Steins;Gate アフターストーリー (第22SAS連隊隊員)
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阿万音鈴羽編

まずはバイト戦士こと鈴羽から。彼女の父親との物語です。


Steins;Gate アフターストーリー

 

(天音)橋田鈴羽編

 

 

「お願いオカリンおじさん、明日の参観日の日だけ私のお父さんになって!!」

 

とある喫茶店の店内で少女の声が響き渡る。その声に何事かと店内の客が一斉に発信源へと顔を向けた。

その先には髪をお下げに結い左右に垂らし、学生服を着た高校生の少女が。そんな少女が前のめりになり両手を合わせ、目の前の白衣を着た四十代後半と思われる男にお願いをしていた。

男は周りの客が自分たちを見ていることに気が付くと、慌てて少女を座らせ新聞で顔を隠す。

興味を無くした客たちは視線を元に戻し、中断した会話や食事を再開する。男は自分達に向けられる視線が消えたことを確認すると、新聞紙を畳み溜め息を一つ付いた。

 

「鈴羽、お前にはダルという血の繋がった実の父が居るではないか」

 

「だって……父さん、アレじゃん?」

 

「アレって……まぁ、確かに」

 

鈴羽と呼ばれた少女はどこか苦い表情を浮かべ、それと同じように男も苦い表情になる。

彼の名は岡部倫太郎。目の前の少女、橋田鈴羽の父親の親友である。父親との仲もあって岡部と鈴羽は昔から付き合いがあり、たまに彼女から何かお願いされることもあった。

鈴羽が小さい頃は玩具やお菓子を買って欲しいとせがまれ、大抵は根負けして買ってしまうのが何時もの事であった。

しかし、彼女が成長するにつれそんなお願いも少なくなり、ここ数年は何もお願いを聞いていない。

そんな彼女から『重要なお願いがある』とのメールを受け取り、何事かと指定された喫茶店に向かえば冒頭の『お願い』を頼まれたのだ。

 

「そもそも、なんで俺に父親役を頼む? 参観日にダルが来るのが嫌なら黙っていれば良いではないか」

 

「それが……、実はね」

 

「実は?」

 

「友達にお父さんはどんな人? って聞かれた際につい『私のお父さんは背が高くて、白衣が似合う人』って言っちゃって……」

 

その言葉を聞いて岡部は目を閉じ天を仰いだ。数秒間そうした後に顔を前に向け、今度は頭痛を抑えるかのように額に手を当てる。

そんな岡部を鈴羽は申し訳なさそうに見ていた。

 

「なぜそこで俺を出したのだ、鈴羽よ……」

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさい! でも、一日だけ、参観日の日だけで良いからどうか父親役を!!」

 

再び両手を合わせ、頭を深々と下げて懇願する鈴羽。頼まれた男は両肘をテーブルに付け手を組み、そこに額を押し当てる。

しばらくブツブツと何かを呟き、なんとも困ったような表情を浮かべて顔を上げる。

 

「わかった、今回だけだぞ」

 

「え……、じゃ、じゃあ……」

 

「ああ、参観日の日だけ父親になってやる。ただし、今回だけだからな?」

 

その言葉を聞いた瞬間に、少女の顔は一瞬で花が咲く様な明るい笑顔になった。目を見開き、感謝の言葉を叫ぶ。

 

「ありがとう!! オカリンおじさん大好き!!」

 

そして、人目を憚らず目の前の男性に抱き付いた。

 

 

 

 

「と、言う訳なんだ」

 

『はぁー、あんたってあの子にはとことん甘いわね』

 

その日の夜。岡部は自宅に戻り、夕飯と風呂を終えてからある人物に電話をかけていた。

愛用している赤い携帯からは呆れたような女性の声が流れてくる。

 

「悪かったな、紅莉栖」

 

『このロリコンめ』

 

「鈴羽は高校生だからロリに当て嵌まらないだろうが」

 

どこか拗ねたような返事を返す電話の相手は牧瀬紅莉栖。アメリカのサイエンス誌で論文が掲載されるほどの天才である。

彼女はかつて日本を訪れ、ひょんなことから岡部達との付き合いがあった。現在はアメリカで研究や実験漬けの毎日を送っているが、たまに岡部達と連絡を取り合っている。

 

『うっさい、自分との歳の差を考えなさいよ。まったく』

 

携帯の向こう側から拗ねたような声が聞こえる。それを聞いている岡部の脳裏には、携帯を耳に当てながら頬を膨らませている紅莉栖の姿が容易に想像できた。

いとも簡単にそんなことを想像できる自分に苦笑しつつも、本題を切り出す。

 

「なぁ、紅莉栖。父親ってどんなものなんだ?」

 

『はい?』

 

「だから、父親とはどういうものなんだ?」

 

余にも漠然とした質問。そんな質問をされても、紅莉栖はどう答えたら良いかが分からず戸惑う。

うーんと唸り声を上げて明晰な頭脳をフル回転させるが、答えは一向に出てこない。

終いには様々な学者や偉人達が生み出した数式や理論までも展開させ、答えを導き出そうとするが当然ながら回答は出てこなかった。

溜め息を一つ付くと、若干呆れたような口調で岡部に愚痴を垂れる。

 

『質問が漠然とし過ぎているわ、もっと具体的に言えないの?』

 

「と、言われてもな……」

 

今度は逆に岡部が唸り声を上げることになった。

暫くの間唸り声を上げながら「父親」という存在に解を見出そうとするも、答えは出てこない。

紅莉栖にギブアップを伝えると、彼女はその間に何かを閃いたのかアドバイスを伝える。

 

『逆に考えるのよ、自分が父親だったらどんな風に振る舞うかって』

 

「自分が父親だったら……」

 

岡部は自分の脳内にその姿を思い描く、その手には産まれたばかりの小さな命。

岡部は頬笑みを浮かべ、隣に立つ紅莉栖も同じように微笑んでいる。二人は自分たちの愛の結晶を愛おしげに――

そこまで考えた所で岡部は頭を振り、その光景を打ち消した。次いで自分の左手で顔を覆い、握り潰さんばかりに力を籠める。

 

『岡部、どうしたの?』

 

「いや……、何でも無い」

 

電話で話していて良かった。顔が真っ赤に染まった岡部はこの状況に心の底から感謝した。

わざとらしく咳払いして呼吸を整え、アドバイスをくれた紅莉栖に感謝を告げると、明日に備えて早めに寝ることを伝える。

どこか名残惜しげな色を声に混ぜながら紅莉栖は、「健闘を祈る」と短く告げて電話を切った。

携帯の向こうから一定のリズムで電子音が鳴り、電話が切れたことを確認。起床時間に携帯のアラームをセットし、寝床に付こうとして――

 

――逆に考えるのよ、自分が父親だったらどんな風に振る舞うかって

 

先程の紅莉栖の言葉が胸中に蘇る。果たして、自分が父親ならばどうするのだろうか? 手に持った携帯をじっと見詰め、「父親」として思考する。

時計の針が一分、二分と進み、やがて岡部は携帯に電話番号を打ち込んだ。数回のコール音の後に眠そうな声が電話に出る。

 

「ああ、もしもし? 夜中にすまない――」

 

明日はいよいよ決戦の日。

 

 

 

 

次の日、鈴羽が通う高校。今日は授業参観日という一大イベント、そのせいか妙な緊張感が学校内を満たし、張り詰めた空気を作り出していた。

教師も生徒もどこか表情が強張り、歩き方が何処かぎこちない。そして、昼休みを終えて遂に決戦の時は来た。授業参観の始まりである。

始めはポツポツと、次第にゾロゾロと、最後はワラワラと生徒たちの親が学校に集まってくる。

親同士が出会うという極めて稀なこともあってか、それぞれが如何にも高級そうなスーツや衣服、装飾品等も一目見ただけでブランド物と分かる品。

父親は髪を見事なまでにセットし髭を剃り、完璧な紳士を。母親は大金をかけた化粧品で化粧を施しブランド品を見に付け、完璧な淑女を演じる。

授業を受ける生徒たちの後ろでは、親同士の静かな戦争が繰り広げられていた。

ふと、教師が黒板に板書をするために生徒たちに背を向けた。チャンスと言わんばかりに鈴羽の隣に座るクラスメイトが話しかける。

 

「ねぇねぇ、鈴。鈴のお父さんって来てる?」

 

「えっと、お父さんは……」

 

こっそりと後ろを振り返り、自分たちの授業風景を眺める親御達の列を端から見渡す。そして、列の中央付近で白衣を着た背の高い男を見つけた。

 

「ああ、ほら。あそこの白衣を着た――」

 

白衣を着た男の隣、一目で肥満体形と分かるメガネをかけた鈴羽の実の父親が居た。

彼のトレードマークとも言えるオレンジの帽子は今日は被っておらず。だらしない私服の代わりに、あまり似合っていない紺のスーツを着ている。

父親と父親の役を頼まれた男は、鈴羽の視線に気が付くと軽く手を振った。鈴羽の顔が引きつる。

 

「えっと、あの白衣を着た人? なんか隣の人も手を振ってるけど?」

 

「え、いや、あの」

 

なんとも形容しがたい表情を浮かべ、返答に詰まる鈴羽。曖昧な笑みを浮かべると先生がこっちを向きそうだ、と言って前に向き直る。

その顔は耳まで真っ赤に染まっており、頭の中はグルグルと掻き混ぜられパニックを起こしている。

自分が当初予定していた計画が崩れ去り、放課後に友人にどうやって誤魔化すか。思うように回らない頭で必死に考えていた。

授業が終わるまでの間、鈴羽はまるで針の筵の上に正座し、オマケに膝の上に重しを乗せられているかの様な、拷問にも等しい時間を味わう羽目になった。

 

 

 

 

放課後、ようやく拷問から解放された鈴羽の顔は全く明るくない。肩を落とし、項垂れ、目からは生気が抜け落ち、足取りは鉛のように重い。

そんな鈴羽を友人達が励ましているが、鈴羽はまるで反応しない。ふと、友人が正門に顔を向ける。何事かと緩慢な動作で鈴羽も正門に顔を向けると。

 

「「おーい」」

 

そこには白衣を着た男と肥満体形のスーツを着た男が手を振っていた。鈴羽の目に生気が戻る。

途端に鈴羽は駆け出した。自慢の脚力を存分に奮い、自身が出せる最大の速度で正門に駆け込む。

友人が驚く間もなく素早く白衣の男の手を取り、どこか引き攣った笑みを浮かべ、

 

「紹介するね!! これが私のお父さんの――」

 

「友人の岡部倫太郎です。初めまして」

 

「やぁやぁ、初めまして。娘が何時もお世話になっています、父親の橋田至です。どうぞよろしく」

 

一か八かに賭けた鈴羽の作戦は見事に不発となった。

その時の鈴羽の頭の中では「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した」と、延々とその言葉が繰り返されていたという。

 

 

 

 

ここは喫茶店。きのう鈴羽が岡部に父親役をお願いした店である。窓際のボックス席には鈴羽と橋田に岡部、そして鈴羽の友人達が座っている。

各々楽しく談笑しているが、その中で鈴羽だけが不満げな顔でケーキを頬張っていた。

 

「鈴羽、いい加減に機嫌を直したらどうだ?」

 

「ふん、オカリンおじさんの裏切り者」

 

「だから、その事についてはキチンと謝るから……」

 

自分の計画を見事に台無しにしてくれた人物に、鈴羽は頬を膨らませてそっぽを向く。彼女の現在の機嫌は非常に悪い。

そんなことも気にせず、その隣では鈴羽の父親である橋田至こと、ダルが彼女の友人たちと談笑していた。

 

「へぇー、おじさんって、システムエンジニアをしているんですか」

 

「そうだお。昔からパソコンはよく弄っていたんだけど、それがいつの間にか仕事になっていたというか」

 

「あ、じゃあ。もちろんパソコン関連のプロなんですよね?」

 

「もちのろん、大抵のトラブルはお任せあれ」

 

何とも自慢げにダルは自身の胸を叩く。その光景が余程気に食わないのか、鈴羽の眉間に皺が寄り始めた。

目付きも徐々に険しい物になり、終いにはフォークを握る手が震えだした。

更には歯をむき出しにして歯噛みし、少女の顔が野獣の様な物へと変貌を遂げる。口端に見える犬歯がやけに鋭く見えた。

そんな鈴羽の形相に友人達が気が付き、どこか呆れたように口を開く。

 

「もー鈴ったら、何そんなに怒ってるの?」

 

「だ、だって、父さんが!!」

 

「私の父さんなんかもっと酷いよ? 加齢臭はキツイし、頭は薄いし、何時も母さんの尻に敷かれてるし」

 

友人達は笑いながら自分の父親のダメっぷりを話す物の、鈴羽の機嫌は一向に元に戻らない。

それどころか、その友人たちの笑い声にすら怒りを感じていた。遂に彼女の堪忍袋の緒が切れる。

 

「ごちそうさまでした!!」

 

フォークを勢いよくテーブルに叩き付け、鞄を持ち、荒々しい足取りで喫茶店を出て行く。

 

――父さんもオカリンおじさんもバカ!! 大っ嫌い!!

 

胸の内で悪態を吐き、彼女は家路へ。

 

 

 

 

「ただいま!!」

 

勢いよく自宅の扉を開け、そのまま乱暴に閉める。娘が帰ってきたことに気が付くと、鈴羽の母親はキッチンから顔を出した。

 

「おかえりなさい、鈴羽。さっき電話があったんだけど、父さんは今日――」

 

「知らない!!」

 

父、という単語を聞くのも嫌だった。その単語が耳に届くだけで、胸の内に秘めた怒りの炎が燃え上がる。

二階の自室に入ると鞄を机に向かって乱暴に投げ、服も着替えずにベッドに飛び込む。そして、枕を顔に押し当てていると、喫茶店での光景が蘇ってきた。

何とも楽しそうに談笑する父親と父親の親友に、友人たち。自分の父親が恥ずかしくて、情けなくて堪らなかった。

背も高く、白衣を見事に着こなし、薄い無精髭が貫禄を醸す父親の友人。それに対し、背も低く、肥満体形、オマケに良い歳にもなって未だにサブカルチャーに熱を上げる父親。

どちらかを実の父親として選ぶ事が出来たら、鈴羽は迷うこと無く前者を選んだであろう。そんな自分の理想とする人物に今回の父親役を頼んだのに、結果はこの有様である。

枕に顔を埋めたまま、流石に涙を流すことは無かったが、母親が夕飯が出来たことを鈴羽に知らせるまで、鈴羽はくぐもった呻き声を上げていた。

 

 

 

 

翌日、鈴羽の高校。

鈴羽の調子は最悪だった。昨日、家に帰ってからというもの、考えるのは父親の事ばかり。お陰で、今朝の寝起きは今までの人生の中で最悪の物である。

自宅から高校へ、高校の正門から自分の教室へ。そこに至るまでの鈴羽はまさに生ける屍の様な状態であり。足取りは引き摺るように重く、背筋は枯れた植物のように垂れ下り、目には虚ろな色が映っていた。

何時もよりも酷く長く感じられる道のりを歩き終え、鈴羽は緩慢な動作で着席する。そして、鞄から荷物を取りださない内に友人達がやってきた。

 

「鈴、昨日はありがとう!!」

 

「本当に助かったよ、ありがとー」

 

突然、感謝の言葉を述べられる。鈴羽は昨日の記憶を辿ってみるが、特に感謝されるようなことをした覚えは無い。それどころか、喫茶店でいきなり怒鳴ってそのまま帰ってしまった記憶しかない。

思い当たらないことを感謝され、鈴羽の頭は混乱する。

 

「えっと、私、何か感謝されるようなことしたっけ?」

 

「違う違う、鈴のお父さんだよ」

 

「父さんが?」

 

ここでいきなり父親が出てきた。あのだらしない父親が何をしたのか? 混乱に渦巻く鈴羽の脳内は、更にパニックを起こす。

 

「ほら、鈴のお父さんパソコンに詳しいでしょ? 実はあれから、私たちのパソコンを見てもらってたのよ」

 

「しかも、夜遅くまで付き合ってくれたし。本当に助かったよー」

 

しかも、夜遅くまで。その言葉を聞いた途端に、鈴羽は昨日の夜の事を思い出した。

そういえば昨日は父の帰りがやけに遅かった、どうせアキバでも巡っているのだろう。と、その時の鈴羽は考えていた。

父が家に帰って来てから、一度だけ廊下ですれ違ったが。思い出してみればあの時、父は何も持っていなかったではないか。アキバを巡っていたのなら、両手には萌えグッズ等で溢れたいた筈である。

あの時は父の事で怒り心頭だった為、碌に顔も見ずに寝床に着き、そのまま就寝して今に至る。

 

「良いなー鈴。あんなカッコよくて、頼りになる人がお父さんなんて」

 

「私の家族なんて揃いも揃って機械音痴だし、本当に羨ましいよ」

 

口々に自分の父を称える友人たち。その賛辞を聞いていた鈴羽の胸には、何かモヤモヤとしたものが生まれていた。

その日、鈴羽は一日中モヤモヤとした感覚を抱えたまま、学校を終えた。夕陽に照らされる帰り道、鈴羽はどこか釈然としないとしない足取りで家路に着き、その時も胸に違和感を感じていた。

やがて、自宅に到着し玄関の扉を開けると、帰宅の挨拶もせずにリビングに向かう。そこでは母親が夕飯の準備をし、父親はテーブルの上でノートパソコンを広げている。。

 

「あら、おかえりなさい鈴羽」

 

「おかえり、鈴羽」

 

「ただいま」

 

夕陽が赤く染めるリビング。そこには鈴羽が今まで何度も見てきた光景があった。夕飯の支度をする母親に、パソコンでネットサーフィンをする父親が。

鈴羽はテーブルに着くと鞄を隣の椅子に置き、リモコンでテレビの電源を入れる。画面には夕方のニュースが流れており、アナウンサーが原稿を読み上げていた。

鈴羽は特に聞き入ることも無く、画面に映るアナウンサーを眺める。テレビを眺める娘が加わり、ここで、この家のリビングで何度も描かれた日常の一コマが出来上がった。

しばらくテレビを眺め、ふと、鈴羽は自分の向いに座る父親に顔を向ける。眼鏡のレンズにディスプレイの光を映し、その奥にはいつもの様に優しげな、そして穏やかな目をした父親がいた。

と、鈴羽の視線に気が付いたか、父が顔を上げる。父と娘の視線がぶつかった。

 

「鈴羽、どうかした?」

 

「う、ううん。何でも無い、何でも無いよ」

 

そう、と父は短く言うと顔は再びパソコンのディスプレイに向けられる。鈴羽の目には、今まで何度も見てきた父親の顔が映っている。

大きくて、暖かくて、柔らかくて、そして優しい顔。

その日、娘の目に映る父親の顔は、何時もより少しだけカッコよく見えた。

 

 



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桐生萌郁編

今回の主役はシャイニングフィンガーこと桐生萌郁さんです。
本編では岡部との敵対、辛い過去、悲惨な最期と様々な面を見せてくれた彼女。そんな彼女にとって一大イベントが始まります。


 

 

Steins;Gate アフターストーリー

 

桐生萌郁編

 

寒さが身に染みる二月。桜が咲く季節まであと少しだが、冬将軍は最後の悪足掻きを見せていた。

寒風がひっきりなしに吹き荒び、太陽は灰色の雲に覆い隠され顔が見えない。そんな灰色の空の下、東京のとある場所に一軒の二階建のテナントビルがあった。

捻じ込むように狭いスペースにその身を納め、両隣の建物との間は殆ど無い。そんなビルの一階『ブラウン管工房』の店先にメガネをかけた女性が居た。

寒さから身を守るため厚手の防寒具を着こみ、その手に箒を持ち、店先を掃除している。箒でアスファルトを掃く度に土埃が薄く舞い上がり、そして一箇所に集められてゆく。しばらくすると、土埃で出来た小山が一つ出来上がった。

女性は軒下に置いてあった塵取りを左手で持って、小山の傍に置き箒で掃こうとして――寒風が小山を吹き飛ばした。

まるで手品のように土埃の小山は一瞬で消え、あとには茫然と固まる女性が。そんな女性を嘲笑うかのように、寒風がもう一度通過する。脇下まで伸びウェーブのかかった女性の茶髪を揺らした。

女性はムッとした表情を浮かべると、先ほどよりもやや早い動作で箒を動かし、再び小山を作る。そして、今度こそ塵取りに納めようとして――またもや小山は風に消えた。

そんなことを数回繰り返し、ようやく店先の掃除を終えると、女性はブラウン管工房の店内に入って行く。太陽が雲に隠れているとはいえ、店内は昼間にも関わらず薄暗い。

天井の蛍光灯は弱々しい光を放ち。代わりに店の奥に置かれた、野球中継を映している42型のブラウン管テレビが明かりとなっていた。

 

「掃除、終わりました」

 

「おう、お疲れさん。ちょっと早いけど昼休みにすっか」

 

巨大なブラウン管テレビの前、この店の唯一のカウンターに屈強な体付きの禿頭の男がいた。緑色のエプロンを身に付けており、そこには「ブラウン管萌え」の文字がプリントされている。

彼の名は天王寺裕吾。ここ、ブラウン管工房の店主であり、このテナントビルのオーナーでもある。裕吾がそう言うと、女性は店内に置かれたパイプ椅子に座り、懐から携帯を取り出した。

そして、恐ろしい速さで次々とキーを打ち込む。

携帯を持つ右手の親指が次から次へとキーの上を舞い踊り、残像を残す。やがて最後のキーを押すと、数秒の間があってから店内にくぐもったメロディが流れた。

野球中継を見ていた裕吾は、懐からメロディが鳴り響く携帯を取り出し、二つ折りのそれを開いた。しばらく画面を眺めてから携帯を操作し、なにやらキーを打ち込むと最後のボタンを押す。

数秒の間のあと、再び店内にメロディが流れる。今度の音はくぐもっておらず、明瞭なメロディが女性の持つ携帯から流れていた。女性が素早く携帯を操作し、受信されたばかりのメールを開く。そこに書かれた内容を見て、女性は微笑んだ。

その返信のメールを僅か数秒で完成させると、女性は二度目の送信ボタンを押す。

再び流れるメロディ、携帯を取り出す裕吾、携帯を操作、女性の携帯からメロディが流れる、受信されたメールに返信、流れるメロディ――

そんな光景が暫く続き、ふと、店内に子どもが入ってきた。店内に入ってきたのは、ヘアゴムで止めた左右に飛び出る短い髪がぴょこぴょこと揺れる幼い少女。

少女はパイプ椅子に座る女性の前に立つと、開いている女性の左手を握る。ここで、初めて女性は少女の存在に気が付いた。女性の目の前にはピンク色の防寒具を着て、くりくりとした瞳が特徴の少女が。

 

「お父さん、ちょっと萌郁さんと一緒にお出かけしてくるね」

 

少女の言葉を聞いた途端に、これで何回目になるか、携帯の操作をしていた裕吾は携帯から目を離し、驚いたような顔を少女に向ける。

 

「な、綯? 今、なんて言った?」

 

「だから、萌郁さんと一緒にお出かけするの」

 

言葉の意味がわかると、途端に裕吾の顔は驚いたような顔から酷く心配げな顔になる。

 

「二人じゃ危ないだろ? だから父さんが一緒に……」

 

「ダメ! 萌郁さんと一緒に行くの! それに、お父さんはお店があるでしょ!」

 

裕吾の言葉をピシャリと断ち切った少女。彼女の名前は天王寺綯、裕吾の一人娘だ。そして、綯が手を引いている女性の名前は桐生萌郁。ここブラウン管工房のアルバイトである。

綯の言った通り、裕吾はこの店の店主だ。店、といっても客が入ることは殆ど無く、道楽で商売をしているようなものであるが。といっても、そこは曲がりなりにも店主。何か起きた際には対処をしなければならない立場である。

娘の至極まっとうな言葉に、禿げ上がった頭を掻く父親。なんとも困ったような表情を浮かべ、綯と萌郁を交互に見やる。と、ここで萌郁が口を開いた。

 

「大丈夫、近所のスーパーに行くだけです。直ぐに帰ってきますから」

 

余り大きくは無いが、ハッキリとした口調で萌郁は言い切った。そこまで言われると裕吾は遂に根負けし、諦めたような口調で二人を送り出す。

 

「わかった……二人とも気を付けてな。桐生、何かあったら直ぐに電話してくれ」

 

萌郁は無言で頷く。綯は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、萌郁の手を引いて店の外へと連れ出して行く。去り際に「行ってきます」と言って、二人の姿は店から消えた。

残された裕吾は大きな溜め息を一つ吐くと、野球中継を映すテレビの電源を消して、カウンターから新聞を取り出した。勢いよく広げると、適当に目についた記事を読み始める。

それから数十分後。裕吾は相変わらず新聞を読んでいたが、内容は一片たりとも頭に入っていない。頭の中は一緒に出掛けて行った娘とアルバイトのことばかり。

近所にスーパーは一軒しかないため、二人はそこに向かったのであろう。そこは裕吾も綯を連れて良く利用するため、綯も道順や危険な場所は良く分かっている筈だ。

しかし、頭で理解しているとはいえ、やはり心配であった。妻に先立たれ自分の腕だけで育てた一人娘。その御蔭かしっかり者に育ち、近所でも評判の娘に育ってくれた。

娘の安否を気にかけていると、裕吾の携帯が鳴り響く。その音に一瞬、肝を冷やし慌てて携帯を開けて受信したメールを開く。

そこに書かれていたのは――

 

 

 

from:萌郁 題名:どうすればいい? 

 

バレンタインにチョコを送りたい人がいるんだけど、その人、甘いものが苦手みたいなの。

FB、どうしたらいいかな? >< 萌郁

 

 

 

メールに書かれていた文面を見て、裕吾は脱力した。しばらく呆けたあと、ゆっくりと返信のメールを打つ。

 

 

 

from:FB 題名:だったら

 

甘くないビターチョコレートはどうかしら?

それなら大丈夫かもしれないわよ。最近は寒いから身体に気を付けてね。FB

 

 

 

数秒後、裕吾のメールに再びメールが受信される。

 

 

 

from:萌郁 題名:わかった!

 

わかった! ビターチョコレートにしてみるね!

ありがとう、FB!(^-^) 萌郁

 

 

 

そのメールを読むと、裕吾は息を一つ吐いてから壁に掛けられたカレンダーを見た。今日は二月十二日、バレンタインの二日前である。

裕吾は口の周りに蓄えられた髭を撫でつつ、感慨深そうに唸り声を上げた。

 

「もう、そんな時期か……。M4のやつ、色気も付いてきたか?」

 

そう言って苦笑する。彼が口にしたM4のと言う言葉の意味、その言葉は彼のもう一つの顔を表す言葉でもあるのだ。

天王寺裕吾。表向きはこの大檜山ビルのオーナーであり、ブラウン管工房の店長。

そして、彼のもう一つの隠された顔――それは、SERNの非公式傭兵部隊「ラウンダー」の管理官「FB」としての顔だ。彼はここ秋葉原で、SERNが探し求めている幻のレトロPC「IBN5100」を探している。

M4とは先程、買い物に出かけた萌郁のラウンダーとしてのコードネーム。そう、桐生萌郁もラウンダーの構成員の一人である。しかし、萌郁は裕吾がFBであることを知らない。

萌郁はFBと直接会ったことは無く、メールでのみやり取りしているからだ。

 

「レトロPCねぇ、あんなものよりブラウン管の方が良いだろうに、全く……」

 

雇い主が居ないことを良いことに、裕吾は愚痴を垂れる。IBN5100を探し始めてかなり経つが、目的のPCは一向に見つからない。ぶつぶつと愚痴を言いつつ、改めて新聞を読み直す。

新聞を読みながら、ふと、裕吾はここ最近の萌郁の変化について思い出していた。

 

――そういえば、あいつ。かなり口数が増えたな。まだまだだが、大分話もできるようになってきたし。

 

裕吾が萌郁をアルバイトとして雇った当初は、コミュニケーションを取るのが一苦労であった。

何を喋るのもメールを使おうとする為、とにかく手間がかかる。オマケに、メールアドレスで自分がFBだと知られる訳にも行かない為、アドレスの交換は出来ず。萌郁との会話は困難の連続であった。

しかし、その努力の甲斐あってか、ここ最近の萌郁は大分喋ることが多くなった。耳を澄ませないと、聞き取れないほどの声量でぼそぼそと喋るが、以前の彼女と比べれば驚くほどの進歩である。

新聞を読み直してから数十分後、静かな店先の通りに足音が聞こえてくる。裕吾が新聞から目を離して店の入り口に向ければ、そこには綯と、パンパンに膨れ上がったスーパーの袋を持つ萌郁の姿が。

 

「ただいまかえりました」

 

「ただいまー」

 

「おう、おかえり」

 

裕吾は無事に帰ってきた二人にほっと胸を撫で下ろす。スーパーの袋を持つ萌郁は、それを隣に立つ綯に渡した。

「それじゃあ、置いてくるね!」と綯は元気よく言うと、店から出て行き、すぐ傍にあるビルの二階への階段を昇る。そこには、このビルの二階を借りている「未来ガジェット研究所」が。

裕吾が訝しがっていると、萌郁は小さい声で説明を始めた。

 

「買ってきた物、ラボの冷蔵庫に入れるんです」

 

「ああ、チョ……、食べ物を買ってきたのか」

 

危うく出かけた言葉を何とか飲み込み、誤魔化す。

気付かれたか? と内心冷や汗を流す裕吾だが、萌郁は特に疑問に思う様子もなく、買い物に出かける前に座っていたパイプ椅子に、黙って腰掛けた。

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

「おう、お疲れさん。 明日はバイトが休みだからゆっくり休めよ」

 

世界が赤く染まる夕方。ブラウン管工房は閉店の時間を迎え、裕吾は店を閉める準備をしていた。

入口の鍵を閉め、シャッターを閉じて鍵をかけると、萌郁が仕事終わりの挨拶をしてくる。彼女に労いの言葉をかけると、萌郁はぺこりと頭を下げてブラウン管工房を後にした。

その後ろ姿が曲がり角に消えるまで見送ったあと、裕吾は伸びをしてから軽トラックに乗り。エンジンをかけて家路につく。

帰宅するまでの道のり、裕吾は運転しながら昼間のメールを思い出していた。

 

――バレンタインにチョコを送りたい人がいるんだけど

 

何時の間にかそんな人物がいたのか。ただでさえ、コミュニケーションを苦手とする彼女が、チョコを渡したい人が居るとは驚きである。

どんな人物なのだろうか、キチンと働いているのか? 誠実な人物か? 彼女を任せても大丈夫か? 等とまるで母親のように考え。ふと、我に返った時、裕吾はそんなことを考えていた自分に苦笑した。

明日はバレンタインデー前日である。

 

 

 

 

次の日、二月十三日。日が昇ってからしばらくして、ブラウン管工房の前に一台の軽トラックが止まった。

トラックから降りてきたのは裕吾、ポケットに入れていた鍵を取り出し、シャッターの鍵を開ける。次いで入口の鍵も開けて、ブラウン管工房の本日の営業が始まる。

勇吾は店に入り蛍光灯のスイッチを入れ、奥のカウンターと42型ブラウン管テレビの間に座り、家から持ってきた新聞を読み始める。

読み始めて暫くしたころ、店先から騒がしい声が聞こえてきた。勇吾は新聞を読みながら店先に意識を向けると、そこからは慣れ親しんだ者達の声が聞こえてくる。

 

「今日はみんなでお菓子作りだねー」

 

「何時も実験ばかりやってたけど、たまにはこういうのも悪くないわね」

 

「何かあったらボクに聞いて下さい、お菓子作りは得意ですから」

 

「ニャニャ! 皆でお菓子作り楽しみだニャ!」

 

「うおぉ! フェイリスたんの手作りお菓子、楽しみだお!」

 

「ダル、少しは落ち着け。それでも我が右腕か」

 

ガヤガヤと騒がしい声達は、ブラウン管工房の二階へと消えてゆく。そんな声を聞いて笑みを浮かべる裕吾、ふと、店先に顔を向ければ、そこにいたのは。

 

「ん? 桐生じゃねぇか。今日は休みの筈だろ?」

 

本日はバイトが休みの筈である萌郁が、店の前を通り過ぎようとしていた。裕吾に気が付くと、頭を下げてから上を指差す。

萌郁の動作につられて、上を見上げる裕吾。そこには天井があり、その上には未来ガジェット研究所がある。

 

「もしかして、今日はあいつらに用があるのか?」

 

小さく頷くと、再度、頭を下げてから萌郁はビルの二階へと上がって行く。その姿を見送り、裕吾は髭を撫でながら、萌郁が研究所を訪れた理由を考えていた。

先程、研究所に来た岡部達は口々に「お菓子作り」という単語を口にしていた。そして、昨日は萌郁が山ほどチョコレートを買いに行き、今日はバレンタイン前日である。

答えは直ぐに出た。

 

「なるほど、あいつらと一緒にチョコを作るのか。良い感じに馴染んでるじゃねぇか」

 

今日はバレンタインのチョコを作る為にここを訪れたのだろう。そして、チョコを一生懸命に作る萌郁の姿を想像して、頬笑みを浮かべる。

以前は碌に喋ることも出来なかった萌郁が、あんなに大勢と。しかも、一緒にお菓子を作る程までに仲を深めているとは。少しずつではあるが、萌郁の着実な進歩にうんうんと何度も感慨深げに裕吾は頷く。

そして、それ次の瞬間に不安へと変わった。

 

「ああ、ダメですよ! チョコは湯銭で溶かさないと!」

 

「う、うわ! 油と分離した!!」

 

「んーと、バナナはもう入れて良いのかな?」

 

「ニャニャ! マユシィ、まだ早いニャ! チョコを十分に溶かさニャいと!!」

 

次々と聞こえてくる悲鳴に絶叫、そして鼻孔をくすぐる何とも形容しがたい匂い。

ここまでならドタバタクッキングで済むのだが、ある事が裕吾を更に不安にさせていた。

 

「ああ、萌郁さん! チョコが零れてます! それに量が多すぎます!」

 

「ニャー! モエニャン落ち着くニャ! 慌てると更に大変なことに!!」

 

「あわわ! 萌郁さん、こっちが大変なことに! まゆりお願い!!」

 

「はわわ、あっちもこっちも大変なことになってます」

 

声が聞こえる度に、冷や汗が裕吾の頬を伝う。

オマケに二階が、時間が経過するごとにドンドン騒がしくなっている。始めはドタバタと足音が聞こえる程度だったが、終いには振動で埃が降ってくる程に騒がしくなった。

 

「どこの誰かは知らねぇが、どうか無事でいてくれ……」

 

裕吾は、バレンタイン当日に萌郁からチョコを受け取るであろう、見ず知らずの人物に祈りを捧げる。

騒ぎはその日の夕暮まで続いた。

 

 

 

 

そして、翌日。今日は二月十四日、バレンタイン当日である。

テレビではどこの番組もバレンタインの特集を組み、道行くカップルに片っ端からインタビューを行い。インタビューを受けたカップルは誰しもが照れ笑いを浮かべ、チョコを見せていた。

そんな番組を、裕吾はつまらなそうな顔で見ていた。本日もブラウン管工房は営業しているが、相変わらず客は全く来ない。

裕吾はリモコンで別の番組に切り替えると、テレビを見る振りをしながら、横目で休憩中の萌郁の様子を見た。

何時ものパイプ椅子に座り、休憩中の萌郁。しかし、今日は何時もと違って携帯は弄っておらず、どこかそわそわと落ち着きの無い様子であった。しきりに時計を見ては時間を確認し、辺りを見回す。

そんな様子の萌郁を、裕吾は微笑みながら見守り。彼女のバレンタインが成功することを胸の内で祈った。

そして時は流れ、夕方になる。閉店の時間になり、何時ものように裕吾は店仕舞いの準備を始めた。

 

「お疲れ様でした」

 

「おう、お疲れさん。気を付けてな」

 

本日のバイトを終えた萌郁は、裕吾に挨拶すると何時ものように曲がり角に――消えなかった。

そそくさと、何処か慌てるような様子でビル二階への階段を駆け上がる。二階には昨日に続いて、今日も岡部達が集まっている。

 

「萌郁さん、いよいよだね」

 

「大丈夫よ桐生さん。きっと上手くいくわ」

 

「あんなに頑張ったんですから、大丈夫ですよ桐生さん」

 

「大丈夫にゃモエニャン! 運命の女神さまはきっとモエニャンに微笑むにゃ!」

 

「桐生氏からチョコを送ってもらえるなんて、羨ましすぎだろ。リア充爆発しろ」

 

「閃光の指圧師よ、胸を張って行け!! 例えどんな結果になろうとも、それが運命石の扉の選択だ! フゥーハハハハハ!」

 

「縁起でもないこと言うな!! この厨二病が!!」

 

ギャーギャーと、二階の窓から何時もの騒がしい声が聞こえてくる。普段の裕吾なら怒鳴り込みに行くところだが、今日は事情が違う。

今日はバレンタイン、あの萌郁が今からチョコを渡すというのだ。その出発を邪魔するのは、余りに無粋だろう。

騒がしい声を聞きつつ、裕吾はトラックに乗ろうとした時だった。

 

「あ、お父さん待って!!」

 

その声に振り返れば、夕暮れの赤い道を走ってくる愛娘の姿が。

 

「綯、どうしてここに? 家に帰ったんじゃないのか?」

 

「お父さん、ちょっとだけ! ちょっとだけで良いから待って!!」

 

先に家に帰っている筈の娘、その娘が何故か店にまでやってきた。更に綯はどこか慌てた様子で裕吾を必死に引き止める。

何故、そんなことをするのか。目の前の綯に理由を聞こうとして、裕吾はポケットから鳴り響く携帯の音に身動きを止めた。携帯を取り出し確認すれば、そこには一通のメールが。差出人は萌郁だ。

 

 

 

from:萌郁 題名:不安だよ><

 

今からチョコを渡しに行くんだけど、私が作ったチョコ。受け取ってくれるかな?

不安で仕方ないよ>< 萌郁

 

 

 

そのメールを見た天王寺は、ゆっくりと、どこか優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと返信の文面を打つ。

 

 

 

from:FB 題名:大丈夫!

 

大丈夫、貴方が作ったチョコならきっと受け取ってくれるわ!

自信を持ちなさい、きっと大丈夫!

 

 

 

最後に送信ボタンを押し、ゆっくりと携帯を閉じる。背中は押してやった。あとの自分に出来ることと言えば、祈ること位だろう。

 

――行ってこい、萌郁。

 

胸の内で彼女の検討を祈り。そして、改めて娘にここに来た理由を聞こうとして――

 

「あ、あの。て、て、店長!!」

 

酷く上擦った声が裕吾の耳に届いた。何事かと顔を上げれば、そこには緊張した面持ちの萌郁がいた。右手に携帯を持ち、左手には赤いラッピングがされた長方形の箱を持っている。

 

「こ、これ、よ、よかったら、う、う、受け取って下さい!!」

 

夕陽で赤くなった顔を更に赤くしながら、萌郁は左手の箱を裕吾に差し出した。

裕吾は驚きつつも、両手で丁寧にその箱を受け取る。箱の隅には小さなピンク色のリボンが巻かれ、文字が書かれたシールが貼られている。シールには「Happy Valentine's Day!」の文字が。

 

「桐生、これ。俺にか?」

 

裕吾は自分を指差し、それを見た萌郁はぶんぶんと何度も首を縦に振る。そんな二人を見ている綯は、ニヤニヤと子どもらしからぬ笑みを浮かべていた。

萌郁と箱を交互に何度も見る裕吾。しばらくしてから、意を決したように何処か真剣な顔つきになり。

 

「桐生」

 

「は、はい!!」

 

「このチョコだが……」

 

「はい!!」

 

「すまない、受け取る訳にはいかねぇ」

 

「は……え?」

 

萌郁の顔が緊張したものから一瞬、呆けた顔になり、次の瞬間には目を見開いたまま固まった。裕吾の言葉を受け入れられず、彼女の時間が停止する。

裕吾は手に持った箱に視線を落とし、じっと見詰めていた。そんな彼に下から抗議の声が上がる。

 

「お父さん!! 萌郁さん一生懸命作ったんだよ!! それを受け取らないなんて、酷過ぎるよ!!」

 

両手を上げて、綯は猛抗議する。そんな娘を、父親はやんわりと手で制した。

そんな態度を取る父親に、綯は更に抗議しようとして、

 

「こういう美味い物はな、独り占めして食べるもんじゃねぇ」

 

「お父さん!! 萌郁さん……へ?」

 

「美味しい物は皆で仲良く分けあって食べるもんだ。俺の恩人が何時も言ってたぞ」

 

裕吾はそう言いながら、どこか遠い目をする。彼の目には、既にこの世を去った彼の恩人である女性の姿が映っていた。裕吾は箱を綯に渡すと、締めたシャッター開け、店の入り口も開ける。

次にトラックに乗り込み、エンジンをかけた。快調なエンジン音が響き渡る。

 

「綯、桐生と一緒に店で留守番しててくれ。父さん、飲み物を買ってくるからな」

 

そういうと、裕吾はトラックを走らせ、あっという間に曲がり角の向こうに消えた。

トラックが見えなくなってから、数十秒後。萌郁と綯はゆっくりと顔を見合わせた。萌郁は相変わらず呆けた顔のまま、綯は怒った顔から転じて明るい笑顔になる。

そして、勝利を高らかに宣言した。

 

「やったね萌郁さん!! 大成功だよ!!」

 

綯の言葉を聞いて、萌郁は自分のチョコが受け取ってもらえたことを、ようやく理解する。

両手を胸に当て、その顔には光る小さな雫が浮かんでいた。

そして、二人の後ろ。ちょうどビルの陰になっている位置で、未来ガジェット研究所のメンバーが、静かに勝鬨を上げていた。

 

 

 

 

それから少しして、入口に「休業」の看板が掛けられたブラウン管工房の店内。

お世辞にも清潔とは言い難い店の中で、三人の人間がカウンターの周りに座っていた。

傷つき、かなりの年月が経ったカウンターの上には、包装が開けられ均等に分けられたチョコと、ジュースが注がれたコップが三つ置いてある。

そして、その周りには笑顔を浮かべながら、仲良くチョコを食べる天王寺親子と萌郁の姿があった。

 

 

 

 



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漆原るか編

漆原るか編

 

かつては日出国と呼ばれた国、日本。そして国の中枢を集めた首都、東京。その中の一つ、秋葉原にその神社はあった。

真夏の暑い秋葉原の電気街から離れ。その光景に似合った静かで、それでいて神秘的な雰囲気を醸し出す神社がある。神社の名前は柳林神社。

その神社に白衣を着た男が近付いていた。男はこの真夏日にも関わらず袖の長い白衣を着ており、その額には玉の様な汗が幾つも浮かんでいる。男は少しでも早く木陰に入ろうと早足で神社の境内を目指す。

ふと、男が突然足を止めた。同時に視線もある一点に固定される。男の視線の先、そこには一人の巫女が居た。

その巫女は手に竹箒を持ち、慣れた動作で境内を掃除していた。何度も竹箒を往復させ境内の砂埃を一箇所に集めている。

男はしばらくその様子を眺め。ふと、巫女が視線に気が付いたのか顔を男に向ける。

 

「あ、岡部さん。こんにちは」

 

「精が出るな、ルカ子」

 

ルカ子と呼ばれた巫女は、自分が岡部と呼んだ男に一礼する。巫女の名は漆原るか。ここ、柳林神社の神主の――『息子』である

もう一度言おう、神主の『息子』である。XY染色体を持ち、成長すれば喉仏が出来たり髭が生えてくる『男』である。

巫女服を着ている――だが男だ。

声が男とは思えないほどか細い――だが男だ。

女装してもなんら違和感はないであろう――だが男だ。

最近、暑くなってきた――だが男だ。

もうすぐ夏コミだな――だが男だ。

ロボティクス・ノーツの発売は何時だろうか――だが男だ。

助手、可愛いよ。助手――だが男だ。

閑話休題。そろそろ話を進めよう。

岡部とるかは一旦、日陰になっている境内に移動し、そこに腰を落ち着ける。互いに袖で額に浮かんだ汗を拭って一息ついた。

それからしばらくは特に話す事もなく、二人はセミの合唱を聞きながら目の前の景色を眺め続けた。

ふと、るかが岡部に顔を向け、少しだけ考えるような素振りを見せたあと岡部に話しかける。

 

「あ、あの、岡部さん。もうすぐ夏コミがありますよね?」

 

「ん? そういえばもう、そんな時期か」

 

岡部は懐から携帯を取り出し、今日の日付を見てそう呟いた。コミケ、正式名称コミックギガマーケット。毎年夏になると開催される世界最大の同人誌即売会である。

 

「その……実はボク。コミケに参加しようと思うんです」

 

「ほぉ、そうか。まゆりが聞いたら喜ぶだろうな」

 

岡部は若干驚きつつも、どこか嬉しそうにしていた。岡部の幼馴染であり、るかの友人でもある椎名まゆりは以前からるかにコスプレを、といっても女性キャラのコスプレをするようにお願いをしていた。

引っ込み思案な上に、注目を集めることが苦手なるかは当然ながら毎度の如く拒否していた。それに合わせてコミケに行くことも拒否しており、まゆりはそのことを何時も残念そうにしていた。

そんなるかが、どういう風の吹きまわしかは分からない物の、コミケに参加するというのだ。岡部の脳裏には嬉しそうにしているまゆりの顔が浮かぶ。

と、るかが更に何かを言いたそうにしていた。先程とは打って変わって顔を赤らめ、呼吸も荒くなっている。数回深呼吸し息を整えると、意を決して岡部に話しかけた。

 

「そ、そ、それで!! ぼ、ボク、コスプレしようと思うんです!!」

 

「ふむ、そうかそうか。コスプレか……なんだって?」

 

「こ、コスプレ……しようと思うんです……」

 

消え入りそうな声であったが、岡部の耳にはるかの言葉はハッキリと聞こえていた。今まで悉く拒否していたコスプレを、こともあろうに戦場とも比喩されるコミケでしようと言うのだ。

岡部は顔を真っ赤にして俯くるかを凝視したまま固まっていた。目を幾度も瞬かせ、口を半開きにし、何とも情けない顔を晒したまま。

一陣の風が神社を駆け抜け、二人の髪を揺らしていった。

 

 

 

 

「えー!? オカリン、それ本当!?」

 

「あ、ああ。間違いない。確かにこの耳で聞いたし、確認もした。」

 

「るか氏がコミマでコスプレだなんて……一体どういう風の吹きまわしだお?」

 

神社を後にした岡部は、その後に未来ガジェット研究所にまっすぐ向かった。そして、何時ものように自由に過ごしていたまゆりとダルの二人に、神社での出来事を聞かせたのであった。

るかの事を良く知る二人は最初は呆気に取られ、岡部の言ったことを理解した時は二人揃って驚きの声を上げた。

 

「やったー! 遂にるかくんもその気になってくれたんだね!」

 

「オカリン、コミマ当日はきっとドーンハンマーが雨霰と降ってくるに違いないお」

 

「プランBは無いぞ……というか、お前は例えどんな状況でもコミケに行くだろうが」

 

「当たり前だろjk、コミマに行かないなんてヲタなんて、ヲタの風上にも置けないお」

 

ダルはそう言うと胸と膨れ上がった腹を誇らしげに張った。そんなダルを岡部は冷ややかな目で見詰めたあと、まゆりに話しかける。

 

「ところでまゆり。ルカ子がコスプレすると言っても、今からじゃルカ子用のコスプレは間に合わないだろ? そこはどうするんだ?」

 

岡部の言うとおり、コミマは目前まで迫っていた。まゆりはコスプレをラボか家で殆ど毎日のように縫っており、それでやっと1着程のコスプレが完成するのだ。

それだけの労力を必要とするコス作り、当日が迫っており時間が無い今の状況ではとても新しいコス衣装を作れる筈がない。

頭上に疑問符を浮かべる岡部に対し、まゆりは何やら含みのある笑みを見せていた。

 

「そこは大丈夫! 実は以前、るかくんに着てもらおうと、作っておいた取っておきのコスがあるんだ。遂に出番が来たんだね♪」

 

「なる程、切り札があるのか」

 

まゆりは嬉しさの余り、手や足を忙しなく動かす。そんなまゆりを岡部も嬉しそうに眺めていた。

と、突然ダルが小さく手を上げてまゆりに質問をしてきた。

 

「ところでまゆ氏、その取っておきのコスってどんなん? 凄く興味があります」

 

「ふっふっふ~、それは当日のお楽しみ!」

 

「なるなる、ここでは余りにエロすぎて出すには勿体ないと……」

 

岡部がスリッパでダルの頭を勢いよく叩いた。快音がラボに響き渡る。

 

 

 

 

そしてコミマ当日。炎天下の下、東京国際展示場で世界最大の同人誌即売会が開かれていた。イベントが開催される3日間のみで数十万単位の人々が押し掛ける一大イベント。

ネットではコピペやコミケに関する動画が幾つも作られるほどの有名なイベントでもあり。動画投稿サイトでは洋画の1シーンに嘘字幕を載せて、その凄まじさを物語る動画が作られるほどの激しさを持つ『戦場』でもあった。

そんなイベント会場本館の脇にあるコスプレ広場。ここでは文字通りコスプレがメインの場所となっており、多種多様、様々なコスプレイヤーたちがいた。

人気のアニメやゲーム、ラノベや漫画。更には奇抜なコスプレまで。文字通りありとあらゆるキャラクターが所狭しと広場を歩いていた。

そのコスプレ広場の唯一の日影となっている高架橋の下で、岡部とダルは道行く人々を眺めている。

 

「お、オカリンあれ見て。スプリング・オブ・ウォーのデルタ部隊のコス。ランサーアサルトライフルも凄い気合い入ってる」

 

「今年から長物は規制が緩くなったからな、にしても凄いな……。ん? あれは電磁波女と青春男のコスか?」

 

「おお、こんな灼熱の中、布団巻きをやるとは……かなりの猛者だお」

 

二人は着替えに向かったまゆりとるかと別れ、コスプレ広場で合流する予定であった。着替えに行った二人がやってくるまで暇つぶしに様々なコスプレを眺めていると。

 

「トゥットゥルー♪ 二人ともお待たせー♪」

 

後ろから聞きなれた陽気な声が聞こえてきた。岡部とダルはそろって後ろを振り返ると、そこにいたのは、

 

「おお! 俺の妹がこんなにかわいいわけねぇだろの黒猫ktkr!!」

 

「えへへ~、可愛いでしょ?」

 

そこにはフリルの付いた黒いゴスロリ衣装を身に纏い、頭にはピンと立った黒い猫耳を付けたまゆりがいた。

嬉しそうにそのまま1回転すると、それに合わせてスカートがふわりと舞い上がる。その姿を見たダルは更に興奮し、岡部はどこか気恥ずかしげに笑みを浮かべる。

と、まゆりが自分の隣を見ると不思議そうな顔になる。次いで後ろを振り返ると突然、手を上げて声を張り上げた。

 

「るかくーん、そんな所に隠れてないで出ておいでよー」

 

「……っ! ……!」

 

まゆりが手を振った先には、高架橋の柱に隠れるるかの姿があった。顔にはコスプレの小道具か紅い縁の眼鏡を掛けており、先程から忙しなく視線を右往左往させている。

誰かが近くを通りかかると慌てて柱に身を隠し、通り過ぎるとまた視線を右往左往。そしてまた人が通りかかると隠れるといった行動を繰り返している。

岡部とダルは疑問符を頭に浮かべ、まゆりは呆れたような顔になり、彼女は遂に実力行使に出た。

まゆりはつかつかとるかの元へと歩みより、軽く力を入れればあっさりと折れてしまいそうな。るかの白い腕を取る。そして強引にグイグイと引っ張り、柱から引き摺り出そうとるかを引っ張る。

 

「ほらほら、折角コスプレしたんだからお披露目しないとダメだよ」

 

「え、あ。ま、まゆりちゃん。そ、そんなに強くヒャア!」

 

いとも簡単にるかは柱から引き摺り出された。その際に男とは思えない何とも可愛らしい悲鳴を上げる。

そして、今回が初めてとなる彼のコスプレ姿を見た岡部とダルは、

 

「ほぉ、似合っているではないか」

 

「おお! 銅魂のさっちゃんのコスプレとは!」

 

るかは紅い縁の眼鏡をかけ、その身には忍び装束――といっても黒ずくめの装束ではなく、白の装束に紅い帯。左胸にはこれまた紅い胸当てを付け、首には紫のスカーフを巻いていた。

無理矢理に引き摺り出されたるかは慌てて元の柱に隠れようとするも、まゆりに進路を塞がれて素早く踵を返す。と、今度は岡部とダルの二人と視線がかち合ってしまい恥ずかしさから一気に顔が紅潮する。

あわあわと行き場を失ったるかは、顔を両手で覆いその場にへたり込んでしまった。そんなるかにまゆりが近寄り、しゃがんで優しげに声をかける。

 

「大丈夫だよ、今日はコミマだし。みんなコスプレしてるから」

 

「ま、まゆりちゃん。そういう意味じゃなくて……」

 

るかは少しだけ顔を覗かせるが、視界に岡部とダルが映るとまたも顔を隠す。

隠れていない耳などは先端まで真っ赤に染まっており、まるで茹で上げられたタコのようだった。

 

「にしても、本当に良く似合ってるじゃないか」

 

「でしょでしょ? 着替えている時でも注目の的だったんだよ~」

 

「ほう、そう……まゆり? 今、着替えている時もと言ったな。それはまるでまゆりとルカ子が同じ更衣室で着替えたように聞こえるのだが……」

 

「そうだよ? 何か変なこと言ったかな?」

 

その言葉を聞いた途端に岡部は口を半開きにし、ダルも同じように口をあんぐりと開けた。

次いで座り込んでいるるかに視線を向けたあとに、改めて二人はまゆりを見る。まゆりは何時もと変わらぬ笑顔を見せていた。

 

「いや、変とかじゃなくて、ルカ子は男だ。まゆりだって知っているだろ!?」

 

「そこは大丈夫だよ~」

 

何とも間延びした、されど自信に満ちた声でまゆりは言い切る。

腰に左手を当て、右手でVサインを作ると堂々と右手を前に突き出した。そして、高らかに声を上げる。

 

「可愛いは正義! 可愛いるかくんは何の問題も無いのです!」

 

 

 

 

その後、なんとか立てるようになったるかの手を引いて、まゆりは二人でコスプレ広場を回っていた。

共に同じ作品のレイヤーと仲良くなったり、写真を頼まれてポーズを取ったりとまゆりは存分に楽しんでいる。

一方、先程からまゆりに引っ張られているるかは、始めは気恥ずかしさの余り碌に喋ることも出来なかったが、次第に広場の雰囲気に慣れ始めたか徐々に口数も多くなり、どこかぎこちない物の笑顔で撮影に応じるようになった。

そんな二人を岡部とダルは遠くから見守り、同時にコスプレを楽しんでいるるかに驚いていた。

今までは親友の頼みとあってもコスプレを悉く断り、ふとしたことから傷ついてしまうるか。そんな繊細な彼女が嫌がっていたコスプレを満喫している姿はとても新鮮であった。

と、二人が揃って似合わない頬笑みを浮かべていると、まゆりとるかの二人が何やら困ったような表情になっている。

異変を感じた岡部とダルはすぐさま二人の元へと駆けより、何事かと問い質した。

 

「あ、オカリン。えっとね、実はこの人がどうしてもこの台詞をるかくんに喋って欲しいって……」

 

まゆりは手に持った紙、恐らく目の前に居る男が渡したであろう紙を岡部とダルに見せた。

そこに書かれている文字を見た瞬間に二人は頬が引き攣り、何とも形容しがたい表情を浮かべながらこれまた困った表情のるかに顔を向ける。

岡部は何を言ったらいいかと少しだけ思巡したあと、口を開く。

 

「あー、ルカ子。嫌なら断っても良いのだぞ? あっちは飽くまでお願いをしている立場なんだ、お前には拒否権がある」

 

るかは岡部に困った顔を向け、次に下を向く。まゆりとダルも揃って嫌なら断っても大丈夫と言うが、その時るかはぶつぶつと何かを呟き、顔を上げた時には何処か吹っ切れた表情に変わっていた。

 

「いえ、ボク。やります!」

 

その眼には決意を、心には覚悟を秘め。るかは言い切る。岡部やまゆり達はそんなるかを止めようと様々な言葉をかけるが、るかの耳には届いていなかった。

すぅっと、息を静かに深く吸い込み、肺に空気を満たす。るかの薄い胸が大きく膨れ上がり、忍び装束の内側を盛り上げる。

そして、依頼された台詞と共に一気に口から吐き出した。

 

「もっと罵りなさいよおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

コスプレ広場一帯にその台詞が響き渡り、まるで時間が停止したかのようにそこに居た全ての人々の動きが止まった。

しばらくは遠くで走る車の音だけが辺りに響き、数秒、数十秒してからやっと時が動き出した。

始めに聞こえたのは、拍手。ぱちぱちと一人がるかに向かって拍手を送ると、近くにいた人も同じように拍手を送る。

拍手の輪は広がり続け、やがては広場に居る全員がるかに拍手を送っていた。

肝心のるかはその場にへたり込み、手で胸を押さえながら荒く呼吸している。顔には幾つもの汗が浮かび、顔は耳の先まで紅潮していた。

傍に居た岡部達はこの状況に困惑し、拍手を送る人たちに苦笑いを見せている。暫くの間、拍手の嵐は止まなかった。

 

 

 

 

「こっち、笑顔をおねがいしまーす!」

 

「こっちもお願いします!!」

 

それから数分後、何時も通りに戻ったコスプレ広場では一つの人だかりが出来ていた。

カメラを持った多くの人々が一箇所に集まり、誰かを撮影している。人だかりの中心に居たのは黒猫とくノ一だった。

黒猫はまゆり、クノ一はるか。二人揃ってカメラを構える人々に笑顔を振り撒いている。

まゆりは極々自然な動作でポーズを交えつつ人々のリクエストに答えている。そしてるかは、先程までの緊張した面持ちが嘘のように無くなっていた。

自然な笑顔を、花が咲く様な可憐で、それでいて人を安心させるような素敵な笑顔を振り撒いていた。

 

「……」

 

「どしたのオカリン?」

 

岡部は隣に立つ親友に「何でもない」と言って、改めて視線を人だかりの中央に向ける。

二人は広場を見下ろせる会場前の高架橋に立っており。手摺に寄りかかりながらまゆりとるかを見ていた。

そして岡部は、どこか寂しげな、悔むような表情を一瞬だけ見せた。岡部の脳裏にはα世界線の出来事、るかとのコミマでのデートを思い出していた。

あの時は大失敗に終わってしまったが、数々の苦難を乗り越え、幾つもの想いを犠牲にし、やっと辿り着いたこの世界線。

神の気まぐれか、はたまた偶然か、それとも運命石の扉の選択か。るかはあの時と同じようにコミマにやってきた。

相違点を上げれば、あの時は楽しむことなど全く出来なかったが、今はこの時。るかは大いにコミマを楽しんでいる。

人々の輪の中心では親友と共に満面の笑みを浮かべる、るかの姿があった。

 

 



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フェイリス・ニャンニャン編

Steins;Gateアフターストーリー

 

(フェイリス・ニャンニャン)秋葉留未穂編

 

ここは日本、季節は夏。熱線が容赦無く地上へと降り注ぎ、地表の気温を上昇させる。

この時期、人々は日陰に入ったり、薄着になったり、冷たい飲み物を飲んだりと思い思いの方法で涼を取っていた。

そんな灼熱の世界と化している日本の首都、東京。その東京の数ある区の中で世界中に電機街、そして萌えの街として知られる秋葉原の中に一軒のメイド喫茶があった。

店の名前はメイクイーン+ニャン2。店内は昼時もあって人で賑わっており、あちこちで頭に猫耳を付けたメイド服姿の店員達が注文を取ったり品物をテーブルに運んだりと忙しなく働いている。

そんな騒がしい店内の一角、窓際に設置され真夏の太陽がさんさんと降り注ぐテーブルに二人の男が座っていた。

一人は白衣を着た痩せ形で、顎に少量の無精髭を生やした男。もう一人は対照的にかなりの肥満体で緑色のTシャツを着ており、メガネを掛けオレンジ色の帽子を被っている男だ。

二人が座るテーブルの上には水滴が浮かぶ冷えたグラスに氷入りのオレンジジュースが二つ。肥満体形の男の方には半分ほど食べられたオムライスが、白衣の男の方には二つのサンドイッチが置いてある。

肥満体形の男はどこか楽しげに、白衣の男はどこかうんざりしたような表情で手元の料理を口に運んでいた。

 

「いやー、やっぱり持つべきは友だお。オカリンが居てくれて本当に助かった」

 

「お前があれほど真剣な表情で頼み込むから、何かと思って付いて来てみれば……」

 

そう言うと、オカリンと呼ばれた白衣の男は手に持ったサンドイッチを口に頬張り、良く咀嚼して飲み込んでからオレンジジュースを一口飲んだ。

飲み終えてから両手を組み、テーブルに肘を付いて、組んだ両手に額を押し付け溜め息を吐いた。彼の名は岡部倫太郎、目の前の肥満体形の男、親しい者からはダルと呼ばれている橋田至の親友である。

一時間前、この二人は自分達が未来ガジェット研究所と呼ぶテナントビルの二階に居た。昼前の時間帯で室内では岡部が勧誘したラボラトリーメンバー、通称ラボメン達が思い思いに過ごしていた時。

 

「あーーーーー!!!」

 

突然、ダルが叫び声を上げ。岡部に向かって両手を合わせて腰を低くし、真剣な表情で頼みごとがあると言ってきたのだ。

ダルのいきなりの行動に、室内に居た岡部と彼の幼馴染である椎名まゆりは目を丸くして固まった。岡部は驚きつつもダルの言う頼みごとの内容を聞こうとした。

しかし、ダルは込み入った話だからと言うと。付いて来て欲しいと言って岡部を引き連れて外へ出た。

それからしばらく歩き、真夏の太陽を浴びて岡部の我慢も不快感も限界に達し、岡部がダルに頼みごとの内容を問い質そうとした所で彼は立ち止った。

立ち止まった場所はダルが足繁く通っているメイド喫茶、メイクイーン+ニャン2。ダルは普段は滅多に見せない真剣な表情で一度振り返ってから店に入ると、その表情に気圧された岡部も黙って後に続く。

程良く冷房が効いた店内に入ると、滝の様に噴き出していた汗があっという間に収まり、心地の良い冷気が全身を駆け巡る。二人は猫耳メイド姿の店員に案内され窓際のテーブルに着くと、飲み物と昼食を注文した。

店員が注文を承り、店の奥に消えた所で改めて岡部がダルに問い質した。その質問にダルはどこまでも真剣な眼差しと表情でたっぷりと間を置いてから口を開いた。

 

「今日、ここで開かれるビンゴ大会。その優勝賞品の獲得を手伝って欲しいんだお」

 

 

 

 

二人が入店してから数十分後、店の奥に設けられたステージに一人のメイドが現れた。他の店員と同じようにフリルのついた白黒のメイド服を着ており。頭にも同じく黒い猫耳を付けている。髪は鮮やかな桃色であり、左右に結った髪は先端が螺旋を描いていた。

ステージに立つメイドは手に持ったマイクを数回叩き、キチンと作動しているかチェックする。マイクが叩かれる度にくぐもった音が店内に響き渡り、正常に作動していることをメイドに伝える。

メイドは口端に笑みを浮かべると息を大きく吸い込み、マイクに向かって一気に叫んだ。

 

「みんな!! 今日は来てくれてありがとニャ!! メイクイーン+ニャン2で開かれる一世一代の大イベントのビンゴ大会、いよいよ開催ニャ!!」

 

その声に呼応するように店内の客達が一斉に拍手と歓声を壇上のメイドに送る。店の中は一瞬にして大騒ぎになり、岡部は両耳を押さえる羽目になった。

そんな親友を完全に無視して、ダルは眼を輝かせて叫び声を上げる。

 

「フェイリスたんキターーーーーーーーー!!!」

 

壇上のメイドは頬笑みながら手を振り、客の歓声に応える。彼女の名はフェイリス・ニャンニャン。メイクイーン+ニャン2のチーフでもあり、この店の人気No.1メイドである。

フェイリスが右手を横に薙ぐと、同時に店内は一瞬にして静まり返った。先程までの騒ぎが嘘のように静まり、店の中は空調の音だけが響く。

岡部はその様子に戸惑いながら両手を耳から離し、隣に立つダルに話しかける。

 

「ダルよ、これがお前の言っていたビンゴ大会か?」

 

「そうだお、いよいよ始まる……! 優勝賞品は、フェイリスたんとのデート権!!」

 

岡部はどこまでもうんざりとした、反対にダルはどこまでも真剣な表情を浮かべていた。平和な日本の穏やかな午後。秋葉原の一つのメイド喫茶の店内で戦争が始まる。

戦争の下準備とも言うべきか、店員達が手に持った厚紙のカードを客達に一枚ずつ配っている。岡部とダルもそれを受け取り、絵柄が描かれている表を見てみると、そこには誰しもが一度は見たことがあろう縦横五列に並んだ数字が書かれている。

整列した数字の中で、中央だけはFREEと英語で書かれており岡部とダルはそこを指で押して穴を開けた。これで準備完了。

フェイリスは参加者である客達にカードが行き渡った事を確認すると、改めてマイクを構えて『開戦』を告げる。

 

「それでは、ビンゴ大会の始まりニャ!!」

 

 

 

 

「5番ニャ!!」

 

フェイリスが手に持ったビー玉程の大きさのボールに書かれた数字を読み上げる。その声を聞いた客の何人かは嬉しそうに自分のカードに穴を開け、何人かは焦った表情で自分のカードを見詰めている。

岡部は面倒臭そうに5番の場所に穴を開けると、隣に立つ親友を横目で見た。ダルの額には汗が浮かんでおり、目は手元のカードから片時も視線を外さない。

ダルのカードには幾つか穴が開いてはいるがリーチには至っておらず。先程から何度も開け忘れた箇所が無いか、フェイリスが立つステージに掛けられた小さな黒板に書かれている数字を確認している。

ダルが確認をしている間にもフェイリスが新たにボールを手に取り、数字を高らかに読み上げた。

 

「12番ニャ!!」

 

読み上げられた数字を聞いた客たちは自分のカードを凝視して12の数字を探す。目を皿のようにし、カードの端から端を舐めるように見回す。

岡部は自分のカードを流すように、隣のダルは他の客と同じように舐めるように見回した。そして、岡部はカード左下の隅に書かれた12の数字を見つけると穴を開ける。

開け終えてからカード全体を見ると、岡部は自分のカードに右上から左下までラインが出来ていることに気が付いた。

 

「あ……ビンゴだ」

 

岡部はやや控えめな声でカードを持った右手を上げながら列が揃ったことを主張する。

そのタイミングは丁度フェイリスが次の数字を読み上げる直前だったらしく、静まり返っていた店内に良く響いた。

岡部は少し戸惑いながら辺りを見渡す。客も、店員も、隣に立つダルも、ステージの上のフェイリスも誰しもが岡部に注目していた。

客やダルは信じられない物を見るような目で岡部を凝視しており、岡部は自分に集中する視線に思わずたじろぐ。

 

「おめでとう!! 優勝賞品をプレゼントニャ!!」

 

店内に悲鳴と歓声が木霊した。

 

 

 

 

その日の夕方、岡部は夕暮れを眺めながら昼間の出来事を思い返していた。

メイクイーン+ニャン2で開催されたビンゴ大会に優勝し、優勝賞品であるフェイリスとのデート権を獲得。フェイリスが岡部の優勝を告げると同時に、岡部に突き刺さる数々の視線は殺意の籠った視線へと変貌した。

まるで針の筵に包まれているような岡部にとっては拷問にも等しい空気の中、フェイリスはそんな空気を気にするような素振りを全く見せず笑顔を浮かべながら岡部に近付いてくる。

手に持った花輪を岡部の首に掛けると、拍手をしながら改めて彼の優勝を告げた。

 

「凶魔、おめでとうニャ!! 今日、メイクイーン+ニャン2が終わったらフェイリスとデートが出来るニャ!!」

 

「あ、ああ。そうなのか……」

 

岡部に突き刺さる殺意の視線がより一層どす黒くなる。辺りからは「凶魔って、あいつの名前か?」「絶対に許さない、絶対にだ」「フェイリスたんとのデートが……」と優勝を逃した客達の怨嗟の声が岡部の耳に届く。

命の危機を感じた岡部は、一刻も早くここから逃げ出す為に早々に会話を打ち切ることにした。

 

「す、すまないが、そろそろ行かないと」

 

「分かったニャ、終わったら連絡するニャ! それと、デート権の破棄や譲渡、売却は一切認めないから気を付けて欲しいニャ!」

 

「あ、ああ。わかった、忘れないでおく、それでは!!」

 

岡部は白衣を翻すと、自身が出せる最大の脚力で拷問場と化す店を後にし、数分間は走り続けた。

運動神経や体力は全くダメな岡部だが、この時は本能が命の危機を感じ取ってか。岡部自身も信じられない程の速さとスタミナを発揮し、駅前まで休むことなく走り続けた。

駅前に到達してからは疲労が一気に押し寄せて岡部の身体に重く圧し掛かる。貪るように呼吸し、上がり切った息を整えてから岡部は日陰へと移動。手近なベンチに腰掛けて暫くの間、身体を休める。

ひんやりとした空気が心地良い日陰でこれからどうしようかと思案していると、懐に仕舞った携帯からメールの受信音が鳴り響く。

携帯を取り出してみれば画面には受信したメールの情報が映し出されている。先程のメールの送信者はダルであった。

背筋に走る悪寒を気にしないようにしながら、岡部はゆっくりと携帯のボタンを押してメールを開いた。そこに書かれていた文章は、

 

From:ダル 件名:絶対に許さない

 

オカリン爆発しろ

 

たった一行だけ書かれていた文章。しかし、そこには送信者であるダルの全ての感情が込められているような錯覚を岡部は感じた。

眩暈にも似た感覚を何とか堪えながら、岡部は日陰で体調が落ち着くまで休む。休んでいる間は道行く人々を眺めたり、この後はどうやって時間を潰そうか等と思案。

そうこうしている内に身体から疲れが抜け、岡部はベンチから立ち上がると真夏の太陽が降り注ぐ世界へと歩き出していった。

 

 

 

時間は夕暮れ。岡部は昼間、休憩する時に座っていたベンチに再び腰掛けていた。

少し前に、時間を潰していた岡部の元に再びメールが届いた。確認してみれば送信者はフェイリス、バイトが終わったので駅前で合流しようとのこと。

岡部は短い返信のメールを送ると早歩きで駅前に向かい、フェイリスの到着を待つ。見知った相手であるフェイリス。何時もは何とも思わないのだが、これから彼女と優勝商品であるとは言え、デートをするのだ。

デート。たったこの三文字を意識しただけで妙に心が落ち着かない。岡部は柄にもなくガラスに映った自分の顔をチェックし、髪が跳ねてない無いか。身嗜みはキチンとしているか確認する。

傍から見れば何とも間抜けな姿を公衆の面前に晒していると、岡部の背後から声が掛かる。

 

「お待たせニャン!」

 

岡部は聞きなれた声に慌てて振り向けば、そこには見慣れた人物が夕焼けをバックに立っていた。フェイリスは何時ものメイド服では無くオレンジ色の私服を着てはいるが、頭には相変わらず黒い猫耳を着用している。夕闇に浮かぶフェイリスは何時もとはまた違った雰囲気を醸し出していた。

その姿に岡部は思わず見惚れてしまい数秒の間、口を半開きにしたまま何とも間抜けな表情をフェイリスに見せつけることになる。

フェイリスは岡部の様子がおかしい事に気が付き、疑問符を頭に浮かべると顔を近付ける。突然、接近してきたフェイリスに岡部は仰け反った。

 

「うわ! いきなり顔を近付けるな!」

 

「ニャハハ、ごめんニャ。ところで凶魔、これからどこに行く?」

 

その言葉を聞いて、岡部はまたも数秒間停止。それからしばらく唸ったあと「お前の好きな所に付き合う」といって項垂れた。

 

「だったら、どうしても凶魔を連れて行きたい場所があるニャ!」

 

フェイリスは岡部の手を取ると、そのまま強引に引っ張って何処かへと連れて行く。いきなり引っ張られた岡部は転びそうになりながらもフェイリスに引っ張られるがまま、何処かへと連れて行かれる。

二人は夕暮れの秋葉原の街を駆け、狭い路地に入り。岡部は普段ならば決して踏み込む事が無い場所に辿り着いた。辿り着いた場所は、湿った路地にその身を隠すように店を構えるレトロPCショップ。

フェイリスは意気揚々と店に入り、岡部は周囲を窺いながら慎重に店に入る。

店内あまり掃除されていないのか、空気はどこか埃っぽく。目に付く棚やショーウィンドウには埃が積もっていた。岡部は胡散臭そうな顔で店内を見渡していると、フェイリスは堂々と店の奥に進み棚に置かれているレトロPCの数々を眺める。

と、何かを見つけたのか。一瞬、目を大きく見開き、岡部を呼ぶ。

 

「凶魔、これ見て!!」

 

何か理由を付けてフェイリスとここを早く出るべきか。そんなことを考えていた岡部は、フェイリスに呼びかけられ取り合えず彼女の元に歩みを進める。

フェイリスが見ていた場所に岡部が視線を向けると、彼もまた眼を見開いた。

 

「おお! まさかこんな所にお宝が!」

 

「こっちも見て! フェイリスでも手に入れるのに苦労したモデルが2台も!」

 

「こんな物まで置いてあるとは……ここの主人、相当なやり手だな……」

 

先程の考えは何処へやら。岡部はこの店に置かれているレトロPCの数々に夢中になった。

二人は店に置かれているありとあらゆるレトロPCを見て回り、珍しいモデルや希少なモデルを見つけては大騒ぎしていた。

店内を一通り見終わって、岡部が携帯で今の時刻を確認しようとした時だった。

 

「きょ、凶魔!! これ! これ見てニャ!!」

 

突然、フェイリスが本日一番の大声を出して岡部を呼んだ。岡部はその声に驚いて携帯を落としそうになる。辛うじて携帯を手に納めると、何事かと訝しがりながらフェイリスの元へと向かう。

店の一番奥に居たフェイリスは顔を輝かせ全身を震わせながら岡部を待っていた。岡部がフェイリスの元に到着すると、彼女は目の前のショーウィンドウを指差す。

 

「これ!! すっごいお宝ニャ!!」

 

レトロPCマニアの彼女がここまで興奮するほどのお宝。さぞかし凄いものだろうと、岡部も期待に胸を膨らませながらショーウィンドウを覗きこんだ。

煤けたガラスの向こう側に、それはあった。整然と陳列されるレトロPCの中の一つに紛れ込むように、フェイリスが指差す「お宝」が鎮座していた。

 

「あ……」

 

岡部はそれを見た瞬間に、口から乾いた声が出た。

かなりの巨体を誇る四角い白い本体、その内の側面の一つにキーボードと申し訳程度の小さなディスプレイ。ディスプレイの脇には当時使われていた記録媒体を挿入するための差し込み口が。

岡部にとっては見間違えない、見間違いようの無いモノがそこにはあった。

 

「IBN5100……」

 

「凄いニャ!! 物凄いお宝ニャ!!」

 

岡部は呆然と、フェイリスは大はしゃぎしていると、この店の主人であろう初老の男性が二人の元にやってくる。

 

「あーお客さん、すまないね。それは売り物じゃないんだよ」

 

「ニャニャ? どういうことニャ?」

 

男性は申し訳なさそうな表情を浮かべると、頭を掻きながら言葉の意味を説明する。

 

「そのPC、電源も付かないし完全に壊れているんだ。中身を調べたけど回路から基盤、何から何までダメになっていてね。置物くらいしか価値が無いんだよ」

 

「ニャー、それは残念ニャ。まだ動くならフェイリスが買おうと思ったのに」

 

「あっはっは、お嬢さん。言っとくけど、そのレトロPC凄く高いよ?」

 

フェイリスと店主はIBN5100について楽しげに会話しているが、その間、岡部は身動きせずに目の前のレトロPCを何時までも凝視していた。

 

 

 

 

太陽が完全に顔を隠し、代わりに空に月が昇る。太陽の力強い光とはまた違った優しい光を振り撒き、地上を柔らかく照らす。

月明かりと街灯が照らす夜道を岡部とフェイリスは歩いていた。岡部は項垂れながら覚束ない足取りでフラフラと歩き、塀や標識、電柱にぶつかりそうになる度に、慌てたフェイリスが軌道修正をしている。

どこか目的地がある訳でもなく、ひたすら歩き続けているとフェイリスが岡部の腕を取った。何事かと岡部が顔を上げると、フェイリスは人のいなくなった闇夜に紛れる公園を指差している。

 

「凶魔、ちょっとそこで休憩するニャ」

 

多少、強引にフェイリスは岡部を公園へと引っ張り込み、隅に設置されたベンチに座らせる。「ちょっと待ってて」とフェイリスは言うと、駆け足で何処かへと向かった。

岡部はベンチに力なく座り、視線は足元に固定されたまま動かない。と、地面を見つめていた岡部の視界に赤いラベルが入ってくる。赤いラベルに白い英字が書かれた、岡部が何時も目にしている物が視界に映る。

 

「はい、これ」

 

岡部は蚊の鳴く様な声で礼を言うと、フェイリスの差し出したペットボトルのドクターペッパーを受け取り。キャップを開け中身をゆっくりと口に運ぶと、乾いていた岡部の身体の隅々に炭酸が行き渡る。

それから暫く、岡部は一息ついてはドクターペッパーを飲み、一息ついてはまた飲むという行動を繰り返した。その間、フェイリスは何も言わず黙って岡部の隣に座っていた。

やがてペットボトルの中身が半分になった所で、フェイリスは岡部に問い掛ける。

 

「凶魔、どうかしたのかニャ? レトロPCショップを出てから様子が変だニャ」

 

「……何でも無い」

 

岡部はゆっくりと首を左右に振る。

それを見たフェイリスはそっと、自分の頭に装着している黒い猫耳に手を掛けた。そのままゆっくりと猫耳を外し、目を閉じて深呼吸を一つしてから目を開いた。

目を開いた彼女は同じ人物である筈なのに、まるで別人のような雰囲気を纏っており。先程とは違って、どこか落ち着きのある口調で改めて倫太郎に問い掛ける。

 

「倫太郎、どうかしたの? 様子がおかしいよ?」

 

「……」

 

今度の岡部の返答は沈黙。ドクターペッパーを右手に持ち、項垂れて地面を見つめている。フェイリスは岡部の顔を横から覗き込み、じっと見つめる。

しばらく見つめたあと、息を一つ吐くと呆れたように口を開いた。

 

「嘘、レトロPCショップでしょ?」

 

「……流石だな、フェイリス。いや、今は秋葉留未穂か」

 

岡部は彼女「秋葉留未穂」の名を口にした。

猫耳を外した状態の彼女はメイドのフェイリス・ニャンニャンではなく。秋葉原一帯の土地を持つ地主の少女、秋葉留未穂となる。

留未穂は呆れた表情から心配げな表情に変わり、岡部の肩にそっと手を置く。

 

「ねぇ、倫太郎。お願いだから教えて、何かあるんでしょ?」

 

岡部は留未穂の言葉に直ぐ答えなかった。やや間を置いてからゆっくりと、呟くように語り始める。

 

「……俺はな、過去に自分の身勝手で幾つも大切な物を失ってしまったんだ」

 

「……」

 

「失う前の俺は浮かれていて、その先に血反吐を吐く様な事があるのにまるで気が付いていなかった」

 

「うん、それで?」

 

岡部の言葉の一つ一つに留未穂は相槌を打つ。

まるで我が子に寄り添う母親の様に、優しく、岡部の背中を撫でながら彼の言葉の聞いていた。

やがて岡部は語り終えると、ペットボトルのキャップを開け中身を一気に飲み干した。喉を鳴らしながら残り半分のドクターペッパーを飲み終え、荒く呼吸しながら再び項垂れる。

丸まった岡部の背中を留未穂はそっと、優しく抱き締めた。

 

「辛いことがあったんだね」

 

「……」

 

「でも、もう大丈夫。倫太郎は頑張ってここまで来たんだよ? だから、もう大丈夫」

 

留未穂は岡部の背を撫でながら、彼に言い聞かせるように柔らかい声で語りかける。

 

「過去に辛い事が沢山あったなら、これからそれと同じくらい幸せな事が沢山あるに違いないよ」

 

「……なぁ、留未穂」

 

「なに?」

 

「俺には、幸せになる権利はあるのか?」

 

留未穂は背中を撫でる手を止め、少しだけ間を置いてから岡部に語りかけた。

 

「あるに決まってるよ、倫太郎はキチンと償ったんだから」

 

岡部は何も語らず、留未穂も何も語らず時間だけが過ぎて行く。辺りには遠くの喧騒や、公園の草むらに隠れている虫たちの合唱だけが響き。二人を包んでいた。

公園の時計の秒針が三周した所で、岡部はゆっくりと立ち上がる。しばらく遠くを見てから、どこか穏やかな顔を留未穂に向けた。

 

「ありがとう、留未穂。おかげで気持ちが軽くなった」

 

「どういたしまして」

 

留未穂もベンチから立ち上がり、尻を手で払い砂を落とす。二人は公園を出ると、月明かりと街灯が照らす夜道を歩き始めた。

少しだけ歩いてから留未穂が右手を差し出すと、やや戸惑いながらも岡部は差し出された右手を左手で繋ぐ。

繋がる二つの影は夜の街に静かに消えて行った。

 



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椎名まゆり編

Steins;Gate アフターストーリー

 

椎名まゆり編

 

季節は夏。千切れ雲がまばらに浮かぶ快晴の空の下、東京の秋葉原に一つのテナントビルがあった。左右の建物との間に隙間は殆ど存在せず、その身を捻じ込むようにして2階建てビルは建っている。

ビルの1階には薄暗い空間に所狭しとブラウン管テレビが置かれ、通りに面した入口には『ブラウン管工房』の看板が掛けられている。

そして、ビルの2階。階段を上がった先にある2階部屋への扉には何も書かれていないが、その代わりに1階に設置されたビルの郵便受けには、ブラウン管工房と書かれた郵便受けの隣に『未来ガジェット研究所』と書かれた紙が乱暴に貼り付けられていた。

と、通りから二人の人影が近付いてくる。始めは像だったものが次第に輪郭を現し、次いで色や形が見えてくる。ビルまであと少しの所になった頃には、人影の顔立ちや服装が分かるようになった。

2つ並んだ人影の内の片方は、灼熱の太陽が容赦なく照らす真夏日にも関わらず白衣を着ている男。年齢は10代後半程だろうか。

もう片方は水色の帽子に水色のワンピースと、涼しげな恰好をした同じく10代後半程の少女。こちらは男よりも少し幼く見える。

二人は互いに手を繋いでおり、空いている手には共に買い物袋を持っている。男女は太陽から逃げるように足早にビルの階段を上がり、ビルの2階部屋の扉を開けた。

 

「帰ったぞ」

 

「トゥットゥルー♪ ただいまです」

 

扉を開けて開口一番にそう言うと、室内に居た二人の人間。片方は赤髪の女性、もう片方はメガネをかけた肥満体形の男が二人を見た。

室内の二人は玄関の男女を見ると、次いで互いに目を合わせ、最後に呆れたように溜め息を吐く。そんな二人に玄関の男は顔を顰め、少女は首を傾げる。

 

「なんだなんだ、人が帰ってきてその態度は!」

 

「いやだって、ねぇ。橋田さん?」

 

「ですなぁ、牧瀬さん」

 

室内の男女。親しい者からはダルと呼ばれている橋田至と、赤髪が特徴の牧瀬紅莉栖は揃って何度も頷く。

それを見た白衣の男、岡部倫太郎は更に顔を顰め。隣で首を傾げている少女、椎名まゆりは更に首を傾げる。

ダルと紅莉栖は揃って岡部とまゆりの間、二人が繋いでいる手を指差した。

 

「いやぁ、日が高い内から見せつけてくれますなぁ。ねぇ、橋田さん?」

 

「お二人とも熱々ですなぁ。ねぇ、牧瀬さん?」

 

そして、ダルと紅莉栖は揃ってニヤニヤと薄気味悪く笑う。指摘された岡部は顔を真っ赤にして、まゆり直角になりそうなほど首を傾げる。

岡部はスーパーの袋を持ったままの右手を振り回し、口角泡を飛ばしながら捲し立てた。

 

「ち、違う!!これは手を離すとまゆりが勝手に何処かに行って、探すのが面倒だから手を繋いでいるのであって!!」

 

「ハイハイ、ツンデレ乙」

 

「乙だお」

 

こうして、今日も騒がしく時間は流れて行く。それからは何時も通りに、各々がラボの中で好きなようにして過ごす。

岡部とダルは新しいガジェットの開発に、まゆりと紅莉栖はファッション誌やコスプレ雑誌を一緒に読んで盛り上がる。

あっという間に日は暮れて、外の色は夕焼けに染まった。この日は珍しく、何時もならバラバラの時間に帰宅するメンバーが、同じ時間に帰宅することになった。

ラボの責任者として、岡部が閉じまりやガス栓のチェックを行っていると、荷物を纏めたまゆりが近付いてくる。

表情はどこか申し訳なさそうな顔をしており、やや躊躇いがちに岡部に話しかける。

 

「オカリン、ちょっといいかな?」

 

「どうした? 直に暗くなるから早くしろよ」

 

「あのね、まゆしぃは明日ラボに来るのが遅くなるのです」

 

「なんだ、そんな事か。何か用事でもあるのか?」

 

「うん、明日。おばあちゃんの命日だから……」

 

その言葉を聞いた途端、岡部の動きが止まった。窓の鍵を閉めようとしていた手が止まり、まるで時が凍りついたかのように静止する。

ほんの数秒だけ間が空き、その間は外の喧騒が辺りを満たす。まゆりが訝しがって岡部の顔を覗きこもうとした所で、彼はハッと気が付く。

少しだけ焦ったような口調でまゆりに了解を伝えると、まゆりは「ごめんね」と一言謝ってからラボの玄関に向かう。

まゆりは揃えられた自分の靴を履き、つま先で床を叩いて扉に手をかけた所で、

 

「まゆり」

 

自分の名を呼ぶ幼馴染に振り返ると、彼はどこか思い詰めた顔をしている。

それから少し口ごもり、意を決した様な表情に変わると、改めて口を開いた。

 

「明日の墓参りだが――」

 

 

「ごめんね、こんな日に付き合わせちゃって」

 

「気にするな、そもそも俺が言い出したからな」

 

翌日、岡部とまゆりは雨の中を傘を差しながら歩いていた。岡部は飾り気の無い黒い傘を、まゆりは可愛らしい模様が施された水色の傘を差している。

土砂降り、と言うほどでもないが。強い雨が引っ切り無しに二人の頭上に開かれた二つの傘を叩く。

まゆりの手には、片方は傘を差し。空いているもう片方の手には花束が握られていた。岡部も同じく片手に傘を差し、もう片方にはまゆりとは違う種類の花が纏められた花束が握られている。

二人は談笑しながら道を歩き、しばらくすると余り人気の無い住宅街に入る。この雨もあるだろうが、住宅街は妙にひっそりとしており、普段からでも人気が無い事が窺がえた。

岡部とまゆりはそんな住宅街で一際、人気が無い場所。墓地に入った。墓地の周りは石の塀で囲まれており、塀には苔や蔦状の植物が幾つも群生している。

雨のせいでもあるだろうが、墓地の中は妙に湿気が多く感じられ、肌に纏わりつく様な生温い空気が岡部の不快感を増幅させる。

その不快感に岡部が顔を顰めている一方。まゆりは特に不快に思わないのか、表情を変えずに歩いている。

二人は迷路の様な墓地を歩き、一つの墓の前で立ち止まった。

その墓は何の変哲もない極々ありふれた形の墓であり、周りに佇む多くの墓に紛れるように存在していた。墓石には「椎名家の墓」の文字。

まゆりは手に持った花束を墓石の前にそっと置くと、傘を岡部に預ける。岡部は花束を脇に挟み、まゆりが濡れないように預けられた傘を彼女の頭上に差した。

両手が自由になったまゆりは、しゃがんで両の手のひらを静かに合わせ目を閉じ、黙祷を捧げた。

黙祷を捧げるまゆりの姿は、まるで天に祈りを捧げる聖女の様でもあり、その横顔を見た岡部は急に気恥ずかしくなり、顔を背ける。

黙祷を終わらせたまゆりは「次はオカリンだよ」と言うと、岡部が持っている二つの傘を手に取り、黒い傘を岡部の頭上に届くように腕を伸ばしながら差す。

岡部は懸命に腕を伸ばすまゆりの姿に苦笑しながら、まゆりと同じように花束を墓前に供え、しゃがんでから両手を合わせた。

静かに目を閉じ黙祷を、そして謝罪の言葉を胸中でまゆりの祖母に捧げる。

 

――まゆりのあばあさん。俺は自分の身勝手で貴方の孫を何度も殺してしまいました。

 

――謝って済む問題では無いのは自分でも十分に理解しています。しかし、自分勝手とは思われますが、今ここで貴方に謝罪をさせて下さい。

 

――俺はもう二度とあんな過ちは犯さないと誓います。そして、この先に何があってもまゆりは必ず守り抜いてみせます。

 

――自分が犯してしまった過ちの代償は、一生をかけてでも払ってみせます。

 

――そして、本当に申し訳ありません。

 

岡部は黙祷を謝罪を終えると立ち上がった。深呼吸を一つして振り返ると、まゆりと目が合う。岡部が口端で薄く笑うと、まゆりは笑顔を見せた。

「帰ろうか」と岡部は言って、まゆりが持っている黒い傘に手を伸ばす。岡部の手と傘を握るまゆりの手が重なった所で、

 

「オカリン」

 

「?」

 

「オカリンはもう、悲しまなくていいんだよ」

 

岡部の動きが止まった。傘に手を伸ばしたまま、何とも間抜けに口を半開きにしたまま、目の前のまゆりを凝視したまま、岡部の時間が停止する。

まゆりは岡部の事を特に気にする様子も無く、極々自然な口調で次の言葉を口にする。

 

「まゆしぃは、もう大丈夫だから」

 

「……ああ」

 

ようやっと、岡部の口から絞り出た言葉は短かった。ほんの少しだけ震える手で傘を受け取り、頭上に差す。

そして、まゆりの手を引いて墓地を後にしようとした所で、岡部はふとした変化に気が付いた。先程まで絶え間なく傘を叩いていた雨粒が止んだのだ。

傘から顔を出し、空を見上げれば徐々に雨雲同士が離れて、本来の青い空が見えてくる。

 

「雨が上がったか……」

 

「あ、オカリン。みてみて」

 

まゆりが指を差した先には天に架かる七色の架け橋。大きな虹が空に出来ていた。

そして虹の更に上には、鉛色の雨雲の切れ間から光が差し込み、まるで梯子の様に地に降り注ぐ。

 

「エンジェルラダー……」

 

「綺麗だねー」

 

岡部は幼いころ、この光景が嫌いだった。昔、今と同じく雨が降る日の墓地で、幼いまゆりは祖母の墓の前に居た。

何をする訳でもなく。ただただ、じっと墓石の前に佇み、時が止まってしまったかのように立っていた。

そして幼い岡部は、その姿を黙って見ていることしか出来なかった。と、突然まゆりが空に手を掲げる。

掲げた先には空から降り注ぐ光、エンジェルラダー。その光景が岡部には、まるでまゆりが天国に行ってしまうかのように見えた。

それ以来、岡部はこの光を嫌っている。しかし、今は違う。

α世界線を越えて、β世界線すらも越えて、岡部はこのシュタインズゲートに辿り着いた。まゆりの死を乗り越えるため、そして紅莉栖の死すらも乗り越えて到達したこの世界線。

今の岡部には、この光がまるで自分達を祝福するかの様に見えた。

 

「そろそろ、行こうか」

 

「うん」

 

二人は傘を閉じ、手を繋いで、一度だけまゆりの祖母の墓を振り返る。二人は墓石に向かって軽く会釈をすると、手を繋いだまま墓地を後にした。

 

 

それから二人は秋葉原に戻り、未来ガジェット研究所へと辿り着いた。岡部が勢いよく扉を開ける。

 

「遅れたな」

 

「トゥットゥルー♪」

 

扉を開けた先には、何時もの様に紅莉栖とダル。そして今日は珍しく、まゆりの友人である漆原るかとフェイリス。更には下のブラウン管工房でバイトをしている桐生萌郁がラボに居た。

室内にいた5人は一斉に玄関に顔を向け、そこに立つ岡部とまゆり、次いで二人が繋いでいる手を見た。岡部の脳裏に昨日の出来事が過ぎる。

 

「おやおや~、こんな雨の日に逢引きですかな? ねぇ、橋田さん?」

 

「オカリン爆発しろ。ねぇ、フェイリスさん?」

 

「ニャニャ! 二人とも熱々ニャ!! ねぇ、ルカニャン?」

 

「え、あ。岡部さんとまゆりちゃんてそういう……。えと、桐生さん?」

 

「……」

 

最後にパスを回された萌郁は、手に持った携帯のキーを素早く打ち、最後に送信ボタンを押した。数秒後、室内に携帯の着信音が鳴り響く。音源は岡部のズボンのポケット。

岡部は恐る恐る携帯を取り出し、メールを確認する。そして、彼の予想通りメールにに書かれていた文章は、

 

from:萌郁 題名:本当に!? 

 

二人って何時の間にそういう関係になってたの!?>< 教えてくれても良いのに~^^ 萌郁

 

「~っ!!」

 

予想通りの文章が書かれていた事に、岡部は携帯を持った手で顔を押さえて天を仰ぐ。そして室内からは幾つものニヤケ顔と視線が。

岡部が絶叫するまであと3秒。こうして、今日も未来ガジェット研究所は騒がしく、賑やかに時が流れて行く。

 

 

 



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牧瀬紅莉栖編

Steins;Gate アフターストーリー

 

牧瀬紅莉栖編

 

季節は本格的な暑さが近付きつつある7月下旬の昼前、ここは東京の秋葉原。その秋葉原のとある場所を一人の男が歩いていた。

これから気温は更に上昇すると言うのに、男は太陽光を照り返す純白の白衣を翻しながら颯爽と歩いている。男が目指す先は小さな2階建てのテナントビルだ。

男――岡部倫太郎はテナントビル2階への階段を昇り、その先にある部屋の扉を勢いよく開けた。そこには彼が見慣れたラボ、未来ガジェット研究所の内装と、

 

「あら、今日は随分と早いのね」

 

赤毛の少女がドクターペッパーを片手にPCの前に座っている光景が広がっていた。

突然、声を掛けられ。岡部は扉を開ける際の勢いが余って転びそうになるが、辛うじて持ち堪える。体勢を立て直した所で岡部は赤毛の少女、牧瀬紅莉栖に「そう言うお前こそ、随分と早いではないか」と皮肉気に言うと。

 

「別に良いじゃないの、勧誘したのは岡部でしょ?」

 

「まぁ、そうだが……ところでダルは? 試験が俺よりも早く終わったから先にラボに来ている筈だが……」

 

「橋田ならついさっき、メイド喫茶に行ったわよ。なんでも今日はイベントがあるとか」

 

その言葉を聞くと岡部は右手で顔を覆い、呆れたように天を仰ぐ。紅莉栖は手元のドクターペッパーを一口飲みながら、その姿を冷やかに眺めていた。

空いている左手で拳を作り、その拳を震わせつつ「ダルめ、逃げおったな……!」と、岡部は愚痴を零す。

一通りぼやくと気が済んだのか。靴を脱いでスリッパに履き替え室内のソファーへと向かい、そこに腰掛ける。安物の為か座り心地は余り良い物では無く、岡部は何度か座り直した。

紅莉栖は岡部がスリッパに履き替えた所でPCに顔を向け、軽やかな指捌きでキーを打つ。踊るように、リズミカルに白魚の様な指が次々とキーの上を舞い踊る。

それに合わせて紅莉栖も鼻歌を歌い始めた。鼻歌のリズムに合わせて首も小さく上下し、なんとも楽しそうにタイピング。岡部はそんな彼女の背中をどこか呆れたような、なんとも形容しがたい表情で見つめていた。

傍から見れば赤毛の美少女が楽しげにタイピングしているように見えるであろう。少なくとも外見だけは。

が、肝心のPCのディスプレイ。そこに映し出されているのは多くの書き込みと『名無しさん』の文字、多種多様な英語と数字の羅列――IDの数々。

その中に一つだけ『栗悟飯とカメハメ波』という、他では名無しさんと表示されている部分に明確な名前を持つ書き込みがあった。

書き込みの内容は先程喰ってかかってきた名無しの発言を、これ以上ないほど完璧に論破する言葉の数々である。

 

「ふふん、私に勝負を挑もうなんて100億年早いのよ。サイエンス誌を穴が開くほど読んでから出直して来なさい」

 

紅莉栖はそう言ってエンターキーを人差し指で押し込む。すると、ディスプレイには再び栗悟飯とカメハメ波の発言が書き込まれた。

そう、紅莉栖はネットで最大の規模を誇る掲示板。固定ハンドルネームで@ちゃんねるに書き込みを、しかも立てられているスレッドに片っ端から割り込み、そこで行われている議論の間違いや矛盾点を次々と指摘しているのだ。

当然ながら議論を行っていた者たちは突然の乱入者に腹を立て、次々と質問を浴びせるが、これこそが紅莉栖の真の目的でもあるのだ。

矢継ぎ早に浴びせられる質問に栗悟飯とカメハメ波――紅莉栖は素早く、それでいて正確且つ分かりやすい返答を書き込み。次々と自分に喰ってかかる者を黙らせていた。

自身の書き込みにそのスレッドを見ている者たちが沈黙すると、紅莉栖は何とも嬉しそうな表情を浮かべる。その美貌にはとても似つかわしくない底意地の悪そうな笑みを。

鏡で自分の今の表情を見たら紅莉栖は十中八九、羞恥の余りにしばらくは塞ぎこむこと間違いなし、それほど似合わない笑みであった。

岡部はその背中を黙って見つめ、溜め息を一つ吐く。ふと、紅莉栖と知り合ってからどれ程になるのか考えてみた。

彼女との出会いはα世界線とβ世界線。そして2つの世界線の間に位置する、このシュタインズゲート世界線を含めた3つの世界線で、岡部と紅莉栖は2010年の7月28日、秋葉原のラジオ会館で出会った。

そして幾つもの想いを犠牲にし、紅莉栖を救い、文字通り世界の命運を左右するタイムトラベル理論が書かれた論文。中鉢論文を葬って、遂にシュタインズゲート世界線に辿り着き、今に至る。

とすると、今日は7月24日。二人が出会ってからほぼ1年になる。その1年の中で2010年の10月9日のラジオ会館前。岡部はもう出会うことが無いと思っていた紅莉栖と再会を果たした。

そして岡部はその場でラボメンの証、特製のピンバッジを渡して紅莉栖を未来ガジェット研究所に招いたのである。

出会いから再会、そして今に至るまでの1年間を岡部は回想してみると、笑みが込み上げてきた。紅莉栖がラボにやってきた当初は馴染めるかどうか心配した物の、彼女は驚くほどの早さでラボに馴染んでいった。

それこそ『以前から交流があった』ように。

それからは紅莉栖のねらーがバレたり、ラボメンで冬のコミマの参加、クリスマスに大晦日、正月。今年の春には花見に行くなど様々な思い出が蘇ってくる。

思い出を一通り回想し終え、岡部は改めてPCの前に座る紅莉栖の背中を眺める。相も変わらず楽しげにタイピングする彼女。タイピングの内容さえ知らなければ微笑ましく見守ることが出来るのだが。

岡部はそれからテレビをつけて適当な番組を視聴したり、テーブルの上に置いてある雑誌を読んでいるとあっという間に正午になった。

そろそろ昼食の準備――といっても買い置きのカップ麺を取り出すだけだが――をしようとソファから立ち上がった所で

 

「……っ!」

 

何とも可愛らしい腹の音が鳴る。紅莉栖がタイピングをしていない室内にはPCのファンの音だけが静かに響いており、音階の違う腹の音は良く響いた。

この音の発信源は二つ。岡部と紅莉栖のどちらだが、岡部は自身の腹に特に何も感じていない。ということは、

 

「ふむ、まさか0時丁度に鳴るとはな」

 

「わ、悪いか! 人間だからお腹が空くのは当たり前でしょ!!」

 

ディスプレイから岡部へと、顔を真っ赤に染めた紅莉栖が叫んだ。岡部は適当に返事をしつつキッチンの上の戸棚の片方を開け、中に仕舞われているカップ麺を取り出そうとして、動きが止まった。

戸棚の中を右から左へと見回し、次にもう片方の戸棚を開ける。同じように端から端まで見回した後、両方の戸棚を閉めて腕組みをする。

 

「参ったな……」

 

「ど、どうしたのよ?」

 

何時になく真剣な声で呟く岡部。その岡部の異変を感じたのか、紅莉栖は薄く冷や汗を掻きながら声を掛ける。

やや間を置いて岡部はゆっくりと、一言一言を絞り出すように口を開く。

 

「……買い置きのカップ麺が無い」

 

紅莉栖が座っている椅子から転げ落ちた。

 

 

 

 

「これと……ついでにこれも買っておくか」

 

それから数十分後、岡部は近くのスーパーの中にいた。赤い買い物カゴを片手に、安売りされているカップ麺を次々とカゴに放り込んでゆく。

時々ポケットから財布を取り出して、中身とカゴに入っているカップ麺の値段を確認する。数日分の買い置きをカゴに入れた所でふと、岡部は立ち止まった。

身体の向きはそのままに、顔だけは右の方を向いている。岡部の視線の先には綺麗に陳列され、強烈な冷却により表面に幾つもの水滴が浮かんだペットボトル飲料の数々。

その中のとある飲料、他は隙間なくギッシリと陳列されている中で、ポツンと1本だけ置かれている飲料に岡部の視線は注がれていた。

赤いラベルが貼られている500mlのペットボトル飲料――岡部が毎日欠かさず飲んでいるドクターペッパーが1本だけあった。

ゴクリと、岡部の喉仏が動く。岡部は今日、ドクターペッパーを1滴も飲んでいなかった。脳がそのボトルの存在を認識した途端に、彼の喉はまるで砂漠のようにカラカラに渇いてゆく。

ふらついた1歩目、次にしっかりとした2歩目を踏み出す。3歩目で足に余分な力が入り、4歩目から先はまるで競歩選手の様に踏み出していた。

数メートルの――岡部にとっては何十メートルにも感じられる――距離を歩き、1本だけ置かれているドクターペッパーの前に到達。渇きに震える左手を伸ばし、ボトルを掴んだ所で横から白く細い指が岡部の手の上に重ねられる。

 

「へ?」

 

「え?」

 

岡部はドクターペッパーから視線を外し、右を見た。そこには赤い髪の見知った顔、牧瀬紅莉栖の顔が。

紅莉栖はドクターペッパーから視線を外し、左を見た。そこには髭面の見知った顔、岡部倫太郎の顔が。

二人は至近距離でまじまじと互いの顔を見つめ合い、数秒後。

 

「うわ!!」

 

「きゃ!!」

 

二人はドクターペッパーから手を離し、それぞれ反対の方向に後ずさる。互いに荒く呼吸し、息が落ち着いた所で睨み合った。

 

「いきなり何をするんだ! そんなにドクペが飲みたいか!」

 

「違うわよ! ラボで私が飲んでいたのが冷蔵庫にあった最後の1本で、岡部は今日はまだ飲んでないだろうと思って手を伸ばしたのよ!!」

 

店内中に響き渡る二人の叫び。周りで買い物をしていた他の客の視線が、一斉に岡部と紅莉栖に突き刺さる。睨み合っている二人は自分達に向けられている眼差しに気が付かない。

と、怒りを露わにする岡部の額に寄せられていた皺が消え。今度は怪訝な顔つきに変わった。

 

「って、助手。俺が今日ドクペを飲んでいない事が何故わかったんだ?」

 

「何となくよ。岡部の性格からしてラボに来る途中でドクペを飲んでいるとは思えないし。伊達にあんたと過ごして……」

 

そこまで言ったところで突然、紅莉栖の顔が一瞬にして朱に染まった。顎の先から耳の先まで血色の良い赤になり、艶のある唇がわなわなと震える。

岡部の眼をまっすぐ見ていた視線は逸らされ、所在なさげに店の床を這う。いきなり口を噤んだ紅莉栖の様子に岡部は首を傾げた。

 

「お、おい。紅莉栖?」

 

「ああ、もう! と、とにかく買う物は全部カゴに入れたんでしょ!? ほら!」

 

言うな否や、紅莉栖は陳列棚からドクターペッパーを引っ掴み、岡部の持つ買い物カゴに叩き込んだ。勢い良くシェイクされたボトルの中身が泡立つ。

紅莉栖は駆け足で店の出入り口に向かい、岡部と擦れ違う時に「私は先にラボに戻ってるから!」と言い残して店を後にしていった。

その後ろ姿を岡部と他の客達は呆然と見送り。暫くの間、店の中の視線は灼熱の世界と冷房の利いた店内を仕切る2枚の自動ドアに注がれる。

数秒間、自動ドアに視線が注がれた後、今度は後に残され呆然と突っ立っている岡部に視線が向けられた。岡部は相も変わらず自動ドアに注意が向いていたが、自身に向けられている眼差しの数々に気が付くと早足でレジに向かう。

大急ぎで会計を済ませ、受け取ったビニール袋に手早く商品を詰め込み、カゴを素早く戻して足早に店を後にした。

 

 

「まったく、岡部のせいで大恥を掻いたわよ」

 

「元はお前が最後のドクペを飲んだのが悪いだろうが」

 

「あれは残りの数を確認していない岡部の責任でしょ!!」

 

「言わせておけば!」

 

岡部がラボに到着してから数分後。二人はソファーに隣り合って座り、目の前のテーブルの上に置かれたカップ麺が出来上がるのを待ちながら、口論を繰り広げていた。

互いに重箱の隅を突き合い、揚げ足を取り、屁理屈をこね、終わりの見えない喧嘩が続いている。二人の喧嘩が最高潮に達しようとした寸前。

 

「「あ」」

 

室内にピピピという電子音が鳴り響く。設定していたキッチンタイマーが3分経過した事を知らせていた。

二人は即座に口論を止め、目の前に置いてある自分のカップ麺とフォークを手に取り、麺の蓋を開けた。湯気と共に食欲をそそる匂いが二人の鼻孔をくすぐる。

フォークを持ったまま手を合わせて食事の前の挨拶をし、フォークの先端にお湯で戻った麺を絡めて勢い良く啜る。良く咀嚼し、喉を鳴らしながら飲み込むと二人同時に一息吐いた。

それからは二人は余程の空腹だったのか、黙々と昼食を続ける。麺を平らげ、具も全て胃に納め、残るはスープを飲み干すだけ。

紅莉栖はカップを傾け、醤油味のスープを口に運ぼうとした時。ふと、岡部は紅莉栖の右手に握られているフォークを注視した。彼女が握っている銀色のフォークはラボの備え付けの物であり、柄も飾りも無く素っ気ないデザインである。

そして岡部の脳裏にα世界線の、タイムリープして紅莉栖に実験の成功を伝える際のキーワードが思い起こされる。

――私が今、欲しいのはマイフォーク。これを知っているのは私と岡部だけよ。

この言葉をリープ前の紅莉栖に伝え、彼女の理論と実験は正しい事を本人に伝える、筈だった。

実際に成功を伝えた所、紅莉栖は何時もの厨二病と切り捨て全く取り合わず。挙句の果てには自分の秘密であるフォークの事を知られて、数時間後の自分を恨む始末であった。

岡部が過去の出来事を回想している内に紅莉栖はスープを飲み干し、再び両手を合わせて感謝の言葉を口にする。岡部もカップに残ったスープを一息に飲み干し、紅莉栖と同じように食後の感謝を述べた。

二人は空の容器をゴミ箱に捨て、フォークを手早く洗うとソファーに戻った。食べる前と同じように並んで座って、岡部がソファーの手摺に置いてあるリモコンを手に取り、ラボに置かれたテレビに向けながら電源ボタンを押した。

このご時世で数が少なくなってきているブラウン管テレビの画面に一瞬光が走り、数秒後には黒一色だった画面にバラエティ番組が映し出されていた。岡部と紅莉栖はその番組に冷めた視線を送り、次の瞬間には画面にニュース番組が映っていた。

それから何度か岡部がチャンネルを切り替えるも、二人の午後を楽しませてくれる番組は一向に見当たらず。最後に岡部がリモコンの電源ボタンを押してテレビは沈黙。

岡部はリモコンをテーブルの上に置くとソファーの背もたれに寄りかかり、上を向いて天井の染みを数え始めた。その隣で紅莉栖は床に置いてあった雑誌の山から一番上に置かれている物を手に取り、読み始める。

二人は一言も喋らず、紅莉栖が雑誌のページを捲る音と遠くの喧騒だけがラボの室内に静かに響く。

それから数十分後。染みを数え、新作のガジェットを考え、夏休みはどう過ごそうか考えていた岡部の瞼が徐々に降りてきた。それに合わせて岡部の意識も徐々に遠くなり体が船を漕ぎ始める。

何度か意識が覚醒して頭を振るが、空腹を満たし、特にこれと言ってやる事も無く、程良い室温も相まって強烈な睡魔はしつこく迫ってくる。

それでも岡部は懸命に睡魔を振り払うが、そこは人間。三大欲求の一つに勝てる筈も無く何時の間にか意識は睡魔に呑まれていた。

 

 

岡部が眠りについてからどれだけの時間が経過したであろうか。彼はゆっくりと意識を取り戻し、まどろみから目覚める。

霞がかかったような視界は時間と共に徐々に明瞭になり、意識もやや遅れてクリアになって行く。一先ず視界が戻った岡部は自分の左肩に感じる重みに疑問を感じ、意識がぼやけたまま顔をそちらに向ける。

女性特有の甘い香りとシャンプーの香りが岡部の鼻孔をくすぐり、鼻先を赤い毛髪が掠めた。岡部の視界に真っ先に入ったのは赤い色。それが何なのか分からず動きが停止するが、次に聞こえてきた寝息で岡部はその正体を悟った。

隣に座っていた紅莉栖が岡部の左肩を枕に眠っていたのだ。長い睫毛を伴う瞼が閉じられ、規則正しい寝息が朱色の唇から漏れる。

左肩の重みの正体を知った岡部は全身が硬直し、意識が一瞬にして覚醒するが代わりに思考と呼吸が停止。視線が忙しなく動き回り部屋中を彷徨う。

何か注視出来るものを探して彷徨い続ける岡部の双眸は自分の背後の壁、その上部にかけられた時計に落ち着いた。時計の長針は頂点の12を、短針はその隣の1を指している。

――1時か。岡部はとりあえず現在の時刻を把握し、次に紅莉栖をどうしようかと冷静に考える為に深呼吸。頭を十分に冷やした所で室内が暗い事に気が付いた。

視線を時計からラボにある唯一の窓に動かすと、そこには四角く切り取られた。月明かりが薄く照らす夜の世界が。岡部は現在の時刻を、深夜1時であることを悟る。

 

「お、おい。助手! 起きろ、起きるんだ!」

 

「んー……」

 

「起きろ! 電車が行ってしまうぞ!」

 

電車の単語に反応したのか紅莉栖がゆっくりと身を起こす。眠たげに目を擦り、大騒ぎする岡部にぼやくと窓の外を、次に背後の時計を見る。紅莉栖の表情が固まった。

 

「は……? え、もうこんな時間!?」

 

「急げ! 終電に間に合わなくなるぞ!」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

紅莉栖は慌てて懐から携帯を取り出し、ネットに接続する。次から次へと素早くボタンを押して目的のサイトにアクセス。少しの間、食い入るように携帯を見つめると、やがてがっくりと肩を落とした。

 

「遅かった……最後の電車、1時間前に出てる……」

 

岡部の表情が凍り付く。同時に全身から冷や汗や余り掻きたくない嫌な汗が吹き出し、シャツとズボンを湿らせてゆく。

紅莉栖が滞在しているホテルは御茶ノ水にあり、歩いても辿り着ける距離だが時間が時間である。こんな時間に女性を一人で歩かせるのは余りに危険。

タクシーという手段もあるが、生憎、今日はスーパーでの買い物で岡部の懐は全く余裕が無い。岡部は自分もホテルまで付き添いをするべきかと思った所で、

 

「はぁ、しょうがない。今日はラボに泊まるわ」

 

紅莉栖の発言を耳にした岡部は、更に大量の汗を掻く事になった。首がまるで油の切れた機械の様にぎこちなく回転し、紅莉栖の方を向く。

そんな岡部の事は気にも留めず、紅莉栖は「毛布はどこだっけ?」とラボの箪笥を開けていた。

その後、岡部は何とか紅莉栖をホテルに帰らせようとあの手この手で説得を試みるが。元から紅莉栖に口で勝てる訳が無く、結果的に岡部が折れる事になり紅莉栖のラボ宿泊が決定する。

それから1時間後。紅莉栖はソファーの上で、岡部はソファーに背を向け床の上にそれぞれ毛布を被って横になっていた。室内には時計の秒針が規則正しく時を刻む音だけが響いており、部屋の中が殆ど無音である事も相まってかなり大きく聞こえる。

そして岡部は、目を見開き。窓の外に見える月を眺めていた。長期休暇になるとラボでの寝泊まりは当たり前である岡部、何時もなら直ぐにでも眠りに就くのだが、今日は全く寝付けなかった。その理由は二つ。

一つは昼間にたっぷりと睡眠を取っていたことだが、もう一つの理由に比べれば実に微々たるもの。もう一つの理由、それは言うまでも無く背後のソファーに横になる人物である。

――羊でも数えようか。岡部が昔から伝わる睡眠導入法を試そうと目を閉じ、1匹目の羊を数えようとした所で即座にそれは中断される。

 

「岡部、起きてる?」

 

「……ああ」

 

背後から、か細い声が岡部の耳に届く。姿勢と顔の向きはそのまま、返事だけを返した。

やや間を置いてから、再び声がかけられる。

 

「私ね、昼間。夢を見たの」

 

「夢か」

 

「うん」

 

一つ一つの言葉を噛み締めるように、ゆっくりと紅莉栖は言葉を紡ぐ。

 

「そこは真っ白な場所で、黒い線で描かれた沢山の時計や扉がある世界で、そこで岡部が必死に走っているの」

 

「……」

 

「岡部は物凄く悲しそうな、思い詰めた顔をしていて。見ている私も切ない気持だった」

 

紅莉栖が岡部に話す夢の内容、それはまさに岡部が体験した世界線の旅そのものであった。

岡部の脳裏に彼が体験した時間漂流の記憶が次から次へと流れて行く。電話レンジ、Dメール、IBN5100、タイムリープマシン、ラウンダー、アトラクタフィールドの収束、ディストピア、リーディングシュタイナー。

そして、決して忘れる事の無い。忘れてはならない犠牲にした想いの数々。岡部は自然と唇を噛んだ。

 

「私は岡部に追いつこうとして走るんだけども、どれだけ頑張っても足がゆっくりとしか動かない。そうしている間に岡部はどんどん先に行って……」

 

紅莉栖の声が震え始める。

 

「声を出しても届かない、追いつこうとしても追いつけない……。怖かった……、私だけが時間の中に取り残されるような気がして、凄く怖かった……」

 

紅莉栖が語り終えると、秒針の音に混じって部屋に啜り泣く様な声が微かながら聞こえる。

岡部は何も言わず、何も言えずにじっとしていた。本当は何か声を掛けてやりたい。でも、何と言葉を掛けたら良い?

慰めの言葉か? ラボの長としての言葉か? 岡部倫太郎としての言葉か? 鳳凰院凶真としての言葉か?

次から次へと、言葉が胸中に浮かんでは消えて行く。何も口に出せない自分に岡部は苛立ち、歯噛みする。

と、啜り泣く声が止み。スプリングの軋む音と布が擦れる音が聞こえた。次いで聞こえるのは足音、徐々に岡部に近づいてくる。岡部が次の瞬間に背中に感じたのは人肌の温もり。

 

「お願い、今晩だけ……。今晩だけでいいからこうさせて……」

 

岡部は思わず声を上げそうになるが、上げる前に耳元で囁かれた声。怯えを含んだ紅莉栖の声に寸での所で飲み込む。次いで岡部は背中に小さな感覚、紅莉栖の指先を感じた。

白衣越しに伝わる紅莉栖の指は、震えていた。小刻みに震え白衣を摘む指先が紅莉栖の感情を岡部に伝える。

 

「……今晩だけだぞ」

 

わざらしく、ややぶっきら棒に岡部は言った。紅莉栖は小さな声で「ありがとう」と感謝を口にすると、岡部の白衣を摘んだまま眠りに付く。

数十分後、岡部の背後からは規則正しい寝息が聞こえる。岡部は紅莉栖が眠りに就いた事を確認すると小さな溜め息を一つ吐いて、自身も眠りに就いた。

 

 

夜が明けた。月が隠れ、入れ替わりに太陽が顔を出す。強烈な日差しと紫外線を地上に振り撒き、今日も1日が始まる。ラボに泊まった岡部は、太陽がかなり昇り昼の少し前に目を覚ました。

窓から差し込む太陽の光に身を焦がされ、額に薄く汗を掻きながら身を起こす。ふと、後ろを振り返るとそこには誰も居なかった。室内を見渡すとテーブルの上に1枚のメモ用紙が置いてある。

汗を拭いつつ岡部は立ち上がってテーブルに近付き、メモを手に取ってそこに走り書きで書かれている文字に目を通す。

――お先に失礼するわ、体に気をつけてね。 P.S 昨夜はありがと。 M・C

読み終えると、岡部は苦笑した。何とも言えない気恥ずかしさが混じった複雑な笑みを浮かべ、誤魔化すように後頭部を乱暴に掻く。

とりあえずは腹を満たそうとキッチンに向かい、上の戸棚に手を掛けた瞬間。岡部のズボンのポケットから軽快な着信音が鳴り響いた。

携帯を取り出し画面に表示される着信相手を見ると、名前は表示されておらず、相手の電話番号だけが表示されている。訝しがりながらも岡部はボタンを押して、携帯を耳に当てた。

 

「もしもし」

 

『もしもし、岡部倫太郎様でしょうか?』

 

「はい、そうですが」

 

『岡部様が注文されていた品が本日到着いたしました。注文された店舗にてお受け取りをお願いいたします』

 

岡部は自分が何か注文したのかと携帯を持ったまま首を傾げたが、数秒して自分が頼んだ物を思い出し、慌てた口調で直ぐに取りに行く旨を告げ。通話を切った。

携帯の画面で今日の日付――7月25日――を確認してからポケットに仕舞い、スリッパ脱ぎ捨て靴に履き替え、外に出てラボの鍵を閉め、何時も隠してある場所に鍵を隠し、財布の中身を確認して舌打ちすると、岡部は大急ぎで何処かへと走り去って行った。

場所は変わって、ここは御茶ノ水にある紅莉栖が滞在しているホテル。紅莉栖は下着とワイシャツだけの姿でベッドに横になっていた。床には脱ぎ散らかした服が散乱している。

紅莉栖はどこか遠い目で天井を見つめ、時折寝返りを打っては枕に顔を埋める。それも飽きると荷物から適当に雑誌を取り出してベッドに寝転がりながら流し読み。

他にもシャワーを浴びたり、髪を梳かしたり、爪を切ったりと、実に退屈そうに紅莉栖は1日を過ごしていた。やがて夕方になり脱ぎ散らかした服を片付けようとベッドから起き上がった途端、枕元に置いてある携帯からメールの受信音が。

膝立ち状態で携帯を取り、受信したメールを開くと。

 

From:岡部 題名:無題

すぐにきてくれ

 

たった1行。それも平仮名のみで書かれたメールが届いていた。紅莉栖は首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべる。が、徐々にその表情は焦りに変わり。心臓が早鐘を打ち始める。

普段の岡部だったら何時もの厨二病混じりのメールか、真面目な話をする際はキチンとした文面のメールを送ってくる。しかし、今回のメールはどちらにも当て嵌まらない。

オマケに題名も無く、全く漢字が使われていない。こんなメールを紅莉栖は初めて受け取った。そして紅莉栖は岡部の身に何かあったのではと直感的に感じた。

大急ぎで片付ける筈だった服を着込み、財布と携帯を懐に仕舞うと部屋を出て、最寄りの駅に向かう。目的地は秋葉原。

御茶ノ水から電車に乗り秋葉原に到着すると、紅莉栖は人混みを掻き分けて全速力でラボに向かう。心臓と肺が悲鳴を上げ、足が今にも縺れそうだが今の紅莉栖はそれしきの事で止まる訳には行かない。

必死の思いで未来ガジェット研究所のあるテナントビルに到着し、重い足を引き摺りながら階段を昇る。途中、何度も階段から落ちそうになるが、やっとの思いでラボの入口に立つと勢い良く扉を開けた。

 

「岡部!!」

 

「うおぉぉ!?」

 

扉を開けると同時に岡部の名を叫ぶ紅莉栖。開けた先の夕焼けに染まる室内では岡部が入口に背を向けながら、紅莉栖の声に驚いて飛び上がる。

紅莉栖は靴を乱暴に脱ぎ捨てると岡部の元に走り寄り、こちらを向いた岡部の胸に飛び込んだ。

 

「岡部!? 何かあったの!?」

 

「あ、いや。その」

 

「体は大丈夫!? もしかして何処か痛いの!?」

 

「いや、だから」

 

紅莉栖は涙を溢れさせながら岡部に縋り付く。当の岡部は何とも困ったような顔をして、気まずい雰囲気を醸し出していた。

尚も畳み掛けるように言葉を浴びせる紅莉栖。困惑する岡部。ふと、紅莉栖が視線を外すと、テーブルの上にはやや小ぶりなケーキが丸々一つ置かれたいた。

純白の生クリームで彩られた円形のスポンジの上には、幾つもの真っ赤な苺と楕円のチョコレートプレートが添えられており、茶色いキャンパスの上にはクリームで「makise chris」と書かれている。

 

「え……」

 

テーブルの上に置かれた、自分の名前が書かれたケーキを見た紅莉栖は涙を浮かべたまま口を半開きにし、呆けた声を漏らす。

ケーキを見られた岡部は額に汗を浮かべ、視線を彷徨わせていた。

 

「これ……、私の?」

 

「あー……。誕生日おめでとう紅莉栖」

 

岡部は誤魔化すように紅莉栖の――彼女の19歳の誕生日を祝福する。次いで白衣の内側に手を入れ何かを掴むと、手を出した。そこには長さ15センチ程の細長い箱が握られている。

箱は赤い包装紙でラッピングされており、中央に結ばれた煌びやかな緑色のリボンが夕陽に染まって輝く。

 

「え……、これ……?」

 

「その……、すまない。あのメールだが、この為に送信したんだ」

 

「この為って……、私の誕生日?」

 

岡部は申し訳なさそうにゆっくりと頷く。自分の言葉が肯定された紅莉栖は数秒間、立ちつくし。やがて、

 

「~っ!! バカ!! 心配したのよ!!」

 

「いや、その。本当にすまない! お前をビックリさせてやろうと思ったんだが、やり過ぎた! 申し訳ない!!」

 

紅莉栖の怒声に岡部は素早く箱を仕舞い、地に平伏し三つ指を付いて見事な土下座を披露する。が、その程度で彼女の怒りが収まるはずもなく、数分間はラボに紅莉栖の罵詈雑言が溢れかえった。

言いたい事を全部吐き出し、喉もカラカラに乾いたのでやっと紅莉栖の罵倒が収まった。罵倒されている間、岡部は一言も反論せずに土下座の姿勢を維持し。紅莉栖の言葉に耐え続けていた。

荒く呼吸し、肩を上下させる紅莉栖。岡部は一先ず罵詈雑言の嵐が止んだ事を確認すると、改めてプレゼントの箱を取り出す。

 

「取り合えず……。これは俺からのプレゼントだ」

 

言うや否や紅莉栖はキッと岡部を睨みつけ、箱を引っ手繰るように乱暴に受け取る。

 

「全く、こんな物で私が簡単に機嫌を直すとでも思ってるの?」

 

口ではそう言いながらも、紅莉栖は丁寧かつ素早くプレゼントの包装を解いて行く。緑のリボンを解き、赤い包装紙を順序良く綺麗に剥がす。

包装が解かれ、中から白い箱が姿を現した。

 

「大体、私はそんな軽い女じゃ……」

 

白い箱の蓋を開けると、中には包装紙のクッションの上に置かれた一本の銀色のフォークが。

それも、ただのフォークでは無く。縁には細かい装飾が施され、何よりも柄の部分に筆記体で「Kurisu Makise」と紅莉栖の名前が掘られている。

自分に送られたプレゼントの中身を知った紅莉栖は、目を見開き瞬きせずにフォークを凝視する。岡部は頬を赤らめ、どこか照れくさそうに赤くなった頬を掻いていた。

 

「これ……何で……。何で私が欲しい物を知ってるの?」

 

「……ふ、フゥーハハハ!! この狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真。ラボメンの欲しい物を見抜くなど造作もないわ!!」

 

遂に耐えられなくなった岡部が、何時もの癖である厨二病を発揮させる。何とも傲慢且つ尊大に振る舞い、身体を反らせて高笑い。

が、何時もならばこの後、延々と岡部の厨二トークが続くのであろうが。今日は事情が違った。更に言葉を続けようと体勢を戻し、再び紅莉栖を視界に納めた所で岡部は言葉が出なくなった。

無理もない、そこには目から再び涙を溢れさせる牧瀬紅莉栖が居たからだ。

 

「お、おい! 何も泣く事は無いだろ!?」

 

「ちが……、違うの。分からないけど……フォークを見たら……涙が止まらなくて……」

 

紅莉栖は袖で涙を拭い。嗚咽を漏らしながらも言葉を紡ぐ。岡部は彼女がまさか泣き出すとは思わず、あっというまに鳳凰院凶真から何時もの岡部倫太郎に戻った。

 

「でも、どうして……。どうして私がマイフォークが欲しいって……」

 

そこまで言って、紅莉栖は言葉を区切った。いや、区切ったのではなく言葉を止めた。同じように涙を拭う袖の動きも止まり、まるで紅莉栖の時間だけが止まってしまったかのように停止する。

目を見開き、どこか呆けた顔になる。見開かれた目は戸惑う岡部を映し、その岡部はどうしたらいいかと慌てていた。

その時の紅莉栖の脳裏には幾つもの光景が、数え切れないほどの光景が濁流の如く次から次へと去来する。

ラジ館での出会い、ラボでの実験、Dメール、タイムリープマシン。文字通り津波のように圧倒的な数の光景が彼女の脳内を埋め尽くしては過ぎ去り、埋め尽くしては過ぎ去って行く。

そして、最後にやってきた光景。ラボのタイムリープマシンの前に座り、数時間前の自分に実験の成功を伝えるべく、岡部に彼女だけが知っている「秘密」を話した。

私が今、欲しいのは――

動く気配を見せない紅莉栖に、岡部はいよいよ救急車を呼ぶべきかと携帯を握り締めた。意を決して11とボタンを押し最後の9を押そうとした所で、か細い声が聞こえた。

 

「違う……。私、岡部に言ったんだ……。この世界の私じゃない私が、岡部に言ったんだっけ……」

 

両手で自身の名が刻まれたフォークを愛おしげに抱き締める紅莉栖。途切れ途切れに言葉を紡ぎ、岡部が何故、自分が欲しい物を知っていたのか。その理由を悟る。

今はもう、決して越える事の出来ない世界線の壁。世界線の数字が変わる度に世界は再構築され、岡部を除いた全ての人々の記憶も世界に合わせて再構築される。

本来ならばある訳が無い、それこそ奇跡でも起きなけれあり得ない事象が、たった今。ここに起きた。

 

「覚えててくれたんだ、私が欲しい物……」

 

岡部は紅莉栖に別の世界線での記憶を呼び起こされる。岡部にとっては能力であり、他者にとっては現象である「リーディングシュタイナー」が発動した事に驚いていた。

本来ならば岡部以外の人間には、別の世界線での記憶は夢やデジャヴ等、非常に曖昧な形で現れ。殆どの人間は気にも留めない。

しかし、今。目の前に居る紅莉栖はハッキリとα世界線での記憶を呼び起こした。

 

「……当たり前だ、俺が忘れる訳ないだろ」

 

紅莉栖のリーディングシュタイナーは確かに驚くべき事だが、少なくとも今の岡部にとっては大したことでは無かった。

今はそんな事よりも大切な事がある。

 

「改めて、誕生日おめでとう。紅莉栖」

 

 

それから10分後。

 

「ん、中々美味しいわね」

 

「結構高かったんだからな、そのケーキ。味わって食べろよ」

 

「わかってるわよ」

 

岡部と紅莉栖はソファーに並んで座り。綺麗に三角形に切られたケーキを小皿に取って頬張っていた。

一口食べるごとにきめ細かなスポンジの柔らかさ、生クリームの舌触りに苺の甘さが口の中に広がる。

岡部はケーキをフォークで食べやすい大きさに切ると、それをフォークで刺し口に運ぶ。

紅莉栖も同じように食べやすい大きさに切り、フォークで口に運んだ。

その右手には彼女がずっと欲しかった物。世界線の壁を越えて、岡部によって紅莉栖に届けられた世界でたった一つの、彼女の名が刻まれたマイフォークが握られていた。

 

 

 



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