手に解けばいい。刑事としての仕事は、一に犯人を捕らえること。そして加蓮が武器とするのは直感は、狙う標的を明確に告げていた。

 

 

 

 数分後、奏は館に散らばった警察官を全員、展示室の中央へと集めていた。

 

「さて、素敵な謎解きを楽しみましょう」

 

 奏は舞台上の役者のように。立ち姿だけで、年若い幾人もの警官を赤面させた奏は、それも楽しむように口角を上げる。そして、細く通り抜ける声が滔滔と真相を語り始めた。

 

 この場所で引き起こされた謎。ケースどころか、痕跡すら残さず、白芙蓉はどのようにして持ち去られたのか。

 

「まずは前提条件。

 事件の発生当時、この館の警備システムは正常に働いていた。地上へ続く、あの狭い階段だけが此処へと繋がる道。入口には私が詰めていて、当然、出入りはなかったと断言できる。

 犯人が行動を起こせたのは停電が起こった十秒くらい。その後、白芙蓉はケースごと消えた……」

 

 奏が歌う様に諳んじると、警察官たちが困惑気に言う。

 

「それじゃあ、まるで魔法だ」

 

 侵入方法はなく、脱出方法もない。

 

 いかなる手品をもってすれば、怪盗ヨリコは白芙蓉を盗み出せるのか、と。

 

「そうね。これは魔法のような出来事。部外者が短時間で細工をし、巨大なケースとダイヤモンドを私の前から持ち出すなんて。

 ……けれど、これは決して魔法じゃない」

 

 奏は言いながら、小さく円を描くように歩く。

 

 コツコツコツコツ。

 

「かの名探偵は言ったわ。全ての不可能を除外したものが真実、と。

 私も彼に倣って考えてみたの。この部屋で起こった事象は、どんな『不可能』から構成されているか。

 入ることも不可能。出ることも不可能。私の眼から逃れることも、不可能」

 

 探偵小説では、トリックや仕掛けによって不可能は可能となる。しかし、それは次のように言い換えることもできる。

 

 それは不可能じゃない。元から可能であっただけだ。

 

「真に不可能という存在は、どこまで突き詰めても不可能で不変。トリックは、『不可能』という仮面によって、『可能』を隠しているだけのこと」

 

 ならば、

 

「出ることも、去ることも、私という番人も。この犯人は何一つ乗り越えていないのよ。ではそこから導かれる真実は一つ。……私たちが行動する前から、事件は起こっていた」

 

「しかし、貴女は白芙蓉を確認したのでしょう? この部屋にあった! 監視カメラも確認している!」

 

「ええ」

 

「じゃあ、どうやって怪盗は白芙蓉を盗んだというんですか!?」

 

 追及の声を聞き、奏はただ黙って、部屋を見渡す。

 

 きらめく金色の瞳が、一片の隙もなく。

 

 ぐるりと、天上から床まで一巡し、

 

「ここよ」

 

 奏はブーツの音高く、床を鳴らした。

 

 警察官たちの視線がそろって、奏の芸術品のような脚を伝い、靴が置かれた床を見る。

 

 何もない、タイルが敷き詰められた床を。

 

「この部屋から持ち出すことは不可能だった。クレーンや重機を使わない限り、ここから上へ出すのは、ね。

 だったら手段は一つ。この下へ白芙蓉は移動したのよ。重いケースを持ち上げるのは大変だけど、下へと落とすのは楽でしょ?」

 

「ば、ばかな!」

 

 今度こそ、警官たちはおかしなものを見たように叫び、それへと奏は微笑まし気に顔を緩める。

 

「馬鹿げてるかしら?」

 

「だって、この床を見てください! 壊れてもいないし、傷一つもない! 下から穴を掘ったなら、こうはならないでしょう! 跡が残らないよう、装置を仕込んでいた!? それこそ無理だ! 何十日どころじゃない時間がかかる!

 魔法以上に不可能ですよ!!」

 

「警察官さん、あなたは誰にとってこの犯行が不可能だといっているの?」

 

「それはもちろん、かいと……」

 

 瞬間、興奮に浮かされ、声を荒げていた若い警官は、突如として声を失った。

 

 驚きに顔を硬直させた男へと、奏は目を細め、頷く。彼らが知らず、真実へとかぶせていた仮面。それが剥がされたのだ。

 

「ええ、そうよ。

 犯人が怪盗だったら、この犯行は不可能。でも……不可能を可能にする人間が一人だけいる。

 さあ、ここで素敵な刑事コロンボに登場してもらおうかしら。……貴女は気づいていたのよね、加蓮?」

 

 ステージでアシスタントを紹介するように、嫋やかに加蓮へと手を向ける奏。そして、その仕草に不満を感じつつ、加蓮は前へと出て、告げる。

 

「この館の主なら犯行は可能だった。つまり、これは自作自演」

 

「加蓮の言う通り。彼は世間に伝わる怪盗ヨリコの風評を逆手に取ろうとしたのよ」

 

 魔法を使いこなす大怪盗なら、このような出来事も不思議じゃない。人知を超えたトリックで、この犯行を成し遂げた、と。皆に思わせようとした。

 

 予告状、停電、探偵への依頼は、誤認させるための小道具。

 

 そして、これが自作自演だと分かったら、仕組みは簡単だ。

 

「最初から装置はあったのよ。むしろ、無ければおかしい。

 外へと持ち出しが不可能な展示室は、ひるがえって、宝石に逃げ場がないということ。地震、火災、それらから宝石を守るには、非常用の持ち出し手段、地下へ避難させるベルトコンベアなどが必要だったの」

 

「動機は!?」

 

「ああ、それは私から。黒田は放蕩が祟って、かなりの借金を負ってる。その完済のために、白芙蓉にかけた保険金が欲しかったみたい」

 

「スマートじゃないわね。欲に踊らされた資産家の最後の抵抗。

 怪盗ヨリコの名を騙ったのが、ただの保険金詐欺だなんて。ここへ私を呼んだのも、目撃証言を作るためよ。

 それで? 加蓮はいつから気が付いたの? 犯人が黒田って」

 

 問われた加蓮は、どこか悔し気に奏へと伝える。

 

「刑事の勘って言いたいけど……。

 奏達の評判はこの国に知れ渡ってる。なのに、奏一人を置いて他は引き揚げさせるなんて、あり得ないでしょ? このコレクションが大事なら。奏こそ、床下の装置のことはいつ?」

 

「不可能を不可能と認め、可能を探したら自然と。

 それに、床に仕掛けがあることは、白芙蓉が消えてすぐに。私の眼は特別だから、床にあった小さな傷すら記憶する。けれどそれは、盗難の前後で少しずれがあったの」

 

「じゃあ、すぐに黒田を問い詰めれば良いじゃない」

 

「この館には彼の部下しかいないから。足止めされて逃げられたら癪だもの。だったら、騙されたふりして、優秀な警察官達を待った方が確実よね?」

 

「……私たちは、黒田を逃がさないための人手ってだけか」

 

「ふふっ、加蓮なら信頼に足る働きをしてくれると信じていただけよ。だから、今この瞬間にも監視をしているのでしょう?」

 

 黒田の予期せず集まった大量の警察官。彼にとって、その存在は鬱陶しかっただろう。元からのプランでは、探偵の前で白芙蓉を消し、怒ったふりをして彼女を追いだし、喧伝するだけだったから。

 

 だが今、警官の大部分は地下に集まっている。すぐにでも逃亡、あるいは工作を行いたい黒田にとっては絶好のチャンス。

 

 奏が予期していた通りに。

 

 美貌の探偵は謎解きいうステージを降りると、満面の笑顔を作った。そして、まんまと利用されていた加蓮は、悔し気に歯を噛みしめ、無線機へと声を飛ばす。

 

 けれどもすぐ、その顔色が変わる。

 

「黒田を確保して! ……逃げた? 控室に隠し扉? もうっ! なんでこんな漫画チックな!!」

 

「行先は白芙蓉の隠し場所かしらね? ちょうどいいから案内してもらいましょ」

 

 いうなり、加蓮と奏は互いに先を争いながら、地上へと向かう。

 

 警官が案内した、黒田の控室には、確かに戸棚の奥に隠し扉が存在した。コレクションと同じく、狭く、そこまで長くはない階段。それを走り抜け、更に一本道を超えると――。

 

「っ!?」

 

「……やるわね」

 

 加蓮は驚愕に顔を強張らせ、奏は静かに賞賛の言葉を贈った。

 

 対象は、

 

「むぅー! むぅー!?」

 

 芋虫のように縛られ、転がった強欲な詐欺師相手ではない。

 

 黒田の隣には、空のショーケースだけが整然と置かれ、その中には、

 

『白芙蓉、たしかに頂きました』

 

 と、怪盗ヨリコが残した洒落たメッセージが残されていた。

 

 

 

 

次週『怪盗ヨリコの逆襲 後編』

 

 

 

「ここで続くの!?」

 

「連続ドラマだから、これ」

 

「ふふっ、探偵な私と加蓮も似合うでしょ?」




真実を見通す名探偵と、勝気な刑事のコンビって奏と加蓮に似合うと思いませんか?

いつか探偵イベントでの出演とか、期待しています。


それでは、今日も加蓮と奏の応援を、よろしくお願いします!


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10月30日「初恋の日」

総選挙最終日まで198日な10月30日


 今日は某所で奏と加蓮による握手会イベントが開催されていた。

 

 モノクロームリリィの新曲CDの購入者が応募できるという仕組みで、ファンの皆さんは遠く向こうまで長い列を作っている。

 

 それら一人一人を遠巻きに見ていると、私は何だか温かい気持ちになってくる。

 

 皆、楽しそうにしているのだ。ぎこちなさそうだったり、これからの一瞬が念願である分、緊張はしているけれども、笑顔があふれている。

 

 アイドルが輝いているときと同じくらい、プロデュースの喜びはここにある。これほど、喜びと楽しさが集まる空間は他にあるだろうか、と思わずにはいられない。加蓮が、奏が、こんなに多くの人を幸せにしているということを教えてくれる。

 

 同時にこの時間は、二人にとってもアイドルへの強いモチベーションとなっている。加蓮も奏も、ファンの笑顔を見ることが好きだから。今も、列の先頭では満面の笑顔と共に、ファン一人一人と視線を合わせ、握手し、言葉を交わしているだろつ。

 

 二人に力をもらって仕事がうまくいった、大学への進学が決まった。二人に感想を聞くと、ファンの皆はそんな前向きな言葉をくれて、自分達が逆にエネルギーを貰ってしまうという。

 

 それに、

 

(トラブルが起きそうにないのにも、感謝しないとな)

 

 加蓮と奏のファンに丁寧な人が多いのは、プロデューサーとしても誇らしい。

 

 ライブやイベントでの彼らは、サイリウムやコールを駆使して、強い感情で盛り上げてくれるけれど、トラブルを起こさず、皆が同士として認めあい、交流も盛んなことも知っている。こうしてアイドルとファンが間近で接するイベントを開けるのも、その信頼があってこそ。

 

 今日もこれまでと同様に、トラブル一つなく、和やかに握手会が終わるだろう。

 

 そう思っていた私の耳を、大きな声が打ったのはその時だった。

 

 

 

「すきです!!!」

 

 

 

 幼そうな声だ。

 

 次いで、激しい泣き声が加蓮たちがいる場所から聞こえてくる。

 

 何かがあったのではないか。私は即座に彼女たちがいる場所へと向かった。二人の傍には警備スタッフがおり、揉め事や争いの気配はないが、万が一があれば取り返しがつかない。

 

 そうしてファンやスタッフを掻き分け、息を切らして加蓮たちの元へとたどり着いた私は、

 

「……ああ」

 

 安堵で胸をなでおろした。 

 

 加蓮と奏は穏やかに微笑んで、泣きじゃくっている『ファン』の頭を撫でていたから。

 

 握手会の範疇は超えているサービスだが、相手が相手。その景色を眺めている他ファンの方々は、むしろ良いものを見たと言いたげに満足げに頷いてくれていた。

 

 加蓮と奏へ、泣きながらも懸命に愛を伝えていたのは、まだ小学生にも満たない女の子だ。

 

 このイベントは年齢制限もなく、保護者同伴なら小さい子でも来られることになっている。隣では母親らしき女性がスタッフへと平謝りしているので、一人で迷い込んだということもない。それに以前にも、モノクロームリリィへ幼い子どもたちからファンレターが届いたこともある。こうしたことも、初めてではあったが、あり得ること。

 

 なにより、

 

『だいじょうぶ』

 

 と、奏が私へと口パクで伝えてくれた。チャーミングなウィンクと共に。それを見れたなら、私は二人を信頼し任せるだけだった。

 

 

 

 女の子は、その後泣き止み、加蓮と奏のハグをお土産に帰っていった。

 

 撤収作業を行っているスタッフの中、スマホ片手にファンの反応を探ってみるも、他のファンから『奏ちゃん、かっこいいのに優しいとか反則!』とか『加蓮ママ尊い』とか、単純に『尊死』という書き込みがあるので、世間は好意的と捉えていいだろう。あとは私が会場と事務所に謝りついでの報告を上げればいいだけだ、問題ない。

 

(それにしても、夢見さんのママ発言の反響はすさまじいな。まだ『加蓮ママ』って言われてる)

 

 以前に某可燃系アイドルがぶち上げてくれたあだ名は、まだネットの海をダイビングしているようだ。面倒見がいいのも、加蓮の一面だが、変な広がり方したら困る。やはり炎上系は取り扱い注意だ。などなど、イベント終わりは反省やら次のプランやら考えることが多い。

 

 そして何より、二人に感想を聞かないと。

 

 スタッフの皆と挨拶を交わしながら、控室へ向かった私は、ノックをしてから部屋に入る。既にそこでは、加蓮も奏も衣装から私服へ着替え、思い思いに過ごしていた。

 

「お疲れ様」

 

 労いの言葉をかけると、加蓮はにっこりしながら手を差し出してくる。いつもの通り、姫様は貢ぎ物が欲しいようだ。

 

「はい。今日はコーラで良かった?」

 

「ありがと、Pさん」

 

「奏には紅茶」

 

「ほんと、注文していないのに、欲しいのをもってくるわね」

 

「そこは年季があるから」

 

 二人の好みは完璧に把握してる。

 

 自信満々に言うと『でも、からかわれるのには慣れないんだね』なんて、加蓮が笑った。そこは君達の方が上手なだけだ。

 

 ドリンクを飲んで、一息ついて。

 

 二人が落ち着いたところを見計らって話を切り出してみる。

 

「少しトラブルっていうか、あの子のことがあったけど、大丈夫だった?」

 

「ふふっ、私たちは大丈夫よ。あの子、最初はもじもじしてたの。だけど、少し待ってたら、勇気を出して言ってくれて。けれど安心したのね、最後は泣いちゃった。

 周りのファンのみんなも理解してくれたでしょうし、私たちからは何も言うことはないわ」

 

「あの子、可愛かったなー。来年から小学生だって。あの子のお母さんが言ってたんだけど、毎日私たちの番組見てくれてるの。幼稚園に行ってるから、録画忘れてないか何度も確認したり」

 

「そりゃ、熱心なファンだね」

 

「そうでしょ? しかも、今の夢はアイドルだって! 私たちみたいにステージに立ちたいって……」

 

 そこで加蓮は、はにかむように口元を抑えると、少しだけ震える声で言った。

 

「……私の夢、一歩一歩叶ってるんだよね。私がそうだったみたいに、皆に夢を届けられるアイドルになりたいって思って。それでみんなと一緒にここまで登ってこれた。

 今は、あんなに小さい子が私のこと、憧れだって言ってくれてる」

 

「……ええ、そうね。あの子がアイドルになるかは私たちには分からないことだけれど。辛い時、寂しい時に今日のことが支えになったら、そして夢への道しるべになったら。

 私たちにとっても幸せな事よね」

 

 病院の一室で、テレビの中で輝くアイドルに憧れた加蓮。

 

 理解されずとも、目指す理想をストイックに追い続けていた奏。

 

 そんな二人がアイドルになって、誰かの憧れに、理想になろうと歩みを進めてきた。

 

 二人の夢がどれだけ叶っているのかということへ明確な答えは出せないものだし、果てもない。けれど、ファンの皆が見せてくれる笑顔と想いは、アイドル北条加蓮、速水奏が進んできた道のりが間違っていなかったと、証明してくれている。

 

 私の知らない先人たちが二人に夢を与え、そして二人のアイドルが、更にたくさんの子どもたちへ夢を届ける。

 

 夢で繋がる世界だ。

 

「それで、あの子もアイドルになって、もっと多くの人へ……」

 

「ロマンがあるわよね? 夢想家が望むように、素敵で。でも、ただの夢物語じゃない。私たちもその途上にある。眼を閉じないで見れる、この足元に」

 

 奏の歌うような言葉は私に一つの幻想を見せた。加蓮と奏と、ファンと、スタッフと、皆が笑顔でバトンを届けながら、さらにさらに未来へと。

 

「……優しい顔してる」

 

「ん? ……そうだね。二人がそんな素敵な未来を作ってくれるってそう思ったら嬉しくて」

 

 囁くように言う加蓮へと、私は笑顔を浮かべる。

 

 すると加蓮は、目を輝かせながら私の頬を突っついてきた。

 

「二人、じゃなくて。私たちでしょ? ……貴方もその夢の一人だよ? 私と奏をこの場所へ連れてきてくれた、それで未来まで導いてくれる魔法使い」

 

「灰かぶりは一人でお姫様になったわけじゃないわよ? 魔法使いが城へ連れて行って、希望と夢を叶えた。いつか魔法が解けたとしても、貴方がかけた魔法はガラスの靴になって、誰かの足をまた城へと導く」

 

「……うん」

 

 私がしたことは、きっとわずかだと思う。二人に夢を見て、二人がやりたいことを支えてきただけ。でも、そうして一緒に歩いてきた分、夢を運べる手伝いができたなら。きっと、私が歩いてきた道も、魔法と夢で満ちている。

 

「そういえば、聞いたことなかったわね……」

 

 ふと奏が尋ねてきた。

 

「Pさんの子どものころの夢。憧れたヒーローとか、職業とか、貴方にもあるでしょ?」

 

「あ! それ聞きたいなー! やっぱり宇宙好きだし、宇宙飛行士とか?」

 

「ふふ、Pさんなら、正義の味方とかでも似合いそう。……それに、初恋の人とかも、知ってみたいわ」

 

「そんなに、面白い話ではないかもしれないけど」

 

 だが、私の過去がどうであろうとも、今の夢は一つだ。

 

 加蓮と奏をトップアイドルにする。

 

 それが私の唯一つ、命を懸けてやり遂げたい夢。




加蓮と奏の握手会とか、行ってみたい。なぜ私はアイマス世界にいけないのか……

今日も加蓮と奏の応援をお願いいたします!


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11月5日「いいリンゴの日」

総選挙最終日まで192日な11月5日

今日はリンゴアイドルが登場。


「リンゴ、いかがですか!?」

 

「…………はい?」

 

「山形リンゴ、いかがですか!?」

 

 出社して早々の私を出迎えたのは、そんな賑やかな声だった。

 

 ビルの自動ドアを開いたら、目の前にアイドルと、一人? いや、一匹の謎マスコットの――

 

「りんごろうさんは、リンゴの精です!」

 

 じゃあ、一人で数えるとして、着ぐるみが一人、

 

「リンゴの精です!」

 

 ……リンゴの精がいた。

 

 私が『りんごろう』を着ぐるみ扱いしなくなったことへ、満足げな表情を浮かべた朗らかな少女。圧力と共にりんごろうを推してくる彼女こそは、山形からやってきたリンゴアイドル、辻野あかりさんだ。

 

 辻野さんは赤ずきんのようなステージ衣装を着て、手にリンゴのかごを持っている。それだけなら田舎のリンゴ売りとか、そういう演劇の役どころに見えるが、あまりに強引すぎて、押し売りのようになっていた。

 

 私の怪訝な視線に気づいたのか、辻野さんは言う。

 

「今日はコレを広めるのに良い日ですから、事務所の皆さんにも知ってもらわないと! プロデューサーさん、今日は何の日か分かりますか?」

 

 記念日ネタか。えっと今日は……。

 

「11月5日だから、いいこの日?」

 

「違うんご!」

 

「それじゃあ……」

 

 辻野さんがやたら推してくるリンゴの精を見ながら。

 

「りんごろうの、日?」

 

「こいつのことは考えなくていいです」

 

 コレとかこいつとか、扱い悪いな! りんごろう!! 売りたいんじゃないのか、こいつを!

 

 誰が入っているのか分からないが、辻野さんにずさんな扱いを受けたりんごの精は、でかい頭を下に傾けていた。ショックを受けているような仕草。だが表情は変わらないし、顔が影になって不気味極まりない。

 

(いったいなんなんだ?)

 

 私は夢を見ているのだろうか。朝の九時前なのに、こんな不思議空間に巻き込まれてしまうなんて。

 

 ここはどこだ? 事務所のエントランスだ。

 

 確かに、我が事務所はゾンビパニックやら異次元に繋がったやら、ぴにゃの正体やら、イベントに事欠かない場所だ。だけれど、今日巻き込まれているのは、びみょーに普通のイベント。諦めて博士たちや木場さんに任せる事態じゃない。

 

 私にとっては逆に珍しく、巻き込まれた時の対処方法がわからない。逃げようとしても、りんごろうの巨体と辻野さんの圧力が強く、逃げ道はない。

 

(誰か、誰か助けは……)

 

 頭をあちらこちらへと動かしながら、私は救いを求めた。

 

 このままではマズイ。ずるずると辻野さんに引きずられ、最後にはりんごろうの中身にされるかもしれない。そうなったら、加蓮と奏からどのようないじられ方をするか、想像するだに恐ろしい。

 

 そうして動き回った私の頭は、辻野さんの肩の向こう側を見つめて停止する。

 

 いた。助けが。

 

 なぜか申し訳なさそうに頭を下げている、リンゴの被り物をした工藤忍さん。彼女は私に見えるように、プラカードを掲げてくれていた。それは正しく、辻野さんからのクイズの答え。

 

 ありがとう工藤さん。なぜそこにいるのだ、工藤さん。

 

 私は心の中で工藤さんに感謝と困惑を伝えながら、辻野さんへと正解を答えた。

 

「いいリンゴの日だ!」

 

「正解です! もー、知ってたなら、最初から言ってくれてよかったのにー! 

 あ! もしかしたら、それがプロデューサーさんが愛されキャラな秘訣ですか? リアクション芸!」

 

「ちがうわ!?」

 

 誰がリアクション芸だ、誰が! 辻野さんの担当は私のこと、なんて伝えているんだ! あの新人、実はいい性格してるだろ!? 夢見さんのプロデューサーでもあるからな、お前!!

 

 人畜無害な顔して、トラブルばかり起こす後輩プロデューサーを思い浮かべながら、私は辻野さんから逃げるように去る。ちなみに、別れ際に辻野さんから『りんごろうストラップ』が渡され、本物リンゴはくれないのかと、またツッコんでしまった。

 

 

 

 そういえば、なぜあの場に、工藤さんまでいたんだろう。

 

「『いいリンゴの日』って、青森県が決めたんですよ。アタシ、これでも先輩だし、同じリンゴ県のよしみだし……」

 

 だそうな。

 

 昼になった私たちの部屋で、シャリシャリとリンゴを剥きながら、遠い眼をして言う工藤さん。それを見る私と加蓮は、朝から大変だったね、と工藤さんを労わりつつ、至高の青森リンゴを待っていた。

 

 珍しい組み合わせと思われるかもしれないが、工藤忍さんが加蓮を訪ねて来ることは、実はよくある。

 

 先の映画共演を経て、加蓮と工藤さんは良い友人兼アイドルとして更に仲良くなっていた。元々の気質というか、勝気なところも似通っているし、共にファッションへ興味を持つ者同士。

 

 更に工藤さんは面倒見が良く、こうしてリンゴを剥いている姿も穏やかで、人の好さが伝わってくる。素朴な母性というのだろう。そういう性格は、振り回すタイプの加蓮と相性は良いようだ。

 

 加蓮がそんな工藤さんへと尋ねる。

 

「たしか山形リンゴ、全国四位になっちゃったんだっけ?」 

 

「そうなんだよね……。そこに『一位の青森が助けてください』って言われたら、アタシもなんか申し訳なくって」

 

「で、『りんごろう祭り(非公認)』に参加したと」

 

「……です」

 

 辻野さんは山形リンゴのPRのためにアイドルを志したのだから、心中穏やかではないだろう。

 

 あの後、辻野さんによるロビー活動は様々なアイドルとスタッフを巻き込みながら一時間ほど続き、結果、大量のりんごろうストラップがばらまかれた。

 

 私が事務所内を歩き回っても、その影響は見て取れるほどだ。面白がって身につけているプロデューサーも、さっさと机にしまっちゃう事務員もいるし、某ぴにゃ好きアイドルは嬉しそうにたくさんのストラップを腕に抱えていた。

 

 さておきそんな騒動の根拠となったように、今日は『いいリンゴの日』。青森県によって制定された記念日だ。

 

「ちょうどリンゴも美味しい季節だからって、語呂合わせで決めちゃったんです。でも、全国だとマイナーだし、親戚のおじさんたちも、農協でお祝いしたり、地元特有の宴会の口実になっちゃってます」

 

 次々にリンゴの皮を剥きながら、工藤さんが説明してくれた。

 

 話しているうちに、リンゴの皮は一本の赤いリボンのように下へ流れ、くるくると輪を作っていく。そうして現れる白いリンゴの果肉は甘い香りを部屋へと振りまいて、加蓮の表情を蕩けさせた。

 

 確かに、良いリンゴだ。

 

「んー♪ 甘いにおい! さっすが忍の地元のリンゴ!」

 

「今年も地元から送ってくれたから、いっぱい食べてね!」

 

「こりゃ美味しそうだ。……そういえば、辻野さんもさっき、部屋を回ってリンゴ配ってたな」

 

 てっきり『りんごろうストラップ』を配って終わりだと思っていたら、各部屋を行脚しながら山形リンゴの差し入れをしていたのだ。

 

 おそらくそこまでがPRの手段。最初にりんごろうでインパクトを残し、その後、謝罪と称してリンゴの売り込み、二段構えとは、やり手だ。

 

 私としては、あれだけ推される山形リンゴを食べてみたい気持ちもあるが、まずは、工藤さん自慢の青森リンゴを食べるとしよう。

 

 皮が剥かれ、つるりとしたリンゴは綺麗に六等分に切られ、見慣れた三日月形に。その白い果肉の真ん中には金色の蜜を貯め込まれていて、食べる前から喉が潤うほどの見た目だった。

 

 工藤さんが優しい笑顔で勧めてくれるので、私たちは遠慮なくいただくことにする。

 

「どうぞ!」

 

「「いただきます!」」

 

 フォークでリンゴを突き刺して、口へと。近づくだけで、既に甘い香りが全身をくすぐった。

 

 それが口へと届けば、もっとすごい。噛んで、シャクリと小気味いい音が耳に響いた瞬間、口の中いっぱいに上品な甘さが広がる。感想を言うよりも早く、目を細めてしまうほどのもので、しばし私も加蓮も無言でリンゴを堪能してしまった。

 

「しあわせー」

 

「同感ー」

 

「あ、あはは。プロデューサーさんも加蓮ちゃんも、同じ顔してる」

 

 だって美味しいのだから。これを食べたら、そこらのリンゴは食べられなくなってしまう。何にもしてない生のリンゴでこの甘さってすごいぞ。

 

「ありがとうございます! 感想、地元のみんなに伝えておきますね。美味しいって声を聞いたら、みんなの力になりますから。

 あ、あと、奏ちゃんは地方ロケって聞いたから、三つくらい置いておきます。また、みんなで食べてください」

 

「……なんて気の利く出来た子だ」

 

 優しさに泣きそう。

 

「Pさーん。私だってリンゴ剥けるよ? 気が利くって言ってくれないの?」

 

「加蓮と奏は、からかい挟んでくるでしょ」

 

「ぶーぶー! 忍ー、Pさんがいじめるー!!」

 

「はいはい。加蓮ちゃんもPさんも、もっとリンゴ食べて仲良くして?」

 

「「はーい」」

 

 工藤さんがいると、ほんとに和やかになるなぁ。奏と加蓮がいる空間は心地いいけれど、この波乱が少ないのんびり空間もたまにはいい。

 

 そうして黙々と食べていくと、丸々と大きかった青森リンゴは、あっという間に無くなってしまった。

 

 甘味に満足した加蓮は顔をツヤツヤさせながら工藤さんへとお礼を言う。

 

「あー、美味しかった! 忍、ほんとにありがと!」

 

「どういたしまして。加蓮ちゃんに喜んでもらえて、リンゴも嬉しいと思うよ」

 

「ふふっ、ねえ、忍! 私、こんなにおいしいリンゴ食べたの初めてなんだけど、育てるコツとかあるの?」

 

「それって、農家のコツとか?」

 

「そうそう。せっかくだから、知っておきたくて」

 

 確かに、そこには興味がある。今日いただいたリンゴは、間違いなく私たちの人生でナンバーワンな味だった。その極上のリンゴがどのように育てられているのか、知りたいと思う。

 

 工藤さんはそれを聞くと、

 

「うーん」

 

 と、腕を組み、考えながら言った。

 

「前にね、アタシのプロデューサーさんにも伝えたんだけど……。

 アタシの親は『日々の地道な努力』だって言ってたの。

 ……リンゴって、ほんとに手間がかかるんだよね。剪定したり、美味しくなる実を選んだり、それに雪国だから、冬を越させるために毎日雪を掻き分けて準備したり。毎日毎日、様子を見に行って……。それでも、台風が来たら、全部だめになっちゃったり」

 

 聞くだけで大変そうな、いや、想像もできないほどの過酷な作業だ。

 

 私たちはある意味、気軽に尋ねたのだけれど、工藤さんは地元の人たちが日々を努力していることを肌身で知っている。彼女が語る様子には真実味があって、私達にその情景を想像させた。

 

 来る日も来る日も、茂る青葉を見上げ、時にはおいしい果実を育てるために青い実を取らなければいけない。それでもリンゴは自然の一部だから、その意思によっては苦労が水の泡になることも。

 

 その苦難の果てに、こんなにおいしいリンゴを農家の方は届けてくれている。

 

 加蓮はその話を聞いて感じ入るものがあったのか、穏やかな声で。

 

「……ね、忍。それって」

 

「加蓮ちゃんも思った? ……アタシもね、アイドルに似てると思ったんだ。青い実は可能性があっても、そのままだと渋いまま。美味しいリンゴになって喜んでもらえるには、大切に育ててもらわないとって。

 昔は気づけなかったけど、ちゃんとアタシたちと繋がってる。

 リンゴはアタシたちで、農家さんは……」

 

「……プロデューサーさん達だね」

 

 加蓮はそう言って、いたずらな笑顔を浮かべながら『感謝してるよー』なんて私を突っついてくれる。

 

 手間と愛情をこめて育ったリンゴと、アイドル。私にとっての加蓮、奏と同じくらい大切なもの。それを考えたとき、あれだけ積極的に山形リンゴを広めようとしていた辻野さんの気持ちも分かる気がした。

 

(四位のままじゃいられないよな)

 

 もっと先へ、さらに輝いて。いつかはトップになるように。

 

 辻野さんがアイドルになったのは、両親から勧められたと聞くけれど、それでも、あれだけエネルギッシュに活動できるのは想いがあるからだろう。りんごろうではなく、リンゴへの。

 

 そして加蓮も工藤さんも、同じような道を歩いてきたリンゴへとエネルギーを貰ったようだ。

 

「それじゃあ、私たちもリンゴに負けないように、夢を叶えなきゃだね!」

 

「うん。アタシも、目指すはトップアイドル! 加蓮ちゃんにも、みんなにも負けずに輝くんだから!」

 

 祝杯代わりにリンゴを掲げ、一息に食べる加蓮と工藤さん。

 

 そんなアイドルの宣言を、輝きを放っているリンゴが見守ってくれていた。




美味しいリンゴってなんであんなに甘いのでしょう。

今日も加蓮の応援をお願いいたします!


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11月24日「進化の日」

総選挙最終日まで173日な11月24日


「ど、どうですか?」

 

「大丈夫。どこからどう見ても、立派なレディよ。ありすちゃん」

 

「……えへへ」

 

「…………私……は…?」

 

「もちろん雪美だって! 加蓮ちゃんコーデなんだから、信用して♪」

 

「…………うん」

 

「よしっ! それじゃあ、Pさん、入っていいよー」

 

 

 

 加蓮の呼びかけの声に応じて、私は扉を開けた。

 

 そこは衣裳部屋。アイドルが仕事で着る衣装が保管されている場所で、可愛らしいものや、シックで大人っぽいもの、中にはコスプレっぽい衣装まで色とりどり、所狭しと並べられている。

 

 そして、その真ん中には、四人のアイドルが待っていてくれた。加蓮と奏、それに小さなお嬢様たち。橘さんと佐城さん。

 

「……ペロ………忘れちゃ…………だめ」

 

 おっと、もちろん。

 

「素敵な子猫さんも一緒だったね」

 

「にゃあ」

 

 足元に寄ってきてくれた黒猫のペロへ、謝りついでに手を伸ばすと、ペロはその手に頭をこすりつける。促してくれていると思い、喉元をころころとくすぐると。気持ちよさそうにペロは目を細めて、小さく鳴いた。

 

「かわいいなー」

 

 ほかほかと柔らかくて、ずっと撫でていたくなる。そうしていると、佐城さんもほっこりと笑いかけてくれた。慎み深く、気持ちが柔らかになる笑顔だった。

 

「……加蓮のプロデューサーさん……、やさしい……ね」

 

「ありがとう、佐城さん」

 

「……私と……ペロからも……だよ」

 

 ペロも合わせるように「にゃあ」と一声。なるほど、息ぴったり。佐城さんがペロと言葉を交わせるという噂も、本当のように思えた。

 

 そんな佐城雪美さんは、今、白を基調にしたフリルたっぷりのドレスに身を包んでいる。頭には上品なハット。指先は加蓮が仕上げたのだろう、可愛らしいネイルが輝いて。

 

 事務所のアイドルの中では、まだまだ幼いという印象がある彼女だが、華やかすぎる衣装にも負けていない。穏やかな表情も相まってお姫様という言葉がふさわしい。蝶よ花よと育てられた宝物。

 

 お供のペロも、佐城さんに合わせ、白く可愛い帽子を頭に被っている。

 

 そんな風に佐城さんを煌めかせたのは加蓮。加蓮は自信満々だと顔に表しながら、佐城さんの両肩をぽんぽんと後ろから叩いて言う。

 

「どう? 可愛いだけじゃなくて、大人っぽく仕上がってるでしょ?」

 

「うん、それを佐城さんも着こなしていて、よく似合ってるよ」

 

 よく考えてコーディネートしたのだろう。装飾やネイルには加蓮らしい茶目っ気も加えられていて、魅力を高めていた。加蓮はいろんなアイドルのスタイリングを手伝っているが、また腕を上げたと素直に思う。

 

 おっと、佐城さんばかり見ているわけにもいかない。

 

「……わ、私の方は、どうですか?」

 

 普段より緊張して、おずおずと尋ねてくる橘ありすさんも、素敵な衣装を着て、輝いているから。

 

 佐城さんと対照的に、橘さんが纏っているのは黒系統のシンプルで細身のドレスだ。肩も大胆に出しているが、そこにはストールをかけて、手にはグローブ。

 

 橘さんへは、いつ見ても背筋を伸ばしてしっかりしている印象を持っていたが、この大人っぽい服装がその利発さが際立たせている。

 

 佐城さんがお姫様なら、橘さんは令嬢という形容が良いだろう。奏が彼女をレディと表現したように、まさに。

 

「な、なんとか言ってください!」

 

 とはいえ、私の無言の反応へ顔を赤くした姿は、年相応ともいえるのだが。

 

 いや、これは私が悪いな。見惚れていないで、ちゃんと感想は伝えてあげないと。

 

 私は膝をついて、緊張で目元を固くした橘さんへと視線を合わせると、精一杯にかっこつけながら言った。

 

「とても素敵ですよ。いつ舞踏会に出ても良いくらいに」

 

「っ! ……えへへ、ありがとうございます」

 

「あら、私にはそういう歯の浮くような台詞は言ってくれないのに……。嫉妬しちゃうわよ?」

 

「奏は褒めすぎると、あとが怖いからなぁ……」

 

 内心でどう思ってるかは、奏なら分かるだろうし。

 

 頬をかく私の気持ちは、分かりやすいのか。口にもだしていないのに奏は微笑み、加蓮と同じように自慢のレディを私へと紹介してくる。

 

「ふふっ、貴方が秘めている言葉は、後で暴いてあげるとして……。

 ありすちゃん、素敵でしょ? こういうシンプルなドレスは、着こなしが難しいのだけど、ありすちゃんなら大丈夫だと思って挑戦してみたの。そうしたら、私の予想以上に♪

 クールでも、ワイルドでもなく、今日はレディ・タチバナ。立派な社交界の華ね」

 

「か、奏さん! そこまで言われると……恥ずかしいです」

 

「あら、大丈夫よ? うちのPさんと同じように、世の中の男性はみんな、貴女の虜になるんだから。あとは堂々と、ね?」

 

 そうして橘さんの肩に手を置き、優しく語り掛けていく様子は、仲の良い姉妹にも見えるのだが……。

 

(言葉と雰囲気が、な)

 

 小悪魔チックというか、魔女チックというか。奏が橘さんをいけない方向へ誘いこもうとしているようにも感じられた。橘さんが悪い影響を受けないか、若干不安である。

 

「失礼しちゃうわね♪」

 

「日ごろを振り返ってみなさい。

 ……でも、佐城さんも橘さんも、素敵なコーデになったね。二人も、加蓮と奏も、素晴らしいと思う。さすがだ」

 

 二人を綺麗に磨き上げた加蓮と奏へ、私は心からの賛辞を贈った。

 

 今日はとあるファッション誌の仕事。その雑誌では奏と加蓮が半年ほど前から読者相談コーナーを持っているのだが、その反響が上々だったため、今回、特別企画が用意された。

 

 それは、二人が仲のいいアイドルをコーディネートするという企画。

 

 最初、その対象は同年代のユニット仲間等が挙げられていたが、紆余曲折を経て『年の離れたジュニアアイドル』をコーデすることとなった。加蓮たちのセンスを試してみたいと、そんな意図だろう。

 

 そこで、加蓮が選んだのは佐城さん。奏は橘さんを。イベントやユニット活動を共に乗り越えた親しい仲で、加蓮たちが妹のように可愛がっている小さくもクールな女の子たちだ。

 

 良い企画だと思う。二人の面倒見の良さや、コーディネート能力の深さを広めることができるし、佐城さん達もいつもと一味違った大人っぽさを見せて、違った魅力を発見できる。

 

 とはいえ、結果を見るまではどうなるか、不安でもあったのだが……。

 

(……杞憂だったな)

 

 問題ないどころか、大成功だろう。私は安心して、見事にドレスアップした小さなお姫様へと、この後の説明をすることにした。

 

「この後、佐城さんと橘さんは、外で待ってるスタッフさんの案内で撮影スタジオに行きます。

 そこでは、二人の担当Pさんも待ってるから、思う存分、驚かせてあげて」

 

「分かりました!」

 

「………うん、がんばる」

 

「よろしくね。

 それで、加蓮と奏は、二人の写真撮影が終わったら、別室でインタビュー。預けておいたカメラは……」

 

「大丈夫! ちゃんと二人を変身させてるとこ、撮っておいたから」

 

 メイキング写真が欲しいというので、デジカメを預けておいたのだが、加蓮の笑顔を見るに、いい写真が撮れたのだろう。

 

 そうして橘さんと佐城さんは撮影のために部屋を出て、後には私たちだけが残った。すると、加蓮は安心したように、ほっと一息をつきながら言う。

 

「ほんと雪美もありすも良い子だったぁ……。私の方が夢中になって着せ替え人形みたいにしちゃったのに、一言も疲れたとか言わなかったんだよ?」

 

「時間かかってたもんな」

 

「もちろん、私も加蓮も準備していたのだけど……。試着していくうちにどんどん二人が魅力的になっていくから、私たちもそれに応えなきゃって。

 ありすちゃんも、雪美ちゃんも、可能性の塊よ。磨けば磨くだけ輝いていく原石。プロデューサーさん達じゃないけれど、成長していくのが楽しみでたまらないわ」

 

 奏も感慨深げだ。

 

 事前に加蓮たちが用意したコーデプラン。けれど、橘さんと佐城さんがいざそれらを着てみたら、衣装が二人に負けて、魅力を十分に引き出すことができなかったという。

 

 そこからは加蓮たちの戦い。小さなアイドル二人の可能性に追いつこうと、自身のセンスと技術を総動員し、見事に役目を離した二人だったが、

 

 今は少しだけ、羨ましそうだった。

 

「羨ましいかどうかって言われたら、そうかもね……」

 

 加蓮はそう言ってほほ笑む。まだまだ幼い、だからこそ、未来の可能性たっぷりなアイドルへの羨望が微かにあった。

 

「あんなに小さかった頃、私が何してたかっていったら……二人が知っての通りに病院だったし。もちろん、その経験があったからこそ、今、これだけ頑張れてるって思ってるよ。

 でも、もっと小さいころにアイドルになってたら、今はどんなだったかなって想像しちゃう」

 

「神童も二十歳すぎればただの人、なんて言われたりもするし、これからどんな人に成長するかはありすちゃんたち次第。

 それは分かってるけど、あの可能性は眩しすぎるわよね。あの頃の純粋さを忘れてしまった私には」

 

 子どもの業界入りは、時々、議論の的になる。

 

 まだまだ学び、遊びたい盛りの子どもたちを、大人の世界に連れてきてしまうのだから。その世界に疲れてしまう子もいるし、夢を諦めて普通の人生に戻ろうとする子もいる。それは業界人として、私も耳にすること。更に、そのような経験をした仲間も事務所にはいる。

 

 ただ、橘さんや佐城さんのように、幼いが故の未来への可能性が、人々を惹きつけるのも確かだ。今の加蓮や奏には出せない魅力というものを、彼女たちが持っている。

 

「でもさ……」 

 

 私は橘さんや佐城さんがみせていた笑顔を思い浮かべた。

 

「加蓮や奏や、他のアイドルがいなかったら、まだ小さい二人が躓いちゃう時はあると思う。

 それに、加蓮たちが今日、あれだけ頑張ったのは、二人に負けたくないって気持ちがあったから」

 

 年齢や時間は神でもない限りに変えられない。そこは仕方ない。

 

 だから、今からどう進むのかが大切で、二人が此処にいることにこそ意味があるのだと、私は思う。

 

 なにより、二人だって可能性の大きな塊。他の皆には決して負けていない。

 

 そして、それは加蓮も奏も分かっていたことで、二人とも既に先に進む覚悟を決めている。アイドルなのだから。さっき見せたのは、ほんの少しの名残みたいなものだ。

 

 その証拠に、肩をすくめた奏たちは、次の瞬間には納得したように笑顔になっていた。

 

「ええ、そうね。楓さんだって、アイドルになったのは遅かったけれど、今、あれだけ輝いている。志希やフレデリカも、きっとそう。みんな、それぞれの過去を経て、この舞台に並んで立っている」

 

「私なんて、病院生活がなかったら、すぐにレッスンを抜け出してたかもしれないしね。今よりもっとワガママだったかも。……それに」

 

「ん?」

 

 加蓮の顔は、いつもの悪戯を思いついた小悪魔のそれに変わっていた。

 

「ちっちゃな私だったら、Pさんがプロデューサーにならなかったし……からかえなくなっちゃうよね♪」

 

「ふふふ、それはもったいないわね。毎日の楽しみがなくなっちゃうのは」

 

「そこは名プロデューサーと出会えないのを惜しんでほしいなぁ」

 

「残念。世間に名プロデューサーは数あれど、これだけからかわれやすいのは貴方だけ……」

 

 それなら仕方ない。何より、私も彼女達と同意見だった。

 

 以前、とある事務所の社長が言ったという『その人を見てティンときたなら、それが君の運命のアイドルだ』と。ピンときた、の間違いだとも噂されているが、それは今は関係ない。

 

 直感を信じていたその人が言いたかったのは、アイドルとプロデューサーの出会いは運命的なもので、だからこそ、ただの少女はアイドルへと変われるのだと。

 

 私だって、加蓮と奏に出会わなければ、ここまでプロデューサーを続けていたか、分からないのだ。

 

(さて、それじゃあ、二人の鼻を明かすためにも……)

 

 このまま『からかわれ上手』じゃ終われない。

 

 名プロデューサーらしく。この子たちを輝く未来へ導いていかないと。

 

 まだまだこれから、進化していく少女たちのために。




ミリで子どもの頃のSSRカードがありますが、奏の子どものころは見てみたいですね。髪も長く伸ばしていたと聞きますし。

それでは、今日も二人の応援をお願いいたします!


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12月1日「映画の日」

総選挙最終日まで166日な12月1日


 泡に包まれながら、怪獣王が消えていく。

 

 巌のような肌は脆く崩れ、鋼より硬い骨格も粉となり、断末魔と共に彼のすべてが消滅していく。何万人もの死傷者を出し、街を廃墟へと変えた大怪獣。けれど、死ぬときは我々と同じ、ただ一個の生物。

 

 この怪獣王との戦いで、人類は一つの勝利を得た。だが、それは果たして正しいことだったのだろうか?

 

 怪獣は人類の業から生まれた。なのに、人類は反省せず、その業も捨ててはいない。今も、際限ない欲望がこの星をむしばみ続けている。

 

 ならばどうして、怪獣王が彼一人だと言える? 

 

 彼の最期を見届けた人々に、喜びはなかった。問題は何も解決していないと、彼らは知っていたから……。

 

 

 

 白黒の画面が『終』の字を映す中、奏が厳かに宣言する。

 

「……さあ、感想戦よ」

 

 その手はよどみなくカップに紅茶を注ぎ、加蓮も机の上に置かれたポテトチップスの袋を開く。そして、私は手拭きを人数分用意。

 

 語り合う準備はこうして万全に整えられた。

 

 さて、今日は誰から感想を言うかだが……。ここはやはり、映画を持ち込んだ私からだろう。あまりにも偉大な怪獣映画だけあって、語りたいことは山ほどある。

 

 私は紅茶を一口飲むと、口を開いた。

 

「いつ見ても信じられないよ。これが六十五年前の作品なんて。

 加蓮は怪獣映画見るの、初めてかもしれないけれど、特撮技術もストーリーも決して古臭くなかったし、陳腐でもないだろ? 

 戦時下を生き抜いた特撮の神様が、その経験をもとに作り上げ、現代社会にも通じる警告も伝えた。このシリーズが今でも愛されるのは、間違いなく初代の功績だ」

 

「Pさん、めちゃくちゃ話すね」

 

「好きなのよ、怪獣」

 

「ふふふ、否定はしない」

 

 正確に言えば好きなのはロマンだがな!

 

 私の含み笑いは、華麗に無視された。

 

「それで、奏は?」

 

 並び順が私、奏、加蓮の順なので、右へと流す。

 

 すると奏も温かい紅茶で喉を潤し、そして白黒の画面をまっすぐ見つめ直した。映画に満足しているとき、奏はこうなることを、私も加蓮もよく知っている。これは、本気で語る時の仕草だ。

 

 奏は最初はゆっくりと、しかし、次第に口調を速めながら語り始める。

 

「映画やドラマ、映像を用いた芸術は数あれど、本来、彼らが造る世界観は想像の中にしか存在しないものよ。

 そして、その幻想を私たちに共有させ、共感を得るには、リアルが必要なの。情報を制限できる絵画や漫画、音楽以上に、映像世界が現実に存在しうると、観客に思わせなければいけない。

 だから、映画が生まれて以来、映画人たちはリアルの実現に心血を注いできたわ。今はCGが大きな役割を果たしているけれど、かつては特撮技術がその位置にあった。

 そんな歴史や作品の完成度を考えたら、うん、Pさんの言う通りに素晴らしい作品ね」

 

「奏もめちゃくちゃ語った……。アクション映画、そんなに好きじゃないのに」

 

「優れた作品は素直に認めるのが、私の鑑賞スタイルよ? ジャンル分けに囚われて、映画の本質を見失ってはいけないの。そういう加蓮は?」

 

「私かー」

 

 私たち二人は、既にこの映画のことも知っている人間だ。語り口にも蘊蓄やらが入って、自然と熱を帯びたものになる。一方で加蓮は、こうしたジャンルへの造詣は深くなく、私としてはそんな加蓮の感想が気になった。

 

 私たち二人の語りに圧倒されていたのか、若干の引き気味だった加蓮は腕を組み、ゆっくりと考えながら感想を話し始めてくれる。

 

「私はこのシリーズそんなに見たことないんだよね。病院って大きな音の映画って嫌われがちだし、退院してからは、触れるきっかけなかったし。

 あとは、穂乃香がちょっとキモ可愛い系ぬいぐるみ持ってたのを見たくらいかな? あれが怪獣だって、奈緒に聞くまで知らなかったけど」

 

 あの深海生物チックな衝撃キャラか。あれがキモ可愛いって人気出るのも、不思議な話である。

 

 私も予想した通りに、加蓮は事前知識が乏しかった。けれど、

 

「……私がこのあいだ出た映画って、色んな演出が加えられて初めて完成したんだよね。

 例えば、音楽の溜めを使ったり、シルエットで、出てくるキャラを強調したり。……そういうのが、この映画で、もう使われてたの、驚いたんだ」

 

「加蓮が出た映画はアクション物だったものね。技術がどれだけ進化しても変わらないものもある。この映画であったり、先人の演出手法が今も脈々と受け継がれているのよ」

 

「うん。ストーリーも、演出も、Pさんが言ってたみたいに、大昔の映画とは思えなくて。私もこの映画が作ってくれた道を歩いてるって思ったら不思議な気分だし、見てよかったって思うよ」

 

 最後はにっこりとピースサイン。

 

 それを見て、私もほっと胸をなでおろした。決して加蓮の好みの映画ではないだろうが、彼女にとって学び取れるものがあったなら幸いだ。

 

 こうして一通り、全員が感想を言い合って、我らが突発的映画鑑賞会は終了した。

 

 以前に喜劇王映画を見たように、私たちは時折、こうした映画鑑賞会を開いている。場所は事務所であったり、遠出したところの宿であったり、ジャンルもいろいろ。作品を選ぶのは持ち回り式で、加蓮が恋愛映画を持ってきたり、私がアクション映画を持ってきたり、奏がヒューマンドラマを持ってきたりと色々だ。

 

 加蓮も奏も、それぞれ好きな映画は異なるが、奏が言っていた通りに好き嫌いをしていては知識や感性にも偏りが出てしまう。映像作品はアイドルとしての振る舞いや演技にとっても良い教材となるので、そこは二人も異論を持たず見てくれる。

 

 たまに、とんでもC級が飛び込んできて、全員が何とも言えない顔で沈黙することもあるのだが、それもご愛敬。

 

「さて、いい映画も見て、いい紅茶も飲んで、あとは帰るだけなんだけど……」

 

 せっかく気分が高まっているところだから、二人に別の意見も聞いてみよう。

 

「今年は二人とも映画の仕事多かっただろ?」

 

「私はディーヴァファイトと……」

 

「あれ忘れちゃダメだよ、サメ映画♪」

 

「忘れたいのだけど……その通り。で、加蓮は忍や唯達とアクション映画で主演。ライブや他のお仕事の合間にいれたとは思えないほど、映画に出れたわね」

 

 奏は南条さんの師匠兼悪役という美味しい役どころ。加蓮は数多くのキャストの中で主演を務め、自分の過去ともリンクしそうな役柄。二人ともそれらを立派に演じてみせ、役者としての声望も高まっているのを感じる。

 

「あとは……前にPさんが言ってた映画のお仕事、サスペンス映画での助演が予定されてるのくらいかしら? 撮影はまだ先だけど、私もよく見る監督の作品だから期待してるわ」

 

「喜んでくれたなら何よりだよ。

 それで、来年も二人が希望するなら映画の仕事を入れたいと思うんだけど、やりたいジャンルとかある?」

 

 タイアップやらの関係によっては、希望全てを叶えられないかもしれないけれど、私としては二人の意思を最大限尊重したい。

 

 尋ねると、加蓮も奏も表情をほころばせた。

 

 自分がやりたい仕事、目指したい姿。それを頭の中で思い浮かべているのだろう。果たして、どんな夢が出てくるのか、こうして未来の想像を共にする時間が私も好きだった。

 

 最初にイメージが固まったのは加蓮。彼女は加蓮らしく元気に、目を輝かせながら言う。

 

「私は青春映画とか、やってみたいな! ほら、ダンスとか音楽とか、そういう部活物ってあるでしょ? 撮影だけど、思いっきり楽しんで!」

 

「ふふっ、このお仕事やってたら、部活動とは無縁になってしまうものね」

 

「そうそう。せっかくいろんな役になれるなら、欲張りに学校の思い出も作っちゃいたいから」

 

 なるほど。

 

 加蓮の話を聞いていると、不意に思い出したことがあった。

 

「……そういえば先輩が言ってたな、トライアドプリムス全員で映画出演とか狙おうって」

 

「え!? ほんと!? 凛と奈緒も一緒なら、面白そう! Pさん、Pさん、それやってみたい!」

 

 さてさて。加蓮の熱意に押されながら、私も想像してみる。

 

 舞台はとある高校。そこで個性豊かな女子高生三人組による青春劇が描かれるのだ。クールで高嶺の華な渋谷さん、人当たりが良い人気者の神谷さん。

 

 加蓮は……物語を動かす転校生役が良い。最初は周りと馴染めず反発するも、映画を通して成長し、かけがえのない友達を得ていく。

 

 そのイメージを加蓮に伝えてみると、驚いたことに、加蓮は「わかってないなー」と言いたげに指を動かした。

 

「それじゃあ、いつものトライアドと変わらないでしょ? ここは役割を替えて、奈緒は文学少女で、凛は勝気なスポーツマン、それで私が深窓のお嬢様!」

 

「加蓮がお嬢様……か」

 

 似合うだろう。普段のお転婆お姫様だけでなく、儚さまで加蓮は表現できる。別の人間になりきれるのが作品の面白さ。加蓮にとっても楽しい仕事となるに違いない。

 

「いいね。次は主題だ。加蓮は何に挑戦したい?」

 

「流行ってるガールズバンドとかはどう?」

 

「あら、加蓮は楽器弾けるの? 映画だからって弾けるフリとか、そういうの嫌いでしょう?」

 

「うっ!? あ、でも、その時は夏樹にギター教わるから」

 

「……確かに、先生役はたくさんいるし、加蓮ならすぐに覚えそうね」

 

 奏はそう言ってほほ笑んだ。加蓮の成長速度は、奏も十二分に知っている。

 

 私としても、この素案は面白いものだ。トライアドの新曲を青春ロックにして、映画のタイアップにするという手もある。今度、先輩たちに持ち込んでみよう。

 

「やった! じゃあ、次は奏ね。奏は何かやりたい映画ないの?」

 

「そうね、ミステリーは出演が決まっているし……。

 加蓮が凛たちと出るなら、私もLiPPSのみんなで出るのもありね。ねえ、Pさん、妖艶なゴシックホラーなんてどうかしら?」

 

 怪しげな洋館を舞台にして、と奏がささやくと、すぐに、私の脳裏にその光景が浮かんできた。

 

 嵐の夜に迷い込んだ主人公。彼を出迎えたのは、豪奢なドレスを着た、五人の美少女たち。けれど彼らはどこかモノノケじみて、主人公は恐怖とスリルの一夜を過ごす。果たして、無事にこの館から抜け出すことができるのか。

 

 主題歌としてLiPPSが歌唱する曲まで、イメージは固まっていく。

 

「演出やストーリー次第だけれど、上手く演じる自信はあるわよ♪」

 

「確かに名作ができそうだな……」

 

 めちゃくちゃ怖くなるだろうけど、それも一興。奏の演技力も最大限に活かせる。唯一の問題らしい問題は、LiPPS五人組を一つの場所に置いておくと、何が起こるか分からないこと。

 

「現場の担当は誰になるのかしらね? 私としては、みんなに振り回される貴方の顔を見るのも面白いと思うけど」

 

「その時は全力で他のプロデューサーも巻き込んでくれる」

 

 いざとなったら担当P四人全員を引き連れてだ。私だけ七色に光るのは嫌だ。

 

 奏は私が真顔になるのを見て、くすくすと笑った。

 

「冗談よ。その時は私も美嘉も、協力してあげるから。

 ……それで? この案でどうかしら?」

 

「もちろん。面白そうだからね。加蓮のも奏のも、上にもっていってみるよ」

 

 こちらで多少のブラッシュアップや、関係各所との調整も必要だが、みんな面白がってくれそうだ。

 

 すぐにメモを取り出して、二人のアイデアを夢中で書き込んでいく。すると、そんな私を見ていた奏は、ふと思いついたように、横目に興味の色を光らせた。

 

「ねえ、Pさん」

 

「なんだい?」

 

「……青春もホラーも良いけれど、こういうのはどうかしら? 恋愛映画、なんて」

 

 ……なんだと?

 

「あ、そうだよね。アクションも、ミステリーも、ホラーも出てきたけど恋愛映画もメジャーだもん!」

 

 加蓮もまた、奏が何を言わんとしているか察したように、小悪魔のように声を躍らせる。

 

 そんな二人に嫌な予感を覚えながら、私は口を開く。

 

「奏は恋愛映画、苦手でしょうに……」

 

「ええ。けれど、演じる役としては興味はあるわよ? 誰かを好きになる気持ちは、物語の基本。アイドルとして愛を歌うのなら、いい経験だと思わない?」

 

「いやいや、君達は」

 

「Pさん、アイドルだから禁止って言うのは、ズルいんじゃないかな? 演技だよ、ただの演技」

 

 演技といっても、恋愛シーン。キスやらなにやら盛り沢山。

 

 それらは現役アイドルにとって、好ましくないイメージを与えることもあり、業界的にアイドルを積極的に起用することは少ない。サブキャラとしての出演はあっても、ヒロインは特に。

 

 ただ、奏達が本気でこのようなことを言っていないことは分かっていた。面白そうにからかっているだけ。

 

 二人は小悪魔のように、シチュエーションを口ずさんでいく。

 

「夜景を眺めた高台で」

 

「豪華客船の先端で」

 

「パーティー会場なんていうのも、いいよね?」

 

「吹雪の山荘もスリルたっぷり」

 

「抱き合って」

 

「見つめあって」

 

「キスして」

 

「愛してるって伝えるの」

 

 ふふふふ、と焦らすように伝えてくる二人へ、私は断固たる決意で表明する。

 

「二人にはまだ早いです!」

 

 いつかは役者として、そういう場面を演じるかもしれないが、当面、私はそういう仕事を入れるつもりはないぞ。役者である前に二人はアイドルなんだから、歌って踊ってのステージがふさわしい。

 

 そう告げると、二人そろって、手で口を抑えながら笑いだしてしまう。

 

「あははっ! もー、Pさん、そんなにムキにならないでよ。大丈夫。ちゃんとした恋愛もまだなのに、演技したくないから」

 

「ええ。私だってアイドルとしても役者としても、安っぽい存在になるつもりはないもの」

 

 

 

「「けど」」

 

 

 

「いざっていう時に、経験がありませんっていうのも、変だよね……」

 

「ロマンチックな景色を見ながら、心通わす。それくらいは、必要よね……」

 

 二人は、私を狙うように。

 

 傍から見たら美女に言い寄られている光景だろうが、私には首に美しい蛇が巻きついているようにしか思えなかった。思えば、二人が一番似合う役どころなんて、最初からわかりきっていた。

 

 人を惑わせ翻弄する、小悪魔だ。

 

 私は両手をあげて降参のポーズをとりながら、二人へ言う。

 

「……今日のディナーで勘弁してくれ」

 

「やった! ねえねえ、奏はどこ行きたい?」

 

「あそこが良いんじゃないかしら? 港のレストラン」

 

「ちょっとまって! そこ高いやつだろ!?」

 

 すると加蓮と奏は役者のように笑いながら、ウィンク一つ。

 

「いいじゃない。恋愛はまだ早いけど……」

 

「今だけは映画みたくロマンチックに、ね♪」




テイルズコラボやディーヴァファイトなど、映画のお仕事が多かったモノリリです。SdBでもPLでも映画撮影してましたし、いろんな映画に出てそうですね。

それでは、今日も二人の応援をお願いいたします!


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12月12日「ダズンローズデー」

総選挙最終日まで155日な12月12日


「北条! 少し遅れているぞ! 速水! 動きを小さくまとめるな、もっと大きく使え!!」

 

「「はい!」」

 

「黒埼! 腕が下がりだしたぞ、最後は気合だ! 負けるんじゃない!!」

 

「はい……!」

 

「白雪は表情だ! うつむくな、苦しさをみせるな!」

 

「はいっ」

 

 レッスン室に厳しい声が乱れ飛んでいた。

 

 音楽に合わせて踊る、四人の影。何も知らずに見れば、既にパフォーマンスとして完成していると思ってしまうほど、滑らかに舞い踊る偶像たち。

 

 けれども、彼女たちの到達点はまだまだ先。足元から指先まで、全身で音楽と感情を伝えなければ、万人を感動させることができない。

 

 だからこそ、トレーナーは彼女達を叱咤する。舞台に立つときに最高のパフォーマンスができるように。

 

 それは聞く人が聞けば、縮み上がってしまいそうな迫力がある。離れたところで見る私にも、声の強さがびりびりと伝わり、肌が粟立つほど。

 

 それらを浴びながらも、四人のアイドルはダンスを止めない。

 

 そうして一歩一歩、彼女たちの動きは洗練されていく。輝く舞台では四分足らずで終わる曲だが、そこに至るまでには何百倍もの泥臭いほどの努力が隠れているのだ。

 

 夢見るだけでは成り立たない。アイドルは辛い場所でもある。

 

(……でも)

 

 加蓮を、奏を見る。

 

 汗をかき、髪を振り乱し、笑顔を輝かせている。この努力も、時間も、全ては高みを目指すため。トップアイドルになるためだと知っているから、二人は迷ったりしない。

 

 それに、二人は負けず嫌いだ。隣にライバルがいて、しかも年齢は近くとも後輩。

 

 情けない姿は見せられない。

 

「ちとせ! もうギブアップ!?」

 

 加蓮が隣に立つ黒埼ちとせさんへと鋭い声をかける。長く続いたダンスの中で、黒埼さんの足元は次第に足元がおぼつかなくなっていた。けれども、声を受けた彼女は、

 

「っ……!」

 

 ダンッと足を踏みしめ、体を支える。次の瞬間には、ダンスに力強さが戻っていた。振り絞るように上げた顔には好戦的な笑み。

 

 それを見て、加蓮の瞳もギラギラと輝きを増す。

 

『追いついてきて! もっと輝いて! その方がもっと楽しいから!』

 

 黒埼さんの身体が弱いことは皆が知っている。体力がない彼女にとって、このレッスンは溺れる様な苦しさを伴っているだろう。

 

 それを北条加蓮は誰よりも知っている。

 

 だからこそ、もっとできるだろうと、このままでは止まれないだろうと。自分が生きた証を残したいなら、ここで足踏みなんてしていられない。

 

 黒埼さんを捉えた加蓮の視線は強く強く告げていた。

 

 奏もそう。

 

「千夜!」

 

「わかって、います……!」

 

 加蓮と違い、白雪さんへは呼びかけるだけで後は無言。けれども、手本を示すように奏は華麗なターンをみせた。

 

 白雪さんはそれを横目で見ると、競う様に同じ動作。見て学び、即座に自分の技術へ取り込もうとしている。白雪さんの表情は薄くとも、奏達に負けまいという気迫があった。

 

 彼女だって、奏達に負けてられない。

 

 アイドルへの動機が弱かったという白雪さん。だが、一緒に踊っているのは、ユニットを組んでいるのは敬愛する黒埼さん。白雪さんへの評価はそのまま、黒埼さんにも繋がる。黒埼さんを守りたいなら、支えたいなら、白雪さんだって前へ進まないといけない。

 

 彼女は自らを『従者』と定義しているのだから。大切な人のために、白雪さんは意地を張り続ける。

 

 そんな白雪さんの意地は、奏にとっても親しみ深いもの。輝く理想を成し遂げたいと演じ続けるのは、速水奏も同じだ。

 

『意地を張りなさい。今はただの嘘でも、仮面でも、貴女が意地を張りつづければ、いつかは本物になるのだから』

 

 年少組にならば、丁寧に諭すだろう。だが、白雪さんには振り返ることもせず、背中だけをみせる。この後輩が、多少の苦しみで止まるわけがないと知っているから。

 

 彼女らのレッスンは、より激しさを増しながら続いていった。

 

 

 

 『Velvet Rose』

 

 黒埼ちとせと白雪千夜。

 

 モノクロームリリィと同じく、花の名前を冠する白と黒のアイドル。

 

 二人がアイドルとなった当初から、ステージ上のパフォーマンスに、パーソナリティに、加蓮たちと重なる部分があると考え、私は勝手にライバル認定していたが、それは正しかったのだろう。

 

 加蓮は、体のハンデを抱えながら輝こうとする黒埼さんへ。

 

 奏は、理想を汚すまいと懸命にもがき続ける白雪さんへ。

 

 二人がVelvet Roseへ向ける意識は、この合同レッスンを通じてより明確となっていた。

 

 それは私にとっても望ましく、彼女達だからこそ作り上げるステージを、今から心待ちにしている。互いの意思をぶつけ合い、認め合うことでアイドルは磨き上げられのだから。プロデューサーとして、その瞬間は大きな喜びに他ならない。

 

 

 

 そして、そのステージがすぐ近くに迫っていた。

 

 12月12日『ダズンローズデー』。

 

 一ダース、十二本のバラによる花束は、その一本一本に感謝や誠実と言った意味をもち、プロポーズに相応しい贈呈品とされている。

 

 その「ダズンローズ」にちなんだ記念日に開かれる、十二ユニットによるライブへと、加蓮と奏も参加することになったのだ。

 

 さらに、このライブでは面白い企画が用意されていた。花束は組み合わせることで魅力が増す。だからこそ、各ユニット合同によるステージを示す、と。

 

 例えば、城ヶ崎姉妹の『ファミリアツイン』と久川姉妹の『miroir』でポップな曲を歌ったり、渋谷さん達『ニュージェネレーションズ』は辻野さん達三人組と正統派アイドルソングを披露することになっている。

 

 そして、『モノクロームリリィ』は、この練習の通り、『Velvet Rose』と共に激しくも妖艶な曲を歌い上げることになった。

 

 どれも既に確固たる人気をもつユニットと新人の組み合わせ。恐らくだが、この企画を切欠として、新人アイドルをより事務所に馴染ませたいという上層部の意図もあるのでは、と私は思案している。彼女らが参加してから、既に長い時間が経った。ステージを共に経験させることで、垣根を取り払い、横並びにしたいのだろう。

 

 さて、その役割にうちの二人が選ばれたのは、安定感があると思われたのか、後輩にも遠慮しないと思われたのか。どちらにせよ、上層部の思惑は関係ない。

 

(モノクロームリリィは変わらず、全力でステージを魅了する)

 

 仮に後輩がのんびりしていたら、置いていってしまうだけだ。

 

 もっともVelvet Roseの二人だけでなく、担当プロデューサーも白雪さんの発言に顔色を変えない肝が据わった男。不安など感じることはなく、レッスンの時点で加蓮達は黒白主従とバチバチ火花を散らし合っていた。

 

 これなら二人にとってもいい刺激となるに違いない。

 

 より輝きたい、より高みへ行きたい。強いライバルの存在は、彼女らを動かす起爆剤。

 

 そして、ライバルとしてだけでなく……。

 

 

 

「……お、ようやく休憩か」

 

 私は寄りかかっていた壁から離れて、足元に置いていたクーラーボックスを担ぎ上げた。

 

 今まさに、マストレさんが音楽を止め、休憩を言い渡していた。それと同時に、加蓮たちは床へとへたり込んでしまう。奏までもぐったりとしているのを見るに、相当にお疲れ。この後もレッスンは続くのだから、労わってあげないと。

 

 休憩のために外へ出るマストレさんに簡単に挨拶をしてから、私は急いで彼女達へとボックスの中身を差し出した。

 

「みんな、お疲れ様。ドリンクの差し入れ、どうぞ」

 

「ふぅ、はぁ……。

 ありがとー、Pさん。……ほんっと、つっかれたー、久しぶりに体に力が入らないよ」

 

「ふふっ、加蓮は特に気合入れてたものね……」

 

「曲もダンスもオシャレでカッコいいからね♪ がんばらないと。それに……」

 

 加蓮と奏は楽しそうな視線を横へと送る。そこには肩を大きく動かし、へろへろになっていた黒埼さんと、介抱する余裕もなさそうな白雪さんがいた。

 

 加蓮はそんな二人を微笑ましく見ながら、

 

「ちとせと千夜も一緒なんだから、良いステージにしないと、でしょ?」

 

 言い、近くに置いてあったタオルを黒埼さんへと投げる

 

 そうして加蓮の手から離れた白い布は、ふわっと空気を受けながら、黒埼さんの綺麗な金の髪をすっぽりと包んで止まった。のろのろとそこへ伸びていく、白すぎるくらいの指。黒埼さんはタオルを取ると、汗をぬぐいながら加蓮へと力なく微笑む。

 

「あ、あはは……加蓮ちゃん、ありがと……」

 

「ドリンクもいるでしょ? どれがいい?」

 

「じゃあ……新鮮で真っ赤な……って、冗談言ってる場合じゃないよね。お水でお願い」

 

「はい。転がしちゃうよ」

 

 ころころと、黒埼さんめがけて転がっていく透明なペットボトル。それを受け止めたのは黒埼さんではなくて、隣に座った白雪さんだった。白雪さんは蓋を開けると、黒埼さんへ差し出し、黒埼さんはお礼を言いながら水を飲み、少しむせてしまう。

 

「お嬢さま、そんなに急に飲まれては……」

 

「……休憩、そんな長くないから、急がないと。千夜ちゃんも、ほら、はやく休んで」

 

「……それでは、私も。……まったく、お嬢さまにこんな激しいダンスをさせるなんて」

 

 白雪さんもようやく肩の力を抜いて、水を飲み始める。そんな白雪さんへと奏が言う。

 

「あら? ちとせもよく踊れてたと思うわよ」

 

「ええ、お嬢さまはそれぐらいこなしてみせます。けれど……」

 

 白雪さんはそこで黒埼さんの顔を伺った。ありありと心配の感情が表に出ている。従者である彼女からすれば、主が疲労困憊する目に合わせるのは不本意なのだろう。

 

 けれど、黒埼さんの力は弱くとも凛々しい微笑みを絶やさなかった。まだ続けられると、続けたいと。黒埼さんは無言で告げる。白雪さんはそんな主を見て、次いで奏と加蓮を見て、最後には呆れたようにため息を吐いた。

 

「……なるほど。『壁を破ってみようか』というのは、そういうことか」

 

「……ギリギリのとこ、魔法使いさんは狙ってくるんだよねー。『こういうのも面白いだろ』とか言ってたから、これも予想済み、かな?」

 

「あー、それって二人の担当プロデューサーから? あいつ、けっこう熱血系だからなー」

 

 担当プロデューサーのことを思ったのか、白雪さんが苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、黒埼さんはようやく声を転がした。

 

 二人をアイドルにしたプロデューサーは、冷静な顔をして、割とスパルタなことを言う、古風なタイプの人間だ。きっと、何でもないように、このレッスンへと二人を送り出してきたのだろう。

 

 そんなことを伝えると、黒埼さんは手を口に当てながら笑った。

 

「あはっ! 魔法使いなのに熱血系って、変な話だね。そういう貴方はどんなタイプなの? 加蓮ちゃんたちの魔法使いさん?」

 

「私? 私は……」

 

「「ロマン系」」

 

 おいこら、二人とも。 

 

「嘘はついてないわよ」

 

「ロマンって何だよ、ロマンって」

 

「事実でしょ? ロマンチストなプロデューサーさん?」

 

「ふぅーん、ロマンチストなんだねー。それじゃあ、ああいうことするの? 夜の庭園で月を背にして告白とか?」

 

「あははっ、そんなことしないよ。うちのPさんはね、冒険とか、探検とかが好きなタイプ」

 

「……子ども?」

 

「ええ、子どもっぽい人なの♪」

 

 加蓮と奏により、少しだけ不本意な私の情報が広がっていくが、それを聞く黒埼さんは楽しそうで、私はわざわざ否定しようとは思わなかった。白雪さんだって表情は変わらないように見えるけれど、少しだけ周りの空気が和らいでいるように感じる。

 

「宝の地図をもって、事務所を探検したり」

 

「志希の薬で変身しちゃったりね」

 

「あと、隠れて星を観に行っちゃったり、そういうことばっかりしてるんだ」

 

「あはは! たのしそー。ねえねえ、このライブだけじゃなくて、今度、一緒のお仕事もしようよ。あなた達のこと、もっと知りたいな」

 

「もちろんよ、ちとせ。……貴女がいたら、うちのPさんをもっと……からかえそうだもの♪」

 

 あ、これこのまま放置しておくと、私にとんでもない災難が降りかかってくるやつだ。

 

(……けど、まあいいか】

 

 こんな風に笑えれば、体に元気も満ちていく。

 

 時計を見たらもう少しでレッスン再開の時間。休憩直後は、もう立ち上がれなさそうな様子だった黒埼さんも、ゆっくりと膝を手で押すようにして体を起こす。

 

 まだまだ足は震えているけれど、顔は明るく、力に満ちていた。

 

「よしっ、と……。加蓮ちゃん、奏ちゃん、楽しいお話、ありがと。

 でも、私だってアイドルなんだから、気遣ってもらってばかりじゃ……ダメだよね♪」

 

「気遣いって、何のことかしら? 私はプロデューサーの楽しい話をしていただけだけよ。ねえ、加蓮」

 

「そうそう。いつも通り、Pさんをからかっていただけ」

 

「……貴方も苦労しているのですね」

 

 白雪さんが私の肩をポンと叩き、憐れむような視線を贈ってくれる。

 

 もしかしたら、黒埼さんの思い付きに振り回される彼女は、私のよき理解者となってくれるかも……。

 

「ああ、それはありません。お嬢さまが戯れる際には、私も全力でお手伝いしますので」

 

 ……君も仕掛ける側か。

 

 白雪さんの言葉に、加蓮たちも一斉に笑い声を上げた。

 

 それを区切りに、四人は表情を切り替えて、再びやってくるマストレさんを迎える。顔にはアイドルらしく前進の意思が溢れていて、マストレさんさえ驚かせた。

 

「……いい顔をしているな! よしっ、この後も遠慮なくやるぞ!」

 

 加蓮たちの応じる言葉も意気揚々と。

 

 四人は並んで立ち、目の前の困難を乗り越えようとしている。

 

 多種多様なアイドル。お互いに競い合い、磨きあうことで、高みを目指すことができる。

 

 けれど、ただのライバルじゃあ、物足りない。

 

 一緒に苦難も乗り越えて、喜びも悲しみも共有した仲間になれてこそ、彼女たちはどこまでも遠くへ飛び立つ力を得る。

 

 

 

 その後、モノクロームリリィとVelvet Roseによる合同ステージは、大きな反響を得ることになる。

 

 彼女達の歌とダンスによって、見る者すべてが夢と幻想の世界に引き込まれたと。




実は大阪ライブ以来、ちとちよの二人も応援しています。

それでは! 今日もモノリリの応援をお願いいたします!


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12月25日「クリスマス」

総選挙最終日まで143日な12月25日


 声、鼓動。

 

 それら、さざめく音は本来、この広すぎる会場では何の形を作ることなく消えていくはずの存在。けれども今、それらは一つの塊になって、大きな熱気となって存在感を放っている。

 

 まるで、一個の生き物のようだ。

 

 このカーテン向こう側で、アイドルの登場を待つ何万人もの観客。

 

 この脈動。彼等の想いが一つになっている。誰もがアイドルを待っている。歌と踊りが夢を届け、ファンが惜しみない愛を贈る、そんな素晴らしい時間を心待ちにしている。

 

 この空間に立つたびに思う。アイドルは、素晴らしい存在だと。

 

 アイドルはファンに、ファンはアイドルに、ありがとうと感謝を伝え合えるんだ。

 

 互いの信頼があって、はじめて成り立つ舞台。この世界に、そのような素敵な感情で溢れた場所はどれだけあるのだろうか。きっと、そこまで多くはない。

 

 会場の熱にあてられ、知らず手のひらを握り締める中、衣装を纏った加蓮と奏がやってきた。

 

 二人とも落ち着いている。落ち着いていて、ほどよい緊張に満ちた絶好のコンディション。毎日のレッスンの成果を、この数時間にぶつけると、堂々と立つアイドルがそこにいた。

 

 そんな二人へと、私は静かに声をかける。

 

「準備はバッチリ?」

 

「もちろん! こんなにファンが待っていて、奈緒も凛も、みんなで頑張るんだから。これで気合が入らないなんて、あり得ないよ」

 

「それに今日はクリスマス。誰もが大切な人と共に過ごし、愛に満たされる聖夜。この場所に来たファンのみんなは、その愛を私たちに向けてくれている。だったら私たちが、皆にプレゼントを贈らなきゃ。

 私たちはサンタクローズじゃないけれど、アイドル。愛と夢を届ける偶像だから、ね」

 

 返ってきたのはそんな、それぞれの決意表明。

 

 奏が言う通り、今日は12月25日クリスマス、愛の記念日だ。

 

 そして、私たちの事務所では毎年、ドームを貸し切った年内ラストライブを開いてファンへの感謝を伝えている。

 

 もちろん加蓮と奏も出演し、ソロ曲を数曲披露後、モノクロームリリィを含めたいくつかのユニットとしてもステージを盛り上げることになっている。

 

 夢のような一夜の開演まであと数分。そして、今、二人がこの舞台袖まで来たということは――。

 

 

 

「トップバッターは、みんなのアイドル、北条加蓮だよ!! 今日は忘れられない日にするから、ついてきてねー!!!!」

 

 開演と同時に、加蓮が元気よくステージに飛び出し、柔らかい声を張り上げ、観客へ宣言した。

 

 その瞬間、観客席は大爆発。雄たけびのような応援のコールが加蓮を包み、その顔を満開に花咲かせて彩る。

 

 加蓮が選んだ一曲目は、開幕らしくアップテンポ。

 

 薄荷やFrozen Tears等、落ち着いた曲調が多い加蓮は本来、中盤で会場を引き締める役割が多い。けれどもこの年内最後のライブに、加蓮は一番手に名乗りを上げた。

 

『私は一番になるんだよ? トップアイドルが、ライブを引っ張れなくてどうするの?』

 

 メラメラと燃え上がるほどの気合を放ちながらの宣言。

 

 衣装はその心を表現する『プロミネンス・プライド』。

 

 燃え上がっても決して消え去ることのない不死鳥となって、加蓮は高く高く飛び立っていくことを望んだ。

 

 そして今、宣言の通り、加蓮は全力で会場を盛り上げている。腕を振り上げれば、観客が跳ねあがる。声を張れば熱狂が木霊する。加蓮の視線がファンを貫くと、熱意が伝播し、彼等はライブへのめり込んでいく。

 

 その一瞬、その姿に、不意に加蓮の昔が重なった。

 

 ダンスをするたびに息が切れ、倒れ込むほどだった、アイドルの卵『北条加蓮』。私の抱いた名残を、

 

「まだまだ! もっと盛り上がって! もっと燃え上がって!!」

 

 今の加蓮が燃やしつくす。

 

 卵から見事に孵り、フェニックスとなった加蓮に限界はない。

 

 ステージの端から端まで走り回っても、まだまだ元気だと、力強く歌い上げる。トップバッター。ライブの成功を左右する切り込み隊長を務めることに迷いも一切なく、眩しいほどに輝いている。

 

 ボルテージが高まらないわけがない。

 

 きっと、会場の皆にも伝っているだろう。このステージは加蓮にとっての宣戦布告だと。

 

(トップに立つって、そう言ったもんな……)

 

 今年の総選挙。惜しくも二位となった加蓮。

 

 彼女がどれだけの悔しさ、口惜しさを抱いたか、私にだって分からない。一位となったのは加蓮とも仲が良い本田さんだったから、本田さんの喜びも近くで感じていただろう。

 

 でも、加蓮は俯かず、上だけを見つめた。その強さを加蓮は手に入れていたから。涙が目に染みても、高い目標を見据え続ける、そんな力強さを。

 

 強く、強く、もっと、もっと。

 

 最後のワンフレーズまで開幕曲を歌い上げ、加蓮はそこでようやく大きな息を吐いた。呼吸すら忘れたような、そんな魂を込めた歌だった。

 

 加蓮がゆっくりとマイクを口元へ。

 

 ファンも、加蓮の一言を聞き逃すまいと、一瞬で会場に静寂が広がる。

 

「……あのね」

 

 最初の言葉は、静かだった。

 

 両手でマイクをぎゅっと握りしめた加蓮の言葉は、はにかむような小ささから始まった。

 

「いつも思うんだ。ここは素敵な場所だって。みんなのサイリウムが星空みたいに輝いて、私を応援してくれて、支えてくれる。

 それで、私の夢が、みんなの夢になって、どんどん夢の輪っかが広がって……」

 

 かつて、小さな部屋でアイドルを夢見た少女がいた。

 

 その女の子はたくさんの努力を重ねて、アイドルになった。

 

 今、その子が人に夢を与えている。

 

「昔、思ってたんだ……。夢はいつか終わるって。叶わなかったり、消えちゃったり、この場所を知らなかった頃は、そんなことを思ったりしてた」

 

 でも、

 

「今はわかるよ。……夢は終わらない。

 どんなに苦しいことがあっても、くじけることがあっても、前を向いて、進み続けたら、夢はいつでも目の前で、私たちを照らしてくれる。

 でも、私だけじゃ、その夢には届かないから……!!」

 

 加蓮の声は力強く。

 

「みんなの夢も私に乗せて! みんなの夢も私が支えるから!! 北条加蓮はその想いでどこまでも高く飛んでみせるから!!!」

 

 加蓮の夢、ファンの夢、私たち仲間の夢をのせて、加蓮は次の曲を歌う。

 

「それじゃあ聞いて!! 『Trust me』!!!」

 

 トップアイドルという目標に一歩届いた、挑戦が始まった曲を加蓮は魂を込めて熱唱した。

 

 

 

 そして加蓮の情熱の後には……

 

「次は、私の番ね……」

 

 一声。

 

 燃え上がった会場は、通り過ぎた奏の声によって、静寂に満ちる。

 

 けれど、それは冷却を意味しない。

 

 ドクン、ドクン、ドクン……

 

 鼓動のようなBGMが高まり、広がり、会場を揺らし始める。

 

 速水奏の代名詞とも言えるメロディ。それが観客の脳を揺らし、静寂から狂瀾へと塗り替えていく。

 

 背景に浮かぶのは月だ。

 

 人の隣人。時に優しく夜を照らすも、真実は狂気の象徴。人を惑わせ、誘惑し、夢と幻の夜へと引き込む存在。

 

 纏うは『エンドレスナイト』。

 

 終わらぬ夜の使者となった奏は、月を背負い、観客を誘う。

 

 『Hotel Moonside』。

 

 奏の代表曲として幾度も歌われた曲。だが、それは一度たりとも既視感を与えなかった。

 

 見るたび洗練され、姿を変えるこの曲は、まさしく満ち欠けする月。その曲を、今、奏はたった一人で踊っている。バックダンサーはおらず、ただ一人で。

 

 たった一人の華麗で激しいダンスと、甘いハスキーボイスが聖夜を鮮やかに彩っていくのだ。

 

 そんな奏の姿こそ、彼女が目指す理想そのもの。

 

 綺麗な嘘の仮面を纏った奏は、自身の理想をアイドルとして顕現していく。素顔はただの少女でも、心乱れる時があろうとも、ステージの上での『速水奏』は欠片も見せない。

 

 奏の、観衆の理想像。

 

 今宵も『速水奏』は偶像となって、会場を彼女の世界に染め上げて――。

 

「……XX」

 

 静かなキスで、曲が終わった。

 

 無音となったステージの上で、奏はスポットライトに照らされながらマイクを口元へ。しかし、発するのは、やはりただ一言。

 

「いくわよ」

 

 紡がれる、間隙もない感情の暴流。

 

 それが観客を押し流した。

 

 奏が歌い出したのは『Pretty Liar』。

 

 ミステリアスアイズ、高垣楓と共に、奏達の生き方を謳う曲。しかし、この場に高垣さんはいない。高垣楓、奏の憧れである歌姫は。

 

 彼女がいないこの曲は、奏にとっての宣戦布告だ。

 

『速水奏はトップに興味がないではないか?』

 

 そのように語る者がいる。共にユニットを組む加蓮が熱烈に上昇志向をみせる中、奏は変わらず静かに、自らの輝きを証明してきたから。

 

 オンリーワン。それが奏の目指すものではないか、と。

 

 奏はその意見を否定しなかった。同時に、肯定もしなかった。

 

 言葉はウソツキだから、パフォーマンスで示すまで。

 

『私が目指す理想は、そんな言葉で収められるほど小さいと思うの?』

 

 奏の理想はどこまでも遠く、どこまでも眩く輝く。そして、その理想は『オンリーワン』という限られた者だけを魅了する称号で収まるものではない、と。

 

 奏だからこそ創れる『オンリーワン』は、そのまま、万人を魅了する『ナンバーワン』。

 

 焦ることも、急かすことも、必要ない。奏はただ奏の理想を保ったままで、一歩一歩を彼女らしく進んでいく。その先に自然と待つのがトップという頂であると、奏は知っているから。

 

 だから今こそ、高垣楓に並ぶ。もっと遠い憧れにも近づく。

 

 決意をのせた曲は、相棒のいないステージだと思わせないほどの存在感を放ち、観客の声さえ奪い……。

 

「またね♪」

 

 会場が震えるほどの歓声が響いたのは、とうに奏が去った後だった。

 

 全員が全員、素敵な夢が解けたかのような、そんな熱狂だった。

 

 

 

 加蓮と奏の今宵のソロは、こうして終わりを迎えた。

 

 加蓮はトップを目指すとの気高い宣言を、奏は理想を叶えるために高みを目指す姿勢を見せて。

 

 けれども、この聖夜はまだ明けない。加蓮と奏だけでなく、多くのアイドル達が舞台へと飛び出し、音楽のプレゼントを贈っていく。その中で加蓮と奏も、『Triad Primus』、『デア・アウローラ』としてユニットにも参加し、場を盛り上げていった。

 

 その終盤になって、

 

「さて、ここからはモノクロームリリィとしての出番だけど――」

 

 私は振り返って、そこに立つ加蓮と奏を見る。

 

「どうしたのPさん、見惚れちゃった?」

 

「ふふっ、でも残念♪ まだプレゼントはあげられないわよ? まずはファンのみんなに贈らないといけないから」

 

 クリスマスライブということで、最終ステージの衣装コンセプトはサンタだ。

 

 加蓮は白、奏は黒のサンタ姿。もこもこのサンタコートの意匠を残しつつ、動きやすいように腕や脚は大胆に。少しセクシーな二人は、加蓮が言う通りに見惚れるほど綺麗だった。

 

 けれど私もプロデューサー。アイドルに見惚れてばかりもいられない。

 

「いや、けっこうハイペースだったから、大丈夫かなって。でも……、その様子じゃ心配なさそうだ」

 

 すると、加蓮は私の手を取り、可愛らしい笑顔で言う。

 

「大丈夫。私たちは、貴方が育てたアイドルだから、ね?」

 

「ええ。聖夜というただの一夜が、永遠の思い出となるように。舞台が終わった後も、みんなの希望となるように。私たちはサンタを演じてみせるわ。

 ……貴方にこんな素敵なプレゼントをもらったんだもの」

 

 私は奏の言葉に少しの驚きを得た。今日はクリスマスだということで、楽屋には私からもプレゼントを用意しておいたのだが、もしかして、ばれていたのだろうか。

 

 ……いや、そういうことじゃないな。

 

「加蓮、奏。最後まで、このプレゼントを楽しんできて」

 

「もちろん! クリスマスの特別ライブ。みんなが私たちを応援してくれる舞台」

 

「この場に連れてきて、輝かせてくれることが最高のプレゼント。……だからね」

 

「「メリークリスマス! 素敵なサンタさん!!」」

 

 加蓮と奏がステージへ駆け出す。

 

 途端に私まで圧倒されるほどの歓声が届いてくる。私たちの大切なアイドルが、この向こうで輝いて、夢を届ける存在になっているのだ。

 

(……こっちこそ、最高のプレゼントだよ)

 

 私にできるのは準備まで。

 

 そんな毎日の努力の成果を、こうして綺麗な夢舞台へ変えてくれるのは二人だ。

 

 そして夢は終わらない。加蓮と奏の新たな決意は、新しい目標は、きっと今後も夢をみせてくれる。ならば私も、彼女達に出来る限りに支えないと。彼女らの魔法使いなのだから。

 

 加蓮と奏の勝負の一年、それがすぐそこまで迫っていた。




トップを目指すと、堂々と言う加蓮。
けれど奏も、トップを目指していないわけじゃない。

二人が総選挙のステージで並ぶことを祈っています。


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1月1日「お正月」

総選挙最終日まで135日な1月1日


 しんと音のない夜。

 

 ほうと息を吐けば白い塊が街灯に照らされながら、お化けのように空へと消えていく。それを一度二度と繰り返すと、自分からお化けが生まれているようで。

 

 そんな想像に笑ってしまう。ハロウィンの時に、事務所全員がお化けの仮装をしたことを思い出したのだ。アイドルはカラフルな衣装だったけれど、プロデューサーはなぜか皆、白いお化け姿だった。

 

「ははっ。って、やっぱりさむいな……」

 

 気が緩んだ隙に、そっと背中を撫でた冬風に、体を縮める。

 

 コート、マフラーと厚着をしているが、夜明け前の寒さは厳しいものがある。ただ、ここから離れようとは思わない。私が向かう所には、松明や甘酒があったり、人も多いことで温度は高いだろうから、きっと寒さも和らぐ。

 

 とはいえ普段ならば、こんな日には家で事務所で、こたつに丸まりのんびりしたいというのが本音。今日を覗けば。

 

 だって今日は、年に一度のお正月。

 

 古来より芸能は神事とも結びついており、芸能を司る神様もいらっしゃる。今年も二人が良い一年を迎えられるように、少しの寒さは我慢してお参りするのは大切。二人のためなら少しの寒さも何のその。

 

 手作りの毛糸手袋を貰っていてよかった。手がかじかまないで良いし、心もあったかい。

 

 両手を合わせて、じわりと広がる温度に意識を集中していると、少し離れたところから足音が聞こえてくる。よく聞く靴の音ではなくて、ざりっ、ざりっ、と少し尾をひく音。

 

 そちらの方向へと視線を向けると、思っていた通り、奏と加蓮がゆっくりと向かってきていた。待ち合わせの時間まであと十分ほどある。こんなに寒いのだから、時間ギリギリで来ても良かったのに、早めに動いてくれたようだ。

 

 近くまで来ていた二人へと、私は頭を下げて、お決まりの挨拶をする。一年の初めくらいはしっかりとやるのが良い。

 

「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」

 

 すると、二人は顔をきょとんとさせ、次いで私に倣い、挨拶を返してくれた。

 

「「明けましておめでとうございます」」

 

 夜の街灯の下、頭を下げた三人組。

 

 挨拶を終えたら、次の言葉が見つからなくて、最後はそろって笑い出してしまった。

 

「ふふっ、あんまり堅苦しすぎるのも、私たちらしくないわね」

 

「もーっ、Pさんがちゃんとするから、つられちゃったじゃん」

 

「じゃあ、ここからはいつも通りに。

 あけましておめでとう、加蓮、奏。寒かったでしょ?」

 

「今年一番の寒さだそうね。正月早々、神様に試されてるみたい。でも、こうしていつもと違う服を着て二人に会えてるから、そこまでの寒さは感じないわ」

 

「そうそう。あとPさん? 

 『寒かったでしょ』の前に、なにか言うこと無いの?」

 

 加蓮がいいのか、いいのか、と。言わないとからかっちゃうぞと、目で催促してくるので、私はリクエスト通りに本音を伝えることにした。

 

「振袖、すごくよく似合ってる。見惚れたよ」

 

 加蓮も奏は立派な振袖をしとやかに着こなしていた。足元も靴ではなくて草履。

 

 それぞれの振袖にも個性が出ていて、加蓮の振袖は薄紅色に花柄。髪は結い上げて、青い花を模した髪飾りをつけている。奏は紫を基調に、花と蝶が振袖の中に舞い踊っている。髪にも加蓮と同様、花飾りが煌めいていた。

 

 もとより二人はアイドルで、とても魅力的な女の子。それが晴れ着で微笑んでいるのだから、見惚れないわけがない。

 

 仕草は上品に、けれど笑顔が咲く表情は可憐に。

 

 さっきまでは寒い寒いと思っていたのに、この姿を見るだけで寒さも忘れ、待っていた甲斐もあったと満足してしまっていた。私が感想を伝えると、加蓮は小踊りするように肩を動かし、奏は口元を抑えながら、ころころと笑う。

 

「ありがとう。Pさんに見せたかったから、褒めてもらえて嬉しいな」

 

「ええ。着付けだったり、それなりに苦労したけれど、その言葉だけでお釣りが来るわね」

 

「二人とも、自分で着付けたの?」

 

 衣装で振袖になる時は、衣装さんが付きっ切りで用意してくれるが、今日ばかりは二人で用意しないといけないはずだ。

 

「紗枝や周子達が準備会を開いてくれたのよ。おかげでこんな風に、ね」

 

 くるりと奏が一回転。街灯がスポットライトとなり、暗く寒い夜なのに紫の花が一輪、華麗に咲き誇った。それがあまりにも美しく、言葉もなくなり、頬が熱くなる。

 

「言葉が出ないなら、それでもいいわよ? 顔は言葉よりも雄弁だもの♪」

 

 まいったな、と私は頬をかき、くすくすと笑う加蓮と奏を引き連れて移動を始めた。

 

 私たちの行先は、数分歩いた場所にある神社だ。

 

 大きくはなく、知名度も小さいが、霊験あらたかにして、芸能関係で抜群の効能とは、鷹富士さんと依田さんの談。初詣をするに、これほど良い場所もないだろう。

 

 そうして寒い夜に他愛無い話で彩りを添えながら歩いた私たちは、

 

「ここか……」

 

「小さいって聞いていたけれど……」

 

「なんか、すっごい雰囲気あるね」

 

 たどり着いた神社は、噂通りにこじんまりとはしていた。

 

 ただ、それは外見だけの話。私たちは階段下から見上げる位置にいるが、境内の松明や神楽音楽の影響か、神社全体を温かいオーラが包んでいるように感じる。

 

 怖いというより、母性と言えばいいのだろうか。私はお化けなどの感覚には鈍いが、白坂さん達が見たらどう思うだろう。

 

 雰囲気がありすぎるくらいだが、今日に限ってはそれくらいがご利益ありそうだ。

 

 階段を上りながら、私たちは次第に無言に。時々すれ違う同僚Pやアイドルへの挨拶も、互いに会釈だけで済ませていく。

 

 そして門をくぐった後のことは――

 

 

 

「……はぁ、すごかった」

 

 ドンシャン、ドンシャン。シャラシャラ、リン。

 

 遠くに神楽の音を聞きながら。

 

 ベンチに座った私は大きな息を吐いて、甘酒を飲んでいた。

 

 飲んでも甘く温かく、紙コップもカイロ代わりとなって手を休めてくれる。私の隣に座った加蓮と奏も同様で、寒さに上気した頬と、揺らめく湯気が合わさって、ほっと一息している様子が伝わってくる。

 

 えらく雰囲気がある神社であったが、中での出来事は何ということもない。神様と会うこともなく、詣では極めて一般的に終わった。

 

 お賽銭を入れて、鐘を鳴らし、拍手と礼。あとは神様に一年の決意を伝えて、お守りやおみくじも少々。そこまですると神社にも慣れて、のんびりと過ごそうという気持ちが生まれてきていた。

 

 夜が明けたら、加蓮も奏も、それぞれ家族や友人と過ごすというので、あっけなく別れるのも味気ない。私たちは境内で甘酒を買い、開けた場所へと移動していた。

 

「初日の出まで、あとどのくらい?」

 

「そうね……二十分くらいかしら? 地平線の向こうは白んできたし、暖かくなるのも、もうすぐだと思うわ。それにしても、こんな絶好の場所、よく空いてたわね」

 

「神様のご加護かな?」

 

 目の前には拓けた景色。神社が高台にあるおかげで、遠くから登る朝日を、存分に臨むことができるだろう。初詣を行うに相応しい場所だ。

 

 なのに、人もそれほどおらず、事務所のスタッフやアイドルがまばらに座っているだけ。夜明けを見るのに好ましい静けさが保たれている。

 

 もう一口、甘酒を飲んだりしていると、隣で楽しそうな声。そちらを向くと、加蓮が先ほど買ったおみくじを開いていた。

 

「どれどれ……。あ! 中吉だって!」

 

 加蓮が嬉しそうに内容をみせてくれる。

 

(どれ、中身は……)

 

 『望み、努力すれば叶う』『待ち人、既に来たる。機を待つべし』『商売、苦なく繁盛』。

 

 中々な内容。でも、大吉じゃなくて良かったのだろうか。

 

「だって、『全部うまくいくって』神様に保証されるの、もったいないでしょ? それよりも、私が頑張ったことが結果につながるって認めてくれた方が気が利いてるっていうか」

 

「元々、日本の神様はお願いをする対象じゃないものね。私たちの行いを見守ってくださいって決意表明をする。加蓮の考え方なら、神様も素直に守ってくれるんじゃないかしら?」

 

「じゃあ、お参りした時のも正解だったかな? 『今年こそトップを取ってみせるから!』って、けっこう強く言っちゃったけど」

 

 それはまた、加蓮らしい。

 

 この神社の神様も、元々は荒々しい存在だったのが、舞と踊りで鎮められたと来歴に書いてある。加蓮の堂々たる宣言をきっと気に入ってくれるだろう。

 

「ちなみに私は小吉だったわ。内容は……そうね、悪くないと思う」

 

「見ていい?」

 

「ええ」

 

「えっと、『待ち人、来たる。積極的に行くのがよい』『望み、諦めず挑むべし』。なんか、奏らしいね」

 

「そうでしょう? ……ふふっ、積極的に、ね♪」

 

「なぜそこで怪しい眼をするんだ……」

 

「さあ? まだまだ足りないって、神様が言うものだから」

 

 恐ろしい……。

 

 甘酒で温まったはずなのに、背筋がゾクゾクと震えた。

 

「そういうPさんのおみくじは?」

 

「ん? 吉だって。二人より内容は控えめだけど、だいたい良い内容が書かれてたよ」

 

 ちょっと気になる内容があったから、二人には見せないように……って、あれ? ポケットに入れていたはずなのに。

 

 そして二人は……何かを見ながら笑っていて。

 

「ほどほどに良い内容だけど……『人間関係、良好。受け入れましょう』は、面白いわね」

 

「神様にもそう言われるって、Pさん……」

 

「加蓮まで同情しないで! っていうか、なんで私の読んでるの!?」

 

「貴方、こっちに来るまでに落としちゃってたのよ」

 

「私が拾ってあげたんだから、ちょっとくらい見てもいいでしょ? それにアイドルとプロデューサーは一蓮托生♪」

 

「こういう時に言う台詞じゃないって!!」

 

 そう言ってくれるのは嬉しいけど!

 

 まったく、『受け入れましょう』か。このままだと去年と変わらず、からかわれる一年となってしまいそうだ。できればもう少しだけ手心を加えて欲しいものだけど……。

 

(ま、仕方ない)

 

 おみくじには『親しい人、無病息災』と書かれているので、そっちの方が大事。

 

 奏も加蓮も、自分の願い事は自分で叶えるアイドルだ。

 

 けれど、その過程で怪我や病気がないかだけが心配事。それを神様が保証してくれるなら、ありがたい。

 

 あとは、

 

「あ! 初日の出!」

 

 加蓮の声が弾む。

 

 不意に景色が白ばみ、地平線から宝石のような輝きが顔を出してきた。

 

 空には雲一つなく、光はスポットライトと同じくらいに眩しいほど。そういえば日本の太陽の女神は、舞と踊りによって顔を出したのだったか。

 

「……二人が元気に過ごせますように」

 

 もう一度、手を合わせて初日の出に拝む。

 

 すると、同じように加蓮と奏も。かすかに動かす口元は何か願い事をしているようだ。その内容までは私には分からないけれど、何となく、皆同じことを考えているような気がする。

 

 そして、陽光に照らされたアイドルは、晴れ着が色鮮やかに浮かび上がり、髪は絹のよう。その姿は女神のようで、私は自然と、今年も二人のアイドルへの道が照らされていくのを確信していく。

 

 日が昇る。

 

「さて」

 

「改めて、だね」

 

 二人に合わせるように、新年の朝焼けの中、私たちは笑顔を交し合った。

 

「「「明けまして、おめでとうございます!」」」




さてさて、そろそろ総選挙も後半戦。

加蓮も奏も良い調子で推移していますから、楽しく総選挙が終わることを祈っています。

それでは、今日も二人の応援をお願いいたします。


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1月27日「求婚の日」

総選挙最終日まで109日な1月27日

モノリリといえば、あの方も加わっての……


「……ほんとうに、私でいいんですか?」

 

 目の前の女性が、かすかに言う。

 

 膝をつく私が見上げる先で、彼女の儚げな表情は震えて、しかし、頬は期待で紅がさしていた。涙がにじむ瞳はただ真っ直ぐ、私の差し出した小箱へと向けられている。

 

 迷いと期待。多くの感情が渦巻いているのだろう。

 

 私はそんな『美優』さんへと言葉を続けた。真剣に、彼女へと想いが伝わるように。

 

「貴女でないとダメなんです。私を優しく見守って、支えてくれる貴女と。これからもずっと過ごしていきたい」

 

 そして、私はあのセリフを告げる。

 

「……どうか私と、結婚してくれませんか?」

 

 小箱を開けると、そこには煌めくダイヤの指輪。エンゲージリング。

 

 差し出す相手、三船美優さんはその言葉に決意を固めたようにしっかりと頷き、長く綺麗な指を伸ばしながら――

 

 

 

「は、はい……、不束者ですが、よろ――」

 

 

 

 これが新たな人生への第一歩。若い二人の門出は、

 

 

 

「ちょっと待って! 返事はダメだって!!」

 

「Pさん、なんでそんなに真剣なのよ……」

 

 加蓮と奏の声によって止められた。

 

 

 

 がつんと、いつの間にか演技に引っ張られていた私たちは現実へと引き戻された。

 

 ついでに、かけられた声はどこまでも恐ろしさに満ちている。

 

 ぎぎぎぎ、と私も美優さんは首がさび付いたような動きで、二人へと顔を向けると加蓮は腕組み、目を吊り上げて。奏は底冷えする様な微笑で。

 

 二人は視線を『私』へと刺していた。

 

 冷え切った空気の中、美優さんは慌てたように加蓮たちへと頭を下げる。

 

「か、加蓮ちゃん、奏ちゃん、ごめんなさい……! 私、気が付いたら……」

 

「大丈夫、美優さんはいいの。問題は、演技なのに変な雰囲気にしたうちのプロデューサーだから」

 

 美優さんに対しては、とてもやさしく、労わる言葉。加蓮はそう言って、美優さんを私の傍から引きはがすと、守るように自分の背後へと隠して。次の瞬間には私へ絶対零度のオーラをぶつけてくる。

 

「……悪いのって、私なの?」

 

 演技しろって言われたから、その通りにしただけなのに!

 

 女性陣からの鋭い視線を受けながら、がくがくと身体を震わせる私へ、満面の怖い笑顔な奏が近づいて言う。

 

「ええ、素敵な演技だったわよ? 

 ロミオ、いえ、ドン・ファンのように情熱的で、罪作り。乙女を惑わせ、彷徨わせる、愛を振りまく道化そのもの。

 さて、どこまでが演技だったのかしら? 私も役者だからわかるのよ。演技は心の一部。種のないところから生まれはしない」

 

「か、かなで!?」

 

「無自覚なら、救いがたく、そうでないなら、気になって仕方ないわね。からかわれ上手な仮面の奥に隠した、貴方の本当の願望を……」

 

「……っ!?」

 

 すぅ、と。奏の細指が私の心臓を指し、ゆっくりと、胸の前から首へと移動して。指先の冷たい温度が喉元に触れた時には、私もここまでかと思わされ、心臓が止まりそうになって……。

 

「はい。お仕置きはここまで。

 ……まったく、ただでさえ美優さんは影響を受けやすいんだから、下手なことしたらダメよ?」

 

 奏がため息と共に肩をすくめたことで、ようやくと解放された。

 

 あー、心臓に悪い。冷や汗が出てきたし、息も上がってる。

 

 しかし、状況はまだ安定していない。奏はあきれ顔を保ち、私への視線はジト目のまま。加蓮も、美優さんを守りながら、気が立った猫のように威嚇の表情。

 

 さて、どうしてこうなったのだろうか。

 

 私の意識は原因を求め、ほんの数十分前の出来事へと戻っていった。

 

 

 

「今回はブライダル雑誌のお仕事なんだよね?」

 

「そうそう。随分前に、二人に理想の夫婦像の取材があっただろ? 今度は『理想のプロポーズ』について尋ねたいんだって」

 

「ふふっ。私たち二人とも変わった答えを返したのに、それが独創的って人気になるなんて面白いわね」

 

 騒動の始まりは昼のミーティング。

 

 テーブルの上に、以前にも仕事をしたブライダル雑誌を広げながら、私たちは顔を突き合わせていた。そこにはいつものメンバーに加えて、

 

「え、えっと。そこに……私も入るんですか?」

 

 戸惑いがちに座っている、三船美優さんもいた。

 

 それは偶然やランチではない。今回の仕事は美優さんと共にすることになっている。

 

 私は美優さんへと、先方からのオファー内容を伝えた。

 

「はい。今回は『Crystal Shadow』でって指名だったんです。高校生二人だけじゃなくて、実際にプロポーズを経験しそうな方もいたら、幅広い年代の参考になるんじゃないかって」  

 

 そうして、美優さんへと白羽の矢が立ったのだ。

 

 美優さんと私たちは縁が深い。彼女の担当プロデューサーが多忙な時期に、私が一時的に彼女のプロデュースを担当したこともあるし、加蓮たち『モノクロームリリィ』に美優さんも加わった『Crystal shadow』としてもステージを幾度か経験している。

 

 大人っぽい高校生二人に、穏やかな女性である美優さんが加わることで、また違った味わいが出るとはファンの談。私としても、鋭すぎる二人へ優しい美優さんが加わると、雰囲気が和らぐので安心したり。

 

 雑誌の担当者も、美優さんが以前にウェディングの仕事を受け、脚光を浴びたことを記憶しており、オファーをかけてきたようだ。

 

 そのような説明を受けた美優さんだが、納得しつつ、まだ不安な様子が残っている。というのも、原因は彼女の経験にあった。

 

「実は私……プロポーズを受けた経験もないんです……。それでも、いいんでしょうか?」

 

「あはは。大丈夫ですよ。そういう経験があったら、別の意味で大変ですし。あくまで、想像で。

 例えば美優さんがプロポーズされるなら、どういうシチュエーションが理想的か。場所や季節や、どんな服を着ていたいかって。そういうことを素直に伝えてくれれば」

 

 読者はこれからプロポーズを受けたい女性たち。

 

 時のアイドルが憧れのプロポーズを素直に伝え、読者の参考になればいい。夢のような願望を話してもらった方が、皆も喜ぶだろう。

 

「そういう話なら、美優さんがいてくれた方が助かるわね。

 私たちが、読者もドキドキするようなプロポーズを望むとも限らないし。ねえ? 加蓮」

 

「えー。私は……王道なプロポーズも好きだよ? 結婚生活はちょっとひねったけど、ね」

 

「あら、残念。

 それじゃあ、美優さんと加蓮で素直担当をお願い。私がちょっとスパイスを入れるから」

 

 加蓮と奏はそんな意見。

 

 けれど、美優さんは俯きながら思案顔のまま。自身に恋愛経験がないことをネックに感じていた。そして、彼女なりの解決方法を思いついた美優さんは、私たちへ、とある提案を行うのだった。

 

「あの、やっぱり私、上手くイメージできなくて……。練習しても、いいでしょうか?」

 

「練習、ですか? 取材は後日なので、問題ないと思いますが」

 

 次に発されたのが、問題の一言。

 

「それでは、プロデューサーさん。練習相手をお願いできますか?」

 

 

 

 そのような経緯で、私と美優さんによるプロポーズ練習が行われた。

 

 美優さんが求めたのは、

 

『たぶん、いざという時に私は弱気になってしまうので……。その時に強く引き留めて欲しいんです。私を必要だって、一緒に人生を歩いて欲しいって

 そうすれば、私はきっと……』

 

 という、なんだか具体的で演技力を求められるシチュ。

 

 しかし、私はプロデューサー。アイドルが仕事をしやすいようにサポートすることが本望。

 

 私自身は大根役者であるが、演技することで美優さんのイメージを固められるなら、致し方ない。全身全霊でプロポーズをするだけだ。

 

 もう一度言う。私はプロデューサーなのだから!

 

「だからって、あんなに本気で演技する!? その小箱とか、どこから持ってきたの!?」

 

「かれん! ストップストップ! ニセモノだから、おもちゃの指輪だから!!」

 

「当たり前でしょ!? 本物だったら、大問題だって!!」

 

 だが、現実は無常である。

 

 演技の結果、加蓮は私の頭をがくがくと揺らしながら怒り心頭。奏は私の手から奪った小箱を隅々まで観察しながら、疲れた表情でため息を吐いてしまう。

 

「……それで? 本音のところは?」

 

「いやー、カッコいいプロポーズとか、練習したくって」

 

 ロマンあるじゃないか。黒埼さんも言ってたし!

 

「加蓮」

 

「うん」

 

 だから二人とも、その剣呑な眼と、手に持ったハリセンを下ろして欲しい。

 

 

 

「はぁー。ともかく、これで美優さんの練習はおしまいね。

 どう? うちの大根役者さんでも、参考になったかしら?」

 

「は、はい! 大丈夫です。本当のプロポーズではなかったけれど、とても、ドキドキしましたし……」

 

「本当に、あの人は……」

 

 その後も色々とあってようやく部屋の雰囲気も落ち着いてきた。奏はなぜか真っ赤になった美優さんと話すたびに、悩まし気に頭に手を当ててるが、さっきよりは冷静になっている。

 

 あとは……。

 

「なーに?」

 

 この、めちゃくちゃ気合を入れている加蓮をどう宥めるか。

 

 笑顔なのに怖い加蓮へと、私は震えながら尋ねる。

 

「あのさ、本当にやるの? 練習」

 

「やるに決まってるでしょ? 私だってプロポーズの取材を受けるし、まだまだ高校生でイメージ固まってないし。だからね? 『練習相手』さん」

 

「……やるのか」

 

 加蓮が求めてきたのは、美優さんと同様のプロポーズ練習。ついさっきのやり取りを踏まえると、私としては遠慮したいのだが、やらないと、色々と不味そうなシチュエーションだ。

 

 ついでにあからさまに手を抜いたら事態は悪化するだろう。美優さんに見せたのと同じくらいに頑張らないといけない。

 

 私は加蓮に渡された紙を見る。その中に書かれている加蓮の理想のプロポーズを忠実にこなすために。

 

「はい。アクション」

 

 奏が気のない合図を送り、美優さんが緊張したように見守る中、私の心労が重いショーがスタートした。

 

 

 

 イメージする。

 

 場所は遊園地。一日中、恋人である加蓮とジェットコースターに、お化け屋敷に、様々なアトラクションを心行くまで楽しんでいた私。

 

 けれど、楽しい時間は直ぐに過ぎていく。

 

 既に夜は更け、閉演時間が迫る中、私たちは観覧車に乗ってイルミネーションを眺めていた。途端に花火が上がりだす。この時間に行われると、私が事前に調べていて、加蓮には内緒にしていた一大イベント。

 

(設定が、設定が……細かい!)

 

(Pさん?)

 

 オホン。

 

 『私』にはサプライズがあったのだ。それに気づかない加蓮は、花火とイルミネーションのコラボを眺めながら、目をキラキラさせている。

 

 そして、観覧車が真上に差し掛かった時、加蓮が囁くように言う。

 

「……今日もありがと、Pさん。私のために、たくさん準備してくれて、たくさんの思い出をくれて。今日のこと、私、絶対に忘れないよ。

 ……ううん。今日だけじゃない。貴方と出会って、過ごした時間、歩いた場所。全部全部、私は忘れたりしない」

 

「加蓮……」

 

 その声には嬉しさのほかに、少しだけ不安の色がまぎれていた。不安に駆られて名前を呼んだ私へ、加蓮は涙に濡れる瞳をむける。

 

「ご、ごめんね! こんなに嬉しいのに、ほんとは笑顔を見せてあげたいのに……。

 楽しかったら、楽しいほど、いつかが怖くなるの。いつか、Pさんと別の道に行っちゃうのかなって……。それで、Pさんのいない毎日を生きないといけないのかなって」

 

 毎日が輝いている。けれども、いつかそれが終わるのではないか。

 

 だって、私たちを結び付けている物は心と心。

 

 不安定で、先が見えない、形がないもの。

 

 恋仲であろうとも、私たちは恋人という名の他人同士。どこかで喧嘩をするかもしれない。遠くへと離れ離れになるかもしれない。いくら加蓮が私との絆を求めていようとも、永遠に共にいられる保証も約束もない。

 

 加蓮がぽろぽろと涙をこぼし始める。

 

 ごめんね、ごめんね、と素敵なイルミネーションを見れて、もっと貴方が好きになるはずなのに、と。

 

 不安に駆られた加蓮が涙をぬぐっても、ぬぐっても、感情を止めることはできない。

 

 私が、何かをしなければ。

 

「……加蓮」

 

「Pさん……?」

 

 私は静かに加蓮の横に座る。

 

 呆然と、加蓮が私を見上げてくるが、私は黙って加蓮の膝へと小箱を置く。

 

「これって」

 

「開けてみて?」

 

「う、うん……。あ、Pさん、これ……!」

 

 加蓮が恐る恐ると中身を認めると、大きく目を開いて私を見つめた。

 

 私たちの約束のない未来へと加蓮が不安を抱くなら、その不安を取り払ってあげるために、未来へと約束を作ろう。

 

 加蓮へと頷きながら、私はその言葉を告げる。

 

「加蓮、約束させて。この毎日は決して終わらないって。私はずっと君の傍にいるって。言葉だけじゃ足りないなら、この人生をかけて、証明してみせる。

 ……だから、この指輪を受け取ってほしい」

 

「……ぁ」

 

 加蓮の震える手に、私も手を添えて……

 

「北条加蓮さん、私と結婚してくれませんか?」

 

 加蓮からの返事はなかった。

 

 ただ、その顔が嬉しそうに綻んで、ただ目を閉じ、何かを待つように。そんな世界で一番綺麗で大切な人へと。私は口づけを……。

 

 

 

「はい、カット」

 

 奏の言葉が聞こえた瞬間、私達はさっと顔をそむけた。

 

 私はどんな反応をしたらよいのか分からず、無表情に。

 

 そして加蓮はと言えば、自分でリクエストしたシチュエーションなのに、ソファにうずくまって、肩を震わせている。感動しているのでもなく、照れているのでもなく、これは爆笑している。

 

「ちょ、ちょっとまって! ふふふっ、ごめん! とまんないっ……あはは!」

 

「加蓮……」

 

「もー! Pさんもめちゃくちゃ真面目な顔してるし、なんなの、この少女漫画みたいなのっ! あははっ、奈緒じゃないだから!」

 

 憮然とする私を他所に、加蓮はばすばすとソファを叩き続けるので、向かい側で無表情な奏へと尋ねる。 

 

「なあ、奏。私はこういう時、どうすればいいんだ?」

 

「加蓮の自爆だから放っておけばいいわよ。自分でも耐えられないくらい乙女なシチュエーションなんて、やらなければいいのに」

 

「わ、私は素敵だったと思いますよ? 加蓮ちゃんのアイデア、すごくロマンチックで、感動しちゃいました!」

 

「美優さんはいつまでも純朴でいてください」

 

 笑いの止まらないおばちゃんモードと化した加蓮を見ながら、私は心の底からそう願った。この奇跡のような大人乙女をどうか守ってくれ、芸能界の神様。

 

 加蓮の笑いが止まったのは、それからしばらくして。腹筋がつったのか、お腹を押さえながらの加蓮は、涙をぬぐいながら私たちへと言うのだ。

 

「じゃあ、次は奏の番だよね?」

 

「……やっぱり、奏ともやるの?」

 

「あら、私だけ仲間外れなんて、寂しいでしょ?」

 

 奏が一番怖いとは、言えない。

 

「安心して? 加蓮みたいに時間はかけないし、終わってから笑ったりもしないから♪」

 

 私の不安を他所に、奏は軽やかな笑顔と共にウィンクをよこした。

 

 

 

「はーい、スタート」

 

 今度は加蓮の気の抜けた合図から。さっきまで美優さんとのことであんなに不機嫌だったのに、今はえらく上機嫌である。

 

 さて、奏のシチュエーションを演じてみようか。加蓮と違って、奏の指定はシンプルで、私からしてもこんな簡単な内容でいいのかと思ってしまうほどだ。

 

 場所は私の自宅。

 

 私と奏は、ソファに並んで座り、くつろいでいる。何をするでもない、時に映画を観たり、雑誌を見ながら雑談をしたり、無言でただ座っているだけのこともある。

 

 それはごく自然なことだ。なにせ、私たちは同じ家に住んでいるのだから。そのような親しい仲となれば、派手なイベントが起きることも少なくなる。

 

(奏の指定は、この状況から普通に指輪を渡すこと)

 

 既に私のポケットの中には指輪が入っている。奏はと言えば、気にも留めていないと言いたげに、雑誌に目を通したまま。

 

 このまま簡単に渡そう。既に美優さんに加蓮に、神経をすり減らしているので、早く終わらせるに限る。そんな思いで私は小箱を掴み、奏を改めて見た。

 

 そして……、

 

(あ、あれ……)

 

 声が出なくなる。

 

 奏は何もしていない、動作としては変わらず、下をむいて読書しているだけ。

 

 ただ、その纏っている雰囲気が、一つ一つの仕草が私を惹きつけて離さなかった。

 

 この空間にいることへ、安心しきったように緩んだ口端。穏やかに輝く瞳は、何気ない一瞬に私へと向けられ、限りない愛情を伝えてくる。ソファへと寄り掛かった体は、次の瞬間に抱きすくめられようと、奏は受け入れてくれるほどにしなやかだ。

 

 そんな奏と共に並んでいると、私だって、居心地の良さを感じるのだ。

 

 このまま時が止まっても良いと、何が変わらなくとも奏と一緒ならそれでいいと。彼女から離れることなど、この先の私の人生に在ってはならないと。

 

 奏もまた、同じ。私の傍にいることが速水奏にとって自然だと、そう思っているから、このような無防備な姿を見せてくれる。

 

 だから私にとって、この指輪を渡すことは自然なことだ。

 

 奏にも当たり前。私たちは既に約束をしているのだから、確認をするだけ。そのありふれた行為に、プロポーズという名前が付けられているだけのことだ。

 

「奏……」

 

 ようやくと出した声は、自分のものと思えないほどに穏やかだった。

 

 奏は、その声に顔を上げ、静かな微笑と共に小さく頷く。ただ、その頬だけは、いつもよりほんの少し赤くなっていたが……。

 

「Pさん……」

 

 奏が私の名前を呼ぶ。それが合図。

 

 自然と差し出した手へと、奏も温かい手を重ねる。私たちの手で、約束の小箱は包まれて……。

 

「結婚してくれ」

 

「……」

 

 私の言葉へと、奏は――。

 

 

 

「ダメよ、プロデューサーさん♪」

 

 

 

「あっぶない!! ほんと、危ない!!」

 

 私は奏から飛びのき、大きく肩で息をした。

 

 危なかった。自分が何者であるかも忘れそうになっていた。完全に奏の世界へとのめり込んでいたのだ。

 

 のせられる私が悪いのか、それとも、奏の魔性の演技力が悪いのか。

 

 奏は気が済んだように笑いながら立ち上がると、向かい側へ。ニヤニヤと笑っている加蓮と、真っ赤になった頬を抑えて照れている美優さんの近くに。

 

 足を組み替えて挑戦的な眼差しを作ると、奏は二人へと尋ねた。

 

「さて、どうだったかしら?」

 

「あー、もう、まだまだ奏の演技には敵わないね」

 

「奏ちゃん、すごく大人っぽくて……うわぁ……」

 

 美優さん、その反応は止めて欲しい。私だって自分がやらかしたことが恥ずかしいのだから。ついでに加蓮もおばちゃんから美少女へ戻ったのはいいが、目がニヤニヤしてる。

 

 何たることだろう。

 

 もう、私は疲れ果てて肩に力が入らなかった。

 

 ほんの少しだけ調子に乗っただけで、ここまで追いつめられてしまうとは。けれど、このからかい上手な小悪魔たちはまだまだ止まらない。

 

 奏が次に告げた一言が、私の背を震え上がらせる。

 

「これで三人とも練習は済んだけれど……。ふふっ、みんなはほんとに満足?」

 

「ちょっと!?」

 

 慌てる私を無視し、加蓮は腕を組んでわざとらしいほどにオーバーな口調で言う。

 

「全然! 取材は『理想』のプロポーズでしょ? さっきのも憧れなシチュだけど、奏の見てたら、ああいうのもアリだと思ったし」

 

「私もリアルに寄せすぎたかもね。加蓮みたいにもっと夢たっぷりな内容でも面白そう」

 

「加蓮ちゃんも、奏ちゃんもすごいですね……。っ、私も、年上として負けてられないです……!」

 

「美優さんまで、やる気にならないで!?」

 

 流されやすいという美優さん。流れは、練習続行へと傾いている。顔を青ざめている私を置いて。

 

「Pさんの演技も、けっこういけるって分かったし!」

 

「演技と本気の境界を揺さぶったらどうなるかしら?」

 

「えっと、よろしくおねがいします」

 

 その後、アイドル三人による『プロポーズ練習』は過酷を極め、終了後には純白ならぬ真っ白な灰へと私は燃え尽きることになる。

 

 ちなみに雑誌取材での三人の答えは、

 

「シチュエーションにこだわらなくても」

 

「大切な人がいれば、ね」

 

「ふふふ、ええ、満足です」

 

 というシンプル極まりないものだったことを報告しておく。




さてさて、昨日のトレンドにブライダルが出ましたが、今月末のガシャはどうなるのでしょう。SSRの五週目も始まりましたし、奏の登場も近そうで怖いですね……。

それでは、本日も二人の応援をお願いいたします!


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2月14日「バレンタインデー」

総選挙最終日まで91日な2月14日

3年間も書いているのに、ありがちな記念日は珍しい本作です。


「うーん」

 

「なあ、加蓮、そこのチップチョコ取ってくれー」

 

「うーん」

 

「加蓮、奈緒が呼んでるよ?」

 

「うーん……」

 

「「……」」

 

「ひゃっ!!?」

 

 突然、ぴたっと冷たい感触が頬に当てられて、私は変な声と一緒に飛び上がってしまった。

 

 振り返ると、エプロンを付けた奈緒が悪戯成功って爽やかな笑顔で、手に氷をつまんでいる。粗熱を取るための氷水から、わざわざとってきたんだろう。

 

 やられたって思うと、自然と頬が膨れる。奈緒にからかわれるのも、悪くはないけど、それはそれでムカッとするのだ。

 

「なーおー! いきなり何なの!?」

 

「いきなりって、なんども呼んだんだぞ!」

 

「そうそう。上の空で話聞いてなかったのは加蓮の方なんだから」

 

 うっ、凛までそっち側か。

 

 確かに、ちょっと考え込んでいて、周りのことを全然見ていなかった気がする。

 

 そんな私たちの周りにはチョコレートと、そのデコレート用のお菓子が色々、それから調理用の道具が所狭しと並んでいた。

 

 事務所の中のキッチンスタジオだ。ほんと、うちの事務所はこういう設備がたくさんあるから、こういう時に助かる。

 

 そこでいつもの私たちトライアドプリムスが何をしているかと言えば、2月14日のための準備。

 

 今日は乙女の一大決戦バレンタインまであと数日。となればやることは一つ、チョコづくり。

 

 チョコを溶かして、混ぜ合わせて、味見してはトライアゲイン。大変だし、果てがない作業だけど、まあまあ楽しくやってる。大切な人へ向けた贈り物なんだから、盛り上がらないわけがない。

 

 けど、

 

「むむむ……」

 

「だから、どうしたんだ……って、むぐ!?」

 

 多分、奈緒は私が甘い想像をしていると思ってたんだろう。悪戯したくなる顔を覗き込ませてきたから、その口を目がけて、えいっと。私をからかおうなんて、百年早い。

 

 奈緒はちょっと驚いて、けれど次の瞬間には口をもごもごと動かした。

 

「どう?」

 

「……あまい」

 

「美味しい?」

 

「おいひい」

 

 奈緒に好評だったから、凛へも。私が作っていた生チョコを一欠けら、フォークにさして差し出すと、凛は小さく口を開いて食べてくれる。

 

「凛はどう?」

 

「んー、ちょっと私には甘すぎるくらいだけど……。加蓮のプロデューサーにはちょうど良いんじゃない?」

 

「そっかー」

 

 自分でも食べてみる。やっぱり、二人が高評価をくれただけある。とろりと舌触りがなめらかで、甘くておいしい。自分で作ったものながら、大満足な出来だけど、ますます悩みが深まっていく。

 

 既に二時間くらい、この部屋で楽しく作業を続けてきた。それで、奈緒と凛は、自分が贈るチョコレートのイメージも既に固まったみたい。

 

 奈緒は幾つかの種類の小さいチョコを箱にまとめて、見た目も華やかに。担当さんは面白いのが好きな人だから、きっと喜んでくれるだろう。

 

 凛は勝負とばかりに、ビターチョコをハート型に。お互いに信頼感がすごい二人だから、こういうのもありだと思う。

 

 一方の私はと言えば、うちのロマン好きなPさんへどんなチョコを贈ろうか、まとまらないままだった。

 

「なんで、そんなに悩んでるんだよ?」

 

「加蓮のプロデューサー、分かりやすい人でしょ?」

 

 そこは奈緒と凛の言う通り。二人は私のPさんの特徴を挙げていく。

 

「甘いもの好きで、パフェが大好物」

 

 うん。

 

「果物とかも甘いのが好きって聞いたぞ」

 

 うん。

 

「それに加蓮はいつも食事とか奢ってもらってるし」

 

「私たちより、好みとか分かってると思うけど」

 

 それもその通り。

 

 私はPさんのことをよく知ってる。好きな食べ物だったり、どういうからかいをしたら面白い反応をしてくれるかとかも。知らないことの方が少ないくらい。

 

 だから、悩む。

 

 私の所には、私と全く同じ知識を持つ奏がいるから、まっとうに好みを狙うわけにはいかない。

 

 だって、

 

「奏に、負けられないじゃない……!」

 

「でた、加蓮の負けず嫌い……」

 

「けっきょく、問題はそこなんだね」

 

 二人とも、溜息を吐かないの! 私は真剣に悩んでいるんだから!!

 

 思い出すのは前回のバレンタインのこと。私は甘いもの好きなPさんのためにチョコケーキを作って、奏はクッキーだった。公平にやろうっていう乙女同盟通りに同時に渡して、

 

「どっちもおいしいって言ってたんだよね……」

 

 しかも、すごい笑顔で。

 

「じゃあ、いいじゃん」

 

「そうだけど! そこまでは嬉しいんだけど! やっぱりPさんにとっての一番があるのが普通でしょ?」

 

 私たちは味も食感もまるで違うのを用意したから、Pさんの中で好みに近い方はあったはず。

 

 だけれども、あの人はからかわれた時の反応は分かりやすいのに、ああいうところはすごい頑固に平等を保つ。いくら聞いても、どっちが好みだったとか、教えてくれなかった。

 

 だから、今年こそと。

 

 もっとおいしいと思って欲しい、日ごろの感謝と愛情を伝えたい。だけど、去年の反応がよく分からないから、どんなチョコレートを渡せばいいのか分かんなくなってしまっている。

 

「はぁー」

 

 私は疲れて、へたり込む。

 

 きっと、こんな風に悩んでいるのは私だけじゃない。奏だって、冷静な顔をしながら、色々と考えているはずだ。

 

 

 

「ちょーこ、チョコチョコ、ブラウニー♪」

 

「ちょーこ、チョコチョコ、マッシュマロー♪」

 

「二つ目はチョコレートじゃないでしょ? ふふっ」

 

 キッチンに響く、楽しそうな歌を聞きながら、チョコレートを湯煎していく。このお菓子作りを始めてから、ずっと志希とフレデリカは歌いっぱなしだけれど、バリエーション豊かで飽きることがない。

 

 バリエーションどころか、出てくる名前に規則もないのは、私のツッコミを待っているからだと思う。

 

 とはいえ、まだまだ完成には程遠い私と比べて、二人のバレンタインチョコはもう出来上がりそう。

 

「フレデリカは、ブラウニーにしたの?」

 

「そーだよー♪ フレちゃんの故郷、フランスのお菓子で、プロデューサーをメロメローにさせちゃう作戦!」

 

 ……ブラウニーはアメリカ発祥な気がしていたけれど、言わぬが華ね。

 

「それで、志希は……。あら、随分とオーソドックスなチョコレートね」

 

 お菓子作りは実験と同じ、なんていうけれど。すごいスピードで調理を進めていた志希は、お皿みたいに大きなハートのチョコレートを作っていた。

 

 上にはホワイトチョコで縁取りと、模様をつけて可愛らしい仕上がり。けれど、志希が遊び心を出していないというのは、珍しいわね。

 

 そして、その私の疑問は正しかったみたい。志希はむふふふ、と腕組み笑うと、私にクイズを出してきた。

 

「奏ちゃんにクイズー! あたしのチョコ、これで完成じゃないんだけど……隠し味、なにか分かるかなー?」

 

「わあ! 隠し味! なにかな、なにかなー? ベリー? シナモン? それともココア?」

 

「ちっ、ちっ、ちっ。フレちゃんもまだまだだねー。あたしのチョコなんだから、そんな常識に囚われたらノウ!」

 

「わかったー! クロロホルムー!」

 

「そうそう、プロデューサーを蕩けるふかーい眠りにつかせてあげるの♪」

 

「安眠どころか永眠になるじゃない」

 

 さて、冗談はさておいて、志希の隠し味、か。

 

 私も、変なところで頑固なうちのPさんのせいで、作るチョコのイメージが固まりきらない。きっと、加蓮も同じく、凛や奈緒と一緒に悩んでいるんでしょうけれど。

 

 志希の常識にとらわれないアイデアを聞けば、私の固い頭もほぐれるかもしれないって考えて、私は隠し味を真剣に考えてみた。

 

「……確か、何も混ぜ合わせてはいないはずよね」

 

 近くで作業をしていたし、注意はしていたから、今、この中に何かが入っている可能性は少ない。

 

 となると、これから追加されるもの、だろうか。隠し味なのに。

 

 そこでチョコの形を見てみると、少し中央がへこんでいることに気が付く。何かを置いた時に安定するように。

 

「もしかして……このチョコはお皿なのかしら? ここへ、なにかを載せて完成させるの?」

 

 すると志希はどこからか持ち出したクラッカーを鳴らしながら言う。

 

「奏ちゃん、正解ー! だけど、まだそのクイズの正解までは言ってないよね? あたしはー、なにをー、載せるつもりなのかにゃー?」

 

「オーソドックスに行けば果物や、クリームだと思うけれど……。残念、候補が多すぎて分からないわね。ヒントをくれないかしら?」

 

「志希ちゃん! フレちゃんも希望します! ヒント! どうぞ!」

 

「了解しました! ヒントはねー、もっともっと、志希ちゃんのことが好きになる食べ物だよー。ケミカルで考えてみよう!」

 

 言葉を素直に捉えるなら、惚れ薬でも入れかねない。

 

 だけれど、この大きなチョコに載せるものだから、液体じゃないはずね。そういえば、前に志希から豆知識として聞いた気がするけれど……

 

「志希の曲にあるフェニルエチルアミン……。たしか、恋愛物質って呼ばれてなかったかしら」

 

 脳に作用させて、恋心を引き出す。チョコレートが愛を伝えるお菓子になったのも、その恋愛物質が含まれているからだって、文香も言っていた。

 

 答えると、志希は目を輝かせて、再びクラッカーを鳴らした。

 

「その通りー! せっかく一年に一度、大量に摂取してもいい日なんだから、プロデューサーをフェネチルアミンまみれにしてしまうのだ!」

 

「ふふっ、そうなると載せるのはカカオ豆?」

 

 カカオを焼いたビターなお菓子を加えたら、見栄えもしっかりすると思う。志希らしくて、面白いアイデア。

 

 かと思ったら、

 

「え? 載せるのは納豆だよ? おまめおまめ」

 

「……え?」

 

「恋愛物質をもつのは、カカオだけじゃないのである! 豆にもたっぷり! だからねー、いろんな豆料理をのせるつもりなんだー。納豆に、煮豆に、ポークビーンズ!」

 

「いいねいいね! あっつあつのご飯を載せて!」

 

「チョコのお皿でディナーをしようプロデューサー……、キリッ!」

 

「あー、でもー、チョコ溶けちゃうねー、どろどろーって」

 

「……あ」

 

 そこ、気づいてなかったのかしら。それとも、このオチまで予想していたのかしら。

 

 志希は考えていなかったとばっかりに思考をシャットダウンさせて、固まってしまった。さてさて、本当に豆料理を贈るつもりなのか。あとでフレちゃんに聞いておかないと。

 

 余興はここまで。

 

 私は改めて、自分の手元のチョコを見る。お湯で溶かされたとろとろのチョコレートは志希の言う通り、乙女の恋心を媒介する惚れ薬。そして、なんにでも変えられる、魔法のお菓子だ。

 

 奇抜な料理に変えれば、それはそれで、貴方の子どもみたいな好奇心を満たせるかもしれないけれど……。

 

(私が見たい顔は、違うわね)

 

 見せて欲しいのは、からかわれ上手な仮面の裏。子どもで、やっぱり大人な貴方の純情。なら、

 

「さて、私は決めたわよ……。貴女はどうするのかしらね、加蓮?」

 

 

 

 あれから色々とアイデアを出し合った。

 

 奈緒も凛も、自分の事みたいに真剣に考えてくれたけど、試作をいくらしても納得いくのはできなかった。

 

 そして、

 

「さすがにチョコ食べ過ぎた……」

 

「またダイエットしないと……」

 

「チョコアイドルって大変なんだね……」

 

 私たちはお腹を押さえながら椅子にぐったりともたれていた。

 

 試食とはいえ、チョコを何個も何個も食べるものじゃない。

 

 お仕事で別の事務所の『チョコアイドル』と会ったことがあるけれど、あの子、毎日あんなにチョコ食べて、よく太らないよね。私はちょっとまねできそうにない。

 

 でも、ここまでしても、いいアイデアが出てこない。ぐるぐるぐるぐる、考えれば考えるほどに森の奥に迷い込んでいるみたいだ。

 

「なあ、加蓮」

 

 不意に奈緒が声をかけてきたのは、その時。

 

「加蓮はプロデューサーさんにどう思って欲しいんだ?」

 

「……どうって」

 

 答えはシンプルだ。

 

 嬉しいって思ってもらいたい。私のこと、もっと素敵だと思って欲しい。私といて幸せだって思って欲しい。

 

 せっかく一年に一回、そういうことをしても許される日なんだから。

 

 それを口にしようとして……。

 

「あ、そっか……」

 

 ようやく気付く。

 

 私はその一番大事なところ、見失っていたのかもしれない。奏に負けたくないとか、一番になりたいとか。それも私の大事な気持ちの一つだけど、チョコレートに籠めるのは純粋な気持ちのはず。

 

 奏みたいに綺麗な嘘で着飾ったりできないけれど、私の持ち味は激しいくらいのストレート。

 

「うん、それが私らしいチョコレートだもんね」

 

 ありがとう代わりに奈緒の髪の毛をもしゃもしゃって撫でて、私はキッチンに向き直る。

 

 さて、それじゃあ改めてチョコレートを作ってみよう。

 

 Pさんが真っ赤になるくらいストレートに乙女の気持ちをぶつけるチョコを。

 

 

 

 そして当日。

 

 私たちは部屋の前で合流する。この扉の奥で、きっとPさんは私たちを待っている。

 

「加蓮も自信満々みたいね」

 

「もちろんっ! 今日は女の子にとって勝負の日だから♪」

 

 お互いに色々あってだろうけど、そんなところは見せない。今、この日は私たちのステージで、ライバルなのだから。

 

 だから、私たちは扉を開いて、きょとんとしたPさんへと宣言する。

 

「「ハッピーバレンタイン!」」

 

 さて、この人は私達の愛情、ちゃんと感じてくれるかな?




さてさて、バレンタインはイベントでよくある題材ですが、実際に食べれないというのが我々Pの苦しいところ。

それでは、今日も二人の応援をお願いいたします!


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2月17日「天使のささやきの日」

総選挙最終日まで88日な2月17日



 肌寒い風が吹く中、速水奏はのんびりと街中を歩いていた。

 

 変装用のニット帽をかぶり、けれど、シャープなコートを着こなす姿には野暮ったさなど欠片もない。奏がそこにいるだけで、平凡な景色はたちまち絵画に変わる。ハリウッドスターがお忍びで散歩していると言ってもおかしくないほど、奏は存在感を放っていた。

 

 しかし、ここは現代日本。人々は仕事に明け暮れて、通り過がる奏の魅力に一瞬だけ惹かれるも、次の瞬間には彼らの日常に戻ってしまう。

 

 活気あるも寂しい景色の中、一人歩く奏はほっと息を白く染めると、目的の雑貨屋への道を確認しようとスマートフォンを開いた。

 

(加蓮と美嘉が勧めてくれたから期待してるけど……道が複雑ね)

 

 隠れた名店は街の片隅に隠れているものだが、都会の中ではそれが複雑になりすぎ、時に迷宮のようにも感じてしまう。この東京で生まれ育った奏でも、その道を正しく歩くのは難しい。

 

 今日もそう。地図アプリを開いたら、曲がるべき道は一つ前。とうに通り過ぎてしまっている。肩をすくめた奏はすぐにコートを翻し、道を戻ろうとした。

 

 すると、その足が不意に重くなり、奏は驚きを得る。

 

「……?」

 

 後ろから何か、小さい力に引っ張られている。

 

 早苗から教わった護身術の出番かと奏は一瞬考えた。しかし、握る力は弱く、なにより場所は足元近い。大人によるものではなさそうだ。

 

 そして、ゆっくりと振り返った奏は、足元に可愛らしい姿を認める。

 

 小さな小さな女の子が、奏のコートをぎゅっとつかんでいたのだ。

 

 白いふわふわのコートに体を包み込み、もう片方の手にはクマのぬいぐるみ。髪も長く伸ばした可愛らしくも幼い子。この日常に前触れなく現れたその子のことを、奏は「冬の妖精」のように幻視した。

 

(可愛らしい子。……けど、周りに保護者の方はいないし)

 

 笑顔になれば、きっと彼女の周りも明るく染め上げるだろう。しかし今は、悲し気に俯いて、奏の胸の奥さえも悲しくさせるほど。何かがあったのだろうと、察しが悪い人でも気が付く。

 

 奏はすらりと高い背をかがめて、女の子へと視線を合わせることにした。アイドルとしては、泣いている子を見捨ててはいけない。元より速水奏はその状況で黙っていられる性分ではなかったから。

 

「どうしたの? そんな顔をしていたら、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」

 

 声は安心させようと、優しく、少し芝居をかけてみる。すると、女の子は顔をあげ、大きな目に涙を湛えながら奏へと言う。

 

「おねえちゃん、天使さん?」

 

「ふふっ、そう見えたなら光栄だけど……。残念ながら、違うのよ」

 

「そっか……。あのね、天使さんなら、カナちゃんのとこ、つれてってくれるかもって」

 

 どうやら少女は奏のことを、街中に舞い降りた天使のように勘違いしたようだ。奏の背中には翼は生えておらず、頭の上にも光の輪はないが、街中を優雅に歩く姿に、天使のような雰囲気を感じ取ったのだろうか。

 

 まだまだ、空想が現実に存在すると、信じきっている目をしていた。

 

 奏は微笑みつつ、少女に尋ねた。

 

「貴女、お名前は?」

 

「……れんちゃん」

 

「れんちゃんね? お母さんか、お父さんは一緒にいるの?」

 

 少女は問いかけに首を横に振る。確かに、奏が見る限りで、彼女の保護者のような人はいない。それでは、この少女はどこから来たのか。

 

 慎重に言葉をかけていくと、少女は幼いゆえにゆっくりと、おぼつかない口調だが事情を話してくれた。

 

 彼女はここから少し歩いたところにあるアパートに住んでいるらしい。道も分かっており、迷子になったわけではない。ただ、少女はどうしても行きたい場所があり、普段は家で留守番している時間に、抜け出してしまったのだという。

 

「カナちゃん、びょうきなの……」

 

「そうなのね……カナちゃんは、お友達?」

 

「うん。いっつも、いっしょにあそんでたんだけど。ママがね、いま、びょういんにいるから、あえないって」

 

 口ぶりからすれば入院しているだろうか、と奏は想像する。この年の子なら、友達と長い間会えないのは辛いだろう。奏でさえ、幼いころは近所の子と毎日のように遊んでいたから。

 

 けれど、少女が一人で向かうには、病院は離れているはずだ。

 

「ねえ、れんちゃん。病院に行くのは、また今度、お母さんたちと一緒にどうかしら?」

 

「……ぅ」

 

「お友達に会いたいのは分かるけど、一人で行ってはいけないの。……それとも、お母さんは連れて行ってくれないの?」

 

「ううん。ママも、またこんどって。どようび、つれてってくれるって」

 

 奏は安堵して胸をなでおろす。彼女の母親は娘のしたいことへ理解を示してくれている。急がなくても、すぐにこの子は友達と会えるだろう。

 

(けど……)

 

 頷きつつも涙を静かに流す少女の顔を見ながら奏は考える。少女も賢い。母親の事情も理解している。なら、どうしてこの子は、こんなに急いで友人に会いたいと言っているのだろうか。

 

 少女の答えは、

 

「カナちゃんに謝りたいの」

 

 そんな寂しそうな言葉だった。

 

 

 

「このあいだ、カナちゃんにいわれたの『おひめさまなんていない』って」

 

 その友人と少女は、毎日のように遊んでいたという。ままごとに、かけっこに、子どもらしいことを共有していた。大人から見れば幼馴染ともいえるし、親友と呼べるかもしれない。あるいは、そんな大人の常識に当てはめるべきではない純粋な関係かもしれない。

 

 だが、この年頃の少女は、ともすれば思春期よりも多感で、学びが多い。

 

 カナという少女は、毎日読んでいた絵本へと疑問を持った。こんなお話、現実にはないのではないか。全て想像の中ではないか、と。

 

 そして、数日前、『お姫様ごっこ』に誘った少女へ、カナは言ってしまったのだという。

 

『お姫様なんて、全部ニセモノなの!』

 

 子どもは純粋だからこそ、恐ろしい。

 

 まだ童話を信じる少女と、そこから脱却しようとする少女。ちょっとした意見の違いから生じたケンカは、大きなものと変わってしまった。最後には、二人とも泣いてしまい、双方の両親に止められたのだという。

 

 ただ問題なのは……。

 

(友達が入院してしまったこと)

 

 症状は軽いということなので、すぐに退院できるようだが、この少女にとってはよほど辛いものだったのだろう。喧嘩してしまったとはいえ、大事な友達。このまま謝ることもできないで、離れ離れは嫌だと。

 

 奏は事情を聞くと、少し悩まし気に眉をひそめた。

 

 たまたま居合わせた者として、自分がすることは分かっている。この子を説得して、家へと帰らせること。もとより自分は病院の場所も知らないのだから、案内できるわけもない。

 

 けれど、奏の意識にふとした疑問が上り、そう切り出すことをためらわせた。

 

 話し疲れたのか、建物の陰に座り込んでしまった少女へ、奏は尋ねる。

 

「ねえ、れんちゃん、貴女はカナちゃんと会って、どんなことを言おうとしていたの?」

 

「……あやまる」

 

「そうね、喧嘩したのだものね。……じゃあ、れんちゃんは自分が悪かったと思ったの?」

 

 その言葉へと、少女は顔をくしゃりとさせて、縦に首を振った。

 

 肯定。喧嘩の原因は自分が悪かったと思ったのだ。

 

 なぜなら、

 

「だって、おひめさま、いないもん」

 

 喧嘩をした後、少女は調べた。いろんなテレビを見て、それで街を歩いているときも、多くの人を見た。それで気づいてしまった。

 

 これまで、自分が知っていたお姫様は、絵本やアニメの中にしかいないと。

 

 間違っていたのは、自分だったと、思ってしまった。

 

 だから、これから少女は謝りに行く。友達が正しかったと、お姫様がいないって私は分かったと。

 

 奏はそれを聞いて、

 

「そう」

 

 と一言を残し、一歩、通りへと足を進めた。

 

 たったの一歩。堂々としていて、綺麗で、正しくて、それだけで人目を惹く一歩。

 

 そして、奏は通りの真ん中へと歩み出ると、くるりとターンして、少女へとウインクを贈る。少女が言ったように、天使と見まごうほどの笑顔と共に。

 

「ねえ、れんちゃん。私は、貴女が思ったような天使じゃないけれど……」

 

 

 

「実はお姫様なの」

 

 

 

 次の瞬間、少女は目を見開く。

 

 通りを行く人々も、自らの用事なんて忘れて、足を止めた。ただ己の視線だけが固定されて、カメラやスマホや余計なものに手を伸ばす気すら消え失せる。

 

 奏が踊り、歌ったのだ。

 

 雑踏が舞踏会へと変わる。

 

 冬の寂しい景色は、童話の一ページに。車のBGMも聞こえず、華やかな歌声だけが人々の耳を捕える。

 

 ほんの数十秒だけの、ステージ。

 

 それを終えた時、騒動にざわめきを取り戻そうとする雑踏から、奏と少女は消えていた。

 

 

 

「すごい! すごい! すごい!」

 

 少し離れた道端で、少女は目を輝かせて飛び上がって喜ぶ。

 

 奏はそんな少女をなだめながら、困ったように苦笑していた。

 

 気まぐれと言えば、その通りであるし、騒動を起こしてしまったら、プロデューサーへと謝らなければいけない。

 

 ただ、こうしてあげたかった。だから、その通りにしてしまった私は、まだまだ青い子どもだと。そんな複雑な内心のまま、もう一度少女へと奏は語り掛ける。

 

「ふふっ、私がお姫様なの、信じてくれた?」

 

「うん! ほんとにお姫様いた! お城はあるの? 王子様もいるの?」

 

「お城みたいな大きな場所もあるし、光り輝く舞踏会にも私は出るわ。それと……王子様には未だ会えないけど、素敵な魔法をかけてくれるロマンチックな魔法使いも一緒にいるの」

 

 少女はもう、大興奮だった。

 

 つい先ほどまでにお姫様を信じなくなっていたことは、すっかり忘れてしまっている。

 

 これで良い、と奏は思った。

 

 まだ、奏がアイドルという仕事をしているとは、この少女は分からないだろう。テレビで自分たちを見て、正体に気づくかもしれないが、それは少し先の話。その時に、奏に対して少女がどんな感情を抱くかも分からない。

 

 けれど、夢見る少女には憧れを大切にしてほしいと思った。

 

 誰かから否定されたとしても、それがキラキラしたものだと。幼心が消えた後も、心の支えとなるように。

 

(自分を重ねているだけかもしれないけど……)

 

 今のアイドル速水奏がやりたいことは、こういうことだ。

 

「ねえ、れんちゃん。お友達には、ちゃんと謝りましょうね。けど、お姫様を信じたことが悪いんじゃないの。ちゃんとお話しできなくて、困らせちゃったことだけ。

 難しいかもしれないけれど、貴女はまだ、お姫様を信じていいのだから」

 

「……うん」

 

「ふふっ、それでもし、お友達がお姫様のこと信じてくれなかったら……」

 

 奏はバッグから、二枚のチケットを取り出し、少女の小さな手に握らせた。

 

「舞踏会のチケットよ。私たちみたいな綺麗で可愛いお姫様がたくさんいるの。お友達と一緒に、見に来てちょうだい」

 

 もう一度、少女の眼を見る。

 

 まだまだ純粋で、天使やお姫様を信じられる年頃。憧れを小さな体いっぱいにため込んでいる真っ最中。

 

 その眼が自分というアイドルをしっかり映してくれたのを見て、奏は朗らかに笑った。

 

 

 

 後日。

 

「奏宛にファンレターが届いてるけど……」

 

「どうしたの?」

 

「いや、ずいぶんと可愛い手紙だったからね」

 

 プロデューサーに渡されたのは、色紙を張り合わせて作った人形と、大きく幼い文字の手紙。

 

 そこには、

 

『おひめさま へ』

 

 という言葉と、小さな二つの名前が並んでいた。 




昔は純粋だったと語る奏。大人になりたいありすとは、ああいう関係を築いていますが、もっと幼い子どもたちへはどんな気持ちを抱くのでしょうね。

それでは、本日も奏の応援をお願いします!


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2月22日「ネコの日」

総選挙最終日まで83日な2月17日



 加蓮と奏がその猫と出会ったのはオフの日の、穏やかな昼下がりだった。

 

「それで私もムキになっちゃって」

 

「凛と奈緒とケンカ寸前に?」

 

「ケンカとまではいかないけど……まあ、盛り上がっちゃって」

 

「ほどほどにしておきなさいよ、なんて、私から言うことじゃないと思うけど。みくと李衣菜みたいに『解散芸』なんて呼ばれないようにはしなさいね」

 

「うーん……。確かに、持ちネタはポテトだけで十分だし。気をつけなきゃかな?」

 

「ふふっ、甘え下手なポテト姫ってね。どこかの童話みたい」

 

「ポテト姫って呼ばないの! もうっ……って、あれ?」

 

 などと、オシャレに着飾って、久しぶりのショッピング。手には新作のジェルネイルとリップを収めた紙袋。待ち合わせてからの小一時間で、二人ともに目当ての物は購入できたので、あとは、このオシャレな街を満喫しようと言葉を交わしながら散策していた。

 

 そんな時に加蓮が足を止め、小さな路地へと視線をやるので、奏もつられてそちらへ。そして奏も、

 

「あら?」

 

 と興味深そうに目を細めた。

 

 奏達がいる表通りから脇へと逸れる小道に、猫がいたのだ。事務所のペロと同じ黒猫。けれど、柔らかさよりもシャープでしなやかな美しさを持つ、どことなく女性だと思わせるネコは、静かに加蓮と奏を見つめていた。

 

 道を歩く他の人々には目もくれず、真っ直ぐな視線が二人へと。雪美のようにネコの気持ちは分からないが、何かしらの意思をもっているようにも感じられた。

 

 二人は顔を見合わせると、苦笑する。

 

「もしかして、私たちのファンなのかしら?」

 

「ライブにネコが来たことあったっけ?」

 

「前にネコカフェのお仕事にも行ったじゃない。その時にネコたちのネットワークで広がったのかも。素敵なアイドルがいるってね。私たち、ネコの世界でも有名なのよ」

 

「奏って、ほんとロマンチックなこと考えるよねー」

 

「それほどでも。……けど、ほら」

 

 興味深げに会話を続ける二人へと、目の前のネコが『にゃあ』と一声、上品に鳴き声を上げた。そしてくるりと体を翻すと脇道へと。

 

 そして、このまま去ってしまうのかと思いきや、いったん止まり、二人を促すように顔を向けてくる。

 

 そんな様子を見て奏は『さて』と考えた。

 

 オフの日だ。いつもと違い、予定に追われてはいない。ひとまず買いたいものは手に入れられたし、この後は気ままな散策に興じるつもりだった。

 

 このネコの誘いに乗って、不思議な旅へと出かけるのも面白い。その思案の間に、加蓮は既に面白そうな眼をして一歩を踏み出していた。

 

「ちょっと、加蓮」

 

「いいでしょ? 奏も面白そうだって思ったし、せっかくのオフなんだし、少しは冒険しないと」

 

「……そうね」

 

 奏は穏やかに頷くと、加蓮の後を追う。志希やフレデリカと共にいた場合、制止する間もなくネコを追いかけて姿を消してしまうだろうが、加蓮はこうして確認を取るだけ安心と言ったところだ。

 

 二人はそうして、ネコを追いながら小道へと進んでいった。

 

 

 

「このあいだも一人で街を歩いていたんだけど」

 

「うん」

 

「この街はまるで迷路ね。どれだけ長く住んでいても、どれだけ通っていても、ふとした瞬間に見慣れぬ景色にたどり着く」

 

「こういう景色にも出会ったり、飽きないよねー」

 

 二人がネコを追って十分ほどが経った。

 

 次第に、周囲から人の音がなくなっていく。遠くから車の音が聞こえてくるだけで、生活の気配が薄れていく。アイドルとしては警戒すべき場所だが、不思議と注意深い奏も加蓮も、この状況へ危機感を感じることはなかった。

 

 その理由としては単純で、ネコに案内された小道は妙に小洒落ていた。人の気配はないだけでサラサラと小さな水路が傍らを流れていて、並木は冬だというのに花の香を振りまいている。足元はカラフルなタイルで舗装されて、二人のブーツの音が気味よく鳴りひびく。

 

 先ほどまで歩いていた道も、若者に人気なファッションの中心地であったが、そことは別の不可思議な雰囲気は、二人の好奇心を楽しませた。

 

「本当に童話の中に紛れ込んだのかしらね」

 

「不思議の国のアリスみたいに?」

 

「先に進んでいったら、トランプの兵隊に捕まってしまうのよ。それで、加蓮そっくりな赤の女王が出てきて、貴女を見てびっくり、なんて。そういうのも面白そうじゃない?」

 

「その時、奏の役割は?」

 

「いつの間にか帽子をかぶって、帽子屋になってしまうの。囚われ加蓮を助けてあげてもいいわね」

 

 歌うように上機嫌な奏を見ながら、そういえば奏は帽子屋の衣装を着たことがあったな、などと加蓮は思い出す。このミステリアスな少女は、普段は大人っぽいのに、ふとした想像が子どもらしく、そこがまた可愛らしい。

 

「でも、そんなことになったらうちのPさんが慌てて探し始めちゃうし、不思議な冒険はアイドルの後が良いなー。……あのネコ、どこまで行くんだろ?」

 

「さあ? ネコは気まぐれだもの。それに、フレちゃんと志希が先を歩いていないだけ、気が楽よ」

 

「あー。気がついたら南極だったとかより、マシだね。……それにあの子も、ちょこちょこ私たちを見ながら歩いてるし」

 

 ネコがすぐに去ってしまうようなら、二人も気兼ねなく引き返せるのだが、時々彼女が止まり、振り向いたりするのだから、黙って帰ってしまうのも風情がない。

 

 元来、加蓮も奏も好奇心が旺盛であり、面白そうな気配にも敏感だ。ネコとの散歩という面白そうなイベントを見逃す手がなかった。

 

 けれど、その散歩も長々と続くことはなく――。

 

「ふふっ、ようやく目的地に着いたみたいね」

 

「……へぇ」

 

 ネコが足を止め、二人は顔を上げた。

 

 案内役を務めあげたのに満足したのか、ネコは疲れたように一声をあげると、建物の中へと入っていった。たどり着いたのは、小さくも洒落た雑貨店だった。

 

 ネコをメインモチーフとしているのか、看板はキュートな黒猫が踊っている。外へ展示されている商品も、ネコをかたどった小物で、二人も興味を引かれる出来だった。

 

「招き猫だったのかな、あの子」

 

「言葉通りに、ね。どうする、加蓮?」

 

「行ってみようよ。ちょうど可愛い猫グッズ、欲しかったんだ♪」

 

 そろーりとネコが入っていったドアを開けると、カランと鐘の音。

 

 さっきの黒猫は部屋の真ん中でちょこんと座り、店長代理とでも言いたげに二人を出迎えてくれる。流れるBGMはのんびりなジャズ調の『ネコふんじゃった』。香りもマタタビと言いたいが、そこは金木犀の上品なものとなっていた。

 

 グッズも良し、雰囲気も良し。

 

 オシャレ好きな二人は、隠れた名店を発見したことに静かに心を躍らせながら、店内を見渡していく。

 

「これなんて良いんじゃない? ネコのマグカップ。加蓮は確か新しいの欲しがってたわよね」

 

「あ、いいね! 可愛いし、見た目もあったかくて」

 

 加蓮がコップを持ち上げると手になじむ感覚があった。どこのブランドかと思いながらひっくり返すと、そこにはメーカー名などは書いておらず、代わりに細くサインが刻まれている。

 

 もしかしたら、ここにあるのは手作り品なのでは、と加蓮が考えていると、答えはすぐにやってくる。店の奥から、店主だろう、上品なご婦人がやってきたのだ。

 

「あらあら、お客さんかしら?」

 

「ええ。すみません、扉が開いていたので入ってしまいましたが」

 

「かまいませんよ。今日はお客さんも少ないので、奥で休んでいたんです。御覧のとおりのお婆さんですから、最近はお店に立つのも大変でね」

 

 言いつつも、店主は背筋もしっかりと伸ばされており、服も一つの美学の元、隙が無い。実際の年齢がどれほどの物かは分からないが、加蓮たちから見ても老人というよりは貴婦人という印象が強かった。

 

「お上手ねえ。でも、貴女達みたいな綺麗な子にそう言ってもらえると、嬉しいわ。ふふ、貴女達、お姫様みたいだもの」

 

「そう? お姫様みたいに見える?」

 

「本当よ。こんなに可愛い子、久しぶりに見たわ。そうね……一月ぶりくらいかしら」

 

「意外と近いわね……」

 

「ふふふ、冗談です。テレビもトンと見ないから、ほんと、こんなに可愛い子はめったに」

 

 店主の上機嫌な話を聞いていくと、この店を開いてもう十年ほど経つという。細々と営業しているが、この移り替わりの激しい街で不思議と倒産の危機がないのが自慢だとか。

 

「このバッグや陶器も、店主さんの手作りなのかしら?」

 

「ええ、老人の手慰み。あとは外国をめぐって、面白いと思ったものを取り寄せたりして揃えているんです」

 

「へー。私、可愛くて好きだよ、このデザイン」

 

「素朴な味わいが良いわね。肇やみくにも見せてあげるのも良いかも。あの子たちは私たちとは違った見方をするかもしれないし」

 

「あ、良いね。それじゃあこのカップを……。奏は何色にする?」

 

 指さしたマグカップはいくつかの種類があった。楽しそうにくつろいでいる、ネコの絵柄が違っていて、白猫に黒猫、三毛猫だったりも。

 

 奏は少し迷ってから、黒猫を選ぶ。

 

「やっぱり黒いのなんだ♪」

 

「ピンクのネコはいないもの。それに、黒猫は幸運の象徴っていう国もあるのよ? 日本だと、少し不吉な伝承もあるけれど。加蓮は?」

 

「じゃあここはモノクロで、白!」

 

「お嬢さんたち、仲いいのですねぇ。おそろいなんて。同級生?」

 

「ふふっ、一つ違いよ」

 

「あら。じゃあ、部活動のお仲間とか?」

 

 店主の言葉に、二人は顔をにっこりとほころばせた。確かに、テレビ等を観ないなら自分達の関係についてピンとくる人は少ないだろう、と。

 

 実際はアイドルですとは、なかなか言えない。

 

 しばらく店内をめぐり、購入する物はカップと数点の小物にした。あとは、この不思議な味わいのある店と出会えたことに感謝して、元来た道を帰るだけ、と思っていた矢先。

 

 

 

「にゃあ」

 

 

 

 と再びネコの鳴き声。二人が足元を見ると、あの黒猫が二人を見上げている。

 

 そういえば。この店へ連れてきた不思議な黒猫のことを聞いていなかった。そのことを二人は思い出し、店主へと尋ねてみる。

 

「ああ、この子ね。元々は店に迷い込んできた猫なのだけど、自然と面倒を見るようになったんですよ」

 

「お名前は?」

 

「さぁ? 元々の素敵な名前があるだろうから、私は猫さんとだけ呼んでいるわ」

 

「この子が私たちを連れてきてくれたんだよね。ちょっと不思議。私たちの言葉も分かってるみたい」

 

「お店ができてすぐに来たから、けっこうなお年のはずなのだけど、いつまでも若々しいのよね」

 

 それはまた、と奏は驚きを得た。

 

 ネコの寿命は十数年と言われている。子猫から育てたのでないとすれば、十年は優に超えて生きたネコということだ。年寄りだろうに、艶やかで、若々しさがある。

 

 思わず尻尾を見るも、別れてはいない。猫又ではないようだが……ただ者とも思えなかった。現にこの子によって、加蓮と奏はこの店へと導かれたのだから。

 

 それは果たして、ただの客としてだろうか、と奏は考える。

 

 あの場には自分と同じ年ごろの女性が多くいた。わざわざアイドルである自分たちを連れてきたのは、どうしてだろうかと。

 

「この子、前からこういうことしてたのかしら? お客さんを探したり」

 

 奏が尋ねると、店主は笑って言う。

 

「昔はよくしてたわね。私が暇そうにしていると……」

 

 そこで店主の顔に、少しだけ影が差した。

 

「孫と一緒に出掛けて行って、お客さんを連れてきてくれたわ……」

 

「そうなの……。あの、そのお孫さんは? 失礼でなかったらだけど」

 

 本来なら尋ねなくともいいことかもしれない。

 

 奏も加蓮も、自分の経験からそうした過去へ踏み出すのには慎重だ。しかし、店主から孫の話が出た途端に、ネコが奏の足を柔らかい肉球で押してきたのだ。明確な意思が感じられる。聞いてみろと、促されている感覚に従って、口が動いていた。

 

「ああ、大丈夫よ。どこかで元気にしてるわ。……ただ、近頃は便りがなくなっちゃってね。ええ、お嬢さん達に言うのもおかしな話だけど、寂しいと思ったりはしているんです」

 

 再び、『にゃあ』とネコが鳴く。

 

 それは店主を励まそうとしているのか、あるいは、奏と加蓮へと何かを伝えようとしてるのか。

 

 もしかしたら、その両方だったのかもしれない。

 

「……加蓮」

 

「うん」

 

 二人は迷い込むようにたどり着いた店と、そこで手にした可愛い猫たちを見る。

 

 自分達が考えていることは、余計なお世話かもしれない。だが、この穏やかで優しい空間に、寂しい顔は似合わない。

 

 なにより、店主が自分たちをまだ知らないとしても、人を幸せにするのがアイドルの仕事だ。

 

「ねえ、もしよかったらだけど……」

 

 加蓮の提案は、店主を驚かせるもの。けれど、そんなやり取りを見つめるネコは何だか満足そうな顔をして、毛づくろいをしていた。

 

 

 

「それでテレビで紹介したのか」

 

 数週間後、事務所の部屋で加蓮と奏は、プロデューサーと共に紅茶を手に小休止していた。カップはもちろん、あの店で買ったペアのもの。

 

 二人の奇妙な休日の話を聞いたプロデューサーは、面白そうな顔をして二人を見つめていた。

 

 数日前にモノクロームリリィが出演したお昼の情報番組。そこで二人は、あのお店の紹介をした。

 

 テレビクルーを連れての再訪に店主は少し緊張していたようだが、今をときめくアイドルのご贔屓の店ということで、忙しいながらも嬉しい悲鳴を上げていると、その後送られてきたお礼の手紙に書かれていた。

 

「それに、お孫さんの話も書かれていたのよ」

 

「久しぶりに電話してくれたんだって。これがまた、私たちのファンで、テレビで紹介されて驚いたって」

 

 はてさて、どこまであのネコは分かっていたのだろうか。

 

 加蓮と奏を連れてきたのは単なる客としてか、それともアイドルとしてか、はたまた、孫が彼女達のファンだと知っていたのか。

 

 真相は藪の中ならぬ、猫の中。にゃんとも喋れない奏たちには分からないこと。

 

 けれども、アイドルとして一つの縁を紡げたことに、二人は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。



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3月9日「ありがとうの日」

総選挙最終日まで67日な3月9日



『一日目』

 

 ちょっとの間、日記を書くことになった。

 

 今日はその記念すべき……、記念することなのか分からないけど、一日目。

 

 これを読んでるみんなは、私が赤裸々な日常とか、乙女な妄想を書くとかは期待しないでね。

 

 だって、これから私がつけていくのは栽培日記だから。しかも、ちゃんとしたお仕事。何を育てるかって? 

 

 今日、私が庭に植えた野菜は、アイドル北条加蓮の代名詞になってしまった『ジャガイモ』。

 

 ポテト姫とかジャンククイーンとか、私がフライドポテトが好きなのは否定しないけれど、最近は私とポテトの結びつきはすごいことになってる。

 

 加蓮=ポテトって言われるくらいに。

 

 それはちゃんと否定しておくよ!

 

 けど、今回は、その関係でお仕事を貰ったんだ。私がジャガイモを栽培して、農家さんを応援するっていうお話を。私みたいな若い子にも、野菜を育てる楽しさを知ってほしいっていうから、そのお手伝い。

 

 私はポテト好き代表としてジャガイモを育てて、それで、最後はフライドポテトにして食べようって企画になってるの。

 

 今、私の家の庭には、大きなプランターが並んでいる。庭を一から耕したりっていうのはムリだし、プランターを持ってきて、土を入れて、そこに種芋を植えることになった。

 

 けっこう苦労したよ。私はジャガイモどころか、野菜作りも完全に素人。土の種類とか、植え方とか、何にも分かんないから、スマホで調べながらゆっくりと。

 

 まあ、そのおかげでプロデューサーさんと二人っきりで作業できたけどね。時間も遅くなったから、夕飯もみんなで一緒に食べたり(ここは載せられないからカットでお願い♪)。

 

 今は、その一日が終わって日記を書いているんだけど、農作業も楽しかったなー。

 

 植え付けは、芽が出ている種芋を土に埋めるだけ。作業は簡単だけど、芽の数とか調整するために包丁で切ったり、切り口に灰をつけなきゃいけなくて、色々とコツがいるんだなって勉強になった。

 

 でも……このあと私がやることって、あるのかな? 

 

 水やりはそんなにしなくていいって言うし、芽が出るまで待って、あとは肥料を足してあげたりすれば、ジャガイモは自然にできる感じ? うーん。

 

 まだまだ先がどうなるか分からないけど、最後はみんなにおいしいポテトをプレゼント出来たら嬉しいな。

 

 

 

『二週間目』

 

 えーっと、こんなに次を書くのが遅くなったのは訳があって……。

 

 まず、私たちは学校もあるし、ちょっとしたライブがあって遠くに出かけたりもしてた。それに、ここが一番の原因だけど、プランターのジャガイモの芽が、全然でなかったの。

 

 ちゃんと毎日、観察はしていたんだよ? 小学生が朝顔を観察するみたいに。でも、全然芽が出てこないし、見た目も変わんないし、書くことが少なかったから……。

 

 正直にいうと、ほんとに育つのかなとか不安に思ったり、ちょっとだけ掘ってみて確かめようとか思ってPさんに止められたり、二週間の間にもいろんなイベントは起こったんだけどね。

 

 それで、今日、ようやく日記を書いたっていうことは……。

 

 じゃーん! 私のポテトの芽が出ました!! (写真、ちゃんと撮ったから使ってね!)

 

 土の中から、濃い緑色の、ちょっともじゃもじゃした葉っぱが顔を出してるの!

 

 そういえば、私、ちゃんとジャガイモの育ってるのを見るの、初めてだったんだよね。写真とかはお仕事前に確認もしたけど、触感とか分かんないし、こんなにもこもこしてるって思わなかったよ。

 

 ふふ、可愛いなー。あのちっちゃな種芋と同じで、まだまだちっちゃな芽だけど、これから大きく育っていくのが楽しみ。

 

 それじゃあ、今日はここまで!

 

 明日からは、もう少しちゃんとした観察日記が書けると思うから、楽しみにしてて!

 

 

 

『二週間と三日目』

 

 ……え、なんで? 

 

 ジャガイモの芽が……黒くなってる。

 

 

 

『二週間と四日目』

 

 昨日は慌てちゃったけど、今日はちゃんと書くね。

 

 えっと、ジャガイモの芽……枯れちゃったんだ。

 

 一昨日、すごく夜が寒かったでしょ? ジャガイモって、寒さに弱いんだって。ほんとは家の中にいれたり、なにか被せてあげなくちゃいけなかったんだけど、それも知らなくて。

 

 朝になったら、あんなに元気だったちっちゃな芽が、黒くてしなしなになって……。それで触ったら葉っぱが落ちちゃった。

 

 ……今は、茎がちょっとだけ、土から出てるだけ。

 

 昨日、Pさんに慌てて相談したら『これから暖かくなるし、また芽が出るよ』って慰めてくれたけど、本当かどうかもわかんない。

 

 そう。私、何にも分かんないままだった。私は何にも勉強しないで、他の命を育てようとしてたんだ。

 

 たくさん時間もあったはずなのに……。

 

 ……でも、ここでぐずぐずしてても、どうにもならないよね。

 

 私がやることは、もっと勉強して、面倒を見て、また芽が出てくれるようにお世話をすること。

 

 どこまでできるか分からないけど、今度こそ。

 

 

 

『三週間とちょっと』

 

 復活!!!

 

 みんな! 芽が出てきたよ!! 

 

 お母さんと相談して、日当たりのいい場所に移したのが良かったのかな? それとも、あれからすっごくあったかくなったのが良かったのかな? 

 

 ふふ、今度は私も勉強して、少しはジャガイモの育て方、詳しくなったんだ。

 

 今、そのジャガイモの写真を見ながら日記を書いているんだけど……。

 

 なんだか、不思議。

 

 すごくジーンって、感動してる。……元々は私の失敗だったんだけど、ね。それでも。

 

 一度、寒さに倒れちゃったジャガイモが『まだまだ、私は敗けてない』って力を振り絞って、太陽の下に戻ってこれた。ここからまた育とうとしてる。

 

 生き物を育てるのって、初めてだし。正直、ジャガイモって簡単とか思ってたけど、間違いだったよ。

 

 植物も、ジャガイモもすごい。エネルギッシュで、上を向いて生きていて。近くで見てると、私もこんな風に頑張ろうって勇気を貰えるんだ。

 

 よしっ! それじゃあ、明日からもアイドルとジャガイモづくり、がんばるぞ!

 

(ここからはPさんだけ読んでほしいな)

 

 ……Pさんはもしかしたら分かったかもしれないけど、私、今回のことで、ジャガイモと昔の私のこと、重ね合わせちゃったんだ。

 

 暗い土の中から出てきたのに、外の寒さに凍えてしおれちゃって。

 

 でも、あったかい光が世界にまた連れ出してくれた。

 

 このジャガイモにとっては、太陽で。

 

 私にとっては、貴方のこと。

 

 ふふっ、不思議だね。私がポテトを好きになったのは、昔は手が届かなかった憧れだったから。ジャガイモと私が似てるとか、そんなこと思ってもなかったのに。

 

 今、私はこの子のこと、自分と重ねてる。

 

 だから、今度こそ、ちゃんと育ててあげたいの。貴方が私をあっためて、大きく育ててくれたみたいに。私がこのジャガイモのプロデューサーになりたい。

 

 ……。あー、もう、ちょっとしんみりしちゃったね! それじゃ、おやすみ♪

 

 

 

『二か月』

 

 こんにちはー! みんなのポテトアイドル、北条加蓮だよ♪

 

 って、ポテトアイドルじゃないから! ちゃんと正統派アイドルだから! トライアドプリムスとモノクロームリリィの北条加蓮だからね! そのこともちゃんと分かっててよね!

 

 まったくー。

 

 このブログもたくさんの人に見てもらえるようになったけど、みんながポテトポテト言うんだから。あんまり言われすぎて、このあいだ、サインに『北条ポテト』って書きそうになったんだよ? あ、でも、この栽培日記を見てジャガイモ育て始めたファンのみんなもいるみたいで、嬉しいな。ありがと!

 

 それで、今日の日記だけど。

 

 前に載せたみたいに、ぐんぐん大きくなってるんだよね、私のジャガイモ。今日は泊りがけのお仕事から帰ってきたところなんだけど、あの写真よりも成長してて、もしゃもしゃーって感じ。

 

 お仕事前に、肥料と土を足してから出かけたのが良かったみたい。

 

 ジャガイモ育ててるみんなも、プランターは栄養がなくなりやすいから注意してね! あと、土が足りなかったら、せっかくジャガイモができても、緑になって食べられなくなっちゃうから!

 

 太陽に当たっていいのは、葉っぱだけ!

 

 そんな感じに、今日もポテト栽培、がんばってます。明日のサイン会来てくれるみんな、よろしく!

 

 

 

『三か月』

 

 ご報告

 

 

 

 ポテトの花が咲いたよ!!!

 

 かわいいー♪ 超むらさき!!

 

 ふふふ、嬉しくて、こんなにもったいぶっちゃったけど、驚いた? でもでも、みんなに私が育てたジャガイモの花、見て欲しいんだ!!

 

 それとね、私こんなお花を見るのも初めてなの。凛の家に遊びに行ったり、奏が部屋にお花をもって来てくれるから、飾るお花の種類には詳しくなったんだけど、こういう野菜の花って、お花屋さんにも置いてないでしょ?

 

 だから不思議で、面白いなって思ってるんだ。

 

 はぁー、色々あったよね。枯れちゃったり、戻ってきてくれたり、成長した後もテントウムシが葉っぱを食べに来たりするから、夕美さんに追い出し方を聞いたり。それで、花が咲いてくれた。

 

 私としては珍しく、自分を褒めてあげたい気分!

 

 え? いつもドヤ顔してるとか、言わないの!

 

 嬉しいんだから、今日ぐらいはしんみりさせて、ね?

 

 このお花も、少ししたら切らないといけないらしいから、その時までちゃんと観察するんだ。

 

 

 

『四か月』

 

 とうとうその時がやってきたよ。

 

 明日はジャガイモの収穫!

 

 うわー、ドキドキしてる。土の中で、ちゃんと大きなジャガイモできてるかな? 少しだけ掘ってみたら、すぐ固いのにぶつかったから、そうなってると嬉しいな。

 

 今は、いろんな料理を作ること、考えながら日記を書いているの。フライドポテトだけじゃなくて、サラダとか、ジャガバターとか、肉じゃがみたいなのも良いかもって。

 

 ふふっ、ジャガイモにとっては、明日がステージデビューだよね。土の中でレッスンに耐えて、立派に育って、オンステージ! それで、ジャガイモがどんな形で輝くかは、プロデューサーの私次第。

 

 種芋から芽が出て、大きくなって、花が咲いてをこれまで見てきたから、何だかほんとにプロデューサーの気分になってるの。

 

 明日、ジャガイモが取れたら、まずは私のプロデューサーさんに食べてもらおうと思うんだ。アイドル北条加蓮を育てるの、ジャガイモより大変だったと思うから、ありがとうをこめてね。

 

 

 

『四か月と一日目』 

 

 じゃーん!!!!!!

 

 ジャガイモ、がんばったね!!

 

 

 

「そっか、もうあれから何か月も経つんだ……」

 

「ふふ、私も感動したけど、ファンのみんなも『泣けた』って言ってくれて。それに、Pさんも私のジャガイモ料理、美味しいって言ってくれて嬉しかったよ」

 

「だから今年も、か」

 

「うん。暖かくなってきたから、またジャガイモ育ててみようって思って」

 

 Pさんと私で、今日は私の家の庭。

 

 足元には土とプランターがあることも、去年と同じ。

 

 今から私たちはまたジャガイモを育て始める。

 

 私のポテトネタで始まったジャガイモ栽培だったけど、私の想像以上にいろんなハプニングがあって、心配や不安もあって、それでも美味しく育ってくれたことが、私に力と自信をくれた。

 

 だから今年も、また力をくださいってね。

 

 私は楽しみながら、ジャガイモを植えていく。今年も来年も、ジャガイモのように、私もたくましく育って行けるようにって、願いを込めながら。




加蓮のポテトネタも随分と広がったけれど、意外とジャガイモと加蓮にも共通点があったりして面白いと感じています。


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3月18日「精霊の日」

総選挙最終日まで58日な3月18日

精霊で「しょうれい」と読むそうです。
由来を調べてみたら、面白い内容でした。


「思いつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」

 

 咲き誇る桃の木の下で、艶やかな声が歌を詠みあげている。

 

 それを乗せるのは、穏やかな春風。歌だけでなく、ひらりと桃の花も舞い上げて、奏のなめらかな髪へと運んでいく。まるで、絵巻の一場面と語られるような景色。

 

 けれど、それはただの絵ではない。奏というアイドルの表現力によって、この現実へと存在している。

 

「うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき」

 

 再びの小町の歌。夢を詠う奏の様は、在るだけでしんと空気を透き通し、私たちがはるか平安の世にいるようにも感じさせる。そんな陶酔を阻むのは、

 

 くすり

 

 という気まぐれな奏の微笑みのみだった。

 

 

 

 今日、私たちは奏の新写真集へ向けた撮影を行っていた。

 

 奏の写真集はこれまでに幾度も発売され、その圧倒的ビジュアルから好評を博してきた。去年、初めての水着写真を公開し、多くのファンの屍を積み上げたことも記憶に新しい。

 

 それら写真集には、奏が自分の希望に沿わせたテーマを設定している。

 

 前回のは夏をテーマとし、水着や浴衣、スポーティな薄着姿と、刺激的に仕上げた。そして、今年初となる写真集は、前回とは一転して大和撫子をテーマとした。

 

 単に色香だけで惑わすのは芸がない。奥ゆかしい仕草でファンを魅せてみせる、というのが彼女の考え。

 

 春らしいワンピース姿で緑の茂る河原を歩いたり、有名な千本鳥居の中で撮影したり。見ていると自然とため息が出てくるような、そんな奏の美しさを強調した写真を撮影してきた。

 

 今は、その〆となる和服での写真。

 

 桃が有名な神社の境内にセットを作ってもらい、平安時代の十二単を纏って、平安貴族となった奏を、カメラがこの世に写し取っていく。奏の手には、筆と和紙が携えられて。読み上げるのは、かの小野小町の歌。

 

 もちろん、写真に声は載せられない。だが、世界三大美女とも謳われる彼女の歌が、奏の口から語られるたび、不思議と幻想的な雰囲気が生まれるのだ。奏こそがその生まれ変わりなのではないかと、惑ってしてしまうほどに。

 

 けれど、そんな私の当惑を、奏が柔らかな声で否定する。

 

「私は貴方の隣で偶像になっている、ただの速水奏。それ以上でもないし、それ以下でもないわよ?」

 

「あ、ああ。もちろん」

 

「ふふっ、遠い過去に心奪われるくらいなら、今の私の虜になってほしいわね。この口が語る歌が邪魔をするなら、私は封じてあげてもいいわよ? 貴方の唇を使ってね♪」

 

 ふ、とそんな奏の言葉と共に、桃の香が私を包み込む。桃は元来、神の食べ物。甘くて、痺れる、この世の物とも思えない香りだ。

 

 この風も、香りも、どこまで意図してやっているのか。こんな偶然も味方にしてしまったら、奏は向かうところ敵なしだろう。

 

 そんな私の呆然を、奏は再び声を鳴らして笑った。

 

 休憩時間となり、私は奏の傍に腰を下ろしていた。撮影をお願いしているカメラマンが、セットの近くに椅子を用意してくれて、そこに座らせてもらっている。彼女曰く、この着物はかなり重いので、動き回るのも大変だそうだ。

 

 私は体を休めている奏へと尋ねる。

 

「撮影、もう少し長引きそうだけど大丈夫?」

 

 奏は普段からシャープな服装を好んで着ている。このボリュームある着物を窮屈に感じているようで、奏は少しだけ肩をほぐすように揺らしていた。

 

「確かに、これを一日中着ていなければいけない、といわれたらお断りするわね。でも、こうしていることで読み手の気持ちも分かるの。

 きっと昔はもっと多くのしがらみがあって、夢の中が唯一の自由になれる場所だったのだろう、とかね」

 

「それって、あの歌だっけ?」

 

 奏が詠んでいた、百人一首にも載せられている、小野小町の歌。

 

 好きな人の夢を見ていたのに、目が覚めたらその姿が消えてしまった。これが夢だと知っていたら、目覚めたくなんてなかったのに。

 

 そんな意味だったと記憶している。

 

 奏は頷くと、目を閉じ、遠い景色へ思いを馳せるようにして言う。

 

「せつないわよね。そこまで焦がれているのに、きっと、相手の顔も知れないの。平安時代は、お互いの顔を知らないまま恋心を交わしていたから、夢の中が唯一の逢瀬の場所。

 ……それでも夢は泡沫のごとく消えてしまう」

 

 私も小町の歌を少しだけ調べてみたが、夢に関する歌は多い。どれもほろ苦い、恋の歌だ。

 

 目が覚めなければいいのに、夢の中ならどんなにいいか、夢の中なら咎められないのに。

 

 当時とは私たちの知識も風俗も違うが、彼女らにとっても夢の中は憧れの対象だったのかもしれない。

 

「いつの時代も人は夢と恋に焦がれる……。

 知ってる? 昔の歌は呪だった。言葉が力を持つと考えられたから、こうして歌を作ることは、ただの道楽ではなくて、彼女たちの必死な願い事。今も、この言葉が私たちを惹きつけるのも、そこに籠められた思いが残されているから。

 彼女達が想い人と結ばれたかは、私には分からないけれど……」

 

 でも、と。

 

 奏は立ち上がると、私へと手を伸ばしながら言う。暖かい、春に浮かれる少女のように。

 

「ねぇ、この後、少し付き合ってくれないかしら?」

 

 

 

「あったかいわね」

 

 河原の傍を歩く。神社近くの、春風が気持ちよく通り過ぎる道。横を見れば、桜ではなく桃の並木が花開いて迎えてくれる。

 

 私の隣で奏は手を大きく広げながら、穏やかな笑顔で軽快に歩いていた。

 

 その服は十二単ではない。あの後、撮影は順調に進んで、日が傾く前に終了した。奏も普段着に着替え、身軽そうにしている。

 

「ふふっ、仮面じゃないけれど。ああして縛られたあとは、少しの開放感があるわね。島へ行った時と同じように♪」

 

 それに、と。奏は私の手を優しくとった。

 

「演じるたびに、私は違う役に入り込んで。役を終えるたびに、新しい発見をする……。

 今日演じたのは、もどかしいほどの恋心を抱えた平安の歌人。彼女の恋ごころが届いたかは、私たちが知ることもなく、知る必要もないかもしれない

 それでもね……」

 

「……ああ」

 

 奏が切なそうに私を横目で見る。

 

 言葉は無くとも、その表情に奏の心が隠れているような気がしていた。

 

 目の前には青空がある。囁く風と、流れる川がある。草木は芽吹いて命を振りまき、花は一時の夢を見るように香り立つ。

 

 この春の目覚めを、私たちは共有している。

 

「私たちは、今この時を生きて、同じ景色を見ている。それは、どれだけの奇跡なのでしょうね。

 この関係が、今はアイドルによって成り立つものでも。私が素顔をさらけ出さないとしても。同じ場所に立って並んでいるということは真実。かつては望んでも、手の届かなかった物を、私たちは当たり前に」

 

 言葉を切ると、奏は手を離した。

 

 私はまだ残る名残を握りながら、奏へと言う。

 

「実は昨日、奏が夢に出たんだ」

 

「私が?」

 

 すると奏は、驚いたように目を開いて、首を傾げる。

 

 私も少し突拍子がないかと思ったが、そのまま続けることにした。私たちが幸福だというのはその通りだが、それは、この場に共にいるだけという理由じゃない。

 

「夢の中の私はどうしていたのかしら? この現実に遠慮なく、貴方へと唇を重ねていたのか、それとも、子どもらしく無邪気に笑っていたのか」

 

「それがさ、魔術師みたいな格好してて、私を鼠に変えちゃった」

 

「……あはは! もう、貴方にとっての私の印象、そんな風なの?」

 

 いやいや、これが割と愉快な夢なんだ。

 

 鼠になった私は奏の肩に乗ると、箒に乗って街を飛行する。夜桜を見下ろし、ウサギと共に月の模様となって大冒険をしていた。私好みなロマンチックを、奏が実現してくれた。

 

「でも、夢が覚めた時は、残念だと思わなかった。

 あの夢も現実に続きがあるから。奏達が私を、ファンを、夢のような景色へ連れて行ってくれるって」

 

 確かに、私たちは幸せ者だ。

 

 好きな人と同じ景色を観れて、夢も共有して、共に人生を歩いている。

 

 私は奏の手を取る。今度は私から。

 

 奏は、その仕草に驚いたようで、少女らしく目を見開いて私を見つめた。一秒、二秒。それで、穏やかに口を緩め、体も寄り添わせるように。

 

「珍しく気が利いているんじゃない?」

 

「さっき、奏が言ってただろ?」

 

 夢と知りせば覚めざらましを。

 

 言葉は呪。たとえ先人の歌でも、心を込めて読めるなら、気持ちは同じ。

 

 聞いた私だってそうだ。

 

 夢だろうと、現実だろうと。

 

「……ええ。今だけでも、貴方とこうして一緒にいたいわ」




これまで和歌の素養はなかったのですが、込められた意味も表現も、奥が深いですね。


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4月5日「ヘアカットの日」

総選挙最終日まで40日な4月5日



 うちの事務所のファッションリーダーは誰かと問われれば、『カリスマギャル』こと城ヶ崎さんが第一に挙げられる。

 

 次いで大槻さんも、若いファンから圧倒的な支持を受けていたり、奏もギャル系統とは違うが、大人っぽいファッションへと熱狂的な声が届けられている。

 

 そして忘れてはならないのが、北条加蓮。

 

 加蓮の優れたところは、ファッションの多様性だ。

 

 出会った当初は、着崩した制服だったり、ギャルっぽい服を好んでいたが、アイドル活動を通してめきめきと自分のセンスを磨き、今ではどんな服も華麗に着こなして見せる。

 

 仕事においても、そのセンスは光り、イベントが開かれるたび、彼女のファッションは注目を集め、時のトレンドをかっさらっていく。

 

 加蓮もそうした憧れを受けるのを喜び、それが原動力となって、更なるファッション研究へ。好きこそものの上手なれ。加蓮が自分だけでなく、周りのアイドルにもファッションを教えたりしながら、良い関係を築いているのは、私としても嬉しいことだ。

 

 さて、そんな加蓮が七変化させるのは、服だけではない。ご存知の通り、髪型も毎日のように変化する。

 

 実はこれは、珍しいことだ。

 

 アイドルは、言葉は悪いが、その人自身が『商品』としての側面も持つ。アイドル個人に一定のパブリックイメージが付与され、それが宣伝や売り出し戦略にも作用していく。

 

 ならば、髪型も重要な商品だ。全体のシルエットを大きく変化させてしまえば、イメージもまた変わってしまう。

 

 そのため、多くの事務所ではアイドルのイメージを保つために、髪を切ったり、髪型を変更するのにも許可がいる。うちの事務所や新鋭の283プロのように規則が緩いところが例外的。

 

 そういう所も、加蓮とうちの事務所の相性は良かったということになるのだろう。髪型を変えることは、今ではすっかり、加蓮の個性として認知されている。

 

 毎日、違う色どりを見せてくれる加蓮を見ることは、私にとっても密やかな喜びとなっている。彼女の昔を少し知る身としては特に。

 

 

 

「やっほー、Pさんお疲れ様!」

 

 元気な声と共に部屋へとやってきた加蓮の髪型は、ポニーテールだった。

 

 服装は白いシャツに、ロングスカートという清楚系。だが、春の開放感を反映するような纏められた髪が、ぴょんぴょんと跳ねて活発な印象を与えてくる。

 

 加蓮の元気印を髪が表現しているようだ。

 

 私がほほ笑んでいることに気がついたのだろう。加蓮はとことことデスクに近づいてくると、目を細めながら尋ねてくる。

 

「どうしたのかなー、Pさん? 加蓮ちゃんに見惚れちゃった?」

 

「いやいや、見惚れるというなら、毎日見惚れているぞ」

 

 なにせ私の自慢のアイドルなのだから。

 

「嬉しいこと言っちゃって♪ でも、Pさんが上の方を見てたの、私もちゃんと分かってるんだよ? ……ポニーテール、好き?」

 

 悪戯な笑顔。

 

 私は少しだけ考えて、その質問にも答える。

 

「加蓮によく似合ってるから、好きだな」

 

 実のところ、私には特に髪型の好みはない。加蓮と奏がそれぞれ、自分の好む髪型をしていれば、それでいいとも思っている。

 

 例えば、奏はショートにしているため、髪型の変化は少ないが、それは奏の持つシャープさと大人っぽさを引き出して素敵だと思う。

 

 加蓮の七変化する髪型も、感情の移り変わりが大きな加蓮の気持ちとリンクして、魅力的だと思えるのだ。

 

 加蓮はそんな私の意見を聞くと、ふむふむと、首を縦に動かし、唐突に、

 

「そっかー」

 

 なんて言いながら、髪のゴムを解いてしまった。

 

 する、と細い指が髪から抜き取られると共に華やかな香りが私の鼻腔にも届き、そして、加蓮の髪がふわりと下がる。あとは加蓮がバッグから取り出した櫛を通せば、私も見慣れたストレートに。

 

 私は突然な加蓮の髪型変更にドキリとして、加蓮も見ながら少しだけ頬を染めていた。

 

「あはは、なんだろ、着替えみたいで恥ずかしいね……」

 

 加蓮は言いつつ、困惑気味な私を置いて立ち上がると、ちょんちょんと、私を手招き。何をどうしたいのかは皆目見当がつかないのだが、それを拒む理由もない。

 

 招かれるまま、加蓮と共にソファへと座る。すると、加蓮はくるりと背を向けて、そのままじっとしていた。

 

 レッスンの時には後ろから見ることが多い加蓮の背中。普段の勢いとは裏腹な、細くて心配になる華奢な背中。

 

 見ていれば色々な感情が生まれるも、加蓮がこうしている理由は見当もつかず、私は加蓮へと尋ねた。

 

「……肩でも揉めばいいの?」

 

「違うって! Pさん、私の髪型に興味あるなら、ちょっといじってみる?」

 

「……私が?」

 

「他にいないでしょ? ほら、もうほどいちゃったし、どうぞ♪」

 

「いやいや」

 

 改めて加蓮の髪を見る。細く、柔らかく、流れるように輝いている。

 

 私の太い髪と比べると、雑草と絹のような違いだ。それは男性と女性と言った性差だけでも、年の差でも、まして生まれつきと言うものではない。アイドルとして、女の子として、日々、加蓮が手塩にかけて磨きあがた結果。

 

 それは簡単に触れて良いものではない。……まあ、割と不可抗力で触る機会は多い気もするんだけれど、からかわれた時とかに。

 

(これとそれとは、話が違うからなぁ……)

 

 加蓮の大切な髪を、私がセットする? 彼女なんてとんといないし、仕事柄で整えているが、それだって技術があるわけじゃない私だぞ? あの綺麗な髪に触っていいって言われても……。

 

 あれやこれやと、私が考えていると、見かねたのか加蓮は強引に私の手を取って、自分の頭へと運んでしまう。

 

「あー、もう! じれったいし、恥ずかしいから早くやってよ!」

 

 ふわっと、指先が捉える、柔らかい感覚。それは私が想像していたものよりもはるかに……。

 

「……」

 

「はーい、固まっているPさん、戻ってきて♪ これでちょっと髪の毛乱れちゃったし、ちゃんと整えてくれないと、お仕事も始められないよ? 道具もちゃんと用意してるし、教えてあげるから!」

 

「……お手柔らかに」

 

 私が扱ってもいいのかという、怖さも、恐ろしさもあるが、こうして笑顔を見せてくれているのは、加蓮の信頼の証。だったら、プロデューサーとして彼女の希望に全力で応えてみせるのが私のやるべきこと。

 

 そう自分を納得させた私は強張っていた肩をほぐし、加蓮の指示を受けながら、ヘアセットを始めるのだった。

 

 そして十分後――、

 

「ツインテールとかなら、Pさんもやりやすいかなって思ったけど……」

 

「……ぐっ」

 

「あはは! もー、ダメだよ、ちゃんとバランス整えないと、ね」

 

 やはりというか、加蓮の指示に従っても慣れない作業。鏡を見ながら、加蓮は自分の髪型を見ながら笑っていた。

 

 加蓮の後ろで、私は自分の技量のなさに嘆くしかない。

 

「……いや、けっこう難しいな、こういうの」

 

「そりゃそうだよ。私たち女の子は綺麗になるために、何年も練習するし、勉強するんだから」

 

 言いつつ、加蓮はヘアゴムを外すと、あっさりと髪を整えなおし、数分でいつもの加蓮へと戻ってしまう。その手並みは鮮やかで、自分が苦労した分、魔法を使っているようにも思えた。

 

 よく加蓮や奏がプロデューサーを指して、魔法使いと呼んでくれるし、それを誇らしくも思っていたが、まだまだアイドルに敵わないところも、勉強しなければいけないことも多いと実感する。

 

 そして、加蓮は私の思案に気づくと、面白いことを思いついたと、少しはしゃぎながら、提案をしてくるのだ。

 

「……ふふ、Pさんも勉強してみる? 練習台くらいなら、付き合ってあげるから」

 

「いいの?」

 

「んー。Pさん、思ってたより優しく扱ってくれるしね。男の人に教えるのも面白そうだし、いいよ♪」

 

 加蓮がどんな髪型になれるのか、どれだけの工夫をしているのか、と言うのはプロデュースをする上でも大いに役に立つ情報。今後、加蓮はファッションの仕事が増えていくだろうし、その知識を増やせるのはありがたい。

 

 加蓮は意気込む私を見ながら『真面目過ぎっ』とか、からかうように笑う。

 

 こうしているうちにも、加蓮はまた髪型を変えて、サイドに三つ編みをくるくると作っていって、私は再び舌をまいた。

 

 今後は、加蓮を見るたびに髪型にも、より注目していこう。などと考えていると、ふと頭の片隅に残っていた疑問が口を突いて出てきた。

 

「そういえば、加蓮が前髪を変えないのは……どうしてなんだ?」

 

 毎日のように多才な髪型を魅せてくれる加蓮。けれど、その前髪の分け方だけは変えることはない。

 

 神谷さんや渋谷さん、奏のように、互いのファッションチェックをして楽しんでいる相手でも、そこだけを弄ることは断固拒否している。

 

 答えにくいなら答えなくてもいいんだが、せっかくの機会なので。

 

 尋ねると、加蓮はくすりと微笑み、チョンと指を動かして、前髪を動かした。

 

 それだけの仕草で、いつも左に流れていた髪が、右へと。

 

 けれど、次の瞬間には加蓮は顔を背け、分け方を元へ戻してしまう。私へと顔を向けなおした加蓮は、照れ臭そうに頬をかいていた。

 

「見せてあげるのは、Pさんにだけ。なんてね♪ どうだった?」

 

「ちょっとだけ、加蓮が別人に見えたかな?」

 

 ほんの一瞬だけだけど。私が呆然としてくらいには、その実感がある。

 

 加蓮はそれに納得したように頷くと、ソファへと身体を預けながら呟いた。手鏡で自分の髪を映し、しみじみと語るように。

 

「私って、こういう風にファッションも髪型もいろいろ変えるのが好きだし、楽しいけど。……変わらない自分も、どっかに残しておきたいって思うんだ。

 アイドルのお仕事で出会う人も、ファンも、私と会うのは『これ一回きり』って人も多いでしょ? そんな人にも、私がいたって覚えていて欲しい。だったら、変わっていく私の中にも、変わらないところがあったらいいなって」

 

「加蓮……」

 

「まあ、シリアスなこと言ったりもするけど。

 ほんとは、ずっとこうしてきたから、突然変えて、皆に根掘り葉掘り聞かれるのも困るって思うだけだったりするかもね?」

 

 最後はそんなお茶目な言葉で〆る加蓮。

 

 どちらの言葉も、きっと加蓮にとっての本当の気持ちなのだろう。変わらない物を持っていたいというのも、騒がれたくないというのも。

 

 だとしたら今、一瞬でもその変化を私へ見せてくれたことは。

 

「さぁ? Pさんなら、私と離れるっていうのは無さそうだし。こんな私と毎日会える未来も、ずっと先にはあるかもね♪」

 

 加蓮はそう言って笑った。

 

 髪が、ファッションが変わっても、きっと変わらないだろう。見る者すべてを明るくする笑顔で。




さてさて、今年シンデレラガールと成れたなら、
加蓮はどんな髪型になるのでしょうね。

早くその時が見てみたいです。


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4月16日「女子マラソンの日」

総選挙最終日まで29日な4月16日


 はっ、はっ、はっ、はっ。

 

 息を吸い、吐きながら、ただ走る。腕と足をリズムよく連動させ、地面を蹴り上げ、体を前へ前へと。単純な繰り返しの動作。十分、二十分、維持するだけなら、何の苦もない。

 

 しかし、それが一時間、二時間となれば話は別だ。

 

 人間は生物で、機械のように全く同じ動作をするということには向いていない。次第に息は乱れ、手足は鉛のように重くなり、明朗だった意識は暗く沈んでいこうとする。

 

 ただ、長距離を走るというだけでそれなのだ。マラソンランナーという『競技者』に成ろうとすれば、その苦しみを乗り越えるだけにとどまらない、強い意志が必要になる。

 

 そして、選手でない私には、そこまでの意志はない。ただ一人で走っていれば、最後には息もできなくなり、無様に地面へとへたり込んでしまうだろう。

 

 それを支えてくれるのは、元気のよい声。

 

「ほらほら、Pさん。ペースが落ちてるよ!」

 

「ふぅ、ふぅ……。何のこれしき!!」

 

 左横で加蓮もまた、私と同じように走っている。

 

 表情はまだまだ涼やかで、私のように疲れた様子は見せていない。昔は運動も苦手だったのに、よく体力をつけたものだと思う。細身のランニングウェアもよく似合っていた。

 

「ガンバ!!」

 

 声に加えて加蓮がバシリと背中を叩く。それで私の意識もにわかに元気となった。私よりも年若い加蓮が軽快に走っているのだから、まだまだ先達として私が倒れるわけにはいかない、と。

 

 そうしてどのくらい走っただろう。

 

 競争ではないとはいえ、加蓮は負けず嫌い。男である私の方が、さすがにスピードは出せるけど、加蓮も笑顔を見せながら追いすがってくる。

 

 そんな競争はちょうど5キロの距離で一旦、終わり。走っていた湾岸の道の途中で二人とも顔を俯けて大きく息を吐く。

 

 肺が苦しい。上手く息が吸えず、なにか喉を潤したいと思った時には、

 

「はい。ゆっくり飲むのよ」

 

 なんて、母親みたいなことを言いながら、奏が私たちへとペットボトルを渡してくれるのだ。

 

 加蓮と同じく、ランニングウェア姿の奏も自転車に乗り、私たちの後ろの方から追いかけてくれていた。自転車の籠には氷やら、飲み物をたっぷりと入れて。

 

「あー」

 

「生き返るー」

 

 なんて、加蓮と二人、奏がくれた冷たいお茶を飲み、体を伸ばしながらリフレッシュ。それを優しく見守る奏は、本当に母親みたいだが、それを言うと怖いので私の胸の中にしまっておいて。

 

 少しのんびりしてしまうけれども、いつまでも座ってる訳にはいかない。ここが終着点ではないのだから。今日の目標は20キロ。少しの休憩を挟んだら、再出発だ。

 

 そして、

 

「今度は私の番ね」

 

 私の隣へ並んだのは奏。

 

 いつもは運動よりも、文化的な活動をしているのを見かける奏だが、腕を十字に組んで、体を曲げ伸ばしをする姿は、綺麗なショートヘアも相まって、スポーティな魅力にあふれている。

 

 これは今度、こういう仕事を取ってきても良いかもしれない。

 

「ふふっ。お仕事の目をしてるけど、今は忘れた方が良いと思うわよ?」

 

「そうだよー。ペース間違えて、歩けなくなりましたじゃ、私たちだって困っちゃうし」

 

「そりゃそうだ」

 

 今はオフだと頭を切り替える。

 

 疲れた体で、奏を相手にどれだけ走り抜けるかが重要。なんだかんだと仕事で動いていても、二人と違ってダンスや本格的な運動とは無縁な生活を送っている。気持ちが散漫で怪我をしたら、目も当てられない。

 

(さてさて、そんな私がなんでマラソンの練習なんてしているんだろ?)

 

 こんなオフの日の朝早くから。しかも、アイドル二人まで付き合ってくれている理由。

 

 それは、

 

「「だって、太ったからでしょ?」」

 

 なんて身もふたもないものだった。

 

 

 

「Pさん、貴方、またお腹出てない?」

 

 と、奏が呆れるように言ったのは数週間前だ。外での仕事を終えた私たちが、事務所ビルに入って、エレベーターに乗っている途中。奏がふと隣にいた私のお腹を見て、無慈悲に言い放った。

 

 その瞬間、加蓮の視線も私の下腹部へと突き刺さる。とっさに腹筋に力を入れるが、そのスーツの盛り上がりを隠すことはできなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 年頃の女の子から受ける無言のジト目。

 

 しばらく腹筋でそれらを誤魔化そうとしていた私だが、

 

「いひっ!?」

 

 加蓮と奏がいきなり私のお腹を掴むものだから、変な声をあげてしまった。細い指先はそこまでの力を加えていないのに、ぐにぃと二人の指が引かれるにしたがって、私の肉が伸びていく。

 

「……Pさん」

 

「……あなたねぇ」

 

「……うぅ」

 

 なんだろう、この羞恥は。

 

 二人は圧力をかけながら、私をエレベーターの壁へと追い詰めていく。

 

「はいはい、Pさん、ちゃーんと教えなさい」

 

「最近、間食が多いと思っていたけれど。家帰ってからも不摂生してたんじゃないの?」

 

「……そんなことは」

 

 言葉では否定するも、私の脳裏にはいくつもの景色が過ぎていく。仕事終わりのジャンボパフェ。コンビニで買ったバニラアイス。加蓮と奏に連れていかれた喫茶店のケーキ類、ドーナツ、押し付けられたポテト。

 

 あれ、一番後ろのがめちゃくちゃ多いぞ!? 不摂生の原因は、ポテトじゃないのか!?

 

 しかし、そんな言い訳は、この摘ままれた腹という物的証拠の前に何の意味もなさない。

 

 黙りこくった私を前に、加蓮と奏は大きくため息。腰に手を当てると、小さな眉間にしわを寄せながら言うのだ。

 

「去年の夏はいい感じだったのに」

 

「歳なんだから、代謝が悪いのね」

 

「やっぱり私たちが」

 

「責任もって」

 

「「管理してあげないと♪」」

 

 深刻な声から、急転する明るく楽しそうな様子。そして、宣言されるのは、去年と同じ苦難の呼び声。

 

「それじゃあPさん」

 

「今年もフルマラソン、やってみましょ♪」

 

 

 

 と言うことで、私は再びマラソンへと挑むことになったのだ。

 

『体脂肪を燃やすのは有酸素運動が一番だよ』

 

『持久力もつくし、日々のプロデューサー業にも役立つから』

 

 というのが二人の語る理由だが、去年の私の苦闘を思うと、面白がられているのも半分くらいある。そして、残り半分は本気で私のことを心配してくれているのだから、無下にもできない。

 

 二人曰く、目標は半年後、秋のマラソン大会。ちひろさんやらの協力を得て、既にエントリー済みと言うのだから、準備万端なことだ。

 

「でも、こういう風に走っていると、気持ちいいでしょ?」

 

「っ! ……ああ、ほんとに!」

 

 並走する奏が声を張り上げる。いつもと違う声の出し方も新鮮。当初は、またやるのかと気が重かった私だが、いまはわりとノリ気だった。走ることで、頭もスッキリするし、気分が良くなる。

 

 オフの日を中心にしたマラソンも今回で、既に十回くらい。コースは同じで、最終目標は海の見える公園だ。

 

 今日も42キロほど長くはないが、体力の限界を攻め抜く距離を走って、私はゴールテープを切ることに成功した。

 

「はい、お疲れ様! Pさん、ドリンクはなにがいい?」

 

「お茶とスポーツドリンクくらいはあるけれど」

 

「お、おちゃで……」

 

「はい。ちょっと待っててね」

 

 汗で水分が減っていたし、口の奥がベタベタになって仕方ない。体は動く気配がしないけど、妙に気持ちは晴れやか。

 

 天を仰ぎながら、呟く。

 

「……久しぶりに、スポーツしてる気分だ」

 

「それは上出来♪ Pさんが私たちを置いておじさんになったら、寂しいもんね」

 

「そうね。貴方の顔、なんだかいつもより若々しく見えるわよ?」

 

「え!? そんなにいつもの私、おじさんになってる!?」

 

「楓さん達とお酒飲んだ次の日は、さすがにおじさんっぽいかなー」

 

 加蓮も奏はくすくすと笑顔を転がしていく。

 

 私もつられて笑い出して、それで、自分で自分に驚かされる。ちょっと前まで、あんなに疲れ果てていたのに、もう前向きな考えになっていたから。

 

 私がそんなことを考えていたことを察したのか、奏は微笑みながら言う。

 

「練習の成果ね。去年も大変だったと思うけれど、一度は走りきることができたのだし。蓄積はあるのよ」

 

「Pさん、気づいているか分からないけど、お腹も首のところもすっとしてカッコよくなったよ?」

 

 加蓮の言葉も、優しく、褒めてくれるようなもの。

 

 体の疲れとは別に、頬に熱を感じる。そういえば、仕事のことだったり、プロデューサーとして二人から褒められることは多かったけれども、こうして体を動かすことで褒められるのは、多くない。

 

 毎日、汗を流して頑張ってくれているのは、加蓮たちの方だから。私は、それを後ろで眺めているだけ。

 

 けれど、加蓮たちが言うように、これまでのランニングが少しでも私の身についているのなら、それは次のやる気にも繋がるし、喜びにもなっていく。

 

「ああ、何となくだけど……」

 

 加蓮と奏の、アイドルの気持ちが分かる。

 

 自分の限界へと挑んで、汗をかき、苦しい思いをしても、それが自身の成長へと繋がる。その経験は、泥臭くても気持ちが良いし、

 

(……褒められるのって嬉しいよな)

 

 自分で言うのは、少し気恥ずかしいが、日々のレッスンで何気なくかけている言葉が、同じように加蓮たちの力になってくれていたら嬉しいと思う。

 

「さて、嬉しそうにしてるPさん? そろそろ出発の時間だけど、大丈夫?」

 

 加蓮が差し伸べてくれる手に、私は苦笑しながら手を重ねた。

 

 それに支えられて立ち上がると、まだ足は重いが、走れないほどじゃない。

 

「もちろん、アイドルだけ先に走らせるわけにはいかないからね」

 

 プロデューサーとしては、ちゃんと支えられるように追いかけないと。

 

「それじゃあ、目的地は事務所ね。着替えて、シャワーを浴びて、あとはみんなで食事にでも行きましょうか」

 

「じゃあ、私はポテトで♪」

 

「……パフェは」

 

「「ダメ」」

 

「……じょ、冗談だって」

 

 私は苦笑いしながら走り出す。こうして走った先に、二人にふさわしいプロデューサーになれるよう、願いながら。




とうとう作中時間も一ヶ月きったー!!


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4月29日「エメラルドの日」

総選挙最終日まで16日な4月29日


 アイドルとしての武器、魅力、特技。

 

 それらは当然、一人一人が異なっている。ダンスが得意なものも、ヴィジュアルに優れたものも、歌唱が圧倒的なものもいて、その全てがアイドルとして横並びに立っている。

 

 光り方は違っていても、皆、煌めく宝石。

 

 ならば、その頂点、トップアイドルとはどのような存在なのだろう?

 

 多種多様な宝石は、優劣を断ぜる物ではない。真珠も、ダイヤモンドも、エメラルドも、ルビーも。それぞれの良さがあり、どれも人を魅せる存在なのだ。

 

 その頂点が何であるかは、それこそ、見る者によって基準が違う。

 

 だとしたら、トップアイドルとは、見る人すべてを虜にするほど、輝きを放つ存在なのだろうか? 他の輝きを塗りつぶすほどの、誰も届かない存在となればいいのだろうか?

 

 

 

「「ユニット対決?」」

 

 とある日のミーティングで、次の仕事を告げた時。加蓮と奏の第一声は、そんな困惑に彩られたものだった。

 

 私の手元にはテレビ局から届けられた企画書があり、それを渡しながら、更に説明を加える。

 

 確かに、二人が驚くのも無理はない企画である。

 

「今回の仕事は、ユニットでの仕事だけど、『ユニットとしての』仕事じゃないんだ」

 

「えっと、どういうこと? ユニットとしては仕事しないってこと?」

 

「……もしかして、こういうことなのかしら? 私と加蓮とが対決するとか?」

 

 さすが鋭い。

 

「そうなるね」

 

 私は頷きつつ、二人へと概要を説明する。二人がオファーされたのは、とあるアイドル番組への出演。番組自体は知名度もあり、二人を広く知ってもらうには良い舞台。

 

 だが、出演予定のコーナーが、少しばかりひねくれたものだった。

 

「ユニット内での勝敗を、決めるんだ」

 

 アイドルのユニットには、何らかの強い結びつきがある。共にステージに立つ以上、仲が悪ければ話にならないし、時に相手を尊敬したり、友情を抱いたり、競争心をかき立てられることもある。

 

 だが、ユニットを結成していても、それぞれはアイドルなのだ。トップアイドルを目指す競争相手。

 

 この番組はその点を取り上げ、普段はユニット活動をしているメンバーを直接対決させて勝敗を決させようというもの。

 

 概要を把握した二人は、やはりというべきか、悩まし気に眉をひそめていた。

 

「あんまり、趣味が良いとは思わないけれど……」

 

「別に、喧嘩しろって言う訳じゃないんでしょ?」

 

「あくまでバラエティの一環だからね。ただ、勝負内容は『歌唱』『演技』『ダンス』の三部門で、それぞれに審査員がつくし、勝敗もはっきりさせる」

 

 オーディションを観客の前でやるようなものだ。

 

 奏が言う通りに、あまり趣味が良い企画とは、私も思ってはいない。これまでに他のアイドルユニットが断裂する場面があっても、スタッフは絵として「おいしい」と感じているようだ。

 

 奏なんて特に、そんな番組は肌に合わないだろう。

 

 けれども、二人は、この仕事を持ってきた私を見ながら、自信たっぷりに言うのだ。

 

「それで? 敏腕プロデューサーさん?」

 

「あるんでしょ? リスクを取ってでも、この仕事をやらせたいと思った理由が」

 

「もちろん」

 

 それでもこの仕事を受けようと考えたのは、奏達が互いに磨きあえる良い機会となると期待したから。

 

「前に、二人でソロライブ対決してもらっただろ? その後、めきめきと二人のパフォーマンスが上がっていたし、総選挙も始まってるんだ。

 もう一度お互いの実力を磨きあえる、そんな機会を作ろうと思った」

 

 二週間前から始まったシンデレラガール総選挙は、ユニット単位ではなく、完全に個人の戦い。普段どれだけ仲が良くても、ライバルとして順位を競い合っている。

 

 仲間で、友達であっても、ライバル。それがアイドルの在り方。決して仲良しの友達グループじゃない。

 

 私もプロデューサーとして、時にはシビアに競争を促さないといけない場面。

 

 けれど、こんな企画をあっさりと私が持ってこれるのは、

 

「それだけじゃないでしょ? ふふっ、こういうお仕事を持ってくるのは、私たちへの信頼の証ってちゃんと分かってるわよ」

 

「奏と私もいろいろあったし、それこそ大喧嘩も最初にしたけど、おかげであれ以上は揉めないと思うしね。そこは安心してて?」

 

 番組がどんな期待をしていようと、下世話な想像を塗り替えるほどの成果を出すと、私が二人を信頼しているから。二人が、私の意図を理解してくれると知っているから。

 

 そして、加蓮と奏はお互いを見ると、

 

「それじゃあ……!」

 

「勝負ね……!」

 

 パチンと、お互いの手のひらを掲げて、打ち合わせるのだった。

 

 

 

 それから、出演へ向けてのレッスンが始まったのだが……。

 

 その展開は、いい意味で私の予想を裏切る物となった。

 

「……へえ」

 

 翌日、二人が自主練をしていると聞いて訪れたレッスン場。

 

 昨日の様子を見るに、さぞ白熱した雰囲気になっていると私は考えていたのだが、扉をくぐった私は、頬を強張らせるのではなく、緩ませて微笑んでしまった。

 

「もう少し情景をイメージした方が良いわね。まず、目を閉じて、空気を感じ取るの。あなたがいる場所は春の風が吹く草原。何が見えるかしら?」

 

「たんぽぽと、蝶かな?」

 

「ふふっ、可愛らしいわね。色は?」

 

「たんぽぽが黄色で、蝶が……モンシロチョウ」

 

「その調子よ。加蓮の役は、大自然で育った天真爛漫な女の子。風と鳥の声を伴奏にして、草原がステージ。舞い踊るけれど、そこには観客がいないの」

 

「……さみしいね。私は踊って、歌って。それは楽しいけれど、物足りなくなっていく」

 

「あなたはどこに行きたいの?」

 

「……都会の、人がいる場所に」

 

 二人はそんな会話を交わしながら、ゆっくりと身振りを加えていた。それは紛れもなく演技の練習だが、いつもと違い、奏が加蓮に演技を指導していたのだ。

 

 奏は役や情景に対する解像度が高い。それは奏が長年育んできた感性によって捉えられる、簡単に会得はできないもの。しかし奏は、加蓮へと少しずつ自分の世界をほぐして伝えていく。

 

 奏と出会って以来、加蓮もまた演技へと興味をもち、これまでも上達を繰り返してきたが、目の前の一分ごとに、加蓮の役への没入度が上がっていくのを、傍から見ていても感じる。

 

『まだ、演技じゃ奏にはかなわない』

 

 加蓮は時に悔し気に零すことがある。

 

 『まだ』だと。近づいているが、奏は先にいると。今回、番組の企画とはいえ、演技力を比較されるという時に、加蓮が選んだ練習方法、いや、奏へ勝つ道こそが、奏を師とすることだったのだろう。

 

 

 

 一方で、加蓮にも、奏に勝るものがある。

 

 また別の日、二人はボイスレッスンを行っていた。

 

 マイクに向かって奏が歌っていくのは、穏やかなバラード。番組が指定してきた曲は、そんな歌唱力が露になるシビアなものだ。

 

「――♪」

 

 歌い、楽譜を見返し、頭の中で曲想を描く。

 

 そして再び口を開いて。

 

 けれども、それを少し繰り返した後には、奏は加蓮の所へと楽譜を持って行き、何事かをじっくり話し合うのだ。一分、二分どころか、十分ほど。すると、次は加蓮がマイクの前で同じフレーズを歌ってみせる。

 

「……こりゃまた」

 

 その声を聞きながら、私は舌を巻いた。

 

 加蓮が元々、感情を歌い上げる曲を得意としている。アコースティックだけの伴奏で、満員の観客を感動させたこともある。

 

 そして今、私の耳に届く歌声は、それら経験を昇華させ、また一段と実力を磨き上げたものとなっていた。一言一言に加蓮の切ない感情が表現されていて、心の奥を揺さぶってくる。

 

 しかし、奏だって負けてはいない。番組で歌うのは同じ曲。加蓮と話し合っていたのも、加蓮がどのように歌を魅せるのかを尋ねていたから。

 

 そして次にマイクの前に立った時、奏が発した歌は先ほどのものと様変わりしていた。

 

 仮面と自ら呼ぶように、奏は普段、感情を表立って表すことがない。

 

 静かで、穏やかな水面のように。歌う時も、自分の心の奥の奥までさらけ出すような歌声というよりは、綺麗であることを意識して、ガラス細工のように歌を仕上げてくる。

 

 だが、今、奏の唇から紡がれる声は、歌は、奏の感情が生々しいほどにのせられている。

 

 これまでの歌とどっちらが良いかという問題ではない。新たな武器として、加蓮のような感情の暴露を習得しようとしていた。

 

 以前、奏が加蓮を羨ましく思っていると語っていた。

 

『加蓮ほど素直に気持ちは表せない』

 

 けれど、憧れているだけで諦めるほど、速水奏の目標は低くない。加蓮という手本があるならば、それに負けないほど演じてみせる。

 

 心の奥底をみせていると、観客に錯覚させるほど、仮面をリアルに仕上げると。

 

 

 

 きっと、これは番組スタッフが考えていたのとは、真逆の展開だ。

 

 ユニット内の勝負でありながら、二人は協力し、互いの力を高めて乗り越えようとしている。やはりユニットの仲間は大切なのだろうと、何も考えない人はこれを聞いて、そう思うかもしれない。

 

 だが、それは違う。

 

 これは二人の真剣な勝負だ。

 

 お互いの足りなさ、長所を、ユニット活動を通して学び、知ってきた。相手のどこを学び取れば、自分がもっと先に進めるか。そのストイックな競争心が、自然と、この学びあいの場面を作っているだけ。

 

 そして、そんな二人の姿は。彼女達こそが、トップアイドルにふさわしいと私に思わせる。

 

 トップアイドル。

 

 誰よりも光り輝く宝石。

 

 だが、それは決して孤高の存在ではない。アイドルがトップに立った時、その周りには一番多くのファンがいなければいけないのだから。

 

 ならばきっと、その隣にはお互いに支えあい、磨きあえる、同じくらい光り輝く仲間がいるはず。

 

 彼女たちが、互いをそんな好敵手として、友人として見てくれることが、二人を見出したプロデューサーとして何より嬉しい。きっとどちらかが頂点に立った時も、もう一人はその少し後ろで離れず、言うだろう。

 

『次は私の番だから、そこで待っていて』

 

 と。

 

 そうして加蓮と奏が互いを高めた結果は、テレビの舞台で披露されることになる。勝敗までは語るまいが、スタッフや視聴者の想像をはるかに超えた、実に見事な勝負が繰り広げられた。




残り2日!
皆さん、投票は済ませましたか?


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5月9日「呼吸の日」

総選挙最終日まであと6日な5月9日


 私の呼吸は、時々激しくなる。

 

 いつもはのんびりで、穏やかな呼吸。それがステージに立って、アイドル北条加蓮になった途端に大きく強くなっていく。

 

 どれだけ大きく息を吸っても、まだ足りない。体の奥で生まれる熱に、もっともっとと燃料を入れようとする。

 

 病院の白い部屋にいた時とも、外に出て、道を見失っていた時とも違う。何も変わらない天井を見続けた私の鼓動とは違う。不安で、小さすぎて、次の瞬間には消えてしまいそうな細い息と鼓動とは違う。

 

 私の胸の奥で溢れるのは、命の鼓動。どこまでも高く登っていきたいと魂が叫び出して、ここで生きてるって教えてくれるんだ。

 

 けれど、その熱は、一人じゃ作れない。

 

 会場に入った時、リハーサルを終えた時、そしてステージの近くで待っている時。アイドリングみたいに私の熱は燻ぶり続けたまま。あと少しで点火するって、分かっているのに、そのあと少しが届かない。

 

 もどかしくて、全身に力が入って、火がつく前に身体が灰になってしまいそう。

 

 そんな時に必要なのが、貴方の声だよ。

 

『加蓮』

 

『楽しんできて』

 

『きっと加蓮ならできる』

 

『信じてるよ』

 

 私を信じて、委ねてくれる。支えてくれる。

 

 そんな優しくて、力強い声を聞いた途端に私はスイッチオン。そこに背中を手で押してくれたら完璧。

 

 北条加蓮の炎が燃え上がって、ステージに飛び出していける。

 

 光る海へ向かって歌って、踊って。ますます荒くなる呼吸は苦しくて仕方ないけど、私は止まらない。止まるわけがない。

 

 だって、私はアイドルだ。光り輝いて、皆に夢を届ける存在。私が昔に憧れたアイドルなんだから、負けるわけがない。

 

 プロデューサーがくれた熱が、私の胸に火をつけて。私の熱が、ファンのみんなに伝わって。最後は会場全てが炎のように、私の全身を燃やし尽くすほど。

 

 けど、

 

「……私は、消えないよ」

 

 ……今年のために用意してくれたのが、不死鳥の衣装なんて、ほんと、気が利きすぎ。

 

 誰の熱にも負けない。燃え尽きるなんてこと、ありえない。どれだけの炎に囲まれても、誰の熱を受けても、私はアイドルとして北条加蓮としてステージに立ち続ける。

 

 だって私は、

 

「貴方が育てたアイドルだから」

 

 ねえ、プロデューサーさん。

 

 たくさん心配かけたよね。無茶しちゃったり、倒れちゃったり、喧嘩したり、不安になったり。貴方の心配そうな顔を見るたびに、私は同じ言葉を言ってきたけど……。

 

 今はその意味、もう変わってるよね。

 

 だって貴方の顔に不安な顔は無くて、私の顔にも迷いはないでしょ?

 

 こんな素敵なアイドルに、貴方が、プロデューサーが育ててくれたから。私は自信を持ってステージに立てる。もう、あのセリフは貴方と私を励ますものじゃないんだ。

 

「大丈夫」

 

 私には誇りがある。

 

 ここまで歩いてきた誇りが。どれだけ激しい呼吸でも、力に変えて、夢に向かって行ける誇りが。

 

 だから、もう一度言わせて。

 

「大丈夫、貴方が育てたアイドルだよ」

 

 貴方の自慢のアイドルが、ちゃんとトップに立ってみせるから。 

 

 

 

 私の呼吸は、時々静かになる。

 

 それは、ただの少女『速水奏』が舞台に立ち、アイドルになろうとする時。

 

 呼吸も鼓動もだんだんと落ち着いて、深く、鋭く変わっていく。同時に私の意識が遠のいて、鮮明に。

 

 嘘を被るという儀式のようなモノなのだろう。綺麗な嘘がそっと話しかけてくる。このステージに動揺するなんて、私にはふさわしくないと。

 

 だから私も、それに身を任せる。

 

 傷つきやすくて、悩みがちで、弱虫な女の子へ、夜闇のベールと謎で飾った仮面を被せて……。

 

 そうして、謎めいて手を伸ばしたくなるアイドルになるの。

 

 その時の私は、少し不思議な視点に立っている。

 

 ステージ上で、踊り、歌い、観客を魅了している私。この眼は、ファンのみんなが振ってくれるサイリウムの一つ一つも見逃さないほどに捉えてくれる。アイドルを楽しんでいる私だ。

 

 そこにもう一人。嘘を演じ切っている様を、内側で冷静に見つめる私もいる。

 

 私の中に確固としてある憧れへと、一挙手一投足が外れていないか、最後まで嘘を突き通せているか。熱中する私を窘めるように。私の理想を知るものは、私以上にはいないから。だから私が自分を評価してあげないといけない。

 

 何もかも忘れて、熱中してしまえばいいのに、こんな時にも冷静に考えてしまうなんて。

 

 我ながら厄介な性分だと思うけれど、この複雑さがアイドルとしての私の武器でもあるのだから、世の中、何が幸いするか分からない物ね。

 

 でも、私は人形でも、ロボットでもなく、ただの女。

 

 いつまでも嘘ばかりは突き通せない。嘘だけの自分になりたくはない。そして、どこまでも鋭く張り詰めた呼吸は、自分の体さえ切り裂いてしまいそうになるから。

 

 そんな時に私を救ってくれるのが、貴方の優しさ。

 

 ステージを降りて、嘘と本当の境界にいる私へと、貴方が駆け寄ってくれる。

 

『最高だった!』

 

『ずっと先へ行こう』

 

『もっとみんなに、夢を魅せよう』

 

 子どもみたいに無邪気に喜んで、私の代わりに感情を爆発させる声を聞くたび、安心する。静かに、止まりそうなほどに息をひそめていた『速水奏』は、その温度に呼び戻されて、嘘を緩めることができる。

 

 ただの仮面をかぶった偽物でもない。速水奏が速水奏のまま、憧れへ近づけるのは、アイドルになれるのは……。

 

 貴方が私のことを認めて、支えてくれるから。

 

 今はまだ、私のすべてをさらけ出したりしないけど。いつかもう一度伝えてあげたい。

 

 あの夕焼けの中から夜闇に飛び立った私が、朝を超え、昼を超えて、またあの場所へと戻った時に。

 

 口づけと一緒に、貴方への感謝を。

 

 

 

 

 ステージの上で。

 

 私の呼吸は高鳴って。

 

 私の呼吸は落ち着いて。

 

 正反対に見えるけど、同じ。

 

 だって、アイドルは。

 

 『私たち』は息づいているから。

 

 アイドル、モノクロームリリィはずっと。




いやー、実質、総選挙は本日までですね……。
今年は去年の反省を踏まえて、毎日更新達成できそうですが、いかがでしたでしょうか?

最後、お忘れなく加蓮、奏への応援をお願いいたします!


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5月15日「家族の日」

最終日ー!!!


 時がたつのはなんて早いのか。

 

 去年も考えていた気がするが……。今年の一大行事を終えた私は、日記を見ながら改めてそう感じていた。

 

 ほんとに、一年なんてあっという間だ。

 

 二人にからかわれながら、この日記を書き始めた日のことも、しっかりと覚えているのに、日付を見たらもうすぐ一年なんて。

 

 そんな私の意識とは別に、日記は何か月分にも積み重なっていて、確かな時間の流れを教えてくれる。それをカチカチとクリックしながら振り返っていくと、

 

「書いてる内容は……」

 

「からかわれてる話ばっかりだね……」

 

「そりゃあ、毎日一緒にいるんだからね」

 

 後ろから覗き込んでくる加蓮がそう言うので、私は思わず笑ってしまった。自分の文章ながら愉快な日常だけど、からかい上手な二人と一緒ならこうもなろう。

 

 それに、変わらない日常だって大切だ。

 

 一年は早いと思えるくらい、加蓮と奏は成長をしてきた。目標を定めて、夢へ向かって。

 

 けれど、帰る場所もない冒険の旅は、道に迷うものともなりがちだ。来た道も分からなければ、進む道も見つけられないのだから。

 

 二人がどれだけ先に進もうと、こうしてからかい、からかわれる楽しい日常は、戻る場所としてあって欲しい。

 

(からかわれやすい私の性分も役には立つもんだ)

 

 彼女と出逢ってから、からかいをどうにかしようとしてないあたり、言葉でなんと言おうと本心はわかりきったもの。奏じゃないけど、語らぬ方がいいこともある。

 

 そんな変わらない日常に想いを馳せていると、奏が私たちへと声をかけてくる。

 

「二人とも。準備できたからこっちに来てちょうだい」

 

 顔を上げるとそこでは、奏がお茶の用意をしてくれていた。新田さんがお土産にくれた、海外の上等なものだということで、ちょうど良いから開けてもらったのだ。机の上にはほかにも、簡単なケーキやら、お菓子やら。

 

 いつものティータームというには豪華な内容なのは、今日という日だからだろう。

 

 私は日記を閉じて、加蓮と一緒に奏の方へ。ソファに座り、紅茶のカップを手に取ると、すぅっと華やかな香りが広がる。ローズティ―とは、オシャレで面白い。

 

 一仕事を終えた後の飲み物は、どうしてこんなにおいしいのだろうか。

 

 美味しいお茶を飲んで、体から力を抜いた私たちは、それぞれの恰好に笑いながら会話を始めた。

 

「一か月、長かったねー」

 

「みんなだけじゃなく、世間も雰囲気が違うのが面白かったわね。毎日一喜一憂して」

 

「お祭り騒ぎがほんと好きだよなー」

 

 改めてしみじみと。

 

 今日は総選挙最終日だ。一か月の長きにわたった第9回シンデレラガール総選挙も終了。私たちも、最後の票を投じて、こうして部屋へと戻ってきた。

 

 このあとは、例年通りに事務所を挙げたお疲れ様パーティーもあるのだが、それは数時間先。それまでの間、こうして私たちだけの簡単な打ち上げを開いている。

 

 大規模なパーティーだと、中々のんびりと感想を話し合う機会も作れないので、このくらいの穏やかな時間も必要だろうと、誰ともなく言い出したのだ。

 

 ケーキやフルーツをつまみながら。私たちを取り巻く空気は、先の総選挙が嘘のようにゆっくり。

 

「忙しかったけど、楽しかったよね……」

 

「ライブをしたり、イベントで全国を跳びまわったり」

 

「レッスンもハードだけど、充実してて」

 

「あと、事務所内でも毎日、何かしらの騒動が起こっていたわね」

 

 記憶に残るだけでも、『セクシーデリバリー vs 棟方さん』とか、『フライングエクステ』とか、『城ヶ崎姉妹の乱』とか、『ギャル専務誕生事件』なんて、何故あんなことが起こったのかも分からない。

 

 それらを一つ一つ挙げていく中、奏は悪戯笑顔を加蓮へと向け、

 

「加蓮の第二次写真合戦も、大騒動だったけど?」

 

 なんて、中盤を彩った加蓮の一騒動を話題に出した。

 

 すると加蓮は視線を遠くへと向けながら零すように言う。

 

「あれは忘れて欲しいんだけどなー」

 

「こらこら、なんか酷い目に遭ったと言いたげだが、一番の被害者は私だぞ」

 

 第一次の時も大概だったが、第二次は輪をかけて酷かった。

 

 その騒動だけでなく、こうして語りながら、あれやこれやと記憶が鮮明になっていく。とかくこの事務所は愉快で、いろんなことが起こり、飽きることがない。もちろん思い出すのは、愉快で漫画みたいな日常だけでもなくて……。

 

 話が一息ついたところで、私は一息を吐いた。

 

「……ほんと、この一年、みんな無事に過ごせてよかったよ」

 

 愉快で楽しい記憶の裏で、加蓮と奏の努力の毎日があった。

 

 ライブに、写真集に、握手会に、料理番組に出たり。それら、大の大人でも緊張して、しり込みしてしまう舞台を前にしても、アイドル二人はいつも果敢に挑んで成長してきた。

 

 それら全てを、大きなけがも病気もなく過ごしてくれたことがなにより嬉しい。

 

「あら、こんなに早くしんみりしてしまっていいの?」

 

「結果発表もまだなのに」

 

「……そりゃ結果が出るのも待ち遠しいけど、ね」

 

 加蓮がトップを狙える位置にいたり、プロデューサーとして気にならないわけがない。ただ、それとは別に、二人の安心と安全の方が大事だ。

 

 そう言うと、加蓮も奏も、くすくすと優しく笑いだしてしまった。

 

「ほんと、この人は!」

 

「まあ、らしいっていったら、らしいけど、ね」

 

「なんだい急に?」

 

「別に? アイドルがアイドルなら、PさんもPさんだなって」

 

 加蓮は明るく言うと、小さなケーキを美味しそうに食べる。私が言うのもなんだけれど、これからトップアイドルになろうかという時には、普通な女の子の笑顔を浮かべて。

 

「もちろん、トップは狙っていくし、夢は絶対叶える」

 

「けれど、それが全てではないし、選挙だけがお仕事じゃないものね」

 

 加蓮と奏はきらめくアイドルだ。

 

 偶像となることを選んだ、強くて可憐な女の子だ。

 

 だが、そんな彼女たちも一人の人間。アイドルが全てではなく、仕事だけが全てではない。全てであっては、いけない。

 

「これからも毎日、レッスンして」

 

「お仕事して」

 

「買い物したり」

 

「お菓子を食べたり」

 

「それから……」

 

「貴方をからかったり♪」

 

 けれど、二人は心配ないだろう。

 

 加蓮も奏も、仕事だけじゃなく、こうして笑顔を見せて、友達に囲まれている。こうして、からかったり、からかわれたりの日常も変わらずに帰る場所として残っていく。

 

 たとえ、誰がトップに立とうとも。

 

 二人はそこで顔を見合わせ、私の言葉を待つよう。期待されるなら、ちょっとした〆の言葉を言うとしよう。

 

「それじゃあ、二人とも」

 

「うん」

 

「ええ」

 

「総選挙はひとまずおしまいだけど、これからも……」

 

「「「よろしくお願いします」」」

 

 これからも加蓮と奏の日常は続いていく。アイドルとしてステージで舞い踊って、女子高生として日常をにぎやかに楽しんで、そんな彼女たちの変わらない日常が。




第9回シンデレラガール総選挙、お疲れ様でした!!

今年は毎日更新もなんとかできて、個人としても選挙を楽しむことができました!!

モノクロームリリィはいいぞー!!


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