刻の涙 (へんたいにーと)
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第一話

宇宙世紀0087年

 

「んぶ」

 

この世界に来てから初めて太郎が発した言葉は、他人からしてみれば言葉になっていなかった。

いやしかし、彼のような状況に置かれるのはおそらく人類史上初であろうし、だれにも予想がつかないことである事を顧みれば致し方ない事ともいえた。

吉田太郎26歳、アニメおたく、職業飲食店バイトリーダー、という社会の底辺に住まう彼は、モビルスーツのコックピットに座っていたのだ。

太郎の知らぬところではあるが物語の都合上読者諸君に説明を致すと、彼は今、機動戦士Zガンダムの世界に来ておりガンダムマークⅡのコックピットに座っていた。

太郎は自分が何に乗っているかは当然理解してはいなかったが、周りにある全天周囲モニターには迫りくる地面が映っており、さらには内臓が浮くようなまるでジェットコースターに乗っている時のような感覚を先ほどから感じているため、今乗っているこの何かが墜落中であることを察した。

 

「あ゛ーーーー!落ちてっ!?」

 

焦りのあまり若干噛みながらそう叫ぶと太郎はコックピット内を見渡した、目の前に良く分からない計器。操縦席の左右には操縦桿なのだろうか、よくわからないレバーが設置されている。

しかし太郎は何故だかこの光景には既視感を感じていた。

 

「あがってくれ!」

 

これ以上の落下は御免こうむりたい太郎は、両レバーを力っぱい体へと引いた。すると前面のモニターが空でいっぱいになる。向きはどうやら空をむいているようだが、落下がとまらない。

再度コクピットを見渡すと座席の下前方にフットペダルが二基ついている。

 

「これだ!」

 

左フットペダルを思いっきり踏み込むと、座席が大きく揺れると共に急激なGが体を襲う。マークⅡのランドセル(バックパック)に設置されているスラスターが全力で噴かされているのだ。

数秒後今度は機体が上昇していくのを感じた太郎は、右ペダルを小刻みに踏んでバーニアで機体の状態を保ち始める。太郎は何故このような操作を自分が適切に行えているかわからないが体に染み付いているように自然とペダルを調節できた。

 

「はぁ……はひぃ……このままどこかに着陸しないと」

 

スラスターの向きを変えながら高度を下げ大きなビルの近くに着陸しようとしたその時、彼のもとに突然の無線が舞い込んできだ。

 

「ジェリド、遊びすぎだ。そんなところに着陸したらえらい騒ぎになるぞ!」

 

太郎は驚いた。360度見渡せるモニターの前面に突然、毛髪の後退が極めて激しい、厳めしい男の顔がワイプで小さく写りこんだからだ。

そしてその顔を、声を見聞きした途端、太郎の脳内にさまざまなイメージが広り覆い尽くされた。眼球がその連続して浮かぶイメージにつられて高速に左右に小刻みに揺れ、血の臭いと味が口と鼻いっぱいに広がる。毛細血管が何本が切れるようなブチブチという音が頭に響いた気がした。

 

「これは……カ、カクリコン!」

 

顔面を真っ青にしながら自分の名前を呼ぶジェリドを同じくマークⅡ二号機に乗ったカクリコンはモニターで見ていた。

 

「どうしたジェリド!大丈夫なのか?」

 

しかし筆舌しがたい頭痛、動悸息切れがおこった太郎には返事などできるはずもなかった。

あまりの痛さに呼吸することができない太郎は機体のコントロールを失い、コックピット内ではGPWS(対地接近警報装置)が四方八方から鳴り響いていた。

 

「ジェリド!」

 

カクリコンの叫びと共に太郎が乗っている機体――ガンダムMk-Ⅱ3号機、は地面からみて背面飛行しながらグリーンノア1地球連邦軍本部ビルへ突っ込み、半壊させることとなった。

轟音を立てて本部ビルを半壊させたガンダムマークⅡ3号機はビルに背部が埋まっている形でやっと静止した。凄まじい衝撃が太郎を襲うが、リニアシートのおかげで気絶することはなかった。

しかしろくな対ショック体勢もとらず、目の前のコンソールにヘルメット越しではあるが思い切り頭を打ちつけたため、ヘルメットのバイザーは砕けて破片がこめかみを深く切り裂いた。

新鮮な血液が頬をつたわり、顎に滴(しずく)となって新品のシートを汚していく。適切な処置を行わない限り自然に血が止まるようには思えなかった。

頭をシェイクされた太郎は混乱の極みに立たされながらも、やけに冷静に自然と状況把握に努めていく。

先ほどの衝撃のせいで吐き気を催しつつ目の前の血濡れのコンソールを叩き、ダメージコントロールを行う。機体はどうやら大丈夫そうだ。

太郎は血だらけになりながらコンソールをいじって、ダメージコントロール画面を開くまですらすらと淀みなくやって見せた。太郎の知らない知識であることのはずなのに、である。

先ほど、毛根が死にかけている男――(カクリコンの事だが)から話しかけられたときに、太郎は自分の置かれた状況、境遇を100%理解した。

 

太郎は今、太郎の世界ではアニメの話である『機動戦士Zガンダム』の世界に来ており、さらには地球連邦軍で「ジオン残党狩り」を掲げる特殊部隊である、「ティターンズ」所属のジェリド・メサ中尉にどうやら憑依しているようなのである。

カクリコンに話しかけられた太郎は自分がジェリドの体の中に入っている事を納得はできないが理解し、さらにはジェリドの記憶が堰を切ったようになだれ込んできたのだ。

何故自分がジェリドの中にいるのかだけは分からないが、他の事はジェリドの記憶から分かってしまった。

思い出をたどれば、簡単に幼いころの好きな娘や、士官学校の卒業式などが思い浮かべられる。ジェリドの脳に記憶されていることは覚えているようだ。

さらには自分が太郎であることもわかるし、ガンダムの知識も思い出せる。太郎は今や、ジェリドの体を思いのままにできるとともに、ジェリドの記憶を所持することとなっていた。

 

(ひょっとして、俺は今、未来を知る人間として、最強のポジションにいるんじゃ)

 

太郎はほくそ笑んだ。ジェリドの顔なのでその歪んだ笑みも様になる。しかし太郎はガンダムオタクというわけでもなくアニメを一通り見ているにすぎないので細かな事はわからないのだが、ポジティブ思考な彼はそこまで考えなかった。

 

色々とまだ把握したいことはあるが、今は外にいる兵士たちに顔を出さなければならない。

太郎はコクピットから外に出た。テストパイロットを務めている黒塗りのガンダムマークⅡをコクピットの二重装甲の上から見る。流石に本物のモビルスーツは威圧感があった。視線を本部ビルに向ければ多くのけが人や、がれきが目に飛び込んできた。

自分の仕出かした事故を目の当たりにし太郎はつい先ほどまでほくそ笑んでいたのも忘れ血の気が引いた。

 

(うわっ。人がこんなに倒れてる……死人とかでてないよな!?無理ムリムリ。もう無理。戦争とか絶対無理)

 

これから起こる戦争に自分がパイロットとして戦わなくてはならない事を考えた太郎はマークⅡの腰部装甲の上に座り込んでしまった。

 

「誰のモビルスーツだ!」

 

「ジェリド中尉だ!ジェリド中尉がマークⅡを落としたぞ!」

 

モビルスーツを囲むように兵士たちが集まってくる。

この事態を引き起こした当の本人はマークⅡの装甲の上に座り込んで、下の兵士たちをぼーっと眺めている。

周りの兵士たちはおそらくジェリドは自分が引き起こした事態に呆然としているのだろうと考えそっとしておいた。

太郎が現実逃避しながらボーっとしているとマークⅡの2号機が3号機近くに着陸した。

 

「ジェリド!大丈夫か!」

 

カクリコンである。外部スピーカーで尋ねてくるカクリコンに太郎は呆けた顔でカクリコンのモビルスーツを見上げた。

カクリコンはそれを見て、一応ジェリドが無事なことを確認するとジェリドを2号機の手の平に載せて地面に運んだ。

 

「ドジばっかりやってるようじゃ、ジェリド中尉も除隊だな」

 

そんな軽口を叩きながらカクリコンは3号機を本部ビルから引っ張り上げ、ビルの道路へ横たえさせたが、いつも言い返してくるジェリドは相変わらず真っ青な顔で呆然としており、カクリコンを困惑させた。

 

「ほんとに大丈夫かよジェリド」

 

マークⅡの足元にいた兵がトレーラーを呼んでいるのが聞こえる。どうやら格納庫に一旦収容するようだ。

連邦兵士たちがてんわやんわしていると、突然コロニー内に爆音が響いた。

 

「何だ!」

 

すぐにサイレンが鳴る。

 

「空襲警報!」

 

「コロニーに穴が開いたらしいぞ!隕石流か?」

カクリコンのマークⅡが穴の方へ飛び立つのを太郎は見た。

(この爆発は、クワトロ隊がガンダムマークⅡを捕獲に来たためだ……)

太郎はパイロットスーツのバックパックからシール型の絆創膏を取り出すとこめかみに張り付けながら、アニメでの知識を思い出していた。

アニメではこの後、戻ってきたカクリコンが乗っているマークⅡ2号機と自分の3号機がカミーユビダンらの手によって奪われることとなる。

太郎がジェリドに憑依してから半刻も経っていない。太郎はティターンズが敗北する未来を知っているが、今このタイミングでエゥーゴへと裏切るのが良いのか、史実通りに進めた方がいいのか判断が付かなかった。

 

(エゥーゴへ脱走するチャンスはここだけじゃない。それこそ、無数にある。本当に陣営をかえた方がいいのかどうかもわからんし、今は様子を見ておこうか……)

 

要は保留である。この世界で今後太郎がどういう風に生きたいかで、陣営や行動の取り方は変わってくるだろう。

その将来の目指すべきビジョンを考える時間が太郎には欲しかった。

そのため今回のエゥーゴ陣営による、ガンダムマークⅡ強奪事件に関しては、史実通りの動きをすることにし、助太刀しないことに決めたのだった。

 

「俺がここで何をすべきか……か」

 

アルバイターであった彼には久しぶりに頭を悩ます事態となった。将来のためには自分が今何をすべきであるかなど、彼は決めたことがなかった

太郎がブツブツと小声で独白しながら考え込んでいると、トレーラーの作業員たちに早く装甲から降りるよう追いたてられた。

装甲から飛び降りると、眼前にジープに乗った一人の女がこちらを睨んでいた。そう、ジェリドにとって同僚であるエマ・シーン中尉である。

ダークブラウンのショートヘアスタイル、濃い紺色のベレー帽を頭に乗せており、ベレー帽にはティターンズのワッペンがワンポイントでしつらわれている。

全身はティターンズのシンボルカラーであるネイビーブルーのパイロットスーツに覆われている。

日系9世だと言う彼女のきめ細やかな肌にはその名残が強く表れていたが、その瞳は美しく、鮮やかなグリーンで磨き抜かれたエメラルドのようであったし、顔のどのパーツをとっても日本人の血はあまり感じられない。

スタイルも出るところは出ており、24歳という妙齢のエマを目の前にし、太郎は思わずつばを飲み込んだ。

そんな太郎の様子に気づくこともなく、エマはジープから太郎を非難した。

 

「ジェリドメサ中尉!無理な行動がこういう結果につながることは十分に分かっていたはずです。」

 

今は棘のある甲高い声色であるが、彼女の通常の声色は人を安心させる力や、母性にあふれた色であることを太郎は知っていた。

しかし今のエマの甲高い声はやたらと頭に響き、ひどく傷んだ。太郎は目をつぶり、必死に頭痛に耐えた。しかしその様子はエマの怒りを増長させることとなる。

 

「聞いているの!ジェリド中尉!」

 

太郎はエマの声量の前に流石に我に返った。エマは怒り心頭といった具合で太郎にメンチを切りながらジープから降りてきた。

その鋭い眼差しに、先ほどまでの脳内での賛美をどこへその、太郎は恐怖した。

 

「あ、ああ。すまない、聞いている」

 

(恐怖から)少し疲れた様子で、申し訳なさそうに眉を下げながら自分を見るジェリドにエマは怪訝な表情を作る。

数時間前自分の着任を空港で出迎えた時、ジェリドの発した軽口で民間人の少年に殴られたジェリドは、同僚に少年を取り押さえさせると大人げなくその少年の顔面へ軍用ブーツで蹴りあげていたのだ。

その後、基地へ着くまでのジープでの会話でも彼が高飛車で人としてどうかと思うような発言をしており、いわゆるステレオタイプのティターンズ軍人で、どう考えても簡単に頭を下げる男には思えなかったからだ。

 

「禁止されている超低空飛行を居住区でやることはないでしょ?だいたい我々は自力でMSの回収をする訓練だってやってきたわ」

 

ジェリドの不可解な態度により怒りをそがれたエマは自然にジェリドを諭すような論調になった。

 

「すまない。居住区に被害が出なかったのは不幸中の幸いってところか。 パイロットとして今後があるならこのような事はしない」

 

エマを見ながら申し訳なさそうな顔をする太郎。太郎は怒れる美人というのは怖いものだと内心恐怖していた。しかしエマに伝わるのはこの男が普段は見せないような少し寂しげな雰囲気を醸して、反省している様子だけであり、エマはますますジェリドという男が分からなくなった。

エマは今のジェリドに今夜BARに誘われたらちょっと断れないような、そんな母性本能をくすぐる雰囲気を出しており、案外この男は美丈夫だと流し眼で品定めしてしまった。

 

「え、えぇ……わかっているのならいいわ。子供じゃないんですもの」

 

エマはあごに手をやって少し考えるようなそぶりをした後ジェリドに話しかけた。

 

「私、あなたの事誤解していたわ」

 

「どういう意味だ?」

 

太郎が発言の意図を確かめようとした時、一人の男がこちらへ走りながら何か叫んでいる。

 

「何をしているッ!警報が聞こえないのか!」

 

階級は中佐。一年戦争の英雄のひとりであるブライト・ノアである。

一年戦争後、ニュータイプの存在を恐れた連邦軍上層部は数々の実績を積んだニュータイプを冷遇した。

主な例が一年戦争の英雄である、ブライト・ノアやアムロ・レイである。

ブライトの左遷先は地球からスペースコロニー間を往復する旅客用小型シャトル「テンプテーション」のキャプテンだ。

主な仕事は、書類やティターンズの人員をジャブローからサイド7へ運搬する事。一年戦争において名艦長と謳われた人物に対する評価とはとても思えないものである。

 

「ブライトキャプテン!」

 

エマ中尉がやや尊敬の色が入った驚きの声を上げ、敬礼の姿勢を取った。あわてて太郎もそれに続く。

(そういえな、エマ中尉はブライト中佐のテンプテーションでこっちへ上がってきたんだったな)

ブライトは一般将校である自分がティターンズの士官に怒鳴れば、いい顔をされないと予想していたにもかかわらず、良い意味で予想と違った行動をとった二人のティターンズ士官に自然と好感を持った。

 

「警報は聞こえているな。こんなところにいないですぐに対応するんだ。いいな」

 

そのため自然と語気はゆるむこととなる。

 

「ハッ それではエマ中尉、三号機のチェックを頼む。今の俺にはガンダムに乗る資格はないだろう。場合によってはその機体で出撃してくれ。俺は一度救護室に立ち寄った後、パトロール隊を率いて外周を回ってみる」

 

自分のこめかみに貼ってある白いはずの絆創膏は、すでに血液でひたひたになっている事に太郎は気づいていた。

エマはトレーラーに積み込まれようとしているマークⅡを見ている太郎の絆創膏を見て、確かに救護室による必要がありそうなのは理解したが、その前の台詞に違和感を覚えた。

 

「出撃って……エゥーゴが攻めてきたとでも?」

 

「わからん。その可能性もあると言うことだ……行けっ」

 

太郎はそのまま割れたヘルメットを携えてエマが乗ってきたジープに乗ると、運転手に指示を出し宇宙港へと向かった。

 

 

「彼は地球から上がってきたばかりの他のティターンズの若造とは少し違うな」

 

「ジェリド・メサ中尉――不思議な人です」

 

ブライトの独白めいた質問に、エマは今しがた更新した彼の評価を口にしたのだった。

 




取りあえずこんな感じになりました。前よりシリアスで行こうと思います。


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第二話

太郎を乗せたジープが戦場を駆け抜ける。今しがたまで閑静な住宅街であったグリーンノア1の内部は今や戦場の様相であった。エゥーゴのクワトロ大尉率いるリックディアス隊は、グリーンノア1に配備されている旧式のジムⅡではとても相手にできるものではなく、非情にも次々に撃墜されていった。

猛スピードで駆けるジープのおかげで、太郎は風圧により目をしばたたかせながらもその光景に目を離せずにいた。

 

「また一機やられた!中のパイロットは無事なのか!?」

 

 命の瞬きを太郎は目にし、とたんに震えが止まらなくなった。先ほどまで自分の起こした本部墜落事故のせいで出た怪我人を見て座り込んでしまった太郎だ。エマの前で少し良い恰好をしようとしてパトロールに出る等と言ったはいいが、今さら怖くなりはじめていた。

 

(そもそも俺は戦えるんだろうか……?)

 

 太郎はこの世界が決して幻の類ではない事を肌で感じていた。この世界は間切れもない現実だ。太郎は何故この世界でジェリドになっているのか分からないままであったが、エマもカクリコンもブライトも、名を知らぬその他の人々も皆生きていた。戦うという事は相手を傷つけると言う事だ。太郎は自分が戦って死ぬ事ももちろん怖かったが、それよりも自分が相手を傷つけ殺めてしまう可能性に恐怖していた。

 

「ふ、伏せてくださぃい!」

 

運転手の突然の叫びに、太郎が反応出来たのは運が良かっただけだ。ジープの進行方向付近でリックディアスへ放っていたジムⅡの100mmマシンガンの薬莢が、道路に落ちた拍子に飛び跳ねてこちらへ向かってきていた。

 

ブォオンッ

 

と薬莢の空気の切り裂く音と、道路にドラム缶が跳ねまわっているような音が響き、間一髪ジープの衝突直前でバウンドしたその巨大な薬莢は、太郎達の頭上数十センチをかすめて通り過ぎていった。

太郎はただの薬莢が太郎の世界なら艦砲や戦車砲に使われるクラスの大きさである事に今更ながら唖然とした。それが18mの高さから降ってくるのである。悪い冗談どころの話ではなかった。

 

「し、死ぬっ!こんなとこにいたら死んじまうぞ、何とかしろ!運転手!」

 

死の危険を間近に感じ、情けないほどにあわてる太郎。先ほどの「相手を傷つける事に恐怖する」という思考はすでに彼にはなくなっていた。余裕がないという事だ。

 

「取りあえず宇宙港に向かいますよ!」

 

運転手がジープの無線をいじり状況を確かめようとするが、悲鳴や銃声ばかりが入ってくる。

 

「畜生っ本部は何やってるんだ!コロニーにモビルスーツが侵入してるんだぞ!」

 

運転手の叫びに連なるように次々とコロニー一体に爆発音が連なった。ジムⅡがクワトロ隊に墜とされて爆散している音なのだが、太郎にはエゥーゴによるコロニー内の無差別爆撃の音に思えた。

 太郎が引っ込めていた頭をあげて再びあたりを見回すと、あちこちで煙が上がり、民間人の住宅の中には原形をとどめていないほどひどく損傷したものもあった。爆裂したジムⅡの破片が突っ込んだのだろう。

太郎ははゾッとした。こんなの自分の知っているガンダムではない。

 

(一体この襲撃で何人の人死(ひとじに)が出るんだ。これじゃぁまるで……)

 

「これじゃあまるで、戦争じゃないか」

 

自分でも気づかぬうちに発した一言に、太郎は驚いた。

 

(そうだ、何を言っているんだ俺は、戦争なんだよ。この世界では人類規模での戦争をやっているんだ……)

正確には地球連邦内部での抗争による内紛が今の現状を起こしているのだが、太郎はそこまでアニメの内容を理解して見ていたわけではなった。

 

呆然としていた太郎だったが、運転手の叫びによって自分を取り戻した。

 

「墜落したジムのパイロットがまだ生きているようです!無線で助けを求めています。ミノフスキー粒子も強まっていますし、我々以外にこの無線を傍受できたものはいないかもしれません。少し引き返すことになりますが助けましょう!」

 

一瞬渋った顔をした太郎だったが、ミラー越しにこちらを見てくる運転手の目が尋常ではなく、押された形で頷いた。

これが生粋のジェリドであればこうは行かなかっただろう。ジェリドならば今もなおコロニーを蹂躙しているクワトロ隊を叩く事を先決とし、救助は別部隊に依頼するはずだ。しかし太郎は救助するのも怖いが、クワトロ隊を叩くのはもっと怖いので渋々了承したのだった。

 

「あ、あぁ。わかった行こう」

 

太郎は頭を振って気合いを入れ直すと、恐怖で唇をかみしめながらも救出することを許可した。

 

 二度ほどジープで道を曲がってほどなくすると、足から堕ちたのだろう。脚部や股間部の装甲等、バラバラにはじけ飛んだパーツが家々に突き刺さっているのが見えた。

近づいていくと、家々から上がる粉塵と煙が道いっぱいに立ち込めており、視界の確保が難しく数メートル先も見えない状況だった。

速度を落としゆっくりと進むジープはやがて機体の胴体部分を発見した。煙を上げ仰向けに転がっているそれはコクピットを保護する前部装甲がひんまがっているが、開かれていた。

 

「もしかしたらもう脱出したのかもしれません」

 

二人はジープを下りると徒歩で近づき、安否を確かめた。

 

「大丈夫かー!まだ生きてるかー!」

 

煙で目を瞬かせ、喉を焼かれながら太郎は懸命に叫び、またパイロットも懸命に反応した。よわよわしい声だが、助けを求めている。

 

「おい、生きてる!まだ生きてるぞ!」

 

聞き取った太郎は運転手に叫ぶと先ほどの感情も忘れて、夢中になって駆けだしたが、すぐに足を止めた。軍用ブーツの靴底に粘着性の高い液体を感じ取ったからだ。

強いオイルの臭いだ。煙が立ち込めて、家々からは火の手が上がっている。太郎の心拍数が上がり、緊張から呼吸が浅くなる。

同じく駆けだしていた運転手が太郎を止めた。

 

「中尉!オイルが漏れてます。危険です!」

 

しかし太郎はその声が合図となったかのように駆けだすと、機体へとよじ登る。

 

(うわああ!俺はなんだってこんなことをしてるんだ!)

 

内心では自分を罵倒しながらも体は勝手に動いていた。コクピットの中をのぞくと、太ももに金属のパイプが刺さって座席と縫い合わせられている顔の青いパイロットと目があった。

 

「こいつを、……抜いてくれ」

顔は青い、唇がかさつき声もかすれている。一目で血が足りていないと分かった。しかしその眼にはまだ力が宿っている。ひとまずパイロットが生きている事に安堵した太郎だったが、次の困難に頭を抱えた。もしこのパイプが太ももの大動脈を傷つけていれば、引き抜いた後の出血で死んでしまうのではないか。

 

「運転手!こっから宇宙港までどのくらいだ!」

 

下でこちらをうかがっているだろう兵士に尋ねる。煙の被害は甚大で30センチ先ももう見えなかった。

 

「10分くらいです!」

 

「よし。その場で待機しろ。俺が合図したら声を出し続けろ!今からパイロットを抱えてそっちに行く」

 

「了解!」

 

運転手の声の方向を確認すると顔の青いパイロットに向き直った。

「死んでから文句を言ったって遅いからな」

パイロットが頷いたのを確認し、震える指先で鉄パイを掴んだ。その掴んだ事によるわずかな揺れでさえパイロットにとっては激痛を覚えさせるものであるらしく、引き抜くには相当の勇気がいりそうだった。

焦る気持ちだけがどんどんとつのっていく。太郎は一度深く息をすると覚悟を決め、鉄パイプを垂直にひきぬいていった。ガリガリとシートをこする音や粘着質な水音をたてながらパイプが抜けていく。

 

「がああああ!!」

 

パイロットの悲痛な叫び声と肉を貫くパイプの振動に顔をしかめながらも太郎はパイプを抜ききった。

「やったぞ!おい!」

太郎の呼びかけにパイロットは答えない。顔を見てみると痛みのあまり失神しているようだった。太郎はパイロットを急いで担ぐと慎重にジムの胴体から降りた。

 

「声を!」

 

「はい!ここです!こっちです!」

 

喉が煙でいぶされた、運転手はかすれた声で叫び続けた。そのかいもあって太郎と運転手は合流し、ジープへと進んでいく。ジープは強烈なヘッドライトを灯したままアイドリング状態で置いてあるため、音と光ですぐに見つかった。

 

 太郎はパイロットを後部座席へと寝かせると、座席下部に備えられている医療キットを使い、患部より心臓に近い位置で足をきつく縛り、心臓より高い位置に上げた。そして患部にガーゼを強く押しあて始めた。間接圧迫止血は高度な専門知識を必要とする。太郎は本職の衛生兵ではないため止血の仕方もあっているか定かではない。やはり出血が止まらず、一刻も早く本格的な治療が必要だと言えた。

 

「宇宙港に行けば、軍医がいるはずです。出払ってても衛生兵はいるでしょう。後は飛ばすだけです!」

 

火災が発生している区域から抜けると、タイヤ痕を残し煙を上げながら猛スピードでジープを走行させる。太郎は名も知れぬパイロットの足からあふれだす血を懸命に両手で抑えつけていた。

パイロットの意識は戻っており、苦痛にあえいでいる。そんな状況にも関わらず、すすけた真っ黒の3人の顔には眼だけがギラギラと光っており、生への力強さが感じられた。このままいけば全員助かるかもしれないとその望みが3人の心を高めていた。

 

「あっ!」

 

突然運転手が叫んだため太郎が進行方向へ振り向くとジムⅡが一機こちらへ背を向けて、飛行中の赤いリックディアスへとビームスプレーガンを乱射している。

 

「このまま突っ込みます!」

 

「あっ、おい!」

 

運転手はそう告げると、太郎が制止しようとするのもかまわず、さらにアクセルを踏みしめ回転数を上げ、ジムⅡの足元を猛スピードですり抜けた。その時だった。

ジムⅡから乱射されたビームを全て避けながら赤いリックディアスは牽制のため、頭部の55mmバルカンをばら撒いた。バルカンはアスファルトを削りながらジムⅡの脚部とその周辺に着弾。未だジムⅡの足元を走っていたジープに迫りくる。

目の前のアスファルトが爆ぜ道路が津波のようにめくれ上がった。咄嗟(とっさ)に運転手がハンドルを切りブレーキを踏んだため車体がスピンする。その遠心力に耐えられず太郎は宙を舞った。

 

「ぐあぁああああっ!!」

 

ぐわんぐわんと耳鳴りを響かせながら景色が急速に変わっていく。車体から振りだされ7メートルは宙を舞った太郎はそのまま道路脇の茂みに落下し、背中をしたたかに打ちつけたため呼吸が止まり視界が赤く染まった。

 

「――うッ……」

 

数秒、気絶していたのかもしれない。頭を振って立ちあがろうとするが鋭い痛みのせいで立ちあがる事は困難だった。それでも何とか立ちあがりきると急激に咳き込み、口からドロッとした血が噴きだし、太郎のパイロットスーツを汚していく。

 

(……内臓をどっか痛めたのかもしれない)

 

深く呼吸しようとすると肺がきしむ様に胸が痛むため、甲高い呼吸音を発しながら浅い呼吸を繰り返し周りを見渡すと、十数メートル先に炎上した鉄の塊となってしまったジープ、そして人間だったものの数々が散乱していた。

 

エゥーゴのエースパイロット、クワトロ・バジーナ大尉が搭乗する赤いリックディアスが放った55mmバルカン ファランクス。ヘリコプターに搭載する対地ミサイルほどの口径があるそれは、無情にもジェリド達の乗っているジープに着弾してしまった。

 

ジープがたてている急激に燃えた煙の臭いや、それに混じる焦げ臭いオイルの臭いも太郎には届いていない。顔は擦り傷だらけで赤黒く染まっているし、血反吐を吐いたため喉や鼻の内部にまで血がこびりつき血の臭いでいっぱいだったためだ。それが目の前の無残な惨状と合わさって太郎に壮絶な吐き気を催させた。

こみ上げてくる異物を気合いで飲み込み、現場へと向かう。体のいたるところがきしむが奇跡的に手足に問題はない。太郎が命をかけて救い出したパイロットも、それに協力してくれた運転手も今や焼けただれた肌にこびりついた衣服でなんとか判別できる程度であった。

どちらがパイロットか運転手か等既に太郎は確認するつもりはなかった。二人が死んだ事を理解するためにはその死体を見ざるを得なかったのだ。

遺体の損傷はとてもひどく、足元に転がっていた肉片付きの折れた棒が彼らのうちの誰かの骨だと言う事がわかり、ついにこらえ切れず嘔吐した。

酸欠、吐き気、ひどい頭痛で彼の視界は歪み、膝をつき血の混じった反吐をびしゃびしゃとアスファルトへと放出する。

ゲロまみれになりながら太郎は泣きわめいた。

 

「なんなんだよ一体。なんで、なんで」

 

(何で自分がこんな目に会うんだ。何でこんなに簡単に人が死ぬんだ。何でそんなに簡単に人が殺せるんだ。なんで、どうして)

 

頭脳も肉体もこの世界の記憶も、ティターンズという連邦屈指の特殊部隊に勤めるエリート、ジェリド・メサのモノだ。しかし心は、心だけは吉田太郎その人のモノなのである。

戦争とは長らく無縁な平和な国で、のびのびと育ってきた太郎にはこの現実は辛すぎた。しかし彼の心には悲しみはまだ生まれない。悲しみというのは心に余裕がないと生まれにくい性質を持っている。彼の心はひどく余裕を失った状態でいるため誰かに対する怒り、憎しみと言った負の感情で埋め尽くされた。

その矛先はクワトロ・バジーナや理不尽なこの境遇といったものに向いている。しかしこれは一過性のものにすぎないだろう。理不尽な境遇にはどう矛をつきたてればいいのか太郎にはわからないし、これからも軍に所属している限りこのような惨状が良くあることだと理解し、クワトロに対する怒りも幾分か減っていくだろう。

 それに太郎は延々と人を憎んで生きるほどの度胸は持ち合わせてはいない。一通りの憎しみを抱いた後、何らかの発散方法で、怒りを悲しみに昇華させていくことだろう。

 だが例え一過性のものにすぎない憎しみであってもそれは今、太郎にとって人を殺す動機足り得た。

 

(俺はジェリドに成らなくちゃいけない。このまま吉田太郎としてこの世界を生きるにはいささかこの世界は厳しすぎる。だから俺はジェリドに成らなくちゃいけないんだ)

 

飲食店のアルバイトリーダーにはこの現状を受け入れるだけの精神的基盤は存在しなかった。ジェリドの記憶や身体によって、彼の心は日本にいた時のような吉田太郎の心とは少し違ってきていた。ジェリドの性格や思考プロセスが徐々に太郎の心、精神に影響を与えていたのだ。何となくその事に本能的に気づいていた太郎は、ジェリドの肉体と記憶による心への浸食に無意識で抗っていた。しかし今、多大なダメージを負った太郎の心はジェリドからの浸食を受け入れ始めていたのだった。

 

パイロットスーツで口元をぬぐい、鼻孔に詰まった血を方穴づつ抜くと吉田太郎、いや、ジェリド・メサは、そのままよろよろと宇宙港へ走りだした。

クワトロ・バジーナを殺すにはどうすればいいか考えながら――

 

彼はまだ、考える事を止めていなかった。



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第三話

宇宙港

 

宇宙港のロビーには民間、軍問わず怪我人であふれていた。連邦本部ビルがジェリドの墜落事故に重なり戦闘の余波を受けており、機能が十分に働いているとは言えなかったからだ。

怪我人は応急処置を受けた後、地下ブロックの避難所に移されていくだろう。この惨状を横目で見ながら、太郎ことジェリドはあけ放たれている扉からロビーへとよろよろと入ると、手近にいる民間人の手当てをしている忙しそうな衛生兵の肩を叩いた。

 

「悪いが、先に俺を診てくれ」

 

肩越しに話しかけるが、衛生兵はジェリドの方を振り返らず民間人の娘の足に刺さったガラス片をピンセットで抜きながら答えた。

 

「すいません。この娘が終わりましたらすぐに診ますから」

 

「貴様」

 

集中している衛生兵を振り向かせるためにジェリドが肩をぐいと引っ張る。そのせいで手元が狂ったのか傷口に深くピンセットが入ってしまい。娘が悲鳴を上げた。

 

「なんなんだあんた!」

 

苛立ち振り向いた衛生兵が見たのは全身血と煤塗れのジェリドだった。顔は特にひどく、地面に投げ出されたときに擦りむいたのだろう頬は、赤黒く変色していた。衛生兵はしばし呆然とした後すぐにサーっと血の気が引いていくのを感じ顔面蒼白となった。衛生兵は連邦軍の上等兵でティターンズの中尉であるジェリドとは天と地ほどの差がある。

さらには相手はあの悪名高きパイロット、ジェリド・メサである。下手すればこの場で病院送りにされてもおかしくない状況であった。

 

「中尉でしたかッ!申し訳ありません!すぐに診ます!」

 

衛生兵は打ん殴られる(ぶんなぐられる)と思い身構えながらそう述べたがジェリドの方は応と一言頷くとどかりとその場に座り込み、パイロットスーツの上半身を脱いだ。

 

「ここは痛いですか?ではこちらは? 肋骨にひびが入ってるかも知れませんね」

 

衛生兵はまずアルコールで浸したガーゼでジェリドの頬をぬぐった後、傷口を清潔にしながら触診を行っていった。

乗車中のジープが爆発し、あれだけの衝撃をジェリドは受けていたにも関わらず、見た目ほど深刻なダメージを負っていないのは、一重にパイロットスーツの技術力の賜物だった。

 

 治療をさせている間、ジェリドはチラと衛生兵が今まで診ていた民間人の女子へ目をやりギョッとした。黒髪の少し肩の部分にクセがある独特の髪型、きりっと上がった眉に黒い瞳がこちらを凝視している。

いや、何も睨まれてすくみあがったわけではない。ジェリドが驚いたのは彼女に見覚えがあったからだった。

 

(こいつ、ファ・ユイリィじゃないか)ジェリドは目を伏せた。

 

ファ・ユイリィ、カミーユのガールフレンドで後にブライトのテンプテーションでエゥーゴのアーガマへと渡り、喧嘩しながらもカミーユを支え続けた気丈な女の子だ。

パイロットとしてはそれほどの活躍は見せていないが、メタスで終盤まで生き残るほどの腕はあり、地味にカミーユの窮地を幾度も救っている。

つまりはティターンズに所属する人間にとって敵になることが明確な人物と言えた。

 

(……どうする。ここで殺すなり拉致なりしてバスク大佐へと引き渡せば、カミーユの精神的支柱の一つを砕く事が出来る。ファの存在はアーガマにとってもカミーユにとってもでかい)

 

ひやりとジェリドの頬に汗が伝う。先ほどから顔面血だらけで眉間に皺を寄せうつむきながら自分を見てくるティターンズ兵に、ファは恐怖のあまり手足が震え、目じりに涙をためていたが意を決して話しかけた。

 

「あ、あの……なんでしょうか……?」

 

その掛けられた一言でジェリドの思考は中断され、そして自分が考えていた事のくだらなさに一人苦笑することとなった。

 

(17歳の女子高校生を殺すとか拉致するとか、何を考えているんだばかばかしい。どうせ殺すならクワトロのロリペド野郎とかそっちだろうが)

「いや」

ジェリドは手を軽く振ってため息をひとつつくと、もう一度ファをよく見た。

 黄色いタートルネックのシャツの上に赤いノー・スリーブのジャケットを羽織っている。下は黒のミニスカートに黄色の靴下、茶色の皮靴だ。

両足の膝小僧は転んだのか擦りむけていて、その肉厚な太ももにはガラスの破片が刺さり流血していたが、幸いなことに上半身は多少すすけた程度のように見えた。

 

(JKのむっちり太ももにガラス片が刺さっているだと?――バカな)

 

「一応聞くが他に手すきの衛生兵はいないのか?」

 

ジェリドの頭に包帯を巻く作業に入っていた衛生兵にジェリドは苛立ちながら問うた。

 

「ご覧の通りのあり様で、皆手一杯です」

 

衛生兵は手を止めず自嘲気味に答えた。

ジェリドはしばらくファの太ももを見ていたが、やがておもむろにわきに置いてあった医療キットの中からピンセットを取り出すと、ファを手招きした。

 

「足を出せ」

 

未だ心身的ダメージから復活していないジェリドは、アルコールで顔を拭かれ血濡れ状態ではないものの、依然顔は青白く無表情であった。半裸の生気を失った顔の軍人に足を出すように言われたファは、ヒッと息をのんだが、結局ためらいながらも足を差し出すことにした。

ジェリドは意外にも器用な手つきでガラス片を抜いていった。しかしその動きはどこか機械的で、ためらいと言うものがなく、ファはガラス片を抜かれるたびに痛みによる悲鳴を噛み殺していた。

 

ジェリドが何故こんな行動をとっているのかジェリド自身、分かっていない。しかし、クワトロを追撃しなければならない事は頭ではわかっていても、やはり恐怖と言うものがついて回るし、目の前に怪我人がいて、自分の方に治療を優先させている以上、多少なりとも手助けしたいというあまい太郎としての心が、今回こういった行動を取らせていた。

 

「足をどうしたんだ」

 

ジェリドの視線はふとももの患部に向いており、その呟くような問いにファは自身へ聞かれているものだとは思わなかった。

 

「転んだのか」

 

更なる問いかけにより自分に話しかけている事を確認したファは、緊張からスカートの端を片手できゅっと掴みながら答えた。

 

「幼馴染の家に行ったんです。そしたら、急にモビルスーツが降ってきて……爆発が」

 

(確かロベルトとジムの戦闘に巻き込まれてカミーユの家は全壊したんだったな)

 

「そうか。それは辛いことを聞いた。無事だといいが」

 

眼に涙を浮かべて話すファの姿にジェリドは気休め程度に慰めた。カミーユが無事な事は知っているがそれを彼女に話す事はためらわれた。現時点でジェリドが知らないはずの情報だからである。

 

「中尉、一応の手当ては終わりましたがレントゲンを撮る必要があります。ご案内いたします」

無事を伝えようか迷っていたジェリドだったが、衛生兵の手当ての終了の報告と共に立ち去ることを決めた。

 

「いや、ここまでで良い」

 

「しかし!」

 

「お前はこのまま彼女を診てやってくれ。最優先だ」

 

なおも渋る衛生兵にピンセットを押し付けるとジェリドは痛む肋骨を押さえながら立ち去った。

 

モビルスーツデッキ

 

道中、ロッカールームに寄り予備スーツとメットに着替えていたジェリドに一度強い揺れが襲い、一時停電状態になった。モビルスーツが近くで爆発した衝撃のせいだ。

通路もロッカールームも非常灯のみで薄暗かったのだが、MSデッキの中は電気系統が別のようで人工灯の強烈な明かりが灯っていた。ジェリドは無重力状態のモビルスーツデッキへと降り立った。

 

「ジェリド中尉はこの機体になれていないでしょう!」

 

ジェリドが一機のMSに乗り込もうとすると、この機体の担当整備員が血相を変えて跳んできた。

 

「俺はティターンズだ。エゥーゴの奴らと戦争するのが俺の仕事だろうが!」

 

ティターンズだ!などと言っているジェリドではあったが彼の怒りは例の二人の兵を目の前で殺された事や、コロニー内部で行われた破壊行動、宇宙港の惨状に対するものだった。

兵士を殺されて憤るのは士官として分かる事だが、地球至上主義のティターンズである彼がコロニー

内に対する行動で怒るのはやはり太郎の心が原因だった。

 

正規の命令によって出動するわけではないジェリドは整備員を強引に説得し、ティターンズカラーである緑色のハイザックへと乗り込むと、すばやくOSを立ち上げた。

 

「現場の判断ってやつだ」

 

そう呟きながらハイザックに火を入れると、整備員が下がったのを確認してコックピットを閉じ、外部スピーカーで呼びかけた。

 

「そこの2機、ついてこい」

 

同じくティターンズカラーのハイザック2機へ指示を出す。

 

「了解、しかしジェリド中尉にはマークⅡがあるのでは」

 

モニターにはウィンドウで区切られ通話相手の顔が映される。相手は二人ともジェリドの勝手知ったるティターンズ軍人だ。

 

「あれは奪われた。時間がない。管制官!」

 

管制官へと無線を飛ばすと、現場にいる左官が判断したようで出撃許可が下りた。

 

「許可する!」

 

すぐに警報が鳴り、デッキから整備員が退避して行く。

 

「行くぞ」

 

ジェリドの足は極度の緊張で震えていた。太ももを思い切り拳で叩き深呼吸する。ずきりと肋骨が痛んだ。

 

(シミュレーターだってやってるんだ。俺は十分に力をつけているはずだ!ビビるな太郎!)

 

地球でのジオン残党狩り以外で実戦経験のないジェリドは、宇宙での初の実戦に体が自然と強張っているのを感じていた。

 

 

 

宇宙港の軍用カタパルトから射出されていくハイザック3機。

急激なGが体をシートへと埋没させていく。痛む傷に早くもジェリドは額に脂汗を浮かべていた。

射出されたジェリドはコロニーの外壁を観察し、すぐに穴のあいている個所を見つけることができた。

その付近に陣取り、ついてきた二機へハイザックの手を伸ばすと接触回線を開いた。

 

「よし、聞こえているな。連中がマークⅡを奪取し、内部の友軍がそれを止められなかった場合、連中が開けたあの穴から出てくると思われる」

 

穴のアップの写真と座標を共有ファイルにいれて説明する。

 

「そこを叩き、マークⅡを取り戻す。いいな?」

 

「了解です」

 

「了解、しかしジェリド中尉はこの機体にはなれていないはずだ。無理はするな」

 

同じ中尉階級のパイロットが注意を促した。

 

「了解だ。中尉の言うとおり俺はこの機体に慣れていない。俺はここでアンブッシュする。曹長は俺と射線がかち合わないように十字砲火を行え。中尉は俺と曹長の援護を。中尉の配置は曹長と同じポジション――ここがいいだろう。その後は臨機応変に頼む」

 

ブリーフィング画面に即席の配置図を出して座標と図解で解説し、共有する。

 

 ジェリドは宇宙港に来るまでに即興の策を講じていた。待ち伏せて挟撃するというありふれた手法だが、ジェリドはこの作戦が通用するのではと感じていた。

それは、劇中でクワトロ機がトリモチ弾を穴にむかって射出したことからくるものだ。わざわざ脱出する前にトリモチ弾を放ったのだ。穴は小さく、出られる方向も限

られてくる。最後に出てくるのはカミーユ機であることも覚えていた。3番目に脱出したアポリーは2号機を担ぎながらのため、ろくな迎撃はできないはずだった。

 

 つまり、クワトロ機とロベルト機が脱出した後に出てきた相手に撃ちこみまくれば、うまくいけばクワトロの放ったトリモチに何れの機かが引っかかる可能性があると言うことだ。

しかしジェリドはひとつ忘れていた事があった。それはクワトロが劇中で脱出前に部下に言った、「外には待ち伏せがいる」という核心的な一言。

クワトロはシャアとして戦った一年戦争時の豊富な経験、類まれなるニュータイプの勘からアンブッシュの危険性を十分に理解していたのだった。

 

 

「俺が銃撃したら合図だ。それまでは決して撃つなよ」

 

僚機は各々了解した旨をジェリドに伝えると、指定のポイントへと移って行った。

 

 スペースコロニーの外壁に張り付くようにしてジェリドのハイザックが一点を見つめている。そのモノアイの先にはモビルスーツ2機分程度の、コロニーの大きさの比率で言えば小さな、しかしコロニー内に住む人間からすると致命的な大穴が開いていた。コロニー内から次々と人やエレカや崩れた建築物の瓦礫など、大小さまざまな物体が無差別に宇宙に吸いだされ、デブリとなって行く。

 

 このグリーンノア1一帯に新しくできてしまった小デブリ群を回収するのにはそれ相応の費用と期間がかかる。グリーンオアシスや他のサイドとの貿易が滞ることで、物資不足による商品の値上げや撤去費用としての重税が、グリーンノアに住む人々を圧迫することとなるのはほぼ間違いがなかった。

 

 しかしそれはある意味でエゥーゴにとって行幸かもしれない。スペースノイドの解放を掲げるエゥーゴによってもたらされたこの惨状だが、スペースノイドの大多数はティターンズを悪とする見方を変える事はない。エゥーゴの軍事的行動こそが自分たちスペースノイドの地球人に対する思いであり正義と考えているのだ。

重税もインフレも正義のための軍事活動の代償としてエゥーゴを庇護し、しかし溜まったストレスと怒りをティターンズに向け、彼らはエゥーゴの支援を続けていく。ティターンズがそのスペースノイドを軽視する主義主張を変えるまで。

 

 

 宇宙空間では真空のため音が存在しない。ミノフスキー粒子はすでに戦闘濃度まで厚みを増しているため、二手に別れたジェリド達は連絡する術を持たなかった。ジェリドは孤独と戦いながら音もなく流されていくデブリを見る破目になった。

 

 ジェリドの額に汗が滲む。初めての実戦、相手はあの赤い彗星と一年戦争を生き伸びた歴戦のジオン兵だ。カミーユだって歴代最高のニュータイプとなる少年だ。今はまだ戦力と考えなくても良いかもしれないが、こちらが劣勢であるのは目に見えていた。

弱気になったジェリドの脳内には先ほど爆散したジムⅡの光景が甦り、思わず体が震えた。

 

 

 

その時、望遠でのぞいていたモニターが、コロニーの穴からクワトロ大尉の乗る赤い機体が飛び出してきたのを映した。

 

「来やがった!」

 

ジェリドは息をのむ。

穴からは相当な距離がある。このミノフスキー濃度ならレーダーでは気取られないはずだったが、レバーを握る手に力がこもり、パイロットスーツと握りこまれた操縦桿の接触がゴム質な音を響かせる。

 

 赤いリックディアスは、穴から出てきたかと思うとすぐさまジェリドへとビームピストルの銃口を向けていた。ジェリドは当初立てた、クワトロとロベルトの前衛をやり過ごした後、すぐにアポリー機へと銃撃すると言う、孫子の渡河における作戦を参考にした待ち伏せ作戦を捨てさった。クワトロ側からは見えるはずの無い自分が何故かばれていたからだ。

 

「何でばれたんだ!」

 

ジェリドはコロニーの外壁を蹴って躍り出ながら片腕でマシンガンを乱射する。

先ほどまで銃撃していたポイントにクワトロ機の放った桃色の閃光が通り過ぎていくのを全天周モニターのためジェリドは目撃することができた。

 

ハイザックのザクマシンガン改から弾き出される銃弾は3~4発の割合で曳光弾を含んでおり、赤いラインを描いてジェリドにその軌跡を教えてくれるが、ジェリドに弾着を確認する余裕はなかった。

 

クワトロはアポジモーターの微調整で悠々と回避すると、スラスターを噴かせ直線的にジェリドに接近してきた。

 

「アラート!」

 

ロックオンされたジェリドはフットペダルをべた踏みし、スラスターを最大にアフターバーナーで吹かして機体を上昇させると、クワトロを穴から遠ざけようと躍起になった。ジェリドがクワトロを引きつけられればその分中尉と曹長の仕事が楽になるからである。

最大出力での機動のため、コックピット内はひどく振動し、ビリビリと甲高い音が鳴っている。

 

「速過ぎる!」

 

小刻みに旋回し、ロックを振り払おうとするが警告音は依然成り続けたままだ。

 

急激なプラスGにより、パイロットスーツは自動的に身体を締め上げ、着用者がブラックアウトしないよう血流の流れを制御していた。その痛みに耐えながら必死に操縦するジェリドの目はレッドアウトにより眼球が真っ赤に染まっていた。

 

 クワトロの放つピンクのビームが脇をかすめる。クワトロの反応速度に思わず舌を巻くジェリドだったが、軌道修正され当てられる前に回避運動をとり、二機の待機ポイントに一瞬目をやると、すでに銃撃戦が始まっていた。

ジェリドがクワトロに張り付かれている間に後続機が穴から飛び出してきていたのだ。

 

 ジェリドは作戦がうまくいかなかったことに対し舌打ちすると、中尉と曹長の動きに合わせながら、自分も敵機の後ろに回り込むにはどうすればいいか悩んだ。

 

 

しかし、クワトロ機は突然ジェリドへの追撃を止め、信号弾を放った。

母艦であるアーガマへ、メガ粒子の艦砲射撃を要請する信号弾だ。

その一瞬の隙を見計らって、ジェリドはAMBACを使いハイザックの足をまるで回し蹴りように回転させ、反転し狙い撃った。銃撃による機体にかかる衝撃は優秀なソフトウェアにより腕部で軽減され、ほとんど感じない。

 

「そこだ!」

 

しかしクワトロはこれを予測していたように同じくAMBACを使い、宙返りしながらジェリドに二連射した。応射されたビームピストルの一発がジェリドのハイザックの右脚部に命中し、右足が爆散する結果をもたらした。

 

「ぐわあああ!こっちが当たらずになんであっちが当たるんだ!」

 

 回避行動中に喰らったハイザックはバランスを崩し、白煙を上げ、スピンしながら飛んでいく。オートバランサーが脚部の損傷によりうまく働いていないのだ。ジェリドは戦闘速度を維持したまま、アポジモーターを小刻みに吹かせて姿勢制御を取り戻し、ダメージコントロールを行う。

 

しかしその時、信号弾を視認したアーガマから無数の艦砲射撃が三機のハイザックへ雨のように降り注いだ。

 

「しまったメガ粒子砲か!うぉお!うぉおおお!」

 

ジェリドは光の槍が何本も降り注いでくるように感じた。恐怖のため叫び声をあげながらも、モビルスーツをビームの合間に滑り込ませるが、薄いメガ粒子にさらされて装甲板がチリチリと削れていく振動が伝わる。ジェリド機の後方で閃光がして中尉の機体が爆散した。

 

「中尉っ!こんなはずじゃ……こんな!」

 

太郎は思い切りコンソールを叩きながら叫んだ。

 

「くそぉおおおお!!」

 

作戦は完全に失敗し、ジェリドは曹長と共にコロニーへと撤退した。

 

ジェリドのハイザックは片足が消失しているため、曹長のハイザックが支えながら帰還することとなった。デッキには巨大なネットが張られており二機のハイザックをキャッチした。すぐさま隔壁が閉じられ、整備員が駆けよってくるのを目にしたジェリドは、心労から来るあまりの頭痛にヘルメットを脱ぎ捨てこめかみを押さえた。

 

かくしてガンダムマークIIを二機奪われ、軍事施設を目撃され、軍人、民間人両方の死傷者を出したグリーンノア1襲撃事件は、ティターンズ陣営の完全なる敗北で第一幕を閉じたのだった。



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第四話

中尉の戦死を悲しむ間もなく、ジェリドと曹長はランチに詰められた。当然昼食になったわけではない。脱出艇にもなる小型の宇宙船で、ティターンズの旗艦であるアレキサンドリアに召集されたのだ。ランチにはMP(憲兵)が乗っており、これがただの召集ではない事を物語っていた。せまい機内の中でMPに監視されながら輸送されていく中、ジェリドは思い出したように煙草を燻らせたくなった。太郎が憑依する前のジェリドは喫煙家ではないため、太郎の記憶がジェリドの脳に作用した結果である。宇宙世紀当初は宇宙空間に置いての空気の重要性から、煙草は地球以外では全面的に禁止されていたが、電子煙草はその限りではなく喫煙家は一定数存在した。さらに近年、科学技術の進歩と共にフィルターや空気清浄設備が進化し、本物の煙草の規制も緩和されていった。

今でも喫煙家の人口は少ないが、周りから隔離された喫煙スペースがコロニーやグラナダ、宇宙船などにも取り入れられ社会に受け入れられていた。もちろん地球のように公園で青空のもと一服と言った事は不可能だが、屋外でも喫煙ボックスの中でなら吸うことが許されていた。閑話休題。

 

ジェリドが曹長に話しかけると、曹長は泣きながらこちらを睨んだ。どうやらジェリドは先の戦闘で完全に嫌われたようだった。

気まずい雰囲気の船内にかすかな衝撃が伝わった。ランチがアレキサンドリアに着艦したのである。

 

 

◆アレキサンドリア―ブリッジ

 

ヘルメットを取ると、二人は入室した。

 

「ジェリドメサ中尉、エイダ・カールソン曹長入ります!」

 

ジェリドは大声で自分達の到着を知らせた。ランチの中で曹長の名前と、戦死した中尉の名前は聞いておいた。中尉の名前も聞かずに永遠の別れになった事は、ジェリドの中で大きなしこりになっていたのだった。

 

(名前を聞くのも苦労したがな)

 

ジェリドの一歩後ろに立っている曹長と戦死した中尉はどうやら仲が良かったようだった。

 

(やれやれ、こちらもご立腹のようだ)

 

ブリッジではバスク・オム大佐が指揮シートに座り、バスクの腰巾着であるジャマイカン・ダニンガン少佐が傍に控え待っていた。

二人とも大変ご立腹のようである。バスクなど、そのスキンヘッドの頭に大きな青筋がいくつも浮かんでいた。

 

(まったく卑猥な野郎だ)

 

ジェリドはそう一瞬思ったが、すぐに居直った。

 

「ご用向きは」

 

「用件など決まっておる!貴様の二度にわたる失態と、ガンダムマークⅡをエゥーゴに奪われた件だ!」

 

ジャマイカンが怒鳴り散らす。その剣幕にこちらに背を向けていた数名のオペレーターが思わず振り返った。

そのオペレーターの視線をバスクが軽く手で払って仕事に集中させると、ジェリドに戦闘の詳細を尋ねてきた。

 

「口頭でいいから今説明したまえ」

 

「はッ 先ほどの戦闘で僚機としてパミル・アデス中尉とエイダ・カールソン曹長をハイザックにて出撃させました。エゥーゴが開けたものと思われる穴をコロニー外で発見。二つに戦力を裂き待ち伏せし、敵が出てきたところを十字砲火、その後包囲殲滅する予定でしたが、これを見破られ、敵モビルスーツと交戦中に自分の機体は被弾。中破しました。さらには、敵艦からの艦砲射撃によりパミル・アデス中尉が撃墜され戦死。敵の追跡を断念しました。」

 

「……戦力の集中は戦いの基本だ。少ない戦力を更に分散させるなど、もってのほかである。貴様の無能が中尉を殺したのだ!」

バスクがジェリドに詰め寄り顔面を思い切り殴り飛ばした。

 

「ぐぅっ」

 

低重力化にあるジェリドは、衝撃から靴のマグネットがはずれ、床から浮いて弾き飛ばされた。宙空に赤い水玉が描かれる。

ジャマイカンとエイダが冷ややかな目で自分を見ているのがジェリドの視界に映った。

バスクはそのまま宙空を漂うジェリドを叩き落すと、ジェリドの怪我をしてい頬を思い切り踏みつけて床に固定した。

 

「ぎぃっ」

 

ジェリドは自分の処遇をバスクに踏まれたまま聞き届けることとなった。

 

 

「ティターンズに弱者は不要である……が、即応出来たのは貴様達だけだった事もあり今回だけは不問とする。しかし中尉、貴様は本部ビルを半壊させた罰で半年間の基本給与30%カット、3ヶ月間の外泊禁止。その後沙汰あるまで……独房での謹慎処分とする。先ほどの戦闘は報告書にまとめて曹長、君が提出するように。以上」

 

「……はッ」

曹長の返事を聞き届けると、バスクはようやくジェリドから足を離した。

ジャマイカンが退出しろと顎でしゃくる。

二人が退出しかけた時、バスクはジェリドの後ろにいた曹長にちらりと目をやると、少し驚いた風に小声で独白した。

 

「女か」

 

 ブリッジを出るとジェリドはすぐにMPに医務室へと連れていかれた。曹長と別れの挨拶をする間もなく急きたてられ、治療を受けるとすぐに独房に放れる。

怪我の内容は全身打撲と肋骨のひび以外は大したことはなく、ジェリド自身も驚いていた。

懲罰服に着替えさせられ、制服や持ち物はすべて没収された。独房といっても宇宙戦艦の独房なので格段に汚いということはない。無機質なアスファルトの壁に覆われている箱のような部屋。トイレと洗面台があるだけで他は何もない。ここでできることと言えば冷や飯を食って床で寝るだけだ。空調は完備されているため特に風邪をひくこともないだろう。

 

 ジェリドは独房入りをむしろ好ましく思った。任務や事務に追われることもなく、ゆっくりと考える時間は今の時期しかないだろうし、先ほどのバスクが言っていたことも道理に適っていた。罰を受けている方が気が楽だった。

 

 ジェリドがMPに聞いたところ、アレキサンドリアは一旦グリプスに向かっているらしい。となると、アーガマは史実通り姿をくらましたという事だ。

つまり、追撃隊はルナツーに駐留している地球連邦軍であるサラミス級の戦艦ボスニアが行うだろう。

今からこちらで追撃するよりは、ルナツーから追撃隊を出した方が追いつく確率は高いということか。ボスニア所属のモビルスーツ隊と言えばライラ・ミラ・ライラ大尉率いるガルバルディ隊が有名だ。そうひとりごちると、ジェリドはゴロリと寝っ転がった。

 

 ジェリドはこの後カミーユが両親を失い、エマが脱走する事案を思い出していた。

ライラ隊の活躍によりアーガマは捕捉され、メインエンジンを損傷する。速度が出ないアーガマはグリプスから追撃に来たティターンズ艦隊を振り切ることができない。

そんな時バスク大佐は取引を持ち出す。カミーユとガンダムマークⅡをこちらに受け渡せ。さもなくばカミーユの両親を殺害すると。

実際にカミーユの母はカミーユの目の前で殺されてしまった。

不利な状況のアーガマはメインエンジン修復の時間を稼ぐため交渉を飲む。

その判断はエマ・シーン中尉という人間がティターンズを裏切るに違いないというクワトロ・バジーナ大尉の強い押しが働いたためでもある。

かくしてクワトロは賭けに勝った。人質などという卑劣な手を使うティターンズのやり方に辟易したエマは、カミーユとカミーユの父を連れガンダムマークⅡ3機を手土産にエゥーゴへと逃亡したのである。

その後カミーユの父、フランクリン・ビダン大尉はクワトロ大尉の赤いリックディアスを強奪し、ティターンズへと戻ろうとする。

しかし、行き違いから乱戦となりフランクリン大尉は戦死する……というのが数日後から始まるカミーユの悲劇であり、エゥーゴとの戦闘の始まりである。

 

(ライラ・ミラ・ライラ、どんな人だろうか)

 

ジェリドはエマ・シーンの美貌を思い出し、ライラを想像した。エマ中尉はアニメよりも美しかった、ちょっと怖かったけどそれもまた一興である。

劇中、ジェリドにとってライラの存在は非常に大きい。ライラが長生きしてればジェリドは良い男になったであろうと言われるくらいに。

しかしライラはあまりにもあっけなく序盤で死んでしまう。今やジェリドは劇中のジェリドではなく太郎としての精神を持っている。ライラの存在が必要不可欠かどうかは分からなかったが、ジェリドには死んでしまうのは惜しい気がした。

 

(助けられるものなら助けたいが)

 

しかしジェリドはグリーンオアシス外でのクワトロとの戦闘を思い出し、ニュータイプをオールドタイプである自分が倒すのは不可能に近いと感じていた。

ライラとの戦闘時のカミーユはすでにニュータイプとしての片鱗を見せている。助けられるのか微妙なところであった。

 

 何れはエゥーゴに降るのが上策であろうと考えるが、エゥーゴに先ほど強襲されたためジェリドの中での心象はすこぶる良くなかった。今はまだティターンズのままでいようとジェリドは決めたのだった。

詰まるところ、ジェリドに大義はない。ただ自分にとって住みやすい陣営を選ぶに過ぎず、目の前で死んでいく人々を助けられる範囲で助けたいと思うエゴを持つ小物であった。

 

ジェリドがうとうととしていると艦内に第二種戦闘配置を知らせる警報が響き渡った。

 

(ボスニアがアーガマを捕捉したな)

 

のんびりとそんな事を考えながらジェリドはもうひと眠りしようと考えた。

絶賛独房入りのジェリドには関係のないことである。戦闘に出させてくれと騒げば特例として出撃させてくれるかもしれないが、ジェリドにはその気がなかった。

 

(俺が出てったところでカミーユの母を殺して余計な恨みを買うだけだ)

 

自分が出ていかなくてもだれかがその代わりをやるだろう。ジェリドはわざわざ自分の手で無抵抗な人間を殺したくはなかった。未来を知っているというアドバンテージから、出撃することでもしかすれば人を一人救えるかもしれないというのは、ジェリドにもわかっていた。その策も考えつかないわけではない。だが、実行に移す気は毛頭なかった。まだティターンズ陣営にいようと考えたジェリドは余計なリスクを背負いたくなかったのである。

しかしそうは問屋がおろしてくれなかった。独房に近づく複数の足音に、ジェリドは嫌なものを感じていた。

 

◆ブリーフィングルーム

 

「いいな。ジェリド分隊の命令書は後続のカプセルが視界に入ったら開くのだ。エ

マ・シーン中尉の交渉は15分間が限度だ。わかったか」

 

オレンジ色の作戦ボードを背にし、ジャマイカンは手を後ろで組みながら淡々と説明を終えた。

 

 ジェリドは今、ブリーフィングルームにいる。先ほどの足音はジャマイカンとMPのものだった。

 

「中尉、不甲斐ない貴様に、この私が特別に挽回のチャンスをやろうじゃないか」

 

「ジャマイカン少佐……」

 

(俺にカミーユの母を撃たせる気か)

 

何とかその言葉をのみこんで黙ったジェリドをジャマイカンは感銘を受けて沈黙したものと取った。

 

「何、怪我をした貴様にも十分にこなせる任務だ。着替えてからブリーフィングルームに来い」

 

 

猫なで声で命令するジャマイカンにジェリドは心底から嫌悪し、吐き気を覚えた。

 

 

 

作戦内容はジェリドが独房の中で思い出したものと変わらず、人質作戦であると思われたが、表向きはエマ中尉による交渉となっている。

 

「そのカプセルというのは強力な爆弾でしょうか?」

 

エマがジャマイカンへと質問する。

 

「そんなところだ」

 

下種な笑みを浮かべながら答えたジャマイカンに、エマは納得したようで質問を終えるとブリーフィングルームにいる部下たちへ締めの言葉を述べた。

 

「では、初めてハイザックに搭乗する者もいると思うが高度の訓練と思え!今回の作戦はあくまでもマークⅡを取り戻す交渉である」

 

ジェリドはその凛々しくも美しいエマに滑稽なものを感じていた。彼女はこれからすぐ裏切ることになるからだ。

エマはちらりとジェリドを見やると、その擦り傷と打撲でひどい顔を見て少し眉をひそめたが、その瞳は好意的なものであるとジェリドは感じた。

 

 

「作戦時は別のものに小隊長をやってもらうから、そのつもりで。以上解散」

 

最後に思い出したようにジャマイカンが連絡事項を述べて解散となった。

 

作戦開始は30分後だ。各自準備をしにそれぞれの方向へと散って行く中、エイダ・カールソン曹長はジェリドについてきた。

 

「中尉!独房入りではなかったのですか」

 

あれほどの怒りを買った者が数時間で出てきたのだ。流石に不審に思ったようだった

 

「俺の分隊に配属されたようだな。よろしく頼む」

ジェリドちらりとエイダを見ると質問に答えぬまま、無重力空間のため通路の壁に備わっている自動グリップを掴み、進んでいく。

 

「中尉!答えてください!」

 

 赤毛のショートカットのともすれば小柄な少年にも見えるエイダは、眉を怒らせて追ってきた。ジェリドは彼女がアレキサンドリアへ行く途中のランチで、パミル・アデス中尉は私をかばったため戦死したという事を涙し、こちらを睨みながら話していたのを思い出した。

 

(正義感の強いタイプか。おおよそ俺が裏で何か手をまわして出てきたとでも思っているんだろう)

 

エイダもグリップを掴み追って来たため、ジェリドは一瞬考えて言葉を選びながら答えた。

 

「カプセルは強力な爆弾だ。カプセルが到着するまで俺は命令書を開いてはいけない事になっている。つまり、捨て駒だ。そのカプセルを抱いてアーガマへ突貫するのか、爆弾の威力圏内で俺が爆発させるのかは知らないが、俺が生きて帰ることはないだろう」

 

いくら憎いとはいえ、同じティターンズであるジェリドにそんな命令を出したジャマイカンにエイダは唖然とし、言葉もない。

ブリッジでもジェリドを睨んでいたエイダにジャマイカンが目をつけたのだ。ジェリドを単騎ではなくエイダと分隊を組ませることで、逃亡を阻止する狙いがあった。そして万が一ジェリドが撃墜されれば、代わりにエイダに撃たせる事で保険としての役目ももたせてあった。

 

「中尉の事はすまないと思っている。貴様も俺と共に死ぬ必要はない。カプセルを視認したら戦線から離脱しない程度に離れていろ」

まだ何かあるかと問われたエイダは、敬礼すると思いつめた様子で格納庫へと向かっていた。

 

 エイダ・カールソン曹長は配属されてからずっとパミル・アデス中尉の部下であった。もっとも信頼し、秘かに淡い恋心を抱いていた上官の死に対し、作戦を立てたジェリドへ怒りをぶつけてしまっていたのはある種当然といた。しかし彼女も軍人であったし、作戦事態も無茶なものではなかった事も実際に作戦に従事して理解している。ただ感情のやり場がなかったのだ。正義感の強い彼女はブリッジでの過度な鉄拳制裁を普段なら黙って見ていなかっただろう。しかし、辛く当っていたジェリドが死にゆく事を知り、彼女の心はジェリドに対する罪悪感とパミル中尉の死に対する悲しみとで綯い交ぜになってしまっていた。

 

(さてと……危険だが、接触するなら今しかない)

 

そんな感情の機微に当然気づかないジェリドは、エイダが見えなくなるとすぐさま自室へ向かった。

収納スペースの一番下に入れてある大きめのアタッシュケースを掘り返すと、今度はノーマルスーツルームへと向かい、一着のノーマルスーツをアタッシュケースに詰め込み、ビダン夫妻の元へと移動した。

 

 ビダン夫妻が居住ブロックにある飲食可能なルームにいることは既につかんでいた。あとはノーマルスーツを収納したアタッシュケースを手渡すだけだ。

ジェリドは通路に仕掛けられている監視カメラになるべく映らないように移動した。

目的の部屋に入ると、フランクリン大尉はいるもののヒルダ中尉がいない。

 

「なんだね君は」

 

フランクリン・ビダン大尉は眉をひそめた。突然顔面あざだらけの男が入室してきたのだ、いぶかしみもする。しかしジェリドは意に返した様子もなくずけずけと質問した。

 

「ヒルダ中尉はどうされました?」

 

フランクリンは一瞬戸惑ったが、すぐに嫌そうな顔で答えた。

 

「妻ならトイレに行った」

 

「そうですか。後ほどまた参ります」

 

(なるほど、そう言えば愛人の事を指摘されて頬を叩く描写があったな。大方トイレで泣いているか化粧でも直してるんだろう)

 

そのまま敬礼し部屋を去ると、ジェリドは近くにある女性用トイレへ戸惑うことなく飛び込んだ。

水場では見当たらないが、個室を見ていくと一つだけ使用中になっていた。

 

(くそ、時間がないんだ!)

 

ジェリドは心のなかで毒づくと、その使用中の個室をノックした。

 

「ヒルダ中尉!入ってますか!」

 

「な、なんですかあなたは!ここは女子トイレですよ!」

 

すでに女盛りを終えている女が、女子という言葉を使うことに対し若干の苛立ちを覚えながらもジェリドは続けた。

 

「今開けないのでしたらこちらから蹴破りますよ!開けてください!」

 

ヒルダは小さな悲鳴を上げたが観念したようで衣類をがあわただしく着る音が聞こえ、すぐに扉を開けた。

 

「あ、あなたは、!」

 

何なんですか!とヒルダが続ける前に太郎は彼女を個室へと再び押し込み、壁に手をつかせて、ドアのカギをロックした。

 

「ら、乱暴者!」

 

叫ぶヒルダの口を手でふさぎ、暴れるヒルダを押さえたため、後ろから抱き締めているような形になってしまった。ジェリドは自分の股間部をヒルダの意外にも弾力のある尻に押しつけてしまい、一瞬たじろいだがすぐにまくしたてた。

 

「時間がないんだ!これから言うことをよく聞かないとあんたは死ぬことになるぞ!」

 

耳元で囁くようにしかし語気を強めて話すその剣幕にヒルダは怯え、完全にジェリドにレイプされると思い込んでいた。

 

「詳しいことは言えないがあんたはこれからスーツを着用せずにカプセルへ入れられる。その時にこのケースを持っていけ」

 

ジェリドはヒルダ中尉の口から手を離し、少し離れると、アタッシュケースの中身を見せた。

 

「ノーマルスーツだ。メットもある。良いか、だれが何と言おうと何をされようとこのアタッシュケースを持っていくんだ」

 

「あ、あなたは何を言っているのですか」

 

ヒルダは困惑し、まともに頭が働いていなかった。今まさにスカートを破られ、嫌がる自分に強引にペニスを突き立てようとしていたに違いないこの若い士官は何を言っているのだろうか。

 

「おそらく材質調査の名目でカプセルに入れられるはずだ。それを逆手にとって調査用の器具が入っているとでも言えばいい。このケースを手放したらあんたに未来はない」

 

「いいな。殴られても蹴られても、気が狂ったように見せてそのケースを離すんじゃないぞ。宇宙に射出されたらケースからノーマルスーツを取り出して着替えるんだ。そのあとは……エゥーゴへと渡ると良い」

 

「エゥーゴって、一体あなたは何でこんなことを……」

 

「俺はあんたの入ったカプセルを撃つように命令されている!もう時間がない。このことは他言するな、フランクリン大尉にも言うんじゃない。ケースは絶対に離すんじゃないぞ!」

 

ジェリドはそう言うと、呆然としているヒルダを残しその場を後にした。

ヒルダはジェリドが出て言った瞬間緊張が解け、ほうっと震えながらため息をついた。

そしてうっすらと湿り気を帯びていた自らのショーツに気づき、年甲斐もなく赤くなるのであった。

 

 



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第五話

作戦開始直前に格納庫へと向かうジェリド。既に出撃する全てのハイザックに火は入っており、ジェリド以外は搭乗しているものと思われた。

 

(危ない危ない。なんとか間に合ったか)

 

一機だけモノアイが光っていないハイザックを見つけると、ジェリドは地面を蹴って無重力状態の格納庫を移動した。

 

ジェリドは自分のハイザックを見て唖然とした。ハイザックの脚部で数人の整備員が未だに作業していたからだ。

 

「おい、もう出撃だろ。何やってんだ!」

 

「あ、じぇじぇじぇジェリド中尉!」

 

朝の連続テレビ小説も真っ青な台詞を吐きながらジェリドに肩を叩かれた整備員が固まった。

 

「いえその、ティターンズカラーのパーツが今なくて連邦のパーツ取りのハイザックの足をつけたもんですから、あの、ジェリド中尉は謹慎て聞いたもんで、出撃まで間があると思って今日までそのままでして」

 

慌てふためきながら言う整備員の階級は伍長であった。この階級の一介の整備員ではジェリドに恐怖するのも無理はない。しかも事が事だ。ジェリドの乗るハイザックはクワトロに射撃された右脚部を換装したのだが、その換装した脚部が連邦軍カラーのハイザックだったため、外装パーツがパープルだったのだ。

そのためジェリドが搭乗する予定のハイザックは右脚部だけ連邦色になっており、統一感のない配色になってしまっていた。

 

「……班長にはもうどやされたのか?」

 

ぶっきらぼうに言うジェリドに伍長は間違いなく殴られると思った。

 

「は、はい」

 

「ならもういい。しかし使えるんだろうな?」

 

ジェリドはそう言うとコクピットへとジャンプする。

 

「はい。それはもちろん!もともと色が違うだけですから。すいませんでした!これ、ドリンクです」

 

追ってきた整備員はチューブに入ったドリンクを太郎に渡すとそのまま下がって行った。

ジェリドはすでに立ち上がっているOSの最終チェックをしながら、リニアシートの窪みにバックパックを入れて体を固定させる。

 

(ドリンクで買収とは俺も安くなったもんだ)

 

無線を開くと、すぐにエイダ曹長がモニターへと映った。

 

「ジェリド中尉!今までどこに行ってたんですか!」

 

表情はすごい剣幕なのだが、もともとかすれた声のハスキーボイスなので、怒った時の声が裏返ってしまっていて様になっていなかった。

 

「曹長。そういう時は低い声で唸るようにすると怖い声が出るぞ」

 

簡単にあしらうジェリドにエイダは牙を剥いていたが、ジェリドは無視した。

 

すでに格納庫のハッチは開かれており、次々とエマ隊がカタパルトから射出されている。

 

「よし、ジェリド分隊続くぞ。エイダ曹長よいか?」

 

「はいッ」

 

「ジェリド・メサ出るぞ!」

 

アレキサンドリアが航行している速度にプラスする形でハイザックはカタパルトから射出される。この速度ならまず、敵は狙いをつけられないだろう。

 

エイダ機を左斜め後方(8時の方向)に、付かず離れず隊列を組ませて飛んでいると、前方で停戦を意味する発光信号が射出された。

 

(エマ中尉が無事アーガマに乗り込んだな)

 

先行している白旗を持たせたマークⅡに搭乗したエマと、エマ隊の2機のハイザックはどうやら無事にアーガマへとたどりつけたようだ。

彼女は単身アーガマ乗り込み、バスク大佐からの親書をブレックス准将のもとへと届けたのだ。尋常ならざる勇気の持ち主と言えるだろう。

ジェリド分隊はスラスターを逆噴射して推進剤を使いながらアーガマと相対速度を合わせる。

 

「交渉は、上手くいくんでしょうか?」

 

不安そうな声を隠しきれずにエイダが尋ねてくる。彼女からしてみれば、交渉が決裂すればジェリドがカプセル爆弾でアーガマもろとも玉砕するのだ。不安にもなる。

 

「エマ中尉ならやってくれるさ」

 

ジェリドは適当にあしらうと、カプセルを探し始めた。ヒルダ中尉がノーマルスーツを着ているのかどうかが非常に気がかりで、エイダの不安を取り除いてやる事まで頭が回っていなかった。

 

「後方より、何かが飛来してきます!」

 

「あぁ、ジャマイカン少佐の言っていたカプセルだろう」

 

緑と赤の警告灯を点滅させながらゆっくりとカプセルが宇宙空間を漂ってくるのをエイダに言われ、ジェリドも確認した。

 

「ここからじゃ……中身までは見えません。あっ、中尉は命令書の中身を」

 

 ジェリドはエイダの声に自らも最大望遠でカプセルをモニターに映してみるも、確かに中身は確認できなかった。

カプセルの外観は円筒系のガラス張りで、底部は金属製だが非常にもろそうだ。強化ガラスの類を使用していると思われたが、何れにしろこんなものに人間を入れて敵地へ送るなど正気の沙汰ではない。

ジェリドが命令書を開くと≪カプセルを敵が奪う気配がしたらカプセルを撃破しろ≫と手書きで書かれていた。

 

(……下衆めが)

 

内心毒づくジェリドだが、曹長へと指示を飛ばす。

 

「エイダ曹長はアーガマと現在の距離を維持したまま待機。命令書は敵が奪う気配がしたらカプセルを撃破しろとのことだ」

 

ジェリドは少しカプセルに近づく。

 

「カプセル撃破のタイミングは俺の一存で決める。万が一俺がカプセルをやれなかったら分かっているな。お前がやるんだ」

 

「了解しました。ご武運を!」

 

エイダを残し、ジェリドは単機で加速する。ザクマシンガン改の射程圏内に入ったカプセルの中身にはノーマルスーツを着たヒルダ・ビダン中尉がいた。

 

「よし、捉えた」

 

(着てくれている。これで殺さずに済むかもしれない)

 

ジェリドはコックピット内でひそかに喜ぶ。ヒルダ中尉がこちらを向いているのが分かった。バイザーのせいで表情まではわからないが、恐らく恐怖で顔をゆがめている事だろう。

 

ジェリドはハイザックの手を上下させ、かがめと合図する。

 

ヒルダはしばしハイザックの動きを眺めていたが、やがてその意図をつかみカプセルの中で身を小さくしてかがんだ。

 

その時、アーガマの方から一機の黒いモビルスーツがカプセルへと向かってきた。カミーユの操るガンダムマークⅡ3号機だ。

 

「エマ中尉が!……合流信号が出るはずですが」

 

エイダ曹長はジェリドの方へ向かってくるガンダムを、エマのものと勘違いし、撃たなかった。

 

「違う、エマは1号機のはずだ。曹長は現在地から動くな!」

 

ジェリドは焦りながら叫ぶ。とにかくヒルダを殺さないことがジェリドにとって先決だったため、エイダに下手に動かれて状況の変化を作るのは御免だった。ジェリドはやむを得ずカミーユの接近を許すことにした。

 

「見えるのですか?」

 

ジェリドやエイダの位置ではまだ何号機か分かるものではなかったが、何ていう事はない。あらかじめカミーユが来る事をジェリドは原作を見て知っていたのだった。

 カプセルからそう遠くない距離でハイザックが銃器をカプセルに向けているのにも関わらず、マークⅡは猛然と飛んでくるとそのままカプセルの目の前で急停止した。中に入っているヒルダはさぞかし怖かったであろう。

 

「あのガキ!まるで周りが見えていない……当たってくれよ!」

 

 カミーユの迂闊な行動をののしりながら、ジェリドはカプセルの上部へ狙いをつける。マニュアル操作のため細心の注意が必要だというのに、カミーユの登場によりジェリドは焦っていた。しかしここで外しては艦内での危険な賭けの意味を失ってしまう。

 

 ジェリドは呼吸を止め、眼を限界まで見開き、額から垂れる汗がまつげに乗ったのにも気づかないほど集中していた。照準の微調整を0.1度プラス上方修正すると、セミオートでザクマシンガン改を放った。

放たれた質量弾はちょうどマークⅡのマニピュレーターで包み込もうとした指と指の間を撃ち抜き、カプセルのガラスが砕け散った。

 

「着弾!」

 

 食い入るようにモニターを見つめノーマルスーツを着た人影を探すと、マークⅡの手にしがみついているのが確認できる。

 

(よし。死んで……ないな!)

 

 ガラス片でノーマルスーツに穴があいているかどうかを確認はできないが、ひとまずジェリドは安堵すると緊張が切れたのか一気に疲れが襲ってきた。

 

本来ならばここでヒルダは殺され、状況を理解していないジェリドに強烈な不快感が襲われる。まるでニュータイプかのようにジェリドが人の死を感じ取る状況が発生するはずだったが、今回ジェリドには疲れが襲ってくるだけでニュータイプの兆候は全く見られなかった。

 

 マークⅡはそのまま一度アーガマへ戻るようだ。停戦信号は取り消されていないので、ジェリドに背を向け去っていくマークⅡにジェリドは別段何もしなかった。

ジェリドは一旦エイダのいる宙域まで下がると、エイダのハイザックに手をかけて通信した。

 

「エイダ曹長!カプセルは撃破した」

 

「こちらでもカプセルの撃破を確認しました。しかし、アーガマも敵モビルスーツも何ともないようですが」

 

「わからん。だが分隊の任務は遂行した。エマが撤退するまではこの宙域にとどまる」

 

「了解しました」

 

 ジェリドはエマの撤退までは踏ん張ろうと決意する。ヒルダが生きていればカミーユが戻ってくる事はないだろう。それならばモビルスーツ戦をやることもないだろうとジェリドは高をくくっていた。

 

 

 

 特に戦闘もなく終わるかに思われたが、しばらくすると突然閃光がジェリドへ襲いかかってきた。アーガマへ自らの母を送り届けたカミーユが、周りの制止を聞かずに再びジェリドのいる宙域へ舞い戻ってきたのだ。

 

「馬鹿な!停戦信号が見えていないのか!」

 

明らかな戦闘機動でこちらへ向かってくるガンダムにエイダは目をむいた。

 

(もしかしたらヒルダは打ち所が悪くて死んだのか?だとしても……)

 

ジェリドは迂闊にカミーユを再出撃させることを許したアーガマを呪った。

 

「あれは敵だ!散開して迎撃するぞ」

 

こちらへ蛇行しながら近づいてくるマークⅡを確認したジェリドとエイダは、後退しながら三点射を繰り返し、カミーユを近づけまいとした。

 

 

ジェリドのハイザックは連邦軍カラーとティターンズカラーが混合し非常に統一感のない色合いの機体となってしまっている。それはカミーユにとって良い目印のほかにならない。

 

執拗な追撃にジェリドは振り切ることを断念すると、作戦失敗の信号弾を発射しカミーユのマークⅡへ相対した。すぐに後続であるガルバルディ隊が撤退支援のため発進するだろう。

 

 ジェリドは本気でカミーユと戦うつもりなどなかった。どうせ本気で戦ったところでマシンスペック的にカミーユには勝てないはずだ。ならばこちらの被害がなるべく出ないように、突出せず2機以上であたればよいと高をくくっていた。

 

 カミーユとしては自らの母であるヒルダを人質作戦と称して宇宙へ放ったティターンズに激怒していた、ヒルダは何とか生き延びていたが一歩間違えれば死んでいた。

 

自らの母をそのような危険にさらした紫色の足を持つハイザックに、カミーユは明確な殺意を抱いていた。そのため、執拗にジェリドのハイザックを追いまわすこととなる。

 

 この頃のカミーユは軍属でも何でもなく、まだエゥーゴが欲していたガンダムマークⅡを奪取するのに協力した客分である。戦争のせの字も知らないカミーユは全くの個人的な感情からガンダムを操っていた。

当然、アーガマの事情などは考えていない。アーガマはエンジンをやられ足を鈍重にさせられており、背後には連邦軍のボスニア、ティターンズのアレキサンドリア率いる艦隊が追ってきている。数的不利な状況で、なおかつ逃げ切ることもできず状況は悪化していた。そのため、事態はカミーユとマークⅡをエマに引き渡す方向で固まっていたのだが、カミーユは母親の乗るカプセルへと銃撃したハイザックが許せなかった。父親がいまだ人質として捕えられているにもかかわらず、再出撃したのだった。

少年の心とアーガマの方針に溝が生じた結果、このような出撃を許す結果となったと言える。

 

 

「えぇい!カミーユ君がまた出たのか!」

 

 クワトロ大尉がアーガマから飛び出していくマークⅡを見て状況を把握し、すぐさま発進したが、ジェリドの信号弾を見てやってきたライラのガルバルディ隊をアーガマに近づけないよう応戦するのに手がいっぱいでカミーユを止められない。

 

「人が、人が入っていたんだぞ!」

 

 カミーユはジェリドのハイザックへ向けてバルカンを放った。しかし狙いのハイザックはスラスターを吹かせて大きく回避する。

 

「殺してやる!」

 

 バルカンはあくまで囮、すぐさま回避先へ本命であるビームライフルで偏差射撃しようと狙いをつけたが、狙いのハイザックの僚機がカミーユへ質量弾をばら撒いていた。

 

「クソッ!」

 

 カバーされうまくいかなかった事に悪態をつきながらもバーニアを小刻みに吹かせて全弾回避することに成功する。

 

「まだだ!」

 

「カミーユ君!やめなさい!」

 

 カミーユが更なる追撃をかけようと動くと、アーガマから発進したエマ機がカミーユを羽交い絞めにした。

 

「二人ともやめて、ジェリド中尉、乗っているのは子供なのよ!」

 

 ジェリドはエマがカミーユへと取りついてから、一瞬おとなしくなったカミーユを見て、これ以上の戦闘意思はないものと判断しエマに状況を聞くため近づいて行った。

 

「エマ中尉、これは一体どういうんだ」

 

「離してくれ!あいつは!あいつは!」

 

 カミーユはスラスターを最大に吹かせるとによって乱暴にエマ機を振り払うと、エマ機が取りついてからこちらへ近づいて来た狙いのハイザックへ左手の盾で殴りつけた。

 

 マークⅡの盾でコックピットを殴りつけられたジェリドのハイザックは、コックピットの外部装甲を大きくへこませジェリドの頭をシェイクさせた。

 

「ぐぅうっ!」

 

 強烈な振動で一瞬気が遠くなるも、ジェリドはすぐに頭を振って意識を保とうとする。負傷した肋骨とバスクに殴られた頬が痛んだ。甲高い警報音が響きモニターへ意識を向けると、ビームサーベルを抜いて自分にとどめを刺そうと大きく右腕を振り上げているマークⅡが目の前に浮かんでいた。

 

「ビーム!」

 

ジェリドは突然の事で一瞬反応が遅れてしまう。

 

「サーベル!」

 

エマの叫びがノイズに混じって聞こえた気がした。

 

「うおっぉお!」

 

 

 回避することが間に合わないと本能的に悟ったジェリドは悲鳴を上げながらも操縦桿にかじりつく。ハイザックを頭からコックピットまで上段で一刀両断しようとしていたマークⅡの胸部装甲に、ハイザックの左フックを叩きこんだ。

確かな衝撃がハイザックの左腕を通してジェリドのコックピットへ伝う。極度の緊張状態の為頬に浮かぶ玉のような汗は、ヘルメットの内装に吸収されていった。

 

人型機動兵器であるが故に、そこから生まれる上半身の右へ回ろうとする腰のねじりを生かし、更にはバーニアを吹かせる事によってその動きを補助し、ハイザックをマークⅡと半身で相対させようと回転させる。

 AMBACを使った格闘戦における基本動作の一つだ。士官学校時代、ジェリドはカクリコンとモビルスーツでの殴り合い(どつきあい)の喧嘩をしたことがあったが、それは決して無駄ではなかったのだ。当然始末書では済まなかったが。

 本来地球での経験を宇宙上がりたての者が生かすことは非常に困難なことであったが、今回、ジェリドの戦闘センスがそれを成し得た。

 

 しかし、ビームサーベルを避ける事をとにかく目標にした動きのため、実際に半身で相対させ、次の攻撃に備えられる速さでのバーニア噴射と言うより、ジェリドは焦りから必要以上にペダルをべた踏みして出力を上げたため、非常に多量の噴射剤を使用する事となった。だがそのおかげで、回転速度は機体フレームの耐えられる限界値まで上がり、なんとかハイザックの左肩部についているスパイクとランドセルの一部のスラスターを切り落とされる程度に留めることができた。

 

機体を斬られる金属フレームの甲高い悲鳴がコックピットに木霊し、ジェリドのストレス指数が一気に上がる。そのまま逆噴射をすることもなく、勢いを生かし機体を最大速度のまま一回転させると、マークⅡのマニピュレーターへ強烈な右後ろ回し蹴りを放った。

ビームサーベルはマークⅡの手首ごと捥ぎ飛ばされる結果となり、傍にいたエマ機が慌ててそれを回避する。

 

「ぐッ!」

 

ジャストミートした瞬間の衝撃は凄まじいものがあり、耐えられなかった全周天モニターの一部にひびが入り、画面本来の色である黒いドットがあちこちに浮かんでいる。コンソールには右脚部の致命的な損傷を知らせる警告が部位ごとに次々と浮かんできている。

 ジェリドはダメコンを後回しにし、マークⅡコックピットに左前蹴りを叩きこみ、残ったバーニアとスラスターを生かしてマークⅡから距離を取った。

マークⅡは突然の出来事にうろたえており、バルカンをあたりにまき散らすにとどまっている。

 

ジェリドは止めを刺せる状況ではないと把握し、エイダの様子を確認すると、黒色のリックディアスと戦闘に陥っているのが見えた。アポリーかロベルトが相手ならエイダには荷が重すぎると言えた。しかしジェリド自身は今助太刀できる様な状況下ではなく、今もマークⅡのバルカンを避ける事に必死だ。

 

「後続隊は何をしているのかッ!」

 

ジェリドは苛立ちのあまりオープンチャンネルのままで大きく声を荒げた。ガルバルディを探すと、ライラ機と思われるガルバルディとカミーユに振り払われたエマ機は近距離通信を行っているようだ。

史実通り、敵に考える時間を与えるんだ!とか言っているんだろうとジェリドは推測した。

 

(何を馬鹿な事を、その考える時間のせいで俺達は死ぬぞっ!)

 

そんな事は洒落にもならないとジェリドは歯ぎしりしながら回避運動をとる。

 

マークⅡはジェリドを生きて返す気はないらしく、左手でライフルを乱射しながらこちらへ向かっている。

 

「死んじまう!」

 

バーニアの微調整でぎりぎりの所を避けるも、通り過ぎていくビームに近すぎて装甲が溶かされ、ハイザックの装甲のいたるところにみみずばれの様な跡ができていた。

片側のスラスターがつぶされた為、放っておくと左回りにくるくると回ってしまうが、姿勢制御のため機体についているアポジモーターをオートで噴かせている

ザクマシンガン改をばら撒きながら後退するも、機体自体が先ほどの格闘戦でどこか歪んでいるのか、当たる気配はない。スラスターも一基しか残っていないため推力が思うように上がらず、カミーユの接近を徐々に許してしまった。

 

悪い事は重なるものでコンソールにリロードの文字が赤字で点滅している。

 

「馬鹿な!スペア!」

 

回避運動をとりつつ音声認識でリロードさせようとコンソールへ叫ぶが、左腕がスパイクを斬られたときに神経ケーブルまでやられていたようで、上手く動作しない。片腕でリロードされるようハイザックはプログラムされておらず、ぎこちなく左腕が上下するだけであった。舌打ちをし仕方なくマニュアルに切り替えてリロードしようとするが、手間取ってしまったジェリドにカミーユがライフルを捨て、残り一基となったサーベルに持ち替えて襲いかかってきた。

明確な死の気配を感じ取ったジェリドは自らの終わりを覚悟した。

 

 しかし、カミーユの渾身の一撃はまたしてもジェリドの命を奪うことはなかった。ライラと話をつけて戻ってきたエマと、ライラが退いたためアーガマの守りをアポリーとロベルトに任せたクワトロが停戦信号を放った後、カミーユのマークⅡを押さえこんだのだ。

 

「二人ともおやめなさい!」

 

「カミーユ君!停戦信号の見落としは家族ともども死刑になるぞ!」

 

「離してくれ!離せよ!」

 

「男のヒステリーはみっともないわよ!」

 

「よくもそんな事を言えるッ!目の前で親を!親を!」

 

ジェリドのハイザックと三機の距離が非常に近いため、ミノフスキー粒子下にあっても無線を傍受することができた。

 

「エイダッ!何をしている!……死んだか!」

 

どうやら今がチャンスのようだ。ジェリドはそう判断し、満身創痍のハイザックで後退する。既にエマ機の援護どころの話ではなかった。こちらを今すぐ援護してほしいのだ。

 

 チャンネルを分隊のものに合わせてエイダ機に向けて呼びかけるが、遠くの宙域にいるのか不通のままだ。ミノフスキー粒子下では良くあることのため、コンソールでエイダ機の呼び出しをエンドレスで行わせながら後退した。

 

 こうしておくと、ミノフスキー粒子の切れ目か何かの拍子に通じたりすることがあるのをジェリドは士官学校時代に教わっていた。

 

 コックピット内に警告音が鳴り響き、警告灯が灯った。

 

「なんだ?」

 

ジェリドがコンソールをのぞくと、ダメコン画面が開かれており推進剤タンクへのダメージが危険域にまで達しているグラフが表示されていた。

これ以上スラスターを使用しては融爆の危険性があると判断し、進行方向をアレキサンドリアへ向けるために幾度かバーニアを吹かすと、ジェリドはハイザックの機体と後部のランドセルを分離させた。

 

ガコン……と振動音が機体内部に響きランドセルがはずされる。目の前へくるくると回転しながら流れ去っていくランドセルをジェリドは疲れた表情で見守っていた。

 

バーニアやアポジモーターは生きているが推進剤がないため吹かすことはできない。

これで自力では今以上速度を上げることも、下げることもできない。ハイザックは緩やかな速度でアレキサンドリアへと漂流していく。

非常事態のため、救難信号を全周波数に向けて発信し、生命維持装置を働かせた。コックピット内の電飾の明かりが消える。生命維持を最優先とさせるためエネルギーをこれ以上消費させないようにしているのだ。

 

エマ機はとうに見えなくなっている。後方での合流ポイントまで無事にたどり着ければいいが、直進することしかできないためデブリにぶつかってしまえば入力した方角からずれてしまう。それは母艦に拾ってもらえる可能性が極めて下がると言うことだった。

 

「ともかく俺は生きている」

 

 カミーユと戦い死にかけ、今漂流し、ジェリドは強く生命を感じた。平成の日本において一般人である太郎がこれほどまでに生を感じることはなかっただろう。本能から命の危機を察知し、格闘戦を行えたのは一重にジェリドの肉体のおかげであった。

 

 ジェリドが劇中で死ぬまで残り十数カ月と言ったところだが、2回の実戦を生き延びたジェリドは史実通り生き残るのがどれほど困難であるかを知った。

 

「当てにならんな」

 

 だがそれは、十数ヶ月後に死ぬこともまた当てにならないということだ。ジェリドは吹っ切れた。

 

「もういい子にするのはやめだ」

 

 

 撃ってくる者がいれば生き延びるために迎え撃つし、戦いになれば殺すだろう。人を殺すのはもちろん嫌だ。しかしジェリドはティターンズのパイロットに選出されるほどのモビルスーツの操縦技術を持っているのだ。軍を下りることは考えられなかった。

 ジェリドには何度も言うように立派な信念や主義主張などは持っていない。自らの欲望のためにモビルスーツを駆り、立ちふさがるものを殲滅していく。そしてそれで良いと思っていた。

 

 その先で近い未来が変わろうとも、F91の時代やはるか未来の∀の時代の頃にとっては些細なものだろう。ジェリドは自分の存在は、そう考えるとひどくちっぽけなもので、何をしたって構わないのだという、そんな達観した考え方を持ち始めていた。

 

 休暇がもらえた日にはどうしようか。ふとジェリドはそんな事を考える。

(女を抱く。それも、とびっきりのいい女達をだ。月の売春宿にでも行ってパーっと遊ぼう。それがいい。)

 

凶悪な笑みを浮かべながら俯くジェリドに一機のハイザックが近寄ってきていた。

 

「……ジェリド中尉、聞こえますか!エイダです!」

 

ジェリドにはそのかすれた少年の様な声に弾かれた様に顔を上げると、震えた声で無事を返答するのだった。

 

 



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第六話

◆アレキサンドリア

 

 ジェリドはエイダのハイザックにまたも抱えられて母艦に帰還した。コックピットから青い顔のままフラフラと降りてきたジェリドは、ジェリドのハイザックを見て金切り声を上げた整備班長を横目に見ながらそうっとその場を後にする。

 

 機体の至る所にビームの至近弾の跡があり、胸部装甲はボコボコ、ハイザックの体に張りめぐされた冷却パイプも無残なもので、ランドセルはパージされている。おまけに四肢にも一部欠損が見られ、スクラップは間違いないと言えた。

 

「エイダ少尉!」

 

 整備のためコクピットと同じ高さに設置されたオレンジ色のリフトに乗っていたエイダは、まだエマ隊が帰還していないためエアーが注入されていないデッキのため、無線でのジェリドの呼び出しがヘルメットを通して頭に響いた。

 すぐにジェリドを発見し、接触する。これによりバイザーの振動でお互いの声が無線を介さなくても伝わる。

 

「中尉、ジャマイカン少佐への報告は……」

 

「コックピット内で済ませてある。次の作戦まで独房で待機せよとのことだ。取りあえず。MPが来るまでにエアーがあるところへ行こう」

 

 ジェリドはそう言うと、モビルスーツデッキのすぐ隣にあるパイロット専用の即応待機室へと移動した。ここには数台のドリンクバーとロッカー、壁にデッキの様子を映した液晶モニタがあるだけで他には何もない。

 ジェリドはヘルメットを取り、スポーツドリンクを二本とるとエイダへ一本を渡しながら言った。

 

「エイダ、よく見つけてくれた。おかげで命拾いした。ありがとう」

 

いつになく真剣なまなざしで素直に礼を述べるジェリド。

 

「そんな、私なんて……中尉をカバーできずに、そのせいで!」

 

「それはもういい。後続隊がアーガマのモビルスーツ隊を押さえきれなかった事に問題がある」

 

「しかし!」

 

「良いから飲め」

 

 エイダは礼を言って渡されたチューブからドリンクを飲んだ。ドリンクで買収するのは出撃前にジェリド自身も学んだ事だ。居住区ではないため無重力状態の待機室で、お互いは浮いたまま向き合っている。

 

「黒い奴はどうだったんだ。エイダの機体は損傷してないように見えたが」

 

ジェリドが沈黙を嫌い、話題を少し逸らした。黒い奴とはリックディアスの事だ。

 

「すごく手ごわかったです。一撃も当てられませんでした。おそらく中尉の相手を援護しに来たのだと思います。私に対しては牽制程度の発砲しかしてきませんでした」

 

「あいつも別格だな。あの動きは古参にしか出せない」

 

「わかるのですか?」

 

エイダが手の中にあるチューブから目を外し、ジェリドの顔を仰いだ。当然ジェリドはリックディアスの動きなど見ていない。カミーユに追い立てられボコボコにされていただけだからだ。しかし、部下の前で上官の体裁を保つためにそのような事をしたり顔で述べていた。

 

「わかるさ。いいか、アーガマはとにかく別格だ。今まで我々が戦ってきたジオン残党兵とは違うぞ。ジャマイカンはまだその変が分かっていないが、戦った俺たちならわかるだろう?」

 

 ジェリドはコックピットで報告した際、ジャマイカンの苦言を思い出して苦笑した。ジャマイカンはボロボロになって戻ってきたジェリドの報告に、「情けない」の一言であった。一応ジェリドがカプセル撃破の事を言うと、下種な笑みを浮かべてはいたが。

 

「それは……わかります」

 

エイダの顔は暗い。部下を持つとは面倒な事だなとジェリドは内心で思っていた。

 

「と、なるとだエイダ。お前がイレギュラーから俺をカバーできなかったとしてもそれは仕方ないことだ。もう考えるのはよせ」

 

 お互い生きている事だしな、と締めくくると丁度エマのガンダムマークⅡ1号機とエマ隊のハイザック2機が、カミーユの乗るガンダムマークⅡ3号機を連れてデッキへと帰還した様子がモニターに映されていた。

 

「俺を散々いたぶってくれたやつのお出ましか」

 

 

「見に行くんですか?」

 

スポーツドリンクを飲みながらそう述べるジェリドにエイダは質問した。

 

「あぁ、エアーも注入されたみたいだし、確認したいことがある。確かカミーユとかっていう少年のはずだ」

 

「少年って……知っているんですか!?」

 

「まぁ、ちょっとな。殴られたり顔面を蹴り飛ばしたりした仲だ。」

 

「最悪じゃないですか! 面倒事は御免です。私はここにいます」

 

そんなエイダの声を後にし、ジェリドはヘルメットを抱え、フルーツジュースのドリンクチューブを一本ドリンクバーから取り出すと、デッキへと向かった。

 

(ヒルダはどうなったんだ。知らなくては今後の対策を立てようがない)

 

ジェリドは焦っていた。

 

◆アレキサンドリア、モビルスーツデッキ(格納庫)

 

ジェリドとエイダがデッキへと降りたつと、丁度エマがカミーユをコックピットから引きずり出していた。

 

「降りろっていうんなら一人で降りますよ!」

 

 カミーユが力任せにエマを跳ねのけたため、エマが弾き飛ばされデッキに浮かんだ。ジェリドはその様子に眉をひそめたが、得に行動しようとはしなかった。

 

そんな少年を見上げる金髪の恰幅の良い中年男性が、紺色のスーツに身を包みデッキに立っていた。

 

「親父、何でこんなところにいるんだよ……母さんはカプセルに入れられて」

 

カミーユはその中年男性を震える声で親父と言い、コクピットから父親のもとへと降りてきた。靴にはマグネットが仕込んであるため、しっかりと床に立つことができる。

 

(母親の報告をする気か。それとバスクの非道さも)

 

ジェリドはデッキの二階からカミーユ親子を腕を組みながら見下ろした。しかしここからではカミーユの時折荒げた声くらいしか聞こえたものではなかった。

 

 

 父親のフランクリン・ビダン大尉は地球連邦軍の技術士官で、マークⅡを開発した功績を持つ。その妻のヒルダ・ビダン中尉は材料工学専門の技術士官で、件の事から今はエゥーゴのアーガマに身を置いていた。

 

 フランクリンは妻をカプセルに入れて放ったバスクへと抗議しに行くようだ。しかし、ジェリドはヒルダの生死を未だ把握していないので、迂闊に行動出来なかった。

 

 

 両脇を二人の兵士に拘束されながらカミーユが居住区にある独房へと連行されていく。彼はモビルスーツを奪い、敵側に渡すのを協力し、ティターンズと交戦もしている。銃殺は免れないだろう。戦艦の内部で刑は執行しないだろうが、カミーユの死は迫っているといえた。ジェリドは接触を試みた。

 

「バスク大佐がやった事は君にとって許せない事かも知れないが、エマ中尉にあたるのはよせ」

 

 カミーユが聞き覚えのある声に振り向くと、宇宙港で自分の顔面にサッカーボールキックをお見舞いしたジェリド・メサという男が通路に立っていた。

 

「お前は!」

 

「俺は知らなかったんだ。君の母さんがカプセルに入ってただなんてな」

 

悪びれもせずにそう言い放ち、自分にむかってドリンクを投げてよこすジェリドに、カミーユは急速に頭に血が上るを感じた。知らなかったで済む問題ではない。下手をすれば母は死んでいたのだ。カプセルを壊したあのハイザックに乗っていたのは、目の間にいるこの男だったのか!

 

 ドリンクを手に取るとフルーツジュースのファンシーなロゴが目に飛び込んでくる。それが今の状況と反比例し過ぎており、カミーユはますます怒り狂った。

 

(どうやら余計に腹を立てさせてしまったようだ)

 

 ジェリドは良かれと思って差し入れしたドリンクを見て怒り狂っているカミーユを見て溜息をついた。

 

「それで、ママはどうなったんだ。死んだのか?死んだってんなら、殴ったっていいんだぜ?」

 

 こちらを見ながら、母の生死は至極どうでもいい事だという雰囲気を崩さないまま語りかけるジェリドに、カミーユはついに拳を握った。

 

 ジェリドはまだ、ヒルダ中尉の生死を知らない。あれで死んだのならもうしょうがない事だと割り切っていたが、生死は気になる。しかし素直に聞くには時が早過ぎた。何と言ったってジェリドは先ほどボコボコにされたばかりなのだ。何度死を覚悟させられたことか。少し棘のある言い方になってしまったのも無理はなかった。

 

 カミーユは激情に身をゆだねて、今すぐ怒鳴り返したかったが、カミーユの後ろからついてきていたエマがカミーユの振り上げた拳にそっと手を置いて降ろさせた。

 

「エマ中尉、余計な事をするな」

 

 ジェリドは自分ですら触れたことのないエマがカミーユの拳を包んでいるのに軽くショックを受けた。わざわざこんな事をしでかしてカミーユの激情を駆り立てたのにはもうひとつ理由がある。

 

カミーユの鬱憤はこじれると厄介だと作中で感じていた。そのため、一発殴る事によってそれが緩和するのは自分にとって悪いことではないとジェリドは考えていた。詰まる所、エゥーゴにジェリドが渡る場合、このことが後を引いては面倒だと感じたのだ。

 

 ジェリドの感情を押し殺した声にエマは思わずジェリドの顔をうかがってしまう。一体この男は何を考えているのか。

 

「お前たちも、余計な手出しはするんじゃない」

 

ジェリドはカミーユを押さえている二人の男にもそう言うと、カミーユへの拘束を解かせた。

 

「こうまでされても、殴れないほど女々しいのかお前は!どうなんだ!」

 

 ジェリドのさらなる挑発にカミーユの堪忍袋はズタズタであった。一瞬で間合いを詰めると、トンっとつま先で地面を蹴り身長差を埋め、空手で鍛えた強烈な上段突きをジェリドの顔面に放った。

 

「このおお!」

 

「うぐっおああ」

 

 カミーユはジェリドが口の端から血の玉を流しながら弾き飛ばされていくのを、ジェリドのパイロットスーツの胸の部分、丁度ジェリドのシンボルマークのいびつな星のマークを掴むことによって寸での所でキャンセルさせ、水月に更なる殴打を叩きこむ。その衝撃でシンボルマークのワッペンが剥がれてしまいどこか宙空へ勢いよく飛んでいった。

 

 身体の正中へ正確に打ち込んだそれは、俗に言うストマックブローだ。副交感神経が集中する人間の急所を正確に打ちすえられてジェリドの横隔膜を動きを止めた。詰まる所、瞬間的に呼吸ができなくなった状態である。

 

「かッ……」

 

「知らなかったで!済む問題じゃッ!ないだろうッッ!」

 

 宙空でマウントポジションをとり、ジェリドの顔面を何度も殴りつける。あまりの威力にジェリドは意識を失っており、僧帽筋は首を守るその役目を果たせず、左右からのフックを食らうたびに危険なほど揺れるジェリドの首は、さながらアメリカンクラッカーだ。

 

 カミーユは気絶させた事を確認すると殴打をやめたが、拳をジェリドの喉元に当て隙なく残心している。静かになった事を見計らって二人の兵士は恐る恐る、再びカミーユを拘束した。

 

「卑怯な大人ですね。母は生きてますよ。そんなに生きてるのか気になるんだったら

 撃たなきゃいいでしょう!ああそうだ、あなたは軍人だったな。軍人は、事態の善悪も分からずに上官に従うんだものな……許してやるよッ!!!」

 

 続けざまに荒い息で吐き捨てるカミーユの声はジェリドの耳にはまだ聞こえていなかった。

 

「あなた達、早く連れて行きなさい!……ジェリド!……ジェリド中尉!」

 

エマが慌ててカミーユを連れて行かせ、自身はジェリドの意識を戻すため、伸びているジェリドに馬乗りになってジェリドの頬を叩き始めた。

 

「そういう組織を憎む事を、僕は今日、覚えたんだ!」

 

 遠くでカミーユが叫んでいたが、今のエマはジェリドが死んだのではないかと焦っていたためその台詞は頭に入ってこなかった。何せジェリドは危険な首の動きをしていた。脳にダメージが残る可能性もあったのだ。

 

 まずジェリドが最初に感じたのは匂いだった。シャンプーの良い香りを楽しみながら目を開けると、エマの横顔が飛び込んできた。ジェリドが息をしているかどうか確かめるため、馬乗りになってジェリドの口元に耳を近づけていたのだ。

 

 ジェリドはしばしその光景と、自らの腹に当たるエマの尻の感触を楽しむ事にし、意識が覚醒した事を言わずにぼうっとその様子を眺めていた。が、エマはすぐにジェリドの呼吸音に気づき、馬乗りになった姿勢をとき、横たわるジェリドの隣にしゃがみ込んでしまった。

 

「ジェリド、起きたのね。私が分かる?」

 

「なんだエマ中尉、もう少し楽しませてくれたって、バチは当たらない」

 

咳き込みながら言うジェリドにエマは呆れた顔で答える。

 

「それ、セクハラって言うのよ。……記憶の混同はないようね。さ、立って」

 

ジェリドは痛みで顔をしかめ、壁に背を支えながらゆっくりと立ち上がった。

 

「あなたの負けよ。何であんなことしたの」

 

鳩尾を押さえているジェリドにエマはぐいと詰め寄った。

 

「知らなくていい。それより、カミーユの母親はどうなったんだ」

 

 ぼそりとエマの目を見ずにジェリドがはぐらかすと、エマはジェリドの横の壁に片手を付けジェリドに逃げ場を無くさせた。

 

 そんな様子にジェリドは内心面白がった。ジェリドは195cmと高身長だが、エマの身長は168cm、女性としてはかなり高い部類であるがジェリドとの差は実に27cmもある。

 当然エマの片手の位置はジェリドの脇腹程の高さの壁に突き刺さっており、お互いの距離が近いためエマは見上げる形でジェリドを睨んできているのである。

 

 なんだか頭の上にポンと手を置きたくなるそんな衝動にジェリドはかられたが、身長差で迫力が出ない事で、エマはさらに眉を怒らせ語気を荒めている。仕方なく諦める事にした。

 

「奇跡的に生きていたわ。……カミーユに抑えられたことが悔しかったのなら、ティターンズらしく……!」

 

「ティターンズらしく自尊心のある行動を、か。 エマ、ティターンズに自尊心があるなんて本当にまだ思っているのか?」

 

 低い声で呟くように話しかけるジェリドにエマは動揺した。この男は一体何を言い出すというのか、自分の心を見透かしているかのようなその青い瞳に、エマはたじろいだ。

 

「何を……]

 

言うのよ。と続けようとしたエマは息をのんでしまい言葉を発することができない。

 

 ジェリドがエマの肩を抱いて、逆にエマを壁に押し付け今度はジェリドが壁に手を突いてエマの動きを封じたからだ。先ほどのエマとジェリドの立ち位置が入れ替わった状態に、エマは不覚にもドキリとしてしまった。

 

 揺れ動く瞳を見降ろしてジェリドは確信した。このエマは、原作のエマと同じだ。間違いなく、ティターンズを去るだろうと。この瞳の動きは間違いなく、動揺を表している。

 

 先ほどの問いに対して動揺しているとジェリドを考えていたが、実際はジェリドに壁へ押し付けられた事にエマがときめいてしまっている事による動揺の方が大きかった。

 

「カプセルはあのガキの親が乗ってたんだ。詳しくは知らないが要は人質作戦ってわけだろう。子供の親を人質にするような組織にまだ自尊心なんてものを持てるのか?」

 

 少しきつくエマに言ってしまったジェリドだったがふと、こんな事を言っても自分にとって何もプラスにならない事だと気付いた。確かにエマの心情を言い当てることが太郎の知識を持ったジェリドには可能だろう。

 しかしそれがなんだというのだ。言い当てたところでジェリドは今、エゥーゴに行く気がないのだからそれは大した意味を持たない。

 それどころか、エマに余計な警戒心を抱かせてしまうだけだと考え直したのだ。エマをよく見れば、瞳に潤いが見られる。やはりきつく言い過ぎたのだと、先ほどカミーユに殴られ過ぎたせいで苛立っている自分に気づくと、罪悪感からジェリドは目を伏せ、エマから一歩遠のいた。

 

「いや、すまない。……それよりカミーユの母親は何か言っていたか?」

 

「私が知っているのは彼女はひどく怯えていて、とても話なんかできる状態じゃなかったってことだけ」

 

 そうかとどこか満足そうに頷くジェリドにエマは疑問を抱いた。先ほどのカミーユとの問答でもジェリドはカミーユの母親の事を気にしていた。それはまだわかる。

 しかしヒルダが話せないほど酷く怯えていたと言うのにどこか満足げな表情を浮かべているのに、エマは合点がいかなかった。これでは何かヒルダに話されては困るような事がジェリドにはあると言っているようなものだ。

 

「なんでそんな事を聞くの。ヒルダ中尉と何かあったの?」

 

「あるわけないだろ。ただ自分が撃った奴がどうなったのか聞きたかっただけだ」

 

 女の勘とでも言うのだろうか。ジェリドはエマの直感に警戒した。話は終わりだとばかりに踵を返すと手をひらひらと振って誤魔化しながらこの場を後にした。

 

「そう」

 

 エマは知らず知らずのうちに胸を両手で抱えていた自分に気づくと、慌てて腕を下ろした。この男は自分には知られたくない何か隠している。そしてティターンズの行動に不信を抱いてしまっている自分を、見抜いている。警戒しなくては。

 

 警戒しなくてはと頭では分かっていても、どうも好意的な感情を押さえることができない。自分は彼に少しばかり魅入ってしまったのかもしれない。エマはため息を一つつくとバスクに呼ばれていた事を思い出し、ブリッジへと向かった。

 

◆ブリッジ

 

「どうだろうエマ中尉」

 

 ジェリドがブリッジに入ると、前方の宙空を見つめていたバスクがエマへ振り向いて、一つの提案をしてきた所だった。

 

「私だって人質などを使いたくはない。今度は君のやり方でやってみてはもらえんか。正攻法でアーガマの新型モビルスーツを略奪してもらいたいのだ」

 

(略奪に正攻法も糞もあるか)

 

 ジェリドは入室した途端に入ってくる情報に穏やかでないものを感じながらエマの横にすっと立った。

 

「中尉ならできるはずだ。私に意見するほどの、器量をお持ちのようだからな。勿論、ライラ隊との共同戦線を許可しよう。三機のガンダムマークⅡを使ってもよい。どうかね中尉」

 

 これは現戦力の全てを投入しても良いというお墨付きをもらった事になる。失敗は許されなかった。

 

「やらせて頂きます」

 

 エマの答えに満足したバスクはチラリとジェリドに目をやった。ジェリドは一応言っておく事にした。上昇志向がないと思われるのはマイナスだと判断したのだ。

 

「大佐。ガンダムマークⅡを使わせてもらえるならば、自分が汚名ばnいや、返上したく」

 

「汚名返上?そう言うセリフは実績を見せてから言うものだ!そのひどい面を私に見せるな。医務室へとっとと行かんか!」

 

 バスクは先ほどカミーユに殴られた所が青痰化してきているジェリドの面をみて、吐き捨てるようにそう言うとエマと詳細を詰めにかかった。

 ジャマイカン少佐から独房入りの命令を出されていたジェリドだったが、バスク大佐からの医務室待機で命令を更新されたものと解釈し、この幸運が持続するうちにそそくさと医務室へ向かうのだった。

 

 ジェリドはカミーユ親子とエマの逃亡劇に関わらない事にし、医務室で治療を受けた後、ベットで横になっている事にした。史実でもジェリドのできる事はなかった。

エマの逃亡を阻止するつもりのないジェリドにとって一番良いプランは関わらないという事につきた。

 今頃は若ハゲ(カクリコン)がカミーユに殴られて伸されている頃だろう。ジェリドは二度の出撃ですり減った神経を休ませるため仮眠する事にした。

 エマに別れの挨拶もなく対立する事になるのは気がひけたが、休眠の方が今のジェリドの欲求には勝っていた。それほどに疲れていたのであるが、折角建てた自らのフラグをへし折っている事にジェリドは気づかない。

 

 ジェリドの予想は当たっており、ここでジェリドが史実とは違い格納庫に行かなかった事でフランクリン大尉を焦らせることなく、エマの脱走は史実よりもスムーズに進み、ハッチを爆破させることもなく脱走を成功させる。

 アレキサンドリアは正規通りの出撃と勘違いしたままエマ隊を発進させることとなったが、途中合流信号が上がらない事で異変に気付いたボスニアのライラ隊により、エマ隊との戦闘が起こるも、アーガマのクワトロ隊の活躍によりマークⅡ三機は無事にアーガマにたどり着いたのだった。

 

 

 



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第七話

◆ブリーフィングルーム

 

「ふむ、地球上がりの者達だけでは駄目だということか?」

 

視モニターには先の戦闘で要注意機体となった赤いリックディアスのデータが映されており、それを見ながらバスクがジャマイカンに質問した。

 

「はっ、あの赤いMSはあれ一機で周囲のMSの動きを支配しています。ですから、これを解決するには大佐に主義主張を抑えていただいて」

 

 主義主張と言うのはアースノイド至上主義の事だろう、バスクは地球出身の真のエリート達だけでティターンズを構成したいのだ。

またジャマイカンの小言が始まったか、とバスクは手を上げる事でそれを制止させる。ジャマイカンもバスクと同じ主義を唱えているが、バスクほど偏ってはいない。宇宙での戦闘では宇宙出身者を用いたがっている。

 バスクとしては納得しきれぬ部分ではあるが、ジャマイカンは優秀な部下だ。彼が持ってきた報告には興味深いデータも多々あり、バスクにとって無視できる内容ではない。

 

「これ以上の現戦力での追撃を少佐はどう思うか」

 

 大佐は揺らいでおられる、とジャマイカンはバスクの機微を素早く見て取った。こういう時は自分の主張は控え目にし、現実を淡々と告げる方がバスクの好みである事を長年の経験でジャマイカンは悟っていた。

 

「MSの手持ちが少ないのがいささか問題ではあります。かといって、後方に戻って戦力を建てなおすのも損であると考えます」

 

 後方に戻れば十分にMSの補給を受けられるものの、アーガマが行方をくらましてしまう事が分かり切っている。MSの数が不足しているためリスクはあるが、追撃を行った方が良いというのがジャマイカンの意見であった。もちろんボスニアのスペースノイドは作戦に投入せねばなるまい。

 

「アレキサンドリアとサチワヌ、ボスニアで追撃は続けろ」

 

「ブルネイは如何なさいます」

 

「私と共にグリプスに戻る」

 

 ジャマイカンは頬が緩みそうになるのを抑えた。つまり、追撃艦体の司令は自分であるという事だ。

 

「少佐は、エゥーゴの本当の基地が何処にあるのかを探れ」

 

 エゥーゴはあの女狐のおかげで人質とガンダムマークⅡを三機奪う事に成功した。これ以上の戦闘は避け、このまま所在がいまだに掴めていない秘密基地とやらに帰るのが常道だ、とバスクは考えていた。女狐とはエマ・シーン中尉の事である。

 

「グラナダを叩いてみますか……」

 

 ほこり以上の物が出るだろうという確信がジャマイカンの中にはあった。

 

「任せる。今は正規軍の中にまで浸透しているエゥーゴの中枢神経を抜きだすのだ。手段は問わん……もう遠慮するな」

 

「お任せを……直ちにブルネイから補給資材を搬入しろ!」

 

 あご下の贅肉を震わせながらジャマイカンが気味悪い笑みを返すと、すぐさま指揮を取り始めた。

 

 

 

 

 

◆医務室

 

 医務室の前の通路から聞こえてくる軍靴のあわただしい音でジェリドは目を覚ました。

エゥーゴに亡命した3人であったが、フランクリン・ビダン大尉がエゥーゴの新型モビルスーツであるリックディアス(赤)を略奪し、アレキサンドリアへと向かって来ていたのだ。

それを追ってクワトロが操るマークⅡまで来たものだから、戦闘配備が下されたのだ。ティターンズ側としてはエゥーゴ側から追撃が来るとは考えておらず、慌てている。

 

(やれやれ、そう言えばカミーユの父親がこっちに戻ってくるんだったな)

 

ジェリドは赤い目をこすってベットから起き上がると、伸びをする。

 

「うぅっ、さてどうするか」

 

ひびの入った肋骨がズキリと痛んだ。カミーユにやられた腹の打撲も深刻で、体を動かすと鳩尾が痛む。ぼうっと医務室のドアを見つめていたジェリドだが、ここにきて段々と腹が立って来ていた。

 

(あいつにここまで殴られる筋合いはないはずだぞ。俺は曲がりなりにもあのガキの母を救ってるってのに……)

 

「む、ムカつくぜ」

 

 一発殴り返してやればよかった、とため息をつくジェリドだったが、殴り返すも何も一発目でノックアウト寸前まで追いやられ、二発目で沈められている。油断していたとはいえ、カミーユの腕は中々のもので、ジェリドが一発食らった後で返すのは中々難しいと言えた。

 もう終わった事だと自分に踏ん切りをつけると、まず直近の問題をどうするかジェリドは考え始めた。問題とはフランクリン・ビダン大尉である。彼を助けるか、放っておくかジェリドは今まで決めかねていた。

 フランクリン・ビダンは技術士官であり、マークⅡ開発の功労者だ。ティターンズにとって重要人物と言える。しかしあの乱戦の中助け出せる自信はジェリドにはなかったが、もし運よく助けることができれば史実以上のモビルースが生まれるのではないかという期待もあった。

 機体が良ければ死亡リスクも下がるものだ。ガンダムMk-IIIなんて出来ないかなとジェリドは妄想を働かせていた。そんな時だった。あわただしい喧騒が突然医務室に舞い込んできた。医務室のドアが開き、外の音が入ってきたためである。

 

「どうしたエイダ曹長」

 

ジェリドが入ってきた人物に声をかけると、その人物は少し笑いをこらえたような表情でジェリドに言った。

 

「中尉、どうしたんですかその顔」

 

唇と頬、瞼が腫れあがったジェリドの顔は確かに笑えるものがあった。

 

「何でもない」

 

「まさかとは思いますがあの少年に?」

 

「何でもないと言っているだろう!」

 

 間髪入れずに怒鳴り返すジェリド。これでは図星と答えているようなものだったが、カミーユにここまでやられたのはジェリドとしても計算外で恥ずべき事だったため正直に答えるつもりはなかった。

 

「それで、外の騒ぎはどういうんだ。敵襲か?」

 

「はい、エゥーゴの新型モビルスーツとマークⅡを捕捉しました。アレキサンドリアの全モビルスーツは準備整い次第発進せよとの命令が出ています」

 

「俺には出てないだろう。俺の機体はスクラップになってる」

 

「いえ、それがですね。バスク大佐はエマ・シーン中尉の裏切りを黙って見過ごしてしまった事に大分お怒りのようで、ハイザック隊だけではなく予備のジムⅡも出すそうです。ですから中尉はジムⅡで」

 

「なに?馬鹿な事を言うな!……あんなモノで出られるものか」

 

ですが現戦力を全て投入せよとの命令なんです、とエイダは尻すぼみに伝えるとそのまま踵を返した。

 

「では中尉、私もすぐに出なければならないので。」

 

「おい待て、お前は俺の部下だろう。ハイザックを俺によこせ」

 

 これまでどこかジェリドを気遣っていたエイダは、ジェリドの横暴な要求に表情を消した。

 

「生憎とあなたの部下ではなくなりました。先ほどカクリコン中尉のもとに配属されましたので。御武運を」

 

「な!……薄情なやつめ」

 

 エイダにとってジェリドという人間は悪い人物ではないがそれ以上でもそれ以下でもなかった。カクリコン中尉のもとに配属された今、ジェリドを気の毒には思う事はあっても、ハイザックを渡す事はありえなかった。

 

また、部下の機体を徴収しようとす意地汚さもジェリドへの信頼を落とす切っ掛けになっており、エイダは先の二回の戦闘で自分は被弾しなかったにも関わらず、ジェリドが息も絶え絶えな事を思い出し、ジェリドは無能だと認識を改めた。無能な上官を持つ事は部下にとって死に直結する。もし本当にジェリドが無能なら、彼女がジェリドへ冷たい態度を取るのも間違った事ではなかったのかもしれない。

 しかし、先の戦闘でジェリドが戦っていたのはジェリドへ殺意を抱いていたカミーユビダンであり、エイダが戦っていたのは牽制程度にしかエイダを相手をしなかったアポリーであった。それにもかかわらず彼女は自分の実力がジェリドを軽く上回っていると不幸な勘違いをしていた。

 

 

 アレキサンドリアは二度の戦闘でモビルスーツを失い過ぎた。失態を繰り返す者に乗らせるハイザックはないのである。グリプスに戻り補給を受ければジェリドもハイザックに十分にありつけたが、今はアーガマを追撃しエゥーゴの本拠地を探る火急の時であり、補給が受けられない。どうせ壊すならジムⅡで出ろというわけである。

ジェリドのたび重なる失態に上層部、つまりジャマイカンは業を煮やしたのだ。命令が出てしまっている以上ジェリドは出撃するほかない。軍医も出撃可能と診断していた。

 フランクリン・ビダンさえ戻って来なければこんな事にはならなかったと、ジェリドは八つ当たりしながらパイロットスーツに着替えると、半ば自棄になりながらデッキへと向かっていた。

 

 

 

 わめくジェリドを整備兵がジムⅡに詰め込み、管制官がカタパルトを強制射出した結果、ジェリドは戦闘宙域へ真っ直ぐに向かっていた。しばらくすれば最前線だ。ふとジェリドは前面で展開されている戦闘が、史実よりも規模の大きいものだと認識した。

ティターンズがエマの脱走に気づけず、連邦のライラ隊に言われて初めて気づいたとあってはバスクやジャマイカンの顔に泥を塗るのと同じ事だ。

この戦闘で、両佐官は何が何でもアーガマに打撃を与えるつもりでいた。そのために、地球上がりのもの達だけでは宇宙での戦闘に不安が残るというジャマイカンの忠告に従い、宇宙に慣れている連邦軍のライラ率いるガルバルディ隊を使っていくこともバスクは仕方なく容認し、ジャマイカンにアーガマ追撃を一任したのだ。

 

「弾着確認!……あいつは!」

 

 カクリコンは味方艦隊から発射されたメガ粒子砲が白いモビルスーツの脚部に着弾したのを見届け、驚愕した。あの白いMSはよく見ると自分達ティターンズのマークⅡを白く塗り替えたものだ。スペースノイドの盗人めらがやりそうな事だ!とカクリコンは憤った。

 白マークⅡは赤い機体に未だへばり付いており、どうやら仲間割れのようであった。出撃前に司令部から送られてきたデータの中にあの赤いモビルスーツ、「リックディアス」は入っている。エース級のパイロットが乗っているらしく要注意とのことだった。

 

「エイダ曹長、なんだかわからないがあいつをやるぞ。俺がひきつける。その間に左翼からマークⅡを斬りこめ!」

 

「はい!」

 

 カクリコンは状況を見て、今がチャンスとばかりに強襲をかける事にした。ジェリドが最初にやられたのも確かこの赤いモビルスーツだったはずだ。その赤い機体が好都合にも抑えられていると来た。

 

(ジェリドには悪いが頂きだ!)

 

カクリコンはザクマシンガン改をリックディアスに放ちながら複雑な軌道を描き突撃を仕掛けた。

 

 エイダ曹長は自分でも気づかないほど微々たるものだが、慢心していた。マークⅡはこちらに気づいてはおらず、カクリコンへビームライフルを放っている。しかし、抱えている赤いモビルスーツが暴れるため当たる様子はない。

 

(今なら!)

 

 エイダはスラスターを最大に噴かし、ハイザックにビームサーベルを抜かせた。普段であればもう少し距離を詰めてから斬りこみにかかったであろう。いつもより少し遠い距離からの斬撃。しかしエイダには当たる自信があった。

 

(自分はジェリド中尉とは違う。パミスアデル中尉とも違うんだ!)

 

 無能な中尉と、尊敬していた中尉がエイダの頭にちらりと浮かぶ。その時、マークⅡがノールックでライフルを肩越しにこちらへ向けているのが目に付いた。目に付いたのだが、エイダにはそれがライフルだと理解するのに数舜かかった。

 

(背面撃ち!?)

 

 気づいたときにはもう遅かった。エイダの機体コックピットにむかって一直線にビームが向かってくる。いつもより少し遠い距離からの斬撃。今更になって距離をぎりぎりまで詰めてから行えばよかったと自分の慢心を認める破目になった。腹の奥底から恐怖が湧きでてくる。それがエイダの最後に感じた事、になるはずだった。

 

 白い何かがモニターの端から映りこんでくるのをエイダは見た。エイダ機を押しのけるようにして盾を構えたジムⅡが割りこんできたのだ。

ビームライフルをもろに食らい、ジムⅡの盾が吹き飛んだが、よろめいただけで大きなダメージはない。しかしこの隙を見逃すクワトロではない。マークⅡに乗り込んでいるクワトロは突然のカバーに驚く事もなく冷静に対処しようとした。

 

「ジェリドかっ!?やらせるかよ!」

 

しかしその時、カクリコンがハイザックの腰部についているミサイルポッドを全弾射出して弾幕を張る。

 

「なにッ!」

 

 クワトロは器用に殺気を感じとり、リックディアスの背をマークⅡに蹴らせて距離を取る事でミサイルを回避する。

 リックディアスに乗るフランクリンは蹴られた拍子にAMBACを使い、縦に反回転し逆様になりながらクワトロへとファランクスを放つ。

 

「自分の設計したマシンを敵のマシンに乗って実戦テストできるとはな!」

 

「……技師冥利に尽きる!!」

 

フランクリンはビームピストルをマークⅡに向かって乱射する。

彼の眼は欲望のため酷く淀んでいた。このまま、クワトロ達を引き離しティターンズに帰ることができれば、フランクリンは好きができる。技師としても、そして男としてもだ。

 

 もとはといえばヒルダが悪いのだ。カミーユが生まれてからというもの、身体を求めても何かにつけて断られてきた。愛人の一人くらい何だというのだ。エゥーゴへエマにより拉致され、ヒルダとは会う事が出来た。あろうことか、あのままエゥーゴに留まる等とヒルダとカミーユは言っている。私は技師であり、男であり続けたいのだ!今まで築き上げてきたキャリアをどうして捨てることができるというのだ!

 

 今のフランクリンにはキャリアが全てであり、父親として、家族の柱としての責任を果たす事は二の次だった。苦渋の決断ではあったが、フランクリンはティターンズに戻る事で好きにできる自分の研究と愛人のために、家族を捨てたのだった。

 

「なまじの技師ではないということか!」

 

 フランクリンの思わぬ攻撃により、事態は混戦の様相を呈してきたため、クワトロは一旦離脱する。

 そのクワトロ機を追いかけようとしたフランクリンだったが入れ代るようにしてカミーユが黒いマークⅡで戦線に入ってきた事で阻止された。

 

 

 

 

 ジェリドが戦線にたどりついたとき、すぐにマークⅡとリックディアスが目に付いたのは幸運だった。自分も後ろから援護しようと近づくジェリドだったが、マークⅡの動きを見たときに嫌な予感がした。

 

「何だというのだ!この不愉快さは!」

 

 頭ではジムⅡで近づくのは危険だとは分かっているものの、ジェリドは衝動を抑えられず突っ込んでいった。

 

「ぐぅっ」

 

わき目もふらずシールドを構え突貫し、ハイザックを突き飛ばした。直後にビームが直撃した盾が一瞬にして吹き飛び衝撃がコックピットに伝わった事で、ジェリドのひびの入った肋骨がひどく痛んだ。

 

(しまった!)

 

 マークⅡは未だにジェリドのジムⅡとハイザックを狙って来ている。なんてバカな事をしたんだ!と自分をのののしりながらよろけた機体を立て直す。

脂汗が一気に湧きでてくる。ジェリドの心拍数は恐怖のため極限まで上がっていた。

 

「ジェリドかっ!?やらせるかよ!」

 

 しかしマークⅡは突如抱えているリックディアスを蹴り飛ばし、離脱した。その直後にマークⅡとリックディアスがいた地点にカクリコンが放ったミサイルが殺到して爆発していった。

 

「カクリコンか!助かった!」

 

と言う事は自分が助けたハイザックはエイダ曹長の機体と言う事だ。ジェリドはそう判断し、すぐさまエイダを叱咤した。

 

「エイダ曹長何をしているか。動け!」

 

クワトロの離脱に合わせて黒いリックディアス2機の援護射撃が殺到している。

 

「は、はい!」

 

 エイダもティターンズだ。実戦慣れしていないとはいえ、すぐに持ち直し回避運動を取っていく。しかし何発か食らってしまった。

 

 

 ジェリドは迷った。フランクリンのリックディアスは今、カミーユのティターンズカラーのマークⅡと対峙している。今ならフランクリンを確保出来るかもしれないが、アポリーとロベルトのリックディアス二機を相手にしているエイダは、既に数発喰らっており危険な状態だ。カクリコンもエイダを援護しているがライラ隊はアーガマ本体を叩きに行ったようで状況が改善される様子はない。

 

「曹長、下がれ!その機体では無理だ」

 

 カクリコンの必死の叫び声がジェリドの耳を打った。ジェリドはノイズ混じりに聞こえてくるその声にフランクリンに近づきつつあった機体を反転させ、連携を取りながらエイダを追い詰める黒いリックディアスへとビームライフルを放つ。

 

「とんだ甘ちゃんめが!置かれた状況を考えない大バカ者め!」

 

 ジェリドは自らを怒鳴りつけながら、恐怖にすくむ足を殴りつけ思い切りペダルを踏み込む。アフターバーナー状態でトップスピードへ持っていくと、ライフルを連射しながら一直線にリックディアスへと向かっていく。

 狙いはカクリコンへ銃口を向けているリックディアスではなく、未だにエイダを狙っている方のリックディアスだ。リックディアスは最小の機動でビームライフルの連射をかわすとジェリドへとグレイバズーカを立て続けに放った。

 ジェリドはライフルの限界値を超える連射速度でビームを発射した事による、銃身のクールダウンのため一時的に撃てなくなったビームライフルを手前に放り投げ、グレイバズーカの銃口めがけてバルカンをばら撒く。

 

「うぅッ!」

 

閃光、花火のような巨大な爆発が起きた。

 

「そんなモビルスーツで!」

 

 アポリーはこちらへと銃撃を加えながら一直線に突っ込んでくるジムⅡへ二発バズーカを放った。あのスピードでは自身の経験則から行ってもバズーカを避ける事は困難であると言えた。案の定巨大な爆発が起き、アポリーは爆発に一瞬目を奪われた。

 

「やったか!」

 

 アポリーがすぐに別の敵機に狙われていないか周囲に視線を這わせようとしたその時、機体上方からロックオンされた事がアラートされる。目を上にやると装甲の至る所に凹みを作ったジムⅡがこちらへ斬りかかっていた。

 

「何だとっ!うぉおおお!」

 

 すぐにビームサーベルを展開するが、間に合いそうにない。やられる!アポリーが覚悟を決め奥歯をかみしめた。自分の機体の右肩部分から袈裟切りに斬りかかってくるのが脳の限界量噴出されているアドレナリンのおかげでスローで見える。

 肩部の装甲が融解し始めた振動が伝わる。優秀なパイロットであるアポリーは最期の時まで恐怖から目をつむる事はない。だからその時に何が起こったか、瞬時に理解できた。

 今まさに斬られるという寸前のところで、クワトロ操るマークⅡが残った脚部でジムⅡにとび蹴りを放ったのだ。身体をくの字にして回転しながら吹っ飛んでいくジムⅡにクワトロはビームライフルを連射し、ジムⅡが被弾しながら撤退するのを見届けると、彼としては珍しく声を震わせながらアポリーに怒鳴った。

 

「アポリー、油断するな。死ぬぞ!」

 

「すいません、助かりました大尉」

 

敵方の撤退信号が上がる。なんとかアーガマは守り切れたようだ。

 

「フランクリンビダン大尉が奪取したリックディアスは撃墜された。これ以上の追撃は無意味だ。こちらも撤退するぞ」

 

「ハッ」

 

アポリーは動揺していた。リックディアスを連れ戻せなかった事を知った事よりも、あのジムⅡのパイロットの行動に動揺したのだ。

 

(あんな攻撃は並みの精神力では出来やしない)

 

 自分のグレイバズーカの弾丸へ突っ込みながらビームライフルを投げあて、爆発に乗じて機体を上昇させ、相手の死角から一気にたたみかける。こんな事ができるのは死の恐怖を感じない奴か自分の力量に絶対の自信のある超エース級パイロットだけだ。

そんな言わばキチガイ共と戦っていると思うとアポリーは身震いする思いであった。

 

 

 

 ジェリドはノイズが激しく走るモニターで撤退信号を目視した。メインカメラが撃ち抜かれており、全周天モニターはその機能を殆ど果たしていない。

確実に殺ったと思った。投げたビームライフルにバルカンを放ち、爆発させる事でフレアとし、バズーカを二発至近距離にはなったが爆発させる事に成功した。そのまま油断した相手へ一気に切り込んだのだが、突然機体の横っ腹を蹴られコントロールを失ったところをビームライフルで撃たれ、この様だ。

 

 動力系統に当たらなかったのは運が良かったとしか言えない。ジェリドは今さらに襲ってきた恐怖に気持ちが悪くなり、ヘルメットを乱暴に取り外してあらぬ方向に投げ捨てると、思い切り嘔吐した。すぐさま異物をセンサーが感知し、周りのエアーごと吸い上げられる。吐瀉物はそのまま宇宙に放出された。

 

 蹴ったのはガンダムマークⅡだ。あの機体は白かった。つまり、クワトロが乗っていたという事だ。恐らくアーガマの援護に一度抜け、ライラ隊の撤退を追撃する形で丁度あの現場に出くわしたのだろう。

 

(まったく運が悪いのか良いのか……)

 

「ジェリド!無事か!」

 

その時、カクリコンがジムⅡの方に手を触れながら通信してきた。

 

「無事なわけないだろ。連れてけ」

 

「手ひどくやられたようだな。ま、無事なようで良かったぜ。俺は一機やったぜ赤い奴をな」

 

「……そうかよ」

 

 赤い奴と言うのはあのリックディアスだろう。あのリックディアスのマークの中よくやれたものだと素直にジェリドは感心した。喜んでいるカクリコンを前に、実はあれに乗っていたのはフランクリン大尉なのだと言えるわけもない。黙ってうつむくのみであった。

既にエイダは母艦にたどりついている事をカクリコンから聞いたジェリドは、アレキサンドリアへカクリコンと軽口をたたきながら共に帰っていく、エイダを助けた時に訪れた不快感の事など、ジェリドはすっかりと忘れてしまっていた。

 

 

 

 



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第八話

◆作戦部作戦立案室

青味がかったゲージのかけられた明かりの中で、部屋の壁に設置されている巨大モニターの明かりが煌々と辺りを照らし、複数の人影を床に伸ばしていた。

部屋の中央に置かれているデスクでは、各機の動きを色のついた点で表した簡易ホログラフが浮き出ており、トレースして先の戦闘映像と同調させながら司令部の人員で先の作戦を振り返っていた。

 

「ではあの赤いMSにエース級パイロットは乗っていなかったと言うのだな?」

 

ジャマイカンの問いに作戦部所属の中尉階級の男が素早く資料を見せた。

 

「はい。今までの戦闘記録と先の記録では動き方が大いに異なります。それに……こちらをご覧ください」

 

モニターには白く塗られたマークⅡと思わしきMSが、問題の赤いリックディアスを取り押さえている様子がうかがえる。

 

「これはエイダ・カールソン曹長の機体の記録映像ですが、このリックディアスとやらの抵抗の具合からして私は脱走であると考えます。あのタイミングでエゥーゴが我が方に追撃してくるのは戦術的観点から見ても合点がいきません。しかし――」

 

「我が方に亡命しようとしていた兵を連れ戻そうとしていたと考えれば、まぁ辻褄が合うというわけか」

 

「ハッ」

 

ふむ。と顎に手をやりながらジャマイカンはモニターから目を離し、デスクのホログラフに描かれる軌道を眺め思考する。

 

「この機体を墜としたのはカクリコン・カクーラー中尉か」

 

「中尉もエース級のパイロットではなかったと気付いているようです」

 

「だが、敵の新型エース機を墜とした事には違いない。特別手当と今月の有給休暇を一日伸ばしてやれ」

 

「そのように」

 

中尉がタッチパネルにジャマイカンからの指令を素早く入力した。

 

「さて、次は何だ?」

 

ジャマイカンの問いかけに側近達が素早くデータをジャマイカンに回す。

 

「次の案件はMSの損耗についてですが」

 

「何%なのだ」

 

ジャマイカンがデスクを指で叩きながら苛立って尋ねる。あまり気持ちのいい話題ではない。

 

「艦隊の全MSの35%を損失しています。特に我が艦の直掩機の損傷率が顕著です。モ

ンブランのガルバルディ隊は未だ90%の戦力を保持し続けています」

 

何と言う事だ、とジャマイカンは頭を抱えた。ジャマイカンにとって宇宙出身者を作戦に投入する事にためらいはない。スペースノイドもアースノイドも彼にとっては優秀な駒の一つにすぎない。

しかしティターンズは何よりも面子を重んじる傾向がある。この結果のままでは自らの出世に大いに影響すると考え、ジャマイカンは焦っていた。

 

「ハイザック隊の戦力はいささか乏しいため、パイロットを厳選し、何名かをジムⅡに降ろす必要があると思われます」

 

「そんな事はわかっている!目立ったパイロットの戦闘機記録は精査してあるな?」

 

「ハッ何分急ぎでしたので十分な精査とは言えないかも知れませんが」

 

「言いわけは好まん。出せ」

 

「ハッ。――まずは先ほどのカクリコン中尉のものです。命中率や反応速度のグラフはこちらです」

簡潔にまとめられた報告書がジャマイカンの手元コンソールに出された。

 

「こんな大まかなデータしかないのか?これをまとめたのは誰だ」

 

ジャマイカンの問いにデスクを囲んでいたうちの作戦部の一人が手を上げた。

 

「バスク大佐と私は違う。次からはもっと細部まで詳細を書きしるした物を作成するように」

 

バスクは基本的に大まかなデータと、大きめの文字でスクロールする必要のない1ページにまとめられた報告書を好み、命中率等よりも記録映像から判断していた。しかし、ジャマイカンのやり方は記録映像にプラスする形で命中率、被弾回数、残存燃料、果ては長期的な各パーツの摩耗スピードまでデータを網羅したがった。

 

「カクリコン中尉は敵の新型MSを1機撃墜しました。また部下であるエイダ・カールソン曹長との連携も初回としては良好で、及第点と言えるでしょう」

 

「エイダ曹長のハイザックは今回の作戦で中破しており、二日後の接敵までには改修不可能と思われます。ジムⅡに回しますか?」

 

この問いにジャマイカンは一瞬顎に手をやって考えるも、すぐに決断する。

 

「いや、育成のためにもカクリコン中尉との分隊は継続させたい。足並みをそろえるため曹長にはハイザックを与えた方が良い」

 

「では予備機を与えます。次に、少佐が目にかけてらっしゃるジェリド中尉ですが」

 

目にかけるも何もハイザックから降ろしてジムⅡに乗せ換え、独房に入れる等手をかけさせられている悩みの種と言った方が正しい。中尉のジョークに何名か嘲笑う。

 

「今回ジムⅡを大破させており、目立った戦果は上げておりませんがこちらのグラフをご覧ください」

 

「……ほう」

 

カクリコンのデータと比べてよく作り込まれているグラフ表であり、作戦部が今回重点をおきたいのはどうやらジェリドらしいとジャマイカンは推測する。

 

「この反応速度をご覧ください。この数値はライラ大尉を含む今回出撃した者の中でトップです。また、このシーンと、このシーンですね」

 

モニターには戦闘記録が早送りされ、問題個所が映し出される。

なるほど。確かにエイダ機のカバーに入り見事救っている。カクリコンやエイダとの連携も申し分なく、敵新型MSとの闘いでは目を見張るものが合った。ジェリドに重点を置いているのは、機体の性能差を策でカバーしたという所が作戦部の面々に好評だったのだろうとジャマイカンは推測した。

このように咄嗟の判断が出来るものは確かに現場で重宝するものだ。

 

「ジェリド中尉にはハイザックを与えられた方が戦果を期待できるとは思いますが」

 

中尉が言い淀んでいる事はジャマイカンにも分かっていた。ジェリドはまず、本部ビルを半壊させた。バスクが除隊させようとしたのを止めたのはジャマイカンだ。ジェリドを除隊させるには士官学校時代の成績が優秀すぎたのだ。

しかしその後の出撃でハイザックを1機スクラップにしている。周りに示しをつけるためにもジムⅡに搭乗させ後がない状況にさせた。しかし今回、特に戦果と言えるものはないが、データを重んじるジャマイカンにとってこのデータは無視できないものがあった。

 

「そうだな――いや、ジェリド中尉はジムⅡのままで良い」

 

「しかし」

 

ジャマイカンは不服そうな中尉をジェスチャーで制止し、理由を説明した

 

「次の作戦ではカクリコン中尉に戦闘隊長をやらせる。僚機は曹長が良かろう。問題のジェリド中尉はライラ大尉と組ませる」

 

ジェリドをライラに付ける事で宇宙での戦闘を学ばせる、というジャマイカンの魂胆が理解できないものはここにはいない。

 

「我々の戦力は限られている。中尉が今後期待できる人物である事はわかるが、ここを乗り切れないようならそれまでの男だったという事だ。次のプロファイルを」

 

最後に冷徹な声でジャマイカンはそう締めくくると、次の精査へと移っていった。

 

 

◆ブリーフィングルーム

 

ジェリドがブリーフィングルームに入室するとすぐさま連邦兵から洗礼を受けた。

彼らはボスニアのパイロットたちで、宇宙空間での戦闘においては、ジェリド達ティターンズよりも戦果を出している者たちが多かった。

 

「出戻りのジェリドとは良く言ったもんだ。」

 

「行って帰ってくるならよちよち歩きの新兵だってこなせるぜ!」

 

「戦果を上げずに機体を壊して帰ってくるだけとはティターンズの底が知れるなぁ!」

 

飛び込んでくる罵声は、分かっていても気持ちの良いものではなく、ジェリドの機嫌はすこぶる悪かった。思わずジェリドの喧嘩っ早い性格から手を出しそうになるも、すぐにその感情を押し殺す。

どうせこの状況で暴れたとしても何も解決しない。むしろ多勢に無勢。突っ掛かったところで状況が悪くなるのは目に見えていた。

 

(安い挑発に乗るのはカミーユだけでいい)

 

咄嗟に先日の少年を引き合いに出し、貶める事で自分の心を保ったジェリドは中々に小物と言えた。

ジェリドが青筋を額に作りながら最前列の座席に座ると、通路を挟んで右隣の席に座っていた、赤いノースリーブの軍服を着たブロンドヘアの女が鼻で笑った。

 

「名乗りもあげずにご登場とはね。その必要もないか、出戻りのジェリドと言えば今じゃ有名だものな」

 

ジェリドはその声に素早く反応し、その女を眺めた。

椅子の前面に取り付けられている簡易机に肘をつけ、顎に手をやりながらこちらをニヤニヤとみているその女は、まさしくライラ・ミラ・ライラ大尉だ。

ふわりとしたショートカットのブロンドヘア、形の良いおでこ、気の強さをうかがわせる緑の瞳に男好きのするようなぷっくらとした艶やかな唇。

軍人らしい広い肩幅がノースリブで強調されるも、女性らしさを失わない服の上からでも見てとれるプロポーション。

この絶妙なバランスにジェリドは思わず心の中で唸った。

 

(こいつはいい女だ……が、気に食わん)

 

ライラは素早くこちらを見たジェリドが、苛立っているのだろうと見当をつけほくそ笑んでいる。彼女にとってジェリドはエリート意識の塊である鼻もちならないティターンズ兵という先入観があり、今まで連邦軍と比べ散々ティターンズが優遇されていた状況などの鬱憤をここで晴らそうというわけだった。

 

「何とか言ったらどうだい」

 

ジェリドの席を軽く蹴ってくるライラに、ジェリドは片チチの一つでも鷲掴みにしてやろうかと考えたが、入口からジャマイカンとカクリコンが入室してきたため実行される事はなかった。

カクリコンが苛立つ様子のジェリドに若干疑問を抱く表情を浮かべながらジェリドの近くの座席へと座ると、それを見届けたジャマイカンがすぐにブリーフィングを始めた。

 

「現在我が艦隊が追撃中のアーガマとモンブランは……」

 

現在追撃中のエゥーゴのアーガマとモンブランの取るルートは地球圏へ航行するルートだ。このまま行くのであればエゥーゴの拠点があると思われるサイド1、サイド2、そして月の三つの内のどれかになると艦隊参謀は予想していた。

更にその拠点へ行く間に、ついでとばかりに地球近くにあるティターンズ陣営の低軌道防衛衛星を破壊するであろうことが予測できた。

ジャマイカン達司令部の人員は流石はティターンズ、読みは当たっておりアーガマは劇中でサイド1にある30番地へ行く事になっている。

司令部の考察では人の住まないコロニーはアーガマの軍事拠点になっていてもおかしくないというものであったが、実際にはエゥーゴへ渡ったエマ・シーンに、ティターンズの毒ガス作戦の悲惨さをブレックス准将らが伝えたがったのが理由だった。

 

「今回の作戦で戦果を上げることができれば、それはティターンズに入隊する事を認めるものであると私は考える」

 

ヒュゥっと連邦兵から口笛が上がる。ジャマイカンが兵を鼓舞するため、通常ティターンズに入隊するにはいかに厳しい条件をクリアしなければならないかや、入隊後の特権等を細々と説明してやると兵達は色めきたった。

 

「ってことは月の有給休暇が三日も増えるってことかよ!」

 

「そうだな」

 

嬉しそうに叫ぶ連邦パイロットへジャマイカンは優しい言葉を投げかけてやりながら、心の中でこいつは駄目だと大幅に減点した。

 

「甘いね……そんなんだから中尉の様な甘ちゃんが増えるのさ」

 

ライラがジェリドの椅子をまたもや蹴った。

アマちゃんと言われるも、ジェリドは三陸地方の方言が飛び出すと言う事もなく、ジャマイカンの前なので特に反応は返さないで外面は余裕のある表情をたたえていた。実際内面は大しけ状態だったが。

 

「今回の戦闘隊長はカクリコン・カクーラー中尉、君にやってもらう」

 

「はっ!」

 

ジェリドは自分が戦闘隊長に任命されると思い、ジャマイカンの二重あごの贅肉をきりっとした瞳で見つめていたのだが、その意思が反されて狼狽した。ジェリドが思わず返礼したカクリコンの方を窺うと、カクリコンは入室前に聞いていたのか余裕の表情である。

 

(バカな……)

 

うろたえたジェリドの横でライラが椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり抗議する。

 

「馬鹿な!階級も宇宙での経験も私の方が上です!」

 

「言ったろう。ティターンズは正規の軍人よりも一階級上だと」

 

不承不承座ったライラを見下しながらジャマイカンは話を続ける。

 

「なお、今回の作戦では大幅な機体と配置の転換を行う。機体については各自データを送っておくので見ておくように。部隊についてだが……」

 

ジャマイカンは早口で誰が誰の僚機であるかを告げると、大いにざわつくブリーフィングルームを素早く後にした。それもそのはず、ジャマイカンの言葉の中には連邦軍とティターンズが混合の物もあったからだ。

ジャマイカンが今回一般兵を特殊部隊であるティターンズに一度の戦闘で格上げさせようとしたのにはわけがある。

マークⅡが奪われる事件が発生してから以後、ジャマイカンの指揮する艦隊に置いてではあるが、特殊部隊であるティターンズの戦績と一般の連邦軍の戦績が釣り合わないのだ。

ティターンズ戦力の強化、連邦軍部隊の弱体化を狙うならば連邦軍のエースパイロット達を引き抜けばいいという算段である。さらには今度の戦闘隊長はティターンズ士官であり、ティターンズのお株を取り戻す絶好の機会とするつもりだったのだ。

ブリーフィングを始めるまではライラ隊をそのまま引き抜こうと考えていたジャマイカンだが、隊員の品のなさに少々辟易していた。

特にライラはティターンズに対しての嫌悪感が強く、中々手がかかると思われた。ジェリドと一緒にしたのは間違いだったかもしれないと不安になるジャマイカンであったが、一度言い放った命令を撤回するつもりはなかった。

 

各パイロットが思い思いの方向へ散らばる中、ジェリドは汗を浮かべてじっと座っていた。

 

(これは一体どういうんだ!史実と違う!)

 

ジェリドの中の太郎としての記憶では、カクリコンではなく自分が戦闘隊長だったはずだった。

 

(いや、だがジムⅡに乗せられたり、独房に入れられたりなど史実と違う事も多々あった。それに俺はヒルダの命を救っている)

 

未来との食い違いが出始めている。ジェリドは言い知れぬ不安が襲ってくるのを感じた。ジェリドは太郎としてのアドバンテージはその史実を知っているという事のみだと考えている。

実際は、太郎の人生経験から構築された性格や価値観等と言ったものがジェリド本来の物と混ざり合っており、アドバンテージとはいえないかもしれないが、太郎の存在は決して史実の記憶だけではない。

生命の危険を感じるたび重なる戦闘行為により、ジェリドとしての思考が強くなってきているためジェリドは今このような発想になってしまっているのだ。

 

ジェリドの横顔をつまらなそうに睨みつけるライラだったが、固まったまま動かないジェリドについに痺れを切らして言葉をかけた。

 

「おい、出戻り。何であんたみたいな奴が私の僚機なんだ。聞いているのか!」

 

席を立って上から見下しながら怒鳴るライラにジェリドは気づくと、うるさいとは思ったがそれを口にする事はなかった。まだ先ほどのショックから立ち直れていないジェリドは席を立ち黙って部屋を後にする。

その姿にまだこの場に残っていた連邦兵達は完全にジェリドがライラに伸されたものと思い爆笑の渦に包まれていた。

しかし、ライラの方はジェリドの態度がスカしているようで気に入らなく、ジェリドを追いかけて行く立場となった。

 

ティターンズに残ったのは間違いだったのでは、昇進のチャンスもないようじゃ、あの時エマと一緒に行っておけば、何であんないい女についていかなかったんだ。士官学校時代惚れていたじゃないか!等とジェリドが連邦兵の笑い声をバックに後悔の渦にのまれていた時、ライラが声をかけた。

 

「待ちな」

 

「何の用だ。笑いに来たのか?」

 

ジェリドがリフトグリップを掴んでいた手を離し、ライラへ振り返ったのとライラが殴りかかってきたのは同時だった。

ライラが軍靴で床を踏みしめるゴム質な音、力をより効率よく伝える為息を鋭く吐くシュッっという音、勢いよく呻る拳が空気を裂きながらこちらへ来る音を正確に聞きわけ、目視しながらもジェリドは盛大にぶん殴られた。

耳や目が良いのと反応できるかはまた別の問題だ。宇宙はジェリドにとってまだ動きにくかった。

 

あご下に強烈な一撃をもらい、脳が揺さぶられる事によって強烈なめまいと吐き気がジェリドを襲うも、ジェリドは歪んだ視界の中で距離をあけるため、ボクシングフォームでガードを上げながら、そのまま床を思い切り蹴って後ろに跳んだ。しかし足に力がうまく入らず着地に気を取られ一瞬足元に目をやった。目を戻した時にはもうそこにライラはいなかった。

ライラは無重力下である事を生かした跳躍により天井まで跳びあがっていたのだ。

その時偶然にもジェリドの頭の中に、顎を思い切り蹴られる自分の史実の様子が浮かんだ。

 

ハッとしてジェリドが天井を見たときには、ライラの鍛えられた腕がバネのようにしなり、天井をぐっと押すと、高低差を生かした強烈なとび蹴りをジェリドに放とうとしていた所だった。

咄嗟に上体をスウェーさせ蹴りを回避しようとすると、ジェリドにとって非常に幸運な事態が舞い込んできた。蹴りを回避したものの完全に回避する事はかなわず、ライラの足と足の間、つまるところ股ぐらに顔面がぶつかったのだ。

 

「ふぶふも」

 

ジェリドが何か叫ぼうとするが股間に顔を突っ込んだままでは言葉にならない。

 

「こ、この下衆め!」

ライラが羞恥と怒りで顔を赤く染めながら、何を思ったのかそのまま太ももでジェリドの頸動脈を絞め落としにかかった。ジェリドは鍛え上げられた筋肉の硬さを感じながらも、女性特有のやわらかさと香りの中に包まれ、穏やかな表情で意識を手放した。

その後一部始終を除き見していた連邦兵のおかげでこの噂は尾ひれがつき、出戻りのジェリドから舐め犬のジェリドにランクダウンしたのだった。

 

 

◆士官食堂

 

「よう元気かよ。見たか?」

 

士官食堂の4人掛けテーブルのすみに座り飯を食らっているジェリドに、カクリコンがその大柄な体躯を滑り込ませ相席した。

 

「あぁ」

 

興奮した様子で食器の音を立てながらプレートを乱暴に置いたカクリコンに、ジェリドはちらりと見上げた後、眉をひそめそっけなく応答する。

見たか、とは辞令の事である。あのブリーフィングの後、ジムⅡに左遷された者や逆にハイザックに上がった者等の大規模な辞令は各士官室のコンピューターに送られており、今やパイロットたちの間で話題になっていたのだ。

「随分そっけないじゃないか。戦友の出世が気に食わないってのかよ」

 

ニヤつきながらジェリドをおちょくってくるカクリコン。

 

「はいはい。オメデトウゴザイマス、だ。戦闘隊長殿さんよ」

 

「何だ言えるじゃないか。俺が出世した暁には貴君を取りたててやるから安心したまえ」

 

仰々しい態度でからかってくるカクリコンにジェリドは苦笑する。戦友であり士官学校時代からのライバルである二人はこの程度の戯言は日常茶飯事だ。

カクリコンの本題は別のものであるとすぐにジェリドには察しがついていた。

 

「しかしお前がジムⅡのままとはな」

 

スープをすすりながらこちらをちらちらと窺うカクリコンに、ほら来たっとジェリドは心の中で笑ってしまった。

カクリコンはジェリドの搭乗機体がジムⅡのままなのを心配して様子を見に来たのだ。まったく素直じゃない奴だと思うものの、ジェリドはそういった気遣いの出来る仲間を持てて嬉しく思う。

 

「我慢しなくちゃならない時もあるだろう。それにジムⅡはそんなに卑下する機体でもない」

 

仕方ないと肩をすくめるジェリドに、意外だな、とカクリコンは思わずスープをすするを止めた。

 

「まぁそうだが。昔のお前なら大暴れしてたろうに、現場経験はこうも人を変えるのかねぇ」

 

「言ってろ」

 

ジェリドはジムⅡのままという辞令をコンピューターでチェックした時、実はひとしきり自室で暴れたものの、独房待機が解除されていた事でひとまず溜飲を下げたのだ。ジムⅡに乗せられた当初は絶対に撃墜されるとジェリドは恐怖していたものだが、実際に乗って闘ってみるとハイザックより幾分かのパワーダウンは認められるものの操作性については申し分なかった。

 

ジェリドは、ライラに絞め落とされた首をさすると、肉汁滴るハンバーガーにかぶりついた。

 

「そういえば噂になってたぜ」

 

「舐め犬か?」

 

「いや、あぁ、そんなのもあったな。お前は何かと噂が多くて困るぜ」

 

ニヤニヤとジェリドを見るカクリコンにジェリドは苛立ちながら先を促した。

 

「なんだ、噂ってのは」

 

「ライラ大尉とその舐め犬が、シミュレータールームで綿密な打ち合わせしてたって結構話題になってるぜ」

 

フォーメーションなど戦場に出るうえでの打ち合わせを早急にしようとする事は何もおかしなことではない。ライラはジェリドと組む事に未だ納得は行っていないものの足を引っ張られて地獄に落ちるのは御免だったようで、ジェリドは呼び出されライラとシミュレーターで一通り訓練していたのだった。

 

「別におかしくはないだろ。俺だって足を引っ張りたくはない」

 

「おいおい、随分弱気だな」

 

「ライラ大尉と実際に手合わせしてみるとな」

 

「お、やったのかよ!……結果はお察しって感じだな」

 

身を乗り出して聞いたカクリコンだったが、ジェリドの浮かない顔を見て勝敗を理解し、つまらなそうに聞くのをやめた。重くなった空気を変えるため話題を変える。

 

「増槽はつけるんだろ?」

 

増槽とはプロペラントタンクの事だ。水素吸着合金等を使用した固体燃料が入っており、MSの航続距離や加速時間を延ばすことができる。戦闘時にはパイロットの操作一つで切り離すことも可能だ。

 

「ああ、今度こそ汚名返上しなきゃならないからな」

 

カクリコンとジェリドの話はスープが冷めるまで続いた。

 

 

 

◆アーガマ

アーガマの居住区の部屋から一人の少年が飛び出してきた。

 

「母さんはあいつを庇うのかよ!」

 

「カミーユ、カミーユ!待ちなさい」

 

ヒルダが追いかけてカミーユの手を取って引きとめる。

 

「カミーユ、約束しなさい。もうモビルスーツに乗らないって、危ない事はしないって」

 

「今さら母親面する気かっ!僕が乗らなきゃ母さんだって死んでたんだぞ!!!」

 

「それは違うわ。あの人は」

 

「ティターンズだ!それ以上でもそれ以下でもない!ノーマルスーツをくれたとかくれないとかそんなの問題じゃない!それにあいつらさえいなければ親父だって死んじゃいなかった!」

 

あいつらと言ったカミーユの頭の中ではジェリドが筆頭に挙がっていたが、実際にはカクリコンがカミーユの父に当たるフランクリンを撃破した。しかしこれは今のカミーユにとってはどうでもいい事だ。ティターンズに所属しているものを庇う素振りを見せる母がただただ許せなかったのだ。

 

「だいたい母さんも母さんで、親父が愛人をつくってもなんにも言いやしない。軍の仕事だ、ティターンズだ、なんて馬鹿みたいに張りきって!どうせ親父が戻ろうとした理由だって、若い女と寝たのが忘れられないからに決まってる!それなのに……」

 

一気にまくし立てたカミーユだが、泣いている母を見てふと我に返った。今震えながら肩を抱いているこの母は、こんなに頼りがいの無いものだったか。ここ数日に起きた事象でのストレスのためか、カミーユには母が大分やつれて見えた。

 

「カミーユ……ごめんなさい。こんな母親で、辛かったろうに……ごめんなさいね」

 

「今さら謝るのかよ!」

 

居た堪れなくなってカミーユはその場を後にした。

 

カミーユが足を運んだ休憩室には、クワトロ・バジーナ大尉とレコア・ロンド少尉がソファに座り、コーヒーを飲みながら談笑していた。この部屋は壁面モニターが操作でき、様々なロケーションを演出できる部屋で、リラックスできるようになっている。今は小鳥のさえずり音とほんのりとヒノキの香りが漂い、あたりの壁面モニターは森林を演出しており、ここが無機質な戦艦の中である事を今一時だけ忘れさせてくれる。

 

「どうした?顔色が悪い」

 

カミーユが仲良く話す男女に気まずく思い場を後にしようとするも、カミーユに気付いたクワトロに一瞬早く声をかけられてしまった。

 

「……親父が殺されたばかりなのに、顔色が良かったら凄いですよ」

 

親密な様子の二人に思わず苛立ち、自分でも思ってもいないほど棘のある言い方が口をついて出た。

 

「……良かったら座るといい。この部屋は気分が落ち着く」

 

クワトロに言われ、レコアがそっとクワトロの隣に席を詰めたため、カミーユはレコアの隣に座り、先ほどまで座っていたレコアの体温を感じた。

レコアはクワトロの不器用ななりの気遣いを可愛く思い微笑をたたえていた。そんなレコアの微笑みには気づくが、意図を掴めず眉をひそめているあたり、このクワトロ・バジーナという男は彼女の評価に相違なく不器用な男であると言えた。

 

「よろしいかしら?」

 

その時、このセンチメンタルな少年が醸す空気を壊したのは監視の当番兵と一緒に入室してきたエマ・シーン中尉だった。彼女はまだ、ティターンズのスパイという疑いを晴らせておらず、保護観察の身だ。

 

「どうぞ。……今はいい、中尉が移動するときに呼ぶ」

 

クワトロは席を立ち、手のしぐさでエマをソファに導くと、直立不動の当番兵を部屋から下げさせた。

 

「服のサイズ、合うのがあったようね」

 

「サイズ、たくさんあるんですね」

 

レコアに言われ、グリーンのノースリーブの裾をいじるエマをクワトロはサングラスの奥から見つめていた。

 

(似合うな……)

 

「大尉は、まだ私をスパイだとお思いなんでしょう?」

 

ソファに座るとき、前かがみになったエマの胸元を思わず注視していたクワトロは、コーヒーを口に運び動揺を気取られないようにしながら答えた。エマに気づいた様子はないがレコアはちゃっかりとその様子を見ていた。

 

「……貴方の御両親が地球にいらっしゃるなら、ティターンズに人質を取られているようなものだ。カミーユ君がそれを体感した」

 

「えぇ。でもバスクオム大佐のやり方を知ってしまった今、私はもうティターンズには戻れません。両親は志の高い人です。私がエゥーゴで働く事を許してくれると思います」

 

真っ直ぐな瞳で見つめられ、思わずクワトロは目をそらした。

 

「いいですね。素敵だ。エマ中尉の御両親のように真実親をやってらっしゃる方は」

 

この少年は先ほどの戦闘で父を亡くしている。それもエマの所属していたティターンズとの戦闘でだ。カミーユの強烈な言葉にエマはかける言葉が見当たらなかった。

 

「お母様とはもう話したの?」

 

レコアの問いかけにカミーユは先ほどの母の表情を思い出して胸が苦しくなった。

 

「あんなの母親じゃありませんよ!」

 

「カミーユ!」

 

レコアが思わずカミーユを嗜めたが、カミーユにとってそれは火に油を注ぐ事と同義だった。溜まっていた鬱憤がここにきて爆発した。

 

「いけませんか!こんなこと言って!でもね、僕は母に、いえ両親に親をやってほしかったんですよ!母は父が若い女と寝てるのを知っても、仕事にかまけて何一つ言いやしなかった!軍の仕事ってそんなに大切なんですか!エゥーゴだ、ティターンズだって、そんなことじゃないんです!子供が無視されちゃ堪んないんですよ!」

 

戦争に巻き込まれた一人の少年の叫びが凝縮されていた。戦争を起こしている側の大人しかここにいない以上、誰にも口をはさむ事は出来なかった。

レコアがそっとカミーユの肩を抱いた。

カミーユの嗚咽とクワトロのコーヒーをすする音、小鳥の陽気なさえずりが室内に響き渡り、混沌としたこの空気を壊したのは、やはりエマだった。

やり場のない感情に身体を震わせるカミーユを見ていたエマだったが、ふと脳裏にある人物が思い描かれた。

 

「シャア・アズナブルと言う人がいましたよね」

 

自分を見ながら存外な事を聞いてくるエマに、思わずクワトロはコーヒーを噴きだしそうになるも、寸での所でこらえる事に成功する。伊達にザビ家の坊やを葬ったわけではない。

 

「あぁ」

 

なぜこの状況でシャアの話を持ち出すのか、エマの考えている事がクワトロには分からないでもない。しかしそのチョイスはないだろうと言いたかった。

 

「サイド3を地球連邦から独立させようとしたジオンの子供で、確か……本名はキャスバルダイクンって言いましたっけ。ジオンダイクンがザビ家に暗殺され、ジオン公国はザビ家主導のもと地球連邦に独立戦争を仕掛けたんですよね」

 

「その時なんだろ?キャスバルが父の敵を討とうとしたのは」

 

一向にこちらから目を離さないエマにクワトロは仕方なく話に入った。エマは話をシャアの逸話に持っていく事でこの空気を転換させようとしているのだ。クワトロの言葉にエマは頷き、カミーユに話を振った。

 

「カミーユ君は知っていて?」

 

レコアに肩を抱かれていたカミーユは温かいレコアの体温を感じ、心が和らいでいくのを感じていた。涙をぬぐい話に参加する。

 

 

「知ってますよ。有名なんだから。でもあの人、一人で組織に対抗した馬鹿なんです。自己破滅型なんですよ。あの人って」

 

「ほう。そうなのか?シャアって」

 

すっとぼけて見せるが、内心あまり気持ちのいいものではない。しかしカミーユの言っている事はある種、正確な評論でもあるとクワトロは感じていた。

そして自分と同じ道をたどらない、新しい時代を担っていく若者の考え方という物に触れられる機会を持てて嬉しく思う所もあった。

 

「地球に流れていた妹さんの事を大切に思っていた人ですよ。――そう言うロマンスを持っている人って」

 

素敵じゃないですか、とレコアに振ろうとしたエマだったがレコアがバッサリと切り捨てた。

 

「ずっと馬鹿だったってことよ。ね、カミーユ」

 

「えっ、そうですよ」

 

急に振られて思わず驚いたカミーユだったが、レコアの言う事に取りあえず同意しておいた。彼女はカミーユにとって心地よい存在だ。クワトロとの間柄が気になるが。

 

「めでたいんだろうな……どうですエマ中尉?食事、ご一緒しませんか」

 

味方はエマだけだと確信を抱いたクワトロは、シャアという人物をこき下ろす事でこの場が回っている事は感じたものの、居心地の悪さに早々に退散する事にした。

 

「え?あ、はい。レコア・ロンド少尉は?」

 

思わず二人きりで食事する事に戸惑いを覚えたエマは、レコアの名前をフルネームで呼んで彼女を引きずり込んだ。まだ呼び捨てにする仲ではない。

 

「付き合うわ。カミーユ君は?」

 

「……僕も、行きます。大尉、父のせいでリックディアスを……」

 

カミーユが意を決し、ずっとしこりになっていた事を謝ろうとした。ここにいる人達はティターンズの大人達とは違い、カミーユにとって信頼できる人であると思えたからだ。

 

「子供がそんな事を心配するもんじゃないわ」

 

「少尉の言う通りだ。君が気に病む必要はない」

 

カミーユに重く考えるなとクワトロは手を肩に置いてやった。

 

「ありがとうございます」

 

カミーユは食事の際にこれからの母への接し方を聞こうと思い付いて行く事にしたのだが、そこで母の事を思い出し、口論の基となったジェリドの事をふと聞いてみようと思った。

 

「ジェリド・メサという男を知っていますか?」

 

「知らん名だな」

 

クワトロが首をかしげるものの、エマは元同僚の名を呼ばれ反応した。

 

「ジェリドのやった事……何であんな事をしたのか分からないけど、私からも謝るわ」

 

思わず、ジェリドが傷心のカミーユに挑発したことを思い出し、エマは申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「いえ、あれは良いんです。許すつもりはないですけど。でも、あの人がノーマルスーツを母にくれたから、母は生き伸びられたと言っているんです」

 

「ノーマルスーツ?」

 

「母がカプセルに入れられたでしょう?本当は生身のまま入れられるはずだったんです。でも、ジェリド中尉がノーマルスーツを持って来てくれたって母が言うんですよ」

 

エマにとっては寝耳に水だ、やたらとヒルダの安否を気遣っていたのはそう言う事かと合点がいき、エマはジェリドへの評価を大幅に上げ、思わず笑顔になる。良い意味で期待を裏切ったとでも言うのだろうか、ジェリドがそんな事をするタイプには到底思わなかったからだ。

 

「そういうこと……。彼は、ティターンズらしい面もあるし、でもそうじゃなくもあって、何ていうか不思議な人よ」

 

「どういう意味です、それ?」

 

カミーユの追及にエマはわかんないと可愛らしくはぐらかしてしまう。

(この人、こんな表情するんだな)

エマの素面に思わずカミーユはぐっと魅せられた。エゥーゴに渡ったばかりのエマは、環境の変化や面識のない人物とやり取りせねばならず、常に緊張状態にあった。このような顔が出来る事をカミーユは初めて知り、ギャップにくらくらしてしまう。

食堂へ向かう通路を歩く二人の様子を見て、エマのジェリドへの評価にレコアは言葉以上の物を汲みとった。

 

「あら大尉、残念でしたね」

 

「どういう意味だ?」

 

「気づいてましたよ。私」

 

「私だって独り身だ。――違うぞ。冗談だレコア」

 

気づいてました、とはエマの胸を思わず注視したクワトロの視線の事であったり、サングラスの奥からエマを見つめていた事に対するものだ。

そんなレコアの嫉妬を受けて少々からかったクワトロだったが、レコアの視線に棘が含まれ始めたの感じ慌てて訂正した。レコアの自分への好意を心地よく思っている自分がいるとクワトロは認めていたのだった。

 



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第九話

 

「いいな。私の隊が先行する」

 

「了解だ。大尉殿」

 

ライラの念を押す言葉に、今回の現場指揮官を任されているカクリコンが若干の含みを持たせながら了承する。

 

「ライラ隊でるぞ。ジェリド分隊も後に続け!」

 

ライラ隊のガルバルディβが発進していくのを見送りながら、カクリコンは一機のジムⅡに向かって己のハイザックをサムズアップさせた。

ジェリドの機体だ。ジェリドは今回、ジムⅡ2機を率いる事になっており、言わばライラ小隊の分隊長という位置づけだった。

ジェリド分隊のジムⅡは全員ティターンズの人員で構成されているため、ティターンズカラーであるネイビーブルーに染められており、分かりやすくなっている。

本来連邦軍も特殊部隊のティターンズもジムⅡは胴体が赤く塗られているだけなのだが、アレキサンドリアの搭載機はジャマイカンの趣味で全身ネイビーブルーになっている。

カクリコンのハイザックからのサインに気づいたジェリドは、ジムⅡに軽く盾を上げさせてサインを返した。

 

 ジェリド分隊のジムⅡの両肩部にはハイザックのミサイルポッドを流用したものが取り付けられており、手にはビームライフル、背部にはハイパーバズーカを背負っており、幾分か厳めしい出で立ちだ。

 

「宇宙では全周囲に気を配るんだ」

 

ジェリドが分隊員を連れて発進すると、すぐにライラの通信が入ってくる。

シミュレーションを終えてから、ジェリドは積極的にライラとコミュニケーションを取るようにしていた。その成果のおかげか、初見の態度と今のライラの態度は随分違うとジェリドは感じていた。ジェリドが素直に負けを認め、教えを請うたのがプラスに働いたのだろう。

 

「モビルスーツの装甲越しに殺気を感じ取れってんだろ」

 

「そう言う事だ。お前ならできるさ」

 

ライラの言う全周囲に気を配る、というのは宇宙空間に置いて必須ではあるものの、地球まれの地球育ちには慣れない事であった。もちろん相応の訓練はしてきたが、ジェリドの戦績を見てわかる通り訓練と実戦は全く違った。少し緊張した様子のジェリドにライラが少し微笑んで勇気づけてくれる。

 

「宇宙の真空中に己の気を発散させる……か」

 

そんな古武術の理念みたいな事を言われてもやれる自信は到底ジェリドにはないが、普段から心掛けてみようとは考えていた。

 

 今回の作戦はライラ隊が先行し敵艦隊を直撃し、太陽電池とその防衛衛星を破壊しにいく敵MSを、カクリコン率いるハイザック隊が後ろから追う形だ。

敵が艦隊の危機に気づいても、防衛衛星の守備隊とカクリコンのMS隊に挟まれ、艦隊の援護には行けないと言うわけだ。

万が一、こちらの出撃のタイミングが早く、敵の主力が残っている場合、速やかにカクリコンのMS隊がライラ隊の援護に駆けつける手はずになっているが、司令部が光学センサーで確認したところ、すでに敵MSは太陽電池を攻撃しにあらかた飛び去ったと言う事だったのでその心配はないだろう。

 ライラ隊におけるジェリド分隊の役割は、敵艦の撃破である。ライラ隊がわずかに残った敵MSをひきつけている間に爆戦を行おうと言うわけである。ジェリドはこの作戦は順当であるとして特に不満はなかった。

 

先頭を航行するライラのガルバルディが、右手に持ったライフルを上下して敵を目視した事を告げるのにジェリドは気づいた。

 

「もう捕捉したのか」

 

しかし距離がまだあり、射程圏外のため攻撃を仕掛けるには接近する必要があった。ガルバルディ隊が一気にバーニアを吹かしてジム隊との編隊を解いた。戦闘機動に入るサインだ。装甲を削り、極限までスピードを重視したガルバルディと、爆装したジムではトップスピードに差が出過ぎるため、先にガルバルディに強襲させる事は前もってライラに聞かされていた。

 

「こちらのセンサーではまだ捕捉できないのか」

 

ジェリドはライラ隊が飛び去った方学にレーザーを照射してみるもののまだ射程圏外なのか敵の識別信号をキャッチできない。

 

「こちらも最大戦速で向かうぞ」

 

ジェリドも負けじとバーニアを吹かせる。プロペラントタンクの外部燃料もあるため、燃料を気にする必要はない。

しばらくライラの航跡を見ながらジムⅡを操っていたジェリドだが、低軌道防衛衛星の方角で閃光が走ったのを目視した。

 

「ジェリド中尉!」

 

「分かっている!カクリコンが上手くやってくれるはずだ」

 

僚機から通信が入るが、ジェリドは意に反さなかった。衛星の守備は守備隊とカクリコンの任務だ。今は自分達の任務に優先すべきで、他人の事など考えている余裕はなかった。

後方からもモビルスーツの軌跡を表す閃光が上がっているのが見える。

モンブランのジム隊がブレックス准将の指示でティターンズ艦隊を襲撃しているのだ。

 

「始めやがったか!!」

 

艦隊の直掩機は十分な数がいる。心配する必要はないとジェリドは自分に言い聞かせながらも後方を振り返ってしまう。パイロットにとって母艦の撃沈はほぼ死と同等だ。

 

「アーガマ、センサーに捕捉しました!」

 

部下の一人が告げたその時、ライラ隊とアーガマの交戦をジェリドは確認した。ライラのガルバルディはアーガマの火線をくぐり、敵側のジムⅡからの不意を打つ射撃を、まるで殺気を感じているかのようにひらりと避けると、追い抜きざまにビームライフルで狙撃し、瞬く間に一機を火だるまにした。その流れる水の如く、淀みのない一連の動作にジェリドは酔いしれた。

 

(なんて腕前だ……)

 

感心すると同時に思わず嫉妬してしまう自分がいたが、すぐに我に帰りライラ隊によって掻き乱されている敵の布陣で穴が開いた箇所から、アーガマを大きく迂回し目標をサラミス改級の巡洋艦に定め、直上に陣取った。

 

「続け!」

 

ジムⅡのランドセルが唸りを上げ、スラスターがバーンし猛スピードで接近する。後ろの二機を気にしている余裕などジェリドにはなかった。狙われたサラミス改級の宇宙巡洋艦であるモンブランからは、二十問を越える対空砲から猛烈に火線が放たれている。

右後ろからジェリドに並んだ僚機が、肩に装着していたポッドからミサイルを射出した瞬間にバランスを崩し、そのまま対空砲火に飲み込まれ爆散していくのを視界の隅で確認しながらも、ジェリドはペダルをべた踏みし、特攻する。

モニターには僚機の死に際に放ったミサイルがサラミスのMSデッキに着弾し、損害を与えている様子が映されている。ジェリドは右手に持っているバズーカを艦橋にロックした。

 

 一瞬の迷いがあった。明確な殺人を自らの手で犯す事に対する一瞬の迷い。目標をロックオンした事を知らせる甲高い機械的なサウンドが、早く放てとジェリドを急かす。その時、最後の僚機がコックピットに対空砲が直撃し、サラミス改の横っ腹に向かって突っ込んで小規模な爆発を起こした。

 

「し、死んじまう!」

 

一瞬のためらいが自らの命取りになるとして、ジェリドはレバーのスイッチを押した。

 

自らの荒い呼吸音と、破裂しそうなほど大きく鳴り響く心臓の鼓動を聞きながら、ジェリドはバズーカを放った。無反動砲はその微々たる衝撃も、ジムⅡの腕のサスペンションにより吸収され、コックピットに伝わる衝撃は感じられない。

あまりの機速に放ったはずのバズーカ弾と自らが並列に跳んでいるのに気付き、慌てて操縦桿を切って目前に迫ったサラミス改の上方から下部へと斜めに抜けると、マイナスGに歯を食いしばりながら機体を反転させ、艦橋が爆発するのを確認しながら逆噴射。機体の向きを瞬時に微調整しながら、肩部ポッドからミサイルを全弾発射した。

 もともとハイザック用として作られた三連装ミサイルポッドのため、ジムⅡのソフトウェアには対応しておらず、ミサイルポッドから射出された時の衝撃をオートで殺してくれない。そのため、パイロットがマニュアルでリコイルを制御しなくてはならず、アポジモーターの操作にジェリドは手こずらされた。

6発中4発が敵巡洋艦の船底にあたり、爆煙を上げるのを確認すると、すぐさまミサイルポッドをパージし、回避運動を取る。

艦橋が破壊され多くの頭脳を殺したとは言え、機関部や銃座の手足はまだ生きている。完全に沈黙させるにはまだ止めとなる攻撃が必要だった。

 

 バズーカを右肩に抱き、左手で支えるように持たせると、先ほど僚機が突っ込んだ横っ腹の内部機関が見えている箇所に猛然ともぐりこむ、銃座からの激しい火線をロールしながらくぐると、4発、残弾を全て放った。

もし宇宙空間に酸素が満ちていれば、耳をつんざく様な轟音が響きわたっただろう。バズーカは内部を食い荒らし、焼けた空気が逃げ場を求めて巡洋艦の内側を猛烈な勢いで駆け巡った。幾重にも重なった鋼鉄の外装が、その衝撃波で津波のように剥がれていき、一瞬の静寂の後、サラミス改級巡洋艦モンブランは、デブリをまき散らしながら轟沈した。

 

「墜とした!」

 

今まで感じた事のないほどの達成感と、少しの罪悪感を覚え、興奮しながら血走った目でその様子を見守っていたジェリドだったが、すぐに己の迂闊さに悪態をつくはめになった。

サラミス改の爆発による爆風が周囲の宙空を嵐のように荒れ狂い、煽られた機体はすぐにジェリドの制御下を離れ、高速で回転しながら凄まじい速度で地球へと流される。

コックピット内は警告灯が灯り、ブザーがひっきりなしに鳴っている。爆風により機体の装甲表面は若干焼けたただれ、塗装がはげている。回転するたびにリニアシートへ接着されているのかと勘違いするほどのGが襲い、首を動かす事すらままならず、上手く機体を操れない。

 

(オートが働いてないのか!)

 

機体が回転する度に黒い宇宙と青い地球が入れ代る。オートバランサーが働ける限界を超えた速度で回転しているため、ジェリドが歯肉から血が吹き出るほど奥歯を噛んで操縦桿を何とか握り直すと、マニュアルで時間をかけながら回転を止めなくてはならなかった。

ジェリドが何とか機体を立て直す事に成功した時には、既に地球へと機体は落下しはじめていた。機体の落ちる勢いを殺さなくてはと、スラスターを噴いて勢いを殺そうと試みるが、地球に近づき過ぎたジェリドに、母なる水の星は容赦なくジェリドを飲み込もうとしていた。

 

 スラスターがコンソールのダメコン画面でレッドアラート状態になるも、今はそのような事を心配しておられず、無視してスロットルを引き絞る。

出力を最大にし、エンジンが爆発するのではと思うほどのうねりをコックピットで感じながらもジェリドは歯を食いしばりながら噴かし続ける。実際には十数秒の出来事であろうが、ジェリドには何十分にも思えた。

 

ようやく速度を殺し、航行速度を修正することに成功し、思わず良し!とコックピットで叫んだジェリドだが、少し上昇したものの、一向に重力を振り切れない。高度計を見ると先ほどから下降はしなくなったが少しも上昇していないのだ。ビリビリと振動する機内、赤い警告灯が恐怖をかきたてる。

 

「出力が足りていない!!」

これ以上ジムⅡを持ちあげるには、馬力が純粋に足りていない事を悟り、呆然とする。

 

(まだだ)

 

霧吹きで吹き付けられたように顔面に汗をびっしりとかきながらも、コンピューターに数値を計算させ、青白い顔で次の一手を打つ。

 

「いけ!」

 

ジェリドはプロペラントタンクの内容物を全て一度に噴射させ、ジムⅡの推進剤噴射の最大量を越える噴射量でバーニアを噴かせた。

今まで感じた事のない揺れと機体のきしむ音がジェリドにはジムⅡの悲鳴に聞こえた。プロペラントタンクが振動により御動作し、パージされる。

 

「耐えてくれ、頼む!」

 

先ほどよりわずかに少しづつ上昇させる事に持ち込めたジェリドだったが、内部燃料だけではこれ以上機体を上昇させることができないと言う計算結果がコンソールに表示され、手の震えが抑えきれなくなる。

 

重力の井戸に引かれていくプロペラントタンクが、真っ赤に白熱しながら落ちていくのを見て、思わず史実でカクリコンが大気圏で燃え尽きた事を思い出し、その悲惨な死がもうすぐ自分に訪れる事をジェリドは理解してしまった。

 

 

 

 

「サチワヌ、被弾!」

 

敵機襲来と共に急速にあわただしくなったブリッジでオペレーターが悲鳴を上げる。

 

「損害状況を知らさせろ!」

 

アレキサンドリアの艦長であるガディ・キンゼー少佐がオペレーターに怒鳴り散らす。

 

「損傷軽微、戦闘継続可能!」

 

「サチワヌを手遅れになる前に下げさせろ!あれではいい的だ。直掩機は何をやっている!」

 

ジャマイカンが艦隊の指揮を取りながら苛立った様子で外の状況を窺った。

 

「2番機、敵MSを一機撃墜!……敵MS部隊、後退していきます!」

 

「よし!第一波は凌いだか……各員、第二波に備えよ!」

 

ジャマイカンが息を深く吐くと、キャプテンシートの隣にある一段低くなった艦隊司令のシートへどかりと座る。

 

「索敵班、怠るなよ。MS隊の補給を急がせろ!」

 

ガディは未だ起立したまま各部の損害状況を集めていた。

その時、前線の様子をモニターしていたオペレイターが、ジャマイカンに勢いよく振り返り報告した。

 

「敵、サラミス改級巡洋艦轟沈!ジェリド中尉のジムⅡがやったと思われます!」

 

「でかしたぁッ!!!実にでかしたッ!!!」

 

視モニターにモンブランが飛散する様子が望遠で映され、思わずジャマイカンが勢いよく立ち上がり諸手を上げて賞賛する。

ガディはこのジェリドの戦果により、敵の第二波はないものと検討をつけ、ジャマイカンとは対象に静かにキャプテンシートに座った。しかしその口元はどこかうれしそうだ。

ブリッジの人員もこの朗報に沸いており、士気旺盛だ。何と言っても先の開戦から良い事なしだったティターンズにとって、この戦果は非常に大事なものだった。今一時だけはジェリドは小さな英雄となっていた。

 

「……そんな……ジェリド中尉のジムⅡ、機体バランスを欠いて大気圏へ突入します!」

 

上げた瞬間に落とされたとこの報告に、戦勝ムードから空気が一転してしまった。

 

「何とかならんのか!」

 

思わずガディはキャプテンシートのひじかけを拳で叩いた。

 

「自力では無理です!」

 

「何と……惜しい……実に惜しい!――ここを乗り切れれば、本物だった」

 

この戦果をあげて帰還すれば艦の士気はこれまでにないほど上がっただろう。戦果を上げずに帰り続け、誰からも期待されていなかった男が突如大戦果をあげて凱旋するのだ。

なんとドラマチックな事か。それも今作戦のMS隊長はティターンズのカクリコンであり、全てティターンズの手柄にできる状況であった。ジェリド個人の死というより、このドラマの死が実に惜しい、とジャマイカンが思わず歯がみした。

 

「これは……!」

 

オペレーターの一人が声を上げる。モニターには高速でジムⅡに近づく機体が映し出されていた。

 

 

「うぼぁああああ!死ぬ!俺が!死ぬのか!」

 

その時だった。現実を受け入れられずわめきながらバーニアを吹かし続けるジェリドを、無骨なMSの手が一気にジェリドを引っ張り上げた。

 

「何をやっている!死にたいのか!」

 

モニターには怒り狂っているライラが映っており、ジェリドにはその鬼のような形相が天使に見えた。ジェリドを引き上げるとすぐさまライフルを乱射し、追ってくる敵MSを蹴散らすその姿はまさしく戦女神と言えよう。

 

「め、女神」

 

ライラは未だ放心状態のジェリドを重力外に蹴飛ばすと、こちらへ向かってくるガンダムに牽制射撃を行いながら戦列にもどろうとする。

 

「抵抗が急に強くなった。援軍か!」

 

ノイズ混じりにライラの叫びが聞こえてくる。機体のすぐ横をバズーカが通り過ぎていった事で我に返ったジェリドは、叫び過ぎたため酸欠で混乱する頭に喝を入れて回避運動を取る。

 

「援軍?……カクリコンが、抜かれたか!」

 

「そのようだ。ティターンズってのは私に迷惑をかけることしかしないのかい!」

 

ライラの額に玉の様な汗が浮かぶ。ジェリドを引っ張り上げてから白いガンダムにマークされ続けている。レコアの乗ったカプセルが射出されるまでは何としてもアーガマに近づけまいとクワトロが奮戦しており、ライラを持ってしてもクワトロを抜く事は難しかった。

 

汗で額に張り付く前髪にストレスを感じながらライラは懸命に機体を操っていた。

 

「こいつは……エースだ!」

 

「えぇい、やる!だがカプセル射出までは……!」

 

ガンダムマークⅡへビームライフルを連射し、ライラが牽制する。クワトロはAMBACでくるくるとロールしながら回避し、振り向きざまにバズーカを打ちこんでくる。初速が遅いためビームライフルより回避が容易なのがライラにとって救いだったが、先ほどジェリドを助けるために己の機体の噴射剤を大量に使用したため、残りの燃料が心もとなく、早急にこの場から脱出しなければならない状況だった。

ジェリドはライラがじりじりとガンダムマークⅡに喰いつかれていくのを見、援護しなくてはならないと思うも、警告音が鳴り響きすばやくその方角を探る。

 

(ロックされた!)

 

リックディズアスがグレイバーカでこちらを狙っているのが見え、わき目もふらずに回避運動を取る。リックディアスには肩部に痛々しい傷跡があり、先の戦闘でジェリドが追い詰めた敵機、アポリー機である事がわかる。

 

「逃がすかよ!」

 

アポリーがジグザグに回避運動を取るジムⅡにバズーカを偏差射撃する。直撃はしないものの至近弾を食らわす事に成功し、爆風のあおりを受けてジムⅡがコントロールを失い、宙を舞った。

 

「貰った!」

 

「なんてな、―ライラ!」

 

アポリーが狙いをつけ、バズーカを放とうとしたその時、コントロールを失って回転して宙を舞っているいるはずのジムⅡから突如ビームが放たれた。リックディアスの脚部に命中し、アポリーに凄まじい衝撃が襲う。ヘルメットがコンソールに派手にぶつかり、バイザーにひびが入った。

 

ジェリドは爆風の煽りを受ける事を経験から予測し、コントロールを失っているかのように演じながら機体をロールさせ、油断を誘ったのだ。

 

「ぐわあああ!」

 

「アポリー!」

 

「くっ!」

 

クワトロがアポリーのリックディアスに気を取られた隙を見逃すライラではない。

推進剤の燃料ゲージは既にレッドゾーンに入っている。素早くクワトロのマークから外れると、ジェリドに助太刀された事に少し頬を緩ませ、撤退する。

 

カクリコンからの撤退信号は既に上がっている。ライラは追ってくるジェリドを認めると合流ポイントに急いだ。推進剤だけの問題ではなく、低軌道防衛衛星の守備隊がやられ、敵の主力が戻ってきている今、この場にとどまるのはリスクが大き過ぎた。敵MSと対空砲火をかいくぐりながらアーガマを落とすのは容易ではない。

 

「味な真似をする!」

 

クワトロはアポリー機を収容させるため、追撃はせずにアーガマへ戻ろうとした時、レコアを乗せたホウセンカはジャブローに向け射出された。

 

辺りを素早く見渡すも、害意を加えようと言う意識は見当たらない。クワトロは警戒を解き、アーガマへと戻ったのだった。

 

その日の夕刻、中央アメリカでは異常な数の流れ星が観測された。ジェリドによるモンブラン撃沈のためである。

 

 

 

革張りのソファにふかぶかと腰かけ、ジャマイカンは足を組んで報告書に目を通す。辺りには静寂が満ち、この場に直立不動で立たせている三人のパイロットに無言のプレッシャーを与えていた。

 

「しかし半数のモビルスーツがやられるとは、これではライラ隊の方が良い働きをしているな」

 

報告書をまとめた黒いバインダーをぱたりと閉じると、老眼鏡を外して懐にしまいながらジャマイカンが苦言を呈した。

 

「申し訳ありません」

 

カクリコンのやや広がった額に汗が浮かぶ。そのままジャマイカンはカクリコンを責めるかに思えたが、その怒りはなぜかジェリドに矛先が向いてきた。

 

「ジェリド中尉、貴様は確かによくやった。敵艦を沈めた戦果は貴様にしては上出来と言える。しかし、自分が墜とした艦の余波で死にかけるなど以ての外だ!」

 

鼻で笑いながらジャマイカンはジェリドを罵倒した。ジェリドが巡洋艦を撃沈させた時ジャマイカンは諸手で喜んだものだ。しかしその後地球に引きずり込まれ、挙句の果てに連邦軍一般部隊の、よりにもよってジャマイカンが鼻もちならないと思っているライラに拾われて助けられたのだ。これではティターンズのメンツは丸潰れだ。

 

「それに貴様の分隊員は全員死亡か、分隊長がそんな有様だから部下がこうなるのだ!!!パイロットの育成とMSの製造にどれだけの労力と資金がかかるかわかるか!」

 

「はッ!申し訳ありません!」

 

ジェリドはちょいと持ち上げられた後、奈落の底までつき落とされ、思い切り踏みつけられるという、バランスのおかしな説教を聞かされ辟易していた。つい先ほどまで死地に赴き、案の定死にかけてようやく帰還してみれば、汗を流す間も無く報告書を作成させられ叱責を受ける。部下の死を突かれては何も言えず、ストレスで胃がやられそうだった。

 

 

そんなジェリドの青白い顔をちらりと見て、目線を斜め上にし踵をそろえて一歩前進したライラは、軍人口調で話し始めた。

 

「お言葉ながら、今回の敵は特別だと自分は感じました」

 

「わからんな」

 

突然出てきたライラにジャマイカンは眉をしかめた。

 

「自分はホワイトベースを実際に見た事はありませんが、アーガマはそれに匹敵すると思うのです。懐が開いているようで、近寄ると厚い。ことガンダムMK-IIのパイロットは無手勝流に見えてぶつかってみると抵抗力は圧倒的です」

 

「ふむ……NTだとでも言うのか?」

 

「自分はそうであると考えております」

 

「馬鹿を言え、そんなものは映画屋の創造物だ」

 

ジャマイカンがライラの進言をあしらいながら、自分の顎の贅肉をつねって考えをまとめていると、部屋の連絡モニターに伝令が入った。

 

「少佐、敵艦はサイド4の宙域に向かっている模様です」

 

これにより、考えをまとめようとしていたジャマイカンは思考を中断し、大いに焦った。

 

「なにぃ?……すぐに行く」

 

(――魔の宙域に入り我々を巻くつもりか)

 

サイド4の宙域は、1年戦争緒戦激しい戦闘が行われた地で、その結果ほとんどのコロニーが壊滅した暗礁地帯となっており、大量のデブリが流れている。船乗りにとってここ程縁起の悪い宙域はない。

まったく面倒な事になったっとジャマイカンは舌打ちをして座席から立ち上がると、カクリコンに次はないぞと釘をさしてジェリドに一瞥もせずに場を解散させた。

 

 

 

ライラ隊はMSの修理のため、アレキサンドリアに一時的に滞在していた。そのため隊長であるライラにも部屋があてがわられている。

ライラはあてがわれた士官室に入ると、すぐさま肌に張り付くパイロットスーツをベッドに脱ぎ捨て、浴室へと足を運んだ。

一刻も早く汗でべとつく身体を洗い流したかった。手に血がつかないとはいえ人殺しをやっている自覚はある。ライラにとってシャワーを浴びる事は自分を保つ上で大事な日課だったのだ。低重力下のためさすがに風呂に入ることは叶わないが、長い軍歴でそれはもう慣れた。

 

 給湯温度を熱めに設定した温水を頭から被る。宇宙空間の戦艦の居住区はコロニーよりもずっと低重力のため、シャワーを浴びるときは水滴を吸いこまないよう、壁に備え付けられている透明なマスクをつけなくてはならない。ライラも多分にもれずマスクをつけて入浴している。

体を洗い終わり、熱めのお湯を浴び、うっすらと赤みを帯びた顔色になってきたライラは、最後に冷水で体を引き締めようとした。その時だった。

 

「ライラ、開けてくれ!」

 

浴室にいても聞こえるその大きな声に、ライラは思い当たる節があった。入浴中とはいえ無視するのも性に合わず、シャワーの放水を止めると、体もろくに拭かずにバスタオルを身体に巻いて浴室を出た。ハンドタオルで髪を拭きながら部屋の扉の前に立つと、用向きを尋ねた。

 

「何の用だ。用などないはずだろ」

 

「用なら色々あるんだ。……ジャマイカンの前で俺をかばったろ」

 

シミュレーションで手合わせしてからと言うものの、ジェリドは何かにつけてライラに話しかけてきた。しかしこちらに好意を抱いているようには見えず、ティターンズ軍人のジェリドが何故話しかけてくるのか、ライラには当初意図が掴めなかった。

しかしジェリドと接していくにしたがい、純粋に自分の技量を認め、自身から学ぼうとしているその姿勢にはティターンズの傲慢さがなく、意外とまっすぐな男だとライラは驚愕したものだ。

所々プライドの高さはうかがえるものの、それは戦士として重要な事であるとライラは考えていた。次第に一人の男としてライラはジェリド見るようになっていた。ただそれはジェリドの人間的な魅力を感じたのであって、恋愛感情などと言ったものとは全く違うものだ。

 

だからだろうか、ジェリドの深刻な声にライラはため息をひとつつくと、一瞬着替えるか逡巡するも、結局そのまま扉のロック解除した。

男のプライドと言う物をライラは理解しているつもりだ。早く誤解を解いてやらねば面倒な事になりかねないと思ったのだ。それに、ジェリドとはこのままの恰好で会っても何事も起こらないという確信がライラにはあった。

 

 

ジェリドが入室するとライラがバスタオル一枚という恰好で目前に立っており、まだ髪には水が滴っていた。対するジェリドはまだシャワーも浴びておらず、パイロットスーツのままだ。

ジェリドは史実から、ライラがバスタオル一枚でいる事は予想していたが、目の前で事が起こると思わず尻込みした。

バスタオルからはみ出た色づいた胸の谷間、張り付いたバスタオルが醸す女性特有の丸みを帯びた体のライン、大きくあらわにされた肉厚な太ももに目が奪われる。

地球時代に付き合っていた女達がラブホテルのシャワーを浴び終わった後、このような様になる事をジェリドは思い出し思わず反応しそうになる下半身を心の中で叱咤する。

 

(なんて威力だよ……いかん。自分を抑えるんだ)

 

当初の部屋に来た目的を果たすため、ライラの全身を凝視したくなる自分を抑えると、壁を見ながら用件を言った。

 

「あぁ、す、すまない。――まずは命を助けてもらった礼をしたい。」

「ありがとう。あんたは、命の恩人だ。この恩は必ず報いる……必ずだ」

 

当初は壁に備え付けられている空調設備に向かって話しかけていたジェリドだが、結局最後にはライラを見ながら礼を言っていた。恩は必ず報いる、この言葉はジェリドの本心から出たものだ。

ジェリドはライラがいなければ大気圏に突入し、じわじわと焼け死んでいただろう。先の恐怖を改めて思い出し、身震いしたジェリドだったが、助けてくれたライラにこれから訪れる死を、何とかして取り除かなくてはと考えていた。

その真っ直ぐな本心はジェリドの瞳を通じてライラに伝わった。思わずライラの方が気恥ずかしくなり目をそらす。

 

「こ、こっちを向くんじゃないよ!」

 

「あぁいや……すまない」

 

ジェリドはまたもや壁と対面する事になった。

お互いに相手を異性として認識してしまった結果、黙りこみ、静寂が部屋を支配する。ライラは急にバスタオルで対面した事を後悔した。ジェリドがあんな目をして真っ直ぐに礼を言ってくるとは思わなかったからだ。ジェリドの先制パンチは、ジェリドの素直な感謝の気持ちを伝えるという意図とは違い、ライラに宿る母性を強烈に呼び覚まし、揺さぶる事に成功していた。

 

「――ジャマイカンがどうとか言ってたね」

 

取りあえず話を戻させて、さっさと部屋から出そうとライラは心に決めるとベッドに腰掛け髪を拭きながらジェリドに語りかけた。

ジェリドとジャマイカンのやりとりで、ジェリドは自分に庇われたと勘違いしているとライラは考えていた。

実際にはジェリドの勘違いと言うわけでもなかった。ライラは己の中に、ジャマイカンに良いようにやられていくジェリドを気の毒に思った節も多少あると感じている。そうでなければあのタイミングでジャマイカンに進言はしない。しかし、ジャマイカンに進言した内容に嘘偽りはなく、呼び出された時から語ろうとしていた内容だった。

自分に対して対抗心を抱いているだろうジェリドにとってはそれは許せない事だろう。ここは少し庇うような真似をした事は認めず、ただ単に真実のみを伝えようとしていた、と白を切る方が男のプライドを傷つけずに済むとライラは考えていた。

 

「あぁ、いや。その話はもういい」

 

「は?」

 

これから来るジェリドの罵声に覚悟して向き合おうとしていたライラだったが、肩すかしをくらい、突然の事に思わず間の抜けた返事をしてしまう。

 

「いや、思い出してみればあんたが俺を庇うわけがないものな」

 

急にしおらしく床を見ながら話を覆すジェリドに、ライラは何が何だかわからなかった。

 

「どういう意味だ」

 

「いや、今回の作戦であんたは小隊長だったろ?分隊長の俺があんたより大きい戦果を上げたんだ」

 

ジェリドの言わんとしてる事に気づき、ライラは思わず怒りから立ち上がり、ジェリドに近づいた。しかし、ジェリドの方はまだ床を見つめているため気づいていない。

 

「あんたとしては気持ちがいいはずないだろう。それを庇うなんて言い方をして―」

 

「いい加減にしな」

 

ジェリドが思いのほか近くで聞こえた声にギョッとして振りかえると、風呂あがりだけの血色のよさではないだろう。鬼の形相のライラが目の前で仁王立ちしていた。

 

「お、おい」

 

何怒ってんだ。と続けようとしたジェリドだがその問いは永遠に吐き出されることがなかった。ライラが未だたじろぐジェリドの目の前にずいと踏み出すと、ジェリドのパイロットスーツの首元を掴みあげ、自らの顔に寄せたからだ。

接吻でも出来そうな距離でメンチを斬られ、ジェリドが思わず顔を下に向けると、バスタオルの隙間から凶悪な谷間が顔をのぞかせている。いや、覗かせているなんてものではなかった。ライラは気づいてはないないが、バスタオルがずり落ちかけ、体を隠す役目を果たしていないのだ。

 

「私も舐められたもんだね。戦艦一隻墜としたくらいでもう天狗か?」

 

ドスを聞かせた声音でぎりぎりと襟元を締め上げながら怒っているライラにジェリドはようやく自分がしでかした事に気づいた。

ライラの器量はそんな事で庇う庇わないの話になるものではなく、ジェリドの言った言葉はライラの自尊心を深く傷つけたに違いなかった。これは謝らねばならない、とジェリドは思うものの、今はそれよりも先に言っておかねば、現在進行形でずり落ちているタオルはその役目を完全に放棄する事だろう。

 

「い、いやすまない。そう言うわけではないんだ。それより――」

 

「じゃぁどういうわけだって言うんだ!」

ジェリドの台詞を遮り、怒りの頂点にきていたライラがジェリドの襟首をひときわ大きな動作で絞めた時だった。かろうじて胸の突起に引っ掛かっていたタオルは、その揺れによる胸のたゆたいに耐えられなかった。宙を舞いゆったりと下降していくにつれ、ジェリドの目に飛び込んでくる肌色が多くなる。

ついに一糸纏わぬ姿になったライラに、正気か、とジェリドはそのグリーンの瞳をのぞきこむが、そこには驚いた表情をした金髪の男が映っているだけだった。

 

(き、気づいていないのか!)

 

驚愕だった。絶対に気づいていると思ったジェリドだったがライラは信じられぬ事に全裸をジェリドに晒している事に気づいていなかった。

 

「ライラ…」

 

「気安く呼ぶんじゃないよ。ジェリド、お前には」

 

失望した、私をそんな安いヤツだと思っていたとはね。そう続けようとしたライラはジェリドの視線に眉をひそめ、チラと下を窺い、全てを理解した。

 

再び静寂が部屋を包み込み、お互いが動かないまま時が過ぎていく。首元を掴んでいたライラの手は、力無い拳を握りながらジェリドの胸板までずり落ちていき、ぴたりと止まった。ジェリドの視線は様子を窺おうとライラの顔に焦点が合わされている。しかしジェリドの高い身長のため、ライラの顔を見降ろせば体もセットで視界に入ってしまい、ジェリドがいつまで我慢してられるのかジェリド自身もわからない段階に入っていた。

 

 空調のめぐる音だけが響く。ジェリドの高なる心臓の音がライラにも拳を通して聞こえているだろう。

この場を動かすのは自身かライラしかおらず、この状況を打破するのは男の仕事だとジェリドは考えた。

(喉が、渇いたな)

とにかく怒りを鎮めさせ、バスタオルを巻いてもらうよう言わねばならない。ジェリドは緊張からつばを飲み込むと、出来るだけ静かに、しかし感情を込めて言葉を紡ごうとした。

 

 その時だった。体を十分にぬぐっていないためか、ライラの内股から水滴がふとももの裏を伝わって、張りのある肌を滑り降りていくのが目に見えたとき、これまで用意したこの場を鎮める台詞をなぎ倒しながら、ジェリドの我慢を貯め込んだダムは決壊してしまった。大放流である。ジェリドの脳内にダム放流のサイレンが響き渡る。

 

「ライラ、すまない」

 

ジェリドの乾いたくちびるからその言葉が紡ぎだされ、フリーズしていたライラが顔を上げたのと、ジェリドがライラの両肩を抱いたのは殆ど同時だっただろう。

 

「な!」

 

ジェリドは無言でライラをベッドへと押し倒し、組み伏せた。

 

「触るな!」

 

ライラの瞳が潤んでいる。ライラは無意識のうちに興奮していた。今思えば、バスタオル一枚でジェリドを部屋に向かいいれた時点で、それははじまっていたようだった。

「すまないと言ったろうッ!」

 

そう言う意味のすまないだったのか、と唖然としているライラの上にジェリドはマウントを取ると、俊敏な動作でベッド脇に置かれていたリモコンに手を伸ばし、照明にゲージをかけた。その手際の良さにライラは舌を巻いた。ジェリドは薄明かりの元ライラの全身をくまなく観察する。

 

「見るなっ!……どけ!」

 

片手で胸をかき抱き、もう片方の手で内股になりながら大事なところを隠すライラのそのポーズは、むしろ男を興奮させる類の物であるとジェリドは思った。

 

「無理だ」

 

(下の毛はやっぱ剃ってるんだな)

 

パイロットスーツで蒸れるせいか、等とライラに言えば確実に前歯を折られるだろう考察を行い、興奮の絶頂にいながらどこか冷静にジェリドはゆっくりとライラの女体へ手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 



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第十話

 

「なぁライラ、さっきの事は忘れてくれないか」

 

アレキサンドリアの士官食堂にてジェリドは向かいに座るライラを見ずに、テーブルに置かれた食器を眺めながらボソリとつぶやいた。

懇願されたライラはそんなジェリドに取り合わず黙々と食を進めていた。よく煮込まれたチキンカレーを口に運び、チキンが合成肉ではない事に気付いた。さすが旗艦だ。ボスニアよりも美味い。ボスニアではチキンとうたっていても何だか良く分からない人工肉を合成して、チキンに近づけたものを入れている。

 

「なぁ。――カツあげるから」

 

ジェリドがチキンカレーにトッピングとして乗せたカツをライラの皿に乗せようとするも、ライラが手をかざしそれを拒んだ。

 

「ジェリド」

 

「お、おう」

 

もぐもぐと口を動かしていたジェリドだが、ライラの真剣な眼差しに思わず口の中身をのみ込んだ。あまり噛まずに飲み込んだ時特有の、胃へとダイレクトに食べ物が落ちる感覚を味わい顔が少し歪む。

 

「お前がいくら忘れて欲しがっても私は忘れないな」

 

ライラは精いっぱい真剣なフリをしている、とジェリドはすぐに気付いた。ライラの口元がニヤついていたからであった。

 

(とにかく噂が立たない事を祈るしかない)

 

ジェリドはニヤつくライラの口元を見ながら辟易した。

少し時をさかのぼろう。

つい数時間前、ジェリドがレイプまがいの事をライラの自室でやってのけた時、ちょっとしたトラブルがあったのだ。

ジェリドは「舐め犬」という二つ名にふさわしく、ライラの股ぐらに顔を突っ込むと、オトガイ舌筋の力を遺憾なく発揮していた。ライラの肉体は小刻みに震え、何度も腰を突きだすようにして浮かせてしまう。そういったタイミングに合わせて強弱をつけるジェリドの手腕は見事なものだった。

何度目かの絶頂を迎えようとした時、靄のかかった思考の中でライラはジェリドに仕返しをしてやろうと思った。絶頂する時生理的に内またを締め上げてしまうのだが、それを意識的に思い切り締め上げたのだ。

ジェリドがもしその時更なる追撃を行っていればあるいは助かったかもしれない。しかしジェリドも我慢の限界であった。そろそろ前戯も良いだろうと、顔をふっと浮かせたのだ。その瞬間にライラは運悪く達してしまい、ジェリドは思い切り頸動脈を内股で締め付けられる事となった。

あれ、と思った時にはもう遅い。完全に決まったそれは、手足に力が入らず、段々と思考がまとまらなくなり、眠くなるような結果を生みだした。ジェリドは全身のこりがほぐれたような心地よさの中、弛緩して気持ちよく落ちたのだった。

 

 ライラは荒い息の中ジェリドが落ちた事にしばらくして気づいた。心地よさそうに自分の股ぐらに顔を突っ込んだまま気絶している男を見て、ライラは急速に熱が冷めていくのを感じた。

ジェリドの前戯は中々のテクニックだ。ライラもそこは認めざるを得ない。これまで寝たどの男よりも熱心な愛撫は、レイプまがいの行いだったにしろライラの女を降りてこさせ、なし崩し的にライラはジェリドを許容してしまった。意外と押しに弱いのだ。

ただ、ライラはそういったオリエントの日本が好む様なねちっこいセックスはあまり好きではなかった。さらに言えば主導権を握られるのは嫌いな部類に入る。

ライラの好むセックスはスポーツの様な激しいものだ。お互いが激しく動き、汗で滑りながらもハードコアに絡み合っていく、そういったものだった。前戯にそんなに時間をかけられて、良いように自分ばかり逝かされるのは性に合わなかった。だからと言ってジェリドに逝かされたお相子に奉仕してやるのは違うとライラは思った。

 

 ライラはジェリドの頬を何度か叩いて意識を戻すと、気絶しながらもそそり立っていたジェリドのペニスを一瞥しただけでシャワーを浴びに行ってしまった。

ジェリドは何が何だか分からないと言った様子でぼうっとベッドに座っていたが、やがて思い出したのか青い顔をして浴室に向かう。

 

「ライラ!開けてくれ!」

 

浴室のドアを叩くもライラは開けようとはしなかった。

 

「大人しくしてな!」

 

出てけと言わないあたり、ライラの女が無意識にジェリドを求めていたと言える。こんな事をされたばかりだというのにライラは本能的に、「奴はいい男になる素質がある」とジェリドに感じており、まだ見捨ててはいなかった。

しかしジェリドにライラの気持ちなど分かるはずもなく、すごすごとベッドに引き返すと、先ほどの情事の元凶とも言うべき落ちたバスタオルを腰にまとい、神妙な顔つきで正座したのだった。

まさか憲兵にまでは突き出されまいとは思うものの、ライラさえその気ならジェリドを御縄にかけることも可能な事をジェリドはしでかしたのだ。今さらながら自分がやった事に気づき萎えていった。

 

結果から言うとシャワーから出たライラは、裸のままジェリドの前に現れると、この事は胸にしまっておくと言った。開かれた胸の前で言われてもな、とジェリドがライラの乳房を眺めてしまい、欲望がまたもや首をもたげてくるも先ほどの様な事はもうしない。

 

(だいたいライラはどうして裸で出てくるんだ)

 

欲望の次に疑問が首をもたげてくる。先に疑問がわかない辺り、ジェリドは真実男をやっていると言っていい。

 

(楽しんでいるんだ。俺の反応を)

 

そういったサディズムを持つ女だとジェリドは気づき始めていた。

ジェリドが何も言わず神妙な顔をして頷いたのを見て、ライラは思わず笑ってしまった。ライラは犬には詳しくないが、ジェリドが耳の垂れた毛のふさふさとした大型犬のようだと思った。体躯の割りに可愛げがあると感じたのだ。

笑いながら下着を身につけるとジェリドにシャワーを浴びさせ、夕飯を一緒にとろうとライラから食堂へ誘い、今に至る。

 

 食堂は飯時のピークを少し過ぎているのでそれほど人が多いわけでもないが、やはり何人かの士官が食事をしており、時折不思議そうにジェリド達のテーブルへ視線を這わせる者もいた。

当然ジェリドとライラが同じ卓で食事をしていた事はパイロット達に知れ渡り、舐め犬のジェリドとその飼い主として揶揄される事になる。ライラの目の前でそんな事を言えるものはいなかったが。

 

 

各員が真剣な様子で作戦を伝達するジャマイカンへ目をやっている中、ジェリドは一人、毎度のことながら焦っていた。

何度絞め落とされようともライラは命の恩人であり、人間として、女として、好ましく思っている。何とかして生き延びさせたい。そうは思っているのだが、事態は史実の通り進んでいるように思い、ジェリドは焦っていたのだ。

 

(どうしてこういう時だけ史実通りなのだ)

 

「ですから、艦隊を三つに分けて」

 

ジャマイカンが魔の宙域に入ったエゥーゴのアーガマが、サイド1かサイド2、もしくは月に行くのか現状では特定できない事を告げると、先ほどから苛立ち気に話を聞いていたライラが立ち上がり進言した。

 

「作戦参謀は私だよ!大尉」

 

その行動にジャマイカンが口をはさむなと怒りを露わにする。艦隊は三艦からなっているため、三つに分ける事は確かに可能だ。しかし、それではアーガマのブレックス准将の思うつぼなのだ。そのためにアーガマは危険を冒して魔の宙域に入り、行く先を特定されないようにしているのだから。

 

(敵は戦力の分散を我々に求めているのだ)

 

むざむざとそれを叶えてやるのはジャマイカンにとって我慢ならない事だった。しかしアーガマを捕捉する可能性を上げる手は、ライラに言われた通り戦力を分散する事であり、それはライラに言われる前から分かっていた。

しかし分散した戦力でアーガマと対峙するのは得策ではない。既に数度の戦闘を仕掛け、アーガマはそれをことごとく跳ね返してきているのだ。敵が予想以上の速さで宙域を離脱し、潜伏していれば各個撃破される可能性もあった。

開戦から後手後手の状況に、ブレックスめ!と思わず手に握っている指揮棒を思い切り床に投げつけたい衝動にかられるも、ジャマイカンはぐっと堪えると、口髭を撫でつけて平常心を保った。

冷静を装いながらもジャマイカンのその瞳にギラつくものを感じ、ライラは申し出る好機と捉えた。

 

「先の作戦で被弾したガルバルディ隊を修理してもらった分だけ、我々は働いて返さねばなりません。我々はティターンズではありませんので、ボスニアに戻り別ルートでアーガマを追います」

 

ライラの決定事項だと言わんばかりの態度に、ジャマイカンの額に青筋が浮かんだ。ジャマイカンはアーガマは必ず月に向かうと見ている。アナハイムの動きに奇妙なものがあると言う情報は前前から噂されていたし、月はその成り立ちの歴史的背景からもスペースノイドのメッカ的存在だ。ティターンズの目も最深部までは届かない。

大規模な補給を行うのにうってつけだと思えた。ただし万が一外れた場合の事を考えると、保険として巡洋艦ボスニアを別ルートに放つのも悪くはない。

しかしもしボスニアがアーガマと接敵すれば、それはライラの読みが当たっていた事につながるし、手柄もボスニア単艦の独り占めとなる恐れがあった。

ジャマイカンはうつむいて顎の贅肉をつまみ、考える。その視線の先には先ほどから激しく片足を貧乏ゆすりさせている落ち着きのないジェリドがいた。

 

(そうか。こいつを使うか)

 

勢いよく顔を上げると、やや芝居がかった口調でライラへ伝えた。

 

「良かろう。ただし戦い急ぐなよ。大尉は、戦争を好むタイプと聞いている」

 

「それは少佐の偏見です!」

 

思わず立ち上がり怒りをあらわにするライラに、ジャマイカンは意地悪く笑った。

 

「フン……接敵した場合の判断は大尉に任せるが、我々との合流が原則だぞ」

 

戦力の集中を待ってから攻撃を仕掛けるのだ、と釘をさす事も忘れない。

 

「はっ!行くぞ」

 

ライラがもうここには用は無いと言わんばかりにさっさと退室しそうになるのをジャマイカンは作り笑顔で止めた。

 

「そう急ぐな。ボスニアには贈り物がある。それまでは同調航路を取っているのだ」

 

ジャマイカンの猫なで声は、ライラに眉を上げさせ怪訝な表情を作らせた。

 

◆ジャマイカン・ダニンガン司令室

 

「わかるなジェリド。これはティターンズの輝かしい未来に貢献するチャンスだ。それに何もなければすぐにアレキサンドリアへと戻そうじゃないか」

 

ジャマイカンが自分のデスクの前にジェリドを立たせ、自身は革張りの椅子に腰かけたまま命令を出していた。

 

ジャマイカンは一般部隊だけに手柄を立てられる状況を嫌ったのだ。そこでティターンズも戦力を出し、直接支援した共同作戦であったと言えるようにしようとしたのだ。

その人選にはジェリドが充てられた。共同作戦であったと言えるくらいには階級が高く、しかしアレキサンドリアのお荷物とも言えるジェリドは、使い捨ての駒にするにはちょうど良かった。

 

「自分がボスニアに、一時的に配置換えするという事でしょうか」

 

ジェリドとしては願ったりかなったりだ。ライラが啖呵を切って退室し、このまま単独で30バンチに行くと思われた時は、ジェリドの顔は一層青ざめたものだった。

しかし、30バンチにライラと共に行けるという事は、ライラの死のリスクを減らす事が出来るかもしれないと、ジェリドは再び息を吹き返していた。

 

 

思いのほか好感触な事にジャマイカンはいぶかしんだ。ジャマイカンが知っているジェリドは、もっとプライドが高いタイプであったはずだ。この出向で、一時的とはいえ一般部隊の艦に一人で下る事に不満を持つだろうと思ったのだ。もちろん不満を持った所で命令を撤回する事はないのだが。

しかしこれはジャマイカンにとって好都合だ。そのまま畳みかける事にした。

 

「――そうだ。そこで中尉には先にも乗ったジムⅡでボスニアに向かってほしいのだ」

 

先ほどの貢献するチャンスと言っていた時とは違い、有無を言わせぬ空気をジェリドは感じ取った。ジャマイカンが階級と呼び名を使い分けてその空気を演出しているのだとジェリドは気付き、他人ごとのように感心した。

 

(いやまて。ジムⅡ一機だけで共同作戦とは、俺は捨て石か)

 

顔には出さないもののジェリドははっきりとジャマイカンの意思を感じ取り、嫌悪した。

 

「共同作戦とおっしゃるなら先の戦いで小破しております自分のジムⅡよりは」

 

ジェリドの冷静な指摘を受け、ジャマイカンは椅子を回転させ、ジェリドに背を向けることで会話を途切れさせた。

 

「……できないのかね?」

 

その見事な背もたれにより、ジェリドにはジャマイカンの後頭部しか見えていない状況だった。

 

「しかし……」

 

「君には、できないのかね?」

 

直も言い淀んだジェリドに、指揮官らしく感情の一切籠められていない冷徹な声でもう一度ジャマイカンは繰り返した。

これが出来ない者に興味はこれっぽっちも湧かないと言った様で、上官にそのような態度を取られては、部下であるジェリドには打つ手がなかった。

 

「――やらせて、頂きます」

 

「よかろう。それでこそティターンズだ」

 

くるりと椅子を回転させ、ジェリドに満面の笑みを向ける。

ジェリドはその笑みに生理的な嫌悪感を抱き、すぐさま敬礼し踝を返した。そのため、ジャマイカンの表情を消した能面の様な顔が、ジェリドの背に向けられていた事にはジェリドは終ぞ気づく事はなかった。

 

 

◆ボスニア

ジェリドが小破したジムⅡでボスニアのデッキに降り立つ。

ジムⅡの具合は表面の塗装がはがれ、装甲がむき出しになっている事と、大気圏に突入しかけた時に無理に使ったスラスターの出力低下を除いては、実戦にも耐えられるレベルだ。

先行していたライラから通信が入った。

 

「なんだってジェリド、あんたが来るんだ」

 

格納庫に入ったライラのガルバルディから来た通信に、案外せっかちな奴だと思いながらもジェリドは答えてやった。

 

「知るか」

 

「まあいい。ボスニアは連邦軍の艦だ。ここでは私の指示に従ってもらう」

 

端的に告げるジェリドにライラはいぶかしむ様に目を細めた。

ティターンズであるジェリドが派遣されたと言う事は、自身の事をジャマイカンが信用していないとライラは受け取った。ジェリドは監視の役目を授かったのだろうと推測すると、指揮系統を明らかにした。

 

「かまわない」

 

連邦軍の特殊部隊であるティターンズの軍人は、ライラの様な一般の軍人より一階級上の扱いだ。その事からジェリドは大尉待遇であり、ライラと同格扱いだ。ジャマイカンから何か密命を受けていたのならば、もう少し抵抗されると思ったのだが、すんなりと認めるジェリドにライラは困惑した。

 

そんなライラの機微に気づくジェリドではない。ジェリドは史実と成り行きが違っている事に適度の緊張感を持ちつつ、ライラの戦死するリスクが結果的に下がった事に少し安堵していた。

 

◆ボスニア、ブリッジ

 

「ジェリドメサ中尉、着任しました」

 

ボスニアのブリッジでジェリドが艦長のチャン・ヤー少佐に挨拶をする。

 

「艦長のチャン・ヤーだ。十分な支援を行うとジャマイカン司令から受けていたが、中尉一人とはな」

 

困惑した面持ちで話しながらも少し皮肉を入れたチャンに、ジェリドはティターンズとして複雑だった。

 

「司令には司令のお考えがあるのでしょう」

 

ジェリドは上司であるジャマイカンに悪態をつくわけにもいかなかった。

 

「いや、間違えないでくれ。司令に異議があるわけではない」

 

ティターンズともめ事を犯したくはないという意思を前面に出され、ジェリドは自分の立場を理解した。

 

(監査か何かと思っているのか)

 

「この艦はサイド1方面を担当する。中尉には士官室を用意しているから、接敵するまではくつろいでいてくれ」

 

 

チャン少佐の中年の作り笑顔を存分に見せつけられ、ティターンズとは何処に行っても煙たがられる存在だと言う事をジェリドは思い出した。

 

(ようはウロツクなってんだろ)

 

「御配慮有難く」

 

無表情で敬礼すると、ジェリドは下士官に士官室へと案内されブリッジを退室した。

 

「やれやれ、面倒事は御免だぞ」

 

チャンは出世よりも面倒を嫌った。特にジャマイカンに対して心証を良くするためにジェリドへとおべっかを使うつもりもない。

 

ジェリドの馬鹿でかい背中を見送りながら、チャンはため息をついた。

 

◆ボスニア居住区

 

ティターンズの制服でボスニアをうろつくとやはり目立つ。通路を歩いていると、格式ばった敬礼ばかりされ、ジェリドは息苦しさを感じた。

純粋な興味から酒保へ向かう。酒保とは兵士の日用品、飲食物、第二次大戦の野戦地などでは慰安施設までを賄った売店の様なものだ。旧世紀のアメリカ軍基地内の売店がPXと言われていた事は記憶に新しい。

ボスニアの酒保は日用品と飲食物、嗜好品を置いてある程度だ。宇宙世紀だけあって軍艦の酒保は、全て自動販売機の形態を取っており、無人だ。アレキサンドリアの方がやはり品ぞろえは良かった。

ジェリドが電子煙草を購入し、酒保の隣にある喫煙ボックスに入室する。電子煙草は煙を出さないため、入る必要はないのだが、喫煙行為に準ずるものである以上、喫煙ボックスで吸う事が奨励されている。たばこはとにかく嫌われるのだ。

ジェリドの身体はニコチンを体験したことがなく、カートリッジは一番弱いものを選んでいたが、少し頭がくらくらするのを感じ、ジェリドは吸うのをやめ、咥えているだけにした。

別に吸わなくてもいいのである。ジェリドの中の太郎は喫煙室で煙草をくわえながらボーっとするのが好きだった。

昨日は特に何もなく航行し、今日はサイド1にもうすぐ到着するとのことだった。そろそろめんどくさくなるな。と、ボーっとした頭でジェリドは考えていた。

全面ガラス張りの喫煙ボックスの中で、呆けたようにベンチに座り、煙草をふかしている様を見た連邦兵は、ティターンズの中でもこいつはエリートじゃないに違いないという印象を抱いた。用するに馬鹿に見えたのである。

 

 喫煙室を出る際にドアの前でたっぷりと掃除機の様なもので吸われ、付着物を取り払われると、ジェリドは外に出た。

案内してもらった士官室に入り、一通り見渡した後、軍服を脱いでごろりと横になると、ゴム製のベルトで体を固定する。低重力が敷いてあるとはいえ、油断はできない。

しかし、曲がりなりにも敵艦を追撃中の艦にいる兵には見えない行動を取り続けるジェリドだが、チャン艦長に「くつろいでいてくれ」等と言われた事を脳内で引き合いに出し、自分の行いを正当化していた。

 

「ジェリド!」

 

勢いよく自動扉が開いた。そういえばロックするのを忘れていたと思いだしながら、下着姿のまま起き上がった。軍人には寝まきなど必要ない。すぐに着替えて作戦行動できるようにそう訓練されていた。

 

「どうしたライラ大尉」

 

拘束ベルトを外しながらこちらを見ずに言うジェリドにライラは肩すかしをくらった。

 

「どうした急に」

 

大尉とつけて呼ばれた事に対する問いをライラが発した。

 

「ここではそう呼んだ方がいいかと思ったが」

 

昨日、指示に従えと言われた事を守っているとジェリドが答えると、ライラは少し機嫌を悪くして腕を組んだ。

 

「……二人の時はよせ」

 

(口調の割に可愛げがある)

 

ジェリドはにやりとしそうな口元を片手で覆うと、用件を尋ねた。

 

「了解だ。で? どうした慌てて」

 

「あぁ、そうだ。アーガマを捕捉した!30バンチだ。すぐ出るぞ」

 

ジェリドに言うなり部屋から飛び出していったライラを見送りながら、ジェリドも素早く仕度する。

 

(やっぱりおいでなすったか)

 

アーガマが史実通りに来ない事も可能性としては有り得ると考えていたジェリドだが、やはりこちらに来た事に安堵した。来ないなら身の危険が減るので確かに良いのだが、逆に史実から大きく外れている事になるため、今後の予想がしにくいと言う点でナンセンスだったのだ。

 

ジェリドは一人でパイロットスーツに着替えると、昨日のうちにアレキサンドリアで調達しておいたガンケースに入れたアサルトライフルと、手榴弾等の武装を入れたアタッシュケースを持ち、デッキに向かった。

ジェリドの塗装がはがれたジムⅡは目立つ。すぐに機体のもとへ行くと、跳び上がりコックピットに装備を投げ入れる。シートの背部に固定すると、各部のチェックを始めた。

整備兵の一人がやってくる。女性だ。

 

「ジェリド中尉、機体は特にいじってませんがほんとにこいつで出るんで?」

 

「そうだ」

 

「25%の出力ダウンが認められますけど」

 

「それは知っている」

 

シートが正常に稼働するか確かめながらジェリドは答えていたが、ふと顔を上げた。

 

「ライラ大尉の好きなものって何だ?」

 

急に自分が見当していた話題と違うものが振られ、整備兵は大いに焦った。

 

「いえ、わかりませんが、この間販売機でアレ買ってましたよ。バームクーヘン」

 

「そんなの売ってるのか」

 

「えぇ。一口サイズに切られてて一個一個梱包されてるんで、食べやすいんですよ」

 

「へぇ」

 

さすが女だけあって視点が男とは違う。ジェリドは、俺だったら丸い円型のほうが面白みがあって良いのになと思っていた。小分けされたバームクーヘンなど、それはもはやバームクーヘンではないではないか。

 

「頑張ってください!」

 

意味ありげな笑顔を向けられたジェリドは、それが出撃に対するものなのか、ライラに対するものなのか分からなかった。あるいは両方かもしれない。

曖昧な笑みを返すと、発進シークエンスをこなしていった。

 

 

 

◆30バンチ

 

30バンチに入港したアーガマに察知されぬよう、ボスニアは迂回して工業用ハッチ側に乗りつけ、ライラは自身を含めたガルバルディ三機とジェリドのジムⅡ一機を率いてコロニー内に侵入させた。

 

コロニーの中に入ると、歓迎するように一体のミイラが宙を舞った。風が吹き荒れており、砂塵が舞っていて視界の確保が難しかった。

思わず足につけたホルスターから銃を抜いたライラだったが、すぐに死体だと気付き、銃撃するまでには至らなかった。

 

「このコロニー、電気は生きているが死んだままだ」

 

「エゥーゴの秘密基地とやらにはうってつけってわけか」

 

「そうだな。しかしジェリド、随分な装備だが偵察するだけだぞ」

 

ジェリドはパイロットスーツの上にタクティカルベストを着用し、アサルトライフルと拳銃の予備弾装や、手榴弾を装備していた。

 

「遭遇したら戦わなくちゃならないだろ」

 

むしろライラ大尉らが軽装すぎなんだとジェリドがその迂闊さを話していると、ほか二人のパイロットが何処からかジープをひろってきた。

 

「これで港まで一っ走り出来そうです」

 

港町まで向かっている最中の景色はすばらしいものがあった。昔は観光用コロニーとして名を馳せた三十バンチは地球のグランドキャニオンを意識しており、至る所に立派な岩山がそびえ立つ。港近くの町は丁度その岩山らの谷にできていた。

 

(毒ガス作戦か……)

 

港町につき、至る所にミイラがいた。死体の数が多過ぎて埋葬されていないのだ。こんな所にいては気が狂ってしまうと、ジェリドは思わず身震いした。

 

毒ガス作戦とはティターンズの凶行の一つとして取り上げることができる虐殺の事で、コロニー内に住む実に千五百万人を殺害したことで関係者には有名だ。だが民間人には厳重な報道管制が敷かれており、「激発的な伝染病」によりコロニー内の人間が死滅した、としか知らされていない。

 

しかし今から二年前に起きたこの歴史的虐殺劇が、実はティターンズだけの行いではなかった事を知るものはこの場には誰もいない。

確かに実行したのはティターンズなれど、その作戦の命令を出したのは地球連邦政府である。

 

地球連邦政府は一年戦争以後、地球環境の再生に狂奔しており、宇宙を二の次と考えていた。戦後の重税、進まぬ復興、増していく差別意識にスペースノイドが反感を抱くのは当然だ。

反地球連邦政府運動がサイド1、サイド2を拠点として広まって行き、やがて Anti Earth Union Grou の頭文字をとったA.E.U.G.(エゥーゴ)が誕生した。

エゥーゴの扇動のもと、サイド1の30バンチで大規模な集会が開かれる事を知った地球連邦政府の高官達は、これを好機と見た。

使用が禁止されている致死性の極めて高いG3神経ガスを用いて、密閉したコロニーに使用したこの作戦は、中にいたスペースノイドを全滅させると言う完璧な結果を生みだした。

これにより、エゥーゴの硬化が一気に加速する事となる。地球連邦軍の軍人の中にもエゥーゴの同調者を増やし、エゥーゴは肥大していき、コロニーや月の各地で小競り合いが多発した。

しかしこの小競り合いこそが地球連邦政府の作戦だった。反地球連邦政府の活動をする膿を30バンチ事件で一気に出し、この運動を完全に殲滅すると言う物だ。

その膿を殲滅するためティターンズと言う組織を設営し、かつてのサイド7(今はティターンズの間ではグリーンノアと呼称されている)にティターンズの拠点を置いたのだ。

表向きは残存するジオンのゲリラ掃討部隊だが、裏では反地球連邦的な活動に対する弾圧を主とさせ設立させた。しかしティターンズ総帥であるジャミトフ・ハイマンの思想と、地球連邦政府の思惑には致命的なズレがあったのだが。

何にしろこの事件のおかげで、エゥーゴは奇しくも力を強めていく事となる。エゥーゴに資金援助しているアナハイム・エレクトロニクスの会長、メラニー・ヒュー・カーバインが30バンチ事件に一枚噛んでいる事は間違いなかった。

 

 

こんな複雑な事情をジェリドは知らない。ジェリドはただ、ティターンズがデモを弾圧するために大量虐殺をやったと認識していた。

 

(確か俺は毒ガス作戦をやらなくちゃならなくなる)

 

それが何処のコロニーなのかは分からないが、近い将来この悲惨な現状をもう一度起こさなくてはならない事をジェリドは思い出し、吐き気を催した。

 

「手分けして探そう私は西。お前たちは東だ」

 

ジープから降りると、ライラは隊をツーマンセルで行動させた。ジェリドはライラと組む事になる。

ライラが持ってきた携帯検知器でエアーにはまだ微量の毒性物質が検出されたが、短時間なら人体に害が出ないレベルであった。散策が長引き、パイロットスーツのエアーがなくなっても問題ないと言う事だったが、ジェリドにはバイザーを外してこのコロニーの空気を吸う事はためらわれた。

ヘルメット越しでも死の臭いが漂っているような気がするのだ。ジェリドが青い顔をしてライラの隣で棒立ちになっている事で、ライラはここが敵地である可能性を思い出し、身を引き締めた。

 

「私の後ろに。壁際から離れるな」

 

そう言いながら道沿いに立ち並ぶ建築物の壁際に立つと、ライラは銃口を下に向け、腕を伸ばした状態で注意深く前進していく。ジェリドもそれにならってライフルを胸の高さで構えながら姿勢を低く追従していった。

通りには数体のミイラが転がっている。時折ライラが除く通り沿いの建物の中にもミイラがいた。眼球が干からびる過程で腐り落ちており、存在しない。存在するはずの場所には暗い闇が広がっていた。

 

「こんな所、さっさとおさらばしたいぜ」

 

ジェリドがその光景に耐えかねて、思わず軽口をたたいたその時、銃声が響いた。

 

「何だ!」

 

ジェリドが咄嗟に姿勢を低くし、辺りを探るも敵の姿はない。しかし銃声は近かった。

 

「どうした!」

 

無線でライラが別行動をしているパイロットへ問いただすも返信はない。

 

「ちっ!ジェリドはジープを回せ!]

 

「あっおい!!」

 

ジェリドの制止を振り切ってライラは銃声の方角へ駆けだした。先の二人と別れてからそれほど時間はたっておらず、距離は近い。路地裏を辿りながら進んでいく。

ライラが猛然と駆けだしたのを見て、ジェリドも制止を諦めて元来た方角へ戻っていく。

 

「死ぬなよ!」

 

まだ無線が聞こえる範囲内にいるだろうと踏んで、ヘルメットに内蔵されているインカムに怒鳴るが、ライラからの応答はなかった。

 

 

 

 

通りをはさんで遮蔽物に隠れながら撃ちあっている人影が見え、ジェリドは道路に轍を作りながら乱暴にジープ型のエレカを停止させた。相変わらず砂埃がひどく、敵味方の識別がこの距離からでは難しかった。車から飛び降りると車体の陰に隠れながら様子を窺う。

 

「ライラ!来たぞ!」

ヘルメットに怒鳴るものの応答がない。最悪のパターンが頭をよぎる、しかし以前交戦中であるため両陣営とも生き残りがいるはずだった。

 

(停止する位置を間違えたか)

 

識別するには少し距離があり過ぎる。自らの致命的なミスにジェリドは舌打ちをすると、もう一度ジープに乗ってさらに近づこうと考えた。

そこへ猛烈な銃撃が襲う。

 

(右側か!)

 

ジェリドから見て右側にあるエレカのスクラップや、通り沿いの店内の軒先から半身を出して銃撃している集団が敵であると認識した。

 

 敵の数は3人。いずれもパイロットスーツだ。よく見れば敵には赤いパイロットスーツがいるようだ。ライラは赤色に近いと言っても、もっとパールのトーンが強かったのをジェリドは正確に見抜いていた。誤射はありえない。

 

敵の弾がジープの車体にあたり甲高い金属音が響く。ジェリドはすぐさま体を車体の陰に隠し縮こまると、コッキングレバーを引き、5.45×45mm高速ライフル弾を薬室に送りこんだ。

敵の一斉射が終わったと見るや、すぐさまジープ越しにリーン状態でアサルトライフルのレーザーサイトを覗いて標的を狙う。人間工学に基づいて設計された銃身はジェリドの身体に吸いつくようになじんだ。息を止め、己の鼓動を鼓膜に感じながら、ジェリドはトリガーを優しく引いた。

とたんに衝撃が上半身を襲うも、訓練で鍛え抜かれた体は無意識化にリコイル制御をおこない、正確無比な射撃が敵を襲う。

しかし、ジェリドが射撃を行う一瞬早く、敵はジェリドの射撃を予知していたかのように身を隠した。

 

この時代当たり前となっている前方排筴システムにより、銃身の右前方向から薬莢が排出された。重力がしっかりと働いているため、地面に音を立てて転がっていく。途中で狙いを訂正し、弾装が空になるまで敵の隠れた遮蔽物へ撃ち尽くすと、ジェリドはジープの車体にまたもや隠れた。

 

ジェリドが使用している銃は戦艦内での白兵戦も考慮され銃身が切り詰められており、所謂カービン型のライフルだ。P90やF2000のような形状をしているが、装弾機構は保守的な地球連邦らしくL字型マガジンを使用している。

 

「ライラ!」

 

ジェリドはL字の部分を持ってくるっと回すように空弾装を取り外すと、震える手で自らのヘルメットに予備弾装を打ちつけ、装弾不良のリスクを減らし、リロードを行いながらメット内でライラの名を叫んだ。

 

「くそっ!ライラ!応答しろ!」

 

「ジェリド!一人やられた!そちらへ合流したい」

 

ノイズ越しにライラの荒い息が伝わってくる。

 

「生きていたか!」

 

ジェリドの目に輝きが戻る。

 

「この場は不味い!カウントスリーでエレカへ行く!頼むぞ!」

 

地理的に不利な状況にあるらしく、ライラの声には余裕がなかった。

 

「了解だ!」

 

ジェリドの援護射撃中にジープまで走って向かってくると言う事だ。つまり、ジェリドの火線が止めば、敵の銃撃がライラ達を襲うだろう。今、3人の命を預かっているのはジェリド唯ひとりなのだ。その責任の重さに心拍数が上がるも、了承した。

 

「――大尉。自分の事は置いて行ってください。このままでは全滅です」

 

「馬鹿を言うなっ!」

 

負傷したパイロットがかすれた声でライラへ進言するも、ライラはそれを一考にも値しないと、振り払う。

 

 

「よし、行くぞ。3、2、1、GO!」

 

カウントと同時にジェリドが車体から頭を出し、先ほど撃ってこられたポイントへ猛烈な火線を放つのと、敵の黄色いパイロットスーツが放った拳銃弾がジェリドのメットに命中してしまったのは同時だった。甲高い金属音がメット内で轟音となって響き、鼓膜がきしむ。と同時に、頭が首からもげて後ろに吹っ飛んでいくような衝撃を感じ、視界にコロニーの空が広がった。雲の発生していない死んだコロニーでは。頭上にビルや山々が垂れ下がるように生えているのが見えた。

 

(なんだこれ?山が空から垂れている。つららみたいだ。ああそうか。コロニーの反対側が見えているんだ)

ぼんやりとした頭でジェリドの意識は今にも飛び去って行きそうだった。音が後ろに置いて行かれた様に聞こえない。

 

(空?なんで俺は上を見ているんだろう?)

 

「ジェリド!!」

 

メット内の内臓スピーカーから大音量で流れているはずのライラの悲鳴が、どこか遠くで聞こえる。握力が緩み、ライフルが手からこぼれおちそうだ。膝が衝撃をこらえ切れず、地について背中がゆっくりと地面へ吸い寄せられていく。背中が地面についても、ジェリドは衝撃を感じることができなかった。せいぜい視界がブレた事しかわからない。

 

(ライラ、の声?)

 

ぎゅるぎゅるとテープを巻き戻すように意識が徐々に覚醒していく。

 

 

「大尉、もう、充分です。ありがとう、ございました。達者で!」

 

負傷したパイロットが両脇を抱えてくれていたライラともう一人のパイロットを突き飛ばすと、振り返り、遮蔽物もない道の真ん中で、銃を抜き敵へ向けて発砲した。口と胸からは大量の血が流れており、膝は地面についていた。立ち上がることができないのだ。

撃たれた左胸が焼きごてを当てられているかのように熱く痛んだ。息苦しくなって新鮮な空気を求め、ヘルメットのバイザーを開きながらも拳銃弾を放つ。肉体は即座に射撃を止めて安静にするよう痛みを持って教えてくるが、歯を食いしばってそれを耐えた。リコイルの度に激痛が襲い、狙いがぶれる。しかし、それでも射撃を止める気はなかった。敬愛するライラがジープの方角で何か叫んでいる。恐らく自分を連れ戻そうとしているが、相棒に制止されてるんだろう。

 

(大尉を頼んだぜ、相棒)

 

それがパイロットの最期の思考だった。敵の隠れている遮蔽物に向かい散発的な射撃を加えている途中、血が足りなくなったのか手の震えが止まらなくなった。かちゃかちゃと銃身が揺れる音ももはや聞こえない。只片腕を上げ続けることで精いっぱいだった。

 

銃撃が止んだ事で、赤いパイロットスーツを着たクワトロ大尉が身を乗り出して放った銃弾は、無慈悲にもそのパイロットの眉間を貫き、メット内に脳髄をまき散らしながら、膝を地面につき座ったままの姿勢で息絶えた。

 

 長年ライラの僚機として組んでいた二人のパイロットは、言葉を交わさなくてもその意思の疎通ができていた。

 

「大尉!あいつの覚悟を無駄にする気ですかっ!」

 

「うわああ!あいつめ!殺してやる!」

 

片腕で暴れるライラを引きずるようにし、効き腕で銃を後方に乱射しながら、パイロットがジープへ向かっていく。

 

 

音が、戻ってきた。

 

「ンヴぁぁああッ!!!」

 

急激な息苦しさを知覚し、ジェリドはメットを脱ぎ捨てて、息を思い切り吸い込む。どうやら息を吸うのを忘れていたようだった。毛細血管が膨らんでいくような血流を感じた。ヘルメットは機密を保持するため脱ぎにくい構造になっているはずだったが、ぬるりと脱げた。と同時にぼたぼたとこめかみから顎を伝って血が渇いた地面に落ちていく。血が摩擦を軽減していたのだ。

 

ジェリドは手の平から取りこぼしそうだった銃を、酸素を取り込んだ事により戻った握力で握り直し、起き上りざまにジープのボンネットに体を投げ出した。

すぐさまひじを固定し、狙いもつけずにライフルを乱射した。ボンネットに薬莢があたって跳ねまわっている。

 

「ジェリド!生きてたのか!」

ライラの叫びが聞こえる。

「あたりまえだ!急げ!」

我武者羅に撃ち続けるジェリドの姿を見て、ライラは気を取り直した。

援護射撃が再開された事で、敵の銃撃が止む。頭部に猛烈な痛みを感じながらも、ジェリドは射撃を継続させた。

 ライラ達がエレカに乗り込んだのと弾が切れたのはほぼ同時だった。ライラが運転席に飛び込むと素早くアクセルを踏んで後退させていく。ジェリドもすぐにボンネットから後部座席へ飛び乗った。それを追いかけるように敵の黄色いパイロットスーツが遮蔽物を飛び出して、拳銃から弾丸を放ったのをジェリドは見た。そばには赤いパイロットスーツと白いパイロットスーツも見える。

咄嗟に弾が切れたアサルトライフルを車内に投げ捨て、サブウェポンを抜いて反撃しようとするも、ジェリドはこの距離で顔など見えるはずがないと言うのに、そのヘルメットのバイザーの奥にエマの顔が見えた気がした。身体が硬直する。

黄色いパイロットスーツの放った弾丸が、ジェリドの頬を裂いてかすめていった。

飛んでいる砂塵が血でジェリドの顔面に張り付いて行く。ジェリドは思わず、叫んていた。

 

「エマ・シーン!!!」

 

ジェリドの馬鹿でかい声が伝わったのか、黄色いパイロットスーツは確かに硬直した。が、返事はなかった。エレカはその隙にターンすると、そのまま後退していった。

「ジェリド、傷は?」

 

ライラの問いにジェリドは痛みを思い出したかのように顔をしかめるも、しっかりとした声で答えた。

 

「大丈夫だ。額を裂いただけのようだ」

 

「……先ほどのは知り合いか」

 

ライラの問いに、ジェリドは額についた血をぬぐいながら答えた。

 

「元ティターンズだ」

 

「あぁ……。中尉、すまなかった。仇は必ず討つ」

 

ライラはつい最近脱走した兵がいた事を思い出し、それ以上聞くのを止めると、助手席に座るガルバルディ隊のパイロットへと向かって先ほど取り乱した事を謝罪した。

 

「はい。必ず」

 

もう一人のガルバルディ隊のパイロットが静かに、しかし力強く頷いた。

 

ジェリドは今さらながら、このコロニー独特の強烈な匂いを感じた。

ジェリドは見えてきた工業用ハッチ側の内壁を見ながら、昔、死んだネズミの腐乱臭を嗅いだ時のように、この臭いは脳内にこびりつくだろうと漠然と思ったのだった。

 

 

 



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第十一話

 ジェリドは激怒していた。

もちろんその原因は先のエマシーンに発砲された事に起因する。かつて共に厳しい訓練を乗り越え、飯を共にした同胞に撃たれたのだ。しかも二発もジェリドに命中しており、ジェリドの右頬と額の一部は裂かれ、激しい出血が見られた。今は医療用の強力なバンドエイドを貼って止血しているが、早急に手当てが必要だった。

 さらにはエマシーンによってメットを打ち抜かれたため、ジェリドのメットは使い物にならず、コロニー内に脱ぎ捨ててしまった。つまり、真空状態のドッグに置いてあるMSに、メットのないジェリドは乗れないのだ。

そのため、ライラ達に先に脱出してもらい、ジェリドはドッグがエアーで満たされるまで待ってからジムⅡに乗らなければならなかった。

 

 既にライラ隊のガルバルディとエゥーゴの面々との戦闘は始まっている。この局面で出遅れる事はジェリドにとって不本意であり、ライラの安否が気になるジェリドを大いに焦らせ苛立たせたのだ。

傷を負ったのも、メットが駄目になり出遅れたのもエマ・シーンのせいであると結論付け、ジェリドは歯ぎしりした。

傷を心配したライラのはからいにより、母艦に帰投するよう命ぜられたものの、ジェリドはその命令を無視して戦場へと赴いた。

暗い宙空では、MSを機動させる際に出てしまうスラスターの輝きは悪目立ちする。ジェリドはすぐに交戦ポイントを割り出す事が出来た。

 

 漂うようにして現れたジムⅡにライラは命令を破られた事に少し眉をひそめるも、そんな事で引き下がるような男ではない事も承知していた為、特に何も言わなかった。

ライラは敵にガルバルディが渡る事を嫌い、僚機に死んだパイロットのガルバルディを積ませ母艦へと帰投させた。すぐさま予備パイロットを乗せて参戦するようには言ってあったが、ジェリドが来るまではライラ一機で敵のガンダムを抑えていた状況だ。

 

「加勢する!」

 

 ミノフスキー散布下における独特のノイズ音に混じって、ジェリドの声がライラに届いた。

 

「ガンダムタイプ一機。手強いぞ!」

 

 ライラは怒鳴り返すとすぐさまスラスターを噴かせ、更に加速しガンダムマークIIを追いかけた。

ジェリドもライラを追尾し援護しようとするものの、出力差によりまったく追いつくことができない。

 

(なんて重さだ!)

 

 25%の出力ダウンによるものだ。通常時でさえガルバルディに追いつくには、ガルバルディ以上にスラスターを噴かさなくてはならないというのに、今ジェリドが乗っている機体は更にパワーダウンしている。追いつけるはずがなかった。

 

 これでは援護どころか的になってしまう!思わずそんな考えが頭にちらつき、不快な汗が出てくる。血に混じったピンク色の水滴がコックピット内を漂った。

しかし今のジェリドに出来る事は前を航行するライラを懸命に追う事だけだ。ジェリドは前方で行われる戦闘の光を追っていった。

 

 しばらくすると、コロニーの外壁を沿うようにして二機が戦い始めた。時折、銃撃を受けた外壁が崩れ、その破片がデブリとなってジェリドの機体を襲う。

 

「うおっ!」

 

 今のは大きかったと、思わず視線を後ろのデブリへと向けた時だった。そのデブリの影にほとんど隠れてはいたのだが、チラッと後方で光が走ったのをジェリドの目は捉えた。MS特有の光の走り方だ。寒気が奔る。

咄嗟にジムⅡの脚部についているマグネットの出力を最大にし、スラスターを噴かしてコロニーの外壁へ急速下降する。噴射剤と磁力を使い、通常よりも素早く外壁に張り付いたため、もろくなった外壁の表層の一部が剥がれ落ち、宙を漂った。

 

瞬間、頭上を漂っていたデブリの一部にビームによる閃光が命中し、貫通して通り抜けた。

 

「新手かっ!」

 

 コンソールでコンピューターに索敵チェックをさせる。周囲に一つ、熱源反応があった。

ジェリドはデブリが完全に溶解せずに貫通した事で、艦船によるビーム砲撃ではなく、MSの武装によるビーム射撃だと推察した。

すぐさま第二撃に備えスラスターを噴かし、コロニーの外壁を沿いながら、コロニーに纏わりつくように螺旋を描いて低空飛行する。すぐに第二撃が先ほどまで着地していた地点を襲い、コロニーの外壁を溶かしていくのが見えた。

 

「見えた!」

 

 先ほどより接近した位置からの射撃を受け、ジェリドは敵機を視認する事に成功する。

 機影は黒いリックディアス。原作ではアポリー中尉の機体を借りたクワトロ大尉と、ロベルト中尉のリックディアスの2機がガンダムのバックアップについていた。

しかし、元同胞であるティターンズ軍人に対して確固たる射撃を見せたエマに、クワトロはブレックスに捕虜扱いを止めさせ、MSを操縦させる事を進言した。

これにブレックスが押される形になり、カミーユとエマを前線に出させ、今回で両パイロットの実力とガンダムマークⅡの性能を一挙に試そうというわけだった。クワトロは史実通りアポリー中尉の機体を借りて後方に控えている。

つまり、この本来ロベルト中尉の機体であるリックディアスに搭乗しているのはエマ・シーンであり、今最もジェリドが会いたくない相手であった。しかし、ジェリドには当然誰が乗っているか等分かるはずもない。

 

「ディアスか!」

 

 ジェリドは捕捉したリックディアスへジムⅡの機体を反転させ、ビームライフルを放った。当たれば上等程度の牽制射撃だ。

敵機がコロニーの陰に隠れたのを見てジェリドは敵機を無視し、ジムⅡをライラとカミーユの戦う戦闘宙域へと進めた。

行かせはしないと、またもや敵機の射撃による閃光が奔った。

 

「しつこい野郎だ!」

 

 ジェリドは敵が自分とライラの合流を阻止する狙いのようだと感じ、このまま合流するのは危険だと考えた。ここで撃破しておかねば航行中に撃たれる可能性がある。

しかし、小破したジムⅡでリックディアスを堕とすのはジェリドの腕では厳しいものがあるとジェリドは自己分析していた。そのため、ジェリドは不用意に敵機へと相対し戦闘を行う事は避けたかった。

仕方なく消極的な射撃を行った後、敵機がコロニーを利用して視界から外れたのを見て、またもライラ機へ向かって前進する。

 それを見計らったかのようにコロニーの陰から半身を出したリックディアスは、ジェリド機へ急速接近しながらビームを放った。

ジェリドが何としても前方と合流したがっている事に感づき、ライラ隊との合流をここで絶対阻止する構えを取ったのだ。

 

「うっ!」

 

 想定外の速度で接近され、キルレンジからの射撃に驚いたジェリドだったが、MSは振り返らせず、銃を肩に乗せ、銃口を背面に向けると、銃身が逆さまの状態ですぐさまビームライフルを放った。クワトロ大尉が得意とする背面射撃をジェリドが真似たのだ。

 しかし正確には、クワトロの背面射撃は、MSもパイロットもノールックで敵機を見ずに感覚のみで行っているが、ジェリドにはそのような技術はない。

全天周囲モニターとリニアシートの特性を生かして、シートを180度回転させ、背面の様子をつぶさにチェックしながらの射撃だ。相手からすれば、敵機が自機とは対面していないので、パイロットの注意は前方に向いていると思うだろうとジェリドは考えたのだ。

 敵機が回避を試みたが、一瞬早くビームが命中した。コックピットはそれたが、敵機の右腕部に深刻なダメージを与えたのが見て取れた。ビームピストルを下げた右腕はだらりと垂れ、持ち上がる様子がない。

 

「何だ?」

 

 命中したと言うのにジェリドの表情はすぐれない。違和感を感じていたのだ。

今まで戦ってきた相手より格段にレベルが低い。アーガマに配属されているパイロットの錬度は、非常に高レベルであった。この程度のフェイントは避けて当然だ。

 

(機体に慣れていない?)

 

 しかし、今は戦闘中だ。敵機のパイロットを探っている場合ではない。早く片をつけてライラの援護に行かなくてはならないとジェリドは思い直した。

ジェリドは被弾し、回避運動を取る敵機へ向けてついに機体を反転させ、突撃をかけた。

ビームライフルを放ちながらジムⅡが接近する。敵機は回避運動を取りながらのビームピストルの持ち替えに一瞬手間取ったため、ジェリドの接近を許してしまった。

 

「堕ちろ!」

 

ジェリドがビームライフルをキルレンジで放とうとした時、一瞬早くリックディアスは左手に持ち替え、そのビームピストルでジムⅡを狙撃した。ピストルの持ち替えに手間取って見せたのはブラフだったのだ。

リックディアスの放った一撃は、ジムⅡの右手に持っているライフルに命中し、爆発が起こる。

 

「ああッ」

 

主兵装と右マニピュレーターを破壊され、ジェリドは焦った。

 

「くそ!」

 

 右腕で操縦桿を倒し、左腕でスラスターレバーを渾身の力を込めて押しこんだ。押し込む途中につけられたリミッター用の留め具がはじけ飛び、エンジンが悲鳴を上げる。急激な加速によるGで、リニアシートにジェリドの頭部がめり込んでいく。

 

「タイマー起動!逆算!」

 

命令を音声入力する。リミッターを外して常用外の出力でエンジンを運転させ続ければ、機体は火だるまになってしまう。エンジンが爆発するまでの秒数は12秒とモニターに示された。

 

 盾を構えて、爆煙から掻い潜って唸りを上げて突進するジムⅡに、リックディアスは咄嗟の対応がわずかに遅れてしまった。

ビームピストルをジムⅡに向けようとした時には、ジムⅡがリックディアスにめり込むようにして突進されており、エマは衝撃でバウンドするように頭をコンソールへと打ちつけられた。

 

 ジェリドは衝撃による激しい振動に襲われ、胃の中の物が逆流しかけた。目前のコンソールに額の傷を思い切り打ちつけ、ぱっくりと割れた傷から血の玉が宙を舞い漂う。反応して運転し始めたエアクリーナーの音が鬱陶しかった。

機体のどこかが歪んだようなきしむ振動音がコックピット内に響いても、ジェリドは加速を止めなかった。

組みつかれたリックディアスがビームピストルを乱射するものの、ジェリドが咄嗟に左手に装備した盾で銃口を逸らしたため、命中には至らない。

ジェリドはスラスターをそのまま噴かし続け、リックディアスをコロニーの外壁に叩きつけようとした。

 

 エマがリックディアスのスラスターを使って減速を試みるが、すでに追突は免れない速度が出ていた。アポジモーターを使いエマは機体の進行方向を変えながらジムⅡごとリックディアスをロールさせた。

 

「離れなさい!」

 

 ヘルメットなしでマイナスGに襲われたジェリドは呼吸がほとんどできなかった。視界が赤く染まっていくのを感じながらも聞こえてきた聞きなれた声にジェリドは驚愕した。

 

「エマ!」

 

「ジェリド!?」

 

 エマのアポジモーターの操作によりコロニーの強固な外壁からそれた二機は、開放型コロニー特有のミラーを何百枚と滑るように破り、コロニー内へと突っ込んでいった。

 

 

 衝撃で二機の絡みが取れ、エマは素早く制動をかける事に成功し破ってきたミラーの方の地面に着地した。ジェリドはコロニーの地表にぶつかる前に、腕を上げるのも厳しいGの中、スロットルレバーを急速に引き戻し、ペダルを踏み込み逆噴射した。

当然勢いを全て殺す事が出来ず、盛大に地表を機体の背で削りながらの着地となり、ジェリドはリニアシートが無ければ気絶していてもおかしくはなかっただろう。

飛びかけた意識を何とか戻すと、索敵する。エマ機は頭上にいた。コロニーの反対側に立っているのだ。ジェリドには天上にぶら下がっているように見える。

エマ機がこちらへと荒い挙動で向かってくるのを察知すると、機体を起き上がらせ、ジェリドもエマ機へと飛び立った。

 

(苛立っているな)

 

 エマの動きには乗りなれていない機体というだけではなく、感情面の働きかけによって精細が欠けているとジェリドは感じた。

 

「こんな戦い方をして、いずれ死ぬわ!」

 

オープンチャンネルにエマの怒声が飛びこんでくる。

 

(ほら来た)

 

 自分の予想が中ったことでジェリドは額から垂れた血の滴を舐めとりながら、口元がにやけた。

 

「このコロニーの惨状を見ても、まだティターンズにいるつもりなの!ジェリド・メサ!貴方はこちら側の人間のはずでしょ!」

 

ジェリドが答えない事でエマの苛立ちはさらに加速された。本来であれば魅力的なエマの声には、今や非難の色が色濃くのっていた。

 

 ジェリドは分からなかった。確かにこのコロニーの惨状は、ジェリドにとっても到底受け入れ難いものだ。エゥーゴの方が陣営としては向いているかもしれない。ティターンズでの出世もジャマイカンの自身に対する態度を見ると厳しいものがある事は感じ取っていた。

太郎だけであれば、エマの説得に応じ、ころりと陣替えをしたかもしれない。しかし、太郎の魂が包んでいるジェリドの魂の素体とも言えるべき、奥深くの心のコアがそれを否定するのだ。それには血の問題があった。

 

「エマ、お前はジェリド・メサの何を知っているんだ」

 

「何って」

 

エマが言葉に詰まると、ジェリドは息をひとつ吐いて長々と語り始めた。

 

「お前には言っておこう。俺の家は昔から代々軍人家系だった。曾祖父は地球連邦軍の大佐まで上り詰めた元飛行機乗り。祖父は宇宙における戦術の基礎を固めた第一人者だ。親父はオーストラリアで基地司令をやっていた。当然家族はオーストラリアで暮らしていたよ」

「オーストラリア……」

 

エマは感づき、はっとした。

 

「そうだ。ジオンによるコロニー落としによって、もっとも被害が甚大だった大陸だ。空が落ちてくる中、最後まで住民の避難誘導をしていた親父は、多くの将兵と共に基地ごと消滅した。俺は家族と軍用ヘリで避難していたが、余波を受けてヘリは墜落した。生き残ったのは、俺一人と言うわけだ。しばらくして、落ち着いたころにオーストラリアに行ってみたが、そこにはシドニー湾とかいうふざけた傷跡があっただけだ」

 

「だから俺は、ジオンの残党狩りを掲げたこの組織で、ジオンを討つ!」

 

 ジェリドは心の奥底にしまっておいた決意を吐き出すようにエマへぶつけ、ぶつけられたエマは言葉が詰まった。

しかし、ジェリドはまだ言葉をつづけた。

 

「……そう、思っていたんだがなぁ。この惨状を見れば、少しは揺らぐってもんだ。これじゃジオンと変わらないものな。」

 

ジェリドがジムⅡの腕を振れば、漂ったミイラが腕にあたって砂になっていく。

 

「じゃあ」

 

エマはその行為に一瞬顔をしかめたが、声色に明るいものがさす。

 

「ダメだ」

 

上げて落とすようにして拒絶された事で、エマは完全に虚を突かれた。

 

「どうして!」

 

「俺はモンブランを撃沈した」

 

ジェリドはMSの手に付着したミイラのかけらを眺めながら冷酷な表情で述べた。

 

「あれは貴方だったの……。ジェリド、あなたへの言葉での説得は、どうやら無駄のようね」

 

 エマは何も、モンブランを撃沈された事でジェリドに敵意を表したのではない。ジェリドの苦悩を読みとったのだ。心ではエゥーゴに行きたいジェリドだが、軍人の系譜と、何よりも自分の戦果によって生まれた人死にによって、ティターンズに縛り付けられているのだ。

ここでエゥーゴに鞍替えすれば、ジェリドはモンブランを撃沈した意味がなくなってしまう。百人以上の人死にを出した事は、ジェリドの心をいたく蝕んでいた。もう、後戻りできないのだ。ジェリドはすでに前に進むことしかできなかった。

 

「ありがとう。嬉しかったよ」

 

 エマに誘いを受けた事に感謝の念を送りながら、場の空気が変わった事をジェリドは敏感に感じ取っていた。エマが戦闘をする気になったと言う事だ。

長々と生い立ちをエマに話しながらも、ジェリドは機体のダメージをコンソールで把握していた。

左脚部の膝関節と、右手マニピュレーターの損傷が激しく、いくつかのアポジモーターが落下の衝撃で歪んだことが見受けられた。空中戦でも地上戦でも不利な状況だ。絶望と言える。

 

「だから私は、あなたを止める!」

 

 先に動いたのはエマだった。左手に構えたビームピストルを素早くジェリドに向けると、躊躇うことなく発砲した。お互いの機体の距離は格闘戦を行えるほど接近した距離だったが、射撃の得意なエマらしい一手だと言えた。

前もって読んでいたジェリドは、ビームをシールドで防ぐと、ビームに押されていくように落下し、コロニー内の山へ着地すると地表を削りながら滑走していく。

 

 追撃の手を緩めないエマはそのまま上空から接近し、射撃を浴びせる。

ジェリドは機体をジャンプさせてその場から飛び退くと、岩山の陰に隠れて射撃をやり過ごした。

エマのリックディアスが地表に降り立ったのをジェリドは振動で感じると、着地時の膝の硬直を狙ってすぐさまエマ機に斬りかかった。

 

「っく!」

 

 エマはそれをスラスターを噴かして横っ跳びでかわすと、頭部のファランクスを放つ。ジェリドはこれまでに数度のビーム射撃を防いだボロボロのジムⅡの盾で防がせる。何発かがシールドを貫通してジムⅡのボディに嫌な音を響かせた。ジェリドは再度踏み込もうとしたが、コックピットの警報音に素早く索敵チェックする。

 

「何!?後ろか!」

 

 レーダーに表示された機影へ振り向くと、機体の後ろからガンダムがこちらへ銃口を向けているのが見えた。ハイパーバズーカだ。盾で防いでは腕ごと捥ぎ取られると瞬時に判断したジェリドは、回避運動を取る。

 

「間に合えっ!ぅうぐっ」

 

 そこへ、エマ機からの銃撃を浴び、ついにジムⅡの盾は鉄くずと化した。すぐさまパージしてデットウェイトとなったシールドをその場から飛び退きざまにエマへと放り投げる。着地点でハイパーバズーカの至近弾を喰らった機体は、爆風を受け、弱っていた膝関節はバランスを失いついに左ひざから崩れ落ちた。

エマのリックディアスが投げられたシールドを左腕ではらったのを見たジェリドは片膝をついたまま頭部バルカンでエマのビームピストルへ射撃した。

 

「まだだ!」

 

 バルカンがリックディアスの手首ごとビームピストルをえぐり落とした。すかさず後ろのガンダムへ向き直ると、ハイパーバズーカの銃口がジムⅡのコックピットへ向いているのが視認できた。

 

「やられる!」

 

「いい加減、堕ちろよ!」

 

 カミーユの叫びと共にガンダムマークⅡによって止めを刺されそうになったその時、ハイパーバズーカの銃身が赤く焼きつきながら切断された。

 

「ライラ!」

 

「すまないジェリド、遅くなった!」

 

 死角から矢のように飛びこんできたライラのガルバルディは、バズーカを無力化すると、間髪いれずにマークⅡの胴を薙ぎ払う。たまらずマークⅡはバズーカを手放し、上半身を逸らしながらその場から飛びのいた

 

「何だこの動きは!」

 

 人間の様な柔軟性の高い動きにライラは戦慄した。ガンダムマークⅡのムーバブルフレームは従来のMSより、人間らしい動きを可能としていたのだ。

 

(この好機を逃してはだめだ!)

 

 ジェリドは片膝をついたままのジムⅡを素早く立たせると、最大出力でスラスターを噴かし、ガンダムマークⅡへ突進をかけた。

エマ機のリックディアスはジェリドの攻撃により、右腕と左マニピュレーターに深刻なダメージを負っており、武器を持てない状況に追い込まれていたため、撤退に入ろうとしていた。その挙動をジェリドは見透かしていた。

現在の脅威度ではカミーユの無力化が先決だと踏んだのだ。

ライラと斬り結んでいたカミーユは右から土煙を上げながら迫るジムⅡに対応が遅れてしまった。

 

「なんだ!?」

 

 ジェリドはそのままガンダムの右腹にジムⅡの左膝をめり込ませる。ゴウンとコロニー内に重い衝撃音が響く。ジェリドの一撃は、ガンダムの腹部を損傷させ、カミーユはコックピットに直撃したその衝撃で脳をシェイクされ、気絶した。

ジムⅡの膝の関節パーツが衝撃で砕け散り、左膝から下の脚部が落下していくのを視線の端に捉えながら、動かなくなったガンダムと共にジムⅡは土煙を上げて地面に転がっていった。

 

「ジェリド!離れろ!」

 

ライラが止めを刺そうとビームサーベルで斬りかかると、エマ機がファランクスでそれを阻止する。

 

「っち!死に損ないが!」

 

標的をエマに向けたライラがビームライフルに持ち替えて素早く射撃する。

 

「カミーユ!目を覚まして!」

 

それをぎりぎりの所で避けながらエマは悲鳴を上げるようにカミーユへ叫んでいた。

 

「ジェリド!どうした!ジェリド、立て!」

 

エマと対峙しながら、動かないジムⅡを見てライラに嫌な予感が奔った。コックピットは凄まじい衝撃だったはずだ。攻撃した方もただでは済んでいまい。

 

 ジェリドはカミーユと同じく気絶していた。しかし、特殊部隊として訓練を積んできたジェリドはカミーユとは鍛え方が違う。すぐさま意識を取り戻した。

挙動の怪しくなったジムⅡを無理に上体を起こさせると、左手でビームサーベルを抜いた。

 

 

 ガンダムマークⅡに乗っているのはカミーユ・ビダンだとジェリドにはわかっていた。一瞬の迷いが生まれる。その迷いとはカミーユに情けをかける等と言った物ではなく、自分の進退に対する不安である。カミーユを殺すリスクを恐れたのだ。

 

「ジェリド!やれ!」

 

「うおおお!」

 

ライラの声に押されるようにして、ジェリドは確固たる殺意を持ってコックピットへサーベルを突き立てた。

 

 

 

カミーユが意識を取り戻すと、モニターいっぱいに桃色の光が広がっていた。

 

(ビーム、サーベル)

 

全身の血の気が引く音が聞こえた気がした。ベトとついた黒いオイルを噴き出しながら、ビームサーベルを振り下ろす泥まみれのジムⅡが桃色の光の後ろ側に見える。

ふと、泣いているファの姿が目に浮かんだ。それは出来の悪いホログラムのように透けていたが、カミーユは自分が死の淵で安心したのを感じた。

 

「泣くなよ」

 

カミーユはフッと笑ってファの涙を指でぬぐってやろうと手を伸ばした。ジュッと言う肉の焦げるような音を立てながら、ビームサーベルの先端がコックピットの装甲を溶かす音が聞こえた。

 

 

「えぇい!」

 

声が聞こえた。ファの物ではない。男性の物だ。耳ではなく、頭の中に響くようにして聞こえたその声が、クワトロ大尉の物だとカミーユは気づいた。

 

次の瞬間、ジムⅡの左腕がビームサーベルごと消し飛んでいた。マークⅡのコックピットを守る胸部装甲の表層へ、ビームサーベルで引っ掛かれた傷のラインができる。

マークⅡに乗っかっているジムⅡがぐらりとよろめいた。ふとモニターの上部を見ると、ジムⅡの頭も消し飛んでいた。

 

「カミーユ君!ぼやぼやするな!アーガマが急襲を受けている!撤退するぞ!」

 

クワトロの切羽詰まった声を聞いて、急速にカミーユのぼやけた意識が覚醒していった。

 

「なんだってファなんかが……」

 

マークⅡの横にピクリともせずに転がっているジムⅡを一瞥すると、すぐにカミーユは死のコロニーを離脱した。

 

 

 

 



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第十二話

2016年6月14日
最後のほうだけ改稿しました。ごめんなさい



◆執務室

カクリコンから執務室で報告を受けながら、ジャマイカンは革張りの椅子にふかぶかと腰掛け、笑みを浮かべていた。

先の戦闘において、クワトロがカミーユを連れて撤退しなければならい要因を作ったアーガマの強襲は、カクリコンのMS隊が行っていた。コロニー内で激しい戦闘が行われている事と、ボスニアが急襲されている事を閃光によって光学センサーで察知したジャマイカンは、アーガマの戦力がコロニーに封じ込められ、残りの直掩隊もボスニアを叩いている今こそ、アーガマを叩くチャンスだとティターンズのMS部隊を緊急発進させたのだ。

結果から言うとアーガマには逃げられてしまったものの、カタパルトや主砲に深刻なダメージを与える事に成功していた。

 

「よかろう。あの短時間ではこれ以上の戦果を上げる事はできまい。よくやった」

 

「ハッ」

 

下がれと顎でしゃくってカクリコンの退室を待つと、とたんに張り付いていた笑みが剥がれおちた。眉間には深いしわが刻まれ、唇を噛みしめながら拳をぎりぎりと握りしめる。

怒りで震える拳で思い切り机を叩くと机に埋め込まれた液晶コンソールにひびが入り、派手な音が室内を支配した。

ジャマイカンは目の前のデスクに乗っている書類の束をちらりと見やったと思うと、自身の一切の動きを止めて無表情でその書類の束を見つめた。

一瞬の静寂の後、予備動作なく勢いよく書類の束を薙ぎ払う。それだけでは飽き足らず、机に乗っているもの全てをその腕で薙ぎ払った。

 

地球にいたころのようにバサバサと派手には落ちず、低重力のためゆっくりと辺りを漂いながら滑空していくその様が、ジャマイカンを余計に腹立てさせた。

思わず、漂っている書類群に腕をめちゃめちゃに回転させ叩き落していく。

 

「っくぎぐぅぐぅぁああ!!!……ジェリドめ!またあやつかぁあ!」

 

「あやつがぁ!もう少しぃ!粘っていればぁ!今頃アーガマを落せていたというのにぃい!」

 

落ちていた書類の一つ、意識不明の重体と書かれたジェリドへの報告書を思い切り踏みつけながら叫び散らす。

 

ボスニアからは光学モールスで救援を求むと再三の要請があったが、ジャマイカンはそれを拒否した。戦術的観点から、ボスニアとジェリド達コロニーのMSの救援よりも、アーガマの撃沈を優先したのだ。

その結果、ボスニアのMS隊であった2機のガルバルディは撃墜され、ボスニア自体も中破し、機関部や居住区に相当なダメージを負う事となった。少なくない数の将兵が戦死している。ボスニアにこれ以上の継戦能力はなく、撃沈に等しい。これは自身の進退に深刻な影響を与えかねない失態である。

 

「私のメンツ、ひいてはティターンズのメンツが、ままま丸潰れだ!」

 

死兵としたコロニー内のMS隊、ジェリドとライラは無事ではあったものの、まだジェリドの意識は戻っておらず、その搭乗機体であるジムⅡはスクラップと化している。

先ほど薙ぎ払った書類は各部から上がってきている被害報告書と言う名の悲鳴である。

 

ひとしきり暴れて息を切らしたジャマイカンは、どかりと乱暴に椅子へ腰掛けると、腕をだらりと降ろし天井を見上げた。

 

(あの女の言う事が当たっていたというのか……)

 

あの女とはライラ・ミラ・ライラの事である。ジャマイカンの予想では月へと向かうはずだったアーガマは、戦略的に無価値と考えられるサイド1、30バンチへと向かった。報告では裏切り者のエマ・シーンがいたことが分かっている。

 

(大方、エマ・シーンにティターンズの残虐性とやらを見せつけるための行動だろう。あの狸め)

 

内心でブレックスへと悪態をつきながら、デスクに埋め込まれているひびの入った液晶端末を操作してお気に入りのクラシック曲をかけた。

 

ジャマイカンはしばらく目をつぶり瞑想する。最近は新しい曲をめっぽう聞かなくなった。

時たま新しく曲を購入する場合も、大抵は同じクラシック曲で、演奏者が違うと言ったくらいのものだ。ポップな音楽は脳が腐ると思っているため、若い時から一切聞いていない。

 

先の戦闘では、結果的にライラの言う事が正しくもあった。

しかし、あのコロニー内での戦闘後、アーガマは月の方向へ去っていったため、間違いなく月へと向かっていっている。ジャマイカンの予想は外れていなかったのだ。さらに言えば、ライラの案を通していなければ、こちらが先回りし、戦力の分散なく月軌道で戦闘する事も可能だったかもしれない。そうすればボスニアを失わずに済んだ可能性がある。

 

(あのクソ女めが)

 

しかしこれは結果論にすぎないこともジャマイカンは頭の冷静な部分で把握していた。さらにはボスニアが多大な犠牲を払って敵MSを足止めした事も評価せねばならない。

 

(しかし、これは評価せねばならない事なのかね?)

ジャマイカンは自問自答する。

単艦での戦闘はジャマイカンは禁じていた。ライラにも釘をさしている。しかし、コロニー内でライラの僚機パイロットが戦死し、ジェリドとライラは半ば激情に駆られるようにMS戦へとなだれ込んでいる。本来ならばここで撤退戦を行うべきであった。アーガマ側もアレキサンドリアらを恐れ、深追いしなかっただろう。

 

(チャン・ヤーにライラは使いこなせないか)

 

ジャマイカンは、ボスニアの艦長であるチャンがライラの手綱をしっかりと握れていればこのような事態にはならなかったと推察した。

 

(彼女が感情に支配されていた可能性は高い。しかし彼女の戦闘、指揮能力は駒が足りない我々に必要とするものだ)

 

ライラをティターンズ入りさせ、自分の支配下に置き、現在損耗率が高く使える駒が少ないこのアレキサンドリア艦隊へ配属させるのが理想だ。しかしプライドの塊の様な女であり、特にエリート意識を持つティターンズを嫌悪している。ジャマイカンにとっても使いこなせる駒かどうかが懸念されたが、ジェリドとライラの相性は良いと聞く。

 

(そろそろ新しい曲でも入れるべきか……)

 

いい加減聞き飽きたクラシックメドレーを停止すると、報告書を踏みつけてジャマイカンは部屋を後にした。

 

 

◆アレキサンドリア艦橋

 

「何もこんな時に見つけなくたって!」

 

「これが俺の仕事なの!」

 

「総員、第一種警戒態勢!」

 

操舵手と索敵オペレーターが手は止めずに野次を飛ばしあっている。

 

ボスニアの修理と艦隊の戦力を立て直すため、艦隊は数日、月のグラナダに滞在することが決定していた。

そのため進路は月へとコースを取っており、後数十分のうちにグラナダ市へ入港するという、そんなどの艦内もあわただしい時であった。姿をくらましたはずのアーガマを索敵班が捕捉したのは。

 

 

「敵艦のコースを探らせろ!」

 

席をはずしていたガディ艦長がキャプテンシートに座りながら指示を飛ばし、制帽を被り直した。

 

「エイダ・カールソン曹長、ハイザック、出ます!」

 

いち早くカタパルトに上がったエイダが艦橋に怒鳴る。

 

 

「エイダ曹長。アーガマのコースを探れ。偵察だ」

 

「了解」

 

艦橋のモニターに現れたやや緊張したエイダの表情を見て、ガディは偵察に起用する事にした。

 

 

「センスは良い方か」

 

やや遅れてハイザックでカタパルトに上がったカクリコンが、エイダの描く軌道を見てどこか嬉しそうに独りごちた。エイダは今、カクリコン隊で修練を積んでいる。カクリコンにも思う所があるのだろう。

 

「カクリコン隊、ライラ大尉はそのまま待機、敵艦の行先が分かり次第発進だ」

 

「「了解」」

 

ガディの指示に両パイロットが了承するも、そこに遅れてきたジャマイカンが割って入った。

 

「いや、待て。ライラ大尉は出撃させろ。ガルバルディでエイダ曹長と共に敵艦のコースを探るのだ」

 

エイダ一機で行かせる事に不安を感じたのかとガディがジャマイカンを窺うと、ジャマイカンはそうではないとでも言うように手をひらひらと振った。

 

「ライラ大尉には頑張ってもらわねばならん」

 

「というと?」

 

「ライラ大尉を、ボスニアで遊ばせておくにはもったいないと思わないかね?」

 

「意外ですな。彼女はスペースノイドだ」

 

ガディとしては使えるパイロットが増える事に異存はない。彼は主義者でもないため、地球人だろうが宇宙人だろうが、使える駒はきっちりと使う。

しかし、ほぼアースノイドだけで固めた特殊部隊であるティターンズに置いて、スペースノイドは異質な存在だ。

 

「バスク大佐はお気に召すまい。私とてだ。しかし、使える駒は使わねばならん。アーガマが私に、そうさせるのだよ」

 

◆アーガマ デッキ

 

「しかしリックディアスがああもやられるもんかね?ジムⅡに」

 

「対峙していたのはただのジムⅡじゃないって話だぜ」

 

「確かにクワトロ大尉も強敵だって言ってたらしいな」

 

「しかしまぁ、あれだけやられたってのに戻ってきてからの活躍は中々だったんじゃない。例の美人さんは」

 

「まぁな。すげー戦い方だったなあの元エリートさんは。まるで死ぬのが怖くないみたいだったぜ」

 

リックディアスの周りで整備兵達が雑談しているのは、先の戦闘で一時的に中破扱いになった黒いリックディアスの事だ。当然、元エリートさんとやらは、エマ・シーンの事である。

問題のリックディアスは少々装甲に弾痕、へこみがみられるものの、機関部に異常はなく、両手パーツも新しいものに換装したため、すでに十分に戦えるレベルまで回復してある。

ジェリド、ライラと戦っていたエマは、クワトロに率いられカミーユと共にアーガマへ急ぎ向かった。

そのままアレキサンドリアのハイザック隊と死闘を繰り広げ、ボスニアを叩いていたアーガマの直掩隊が戻るまでの時間を見事稼ぎだしたのだ。

両手を失ったMSで特攻まがいの攻撃を仕掛ける等、エマの活躍は特に目を見張るものがあった。そのおかげもあってか、エマは保護観察の身を解かれ、一般船員の仲間入りを見事果たしている。

 

「あれ!?」

 

カミーユがガンダムマークⅡの調整を行おうとデッキへ降り立つと、マークⅡの胸部装甲に無骨な装甲が取り付けられていた。

 

「あぁこれか。母さんがー夜鍋ーをしてー……ってやつさ!」

 

アストナージの軽口に思わず、カミーユの機嫌が悪くなる。カミーユにとって今、母の話題はナイーブで、あまり嬉しくない。母とはあまり上手くいってないのだ。

アストナージを無視してリフトをハッチへと上昇させる。しかしすぐにアストナージが地面を蹴ってリフトに飛び乗ってきた。

 

「そう怒んなよ。でも本当にヒルダ中尉が発案したんだぜ」

 

母の名にカミーユが思わずぎょっとしてアストナージを見ると、その満面のしたり顔にカミーユの苛立ちは最高潮にまで達した。しかし、予想外に母の名前が出たことで詳しく聞いてみる気になり、アストナージの鼻づらに正拳を入れるのはしばしやめにした。

 

「どういうことだよ」

 

「聞きたいか!こいつは取り外し可能な追加複合装甲だ。本来マークⅡは軽量化して高い運動性能と機動性を引き出したマシーンだそうだから、重量の増加は好ましくない。ただ今回の事でヒルダ中尉が言いだして聞かなくてな。まぁ設計もしっかりしてたし、改良すればジムⅡにも使える代物だ。ただの装甲だから単価も安い。上も了承して試作装甲をさっそくこしらえたってわけさ」

 

ニヤニヤと笑いながら説明するアストナージに対する怒りより、自分を心配する親心から追加装甲をこしらえた母に対する恥ずかしさが勝り、カミーユは思わず耳まで真っ赤になった。

 

「そ、そうなんですか……母が無理言ってすいません」

 

「バカ、そんな事はどうでもいいんだ。それよりお前がやられそうになるから中尉が心配して無理を通すんだろうが。ま、がんばれよ」

 

ここでMSなんて乗るのをやめろと言わない辺り、アストナージは自分でも知らず知らずのうちにカミーユを大人の正規兵と同じ扱いにしてしまっていると言えた。

 

「母は強しだねぇ」

 

カミーユが恥ずかしがっているのを知って、去り際にニタニタと言い残して去っていくあたり彼も性格が悪い。

カミーユは恥ずかしさで顔面ゆでダコ状態であったが、それがカミーユの年代くらいの少年によくある、母への怒りに変化しなかったのは、やはり死の淵を経験して多少大人になったことが影響しているのかもしれない。

事実、初めて死を身近に感じ、もう一度MSに乗って戦闘する事への恐怖感があった。アーマーは気休め程度のものだろうが、材料工学を専門とする元技術士官である母が指揮をとって製作したこの複合装甲は、カミーユにとって大いに安心材料と成り得たのだった。

 

◆アーガマ ブリッジ

 

「やはり来たか」

 

警報の鳴り響くアーガマの艦橋でブレックスが苛立ち気に顎髭へ手をやる。

 

「えぇ、しかし予定通りです。高度下げろ!グラナダに向かっていると見せて、一挙にアンマンコースに入る!」

 

ブレックスへの言葉に頷きながら、キャプテンシートに座った大柄な男、ヘンケン艦長がオペレーターへ鋭く指示を飛ばした。

 

「敵MS発見!数2!本艦の後方に張り付いています!」

 

索敵を行っていたオペレーターのトーレスが緊張した声で警告した。

 

「さぐりに来たか……航路そのまま!MS隊を急がせろ!!」

 

主砲が使えない今のアーガマでの戦闘には不安要素があるが、ヘンケンはいつもと変わらぬ表情で、いやむしろ若干上機嫌な表情で命令した。

エマ・シーンのクルー入りが心底うれしいのである。

 

◆宙空

 

「エイダ曹長、接近し過ぎだ!気取られるぞ!」

 

先行していたエイダ機へライラの操る身軽なガルバルディはすぐに追いついた。

 

「もうどうせ捕捉されています!こんな何もない宙域でばれないようにするのは不可能です。」

 

「なら、もう50距離を開けて追跡するんだ。敵の射程内に入ることはない」

 

「了解!」

 

ライラはジェリドからエイダは「強烈な性格」だと聞いていてあったが、わりかし素直じゃないかとエイダの評価を改めると共に、ジェリドの評価を下方修正する。

しかしこれは、エイダがジェリドとライラに対する態度を使い分けているだけであった。ボコボコにされてばかりのジェリドよりも、戦果を確実に上げるガルバルディ隊の女隊長は、エイダにとって一種の憧れ的存在だ。

それがたとえ、一般部隊の人間であったとしても、自分の力量とは比べ物にならないだろうとエイダは正しく考察できていた。

 

「ミノフスキー濃度上昇!」

 

ハイザックの計器の針が気がふれたように振動している。敵艦が本格的に戦闘態勢に入ったと言う事だ。

 

「敵に気づかれたな。敵MSが出てくるぞ、備えろ!」

 

ライラの警告と共にすぐさま一機のMSが飛びだした。

 

「ガンダム!」

 

エイダがごくりと唾をのむ。以前の背面撃ちによる死の恐怖を思い出したのだ。

アーガマは依然グラナダ方面へと一直線に進んでおり、コースの変更は見られなかった。

 

「出たな……私が前にでる。曹長は援護だ。カクリコン隊が到着するまで奴の相手をしつつ、アーガマを追う。離れるなよ」

 

「了解!」

 

素早く指示を出し、戦闘機動を取るガルバルディの背をエイダは必死に追いかけていった。

 

◆月面

 

ヘルメットに響く自らの荒い息が鬱陶しい。緊張から心拍が以上に上昇している。

 

(落ち着かなくちゃ)

 

どうやら自分は気絶していたらしい。痛む体に鞭を打ち、仰向け状態で墜落した機体を起こして、衝撃でどこか痛んでいないかダメージチェックを行う。

ヘルメットのバイザーは割れているし、コクピット内の計器の大半が壊れており、モニターの一部も死んでいた。ランドセルのバーニアはかろうじて噴射はできるものの、上下左右に動かす事ができないようだった。戦闘機動は取れないだろう。

 

(索敵チェック。敵影なし?そんなはずは……)

モニターでは索敵ウインドウが走り回っているが、敵影を捕捉できていない。モニター上でも火線が見えない。

 

(すでに戦線が随分と移動している?私はどれくらい気絶していたというの……)

 

今エイダ・カールソン曹長は、月面で孤立していた。

 

ライラの指示後、クワトロ操る黒いリックディアスが飛び出してきて、場は大いに乱れた。ライラの奮戦を持ってしても徐々にアーガマから遠ざけるように戦線をひっぱられつつあった。そんな時であった。エイダはクワトロが放ったビームピストルの一撃を貰ってしまい、月面へと落下して戦線から分断されてしまったのだ。

ミノフスキー粒子の濃度が濃く、通信は完全に閉ざされており、レーダーも使用できない。センサー類も落ちた時のショックでほぼ全滅だ。

息苦しく感じ、ヘルメットを脱ぎ捨てる。どろりとした血の玉が宙空を大量に舞った。

この時、エイダは頭部、顔面からの出血、内臓系のダメージが深刻なレベルまで達していた。

 

(ライラ大尉が数的不利。急がなくちゃ)

 

少なくとも、エイダが墜落するまではアーガマはグラナダ方面へ向かっていたし、離されつつあった戦線もグラナダ方面であった。

だましだましスラスターを吹かし、月面をジャンプしながらかろうじて生きている計器を頼りにグラナダ方面へとハイザックを進める。

しかしこの時、エイダの操るハイザックの進行方向はグラナダではなく、アンマンであった。センサー系統がやられており、正しい位置を把握できていなかったのだ。

 

もし計器が故障せず、グラナダ方面へと進めていればアーガマを追って見事にまかれたティターンズ艦隊と合流できたかもしれない。

 

しかしエイダは、何度目のジャンプだろうか、出血により視界がかすんできた頃、敵影を、至近距離で発見してしまった。アーガマと着艦準備に入った敵MS2機である。

 

(敵のみ……?火線なし。ライラ大尉は?)

 

一瞬疑問がよぎるが、そのときハイザックのコックピット内酸素濃度は異常に低下しており、すでにエイダの視界は色を失い始めていた。

いくら息をしても呼吸が苦しく、思わず操縦桿から手を離して首元をかきむしった。

 

そうこうしている内にも黒いリックディアスは着艦してしまう。

 

(せめて…一撃。私だってティターンズだ!)

 

震える手で操縦桿を握りなおす。オート照準機能はとっくに死んでいた。すぐにマニュアルへ切り替えてビームライフルの照準をガンダムへと向ける。

視界がかすむ、手の振るえが止まらず、照準がなかなか定まらない。

殺意が薄れ、恐怖がエイダを支配し始めていた。

 

 

 

「なんだ!?」

 

微弱な殺意。カミーユはクワトロでさえ感じ取れなかったわずかな意思を敏感に感じ取った。機体を思わずその方向へ振り向かせる。

 

幻影を見た。リニアシートに座ったパイロットスーツ姿の小柄な女。

それが誰なのかはっきりと分からない。ヘルメットのバイザーが反射しており、顔は見えないのだ。ただ、その怒りに燃えた勝気な瞳だけ、なぜだかはっきりと見えた。

 

カミーユは振り向かせると同時にビームライフルを敵胸部ヘと向ける。

トリガーにかかった力んだ指が、カミーユの意思に歯向かう様にわずかに痙攣した。

 

一瞬の邂逅だった。戦闘機動の取れないハイザックはジャンプの余韻でゆっくりと月面に吸い込まれていく。もはやその挙動に人の意思は感じられない。

 

「消えた……?」

 

「カミーユ!何をしている!……えぇい!」

 

今更ハイザックに気づいたクワトロが、アーガマのデッキから再び踊り出ようとしていた。

モニターの通信ワイプで血走った目のクワトロが何か言っている気がしたが、カミーユにその声は届いていなかった。

 

「違う。恐れだ」

 

幻影が姿を変えた。それは、小さな女の子が泣いているようにカミーユへ見させた。 

 

一呼吸でガンダムをすばやく接近させると、その勢いのままハイザックのビームライフルへ廻し蹴りを放ち、その回転の勢いのまま腕を引っつかむと、アーガマへとハイザックを投擲した。

アーガマのカタパルトへ様々な部品を撒き散らしながら踊り出されたハイザックはその衝撃をもって完全に機能を停止したが、クワトロのリックディアスが油断なくコックピットへと銃を向けながら周りの戦闘員へハッチを開けさせるよう指示していた。

 

「カミーユ君! ……心臓が止まるかと思ったぞ」

 

思わず語気が荒くなる。期待できる器の少年だ。この様なところで散る姿は見たくなかった。

 

「すいません大尉。でももう大丈夫です」

 

普段の戦闘直後よりやけに落ち着いた様相から、クワトロは自分には見えなかった何かをカミーユが見たのだと鋭く推察した。

 

「……何を見たのだ」

 

「女です。それも、泣いている女の子」

 

「……」

 

クワトロの脳裏にララァの面影がよぎった。無言でリックディアスのライフルを捨てると、ハイザックのコックピットハッチを強引に引き剥がす。

 

「なんちゅー無茶な!」

 

アストナージがトーチを用意していたようで、喚いているがパイロットにはパイロットのやり方がある。

 

中には気を失った血だらけ女性パイロットが横たわっていた。

 



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