比企谷くん、ある日のラブコメ。 (白鷲)
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雨降りのめぐりアイ

雨降りはめぐりっしゅの予兆、はじまりはいつも何某。


 

 雨はいつも、その様相を変えて降り注ぐ。時に槍のように、時に囁くように、時に鉄球のように、またある時は、洗い流すように。

 

 ただ上を見上げて、どこまでも続く鈍色の雲を脳裏に焼き付けながら、ふつふつと湧いてくる怒りと悲しみを乗せて、肺は空気を送り出す。

 

 

「何故、こうなったんだ」

 

 

 頬を伝って雨に溶ける涙を噛み締めて、つい数十分前のことを振り返る。

 

 あれはそう、帰路に着こうと生徒玄関についてからのことだった……。

 

 

 

 

「あーあ、せっかく早く出て雨避けようと思ったのに」

 

「そうね。思ったよりも降り出すのが早いわ」

 

「……」

 

 

 雪ノ下と由比ヶ浜の両名に家の用事があり、3年生となり本格的に受験も始まったのだからと、本日の部活は無しとなったところ。意気揚々と玄関に来てみれば、さっきまで降っていなかった雨が本降りである。

 あ、いや別にね? 3人で過ごす(一色はいい加減自分でやれと追い返した)時間が嫌ってわけじゃないよ? ただね、過ごす時間が心地いいのと、『学校から早く帰れる!』って気分の高揚は必ずしも矛盾しないじゃん? そういうことだ。

 

 と、ふざけたはいいものの、やはり俺の気分はこの空と同じように沈みまくっていた。何故なら……

 

 

「ヒッキー……ずっとブツブツ言って、全然治ってないんだけど」

 

「ええ。『これ雨の音? いや違う、降っていない、降ってなどいない、よりにもよって今日降るとかありえない、そうさこれは誰かが屋上で水撒いてんだあははバカだなあ』とか言っていたわね。流石に慣れた今になってもこれは気持ち悪いわ。いかにあなたが現実逃避の天才であろうと、周りを下げるのはいただけないわよ」

 

「……ああ、スマン」

 

 

 ダメだ……ゾンビのような掠れ声しか出ない。誰かこの絶望を解いてくれ。

 

 

「本当にどうかしたの?」

 

「傘、忘れたんだ」

 

「……身構えた私がバカだったわ」

 

 

 おい、なんだその反応は。このボタボタボタボタと重い音のする雨を見て、傘を忘れたと聞いて、その頭を抑えるのは失礼だろう。この、この俺の! 濡れて帰らねばならないという絶望を、お前はちっぽけと申すか!

 

『ヒッ!』由比ヶ浜が引くほどの顔やをしながら恨みがましく雪ノ下を見る。すると、溜め息をつきながら、カバンの中から何かを取り出し、おれに突き出す。

 

 

「何だ?」

 

「折り畳み傘よ。予備に持ってきているの。私は普通の傘もあるから、特別に貸してあげる。感謝することね」

 

「……ゆ、雪ノ下」

 

「あら、感謝が募りすぎてまともに言葉にもできないのかしら? それでも構わないわよ。今度買い物に荷物持ちとして同行する、それで感謝として「このチャーム、何だ?」……」

 

 

 何か雪ノ下が言ってたが、全く頭に入ってこなかった。それほどに、彼女の折り畳み傘についているものが、衝撃的だったのだ。何せ……

 

 

「なあ、これ、この濁った目にアホ毛が着いてんの、まさか俺のディフォ「それはパンさんの特別バージョンよ。たまたま、たまたま! 親戚の方から頂いたものがアホ毛スタイルだったというだけよ。別に私が欲しくてネット販売開始に張り付いていたとかあなたを再現したくて樹脂粘土やレジンで作成したということではないのよ。勘違いしないでちょうだい」あ、ハイ」

 

 

 何もそこまで喋り散らさなくてもいいだろう。却って俺が落ち着いたぞ。ていうか横見てみろよ、由比ヶ浜の『ああ、そうなんだね』という微笑ましいという眼差しを。ガハママさんの面影ありありですよ。

 

 

「それで必要ないのかしら? 要らないならどうぞずぶ濡れで帰っていただいて」

 

「わあこのパンさん可愛い!」

 

「そう。では気をつけて」

 

 

 そう言って俺たちは別れたのだ。

 

 その後15分間、手元のアホ毛スタイルのパンさん(雪ノ下談)をチラ見しながら歩いていたら、曲がり角で俺を襲う……泥水。

 

 わかるだろう。飛ばし過ぎの車が、水溜りの水を、盛大にぶっかけてくれたわけさ。あの野郎。犯罪だぞクソッタレ。

 おまけにだ。ぶっかけられたことで気が緩んだ瞬間に吹いた横向きの突風に、雪ノ下の折り畳み傘が攫われてしまった。コレ、私死ぬんじゃないすか?

 

 

 右半身が泥だらけ、有罪確定の裁判が待つという立て続けの不幸に、俺の心は汗を流した。

 

 

 

 

 そして冒頭に戻る。

 

 

「スマン、アホ毛パンさん。他人とは思えなかったぜ」

 

 帰ったらネットで調べよ。5000円までなら買えますよ。ハハハ、ハァ。

 

 

「あれ? 比企谷くん?」

 

 

 明日に絶望していた俺に届いたのは、もう久しく聞いていない、記憶の片隅にかろうじて残っていた、柔らかな声。

  聞いた途端に心を軽くしてくれるような、明るい音、暖かい声色。ああ、忘れることはない、この独特の雰囲気、これは、

 

 

「めぐめぐ!」

 

「どうしたの急に⁉︎ って、ホントにどうしたの、右半分だけ泥だらけになってるよ!」

 

 

 カッと目を見開きわけのわからん言葉を発した俺に、めぐりんは二重に驚きつつも、走り寄ってきて傘の中に入れてくれる。相変わらずお人好しですねめぐりん。

 

 

「比企谷くん、見たところ傘もないし、何かあったの? 泣いてるみたいに見えたけど。こんな天気に傘なしじゃダメだよ、風邪ひいちゃうよ」

 

「ああいや、車に泥水ひっかけられて傘も風で飛んでったので、その不幸にちょちょぎれただけっす」

 

 

 んもー、なんて言いながら、懐から出したハンカチで俺の顔を拭いてくれる先輩。先輩の優しい拭い方と水分が取れたことで顔面の気持ちの悪さはマシになったが、全身を包むジュックジュクの不快感が全く消えない。おおうどうにかしてくださーい。

 

 

「それならいいんだけど。君のことだからまた何か抱えてるのかと思った。そうじゃないんだね?」

 

「……違いますよ。依頼があったとしたら、3人で悩んでますから」

 

 

 突然のマジトーンに少し固まったが、今返せる最高の答えを伝える。少なくとも、いつかあなたに見せた時よりはマシだとわかるように。

 

 先輩はそのままジッと俺を見つめて、真偽を図っているようだ。

 

 それにしても、アレだな、この人マジで可愛いな。目はくりっくりだしおでこは綺麗だし唇は薄くて小さいし私服は静かめのオシャレだしヤベェぞなんか目が泳ぎ始めそう。

 

 そうやって自分の目ん玉と戦っていると、ようやく先輩は表情を崩した。いや目見てるの変わってないんだけどね。

 

 

「……うん、嘘はついてないみたいだね。よかった、大事な後輩くんが何ともなくて」

 

「大事なって、俺と先輩はそんなに接点なかったでしょ」

 

「そんなこと言うんだ? 可愛くないなあ君は。先輩には甘えるもんだぞ?」

 

 

 ぷんぷんと唇を尖らせて指を立てる先輩。いやぁ……萌えしかないっす。ご褒美です。ありがとうございます。

 

 

「なんかバカにされた気がする」

 

「気のせいです」

 

 

 なんでみんな鋭いの。俺ってそんなわかりやすいの? 仮面つけようかしら……どっかの魔王みたいに。やめよう、背筋に寒気がした。

 

 

「あ! それよりも比企谷くん! 今のままじゃホントに風邪ひいちゃうよ、早くお風呂入って着替えなきゃ!」

 

「そうですね、じゃ、ということで」

 

「待てぇい! 何処に行く!」

 

「いや、だから家に帰ろうかと」

 

「なら私の家すぐそこだから、ほら行くよ!」

 

「え? ちょ、あの、ま、待って、ねえなんでそんな力強いの⁉︎」

 

 

 

 

 

 カポーン

 

 

「ふぅ、良い湯ですなあ」

 

 そう思わんかね八幡さん。

 

 そうですねぇ。ところで、なんで私たちは城廻家のお風呂に入っているのでしょうね?

 

 私が聞きたいですねぇ、それ。あっはっはっは。

 

 

「だって力強いんだもん。猪突猛進とはあのことよ」

 

 

 そのまま先輩に手を引かれ、やってきました城廻家。どうすれば良いんだと考え始めようとした時には、既に脱衣所に叩き込まれボディーソープとシャンプーに洗濯カゴだけ説明され、有無を言わせず扉を閉められた。もうそうなったら入らざるをえない。いつまでも濡れたままで突っ立っていれば、脱衣所は汚すわ身体は冷えるわで良いことなし。

 

 仕方なく服を脱いでカゴに突っ込んで風呂場に入ったのだが、図ったかのように先輩が脱衣所へ。制服を洗濯にかけられて、着替えは置いておく旨を伝えた後に先輩は再び出て行った。

 俺はいつ帰れるのだろう。制服は今も元気に洗濯機の中で踊っております。グワングワン。

 

 それよりも気がかりなのは城廻家の他の方である。大丈夫だろうか。入ったらいきなり知らない男が裸で! なんてことにならないと良いけど。通報とか嫌ですよ? 今の俺に勝ち目ないじゃないすか。言い逃れできないよ。

 

 頭を抱えていると、また先輩が。

 

 

「言い忘れてたけど、両親は仕事でいないから、気にしないでのんびり入ってね」

 

 

 それはそれでダメじゃーん。過ちさんアーユーレディ? ノー!

 

 次から次へと葛藤が始まる比企谷氏であった。

 

 

 

「ココア持ってきたよ〜」

 

「ありがとうございます」

 

 

 あの後、もはや無心になるしかないと、心の中で大自然に包まれながら頭を洗おうとシャンプーを手に取ったのだが、それがさっき先輩から嗅いだものと同じ匂いであることに気づき、上がるまで終始ドッキドキだった。

 

 で、あがったは良いものの、制服がある程度乾くまではここにいるしかないということで、客間か何処かで石像のように過ごそうと思っていたのだが、

 

『こっちだよ〜』

 

 と背中を押されて通されたのは、クマのぬいぐるみが淡い白のベッドの上に鎮座する、先輩の自室だった。ええどうして! 何でよ! と問いただそうとしたのもつかの間、

 

『じゃあ今度はわたしが入るね。あがるまでここでゆっくりしててね〜』

 

 そんな言葉を残し彼女は消えていった。わざわざ『ここで』と言われたので移動することもできず、ただただひたすらに不審に映らないように先輩を待った。

 ああボディーソープとは違う良い匂いがするなあとか考えてないから。これが先輩の……とか以ての外だから。押された背中に残る手の温もりとか思い出してないから。マジ。

 

 でも、いかにめぐりんと言えどここまで怒涛に翻弄されるとは思わなかった。

 

 今だってそうだ。湯上りでしっとりと濡れた髪にうっすらと染まる頬、余計な柄のない薄いピンクのパジャマ。カップを両手で持って湯気の向こうで『ぽふぅ』なんて言う姿は破壊力抜群である。なにこの生き物状態。

 

 

「あ、そうだ比企谷くん」

 

「何ですか? 一色なら上手いことやってますよ」

 

「そうなんだ〜、それはよかった。前は比企谷くんに頼りっぱなしだったからね」

 

 

 立派になったんだ〜とはにかむ先輩。他人のことなのに、本当に自分のことのように笑う。根っからの気質なのだと思い知らされる。そこで終われば良いのだが、そうは問屋が卸さない。

 

 

「って違う違う、そうじゃなくてね。比企谷くん」

 

「ん? 一色のことじゃないんですか?」

 

 

 何だか嬉しそうな顔をしながら徐ろに首の後ろに手を回す先輩。そのまま何かを掴んで頭上に持っていくと……

 

 

「見て見て、このフード! クマさん耳なんだよ〜」

 

 

 グハァ!! い、いきなりのボディーブローだァ、こいつは効いたぜ。

 

 

「せっかく可愛いパジャマ買ったのに、お母さん以外に自慢できなくてモヤモヤしてたの。比企谷くんに見せれてよかった。可愛いでしょ?」

 

「……はい。間違いなく」

 

 

 クソゥ。これがめぐり先輩でなかったら……例えばどっかのはるさんだったら、クマさん(笑)って流せたのに……。また寒気が。やめよう。

 

 

「えへへ……。でも、本当に比企谷くんにはお世話になりっぱなしだよね」

 

「いえ、そんなことは。奉仕部への依頼だって、雪ノ下がかなり頑張って、由比ヶ浜の人脈に頼って、ですし」

 

「ううん、そんなことあるよ。文化祭の時も、体育祭の時も。一色さんのことだって、君に支えてもらってたから」

 

 

 以前の俺だったら、例えば3ヶ月前の俺だったら、今の先輩の言葉には、眉をひそめて、声を荒げて、目を閉じて否定をぶつけていただろう。

 今のように、気恥ずかしさやほんの少しの懐疑は残しつつも、素直に受け取れるようになったのは、つい最近のことだ。雪ノ下と由比ヶ浜、それに時々一色。放課後に、茜色の教室で。高校生という様々な何かを抱えながらも、前よりもずっとずっと、過ごしたいと思える時間になった、奉仕部。

 捻くれていると言われるのは変わらないが、それでも勘違いだと言わなくなったのは、確かにあの時間を過ごす3人のおかげだ。あと、ちょっと平塚先生も。

 

 

「比企谷くんが、雪ノ下さんや由比ヶ浜さんも、頼り甲斐のある先輩だったから、一色さんは1人でも大丈夫になったんだと思うよ。一緒に仕事したわたしが言うんだから間違いないよ!」

 

「引退した先代まで振り回すのもどうかと思いますけどね」

 

「そこはほら、選挙の時の申し訳なさとか、ね? いろいろと……。大目に見てあげて?」

 

 

 えっへん! と胸を張る姿勢から一転、しどろもどろになりながらもここにはいない後輩を庇うめぐり先輩。そもそも一色にしか文句は言ってないのだが、先輩の困った顔も見れたから良いか。脳内スクショ余裕でした。

 

 

「うーん……そうだ! じゃあわたしが耳かきしてあげるよ!」

 

「なにがそうだなのかわかりませんし内容も突然ですしとにかく何故に耳かき?」

 

 

 眉間にシワを寄せて腕を組んで唸っていると思いきや、閃いたり! と顔を上げる先輩だが、普通に読んでも脈絡の欠如が著しく、あいにく俺の国語力では読解しきれなかったよ。てか普通無理だ。

 

 

「一色さんのお手伝いのお礼だよ。ずっと支えてくれてたんだからね、それくらいお返ししなきゃ」

 

「それは一色が返すべきであってめぐり先輩は関係ないんじゃ?」

 

「うー、そんなことないもん。わたしだって、自分の後を任せる子が一年生で、しかも最初は不本意だったんだよ? 安心して卒業できるかハラハラしてたんだから」

 

 

 心外ですと言わんばかりにまた唇を尖らせてそっぽを向く先輩。自分なりに責任感があったんだと俺を睨みながら吐露する。言われてみれば確かにその通りだ。最初に事情を聞いたときは『は?』としかおもえないものであったし、ある意味当事者であるめぐり先輩としては気が気でなかっただろう。

 あとを任せる先代としても、選挙を尊ぶ生徒会長としても。

 

 その解釈でいけば、おかしいところはないのかもしれない。しかし。しかしだ。それでもだ。

 

 

「耳かきである必要ないですよね? お菓子とかの贈り物が一般的では」

 

「だって、高校の時に教室で、男子が『耳かきイベント最高』って言ってるの聞いたんだもん。うちのお父さんも、『前は、お母さんに耳かきしてもらうことがあってな。気持ち良かったよ。今は存在自体をぞんざいに扱われてるけど』って」

 

 

 男子は教室でなに言ってんだよって話だしお父さんに関しては後半言わなくて良いよね? 何で先輩包み隠さず言うの? 知らないやつに憐れまれるお父さんの気持ちよ。

 

 

「だからって、いや、やっぱり俺は別の「もう! うるさい! 早くこっちに来て寝る!」っ! ちょっと! また強引に!」

 

 

 先輩が立ち上がったと思えば手を掴まれてベッドの上に引き倒される俺。え、俺襲われる方なの? ちょっと嫌なんですけど。いや別に襲いたくはないけども。

 

 なんてことを考えている間に、めぐり先輩に膝枕されている状態になる。ヤッベ柔らかい……パジャマもすべすべやん? それと先輩、ぽわぽわしてそうなのに時たま俊敏かつ力強いのギャップが効きすぎですよ。乙女な吉田さんくらい効きすぎです。

 

 

「やっとおとなしくなったね」

 

「手のかかる子供みたいに言わないでください。そもそも暴れたりしてないです」

 

「素直に聞かないのは手のかかる子供ですぅ」

 

 

 ダメだよ、なんて言いながら俺の頭を撫で始める先輩。ちょっと、耳かきでしょ、それは別料金ですよ。むしろ俺が払う方ですねそうですね。慰謝料ですねわかります。

 

 

「じゃあ、はじめまーす」

 

「ん、お願いします」

 

 

 いつの間に手にしていたのか、先輩の右手には耳かき棒。左手にもティッシュがある辺りしっかりしている。

 もうここまでなったら受けるしかないので、どうせなら堪能しよう。

 

 耳かきですよ? 膝枕じゃないからね。

 

 

「どう? 痛くない?」

 

「あ〜、大丈夫ですよ〜」

 

「ふふ、はあい」

 

 

 耳殻を抑えている柔らかい指の感触が、くすぐったいような心地良いような。間近に聞こえるめぐり先輩の声も脳を解し、だんだんと眠気まで誘われる。

 

 そのまま続けていると、片耳が終わった。さて、もう片方、と頭を起こして気づいた。

 

『これ、めぐり先輩も動かないと、腹に顔を向けることになるのでは』

 

 すげえ難関到来である。膝枕までは、めぐり先輩の勢いと耳かきに緊張が消えて意外とスムーズに許容できたが、めぐり先輩の方を向くとなるとまた別である。

 

 

「どうしたの?」

 

「あ、いや、その、先輩も動いた方が」

 

「え? どうしてわたしが動くの?」

 

「い、いやぁ〜なんでだろうなあ〜」

 

 

 流石に怪しすぎですよね。でもなあ、仕方ないだろう。俺だって純情少年なんだぞ……。狙ってじゃないものには弱いんだよ。

 

 

「うん? まあいいや、ほら、おいで」

 

「お、おい⁉︎ ……はい」

 

 

 いかん、なんでもない言葉に過剰に反応してしまう。先輩はただ膝を叩いて呼んだだけなのに。

 こ、このめぐり先輩の腹に……ゴクリ。

 

 

「どうして息飲んだの?」

 

「なんでもないです」

 

 

 ふーん、と流してそのまま耳かきを始める先輩。

 

 ダメだ、やはり先ほどよりもずっと濃く先輩の匂いがする。耳から感じる指の柔らかさと静かな息づかい、鼻で感じる落ち着く控えめの匂い、頬で味わう膝枕。おまけに全身を包むベッド。すべてが合わさって、究極の心地よい眠気がやってくる。ああ、落ちてしまいそう。

 

 

「ねえ、比企谷くん」

 

 

 久しぶりの真剣な声が聞こえたのは、そんな時だった。耳かきの手を止めて、先輩は静かに話し始める。

 

 

「わたしね、もうひとつ、比企谷くんに言っておきたいことがあるの」

 

「……一色の礼意外で、ですか?」

 

「そう。今度は、お礼じゃなくて、お詫び」

 

 

 お詫び。めぐり先輩から、なにか被害を受けたことがあっただろうか? 深く記憶を探ってみるが、そんな覚えはない。どちらかというと、俺の方が迷惑かけまくりだ。さて、なんのことだろうか。

 

 

「文化祭のとき」

 

「え? あの時のことは、むしろ俺の方に非がありますよ」

 

「違うよ。君がしたことに怒ってるとか、そういうことじゃないの」

 

「なら何が「いいから、聞いて」……」

 

 

 先輩の顔を見ようと上を向くと、一度も見たことのない、険しい表情をしていた。何か、苦いものを噛み締めているような、溢れそうな何かを堪えるような。そんな先輩に、言葉が引っ込む。

 それでも先輩は、俺の目から視線を逸らさない。ずっと、真っ直ぐに見つめ合う。

 

 

「君は確かに、いろいろと、褒められないことをしたよ。スローガン決めの時、閉会式の時。わたしは、君のことが全然わからなかった」

 

 

 ひとつひとつ、あったことを振り返っているのか、言葉はゆっくりと紡がれて、その度に先輩は何かが溢れそうになる。

 

 

「雪ノ下さんと仲が良くて、唯一彼女に信頼されてて、遅れている文実を一生懸命繋いでくれてた。最初は、静かな子だけど、頑張り屋さんなんだって思ってた」

 

 

 ほんの少しだけ微笑みを浮かべて、めぐり先輩は、無意識なのか、俺の頭を撫で始める。

 

 

「でもね、雪ノ下さんが倒れてからの君は、人が変わったみたいに、酷いって言われるようなことをしてた。それで、わからなくなったの。比企谷くんが、どういう人なのか。何を考えてるのか」

 

 

 そんな優しい笑みも、困ったようなものになって、その反対のものが混ざり合ったような色に、俺の心は静かに締め付けられる。曇らせてしまった。その事実だけが、反響した。

 

 

「そんなの、言い訳にしかならないよね。おかしいなあ、生徒会長は、生徒の味方のはずなのに。わからないからって、見ようとしなかったんだもん。ほんと、生徒会長失格だよ」

 

 

 とうとう、堪えきれなかったのか。手で拭おうとするけれど、瞼の中で止めようとするけれど、めぐり先輩の目から、確かに涙が流れる。

 

 

「ごめんね、比企谷くん。最低なんて言って、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。頑張ってくれた君を傷つけて、ごめんなさい」

 

 

 見せちゃいけない、聞かせちゃいけない、そう言うように涙を止めようと目元を拭い目を顰めて、嗚咽を落ち着かせようと何度も口を閉じる。

 

 これもまた、前の俺なら、受け取りもしないんだろう。関係ないって言って。それじゃあ何にもならないんだと、今になってようやくわかるんだから、大バカ野郎だ。

 

 

「めぐり先輩」

 

「ん、グスっ、なに?」

 

 

 身体を起こして、めぐり先輩と向き合う。涙を拭う彼女の手を握って下ろす。真っ赤になった目で俺を見る顔は、ついさっきとは全く違う、悲しいだけのものだ。ふん、やっぱり、俺もやらかしてるもんだな。半年前のことが、今になっても響いているんだから。だからさ、俺も、ここで言わなきゃならない。もう、終わらせるために。

 

 

「俺も、すみませんでした」

 

 

 下げたくもない頭は下げない。でも必要なら土下座も靴舐めも余裕。そのスタンスは変わらない。どうしても守らなきゃならないものに、プライドはあるのだから。今はそれとは違う。自分の意志で、自分のために、目の前の誰かを想って、俺は頭を下げる。

 

 

「どうして、君が謝るの? 酷いことしたのはわたしの方だよ」

 

「最後の文化祭でしたよね。本当は、楽しいままで終わらせたかったですよね」

 

「それは、そうかもしれないけど」

 

「相模があそこまで無責任にさせたのは、奉仕部としての失敗です。それに、それ以外に手段を取れなかったとはいえ、汚したのは俺の行動です。それは、文化祭のためだけじゃなくて、俺自身の欲求というか、自己満足もあって。だから、すみませんでした」

 

 

 めぐり先輩は、何も言わずに俯く。涙はもう流れていない。だが、まだ落ちたままだ。柔らかくて、優しくて、ぽわぽわなめぐり先輩じゃない。まだ、俺の行動は終わらない。

 

 

「……それでも、それでもさ、生徒会長なんだから。君1人に、奉仕部だけに押し付けたのは、絶対、ダメなことなんだよ。君は、一生懸命やったんだよ。頑張ったんだよ。褒められる方法じゃなかったとしても、自己満足が混じってても、頑張ったのに」

 

「じゃあ、こうしましょう」

 

「……ふぇ?」

 

 

 つい耐えきれなくて、そばにあった箱からティッシュを取り、慎重に先輩の顔に当てる。まだ乾ききっていない、頬に残る雫を拭く。

 

 驚いて顔を上げた先輩に、今の俺にできる精一杯の、自然な笑顔を向けて。

 

 

「一色のお礼に、耳かきをしてもらいましたから。お詫びで何か、もうひとつください。そして俺も、お詫びにめぐり先輩に何かを。それで、お互いに許しませんか?」

 

「君は、それでいいの? 本当は一方的でいいんだよ?」

 

「良いんです。めぐり先輩も俺も、謝りたい。ならお互いに交換して、仲直りです」

 

 

 もともとそんな仲良くねえだろとか言わない。

 

 

「……うん、わかった。比企谷くんは何が良い?」

 

 

 ふむ。どうせなら、なかなか体験できないものにしようか。もうこの際少しは調子に乗ろう。バチは当たらんだろ。別に意味でアタるかもしれんが。

 

 

「……無難なところで、手作りクッキーを」

 

「甘いのがいい? それとも控えめ?」

 

「とびきり甘いので」

 

「……わかった。今度、作って渡すね。あ、じゃあ連絡のために登録しようよ」

 

「良いですよ」

 

 

 さっきまでの暗い雰囲気はどことなく明るくなって、互いにスマホを取り出し合う。ガラにもなくカッコつけた甲斐があったってもんだ。流れで連絡先手に入れてるが……小町には内緒にしよう。

 

 

「……今度は俺の番ですね。めぐり先輩は何が良いですか?」

 

「うーん、すぐには思い浮かばないんだよね。もともと謝ることしか考えてなかったから。……比企谷くんは何か思い浮かぶ?」

 

 

 そこで俺に聞くんかい。本人に聞いたら都合のいいものしか提案されなくなるとか考えないのだろうかこの人。

 

 しかし、お詫び、お詫びねえ。俺も男子の喜びそうなものは思いつくが、女性となるとな。……そういえば、なんかつい最近、お詫びとかお礼とか、女性に約束取り付けられたような……。あ、

 

 

「……買い物の荷物持ち」

 

「え?」

 

「あ? え、あ、いや何でもないです忘れてください」

 

 

 雪ノ下との話を思い出してたら口に出してたようだ。危ねえ、お詫びとか言いつつ完全に嫌がらせじゃねえか。

 

 だが、返ってきたのは予想外の言葉だった。

 

 

「……うん、うん。それいい、それいいよ、それにする!」

 

「……荷物持ちですか?」

 

「そうだよ! 比企谷くんのお詫びは、わたしと比企谷くんの初めてのお出かけ、だよ」

 

 

 えええぇ。それでいいのか? 最近正直になった雪ノ下ならまだしもめぐり先輩は俺とのお出かけとか、価値を感じるのだろうか。しかも『初めての』ってつけるあたりミソだよね。

 

 

「じゃあそれも今度日程決めよう。連絡するね」

 

「わかりました。では、この話は終わりで」

 

「うん。じゃあ耳かきの続きやろっか」

 

 

 終わってなかったんかい。途中であの重い話始めたのか。やはりめぐりんは天然なのか?

 

 思考をこねくり回しつつ、先ほどと同じ膝枕の体勢に戻る。忘れてたけど、腹向きなんだよな。まためぐりんパワーが……。飲み込まれるなよ、俺。

 

 

「比企谷くん」

 

 

 頭を乗せて、目を閉じようとしたら呼びかけられた。また上を向くと、さっきとは違う、いつもの穏やかで、柔らかな笑顔。だが、何か別のものも混ざっているような。

 

 見つめ合っていると、不意に頬に手を添えられる。

 

 耳でしか感じなかった感触が、頬全体を包む。

 

 少し身体を起こせば触れてしまいそうなほど近くで見つめられながら、頬を優しくそっと撫でられる。

 

 今まで忘れていためぐり先輩の綺麗な顔と、何かを強かに宿しながら、熱く見つめてくる目に、ただ触れられるだけじゃない、労わるような、癒そうとするような手のひらに、トクンと、ひとつ胸が高鳴る。

 

 ああ、やっぱり先輩は、マジで可愛いんだな。

 

 

 また事実を噛み締めていると、より一層顔を近づけて、先輩は言う。

 

 

「ありがとう」

 

 

 そして、小さな音と共に額に落ちる柔らかさ。

 

 

 慌てて目を閉じていた俺は、それからずっと開けられないでいた。

 

 

 

 

 

 

 余談だが、後日雪ノ下に傘ごとパンさんが飛んでったことを伝えたら、『手作りなのだから買えるわけないでしょう!』とガチ泣きされた。

『私のハッチーが……』と言っていたが何のことだろう。

 

 

 




数回読み返して誤字脱字の訂正は行っていますが、もしも見つけられた方はご報告くださるとありがたいです。


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戸塚彩加は呼んでみたい。


戸塚さんのひとり語りです。イチャイチャ成分はゼロです。


 

 

 

 君の目は、いつも君だけの色をしていた。君を初めて見た時から、ずっと忘れられない。僕は言ったね。去年から同じクラスで、なかなか話しかけられなかったって。でも、いつからなんて教えなかった。教えられるわけないからね。理由なんて大したことじゃないよ。ただ恥ずかしかっただけなんだ。

 

 『5月の連休明け。最初に君が登校した日、最初に教室にやってきた日。その時から』

 

 そんなことを言ったら、君の背中だってまともに見れなくなるから。それにね。僕だけじゃないんだ。事情は知らなかったけど、その人は僕よりも早く、君に釘づけになってたんだ。

 

 今になって思えば、まあそれも当たり前のことなんだよね。だから、今はこうして、君ともう1人の彼女と、他人が踏み込めない場所を作ってるんだ。

 

 正直言うとさ。失敗した、って後悔してるんだ。だってそうでしょ? 彼女にはそもそも僕が手に入れられない、絶対のものがあって、それを理由にして顔を伏せたら、いつの間にか、僕のいない君になってたんだから。

 

 ねえ、おかしいかな? 僕は、君の隣に立っていられると思ってたんだよ。たとえそれが、僕の育ててきた感情が望む立ち位置じゃなくても、君の特別で、一番の何かでいられるんだって。でもダメだったんだ。多分、無理やりだったんだろうね。だから、いつの間にか、君の物語に、僕は必要なくなるんだ。一度だけ頼ってくれたけど、もうそこまでなんだ。僕はきっと、そこで終わる。

 

 話したことがあったかな、僕の好きな小説。その結末。主人公が素敵な思い出を築きながら、忘れ去られる話。名前は誰もが覚えていて、『優しい子だ』と言われながら、どの物語からも姿を消す。

 

 きっと君にはわからないだろうね。

 

 僕が君のことを考えて、1人でココアを飲みながら月を見ているなんて姿も、そんな儚いだけの本が風にめくられる夜も。僕にとって特別で、どうしようもなく大切な君は、僕を宝物にはしてくれない。

 

 君は朝会うといつも僕をからかうけれど、それがどれだけ僕を嬉しくさせて、残酷な絶望を突きつけているのかを、君は知らない。

 

 君にとって僕は、「優しい友達」だから。それは僕1人だけ。やった、ついに手に入れた特別だ。友達だって喜び合った日のことを君は深く覚えてないでしょう。僕はよく覚えてる。初めて名前を呼ばれた日だから。驚いて君を困らせちゃったけど、本当に心臓が止まっちゃうくらい、胸の奥で何かが弾けたような、溢れてくるような。それから、僕も名前を呼ぶようになった。君は時々にしか呼んでくれないけれど、君の声で呼ばれることがたまらなく嬉しくて、どれだけ僕が繰り返せば君が返してくれるのか、知りたくて仕方のない時もあった。

 

 でもさ。それだけじゃダメだったんだよ。嬉しくて嬉しくて、嬉しすぎたから。誰よりも近くにいるのに。一番立ちたくなかった場所にいる。嫌な事実を噛み締めて、「知りたくなかった」なんて、時々ありもしないことを言いたくなる。そんなこと言ったって、恨むのは僕の心なんだから。

 

 

 こんな雲の薄い夜に、君は何をしているんだろう。国語が得意で、好きな人には面白い告白をしそうな君は、この夜に何を思うだろう。聞いてみたくなるけれど、僕にはそんな勇気がない。

 もう何度目になるんだろう。月だけが照らす部屋で、液晶に君を浮かべるのは。何かを伝えようとして、何かを受け取ろうとして。必死に開いてみるけれど。話したいことは山ほどあるのに。君に言いたいことはたくさんあって、言ってほしいことはひとつだけだから。夜更けに話すのにちょうどいい話題なんて、昨日までも、今日からも、僕にはずっと思いつけないままなんだ。

 

 思春期は悩みの時期、なんてよく言うよね。そんな僕だから。泣きたくなる時もある。そんな時、君は優しい。痛いなんて思わせないで、泣かせてくれる。思う必要のないことだから。本当は逆なのにね。でもそれでいいんじゃないかと思ってる。だってその通りになるんだったら、僕は全部忘れる方がいいからさ。何も最初からなかったんだって教えてくれる方が、僕は泣いてしまうから。

 

 

 君は知らないだろうね。彼女や彼女が君を見つめて、君に笑って、君に呆れて、君に幸せを感じている時。そんな君の時間に、僕はいられない。全部欲しくなってしまう。だから僕は俯いて、君の足元しか見つめられない。

 

 そんな僕さ。君の隣に立っていたくて、絶対に君の一番になれない僕。それでも構わないって思うのは、君のそばにいられるから。たとえ微妙な距離でも愛せるんだ。

 

 僕はいつでも君の優しい友だちで、君に笑いかける。それだけでいいんだろう。君を嫌いにならないように。好きになんてなるんじゃなかったと、歌わなくて済むんだから。

 

 ただ、君の姿に、君の目に、君の声に、君が僕を呼ぶことに。無邪気に惹かれて、一途に騒ぐ。そんな僕の心を憎めば、それでいいだけなんだろう。

 

 だけどもし。もしも叶う世界があるのなら。その時は。

 

 

 

 

 「八幡!」

 

 「おう、戸塚」

 

 

 

 心を乗せて、呼んでみたい。

 

 

 

 




取り敢えずめぐりんとはるのんと戸塚さんまで上げておきます。ハイ。連続であげてすみませんでした。


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はるのんのお話 夕陽の舞台を見てみると。

陽乃さんのお話。イチャイチャは、する、かも。


 幸せなことが見つかるならば、人生はこんなにも暗くはなかったはずなんだ。濁りきったままの日々が、どうしようもなく変えられないものだと知った時、俺は考えるのを止めた。

 

 素敵な恋が溢れている。悩みもしない、痛みのない洒落たストーリーが、其処彼処で輝いている。それに群がる100万人のエキストラ、俺はその中にもいない。

 彼らが楽しむそのひと時を、外側から、ぼーっと眺めている。

 

 本当に盲目になるほどに好きになれるなら、それは奇跡なのだろう。

 

 ヒーローにはなれず、ヒロインのいない物語が、俺の住処なんだ。

 

 

 

 

 「……色んなことを考えてるんだね」

 

 「……まさか、俺の黒歴史を、勝手に」

 

 いつもの元気で呑気な声のしないリビングで、俺ともう一人の、二人分のグァバジュースを乗せたお盆を持って二階へ上がり、自分の部屋に入ってみると、滅多に家族以外の入らないそこには、いつも放課後に見るのと良く似た顔をした、美女と呼んでも過言ではないであろう女性が一人。

 無理やり入ってきたとは言え、客人に何も出さないわけにはいかないと、俺にしては随分とまともな思考をして飲み物を取りに行っている間に、どうやら思春期少年八幡くんの素敵なポエムノートを発見されてしまったようで、おかしそうな顔で俺を見る。

 正直、見られたことに対してのダメージは半端無いのだが、この人がどういうことを考えるか、何を言ってくるかの方が、遥かに頭を駆け巡る。

 

 「エッチな本とかあるかなー、って机の鍵付き引き出しを漁ったら、もっと面白いのが出てきたよ。本当に君はネタが尽きないね」

 

 「いや、鍵付きを普通に漁らないでくださいよ。というかどうやって開けたんだよ」

 

 俺の黒歴史の中でもかなりエグいものが収納された引き出し、それ故に鍵自体は必死こいてエロ本を隠し通す少年よりも、更に念入りに隠している。それこそ通常の場所を探そうが出てこない場所に。それなのに開けるとはどういうことだ。いや、返ってくる答えなんて決まっているんだけどね。

 

 「そんなの、私の愛のチカラに決まってるじゃない。具体的に言うならピッキング?」

 

 「可愛らしく小首を傾げたってやってることの恐ろしさは変わらんのですがね」

 

 何が愛だコンチクショウ。ただの犯罪じゃねえか。個人のプライバシーを侵しよってからに、純情な俺のこころに踏み込んだ罰は重いぞ。全人類の中でもより透明なこの心! 宝と言っても過言ではござr「どうでもいいこと考えるのはやめてよー。時間の無駄ー」

 

 「あんた、ピッキングして思考まで読まんでくださいよ。俺に心落ち着く時間は無いのか」

 

 「もう、硬いこと言い過ぎだぞ、お姉さんの愛が分からないなんて、お姉さん悲しい」

 

 めそめそと泣いている真似をする彼女。はっきり言って白々しいし、何なりもその愛という言葉が嘘くさくて仕方が無い。演技の仕事をすれば賞に簡単にノミネートされて当たり前のように最優秀女優賞を受賞するんだろうなと思わせる完璧な演技、分かる人が見れば感動もんだろうが、俺としては思考を掻き乱されるだけで実に心臓に悪い。もはや何を信じれば良いんだろう。全く分からん。現に今は泣いているが、次の瞬間には、

 

 「ま、それはそれとして、比企谷君」

 

 こうして何も無かったかのように話を変えるのだ。本当にこの人は一切の感情を排除して百面相ができそうだ。次に何を言うのかも予想がつかない。つかないから、考えうる限りの全てを用意する。別にこの人のことは嫌いじゃないが、疲れるから苦手だ。しかも、

 

 「ヒロインがいないって、寂しくない?」

 

 突拍子も無いことを聞いてくるんだ。誰が想像するよ、こんなひねたガキにこんな綺麗な女が、こんなことを口にするなんて。

 

 「いきなり何言ってんすか。そんなもんいなくて当然でしょう。つまり、寂しい方がおかしい」

 

 「だって、書いてあるよ」

 

 恥ずかしいとさっきから言っているそのノートを、これっぽっちの躊躇いも無くガバッと開いて『ほらこれー』と示してくる。やめろ、今すぐに閉じろ。顔が茹であがっちゃうでしょうが。

 

 「分かりました、分かりましたから、取り敢えずそれを閉じてください」

 

 これ以上昔のことを弄られるわけにはいかない、とこれから先のことを危惧して急いで言ってみれば、彼女は名残惜しそうに『ちぇー、面白いのに』と口にしながら閉じる。可愛く言えば許してくれると思っているのなら甘い。そんな手に乗るのは1年前の俺だ! ……2年生になってろくなことが無かったのか、俺。

 落ち込んでいても仕方がない、さっさと話を終わらせて帰っていただこう。ていうか土曜日にいきなり来て、理由も聞いてないんだが。ん? それでよく家に入れたなって? いやいや、俺がそんな単純なわけないだろう。

 寝てたら起こされたんだよいつの間にか入って来てたのそれに小町は出かけてたんだよおかげで2人きりだよコンチクショウ!

 

 「で、それがどうかしたんですか?」

 

 聞けば彼女は目を閉じた。うわぁ、この人がためるって余程の事だぞ。やめとけばよかった。

 もうなんか奥まで聞くと絶対に良いことは無いと分かっていながらも、話を引っ張り出すしかない俺は哀れだ。

 

 10秒ほど瞑目してから、彼女はにっこりと笑ってこう言った。

 

 「体験させてあげよっか?」

 

 「……は?」

 

 こうして俺の暗黒(恥ずかしいって意味で)の土曜日は幕を開けたのであった。

 

 

 

 

 

 己の耳を疑い、何なら水で洗ってみようかなどと考えるほどに衝撃を受けたその発言から1時間後。俺は映画館にいた。左を見れば、これからに期待しているのか、いつものそれに少しばかり蛍光色を足したような、雪ノ下陽乃。何故、こんなにもトチ狂ったような組み合わせで、並んで映画を見に来ているのか。

 

 ヒロインがいるということ。

 

 ただそれだけと言えばそれで済む。だが、その枠に座る彼女と、相手役に嵌まる俺。配役を意識すると、どうにも拭えない違和感と、あるのかすら怪しい、この裏にある目的を睨んで、いつも以上の挙動不審を発揮する。

 

 「どうして2人で映画を見に来ているんですか?」

 

 聞いてしまえば終わるもの。ならばよかったのだろうが、生憎、この鉄仮面がストレートに答えるわけもないことを知っている。

 

 そんなこんなで、全く落ち着きもしない深層を抱えて、なのに解消することも無理と踏んでいる、いわゆる理不尽出来レースに陥っている。

 

 不幸だと叫べればどれだけ楽なことか。特別も消したストレスをふりかけて、溜め息を吐く。

 

 「んー、どうしたのかな? お姉さんの隣で緊張してる?」

 

 目ざとく捉えたその顔は、10人が当人となれば10人揃って口角の歪むであろう、何とも似合い切ったウインクを見せる。女の嫉妬というものは面倒で、その中で器用に立ち回る方法を熟知している彼女は、それこそ、ウザがられない類での、自分の顔の活かし方をする。首をかしげるのも忘れない、やはり恐ろしい女性である。

 

 「そうですね。いったいどんな風に弄ばれるのか、想像もつかなくて震えてます」

 

 冷静に分析しているような口調でも、俺も男(チェリー)、例に漏れず顔を背け、裏気味の声で返す。照れ隠しも隠し続ければ一級品であろうが、なにぶん相手が悪い。もはや本当に子鹿のごとく震える他ないのである。

 

 「もう、君は疑い性だなー」

 

 呆れに面倒くささ半分、いや、加えて嘲りが少々だろうか。数多のイケメン(笑)を流してきたであろう絶妙な苦笑い。

 ああこれは引っかかりますわ。ウッカリ顔で返せば良い感じを演出している気になるのだろう。哀れなり華の男子大学生。イチャイチャをそんなことで作り出せると考えるから痛い目を見る。ウマシカめ。

 

 くだらないことを考えている間に、場内のライトは落とされ、正しくカメラマンと呼ぶに相応しい彼らの警告と宣伝が映され、過ぎた後の独特の暗やみに包まれる。

 

 物語が始まるまでの静寂。

 

 無駄、削減、そんな言葉で片付けられて良いはずもないもの。何もないということがかえって高まりを生む。この数十秒の間、いつも心は波を消す。気づかなければ、きっと先ほどまで荒波がぶつかり合っていたことさえ忘れている。

 何があろうと、この2時間余りに水を差す人間などいないだろう。

 

 決して油断を消せない相手は、自然と姿をくらます。

 

 いつの間に固く閉じられたのか、爪痕を残して、両の拳を緩める。

 ただの数瞬のうちに、激動はなりを潜め、また、安堵に似た溜息をこぼせば、意識の外から、猛烈な喉の渇きを感じる。財布を傷めずに手に入れたドリンクを飲んでいると、不意に、静かではっきりとした声を聞く。

 

 「大丈夫だよ。センチメンタルなのは、君だけじゃない」

 

 波も立てず、色を落とす。

 

 惹きつけられるように目を運んだ先では、やはり、色を溜めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 「いやー、面白かったね。何度もちゅっちゅするのはいただけなかったけど」

 

 「そういうもんでしょう、あちらの作品て」

 

 確かに敵がすぐそこまで来てんのにキスするのはアレだが、おまじないというか、奮起の種だと思えばまだわかる。俺たちの観たものは、テロを企む集団に潜入し潰すという、ありきたりなスパイもの。明らかに潜るのに邪魔となるであろう巨大兵器を備えたお姉さんが登場するのもお約束である。グラマラス、スニークとは真逆のようだ。

 

 「それもそうだねぇ。まあとりあえず、それも合わせて、どっかでお茶しようか。気分転換は大事だゾ」

 

 きゃぴるんとでも言おうか、あざといなども清々しく感じる。吹き出しがあるならば後ろに星マークがある方が自然だ。いちいち動悸を生ませるのが好きらしい。人差し指を綺麗に立てるのがポイントだゾ☆

 

 「良いですけど、シャレオツ(笑)な喫茶店とかは嫌ですよ。いくら甘党な俺でもエスプレッソをガブ飲みすることになるので」

 

 「遠回しに胸焼けって言うところが君らしいね」

 

 いや本当に。街中にいるだけで鬱陶しいのに、ああいう場に呑まれてさらに加速されるのは地獄だ。ウェイウェイ系とは違ったウザさがある。あのドギツイ油、タチの悪い砂糖、ハ○ピーターンの粉だけ集めて口に突っ込まれるような、キザったらしい雰囲気。他の所に行けばむしろそんなもの珍しいくらいなのに、今俺たちのいるショッピングモールの最寄りにあるシャレオツカフェはそういう連中ばかりなのだ。前に一度、今日のように映画の帰りに寄った時のあの苦しみは忘れない。おかげで新鮮なキュアキュアが消え去り、後に残ったのは苦い残り香だけだった。

 

 雪ノ下さんも覚えがあるのか、『まあわかるけど』なんて目をしている。濁流さえニコニコと避けてしまいそうな彼女が思うのだ、それはもうマジでキツイ。

 

 「うんうん、君が望むだけで連れて行くわけないってことはよく知っているから、ここは私に任せない」

 

 何だろう、言い返そうとも思わないが、口を開けて鳴く雛鳥にされた気分だ。確かに運命の出会いは探さずに待つというのがスタンスではあるけれど、ズケズケと言われるとくるものがある。これは何か返さねば。ミジンコ並みのプライドの為に。

 

 「いやいや、誘ったのはそっちですし、そもそも連れ出したのもそうですからね。寧ろ帰らないだけマシですよ?」

 

 感情がスタートでも打ち崩せない場合は論でいく。どちらにしても勝てる気がしないのは気のせいだ。多分。

 

 そんな俺の抵抗も、雪ノ下陽乃にとっては格好の獲物だったようだ。

 

 「そう、君は帰っても良かった。というより、君なら迷わずそれを言ってる。でもさっきの君は乗り気だった。どうしてかな?」

 

 見つけたよ。なんて聞こえてきそうな、とびきりの笑顔。威圧をもたせているわけではない。それでありながら、逸らそうとは思えない、絶対のもの。

 何も違和感はない。わからないことを見つけて、ただ質問する無邪気な子供。シンプルに答えだけを求める、どうして。それなのに、心臓を掴まれている。

 

 おちゃらけてもいい、ただ無視してもいい。ここで生まれる中2くさい問答は、クソの種にもならないのだから。頭ではわかっているが、言葉が浮かばない。口を開こうとさえ思わない。必死に探しまわる。生涯で溜め込んだものが、両手をすり抜ける。嫌な冷や汗だけが、望みもせずに溢れて行く。

 

 そんな俺の足掻きも知らず、雪ノ下陽乃は静かに微笑む。

 

 「……まあ仕方ないね。今の君には、国語辞典をあげても答えられないだろうし。ちゃっちゃとお店に行こう」

 

 そう言って、突っ立ったままの俺の手を取り、鼻歌交じりに歩き出す。ついさっきの雰囲気は跡形もない。全く恐ろしいデザイナーだ。

 

 

 

 

 見つけられないものに苦虫を噛み潰しながら辿り着いた場所は、柔らかな午後の光の差し込む、ひときわ静かな喫茶店。

 

 『私のお気に入りの場所なんだ』

 

 得意げな顔で俺を連れて座ったのは、もうすぐ黄昏に変わるであろう色に包まれる、窓際の席。美人は環境で美しさを変えると言うけれど、これほどのものかと思わせる。この人の妹にも随分とヤキモキさせられたことを思い出す。

 

 そこから5分もすれば、楽しいティータイムの始まり。ミントティーを片手に、おかしそうにストーリーを評価する。

 あそこで敵に見つからないのはおかしい、どうして仕留めなかったのか、わざわざ足で追いかける利点は?

 細かなところまで、彼女にとっては重要らしい。ニヤと笑っては、カッコつける演出を突き崩す。この人を納得させるには骨が折れるな、なんて、改めて痛感する。彼女自ら選んだものでさえ、こんなにもダメなのだから。家デートなど映画鑑賞が閉じられて、将来の彼氏は不憫なものだ。

 

 そうしてコーヒーを楽しんでいると、また不意に、雪ノ下陽乃は惹きつける。

 

 『でも、最後のキスだけは、良かったと思うよ』

 

 目を細めて外を見る彼女の顔から浮かぶのは、すべてを終えた後の、主人公とヒロインが静かに口づける、夕陽の終焉。何度も差し込まれた中の、最後の引き際。軽く触れるだけのそれ。BGMもなく、セリフもないという、逆に印象に残るもの。唇を離した後、表情に見える薄い陰が、今もはっきりと思い出せる。

 

 夕陽を背に受ける木々のように、彼女もまた、薄い陰を浮かべている。

 

 それを見て何を感じているのか、今の俺には、また、掴みきれないものであった。

 

 『なんてね。どう? 憂いのある美女の風景は』

 

 してやったりがよく似合う、満面の笑み。探していたことと、いきなりの変化についていけずに返事を返せないでいれば、『ドキドキさせちゃったかなー』と満足を染み込ませて、また大きく笑う。

 

 「映画の彼女は、そんな大きな口で笑いませんでしたよ」

 

 解消を覚えないぼっちにできるのは、せいぜい可愛い噛みつきくらいのものだ。

 

 

 

 

 

 「どうだった? 隣にいる1日は」

 

 映画の感想も尽きて、家路を辿る頃には、辺りはすっかり黄昏に包まれていた。低いか高いかもわからないビルの合間から引かれる、さよならのカーテン。

 さりげなく伸ばしてきた手を避けて、歩き出した数分後。隣から、今日という日の、締めの問い。

 

 「どう、と言われても。特別、らしいことはしなかったじゃないですか」

 

 ライトノベルのように、服屋の中でくっつきあうことはなく、腹ごしらえのケーキを最後まで食べさせ合うということもなかった。思い浮かべる理想像には、かすりもしない時間だった。

 

 「ふふ、何かしなきゃいけないなんて、そんな決まりはないんだよ」

 

 捻くれた俺の目を見つめて、諭すように、ふわりと笑う。

 

 「隣に煩う乙女がいれば、それでいいの。それだけで、立派なヒロインだよ」

 

 意味ありげな微笑も、曇りを作らずにこなしてしまう。何かがあるような気がして、伸ばしたくもない腕は震える。俯向く先に見える彼女の陰は、すっぽりと俺の脚を呑み込んでいた。

 入ってはいけない沼にとられたような。逃げられない感覚。探しても探しても、何一つ、言葉を捕まえられない。

 

 「煩うって、あなたは何も抱いてないでしょう。俺に向けるとすれば嗜虐心くらい?」

 

 少しの中身もない、あり合わせ。自分がキャラクターであるならば、読んでいられないセリフたち。

 今日の俺は、いつも以上に、何も無かった。

 

 「さーてね。それはどうでしょう。何を言っても、君にはわからないんじゃないかな」

 

 トドメの一撃。ハリボテにされて、足を呑まれて、撃ち込まれたもの。情けなさを呪うには、十分すぎる。

 

 「言わなくちゃわからないことはあるけど、言ったってわからないこともあるからね。君が一番よくわかってるでしょう?」

 

 擦切れるうち、いつしか呻き始めた渇望。欲しくて欲しくてたまらない、その始まり。わかろうとしてわからない、わかりたくもないわかること。どうにも、捨てていきたいものだった。

 

 そうして俯き唇を噛んでいると、突然、頬に添えられる柔らかな感触。顔を上げさせられ、目の前に彼女の顔を見て、その感触が雪ノ下陽乃の手であると認識した瞬間、小さなリップ音と共に、額に感じる別の柔らかさ。

 

 処理落ちしてフリーズ状態の俺から離れて、また笑う。

 

 「最後だけ、特別サービス。君の考えるヒロインらしさをあげる。後はまた、答えを見つけてからね」

 

 

 

 

 あれから、何時間経ったのかわからない。気づけば月は上っていて、慌てて帰宅して、小町に怒鳴られてから、自室に戻った。風呂に入っても、胸に抱えるものは消えなかった。

 今もこうして、開けていない甘い相棒を手に弄んで、ぼーっとしている。

 せめて、何かヒントがあればと、相棒よりも甘い心で愚痴る。

 

 ピピピピピピピピ

 

 着信音にビビってスワイプすれば、今まさに頭の中を埋め尽くしていた相手からのメール。開いた先には、狙っていたかのように示される、ただ一つの手がかり。

 

 

 『ヒント:私のなりたいもの』

 

 

 どうしても、俺には解かせてくれないようだ。

 

 

 

 

 




長すぎてもアレなので二つに分けます。


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摘んでみると思うより。

後半パート。長い。ただただ長い。うちの話がヘッタクソな講師並みに長い。

それと前半パートで言い忘れていましたが、この話自体は随分と前に書いたものです。アンチヘイトに片足突っ込んでいるのでご注意ください。申し訳ありません。


 

 

 俺が欲しいものは何なのか。そんな事、いったい誰に聞けばいい。昨日も今日も明日も、きっと途切れる事なく、この問いは双肩にのしかかり続ける。

 目を閉じて、黒に虹の血色を眺めれば、いつからとも知れずにしわを寄せる、眉が痛む。何も見つからない暗幕に息を吐き出し、眉をほぐして額を摩る。

 

 自然と、つい数時間前の事であろう、メテオを思い出す。星も姿を隠す曇りの夜、開いた瞼の向こうに、ありもしない、去りし陽を混ぜた黄昏を見る。橙の空気を乗せた冷たい風と、それを忘れる額の感触。記憶の端が微かに震える、僅かな甘い香り。

 フラッシュバックと一言で片付けられるほど、俺の脳は理屈で動いてくれはしない。

 

 

 『化け物がこのザマだ』

 

 

 皮肉に笑い、再び目を閉じて、刹那に開けば、哀愁を乗せた風は消え、映るのは、見覚えのある天井の返す、液晶の間接光。何気なく首を向ければ、元々深いそれをさらに酷くする、底なし沼への案内メッセージが見えるだろう。

 ヒントだなんてとんでもない。進めない理由も、問題がどこにあるのかも、見当がつかない。

 

 この半日、彼女と交わす言葉の中に、どれだけの標があったのだろう。濁り色のメガネをかけて、鏡を幾重にも張り巡らしてファインダーを覗いては、何一つ通じない。

 くだらないように鈍感であれたなら、澄み切って見えたのだろうか。

 

 鈍感だ。よく言われもする。そんなものじゃないってことも、よくわかる。過敏すぎる耳は、音を嫌う。鋭すぎる目は、眩しさを嫌う。

 ヘッドホンをして、サングラスをかけて、首を締めながら声を出す。何も、飲み込めてやしない。舌で触って、ブラックコーヒーで流し込む。

 

 今こうしている間に、あの人は、何を考えているのだろう。散々人を惑わして、手前はのんきに歌うのだ。本当に、迷わせて、惑わせる。

 

 

 

 

 つまらない。この一言は、何が形を変えて飛び出したのか。俺の語る欲しいもの、形容もしがたい何かだが、おぞましいと言える、整いのない何か。

 

 つまらなくなった。遡れば、面白い時があったらしい。自慢じゃないが、楽しませるという事を知らないこの俺。幽体離脱の末に見てたとしても、真顔は崩れないだろう。

 

 人はみな違う。それぞれ違う。ガキの頃から(今でもクソガキであるけれど)腐るほど聞いてきた言葉。飽きてしまう、いや、潰してしまいたくもなる。人はそれぞれ違うから、尊重しよう、なんてプラスを狙っていても、誰が『人それぞれ』を語るだろう。きっと誰も語れない。俺はそこまで、人を信じちゃいない。

 

 俺と彼女は違う。何をしても、同じになることはない。

 

 それでも、と言ったのだ。

 

 比企谷八幡は、それでもと言ったのだ。

 

 そうして気づく、はっきりとした線。それはどうしようもなく残酷で越えやすい、絶対の境界線。

 

 つまらないはずだ。当たり前なんだ。指す必要もないほど、考える必要もないほど、見ることもないほど、当然につまらない。

 

 

 原点に帰ってみろよ。なぜ、雪ノ下陽乃は恐ろしい? 単純だ。そして味気ない。こだわるからだ。どこまでも、どこまでもこだわる。何となく流すことなんて許さない、ごまかしなんて以ての外。覗き込まれることが怖いというよりも、何を言ったところで、マスクを取らなきゃならないのが怖いのだ。

 

 彼女のそれを仮面と言った。だが、目の前に行けば、外すのだ。よく聞いた話だ。人の心に立ち入るならば、己は、飲み込まれにいくと同じこと。透き通った目には、文字通り吸い込まれる。雪ノ下陽乃は、人を見るのに、立ち入るのではない。飲み込むのだ。だから、怖い。俺とは、俺の考える常識とは真逆のことをしてくる。そもそもの形が違う。

 しかし、そうでありながら、きちんと外してくるのだから、何を考えているのかわからず、なおのこと恐ろしい。

 

 

 何をどうこねくり回したところで、一つとして浮かんではこない。理屈は生まれる。ピースは嵌る。それなのに、出来上がるものがない。

 彼女の前では、どうすることもできないのか。

 

 

 疲労の溜まった身体と、覚醒している脳。相反し金縛りを誘う今が鬱陶しく、紛らわすために、適当な本をとる。

 

 

 読み終わった頃、朝陽は差し込む。

 どうやら、いい加減に選んだものは、今に一番フィットするものだったらしい。

 

 

 「随分と面倒くさい。お互い様ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それで、何かわかったのかね?迷える青少年」

 

 

 テーブルに腕を組み、頭を乗せてわざとらしく下から問いかける彼女。見る度に同じだったショートカットは、少しだけ伸びたように思う。ふわりという擬音のよく似合う、柔らかな髪だ。

 

 以前に従うなら、ドーナツ屋、ラテンかドイツかわからないカフェ、はたまた時代の空気を吸い込んだ喫茶店か。その中のどれにしろ、人前でとるような体勢ではない。スキンシップを必要以上にはかる雪ノ下陽乃といえど、そこの分別はつくだろう。血迷ったのではないか? たかが俺のような石っころを相手にして、頭の中がぐるぐる回りはしない。そう、場所が違う。人前でしないことならば、プライベートスペースですればいい。

 

 俺たちがいるのは、比企谷八幡という少年が当たり前としている空間。端的に言って、俺の部屋。

 

 本を読み終えたのが午前6時。そのまま限界を突破した身体は、本をほったらかしてベッドイン。処理落ちの先へ行った脳はお眠りに。

 

 ゆったりとぐーすかぴーすかしていた俺を叩き起こしたのが、今目の前で頬を膨らましている陽乃さん。

 

 

 「質問を無視してふけるなんていいご身分ですねー」

 

 「俺としては何故また入り込んでいるのか聞きたいところなんですけどね」

 

 「小町ちゃんって気がきくよね」

 

 

 そうですね。全くいらん気もよくききますね。そりゃあ何やかんや理由で突き出してくれるのはありがたい。足踏みして進みもしないで退きもしない、ボンクラの俺にとって、あれほどできた妹はいない。しかし年頃かな、良かれと思って女の子(?)と引き合わせたがる。まず根っこを考えよう。お前が義妹と呼ばれる関係になることはないしそれに発展する何かになることもないんだぞ。

 

 

 「でも、こうして話したい相手とすぐに向かい合えるんだから、それも感謝していいんじゃない?」

 

 

 そんなにわかりやすいだろうか。自分ではカッチカチの鉄仮面のつもりなんだが。

 

 

 「あれだけすっきりした寝顔を見ればね」

 

 

 そもそも隠しようがなかったわけだ。

 

 

 「それで。何かわかった?」

 

 

 あれだけ巧妙に隠し、ここぞとばかりに畳み掛け、深部に波紋を広げたこと。突っかかってくるようで、ただただ静かに見つめ、確かめようとしていたこと。どうしてこうも、見つけてほしいと訴えるのか。

 

 

 「陽乃さん」

 

 「なーに?」

 

 「わかる、という態度をとり、あなたはあなたのままで良いと諭し、やりたいようにしなさいと微笑みかけ、落ち込んで躓けば涙する。そんな関係、どう思いますか?」

 

 

 問いかけても、問いかけなくても違わない、愚かなこと。そうであっても、これだけなのだ。

 

 

 「素敵なんじゃない? 認めてくれているもの。信頼ってやつ?」

 

 

 誰もが羨むものだろう。ガキの頃から夢を語らせられ、一つ良いものを見つけて成長しては、断固として斬り伏せられ、レールを踏みつけ歩むもの。そんな腐るほどある親への恨みつらみ、友への妬み。始まりが最悪であり、出会いすら恵まれなかった多勢の人達の、宝物。

 

 だがそれで、それがあったとして、素敵だと思うのは、いったい誰なのだろう。

 

 人それぞれとヒトは言う。趣味は多様で、感性はどこまでもバラバラであり、その一つ一つが素晴らしいと。しかし、ならばこそ、言ってはならないはずのものを、また、口に出す。

 

 

 「何をしたって良い。許されている。過保護に見えるくらい。でも、それで飼い慣らされるなら、話は別」

 

 

 誰もが幸せに、と希望は謳う。それは叶わないことだと、ニヒルに笑うトカゲがいる。

 

 

 「雪乃ちゃん、『あなたはあなたらしく』だっけ? お母さんに言われて、君も俯いてたの」

 

 「ええ。チョコレートなんて吹っ飛びましたね。まあその前にあなたからもブローされましたけど」

 

 「ごめんごめん」

 

 

 その人が指すあなたらしくとは何なのか、そんなことはどうでも良い。誰が言ったのか。それだってどうでも良い。自分自身で言おうが、二転三転、巡り巡ってぐちゃぐちゃになるのだから。

 

 

 「理想的だよ。何をさせられるでもなく、一人でいることも許される。それでもやっぱり、あの子は欲しがりだから」

 

 

 俺の苦しみがわかるのかと、胸ぐらを掴み叫びもする。足蹴にされ、崖から落とされた亡者。わかるはずもない。不可思議なほど、そうである。

 

 

 「だからこそ、あの子にとって、甘くてあったかい」

 

 

 もがき方を忘れ、空を眺めることに執着した。放っていても流れる綺麗なものは、歩くことをやめさせる。

 

 

 「心地良いだろうね。わからないし、重ねてもわかってもらえないし、踏みつけあいもするのに、それでも、なんて言って、一言で済むの」

 

 

 嫌であるとは言えず、プライドを守るために誰かを跳ね除け、それであるのに許してくれる人も鬱陶しい。自分はできないのだと悟ったふりをして、反抗を示したつもりで、意味のない逃走を繰り返す。言われなければ何もできないのだと見透かされたくなくて、こなければ掴み方も知らなくて、君からじゃないなら要らないなんてほざいて、ありもしない足場を見せつけて。

 

 

 「手を取り合って、笑いあって、こっちだよね、なんて。うん。はあ……本当に」

 

 

 そこに来た、知り合ってからの、夢への誘い。身の程を知ったと言えば聞こえは良い。それは、外から見ることを覚えて、内から見ることを忘れたならばの話し。快感の伴う餌を貰った、嬉しかったか、足掻くことがなくなって、何となくの空気で歩めて、考えることを放棄して、足並み揃えて、みんな一緒って幻に沈み込んで。

 

 ああ、本当に

 

 

「反吐がでる」

 

 

 

 

 「君は違うと思ってたよ。だからこそ、がっかりした。でもやっぱり、頭を突けばわかるんだね。安心したよ」

 

 

 こちらを見つめながら、テーブルを回りこちらへ近寄る。膝を着きながら腕を支えに一歩ずつ確実に寄る様は、四足歩行の動物。

 

 

 「だからって、理解するわけでもないですけどね」

 

 

 チラリとのぞく胸元の谷間、ごちs……

 

 

 「ダメだよ。ちゃんとこっち見ないと」

 

 

 ズイっと前のめりに、俺の唇を指で塞ぐ。いつの間にか惚けて口を開けていたらしい。マヌケだ。

 

 妹と同じで、それでいて揺れることのない透き通った目。きっと、俺も彼女も、この時間の中で反らすことはない。

 

 見えない線で繋がれて、引き放せもしない。どれだけか見つめ合い、静かに口を開く。

 

 

 「比企谷君の成長は、ここで止まるものじゃないと思うの」

 

 

 諭すより、聞かせるより、ただ流すだけの声。余計な色のない、ただそれだけの言葉。

 

 

 「もしも君が、あの2人と一緒にいるとしても、一緒にいることを理想にして、潰しちゃダメ」

 

 

 欲しいと願ったものがあるならば、見失ってはならない。たとえ居心地がよくとも、生まれたものを砕いて、コンクリートにしてしまうのは、全てが終わる。何を願ったのか。始まりは何なのか。

 

 

 「君が欲しいもの。2人がそれぞれに欲しいもの。重ねたら、きっと、何よりも醜くなる。君はいつも言ってるよね。『勘違いはしない』って。その通りだと思うよ。君は君なの」

 

 

 鏡がある世界で、写すのは自分だけ。それだって、無意識に飾り立てて捉えてしまう。そんな混沌とした場所で、かけるものは何もない。

 

 

 「私はね、比企谷君。君がひとりぼっちをやめたがるのは、許せないの。でも、君にはわからない。ここでどんなことをしても、君は、死ぬまでわからない」

 

 

 そうあってはならないことだから。

 

 

 「雪乃ちゃんと、ガハマちゃん……由比ヶ浜さんと3人で、わかったフリをしてる。それは大切なことだけど、それ以上には進めないし、早いうちに終わると思う」

 

 「酷い予想ですね」

 

 

 思わず苦笑いを込めた一言を放っても、ウインクひとつで流してしまう。

 

 

 「だからこそ、私はずっと、君の予想外でいないとダメなの」

 

 

 どうやって結んだのか。繋がりなんてないようで、はっきりとした意志。

 お姉さんぶるのは終わらないらしい。

 

 

 「いつまでも、いつまでも。君が、止まらないように」

 

 

 静かに目を閉じて、静かに頬に口付ける。

 

 

 「だって君は、私のお気に入りだから」

 

 

 再び覗き込んだ目は、やはり透き通っていた。

 

 

 




卑猥な落書きが好きな僕です。今は気分的にラビュー。


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