ゲゲゲの鬼太郎 アイドルマスター百物語 (鈴神)
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神崎蘭子編
闇に飲まれよ!恐怖のアイドル百物語 ①


「はぁっ……はぁっ……!」

 

 とある大きな建物の中。青白く不気味な光を発する蛍光灯に照らされた廊下の中を、学生服を着た少女が走っていた。ただ只管に、脇目も振らずに走るその表情は必死そのものだった。全ては、背後から迫る、“何か”から逃げ延びるために他ならない――

 

(ど、どうして……なんで、こんなに廊下が長いの……!)

 

 少女――乙倉悠貴が走っている建物は、彼女にとって慣れ親しんだ場所だった。だが、今走っている廊下は、いつも彼女が通っている廊下とは明らかに違う。いくら走っても終わりが見えず、扉も現れない。陸上部所属で足の速い彼女が、死に物狂いで走っているにも関わらず、いつまでも同じ光景が続くばかり。

 自分は一体どこにいるのか。そして何から逃げているのか。自身に起こっている出来事が、まるで理解できなかった。

 

「きゃぁっ……!」

 

 そして、全速力で走り続けること数分。遂に限界が来たのか、悠貴は足をもつれさせて転倒してしまった。早く立ち上がろうにも、疲労と恐怖で身体が上手く動かせない。そうこうしている内に、廊下を照らす青白い光を遮って、巨大な影が悠貴に覆い被さった。

 

「ひっ……!」

 

 ぶるりと震えながら後ろを振り返る。そこにあったのは、廊下を埋め尽くさんばかりに巨大な黒い影――そして、天井付近には、黄色く不気味に光る二つの何かがあった。それを見た瞬間、悠貴は悲鳴すら上げられなくなった。

 

(ど、どうして……動けない……っ!)

 

 声を出せないどころか、身体が全く言うことを聞かなくなり……指一本動かせなくなってしまった。まるで、金縛りに遭ったかのような状態に陥った悠貴に……しかし、影は容赦なく迫る。

 そして――――――

 

 

 

闇に、飲まれよ

 

 

 

「っ…………!」

 

 闇の彼方から響き渡った、人のものとは思えない程の低い声。それを聞いたのと同時に、悠貴の身体は闇の中へと引きずり込まれていった。何の抵抗もできず、声すら発する間もなく……彼女の姿は、その場所から完全に消えたのだ。

彼女が闇の中に消えたその場所には、彼女の荷物であるバッグが転がっているのみ。廊下を照らしていた青白い蛍光灯もいつの間に消え、建物の中は常と変わらない、夜の静寂が戻るのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 芸能プロダクションとして古い歴史を持つ老舗、『美城プロダクション』。映画やドラマの制作、俳優やお笑い芸人、歌手のマネジメントまで、幅広く手掛けているこの大手芸能プロダクションには、歌手部門、俳優部門に続く新部門として『アイドル部門』が三年前に創設された。大アイドル時代の波に乗って急成長を遂げたこのアイドル部門は、今や『765』、『961』、『876』と並ぶ知名度と人気を誇っていた。

 そして、そんな美城プロダクションの社屋のある敷地から離れた場所、都内某所に位置するアイドル専用の女子寮の中。廊下にて、二人の少女が扉に――正確には、扉の奥にいる住人――に向かって、呼び掛けを行っていた。

 

「蘭子ちゃん、出てきなよ!」

 

「皆、あんな噂信じてないからさ!」

 

 返答が一切返ってこない扉に向かって、心配そうに声を掛ける二人は、この女子寮に暮らすアイドル――小日向美穂と、道明寺歌鈴である。そして、二人が今まさに声を掛けている部屋の中にいる人物――神崎蘭子もまた、同じ346プロダクションに所属するアイドルなのだ。

 何度も声を掛けてみたものの、部屋の主たる蘭子の声を聞くことはできず……二人は諦めてその場を後にすることとなった。

 

「どうしよう、美穂ちゃん……蘭子ちゃん、全然返事してくれないよ」

 

「やっぱりあの噂のこと、相当気にしているんじゃないかな……」

 

 美穂と歌鈴が口にしている“噂”とは、ここ最近346プロダクションにおいて発生している――怪異とも呼ぶべき異常な現象によるものだった。

 事の起こりは七日前のこと。蘭子や美穂と同じく346プロ所属の眼帯装着の小悪魔系アイドル、早坂美玲が事務所から女子寮への帰り道で、突如失踪したのだ。この件は直ちに警察に通報され、誘拐のその線で捜査が開始された。

 だが、事態はこれだけでは終わらなかった。

 美玲が失踪した翌日。今度は346プロのドーナツアイドルこと椎名法子が、クッキング番組の収録後、テレビ局の中で失踪したのだ。

 三日目には、蘭子と同じ事務所、シンデレラプロジェクトの人気ユニット『ラブライカ』のメンバーである新田美波とアナスタシアが、都内で行われたライブが終わった直後に失踪。

 四日目には、地方局の元女子アナアイドルこと川島瑞樹が、ラジオの収録を終えて自宅へ帰ろうとしていたところ、ラジオ局内で失踪。

 五日目には、暑がりで天然なパティシエールアイドル、十時愛梨が出演するクッキング番組の収録を行ったテレビ局へ忘れ物を取りに行った際に失踪。

 そして六日目こと昨日、今度は長身で運動神経抜群なスプリンターアイドル、乙倉悠貴が346プロの事務所内で、廊下に荷物を残して失踪したのだ。

 アイドル達が連日、立て続けに姿を消すという、異常極まる事態に346プロは戦慄した。行方不明になったアイドルのことを心配するあまり、仕事が手に付かない者が出たことは勿論、十二歳以下の年少アイドルに関しては安全のために一時活動を休止し、未成年アイドルは午後六時以降の仕事は一切禁止とされ、プロデューサーによる自宅への送迎による安全確保の徹底といった措置が取られた。

 そして、問題はここからである。失踪したアイドルについて、何らかの共通点が無いかと、警察関係者や職員達、そしてアイドル達は思考を巡らせた。そして、アイドル失踪事件発生後四日目、つまり川島瑞樹が失踪した日。警察と事務所は、被害者達にはある共通点があることに気付いた。それは、「失踪した七人全員、最初の失踪事件が発生した日以降、神崎蘭子と何らかの仕事を共にしていた」ということだった。

 同じ頃、346プロにおいて発生した異常事態を嗅ぎつけたマスコミやファンの者達もまた、同様の結論に至っていた。そして、その翌日のこと。ネット上にどこからともなく、ある記事が掲載された。それは――――――

 

 

 

 

堕天使アイドル、神崎蘭子に「闇に飲まれよ!」と言われたアイドル達は、本当に闇に飲まれて消えてしまう

 

 

 

 「闇に飲まれよ!」とは、神崎蘭子が公私を問わず使用している、彼女の挨拶である。世間で俗に言う、中二病を患っている彼女は、旧約聖書や神話に影響を受けた独特の世界を持っており、その言動は過剰に比喩的かつ難解なものが多かった。「闇に飲まれよ!」もその一つであり、これは意訳すると「お疲れさまでした」という挨拶を意味していた。故に、相手を呪ったり貶めるようなニュアンスは一切無く、同じ事務所やファンの間ではお馴染みの台詞とされていた。

 しかし、このような事態が起これば、世間の反応は変わってくる。アイドルの世界には、アイドルを支持するファンに分類される人間だけでなく、アイドルを非難するアンチと呼ばれる者達も同等数存在する。そして、後者のような人間にとって、このような話は恰好のネタ。どれだけ荒唐無稽な話であろうと、ネット上の掲示板等に書き立てるだけ書き立てて世間を騒がせ、一個人を徹底的に攻撃するための道具にしようとする。しかも騒ぎはネット上のみに止まらず、ゴシップ記者等が蘭子のことを『呪われたアイドル』として連日週刊誌に記事として取り上げたのだ。

 そして、このような世間の悪意に晒された末に、蘭子は精神を病んだ末……芸能活動はおろか、部屋から出ることすらできなくなってしまったのだった。

 

「いなくなっちゃった川島さんや愛梨さんも心配だけど、蘭子ちゃんも心配だよ……」

 

「シンデレラプロジェクトの皆や武内プロデューサーも同じだよ。一応、事務所は活動休止を認めてくれているけど……このままだと、アイドルを続けることなんてできないよ」

 

 食堂の椅子に腰かけながら、顔を見合わせて相談する美穂と歌鈴だが、どうすれば蘭子を助けることができるのか、その答えは全く出せない。この場にはいない、蘭子と仲の良いシンデレラプロジェクトのメンバー達も親身になって蘭子を助けるための方策を考えてくれているが、打開策はそうそう出て来ない。せめて同じ寮に暮らす自分達や、事務所の親しい仲間達とだけでも話せるようにできればと考えるが、蘭子は扉越しの呼び掛けや電話、メール等に対して一切応答しようとしない。

 

「美穂に歌鈴、蘭子はどうだい?」

 

「あ、飛鳥ちゃん……」

 

 どうしたものかと思案する二人のもとに現れたのは、色とりどりのエクステを付けた独特のヘアスタイルの少女――二宮飛鳥だった。彼女もまた、346プロ所属のアイドルの一人であり、蘭子の良き理解者の一人でもあった。

 

「全然駄目だよ。いくら呼び掛けても、部屋から出てきてくれない……」

 

「やはり、ネット上の噂や例の記事は、蘭子の精神に相当なダメージを与えていたか……」

 

「蘭子ちゃんは何も悪くないのに……こんなのって酷過ぎるよ!」

 

 ネットやゴシップ記事における蘭子に対する連日の誹謗中傷は、未だに鳴り止まない。アイドルとしての業界歴が短い彼女達も、マスコミやアンチの厳しさはそれなりに理解していたが、今回の騒動には美穂も歌鈴も、勿論飛鳥も憤りを隠せない。

 765プロの歌姫こと如月千早の家族の不幸に関するゴシップ記事と、それに伴う当人の活動休止が記憶に新しいが、ネット上のアンチや報道陣による攻撃は輪をかけて酷い。しかし、それも仕方の無い話なのかもしれない。何せ、現状被害者として目されているのは、いずれも346屈指のアイドル達である。行方不明になれば、大規模な騒動に発展するのは必然だった。そして、彼女達のファンが皆、現在の蘭子のアンチに回っているという事情もあった。

 

「今世間は、蘭子のことを徹底的に攻撃している。神崎蘭子という人間の名前、外見、性格、個性……その全てが否定されている状況だ。このままでは、彼女という存在を確立しているアイデンティティは崩壊の時を迎え……ボク達の世界には戻ってこれなくなるかもしれないな……」

 

「それって……まさか、アイドルに復帰することができないってこと!?」

 

「そんな……!」

 

 蘭子と同類とされる中二病患者に類される飛鳥の言動は回りくどい言い方で分かり難い傾向にある。しかし、蘭子の復帰が危ぶまれているということだけは分かった。美穂も歌鈴も、飛鳥の推測を否定する言葉を探そうとするが、心の底ではありえない話ではないと考えているだけに、何も反論できない。

 

「どうにかならないのかな……?」

 

「蘭子を部屋から出すのは、現状ではまず不可能だ。簡単な話ではないが……やはり、蘭子を苦しめているこの騒動を収束させる以外に方法は無い。騒動の根源たる何者かを討ち取り、囚われた美姫達を解放する……それができたのならば、蘭子の魔眼は復活し、その黒翼で羽ばたけるようになる筈だ」

 

「けど、それって犯人を捕まえるってことだよね。警察も捜査を続けているみたいだけど、手掛かりすら掴めない状況だって話だし……」

 

 飛鳥の言う通り、アイドル達の失踪事件を引き起こした元凶――警察、事務所共に誘拐事件と断定している――を逮捕し、被害者のアイドル達を助け出すことができたのならば、蘭子の謂れの無い濡れ衣を晴らし、蘭子の精神を救うこともでき、万事解決するだろう。だが、推理小説のようにアイドルが警察や探偵の真似事をするなど、現実にはできる筈も無かった。

 

「だから言ったんだ。簡単な話ではない、とな」

 

「けど、このまま放っておくのも……」

 

「まあ、手掛かりが全く無い、ということもない」

 

「何か、犯人を捕まえるための手掛かりを知っているの!?」

 

 何か知っている素振りを見せる飛鳥に、美穂が詰め寄る。対する飛鳥は、手を額に当てて溜息を吐くと、気が進まない様子で話し始めた。

 

「この一連の失踪事件において、被害者は皆、つい最近蘭子に『闇に飲まれよ!』と言われたアイドルだ。つまり、該当する人物を見張っていれば、犯人が姿を現すということだ」

 

「成程………………あれ、そういえば……」

 

「ここにも一人、つい最近蘭子と仕事をしたアイドルがいるじゃないか。しかも、収録中にしっかり挨拶をされたアイドルが、ね」

 

「ふぇぇええっ!?ま、ましゃかしょれって、わちゃし……!!」

 

「歌鈴ちゃん、落ち着いて!噛んじゃってるから!」

 

 飛鳥の推理に顔を青くして怯え始める歌鈴。自分が次の標的にされる可能性があるという衝撃の事実に、いつもの噛み癖が出てしまっていた。

 

「確か、三日ほど前だったか。ラジオの仕事で、『高森藍子のゆるふわタイム』のパーソナリティを、藍子と一緒に『インディゴ・ベル』として期間限定で務めていたが……その最終日のゲストが、蘭子だった筈だぞ」

 

「ふぇぇえええ………………む、無理だよぉっ!私が犯人をちゅかまえるなんてっ!」

 

「あれ?けどそうなると、藍子ちゃんも危ないんじゃ……」

 

「あ、藍子しゃんまでぇええっ!!」

 

「ああっ!だから歌鈴ちゃん、落ち着いて!」

 

 飛鳥が口にする予想に戦慄して恐慌状態に陥る歌鈴。目に涙を浮かべて噛みながら話す彼女を、美穂が必死に宥めていた。

 

「まあ、あくまで予想だ。それに、犯人を待ち伏せできたとしても、相手は七人もの人間を誰にも知られず連れ去る誘拐犯だ。ボク達がまともに相手できる筈が無いだろう」

 

「確かに……けど、警察の人達も、犯人逮捕のために私達の仕事場の周りを警戒してくれているんじゃ……」

 

「今までの事件を鑑みるに、犯人はラジオ局やテレビ局、346プロの事務所といった、防犯体制が万全な建物にすら侵入してのける奴だ。今更、警察の見張りがいたところで、大した障害にはならないだろう。全く……犯人が本当に人間なのか、疑いたくなる程だよ」

 

「そんな……それじゃあ、打つ手無しってことなの?」

 

「ボクとしても悔しいところだが……有効な手段が無いというのが現実だ。まあ、警察も馬鹿じゃない。犯人の次の狙いが、歌鈴か藍子であることあたりは分かっているとは思うが……」

 

 饒舌にその推理力を披露してみせた飛鳥だが、その先を口にすることはなかった。次の標的が分かったとしても、警察が果たして本当に犯人を逮捕できるかは、本当に分からない。口を閉ざした飛鳥の沈黙に、美穂と歌鈴は不安を隠せなかった。

 

 

 

――なら、手紙を出してみたらどうかな?

 

 

 

「「「!?」」」

 

 飛鳥が何気なく口走った言葉。それに対して答えるかのように、美穂でも歌鈴でもない……この場にいなかった筈の、何者かの声が響き渡った。三人は顔を青くしながら、声の聞こえた方へとギ、ギ、ギと機械のように首を動かす。

 そこには、顔の右半分が長い前髪で覆われた、金髪の小柄な少女がいた。少女は三人の方へと顔を向けると、やや俯いたせいで影がかかった口元に笑みを浮かべて見せた。

 

「あはっ」

 

「「わぁぁあああっっ!!」」

 

 突如現れた、幽霊と見紛うような少女が浮かべた笑みに、悲鳴を上げる美穂と歌鈴。先程までホラー染みた話をしていただけに、恐怖も一入だった。揃って目に涙を浮かべながら、互いに抱き合って怯えていた。しかし、飛鳥一人だけは冷静に、

 

「いきなり現れるのはやめてくれないか、小梅」

 

「ごめんなさい……ちょっと驚かそうと思って……」

 

「いくらなんでも不謹慎過ぎるだろう……」

 

 溜息を吐き、呆れたような声で窘められた少女――白坂小梅は、悪ふざけが過ぎたと心の底から反省していた。

 

「もう!帰って来ていたなら、声くらいかけてよ!」

 

「本当だよ!心臓が止まるかと思ったよ!」

 

「ご、ごめん……」

 

 美穂と歌鈴にまで怒られ、ますます縮こまってしまう小梅。その姿に、もう十分だろうと判断した飛鳥が仲裁に入った。

 

「もう良いだろう、美穂に歌鈴。小梅も十分反省しているんだ。それより……手紙を出す、というのはどういうことなんだ?」

 

 先程、小梅が口にした言葉の意味が気になったのか、飛鳥が問い掛ける。対する小梅は、いつもの怪談を語る時のような喜色を浮かべて話しだすのだった。

 

 

 

 

 

「あれが、『妖怪ポスト』だよ」

 

 小梅に案内された三人が訪れた場所は、調布市のとある商店街の中。建物の間に挟まれた狭い路地だった。太陽の光も、電灯の光も差し込まない薄暗いその路地の奥には、やや曲がった木の棒の上に取り付けられた、藁を被せた木製の箱があった。その正面には、A4用紙が入るくらいの口が付いており、成程ポストと呼べるような作りをしていた。

 

「ふむ……確かにポストのようだな」

 

「あ、飛鳥ちゃん……本当に、手紙入れるの?」

 

「その、危ないんじゃないかな……」

 

「勿論だ。そのためにわざわざ、こんな場所まで来たんじゃないか」

 

 飛鳥の手には、一通の封筒が握られていた。中に入っている便箋には、ここ最近346プロにおいて起こっている怪異に関する詳細が記されていた。

 

「小梅の言っていることが本当ならば、警察やボク達ではどうしようもないだろう?ならば、その道のプロに任せるのが筋というものだ」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

「それじゃあ、手紙はボクが入れてこよう。キミ達はここで待っていてくれ」

 

「あ、飛鳥ちゃん……!」

 

「いってらっしゃい……」

 

 美穂の制止を聞かず、飛鳥は裏路地へと入っていった。小梅に至っては、手を振って送り出していた。

 そして、裏路地に入って歩くことしばらく。飛鳥は暗闇の中に佇むポストの前で立ち止まった。手紙を手に、しかし動けず、頬と背中を冷たい汗が伝う感覚に身をぶるりと震わせていた。

 

(成程……確かに、ただの古いポストとは思えないな……)

 

 光の一切差さない暗闇の世界に佇む木製のポストは、近づくたびに異質な存在感を放っているように感じた。『妖怪ポスト』の名前に相応しい、ただそこにあるだけで、ただの路地裏が不安と恐怖を駆り立てる異空間のように感じた。

勇んでこの場所へ来たが、本当に手紙を入れて良いものなのか……今更ながらに不安になる。何か、悪いものを呼び起こしてしまうような……そんな予感がするのだ。

 

(……躊躇っている場合じゃ、ないな)

 

 同じ事務所のアイドルが七人も姿を消し、謂れの無い悪評を立てられて苦しんでいる親友がいるのだ。藁をも掴む思いで来たのだから、ここで立ち止まることは許されないと、飛鳥は思った。意を決し、手紙を持つ手を持ち上げると、目の前のポストの中へとそれを投函した。一仕事やり終えたとばかりにふう、と息を吐くと、飛鳥は踵を返して三人が待つ表通りへと、足早に戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

闇に、飲まれよ――――――

 

「きゃぁぁああっ!」

 

「かな子ちゃん!」

 

 346プロ本社のシンデレラプロジェクトの部屋を突如として襲った、恐るべき怪異。青白い光に照らし出された部屋の中に現れたのは、天井まで届かんばかりの巨大な、人ではない異形の何か。その、沼の水面のように揺らめく漆黒の影の中へと、少女――三村かな子が、悲鳴を上げながら沈んでいく。その光景に、同じユニットのアイドルであるツインテールの少女――緒方智絵里が悲鳴染みた声を上げた。

 

「智絵里、逃げて!早く!!」

 

「あ、杏ちゃん……つ!」

 

 かな子を自身の影の中へと呑み込んだ異形の何かは、今度は近くにいた同じユニットの少女――杏へと狙いを定めて動き出した。それを察した杏は、常の気だるげな彼女の態度からは想像できないような鬼気迫る真剣な表情で、智絵里に叫びかけた。

 

「けど、かな子ちゃんが……杏ちゃんも……」

 

「いいから!早く!!」

 

 自身に逃げるよう促す杏の言葉に逡巡する智絵里に対し、再度大きな声で逃げるように促す。そうこうしている間にも、異形は杏に近づいていく。狙われているのは、杏だけでなく、自身も同様なのだと察知した智絵里は、その恐怖に堪らず走り出した。

 

(早く……早く逃げないと!それで、助けを呼ばないと……!)

 

 得体の知れない怪異に襲われている中、智絵里が考えていたのは、何としてもこの危険から逃げ延び、現在進行形で襲われている友人二人を助けることだけだった。故に、プロジェクトルームを出てから走っている廊下が、いつもより長く、終わりが見えないことに気付くことができなかった。

一心不乱に走る智絵里。だが、かな子と杏を呑み込んだ異形は、その場にいた智絵里のことも逃しはしない。

 

「ひっ……!」

 

 青白い光に照らされた廊下を走る智絵里に、背後から追い掛けてきた異形の影が覆い被さる。思わず、後ろを振り向いた智絵里の視線の先にあったのは、不気味に輝く二つの光源。それを見た途端、智絵里は動けなくなった。そして、

 

 

 

闇に、飲まれよ

 

 

 

「は……っ!」

 

 緒方智絵里は、影に飲み込まれて消えた。三人のアイドルをその影に飲み込んだ異形もまた、その場から姿を消した。そして先程までプロジェクトルームや廊下を照らしていた青白い光も消えた。

 

 

 

あと、三人

 

 

 

 何もかもが消え、闇に包まれた事務所の廊下に、誰に宛てたわけでもない、異形が発した声が、メッセージのように響くのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 飛鳥が妖怪ポストに手紙を投函してから二日後。346プロの自動販売機の前に設置されたベンチに、美穂と歌鈴が座っていた。本日のレッスンやアイドルとしての仕事を全て片付けて落ち合った二人だが、その表情は優れない。

 

「どうしよう……キャンディアイランドの三人に、藍子ちゃんまでいなくなっちゃった……」

 

「歌鈴ちゃん……」

 

 顔を真っ青に染め、絶望の表情を浮かべながら、歌鈴はそう口にした。隣に座る美穂がその手を握って不安を和らげようとするも、効果は無かった。

 飛鳥が小梅に案内され、調布市にあった妖怪ポストに手紙を入れてから、二日が経過した。妖怪ポストに手紙を出した日には、シンデレラプロジェクトの人気ユニット『キャンディアイランド』の三人が一斉に失踪。そして昨日、歌鈴と同じアイドルユニット『インディゴ・ベル』のメンバーである高森藍子が姿を消した。藍子が姿を消した時点で、ここ最近蘭子と仕事をした、或いは事務所等で顔を合わせたアイドルは、大部分が失踪したことになる。そして今、残っている標的は歌鈴のみとなった。

 

「次はきっと、私だ……私も、皆みたいに消えちゃうんだ……!」

 

「だ、大丈夫だよ!私が一緒にいてあげるから!歌鈴ちゃんは、絶対にいなくなったりしないよ!」

 

「うぅ……美穂ちゃん………………」

 

 恐怖に押し潰されそうになっている歌鈴の背中を擦り、大丈夫だと必死に宥める美穂だが、歌鈴の嗚咽は止まらない。だが、無理も無いだろう。十一人ものアイドルが立て続けに姿を消し、次の標的が自分になることはほぼ確実とされているのだ。消えたアイドル達が今どうしているのか……生きているのか、死んでいるのかすら分からないこともまた、恐怖を煽っていた。

 

「今日はもう帰ろう。美味しいもの作ってあげるから、元気出そうよ。ね?」

 

 歌鈴の恐怖を和らげる手段が思い付かず、寮へ帰るよう促す美穂。何もしていないから、悪いことばかり考えてしまうというのもあるのだろう。寮へ戻る帰り道で買い物等していれば、少しは気も紛れるだろうという希望的な考えもあった。

 そんな美穂の必死の思い遣りが、歌鈴にも通じたのだろう。嗚咽で声が出なかったものの、美穂の提案に頷いて賛成してくれた。そうと決まれば、寮まで帰ろう。そう思った時、歌鈴が思い出したように言った。

 

「しまった……スマホをレッスンルームに置いたままにしちゃってた……」

 

「そっか……じゃあ、一緒に取りに行こうか?」

 

 歌鈴の今の精神状態を考えれば、一時たりとも一人にするべきではない。そう考えた美穂は、極力一緒に行動することにした。美穂は歌鈴の手を握り、共にレッスンルームを目指す。

 時刻は既に夕方であり、346プロ社内にいる人間は残業中のプロデューサーや事務員くらいである。アイドル達に至っては、連日の失踪騒ぎにより、プロデューサーの同伴無しで遅くまで残ることは禁止されている。故に、レッスンルームを使用している人間はいなかった。

 

「あ、あった!あったよ、美穂ちゃん!」

 

「早く見つかって良かったよ」

 

 無人のレッスンルームに入った美穂と歌鈴は、すぐにスマホを見つけることができた。アイドルの失踪が相次いでいる今、人気の無い場所に二人だけでいるのは避けたかっただけに、ありがたいことだった。

 

「それじゃあ、帰ろっか」

 

「うん!」

 

 用も済んだことだし、寮へ帰ろうと入口へと二人して向かおうとした――――――その時だった。

 

「え……!?」

 

「何……!?」

 

突如として、レッスンルームの照明が落ちたのだ。辺りが暗闇に包まれ、停電でも起こったのだろうかと不思議に思ったのも束の間。消えたと思った電灯の光が、唐突に灯ったのだ。だが、復旧したわけではない。何故なら、電灯から放たれる光はLEDライトの白色ではなく……不気味な青白い光だったのだから。

 

「な、何が……っ!」

 

 何が起こっているのだろう、と口にしようとした美穂だったが、その先は続かなかった。辺りを見回そうとして、レッスンルームの壁に取り付けられた鏡へと視線を向けた時……美穂と歌鈴は見てしまったのだ。

青白い光の中で佇む、死装束と見紛うような白い着物を纏った、三メートルはあろう大柄な人形の何か。頭からは、背中を覆う程の長い黒髪を垂らしており、その頭頂部には二本の角が生えている。長い髪の間から見える顔は人のものではない真っ青な肌であり、口からは鋭い牙が覗いた、凄まじい形相をしている。まさしく、『鬼女』と形容するのが相応しい、異形……それが、鏡の向こうの、美穂と歌鈴の後ろに立つようにして映っていたのだ。

 驚愕に目を剥いた二人は、揃って後ろを振り返る。するとそこには、鏡に映っていた巨体の鬼女が、確かに佇んでおり……二人が見たものが錯覚の類ではなかったことを示していた。

 

「「きゃぁぁあああああっっ!!」」

 

 青白い光に照らされたレッスンルームの中に、二人の甲高い悲鳴が響き渡る。二人を見下ろしていた巨体の鬼女は、二人が悲鳴を上げるとともに、ゆっくりとにじり寄っていく。両腕を上げ、袖に隠れていた鋭い爪の生えた手を出し、二人に覆い被さろうとしている。それを見た美穂は、隣に立つ歌鈴の手を取って走り出した。

 

「歌鈴ちゃん、早く!」

 

 歌鈴の手を引きながら目指すのは、レッスンルームの出口。とにかく逃げろと、本能が告げるままに、美穂は動きだした。幸い、先の巨体の鬼女の動きは緩慢であり、本気で走れば逃げ切れないこともない。レッスンルームを出て廊下を走り、人がいる場所を目指せば、助かるかもしれない。動き出した後からそう考えた美穂は、出口のドアノブに手を掛ける。だが、

 

「あ、開かない!?」

 

 いくらドアノブを動かしても、扉が開かない。鍵はかかっていない筈なのに、びくともしないのだ。この部屋が青白い光に包まれた現象から、謎の巨体の鬼女の登場をはじめ、訳が分からない事態に見舞われ、美穂はさらに混乱に陥っていく。

 

「美穂ちゃん!」

 

 歌鈴の呼び掛けに後ろを振り向いてみると、そこには先程の鬼女の姿が近づいていた。動きは遅いが、逃げ場が無くては振り切ることなどできない。

 

「歌鈴ちゃん、こっち!」

 

 レッスンルームのドアから廊下へ出ることができないと察した美穂は、迫りくる鬼女から逃れるために、レッスンルームの中を走る。しかし、出口は一つしか無い以上は逃げ切ることなどできず……追い詰められるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「ひぃっ……!」

 

「うぅぅ……っ!」

 

 レッスンルームの隅に追いやられ、身を寄せ合って震える美穂と歌鈴。目の前には巨体の鬼女が両腕を広げて覆いかぶさるように迫っていた。

 

「闇に、飲まれよ……」

 

 鬼女の口から、不気味な声が漏れる。それは、蘭子がいつも挨拶代わりに口にしている、お馴染みの台詞。だが、目の前の鬼女が放った言葉には、呪詛のニュアンスを込めたようなものだった

 

「美穂ちゃん……!」

 

「歌鈴ちゃん……!」

 

 もう終わりだと、互いの名前を呼び合ってきゅっと目を瞑る二人。きっとこの後、姿を消した十一人のアイドルと同じ目に遭わされるに違いない。何が起こるかも分からない恐怖に身を震わせながら覚悟する。

 だが、その時――――――

 

「リモコン下駄!」

 

 美穂と歌鈴と、鬼女以外に誰もいないレッスンルームの中に、少年の声が響き渡った。それと同時に、鬼女の頭部に高速で何かが飛来し、激突したのだ。一体何が起こったのかと、二人して目を開ける美穂と歌鈴だが、何が起こったのかは分からない。後頭部の衝撃によってつんのめる鬼女は、ゆっくりとその怒りともとれる形相を後ろへ向けた。

 その時、鬼女が半身気味で振り返ったことで、美穂と歌鈴は鬼女が立っていた場所の向こう側に誰かがいることを確認できた。小柄な少年で、長髪で左目を隠した特徴的な髪型に、青色の古めかしい、長袖・半ズボンの学童服。その上には黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを纏っていた。足にはこれもまた古い履物で下駄を履いている。

 

(もしかして……!)

 

 その姿を見た美穂と歌鈴は、つい最近小梅から聞かされた、ある噂話を思い出していた。その話の中に出て来る人物(?)に、容姿が瓜二つだったのだ。

 

「何者、だ……?」

 

 鬼女の誰何に対し、レッスンルームの真ん中に立っていた少年は、青白い光に照らされた中を歩いてさらに近寄ると、その顔を露にして答えた。

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ」

 



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闇に飲まれよ!恐怖のアイドル百物語 ②

本編の鬼太郎は、6期の鬼太郎をモデルとしております。
但し、一部過去の鬼太郎の要素が取り込まれております。

※今回の話で出て来る鬼太郎の噂はネタであり、別作品のキャラクターとは一切関わりがありませんので、ご注意ください。


「ゲゲゲの鬼太郎?」

 

 346プロの女子寮の中にある食堂にて、美穂、歌鈴、飛鳥の三人は、つい先ほど帰ってきた小梅から齎された話を聞いて、揃って疑問符を浮かべていた。

 

「『妖怪ポスト』に、手紙を入れるんだよ。すると……どこからともなく、やってきてくれるんだ……」

 

「そうすると…鬼太郎さん?その人が、来てくれるの?」

 

 美穂の問いに対して、小梅はコクリと首肯する。そして、いつものたどたどしさの無い、饒舌な口調で説明を続けた。

 

「人は皆、自分達の目に見える世界が全部だと思ってる。けど、本当は見えてる世界だけじゃない……“見えない世界”もあるんだよ。私達の……すぐそこにね」

 

「ふむ……小梅には、その世界が見えるのかい?」

 

「いつも見えているわけじゃない……けど、すぐ傍にあるのは、感じているよ。それで、その世界には、私達の知らない住人がいるんだよ。人はそれを、こう呼ぶんだ……」

 

 

 

“妖怪”、と――――――

 

 

 

 『妖怪』――その一言に、飛鳥は息を呑んだ。すぐ傍で話を聞いていた美穂と歌鈴に至っては、恐怖に身を寄せ合ってガタガタと震えていた。

 白坂小梅は、普通の人には見えない世界が見えることで有名な、強い霊感を持つアイドルとして知られている。そんな彼女が提唱した、人間ではない犯人像。冷静になって聞けば、ばかばかしいと一笑に付されてもおかしくない話である。しかし、真顔で話す小梅の佇まいには、それを否定させない……否定することができない何かを感じさせた。

 

「小梅は、この一連の騒動を引き起こした犯人が、その『妖怪』であると……そう言いたいのかい?」

 

 飛鳥が平静を装って、しかし頬に冷や汗を垂らしながら問い掛けた言葉に、小梅はまたしても首肯した。美穂と歌鈴は、そのやりとりに「ひっ」と小さな悲鳴を上げていた。

 

「妖怪達は、いつも私達の世界を見ている……そして、その中には悪いものも紛れ込んでいるんだよ。それで、そういった悪いものは、人の心の闇に惹かれて……さらに悪いものを呼び込もうとする。今の蘭子ちゃんを苦しめている人達みたいにね……。けれど、悪い妖怪がいれば、良い妖怪もいる。鬼太郎は、人間を苦しめる妖怪を、退治してくれるんだよ」

 

 小梅の話を聞き終えた飛鳥は、神妙な顔付きで顎に手を当てて考え事を始めた。隣で震えていた美穂と歌鈴も、小梅の話が一通り終わったことで、落ち着きを取り戻したらしい。抱擁を解き、椅子に座り直していた。と、そこで歌鈴が、

 

「そういえば、その話、私も聞いたことあるよ!」

 

 小梅の話を聞いて、何かを思い出したように声を上げ、次いでスマホを取り出して何かを調べ始めた。やがて、目的の記事を見つけたのだろう。画面を飛鳥と美穂に見せてきた。

 

「日本のいろんな場所で知られている都市伝説なんだけどね……私の出身の奈良県とか、京都とかでも結構有名なんだ。不思議な事件が起こった場所に駆け付けてくれて……悪い妖怪を退治してくれる、妖怪の子供の話」

 

 差し出されたスマホには、確かに歌鈴の言う通り都市伝説『ゲゲゲの鬼太郎』に関する記事が掲載されていた。

 曰く、鬼太郎には、目玉だけの父親がいる。

 曰く、鬼太郎は人里離れた『ゲゲゲの森』に住んでいる。

 曰く、鬼太郎の髪は妖怪を察知すると逆立つセンサーであるとともに、針状の髪の毛を機関銃のように無数に飛ばすことができる。

 曰く、鬼太郎は『リモコン下駄』と呼ばれる自在に空を飛ぶ下駄と、『霊毛ちゃんちゃんこ』と呼ばれる変幻自在の万能武器を持っている。

 曰く、鬼太郎は霊力を指先から撃ち放つ、『指鉄砲』と呼ばれる必殺技が使える。

 曰く、鬼太郎には、妖怪の仲間が多数いる。

 

「探してみれば、色々と出て来るものだね。『妖怪ポスト』のことも載ってるね」

 

「ああ。尤も、都市伝説とはいっても古いもののようだが……」

 

 歌鈴にスマホを返し、美穂と飛鳥も自身のスマホで情報確認を開始する。『ゲゲゲの鬼太郎』で検索すると、多種多様な情報が出てきた。

 

「必殺技『指鉄砲』の威力は、対物狙撃銃『PGMヘカートⅡ』のに匹敵するって……えらく具体的な説明だな……」

 

「ガセネタもたくさんあるね。戦闘力53万の宇宙の帝王を倒したことがあるって……絶対嘘だよね」

 

「こっちには、カビの妖怪の手下を多数率いる、ばい菌の妖怪と戦いを繰り広げたって載ってる。しかも、美穂ちゃんが見つけた記事と関連付けて、そっちの戦闘力53万の宇宙の帝王と、こっちのばい菌の妖怪は同じ声だとか」

 

「他にもあるぞ。トランプの数字に見立てて殺人を起こしたソムリエの逮捕に一役買ったとか……。しかも、この犯人も宇宙の帝王とばい菌の妖怪と声が同じと書いてあるな……」

 

「『リモコン下駄』と『霊毛ちゃんちゃんこ』の他にも、色々と道具を持っていると書いてあるね。『オカリナ鞭』に『妖怪自動車』、『地獄の鍵』、『蝶ネクタイ型変声器』、『キック力増強シューズ』、『時計型麻酔銃』……後半のものはどう考えてもおかしいんじゃないかな?」

 

「鬼太郎の仲間の一覧も載っているな。『猫娘』、『砂かけ婆』、『子泣き爺』、『一反もめん』、『ぬりかべ』、『ねずみ男』、『首無しライダー』……なんか、余計なものが混ざってないかな?」

 

 都市伝説らしいと言えばらしいのか。胡散臭いことこの上ない情報が多数掲載されていた。だが、そんな馬鹿馬鹿しい情報を読む中で、美穂と歌鈴の恐怖も幾分かは和らいだようだった。

 

「成程な……確かに、小梅の言う通り、一連の出来事が妖怪の仕業とするならば、ボク達では本当に手も足も出ないな……何せ、居場所はおろか、姿形も見えないわけだからな」

 

「あ、飛鳥ちゃん……小梅ちゃんの話、本気で信じるの?」

 

アイドル達の失踪事件が妖怪の仕業であるという、荒唐無稽な話を聞かされた飛鳥は、それを否定するようなことはしなかった。美穂と歌鈴は、どちらかと言えば信じていない……否、信じたくなかったと言った方が正しい。

 

「事実は小説よりも奇なりと言うじゃないか。絶対にあり得ないとは、ボクは思わない。それで、鬼太郎に妖怪退治を依頼するには、『妖怪ポスト』とやらに手紙を入れる必要があるということだったな。それじゃあ、ボクが手紙を書こう。小梅、ポストの場所まで案内してくれるかい?」

 

 斯くして、飛鳥によってゲゲゲの鬼太郎宛ての手紙が書かれ、妖怪ポストへ投函されることとなった。飛鳥とて、鬼太郎の存在を百パーセント信じたというわけではない。しかし、コンマ以下の可能性しかない馬鹿馬鹿しい話だとしても、蘭子の今置かれた状況を変える可能性があるのならば、それに賭けるほかにない。そんな、親友を思いやる心が、飛鳥を突き動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ」

 

 青白い光に照らされたレッスンルームに現れたのは、『ゲゲゲの鬼太郎』を名乗る一人の少年。この異常な状況下で現れた上、その恰好は先日スマホで調べた情報そのままである。美穂と歌鈴は、目の前の鬼女と相対している少年が、正真正銘の『ゲゲゲの鬼太郎』であることを疑わなかった。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……そうか、貴様が……」

 

「ボクの名前を知っているようだな。その二人を解放してもらうぞ」

 

「断る……!」

 

 鬼太郎の要求を跳ねのけた鬼女。それと同時に、鬼女の周囲に六つの火の玉が発生する。『鬼火』と形容するのが相応しい、不気味に揺れる青白い炎が宙に浮遊しているのだ。そして、鬼女が右手を広げ、鬼太郎の方へと突き出す。途端、炎は鬼女の意思を受けたように鬼太郎目掛けて殺到した。

 

「くっ……!」

 

 迫りくる鬼火を回避する鬼太郎だが、鬼火は鬼太郎が避けると空中で旋回して鬼太郎を再び襲う。六方向から立て続けに飛来する鬼火は、鬼太郎に反撃の隙を一切与えない。

 

「リモコン下駄!!」

 

 だが、自在に飛来する飛び道具ならば、鬼太郎も持っている。鬼火をジャンプして避けるとともに、両足に履いた『リモコン下駄』を飛ばし、空中の鬼太郎を下方から襲う鬼火二つを衝突と共に消滅させる。次いで、着地した鬼太郎を両サイドから挟撃する鬼火二つもまた、ブーメランのように空中で旋回したリモコン下駄に掻き消された。

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 そして、リモコン下駄による迎撃の間隙を突いて襲ってきた残り二つの鬼火は、黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこ――『霊毛ちゃんちゃんこ』を振り翳して弾き返す。鬼太郎が着用している霊毛ちゃんちゃんこには、妖怪の力たる妖力を吸収する力がある。鬼火もまた、妖力で作られたものだったのだろう。ちゃんちゃんこに弾かれただけで簡単に掻き消えてしまった。

 

「次はお前だ!」

 

 鬼火全てを消し去った鬼太郎は、続いてアイドル達を襲っていた鬼女の妖怪に狙いを定める。鬼火を掻き消した霊毛ちゃんちゃんこを、今度は鬼女目掛けて投げつける。霊力を吸収する霊毛ちゃんちゃんこは伸縮自在であり、これで包み込んだ妖怪の妖力を絞り出して圧縮、消滅させる力がある。ちゃんちゃんこは並大抵の妖怪では破ることができない強度であり、対妖怪戦の決め手となったことも少なくない。

 これまでの妖怪がそうであったように、この鬼女の妖怪もまた、ちゃんちゃんこに包まれて消滅すると、鬼太郎はそう信じて疑わなかった。だが、

 

「なっ……!?」

 

 鬼太郎が放ったちゃんちゃんこは、鬼女の身体を包み込もうと広がったが……鬼女の身体を覆い尽くすことはできず、鬼女の身体をすり抜けたのだ。何かに触れた手応えが全く無く、空気か幻を捕らえようとしているかのようだった。

 

「愚かな……」

 

「っ!」

 

 ちゃんちゃんこを無効化した鬼女は、鬼太郎へと向けて右手を翳した。その周囲には、先程と同じく鬼火が六つ、発生して浮遊している。対する鬼太郎は、鬼女の身体をすり抜けてしまったちゃんちゃんこを呼び戻し、再び行われる鬼火攻撃に身構えた。

 その後、一触即発の睨み合いがいつまでも続くと思われていた、睨み合いは……しかし、思わぬことがきっかけとなって終わった。

 

「今の内に逃げよう、歌鈴ちゃん!」

 

「えっ……う、うん!」

 

 鬼太郎と鬼女が戦っている隙に、美穂と歌鈴が戦いの余波が来ない、安全な場所への避難を試み……一気に走り出した。それを引き金に、鬼女は鬼太郎目掛けて六個の鬼火を一斉に繰り出した。

 

「食らえ……!」

 

「同じ手を食らうか!」

 

 再度飛来する鬼火に対し、鬼太郎はちゃんちゃんこを振り回してこれを掻き消しにかかる。だが、鬼女の狙いは鬼火による不意打ちではなかった。

 

「貴様は、逃がさない……」

 

 鬼女が空いていた左手を歌鈴の方へと翳す。すると、袖口から左腕が伸長し、空中を蛇のようにうねりながら、歌鈴へと襲い掛かったのだ。

 

「ひっ……きゃぁあああ!!」

 

「歌鈴ちゃん!!」

 

 伸長した鬼女の左腕が、歌鈴の腕をがっちりと万力のような力で掴む。そして、一気に収縮して歌鈴を鬼女の元へと引き寄せたのだ。

 

「しまった!髪の毛針!」

 

 鬼火を囮に標的である歌鈴を狙うという手口に嵌められたと察した時には、既に時遅し。歌鈴は鬼女の足元まで引き寄せられてしまっていた。このままでは、歌鈴が危ない。そう悟った鬼太郎は、鬼女の身体に向けて、鋼のように高質化した髪の毛を機関銃のように放つ『髪の毛針』を発射した。

 だが、先程のちゃんちゃんこと同様、髪の毛針も鬼女の身体をすり抜け、その向こう側にある鏡に突き刺さり、罅を発生させるのみだった。だが、

 

「ぐぐ……っ!」

 

「効いてる……!?」

 

 鬼女の身体をすり抜けるばかりだった髪の毛針の内の数本が、鬼女の左上での二の腕や肩のあたりに突き刺さったのだ。鬼女も苦痛を感じたらしく、軽く呻いていた。だが、ダメージを与えたといっても致命傷には程遠く、鬼太郎を一度睨みつけると、その視線を足元に倒れ伏している歌鈴へと戻した。

 

「ひっ……!」

 

「闇に、飲まれよ……!」

 

 鬼女に睨まれ、悲鳴を発して怯える歌鈴に向けて放たれたのは、死刑宣告にも等しい言葉。それを唱えた途端、鬼女の足元の影がぶるりと震え、歌鈴が倒れた場所へと広がった。

 

「きゃぁぁああああああ!!」

 

「歌鈴ちゃん!!歌鈴ちゃんっ!!」

 

 歌鈴の倒れているあたりの床へと広がった影が、水面のように震えた。そして次の瞬間、影が覆った場所の床だけがどろりと粘着質に流動し、歌鈴の身体はその中へと沈んでいった。

 沼と化した影から這い出ようと必死に身体を動かし、自身の名前を呼ぶ美穂の方へと手を伸ばそうとした歌鈴だったが、もがけばもがく程に沈む沼地のような影から脱出することは叶わず、その悲鳴ごと闇の底へと沈んでいった。

 

「そんな……歌鈴ちゃん……」

 

 歌鈴が消えた後に残されたのは、床に膝をついて絶望の表情を浮かべる美穂と、臨戦態勢の鬼太郎、そして歌鈴を影の中へと飲み込んだ鬼女のみ。鬼太郎は鬼女へ再び仕掛けようとしている様子だったが、鬼女にはこれ以上戦闘を続ける意思は無かったらしい。両腕をだらりと下げると、ただ一言口にした。

 

「あと、一人………………」

 

「何……?」

 

「えっ……?」

 

 揃って疑問符を浮かべる鬼太郎と美穂だったが、鬼女はそれに答えることは無かった。そして次の瞬間、レッスンルームの青白い照明は一斉に消えた。やがて電気が復旧し、今度は鬼女が現れる前の、白色の光に照らされたいつものレッスンルームへと戻るのだった。

 室内の景色が戻ったことで、先程起こったことは夢だったのでは、と疑いたくなる美穂だったが、そうはいかない。髪の毛針によって罅だらけになった壁の鏡が、先程の鬼太郎と鬼女の攻防が決して夢ではなかったことを物語っていた。

 

「大丈夫かい?」

 

「あ……」

 

 現実を受け入れられず、床にへたり込んで呆けていた美穂に声を掛けたのは、鬼太郎だった。美穂は差し伸べられた手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 

「あの……助けてくれて、ありがとうございます」

 

「気にすることは無い。それに……結局、君の友達は助けられなかった」

 

「……けど、私は助かりました。だから、お礼を言わせてください」

 

 正直に言えば、どうして歌鈴を助けてくれなかったのか、という気持ちも少なからずあった。しかし同時に、自分達ではどうしようもない場面に駆け付け、戦ってくれた鬼太郎を責めるのはお門違いだということも理解してもいた。故に、鬼太郎には感謝を述べられたのだった。

 

「あの……私達の危機を知って、駆け付けてきてくれたんですか?」

 

「いや、僕は手紙の差出人に会いに来たんだ。そこで、君達が襲われているところに遭遇したというわけだ」

 

「手紙の差出人……もしかして、飛鳥ちゃんのことですか!?」

 

「知っているのかい?」

 

 手紙の差出人に会いに来たというのならば、話は早い。飛鳥のもとへ案内して、歌鈴が攫われた今日の出来事も含めて相談して情報共有すれば良い。そう考えた美穂は、鬼太郎を女子寮へ案内することに決めた。

 

「私達の女子寮にいます。案内しますので、一緒に来てくれますか?」

 

「おお!それは助かる!」

 

「……へ?」

 

 美穂の提案に対して反応したのは、しかし鬼太郎ではなかった。鬼太郎以外の誰かの声が聞こえたことで、美穂は狼狽えだした。一体、今の声は誰なのか、どこから出たのか……きょろきょろと辺りを見回すも、声の主は見つからない。

 

「ここじゃよ」

 

「え?……ひゃぁぁあっ!」

 

 そんな美穂を見かねたのか……声の主が姿を現した。鬼太郎の髪の毛を掻き分け、ひょっこりと頭を出したのは、目玉だけの異形。明らかに虫や小動物ではないその姿に、美穂は驚いて悲鳴を上げてしまった。

 

「あ!……も、もしかして……鬼太郎さんのお父さんの、『目玉おやじ』さん、ですか?」

 

 初めて見て驚きを露にした美穂だが、目玉だけの異形の存在について、美穂はネット上で見つけた目玉おやじそのものであることを思い出した。美穂の問いに対し、鬼太郎と目玉おやじは意外そうな表情を浮かべた。

 

「おお、わしのことも知っておったようじゃな!」

 

「あ、はい。つい最近、ネットであなた達のことを調べて知りました、鬼太郎さんには、目玉だけのお父さんがいると」

 

「その通り、わしは鬼太郎の父親の、目玉のおやじじゃ。それにしても、ネットというものは便利じゃのう……わし等のことも載っておるとはな」

 

 美穂からその詳細を聞き、目玉おやじは文明の利器の利便性について感心していたようだった。尤も、鬼太郎達に関しては真実の情報だけでなく、明らかに根拠に欠けるガセネタも多分に含まれていたのだが、話が長くなるので、その件については控えることにした。

 

「それより、女子寮に案内します。手紙の差出人の飛鳥ちゃんもそこに呼んで、今回の事件について話したいと思うんですが……良い、のかな?」

 

「僕としては、この事務所で起こっているという、アイドルの失踪事件に関して詳しい話が聞きたい。それから、事情を知っている差出人だけでなく、手紙に書いてあった神崎蘭子という子にも会わせて欲しい」

 

「えっと……蘭子ちゃんも、ですか?」

 

 手紙に書いてあった事件の詳細を知りたいと言う鬼太郎の申し出は尤もなものである。そして、そのためには騒動の渦中にいる蘭子にも話を聞くのは当然のことである。だが、蘭子は現在、精神を病んで部屋に引き篭もっている。美穂と歌鈴の呼びかけにも聞く耳を持たず、会話も儘ならない状態なのだ。

 加えて言えば、蘭子はホラーが大の苦手なのだ。本物の妖怪である鬼太郎に会わせようものならば、パニックを起こすことは必定である。

 

「どうかしたのかい?」

 

 一体どうしたものかと言い淀んでいる美穂に対し、鬼太郎が不思議そうに問い掛けた。どう説明したものかと考えた美穂だったが、事件を解決に導いて貰う以上、要求を断ることはできない。何より、蘭子抜きでは話が進まない。

 やむを得ないと判断した美穂は、鬼太郎に話すことにした。

 

「えっと、実は………………」

 

 

 

 

 

 

 

 346プロの女子寮にある自室の中、部屋の住人である蘭子は、ベッドの上で膝を抱いて蹲っていた。世間を騒がせているアイドルの連続失踪事件について、マスコミやアンチが、自身の呪いが原因だと騒ぎ出してから五日間……蘭子は部屋に籠もり、外部との関わりの一切を断っていた。

 

(どうして、こんなことになっちゃんだろう……)

 

 旧約聖書や神話の……空想の世界を夢見ることが、蘭子は昔から好きだった。堕天使の生まれ変わりを名乗っていたのも、現実には存在しない自分だけの世界を夢見て、もっと近くに感じていたいと……そう思っていたからだった。家族や周囲からは、『中二病』と呆れられ、疎まれていたが、それでも蘭子は構わなかった。自分が描くこの世界を捨てるくらいならば、周囲に理解されなくても構わなかった。

 しかし、蘭子とて人間嫌いなわけではなく……周囲との関係を断つことを望んでいたわけではない。同じ世界を共有できる……友達になれる相手がいるならば、欲しいと思ったことも何度かあった。何より、自分の夢見ている世界を、自分以外の誰かにも伝えたいと思っていた。アイドルのオーディションを受けようと思ったのも、それが理由だった。歌、ダンス、ファッション、トーク……アイドルが持ち得る全てをもって、自分の夢見る世界を表現して多くの人を魅せる。それが、蘭子の目指す堕天使アイドルの姿だった。

 勿論、不安もあった。デビューしたとしても、ファンなど一人もできず……観客や同じ事務所のアイドルからも理解されることなく、嘲笑の的として疎まれて終わる。そんな未来が、幾度も脳裏を過った。しかし、それらの不安は全て杞憂に終わった。デビュー前から所属していたシンデレラプロジェクトのメンバー達とプロデューサーは、自分を受け入れ、理解しようと真摯に向き合ってくれた。その後のデビューも順調に進み、ファンも大勢増えて、他のアイドルとのユニットも上手くいった。それら数々の成功は、蘭子の堕天使としてのキャラが大衆に受けただけでなく、仲間やプロデューサーに恵まれていたお陰だと、蘭子は心の底から感じていた。だからこそ、蘭子は346随一の強烈なキャラであると同時に、仲間を大事にすることを何より重視していた。

 そして、だからこそ蘭子にとってここ最近発生した騒動はショックだった。マスコミやアンチから『呪われたアイドル』と罵られることは勿論だが、自分の所為で他のアイドルが失踪し……酷い目に遭っているかもしれないのだ。自身のアイドル生命の存続が問われている中だが、蘭子にとっては失踪したアイドル達のことの方が心配だった。

 

(私は……アイドルになっちゃいけなかったのかな……)

 

 目の前の壁にかけられた愛用のゴスロリ服と、デスクの上に置かれたスケッチブック――蘭子曰く、グリモワール――を見ながら、蘭子はそのようなことを考えていた。アイドルの失踪事件が自分の所為であると世間で騒がれて以降、お気に入りだったこの服を着ることはなく、大好きだった絵を描くこともしなくなっていた――否、できなくなっていた。

 次々にアイドル達が自分の所為で――世間はそう決めつけている――失踪している現実を前に、蘭子にはこれ以上アイドルを続ける自信が持てなかった。これ以上、事務所やそこに所属する仲間達に迷惑を掛けないためには、アイドルを辞めて熊本の実家へ帰ることが一番なのかもしれない。そんな考えが蘭子の頭の中に浮かんでいた。

 すると、その時だった――――――

 

「っ!……何?」

 

 カーテンが掛けられた部屋の窓を、バン、バン、と叩く音が聞こえてきたのだ。346女子寮にある蘭子の部屋は、二階にある上、ベランダも無い。故に、誰かが立っていられるはずが無いのだ。一体、窓の向こうに誰がいるのか……。周囲との関係を断って引き篭もっており、助けを求めることができない以上、部屋の主である蘭子が確認するほかない。もしものための護身用の武器として、愛用の日傘を手に持ち、恐る恐る近づいていった。

 

「……」

 

 ゴクリと唾を呑み込み、カーテンを勢いよく開く。すると、そこには――――――

 

 

 

「うわぁ~、聞いてた以上の可愛い子ちゃんやね!」

 

 

 

 白い布状の何かが窓の向こう側でひらひらと浮遊し、青い二つの目で蘭子を見ながら、ナンパ口調で声を掛けてきた。

 

「きゃぁぁぁあああああ!!お化けぇぇえええ!!」

 

 窓の外にいる、『お化け』としか形容できない白い何かを目にした蘭子は、手に持っていた日傘を放り出し、目に涙を浮かべながら部屋の扉へと駆け出した。元々、幽霊をはじめとしたホラーが大の苦手の蘭子である。堪らず、引き篭もりを解いて部屋の扉を開け放ってしまった。

するとそこには、同じ女子寮に暮らす美穂と飛鳥と小梅、それから蘭子にとって見知らぬ少年――鬼太郎がいた。

 

「た、たた、助けて飛鳥ちゃん!そそそ、外にお化けがぁあああっっ!!」

 

 恐怖のあまり立ち上がることも儘ならなくなった蘭子は、近くにいた飛鳥に縋りついた。飛鳥は蘭子を抱きしめながら、よしよしと頭を撫でて落ち着くように促していた。

 

「出てきたみたいだな」

 

「いくら引き篭もっていて話ができなかったとはいえ、方法が乱暴じゃないかな……?」

 

「私も、少しやり過ぎだと思う……」

 

「まあ、仕方あるまい。事態は急を要するからな」

 

 怯える蘭子の姿を見て、同情の声を漏らす美穂と小梅だが、蘭子を引きずり出すためのこの策略を仕組んだ張本人である鬼太郎は、問題とは思っていないらしい。

 

「えっと……飛鳥ちゃん、この人は……?」

 

「ああ、この少年は――」

 

「君が神崎蘭子ちゃんじゃな。色々と詳しく話を聞かせてくれんかね?」

 

 飛鳥が説明するよりも早く、鬼太郎の髪の毛の間から目玉おやじが姿を出し、蘭子に声を掛ける。対する蘭子は、目玉に人の身体が付いた異形を見た途端、急激に顔を青く染めた。そして、

 

「きゃぁぁぁあああああっっ!!」

 

 夕暮れの346プロ女子寮に、蘭子の悲鳴が再度響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「全く……そこまで驚かんでも、良いではないか」

 

「いや、驚くなっていう方が、無理があると思いますよ?」

 

「全くだ。蘭子を部屋から出すための作戦といい、君達親子は、もう少し人間に対する思いやりというものを持つべきなんじゃないか?」

 

「……事件を早急に解決するためには、多少強引でもこれが一番だと思っただけだ」

 

 事件の渦中にいる蘭子が部屋に引き篭もって外に出て来ないと聞かされた鬼太郎が取った手段。それは、仲間の妖怪である一反もめんを呼び出し、蘭子の部屋の窓に張り付かせて驚かすというものだった。元々幽霊の類が苦手な蘭子には効果覿面で、見事に作戦は成功、蘭子はこうして部屋の中から出てきたのだった。

 しかし、美穂と飛鳥の言うように、妖怪慣れしていない人間に対する配慮に欠いていたことは否めない。ぶっきらぼうに答える鬼太郎も、蘭子の怯える姿を見て、確かに少しやり過ぎたのかもしれないと内心で反省していた。

 

「いやぁ~、改めて見るとやっぱり別嬪さんやね~!蘭子ちゃん、肌白くてすべすべ~……」

 

「ひぃぃいいいっ……!」

 

「それ以上は駄目。蘭子ちゃん、怖がってる」

 

 346プロ女子寮の食堂の話し合いの席に同席していた一反もめんが蘭子に言い寄るものの、小梅が間に入って接近を防ぐ。そんな、可愛い子を見るとついつい声を掛けてしまうナンパ癖のある一反もめんの様子を、鬼太郎と目玉おやじ、そして美穂と飛鳥は呆れた様子で見ているのだった。

 

「いい加減にしろ、一反もめん。早く話し合いを始めるぞ」

 

 咳払いをして一反もめんに自重するよう注意すると、鬼太郎は話し合いの開始を宣言する。それに応じて、全員の面持ちが真剣なものに変わった。

 346プロ女子寮にいるアイドルは、今現在は蘭子、飛鳥、美穂、小梅の四人しかいないが、いつ他のアイドルが帰ってくるか分からない。寮住まいのアイドル達のスケジュールについては既に確認しており、今日中に寮へ帰ってくるアイドルがいないことは確認済みである。だが、アイドルのスケジュールというものは、いつ何が起こるか分からない、非常に流動的なものである。妖怪が三名もいるこの場を見られれば、非常に面倒な事態に陥ることは間違いないので、注意が必要である。

 

「それじゃあ、聞かせてもらいたいんだが……ここ最近、アイドル達が失踪しているのは、やはり妖怪の仕業だったのか?」

 

「その通りじゃ」

 

 確認するように問い掛けてきた飛鳥に答えたのは、鬼太郎の手の平の上に立っている目玉おやじだった。目玉おやじが喋る度に、蘭子が小梅にしがみ付いてビクついているものの、最早誰も気にすることは無かった。

 

「あれは妖怪『青行燈』。百物語の最後に現れる妖怪じゃ」

 

「百物語?」

 

「日本の怪談話、だったな。確か、新月の夜に火を灯した蝋燭を百本並べて、話が一つ終わる度に一本ずつ消していく形式のものだったか?」

 

「百物語は、その名前の通り、百話まで怪談を話すものなんだ。だけど、百話まで語り終えて蝋燭を全部消した時……本物の『怪異』が現れちゃうって言われているんだ。だから、実際にやる時には九十九話までで終わらせるのが普通なんだよね」

 

 聞き慣れない単語に首を傾げる美穂だったが、中二病でその手の知識に通じていたのであろう飛鳥は、ある程度知っていたらしい。それに続き、小梅がさらに詳しい説明をした。

 そんな小梅の話を聞いた目玉おやじは、関心している様子だった。

 

「小梅ちゃんと言ったか。最近の子供にしては、よく知っておるのう」

 

「そういう話、大好きだから……」

 

「フムフム……最近の若い子は、妖怪のことなどまるで信じておらんからのう。小梅ちゃんのような子は、わし等としても歓迎じゃ」

 

「ゴホンッ……話を戻しても良いですか、父さん?」

 

 話が脱線し始めたため、軌道修正のために鬼太郎が再度咳払いして目玉おやじに話の先を促した。

 

「おっと、すまんすまん。それで、百物語が九十九話で終わらせることが一般的とされる理由が、『青行燈』の存在なのじゃ。奴は普段、霊界と呼ばれる現世と隣り合う別の世界に潜んでおるのじゃが、百物語が最後まで語られた時、百話目の怪異を齎すために姿を現すのじゃ」

 

「それで、そいつがアイドルの皆を攫ったということなのか?」

 

「けど、何でアイドルを……それも、蘭子ちゃんに「闇に飲まれよ!」って言われた人を狙っているのかな?百物語なんて、蘭子ちゃんは絶対にやらないし……」

 

 一連のアイドル失踪事件を引き起こしている妖怪の正体は分かったが、その目的は分からない。第一、蘭子との接点があるとは思えない。一体、どのような理由があって青行燈は特定のアイドルを狙っているのか……。

 

「多分、これが原因じゃないかな?」

 

 誰もが疑問に思うその答えを出したのは、小梅だった。手に持ったスマホを操作すると、その画面を鬼太郎と目玉おやじに見せてきた。

 

「なになに……『アイドル百物語』、じゃと?」

 

「ネット上の掲示板で、アイドルに纏わる怪談を紹介し合うためのサイトだよ」

 

「なんと!」

 

 小梅が紹介してくれた『アイドル百物語』と称される掲示板を確認し、驚きの声を上げる目玉おやじ。掲示板には、小梅が言ったように確かにアイドルに纏わる様々な怪談や不思議話、因縁話が掲載されていた。

 主だったものとしては、『765プロの四条貴音は月から来た姫君である』、『876プロの秋月涼は影を自在に操る人造人間である』、『白坂小梅は幽霊族の末裔である』等々……。ファンの間で噂されている有名な話から、根も葉もない話まで様々である。

 そして、一番目の話から順々に見ていくと……今回の騒動に深く関連した記事を見つけることができた。

 

「『346プロの堕天使アイドル、神崎蘭子は闇よりの使者である』……これですね、父さん」

 

「ウム、間違いないだろう」

 

 それは、百物語の最後に掲載された百番目の話だった。その内容は、今まさに346プロで発生している出来事をそのまま文章にしたようなものだった。

 

「神崎蘭子の堕天使としての姿は仮初のもの。その正体は、魔王復活のための儀式に必要な十三人の生贄を選定するための闇の使者。アイドル活動を行う中で、相応しい生贄となる美姫を選定し、「闇に飲まれよ!」という宣言のもと闇の中へと生贄を取り込んでいく……まさに今起こっていることそのものだな」

 

「青行燈は、この話を媒体にして霊界から現世に現れたとみて間違いあるまい。生贄となるアイドル達を攫っているのは、恐らく自身が『魔王』として現世に降臨するためじゃろう」

 

「この掲示板が作られて、百話目までの話が終わったのは、十日前の新月の夜……つまり、最初にアイドルが失踪した日の前日だ。時期も条件も一致しているから、まず間違いないな」

 

 目玉おやじの推測に、小梅を除くアイドル達三人は戦慄した。しかし、無理も無い話である。連日相次いで失踪したアイドル達が、妖怪の生贄のために攫われたと聞かされたのだ。十二人もの攫われた仲間達が、一体今どんな目に遭っているのか……想像するだけでも恐ろしい。

 そんなアイドル達の心情を知らずか……鬼太郎がこんな疑問を口にした。

 

「そもそも、なんでアイドルが「闇に飲まれよ!」なんて物騒なことを言っているんだ?」

 

 しかも、記事を見る限りでは日常的に言っているではないか、と付け加えながら問い掛けた鬼太郎に対し、飛鳥は得意げな表情で、美穂は説明に困ったような表情を浮かべながら口を開き、説明を始めた。

 

「神崎蘭子とは、この世界の現世を生きる偶像(アイドル)としての仮初の姿。真なる姿は、天井の楽園を追放された、漆黒の翼を纏いし戦女神(ブリュンヒルデ)なのさ」

 

「えっと……説明しにくいんですが、蘭子ちゃんは前世が堕天使っていう設定のアイドルでして……その関係上、喋り方とかもかなり独特なんです。「闇に飲まれよ!」っていうのもその一つで、本当は「お疲れ様です」っていう意味なんです。別に、他意とかそういうのは無くて……」

 

 公式では『蘭子語』と称されるそれは、ファンの間では『熊本弁』に分類されているが、同郷の美穂にも蘭子の話す言葉は理解するのが困難だった。アイドルについての知識に乏しいであろう鬼太郎に、キャラクター等の事情を説明するのは難しいため、美穂は「闇に飲まれよ!」の正確な意味については説明することだけで精一杯だった。

 そんな美穂に対し、鬼太郎は……

 

「ああ、成程。要するに、『中二病』というやつか」

 

「へっ!?……鬼太郎さん、『中二病』って何か知っているんですか?」

 

 鬼太郎の口から出るとは予想だにしなかったまさかの単語に、美穂は勿論、飛鳥と小梅、そして当の蘭子も驚いた様子だった。

 

「うむ。昨今、人間界で問題となっておる、中学二年生を中心に流行しておるという精神的な病の一種じゃろう?自分を勇者や魔王と思い込み、漫画やアニメの登場人物を真似た言動を取ると聞いておる」

 

「何故そのような行動に走るのか、妖怪の僕等には全く分からないがな。人間というものは、本当に不思議な存在だ……」

 

 地球上で最も不思議な存在であろう妖怪に『不思議』と言われてしまう中二病患者とは、一体どのようなものなのか。美穂には『中二病』というものがますます分からなくなってしまった。ともあれ、今は蘭子の中二病的な言動よりも重要なことがある。

 

「問題は、どうやって青行燈に攫われたアイドルを助け出すかだ」

 

「奴は、蘭子ちゃんに「闇に飲まれよ!」と言われたアイドルを狙っておる。つまり、標的になるアイドルのもとへ先回りすれば、先手を打てる筈じゃ」

 

「成程……今までに消えたアイドルは、今日攫われた歌鈴を含めて十二人。残りは一人だが……。蘭子、心当たりはあるか?恐らく狙いは、百物語が語り終えた翌日の九日前以降に蘭子と接触したアイドルだ」

 

 目玉おやじの先回り作戦に同意した飛鳥は、蘭子にここ最近顔を合わせたアイドルについて確認を取る。だが、蘭子は首を横に振った。

 

「九日前から会ったアイドルは……今までいなくなった十二人だけ、です」

 

「蘭子ちゃん、本当なの?」

 

 自身の言動が原因でアイドル達が失踪しているためか、いつもの中二病的な言動はなりを潜めた状態で蘭子が答えた。美穂が確認するも、やはり首を横に振るばかりだった。

 

「ムムム……それは厄介じゃのう。青行燈は、普段は霊界に潜んでおる妖怪じゃ。こちらからは手出しができん。現世へ現れたところを倒す他に手段は無いぞ、鬼太郎」

 

「逆に、このまま闇に飲み込むべき標的が現れなければ、青行燈が魔王として復活することはできないままだがな」

 

「………………」

 

 暗にこのまま現状を維持した方が安全なのではという鬼太郎の意見に、蘭子は何も言えなかった。事実、蘭子も引退を考えていたのだ。やはり自分は、このままアイドルを辞めて実家へ帰り、中二病とも決別するべきなのだろう。そんな考えが蘭子を支配し始めていた、その時だった。

 

「そんなの駄目です!」

 

 美穂が鬼太郎の意見に大反発した。飛鳥と小梅も同じ気持ちらしく、鬼太郎の意見に反対の意を示す表情をしていた。

 

「このまま放っておいたら、攫われた人達が帰ってきません!それに、蘭子ちゃんは何も悪くないのにアイドルを辞めることになるなんて……絶対に間違ってます!」

 

「僕も同感だな。青行燈を倒して、闇の彼方に消えた皆を取り戻すべきだ」

 

「わ、私もそう思う……」

 

「鬼太郎、おいどんからも頼む。攫われた子達を、取り戻すのを手伝ってやってくれんか?」

 

 揃って反論するアイドル三人に加え、一反もめんまでもがアイドル救出を懇願する。しかし鬼太郎は冷静にその視線を真っ向から受け、やれやれと肩を竦めた。

 

「そうは言うが、どうやって青行燈を現世に引きずり出すんだ?奴は標的がいなければ、霊界から出て来ることはない」

 

 鬼太郎の指摘に、一同は黙り込んでしまった。鬼太郎とて、事態をこのまま放置したいと本気で思っているわけではない。詰まるところ、騒動の元凶である青行燈がこちらの世界に現れなければ、戦うことすら儘ならないのだ。一体、どうしたものかと考える一同だが……やがて、飛鳥が意を決した表情で口を開いた。

 

「分かった。ならば、ボクが青行燈を誘き寄せるための囮になろう」

 

「飛鳥ちゃん……それって、まさか!」

 

「ボクが蘭子に「闇に飲まれよ!」と言われるということだ。そうすれば、青行燈は最後の生贄としてボクを攫いに、こちらの世界へ姿を現す。そこを叩けば、一件落着だ」

 

 飛鳥が提案した作戦に、アイドル達は勿論のこと、鬼太郎すらもが驚きの表情を浮かべた。確かに、346プロのアイドルである飛鳥ならば、青行燈の生贄としての要件も満たしているため、囮にはなり得る。

 

「駄目!そんなの絶対に駄目!そんなことして……飛鳥ちゃんまで消えちゃったら……!」

 

「そうだよ!危険過ぎるよそんなの!」

 

 飛鳥の提案に対し、蘭子と美穂は猛反対する。特に蘭子は、346プロのアイドルの中でも自身と同じ世界を共有できる特別な存在である飛鳥を危険に晒すことに強い抵抗を感じているようだった。

 

「なら、他に方法があるのか?敵がこちらの手の届かない場所にいる以上、何らかの餌を用意して釣り上げるしかない」

 

 飛鳥が口にした正論に、美穂と蘭子は閉口した。かなり無茶で危険なやり方ではあるが、現状で取れる手段はこれ以外に無いのだ。青行燈という妖怪に関する知識が足りないこともあり、アイドル達には飛鳥が提案した作戦以外の手段を思いつくことができなかった。

 その沈黙を肯定と取った飛鳥は、鬼太郎に改めて作戦の実行を依頼する。

 

「結論は出たな。それじゃあ鬼太郎、ボクが囮になって敵を誘き寄せて、そこを叩くという方針で頼んだ」

 

「良いんだな?僕としては確かにありがたい申し出だが、妖怪の標的になるということは、相応の危険が伴う。絶対の安全は保証できないぞ」

 

「鬼太郎の言う通りじゃ。それに、今の青行燈は一筋縄ではいかん。奴は今、現世に実体を持っておらんのじゃからな」

 

「どういうことですか、父さん?」

 

 目玉おやじの説明について、その意味が分からなかった鬼太郎が、その意味を問い掛ける。

 

「青行燈は、さっきも言ったように普段は霊界に潜む妖怪じゃ。この世界で活動する際には、百物語で得た人間の恐怖を糧にして実体を得る。じゃが、奴が再現している百番目の物語は、かなり厄介じゃ。奴はアイドルを生贄にして『魔王』として現世へ姿を現そうとしておるのじゃ。故に、今の奴には実体が無い。生贄を集める際には、身体の一部もしくは全てを実体化させておるようじゃが……普段実体を持っていない以上、こちらから攻撃を仕掛けることはできん」

 

「成程……あの時、霊毛ちゃんちゃんこと髪の毛針が身体をすり抜けたのは、そういう理由だったんですか」

 

 鬼太郎が思い出したのは、歌鈴を助けようと青行燈目掛けて髪の毛針を放った時のこと。あの時、大部分の髪の毛針は青行燈の身体をすり抜けたが、数本は歌鈴を掴んでいた左腕に突き刺さったのも、左腕のみを実体化させていたからと考えれば頷ける。ともあれ、実体が無いのならば、鬼太郎の攻撃手段は尽く通用しない。青行燈を退治するのは至極困難という結論に至るのだ。

 

「奴は実体を得ていない間は、あらゆる攻撃をすり抜けることができる。如何に鬼太郎とて、確実に仕留められるとは限らんのだぞ」

 

「構わない。危険は承知の上で、頼む……」

 

 目玉おやじと鬼太郎の忠告に対しても、覚悟の上という意志を表明した上で頭を下げて頼み込む飛鳥の姿に、決意のほどを察した鬼太郎は遂に了承した。

 

「……分かった。なら、その方法で青行燈は退治しよう。一反もめん、仲間を集めてくれ。総がかりで青行燈を仕留める」

 

「任せんしゃい!」

 

 任せろとばかりに、平たい身体の、胸にあたるであろう部分を叩いた一反もめんは、食堂の窓から飛び去っていくのだった。

 

 

 

 こうして、妖怪とアイドルによる、命懸けの救出作戦が幕を開けるのだった――――――

 



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闇に飲まれよ!恐怖のアイドル百物語 ③

長らくお待たせいたしました。
後編が長引いたので、2話に分割しました。


「ぐかー、ぐかー……」

 

 都心を外れた郊外にある、とある廃屋の中。埃塗れの畳の上で、高鼾をかきながら昼寝している男がいた。汚らしい廃屋と同化するかのような、鼠色のローブのような布一枚を身に纏った、ひょろ長い顔に鼠のような髭を生やしたこの男の名前は、『ねずみ男』。日本一不潔な男として知られる妖怪である。主にゴミ捨て場の食べ物を漁ることを目的として、頻繁に人間の街へ赴くこの男は、こうして人気の無い廃屋を宿代わりに使って寝泊まりをしているのだった。

 不法投棄された廃棄物に半ば埋もれているこの廃屋は悪臭も酷く、不衛生極まりない。しかも、事故死や自殺の噂が絶えない事故物件であると同時に、そういった人間の霊が出没する心霊物件なのだ。それゆえに、こういった場所をたまり場とする不良や浮浪者も滅多に寄り付くことがなかった。だが、日本一の不潔さで知られるねずみ男には、どこ吹く風。妖怪であるこの男には、心霊物件に対する恐怖などある筈もなかった。

 そんな文字通りの意味で鼻つまみ者であるねずみ男の元を訪れる、珍しい来客があった。

 

「見つけたわよ、ねずみ男!」

 

「ぐかっ……ね、ねこ娘っ!?」

 

 廃屋の扉を乱暴に開けて入ってきたのは、クールなイメージの強い、猫を彷彿させる顔立ちの美少女だった。ハイヒールを履いているが、それ抜きでも百七十センチに相当するであろう長身で、長い髪を頭の後ろでリボンによってシニヨンにしてまとめている。この少女は、妖怪『ねこ娘』。ねずみ男の知り合いであり、文字通りの天敵ともいえる存在である。

 

「全く……相変わらず汚い所で寝泊まりしてるわね……」

 

「な、なんなんだよ一体!?いきなり押しかけてきたかと思ったら、いきなり嫌味かよ!」

 

 辺りを包む悪臭とねずみ男の体臭とに顔を顰めながら口元を覆いながら口にした文句に、ねずみ男が抗議する。傍から見れば、何の前触れもなくいきなり現れたねこ娘の方が非常識に見えるが、ねずみ男もねずみ男で廃屋への不法侵入を犯して寝泊まりしているのだから、大概である。

 ともあれ、ねこ娘としてはねずみ男に色々と言いたいことはあるが、今はそれよりも優先すべきことがある。ねこ娘は早々に本題に入ることにした。

 

「鬼太郎から応援の要請が来たわ。手強い妖怪を相手するから、戦うための場所を確保する必要があるの。あんた、そういう場所に詳しいでしょ?案内しなさい」

 

「はぁっ!?何で俺がそんなことしなきゃなんねえんだよ……」

 

 ねこ娘の協力要請に対し、思い切り文句を垂れるねずみ男。ねこ娘の言うように、ねずみ男は日ごろから廃屋を寝泊まりする場所に利用しており、都内に存在するあらゆる廃屋を知り尽くしていると言っても過言ではない。妖怪との戦闘に向いたスペースのある廃屋の一つや二つ、紹介するのは難しくない。

 だが、極度の物臭で、自身の得にならないことなど一切やりたがらないのが、ねずみ男なのだ。故に、ねこ娘の要請に対しても、思い切り面倒くさそうにしていた。

 

「あんた、日ごろから鬼太郎やあたし達に随分と迷惑を掛けてんでしょうが……こういう時くらい、少しは協力しなさいよ」

 

「はんっ!そんな一銭の得にもならねえこと、ゴメンだね~!」

 

 言葉通り、協力する気ゼロの態度でフン、と顔を背けるねずみ男。そのまま畳の上で再び横になり、昼寝を再開しようとした。だが、ねずみ男が寝返りを打とうとした途端。凄まじい殺気とともに、ねずみ男の顔のすぐ側を、何かが恐ろしいスピードで横切った。その後には、ねずみ男の長い髭四本がはらはらと畳の上に落ちた。

 

「協力、してくれるわよね?」

 

 振り向くと、そこには鋭い爪を伸ばしたねこ娘が、それはそれは良い笑顔で立っていた。殺気を滲ませながら発せられたその要求に、ねずみ男はただ頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ここじゃな。ねこ娘が言っていた場所は」

 

「間違いありません、父さん」

 

 鬼太郎がアイドル達との邂逅を果たし、アイドル失踪事件の元凶たる青行燈退治の方針を立てた翌日の夕方。蘭子をはじめ、関係者となったアイドル四人を連れた鬼太郎は、都心を外れた場所にある廃墟を訪れていた。

 廃墟の建物は音楽堂のような大きい建物だった。かつては自治体の管理下にあった建物らしいが、取り壊すのには相当な資金を要することから放置されていた。表には『立入禁止』の看板が入口に立て掛けられており、今では浮浪者や不良の溜まり場と化していた。

 

「ほ、本当にこんなところに入るんですか……?」

 

「ウム。青行燈は、灯りのある場所に結界を張り、姿を現す。美穂ちゃんが見た、部屋を覆った青白い光は、奴の妖力によるものなのじゃ。それに、奴と戦うには、それなりに広い場所が必要じゃ。周りに被害を出さないことをはじめ、全ての条件を満たす場所としては、ここが一番じゃ」

 

「闇に潜む怪異は光を嫌うと相場が決まっているが……奴だけは、例外か。真なる闇とは、本当は光の中に潜んでいるのかもしれないな」

 

「無理無理無理!こんなところ入れない!」

 

「これから凶悪な妖怪を呼び出すんだから、建物に怖がっている場合じゃないだろう。早く中へ入るぞ」

 

 意味深で中二病的な言動をしている飛鳥の言動をよそに、鬼太郎は美穂と蘭子に対して容赦なく正論を口にした。そもそも、妖怪の力を借りて妖怪を退治しようというのだから、怖がること自体が今更なのだ。

 

「既に皆、中で待っておるのじゃ。早く行くぞ」

 

「この先にあるのは、闇への扉……ボク達はそれを開け放ち、運命を賭した戦いに身を委ねることになる。こんなところで、足踏みしている場合じゃないぞ、蘭子」

 

「蘭子ちゃん……行こう?」

 

 目玉おやじと飛鳥、そして小梅に促され、渋々立入禁止となっている廃墟へと入っていく蘭子と美穂。二人は寄り添い合って震えながら足を踏み入れていたが、飛鳥はこの状況下においても全くブレない佇まいで、小梅は皆を勇気づけるためなのか、どこか喜色を浮かべていた。

 

 

 

「鬼太郎、遅いわよ!」

 

「おお、ようやっと到着したか!」

 

 廃墟の公会堂の中。蝋燭の灯り――鬼太郎たちが設置したのだろう――で照らされたステージへと向かった鬼太郎とアイドル達を待っていたのは、四人の妖怪だった。猫を思わせる長身の美少女と、紫の着物を纏った白髪の老婆と、青色の腹掛けと蓑を身に着けた禿頭の老人と、汚らしいローブのような布を纏った鼠のような顔をした男。そしてその後ろには、手足の生えた、巨大な四角形の巨大な壁のような妖怪が立っていた。

 全員バラバラな容姿をした妖怪達。しかし、飛鳥と美穂、小梅には、この四人が何者なのかがすぐに分かった。

 

「もしかしてこの人達って、鬼太郎さんの仲間の……」

 

「ねこ娘に砂かけ婆、子泣き爺、ねずみ男、それに、ぬりかべ……だな。容姿も特徴も、全てネットに載っていた通りだ」

 

「よ、妖怪……!?」

 

 鬼太郎と目玉おやじ、一反もめんを間近で見たことと、ネットで予め情報を得ていたお陰だろう。ぬりかべというインパクトの強い妖怪がいたにも関わらず、美穂と飛鳥は大して驚くことは無かった。むしろ、鬼太郎の仲間であると分かったことで、安心したのである。小梅に至っては鬼太郎の仲間に会えたことで感激していた。しかし、蘭子だけは、相変わらず妖怪が苦手なようで、小梅の背中にしがみつきながら震えていた。そんなアイドル四人から向けられてくる好奇や恐怖が籠った視線を鬱陶しく思ったのか、ねこ娘の表情が不機嫌になる。

 

「……何よ、人のことジロジロ見て。特にそこの銀髪の子、嫌な感じ」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「これ、ねこ娘。あまり子供を苛めるでない。今時の子供は妖怪に会うことなぞ、滅多に無いのじゃから、大目に見てやらんかい」

 

「そうじゃ、そうじゃ。それにこれから、妖怪退治といくのじゃ。気付けに酒も、大目に見ても……」

 

「阿呆か!お主のそれは、明らかに気付けの量を越しておるじゃろうが!」

 

「どうでもいいけどよぉ、早く帰らしてくれねえかなぁ~……」

 

「ぬり~」

 

 ねこ娘を嗜めようとする砂かけ婆だったが、それに便乗して、子泣き爺は未だに酒を飲み続けようとして、お馴染みの制裁を受けていた。そんな騒がしい三人をよそに、ねずみ男はやる気ゼロと分かる態度でステージの端で寝そべり、不貞寝を決め込もうとしているのだった。ぬりかべは一人、その様子を眺めるのみだった。そんな四者の様子を傍目で見ていた鬼太郎と目玉おやじは、何百年も同じ光景を見てきただけに、呆れの視線を向けるのだった。

 その一方、鬼太郎の後ろに立っていたアイドル四人はといえば、鬼太郎を含めた個性の強い妖怪達のやりとりに、親近感に近いものを感じていた。346プロのアイドル達は、スカウトされた小中高生や大学生以外に、モデルや読者モデルをはじめ、OL、アナウンサー、婦警、看護士といった異色の経歴を持つ人間が多い。そして、そういった人間は決まって強烈な個性の持ち主だった。そんなアイドル達の日常というものは、今まさに鬼太郎の仲間達のやりとりそのものだった。

 

「そういえば……一反もめんさんは?」

 

「ああ、あいつなら……」

 

「鬼太郎~!」

 

 この場に姿が見えなかった一反もめんの行方について尋ねる小梅に対し、鬼太郎が答えようとした時だった。噂をしていた一反もめんが、ステージの天井からひらひらと降下してきた。その手には、何かを抱えていた。

 

「鬼太郎!言われた通り、夜行さんから借りてきたぞ!」

 

「ありがとう、一反もめん。皆、ちょっと集まってくれ」

 

 鬼太郎に呼ばれ、ステージの中心へと集まっていく妖怪たち。一反もめんの傍まで来ると、その手に抱えていた何かを受け取っていた。

 

「鬼太郎さん、それは?」

 

「青行燈を退治するために必須の道具だ」

 

 美穂の問い掛けに対し、鬼太郎はそう答えた。鬼太郎やその仲間達が一反もめんから受け取っていたのは、人間界にも流通しているごくありふれた道具――懐中電灯に酷似したものだった。だが、妖怪退治のために持ってきたものである以上、通常の懐中電灯には無い、何かがあるのだろうと美穂達は思った。

 

「これで準備は整った。それじゃあ、そろそろ始めるぞ」

 

 鬼太郎の指示に従い、ステージを包囲するように四方別々の場所の配置につく妖怪たち。ステージ中央には、鬼太郎とアイドル四人が残される形となった。

 

「作戦を始めるぞ。まずは、蘭子だ。飛鳥に対して「闇に飲まれよ!」と宣言してもらうぞ」

 

 鬼太郎の言葉に対し、飛鳥は決意の籠った表情で頷く。美穂と小梅も、緊張に満ちた面持ちでその様子を見ていた。だが、蘭子は、

 

「駄目……できない……!」

 

 作戦開始を告げる宣言を――「闇に飲まれよ!」を飛鳥に対して口にできずにいた。退治すべき妖怪たる青行燈を呼び出すためとはいえ、かけがえのない親友の飛鳥を危険に晒すことには、抗い難い抵抗があった。傍から見れば、この期に及んでと呆れられるかもしれないが、怖気づいて動けなくなるのも、無理も無い話だった。「できない」、「無理」とだけ口にしながら首を横に振り、俯いて肩を抱いてその場に蹲ってしまう蘭子の姿に、鬼太郎はどうしたものかと途方に暮れ、美穂と小梅も掛ける言葉が見つからず、心配そうな視線を向けることしかできなかった。

 

「蘭子、大丈夫だ」

 

 そんな蘭子に声を掛けたのは、今回の作戦において危険な囮役を自ら買って出た飛鳥だった。ステージに膝を突いて、蘭子と視線を合わせると、その肩に手を置いて安心させるように話し掛けた。

 

「ボクは絶対に消えない。君の物語がボク無くして始まらないように……ボクの物語もまた、君無くして始まらない。そして、ボクは君と共有する世界を諦めるつもりは無い。必ずまた、君と再び同じ世界(ステージ)に立つ。この約束を果たすためならば、譬えこの先にどれ程の深い闇が待ち受けていたとしても、必ず乗り越えて見せる。それが、ボクが自らに課した存在意義(レゾンデートル)だ」

 

「飛鳥ちゃん……」

 

「だから、唱えて欲しい。ボクを闇へ落すための呪詛としてではなく……次の物語へ続く(ページ)を開くための挑戦として」

 

 非常に抽象的な言い回しで、当事者間でしか意味の分からないやりとりだったが、飛鳥が蘭子の不安を取り除こうとしていたことだけは分かった。そして、飛鳥が蘭子を信じているように、蘭子もまた飛鳥のことを心から信じていることを――

 そして、飛鳥の説得による効果があったのか、蘭子の震えは止まり、蹲った状態から立ち上がるまでに持ち直していた。まだ不安や恐怖が抜けきったようには見えなかったが、先程までの状態よりは遥かにマシになっていた。

 

「鬼太郎、待たせて済まない。今度こそ準備はできた」

 

「ああ、分かった。頼んだぞ」

 

 蘭子がどうにか立ち直ることができたところで、作戦は再開される。蘭子は先程よりは毅然とした態度で飛鳥の方を向く。飛鳥もまた、真剣な表情で蘭子と向き合う。互いを見つめるその目には、深い信頼があった。

 互いの決意を視線で確かめ合うと、蘭子は息を深く吸った。そして、自身にとって馴染み深い、挨拶として用いていることばを口にする。

 

 

 

「闇に……飲まれよ!」

 

 

 

 蘭子の声が、廃墟のステージに響き渡った途端。異変は、すぐに起こった。

 まず、ステージ周辺に設置されていた蝋燭の灯り全てが風も吹いていないのに掻き消え、辺りが黒一色の闇に包まれた。そして、その直後――辺りは青白い光で包まれた。壊れて動かなくなっていた筈の照明機器が作動し、青白い不気味な光を放っているのだ。

 

「来たぞ……青行燈だ!」

 

 鬼太郎の髪の毛が一本、針のように真っ直ぐ垂直に逆立つ。鬼太郎の妖怪アンテナが、青行燈の妖力を察知したのだ。そして、鬼太郎の言葉に皆が身構える中、次に異変が起こったのは、ステージの中央に立つ蘭子の背後の影だった。ステージの床に広がる影が水面のように揺らぎ、底無し沼のような暗闇から、何かが音もなくせり上がってきたのだ。

 

「蘭子!」

 

「えっ……!」

 

 自身の背後で起こっている怪現象に気付いていなかった蘭子だが、飛鳥に手を引かれ、影から距離を置く。影から姿を現そうとしている黒い何かを視認した途端、蘭子は小さな悲鳴を上げて飛鳥にしがみ付いた。

 ステージにできた沼のような影から浮上した黒い何かは、三メートルにも及ぶ長身をその場に現した。そして、ステージ上に姿を見せた得体の知れない何かが纏っていた暗闇は、ステージを照らす青白い光によって霧散していく。その後に現れたのは、青白い光に照らされた、白い着物をまとった鬼女――青行燈だった。

 

「これで十三人目……最後の生贄、か」

 

 廃墟となった公会堂のステージ上に現れた青行燈は、その双眸を飛鳥へ向けた。対する飛鳥は、青行燈の姿と出現方法に恐怖を禁じ得なかったのか、その頬に冷や汗を垂らしていた。表面上は冷静に見えるが、足元は後ろにしがみついている蘭子同様震えている。そんな飛鳥に対し、青行燈はその手を伸ばそうとするも……その行く手を鬼太郎が阻んだ。

 

「そこまでだ、青行燈」

 

「ゲゲゲの鬼太郎か……あくまでも我の邪魔をするか」

 

「お前を魔王として現世に復活させるわけにはいかない。お前が生贄として攫ったアイドル達も、全員返してもらうぞ」

 

「愚かな。貴様に我が止められるものか……!」

 

「飛鳥ちゃんと蘭子ちゃんは、あとは鬼太郎に任せて後ろにさがっているんじゃ」

 

「逃さん!」

 

 その言葉が、戦闘開始の合図となった。飛鳥と蘭子がステージの舞台袖にて待つ美穂と小梅のもとへと退避する中、青行燈は自身の周囲に六個の鬼火を発生させると、目の前の鬼太郎目掛けてそれらを放った。

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 繰り出される六個の鬼火に対し、鬼太郎は前回の戦闘と同様、霊毛ちゃんちゃんこを振るってこれらを叩き落とす。正面から繰り出された鬼火二つは、ちゃんちゃんこに触れた途端に霧散した。残り四個の鬼火は、左右に二個ずつ分かれて鬼太郎を挟撃する。ちゃんちゃんこを振るったばかりの鬼太郎では対応できないタイミングでの攻撃だった。

 

「この程度で!」

 

 だが、鬼太郎にとっては対処が難しい不意打ちではない。鬼太郎は振りかぶった霊毛ちゃんちゃんこへ妖力を送り、その形状を手ぬぐいのように細長く変化させた。鬼太郎の意思に従い、蛇のように素早くしなやかに動くちゃんちゃんこは、鬼太郎の周囲をとぐろを巻くように旋回して鬼火四個を貫き消した。

 

「今度はこっちの番だ!リモコン下駄!」

 

 反撃とばかりに、鬼太郎が青行燈目掛けてリモコン下駄を繰り出す。対する青行燈は、自身に迫る攻撃を前に棒立ちのまま身構えずにいた。

 

「無駄だ。我にそのような攻撃は効かぬ……」

 

 実体を持たない青行燈には、一切の攻撃が通用しない。前の戦いでもそうだったように、鬼太郎の攻撃は青行燈の実体なき肉体をすり抜ける筈だった。だが、

 

「グゴォオッ……!?」

 

 鬼太郎の放ったリモコン下駄は、実体が無い筈の青行燈の頭部に直撃した。青行燈にとっても、この事態は予想外だったらしい。頭部を襲う衝撃によろめき、態勢を即座には立てられずにいた。

 

「馬鹿な……何、が……!?」

 

「髪の毛針!」

 

 そんな青行燈目掛けて、鬼太郎はさらに畳みかけていく。鬼太郎の放った髪の毛針は、その命中した全てが青行燈の身体に突き刺さった。

 

「お、おのれ……嘗めるなぁあ!」

 

 髪の毛針を浴びせて来る鬼太郎に対し、青行燈は口から火炎放射のように鬼火を吐き出す。鬼太郎は横へ跳んでこれを回避する。だが、青行燈の敵は鬼太郎だけではない。

 

「ニャァァアアッ!」

 

 青行燈の背後へと、鋭い爪を伸ばしたねこ娘が飛び掛かる。両手で繰り出す合計十条の斬撃が、青行燈の背中を切り裂いた。

 

「ぐぬぅっ……!ちょこまかと!」

 

 背中に引っ掻き攻撃を浴びせられ、膝を突いた青行燈は、ねこ娘を捕らえるべく、伸縮自在の左腕を伸ばす。

 

「させんばい!」

 

 そこへ割って入ったのは、一反もめん。伸長する青行燈の左腕に絡み付き、その動きを阻害した。さらにここで、砂かけ婆が動き出す。

 

「食らえ、砂かけ!」

 

「ぐぬぅぅうう……!」

 

 砂かけ婆の砂による目潰しを受けて怯む青行燈。しかし、ねこ娘、一反もめんに続く連携攻撃は、これだけでは終わらない。

 

「おぎゃあ!おぎゃあ!」

 

「!?」

 

 ステージの天井から突如響き渡る、赤ん坊のような泣き声。身に迫る危険を察知した青行燈は、この場にいたままでは拙いと考え、目潰しされてよく見えない視界の中で動こうとする。だが、完全に避け切るには初動が遅すぎた。

 

「ぐがぁあっ……!」

 

 回避行動に走ろうとしていた青行燈の足に、突如として尋常ではない加重が、ミシミシとステージが軋む音とともにかかった。百キロ、二百キロのレベルではない、数トンもの重さが突如として青行燈の足を押し潰さんと襲い掛かったのだ。

 

「ぐぅうっ……貴様!」

 

 視界が回復してきた青行燈の目に映ったのは、自身の足の上に圧し掛かる蓑を着た禿頭の老人の形をした石だった。子泣き爺の岩石化による重量増加の技である。ステージ上の床の、その周辺部分が陥没していることからして、恐らく天井から降ってきたのだろう。

 

「くっ!動けん……」

 

 子泣き爺の重さにより、青行燈は身動きが完全に取れなくなってしまった。攻撃を無効化する能力が発動せず、鬼太郎をはじめただでさえ敵が多いこの状況下で、これ以上攻撃を受けるわけにはいかない。本能的にそう判断した青行燈は、上体のみを起こして自身から見て最も手近にいた鬼太郎に対し、反撃として鬼火を吐き出した。

 

「ぬり~!」

 

だが、その攻撃は床から姿を現したぬりかべによって遮られた。妖怪随一の頑強な巨体を持つぬりかべには、並大抵の攻撃ではビクともしない。そうこうしている内に、ぬりかべの向こう側にいた鬼太郎が、今度はぬりかべの頭上へと現れた。

 

「体内電気!」

 

 青行燈とぬりかべの頭上へと跳んだ鬼太郎の身体に、眩い程の電光が迸る。鬼太郎の体内の発電袋に蓄えられる百万ボルトの電気を体外へ放つ必殺技『体内電気』である。その身に凄まじい電気を宿した鬼太郎が青行燈目掛けて拳を突き出すと、その方向目掛けて落雷の如く電撃が放たれ、青行燈を襲った。

 

「ぐぎゃぁぁああああ!!」

 

 体内電気の電撃を正面からまともに受け、青行燈は苦悶の叫びを上げる。着物はあちこちが焦げ、皮膚の火傷痕からも煙が上がっていた。鬼太郎と仲間の妖怪達が繰り出す連携攻撃に翻弄され、追い詰められる中、青行燈は自身に何が起こっているのかを未だに理解できずにいた。

 

(くっ……何故だ!?何故、奴らは我に攻撃を当てることができる……!?)

 

 完全な実体を得ておらず、あらゆる攻撃を透過させて無効化させるための圧倒的なアドバンテージが、全く発動しない。鬼太郎達は一体、どうやって攻撃を当てているのか、青行燈には見当もつかない。

 

「どうして攻撃が無効化できないのか、と言いたそうな顔だな」

 

「我には実体が無い筈……だが、この感覚、痛みは全て本物だ……」

 

「簡単な話だ。実体が無いのならば、与えてしまえばいい。そうすれば、お前に対して攻撃を通すことができる。それを可能にしたのが、これだ」

 

 そう言って鬼太郎が取り出したのは、先程一反もめんがこの場に持ち込んできた懐中電灯だった。青行燈の周囲を取り囲んでいる妖怪達の手にも同じものが握られており、今は砂かけ婆と一反もめんが青行燈に向けて照射していた。

 

「妖怪発明家の夜行さん謹製の『妖怪ライト』じゃ。妖力を照射することにより、この世界に実体を持たない妖怪に、実体を与えることができる装置じゃ」

 

「何、だと……!?」

 

「加えて言えば、光を照射された妖怪は、影を操る能力を封じられる。これで、お前がアイドル達を攫う時に使っていた手段による攻撃や移動はできなくなったということだ」

 

 実体を持たない青行燈に対抗するためには、攻撃を有効化する必要がある。また、確実に仕留めるには、逃走手段である影を操る能力も封じなければならない。そのために鬼太郎は、知り合いの妖怪発明家である夜行さんへと掛け合い、この『妖怪ライト』を用意したのだった。

 そして、鬼太郎の作戦は功を奏し、青行燈に実体を与えることで攻撃の透過を封じることに成功したのだった。

 

「尤も、ライトを点灯するにはそれなりの妖力を消費する上に、お前を実体化するためには常にライトを照射し続ける必要があるから、僕一人の力ではなし得なかった作戦だがな」

 

「お~い!何で俺のライトだけ光が点かねえんだよ!壊れてんのか!?」

 

「あんたは妖力が少なすぎるのよ!ライト点けられないなら、後ろにさがって見てなさい!」

 

 青行燈を取り囲んでいる鬼太郎の仲間達の中で、唯一ねずみ男だけがライトを点灯させられずにいた。どうやらねこ娘の言うように、妖力が足りなかったらしい。ねこ娘に言われるや、ねずみ男はそそくさと舞台袖の方向へと退散していった。

 

「妖怪ライトの点灯は、僕と仲間達が分担して照射しているとはいえ、あまり長い間使えるわけではない。長引かせるわけにはいかない以上、一気にケリをつけさせてもらうぞ!」

 

「グゥゥウッ!おのれぇぇぇええ!!」

 

 鬼太郎とその仲間達に対し、鬼火の玉と火炎放射、伸縮自在の腕で攻撃を仕掛ける青行燈だが、鬼太郎とその仲間達の連携を前にはまるで通用しない。子泣き爺に動きを封じられた状態で、砂かけ婆とねこ娘が、砂かけによる目くらましと高速で繰り出す爪の斬撃による攪乱を仕掛けて来るお陰で、攻撃の狙いが定まらない。必中のタイミングで攻撃を仕掛けるのに成功しても、一反もめんが横やりを入れて狙いをずらし、ぬりかべが立ちはだかって攻撃を通さない。そして、そういった仲間達の援護を受けながら、特に攻撃力の高い鬼太郎が隙を見ては髪の毛針とリモコン下駄を確実に当てて来るのだ。青行燈にとって、戦局は圧倒的に不利だった。鬼太郎達の見事な連携に追い詰められた青行燈は、瞬く間に追い詰められ、力なく地に伏せるに至った。

 

「ぐぐっ……ぐぅ………………おの、れぇっ!」

 

「大分弱ってきたわね……」

 

「ふぅ……全く、しぶとい奴じゃったわい」

 

 妖怪ライトを青行燈に照射しながら、汗を拭って呟くねこ娘と砂かけ婆。全身傷だらけで弱り切った青行燈だが、鬼太郎達も妖怪ライトに妖力を多分に持っていかれて息は絶え絶えの状態だった。一対一で戦っていたならば、確実に鬼太郎の方が先にスタミナ切れを起こしていただろう。

 

「これで止めだ。霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 最後の仕上げとばかりに、鬼太郎が霊毛ちゃんちゃんこを風呂敷のように大きく広げて振りかぶる。霊毛ちゃんちゃんこで全身を包み込み、妖力を搾り取って圧縮してしまえば、青行燈は力を失って完全に消滅する。

そして、鬼太郎がちゃんちゃんこを青行燈目掛けて繰り出そうとした――――――その時だった。

 

「嘗める、なぁぁああ!!」

 

「なっ……!」

 

 追い詰められた青行燈が、その顔を上げて鬼太郎へと怒りの形相を向けた。そして、その禍々しい光を放つ目を見た瞬間――――――鬼太郎の身体は、全身が硬直したかのように動けなくなった。

 

(どうなっている!?)

 

「鬼太郎!?」

 

「どうしたんじゃ!?」

 

 鬼太郎の異変を察知したねこ娘と砂かけ婆が声を掛けるも、鬼太郎は声すらも発することができない。そして、二人が青行燈から目を逸らしたその瞬間――

 

「邪魔、だぁぁああ!!」

 

 青行燈の両手の袖から、凄まじいスピードで細長い何かが飛び出した。標的は、鬼太郎とねこ娘と砂かけ婆――が持っている妖怪ライトである。謎の力で身体が硬直していた鬼太郎と、青行燈を実体化させるためのライトの多用で消耗していた二人は反応が間に合わず、妖怪ライトを破壊されてしまった。

 

「何!?」

 

「しまった!」

 

 照射されていた妖怪ライトが破壊されたことで、青行燈の影を操る能力を封じていた枷が完全に外れた。そして、その隙を見逃さず、青行燈は一気に畳みかける。

 

「黒き戒めの茨よ!我に仇なす者共を捕らえよ!」

 

 青行燈の足元に広がる影が、ねこ娘と砂かけ婆の足元へと瞬く間に広がった。そして、水面のように揺らめいた影から、青行燈が口にした言葉の通り、黒い茨が飛び出してきた。

 

「きゃっ……痛っ!」

 

「なんじゃこれは!?」

 

 影から飛び出した茨が身体に絡み付き、身動きが取れなくなってしまった。茨に付いた棘は鋭く、抵抗すれば服を容易く貫き、身体に深く突き刺さる程のもので、二人の顔に苦悶の表情が浮かぶ。

 

「お前達も、だ!」

 

「なぁあっ!?」

 

「ぬりっ!?」

 

 次いで、青行燈がステージの空中に浮かぶ一反もめんと、鬼太郎の後ろ側に立っていたぬりかべ目掛けて腕を振るった。すると、先程のねこ娘と砂かけ婆の時と同様、手に持っていた妖怪ライトが何かに貫かれて破壊された。

 

「動くな!」

 

「「!?」」

 

 さらに立て続けに、今度は禍々しい光を宿した眼を二人に向けた。そしてそれを見た一反もめんは身体が石になったように動けなくなり、そのまま墜落。ぬりかべは先程までと変わらず立ち尽くしたままのようにしか見えなかったが、実際には完全に動かなくなっていた。さらに、身体が動かなくなった二人に、念押しとばかりに青行燈が伸長させた影から生えてきた茨が絡み付いて拘束した。

 

「お前も、だ……!」

 

 最後の仕上げとばかりに青行燈が狙いを定めたのは、自身の足にへばりついて動きを阻害していた子泣き爺。腕を振るうと、子泣き爺が石になりながらもその手に持ち続けていた妖怪ライトが両断され、他の四人と同様に茨が子泣き爺の身体に絡み付いた。

 

(あれは……茨!?)

 

 その時初めて分かったが、青行燈の振るっていたのは細長い茨だった。青行燈はそれを鞭のように撓らせ、皆の持っていた妖怪ライトを適確に命中させて破壊していたのだ。

 だが、気付くのが完全に遅すぎた。自身に向けられる全ての妖怪ライトを破壊した青行燈は、鬼太郎達を絶望へ叩き落とすための、仕上げとも呼べる言葉を口にする。

 

 

 

闇に飲まれよ!

 

 

 

 青行燈が放ったその言葉により、ステージの床に広がった影が、より一層大きく揺らめいた。そして、ねこ娘、砂かけ婆、一反もめん、ぬりかべ、子泣き爺の身体が、まるで底無し沼に沈むかのように、影の中へと飲み込まれて消えた。それはまさしく、闇に飲まれるかの如く――――――

 

「形成逆転、だな」

 

 自身を追い詰めていた、鬼太郎を除く妖怪五人を闇の底へ沈め、圧倒的な不利を覆した青行灯は、勝ち誇ったかのように、鬼太郎へ向けてそう口にするのだった。

 



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闇に飲まれよ!恐怖のアイドル百物語 ④

「嘘……ねこ娘さんや一反もめんさん達が、消えちゃった……」

 

 自身の目の前――廃墟となったステージの上で起こった出来事に衝撃を受け、美穂は思わずそう呟いた。序盤から戦闘を優位に進めていた鬼太郎達だったが、青行燈の思わぬ反撃によって形勢は見事にひっくり返った。鬼太郎は仲間五人を青行燈の闇に囚われ、自身もまた何らかの力で動きを封じられてしまっていた。

 

「時の運……殊に戦いの流れというものは、非常に移ろいやすいものだと言われているが……まさか、それを今こうして見せつけられることになるとは、流石のボクも予想外だ」

 

「鬼太郎さん……ピンチになっちゃったね」

 

「二人とも、そんなこと冷静に言っている場合じゃないでしょう……特に飛鳥ちゃんは!」

 

 頼みの綱である鬼太郎とその仲間達が危険な状況に陥ったということは、囮になるために生贄に指定された飛鳥に危険が及ぶことに繋がる。加えて、これまで青行燈に攫われたアイドル十二人も闇に飲まれたままである。美穂の言うように、関係者の立場としては、とても冷静に傍観していられる状況ではなかった。

 だが、飛鳥も小梅も表面上はいつもと変わらない様子に見えていても、内心では美穂と同様に大いに慌てていた。

 

「ねこ娘や砂かけ婆までやられちまったんじゃ、鬼太郎ももうこれ以上持ちやしねえ!俺は逃げさせてもらうぜ!」

 

「ちょっ、ねずみ男さん!?」

 

「放っておけ、美穂」

 

 鬼太郎達が不利になるや、ねずみ男が手に持っていた妖怪ライトを放り出して真っ先に逃げ出した。すたこらさっさと舞台袖の奥へと走り去っていくその後ろ姿を止めようとした美穂だが、飛鳥がそれを止めた。妖怪ライトが使えない時点で、ねずみ男は青行燈との戦闘の役には立たないのだから、引き留める意味が無い。妖怪と人間のハーフであるねずみ男ならば、青行燈の結界から逃げ出せる可能性もあったが、まず無理だろうと考えていたということもある。

 

「そんな……このままじゃ………………」

 

 そして、三人以上に冷静ではいられないアイドルが、もう一人いた。意図したことではなかったとはいえ、この妖怪による騒動の元凶となってしまった、蘭子である。

 346の女子寮にて、小梅と飛鳥、美穂に引き合わされて鬼太郎から自身の身辺で起こっている出来事について聞かされた時……蘭子には、全容を理解し切れなかった。或いは、幽霊の存在を恐れているが故に理解したくなかったのかもしれない。自分の言動が原因で根も葉も無い怪談話が作られ、それをもとに妖怪がアイドル達を拉致しているなど……

だが、鬼太郎や目玉おやじ、一反もめんをはじめとした妖怪は現に存在し、自身に纏わる怪談をもとにした妖怪が姿を現し、飛鳥を襲おうとした。その全てが、鬼太郎の話の全てが真実であることを肯定していた。そしてそんな中で、蘭子はもう一つの事実を認めざるを得なかった。それは――

 

 

 

自分がいる所為で、他のアイドル達までもが、酷い目に遭っている。

 

 

 

 飛鳥や小梅、美穂が聞けば、そんなことは絶対にないと否定してくれただろうし、怒ってもくれただろう。だが、そう思わずにはいられなかった。

 

 自分が架空の世界に興味を持ったから――

 

 自分のことを堕天使などと自称したから――

 

 自分が妄想の世界を周囲と共有したいなどと思ったから――

 

 

 

 自分がアイドルになろうなどと思ったから――

 

 

 

 そんな、自分自身を否定する考えばかりが浮かんできた。自分ではどうしようもない、この怪異を終わらせてくれる希望だった鬼太郎達ですら、青行燈に追い込まれている。この絶望的な状況下にあっては、最早蘭子自身も被害者のままではいられない。今まさに戦ってくれている鬼太郎達は勿論、同じ事務所のアイドルである飛鳥や小梅、美穂には多大な迷惑をかけてきたが、最早これまでだと察するほかなかった。

 

「………………」

 

 すぐ傍でアイドル三人がどうすれば良いかのかと言い合いをしている中、蘭子は一人沈黙の中で、ステージに転がっていたある物を手に取り……この惨劇を終わらせるための、決意をした。

 

 

 

 

 

「ゲゲゲの鬼太郎……無様だな」

 

「くっ……!」

 

 想定外の能力を発動して、鬼太郎以外の仲間全てを闇に飲み込んで圧倒的に不利な戦況を覆した青行燈は、その目で睨みつけられて身体の自由が利かなくなった鬼太郎を、足元の影から発生させた黒い茨で拘束した上で見下ろしていた。

 

「馬鹿な!青行燈が、黒い茨を操るなど……ましてや、ベアードやゴーゴンのように、目を見た者の動きを封じる能力を持つなど、聞いたことが無い!」

 

「一体、どうやってそんな能力を、身に付けた……!?」

 

 追い詰められた状況下にあって、目玉おやじと鬼太郎は青行燈を睨み返しながら、そう問い掛けた。対する青行燈は、自身が圧倒的な優位に立っていることに慢心していたのだろう。隠そうともせずに話しだした。

 

「簡単なことだ。我はこの世界へ現界する際には、百番目の物語を媒体とする。故に、我は青行燈という妖怪としての能力だけでなく、物語の中に描かれた怪異の力を発現することができるのだ。貴様の動きを封じた魔眼も、黒い茨を操る力も……そして、あらゆる物を闇に飲み込む力も、全て百番目の物語に出て来る、神崎蘭子を闇よりの使者として従える魔王の……ひいては神崎蘭子が描いた堕天使としての力だ」

 

 青行燈が口にした衝撃の事実に、鬼太郎と目玉おやじは驚愕した。青行燈という妖怪は、百物語における百番目の物語を現実に引き起こすためにこの世界に姿を現す。目玉おやじは当初、青行燈が元々持っている能力で怪異を再現するものと考えていた。

 だが、それは間違いだった。青行燈は、百番目の物語を再現するのに即した妖怪として、現世へと姿を現すのだ。故に、今の青行燈は鬼火を操る能力、腕を伸ばす能力だけでなく、アイドル十三人を生贄として復活する魔王の力も備えているのだ。

 堕天使系アイドル、神崎蘭子には、魔眼の持ち主であるという設定が存在する。また、『Rosengurg Engel』と呼ばれるソロユニットにおいては、茨の城に封印され、そこで魔王へと覚醒する運命を待っていたというキャラクター設定が存在する。そして、百番目の物語の魔王とは、神崎蘭子を生贄の選定者として使役している。故に、蘭子の描く堕天使としての『魔眼』と『茨』、『闇』を操る能力もまた、行使することができたのだ。

 

「尤も、この便利な能力も、百物語に設定を組み込むだけで行使できるものではない。だが、この物語はアイドルを題材とした怪談故に、多くの人間の注目を集めている。譬え少数であろうとも、それを信じる者がいれば……その恐怖を糧に、能力は具現する」

 

「インターネットの掲示板を利用したのは、そういう理由か……!」

 

 今更ながらに気付いた青行燈の狙いに、鬼太郎は歯噛みする。対する青行燈は、ほくそ笑んで得意気に語った。

 

「今の時代は便利なものよのう……一人、二人消えた時点で、情報はすぐに拡散し、怪談を信じる者は格段に増えた。しかし、どれだけ信じる者が増えようとも、我本来の能力ではないが故に、妖力の消費も大きい。魔王として完全に復活していない時点では多用はできぬ故、闇を操る能力以外は極力封じてきたというわけだ」

 

「成程……確かに、その理屈ならばお主が強力な能力を行使できたことも理解できる。しかし……仮にお前が魔王として復活したとしても、それはもはや妖怪とは呼べない、別の存在じゃ。青行燈という妖怪では、なくなってしまうのじゃぞ!?」

 

「自分の妖怪としての存在を歪めて……そこまでして、魔王として復活して……人間を支配したいと考えているのか……!?」

 

 強大な能力を手に入れる代償として、青行燈という妖怪は消失する。死とは無縁の存在であり、病気や寿命を恐れない妖怪でも、恐れるものがある。それは、自身の在り様が歪められ、上書きされて別の何かになる……即ち、存在の消滅である。しかし、青行燈はそれを平然と行おうとしているのである。その思考は、鬼太郎と目玉おやじの理解の範疇から大きく外れていた。

 そんな、異常な存在を見るような視線を向けられた青行燈は……しかし、怒りや苛立ちのようなものを鬼太郎と目玉おやじに向けることはなかった。それどころか、二人が予想だにしなかった話が、青行燈の口から語られ始めた。

 

「鬼太郎に目玉おやじ……貴様らは、勘違いをしている。我は、人間を支配するために現界しようと考えているのではない」

 

「……どういうことだ?」

 

 青行燈の口から語られた予想外の言葉に、問い返した鬼太郎だけでなく、その髪に掴まっている目玉おやじまでもが首を傾げた。

 

「青行燈という妖怪たる我は、百物語において語られた百番目の物語を現実のものとして再現し、人間に恐怖を齎すために存在している。それは、人間共に恐怖を与えるために他ならない。だが、百物語の慣習が廃れた現代の社会において、我が現世へと姿を現すことは一切無くなった。だが、人間共が忘れたのは、百物語の慣習だけではない……本来我が齎す筈だった、“恐怖”すらも忘れたのだ!」

 

 人間が“恐怖”を忘れた――――――その言葉を口にした青行燈の言葉には、先程までは無かった苛立ちが確かに感じられた。

 

「恐怖という枷が外れた人間共は、己の目に見える世界のみを信じ、後先を考えることなく、ただ欲望を貪るのみ。今の人間共は、ただ自ら破滅の道を邁進するだけの、価値の無い存在……畜生も同然だ」

 

 現代社会を生きる人間を『畜生』と言い切る青行燈。しかしその言葉の裏には、人間に対する憐れみが含まれているように鬼太郎達には感じられた。

 

「人間が存続するためには、我等怪異が齎す恐怖が不可欠。故に我は、この百番目の物語を完結させ、魔王として君臨する!人間共に恒久的な恐怖を与え続けることで、その傍若無人かつ欲望剥き出しの精神を抑圧するためにな」

 

「人間のために魔王になると言っているが……それは、お前の独善だろう……!それに、恐怖を与えれば、人間達を存続させることができるなんて……極論だ!」

 

「鬼太郎の言う通りじゃ!それに、そのような目的のために罪も無いアイドル達を生贄にした上、妖怪としての存在を捨てるなど……もってのほかじゃ!」

 

 鬼太郎と目玉おやじが揃って非難の声を上げるが、青行燈には通じない。

 

「恐怖を忘れ、欲望を貪ってきた人間共が積み重ねた業を考えれば、その程度の犠牲は一顧だにする価値も無い。それに、青行燈たる我の存在意義は、人間共に恐怖を与えること!譬えこの身が青行燈ではなくなったとしても、本懐を遂げられるのならば、本望だ!」

 

 その言葉を聞いた鬼太郎と目玉おやじには、それ以上青行燈を説得することはできなかった。青行燈は、妖怪としての存在意義を果たすために、アイドル達を生贄に捧げ、自身の妖怪としての存在すらも捧げようとしているのだ。妖怪の中には、そうあるべきと定められた存在の方向性が存在している。手段はどうあれ、それを果たそうとしている青行燈に対し、説得でこれを諦めさせることはできなかった。尤も、鬼太郎とてそれを容認するわけにはいかないのだが。

 

「御託はここまでだ。我は最後の生贄をいただく……貴様はそこで断末魔を黙って聞いているが良い……」

 

「やめろ!」

 

「やめるんじゃ!」

 

 鬼太郎と目玉おやじの制止など聞く耳を持たず、その横を通り過ぎていく。向かう先は、十三人目の生贄として定められた飛鳥がいる舞台袖。だが、そこへ――

 

「もうやめて!」

 

 悲壮な表情を浮かべた蘭子が、姿を現した。思わぬ人物の登場に青行燈はその歩みを止めた。蘭子の後ろの舞台袖にいた美穂と飛鳥、小梅は彼女の予想外の行動に驚愕して動けずにいた。一方、鬼太郎と目玉おやじは、蘭子が一体何をするつもりなのか、その真意が全く読めずにいた。

 

「どけ。我は貴様に用は無い」

 

 ドスの利いた声で蘭子にその場を退くように迫る青行燈だが、対する蘭子は首を横に振った。幽霊が苦手な彼女にとって、妖怪と正面から相対することにはこの上ない恐怖が伴う。本心では、すぐにでも逃げ出したいだろうに、蘭子は一歩も退かなかった。

 

「私の……私がいるせいで、皆にこんな酷いことをしているんでしょう?なら……私さえいなければ、もう誰もいなくならない筈!」

 

 そう叫んだ蘭子は、先程ステージの床から拾った、鋭く尖ったガラス片を手に持ち、自身の喉に向けた。誰が見ても、自殺を図ろうとしていることは明らかだった。

 そして、蘭子は目を瞑ったまま、手に持ったガラス片をそのまま真っ直ぐ喉へと向けて――――――

 

「駄目!蘭子ちゃん!!」

 

 しかし、その刃の進行は、美穂によって止められた。ガラス片を喉へと突き立てようとする手を押さえ、自殺を必死で止めにかかった。

 

「放して、美穂ちゃん!」

 

「そんなわけにいかないでしょう!」

 

 美穂に押さえつけられながらも、蘭子は尚も暴れた。この騒動を止めるために、是が非でも自殺するつもりらしい。だが、同じ事務所のアイドルであり、仲間である美穂には、これを許容することなどできはしない。そして、蘭子を止めようとしていたのは、美穂だけではなかった。

 

「いい加減にするんだ!蘭子!!」

 

 飛鳥の平手打ちが、蘭子の頬を叩いた。その痛みが、自殺へと駆り立てられていた蘭子の精神を僅かながら正気に戻した。

 

「今ここで君が死んでどうなる?闇に消えた皆が戻ってくるのか?」

 

「けど……!」

 

「奪われたものを取り返すために、前へ踏み出した筈だろう。それに、ボクはまだ君と紡ぐ物語(ストーリー)を諦めていない。君が流す血で、全てを終わらせるなんて終幕(エンディング)を、ボクは認めない」

 

 強い意思を秘めた瞳で蘭子を見据え、自身の想いを口にする飛鳥に、蘭子は自己犠牲による解決をそれ以上唱えることができなかった。自身のせいで皆が酷い目に遭っているという事実と、親友の想いの板挟みの中で、どうすれば良いのかが分からなくなった蘭子は、やがてその場に崩れ落ちた。そして、蘭子の手から力が抜け、ガラス片が床に落ちたのを見届けた飛鳥は、背後に立つ青行燈に改めて向き直った。

 

「生贄の方からわざわざ出向いてくれるとはな……探す手間が省けた」

 

「ボクはお前が魔王として復活するための生贄になるつもりは無い」

 

「戯言を……ならば、貴様が命を断つか?尤も、これで生贄が揃う以上は、我とてそれを見逃すつもりは無いがな……」

 

「この距離ならば、ボクを拘束するぐらいはわけないってところか。それに、お前の結界(フィールド)の中じゃ、逃げ切れないだろうしね」

 

 自身を生贄として闇に引きずり込もうとしている妖怪を前に、しかし飛鳥は正面から相対し、啖呵を切って見せた。すぐ後ろにいた蘭子と美穂は、そのやりとりに介入することができず、不安な面持ちで見ていることしかできなかった。

 

「分かっているなら話は早い。貴様も早々に、闇に飲まれてもらおう」

 

「断ると言った筈だ。ボクは、蘭子や皆と一緒に、この二つとない物語を紡ぎ続ける」

 

「無駄な足掻きを……」

 

 最早飛鳥の話などどうでも良いとばかりに、腕を振るう青行燈。それに応じるように、足元の影が飛鳥の方へと広がっていく。そしてそのまま、影の底に広がる闇の中へと、飛鳥を飲み込もうとした、その時だった。

 

「待て……!!」

 

 青行燈に対し、制止をかける声が上がった。一体今度は何事かと、青行燈が振り返った先にいたのは――――――鬼太郎だった。

 

「まだ動けたのか……しぶとい奴だ」

 

「その子を……お前の生贄には、させない……!」

 

 青行燈の魔眼によって動きを封じられていた鬼太郎だったが、気力のみでその状態から脱したらしい。しかし、魔眼の効果が完全には抜け切っているわけではないらしく、その動きは非常にぎこちないものだった。傍から見ても、とても戦闘が続行できるものではなかった。

 

「そんな状態で、この我と戦おうというのか……」

 

「黙、れ……!」

 

「無駄な足掻きを……ならば、貴様から闇に飲み込んでくれる……!」

 

 青行燈の影が、飛鳥から鬼太郎の方へと動く方向を変える。対する鬼太郎もまた、青行燈に対して一矢報いるべく、意識を集中させていた。

 

「髪の毛、針……!」

 

「無駄だ……」

 

 鬼太郎の髪の毛が逆立ち――――――一本の毛針が、青行燈の顔面目掛けて飛来した。通常ならば、機関銃のように無数に発射する筈の髪の毛針だが、魔眼の効果で動きに支障を来している状態では、一本が限界だった。

 しかし、青行燈はそれを避ける素振りも見せない。妖怪ライトが向けられていない今、青行燈には実体が存在せず、あらゆる攻撃が通用しない。故に、鬼太郎が決死の思いで放った髪の毛針は、青行燈の顔をすり抜けるのみの筈――――――だった

 

「ぐぎゃぁぁぁああああっっ!!?」

 

「!?」

 

 鬼太郎の放った髪の毛針は、青行燈の顔をすり抜けることなく……その左目に突き刺さった。実体を持たない筈の青行燈に、鬼太郎の攻撃が通ったのである。

 一体何が起こったのか……攻撃を受けた青行燈は勿論、攻撃を仕掛けた鬼太郎ですら、その現状が理解できなかった。

 

「ぐぐぅぅう……!な、何がぁあっ……!」

 

 髪針が刺さった左目を押さえながら、自身に何が起こったのかが理解できないまま、思わず周囲を見回す青行燈。すると、右目の視界に、想像だにしなかったものが映った。

 青行燈から見て右側、ステージの奥に、小梅が立っていたのだ。そしてその手には、妖怪ライトが“点灯した”状態で握られていたのだ。

 

「貴様、かぁぁあああ!!」

 

 何故、人間である筈の小梅が妖怪ライトを使えたのかは分からないが、鬼太郎の攻撃が通った原因は彼女で間違いない。そう考えた青行燈は、空いている右腕を伸長させ、小梅を取り押さえようとする。だが、

 

「リモコン下駄!」

 

「ぐぅぉおっ!?」

 

 鬼太郎がそれを見逃す筈が無かった。青行燈が左目を負傷したお陰か、既に魔眼の束縛からは完全に開放されている様子だった。

放たれたリモコン下駄は、青行燈の右手を弾き、その腕はステージの壁へとめり込んだ。そして、鬼太郎はさらに畳みかける。

 

「皆、伏せるんだ!」

 

 鬼太郎が大声で飛ばした指示に従い、青行燈の後ろに立つ飛鳥、蘭子、美穂の三人が床の上に俯せになって身を伏せる。それを、床を伝う振動から確認するや、鬼太郎は青行燈目掛けて両の手の平を広げて構えた。

 

「指鉄砲!」

 

 次の瞬間、鬼太郎の両手の十本の指から、無数の青白い光が弾けた。幽霊族の秘術『指鉄砲』である。鬼太郎の持つ数ある技の中でも、非常に強力な威力を誇る技であり、指全てから射出して面制圧に用いることができるほか、指一本から極めて貫通力の高い一撃を精密射撃で放つこともできるのだ。今回、鬼太郎が放った指鉄砲は、前者である。

 青行燈へ放たれた指鉄砲は、先程の髪の毛針と同様に無効化されてすり抜けることなく、その身体に無数の穴を空けていった。千切れて四散した身体の一部は青白い鬼火となって消滅し……残ったのは胴体と首のみとなった。

 

「が、はぁぁあっっ……!」

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 そして、最後の仕上げとばかりに霊毛ちゃんちゃんこを青行燈へと投げる。ちゃんちゃんこは瞬時に広がると、胴体だけとなった青行燈の身体を隙間無く包み込んだ。

 

「ぐ、ごぉぉおおお!!お、の、れぇぇええっ……!!」

 

 ちゃんちゃんこに妖力を吸収された上で圧縮される青行燈が、苦悶の叫びを上げる。断末魔の叫びと呼べるそれが収まった時、ステージを照らしていた青白く不気味な照明が一斉に消え、代わりに天井の隙間から入ってくる夕日の光がステージを照らした。それを、青行燈の消滅と見なした鬼太郎は、ちゃんちゃんこの拘束を解く。すると、青行燈を包んでいたちゃんちゃんこの中からは、青白く小さな火がボッと噴き出た。それに次いで、今度は黒い煙のようなものが吹きだし、ステージの床面を覆った。黒い煙は瞬く間に広がり、そしてすぐに消えた。すると、そこには……

 

「歌鈴ちゃん……川島さん……みんな!!」

 

「大丈夫だ。気を失っているだけみたいだ」

 

その後のステージの床には、十二人の女性と、五人の妖怪が転がっていた。青行燈に攫われたアイドル達と、先程闇に飲まれた鬼太郎の仲間達である。

 

「良かった……!」

 

 闇から戻ってきたアイドル達の無事を確認した美穂、飛鳥、蘭子の三人は一様に安堵の表情を浮かべた。床に倒れているアイドル達には外傷は無く、本当に気を失っているだけだった。妖怪達も無事なようで、アイドル達よりも先に意識が戻り、頭を抱えながらも起き上がり始めていた。

 

「はぅっ……」

 

「おっと……大丈夫か?」

 

「……ありがとう」

 

 ステージ上において、アイドル達が倒れている場所の端に立っていた小梅の身体がぐらりと崩れかけた。しかし、鬼太郎が後ろから支えてくれたお陰で、倒れずに済んだ。小梅は鬼太郎に感謝を述べると、支えられたまま、目の前のステージへと視線を戻した。そこには、未だ目は覚ましていないものの、闇に飲まれた大切な仲間達が、確かにそこにいる。その光景を見た小梅と鬼太郎は、あの恐ろしい戦いが終わりを迎えたことを、改めて実感していたのだった。

 

 

 

 

 

 青行燈を倒してアイドル達を救出した鬼太郎達は、廃墟となった公会堂を先に出ていた。アイドル達十二人については、ねこ娘が警察と救急に匿名で通報し、救出を任せることとしたのだ。当事者である鬼太郎達が姿を見せない理由としては、十二人もの人間を一斉に運び出す手段が無かったことと、どのような経緯で失踪したアイドル達を見つけたのかを説明することができないことが挙げられる。

 仲間であるアイドル達を廃墟の中に放棄することには、蘭子も飛鳥も、美穂も小梅も難色を示していたが、最終的には渋々了承した。まさか、一連のアイドル達の失踪騒動が妖怪の仕業などとは、説明できるわけもないのだから。

 

「小梅ちゃん、大丈夫!?」

 

「うん……鬼太郎さんが、助けてくれたから……」

 

 そして、当の鬼太郎達は、件の廃墟となった公会堂へとパトカーや救急車が走っていくのを傍目に見ながら、現場を離れていた。小梅は消耗が酷かったので、鬼太郎に背負われている。ちなみに、アイドル四人に同行しているのは鬼太郎とねこ娘のみであり、砂かけ婆と子泣き爺、一反もめん、ぬりかべは先に別ルートでゲゲゲの森へと帰っていた。

 

「そういえば小梅。青行燈が実体化したのは、君が妖怪ライトの灯りを点けたからなんだろうが……どうして妖怪だけが使える筈のそれを、君が使えたんだ?」

 

 青行燈が退治された時、小梅が妖怪ライトを持っていたことを思い出しながら、飛鳥が問い掛けた。妖怪ライト自体は、ねずみ男が放り出したものなのだろうが、問題は人間である小梅が何故使用できたか、である。

 それに答えたのは、鬼太郎の髪の毛の中に潜んでいた目玉おやじだった。

 

「いやはや……『白坂』という名字を聞いてもしやと思ったが、小梅ちゃんはやはり、あの『白坂一族』の末裔じゃったか」

 

「白坂、一族……?」

 

 何やら怪しげな単語が出てきたことに、怪訝そうな表情を浮かべるアイドル達。そんな一同に対し、目玉おやじが説明を続ける。

 

「『白坂一族』とは、平安時代に栄えた陰陽師の一族の一つじゃ。その系譜はわしや鬼太郎と同じ、『幽霊族』に連なる系譜を持つ、妖怪の血を一部引く陰陽師の一族で、かの陰陽師、安倍晴明とともに当時都を襲った妖怪達の撃退に貢献したこともあるのじゃ」

 

「えっと……それじゃあつまり、小梅ちゃんと鬼太郎さんは、遠い親戚……になるんでしょうか?」

 

「その通りじゃ。ほれ、髪型などそっくりじゃろう?」

 

「片目が隠れているだけだろう……」

 

 目玉おやじの指摘に対する飛鳥のツッコミは、その場にいた全員の総意だった。

 

「ともあれ、小梅ちゃんが妖怪ライトを使えたのは、そういう理由じゃ。しかし、白坂一族の血は途絶えたとされておったが……まさか、こんなところで先祖返りをした者と出会うこととなろうとは……思わぬ巡り合わせじゃな」

 

「まさか、あの百物語に書いてあった話が事実だったとは……」

 

「はあ……まあ、そういうことなら……」

 

 小梅の正体が、妖怪である鬼太郎と同じ系譜に連なる幽霊族であると聞かされた飛鳥や小梅だったが、あまり驚いた様子ではなかった。むしろ、小梅の霊能力の正体が分かったことで、納得したのである。恐らくは、妖怪との邂逅をはじめ、数多くの非日常をここ最近の間に体感したが故に、感覚が麻痺していることに加え、特殊な経歴のアイドルを数多く抱えている346プロに身を置いていることで、受け入れられたのだろう。

 

「とにかく、青行燈は消えたから、騒動は全て解決した。もうこれで、アイドルが闇に飲まれることはなくなったわけだが……」

 

 そこまで言って、鬼太郎は後ろを歩く蘭子の方へと視線を向けた。騒動が解決したということは、これ以降、蘭子が封じてきた中二病を控える必要は無くなり……お馴染みの挨拶とされていた「闇に飲まれよ!」を誰に対しても言うことができるようになったということである。だが……

 

「僕達が解決できるのは、ここまでだ。今後、君がアイドルを続けていけるかどうかは、全て君次第だ」

 

 だが、それらを解禁するかどうか……できるかどうかは、蘭子本人次第である。危険性が無くなったとはいえ、マスコミは未だに蘭子を「呪われたアイドル」と称して騒いでいるし、何より蘭子自身も今回の一件で多大なストレスを受け、軽くはないトラウマを抱えるに至った。

 以前のような堕天使キャラを解放しようにも、蘭子の中に植え付けられた罪の意識がそれを邪魔してしまうのは間違いない。もう二度と起こり得ないと分かっていても、青行燈がアイドル達を闇に飲み込む光景が頭の中に浮かんでしまう可能性が高い。結論として、蘭子が今まで通りのアイドル活動を続けていくことは、主に彼女自身の内面的な問題で、難しいと言わざるを得ないのだ。

 妖怪として、人間の恐怖に精通した鬼太郎にも、それは分かっていた。しかし、鬼太郎の言うように、ここから先は蘭子の問題であり、鬼太郎が介入する余地は無い。そんな鬼太郎の言葉に、蘭子は不安そうな表情を浮かべたが……

 

「心配は不要だ」

 

 そこへ、飛鳥が割って入った。

 

「彼女は一人じゃない。どれだけ難しくとも、ボク達が必ず……蘭子に再び羽ばたくための翼を与えてみせる」

 

「……そうか。だが、忘れないことだ。僕達妖怪は、常に人間達の恐怖とともにある。お化けや妖怪は、少し遠ざかって恐れるくらいが調度いいが……その匙加減も、君達次第だ。特にアイドルという職業に就いている君達が人に与える影響は、非常に大きい。青行燈のように……利用したがる妖怪がいる程にな」

 

「ああ。分かっている」

 

 鬼太郎が口にした最後の忠告に対し、飛鳥は勿論、蘭子も美穂も小梅も頷いた。多くの人間に注目される、アイドルのような存在は、人であれ物であれ、商業をはじめあらゆることに利用される。今回は妖怪がこれを悪用したが、これ以降も同じことが起こらないとも限らない。

故にアイドル達は、大勢の人間に注目されることで、否応なしに背負わなければならない業というものを理解する必要がある。それを四人は、改めて感じていたのだった。

 

「それじゃあ、ここまでだ。僕等はそろそろ行くよ」

 

「また会おう、小梅ちゃん」

 

「バイバイ……」

 

話している間に、346プロの女子寮へ辿り着いた鬼太郎達は、その場で別れることとなった。手を振りながら別れを告げる四人に対し、鬼太郎とねこ娘、目玉おやじも軽く手を振って応じると、そのまま人気の無い場所へと三人は移動していった。

 

「それにしても、傍迷惑な人間がいたものよね。面白半分で百物語なんてやって、厄介な妖怪を目覚めさせるなんて……」

 

 青行燈の一件を振り返り、忌々し気に文句を口にするねこ娘。攻撃の無効化をはじめ、本来持ち得ない能力を複数備えた厄介な敵だっただけに、ねこ娘がこんなことを零すのも無理も無い話だった。悪意があったわけではなかろうが、人間が面白半分でやった行為が原因で発生した騒動だっただけに、苛立ちも一入だった。

だが……

 

「本当に、人間が面白半分でやったことだと……そう思うかい?」

 

 鬼太郎が口にしたのは、ねこ娘の意見対して一石を投じるものだった。その意味深な一言に、ねこ娘が怪訝な表情を浮かべた。

 

「僕も最初は気にしなかったが……今回の一件、青行燈にとって都合が良すぎる条件ばかりが揃っていたと思わなかったかい?」

 

「……どういうことよ?」

 

 質問に質問で返したねこ娘に対し、鬼太郎は自身が抱いた疑問についての説明を続けた。

 

「無効化能力に、アイドルのキャラクター設定を取り込んだことで手に入れた特殊能力……全て、青行燈が戦闘を行う上で多大なアドバンテージを得られる能力だ。それを詰め込んだ怪談が、よりにもよって百物語の最後に来たんだ。偶然と言うには、出来過ぎている」

 

「確かに、言われてみれば……なら、今回の一件は、仕組まれていたってことなの?けど、誰がそんなことを……?」

 

 それならば、一体誰が、何のために……と口にしたねこ娘に対し、鬼太郎は即座に答えた。どうやら、ねこ娘に説明するよりも前に確信を得ていたらしい。それと同時に、何者の意図だったのかも、既に目星を付けていたのだと、ねこ娘は直感した。

 

「さっき小梅に確認させてもらったんだが……あの『アイドル百物語』の掲示板を作った人間と、百番目の物語を掲載した人間は、同じハンドルネームだった。こいつがこの一件の黒幕と見て、間違いないだろう。」

 

 鬼太郎の推理を聞いたねこ娘は、スマートフォンを取り出して件の掲示板を確認する。すると、確かに掲示板の管理者と百番目の物語を掲載した人間のハンドルネームは同一のものであることが確認できた。だが、問題はそのハンドルネームである。

 

「ハンドルネーム『NURA』って、まさか……!」

 

「“ぬらりひょん”……奴の仕業で、間違いないだろう」

 

 鬼太郎が口にした、長年の宿敵の名前に、ねこ娘の顔が驚愕に染まった。鬼太郎の表情も、いつになく真剣なものになっていた。

 

「恐らくは、今回は鬼太郎への刺客ではあるまい。何らかの実験と見るのが妥当じゃろう」

 

「日本妖怪の総大将が、何故こんなことをしたかは分からないが……奴の企みが、これだけで終わるとは思えない。放っておけば、また何かをしでかすことだろう……」

 

 目玉おやじの言葉に続き、そう口にした鬼太郎の右目には、夜空に浮かぶ月が映っていた。先程までは、夜道を照らすほどの光を放っていた月に、光を遮る暗雲が立ち込め始めていた。その光景は、鬼太郎とぬらりひょんの、終わることの無い戦いの行く末を示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

『闇に飲まれよ!』

 

 数多の高層ビルが聳え立つ都心のスクランブル交差点に、そんな台詞が響き渡った。音源は、正面のビルに備え付けられたモニターのスピーカーである。モニター画面の中では、346の堕天使系アイドル、神崎蘭子がお馴染みとなっている台詞をポーズを付けて口にしていた。その隣には346のアイドルユニット『ダークイルミネイト』のメンバーである二宮飛鳥の姿もあった。

 青行燈が退治され、アイドル達が無事に帰って来てから一か月後。廃墟となった公会堂にて救出されたアイドル達は、全員病院へと搬送されたものの、失踪してからの記憶が無いこと以外に外傷等は特に無く、全員早々に退院してアイドルとしての仕事に復帰した。そして復帰したのはその十二人だけではなく、事件の当事者でもあった蘭子もまた、復活を遂げたのだった。

 

「あんな騒動があったのに、本当に復活するとは……」

 

「飛鳥ちゃんも美穂ちゃんも……皆、頑張って蘭子ちゃんを励ましてたから……」

 

 スクランブル交差点の向こう側のビルのスクリーンを見て、鬼太郎は若干驚いた様子で呟いた。その隣には、346プロのアイドルである小梅と、妖怪仲間のねこ娘の姿もあった。

 

「あんな事件が起こったばかりで、解決した後も騒ぎ立てていたマスコミの圧力すらもものともせず、引き篭もり同然の休止状態から復活したんだから……中二病って本当に凄いわよね」

 

「そこは、蘭子ちゃんと飛鳥ちゃん、それにアイドルの子等の友情を褒めるべきではなかろうかの?」

 

 蘭子の復活劇に対し、呆れ半分、感心半分の様子のねこ娘だったが、目玉おやじはアイドル達の純粋な友情の為せる業だと信じて疑っていなかったらしい。ねこ娘自身も、中二病云々を抜きに蘭子と飛鳥を認めることには満更でもなかったらしく、最後は目玉おやじの意見に同意した。

 

「ま、そうかもね……。鬼太郎が人間を守ろうとする気持ちも、少しは分かる気がするわ」

 

「青行燈の言うように、恐怖を忘れて欲望を貪るのも人間だが、あの二人のように、互いに恐怖や苦しみを分け合い、支え合うことができるのも人間……そうですよね、父さん」

 

「その通りじゃ。醜さと美しさの、相反する側面を兼ね備えておるのが人間なのじゃ。仮に大多数の人間が醜い一面を強く露呈したとしても、それですべての人間を一括りにすることはならん」

 

「アイドルという職業に就いている人間達には、それを忘れずにいてもらいたいものですね……」

 

 多くの人間の関心を集めるアイドルだからこそ、その影響も計り知れない。青行燈も、人々がアイドルに対して抱く負の感情を糧に能力を強化できたのだ。だが、それと同時に、ファンを愛し、愛され、その繋がりを通して様々なことを伝え合うことができるのもアイドルなのだ。互いに思い合う絆があれば、恐怖によらず、人間は自分達を律することができるかもしれない。

 映像の中で、二人揃って楽しそうに笑い合い、歌とダンスと、自分達が描く世界を披露して人々を魅了する、蘭子と飛鳥――――――その光景を見た鬼太郎は、柄にもないと思いながらも、そんなことを密かに感じていたのだった。




本編はこれにて終了となります。
しかしながら、もし続編を望まれる方がおられるようでしたら、執筆を考えたいと思っております。
ご意見等がございましたら、感想かメッセージにてご連絡ください。


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北条加蓮編
悲運なる出会い 北条加蓮と妖怪医師 ①


お待たせしました。
ゲゲマスシーズン2、始まります。


「……はぁ」

 

 消毒用エタノールの臭いが微かに漂う病室の中。窓際に設えられた白いベッドの上に横たわりながら、少女――北条加蓮は溜息を漏らした。生まれつき病弱で、不治に等しい難病を患っている彼女は、幼い頃から入退院を繰り返す日々を送っていた。学校も相当な日数を欠席しており、このままでは義務教育後の高校への進学も危ぶまれる程だった。

 

(ま、それもどうでもいいか……)

 

 白い壁と白い天井を見つめるだけの日々に疲れた加蓮は、半ば以上自暴自棄になっていた。いつまで経っても変わらない生活と自身の体調に、加蓮は人並みの生活を送ることを完全に諦めていたのだ。主治医からは、はっきりとは告げられていないが、病状が改善する余地が皆無に等しく……後先も短いことは、明白だった。恐らく自分は、このベッドの上に横たわったまま、人知れず朽ち果てていくのだろうと思っていた。

 

「失礼する」

 

 そんな黄昏状態の精神のまま、呆然とすることしばらく。ノックとともに、病室のドアを開く人物が現れた。色白の肌をした、白衣を纏った痩身の男性。髪は短髪で、目は若干鋭い。見る角度次第では、病人にも見えるような人物だった。だが、服装から分かるように、彼は患者ではなく、患者を診る側――医師である。

 

「今日から君の担当となった、山井だ」

 

(……ああ。そういえば、そうだったかな。)

 

 白衣の男性――山井の言葉を聞いた加蓮は、思い出す。彼は、本日付で加蓮の主治医となった、他所の病院から新たに入ってきた医師なのだ。ベッドの上で横になって無為に時間を過ごすだけの日々だっただけに、すっかり忘れていた……否、どうでもよくなっていたのだ。

 とはいえ、自分の体調を診に来てくれたのだから、きちんと受け答えしなければならない。ベッドから起き上がり、頭を下げて挨拶をした。

 

「よろしくお願いします……」

 

「よろしく。それで早速だが、君の病状の確認をしていきたい。必要な検査が終わり次第、すぐに手術の予定を組むこととする」

 

「………………は?」

 

 山井医師が一気に捲し立てる言葉に、加蓮は呆けた様子で声を漏らしてしまった。今日が初めての筈の医師が、病状の確認のみならばともかく、いきなり手術などと口にしているのだから、当然だろう。

 対する山井医師は、そんな加蓮の様子を気に留めることなどせず、事務的に、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「君の病気を治療するために、手術をすると言ったんだ。そのためには、君の病状に関する情報確認が必須だ。だから、手始めに……」

 

「ちょ、ちょっと待って!手術して、治療って……そんなの、できるの?」

 

「可能だ」

 

 先程までのボーっとしていた状態から正気に戻った加蓮が、山井医師の言葉を遮る。そして、先程彼が一気に口にした言葉の意味を一つ一つ理解し……驚愕してしまった。

 この医師は、加蓮の病気を“治療”すると言ったのだ。今まで、何人もの医師が匙を投げた、不治に等しい病気を。信じられないあまり、問い返した加蓮だったが、しかし山井医師は即答した。

 

「……信じられない。今までのお医者さんは、皆、治せなかったのに……」

 

「その医師達は治せなかったが、私ならば治せる。ただそれだけだ」

 

 不治に等しい難病を治療できることを、何でもないことのように口にする医師に、加蓮は呆然としてしまった。そしてその後は、最初に言われた通りに病状確認のための問診や聴診器を使った聴診が速やかに行われていくのだった。しかも、会話は必要最小限のことを聞いて確認するのみで、非常に事務的。無駄が無いと言えば聞こえは良いが、加蓮としては正直に言えば疲れてしまう。少なくとも、患者に寄り添う医師の振る舞いとは思えなかった。

 

「前任の主治医が残したカルテに書いてある通りで、病状に変化は無いようだ。このまま詳しい検査を行い、特に問題が無いと判断されれば、予定通りに三週間後に手術を行うこととする」

 

「さ、三週間って……そんな勝手に……!」

 

 一方的に診察を始めたかと思えば、今度は一カ月と経たない内に手術をするとまで言い出す始末。主治医とはいえ、加蓮の意向など一切お構いなしの、傍若無人ともとれる強引なやり方に、それまで受動的に話を聞くだけだった加蓮も、流石に黙っていられなくなった。

 だが、山井医師は全く悪びれる様子もなく、淡々と返してきた。

 

「君の病気の治療をするのが私の仕事だ。そして君も、病気が完治することを望んでいる。ならば、手術を拒否する理由は無い筈だ」

 

「患者の私の意見を何も聞かないで、全部勝手に決めるのは、どう考えてもおかしいでしょ!?」

 

「君の病気は末期状態だ。治療するには手術以外の方法が無い以上、無駄な問答を繰り返す必要は無い」

 

「だから、そういうことじゃ……」

 

 何を言っても暖簾に腕押しとばかりに、正論のように聞こえる屁理屈で加蓮の意見は封殺されてしまっていた。今までの医師は、加蓮のことを最大限に配慮し、精神状態にも気を配ってくれていたので、このようなぞんざいな対応をされるとは全く予想できなかった。

 尤も、加蓮に配慮してくれたといっても、その医師達はいずれも加蓮の病気をどうすることもできなかった。自身の病状について尋ねても、お茶を濁して誤魔化すばかりで、建設的な意見は全くと言っていいほど聞けなかったという点では、目の前の山井医師の方がマシと言えばマシなのだが。

 

「それでは、今後の治療プランについては以上で問題は無いな?」

 

「はぁ……もう良いわ。好きにして」

 

 溜息とともに、加蓮はやや投げやりにそう答えた。そもそもの話、人並みの生活を送ること自体を諦めていたのだから、治療方針云々は今更どうでも良かった筈なのだ。故に加蓮は、自身のことながら全て他人事のように、目の前の医師に放り投げることにしたのだった。

 

「手術後のリハビリも含め、早ければ二カ月後には退院して日常生活に復帰できる筈だ」

 

「……随分と飛ばしたスケジュールだけど、そんなに私を病院からさっさと追い出したいワケ?」

 

 どうでもいいこととはいえ、一方的に主導権を握られるだけというのも癪なので、軽い皮肉を口にしてみた。

 

「現状分かっている病状からの推測を述べただけだ。それに、君も病院にいつまでも入院していたいとは思わない筈だと思うのだが?」

 

 どうやら、この冷徹な医師に対しては、皮肉や冗談の類は通用しないようだ。意思疎通を試みることに疲れた加蓮は、カルテに問診結果を記入している山井医師を余所に、そのままベッドに横たわった。それと同時に、ふと思ったことを口にした。

 

「……ねえ、本当に私って、治るのかな?」

 

「手術をすれば、完治できると先程説明した筈だ」

 

「そうじゃなくて、その……病気が治るって、どういうことなのかなって……」

 

「意味不明な質問だな」

 

「……病気が治って退院した後、何をしたら良いのか、分からないって意味よ」

 

「学校に通えば良いだろう。君の年齢からして、まだ中学生だった筈だ」

 

「いや、そうじゃなくて……まあ、確かにそうなんだけど……」

 

 皮肉や冗談が通じない医師に、遠回しな言葉から内心を察して欲しいなどと考えたことが間違いだったと、加蓮は心の底から思った。尤も、そんな医師に対して退院後の相談をしようとしているのだが、加蓮はそんな自分の矛盾に気付いていない。

 

「確かに、病気は嫌だけどさ……退院しても、やりたいこととか無いし……」

 

「それは私が責任を持つべき事項ではない」

 

 案の定の、思い遣りの欠片も無い返しに、加蓮はやっぱりと頭を抱えた。目の前の主治医は、自身の病気を治療するという仕事にしか関心が無く、それですら非常に事務的なのだ。加蓮のことに親身になって話を聞く気が全く無いことを改めて知った途端、病気とは無関係に眩暈がした。

 

「君が今更何を言おうと、病気を治療することは確定事項だ。君は全快し、この病院を退院する。後のことは、術後の経過以外でこちらが責任を持つことは無い」

 

「……もう少し、アドバイスとかくれても良いんじゃない?」

 

「私はカウンセラーではない。君の病気を治すことが仕事であって、生き方の相談を受け付けるつもりはない」

 

「……ちょっと無責任すぎるんじゃないかな?先生が現れるまで、散々治らないって言われてきた病気がいきなり治るって聞かされれば、誰でも戸惑うと思うんだけど……」

 

「繰り返し言うが、私は君の治療後の人生については責任を負うことはしない。それに、治療が失敗したのならばともかく、成功したのならば文句を言われる筋合いは無い」

 

 全く以てその通りの理屈に、加蓮は閉口した。治療にあたり、医師は患者に寄り添うものとされているが、明確に義務付けられていることではない。

 無論、治療方針については患者の意思を最大限反映させる努力をする必要はある。しかし、先程提示された治療方針には文句の付け所は無く、加蓮の病状も末期状態であることから他に取れる治療方針も無い。まさか、優しく接してもらうためにごねて治療を拒否するなどという馬鹿な真似ができるわけもない。

 これからどうしたものか、と治療後の未来について本気で悩み始める加蓮。そんな加蓮を目にした山井医師が……治療方針について手元のボードに記していた手を止め、唐突に口を開いた。

 

「尤も、人に生き方を委ねているようでは、治療をしてもしなくても変わらない。一生抜け殻同然の人生を生きることになるだろうがな」

 

「……!」

 

 それまで治療に関することしか口にしなかった山井医師が口にした皮肉。しかし、それに対して加蓮は何も言い返すことはできなかった。今までの人生のほとんどを病院で過ごし、自身の将来について諦めていた加蓮である。病気が治った先にあるのは、空虚な人生であることは、想像に難くなかった。

 

「それが嫌ならば、探してみることだな。自分のやりたいことを」

 

 山井医師はそれだけ言うと、病室を出て行くのだった。残された加蓮は、山井医師の言葉に衝撃を受け、山井医師が病室を立ち去ったことには気づかなかった。しかし、呆然自失から立ち直ると同時に、加蓮の中にはある決意が生まれた。

 

(絶対に生きて……やりたいことを見つけて、それを現実にしてみせる――――――)

 

 抜け殻のような人生などではない、北条加蓮にしかできない人生を生きてやると……そして、その姿をあの担当患者である自分に対して全くの無関心だった山井医師にも見せてやるのだと、心の中で強く宣言するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『プロジェクトクローネ』は、346プロダクションを代表するアイドルプロジェクトである。海外から帰国した常務取締役、美城常務が同社アイドル部門統括重役に就任すると同時に立ち上げた新企画であり、346プロダクションのブランドイメージを確立させることを目的として、様々な部署から集めたアイドル達によって構成されている。メンバーはいずれもアイドルとしての能力が高い精鋭揃いであり、346プロの中でもトップクラスの人気を誇っている。

 そんな人気プロジェクトたるプロジェクトクローネが使用するプロジェクトルーム中央に置かれたデスクを中心に、三人のアイドルが集まっていた。

 

『先日、立て続けに都内の病院において確認された感染症は、新型のウイルスによるものと判明しました。この感染症の症状は、かつて歴史上で猛威を振るったものに酷似しており、感染力も高いことから……』

 

「なんか、物騒な話になってんな」

 

「三、四日くらいからだっけ?ニュースでやってるように、都内の病院で三件も立て続けに発生したんだって。感染力が強いって話だし、私達も無関係じゃないよね……」

 

 部屋に置かれたテレビを見て呟いた少女――奈緒に同調し、もう一人の少女――凛が、スマホを操作する手を止めて不安そうな表情を浮かべていた。

 凛が言うように、社会は今、都内の病院で連日発生している新型ウイルスによる感染症の脅威に、騒然としていた。感染力が非常に高いだけでなく、重篤な症状が続くこの感染症には、有力な治療法が存在しない。新聞やニュースをはじめとしたあらゆるメディアにおいて四六時中取り上げ、その動向について神経質になるのも、無理からぬ話だった。

 

「ところで、加蓮は何やってんだ?」

 

 新型ウイルスの猛威に不安を抱いている二人を余所に、部屋の中央にあるテーブルの上に私物を広げ、何かを行っていた少女――北条加蓮に、奈緒が話し掛けた。凛もまた、加蓮の手元へと視線を向ける。テーブルの上には、数枚の紙と封筒が置かれており、加蓮の右手にはペンが握られていた。

 

「これって……便箋?誰かに手紙でも送るの?」

 

 手紙を書いていることは分かったが、一体、誰に送る手紙なのだろう。そんな疑問を抱いた凛が口にして問い掛けたことは、奈緒も気になったらしい。二人から興味津々と言わんばかりの視線を向けられた加蓮は、別に隠すことでもなかったらしく、普通に答えた。

 

「ちょっと昔の知り合いに、手紙を送りたくてね」

 

「メールにすれば良いだろう。なんで手紙なんだよ?」

 

「手紙にしないと、これを入れられないじゃない」

 

 そう言って加蓮が手に取ったのは、一枚の紙幣のような形の紙――チケットである。

 

「それって、来月予定しているライブのチケットじゃないか?」

 

「もしかして、その人を招待するつもりなの?」

 

「うん」

 

 二人の問いに対し、笑みを浮かべながら首肯する加蓮。それを聞いた奈緒と凛は、ますますその相手に興味が湧いた。アイドルがライブに身内を招待することは、珍しい話ではない。しかし、大概が家族や親戚、学校などの親しい仲の友人であり、直接渡せる間柄である。昨今、電子チケットの利用者も増えている中で、手紙に同封してまで送るケースは珍しい。そして逆に言えば、そこまでして送りたい相手ということは、加蓮にとって特別な人間である可能性が高いということである。

 

「それで、昔の知り合いっていうのは、誰なの?」

 

「昔、私が病院に入院していた時にお世話になった先生でね……山井先生っていうの。私の病気を治してくれた……いわば、恩人なんだよね……」

 

 チケットを贈る相手に関して、嬉しそうに話す加蓮。その反応を見た凛と奈緒は悟った。明確には口にしていないが、加蓮がチケットを渡そうとしている山井という医師が、男性であることは間違いない。そして、病気を治してくれたことに対する恩義だけでなく……もっと踏み込んだ、“特別”な感情を抱いているのだと。

 これはもう、根掘り葉掘り聞くしかない。そんなことを考えた凛と奈緒は顔を見合わせ、ニヤリと悪い笑みが浮かべた。それを見た加蓮は、しまったと内心で狼狽えるが、もう遅い。

 

「ほほう……それで、加蓮はその素敵なお医者様に、自分の晴れ舞台を見て欲しいと思っているわけだな?」

 

「なっ!……ちょっとそれ、誤解だから!大体、素敵なお医者さまって誰よ。あの人、不愛想で、患者の私にはちっとも優しくしてくれないし、悩みごとの相談だってできやしない……正直、なんであんな人がお医者さんなんてやっているんだろうって、不思議で仕方がなかったわよ」

 

「成程ね。つまり、加蓮はその山井先生を振り向かせたくて、ライブのチケットを贈ろうとしているんだね」

 

「いや、だからそんなわけじゃないんだけど……」

 

「まさか、加蓮が恋する乙女になっていたとはな~!隅に置けないな~お前も!」

 

 元主治医との関係をネタに弄ってくる凛と奈緒に対し、加蓮は否定しようとするも、ニヤニヤと笑いながら囃し立てる二人は全く信じようとしない。特に奈緒は、普段弄られている仕返しとばかりにテンション高めで、机をバシバシと叩きながら憎らしい笑みを浮かべて加蓮を弄っていた。

 

「加蓮に想い人なんて、まさかまさかの展開だよな!こりゃあ、奏や周子にも教えてやらないと……」

 

「奈緒……それ以上騒いだら、この前コスプレ喫茶のサービスを利用して日曜朝の魔法少女の恰好で記念撮影した写真、事務所にばら撒くから」

 

「なぁぁああ!!」

 

 仏心を出して、普段弄られている奈緒のために、少しぐらいは我慢してやろうと考えた加蓮だったが、限度というものがある。スマホを操作して画面に出した写真を奈緒に見せつけ、脅しにかかる。対する奈緒は、加蓮のスマホに表示された写真――奈緒の魔法少女コスプレ――を見せられて、驚愕の叫びを上げ、羞恥に顔を赤く染めていた。

 

「な、何でこんな写真持ってんだよ!?あの日は、あたし一人だった筈なのに……!」

 

「奈緒のカバンを漁ったら、このお店のパンフレット見つけてね。試しに私も行ってみたの。それで、お店の人に奈緒のこと聞いてみたら、こんな写真が出てきたってワケ。私がトライアドプリムスの北条加蓮だって言ったら、快くくれたわ」

 

「決めポーズまでしちゃって……こんなに楽しそうな奈緒、仕事でも中々見られないよね」

 

「凛まで持ってんのかよ!?」

 

 加蓮が取り出したまさかの切り札に、顔を赤くして頭を抱える奈緒。しかも、凛の手にも渡っていたとなれば、恥ずかしさも一入である。先程までの、調子に乗って加蓮を弄っていた姿はどこにもなく、いつもの通り、年上の威厳など欠片も無い奈緒の姿がそこにはあった。

 

「珍しい光景だと思ってたけど、長くは続かなかったね」

 

「ま、これが私達の普通でしょう。奈緒はやっぱり、弄られてないと」

 

「弄っている奈緒なんて、奈緒じゃないよね」

 

「お前等、本当に言いたい放題だな!」

 

 加蓮と凛からボロクソに言われ放題の奈緒は、声を張り上げて怒るも、火に油を注ぐかの如く、二人の弄りはエスカレートしていく。しかし、このままでは本題から脱線していつものやりとりに戻ってしまう。それも悪くは無いが、放置すべき疑問ではないと考えた凛は、改めて加蓮に問い質した。

 

「それで、話を戻すけど、加蓮はそのお世話になった先生をライブに招待したいんだよね?」

 

「凛……話さなきゃ、駄目?」

 

「当たり前だ!あたしだけ恥ずかしい思いするなんて、不公平だろ!」

 

 奈緒を弄ることで上手くはぐらかせると思った加蓮だったが、そうは問屋が卸さなかった。凛に続き、奈緒までもが加蓮に先程の話を詳しく教えろとせっつきにかかる。観念した加蓮は、溜息を吐きながら手紙の相手たる主治医について話し始めるのだった。

 

「はぁ……まあ、そういうことよ。難病を治してもらったことのお礼をしたいっていうのもあるけどね。本当のところは、あの人に私のことを……アイドルになった私を、見せたいって思ったの」

 

「へえ……加蓮がそんな風なことを考えるなんて、珍しいね」

 

「加蓮にとっては、それだけ特別な人ってことだな」

 

 未だに茶化してくる凛と奈緒。そんな二人を、加蓮は半ば本気の苛立ちを込めたジト目で睨みつけて黙らせた上で、話を続けた。

 

「あの頃の私は、色々諦めて、退院した後のことなんて全然考えてなかったからね。ただベッドに横になって、ぼーっとしながら過ごしているだけだった。そんな私を見たその先生から、「抜け殻みたいだ」って言われたのよ」

 

「……なんか、お医者さんって感じじゃないよね、それ。思い遣りの欠片も感じないんだけど」

 

「そういう先生なのよ。でも実際、自分でもそう思っていたから、何も言い返すことができなかったしね。だから、退院してからは、何か好きなことを見つけて、抜け殻なんかじゃない……私らしく生きてやるんだって、決めていたんだ」

 

「それで一念発起して、アイドルを始めたってのか?」

 

 奈緒の問い掛けに、首肯する加蓮。奈緒と凛は、同じユニットの仲間である加蓮がアイドルになった経緯を初めて聞かされたのだが、余程意外だったのだろう。若干驚いたような表情をしていた。

 

「まあ、アイドルになったのはスカウトがきっかけなんだけどね。けど、結果として夢中になれるものは見つかった。だから、アイドルになって、入院していた頃の私じゃないってことを、その先生に知ってもらいたいって思って、チケットを送っているのよ」

 

「ん?送っているって……もしかして、デビューしてからずっとチケットを送り続けてるのか?」

 

「うん。けど、ライブに来てくれているかどうかは、分からないんだけどね」

 

「分からないって……本人には会って聞いたりしてないの?電話とかメールとか、色々連絡を取る手段はあるじゃない」

 

 知り合いの間柄ならば、連絡を取るくらい難しい話ではない筈。そう考えた凛の言葉に、しかし加蓮は首を横に振った。

 

「患者と医師の関係だから、過度に親しくしちゃいけないとかって言われてね。携帯の番号もアドレスも、教えてもらっていないのよ。連絡手段は、勤め先の病院に手紙を送るだけなのよ」

 

「ああ、成程。それで、手紙にチケットを入れて送ってんのか」

 

「そういうこと。まあでも実際、来てくれる保証なんて全然無いんだけどね……」

 

「どうして?」

 

 かつての担当だった入院患者が、感謝の気持ちを表すためにライブのチケットを送っているのだ。行きたいと思うのが普通だろう。しかも、人気急上昇中のアイドルのライブであれば、猶更である。

そんな凛の考えは、口にせずとも加蓮にも伝わったらしい。しかし、苦笑しながら首を横に振って否定した。

 

「あの人……山井先生は、普通のお医者さんとはちょっと違うんだよね。本当に、仕事として患者に接しているって感じで、私の体調とか治療の経過とか以外のことは、全然話をしなかったんだ。……きっと、私のことなんて、何人も治療してきた患者の一人っていう以上の認識は無いんだと思う」

 

「何だよそれ……いくらなんでも、酷過ぎだろ!」

 

「助けてもらった命で精一杯生きている加蓮に対して、失礼だよね……」

 

 山井医師の、加蓮に対する人も無げな態度に、奈緒は声を上げて憤慨した。凛は声こそ上げていないものの、険しい表情をしていた。それと同時に、二人は目を合わせて頷き合い、あることを決意した。

 

「その医者には、何が何でも次のライブには来てもらう必要があるな」

 

「奈緒の言う通りだね。加蓮のことを、ここまで無碍にされたら、私達も黙っていられないしね。そういうことだから加蓮、そのお医者さんがいる病院に案内して」

 

 是が非でも山井医師を加蓮のライブに連れて行こうとする凛と奈緒。このままでは、本当に病院まで乗り込みかねない。二人の様子からそう感じた加蓮は、説得を試みる。

 

「いやいや、あの人も本当に忙しい人だから。凄腕の若手医師として知られていて、難しい手術をいくつも成功させているって話だし。それに、私みたいな患者の病気を治しているんだから、病院を休んでまでライブに来てくれなんて……とてもじゃないけど、言えないよ」

 

 加蓮の言葉に、それまでヒートアップしていた奈緒と凛はクールダウンする。山井医師が凄腕の医師であることは、加蓮の病気を完治させたことからも明白である。そして、それだけ優秀な医師ならば、加蓮のような患者を何人も治療するために日々奔走していることは想像に難くない。いくら加蓮への対応がぞんざいだからといって、こちらの都合ばかり押し付けるのは傲慢というもの。ましてや、元病人の加蓮の立場では、猶更そんなことは言い出せるものではないのだ。

 

「まあ、残念には思うけど……仕方の無いことだよ。それに、今都内は新型のウイルスとかでかなり騒がしいことになっているから、今回もチケットだけは送って満足するわ」

 

「「……」」

 

 事情が事情なのだから仕方が無いと言って、諦めた様子の加蓮だったが、その表情が曇ったのを、凛と奈緒は見逃さなかった。初めからあまり期待していなかったというのは本当だろうが、本心では来て欲しい筈である。でなければ、そもそもチケットを贈ったりはしない。

 かといって、強引にライブへ来るように迫るのは、却って加蓮に心苦しい思いをさせることになる。しかし、加蓮の心情を知った今、このまま何もせずに諦める気にはなれなかった。

 

「……加蓮。それならせめて、直接渡すくらいはしてみたらどうかな?」

 

「いや、だから山井先生も忙しいって……」

 

「手紙を渡すだけなら、一分もかからないだろ?忙しいのも分かるけど、直接渡すだけでも、違うと思うぞ。来てくれないにしても、加蓮が今、頑張ってるってことだけは伝えられるんだしよ」

 

 加蓮が今、頑張ってアイドルをしているということを知ってもらうには、それ以外に方法は無い。説得は諦めるしかないだろうが、直接会って一言「来てください」とだけ言って渡すだけならば、まだできるかもしれない。迷惑に思われる可能性は高いが、どれだけ真剣なのかを伝えるには、やはり面と向かって渡すのが一番である。

 

「私達も協力するからさ……その人に、一度だけ会ってみようよ」

 

「そうそう!伝えたい気持ちがあるなら、行動あるのみだぜ、加蓮」

 

「凛……奈緒……」

 

 そう言って笑いかけて背中を押してくれる凛と奈緒の優しさに、加蓮は胸が熱くなる思いだった。二人にここまで言わせてしまったのだから、自分もそれに応えなければならない。そう思った加蓮もまた、決意を固めた。

 

「分かった。山井先生に会って、渡してみる。断られちゃうかもしれないけど……頑張ってみるよ」

 

「うん、あたし等もついていってやるから、安心しろ!」

 

「……奈緒、本心では面白がってない?」

 

「そ、そんなことあるわけないだろ!ほ、本当だぞっ!」

 

 奈緒の狼狽える様子から、やはり加蓮と山井医師の仲が気になっており、ピンクな妄想を抱いていることは明らかだった。だが、いつまでも奈緒を弄っているわけにはいかないと、凛が話を戻した。

 

「はいはい、加蓮もそこまでにして。それより、その山井先生って、どこの病院にいるの?」

 

「私が入院してた病院に、今も勤めているわ。都内にある『阿波田大学付属病院』っていうところ」

 

「……えっ?」

 

「どうしたんだ、凛?」

 

 加蓮が口にした病院の名前に、目を丸くして驚いた様子の凛。一体どうしたのかという、奈緒の問い掛けに対し、凛は、

 

「えっと、卯月から聞いたんだけど、その病院は……」

 

 

 

 

 

 

 

「美穂ちゃん、大丈夫?」

 

「うん……大分良くなったよ。小梅ちゃんも、ありがとうね」

 

 心配そうな小梅の問いに対し、美穂はベッドに横たわった状態で、若干やつれた顔に精一杯の笑顔を浮かべて答えた。力なく答えた美穂の右手には、細長いチューブが繋がれていた。

 二人が今いる場所は、美穂の状態から分かるように、病院だった。『阿波田大学付属病院』というこの病院は、都内でも有数の医療施設を備え、最新鋭の機器による治療や、ウイルスの研究が日夜行われていることで知られている。

 美穂は現在、そんな有名病院に入院していたのだった

 

「それにしても、びっくりしたよ……美穂ちゃんが、救急車で運ばれるなんて……」

 

「……私もまさか、こんなことになるなんて、夢にも思わなかったよ……」

 

 はは、と苦笑しながら、美穂は小梅とともについ先日起こった出来事をしみじみと思い出していた。

 それは、三日前の昼過ぎのこと。美穂の所属するアイドルユニット『ピンク・チェック・スクール』のダンスレッスンが行われている最中に、それは起こった。仲間達とともにレッスンに励む美穂を、突如として強い腹痛が襲ったのだ。その痛みのあまり、美穂は立っていることすらできず、その場に倒れて蹲ってしまった程だった。ただの腹痛ではないと異変を察知したトレーナーは、即座に救急車を呼び、美穂は病院へと運ばれた。病院で詳しい検査を受けた結果、美穂を苦しめた病気の正体は、すぐに判明した。

 

「まさか、『盲腸』になるなんて……全然想像もつかなかったよ」

 

 『盲腸』――正式名称『虫垂炎』とは、その名の通り、虫垂で何らかの原因で細菌が増殖、炎症が起きている状態である。開腹手術をした際に、虫垂が化膿や壊死を起こして盲腸に張り付いていたことから盲腸の病気と誤認されていたことのあることから、以前は『盲腸炎』と呼ばれていた病気であり、老若男女、あらゆる世代がかかる、ありふれた病気としても知られていた。そんな

病気にかかってしまった美穂は、手術のために入院するに至ったのだった。幸い、手術は無事に成功し、術後の経過も順調そのもの。早ければあと二日程度で退院できるまでに至ったのだった。

 

「けど、良かったよ。そんなに酷いことにならなくて……」

 

「うぅっ……本当はそこまでの病気じゃないのに、皆にこんなに心配かけちゃうなんて……」

 

 入院したとはいえ、『虫垂炎』はありふれた病気であり、美穂の場合もそこまで酷い病状には至らなかった。しかし、事務所から救急車で病院に搬送される現場を、一緒にレッスンをしていた卯月と響子以外の346プロのアイドル達にも見られていた。結果、美穂が重大な病気にかかっているのではという噂が346プロの事務所中を駆け巡ってしまったのだった。お陰で入院してから三日間、同事務所のアイドル達の見舞いが絶えなかった程である。

 大した病気でない筈なのに、周囲に多大な迷惑と心配を掛けてしまったことに対し、美穂は非常に心苦しく、申し訳ないと感じていたのだった。

 

「皆には本当に悪いことしちゃったよ。退院しても、しばらくはダンスレッスンはできないし、イベントもいくつかお休みしないといけない。私のせいで、卯月ちゃんや響子ちゃん……ユニットの皆には、心配だけじゃなくて、迷惑までかけちゃうなんて……」

 

「皆、美穂ちゃんのことは心配はしてたけど、迷惑だなんて思ってなかったよ。だから、そんなに気にしないで良いと思うよ……」

 

「小梅ちゃん……ありがとう」

 

 美穂だって、好きで病気になったわけではないのだ。確かに、美穂の体調不良でユニットの活動には著しい影響が出るのは間違いないが、それを理由に恨むような者は346プロにはいない。

 小梅の言葉のお陰で、少しは気が楽になったのか。力なく笑みを浮かべる美穂の顔色が、僅かに良くなったように見えた。

 

「それじゃあ、私はそろそろ行くね。それからこれ……お見舞いの品だよ」

 

「これって……トマトジュース?」

 

「トマトは身体に良いんだよ。血のように真っ赤で、内臓をすり潰したみたいにドロっとしているのは特に……」

 

「うぅっ……!小梅ちゃん、その話はちょっとよしてくれないかな……」

 

「……ごめん」

 

 トマトジュース自体は、健康のために良かれと思って持ってきたのだろうが、その後の説明は明らかに不適切だった。口元を押さえて顔色が悪化していく美穂を見て、反省する小梅だった。

 

「これ……あとで飲むね」

 

「うん。それじゃあ、また今度……」

 

 美穂に見舞いの品を渡した小梅は、相も変わらず服の袖に隠れた状態の手を振って美穂に別れを告げた。三階にある美穂の病室を後にした小梅は、病院の廊下を歩いて元来た道を進み、一階の入口を目指す。その途中、ふと窓の外を見た小梅は、予期していなかった、意外なものを見つけた。

 

「鬼太郎さん……!」

 

 病院の入口を通過する、青色の古めかしい、長袖・半ズボンの学童服の上に、黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを纏った少年。それは、紛れもなく小梅がつい最近知り合った友人であり、自身の遠縁の親戚でもある妖怪の少年、ゲゲゲの鬼太郎だった。

 

(こんなところに、どうしたんだろう?)

 

 普段はゲゲゲの森で暮らしている鬼太郎が、人間界に出て来る所用といえば、妖怪絡みの出来事が真っ先に浮かぶ。まさか、この病院に妖怪がいるというのか。そんな考えが脳裏を過った、その時だった。

 

「!」

 

 窓の外を見ていた小梅の背後を、誰かが通った。その途端、小梅は肌が粟立つようなぞくりとした感覚に見舞われた。思わず振り向いたが、そこには誰もおらず……自身の背後を通過した人影は、廊下の曲がり角へと消えていた。

 

(今の……)

 

 強い霊感を持つ故に、人には見えないものを見たり、その声を聞くことができる小梅だから感じ取ることができた気配だった。しかもその気配には、覚えがある。つい最近……鬼太郎と協力して倒した妖怪『青行燈』が姿を現した時と同じものだったのだ。

 

(もしかして……あの人が妖怪?)

 

 だとすれば、鬼太郎がこの病院を訪れている理由も頷ける。先程感じた気配からして、善良な妖怪とは思えない。この病院には、同じ事務所のアイドルである美穂も入院している。もし鬼太郎と敵対するのなら、巻き込まれる可能性がある。そう考えた途端、小梅はその正体が非常に気になった。

 

「………………」

 

 気付けば小梅は、先程廊下の角に消えた人影を追い掛けていた。冷静になって考えれば、危険な妖怪ならば、鬼太郎とまず合流するべきだった。しかし、美穂の見舞いにて、その弱々しくなった姿を目の当たりにした小梅は、まず先に妖怪の正体を確かめるために動いてしまった。

 そして、先の人影を追い掛けることしばらく。小梅はとある病室へと辿り着いた。病室の中は昼間にも関わらず灯りが点いていない。一体、中で何が行われているのだろう……。疑問に思った小梅は、音を立てないように恐る恐る病室の中へと入った。

 

(あそこ……かな?)

 

 ベッドが六つほど並べられ、窓にはカーテンがかけられた病室の中。窓から微かに入ってくる日の光を頼りに部屋を見渡すと、一カ所だけカーテンが掛けられているベッドがあった。小梅は忍び足でそのベッドへと近づいた。そして、カーテンを開けようと手を掛けた――――――その時だった。

 

「誰だ!?」

 

「!!」

 

 人の者とは思えない、ドスの利いた声と共にカーテンが突如として開かれ、中から“何か”が現れた。薄暗い部屋故に詳細な姿は分からなかったが、明らかに人間のものではない、異形の影がそこにはあった。

 

「見たな……」

 

「――っ!」

 

 思わず後ずさる小梅を視認するや、その異形は小梅に覆いかぶさるように迫った。

 薄暗い部屋の中、小梅が最後に見たものは、白い髑髏と、その口の部分から噴き出す黒い煙のようなものだった――――――

 



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悲運なる出会い 北条加蓮と妖怪医師 ②

 

「父さん、この病院のようですよ」

 

 都内有数の規模を持つ大病院『阿波田大学付属病院』。その入口の前に、鬼太郎は立っていた。その髪の毛の中には、目玉おやじもいる。二人が病院などという場所に来た理由はただ一つ。妖怪ポストに手紙が来たため、その差出人に事情を聞くためである。

 

「ウム。では鬼太郎、早速手紙の差出人に会いに行くとしよう」

 

「はい、父さん」

 

 目玉おやじに促され、病院の敷地内へと入っていく鬼太郎。病院の建物の中へ入ると、受付を目指した。

 

「すみません。面会を希望したいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「はい。どちらの方の面会でしょうか?」

 

「小児科に入院している、この手紙に書かれている名前の子です」

 

 そう言って鬼太郎が取り出したのは、一枚の紙だった。これは、妖怪ポストに投函されていた便箋である。そしてその末端には、差出人の名前が記載されていた。

 

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 

 受付の係の女性看護師の指示に従い、待合席に座る鬼太郎。病院内は、都内で発生している連日のウイルス騒動の影響で慌ただしくなっており、まだしばらくは時間がかかりそうだった。その間、鬼太郎は手紙の依頼内容について思考を走らせる。

 

(この病院に、妖怪がいるという話だったが、果たして本当なのか……)

 

 差出人が小児科の入院患者の子供だっただけに、信憑性については心もとない。しかし、子供というものは大人よりも霊的な感覚が鋭く、お化けや妖怪といった存在を感知する能力が大人に比べて高い。子供の戯言と馬鹿にできないことを、鬼太郎はよく知っていた。だからこそ病院を訪れてまで、その真偽を確かめようとしているのだ。

 仮にこの病院に妖怪が潜んでいるならば、どこにいるのか、何が目的なのか。まだ見ぬ、いるかどうかも分からない妖怪の正体について思考を走らせていた。

すると、その時だった――――――

 

「!」

 

 それは、突然だった。鬼太郎の妖怪アンテナが強い妖気を感知し、逆立ったのだ。発生源は、間違いなくこの病院の中。しかも、近い。

 

「鬼太郎、もしや今のは……」

 

「はい。間違いありません」

 

 目玉おやじと小声で言葉を交わした鬼太郎は、待合席から弾かれたように立ち上がり、妖気を感じた方向を目指す。途中、看護士や医師からの病院内を走るなと注意を受けたが、構わず走り続けた。階段を上り、廊下を駆け抜けることしばらく。鬼太郎はとある病室へと辿り着いた。

 

「ここですね」

 

「鬼太郎、気を付けるのじゃぞ」

 

「はい、父さん」

 

 目玉おやじの言葉に頷いた鬼太郎は、電気の消えている病室の扉を開け放った鬼太郎は、廊下から差し込む電灯の光に照らされた仄暗い病室へと視線を巡らせた。そして、いくつものベッドが並んだ病室の中、一つだけカーテンが掛けられたベッドを見つけ、そこへ近づくと、カーテンを開いた。すると、そこには一人の入院患者がベッドの上で横になって寝ていた。別段変わったことの無い、普通の入院患者にしか見えない目の前の人間に……しかし鬼太郎は、ただならぬものを感じていた。

 

「ただの入院患者にしか見えんがのう……」

 

「この患者自体はただの人間です。しかし、身体からは妖気が感じられます」

 

 恐らく、先程までこの場所にいた妖怪の仕業だろう。一体、この場所で、この患者に対して何をしていたのか。それは現時点では分からない。しかし、これで確信が持てた。この病院には、間違いなく妖怪が潜んでいるのだと――――――

 

「一先ず、待合席に戻るのじゃ。まずは、手紙の差出人から情報を聞いて情報を集めねばならん」

 

「分かりました、父さん」

 

 目玉おやじ言葉に従い、病室を後にした鬼太郎は、一階の受付の傍にある待合席へと戻った。すると、ちょうど時間だったらしく、受付から呼び出しがかかった。

 

「お待たせしました。担当の七ヶ浜と申します。案内いたしますので、どうぞこちらへ」

 

「……よろしくお願いします」

 

 受付へと向かった鬼太郎を出迎えたのは、七ヶ浜と名乗る中年の女性看護師だった。たかが一人の見舞客に、何故案内人を付けられるのか。疑問に感じた鬼太郎だったが、その答えは案内の最中に七ヶ浜看護士本人から説明された。

 

「あなた、小児科の子供達から手紙を受け取って来たんでしょう?」

 

「ええ、まあ」

 

「やっぱりそうだったのね。実は、あの子達に『ゲゲゲの鬼太郎』の話をしたの、私なのよ。入院中で退屈してた子供達に、ちょっとした怪談として聞かせてあげようって思ってね。そしたら本気にしちゃって、お見舞いに来た学校の同級生に手紙を出してくれなんて頼んじゃったのよ」

 

 看護士の説明に、成程と鬼太郎は納得した。何故入院中の子供達が『ゲゲゲの鬼太郎』の話を知っていたのか、どうやって妖怪ポストに手紙を出したのかが疑問だったが、この看護士が噂の出所で、見舞い客の同級生に頼んだということならば合点がいく。

 

「それにしても、あなたも大変ね。あの子達のために、ゲゲゲの鬼太郎の恰好をして、お見舞いに来てくれるなんて……」

 

 そして、この看護士は鬼太郎が本人ではなく、子供達のために仮装して見舞いに来た友人であると思っているらしい。目玉おやじに出てきてもらい、本人であることを告げても良かったが、わざわざ看護士を驚かせてまで認識を改めさせる必要性も感じなかったので、そのままにすることにした。親子そろって人間に対する配慮に欠けていると、ついこの間、手紙の差出人である人間の子供から指摘されたこともある。

 そして、そうこうしている間に、手紙の差出人である小児科の入院患者の子供が入院している病室へと案内された。

 

「ほら皆、ゲゲゲの鬼太郎が皆に会いに来てくれたわよ」

 

 看護士が病室の扉を開いてそう告げると、それまでベッドに横になっていた子供達が一斉に起き上がり、一斉に鬼太郎の方へと視線を集中させた。それと同時に、喜色満面で、

 

「わぁっ!ゲゲゲの鬼太郎だ!」

 

「本当にちゃんちゃんこ着てる!」

 

「下駄も履いてるぞ!」

 

「目玉の親父は!?」

 

 目を輝かせながら、次々に質問を投げ掛けてくる子供達の勢いに気圧されて、若干たじろぐ鬼太郎。そんな子供達の反応を見て、七ヶ浜看護士はくすりと笑うのだった。

 

「それじゃあ、皆。鬼太郎さんとお話しするのも良いけど、病院だから静かにね」

 

 子供達へそれだけ言うと、七ヶ浜看護士は病室の扉を閉めてその場を立ち去るのだった。

 残された鬼太郎は、子供達からの質問に若干辟易しながらも適当にあしらい、手紙の差出人を探すことにした。

 

「この手紙を僕に送ってきたのは、誰だい?」

 

「はい!僕が書きました!」

 

 鬼太郎が手紙を取り出して尋ねると、それまで騒々しかった病室の子供達は一斉に静かになり、それと同時に差出人の少年が名乗りを上げた。子供達の反応から察するに、この手紙は病室にいる全員の意思のもとに書かれたものらしい。腕白な子供達が相手では中々話が聞けないのではと不安を覚えていたが、これならば話はスムーズに進むだろう。そのように考え、安堵しながらも鬼太郎は質問を続けた。

 

「今日は、この手紙に書かれていることについて聞きに来た。手紙の内容によれば、この病院には悪い妖怪が棲みついていて、病気をまきちらしていると書かれているが、これは本当かい?」

 

「本当です!この病院には、病気をばら撒く妖怪がいるんです!」

 

 鬼太郎の質問に対して力強く答えたのは、手紙の差出人を名乗った少年だった。その答えに対し、他の入院患者の子供達も頷いていた。

 

「俺も聞いたぞ!この病院には、病気を操る妖怪がいて、患者を酷い病気にしているって」

 

「しかも、お医者さんに化けているっていう噂だよ」

 

「ニュースで話題になっているウイルスも、そいつの仕業だって言ってた」

 

 どうやら、手紙に書かれていた妖怪の噂は子供達の間でも有名らしい。次々とその妖怪に関する情報が出てきた。

 それらを整理すると、この病院には病気を操る妖怪が潜んでおり、病気を患者にしているということだった。しかもその妖怪は、その病気を他の病院にも撒き散らして世間を騒がせているという。人間界の世情には疎い鬼太郎だったが、この病院に来るにあたり、人間界のことをよく知るねこ娘からそのあたりの情報については聞いていた。

 

(しかし、新型ウイルスを撒き散らす妖怪、か……)

 

 人間を病気にする妖怪はいくらでもいるが、治療が困難な伝染病を操れる妖怪はそうはいない。仮に今世間を騒がせている新型ウイルス騒動が妖怪の仕業ならば、相当強力な妖怪ということになる。子供が聞いた話故に、確たる証拠は無く、信憑性に欠けているが、慎重に調べる必要がある。そう考えた鬼太郎は、さらに詳しい話を聞くことにした。

 

「それで、病気をばら撒いている妖怪は、この病院のお医者さんに化けているっていうことだけど……それが誰なのかは、分からないかい?」

 

「う~ん……名前は分かんないや」

 

「確か、とっても凄いお医者さんだとか……」

 

「失敗したことが無いお医者さんって聞いたことがある」

 

 話を聞くに、相当な名医なようだが、名前が知られていないということは、小児科の担当医ではないようだ。ともあれ、病院に潜み、病気を撒き散らしているという妖怪についての情報は得られた。子供達の噂ではあるが、確かに病院に潜伏するならば、院内を自由に動き回れる医師に化けるのは合理的である。ならば次は、医師の中に潜んでいると思しき妖怪医師の正体を突き止めねばならない。

 改めて妖怪の正体を突き止めることを決意した鬼太郎は、情報提供者である子供達に別れを告げると、院内を回って聞き込みを開始することにした。特に子供達から齎された情報を重視し、院内でも有名な医師について調べる必要がありそうだ。そう考えた鬼太郎は、看護士達が頻繁に行き交い、情報収集に適している思われる受付へと戻ることにした。そして、七ヶ浜看護士に案内された道を逆行し、受付があるエントランスへと差し掛かった、その時だった。

 

きゃぁぁああああ!!

 

「!!」

 

 突如病院内に響き渡る悲鳴。それを聞いた鬼太郎は、反射的にその方角へと走り出した。何が起こったかは、まだ分からない。だが、自身がこの病院を訪れた理由とは無関係とは思えない。そう直観した鬼太郎は、考えるよりも先に動きだしていた。

 悲鳴が聞こえた方向へと振り返る入院患者や看護師、医師といった職員の間をすり抜けて辿り着いたのは、待合時間に妖気を感じた病室と同じ階だった。だが、現場はその病室とは反対側の廊下だったらしい。鬼太郎が向かうと、廊下を塞ぐように人垣が既にできていた。それを掻き分け、一体この場所で何が起こったのかを確かめようとした鬼太郎が見たもの。それは、衝撃の光景だった。

 

(まさか……!)

 

 鬼太郎の目の前、周囲の人々が遠巻きに見つめる場所には、一人の少女が倒れていた。小柄な金髪の少女で、片目が隠れる程に長い前髪が特徴的な少女である。その顔や手足、服の隙間から見える肌には、無数の豆粒状の隆起――丘疹が発生していた。

 明らかに何らかの重篤な病気に侵されていることが分かるその少女の服装や髪型には、鬼太郎は覚えがあった。顔をはじめとした肌は無残な姿になってしまっていたが、間違いないと直感していた。

 

「小梅……!!」

 

 呆然とした鬼太郎が口にしたその名前に……しかし、廊下に倒れ伏した本人は一切の反応を見せることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、加蓮!早く行くよ!」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、凛!」

 

 鬼太郎が阿波田大学付属病院を訪れてから然程経っていない時間帯のこと。新たな来客が三人、病院の入口に姿を現していた。346プロのプロジェクトクローネの看板ユニット『トライアドプリムス』の凛と加蓮、奈緒である。

 

「今更ビビってるわけにはいかないだろ?片思いの先生に、ライブに来てくれって言ってチケット渡すんだから」

 

「む~……奈緒ってば、普段はツンデレ全快でヘタレ極まる弄られ役のくせに生意気よ」

 

「んなっ!……おい加蓮、それどういう意味だよ!?」

 

 二人に促される形で、ライブの招待チケットを直接渡しに病院まで来た加蓮だったが、やはり直接会うことにはまだ抵抗があるのか、その足取りは重かった。そんな加蓮を、凛と奈緒は病院の中へとぐいぐい引っ張り、押していた。しかし、凛はともかく、奈緒に急かされるのはやはり癪に障ったらしく、いつもの通り弄っていた。だが、いくら奈緒を弄ろうとも、病院まで来てしまった以上、会わないわけにはいかない。何より、自分の用事のために、この二人を――真意はどうあれ――巻き込んでしまっているのだ。

 病院の入口を潜り、受付が間近になったあたりで覚悟を決めた加蓮は、受付に尋ねる。

 

「すみません……」

 

「あら、加蓮ちゃん。今日はどうしたの?」

 

「その……山井先生に会わせていただけませんでしょうか?」

 

「ああ、山井先生ね。今はちょっと忙しいみたいなんだけど……少し待っていてくれる?」

 

 入院時代から顔見知りだった受付の看護師のお陰で、どうやら山井医師に会うことは叶いそうだ。安心半分、不安半分の心境のまま、加蓮は看護士に言われた通り、待合席へと座った。両側の席には、当然のように凛と奈緒が座っている。

 

「それにしても、良かったな、加蓮。その先生に会うことができそうで」

 

「奈緒……」

 

「ああ、いや、からかっているわけじゃないんだ。ただ、病院の中が、思ったより慌ただしかったもんだから、もしかして会えないんじゃないかって……」

 

「気持ちは分かるけど、奈緒だってここまできて加蓮をからかったりしないよ。だから、今の内に心の準備とかしておいたら?」

 

「……そうさせてもらうわ」

 

「もしあたし達が邪魔で話ができないってんなら、凛とあたしは先に美穂のお見舞いの方に先に行ってるけど、どうする?」

 

「ううん。やっぱりちょっと不安だから……悪いけど、一緒にいてちょうだい」

 

 奈緒と凛が、美穂の見舞いへと先に行き、加蓮と元主治医との再会の場からは席を外そうかという奈緒の提案を、却下し、付いてきて欲しいと頼んだ。

 その後、加蓮は深呼吸をすると、これから会う元主治医に対し、どのようにチケットを渡すかについて考え始めた。入院中は散々顔を合わせた山井医師だが、退院してからは電話もほとんど繋がることは無く、直接会うのは数年ぶりである。もしかしたら、自分の顔すらも覚えていないかもしれない。医師という職業を、病気を治療するためだけのものと割り切っている山井医師ならば、あり得ないとは言い切れないだけに、不安は拭えなかった。

 半ば好奇心に動かされる形で凛と奈緒が申し出た同行を断れなかったのも、そういった不安があるが故だった。

 

「北条さん、お待たせしました。受付へどうぞ」

 

「ほら加蓮、行くよ」

 

 そして、そんな不安をどうにかすることもできないまま、再会の時を迎えてしまった。凛と奈緒に引っ張られ、受付へ向かった加蓮は、診察を一通り終えた山井医師の居場所を確認するのだった。

 その後、看護士から聞いた、山井医師の休憩場所を目指して三人揃って移動を開始した。山井医師がいるのは、病院内にある休憩室ではなく、屋上なのだという。やや広い病院故に、屋上へ行く経路も少々複雑だったが、ここで加蓮が入院していたことが役に立った。入院中、病院内の部屋や階段、エレベーターを把握していた加蓮が先導することで、後ろから続く凛と奈緒は、一切迷うことなく屋上へ至ることができたのだった。

 

「いよいよだね、加蓮」

 

「頑張れよ!」

 

 屋上へ続く扉の前に立つ加蓮に対し、凛と奈緒が声援を送る。ここからが正念場である。入院中の、抜け殻同然だった自分をやめて、アイドル・北条加蓮としての人生を送っていることを伝えるとともに、ライブのチケットを――当日に来てもらえるかどうかは別として――渡すのだ。

 

「……行ってくる」

 

 扉のノブに手をかける前に、一度深呼吸をして気を落ち着けた加蓮は、後ろの二人にそれだけ言うと、遂に扉を開いた。

 屋上へと踏み込んだ加蓮の目に映ったものは、病院を囲むように屹立していたビルや高層住宅。そしてそれらを照らし、巨大な影を作り出す夕日だった。そして、そんな黄昏の景色の中、屋上のコンクリートの床の上に立つ、人影が一つ。

 白衣を纏った、細身のシルエットの短髪の男性。夕日を見つめながら缶コーヒーを飲むその姿は、この光景に見事に合致する程に黄昏ているように感じられた。

 

(ああ、やっぱりあの人だ……)

 

 何の特徴も無い、希薄で不思議な存在感を纏ったその男性は、間違いなく加蓮が会おうとしていた、かつての主治医だった。夕日を見つめるその後ろ姿を目指し、十数歩程度近付くと、加蓮は意を決してその名前を呼んだ。

 

「お久しぶりです、山井先生」

 

 名前を呼ばれた医師――山井は、ピクリと反応すると、ゆっくりと加蓮がいる方へと振り返った。後姿の細いシルエットだけではなく、若干鋭い目つきに、痩せこけたように見える顔立ちまで、加蓮の記憶の中の山井のままだった。

 加蓮を見た山井医師は、ほんの少し驚いたような表情だった。どうやら、加蓮のことは覚えていたらしい。

 

「北条か……。私に一体、何の用だ?」

 

「あの……山井先生に、渡したいものがあって……」

 

 山井の問い掛けに対し、若干委縮しながらも、加蓮はどうにか要件を口にすることに成功した。声も表情も変化に乏しく、死人や幽霊を彷彿とさせる佇まいの山井を相手に話すのが、加蓮は昔から苦手だった。一生治らないと思われていた病気に自暴自棄になっていた頃の方が、色々と抵抗無く口に出して言えていたのだから、皮肉としか言いようがなかった。

 ともあれ、今更苦手意識を持って委縮している場合ではない。意を決した加蓮は、自身が出演する次のライブのチケットが入った封筒を、山井へと差し出した。

 

「山井先生には、前から送ってたんだけど……私、アイドルになったんだよ。それで……先生にも、一度で良いから、私が出るライブを見に来て欲しくて……」

 

 まるで、ラブレターを初恋の相手に渡す少女の如く、たどたどしく、端的な言い方になってしまっていた。しかし、必要な意図は伝わった筈であると、加蓮は思った。あとは、山井医師がチケットを受け取ってくれれば、目的は果たされる。だが……

 

「悪いが、私をはじめ病院内は、連日のウイルス騒動で非常に慌ただしくなっている。そのライブに行くほどの余裕は、持ち合わせていない」

 

 封筒を差し出す加蓮に対してそれだけ言うと、山井は横を素通りしていった。

 一方の加蓮は、予想はしていた反応だったが、やはりショックだったのだろう。チケットを差し出した体勢のままで、横を通り過ぎる山井を呼び止めることもできなかった。

だが、そこへ、

 

「ちょっと待ちなよ!」

 

 屋上と階段を繋ぐ扉の傍でその様子を見ていた凛が、山井の前に立ち塞がった。隣には同様に事の成り行きを見守っていた奈緒の姿もあった。

 

「加蓮は、あんたにライブに来て欲しいって思ったから、チケットを渡しに来たんだよ。行けるかどうかはともかく、受け取りもしないなんて……そんなのって無いよ!」

 

「そうだ!加蓮の気持ちを何だと思ってるんだ!」

 

 患者に対して人もなげな態度を取るという事前知識はあったものの、実際に山井の加蓮に対するぞんざいな対応を見て、余程頭にきたのだろう。二人揃って怒りを露に山井へ食って掛かっていた。

 

「行けない身の人間が、チケットなど貰っても意味が無いだろう。空席を作るくらいならば、学校の友人でも誘った方が有意義だと思うが?」

 

「そういう問題じゃないわよ!加蓮は、あんたに助けられた命で精一杯生きて、アイドルとして頑張っているんだよ?あんたにとっては、たくさん診てきた患者の一人でしかないのかもしれないけど……だからって、加蓮の気持ちを無下にするようなことをするなんて……」

 

「凛、もう良いよ!」

 

 新たに現れた凛と奈緒を前にしても、眉一つ動かさずに否定の意思を示す山井に対し、尚も怒りのままに言い募る凛だったが、それは加蓮によって止められた。チケットを持っていた手を下ろし、ゆっくりと山井や凛が立つ場所へと振り返った。

 

「仕方ないよ。山井先生は凄腕のお医者さんで、忙しいんだもの……」

 

「けど、加蓮……それで良いのかよ?チケットを渡すために、ここまで来た筈だろうに……」

 

 正確には、チケットを渡すことが目的ではないのだが、本当にこのまま、チケットも気持ちも受け取ってもらえずに終わって良いのかという、奈緒の問い掛け。それに対し、加蓮は首を横に振った。

 

「ライブに来て欲しいっていうのは本当だけど……やっぱり、無理強いはできないよ。それに、山井先生には、私みたいな患者を助けて欲しいって……そう思っているから」

 

 本当は、もっと色々と伝えたい想いもあっただろうに、加蓮はそれを口にすることなく呑み込んだ。それに、自分のような患者に希望を与えて欲しいという気持ちもまた、嘘偽りの無い……加蓮の本心なのだ。

 そんな複雑な想いを抱きながら、加蓮は若干無理をした様子で笑みを浮かべた。それを見て、加蓮の内心を察した凛と奈緒は、それ以上何も言うことができなかった。

 

「話は終わりだな。なら、私は院内に戻らせてもらう。休憩時間も、短いのでな」

 

「はい。せっかくの休憩中に、呼び止めてすみませんでした」

 

 山井は自身の持ち場に戻ると口にすると、そのまま加蓮達の方へと振り返ることなく、屋上を出て行くのだった。残された三人は、行き場の無い思いを抱えながらも何を言葉にすることも、行動に移すこともできず、ただ立ち尽くすのみだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、小梅がこの病院に来ていたなんて……」

 

「奇妙な偶然じゃのう」

 

 悲鳴を耳にして駆け付けた先の廊下に倒れていた小梅は、鬼太郎が現場に来た直後に、この病院の職員によって隔離病棟へと運ばれた。その様子を見送った鬼太郎は、目玉おやじと共に、現場たる阿波田大学付属病院の中に残っていた。

 

「父さん、小梅の身体からは、微かですが妖気が感じ取れました。」

 

「ウム、間違いない。小梅ちゃんは、妖怪に襲われたのじゃろう。そして、一連のウイルス騒動は、やはり妖怪の仕業で間違いない」

 

 小梅が倒れている現場に駆け付けた時に分かったことは、二つ。

 一つは、小梅の身体――正確には、小梅の肌に発生していた丘疹――からは、以前会った時には無かった、禍々しい妖気が放たれていたということ。

 二つ目は、小梅が発症した病気は、昨今世間を騒がせている新型ウイルスによるものということ。これは、鬼太郎に次いで現場に駆け付けた医師が口にしていたことだった。

 以上の事実から、鬼太郎と目玉おやじは、一連のウイルスによる騒動が妖怪のものでありその妖怪はこの病院内に潜んでいるという確信を得たのだった。

 

「しかし、何故妖怪は小梅を襲ったのでしょうか?」

 

「恐らく小梅ちゃんは、妖怪の姿を見てしまったのじゃろう。そして、その口封じのためにあのような目に遭ったと考えられる」

 

「成程、それなら合点がいきますね。しかし、件の妖怪はこの病院に潜んでいるのは間違いないとして……一体、どこに潜んでいるのでしょうか?」

 

「子供達が口にしていたじゃろう。妖怪は、この病院に所属している、凄腕の医師に化けていると。となれば、この病院に勤めておる看護士に話を聞けば、噂の人物を特定できるやもしれん」

 

「成程……。分かりました、父さん」

 

「ウム。既に多くの人間が発症している以上、早く探し出さねばとんでもないことになる。急ぐのじゃ、鬼太郎!」

 

 目玉おやじの指示に従い、鬼太郎は病院のエントランスへと向かった。とりあえず、受付にいる看護士に話を聞いてみよう。そう考え、受付を目指して歩きだす。するとその途中。

 

「あら、鬼太郎君じゃない」

 

「七ヶ浜さん……」

 

 この病院を訪れた際、小児科へ案内してくれた七ヶ浜看護士に呼び止められた。その隣には、同僚の看護師が立っていた。

 

「まだ病院に残ってたんだ。けど、早く帰った方が良いわよ。ここだけの話、例の新型ウイルスに感染した患者が、この病院で見つかったっていうから」

 

「その話なら、僕も聞きました。ところで、子供達が言っていたんですが……一連のウイルスの騒動は、妖怪の仕業で、しかもその妖怪はこの病院の凄腕医師に化けているとか……」

 

 鬼太郎が口にした言葉を聞いた、七ヶ浜看護士等は揃ってクスリと笑った。当然のことながら、やはり二人とも、子供達の話を本気にはしていないらしい。

 

「そんなの子供達が作った噂話よ。それに、今まで出た患者さんは、この病院以外の病院で発症しているわ。まあ、今回はこの病院でも感染者は出ちゃったけどね」

 

「けど、それも案外馬鹿にできた話じゃないですよ、先輩。今まで都内の病院で例のウイルスの感染症を発症した最初の患者さん、この病院から転院した患者だとかって話じゃないですか。しかも、ここに入院していた時にはあの先生が主治医をしていたっていう噂ですよ」

 

 七ヶ浜看護士を先輩と呼ぶ若手看護士の言葉に、鬼太郎と、鬼太郎の髪の中に潜んでいた目玉おやじがピクリと反応した。

 

「しかも、今日見つかったっていうウイルスに罹った女の子、あの先生の部屋の前で倒れてたって聞きましたよ。案外、あの噂は本当なんじゃないですかね……」

 

「そんなわけないじゃない。まあ、確かに偶然にしてはちょっと出来過ぎている気もするけど……きっと全部、出鱈目な嘘よ。あの先生が、病気をばら撒いている“妖怪”だなんて……」

 

 七ヶ浜看護士とその後輩看護士が口にする『あの先生』という医師。二人は所詮は噂話と軽く見ているようだが、鬼太郎にはそうは思えない。恐らくこの噂話の中には、今都内を騒がせているウイルス騒動を……その元凶である妖怪の正体を突き止めるための、重要な手掛かりがあるに違いない。そう考えた鬼太郎は、さらに二人に詰め寄った。

 

「その話、詳しく聞かせてください」

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、加蓮。本当に良かったのかよ?」

 

「……別に、気になんてしてないから。それに、忙しくて来れないことは、話をする前から分かっていたことだもの」

 

 山井医師にライブチケットを直接渡すという試みは結局失敗に終わった。その後、偶然にも同じ病院に入院していた美穂の見舞いを済ませた加蓮、凛、奈緒の三人は帰路に就こうとしていた。

 ライブのチケットを受け取ってもらえなかった加蓮は、気にしていないとは言っているものの、その表情は暗かった。口ではこうは言っているが、やはり本心ではチケットを受け取ってもらいたかったのだろう。

 

「ここに来る前に行ったけど、山井先生は私の病気なんて、全然問題にならないくらいに凄いお医者さんだもの。ライブに来てる暇があるなら、もっとたくさんの人を助けるために動いてもらった方が、有意義じゃない?」

 

「いや、来れる、来れないの問題じゃないだろう。せめてチケットを受け取るくらいの誠意は見せても良いんじゃ……」

 

「山井先生が診てきたたくさんの患者の一人に過ぎない私が、そんな誠意とかを求めるなんてできないって。それに、山井先生にそんなのを求めても無駄だから」

 

「けど……」

 

 尚も言い募る奈緒の言葉に対し、加蓮は仕方が無いと繰り返していた。尤も、奈緒に言い聞かせているように見える加蓮だが、その実は加蓮自身に言い聞かせていたのだった。

 

「ただでさえ忙しいは山井先生だけど、今は新型ウイルスが流行っているんだから、猶更無理だよ。まあ、今回は無理でも、きっとその内……」

 

「加蓮」

 

 明らかに無理をして気にしていない風を装っている加蓮を、凛が呼び止めた。その声色と表情は真剣そのもので、有無を言わせない強い意思を宿していた。

 

「本気で、このまま帰るつもりなの?」

 

「い、いや……だって、断られちゃったものはしょうがないし……」

 

「そうやって仕方ないって諦めて引き下がっているようじゃ、この先もチケットを受け取ってなんてもらえないよ」

 

「けど……山井先生は………………」

 

 凛が真正面から放つ言葉に圧され、話す言葉が尻すぼみになってしまう加蓮。反論の言葉が出て来ないのは、凛の剣幕が激しいというだけでなく、加蓮自身も自覚している、痛いところを突かれているが故のことだった。

 

「本当に自分の気持ちを伝えたいって思っているなら、相手の都合ばかり考えてたら駄目だよ。それに、来てくれないだろうとか、受け取ってもらえないだろうとか考えても駄目。気持ちを伝えるっていうことは……お互いの気持ちを理解し合うっていうことは、そういうことだよ」

 

「凛……」

 

「私も、卯月が抱えていた悩みとか不安に気付いてあげられなかったことがあったから分かるんだ。今まで隠してた弱音とか本音とかを実際に口に出して言って、ようやく分かり合えた。今思えば、もっと早く言うべきだったと思うよ。でなければ、あんなに拗れることも、卯月を不安にすることも無かった」

 

 凛の言葉に込められた重みに、加蓮は何も言えずに立ち尽くすしかできなかった。加蓮は知らなかったが、凜の言っていることは、少々極論ではあるが、大凡正しくもあったからである。

 山井医師にチケットを渡したいと考えていた加蓮だったが、本心では受け取ってもらえない、興味を持ってもらえない、忙しくて無理等の考えがあった。そんなことでは、ただでさえ患者への興味が薄い山井医師が相手では、凜が言うように、伝えたいことなど伝わる筈も無い。難しいことだと分かっていた筈なのに、たかがチケットを渡す程度のこと、失敗しても何も問題は無いなどと考え、知らずに逃げていた。そんな自分の覚悟の甘さを、凜の言葉によって加蓮は改めて痛感していた。

 そんな加蓮の手を、凜は握り、先程までの剣幕とは打って変わって、優し気な表情で言葉を掛けた。

 

「だから、もう一度会いに行こう。今度は正真正銘の本気で、ぶつかってみなよ」

 

「……うん」

 

 凜に叱咤され、励まされた加蓮は、決意を新たに頷いた。その目からは、この病院に来た時にあった迷いや不安は、既に消えていた。

 

「けど、どうやって渡すんだよ。もう時間は夕方で、病院の受付は終わっちまってるぜ。それに、さっきは休憩時間だったから良かったけど、次はいつ会えるのか分からないぞ?」

 

「……山井先生は、車で病院に出勤してる。車の車種は、入院している時に見て覚えているから、乗り換えていなければ分かると思う」

 

「それじゃあ、駐車場で待ってようか。受付が終了してから時間はそんなに経っていないから、多分まだ間に合うでしょ」

 

 凜の意見に賛成した加蓮は、入口を出て駐車場を目指して歩きだす。加蓮は入院生活を送っていたことで病院内の設備については把握しており、駐車場の場所まで迷うことなく辿り着くことができた。

 二十台ほどの車を停めることができる職員用の駐車場の片隅には、数台の車が停められていた。加蓮はその中から、隅に停められていた一台の黒い車を見ると、口を開いた。

 

「あの車、山井先生ので間違いないわ。駐車スペースも、いつもあそこだから」

 

「あ、誰か来たみたいだぞ」

 

 奈緒が指差す方、建物の中に通じる職員用の通用口を見ると、ちょうど扉を開いて誰かが出て来るところだった。現れたのは、今日見知った痩身の医師――山井だった。

 

「山井先生……!」

 

「ほら加蓮、行ってきなよ」

 

「お前の本気、見せてやれ!」

 

 凜と奈緒に背中を押され、山井のもとへと踏み出していく加蓮。山井は仕事を終えて、これから帰るところなのだから、恐らくはこれが最後のチャンスだろう。凜と奈緒が背中を押してくれている以上、これ以上逃げ腰ではいられない。そんな強い決意のもと、一歩一歩、山井のもとへと足を進める。そして、車に乗ろうとしていた山井に声を掛けようとした――――――その時だった。

 

 

 

「リモコン下駄!」

 

 

 

 車に乗ろうとしていた山井に対し、突如として上空から響き渡った少年の声とともに、空中から高速で飛来する何か。それは、四角い木製の板上のもの――下駄だった。

山井はそれを視認するや、車のドアノブに掛けていた手を放し、車と距離を取る形で後方に跳躍。飛来する下駄を回避した。突如起こった奇怪な出来事と、山井が見せた常人離れした身のこなしに、加蓮は勿論、後ろの凛と奈緒も驚愕に目を剥く。だが、三人が驚いている間にも事態は進む。

 山井が回避した下駄は、空中を旋回すると、上空に滞空していた所有者の足へと戻った。下駄を放った少年――鬼太郎は、山井を睨みながら向かい合う。その髪の毛の内の一つは、静電気を帯びたように逆立っていた。

 

「噂は本当だったか。まさか、医師に化けて病院に潜んでいる妖怪がいたとはな」

 

「ゲゲゲの鬼太郎……か。遂にここまで来たか」

 

「僕が来ることを予想していたようだな。やはり、この病院で……いや、都内で発生したウイルス事件についても、無関係ではなさそうだな。まずは、話を聞かせてもらおうか。山井医師……いや――」

 

 

 

――妖怪・疫病神!

 

 

 

 鬼太郎が口にした、妖怪の名前。対する山井医師――疫病神は、自身の正体を暴かれたにも拘わらず、微動だにせぬままその場に立ち尽くし、その冷徹な雰囲気を纏った瞳で鬼太郎へと向けるのだった。

 



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悲運なる出会い 北条加蓮と妖怪医師 ③

「な、何なの……これ……?」

 

 目の前で起こった出来事が理解できず、加蓮は思わず呟いた。車に乗ろうとしていた山井のもとへ、上空から高速で下駄が飛来したかと思えば、山井はこれを人間離れした動きで回避。狙いを外した下駄は、屋上から飛び出して空中に滞空していた少年のもとへ戻り、それが足に嵌るのとほぼ同時に、少年は着地した。それだけで、山井と相対する少年が、人間ではないと物語っているかのうようだった。

 

「まさかあの子供って……ゲゲゲの鬼太郎!?」

 

 想定外の事態が病院の駐車場にて立て続けに目の前で発生し、思考が硬直していた三人の中で、一番先に我に返った奈緒が、驚いた表情で声を上げた。どうやら先程のやりとりの中で、青色の学童服の上に、黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを羽織った少年が、山井から『ゲゲゲの鬼太郎』と呼ばれていたことだけは聞き取れていたらしい。

 

「鬼太郎って……もしかして、事務所で噂になっている、あの?」

 

「ああ、間違いない。小梅とか飛鳥とかから聞いて、あたしもネットで調べてみたけど、記事に載ってた容姿そのまんまだ」

 

 世間では都市伝説として囁かれている『ゲゲゲの鬼太郎』の話は、346プロにおいては特に有名な噂となっていた。噂が事務所内に広まるきっかけとなったのは、件の青行燈によるアイドル連続失踪事件だった。人知れず事件を解決した鬼太郎だったが、その噂は事件の当事者だった小梅や蘭子を出所として、密かに広まっていたのだった。

 

「それじゃあ、美波やアーニャ達が行方不明になった事件は妖怪の仕業で……それを、あの鬼太郎って子が解決したってことなの?」

 

「小梅も手伝ったって話だけど……今はそれどころじゃない。さっきあいつ、山井先生に向かって……“妖怪”って言ってたよな……?」

 

 そして思い出されるのは、今しがた鬼太郎が山井に向かって口にした言葉だった。鬼太郎は山井に向かって『妖怪』と言っていた。そして、妖怪としての名前は……

 

「疫病神……………まさか……」

 

 今しがた起こった出来事と、鬼太郎が口にした言葉の意味を理解し切れなかった……否、理解したくなかった加蓮は、口に手を当てて放心したように立ち尽くすことしかできなかった――――――

 

 

 

 

 

 

 

「今日この病院で、都内で流行している新型ウイルスに罹った患者を見た。あのウイルスは、妖怪が作ったものだ。しかも、感染者は疫病神であるお前が医師として勤めている部屋の前に倒れていた。無関係だとは、言わせないぞ」

 

「……」

 

「あのウイルスは、お前が作ったものなんじゃないのか?」

 

「……」

 

「都内で流行っているウイルスも、お前の仕業なのか?」

 

「………………」

 

 鬼太郎の、鋭い視線とともに畳みかけるように繰り出される問い。しかし、対する山井――否、疫病神は、氷の如く冷たい表情を変えることなく、何も答えない。その態度に痺れを切らした鬼太郎が、苛立ちを露に先程までより強い口調で問いを投げる。

 

「どうして黙っている?やはりお前が、一連のウイルス騒動の根源だからか?」

 

「………………」

 

「何も答えないというのならば、力尽くでも本当のことを聞かせてもらうぞ!」

 

 その宣言と同時に、臨戦態勢に入る鬼太郎。対する疫病神も、先程よりも視線を鋭くして、剣呑な空気を纏い始めた。

 

「髪の毛針!」

 

 先に仕掛けたのは、鬼太郎だった。毛髪を逆立て、疫病神目掛けて無数の毛針を放つ。広範囲に仕掛ける攻撃に対し、しかし疫病神は慌てた様子もなくその場から一歩も動かないまま、右手を前方に翳した。すると、疫病神の右手に黒い煙状の妖気が噴出。それは瞬時に収束し、細長い何かへと姿を変えた。鬼太郎の髪の毛針が届くよりも先に形勢されたそれは、一本の錫杖だった。その頭部には、髑髏が備え付けられていた。

 疫病神は、その手に取った髑髏の錫杖を持つと、地面を突いた。すると、「シャランッ」という音とともに、錫杖頭部にある髑髏の口から先程疫病神が手から出したものと同色の、黒い煙が噴出した。髑髏の錫杖から放たれた黒い煙は、鬼太郎と疫病神の間を阻むように広がった。鬼太郎の髪の毛針は、黒い煙に触れた途端に鋼のような硬度を失い、もとの髪の毛と化して地面へ落ち、チリチリと焼けるような音とともに煙を上げて消滅した。

 

「気を付けろ鬼太郎!疫病神の『瘴気』じゃ!あれに触れれば、瞬く間に毒気にやられてしまうぞ!」

 

「はい、父さん!」

 

 高速で射出される、鋼鉄の如き硬度を持つ髪の毛針が、尽く阻まれたのだ。瘴気の毒性は、目玉おやじの言うように侮れるものではない。妖怪である鬼太郎自身でも、触れれば最悪の場合は即死、それでなくとも瀕死に至るのは間違いない。

 

「ならばこれだ!霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 これに対抗するために鬼太郎は、霊毛ちゃんちゃんこを手に取り、振り回し始めた。すると、ちゃんちゃんこは瞬く間に倍以上の大きさに広がって高速回転を開始し、旋風を起こした。

 

「む……!」

 

 如何に強力な毒性を帯びた瘴気といえども、霧である以上は、気流に逆らうことはできない。ちゃんちゃんこが起こした風は、疫病神を守るように展開していた瘴気の霧を吹き飛ばしていった。

 

「指鉄砲!」

 

「くっ……!」

 

 疫病神を守る壁が無くなり、道が開けた隙を鬼太郎は見逃さず、指鉄砲で畳みかける。だが、疫病神も一筋縄ではいかない。瘴気の霧が晴れた途端に横へと跳び、指鉄砲を回避する。

 

「ふん……っ!」

 

 指鉄砲を回避した疫病神は、再度錫杖で地面を突き、頭部の髑髏を鬼太郎へと突き出した。すると、髑髏の口から先程同様に瘴気が、しかし今度はかなりの勢いをもって直線状に噴出された。

 

「鬼太郎、避けるんじゃ!」

 

「くぅっ!」

 

 自身を標的として噴出される瘴気に対し、鬼太郎はこれを横へと転がって回避した。対する疫病神は、瘴気を連続で噴射して鬼太郎を追い詰めていく。僅かでも触れれば、動きが鈍り、決定的な隙となる以上、鬼太郎は回避に専念せざるを得ない。鬼太郎が反撃の隙が掴めないまま、疫病神の一方的な攻勢が繰り広げられ、辺りには瘴気が立ち込める。

 

「もう逃げ場が……!」

 

 瘴気の噴出を回避している内に、完全に逃げ場を失い、窮地に立たされる鬼太郎。そして、疫病神による止めの一撃が放たれようとした……その時だった。

 

「ゴホッ、ゴホッ!」

 

「「「!」」」

 

 鬼太郎と目玉おやじ、疫病神以外に誰もいなかった筈の駐車場に、突然聞こえた咳き込む声。戦闘をしていた三者が声のした方へと視線を向ける。すると、黒い瘴気の合間から、地面に膝を突いて倒れる三人の少女の姿が見えた。どうやら鬼太郎と疫病神の戦いを目撃し、瘴気を吸い込んだのだろう。三人の顔色は一様に悪く、チアノーゼを起こしているようだった。

 

(まずい……!)

 

 疫病神の瘴気は、妖怪の鬼太郎ですら触れれば命の危険が伴うのだ。人間が食らえば、一溜まりもないことは言うまでも無く……死に至ることは避けられない。三人を救うには、瘴気の元となっている疫病神を倒すほかに無い。かくなる上は、一か八か、避けられる可能性が高いことを覚悟の上で、もう一度指鉄砲を放つしかない。そう考えた鬼太郎は、指を構えようとする。

 

 

 

シャランッ――――――

 

 

 

 しかし、鬼太郎が指鉄砲を放とうとしたその時、疫病神の持つ錫杖の音が、辺りに響き渡った。それと同時に、駐車場一体に立ち込めていた黒い瘴気が一斉に消滅した。

 

「疫病神!?」

 

 瘴気を消し去った本人たる疫病神の姿を探す鬼太郎だったが、視界の晴れた駐車場には、既にその姿は無かった。どうやら、瘴気の消滅に乗じて姿を消したらしい。

 

「鬼太郎、今は疫病神よりも、あの子達じゃ!」

 

「はい、父さん!」

 

 

 

 

 

 鬼太郎との攻防から離脱した疫病神こと山井は、病院から離れた、人目につかない場所へと移動していた。その表情には戦闘開始前と同様、何ら変化は無かったが、その額には汗が浮かんでいた。

 

(流石は幽霊族の末裔――ゲゲゲの鬼太郎といったところか。数多の妖怪を退けてきただけのことはある)

 

 得意の瘴気を使った戦術で鬼太郎を追い詰めていた山井だったが、実はかなりギリギリの攻防だった。特に指鉄砲については、疫病神の瘴気でも防ぎきれるか分からない、警戒すべき威力だった。四方を瘴気で囲んで追い詰め、止めの瘴気を浴びせようとしたあの時、鬼太郎が反撃に指鉄砲を放っていたならば、共倒れになっていてもおかしくなかったのだ。戦闘を中断して離脱できたのは、鬼太郎のみならず、山井にとっても僥倖だった。

 

(最早、一刻の猶予も無い、か……急がねば)

 

 左手にハンカチを持って額の汗を拭う山井の右手には、スマートフォンが握られていた。画面に映されているのは、先程届いたメールの文章。送り主は、疫病神としての山井に関わりのある者。そしてその内容は、非常に好ましくない事態を告げる……自身が今現在立たされている危機的状況について示すものだった。

 

(ゲゲゲの鬼太郎まで動き出している以上、早急に事態を収拾せねば……)

 

 自身が置かれた状況を再認識した山井は、スマートフォンを懐にしまうと、ある目的地を目指して歩きだす。その道中に、鬼太郎の介入を含めた、現状の事態を収拾するためにはどのように動くべきかについて、思考を走らせる。

 

(あの娘にも、私の正体を知られてしまった以上、もはや山井という医師としての名前は使えんな……)

 

 人間界において活動するために用意した、医師としてのアンダーカバーだったが、人間に正体を知られてしまった以上は破棄するほかに無い。阿波田大学付属病院からは、山井という医師が残した痕跡全てを消した上で、引き上げねばならないのだ。

 そう、山井という医師の存在を、完全に消し去って――――――

 

(この身は疫病神……この存在は、使命を全うするためだけにある……)

 

 ただ、「山井という存在を捨てる」ということを考えた途端、何かが自身の中で疼くのを感じた。疫病神として、今まで幾度となくやってきたことに、迷いでも生じているというのだろうか。そんな考えが頭の中を過ったが、山井は――疫病神は、自身が妖怪として為すべき使命を、自分自身に言い聞かせるように内心で呟いていた。

 自分自身に言い聞かせる……口に出さずとも、その行為自体が、疫病神にあるまじき行為であることに、気付かぬまま………………

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたかい?」

 

「あ、ありがとう……」

 

 駐車場において行われた鬼太郎と疫病神による攻防の後。鬼太郎は戦闘に巻き込まれた少女三人――加蓮、凜、奈緒を、病院の入口付近にあるベンチへと移動させて休ませていた。疫病神の瘴気を吸引したことで弱っていた三人だが、疫病神が引き上げたことで瘴気の毒気が弱まったのだろう。しばらく休むと、三人とも顔色が良くなってきていた。

 

「それにしても……お前って、本当にゲゲゲの鬼太郎、なのか?」

 

「……本当も何も、僕はゲゲゲの鬼太郎だ」

 

「君達も、先程の鬼太郎と疫病神との戦いを見ていたじゃろう。君達の知らない、見えない世界は確かに存在し、妖怪もまた実在するのじゃ」

 

「目玉おやじさん、でしたっけ……」

 

「小梅が言っていたけど、本当にいたんだ……」

 

 正直に言えば、先程の戦闘も夢だったのではと思ってしまうのだが、目の前にいる目玉の親父の存在が、何よりも説得力を持っていた。鬼太郎の手の平の上で講釈を垂れる目玉おやじの姿に、凜と奈緒は顔を引き攣らせていた。

 

「小梅……それは、白坂小梅のことか?」

 

「えっと……ああ。お前の話も、あいつから聞いたんだ」

 

「あとは、美穂とか蘭子とか。事務所の皆を助けてくれたって、言ってたから」

 

「事務所……すると君達は、小梅ちゃんと同じアイドルなのかね?」

 

「ああ、やっぱり知らなかったんだ……一応、346プロでもそれなりに有名な、『プロジェクトクローネ』っていう部署に所属しているアイドルなんだけどな……」

 

「まあ、そういうところも妖怪らしいと言えばらしいけど」

 

 小梅や美穂のことを知っているのならば、自分達も知っているのではと淡い期待を抱いていたが、鬼太郎も妖怪である。人間界のことについては、それ程深い関心は抱いていないらしい。分かってはいたことだが、アイドルとしては少しばかりショックなのも事実だった。

 

「そうか……君達が僕のことを知っているのは分かった。だが、これ以上人間がこの事件に関わるべきではない。でないと、さっきの戦いに巻き込まれるだけでなく……小梅のようになるぞ」

 

「小梅のようにって……あいつに何かあったのか?」

 

「知らなかったのかね?あの子は今日、この病院で妖怪に襲われて、例のウイルスによる感染症を発症したのじゃ」

 

 目玉おやじの言葉に、三人は驚愕に目を見開いた。鬼太郎と目玉おやじは、同じアイドルの小梅の件について調べる中で、山井こと疫病神に行き着いたとばかり思っていたのだが、三人の反応を見る限りでは、あの場に居合わせたのは偶然だったらしい。

 

「小梅が妖怪に襲われたって……それじゃあ今、小梅は!?」

 

「今は、この病院の隔離病棟に搬送されて、治療を受けている。だが、あのウイルスは妖怪のものである以上、人間の医学で治療することは不可能だ」

 

「ウイルスって、今都内で騒動になっているウイルスだよね?それが妖怪の仕業って……本当なの?」

 

「間違いない。感染症を発症した小梅の身体から無数に出ていた豆のようなできものからは、妖気が感知されていたからな」

 

 現在都内を騒がせているあのウイルスによる騒動が妖怪の仕業であると聞かされた三人は、愕然としていた。人の目には見えない世界に生きているという妖怪が、人間の目に見える形で、そのような大きな出来事の原因となっていたとは思いもしなかったからだ。

 

「そういえば、さっき山井先生のことを『疫病神』って言ってたけど、それってやっぱり……」

 

「山井という医師としての名は仮のもの。その正体は、人間界に病気をばら撒く妖怪『疫病神』じゃ」

 

「そして、恐らくは一連のウイルス騒動を引き起こしている元凶だ」

 

 目玉おやじと鬼太郎から齎された予想通りの説明に、先程以上に衝撃を受けた様子の三人。『疫病神』とは、人から嫌われる人を比喩する言葉として使われる言葉だが、その元々の意味については、妖怪について詳しくない凜も奈緒も、そして加蓮も知っていた。

 しかし、だからこそ解せないこともあった。

 

「ちょっと待ってくれよ。『疫病神』っていうのは、病気をばら撒く妖怪なんだろ?なんでそんな奴が、病院で医者として働いているんだよ?」

 

 奈緒の疑問は尤もだった。病気をばら撒いて人間を苦しめる疫病神が、人間の病気を治療する職業たる医者としての活動をしているのだ。完全に矛盾しているとしか思えない。凛と加蓮も同じことを考えていたらしく、奈緒に同意するように頷いていた。

 そんな三人の疑問に答えたのは、やはり目玉おやじだった。

 

「“疫病神だからこそ”じゃよ。病気と密接に関わる医師という仕事は、疫病神に課せられた使命を果たすには、この上なく適しているのじゃ」

 

「疫病神の……本来の役目?」

 

「疫病神の役目って言ったら、病気をばら撒くことなんじゃないの?」

 

「それは違う。疫病神にも、妖怪としての使命とも呼べる目的が存在する。疫病を人間界にばら撒くのは、目的を成し遂げるための手段であって、目的ではないのじゃ」

 

「真の目的?」

 

 疫病を人間界にばら撒くことで成し遂げられる目的とは何なのか。目玉おやじに説明されて、三人は考え込む。そんな中で、一番早く答えに辿り着いたのは、奈緒だった。

 

「もしかして……病気で大勢の死人を出して、人間の数を減らす、とか?」

 

「おお、よく分かったのう」

 

 恐る恐る口にした奈緒の予想を、感心したように肯定する目玉おやじ。だが、その答えを考え付いた奈緒は、全く嬉しそうではなく……隣に座る凜と加蓮とともに、その恐るべき真実に戦慄していた。

 ちなみに、奈緒がこの答えに行き着いたのは、アニメ好きでこの手の物語についてよく知っていたことに加え、以前プロジェクトクローネのリーダーである速水奏の勧めで見たミステリスリラー映画がヒントとなっていた。しかし、まさかアニメや映画の中の出来事が現実のものとなろうとしていたとは、答えを出した奈緒自身も未だに信じられなかった。

 そんな三人をよそに、目玉おやじの説明は続く。

 

「疫病神は、人口を調整するために疫病をばら撒くが、人間を根絶やしにすることが目的ではないのじゃ。である以上、目的の数まで人口が減ったところで、疫病は終息せねばならん。そのためには、人間界の様々な情報に基づいて計画を立てる必要があるのじゃ。その中には、医療技術の進歩というものも含まれておる。あの、山井と呼ばれた疫病神が医師という仕事に就いておったのも、人間界の医療技術がどの程度のものなのかを調べるという目的があったのじゃ」

 

『………………』

 

 目玉おやじの話を聞いていた奈緒と凜は、一様に顔を青くして沈黙してしまっていた。二人の胸中にあるのは、疫病神に対する恐怖心に他ならない。大勢の人間を死に至らしめるような病原菌を所持している妖怪が身近に潜んでおり、自分達を間引きしようとしているのだ。三人の反応も、無理からぬことだった。

 

「……そんなの、勝手過ぎるじゃない。私達を、まるで家畜みたいに……!」

 

 いち早く恐怖から覚めた凜が発露したのは、怒りの感情だった。如何なる理由があろうとも、相手がどのような存在であろうとも、自分達人間の生殺与奪の権限を握られていると知らされて良い気がする人間などいないのだから、当然の反応ではあるのだが。

 対する目玉おやじは、諭すように続けた。

 

「君達にとって、疫病神という妖怪は邪悪なものに見えるのじゃろうが……しかし、あ奴等とて、悪意あって疫病をばら撒いているわけではないのじゃ。それに、昨今の人間社会の問題である、戦争や環境破壊も、元を辿れば人間が増え過ぎたことで起こっておる。疫病神の活動は、そういった問題の抑止にもなっておるのじゃ」

 

「けど、だからって……そんな……!」

 

 目玉おやじに対し、凜は反論の言葉が出て来ない。非常に極論ではあるが、環境破壊も戦争も、詰まるところ人間のせいで起こっているのだ。である以上、疫病をばら撒いて人間を減らせば、そういった問題にある程度の歯止めが利くのも事実。それを分かっているからこそ、目玉おやじが言うことを否定することができないのだ。

 だが、理解はできても納得できるかは別問題である。戦争や環境破壊がどれだけ深刻な問題だとしても、大勢の人間を死なせる理由にはならない。人を死なせることに禁忌を抱く、凜や奈緒には、どうあってもそれを認めることはできなかった。

 

「二人とも、そこまでだ」

 

 話が疫病神談義に移ってしまったため、流れを戻すべく、鬼太郎が割って入った。

 

「父さん。今、問題なのは、先程取り逃がした疫病神です。あいつが一連のウイルス騒動の元凶だとするならば、このまま放置することはできません」

 

「そうじゃったな。疫病神の仕事を邪魔することは、譬えわし等といえどもできんが、今回の騒動は完全に奴の独断であり暴走じゃ。鬼太郎の言う通り、止めねばならん」

 

 今問題となっている、山井と呼ばれた疫病神をどうすべきかについて、方針を話し合おうとする鬼太郎と目玉おやじ。そんな二人のやりとりの中に、奈緒は違和感を覚えた。

 

「ちょっと待ってくれ。独断とか暴走ってどういうことだ?今、都内で発生している新型ウイルスの感染症は、目玉おやじさんの言う、疫病神の計画によるものじゃないのか?」

 

 先程聞いた話から、今都内で流行している新型ウイルスは、疫病神の人口削減計画によるものと、奈緒達は考えていた。しかし、暴走や独断といった言葉が出たことからして、それは違うらしい。何より、先程まで疫病神のやることについて肯定の意を示していた鬼太郎達が、それを止めようとしている。これは一体、どういうことなのかという奈緒の問い掛けに、答えたのは、やはり目玉おやじだった。

 

「それは違う。この一件は、疫病神本来の役目からは逸脱した、計画によらないものじゃ。何せ疫病神は今、疫病を蔓延させることによる人口調整を行っていないからのう」

 

「……どういうこと?」

 

「疫病神は、今は計画を凍結させ、人間界の情報収集に努めておる。何せ、人間を一定の数まで減らす程度に疫病を蔓延させるための計画は、非常に繊細で綿密なものじゃ。一歩間違えば、数百年前のように、人間界において想定外のとんでもない影響を及ぼすことになるからのう」

 

「数百年前って……一体、何があったんだよ?」

 

「“天然痘”の流行じゃよ。如何に疫病神の務めだったとはいえ……あれは明らかに度が過ぎておった。世界中に蔓延して、想定以上の人間が死に至ったのじゃ。この日本も勿論じゃが、最も酷かったのは、アメリカ大陸じゃ。天然痘の影響で、アメリカ・インディアンは、いくつもの部族が壊滅し、人口は五パーセント以下にまで激減したとされておる。」

 

「天然痘って……歴史の授業とかでも何度か聞いてたけど、そんなに酷い病気だったのかよ……」

 

「影響は人間の世界に止まらず、妖怪の世界にまで及んだものじゃ。部族の壊滅によって、信仰を失った妖怪が著しく弱体化し、消滅した者もおった。それに、大量の死人が出たことで、死後の魂をあの世へ運ぶ役目を持つ死神が、その魂を回収し切れず、この世界を彷徨うこととなった魂が悪霊や妖怪と化し、人間界にさらなる災厄を引き起こしたとされておる」

 

「そんなことが………………」

 

 目玉おやじの説明に、改めて戦慄する一同。人口を調整するための疫病をばらまくことを使命としている以上、いずれは終息する病気しかばら撒かないのだろうが、やりようによっては人類を根絶やしにすることも十分可能だろう。そんな恐ろしい考えが頭を過った奈緒と凜だったが、恐ろし過ぎて目玉おやじに確認することすらできなかった。

 

「まあ、そういうわけで、疫病神はそれ以降、死神を巻き込んだコミュニティーを形成して、より綿密な計画を練る方針を取るようになったのじゃ。現在は計画を凍結させた上、計画に必要な諸々の情報を集め、死人の魂を集める死神とも徹底した打ち合わせを行っておる最中じゃ。勝手に疫病を蔓延させるのは、疫病神のルール違反なのじゃ」

 

「コミュニティーって……なんか、そういうところって、人間の会社とかに似てるよな」

 

 大規模な作戦を行うならば、組織を作って役割分担を行い、事前調査を徹底するのは当然といえば当然のこと。しかし、『妖怪は人間とは異なる存在である』という認識が強かったために、妖怪が人間と同じようなことをしていることに違和感を覚えてしまっていた。

 

「父さん、また話が脱線しています。疫病神をどうすべきかを、今は優先して考えるべきです」

 

「おお、そうじゃった、そうじゃった。すまんな、鬼太郎。つい饒舌になってしまったわい」

 

 鬼太郎の知恵袋であり、数多の妖怪に関する知識を収集した目玉おやじの性なのだろう。妖怪の話について真剣に耳を傾ける人間が三人もいたことも理由なのだろう。

 

「疫病神の目的は、さっきも言ったように、人口を目的の数まで減らすことじゃ。である以上、疫病を狙ったタイミングで収束させる必要がある。つまり、疫病神は世間を騒がせておるウイルスとともに、それを治療するための手段も開発している筈じゃ」

 

「特効薬、ですか」

 

 鬼太郎の言葉に、目玉おやじは頷くと、そのまま続けた。

 

「ウム。そしてそれは、奴が勤務しておった、この病院の中に隠されている筈じゃ。新型ウイルスは既に都内にばら撒かれている以上、それを入手せねばならん」

 

「もし、奴が特効薬を既に破棄していた場合には、どうすれば良いのでしょう?」

 

「疫病神を倒すしか無い。まだ完全に蔓延していない今ならば、元凶となった疫病神を倒せば、ばら撒かれた新型ウイルスは全て消滅する筈じゃ」

 

 目玉おやじの口から、『疫病神を倒す』という言葉が出た途端、凜と奈緒は硬直した。それは即ち、疫病神を……山井という医師を、抹殺することに他ならない。それを察した二人は、後ろに立っていた加蓮の方へと心配そうな視線を向けた。

 目玉おやじの話を聞いている間、全く口を挟まず、俯いたままだった加蓮。その心中には、どのような感情が渦巻いているのか、二人には窺い知ることはできない。恩義を感じていた医師が疫病神であり、一連の新型ウイルス事件の元凶である可能性が高いと知らされたのだ。そして今、万一の場合には抹殺も辞さないという鬼太郎の言葉に、どれ程の衝撃を受けているかは計り知れない。加蓮がショックで倒れないかと心配そうな表情を向ける凜と奈緒を余所に、目玉おやじと鬼太郎の対策会議は続く。

 

「疫病神は、鬼太郎の襲撃を予期していなかった様子じゃ。しかも、人間にその正体を見られた以上、この病院で医師を続けることはできん。故に奴は、恐らくは今夜にでも、この病院へ戻ってくる。そこを捕らえるのじゃ」

 

「はい、父さん」

 

 疫病神への対処方法について確認した二人は、踵を返してその場を立ち去ろうとした。だが、そこへ

 

「待って」

 

 加蓮が制止を呼び掛けた。唐突に口を開いた少女の言葉に、鬼太郎は「一体何だろう」と首を傾げながら歩みを止め、振り返った。

 

「私も連れて行って」

 

「加蓮!?」

 

「な、何をっ!?」

 

 加蓮の突然の申し出に、驚愕を露にする凛と奈緒。鬼太郎もまた、目を丸くしていた。

 

「……何をするつもりだ?」

 

「山井先生と、もう一度話をさせて欲しいの」

 

 毅然とした態度で言い放った加蓮の言葉。しかし、鬼太郎と目玉おやじは、それを認めようとはしなかった。

 

「先程から言っておるが、あれは山井などという医師ではない。妖怪・疫病神なのじゃぞ?」

 

「それに、次に僕と疫病神が顔を合わせれば、戦いになるのは間違いない。さっきもそうだったように、巻き込まれれば命を落とす危険性すらあるんだぞ」

 

 先程の反応から、加蓮が疫病神こと山井と何らかの関係があると、鬼太郎も察していた。しかし、戦闘になることがほぼ確定した現場に、生身の人間を不用意に連れて行くわけにはいかない。故に、命の危険を前面に出して脅すように身を引かせようとしたのだが……加蓮は諦める様子は無かった。

 

「どうしても、山井先生にもう一度会って、確かめたいことがあるの」

 

「一体、どうしたんだよ加蓮?あの山井先生が、妖怪だって分かった今、一体何を確かめようっていうんだ?」

 

 鬼太郎同様、加蓮が何を考えているのか分からなかった奈緒が、その真意を確かめるべく問いを投げ掛けた。

 

「山井先生に聞きたいの。本当に、今流行しているウイルスは、山井先生のせいで起こっているのかどうかを」

 

「……ますますわけが分からない。一連のウイルス騒動は、あの疫病神が担当した患者が転院した先で起こっている。しかも、タイミングもほぼ同じだ。さらに言えば、今日は小梅が、あの疫病神が勤めている部屋の前で感染症を発症して倒れていたんだ。ウイルス騒動があの疫病神と関わっていることは、明白だ」

 

「そうだよ、加蓮。しかも、鬼太郎が何か関係があるのかって聞いた時も、全然返事を返さなかったじゃない。どう考えても、怪し過ぎるでしょ」

 

 一連の状況証拠から、昨今発生している新型ウイルスによる騒動の元凶が、山井であると断定していた。それは、凜も奈緒も同意見だった。しかし、加蓮だけは、その考えに納得がいっていないようだった。

 

「なら、聞かせて欲しいんだけど……疫病神って、今はこういう、ウイルス騒動とかを起こすのはルール違反なんだよね?ルールを犯してまで、山井先生は何をしようとしていたのか、目玉おやじさんは何か分からない?」

 

「フム……恐らくは、妖怪としての力を高めるためじゃろう。疫病神は、人間界に疫病が出回れば出回る程、その力を増すのじゃ。鬼太郎がこれまで戦ってきた妖怪の中には、そういった理由で人間を苦しめる妖怪が多々おった。今回も、その一例と考えられるわけじゃ」

 

 目玉おやじの説明に、得心する鬼太郎。凛と奈緒も、改めて疫病神の目的が分かったことで、成程と頷いていた。だが、加蓮だけはやはり納得した様子ではなかった。

 

「つまり、山井先生は、妖怪として強くなるためにこの騒動を起こしたっていうことなの?」

 

「そういうことじゃな。加蓮ちゃんは、何か不自然に思うことでもあるのかね?」

 

「山井先生が、そんな理由で騒動を起こしたこと自体が、私には納得できないの」

 

「……どういうことかね?」

 

 目玉おやじの加蓮に対する問い掛けは、その場にいた全員の総意だった。一体、どこに不自然な点があるというのか。その疑問に、加蓮は変わらない、冷静な態度で答えた。

 

「何年か前に入院していた私には分かるの。山井先生は、医師としての仕事をただの仕事としか見ていなくて……患者の私のことも、病気の治療のこと以外は、全然無関心だった。今なら分かるけど……あの人も私と同じ、本当にやりたいこととか、欲しいものとかが無い、抜け殻みたいな生き方しかできていなかったんだと思う」

 

「加蓮……」

 

「そんな、何の欲も無い人が、ルール違反を犯してこんな騒動を起こしてまで、貪欲に力を手に入れようとするとは、到底思えない。だから、この騒動の主犯は、山井先生じゃないんだと思うの」

 

 元担当患者として、医師・山井の正体に関する見解を述べる加蓮。その表情を見た、凜と奈緒は、何も言えなくなった。ここまで真剣な表情の加蓮は、アイドルとして付き合いの長い二人も見たことが無かった。

 しかし、加蓮は山井に対して病気を治療してもらった恩義がある。故に、山井が新型ウイルスを都内に蔓延させようとしているという事実を否定したがっているのかもしれないのだと、奈緒と加蓮は思った。そしてそれは、鬼太郎と目玉おやじも思ったことだった。

 

「それは、そうあって欲しいと思っている、君の希望的観測なんじゃないのか?」

 

「それに、君があの山井と呼ばれた疫病神の担当する患者だったのは、昔の話じゃろう?しばらく会わぬ間に、奴が宗旨替えしたとは考えられんのか?」

 

 故に、二人がこのような意見を述べるのは当然のことだった。しかし、核心を突いたとも言える二人の意見に……加蓮は全く怯まず、反論した。

 

「今日、久しぶりに山井先生に会ったけど、あの人は昔と変わっていなかった。何事にも無関心で……入院していた時の、昔の私と同じのままだった。だから分かるの。山井先生は、そんなことをする人じゃ……妖怪じゃないって」

 

『………………』

 

 真剣な表情で山井の無実を主張する加蓮に、鬼太郎と目玉おやじは黙り込んだ。山井との昔の関係を考えれば、受け入れがたい現実を前に、駄々を捏ねていると思えなくもない。だが、淀み無く山井のことを話す加蓮は非常に落ち着いており、動揺が全く無かった。実質的には、確証など何一つ無い、加蓮の主観に基づく意見なのだが、反論を許さない説得力があった。

 

「フム……確かに、駐車場で戦う前のやりとりには、不審な点もあった。この一件に関して、奴が何かを隠しているのは間違いないじゃろう」

 

「……けど、疫病神にまた会ったとして、奴が本当のことを話すという確証があるのか?」

 

 加蓮の意見については、ある程度は考慮に入れる価値はあると認めた目玉おやじと鬼太郎だが、それと加蓮を連れて行くのは別問題である。

 

「……正直、それは分からない。けど、山井先生のことを知ってる私だからこそ、分かることもあると思う。だから、私を山井先生のところに連れて行って欲しいの。危険な目に遭っても構わないから……だから、お願い」

 

 強い意思の籠った瞳で訴えかけるとともに、頭を下げて同行を願い出る加蓮。危険は覚悟の上という彼女の真剣で真摯な態度に、鬼太郎と目玉おやじは遂に折れた。

 

「はぁ……分かった。君を連れて行こう。向こうが応じるなら、疫病神と、もう一度話をさせてやる」

 

「はぁっ!?ちょっと待てよ!疫病神と話し合いって……加蓮にそんな危険なこと……!」

 

「加蓮、考え直す気は……」

 

「止めないで、奈緒、凜。こればかりは、どうしても譲れないから」

 

 まさか、鬼太郎と目玉おやじが同行を認めるとは思わなかった奈緒と凜が、驚愕しながら加蓮を止めようとするが、加蓮は意思を曲げる様子は無かった。

 

「二人は巻き込めないから、先に帰っていて。山井先生のことは、私一人で何とかするから」

 

「……はぁ。分かったよ。その代わり、あたし達も一緒に行くからな」

 

 加蓮に続き、奈緒と凜までもが同行を申し出たことに、溜息を吐く鬼太郎。これは、どうあっても付いて来るつもりなのだと悟った鬼太郎だったが、念を押すように問い掛けた。

 

「……分かっているのか?疫病神は、本当に危険な妖怪なんだぞ」

 

「分かってるよ……いや、本当は分かってないかもしれないけど……」

 

「加蓮を放ってはおけないもんね」

 

 危険について完全に理解したとは言えないが、加蓮のために同行するという意思を曲げるつもりは無いことは分かった。結局、鬼太郎は加蓮、奈緒、凜の三人の同行を許すこととなるのだった。

 

「それにしても、アイドルというのは、恐れを知らないというか……こういう人間ばかりなんですかね、父さん」

 

「フム、小梅ちゃんといい、飛鳥ちゃんといい、最近の子供……特にアイドルというものは、そういうものなのかもしれんのう……」

 

 互いに顔を合わせて決意を新たにしている三人を余所に、鬼太郎と目玉おやじはアイドルというものに対して、呆れとも感心ともいえない感情を抱いていた。

 しかしそれは、数ある芸能プロダクションの中で、突出した個性を持つ者達をアイドルとして擁する346プロ故の特異性なのだが、鬼太郎と目玉おやじのズレた認識を是正してくれる人間は、残念ながらこの場にはいなかった。

 



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悲運なる出会い 北条加蓮と妖怪医師 ④

 鬼太郎が疫病神との戦闘を経て、加蓮等三人の少女と疫病神を待ち伏せすることが決まったその日の夜。見舞いの受付は終わり、消灯時間となり、静寂に満ちた病院の中。四人は敷地内の植え込みにある、木や草の影に身を潜めていた。

 

「それにしても……加蓮も大したもんだよな」

 

「何が?」

 

「恩人の先生が妖怪だって聞かされても、冷静に事実を受け止めているところだよ」

 

 夕方より、病院内を巡回する警備員の目を盗んで潜伏すること数時間。流石に疲れてきたのか、眠気が奈緒や凛を襲い始めていた。このままでは、転寝してしまいそうなので、奈緒が加蓮に小声で話し掛け、凜も加わった。

 

「あたしだったら、その人のこと、信じられなくて放心しちまうな。けど、加蓮はそんなこと無いもんな」

 

「……私も、全然驚かなかったわけじゃないよ。けど、冷静になって考えてみると、納得できるところもあったんだよね」

 

「……そんなに、あの山井先生って、人間っぽくなかったの?」

 

「うん」

 

 加蓮の容赦の無い即答に、奈緒と凜は顔を引き攣らせた。実際、人間でないのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

 

「患者の私には思い遣りの欠片も無かったからね。あんな態度だから、話すのは苦手だったけど、私に対して失礼なくらいに無関心だったから、色々言ってたな~……“冷血人間”とか “ター〇ネーター”とか」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「お前も大概だよな……」

 

 患者に対して過剰なまでに無関心だった山井も山井だが、それで子供のように拗ねてちょっかいをかけていた加蓮も加蓮であると、凜と奈緒は思った。普段から自分や凛のことをことあるごとに弄ってくるのも、加蓮が元々弄りキャラであることに加え、入院時代に山井に全く相手にしてもらえなかったことによる鬱憤晴らしなのかもしれない。

 

「奈緒、どうしたの?ニヤニヤ笑って」

 

「いや~、加蓮も可愛いところがあるなって思ってな」

 

 普段の自分を弄る行為が、相手への構って欲しさに起因していると考えると、加蓮の弄りも可愛く思えてくる。普段のクールさからはかけ離れた、小学生染みた感情を抱いているというギャップを考えると、奈緒がニヤついてしまうのも無理からぬ話だった。

 

「ちょっと奈緒、変なこと考えているんじゃないでしょうね」

 

「いんや、べっつに~」

 

 明らかに腹に一物抱えているような表情でニヤけ続ける奈緒。詳しくは分からないが、その表情を見れば、加蓮に対して何か不愉快な想像をしていることは察しがついた。

 

「そのムカつく顔、やめてくれない?さもないと、この前のカラオケでアニソン歌いながら決めポーズした写真、事務所の掲示板に貼り付けるわよ?」

 

「はいはい、分かったよ。そうやって構って欲しくてあたしのことを弄るなんて、加蓮も可愛いな~、おい。ま、あたしは年上だから、加蓮の好きに弄られてやるから安心しろ」

 

「……は?何、それ?」

 

 年上ぶって――実際に年上だが――上から目線の調子に乗った発言をする奈緒に、加蓮はますますムカついた。しかも、ニヤついた顔は直っていない。これはもう少し、キツく弄ってやる必要があるかもしれない。そう思い、奥の手の秘蔵映像をネタに弄ろうとする。だが、

 

「うるさいぞ、二人とも。警備員が来たら、つまみ出されるぞ」

 

「これから疫病神との対決なのじゃから、もう少し緊張感を持ってくれんものかのう?」

 

 鬼太郎と目玉おやじに、呆れ交じりの声で窘められ、反省する加蓮と奈緒。その後、二人は勿論、凜も私語は慎み、疫病神たる山井が病院に戻るのを静かに待つのだった。

 

 

 

 尚、加蓮のことを「内心は構ってほしくて弄ってくる可愛い奴」と見なして、弄りをやり過ごす奈緒の作戦は、加蓮考案の「もう奈緒のことは弄ってあげない」作戦により、構ってもらえなくなった奈緒の方が先に根を上げ、破綻することとなる。

 他人に構ってほしくて弄る加蓮と、他人に構ってほしくて弄られる奈緒の相性は、何だかんだ言って抜群だった。

 

 

 

 

 

「来たぞ……!」

 

 敷地内を巡回する警備員をやり過ごして待つこと数時間。日付が変わるかどうかという時間帯に、痩身の人影が現れた。鬼太郎達が待ち伏せしていた人間の男性医師の姿をした妖怪――疫病神こと山井である。

 病院に戻ってきた山井は、駐車場にある職員用の通用口を目指していた。どうやら、目玉おやじの見立て通り、この病院に勤務していた痕跡を消し、院内に保管されている特効薬の回収に赴いてきたようだった。

 

「疫病神!」

 

 通用口を目指す山井に対し、植え込みから姿を見せた鬼太郎が制止を呼び掛ける。対する山井は、その歩みを止めてゆっくりと振り向いた。その右手には、頭部に髑髏が取り付けられた錫杖が握られていた。

 

「ゲゲゲの鬼太郎か。また私を退治しに来たのか?」

 

「場合によってはそうなる。だが、お前には聞きたいこともある」

 

 互いに臨戦態勢を取ったまま、しかし鬼太郎はすぐには戦うつもりは無いと口にした。それと同時に、鬼太郎の出てきた植え込みの方から、加蓮が姿を現す。それに次いで、凜と奈緒も姿を見せた。

 

「山井先生……」

 

 加蓮の姿を見た疫病神こと山井が、僅かに目を見開く。鬼太郎の待ち伏せはある程度予想していたようだが、現場に居合わせただけで無関係の加蓮やその仲間までもがこの場に現れることは想定外だったらしい。

 

「……何故、何の関わりも無い人間がこの場にいる?」

 

「山井先生に聞きたいことがあって来たの」

 

 加蓮に対して冷たく突き放すような言動を取る山井。対する加蓮は、臆することなく自身の意思を口にした。昼間の再会の時には、山井の相変わらずの冷淡な態度に委縮して、伝えたいこと全てを口にすることができなかった加蓮だったが、今は違う。山井が疫病神という妖怪であり、ウイルス騒動に関わっていると知っても尚、その事実に立ち向かおうとする強い意思が、その瞳には宿っていた。

 

「鬼太郎から聞いたよ。今、都内を騒がせているウイルスは、妖怪が作ったものだって。あと、今日この病院で同じウイルスに感染して倒れた人がいたこともね」

 

「……」

 

「鬼太郎は、山井先生の仕業だと言ってるけど……本当に、全部山井先生がやったの?」

 

「……」

 

 真っ直ぐに山井の顔を見つめながら問いを投げ掛ける加蓮の表情は真剣そのもので、一切の嘘偽りを許さないものだった。対する山井は、最初に鬼太郎と相対した時と同じように、沈黙を保ったままだった。しかし、加蓮の瞳に宿った強い意思に、さしもの疫病神も目を逸らすことができずにいる様子だった。

 

「私は、山井先生の担当患者だったから、先生のことはそれなりに分かっているつもりだよ。あの時の私と同じように……好きなことも、やりたい事も無い山井先生が、力が欲しいだなんていう理由でこんな大それたことをするとは思えない。ウイルスをばら撒いたのは、本当は別の妖怪なんじゃないの?」

 

「………………」

 

 加蓮が述べる推測を聞いた山井が、僅かに目を細める。錫杖を握る右手にも、若干ながら力が入っているようにも見える。非常に分かり難い反応だったが、加蓮の言動が核心を突いていることは明白だった。

 

「山井先生、答えて。本当に、あなたが犯人なの?」

 

「……人間には関係の無い話だ」

 

 尚も詰め寄る加蓮に対し、山井が返したのは、問いに対する答えではなく、加蓮が人間であることを理由とした拒絶の言葉だった。だが、加蓮はこの程度では引き下がらない。

 

「関係あるよ。私達の世界にばら撒かれている疫病なんだから、知りたいと思うのは当然でしょ?それに、私は山井先生の担当患者だった。だから、あなたのことはよく知っているつもりだよ。だから、山井先生が本当にやったのか……その真実を、教えて!」

 

「………………」

 

 強い口調で呼び掛け続ける加蓮に、山井は押され気味だった。しかし、それでも真実を話すつもりは無いらしく、尚も黙秘を続けていた。しかし、加蓮が言葉を紡ぐ度に、山井が形成した、疫病神としての能面のような無表情に、僅かな変化が生じているように、周囲からは見えた。その反応を見るに、山井が何かを隠していることは明白だった。

 そんな、煮え切らない態度で黙秘を続ける山井に対し、加蓮は一歩、また一歩と確信を突くような言葉を重ねていく。未だに沈黙を貫こうとする山井だったが、氷のように冷たく、能面と見紛う程に変化に乏しいその表情には、隠しきれない動揺が表れ始めていた。元患者として山井のことを知る加蓮が口にした推測は、山井の心に大きな波紋を齎しているようだった。

 

「山井先生!」

 

「………………北条」

 

 そして、そんな加蓮の説得により、遂に山井も折れたらしい。それまで『人間』としか呼ばなかった加蓮の名前を、小さな声ながら口にした。そして、いよいよ疫病神こと山井が隠している真実が語られようとした………………その時だった。

 

 

 

そんなに聞きたければ、私が教えてやるよ――

 

 

 

 鬼太郎と加蓮をはじめとしたアイドルが、山井と向かい合う病院の裏手に、突如として響き渡る女性の声。それと同時に、夜空から注ぐ月の光を遮り、鬼太郎と山井の間を“黒い風”が猛烈な勢いで突き抜けた。あまりの速さに反応し切れなかった鬼太郎と山井は、巻き起こる風に対して思わず腕を翳して防御姿勢をとった。

 

「きゃぁっ!」

 

「加蓮!」

 

 鬼太郎と山井へは特に害を与えなかった風は……しかし、加蓮を直撃したらしい。加蓮の立っていたその場所から、悲鳴が聞こえた。

 

「鬼太郎!」

 

「父さん、この妖気は……!」

 

 そして、風が齎したのは加蓮の悲鳴だけではなかった。風が襲来すると同時に、鬼太郎の妖怪アンテナは、疫病神である山井とは別の、もう一つの妖気を感知していたのだ。そして、風が止むのと同時に、悲鳴が聞こえた方向へと視線を向けた鬼太郎達が見たもの。それは、想像だにしなかったものだった。

 

「あなたは……!」

 

「貴様……!」

 

 鬼太郎と山井が相対する道の真ん中に立っていたのは、両者にとって見知った顔だった。山井は同じ職場で働く同僚として、鬼太郎はこの病院を訪れた際の案内として、その名前を知っていた。

 

「看護師の……七ヶ浜、さん?」

 

 この病院に勤める看護士……七ヶ浜が、鬼太郎が昼間に会った時の恰好そのままで、道の上に立っていた。そしてその腕には、加蓮が捕らえられていた。

 

「加蓮っ!」

 

「おい、どうなってんだよ!?何なんだよあの看護士は!?」

 

 鬼太郎と山井の対決から始まり、一連のウイルス事件の真相に迫ろうとしていた筈が、いきなり謎の看護師が乱入してきた。事態の急変に付いていけず、凜と奈緒、そして七ヶ浜看護士に捕まっている加蓮は混乱するばかりだった。一方、鬼太郎と山井は、険しい表情で七ヶ浜看護士を睨みつけていた。

 

「二人とも……今すぐに後ろにさがるんだ」

 

「えっ……鬼太郎?」

 

 後ろに立つ凛と奈緒に対し、真剣な声色で、さらに距離を取るように促す鬼太郎。その頭の妖怪アンテナは、真っ直ぐ垂直に逆立っていた。

 

「そうか……お前だったか」

 

 一方、七ヶ浜看護士を挟んで鬼太郎の反対側に、錫杖右手に立っていた山井は、目の前で起こった予想外の事態に対し、驚愕した様子は無く……むしろ得心した様子だった。

 

「お前……“妖怪”だな?」

 

「その通り。私は御覧の通り、この病院の看護師に扮して潜伏している妖怪だ。そして、お前達が追っているウイルス騒動を引き起こしている“真の黒幕”でもある」

 

「何じゃと!?」

 

「お前が……っ!?」

 

 七ヶ浜看護士が口にした言葉に対し、驚愕に目を剥く目玉おやじと鬼太郎。アイドル三名も同様の反応である。いきなり姿を現して加蓮を捕らえた看護士が、妖怪だっただけでなく、今まで疫病神の仕業と疑っていたウイルス騒動の黒幕を自称するという急展開の中、山井だけは目を鋭くして妖怪・七ヶ浜看護士を睨みつけていた。

 

「正体を告げた以上、この姿を取るのも、もう無意味だな……」

 

 その呟きとともに、加蓮を腕の中に捕らえた七ヶ浜看護士の身体に異変が起こった。

まず変化が起こったのは、足先だった。まるで、足元の影に浸食されるかのように、足首の部分から黒く染まり始めたのだ。黒色化の異変は、そのまま脛、太腿、腰、腹へと上っていき、七ヶ浜看護士の身体を身に纏った服ごと完全に黒一色に染めた。

 さらに、異変は続く。黒く染まった身体はボコボコと泡が発生するかのような音を立てて膨れ始めたのだ。百六十センチほどの身長だった七ヶ浜看護士の身体は、加蓮を抱えたまま膨張していき、異形の姿を顕現させる。伸長は三メートルにも及ぶ巨体となり、両手両足には偶蹄類を彷彿させる蹄、尻からは獣を彷彿させる尾が生えた。腰の周りには、装飾のように無数の髑髏が取り付けられていた。頭には牛を……或いは鬼を彷彿させる二本の角が左右対称に生えており、目・鼻・口が消失した、のっぺりとした顔には……一つの目が見開いた。その不気味な一つ目に睨まれた鬼太郎、凜、奈緒は勿論、腕に抱えられた加蓮は戦慄する。

 そんな中、目玉おやじは目の前に現れた異形の正体をいち早く見抜いた。

 

「まさかこいつは………………妖怪・疱瘡婆!

 

 目玉おやじが口にした妖怪としての名前に、かつては七ヶ浜看護士だった黒色の異形は、目を細めてほくそ笑んだような声を漏らした。

 

「ご名答。人間からも妖怪からも忘れ去られたこの私を覚えていてくれたとは、嬉しいものだな」

 

「……お前が一連のウイルス事件の黒幕ということは、都内で流行している感染症の正体は……」

 

「お察しの通り、“天然痘”だよ」

 

 七ヶ浜看護士改め、妖怪・疱瘡婆が口にした単語に、アイドル三人は驚愕した。それは、数時間前のこと……目玉おやじから、疫病神の詳細について聞いた時だった。

 

「『疱瘡』とは、かつて世界中を震撼させた疫病……『天然痘』の別名じゃ。疫病神が見通しを誤り、過剰なまでに流行させてしまったこの疫病が発生させたのは、大量の死者だけではない。多くの死者の無念は、生者に対する呪いと化し……やがて妖怪を生み出したのじゃ」

 

「それが……この『疱瘡婆』ということですか?」

 

「ウム」

 

 鬼太郎の確認する問い掛けに対し、目玉おやじは頷くと、説明を続けた。

 

「疱瘡婆は、天然痘を流行させ、病死した人間の死体を食らう妖怪じゃ。現在の宮城県にて大勢の人間を病死させた上、北海道にまで出没したと伝えられておる。じゃが、人間界にワクチンが出回ったことで、天然痘は終息。疱瘡婆はその力を失い、姿を消したと言われておった。それがまさか、人間界に潜んでおったとは……」

 

「待っていたのさ。かつての力を取り戻し、復活するための機会をね……」

 

 目玉おやじに続く形で話しだしたのは、疱瘡婆だった。目玉だけの顔だが、その声色から喜色を浮かべていることが分かる。

 

「ワクチンが出回り、天然痘のウイルス自体が根絶されたと人間界で認められてしまった以上、復活の望みは天然痘のウイルスを兵器として隠し持っている某国のみ。だが、現代において免疫を持っている人間はほとんどいないとはいえ、既にワクチンによる治療法が確立されている以上、かつてのような力は得られない。故に、新しい力が必要だった……現代の医療技術では容易に治療できないような、新しい天然痘ウイルスがな」

 

 そこまで言った疱瘡婆は、今度は鬼太郎とは反対側の位置に立つ山井へと視線を向けた。

 

「そこで私が目を付けたのが、疫病神ということだ。この疫病神は、次の人口調整のためにばら撒く疫病として、新型の天然痘ウイルスの開発を行っていた。過去に大流行したウイルス以上の感染力と死亡率を備え、従来のワクチンによる予防接種ができない、まさに最強のウイルスだ。そこで私は、この病院に潜伏して、開発したウイルスを分捕ったというわけだ。お陰で私は、数百年前の全盛期に匹敵する力を取り戻すことができた」

 

 自信満々に自身の暗躍を語る疱瘡婆の身体からは、疫病神のウイルスを取り込んだ影響によるものだろう、非常に強力な妖力が溢れていた。数々の妖怪を相手してきた鬼太郎ですら、まともに戦えば勝てるかどうか分からない……そんな脅威を感じさせる程の力を感じさせていた。

 

「だが、私がより多くの力を得るには、厄介な障害が二つあった。一つは疫病神がウイルスとともに開発しているであろう、特効薬とワクチン。そしてもう一つが貴様だ……ゲゲゲの鬼太郎」

 

「成程……それで、ウイルス騒動を起こした上で、病院内に妖怪の噂を流して僕を誘き出し、疫病神と戦わせて同士討ちを狙ったということか」

 

「その通りだ。尤も、予想外の乱入があったお陰で、それも破綻した。だが……私の目的を達するための手段は手に入った!」

 

「!」

 

 疱瘡婆がそう言い切ると同時に、腰の髑髏へと妖力が集中した。そして次の瞬間、鬼太郎目掛けて髑髏の口から、黒い煙――瘴気が噴出した。

 

「ぐっ!」

 

「きゃぁつ!」

 

「わゎっ!」

 

 間一髪で横へ跳んで瘴気を回避した鬼太郎だったが、後ろに立っていた凛と奈緒は、正面からそれを被ってしまった。そして、煙を浴びた途端、二人の身体に恐ろしい異変が起こった。

 

「ぐぅっ……!」

 

「うぅっ……!」

 

 苦しげに胸を押さえて地面に倒れ伏す凜と奈緒。そして、顔や手といった服の隙間から除く肌には、無数の豆のようなできもの――丘疹が発生していた。

 

「これは、小梅と同じ……!」

 

「やはりそうじゃったか!どこかで見たことのある症状だと思っておったが……あのできものは天然痘によるものじゃったか!」

 

 天然痘は、全身に大量の丘疹が発生することで知られる疫病である。丘疹の発生は、体表面に止まらず、呼吸器や消火器といった内蔵にも及び、肺を損傷することによる呼吸困難等を併発し、重篤な呼吸不全を起こし、最悪の場合は死に至るのだ。

 そして、凜と奈緒の身体に表れた丘疹という症状は、昼間に病院を訪れた際に見た、妖怪に襲われて発病した小梅のものと同一だった。それを確認した鬼太郎と目玉おやじは、昼間に小梅を襲った妖怪の正体は、疫病神ではなく、疱瘡婆だったことを確信する。

 

「流石はゲゲゲの鬼太郎……疫病神との同士討ちも、上手くいかないわけだ。ならば、これでどうだ?」

 

「ぐっ……あぁぁあっ!」

 

 疱瘡婆が加蓮を抱える腕をぐっと締める。それによって、腹部を強く圧迫された加蓮が苦悶の声を上げた。

 

「疱瘡婆……!」

 

「この娘を絞め殺されたくなかったら、動かないことだな」

 

「なんと卑怯な!」

 

 加蓮を人質にとることで、鬼太郎の動きを封じようという疱瘡婆の卑劣な作戦に、歯噛みする鬼太郎と目玉おやじ。しかし、鬼太郎と目玉おやじはこの戦法の前に為す術は無かった。

 

「かつての力を超える程の力を手に入れるには、まだまだ天然痘を流行らせねばならん。そのためには、人間に肩入れする貴様は邪魔なのでな。ここで退場してもらうぞ」

 

 それだけ言うと疱瘡婆は先程と同様、腰の髑髏から障気を噴出し、鬼太郎へ噴きかけた。加蓮を人質に取られて動けなくなった鬼太郎は、そのまま瘴気を浴びた。

 

「くっ……は、ぁあっ!」

 

 瘴気の毒気に侵された鬼太郎は、先程の凜、奈緒と同様に全身から丘疹が発生して地面へと倒れ伏す。

その様子を見た疱瘡婆は満足そうに一つ目を細め、くっくと嗤っていた。

 

「さて、次はお前だな、疫病神」

 

 邪魔な存在の片割れたるゲゲゲの鬼太郎を手にかけた今、次に排除すべき対象は、疫病神こと山井である。対する山井は、変わらない冷徹な表情のまま、疱瘡婆へと視線を向けていた。

 

「私のウイルスを盗み出し、人間界へと勝手に流出させた以上、貴様を生かしておくことはできん」

 

「新型天然痘ウイルスは、既に手に入れ、こうして力も取り戻した。貴様等疫病神が今更何をしたところで、私は止められぬ」

 

「貴様が取り込んだウイルスは、疫病神たる私が開発したものだ。この錫杖で貴様の身体を突けば、貴様の体内の瘴気は一気に不活性化し、妖怪としての力全てを失うことになるぞ」

 

 疫病神は、疫病やその根源たるウイルスを操る妖怪である。故に、人間界においてウイルスの感染が過剰に拡大した時に備え、ウイルスの活性をコントロールする能力も持っている。故に、疫病神が作ったウイルスを取り込んだ疱瘡婆にとって、山井は天敵と呼べる存在なのだ。

 だが、疱瘡婆は動じない。自身を滅ぼし得る存在と相対しているにも関わらず、絶対的な自信を持っているかのように堂々と立っていた。

 

「ほほう……貴様に、この私を本当に滅ぼせると思っているのか?」

 

「うっ……ぐぁっ!」

 

 山井に対し、脇に抱えていた加蓮を見せつけるかのように前へ出し、同時に締め付けを強める。苦悶の声を再度上げる加蓮の姿を見た山井の表情に変化は見られない。だが、疱瘡婆に向けて構えた錫杖の先端が、ほんの僅かに揺れたように見えた。

 

「この私が、無策でこの場に現れたと思っているのか?病院内に潜伏し、貴様を始末するための機会を伺う中で、夕方の戦いも見ていたんだよ」

 

「……」

 

「鬼太郎との戦いに巻き込まれたこの娘を見た途端に、瘴気を消して戦場から退いたのは、私から見ても明らかだった。貴様がこの娘を特別視していることは、お見通しなんだよ」

 

 加蓮を抱えながら締め付け、勝ち誇ったように捲し立てる疱瘡婆は、自身の優位を疑っていなかった。その証拠に、疫病神は疱瘡婆に対して錫杖を油断なく構えていながらも、動けずにいた。

 

「さあ、この娘の命が惜しかったら、さっさとその錫杖を捨てな」

 

「……………」

 

 加蓮を人質に取っての疱瘡婆の武装解除の要求に対し、山井は無表情のまま錫杖を構えて動かなかった。数分とも数十分とも分からない睨み合いの果て……山井は、黙って手に持った錫杖を捨てた。

 

「山井、先生……!」

 

「それで良い。要求を呑んでくれた以上は、こちらもそれに応えよう」

 

 山井が錫杖を捨てたことに満足した疱瘡婆は、山井の行動に驚愕した加蓮を解放すると宣言し……山井の方へと、放り投げた。

 

「きゃぁっ!」

 

「……!」

 

 空中に放り出され、悲鳴を上げる加蓮。それに対し、山井は素早く動き、落下場所へと先回りして加蓮を受け止めた。

 それを見た疱瘡婆は、地面に両手の蹄を立て、加蓮を抱えて無防備な山井目掛けて突進した。

 

「死にな!」

 

「っ……!」

 

 猛烈な勢いで突進してくる疱瘡婆の速度は凄まじく、回避は到底間に合わない。加蓮を抱えた状態の山井では、猶更である。避けられないと悟った山井は、咄嗟に後方へと跳び、加蓮を直撃コースから外すように動いた。

 

「ぐっ……!」

 

「きゃぁぁあああっっ!」

 

 突進を仕掛けた疱瘡婆の角が、山井の腹部を貫通した。流石の山井も苦悶の声を漏らすが、それは加蓮の悲鳴にかき消えていった。急所二カ所を貫通された山井は、猛スピードで走行するトラックに轢かれたかの如く吹き飛ばされ、建物の壁へと激突した。

 壁に蜘蛛の巣状の罅を作る程の勢いで叩き付けられた山井はピクリとも動かず、加蓮を抱えたまま、壁に夥しい量の血の痕を残しながら、ズルズルと地面に崩れ落ちていった。

 

「くくっ……ふはははははは!!これでゲゲゲの鬼太郎も、疫病神も始末した!これで、私を止められる者は誰もいない!」

 

 山井が捨てた錫杖を踏み付けて破壊しながら、疱瘡婆は一人歓喜の声を上げた。当初に計画していた、鬼太郎と疫病神を戦わせて同士討ちさせるという計画とは異なる展開になってしまったが、邪魔者はいずれも排除することには成功したのだ。

 疱瘡婆を止められる存在は、これでいなくなったことになり、全ては疱瘡婆の望む結果となっていたのだ。

 

「さて……邪魔者を消した以上、これからは天然痘を存分にばら撒くとしよう。手始めに、まずはこの病院に入院している患者全てを天然痘にしてくれる。死体を粗方食らった後は、火を放って何もかも灰にしてやるとしよう」

 

 阿波田大学付属病院には、疫病神の山井が開発した新型天然痘ウイルスの特効薬が隠されている。当初の予定では、鬼太郎と疫病神が同士討ちしたところでこれを回収・破壊する予定だったが、加蓮に人質としての有用性を見出した疱瘡婆は、これを利用して疫病神殺害を優先したのだ。結果、新型天然痘ウイルスの特効薬の隠し場所は分からなくなってしまったが、病院を放火して何もかも燃やし尽くせば、関係は無い。

 ゲゲゲの鬼太郎と疫病神、そして目撃者であるアイドルも全員を始末した以上、疱瘡婆の野望を阻止する者はおろか、知る者すらいない。我が世の春が来たと歓喜し続ける疱瘡婆は、悠々とその場を後にするのだった。



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悲運なる出会い 北条加蓮と妖怪医師 ⑤

ハッピーバースデイ!加蓮!

せっかくなので、誕生日投稿にしてみました。
ゲゲマスの加蓮編は、これにて完結です。
かなり長くなってしまいましたが、呼んでいただければ幸いです。

また、後書きにて読者の皆さんにお知らせがございますので、そちらもお読みください。


(……何をやっているんだ、私は……)

 

 壁に激突した衝撃と、腹部からの大量の出血によって朦朧とする意識の中で山井が感じていたのは、今しがた自分が取った行動に対する疑問だった。自分自身でも、何故あのようなことをしたのか、理解ができない。

 疫病神の使命は、人口を適正な数にコントロールすることにある。そして、その障害となるものは、人間であろうと妖怪であろうと排除しなければならない。にも関わらず、山井はあの時、疱瘡婆が人質と称して捕らえた加蓮を前に、為す術が無かった。

 疫病神にとっての人間の命とは、和人して管理すべきものであり、全てが等価値なのだ。性別、年齢、職業、国籍、身分……あらゆるものが、疫病神の価値観の前では意味を為さない。無論、疫病神としての使命を果たす上では、多少考慮すべき場合もある。しかし、特別視すべき個というものは、存在しなかった。

 

(北条……加蓮……)

 

 そんな疫病神たる山井が、使命より優先させた……させてしまったのが今腕の中で気を失っている少女――北条加蓮だった。先程、疱瘡婆の猛烈な突進を食らい、腹部を貫かれた山井諸共に吹き飛ばされた加蓮だったが、その身体に傷は無かった。疱瘡婆が接触する間際、咄嗟に山井が庇ったお陰で、怪我を負わずに済んだのだ。

 つまり、山井は加蓮を守ったということになる。しかし、山井自身、何故ここまでして加蓮を守ろうとしているのか、その理由が分からない。思い返してみれば、自分は医師として患者だったこの少女と出会って以来、何かが変わってしまっていたと、山井は思う。

 だが、本当に分からない……

 

 彼女の何が自分を変えたのか?

 

 彼女のどこにそんな力があるのか?

 

 彼女が他の人間と何が違うのか?

 

 彼女は、自分にとっての何なのか?――――――

 

 この期に及んでも、山井には全く理解できなかった。流血と共に意識が遠のいていく中、疑問だけが増え続けていく。自身をその角で刺し貫いた疱瘡婆が立ち去り、足跡が遠ざかっていくが、そんなことは既に意識の片隅へと追いやられていた。

 重傷を負い、妖怪として肉体の死の危機に瀕した疫病神・山井の脳裏に浮かんだのは、使命云々のことではなく……今自身が抱いている少女のことだけ。もうすぐ肉体は消滅し、魂のみの存在に帰す山井だが、いくら考えても応えは出そうになかった。

 だが、そんな時だった。

 

 

 

しっかりして!しっかりして!

 

 

 

 自身に対して、意識を保つように呼び掛ける声が聞こえた。しかし、聞き覚えの無い声だった。少女の声のようだが、主治医として聞き知った加蓮の声でも、連れ立って病院を訪れた凛と奈緒の声でもない。それに、人間の声の筈が、生身の人間が放つ声のようには聞こえない……奇妙な声だった。

 そもそも、疱瘡婆が襲撃を仕掛けてきたこの場所は病院の外であり、看護士は勿論、警備員も滅多に通らない。消灯時間である以上、入院患者が来ることもあり得ない。

 

「しっかりするんじゃ、疫病神!」

 

 本当に、一体誰が呼び掛けているのだろうと疑問に思う山井だったが、次いで聞こえてきた声に思考が中断された。こちらはつい最近聞き知った、鬼太郎の父親、目玉おやじの声だった。恐らく、疱瘡婆が鬼太郎に瘴気を浴びせる間際、上手く脱出させたのだろう。目撃者を含め、現場にいた者全てを始末したつもりの疱瘡婆だったが、目玉おやじの存在を見逃してしまっていたらしい。

 目を覚ませとしきりに訴えかける謎の声と目玉おやじだが、山井の意識はそれに反して薄れゆくばかり。最早消滅を待つばかりの身の山井は、指一本動かすことも叶わない。

 

(疫病神としての職責も果たせず終わる、か……)

 

 疱瘡婆の野望を止めること叶わず、疫病神のコミュニティーとしての活動に多大な支障を来す失態を犯してしまった。疫病神としては、完全に失格だろう。山井は別段、疫病神であることに誇りを持っていたわけでもなく、使命を果たすことに存在意義を感じていたわけでもなかった。

 しかし、目の前の……自身の腕の中で気を失って眠る加蓮の姿を見て、迷いが生じた。本当に、これで良いのか、と。

 疱瘡婆を放置すれば、大勢の人間が天然痘に侵され……この少女も、死に至る。疱瘡婆の暴走の果てにある光景を考えた時、何故この少女の死が真っ先に思い浮かぶのかは、やはり分からない。しかし、そんな未来図を良しとしない自分がいることだけは、山井にも分かった。ならば……

 

「――――――だ。そこに――――――」

 

 死を前にした最後の抵抗として、今この場にいる人間に対して、この状況を打開できるかもしれない情報を残すことにした。それが、疫病神の使命として疱瘡婆の野望を成し遂げさせないための抵抗なのか、それとも別の……自身が気にかけた加蓮に由来するものなのかは分からない。

 そうして、尽きない疑問を抱いたまま、山井は目を閉じた。最期の時に、一人の人間の少女の行く末を案じるという、疫病神にあるまじき想いを抱いていたことに、全く気付かないまま――――――

 

 

 

 

 

 

 

 病院の裏手で鬼太郎や疫病神を倒した疱瘡婆は、病院の屋上へと移動していた。広い屋上に立った疱瘡婆は、直立する牛のような妖怪としての姿のまま、宙に向けて両手の蹄を翳していた。蹄の先からは多大な妖力が放出されており、その先には直径十メートル以上の巨大な球体が、月光を反射して毒々しい紫色の光を放っていた。

 

「さて……そろそろ良いかな?」

 

 疱瘡婆が作り出しているこの球体は、瘴気の塊である。破裂させたら最後、この病院は瘴気に包まれ、入院している患者、看護士をはじめ、建物の中にいる人間全員がウイルスに感染し、即座に新型天然痘を発症する“死の風船”とも呼ぶべき危険なものなのだ。

 

「この病院だけでも、入院患者は数百人……その全てが、私の食糧となる!」

 

 入院患者全てを食らえば、さらに強大な妖力を得ることができる。さらに言えば、この阿波田大学付属病院は、都内屈指の医療施設を持つ大病院である。ここが天然痘で使用不能に陥れば、新型天然痘の感染拡大対策は大幅に遅れることは間違いない。無論、山井以外の疫病神達も、感染拡大を阻止するために動くだろう。しかしそれよりも、疱瘡婆の妖力が増す方が早い。疫病神達が疱瘡婆を始末しに動き出す頃には、疱瘡婆の妖力は疫病神では手に負えない程に強大化していることは間違いない。

 

「頃合いだな……さあ、数百年ぶりの大感染(パンデミック)だ!!」

 

 数百年の時を超えて復活した天然痘の再来を祝福するかのように腕を大きく広げ、高らかに大感染の始まりを宣言する疱瘡婆。それと同時に、頭上に浮かぶウイルスを満載した球体が、より大きく膨らんだ。そして、死の風船が、いよいよ破裂しようとした……その時だった。

 

「む……あれは!」

 

 天然痘ウイルスに満ちた球体へ、黄色と黒の縞模様をした布状の何かが、突如飛来した。それは、破裂寸前だった球体を、一寸の隙間も無い程に一瞬にして包み込んだ。球体はそのまま、布の中で膨張・破裂したが、天然痘のウイルスが溢れ出ることは無かった。それどころか、黄色と黒の縞模様の布はそのまま収縮していった

 

「馬鹿な!?」

 

 驚愕する疱瘡婆の視線の先では、風呂敷ほどの大きさにまで小さくなり、一枚の布……否、ちゃんちゃんこへと戻った。ちゃんちゃんこはそのまま疱瘡婆の頭上を飛び、後方へと向かっていく。疱瘡婆が目で追うようにして振り返ったその先には、信じられない光景があった。

 

「残念だったな、疱瘡婆!」

 

「ゲゲゲの鬼太郎だと!?何故ここに……!」

 

 そこにいたのは、白い布状の妖怪、一反もめんに乗った、ゲゲゲの鬼太郎がいた。数十分前に瘴気を食らわせて天然痘を発症させた筈の相手が突如現れたことに対し、驚愕に目を剥く疱瘡婆。鬼太郎の様子を見る限り、肌に丘疹は無く、天然痘は完治しているようだ。一体、どうやって治療したのかと考え……その答えはすぐに出た。

 

「疫病神が隠していた特効薬を使ったか……!だが、一体誰が、どうやって……」

 

 天然痘を治療した方法は、それ以外には考えられない。突進による角の刺突で致命傷を負わせた疫病神だったが、まだ息があったのだろう。そこへ鬼太郎の仲間が駆け付け、特効薬の隠し場所を聞き出したとすれば、鬼太郎が復活できたことも説明がつく。

 だが、疑問もある。駐車場で鬼太郎と疫病神を始末した――とその時には思っていた――際に、連れ立っていたアイドルをはじめ、目撃者の口も全て塞いだ筈。鬼太郎と疫病神のやりとりを監視していた際に、他に通り掛かりの目撃者がいなかったことは確認済みである。一体、誰があの場所にいたのか……その正体について思考を走らせた時、一反もめんの背中に乗る、鬼太郎以外の影に気付いた。

 鬼太郎の後ろには、二人の人影があった。一人は鬼太郎の仲間の妖怪のねこ娘、そしてもう一人は、人間の子供だった。だが、その子供の顔には、疱瘡婆は見覚えがあった。

 

「貴様は……今日、病院で私を尾行していた、あの小娘!」

 

「気付いたようだな。そうだ。お前が今日、病院で襲った少女、小梅だ」

 

「馬鹿な……その娘は、天然痘を発症して隔離病棟に入れられて、意識不明の状態の筈……!」

 

 小梅には、転院予定の患者を新型天然痘ウイルスのキャリアにしていたところを目撃されたため、その口封じとして天然痘を罹患させて隔離病棟送りにした。しかし、一反もめんの背に乗る小梅の顔には丘疹は無く、天然痘の症状は見受けられなかった。

 

「その通りだ。小梅は今も、この病院の隔離病棟に入院している。ここにいる小梅は、肉体の無い、魂だけの存在だ」

 

「……何?」

 

 鬼太郎の説明が終わるのと同時に、一反もめんの背に乗っていた小梅が、屋上へと飛び降りてきた。いきなりの小梅の行動に、疱瘡婆は再度驚いた様子で一つしかない目を見開く。一反もめんが飛行している場所は、屋上の床から高さ五メートル以上ある。生身の人間がマットも無い、コンクリートの床に飛び降りれば、着地の衝撃で怪我は免れない。

 だが、小梅の身体が地面に触れようとしたその時……その身体は地面にぶつかることなく、ふわりと宙に浮かび上がった。そしてそのまま、小梅の身体は空中に浮遊し始めたのだ。

 

「これは……まさか、幽体!?」

 

「目撃者の小梅を天然痘で口封じして安心したつもりだったようだが、相手が悪かったな」

 

「小梅ちゃんは、確かに貴様が噴きかけたウイルスによって、天然痘を発症した。じゃが、天然痘に罹患して生死の境を彷徨った小梅ちゃんは、その魂を身体から切り離して、幽体となって動けるようになった。これぞ、幽霊族の秘術『幽体離脱の術』じゃ」

 

 生死の境を彷徨う中で、『幽体離脱の術』の発動に成功した小梅は、病院内における疱瘡婆の陰謀を鬼太郎へ伝えるべく、病院内を飛び回った。しかし、術の発動に成功したのは日が暮れた頃で、幽体を動かすことに慣れていなかった小梅は、鬼太郎を探すのに大いに手古摺り、疱瘡婆の妖力を察知して駐車場へ駆け付けた時には、全てが手遅れとなっていた。

 しかし、現場にいて無事だった目玉おやじから事情を聞き、瀕死の状態だった山井から、新型天然痘の特効薬の隠し場所を聞いた小梅は、今度はゲゲゲの森へと仲間の応援を呼びに向かった。『幽体離脱の術』は、使い方を極めれば、音や光を超える速度で幽体を移動させることができるのだ。短期間の内に幽体の使い方のコツを掴み、目玉おやじから手短に手解きを受けた小梅は、持ち前の霊感でゲゲゲの森にいるねこ娘達の妖力を感知し、一気に移動したのだった。そして、病院に駆け付けたねこ娘が、院内に隠されている特効薬を見つけ出し、鬼太郎に注射して全快に至ったのだった。

 

「成程……その小娘が伏兵だったとは、私も油断したようだな」

 

「天然痘は、一度治癒すれば、抵抗力がつく。お前の新型天然痘ウイルスは、もう僕には通用しないぞ」

 

「ついでにあたしも、特効薬と一緒に保管されていたワクチンを打ったから、天然痘には罹らないわ」

 

 特効薬もワクチンも、摂取して効くような代物ではないが、それは人間の場合の話。妖怪ならば、摂取してから即座に治癒し、抵抗力を得ることができるのだ。

 

「おのれ……!」

 

 一反もめんの背中から降り、屋上に降り立つ鬼太郎とねこ娘を忌々し気に睨みつける疱瘡婆。計画を実行する上で最大の障害となり得る鬼太郎が、必殺のウイルスに対して耐性を持った状態で現れたのだから、無理も無い。

 

「こうなったら、貴様らから始末してくれる!」

 

 疫病神のウイルスを奪って自己強化を果たした疱瘡婆は、他の疫病神の追っ手が来る前に、更なる強化を果たさなければならない。である以上、邪魔をする鬼太郎とねこ娘の二人を排除しようとするのは当然のことだった。

 

「行くぞ、疱瘡婆!」

 

 全身に妖気を漲らせ、鬼太郎とねこ娘と相対する疱瘡婆。疫病神が開発した新型天然痘ウイルスを取り込んだことで、相当に能力が強化しているのだろう。先程まで、天然痘ウイルスを内包した巨大球体を作って幾分かは消耗しているとは思えない程に、凄まじい妖力だった。天然痘ウイルスが効かなくなったとはいえ、鬼太郎もねこ娘も油断はできないと肌で感じていた。

 

「燃え尽きろ!」

 

 鬼太郎とねこ娘が身構える中、疱瘡婆の妖力が腰の髑髏へ集中する。それと同時に、瘴気を放っていた髑髏の口の部分から、青白い炎が噴き出した。

 

「避けろ!」

 

「分かってる!」

 

 疱瘡婆の火炎攻撃に対し、鬼太郎とねこ娘は左右に分かれて回避する。疱瘡婆はどちらを狙うべきかと逡巡するが、即座に鬼太郎を標的に定めた。

 

「逃がさん!」

 

「後ろががら空きよ!」

 

 鬼太郎に対する火炎攻撃を続行しようとする疱瘡婆の無防備な背中を、ねこ娘の爪が強襲する。だが、ねこ娘が作った裂傷は即座に塞がってしまった。

 

「嘗めるなぁっ!」

 

「くぅっ……!」

 

 後ろを振り返った疱瘡婆は、三メートルの巨体からは考えられないような身軽さ、敏捷性でねこ娘へと飛び掛かり、右手の蹄を叩き付けた。素早く反応してこれを避けたねこ娘だったが、疱瘡婆が蹄を叩き付けたコンクリートの地面は、まるで豆腐のように抉れていた。まともに食らえば、即死もあり得る一撃だった。

 

「僕を忘れるな!髪の毛針!」

 

「ぬぅんっ……!」

 

 今度は鬼太郎が疱瘡婆の背中に髪の毛針を放つ。しかし、疱瘡婆が全身に妖力を漲らせた途端、その尽くは疱瘡婆の身体に刺さることなく、弾かれて地面に落ちていった。

 

「なんて硬さだ……まるで鋼だ」

 

「再生能力も半端ないわよ。このままじゃ、打つ手無しね」

 

 特効薬とワクチンで天然痘ウイルスを無効化することに成功した鬼太郎とねこ娘だったが、疫病神が開発した新型天然痘ウイルスは、疱瘡婆の戦闘能力を桁外れに向上させていたらしい。妖怪の中でも屈指の戦闘能力を持つ鬼太郎とねこ娘が二人掛かりでも傷一つ負わせることが叶わないことからも、それは明らかだった。

そんな攻めあぐねている二人を見下ろし、疱瘡婆はほくそ笑む。

 

「天然痘を克服した程度で、この私を倒せるとでも思ったか?貴様等程度では、私を倒すことなどできはせんよ」

 

「得意気に言ってるけど、疫病神からくすねてドーピングしただけの力でしょうが」

 

「それでよく、そこまで我が物顔でいられるものだ。呆れ果てて言葉も無いな」

 

 圧倒的な優位を確信して勝ち誇った態度の疱瘡婆に対して向ける鬼太郎とねこ娘の視線は、どこまでも冷ややかなものだった。疫病神のウイルスを盗み出したお陰で、確かに凄まじい力を手に入れはしたが、それを自身が本来持つ力として行使している様は、鬼太郎達から見て滑稽にすら見えた。

 

「どうとでも言え。この病院の患者全員を天然痘で病死させ、その死体を食らえば、どの道誰も私を止められはせぬ。そのためにも、邪魔な貴様等には死んでもらうぞ!」

 

 再度の抹殺宣言とともに、疱瘡婆は地面に両手を着き、頭部の角を前面に向ける。山井に瀕死の重傷を負わせた時と同じ、猛牛のような突撃態勢である。

 

「くたばれ!」

 

 猛スピードで鬼太郎目掛けて突撃してくる疱瘡婆に対し、鬼太郎は一反もめんに掴まって上空へ退避し、ねこ娘は疱瘡婆を誘導すべく、全速力で地面を駆けていく。疱瘡婆の突進力は凄まじく、物干し台をはじめとした、屋上にあるあらゆる物を薙ぎ倒しながらねこ娘へと迫っていく。このままでは追い付かれるのも時間の問題とされる中、ねこ娘が目指したのは、屋上の端に設置された高置水槽だった。

 

「ニャァッ!」

 

 高置水槽の下へ辿り着くや否や、架台を一気に上るねこ娘。一方、それを追い掛けていた疱瘡婆は架台へと突っ込み、鉄骨を拉げさせた。

 

「逃がすか!」

 

 突進を止めた疱瘡婆は、今度はねこ娘が退避した、頭上の高置水槽目掛けて垂直に勢いよく跳んだ。疱瘡婆の鋭い角は高置水槽を容易く貫通、高置水槽を大破させた。

 しかし、ねこ娘は先程の鬼太郎と同様に一反もめんに掴まることで、既に高置水槽から脱出しており、疱瘡婆の一撃は高置水槽を破壊するに止まった。そして、疱瘡婆が地面に着地すると同時に、高置水槽に蓄えられていた大量の水とタンクの破片もまた、地面に落ちた。しかし、地面に落ちたのは水とタンクの破片だけではない。それらが地面を打つ音に紛れて、下駄のカランコロンという音が響く。

 

「鬼太郎、貴様……!」

 

「体内電気!!」

 

「ぐ、ぎゃぁぁぁあああああ!!」

 

 疱瘡婆が鬼太郎の姿を視認するよりも早く、鬼太郎は、体内電気を放った。高置水槽の水を大量に被っていた疱瘡婆に対し、鬼太郎の体内電気は絶大な威力を発揮した。

 

「負け、る、かぁぁああ!!」

 

 だが、疱瘡婆の執念はすさまじく、電撃によるダメージを受けながらも、鬼太郎に対して跳躍し、蹄の一撃を食らわせんと迫った。狙いも上手く定められていない、大振りの一撃だったため、後ろに跳んで危なげなく回避することに成功する鬼太郎。疱瘡婆は、先程の電撃による影響で全身から煙を立ち昇らせながらも、鬼太郎を憎々し気に睨みつけた。

 

「おのれぇっ……貴様だけは許さん!!」

 

「そうか。だが、お前の野望もここまでのようだぞ」

 

「何?」

 

「鬼太郎さん!!」

 

 突然、何を言い出すのかと疑問に思う疱瘡婆の後ろで、屋上から階段に続く扉が開かれた。そこから現れたのは、この病院に入院していた鬼太郎の知り合いである少女、小日向美穂だった。病み上がりの身体に鞭打ち、全速力で走ってきたせいか、息も絶え絶えの様子だった。そしてその手には、小梅からの見舞いの品である、トマトジュースの入ったペットボトルを持っていた。

 

「これを!!」

 

 扉を勢いよく開けて屋上へ飛び出し、鬼太郎と疱瘡婆の姿を確認するや、美穂はその方角目掛けて思い切り腕を振りかぶり、トマトジュースの入ったペットボトルを投げつけた。

 

「でかしたぞ、美穂ちゃん!鬼太郎、今じゃ!」

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 疱瘡婆の頭上に投げられたトマトジュース目掛けて、鬼太郎は槍の形へと変化させたちゃんちゃんこを投擲した。ちゃんちゃんこは空中でペットボトルを貫くと、中に入っていたトマトジュースを吸収し、黄色かった部分が、まるで血のように赤く染まっていった。

 

「ま、まさか……!!」

 

「ちゃんちゃんこ!疱瘡婆を捕らえろ!」

 

 空中で真っ赤に染まるちゃんちゃんこを見た疱瘡婆は、ここに至って鬼太郎の意図を察するに至ったが、時すでに遅し。トマトジュースを吸収して赤く染まったちゃんちゃんこは、鬼太郎の意を受けて太くて長い綱のような形状に変化し、疱瘡婆の身体を縛り上げた。

 

「ぐぅうっ……ち、力が……抜けて、いく……!」

 

 赤いちゃんちゃんこで縛られた疱瘡婆は、先程まで全身を満たしていた妖力が嘘のように衰え、立っているのもやっとな程に弱り果てていった。

 

「天然痘をばら撒く疫病神『疱瘡神』は、犬や赤いものを苦手とする。そして、疱瘡神がばら撒いた天然痘から生まれた妖怪である疱瘡婆、貴様もまた、同じ弱点をもっておるのじゃ」

 

 『疱瘡神』とは、天然痘を専門として人間界に蔓延させる疫病神である。そして、疱瘡神には、先程目玉おやじが説明したように、犬や赤色を苦手とするという伝承がある。会津地方の赤べこや、飛騨地方のさるぼぼが赤いのも、天然痘除けを目的としているのだ。

 そして、疱瘡神の妖力が宿った天然痘ウイルスによって病死した老婆が妖怪化したものが、疱瘡婆である。故に、疱瘡婆は疱瘡神の眷属であり、疱瘡神が弱点としている赤いものや犬は、疱瘡婆の弱点でもあった。

 そこで目玉おやじは、疱瘡婆の動きを封じるための赤いものを探し、小梅を通して美穂にトマトジュースをこの場へ持ってくるよう頼み込んだのだ。そして、トマトジュースを吸収して真っ赤に染まったちゃんちゃんこで縛り上げられた疱瘡婆は急速に力を失い、完全に身動きが取れない状態にまで追い込まれたのだった。

 

「鬼太郎、奴に止めを刺すのじゃ!」

 

「はい、父さん!」

 

「ぐぅう……やめ、ろぉぉおっ……!」

 

 抵抗しようとする疱瘡婆だが、鬼太郎が放った赤い霊毛ちゃんちゃんこに拘束された状態では、立っているのが精いっぱいで、この場から逃げることなど到底かなわない。そんな無防備な状態と化した疱瘡婆に対し、鬼太郎は右手の親指と人差し指を立て、拳銃のように構えた。標的に定めるのは、疱瘡婆の腰に着いた髑髏の飾りだった。

 

「お前の妖力の源が、疫病神の錫杖と同様、その髑髏だということは分かっている。これで終わらせてもらうぞ」

 

「お、のれぇええ……!」

 

「指鉄砲!!」

 

 鬼太郎が妖力を集中させた人差し指から放たれた一条の閃光は、疱瘡婆の腰の髑髏を貫き、破壊する。途端、疱瘡婆の身体から堰を切ったかのように妖力が噴き出す。

 

「ぐぁぁああああああ!!」

 

 凄まじい勢いで妖力が抜けるのとともに、疱瘡婆の断末魔がこだまする。そして、妖力の霧散に伴い、疱瘡婆の肉体もまたかき消えた。あとには紫色の火の玉が残り、揺らめくのみだった。

 

「……やっつけたの?」

 

「ウム。疱瘡婆はこれで倒された。疱瘡婆の手に掛かって天然痘に罹った患者達も、すぐに治癒するじゃろう」

 

 ちなみに、あと少し遅ければ、天然痘は疱瘡婆の手を完全に離れ、収拾のつかない事態に陥っていたらしい。そんな目玉おやじの追加説明に、美穂は戦慄するとともに、脱力してへたりこんでしまった。虫垂炎で入院した先の病院で深夜寝ていたところに、幽霊と化した友人が現れたのみならず、いきなり妖怪同士の戦いに手を貸して欲しいと頼まれたのだ。分かったのは鬼太郎が人間のために戦っているということだけで、事情も詳しく分からないままに戦場へと連れてこられた美穂は、今になって自分が、人類の存亡を賭けたとんでもない戦いに巻き込まれていたというとんでもない事実を知らされ、頭がショートしてしまっていた。

 

「美穂ちゃん、大丈夫?」

 

 魂が抜けたかのように動かなくなってしまった美穂を、魂だけの幽体になった小梅がゆすろうとするが、その手は美穂の身体をすり抜けるのみだった。

 

「それより、駐車場に続く道に置いてきた子達は大丈夫なの?」

 

「そうじゃった!鬼太郎、あの三人のもとへ行くのじゃ」

 

「はい、父さん。一反もめん、頼むぞ」

 

「あいよ~、コットン承知!」

 

 病み上がりの身体で無理をして、この場へ救援に来てくれた美穂の体調も心配だが、そちらは小梅に任せることとし、鬼太郎達は病院の裏手の方で倒れている加蓮、凜、奈緒の三人のもとへ行くことにした。

 

 

 

 

 

「うぅ………………ここ、は……?」

 

 まるで、絶叫マシーンに乗せられて散々振り回された後のように平衡感覚が不安定な状態で目が覚めた加蓮は、周囲を見回し、自身が置かれた状況を把握しようとした。目が覚めた当初は、周囲が暗闇であることに加え、焦点を上手く合わせることができなかったことでよく見えていなかったが、時間が経つにつれて視界は正常に戻っていった。平衡感覚もそれに伴って戻り、ふらふらとした足取りながら立ち上がることもできるようになった。

 

「あっ……凜!奈緒!」

 

 周囲を見回す中でまず見つけたのは、病院の正門から駐車場へ続く道の上に倒れていた、友人二人の姿だった。ふらふらとした足取りのまま近づいた加蓮は、二人を揺さぶった。

 

「凛、凛!奈緒、奈緒!」

 

 加蓮の呼び掛けに対し、二人とも目覚めることは無かったが、呼吸はしており、加蓮の声に反応する様子も見て取れた。疱瘡婆のウイルスを浴びて天然痘を発症し、体中に丘疹ができていたが、それも無くなっていた。どうやら、本当に意識を失っているだけらしい。そんな二人の、一応の無事を確かめた加蓮は、ほっと息を吐いて安堵していた。

 

「そうだ……鬼太郎は!?それに、山井先生!」

 

 目の前の二人以外に、この場から姿を消してしまった人間……否、妖怪達の名前を呼ぶ加蓮だが、周囲からは何の反応も返ってこない。周囲を見回し、自分が二人のもとへ向かってやって来た方向を振り返ってみても、そこには蜘蛛の巣状の罅が入った壁があるのみだった。

 

「目が覚めていたのか」

 

 自分が気絶していた間に何が起こったのかと混乱に陥っていた加蓮が振り向いた先にいたのは、鬼太郎だった。隣にはねこ娘、頭の上には目玉おやじの姿もある。

 

「鬼太郎……あの、私を人質にした妖怪は?」

 

「ついさっき退治したところだ。これで、天然痘のウイルス騒動も収まる筈だ」

 

「そう……それで、山井先生は?」

 

 鬼太郎が無事な姿を見せた時点で、疱瘡婆が倒されたことは分かっていた。それよりも加蓮にとって気がかりだったのは、自身を庇って疱瘡婆に瀕死の重傷を負わされた山井である。壁に残された血痕からしても、相当の深手だったことは明らかである。

 

「……僕の仲間達がここへ到着した時にはいたんだが、どうやら僕達が疱瘡婆と戦っていた間に、この場から姿を消したらしい」

 

「そう……」

 

「あたしがここに来た時点でも、生きていたのが不思議なくらいの酷い状態だったわ。ここから自力で動けたのも不思議だけど、長くは持たないでしょうね……」

 

 鬼太郎とねこ娘から事情を聞かされた加蓮の表情が暗くなる。二人ともはっきりとは言わないが、山井が受けたという致命傷の度合いからして、まず生きてはいられないだろうことは分かった。

 

「加蓮ちゃんは、あの疫病神のことが好きだったのかね?」

 

「……そうかもしれないね。私がアイドル始めたのも、あの人の影響だったからさ」

 

 目玉おやじの問いに対して、加蓮は自分でも不思議に思うくらいに、淀み無く答えることができた。大切なものは、失ってみて初めて分かると言われている。山井の死という現実を前にしたことで心に去来している虚無感にも似た感覚も、それ故のものなのかもしれないと、加蓮は密かに考えていた。

 

「人間とは思えないぐらいに不愛想で思い遣りが無くて……何を言っても、表情ひとつ変えないんだもの。あの人が主治医でいる間に、どうすれば笑わせられるのかとか、怒らせられるのかとかばっかりを考えてた」

 

 山井に対して抱いていた感情を、吐露する加蓮の表情からは、強い後悔の念が見て取れた。その目は、僅かに涙で潤んでいるようにも見えた。

 

「アイドルにスカウトされた時も、これであの人を驚かせられるんじゃないかとか、笑顔にできるんじゃないかって、そんなことを考えてた。そうやって、あの人に人間らしい反応をさせることができれば、私もただの患者っていうだけじゃなくて……もっと特別な存在だと、そう思ってもらえるんじゃないかって期待してたんだ」

 

 結局、それが叶ったかどうかは分からないけどね、と力なく笑いながら口にする加蓮の表情から感じ取れるのは、やはり後悔だった。疱瘡婆と相対した時、山井は確かに加蓮を庇うような行動を取ったが、その真意を確かめることはできなかった。

 

「山井先生は、私を助けようとしてくれたように見えたけど……あの人、本当に何を考えているか分からない人だったから。だから……もしかしたら、私のしてきたことって、全部無駄だったんじゃないかって、そう思えちゃうんだよね」

 

 山井が加蓮を庇った行動の裏には、疫病神の使命を果たす上で必要な、別の思惑があったかもしれない。だとするならば、加蓮は結局、山井の中では、これまで治療してきた数多くいた一人の患者のままで終わったのかもしれない。そう思うと、加蓮の中にはどうしてもやりきれない思いが渦巻いてしまう。

 そんな加蓮に対して口を開いたのは、ねこ娘だった。

 

「そんなこと、無いんじゃないかしら?」

 

「ねこ娘?」

 

「どういうことじゃ?」

 

 唐突に口を挟んだねこ娘の言葉に疑問を持った鬼太郎と目玉おやじが、その言葉を訝る。この件に関しては、小梅に呼ばれるまでは関わることが無かったねこ娘である。一体、何を知っているというのだろうか。

 疑問に思う二人をよそに、ねこ娘はあるものを取り出して加蓮に見せた。

 

「これ、あなたでしょう?」

 

「これって……」

 

 ねこ娘が加蓮に手渡したのは、一枚のCDだった。そのカバーには、ドレスで着飾った加蓮の姿があった。加蓮のソロデビュー曲『薄荷 -ハッカ-』のCDである。

 

「小梅から頼まれたのよ。全部終わったら、あなたに見せてくれって。ちなみにこれ、疫病神が天然痘のワクチンと特効薬を隠していた棚の中に、一緒に置かれていたものよ。他にも、そこで倒れている二人と一緒にあなたが写っているカバーのCDとかもあったわよ」

 

「山井先生……」

 

「こんなものを大事に隠してしまっていたのよ。あなたのことを何とも思っていなかった、なんてことは無いんじゃない?」

 

 疫病神こと山井にとって、医師として患者を治療することは、使命と仕事の一環に過ぎず、それ以上の意味は無い。それは、加蓮自身が感じていたことだった。そしてそれは退院後も変わらず……むしろ、患者でなくなったことで、完全に関係は断たれたものとされ、入院していた時以上に疎遠になっていた。つまるところ、山井にとって加蓮は治療してきた数多くの患者の一人に過ぎず、特別な感情など無かった筈。その、筈だった。

 しかし今、加蓮の目の前にはそれを否定するものが提示されている。アイドルのCDなどというものは、疫病神の使命には全く関係の無いもの。にも関わらず、そんなものを開発中のウイルスの特効薬とワクチンと一緒に、後生大事に保管していたということは……つまり、そういうことである。

 

「……なんだ。私の気持ち……しっかり、山井先生に届いていたんじゃない」

 

 疱瘡婆に人質に取られていた加蓮を助けようとしたのも、疫病神としての使命云々ではなく……山井個人の感情で動いたのだったのだと、これで確信できた。そんな、山井が今まで自分に見せたことの無かった、心に秘めた想いを今になって理解した加蓮の目から、涙が溢れ……止まらなくなってしまった。加蓮の嗚咽とともに流れた涙は頬を伝い、雫となって、手に持ったCDケースの上へと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「加蓮、次はあなたの番よ」

 

「うん……分かった」

 

 346プロのライブ会場の舞台袖で、今しがたソロステージを終えた、加蓮と同じ『プロジェクトクローネ』に所属するアイドル、速水奏の言葉に対し、加蓮はしっかりと頷いた。これからソロステージに上がるというのに、緊張した様子は無く、非常に落ち着いており……それでいて、普段の加蓮には考えられない程の意思の強さを感じさせるその姿に、奏や他の舞台袖で待機していたアイドル達は、若干困惑していた。

 

「加蓮……何かあったん?」

 

「何というか……雰囲気が、いつもと違う気がします」

 

「一皮むけた、と表現すべきなのでしょうか?」

 

 一月前くらいからだろうか。プロジェクトのメンバーである加蓮の身に起こった変化を、皆強く感じていた。具体的には、今回のライブに向けてのレッスンに対して、いつにも増して真剣に臨むようになったのだ。特にソロステージの『薄荷 -ハッカ-』へのこだわりは強く、一切の妥協を許さないとばかりに歌も振り付けも極限まで完成度を上げることに情熱を注いでいるようだった。

 

「う~ん……けど、何かを焦っているって感じじゃないよね?」

 

「ダー。カレン、とっても強い想い、持っていると思います。そういえば、リンとナオ、いつも一緒にいましたね?」

 

「なら、二人なら何か知っているかしら?」

 

 ステージへ向かう加蓮の後姿を見送りながら、奏は凜と奈緒へと質問を投げ掛けた。倒れるのではないか、喉が枯れるのではないかと不安になる程にレッスンに熱中していた加蓮に寄り添い、ブレーキ役となっていたのは、凜と奈緒だった。奏の言葉により、皆の視線が凛と奈緒へと注がれる。当の二人は、質問が来ることがある程度予想できていたのか、気まずそうな表情で苦笑していた。

 

「そうだね……一応、加蓮があそこまで真剣になった理由は知っているけど……」

 

「本人のいないところで吹聴するのは、ちょっとな……」

 

 それを聞いた一同は、加蓮のこのソロステージに対する真剣さの裏には、複雑な事情があるのだと察した。いつも加蓮に弄られている奈緒が、仕返しにバラそうとしないあたり、相当に深刻な事情であることが窺える。

 これ以上は詮索してはいけない。加蓮の事情を知らない一同はそう考え、一様に口を閉ざした。しかし、そういった事情ほど、人は聞きたがるもの。事実、最年少のありすなどは、特に気になっている様子が窺えた。このままでは、後のステージに影響するかもしれない。そう考えた凛と奈緒は、溜息を一つ吐くと、端的な情報のみを伝えることにした。

 

「……まあ、アレだ。加蓮にも、自分のステージを見て欲しいって思う奴が、いるってことだ……」

 

「それって……!」

 

「お喋りはここまで。あとは、加蓮本人に聞いてね」

 

 奈緒の遠回しなカミングアウトを聞いた一同は、その意味を理解するとともに驚きに目を見開く、口を押さえる、顔を赤くする等の反応を示す。唯一、アナスタシアだけは意味が分からず、首を傾げていたが……。

そうして皆が見守る中、加蓮のソロステージが始まるのだった――――――

 

 

 

 

 

(山井先生……今日も、見てくれているかな?)

 

 ソロステージに上がり、暗闇に包まれた観客席に煌めくサイリウムの海を見渡す中、加蓮が気になったのは、かつての主治医のことだった。

 先月の事件の後、山井が病院に残したものを、鬼太郎達とともに調べに行った。するとそこには、加蓮や加蓮が所属するユニットのCDや写真集以外にも、これまで加蓮が贈ってきたライブチケットの半券が一緒に保管されていた。加蓮に対して一切の返事を寄越さなかった山井だが、加蓮が贈ったチケットのライブは全て見に来てくれていたのだ。

 もはやファンと呼ぶに十分なほど加蓮のことを強く意識しておきながら、全く関心の無い風を装い続けていた山井の真意は、加蓮にも分からない。本人に尋ねようにも、行方を晦ましてしまっている――最早生きているかも疑問視される――以上、それを確かめる術は加蓮には無かった。だが、いつも自分のことを見てくれていたというならば、きっと次のライブも見に来てくれる筈。そう思った加蓮はあの夜、鬼太郎達にチケットを託したのだった。あれから、山井は病院から姿を消したと聞かされたが、鬼太郎に渡したチケットがどうなったのかは分からない。

 それでも加蓮は、あの口数が少なくて不愛想で、思い遣りの欠片も無い……それでいて、加蓮が誰よりも振り向かせたかったあの医師は、今日もこの場に来てくれていると、本気で信じていた。だからこそ、加蓮は精一杯この場所で歌うのだ。

 

 病弱故に人並みの生活や夢も諦め、病室という殻に閉じ篭って朽ち果てる日を待つだけの日から救い出してくれたあの人のために――――――

 

 

 

 自分にかけがえのない時間をくれた、神様のために――――――

 

 

 

 

 

 

 

「もう、帰るのか?」

 

 加蓮のソロステージが終わって間もない時間帯。観客達の熱狂的な歓声が響き渡る会場の外で、ライブ会場とは反対の方向に歩いていく一人の黒コートを纏った男に、鬼太郎が問を投げ掛けていた。鬼太郎の隣には、小梅の姿もある。

 そして、鬼太郎に話し掛けられた黒コートの男――疫病神の山井は、鬼太郎に背中を向けたまま口を開いた。

 

「もう用は済んだ。私がこれ以上、この場所にいる意味は無い」

 

「加蓮ちゃんには、会っていかないんですか?」

 

「必要無い」

 

 せめて加蓮に会っていってほしいと頼もうとする小梅だが、山井は首を縦には振らなかった。

 

「会ったところで、話すことなど何も無い」

 

「……加蓮ちゃん、山井先生が生きていると知れば、きっと喜ぶんじゃないかな?」

 

「それは私の知ったことではない」

 

 疱瘡婆を倒し、新型天然痘ウイルスによる一連の騒動に終止符を打ったその日。疱瘡婆の策略によって致命傷を負わされた山井は、小梅がゲゲゲの森から呼んできた砂かけ婆と子泣き爺の手により、恐山の妖怪病院へ連れられ、そこで治療を受けた。結果、奇跡的に一命をとりとめるに至ったのだった。

 しかし、加蓮は山井の生存を知らないため、小梅は会うことを勧めていた。しかし、山井の対応は取り付く島もないものであり、小梅は困った様子だった。そんな二人のやりとりに溜息を吐いた鬼太郎が、山井に問い掛ける。

 

「あの子のことが気になったから、こうしてわざわざライブ会場まで来たんじゃないのか?」

 

「……否定はしない。だが、遠目で見ただけで十分だ。話までする必要性を感じない」

 

「あの子を助けるために、疫病神としての使命を放り出して、命まで懸けただろう。なのに、会わないのか?」

 

「……」

 

 鬼太郎の言葉に、山井は黙り込んでしまった。鬼太郎の言う通り、疫病神としての使命と命を投げ打ってまで加蓮を守ろうとしたことは、否定の余地が無い。しかし、何故あの時あのような行動を取ったのか……山井自身、未だに理解できていないのだろう。疫病神としてではなく、山井個人として加蓮をどのように思っているか、その答えを出せない故の沈黙だった。

 

「それに、お前はこれから、海外へ異動するんだろう?もう、あの子が生きている内には会えないかもしれないんだぞ」

 

「………………」

 

鬼太郎が追い打ちのように放った言葉が、山井の沈黙をより重くする。疱瘡婆による新型天然痘ウイルス流行騒動について、山井は疫病神のコミュニティーから、ウイルスの管理不十分の責任をメールおよび電話で度々問われていた。そして、事件が全て解決した後、コミュニティーから山井に言い渡された処分は、『向こう百年の海外異動』だった。要するに、『左遷』である。鬼太郎の活躍によって事態は上手く終息したとはいえ、疫病神の使命に大いに支障を来したことは事実であり、何らかの処分は必要だった。そして、山井自身もこれを妥当な処分として受け入れた。そして、疱瘡婆から受けた傷も完治したことで、山井は数日後には日本を発つ予定となっているのだ。

 

「……それが、互いのためだろう。妖怪と人間が深く関わることで起こる不幸は、今に始まったことではない。鬼太郎、それはお前もよく分かっている筈だ」

 

「否定はしない」

 

「ならば彼女は、私とはこの先一度も会うことなく、生涯を終えることが最善の選択だ。妖怪と人間は、別の世界の住人なのだからな……」

 

口ではそう言っているが、変化と抑揚に乏しい表情と声は憂色に満ちていた。少なくとも、鬼太郎と小梅にはそう思えた。そして、山井はそれだけ口にすると、鬼太郎と小梅は勿論、加蓮がいるライブ会場へと振り向くことは一切せず、その場を立ち去っていくのだった。

 

「鬼太郎さん、本当の良かったのかな?」

 

「……疫病神の言ったことは、事実だ。妖怪と人間が交わることで起こる悲劇は、今に始まったことじゃない」

 

「住む世界が違う以上、それは避けられんことなのじゃ。本来ならば、妖怪と人間は一切の関わりを持たぬことが一番なのじゃが……疫病神のような妖怪は、そうもいかん」

 

目玉おやじの知る限り、人間と妖怪の関係が上手くいった事例は過去にいくつかある。だが、悲劇的な結末を迎える事例の方が大多数だった。加蓮に山井の生存を知らせなかったのも、そんな事例を多く知る目玉おやじの配慮だった。

病院の裏手から運び出そうとした時に、山井は頻りに「死なせてくれ」、「放っておいてくれ」と繰り返していた。恐らくは、加蓮を特別視してしまったことで、疫病神の職責を全うできなくなってしまった自身に、先は無いと思ったのだろう。これ以上、加蓮に会わせようものならば、今度こそ死を選ぶかもしれない。そう考えた目玉おやじは、山井と加蓮が互いに想い合っていることを承知の上で、二人を引き離すことを決意したのだった。

 

「悲運、じゃな。疫病神と加蓮ちゃん……二人が出会いさえしなければ、今回のような出来事は起こらなかったのかもしれん」

 

北条加蓮は、山井が治療してきた、何百、何千という患者の一人でしかなかった彼女の存在は……しかし、それだけには止まらなかった。山井の手により、人並みの暮らしを手に入れ、必死に自分のやりたいこと、できることを探し続け……アイドルという夢に向かって精一杯の力を振り絞って邁進してきた。そんな彼女の姿は、何百年もの間不変だった、山井の心に波紋を齎し……疫病神としての人間に対する不変の価値観に変化を与えた。そして、アイドルとなった加蓮の存在を、特別な存在と見なしてしまった。結果、その心に大きな隙が生じ……そこに疱瘡婆が付け入り、このような事態を招いたのだと、目玉おやじは考えていた。

しかし、目玉おやじの推測は極論ではあり、真実であると証明することはできない。山井が新型天然痘ウイルスの研究をしていたのも、そこに疱瘡婆が目を付けたのも、山井が加蓮に惹かれたのも……全てはいくつもの偶然が重なった結果なのだから。或いは、目玉おやじの言うように、これが妖怪と人間が交わることによる“悲運”なのかもしれない。

 

「人間を適正な数に間引かねばならん疫病神は、人間全てに対して等しい価値観を持たねばならん。人間を誰か一人でも愛し、特別視などすれば……疫病神としての使命を果たすことなどできぬからな」

 

「……そうですね」

 

 目玉おやじに同意した鬼太郎の言葉に、小梅は少し寂しい気持ちになった。霊感が強く、幼い頃から人には見えない世界を覗いてきた小梅には、目玉おやじの言葉が正しいことは理解できていた。しかし、妖怪と人間の関係を否定するということは、今までの自分達と鬼太郎の関係まで否定されたようで、小梅には受け入れがたい部分もあったのだ。

 だが、目玉おやじに対する鬼太郎の言葉には、続きがあった。

 

「しかし、それを悲運と決めつけるのは早計かもしれませんよ、父さん」

 

「鬼太郎……」

 

「客観的に見ればそうかもしれませんが……あの疫病神も加蓮も、互いに出会ってからの全てが悲運だったと思っているようには、僕には見えませんでした」

 

 珍しく父親の言葉に意見する鬼太郎に、目玉おやじは若干驚いた様子だった。

 

「悲運かどうかを決めるのは、本人達次第です。それだけは、妖怪も人間も変わりませんよ」

 

「……そうじゃな」

 

「鬼太郎さん……」

 

 どのような出会いも、それを見る者次第で幸運にも悲運にも映るもの。しかし、それを決めるのは他でもない当人同士であり、そこには妖怪・人間の線引きは存在しない。そんな鬼太郎の言葉に、小梅は感激した様子で頬を赤らめ、目玉おやじは我が子の成長に感激していた。

 

「さて、そろそろ僕等も行きましょうか。小梅も、そろそろライブ会場へ戻った方が良いんじゃないか?」

 

「うん……それじゃあ、さようなら」

 

 鬼太郎に別れを告げた小梅は、その場からライブ会場の方向へと、飛び立っていった(・・・・・・・・)。今現在行われている最中のライブの出演者に名前を連ねている小梅がこの場所に姿を現すことができたのは、先日の一件でマスターした『幽体離脱の術』によるものである。この一月の間に使い方をマスターした小梅は、こうして自由自在に魂を飛ばせるようになっていたのだった。

 

「……彼女にとっての僕等の出会いは、悲運だったんですかね?」

 

「それこそ、小梅ちゃん自身が決めることじゃろう。少なくともわしには、不幸そうには見えんがのう」

 

「……そうですね」

 

 妖怪と深く関わったことで、幽体離脱までできるようになってしまった小梅のことを、柄にもなく心配していた鬼太郎。しかし、目玉おやじの意見を聞いたことで、ほんの少し安堵していた。それと同時に、その顔には無意識の内に、ほんの少し……微かだが、嬉しそうな笑みも浮かんでいた。しかし、頭の上にいた目玉おやじは勿論のこと、鬼太郎本人ですら、そのことに気付くことは無かった。

 

「それじゃあ、帰りますか」

 

「そうじゃな」

 

 それだけ言葉を交わすと、目玉おやじを頭の上に乗せた鬼太郎は、カランコロンと下駄の音を響かせてその場を立ち去っていった。先程の山井と同様に、ライブ会場に背を向け、しかし山井とは別方向の、ゲゲゲの森を目指して――――――

 




ゲゲマスの今後についてですが、9月は資格試験がありますので、暁の忍同様、しばらくの間休載させていただきます。
しかし、この休載期間を利用して、10月以降の投稿予定作品である『ゲゲマスシーズン3』のアンケートを行おうと思います。
活動報告において、シーズン3のストーリー案が紹介されておりますので、興味のある方はお好きなストーリー案をご返信ください。

今後もゲゲマスをよろしくお願いします。


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高垣楓編
酒あわせを守る戦い!最強妖怪 VS 346アイドルAfter20 ①


「フンフン~♪」

 

 都心の一角に屹立する高級マンションのとある一室。夜も更けた時間帯に、上機嫌に鼻歌を奏でながら晩酌の用意をする女性がいた。長身痩躯の均整のとれたスタイルに、ボブカットの髪型。左右で異なる色をした瞳に、左目の泣き黒子が特徴的な、ややあどけない顔立ちの童顔のこの女性。名前は高垣楓といい、346プロダクション所属のアイドルだった。

 346プロダクションのモデル部門出身の彼女は、持ち前の優れた容姿と、レッスンの中で開花させた歌とダンスの才能をもって、アイドルとしての急成長を遂げ、瞬く間にブレイクした。今や346プロのアイドル部門を代表する顔役の一人として、芸能業界全体としてもトップアイドルと呼ぶに相応しい人気を博すに至ったのだった。

 

「フフフ……さてさて、お待ちかねの新酒お披露目~」

 

 そして、人気アイドルとしての激務に追われる日々を送る彼女にとって、この晩酌は一日の中で何よりの楽しみであり、まさに至福の時と呼べる瞬間なのだ。しかも今日は、お気に入りの日本酒ブランドの新酒が手に入ったのだ。アイドルでありながら、無類の酒好きな一面もある二十五歳児の楓は、仕事先の酒造業者伝手を使い、手に入れたものだった。新酒を購入した大手酒造業者『鬼ヶ島酒造』は、楓の一月後の仕事先である。仕事の内容は、新酒販売のPRイベントであり、楓はプロデューサーと業者の関係者に頼み込み、新酒を融通してもらえるよう交渉していたのだ。そしてその甲斐あって、楓はこの通り、およそ一月も早く新酒を手に入れることに成功していた。その歓喜のあまり、ここ最近はまるで夏休み前の子供のようなテンションで過ごしてきたのだった。

 帰り道で手に入れた新酒の酒瓶と、棚の中に置いてあったお気に入りの江戸切子のグラスを取り出した楓は、リビングのソファーへと座った。酒瓶の蓋を開けると、切子のグラスへと注ぎ入れる。グラスが満ちていくのにつれて、爽やかな日本酒の香りが部屋の中を満たしていくような感覚に、楓の頬がさらに緩む。注いでいる間ですら、蕩けるような感覚に酔いしれることのできるこの新酒。一体、口に含んでみれば、どんな味わいがするのだろうか。逸る気持ちを抑えながら、楓は酒で満たされたグラスを眺め始めた。

 

(綺麗……)

 

 水よりも透明で、一点の濁りも無い、どこまでも清らかな無色を讃える新酒は、丹念なカットが放つ輝きを、より強くしているように思えた。ひとしきりグラスに注がれた新酒を眺めて満足した楓は、聖水とも呼べる輝きを放つそれを味わうべく、グラスに口付ける。

 口に含んだ途端に広がるのは、言葉に表せないような上品な香りと風味、そして日本酒独特のコク。香りは強すぎず、甘みはしつこ過ぎず、絶妙なバランスが織りなす繊細な味わいは、楓が今まで飲んできたどんな銘酒にも無かったものだった。そして、そんな銘酒を口にした楓は一言――――――

 

「美味しくない……」

 

 そう呟いた。何故こんなことを言ってしまったのか、楓自身も分からない。お気に入りの日本酒ブランドの新酒は、楓の予想を大きく上回るものだった。彩りも、香りも、旨味も、口当たりも……全てにおいて、今まで味わった日本酒を凌駕する、上質なものだった。

 楓自身も、個以上無い程に「美味しい」と……そう感じているのに、一体どうしてこんなことを言ってしまったのか。美味しい筈なのに、美味しいと思えない……この気持ちは、一体何なのか。いくら考えても、楓には分からなかった。

 

「はぁ……」

 

 至福の時を過ごすための晩酌の筈が、心中には妙なもやもやが発生してしまった。楓は溜息を吐くと、気晴らしに夜風に当たろうとベランダへ出ることにした。既に夜中で、外を出歩いている人間は少ないとはいえ、アイドルが自宅のベランダに出るのは好ましくないため、普段は気を付けているのだが、この晴れない気分をどうにかする方法は、これ以外には思い付かなかった。

 ベランダに出た楓は、柵に凭れ掛かって、ただぼーっとしていた。目の前に広がるのは、夜の静寂に包まれた東京の町。ドラマ等で見るような、壮大な夜景が広がっているというわけではなく、ちらほらと深夜営業の店の灯りが見える程度の、何の変哲も無い夜の町の風景だった。何の面白みも無い風景に加え、夜風もあまり心地よくない。ベランダに出たのは失敗だったかと思った楓は、もう今日は寝ることにした。そして、部屋の中へと戻ろうとした時……

 

「……?」

 

 ふと、妙な臭いがした。少ししか飲んでいないのに、酔いが回ったのかと思ったが、ベランダに残って、もう一度辺りの臭いを嗅いでみると、やはり何かおかしな臭いがする。それは、何かが焼け焦げたかのような……そんな臭いだった。

 

(まさか……火事!?)

 

 本当に火事ならば、消防を呼ばなければならない。しかし、臭いの根源はどこなのか。ベランダの左右上下へと視線を巡らせるが、発火場所は分からない。それに、物が焦げたような臭いも、非常に薄い。火事は楓のマンションで起こっているのではないのかもしれない。

 そう考え、風上の方向を見やる。そして、向かいの道路を見た時、思わぬものが楓の目に入った。それは、街路灯の下を歩く、小学生くらいの少年だった。その身に纏う青い長袖・半ズボンの学童服と、その上からは負った黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこは、ところどころ焼け焦げ、少年の手足にもまた、遠目でも分かるような火傷の痕があった。まるで、火災現場から逃げ出してきたかのような少年は、ふらふらと覚束ない足取りで歩き……次の瞬間、地面に俯せに倒れた。

 

(……まさか、あの子が?)

 

 服が焼け焦げ、火傷を負っていることから、臭いの根源があの少年であることは間違いなさそうだ。しかしそれより、今重要なのは、火傷を負って見るからに重症の少年が路上で倒れているということである。夜中で人通りもない路上に倒れている以上、あのまま放置すれば、命が無いことは言うまでもない。楓は急ぎ部屋へ戻ると、家の鍵とスマートフォンを手に取り、急ぎ自宅のマンションを出て、少年が倒れている路上へと向かった。

 

 

 

 

 

 マンションを飛び出し、急いでベランダから見えた場所へと向かった楓の目の前には、地に倒れ伏した少年の姿があった。服はあちこちが焼け焦げ、全身の至る場所に火傷を負っている。加えて、こうして近づいてみると、服や紙が燃えたことによる焦げた臭いがしている。

 

「君、大丈夫!?」

 

 地面に膝を突き、少年を仰向けにして揺するが、反応は無い。呼吸をしている以上、死んではいないのだろうが、重症には違いない。何故火傷をしているかは分からないが、このままでは少年の命が危険である。そう考えた楓は、スマートフォンを取り出し、救急車を呼ぼうとする。

 

「ちょっと待ってくれんか?」

 

 だが、そんな楓の行動に制止をかける者がいた。一体、誰の声だろう。辺りを見渡すが、声の主の姿は見えない。一体、どこにいるのだろうと疑問に思う楓に対し、姿なき声が語り掛け続ける。

 

「ここじゃ、ここ。鬼太郎の頭の上じゃ」

 

 鬼太郎というのは、恐らくこの子供のことだろう。では、頭の上というのはどういうことなのか。疑問は尽きないが、とりあえず目の前の少年の頭の上を見ることにした。すると、そこには……

 

「息子を助けてくれてすまんが、病院に運ぶのは待ってはくれんかのう?」

 

 眼球に体が付いた姿の、小さな小人のような何か。しかし、童謡に出て来る小人のような、メルヘンなビジュアルではなく、どちらかといえば日本の怪談話に出て来る妖怪のような……

 

「もしかして、目玉おやじさん?」

 

 目の前に現れた非現実的な存在を目にした楓の口から驚愕よりも先に漏れたのは、そんな呟きだった。その姿が、346プロ事務所内において今ホットな噂で聞き知った、妖怪の子供の父親にそっくりだっただけに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『鬼ヶ島酒造』とは、京都府に拠点を置く老舗の大手酒造業者である。日本酒、ビール、ワイン、ウイスキーと、あらゆる酒類及びその関連商品の製造・販売を行い、日本全国の各地に工場や営業所を持つことで知られており、海外にもその名前を広く知られていた。その歴史は非常に深く、日本国内において最古の酒造業者と言われており、公式情報によれば、創業は江戸時代からとされている。一方で、平安時代にまで遡るという噂もあるが、本当のことは定かではない。

 そして、そんな日本有数の歴史と規模を誇る大手酒造業者『鬼ヶ島酒造』が、全国に持つ営業所の一つにして、京都にある本社に次ぐ規模を持つ、東京支社の工場の敷地の中へと密かに侵入する複数の人影があった。

時刻は夜中で、楓が晩酌の用意を始めた時から一時間程前のことだった。工場、事務所共にその日の業務を終了させており、敷地内は無人と化していた――筈だった。

 

 

 

「こんな夜分に、一体どのようなご用ですか?ゲゲゲの鬼太郎」

 

 

 

 暗闇に包まれた敷地内に、突如として響く、女性の声。それと同時に、工場の敷地内に青白い光を放つ炎がいくつも浮かび上がる。人魂のように浮かぶそれらは、製造した商品を大量に出荷のために広く確保されていた工場の敷地内のスペースを不気味に照らし出した。

工場の敷地内へ忍び込んだ侵入者――ゲゲゲの鬼太郎とその仲間達は、突如として現れた人魂に包囲され、その動きを止めた。

 そんな彼らの目の前に姿を現したのは、スーツを纏ったセミロングヘアの女性だった。ねこ娘よりも長身で、スレンダーながら鍛えられていることが分かる体格の持ち主である。息を呑むような、絶世の美人と言っても遜色のない、怜悧さを伺わせる美貌を持つその女性は、氷のように冷たい視線を鬼太郎達へ向けながら、隙の無い動きで歩み寄る。

 

「……やはり、僕の名前を知っていたか」

 

「勿論ですとも。しかし、あなた方がこの場へ来ているということは……やはり、彼は失敗しましたか」

 

「やはりお前の差し金じゃったか。わし等のもとに、あんな物を持って来させたのは」

 

 目玉おやじがそう言うと、後ろに控えていたねこ娘が動き、ロープで簀巻きにされたねずみ男を突き出した。

 

「痛ててて……おい、ここまで案内してやったんだから、もう良いだろう!早く解放してくれよ!」

 

「やれやれ……ゲゲゲの鬼太郎の親友というから、少しばかり使えると思って雇い入れたのですが……やはり、見当違いでしたか」

 

「残念だけど、あたし達はそいつにしょっちゅう面倒な目に遭わされてるのよ。こんな見え透いた手が通じるなんて思わないことね。それから、これも返すわよ」

 

 そう言うと、ねこ娘は女性に向かってある物を投げつけた。ねこ娘の妖怪としての力をもって、目にも止まらぬ速度で投げつけられたそれは、しかし女性によって容易く受け止められてしまった。女性の手の中に収まったものは、『鬼ヶ島酒造』のラベルが貼られた酒瓶だった。

 

「しかし、よく気が付きましたね。この新酒の中に込められていた、我等の妖力に」

 

「鬼太郎の妖怪アンテナは、微力な妖気も感知できる程に鋭敏なのじゃ。ねずみ男が持ってきたこの酒を開けた瞬間に、妖力が籠っていることは容易に看破できたわい」

 

「そろそろ聞かせてもらおうか。お前達が何者で、ねずみ男にこんな物を僕等に飲ませて……一体、何を企んでおる?」

 

 鬼太郎達が夜分にこの場所……鬼ヶ島酒造の工場を訪れることとなったのは、昼間に起きたとある出来事がきっかけだった。ゲゲゲの森でいつも通り、仲間達とまったりと過ごしていた鬼太郎達の元を、古くからの悪友であるねずみ男が訪ねてきたのだ。いつもの通り、食べ物や金の無心でもしに来たのかと思いきや、意外や意外。驚くべきことに、新しい仕事として酒造メーカーで働き始めたと言う。しかも、そこでもらった酒を土産に持ってきたのだ。酒好きの子泣き爺は、ねずみ男の手土産に大喜びだったが、他の皆は、阿漕な商売ばかりに手を出すねずみ男が、一体何を考えているのかと一同は疑問と不安を抱いた。しかし、「俺の酒が飲めないのか」と強く勧めて来るねずみ男に押され、結局全員で飲むことにするのだった。しかし、いざ飲もうと酒瓶の蓋を開いたところ……鬼太郎の妖怪アンテナが、酒瓶の中にある妖気を察知したのだ。詳しく調べてみると、ねずみ男が持ち込んだ酒には、妖気が混ざっていることが分かった。

 これは一体どういうことなのかとねずみ男を締め上げた結果、この酒をゲゲゲの鬼太郎とその仲間に飲ませろと頼まれ、持ってきたのだと白状したのだった。そして、さらにねずみ男を問い詰めて吐かせた場所が、この『鬼ヶ島酒造』だったのだ。

 

「……ねずみ男を上手く使ってあなた方は処理するつもりだったのですが……ここまで来てしまった以上は、仕方ありませんね。私自ら相手をしましょう」

 

 観念したように、しかしその冷徹な表情を崩さずに、女性はそういうと、その身に妖気を滾らせた。鬼太郎達が警戒を強める中、次の瞬間、女性の身体は辺りを照らしているものと同じ、青白い炎に包まれた。女性の体を覆った炎は、ほんの数秒で霧散。炎が消えた先には、先程まで女性だった“人外”が姿を現した。

 体格と服装、氷のような表情はそのままに、しかし服の合間から覗く、両手と顔の肌の色は青く染まっていた。そして何より特徴的なのは、女性の頭部に生えた、二本の角だった。

 

「お初にお目にかかります、ゲゲゲの鬼太郎とそのご一行。私は茨木童子と申します。そして……」

 

 隙の無い、しかし流麗さすら感じさせる動作で会釈する女の青鬼こと茨木童子。さらに、茨木童子が右手を挙げると、それを合図に工場の屋根から四条の影が飛び出した。それらは鬼太郎達を囲むように地面に着地する。辺りを照らす青白い炎に照らされたその影の正体は、茨木童子と同じく、頭に二本の角が生やした、黒、白、緑、黄の四者四様の体色の男の鬼達だった。いずれもが二メートル近い身長の屈強な肉体と、茨木同時に匹敵する妖気を放っていた。

 

「これが私の部下達です。星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子と申します」

 

 次々に現れる強大な鬼の妖怪達に、鬼太郎達は冷や汗が止まらない。一体一体が鬼太郎と互角かそれ以上の妖怪である。まとめて相手して、勝ち目があるとは到底思えなかった。

 

「既にこの工場の区画は、鬼火の結界によって隔離しました。あなた方には、逃げ場はありません。それでは、始めましょうか……!」

 

 その戦闘開始の宣言と共に、茨木童子と、鬼太郎を囲む四人の鬼達の体から、より一層凄まじい妖気が溢れた。そして、鬼太郎達と強大な鬼達がぶつかろうとした――――――その時だった。

 

「ちょっと待ってくれ、茨木姐さん」

 

 暗闇の向こう、工場の中から響いたその声が、鬼太郎に飛び掛かろうとしていた茨木童子とその部下達を止めた。茨木童子が動きを止め、振り向いたその先から姿を現したのは、着流しの和装の青年だった。茨木童子より一回り大きい体格で、肌の色は赤く、その頭には鬼の象徴である二本の角が生えていた。

 

「鬼童丸様……いかがいたしましたか?」

 

「いやなに。鬼太郎を助けようってわけじゃないんだ。ただ、“親父”が久々に暴れたいって言うからさ……」

 

 これから戦いを始めようとしていたところに水を差され、やや冷ややかな視線を向ける茨木童子だったが、鬼童丸と呼ばれた赤鬼が口にした言葉で、その意図を察したらしい。臨戦態勢を解くとともに、右手を上げて四人の鬼達へ再度指示を送る。四色の鬼達は、各々がその場から退き、鬼太郎達がいる場所から距離を取りながら、茨木童子のもとへと集まった。

 一方の茨木童子と鬼童丸は、互いに道を開けるように互いに距離を取った。そして、青白い鬼火でも照らせない暗闇の彼方から、

 

 

 

 

 

それは、現れた――――――

 

 

 

 

 

『!!』

 

 暗闇の彼方に潜んでいた“それ”が姿を現した途端に、異変は起こった。まず、鬼太郎達を囲んでいた青白い鬼火の色が、血を彷彿させる赤色へと変化したのだ。さらに、先程の茨木童子の比にならない程の妖力の奔流が鬼太郎達を襲う。一歩、また一歩と暗闇の向こうから姿を露にするごとに、身体を押し潰さんとする、重力にも似た感覚が増していく。

 そして、永遠とも思える、しかし数分にも満たない時間を経て姿を見せたのは、日本の角を有する、二メートル相当の非常に大柄な、和装の鬼の妖怪。先程姿を見せた鬼童丸と同じ、赤い体色の鬼だが、他の鬼達とは明らかに格が違う。茨木童子や鬼童丸、その配下の鬼達ですら比較にならない程の、妖力と存在感を撒き散らしている。滲み出る威圧感は、ただでさえ大柄なその体を、何倍、何十倍にも大きく感じさせており……まるで、巨大な城か要塞が歩いているかのような錯覚すら覚えさせられる。さらにその服装と相まって、大名や極道の頭領を彷彿させる、上に立つ者としての強い威厳やカリスマを纏っているように感じられる。

 そんな大妖怪に対し、茨木童子と配下の四人の鬼達は、一様に臣下のように地面に膝を付いて頭を下げた。

 

「酒吞童子様」

 

 その名を呼ばれた鬼の大妖怪――酒吞童子は、ゆっくりと茨木童子の方へと横目で視線を向け、口を開いた。

 

「茨木……あの小僧が、ゲゲゲの鬼太郎か?」

 

「はい。本来でしたら、我々で始末をするところなのですが……」

 

「良い。あの幽霊族の最後の生き残りがどの程度のものなのか、俺も気になっていたところだ。何より、千年ぶりにこっちに戻って来たんだ。鈍った体を慣らすには良い機会だ。俺自ら相手をする」

 

 茨木童子を一瞥し、それだけ言葉を交わすと、酒吞童子は鬼太郎達のもとへ向けて再び歩みを進めた。対する鬼太郎達は、迫りくる巨大過ぎる存在を前に立ち尽くし……その圧倒的な威圧感に、一歩も動けずにいた。

 

「酒吞童子……やはり、復活しておったか……」

 

「あれが、日本最強の三大妖怪の一人……!」

 

 

 

 『酒吞童子』とは、平安時代に京の都を襲撃した、鬼の大妖怪である。日本国内において最も有名な妖怪であり、九尾の狐こと『玉藻前』、大天狗の『崇徳上皇』と並ぶ、日本三大妖怪としてその名を知られている。そしてその配下は、茨木童子や四天王と称される強大な鬼達を筆頭として、数千、数万にも及ぶ大軍勢を率いていたとされていた。

 当時最強の妖怪軍団として知られた酒吞童子率いる鬼の軍勢は、都において殺戮や略奪をはじめ、悪行の限りを尽くし、都中の人々を恐怖の渦に陥れていた。しかし、そんな酒吞童子の天下は、都から派遣された討伐隊によって終わりを告げることとなった。源頼光や渡辺綱を筆頭とする頼光四天王で構成された討伐隊が、頭領である酒吞童子を罠に嵌め、首を刎ねて成敗したのだ。結果、残された鬼の軍勢は瓦解して敗走。後に酒吞童子に攫われた娘から生まれた息子の鬼童丸も、父親の仇を討とうとするも、返り討ちにされたと言われていた。

 こうして人間達に討伐された酒吞童子だったが、妖怪というものは、肉体は滅べど、その魂は滅びない。酒吞童子の魂はこの世に残り続け、数百年もの年月を経た今、破滅したその肉体を取り戻したのだった――――――

 

 

 

「妖力が強過ぎるのも困りものだな。お陰で復活するまで、千年以上かかっちまった。茨木、お前等にも苦労をかけたな」

 

「しかし、お待ちした甲斐はありました。お陰様で、酒吞童子様へこの日本を献上するための用意が整いました」

 

 戦闘開始の準備とばかりに指や首をゴキゴキと鳴らす酒吞童子に対し、茨木童子は膝を付きながら恭しく答える。その、茨木童子が口にした言葉の中には、聞き捨てならない内容が含まれていた。

 

「日本を献上……だと!?」

 

「酒吞童子!お主は一体、何を企んでおるのじゃ!?」

 

 激しい剣幕で捲し立てる目玉おやじ。そんな目玉おやじに対して、酒吞童子は余裕そうな冷笑を浮かべていた。

 

「茨木、説明してやれ」

 

「しかし、酒吞童子様……」

 

「構わん。どの道、奴らには為す術は無いんだからな」

 

「かしこまりました。ゲゲゲの鬼太郎とその仲間達。酒吞童子様からお許しをいただきました。これより我等が為さんとする計画を教えてさしあげます」

 

 地面に膝を付いた姿勢から立ち上がった茨木童子は、酒吞童子から鬼太郎の方へと向き直り、自分達が水面下で進めている企みについて語り始めた。

 

「この鬼ヶ島酒造は、我等が酒吞童子様のために創立した企業であり、酒吞童子様の復活を待ち、この百数十年の間、只管に事業を拡大することのみに力を入れてきた企業です。そして、酒吞童子様にこの日本を献上するための、作戦の要でもあるのです」

 

「酒造業者が……作戦の要?」

 

「一体、酒を使って何をするつもりなのじゃ!」

 

 茨木童子の作戦の意図が読めず、ねこ娘や砂かけ婆が疑問の声を上げる。そんな一同に対し、茨木童子は冷徹で変化に乏しい表情のまま、しかし先程よりも饒舌に続けた

 

「ねずみ男に運ばせたのは、我が社が一月後に売り出す予定の新酒です。そしてご存知の通り、その新酒の中には鬼の妖力が混ぜ込まれています。妖力は、その酒を飲んだ人間や妖怪の体内に残留します。妖力そのものは、人体には無害ですが、強大な鬼の妖怪が念じることで、一気に活性化します。このように……」

 

 そう言うと、茨木童子はねずみ男に向けて右手を翳した。途端、茨木童子の右の手の平から妖力の波動が発生する。そして、その波動を受けたねずみ男に異変が起こった。

 

「ぐふぅっ……!がぁぁぁああ!!」

 

「ね、ねずみ男!?」

 

「一体、どうしたんじゃ!?」

 

 簀巻きにされた状態で、苦し気な叫び声を上げながらのたうち回り始めるねずみ男。恐ろしく強い力で暴れるため、ねこ娘達の力では押さえ切れない程だった。ねこ娘達の手を離れたねずみ男は、自身を拘束していたロープを引き千切ってしまった。

 さらに、異変は終わらない。ねずみ男の体がボコボコと音を立てて膨れ上がっていったのだ。身に纏っていた服を破り、その体は膨張して大きくなっていった。身長は二メートル近くまで巨大化し、口には鋭い牙が並び、頭には二本の角が生えていた。

 

「ぐ、ぉぉおおお!!」

 

「こ、これって……!」

 

「お~に~……?」

 

「ねずみ男が、鬼になっても~た!」

 

 それは、“鬼”だった。かつてねずみ男だったものは、目の前に現れた酒吞童子や茨木童子と同じ、鬼へと変わったのだ。

 

「まさか……これがお前達の狙いなのか!」

 

「察しが良いようで助かります」

 

 鬼の妖力が込められたらしい新酒を口にしたねずみが、茨木童子の妖力の波動を受けた途端に、鬼へと変化した。一連の出来事から、鬼太郎は茨木童子の企みが何なのかを理解した鬼太郎に対して、茨木童子は続けた。

 

「新酒に含まれている鬼の妖力は、外部から鬼の妖力の波動を受けることで活性化し、これを飲んだ人間や妖怪を、我等と同じ鬼にすることができるのです。この鬼の妖力を含んだ新酒を販売するのと同時に、酒吞童子様が持っておられる膨大な妖気を、日本全体に向けて解き放つ……それにより、これを飲んだ日本中の人間を鬼にして挙兵し、一気呵成に日本を制圧するというのが、我々の計画です」

 

 その恐ろしい計画に、鬼太郎達は戦慄した。冷静になって聞けば、荒唐無稽で実現など到底できそうにない計画に聞こえるかもしれない。だが、底知れない叡智と鬼謀を垣間見せる茨木童子の語る計画に、隙があるとは思えなかった。そして案の定、続く説明によってそれが予感ではなかったと証明された。

 

「新酒の発売は一月先ですが、既に試飲会やサンプル販売、特定の人物へのサンプル提供によって、相当な数の人間がこの新酒を飲んでいます。新酒を送った人間は、いずれも政界や財界、裏社会における重鎮です。また、一月後の販売イベントは全国で開催し、百万人を超える愛好家に振る舞われます。彼等全てを鬼にして支配下に置けば、速やかにこの国は我等の手中に収まることでしょう」

 

 あまりにも隙の無さ過ぎる計画に、鬼太郎も目玉おやじも言葉が出ない。酒吞童子だけでも国を亡ぼせるだけの災厄級の大妖怪だというのに、その配下に百万人の鬼がつくとなれば、最早止められる者などいないだろう。

 

「……お前達のやろうとしていることは分かった。それで、作戦を確実に成功させるために、僕達を鬼にしようとしたということか」

 

「ゲゲゲの鬼太郎の力は、我々もよく知っています。人間の味方をしているあなたならば、必ず我々の計画を邪魔しに来るでしょう。ならば、事前に手を打つのは当然です」

 

 尤も、その策謀も、酒瓶の蓋を開けた途端に見破られて失敗してしまったのだが。しかし、ねずみ男にはそれ程期待はしていなかったのだろう。茨木童子やその配下の鬼達の顔には、落胆の色は全く無かった。

 

「もう良いだろう、茨木。人間の味方をするような奴が、俺達の仲間になどなる筈が無い。歯向かう奴には、死あるのみだ」

 

 最早言葉は無用とばかりに、酒吞童子がそう言って締め括る。指をコキコキと鳴らしながら、鬼太郎達のもとへ向かって、また一歩前へ出る。対する鬼太郎達もまた、酒吞童子の圧倒的な存在感に気圧されながらも、臨戦態勢を維持していた。しかし、酒吞童子という規格外の妖怪に、僅かな勝機も見出せない状態にあった。

 作戦が発動すれば最後、日本は酒吞童子の手に落ちる。それを防ぐためには、計画の要にして鬼軍団を統べる頭領である酒吞童子を、この場で倒すほかにない。である以上、鬼太郎は全てを賭して挑むほかに無かった。

 

「酒吞童子!お前の野望は、ここで終わらせてもらう!!」

 

「フッ……終わらせられれば、良いな。それじゃあ、始めようか。ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 茨木童子達は以下が、鬼と化したねずみ男を伴って後退したことを確認した酒吞童子が口にした、戦闘宣言。それと同時に、酒吞童子の肉体から膨大な妖力が溢れ出した。

 

「なっ……!」

 

「くぅっ!」

 

「何という妖力じゃ……!!」

 

 酒吞童子による妖力の解放。それは、まるで火山が噴火したかのような衝撃を鬼太郎達に齎した。想像を絶する妖気の奔流に、鬼太郎達は猛烈な爆風を浴びたかのような感覚に陥った。まだ戦闘は始まってすらいないのに、戦力はあまりにも圧倒的だった。

 だが、鬼太郎達とてここで退くことはできない。妖力の奔流に晒され続ける中、己を奮い立たせて酒吞童子に立ち向かう。

 

「皆、行くぞ!」

 

『おう!!』

 

 鬼太郎の掛け声とともに、仲間達が酒吞童子を取り囲むように散らばっていく。そして、一番手の攻撃は鬼太郎から開始された。

 

「髪の毛針!」

 

 無数に射出される、鋼鉄と同等の強度を持つ鬼太郎の毛針。機関銃のように発射されるそれらは、酒吞童子を攻撃範囲に捉えていた。だが、命中した毛針は酒吞童子の体に突き刺さることなく、硬質な音とともに地面に落ちていった。

 

「……温いわ」

 

「くっ……なんて頑強な体だ!髪の毛針が通らないなんて……!」

 

「なら、今度は私が!……ニャァアアッ!」

 

 髪の毛針を受けて平気な顔をしている酒吞童子に対し、今度はねこ娘が仕掛ける。伸長させた鋭い爪を振り翳しながら、酒吞童子の背後へと攻撃を仕掛ける。両手の爪による、乱れ引っ掻きの連撃は、酒吞童子の纏う衣服を引き裂くが……その体には、傷一つ付けることすら叶わなかった。それどころか、ねこ娘の爪が、刃毀れしたように欠けていたのだ。

 

「私の爪が効かないなんて……!」

 

「ならばこれでどうじゃ!毒砂!!」

 

 ねこ娘に次いで攻撃を仕掛けたのは、砂かけ婆。毒素を含んだ特性の砂を酒吞童子に浴びせかける。並みの妖怪ならば、毒気で動けなくなるか、動きが鈍る等して行動に支障が出るのだが、酒吞童子にはそのような様子は全く無かった。それでも、幾度となく砂を見舞うのだが、やはり効果が無い。

 

「鬱陶しい!」

 

 苛立ち交じりの声とともに、酒吞童子が腕を一振りする。その勢いにより、砂かけ婆がかけた砂は全て、酒吞童子の周囲から吹き飛ばされた。

 

「ならば今度はわしじゃ!一反もめん、頼んだぞ!」

 

「コットン承知!」

 

 砂かけ婆の毒砂が吹き飛ばされるのと同時に仕掛けたのは、子泣き爺と一反もめん。子泣き爺を尾の部分に結び付けた一反もめんは、そのまま飛翔する。そして、子泣き爺を空中で勢いよく振るい、遠心力を最大限に活かして酒吞童子目掛けて凄まじい勢いで放り投げた。

 

「おぎゃあ!おぎゃあ!」

 

 空中に投げ出された子泣き爺は、赤ん坊のような泣き声を上げて石化した。石になった子泣き爺の重量は、三トンを超える。それが一反もめんとの連携により、凄まじい勢いで投げ飛ばされているのだから、衝突時の衝撃は計り知れない。

 対する酒吞童子は、自身に凄まじい速度で迫ってくる石化した子泣き爺を前に、全く動じなかった。その場に立ったまま、右手を突き出しすと……

 

「ふんっ!」

 

 石化した子泣き爺を、難なく受け止めた。流石に勢いまでは殺しきれなかったのか、足元の地面が若干陥没していたが、酒吞童子自身は大したダメージを受けた様子は無く、健在そのものだった。三トン超の石化した子泣き爺を受け止めて無傷の酒吞童子の姿に、鬼太郎や他の仲間達は驚愕に目を見開く。

 

「ぬり~!」

 

 酒吞童子が子泣き爺を受け止めたことで、その瞬間を狙い、地面からぬりかべが現れる。そのまま、酒吞童子へと向かって倒れて、重さにものを言わせて押し潰そうとする。だが、

 

「返すぞ」

 

「ぬりっ……!?」

 

 酒吞童子はそれだけ口にすると、右手に受け止めた子泣き爺を、ぬりかべ目掛けて投げつけたのだ。途轍もない怪力で投げ返された石化した子泣き爺は、倒れかかっていたぬりかべを押し返して仰向けに倒れさせた。子泣き爺は、ぬりかべの全面に深くめりこんで罅を作っていた。

 

「くっ……ならばこれでどうだ!霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 仲間達の攻撃が尽く防がれる中、鬼太郎が攻撃を続ける。ちゃんちゃんこを巨大な風呂敷のように伸長させ、酒吞童子を頭から覆い尽くす。鬼太郎の霊毛ちゃんちゃんこには、拘束した妖怪の妖力を吸収し、圧縮・消滅させる力があるのだ。この能力は非常に強力であり、怪力自慢の妖怪であっても、抜け出すことはほぼ不可能である。

 だが、酒吞童子は……

 

「くだらん……」

 

「なっ……!」

 

 自身を覆うちゃんちゃんこを、その怪力をもって引き千切ったのだ。前述のとおり、ちゃんちゃんこには妖怪の妖力を吸収する力がある。である以上、ちゃんちゃんこに覆われた状態で、その拘束を力業で抜けるなどで、できる筈が無いのだ。

 

「妖力を吸収するちゃんちゃんこか……並の妖怪にとっては確かに脅威だ。だが、吸いきれない程の莫大な妖力を持っている、俺のような妖怪には通用せん」

 

 頑強さも、腕力も、妖力も、何もかもが規格外過ぎる。数多の妖怪と激闘を繰り広げてきた鬼太郎だが、これ程までの力を持つ妖怪との相対したことは無かった。圧倒的な力の差があることは、戦闘開始前から感じていたことだったが、まさか本当に、文字通りに手も足も出ないとは思わなかった。

 

「もう終わりか?なら、今度はこちらから仕掛けさせてもらおう……」

 

 今までずっと、鬼太郎達の攻撃を受け続けていた酒吞童子が、攻勢に転じるという。鬼太郎達が身構える中、酒吞童子はその体に妖力をさらに滾らせ……その力の全てを、鋭い牙が並ぶ、口へと集中させる。そして、深呼吸するかのように体を軽く逸らせると……体内に溜め込んだものを、吐き出した。

 

「ガ、ハァアッッ!!」

 

 途端、鬼太郎達が最後に見たのは、酒吞童子の口からカッという音と共に放たれた、赤い光だった。そして次の瞬間、鬼太郎と仲間達の視界は紅蓮一色に染まり、何もかもを燃やし尽くすかのような凄まじい灼熱が全身を覆った。

 

「ぐぅっ……ぁぁあああああああっっ!!」

 

 骨まで残さず焼き尽くさんとする凄まじい炎の奔流に呑み込まれた鬼太郎達の、断末魔の叫びとも呼べる、苦痛に満ちた叫び声が響き渡る。鬼太郎達を襲った炎の正体。それは、酒吞童子が放った『鬼火』だった。『鬼火』とは、鬼の妖怪が炎を操るために使う妖術である。一般的な鬼火は、バスケットボール大程度の大きさの火の玉を操るのだが、酒吞童子のそれはレベルが違った。鬼太郎達諸共、工場の敷地の一角を炎で埋め尽くし、二十メートルにも及ぶ高さの巨大な火柱を作り出したのだ。

 酒吞童子が放った、業火と呼ぶべき鬼火はやがて収縮していき、黒く焼け焦げた地面を露にした。炎は未だにところどころで燻っており煙を上げていた。文字通りの焦土と化した敷地内だが……そこには、鬼太郎達の姿は無かった。死体の欠片も残さずに焼き尽くしてしまったのかとも思われたが、すぐにそれは違うという結論に至った。

 

「逃げたか……」

 

「親父、やり過ぎだ。周囲に被害を出さないための結界を破っちまったら、意味が無いだろ」

 

 息子である鬼童丸の尤もな指摘に、酒吞童子はばつが悪そうな顔を浮かべた。その強大過ぎる炎の奔流は、鬼太郎達への攻撃に止まらず、戦闘開始前に張った結界すら破壊してしまったのだ。鬼太郎達の死体が残っていなかったのは、結界が破壊されたのと同時に、敷地の外へと飛び出した、或いは吹き飛ばされたことが原因だった。

 

「すぐに追っ手を放ちましょう。待機している鬼達を動員すれば、瞬く間に捕らえることができる筈です」

 

 仕留め損なったとはいえ、酒吞童子の炎をまともに受けている以上、鬼太郎達も相当な深手を負っていることは間違いない。そう考えた茨木童子が、追撃を進言する。だが、酒吞童子はそれに対して首を横に振った。

 

「無用だ。あの炎を食らっている以上、連中は無事ではあるまい。少なくとも、俺達の計画が発動する一月後までに全快することは不可能だ。それより、敷地内の損壊の修復が先だ。朝までに全て直しておけ」

 

「はっ!」

 

 数多の妖怪と戦いを繰り広げてきた歴戦の勇士たる鬼太郎達を、圧倒的な力をもって捻じ伏せてみせた酒吞童子は、それだけ指示を出すと、その場を部下に任せて鬼童丸と共に去っていった。残された茨木童子をはじめとした部下達は、戦闘の痕跡を抹消するために動きだすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあったんですか……」

 

 自宅付近で倒れていた鬼太郎を保護した楓は、目玉おやじの頼みを聞き入れ、自宅へ鬼太郎を連れ帰って手当を行っていた。火傷に対して一通りの処置を終えた楓は、目玉おやじから酒吞童子との戦いの顛末を聞かされていた。

 

「鬼太郎は酷い火傷を負っておるが、明日には目が覚めるじゃろう。楓さんには、これ以上迷惑はかけんから、安心してほしい」

 

「いえ、私は迷惑だなんて思ってませんよ。けど……まさか、あの鬼ヶ島酒造にそんな秘密があったなんて……」

 

 テーブルの上に置かれた、本日融通してもらった鬼ヶ島酒造の……鬼の妖力が込められているという新酒を悲しそうな瞳で見つめながら、そう呟いた。鬼ヶ島酒造の日本酒ブランドの楓にとって、酒造業者が鬼の妖怪に支配されており、その名声を利用した計画を実行しようとしているという事実は、ショックなことだった。

 

「しかし、鬼太郎がこの有様では、酒吞童子を止めることなどとてもではないができん。ねこ娘や砂かけ婆も、鬼太郎と同じかそれ以上の火傷を負っているとあっては、猶更じゃ……」

 

 酒吞童子一人ですら、鬼太郎達が束になって掛かっても太刀打ちすらできないのだ。次に会う時には、茨木童子や鬼童丸、配下の四天王といった強力な鬼達まで含めて相手することになれば、勝算は皆無である。他の妖怪を仲間に引き入れようにも、酒吞童子とその配下の鬼軍団を相手できる妖怪など、そうそういる筈も無い。八方塞がりであり、打つ手が全く無いこの状況を打破する術は無いかと、鬼太郎の枕元で目玉の頭を抱えて試案を巡らせる目玉おやじだが、いくら思考を巡らせても妙案は浮かばない。

 そんな目玉おやじの隣に座っていた楓もまた、同じように何かを思いつめた表情で考え込んでいた。そして、やがて何かを決意した楓は一人真剣な表情で頷き、目玉おやじの方へ向き直り、声を掛けた。

 

「目玉おやじさん」

 

「む?なんじゃね、楓さん」

 

「鬼ヶ島酒造のこと……私に任せてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

「ほほう……まさか昨日の今日で、こんなに早く再会することになるとは、思わなかったぞ。ゲゲゲの鬼太郎」

 

「酒吞童子……」

 

 鬼太郎達が鬼ヶ島酒造へ襲撃を仕掛け、酒吞童子に返り討ちにされた翌日。鬼太郎は、敵陣である鬼ヶ島酒造の東京支社ビルの最上階にある社長室にて、高級デスクとセットの高級チェアに座っている和装の酒吞童子と対峙していた。その傍には、秘書として茨木童子が控えている。一方の鬼太郎の隣には、楓が立っていた。

 酒吞童子との戦闘から一夜明けた本日の朝。鬼太郎は意識を取り戻し、火傷からもある程度回復し、何とか立って歩ける程度にまで回復していた。そんな鬼太郎を介抱していた楓は、酒吞童子を止める方法を探る鬼太郎と目玉おやじに、ある提案をした。それは、酒吞童子が運営する鬼ヶ島酒造の東京支社のビルへと、真正面から乗り込むというものだった。

 しかし、何故こうして鬼ヶ島酒造の社長職に就いている酒吞童子に容易く会えたのか?それは、楓が一月後に控えた、ある仕事において得た伝手を使ったことによるものだった。

 

「申し訳ございません。まさか、ゲゲゲの鬼太郎が一月後に開催される新酒の販売イベントのゲストと知り合いだとは……」

 

 酒吞童子へ一礼して謝罪を述べる茨木童子。そう、楓は鬼ヶ島酒造が一月後に控えている、新酒の販売イベントにおいて出演予定のゲストアイドルだったのだ。鬼ヶ島酒造の新酒を一月も早く入手できたのも、この仕事を引き受けたことでできた伝手を利用したことによるものだった。

 そして今、楓は自身が仕事の中で得たコネクションを活用し、鬼太郎と共にこうして酒吞童子のもとへと乗り込んできたのだった。

 

「茨木が気にすることなど何も無い。こいつ等をこの場へ通せと言ったのは俺だ。まあ、まさか人間の女を伴って来るとは思わなかったがな」

 

「私も驚きましたよ。まさか、鬼ヶ島酒造の社員の方々が、本物の『鬼』だったなんて」

 

「……鬼太郎を伴ってこの場へ来た以上は予想していたが、やはり俺達の正体を知っていてこの場へ乗り込んできたのか。『アイドル』といったか……成程、大勢の人間の注目を集めるだけに、大したタマだな」

 

 酒吞童子が鬼の大妖怪であり、鬼ヶ島酒造自体が鬼妖怪の巣窟であると知りながら乗り込んできたその胆力に、酒吞童子は素直に感心していた。鬼太郎を伴って訪問してきたと聞いた当初は、安倍晴明のように強大な力を持つ陰陽師なのかと疑いもしたが……こうして実際に会ってみれば、特段危険視しなければならないような人間ではなかった。

 対する楓は、酒吞童子を前にしながらも、動揺や恐怖を一切感じさせず、いつもと変わらない調子で、微笑みすら浮かべて話していた。隣に立つ鬼太郎すらも、楓の態度には軽く驚いていた。

 

「それで、昨晩俺に戦いを挑んで丸焦げにされた奴が、一体何の用だ?性懲りも無く俺に喧嘩を売りに来たなら、いくらでも買ってやるが……要件はそれじゃねえんだろ?」

 

 昨晩の戦いで重傷を負った鬼太郎が、仲間の一人も伴わずに再戦のためにこの場を訪れたとは考えにくい。何らかの秘策があり、勝算があってこの場へ来た可能性もあるが、それならば、正面から堂々と乗り込むような真似はしない筈。となれば、鬼太郎がこの場へ姿を現したのは、戦闘以外の目的があってのこと。そしてそれは、恐らく隣に立つ楓が関連していることだと、酒吞童子と茨木童子は考えていた。

 そして、そんな二人の鬼から目的を話せというニュアンスの視線を向けられた楓は、全く臆することなく口を開いた。

 

「鬼太郎さんに同行を頼んだのは私です。酒吞童子としてのあなたと話をしたかったので」

 

「俺に話しだと?」

 

「はい。あまり色々と話をすると長くなりそうですので、単刀直入に言わせていただきますね」

 

 そうして一拍置いた楓は、先程までの微笑みを浮かべた、クールで余裕のある態度から一変。その顔は強い決意を秘めた、真剣な表情へと変わり、酒吞童子を見据えながら、口を開いた。

 

「酒吞童子さん。あなたに、勝負を挑ませていただきます!!」

 



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酒あわせを守る戦い!最強妖怪 VS 346アイドルAfter20 ②

 鬼の妖怪達が支配する、日本有数の酒造業者『鬼ヶ島酒造』が東京に持つ支社の社長室にて相対する、妖怪と人間がいた。

 片や鬼軍団の頭領たる酒吞童子。片や346プロ所属のトップアイドルたる高垣楓。異なる二つの世界の頂点に立つ者同士が向かい合うこの空間は今、非常に気まずい沈黙に支配されていた。

 

「……この俺に、勝負を挑む、だと?」

 

「はい」

 

 先程の、楓が高らかに宣言した言葉を反芻し、聞き間違いではないかと口を開く酒吞童子。しかし、対する楓は、テレビ等でお馴染みの魅力的なアイドルスマイルで肯定してみせた。

 そんな楓に、流石の酒吞童子も戸惑いを隠せない。それは、楓を連れてきたゲゲゲの鬼太郎と、酒吞童子の傍に仕える茨木童子も同様であり、楓の言葉に非常に混乱した様子だった。

 

「ふむぅ……一体、どういうつもりなのかね?楓さん」

 

 楓以外の妖怪達が唖然とする中、その沈黙を破ったのは、鬼太郎の髪の中に隠れていた目玉おやじだった。一体、どのような経緯でそのような考えに至ったのかと、その真意について尋ねる問いに、楓はこの場に来た時から変わらない調子でその答えを話し始めた。

 

「酒吞童子さんは、一月後に発売される、新しい日本酒を使って人間を支配しようとしているんですよね?私としては、それをやめて欲しいと思っているんです。けれど、きっとお願いしても聞き入れてくれないでしょうから、勝負をして、私が勝ったら言うことを聞いてもらおうと思ったんです」

 

『………………』

 

 楓の考えを聞かされた一同は、またしても黙り込んでしまった。酒吞童子と茨木童子は勿論のこと、鬼太郎と目玉おやじでさえ、「こいつ、何言ってんだ?」的な反応を示している。

 酒吞童子が行おうとしている、人間を支配するための作戦を聞かされれば、支配される側である楓としては、止めたいと思うのが道理である。しかし、そのための手段として、勝者が言うことを聞くことを前提とした勝負を挑むというのは、あまりにも無茶苦茶である。

 

「……我々の作戦を阻止したいというあなたの考えは、一応理解できました。しかし、そのための手段として、酒吞童子様へ勝負を挑むという考えは、全く理解できません。そもそも、酒吞童子様がそのような話を受ける理由がありません」

 

 理解不能な思考回路をした二十五歳児に翻弄される中、酒吞童子の側近である茨木童子が、その場にいた面々の中で最も早く落ち着きを取り戻して反論した。

 一見、冷静に見える茨木童子だが、その口調からは僅かながらの刺々しさが感じられた。しかし、それも無理も無い話である。怨敵たる人間から日本を丸ごと奪い取り、主君である酒吞童子へ献上するためのこの作戦は、茨木童子をはじめとした鬼軍団の悲願なのだ。茨木童子等が千年を超える、とてつもなく長い期間をかけて下地を作り、築き上げたこの作戦。その行く末を、勝負事で決めようという楓の提案は、茨木童子をはじめとした鬼軍団にとってはこの上ない侮辱である。酒吞童子の勝ち負けに関わらず、許せるものではなかった。

 そして、茨木童子が口にした尤もな正論に、鬼太郎と目玉おやじでさえ、内心で同意してしまっていた。楓の真意がどうあれ、酒吞童子にはそれを受ける義務は無い。故に、楓が一方的に叩き付けた挑戦は、酒吞童子本人が承諾でもしない限りは成立しないのだ。しない、のだが……

 

「まあ待て、茨木」

 

「酒吞童子様?」

 

「せっかくここまで来たんだ。その度胸に免じて、話だけでも聞いてやろうじゃねえか」

 

 茨木童子の正論を、酒吞童子が止めた。「ククク」と笑いながら、面白いものを見るような視線を楓に向ける酒吞童子は、本気でこの状況を楽しんでいるようだった。どうやら、鬼太郎を伴っているとはいえ、人間の身でありながら、鬼の巣窟たるこの場所へ乗り込んできたその覚悟と度胸が気に入ったらしい。「それで」と前置きをして、肝心の勝負の内容について、楓に問い掛ける。

 

「俺と勝負をすると言ったが……一体、何で勝負するつもりだ?まさか、妖怪を相手に殴り合いの殺し合いをやろうだなんて思ってないんだろう?」

 

 楓の正体が陰陽師や魔法使い、或いは悪魔といった、特殊な能力を持つ人間や、人間を超越した存在だったならば、それも可能だろう。だが、こうして間近で話してみる限りでは、楓はアイドルという以外は、何の特別な力を持たない普通の人間である。そんな彼女が、一体、どんな勝負を挑もうというのか。酒吞童子は勿論、この場にいる誰もが非常に気になっていることだった。

 そして、問い掛けられた当人たる楓は、艶然とした笑みを浮かべながら、口を開く。

 

「それは勿論、酒吞童子さんもお好きなことですよ。」

 

「ほう……面白い。聞く限りでは、この俺の得意分野で勝負をしようと思っているようだな。なら、話してみろ。内容次第じゃあ、受けてやる」

 

「ありがとうございます。それでは、勝負の内容ですが――」

 

『!!』

 

 楓の口から語られた勝負の内容。それを聞かされた鬼太郎、目玉おやじ、酒吞童子、茨木童子の四人は、再び驚愕に目を剥くこととなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楓と酒吞童子の対談から、およそ一カ月が経過した。その間にも、酒吞童子率いる鬼軍団による日本征服作戦が水面下で着々と進められ……遂に、決行当日を迎えた。既に作戦の成功、即ち酒吞童子の鬼軍団の大勝利が確定しているも同然の状況にあっても、茨木童子の警備は緩められることはなかった。酒吞童子が陣取る東京会場をはじめ、全国のイベント会場には、酒吞童子の配下である四天王をはじめとした屈強な鬼の軍勢が配備されている。

 茨木童子の指示のもと、既に準備は万端。あとは、鬼ヶ島酒造の東京支社があるこのイベント会場より、酒吞童子が日本全国へ向けて妖力を解放するのを合図に、大量の鬼軍団によって全国の要衝を制圧すれば、作戦は完了。日本は酒吞童子の手中に収まるのだ。

 

「くそっ……遂に止めることができなかったか……!」

 

「歯がゆいわね……このままあいつが、日本を征服するのを見ているしかできないなんて……」

 

 東京支社のイベント会場にて、鬼太郎とねこ娘の二人は、ステージ上で行われている新酒の販売イベントが順調に勧められているその様を、何もできずに見ていることしかできなかった。二人の体には、一月前の酒吞童子の戦闘によって負わされた火傷が未だに残っていた。その服の下には、大量の包帯が巻かれていた。

 当然ながら、鬼太郎達は酒吞童子の作戦を阻止するための術を模索し続けていた。しかし、酒吞童子の腹心たる茨木童子が張り巡らせた策略には一切付け入る隙が無く、深手を負わされていた鬼太郎達には、為す術も無く、この日を迎えてしまったのだった。

 

「鬼太郎さん、ねこ娘さん、落ち着いて……」

 

「そうですよ!まだ負けたと決まったわけじゃないじゃないですか!」

 

 自分達の無力に打ちひしがれる鬼太郎とねこ娘を、小梅と美穂が宥める。楓と同じ346プロ所属のアイドルにして、ここ最近の妖怪騒動で頻繁に関わりのあるこの二人は、オフだったこの日を利用し、鬼太郎と共にイベント会場を訪れていた。

 一月前に行われた、酒吞童子との戦闘に際し、解き放たれた膨大な妖力。それを感知した小梅は、就寝中だった美穂や蘭子、飛鳥を起こして346女子寮を飛び出した。そして、酒吞童子のもとから敗走していた傷付いたねこ娘達を保護し、酒吞童子の野望についても聞かされたのだった。

 

「楓さんが言っていたじゃないですか。酒吞童子さんの野望は、必ず止めるって」

 

「だが、相手はあの酒吞童子だぞ?人間が妖怪に挑むというだけでも無茶だというのに、あんな圧倒的に不利な勝負を挑むなんて……」

 

「アイドルっていうのは、本っ当に何を考えているんだか分からないわよね……」

 

 希望はまだ残されていると口にする美穂。だが、鬼太郎とねこ娘は顔に手を当てて頭痛を堪えるように顔を伏せていた。美穂が言うように、酒吞童子の野望を阻止する最後の砦は、確かに存在する。それは、彼女等と同じ346プロのアイドル、高垣楓が酒吞童子へと申し込んだ『勝負』である。

 一月前、酒吞童子は楓に申し込まれた勝負の提案を、哄笑と共に受け入れた。勝負に負けた者は、勝った者の言うことを聞くというルールに基づいて行われるこの勝負に楓が勝利すれば、酒吞童子の野望は作戦を発動することができなくなる。

 しかし、それは言う程簡単なことではない。ある意味では、酒吞童子を正面から打ち破るよりも難しい……不可能に等しい、巨大な困難なのだ。それは……

 

『皆さん、本日はお忙しい中でお集りいただき、ありがとうございます!それではこれより、次のプログラムに進ませていただきます。しかし、次のイベントは、皆さんにお配りしたプログラムには載っていません!本イベントに駆け付けてくださいました、346プロダクションのアイドルの皆さんを交えた、事前告知無しの、スペシャルプログラムなのです!!』

 

 ステージに立つ、イベントの司会進行役の言葉により、次なるプログラムの開始が宣言される。しかし、これから行われるイベントは、予め告知されていたプログラムには無い、サプライズイベントの類だった。しかも、本イベントに参加している346プロのアイドルまでもが参加すると聞かされた観客達は、驚きと期待で騒然となる。

 

『まずは、本日のイベントゲストとしてこの会場へお越しいただきました、346プロのアイドルの皆さんをご紹介いたします!皆さん、ステージの上へどうぞ!!』

 

 その宣言とともに、舞台袖に待機していた、346プロ所属アイドル達が、次々にステージ上へと姿を見せる。先頭を切るのは楓である。司会進行役からマイクを受け取り、自己紹介を行い、次のアイドルへと回していく。

 

『高垣楓です。鬼ヶ島酒造のブランドの大ファンなので、このイベントに参加できて、とっても感激です』

 

『ハ~イ!みんな大好き、プリティアイドル・川島瑞樹で~す!』

 

『片桐早苗よ!お酒も良いけど、酔っ払って人に迷惑かけたりなんてしたら、シメるわよ!』

 

『柊志乃よ。鬼ヶ島酒造は日本酒も良いけど、ワインもイチオシね』

 

『高橋礼子よ!鬼ヶ島酒造のブランドは、どれも野趣溢れるものばかりだから、私も大好きなの!』

 

『姫川友紀!今日もかっとばして行くよー!!』

 

『佐藤心ことしゅがーはぁとだよぉ☆今日はよろしくね☆』

 

『みんなの笑顔を守る正義のアイドル・ウサミン仮面!同胞・ナナの願いを受け、ここに見参です!!キャハッ!』

 

 楓を筆頭として挨拶をしていく錚々たる面々に、観客はさらに湧き立つ。

元女子アナとして培ったトーク力を活かし、バラエティ番組の司会やラジオのMC等で活躍している川島瑞樹。

元婦警であり、イベントの司会やテレビドラマにて活躍している、瑞樹と同じくバブリー世代アイドルの片桐早苗。

 早苗も出演している人気ドラマ『酒税課の女』のレギュラーとして人気を博している柊志乃。

事務所最年長にして、大人の色気に満ちたセクシーアイドルとして知られる高橋礼子。

プロ野球チーム『キャッツ』を応援している熱狂的な野球ファンアイドルとして知られる姫川友紀。

「しゅがーはーと」を自称するに十六歳の、「スウィーティー」が決め台詞の過剰なぶりっ子アイドル、佐藤心。

メイド服にアイマスクを被った正体不明(?)の正義のアイドル、自称ウサミン仮面。同事務所において「永遠の十七歳」を自称するアイドルの同胞を名乗っていた。

 総勢八名もの346プロのアイドル達が観客席に手を振りながら姿を現したことで、観客のテンションはさらに高まっていく。皆、いずれも346プロの中では“大人のアイドル”として名の知れた人気アイドルである。

 

『それでは次に、弊社『鬼ヶ島酒造』側からのプログラム参加者を紹介させていただきたいと思います。ところで、話は変わりますが……皆さんは、この『鬼ヶ島酒造』という会社名の由来をご存知でしょうか?』

 

 プログラム参加者の紹介の筈が、いきなり会社名の由来について話し始める司会進行役。そのいきなりの話題転換に、観客達は一様に疑問を浮かべていた。そんな観客達に対して、司会進行役は得意げに笑みを深めながら続けた。

 

『この『鬼ヶ島酒造』という会社名は、お酒が大好物の伝説の鬼の妖怪『酒吞童子』にちなんで付けられたものです。そして、千年物昔に人間によって討伐された酒吞童子ですが……この現代に蘇っており、なんとこの会場へ来ているのです!!』

 

 プログラムの余興の演出として語られたストーリーに、観客達は期待に湧き立つ。そんな観客の反応を見て笑みを浮かべた司会進行役は、このプログラムを盛り上げる主役の一人をステージの上へと招き入れる。

 

『それでは、来ていただきましょう!酒吞童子様、こちらへどうぞ!!』

 

 司会進行役が、舞台袖からステージの中央へ招待するように、腕を広げる。それに応じ、舞台袖から姿を現したのは、豪奢な和装に身を包んだ巨体の赤い鬼――酒吞童子である。

 

『本日のプログラムの参加者の一人であり、本日のイベントの開会式でご挨拶いただきました当社の新社長、鬼柳千真(きりゅうかずま)さん。果たしてその正体は、伝説の鬼妖怪・酒吞童子様だったのです!!それでは、一言ご挨拶をお願いします』

 

『よく来てくれたな、人間ども!この俺様こそが、酒吞童子様だ!!』

 

 ステージ上に姿を現した、新社長・鬼柳千真を名乗る酒吞童子の迫力に、観客達は騒然とする。日本全国の鬼軍団を統べる大妖怪である酒吞童子の放つ威圧感とカリスマは、人間相手でも遺憾なく発揮されており、観客全員の視線を釘付けにしていた。その圧倒的な存在感に、アイドル目当てで集まっていた観客達もまた、興奮している様子だった。

 

「……どうやら観客は皆、本物の酒吞童子だとは思っていないようだな」

 

「そりゃそうでしょう。きっと、かなり高度なメイクだとでも思っていることでしょうよ」

 

 妖怪としての酒吞童子の姿そのままでステージに上がった時には、流石の鬼太郎とねこ娘も度肝を抜かれた。しかし、酒吞童子を見る観客は湧き立ってはいるものの、非常に手の込んだリアルなコスプレ、メイクによるものだと思っているらしく、本物だなどとは微塵も疑っていない様子だった。

 酒吞童子としては、恐らくは人間達に対して自身の威光を見せつけることを目的にこのような演出に及んだのだろう。しかし、作戦が決行されていない現段階では、観客は勿論、取材に来ているカメラマン達も含め、全て演出と捉えているらしく、イベントの範疇を超える大きな騒動にはなっていなかった。

 しかし、それも酒吞童子の作戦が発動するまでの間だけである。鬼太郎とねこ娘は、ステージ上に立つ酒吞童子に警戒しながらも、司会進行役の説明に再度集中し始めた。

 

『この鬼ヶ島酒造の新酒の披露目イベントを盛り上げるための、346プロの人気アイドルの方々にも参加していただくプログラム……それはズバリ!!』

 

 司会進行役がそこまで言うと、ドラムロールが鳴り響いた。勿体ぶってかなりの間を置いた末……その演目が、舞台のスクリーンに映し出された。それと同時に、司会進行役もまた、観客達に対し、スペシャルプログラムのタイトルを高らかに宣言した。

 

『その名も、<酒豪対決!酒吞童子 VS 346アイドルAfter 20>です!!』

 

 司会進行役が口にした予想外の演目に、観客たちは目を見開いて驚愕を露にすると同時に、歓声を上げる。会場のテンションが盛り上がりを見せる中、司会進行役の説明が続けられた。

 

『ルールは簡単!346プロのアイドルの方々と、酒吞童子とで、本日販売の新酒『伊吹大明神』を飲んでいただき、たくさん飲んでいただいた方が勝利するというものです!!』

 

 そう。楓が酒吞童子へ提案した勝負とは、飲んだ酒の量で勝者を決める、『新酒の飲み比べ』なのだ。

そして、その驚愕のルールを聞かされた観客達は、騒然とした。要するに、アイドル八人のチームと酒吞童子による酒の飲み比べである。ちなみに、酒吞童子一人と相対するアイドルの人数が八人なのは、『伊吹大明神』という新酒の銘柄に由来している。『伊吹大明神』とは、酒吞童子の父と目されている、頭が八つの伝説の怪物『八岐大蛇』を指しているのだ。

 酒吞童子一人に対してアイドル勢は八人、しかも酒豪揃いである。普通に考えれば、勝負になどなる筈が無い。観客の誰もが、アイドルチームの勝利を信じて疑わなかった。

しかし……

 

「楓さん、大丈夫かな……」

 

「楓さんとか川島さんとかは、担当プロデューサーさんがお酒には強いって、言ってたけど……」

 

「人間と妖怪とでは、酒量が段違いじゃからのう……」

 

「しかも、相手が悪過ぎる。酒吞童子は妖怪の中でも並ぶ者がいないと言われた程の酒豪だ」

 

 小梅と美穂が口にした不安そうな呟きに対し、目玉おやじと鬼太郎はそう告げた。その非情過ぎる宣告に、美穂は勿論、小梅でさえも顔を青くする。

 

「それって……具体的には、どのくらいなんですか?」

 

「妖怪の酒量は、その種類にもよるが、大概が人間より多く飲める。人間で酒豪と呼ばれる人間と同じくらいだ」

 

「しかし、酒が好物の妖怪はその程度では収まらん。酒吞童子は、そんな妖怪における酒豪の中の酒豪じゃ。飲める酒の量は、並の妖怪の十倍は下らん」

 

「それって……まさか、人間の酒豪十人分以上ってことですか!?」

 

 それが本当ならば、人間である楓達が、酒吞童子を相手に勝利を収めるのは不可能等しいことになる。酒吞童子一人に対し、楓のチームは八人。全員が酒豪であると仮定しても、互角に戦うには、全員で酒豪二人分以上をカバーする必要がある。形勢は楓のチームが圧倒的に不利なことは間違いなかった。

 

「楓さん達、勝てるかな……?」

 

「それはわし等にも分からん。酒吞童子を相手に一対一でない以上、圧倒的な大差で負けるということは無いじゃろうが……勝ち目は薄いとしか言えんのう」

 

 ステージの上に飲み比べを行うための新酒『伊吹大明神』の酒樽が運ばれる様子を見つめながら、目玉おやじはそう呟いた。

 

「そういえば、鬼太郎さん。この勝負って、楓さんから酒吞童子に挑戦したことがきっかけって聞いたけど……八人を相手にするって言い出したのは、酒吞童子なんだよね?」

 

「ああ。その通りだが……それがどうかしたのか?」

 

「何か気になることでもあるのかね?」

 

 これまで起こった、アイドル絡みの妖怪騒動の中で、その霊感・霊能力をもって鬼太郎達を救ってきた小梅の意見は、鬼太郎や目玉おやじも気になるものだった。

 

「うん。酒吞童子さんなんだけどね、どうしてこんな勝負を受けたのかなって……」

 

「そんなもの、酒吞童子の気まぐれでしょう。それに、酒量を競うお酒の飲み比べとなれば、酒吞童子が圧倒的に有利なのは間違いないじゃない」

 

 ねこ娘の言うように、鬼太郎と目玉おやじも頷いて同意した。特に鬼太郎と目玉おやじは、勝負を挑んできた楓を見た時の酒吞童子が、面白そうにしていた反応を見ている。楓が決死の覚悟で挑んだこの真剣勝負も、酒吞童子にとっては座興に過ぎないのだろう。

 そして何より、妖怪の中でも随一の酒好きである酒吞童子が、飲み比べ勝負で負ける筈が無いのだ。或いは、酒好きとしての矜持が勝負を断ることを許さなかったのかもしれない。楓曰く、「酒吞童子さんなら、さけ(・・)られない勝負」と言って了承させたように……

 しかし、小梅だけはその説明でも納得できない様子だった。

 

「日本征服が間際なのに……その直前でこんな勝負をするものなのかな?」

 

「余裕で勝てる勝負だから、そういうの関係無いんじゃない?」

 

「けど、気まぐれで付き合うにしては、なんだか必要以上に凝ったルールにしているように思えて……」

 

「……確かに、小梅ちゃんの言うことも一理あるのう。それに、酒吞童子は以前、人間によって酒に酔わされた隙を突いて倒されておる。である以上、このような重要な局面で飲み比べなどしようとは思わん筈じゃ」

 

 小梅に指摘されて気付いたが、酒吞童子が飲み比べ勝負を受けた時の経緯には、今思えば不自然に思える点があった。小梅が言ったように、わざわざ条件を互角にするために一対八の形式を自ら提案したこともそうだが、酒に酔わされて殺された経験を持っているのだから、そういったリスクは極力回避するために動く筈。実際、酒吞童子の腹心である茨木童子も、座興とはいえこの勝負には反対の意を示していた。

 部下の反対を振り切ってまで行うこの勝負には、酒吞童子にとって何か大きな意味があるのではないかと、そう思えてしまう。

 

「まあ、この局面に至っては、考えても詮無き事じゃ。もし機会があるのならば、本人に聞いてみるしかあるまい」

 

「呑気よねぇ……そんな機会、あるかどうかも怪しいのに」

 

「今更言っても仕方ないだろう。それより、始まるようだぞ」

 

「楓さん、頑張って……」

 

 酒吞童子に別の思惑があるのではという仮説が浮上したが、結局、その疑問が晴れることの無かった。そして、鬼太郎や小梅等を含めた観客と、テレビで生中継されているこのイベントを見ている視聴者が見守る中、勝負は幕を開けるのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ステージの上は、酒吞童子とアイドル八人が向かい合う中、飲み比べ勝負のためのテーブルと椅子、酒樽が設置され、準備は万端。あとは開始の宣言をするのみとなっていた。

 

『それでは、勝負の開始前に、両者に意気込みを聞いてみましょう!まずは、酒吞童子様から、一言どうぞ!!』

 

 開始前に意気込みを聞かせて欲しいと言って、司会進行役はまずは酒吞童子に向けてマイクを差し出した。対する酒吞童子は、意気揚々とマイクを受け取ると、自信満々な表情で鋭い牙を見せながら笑みを浮かべ、口を開いた。

 

『この酒吞童子に愚かにも勝負を挑んできたアイドルの胆力には感服するが、それもここまでだ!酒の飲み比べでこの俺が負けることなどあり得ない!そして、俺が勝った暁には……』

 

 獰猛な笑みをアイドルチームへ向けながら、ビシッと人差し指を突き付け……そして、驚愕の一言を放った。

 

『貴様等全員、この俺の妾にしてくれる!!』

 

 酒吞童子が高らかに叫んだトンデモ宣言に、会場に来ていた観客達は勿論、テレビで中継を見ていたアイドルのファン達、そして妾にする宣言をされたアイドル達は、一様にシンと静まり返ってしまった。そして次の瞬間には、猛烈な怒りのブーイングの嵐が会場を埋め尽くした。それもそうだろう。演技とはいえ、アイドル八人をまとめて妾にするなどと口にすれば、怒り狂うのがファンと言うものである。

 酒吞童子に対し、「死ね」だの「殺す」だのというありとあらゆる暴言が、割と本気で放たれるが……しかし、当の酒吞童子は「がはは」と笑い飛ばしていた。会場に集まった数百人のファンの悪意を前に、全く動じることの無い豪胆かつ極悪な態度に、怒り心頭だったファンの面々も、最後には感心してしまう程だった。

 そして、マイクは酒吞童子と相対する、アイドルチームのリーダーである楓へと渡る。

 

『それでは、次にアイドルチームのリーダーである楓さんに、意気込みを尋ねたいと思います!楓さん、どうぞ!!』

 

『はいっ!』

 

 酒吞童子の迫力満点の極悪スマイルを前に、若干委縮してしまっているアイドルが多い中、楓だけはいつもと変わらない調子でマイクを受け取ると、その意気込みを語った。

 

『酒吞童子さんは強敵ですが、お酒好きでは私達も負けていません!酒豪な私達の(しゅごう)ところをお見せして、勝ちたいと思います!皆さん、応援よろしくお願いします!!皆行きますよー!!』

 

『おーっ!!』

 

 楓の全くブレない駄洒落交じりの掛け声に、先程の酒吞童子のトンデモ発言と極悪スマイルに気圧され、若干委縮していたアイドルチームは、その士気を取り戻す。そんな、アイドルチームの姿を目にした酒吞童子は、その獰猛な笑みを深めるのだった。

 

 

 

 

 

『それでは、スペシャルプログラムをいよいよ開始したいと思います。アイドルチームは、一人ずつ出ていただき、もう飲み切れないと思ったところでギブアップしていただき、次の方に代わっていただくことになります。それでは、アイドルチームからは、トップバッターとして、安部な……コホン。ウサミン仮面さんに出ていただきます!』

 

「ちょっとっ!その名前で呼ぶのは無しだって言ったじゃないですかっ!」

 

「菜々ちゃん頑張ってー!!」

 

「川島さん!だからナナ……じゃなくて、私はウサミン仮面ですってば!!」

 

『二人とも、酒枡を手にどうぞ!』

 

司会進行役とアイドル仲間の弄りにより、早くも仮面の中身がバレそうになって焦りまくる、自称『ウサミン仮面』のメイドヒーローアイドル。

 

(ああ……ナナのイメージがぁ……)

 

 彼女の仮面の下は、彼女が同胞と呼ぶ『永遠の十七歳』を自称するメイドアイドルヒロイン本人である。実年齢は飲酒が可能な年齢には達しているものの、その自称故にこの手のイベントは、アイドルとしてのイメージを崩壊させかねないだけに、本来ならば顔出しNGなのだ。だが……一月前、スペシャルプログラムの参加者を募っていた楓が彼女のもとへと現れた。現れてしまった。イベントで飲み比べ対決をするための酒豪として出て欲しいという楓の頼みには、当然のことながら難色を示した。そして、当初は断ろうとした彼女だが……いつになく真剣な態度で深々と頭を下げる彼女の姿に、最後には折れてしまい、こうして参加するに至ったのだった。せめてもの抵抗として着用していた仮面だが、最早この場においてはその機能は失われつつあった。尤も、「ウサミン仮面」などと名乗っている時点で手遅れなのだが……

 そんな彼女を余所に、司会進行役はプログラムを進める。終いには、ステージ上に立った時からその正体に気付いていたファンの観客達からも、弄りネタが飛び交う始末。最早止められないと察した自称『ウサミン仮面』は、抵抗を諦めて渋々席に座り、酒吞童子と共に酒枡を手に取るのだった。サイズは一般的な酒枡よりもやや大ぶりの二合枡。そこへ、ステージに上がったアシスタントが酒樽より柄杓で新酒『伊吹大明神』を掬い上げ、酒枡の中へ注ぎ入れる。

 

『それでは、勝負・開始です!!』

 

(プロデューサーさん、恨みますからねぇ……!!)

 

 ことここに至っては、最早逃げ場は無いと、覚悟を決めて酒枡に口を付ける。そして、酒豪を探していた楓に対し、「あいつ、収録後の飲み会で相当な量を飲んでいたんですよ」などとバラし、このような催しに出る原因を作った人物に対して心中で恨み言を呟きながら、自棄酒気味に一気に呷るのだった。

 こうして、トップバッターたるウサミン仮面の心中の慟哭とともに、人間の未来を賭けた妖怪との戦いの幕は開けたのだった――――――

 



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酒あわせを守る戦い!最強妖怪 VS 346アイドルAfter20 ③

今回で『高垣楓編』は完結です。
今後の執筆については、後書きに詳細を書きますので、そちらをご覧ください。


 鬼ヶ島酒造主催の新酒お披露目イベントにて、サプライズとして催されたスペシャルプログラム<酒豪対決!酒吞童子 VS 346アイドルAfter 20>。開始から二時間以上が経過し、酒吞童子と対決しているアイドルチームは……

 

「うぐぐ……すみません。ナナ、もう限界ぃ~……」

 

 酒量とともに、仮面でカバーしたキャラが限界を迎えたウサミン仮面が崩れ……

 

「はぁと……もう、らめぇ……こいつ、本当の鬼みてえに強すぎ……☆」

 

 いつものスウィーティーキャラを保てない程に酔った心が倒れ……

 

「三番・ユッキー、アウトォォオ……!」

 

 友紀が潰れたことで、トリプルアウトを迎え……

 

「ごめんなさい……私は、これが限界……」

 

 常の美白肌を真っ赤に染める程に飲んだ志乃がリタイアし……

 

「やるわね……!まさか、私が負けるなんて……!」

 

 酒量には相当な自信があったらしい礼子が、想定外の降伏をすることとなり……

 

「も、もう飲めない……その酒量、犯罪的(ギルティ)だわ……」

 

 早苗が『犯罪的(ギルティ)』と評する酒吞童子の圧倒的な酒量に敗れ去り……

 

「私も、もう無理……楓ちゃん、あとよろしく……」

 

 七人目の酒豪、瑞樹までもが完全に余裕を失った状態で倒れ伏した。

 

『さあ、アイドルチームはこれで七人がリタイアとなりました!これでいよいよ勝負も大詰め!アイドルチーム最後の砦、高垣楓さんの出陣です!!』

 

「はーい!高垣楓、行っきまーす!!」

 

 司会進行役の指示に従い、意気揚々と席に座る楓。二合枡を手に取り、アシスタントから酒樽の『伊吹大明神』を注ぎ入れてもらっていた。注がれる透明に光る新酒をうっとりとした、見る者をドキリとさせるような表情で眺めているのだった。

 そんな彼女とは対照的に、隣に座っていた酒吞童子は、酒を飲む手を止めており、その呼吸はやや乱れていた。酒豪アイドル七人を相手に、互角以上の酒飲み対決を繰り広げていた酒吞童子だったが、追い詰められていたのは酒吞童子も同じだった。

 

「……拙いな、親父。想像以上に追い詰められてるな」

 

「一対八とはいえ、人間が酒吞童子様と酒飲みでここまで渡り合うとは……」

 

 ステージ上にて行われている酒吞童子とアイドル達の戦いを見ながら、舞台袖から見ていた鬼童丸と茨木童子がそう呟いた。二人とも、この勝負は酒吞童子がほぼ間違いなく勝つだろうと予想していただけに、これ程までに互角な戦いを繰り広げるアイドル達の奮闘ぶりに心底驚いていた。

 

「残り一人だから、まあ勝てるだろうが……もしかしたら、もしかするかもしれねえな」

 

「それは非常に困ります」

 

 鬼童丸の言葉に、常に氷のような表情を崩さない茨木童子の顔に動揺が走る。その頬には、冷や汗が伝っていた。酒吞童子が不在の間、鬼軍団を統率し、鬼ヶ島酒造を立ち上げて切り盛りしてきたのは、他でもない彼女である。故に、この作戦の立案・決行には誰よりも神経を擦り減らして臨んでいたのだった。

 

「とは言っても、要の親父が酔って倒れちまったら、どうにもなりませんよ」

 

「……万が一、酒吞童子様がそのような事態になった場合には、鬼童丸様に作戦を実行していただきます。既に我らが軍は、国内各所の要衝を押さえるために布陣しています。一気呵成に侵略することができなかったとしても、この国の人間社会に致命的な打撃を与えることは可能です。多少予定は遅れますが、日本征服は十分可能です」

 

「……あのアイドルの姉ちゃん達との約束は?」

 

「そのようなものを守る義務はありません」

 

 楓が酒吞童子に提示した条件を、平然と保護にしようとする茨木童子。彼女にとってこの勝負は、主君である酒吞童子が気まぐれで受諾したものに過ぎず、勝負の行方がどうなろうと、知ったことではなかった。もとより、人間である楓どの約束を守る必要性というものを、微塵も感じていなかったのだ。

 

「約束を破るんですか?親父が納得しますかねえ……」

 

「全ては酒吞童子様のためです。千年前の雪辱を晴らし、この国を酒吞童子様のものとする……そのためならば、私は手段を選びません」

 

「親父のため、ですか……」

 

 全ては酒吞童子のためと口にし、その目的を果たすことのみに執念を燃やす茨木童子に、鬼童丸は頭を掻きながら何とも言えない表情を浮かべた。彼女の酒吞童子を敬愛する気持ちは、肉親である鬼童丸を除けば右に出る者はいない。でなければ、千年もの年月をかけた計画など立てられる筈が無いのだから。

 しかし、その忠誠心故に、鬼童丸は危うさも感じる。日本征服は、確かに酒吞童子が千年前から抱いていた野望である。しかし、その目的を叶えるためならば、本当に何をしても良いのか。妖怪の中でも極悪非道として知られる鬼らしいと言えばらしいが……それでも、踏み越えてはいけない一線があるのではないかと、鬼童丸は思う。

 

「しかし、親父はどうしてこんな勝負を受けたんでしょうね?」

 

「酒飲み対決を仕掛けられれば、酒吞童子様の立場では、譬え相手が人間でも逃げるわけにはいきません。ただ、それだけですよ」

 

 楓からの勝負を受諾した酒吞童子の心情を、酒吞童子としての矜持故であり、それ以上の意味など無いと、茨木童子は断じた。今はもう、日本征服の野望を果たすことにしか意識が向いていない茨木童子に、鬼童丸はそれ以上のことは言わなかった。

 

 

 

 

 

(くっ……人間風情が、中々やるな……!)

 

 アイドルチーム全部で八人いるアイドルチームのメンバーの内、七人をリタイアに追い込んだ酒吞童子だが、自身をここまで追い込んだアイドル達には、素直に感服していた。同時にその酒量には戦慄も覚えていたが……

 

(こいつ等、本当に人間か……一人あたり、二升は飲んでるぞ……!)

 

 鬼ヶ島酒造の新酒『伊吹大明神』のアルコール度数は十五度である。人間が飲める酒量には個人差があるが、少なくとも一升飲めれば十分以上に酒豪である。それを、アイドルチームのメンバー達は、一人あたり倍以上飲んでのけているのだ。酒好きの酒吞童子をして、人間とは思えないという評価は尤もなものだった。

 

(だが……酒吞童子たるこの俺が、負けるわけにはいかんのだ!!)

 

 酒吞童子にも、最強の酒豪妖怪としてのプライドがある。である以上、この戦いに敗れるわけにはいかない。酒を飲む手を止めた状態で瞑目し、大きく深呼吸する。そして、カッと目を見開くと……

 

「おい、“あれ”を持って来い!!」

 

 酒吞童子の酒枡に酒を注ぎ入れていたアシスタントに対し、大きな声でそう呼び掛けた。指示を受けたアシスタント頷くと、舞台袖へと下がっていった。そして、ある物を持ち出してきた。

 

『おーっと!酒吞童子様、ここでトンデモない物を持ち出してきたー!!』

 

 舞台袖に下がったアシスタントが取り出してきたのは、巨大な盃だった。二升半は余裕で入るような、超巨大な盃である。鬼太郎やねこ娘、観客達は、巨大盃の登場に驚愕し、楓すらもが、酒枡を飲もうとしていた手を止めていた。

 アシスタントは酒吞童子の手前にその巨大盃を置くと、盃とともに取ってきたのだろう、盃に見合う巨大な柄杓を手に取り、注ぎ入れ始めた。たっぷりと新酒を注ぎ入れ、二升半に昇る量で満たしていった。

 

「さて……これで、終わらせてもらおう!!」

 

 高らかな勝利宣言とともに、二升半もの日本酒が注ぎ入れられた盃をぐっと呷った。観客全員が驚愕して沈黙する中、二升半もの日本酒は、ゴクリゴクリと喉を鳴らしながら嚥下する酒吞童子の胃の中へと吸い込まれていった。その場にいた誰もの視線を釘付けにしていた酒吞童子は、盃に入っていた日本酒を全て、飲み干してのけた。

 その光景に、観客達は目を見開き、口を開けた状態で硬直していたが、その無理も無い反応である。これまで、アイドル七人を相手に互角に飲んできた酒吞童子は、既に合計十四升に相当する量を飲んでいるのだ。既に人間が飲める酒量を超えている上に、そもそも十四升、即ち二十五・二リットルである。いくら巨体とはいえ、どこにそんな容量があるのかと思わされる程に飲んでいる上に、さらに二升半を一気飲みである。この勝負の真相を知らない観客達も、酒吞童子が人間ではないのではないか、本当の鬼なのではないかと疑い始めている程だった。

 

「クックック……これで俺の勝ちだな」

 

 見事に飲み切って見せた酒吞童子だったが、流石に二升半一気飲みは堪えたのだろう。先程よりもかなり息が荒くなっている。そんな勝ち誇った様子の酒吞童子を、楓は唖然とした表情でしばらく見ていた。楓の戦意をへし折るために取ったかなり強引な力業だったが、効果は覿面だったらしい。

 

「……アシスタントさん」

 

 やがて驚愕した状態からはっと我に返った楓は、ゆっくりと酒枡を持つ手を下ろし、手前のテーブルの上へと置くと、利き手である左手をゆっくりと挙げ、アシスタントを呼んだ。その楓の行動を見た、酒吞童子を含めた誰もが思った。これは、降伏のサインなのだと。まだ一口も酒を飲んでいない楓だが、酒吞童子が見せつけた飲みっぷりを前にすれば、戦意が折れても仕方が無い。

 観客達はやや落胆しながらも概ね同情的にその決断を認め、鬼太郎とねこ娘、小梅と美穂はその顔を絶望に染め、茨木童子をはじめとした鬼軍団は勝利確定に内心で歓喜していた。だが、楓が下した決断とは……

 

「私にも同じものをください!!」

 

 

 

………………

 

 

 

 会場が、一瞬にして沈黙に包まれた。そして、楓の宣言を聞いた一同は思った。このアイドルは、一体何を言っているのか、と。酒吞童子の一気飲みに気圧されて、降伏すると思っていた筈が、同じもの……即ち、酒吞童子が先程持ち込んだものと同一の盃を持って来いと言っている。そしてそれはつまり、先程酒吞童子が飲んだのと同じ量の酒を、楓が飲むと言うことなのか。それを理解した途端、誰もが楓の正気を疑った。人間離れしている酒吞童子――実際、人間ではないのだが――ならばともかく、楓が同じこと……二升半もの量の酒を一気飲みすることなど、できる筈が無い。もしそんなことをしようものならば、放送事故まっしぐらである。止めるべきだと、観客のファンの誰もが同じことを思った。

 だが、そこへ……

 

「はい、お待たせしました」

 

 舞台袖に控えていた鬼童丸が、ステージ上へと姿を現した。それも、酒吞童子が使ったものと同サイズの巨大盃を手に持って。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして。それじゃあ、お酌よろしく」

 

 そして、楓からの感謝の言葉を受け取ると、アイドルチームの盃に酒を注いでいたアシスタントに大型の柄杓を手渡し、そのまま舞台袖へと下がっていくのだった。それと同時に、ステージ上に立っていた司会進行役とアシスタントも正気に戻り、再びプログラムを進行させるのだった。

 

『……と、とんでもない展開になりました!高垣楓さん、酒吞童子様と同じ盃で勝負をすると言い出しました!!果たして、飲み切れるのでしょうか!?』

 

 その場にいた全員が騒然とする中、楓の巨大盃には大量の日本酒が注がれていく。その様子を、酒吞童子は勿論、常に冷徹な茨木童子ですら、信じられないものを見るような顔で見ていた。

 やがて、巨大盃は先程の酒吞童子のものと同様、二升半相当の日本酒で満たされた。そして楓は、それを両手で持つと、その細腕からは考えられないような力を発揮して軽々持ち上げ……ゆっくりと仰いでいった。

 

ゴクリ……ゴクリ……ゴクリ……ゴクリ………………

 

 一口、また一口と、楓が盃の中身を飲み込んでいく音が、非常に大きく聞こえた。それは、まるで会場中に響いているかのような錯覚すら起こさせる程だった。何分が過ぎただろうか、やがて楓は、盃をゆっくりと手前のテーブルへと置いた。そして、

 

(しゅ)あわせ♪」

 

 うっとりとした笑顔で、そう感想を口にした。あれだけ大量の酒を飲んでおきながら、ケロリとしている楓の姿に、観客は本日何度目になるかも分からない驚愕に見舞われ、唖然としていた。

 その姿に、酒吞童子と茨木童子だけでなく、鬼太郎やねこ娘といった面々までもが、背筋に薄ら寒い感覚を覚えていた。これまで退けてきた七人もそうだったが、この楓は別格である。本心から「こいつ、人間なのか?」と疑問に思ってしまう程だった。

 

「すみませーん!もう一杯、お願いします!」

 

『!?』

 

 そして、まさかのおかわり宣言である。衝撃のあまり、楓の相手である酒吞童子だけでなく、司会進行役までもが口をあんぐりと開けて衝撃を受けてしまった。楓の傍に控えていたアシスタントは、ぎこちない動作ながらもいち早く復活し、楓の盃に酒を注ぎ始めた。皆が顔を引き攣らせながらその様子を見守る中、楓の手前のテーブルに置かれた盃の中身は、再び酒で満たされていった。

 やがて、盃が満杯になったところで、楓は再び盃に手を掛けた。そして、その細腕からは考えられないような腕力でもって二升半もの酒で満たされた盃を持ち上げ、呷り始めた。

 

「馬鹿、な……」

 

 酒吞童子が思わず呟いたその言葉は、会場に集まった人間と妖怪全ての心情を代弁していた。誰もが驚愕で信じられないと言わんばかりに目を見開く中、楓は先程と全く変わらないペースのまま、どんどん盃を傾けていき……全てを飲み干した。

 

「ふぅ~……やっぱり、(しゅ)あわせ!

 

 盃に入っていた酒全てを飲み干した楓は、空になった盃をテーブルの上に置き、ほんのりと朱に染まった頬に手を当て、心の底から幸せそうな表情を浮かべながら、そう口にした。まるで、酒を飲んだことで若返ったかのような艶やかな楓の姿に、観客一同は勿論、会場の見張り役の仕事をしていた鬼の妖怪達の中にもまた、見惚れる者がいる程だった。

 

「くっ……こっちも酒を注げ!!」

 

 そんな楓に負けられないのが、酒吞童子である。あのような飲みっぷりを見せられては、最強の酒飲み妖怪としては、黙っていられない。酒吞童子自身、七人を下したその上に、二升半の一気飲みを行い、既に酒量は限界を迎えている。だが、その限界を振り切ってでも挑まねばならない勝負がそこにはある。

 酒吞童子の指示に従い、アシスタントが空の盃へと酒を注ぎ入れる。やがて、再び酒で満たされた盃を手に取り、酒吞童子はこれを力強く一気に持ち上げ、呷った。

 

ゴクリ……ゴクリ……ゴク――――――

 

 だが、酒吞童子が盃の酒を飲み干すことはできなかった。酒を飲むごとに慣らす喉の音が唐突に止み……それと同時に、酒吞童子が持っていた盃がゆっくりと下がっていた。中に残っていた酒に、酒吞童子が顔を付けた状態で――――――

 

「酒吞童子様!?」

 

 盃の中の酒に首を突っ込み、溺れている状態の酒吞童子を見た茨木童子が、思わず悲鳴に似た声を上げた。誰がどうみても、これ以上の飲酒ができる状態でないことは明らかだった。そしてそれは、酒吞童子の敗北を意味する。

 

『な、なんということでしょうか!?我らの酒吞童子様が、お酒に溺れています!最早、お酒を飲むことなど不可能でしょう!!』

 

 その様子を見ていた誰もが、司会進行役と同じことを思った。そしてそれは、この勝負の決着を意味することでもある――

 

『よってこの勝負は、アイドルチームの勝利です!!大妖怪・酒吞童子様は、アイドルの酒豪達を前に、敗れました!完膚なきまでの敗北です!!』

 

 司会進行役の勝利宣言に、しかし観客達は楓の一気飲みの衝撃に唖然としていたままだった。だが、観客達は徐々に正気に戻ってゆき……楓の勝利を認識し、会場は大歓声に包まれるのだった。

 

「酒吞童子様!しっかりしてください!酒吞童子様!!」

 

「駄目だな。完全に酔い潰れてやがる……」

 

 楓率いるアイドルチームの勝利に観客達が湧き立つ一方で、茨木童子と鬼童丸は、文字通り酒に溺れていた酒吞童子を起こし、目覚めさせようとしていた。茨木童子が常の冷静さを失った状態で、半ば必死の声色でその名前を呼んでみるものの、酒吞童子は気を失った状態で目覚めない。頬を叩いても同様である。

 

「こりゃあ、しばらくは目覚めそうにねえな。この有様じゃあ、日本全土へ向けた妖力の解放なんてできやしねえ。茨木姐さん、残念だが……」

 

「いいえ、まだです。酒吞童子様の行動不能という、最悪の展開となってしまいましたが、全く想定していなかったことではありません。鬼童丸様さえいれば、不完全ながらも作戦は実行できます。それに、酒吞童子様さえいれば、作戦が不完全でも、日本征服は十分可能です。鬼童丸様、プランBの実行をお願いします。四天王には、私から連絡を行います」

 

 作戦の要たる酒吞童子様が戦闘不能に陥りはしたものの、まだ望みはある。国内全域の飲酒者を鬼に変えることはできないが、この関東会場をはじめとした、日本国内各所の要衝を押さえてしまえば、日本征服に王手はかけられる。

 観客達は今、勝利を収めたアイドルチームの主将たる楓に注目している。その隙に、酒吞童子抜きでの作戦実行のための段取りを鬼童丸と手短に行った茨木童子は、作戦変更の旨を、ここ以外の国内四カ所の要衝に布陣している四天王へと携帯電話で連絡を取ろうとする。だが、携帯電話を手に取った茨木童子の手を止める者がいた。

 

「酒吞童子様……!?」

 

「………………」

 

 茨木童子の作戦決行を止めたのは、酔い潰れていた酒吞童子だった。酒吞童子の手が、携帯電話を握る茨木童子の手をがっちりと握り、離さない。茨木童子の作戦実行を、絶対に許さないとばかりに……

 

「……茨木姐さん、ここまでだ」

 

「鬼童丸様……」

 

 主君である酒吞童子が作戦実行を拒んだ以上、部下である茨木童子も、息子である鬼童丸も、それに従わざるを得ない。茨木童子は、主君の命令とはいえ不承不承ながらも携帯電話を握る手を下ろすしかなかった。

 

「……茨木姐さん、一先ず親父をここから連れ出しましょう」

 

「分かりました……」

 

 鬼童丸の意見に賛成した茨木童子は、鬼童丸と共に、未だ酔い潰れた状態の酒吞童子に肩を貸して舞台袖へと撤収していくのだった。

 

『それでは皆さん!アイドルチームの方々と善戦した、酒吞童子様にも、盛大な拍手をお送りください!!』

 

 司会進行役の言葉とともに観客席から注がれる、大歓声を背に受けながら――――――

 

 

 

 

 

 

 

 酒吞童子とアイドル八人による酒飲み対決という特別プログラムが終了した後は、新酒紹介のためのイベントは恙なく進んだ。八人ものアイドルを動員したイベントに、ファンやメディアは大いに湧き立ち、鬼ヶ島酒造のイベントとしては、大成功を収めていた。

 そう、飽く迄、鬼ヶ島酒造のイベントとしては………………

 

「まさか、千年もの時をかけて計画してきた我々の計画が、このようなことで頓挫するとは……!」

 

「茨木姐さん……」

 

 鬼ヶ島酒造の新酒紹介イベントの真の目的たる日本征服計画が不発に終わったことに、作戦の司令塔を務めていた茨木童子は、歯噛みしていた。今、彼女と鬼童丸がいるこの場所は、イベントスタッフが詰めている特設テントだった。そして、二人の目の前には、一台の大型ベッドが置かれていた。その上には、アイドル八人を相手に酒飲み対決を行った末に酔い潰れた酒吞童子が眠っていた。

 

「確かに、今回の作戦は延期せざるを得ません。しかし、鬼ヶ島酒造は未だ健在です。これならば、次の新酒紹介イベントの開催が狙えます。それでなくとも、この国には年中祭事があるのですから、妖力を込めた酒を使った作戦はいくらでも実行の機会があります」

 

 不本意ながらも、今回の作戦は諦めざるを得ないことを認める茨木童子。しかし、酒を使った作戦自体は諦めるつもりは無いらしい。

 しかし、そんな茨木童子の意見に対し、鬼童丸は難色を示した。

 

「……それで仮に日本を手に入れられたとして、本当に親父は喜ぶんですかね?」

 

「鬼童丸様……?」

 

 作戦はまだこれからだとする茨木童子に対して、気が進まないと言いたげな態度を示す鬼童丸に、茨木童子は怪訝そうな表情を浮かべる。自身の主君であり、鬼童丸の父親である酒吞童子の夢を叶えようというのに、何故、消極的なのか。鬼童丸の心の内が、茨木童子には分からなくなってしまった。

 

「おじゃましま~す」

 

「なっ!?」

 

「あんたは……!」

 

 ベッドで眠る酒吞童子の前で、茨木童子と鬼童丸が向かい合う中、気の抜けるような訪問者の声が響く。三人が入っている特設テントの中へ入ってきたのは、先程、酒吞童子と酒飲みの激闘を繰り広げていた楓だった。巨大盃で二杯もの量を飲み干してから、一時間程度しか経過していないにも関わらず、頬がほんのり酒に染まっている程度で、あまり深酔いしている様子はなかった。

 楓の後ろには、鬼太郎とねこ娘が立っていた。さらにその後ろには、楓と同じ事務所に所属している小梅と美穂の姿もあった。前者の妖怪二人は楓の御英訳、後者のアイドル二人は楓と鬼太郎達を心配してついてきたらしい。

 

「一体、何のご用ですか?我々の作戦は、あなたの思惑通りに潰えました。まさかこの上、酒吞童子様の命まで奪おうとでもお思いですか?」

 

 酔い潰れて眠っている今の酒吞童子ならば、鬼太郎達でも殺すことは十分可能である。千年前の……かつて酒吞童子が首を刎ねられた時がそうだったように、今回も酔い潰れた酒吞童子の寝首を搔きにきたとしても、おかしくはなかった。しかし、当然のことながら、茨木童子はそれを許しはしない。酒吞童子を守るように前へ出ると、妖力を滾らせて臨戦態勢をとる。

 

「やめろ、茨木童子。お前達の計画が不発に終わった今、僕達はこれ以上酒吞童子を攻撃するつもりは無い」

 

「鬼太郎さんの言う通りですよ。私は少し、酒吞童子さんとお話ししたいことがあって来たんですよ」

 

 酒吞童子に危害を加えるつもりは無いと言う鬼太郎と楓だが、酒に酔わされて主君を殺された経験故に、茨木童子は信用することは無かった。

 

「落ち着いてください、茨木姐さん。こいつら、本当に親父を殺しに来たってわけじゃないみたいですよ」

 

 鬼童丸に宥められ、ようやく殺気と妖力を収める気になった茨木童子だが、警戒を緩める気配は無く、後ろのベッドで眠る酒吞童子を守れる位置に立ち、そこから動こうとはしなかった。

 

「……それで、酒吞童子様へ害為すつもりが無いというならば、一体何をしに来たというのですか?」

 

「はい。酒吞童子さんと、少々お話しがしたくで、この場を訪れさせていただきました」

 

 茨木童子の問いに答えたのは、楓だった。隣に立つ鬼太郎とねこ娘は、溜息を吐きながら頷いているところを見るに、どうやら嘘ではないらしい。

 

「しかし、酒吞童子様は今お休み中です。あなたとお話しすることは叶いません。お引き取り願います。」

 

 しかし、肝心の酒吞童子が酔い潰れて寝ている今、話をすることなどできない。酒吞童子に対して危害を加えるのではという不信感もある以上、これ以上この場に止まらせるわけにはいかないと判断した茨木童子は、楓等にこの場を去るように促す。しかし、

 

「待て、茨木」

 

「酒吞童子様……!?」

 

 それに待ったをかけたのは、ベッドの上で眠っていた酒吞童子本人だった。酔いが完全には醒めず、若干ふらつきながらもベッドから起き上がると、鬼童丸の手を借りながら立ち上がった。

 

「俺に話があるそうだな。一体、何の用件だ?」

 

「酒吞童子さんに、聞きたいことがあったんです。それは、茨木童子さんにも、ぜひ聞いて欲しいことなんです」

 

「……私にも?」

 

 一体、酒吞童子に聞きたいこととな何なのか。それに、茨木童子にも聞いてほしいと言っている。茨木童子が怪訝そうな表情で聞き返す一方、酒吞童子と鬼童丸は、思い当たることがあったらしく、気まずそうな表情を浮かべていた。

 そんな二人の態度を見た楓は苦笑すると、改めて佇まいを直し、今度は真剣な表情で酒吞童子に向き合った。

 

「酒吞童子さん。あなたは本当は、今回の日本征服の計画について、本当は乗り気じゃなかったんじゃないですか?」

 

『なっ……!?』

 

 いきなり切り出してきた楓の問い掛けに驚愕する一同。鬼太郎や目玉おやじ、ねこ娘は勿論、同伴していた小梅や美穂までもが、楓が口にした言葉の意味をすぐには理解できず、目を丸くしていた。中でも一番反応が顕著だったのは、茨木童子だった。

 

「……どういうことですか?酒吞童子様が、この作戦に反対していたとでも言いたいのですか?」

 

「その通りです」

 

 茨木童子が、苦々し気に口にした推測を、楓はあっさり肯定した。それを聞いた茨木童子は、先程よりも剣呑な空気を纏い、若干声を荒げながら否定した。

 

「そんな筈がありません!日本征服は、我等鬼妖怪の悲願!千年前のかつても、酒吞童子様はこの国を手中に収めるために、我等と共に邁進していました!それを、酒吞童子様本人が否定することなど、断じてあり得ません!!」

 

 主君たる酒吞童子が、日本征服の野望を果たすことに消極的だなどという楓の推測は、茨木童子にとって、譬え冗談であっても許すことができないものだった。酒吞童子に対する忠誠心を貫き通し、その野望を果たすために力を尽くしてきた彼女にとって、酒吞童子の野望の否定は、酒吞童子が帰ってくるまでの彼女の千年間を否定することと同義なのだ。

 一方、鬼太郎や目玉おやじ達は、茨木童子程ではないものの、酒吞童子がこの作戦の実行に消極的だという事実には懐疑的だった。何故そのような推測に至ったのか、目玉おやじが問い掛けた。

 

「茨木童子の言うことも尤もじゃ。楓さん、どうして酒吞童子が、日本征服を果たすための作戦に反対しているなどと思ったのじゃ?」

 

「酒吞童子さんは、日本を征服することに反対していたんじゃありませんよ。この作戦に……日本酒を使って人間を鬼に変える作戦を実行することに反対していたんです」

 

「それってつまり、目的じゃなくて手段が気に食わなかったってこと?」

 

 ねこ娘が一連のやりとりから考察して口にした結論に対し、楓は頷いた。そしてそのまま、酒吞童子の内心に迫るように続けた。

 

「私も酒吞童子さんと同じで、お酒が大好きだから分かるんです。お酒っていうのは、ただ美味しいだけじゃなくて、飲むだけで幸せになれる……そんな素敵な飲み物なんです。だから、譬え憎い相手だったとしても、他の誰かを不幸にするためにお酒を利用することは、許せないんじゃないかって……そう思ったんです。違いますか、酒吞童子さん?」

 

 楓がそう問い掛けるのと同時に、その場にいた全員の視線が酒吞童子へと向けられた。酒吞童子当人は、顔を俯けて地面を見つめていたが、やがて震えながら口を開いた。

 

「………………その通りだ。」

 

「酒吞童子様……!」

 

 酒吞童子が絞り出すように口にした言葉に、茨木童子が先程以上に驚愕に顔を染めて声を上げた。酒吞童子の反応を見る限り、とても嘘とは思えない。その場にいた誰もが、楓の推測が正鵠を射ているものだと確信していた。

 

「俺は確かに、千年経った今でも、日本を征服することを諦めていなかった。俺を酒に酔わせて騙し討ちしやがった人間を憎んでいるのも事実だ。だが……それでも、酒をこんなことに使うのだけは、間違っている。それだけは、千年前から変わらない考えだ……」

 

「ならば何故、茨木童子に対して作戦の中止を言い渡さなかったのじゃ?」

 

「……言えなかったんだよ。茨木達は、この千年もの間、大勢の子分の面倒を見ながら俺の帰りを待っていてくれた上に、こんな立派な酒蔵まで作ってくれていたんだ。譬えやりかたが間違っていたとしても、俺のためにここまでしてくれた連中の想いを否定するような真似は、とてもじゃねえが、できなかった……!」

 

 身体を震わせながら、涙声交じりに懺悔する酒吞童子に対して、誰も声を掛けることができなかった。唯我独尊で血も涙もない最強妖怪として世に知られている酒吞童子だが、同胞に対する思い遣りや義の心というものは、確かにあったのだ。だからこそ、自身の価値観と、部下達からの羨望や期待の板挟みになり、主張を貫くことができないこともある。今回の場合も、千年もの不在故に多大な苦労をかけた茨木童子達に対する負い目故に、その期待や羨望に応えなければという考えに駆られ、流されるままに作戦実行に至ってしまったのだった。

 

「成程……楓さんの勝負を受けたのも、最初に僕達と戦った時に追撃をかけてこなかったのも、作戦を止めてくれるのではないかと期待していたからということか」

 

「……その通りだ。だが、本心では賛成できないとはいえ、やるとなった以上は、手を抜くことはできん。全く、虫のいい話だと自覚はしていたがな……」

 

 小梅が抱いた、何故、酒吞童子はわざわざ酒飲み勝負を受けて立ったのかという疑問。そして、初戦で追撃をかければ皆殺しにできた筈の鬼太郎達に、何故、手心を加えたのかという疑問。それらが氷解した瞬間だった。

 茨木童子達の推し進める作戦を止めることができなかった酒吞童子の最後の望みは、自身を倒して作戦を止める程の強者の出現だったのだ。尤も、最強と呼んでも過言ではない大妖怪である酒吞童子を倒せる者など、そうそういる筈がない。酒吞童子が自嘲した通り、全くもって虫のいい話だった。

 

「俺も、力尽くで俺を止めてくれる奴が現れるなどとは正直期待していなかったが、まさかこのような方法で計画を止められるとは、流石に予想外だったがな……」

 

「酒吞童子さんに褒められるなんて、光栄です」

 

「……まあ、そうだな」

 

 酒吞童子の「予想外」という言葉を誉め言葉と捉えた楓が笑顔で返す。酒吞童子としては、自身を破った楓や今回の勝負に参加した他のアイドル達のことを、勿論誉めはしたものの、それ以上に人間なのかと疑いたくなるような酒量に戦慄している部分が大きかった。

 

「……話が逸れたな。ともあれ、これが本当の俺だ。部下を制することもできず、自分の主張を通すためには、憎んでいた人間にすら頼らなければならない……全く、大妖怪が聞いて呆れる。妖怪の世界の笑い種だ」

 

 そう言って自嘲する酒吞童子。そこには先程までの威厳とカリスマに満ちた大妖怪の姿は無かった。その地位立場故に様々な柵に囚われ、板挟みになって動けなくなったその姿は、人間のそれとあまり変わらないようにも見えた。

 

「茨木、お前にも詫びなければならん。千年前、人間相手に油断したために殺されて、千年も苦労をかけたお前や、他の子分達の想いに、俺は全く応えられなかった……!」

 

「それは違います!!」

 

 恐らく、数ある部下の中でも最も苦労をかけたであろう茨木童子に向けて頭を下げ、謝罪する酒吞童子。だが、酒吞童子は大声を上げてそれを否定した。

 

「本当に謝罪せねばならないのは、私です!酒吞童子の代わりに皆を統率する立場にありながら、肝心の主君である酒吞童子様のご意思を汲み取れなかった……この私こそ、責められるべきなのです!!」

 

 悲痛な叫びと共にそう叫んだ茨木童子は、地面に膝を付いて土下座した。何においても最優先にしなければならない相手でありながら、その意思を蔑ろにしてしまった、自身の主君に対して……

 

「酒吞童子様にそのようなご心痛を強要したのは、人間に対する憎しみのあまり目が眩んだ、この私の至らなさ故です!全ては酒吞童子様のためと言いながら、私情を優先し、主君の意に背いた私には、酒吞童子様のお側に控える資格はありません……!」

 

 先程の酒吞童子同様、身体を震わせながら涙声で話す茨木童子。酒吞童子の右腕たる彼女には、主君の考えを正確に伝える義務がある。私情を挟み、主君の意に反する作戦を立案するなど、もってのほかである。茨木童子本人が言う通り、決して許されることではないのだ。

 

「酒吞童子さん。あまり、茨木童子さんを責めてはいけませんよ」

 

 酒吞童子と茨木童子の間に気まずい空気が流れ、誰もが沈黙するしかなくなったその状況の中で口を開いたのは、楓だった。

 

「私、実は未成年だった頃からずっと、鬼ヶ島酒造のファンだったんです。お父さんやお母さん、周りの大人の人達は、皆そのブランドのお酒が大好きで、飲んでいるところを見ると、本当に幸せそうでした。それで、二十歳になって初めて飲んだのが、鬼ヶ島酒造の……茨木童子さん達が作ったお酒でした。とっても美味しく、一口飲んだだけで、日本酒の虜になっちゃいました。けど、ただ美味しいだけじゃなくて……飲む人を幸せにしたいっていう、優しさに溢れていたように思えたんです」

 

 鬼ヶ島酒造の日本酒を初めて飲んだ当時のことを、初恋の思い出を話すかのように、頬を朱に染めて懐かしそうに話す楓。彼女にとって、鬼ヶ島酒造の日本酒との出会いは、恋人との出会いに等しく印象に残るものだったのだろう。

 そして楓は、鬼ヶ島酒造で作られた日本酒の味の理由について、自身が感じて得た答えを語りだす。

 

「けれど、鬼ヶ島酒造のお酒が美味しい理由が、今日ようやく分かったんです。茨木童子さんも、他の鬼の方々も、酒吞童子さんに飲んで欲しいと思って……幸せになって欲しいと思って、千年もの間、帰りを待ち続けながら作っていたんです。やり方は間違っていたかもしれませんけど、茨木童子さん達が酒吞童子さんに対する想いは、本物です。だから、どうか許してあげてください」

 

 両手を祈るように組み、茨木童子を許して欲しいと懇願する楓。それに対し、酒吞童子は首を横に振った。だが、楓の懇願を断ったのではなかった。

 

「許すも何も、俺には茨木を責めるつもりも資格も無い。今回の作戦は、部下を制することができなかった俺の責任なのだからな。それに、俺の右腕は茨木童子以外にあり得ん」

 

「酒吞童子様……!」

 

 茨木童子を咎めるつもりは無いという酒吞童子の言葉を聞き、楓は安堵する。茨木童子は、酒吞童子の言葉に感涙していた。

 

「茨木姐さんじゃねえと、俺達をまとめ切れねえからな。親父にも、まだまだ姐さんは必要だ」

 

「鬼童丸……関係ない風を装っているが、お前、本当は気付いていたんじゃねえのか?」

 

「まあな」

 

 酒吞童子の鋭い指摘に対し、しかし鬼童丸は飄々とした態度を崩さずにあっさりと肯定した。そんな鬼童丸の態度に、酒吞童子は溜息を吐く。

 

「気付いていたなら、茨木に教えてやれば良かったものを……」

 

「いや、それは本人が気づくべきことだろ。もしくは、親父の口から直接話すべきことだ。俺に説明責任を求めるのは、お門違いじゃねえか?」

 

「そりゃあ……まあな」

 

 酒吞童子の一人息子であり、鬼軍団の若頭に相当する地位にある鬼童丸には、父親の右腕である茨木童子を補佐する義務がある。だが、酒吞童子の右腕ならば、その内心を理解できなければならない。鬼軍団の組織に重大な損害を与える可能性のある重大事項ならば、茨木童子に進言する義務はあるだろうが、今回の場合は鬼童丸の言うように、茨木童子が自ら気付く、もしくは酒吞童子が自ら話すべきことだった。鬼童丸の言う通り、義務は無いのだ。

 しかし、鬼童丸とて意地悪で話さなかったわけではない。茨木童子に自ら気付いてほしいと願い、敢えて黙っていたのだ。それを分かっていたからこそ、酒吞童子はそれ以上鬼童丸を責めることはしなかった。

 

「皆さん、とりあえず仲直りができたようで良かったです。それに、お酒を使った日本征服作戦も実行せずにいてくれるようで、安心しました。せっかく売り出された鬼ヶ島酒造の新酒が、このまま美味しくないままなんて、勿体無さ過ぎると思ってましたから」

 

「美味しくない?……そりゃあ、どういうことだ?」

 

 鬼ヶ島酒造の新酒が美味しくないと言った楓の言葉が気になった鬼童丸が、楓に問いを投げる。対する楓は、苦笑しながらその理由を話し始めた。

 

「一月前に、販売日を前倒しして分けていただいた『伊吹大明神』を飲んのですが……どうしても、美味しいとは思えなかったんです。けど、鬼太郎さんから酒吞童子さん達の計画を聞いた時に、その理由が分かったんです」

 

「酒に籠められた妖力を、感じ取ったというのか……!?」

 

 酒に籠められた妖力は、味覚や嗅覚では感知できない。鬼太郎のように妖力を感知する能力に優れた妖怪や、小梅のような霊能力者、或いは陰陽師といった者達でなければ、まず見破ることはできないのだ。そのいずれにも属さない筈の楓が、酒に籠められた妖力という異物を感知してのけたことに、酒吞童子達は勿論、鬼太郎と目玉おやじまでもが驚愕していた。

 

「成程な……お前が俺を止めることができた理由が、分かった気がするぜ」

 

「ずっと鬼ヶ島酒造のお酒を飲んできたファンですから」

 

 日本酒をこよなく愛するが故に、今回の作戦を見抜いたのみならず、酒吞童子を止めることすらできたのかもしれない。そんな酒吞童子の推測を、楓は笑顔で肯定した。

 

「それより、今回の勝負に勝てたら、言うことを聞いていただくという話なのですが……」

 

「ああ、分かっている。酒を使った日本征服作戦は、金輪際行わん。だが、酒吞童子の名にかけて、日本征服自体を諦めるわけにはいかん。いずれはまた、この国を支配するために行動を開始するが……少なくとも、お前達が生きている間は何もしないことを誓おう」

 

「でしたら、向こう百年の侵略活動の停止とするのはいかがでしょう?」

 

 先程まで号泣していた茨木童子だったが、即座に立ち直り、いつもの秘書然とした佇まいで酒吞童子に対して提案を行う。それに対し、酒吞童子は頷き、楓に向き直った。

 

「そうだな……それでどうだ?」

 

「はい。異論はありません」

 

「……僕達も、その条件で文句は無い」

 

 今回は退くが、日本征服は諦めず、百年の侵略活動停止で手を打つことで、楓と鬼太郎は了承した。人間にとっては非常に長い、恐らくは生きていられないであろう年月であるが、妖怪にとっては瞬く間に過ぎていく時間である。千年以上の時間を生きてきた酒吞童子達にとっては、大した問題ではなかった。鬼太郎達にしても、百年もの期間があれば、十分に対策が練れる。何より、酒吞童子の所在が明らかになっている状態ならば、その動向を監視し、侵略活動を察知することも可能となる。

 ともあれ、目下の問題であった酒吞童子の作戦は、これで止めることができた。条件についても擦り合わせも完了した。これで交渉は完了………………誰もがそう思った時だった。

 

「それでは、これで私の望みは聞いていただけましたので、他の七人のお願いを聞いていただくとしましょう」

 

『………………は?』

 

 楓の言葉に、目を点にする一同。楓はそのまま、その場の一同の思考が回復するのを待たずに続けた。

 

「アイドルチームは、私を含めて八人でしたので、勝ったひと全員の言うことを一つずつ聞いていただきます」

 

「ちょっと待て。俺のところに交渉に来ていたのは、お前一人の筈だろう」

 

「はい。その通りです。しかし、負けた方が勝った方の言うことを聞くというお約束でしたので、チームの皆に一人ずつ言うことを聞いていただきたいと思います」

 

「そ、そんな横暴な!あなたの言うこと以外を聞く義務など……!」

 

「それじゃあ、皆さんからの希望をまとめた紙を用意いたしましたので、こちらの内容を叶えていただきますようお願いします」

 

「聞きなさい!」

 

「……まあ待て、茨木。話だけでも聞こうじゃねえか」

 

 取り乱して声を上げる茨木童子の言葉に聞く耳を持たず、そのまま自身の要求を押し付けようとする楓。当然のことながら反論する茨木童子だったが、酒吞童子から冷静になれと窘められ、楓から渋々紙を受け取った。

 しかしそこには、冷静沈着な茨木童子ですら目を剥くような要求が、各メンバーの名前とともに書かれていた――――――

 

 

 

ウサミン仮面:鬼ヶ島酒造グループの社員全員、アイドルチームのメンバー全員と安部菜々のファンクラブに入会し、CDも買う。

 

佐藤心:鬼ヶ島酒造グループと346プロダクションでスポンサー契約を結び、今後開催する新酒関連のイベントに、アイドルチームのメンバー全員と安部菜々の都合がつく限りゲストとして招待する。

 

姫川友紀:鬼ヶ島酒造グループがスポンサーをしているプロ野球チーム『キャッツ』の試合のチケットを、アイドルチームのメンバー全員と安部菜々の都合がつく限りVIP席で提供する。

 

柊志乃:鬼ヶ島酒造グループが開催しているワイナリーツアーの年間フリーパスをアイドルチームのメンバー全員と安部菜々に提供する。

 

高橋礼子:鬼ヶ島酒造グループが主催するパーティーに、アイドルチームのメンバー全員と安部菜々をゲストとして招待する。

 

片桐早苗:鬼ヶ島酒造グループが経営している天然温泉兼エステサロンの年間フリーパスをアイドルチームのメンバー全員と安部菜々に提供する。

 

川島瑞樹:鬼ヶ島酒造グループが製造している酒を原料とした高級化粧品を、毎月アイドルチームのメンバー全員と安部菜々に送る。

 

 

 

『………………』

 

 その、あまりにもあんまりな要求内容に、酒吞童子達は沈黙してしまった。鬼太郎や小梅達も、思わず顔を引き攣らせていた。しかも、各種『年間フリーパス』については、346プロダクションとのスポンサー契約が持続する限り、永続的に提供しなければならないのだ。

 しかし、それも仕方の無い話である。今回、このイベントにおいて酒飲み対決という仕事を依頼した当初、チームのメンバー達は参加に難色を示していた。ウサミン仮面は言わずもがな。アイドルに大酒飲みという印象は、マイナス要因になりかねないのだ。故に、この手のイベントへの参加に消極的になるのは、致し方の無いことだった。そこで楓は、この勝負に勝てれば鬼ヶ島酒造の社長に働きかけて、様々な要求を呑ませることができると話したのだった。その説得の効果は覿面であり、難色を示していたアイドル達は一様に手の平を返し、参加を承諾したのだった。

 

「これは……あまりにも欲張り過ぎでは?」

 

「勝負に負けた方が、勝った方の言うことを聞くということでしたので、私を含めて八人全員のお願いを聞いていただくのは当然のことだと思いますよ?」

 

 勝負に負けた方が勝った方の言うことを聞くという条件だったが、言うことを聞く相手の数を指定していなかった。そこで楓は、契約の盲点とも呼べるこの部分を突いたのだった。

 

「それでは、お願いしますね。アイドルが(さけ)を飲んで勝ち取った勝利なんですから、やっぱり駄目だなんて、口がさけ(・・)ても言っちゃ駄目ですよ。もう、さけ(・・)られないものだと、思ってくださいね」

 

「………………良いだろう」

 

 いつもと変わらないペースでダジャレを連発する楓に対して、酒吞童子は力なく頷くのだった。結局、アイドルチームの要望に唖然としてしまった一同だったが、鬼ヶ島酒造の社長である酒吞童子の宣言により、その全てが了承されることとなり……346プロダクションは鬼ヶ島酒造とスポンサー契約を結び、結果的に両社はさらなる繁栄を遂げることとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~。それにしても、何もかも丸く収まって、めでたしめでたしだぜ」

 

「よく言うわよ。そもそもあんた、鬼太郎に妖力が盛られたお酒を盛って失敗した挙句、鬼の手下にされたくせに」

 

 いつもの通り、ゲゲゲの森に集まっているねずみ男のぼやきに、ねこ娘が呆れながら突っ込みを入れた。茨木童子妖力を受けて鬼と化したねずみ男だったが、作戦が中止となったことで、無事に元の姿に戻ることができたのだった。その様子を、鬼太郎と茶碗風呂に浸かった目玉おやじが苦笑しながら見ているのだった。

 酒吞童子とアイドル達の激闘から一週間。人間界は勿論、妖怪達の住処であるゲゲゲの森には、平穏が戻っていた。あれ以来、酒吞童子率いる鬼軍団は、楓との約束を守り、人間界での悪さをすることは一切無くなり、鬼ヶ島酒造の経営者として日々酒造りとそれに関連したグループ事業に精を出していた。ちなみに、酒に混入されていた妖力については、酒吞童子が全て霧散させたことで、新酒『伊吹大明神』はただの日本酒へと戻り、多くの人々に愛飲されている。

 

「酒吞童子も大人しくなったお陰で、平和そのものですね」

 

「全くじゃわい……おお、小梅ちゃん、もう少しお湯を入れてくれんかのう?」

 

「はい、目玉おやじさん」

 

 目玉おやじの要望に応え、茶碗風呂へとお湯を注ぎ足す小梅。ゲゲゲの森にある鬼太郎の家に遊びに来ている彼女だが、実体はない。幽体離脱の術を高い練度で習得している小梅は、今や人間の世界と葉離れた次元に位置するゲゲゲの森を行き来することができるのだ。人間界では、物に触れることすらできない幽体だが、人の理から外れたゲゲゲの森ならば、実体がある時と同様に、薬缶を手にすることもできるのだった。

 

「楓さん達も、ファンもお仕事も一気に増えて、喜んでいたよ」

 

「最強の鬼軍団をアイドルのファンにしてしまうとは、恐れ入るわい」

 

「全くですね」

 

 日本征服作戦を止めるだけでなく、仲間を巻き込むことで、ちゃっかり得をした楓の強かさには、その場にいた鬼太郎や目玉おやじは勿論、後から話を聞いた砂かけ婆や子泣き爺すらも感心してしまう程だった。

 そうして、楓が酒吞童子と繰り広げた壮絶な戦いと事後について苦笑しながら談笑している時だった。鬼太郎の家の窓から、白く長い姿をした仲間の妖怪、一反もめんが姿を現した。

 

「お~い、鬼太郎!妖怪ポストに手紙が届いとるぞ!」

 

「ああ、ありがとう。ええと、宛名は……」

 

 妖怪ポストから取り出してきたという手紙を一反もめんから受け取る鬼太郎。とりあえず、宛名を見てみることにしたが……そこには、意外な名前が書いてあった。

 

「酒吞童子!?」

 

「はぁっ!?」

 

 まさかの宛名に、鬼太郎は驚きに声を上げ、ねこ娘も思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。先程まで話に出ていた鬼軍団の頭領である酒吞童子が、鬼太郎に手紙を寄越したのだ。一体、鬼太郎に何の用があるというのか……全く見当がつかない。一先ず、中身を読んでみることにした鬼太郎は、封筒の中に入っている便箋を取り出して広げた。ねこ娘と小梅、ねずみ男、一反もめんもまた、手紙を読んでいる鬼太郎の後ろに回り込み、その内容に目を通す。

 そこには、鬼太郎達の予想の斜め上を行く内容が記載されていた………………

 

 

 

 

 

ゲゲゲの鬼太郎へ

 

先日の一件では、世話になった。

お前が楓と俺を引き合わせてくれたお陰で、酒飲み勝負を経て、結果的には茨木達の計画を止めることができた。

その点については感謝している。

 

ところで、日本計画を先送りにした俺だが、代わりに新たな目標ができた。

それは――――――

 

 

 

俺と勝負をした、楓をはじめとした酒豪アイドル八人全員を嫁にすることだ。

 

 

 

既に八人には先日の勝負の勝利報酬であるイベントの仕事やパーティーへの招待を通して積極的に迫ることを考えているが、色恋沙汰に明るくない俺にとって、八人を攻略するのは、正直に言って日本を征服するよりも難しい。

そこで、アイドルの知り合いが大勢いるお前にも、仲立ちを願いたい。

報酬は望むものを用意する。

色良い返事を待っている。

 

酒吞童子より

 

 

 

 

 

『………………』

 

 その手紙の内容を呼んだ五人は、まるで時間が止まったかのように一様に沈黙してしまった。最強妖怪である酒吞童子から出された、まさかの色恋の手助けをして欲しいという依頼には、それだけの衝撃があったのだ。

 

「……鬼太郎さん、どうするんですか?」

 

「……協力する訳が無いだろう」

 

 ようやく立ち直った小梅の問い掛けに、鬼太郎は呆れた様子でそう答えた。妖怪ポストは恋愛相談窓口ではない。鬼太郎も目玉おやじも、その仲間達も、酒吞童子の相談に乗る義務は無い。

 

「それにしても、何だって酒吞童子はこんなことを考えだしたんだ?唐突過ぎて意味が分からないぞ……」

 

「大方、この前の酒飲み勝負で、楓さん達の飲みっぷりに、惚れちゃったってところじゃない?」

 

 ねこ娘が口にした推測に、鬼太郎や小梅は成程と納得した。というより、酒吞童子と楓達との接点と言えば、先日の酒飲み勝負しか無いのだから、理由もそれ以外に考えられない。

 

「酒吞童子さんを虜にしちゃうなんて、楓さん達、凄いね……」

 

「フム……まあ、妖怪と人間が結ばれるという話も、決してあり得ないということでもない。妖怪と人間の間が交わることで起こる不幸も多い以上、その絆を育むことは困難なことは間違いないが……実際に結ばれ、子を生した例もあるのは事実じゃ」

 

「けど、酒吞童子が人間を……それも大勢嫁にするなんて、茨木童子達は何も言わないのかしら?」

 

「しっかし、アイドルでハーレムを作ろうなんて、全く大したもんだぜ。俺としちゃあ、羨ましい限りだ」

 

「それも、全て酒吞童子達の問題だ。あいつが悪事を働きでもしない限り、僕が動くことは無い」

 

 気にならないと言えば嘘になるが、首を突っ込めば最後、とんでもない厄介事に巻き込まれる可能性が非常に高い。である以上、必要以上に干渉するべきではないと判断した鬼太郎は、不干渉という選択を取ることにした。

 しかし、ねずみ男は……

 

「待てよ、鬼太郎!考えてもみろ。鬼ヶ島酒造の社長からの依頼だぜ。報酬もガッポリもらえるんだから、受ける価値はあるだろ!」

 

「あんたは黙ってなさい!!」

 

 金目当てで酒吞童子の色恋沙汰に、鬼太郎を巻き込んで首を突っ込もうとするねずみ男だったが、ねこ娘の爪の制裁で黙らされるのだった。しかし、鬼太郎はそんな二人のやりとりなど目もくれず、手紙の内容を読み返して深く溜息を吐いていた。

 

「ようやく日本征服の野望を止めたというのに、さらに厄介な問題が発生してしまったのう……」

 

「本当ですよ、父さん……」

 

 目玉おやじの呟きに同意しながら、目の前に現れた新たな厄介事から目を逸らすように、窓の外へと視線を向ける鬼太郎。そこには、妖怪と人間が交わることで引き起こされる、前途多難な問題とは無縁の、青色一色の晴れ渡る空が、ただただ広がるのみだった――――――

 




次回の更新は、2019年1月以降の予定です。
ストーリーについては、また活動報告でアンケートを行って決めたいと思います。
来年も、ゲゲマスをよろしくお願いします。


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佐久間まゆ編
エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ①


 大手芸能プロダクション『346プロダクション』の本社。時間は夜中の八時を回り、残業をしている社員が数名いる程度であり、広大な敷地内の建物全てが無人に近い状態になっていた。

 

「もしもし。俺だけど、今大丈夫か?……そうか、ありがとう。今、仕事が片付いたところなんだ。予定通り、これからそっちに向かうから、駅で待っててくれ」

 

 そんな346プロダクション社内にある、とあるプロジェクトルームの中。一人の男性が、携帯電話で通話をしていた。この男性は、346プロのアイドル部門に所属するプロデューサーであり、人気ユニットの一つ『Masque:Rade』の担当でもあった。このプロジェクトルームの管理者でもある彼は、自身が担当しているアイドル全員の帰宅を確認し、それから三十分程して自身もまた帰路につくのが日常だった。

 しかし、この日は違っていた。終業後、真っ直ぐ帰宅するのではなく、ある人物と会う約束をしていたのだ。

 

「え?……ああ、大丈夫だって。皆帰ってるから。勿論、ユニットの他のメンバーにも内緒にしてある。……ああ。勿論、まゆになんて言えるわけないだろう?そんなことしたら、大変になることくらい、俺にも分かってるって」

 

 電話口から心配そうな声で入念に確認してくる通話相手の担当アイドルに、苦笑しながらやれやれと肩を竦めるプロデューサー。今日のこれからの予定が、他の担当アイドルに知られてはならないことは、彼が一番理解している。故に、通話もこうして終業後に無人と化したプロジェクトルームで行っているのだ。

 

「心配性だな……まあ、良いか。それじゃあ、すぐに行くから。今日はよろしく頼むな!」

 

 通話を終えたプロデューサーは、携帯をスーツのポケットにしまうと、鞄を手に持ち、部屋の電灯を切ると、軽快な足取りでプロジェクトルームを去っていった。

 そうして、完全に無人と化し、暗闇に包まれたプロジェクトルームの中で……

 

 

 

「ガタリ」と音を立てて、椅子がひとりでに動き出した――

 

 

 

 そして、机の下から小柄な人影が、ゆっくりと姿を現した。窓から入る月明かりが照らし出したのは、肩まで伸ばした茶髪にリボンをつけた少女。左手首には、頭につけているそれとは別に、赤いリボンを幾重にも巻いていた。

 

「プロデューサーさん……」

 

 少女――佐久間まゆは、ハイライトが完全に消えた瞳で、プロデューサーが出て行った方のプロジェクトルームの扉を見つめながら、一人呟いた。

 彼女が先程のプロデューサーの通話を聞いたのは、偶然だった。たまたま忘れ物をしてプロジェクトルームへ戻ってきた彼女は、まだ残っているであろうプロデューサーを驚かそうと悪戯心を働かせ、机の下に潜り込んだ。だが、結果として彼は椅子に座らず、まゆが隠れていることに気付くことは無く……先程の通話を聞くこととなったのだった。

 

「まゆに隠れて……何をしようとしているんですか?」

 

 この場にはいない、プロデューサーに問い掛けるように、再度呟くまゆ。その声には、感情が恐ろしい程に込められていなかった。

 先程の通話で分かったことは、自身のプロデューサーが今夜、プライベートで何かの用事に出かけるということ。その用事は、自身をはじめとした担当ユニットのアイドルに知られると都合の悪いことであると言うこと。待ち合わせの相手は、まゆ以外のMasque:Radeのメンバーの誰かであるということ。そして、通話の様子からして、二人きり(・・・・)で出かけるということ――――――

 

「………………」

 

 その先を想像するよりも早く、まゆの足が動き出した。暗闇に包まれたプロジェクトルームを出た彼女は、つい先程出て行ったプロデューサーを追い掛けるべく、本社の出入り口である正門を目指す。まゆが一階に到着すると、プロデューサーはちょうど、正門を通るところだった。追い付くことに成功したまゆは、そのまま尾行を続行。先を急いでいるのか、プロデューサーは後を追うまゆの存在には気付かない。

 346プロ本社を出たプロデューサーは、徒歩で最寄りの駅へ向かい、電車を乗り継いでいく。そうして辿り着いたのは、新宿駅。気付かれないように一定の距離を保ちながらプロデューサーを尾行し、改札口を出たまゆだが、駅を行き交う人の多さ故に、距離を保つことがままならない。そうして距離が開いていく中、大通りの横断歩道に差し掛かったプロデューサーが、向かいの通りに向かって手を振り始めた。

 

(あそこに……)

 

 待ち合わせの相手は、すぐそこにいるのだと確信するまゆ。だが、プロデューサーが手を振っていることが確認できても、人通りの多さ故に向かいの通りで手を振っているであろう相手の姿は見えない。

 そして、信号が青に変わるとともに、プロデューサーもまた、横断歩道を渡り始める。急いで後を追おうとするまゆだが、人ごみが邪魔で中々進まない。そして、人ごみを強引に押しのけて、横断歩道を渡ろうとしたその時――激しいクラクションとブレーキ音が響き渡った。

 

「えっ……?」

 

 突如聞こえたその音に、はっとなって我に返るまゆ。プロデューサーを追い掛けるのに夢中で気付かなかったが、まゆが経っているのは横断歩道の真上で、しかも赤信号。そして、音の聞こえた方向……即ち、まゆから見た右方向を振り返ると、そこにはトラックがすぐそこまで迫っていた。

 

「――!」

 

 悲鳴を上げる間もなく、まゆの身体に衝撃が走った。吹き飛ばされ、まゆの身体は舞う。そして、アスファルトに叩きつけられ、車道をごろごろと転がっていった。衝撃と共に、まゆの視界は天地が目まぐるしく逆転していった。それが終わったところで、まゆはようやく、自身が信号を無視して車道に出てしまったがために、トラックに轢かれてしまったのだと理解した。

 

「プ、ロ……デュー……サー………………さん……」

 

 アスファルトの上に倒れ、全身に走る激痛に指一本動かせず無い状態の中、まゆは想い人の名前を口にしようとした。だが、当のプロデューサーの姿は、既にまゆの視界からは消えていた。自身を中心にして、人だかりができてきているが、そんなことはどうでもよかった。

 

(何で……)

 

 どうして、プロデューサーは自分に対して隠し事をしたのか――

 

 どうして、自分に何も相談してくれなかったのか――

 

 どうして、自分に一緒に出掛けようと誘ってくれ中たのか――

 

 どうして、こんな目に遭っている自分のもとへ、プロデューサーは来てくれないのか――

 

 

 

 どうして、想い人(プロデューサー)は自身のことを見てくれないのか――

 

 

 

 どうして――と、そんな疑問ばかりが渦巻いていた。誰かが聞けば、おかしな疑問だと思うかもしれない。だが、まゆにとってはそれら全て、理不尽なことに思えてならなかった。

「この人さえいれば、それで良い」と、そう思った相手が、自分のもとからいなくなってしまうという事実――実際にはまゆの思い込みだが――は、まゆの心に引き裂かれるような痛みを与えていた。それこそ、今現在、交通事故による怪我で感じている痛みが、些細なことのように思える程に――

 

 

 

 許さない――――――

 

 

 

 そんなまゆが抱いた『嫉妬』という想いが最終的に行き着いたのは、『憎しみ』だった。自身の前からいなくなってしまったプロデューサーは勿論のこと。何より許せないのは、そのプロデューサーを奪った“誰か”――Masque:Radeに所属している、自分以外の四人の内の誰かであろうその人物へ、復讐したいと……そう願いながら、まゆの意識は暗転した。

 そしてその瞬間、まゆの“左手”がピクリと動いたことには、その場に集まった誰も気づくことは無かった――――――

 

 

 

 

 

 『嫉妬』――それは、自分の愛する者の愛情が他に向くことを恨み憎む感情である。七つの大罪にも数えられるこの感情は、古今東西、人種、性別、地位に関係なく、誰もが持っており、時に国すらも巻き込み……その末に、大勢の人死にすら出してきた、災厄の種でもあった。

 そしてそれは、現代社会においても同じこと。殊に女性の……それも、恋愛絡みの嫉妬というものは、恐ろしいものがある。人を狂気に駆り立て、凶行に及ばせるのみならず……時として、人を文字通りの“化け物”に変えてしまうことすらあるのだ。

 この物語は、そんな恐るべき“嫉妬”という感情の化身と化した少女が引き起こす、“凶事”を描いた物語である――――――

 

 

 

 

 

 

 

 その日、346プロダクション本社の中は騒然としていた。その中でも、とある一室……アイドルユニット『Masque:Rade』のプロジェクトルームの中は、一際重い空気に包まれていた。プロジェクトルームに集まったユニット所属のアイドル三人――北条加蓮、多田李衣菜、緒方智絵里とプロデューサーは、出社して早々に知らされた衝撃の事実に対し、皆一様に顔を伏せ、嗚咽を漏らす者もいた。

と、その時。

 

「プロデューサーさん!まゆちゃんが事故に遭ったって、本当ですか!?」

 

 部屋の扉を勢いよく開き、この場にいなかったメンバーの一人である、小日向美穂である。彼女は、今この場に集まることができる『Masque:Rade』の最後のメンバーでもあった。

 

「……事実だ」

 

 そんな彼女が開口一番に口にした問いに対して答えたのは、彼女等のプロデューサーだった。部屋の奥に設置された業務用チェアに座り、額を手で覆った状態で、美穂が知りたいであろう、この場にいないメンバーの身に起こった出来事の仔細を話し始める。

 

「今朝、病院から連絡があった。まゆは昨日の夜、交通事故に遭って病院へ搬送されたらしい」

 

 その言葉に、美穂は思わず口を覆った。美穂より先に部屋に到着していた他の面々は、既に話を聞いていたようだが、再びプロデューサーの口から語られたその事実に、表情を険しくしていた。

 

 佐久間まゆが事故に遭った――

 

 その衝撃の事実が346プロへ齎されたのは、早朝のことだった。早朝に出社した事務員が病院からの電話連絡を受け、担当プロデューサーへと事の次第を報告。その後、まゆが今現在掛け持ちしている『Masque:Rade』以外のユニットを担当しているプロデューサーや、まゆが出演予定の各種イベント、テレビ番組の関係者へと連絡が行われたのだった。無論、各方面へ連絡を行った際には、今はまだ他言無用にするようにと言っていた。しかし、人の口には戸は立てられないものであり……関係するプロデューサーへの連絡に際し、他のアイドルにもこの情報が洩れ、瞬く間にこの事実は346プロ全体に広まったのだった。

 

「昨日の夜、どうやら本社を出て寄り道をしていた時に、交通事故に遭ったらしい。横から迫るトラックに撥ね飛ばされて、その後に地面を転がったらしい……」

 

 プロデューサーの生々しい状況説明に、顔を歪める一同。吐き気を催した者もおり、口を必死で押さえていた。

 

「全身を強く打ったようだが、幸いなことに、内蔵の損傷や骨折にまでは至っていないらしい。ただ……頭も強く打ち付けていたらしい。意識が……まだ戻っていないということだ」

 

「そんな……まゆちゃんが、どうして……?」

 

「事故当時の様子については、まだ確認できていない。まゆも意識不明の状態で、聴取ができない状態にあるから、原因の追究はまだできそうにない」

 

「あの……まゆちゃんは、良くなるんですよね……?」

 

 恐る恐る口を開き、プロデューサーに対して問いを投げ掛けたのは、智絵里だった。華奢な細身の体は不安で若干震えており、話し方もいつも以上に、おどおどしていた。そんな彼女に対し、しかしプロデューサーは……

 

「……今のところは、何とも言えない。今朝入った情報によれば、一命は取り留めてはいるものの、意識が戻るかは分からないとしか言えないそうだ。最悪の場合、このまま植物状態になり、目覚めないかもしれない……」

 

「そんな……!」

 

 プロデューサーが苦々し気に語った、まゆに身に起こり得る最悪のケースを聞いた、智絵里をはじめとするアイドル達の表情がますます暗くなった。命が助かっているといっても、眠りから目覚めない状態が続くのでは、死んでいるも同然と言える。また、このまま目が覚めず、数週間、数カ月……数年と時間が過ぎて行けば、仮に目覚めることができたとしても、アイドルへの復帰はまず不可能である。

 

「どうにか……できないんでしょうか?」

 

「俺達では、どうすることもできん。できることといえば、まゆが自然に目覚めるのを、待つことだけだ」

 

 プロデューサーが告げたその言葉に、一同は沈痛な面持ちになる。同じ事務所の、同じユニットの仲間が危機的な状況にあるにも拘わらず、何もできない自分達の無力感に打ちひしがれている様子だった。

 

「せめて、お見舞いだけでも……」

 

「まゆは今、集中治療室に入っているそうだ。命の危険は脱したが、あと二日は面会謝絶になるそうだ」

 

「そんなに酷い怪我だったんだ……」

 

 プロデューサーの話に顔を青ざめさせながら、加蓮が呟いた。病院に長らく入院していた時期が合った彼女は、事故で重症を負って搬送された患者を何人も見たことがある。まゆが彼等と同じような状態になっていると想像するだけでも恐ろしかった。

 

「まゆも心配だが、彼女のことばかりの心配をしている場合じゃない。彼女の不在は、この場にいる皆は勿論、346プロ全体の仕事にも影響する」

 

「仕事って……!」

 

「李衣菜、落ち着きなよ。プロデューサーだって、気持ちは同じだよ。」

 

 まゆが事故に遭い、意識不明の状態で入院しているこの状況下で仕事の話をするプロデューサーに怒りを覚える李衣菜だが、加蓮がそれを宥める。

 

「私達はアイドルなんだよ?どんな状況だったとしても、ちゃんと活動はしなきゃならないでしょう?」

 

「まゆちゃんが怪我をして入院しているといっても、それはあくまで私達の事情だもんね……」

 

 それを聞いて、若干感情的になっていた李衣菜が落ち着きを取り戻す。まゆのことを心配しているのは、皆同じ。しかし、この場にいる面々は皆、まゆの仲間であるのと同時に、アイドルなのだ。譬え仲間が欠けたとしても、活動を疎かにして良い理由にはならない。

 そんな彼女等に対し、プロデューサーは内心を押し殺して、まゆが不在となったこの状況ですべき話を進めていく。

 

「まゆが復帰できない以上、『Masque:Rade』の活動は休止にせざるを得ない。これは、他のユニットについても同じだ。既に請け負っている各種イベントの仕事は、別のユニットに担当してもらうように話を通すつもりだ」

 

「……仕方ない、ですよね……」

 

 まゆが入院している以上、妥当な処置ではあるものの、『Masque:Rade』というユニットへの思い入れ故に、心の底では納得できない部分もあった。それを押さえ込み、四人はプロデューサーの決定を受け入れた。

 

「それから、お前達四人についてだが、しばらくは掛け持ちしている方のユニットか、参加予定の期間限定ユニットの活動に集中してもらいたい」

 

 346プロダクション所属のアイドルは、二つ以上のユニットを掛け持ちしている場合が多い。数あるプロダクションの中でも、多彩な個性を持つアイドルを大勢擁している346プロは、その個性を最大限に活かし、あらゆるジャンルの活動をカバーできるように、ユニットもまた多様なバリエーションを揃えているのだ。

 『Masque:Rade』に所属しているアイドルも例に漏れず、全員が複数のユニットを掛け持ちしていた。

 

「加蓮はプロジェクトクローネの『トライアドプリムス』、智絵里と李衣菜は、シンデレラプロジェクトの『キャンディアイランド』と『アスタリスク』へ戻ってくれ。美穂はここに残って、『ピンク・チェック・スクール』の活動だ」

 

「分かったよ、プロデューサー」

 

「今の状態じゃ、そうするしかないですよね……」

 

「分かり、ました……」

 

「まゆちゃんを放っておかなきゃならないっていうのがロックじゃないけど……やるしかないんだね」

 

 加蓮、美穂、智絵里、李衣菜が不承不承ながら頷く。まゆを一人残すということが、どうにも心残りに思えてしまうが、プロデューサーの言う通りにする他に無いと理解していたのだろう。

 

「活動方針の変更については、今日中に関係各所へ通知するから、明日からはさっき言ったユニットで活動できるようになるだろう。済まないが、今日は各自で自主練をしてくれ」

 

 プロデューサーのその言葉を最後に、打ち合わせは解散となった。『Masque:Rade』のユニット活動休止を言い渡された四人は、全員がプロジェクトルームを後にし、各々、ダンスレッスンやボイスレッスンといった自主練を行うためのレッスンルームへと向かうのだった。

 プロジェクトルームに一人残されたプロデューサーは、まゆの身に起こった出来事についての説明と、今後の活動方針についての説明が、穏便と言える形で完了させることができたことに、一人安堵の溜息を吐いていた。

 そして、先程四人に説明した通り、四人が明日以降、それぞれのユニットでの活動ができるように連絡を行おうと受話器を取った……その時。

 

 

 

 許さない――――――

 

 

 

「!?」

 

 突如としてプロジェクトルームに響き渡った、誰のものとも知れない声。それを聞いた途端、プロデューサーは驚愕に目を見開きながら、ぶるりと震えあがった。誰かいるのかと、椅子から立ち上がり、部屋中を見回すも……人の姿は見えなかった。念のためにデスクの下等の死角となっている箇所も確認するが、当然ながら人の姿は無かった。

 

「……気のせい、か」

 

 空耳とは思えない程に、心胆を寒からしめる声だったのだが、プロデューサーはこれを疲れによるものと結論付けた。恐らく原因は、まゆが事故に遭ったことだろう。先程のユニットメンバー同様、自分自身もまた、自分自身が想像している以上にショックを受けているのだと思った。

 デスクの下を探したりするあたり、まゆのことを無意識下で心配していることの現れである。思えば、聞こえた幻聴の声も、まゆにそっくりだったかもしれない。

 

「……しっかりしないとな」

 

 先程、アイドルの面々にも言った通り、まゆのことばかりを気にしている場合ではないのだ。自分自身が一番しっかりしなければならないのだからと、プロデューサーは深呼吸を一つすると、気持ちを切り替えるよう努めて業務に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 

「おかえり、美穂ちゃん」

 

 時刻は夕方の六時過ぎ。346プロの所属アイドル達が利用している女子寮の正面玄関にて、その日の仕事を終えて帰ってきた美穂を、小梅が出迎えた。いつもより疲れた表情の美穂に、小梅が心配そうに声を掛けた。

 

「美穂ちゃん、大丈夫……?」

 

「うん……多分、平気」

 

 から元気で答える気力も無かったようで、美穂は苦笑を浮かべながら答えた。小梅が心配しているように、不調であるという自覚は美穂自身にもあったのだ。

 

「もしかして……まゆちゃんのこと?」

 

「……うん。やっぱり、どうしても心配で……」

 

 まゆの入院に伴い、プロデューサーから『Masque:Rade』の活動休止が言い渡されてから、三日が経過した。ユニットのメンバーは皆、それぞれ掛け持ちしていたユニットの活動に勤しんでいたが、一人病院に入院しているまゆのことが、どうしても頭から離れなかった。事故時に頭を打ったことが原因で意識不明の状態となり、集中治療室に籠もっているため、面会謝絶の状態が続いていたのだ。

 

「ちゃんとしなきゃって分かってるんだけどね……」

 

「……美穂ちゃんだけじゃなくて、他の皆心配しているよ」

 

「そうかもしれないね……」

 

 まゆの入院について特に衝撃を受けているのは、『Masque:Rade』をはじめとした、彼女が所属しているユニットのメンバーだが、まゆを知る他の346プロ所属アイドル達も、気持ちは同じだった。

 美穂もここ数日仕事をする中で感じていたが、『ピンク・チェック・スクール』のメンバーである卯月と響子も、ふとした時に不安な表情を浮かべることがあった。恐らく、まゆのことを心配していたのだろう。

 

「こんなことじゃ、またプロデューサーさんに怒られちゃうね。しっかりしないと!」

 

「けど、あんまり無理ちゃしちゃ駄目だよ……」

 

「うん、分かってる」

 

 気持ちを入れ替えなければと、美穂は両手で自身の頬を叩いて自らに言い聞かせた。そんな美穂の姿を、小梅は先程と同じく不安な表情で見つめていた。

 と、そこへ――

 

「あ、電話だ」

 

 上着のポケットの中から振動を感じ取った美穂が、携帯電話を取り出す。発信者は、プロデューサーである。一体、何の用だろうと思いながらも通話に出る美穂。挨拶をしてから、いくつか言葉を交わしていく。すると……

 

「本当ですか!?」

 

 突然、美穂が大きな声を上げた。そのいきなりの声に、小梅は軽く驚かされていた。そして、そんな小梅に構わず、美穂は通話に夢中になっていた。

 

「はい……はい!分かりました!……そう、ですか。分かりました。それじゃあ明日、仕事が終わったらすぐに行きます!それじゃあ!」

 

「……何かあったの?」

 

 通話を終えた美穂に、小梅が恐る恐る尋ねる。対する美穂は、顔に喜色を浮かべて答えた。

 

「プロデューサーさんからなんだけど……まゆちゃん、お見舞いに行けるようになったって!」

 

「まゆちゃん、目が覚めたの?」

 

「それはまだだけど……集中治療室からは出て、面会ができるようになったって言ってた」

 

「そっか……良かったね」

 

「だから明日、仕事が終わったら行ってみようと思うんだ。小梅ちゃんもどう?」

 

「明日……うん、大丈夫。仕事は午前中だけだから、行けると思うよ」

 

 その後、美穂と小梅はまゆの見舞いに行くべく、準備を進めるのだった。また、『Masque:Rade』のメンバーをはじめとした、まゆと親しい間柄のアイドル達にも連絡を入れ、見舞いに誘うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、そろそろお別れのお時間です。マジックアワー、お相手は私、高森藍子と……」

 

「皆さん、マジアワ。三村かな子と……」

 

「マジアワです。緒方智絵里でお送りしました」

 

「皆さんが、魔法のひと時に包まれますように……」

 

『バイバ~イ!』

 

 346プロダクションのアイドルによるラジオコンテンツ『マジックアワー』の収録が行われているブースの中。その月のパーソナリティである高森藍子と、出演者である三村かな子、緒方智絵里による別れの挨拶が行われていた。その後、副調整室にいるラジオ局スタッフからも、窓越しにOKサインが出たことで、その日の収録は完了するのだった。

 

「お疲れさまでした!今日もありがとうございます!」

 

「はい。こちらこそ、いつものフォロー、ありがとうございました」

 

 収録ブースを出た三人は、いつもの通りスタッフの面々に挨拶を行っていく。その後は、収録した番組の放送日や、今後のスケジュール等について軽く打ち合わせを行い、出演者のアイドル三人はその場で解散となった。

 

「智恵理ちゃん、藍子ちゃん。この後お茶しない?美味しいシフォンケーキで有名な喫茶店がこの近くにあるんだ~」

 

「あ、良いですね。私もお邪魔して良いでしょうか?」

 

 荷物をまとめ、ラジオ局を出る段になったところで、かな子から喫茶店に行かないかという提案が出た。美味しいスイーツに目が無いかな子からの勧めだけあって、藍子は乗り気だった。だが、智絵里はというと、

 

「ごめん。今日はこの後、ちょっと用事があって……」

 

「用事?」

 

 アイドルとしての今日の仕事は、全て終わっていることを知っているかな子は、一体、何の用事だろうと疑問に首を傾げる。友人からのせっかくの誘いを断ることに、少々の罪悪感を覚えた智絵里は、躊躇いながらも理由を話した。

 

「まゆちゃんのお見舞いに、美穂ちゃんから誘われてて……」

 

「ああ……そういえば、ようやく面会ができるようになったって言ってたよね」

 

 まゆが事故に遭い、意識不明の状態で入院していることは、既に346プロのアイドル全員が知っていることだった。しかし、まゆの容体等に関しては、ユニット等の仕事上で直接的な繋がりのある面々にのみ知らされていたのだった。

 

「まゆちゃん、早く目が覚めれば良いんだけど……」

 

「智絵里ちゃん……」

 

 一命を取り留めたとはいえ、今も目が覚めないまゆのことを思い、表情を陰らせる智絵里。他のメンバー同様、彼女もまた、まゆのことを心から心配していたのだ。

そんな智絵里を見たかな子は、何かを決心したように頷くと、口を開いた。

 

「ねえ、智絵里ちゃん。私も一緒に、お見舞いに行っても良いかな?」

 

「え……?」

 

「私も、まゆちゃんのことが心配だからね。様子を見に行きたいなって。藍子ちゃんには悪いけど、喫茶店はまた今度で……」

 

「ううん、気にしてないよ。それより、私も一緒に連れて行ってくれると嬉しいかな」

 

「かな子ちゃん……藍子ちゃん……うん!一緒に行こう。まゆちゃんもきっと、喜ぶよ」

 

 自身と想いを共にしてくれる友人二人に、感激のあまり涙が出そうになる。それを堪えながら、智絵里は笑顔で頷いた。

 

「あ、でもちょっと待ってて。今、美穂ちゃんへの連絡と、あと変装してくるから」

 

 思い出したように待ったをかけた智絵里は、そのまま速足で化粧室へと向かっていった。

その後ろ姿を見て、かな子と藍子は苦笑していた。

 

「智絵里ちゃんは大袈裟だなあ~。私なんて、変装なんて伊達眼鏡くらいだよ?」

 

「まあ、たまにファンの人に出待ちとかされちゃうからね。できるなら、本人だって分からないくらいに念入りにやっておいた方が良いのは確かだから」

 

 そう言ってくすくすと笑い合いながら、かな子と藍子もまた、変装道具をカバンから取り出して身に付けながら、智絵里を待つのだった。

 

 

 

 

 

「さて……これで良いかな?」

 

 化粧室に駆け込んだ智絵里は、見舞いに行く際に身バレを防ぐための変装を、鏡を見ながら大急ぎで終わらせていた。変装のために取り出した道具をカバンにしまい、スマートホンを取り出して美穂への連絡を行おうとする。だが――――――その時。

 

 

 

 許さない……

 

 

 

「……っ!?」

 

 突然聞こえた、凍えるような冷たく、憎悪に満ちた女性の声。智絵里はビクリと震え、恐怖のあまり固まってしまった。

 

(な、何……?)

 

 まさか、誰かいるのだろうか。そう思い、化粧室の中を見回すも、個室は全て空いている。空耳だったのだろうか……そう思ったが、

 

 許さない……

 

「ひっ……!」

 

 またしても聞こえた声に、小さく悲鳴を上げてしまった。空耳などではない……確かに、誰かが智絵里に向かって囁いているのだ。だが、相手の姿は前後左右どちらを向いても見えない。まさか天井に……と思って視線を上に向けるも、やはり何も無い。

 

 許さない……

 

「い、一体誰なんですか……っ!」

 

 足をガクガクと震わせながら、半ば涙声で、自分に囁きかける何者かに呼び掛けるも、返事は返ってこない。もう一度化粧室の中を見回してみるも、誰の姿も無い。

 本当に、何者なのだろうかと、恐怖と共に疑問に思う智絵里。聞こえて来る女性らしき声には、聞き覚えがあるように思えた。だが、智絵里がその正体に辿り着くことは、できなかった……

 

「うっ……!」

 

 突如首に走る、ちくりと針で刺されたような痛み。それ程大した痛みではなかったのだが……それを感じた瞬間、智絵里はその場に崩れ落ちた。身体を動かそうとしても、指一本動かせない。それどころか、視界が徐々にぼやけていき、意識まで遠のいていく。

 

許さない……!

 

(そう、だ……)

 

 この期に及んで、ようやく自身に語り掛ける声が、誰のものだったのかを思い出した智絵里。だが、それは遅すぎた。結局、自分に何が起こったのか理解できないまま、智絵里の意識は闇の中へと落ちていった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが、まゆちゃんの入院している病室、だね?」

 

「うん。間違いないよ」

 

 その日、仕事を全て終えた美穂と小梅は、まゆが入院している病院を訪れていた。本当は、まゆを除く『Masque:Rade』のメンバー全員と一緒に来たかったのだが、流石に予定が合わず、来れるメンバーのみで来ることとなった。

 

「智絵里ちゃんがこの後合流する予定だから、私達は先に入っていようか」

 

「うん」

 

 そうして、美穂は意を決して扉をノックし、開いた。中には看護士の姿は無く、ベッドの上に横たわるまゆがいるのみだった。

 人工呼吸器のようなものは取り付けられていなかったが、脳波を測定するためのセンサーがいくつか頭部に取り付けられており、腕には点滴のチューブが刺さっていた。包帯も体の各所に巻かれていたが、見た限りでは酷い怪我ではないようだ。しかしその容姿は、最後に見た時よりも幾分か痩せたように思える。

 

「まゆちゃん、美穂だよ。今日は小梅ちゃんと一緒に、お見舞いに来たんだよ」

 

「まゆちゃん、久しぶり……」

 

 二人揃って、ベッドに横たわるまゆに呼び掛けるも……当然のことながら、何の反応も返ってこなかった。部屋の中で聞こえる音は、医療器具の電子音と、まゆの規則正しい呼吸音のみだった。

 

「……本当に、ただ眠っているようにしか見えないのにね」

 

「うん……」

 

 今にも目を覚ましそうなのに、いつ目を覚ますか分からない友人。その姿に、「もしかしたら、このまま目覚めないのかも」という考えに囚われそうになる。

 

「私、花瓶の水を取り替えて来るね」

 

「分かった」

 

 まゆの姿を直視し続けることができなくなった美穂は、部屋に飾られた花瓶の水替えを理由にその場を離れた。一人残された小梅は、眠り続けるまゆの顔をじっと見つめ……ふと、思い付いた。意識の無いまゆに、自分達がこの場にいることが分かるようにと、手を握ろうと。小梅はまゆのベッドの脇に歩み寄り、その左手へと自身の両手を伸ばす。そして、その手に触れた途端――――――

 

 

 

許さない――

 

 

 

「!?」

 

 小梅の頭の中に響き渡る、怨嗟に満ちたまゆの声。気のせいなどではない。はっきりと、握った手を通じて感じる、まゆの心の叫びが、小梅の精神を揺さぶる。

 

 

 

許さない――

 

許さない――許さない――

 

許さない――許さない――許さない――

 

 

 

許さないっ!!

 

 

 

「――――――か、はぁっ!」

 

 頭の中に流れ込んでくる、どす黒い劇場。憤怒、嫉妬、憎悪、殺意……人間が持ち得る、ありとあらゆる負の感情を詰め込んだような、深淵の見えない程の昏い感情に、脳を焼かれそうになる。まゆの手を離したことで、その本流から逃れることができたが、息が上がって呼吸も……立っていることすらも儘ならず、床の上に膝を付いてしまう。

 

「小梅ちゃん!?」

 

 花瓶の水を取り替えていたところ、異変を察知した美穂が、ベッドの傍で息を荒くして膝を付く小梅のもとへ駆け寄る。美穂に背中を擦ってもらったお陰で、小梅の呼吸は徐々に整っていった。

 

「どうしたの、小梅ちゃん?」

 

「まゆちゃんに触ったら……すごく、怖いのを感じて……」

 

 若干混乱しているのか、言っていることは抽象的で、要領を得なかったが、どうやらまゆに触ったことが原因でこのような状態になったらしい。それを聞き、試しに美穂もまゆの手に触れてみたが……特に何も感じなかった。何故、小梅だけこのようなことになったのか、原因は分からない。

 ともあれ、小梅は著しく衰弱しており、これ以上この場に留まるべきではないのは明らかだった。こんな状態の小梅を一人で帰すわけにもいかないので、美穂は見舞を切り上げ、小梅を寮に連れ帰ることにした。

 

「ごめんね、美穂ちゃん……」

 

「ううん、気にしないで。智絵里ちゃんには、後から連絡しておけば大丈夫だろうから」

 

 一人では歩くことも儘ならない小梅に手を貸しながら、ゆっくりと病院の入口を目指す美穂。そして、病院の正面入り口へと差し掛かろうとした時、一台の救急車が到着しているのが、遠目に見えた。どうやら、急患らしい。後部のハッチが開かれ、患者を載せた担架と、患者の身内らしき医師以外で数名の人物が下りてきた。

 

「かな子ちゃん!?それに、藍子ちゃんまで!?」

 

 その人物達――かな子と藍子の二人を見て、美穂と小梅は、驚きに目を丸くした。本来、まゆの見舞いに際して合流する予定だった二人が、救急車に乗って来たのである。そして、担架に載せられている患者の姿を見た途端……二人はさらなる驚愕に襲われた。

 

「まさか……智絵里ちゃん!?」

 

 担架の上に覗く、その顔には、確かに見覚えがあった。かな子と藍子同様、一緒にまゆの見舞いに訪れることを約束していた、一人であり、美穂とまゆと同じ『Masque:Rade』のメンバーでもある、緒方智絵里である。

 見舞いに行くことを約束した相手が、救急車で搬送されてきたという予想外の事態に、美穂は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。そして、その隣に立つ小梅は……

 

「!?」

 

 担架に載せられて搬送される智絵里を見た途端に、背筋が凍るような悪寒を覚えた。だが、それだけではない。小梅には、智絵里の身体から湯気のように立ち込めている、どす黒い煙のようなものが見えていたのだ。それは、常人には見えない……霊感の強い小梅だからこそ視認できたものだった。

 そしてそれは、今しがたまゆに触れた時に小梅の中へ流れ込んできた、言い表せない程のどす黒い激情と、同じ色をしていた。

 



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エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ②

週1投稿を目標とすると申しましたが……正直、2週間に1回が限界です。
更新はスローペースになりますが、今後も『ゲゲマス』をよろしくお願いします。


 その日、都心を少し外れた場所の、とある駅にて野外ステージイベントが開催されていた。ステージイベントには、346プロダクションのアイドルユニット『アスタリスク』の二人が招かれ、『解散芸』で有名なトークと歌で舞台は盛況。イベントは大成功に終わった。

 

「本日のイベントは、346プロダクションよりお越しいただきました、『アスタリスク』のお二人のご協力のお陰で、お客様から大変な好評をいただけました!スタッフの皆さん、今一度お二人に拍手を!」

 

 現地のイベントスタッフ達に囲まれ、拍手と感謝の言葉を贈られ、『アスタリスク』のメンバーである、猫耳アイドルの前川みくと、自称ロックなアイドルこと多田李衣菜は、照れくさそうな表情を浮かべていた。その後、終了したイベント会場ではテントや各種機材の撤収作業が開始され、ゲストとして招かれた『アスタリスク』の二人はプロデューサーと共にその場を去ることとなった。

 

「それでは、お二人の本日のお仕事はこれで終了となります。私は一度、本社へ戻る必要がありますが、お二人は直帰していただいて構いません」

 

「分かったにゃ、Pチャン」

 

 その後、『アスタリスク』の二人は家路に着き、プロデューサーは本社へ戻ることとなった。プロデューサーは、イベント会場を訪れるために使用した社用車が駐車されている場所へと向かい、『アスタリスク』の二人は駅へ向かって歩き出した。だが、改札口へ向かう途中で、

 

「ごめん、みくちゃん。私はちょっと用事があるから、ここで……」

 

「李衣菜チャン?」

 

 李衣菜が、帰りに寄る場所があるからここで別れたいと言い出した。そんな彼女の言葉に、みくは難色を示す。

 

「もう夕方にゃ。こんな時間に外を歩いていると、危ないよ?」

 

 みくの指摘は尤もであり、未成年の、しかもアイドルである李衣菜が遅い時間帯に一人で街を歩くのは、危険である。しかも、みくと李衣菜は、学校が終わってからイベント会場へ直行してきたため、制服姿である。不審者に襲われなくとも、補導される可能性もあった。

 

「あー、うん……分かっているんだけど……」

 

「その用事って、明日じゃなきゃいけないの?」

 

「……まゆちゃんの、お見舞いなんだよね」

 

「あっ……!」

 

 李衣菜が『アスタリスク』とは別に掛け持ちしているアイドルユニット『Masque:Rade』に所属するまゆが入院中であることは、当然のことながらみくも知っていた。加えて、入院する原因となった交通事故による怪我が、面会謝絶にされる程の重傷であることも。

 

「昨日、ようやく面会謝絶が解けたみたいなんだけど、忙しくて中々行けなくてね……面会時間ギリギリだけど、顔だけでも身に行けたらって思ってさ……」

 

「む~……李衣菜ちゃんの気持ちも、確かに分かるにゃ。けど、やっぱりみく達だけで行くのは……」

 

 李衣菜の気持ちを察しながらも、承知することができないみく。アイドルが制服姿で夕方に街中を歩いたところで、事件に巻き込まれるとは限らないが、アイドルとしてのプロ意識故に、安易な考えで行動すべきではないと考えていた。

 

「それじゃあ、あたしが連れて行くっていうのはどうだ?」

 

 まゆの見舞いに行きたい李衣菜と、それを不本意ながら止めているみく。半ば膠着状態になっていた二人に対し、唐突に声が掛けられた。

 

「なつきち!?」

 

「夏樹チャン!?」

 

 声のした方を向いた李衣菜とみくが、二人して驚きに目を丸くする。二人に声を掛けたのは、リーゼントヘアーが特徴的な、男勝りな姉御肌の女性。346プロ所属のロックなアイドル、木村夏樹である。

 

「どうしてここにいるのにゃ!?」

 

「仕事がたまたま早く片付いてな。それで、すぐそこの駅でお前等がライブやってるって聞いたから、見に来たんだ」

 

「来てたんだったら、声を掛けてくれれば良かったのに……」

 

「お前等を驚かせようと思ってな」

 

 悪戯が成功したことに、満足そうに笑う夏樹。そして、二人の反応をとりあえず楽しむと、本題について話し始めた。

 

「それで、見舞いの件だけど、あたしがだりーを送ってやるってのはどうだ?すぐそこの駐車場にバイク停めてあっから、乗せてってやるぜ」

 

「え、良いの!?」

 

 夏樹からの思わぬ提案に、喜色を浮かべる李衣菜。夏樹はニカっと笑い、「ああ」と肯定しながら続ける。

 

「見舞いが終わったら、家まで送ってやるよ。あたしは十八で、一応大人だからな。だりーの保護者ってことで付いて行っても、問題は無いだろう?」

 

「む~……分かったにゃ。夏樹チャンが送ってくれるなら、安心にゃ」

 

「やたっ!ありがとう、なつきち!流石ロックだね!!」

 

「ただし!お見舞いが終わったら、真っ直ぐ帰ってくるにゃ!寄り道なんてしちゃ、駄目だからね!」

 

 夏樹が現れたことで、李衣菜が見舞いに行くことは了承したものの、遅くならないようにと、母親のように念押して、みくは帰っていくのだった。

 

「そんじゃ、行くか」

 

「うん、よろしく!」

 

 そして、みくを見送った夏樹と李衣菜は、バイクが停められている駐車場へ向かった。

 

「そういや、まゆの見舞いって、『Masque:Rade』の他の皆はもう行ったのか?」

 

「ううん。昨日、美穂ちゃんが誘ってくれたんだけど、私と加蓮ちゃんは予定が合わなくてさ……」

 

「まあ、皆揃って行くなんてのは、流石に無理だろうからな」

 

 まゆの入院に伴い、『Masque:Rade』はユニットの活動を一時休止し、それぞれが掛け持ちしているユニットに散っている状態なのだ。そのため、これまで以上に全員が集うというのは難しくなっていた。

 そして、そんなやりとりをしている内に、夏樹はバイクのタイヤに付けていたチェーンロックを外し終えた。

 

「それじゃ、出すぜ。ああ、そうだ。言うまでも無いけど、まゆの見舞いには、あたしも一緒に行くからな」

 

「うん、まゆちゃんも喜ぶよ」

 

 そう言って李衣菜にヘルメットを渡すと、夏樹は自身もヘルメットを被った。その後、李衣菜を後部に乗せ、キーを差し込んでエンジンをかけると、二人を乗せたバイクは駐車場を出発した。

 

「なつきち、まゆちゃんの病院の場所は知ってるの?」

 

「安心しろ。さっき調べといたから、道も分かってる」

 

 非常に手慣れたハンドル操作でオートバイを運転しながら、夏樹は李衣菜の問いに答えた。道は空いているので、この分ならば十分足らずで到着するだろうと李衣菜は思う。

 だが、その道中――

 

 

 

――許さない

 

 

 

「?」

 

 李衣菜の耳に唐突に聞こえた、謎の声。左右へ視線を巡らせるが、車やバイクは周囲には見られない。

 

「なつきち、何か言った?」

 

「うん?なんのことだ?」

 

 声の主は夏樹かと思い、問い掛けてみるも、どうやら違うらしい。

 やはり空耳だったのだろうか。そう思う李衣菜だが、……先程の声からは、空耳とは思えないような強い恨みの念が感じ取れた。女性の、それも年若い少女の声のようだが唐突に聞こえたこと故に定かではない。一体、先程の声は何だったのだろうと、夏樹の腰に掴まりながら首を捻る李衣菜。

 

 

 

――許さない

 

 

 

「!?」

 

 そうしている内に、またしても先程の謎の声が、李衣菜の耳に入ってきた。「許さない」と先程よりもはっきりと告げるその言葉には、背筋が凍るような憎悪が籠められているように感じる。

 

「おい、どうしたんだよ?」

 

 恐怖を感じ、夏樹の腰に回した手の力を無意識に強くしていたのだろう。李衣菜の様子を怪訝に思った夏樹が、何かあったのかと問い掛ける。だが、今の李衣菜の耳にはその言葉は届かなかった。

一体、どこからこの声は発生しているのか……声の主は何者なのか……何故、自分に対して「許さない」などと告げていえるのか……

 いくら考えても、李衣菜には何も分からない。分かっていることは、この声に込められた恨みの矛先が、自身に向いていること。そして、声の主は、自身に何か……恐ろしいことをしようとしているということ。

疑問と恐怖ばかりが頭の中を渦巻く中、李衣菜は恐怖のあまり、夏樹の腰に回した手に力を籠めることしかできなかった。だが、次の瞬間――

 

「あっ……!」

 

 突如として、首に針で刺したような痛みが走った。それと同時に、全身の力が抜けていく。夏樹の腰に回した手の力も徐々に弱まっていき、両手はだらりと下がった。

 

「おい、だりー?どうしたんだよ?おい!」

 

 バイクを運転していた夏樹も、先程からおかしな李衣菜の様子から、ただ事ではないと察した。李衣菜の腰に回した手の力が弱まり、返事が無くなった時点で、路肩にバイクを止めることにした。

 

「だりー、何かあったのか?」

 

「……」

 

「具合でも悪いのかよ?」

 

「……」

 

 一体、どうしたのかと話し掛ける夏樹だが、李衣菜からは返事が無い。走行中は腰に回していた手は下がったままで、上体も夏樹の背中にしな垂れ掛かっている状態である。

まさか眠っているのか……夏樹がそう思った時。後ろに座っていた李衣菜の身体が、ぐらりと傾いた。そのまま、バイクの上から滑るように崩れ落ちていき、ドサリという音とともに李衣菜の身体は地面に仰向けに横たわることとなった。

 

「だりー!?」

 

 地面に倒れてからも、全く微動だにしない李衣菜の姿に、流石にただ事ではないと思った夏樹は、自らもバイクから下り、李衣菜の上体を起こした。身体を強く揺さぶり、名前を呼ぶが、目覚める気配は全く無かった。

その後、バイクの上で突如意識を失った李衣菜は、夏樹が呼んだ救急車に搬送され、病院で治療を受けることとなったのだが……李衣菜の意識が戻ることは、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……成程、事情は分かった。それで、僕が呼ばれたということか」

 

「はい……」

 

 346プロ本社の敷地内に店舗を構えるオープンカフェ、通称『346カフェ』。昼食をとりに来るアイドルや職員で混雑する昼休みを過ぎ、客足も疎らになった昼下がりの時間帯に、席をとっている三人の客がいた。内二人は、346プロの所属アイドルである小日向美穂と白坂小梅である。そして、二人に向かい合うように座っているのは、青い学童服の上に黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを纏い、下駄を履いた少年――鬼太郎だった。

 

「フム……アイドルが相次いで原因不明の昏睡状態とは……」

 

「それで、原因になっているのは、昏睡状態になっているアイドルより前に、交通事故で入院している、まゆという少女で間違いないのか?」

 

「確実とは言えないけど……間違いないと思う」

 

 鬼太郎の髪の毛の中から頭を出した目玉おやじと鬼太郎の問い掛けに対し、小梅は不確実と前置きしながらも、深く頷いた。

 小梅と美穂が鬼太郎を呼び出すきっかけとなったのは、昨日・一昨日と連続して発生した、346プロ所属アイドルが原因不明の昏睡状態に陥るという怪事件だった。

 事の起こりは、二日前のこと。シンデレラプロジェクトのアイドルユニット『キャンディアイランド』のメンバーである緒方智絵里が、ゲスト出演したラジオ番組『マジックアワー』の収録を収録した後、化粧室にて倒れていたところを、同ユニットのメンバーである三村かな子に発見され、そのまま救急車で病院へ搬送されたのだ。

 そしてその翌日、つまり昨日。今度はシンデレラプロジェクトのアイドルユニット『アスタリスク』のメンバーである多田李衣菜が、都内で行われたイベント終了後、同社で交友のあるアイドル木村夏樹が運転するバイクに乗せられての移動中、何の前触れもなく意識を失い、病院へ搬送された。

 いずれも突然、何の前触れも無く昏睡状態に陥ったという点と、原因が不明であるという点以外に共通点は存在せず、これら二つの事件に関連性は無かった。しかし、小梅がこの二人の様子を見たことで、二つの事件が結び付けられた。

 

「智絵里ちゃんと李衣菜ちゃんの身体から、まゆちゃんの手を握った時に見えたものと同じ……暗くて、怖い……そんな感じがしたんだ」

 

「暗くて怖い?」

 

「小梅ちゃんは、霊感が強いからのう。その、まゆちゃんという子に触れたことで、その子が宿す強力な思念を垣間見たのじゃろう」

 

 人間の思念というものは、時として恐ろしい怪異を呼び込むことがある。そして、小梅のように霊感の強い人間は、そういったものに非常に敏感であり、影響を受けやすいのだ。

 

「人間の思念と言うものは、死に近づけば近づく程強くなるとも言われておる。死にきれない人間の思念は、生霊と化してこの世を彷徨うこともある。それに、恨みや憎しみといった負の思念を抱いた生霊は、時として邪悪な妖怪にもなると言われておる」

 

「それじゃあ、まゆちゃんの生霊が妖怪になって、二人を襲ったっていうことなんでしょうか?」

 

「それはまだ断言できん。じゃが、二人のアイドルが昏睡状態になったこととは無関係ではあるまい」

 

 鬼太郎が口にした可能性に、小梅と美穂は緊張に顔を強張らせる。目玉おやじは断言できないとは言っているが、まゆがこの一件に関わっていることは、まず間違いないのだ。それも、人知の及ばない“妖怪”という名の恐ろしい怪異として……

 

「他には何か、手掛かりのようなものは無いのか?」

 

「昨日と一昨日で入院した、智絵里ちゃんと李衣菜ちゃんの病室に内緒で入ってみたんだ。それで、暗くて怖い、あの感じを辿ってみたら……二人の首のところに、小さな、針で刺したような傷を見つけたんだよ」

 

「針で刺したような傷?」

 

 疑問符を浮かべる鬼太郎に対し、小梅はボールペンとメモ帳を取り出し、二つの小さな黒い丸を書いて見せた。

 

「ちょうど、これくらいの大きさの傷だよ。智絵里ちゃんは首の後ろのうなじで、李衣菜ちゃんは喉にあったんだ」

 

「私も、小梅ちゃんに言われて見てみたんです。けれど、私にはそれらしいものは見えませんでした……」

 

「つまり、小梅ちゃんが見たという、この針で刺したような傷跡というものは、霊感のある者にしか見えんということじゃな」

 

「もしや、呪いの類でしょうか?」

 

「そうかもしれん」

 

 腕組みしながら、目玉おやじは頷いた。可能性は高いという見解を示しているが、状況からしてほぼ確定だろう。それを察した小梅と美穂の頬を、冷や汗が伝った。

 

「仮に一連の騒動が妖怪の仕業だとすると、昏睡状態に陥った二人は、その妖怪を倒さない限り目覚めることはないと考えるべきだな」

 

「じゃあ、その妖怪を倒すというのは……?」

 

「まだ今の段階では情報が少なすぎる。妖怪の正体も目的も分からんのじゃ。何か、手掛かりでもあれば別じゃが……」

 

「それなら、心当たりがあります」

 

 正体不明の妖怪に対し、どう手を打つべきかと唸る鬼太郎と目玉おやじに対し、美穂が一枚のCDだった。ジャケットの写真には、深紅のバラを彷彿させる衣装に身を包んだ、美穂をはじめとする五人のアイドルの姿が映っていた。タイトルには、『Love∞Destiny』と記されていた。

 

「これは?」

 

「私が所属しているアイドルユニット『Masque:Rade』のCDです」

 

 鬼太郎に自身の所属ユニットのCDを見せた美穂は、そこに映っている自分以外のメンバーについて順に説明していった。

 

「この子が、問題のまゆちゃん。こっちの二人が、智絵里ちゃんと李衣菜ちゃんです。それから、私と加蓮ちゃんもいます」

 

「加蓮も所属しているのか。つまり、このユニットというのに所属している人間が、標的にされていると?」

 

「……勿論、これも確証は無いんです。けど、智絵里ちゃんと李衣菜ちゃんが、まゆちゃんに関係することで襲われるとしたら、これ以外には……」

 

「何か、心当たりがあるのか?」

 

「………………はい」

 

 余程知られたくない事情だったのだろう。美穂の表情からは、躊躇いがあることが見て取れた。しかし、事態を収拾するには話す他に無いと判断し、長い沈黙を挟んでゆっくりと口を開いた。

 

「まゆちゃんですが……実は、『Masque:Rade』のプロデューサーさんのことが、大好きでして……」

 

「プロデューサーのことが……大好き?」

 

「アイドルの恋愛は、確かご法度ではなかったかのう?」

 

 鬼太郎親子が口にした疑問は、尤もなことだった。人間界の世情に疎い妖怪の二人だが、アイドルに恋愛が許されないことくらいは知っている。

 

「も、勿論です!……けど、まゆちゃんにとってプロデューサーさんは、それだけかけがえのない存在で……アイドルを始めたのも、プロデューサーさんがきっかけで……え、えっと……」

 

 自ら話し始めておきながら、顔を赤くして慌てふためく美穂。色恋の話をするのが苦手なのか、言いたいことがまとまらず、要領を得ない状態に陥ってしまい、鬼太郎親子は首を傾げるばかり。そんな美穂をフォローしたのは、小梅だった。

 

「まゆちゃんはね……今のプロデューサーさんからスカウトされて、アイドルになったんだよ」

 

 そこから先の説明は、スムーズに進んだ。

 問題のアイドルであるまゆは、読者モデル出身のアイドルであり、彼女にアイドルとなるきっかけを作ったのは、今のまゆの担当プロデューサー兼『Masque:Rade』担当プロデューサーなのだという。アイドル活動とユニット活動を通し、まゆと心を通わせたプロデューサーは、いつしか彼女にとってはかけがえの無い大きな存在となり……いつしか、心の底から愛する想い人となったらしい。しかし、アイドルの恋愛は、業界において許されるものではない。故にまゆは、その想いを口にすることは無く……アイドルとプロデューサーという関係を続けていたらしい。

 

「尤も、まゆちゃんがプロデューサーさんのことを大好きなのは、皆知ってたけどね……」

 

「皆ということは、そのプロデューサーさんもかね?」

 

「うん」

 

「成程。それで、プロデューサーさんの愛情が他者に向くことが許せず、その……『ますかれいど』?の仲間達を襲ったということか」

 

 佐久間まゆとプロデューサー、『Masqua:Rade』のメンバーとの関係を鑑みれば、そのような結論に至るのは当然だった。これで、妖怪と化した可能性のあるまゆの思念が、智絵里と李衣菜を襲った理由については、一応納得できる。

 

「確かに、女性の怨念……殊に色恋絡みの嫉妬の感情というものは、時に恐ろしいものじゃ。じゃが、どうしてまゆちゃんという子が抱いた嫉妬の思念は、妖怪になる程に強くなったのかのう?」

 

「どうしてって……それは、さっき鬼太郎さんが言っていたように、プロデューサーさんを、他の子に取られちゃうことが許せなかったからじゃ……」

 

「それを言うなら、彼女は当の昔に妖怪になっていた筈だ。父さんが言いたいのは、人間の思念が妖怪になるには、並大抵の感情では足りないということだ」

 

 人間の思念が妖怪になるケースは、確かに存在する。皿を割った罪で殺害された下女が皿を数える妖怪と化した、『お菊の皿』が有名な怪談として知られている。

 だが、個人の思念が妖怪を生み出す程に強くなるケースは非常に少ない。多くの場合は、大勢の人間の思念が山積することで妖怪が生まれるのだ。

 

「事故に遭い、生死の境を彷徨ったことが原因で、思念が強くなったのは間違いないが……何らかのきっかけがあったのは間違いない。彼女が仲間達を恨む程の憎しみを抱く程の理由が……」

 

「それが明らかになれば、彼女を救う鍵になるかもしれん。妖怪と化した生霊を元に戻すには、その引き金となった憎しみを取り除かねばならんからな」

 

 鬼太郎と目玉おやじが付け加えた説明に、美穂と小梅が神妙な面持ちとなる。妖怪が絡んでいると知った時点で覚悟はしていたが、今回の事件は根が深い。いつもの通り、妖怪の正体を暴いて退治し、一件落着とはいきそうにない。

 普段のまゆは、同僚のアイドルやプロデューサー、スタッフに対して優しく振る舞い、アイドル活動に対しては非常に真剣に取り組んでいる、絵に描いたような「良い子」として知られている。しかし、プロデューサーが絡むと、猟奇的な視線と妄想に溢れた狂的な言動をもって周囲を戦慄させる、所謂ヤンデレとしての一面があるのだ。

 今回の一件は、その重すぎる愛故の暴走によって引き起こされた可能性が高い以上、事件解決のためには、まゆの心の闇に関わる必要があるのだ。そしてそれは、事件の詳細を知る美穂と小梅に課せられた、まゆの友人としての責務とも言えるものだった。

 

「ともあれ、まずは妖怪の正体を暴くことが先決じゃ。まゆちゃんの生霊と対話をするにも、居場所が分からねば何もできん」

 

「妖怪の狙いがユニットのメンバーだとするならば、次に狙われるのは美穂か加蓮ということになります。そういえば、加蓮はどこにいるんだ?」

 

「加蓮ちゃんですが、明後日に控えたライブのリハーサルをしています。ここから少し離れた場所にある、市民ホールです」

 

「リハーサル中は、凜ちゃんと奈緒ちゃん、それにスタッフの人達が一緒にいるから、安心だよ……」

 

 闇に紛れて活動する妖怪は、人の多い場所には滅多に現れない。加えて、加蓮の傍には妖怪の存在を認知している凛と奈緒が傍にいるのならば、最低限度の安全は確保できるだろう。だが、件の妖怪はバイクに二人乗りしていた李衣菜を、運転をしていた夏樹に気付かれることなく襲撃している。故に、油断はできない。

 

「なら、とりあえず加蓮と合流しよう」

 

「ウム。相手の狙いが分かっておる以上、待ち構えておれば、必ず尻尾を出す筈じゃ」

 

 鬼太郎と目玉おやじの提案に対し、美穂と小梅は首肯して同意した。そして、四人は346カフェを後にすると、加蓮がいる市民ホールを目指して移動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 346プロ本社から、電車で一駅ほどしか離れていない場所にある、市民ホール。コンサートに演劇、講演会と、あらゆるイベントに活用されるこの公共施設では、二日後に控えた346プロのアイドルによるライブのリハーサルが行われていた。

 

「はい!『トライアドプリムス』の皆さん、ありがとうございました!次、『セクシーギルティ』の皆さん、よろしくお願いします!」

 

 スタッフの指示に従い、346プロのパッション系ユニット『セクシーギルティ』の三人と入れ替わる形で、ステージの上から舞台袖へと捌ける『トライアドプリムス』の三人。その中には勿論、加蓮の姿もあった。

 

「ふぅ……」

 

「加蓮、大丈夫か?控室で休憩していた方が良いんじゃないか?」

 

「心配し過ぎよ。これぐらいのこと……」

 

 自身の体調を気にかけてくれる奈緒に対し、心配無用と返そうとした加蓮だが、その先は続かなかった。突然の眩暈に襲われ、その場でよろめいてしまったのだ。

 

「全然大丈夫じゃないでしょ。奈緒の言う通り、控室に行こう」

 

「……ごめん、凜」

 

 倒れそうになったところを凜に支えられる。流石にこれ以上の強がりは通用しないと観念した加蓮は、スタッフに一言断った上で、二人の手を借りて控室へ行くことにするのだった。

 控室へと戻った三人は、飲み物の入ったペットボトルを手に取り、室内に置かれていたパイプ椅子へと座った。ライブ本番の際には、メイク落ち防止のために、飲み物にはストローを差しているのだが、本日はリハーサルのため、ステージ用のメイクはしておらず、普通に飲み口から直接飲んでいる。服装についても、動きやすい私服である。

 

「加蓮。もしかして、あんまり寝てないんじゃないか?」

 

「あはは……やっぱり、分かっちゃった?」

 

「もしかして、智絵里と李衣菜が倒れた件が気になっているの?」

 

 凛の問い掛けに、加蓮は苦笑を浮かべながらも首肯した。目元のクマ等はメイクで誤魔化せても、元々弱かった体調は誤魔化しようが無かった。

 

「小梅から連絡があってから、不安になっちゃってね……今も、まゆが私のことを狙っているんじゃないかって」

 

「けど、まゆの仕業だって、まだ決まったわけじゃないだろう?それに、どうしてまゆが、智絵里や李衣菜を襲うんだよ?」

 

 奈緒が口にした疑問に、凜も同意するように頷く。まゆが自身の担当プロデューサーに対して想いを寄せていたことは、『Masqua:Rade』のメンバー全員が知っていた。だからこそ、加蓮をはじめとしたメンバー四人は、その恋を応援するために今まで立ち回ってきたのだ。そしてそれは、まゆ自身も認識しており、感謝すらしていた。故に、まゆが他の四人を恨む理由は無い筈なのだ。

 

「それなんだけど……実は私、まゆが事故に遭った日に、プロデューサーと仕事が終わった後に会ってたのよ」

 

「えっ!?」

 

「加蓮が、プロデューサーと?」

 

「うん。プロデューサーから相談を受けて、仕事の後に待ち合わせをしてたの。それから……私があの日、プロデューサーと待ち合わせした場所は、“新宿駅”だったんだよね……」

 

「それって……まゆが事故に遭ったのと同じ場所じゃないか!?」

 

 加蓮がプロデューサーと約束をしていた場所と、まゆが事故に遭った現場が同じ場所だたという事実。その直後に、まゆの生霊の仕業と思しき怪事が起こっているのだ。偶然と呼ぶには、些か出来過ぎていた。そして、これらの出来事が一つの糸で繋がっているのならば、考えられることは一つだった。

 

「まさか、まゆは加蓮とプロデューサーが、あの日に会っていたことを知っていたの?」

 

 凜が導き出した結論に、加蓮は頷いた。

 

「確証は無いけどね。それに、事故の状況からして多分、まゆは本社を出たプロデューサーの後を追って、事故に遭ったんだと思う」

 

「成程……それで、メンバーを見境なしに襲ってるってことか……」

 

 まゆが生霊と化して仲間達を襲っているという仮説には半信半疑だったが、加蓮の話を聞いたことで、確信に変わった。

 

「だから、まゆにはきちんと話さなきゃならないって思うんだ。あの日、私とプロデューサーさんが会ってた理由を。きっとあの子も、裏切られたと思って、傷付いている筈だから……」

 

「……そうだな」

 

「話ができるかどうかは分からないけど、伝えなきゃ駄目だよね」

 

 今回の騒動が、悲しい誤解から始まっているというのならば、まゆもまた被害者なのだ。彼女の苦しみを取り除くことは、必要不可避だと、三人は考えていた。

 

「それに、加蓮には“山井先生”がいるんだからな」

 

「んなっ!?」

 

「プロデューサーを恋愛的な意味で好きになるなんてこと、無いよね」

 

「凛まで!?」

 

 先程までのシリアスな空気から一転。奈緒と凛の二人がかりで加蓮を弄り始めた。

 

「お互いのことを想っていながら、連絡すら取れない遠距離恋愛だもんな~」

 

「妖怪と人間の、許されざる切ない恋……感動的な話だよね」

 

「だから!山井先生とは、そんなんじゃないって、あれほど言ったでしょ!」

 

 その後、普段は弄る側の加蓮が、妖怪との色恋沙汰(?)ネタで、奈緒と加蓮から散々弄られるという珍しい構図は、数分続いた。

 

「全く……こんなこと言ってる場合じゃないんだから」

 

「悪かったって。それで、プロデューサーが加蓮にした相談って、一体何なんだ?」

 

「まゆに秘密にしていたみたいだし……気になるところだよね」

 

 一連の騒動の遠因となった、プロデューサーからの加蓮への相談事。まゆのプロデューサーへの思慕を知っていた加蓮が敢えて黙っていた内容が何かは、奈緒も凛も気になるところだった。

 

「ええと、それは―――――」

 

 二人の問いに対し、非常に気まずい表情で視線を泳がせる加蓮。だが、心配してくれる二人の手前、話さずにおくのも気が引ける。言いにくそうにしながらも、説明のために口を開いた加蓮だったが……その先は、唐突に部屋の中に響き渡った、ノックの音によって遮られてしまった。

 

「トライアドプリムスの皆さん、ちょっと確認したいことがありますので、ステージまで来てくれますか?」

 

 ステージの方からやってきたスタッフからの急な呼び出しにより、三人は会話を中断せざるを得なくなった。凛は「今行きます」と返事をすると、ステージへと向かうべく、椅子から立ち上がった。

 

「それじゃあ、私が行って来るから、奈緒は加蓮と一緒にここにいてあげて」

 

「いいよ、凛。私はもう大丈夫だから」

 

「無理して行かなくても良いんじゃないか?」

 

「リハーサルの確認も、立派な仕事だからね。私だけ休んでいるわけにはいかないよ」

 

 多少休んだお陰で血色が良くなった加蓮だが、万全とは言い難い。そんな加蓮を心配する凛と奈緒だが、当人は「大丈夫だから」と言って退かず……結局、三人揃ってステージへと戻ることとなってしまった。

 

「具合が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」

 

「無理しちゃ駄目だからね」

 

「分かってるって……」

 

 ステージを目指す道中、加蓮の前を歩く凛と奈緒は、頻りにそんな言葉ばかりを加蓮に掛けてきた。そんな風に、自分のことを過保護なまでに心配してくれる二人に、加蓮は一人苦笑していた。

 

 

 

許さない――

 

 

 

「……え?」

 

 唐突に頭の中に響いた、怨嗟の籠った声に、加蓮は思わず立ち止まった。それは、先程までの和やかな空気を引き裂く、恐怖のノイズだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

「ここが、加蓮達のいるホールなのか?」

 

「はい。受付には既に話は通してありますから、私達と一緒にいれば入れますよ」

 

「それじゃあ、行ってみようか……」

 

 346プロ本社を出た四人は、美穂の案内に従い、加蓮達がライブのリハーサルを行っている市民ホールへと到着していた。加蓮に会いに行くことは想定していたらしく、内部へ入るための身分証は既に用意していたらしい。首から提げるタイプのプラカードを身に付けると、関係者用の入口へと向かい、受付への挨拶を済ませると、その横を通り過ぎて、建物の中へと入った。

 

「控室はこの近くですから、すぐに加蓮ちゃんに会えますよ」

 

「もしかしたら、ステージにいるかもしれないけどね……」

 

 そう言いながらも、四人はまず控室を目指すことにした。以前このホールを使ったことがあるという美穂の案内に従い、再び歩き始めた……その時だった。

 

「!」

 

 鬼太郎の妖怪アンテナが反応し、髪の毛が一本、針のように逆立ったのだ。

 

「妖気だ!近いぞ!」

 

「えっ!?」

 

 そう言うや否や、鬼太郎は控室へと続く廊下を勢いよく走り出した。突然の事態に困惑してしまった美穂と小梅も、その後を追った。そして、ホールの裏手入口から然程離れていない場所の曲がり角で、鬼太郎は立ち止まり、美穂と小梅も遅れながらも追い付くことに成功する。三人が辿り着いたその場所では――

 

「加蓮!おい、しっかりしろ!加蓮!!」

 

「目を開けて!加蓮!!」

 

 加蓮の名前を必死に呼び掛ける、奈緒と凛の姿があった。床に膝を付いた二人によって抱き起された加蓮は、目を瞑った状態で全身が弛緩しており……まるで、死人のようだった。そして、決して覚めることの無い深い眠りについているかのような加蓮の、解かれた髪の隙間から覗く首筋からは……

 

 

 

 二つの針で刺したような傷痕が、禍々しい気配を放っていた――――――

 



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エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ③

本日より、6期鬼太郎は新章開幕。
名無し編最終話でねこ娘があんなことになってしまいましたが、
本作のねこ娘は当初の「ねこ姐さん」キャラで行く方針です。

今後もゲゲマスをよろしくお願いします。


 

「まさか、加蓮ちゃんまでこんな目に遭うなんて……」

 

「ちょうど……入れ違いだったみたいだね」

 

 リハーサルの最中に倒れた加蓮を乗せた救急車が、市民ホールを出て行く。その様子を、美穂と小梅は不安そうな表情を浮かべながら見送っていた。その隣には、同様の表情を浮かべた凛と奈緒の姿もあった。

 

「加蓮の首筋にあった傷跡からは、妖怪が持つ毒素……『妖毒』が感じ取れた。小梅が見たという、二人の被害者の首についていた傷跡も同じだろう」

 

「確定じゃな。一連の事件は、間違いなく妖怪が関わっておる」

 

 現場に居合わせた鬼太郎の妖怪アンテナが反応したことに加え、加蓮の傷跡から『妖毒』が感知されたのだ。一連の騒動に妖怪が関わっていることは、疑いようも無かった。

 

「しかし、まさか僕達が来たタイミングで、加蓮が襲われるとは……」

 

「一足遅かったことが、悔やまれるのう……」

 

 鬼太郎と目玉おやじもまた、加蓮がこのような目に遭ったことについて、やり切れない思いだった。もう少し到着するのが早ければ、加蓮を助けられたのではないか、と……

 

「じゃが、いつまでも落ち込んでもおられんぞ、鬼太郎。美穂ちゃんと小梅ちゃん、凛ちゃんと奈緒ちゃんもじゃ」

 

「……そうですね、父さん」

 

 まゆの生霊と思しき妖怪が標的に定めているのは『Masque:Rade』のアイドルである。智絵里、李衣菜、加蓮がその毒牙にかけられたが、まだ標的は一人残っている。

 

「順番からいけば、次は美穂ちゃんだね……」

 

「わ、私がっ……!」

 

 小梅の一言に、顔を真っ青に染める美穂。智絵里、李衣菜、加蓮が妖怪の毒牙にかかった今、美穂が狙われるのも時間の問題なのだ。

 

「そうならないためには、妖怪を倒すしかない」

 

「鬼太郎の言う通りじゃ。そのためにまずは、妖怪の正体から暴かねばならん。凜ちゃんと奈緒ちゃんも、協力してくれるかね?」

 

「勿論だ!加蓮まであんな目に遭わされたんだからな」

 

「これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかないからね」

 

「ウム。それではまずは、現場をもう一度確認してみよう」

 

「はい、父さん」

 

 美穂と小梅に加え、凜と奈緒という協力者を得た鬼太郎と目玉おやじは、先程の加蓮が襲われた場所へと、実地検証のために向かうことにした。

 加蓮が倒れた場所は、鬼太郎達が市民ホールへ入ってきた裏手にある関係者用の入口からほど近い場所にある廊下だった。控室が複数並ぶ場所とステージ袖とを繋ぐ通り道であり、横に扉等の無い、完全な一本道だった。

 

「あたし達はあの時、ステージに向かって移動してたんだ。そこの控室を出てから、この道を通ってな」

 

「確か、私、奈緒、加蓮の順番で部屋を出て行って……その途中で、一番後ろにいた加蓮が急に倒れだしたんだよね」

 

 どうやら、加蓮が妖怪に襲われたのは、ステージへの移動中らしい。三人一緒に行動していたが、二人が目を離した僅かな隙に、加蓮は毒牙にかかったのだろう。

 

「それで、私達は反対側の方から駆け付けてきたんだよね」

 

「つまりこの廊下は、両側から密閉されていたっていうことだね……」

 

 鬼太郎達四人が駆け付けてきたのは、加蓮が倒れてから十秒と経っていないタイミングである。そして加蓮を挟んで反対側には凛と奈緒がいた。小梅の言うように、加蓮が襲われたこの一本道は、両サイドが塞がっていたことになる。

 

「二人は妖怪の姿を見なかったのか?」

 

「加蓮の方を振り返った時には、何も見えなかったな。凜はどうだ?」

 

「私も……あの時は、あそこには何もいなかったと思う」

 

「妙じゃのう……妖怪が加蓮ちゃんを襲って間も無いのじゃから、現場から逃げることなどできん筈なのじゃが……」

 

「普通の人間ならともかく、妖怪が見える人間が集中している状態でしたからね」

 

 妖怪は、その存在を信じていない人間には見えることは無い。だが、この現場にいた、加蓮を含むアイドル五人は、いずれも妖怪と関わったことでその存在を認知できる状態にあるのだ。

 故に、妖怪が現れたのならば、その姿を見ていてもおかしくない。だが、鬼太郎達よりも早く現場に居合わせていた奈緒と凛は、何も見ていないという。

 

「加蓮ちゃんも、襲われるまで気付かなかったみたいだよね」

 

「恐らく妖怪は、非常に小さく、目にも止まらない速さで動き回れるような姿形なんだろう。でなければ、この場所から消え失せることなんてできる筈が無い」

 

「多分、そうだろうね。けど、それだけじゃ何の妖怪かなんて分からないんじゃ……」

 

 鬼太郎の推測は、概ね間違っていないだろうが、小さくて素早いというだけでは、対処のしようがない。一連の襲撃事件を起こした妖怪の正体に迫るには、情報が足りなかった。

 

「ねえ、智絵里の時と李衣菜の時って、どうだったの?」

 

「加蓮が襲われたこのケースだけじゃ、妖怪の正体なんて分からないもんな」

 

 加蓮より前に起こった、智絵里と李衣菜のケースについて尋ねる凜と奈緒に対し、美穂と小梅が先程鬼太郎に行ったのと同じ説明をする。

 一方の鬼太郎は、美穂と小梅の話を頭の中で反芻し、一連の事件に他に共通項が無いかと思考を巡らせる。

 

(二日前に襲われた智絵里という子は、化粧室で倒れていたという。昨日襲われた李衣菜という子は、バイクに乗っている最中に襲われた、か……)

 

 三つの事件共通することは、首筋を狙った刺し傷と、そこから妖毒を注がれたこと。だが襲撃の手段以外は、現場も時間も、当時の状況も、全てがバラバラなのだ。妖怪の正体に近づくための、決定打に欠ける。

 説明を聞いた凜も奈緒も、鬼太郎同様に手詰まりの様子だった。腕組みした状態で、「う~ん」と唸り声を上げて考え込んでいた。

 

「とりあえず、控室の方に戻ってみようか。加蓮が倒れるまでの行動を確認していけば、何か分かるかも」

 

「そうだな。被害者の行動を追うのは、探偵マンガの王道だもんな」

 

「……そうだな」

 

 凛の(一応、奈緒も)言っていることは尤もなので、皆で控室へ向かうことにした。控室がある場所は、鬼太郎達がいる場所から、それ程離れてはいない。だが、その時だった――――――

 

 

 

 

 

きゃぁぁああああ!!

 

 

 

 

 

『!!』

 

 突如として聞こえてきた、女性の悲鳴。しかも、聞こえてきた方向には、鬼太郎達が今まさに向かっている、控室がある場所である。

 

「な、何!?」

 

「まさか、妖怪が!?」

 

「……行くぞ!」

 

「ちょっ、鬼太郎さんっ!?」

 

 鬼太郎の妖怪アンテナは反応していないが、妖怪の襲撃があった直後である。妖怪との関連性を考えるより前に、鬼太郎は現場へ向かって走り出し、アイドル四人もその後を追った。

 

ぎょぇぇぇえええ!!

 

「こ、今度は何だ!?」

 

「あの部屋だ!」

 

 次に聞こえてきたのは、男性のものらしき、苦悶に満ちた悲鳴。悲鳴の出所は、鬼太郎達がいた場所のすぐ近くにある三つ並んだ扉の内の、鬼太郎達から見て一番手前側の部屋だった。扉には、『メロウ・イエロー様控室』と書かれている。

 

「あそこって……有香ちゃん達の控室じゃ!」

 

「行くぞ!」

 

 一体何が起こっているのか分からなかったが、アイドルの控室と聞いた鬼太郎は、扉の前へ行くと、躊躇なくその扉を開いた。そこには………………

 

「痛でぇえええ!痛でぇええええ!!やめでぐれぇぇえっ!!」

 

「そうはいかないわよ!あなたみたいな変質者、元婦警として見逃せないわ!!」

 

 警備員の姿をした男に関節技を極めている、小柄な女性がいた。二つに分けて結わえた髪型に、低身長に加えて童顔という容姿に見合わない豊満なバストの持ち主である彼女は、346プロのアイドルユニット『セクシーギルティ』の一員、片桐早苗である。

 

「さ、早苗さんっ!?」

 

「一体、何を……!?」

 

 予想外の光景に状況が理解できず、戸惑いとともに疑問符を浮かべて問い掛ける美穂と奈緒。凛と小梅も、どう反応すれば良いのか分からずにいた。すると、部屋の奥から出口へと、二人の少女が駆けてきた。

 

「奈緒ちゃん!」

 

「怖かったよ~!」

 

「え?ゆ、ゆかり!?」

 

「法子ちゃんもっ!?」

 

 少女二人は、出口の前に立っていた奈緒と美穂のもとへ来ると、そのまま二人へ抱き着いた。美穂に抱き着いているポニーテールの茶髪の少女は、椎名法子。奈緒に抱き着いているストレートの茶髪の少女は、水本ゆかり。この二人は、この控室を使用している346プロのアイドルユニット『イエロー・メロウ』のメンバーである。

 

「二人とも、何があったの?」

 

 状況がまるで分からない凜は、とりあえず事情を聞くことにした。美穂と奈緒に宥められた法子とゆかりは、少しずつ事の経緯ついて話し始めた。

 

「加蓮ちゃんが病院に運ばれてから……私達、一度控室に戻ったの」

 

「そしたら、そこの男の人が……私達の荷物を漁っていたんです……!」

 

「な、なんだって!?」

 

 ゆかりと法子の話によれば、控室に戻った二人は、自分達の荷物を物色していた警備員らしき服装の男と遭遇し、その場で悲鳴を上げたという。そして、悲鳴を上げられた警備員姿の男は、急ぎ部屋の中から逃げ去ろうとしたところ、ドアの直前で早苗に遭遇。警官時代に鍛えた関節技を見事に極めて捕縛し、現在に至るという。

 

「要するに、警備員の恰好で泥棒やってたそいつに驚いて、悲鳴を上げたってワケか」

 

「妖怪じゃ、なかったんだね……」

 

 妖怪の仕業ではなかったと知り、安堵する一同。だが、アイドルの控室を荒らす泥棒とて安心できるものではない。状況を把握した一同は、改めて問題となっている人物……関節技を極められている、警備員姿の泥棒へと視線を向ける。

 と、その時。警備員姿の泥棒が被っていた帽子が、床へと落ちた。すると、早苗が関節技を極めていたことで見えにくくなっていた男の顔が露になり……鬼太郎と小梅、美穂、そして鬼太郎の髪の中に潜んでいた目玉おやじは、驚愕にその目を見開いた。

 

「ねずみ男!」

 

 いつもの汚らしいぼろマント姿でなかったがために気が付かなかったが、禿頭の登頂に毛が三本、顔にはネズミを彷彿させる髭が両側に三本ずつ伸びていたその顔は、見間違えようがなかった。

 

「き、鬼太郎!た、助けてくれぇええっ!」

 

 早苗に締め上げられながらも、鬼太郎に助けを求めるねずみ男。だが、それに対する鬼太郎の反応は非常に冷ややかなものだった。

 

「ねずみ男……金に困って、遂にアイドルの財布まで狙うようになったのか?」

 

「ち、違ぇよ!俺は財布なんて、盗んでない!」

 

「嘘仰い!あんたが荷物を漁っていたのを、ゆかりちゃんも法子ちゃんも見てるんだからね!!」

 

 さらに強く締め上げる早苗の関節技に、再び悲鳴を上げるねずみ男。するとその時、ねずみ男の懐から、一冊の手帳が落ちた。

 

「何だこれは?」

 

「そ、それは……!」

 

 徐に手帳を拾い上げた鬼太郎。それを見たねずみ男は、顔を真っ青に染めた。その反応を見て、どうやら見られては拙い、疚しい内容なのだろうと察した鬼太郎は、手帳を開いて中身を見ることにした。ペラペラとページを捲っていくと、つい最近書いたと思われる末端の部分に、このような内容が書かれていた――――――

 

 

 

渋谷凛のピアス……75,000円

神谷奈緒の携帯ストラップ……18,000円

椎名法子のヘアゴム……31,000円

水本ゆかりのハンカチ……17,000円

中野有香のスポーツタオル(使用済)……65,000円

片桐早苗のコンパクト……32,000円

堀裕子のスプーン……18,000円

及川雫のリップクリーム……150,000円

etc……

 

 

 

『………………』

 

 その内容を見た鬼太郎と、脇から覗き込んでいたアイドル達が、皆一斉に沈黙した。手帳に一覧化されて書かれていたアイドルの名前と各種所持品、そして――金額。しかもそれらは、アイドルの肌、特に唇に触れるもの程、金額が跳ね上がっている。

そして、それらの中のいくつかには、『✓』のマークが付けられていた。

 

「……ねずみ男、お前まさか……」

 

「お、俺はそんなの知らねぇ!知らねえよっ!」

 

 手帳の内容を見たことで、ねずみ男がこの場で何をしていたかを理解し、呆れの視線を向ける鬼太郎。ねずみ男は尚も自分は無罪だと言い募るが、この場にいる誰もがその言葉を信用していなかった。

 そんな中、明らかに部屋を使用しているアイドルの所持品とは思えない、黒いバッグを見つけた凛が、それを拾い上げた。ねずみ男は「やめてくれ」と凜に対して必死に嘆願するも、当の凜はそれを無視すると、バッグの口を開いてひっくり返し、近くの机の上へと中身を広げた。

 

「あ!あたしのストラップ!それにこれ、凛のじゃないか!?」

 

「わ、私のハンカチもあります!」

 

「これ、有香ちゃんが使ってたタオルです!」

 

 バッグの中から出てきた品々を見るや、奈緒やゆかり、法子といった本来の持ち主達が次々に声を上げた。そんな彼女等の反応を見て、鬼太郎は確信した。

 

「警備員に化けてアイドルの楽屋から持ち物を盗み出して、売り捌こうとしていたというわけか……」

 

「い、いやっ……お、俺は……!」

 

「鬼太郎さん、これ……」

 

 尚も言い訳をしようとするねずみ男を遮り、小梅がスマートフォンを差し出した。小梅の持ち物ではなく、先程、凜がひっくり返したバッグの中から、アイドル達からの盗品と一緒に出てきたらしい。そして、小梅が鬼太郎に見せたその画面に映し出されていたもの。それは、ねずみ男がアイドル達の楽屋へ侵入し、持ち物を漁って次々盗み出す様子だった……

 

「ねずみ男、もう言い逃れはできないぞ」

 

 動画を見た鬼太郎は、深い溜息を吐いて、そう言った。スマートフォンに映し出されていた動画は、盗み出した物品が本物であることを証明するために、ねずみ男が自撮りで撮影したものらしい。しかし今、それはねずみ男の犯行を裏付ける決定的な証拠として、ねずみ男自身の首を絞めることとなっていた。

 

「あたしがまだ婦警やってた現役時代に聞いたことがあるわ。アイドルの所持品を違法に売り捌いている、闇のファンサイトがあるって!あなた、そこに雇われたんでしょう!?」

 

「な、何のこと……痛だだだだだぁぁああ!!」

 

 この期に及んで、まだ言い逃れようとして、早苗にさらに関節技を極められるねずみ男。現行犯で捕まった上に物的証拠まである以上、ねずみ男を庇う者など誰一人としておらず、皆一様にゴミを見るような視線を送っていた。付き合いの長い鬼太郎と、髪の中に潜んでいるに至っては、自業自得としか言いようの無いねずみ男の姿に、開いた口が塞がらずにいた。

 

「あなたみたいな犯罪的(ギルティ)な人は、譬え婦警を辞めていても見過ごせないわ!このまま、本物の警備員さんに引き渡すから、覚悟なさい!」

 

「ぐぐっ……こうなったら……!」

 

 尚も抵抗を続けるねずみ男が、早苗の拘束から逃れるために取った手段。それは……

 

ぶっ!!

 

「ぐはぁっ……く、くっさぁあっ!!」

 

 盛大な音と共に、強烈な悪臭を伴う放屁が早苗を襲う。そのあまりに強烈な悪臭と催涙効果に、それまで極めていた関節技を解除してしまう程だった。

 そして、影響を受けたのは早苗だけではなかった……

 

「く、臭い……っ!」

 

「うぐっ……!」

 

「……い、息がっ!」

 

 ねずみ男が発した、毒ガスと同レベルの屁を吸引してしまったアイドル五人――美穂、奈緒、凛、縁、法子が、喉と口元を押さえて悶え苦しんでいた。その悪臭から逃れるべく、窓へと殺到し、急いで鍵を外して全開にして換気を行った。窓枠に上半身を乗り出し、汗をびっしょりとかいて息も絶え絶えの四人は、九死に一生を得たかのような安堵の表情を浮かべていた。もし控室に窓が無かったら、命の危機に瀕していたかもしれない。

 そんな地獄絵図とも呼べる惨状を、鬼太郎と小梅の二人は鼻をつまみながら唖然とした様子で眺めていた。

 

「やったぜ!あばよ!」

 

 そして、早苗の拘束から逃れたねずみ男は、まんまと控室から逃げ出していった。至近距離で放屁を受けながらも、元婦警としての気力をもって立ち上がろうとする早苗だったが、ねずみ男を再び押さえるには至らなかった。早苗を振り切ったねずみ男は、現場から逃げるべく、裏口を目指して走り出そうとする。

 

「あれ?何で警備員さんがこんなところに?」

 

 だが、そんなねずみ男の目の前に、新たな障害が現れる。二つに分けて結んだおさげの黒髪の、小柄な少女。346プロ所属アイドル、中野有香である。法子とゆかり同様、『イエロー・メロウ』に所属する彼女は、自身の控室へ戻ろうとしていたところで、逃亡するねずみ男と鉢合わせすることになったのだった。

 

「有香ちゃん、止めて!!」

 

 控室入口で倒れている早苗が、朦朧とする意識の中で、必死に声を上げる。対する有香は、一体目の前で何が起こっているのか、状況がまるで分からずに半ば混乱していた。しかし、同じ事務所に所属するアイドルである早苗の頼みに応えることに、迷いは無かった。

 

「はっ!」

 

「ごふっ!」

 

 早苗を振り切って逃亡しようとしていたねずみ男の鳩尾に向けて、有香は躊躇なく正拳突きを叩き込んだ。

 

「とりゃぁぁああ!!」

 

「ぎゃぁぁああっ!!」

 

 さらに有香は、腹を押さえるねずみ男の頭部目掛けて、今度は回し蹴りを放った。立て続けに食らった拳撃と蹴撃の二撃に、ねずみ男は敢え無く撃沈した。

 ねずみ男の不運は、逃げようとした方向で出くわしたアイドルが、空手の黒帯有段者である武闘派アイドルの有香だったことだろう……

 

 

 

 

 

 

 

「全く……相変わらず懲りない奴ですね、父さん」

 

「こやつが起こす馬鹿騒ぎは、今に始まったではなかろう」

 

 呆れきった表情を浮かべながら、密かに呟く鬼太郎と目玉おやじの目の前には、ロープで簀巻きにされたねずみ男がいた。アイドルの控室で窃盗を働き、見つかるや否や、逃亡を試みて叩き伏せられたねずみ男は、こうして再び捕縛され、控室に連れ戻されることとなったのだった。

 

「それにしても……よくもまあ、あの短時間でここまで盗み出したもんだ」

 

「奈緒、関心するところじゃないよ、それ」

 

 控室のテーブルの上に並べられた盗品の数々に、奈緒は呆れを通り越して感心している様子だった。そんな奈緒を窘める凛も、内心では同じようなことを考えていたのだが。

 

「あの、早苗さん。これって、すぐには返してもらえないんですか?」

 

「ごめんね、法子ちゃん。この男を警察に突き出す時に、一応証拠品として提出する必要があるから、もうちょっと待っててね」

 

 有香と早苗によって捕縛されたねずみ男は、警察に引き渡されることとなっていた。警察には既に通報しており、パトカーが来れば、ねずみ男は逮捕・連行される。また、盗まれた物品は窃盗事件の証拠品として、一度警察が預かる必要があったので、こうしてテーブルの上に広げたままにしていたのだった。

 

「それにしても、悍ましいものですね……私達の持ち物が、こんな風に扱われるなんて……」

 

「アイドルという職業には、このようなことがあるとは聞いていましたが、まさか自分に降りかかる日が来るとは思いませんでした……」

 

「大丈夫ですよ!またこんな人が現れたら、私のサイキックパワーで即・撃退です!」

 

「もぉ~!こんなことばっかりする人がいたら、私も怒っちゃいますよっ!」

 

 控室荒らしたるねずみ男が捕縛された後。リハーサルに参加していたアイドル達は、逮捕現場である、『イエロー・メロウ』の控室へと集まり、盗まれた所持品の確認を行っていた。幸いと言うべきか、ねずみ男は盗み出した物について、手帳をもとに細かにチェックしていた。お陰で、確認作業はスムーズに進んだ。

 尤も、手帳に書かれていた盗品と、闇ファンサイトにおける取引金額を見る中で、皆非常に不快な表情を浮かべていたのだが……

 

「ええと……私のところから盗まれたのは、これで全部です」

 

「よし。これで全員分、確認できたわね」

 

 リハーサルに集まったメンバー全員にねずみ男の手帳を回しての盗品確認は、最後の有香が確認を終えたことで、完了した。

 

「あれ?これって、誰のものなのかな?」

 

 テーブルの上に、持ち主ごとに分けて置かれていた盗品の中。持ち主が誰か分からないものがあったことに気付いた美穂が疑問を口にした。

 

「ああ、それは加蓮ちゃんのものね」

 

「成程。それじゃあ、確認はできそうにないわね」

 

 妖怪に襲われて救急車で搬送された加蓮だけは、どうしても盗品の確認ができない。加蓮の分は立証できそうにないが、八人ものアイドルの所持品盗難が確認できているのだから、ねずみ男は完全な黒である。

 

「それにしても、加蓮は何を盗まれたんだ?」

 

 テーブルの上の片隅にある、ねずみ男が加蓮から盗み出したとされる物品へと視線を向ける奈緒。マニキュアや文房具等の物品が二、三個程あったが、その中の一つを見た奈緒が「ん?」と疑問そうな声を上げた。

 

「なあ……これって、本当に加蓮から盗んだ物なのか?」

 

「どういうことだ?」

 

 奈緒の疑問の意味が分からず、聞き返す鬼太郎に対し、奈緒は自身が指摘した物品を手に取り、仔細を説明する。

 

「今日、加蓮はこれを付けてリハーサルに臨んでいた筈なんだよ。荷物の中から出て来る筈なんて無いんだけどなぁ……」

 

「そういえばソレ、倒れる直前まで身に付けていたと思う」

 

 奈緒が指摘した物品については、凜も一応は認知していたらしい。奈緒が口にした説明について、捕捉するように付け加えた。

 

「話をまとめると、倒れる直前まで身に付けていた筈のものが、手荷物の中から見つかったということか?」

 

「そういうことだな。今日は衣装を着ない代わりに、これだけは本番と同じにしようって思ってたらしいんだ。そこのポスターみたいにな」

 

 奈緒が指差した先にあったのは、ライブのポスターだった。そこには、出演ユニットである奈緒達『トライアドプリムス』の写真もあった。

 

「!!」

 

 その写真を見たことで、鬼太郎はあることに気付いた。それと同時に、智絵里、李衣菜、加蓮の三人の被害者が襲われた際の共通点が見えてきた。

 

「小梅、少し調べて欲しいことがあるんだが、良いか?」

 

「何?」

 

「加蓮以外の、二人のアイドルが襲われた時の服装だ」

 

「鬼太郎さん、もしかして何か分かったんですか?」

 

「確証は無い。それに、僕が想像しているような妖怪の話は聞いたことがない。だが、一連の事件を引き起こした妖怪の正体としては、他に考えられないんだ」

 

 確定ではないと前置きしている鬼太郎だったが、妖怪の正体については想像しているもので間違いないという確信がある様子だった。

小梅と美穂は、鬼太郎の頼みを聞き入れ、スマートフォンを取り出して連絡を行い、確認を急いだ。一方の鬼太郎は、妖怪の正体について、髪の中にいる目玉おやじに相談し、対策を練るために動き出した。

 

 

 

 

 

 ちなみにその後、ねずみ男は気絶したまま無事に(?)警察へ引き渡されるとともに、ねずみ男が通じていた闇のファンサイトも一斉に摘発され、アイドルの所持品盗難事件は無事に幕を閉じるのだった。

 



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エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ④

 加蓮が妖怪の襲撃を受けた翌日。この日は、美穂の所属ユニット『ピンク・チェック・スクール』のミニライブの開催日でもあった。夕方の六時に行われたミニライブは、いつも通りの満員御礼。会場は大盛り上がりの大成功を収めた。

 そして、夜中の九時頃。ミニライブを終え、会場の後片付けを済ませたピンク・チェック・スクールの三人は、会場として使用された多目的講堂を出て、家路に就くところだった。

 

「それじゃあ、帰ろうか。卯月ちゃん、美穂ちゃん」

 

「うん、響子ちゃん」

 

 帰り支度を終えたアイドル三人は、各々の荷物を手に取り、控室を出て行った。今回のライブを担当したピンク・チェック・スクールのプロデューサーは、ライブ終了とともに別件で既に現場を離れていた。

 

「そういえば美穂ちゃん、リボン付けたんだ」

 

「うん。私って髪短いから、ヘアゴムとか使わないんだけど……たまには良いかなって。似合う……かな?」

 

 出入口を目指す最中、手持ち無沙汰だった三人の話題となったのは、美穂が頭に付けているリボンだった。左側側頭部の、左耳よりやや増えの場所で結んでいたその赤いリボンは、衣装以外で髪飾りの類を普段着用することのない美穂にしては珍しいコーディネートだった。

 

「全然大丈夫だよ。似合ってるし、可愛いと思うよ」

 

「ええと……そう、かな?」

 

「うん。卯月ちゃんの言う通りだよ。いつも付けていても良いんじゃないかな?」

 

 友人二人にリボンを褒められ、頬を赤く染める美穂。そんな美穂の様子を、卯月と響子は微笑ましく思っていた。

 

「けど、そのストールは脱いだ方が良いんじゃないかな?」

 

「確かに。今日は外も、あんまり寒くないからね」

 

「えっと……私は大丈夫。というより、最近ちょっと寒くて……」

 

「風邪ひいちゃったの?」

 

「大丈夫?」

 

「うん。全然平気だから、気にしないで……」

 

「それにしても、黄色と黒の縞模様か……どこで買ったの?」

 

「い、いや。買った物じゃなくて、熊本の実家から送ってもらったものなんだよ」

 

 リボンに次いで話題として挙げられたのは、美穂が首に巻いている黄色と黒の縞模様のストールだった。今まで見たことの無いコーディネートなだけに、卯月も響子も興味を示していたが、尋ねられた当人たる美穂は、歯切れ悪く答えるだけだった。

 そして、そんな他愛もない話をしている内に、三人は講堂の正面入口へと辿り着く。

 

「あ、そろそろ入口だよ」

 

「本当だ」

 

「確か、美穂ちゃんのプロデューサーさんが、本社から車に乗って迎えに来てくれることになっているんだよね」

 

 ライブと撤収作業全てが終了したのは、夜中の九時を回った時刻であり、未成年の女子高生が街を歩けば、何らかの事件に巻き込まれるかもしれないし、そうでなくとも警察に補導対象である。故に346プロは、ライブをはじめとした仕事で帰りが遅くなる場合においては、アイドルのために送迎車を手配してくれることとなっているのだ。本日の送迎者たる美緒のプロデューサーは、講堂の前で待っていてくれると聞いていたので、三人は建物の入口を出ると、目の前の道路を見回した。

 

「プロデューサーさんの車は……あ、あそこだね」

 

 目的の車両は、すぐに見つかった。講堂の入口から少し離れた場所にある、大型の黒いバンである。貨物運搬に適しているバンは、乗車定員が多く、荷物の収納スペースにも優れることで知られている。そのため、346プロではアイドルユニットを衣装や機材とともに運搬するために非常に重宝していた。

 運転手は既にスタンバイしているらしく、ヘッドライトが点灯していた。三人が駆け寄っていくと、運転席の窓が開いた。

 

「皆さん、お疲れ様です」

 

「あれ、武内プロデューサー?」

 

 運転席から顔を出したのは、美穂のプロデューサーではなかった。やや鋭い三白眼と目元の皺がトレードマークの、窓越しでも分かる大柄でがっしりした体格の男だった。厳つい外見故に、初対面の人間から不審者に間違われやすいこの男性は、卯月が所属するシンデレラプロジェクトのプロデューサーの武内である。

 

「何で武内プロデューサーがここに?」

 

「美穂ちゃんのプロデューサーさんはどうしたんですか?」

 

 対面する人間に対し、無条件で威圧感を与えてしまう武内だが、それはあくまで初対面での話。その外見に似合わず、内面が非常に実直かつ誠実であることを知る346プロのアイドル達は、臆することなく武内に事情を尋ねた。

 

「小日向さんのプロデューサーは、急な用件で送迎ができなくなったそうです。代わりに私が、皆さんをお迎えに来ました」

 

「そうだったんですか」

 

「はい。小日向さんと五十嵐さんは346プロの女子寮に、島村さんはご自宅へお送りします。どうぞ、乗ってください」

 

「分かりました」

 

 武内に促されたピンク・チェック・スクールの面々は、スライド式のバンの扉を開き、卯月、響子、美穂の順に乗り込んでいった。そして、武内が車を出そうとしたのだが……

 

「あっ!ちょっと待ってください!」

 

 美穂が出発に待ったをかけた。武内はサイドブレーキに触れていた手を止め、運転席から美穂の方へと首を傾げながら振り向いた。隣に座る響子と卯月も、どうしたんだろうと美穂の方を見る。

 

「すみません。講堂の控室に、忘れ物しちゃったみたいです……」

 

「そうですか。では、ここで待たせていただきます」

 

「美穂ちゃん、私も一緒に行こうか?」

 

 車を出て講堂へ戻ろうとする美穂に対し、響子が同行を申し出る。隣に座る卯月も、同じことを言いたいようだった。美穂を一人で講堂に戻らせることに対し、心配そうな表情で難色を示す二人だが、無理も無い。

 美穂の所属するユニット『Masque;Rade』は、三人ものメンバーが意識不明の昏睡状態に陥り、入院しているのだ。何者かの仕業なのか、それとも病気によるものなのか、原因は定かではなく……“呪い”によるものなのではというオカルト的な推測も為されているのだ。というのも、事件が始まった時期は、Masque;Radeのメンバーの一人にして、プロデューサーへの愛が人一倍重いことでしられる、佐久間まゆが交通事故で意識不明の状態で入院してから間もなくのことだったからだ。

 また、346プロではつい最近も、アイドルの大量失踪事件が発生したばかりである。既に事件は解決し、失踪したアイドルは全員職場に復帰しているものの、原因や犯人は結局不明のままだった。一説では“妖怪”の仕業とまで噂された程であり、今回の昏睡事件における恐怖を煽り立てていた。

 ともあれ、美穂までもが同じ目に遭わないとも限らない。同じ『ピンク・チェック・スクール』のユニットメンバーであり、友人である美穂を一人にしておけないと考えるのは、響子と卯月にしてみれば当然のことと言えた。

 

「ありがとう。けど、大丈夫。一人でも探しに行けるから」

 

「だけど……!」

 

「何かあったら、すぐに電話するか、メッセージを飛ばすから。心配しないで」

 

 不安そうな表情を浮かべる響子と卯月、そして武内プロデューサー。そんな三人に対し、美穂はいつもと変わらない、はにかんだ笑顔を向けてそう言うと、車を降りて講堂へと戻っていった。正面入口から講堂の中へと入った美穂は、守衛に話を話すと、控室を目指した。

 

「………………」

 

 既にライブとその片付け・撤収は全て終わっているため、講堂の中に人の姿は一切無く、不気味な程の沈黙に包まれていた。昼間同様に廊下の電灯は点いている筈なのに、薄暗く感じてしまうような空気……

まるで、人が住む世界とは別の空間に迷い込んだかのような感覚に、美穂は引き返したいという衝動に駆られそうになるのを押し止めながら、歩みを進めた。

 

(控室は……あった)

 

 今日一日のライブの中で行き来した道を記憶の通りに進んだ美穂は、控室へと辿り着いき、そのドアノブに手を掛けて扉を開いた。各控室の鍵は、守衛が退勤前の最後の見回りに際して閉めるらしく、鍵は必要なかった。

 

「ええと……」

 

 控室の中へと入った美穂は、この部屋に残してきた忘れ物を探すべく、自身の使っていた化粧台を中心に見て回った。化粧台の上、化粧台の下、部屋の中央にあるテーブルの下と、部屋の中の至る場所に視線を巡らせる。しかし、探し物は中々見つからない……

 そうして一通り部屋の中を見て回り、同じ場所を確認しようとした時だった。

 

 

 

許さない――

 

 

 

「!」

 

 美穂の頭の中に、ノイズ交じりの声が響いた。背筋が凍るかのような憎悪と怨嗟に塗れた、女性のものらしき声。それを耳、或いは頭で聞いた途端、美穂は全身の鳥肌が立つのを感じた。きょろきょろと辺りを見回すも……人の姿はやはり無い。

 

許さない――

 

「だ、誰なの……っ!?」

 

 再び聞こえたその声に反応し、虚空に向けて問い掛けるも、返事は無い。だが、二度聞いたことで確信した。先程の声は、自身と同じユニットのメンバーであり、友人のものであると……

 

「まゆちゃん……なの?」

 

 虚空へ向けて口にした美穂の問い。しかし、姿なき声の主は何も答えなかった。

 

許さない――

 

「まゆちゃん、お願い!私の話を聞いて!」

 

 しかしそれでも、美穂は恐怖を押し殺して必死に言葉を紡ごうとした。妖怪と化して、仲間達を襲っている友人を助けるために。

 

「あの日、プロデューサーさんは――」

 

許さない――!

 

まゆが事故に遭ったその日に何があったかを話そうとする美穂。だが、頭の中に響く声は問答無用とばかりに同じ言葉を憎しみと共に繰り返すばかりだった。そして次の瞬間、姿なき声の主が、美穂に牙を剥く――――――!

 

シャァァアアッ!

 

 次の瞬間に聞こえたのは、蛇を彷彿させる掠れた鳴き声。それと同時に、美穂の首筋目掛けて、細長い影が飛び掛かった。

 

「きゃっ……!」

 

 短く響き渡る、美穂の悲鳴。恐怖のあまり思わず目を瞑ってしまった美穂だったが、本人の身は無事だった。そして、美穂が恐る恐る視線を向けた、顔の左側には……

 

「シュー、シュー……」

 

「ひっ……!」

 

 美穂の首筋目掛けて、大口を開いている、赤い鱗に覆われた蛇がいた。その上顎には、非常に鋭い二本の牙が覗いていた。未だ美穂に突き立てんとしているその牙を食い止めていたのは、美穂の首に巻かれていた、黄色と黒の縞模様のストールだった。

 

「今だ!」

 

 美穂の首筋目掛けて襲い掛かろうとした蛇の牙がストールによって阻まれたその瞬間。美穂が忘れ物探しの際に手を付けていなかった控室のクローゼットの扉が開き、中から鬼太郎が姿を現した。但し、いつも着ているトレードマークのちゃんちゃんこは着ていない。

 

「指鉄砲!」

 

 そして、間髪入れずに右手の人差し指と親指を立てた状態で拳銃に見立てて構えると、美穂の顔のすぐそこで静止した状態の蛇へ照準を合わせ、必殺技・指鉄砲を放った。

 

「シュルルルル……!」

 

 しかし、指鉄砲が蛇へ迫った途端。蛇の身体が、布のように平たくなり……“リボン”へと変化した。布状に変化した蛇は、空中でしなやかに動くと、指鉄砲をひらりと避けてのけた。

 躱された指鉄砲は、控室の壁に穴を空けたが、そんなことに構っている暇は無い。鬼太郎は再度指鉄砲を放とうと照準を合わせようとする。しかし、それよりも早く、リボンへと化けた蛇は、するりと美穂の頭から離れ、風に舞うかのように空中をひらひらと漂い、控室の扉から出て行った。

 

「追うぞ!」

 

「は、はい!」

 

 即座に講堂の廊下へと出た鬼太郎と美穂は、風に流されるようにひらひらと漂っていくリボンを追いかける。空中を漂うその姿は、まるで海を泳ぐ海蛇のようにも見えた。

 そして、講堂の廊下を、階段を、舞台裏を走っていき……遂にリボンはその動きを止めた。鬼太郎と美穂がリボンを追って辿り着いた場所。それは、講堂の舞台の上だった。

 

「鬼太郎さんの話を聞いてまさかとは思っていましたが……本当にあれが妖怪なんでしょうか?」

 

「ああ、間違いない。あれが一連のアイドル襲撃事件の犯人だ」

 

 未だに信じられないという顔をしている美穂に対し、鬼太郎は強く断言した。その視線の先には、舞台の上で風に靡くかのようにひらひらと動きながら浮遊するリボンがあった。

 

 

 

 一連のアイドル襲撃事件における共通項。それは、妖怪の標的がMasque:Radeのメンバーであることと、襲撃時には首を狙っていたこと。前者はまゆの生霊が妖怪化して引き起こしている事件なのだから言わずもがな。妖怪の正体を暴く手掛かりがあるとすれば、後者だった。

 そうなると、妖怪は“何故”首を狙ったかという問題に行き着く。その答えを導き出すためのきっかけとなったのは、昨日のライブのリハーサル中にねずみ男が主犯となって行った、アイドルの所持品盗難事件だった。あの時、ねずみ男は現場にいたアイドル達から様々な物を盗み出したが……その中には、本来ある筈の無いものが混ざっていたのだった。

 

「あの時、ねずみ男は加蓮から“リボン”を盗んでいた。だが、加蓮はリハーサルの始まりから襲われるまでの間中ずっと、リボンを外していなかった。つまり、加蓮が襲われた時に身に付けていたのはリボンじゃなかったということだ」

 

 そこから鬼太郎は、加蓮の前に襲われたアイドル達の事件当時の服装を……特にリボンを身に付けていなかったかについて注目した。その結果、襲われたアイドル全員がリボン、或いはそれに類するものを身に付けていたのだ。

 最初に襲われた智絵里は、変装の際に髪型をツインテールからポニーテールに変えた際に髪を結ぶのにリボンを使っていた。

 次に襲われた李衣菜は、頭にこそ付けていなかったが、当時の服装は高校の制服であり、首元でリボンタイを結んでいた。

 最後に襲われた加蓮は、右側に寄せて結んだ髪を肩から流しており、結び目にはリボンを使っていた。

 そして、襲われたアイドル達がリボンを付けていたことを確認した鬼太郎が次に目を付けたのは、被害者の首筋にあった、二点の針で刺したような傷跡の位置だった。智絵里はうなじ、李衣菜は喉、加蓮は頸部右側面……それらはいずれも、リボンを結んでいた箇所に面した位置だったのだ。これらの事実から推測される妖怪の正体。それは、妖怪を生み出したとされるアイドル、佐久間まゆのトレードマークでもあった。

 

「妖怪の正体は、“リボン”だ。アイドル達の持ち物であるリボンに化けて懐へ潜り込み、着用した時を見計らって、首筋を狙ったということだ」

 

 妖怪の正体が分かれば、対応も容易い。鬼太郎は自身の霊毛ちゃんちゃんこの形状をストールのように変化させ、美穂に着用させることで、その毒牙を防いだのだった。

 

「女性の嫉妬心が取り憑いたリボンの妖怪で、蛇に化ける……そのような妖怪は、一つだけじゃ。わしもあのような姿をしたものは初めて見るが、間違いない。あれは妖怪・蛇帯(じゃたい)じゃ!」

 

 鬼太郎の髪の中から頭を出した目玉おやじが、目の前で浮遊する妖怪の名を口にした。

 『蛇帯』とは、女の嫉妬心が着物の帯に取り憑いて蛇となった妖怪である。

 蛇は女性の嫉妬心、邪心等の異形の心を比喩するイメージとして使用されることがしばしばあり、女性の邪心と蛇にまつわる説話は古くから存在していた。江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にもこの妖怪は描かれており、嫉妬する女の三重の帯が七重に回る毒蛇になるという意味の解説も併せて記載されている。

 

「正確には、蛇帯の亜種と呼ぶべきじゃろう。本来は着物の帯が化けた妖怪じゃが、女性の嫉妬心から生まれていること、取り憑いた物が帯状のものという点は同じじゃ」

 

「時代が変われば、妖怪の生まれ方、取り憑く物も変わるということですね」

 

付喪神のような妖怪は、古い物に魂が宿って生まれるのがセオリーだが、例外は存在する。妖怪の存在の本質は、強い思念にある。蛇帯の場合は嫉妬心だったように、本質さえ変わらなければ、年代を問わず生まれるケースもままあるのだ。

 

「ともあれ、奴が一連の事件の原因であることは間違いない。毒の持ち主である蛇帯が消滅すれば、アイドル達も目をさまず筈じゃ」

 

「分かりました、父さん。美穂、ちゃんちゃんこを僕に。それから、舞台袖まで下がっていてくれ」

 

「は、はいっ……!」

 

美穂から黄色と黒の縞模様のストールを受け取った鬼太郎は、形状をちゃんちゃんこに戻して羽織る。それと同時に、美穂は安全な舞台袖へと退避していくのだった。

 

「今度こそ仕留めさせてもらう。指鉄砲!」

 

蛇帯に向けて、再び指鉄砲を放つ鬼太郎。だが、舞台の上でひらひらと滞空しているだけだった蛇帯は、指鉄砲が放たれた瞬間に、再びその身をひらりと動かすと、指鉄砲を難なく躱した。

 

許さない――!

 

『!』

 

蛇帯の――正確には蛇帯に取り憑いたまゆの思念の――声なき声が、鬼太郎と美穂の頭に響く。そして次の瞬間、蛇帯が放つ妖気が一気に膨れ上がった。その圧は、霊感の無い美穂ですら本能的に圧倒される程のものだった。

 

許さない――許さない――許さない――!

 

怨念の籠った「許さない」という言葉が連呼されるとともに、蛇帯が空中で激しくうねりだした。まるで強風に煽られるように激しく動いていく蛇帯は、五十センチ程度の長さから四メートル超の、それこそ本物の帯のような大きさに巨大化したのだ。だが、蛇帯はさらに長大化し……その体は十メートルを超えた。

赤いリボンから赤い帯へと巨大化した蛇帯は、空中でくるりくるいと回転を始めた。すると、帯と同程度の厚さしかなかった蛇帯が、先端の方から空気を入れた風船のように膨らみ始めたのだ。“風船のように”と形容したが、その実態確かな体積と質量を伴っており、赤い鱗に覆われていた。かつて帯だったそれは、瞬く間に変貌を遂げ、非常に太い綱のような姿となり、ステージの上へとズシンと重い音を立てながら落ちた。それは、まるで無造作に置かれた大綱のようにも見えた。

ステージの上に現れた長大な赤い鱗に覆われた異形。それはシュルシュルという音とともに蠢きだし……やがて、その巨大な鎌首をもたげて、鬼太郎を睨みつけた。

 

「父さん、あれは……!」

 

「ウム。あれが蛇帯の……本来の妖怪としての姿なのじゃろう」

 

血のように赤く染まった鱗に包まれた大蛇。それこそが、妖怪・蛇帯の正体だったのだ。巨大化した蛇帯は、鬼太郎を猛烈な妖気と殺気を滾らせながら鬼太郎を睨み付けていた。

 

『私の邪魔をする人は……許しませんよ……!』

 

「喋った……!?」

 

「恐らく、まゆちゃんという子の人格が少なからず残っておるのじゃろう」

 

まゆの生霊が嫉妬心と憎悪で妖怪化しているのならば、人格など残っていないだろうと鬼太郎や目玉おやじは考えていた。しかし、標的や邪魔者を認識するための、最低限の自我は残っているらしい。

 

「シャァァアアアッッ!!」

 

「来るぞ!」

 

「はい、父さん!」

 

だが、それ以上会話は続かなかった。けたたましい威嚇音とともに、襲い掛かる蛇帯。牙を剥き、その巨体に似合わないような俊敏な動きで鬼太郎をその顎で捉えようとするが、鬼太郎は間一髪で横へ跳躍してそれを回避した。

 

「くっ……髪の毛針!」

 

蛇帯の恐るべきスピードに冷や汗を浮かべる鬼太郎だが、怯んでいる場合ではない。立ち上がると同時に、蛇帯目掛けて反撃とばかりに髪の毛針を見舞う。だが、放たれた数百本の髪の毛針は、蛇帯の赤い鱗に阻まれて全く突き刺さらない。

 

『ウフフ……そんなもの、効きませんよ……?』

 

「なんて硬い鱗だ……!」

 

「鬼太郎、生半可な技ではあの鱗を破ることはできん!指鉄砲で、奴の防御を破るのじゃ!」

 

「分かりました、父さん!」

 

相手が硬い鱗に覆われているとなれば、面制圧に優れる髪の毛針ではなく、一点集中で貫通力に優れる指鉄砲が最適だろう。そう考えた目玉おやじの指示に従い、鬼太郎は即座に人差し指を構え、指鉄砲発車の姿勢に移行する。

 

「シャァァア!」

 

「指鉄砲!!」

 

長大な体をうねらせ、再び鬼太郎へと口を開けて襲い掛かる蛇帯。その口目掛けて、鬼太郎は指鉄砲を撃ち出した。十分に引き付けた状態で発したその一撃は、如何に俊敏な蛇帯といえども避けられるものではない。これで蛇帯は終わりだろうと……鬼太郎と目玉おやじはそう確信していた。

 

「シュルルルルッ……!」

 

「何っ!?」

 

だが、ここで予想外の事態が起こる。鬼太郎目掛けて真っ直ぐ飛び掛かった蛇帯が、その体を頭の先から尾を目掛けて、“帯”へと変化させたのだ。体積の少ない、平たい布状の体へと変化した蛇帯は、その身を翻し、鬼太郎の放った指鉄砲をひらりと躱してのけると、そのまま鬼太郎の横を通り過ぎていった。

 

『そんなもの、当たりませんよ?』

 

「鬼太郎、呆けている場合ではないぞ!布に変化した状態ならば、髪の毛針も通る筈じゃ!」

 

「分かりました!髪の毛針!!」

 

蛇帯の思わぬ行動に驚愕してしまった鬼太郎だが、目玉おやじに叱咤され、すぐに次の攻撃を仕掛ける。空中を舞う、帯と化した蛇帯目掛けて髪の毛針を無数に発射し、串刺しにしようとするが……

 

「シャァァアアア!」

 

再びその身を大蛇へと変化させ、鱗の防御をもって髪の毛針を防ぎ切ってみせた。

 

「ならば……霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

大蛇へと姿を戻した蛇帯に対し、今度は霊毛ちゃんちゃんこを放つ鬼太郎。霊毛ちゃんちゃんこで蛇帯を覆い尽くし、妖力を吸い尽くしてしまおうというのだ。

 

「シャァアッ……!?」

 

「よし!ちゃんちゃんこ、蛇帯の妖力を吸い尽くせ!」

 

蛇帯の頭部を覆ったちゃんちゃんこは、鬼太郎の言葉に従い、蛇帯から妖力を吸い出そうとする。しかし……

 

『甘いですね……』

 

「シュルルルッ……」

 

蛇帯は再び帯の姿へ変化し、生じた隙間を利用してちゃんちゃんこの拘束を逃れてのけた。

 

「なんて奴だ……大蛇の姿と帯の姿を使い分けるなんて!」

 

「わしも、蛇帯が蛇に化ける妖怪ということは知っておったが、まさかこれ程とは……!」

 

姿を変化させるというのは、妖怪の中では比較的ポピュラーな能力である。しかし、『化ける』という能力は、大概が人間を騙すために用いられるものである。戦闘に用いるタイプというものは珍しく……ましてや戦況に応じた使い分けをする、蛇帯のようなタイプの妖怪とは、鬼太郎もあまり出会ったことがない。

 

「シャァァアアッ!」

 

「ぐっ……!」

 

帯へと変化してちゃんちゃんこの拘束を逃れた蛇帯が、再び大蛇へと戻って鬼太郎に襲い掛かる。相変わらずの凄まじいスピードで動く蛇帯の牙を、何とか紙一重で回避することに成功した鬼太郎は、目玉おやじに指示を仰ぐ。

 

「父さん、どうすれば……!」

 

「奴が姿を変えた瞬間を狙うのじゃ。変化して間もない状態ならば、対応が遅れる筈じゃ」

 

姿を変えて攻撃に対抗してくるのならば、変化することができないタイミング……即ち、変化し終えて間もない瞬間を狙うしかない。鬼太郎は目玉おやじの言葉に頷くと、右手の指を立てて蛇帯に向けて構えた。

 

「指鉄砲!」

 

蛇帯へ放たれた、四発目の指鉄砲。しかし、蛇帯はまたしても頭の先端から帯へと変化し、それをひらりと避けた。そして、ここからが本当の狙いとばかりに、鬼太郎は髪を逆立て、髪の毛針を射出しようとする。

 

「髪の毛――」

 

「鬼太郎、右から来るぞ!」

 

「――がはっ!?」

 

『油断しましたね』

 

髪の毛針を射出しようとした鬼太郎の脇腹に、衝撃が走った。蛇帯の胴体半分から下の、大蛇の姿となっている尾が、鬼太郎に向けて振るわれたのだ。目玉おやじが気付いて呼び掛けるも、あと一歩のところで間に合わず、尾の一撃は鬼太郎に直撃し、その体を吹き飛ばした。

 

(体の半分から頭にかけてを帯に、尾にかけてを大蛇の姿のままにすることもできたのか……!)

 

ここまでの戦闘において、蛇帯は全身を大蛇と帯の姿に変えていた。だが、部分的に変えられないわけではなかったのだ。或いは、変化させられるのは全身だけと、油断させるための演出だったのかもしれないと考える鬼太郎だが、全ては遅すぎた。

 

「ぐっ……かはっ……!」

 

「鬼太郎、しっかりするんじゃ!」

 

朦朧とする意識の中、脇腹を押さえて立ち上がろうとする鬼太郎。目玉おやじに叱咤され、必死に体を動かそうとするが……それを黙って見逃してくれる蛇帯ではなかった。

 

「シャァァアアアアア!!」

 

「ぐぅっ……がはぁっ……!」

 

再び全身を大蛇へと変えた蛇帯が、地面に膝を付いた状態の鬼太郎に巻き付き、その太い体で締め上げ始めたのだ。

 

『ウフフ……このまま、押し潰してあげますよ……』

 

「鬼太郎!」

 

「鬼太郎さん!」

 

「と、父さ、ん……がはっ!」

 

絶体絶命の危機に陥った鬼太郎の姿を目にした目玉おやじと美穂が、悲鳴にも似た声を上げる。蛇帯の拘束から逃れようとする鬼太郎だが、締め付ける力は凄まじく、鬼太郎の力ではびくともしない様子だった。

このままでは、蛇帯は骨を粉々に砕く勢いで鬼太郎を絞め上げて、殺してしまうのも時間の問題である。そうなれば蛇帯は、次は美穂へと襲い掛かることだろう。蛇帯を前に、最早万策尽きたと……鬼太郎達が、そう思った時だった。

 

「鬼太郎さん!」

 

「鬼太郎~!しっかりしんしゃい!!」

 

舞台袖からステージの上へと駆けてくる人影があった。声は二人分。一つは人間のものだったが、もう片方は人間ではなく……蛇帯のように宙に浮いた布状の何かだった。

 

「小梅ちゃん!一反もめんさん!」

 

その姿を見た美穂の顔に、喜色が浮かぶ。小梅達は、今回の騒動を解決するにあたって、鬼太郎達とは別行動を取っていた。その仲間達が駆け付けてきたということは、この状況を打開できる可能性が出てきたことを意味する。

 

「美穂ちゃん、待たせてごめん……」

 

「ううん、私は大丈夫。それより、鬼太郎さんが……!」

 

小梅に駆け寄り、縋るように現状の窮地について伝えようとする美穂。小梅も、美穂の様子とステージ上の鬼太郎の窮地を見て、本当に危ないところなのだということを瞬時に悟った。

 

「小梅ちゃん!君が来たということは、間に合ったのかね!?」

 

「はい。何とかして、来てもらいました」

 

足元に駆け寄ってくる目玉おやじを手に救い上げながら、小梅は頷いた。その視線は、舞台袖の奥の方へ向けられていた。

 

「お~い、あんた!早よ、来んしゃい!!」

 

小梅の隣に浮かぶ一反もめんが、その方向へ向けて急かすように呼び掛けると、新たな人影がゆっくりと出てきた。黒スーツを纏った人間の男性であり、年齢は二十台後半くらいの大人である。男は、美穂と小梅、一反もめんの横を通り過ぎると、ステージ上へとその姿を現した。そこには、今まさに鬼太郎を絞め殺そうとしている蛇帯の姿があった。

妖怪には慣れていないのだろう。その光景に気圧された男だったが、意を決して口を開き、声を上げた。

 

 

 

「まゆ!!」

 

 

 

『!』

 

その声に、蛇帯がピクリと反応した。鬼太郎を締め上げる胴体の動きを止め、苦しむ鬼太郎を見下ろしていた頭を、舞台での声がした方向へ……男の方へと向けた。そこに立っていた男の姿を見た蛇帯は、完全に動きを止めた。

 

『プロデューサー……さん?』

 

蛇帯が……佐久間まゆが口にした男がこの場に姿を現したことは、完全に予想外の出来事であり、これ以上無い程に衝撃的だった――――――

 



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エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ⑤

お待たせしました。
佐久間まゆ編は、今話で完結です。


 美穂が囮となり、一連のアイドル襲撃事件の元凶たる蛇帯の正体を暴くための作戦が、鬼太郎と目玉おやじ主導のもとで行われていたその頃。

 鬼太郎達とは別行動を取っていた小梅は、346プロ本社にいた。それは、妖怪によって引き起こされたこの事件を解決へ導くために必要な、最後の鍵となる人物に会うためである。

 

「……白坂さん。それは、何の冗談だい?」

 

「冗談なんかじゃ、ないよ……」

 

 346プロ本社のエントランスにて、小梅は黒井スーツを纏った二十代後半くらいの男性――まゆのプロデューサーと相対していた。いつになく真剣な声色で話をする小梅に対し、しかしプロデューサーの方は、冷ややかな視線を小梅に送っていた。

 

「ここ最近、Masqua;Radeのアイドル達が立て続けに原因不明の昏睡状態に陥っていることは俺も知っている。けど、それを“妖怪”の所為で……しかもそれは、まゆが化けて出たものが原因だなんて、質の悪い冗談にも程があるんじゃないかい?」

 

 相手が別の事務所のアイドルなだけに、表面上は丁寧な口調で話しているプロデューサーだが、その表情からは隠しきれない苛立ちが見て取れた。そんな不機嫌丸出しの大人を相手にしても、小梅は怯まない。

 

「……プロデューサーさん。まゆちゃんが入院してから、Masqua;Radeの子達が倒れた意外に、何か変わったことは無かったですか?」

 

「変わったこと……」

 

 小梅にそう尋ねられ、プロデューサーの脳裏に浮かんだのは、まゆが入院した翌日の出来事。Masqua;Radeのメンバー四人に今後の仕事について言い渡し、解散したその直後、幻聴が聞こえたのだ。思えばあの時、「許せない」と言っていた声は、まゆに似ていたかもしれないと、プロデューサーは思った。

 そして、そんなプロデューサーの反応を、小梅は見逃さなかった。

 

「まゆちゃんが皆を襲ったのには、きっと理由がある筈だよ。そしてプロデューサーさんは、その理由を知っている……」

 

「か、関係無いだろうっ!妖怪なんて馬鹿馬鹿しい!」

 

 声を荒げて小梅の言葉を必死に否定しようとするプロデューサー。だが、その反応は、小梅の言葉が図星を突いていることを物語っていた。

 

「今、この事件で苦しんでいるのは、襲われた皆や、その友達だけじゃないんだよ。まゆちゃん自身だって……きっとこんなことをは望んでいない。それは、プロデューサーさんが一番分かっているでしょう?」

 

「……妖怪なんて、いるわけがないんだ!」

 

 尚も妖怪の存在を否定し、今回の一件がまゆの仕業であるという小梅の話を一蹴しようとするが、その顔には必死さと迷いがあるように見えた。そんなプロデューサーに対し、小梅はさらに言葉を重ねる。

 

「けれど……一番つらいのは、プロデューサーさんなんじゃないかな?」

 

「……どういう意味だい?」

 

「まゆちゃんがこんなことをして……その理由を知っているプロデューサーが、何もしないでいられるの?プロデューサーさんだって、まゆちゃんを助けたい筈だよ」

 

「それは……っ!」

 

 小梅の言葉に、プロデューサーは動揺を隠せない。小梅の話については、完全に否定できず……半信半疑ながら、もしかしたらと思っていることも事実。そして、それが本当ならば、今すぐにでもまゆのもとへ行きたいと、そう思っていた。

 

「まゆちゃんが戻ってこれるかは、プロデューサーさんにかかっているんだよ」

 

「……」

 

「だからプロデューサーさん、まゆちゃんのところに、一緒に行こう……」

 

 相変わらず、長い袖に隠れた状態の手を差し伸べながら、一緒に行こうと呼び掛ける小梅を前に、プロデューサーは自分自身に問い掛けた。

 

 今、プロデューサーとして自分がすべきことは何なのか?

 

 小梅の言う通り、まゆが苦しんでいるのならば、それを見過ごしても良いのか?

 

 アイドルと真正面から向き合うことを避けて、プロデューサーが務まるのか?

 

 

 

 このまま、まゆというアイドルに背を向け、逃げ続けることが、プロデューサーとして最善の選択なのか――――――?

 

 

 

 妖怪の存在を完全に信じたわけではない。だが、まゆが自身のユニットメンバーのアイドル達を襲う理由について、確かに心当たりがあることも事実。今までまゆには隠しておいたことだが、それを伝えることができたならば、アイドル達を襲う理由となった誤解を解くことはできるだろう。だが、まゆに対して隠し続けてきたのは、まゆを傷付ける可能性があったからだ。誤解が解けたとしても、その後……まゆがどうなるかは、全く分からない。もしかしたら、今以上に状況が悪くなるかもしれないのだ。いっそのこと、このことはいつまでも黙ったままにしておき、まゆのことも放置してしまえばと……そんな考えが過った。

 

「そんなわけにはいかないだろう……!」

 

 だが、プロデューサーは自身の頭の中に浮かんだその案を、呟きとともに握り潰した。秘密を打ち明ければ、まゆを傷付けることになるだろうし、場合によっては自分が傷付けられる可能性もある。それでも、プロデューサーとして逃げるわけにはいかない。アイドルの全てを受け入れ、正面から向かい合うのは、プロデューサーの責務なのだから。

 

「分かった。白坂さん、一緒に行こう」

 

 未だに小梅の妖怪云々の話に対しては半信半疑だが、プロデューサーは協力を求める小梅に応じることにした。もとより、自身の担当ユニットであるMasque;Radeのメンバーが相次いで昏睡状態になったこの事件の解決については、藁にも縋る想いだったことは事実だったのだ。信憑性以前に、荒唐無稽な話であっても、賭けてみたいと思っていた。

 

「ありがとう、プロデューサーさん」

 

「それで、まゆがいる病院へ行けば良いのかな?確か、電車は……」

 

「ううん。電車は必要ないよ。連れて行ってくれる人がいるから……」

 

 連れて行ってくれる人とは、一体誰なのだろうか。疑問符を浮かべるプロデューサーをよそに、小梅は背負っていたリュックを地面に置き、そのチャックを開いた。すると――

 

「よーやっと、話が終わったのね!いや~、リュックの中は息苦しかばい!」

 

「待たせてごめんね、一反もめんさん」

 

 リュックの中から、白い布状の何かが飛び出し……さらに喋り出したではないか。そんな非日常の光景を見せられたプロデューサーは、目を見開いて驚愕していた。

 

「それから、おいは人じゃなくて妖怪よ、小梅ちゃん」

 

「うん、そうだったね。それじゃあ、鬼太郎さん達のところへ連れて行ってね」

 

「ほいきた!さあさあ、二人とも、おいの背中に乗った乗った!」

 

「うん。プロデューサーさん、早く行こう………………プロデューサーさん?」

 

 その後、一反もめんの登場に驚愕し、硬直して動けなくなったプロデューサーを何とか正気に戻した小梅は、一反もめんに乗って何とか鬼太郎達がいる講堂を目指して飛ぶことに成功したのだった。ちなみに、移動中のプロデューサーは放心状態だったが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あとは、プロデューサーさん次第だね……」

 

「まゆちゃんのこと、何とか説得してもらえれば良いんだけど……」

 

 講堂のステージの上で向かい合う、蛇帯とプロデューサーを、不安そうに見つめる小梅と美穂。人間の、特に女性の嫉妬や憎しみが妖怪化したものは、恐ろしい力を発揮すると目玉おやじは言っていた。プロデューサーを呼んだのは、鬼太郎が苦戦するこの状況を予想したからこそである。そして幸い、プロデューサーの姿を見た蛇帯は、鬼太郎を締め付ける動きを止めてくれた。このまま話し合いを通して、まゆが蛇帯という妖怪から人間へと戻ってくれれば幸いなのだが、果たして上手くいくかどうか……

 

「今は彼に任せるしかあるまい。蛇帯に宿った心の闇を取り除けるか否かは、彼の説得にかかっておるのじゃ」

 

「いざとなったら、おいが助けに行けば良か」

 

 美穂の手の上に乗った目玉おやじと、小梅の傍でひらひらと浮遊する一反もめんがそう言った。四者が固唾を呑んで見守る中、蛇帯とプロデューサーの対話は始まった――――――

 

 

 

 

 

『プロデューサー……さん?』

 

 人語を話す大蛇という、この世の条理を外れた存在を前に、ビクリと体を震わせるプロデューサーだったが、ゆっくりと歩み寄っていった。

 

「まゆ……お前、なんだな……?」

 

『プロデューサー、さん……』

 

 鎌首をもたげた蛇帯は、自身のもとへ近づいてくるプロデューサーのことを、じっと見つめていた。蛇であるが故に、その表情に変化は無い。しかし、頭の中に響くその声からは、愛する人に会えたことによる嬉しさとともに、寂しさからくる悲しみが感じ取れた。

 

『プロデューサーさんが、いる……プロデューサーさんが、私の、目の前に……』

 

「まゆ、俺が分かるんだな……」

 

 妖怪化したことで、まゆの自我は嫉妬心と憎しみに由来する残虐性を残して消えてしまっていたようだが、プロデューサーの存在だけは、かろうじて認識できたようだった。しかし、まともな会話ができるかは疑問であり、この状態をいつまで保てるかも分からない。

 しかし、だからこそ……まゆがまゆである内に、伝えなければならない。まゆが事故に遭ったあの日、何を隠していたのかを。譬えそれが原因で、まゆの心を深く傷付け、自身に危害が及ぶことになったとしても――――――

 

「まゆ、聞いてくれ。お前が事故に遭ったあの日、俺は加蓮に相談しようとしていたんだ。お前に、あることを伝えるために……」

 

 まるで、自身の罪を懺悔するかのように話し始めたプロデューサーを前に、蛇帯は鎌首をもたげてプロデューサーを見たまま動かない。プロデューサーの話をじっと聞いているようであり、少なくとも今すぐに襲い掛かる様子は無い。今のところは、だが……

 そして、プロデューサーは十秒ほどの間を置き、意を決して自身の秘密を明かした。

 

「まゆ……実は俺、結婚することにしたんだ!

 

『!!』

 

 プロデューサーが発した『結婚』という言葉。その場にいた者達は、アイドル、妖怪を問わず驚愕に目を見開いた。まゆに知られることを忌避して隠し続けてきた秘密というだけに、相当重大なことだということは予想していたが、これは予想外だった。

 だが、美穂と小梅の二人は、驚愕はしたものの、その後すぐに納得した。アイドルの中でも、プロデューサーに対する愛情が一際重いまゆである。プロデューサーに対して、年上の恋人か……或いは夫のように接する姿を見ていれば、慎重な対応を心掛けるのは当然のことと言えた。

 そして、愛する人の結婚宣言によってビクリと震えた蛇帯を前に、プロデューサーはさらに言葉を重ねていく。

 

「相手は、346プロの歌手部門に所属しているシンガーソングライターで……俺の幼馴染だったんだ。俺より先に地方から出てきていて、入社したての頃には色々世話になったんだ。時々、アイドルに対する接し方とかのアドバイスももらって……いつしか俺の中では、彼女はかけがえのない……大切な存在になっていたんだ」

 

 文面だけ読めば、惚気話としか思えないかもしれないが、実際に話しているプロデューサーの表情は罪悪感故の陰りがあることが、が傍から見ても明らかだった。

 

「プロポーズをしてからは、お前達にも事情を話そうと思っていた。けれど、このことを知れば、まゆは酷くショックを受けると思ったんだ。だから、できるだけまゆを傷付けない方法が無いか、加蓮に相談しようとしていたんだ」

 

 プロデューサーも大人の男性である。まゆが自身に対して、どのような感情を抱いていたのかは、理解していた。故に、まゆの精神へのダメージを最小限に止めるための方策を水面下で探し、加蓮に相談する等していた。しかし、隠し事というのは、相手が親しい間柄である程に隠し通すのは難しい。今回の件がそうであったように、加蓮への相談が綻びとなり、まゆに不安と猜疑心を抱かせた結果……彼女は事故に遭って入院したのだ。さらには、積もり積もった嫉妬心と憎しみを爆発させ、妖怪にしてしまった。プロデューサーの罪悪感は、言葉では言い表せない程のものだろう。

 

「けど……その結果がこれだ。担当アイドルと正面から向き合うことを避け続けて、不安にさせて、仲間達を傷付けさせて……最低だ。俺はプロデューサー失格だよ……!」

 

 プロデューサーは、体と声を震わせながら、吐き捨てるようにそう言った。その目には涙が浮かんでいた。

 

「まゆ……本当にすまなかった。今更、許してくれなんて言う資格が俺にあるとは思えない。だが、これ以上仲間達を傷付けるのはやめてくれ。この通りだ……!」

 

 涙声で、絞り出すように頼み込んだプロデューサーは、床に膝と両手を付けてひれ伏し、頭を下げて必死に懇願していた。そんなプロデューサーを、蛇帯はただじっと見つめていた。

土下座するプロデューサーと、それに向かい合う蛇帯。張りつめた緊張故に両者の異様に長く感じる――それでいて十数秒程度しか経っていなかった――時間は、唐突に終わりを告げた。

 

『うぅ……』

 

「まゆ……?」

 

 蛇帯から、まゆのくぐもった声が聞こえてきた。今まで以上のノイズが混じったその声は、声をおさえて無くような……嗚咽だった。そして、異変は声だけには止まらない。蛇帯の鎌首や、とぐろを巻いて鬼太郎を締め上げている胴体といった、体全体が嗚咽に伴い震え始めたのだ。

 

『うぅうう……うう……うぁぁああああぁぁああ!!

 

 そして、呻き声から始まった、悲鳴染みた壮絶な慟哭。ステージの上に響き渡るそれは、空気を震わせ、床を震わせ、ステージ全体を震わせた。

 

「ぐっ……なんて、声……!」

 

「耳が……!」

 

 阿鼻叫喚とも呼べる悲愴に満ちた叫び声は凄まじく、舞台袖に立っていた美穂と小梅、目玉おやじと一反もめんはすぐさま耳を塞いだ。しかし、それでも音を完全に遮断することはかなわず、立っているのもやっとな程の眩暈を覚えていた。

 そんな中、音源である蛇帯のすぐ傍で土下座するプロデューサーは、耳の痛みに只管に耐え続けていた。これは、まゆの魂の叫びであり、その気持ちを裏切られた痛みそのものなのだ。まゆの担当プロデューサーとして、この叫びに対して耳を塞ぐことなどできないと……心からそう思っていた。

 

『あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛……!!許、せない゛!!許ぜ、ない゛!!う゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!』

 

 プロデューサーが打ち明けた秘密が余程に衝撃的であり、精神的に大きなダメージだったのだろう。蛇帯は既に正気を失い、僅かに残っていたまゆとしての自我は完全に消し飛んだ様子だった。許せないと喚き散らしながら、長大な体を撓らせてのたうち回り、ステージの上でただ只管に暴れ回っていた。

 

「がはっ……!」

 

「プロデューサーさん!」

 

 そんな中、プロデューサーも蛇帯の暴走に巻き込まれ、長い尾に腹部を撃たれて舞台袖まで吹き飛ばされてしまった。だが、蛇帯は狙ってプロデューサーを攻撃したわけではないらしい。負傷して美穂と小梅に介抱されているプロデューサーに追撃を仕掛けることなく、ステージ上でただ只管に暴れているのみだった。

 

『あ゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!』

 

「まゆちゃん……」

 

 そんな蛇帯の様子を、美穂や小梅、そしてプロデューサーは悲しげな表情で見つめていた。たかが失恋程度で、と誰もが思うかもしれない。しかし、アイドル・佐久間まゆにとってのプロデューサーは、唯一無二の存在だったのだ。

 以前、美穂はまゆから聞いたことがあった。読者モデルからアイドルへと転向して間もない頃のまゆは、慣れないことやそれ故の失敗ばかりで、この先本当にやっていけるのかと強い不安を抱いていたという。そんな困難を乗り越えてここまでやってくることができたのは、全てはプロデューサーのお陰だった。レッスンが辛かった時や、イベントで失敗して落ち込んだ時、プロデューサーはいつだってまゆの傍に寄り添っていてくれた。時に優しく、時に厳しく接してくれるプロデューサーは、まゆにとってはかけがえのない心の支えになっていた。

 そんなプロデューサーだからこそ、まゆは初めて心から愛していた。そして、それと同時に、その愛情が失われることを、何よりも恐れていた。そんな重すぎる愛故に妖怪化して、仲間達を傷付け、自身も傷付き……受け入れ難い現実の前に、狂気に駆られるしかできなかったのだ。

 

「鬼太郎さん……まゆちゃんを、助けてくださいっ!」

 

 狂気に惑わされ、暴走する蛇帯の――まゆの姿を、美穂はそれ以上見てはいられなかった。それは、隣にいる小梅も同様である。そんな美穂の願いに応じ、鬼太郎が立ち上がった。

蛇帯が暴れ出したのと同時に拘束を抜け出していた鬼太郎は、ステージの上で悲痛に暴れ狂う蛇帯に向けて、指を構えた。そして――

 

「指鉄砲!!」

 

 鬼太郎が構えた右手の人差し指の先から、青白い閃光が迸った。まるで流星のようにステージの上を突き抜けた光弾は、蛇帯目掛けて飛来し、その硬い鱗に覆われた頭部を撃ち抜いた。

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ……!!』

 

 断末魔の叫びとともに、蛇帯の体はどす黒い妖気となって霧散した。後に残されたのは、蛇帯をはじめとした妖怪の核を為す人魂――まゆの魂と、蛇帯の器となっていた、赤いリボンのみだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼太郎が蛇帯を倒し、まゆの魂を解放してから三日後。妖怪によって引き起こされた、アイドルの連続昏睡事件に終止符を打つことに成功した鬼太郎は、目玉おやじを伴い、事件に深く関わった美穂と小梅に会っていた。

 

「それでその後、襲われた皆や、蛇帯となったまゆちゃんという子は目覚めたのじゃな?」

 

「はい。鬼太郎さんのお陰で、皆元気になりました。本当に、ありがとうございます」

 

「ありがとうございます……」

 

 今回の事件を解決に導いてくれた鬼太郎に対し、美穂は感謝の言葉と共に答えた。隣にいた小梅も、美穂に倣って頭を下げた。

 蛇帯の妖毒によって昏睡状態に陥っていた、智絵里、李衣菜、加蓮の三人は、蛇帯が倒されたその日に病院にて無事に目を覚ました。その後、三人は病院にて精密検査を受け、無事に退院し、アイドル活動に復帰している。ちなみに、加蓮は目覚めたその日に無理を押して病院を退院し、予定されていたライブに参加した。しかしその後、事務所と病院の両方から厳しく叱責されることとなり、改めて検査入院をさせられる羽目になったという。そんな加蓮に、美穂と小梅、そして一緒にステージに上がった凛と奈緒も心から同情していた。

 今回の騒動を引き起こした根源であり、被害者としての一面も持っているまゆもまた、蛇帯が倒されたその日に目覚めた。その翌日、事件の真相を知る美穂と小梅、そしてプロデューサーが彼女のもとを訪ねていくつかの質問をしたが、まゆは事故で意識不明になって以降の記憶を……妖怪・蛇帯となって仲間達を襲っていた時のことを、全く覚えていなかった。この事実に、まゆに質問をした三人は内心で安堵した。自分が妖怪になってアイドルを襲っていたと知れば、まゆはショックを受けるだろうし、巻き込まれたアイドル達との関係もギクシャクした状態になることは間違いなかったからだ。しかし……一つだけ、有耶無耶にできないこともあった。

 

「それで……プロデューサーの婚約の話は、したのか?」

 

「はい……」

 

 一連の事件の後始末の中で、最も問題であったであろう事柄について触れた鬼太郎の問いに、美穂は暗い顔をしながら頷いた。

 プロデューサーの婚約については、まゆが目覚めたその日にプロデューサー自身の口から説明された。まゆにありのままを伝えることには難色を示していたプロデューサーだったが、今回の一件で腹を括ったらしい。また、まゆが事故に遭ったその日、相談相手となった加蓮もまた、「どのように言い繕っても、まゆが受けるショックは微塵も軽減できない。ならば、互いにダメージを負うことを覚悟の上で、最初から包み隠さずに話すしかない」とアドバイスしていたこともプロデューサーの決断を後押ししていた。

ともあれ、プロデューサーの婚約については、遂にまゆも知ることとなったのだが……

 

「まゆちゃん、プロデューサーさんの話を聞いても、全然取り乱した様子が無かったんです」

 

「……プロデューサーのことが大好きだったっていうのに?」

 

 美穂が説明した、当時のまゆの様子について、不審に思う鬼太郎。妖怪になる程に愛していた相手が、自分以外の女性と結婚するのだから、冷静ではいられない筈である。それこそ、先日の蛇帯の時のように、発狂してもおかしくない。

 

「まゆちゃん、プロデューサーさんの話を聞いている間もずっと、穏やかな表情で相槌を打つばかりで、「おめでとうございます」なんて言っていたぐらいなんです。一体どうしたんだろうって、本当に驚きましたよ」

 

「しかも、無理をしている様子とか、全然無かったしね……」

 

 不気味なほど大人しく話を聞いていたと、当時の状況を話す美穂と小梅に、鬼太郎はますますわけが分からなくなった。一方、頭上の目玉おやじは腕組みしながらまゆの現状について一つの推測を立てていた。

 

「もしや、まゆちゃんは蛇帯になっておった時のことを、完全には忘れておらんのかもしれんのう……」

 

「それって……まゆちゃんが、嘘を吐いているってことですか?」

 

「そうではない。妖怪化した時に、仲間のアイドルの子達を襲っておったということは、恐らく本当に覚えておらんのじゃろう。じゃが、プロデューサーが結婚することとなったということを聞かされた時の衝撃は、相当なものだった以上、記憶に強く刻みつけられたとしてもおかしくない。ならば、その時のプロデューサーの話だけは、断片的に覚えているという可能性もあるということじゃ」

 

「確かに……それなら全部、説明がつくかも」

 

 プロデューサーが自分以外の女性と結婚するという事実を――正確には、それを知ったことによる絶望を――予め知っていたのならば、まゆが取り乱さなかったことも少しは納得できる。しかしそれでも、まゆが終始穏やかだったというのは、不自然に思える。

 

「妖怪化したせいで、その子の精神に何か異常が起きているのでしょうか?」

 

「そんな……!まゆちゃん、大丈夫なんでしょうか?」

 

「まあ、落ち着きなさい、美穂ちゃん。それも、本人に直接会って聞いてみなければ分からん」

 

「そうですね、父さん。僕らは、そのためにその子に会いに行くわけですしね」

 

 今、鬼太郎達が目指している場所は、まゆが入院している病院である。他のアイドルと違い、事故による打撲で意識不明となって入院した彼女は、体こそ回復したが、脳に以上が無いかを確認するために、もう一週間程ほど入院することとなっていた。鬼太郎と目玉おやじは、まゆが完全に人間に戻っており、妖怪化する危険が無いかを確認するために、美穂と小梅の案内のもと、病院を目指しているのだった。

 そして、歩き続けることしばらく。鬼太郎達は、目的地であるまゆが入院している病院へと辿り着いた。

 

「美穂、まゆという子の病室に案内してくれ」

 

「あ、はい。それじゃあまずは、受付の方へ……」

 

「鬼太郎さん!あれ!!」

 

 病院の敷地内への入口に差し掛かり、美穂に案内を頼んだその時。小梅が、大声で鬼太郎の名前を呼んだ。普段、大声を上げることなど滅多に無い筈の小梅の様子に何事かと思った鬼太郎達だったが、小梅の視線の先――病院の屋上――へと視線を映した途端、小梅と同様に驚愕に目を剥くこととなった。

 

「あれは……!」

 

「まさか……まゆちゃん!?」

 

 鬼太郎達が見つめる先の、十階建ての病院の屋上に、一人の少女――まゆの姿が見えた。普段の服装と異なり、病院服を纏っているが、同じアイドルである美穂と小梅が見間違う筈が無かった。そして、今一番問題なのは、まゆの立っているその場所がフェンスの外側(・・・・・・・)だということだった。

 

「まゆちゃん、まさか……!」

 

「飛び降りるつもりか!」

 

 遠くて表情はよく分からないが、フェンスの外側に立つまゆの目は虚空を見つめており、自殺する人間のそれと同じであり、飛び降りるつもりなのは明らかだった。

 

(まさか、プロデューサーの話を聞かされても、あんなに冷静だったのって……!)

 

(最初から、こうするつもりだったんだ……!)

 

 まゆにとっては悲報とも呼べるプロデューサーの結婚話。にも拘わらず、まゆはそれを聞いても、どこまでも穏やかだった。そんな彼女に、どこか危うさを感じていた美穂と小梅だったが、まさか自殺に走るとは思わなかった。

 同じプロダクションに所属するアイドルであり、友人でありながら、そんなまゆの危険な兆候を見過ごしてしまったことに、忸怩たる思いを抱く美穂と小梅だが、後悔している暇は無い。まゆは今すぐにでも、病院から飛び降りようとしているのだから。

 

 

「鬼太郎さん!まゆちゃんを、助けて――」

 

 この場で唯一、まゆを救うことができそうな鬼太郎に対し、助けを求める美穂。だが、その時だった。

 

「まゆちゃんっ……!」

 

「……っ!!」

 

 屋上のフェンスの外側に立っていたまゆが、遂に身を投げ出したのだ。その衝撃の瞬間を目にした美穂と小梅は、反射的に口に手を当て、ショックのあまり硬直して動けなくなってしまった。

 動けたのはただ一人――鬼太郎だけだった。

 

(霊毛ちゃんちゃんこを……間に合え!)

 

 即座に霊毛ちゃんちゃんこを脱いだ鬼太郎は、まゆの落下場所目掛けてそれを投げつけようとする。伸縮自在の霊毛ちゃんちゃんこの性質を利用して、トランポリンのように変化させて、落下場所に滑り込ませようとしているのだ。だが、まゆが落下する場所と鬼太郎の立っている場所とでは、かなりの距離がある。霊毛ちゃんちゃんこを間に合わせるのは、非常に難しいが、他に方法は無い。

 そして、鬼太郎が一か八かの賭けに出ようとした、その時。

 

「!」

 

 妖怪アンテナが、妖気を捉えて逆立った。非常に強力な妖気で、しかも出所となった場所はかなり近い。まさか、この非常事態に新手の妖怪が現れたのか。だが、今は妖怪の相手をしている場合ではない。まゆを救助するべく、霊毛ちゃんちゃんこを全速力で飛ばした。

 今まさに、地面に向かって落下しているまゆ。その真下へと、猛スピードで迫るちゃんちゃんこ。果たして、間に合うのかと……数秒にも満たない僅かな時間が、何時間にも感じられる緊張感が漂う空間の中、皆が固唾を呑んで見守っていた。そして、その行く末は――――――

 

「なっ……!?」

 

「まゆちゃんが……!」

 

「消えた……!?」

 

 思わぬ闖入者の登場によって、全く予想外の結末を迎えた。

 それを齎したのは、突如として病院の建物の表面を滑るように飛び出した、黒い影。それは、凄まじいスピードで地面に向けて落下中だったまゆのもとへ迫り……影がまゆに接触するのと同時に、その姿はかき消え、弧を描くように視界から消えた。まゆが落下しようとしていた地面には彼女の姿が無く、先程投げつけたちゃんちゃんこがトランポリンのように広がっているのみだった。

 

「鬼太郎、一先ずはあそこに行ってみるのじゃ!」

 

「は、はい!父さん!」

 

 予想外の事態に翻弄される鬼太郎達だったが、目玉おやじに促され、影が弧を描いて消えた場所へと向かい、何が起こったのかを確かめてみることにした三人。そして、現場へと駆け付けた一同を待っていたのは……赤いワイシャツに黒のズボンというラフな格好をした、若い長身の男だった。そして鬼太郎達は、この男に見覚えがあった。

 

「鬼童丸!?」

 

「ん?……おお、鬼太郎か」

 

 予想外の人物……否、妖怪がいたことに、再度驚きの声を上げる鬼太郎。この一見ヤクザの若頭のようにも見える柄の悪そうな人相と恰好の男は、以前鬼太郎が敵対した大妖怪、酒吞童子の息子、鬼童丸だった。

何故こんな場所で出会うこととなったのか、混乱する鬼太郎の代わりに、目玉おやじが尋ねた。

 

「どうしてお主がこんな場所におるのじゃ?」

 

「ウチの会社がスポンサーをやっている346プロのアイドルが、妖怪に襲われて眠っているって噂を聞いてな。親父と茨木姐さんに頼まれて、様子を見に来たんだよ」

 

 鬼童丸の説明に、事の次第を納得した鬼太郎と目玉おやじ。彼の父親である酒吞童子は、自分達の日本征服計画を酒飲み対決によって阻止した酒豪アイドル達に非常に入れ込んでいる。そのため、スポンサー契約を結んでいる346プロを助けるのと同時に、騒動を解決してアイドル達の点数稼ぎをしようとしていたのかもしれない。

 

「でもって、病院に来てみたら、妖怪になったって噂のアイドルがいきなり屋上から飛び降りてきやがったから、とりあえず助けてやったわけだ」

 

 そう言って鬼童丸が指差した先には、地面にへたり込んでいるまゆの姿があった。どうやら、先程の妖気は鬼童丸のものであり、そのずば抜けた運動能力をもって、飛び降り自殺を敢行したまゆを助けてくれたらしい。

 

「まゆちゃん!」

 

 まゆの無事な姿を確認し、駆け寄っていく美穂と小梅。一時はどうなることかと思ったが、どうやら最悪の事態だけは避けることができたらしい。

しかし……

 

「どうして……」

 

「え?」

 

「どうして、死なせてくれなかったんですか!?」

 

 涙を流しながら、死ねなかったことを嘆くまゆ。鬼童丸がどうやって助けたか云々よりも、まゆにとっては自殺することができなかったことの方が問題だったらしい。そんな彼女の言動に、美穂と小梅は衝撃を受けた様子だった。

 

「私には、プロデューサーさんしかいなかったのに……プロデューサーさんさえいれば、他に何にも……譬えアイドルでいられなくなっても良かったのに!!こんな世界で生きていくことに、意味なんて無いんですよっ!!」

 

 プロデューサーが自分ではない他の女性と結婚する……自分のもとからいなくなってしまうという事実が、まゆには耐えられないものだった。アイドルを続けていくことも、生きていくことすらも儘ならない程に。そして、そんな世界で生きていくことが苦痛だったまゆには、他に取れる選択肢が無かったのだ。

 事情を知らない人間から見れば、まゆの考えは非常に極端であり、異常に思えるかもしれない。しかし、蛇帯という妖怪と化し、その慟哭を聞いていた美穂と小梅は、まゆがどれ程までに本気でプロデューサーを愛していたのかを知っており……かける言葉が見つからなかった。このままでは、まゆはまた何度でも自殺を図ることだろう。どうすれば、彼女の心を本当の意味で救うことができるのかと……美穂と小梅は必至に考えるも、何の妙案も浮かばなかった。

だが、そこへ……

 

「うだうだうだうだと……馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」

 

 鬼童丸が割って入った。さらに無遠慮に、まゆの嘆きを「馬鹿なこと」と切って捨てた。

 

「ちょっ……鬼童丸さん!」

 

 鬼童丸の勤め先である鬼ヶ島酒造が346プロの大手スポンサーであるとはいえ、今回の件において鬼童丸は部外者であることに違いない。安易に踏み込まないで欲しいと咎める美穂だったが、鬼童丸はお構いなしに続けた。

 

「要するに、痴情のもつれって奴でこんな馬鹿な真似をしたんだろう?そんなにプロデューサーとやらが好きなら、自分の物にできるまで、どこまででも追い掛けりゃあ良かったじゃねえか。他の女と結婚するってんなら、強引にでも寝取って既成事実を作るなりなんなり手はあっただろうに」

 

「無茶苦茶だと思う……」

 

 人間の道徳や倫理とはかけ離れた、鬼童丸の鬼としての理論に対し、小梅が突っ込みを入れた。そしてこれには、美穂のみならず、鬼太郎と目玉おやじも同意していた。そもそも、鬼童丸の言うようなことをすれば、それこそさらなる痴情のもつれが起こったことは間違いない。だが、鬼童丸はやはり構わず続ける。

 

「それをやらなかったって事は、本当は分かってんじゃねえか?自分が、そいつのことを本当に幸せにできねえってことをな」

 

「!!」

 

 鬼童丸の言葉に、まゆは図星を突かれたかのようにビクリと体を震わせた。そんなまゆに対し、鬼童丸は冷ややかな視線を浴びせつつ、さらに追い詰めるように言葉を重ねていく。

 

「大好きで大好きで仕方が無い相手だが、ライバルが現れた途端に腰が引けたってところか。自分以上に相手を幸せにできるかもしれない存在を前に、相手のことを全部知っていたという自信が消えて、自分の愛情が一方通行だったということに気付いた。終いには自殺という逃げ手に走るとは……お笑い種だな」

 

「……」

 

 言いたい放題の鬼童丸だが、当のまゆ本人は本心を突いた指摘故なのか、全く反論することはできなかった。

 

「そんな言い方、しなくてもいいじゃないですか!まゆちゃんは、優しいから……だから、プロデューサーさんを責めることも、告白することもできなかったんです!」

 

 鬼童丸の言い様に、美穂が普段の彼女からは考えられないような憤りを露に、声を荒げて意義を唱えた。常の穏やかな彼女を知る者が見れば、驚愕のあまり気絶してしまったかもしれない程の怒り心頭な態度に対し……しかし、鬼童丸はフンと鼻で嗤って答えた。

 

「俺達鬼から言わせれば、“優しさ”なんてモンは、美徳でも何でもねえ。優しいから何もできなかったなんてのは、ただの逃げ口上だろうが」

 

「なっ……!」

 

 美穂の怒りを前にしても、鬼童丸の実にくだらないという態度は微塵も揺るがない。そんな鬼童丸の放った言葉に、美穂をはじめとした面々は唖然となった。

 

「お前等、世の中の仕組みって奴がよく分かってねえようだから、教えてやる。自分が幸せになるってことは、他の誰かを不幸にすることなんだよ。これは人間だろうが妖怪だろうが同じだ。希望と絶望は差し引きゼロ、誰かが得をすれば、誰かが損をする。それが世の中ってモンだ」

 

「……」

 

 先程まで怒り心頭だった美穂だったが、鬼童丸の核心に迫る話を前に、何も言えなくなってしまった。千年の時を生きた妖怪の発する言葉の中に、計り知れない重みを感じたということもあるが……最たる理由は、美穂や小梅といったアイドルには、鬼童丸の話に思い当たる節があったことが挙げられる。そして鬼童丸は、そんなアイドル達の心中もお見通しだった。

 

「お前等アイドルが最たる例だ。オーディションで受かったお前等が、アイドルとしての成功を謳歌している一方で、落ちた連中は地獄を見て……夢を諦めている奴もいる。お前達の今は、そういった連中の不幸の上に成り立っているんだよ」

 

 その言葉に、美穂達アイドルは何も言えなくなった。アイドル活動は、常に仕事の取り合いである。346プロのアイドルに選ばれるためのオーディションに始まり、イベント、グラビア、CM、テレビ番組の出演等々……活躍の場を多く得られたアイドルだけが、世間の注目を浴びてブレイクすることができる。逆に仕事が得られなかったアイドルは、日陰者に落ちぶれる一方であり……誰にも気づかれないまま、引退するということもざらにある。

 346プロのアイドルとして、比較的成功を収めている部類に入る美穂、小梅、まゆといった面々は、そのような意味では他社の多大な不幸を積み上げた上で今を勝ち取ったと言えなくもなかった。

 

「誰も彼もが幸せなんて都合の良い話なんざありゃしねえんだよ。“優しさ”なんてのは、弱者が望みを叶えられない言い訳にしか過ぎない。でなけりゃあ、望みを叶えた強者の驕りだ。

分かったか?物欲だろうが色欲だろうが、欲望を叶えるのには、何一つとして楽なことなんて無えんだよ。本当に叶えたいことがあるんなら、手段を選ぶな。綺麗事を持ち込むな。他人を踏み躙る……それこそ、“鬼”になる覚悟って奴が必要なんだよ」

 

 文字通り、俺のようにな、と最後に茶化した鬼童丸だが、その――こちらも文字通り――鬼気迫るものを感じさせる口調と表情で放たれた言葉には、一切否定することができない、非常に強い説得力を感じさせるものがあった。そんな、これ以上無い程に厳しい言葉を投げ掛けられたまゆは、そこで初めて顔を上げ、鬼童丸を見上げて口を開いた。

 

「そんな……他の人を不幸にするような、酷い女の人になって……好きになった人は、振り向いてくれるんでしょうか?」

 

「それはお前次第だ。だが、完全に相手を落とせたのなら、そんなものは問題にすらならん。内にある醜さすらも魅力に感じて、離れられなくしちまう……それが、“酷い女”って奴だ。

まあ……俺はどちらかと言えば、そういう女の方が好みだがな」

 

 そこまで言うと、鬼童丸はフッと笑った。その顔には、欲望を愛し、欲望のために生きる、鬼らしい凶悪な――それでいて人を惹き付ける魅力のある――“酷い男”の笑みが浮かんでいた。

 

「それじゃあ、俺はもう帰るぜ。妖怪騒動は、鬼太郎が先に解決しちまったみたいだしな」

 

 そして、鬼童丸はその場にいた者達に背を向け、踵を返して立ち去っていった。その背中を、地面にへたり込んでいたまゆは、一人呆然と眺めていた――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まゆの自殺未遂を鬼童丸の助力を得て阻止し、蛇帯によるアイドル襲撃事件が完全に終結したことが確認できたその日から二週間後。

問題の人物であるまゆは、アイドルとして復帰していた。テレビや雑誌で見る彼女の笑顔からは、事故による後遺症も、失恋による心の傷も感じさせない、今までと同じ……否、それ以上の魅力に溢れたものとなっていた。

 ちなみに、初恋の人であるプロデューサーとまゆの関係は、彼が結婚した今も続いていた。但し、今までのように、まゆがプロデューサーという男性を恋愛対象として見るようなことはなく……“アイドルとプロデューサー”という、本来あるべき姿に戻った形となっていた。ちなみに、プロデューサーの結婚式にはまゆも出席し、二人のこれからを祝福するスピーチすらしていた。

 まゆがプロデューサーに懸想していたことを知る、美穂や小梅をはじめとした同僚のアイドル達やプロデューサー本人は、そんなまゆの急激な変化に戸惑いを隠せなかった。失恋したというのに、何故これ程までに立ち直りが早いのか、と。

 誰もが疑問に思ったまゆの変化。その理由を知る者は……

 

 

 

 ゲゲゲの森に、一人いた。

 

 

 

「………………」

 

 ゲゲゲの森にある家の中で、鬼太郎は今朝、妖怪ポストに届けられた、ある知り合いの妖怪が寄越した手紙を読んで固まっていた。その内容とは……

 

 

 

ゲゲゲの鬼太郎へ

 

先日の一件では、俺の会社がスポンサーをしている346プロのアイドルを助けてくれたようで、感謝している。

ところで、病院で騒動の原因になっていた、まゆというアイドルと話をした後のことなんだが……非常に厄介なことになっている。

 

つい先日、仕事の関係で346プロの事務所に行ったのだが、その際に入口で彼女に呼び止められて、LAINの友達登録をして欲しいと頼まれた。

親父の命令で、高垣楓をはじめとした、嫁候補アイドル達の情報を集める必要のあった俺は、これを承諾したのだが……その日以降、彼女から引切り無しに連絡が来るようになった。

 

その中には、鬼の俺ですら手紙に書くのも遠慮したくなるような、(性的な意味で)非常にきわどい表現の文書やスタンプ、自撮り写真もあった。

千年以上生きて、それなりに経験があるから分かるんだが……どうやら、あの病院での一件以来、俺は相当に入れ込まれているらしい。

親父が酒飲み対決で負けたことで、犯罪行為をはじめとした世間を騒がせる行為の一切を禁止されている以上、俺が性的な意味で手を出すのは拙い。

 

アイドル達にコネのあるお前の力で、何とかして引き離してはもらえないだろうか?

報酬は言い値で払うから、本当に頼む。

 

鬼童丸より

 

 

 

「酒吞童子も大概じゃったが、鬼童丸も難儀しとるのう……」

 

 愛が重すぎることに定評のあるまゆに惚れられ、現在進行形で苦労している鬼童丸に同情する目玉おやじ。一方で、人間でありながら、妖怪の中でも最強クラスの鬼である鬼童丸をたじろがせているまゆに対し、ある種の感嘆を覚えていた。

 酒吞童子に続いて、その息子である鬼童丸が寄越した、アイドル関連の相談事の手紙。それに対し、鬼太郎は……

 

「お昼寝しましょうか、父さん」

 

「そうじゃな」

 

 便箋を折りたたむと、そんなものは読んでいなかった風を装い、目玉おやじとともに昼寝を決め込むことにするのだった。

 ゲゲゲの森は、今日も平穏だった――――――

 




次回の更新の際には、『白菊ほたる編』を投稿する予定です。
しかしながら、仕事が5月の連休明け以降に多忙となる見込みですので、いつ更新できるかは未定です。
今後もゲゲマスをよろしくお願いします。


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白菊ほたる編
命取り立てます!薄幸アイドル、夢の代償…… ①


皆様、お久しぶりです。
数年前に投稿すると言っておきながら、長期休載状態になっていました、白菊ほたる編を投稿したいと思います。


 

「フムフム……成程、ここか」

 

都心から少し外れた場所にある、とある神社。住宅地から少しばかり離れているに加え、今は深夜の時間帯であったために、辺りは暗闇に包まれ、人の姿は全く無かった。しかしそんな場所を、一人の男が訪れていた。

青いぼろ布に身を包み、ひょろ長い顔にはネズミのような髭が生えているこの男は、人間ではない。妖怪と人間のハーフ、“ねずみ男”である。

ゲゲゲの鬼太郎の悪友として知られるこの男は、その一方で金に対して非常にがめつい性格をしており、それがもとで大きな騒動に発展することも多々あった。そして妖怪絡みの問題を起こすこともあり、そのたびに鬼太郎は手を焼いているのである。

そんなねずみ男がこのような人気の無い時間帯に訪れているのは、今まさに彼の生き甲斐である金儲けを目的としてのことだった。

 

「お、あったあった!」

 

神社の境内に足を踏み入れたねずみ男は、辺りを見回し、目的の物を見つけた。その視線の先には、古ぼけた祠があった。目的の祠へとやや早足で近づくと、観音開きの戸を開いて、手を突っ込む。

 

「ったく、こんなめでたい妖怪を封印しちまうなんて、神様もどうかしてるぜ」

 

祠の中を探っていたねずみ男は、そこから御神体として祀られていたある物を取り出した。それは、メダルのような円形の銅板だった。まるで10円玉を数倍に大きくしたかのような物で、その上にはお札が貼られていた。

 

「今、解放してやるからな。俺の金儲けに、たっぷりと協力してもらうぜ」

 

にんまりと笑みを浮かべるねずみ男の目は、金欲に満ちていた。そんなねずみ男に同調するかのように、祠から取り出された銅板が仄かに発光し始める。

 

「さあ、行くぜぇ……!」

 

その宣言と同時に、札は剥がされた――――――

 

 

 

 

 

 

 

芸能プロダクション『346プロ』の本社ビルにある事務所の一つ。その中で、一人の少女が頭を抱えていた。

 

「どうしよう……」

 

思いつめるあまり、誰に話すでもなく悩みを口に出してしまっているこの少女は、346プロのアイドル部門に所属するアイドル、白菊ほたるである。

346プロに所属する以前からアイドルを志していたが、所属していた芸能プロダクションが倒産してしまい、拾われる形で346プロへとやってきた経緯を持つアイドルである。そして、346プロ所属後はトップアイドルになることを夢見て、同じ事務所のアイドルとともに邁進し、努力を続けた結果……遂に先日、ユニットデビューが決定したのだ。

そんな長きにわたる努力が報われ、これからという筈のほたるが頭を抱える理由。それは、テーブルの上に置かれたほたるの携帯に表示された、メールの内容にあった。

 

「まさか、お父さんとお母さんがこんなことになっているなんて……!」

 

メールの送り主は、ほたるの実家である鳥取にいる父と母だった。画面には、実家にいる両親の置かれた危機的状況が綴られていた。

それは、数日前のこと。ほたるの両親の古くからの友人が、事業に失敗して夜逃げしたことに端を発する。ほたるの両親は、その友人を心から信頼を置けると判断していた相手であることから、事業に必要な資金を調達するにあたり、連帯保証人となっていた。そして、借金をした当人の夜逃げにより、ほたるの両親は取り立てを受ける羽目になったのだ。

しかも、借金をした相手は悪名高い闇金融業者であり、ほたるの両親は恐喝に等しい取り立てを、現在進行形で執拗に受けているのだった。

 

「お父さん……お母さん……」

 

目に涙を浮かべながら、両親の置かれた危険な状況に心を痛めるほたる。メールによれば、ほたるの両親が負うことになった借金は利子を含めて七千五百万円に及ぶらしい。当然、ごく普通の庶民と呼ぶレベルの家庭である白菊家には、そんな大金を用意する余裕などある筈も無く、家を売らなければならないらしい。しかも、それでもまだ多額の負債が残るという。

そのような状況になれば、東京にいるほたるに対する仕送りや学費の支払いなどできる筈もなく……ほたるは、デビュー間近のこのタイミングでアイドルをやめなければならない状況に追い込まれてしまったのだった。

 

(やっぱり……私がアイドルになろうなんて……無理な話だったんだ……!)

 

白菊ほたるは、自他ともに認める不幸体質だった。アイドルを志して以降、所属した芸能プロダクションが倒産したことは、一度や二度ではなかった。そんな並外れた不運続きの日々を送ってきたことにより、ほたるの自分自身に対する考え方は後ろ向きになりがちだった。ここ最近は、アイドルデビューが決定したことで幾分か明るくなっていただけに、一気に絶望へ落とされた衝撃は一入だった。

 

(茄子さんに、なんて話せば良いんだろう……)

 

『ミス・フォーチュン』という二人組のユニットでデビューする予定だった自身の相方である、鷹富士茄子へどう説明すれば良いのかという問題もある。茄子も今回のデビューを非常に楽しみにしていたのだが、自分がアイドルをやめることになれば、彼女のデビューも取りやめとなることだろう。自分の不幸に無関係な他人を……それも、不幸故にネガティブ思考だった自分をいつも慰めてくれた優しい姉のような存在である彼女まで巻き込んでしまう自分の不甲斐なさに、ほたるは声を上げて泣き叫びたい気分だった。

 

(茄子さん……ごめんなさい)

 

七千五百万円という巨額の借金を前に為す術の無いまま、机に突っ伏したほたるは、頭を抱えたまま、ユニットデビューする予定だった筈の友人に謝罪するのだった。

そんな中……唐突に、ほたるのポケットの中が振動した。ポケットにしまっていた携帯電話が着信を告げているのだ。着信画面を見ると、登録されていない番号だった。まさか、借金取りの闇金融業者からだろうか……そんなことを思いながら、通話をオンにした。

「もしもし……?」

 

『あ、白菊ほたるさんでしょうか?私、豪月金融より代理交渉の依頼を受けております者でして……』

 

通話に出たのは、聞き覚えの無い声の男性だった。しかし、通話の相手が口にした金融業者は、両親から知らされた金融業者のそれだった。このタイミングで電話を掛けてきたことからして、間違いないのだろう。

しかし、どうして鳥取から遠く離れた東京にいるほたるに電話をかけてきたのか。疑問に思いつつも、要件を確認することにした。

 

後にこの電話が、自身の運命を大きく揺るがす事態を招くとは、この時のほたるには気付く由もなかった……

 

 

 

 

 

 

 

「父さん、妖怪ポストに手紙です」

 

人間の世界から隔絶された、妖怪の住まう世界であるゲゲゲの森。そこに暮らす鬼太郎のもとに、手紙が届いていた。ポストから手紙を取り出した鬼太郎は、家の中で茶碗風呂ニ入っていた目玉おやじのもとへとそれを持っていく。

 

「フム……差出人は誰じゃ?」

 

「えっと……“福の神”、だそうです。しかも、“貧乏神”との連名になっています」

 

手紙の便箋を開いてまず宛名に目を通した鬼太郎は、怪訝そうな声を上げた。ゲゲゲの鬼太郎宛てに依頼が来ること自体不思議ではない。依頼は人間から寄せられることが多いが、同じ妖怪から寄せられることもままある。問題は、差出人である妖怪二人の名前である。

 

「福の神に貧乏神とな……これはまた、面倒ごとの予感がするのう」

 

「……僕には、どうしてこの二人の妖怪が連名で依頼をしようとしたのかが気になっているのですが」

 

「確かに、傍から見ればこの二人の妖怪は水と油のように思えるじゃろう。じゃが、決して犬猿の仲というわけではないのじゃ」

 

「どういうことでしょうか?」

 

福の神とは、人間に幸福を齎し、暮らしを裕福にする神。片や貧乏神とは、人間に貧困を齎し、暮らしを困窮させる神である。幸福と貧困という、真逆なものを司る神の仲が決して悪いわけではないとは、どういうことなのか。これまで幾度となく妖怪騒動の解決に動いてきた鬼太郎ですら知らない事情があるらしい。

 

「それはおいおい話すとしよう。それより、依頼の内容を読んでくれんか」

 

「分かりました」

 

今回の依頼の肝になりそうな話なのだが、一先ず手紙の内容を読むことにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

都内某所にある、古い日本家屋の豪邸。門扉の横の柱には『村上』という表札が掲げられている。周囲の住宅とは一線を画す広さと威容を放つこの大屋敷は、そこに住んでいる人間もまた、一般の人間とは一線を画している。それは、経済力や社会的地位という意味だけではない。というのも、この家の住人というのは……

 

「お待ちしておりやした!兄貴!」

 

「「「お待ちしておりやした!鬼童丸の兄貴!」」」

 

屋敷の正面玄関に横にずらっと並ぶ、黒スーツの男たち。立ったまま両手を膝に置いて挨拶をする様は、まさしく任侠映画のソレだった。

そんな反社会的な色の濃い集団に出迎えられたのは、一人の青年――に見える男だった。黒髪に服の上からでも分かる筋骨隆々とした体格の男性。だが、その体格だけではない、常人には出せない貫禄のようなものが滲み出ていた。

 

「おう。出迎えご苦労さん」

 

強面揃いの男達に対し、青年――鬼童丸は、気さくに挨拶を返す。このやりとりを見て分かるように、彼等は結構な頻度で顔を合わせている間柄だった。

 

「早速で悪いんだが、組長のところに通してくれ」

 

「へい!承知しやした!こちらへどうぞ!」

 

黒伏の男達の代表に案内され、屋敷の中へと通されていく鬼童丸。広い屋敷の中を慣れた足取りで奥へ奥へと進み、この屋敷の家主たる組長と呼ばれる人物が待っている場所へと辿り着く。

 

「組長!鬼童丸の兄貴をお連れしやした!」

 

「おう。入ってもらえ」

 

障子越しに簡単なやりとりを終え、鬼童丸は部屋の中へと通されていく。部屋の中にいたのは、屋敷の前に立っていた男達以上の威圧感を放つ初老の男性だった。鬼童丸が部屋に入ったことを確認した案内役の男は、会釈をすると障子を閉めてその場を去っていった。部屋の中には、鬼童丸と組長と呼ばれる男の二人のみとなった。

 

「久しぶりだな、“巴坊(ともぼう)”」

 

「……“巴坊”はやめてくださいよ、鬼童丸の旦那」

 

鬼童丸の気軽な挨拶に対し、“巴坊”と呼ばれた男は顔を顰める。この男こそ、この屋敷の主にして村上組を束ねる組長、“村上巴蔵(むらかみともぞう)”である。

坊主呼ばわりされている巴蔵だが、鬼童丸に対しては全く頭が上がらない様子だった。それもその筈。鬼童丸は見た目通りの年齢ではなく、数百年もの時を生きる妖怪なのだ。

巴蔵が当主を務める村上組は、江戸時代の頃から続く古参中の古参の任侠集団である。現代では、地元である広島を取り仕切れる程に強大化した組織なのだが、その勢力拡大の背景には、人間の裏社会に影響力を持ちたいと考えていた、鬼童丸や茨木童子をはじめとする鬼妖怪達のバックアップがあった。加えて、巴蔵は村上組の当主になるに当たって、子供の頃から――それこそ、坊主と呼ばれていた頃から――鬼童丸の世話になっているため、頭が上がらないのだ。

 

「それで、わざわざ俺を呼び出したってことは、急ぎの用事なんだろう?それも……“妖怪絡み”ってとこか」

 

「仰る通りです」

 

鬼童丸が先程までのからかいモードから打って変わって真剣な表情で切り出した本題に対し、巴蔵は静かに頷いた。

村上組のバックアップを請け負っている鬼童丸等の主な仕事は、勢力拡大を妨害する敵対勢力を武力によって排除することのほか、人間には解決できない事案、即ち妖怪が関わるトラブルの解決が挙げられる。

前者は余程のことが無い限りは鬼が出張ることは無いが、後者は鬼童丸等にしか解決できない。故に、組長自ら鬼童丸を呼び出して相談するような事案は限られていた。

 

「実はここ最近、闇金融業者が何やら幅を利かせているんです」

 

「闇金融業者が?」

 

「はい。それだけじゃありません。連中が取立をした相手は、多くが取立をした日から一週間そこらで妙な死に方をしておりまして……」

 

闇金融業者とは、正規の貸金業に登録せず、出資法に定められている制限を越えて金利を課して取立を行う金融業者のことである。その取立の手段もまた、暴力による恐喝や自殺偽装による保険金詐欺等々、法や人権を完全に無視したもので知られている。

巴蔵の話によれば、そんな闇金融業者がここ最近、取立を異常なペースで行っているらしい。しかも、闇金融業者の取立の常套手段である、前述の恐喝や保険金詐欺といった非合法行為を行った形跡がほとんど無いという。

 

「それが分からないから妙なんですよ。しかし、この件でサツが若干騒ぎ始めているようでして……このままじゃ、ウチの組にまでとばっちりが来るんじゃないかって話になってる次第です」

 

「捨て置けねえな……」

 

新酒を用いた日本征服作戦が頓挫した酒吞童子一味だったが、日本征服を完全に諦めたわけだはない。日本征服のためには、鬼ヶ島酒造という大企業を隠れ蓑に勢力を拡大することは勿論、裏社会における影響力もキープする必要があるのだ。故に、酒吞童子一味傘下の村上組に累が及ぶ危険因子は排除する必要がある。妖怪が絡んでいる疑惑があるのなら猶更である。

 

「ただ、調べてみて分かったことですが……何やら怪しいコンサルティング業者が暗躍しているようです」

 

そう言うと、巴蔵は一枚の名刺を鬼童丸に差し出した。鬼童丸はそれを受け取ると、そこに書かれていた業者の名前に目を通す。

 

「“ビビビファイナンシャルコンサルティング”?知らねえ名前の会社だな」

 

「一月ほど前に設立された会社だそうです。しかも、正規のそれではなく、どうやら闇の会社のようでして。とりあえず、こうして名刺だけは手に入れました」

 

「そうか……要件は分かった。とりあえず、この怪しい会社だかなんだか分からねえ連中を当たってようじゃねえか」

 

「よろしくお願いします。ああ、それと……鬼ヶ島酒造ですが、346プロと提携していると伺ったのですが……」

 

「ああ。親父がそこのアイドルに心底惚れ込んでてな。ま、会社の利益にも繋がってるし、ウチの従業員の大部分も乗り気だから構わねえんだけどよ」

 

「そうですか……実は、ウチの娘が……」

 

「親父ー!今、帰ったでー!」

 

その先を話そうとしていた巴蔵だったが、それを遮るように威勢の良い声が響いた。巴蔵と鬼童丸がいる部屋の戸を開いたのは、若干クセのある赤毛の少女。その顔立ちは、巴蔵にどこか似た面影があるが……それもその筈。彼女は巴蔵の実の娘、村上巴なのだから。

 

「って……鬼童丸の兄ぃ!?」

 

「おう、巴。邪魔してるぜ」

 

父親の部屋にいる鬼童丸の姿を見るや、驚きに目を丸くする。次いで、今の自分の恰好を見る。外出から帰ってきたばかりで、かなりラフな服装である。それを認識するや、勢いよく戸を閉める。直後、ドドドド、と廊下を駆ける足音が遠ざかる。そして数分後、再び床を駆ける足音が近づくと、廊下に通じる戸がバッと開かれた。

 

「お、お待たせいたしまし、た……」

 

戸の向こうから再び現れたのは、先程の少女。しかし、その服装は先程とは打って変わって、かなり気合の入ったチョイスに変わっており、言葉遣いもしおらしくなっていた。

そんな巴の姿に、鬼童丸は感心したように呟いた。

 

「中々似合ってるじゃねえか」

 

「そ、そうかのう……じゃなくて、そう、でしょうか……?」

 

「事務所の仲間のコーディネートか?」

 

「実はそうなん……って、兄ぃ、知っとったんか!?」

 

目の前の人物に秘密にいていた筈のことが、当人に既に知られてしまっていることに同様する巴。そんな彼女の姿に、鬼童丸はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「ウチの会社は346プロのスポンサーだからな。所属しているアイドルのことはまあまあ知っている」

 

「む~……」

 

「それにしても、あの巴がアイドルデビューとはな~……中々面白いことになりそうだぜ」

 

「ま、まだデビューしたわけじゃないわい!ったく……本当は初ライブで知ってもらいたかったのに……」

 

後半は目の前にいる憧れの存在に聞かれないように小声で呟いたつもりだったのだが……しかし、人間を凌ぐ聴力を持つ妖怪の鬼童丸には、そんな可愛いらしい考えもしっかり聞こえてしまっていた。鬼童丸は敢えて聞こえないフリをしながら、不敵な笑みを浮かべるばかりだった。

 

「ファンクラブを作ったら、鬼ヶ島酒造の社員全員入るつもりだ。無論、俺もな」

 

「そ、そうなんか……?」

 

「来週の初ライブにも勿論行くぜ。楽しみにしているからな」

 

「知っとんのかい……けどそれなら、尚のこと頑張らんとなぁ……」

 

「まあ、今日はもう遅い。また今度来るし、346プロで顔を合わせることも多くなるだろうから、今日はもう寝ろ」

 

「そ、そうやな……よっしゃ!絶対に凄いライブにしちゃる!楽しみにしといてくれ!」

 

そう言うと、巴は鬼童丸と巴蔵のいる部屋を後にするのだった。

後に残された二人はというと……

 

「子供が育つのは早いもんだな。それに、アイドルデビューするなんてな」

 

「アイドルはわしが勧めました。自分で言うのもなんですが、女の子らしゅう育てられんかったもんで……」

 

娘の将来を心配した親心故に提案した巴蔵だったが、巴にはアイドルを目指す個人的な事情があることも織り込み済みだった。

 

「ま、悪くねえと思うぞ。何事も経験だからな。きっかけや動機がどうあれ、な」

 

そんな巴蔵の思惑も、巴の乙女心も、数百年の時を生きる鬼童丸には丸分かりだったのだが……

その後は真剣な話へと戻り、ある程度の方針が固まったところで酒も交えながら、夜が更けるまで続くのだった。




オリキャラ紹介

村上巴蔵
村上巴の父親であり、鬼ヶ島酒造が後ろ盾となっている裏組織、村上組の組長。
鬼童丸には若いころから世話になっており、色々な意味で頭が上がらず、四十半ばになっても坊主呼ばわりされている。


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命取り立てます!薄幸アイドル、夢の代償…… ②

 

都内に本社ビルを構える大手芸能プロダクション、346プロ。アイドル部門の事務所の一つ。そこへ続く廊下を、重い足取りでほたるは歩いていた。

 

(お父さん……お母さん……大丈夫、かな……?)

 

今、ほたるの頭の中は、今この時も恐喝まがいの取立を受けているであろう両親に対する心配でいっぱいだった。闇金融業者から、酷い目に遭わされていないだろうかと、気が気ではなかったのだ。

実家がこんな状況にある以上、346プロに通っている場合ではなく……アイドルデビューのことなど考えるなど不謹慎極まりないことなのだろう。それでも、ほたるは事務所へ姿を見せないわけにはいかなかった。

 

「ほたるちゃん!おはよう!」

 

「茄子さん……おはようございます」

 

ほたるに後ろから声を掛けたのは、同じ事務所に所属するアイドル、鷹富士茄子である。ほたるよりも身長が高く、スタイルも良い、年上で頼りがいのある、姉のような存在である彼女は、いつもと変わらない魅力的な笑みを浮かべていた。

 

「ほたるちゃん、ちょっと元気が無いかな~?何かあったの?」

 

「いえ、別に……ちょっとまた、運が悪かったなって思うことがあって……」

 

「そっか……けど、元気出さなきゃ駄目だよ。デビューも近いんだから!」

 

そう言って微笑みかける茄子は、『ミス・フォーチュン』としてほたると共にデビューしたその後を楽しみにしているようだった。そんな茄子の顔を見て、ほたるは胸が苦しくなった。

 

(ほたるさん……ごめんなさい)

 

ほたるがこのような状況下でも事務所を訪れている理由。それは、同じ事務所に所属するアイドルにして、デビュー予定のユニットの相方でもある茄子や、自分たちをデビューに漕ぎつけるまで献身的に支えてくれたプロデューサーの存在があったためだった。

本来ならば、デビューに影響のあるような事情は、プロデューサーや同じユニットのアイドルに説明しなければならないのだろう。だが、デビューを楽しみにしている茄子や、ここまで尽力してくれたプロデューサーのことを考えると、どうしても言い出せずにいた。

そうして二人揃って事務所まで歩き、そして扉を開く。するとそこには、

 

「鷹富士さんに白菊さん、おはよう」

 

「ほたるに茄子!ようやっと来おったか!」

 

パソコンに向かってデスクワークをしているプロデューサーと、ほたる、茄子と同じくこの事務所のアイドルである広島弁で喋る赤髪の少女、村上巴がいた。

 

「三人揃ったことだし、早速、ミーティングを始めようか。議題は勿論、一週間後に控えたライブのことなんだけどね」

 

「おう!ついに来週かぁ……ワクワクするのう!」

 

「楽しみですね、ほたるちゃん」

 

「は、はい……」

 

そうして始まったライブの打合せのためのミーティングだったが……プロデューサーが話す衣装や演出について話し合う中で、茄子と巴の二人が期待を膨らませる一方で、ほたるはその内容のほとんどが頭に入らずにいた。常に思い浮かぶのは、借金のことである。

 

(借金を返すには、あの電話の人に頼るしかないけど……)

 

ほたるの頭の中で思い出される、昨日の電話の相手。両親に取立を仕掛けている闇金融業者に依頼されて動いているというファイナンシャルコンサルティング業者を名乗る人物は、ほたるがある条件を呑めば借金を全額返済できるだけの金を用立ててくれると言っていた。しかし、闇金融業者の関係者なだけあって、怪しいことこの上無い相手を、果たして信じて良いものなのか……。ほたるは非常に悩んでいた。

 

「白菊さんは、この演出についてどう思う?」

 

「え?……えっと、その……」

 

借金のことばかりに意識が向いていたほたるは、唐突にプロデューサーから振られた問いに答えられなかった。その様子に、プロデューサーだけでなく、茄子と巴も怪訝に思う。自分たちのデビューライブの話し合いをしているというのに、どうして上の空状態になっているのかと。

 

「体調でも悪んか?」

 

「ほたるちゃん、大丈夫?」

 

普段はミーティングには真面目な態度で臨み、レッスンも熱心にこなしているほたるだけに、体調不良を心配したのだが……ほたるは、首を横に振った。

 

「ごめんなさい。ちょっと考え事してて……」

 

「本当に、大丈夫かい?」

 

本当は体調に問題など無いのに、無用な心配をかけていることに申し訳なく思いながら、ほたるはその場をどうにか取り繕った。

 

「珍しいこともあるもんじゃのう。ほたるが大事な打合せで考え事なんぞ……」

 

「本当にごめん……」

 

「まあまあ、ほたるちゃんだってそういうこともありますよ。ライブに必要なことは大体決まりましたし……少し早いですが、そろそろレッスンにしませんか?」

 

「そうですね。それじゃあ、レッスンルームに移動しましょうか」

 

ほたるの様子は少しばかり気になったものの、議題のライブに関することは特に問題は無かったので、誰も気にすることは無かった。プロデューサーに促され、アイドル達は席を立って移動を開始する。その背中を、ほたるは最後まで羨ましそうに、申し訳なさそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

都内某所にある古アパートの一室。部屋の外の扉や窓には、「借りた金返せ!」などの張り紙が無数に貼られている。この様子から分かるように、部屋の借主は多額の負債を、それも反社会的な組織に対して負っており、返済に苦慮しているのだった。

そんな部屋を昼日中の現在、二人の男が訪れていた。

 

「ほ、本当に借金を何とかしてくれるんだな!?」

 

「ええ、勿論ですとも」

 

リストラによって失業し、経済的な理由から妻子にも出ていかれたことでやつれ果てた部屋の借主に対し、訪問者の一人――ねずみ男は、人の良い笑みを浮かべながら答えた。

 

「我々“ビビビファイナンシャルコンサルティング”は借金に苦慮している方々を助けるために動いているのですから、当然です」

 

「けど、どうやって金を……」

 

借金の返済に協力してくれると言うから、藁にも縋る思いで家の中へと上げたが、借金を負った男性は、目の前の“ビビビファイナンシャルコンサルティング”を名乗る男達に懐疑的だった。借金は二千万円にも上っており、簡単に用意できるものではない。

一体、目の前の男達はどうやって金を都合するというのか。そして、どうやって利益を得るというのか。皆目見当もつかなかった。

 

「それは勿論、あなたからですよ」

 

「だから、俺は金が……」

 

「ええ、お金が無いことは存じています。ですから……あなたが持っている、“大事な物”と引き換えにお金を用意させていただきます」

 

「大事な、物……?」

 

大事な物と言われても、すぐに現金に換えられるような高価な物など手元には無い。一体、何を差し出させようとしているのか。疑問はますます深まる一方だった。

 

「それではこちらの契約書サインをお願いします」

 

そう言ってねずみ男が差し出したのは、一枚の契約書だった。そこには、難解な内容が綴られていた。

 

「これは一体……」

 

「こちらにサインをしていただくだけで、すぐさまお金を用意させていただけます。その中から、我々も利子を少々受け取ることとなりますが」

 

「しかし……」

 

「おや、よろしいんですか?私達の協力を断れば、最早あなたに借金を返済する宛ては無いのではありませんか?」

 

「それは……確かに……」

 

「であるならば、サインを。それさえしてくだされば、後は全て我々の手で何とかします」

 

契約書へのサインを執拗に迫るねずみ男に、借金を負っている男性は返答に窮する。二千万円もの大金を用意する術は無い。このままいけば、取立屋に何をされるか分かったものではない。自分の命を脅かされることは言わずもがな。最悪の場合は家族にまで累が及ぶかもしれない。

 

(もう……どうにでもなれ……!)

 

譬えこの話が嘘だったとしても、これ以上何も失うものなど無い。借金の呪いによって極限まで追い詰められたことにより、自暴自棄になった男は、遂にねずみ男が差し出した契約書にサインをした。

 

「契約成立ですね。それでは、よろしくお願いします!先生!!」

 

サインがされた契約書を手に取ったねずみ男は、後ろに控えていたもう一人の男へとそれを渡した。契約書を受け取った男はそれを眺めてニヤリと笑った。そして次の瞬間……

 

 

 

男を中心に部屋に金色の光が迸った――

 

 

 

「お疲れ様です、先生」

 

光が収まった部屋の中。ねずみ男は連れの男に対し、労いの声を掛けた。対する男は満足そうな表情を浮かべるだけで声を発することは無かった。

 

「さて、それでは“取立”を行いますか……」

 

そう言うと、ねずみ男は手に持っていた大型のバッグの口を開き、床に転がった卵ほどの大きさのある無数の物を拾って詰め始めた。そして、その作業が終わったところで、ようやくこの部屋の借主であり、自分たちが取り立てた相手の状態に気付いた。

 

「ありゃ~、死んじまってますか……」

 

ねずみ男の目の前では、先程、契約書にサインをした男が床に倒れ伏していた。体は全く動かず、呼吸をしている様子すら無いことから、絶命していることは確実だった。

 

「ご愁傷様ってところですかね。ま、仕方無いか。そんじゃあ、次に行きましょう、先生」

 

人一人死んでいるにも関わらず、ねずみ男の反応は淡泊なものだった。目的を果たしたねずみ男は、これ以上この場に用は無いとばかりに、連れの“先生”と呼ばれた男とともに部屋を後にした。

アパートを出たねずみ男は、バッグの中から神の束を取り出してそこに記載されたリストに目を通す。

 

「ええと次は……お、今度は中学生ですね。これならかなりの額を取り立てられそうですね」

 

ねずみ男が感嘆の声を上げながら指差したリストの名簿。そこには、“白菊ほたる”という名前が載っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、またここを訪れることになるとは……」

 

「奇縁じゃのう……」

 

昨日、福の神と貧乏神という真逆のものを司る神から依頼を受けた鬼太郎は、目玉おやじとともに依頼の手掛かりとなる場所を訪れていた。それは、ここ最近の妖怪絡みの事件で頻繁に関わる機会のあった場所――346プロダクションだった。

送られてきた手紙には、今回の依頼に関わりのある人間の名前が一覧化されたリストが同封されていた。そしてその中には、偶然にも346プロダクションに所属しているというアイドルの名前が記されていたのだ。

幸いというべきか、鬼太郎には346プロダクションのアイドルに伝手があったため、真っ先にこの場を訪れたのだった。

 

「鬼太郎さん!」

 

346プロの正面ゲートの前に立つ鬼太郎の名前を呼ぶ女性の声が響く。視線を聳え立つビルから正面へと戻すと、そこには見知ったアイドル二人――ここに来た際に頼ろうと思っていた――の姿があった。

 

「美穂に小梅。よく来てくれた」

 

鬼太郎のもとへ歩み寄ってきたのは、黒髪のショートヘアにアホ毛が特徴的な小日向美穂と、片目が隠れる程に長い、鬼太郎に似た前髪をした白坂小梅である。

 

「ねこ娘さんに頼まれて来たんですが……今日は鬼太郎さんと目玉おやじさんだけですか?」

 

「ねこ娘は別行動中だ。それで、ちょっとばかりここに所属しているあるアイドルに用事があるんだが……案内を頼めないか?」

 

「もしかして……また、妖怪?」

 

「ま、まさかまたアイドルの誰かが妖怪に狙われて……!」

 

「まだ決まったわけじゃない」

 

「落ち着くんじゃ、美穂ちゃん。それを確かめるために、わし等はここに来たんじゃ」

 

美穂の不安はほぼほぼ的中しているのだが、鬼太郎と目玉おやじはまだ実際に妖怪に襲われているわけではないことを強調し、美穂を落ち着かせようとした。

 

「本当に確証は無いんだ。本当に妖怪に関わりがるか……それを確認するためにも、問題のアイドルに会わせてほしい」

 

「それは構いませんが……誰なんです?」

 

「それは……」

 

「ゲゲゲの鬼太郎?」

 

アイドルの名前を口にしようとしたところで、唐突に鬼太郎の名前を呼ぶ声が聞こえた。鬼太郎が後ろを振り向くと、そこには一人の若い男性が立っていた。しかし、この男は人間ではない。鬼太郎と同じ――妖怪なのだ。

 

「鬼童丸。どうしてここに?」

 

「どうしてって……ウチの会社は346プロのスポンサーだからな。そこそこの頻度で顔を出してるぜ」

 

鬼童丸が所属する会社――鬼ヶ島酒造は、鬼童丸の父親であり日本最強の妖怪として名高い酒吞童子が経営する酒造会社である。酒吞童子は千年ぶりに復活してすぐ、鬼太郎を圧倒した後、部下である茨木童子等とともに日本征服計画に乗り出したものの、とあるアイドル達との酒の飲み比べ勝負に敗れ、計画は頓挫。その後は勝負を制したアイドル達の要求を聞き入れ、鬼ヶ島酒造総出で346プロのバックアップをすることとなった経緯があるのだ。

そうして346プロは鬼ヶ島酒造にとって大手の取引先となり、以降は様々な仕事を回すようになったのだった。鬼童丸は、鬼ヶ島酒造上層部の社員として仕事の打合せ等をするために、346プロを訪れることが多々あったのだった。

 

「まあ、今回はいつもの仕事とは別件なんだがな。ちょいとウチの事情で、妖怪絡みの事案を解決しなきゃならなくなってな。そのための情報収集だ」

 

「妖怪絡みの事案?」

 

「それはもしや……」

 

「お前がここに来ているってことは、そういうことなんだろうな。話を聞く限り、何やら悪事を働いているみてえだし……出所は違っても、同じような依頼が来てもおかしくはねえな」

 

何の偶然か、鬼太郎達と鬼童丸の目的は同じらしい。そして問題なのは、それを互いに認識したところで、どうするべきかなのだが……

 

「俺等とお前とは、そんなに仲が良いとは言えねえが……ここでいがみ合う理由も無えだろう。とりあえず、目的の事務所に向かいながら話さねえか?」

 

「……そうだな」

 

「ウム。お互い目的は同じでも、経緯は異なる筈じゃ。そのあたりも、情報共有させてもらおう」

 

「了解だ。それじゃあ、美穂に小梅、案内を頼んだ」

 

「は、はい!」

 

「分かりました……」

 

目玉おやじの提案を聞き入れた鬼童丸は、鬼太郎、美穂、小梅と並んで346プロ本社の敷地へと足を踏み入れていった。

 

「で、まずはお前等が会おうとしているアイドルなんだが……」

 

「“白菊ほたる”だろう?」

 

「ほたるちゃんですか!?」

 

ほたるの名前を聞いた途端、美穂は驚きの声を挙げる。隣の小梅も声こそ上げなかったが、驚きに目を見開いていた。そんな二人を置いて、鬼太郎と鬼童丸の話は進む。

 

「やっぱりか……。てことは、借金の件も知ってんのか?」

 

「ああ。福の神と貧乏神から送られた手紙によれば、今回の一件に関わっている妖怪は、借金で苦しんでいる人間のもとへ姿を見せるらしいからな。そいつが活動している地域で、借金に苦しんでいる人間の名簿も貰っている」

 

「貧乏神に福の神?」

 

鬼太郎の説明の中で出てきた、思わぬ依頼人たる妖怪の名前に、鬼童丸が訝し気な表情を浮かべる。真逆なものを司る妖怪からの依頼というのは、鬼太郎でなくとも違和感を覚えずにはいられないものだった。

 

「何だってそんな奴等から依頼が来たんだ?」

 

「この一件の裏に潜んでいる妖怪の正体が、その妖怪達に……主に福の神の方に深い関わりがあるからだ」

 

「成程な……」

 

鬼太郎の説明に、鬼童丸は得心した様子だった。問題を起こしているのが福の神関連の妖怪となれば、その正体も自ずと分かってくる。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!ほたるちゃんが借金って、どういうことですか!?」

 

と、そこで、妖怪の正体について考察を始めていた鬼童丸の思考を遮るように、美穂が声を上げた。身近なアイドルの話に、“借金”という物騒な単語が出てきたことが、捨て置けなかったらしい。

事情を知らない美穂と小梅に、鬼童丸が事の仔細を説明した。

 

「鳥取にいる白菊ほたるの両親が、連帯保証人やってる相手に夜逃げされて、借金を負ったらしい。しかも借金を負った相手は悪質な闇金融業者で、脅迫紛いの取立を受けているらしい」

 

「ほ、本当なんですか……!?」

 

「白菊ほたるの両親が負っている借金は、七千五百万円に上るらしい」

 

「な、七千五百……っ!」

 

鬼太郎が手紙とともに受け取った、借金苦に陥っている者達のリストには、その金額も併せて載っていた。そして、ほたるが負っている借金の金額を聞いた美穂と小梅は、あまりの額の大きさに二人揃って絶句していた。

 

「それで……鬼太郎さん達は、どうしてほたるちゃんに会いに?」

 

「借金をしている人間を狙って動く妖怪がいる。僕が探しているのは、ソイツだ」

 

「俺の目的も同じだ。ここ最近、都内を中心に闇金融業者が幅を利かせていてな。その原因も同じ妖怪で間違いなさそうだ。おっと、そうだ……」

 

そこまで話したところで、鬼童丸はあることを思い出し、ポケットに手を突っ込み、名刺ケースを手に取った。さらにそのケースから、一枚の名刺を抜き取り、鬼童丸本人の物ではないソレを鬼太郎へ見せた。

 

「コイツがその妖怪に関する手掛かりだ。何か知らないか?」

 

鬼童丸から渡された名刺に記載されていた、“ビビビファイナンシャルコンサルティング”という会社名。それを見た鬼太郎と、頭の上に乗っていた目玉おやじは、揃って眉をひそめた。

 

「父さん、これは……」

 

「ウム。間違いあるまい」

 

金と妖怪が絡む事案なだけに、まさかと嫌な予感を覚えていたのだが、この名刺の会社名でそれが的中していたことを確信した。

 

「心当たりがあるのか」

 

「この一件に関わっている妖怪は、もとはとある神社に封印されていたそうだが……それを破った人物は、僕の知り合いらしい」

 

「成程な。まあ、この件を追っていけば、そいつもすぐに捕まるだろう。そしたら、たっぷりと仕置きしてやることだな」

 

「そのつもりだ」

 

鬼童丸の言葉に鬼太郎は憮然とした表情で答えた。

その後は美穂と小梅に案内され、鬼太郎と鬼童丸は遂にほたるが所属する事務所の部屋に辿り着いた。

そして、事務所の扉を開こうとしたその時――

 

「鬼童丸の兄ぃ?」

 

扉の前に立った鬼太郎や鬼童丸等の横から、鬼童丸の名前を呼ぶ声が掛けられた。一同が顔をそちらに向けると、そこには赤髪の少女――村上巴が立っていた。隣には、同事務所所属の鷹富士茄子の姿もある。

 

「巴ちゃん?」

 

「美穂に小梅まで。一体、ウチの事務所に何の用なんじゃ?」

 

その言葉を聞いた鬼童丸は、ドアノブに伸ばしていた手を戻し、巴の方へ向き直る。

 

「そうか……お前もこの事務所の所属だったのか。なら話が早い。お前の同輩の、白菊ほたるに用がある。紹介してもらえるか?」

 

「ほたるに?兄ぃの頼みなら構わんが……けど、ほたるはもう帰っとるぞ」

 

「え……ほたるちゃん、もう帰ってるの?」

 

巴から齎された情報に、美穂と小梅が不審に思って首を傾げる。

 

「いつもならギリギリまで残って自主練とか頑張ってるのに、もう帰っちゃうなんて……」

 

「何かあったのかな?」

 

ほたるはまだデビュー前ではあるものの、346プロの所属アイドルの誰もが認める努力家だった。いつもならば、女子寮の門限ギリギリまで本社に残ってレッスンに励んでいる筈なのに、こんなに早くに事務所を出ることは無い筈なのだ。

 

「白菊ほたるがどこに行ったか分かるか?」

 

「いや、わし等も行く先までは聞いておらんのだが……」

 

「けど、まだ事務所を出て行ってから時間は経っていません。追いかければ、まだ間に合うんじゃないでしょうか?」

 

「鬼太郎、追うぞ!」

 

「ああ!」

 

茄子の言葉を聞くや、鬼童丸は鬼太郎とともに本社の正面玄関目指して駆け出した。346プロ本社ビルの出入口は正面ゲートの一箇所しかない。入れ違いになったのならば、茄子の言う通り、間に合う可能性はある。

階段を駆け下り、建物の自動ドアを通って外へ出る。正面のゲートの向こう側に目を向けると、鬼童丸がリストで確認した白菊ほたるの容姿に合致する、黒髪の中学生くらいの少女の姿があった。ゲートまでは距離があるが、全力で走れば間に合うと考えた鬼童丸だったが……その足を唐突に止めた。

 

「どうした、鬼童丸?」

 

「アレを見てみろ」

 

鬼童丸のいきなりの行動に驚く鬼太郎だが、鬼童丸はゲートの向こうにいるほたるを指差した。ゲートの向こうには、ほたるの姿とその手前で停まった車があった。

窓を開いた黒塗りの高級車の運転席には、ネズミのような横に伸びた髭の生えた、禿頭の男が顔を出していた。そして、車の傍に立つほたるに話し掛けている。

 

「あれは……」

 

「ねずみ男じゃな」

 

「やっぱりそういうことか」

 

ねずみ男のことは、かつて酒吞童子復活に際しての日本征服計画実行にあたり、鬼太郎等を排除するために利用した経緯があるため、鬼童丸もその性格を把握していた。妖怪が関わる金絡みの問題と聞いた時も、鬼童丸の頭でも、実は真っ先にねずみ男のことが浮かんでいた。

 

「すぐに捕まえないと」

 

「待て」

 

「鬼童丸?何をするのじゃ?」

 

ほたると会話しているねずみ男を捕縛しようと動こうとした鬼太郎を、鬼童丸が止めた。

そうこうしている間に、ほたるはねずみ男が運転する車へと乗り込み、出発しようとしていた。

 

「今回の件は奴とは別の妖怪が黒幕なんだろう?なら、奴を追えば、妖怪の居場所へ案内してくれる筈だ」

 

「相手は車だぞ。どうやって追いかけるつもりだ?」

 

「俺が追いかける」

 

妖怪の、しかも最強クラスの酒吞童子の血族である鬼童丸の身体能力ならば、車を走って追いかけるくらいはわけはない。

 

「巴、携帯のGPS機能を使って俺の携帯の場所を追ってくれ」

 

「お、おう!」

 

「鬼太郎は一反もめんを呼べ。空から追いかけるんだ」

 

「分かった」

 

鬼童丸は隣に立つ鬼太郎に加え、自分達を追ってきたアイドル達の一人である巴に指示を出す。

その直後、車はほたるを乗せて発進した。

 

「それじゃあ、先に行く……!」

 

それだけ言うと、鬼童丸は人間の目には止まらない程の速さで走りだしていった。

 

 

 

 

 

(本当に……大丈夫、かな……?)

 

両親の借金問題を解決できるという相談業者を名乗る男が迎えに来た車の中で、ほたるは不安を抱えていた。

 

「もうすぐ着きますよ。ご両親の借金問題も、あなたのご協力ですぐに解決しますからね」

 

ネズミ髭で禿頭の、ビビビファイナンシャルコンサルティングという業者を名乗る男の言葉に、ほたるは顔を伏せる。現状、両親が抱える七千五百万円という巨額の負債を何とかする手段は無い。実家の借金問題を解消するには、車を運転しているこの男が提示する方法に賭けるしかないのだ。

 

(けど……これも全部、私の所為なんだよね……)

 

昔からの不幸体質故に、ほたるは両親の身に起きた借金苦すらも、自身の存在が原因で起こったと信じて疑わなくなってしまった。一連の問題全てが自身が原因である以上、責任は全て自分が負うべきもの。どのような代償を払ってでも、解決しなければならない。客観的に見れば、どう考えてもおかしな思考ではあるが、ほたるは本気で考えていた。

 

「ほら、到着しましたよ」

 

「!」

 

思考に没頭するあまり、運転手を務めるねずみ男に言われて初めて気付いたが、車は既に目的地に停車していたらしい。到着した建物は、人気の無い郊外にある古びた廃屋だった。

 

「こちらへどうぞ」

 

「はい……」

 

このような廃屋で、一体何をしようというのか。不安と疑問は大きくなっていくが、この期に及んでほたるに拒否する選択肢は無かった。

車から下車したほたるは、ねずみ男に案内されるまま、廃屋の中へと進んでいく。そうして二階にある、かつては会議室として使われていたであろう大きな部屋へと入った。部屋の中央にはこれまた古い業務用のデスクがぽつんと置かれているのみで、奥行のある部屋の向こう側は、日の光が当たらないため、まるでその場所のみが夜のように暗かった。そんな部屋の中で、ねずみ男が声を上げた。

 

「先生、お連れしました!」

 

その声に応えるように、部屋の奥に広がる暗闇の中から、革靴の足音を響かせながら、一人の男が姿を現わした。ねずみ男と同じ禿頭ながら、体格はねずみ男のひょろ長いそれとは違い、ずんぐりとした体系の男だった。胡散臭い雰囲気はねずみ男にも共通しているが、この男からはそれだけではない……異様で危険な何かを感じさせる何かを放っていた。

そんな得体の知らない男を前に萎縮しているほたるをよそに、ねずみ男は鞄の中から一枚の紙とボールペンを取り出した。

 

「ささ、こちらの契約書へサインをしてください。そうすれば、こちらにおられる先生が、全てを解決してくれます」

 

「は、はあ……」

 

ねずみ男がほたるに渡した紙。それは、契約書だった。そしてそこには、ほたるの両親が負っている借金を、“ある条件”と引き換えにビビビファイナンシャルコンサルティングが用立てる旨が記載されていた。だが、その条件が問題だった。

 

「あの……借金を何とかしてもらうための条件についてなんですが……これって、どういうことなんでしょうか?」

 

「難しく考えることはありませんよ。あなたはただ、そこにサインしてくだされば良いんです」

 

契約書に記載されている条件が指す意味がよく理解できなかったため、ねずみ男に恐る恐る質問したのだが、適当にはぐらかされてしまった。非常に不審で物騒な条件が記載されており、何をされるのかと気が気でなく、サインをしろと言われてもどうしても躊躇いが生まれてしまった。

だが――――――

 

(ここまで来て、もう後戻りなんて……できない!)

 

借金を返すには他に方法は無い。改めて覚悟をしたほたるは、デスクに契約書を置き、渡されたボールペンでサインをした。

自分のために不幸になった――実際はほたるがそう思い込んでいるだけ――両親を救うためならば、何だってする。譬えその代償に……

 

 

命を削ることとなっても――――――

 




妖怪の正体のヒント
① カクレンジャーに出たことがある。
② 地獄先生ぬ~べ~に出たことがある。
③ アニメ鬼太郎3期にも、ちょっと出たことがある。

既に分かる人には分かってしまっていると思いますが、正体は次回お楽しみに。


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命取り立てます!薄幸アイドル、夢の代償…… ③

 

都心を外れた郊外に位置する、とある廃屋。人気の全く無い廃屋の前に、黒塗りのベンツが停まっていた。そんな廃屋の向かいにある、こちらも人に使われていない筈の四階建ての建物の屋上。そこに、ベンツの停まった廃屋を見下ろす人の姿があった。

 

「鬼童丸!」

 

廃屋を見下ろす人影――鬼童丸に対し、背後の上空から声が掛けられる。

 

「ようやく来たか」

 

鬼童丸が振り返った先には、一反もめんに乗った鬼太郎の姿があった。鬼太郎の後ろには、事務所で鬼太郎を案内するために出てきた美穂と小梅、鬼童丸の指示で鬼太郎をこの場へ案内した巴、そして何故か巴とほたると同じ事務所所属である茄子の姿もあった。

 

「白菊ほたるはどうした?」

 

「向かいの建物の中に入っていった。ねずみ男も一緒だ」

 

鬼太郎と鬼童丸が協力を要請した三人以外の部外者がいることは棚上げして、問題のほたるの動向について確認する鬼太郎に対し、鬼童丸は向かいの建物を指差しながら答えた。

そして、鬼太郎は鬼童丸とともにねずみ男とほたるの動向を見極めるべく、向かいの建物の監視を続けようとしたが……

 

「あのう……ほたるちゃんのことなんですけど……」

 

「借金しとるっちゅうのは本当なんか!?」

 

一反もめんの背中に乗ってここに来るまでの間に、ほたるが抱える借金事情を聞かされたのだろう。

 

「ああ。既に聞いていると思うが、鳥取の実家が七千五百万円の借金を抱えている」

 

「そんな……」

 

「ここんところ上の空だったのは、そういうことやったんか……!」

 

いつも真面目に取り組んでいるレッスンの時も、待ちに待ったデビューライブの打合せの時でさえ集中を欠いていたほたるのことを、巴も茄子も不審には思っていた。しかし、まさか借金地獄の真っ只中にいたとは思わず、愕然としてしまった。加えて、ほたるがそのような、大きな悩みを抱えているにも関わらず、同じ事務所の仲間でありながらそのことに気付けなかったことに対し、忸怩たる思いを抱いていた。

 

「ほたるちゃんは、大丈夫なんでしょうか……?」

 

「人間の借金問題に手を出している妖怪については、何とかするつもりだ」

 

「妖怪にむざむざ殺させるようなことはまずしねえから、そこは安心しろ」

 

それを聞いて、美穂と小梅は一先ずは安心する。借金のカタに命を奪うような妖怪だったならば、ほたるが殺されるような事態になるのではと気が気ではなかったが、鬼太郎と鬼童丸は助けてくれるらしい。

 

「だが、妖怪をどうにかできたとしても、借金の問題は解決しねえだろうな」

 

「そんな……!」

 

「鬼太郎さん……」

 

「借金は人間の問題だ。僕がどうこうできる話じゃないし、そもそも僕の専門外だ」

 

鬼童丸と鬼太郎の正論に、美穂と小梅は何も言えなくなる。この二人が今この場にいるのは、人間の借金事情に付け入り暗躍する妖怪が起こす問題を解決するためである。ほたるの借金は全く別の問題である。

ならばどうすればほたるを助けられるのかと、美穂と小梅、巴と茄子は思考を巡らせるが……一介のアイドルに過ぎない美穂と小梅に、七千五百万円もの巨額の負債をどうこうできる筈も無く、重苦しい沈黙が流れるばかりだった。

と、その時。

 

「どうやら、妖怪が動き出したようだな」

 

鬼太郎の髪の毛が一本、針のように逆立つ。妖怪の存在を察知する、妖怪アンテナが作動したのである。ねずみ男とほたるが入っていった廃屋に目を凝らすと、何やら怪しげな金色の光が窓から漏れ出ていることが分かった。

 

「あの中に妖怪がいるのはもう疑いようは無いな。鬼太郎、行くぞ!」

 

「分かった!一反もめん!」

 

「はいな!」

 

その言葉とともに、鬼童丸は屋上から跳び出し、鬼太郎は一反もめんに乗って向かいの廃屋へと突入していった。

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

薄暗い空間を満たしていた金色の光が収まった後の部屋の中で、ほたるは床に膝をついていた。ほたるの額には汗が浮かんでおり、その呼吸は全力疾走をした後のように荒くなっていた。

そして、そんなほたるの目の前では、ガラガラという金属が床に落ちる音が響いていた。ほたるが顔を上げてみると、そこには先程部屋を満たしていた光と同じ輝きを放つ“金塊”が複数転がっていた。

 

「これで契約は履行されましたね。では、こちらの金塊はいただいて参りますね」

 

ねずみ男はそう言うと、床に落ちた金塊を拾い上げて鞄の中に詰め込んでいく。嬉々とした表情で金塊を拾っていくが、そんなねずみ男の楽しみに水を差すように第三者の声が掛けられる。

 

「そこまでだ、ねずみ男!」

 

その声に、ねずみ男はビクリと震え上がる。顔を上げると、床に蹲っているほたるの向こう側にある、外に通じる窓の向こうから二つの人影が入ってくるところだった。

 

「き、鬼太郎!?それに鬼童丸!?どうしてここに……っ!?」

 

「お前が怪しい金儲けをしているその男に用がある」

 

「随分と荒稼ぎしてるみてえだが、ここまでにしてもらおうか」

 

カランコロンという下駄の音を鳴らしながら近づく鬼太郎と、そこに並んでねずみ男に詰め寄ろうとする鬼童丸に、ねずみ男は顔を青くしながら、もう一人の“先生”と呼ばれた連れの男の後ろに隠れようとする。

 

「な、なんだよ!俺はただ、借金に困ってる連中を助けるために、この先生と一緒に金を用意してやってるんじゃねえか!」

 

「お前に金を用意してもらった連中の大部分は、不審な死に方をしているんだがな。お前等の取立が原因だってことは分かってんだ」

 

「僕がこの場にいるのは、福の神と貧乏神から依頼されたからだ。これ以上、世の中を騒がせるような真似をさせるわけにはいかない」

 

当然のことながら、鬼太郎も鬼童丸も、ねずみ男と連れの妖怪を見逃すつもりは一切無い。目的の二人を捕縛するべく、距離を詰めてくる二人に、ねずみ男は「ひぃいっ」と悲鳴を上げながらも、もう一人の男の後ろに隠れて怯えたように体を縮こまらせる。

 

「死んだ連中はもう手遅れだが、そこにいる奴のように、まだ生きている連中は何とかなる筈だ」

 

「大人しく一緒に来てもらおうか」

 

「先生っ!お願いします!助けてくださいっ!」

 

「……」

 

迫りくる鬼童丸と鬼太郎にねずみ男の要請に応えるように、先生と呼ばれた禿頭のずんぐりとした体型の男が一歩前へ踏み出す。それと同時に、男の体から禍々しい妖力が溢れ出す。妖怪アンテナを持ってない人間でも分かる程に強力な力を前に、鬼太郎と鬼童丸は身構える。今にも戦いが始まりそうな、一触即発の空気が満ちる中――

 

「やめて、くださいっ……!」

 

「「!?」」

 

最初に動き出したのは双方のどちらでもなく、その場に居合わせた人間である、ほたるだった。ほたるは鬼太郎と鬼童丸を制止するべく立ち上がると、二人の前へと回り込み、ねずみ男達を背に立ち塞がった。それはまるで、ねずみ男達を庇うかのように……

 

「そこをどくんだ。そいつは――」

 

「今です!先生っ!!」

 

鬼太郎と鬼童丸の前にほたるが現れたことによって生じた隙を見逃さず、ねずみ男は連れの妖怪とともにこの場を逃れるべく動き出す。

ねずみ男がその背に隠れた妖怪の男は、目をカッと見開くと同時に前身に妖力を滾らせる。そして次の瞬間――建物の中に激しい金色の光が迸った。

 

「くっ……!」

 

「目晦ましか!」

 

閃光手榴弾もかくやという強烈な光を前に、鬼太郎も鬼童丸も目を開くことすら儘ならない。強烈な閃光は十秒ほど続き、光が収まった後には、ねずみ男の姿も、連れの妖怪の男の姿も無くなっていた。

そして鬼太郎達がいる廃屋の外からは、車が動き出すエンジン音が聞こえていた。ねずみ男が廃屋を脱出し、車で逃亡したのだ。

 

「逃げられたか……」

 

「相も変わらず、逃げ足の速い奴じゃわい」

 

「今すぐに追いましょう、父さん」

 

「いや、待て。それより今は……」

 

ねずみ男と連れの妖怪を追おうとする鬼太郎だったが、それを鬼童丸が止めた。そして、鬼童丸が視線を向けた先、建物の廊下に続く扉から複数の足音が聞こえてきた。

 

「悪いが、巴達に今回の件を説明してやりたい。少し時間をくれるか?」

 

「小梅ちゃんと美穂ちゃんも、話を聞きたいじゃろうしな」

 

これ以上の犠牲者を出さないために、今すぐにでもねずみ男達を追いかけたいと思っていた鬼太郎だったが、鬼童丸と目玉おやじの言うことも尤もだった。一先ずは、騒動に巻き込まれる形となったアイドル達へと、事の次第について説明を行うこととした。

 

「お前さんも、巴達にしっかりと事情を説明しろよ」

 

「……」

 

鬼童丸に掛けられた言葉に、床にへたり込んでいたほたるは、沈痛な表情のまま、黙って頷いた。

 

 

 

 

 

「ふう……何とか逃げきれましたね、先生」

 

「……」

 

鬼太郎と鬼童丸との交戦を避けて逃げることができたねずみ男と妖怪の連れは、車を飛ばして先程の廃屋から遠くへ逃げていた。

 

「それにしても、鬼太郎だけじゃなく、酒吞童子のところの鬼童丸まで出てくるとは、災難でしたね……」

 

この手の悪事に手を染めることは一度や二度ではないねずみ男である。鬼太郎が介入してくることは、既に予想していた。だが、鬼童丸まで出てくるとは予想外だった。

 

「あの二人が手を組んでるとなると、もうそろそろ潮時かもしれませんねえ……」

 

闇金融業者の取立代行業というだけあって、手数料としてかなりの儲けが出ていたが、鬼太郎に加えて鬼童丸……もっと言えば、その父親である酒吞童子とその一味までも敵に回すのはリスクが大き過ぎる。まだまだ稼げる見込みはあるが、ここらで行方を晦まし、ほとぼりが冷めるまで大人しくしているのが無難かもしれない。そう考えてのねずみ男の発言だったのだが……

 

「許さんぞ……!」

 

「ひっ……せ、先生?」

 

取立業をしばらく控えようというねずみ男の発言を、それまでずっと無言を貫いていた男は怒気を孕んだ低い声で否定した。

 

「永い封印から目覚め、ここまで力を取り戻したのだ……まだまだ我は人間共の欲望から力を蓄えるのだ!」

 

「け、けど……あの二人はかなりの手練れですぜ!先生でも危険過ぎますって!」

 

「構うものか……我の障害となるならば、何者であろうと潰すまでだ……!」

 

先の廃屋で見せた以上の妖力を滾らせながら、邪魔者は必ず排除すると宣言した男に、ねずみ男はそれ以上何も言えなかった。金欲しさに封印を解いて以降、望む成果を手に入れてきたが、目の前の存在は手に負えないところまできてしまったかもしれないと、ねずみ男は僅かながら後悔の念を抱き始めていた。

 

 

 

 

 

「これで全員揃ったな。それじゃあ、状況確認をするぞ」

 

ねずみ男と連れの妖怪が去った後の廃屋には、鬼太郎、鬼童丸、ほたるの他に、一反もめんに乗せられて来た美穂、小梅、巴、茄子の姿もあった。ちなみに一反もめんは、鬼太郎に言われて別の用事のためにこの場を離れていた。

 

「鬼太郎さん、ほたるちゃんの実家が借金で困っているってことは聞いたんですが……妖怪が関わっているっていうのは、どういうことなんでしょうか?」

 

「そうじゃ!ほたるが借金のカタにここに連れて来られたって言っとったが、一体、何をされたんじゃ!」

 

ほたるの借金苦も非常に気になる問題だが、今一番気になるのは、妖怪がほたるに対して何をしたかである。鬼太郎と鬼童丸の話によれば、その妖怪は人間の借金問題を解決しているそうだが、一体どんな方法を使っているのか、人間の美穂や巴達には検討もつかず、それを不気味に感じていた。

 

「まず妖怪の正体だが……それについては、鬼太郎の方が詳しい筈だ。そうだろう、目玉おやじ」

 

「ウム。わしから話そう」

 

妖怪の正体と能力については、鬼童丸も把握していなかったため、まずは目玉おやじへ説明を要求することとした。

 

「ねずみ男と一緒にいたあの男。あれは妖怪・“金霊(かねだま)じゃ」

 

「“金霊”……それってもしかして、良いことをする人の家をお金持ちにしてくれる、お金の精霊じゃなかったっけ?」

 

「その通りじゃ、小梅ちゃん」

 

「こ、小梅ちゃん……!?」

 

「やけに詳しいのう……」

 

目玉おやじが説明する筈だったことを代わりに説明した小梅に、美穂は目を丸くして驚き、巴は感心する。

小梅はここ最近、自分をはじめとする346プロ所属のアイドル達が妖怪絡みのトラブルに巻き込まれる事態が多発したため、妖怪について独自に調べるようになっていたのだ。元々ホラー映画が好きだっただけに、スポンジが水を吸うように妖怪に関する知識を吸収していき、今や目玉おやじすら唸らせる程の妖怪博士となったのだった。

 

「小梅ちゃんの言う通り、金霊という妖怪は福の神の眷属であり、本来ならば無欲善行の人間を裕福にする妖怪なのじゃ。本来ならば、なのじゃがな……」

 

含みのある言い方をしながら、目玉おやじは今回の騒動の問題となっている妖怪・“金霊”についての説明を続ける。

 

人間を富ませる福の神と、人間を困窮させる貧乏神。幸福と貧困という真逆のものを司っているこの二つの妖怪は、互いに協力し合って金の流れを作り出している。福の神は無欲で金に縁の薄い人間の家を訪れて富ませ、貧乏神は欲深く大量の暴利を貯め込んだ人間の家を訪れて貧困に陥らせる。そうして人間界の経済を調整している妖怪達だが……その均衡を維持するのは簡単な話ではない。

金というものは、使うよりも貯める方が難しいとされる。それは、人間という生き物が元来欲に溺れやすい性質を持つため、一度欲望に火が付けば、一気に散財してしまう傾向が強いためである。それ故に、貧乏神が少し力を使っただけで浪費癖がすぐに染み付き、その後は破産へ一直線というケースは枚挙に暇がない。人間界の経済情勢にもよるが、貧乏神が一の力を使うのに対し、福の神は三や四、時には五の力を使わなければ均衡を保てない程に,両妖怪のパワーバランスは不安定なのだ。

そこで福の神は、貧乏神との力関係を拮抗させるための方策として生み出した眷属となる妖怪が“金霊”だった。福の神と同じ、人間を富ませる力を持つ金霊に活動させることで、もっと上手く金が流れるように調整しようとしたのだ。

 

「福の神と貧乏神からの手紙によれば、この打開策は功を奏し、福の神と貧乏神の影響力は一時期同レベルに落ち着いて、人間界の経済も安定し始めたらしい」

 

「なら、何も問題は無いんじゃ……」

 

「一見すれば、何も問題は無かった。じゃがその裏では、新たな災厄が芽を出し始めていたのだった。

 

「災厄?」

 

「金霊っちゅう妖怪が、悪い妖怪になったってことか?」

 

「端的に言えば、その通りじゃ。金霊は多くの人間達のもとを渡り歩く中で、恐ろしい変化を遂げたのじゃ」

 

福の神と共に人間界の経済を調整するため、金霊は訪れた先の人間の家へと金を引き寄せる力を行使する中。引き寄せた金の中に宿った人間の欲望を吸収するようになり……その影響を受けるようになった。同じ妖怪であっても、上位種とされる“神”の名を冠する福の神と違い、金霊はその眷属とはいえ下位の存在である。人間の感情に対する耐性が低く、人間の欲望に徐々に毒されていってしまった。そして、決定的な変化が起こったのは、人間界が高度経済成長期に差し掛かった頃だった。

経済の活性化とともに膨れ上がった人間の欲望が渦巻く人間界を、これまで以上に忙しなく駆け回っていた金霊は、人間の欲望によって本来無かった“新たな能力”と“恐ろしい習性”を身に付け、世を乱すようになった。

 

「金霊が本来持っていた、訪れた人間のもとへと金を引き寄せる力。それが人間の欲望によって歪み……今では借金のカタに人間の寿命を金塊に変える力となってしまった。そして、寿命を金塊に変える手数料として十年分の寿命を金塊に変えて自らの体に貯えて己の力とするようになったのじゃ」

 

「そんな……それじゃ、ほたるちゃんは……!」

 

「借金のカタに寿命を金塊に変えられたようだな。その結果が、コレだろう?」

 

そう言って鬼童丸が取り出したのは、一本の金の延べ棒だった。先程、鬼太郎と鬼童丸が廃屋へ突入した際に、ねずみ男が拾い損ねた金塊の一つである。

同じ事務所のアイドルであり、友人であるほたるの寿命が借金のために削られたことに、その場にいたアイドル四人は衝撃を受けていた。特に、ほたるとユニットデビューする予定だった茄子が誰よりもショックを受けた様子だった。

 

「話は分かった。それで、金霊の暴走を看過できなくなった福の神と貧乏神が、金霊を封印したってことか」

 

「その後、福の神と貧乏神から手紙が届いて、金霊神社の御神体として封印されていた金霊が何者かによって解き放たれたと聞かされたんだが……」

 

「ある程度予想はしておったが……やはりねずみ男じゃったというわけじゃ」

 

ねずみ男が金霊を封印から解き放ったことに端を発する一連の事件の真相を話す鬼太郎と目玉おやじの二人は、揃って頭を抱えていた。

 

「自分が金儲けするために金霊の封印を解いたんだろう。しかし、本来の能力が人間の寿命を金に換える力だと知って、別の利用方法を考えたんだろうが……」

 

「そこで闇金融業者の連中に取り入って、借金苦の連中から金を搾り取って上前を撥ねる商売を立ち上げちまうとは……全く、感心しちまうぜ」

 

闇金融業者の債務者を文字通りの意味で食い物にするという、金霊の能力の悪用方法を即座に思い付くねずみ男の悪知恵には、鬼童丸も呆れと怒りを通り越して感心してしまっていた。

 

「鬼太郎さん、ほたるちゃんの寿命は……戻らないんでしょうか?」

 

ほたるの寿命が大幅に削られたと聞かされ、顔を青くした美穂は、どうにかほたるを救えないかと鬼太郎に掛け合う。

 

「金霊を倒せば……戻せるんじゃ、ないかな?」

 

「そ、そうや!金霊や!金霊さえどうにかすりゃあ、ほたるの寿命も戻せるんやないか!?」

 

ほたるの寿命を戻す方法として、小梅が真っ先に思い付いたのは、金霊を倒すことだった。妖怪の力で削られた寿命ならば、根源の妖怪を倒すか、言うことを聞かせるかすれば、ほたるの寿命を取り戻せる筈。絶望的な状況下で見えた救いの道に、巴が希望を見出そうとする。

 

「その見解は間違ってはおらんよ。金霊を倒せば、その力で生み出された金塊は全て土塊に代わり、換金された寿命は全て、寿命を奪われた人間のもとに戻る筈じゃ」

 

目玉おやじの回答に、小梅と巴、美穂、茄子は見出した希望が絵に描いた餅ではないといく確証を得て、喜色を浮かべる。

ただ一人……当事者であるほたるは、顔を俯けた状態で目を見開き、冷や汗を浮かべていた。

 

「但し、それはまだ生きている人間に限る。寿命を削り切られて絶命した人間はもう手遅れじゃ。寿命はもう戻せん」

 

「じゃ、じゃあ……ほたるちゃんの寿命は……!」

 

「こうして生きているなら、まだ残っている筈だ。だが、残された寿命は僅かだろうな……」

 

その後、鬼太郎は福の神と貧乏神からの手紙に記載されていた、金霊の能力による金塊の換金の仕組みについて説明していく。

金霊の寿命換金レートは十年あたり一千万円分である。換金可能な寿命は、その時点における人間の年齢と健康状態次第であるが、何の病気も無い状態であれば、寿命は百年前後と見込まれる。

ほたるの場合は、十代前半の若さでアイドルをできるだけの健康状態であり、寿命はおよそ百年と見込むことは可能である。ほたるが肩代わりした借金は七千五百万円で、七十五年分。これに十年分がプラスされて、合計八十五年である。

ほたるの年齢は十三歳なので、消費された寿命は合計九十八年。よって、遺されたほたるの寿命は残り二年となる。

 

「但し、寿命百年はあくまで見込みだ。一年や二年の誤差はあってもおかしくない」

 

「残り寿命二年ってのも、非常に怪しいところだな。この状態じゃ、今すぐにでも寿命が尽きてもおかしくねえな」

 

「なら、早く行かんと!」

 

「けど、行く先はどうやって調べれば……!」

 

「それなら安心しろ。車のナンバーは覚えているし、一反もめんが現在進行形で追い掛けている。金霊は自分の力を強大化させるために取立を続けるだろうから、最寄りの債務者のところに直行すれば、捕まえられる筈だ」

 

「一先ず、話はここまでだ。金霊とねずみ男を追いかけるぞ」

 

騒動を解決するためにも、金霊の打倒は必須。それが全員の総意となった。そして、鬼太郎と鬼童丸を先頭に移動を開始した、その時――

 

 

 

「やめてください!!」

 

 

 

ほたるの叫びが、廃屋の中にこだまする。その、これ以上無い程の悲痛さを孕んだ慟哭に、全員が歩みを止め、ほたるの方を振り返った。

 

「ほたる、ちゃん……?」

 

「お願いです……さっきの人達を追いかけるのはやめてください……!」

 

「ちょ、ちょっと蛍ちゃん!?」

 

「何を言うとるんじゃワレ!?」

 

地面に膝をついて土下座してまで頼み込むほたるに、アイドル達が戸惑いの声を上げる。早くしなければ自身の命が無いというこの状況下で、何故、金霊討伐を止めようとしているのか……アイドル達は状況が理解できずにいた。

そんな中、鬼童丸はほたるが何を考えているのか、的確に推測していた。

 

「俺達が金霊を倒せば、金塊は全て消滅する。そうなれば、多額の借金も返せなくなり、実家は助からなくなる。それを止めるためには、金霊を見逃してもらわなくちゃならない。そういうことだろう?」

 

「……はい」

 

鬼童丸の口にした推測に、ほたるは消え入るような声で頷いた。

それを聞いたアイドル達は絶句するも、すぐさまほたるを説得すべく動きだした。

 

「阿呆なこと言っとる場合か!お前、このままやと死ぬんやで!?」

 

「そうだよ!借金の事が大変なのは分かるけど……それでほたるちゃんが死んじゃうなんて、絶対おかしいよ!」

 

怒りの形相の巴に胸倉を掴まれて揺さぶられ、美穂が必死に考え直すよう呼びかけるも、ほたるは意思を変える様子は無かった。それどころか……

 

「もう……良いんです」

 

このような諦めの言葉まで口にする始末だった。

 

「何が良いんじゃワレ!」

 

「そうだよ!今まで頑張ってきて、やっとデビューできることが決まったのに、こんなところで死んじゃうなんて!」

 

「私だって諦めたくなかったよ!!」

 

今まで抑え込んでいた感情を爆発させたほたるの叫びに、必死の説得を行っていた巴や美穂は硬直してしまった。

 

「アイドルになるっていう夢を諦めたくなくて……精一杯頑張ってきて!……けど、結局無理だったんだよ……私が夢を叶えるなんて!」

 

涙を流しながら話すほたるの言葉には、これ以上無い程に悲愴な思いが込められていた。その姿を前に、周りの面々は何一つ口にすることはできずにいた。

 

「いつもそうだった……何をしようとしても、どんなに努力したって……何一つ叶えられなかった!

今までは、ただただ運が悪かっただけ……そう思ってきたけど、もう限界だよ。自分だけの不幸だったら、私が我慢すれば……私一人が頑張れば、何とかできた。けど、お父さんとお母さんまで不幸になって、大変なことになって……!」

 

「いや、それはほたるちゃんのせいじゃ……」

 

「私のせいだよ!私の周りでは、いつもこんなばかり……今まで所属していた芸能プロダクションが倒産したのも、そのせいで同じ事務所に所属していたアイドルの人達がデビューを諦めなきゃならなくなったのも……お父さんとお母さんが借金を背負うことになったのも、全部、私の不幸に巻き込まれたから!」

 

自他共に認めるほたるの不幸体質は今に始まったことではないが、自分自身が理不尽な不幸に見舞われることは勿論、自分と関わっただけの人間までもが酷い目に遭うのを目の当たりにする度に、傷ついてた。不幸に巻き込まれたと思っている人間達から「お前のせいだ」という言葉を聞いた時も、ほたるはその優しい性格故に全て自分の所為と信じて疑わず……常に自責の念に駆られていた。

 

「こうやってたくさんの人を不幸にして、苦しめるくらいなら……もういっそ、私なんて死んだ方が、良いんだよ……!」

 

そして、積もり積もった自責の念は、ほたるに自分自身の存在を否定し、死んでしまうべきなどという考えを定着させるに至ってしまった。

生きる意思が完全に消えた瞳で、自分等死んでしまった方が良いと呟くほたるに、巴と美穂、小梅は掛ける言葉が見つからず、黙り込んでしまった。鬼太郎と鬼童丸は、アイドル達の事情については部外者故に、何を言えば良いか分からず、同様に沈黙を貫くほかなかった。

ほたるを中心として、誰一人口を開くことのできない、重苦しい沈黙が廃屋に流れる。そんな中、最初に動き出したのは、茄子だった。ほたるの目の前まで移動し、虚空を見つめるほたるの絶望に染まった顔を見ると、

 

 

 

ほたるの頬を、思い切り張った――――――

 

 

 

『!!』

 

廃屋の中に響き渡った『パァンッ!』という音に、その場にいた全員が今度は別の理由で硬直してしまった。

ほたるもまた、頬に走る痺れるような痛みに、自暴自棄となった果てに呆然としていた意識が戻されていった。頬を張られて右を向いていた顔を正面に戻すと、そこには目に涙を浮かべながらほたるを見つめる茄子の顔があった。その瞳には、怒りと悲しみの色が宿っていた。

 

「“死んだ方が良い”なんて……そんなこと、言わないでください!」

 

「茄子、さん……」

 

涙ながらにほたるが先程口にした言葉を否定する茄子に、ほたるは先程のように自身の不幸を理由に死にたいと唱えることはできなかった。そんなほたるに対し、茄子は自身の思いのたけを告げていく。

 

「私、ほたるちゃんのこと、心から尊敬していたんですよ。今までどんなに不幸なことに見舞われていても、トップアイドルを目指して頑張ってきたって聞いて……夢を叶えるために直向きに努力してきたその姿を間近で見て……そんなほたるちゃんだったから、一緒にデビューできることになって、本当に嬉しかったんですよ……!」

 

茄子とほたるの二人が“ミス・フォーチュン”というユニットでデビューすることが決まった時。茄子が本当に喜んでいたのは、“デビューできたこと”ではなく、“ほたるとともにデビューできたこと”だった。不幸という名の逆境にもめげずに励み続けた姿と、その健気さは茄子には無いものであり、346プロで出会ったどのアイドルよりも眩しく輝いて見えていた。茄子が知る限りにおいて、誰よりもトップアイドルになる才能を持っていると思ったほたるとデビューできること。それは、茄子にとってアイドルとして何より誇りに思えることだったのだ。

だからこそ、茄子は許せなかった。トップアイドルになるという夢を追いかけるために、今までどのような不幸にも立ち向かってきたほたるが、死んでしまいたいなどと言って、何もかもを諦めてしまうことが――

 

「だから……ほたるちゃんは、死んでいい子なんかじゃないんです!そんなこと、絶対に言わないでくださいっ……!」

 

「茄子さん………………私……私、は……!」

 

茄子が紡ぐ心からの言葉に、ほたるの目から再び涙が溢れ出す。そんなほたるを茄子は優しく抱きしめた。

 

「ごめんなさい……茄子さん!ごめんなさい……!」

 

「悪いのは私もです。いつも一緒にいたのに……ほたるちゃんの苦しみに気付いてあげられなくて……本当に、ごめんなさい!」

 

「う、ううぅう……うわぁぁぁあああああ!!」

 

茄子の腕の中で、ほたるは赤ん坊に戻ったかのように大声で泣き叫び始めた。己の不幸に周囲を巻き込まないためには、もう死ぬしかない。それしか考えられない程に追い込まれていたほたるにとっては、茄子の心からの言葉は、何よりの救いだった。

それはまるで、茄子の太陽のように優しい心が、絶望という名の氷山を解かし、奥深く閉じ込められていたほたるという花に陽だまりの如き暖かさを与えているかのようだった―――――

 



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命取り立てます!薄幸アイドル、夢の代償…… ④

都内某所のとある有名大学。日が完全に沈み、夜の闇が支配する構内の中。理工学物の教授室に、三つの人影があった。

 

「こ、これで良いんだな!?」

 

「はい。これで問題ありませんよ」

 

部屋の主である大学教授の男は、この部屋を訪れた男の一人――ねずみ男に対し、署名された契約書を差し出した。

 

「では、先生。よろしくお願いします」

 

ねずみ男が契約書を連れの男――金霊へ差し出した瞬間。金霊から放たれた黄金の光が、部屋の主である大学教授を包み込んだ。

 

「ひっ……うわぁぁぁああ!!」

 

大学教授の悲鳴が部屋の中にこだましたが、光が収まるのと同時に、それも消えた。光が止んだ後には、部屋の中にはガラガラと床に金塊が落ちる音、そして先程まで立ち尽くしていた大学教授が床にばたりと倒れて絶命する音が響いた。

 

「有名大学の教授が、株に手を出して借金して、挙句寿命全部金に変えられちまうとは、馬鹿な話だねぇ……」

 

呆れたように呟きながら、ねずみ男は床に落ちた金塊を手持ちのバッグへと詰めていった。取り立てるべき金塊を回収し終えたねずみ男と金霊は、構内を出て駐車場へと向かった。

 

「先生、早く次に行きましょう。早くしないと、鬼太郎達がやってきちまいますから――」

 

「もう来ているぞ」

 

本日二度目の、背後から投げ掛けられた言葉に、ねずみ男がビクリと震える。ねずみ男がおそるおそる振り向くと、そこには見慣れた子供の人影と、割と最近知り合った大柄な男性の人影があった。言うまでもなく、鬼太郎と鬼童丸である。

 

「鬼太郎!」

 

さらに、上空から二人以外の声が掛かる。見上げるとそこには、上空に浮かぶ一反もめんと、その背中に乗る五人の少女の姿があった。女性とはいえ流石に五人も乗せていると、安定しないのだろう。少々ふらつきながらも、一反もめんは地面へ降下し、地面へ下ろす。

 

「お前の奪ったほたるの寿命、返してもらうで!鬼童丸の兄ぃ、頼む!」

 

「任せとけ」

 

ねずみ男と金霊が立っているのは駐車場のド真ん中であり、廃屋の時のように目晦ましをしている間に車に乗り込んで逃げるなんてことはできそうにない。鬼太郎も鬼童丸も、金霊を逃がす気は言うまでもなく無い。

 

「せ、先生!お願いします!こいつらを叩きのめしちゃってくださいっ!」

 

腕っ節という意味では無力に等しいねずみ男にできることは、相棒の金霊を頼ることだった。そして、そんなねずみ男の懇願に対し……金霊は動き出した。

 

「我の邪魔をする者共よ……」

 

 

 

断じて許さぬぞ!!

 

 

 

今まで恵比寿のような細目だった目をカッと見開き、金霊が鬼太郎達にそう宣言すると童子に、その身から途轍もない妖力が迸った。金霊の体から能力の発動を示す黄金の光が放たれるとともに、人間と変わらない肌やその身に纏っていたスーツまでもが金一色に染まる。さらに異変は続き、金霊の体の表面に水に小石を投げ込んだ時のような波紋が生じる。波紋は体の至る場所から発生し、それまで形作られていた人としての姿は完全に崩れ、スライムのような流体と化す。黄金の流体はぬるりぬるりと震えるごとにその体積を増し、あっという言う間に高さ五メートルにまで達した。その後、流体は生き物のように蠢くと、新たな姿を形成した。二本足に二本の腕、頭を持つ人形となり、戦国武将が身に付ける鎧兜が武装として形作られ、両腕の部分の先端からは長大な戦国刀の切っ先が伸びていく。次の瞬間に現れたのは、全高五メートルに達する、両手に刀を構えた黄金の鎧武者だった。

 

『オオオォォォオオオ!!』

 

雄叫びにも似たこの世の生き物が発することのできない悍ましい声が響き、同時に鎧兜の目の部分に赤い光が宿る。

 

「来るぞ!」

 

極限まで高まった妖力を察知した鬼太郎が、そう告げると同時に、巨大な鎧武者と化した金霊が鬼太郎と鬼童丸目掛けて襲い掛かる。

 

「ぐぅっ……!」

 

その巨体に加え、全身黄金でできているとは思えない俊敏な動きで距離を詰めた金霊は、右手に握る刀を振りかぶる。鬼太郎と鬼童丸は左右に分かれてそれを回避したが、次の瞬間には高速で振り下ろされた長大な刀が、コンクリートの地面を一閃し、深い亀裂を生み出していた。

 

(なんて切れ味だ……!)

 

コンクリートどころか鋼鉄すらも容易に切り裂くであろう切れ味に、鬼太郎と鬼童丸は警戒心を強める。言うまでもなく、妖怪が食らっても致命傷になりかねない切れ味である。

 

「髪の毛針!」

 

針のように鋭く尖り、鋼のように硬質化した鬼太郎の髪の毛が、念力によって機関銃のように金霊目掛けて放たれる。巨体の鎧武者と化した金霊に無数の髪の毛針が命中するも、その黄金でできた肉体を貫くには至らず、表面に浅く刺さっただけで、まるでダメージを受けた様子は無かった。

 

「うおりゃあっ!」

 

金霊が髪の毛針を放った鬼太郎の方を向いた隙を突き、反対側にいた鬼童丸が金霊目掛けて跳び掛かる。鬼妖怪自慢の怪力を込めた拳の一撃を、その背中へと叩き込む。だが……

 

「何……っ!?」

 

コンクリートすら容易く打ち砕く鬼童丸の一撃は、金霊の背中に大きな凹みを作り、その巨体のバランスを崩してふらつかせたが、それだけだった。髪の毛針の時と同様、大したダメージを受けた様子を見せなかった。それどころか、鬼太郎と鬼童丸が付けた傷と凹みが瞬く間に消えてしまった。

 

「再生能力か!?」

 

「いや、違う。あの黄金製の鎧武者は人形に過ぎん。金霊人間から搾り取った寿命を黄金として貯え、姿も形も意のままに操ることができるんじゃ」

 

「厄介な……!どうすればいいんですか、父さん!」

 

「人形の中にある金霊の本体を叩かねば、あの鎧武者は何度でも立ち上がってくるぞ!」

 

「簡単に言ってくれるけどよ……!」

 

金霊が操る鎧武者は、全高五メートルの巨人である。刺しても叩いてもすぐに戻ってしまう黄金の肉体の中から本体を探し出すのは容易ではない。

 

『オオオォォオ!!』

 

「チッ……!」

 

そうこうしている間にも、金霊は次の攻撃のために動き出す。標的は鬼童丸で、左手に持った刀を水平に構え、先程の斬撃と同等の速度で刺突を繰り出す。

弾丸の如き速度で放たれた刺突を、今回も危なげなく避けた鬼童丸だったが、鬼童丸の背後に停めてあった車が貫かれる。

 

「これならどうだ!?……ハァッ!」

 

『ゴォォォオッ!?』

 

鬼童丸の口から、野球ボール大の鬼火が放たれる。鬼火は金霊が刺し貫いた車へと飛び、刺された箇所から漏れ出ていたガソリンへと引火し、大爆発を起こす。その衝撃により、金霊の巨体が後ろへと倒れ、地面に背中をつき、その拍子に両手に持った刀も離してしまった。

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

そこへさらに、鬼太郎が畳みかける。黄色と黒のちゃんちゃんこを脱ぐと、勢いよく振り回して、金霊目掛けて放つ。ちゃんちゃんこは五メートル四方にまで巨大化すると、金霊の体を覆い尽くす。

 

「破壊することができないなら、ちゃんちゃんこで妖力を吸い尽くすまでだ!」

 

幽霊族の祖先の霊毛で編まれたちゃんちゃんこには、包み込んだ妖怪の妖力を吸収し、消滅させる力がある。破壊不可能な黄金の肉体を持つ金霊といえども、妖力を失えば身動き一つ取れなくなる。

 

『オォォ……ォォオオオオオオオッッ!!』

 

「何っ!?」

 

だが、鬼太郎の思惑は外れ、金霊はちゃんちゃんこで全身を包まれた状態で立ち上がり、とんでもない怪力で自身を拘束するちゃんちゃんこを引き剝がし、地面に叩きつけた。

 

「金霊の妖力が強過ぎる!ちゃんちゃんこでも妖力を吸い切れぬ!」

 

五メートルの巨体を持つことからも分かるように、金霊は封印を解かれて以降、相当な数の人間から寿命を奪い取って自らの力にしている。加えて、現代社会を生きる闇金融業者達のもとを渡り歩いたことで、その欲望に中てられて力を増しているのだ。

 

「やっぱり本体を叩かねえとならねえみたいだな」

 

「なら……これでどうだ!」

 

鬼太郎の体に妖力が滾り、同時に鬼太郎の頭のあたりからバチ、バチと電気が迸り始める。同時に右手を金霊に向けて突き出す。

 

「体内電気!!」

 

次の瞬間、鬼太郎の右の掌から極太の電撃が放たれる。電撃は金霊を直撃し、鎧武者の全身を包み込み、まるで落雷が発生したかのような轟音の閃光が周囲に溢れる。

 

「流石じゃ!電撃ならば、破壊することの叶わぬ黄金の体であろうと、本体にまで届く!」

 

金は優れた電気伝導率を持つ元素である。黄金でできた肉体に電撃を受けたならば、たちまち電撃は全身を駆け巡り、体内のどこかにある金霊の本体にまで届くことは間違いない。

これで金霊も一巻の終わりだと……誰もがそう思った。

 

『オォ、オオォォォオオオオ!!』

 

「な、何っ!」

 

「効いてねえだと!?どうなってやがる!」

 

電撃を受けた金霊は、雄叫びとともに妖力を迸らせ、鬼太郎に浴びせられていた電撃を腕を振るって消滅させた。

黄金の鎧兜の身でありながら、どうやって鬼太郎の体内電気を防いだのか。鬼太郎と鬼童丸も分からなかったその疑問は、すぐに氷解した。

電撃が止んだ中、金霊が動き出そうと片足を上げる。その時、ズボッという音とともに足の裏から伸びる幾本もの突起が見えたのだ。

 

「成程な……あのスパイクでコンクリートの地面をブチ抜いて、電流を逃がすためのアースにしていたってワケか」

 

「体内電気も通用しないなんて……!」

 

物理攻撃が通用しないだけでなく、電撃も防がれてしまう。反則級とも呼べる金霊の肉体を前に、鬼太郎は打つ手が無くなってしまった。

 

 

「鬼童丸、何とかならないか?」

 

「何とかねえ……まあ、手が無いことも無いがなぁ……」

 

『オオオォォオッ!!』

 

手から離れた刀を拾い上げ、襲い掛かってくる金霊を相手しながら、鬼太郎と鬼童丸。鬼童丸はまだ打つ手があるようだったが、乗り気では無いようだった。その理由を、金霊の斬撃を回避しながら説明する。

 

「最大出力で鬼火をぶっ放せば、金霊の本体を鎧諸共蒸発させて倒せるんだが……その場合は、辺り一帯が火の海になっちまうんだよな……」

 

「それは拙いな……」

 

鬼童丸の言う最大出力の鬼火がどのようなものかは、鬼太郎も身をもって知っている。酒吞童子と戦った際、鬼太郎と仲間の妖怪達全員を一撃で戦闘不能に追いやったそれは、後日、酒吞童子本人から聞かされた話によれば、鬼太郎達を消炭にしないように加減されていたという。それを全力放てば、金霊を鎧諸共に消滅させることは可能だろうが、今戦っている大学をはじめ、周囲の建物はそれに巻き込まれて全焼し、小梅や美穂をはじめとした多くの人間が焼死することは間違いない。鬼童丸の鬼火は、文字通りの最終手段である。

あらゆる力の通用しない金霊の黄金製の肉体を前に、為す術の無い鬼太郎と鬼童丸は、金霊の操る鎧が振り回す刀を避け続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

「どうしよう……鬼太郎さん、このままじゃ負けちゃうよ!」

 

「鬼童丸の兄ぃでも、どうにもできんのかい!」

 

戦場となっている駐車場の片隅に身を潜め、鬼太郎と鬼童丸が劣勢に立たされている様子を見ていたアイドル達は、顔を青くしていた。鬼太郎達が金霊を倒せなければ、風前の灯となっているほたるの命はいよいよ危ない。

 

「父さん!一体、どうすれば……!」

 

「金霊本体を叩くには、その鎧を除かねばならん。刺すこと叩くことのみならず、電気も通じぬとなれば……“溶かす”ほかあるまい」

 

金霊が目にも止まらぬ速さで振り翳す刀を紙一重で避ける鬼太郎と、その髪の毛の中にいる目玉おやじとのやり取りが、小梅や美穂がいる場所まで届いてくる。金霊の鎧をどうにかする手段に心当たりがあるらしい目玉おやじの“溶かす”という言葉に、鬼太郎だけでなく、それを聞いていたアイドル達も内心で疑問符を浮かべた。

 

「溶かす……一体、どうすれば?」

 

“王水”じゃ。金をも溶かす酸に妖力を込めれば、金霊の鎧すらも溶かすことができる。そうすれば、本体を曝け出すことができる筈じゃ」

 

王水とは、濃塩酸と濃硝酸を3:1のモル比で混合してできる溶液である。多くの金属を溶解できることから、錬金術師によって王の名を付けられたの溶液は、金霊の肉体を構成している金すらも溶かすことができる。

無論、単純に体表に垂らしただけでは大した効果は無いだろうが、妖力を込めて威力を増強すれば、金霊にも十分対抗できる筈。それが目玉おやじの見立てだった。

 

「王水……それがあれば、どうにかできるんですね……!」

 

「えっ……茄子さん!?」

 

そんな起死回生の手掛かりを耳にしたアイドルの中で、真っ先に動きだしたのは、茄子だった。駐車場の物陰を飛び出した茄子は、大学の構内へと駆け込んでいく。その後ろ姿を、他の四人も追いかけていった。

 

「茄子さん!どうするんですか!?」

 

「王水がある場所……知ってるの?」

 

大学構内を走りながら小梅が投げ掛けた問いに、先頭を走る茄子は頷いた。

 

「ここ、私が通っている大学なんです!理工学部の研究棟に行けば、多分見つかる筈です!」

 

「そうやったんか……なら、早う見つけんとな!」

 

幸いなことに、大学の研究棟に入るための出入口は施錠されておらず、茄子達は問題無く入ることができた。そして、茄子が知る理工学部教授が詰めている研究室の隣にある、薬品を保存している研究室へと入っていく。

 

「ここが研究室です!」

 

「けど、運が良かったよね。鍵がどこも閉まっていないなんて……」

 

「それが私の取柄ですから!」

彼女等が知る由も無い事だが、ねずみ男と金霊が借金の取立に訪れた大学教授こそが、この研究室の管理者だったのだ。故に夜遅くにも関わらず出入口は施錠されておらず、ここまで容易に至ることができたのだ。

しかし、経緯はどうあれ、何の障害にも阻まれずにここまで辿り着けたのは、茄子自身が言う通り、生まれついての幸運体質故と言えるのだろう。

 

「よっしゃ!あとは王水を探し出すだけやな!」

 

「けど、こんなにたくさんの薬品の中から、どうやって見つけ出せば……」

 

壁一面に並んだ薬品の保存棚を見渡し、途方に暮れる美穂。小梅とほたるも同様で、どこをどう探せば良いのか検討もつかない。

 

「手あたり次第に探すしかないやろ!急ぐで!」

 

「ありました!」

 

「早っ!」

 

巴が先陣を切って王水探しのために棚のガラス戸を開こうとしたのだが、その前に茄子が王水発見の声を上げた。茄子が最初に開いた棚の中から取り出した褐色瓶には、確かに“王水”の二文字が表示されていた。

 

「一発で見つけちゃうなんて……」

 

「茄子さん、凄過ぎです……」

 

茄子の奇跡に等しい幸運体質に呆然とした様子で呟く美穂とほたるだが、今はそれどころではない。

 

「早く鬼太郎さん達のところに!」

 

目的の物を見つけ出した五人は、研究室の出入口から外へ出ると、今も鬼太郎達が金霊と戦っている駐車場へと引き返していった。

 

 

 

 

 

『オオォォオオオ!』

 

「くっ……髪の毛針!」

 

両手の刀を縦横無尽に振るって襲い掛かってくる金霊に対し、髪の毛針を撃ち込む鬼太郎だが、先程と同様に針は鎧を貫通すること適わず、焼け石に水に等しい状態だった。

 

「クソッ!こうなりゃ仕方ねえ。親父や茨木姐さんを呼んで、どうにか捕獲するぞ」

 

「鬼太郎、止むを得ん。わし等もねこ娘達に増援を要請するんじゃ!」

 

「くっ……分かりました、父さん!一反もめん、頼む!」

 

「コットン承知!」

 

この場で退治することは不可能と判断した鬼童丸は、鬼太郎とともに増援として仲間達を呼ぼうとする。捕獲さえしてしまえば、金霊の本体を黄金製の肉体を切り開いて本体を引き摺り出すのも容易になる筈。

 

「そうはさせねえぜ!食らいやがれ!」

 

「ねずみ男!?」

 

援軍要請をしようとしていた二人だったが、それを阻むために、それまで物陰に隠れていたねずみ男が動き出す。戦場へと躍り出たねずみ男は、鬼太郎と鬼童丸に向けて尻を向ける。そして、腹に力を入れていきむと、盛大な音と共に猛烈な勢いで屁を放った。

 

「ぐぐっ……!」

 

「臭ぇっ……!」

 

「臭いか~……!」

 

ねずみ男が放つ屁には、まともに吸引すれば人間を心停止に追いやることもある程の殺人的な悪臭がある。この悪臭は妖怪相手でも効果があり、即死はせずとも失神に至るケースも珍しくはない。その悪臭に中てられ、仲間を呼ぶために飛ぼうとした一反もめんは墜落。鬼太郎と鬼童丸も、金霊とねずみ男から距離を取らざるを得なくなった。

 

「先生、ここは逃げましょう!」

 

「この……待ちやがれ!」

 

屁の悪臭で鬼太郎達を足止めし、撤退を試みるねずみ男。金霊は金塊の肉体を持つ妖怪故に、ねずみ男の屁は効果が無いようで、強烈な悪臭が立ち込める中でも普通に動いていた。

鬼童丸は鬼火を放って屁に引火させ、辺り一体を爆破しようかと思案したが、爆発が起これば煙が立ち込み、さらに敵が逃げやすくなると考え、動きを止めた。しかし、このままでは本当に逃げられてしまう。一体どうしたものかと逡巡した、その時。

 

「鬼太郎さん!」

 

鬼太郎と鬼童丸の後ろから、茄子を先頭にアイドル達が駆けつけてきた。

 

「鬼太郎さん、これを!」

 

「これは……“王水”!?」

 

「大学の研究室から取ってきました!」

 

「よくやってくれた!これで金霊を何とかできるわい!」

 

「だが、どうやって奴にこれを浴びせるんだ?このままじゃ近付けねえぞ」

 

金霊の鎧を除くための武器が手に入った。だが、金霊はねずみ男が放った屁の向こう側にいるため、接近は未だ不可能。金霊の懐へどうやって潜り込むべきかと思考を走らせようとした鬼太郎と鬼童丸だったが、その必要は無くなった。

茄子が駆け付けてきた途端、駐車場の中に唐突に強風が吹いた。風は駐車場に立ち込めていたねずみ男の屁を吹き飛ばし、瞬く間に霧散させた。

 

「しめた!これで金霊への道が開けたぜ!」

 

「何っ!こうなったら、もう一発……!」

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

「むごっ!?」

 

再度の放屁をかまして鬼太郎達を文字通り煙に巻こうとしたねずみ男だったが、鬼太郎はそれを見逃さない。ちゃんちゃんこを飛ばして、ねずみ男を簀巻きにして動きを封じる。

 

「よし、俺が行く!寄越しな!」

 

「はいっ!」

 

茄子から王水の入った褐色瓶を受け取った鬼童丸は、褐色瓶の蓋を外すと……その中に入っていた王水を、一気に飲み干した。その突然の奇行に絶句するアイドル達を余所に、鬼童丸は金霊目掛けて走り出した。

 

『オォォオオオッ!』

 

「させるかよ。ブフッ!」

 

金霊が右手に持つ刀を振り上げたのを見た鬼童丸は、口を窄めると、先程飲み干した王水を金霊目掛けて吹きかけた。まるで、時代劇等で見られる、消毒のために吹きかける焼酎のように勢いよく吹きかけられたそれは、金霊の右腕の肘に付着した。

 

『オ、オォオオッ……!?』

 

「鎧武者の腕が、溶けてる……!?」

 

金霊の腕に付着した王水は、瞬く間に金霊の腕を腐食させていく。そして、数秒後には金霊の右腕は腐食した肘の部分が折れ、地面へ落ちた。

 

「目玉おやじさん、あれって……」

 

「鬼童丸が飲み干した王水に胃の中で妖力を混ぜ込んだ状態で、口から吹きかけたのじゃ」

 

金を溶解させる王水に、最強クラスの鬼妖怪である鬼童丸の妖力が込められているのだ。如何に金霊の黄金の肉体が強靭であっても、溶解させるには十分な威力が宿っているのだ。

 

『オ、ォオオッ!』

 

「おっと!そら、もう一丁!ブフッ!」

 

右腕を失っても尚、抵抗を続ける金霊は、今度は左手に持った刀を突き出そうとしてくる。鬼童丸は難なく回避すると、今度は左腕の肘に王水を吹きかけた。右腕同様、左腕も瞬く間に腐食し、刀を突き出した勢いに耐え切れずに折れた。

 

『ゴ、オォオ……ォォオオオオッ!』

 

「逃がすかよ!ブフッ!ブフッ!」

 

王水攻撃に為す術が無くなった金霊は逃亡を図るものの、当然、鬼童丸は見逃さない。今度は金霊の両膝へと王水を吹きかけ、両足がバキリと折れる。

 

『オ、オォ、オオオ……』

 

「これで止めだ!ブフッッ!!」

 

両手両足を失って動けなくなっていた金霊の胴体目掛けて、鬼童丸は胃の中に残っていた王水全てを吹きかける。金霊の胴体はその原型を止めない程にドロドロに溶け出す。そして、その中から直径三十センチメートル程の、10円玉を彷彿させる銅板が浮かび上がってきた。

 

「あれこそが金霊の本体じゃ!鬼太郎!」

 

「はい、父さん!」

 

金霊の本体が出てきたこの瞬間を逃す手は無い。目玉おやじの言葉に従い、鬼太郎は金霊に引導を渡すべく指をピストルのように構えて金霊の本体たる銅板へ向けた。

 

「指鉄砲!!」

 

鬼太郎の指から放たれた青白い光弾は、金霊の本体へと真っ直ぐ飛来し、銅板の中央を撃ち貫いて大穴を開けた。その大穴から銅板全体に罅が入っていき、次の瞬間には完全に砕け散り、後には金霊の妖怪としての本体たる青白い魂の炎が浮かぶのみだった。

それと同時に、ある異変が起こった。金霊が魂だけの存在となった途端、辺りに落ちていた金霊の残骸からも、金霊の魂と同色の、青白い炎が浮かび上がっていく。

 

「父さん、これは……」

 

「金霊が人間から搾り取った寿命じゃな。金霊が倒されたことで、換金されていた寿命が、搾り取られた人間の内、生きている者達のもとに戻ろうとしているのじゃ」

 

金霊の残骸から浮かび上がった幾つもの青白い光は、夜空へと幾条もの光の線を描き、寿命を搾り取られた人間のもとを目指して、四方八方へと飛んでいく。光が飛び出した部分の金塊は、土塊と化していた。今頃は、同様の現象が、ねずみ男の顧客である闇金融業者が金塊を保管している金庫の中でも起こっていることだろう。

そして、それは借金の取立に応じていたほたるの身にも起こっていた。金霊の残骸と、ねずみ男と金霊が移動兼金塊運搬用に使用していた車から浮かび上がった青白い光が、ほたるのもとへと向かっていく。光はほたるの身に触れると、そのまま溶けるようにほたるの体に吸い込まれていった。

 

「茄子さん……」

 

「良かった……ほたるちゃん……本当に、良かった……!」

 

「ほたる……ったく、心配かけよって……!」

 

失われたほたるの寿命が戻ったことに安堵した茄子は、目に涙を浮かべながらほたるを抱き締めた。ほたるもまた、涙を流しながら茄子のことを抱き締める。その様子を、巴と美穂、小梅も涙ながらに見守っていた。

ほたるが抱えている多額の借金問題は、解決したわけではない。それでも今は、大切な人が生きていること、自分自身が確かに生きていることの喜びを、強く噛み締めていた。

 



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命取り立てます!薄幸アイドル、夢の代償…… ⑤

 

「本日は御足労いただき、ありがとうございます」

 

「こちらこそ、私達のために貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」

 

薄暗い会議室の中に、二人の女性の声が静かに響く。横に広がった長机の中心に座る、先に口を開いた方の女性、茨木瞳の冷たい視線を正面の相手に向けていた。これに対し、長机の正面に立っている女性、鷹富士茄子は毅然とした態度でその場にいる一同の視線を受け止めていた。

茄子が今いるこの場所は、彼女等の所属する346プロの事務所ではない。346プロのスポンサーである大企業、鬼ヶ島酒造の本社ビルの中にある会議室である。そして、茄子の目の前に並ぶ者達は、茄子と同じ人間などではなく……酒吞童子の部下である鬼妖怪達である。長机の中央に座る茨木瞳の表の顔は、鬼ヶ島酒造の副社長であるが……その正体は、酒吞童子に次ぐと言われる最強クラスの鬼、茨木童子なのだ。酒吞童子の右腕として、表と裏の両方の世界で辣腕を振るう茨木童子は、酒吞童子から社長業務を代行するためのあらゆる権限を与えられており、この場の問題の処理を任されているのだ。

ちなみに、茨木童子の隣の席には、酒吞童子の息子であり、茨木童子と並ぶ鬼ヶ島酒造の重役でもある鬼童丸の姿もあった。

 

「それでは早速ですが、今回の本題……先月、弊社より鷹富士茄子様にお貸しした七千五百万円の元金及びその利子に関する話し合いを始めましょうか……」

 

茨木童子のその宣言に、茄子の表情に緊張が走る。そして、その隣に立つほたるに至っては、「ひっ」と小さく悲鳴を上げながら震えてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

事の起こりは、鬼太郎達が暴走する金霊を退治した時点にまで遡る。

金霊を倒したことで、その能力で寿命を金塊に変えられた債務者達の内、辛うじて生きていた人間達は、奪われた寿命を取り戻すことができた。ほたるも例外ではなく、ギリギリまで削られていた寿命を無事に回復させ、命を繋ぐことができた。

 

「感動的なシーンに水を差すようで悪いが……お前等、“借金”の問題はどうするつもりだ?」

 

寿命を無事に取り戻せたほたると、ほたるを抱き締める茄子に対し、鬼童丸は非情な現実を突き付ける。金霊が寿命を換金した金塊が消滅したということは、ほたるの実家が抱えている借金を返済する手段が無くなったということでもある。命の危機こそ乗り越えたが、七千五百万円という巨額の負債は消えていない。これがある限り、ほたるの家族は本当の意味で危機を脱することはできない。

大元の問題である借金の話が出た途端、ほたるをはじめとしたアイドル達の顔が曇っていく。如何に美穂や小梅が人気アイドルとはいえ、七千五百万円などという大金を用意することなどできない。有名極道の一人娘である巴にしても、そのような大金を動かすことは不可能である。五人のアイドル達が重苦しい沈黙に包まれる中……最初に口を開いたのは、ほたるだった。

 

「……私、アイドルをやめようと思います」

 

「ほ、ほたるちゃん!?」

 

「おい、ほたる!」

 

それが、ほたるが下した決断だった。だがその顔には、金霊に魂を売り渡した時のように、悲嘆にくれて自暴自棄になっているわけではなく、確固たる意思で決意を口にしていることは傍から見て明らかだった。

 

「茄子さんに巴ちゃん……それに皆さん。今まで、ありがとうございました。アイドルになれないことは残念ですが、やっぱり実家がこんな事になっている以上、夢を追い続けることはできません」

 

「けどほたるちゃん、もうすぐデビューする筈だったのに……」

 

「私も悔しいですけど……今は諦めるしかありません。けど……いつかまた、トップアイドルを目指していきたいと思っています」

 

ほたるとしてもデビューを間近に非情に口惜しいが、借金問題で実家が困窮している以上、今は諦めるしかない。しかし、夢は完全には捨てない。いつかまたトップアイドルを目指して邁進することができるその日を信じ、この想いの火は胸の中に灯し続ける。そんな決心が、ほたるの瞳には宿っていた。

 

「ほたるちゃん……」

 

七千五百万円もの巨額の借金を実家が負っている状況で、アイドルの夢を追い掛け続けることなど、到底不可能だろう。ほたる自身もそれは分かっている筈。だが、それを承知でほたるは諦めないという意思を示した。

そんな決心を秘めたほたるを前に、美穂と小梅はおろか、同じ事務所の巴やユニットでデビューする予定だった茄子すらも何も言えなかった。部外者である鬼太郎と一反もめんは言わずもがなである。

 

「中々に見事な決意だな。その年でそれだけの覚悟をできるのは、大したものだ」

 

「鬼童丸の兄い……」

 

誰もほたるに対して何も言えない状況の中、鬼童丸が感心したように口を開く。その意図が分からず、巴等は怪訝に思う。

 

「だが、七千五百万円の借金は一般人の力で返せるものじゃねえ。ましてや闇金融業者が関わっているとなれば、娘であるお前も逃れることはできねえ。詰まるところ、お前は夢を諦めざるを得ねえってワケだ」

 

「そ、それは……」

 

「だが、その借金問題をどうにかする方法が一つだけあるとしたら……どうする?」

 

鬼童丸が唐突に出した話に、ほたるが顔を上げて目を見開く。隣で同じ話を聞いていたアイドル達と鬼太郎、一反もめんも同様の反応をしていた。

そんな中、ほたるを救う術があると聞き、真っ先にその方法を確認するべく鬼童丸に問いかけたのは、茄子だった。

 

「教えてください。どうすれば、良いんですか?」

 

「簡単なことだ。闇金に返済する七千五百万円を、この俺から借りるってハナシだ」

 

鬼童丸が出した、借金を返済するために新たな借金をするという提案に、一同は絶句してしまった。そんな面々を無視して、鬼童丸の説明は続く。

 

「鬼ヶ島酒造なら、七千五百万円くらいの金はすぐに用意できる。それにウチは、裏の世界にも顔が広いから、お前の実家が借金している闇金融業者の連中にはすぐに話を付けることができる」

 

鬼童丸の父親である酒吞童子が社長を務める鬼ヶ島酒造は、平安時代に酒吞童子の死後、茨木童子等が日本征服計画を遂行するために一千年もの時を掛けて成長させた、日本有数の大企業である。鬼童丸の言う通り、七千五百万円もの大金であろうと、用意することは容易いだろう。加えて、裏では巴の実家である村上組とも繋がっている。借金を返済した上で、これ以上ほたるの実家に手を出させないようにすることも可能である。

 

「……どうしてそこまでする?」

 

その場にいた誰もが感じた疑問を口にしたのは、鬼太郎だった。鬼童丸とほたるは、今日出会ったばかりの間柄である。鬼ヶ島酒造にとっては端金に過ぎないとはいえ、七千五百万円の借金を肩代わりする程の関係ではない筈である。

 

「なに、簡単なことだ。鬼ヶ島酒造がスポンサーをしている346プロのアイドルが、借金でデビューができなかったとなれば、ウチとしても損失だからな。ここは一つ、貸しにしておこうというだけだ。但し……こっちの提示する条件を、全て呑めるのならの話だがな」

 

鬼ヶ島酒造の利益のためにほたるに救いの手を差し伸べる旨を口にした鬼童丸だったが、どうやらタダで助けるつもりは無いらしい。そもそも借金をする以上、返済に際しては利子が付くことは間違いなく、その金額がどれ程のものになるかは想像がつかない。ましてや相手は妖怪。それも“鬼”である。どのような無理難題を突き付けられるか分かったものではない。

アイドル達それぞれの頭の中では、借金をしてでも現状を繋ぎ止めるべきだという意見と、このような提案には乗るべきではないという意見とが鬩ぎ合っていた。常識的に考えれば、借金を返すためにさらなる借金をするのでは本末転倒である。しかし、借金を取り立てようとしているのは悪質な闇金融業者である。どのような非道な取立をされるか分かったものではない以上、返済は急務であることに違いない。目先の安全のためにさらなる借金をするのか。それとも、新たな道が見つかるかもしれないという僅かな希望に賭けて、目の前の借金問題と向き合うのか。

どちらを選んでも、茨の道という表現ですら生ぬるい地獄の道になることは間違いない。ほたるとその家族の命運を左右すると言っても過言ではない選択故に、誰一人として口を出せずにいた。そんな重苦しい沈黙が続く中……唐突に、茄子が口を開いた。

 

「その借金ですが、名義人はほたるちゃんでなければならないのでしょうか?」

 

茄子が問い掛けたのは、ほたるが借金を負うべきか否かではなく、その名義だった。一体、何の目的で名義など確認したのか。誰もが疑問に思う中、鬼童丸だけは茄子の意図を察した様子で口の端を吊り上げながら答える。

 

「借金の名義人は誰であろうと構わねえ。借金の返済責任を負う覚悟があるなら、の話だがな」

 

「そうですか……」

 

鬼童丸の借金の名義人を問わないという旨を確認した茄子は、一度目を瞑ると、意を決して自身の考えを口にした。

 

「その借金、私に負わせてください」

 

「茄子さんっ!?」

 

茄子の衝撃的な宣言に、ほたるをはじめとした一同が瞠目する。この問題には我関せずの態度を示していた鬼太郎ですら茄子の方を勢いよく振り向いているのだ。

 

「七千五百万円だぞ。加えて、ウチの利息は闇金融業者よりも過酷だ。それでも構わないのか?」

 

「はい。構いません」

 

「待ってください!茄子さんがそんなこと……!」

 

七千五百万円もの借金をほたるに代わって負うと言い出した茄子に、当然ながらほたるは反対する。だが、茄子の決意は微塵も揺るぐ様子は無かった。

 

「今回の一件は、ほたるちゃんの苦しみに気付いてあげられなかった私の所為でもあるんです。せめてこの後の苦しみくらい、私が肩代わりしてあげたいんです」

 

「茄子の姉御……」

 

この場にいるアイドル達の中で、ほたるが自身の命を代償にしてまで借金を返そうとしたことを止められなかったことに責任を感じているのは、茄子だった。ほたるを止められなかったという点では、同じ事務所所属の巴も同罪なのかもしれないが、茄子の場合は同じユニットで活動する予定だった、者同士である。346プロダクションで最もほたるに近しい間柄だった茄子には、その悩みに気付く義務があると――少なくとも本人は――感じていた。

 

「本当に良いんだな?期日までに借金を返せなかった場合、悲惨な目に遭ってもらうことになるぜ」

 

「分かっています。それに、私も無策でこんなことを言い出したわけじゃありません」

 

「ホホウ……借金を返す当てがあるってことか?」

 

「はい。きっと、返済させていただきますので、ご安心ください」

 

どこか自信ありげな茄子に対し、興味深そうな表情を浮かべる鬼童丸。しかし茄子は具体的な借金返済の方策は話さず、ただ微笑みかけるのみだった。

 

「話は決まったな。契約書は後日、ウチの担当から用意させる。それで、今回の件についての後始末だが……」

 

ほたるの借金問題は別として、今回のビビビファイナンシャルコンサルティングを名乗る業者による取立の問題は、まだ完全には片付いていない。寿命の換金を実行していた金霊は倒されたが、まだ主犯格の処理が残っている。

鬼童丸が視線を向けた先には、鬼太郎の霊毛ちゃんちゃんこで縛り上げられたねずみ男の姿があった。

 

「むご~!むご~!」

 

「ねずみ男については、わし等の方で灸を据えておく。鬼童丸には悪いが、こいつが経営していた会社の処分を頼めるかのう?」

 

「ああ。元々そのつもりだったからな。お前等のお陰で闇金融業者が幅を利かせていた原因は取り除けたから、後のことは俺に任せておけ」

 

「助かる。それじゃあ、僕等はこれで引き上げさせてもらう。一反もめん、頼む!」

 

「コットン承知!」

 

鬼太郎に頼まれ、その背に目玉おやじを肩に乗せた鬼太郎を乗せた一反もめんは、尾の先にちゃんちゃんこで簀巻きにされたままのねずみ男を絡みつける。そして、その状態のままゲゲゲの森を目指して飛び上がった。

 

 

 

その後、ゲゲゲの森へと連行されたねずみ男は鬼太郎と目玉おやじ、そして天敵のねこ娘から夜明けまで正座させられた状態で説教され、顔面には例によってねこ娘から引っかき傷を付けられたのだった。

しかも、金霊が倒されたことで債務者が生存していた分の金塊は全て、土塊へと変わってしまった。その結果、ビビビファイナンシャルコンサルティングに取立を依頼していた闇金融業者達は、ねずみ男に対して補償を請求。ねずみ男は金霊を使って儲けた金全てを失った上、それでも返しきれない分を負債として抱える羽目になったという。

 

 

 

 

 

 

 

「一ヵ月前に鷹富士茄子様へお貸しした貸付金の元本は七千五百万円。利子は契約書に基づき、契約締結後の経過日数十日につき一割の計算で加算されていくこととなります。本日で三十日目となりますので、元本及び利子を合計しますと、総額は九千九百八十二万五千円となります」

 

「きゅ、九千っ……!」

 

茨木童子が細かな額まで正確に口にした借金の総額に、当事者としてこの場の同席を許されていたほたるは絶句し、顔を真っ青にする。俗に言う“トイチ”と呼ばれる、闇金融業者が使う利子率で算出された借金は、一億円近い数値にまで膨れ上がっていた。その巨額の負債に、茄子の表情がさらに固くなり、頬を冷や汗が伝っていた。

 

「鬼童丸様が言うには、借金を返済する方策に当てがあったようですが、本日に至るまで返済はありませんでした。この点については間違いはありませんか?」

 

「はい……間違いありません」

 

茄子が借金返済のために考えていた方策。それは、『宝くじ』だった。傍から聞けば、博打同然であり、正気を疑われても仕方の無いような方策だが、茄子にはこれを可能とする“力”とも呼べる、ほたるとは真逆と呼ぶべき奇跡のような“幸運体質”があった。

アイドルになる前には、福引では大当たりが当たり前。関わった人は軒並み運気が上昇。壊れていたモノは触れるだけで直る。そんなチート級の幸運を持つ茄子は、宝くじで高額当選したこともあった。茄子が求めれば、必ずと言って良い程に月が味方してくれるこの体質をもってすれば、借金返済も可能な筈。

だが、そんな茄子の期待は、早々に外れることとなった。金霊の一件が解決した後、茄子は予定通り、ほたると共にユニットデビューした。しかしそれ以降、それまでの尋常ではない幸運体質が嘘のようになりを潜め、思うように運気が向くことがなくなってしまったのだ。そうして、週に二回行われる宝くじの抽選は悉く外れてしまい、ほたるのために背負った借金を返済する目処は完全に立たなくなってしまった。

そして借金の返済期限の一ヵ月が経過した今日。茄子は借金の返済が儘ならなくなり、こうして鬼ヶ島酒造の本社へ呼び出されて今に至るのである。

 

「今一度確認させていただきますが、鷹富士茄子様には、本日中に先程申し上げました金額を返済することは可能でしょうか?」

 

「……いいえ。ありません」

 

借金の総額が一億円近くある以上、一介のアイドルに過ぎない茄子が当日中に返済できないというのは、当然のことだった。隣に立つほたる同様、悲痛な表情を浮かべて答える茄子に対し、茨木童子は感情の籠らない声色で非情な宣告を続けた。

 

「分かりました。それでは契約書に則り、鷹富士茄子様がお持ちの財産の差押えをさせていただきます」

 

「構いません」

 

「財産全てを差押えさせていただいても尚、返済金額に届かなかった場合は、別の手段によって支払っていただきます」

 

「承知しています」

 

「既にご存じだと思いますが、我々は妖怪です。人間社会においては表の世界にも裏の世界にも通じております。世間一般では非合法・非道徳的とされる、あなたのような若い女性を対象とした仕事の紹介もしておりますので、ご了承ください」

 

「っ……分かりました」

 

茨木童子の宣告に、それまで毅然とした態度で臨んでいた茄子の態度が崩れかけた。同じ女性に対する言葉とは思えない程に思いやりを感じさせない口調に、茄子とほたるの背筋に怖気が走る。

それでも、借金返済に掛かる条件を呑む旨の返事をした茄子に対し、茨木童子は相変わらず感情の見えない表情ながら、感心した様子だった。

 

「見事なお覚悟です。それでは、まずは財産の確認を――」

 

「待ってください!」

 

茨木童子が財産差押えの話を始めようとしたところで、ほたるが悲痛な声で待ったをかけた。その声により、茨木童子の話は中断され、その場にいた全員の視線がほたるへ向けられた。

 

「お願いします!茄子さんから借金の取立をしないでください!借金なら、私が払います!どんなことでも従います!だから……!」

 

「駄目ですよ、ほたるちゃん」

 

自分に借金の肩代わりをさせて欲しいと涙ながらに懇願するほたるに対し、茄子は優しく声を掛けた。その表情には、先程まであった悲痛さは感じられなかった。借金の支払責任を負うことに躊躇いが無い様子の茄子だったが、ほたるは頷けなかった。

 

「で、でも……私のせいでできた借金を茄子さんに押し付けるなんて、やっぱりできません!私が……私が支払わないと……!」

 

「それは違いますよ、ほたるちゃん」

 

茄子に借金を負わせられないと食い下がるほたるに対し、茄子は変わらず穏やかな口調で続けた。

 

「この借金は、私が自分の意思で負ったものです。その返済も、私の意思でしようとしていることです。それに……借金を負うことは確かに怖いですけど、同時にこの不幸は、私にとっては“誇り”に思えることでもあるんです」

 

そんな茄子の考えに対し、ほたるや茨木童子等は疑問符を浮かべる。借金を負うことは不幸であり、人生にとってのマイナスの筈。一体何故、誇りに思うなどと言えるのか。その真意が分からずにいた一同に対し、茄子は語る。

 

「同じユニットのかけがえのない仲間であるほたるちゃんを守れること。それに、生まれ持った幸運に頼らず、ほたるちゃんと同じ視線に立つことができたこと。借金を負うことでしか得られなかったというのは不本意ではありますが……それでも、私はこの不幸を誇りに思いたいんです」

 

「茄子さん……」

 

強い想いを秘めた瞳で話す茄子に、ほたるはもう何も言えなかった。巨額の借金を負うことに対する恐怖は消えていないようだが、茄子にとってはそれ以上に、ほたるを守り、その痛みを共有することができたことが嬉しかったのだろう。そんな茄子の嘘偽りの無い優しさに、ほたるは溢れる涙を抑えられなかった。

 

「よろしいのですか?我々としては、借金返済の責任を負ってただけるのであれば、そちらの白菊ほたるさんでも構いませんが」

 

「二言はありません。よろしくお願いします」

 

「……かしこまりました」

 

ほたるは完全に納得した様子ではなかったが、茄子が負債を負うことで話は付いたと判断した茨木童子は、取立の話を再び始める。

 

「それでは話を戻しますが、弊社の貸付金及び利子の総額およそ一億円を返済していただくために、鷹富士茄子様の財産の差押えをさせていただきます。

契約書に基づきますと差押えの対象となる財産には、預金、不動産、自動車、財産的価値のある動産が挙げられます。差押えの優先順位は記されていませんが、一部の例外を除き、現金に変えやすい預金等から順に差押えさせていただきます」

 

茄子が借金をするに当たって交わした契約書に記された、財産の取立に係る部分を確認のために再度説明する茨木童子に、茄子は頷いて了承の意を示す。

 

「それでは、まず差押えさせていただく財産についてですが……」

 

そして遂に、取立の対象となる茄子の財産へと話は進んでいく。氷のような冷たさを秘めた口調のまま、淡々と告げていく。

 

「弊社でお預かりしております金塊。その内のあなたの取分に相当するおよそ十二キログラムの所有権を我々に譲渡していただきます」

 

「………………へ?」

 

茨木童子の話が理解できず、間の抜けた声が出てしまった茄子。隣に立つほたるも同様の反応を示しており、衝撃のあまりとめどなく溢れていた涙が止まった瞳を大きく見開いていた。

そして、そんな二人の呆けた様子を見て、茨木童子の隣に座っていた鬼童丸は笑いを堪えるように震えていた。

 

「あ、あのう……金塊って、どういうことなのでしょうか?そのような物、私は持っていないのですが……」

 

「確かに鷹富士茄子さんは金塊を所有はされていません。しかし、所有権を主張できる金塊は存在します。

一ヵ月前、弊社が請け負った依頼に基づき、妖怪・金霊を退治した結果、金霊の肉体を形成していた金塊の一部を回収しました。大部分は鬼童丸様が妖力で強化した王水によって溶解し、存命していた債務者の寿命へと戻ってしまいましたが……それでも、三十キログラムほどは回収することができました」

 

まさかの金塊の出所に、茄子とほたるは唖然としてしまった。しかし、金塊の所有権が何故、茄子にもあるのか。疑問に思う二人をよそに、茨木童子の話は続く。

 

「金塊三十キログラムを、金霊退治への貢献度に基づいて按分した場合、直接戦闘に参加していた鬼童丸様とゲゲゲの鬼太郎に四割ずつ、金霊退治の鍵となった王水を用意なされた鷹富士茄子様に二割となります。

この内、ゲゲゲの鬼太郎は金塊の所有権の放棄を既に宣言しています。その分は、鬼童丸様と鷹富士茄子様に半額ずつ振り分けます。よって、最終的な取分の按分は、鬼童丸様に六割、鷹富士茄子様に四割となります。

そして、金塊の値段ですが……現在の金相場に照らし合わせますと、鷹富士茄子様の取分十二キログラムは一億円超となります」

 

「へっ?……それって、つまり……」

 

「先程は、一部の例外を除き、現金に変えやすい財産から順に差押えさせていただくことになると申し上げておりましたが、今回のケースはその例外に該当します。弊社との間で所有権の分配が確定していない財産がある場合は、例外としてこれを優先して差押えます。よって、金塊の所有権譲渡により、鷹富士茄子様への貸付金及び利子は、本日をもって完済と見なします」

 

一億円近い金額の債務を背負わなければならない事実に途方に暮れていたにも関わらず、借金返済の話をするために呼び出されたこの場で全額返済に至ったことに、茄子とほたるは驚愕のあまり開いた口が塞がらずにいた。

そんな二人の姿を見て、鬼童丸様は相変わらず肩を震わせて笑いを堪えていた。その様子を、茨木童子はチラリと横を見て目に呆れの色を浮かべていた。

 

 

 

 

 

茄子の借金返済に係る話し合いを経て、借金の返済が確定した後。茄子とほたるは鬼童丸に連れられて、鬼ヶ島酒造本社ビルのエントランスから正面ゲートを目指していた。その道中、ほたるが恐る恐る鬼童丸に質問を投げ掛ける。

 

「あの……鬼童丸さん」

 

「どうした?」

 

「金塊の件ですけど……もしかして、全部仕組んでいたんですか?」

 

「まあな」

 

先程まで会議室で行われていた借金返済に関する話し合いの中で疑問に思っていたことを口にしたほたるに対し、鬼童丸は飄々とした態度で答えた。

 

「鬼ヶ島酒造は346プロのスポンサーだ。借金のカタにアイドルに身売りなんてさせられるわけが無いだろう」

 

枕営業はアイドルのスキャンダルとしてよく聞かれる話ではあるが、万一そんなことが疑われでもすれば、アイドル生命が断たれることは必須。鬼ヶ島酒造の社長である酒吞童子が346プロのスポンサーをしているのは、復活当時に計画していた日本征服計画を賭けた酒の呑み比べ対決に負けた代償であるが、それ以上に酒吞童子は自身を負かした高垣楓をはじめとしたアイドル達に――嫁にしたいと思う程に――入れ込んでいる。そんな中で、同じ会社に所属している彼女の仲間のアイドルに身売りなどさせようものなら、酒吞童子が黙っていない。最悪の場合は、制裁として抹殺すらされかねない。そんなわけで、アイドルに対して不当に手を出すのは鬼ヶ島酒造全体において完全に禁忌となっているのである。

 

「それなら……どうしてあんなに勿体ぶっていたんですか?」

 

「いやなに、簡単なことだ。人間の本性ってのは、本当に追い詰められた時にだけ露になるものだからな。それを見せてやろうと思ったまでだ」

 

それが、鬼童丸が金塊の件を黙ったまま、借金についての話し合いの場にほたると茄子を呼んだ理由だったらしい。それでも未だに鬼童丸の思惑を理解できていないらしい茄子とほたるに対し、鬼童丸は自身の思惑を語っていく。

 

「お前は自分の不幸体質に、周りを巻き込んじまうんじゃねえかと随分気にしていたみてえだが、お前の相方はそんな事は微塵も気にしちゃいねえように俺には思えていたんでな。とはいっても、卑屈になってるお前はそんな事信じやしねえだろうから、こうして限界まで追い詰めてみたわけだ」

 

本当に借金のカタに身売りさせられるのではと気が気ではなく、心底悲痛な想いをさせられていた茄子とほたるは、全てが芝居だったと聞いて呆然としていた。そんな二人の反応に、鬼童丸は満足そうな表情を浮かべる。

 

「全く……本当に手の込んだ演出をしてくれたな」

 

「鬼太郎さん……?」

 

そんな話をしている間に、何故か鬼太郎が姿を現す。頭上には目玉おやじが座っており、隣には小梅もいた。どうやら、茄子とほたるが心配で駆け付けてきてくれたらしい。

 

「茨木童子も苦労しとるわい。お主の演出のために悪役をやらされるとはのう……」

 

「……茨木姐さんには悪かったと思っているさ。だが、そのお陰でそいつの本心は分かっただろう?」

 

茨木童子に身売り強要の悪役をやらせてしまったことに一応の負い目は感じているようだが、目的は果たせたことに満足しているようだった。そして、ほたるの方へと向き直ると、今回の芝居で知り得た“茄子の本心”について話し始める。

 

「お前の相方は、借金を丸々背負わされた挙句、身売りさせられそうになったってのに、お前の所為にして責任を負わせような真似は一切しなかったぜ。それどころか、お前の不幸を共有できたことを誇りに思っているとまで言った。これでもまだ、お前は自分の不幸を嘆き続けるつもりか?」

 

「そ、それは……」

 

「ユニット活動するアイドルってのは、仲間同士の信頼関係が重要な筈だ。これ以上不幸だ不幸だと辛気臭い顔してアイドル活動するのは、相方に失礼ってもんだろう。それに、曲がりなりにもトップアイドルを目指しているなら、不幸に囚われるな。少しは前を向いて生きることを覚えろ」

 

鬼童丸からほたるに対する、激励にも似た言葉に、傍らで聞いていた鬼太郎達は――目玉おやじは見た目では分からないが――目を丸くする。冷酷非道な妖怪として知られる鬼である鬼童丸らしからぬ対応だったからだ。

一方のほたるは、鬼童丸からの言葉に感極まったように涙を浮かべていた。それは、傍らに立つ茄子も同様だった。

 

「茄子、さん……」

 

「ほたるちゃん」

 

鬼童丸の言葉が終わった後、ほたると茄子の二人は互いに向かい合い、見つめ合う。やがて、茄子は穏やかな笑みを浮かべると、口を開いた。

 

「これからも、よろしくお願いしますね」

 

「……はいっ!」

 

そんな短いやりとりの中で、しかし二人は確かに心を通わせていた。互いに微笑み合い、手を取り合うその姿は、まるで長年付き添った姉妹のようにも見えるような、温かさを感じさせるものだった。

 

「……」

 

「らしくない、って言いたげだな」

 

「鬼太郎の言う通りじゃわい」

 

鬼太郎と目玉おやじから、先程までの呆れの視線とは違う、何とも言えない物を見るような視線を向けられた鬼童丸だったが、相も変わらずふてぶてしく笑うばかりだった。

 

「百パーセントの善意で言ったわけじゃねえさ。346プロのアイドルユニットが好調になることは、スポンサーの俺達にとっても都合が良いからな。それに……」

 

そこで言葉を切ると、今度は自嘲するような苦笑を浮かべながら独り言のように呟いた。

 

「互いに本心では信頼し合っているのに、勝手な思い込みの負い目からすれ違っちまう連中ってのは、どうにも放っておけなかったから……かもな」

 

「鬼童丸……」

 

それを聞いた鬼太郎と目玉おやじは、鬼童丸が何を思ってあのようなことを言ったのかを悟った。

日本征服という大願のために、主君の大好物たる酒を道具にしてしまった茨木童子と、自身の意にそぐわない作戦を立てて実行しようとした部下に本心を打ち明けられなかった酒吞童子。誰よりも身近な二人のすれ違いを止められなかったことは、鬼童丸にとって何よりも悔やまれてならなかったことだったのだ。

だからこそ鬼童丸は、ほたると茄子の姿に、酒吞童子と茨木童子を重ねてしまい……その行く末を、捨て置くことができなかったのだ。

 

「ま、これで俺の仕事は本当の意味で終わりだ。これからあの二人――ミス・フォーチュンが大成するかは、あいつ等次第ってことだ」

 

鬼童丸はそれだけ言うと、もうこれ以上の問答は不要と判断し、その場を去っていった。

後に残された鬼太郎と目玉おやじ、小梅は、その背中を見送ると、改めて茄子とほたるの方を見た。

 

「鬼太郎さん……あの二人なら、きっと大丈夫だよ……」

 

「父さん、僕もそう思います」

 

「ウム。幸運体質の茄子ちゃんと、不幸体質のほたるちゃん。相反する体質を持つ二人が寄り添い合ってこそ、歩める道があるというものじゃ」

 

単純に幸福なだけでは足りない。不幸であれば良いというわけでもない。福の神と貧乏神という、相反するものを司る妖怪達が手を取り合って経済を回しているように、正反対の性質を持つ者同士が寄り添い合い、足りない物を補い合うからこそ、良い方向へと進むことができるのだ。

自分と相手、双方の大切さを理解することができた茄子とほたるならば、アイドルとしてきっと成功するだろう。そんな未来が、鬼太郎と小梅には見えるような気がした。

微笑ましいやりとりを続けるミス・フォーチュンに、鬼童丸同様にもう大丈夫だろうと思った鬼太郎と小梅は、踵を返すとともに、カランコロンという下駄の音を優しく響かせながら、立ち去っていった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼太郎、ちょっといい?」

 

「どうしたんだい、ねこ娘」

 

金霊の一件から数日が経過した後のこと。ゲゲゲの森にある鬼太郎の家を、ねこ娘が訪れていた。ねこ娘を出迎えたのは、家の住人である鬼太郎と、目玉のおやじ。それに……

 

「ねこ娘さん、お邪魔してます」

 

「……小梅もいたのね。まあ、ちょうどいいわ」

 

鬼太郎の傍に座る小梅の――幽体離脱の術でここの来ている――姿に、ほんの僅かに不愉快そうに目を細めるねこ娘だったが、今はむしろ好都合だと考え、二人の方へと詰め寄る。

 

「鬼童丸からSNSで私のところにメッセージが届いてんのよ。それも、346プロのアイドル絡みで」

 

「佐久間まゆちゃんのことかのう?何や熱烈なアプローチを受けているようじゃったが……」

 

鬼太郎は以前、鬼童丸からまゆへの対応について手紙の相談を受けたことがあったが、我関せずを貫いた。そのため、ねこ娘の方へ白羽の矢が立ったのだろう。

鬼童丸が346プロ絡みで鬼太郎達に連絡を飛ばしてくる案件として真っ先に思い浮かぶ、愛が重すぎることで知られるアイドルの名前を目玉おやじが口にするが、ねこ娘は首を横に振った。

 

「その子のことじゃないのよ。まあ……全く無関係ってわけでもないけど。とにかく、これ見て」

 

とにかく見てくれと言ってねこ娘が差し出したスマホには、つい先ほど鬼童丸から送られてきたとされるSNSのメッセージが表示されている。そこには、以下のような内容が綴られていた。

 

 

 

 

 

KD0

ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだが……

 

nya3_neko

 

何があったのよ

 

KD0

346プロのアイドルから熱烈なアプローチを受けている

なんとかしてくれ

 

nya3_neko

佐久間まゆの話なら、あんたでなんとかしなさい

 

KD0

別のアイドルだ

この前、鬼太郎と一緒に解決した一件で知り合ったアイドルだ

それも二人

 

nya3_neko

なんでそんなことになってんのよ

しかも二人って

 

KD0

妖怪退治のついでに仲を取り持ったら、こうなった

 

nya3_neko

(ˇ・ω・ˇ)

 

KD0

顔文字で困惑してないで、助けてくれ

 

nya3_neko

知らないわよ

自分でなんとかしなさい

 

KD0

それができないから困ってんだよ

 

nya3_neko

伊達に年取ってないでしょ

茨木童子に聞いたけど、今まで結構な数の女性と関係を持ったそうじゃない

今までの経験を活かしてなんとかしなさい

 

KD0

346プロのアイドル相手にそういう関係を築くのは御法度だ

というより、相手は未成年だ

コンプライアンス的にも問題だ

 

nya3_neko

鬼がコンプライアンスwww

 

KD0

草生やすな

マジでヤバいんだよ

その二人のことが、まゆに知られて修羅場状態なんだよ

 

nya3_neko

wwwwwwwwww

 

KD0

だから草生やすな

 

nya3_neko

だから知らないわよ

惚れさせたんなら、責任取りなさいよ

 

KD0

いや、マジで頼む

鬼太郎は頼りにならねえんだよ

早くしないと

 

 

 

 

 

「早くしないと……どうなるんじゃ?」

 

「メッセージはここで終わってるわ。多分、まゆにでも捕まったんじゃないかしら?」

 

呆れ交じりのため息を漏らしながら、ねこ娘はそう言った。あの愛の重いアイドルたるまゆにとっての目下の思い人たる鬼童丸を慕う女性が二人も増えたとなれば、何をしでかすか……妖怪である鬼太郎やねこ娘ですら、想像するだけでも恐ろしい。

 

「それで鬼太郎さん……どうする?」

 

「……まあ、為すようになるんじゃないか?」

 

「ウム。この件は、やはり鬼童丸自身で解決すべきじゃな」

 

小梅の確認するような問い掛けに対し、鬼太郎と目玉おやじは鬼童丸に対して救済の手を差し伸べないことを表明した。隣に座るねこ娘も、知らないとばかりにスマホのSNS画面を消した。

 

(茄子さんにほたるちゃん……頑張ってね……)

 

鬼太郎の家でのほほんと寛ぐ鬼太郎とねこ娘を余所に、巨大な障害を乗り越えて仲を深め、アイドルとして邁進している茄子とほたるの活躍に想いを馳せ、心の中で激励を送った。

尚、二人――正確にはまゆを含めて三人――の恋のバトルについては、心の中でも、誰か一人を推すことはせずにいることにしていた。

 

鬼太郎や小梅が過ごすゲゲゲの森には、今日も平穏な時が流れていた。

 



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島村卯月編
奪われた笑顔!夜闇に響く不気味な哄笑 ①


 

人気が少なくなった夜更けの時間帯の、都内某所にあるバス停。僅かな乗客を乗せた最終バスが、扉を閉めて今にも発進しようとしていたその時。

 

「ま、待ってくださ~い!!」

 

バス停を目指して慌ててダッシュする人影があった。サイドアップされた長い髪を靡かせながら走る制服姿の少女は、バスに手を伸ばして必死に声を上げたが……無情にもバスは少女の存在に気付くことなく、発進してしまった。

 

「あう~……行ってしまいました……」

 

全力ダッシュも空しく、遠ざかっていくバスを見つめながら、少女――島村卯月は涙目になりながら呟いた。

この日。346プロのアイドルの一人である卯月は、都内のラジオ収録の仕事が夕方に終わった後、たまたま近場にあったデビュー前に通っていた養成所に向かい、ダンスの自主レッスンに勤しんでいた。しかし、いつも以上に熱が入り、休憩を挟みながらも踊り続けること数時間。さらに、養成所に詰めていた講師と昔話に花を咲かせることしばらく。時刻は日暮れを通り越し、自宅の最寄り駅へ向かうバスの時間も最終に乗らなければならない時間帯となり……遂に乗り逃す事態となってしまったのだった。

 

「しょうがない……歩くしかないか……」

 

それが、家へ帰るための最終のバスを逃してしまった卯月が出した結論だった。タクシーを呼ぶという手段もあるにはあるが、残念ながら現在の卯月の手持ちは心許ない。幸いというべきか、自宅最寄りのバス停は、卯月が今いるバス停から三つ目であり、徒歩で帰るのは不可能ではない。人気は無いが、街灯もそれなりにあるため、道は比較的明るい。卯月自身もこの辺りを歩いた経験があるので、そこまで不安も無い。

いつまでも立ち尽くしているわけにもいかないと決意を新たにした卯月は、スマートフォンで自宅の母親へ遅くなる旨を連絡すると、いざ歩き出す。

 

(う~ん……やっぱり遠いなぁ……)

 

自宅までの距離はそこまで離れていない筈だが、夜道なだけで遠く感じて仕方がない。加えて、この辺りの治安はそこまで悪くはないと分かっていても、不安を覚えてしまう。

 

(早く家に着かないかなぁ……)

 

暗い夜道を足早に歩く中、卯月の不安は徐々に大きくなっていった。心なしか街灯の数も、道を行く車の数も少なくなってきたように感じられる。さらに、白い靄のようなものまで見えてきた。不気味な怪現象まで発生したことに伴い、卯月の早く帰宅したいという思いも強くなる。そんな時だった。

 

「あっ……」

 

暗い夜道を見渡す中、卯月は視界にあるものを捉えた。それは、建物と建物の隙間を通る小さな脇道だった。そしてその脇道は、現在歩いている大通りの道を歩く場合に遠回りとなってしまう卯月の家の方向へと続いていた。

 

(もしかしたら……!)

 

スマートフォンを取り出し、現在地と自宅の場所の相対位置を確認する。すると、卯月の目の前にある脇道が、卯月の家へと至る近道になるとされていた。

 

(どうしようかな……)

 

家への近道になるのなら、喜んで通りたいところではあるものの、問題の脇道は、卯月が今現在通っている道より狭い上に、街灯が設置されている間隔も長いため、足元も見渡せない程に暗い。本当に何かが出そうな、物騒な雰囲気に包まれた空間が広がっているその場所に足を踏み入れるのは、相当に勇気が必要だった。

暫し悩んだ卯月だったが……意を決して、近道をして早く帰ることを選択した。

 

(思ったより暗いなぁ……)

 

近道とされる横道へ入って数分程歩いたが、大通りから見た時に感じた以上に暗い。街灯と街灯の間は足元のみならず右も左も黒一色。その上に、白い靄が立ち込めているのだ。卯月と同じシンデレラプロジェクト所属のアイドルである蘭子の挨拶の通り、闇に飲まれたような景色に、卯月は背筋が凍り付くような感覚を覚えていた。

 

(もう少し……あとちょっとで抜けられる筈……)

 

スマホの明かりとそこに映し出されたマップを頼りに、右に左に歩き続けることしばらく。ようやく暗闇の道にも終わりが見えてきた。あと五分ほど歩けば、大通りに出られる筈。そして、歩く速度を上げようとした……その時だった。

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

「な、何っ!?」

 

突如として、女の笑い声が聞こえてきた。誰かいるのだろうかと思わず後ろを振り返った卯月だが、そこには誰もいなかった。再び前を見ても、そこには誰もいない。

一向に止む気配は無い笑い声は、より大きくなっていく。そんな中で立ち尽くす卯月に対し、さらなる異変が襲い掛かる。

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

「え……な、何これ……?」

 

道の中心で立ち尽くす卯月を囲むように、白い霧のようなものがさらに濃く立ち込めていく。次々に起こる怪現象に、竦み上がる卯月をよそに、不気味な笑い声はさらに響き続ける。辺りの電柱、マンホール、ブロック塀といった物、そして闇そのものまでもが大笑いしているように思えてきてしまう。

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

「誰……誰なの!?」

 

姿無き何者かに対する卯月の問い掛けに対し、しかし、答えは返ってこない。その代わりに、狭い通りに反響する笑い声はさらに大きくなっている。明らかに自分に向けられている不気味な哄笑の主は、一体何をしたいのか。謎ばかりが深まる中……先程の問いに応えるかのように、遂に何者かの気配が卯月の背後に現れる。

 

「っ……!」

 

卯月が思わず、反射的に背後を振り向く。すると、先程まで誰も居なかった筈の道の上に……一人の女性がいた。年の頃は卯月とそう変わらない、着物を着た十七歳くらいの少女である。恰好もそうだが、一本道のこの通りに一体どこから現れたのか。その存在自体が異質に思えてならない少女の存在に、そしてその不気味な笑みに、卯月は戦慄する。と、その時だった。

 

「ふ、ふふっ……あははっ、はははははっ!」

 

突如として、卯月は笑いだす。一体何故、自分は笑っているのか。何がおかしいのか。全くもってわけが分からないままに、ただひたすら笑う。そして、窒息しそうになるのではと思う程に笑い声を上げた、そして……

 

「あ、はは、は……」

 

唐突に始まった卯月の笑いは、唐突に終わることとなる。急激に力が抜けていき、先程までの笑いが嘘のように、声を上げることが億劫になる程の倦怠感が襲ってきたのだ。わけの分からないままに始まった笑いは、わけが分からないままに終わってしまった。笑いが終わった後には、まるで数百メートルを全力疾走した後のような疲れが残るばかりだった。

そして、ふと気が付けば、突如として現れた着物の少女は消え去り、辺りに反響していた笑い声も収まっていた。卯月の立つ夜の裏通りには、暗闇と静寂が残るばかりだった。

 

「……一体、何だったんだろう?」

 

まるで、心霊番組で紹介されているが如き怪現象に首を傾げるが、答えは出なかった。自分と同じ346プロに所属する、霊感が強いと噂される白坂小梅に相談すれば、何か分かるかもしれない。もしくは、小梅と仲の良い、自分の所属ユニット、ピンクチェックスクールの仲間である美穂に聞くのも良いだろう。二人は今、事務所で話題になっている『ゲゲゲの鬼太郎』と知り合いという噂もあるので、頼りになる筈。そう考えを改め、卯月は再び家への帰路に着くのだった。

 

 

 

この時、卯月は気付かなかった。

自分の中で、かけがえの無い、大切なものが抜け落ちたことを――――――

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございまーす!」

 

346プロ本社ビルにある事務所のドアを潜った美穂が、部屋の中に既にいた先客に挨拶をする。

 

「おはよう……美穂ちゃん」

 

「おはようございます、美穂ちゃん」

 

美穂を出迎えたのは、美穂と同じ部署に所属する白坂小梅と、サイドテールの髪型をした、茶髪のアイドル。346プロの中でも家事万能なお嫁さんキャラで知られるアイドル、五十嵐響子である。

 

「あれ?どうして響子ちゃんがここに?」

 

「やだな~。今日はこの後、来週予定されているピンクチェックスクールのライブの打合せがあるじゃないですか」

 

「あ、そっか!じゃあ、迎えに来てくれたんだ」

 

同じ会社のアイドルではあっても、部署は違う響子がこの場にいた理由に得心する美穂。ここ最近、ユニットを複数掛け持ちしていたことで忘れてしまっていたが、来週には美穂と響子が所属するユニット、『ピンクチェックスクール』――略称『P.C.S』のライブが予定されているのだ。

 

「美穂ちゃんは掛け持ちしているユニットが多いですからね。『ピンキーキュート』に『ユモレスク・ユニティ』、『Masque:Rade』とか……」

 

346プロのアイドル達は、部署を超えてユニットを作って活動することが多い。クリスマスはハロウィンといった、四季のイベントを舞台として活動する期間限定ユニットも含めれば、結構な数になる。無論、個人のスケジュールには限界もあるので、通常時に掛け持ちするユニットは二つ、期間限定ユニットを含めても多くて三つである。

現在、美穂がメインで掛け持ちしているのはP.C.SとMasque:Radeであり、前者のユニットのライブが間近に迫っているのだ。

 

「それじゃあ、そろそろ時間ですし、移動しましょうか」

 

「うん。それじゃあ、小梅ちゃん。またね」

 

「また後で……」

 

部署の部屋に荷物を置いた美穂は、響子とともに部屋を出る。その後姿を小梅は袖が通っていない手を振って送り出した。

 

「ええと……ここの会議室ですね」

 

響子とともにP.C.Sのライブの打合せが予定されている会議室へと、打合せ開始五分前に着いた美穂は、ドアを開いて中へと入る。挨拶をしながら部屋へと入ると、そこには『P.C.S』のプロデューサーがいた。ちなみに、P.C.Sのプロデューサーは、響子のプロデューサーでもある。だが、会議室にいる筈のメンバーが一人足りなかった。

 

「あれ……卯月ちゃんは?」

 

美穂、響子と並ぶP.C.Sメンバーの一人である島村卯月の姿が無かったのだ。何か用事があってまだ到着していないのだろうか。そのように疑問に思った美穂と響子に、プロデューサーが問いかける。

 

「なんだ、卯月は一緒じゃないのか?」

 

「えっ……プロデューサーさん、卯月ちゃんがどうしていないのか、知らないんですか?」

 

「何の連絡も入っていないんだよ。何かあったら、すぐに連絡をくれる筈なんだけど……」

 

卯月はアイドル活動には人一倍熱心で真面目な性格をしている。プロデューサーの言う通り、打合せに間に合わない事情などがあれば、即座に連絡を入れてくれるのが常だった。打合せ五分前になっても現れないことは、ほぼ無かった。

 

「卯月ちゃんって、確か今日は会社にいるんだよね」

 

「うん。確か下の階にあるレッスンルームで、『ニュージェネレーションズ』の二人と一緒にレッスンしている筈だよ」

 

「行ってみようか。プロデューサーさん、ちょっと遅れます」

 

「あ、ああ……」

 

本人が会社内の、しかもすぐ傍にある部屋にいるのならば、話は早い。美穂と響子は卯月がいる場所へと向かうことにした。

会議室を出て、階段を降りて下の階にあるレッスンルームへと歩いていくのだが……

 

「一体、どうしちゃったの、しまむー!?」

 

「あれ?この声って……」

 

美穂と響子が階段を降り切ったその時。悲鳴にも似た声が聞こえてきた。しかも、346プロ所属アイドルとして聞き知った声であり、レッスンルームにいる筈の人物の声である。美穂と響子は顔を見合わせると、すぐ問題の場所へと向かった。

レッスンルームのドアを開くと、そこには目的の人物たる卯月を含む、ジャージ姿のニュージェネレーションズのメンバー三人がいた。

 

「卯月、どうしちゃったの……!?」

 

心配そうな表情で卯月に声を掛けているのは、卯月と同じくニュージェネレーションズのメンバーである長い黒髪の少女、渋谷凛である。その隣には、先程階段まで聞こえる程の声を上げた、快活なイメージのあるショートカットの少女、本田未央が同様に心配そうな表情を浮かべた状態で立っていた。問題がある様子の卯月は、美穂と響子のいる場所に背を向ける形で立っている。

状況がいまいち分からない美穂と響子は、靴を履き替えてレッスンルームへと入り、三人のもとへと近付いて事情を聞くことにした。

 

「三人とも、どうしたの?」

 

「美穂に響子……どうしてここに?」

 

「打合せの予定だったんだけど、卯月ちゃんが来なかったから、様子を見に来たんだけど……何があったの?」

 

「聞いて、みほちー!きょーちゃん!しまむーが大変なことに……!」

 

顔を青ざめさせて泣きそうになっている未央の声は、不安のあまり震えていた。ちなみに、『みほちー』及び『きょーちゃん』とは、未央が二人につけたあだ名である。お馴染みのあだ名で呼ばれた二人は、卯月の正面へと回り込む。すると……

 

「えっ……!」

 

「卯月ちゃん……!」

 

レッスンルームへ入った時には見えなかった、卯月の顔。それを見た美穂と響子は、絶句してしまった。

いつも一生懸命で、どんな時でも笑顔を絶やさなかった卯月。だが……今、卯月の顔からは笑顔が完全に消失していた。単に笑っていないだけというわけではない。表情筋の一切が止まっているかのように、目の瞬き以外の動きが見られないのだ。

未央と凛と同様、卯月と同じユニットに所属するアイドルとして彼女のことを知る美穂と響子には、今の彼女の状態が――どう言い表すべきかは分からないが――異常であることがすぐに分かった。

 

「卯月ちゃん……一体どうしちゃったんですか?」

 

「何て言えばいいのか分からないけど……卯月、今日はなんだか変で……!」

 

「全然笑わないし、表情が変わらなくて……こんなしまむー、見たことないよ!」

 

まるで能面を被せたかのように変化が無い表情は、人間のそれとは程遠く……まるで人形のように思えてならない。加えて、その場にいたアイドル達が何より悲痛な思いを抱かされるのは……その“瞳”だった。

 

(これが……卯月ちゃんだなんて……!)

 

美穂の胸の中の呟きは、その場にいた全員の総意だった。かつて、笑顔でいることに何の意味があるのか、自分にアイドルとしての素質が本当にあるのか、という問題でスランプに陥ったこともある卯月だが、こんな表情は見たことが無い。今の卯月の瞳には、感情の光というものが全く宿っていない。一体、彼女の身に何があったというのか……美穂と響子の疑問は増すばかりだった。

 

「卯月ちゃん、何かあったの?」

 

「……分かりません」

 

未央と凛にも事情が分からないようなので、卯月本人に質問を投げ掛けた美穂だったが、返事は芳しくなかった。表情に変化が無いものの、自身に起きたことを誤魔化したり、嘘を言っているわけではないことは分かった。

 

「私、分からなくなっちゃったんです。嬉しいとか、楽しいとか……今まで当たり前のように思っていたことが分からなくなって……それに、そんなことになって悲しい筈なのに、涙も出なくて……」

 

「卯月ちゃん……」

 

笑顔になれないというだけでなく、それを悲しいと感じることすらできないという。今の卯月は、笑顔になるための喜びや楽しみだけでなく、感情の全てを失った、生きた人形も同然である。一体、何が彼女をこのような状態にしてしまったのか……心を失ってしまった仲間に心を痛めた美穂は、卯月の手を取った。

 

(あれ?この感覚……)

 

卯月の手を握った瞬間。美穂の背中に、氷水が滴るような冷たい感覚が走ったのだ。しかもそれは、ここ最近、頻繁に感じたことのある感覚だった。

 

「……美穂ちゃん。ソレ、何?」

 

「静電気?」

 

「え……?」

 

不可思議な感覚の正体に首を傾げていた美穂に対して唐突に投げ掛けられた、響子と未央からの言葉。それに対し、美穂は疑問符を浮かべる。未央は美穂の前頭部を指差している。“静電気”と言っているが、一体、何のことなのか。ふと、レッスンルームの壁に備え付けられている鏡を見ると、そこには……

 

「あれ……?」

 

美穂の前頭部から跳ね出ていた短い髪……俗に言う“アホ毛”が、未央の言うように静電気が発生したかのように、針のように真っ直ぐ逆立って上を向いていたのだ。

それはまるで、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナのように――

 

「あっ!もしかして……」

 

その発想が浮かんだ瞬間、美穂の中で今回の問題について線が繋がった。

 

 

 

 

 

 

 

「成程……確かに彼女の身体からは、僅かではあるが妖気が感じられる」

 

「やっぱりそうだったんですか……」

 

卯月を巡るやりとりから一時間後。卯月の体調不良を理由にP.C.Sの打合せを中止した一同は、346プロの一室に集まっていた。但し、当事者である卯月とP.C.S、ニュージェネレーションズの合計五人のほかに、三人――正確には四人――が加わっている。

一人は346プロ所属の霊感アイドルこと白坂小梅。もう一人は346プロ関係者ではないが、ここ最近、346プロのアイドル達と関わる機会が増えており、その名が広く知られつつある妖怪の少年、ゲゲゲの鬼太郎と、その連れのねこ娘だった。その頭には、彼の父親である目玉おやじの姿もある。

 

「フム……これは霊障の一種じゃな。この子は心霊的な影響により、魂の一部とも言える、喜びや悲しみの感情を失ってしまっているのじゃ」

 

「それじゃあ、卯月ちゃんがこうなっちゃったのは……妖怪の仕業?」

 

「小梅ちゃんの言う通りじゃ。まず間違いなく、これは妖怪によるものじゃろう」

 

目玉おやじの述べた見解に、その場に集まった一同は戦慄する。

卯月の手に触れたことで、ここ最近頻繁に感じる機会が多くなった感覚……妖怪の妖気を感じた美穂は、小梅を通じて鬼太郎を呼び出して相談することを決めた。小梅がねこ娘を通じて連絡を入れてから数十分後。鬼太郎はねこ娘とともに346プロの本社ビルへ来たのだった。

 

「これが妖怪の仕業なら、その子は妖怪と出会っている可能性があるわね。何があったのか、話してもらえる?」

 

「……はい」

 

ねこ娘に促された卯月は、このような状態となる直前に起こった出来事……即ち、昨夜の夜道で出会った着物姿の少女の一件について話し始めた。

それを聞いた目玉おやじは、腕を組みながら古い記憶を手繰り、卯月が出会ったという妖怪と思しき少女について思考を巡らせる。

 

「その少女じゃが、恐らくは妖怪・“笑い女”じゃろう」

 

「笑い女、ですか……」

 

卯月から聞いた話そのままな妖怪の名前に、その場にいたアイドル達は脱力してしまう。だが、次いで始まった目玉おやじの説明を聞いた途端に、アイドル達の顔が真っ青に染まっていった。

 

「笑い女は、出くわした人間に対して笑い声による幻覚をかけ、喜びや楽しみをはじめとした感情を吸い出してしまうのじゃ」

 

「感情を奪われた人間は、どうなっちゃうの?」

 

「笑うことも泣くこともできなくなってしまう。表情は能面を被せたかのように動かなくなり、人形と変わらぬ様になってしまうという」

 

目玉おやじが説明する妖怪・笑い女の被害者像は、今の卯月をそのまま表したようなものだった。妖怪というものを知る機会の無かった未央、響子に至っても、目玉おやじという人智を超えた存在を目にしたことに加え、卯月の異常としか言いようのない状態を目の当たりにしたことで、その存在を信じざるを得なくなってしまっていた。

 

「そんな……それじゃあ、しまむーは!?」

 

「このまま放っておけば、感情の一切が無くなったままになってしまう。楽しいと思うことはできず、それを悲しむことすらできん……」

 

「ど、どうにかならないんですかっ!?」

 

卯月のこの状態がこれからも続いてしまうという事実に、未央と響子は戦慄する。喜怒哀楽の感情の欠落ともなれば、アイドルなど当然続けられるわけがないし、それどころか日常生活にすら支障を来しかねない。卯月の人生に暗く大きな影を落とす、重大な障害である。卯月の現状から回復させることはできないのかという問い掛けに、目玉おやじは答える。

 

「笑い女を倒すしかないのう。霊障は、原因である霊や妖怪を退治すれば、回復する筈じゃ」

 

「なら、卯月が昨日、妖怪に出くわしたっていう道に行ってみれば……!」

 

「ウム。彼女の昨日の動線を辿れば、笑い女の行方も分かる筈じゃ」

 

「よし!それじゃあ、今から皆で行ってみよう!」

 

未央の提案に、アイドル達全員が頷く。幸いなことに、今日は土曜日であり、学校は休日。それに加え、この場にいる面々にはアイドルとしての仕事の予定も無い。妖怪がいるであろう通りに乗り込むことに異論は無かった。

アイドル達は各々、準備を整えに行くべく部屋を出る。そんな中、美穂と小梅だけが残っていた。

 

「あの、鬼太郎さん。どうして私……卯月ちゃんのことが妖怪の仕業だって分かったんでしょうか?」

 

美穂の疑問に、隣にいた小梅が同意するように頷く。鬼太郎の母型の遠い親戚に当たる血筋であるために霊感が強く、幽体離脱の術という幽霊族の秘術すら使える小梅ならばともかく、美穂にはそのような特殊な事情は無い。特に霊感が強いわけでもない、一般人の体質である美穂が、一体何故、妖怪の仕業と分かったのか。美穂には疑問と、それに加えて一抹の不安も抱いていた。

 

「ウウム……美穂ちゃんからは、鬼太郎や小梅ちゃんが持っている霊力のような力は感じられん。じゃが、アイドルを巡るここ最近の妖怪騒動に立ち会ったことで、人間の誰もが多かれ少なかれ持っている霊的感覚が刺激されたのじゃろう。今の美穂ちゃんは、妖気の宿った人や物に触れれば、その気配を感知することが可能なのじゃ」

 

「それじゃあ、私が卯月ちゃんの手に触れた時に髪の毛が逆立ったのって……」

 

「鬼太郎の妖怪アンテナと同じ原理じゃな。妖気を感じ取ると、静電気を受けたかのように逆立つのじゃ」

 

目玉おやじの説明に、美穂は若干顔を青くしていた。小梅のような霊感も持たないただの人間――アイドルではあるが――の筈だった自分が、まさか鬼太郎と同じ妖怪アンテナを身に付けることになるなど、誰が予想しただろうか。人間が本来持たない筈の力を身に付けてしまったことに、美穂は一抹の不安を抱いていた。

 

「経験を積めば、対象に触れずとも、鬼太郎のように妖怪に近付いただけで察知できるようになるじゃろう。もっと極めれば、遠くの妖怪の位置を特定することすらできるようになる筈じゃ」

 

「は、はあ……」

 

そんな人間離れした能力など、できれば身に付けたくはないし、極めたいとも思わない。というのが、美穂の本音である。

自分の日常がどんどん遠ざかっていくことに、美穂は憂鬱な気持ちになる。そんな美穂を慰めるように、既に半分以上妖怪世界の住人になりつつある小梅が、袖の通っていない手をポンと美穂の肩に置いた。

だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。大事な仲間である卯月を助けるために――美穂自身に何ができるか分からないが――他のアイドル同様、現場へ向かうための準備をするべく部屋を出ていくのだった。

 



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奪われた笑顔!夜闇に響く不気味な哄笑 ②

 

「……どういうことだ?」

 

「そんな……どうなってるの……!」

 

346プロ本社ビルを出た鬼太郎とねこ娘、アイドル六人は、昨夜、卯月が妖怪・笑い女に出くわしたという裏通りを目指していた。だが、卯月がバスを逃したバス停から大通りをしばらく歩いていたのだが、卯月が入ったという脇道への入口が、どこにも見当たらないのだ。

 

「しまむー、ここで間違いないの?」

 

「うん。あの時は暗かったけど……多分、ここで間違いない筈だよ」

 

「妖気は微かにだが残っている。彼女が妖怪に襲われたのは、この周辺で間違いないだろう」

 

妖怪の影響により、感情とともに表情の一切を失ってしまった卯月の口調に抑揚は無いが、意識ははっきりとしており、判断力は鈍っていない。鬼太郎の妖怪アンテナにも反応があるため、現場はこの辺りで間違いないだろう。

 

「昨日の夜にあった筈の道が消えてる……これも、笑い女の仕業かしら?」

 

「その通りじゃ。恐らく、卯月ちゃんが入ったという道は、笑い女が作り出した幻だったんじゃろう」

 

ねこ娘の推測に、目玉おやじは頷く。妖怪の中には、結界により異次元空間を作り出す能力を行使するものもいる。そういった能力は、人間を誘き寄せて捕食するために利用するケースが多いのだが、今回も目的は捕食ではないものの、卯月を誘き寄せるために行使された可能性が高い。

 

「このままじゃ、妖怪の手掛かりは掴めないってこと?」

 

「このままでは掴めんじゃろうな」

 

「そんな……!」

 

卯月が本当の意味で笑い女と出くわした場所を特定できなければ、その居場所を特定することはできない。P.C.Sのライブが来週に予定されている以上、早急に妖怪退治を完遂してもらわなければならない美穂や響子は勿論、凛と未央もまた、焦燥感を覚えずにはいられない。

 

「そう悲観する必要は無いわよ」

 

浮足立っているアイドル達を見かねたねこ娘が、冷静な口調で宥めるように言った。

 

「事務所でその子から聞いた話によれば、スマホのマップで道を確認できたんでしょう?多分、笑い女は結界の類を張るタイプじゃなくて、人間に幻覚を見せて誘い出すタイプの妖怪よ。その子が昨日歩いた道も、スマホで確認したマップの道も、全部妖怪が見せた幻だったってことよ」

 

「ということは……」

 

「昨日、その子が笑い女に遭遇した場所は、ここからそう遠く離れていないところにあるってことよ。ついでに、笑い女が潜伏している場所もね」

 

卯月が通った道は、スマホのマップ画面を含めて笑い女に見せられた幻であり、卯月は正規の道ではなく、駐車場や建物の隙間等を縫うように歩かされたのだろう。そして、ここまで手の込んだ罠を仕掛けるには、この周辺地域を己の庭のように熟知していなくてはならない。加えて、この周辺一帯には倒産した企業が持っていた廃工場や、家主がいなくなった廃屋が大量に並んでいる。故に、妖怪が身を隠す場所には事欠かない。である以上、妖怪の潜伏場所も近いと考えるべきだろう。

 

「もう少しこの辺りを探してみましょう。足跡とか、人が通った形跡があれば、そこで間違いないわ」

 

ねこ娘の提案に、鬼太郎とアイドル達は全員賛成の意を示す。周辺探索に際しては、妖怪に出くわした時に備えて二人一組で行動することとした。組み合わせは、鬼太郎と卯月、ねこ娘と美穂、小梅と響子、凛と未央である。戦闘能力が最も高い妖怪である鬼太郎とねこ娘、鬼太郎の縁者であり強い霊感と霊力を持つ小梅の三人を分けることは勿論のこと。戦力となる三人とは、感情喪失状態の卯月、顔見知りの美穂、妖怪との遭遇経験の無い響子と組ませた。凛と未央については、凛が妖怪に遭遇経験があることと、同じユニットのメンバーであることを理由とした組み合わせである。

 

「ねこ娘さん……本当に、この辺りに妖怪がいるんでしょうか?」

 

「鬼太郎の妖怪アンテナが反応していたことからしても、間違いないわ。とにかく、自分達の足で探していくしかないわ」

 

美穂の質問に対し、グループを組んでいるねこ娘は周囲を見回しながら、相変わらず冷静な態度で答える。ねこ娘の言う通り、現状の手掛かりで妖怪の居場所を特定するには、虱潰しに探し回るしか無いことは分かる。しかし、卯月がこのまま表情も感情も戻らないままだと思うと、美穂の中では焦りばかりが大きくなるばかりだった。

 

「妖怪って、どんなところに潜んでいるんでしょう?」

 

「妖怪によりけりね。森の中や水の中に住んでいる妖怪もいるし、人間のアパートを賃借して住んでいるのもいるわ。あと、人が到底住めないようなゴミ溜めの中に住んでいる奴もいるわ……」

 

美穂に対して詳しく説明をしてくれるねこ娘だったが、最後に口にした事例については、かなり忌々しそうな顔で吐き捨てるように口にしていた。しかし、笑い女という妖怪についてはねこ娘も初めて聞く妖怪であり、住処となる場所も知らないらしい。少しでも早く妖怪を探し出すにはどうすれば良いのか……思考を巡らせた美穂は、ある一つの可能性を思い付いた。

 

「そうだ!」

 

目玉おやじは言っていた。今の美穂は、妖怪騒動を幾度となく体験したことで、妖怪や幽霊の存在を感知する力が強くなっていると。ならば、自分が持つ霊感をより鋭く研ぎ澄ませれば、笑い女の居場所を掴めるのではないか。そう考えた美穂は、目を閉じて妖怪の気配を探ろうとする。

 

「何してるの?」

 

「すみません。静かにしてください」

 

美穂のこれまでに無い程に真剣な声に、さしものねこ娘もそれ以上口を出すことはできなかった。

当の美穂は、瞑目した状態で妖気を感じ取ろうとする。頭の中で、鬼太郎をはじめとするこれまで出会った妖怪を思い浮かべていく。

 

百物語の最後に現れる鬼女、『青行灯』……

 

天然痘をばら撒く疫病の化身、『疱瘡婆』……

 

日本最強の鬼妖怪、『酒吞童子』……

 

恋に焦がれる少女の嫉妬がリボンに宿った妖魔、『蛇帯』……

 

借金のカタに命を黄金に変える欲望の魔人、『金霊』……

 

今思い返してみれば、いずれの妖怪も、――妖怪故に当然のことながら――この世の生き物とは到底思えない、恐ろしい威圧感を放っていた。加えて、妖怪達はその場に……否、この世界に居ることそれ自体が不自然、或いはこの世に存在してはならないと感じさせるような異常な存在感を放っていた。例えるならば、真っ白いシーツの上に付いた、墨汁の黒いシミのようなもの。

この世界に紛れ込んだ、妖怪という異常な存在。それを、この一帯から探し出すべく、第六感を研ぎ澄ませる……

 

 

 

そして、美穂の髪の毛が、真っ直ぐ垂直に逆立った――――――

 

 

 

「あそこ!」

 

一瞬ではあったが、今まで妖怪に出会った時に感じたものとよく似た感覚が、美穂の背筋を電撃のように駆けた。その感覚を頼りに、美穂は一直線に走り出していった。その真剣な表情を見て、美穂が自棄を起こしたわけではないと察したねこ娘も、あとを追う。

駐車場を通り、廃屋の庭を横切り、廃工場の敷地内へと入り……そして、背丈の高い雑草の生えた叢に差し掛かった、その時だった。ぼうぼうと生えていた草が、ガサリと音を立てて動いたのだ。

 

「あなたはここで待ってて!」

 

明らかに野良猫の類ではない、人間大の何かがいる。そう察したねこ娘が、生き物――もっと言えば妖怪かもしれない――が潜んでいるであろう叢目掛けて飛びかかる。

 

「フシャァァアア!!」

 

跳躍と同時にねこ娘は戦闘モードに移行する。鎌の如く鋭利な爪を伸ばし、瞳の瞳孔を本物の猫と同様に縦に細長くなり、鋭く尖った牙を口の中に覗かせる。

空中に跳んだねこ娘は、その妖怪として卓越した視力で、獲物と定めた叢の中に潜んでいた何かを見定める。叢の中にいたのは、やはり人間で、しかも小柄な女性らしい。まさか本当に笑い女なのだろうか。

 

「ニャァアッ!」

 

「フヒ?」

 

奇妙な声を出す笑い女と思しき存在を捕らえるべく、その腹部に膝蹴りをかます。怯んだ隙を見逃さず、馬乗りの体勢となると同時に左手で相手の首根っこを掴み、右手の爪を突き付ける。ねこ娘の奇襲は成功し、叢に潜んでいた何者かを押し倒して完全に無力化した。

 

「捕まえたわよ!って……え?」

 

標的を捕らえたねこ娘だったが、その相手の顔を見た途端、間抜けな声を上げてしまった。何故なら、意気勇んで襲い掛かった相手は妖怪などではなく、人間の少女だったのだ。

 

「ねこ娘さん!って……あれ?」

 

叢をかき分けて追いかけてきた美穂も、ねこ娘と同様の反応をしていた。理由はねこ娘同様、そこにいたのが妖怪などではなく、人間の少女だったというのもあるが……何より、この少女が知り合いだったからだ。

 

「輝子ちゃん?」

 

「フ……フヘ、ヘ?」

 

美穂や小梅と同じ、346プロ所属アイドル。キノコ大好きのボッチキャラで通っている『星輝子』が、ねこ娘に馬乗りされた状態で、目を回して倒れていた。

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさいね」

 

「フヒ……大丈、夫……」

 

ねこ娘が輝子を妖怪と五人し、襲い掛かってしまってから数十分後。腹部に膝蹴りを受けたものの、輝子は無事に目覚めていた。非常にばつが悪そうな表情で謝罪したねこ娘に対し、輝子は蹴られた腹部を押さえながらも、謝罪を受け入れていた。

 

「輝子ちゃん、大丈夫?」

 

「フヒ……問題、無い」

 

「ねこ娘さんも無茶しますよ。もっとしっかり確かめなきゃ駄目ですよ」

 

「本当に悪かったって思ってるわよ……」

 

卯月を除くアイドル達から非難の視線を浴び、ねこ娘は普段の気の強さが嘘のように縮こまってしまっていた。

 

「まあまあ、その辺にしてくれんかのう。ねこ娘もこれだけ謝っておることじゃし」

 

「それより今は、笑い女の件だ」

 

目玉おやじに宥められ、鬼太郎に優先事項を指摘され、アイドル達はねこ娘への非難から、本題の笑い女の行方へと思考を切り替える。

一時間以上、四組に分かれて探し回ったにもかかわらず、妖怪の手掛かりらしいものは何一つ見つからず、何故かこの周辺の叢の中に入っていた輝子が見つかっただけだった。

 

「やっぱり、妖怪って夜中じゃないと出てこないんじゃないのかな?」

 

「それも妖怪によりけりだけど……やっぱり妖怪の大部分は夜に活動するのが多いわね。その子が襲われたのも、夜中だったみたいだし」

 

「ウム……やはりここは、出直すほかあるまい。夜中に再び訪れれば、笑い女が姿を表すやもしれん」

 

妖怪や幽霊が活動する時間帯は、夕暮れ時から夜中がメイン。卯月が遭遇した時間がそうだったように、笑い女が出てくるのは、目玉おやじの言う通り、やはり夜なのだろう。となれば、一度引き上げるのが賢明なのは間違いない。目玉おやじの提案に従い、全員がその場から立ち去っていく。

 

「そういえば、輝子ちゃんはどうしてあそこにいたの?」

 

「……あの辺りで、私の友達が、泣いている声が聞こえたから……」

 

「友達?」

 

帰り道の途中、美穂がふと気になったことについて質問したのだが、輝子の口から意外な単語が出てきて首を傾げる。輝子が足を止めて、先程までいた叢がある辺りを見つめながら口にした“友達”とは、一体誰のことなのか……

 

「ぼっちな私の、数少ない友達……いつもは森の中とかで会えるんだけど、何でか、あそこから、私を呼ぶ声が聞こえた……ような気がした」

 

「森の中って……あ!もしかして、“キノコ”のこと?」

 

輝子はキノコ栽培が趣味で「キノコは親友」と豪語する程のキノコ好きである。キノコを栽培している鉢をいつも抱えている程の熱愛ぶりだが、決して食べられないというわけではなく、バター炒め等の様々な料理を作っていたりもする。そんな彼女は、キノコを探すのも得意なのだ。普段は森の中でキノコを探しているのだが、時折、街中の公園などでも探すことがあるという。この辺りの建物の中には木造のものもいくつかあるので、そういった場所にキノコが生えていたとしてもおかしくはない。

 

「あの叢の向こう側……あそこにある建物のどこかから、親友が泣いている声が聞こえてきた……ような、気がした」

 

「泣いていたの?」

 

「うん。何でか分からないけれど、とても悲しそうな……放っておけないような……そんな声が聞こえてきた」

 

キノコを親友と呼ぶ輝子は、キノコと意思疎通し、その意思を汲み取ることができるらしい。そんな彼女が察知したキノコの感情は、“悲しみ”であり、泣いている声すら聞こえてきたという。この界隈には、卯月を襲った妖怪・笑い女が潜んでいるらしいが、それと関係があるのかもしれない。凶悪な妖怪が近くにいれば、キノコ達も泣きだしたくもなるだろうと、美穂は思った。

 

「大丈夫だよ、輝子ちゃん。きっと鬼太郎さんが、何とかしてくれるから」

 

「フヒ……そう、だね」

 

廃屋や廃工場が立ち並ぶ一帯を心配そうに見つめている輝子の肩に手を置き、美穂は慰めるようにそう言った。輝子も、これ以上は自分にできることは無いと察したのだろう。既に十メートル近く離れた場所まで行ってしまったアイドル達を追い掛け、美穂と輝子はその場を立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「皆、準備は良いか?」

 

その夜。鬼太郎は、卯月が笑い女と遭遇した場所を再び訪れていた。鬼太郎の目の前には、昼間に同行していたねこ娘だけではなく、砂かけ婆、子泣き爺、一反もめん、ぬりかべが並んでいる。

 

「大丈夫よ」

 

「任せておけ」

 

「わしの出番じゃな!」

 

「女の子を泣かせる奴なんて許さんばい!」

 

「やっつける~……」

 

全員の士気は上々。笑い女はこれまでに戦ったことの無い道の妖怪だが、これまで数多の妖怪を相手にしてきた歴戦の仲間達がいれば、百人力である。さらに、鬼太郎は有事に備えて最終兵器も用意していた。

 

「オイオイ、何だって俺まで引っ張り出されなきゃならねーんだよ」

 

鬼太郎が笑い女との戦闘を想定して集めた仲間達の端には、鬼太郎の悪友でありトラブルメーカーでもあるねずみ男の姿もあった。仲間達からは敬遠されがちな彼がこの場にいるのは、鬼太郎が呼び出したからである。

 

「あんた、ここ最近は346プロのアイドルにも散々迷惑かけてんだから、少しぐらいは協力しなさいよ」

 

「ちぇっ……分かったよ」

 

天敵のねこ娘に睨まれ、ねずみ男はそれ以上文句を言うことはしなかった。一同の準備が整ったところで、鬼太郎は笑い女の捜索に出発することとする。

 

「鬼太郎さん、気を付けて……」

 

「卯月ちゃんのこと、お願いします」

 

妖怪退治の現場にまでは同行できない小梅と美穂が、心配そうに声を掛ける。後ろには、同じく見送りのためにこの場に集まった卯月、凛、未央、響子、さらには昼間出会った輝子までもがいた。輝子については、同じ346プロのアイドルである卯月のことが心配なのは勿論だが、この場所で聞こえた、“友達”の声が気になったかららしい。

 

「ああ。分かった」

 

「任せときんしゃい!」

 

見送りに来てくれたアイドル達に見送られながら、鬼太郎達は笑い女が潜伏しているとされる廃屋・廃工場が並ぶ地帯へと足を踏み入れていった。

 

「父さん、笑い女はどうやって人間の感情を抜き取っているのでしょうか?」

 

「笑い女については、わしも詳しいことは分からんのじゃ。分かっておることは、その容姿が若い女だということ。そして感情を抜き取る時には、その女のものであろう笑い声が辺り一面に響くということだけなのじゃ」

 

目玉おやじが聞き知った情報を聞く限り、笑い女という妖怪は笑い声という“音”を媒介にして標的に定めた人間に妖術による幻を見せて催眠状態に陥らせて感情を引き抜いていると考えられる。卯月の証言によれば、四方八方から笑い声を浴びさせられた際に、自分の意思とは無関係に笑い声を上げた後、急激な脱力感に襲われたと言っていた。恐らく妖術で笑い声を上げさせることが、感情を引き抜くトリガーだったのだろうと、目玉おやじは推測していた。

 

「一応の対策は用意したが、正直、今回の戦いは出たとこ勝負に近い。苦労をかけてすまぬが、よろしく頼む」

 

「はい、父さん」

 

そうして廃屋・廃工場を歩き続けることしばらく。唐突に鬼太郎達の目の前に、白い靄が立ち込めてきたのだ。それと同時に、鬼太郎の妖怪アンテナが反応する。間違いなく、卯月も言っていた、笑い女が出現する前触れである。

 

「皆、気を付けてくれ!」

 

妖怪の襲撃を察知した鬼太郎は、仲間たちに臨戦態勢に入るよう指示を送る。真っ先に物陰に隠れたねずみ男以外は、周囲に視線を巡らせ、妖怪の出現に備える。すると……

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

案の定、女性の高笑いが聞こえてきた。笑い声は辺りにこだましており、声の出所はまだ分からない。だが、鬼太郎の妖怪アンテナが反応したことからしても、そう遠くない場所に潜んでいるのは間違いない。

 

「隠れてないで、出てきなさい!」

 

「姿を表すんじゃ!」

 

ねこ娘と子泣き爺が姿無き敵に対して声を上げるが、返事は無い。ただ只管、鬼太郎達を嘲るような笑い声が響くばかりだった。それに比例して、辺りに立ち込める靄も濃くなっていく。笑い声が響くばかりのその膠着状態は……しかし、唐突に破られた。

 

アッハッハッハ

 

「来たぞ!」

 

鬼太郎の真正面方向の暗闇の向こうから、着物を来た女が高笑いを上げながら姿を現す。まるで足に車輪が付いているかのような、歩くような動きを一切見せずに現れた女の顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。間違いなく、妖怪・笑い女である。

姿を見せた敵に対し、鬼太郎は先制攻撃を仕掛けるべく動きだす。

 

「髪の毛針!!」

 

無数の毛針が笑い女のもとへ飛来する。対する笑い女は、避ける素振りも見せずに相変わらず不気味な笑い声を上げたまま無防備にその場に立ち尽くしている。そして、無数の髪の毛針が笑い女の体に殺到したのだが……

 

「何っ!?」

 

「すり抜けた!?」

 

鬼太郎が放った髪の毛針は、全て笑い女に命中したものの、その全てが笑い女の体をすり抜けたのだ。笑い女は傷を負った様子はなく、笑い続けている。まるで、煙を刺し貫いたかのような手ごたえの無さだった。

 

「鬼太郎!あれは本体ではない!妖術で作った幻影じゃ!」

 

「なら、考えていた手でいきましょう。皆、耳栓を!」

 

鬼太郎の指示に従い、仲間達は皆、耳栓を取り出して装着する。笑い女が笑い声を媒介にして妖術をかけるのならば、それを遮断すれば妖術の効果も消える筈。そう考えての耳栓だったのだが……

 

(耳栓が効いていない……!?)

 

耳栓を装着した鬼太郎達だが、目の前の笑い女の幻影は消えない。それどころか、耳栓の存在を無視するかのように、笑い声が聞こえ続けるのだ。一体どういうことなのか。考える暇も無く、次の対応を迫られた鬼太郎達は、無意味と分かった耳栓を一斉に外した。

 

「鬼太郎、本体を探すんじゃ!」

 

「分かっています。しかし、どこに……!」

 

幻影ではない、笑い女の本体を探すべく、妖怪アンテナで索敵を試みる。だが、妖気は辺り一帯に満ちており、本体の特定は困難を極める。それでも、妖怪アンテナだけが笑い女を探し出すための唯一の頼みの綱なのだ。鬼太郎はなんとか神経を集中させて、妖力が強い場所を探し出そうとする。だが、笑い女もそれを黙って見てはいない。

 

アッハッハッハ

 

「見つけた!ニャァァア!」

 

新たに現れた笑い女の姿を視認したねこ娘が、爪を伸長させて襲い掛かる。妖怪の中でも屈指の敏捷性を誇るねこ娘の跳躍からは、笑い女といえども逃げられない。だが……

 

「う、うわぁっ!何をするんだ、ねこ娘!?」

 

「き、鬼太郎っ!?」

 

ねこ娘が襲い掛かった笑い女が、間一髪でその爪を回避する。だが次の瞬間には、ねこ娘が視認していた笑い女の姿が、鬼太郎へと変わったのだ。

 

「幻影じゃ!笑い女が己の姿を鬼太郎に幻影を被せたんじゃ!」

 

「笑い女め、幻影を使って僕たちに同士討ちをさせようとするとは……!」

 

幻影を囮として利用するだけでなく、敵に被せて同士討ちを誘導するという巧妙な戦術を前に、鬼太郎達は反撃の隙を掴めない。

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

「笑い女がどんどん増えておるぞ!」

 

「どげんすると、鬼太郎!?」

 

子泣き爺が言うように、笑い女の不気味な笑い声が幾重にも重なり、それに伴い笑い女の幻影までもが増えているのだ。鬼太郎達を取り囲むように現れた幻影は十、二十どころの数ではない。立ち込める白い靄の中、笑い女の幻影は一様に不気味な笑い声を響かせながら今なお増え続けているのだ。その不気味な光景は、同じ妖怪である筈の鬼太郎達ですら戦慄を覚えずにはいられない。

 

「本体は一体のみの筈だ。残りは全て幻影だ。本体を特定して叩きさえすれば……!」

 

「ふふっ……ふっ……あはははははっ!」

 

「ね、ねこ娘!?」

 

再び妖怪アンテナを用いて笑い女の本体の居場所を探ろうとした鬼太郎だったが、さらなる異変が仲間を襲う。すぐ隣にいたねこ娘が、突如として笑いだしたのだ。そしてそれは、ねこ娘だけにはとどまらない。

 

「ふふははっ!ははっ!なんじゃっ、ふはっ!これ、ははははっ!」

 

「はははっ、はっ!なんば、これっ……ふはははっ!」

 

「はははっ……はははっ……」

 

「まずい!このままじゃ……!」

 

「全員、感情を抜き取られ兼ねんぞ!」

 

ねこ娘を皮切りに、子泣き爺、一反もめん、ぬりかべまでもが笑いだす。卯月が言っていた通りだとするならば、これは感情を抜き取られる前兆である。このままでは、目玉おやじの言う通り、全員まるごと感情を引き抜かれかねない。

 

「しっかりするんじゃ!」

 

「あははっ……ニャニャッ!?」

 

「ふはは……ほわっ!?」

 

「ははっはっ……どわっ!?」

 

「はは……ぬりっ!?」

 

笑い声を上げていた四人の顔に向けて、砂かけ婆が手に持っていた砂を投げ掛けた。各々、目や口に砂が触れた瞬間、笑いは止まった。

 

「ケホッ……ありがとう、砂かけ婆」

 

「礼を言うのはまだ早いわい。“気付け砂”も、無限には無いのだぞ……!」

 

砂かけ婆が笑い女対策のために用意していた秘密兵器、“気付け砂”。幻覚等の妖術にかけられた者の顔にこれをかければ、目や鼻、口の粘膜に触れた途端に感じる痛みにより、幻覚症状が解かれるのだ。

だが、妖術が常にかけられているこの空間においては、大した意味を持たない。ねこ娘達にかけられた妖術も一時的に解けたが、笑い女の無数の幻影が再び現れた。

 

「こうなったら最後の手段だ……ねずみ男!」

 

「えっ……お、俺ぇっ!?」

 

「さっさと出てくるんじゃ!」

 

この危機的状況で突然の指名を受け、動揺を露にするねずみ男。だが、鬼太郎は構わず隠れていた物陰から引き摺り出す。

 

「俺に何しろってんだよ!?」

 

「いつもの必殺技を放つんじゃ!」

 

「早くしろ!笑い女が来るぞ!」

 

どんどん増えていく笑い女を前に、鬼太郎と目玉おやじはねずみ男を急かして最終兵器の行使を迫る。

 

「クソッ!こうなりゃ自棄だ!……行くぞこの野郎!」

 

言葉の通り、自棄を起こしたねずみ男は、無ずうの笑い女の幻影が並ぶ方へと尻を向ける。そして――――――猛烈な勢いで、屁を放った。

 

「ぐっ……!」

 

「相変わらず、何という、臭いじゃ……!」

 

ねずみ男の屁には、強力な催涙効果と心停止になりかねない程の悪臭が宿っており、これは妖怪に対しても有効な場合が多い。よって、笑い女もねずみ男の屁を吸引すれば、その活動に支障を来し、幻術も一気に解ける筈。そう考えてねずみ男を最終兵器として連れてきたのだ。だが……

 

 

 

アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ

 

 

 

「効いていない!?」

 

「どういうことじゃ!?」

 

ねずみ男の屁を浴びたというのに、笑い女の幻影は一切減らなかった。最終兵器すら通用しないこの現状では、最早笑い女討伐は諦めるほかない。

 

「皆、一度退くぞ!」

 

鬼太郎の号令に従い、仲間達は踵を返してその場から撤退を開始する。そして、白い靄が立ち込め、無数の笑い女の幻影が立ちはだかる廃工場・廃屋の敷地を突破するべく走り続けるのだが……

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

いつまで経っても、笑い女の包囲から抜け出すことができない。恐らくこれも、笑い女の妖術で作り出した幻影なのだろう。卯月を道なき道へと誘い出した時と同じ要領で、鬼太郎達を幻影の迷路に閉じ込めたのだ。

 

「鬼太郎、どうするのよ!」

 

「もう気付け砂も無いぞ!」

 

「おいも何故かいつものように飛べんからのう……」

 

撤退を開始してから、何度も感情を抜かれそうになり、砂かけ婆に気付け砂を使ってもらったのだが、それも既に底を尽きている。それならばと一反もめんが空を飛んで逃げようとしたのだが、一反もめんがどれだけ高く飛ぼうとしても、靄が立ち込める範囲以上の高さを飛ぶことはできなかった。恐らくこれも、笑い女の妖術によるものであり、高度を一定範囲より上げられないよう幻影を見せているのだろう。

退路を完全に断たれ、危機的な状況に陥った鬼太郎達。脱出のために思考を走らせるも、現状を打破できる妙案は浮かばない。このままでは全員、感情を抜き取られてしまう……そんな絶望に支配されようとした、その時だった。

 

「鬼太郎、さん……!」

 

「君は!」

 

鬼太郎達の後ろから、笑い女の幻影をすり抜けながら、一人の少女が姿を現す。小柄で長い銀髪が特徴的なその少女は、今日知り合ったばかりの346プロ所属アイドル、星輝子だった。輝子は笑い女の幻影をまるで気にした様子もなく鬼太郎へと小走りで近付くと、その手を取って引っ張った。

 

「……こっち!」

 

「え、おいっ!」

 

「ど、どういうことよ!」

 

輝子に引っ張られるままに走り出す鬼太郎達。そして、笑い女の幻影を掻き分けて右へ左へと進むことしばらく。鬼太郎達を取り囲んでいた笑い女の不気味な笑い声はどんどん小さくなっていき、白い靄もまた薄くなっていった。

どうやら、笑い女の妖術からは抜け出せたらしい。何故、輝子が自分達を助けることができたのか。その理由は定かではないが、これは笑い女の妖術を攻略する突破口を見出すための手掛かりになるかもしれない。

撤退の最中、鬼太郎は輝子に手を引かれて走りながら後ろを振り向く。後ろからついてきている仲間達の向こう側に立ち込めている白い靄を――正確には、その向こうから未だに微かに聞こえてくる笑い声を放っている根源を睨みながら、その正体と能力の実態を突き止めることを鬼太郎は心に誓った。

 



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奪われた笑顔!夜闇に響く不気味な哄笑 ③

 

鬼太郎達が笑い女の潜伏している地帯から撤退した翌日。346プロ本社ビル内にある会議室の中には、張り詰めた空気が漂っていた。部屋の中には、この部屋を確保した346プロ所属アイドルであり、当事者であるニュージェネレーションズとピンクチェックスクールのメンバーに小梅と輝子を加えた面々のほか、笑い女討伐のために突入した妖怪達の代表である鬼太郎とねこ娘がいた。

 

「話が違うじゃない!」

 

鬼太郎とねこ娘から、昨夜の撤退に関する説明を聞き終えたアイドルの一人である凛が、机をバン!と叩いて立ち上がるとともに怒りの声を上げる。

 

「卯月をこんなにした妖怪を退治してくれるって言ったのに……何で逃げ帰ってるのよ!」

 

「あなた……!」

 

「……すまない」

 

笑い女を退治できずに撤退してしまったことを非難する凛に対し、鬼太郎は言い訳を一切することなく頭を下げる。

 

「ちょっと鬼太郎!」

 

「ねこ娘、落ち着くんじゃ。ここで諍いを起こしても仕方あるまい」

 

「しぶりんも落ち着いて!」

 

隣に座るねこ娘は何か言いたそうにしていたが、目玉おやじに窘められて矛を収めた一方の凛も、未央に宥められて席に座る。卯月のことが心配なのは他のアイドル達も同じだが、鬼太郎に当たったところで事態が好転するわけではない。それが分かっていたからこそ、凛以外は鬼太郎達を責めることはしなかったのだ。凛自身も非常に神経質になってしまったものの、自分の行いが不毛なものと気付き、謝罪を述べる。

 

「……ごめん。言い過ぎた」

 

「気持ちは分かるよ。それに、ライブのことだってあるし……」

 

卯月がこのままというのも非常に拙いが、直近の問題として、ピンクチェックスクールのライブがある。ライブまで一週間を既に切っているこの状況で、卯月の不調が続いている状況では、中止も視野に入れなければならない。

故に、笑い女の討伐は急務なのだ。

 

「構わんよ。君の友達を想っての怒りも尤もじゃ。それより今は、笑い女をどうするかを考えるべきじゃ」

 

「そうですね、父さん」

 

その後、議題は騒動の根源である笑い女への対策へと移っていく。とはいっても、アイドルの中で妖怪のことに詳しいのは小梅くらいなので、他の面々は聞きに徹するのみなのだが。

 

「笑い女のことは、正直な話、僕も父さんも何も分かっていないんだ」

 

「笑い声を媒介に幻術を掛けると思っておったのじゃが……どうやら、別の何かで幻影を見せておるらしい。それが分からない限り、笑い女本体を捕らえることはできん」

 

笑い女を捕らえるなり倒すなりするにも、妖術で姿を隠している本体の位置を暴かなければならない。だが、工場一帯を覆いつくす勢いで発生する靄とともに現れる幻影の前には、鬼太郎達は前進することも儘ならない。ねずみ男の屁を辺り一帯に放ったにも関わらず、笑い女の幻影には全く変化が無かったことから考えるに、本体はかなり離れた場所いるのだろう。下手に動き回れば、卯月同様に感情を抜き取られるリスクすらある。

 

「あの……鬼太郎さん、聞きたいことがあるんですが……」

 

「なんだ?」

 

「笑い女っていう妖怪は、大きな笑い声を上げるんですよね?」

 

「それが何?」

 

恐る恐る手を挙げながら投げかけた、今更な質問に鬼太郎とねこ娘は怪訝な表情を浮かべる。美穂達も現場の近くにいたのだから、笑い女の声を聞いている筈。だが、待機していたアイドル達は顔を見合わせると、首を傾げていた。

 

「えっと……私達、ずっとあそこで待っていたんですけど、女の人の笑い声なんて、全然聞こえてませんでしたが……」

 

「……なんだって?」

 

笑い女という妖怪は、その名の通り笑い声を上げる妖怪である。現に笑い女に遭遇した卯月や鬼太郎達は、幻影とはいえ笑い女に遭遇し、その笑い声を聞いている。にも関わらず、美穂達はそれを聞いていなかったという。

 

「フム……笑い女の声は、その幻影に遭遇した者にしか聞こえんということじゃな」

 

「どういうことよ、それ」

 

「笑い女の笑い声は、それも含めて幻に過ぎんということじゃ」

 

つまり、笑い女の姿は幻影であり、笑い声は幻聴でしかないのだ。とはいえ、視覚・聴覚を惑わせるような妖術をかけるには、何か呼び水がある筈。だが、それが何なのかが分からない。

改めて笑い女と遭遇した際の場面を振り返ってみる。笑い女の幻影が見えたり、笑い声の幻聴が聞こえるより前に、何か無かっただろうか……

 

「まさか、あの靄か……?」

 

「それよ!」

 

卯月が初めて遭遇した時も、鬼太郎達が捜索に動いた時も、笑い女が出現する前兆として白い靄が発生していた。今思えば、あの白い靄こそが、妖術を掛けるための種だったのかもしれない。

 

「けど……確か、その子もあの靄の中に飛び込んでいったわよね。なのに、妖術に掛けられた様子は全然無かったのは、どうしてなのかしら?」

 

「フヒ?」

 

そこまで考えたところで、ねこ娘は昨晩の一件を思い出し、この場にいるアイドル――星輝子に関する疑問を口にする。

輝子は昨晩、鬼太郎達が笑い女の妖術が見せる幻の中に囚われていた危機的状況の中へと飛び込み、鬼太郎の手を引っ張って一同を笑い女の術中から救い出してくれた。だが、笑い女が発生させたであろう靄が立ち込める中で、どうして幻の影響を受けなかったのか。それだけが謎だった。

輝子のことをよく知る346プロのアイドル達ならば、何か知っているのではと思って発言したねこ娘だったが、美穂や小梅をはじめとする面々は思い当たる理由が無いらしく、互いに顔を見合わせ、首を傾げるばかりだった。そしてそれは輝子自身も同じで、どうして自分だけが妖術にかからなかったのか、その理由は本人にも分からないらしい。

鬼太郎の見立てでは、笑い女の正体を見破り、その妖術を攻略する鍵は輝子が握っている。何か少しでも情報は得られないものかと考えていた鬼太郎から、ある種の期待の視線を受けた、自称ボッチの輝子は、居心地の悪い想いをしていたが……やがて、昨晩のあの場面において輝子の観点から得た情報を、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「あの時……私には、聞こえたんだ」

 

「聞こえた?」

 

「友達の、怒った声と……それ以上の、悲しみの声が……」

 

輝子が口にする“友達”という言葉を怪訝に思う鬼太郎とねこ娘。何のことなのか分からない様子の二人に対し、コミュニケーション能力が乏しい輝子に代わり、美穂と小梅が説明を行う。

輝子が言う“友達”というものが、輝子が栽培することを趣味としている“キノコ”を指していること。輝子はアイドルデビュー前は友達が非常に少ない、俗に“ボッチ”と呼ばれる人種であり、キノコ栽培を通して長い時間をキノコと過ごしたこと。そして、そのような経緯を経て輝子は菌糸類である筈のキノコを通じ合わせるにまで至り、その感情を理解できるようにまでなったこと……。

 

「キノコと会話って……そんなこと、あり得るの?」

 

「少なくとも、僕は聞いたことが無いが……父さんはどう思います?」

 

キノコと心を通わせ、対話する人間。そんな話は、妖怪である鬼太郎やねこ娘をしても信じ難い話だった。そこで鬼太郎は、この場にいる妖怪の中では最も年配で博識な目玉のおやじに話を聞いた。

 

「フム……わしも初めて聞く話じゃが、人間の中にはごく稀に霊力をはじめとした異能に目覚める者もおる。恐らく輝子ちゃんも、人との関わりを極度に減らし、キノコと長い時間を過ごす中で、そのような能力に目覚めたのじゃろう」

 

異能に目覚めた人間の事例には、輝子以外には、鬼太郎の母方の縁戚として霊力に目覚めた小梅が挙げられる。最も、小梅の霊力は鬼太郎の母方の家系の隔世遺伝によって目覚めたものであり、キノコと長期間過ごすことによって後天的に目覚めた輝子の能力とは別物なのだろう。

 

「けど……それが一体、笑い女と何の関係があるのかしら?」

 

「キノコの怒りと悲しみの声が聞こえたと言っていたが……笑い女が原因なのか?」

 

それが、真っ先に浮かぶ可能性だった。確かに笑い女の力は、同じ妖怪の鬼太郎達の目から見ても脅威である。そのような恐ろしい存在に居座られては、恐怖や怒りの感情を抱くというのも分からないでもない。だが、妖怪がキノコにとっての脅威になるという話には疑問が生じる。キノコと笑い女、この二つに何の因果関係があるのか、まるで分からなかった。

 

「いや、それは違う」

 

「父さん?」

 

「今まで得体の知れんかった笑い女の正体じゃが、輝子ちゃんの話のお陰で、ようやく分かったわい」

 

だが、目玉おやじだけは違っていた。輝子の話を聞いて得心したというその言葉に、鬼太郎とねこ娘、アイドル達は目を見開く。

 

「本当ですか、父さん……!?」

 

「ウム。まだ分からんこともあるが、笑い女の正体という点だけは間違いないじゃろう。そして、それが分かれば奴の幻影を打ち破る手立ても見えてくる」

 

笑い女の正体を見抜くとともに、その攻略方法まで見出したという目玉おやじに、アイドル達が期待の眼差しを向ける。昨日は敗走してしまったが、笑い女の正体を見抜いた上での対策があるのならば、希望が持てる。

 

「目玉おやじさん、その作戦って、どんなものなんですか?」

 

「笑い女本体の居場所を見つけ出して、本体を叩く。そしてそのためには、君達の助けが必要なのじゃ。危険を承知で、力を貸してくれんか?」

 

目玉おやじの口にする“危険”という言葉に、アイドル達に緊張が走る。鬼太郎達が妖怪と戦う現場に居合わせることの多い小梅と美穂は勿論、実際に妖怪に襲われた経験のある凛の反応が特に顕著だった。危険な妖怪が待ち受ける場所へ飛び込むことに対して及び腰になるのは無理も無いことだった。

だが……

 

「分かりました……卯月ちゃんのために、お手伝いさせてください!」

 

親友であり、同じユニットの仲間である卯月を助けるためならば、どんな危険も冒せる。そんなアイドル一同の総意を、美穂が代表してはっきりと口にした。

 

 

 

 

 

 

 

その夜。鬼太郎達は、笑い女が潜んでいる廃工場・廃屋が立ち並ぶ地帯をに再び訪れていた。昨晩同様、笑い女が待ち受ける場所へと入っていくのは鬼太郎やねこ娘といった妖怪達であり、その正面には昨日見送りのためにこの場に来ていたアイドル達がいた。

だが、今夜アイドル達がこの場に集まったのは、見送りのためだけではない。

 

「それじゃあ、手筈通りに頼む」

 

「分かりました……」

 

「り、了解しました!」

 

「フヒ……私も、頑張る」

 

鬼太郎の念押しに、小梅、美穂、輝子は強く頷く。この三人は、目玉おやじが立てた笑い女討伐作戦において重要な役割を与えられているのだ。

 

「よし、皆!行くぞ!」

 

『おー!』

 

鬼太郎の号令に従い、仲間の妖怪達は笑い女が潜んでいる廃屋群へと進んでいく。その後ろ姿が夜の闇に溶け消えるのを見届けたアイドル達の内、小梅等三人もまた行動を開始する。

 

「それじゃあ、行こうか……」

 

「小梅……頼んだよ!」

 

「みほちーとキノコちゃんも、気を付けてね!」

 

「卯月ちゃんのこと、お願いします!」

 

小梅を戦闘に、鬼太郎達が向かったのとは別方向へと、笑い女本体を探すべく進。しかし、凛と未央、響子、卯月の四人はこの場に残ったままである。この凛達と同様、鬼太郎達のように戦う力を持たない三人が恐ろしい妖怪の潜む場所へと踏み込んでいくのを見送るしかできない四人は、作戦の成功と無事を心の底から祈った。

 

「皆……頑張って……」

 

そして、卯月もまた、感情の籠らない小さな声ながら、仲間達へと三人にエールを送ったていた。

 

 

 

 

 

 

 

「皆、来るぞ!」

 

アイドル達と別れて廃屋群の奥を進んでいた鬼太郎達は、昨夜同様、笑い女出現の予兆である白い靄に直面していた。鬼太郎の妖怪アンテナも、妖怪出現の予兆を察知している。そして、靄は鬼太郎達を囲み込むように展開し、辺りの視界をぼやけさせていく。

 

アッハッハッハッハッハッハッハッハ

 

そして、白靄のかかった暗闇の奥から、あの不気味な笑い声が響いてくる。最初の笑い声は一方向から聞こえてきたが、右から、左からと、次々に笑い声の出所が増えていった。ここまでは、昨夜と同じである。

 

「皆、なるべくお互いに離れないようにするんだ!同士討ちにも気を付けてくれ!」

 

笑い女の術中の中で、感情を抜かれることの次に注意しなければならないのは、笑い女が見せる幻影に惑わされて仲間を攻撃し、同士討ちをしてしまうことである。攻撃行動さえしなければ、仲間を傷付けずに済むが、仲間内で互いに距離が離れすぎてしまえば、それも儘ならない。鬼太郎達はお互いの位置を把握した上で、靄の立ち込める周囲に視線を巡らせていく。

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハ

 

着物姿で大口を開けて笑う女の幻影が一人、二人、三人と次々に増えていく中、鬼太郎達は自分達を翻弄し、魂を抜き取ろうとする笑い女の動きに備えていく。

 

(小梅、美穂、輝子……頼んだぞ!)

 

今頃は別働隊として別の場所で行動しているであろう小梅達が、首尾よく笑い女本体の居場所を特定してくれることを祈りつつ、鬼太郎達は幻影に対峙するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

鬼太郎達を笑い女の待ち構える廃屋群へと送り出した後、小梅、美穂、輝子の三人は鬼太郎とは別方向から笑い女本体の居場所の特定を試みていた。

 

「美穂ちゃん、お願い……」

 

「うん」

 

美穂が目を瞑り、精神を研ぎ澄ませて意識を集中させる。美穂の知る、鬼太郎やねこ娘のそれとは違う、これまで出会った妖怪達と同じような、攻撃的な意思を持って力を奮う、その根源を感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ませる。

そして……美穂の髪が、針のように逆立った。

 

「……こっち!」

 

髪の毛が逆立つのと同時に、美穂が迷い無く進むべき方向を指差す。この一帯のどこかに潜んでいる笑い女の居場所のある方向を特定する役割を担っていたのは、美穂だった。

美穂の研ぎ澄まされた霊感が妖力を捕捉できる範囲は、実は小梅以上に広いのだ。度重なる妖怪との邂逅による刺激で強化され、後天的に獲得した霊感ではあるが、美穂には隠れた素質があったのだろう。昼間の作戦会議終了後、夜中に作戦を決行するまでの間、目玉おやじ監督のもとで妖怪の気配を探る訓練をした結果、鬼太郎に迫る精度の妖怪アンテナを習得するに至ったのだった。

そして今現在、笑い女の居場所を特定するための要員として作戦に参加し、笑い女の居場所の方向を示す役割を担っているのである。

 

「まだ少し距離があるけど、確実に近付いていると思う。このまま真っ直ぐ進めば……」

 

 

「……ちょっと、待って」

 

笑い女の居場所を指し示し、直進しようとした美穂に対して輝子が止めに入った。そして、美穂が指し示した方向を輝子はジッと見つめる。すると数秒後、美穂が進もうとした場所に、白い靄のようなものが発生し始めた。どうやら、笑い女の魔手が伸びようとしていたところだったらしい。

 

「輝子ちゃん、よく分かったね……」

 

「友達の、怒りと悲しみの声が聞こえたから……」

 

これが、輝子が笑い女の居場所を探すための要員に選ばれた理由だった。昨晩の戦いに際し、輝子は笑い女が幻影を作り出すために展開する靄の中へ飛び込み、鬼太郎達を救い出した。それは、靄の中で鬼太郎が居る場所を特定することがが立ち込めている場所を特定し、靄が立ち込めている範囲まで把握していたからこそできたことである。

その力を利用し、目玉おやじは輝子に笑い女が行使する靄の流れを感知し、これを回避するルートを特定する役目を依頼したのだ。

 

「あっちは靄があるから……こっちなら、大丈夫だよ」

 

「分かった。輝子ちゃん、ありがとう」

 

美穂が目標である笑い女の位置を特定し、輝子が靄の動きを予測して安全なルートを指定する。鬼太郎達が正面から攻め込んで笑い女の注意を引いている間に、美穂達はこうして笑い女へと着実に近付くというのが目玉おやじの考案した作戦だった。

そして、三人が靄を避けながら廃屋の隙間を縫うように進むこと暫く……遂に、笑い女が潜伏しているであろう廃工場を突き止めた。

 

「ここだ……間違いないよ。妖怪の気配を、強くはっきりと感じる」

 

「フヒ……私にも、聞こえる。友達の泣いている声と、怒っている声……」

 

「うん。私にも、分かるよ……あそこに、居る」

 

廃工場を見つめながら、妖怪アンテナと化した髪を逆立てる美穂に対し、輝子と小梅が同意する。

月明りの下、今までより一層濃い靄に包まれた廃工場は、廃屋群の中でぽっかりと開いた場所にぽつんと立っていた。見た目は他の廃工場と変わらないが、常人には見えない――小梅には見えるが――邪悪な妖気が立ち上っている。美穂の言う通り、妖怪の潜伏場所に間違いないと直感させる雰囲気があった。

 

「それじゃあ小梅ちゃん、お願い」

 

「うん……分かった」

 

美穂の言葉に頷いた小梅は、その場に座り込み、膝を抱える。そしてそのまま、眠るように瞳を閉じた。直後、本当に眠り込んだかのように小梅は脱力して、地面に倒れそうになったが、それを美穂が支えた。幽霊族の秘術、『幽体離脱の術』を使用したのだ。

 

「これで作戦通り、小梅ちゃんが鬼太郎さんを呼んできてくれればいいんだけど……」

 

「……本当に、退治しなくちゃ、いけないのかな……?」

 

目玉おやじの考案した作戦通り、小梅が幽体となって鬼太郎を呼びに行ったことを確認した後、輝子がぽつりと呟いた。卯月が被害に遭っていることもあり、今回の作戦への協力を承諾した輝子だが、内心では笑い女を退治することを望んではいなかった。

 

「輝子ちゃん……」

 

「あんなに悲しそうに泣いているのに……」

 

今回の作戦を実行するにあたり、目玉おやじは笑い女の正体についても当たりを付けていた。笑い女の正体を見破るキーパーソンとなったのは、他でもない輝子。彼女だけが持つ異能。そして、彼女だけが笑い女の妖術にかからなかった事実。それらを照らし合わせてみれば、笑い女の正体も自ずと分かる。

ただ一つ分からなかったのは、輝子にのみ聞こえていた、悲しみの怒りの声。できることなら、その理由を知りたいと、輝子は思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

『鬼太郎さん!』

 

「小梅!」

 

幽体となって笑い女の潜伏する場所から離れた小梅は、幽体としての特性を利用して廃屋の壁を次々すり抜けて鬼太郎のもとへと瞬時に駆け付けることに成功した。鬼太郎と仲間達は、未だに笑い女の作り出す幻影に翻弄されていた。

幽体である小梅には妖術が通用しないらしく、笑い女の幻影は見えず、笑い声も聞こえていなかった。小梅から見ると、白靄の中で鬼太郎達が見えない何かと戦っているようにしか見えない。

 

「小梅ちゃんがここに来たということは、笑い女の居場所が分かったんじゃな!」

 

「そうと分かれば……霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

小梅の到着を確認した鬼太郎は、ちゃんちゃんこを脱ぎ、マフラーのように長く形状を変化させると、自身の口と鼻を覆い、肩にのる目玉おやじの頭部の下半分も同様に覆った。

それと同時に、鬼太郎と目玉おやじは深呼吸して肺の中の空気を出し入れする。そして、二、三度息を吸って吐いてを繰り返したところで、鬼太郎の視界に映っていた笑い女の幻影と笑い声が消え去っていく。

 

「流石はご先祖様の霊毛で編まれたちゃんちゃんこじゃ!鬼太郎とわしの体内に入った笑い女の妖力を吸い出してくれたわい!」

 

「小梅、笑い女の居場所に案内してくれ!」

 

『分かった』

 

笑い女の妖術を解除することに成功した鬼太郎の指示に従い、小梅は幽体のまま飛び上がると、美穂と輝子が待機している、笑い女の潜伏する廃工場を目指して移動を始める。鬼太郎はそれを追って廃屋の屋根へと飛び乗り、屋根伝いに走ってあとを追う。笑い女の靄を避けるためにかなり迂回させられていたが、直線距離ならば百メートル程度だったらしい。

そして、笑い女が潜伏する廃工場を視認した鬼太郎は、隣接する廃屋の建物の屋根から跳躍して飛び立つ。

 

「リモコン下駄!」

 

空中へと飛び出した鬼太郎は、リモコン下駄を飛ばして老朽化によって脆くなった廃工場の屋根を破壊し、中へと突入する。

廃工場の中へと降り立った鬼太郎は、破壊された屋根から注ぐ月光によって照らし出された巨大な影へと振り返る。そこにあったのは、工場内に積み上げられた状態で廃棄された木材の上聳え立つ、高さ五メートルにも及ぶ巨大なキノコだった。その周囲には、一メートルから十センチ程度の大小様々なキノコが群生しており、巨大キノコが発する無数の白い胞子が埃とともに宙を舞い、月光を反射して雪のように光っていた。

 

「やはり、あれが笑い女の正体じゃったか」

 

「父さんの予想通りでしたね」

 

目玉おやじが予想した笑い女の正体――それは、“キノコ”だった。

笑い女の幻影が出現する際に発生していた靄のように見えたものは、実際は水蒸気などではなく、“白いキノコの胞子”。笑い女の妖術は、この胞子を媒介に発動するものであり、胞子を吸引した者に幻影を見せているのだ。鬼太郎と目玉おやじがちゃんちゃんこの力で妖術を解除できたのは、肺に入った胞子の妖力を吸い出したからである。輝子だけが妖術にかからず、胞子の動きを予測できたのは、キノコと会話できる程にキノコと共に長い年月を過ごしたことで身に付けることができた能力だというのが目玉おやじの推測だった。

 

「鬼太郎、あのキノコが笑い女の本体じゃ!あれを燃やし尽くせば、笑い女も倒れる筈じゃ!」

 

「はい、父さん!」

 

ちゃんちゃんこをマスクのように顔に巻いたまま、鬼太郎は目の前の巨大キノコを焼き払うべく動こうとする。だが……

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

「むっ!?」

 

「笑い女じゃ!」

 

突如として、廃工場の中に笑い声が響き渡った。それと同時に、巨大キノコの根本から無数の白い繊維が伸びていき、鬼太郎の目の前で螺旋状に絡み合い、成人女性一人分の体積へと達する。そして、繊維の塊はみるみる形を変え、色が浮かび上がり、鬼太郎がこの廃屋群の中で幾度となく見た着物姿の女性……笑い女が幻影として見せた十代の女性の姿へと変わった。

ちゃんちゃんこで胞子を遮断している以上、妖術によって視聴覚を乱されているわけではない。笑い女の本体たるキノコから現れた、幻影ではなく実体を持った存在……“分身体”である。

 

「とうとう本体が出てきたようじゃな。鬼太郎、用心するのじゃぞ!」

 

「分かっています!」

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

笑い女の高笑いが響き渡る。それと同時に、巨大キノコの根元からさらに幾本もの繊維が伸びていき、先程と同様、絡み合って塊を形成し、笑い女の分身体を作り出した。

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

新たに現れた笑い女の分身は、十体にまで増えていた。鏡に映したかのように全く同じ姿の着物姿の女達が笑い声を上げる様は、何度見ても不気味そのものである。だが、今回はそれだけでは済まない。

 

「鬼太郎、来るぞ!」

 

出現した分身体十体が、高笑いとともに鬼太郎目掛けて襲い掛かる。笑い女達が腕を奮うと、着物の袖から笑い女の肉体を構成する無数の繊維が飛び出してくる。武器として繰り出される白色の繊維は、槍のように鋭く突き出されたり、鞭のようにしなったりと、形状は様々。繊維は軟体なキノコとは比べ物にならないくらいに硬化されており、廃工場の壁や地面を容易く貫き、切り裂いていく。

鬼太郎は繰り出されるそれらの攻撃を回避すべく右へ左へと動き回るが、いくつかの攻撃が手足を掠めてしまう。このままではジリ貧だと感じた鬼太郎は、反撃に出る。

 

「髪の毛針!」

 

髪の毛針を全方向に乱射し、襲い来る笑い女の分身体を攻撃する。分身体は避ける素振りも見せず、髪の毛針は全て命中したが、所詮は分身体なのか。痛くも痒くもないらしく、串刺しにされても狂ったような笑いをやめようとはしない。

 

「父さん、このままでは……」

 

「分かっておる。このままでは近付くことも儘ならん」

 

髪の毛針では、軟体の繊維でできた笑い女の分身体にダメージを与えることができない。この分では、リモコン下駄による物理攻撃も通用しないだろう。霊毛ちゃんちゃんこで本体のキノコを覆い尽くせば、妖力を絞り出すことも可能だろうが、ちゃんちゃんこを胞子を遮断するための防毒マスクにしている今、武器として使うことはできない。体内電気の電撃は本体の巨大キノコまでは届かない。指鉄砲を撃とうとすれば、妖力を指先に集中させて照準を合わせている間に、分身体が鬼太郎を八つ裂きにしようとしてくるだろう。

防戦一方のこの状況を覆す方法が無いかと、鬼太郎と目玉おやじは分身体の猛攻を避けながら思考を巡らせる。そして、何度目かになる繊維の槍による攻撃を避けて、工場内に積み上げられた袋に突っ込んだ時だった。

 

「くっ……!何だこれは……っ!」

 

鬼太郎が突っ込んだ衝撃により、袋が破れて中身が漏れる。破れた箇所からサラサラと音を立てて漏れるのは、小麦粉のようなもの――家畜用の飼料だった。ここは材木の工場だが、恐らく、この工場が廃棄されて人が入らなくなったことを良いことに、不法投棄されたものなのだろう。漏れ出た飼料は、笑い女が放つ胞子のように浮遊し、鬼太郎の視界を一時的に遮った。

 

「そうじゃ!」

 

舞い上がる粉末の飼料。その光景を見た目玉おやじが、何かを閃いたかのように声を上げた。そして、鬼太郎の耳元へ移動すると、笑い女を倒すための作戦の指示をする。

 

「はい、父さん!」

 

目玉おやじの指示に従い、鬼太郎は両掌を水平に構える。そして、その指先の延長線上に、廃工場の中に積まれた無数の飼料の袋に狙いを定める。そして、それぞれの指先に霊力を込める。

 

「指鉄砲!」

 

鬼太郎の両手の指先から、霊力の弾丸が機関銃のように放たれる。一部は笑い女の分身体を貫通しながらも、工場内に積まれた袋を撃ち抜くと、中身の飼料の粉末が巻き上がる。指鉄砲によって撃ち抜かれた袋から噴き出た飼料の粉末は、瞬く間に工場の中に充満していった。

 

「鬼太郎、外へ走るんじゃ!」

 

「分かりました!」

 

巻き上がった飼料が霧のように工場の中に充満したのを確認した目玉おやじは、鬼太郎に工場からの撤退を指示する。鬼太郎は指示に従い、工場の出入口へと走る。

 

アッハッハッハッハッハッハ

 

当然のことながら、笑い女が作り出したいくつもの分身体が、逃げようとする鬼太郎を追う。鬼太郎自身も、無数の敵が背後に迫っていることには気付いていた。恐らく、扉を開けるタイミングを狙っているのだろう。僅かでも足を止めれば、繊維の槍や鞭が飛び、即座に串刺し・滅多切りにされるだろう。

 

「リモコン下駄!」

 

故に鬼太郎は、リモコン下駄を飛ばして扉を破壊することにした。廃工場のドアは老朽化していたお陰で、リモコン下駄の直撃で簡単に蝶番の金具は破壊され、ドアがひしゃげて外へと飛び出す。鬼太郎もまた、ドア目掛けて跳び、転がるようにドアが破壊された出入口から脱出する。

 

「今じゃ、鬼太郎!」

 

跳んで地面を転がった衝撃で鬼太郎の肩から離れ、地面へと転がった目玉おやじが、最後の指示を飛ばす。そして、弾みではあるが、目玉おやじが安全な場所にいることを確認した鬼太郎が、最後の一手を放つ。

 

「体内電気!!」

 

鬼太郎が伸ばした右手から、電撃が迸る。掌が向けられた先にあるのは、先程鬼太郎達が脱出した工場の出入口。真っ直ぐ放たれた電撃は、出入口を通過し、工場の奥へと到達する。その途端――――――

 

 

 

 

 

轟音と閃光が、夜闇の静寂を切り裂いた。

 

 

 

 

 

笑い女の本体たる巨大キノコの巣窟である廃工場の窓や扉、鬼太郎が突入した屋根、老朽化した壁といった、至る場所が爆発の衝撃で破壊され、勢いよく炎が噴き出す。先程まで響き渡っていた笑い女の笑い声も、建物が崩壊する轟音に呑まれて聞こえなくなっている程だった。

 

「上手くいきましたね、父さん」

 

「ウム」

 

これが、目玉おやじが工場の中に巣食う笑い女を倒すために考案した作戦だった。

笑い女の本体たるキノコに致命的なダメージを与えるのに最も有効な攻撃は、火で焼き尽くすことである。だが、鬼太郎には酒吞童子や鬼童丸のように炎の妖術は使えない。

そこで目玉おやじが用いた手段が、“粉塵爆発”だった。工場の中に廃棄された飼料の粉末を可燃性粉塵として巻き上げて廃工場に充満させ、体内電気を点火源として着火。笑い女の本体たる巨大キノコ諸共工場内全体を爆発の渦に巻き込んだのだった。

 

「父さん、あれを」

 

燃え盛る工場を眺めていた鬼太郎が、飛び散る火の粉の中を飛ぶ、青白い光の玉を見た。工場から発せられている炎とは色の違うそれからは、魂の気配が感じられた。

 

「ム……恐らくあれは、笑い女が卯月ちゃんから奪った魂の一部、つまりは感情じゃな。笑い女の本体が焼き尽くされたことで、解放されたのじゃ」

 

目玉おやじの言葉通り、青白い光は卯月達がいる場所へと向かって飛んでいった。そうして、本来の持ち主のもとへと帰っていく光を見送っていると、鬼太郎の元へ駆け寄ってくる三人の足音が聞こえてきた。

 

「鬼太郎さん!」

 

鬼太郎が振り返ると、そこには小梅、美穂、輝子の三人がいた。笑い女が潜んでいる場所からは離れているようにと予め指示を出していたため、粉塵爆発の被害を受けずに済んだらしい。

 

「小梅ちゃんに美穂ちゃん、輝子ちゃん。大丈夫じゃったか?」

 

「はい。爆発が起きて物凄くびっくりしましたけど、私達は大丈夫です」

 

「それより、笑い女は?」

 

「工場の中の本体はさっきの爆発で焼き尽くされた筈だ。これなら、笑い女もひとたまりもない筈……」

 

だが、その時だった。鬼太郎の髪の毛が、唐突に逆立った。妖怪アンテナが妖力に反応したのだ。しかも感知した妖力は、つい先程間近で感じたものである。

 

「父さん!笑い女の妖気はまだ完全には消えていません!」

 

鬼太郎から齎された事実に、アイドル達の顔に緊張が走る。笑い女がまだ生きているのならば、鬼太郎達のような戦闘能力の無いアイドル達が真っ先に襲われる筈だからだ。

 

「あの爆発の中でも生きておるとは……いや、あれだけ群生していたのだから、少しくらいは残っていてもおかしくはない。状況からして、笑い女も虫の息じゃろうが、油断はできん。鬼太郎、探し出すのじゃ」

 

「分かりました、父さん」

 

目玉おやじに促され、口元に巻きつけていたちゃんちゃんこを解いて着直すと、鬼太郎はこの付近のどこかに生き残っているであろう笑い女の探索を開始するべく、アイドル三人を伴い、移動を開始する。

目玉おやじの言うように、笑い女は本体である巨大キノコをはじめ、群生したキノコの大部分が焼き尽くされており、瀕死の状態であることが確実視されている。胞子による妖術はもう使えず、鬼太郎相手に見せた繊維を武器にした戦いもできないだろうが、ここで逃がせばまた再びどこかで群生して人を襲い始める可能性がある。

それを防ぐためにも、笑い女は確実に仕留めなければならない。鬼太郎達は、現在進行形で炎上しているかつての笑い女の根城だった廃工場の周囲を、飛び散る火の粉に注意しながら探し始めるのだった。

 

 

 

 

 

鬼太郎達が爆発炎上している廃工場の周囲にいるであろう笑い女を探し始めたその頃。廃屋群の外で待機していた卯月をはじめとしたアイドル四人は、鬼太郎達が突入した笑い女の巣窟である廃工場のある方向を見ていた。黒一色の夜闇に包まれていた空を照らし出す赤い火柱に、卯月を除く三人の表情は驚愕に染まっていた。

 

「あれって……もしかして、鬼太郎さんが?」

 

「多分、そうなんだろうけど……それより、みほちー達は大丈夫なの!?」

 

妖怪同士の戦いが非常に危険なことは聞かされていたが、このような爆発が発生するような事態になることは想定外だった。妖怪である鬼太郎達は大丈夫だろうが、現場にいるであろう美穂、小梅、輝子の身が危険に晒されている可能性がある。未央が心配するのも無理もない話だった。

 

「鬼太郎と目玉のおやじさんは、戦いの場には絶対に近付かないように言ってくれていたから大丈夫だと思うけど……」

 

鬼太郎と目玉おやじは三人に協力を要請するにあたり、自分の身を守ることを優先するよう念押ししていた。それに加え、笑い女本体の居場所を特定するために向かった三人は、妖怪の居場所や動きを特定する能力を持っている。用心して動いているならば、爆発に巻き込まれるようなことは無いと思われるが、凛も不安を隠せずにいた。

この場から絶対に動くなという言いつけを破ってでも三人を探しに行くべきかと、凛、未央、響子が逡巡していた、その時だった。

 

「あっ!あれって……」

 

廃屋群の向こう側で炎上する廃工場を見つめたいた凛が、夜空を飛ぶ青白い光を見つけた。廃工場の炎とは明らかに違う色をした光の玉は、真っ直ぐアイドル達の居る場所へと飛来している。まさか妖怪の仕業なのかと、警戒心を露にしたアイドル達は、卯月を守るように前に出る。しかし、当の卯月だけは違う反応を示した。

 

「待って」

 

「し、しまむー!?」

 

卯月は自身を庇おうとする未央達をそっと横へ退けると、青白い光のもとへと歩き出した。それに呼応するように光の玉が卯月のもとへと向かっていく。光の玉は卯月の眼前へと近付くと、その額へと吸い込まれていった。笑い女に奪われた卯月の魂の一部である感情が、本人のもとへ還ったのだ。

 

(………………え?)

 

その瞬間……卯月の視界が、霧がかかったかのように真っ白に染まった。一体、何が起こったのかと逡巡しする卯月だったが、新たな異変が起こる。視界一面を覆う霧は瞬く間に晴れていき、自身の記憶には無い、新たな光景が眼前に広がっていったのだった――――――

 



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奪われた笑顔!夜闇に響く不気味な哄笑 ④

その昔……今からおよそ四百年ほど遡った、江戸時代頃のこと。

とある町に、一人の娘がいた。

年齢は卯月と同じ、十七歳。

老若男女を問わず、誰からも親しみを持たれる可憐な少女だった。

そして何より、彼女がとんな時でも絶やさない朗らかな笑顔には、春の陽だまりのような温かさがあった。

 

そう、卯月のように――――――

 

そんな少女の身に悲劇が起こったのは、ある年の秋のことだった。

キノコ狩りのために山に入った少女は、誤って本来食してはいけないキノコを採取してしまった。

その晩、件のキノコを食した少女の身に、異変が起こった。

キノコを食してしばらく経った時……少女は、突如として笑い始めたのだ。

笑いは一晩中笑っても止まることはなく、少女の顔には本人の望まない笑みが張り付いたままとなってしまった。

少女が食してしまったキノコの正体は、『ワライタケ』。

その名の通り、食した人間は幻覚に侵され、笑いが止まらなくなる毒キノコである。

とはいえ、笑いが止まらなくなるのは長くても半日程度の毒性である。

だが、少女が食べたのはただのワライタケではなかった。

山に暮らす妖怪の発する妖力を吸収して成長した、『妖怪キノコ』だったのだ。

妖力によって強化された毒は、少女を絶対に抜け出すことのできない……笑いの無間地獄へと陥れた。

それ以降、少女は自身の望まぬままに、笑い続けた。

 

晴れの日も、雨の日も、嵐の日も――

 

友人が大八車の事故に遭って怪我をした時も――

 

隣の村で水害が起こり、多くの人が亡くなった時も――

 

両親をはじめ、親類縁者が亡くなった時も――

 

笑い続ける少女を気味悪がり、多くの人が遠ざかった時も――

 

本当は悲しいのに、泣くことができない。

できることは、ただ只管に、笑い続けることのみ。

そうして笑い続けた少女に齎されたのは、周囲の蔑みと、その末の孤独。

どうしてこのようなことになってしまったのか……?

止まらない笑いの中で、少女は幾度も考えたが……結局、答えは出なかった。

そうして己の身に起きた不幸を内心で嘆きながら、来る日も来る日も笑い続けていく中……いつしか百年以上の月日が流れ、一匹の“妖怪”が生まれた。

白い靄とともに現れ、不気味な笑い声を響かせる、少女の姿をした妖怪。

人はその妖怪を“笑い女”と呼んだ。

そうして妖怪として生まれ変わった少女は、妖怪が妖怪たる所以である……己の中にある欲求を満たすために動き出した。

 

 

 

 

 

それは――――――

 

 

 

 

 

「しまむー?」

 

「っ!?」

 

未央の呼びかけによって、呆然として立ち尽くしていた卯月が、正気を取り戻した。

笑い女に奪われた感情が戻ったのと同時に、頭の中が真っ白に染まり、卯月の頭の中には自身の記憶には無い……見知らぬ光景が流れ出した。笑顔が似合う少女が、思わぬ悲劇に見舞われ、深い悲しみを抱えながら、意に添わぬ笑顔を浮かべ続ける苦痛……。何もかもが、幻などではなく……現実に起きたこととしか思えないものだった。

しかし、これが現実に起こったことならば、一体、誰の記憶なのか――

 

「……行かなくちゃ」

 

「ちょっ……卯月!?」

 

そこまで考えた卯月は、誰にでもなく呟くと、走り出した。戸惑う凛や未央を無視して、卯月は真っ直ぐ、廃屋群の……その向こうにある、炎上している廃工場を目指して走り出した。

 

 

 

 

 

 

「とうとう見つけたぞ……笑い女!」

 

笑い女の本体たる巨大キノコの巣窟と化していた廃工場の炎上から十数分後。鬼太郎達は廃工場から飛び散る火の粉と、笑い女からの逆襲に警戒しながら探索を進め、遂に逃げ延びた本体の一部を見つけ出した。

 

「アッハ、ハッ、ハッ、ハハッ……ハッ……」

 

鬼太郎達の目の間には、地面に仰向けの状態で横たわる着物姿の女性の姿があった。顔には相変わらず不気味な笑顔が浮かんでいるものの、その笑い声は息絶え絶えであり、見るからに瀕死の状態だった。

 

「やはり、本体の巨大キノコを燃やし尽くされたのが大きかったようじゃのう。妖力も先程までとはまるで比べ物にならん程に弱くなっておるわい」

 

「依り代となるキノコも、この個体の核となっている分だけでしょう。これならば、焼き尽くす必要も無いでしょう」

 

最早、笑い女の命は風前の灯。その命を完全に断ち切るべく、鬼太郎は右手の人差し指と親指を立てて、拳銃のように構えた。鬼太郎の最大の必殺技、指鉄砲の構えである。

 

「鬼太郎さん……本当に、駄目?」

 

「輝子ちゃん?」

 

笑い女に止めを刺そうとしていた鬼太郎に対し、輝子が遠慮がちに声を掛ける。恐らく、弱り切った笑い女に同情しているのだろう。妖怪の正体がキノコだったのも手伝っているのだろう。

 

「悪いが、笑い女を放置しておくわけにはいかない。それに、笑い女は見ての通り虫の息だ」

 

だから、ここで終わらせてやることは笑い女にとっての救いでもあるのだと、鬼太郎は言外に言った。鬼太郎の言い分には、笑い女を擁護しつづけていた輝子は勿論、傍で聞いていた美穂も小梅も反論できなかった。アイドル三人が黙ったことを確認した鬼太郎は、再び笑い女へと拳銃の形にした右手を構える。

 

「これで終わりだ。指鉄っ――」

 

「待ってください!」

 

笑い女に指鉄砲を放とうとしていた鬼太郎に、再び待ったをかけた声が掛けられる。その鬼気迫る声に、鬼太郎は指先に集中させていた妖力を霧散させてしまう。声のした方を向くと、そこには卯月の姿があった。急いで走ってきたためか、かなり息が上がっていた。その後ろからは、凛、未央、響子が追い掛けてきていた。

 

「卯月ちゃん……!」

 

「よかった……元に戻ったんだ」

 

笑い女に感情を奪われて能面のようだった卯月の表情は、美穂や小梅が知る、人間らしいそれに戻っていた。

 

「笑い女さんを……許してあげてください!」

 

「卯月!?」

 

卯月が口にした懇願に、凛をはじめとした面々は目を見開いて驚いた。笑い女は、卯月から笑顔を奪った張本人である。そんな笑い女を庇おうとしている卯月の考えが、凛をはじめとしたアイドル達には理解できなかった。

 

「どうしてこんな奴庇うの!?こいつの所為で、しまむーはあんな目に遭って……!しかも、こんなになっても、まだ笑ってるし……!」

 

地面に仰向けに倒れた状態の笑い女を憎々し気に睨みつけながら、未央が吐き捨てるように言った。親友を酷い目に遭わせておきながら、今なお不気味な笑顔を顔に貼り付け、か細くはあるが笑い声を上げ続けている笑い女は、未央や凛にとっては非常に許し難い存在だった。

だが、卯月はそんなアイドル達の制止を無視して、地面に横になっている笑い女のもとへと歩み寄り、地面に膝をつくと笑い女の顔に手を添えてぽつりぽつりと話し始めた。

 

「笑い女さんは、笑ってなんていません……本当は、泣いているんです」

 

「……どういうことだ?」

 

笑い女とは、その名の通り、笑い声を上げる妖怪の筈。それが、笑っておらず……それどころか、泣いているとはどういうことなのか。鬼太郎は勿論、その場にいた誰もが卯月の言っていることを理解できずにいた。

 

「私、見たんです。笑い女さんの身に、何が起きたのかを……」

 

そこから卯月は、自身に感情が戻るとともに見た光景について説明した。とある笑顔が似合う町娘の身に起こった悲劇と……それを皮切りに、喜怒哀楽の喜びをはじめとした感情が希薄化していき……本当の笑顔を失ってしまったこと。そしてその末に、『笑い女』という妖怪が生まれた、その経緯を……

 

「成程のう……恐らくその少女が食べたのは、妖気を宿した『妖怪キノコ』だったのじゃろう」

 

「つまり、妖怪キノコを食べたことで、笑い女という妖怪が生まれたということですか?」

 

「その通りじゃ。それが分かれば、卯月ちゃんの言うことも理解できる。笑い女は、笑い続けた末に失った笑顔……つまりは楽しい、嬉しいという感情を取り戻すために、卯月ちゃんを襲ったのじゃろう」

 

「それじゃあ、私が聞いた、怒っていた声と、悲しんでいた声は……」

 

「笑い女の本音だったのじゃろう。キノコと心を通わせた輝子ちゃんには、その本音が聞こえていたのじゃ」

 

卯月の説明に、目玉おやじと鬼太郎は一連の出来事に得心した様子だった。さらに、今まで笑い女に対して怒り心頭だった凛や未央をはじめとしたアイドル達も同情を禁じ得なかった。

 

「笑い女さん……ごめんなさい。あなたがどんなに苦しい思いをしてきたかを知ったのに……私には、何もできません……!本当に……ごめんなさい!」

 

仰向けに倒れて力なく笑い続ける笑い女に対し、涙ながらに謝罪を口にする卯月。

そんな卯月の頭の中には、アイドルになってから間もない頃の記憶が蘇っていた。以前、卯月が所属していた346プロダクションのシンデレラプロジェクトが、海外から帰国した常務の下した決定により、他のプロジェクトともども解散に追い込まれたことがあった。この危機を脱するため、同期のアイドル達は次々に己の個性と可能性を伸ばし、アイドルとして成長していったが……卯月だけは、自信の個性である“笑顔”に自信が持てず、スランプに陥ってしまったのだ。最終的には、自分の可能性を信じて前へ進むことを決意し、アイドルとしての障害を乗り越えることができたが、あの時の卯月は、間違いなく己の個性たる“笑顔”を失っていた。

経緯こそ違うが、笑顔を失ったことのある者として、卯月には笑い女の気持ちが痛い程分かったのだ。そして、笑い女の痛みを理解しながら、その苦しみを取り除くことができない自身の無力感に、卯月はただ涙を流すことしかできなかった。

 

「………………」

 

そんな卯月に、笑い女は静かに頭を動かし、その顔を卯月へと向けた。そして、貼り付けられたような不気味な笑顔は徐々に和らいでいき……人間的な、自然な笑みとなっていった。

そして――

 

「――えっ?」

 

次の瞬間、笑い女の身体が金色の光に包まれていく。そして、砂のような無数の粒子となって霧散していった。それは、笑い女の武器たるキノコの胞子を彷彿させるものだったが、危険な気配は感じさせない、笑い女が最後に見せた笑みのように穏やかな光だった。

 

「あっ……!」

 

光が完全に消え去った後の地面を見た卯月が、驚きの声を上げる。そこには、一本の白いキノコがあった。笑い女誕生の発端となった、『ワライタケ』である。

 

「笑い女のキノコ、じゃな。卯月ちゃんの優しさと、笑い女の心を救ったのじゃ」

 

「笑い女さん……!」

 

「妖気は微かに感じられますが……笑い女だった時のそれとは、比べ物にならないくらいに弱くなっています」

 

卯月の目の前にあるキノコは、最早、笑い女の残滓に過ぎず、人間を害する程の力も意思も持っていないらしい。しかし、また笑い女になる可能性がある以上、放置しておくのも危険かもしれない。鬼太郎はそう考えたのだが……

 

「鬼太郎さん、卯月ちゃん……このキノコ、私がもらっていい?」

 

「輝子ちゃん!?」

 

誰もが沈黙する中、キノコの引き取りを名乗り出たのは、輝子だった。誰もが唖然とする中、輝子は自身の主張を続ける。

 

「私なら、この子のお世話をちゃんとできる。それに、二度と悪さもさせないから……」

 

キノコ栽培を趣味としており、キノコを親友と呼び、心を通わせる輝子である。笑い女の成れの果てであるキノコを任せるとすれば、最適な人間だろう。とはいえ、キノコと対話できる以外の能力は一般人と変わらない輝子に、普通とは呼べないキノコを預けるのはいかがなものかと、鬼太郎親子は逡巡する。

 

「私からもお願いします」

 

「卯月ちゃん?」

 

そんな中、輝子の提案を後押ししたのは、卯月だった。笑い女のキノコの引き渡しを渋る鬼太郎達に、頭を下げてまで懇願する。

 

「笑い女さんは、もう悪いことはしません。輝子ちゃんに任せてあげれば、絶対に大丈夫です。だから、お願いします」

 

「私からも……お願いします。」

 

「わ、私からもお願いします!」

 

再度頭を下げる卯月。それに次いで、小梅と美穂もそれに続く。妖怪の事情に詳しくない凛、未央、響子の三人は、判断に困った様子で口を挟めずにいた。そして、目玉おやじの判断は……

 

「フム……良いじゃろう。輝子ちゃんにそのキノコを託そう」

 

暫しの思考の末、輝子の笑い女のキノコ引き取りを認めた。目玉おやじに判断を委ねていた鬼太郎は、確認するように問い掛けた。

 

「……大丈夫でしょうか、父さん」

 

「さっきも言ったが、笑い女の魂は卯月ちゃんに救われた。妖怪となって悪事をするようなことは二度とあるまい。それに、輝子ちゃんならば、笑い女のキノコを無下に扱うこともせぬから、大丈夫じゃろう」

 

笑い女のキノコに危険性が無いことは、鬼太郎も妖怪アンテナで確認している。それに、輝子が適任であることは、今回の作戦の功績からも明らかである。

 

「そういうわけじゃから、笑い女のキノコは輝子ちゃんに任せるとしよう。小梅ちゃんも、気にかけてあげてくれるかの?」

 

「うん……分かった」

 

こうして、夜遅くに行われた笑い女の討伐作戦は終了した。ちなみに、この騒動で廃工場一棟が粉塵爆発を起こして炎上してしまったものの、他の建物への延焼には至らず、駆け付けた消防によってすぐさま鎮火された。現場にいたアイドル達は、一反もめんに乗せられて脱出したお陰でマスコミ等に目撃されることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「島村さん。そろそろ出番ですよ!」

 

「はい!今行きます!」

 

笑い女討伐作戦から数日後。卯月の所属ユニット『ピンクチェックスクール』のライブは、予定通りに開催されていた。舞台袖では、メンバーの卯月、美穂、響子の三人がステージ衣装姿でライブ開始を今か今かと期待に胸を高鳴らせながら待っていた。

 

「卯月ちゃん……なんか、いつもより楽しそうだね?」

 

「うん。美穂ちゃんの言う通り……生き生きしてるっていうのかな?」

 

そんなピンクチェックスクール三人の中で、今日最もやる気に満ちているのは、卯月だった。確かに卯月は、真面目でアイドル活動に対して人一倍熱心な性格ではあるが、それでもいつにも増して意欲と活気を滾らせているように美穂と響子には見えた。

 

「私、笑顔って……笑うなんてこと、特技でもなんでもなくて、誰にでもできることだって思ってたんです」

 

美穂と響子の呟きが聞こえていたのか、卯月は自身の心情を語り始めた。

 

「けど、この間の一件で、分かったんです。笑顔になれるのは、当たり前のことなんかじゃくて……それ自体が幸せなことなんだって」

 

「卯月ちゃん……」

 

「だから私は、伝えたいんです。笑顔でいられることの喜びを……それで、皆も心から笑顔になれるように」

 

その言葉を聞いて、美穂と響子は得心した。見慣れた筈の卯月の個性である笑顔が、どうしていつもより眩しく見えたのかを……

 

「二人とも、行こう!ステージが始まるよ!」

 

「うん!」

 

「そうだね!」

 

卯月を先頭に、三人揃ってステージへと駆け出していく。ライブに訪れてくれた、多くの人々に笑顔を届けるために――――――

 

 

 

 

 

「卯月ちゃん、元気になって本当に良かった……」

 

「ウム。笑い女の影響は、微塵も残っておらんようで何よりじゃ」

 

「そうですね、父さん」

 

ステージに立つピンクチェックスクールの三人――その中心に立つ卯月を見て、小梅、目玉おやじ、鬼太郎の三人はそう呟いた。小梅の隣には、輝子、未央、凛の姿もある。

目玉おやじを含めた六人は、笑い女の一件から卯月が無事に回復したことを確かめるために、このライブ会場を訪れ、最後部の観客席からその様子を眺めていた。

 

「本当に良かったよ、しまむー……」

 

「やっぱり卯月には、あの笑顔が無いと……」

 

卯月の『ピンクチェックスクール』とは別の所属ユニット『ニュージェネレーション』のメンバーである未央と凛もまた、卯月が無事に笑顔を取り戻すことができた姿を見て安心していた。そして、その笑顔を見たアイドル達には、今ステージの上に立っている美穂と響子同様、いつも以上に輝いているように思えた。

 

「フヒ……笑い女さん。卯月ちゃんは……素敵な笑顔だよ」

 

その手に抱いたキノコの鉢に向けて、輝子はそう語り掛けた。その鉢に生えたキノコ――笑い女のワライタケは、輝子の言葉と、笑顔の大切さを再認識したことで一層の輝きを増した、卯月の咲き誇る花のような笑顔を前に、嬉しそうに震えていた。その傘からは、ステージ上に立つ卯月のように、キラキラと光る胞子が舞っていた。

 



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