※ちなみにビッチである《完結》 (ラゼ)
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プロローグ

プロローグなので短いです。


人には間違いを犯す時が必ずある。大小様々な間違いはあれど、大小様々な理由はあれど、失態を犯したことがない人間というのはそれこそ生まれたばかりの赤子くらいのものだろう。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のモモンガも然り、ユグドラシル最後の日だというのに碌に集まらないメンバーに憤りと寂しさを感じ、その精神は詰まらないミスを犯しても不自然ではない程に消耗していた。

 

 同じ間違いを繰り返すという馬鹿なことをした経験は誰しもがあるだろう。有名な例えを挙げるとすればそうだ、『モンキーパンチ』を『モンキーパンツ』と打ち間違えた人間が『ミス、モンキーパンツです』などという行為を何度も繰り返した事例などがある。あるいは家の鍵を手に握っているというのに、延々と部屋の中を探すような話も枚挙に暇がない。

 

 人間の脳とは時に意味不明な行動を強いるのだ。故に寂寥感に肩を落とし、この日を休むために少しばかり無理をして休みをとったモモンガが、訳の解らないミスをしてしまうのはある意味当然だったのかもしれない。

 

「ちなみにビッチであるって……いや、ない。これはない」

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が誇る、栄えある守護者統括が設定の最後に『ちなみにビッチである』と記載されていた件について、モモンガは呆れを覚えた。終わりをこんな性格で迎えるのは可哀想だろうと彼は考え、ギルド長権限でこの一文を消してやろうとコンソールの操作を始めた。

 

「『ちなみにビッチである』を消して……うーん……モモンガを愛しているとかどうだ? いや、ないかな…」

 

 中身が男であることを思えば非常に気持ち悪いくねくねとした動きをしつつ、彼はこともあろうに『モモンガを愛している』などという文を加える暴挙に出ようとしていた。しかし前述したように彼は色々と疲れていたのだ。NPCへ勝手にワールドアイテムを渡していた仲間のことや、最後まで残ってくれなかった仲間に対し思う事も沢山あった。

 

「あっ、間違えた。なんで同じ文を打ち込んでるんだか……ちなみにビッチである、と。って違う! 俺は馬鹿なのか?」

 

 二度ほど同じ文を打ち込み、慌ててコンソールを弄りなおすモモンガ。その際に戻り過ぎたため、もう一度守護者統括の設定欄を弄ろうとし――間違えて“全てのNPC”の設定を一括で改変する機能を起動させてしまった。しかもそれに気付かずそのまま一文を加え、更にはもう一度同じ『ちなみにビッチである』という設定を反映させたのだ。

 

 しかして彼は異世界に足を踏み入れる。馬鹿な行動を繰り返していたために削られた時間は残酷で、最後は間抜けにもコンソールを開いたまま強制ログアウトかと思われたその瞬間――彼は奇跡の異世界転移を果たしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の辺境、トブの大森林にほど近い開拓村『カルネ村』は今日も平和だった。先日帝国兵に扮した法国兵に村を蹂躙されかけたこの村は、しかし結果的に数人の怪我人が出た程度の被害に終わり、ある程度の危機感を村人に促しはしたものの、外敵への対処に関した必死さはあまり見受けられない。

 

 その最大の要因といえば度々この村を出入りする圧倒的強者のせいともいえるし、おかげともいえる。トブの森における伝説の魔獣すら霞みそうな強者達がこの村を一時拠点としているのだから、気が緩むのもある意味仕方ない部分はあるだろう。とある少女二人の貞操は危ういが、それ以外は概ね平和であった。

 

「どうしてこうなったんだろう…」

 

 懇意にしている村民の家で茶を啜るオーバーロード――モモンガは独りごちた。顎の骨から肋骨、大腿骨へだばだばとお茶が漏れているが、彼にはそれさえ気に掛ける余裕すらなかった。全ては彼の周囲がビッチになったせいだ。執事と二人きりで遠隔視の鏡の操作を試せば、やたらと近い彼我の距離に辟易とさせられる。守護者統括と二人で話せば襲われかける。ダークエルフの姉弟の頭を撫でれば絶頂される。真祖の吸血鬼に至ってはもはや言葉にするのも憚られる有様だ。

 

 彼の心が平穏を保てるのはこの村にいる時だけだ。故にモモンガはこの村を殊更に大事なものとして扱っていた。執事の熱っぽい視線に耐え切れず早々に両手を挙げた結果、それがきっかけでこのカルネ村を発見したのは、きっと神が自分に与えてくれた運命なのだとすらモモンガは思っていた。

 

 落ち着いているようでまったく落ち着けていない。そんな彼の平穏を脅かすかのように、ガチャリと玄関の扉が開かれた。ビクリと肩を震わせたモモンガであったが、入ってきた女性を見て安堵の息を吐く。

 

「ああ、エンリか……どうした? 慌てているようだが」

「あ、モモンガ様――い、いえその……なんでもございません」

「…そうか。もしなにか困っていることがあればすぐに言ってほしい。出来る限りのことは約束しよう」

「は、はい…」

 

 着衣が乱れ、肩の部分が少しはだけている彼女――エンリ・エモットを見て彼は見て見ぬ振りをしつつ格好いいセリフをのたまった。本当は彼女が言いたいことを察しているモモンガであったが、そこに言及すると自分まで危うくなるため知らぬふりをしたのだ。

 

 守護者統括に気に入られ度々セクハラを受けていることや、真祖の吸血鬼に狙われていることや、メイドの一人に玩具にされかけていることは把握していたが――全無視である。無理やり貞操を奪うことだけは絶対にするなと、全配下に厳命はしているのだ。それだけでも自分は頑張ったと彼は胸を張って言える。胸はないが。命を救った代価に多少のセクハラくらいは見逃してくれと、微妙にクズな思考をする自分に少しばかり嫌悪感を覚えるモモンガ。

 

 が、その罪悪感は次の瞬間に消え去った。

 

「ああ! モモンガ様こちらにいらしたのですね!」

「ひいっ!? あ、あるべど……すまんエンリ! 任せた!」

「あっ!? ま、待ってください…!」

「ああ、モモンガ様ぁ……そんないけずなところも素敵です。あらエンリ、少し服が破けているわね。またあのヤツメウナギ? 仕方ないわね、ほら、繕ってあげるから脱ぎなさい。早く!」

「ひっ――うひゃぁん!」

 

 哀れな羊の嬌声が村中に響き渡る。やはり今日も今日とて、カルネ村は平和であるようだ




続きは明日投稿します。


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一話

めっちゃ感想いただけて嬉しい限りです。励みになります!


 ビッチとはなにか。ありとあらゆる側面からその単語を検証した時、人類は平和の意味を知るだろう。ビッチとは平和なのだ。男も女も関係なく、粗末な“モノ”も御立派な“モノ”も関係なく、慎ましい胸も豊満な胸も関係なく、あらゆるものを愛するものがビッチなのだ。デカいブツにしか興味がないビッチや持続力にしか興味がないビッチなどは限りなく“似非”である。真のビッチとは似て非なるものだ。

 

 本当にビッチ足りえれば、極悪のカルマ値だろうが生まれそのものが悪性であろうが何も意味をなさない。ビッチとは平和であり愛である。暴力などもっての他――そういうプレイ以外――であり、ビッチが敵対するとすれば、愛のない暴力が(いたずら)に振るわれる時のみだ。

 

「故にわらわがモモンガ様の側付きをつとめんす」

「故に――の意味が理解できない。私は一人で冒険者をすると言った筈だ、シャルティアよ」

「ああ、モモンガ様……愛の権化たる至高の御方。ビッチの頂点たる貴方様でも――」

「ビッチの頂点!?」

「――貴方様でも、それを理解できぬ非ビッチはそこらに――」

「非ビッチってなに!?」

「――そこらにいると存じんす。故にわらわが警護と夜伽と性欲処理とシモのお世話を――」

「全部一緒なんですけど!? …あ、警護は違うか。いや、最後も微妙に……ってそうじゃなくて!」

「さぁ、行きんしょうモモンガ様。ご心配なさらずともこのシャルティア・ブラッドフォールン、至高の御方の嗜好を全て受け止める覚悟がございます」

「えぇ…」

 

 遂にカルネ村までナザリックに浸食され始めた今日この頃、安息の地を求めてモモンガは旅立った。王国の要所『エ・ランテル』で冒険者として登録するために、書置きを残して飛び出したのだ。しかし彼の行き当たりばったりなやり方でナザリックの頭脳達を欺けるわけもなく、一人寂しく歩いている姿をあっけなく捕捉された。そしてナザリックでの激しい闘争の果てにシャルティアがモモンガの警護を勝ち取り、今に至る。

 

「いや、しかしお前は吸血鬼だ。街の中へ容易には入れないから着いてくるんじゃない」

「アンデッドの気配を偽装するアイテムを用意していんす」

「だが牙が見えると正体がバレる可能性がある。街の中へ容易には入れないから着いてこないでください」

「先程ヤスリで削りんした」

「削っ!? い、いやしかし……瞳の色でバレる可能性もある。街の中へ容易には入れないと思いますので着いてこないでくださいお願いします」

「では目を抉りんす。お見苦しくありんしょうが、御勘弁を――」

「待て待て待て! わかった……シャルティア、お前に私の警護を命ずる。くれぐれも不用意なことをするなよ? ほんとに……ほんとに」

「拝命致しんした!」

 

 蕩けるような笑顔で片膝をつくシャルティアに、モモンガは果てしない不安を覚えたが気合で無視をした。誰が悪いかといえば、最大の要因は設定を書き換えてしまった自分なのだから。程なくして街が見え、いくつかのやり取りを無難に終えて彼等は街の中へ足を踏み入れた。

 

 冒険者組合で登録をし、安っぽいプレートを首にかける。どんな人間であってもまずは一番下の階級――銅級から始めるのが習わしだ。信用というものは積み重ねが大事だと、モモンガもリアルでの経験から嫌というほどに思い知っている。特に不満なども漏らさず、まずは拠点の確保だと宿を探し始めた。

 

 一瞬だけ陳腐なお城の様なピンク色の建物が頭に浮かんだが、(かぶり)を振ってそれを払う。そんなところに入ってしまえば、翌朝にはきっと骨も残らない。骨しかない彼には想像したくもない結末である。横のゴシックロリータな少女を見てゴクリと喉を鳴らす。

 

 宿屋にはランクがあり、駆け出しの底辺御用達の店から、上級の冒険者や商人が滞在するものまで様々だ。底辺クラスには相応に柄の悪いゴロツキ紛いも多く、モモンガはこの状況で色々と詮索をされて誤魔化せる自信がなかった。全身鎧の大柄な男と、傾国の美女とすらいえるドレスの少女の二人組。どう足掻いても訳アリの出で立ちだろう。妙な詮索や下種の勘繰りとは無縁の、上級の宿を確保するのが理想だ。

 

 しかし現実は非情である。彼には金が無かった。陽も落ちかけているこの時間、選択肢はどんどんと狭まっていたが、モモンガに思いつく案といえば誰でも思いつくようなもの――持ち物を売るといったことくらいだ。しかしそれはそれで、不用意にユグドラシル産のアイテムを売り飛ばして不審がられてはかなわない。そう焦っている内に周囲の店も閉まりはじめ、モモンガは結局一番問題が無さそうな最下級の回復ポーションを売ることを決意した。この程度であれば、流石に問題はないだろうと考えて。

 

「…すまない、まだやっているだろうか」

「うん? ああ、もう閉めるところだよ。じっくり見たいならまた明日にしとくれ」

「あ、ああ、いやその…」

 

 道行く人に聞いたポーションを扱う店に足を運んだモモンガは、ちょうど店仕舞いだったのか片付けを始めている老婆への返答に悩んだ。この店仕舞い寸前の老婆に対し、下級のポーションを一つぽっち取り出して売却する――少しばかり恥ずかしい行為だ。ガム一つに万札を出すような、閉店一分前のピザ屋に宅配を頼むような、居酒屋で酒を注文しないような妙な罪悪感が彼を襲う。

 

「じ、実はポーションをいっぽ――ごほんっ、いや、一ダース! 一ダース買い取ってほしいのだが」

「今どっから出したんだい?」

「えっ。い、いや最初から持っていただろう?」

「…まあそれはいいとしても、ポーションを一ダース? 劣化したものを売りつけようって魂胆じゃないだろうねえ」

「…まさか、そんなつもりはないとも(劣化ってなんだおい。なにか選択肢をミスした感がひしひしと…)」

「まあ見ればわかるさね――っ!?」

 

 ゴトリとカウンターに置かれたポーションを見て息をのむ店主――『リイジー・バレアレ』。このエ・ランテル最高の薬師であり、それどころか王国中を見渡してもこの老婆のポーションを超える品質のものは作れないとされている、街や国単位で重用される偉大な人物だ。

 

 彼女がモモンガの取り出したポーションを見て驚愕したのには理由がある。通常のポーションが淡い青色をしているのに比べ、カウンターに置かれたポーションは真紅であったからだ。それはポーションの完成系。『神の血』とすら呼ばれる劣化しない伝説のポーション。薬師が目指す最高峰がそこにあったからだ。

 

 故に彼女は考える。目の前の男がこの時間にこのポーションを出した理由を。これが十把一絡げのみすぼらしい冒険者であればともかく、目の前の二人といえば立派な全身鎧に貴族の令嬢然とした姿だ。紅いポーションの存在を加味すれば、銅級のプレートをぶら下げていることすら何らかの意味があると穿ってしまうのは当然ともいえた。

 

「…なにが望みだい?」

「えっ?(いや、お金だけど…)」

「〈道具鑑定〉――ふ、ふふ……ああ! 間違いなくこれは『神の血』! 私らの目指すポーションの最終形だとも! このリイジー・バレアレのもとにこれを持ってきたのは理由があるんだろう?」

「神のチン……でありんすか? それはモモンガ様の御立派とナニか関係が…?」

「シャルティア、黙れ」

 

 語気も荒く詰め寄ってくるリイジーに、モモンガの内心は混乱しきりであった。ナザリックの者が使用することなどまず有り得ない最下級ポーション。そんなものが伝説と言われては動揺するのも仕方ないだろう。

 

 とはいえ彼も彼で少し勘違いしており、リイジーが驚いたのは“劣化しない”という部分のみである。ポーションの効用そのものは彼女でも簡単に作成できる程度だ。しかしどちらにしても答えずに帰るという選択肢はなさそうで、混乱する頭で最適解を導き出す。自分で答えを出せないのならば、相手に出させればいい。モモンガこと鈴木悟は、投げっぱなしが得意なのだ。きっと配下がビッチでさえなければ『デミウルゴス、みんなに話しておやりなさい』というやり方が彼の得意技になっていたことだろう。

 

「…それはお前次第だな、リイジー・バレアレよ。お前はこれのために何を差し出す? このポーションを――自身が作成できるとすれば何を差し出すのだ」

「…っ、全てじゃ! 老い先短い人生の全てを捧げても、真なる神の血にはその価値がある!」

「ほう…(即答!?)」

「――いや。孫だけは……孫以外の全ては、じゃな。それ以外ならば家も資産も、何もかもを差し出す覚悟がある」

「体もでありんすか?」

「黙れって言わなかったっけ!?」

「体もじゃ!」

「いらんわ!」

 

 ぜえぜえとカウンターに身を突っ伏し、自分が引き起こした事態に苛まれるモモンガ。宿の代金を稼ごうとしただけだというのに、何故老婆の介護を引き受けねばならないのか。頭をヘルム越しに掻きながら、ため息をついてリイジーに指示を出す。

 

「とりあえず……そうだな。ひとまず“これ”はお前のものとしよう。正規の値段で買い取ってくれ。そしてその後は――カルネ村へ向かえ」

「カルネ村?」

「ああ。そこを一時的な拠点としているのでな。ポーション作成に必要な素材と器具はこちらで用意しよう。お前の求める全てがそこにある……言わずとも解るだろうが、他言無用だ。怪しまれぬよう、そして誰もが納得できるよう自然にそこへ移住せよ。私は拙速を好まない。多少時間がかかろうとも、後を濁さずこの街を去ってくれ」

「…うむ、わかった。――ンフィーレアや!」

 

 リイジーは別の部屋で作業をしている筈の孫――『ンフィーレア・バレアレ』を大声で呼びつける。この街を離れるというだけでも説明の義務はあるが、そうでなくとも“カルネ村に移住する理由”として、ンフィーレアは格好の餌である。本人にとっても悪くはない理由である上に、薬師としても自分と似た気質を持つ孫だ。否定の言葉が出ることはないと彼女は断言できる。

 

「どうしたのおばあちゃん……あ、お客様ですか? いらっしゃいませ」

「ンフィーレアや。急で済まないがカルネ村へ移住することになった」

「…へ?」

「確かエンリ・エモットと言ったかい。気になっている娘がいるんだろう?」

 

 孫の結婚をダシにカルネ村へ移住することにしたリイジー。それでも都市長などには強く引き留められるだろうが、構うものかと嗤う。人生には目標というものが不可欠だ。先程までの彼女にとって目標とは『孫に全てを継承する』ことであったが、言ってしまえばそれは“諦め”だ。自分の残された時間では高みへ辿り着くことができないからこそ、次代に希望を託すだけのことだった。

 

 しかし己の手で夢をつかみ取ることができるというならば、彼女は悪魔に魂を売ることすら厭わない。それが薬師の最高峰たる彼女の矜持であった。

 

「これからよろしく頼むよ――いや、よろしくお願いします」

「う、うむ……こちらこそ」

 

 怪しげに嗤う老婆。顔を真っ赤にしている少年に、どうしてこうなるんだと瞠目するオーバーロード。マーレとはタイプの違うショタっ子の存在に舌なめずりをする吸血鬼。金貨という当初の目的は果たされたものの、得たものと削られた精神が同価値なのかは不明である。兎にも角にも、魔境と化したカルネ村へ新たな住人が増えた瞬間の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 法国の六色聖典の一つ――漆黒聖典第九席次『クレマンティーヌ』は、道とも言えない道をひたすらに走っていた。その理由といえば先程の御立派な肩書“漆黒聖典”という言葉に『元』という単語が付け足されたからに他ならない。彼女は自らが所属していた聖典を――法国を見限り、抜け出したのだ。それどころか国が誇る秘宝を持ち出し、一人の少女を廃人にしてまで脱走を図った。

 

 国の理不尽や横暴に耐えかねて逃走を選んだというならば同情の余地はあるだろうが、彼女にとってこれは単なる自分本位。彼女の事情を聞く人が聞けばあるいは同情する可能性もあるだろうが、少なくともクレマンティーヌは自分を可哀想だなどと感じたことはない。歪んだ理由が環境にあったとしても、後悔など微塵もない。ただただ殺し、殺しつくし、強くなり、兄を殺すことができれば彼女は満足だった。

 

 しかし今はそれすら危ういことを彼女は実感していた。他の聖典など、自分が所属していた“漆黒”からすれば大したことはないと侮っていたのだ。それは確かな真実でもあったが、それでも数とは絶対のものである。ただの雑魚であっても、徒党を組めば強大な力となる。

 

 国の秘宝――“叡者の額冠”を取り戻すために、聖典の一色“風花聖典”が追っ手をかけたのはいい。それは当然の帰結であり、彼女も予想はしていた。彼等が束になってかかってきても彼女は生き残る自信があった。しかし散発的に奇襲をかけてくる追っ手に対しては碌な休みもとれず、彼等の情報収集能力にかかっては追跡を誤魔化すことも難しい。

 

 じわりじわりと獲物を弱らせていく手段は、彼女をして見事だと唸らせた。兎にも角にも休まねば死が近付くばかりだ。体力が限りなくゼロに近付いた時点で、最大の奇襲が行われることは想像に難くない。故に彼女は自分が現在所属する組織『ズーラーノーン』の同僚を利用しようと画策していた。組織の幹部は『高弟』と呼ばれ、横の繋がりはたいしてないが、それぞれの目的はある程度共有されている。

 

 自らも高弟である彼女は、同じ高弟であるカジット・デイル・バダンテールがエ・ランテルで怪しげな儀式を行うことを知っていた。その儀式に叡者の額冠があれば大幅な時間の短縮ができることも理解しており、その儀式によって起きる混乱は追っ手を撒くのに非常に都合が良いと確信していた。

 

 

「っ…! 待てよ糞がぁ! ――ちっ」

 

 岩の陰に隠れて睡眠を取ろうとし、遠方から飛ぶ弓矢に対し素晴らしい超反応を見せるクレマンティーヌ。魔物が跋扈する場所ならば逆に追っ手も襲い辛いだろうと考え、街を離れてから休憩を取っていた彼女であったが、やはり手は緩められない。下手人を追って殺すのは容易いが、それに使う体力を考慮して立ち止まる。殺したところでまた新たに追加されるだけだと考えれば、徒労としかいえないこともその行動に拍車をかけた。

 

 どちらにしても程なくエ・ランテルに到着することを思えば、少しぐらいの疲労は推して進むべきだろう。街の中では下手に騒ぎを起こすことはできず、上手くいけばズーラーノーンの拠点に隠れることもできる。風花聖典の調査能力を考えれば秘密の拠点といえども暴かれるだろうが、多少の時間を稼ぐことができれば彼女にとって問題はない。少ない体力と少しばかりの傷にイラつきながら、彼女は強行軍を開始した。

 

 歩き続けること数時間。後ろだけではなく時折前方からも奇襲が行われるため、単純に高速で走って撒くという方法は使えない。情報と人海戦術を駆使したやり方は、やはり法国という国の強大さが窺える。せめて《メッセージ/伝言》を阻害する手段さえあればもう少し攪乱はできるというのに、と歯噛みするクレマンティーヌ。

 

 《メッセージ/伝言》の魔法は完全に信用できないというのが各国共通の認識であるが、それはそれとして使用されないという訳ではない。対策はいくらでもあり、少なくともこういったキツネ狩りにおいては非常に有用な手段となる。相手が生粋の戦士だというならば尚更だ。通信を傍受したり妨害する手段を持ち合わせていないならば、これほど扱いやすい獲物もない。

 

 陽が落ち、周囲が夜闇に溶けた頃クレマンティーヌは遠目に灯りを見つけた。街の灯りではなく、冒険者などが焚火を使用する際によく見るぼんやりとした明るさだ。彼女はにいと口元を吊り上げる。流儀には反するが、冒険者であれば一時的に取り入ることも視野に入れて近付いていく。

 

 もし友好的な冒険者であれば、温かい食事に見張りを伴った睡眠が取れる可能性がある。それなりに金貨の持ち合わせもあることを考えれば、それをちらつかせて一晩を凌ぐこともできるだろう。冒険者に男が多いことを考えれば女としての魅力を使ってもいい。とにかく現状では体力の回復が彼女にとって最優先だった。

 

 有事には風花聖典への肉盾にもできるだろう。ありがたい邂逅だ、と彼女は人の良い笑みを浮かべて灯りへ近づいていった。もし翌朝まで休むことができたならば、ハンティングトロフィーたる“冒険者の遺品”が増えることも、彼女の暗い笑みの理由の一つだ。

 

 食事はもう終えたのだろうか、四人の横たわる影と見張りらしき二人の影が見える。あまり冒険者に似つかわしくない小柄な見張りだが、もし女性ならば尚更に好都合だろう。女性の冒険者は仲間でなくとも助け合いの精神が強い場合が多い。手を振りながら敵意がないことを示し、灯りの先に到着したクレマンティーヌが見たものは――

 

「た、助けてくださいー!!」

「ニニャ、待ちなんし……おや? こな場所に似合わぬ華が咲いていんす。神様からのご褒美かしら」

 

 ――服装を乱し首筋を舐められながら這いずってくる少年のような少女と、その上に伸し掛かる、野宿には全く似つかわしくないドレスを纏った美少女であった

 




モモンガ「俺は何も見てない聞いてない知らない知らないごめんニニャ」



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二話

※ちょっとエロい表現が出てきます。ちょっとだけね。ちょっとだけ。


 モモンガとシャルティアのチーム名『ソナントゥ・マーク・ヒッチ』――通称『SMH』が『漆黒の剣』に声をかけられたのは、冒険者組合でのことだ。誘蛾灯に引き寄せられた蛾の如く、シャルティアの美貌に吸い込まれたルクルット・ボルブが彼等に声をかけてきたことに端を発する。

 

 熱く愛を囁く彼に対し、シャルティアは歪んだ笑みと共に当然のようにそれを受け入れた。断られることを前提にお調子者として玉砕することを常としていたルクルットは、そんな望外の幸運に身を固まらせる。『え? え?』と首を振り辺りを見回す彼は、外見に反して微妙に童貞臭さが漂っていた。そしてそんな彼を後ろから凝視する三人の仲間達。

 

 ダイン・ウッドワンダー、ペテル・モーク、ニニャの三人。ここにルクルットを加えて四人の男性パーティが『漆黒の剣』である――というのが世間一般の認識だ。実のところニニャの正体は女性であり、それを他の三人にも隠しているのだ。しかしバレていないと思っているのは本人のみであり、他の仲間は自ら話してくれるのを待っている状態といったところだ。そもそも日常の殆どを一緒に過ごしていて性別に気が付かない訳もない。そんな馬鹿が通じるのは、ペロロンチーノがこよなく愛する古き良きエロゲーの世界だけである。

 

 ――そしてそんなニニャの軽蔑の視線が、ルクルットを突き刺していた。会ったばかりの女性と爛れた関係になるというのは、性欲の強さを想起させる行為だ。姉を貴族の愛玩物として貴族に連れていかれた彼女にとって、たとえ両者が同意の上だったとしても、どうしようもなく軽薄に映ってしまうのだ。もちろん理性では問題ないと判断していても、湧き上がる嫌悪感は自分では抑えられないものだ。

 

 ルクルットはレンジャーの職業だけあって、人の視線には敏感である。ニニャの視線の意味をしかと理解した彼は、このまま“致してしまう”と、そのままチームが崩壊するだろうと確信を抱いた。どちらにしても、ルクルットは言動や外見に反して意外と身持ちが固い。本気で惚れたのであれば何度も迫ることはあるだろうが、いくら目の前の少女が有り得ざる美しさを持っていようとも、それだけでベッドにダイブするような男ではないのだ。

 

 血の涙を流しながらシャルティアに謝罪して離れていくルクルットに、モモンガは自然と敬礼をしていた。それは地獄の蜘蛛の糸に絡められる直前で回避した幸運への畏敬か、美少女にオーケーサインを出されても我慢できた自制心への尊敬か、とにかくモモンガはルクルット・ボルブという人間に漢を見た。

 

 そんなよくわからない縁もあり、彼等はエ・ランテル近郊にて合同で魔物退治の依頼を請け負うこととなった。依頼とはいってもこれは常時出ているものであり、仕事の無い冒険者の糊口を凌ぐための避難措置といった側面が強い。しかし魔物を倒す経験が積め、必要な部位を持ち帰れば金になるというのだから、冒険者はこれを発案した黄金の姫に足を向けて寝られないというものだ。

 

 合同で狩りをするにあたって『漆黒の剣』が驚愕したのは言うまでもない。モモンガはシャルティアの残念ぶりにばかり気を取られ、位階の制限を課すことをすっかり忘れていた。その結果が彼女による十位階魔法の行使であり、『漆黒の剣』はその詳細まで理解できずとも、彼等が既存の冒険者の枠に収まるような存在ではないと感じていた。

 

 しかし彼等の反応は畏れではなく憧れであった。特に魔法詠唱者であるニニャの、シャルティアに対する憧憬は群を抜いていた。魔力系と神官系という違いはあれど、その尋常ならざる力は彼女を感動に震わせた。姉を取り戻すために力はいくらあっても足りない。憧れと羨望は当然ともいえた。

 

 子犬のように感情を露にするニニャに、シャルティアは聖母のような笑みで会話に付き合った。強くなるための質問――彼女は元から強いのであまり意味は無かったが――や、逆にニニャの方がこの世界の一般常識などを教えたりすることもあった。強さはともかくとして、その美貌や衣装は一般とは程遠いのだ。庶民のいろはを知らなくとも不自然ではなかったというのが大きい。

 

 モモンガは彼女の存在に初めて感謝した。“常識を問う”というのは、言う程に簡単ではないのだ。見るからに強い戦士が『武技ってなに?』などと宣えば奇異この上ない。社会を生きていく上で必要なことについて小首を傾げながら問い続けるシャルティアは、今の彼にとって女神のようであった。

 

 最初の戦闘以降、シャルティアは後衛に徹した。それはモモンガの見せ場をつくるためともいえるし、単純に彼女が魔法を放てば必要部位ごと消し炭になるからだ。そして彼等がどれだけ強かろうとも、全てを任せてしまうような信義にもとる行為をよしとしない『漆黒の剣』の清廉さもあった。

 

 狩りを始めて数時間。日もとっぷりと暮れ、彼等は夜営の準備を始める。食事の時間でも話に花を咲かせる少女二人を見て、モモンガは滂沱の涙を流していた。目は無いが。

 

 これがあのシャルティアなのかと。下着が乾く暇がござりんせんなどと言っていた変態なのかと。こいつだけは俺のせいじゃなくペロロンチーノのせいではないのかと疑っていた、あのビッチなのかと。目頭を押さえながら感動に打ち震える彼に対し、色々と勘違いをする面々であったが概ね関係性は良好といったところだろう。

 

 男四人が気を使って見張りをニニャとシャルティアに任せたのは、そういう事情もあってのことだった。すぐに眠りにつけることも冒険者としての技能の一つであり、アンデッドであるモモンガ以外は早々に意識を落とした。見張りの交代までの数時間を寝転がっているだけというのは苦痛であったが、二人の邪魔をするのも悪いかと彼は言葉を発さず彼女達の会話に聞き入っていた。

 

 ――しかし数分後には耳を抑えて狸寝入りをしていた。耳は無いが。

 

「はぁ――ニニャはわらわの知らないことを沢山知っていんすねぇ」

「あはは……くだらないことばっかりですけどね。――それに魔法に関してはシャルティアの爪先にも届いてないじゃないですか」

「ああ、そう口を尖らせないでおくんなまし。せっかくの可愛い顔が台無しでありんすぇ」

「か、可愛いって……からかわないでくださいよ。僕も男なんですから」

「…くひゅっ」

 

 純朴といった顔立ちで、短髪にしているニニャ。服装も相まって確かに男に見えるとはいえ――実際の性別をシャルティアに気付かれない筈もない。手頃な岩に並んで座っている二人であったが、一方がすす(・・)と距離を詰め寄る。

 

「ちょ、シャ、シャルっ!?」

「だぁいじょうぶでありんす。天井の染みでも数えてるうちに終わりんしょう」

「星しか見えないよ!?」

「数え切れぬ星を数えなんし。月が落ちても陽が昇りんしても、見えようとも見えぬとも、変わらぬものはありんしょう。こな夜こそ切れぬ瞬き――」

「ひうぅっ!? た、助けっ…!」

「――ニニャ、待ちなんし……おや? こな場所に似合わぬ華が咲いていんす。神様からのご褒美かしら」

 

 首筋から頬に舌を這いずらせ、そのまま耳を(ねぶ)るシャルティア。外からではなく、耳の内より聞こえるぬちゅり、ぐぷりとした粘性の音にニニャは身を震わせる。服の隙間からねじ込まれた白魚のような指が彼女の背をつつ(・・)となぞり、それに反応するかのようにビクリと体が跳ねた。声にならない声が掠れたように漏れ、宵闇に溶けて消える。開いたままの口腔をもう一方の指が動き回り、別の生物のように内部を蹂躙し始めた。

 

 その間も耳を犯す舌の感触はやまず、ぴちゃぴちゃと響く音と口内を愛撫する指の感触に、彼女は星々が瞬く月影の下――達した。息を荒げて脱力するニニャ。そしてその一部始終を見ていたのが、ご存じクレマンティーヌその人である。

 

「えーと……邪魔しちゃった? ごめんねー」

「合縁奇縁は多生の縁、ぬしとの出会いもまた喜ぶべきものでありんすの。(えん)がりんして、よしめくかたは好かぬとは言いんせんが――くふ、存外に初心(うぶ)なのかしら?」

「…っ!」

 

 生娘でもあるまいし、とクレマンティーヌは努めて冷静に少女へ声をかけた。しかし暗がりでも昼間と変わらぬ視界を持つシャルティアからすれば、ほんの少し頬に朱が差しているのがよく見えた。

 

 クレマンティーヌは義務的なそれ(・・)しか知らない。愛を感じるようなそれ(・・)を知らない。増してや女同士の秘め事など無縁だ。執拗な責めで幸せそうに痙攣している少女など見たこともない。拷問を目の当たりにしても動じない自信ならば彼女にもあったが、これに関しては少し勝手が違ったようだ。

 

「う、ううんっ! …む? シャルティアよ、何かあったのか?」

「あい、モモンガ様。この素晴らしい露出を見てくれなんし。これはもう誘っていると考えて問題ありんせんわぇ」

「うおぉっ!? はっ? ちょ、え、な、なんでっ!?」

 

 知らぬ誰かが現れたとなればモモンガも無視はできず、不承不承に狸寝入りをやめて身を起こす。その挙動にほんの一瞬――刹那としかいえない僅かな時間、気を取られたクレマンティーヌ。瞼が閉じてから開くまでのそんな時間で、黒い外套を剥ぎ取られていた事実に驚愕を隠せない。

 

 動きの一切が感知できなかったのだ。羞恥と呆れで気が緩んでいたとはいえ、有り得ない事態に混乱をきたす。一方モモンガはといえば、またもや新たなビッチが出現したのかと戦慄していた。黒いマントの下には下着同然のビキニアーマーとくれば、彼の常識に照らし合わせて考えるならば紛うことなきビッチである。

 しかし目のやり場に困ってしまいそうな胸の部分に――冒険者の証たるプレートが無数に詰められていることに気付く。

 

「…ん? お前、その胸の――……それは、冒険者プレートか?」

「っ! ちっ……あーあ、予定へんこー。なんかよくわかんないけど、全員ドスっと穴だらけにしてぶべらっ!?」

「くふ、なんて可愛らしくありんしょうか。暗がりで足元がよく見えんせんのねぇ……わらわが優しく介抱してあげましょうぅぅ」

「ひっ!?」

「ひぃっ!?」

 

 自分の犯罪の証拠が明るみに出てしまったため、懐柔策を諦めて皆殺しを選択したクレマンティーヌ。爆発的な加速で地を駆け抜け――る前に脛を思い切り蹴り上げられ、したたかに体を地面に打ち付けられる。足元にうずくまる彼女を心配そうに抱き起すモモンガであったが、舌なめずりをして迫りくるシャルティアに対し悲鳴をあげる。クレマンティーヌもようやく彼我の実力差に気付き、同様に悲鳴を上げた。怯えるように抱きしめあう二人は無力な子犬のようだ。

 

「…っ、ま、待て! 命令だシャルティア! “待て”!」

「――はい、モモンガ様」

「…え? 止まった……の…?」

「…ふぅ」

 

 絶体絶命の事態に陥ったモモンガは、最終手段である“命令”を行使した。どうにも暴走しがちな配下達であったが、どれだけのビッチであろうとも忠誠心はそれを上回る。自分がやらかしてしまった設定ミスだけに、出来る限り自由にさせてあげなければという罪悪感もあって、モモンガは滅多にこれを使わない。しかしここまで身の危険が迫れば話は別だ。片膝をついて(こうべ)を垂れるシャルティアを見て、彼は安堵のため息をついた。

 

「――さて。では……ああそうだ、お前は何者だ? まさかそんなものを着込んでいて一般人だと言い張る気はないだろう?」

「…っく! なっ!? クソ――放しやがれ!」

「おっと……悪いがそれは無理な相談だ。なに、これだけ月が綺麗な夜なんだ。抱き合って語らうには悪くない雰囲気だろう」

「こ……の! この、こ、ぐぅっ!?」

 

 暴れるクレマンティーヌを万力の様な力で抱きしめて、モモンガは尋問を開始した。それは傍から見ればまさに男女のアレコレで、シャルティアは“待て”の意味を“そういうこと”かと理解した。すなわち――主人の青姦を見ているだけしか許されぬ放置プレイなのだ、と。乾くことのない下着など意味を果たさず、彼女は既に日常をノーパンで過ごしていた。秘所からとめどなく溢れる液体が足を伝い地を濡らすが、彼女にはどうしようもない。“待て”という命令は何よりも優先されるべきものであるからだ。

 

 ――ああ、これが至高の御方か、と彼女は主であり世界最高のビッチであるモモンガに更なる忠誠を誓ったのだった。

 

「諦めはついたか? ならば説明しろ。お前が何者なのか、何を目的で近付いてきたのか、このプレートはいったいなんなのか」

「…はぁ。はいはい、もうどうしようもなさそうだもんねー。言うよ、言えばいいんでしょ?」

「ああ、それでいい」

「私は……法国の特殊部隊“漆黒聖典”の元第九席次で、秘密結社“ズーラーノーン”の十二高弟――」

「ぶふっ!」

「っ!?」

「あっ、いや、その……すまん、続けてくれ」

 

 特殊部隊だの秘密結社だの――中二病全開なことをのたまうクレマンティーヌに、モモンガはつい吹きだしてしまった。しかしここが異世界だということを思い出し、そういうこともあるかと謝罪の言葉を口にした。そして更に詳細を聞くにつれ、どんどんと気分が沈んでいく。異世界が厄介ごとに溢れているのか、それとも自分が厄介ごとを引き寄せているのか、とにかくして彼女の処遇をどうするべきかが現状最大の問題かとため息をつく。

 

「放置は流石に……あれだよな。でも警察――いや、兵士か? それに突き出すというのも……というか信用してもらえるのか? 銅級の冒険者が女を片手に『秘密結社の幹部』だとか……いや無理だろ。下手すれば逆に捕まりかねん…」

「…ねえ、私どうなるのー?」

「む――いま考えているところだ」

「じゃあさ、仲間にしてよー」

「…は?」

「二人共『ぷれいやー』でしょ? 私、強くなりたいの。強くなれるなら殺しも我慢するからさ、お願いモモちゃん。ね?」

「なっ――! というかモモちゃん!? じゃなかった、プレイヤーを知っているのか!」

「そりゃ法国そのものが『ぷれいやー』から成り立った国だしねー。その辺も詳しく話すからさ、ダメ?」

 

 冒険者のプレートが敷き詰められたビキニアーマーを外し、人類でもトップクラスを誇る膂力で少し離れた川へ放り投げるクレマンティーヌ。ここが勝負所だとばかりにモモンガへ迫る。出会いから先程までの行動、言動を鑑みるに――目の前の男はどうしようもなく善人だった。そして疑いようもなく『ぷれいやー』であった。

 

 彼女の出自から考えれば神と崇め敬うべき対象は、どうしようもなく“一般人”であった。敵対は有り得ない。従属はしたくない。ならば仲間はどうだろう。少し心配になるくらい『普通』の人間である彼ならば、案外色よい返事が返ってくるのではないかとクレマンティーヌは考えた。なにより神の側にいれば、追手への警戒などする必要もないだろう。

 

「…悪いが国と事を構えるつもりはない。お前を内に入れるにはメリットに対しデメリットが高すぎる」

「えー……じゃあ一緒に謝りに行ってよ。モモちゃんが口添えしてくれたらたぶん悪いようにはならないからさー」

「いや、なんで俺が悪ガキのお母さんみたいな役割になってるんだ」

「――ごめんね。私、ずっと母親と父親に差別されてきたからそういうのはよくわからない、かな…」

「えっ、あ、いやその……すまん」

「…」

「…」

「…だめ?」

「む……いや、むぐ……少しだけなら……まあ。こちらの心証が悪くならない程度に庇うくらいなら……うむ」

「あはは、チョロっ!(ありがとうモモちゃん!)」

「うおぉい!?」

「はわっ!? 間違えた! ご、ごめんってモモちゃん……これからよろしくぅー」

「お、お前な…」

 

 かくしてモモンガの法国行きは決定された。配下の異形種達があまりに残念すぎるため、彼の人間に対する執着はいまだに強く残っている。クレマンティーヌの策とも言えない策が成功したのはそのおかげもあってのことだ。

 

 法国は人類に友好的なプレイヤーを何よりも欲していると、彼女は理解している。そして強者を出来る限り生かしたいという本音も見透かしている。謝罪と共にプレイヤーを連れ帰れば間違いなく許しを得ることができ、そして許されたならば『仲間』にしてくれるという言質は遠回りに取った。

 

 彼女は法国が嫌で抜け出したのではない。目的への近道がそれであっただけで、目の前に強くなれる可能性が転がっているというのなら、それを掴むことになんの躊躇もない。そのためには気持ちの籠っていない謝罪などいくらでもすることができる。

 

「はぁ……なんでこうなるんだろう」

 

 乳を曝け出したまま口元を三日月型に歪ませている彼女を見て、モモンガはやっぱり前言撤回しようかなと瞠目していた。『ほら、お母さんも一緒に謝ってあげるから』作戦が成功するかどうかは――今のところ神のみぞ知る、といったところである





沢山の感想ありがとうございます。やる気が出ます。



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三話

お、日刊に乗ってるぅー。感想、評価等ありがとうございます。






 

 エ・ランテルに死者の大群を巻き起こそうとしている、ズーラーノーンの高弟『カジット・デイル・バダンテール』。善意の第三者として彼のことを通報したモモンガは、無事に事が終わった様子を陰ながら確認し、ほっと安堵の息をついた。クレマンティーヌが把握している限りの情報を前提に、ミスリル級の冒険者が複数でことに当たったため、秘密結社の幹部といえどもどうしようもなかったのだろう。嘆きながら墓地から連行される姿はもはや哀れを誘っていた。

 

「意外にさらっと終わったな。案外ズーラーノーンとやらは大したことがないのか?」

「モモちゃんがそれ言うんだ……そりゃ切り札も出せずじまいで封殺されたらああなるよ。隠してある入り口も知られてるなんて思わなかっただろうしねー」

「いや、バラしたのはお前だろう」

「バラさせたのはモモちゃんだし」

 

 宿屋の一室で責任の擦り付け合いをしている二人。同僚を売った罪悪感など微塵も見せていないクレマンティーヌは、やはりモモンガという男は『善人』なのだろうと、その本質を観察し見極めようとしていた。無辜の民が蹂躙される事態を放置しない程度には善性がある。しかしその力があるというのに自分で行動しないというのは、虚栄心や承認欲求が少ない証明だ。

 

「さて、では憂いもなくなったことだし行動を開始するとしよう」

「はーい。法国に直行するの?」

「まさかだな。異形種を嫌う国へのこのこと無防備に姿を晒すわけがないだろう。たとえお前の言う通り『神』のような扱いを受ける可能性が高いとしても、だ」

「私が所属してたとこはモモちゃんみたいな骨を崇めてたからねー。ぜんぜん問題ないと思うけど」

「それでもだ。というか骨ってお前……骨って」

「骨じゃん」

 

 宿屋でモモンガとシャルティアの正体を明かされたクレマンティーヌは、声を上げて驚きはしたものの、同時に納得もした。化け物染みた実力を持った連中の正体が、そのままに化物だったというだけの話だ。彼女が所属していた漆黒聖典が崇めているのは“死の神”スルシャーナであり、伝承に謳われる姿はモモンガの容姿とよく似ている。そんな理由もあって彼女は二人の正体を問題なく受け入れた。

 

「でもなにか対策あるの? 私が知ってることは話したけど、あの国はそれだけってわけじゃないよ。(したた)かで腹黒いし」

「…まあ敵対したい訳じゃないし、なんとかなるだろう。それに私達と同クラスと思われるのは一人だけなんだろ? こちらには私を含めれば二桁近くはいるしな。制御は利かんがそれ以上の化け物(ビッチ)も…」

「えっ」

「えっ」

「なにそれこわい」

 

 二人だけじゃなかったのかと恐る恐る問う彼女に対し、モモンガは自身と仲間達が作り上げた『アインズ・ウール・ゴウン』の素晴らしさを語る。千五百人のカンストプレイヤー(覚醒した神人クラス)を退けた伝説を。全盛期にはギルドランク九位にも輝いた栄光を。

 

 モモンガは語る。自身がやらかしてしまった『アインズ・ウール・ゴウン』の現状の残念さを。性欲の無い自分(オーバーロード)すらを退けたNPC達の恐怖を。足を踏み入れただけで妊娠するんじゃないかという恐ろしい大墳墓の存在を。

 

 クレマンティーヌは逃げ出した。

 

「何処へ行こうというのかね」

「ひいっ!? じょ、じょーだんだよぉ……わ、私、お留守番してるから、準備ができたら戻ってきてもらってもいいかなー?」

「私は非効率が嫌いでな……なに、心配するな。いざとなれば私だけは逃げられるようリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンというアイテムを装備している。ナザリック外に持ち出すのはどうかと思ったが……苦渋の決断だったのだ」

「今のセリフに安心する要素あった!?」

「…………ナザリックは美女とイケメン揃いだぞ(ごく一部)」

「だから!?」

 

 お前もあんな姿で歩き回る変態だし、案外気に入るかもしれないぞと見当違いの慰めで彼女を励ますモモンガ。情報の秘匿やナザリック戦力の外部漏れが非常に深刻となっているが、それ以上に彼は誰かに聞いてほしかったのだろう。自分の苦労や苦境、そして懺悔を。そして境遇を共有できる生贄が欲しかったのだろう。

 

 普通に暮らしている一般人にそれを強要することなど、彼にはできなかった。その点クレマンティーヌといえば『いまいち同情できない自業自得な境遇』、『何気に犯罪者』、『この世界では有数の強者』という打ってつけの人間だ。彼女自身も明らかにこちらへすり寄ってきているのが見え見えだったのだから、モモンガは嬉々として自分が片足を突っ込んでいる泥沼へ引きずりこんだ。

 

「では行くか――《ゲート/異界門》」

「うぅ…」

「ふごっ、むぐっ…」

「あ……シャルティア、もういいぞ。いったんナザリックへ帰ることになったから、お前もついてこい」

「ふぐぅっ――ぷはっ! かしこまりんした、モモンガ様。ああ、もう、はぅぅ…」

 

 モモンガはできるだけ視界に入れないようにしていた変態守護者に声をかける。部屋の隅に転がっている縛られたシャルティア――ギャグボールを噛ませられ、目隠しをさせられている状態だ。もちろん彼女の力であれば簡単に引きちぎることができる拘束であったが、これも放置プレイの一環と思えばこそ、涎と様々な液体で床を汚しながら一晩を過ごしたのだ。

 

 モモンガはようやく一人のNPCに抗う手段を見つけたのだ。すなわち“放置プレイ”。まだまだ無数にビッチが蔓延るナザリックにおいてどれだけ有効かは不明だが、守護者の一人を無力化できたのは大きいと、クレマンティーヌとの邂逅を神に感謝したのであった。

 

 ナザリックへ戻るからには完全武装しなければと、自身がもっとも力を発揮できる姿へと戻り転移するモモンガ。何故未知の異世界よりも自分の本拠地を警戒しなければいけないのか疑問に思いつつ、久しぶりの我が家へと帰還を果たした。

 

 ――転移したその先には、地面から植物の触手を生やして、冒険者らしきチームをあられもない姿に変えているマーレの姿があった。

 

「あっ、お、お帰りなさいモモンガ様」

「…………ただいま、マーレ。ところで何をしているのか……聞いてもいいですか?」

「は、はい! このお姉さん達がナザリックへ侵入しようとしていたので、入り口で話を聞こうとしたんですけど――忍者のお姉さんとゴリラのお姉さんが誘ってきたので、ボ、ボク…」

「あっはい」

 

 自業自得なら仕方ないと、うねうねする触手に弄ばれている冒険者達を無視して通りすぎようとしたモモンガ。きっとビッチパワーを吐き出すナザリックにつられてビッチが引き寄せられてきたのだろうと、なるべく視線を合わせないように歩く。

 

「ま、待てっ、待ってくれ! この墳墓の主か!? 侵入しようとしたことは謝罪する! 償いはするから止めてく――んん゛っ!」

「お、お願い助けっ……んぐぅっ」

 

 しかしとても悦んでいるようには見えない面々にモモンガは困惑する。もしやマーレの勘違いなのではないだろうかと察するが、一人だけ恍惚の表情で喜んでいる忍者を見て瞠目した。隣で股間をもじもじさせているシャルティアに、色々とドン引きしているクレマンティーヌ。碌なことにはならなさそうだとため息をつきながら、マーレへ魔法の行使をやめるよう促す。

 

「…やめよマーレ。その悦んでいる忍者以外は解放してやれ」

「は、はい!」

 

 ずべしゃぁ、とモモンガの足元に投げ出される女性達。ぬらぬらと、てらてらと体を濡らしている彼女達に無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)を差し出し、ついでに上質なタオルも用意して介抱する。彼はビッチの被害者には殊更に優しくなる癖があった――もちろんこの世界にきてから出来た癖だが。

 

「大丈夫か?」

「はぁはぁ……はい、ありがとうございます。あ、あの…」

「謝罪はしない。お前達にも責任はあるようだしな。それよりこのナザリック地下大墳墓へ何の用があって来た?」

「調査じゃないのー? わざわざアダマンタイト冒険者が来てるのはよくわかんないけど」

「アダマンタイトだと…? 彼女達を知っているのか? クレマンティーヌ」

「この辺で私と戦える戦士は把握してるからねー。王国戦士長『ガゼフ・ストロノーフ』、そいつと対等に渡り合った『ブレイン・アングラウス』……それにアダマンタイト冒険者“蒼の薔薇”の『ガガーラン』。女性だけのチームって聞いてるし、数も合ってるからこいつ等がそうなんじゃない?」

「ほう…」

 

 一応マナーとして、水差しとタオルを渡した後は後ろを向いているモモンガ。その紳士的な態度に“蒼の薔薇”の面々は警戒を緩めた。

 

 神官戦士であり、リーダーでもある『ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ』。厳めしい表情と凄まじい大胸筋を持つ漢女『ガガーラン(童貞食い)』。元暗殺集団の頭領で、現アダマンタイト冒険者の忍者『ティア(レズ)』。国堕としとも呼ばれる伝説の吸血鬼『イビルアイ(チョロイン)』。

 

 そこにアヘ顔で触手プレイに興じている『ティナ(ショタコン)』を加え、王国が誇るアダマンタイト冒険者チーム“蒼の薔薇”だ。大惨事である。

 

「ええと……とりあえず先に謝罪を。不躾に侵入しようとして申し訳ありませんでした。“蒼の薔薇”のリーダーとして全面的に謝罪致します。その――死者の大魔法使い(エルダーリッチ)……様?」

「…私は死の支配者(オーバーロード)だ。種族としては同じ系統だが、まあそれの最上位クラスだと思ってくれれば問題はない。個人名は『モモンガ』だ」

「モモ…?」

「ンガだ」

「は、はあ……その、偉大で……か、可愛らしいお名前ですね」

「ぬしはわかっていんすな! まず『モモ』の部分で淫靡さと一粒の可愛らしさ、『ンガ』の部分でいやらしさと偉大さを――」

「シャルティア、黙れ」

 

 謝罪を受け入れたモモンガは、彼女達が此処にいる理由を尋ね――更に悩みの種が増えたことを実感した。事態を要約するならばこうだ。

 

 最近王国で多発している娼婦の失踪事件。物理的にも魔法的にも要として事件の核心が掴めない状況。元々王国の闇――『八本指』が違法に経営する娼館をどうにかしなければと心を痛めていた第三王女は、その真相を知るために交友のある冒険者へ依頼したのだ。

 

 それが“蒼の薔薇”だった。『八本指』が血眼になって下手人を探している状況から、彼等が違法の証拠を残さないために娼婦を“処理”しているわけではなさそうだと判断し、それなりの規模の組織がかかわっている事を彼女達は確信した。少なくとも数人程度でできる犯行ではなく、組織立った計画の可能性が高いことは間違いない。

 

 そして理不尽な暴力に虐げられている、悲惨な状況の娼婦から優先的に消えている事実に着目し、この組織の目的は弱者の救済にあると判断したのだ。そして痕跡を探す内に、一つの奇妙な噂が彼女達の耳に入る。これまで何もなかった平原に巨大な墳墓が現れたという噂だ。

 

 特に隠されることもなく堂々と存在しているそれは、道行く商人や護衛の冒険者に当たり前のように目撃されていた。確かに奇妙ではあるが、流石に距離が離れすぎているために関係はないだろうと考えた彼女達に、依頼人が待ったをかける。

 

 依頼人――『ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ』は黄金の容姿と、それに勝るとも劣らない智謀を持つ王国の第三王女だ。彼女は自分のもとに上がってきた僅かな情報をもとに、その墳墓がなにかしらの関係を持っていると確信していた。辺境の村で謎の魔法詠唱者に助けられた王国戦士長の存在が、推測を確信に変えたのだ。

 

 アダマンタイト冒険者クラスの実力者が複数存在している『八本指』を相手に、何一つ気取らせることなく目的を遂行している状況を鑑みれば、実行犯の実力は容易に推測できるだろう。同時期に現れた強者と墳墓を結びつけることは、彼女にとって当然の思考であった。

 

 しかして蒼の薔薇はその墳墓を目指して王都を出発し、目的の地へと辿り着く。そして開かれた入り口に足を踏み入れようとした瞬間、可愛らしいダークエルフの女装少年が姿を見せたのだ。頬を染めてもじもじと目的を問う彼に対し、ショタコンのティナと童貞食いのガガーランが強い反応を見せた結果が――先ほどの状況に繋がったわけだ。

 

「…そうか」

「それで、その……やはりこちらが…?」

「…うん……たぶん」

「は、はあ(なんか凄いやさぐれてる…)」

「…うむ。まあ好きに行動しろと言ったのは私だから、責任の所在は明確だ。それを問うならば私にしてくれ」

「いえ、そんな――消えた人間が、その、無事であれば…」

「配下は私の様な異形も多いが、総じて人間には友好的(・・・)だ。その娼婦とやらの心配は――うん、心配だ…」

「えぇ…」

 

 まさか慰みものになっているとは思えないが、しかしここはナザリックである。断言できないのが悲しいとモモンガは嘆き、もう何度目かも知れないため息をついた。

 

 好戦的にガガーランを見つめるクレマンティーヌ。その視線を楽しそうに受けて立っているガガーラン。金髪幼女吸血鬼を舐めるように見つめるシャルティア。そのシャルティアにねっとりとした視線を送っているティア。触手の制御に勤しんでいるマーレと、それを心から愉しんでいる変態忍者。

 

 まともなのはリーダーと名乗った彼女だけかと肩を落とすモモンガ。いや、一人だけでもいるなら僥倖だと考えなおし、とりあえず彼女達をナザリック地下大墳墓へと招き入れた。同じ常識人であるラキュースと主に会話しながら親交を深めるモモンガは、普通の会話というものに飢えていたのだろう。

 

 貴族として育った彼女の、相手を楽しませる軽妙な口調はモモンガの精神を癒した。何より彼女は、身に着ける防具“無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)”が示す通り非ビッチである。そこがとても重要な部分だ。ああ普通とはなんと素晴らしいのかと、彼は久しぶりに精神に高揚を覚えたのだった。

 

 ――ちなみに彼女は中二病である





さよなら蒼薔薇


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四話

もうすぐ新刊、楽しみですねー。ネイアちゃん死なないよね?


 〇月×日

 

 

 今日という日の行動は記すことが憚られるため、あまり書くことがない。しかし王国の腐敗もかなり進んできているようで心が苦しい。アレの原料を栽培している畑を焼いたところで、焼け石に水だろう。大元をなんとかしないといけないのは理解しているが、もはやそれをどうにかするのは王国そのものをどうにかすることと同様だ。

 

 冒険者であっても、私はこの国の貴族として育った人間だ。友人や、真にこの国を思う者達の力になりたい。もっともっと強くなって、真の英雄の領域に踏み込めたならばきっと救えるものも多くなる。

 

 ――力が欲しい。

 

 …っ、まずい、意識が…

 

 

 

 

 

 

 〇月×日(裏面)

 

 

 滑稽だな。お前のそれはただの偽善だ。真にこの国を護りたいと思うならばいくらでもやりようはあるだろう? 力が欲しいのなら我に身を委ねよ。それで全てに片が付く。お前の望む通り――絶対的な暴力でな。このキリネイラムの化身たる……“影羅(えいら)”の人格をもって、王国を支配してやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〇月×日

 

 

 また出てきたのね“影羅”。私は貴方に支配などされない! 私には信じる仲間達がいる。彼女達が私の心を支えてくれる限り、貴方のような“真なる闇の意志”に飲まれることなんて有り得ない。

 

 …それよりも今は度重なる娼婦の失踪事件が問題だ。一体何者なのだろうか。状況を考えれば誘拐というよりも救済という方が正しいように思える。まさか貴族の誰かが義憤に駆られてとは思えないが、相当な組織力と実力がなければ成し得ない規模の集団失踪だ。謎が謎を呼んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 〇月×日(裏面)

 

 

 くく……御立派なことだ。だが、私を受け入れないというならば手放せばいいだけの話だろう。お前が私を持ち続けることこそが弱さの証明……()()()()()()()()()()()? なあ“ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ”。

 

 

 

 

 

 

 

 〇月×日

 

 

 …っ! 黙りなさい。私は貴方を認めない。たとえ弱くとも、私にはそれを受け入れる強さがある。受け入れてくれる仲間がいる。“影羅”。私は貴方をすら飲み込んで――強くなる。

 

 奇妙な噂を聞いた。今まで何もなかった場所に巨大な墳墓ができたという話だ。なにかこの件と関係があるのだろうか。流石に距離が離れすぎているため考え辛いが……私の勘になにかが引っ掛かる。

 

 なにか巨大な()()()に巻き込まれているような、大きすぎて理解できないものが動いているような、妙な感覚を覚える。こういった時の勘はよく当たる。後回しにはなるが、何も見つからなければそちらの探索も視野に入れて行動することにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 〇月×日(裏面)

 

 

 もう何も言うまい、弱き者よ。もう既に貴様の魂の一部は浸食された。“黒の意志”に行動を支配されるのは――避けようのない未来だ。日常の端々で行動を操られているのには気付いているだろう? 警告は何度もした。選んだのはお前自身だ。

 後はお前の精神が“黒の意志”に打ち勝つ他に道はない。その時こそ剣の力が解放され、“魔剣キリネイラム”の真の所有者が生まれる時だ。あるいは神を冒涜せし“漆黒の狂戦士”が誕生するか。

 

 …こうなる前に私は――いや、詮無きことだ。

 

 お前はお前の信じる道を行くがいい。

 

 

 

 

 

 

 〇月×日

 

 

 “影羅”、貴女は…。いえ、私も何も言わないわ。結果で示してみせる。アインドラの血は、黄金の精神は“黒の意志”すら飲み込むことを証明してみせる。その時はきっと……心の世界でお茶でも飲みましょう“影羅”。

 

 友人が先日噂になっていた墳墓の調査を優先するべきだと助言をくれた。きっとあの子にしかわからない何かがあるのでしょう。『黄金』は容姿ではなくその頭脳なのだと、私も仲間達も知っている。あちらを優先することにしよう。いったい何が待ち受けているのだろうと、不謹慎ではあるが少し高揚してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パタン、とモモンガは日記を閉じた。短い会話であったというのに驚くほど彼女のことを気に入っていた彼は、偶然手に入れてしまったその日記をつい開いてしまったのだ。あるいはほのかな恋心すら抱いていたのかもしれない。乱れに乱れた周囲の環境に、清廉として咲く一輪の花。自信に満ち溢れ、けれど謙虚さも持ち合わせている優雅な佇まい。リアルの世界であればお目にかかることすら叶わない『人の上に立つべき者』。

 

 『鈴木悟』としての精神の残滓が、『ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ』に憧れを持つのは当然といえた。掃き溜めに鶴がいれば惹かれるのは当然である。ヤンキーが良い事をした理論に近いものがあるだろう。異世界で酷い目に合ってきた奴隷少女が、一般的日本人の精神を持つ主人公に普通の扱いをされて感激するチョロイン劇場と似たようなものだ。

 

 ――しかしその幻想は脆くも崩れ去った。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 頭を抱えて床にごろごろと転がるモモンガ。若かりし日の黒い歴史が脳内をリフレインしているのだろう。()しくも小学生の自分が名付けた裏の人格と、この日記に記された裏の人格の名前が同じだったためか、精神へのダメージは倍プッシュだ。

 

 転がりながら壁に激突した彼はすかさず立ち上がり、今度はガンガンと壁に頭を打ち始めた。開かなければよかった。これは開いてはいけないパンドラの箱だったのだ。いや、最後には希望すら残らなかったのだからなお酷い。ふらふらとベッドに戻って突っ伏すモモンガは、精神が抑制されているとは思えないアンデッドぶりであった。もはやアンアンデッドである。

 

「…大丈夫?」

「うおわっ!? …シ、シズか……すまん、外まで音が漏れていたか。なんでもないんだ、なんでも…」

「おっぱいもむ?」

「え、遠慮しておく…」

 

 これだけ騒いでいれば、扉の外で控えているメイドが様子を見にくるのは当然だろう。プレアデスの中でも比較的まともなユリとシズを交代で当たらせているのは、モモンガの涙ぐましいささやかな抵抗である。ユリは仕事とビッチをしっかり分けて考える真面目系ビッチであり、シズは自分からはあまり攻めない誘い受け系のビッチであるため、ある程度まで平穏が期待できるのだ。

 

「あ、シズ……済まないがこの日記を客人のところに返しておいてくれ。マーレが(ごにょごにょ)した時にナザリックの入り口で落としていたようでな」

「かしこまりました」

「頼んだ。くれぐれも中身は読むなよ?」

「はい」

 

 一礼して出ていくシズを視線で見送り、モモンガはため息をついた。まあ中二病ではあったが、通常時が普通であることに間違いはない。彼にも知られたくない黒歴史はあるし、それこそ現在進行形で宝物殿を守護していることを考えれば、他人のことをとやかくは言えないだろう。勝手に日記帳を開いた自分が悪かったのだと、モモンガは野良犬に噛まれたような気持ちでそれを忘れることにした。

 

「そういえばパンドラズ・アクターには怖すぎて会いにいってないんだよな……でも法国へ行くのにワールドアイテムは必須だし、覚悟を決めないと」

 

 そもそも誰を連れていこうか、とモモンガは()()と考えた。ある程度あちら側と会話する必要がある関係上、頭脳面で活躍する誰かが必要だ。こなせるとすれば守護者統括『アルベド』、階層守護者『デミウルゴス』、宝物殿の領域守護者『パンドラズ・アクター』の三人くらいだろうと当たりをつける。

 

 頭脳の高さにもそれぞれ設定された特色があり、アルベドであれば『組織運営、政治面』、デミウルゴスであれば『戦争、戦略面』、パンドラズ・アクターであれば『財政管理、物資補給』において無類の賢さを発揮するのだ。それを鑑みれば、今回の法国行きにもっとも適しているのはやはりアルベドだろう。

 

「アルベドかぁ……アルベドなのか。アルベド…」

 

 ぶつぶつと彼女の名前を呟き続けているのは、アルベドを恋しく思っているなどという理由では勿論ない。彼女が必要ではあるけれど、彼女と接触したくはないという一語に尽きる。そもそも接触すればそのまま性的接触に直行するのがアルベドというビッチである。執拗にビッチである、ビッチである、などと書き連ねたせいか彼女はナザリックでも群を抜いてビッチである。

 

 設定的には一番人間を嫌いそうな彼女が、このナザリックで一番人間を好んでいるのがその証明ともいえるだろう。『好む』の意味が若干アレとはいえ、人類と友好的にしたいモモンガからすればそこだけは悪くない変化と――本当に“そこだけ”は悪くない変化といえる。

 

 十分ほどたっぷり悩んだ後、モモンガは覚悟を決めてアルベドの私室へ向かう。偽物ではなく本物の『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を装備している辺り、彼の警戒ぶりが理解できるだろう。たとえ複数の竜王と戦争になろうとも持ち出さないギルド武器を、アルベド個人のために引っ張り出したのだ。

 

 それでもモモンガは安心できない。仲間達が総力を結集して作り上げた至高の一品であるこの杖であっても――アルベドを前にすれば頼りない棒きれにしか思えないと考えているのだ。怯えすぎである。

 

 ホコリ一つ落ちていない長い廊下を歩き、彼は地獄の門をノックした。

 

「アルベドよ。入ってもよいか?」

「――はい! はい、モモンガ様! どうぞお入りください!」

 

 ガタゴトと大きな音がして、即座に入室を許可する声が響いた。喜色満面というのが確信できる声色に促され、モモンガは足を踏み入れる。そこには慌てて服を着たような、少し乱れた服装で出迎えるアルベドの姿があった。頬を上気させ、色香が匂い立つような状態の彼女に、さしものモモンガもくらりときたようだ。

 

 こほんと咳を一つ吐き、用意された椅子に深く腰を落ち着ける。姿を現した瞬間に飛び掛かられるのではないかという危惧は、完全に的外れであった。というよりモモンガは変化したナザリックに怯えすぎ、事実以上に相手を肥大化させていたのだ。

 

 彼等はビッチではあるが、忠誠を誓うNPCでもある。モモンガが真面目に取り合えば真摯に向き合うのは当然だ。主がギルド武器をわざわざ装備して訪問した理由が、性的な意味を含むものだと考えない程度には理性もあった。もっとも普通の装備で訪問していた場合はその限りでなく、毒牙にかかっていたのは確かである。きっと仲間の絆が彼を守護してくれたのだろう。

 

「ここに来た要件なのだが……法国へと向かい、なるべく友好的な関係を築きたいと思ってな」

「ああ、モモンガ様! その慈愛を人間達にもあまねく伝えようと仰るのですね。はぁん――敬服致します」

「う、ううん……まあ間違ってはいない、のか? それで、お前にも同行して欲しいと考えていてな」

「おっ――ほぉ…! お、お任せください! 私の体の全てを使ってご満足させてみせます! 私の目の黒い内は御身に乾く暇など――」

「ち、違う! そういう意味ではない!」

「――失礼致しました。守護者統括としての出向でございますね」

「う、うむ……そうだな。それに関してのことなんだが、お前は私のことをどう思っている?」

「それは勿論! 私共を最後まで見捨てず残ってくださった慈愛の御方にして、叡智溢れるビッチ神――そして私の愛を捧げる至高の存在です」

「ビッチ神!? い、いやそうではなくてだな……その、実力面とかそういった方でだ」

 

 これほど話していて疲れることがあるだろうかと、精神を削りながら会話を続けるモモンガ。思っていたよりは話が通じるものの、やはり勘違いが甚だしい。そもそも童貞の自分がビッチの頂点だのビッチ神だのという思考はどこからきているのだと、本日三十八回目にもなるため息をついた。

 

「その深い叡智と英知は私共の及ぶところではなく、その魔法の実力は私共を遥かに凌駕する御方だと存じております」

「…本当にか? ナザリックの頭脳であるお前が冷静な思考でもって、本当にそう考えているのか? 例えば私とシャルティアが戦った場合、どちらの勝率が高くなるか――お前ならば解る筈だが」

「っ、それは…」

「忌憚なく意見を述べよ。冷静に、冷徹に、双方の相性と手札を考えた上で答えてほしい」

「………私の知らぬ手札を考慮に入れない場合は――八:二でシャルティアに分があるかと」

「私もそんなところだと思う。すまないなアルベド、言い辛いことを聞いた」

「そのようなことはっ」

「いい、事実その通りなのだからな。とはいえ手段を選ばぬ場合は間違いなく私が勝つのも事実だ」

「ああ、やはり…!」

「だが強さにおいてはそうであってもだ。その……まあ、なんだ。頭脳においては違う」

 

 不思議そうにこちらを見つめるアルベドに、モモンガは息をのむ。彼女の性欲を感じない視線は初めてだ――と意味不明の感動が体を駆け巡る。その途端、ワールドエネミーよりも恐ろしく感じていた彼女の姿が見たままの可憐な美女であることを思い出し、不意に笑いが漏れた。そうだ、こんなにも忠誠を誓ってくれる配下に何を怯えていたのだと自分を叱咤した。

 

「私の頭脳は、だ。普通に一般人のそれなのだ。卑下している訳でもなく、なにか訳があって騙っているわけでもなく、そこいらの人間と変わらない。むしろある程度の年齢まで教育を受けた者ならば私より上だろう。それを理解した上で付いてきてほしいのだ……正直なところ、国の重鎮相手にまともな会談ができるとは思えん。お前だけが頼りなんだ」

 

 モモンガは失望されるだろうか、とは恐れない。最初から配下の好意が明け透けすぎたために、忠誠や愛が揺らぐとは思っていないのだ。彼がなにより恐れているのは、自分の知恵が大したことのないものであるとバレた時に起こるであろう『罠』を恐れていたのだ。

 

 自身が絶対の知恵者であると思われているからこそ、つまらない策略など見透かされてしまうと変態行動に移さない配下がいる筈だ。アルベドやデミウルゴスが自分をチョメチョメするために、その頭脳の全てをかけて計画を練ればどうしようもないだろうとモモンガは睨んでいたのだ。

 

 故に逃げ出した訳だが、ビッチ度よりも忠誠心の方が幾何(いくばく)か高そうなアルベドを見て、それは勘違いだったのだと思いなおし、全てを暴露したのだ。そしてその言葉を聞いて、アルベドは肩を抱いて震え出す。

 

 敬愛し崇めてさえいる至高の存在が、お前の能力が必要だと、お前にしか任せられないと頼っているのだ。これに感動しない配下などこのナザリックには存在しない。溢れる涙が頬に伝い、床を濡らす。

 

「――かしこまりました。元よりこの身に宿る全ては御身のためにございます。与えられた能力を然るべき時に使わずして、なにが守護者統括でありましょうか。お任せください! 必ずやモモンガ様の望む方向に法国を誘導して御覧にいれます!」

「ああ、ありがとうアルベド」

「つきましては先にご褒美を頂きたく!」

「ああ、わかっ――え?」

「っしゃぁ!」

「ちょっ、ま、待てアルベッ…」

 

 蜘蛛が獲物を捕らえる瞬間よりも速く、アルベドは主をベッドに引きずり込んだ。その様は大渦に引き込まれる小舟のようであった。天幕に映る二つ影のが一頻り激しく動いた後、一つの影がスッと姿を消す。モモンガが花を散らすその寸前、ようやくリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの存在を思い出して転移したのだ。誰にも渡していなくてよかったと本気で安堵した瞬間である。

 

「し、死ぬかと思った…」

 

 無我夢中で転移した結果、どことも知れない廊下に出てしまったモモンガ。ここはどこだったかなと歩き出し、数歩を数えたところで僅かに隙間が開いた扉を見つける。扉の装飾からここが客人達に提供している部屋だということを思い出し、そして何故開いているのかと怪訝に眉をひそめた。眉は無いが。

 

 ナザリックのメイド達の仕事は完璧だ。偶々半開きになっているということは有り得ないだろう。となれば中にいる誰かが開けたのだろうかと、扉の隙間に指をかけ――内部から勢いよく突き出された手に悲鳴を上げた。

 

「うおぉっ!?」

 

 ホラーかよ、と一瞬にして引っ込んだ掌を見送って胸を抑えるモモンガ。傍から見れば彼の方が完全にホラーであったが、そこは言わぬが花だろう。吸い込まれるように消えた、という表現が正しかった掌の行方が気になり、彼は隙間からちらりと中を覗き込んだ。

 

「助けっ――!」

 

 そしてモモンガは転移した。金髪幼女と、最近知り合った元漆黒聖典が見えたような気がしたが、彼は気のせいだと断じた。彼が知っている彼女達は“尻尾”などついていないのだから、きっと気のせいに違いないだろう。自室に戻ったモモンガはベッドにダイブし、取りあえず明日のことは明日考えようと狸寝入りを決め込んだ。アルベドとの話し合いによって縮んでいた『恐怖の大墳墓ナザリック』の影は、戻ってくる時よりも大きくなっているようだ。

 

 ――今日もナザリックは平和である

 




死なないよね?


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五話

感想沢山ありがとうございます。ほんとやる気でますよビッチ神


 

 お茶会やパーティといった食事を伴う会というものは、モモンガにとってあまり意味のないものだ。なにせ飲食不要のアンデッドであり、物理的になにも喉を通らないのだから当たり前のことだろう。しかし鼻もないというのに何故か匂いだけは認識できるため、香りの強い紅茶などを楽しむことはできる。

 

 故に客人達と食事の席を同じくし、会話を楽しんでいるのは自然なことだ。先日ニニャ達から得た情報は、いわば下位から中堅程度の冒険者の知識でしかない。高位の冒険者であり、様々な見方や見識を持つ彼女達からの情報は非常に貴重といえるのだ。

 

「なるほど。やはりクレマンティーヌの言った通り、知っている者は知っているということか」

「ああ。だが法国は積極的に秘匿している上に、人の一生よりも長い間隔で来るものだからな。長命種以外は『ぷれいやー』という単語を知る者すら少ない。というか長命種であっても接点が無ければ知らないだろう。私も十三英雄達との(よしみ)があったからこそ、多少なりとも知識にあるだけだ」

「ふむふむ……生ける証人とは中々に貴重な存在だな。ちなみに此処のように拠点ごと移動してきたようなプレイヤーはいないのか?」

「私の知る限りではいないな。ただ遥か南方にあるかつての“八欲王”の都市が、あるいはそうかもしれない」

「…八欲王か……いやしかし“都市”を拠点とできたギルドは後にも先にもたった一つだけだ。まさかあの穏健派の生産ギルドが…」

「後はその都市の上に浮いている浮遊城も、拠点と言われればそうかもしれないな」

「浮遊城? …ううむ、ワールドチャンピオンがギルマスをしていたギルドの拠点がそうだったか……確か。もう死んでいるというならそこまで警戒はせずとも大丈夫か…?」

 

 特に二百年以上を生きる吸血鬼『イビルアイ』との会話は、モモンガにとって非常に有意義であった。自分以外のプレイヤーの足跡はどうしても気になるものだ。信じられない程に美味な食事を堪能し、幸せそうに舌鼓を打っている客人達の姿を満足そうに見ながら、モモンガは異世界の“伝説”に想いを馳せる。

 

 彼は考える。そうだ、自分もこの世界でなら――この姿でなら、世界に轟くような伝説をつくれるかもしれない。もう来ているかもしれない、もしくは未来にくるかもしれない仲間達が驚くような伝説をつくれるかもしれない。そうでなくとも、ナザリックの名が広まれば見つけやすくなるだろう――と、そこまで考えたところで近くに控えているメイド達の姿が目に入り、彼は『あ、無理だわ』と悟った。

 

 SMプレイ大好きの駄犬メイド、ツンデレビッチなドッペルゲンガー、洒落怖(しゃれこわ)スケベ蟲、そして超特殊性癖スライム。このメイド達を見て、ホワイトブリムを始めとするメイドスキー達三人がどう思うかなど解り切ったことだ。ペロロンチーノは喜ぶかもしれないが、モモンガは死ぬ。

 

 スワッピングデビルに蕩河(とうが)の支配者、ダークエロフシスターズに赤ちゃんプレイヤー、とどめに性癖を言ってはいけないあの人。この守護者達を見て製作者がどう思うかなど解り切ったことだ。ペロロンチーノは喜ぶかもしれないが、モモンガは殺される。

 

 きっと自分は、百年ごとに仲間が来てやしないかとびくびくする羽目になる。そう確信しながら、紅茶の香しさで気を落ち着けるモモンガ。ふっと蒼の薔薇へと視線をやり、一人の忍者の行動を見て瞠目する。そこにはわざとフォークを落とし、それを拾うためにしゃがみ込むユリの胸元を覗き込んでいるティアの姿があった。

 

 ナザリックに関しては自業自得だとしても、異世界の住人までこんな変態なのは酷いじゃないかと神を呪う。既に何人かを見捨ててきた自分への罰だろうかと、やけ食いとでもいうようにガッツいているクレマンティーヌを見て、モモンガは罪悪感にちくちくと責められていた。

 

 そしてそんなモモンガに、一階層に戻っていたシャルティアから魔法で通信が入る。何事かと構えた彼が耳にした情報は、考えていた予定を完全に吹き飛ばすものであった。

 

「なんだと? それは本当かシャルティア」

 

 急に立ち上がったモモンガに驚く面々。小声でボソボソと喋り続ける彼を見守り、会話が終わった気配を見計らってラキュースが声をかける。焦燥や煩雑さとは無縁の優雅な佇まいを見て、モモンガも少しばかり気を落ち着かせる。きっと日記帳を見ていなければ惚れ惚れしていたことだろう。

 

「モモンガさん、どうかされましたか?」

「いや――うむ……法国の使者とやらが此処にきているようでな。こちらから出向く予定だったので少し驚いたのが本音だ」

「法国から、ですか……それは――ふぎゃっ!?」

 

 その情報を聞いて、ぶはぁっと口に含んでいた料理を吐き出したクレマンティーヌ。わざわざ横を向いたために、隣に座っていたラキュースへ全てが降りかかった。さっと動き出し、咳き込む客人の背中を擦るユリはメイドの鑑といえるだろう。続いてソリュシャンが動き、ラキュースを通過した(・・・・)

 

「がぼっ!? ちょ、もがっ――」

「ラキュース!? な、なにを…」

「――ぶはっ!? あ、あれ…?」

 

 ソリュシャンの体を潜ったラキュースは一瞬だけ溺れるような感覚を味わったが、すぐに平静を取り戻す。見事に自分『以外』が、顔や髪にかかっていた汚物が消えているのだ。人間ではなしえない見事なフォローは、なるほど異形のメイドというのもアリなんだと彼女を納得させる。

 

「ありが――ふぁっ!? ちょ、みみ、見ないでぇー!」

「…失礼いたしました。すぐに新しいお召し物を用意いたします」

「ぶふっ…! な、なにやってるっすかソリュシャン」

「…」

「…? ああ、なるほどそういうこと…」

 

 吐瀉物ごと、ラキュースが身に纏っていた全てを溶かしつくしてしまったソリュシャン。しかしそれは単なるミスという訳ではなく、唐突に起きたハプニングを利用した配慮(・・)であった。

 

 昨晩モモンガに日記を預かったシズであったが、受けた命令は『客人に返しておいてくれ』というものだった。特に人物の指定を受けていなかった彼女は、モモンガの部屋を出て一番最初に出会ったガガーランへそれを手渡したのだ。いったい何だろうと日記を開いて確認したガガーランは、そこで“蒼の薔薇”のリーダーの真実を知る。

 

 魔剣キリネイラムに関して時折不穏な気配を見せるラキュースのことは彼女も知っていた。しかし事がここまで深刻だとは思ってもいなかったのだ。“影羅”をどうにかしたいガガーランであったが、日記の内容を読み解けば既に手遅れな感が否めない。

 

 あてがわれた豪華な客室の机を叩き、彼女は無力を嘆く。これが王都での出来事であればどうしようもなかっただろうが、しかし此処は天下の墳墓ナザリック。大きな音に何事かと声をかけて中に入るメイド――ソリュシャン。彼女の姿を見て、ガガーランは今この地が何処だったかを思い出す。

 

 ここは自分達と隔絶した力を持った者が集う場所。ならばラキュースの状況をどうにかできる可能性は十分にあるだろう。彼女は必死に頼み込む。自分達のリーダーの窮状を、症状をどうにかできないかと、日記の内容を見せて頭を下げる。

 

 客人達には出来る限り便宜を図れとモモンガに指示されていたソリュシャン。当然のように頼みを快諾すると、その日記を預かって姉妹達に相談を持ち掛ける。呪いや状態異常の類にはそこまで詳しくなかったため、バリエーション豊かなプレアデスであれば誰かしらが良い案を出すだろうと考えてのことだ。

 

 しかしてラキュースの日記の中身はプレアデスに共有される。興味津々でページを捲っていく姉妹達。全員が読み終えた後、長姉であるユリが一つの案を出した。精神耐性を持った装備を貸し出す、あるいは差し上げれば問題はなくなるのではないか、と。

 

 ユグドラシルにおいても呪われたアイテム、あるいは呪われた装備はかなりの数がある。呪われた職業――カースドナイトでしか扱えないような武具も多岐に渡る。カースドアイテムはデメリットがある反面、そのレア度のランク帯においてトップクラスの性能を誇ることが多い。

 そしてそのデメリットを打ち消すような装備や組み合わせを考えるというのもユグドラシルの遊び方の一つだ。極端な言い方をすれば、毒耐性弱化のデメリットを持つアイテムがあったとしても、それをモモンガが装備したところで弱くなることはない。毒に対して完全耐性を持つ種族であれば、デメリットなしに効果の高い装備の恩恵を得られるという訳だ。

 

 もしくは疲労倍増のデメリットがある装備を付けたとして、飲食不要で疲労無効の効果を持つ指輪などを装備すれば、これも問題はなくなる。(ひるがえ)って、ラキュースの魔剣の呪いはまず間違いなく精神汚染系のデメリットだ。ならばそれを軽減、無効化するアイテムなどを装備すれば問題はないという結論である。

 

 その結論に至ったメイド達は、ナザリックの管理運営を任されているアルベドへ許可を取り三つの装備を用意した。“宵闇に溶ける漆黒の外套”、“死が潜む狂戦士の鎧”、“神殺し六天魔の籠手”という聖遺物級の装備群だ。限られた(残念な)人物のみが装備を許されるそれらは『タブラ・スマラグディナ』がゴミ置き部屋に放置していた装備である。

 

 ナザリック随一の中二病であり、アルベドの製作者たる彼をして『流石に無いわ』とされた装備達は、一応三つ合わせると精神耐性がほぼ盤石となる。それ以外に大した効果もないため、聖遺物級の中でも下の方の位置づけの武具だ。しかし遺産級にも届くかどうかといった程度の装備しかしていないラキュースにとっては十分なものだろう。

 

 一番レア度が高いのは『魔剣キリネイラム』、次いで『無垢なる白雪』や『浮遊する剣群』などだが、それ以外はナザリック基準で言えば最下級クラスといって差し支えないレベルだ。五本の指に着けているアーマーリングなどはもはやただの飾りである。なにか意味があるかといえば、本当に何もないのだから。実際問題、仲間達に意味を問われても慌てて誤魔化すだけの装備である。

 

 装備は用意できた。ならば後はそれをどうやって渡すかといったところだろう。けれど仲間にさえ誤魔化していた苦しみを、はいどうぞと『()()()()()』というのは、メイドとして生み出された彼女達にとっては少々“はしたない”行為だ。

 

 内助の功という慎ましやかな、細やかな気配りこそがメイドたる者としての在り方だろう。故にソリュシャンはハプニングに際し、偶然を装って彼女を全裸にした。全裸を見たかった訳ではなく、これは気配りと優しさである。見たかった訳ではけっしてない。

 

「大変ですわぁ! お召し物を早急に用意しないとぉ…」

「…偶然丁度いいものがこんなところに」

「凄い偶然もあったもんっすね! さあこれを着るっすよ」

「べ、別に貴女のために用意したんじゃないわ。さっさと着なさい下等生物」

「さ、ラキュース様。お手を上げてください」

「え? ちょ、え…?」

 

 さっとインナーを着せられ、あっという間にラキュースは禍々しい装備に身を包まれる。肩の部分に棘がついた黒い鎧、艶やかで上質な革を思わせる漆黒のマント、梵字が刻み込まれた黒を基調とした厳めしい籠手。食事の席には甚だ相応しくないものであったが、妙に似合っているのが彼女の彼女たる由縁だ。

 

 ガガーランに向けてパチンとウインクを投げるソリュシャンであったが、まったく伝わっていないようだ。似合う似合うとラキュースに称賛を向けるメイドを見て、モモンガはなにやってんだこいつらとため息をつく。とはいえ配下のNPCが訳の解らないことをするのは日常茶飯事であったため、満更でもなさそうなラキュースのこともあり、特に言及はしなかった。

 

 しかしあまりにもあまりな彼女の装備を見て、忘れようとしていた嫌な記憶が蘇る。そう、昨晩目にした黒い歴史の現在進行形だ。全身真っ黒の装備に身を包むラキュースの姿は、日記に乗っていた裏の人格が表に出てきたのではないかと想起させた。彼女がこの姿で紅茶を飲むのは、見ている者にドラゴンが裁縫でもしているかのような違和感を覚えさせる。

 

 モモンガはなんとは無しにボソリと呟いた。

 

「“影羅”…?」

「――ぶふぅっ!?」

「だぁ熱っちゃちゃいっ!?」

 

 先ほどとは逆に、今度はラキュースが口に含んだ紅茶をクレマンティーヌの顔面に吹きだす。ファイヤーボールの数発程度なら耐える彼女であっても、紅茶の熱さには耐えられず床を転げまわった。ラキュースの心にも、クレマンティーヌの顔にも被害が甚大な一言であった。

 

「な、なんで知って…!」

「――お前…! まさかもう手遅れだったのか!? “影羅”! てめえラキュースをどうしやがった!」

「え、いや、ちょ」

「そんな……まさか既にキリネイラムの化身に乗っ取られていたというの? 目を覚ましなさい下等生物! 『仲間がいる限り闇の意志になど飲まれない』と言ったあなたの言葉は嘘だったのかしら」

「ふぁうっ!?」

「まさか…!? くっ、問題はないとタカをくくっていた私の責任だ…! 魔剣の危うさを見誤った――二百年も生きていて、何をしているんだ私は!」

「まっ、いや、ちょっと待って…!」

「イビルアイは悪くない。私達もリーダーを信頼し過ぎた」

「ボス。大丈夫、絶対に助けるから」

「えぇ…」

 

 騒然とする食事の席。日記の内容がこの部屋のほとんどに知られていることに気付いたラキュースは、怒りと羞恥と悲しみで顔が土気色になっていた。そしてその表情――生命の輝きに溢れた美貌と称される、いつもの彼女とはまったく違った表情が周囲に“影羅”の存在を確信させる最後の一手となった。

 

 ラキュースは泣きたくなった。何がどうまかり間違ってこんなことになっているのか。そして今更に真実など口に出来ないことを理解してもいた。日記に書いていた裏の人格など無いのだと、キリネイラムの化身など存在しないと口にすれば――どうなるというのだ。

 

 単なる妄想だと言えばいいのか。何かに抗う私カッコよくない? などと問えばいいのか。ああ、それだけはありえないだろう。そんな真実が明るみに出れば、彼女の精神はどのみち死んでしまう。ならばどうすればいいのか。

 

 ――彼女はどうしようもなく、貫き通すことを決めた。

 

「ふっ、ふはは…! 近寄るなぁ! 寄ればこの小娘の命は無いぞ!」

「くっ…! こいつ、ラキュースの体を人質に…!」

「ルプス、離れてっ!」

「くっ…」

 

 初めて貴族のパーティに出席した時よりも。初めて冒険者登録をした時よりも。初めて魔物を倒した時よりも。彼女の人生において、今この時こそが最高潮に胸が高鳴っていた。もちろん悪い意味でだが。

 

 続きはどうすればいいのだろうか。いっそこのまま本当にケーキフォークで首を刺し貫いてやろうか。そんなことを思いながら、顔を真っ赤にしてプルプル震えているラキュース。あまりに理不尽な状況に涙を溢すが、それさえ『中のラキュースが必死に抗っているのだ』と解釈される。頑張れリーダー、頑張れボス、頑張れラキュース、私達がついているぞ、などと励まされては死にたくなるのも仕方ないだろう。

 

「来るなっ、来るなっ、うぅ…」

「うわぁ…(え? 俺のせいなのかこれ。シズに中身は見るなって言ったのに何故こうなる? たぶん正気だよなラキュース……うわぁ、うわぁ…)」

「うわぁぁぁん!」

 

 フォークをぶんぶんと振りながら、いっそ殺してくれとさえ思うこの状況で、しかし彼女の前に救いの神が現れる。短距離転移を使用して彼女の手を掴んだモモンガだ。混乱して暴れるラキュースを羽交い締めにし、彼はそっと耳元で囁く。

 

「(正気……だよな? どうにかするから合わせてくれ)」

「(――っ!)」

 

 涙目になりながらコクコクと頷く彼女の正気を確認し、モモンガはとあるエフェクトを発動させた。闇のオーラと共に彼の体から小さい文字がいくつも噴き出し、渦を巻き収束していく。なにかの魔法儀式のようなそれは、実のところ単なる課金エフェクトである。

 

 たっち・みーが『正義降臨』の文字を課金して使用できたように、ユグドラシルにはこういった遊び要素も豊富にあった。実際に目にすると中々に楽しく、また格好良くもできるエフェクトはそれなりの人気がある。ペロロンチーノなどはたっち・みーのそれを見て、無課金勢から課金勢に移行したほどである。

 

 もちろんたっち・みーに憧れ、かなりの課金勢であるモモンガがそれを購入していない筈もない。死の支配者ロールに相応しく、禍々しくも格好いいエフェクトを追求したのも今は昔。まさかこんなことに役立つとは欠片も思いはしなかっただろうが、とにかくカッコイイ感じに何かが始まって終わるといった雰囲気に最適なエフェクトである。

 

 見るからに魔王といった風貌のモモンガと、それに抱きしめられる暗黒面に堕ちたっぽい女勇者の構図であった。

 

「…うむ。これでもう大丈夫だろう」

「…………はっ、ワタシハイッタイ…」

 

 正気を取り戻したラキュースに、蒼の薔薇の仲間達が駆け寄る。そしてビッチ神の慈愛を以って人を救ったモモンガに、メイド達が更なる崇拝を捧げたのはいうまでもないだろう。

 

 これにて中二病騒動(モモンガ命名)は事態を収束させ、食事の席も落ち着きを取り戻す。クレマンティーヌは終始『なにやってんだこいつら』という態度を崩さなかったが、他の面子にとっては割と感動的な一幕であったようだ。まだ少しばかり警戒心の残っていたイビルアイや忍者姉妹などが、この騒動をもってモモンガを完全に受け入れたことを思えば、意外と意義はあったのかもしれない。

 

 なによりラキュースがモモンガに凄まじい借りと恩義を作ったと考えているのだ。モモンガもモモンガでかなりの負い目を感じており、この関係が王国に及ぼす影響は、今の所神のみぞ知るといったところである。メイド達や蒼の薔薇、モモンガ達の絆も深まり、食事の席の雰囲気はとても和やかであった。

 





「もう少し……かかりますか? いえ、けっして催促しているという訳ではございませんが」
「たぶんもう来られる筈……だと思いんす」


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六話

あと三日…! 待ちきれないね新刊!


 

 法国が誇る大神殿の最奥、限られた者しか踏み入ることを許されないその場所で、陽光聖典隊長『ニグン・グリッド・ルーイン』は事の詳細を説明していた。その相手は各聖典の神官長とそれを統括する最高神官長であり、実質的な国のトップといっても差し支えないだろう。

 

「…なるほど。お前は敵対するべきではないと判断したのだな?」

「はっ。直接『ぷれいやー』様にお会いした訳ではありませんが、配下の御方ですら最高位天使を意にも介さぬ実力をお持ちでした。そしてそれだけ我らが敵対してもなお一人の死者も出ず、悪魔でありながら慈悲深き心の持ち主であったかと。さらにその主である御方は人々に(あまね)く愛を与える御方であると断言しておりました」

「ふむ……それが本当ならば六大神の再来と成り得るやもしれぬ」

「だが我等が害されたのは事実だ」

「そうは言ってもな。ニグンへの説明が真であれば、監視に対する反攻召喚型の防壁であったのだろう? 萎びた体を晒された屈辱は理解できるが、この事態においては些事だろう」

「やかましい!」

「まあまあ、巫女姫の額冠を盗られなかっただけ重畳でしょう」

「いずれにせよ敵対は愚の骨頂。拠点ごと来たというならば、その戦力は我等の想像を絶する可能性もある。たとえ表面上であろうとも友好的ならばやりようはあるというものだ」

 

 喧々諤々と議論を交わす神官長達を見て、ニグンは先日の出来事を脳裏に浮かべる。王国戦士長『ガゼフ・ストロノーフ』を抹殺せんと、辺境の村を取り囲むように動いたあの時のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「各自展開、距離を詰め過ぎるな。装備のランクが落ちていようとも『ガゼフ・ストロノーフ』が強者ということを忘れるな」

 

 法国の特殊部隊六色聖典が一つ、“陽光聖典”が王国の辺境にきている理由はただ一つ。周辺国家最強と謳われる王国戦士長を抹殺し、王国の弱体化を図るためだ。人間種族と敵対的な亜人や異形種に対して、法国を前線国家とするならば王国や帝国は後方国家という位置付けになる。法国にとってそれは『我々が守護している間に後方で戦力を充実させてほしい』という、自己犠牲に近い国家精神をもってのことであった。

 

 しかし結果を顧みれば、王国や帝国は自国の利益だけを目的に争いを繰り返すだけの害悪となった。数百年も経てば六大神、八欲王が広げた人類の勢力図はまたもや衰退の一途を辿るというのに、だ。やりきれないとはこの事だろう。

 しかし不幸中の幸いというべきか、ここ数代の帝国の皇帝は優秀な者が多く、それが目的ではないといえ亜人に対する戦力は増加傾向にある。

 

 故に帝国が王国を併呑することを是とし、法国は陰ながらそれをサポートするために王国戦士長を討とうとしていたのだ。強い“個”は数を凌駕する。練度の高い職業軍人を基本とする帝国の兵であっても、ガゼフ一人で数百、あるいは千を超える戦果を叩き出すことも可能なのだ。

 

 そんな無駄な消耗を避けるため、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインは彼の抹殺を仰せつかった。聖典の下部組織による村々の虐殺を容認し、本来であれば守るべき者達を蹂躙するのは本意ではない。しかし大を護る為に小を殺すのは、人類の守護を標榜する法国にとっては必要なことでもあった。覚悟をもって事に当たろうとする陽光聖典であったが――その直前、彼等の前に悪魔が現れる。

 

「…っ!? 総員、警――」

「しゃぶ……んんっ、“動くな”。不躾で申し訳ありませんが、少々不穏な空気を漂わせておられるのでね。目的をお聞かせ願いたい」

「なっ…! くっ、動けん……何をした悪魔め!」

()()()()()()()()だけのこと。ちなみに相当な実力差がなければ有り得ないことであると認識して頂きたいものですね。こちらに危害を加える意志はありませんよ……我々から見て、あなた方は無辜の民を害する不逞の輩だということをご理解いただきたいのですが」

「…っ! 悪魔の言うことを信用しろと?」

「信用とは積み重ねるものです。初対面であれば種族の違いは関係なく信用などおけるものではありません。そこから恐る恐る手探りで手を取り合えるか確認していくものですよ。対話をしたくないと言うのなら、それはもう()()()()()()()()()

 

 深い笑みで彼等を脅す悪魔――デミウルゴス。しかし脅しというにはあまりにも優しいものであり、幼子を諭すようにといった方が正しいかもしれない。そしてだからこそ、ニグン達は抗ったのかもしれない。その優しさを“隙”であると勘違いして。

 

「…了解した。だがこれは交渉ではなく脅しではないか? 対話だというならば先に拘束を解いてほしい」

「…ええ。では――“自由にしたまえ”」

「ああ、すまないな……くくっ、愚かな悪魔めがっ! 最高位天使を召喚する! 各員時間をかせ――」

「“平伏したまえ”……君は馬鹿なのかね?」

「ぐおぉっ!? う、動けん…!」

 

 一言で動きを封じる悪魔に対し『時間を稼げ』とは非情すぎる命令であった。部下達も『どうやって?』といった感情が透けて見えていたが、命令は命令。ニグンが言い終えるかどうかのところで行動を開始しようとしていたが、すぐに膝を突く羽目になってしまった。

 

「ふむ……なるほど、魔封じの水晶ですか。確かに最高位天使を召喚されると厄介ではありましたが――おや? これは…」

「ぐうぅっ…! それは貴様などが触れていいものではない! そっ――なっ…!?」

 

 事前に確認していた戦力からすれば、警戒には値しないとタカをくくっていたデミウルゴス。しかし使用されかけた魔封じの水晶を見て過信を戒める。ニグンの言う通り、『至高天の熾天使』級が召喚されれば彼であっても最悪の事態が起こる可能性があるからだ。

 

 膝を突き震えているニグンに近寄ると、デミウルゴスは水晶を奪い取ったのだが――その中身を看破し、皮肉気なため息をついた。この程度の天使であっても彼等にとっては最高位に映るのか、と。神官長から直接に賜った魔封じの水晶を奪われ激高するニグンであったが、次に起こった事態に目を剥いた。

 

「“好きにしたまえ”……ああ、これも返そうじゃないか。どうぞご自由に…」

「な、にを…! くっ――何を考えているのかは知らんが、その愚かな行動の代償は高くつくぞ! …出でよ! かつて魔神をも屠った最高位の天使――“威光の主天使”よ!」

「《メテオフォール/隕石落下》」

「ふははは! 見よこの威容をあぁぁぁ!!」

 

 魔封じの水晶を返却し、拘束まで解いたデミウルゴス。その行動に啞然とする陽光聖典であったが、すぐに正気を取り戻し攻撃の態勢を整える。悪魔の行動を見てなんとなく――なんとなく不安を感じ、虚勢を張るように天使を召喚したニグンであったが、嫌な予感というものは往々にして当たるものだ。

 

 ぬか喜びすらほとんどさせてもらえず、天使は顕現した瞬間に巨大な隕石に潰されて消滅した。巨大な質量が落下した余波で吹き飛ばされる人間達。しかしこの状況にあっても死者が出ていないことこそ、一流が集う法国の部隊の証明であった。

 

 ただ一つの魔法で瞬殺された“最高位”天使を目の当たりにし、彼等は――そしてニグンは、ようやく自分達の愚を悟る。己より遥かに強い存在を目の前にしても不遜な態度を崩さなかった最大の理由は、どんな盤面をも覆す切り札が存在していたからに他ならない。それが呆気なく屠られた今、拠り所となるものなど何もない。故に残された行動など一つしかないだろう。

 

「待っ……待ってくれ! いや待ってください! 非礼は詫びます! どうか命だけは――い、いくらでも渡します。私はこれでも本国では地位ある者でして! 望むものならばいくらでもご用意いたしますので! 何卒…!」

「ほう……自分の行動を反省し、後悔しているというのですね?」

「深く! ふかぁぁく反省しております!」

「では謝罪を受け入れるとしましょうか」

「本当です! 敵対の意志などもはや欠片も――え?」

「ですから謝罪は受け入れましたので、赦しましょう。最初から危害を加える気はないと言っていた筈ですが」

「ほ、本当に…? い、いや! ありがとうございます!」

 

 悪魔の優しさに疑念を覚えるニグンであったが、この状況で赦してもらえるというならこれ以上の幸運はないだろう。慌てて頭を下げ、部下にも追随するよう合図を出す。全員が一糸乱れぬ動きで地に頭を擦り付ける様子は、流石集団戦に長けた部隊である。

 

 そして命の危機が去ったとはいえずとも、軽減されたことで思考に余裕ができたニグン。法国が誇る特殊部隊の長ともなれば、当然ながらかなり深いところまでの情報を持っていた。その知識から考えれば、最高位天使を軽々と滅ぼす存在など極々限られている。すなわち『神人』か、『真なる竜王』か、『ぷれいやー』か、あるいは『魔神』である。

 

 見た目からして竜王はないだろう。これほどに温厚な魔神もありえない。そして神人の出現は法国が厳しく管理している関係上、唐突に現れる可能性はごく僅かだ。ならば残るはプレイヤーのみ。そして人類に友好的なプレイヤーというものは、聖典の者にとっては神と同義である。

 

「も、もしや……貴方様は……『ぷれいやー』様では?」

「…! その単語をどこで聞いたか教えていた――む…」

 

 ニグンの言葉に少しの驚きを見せて情報を問うデミウルゴスであったが、唐突に邪魔が入る。遠隔からの監視などに対する防壁が発動したのだ。それが意味するのは、この戦いを覗き見する輩の存在である。

 

 モモンガなどは情報系の魔法に対抗する際、即応的な対策を取ることが多い。大したダメージを与えられないとしても、即座に監視を止められるからだ。しかしデミウルゴスは悪魔らしく、中々に性質の悪い防壁を張っていた。

 

 《サモン・アビサル・レッサーアーミー/深遠の下位軍勢の召喚》という魔法がある。攻撃力は皆無だが、ライトフィンガード・デーモンという『持ち物を盗む』手癖の悪い悪魔を多数召喚する魔法だ。これを監視魔法を使用した対象の近くに出現させ、混乱に陥らせる厭らしい対策がデミウルゴスの情報系攻性防壁である。

 

 ちなみにその真の恐ろしさは、下位悪魔が一定数討伐された際に起こる。減じた数に伴って更なる中位悪魔が召喚され、それを倒してしまうと上位悪魔が出現するのだ。デミウルゴスがとあるアイテムを使用することによって起こせる『ゲヘナの炎』――悪魔の無限召喚に近いものがある。

 

 元よりこれはナザリックの防衛機構にも実装されており、その発案者が『ウルベルト・アレイン・オードル』であることから、デミウルゴスが使用するのは当然ともいえるだろう。

 

「監視対象は……私ではなくあなた方のようですね。心当たりはおありですか?」

「え、ええ……恐らく本国の者が定期的に様子を窺っていたのではないかと……もしくは我等には知らされていませんが、何か異常があれば察知されるようになっていたのかもしれません」

「なるほど。もしかすると魔封じの水晶が使用された場合の保険かもしれませんね。あなた方にとっては貴重なものであるようですから」

「は…」

 

 デミウルゴスの下に続々と帰還するライトフィンガード・デーモン。次のトラップが発動しなかったところを見ると、この程度の悪魔にも対応できない可能性が高い――と思考を回転させながら、彼は悪魔が持ち帰ってきた下着などをポケットに突っ込む。女物も男物も様々だが、彼にとっては全て同様に価値あるものであった。

 

 二コリと微笑んで、平伏す陽光聖典に優しく声をかける。もはや悪魔というよりは天使であったが、ビッチというものは小悪魔であり天使なので、あながち間違いとは言い切れないだろう。

 

「――では改めて。事情をお聞かせ願えますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓宝物殿。厳重に管理されており、空間ごと隔離されたナザリックの秘奥とでもいうべき場所だ。そしてそこを守護する領域守護者は、唯一モモンガが手ずから創りあげた特別なNPCであった。『パンドラズ・アクター』と称され、浪漫と理想を詰め込んだ究極の配下だ――“当時”のモモンガにとってだが。

 

 今の彼にとっては、もはや自分の黒歴史の証拠になってしまっているのだ。ドイツ語やら芝居がかった口調やらネオナチの軍服やら、見る人が見れば『うわぁ…』ということ間違いなしだろう。中二病を過去のものとし、高二病を経て、大二病すら卒業したモモンガにとっては見ると羞恥に悶えるNPC。それがパンドラズ・アクターだ。

 

 そんな彼のもとへと向かっているのは、想定よりも大幅に早くワールドアイテムが必要になってしまったからだ。まさかデミウルゴスが法国と既に接触していたとは思わず、彼等の来訪など寝耳に水の事態であった。とはいえ報連相ができていなかったといえばそうではなく、カルネ村で迫真の鬼ごっこをしている最中の報告であったためにモモンガが聞き流していただけである。

 

 ナザリックにおける裁量の九割九分九厘を配下に任せている都合上、モモンガが与り知らぬところで事態が進んでいるのは珍しくない。社会人の頃にあった責任感というものは、この異世界にきてガリガリと削られていったのだ。もはや彼に残っている僅かな責任といえば、ナザリックの脅威から異世界を護らねばならぬという使命感のみだ。それも最近では薄れてきているが。

 

 一歩進むごとに足が重くなる。それでもモモンガは気力を振り絞って前を向く。いつかは向き合わなければならないのだ。必要な事態が早まったというのはむしろ喜ぶべきかもしれない。一歩、また一歩と進み、彼は遂に再会した――悔いた過去の残骸に。

 

「…久しいな、パンドラズ・アクター。元気でやっていたか?」

「はっ! ようこそおいでくださいました! 我が創造主たるモモンガ様!」

「…」

「…」

「…?」

「…本日はどのようなご用件で? いえ、もちろん用件などなくても足を運んでくださるのであれば、これ以上の喜びはございませんが!」

「あ、ああ……いや、実はいくつかワールドアイテムを持ち出す事態になっていてな。使う事はないと思われるが、万一に備えてのことだ」

「なんと! あれらを使用する事態とは……んん! 恐れながら申し上げます我が主よ」

「な、なんだ?」

「そのような事態となっているならば、このパンドラズ・アクター! 不肖ながらモモンガ様のために役立ちたくございます。どうか私めを供に!」

「あ、ああ……その、なんだ。それはいいんだがパンドラズ・アクター……お前は、その……ビッチじゃないのか?」

「ビッチ……でございますか? 申し訳ございません、ご質問の意味を理解しかねます。ああ、役立つといいながら早速の醜態…! どうかお許しください我が主よ!」

「…!」

 

 モモンガは目を見開いた。目は無いが。痛々しい言動はそのままであるが、パンドラズ・アクターには『ちなみにビッチである』という設定が適用されていないのだ。

 

 いったいどういうことだと、心なしか湧き上がる期待感に拳を握り、設定を書き換えた時の自分の行動を思い返す。たった一人であっても、配下がビッチでないというのは喜ばしい――を通り越して狂喜乱舞する出来事だ。ああ、最高だパンドラズ・アクター。流石俺の創ったパンドラズ・アクター。設定もよくよく考えてみれば一周回ってカッコイイじゃないかパンドラズ・アクター。そんな感動が脳内をぐるぐると回り、宝物殿の内部は猛毒とよくわからない雰囲気に満たされていた。

 

 ――げに悲しきは、自分の配下に依存しかけているモモンガであった





元々一発ネタみたいなものなので、合計十話と少しに収める予定です。

この作品を書き終わりましたら、またわたモテの方とfoget dayly lifeを再開致しますので、よかったら見てやってください。






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七話

更新再開、後は最後まで書ききります。今回ギャグはないんじゃ。次に期待するんじゃ。


 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーが創造し、設定したナザリックのNPC達。彼等は自分達を生み出してくれた創造主達を至上のものとしていたが、逆に創造主達が彼等をどう思っていたかは人それぞれだ。ペロロンチーノやタブラ・スマラグディナ、モモンガなどは熱い思いの下に細かい設定をこれでもかと書き込んだ。しかしたっち・みーや武人建御雷などが創ったNPC達は設定欄も割とスカスカである。

 

 その熱意の差がもたらしたものはいくつかあった筈なのだが、最終的には『ちなみにビッチである』という設定に覆い隠されてしまった。ならば何故モモンガが自信をもって創り上げたNPC『パンドラズ・アクター』にそれが適用されていないのかといえば――“余白の有無”である。

 

 ユグドラシルにおいてNPCのフレーバーテキストの欄といえば、三題噺(さんだいばなし)でも書き込める程に膨大を誇る。無数に存在するキャラクターにそこまでの容量を使用するべきなのかという疑問はもっともだが、そもそもいくら量があろうとも所詮は『テキスト』だ。その辺に転がる石の方が余程サーバーに負荷をかけるだろう。

 

 加えて設定欄を埋め尽くすような人間は極々稀である。外装に拘る者は多数いたが、読める者がほとんどいないテキストに心血を注ぐなどという行為は、何かを(こじ)らせている者だけだ。

 

 ――しかしアインズ・ウール・ゴウンにはその“拗らせている者”が数人いた。その中でも二人、『タブラ・スマラグディナ』と『モモンガ』という男達は相当なものだ。軽い小話でも書けそうな設定欄にこれでもかと設定を書きなぐり、余白の一切を無くしてしまったのだから。

 

 けれど、その情熱こそがパンドラズ・アクターを救ったのだ。『ちなみにビッチである』という一文が文字数制限によって反映されなかったからこそ、彼は『言動と行動が痛々しいNPC』程度に収まったのだ。

 

「…という訳だ。いや、ほんとに弁解のしようもないな…」

「至高の御方が我々をどうされようとも、何も問題はございません――と、申し上げたいところですが…」

「うむ……絶対に怒られる。たっちさんとかウルベルトさんは絶対に怒る」

「その際は不肖、このパンドラズ・アクターめが必ずやモモンガ様をお護り致します!」

「…《グランドカタストロフ/大災厄》とか<ワールドブレイク/次元断切>からも?」

「命を賭してでも――必ずや!」

「お、おう(冗談だったんだけど…)」

 

 まあ本気で殺そうとしてくるギルドメンバーは流石にいないだろうと、ただの冗談に過ぎないのだとパンドラズ・アクターを宥めるモモンガ。そんなことより今は法国の使者への対応だと頭を振る。ナザリックの入り口付近で待たせている彼等への対応は、この先『アインズ・ウール・ゴウン』が進む方向性とある程度リンクしているといえるだろう。

 

 とはいえナザリックの奥深く――九階層以降に招待するというのは、些か危険に過ぎるのではないかと彼は思い悩んだ。危機意識が既にガバガバのモモンガであっても、軽々に判断するべきことではない。しかし雑な対応をしていらぬ反感を買うのもまた得策とはいえない。そうなると、やはり知恵ある者に頼るしかないのが小卒のモモンガの悲しいところである。

 

「パンドラズ・アクター、お前はどうするべきだと思う?」

「…モモンガ様に敵対の意志がないというのは真でございますか」

「ああ。敵対されたならともかく、進んでこちらからというのはな……それに先ほど話した通り、あちら側からすればナザリックを何としてでも引き入れたいと思っている可能性が高い。異形種の巣窟とはいえ、むやみやたらに噛みついてくるとは思えんな」

「成程……こちらの手札はどの程度まで開示されるおつもりで御座いますか?」

「信用を得られる程度に、といったところか。あちらも不安だろうからな……何よりも戦力を確認したいというのが本音だろう。鬼札ともいえるルベド――あとはヴィクティム、ガルガンチュア以外の守護者であれば会わせてもいいんじゃないか? 特にシャルティア、デミウルゴス、アウラ、アルベドあたりはよく外に出ているみたいだからな」

「…ナザリックの防衛はどうなっておいでで?」

「…コキュートスが頑張ってるんじゃ……ないかな、たぶん」

 

 珍しく狼狽えるような雰囲気を見せるパンドラズ・アクター。彼も他のNPCを知っている訳ではないものの、もう少し危機意識を持った方がいいのではないだろうかとため息をつく。その仕草がモモンガとよく似ていたのはご愛嬌というものだろう。

 

 しかしそんな諸々とモモンガの今までの行動、NPC達の行動を鑑みて、彼は会話中に考えていた草案の大部分を破棄した。『敵対した場合どうすればいいか』の対話ではなく、『友好的に接するにはどうすればいいか』の対話に重きを置くべきと判断したのだ。主も同僚も、明らかに人間に対して親しみを感じている。となれば『裏切られたら』ではなく『裏切られないように』と考えて立ち回るべきだろう。

 

「彼等には“安心”を与えるべきかと」

「…安心?」

「先ほどモモンガ様が仰った通り、彼等は不安なのです。何故不安なのか――そう! 知らぬからで御座います! 人にとって“無知”とは恐怖! ならば知っていただきましょう……隠すべきは隠し、それ以外を納得のいくまで。余すことなく! 信頼をもぎ取るのではなく――まずは与えてみては如何でしょうか。不知という暗闇を! 死地という可能性を! 灯り無き夜の海に、覚悟を持って飛び込んできた勇者たる彼等を! …持て成しましょう!」

「ヤメテ……その語り口ヤメテ…」

 

 ぶんぶんと身振り手振りで、そして要所要所で天に手を掲げるパンドラズ・アクター。そのなんともいえない姿を見てモモンガは床にうずくまる。まだビッチの方がマシだったんじゃないだろうかという思考がちらりと脳裏を過ったが、しかし中二病かつビッチという可能性もあったのだと思い至り、膝を叱咤して立ち上がる。

 

「うーん……つまり……ああ、なるほど。そういうことなら――パンドラズ・アクター」

「はっ!」

「俺は支配者としての自信なんて微塵もない」

「…はっ」

「プレイヤーとしての強さだって、ユグドラシル基準なら大したこともない」

「…」

 

 主の自虐に対し、否定の言葉が喉まで出かける。しかし紡がれる言葉はそれを望んでおらず、そしてなにより――()()に満ち溢れている。ならば最後まで耳を傾けることこそが忠義というものだろう。パンドラズ・アクターは片膝をついて頭を垂れる。

 

「だけどな――まかせろ。“接待”なら誰にも負けない自信がある」

 

 ――十年以上も頭を下げ続けてきた営業職の矜持が、死の支配者(オーバーロード)から溢れ出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックの地表部分――敷地内は約六メートルにもなる高い壁に囲まれている。入り口は正門と後門の二つが存在し、法国の使者が現在待たされているのは前者の方である。法国における最高機関の一つ、六人の神官長の一人『マクシミリアン・オレイオ・ラギエ』を筆頭とする彼等の目的は、モモンガやパンドラズ・アクターの推測とほぼ違わない。

 

 プレイヤーか否かの確認。敵対的であるかどうかの確認。戦力の確認。そしてその力を利用できるかどうかの確認だ。モモンガは少々楽観的な見方をしていたが、実のところ法国の神官長達のアンデッド嫌いは割と根深い。生まれた時から今この時まで『アンデッドは穢れた存在である』との認識であったのだから、それは当然のことだろう。

 

 彼等が崇拝する神の内の一柱、死の神『スルシャーナ』はあくまで神であり、アンデッドという括りを超えたところに位置しているのだ。故に陽光聖典と敵対した『アインズ・ウール・ゴウン』という勢力に対しての感情はあまり良いものとはいえない。

 

 これはクレマンティーヌの言葉が間違っていたというよりは、実際に戦う者達と文官の認識差といえるだろう。この世界において有数の強者である漆黒聖典の者達は知っているのだ。人間も、魔物も、アンデッドも、結局大した違いはないのだと。護るべきもの、撃退すべきもの、滅ぼすべきものという違いはあれど、()()()()()()()()()()()()

 

 故に今回の使者のほとんどが漆黒聖典であるというのは意図的であり、至極真っ当な人選だ。見下していると勘付かれては問題だ――故にクレバーな彼等を。侮られていると勘違いされては問題だ――故に神官長の一人を。敵対したならば大問題だ――故に法国最高戦力を。

 

 あらゆる問題が起きても対処できうるメンバーを法国は使者とした。けれど、現状の問題は彼等をしてどう対処していいものか悩ませるものであった。

 

「そいで、クレマンティーヌは言いんしたの。『うちの隊長、絶対童貞マジ童貞……あ、元隊長か』なんて、くふ。本当のところはどうでありんすの?」

「い、いえ…」

「ふぅ……それにしても暑いでありんす。もう少し軽装にするべきでありんしたかしら」

「っ…」

 

 パタパタと胸元をちらつかせ、悩まし気な溜息を零す階層守護者――シャルティア・ブラッドフォールン。先ほどメイド達が大急ぎで用意した椅子に座り、頻繁に足を組み替える。ボールガウンのドレスでそんなことをしても意味の無い行動だ。けれど絶世の美少女たるシャルティアの一挙手一投足は全てに意味があり、男を魅了する。

 

 先ほど無様に尻もちをついた漆黒聖典の一人――他者の強さを図る技能を持った男などは、既に彼女から目を離せなくなっていた。シャルティアを見て『た、隊長より……強い…!』と震える声で怯えていた彼は、今や『せ、占星千里よりでけぇ…!』などと呟いていた。ちなみにそれはパッドである。

 

「…うぅん……それにしても、もう少しかかるかしら。申し訳ありんせんが、もそっとお待ちくれなんし」

「いえ、こちらが連絡もなしに訪ねたのです。非礼を詫びるならばこちらの方でしょう」

「――いえいえ、こちらこそ大変お待たせして申し訳ありません」

「…っ!? あ――」

 

 正門前――黒い靄から出てきた化け物。そして人ならざる美貌を持つメイド達。しかし雰囲気は朗らかで、明らかに歓迎の意を示していた。神官長であるマクシミリアンは慌てて立ち上がり、漆黒聖典もそれに追随する。神々が遺した遺産に身を包む彼等だからこそ、モモンガの装備が凄まじいものであると看破した。そして『わー、メイドでも俺らより強いんだー』という現実逃避の呟きが彼等を更に緊張させる。

 

「ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が拠点、ナザリック地下大墳墓のギルドマスターを務めるモモンガと申します」

「あ、ああ……っ、失礼。スレイン法国、闇の神官長を務めるマクシミリアン・オレイオ・ラギエと申します。急な訪問にもかかわらず、主自らの出迎えに感謝いたします」

「ご丁寧な挨拶、痛み入ります」

 

 一通りの挨拶を終え、モモンガは立ったまま(・・・・・)用件を聞き出す。失礼に当たるのは承知の上だが、彼はまず表向きのそれをさっさと終わらせたかったのだ。どのみち彼等の安心を買うためには、招き入れなければ話にならないのだから。寛いでもらうのならば、憂いを取り除いてからだろう。

 

「――であればこそ、苦渋の決断ながらあのような非道を行っておりました。これ以上『リ・エスティーゼ王国』を放置しては、人間種そのものが立ちいかなくなると――」

「――なるほど」

 

 まずは表向きの訪問理由――陽光聖典とナザリックがいざこざに至った経緯を説明し始めるマクシミリアン。それは何一つ嘘の無い、少数を犠牲にして多数を生かすやり口の説明であった。

 そんな法国のやりかたを聞いたモモンガは、元の世界の国や企業に聞かせてやりたいものだと溜息を零した。彼が生きていた世界は、正しく少数が幸せを享受するために多数を犠牲にする世界だ。とはいえ底辺であってもゲームに興じるくらいの余裕があることを思えば、この世界が如何に過酷かわかろうというものだ。

 

 人権の完全無視や飢え死に、ましてや異種族に喰われるなどという体験を想像すらできない彼にとって、法国のやりかたが間違っているなどとは口が裂けてもいえない。だからこそ陽光聖典の一件は『不幸な行き違い』という落としどころで双方が納得する結果となった。

 

 加害者側だけの言い分で判断するべきではない――といいたいところだが、モモンガは既に王国の腐敗ぶりなど知っている。奴隷まがいの娼婦を正当な手段で救えず、デミウルゴス達が秘密裏に助け出した時点で王国の程度は知れているというものだ。

 

「――さて、用件は以上といったところでしょうか」

「はい。非常に有意義な時間であったかと……援助の件、エルフ種族の扱い等、細かいところは正式な場を持って改めさせていただきます」

「ええ、ええ。予定はそちらに合わせますので、決まり次第伝えていただきたい」

「かしこまりました……それではこれにて――」

「ああ、失礼。以上といったのはあなた方の用件に対してのこと……実はこちらにも一つお願いがありまして」

「…? それは、どのような?」

 

 マクシミリアンからの疑問の声、そしてほんの少しだけ滲み出る警戒心。穏やかに進んだ会話を経て、(つい)ぞ失われることのなかった不信。充分な結果を得たからこそ、情報の収集を棚上げにして引き上げようとする彼等に対し、モモンガの目的はこれからだ。

 

「よろしければ――()で寛いでいってはいかがでしょう。急ごしらえではありますが、歓迎の準備も整いました」

 

 相手が望むものをこちらは全て用意できる。営業としてはイージーモードだろう。目の前の人間達の喉がごくりと鳴ったことを確認し、内心で微笑みながらホストの準備をする。情報を得られる期待で喉を鳴らしたのだろう。相手の本拠地(ホーム)に足を踏み入れる恐怖で喉を鳴らしたのだろう。モモンガは友人へサプライズのプレゼントを贈るような、はたまた肝試しの驚かし役になったような、そんな心持ちで彼等を招きいれるのだった。

 





 トップに近くなればなるほど待遇が悪くなる、宗教国家の鑑のような法国。自戒に長けた神官長や漆黒聖典を堕とすことができるのか。モモンガの手腕が光る!(次回煽り)



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八話

ちょっとぶっとび気味ですので苦手な方は読まない方が……いや、ここまで読んでる人なら大丈夫か、うん。


 ナザリック地下大墳墓の一階層から三階層。それは名前の通り墳墓然とした威容を構え、足を踏み入れた存在に死者の地であることを訴えかけている。しかし現在は常と違った様相を呈していた。なにせ道行く一行に対し、オールドガーダーやスケルトンがクラッカーを引き、『熱烈歓迎』のノボリを立てて囃しているのだから。

 

「この一階層から三階層までが彼女の――階層守護者『シャルティア・ブラッドフォールン』の領域となっています。最初の防衛ラインだけに、最強の守護者たる彼女を置いているんですよ」

「なるほど…」

 

 神官長とモモンガを先頭に、ぞろぞろとナザリック内部を進む二十人近い集団。いってみればこれは『施設案内』であり、自分達がどういった存在であるかをわかりやすく説明する場だ。メイドであるプレアデスを引き連れているのはマナーとしてよろしくないものの、これは“接待”でもある。絶世の美女を横に置かれて嬉しくない男などそうはいない。宗教国家の重鎮である彼等が単純な欲に溺れるとは思っていないモモンガであったが、だからといって完全無欲というのもあり得ないと考えていた。

 

「そしてこれが転移門です。ここ以降は物理的に繋がっていない場所が多くなるんですよ」

「転移門! そのようなものがあるのですか…」

「ええ。危険はないのでご安心を。そして抜けた先がこちら――地底湖エリアです」

「ほう! これはまた……む、あれは…?」

「ええ、あれは――あれは……なにあれ!?」

 

 ガルガンチュアを沈めている地底湖エリア。さして目新しいものも無いため、さっさと五階層へ案内しようとしていたモモンガであったが、自分の知る場所と完全に様変わりしている四階層を見て驚愕の声をあげる。薄暗く陰気な雰囲気は欠片も残っておらず、それどころかふよふよと漂う発光物体によって神秘的とすらいえるだろう。湖の淵はプライベートビーチのようで、そこに水着姿の女性たちがキャッキャウフフと戯れていた。

 

「誰なの!?」

「モモンガ様、おそれながら申し上げます」

「あ、ああ。彼女達を知っているのか? ユリ」

「はい。先日、デミウルゴス様方が王都より救助した者達でございます」

「…そ、そうか。というより、そのために『蒼の薔薇』は来たんだったな。すっかり忘れていた……ん?」

 

 そういえばそんな話もあったなと、自分のうっかりミスを恥じるモモンガ。しかし四階層がリゾートになっている説明にはなっていないんじゃないかと、いきなり醜態を晒す羽目になった不運を嘆く。とはいえこれはこれで使えなくもないだろう。人間に友好的である証明、証人が目の前に存在しているのだ。禍を転じて福となしてしまおうと、使者たちに説明をしようとした――その瞬間。見覚えのある人物達が目に入った。

 

「Dクイック! ティナ!」

「ガガーラン! ブロックして!」

「うおぉぉ!!」

「“分身の術”……ダブルクイックアタック」

「うおぉぉ!? おまっ、それ卑怯だろコラ!」

「――っ! ナイスレシーブ! イビルアイ! はぁぁぁ…! “浮遊する球群”!」

「ボス汚い。それは流石に汚い」

「“不動金剛盾の術(鉄壁ブロック)”!」

「なにやってんのお前ら!?」

「あ、モモンガさん」

 

 そこにいたのは、ビキニ姿でビーチボールを叩きつけ合う蒼の薔薇の面々であった。周りには人だかりができており、頻繁に黄色い声援があがっている。しかし近付くモモンガ達に気付いた集団は、時間が止まったかのようにピタリと口を閉じた。恐ろしい骸骨が近付いてきたから――という訳ではなく、複数の男性の存在に怯えているのだ。

 

 散々に性処理用の道具として、玩具として嬲られた彼女達の心の傷は完全に癒えていない。それを見て取ったモモンガは、とりあえずラキュース達への質問を棚上げにして、哀れな人間達へと声をかける。

 

「あー……うむ、初めまして。この墳墓の主であるモモンガだ。お前達の事情は聞いている……そう不安そうな顔をするな。匿った以上、責任を持って面倒は見る。なに、けっして悪いようにはしないとも」

 

 恐怖と困惑、安堵が綯い交ぜになって広がる。しかし主が直々に庇護を約束したことによって、負の感情が限りなく薄まったことは確かだ。口々に感謝の言葉が飛び交い、熱いモモンガコールとなって地底湖エリアを甲高い声が満たす。

 

 神官長や漆黒聖典の視線が生温かいものとなり、モモンガは羞恥に悶えながら彼等に先を促した。そして何故か一緒になってついてくる蒼の薔薇。『今は大事な接待中だから後にしなさい』というモモンガに、ラキュースは頑として首を縦に振らない。

 

 それはモモンガの友人として、そして王国貴族としての務めだ。周辺の情勢に疎いナザリック勢力が、法国の甘言に騙され、乗せられないための目付け役ともいう。人間に害をもたらさない亜人達すらを殺してまわる法国――聖典に対し、以前ひと悶着あった彼女は彼等を信用していない。

 

 そもそも亜人すら毛嫌いする彼等が、異形種の巣窟であるナザリックに足を踏み入れるとすら思っていなかったのだ。失礼な態度を取って門前払いか、敵対行動を取って返り討ちか、良くても挨拶程度だろうと踏んでいた。だからこそ手持ち無沙汰になったついでに、当初の目的である行方不明者の確認をしていたのだ。まさか彼等を招きいれる筈もないだろう、と。

 

「…彼等は人間以外を排することを至上としています。以前、恐らくは六色聖典と呼ばれるうちの一つと交戦したことがありますが――モモンガさん達と相容れるとは思えません」

「とりあえずシュノーケルとゴーグル外してから言ってくれないか?」

「隊長の名はニグンといったか……私には及ばないものの、優秀なマジックキャスターを多数引き連れていた。こいつ等だけでは危なかっただろう」

「浮き輪とフィン(足ヒレ)を外してから喋ろう。な?」

 

 額にシュノーケリング用のゴーグルをつけ、ビーチサンダルでモモンガの横を着いてくるラキュース。歩く度にふよんと揺れる双丘に少しだけ意識を割かれるも、モモンガは無理やり視線を逸らして突っ込みを返す。しかし続くように後ろから言葉を発するは、白いスクール水着に身を包んだイビルアイ。水かきを履いたままぺたぺたと床を踏み鳴らし、青い浮き輪を腰の部分に留めてモモンガに忠告する。胸の辺りには『いびるあい』と書かれた刺繍が施されており、裁縫が得意な統括守護者の性癖が垣間見えている。

 

「ああ――以前、陽光聖典が報告していた例の冒険者か。色々言いたいことはあるが……あえて君達の法に則って言わせていただこうか。これは『法国とアインズ・ウール・ゴウンにおける政治問題』である。干渉される謂れはないと思うがね」

「私は彼の友人として助言しているまでです」

「そこに一切の他意はないと? 王国の貴族としてのしがらみはないと誓えるのかね?」

「…っ」

「モモンガ殿、とても不遜な物言いを許していただきたい。()()()()()()()()()()()()

「…彼女達はとても良い娘ですよ。私の友人としては勿体ないくらいに」

「ええ、その通りです。彼女達は間違いなく善良な存在なのでしょう……だからこそ申し上げているのです。“王国に在る善良な存在”ほど性質(たち)の悪いものはない。それが強者であれば尚更に。先程も申し上げましたが、王国の最高戦力であり、民を思いやる優しき戦士長がどれほど人類にとって害悪なことか…!」

「おいおい、物騒な話してんじゃねえか。ガゼフのおっさんが草臥(くたび)れ果てて帰ってきたのはお前さんらの陰謀だったのか?」

「陰謀とは言ってくれる。ならば王国から流れてくる卑しい麻薬は陰謀なのか? 我々が人を()()()にする種族を押しとどめている間、自国の民を食い物にしている腐った貴族達は何かの陰謀なのか?」

「…話をすり替えてんじゃねえよ」

「いいや、同じだ。身の丈に合わぬ快楽を貪る輩が払うべきツケを、我々が取り立てているのだ。何もかもが陰謀ではなく一連の、そして必然の流れに過ぎぬ。『お前達が馬鹿をするから私達が尻を拭う』のだ。冒険者に言っても仕方のないことではあるが――日々を滅亡に怯える小国群を我々が支援している間、王国はなにをしていた? 人類の生存域を『勝手に増える食糧庫』としか見ていないビーストマン共を堰き止めている竜王国に、それを支援している我々に王国はなにかしたのか? 法国と竜王国が滅んだ時点で人類は滅ぶと――お前達は本当に理解しているのか?」

「…マクシミリアン様」

「なん…っ、失礼、モモンガ殿。このような場で普段の鬱憤を晴らすなど……我が身を恥じるばかりだ」

「お気になさらず。誰しも自分の信じる正義がありますから」

 

 一触即発といった空気の中、モモンガは気まずさを覚えつつ内心で毒づいた。接待どころじゃないな、と。しかし先程と同様に、これはこれで――とも考えていた。状況だけを見れば、法国と王国が自分を取り合っているようなものだ。そんなに執着していなかった異性であっても、横から掻っ攫われそうになれば引き留めたくなる……そんな心理が働いているのだろう。いわゆるオタサーの姫状態だ。ちなみに実態はヤリサーの王である。

 

 奇しくも蒼の薔薇への対抗意識によって、ナザリックに対する法国の心情は上向いてきている。ならばここは一つの勝負どころでもあるだろう。少し前倒しにはなるが、モモンガはここが機と見て、パンドラズ・アクターと話し合って決めた『アインズ・ウール・ゴウン』の立ち位置を彼等に伝える。

 

「私は人間が好きです。そもそも、元が人間ですしね。だからこそ敵意の無い人外を排するやり方には少しばかり……嫌悪を覚えます。もちろん、人間を好んで食料とするような種族と相容れないという考えには共感しますが。法国のやりかた全てには頷けない。王国の仕組みにはとてもではないが頷けない……けれど、ここにいる皆さんは規模は違えど『人を思いやっている』のに違いはないでしょう? 私は、アインズ・ウール・ゴウンは、そういった方々に力を貸したいと思っています。先ほどの女性達……王国にて奴隷まがいの扱いをされていた者達を救った、私の配下達もそう思っていることでしょう――そうだろう? プレアデスよ」

 

 壮大なことを考えている訳ではない――ないが、しかしモモンガは自分が自由に闊歩できるような世界を望んだ。アンデッドに寿命は無い。故に少しづつ、少しづつ周囲を変えていければと思ったのだ。全ての国に力を貸し、誰もが安全と平等を享受できるような世界がほしい。

 

 それは彼自身の考えも多分に含まれていたが、配下の意を酌んでのことでもある。ナザリックのビッチ達が愛する対象は、人間に限らないのだ。そして敵対するものにすら慈愛をもって対処する。それはともすれば危険を孕んだ行動であり、彼等がビッチであり続ける限り不安要素は残る。

 

 そして彼等はビッチであり続けなければならない――他ならぬモモンガの手によってそうされた。だからこそ周囲を平和にする義務があると、モモンガはそう考えていた。自分達以外の平和は、自分達の平和にも繋がるのだ。その想いを言葉に変えて絞り出す。メイド達もきっと力強く頷いてくれるだろうと、少しだけパンドラズ・アクターを参考にした仰々しい腕の振り方と共に、彼は後方を振り返った。

 

「出たっすか? 出たっすか?」

「うーん……ルプスレギナちゃんの恋愛運はイマイチね。あ、でも占星千里っていっても外れることもあるからあんまり当てにしないでほしいわ」

「私はどうですかぁ? できればぁ、細くて白くてカッコイイ死の支配者(オーバーロード)の殿方との相性なんてぇ……キャッ! 私ったらぁ」

「エントマ、次は私」

「姉を立てるのが妹の務めじゃないかしらぁ?」

「なら尚更に私。エントマ、貴女が妹」

「違うわぁ。貴女が妹よぉ、シズ」

「いやいや、ここは私がもっかい占ってもらうっす。我慢するっす“妹”たち」

「ルプス、普通はお姉ちゃんが我慢するものよ」

「い~や~。私の恋愛運がイマイチなんて認めないっす!」

「聞けよお前らあぁぁ!」

 

 キメ顔で振り返ったモモンガの目に入ったのは、漆黒聖典の一人“占星千里”に占ってもらい、キャイキャイと騒いでいるプレアデス達であった。女性が占い好きであるのはどんな世界でも共通なのだろう。加えていうと彼女の見た目は完全に痴女であり、ビッチたるプレアデス達を惹きつけるには充分な容姿であった。身に着けている装備は下着とほとんど変わらぬ表面積であり、そこに片方だけの白いニーソックス、申し訳程度にところどころ巻き付けられたフリル紐が煽情感をこれでもかと主張している。この変態の巣窟ナザリックにおいて、相応しすぎる客人といえるだろう。

 

 プレアデスに囲まれて平然と占っている姿は、恐怖など微塵も感じられない。とはいっても、彼女の場合は事前の占いにより危険がないと知っているからこその豪胆さだ。最初から一人だけ澄ました顔でいるのも、当然といえば当然だった。彼女からすれば、占いの結果を告げているのに警戒を解かない同僚達こそがおかしいのだ。

 

「――はっ! 大変失礼致しましたモモンガ様。この失態、申し開きもできません……何卒、何卒罰をお与えください。妹達の分までボク……私が如何なる責め苦にも悦……んんっ、耐え忍びます」

「いえ! 罰は私にお与えください!」

「ここは私が」

「私っす!」

「(ダメだこいつら……早く何とかしないと…)」

 

 モモンガがメイドを叱り、マクシミリアンが占星千里を叱りながら一行は進む。漆黒聖典の面々と蒼の薔薇の女性達はなんともいえない雰囲気を出しつつ、ちらりちらりと視線を交わす。ラキュース達は先程の神官長の言葉を反芻し――どれだけ人類が窮地に立たされていたのか気付きもせず、狭い世界で持て囃されて調子に乗っていたことを恥じた。それ故の気まずい視線だ。

 

 逆に漆黒聖典の者達はというと、単純に目のやり場に困っているだけである。というより先程から今まで、神官長とは違い彼等の総意は一つだけだ。『着替えろよ』である。

 

「気を取り直して――こちらが第五階層……凍河の支配者『コキュートス』が守護する、“氷河”です」

「寒うぅぅぅい! さ、寒っ、さびゅっ…!」

「まだ水着だったの!? 馬鹿なの!?」

 

 突然の雪風にしゃがみ込むラキュース達。一人だけちゃっかりとメイドのスカートの中に隠れているティアは、流石忍者である。モモンガは呆れながら突っ込みつつ、地形ダメージ無効の魔法を範囲拡大して全員にかけるという離れ業をやってのけた。無駄に器用である。

 

 ここではコキュートスの住処である“大白球”まで出向き、紹介しようかと思っていたモモンガであったが――遠目にギシギシと揺れているような気がして急遽(きゅうきょ)取りやめた。大白球の近くにいる雪女郎達の姿が見えないことも嫌な予感に拍車をかけ、完全スルーで次の転移門へと足を向けた。転移門の起動は守護者に伝わる筈なのだが、きっとそれにも気付かないくらい仕事に“精を出して”いるのだろう。モモンガはそう考えることにした。

 

「こちらが第六階層……ダークエルフの姉弟、『アウラ』と『マーレ』が守護する“大森林”です」

「…! これは……外、なのですか? 空が…」

「いえ、これは魔法で見せかけているだけなんですよ。近くまでいけばちゃんと天井もあります」

「なんと…! 景観も、そして技術的にもこれほど素晴らしいものは見た事が無い…!」

「いやぁ、はは。そう仰っていただけると……ふふ」

 

 どっちが接待をしているのか解らないほど、モモンガは嬉しそうに身を捩る。仲間達と苦労して創り上げたナザリックを誉められると、彼はチョロいのだ。程なくして、転移門の起動を確認した双子達が一行の前に姿を現す。モモンガにとってはそれだけで感動ものであった。

 

「ようこそ第六階層へ! あたしはこの階層の守護者『アウラ・ベラ・フィオーラ』でこっちが“弟”の――」

「『マーレ・ベロ・フィオーレ』です。よ、よろしくお願いします」

 

 やっとまともに守護者が紹介できた――と思ったのも束の間。おどおどとしているマーレと、漆黒聖典の内の一人とが見つめ合ったまま動かない。どこぞのときめくメモリアルにでも出てきそうな学園の制服に身を包む漆黒聖典メンバーの一人。女性用の制服ではあるが、それに身を包んでいる者の性別は――

 

「…ヨロシク、マーレ」

「よ、よろしくです」

 

 親し気に握手を交わす二人。彼等以外にはよく解らないシンパシーを感じたのだろう。いや、よくよく見てみれば女性陣がなんとなく嬉しそうにしている様子を見ると、なにか感じ入るものがあったのかもしれない。エルフの二人に案内される一行は、ここにきてようやく穏やかな時間を過ごすことができた。

 

 そして次なる転移門に到着し、一行を名残惜しそうに見送る双子に手を振って彼等は次の階層――“溶岩”へと足を踏み入れた。

 

「こちらが第七階層……“溶岩”です」

「熱ぅぅぅい! あ、熱っ、あちゅっ…!」

「まだ水着だったの!? 馬鹿なの!?」

 

 灼熱の地面にビーチサンダルの底が融け始め、奇怪なダンスを踊り始めるラキュース。一人だけちゃっかりとメイドに抱き上げてもらっているティアは、流石忍者である。モモンガは先程と同様に魔法を全員にかけ、涙目のラキュースを慰めた。

 

 ここではデミウルゴスの住居である赤熱神殿まで出向き、紹介しようかと思っていたモモンガであったが――遠目に神殿が揺れているような気がして急遽(きゅうきょ)取りやめた。魔将や十二宮の悪魔達の姿が見えないことも嫌な予感に拍車をかけ、完全スルーで次の転移門へと足を向けた。転移門の起動は守護者に伝わる筈なのだが、きっとそれにも気付かないくらい仕事に“精を出して”いるのだろう。モモンガはもう一度そう考えることにした。

 

 ()()()()八階層を抜け、いよいよ接待の本命――九階層『ロイヤルスイート』に一行は到着した。この世界で最も贅を尽くした場所の一つといえる此処は、清貧を心掛ける神官長、そしてストイックな漆黒聖典の隊員達をすら魅了するだろう。

 

 道すがらの会話で遂に警戒を解いた法国の使者達は、持て成しを拒否するのは失礼に当たるだろうと、これらを心ゆくまで堪能することに決めた。神の食物と言われれば頷いてしまうくらい、信じられないほどに美味な食べ物、飲み物。何種類もある、贅を凝らした浴場。見たこともない種類の酒に、女性であれば誰もが通いつめたくなるエステ。まさにこの世の天国だといわんばかりのこの場所で、彼等は思い思いに楽しんでいた。ちゃっかりと蒼の薔薇も楽しんでいた。

 

 特に漆黒聖典の女性陣――“時間乱流”“神聖呪歌”“占星千里”は、戦闘者であってもやはり女性なのだ。明らかに美しさを引き上げるエステ、マッサージに夢中になっていた。

 

「ふぅ……んっ!? あ、ルプスレギナちゃん、そこは…」

「これはリンパマッサージっす。リンパに悪いものが溜まってるんすよ」

「で、でもそこは…」

「リンパっす。この辺はリンパ線が集中してるからしっかりやらないとダメっす」

 

 まるでいかがわしい映像作品のエステティシャンのようにリンパを連呼するメイド達。そう、リンパなら仕方ないのがこの世の中の法だ。

 

「美しいお声ですわ」

「んっ、あ、わ、私は吟遊詩人(バード)だから、ひうっ、あっ…」

「ここのリンパにも悪いものが溜まっていますわ」

 

 貴族然とした“神聖呪歌”もリンパの魅力には逆らえず、ソリュシャンにされるがままになっている。スライムである彼女は、マッサージをしつつも特殊な粘液で対象を喜ばせる一流のエステティシャンだ。プレアデスの中でも頭一つ抜けているといえるだろう。

 

 ロリっ娘である“時間乱流”を誰がマッサージするかでひと悶着あったものの、じゃんけんにより勝ち取ったシズが、機械の体をいかして色々と凄いことになっていた。静かな振動音などが何を意味しているかは、この女の花園にいた者達だけの秘密である。

 

 ――そして陽が沈み、“夜”が始まった。



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九話

エロに対する姿勢は人それぞれです。自己主張はいいとしても、他人の性癖を貶めるのはやめましょう(戒め)


 

 法国の宗教とは、リアルの世界と比べると非常に(いびつ)である。六大神――基本は四大神を信仰する者がほとんどだが――という複数の神を信仰しながらも軸はぶれず、国民は高い規範意識を持ち、纏まっている。一神教であればその神を唯一として崇め、信仰を拠り所として強固な繋がりを持つのはおかしくない。

 

 逆に多神教となれば、生活に根差した信仰形態をとることが多い。とても大雑把に言ってしまうのならば『自分達の行動を是とするための信仰』が多神教であり、『自分達の行動を教義に沿わせた信仰』が一神教である。前者は自分が信じる神を選べるが、後者は当然のことながら選べない。故に神を絶対としながらもその解釈のしようを巡って派閥ができ、争うことも多々ある。

 

 どちらもメリットとデメリットがあるが、信仰意識の平均が高いのはどちらかというと一神教の方だろう。だからこそ六柱も在る信仰の対象を持ちながら、信心深い法国の民は異質である。火の神、水の神、土の神、風の神を主軸とし、その上に光の神と闇の神をおく宗教形態。

 

 教義的には闇の神と他の神は仲が悪いとされながらも、信者達の間で不和は広がらない。リアルの世界のどの宗教とも似通っていないその理由は『神の実在が確か』だからだろう。彼等が人類を守護したからこそ今がある。彼等が死してなお、絶大な力を持つ遺産を遺したからこそ今がある。

 

 ガラクタを聖遺物と言い張る強欲者(ナマグサ)もいなければ、ありもしない奇跡で騙す聖職者もいない。実際に神が存在し、人の上に立ったからこそ彼等は崇められているのだ。

 

 ――しかし彼等は本当に“神”なのだろうか。

 

 法国の民に聞けばほとんどがこう答えるだろう。畏れるべき、敬愛すべき、慈悲の心を持った絶対の存在であると。王国の民や帝国の民に聞けばこう答えるだろう。歴史書に残っているのだから、そうなのだろうと。

 

 神という存在はなんなのだろうか――神官に聞けばこう返すだろう。真摯に祈れば力を貸してくれる存在だ、と。結局のところ人によって違うものが神だ。

 

 しかし六大神は違う。実在した“人間”なのだ。長い歴史は人を“象徴”にし、肥大化させ、なにか大きなものであると誤認させる。

 ヒトラーは世界最悪の戦犯で差別主義者の象徴であり、悍ましい精神構造の持ち主だろうか? 妹であるパウラならばこういうだろう。『その日暮らしの馬鹿野郎だ』と。

 ガンジーは博愛主義であり、無抵抗を是とする優しき人物だろうか? 母であるプタリーバーイーならばこういうだろう。『戒律は破る、盗みは働く馬鹿息子だ』と。

 

 六大神は高潔で崇められるべき存在なのだろうか?

 

 ――ああ、そんな訳がない。彼等は日本人としてほどほどに善性で、ネトゲにのめりこむ()()()共だ。世界の情勢と共に娯楽がインドアに集中したとはいえ、それでもネトゲというものに傾倒した廃人達だ。萌えを愛した者もいれば、腐ったものをこよなく愛した者もいる。そう、彼等は世界に誇る“HENTAI”文化を嗜む日本人でしかない。

 

 理不尽に晒されている人達がいた。そして自分達に危険はなさそうだ。()()()助ける。ただそれだけのことであり、けれど助けられた者達にとって神の所業であったのだ。苦笑いをしながら、照れを浮かべながら、“良い事”をした気持ちの良さに熱されながら、彼等は救い続けただけなのだ。

 

 彼等は何故それぞれに崇められているのだろう。複数人いたとしても、教義がわかれる理由にはならない。ただただ偉大なる神として、一括りに崇められるべきが自然な流れだろう――ならば何故か。

 

 それは――それは性癖の不一致であった。性格の不一致ではなく、性癖の不一致。しかし本能に根差すそれは、互いに譲り合いの余地を狭めてしまう程に大事なものだ。火の神、水の神、土の神、風の神、光の神、闇の神を信仰する法国民は互いに尊重し合い、認め合う。しかしそれぞれに不文律があった。

 

 かの神は一夫多妻(ハーレム)を認めない。かの神は一妻多夫(逆ハー)を認めない。かの神は同性愛(ホモォ)を認めない。かの神は少女愛好(ロリコン)を認めない。かの神は、かの神は――と、許される性癖が違うのだ。

 

 建国の際、法の整備は光の神に一任された。六人の中で唯一高等な教育を受けた者であり、オタク特有の無駄な雑学に詳しい彼女は、糞ギルドと名高い『2ch連合』とのレスバトルで負けないために法律にも明るかった。しかし“法”とはけして一人で創っていいものではなかったのだ。

 

 総務大臣、法務大臣、外務大臣、文部科学大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣、エロマンガ担当大臣を兼務する彼女は、忙しさか――あるいは権力に酔いしれたのか、次第に『自分を基準にして』規律を強要し始めた。

 

――光の神曰く、おねショタは純愛しか認めない。なおショタが仲間を連れてきた場合は厳罰に処す。

 

――光の神曰く、男どうしの姦通は認めない。なおヤオイ穴などという掻い潜りを行った場合は厳罰に処す。

 

――光の神曰く、女どうしの貝合わせは認めない。なおソフト百合は素晴らしいのでもっとやるように。

 

――光の神曰く、女の子が酷い目にあいすぎると抜けないので認めない。なおキメセクとシャブセは厳罰に処す。

 

 他の神は抗った。しかし鉄壁の理論武装を持つ彼女に舌戦で敵う筈もなく、法国はニッチな性癖を許されない絶望の都になりかけた。

 

 そこに一石を投じたのが火の神だ。

 

 意識してのことではない。ただ最近横暴が過ぎる光の神に対し、少しばかり嫌味を言っただけだ。趣味の書物を読み耽る彼女の背後に立ち、内容を確認して顔を顰める火の神。そこには『謎の存在によって男性からTSした少女』が、徐々に幼馴染の男性に惹かれ、最後には致してしまうというストーリーが描きなぞられていた。それはお前が決めた規律に違反しているだろうと、火の神はぼそりと呟いた。

 

『TSしたとはいえ元が男なんだから――結局のところホモでは?』

 

 キレた光の神と火の神の戦いは三日三晩続いた。禁句を口にした者に対する憤りを行動に移した光の神。日頃の鬱憤が溜まっていた火の神。両者の争いはアベリオン丘陵の一部を平らにし、地形を変えた。この聖戦で出来た土地に興った国こそ、ローブル聖王国である。

 

 この戦いによって派閥が分かれ、信者も分かれた。とはいえひとまず仲直りには至り、火の神を信仰する信者は男性どうしの姦淫が許されたのだ。

 

 それから数ヶ月――再び争いがおこった。今度は水の神が自らの性癖を我慢しきれず、その上、規範であるべき光の神が規律ギリギリの書物を読み耽っていたのだ。この戦いも嫌味という名の皮肉から始まったのは想像に難くない。そう、女どうしのネチョはアウトだと言った光の神が読んでいたのは――“生えている女性どうしの姦淫”であった。最近の横暴に我慢しきれなかった水の神は、ぼそりと呟いた。

 

『竿が二つあるんだから――とどのつまりホモでは?』

 

 キレた光の神と水の神の戦いは三日三晩続いた。禁句を口にした者に対する憤りを行動に移した光の神。日頃の鬱憤が溜まっていた水の神。両者の争いはトブの大森林の一部を湿地に変え、湖を創造した。この聖戦で出来た場所へ、後に蜥蜴人が移り住んでくるのは余談である。

 

 更に土の神、風の神と都合二つの戦いを経て、法国の信仰は六つに分かたれた。ちなみに最後まで中立を貫いた闇の神――スルシャーナを信仰する人々は、まさに“まとも”な人々である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒聖典とは法国の暗部だ。とはいっても彼等の日常が血に染まった恐ろしいものであるかといえば、まったくそんなことはない。基本的には戦いと無縁の、善良な一市民として日々を過ごす。有事の際には迅速に駆けつけるため、急な休みに理解のある職場――あるいは自営業で生計を立てている者がほとんどである。結婚している隊員も一定数在籍しており、そして闇の神スルシャーナを崇める彼等は貞操観念が強い。

 

 豪華な客室でふかふかのベッドに包まれている“時間乱流”も多分に漏れず、結婚はしていないものの身持ちは固かった。もう二十も近い年頃だというのに、幼い顔つきや低い身長のせいか良い人は見つからない。しかし人類の為に働いているのだから、そんなものは二の次だ――という言い訳で己を慰めているのが彼女だ。

 

 そんな“時間乱流”であったが、今夜はどうにも寝つきが悪い。エステのせいか、あるいは慣れない環境のせいか、体が妙に火照り、寝付けない。

 

「(薬を盛られた……なんてことはない筈。“占星千里”も“天上天下”も何も言っていなかった。メニューも食べたことがないものばかりだったけど、変なものはなかったし……なんだっけ、ウナギにスッポン……とろろ? とかガラナチョコとか……美味しかったな)」

 

 夕方ごろのエステは彼女にとって少しばかり恥ずかしかったものの、体の中の悪いものが全て抜けきったような満足感を得られた。あらゆる贅を尽くして持て成されたが、彼女にとって――神官長や漆黒聖典にとって本当に重要なところはそこではなかった。贅を尽くされたことが信用に足りたのではなく、礼を尽くされたことが信頼に足りたのだ。

 

 信頼されたいのなら、まずは相手を信用すること。それを地で行くモモンガに彼等は(ほだ)された。もちろん彼等が崇める闇の神に似ているというのもプラスに働いた。元々が悪魔やアンデッド達の王ということでマイナスのイメージを持っていただけに、そのギャップ差は好印象を助長させたのだ。

 

 だからこそ“時間乱流”は何かされたと疑ってはいないのだが――体の(うず)きは治まらない。なんとなく太腿を擦り合わせ、切なさに身を震わせる。ああ、これはいけない。これはまずいと彼女は遂に立ち上がり、水でも飲もうと灯りをつける。

 

「…あれ?」

 

 しかし部屋に備え付けられていた筈の『無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)』が見当たらない。いつの間にか回収されたのだろうかと訝しむが、そんなタイミングは無かったと首をかしげる“時間乱流”。そして飲み物が無い事実を認識してしまうと、余計に喉が渇いた。仕方なしに一円シールが貼られた猫型スリッパを履き、扉を開けて食堂の方へ向かう。

 

 諜報活動ととられてしまうだろうかという考えが一瞬だけ頭を過るが、今更だろうと首を振る。これほど明け透けに、なにも隠し立てすることなく持て成されたのだ。深夜に廊下を歩いていた程度で咎められることなどないだろうと、ぼんやりとした明るさの中でパタパタと足音を隠さず歩き続ける。程なくして食堂の扉――これもまたとんでもなく豪華だ――の前に辿り着き、中へ足を踏み入れる。

 

「…あ」

「――むぐっ!? も、申し訳ございません! お見苦しいところを…!」

 

 そこには山盛りのスパゲティを口に運ぶ一般メイド――インクリメントの姿があった。隣の椅子には本が置かれ、食事と娯楽を楽しんでいたことがうかがえる。大事な招待客の姿を認めるや否や、彼女は慌てて口元を拭って立ち上がった。部屋を案内された時の落ち着いた雰囲気を覚えていた“時間乱流”は、インクリメントが取り乱す姿を見てくすりと微笑んだ。人間に見えるが異形種(ホムンクルス)であると説明されてはいたものの、この状態を見て彼女に敵意を持てる存在などいないだろうと、小さい手でくつくつとお腹を抱えた。

 

「気にしなくていい。お水をもらえる?」

「は、はい……かしこまりました」

 

 グラスに水を注ぐインクリメントを見て、“時間乱流”は()()と溜息をついた。それは呆れや嘲りなどではなく、美貌への称賛だ。この墳墓の女性は誰も彼もが美しく、芸術品のように整っている。創られたというからには元からそうであったのだろうし、ようは彼女の創造主が面食いだっただけのこととは理解しつつも、感動を覚えずにはいられない。嫉妬するには、彼女達は美しすぎた。

 

 冷たくも美味しい水を飲み干し、インクリメントに礼を言う“時間乱流”。普段の彼女ならばそのまま部屋に帰り、ベッドに潜り込むだけだっただろう。しかし今日は――この夜だけは、この時だけは違った。体が火照る。熱を持っている。毅然としているように見えて――少し恥ずかしそうにしている、少しバツが悪そうにしている、傾城傾国の美しいメイドが目の前にいた。

 

寝ずの番(おしごと)なのに……インクリメントは悪い娘」

「あ、あう…」

「バツとして――その本を読み聞かせてほしい」

「え?」

「目が冴えて眠れないの。それ……六大神様が使っていた文字に似てる。覚えたいから、読み聞かせをしてほしい……ダメ?」

「わ、私でよろしければ喜んで!」

 

 完全に眠気が消えてしまった彼女は、インクリメントが読んでいた本を見て表紙の文字に見覚えがあることに気付いた。それはかつて六大神が使用していた文字と似通っており、知的好奇心から興味を抱いたのだ。子供のように読み聞かせをねだるのはどうかと思ったが、知らぬ言語、文字を覚えるのには適した方法だろう。

 

 食べかけの料理を片付けた後、二人連れだって客室へと戻る。ベッドの端に腰を下ろして、夜の鑑賞会が始まった。体を密着させ、本を開くインクリメント。その顔は――“上手くいった”という笑顔に満ち溢れていた。獲物の体温の上昇を確認し、(ほう)けた様に頬が朱に染まっている“時間乱流”の腰にそっと手を回す。

 

 “時間乱流”はもっと深く考えるべきだったのだろう。水差しが消えた理由を。体が火照っている理由を。完璧なメイドたるインクリメントがそう簡単に失態を犯すだろうかと。本当に寝ずの番だというのなら、誘いに乗るわけがないということを。

 

 ――本のタイトルは『メイド達のご奉仕』。ホワイトブリムの愛書の一つであり、メイド達の聖書でもある。ビクリと体を震わせ、熱い吐息を零す“時間乱流”の体温を感じながら――インクリメントは『他の娘達も上手くやってるかしら』と、首元のリボンをするりと外した。





「ワイらレベル1やから無理やり事には及べんなぁ……せや!」

というお話。


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十話

時系列はバラバラです。


 国というものは人と同じだ。頭が指示を出し、手足が動く。末端よりも頭脳が大事という部分も似通っている。腕が朽ちたとしても、頭があればとりあえずは生きていけるというのもそうだ。しかし四肢の全てが無くなれば動くこともままならず、故に人は体のどの部位であっても大事にするのだ。

 

 つまり頭が手足を大事にしなくなった時点で、国は人でなくなる。翻って、リ・エスティーゼ王国という国家はどうだろう。手足を大事にしているかどうかを考えた時、この国はもはやそれどころの話ではない。頭は支離滅裂に意志を分裂させ、体のあらゆる部分を他人に――他国に売り渡しさえしている。歪な八本指は自らの体をところどころ腐らせ、もはや王国は頭と指だけが不自然に肥えた奇形であった。死の気配は着実に近付いており、頭の一部がそれに気付いていてもどうしようもない状態だ。

 

 悪い部分を切り離して治療すると、骨しか残らなかった――そんな冗談が現実に起こり得そうな国がリ・エスティーゼ王国だ。そんな国をどうすれば救えるのだろうかと考えた時、必要なものは“常軌を逸する何か”だ。“常識を超えた何か”だ。

 

 ナザリック地下大墳墓という勢力は、もちろんそれに含まれる。しかし既に悪を標榜していない彼等にとって、王国をどうにかするというのは“侵略”に等しい。どれだけ正義をなそうとも、民を救おうとしても、国民にとってそれは『アンデッドに支配される』という恐怖を伴うのだ。

 

 人というのは、大部分が“停滞”を望む。今なんとかなっているのならば、革新的な何かは必要がないと拒否反応を示す。間違いではないだろう。今以上を望んだ時――つまり分不相応を望んだ時、身を持ち崩す話は枚挙に暇がない。人はそれが分相応なのか、それとも分不相応なのか判断することが難しい生き物だ。

 

 過信と自信、謙虚と卑屈はいつだって揺蕩(たゆた)っている。だから現状維持を望むのだ。少なくとも王家という頭に従っておく方が、異形の恐ろしい怪物共に支配されるよりはマシだろうと。

 

 ――故に。王国の荒療治に必要なものといえば“埒外の武力”、“逸脱した知力”、“正当なる支配者の血筋”であった。膿を切り落とし、体を正常化させるには圧倒的な武力が必要だ。そしてそれを滞りなく成し遂げるには、順序良く被害少なく、恙無く終えるには化け物染みた知力が必要だ。

 

 民がそれを容認するには、“正当性”と“血筋”と――“信頼”が必要だ。それを全て兼ね備えている者が王国にいるかといえば、間違いなく否である。しかしナザリック地下大墳墓が、モモンガという支配者が武力を貸し与えるという条件付きでならば、たった一人だけ存在する。

 

『ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ』。その人物は人間の範疇を超えた“智慧”を持ち、王家の“正当”な“血筋”を持ち、そしてこれまでの政策によって国民に人気がある“信頼”厚き王女であった。彼女に権力と、そして有無を言わさぬ武力さえあれば王国は一代で立て直すことさえ可能であっただろう。帝国が三世代をかけて持ち直した事実を鑑みれば、彼女の異常性がよくわかる。

 

 デミウルゴスもアルベドも、そしてパンドラズ・アクターも。彼等は口を揃えてこう言った。『彼女に武力を与えればそれで事は済むでしょう』と。その言葉に頷いた死の支配者は、交渉をデミウルゴスに任せた。

 

 邂逅は月が綺麗に輝く夜のこと。閉めた筈の窓からふわりと風が舞い込み、王女は瞼を開いた。魔法的にも、そしてそれによらない物理的な警護もあって侵入者などまずありえない。けれど、悪魔は確かにそこにいたのだ。

 

――貴方はだぁれ? 何故……(わたくし)のランジェリーボックスを漁っているのですか?

 

――これは失礼……いえ、これも哀れな民を救うために必要なこと。深くは詮索なさらぬよう。

 

――えぇ…?

 

 普段心を乱すことなど全くといっていい程にない彼女をして、悪魔の行動は意味不明であった。その混乱を無視して純白、縞々(しましま)、穴あき等のいくつかをポケットに収めた悪魔は、王女に向けて無造作に紙の束を渡した。それは王女が常々気にかけていた――本心は別として――犯罪組織の“全て”がつまびらかに記されていた。

 

 捲っていくにつれてそれは内容が変化し、途中からは“不要”な貴族の排除と円滑な“即位”の絵図が描かれている。最後には助力の内容――かなりの貴族や役人が消えることによっての負担、その補填の詳細。それを行うにあたって貸し出す戦力の概要。

 

 全てを読み終えた王女は、にこりと微笑んで悪魔に視線を向けた。王位簒奪の計画だけならば荒唐無稽と切って捨てただろう。しかし八本指に関する詳細はもはや“調査”ではなく“掌握”を意味しており、王国に巣食う恐ろしい犯罪組織を数日――あるいは一晩で()()()()したことを証明していた。

 

 この犯罪組織というのは、冗談のような話ではあるが、王国の武力を数値化した際に一割近い数字を担う。それを誰にも知られず掌握したというならば、()()()()()()なのだろうと王女は理解したのだ。なにより彼等は自分を理解してくれている。自分の“ささやか”な願いを叶えてくれる――いや、その手助けをしてくれる。どのみち裏があろうがなかろうが、王手(チェック)はかけられた。拒否できるような状況でもないのだから、存分に利用させてもらおうと彼女は頷いたのだ。

 

――委細承知致しました。御助力よろしくお願いいたします。

 

――こちらこそ。

 

 満月に照らされて、三日月のように口元を歪め嗤う二人。

 

 契約がなった悪魔は宝石の様な目を光らせてボードゲームを取り出す。それは孤独な王女を癒す治療具。己以外の全てが不知者であり無知者であった、彼女の疎外感を埋める道具。人生において初めて、対等な知能を有する存在を認識させるためのお遊び。

 

 その意味をすぐに理解した王女は、嗤いをおさめ、そして笑った。日常的に演技をしていた瞳からは穏やかさが消え、次の瞬間どろどろと濁ったような光を灯し――更にもう一度変化した。それはきっと誰も見た事が無い、彼女の“興味”の眼。

 

 その日、悪魔と王女は朝まで遊びに興じた。両者とも一進一退の攻防を繰り返し、そして幾度もの勝ちと負けを奪い合った。しかし最後の勝利を奪ったのは……最後の一線を守り通したのは王女の方であった。朝陽が昇るころ、パンツ一丁のラナーと全裸のデミウルゴスは固い握手を交わし、にこやかに笑い合っていた。

 

 ――これが後にナザリック勢とラナーの間で何度も繰り返される“脱衣チェス”の始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周辺諸国である程度安定している国といえば――筆頭はやはりスレイン法国だろう。管理の行き届いた法に戸籍、亜人や異形種と争ってはいるものの一般市民においてはこれ以上ないほど安全な地だ。次いでバハルス帝国が挙げられるだろう。鮮血帝によって国民が豊かさを取り戻し、鍛えられた職業軍人達が国を護る理想的ともいえる国だ。

 

 逆に滅亡の一途をたどっているのは、リ・エスティーゼ王国と竜王国の二つだ。こちらは大国ではあるが、その内情はといえば数ある小国群よりも悲惨であった。前者は自滅、後者はビーストマンによる侵略という形ではあるが、死に体ということに変わりはないだろう。

 

 そして丁度その中間がローブル聖王国といったところだろうか。アベリオン丘陵の亜人や異形種と敵対してはいるものの、竜王国ほどに瀕してはいない。国の指導者、聖王女たる『カルカ・ベサーレス』は信仰系の魔法詠唱者として非常に優秀ではあるが、王としては今一と言わざるを得ない。その清廉さは人として美しくはあるのだろうが、王としての資質という点では足を引っ張っているのだろう。

 

 即位してから今日(こんにち)まで、国の南部と北部が未だに対立しているのがその証明だ。しかしそれを差し引いても彼女の実力、そして彼女を慕う二人の姉妹の優秀さは王としての資質の低さを補って余りある。少なくとも彼女の代で聖王国がどうこうなるといった事態にはならないだろう。

 

 ――そんな平和を謳歌しているこの国に、その首都に、強大なアンデッドが突如として現れた。人ならざる美貌を有し、真紅の瞳と口元の牙を携えた吸血鬼……言わずと知れた『シャルティア・ブラッドフォールン』であった。

 

 彼女は堂々と、憶することなく、問題などなにもないと言わんばかりに街への入り口に現れた。いつものドレス姿で、しかし日傘は差していない。ふわりと優しく微笑んで、衛兵の制止の声も聞かずに足を踏み入れた。

 

「ふん、ふん、ふん……中々活気がありんす」

「おおぉぉぉ!!」

「はあぁぁぁ!!」

「《善の波動/ホーリーオーラ》!」

「《衝撃波/ショックウェーブ》!」

「他の国より女騎士の比率が多くありんす……この国の王は良くわかっていんす」

 

 たとえ世紀のアイドルであっても、ここまで人に囲まれることはないだろう。シャルティアを追うように、阻むように、周囲を囲んで攻撃を放つ聖騎士達。とはいえ一度に攻撃できるのは物理的に四人――多くとも六人が限界だろう。小さなシャルティアの体に剣が、槍が、魔法が雨あられと降りかかるが、しかし彼女には傷一つ付いていない。八十近いレベル差があれば当然の結果である。

 

「なん――なんだよぉ!? 俺は何と戦ってるんだ!? なぁ!」

「えと、真祖の吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールンでありんす」

「あ、ご丁寧にどうも――じゃねぇよ!」

「なんで魔法が効かないの!? 無効化ってありえないでしょ!?」

「えと、魔法は実力差がありすぎると無効化されんしょう…?」

「あ、確かに――じゃなくて!」

「くそがっ…! いったい吸血鬼が! なんの用だあぁぁぁ!!」

「聖王女様に会いたいんでありんすが…」

「あ、そっすか……じゃあ謁見の手続きを――できる訳ねえだろうが!」

「聖騎士って愉快な人達でありんす」

 

 たとえエルダーリッチであろうとも数百回は滅んでいるであろう攻撃の嵐に、しかし衣服のほつれすらなく佇むシャルティア。その間にも続々と援軍が到着するが、しかし死者や負傷者が出ないせいで後詰めの意味が無い。普通の人間であれば、ここまで密集してしまうと死者が出かねない。転倒などしてしまえば重傷は免れないだろうが、しかしなんといっても鍛えられた兵士や聖騎士だ。その程度では怪我も負わず、ただただ人の数が増えていくのみだ。

 

「いだっ――ちょっと、どこ見て攻撃してるのよ!」

「わ、悪い!」

「…ん、血が出ていんす。じっとしていなんし……はい、治ったでありんす」

「え? ひゃ、ひゃい……ど、どうも」

「…なんなんだ、こいつはよぉ…!」

 

 得体のしれない怪物――と思いきや、同士討ちをした馬鹿の傷をポーションで治す吸血鬼。彼等の知るアンデッドとは行動も強さも似つかない。どれだけ攻撃しようともまったく意味が無いこの状況に、次第に場は落ち着いていく。あちらは傷付かず、しかしこちらを傷つけず、千日手とはこのことだろう。なにより吸血鬼とはいえ絶世の美少女が、攻撃を受ける度に悲しそうな顔で下手人を見つめるのだ。いくら聖騎士といえども、罪悪感を刺激されるには充分である。

 

 しかしそんな状況にようやく変化が訪れた。人の波を割ってシャルティアのもとへ辿り着いたのは、この国最強の三人――聖王女『カルカ・ベサーレス』、聖騎士団団長『レメディオス・カストディオ』、神官団団長『ケラルト・カストディオ』であった。後者二人はともかく、王たるカルカが前線に出張ることなど有り得ない……というより有り得てはいけないというべきだろう。しかしそれをするからこそ彼女は国民に好かれ、同時に王の資質が低いのだ。とはいってもこの状況――強大なアンデッドが現れたというならば、その行動は間違いとも言い切れない。王でありながら、カルカは神官としても優秀に過ぎるのだ。それこそ戦力の要とも言い切れる程に。

 

「あら、お目当てが出てきんした……こほん、わらわはシャルティア・ブラッドフォールン……強くて優しくてエッチで――そいで可憐な吸血鬼でありんす」

「はっ、不浄なアンデッドが! はあぁぁぁ!!」

「…くふ、どうぞよしなに」

「な――っ! こ、このっ…!」

 

 勢いのまま、額から股まで一刀両断にしようと聖剣を振り下ろしたレメディオス。しかし当ては外れ、額に刃先をつけたままシャルティアは自己紹介を続けた。食い込んですらいない、血の一滴も流れない異様さ。正真正銘の化け物を目にした彼女は、しかし戦意を衰えさせず攻撃を続けた。

 

 

「…有り得ない。姉様の斬撃が……効いてない?」

「これならどうだ! “聖撃”!」

「んっ……ちょっとチクっとしたでありんす」

「っな、馬鹿、な…」

「引いて、レメディオス」

「っ、カルカ様、しかし」

「彼女に攻撃の意志はないようです……まずは話を聞きましょう」

 

 配下が止める暇もなく突進していったせいで、対話を求めているという吸血鬼が傷ついてしまった――と後悔したカルカであったが、無傷のシャルティアを見てほっと安堵の息を漏らす。アンデッドにすら優しさを見せるのは神官として問題かもしれないが、しかし美徳でもあるのだろう。

 

「『カルカ・ベサーレス』と申します。シャルティア様……でよろしかったかしら」

「あい。様はいりんせん。敬語も」

「…ここにはどのような理由でいらっしゃったのかしら」

「――挨拶」

「…?」

「だから、挨拶でありんす」

「それは……ご丁寧にどうも…?」

「では、口上を述べんしょう。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が拠点、ナザリック地下大墳墓の階層守護者シャルティア・ブラッドフォールンが告げる」

「…っ!」

 

 柔らかく微笑んでいたシャルティアは一転、真面目な表情で声を張り上げる。圧倒的強者のオーラが畏怖となって周囲を包んだ。そして優雅に歩を進め、彼女はカルカの目の前に立った。姉妹が寄り添うように、護るように横に侍るがまるで気にせず目的を告げた。

 

「――お友達になりんしょう?」

「…へ?」

 

 数百人がひしめき合うこの場で、しかし静寂を切り裂いたように声が響いた。まるで子供のような無邪気さで、友達になってほしいと告げるシャルティア。その言葉を聞いて皿のように目を丸くするカルカ。聞き間違いかと思いもう一度問いかけようとするが、その前にレメディオスが激高したかのように叫んだ。

 

「――ふざけるな! 吸血鬼ふぜいがカルカ様と友だと? 腹で茶が沸くわ!」

「姉様、それを言うならヘソで茶が沸くよ」

「ヘソで茶が沸くわ!」

「ヘソでお茶が? 本当でありんすの?」

「…む! ケラルト、どうなんだ!」

「沸かないと思うわ」

「そうだ! ヘソで茶など沸く訳がない!」

「なら吸血鬼が友となるのもありえんしょう?」

「…む! ケラルト、どうなんだ!」

「えぇ…?」

 

 レメディオスとシャルティア、双方ともに知能に難はあるものの、若干ながら後者に軍配が上がったようだ。そして真っすぐに見つめてくるシャルティアに対し、カルカはしっかりと見つめ返して答える。

 

「…何故私にそれを?」

「えーと……この国のイシキカイカク? のためでありんす。先日わらわ達は法国と同盟を結びんしたの。『人間に敵対的ではない亜人、異形種が国境と人種を越えて友誼を交わす』ための世界作りの一歩……でありんしたか。難しいことはよくわかりんせんが、みんな仲良くするのは良いことでありんしょう?」

「――法国が? それは……俄かには信じられませんが……それに、ギルド…? なんのギルドなのでしょうか」

「別に隠していんせん。調べればすぐにわかりんす」

「…」

 

 シャルティアが言ったことは、カルカにとっても理想だ。『みんな仲良く』がどれだけ素晴らしく、しかし難しいことか。人間同士ですら諍いが絶えないというのに亜人、ましてや異形種だ。どう返答したものかと俯く彼女に、シャルティアが優しく微笑む。

 

「友人関係など最初は打算含みでいいんでありんすよ。モモンガ様は言いんした。信頼されたいのならばまずは礼を尽くせと……だからわらわはこの仕事を任された時に考えんしたの。聖王女様が一番喜んでくれるのはどんなことだろう、と」

「は、はぁ…」

「それは英知溢れるモモンガ様が、わらわにこの仕事を与えてくださった意味を考えれば自明の理でありんした」

「…?」

「《ゲート/異界門》」

「な…!」

 

 シャルティアが魔法を唱え、黒い靄から宝石の如き美貌を持つメイド達が三人、姿を現した。『ルプスレギナ・ベータ』『ソリュシャン・イプシロン』『ナーベラル・ガンマ』の三人だ。その列にシャルティア自身も加わり、揃って恭しく片膝をついた。

 

 聖騎士達の視線が集中する。いったい何事かと――そしてあれ程に強大なアンデッドであっても、聖王女の威光には頭を垂れるのかと。一言一句聞き漏らすまいと、ざわめきが一気に鳴りを潜めた。そして……透き通るような声が、響き渡った。

 

「英雄が色を好むのは当然でありんすぇ。それがたとえ――女同士の交わりであっても。さ、わらわ達の体……どうぞ堪能しつくしてくんなまし」

「私はノーマルですうぅぅぅ!!」

 

 ニワトリを絞めた時の様な、悲痛な叫び声がこだました。聖騎士達の得心と、レメディオスの驚愕と、ケラルトの憐憫が聖王国の主を包む――そんな一日であった。




沢山の感想、評価等ありがとうございます。やる気が出ます。


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十一話

久々にゼロ魔を読み返して二次を書きたくなったけど、あらゆるものがやり尽されてる感。


あ、今回は真面目な話だからギャグないです。


 ナザリック地下大墳墓のNPC達――彼等はビッチである。しかし定められた設定としての悪性が無くなっているかといえば、実はそうでもない。善か悪かでわけるならばビッチだが、善なるビッチか悪のビッチであるかを問えば後者の方である。

 

 彼等は会話できる存在であれば、大抵は性欲の対象にできる寛容さを持ち合わせていた。しかしどうあっても良好な関係に持ち込めない相手に出くわした時、善と悪の違いが現れる。愛し愛されることができないならば――そして愛すべきものを害するのならば“殺す”のは仕方ない。そう判断を下せるのが悪のビッチである。

 

 竜王国を良好な狩場とするビーストマン。彼等に何度も相対し何度も説得を繰り返した守護者統括は、どうあっても友好的な関係を築けないことを理解した時点で悲し気に瞳を閉じた。

 

 力に重きを置くビーストマンならば、ナザリックという勢力が圧倒的な武力を持つと知れば従う可能性はあった。しかし彼等に『人を食うな』というのは、嗜好品の一切を取りやめろと言うに等しい。更に、竜王国を食糧庫としているということは『飢えて死ね』と強制しているようなものだ。

 

 狩るに面白い獲物、舌を満足させ、腹も満たせる手軽な存在。それがビーストマンにとっての人間であり、そして必要不可欠なものであった。彼等に恭順を促すのは、死より辛い生活を強いることと同義だ。故に守護者統括――アルベドは首を振りながら、目を細めて線引きを決めた。

 

 ()()()へ来る者に死を。去るならば追わず。()()()で飼育、家畜化させているモノについては問わない。それが彼女の決めた線だ。ビーストマンという存在は、カルマ値で表すとすれば上にも下にも振れていないフラット――大抵の者が中立である。人間にとっては悪であっても、彼等にとっては単に生活においての営みでしかないからだ。

 

 人間に敵対的な存在を一々滅ぼすことなどできる筈もない。故にどこかで必ず境界を引かなければならず、アルベドにとってはこれが()()であった。

 

 マーレ、アウラ、シャルティア。広域殲滅を可能とする者を集め、竜王国の国境を不可侵のものとした。それは完全なる神の所業であり、竜王国の人々の畏れ――そして崇拝を集めるのは必然であったのだろう。ダークエルフだろうが吸血鬼だろうが、それこそ悪魔であったとしても、救ってくれるのならばそれでいい。少なくとも明日ビーストマンの腹の中にいるよりはずっといい。それ程に竜王国というのは追い詰められていたのだ。

 

 持って三年。そこまでいけば国が消えるか()()()()()()の選択を迫られることに疑いの余地はないと、竜王国の上層部はそう考えていた。だからこそ、基本的に人間に敵対的な種族たる彼等を、ナザリックの守護者達を――救いをもたらした英雄達の凱旋を歓迎したのだ。

 

 スリットが入った純白のドレスを纏い、黒い翼と白い角を持つ、この世のものとは思えない美貌の女が先頭を歩く。続くはゴシックな装いに青白い肌、口元から牙を覗かせる深窓の令嬢。そして誇らしげな顔と不安げな顔が対照的な双子のダークエルフが殿を務める。

 

 既に誰もが知っている、救国の英雄が街を歩く。両手を前にして清楚に、周囲に笑いかけつつ優雅に、腕を振って元気に、それぞれが歩を進める。しかし国民の反応はおそるおそるといった風で――歓声などは見られない。手を合わせ祈りと感謝を捧げる者はちらほらと見受けられるが、やはり人間とは違う存在に戸惑っているのだろう。

 

 けれど彼等の歩みを止める者はいない。守護者達の足が王宮に向いていても、阻む者は誰一人としていない。それは戦力的な意味で止められる者などいないという現実的な理由でもあり、いまさら自分達に害意を向けないだろうという虚ろな信頼でもあったのだろう。

 

 まばらに列をなす国民達。そしてその先に――開けた場所に、彼女はいた。竜王国の女王であり、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の系譜たる王族『ドラウディロン・オーリウクルス』が不安そうに両手を組んで、そこにいた。女王という肩書に反し、その身は年若い――というよりも“幼い”。王に相応しい意匠の高貴なドレスに身を包み――しかしその丈は非常に短い。足のほとんどが見えているそれは、幼い体ながらもある種の妖艶さを感じさせていた。そんな、ともすればアウラやマーレよりも幼く見える少女が守護者達を待ち構えていたのだ。

 

 彼我の差が一メートルといったところで、アルベドは歩みを止めた。そして後ろに続いていた守護者達も同様に止まり、大勢の国民が見ている中、数瞬が過ぎる。見知らぬ者を迎えに女王がわざわざ足を運ぶなど、普段は有り得ない。だからこそ彼女の感謝の大きさがよくわかるというものだろう。そしてアルベドが口を開こうとしたその瞬間、女王が幼い体躯を折り曲げて頭を下げた。

 

「あ、あの! わがくにをすくってくれて……ありがとうなのじゃ!」

 

 ――瞬間、守護者達は鼻血を吹いて倒れた。二人は後頭部を殴られたように突っ伏し、二人は顔面を殴られたように後ろ向きに倒れた。ついでに女王の近くにいたアダマンタイト冒険者の一人も同じように倒れ、王都の中心は静寂に包まれるのであった。

 

 ちなみに『ドラウディロン・オーリウクルス』という女王に対する各国の評価は概ね一致している。帝国の皇帝曰く、“若作りのババア”である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、帝国は蜂の巣をつついたような大騒ぎに包まれていた。ひっきりなしに皇帝のもとにあがる情報は、晴天の霹靂という言葉ですら追いつかないほど有り得ざるものだ。それはかつて《伝言/メッセージ》によって滅んだ国のように、王国が情報戦という戦争を仕掛けてきているのかと錯覚するほどだ。

 

「ふん……どう思う?」

「さて、どうでしょうな。しかしあらゆる物理的手段、魔法的手段で確認しても『真実』であるという結果が残るのみ。ならば――」

「真実、か。しかしあの怪物王女、いったいどんな手を使ったんだ? 貴族を粛清する武力なんぞ持っていなかっただろうに。そもそも“即位”とはなんの冗談だ。父親はどうなった? 兄は? 遂に悪魔と契約でもしたのか? 戴冠式への招待状などと、戦争の時期が近いと理解しているのか――まぁ理解しているんだろうが。ならばどういう意図があるかだが……まったく、ますますもって気味の悪い…」

 

 執務室でバハルス帝国皇帝『ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス』がぶつぶつと愚痴を零す。傍で肩を竦めてそれを聞き流しているのは、主席宮廷魔術師である『フールーダ・パラダイン』。どちらも帝国における柱とでもいうような人物であり、それ故に先日から入ってくる王国の情報の波に辟易としていた。

 

「失礼致します!」

「…今度はなんだ?」

「は、こちらをご覧ください」

「…税率の引き下げに関税の撤廃だと? 新しい政策を打ち出すのはともかく、なんだこれは? 残った貴族共が納得する訳が――いやまて、まさか」

「王国全土が“王都直轄領”となっております。貴族位の撤廃、そしてゆくゆくは民間からの官位選出も視野に入れているとのことです。農地改革……法整備、犯罪組織の撲滅、あらゆる改革を同時に進めているように思えます」

「――有り得ん。血を流さずしてこのような大規模な改革……貴族(ゴミ)とその私兵はどこに消えた? そもそも腐った貴族共といえど、領地を治めるための能力が無いという訳ではない。管理能力を持った者が()()()()()わけでなし、今あの王女は王国をどうやって管理している? 俺が粛清をした際、どれだけ文官の不足に悩まされたと思っているんだ! 王国は今どれだけ混乱している!?」

「そ、それが…」

 

 王国の現状。それはまさに変革の真っただ中で――しかし国民からは不満の声が全く上がらず、暴動どころか争いの兆しすら見えていない。税率は一気に引き下げられ、関税はゼロになったのだから当然ともいえるだろう。商人の動きが活発化し、国民の財布の紐も緩み始めている。なにより貴族の横暴というものが消滅し、蔓延する理不尽は見る影もない。人間というのは自分にデメリットがなく、メリットを享受できるのならば些細な変化など二の次になる。

 

 元々が人気ある第三王女だ。それが王となり、生活が豊かになるのならば否定の声などあがろう筈もない。貴族領を新たに管理する者は()()()()()()()とでもいうように貯めこんだ財貨などを放出しており、どの地域においても特需に沸いている状態だ。王国全土に富が遍在し始めているといってもいいだろう。

 

 異常といえるのはこれが全て同時に行われている点だ。魔法があるとはいえ、情報の伝達速度は非常に遅い世界だ。それが魔法後進国である王国ならば尚更だろう。だというのにまるで各地で情報が共有されているかのようにスムーズに事が行われ、混乱なく改革が進んでいる。ジルクニフからすれば不気味などという言葉を超えた、恐怖に近い感覚を覚えるほどだ。

 

「法国が王女を全面的に支援したか…? いや、それでもこれ程のことを成せるとは思えん。人知を超えた何かが動いているという方がまだしっくりくるな」

「まさに! その通りで御座います!」

「――っ!? なっ…!」

「何者――げぶぅ!? な、は……じゅ、じゅう位階…? か、はっ…!」

 

 報告を終えた部下が部屋を後にし、またも増えた書類に頭を抱えていたジルクニフ。そして彼に不憫そうな目を向けて部屋を後にしようとしたフールーダは、唐突に姿を現した“山羊頭の異形”に目を剥いた。その姿ではなく、その魔力を見てだ。魔力量を可視化し、使用できる位階を推測できるフールーダからすれば、侵入者の位階は前人未到の位階――十位階に到達していることを確信させられた。

 

 そしてそんな彼の姿と零れた呟きを耳にして、ジルクニフは逆に冷静になった。十位階を使用できる化け物となれば――つまりフールーダをしてどうしようもない怪物が現れたとなれば、自分に打てる手は“交渉”をおいて他にない。帝国という武力が通じないのならば、己の知力を頼るのは彼にとって当然といえた。称えるべきはジルクニフの胆力、そして頭の回転の速さだろう。

 

 ものの数秒で状況を理解した。十位階の魔法を使用する――正しく埒外の武力だ。つまり王国の変革に間違いなく絡んでいる。何故ここにいるかはともかく、今自分が死んでいないということは話し合う余地がある……というより話し合うためにきた可能性の方が高いだろう。驚愕を飲み込んで、それだけの思考を瞬時にしてみせたのだ。

 

「さて、どちら様かな? 謁見の予定は聞いていないが」

「これは失礼を! (わたくし)はギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が拠点、ナザリック地下大墳墓の宝物殿領域守護者――ドッペルゲンガーの『パンドラズ・アクター』と申します! 以後お見知りおきを」

「――!」

 

 名乗りと共に山羊頭の異形の姿がぐにゃりと変化する。陶器の様な顔に三つの丸い穴、歪な手。全体的に細長い印象を抱かせ、そして次の瞬間には軍服を纏っていた。同時に強い魔力の波動が掻き消え、フールーダが呆けた様に口を空けた。

 

「…本来の姿ではない訪問は失礼かとも思いましたが、この方が状況を理解し易いかと考えました――申し訳ありません」

「いや、確かにそうだろうな。フールーダの反応がなによりの指針になったのは確かだ……謝罪の必要はないとも」

「有難く」

「しかしドッペルゲンガー……か。なにぶん別の種族には詳しくなくてね。よければどういったものか教えてくれないか?」

「平たく申し上げますと『他人の姿と能力を真似る異形種』で御座います! もちろん真似られる数と精度は個体によって大きく隔たりがありますが」

「そ、そうか…」

 

 じわりと汗をかきながら頷くジルクニフ。目の前の異形の言葉が本当であれば、この後に最悪の展開が待っていることが予想されたからだ。すなわち皇帝への成り代わり。周辺諸国とは違い、帝国は皇帝に権力が一極集中しているのだ。自分を意のままに操ることができるならば、それは帝国を乗っ取ったも同じだろう。そしてドッペルゲンガーという種族は姿と能力を真似ることができるのだから――ジルクニフの背中から冷や汗が流れ落ちる。

 

「――何か勘違いをされているご様子。どうか落ち着…」

「パンドラズ・アクター様!」

「…? 如何なさいましたか、フールーダ・パラダイン殿」

「私を! 私めを弟子にしていただきたいのです! どうか、どうか! 魔導の深淵のその先を――知りたいのです! そのためならば全てを捧げる覚悟があります!」

 

 狂態を晒す老人に少し驚くパンドラズ・アクター。魔導の探求に多大な興味を示していると前情報により把握はしていたが、まさかこれほどとは、と。さっさと回答を示さねば、足元に這いつくばって靴を舐めるような勢いだ。

 

「…ふむ。であれば、私よりも適任の方がナザリック地下大墳墓には幾人かいます。弟子入りの件を伝えることはお約束致しますので、皇帝陛下とのお話を優先させていただいてもよろしいでしょうか」

「――は……な、何人も…?」

「ええ。ナザリック最強の魔法詠唱者たるウルベルト様の御姿を取れるとはいえ――私のそれは所詮真似事にすぎません。精々八割……ウルベルト様やたっち・みー様に至ってはそれ以下の実力しか発揮できませんので」

「はは……は……ははは! なんと! なんと素晴らしい! 神の如き位階の使い手が幾人も! ふはははは!」

 

 狂ったように笑うフールーダを見て少しばかり引いたパンドラズ・アクターであったが、本来の目的を思い出してジルクニフの方へ向き直る。そこには理知的な瞳を取り戻して、交渉に臨もうとする皇帝の姿があった。優秀な人間だ、と内心で感心しながら彼は口を開いた。

 

「失礼致しました。本題に入らせていただいても?」

「ああ、頼む。こちらこそフールーダが失礼をした……魔法のこととなると見境がなくなることがあってな」

「では! まずは我々の組織の規模と理念から――」

 

 王国にはデミウルゴスが。竜王国にはアルベドが。そして帝国にはパンドラズ・アクターが。三者三様、やり方は異なれど変化を促していく。それは主が望む『世界の変容』でもあり、自分達が望む『国家の変態』でもある。

 

 六人の神達とは違う。八人の王達とは違う。彼等は彼等なりのやり方で、共にこの世界と歩んでいくと決めたのだ。足元から聞こえるペロペロという音を無視しつつ、パンドラズ・アクターは噓偽りなく――そして友と接するかのように、皇帝と言葉を交わすのであった。




『変態の国家』じゃないからね。間違えないように。


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最終話

賛否両論あるとは思いますが、何回か書き直してこれ以上のものにはなりませんでした。遅くなって申し訳ありません。

物語の最後によくある(特に学園もの)モブ視点系ラストっぽくなったかな…? メタ的にいうと『驚き役』と『説明され役』ですね。

それではどうぞー。



 ――時は移ろい、季節は巡る。命限られる者は世代を変え種を遺し、永きを生きる者がそれを芽吹かせる。彼等は箱庭の中の繁栄を、それでも全力で謳歌し続ける。十年が経ち、二十年が経ち、五十年が過ぎ――そして()()()を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が吹き抜ける草原。吸い込まれそうな青空に、心地よい日差しが大地を照らしている。澄んだ水が流れる小川からは、せせらぎの音が絶え間ない。そんな自然溢れる空間であったが、なだらかな丘の近くには人工物が線を引いたように長く続いている。

 

 整備された路。馬車が横並びに数台は並べられる幅広さを持つそこに、一台の馬車がガタゴトと音を立てて進んでいた。馬車とはいうものの、本体を引いているのは金属製の光沢を持つ、ゴーレムか何かと思しき屈強な非生物だ。引かれている本体も見るからに堅固な外装であり、その気になればかなりの速度で進めるだろうことを確信させる。

 

「なぁ、もうちょっと速く進もうぜ? いい加減飽きちまったよ」

「ダーメ。依頼人様の希望だもの」

「速いのは嫌われる」

「遅いのも嫌われるけど」

「あ、あはは……すいません。あまり街の外に出ないもので、色々と珍しくて。それに早く着いてもお祭りは三日後ですし…」

「ばっかお前、それでも街は浮かれてんだぜ? 普段は身持ちの固い奴でも、この時期くらいは股の間を固くして待ってっかもしんねえじゃねえか」

「下品な上に寒い」

 

 草の香りを堪能し、流れる風景に目を輝かせている少女。そして彼女を依頼人と呼ぶ、四人の見目麗しい冒険者達を合わせた五人が、この馬車の搭乗者だ。魔剣を背に負い腕を組んでいる人物がリーダーなのだろう――流れる金髪が陽光を反射し、美貌を際立たせている。下品な冗句をゲラゲラと笑いながら繰り出しているのは戦士だろうか、しなやかで力強い筋肉がこれでもかと主張しているが――しかしそれでも美しさは損なわれていない。

 

 下ネタに対し同じく下品な突っ込みで返しているのは、忍者装束に身を包む黒髪の双子。怜悧な印象を抱かせる瞳をしているが、口角を上げると笑窪が顔を出し、柔らかな雰囲気を覗かせる。エルフの血を引いているのだろうか、耳の形が人間とは異なり、そしてその両目も左右で色が違う。

 

 四人の首元からは“ヒヒイロカネ”の冒険者プレートが見え、いずれも高位の冒険者だということが窺える。そのクラスとなると本来ならば商人の護衛など受けるような立場でもないが、行き先が同じであったため移動手段との相殺で依頼を請け負ったのだ。この時期になると移動魔法の需要はうなぎ登りになり、価格も非常に高くなる。そもそもそれを使用できる魔法詠唱者も数が限られ、まだまだ貴重な存在だ。倹約家を自称するリーダーからすれば無駄金もいいところだということで、目的地へ向けてのんびりと旅を楽しんでいるのだ。

 

「そういやリーダーよぉ、開拓の話どうすんだ? 受けんのか?」

「うーん……面白そうではあるのよね。まさしく冒険! って感じだし」

「“漆黒の剣”は受けるみたい」

「へえ? よくあの孫バカ爺さんが許したなオイ」

「ま、そこまで危険があるとも思えないものね。竜人の血を引いてるだけあって、凄く頑丈だものあの子」

「おまいう」

「ボスいう」

「う、うるさいわね!」

 

 (かしま)しくお喋りに興じるのは護衛としてよろしくはない――が、昔と違いそうそう何かが起こるわけではないというのも確かだ。魔物がいないなどということはないが、盗賊などは既に途絶えて久しい。犯罪者になるしか生きる道が無い、という国民などそうはいない。もし魔物などが襲ってきたとしても、屈強なゴーレムに轢き殺されるだけだ。気を抜いてだらだらとするのも仕方ないといえば仕方ないだろう。

 

 しかし、そんな一行の前に――正しくは上空に。“百年の揺り返し”が現れたのは、あるいは運命といったところなのかもしれない。悲鳴を上げながら高速で落下する男。双子の感知範囲に入った時点で察知され、各々が警戒態勢をとるが、そんなことは知った事かとでもいうように男はそのまま地面に激突した。

 

「…なんだありゃ」

「死んだ?」

「地面から下半身が生えてるわね」

「あ、動いた」

「み、皆さん……あの、まずは助けましょうよ」

「――っ! ぶはっ、なにこれ!? 運営コラァーー! 最後までクソみたいな仕事しやがって! なんか痛いんですけど! …ん? 土の味…? つーか匂いが………………はっ! もしや異世界転移というやつでは!? ということは近くにゴブリンとかに襲われている美女がいるはず!」

「(あ、やべぇ奴だ)」

「(関わらない方がいいかしら…?)」

「(装備パない。神器級?)」

「(ギルド関係者?)」

 

 五人の間に微妙な雰囲気が流れる。いつの時代も、どこの世界も、かかわってはいけない手合いというものはいるものだ。ちょっとおかしい人間との会話を避けたいと思うのは仕方ないだろう。しかし前方、馬車の邪魔ではないとはいえ、彼を無視して横を素通りするのは難しい。というよりも既にバッチリと目があってしまっている。顔を輝かせて近付いてくる男に若干の警戒をしつつ、一行は不審者との邂逅を果たした。

 

「こんにちは! なにかお困りですか?」

「それってこっちのセリフじゃないかしら…」

「悪の騎士団に追われてたりしませんか!」

「どこの物語だオイ。普通に依頼人の護衛中だっつーの」

「オーケー、商売成り上がりルートきた。自分、四則演算ばっちりですよ!」

「常識」

「…虐げられてる奴隷とかっています?」

「百年くらい前にはいたかも」

「…横暴な王様とか貴族とかって」

「異形種人類皆平等」

「運営ェーー!!」

 

 日本人がいればやっていそうなことは既にやっているこの世界。リアルで何十年何百年、営々とオタクに受け継がれるテンプレートは望むべくもない。彼はとても――そう、とても普通の人間であった。かつての六大神と同じように、ほどほどにオタクで、ほどほどに善人で、ほどほどに頭が悪かった。

 

 しかし現状把握能力は意外にも高く――都合の良いように考えているだけだが――己の身に降りかかった出来事をありのままに受け入れてもいた。ある程度知識があり慎重な性格をしているのならばともかく、教養もなく楽観的な性格をしているこの男からすれば、現状は『異世界万歳』としか思えないのだろう。

 

 もう少しいうなら“どちらでも問題なし”と考えてもいるのだろう。これがなんらかの事故ならば、運営から少しばかりの保障くらいは出るだろう、と。ユグドラシルは終了したものの、大元の会社はまだまだ健在だ。企業や国が理不尽というのは一般常識ではあるが、だからといって傍若無人という訳ではない。中世の様な王侯貴族然として振舞えば、国民がすぐに一致団結してしまうというのはよく理解しているのだ。

 

 “絶大で完全な権力”というのは『民の無知』なくしては有り得ない。義務教育がなくなったとはいえ、全国に跨るネットワークと電子の海に沈む知識は膨大だ。国民の教養は偏っているが『馬鹿』ではない。真綿でじわじわと締め付けるような社会に飼い慣らされてはいても、全てを搾取するような理不尽に抗うくらいの知識と気概はある。だからこそ支配者層はわかりにくいように歪んだ統治を敷き、故にこれ程わかりやすい事故ならば、被害者に幾何かの賠償くらいは必ず払う。

 

 そして事故でないならば――つまり今が現実だというならば、これ以上ない程の幸運だろう。顔を汚す土も、頭に散った草も、彼の気分を害すことはない。なにも気にせず、胸いっぱいに空気を吸える……それだけのことが、リアルではまず味わえない贅沢だ。

 

 燦々とした光を一身に受けるという経験は上流階級の人間でもないだろう。もしこの世界が強者だらけで、自分が何者にもなれなったとしても、既にこの自然が彼にとって幸福であった。加えていきなり美の結晶のような集団に遭遇したのだから、何もいうことはなしといったところだろう。ご都合主義ではなかったことに対し運営に恨みの声を上げてはいても、本気で怒りを覚えていないのはあからさまであった。

 

「…で。お前さん、なんでいきなり落ちてきたんだ?」

「ん……ああ、《飛行/フライ》で飛んでたんだけどいきなり景色は変わるわ、()()()()()()()()()わでびっくりしてさ…」

「魔法の仕様?」

「あー……いや、すまんこっちの話。ところでこの馬車ってどこに向かってるんだ?」

「『エ・レエブル』経由で『カルネシティ』に向かってるところだけど……よかったら一緒に行く?」

「…え? いいの? いきなり現れて意味不明なことを言ってる不審者だけど…」

「自覚あったのかよ」

「旅は道連れ世は情け」

「旅はカキタレ余にお情け」

「下品よ、ティナ」

 

 違う世界で出会った人間は殊更に善良で――そして彼の勘違いでなければ、()()()使()()()()()()。彼も後に知る事にはなるが、この世界は美しさの平均値が非常に高い。そしてその中でも上位に位置する者達から、熱く、そして若干ながら淫らな視線を向けられている。これで興奮しない男はいないだろう。

 

「(…はっ! もしやこの世界、男の方が性的優位な感じではなかろうか。ゲームが現実になったんじゃなくてエロゲーが現実になったんですね神様ありがとう)じゃあ悪いけど頼むよ。受けた恩は必ず返すタイプなんで! もしそっちが困ったら絶対力になるよ!」

「ふふ、期待してるわね……じゃあ自己紹介でもしましょうか。私はこの冒険者チーム“蒼の薔薇”のリーダー『グズリース・ブラッドネス・アインドラ』。基本は神官戦士で、レベルはこの前八十になったところよ」

「俺は『スターリン・デイル・シンクレア』だ。職業は……まぁ見たまんまだな。レベルは七十四だぜ」

「『ミスティア・ベロ・フィオーレ』。ティアでいい」

「『パルティナ・ベロ・フィオーレ』。ティナでいい……忍者、レベル七十一」

「わー、めっちゃあけっぴろげー……まぁいいか。俺は魔法詠唱者(ウィザード)系が基本の超特化型(スペシャリスト)でレベルは百だ。名前は――」

「…百!?」

「ほー、スゲーじゃねえか」

「装備もすごい」

「神器級?」

「…そう? いやー、そんなことないよ? ほんと全然すごいことないから。ほんとほんと、ほんと大したことないから俺って」

 

 『私ってほんとブサイクだから…』などと(のたま)っているそこそこ美女のようなウザさ。それが今の彼だ。『否定してもらうための自虐』ほど鬱陶しいこともないだろう。しかし強さと装備そのものは確かにこの世界屈指故に、如何ともし難い。

 

「そこまで驚くってことは、レベル百ってあんまいない感じ?」

「そりゃね……もしかして魔導国の外から来たの?」

「ん――ああ、ユグドラシルってとこなんだけど」

「聞いたことねえな。んま、レベル百っつーとこの国でも二十人に届かねえくらいだ。グズリースの八十ってのも相当なもんなんだぜ?」

「ほほー…」

 

 会話を続け、彼はこの国の常識や文化などに対し質問を投げかける。“蒼の薔薇”もにこやかにそれに答えていく。箱庭の外の世界は、人間にとって非常に過酷であるというのが一般常識だ。そこで生き延びてきたからこそレベル百という強さに至ったのだと推測し、そして過去を詮索しない。きっと悲惨で凄惨で()()な人生を歩んできたのだろう――だからちょっと()()()()のだろう。そう考えることは“蒼の薔薇”にとって自然であった。

 

「ふむふむ……統一国家『魔導国』。そして基本的に人間の勢力圏は狭い、と」

「ええ。広げることは可能だけど、評議国との盟約でそれは禁止されてるの」

「『四十一の境目』は侵略を警戒してんじゃなくて、中から外への侵攻を見張ってる意味合いが強えんだ。当然それぞれの()り人は実力もお墨付き……全員がグズリース以上のバケモンさ」

「なるほどなるほど。それで、三日後が『守り人』が全員集まる――」

「そう、今向かってる五年に一度の『大会議(チャット・フリード)』。でも基本的には単なるバカ騒ぎ」

「おぉ…! 現実のお祭りなんて話にしか聞いたことないな! テンション上がってきた!」

「…」

 

 男を除く全員の目が、不憫なものを見るような目になった。とはいえそれは勘違いということもなく、この国に生まれた人間とリアルに生まれた人間のどちらが幸せかというならば、圧倒的に前者だろう。幸福か不幸かなどというものは主観でしか測れないが、しかし相対的に見て彼と“蒼の薔薇”のどちらが幸せな人生を歩んできたかを比べれば、前者と答える人間は稀な筈だ。

 

「ふふ、じゃあカルネシティまで一緒に行きましょうか。とりあえず今日はエ・レエブルに――あ、見えてきたわね」

「金は持ってんのか? なけりゃ俺らが取る部屋に泊まってってもいいぜ……ま、ベッドは四つだけどな」

「まままマジですか?」

「すごい童貞臭」

「どどど童貞ちゃうわ!」

 

 これはもう人生の絶頂期だと、そんな風にテンションが振り切れている男。そして獲物を捕らえたような目つきで彼を見る“蒼の薔薇”のメンバー。そんな二組を見つめて、ため息をつく少女が一人。この馬車の持ち主は自分の筈なのに、全てが勝手に決められている――しかし強く言えない性格が祟り、流されるままであった。

 

 少女の名は『ソフィーリア・ルベルド・バレアレ』。カルネシティの重鎮の親戚であり、世界屈指の薬師でもある。箱入り娘であり、世間知らずではあるが……それでも“男女の機微”に疎い訳ではない。ああ、この男も()()()()趣味なのかと再度ため息をつき、近付く街をぼんやりと眺めた。

 

 “蒼の薔薇”――かつては女性のみのチームとして、そして最高位の冒険者として名をはせた集まりだ。時代は流れ、何度もメンバーが入れ替わった。しかしその強さは衰えるどころか年々と増し、血筋すらも受け継いだ今代こそが最強であるとも噂されるそんなチーム。

 

 かつては女性のみで構成され――今は()()()()であった。ちなみに全員ビッチである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『人類種が多数を占める国家』が全て統合されて八十と有余年(ゆうよねん)。国の名はただ一つ『魔導国』。人類の生存圏には初期の頃より、守り人という防衛戦力が敷かれていた。年々増え続けるそれは、遂に四十と一つを最大値として留まった。当初は人類を護るために存在した拠点も、今や人類の勢力図を抑えるための拠点と化していた。

 

 それは偏に『冒険者養成機関』と呼ばれる育成所の成果ともいえるだろう。至強に届く才はあれど経験値を得る術が無かった者達は、この施設により才能の限界まで鍛えることが可能になったのだ。かつてはレベル三十もあれば最高位だと胸を張れた冒険者も、今や平均値がその辺りである。故に、その気になれば人類は更なる繁栄を望めるのだが――そうすると評議国が、竜王があまり良い顔をしない。

 

 『魔導国』の統治者達は争いを望まない。だからこそ真なる竜王の顔を立て、栄華の絶頂にある人間種族の繁栄を調整していた。しかしどれだけ智謀に優れようとも、国家の舵取りというものは難しい。富み過ぎた故に増える国民の調整は難航を極めた。それは無理やり抑えつけるというやり方を嫌った統治者の愚政でもあったのかもしれない。

 

 結果として、人数に対し狭くなった人類の領土。そして冒険者達の目覚ましい活躍により、魔導国の領土はほぼ全てを既知におさめた。それを解決するための政策が、別大陸の開拓である。評議国と慎重に議論を交わし、新たな盟約を決め、冒険者達は新たな未知を踏み出し始める。

 

 ――“彼”もその内の一人として紛れ込もうと画策していた。魔法で作り上げた鎧に、大剣が二振り。かつては一級の戦士と目されたであろう彼の装備も、今は十把一絡げの冒険者としか見做されない。しかし彼にとってそれは都合がよかった。国民のほとんどが彼のことを知っているからこそ、目立つわけにはいかなかったのだ。

 

 上手く逃げ出せたまでは良かったものの、国境には防衛線が敷かれている。狩られる狐のように国内をうろつきまわる戦士の姿は哀れを誘うが、全てをほっぽり出して逃げてきたのは彼だ。責任ある立場の者が『数年程留守にします』などという我儘は許されないだろう。

 

「(ふぅ……とりあえず追っ手は撒いたか。ニグレドが味方してくれて本当によかった…!)」

 

 誰もが知る、偉大な統治者の一人――『モモンガ』。こそこそと周囲を気にしながら歩く様子は、名前の通り小動物のようである。大通りから外れた路地を進み、夜の街を行く。疲労や睡眠とは無縁の体だからこそ、追われる者にとって大敵である“消耗”を避けられるのは強みだろう。

 

 そしてそんな逃亡者たる彼の前に――まるで引き寄せられたかのように『百年の揺らぎ』が現れた。正確にいうならば頭上に飛び出してきた、という方がしっくりくるだろう。宿屋の二階から、ガラスを砕いて飛び出す男。両腕をクロスさせ両足を畳みながら脱出する様子は、アクションスターを彷彿とさせる。粉々になったガラスが街灯の光に乱反射し、映画のワンシーンを切り取ったような惚れ惚れとする脱出劇だ。

 

 ――男が全裸でなければ、ではあるが。

 

()()って()()()の意味かよおぉぉーー!!」

「うおっ…!?」

 

 涙目になりながらも見事に着地し、全力で路地を駆けていく裸の男。その姿をぽかんと見送るモモンガであったが、破られた窓から顔を覗かせた人物を見て、慌てて同じ方向に駆けだした。全身鎧とは思えない速さであったが、それだけ必死だったのだろう。

 

 そしてそんな不審な二人を見送る、割れた窓の中の豪華な部屋の人物達。ピンク色のプルンとした唇を尖らせ、獲物を逃したことに不満気な様子だ。

 

「うー、逃げられちゃった」

「ま、趣味じゃなかったんなら仕方ねぇだろ。俺ぁ、てっきりあっちも解ってるもんだと思ってたぜ」

「次いこ、次」

「ナンパはカルネシティが本番」

 

 失敗は顧みないポジティブさが売りの彼等は、一度や二度のミスでめげたりはしない。むしろ先程逃げられた男と再び出会ったとしても粉をかけかねない。彼等のテクにかかれば『口では嫌がっててもこっちは正直よね』を地で行けるのだ。ノンケを引きずりこむことに長けた恐ろしい集団である。

 

 伸びをしつつ、英気を養うために今日は寝てしまうかとベッドインしようとした彼等であったが――部屋の中に転移門が唐突に現れ、身を起こす。果たして黒い靄から抜け出した存在は人に非ず、金の髪に紅い瞳、口元に牙を覗かせる幼い吸血鬼――“守り人”が一人『キーノ・ファスリス・インベルン』……かつてイビルアイと呼ばれた、元“蒼の薔薇”のメンバーの一人であった。

 

「――久しぶりだな」

「ご隠居!」

「ご隠居はやめろと言っとるだろうが!」

「ハンドレッド・ヴァージン!」

(くび)り殺されたいのか? スターリン」

「万年処女が出た」

(こじ)らせ処女」

「くっ、くく、口の減らん奴らめぇ…!」

「そんで、どうしたんだ? わざわざ転移魔法まで使ってよ」

 

 現“蒼の薔薇”の相談役である彼女は、彼等の前に姿を現す度に弄られる。それだけ仲が良いともいえるが、やはり三百年ものの処女だという理由も大きい。ビッチという存在も大概ではあるが、ここまで拗らせすぎるのもそれはそれでかなり引かれる要因となるだろう。三十半ばの女上司(処女)に迫られれば終電を言い訳にお断りするように、三百半ばの女吸血鬼(処女)(幼女)に迫られて喜ぶ男はほんの一握りだけである。

 

「はぁ……まあいい。それでだ、実はモモンガがカルネシティから居なくなってな…」

「あん? じゃあナザリックにいんじゃねえのか?」

「おらん。それどころか見つからないよう入念に準備をして、よくわからん書置きを残して消えたんだ。お前達は何か知らないか?」

「ちみっ娘が知らないのに私達が知るわけない」

「ちみっ娘言うな」

「じゃあイモっ娘?」

「――ああもう! お前達! 腹立つくらいそっくりだな! あいつらに!」

「曾婆様のこと? ふふ、嬉しいわ」

「誉めとらんわ!」

 

 双子の忍者の顔にアイアンクロウしながら憤慨するキーノ。しかしそれでも妙に嬉しそうにしている変態共に気力を削がれてしまう。ナザリックの関係者だというのに未だ処女を守り通している奇跡の少女ではあったが、変態的な知識だけは増えてしまった悲劇の少女。彼女がいつビッチになってしまうのかは、神のみぞ知るところであった。

 

「ふぅ……知らんならいい。見かけたら一報入れてくれ……ああ、そういえばお前達も祭りには参加するんだろう? 一度戻るから、一緒に来るか?」

「お、ありがてえ――と言いたいとこだけどよ、依頼請け負ってるとこだ。のんびり行くさ」

「わかった。ああ、それと捕まえられそうならふんじばってでも頼むぞ」

「無茶言わないでよね……あ、関係あるかはわからないけどさっきレベル百の男の人にあったわ。魔導国の外から来たんだって」

 

 無茶な注文をつけつつ再び転移魔法を唱えるキーノであったが、最後にかけられた言葉を聞いてピクリと片眉を上げた。それは数日後に迫る会議の内容に関連していそうな事柄だ。揺らぎの規模によっては、大きな戦いが起きるかもしれない――守り人の一人としてその覚悟もしていた彼女は、口元を固く結んで問い返した。

 

「そいつはどんな奴……いや、お前達はそいつにどんな印象を抱いた?」

「印象? うーん……馬鹿っぽいところが可愛かったかも」

「ありゃあ童貞だな。間違いねえ」

「泣きながら逃げてった」

「逃がした獲物は大きい。ブツは小さかったけど」

「…………えぇ…」

 

 レベル百の強者も裸足で――否、裸で逃げだすビッチ達の戦力に慄きながら、なんとなく今回は大丈夫そうだと肩の力を抜いたキーノ。しかしあまり楽観視もできず、更にモモンガの逃走という事柄も相まって溜息をつく。とはいえ彼女の受難は今に始まったことではなく、非ビッチであるだけで苦労を背負いこむのは、この国の上層部の常であった。

 

 息を大きく吸い込んで、窓から見える満月に吹きかける。何もなければいいが――と転移魔法を中断し、キーノは夜闇へと身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普通の一般人として、男は最低限の常識は備えている。つまり全裸で街を走り回るという行為はどう考えてもアウトであると理解していた。故に混乱が冷めやらぬ中でも、狭い路地を抜けることはなかった。そして幾人かの黄色い悲鳴を聞いた後、ようやく一息をついて足を止めた。

 

「(はぁ……はぁ……うぅ、童貞を卒業する前に処女を散らすところだった……いや、どっちが攻めだったんだ? いわゆる男の娘だったんなら、あの見た目だったらなくもなかったんじゃ――いやいや何言ってるんだ俺は)」

「あの」

「うおわぁっ!?」

「あ、すいません……あの、つかぬことを御伺いしますが」

「あ、はい。じゃなくて。ちょ、ちょっと着替えるんで待ってください」

 

 裏路地で裸でいたところ、全身鎧の大男に声をかけられる。すわホモ再びかと身構えた男であったが、自分の不審者っぷりを考えて思い直す。治安を護っている人に声をかけられたのだろうかと――捕まる前に服を着なければと、装備を着込んだ。大抵のプレイヤーが一つは着けている、通称“速着替えリング”の効果で瞬時に姿が変わる。一瞬にして全裸の不審者から一流の魔法詠唱者の出で立ちだ。

 

「…っ! …もしかしてプレイヤーの方ですか?」

「へっ? あ、はいそうです……えーと、もしかしてそちらも?」

「えー……まあ、そうです」

「おお! お仲間ですね! ユグドラシルが終わったと思ったらいきなり平原に真っ逆さまでびっくりしましたよ! しかもいきなり美女にお誘いを受けるもんだから、てっきり夢でも見てるのかと!」

「そ、そうですか」

「まあ美“女”っていうか……美“男の娘”だったわけですが…」

「えぇ…(気付けよ)」

 

 青褪めた顔で項垂(うなだ)れる男に、何とも言えない声で返すモモンガ。グズリース達のことはよく知っていたため、まさか性犯罪を犯してはいないだろうと思ってはいた。しかし全裸かつ涙目で彼等の部屋から男が飛び出してきたのだから、一応心配して追ってきたのだ。ナザリックの完成されたビッチ達とは違い、“蒼の薔薇”は未だ発展途上のビッチである。若気の至ビッチで人を傷つけてしまうこともあるかもしれない――そう考えて。

 

 とりあえず無事ではあったようなので一息つくも、今度は別の問題が浮上した。遂に彼が恐れていた“百年の揺らぎ”が始まったのだ。“魔導国総ビッチ化計画”を企むアルベドの野望は打ち砕いた――長編映画のような壮大な活劇であった――モモンガだが、依然として周囲はビッチだらけで、NPCの性欲も限りを見せない。こんな様を、もし転移してきた仲間達に目撃されれば危険が危ない。故に数年程国を留守にし、様子を見ようと逃げ出したのだ。

 

「う、ううん! あー……あの娘達とは顔見知りでして。悪気は無かったと思います……許してやってくれませんか?」

「へ? あ、そうなんですか……というか――ということは、なるほど。プレイヤーによって来る時期が違うのか…」

「…! ええ、そうみたいですね」

「まあ夢は見せてもらったので! 許すも許さないもないですよ、うん」

「そう言ってもらえると助かります」

 

 ボケっとした雰囲気とは裏腹に、察しの良さを見せた男に少し驚くモモンガ。とはいえ人の好さそうな、悪く言えば騙されやすそうな印象は拭えない。人の印象とは第一印象がかなりの割合を占めるのだ。いわんや、最初の邂逅が涙目の全裸ともなれば『三枚目』以外の感想は出てこないだろう。

 

 しかしそんなことよりも、モモンガにはなんとしてでも男から聞き出すべきことがあった。自分が逃亡者生活を送っている理由でもあり、事によっては生命の危機にすら陥りかねない重要な事柄だ。お前は非生命体(アンデッド)だろうというのは、言ってはいけないお約束である。

 

「ところで、その……こちらに来た際、他の人を見かけませんでしたか? 正義が降臨してそうな純銀の聖騎士だとか、悪巧みしてそうな山羊頭だとか…」

「えぇ…? というかその特徴ってもろアルフヘイムのワールドチャンピオンじゃないですか。そんな人いたらすぐ御供させてもらってますって」

「そ、そうですか、よかった――いや、別の場所に出てくる可能性だってある。安心はできない…」

「…? なにか怒らせるようなことでもしたんですか? まあ確かにワールドチャンピオンと敵対はしたくないですよね……それに確か、その人の所属ギルドってあの『アインズ・ウール――」

「そ、それより! 自己紹介がまだでしたね! 私はモモン――んん゛っ、『モモン・ザ・ダークウォリアー』と申します」

 

 男の言葉を遮るようにモモンガは偽名を名乗る。殊更に正体を隠すつもりはないが、やはり嫌われ者として悪名高い自身のギルド。もう少し様子を見てからでもいいだろうという判断だ。業務を放り出して逃げたとはいえ、己が育てたともいえるこの国を愛しているモモンガ。新しいプレイヤーが国を害する存在かどうかの見極めは、重要度の高い仕事である。というよりも、逃げ出した言い訳に最適な存在を見つけたという方が正しいだろうか。

 

「も、モモン・ザ・ダークウォリアーさん……ですか……あ、もしかしてこっちの世界風に名前変えたんですか? みんな三つに区切ってますよね」

「え……ええ! そんな感じです。昔は立場によって名前の数も変化してたんですけど、今はほとんどの人が一つだけですから」

「へぇー……ん? 最後が家名として……真ん中のは名前じゃないんですか?」

「基本的には『名前・洗礼名・家名』から成っている感じですね。洗礼名というのは昔に実在した神様、あるいは従属神と呼ばれた存在の名前を少し変化させているそうです」

「ああ、じゃあさっきの娘達でいうと『デイル』とか『ブラッドネス』『ベロ』ってのが……昔の神様の名前なんですね」

「あ、いや……ううん、えー……“ブラッドネス”や“ベロ”はその、最近になって流行り出したというか……ほら、洗礼名にも流行り廃りがありますから」

「へぇ…? モモンさんの『ザ』も新しいんですか? 一文字ってなんか珍しそうですよね」

「しゅ、種族によっては短い名前こそが至高なんてのもありますからね! 『グ』なんて名前の方も聞いたことがありますから! ええ!」

「そ、そうですか…」

 

 やたらと(せわ)しない様子のモモンガに首を傾げる男であったが、特に気にせず自分も名乗りかえす。しかし今しがた名乗ったユグドラシル用の名前も、そしてリアルで名乗っていた名前も此処ではそぐわない。目の前の転移仲間と同様に、自分も何か新しい名前でも作るべきかと思案し始めた。

 

「うーん、俺も新しい名前かなんか作った方が良さげですよね」

「…かもしれませんね。その名前は流石にちょっとアレですし」

「(モモン・ザ・ダークウォリアーに言われた…)」

「…?」

「いえ。さて、三つ区切りで良い名前かぁ……んー……『グダクサン・アチアチ・ナベヤキウドン』とかどうですか?」

「頭大丈夫ですか?」

「ダークウォリアーに言われたくねえよ!」

「なっ…! カッコイイじゃないですか! ウドンだのオデンだのより絶対に良いでしょう!? ちょっとダサイ名前の方が逆に良い――とかまさに高二病ですし!」

「じゃあアンタは完全に中二病なんですけど!」

 

 ぎゃいのぎゃいのと言い合う様はまさに小学生の喧嘩であり、内容は更にそれ以下であった。夜の路地裏でこれ程くだらないやり取りをする者も珍しいだろう。塀の上で尻尾を揺らしていた猫が鬱陶しそうに離れていき、どこからともなく『やかましい!』との怒鳴り声が飛んでいる。

 

 一応常識をわきまえてはいる二人であったため、一旦矛を収める。場所を変えて『ダークウォリアー』がカッコイイかどうかの決着をつけようと歩き出すが、そんな二人の前に一人の少女が空より舞い降りた。

 

「――良い夜だな。満月の光が探し人を導いてくれたようだ」

「…中二病仲間ですか?」

「だから違いますって! ――って言ってる場合じゃない! 逃げますよ!」

「へ? いや、ちょまっ……うおぉっ!? 骸骨っ!? ってああ、オーバーロードだったんですか」

「ええい! 逃げるな!」

「ほら! 早く! ええと――あの子も“蒼の薔薇”の(元)メンバーですから!」

「蒼の……ひぃっ!? く、くるなぁっ! 俺はノーマルだ! 《フォース・オブ・テレポート・ケージ/強制転移籠》!」

「なっ…!?」

 

 男が魔法を唱えた瞬間、少女――キーノは堅牢な檻に包まれ、そのまま何処へともなく消えてしまった。ある程度の確率で抵抗(レジスト)される可能性はあったが、掘られたくない一心で唱えたおかげか見事に成功したようだ。路地には息を荒げてへたり込む男と、同じく安堵の息をついて壁に持たれこむモモンガの姿が残るのみであった。

 

「…珍しい魔法を覚えてるんですね」

「ふぅ――あ、えぇ。かなり変則的なワイルドアタッカー構成にしてるんですよ。戦略が嵌まれば中々のもんだと自負してたりしてなかったり…」

「あはは、何ですかそれ」

「…ところでなんで追われてる風なんですか? ユグドラシルみたいに異形種が嫌われてるって感じでもないですよね、この世界。さっきの娘も吸血鬼っぽかったですし」

「うっ…」

 

 痛いところを突かれたというように固まるモモンガ。彼も別段嘘をつきたいという訳ではないのだが、如何(いかん)せん話しにくい事情だらけである。百年前にこの世界に転移し、NPC達の設定を間違えて書き換えてしまい、ギルド総ビッチとなり、あれよあれよという間に国を統一して管理責任者となりました――などと素面(しらふ)で言えたら苦労はしない。挙句の果てに、それを仲間に知られたら怒られそうだから逃走中です、などとどうして言えようか。

 

「あー、言いにくいことでしたら無理にとは」

「す、すいません…」

「いえ。それで、これからどうするんですか? 俺は首都のお祭りってのを見に行くつもりなんですけど」

「そう、ですか…」

 

 どうしたものかとモモンガは考える。逃げ出したいのは山々だが、いくら無害そうなプレイヤーとはいえ放置するのはまずい。しかし彼についていくということは、カルネシティに舞い戻るということだ。やっとの思いでここまできたというのに、それは避けたいところだろう。

 

 ――しかしどちらにしてもこの国から出るというのは容易くない。国境の防衛線もそうだが、追う者と追われる者の頭脳の差が激しすぎるのだ。探知魔法や追跡魔法という手段ではなく、純粋に予測で発見されかねない。何をしても裏をかかれているのではないかという思いが常に頭の片隅にある。というより、事実その通りだ。キーノが此処にきたのも偶然ではなく、モモンガの行動を『悪魔の頭脳』が予測した結果であった。

 

 唸りながら悩んだ後、彼の頭上に電球がピコンと輝いた。そうだ、自分の考えが読まれてしまうのならば他人に任せればいいじゃないか、と。三日後に首都へいくというのも、灯台下暗しと考えれば悪くないかもしれない。少なくとも自分が考える中にその選択肢はまず入ってこない。

 

 祭り時は首都の人口が数倍に膨れ上がるのも、カモフラージュには最適だ。なにより別大陸の開拓に関する発表もそこで行われ、少なくない冒険者が参加を表明する筈だ。そこに紛れ込んでしまえば――そこまで考えて、モモンガは訝しんでいる様子の男に口を開く。

 

「…祭りは三日後ですよ。それまで良かったら国を見て回りませんか? 私も転移魔法は使えますし、開催直前に飛べば問題ありませんしね。大抵の街は行ったことがありますから、案内できます」

「へ? それはまあ……有難いですけど、追われてるんじゃなかったんですか?」

「捕まったらどうこうされる、という訳ではありませんから。まあちょっとだけ規模の大きい隠れんぼみたいなものですよ」

「はぁ……じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

 

 骨の手と人間の手をがっちりと交し合い、彼等は旅の友を手にしあった。先程の確執など無かったよう態度は、やはり敵に対し協力しあったというのが大きいのだろうか。ランダム転移によってとある真祖の吸血鬼のベッドに飛ばされたキーノの受難は、きっと無駄ではなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝を迎え、地図を広げて何処に行きたいかを問いかけたモモンガ。興味深そうにそれを見つめる男は、いくつかの場所を指差す。それを受け朗らかな雰囲気で快諾したモモンガは、適当に順番を決めて旅の準備を終わらせる。そうして始まったのは、息つく暇などない波乱の逃避行の幕開けであった。

 

 ――聖騎士の『くっ殺』が見たいという男に案内したのは、かつてローブル聖王国と呼ばれた地だ。“単一九色の虹”と呼ばれる守り人が国境を護る場所である。

 

「街への直接転移は禁止されているので、まずは海上に転移しますね。都市が一望できて綺麗ですよ」

「おぉ…! すご――ん? なんか狙われてません?」

「…そういえば此処の守り人は少し特殊でしたね。海から危険な存在が上がってこないかを見張ってるんですよ。確か名前は――『ディネール・デルタ・バラハ』だったかな…」

「あの弓は……もしや『アルティメイト・シューティングスター・ミラクル』では?」

「ええ。『アルティメイト・シューティングスター・ミラクル』ですね」

「何故我々が『アルティメイト・シューティングスター・ミラクル』で狙われているんでしょうかね」

「完全不可知化を感知されてるみたいですね。完全に看破は出来ていずとも、正体を隠して近付く輩を排除しようとしているんでしょう……『アルティメイト・シューティングスター・ミラクル』で」

「一キロくらい離れてるのにな――ああぁぁ! 言ってる場合かあぁーー!!」

 

 ――エルフを見たいという男を案内したのは、かつてエルフ王国と呼ばれた地だ。“大罪人”と呼ばれる守り人が国境を護る場所である。

 

「はい、到着です……こちらがエイヴァーシャー大森林でぐわあぁぁ!!」

「ちょ、モモンさ――ぐわあぁぁ!!」

「死ねよクソ強姦魔があぁぁぁ!!」

「くく、実の父親に酷い言いざまだな……今まさに、不本意ではあるが罪を償っているところだろう? 会議の度に此方へ来てご苦労なことだ。お前の母親と私が交わることで奇跡的に生まれたのがお前ではないか。感謝されこそすれ、罵倒される筋合いはないというものだ」

「――ああぁァ!!」

「い、いだ…! いったいなにが起きてるんですか?」

「こ、この辺りの守り人の二人ですね……“絶死絶命”とエルフの元王様は親子なんですけど、色々複雑みたいでして。巻き込まれないようにしましょう」

「もう充分巻き込まれてるんですけど!?」

 

 ――もうどこでもいいから安全な場所に行きたいという男を案内したのは、かつて竜王国と呼ばれた地だ。安全に安全を期して、ビーストマンとの国境を転移場所にしたのは慧眼という他ないだろう。人間もビーストマンも寄り付かない、荒野が広がるだけの場所である。

 

「やったぞ! 見たかアルシェリア! “始原の魔法(ワイルド・マジック)”だ! これで僕も“真なる竜王”を名乗れるぞ!」

「おめでとうございます。オージルシークス・ヴィクト・エル=ニクス様」

「ええい、かたっ苦しいぞ! いつの時代の人間だお前は――ん? いま爆心地に人影があったような…」

「気のせいでしょう。さ、そろそろ“大会議(チャット・フリード)”へ向かいましょうね」

「――」

「――」

 

 クレーターの中心で重なり合うように倒れている二人の男。一方は動いていなければ完全に死体であり、もう一方は動いていなくとも敗残兵風の惨めさを感じる風貌となっている。二人共が口から煙を吹いており、どちらともなく回復用のポーションを取り出し、頭から振り被るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短い時間の中で国を巡る。街を巡る。村を巡る。そこには自然があった。そこには笑顔があった。人間がありのままに生きていた。空気は汚染されていない。空は明るく、草木は優しい。人間を搾取する人間はおらず、人間を虐げる人間はおらず、幸福が満ち溢れていた。

 

 ――そして祭りが始まる。

 

 豪華でもなく、煌びやかでもなく、ただただ実用性と機能性を突き詰めた建築物。それが大会議の会場だ。普段はまず顔を合わせない、数十人からなる実力者たちが一堂に会する。彼等に上下関係はなく、全てが横並びで対等な存在だ――ただ一人を除いて。円卓ではなく長机なのは、明確な上座をつくるため。

 

 支配者ではなく統治者。故に必要以上の権力を持たず、けれどあまりにも偉大な所業を成した人物であるため、ほんの少しだけ、一段高いところにいることを許される存在――認められる存在『モモンガ』。しかしその席は空いたままだ。

 

「…ふむ。職務を放棄したのならば座から降りていただくのが筋ではなかろうか」

「犯罪者が口を開いたかと思えば、つまらん戯言だな。貴様に発言権は無い。控えよ」

「おお、これは手厳しいな『ドラウディロン・ヴィクト・エル=ニクス』殿! しかし控えよとは……王位の味が忘れられぬようだ。これを機に王政の復活を所望されてはどうだ?」

「母上を侮辱するか“大罪者”! 貴様の命はモモンガ様の慈悲によって長らえているだけだろう。あまり図に乗るようなら僕の“始原の魔法”で消し炭にしてやろうか?」

「あら、オージルシークス。遂に習得しんしたの? くふ、あとで『いい子いい子』してあげんしょう」

「は、はい! シャルティア様! ありがとうございます!」

「あっははー、お嬢にかかったら小さな竜王君も形無しだねー」

「いっ…! いらしていたんですか『マンティス・ブラッドネス・クインティア』様」

「様はいらないってー。っていうかオーちゃんの方が年上でしょ」

 

 会議を前にして、ぞくぞくと“守り人”達が集まる。血筋か、あるいは元より才能があったのか、全員がレベルにして九十を上回る猛者達だ。一般人がいれば威圧感で動けなくなる程の重圧が場に満ちている。六大神の血を、竜王の血を――そしてNPCの血を受け継ぐ者達。ほぼ全てが恒久的な平和のために尽力している存在だ。

 

「それにしてもデミウルゴス、実際のところモモンガ様はどうしんしたの?」

「ええ、我々を心配させないように心にもない書置きを残していかれたのですが――やはり真の慈悲深きビッチなる御方。既に新しい“プレイヤー”と接触されておられるご様子」

「か、カッコイイ人だったらいいなぁ…」

「こらマーレ! 先にモモンガ様の心配しなさいよ!」

「あ、あう…」

「確かに万が一ということも御座います。捜索隊は出しておりますよ、シャルティアお嬢様」

「おや、久しぶりでありんすね。パンドラズ・アクター」

 

 人が、亜人が、異形種が肩を並べて言葉を交わす。一昔前であれば考えられない光景が、此処では当然のようにあった。若干の確執はそれぞれあるものの、それもまた調和の一つといえるだろう。『全てが幸せ』というのは、それはそれで薄気味悪いものである。不完全こそが止まぬ成長の証なのだ。

 

「さて、モモンガ様は率先して最重要議題を解決に向かわれました。こちらに連絡が無いということは、恐らく“プレイヤー”の脅威はないと判断されたのでしょう。しかし御方抜きで大会議は始められません……申し訳ありませんが、祭りの後に延期させていただきます」

「えー……三日間羽目を外せるからつまんない会議に出席すんのにさー」

「羽目を外すというよりハメ倒してるだけでしょう、貴女は」

「やだ、ベルカちゃんひわーい」

「ええい、黙れクソビッチ共! とにかく奴等を発見するまでは会議は始められん、さっさと見つけるぞ! 見敵必殺だ! 今度はこっちが転移門にぶち込んでやる!」

「…(キーノ、なんかあったの?)」

「…(さぁ。でも心なしか、彼女に向けるシャルティア様の視線が熱い気がします)」

 

 悪魔が立ち上がると、全員がそれに続く。総勢三十九人(・・・・)の強者達が建物の外へ向かい、祭りの喧騒の中へ身を投じる。それに気付いた者は道をあけ、あるいは近付いて握手を求め、人によってはペッティングを敢行するビッチも見受けられる。それだけで彼等の統治が上手くいっていることが理解できるだろう。

 

 街全体がお祭り騒ぎの有様。そしてその街の中心、ひときわ高い檀上が魔法によって造られている。本来であれば会議後、此処で祭り開始の合図をもって乱痴気騒ぎへと移行するのだが――なんといっても今は代表者がいない。締まりのない開催になるな、と代行である悪魔は肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お祭りって凄いですねモモンさん! こんなのリアルで体験できるとか…! これで実は運営の実験でしたーとか言われたら死にたくなりますよ」

「それはできれば考えたくないですね…」

「まあでもこんなレベルのVRが再現できるなら、もう現実はいらない気もしますけどね。死ぬまで脳味噌だけでも別にいいかも…」

「その考え方はヤバいですって」

「ひゅー! そこのお姉さん良かったらお茶でも…!」

「聞けや! ――というかあの人お姉さんじゃなくてお兄さんですから」

「もうやだこの国」

「いや、ピンポイントで当ててるだけでしょ……実はそっちの趣味なんじゃないですか?」

「んな訳あるか!」

 

 無数に立ち並ぶ露店で買い食いをしながら、街を散策する二人。行きかう人々は誰も彼もが楽しそうで、自然と二人の表情も柔らかくなる。両手を食べ物でいっぱいにしている男を見て苦笑気味のモモンガであったが、リアルでの味気ない食糧事情を考えれば仕方のないことだろう。

 

 むしろそんな状態ですら女性(♂)に声をかける彼を見て、ほんの少しだけ尊敬の念を感じる程だ。まあリアルとは違い、強さも装備も、そしてユグドラシル産とはいえ金貨も相当なものがあると考えれば自然なのかもしれない。アバターもそれなりにイケメンだ。およそコンプレックスの欠片も感じられないと、人は自信を持てるようになるのかもしれない。

 

「でもよく男だってわかりましたね…? パッと見だとウサ耳メイドのかわい子ちゃんにしか見えないのに」

「割と有名な人ですからね。確か……なんだったかな。ああ、そうだ――三代目“カリ首兎”って…」

「えぇぇ…」

「じゃなかった、三代目“首狩り兎”です」

「どっちにしてもえぇぇ…」

 

 人間、エルフ、ドワーフ、他にも様々な亜人種や、稀に異形種も往来を堂々と歩いている。そしてそれ以上に、リアルでは味わえない熱気にあてられ、男は興奮していた。そしてそんな彼を見て、モモンガも嬉しそうにしている。自分と配下達、新しい仲間達、そして元は国を違えた民達が協力して作り上げた平和だ。それをこれほど楽しそうにしてもらえるならば、感無量といえるだろう。

 

 ふらふらと彷徨いながら喧騒を堪能する彼等であったが、実のところ祭りはまだ始まっていない。国の統治者が揃い、『魔導祭』の開催を宣言してようやく開始となるのだ。格式ばっている訳ではなく、五年ごとに行われるこの催事は新しい統治者、守り人のお披露目でもある。長命種であるならばともかく、定命の存在であればそれなりの頻度で入れ替わるのだから、必要な段取りだ。

 

 賑わう人の流れのまま、休憩スペースに腰を下ろす二人。くだらない雑談に興じ、少し時間が経ったところで――ざわりと場が揺れた。

 

「ん? なんか始まるみたいですね」

「…お祭り開催の宣言でしょう」

「…? おっ、空中に画面が……ユグドラシルのプロジェクターまんまですねー」

「ええ」

「映っている方達が“守り人”ってやつですか?」

「え、ええ」

「ん…? 後ろの幕の紋章……なんか見た事あるな…?」

「…っ!」

「はて……んー……どっかのギルド紋だったようなそうでもないような…」

「あわわ」

「リアルであわわって言う人初めて見たんですけど」

「そ、それより新人の紹介が始まりますよ!」

「えぇ…」

 

 誤魔化すように映像を指さすモモンガ。訝しむ男であったが、マイクらしきものを持った美女に興味を惹かれて首を動かす。周囲の人々も画面に、あるいは遠目に見える檀上に視線を向け、声量を抑えていた。それは強者への敬意でもあり、統治者への畏敬でもあり、国を代表する変態達への憧れでもあった。

 

「マイク持ってる人、綺麗ですねー」

「あれは守り人ではなく市長ですね。『ネコ・エモット(タチ)』市長です」

『――さぁ! ではこの国の象徴にして柱、新しい守り人を紹介いたします!』

 

 数人が前に並び出て、紹介されている。一人一人が礼をする度、爆発的な歓声が上がり、地面が揺れ、空間が震えた。それに応えるように、市長も紹介の仕方に熱が入る。式典というよりは、バンドのメンバー紹介といった方が近い有様だ。

 

 ――“クインティアの最高傑作”『スッと寄り添ってハートにドスっ!』。知らぬ者の方が少ないでしょう! 『マンティス・ブラッドネス・クインティア』!

 

 ――“竜帝”『竜女王の愛し子』。古き皇族の血と真なる竜王の血を色濃く受け継いだハイブリッド! 『オージルシークス・ヴィクト・エル=ニクス』!

 

 ――“単一九色の虹”『殲滅者の瞳』。目つきだけでバシリスクを石化させたと噂のシューティンスター! 新進気鋭の射手『ディネール・デルタ・バラハ』! …ひぃっ!?

 

 新しい守り人を祝福する者もいれば、自分の推している守護者に熱い視線を送り続けている者もいる。魔導国の守護者であり、統治者でもあり――みんなのアイドル的な側面も持っているのが彼等だ。政治が人気商売というのは、古代から現代まで変わることのない真理である。

 

 少し前に出ている悪魔――デミウルゴスへ下着を投げつける輩もいる。もちろん嫌がらせではなくおひねり的なものだ。それを証明するかのように彼のポケットへ吸い込まれる下着群。新たに開発された魔法《パンティ・コレクション/下着回収》による効率的な回収方法であった。

 

「…なんでパンツ?」

「…」

「というか“守り人”って露出度高い人が多いですね…」

「…」

「どっちかというと――なんか変態の集まりに見えるな…」

「ぐふぅ…!」

「ど、どうしたんですか?」

 

 胸を抑えてうずくまるモモンガ。ナザリックのNPCがビッチであるだけならばともかく、守り人の半数以上は変態である。その中で未だ童貞を貫く彼――物理的にどうしようもない――の疎外感は如何ばかりか。だというのにビッチ神という認識は覆ることなく不動であった。そんな中、処女であるキーノとの関係はとても安らぐものであり、彼にとって大事なものである。イビルアイが仮面を外す時、モモンガが傍にいた。甘くもプラトニックな繋がりだ。

 

 しかしそれも放り出し、なんの相談もなく逃げたことに彼女は怒っているのだろう。壇上で苛ついてる幼女の顔を、モモンガはまともに見ることができなかった。

 

『さぁ、新しい守り人の紹介も終了いたしました! 恒例の宣言を“あの方”に述べていただきたいところですが――ここで残念なお知らせがあります。守り人のまとめ役にして最高の統治者である御方は……現在非常に重要な仕事のため、席を外されておられます。そして同じく、アルベド様も事情により出席することができません』

 

 市長の言葉に対し、残念そうなため息がそこかしこから零れる。誰よりも人気の高い『モモンガ』の欠席は、国民の熱を少しばかり冷まさせた。しかしだからこそ、無理にでも盛り上がろうと気炎を上げている者も多い。そんな国民達を微笑ましそうに眺め、デミウルゴスが市長よりマイクを預かる。モモンガ、アルベドが出席できないとなれば、宣言が彼に託されるのは自然の成り行きだ。彼が手を上げると、それに応えるかのように場が静まりかえる。一つ頷くと、デミウルゴスは口上を述べ始めた。

 

「――また五年が経ちました」

 

 首を振り、柔らかな笑顔で人々を見渡す悪魔。その言葉一つ一つに、強制スキルとは違う、けれど強い力が込められている。宝石で出来た瞳は、しかし冷たさの欠片もない。

 

「国も、人も、健やかに成長し続けています。悪意というものは完全になくなることはありませんが、それでもあなた方一人一人の意識が不幸を減らす。全てを護る必要はありません……それは私達の仕事です。大事な人だけを御護りなさい。その輪が広がれば、きっと幸せは永く続く事でしょう。今は此処におられませんが、モモ――ん?」

 

 とても真面目に話を続けるデミウルゴス。朝方まで脱衣チェスをしていたとは思えない。しかしここは魔導国が首都、カルネシティ。悠久の都にして、永遠の愛と欲望とピンキーな街。来年の話をすると鬼が笑うというが、此処では『真面目な話をしているとビッチが嗤う』そんな街。

 

 ――そう、ピンチの時にヒーローは現れる。つまりシリアスな時にはビッチが現れる。それがこの街の摂理であった。

 

「あ――アルベド!? 貴女は謹慎中の筈でしょう!」

「くふ、くふふふ……魔導国法第一条三項――“大会議(チャット・フリード)”の出席に関する要項……貴方なら熟知しているわよねぇ、デミウルゴス」

「…っ! …確かに解釈の仕方によっては貴女の出席も違法ではありませんが――」

「でしょう?」

「――ですが! 認める訳にはいきません。全員、アルベドの捕縛準備を! 彼女は……子供の教育に悪い!」

 

 どの口が言ってるんだろう――と百年ぶりの来訪者が心の中で突っ込みを入れた。しかしそんな思考を無視して、場は動き出す。まずは数百年を未だ生き続ける、魔導の探求者『フールーダ・パラダイン』が動いた。珍しくも洗礼名を名乗らない彼は、“逸脱者”の括りを超え遂に“到達者”へと至ったのだ。

 

「申し訳ありませんが、アルベド殿――止めさせていただきますぞげぶぅっ!!」

「くふ、足の味が忘れられないのかしら?」

「フールーダがやられた!」

「いや、魔法使えよ…」

 

 姿勢を低くし、プロレスラーのように相手の足を目掛けタックルを敢行したフールーダ。しかし見事なカウンターを取られ、顔面にアルベドの足がめり込んだ。同レベルとはいえ、前衛職と後衛職の耐久度は段違いだ。ただの一撃の下、彼は地に沈んでしまった。

 

「あっははは――オラァ! 一回戦ってみたかったんだよねぇ! “能力向上”“能力超向上”――“疾風走破”!」

「マンティスさん!」

「いけるか!?」

 

 クインティア家でただ一人異端であった、とある女性の気質を色濃く受け継いだ『マンティス・ブラッドネス・クインティア』。戦闘狂で色情狂な業の深い女性である。レベルは九十と、アルベド相手であれば一蹴される程度だ。しかし現地の人間は才能限界という壁の代わりに、武技という技能を会得している。十レベル差という、本来ならば埋めることのできない程の差を覆し得る一手だ。

 

 ――しかし。

 

「――がっ!?」

「“抱擁(アフェクション)”」

 

 しかし、それも相手が武技を使用してしまえば、縮まった差は元通りになる。百年という長い時間は、プレイヤーやNPCにも新しい技術をもたらした。腕ごと抱きしめられたマンティスは武器を振るう事すらできず、万力の様な力で締め付けられた。

 

「こ、この――わひゃぁっ!?」

「くふ、貴女は昔からここが弱いものねぇ」

「ちょちょ、いくらなんでもこんな公衆の面前で……あぎゃぁぁーー!!」

「――マンティス! くっ……『ベルカ・ナーヴェ・ベサーレス』参ります!」

「えい」

「あぐっ! くっ…! 殺せ!」

「馬鹿なの!? もう…! 次は私よ!」

「おいでなさいな」

 

 筆舌に尽くし難い辱めを受けつつ、床に転がるマンティスとベルカ。良識ある大人達は子供の眼を塞ぎ、しかし舞台の上から目を離さずにいた。次にアルベドへ襲い掛かるは、可愛らしい魔法少女然とした少女だ。名は『オーヴェルメント・イプローシス・テスタメント』。黒い帽子を目深に被り、杖代わりの分厚い本を開いて魔法を唱える。それは神の領域たる十位階魔法――《タイム・ストップ/時間停止》だ。しかしここに居る守り人の誰もが、時間系統の魔法対策を講じているのは周知の事実だ。だからこそ、彼女は武技とは違い現地人だけに許されたもう一つの奇跡を発動させる――自らの生まれながらの異能(タレント)である“時間乱流”を。

 

「“タイム・ストップ・オーバーレイド”!」

「――……」

 

 一級の魔法と一級のタレントを重ね掛け。その効果はたとえプレイヤーであっても――それどころかワールドエネミーにすら有効な手段となり得る、システムを超えた技法だ。しかし強力なだけあって制限時間も短く、精々が数秒の猶予を作り出す程度の効果となっていた。

 

 ――しかし戦闘において相手が数秒も無防備になるというのは、絶対的な有利を作り出す。前衛職と後衛職をこなす彼女は、その空いた瞬間を……そして解除される瞬間を見逃さない。速すぎる攻撃は時間の停止した世界では無意味となる。遅すぎる攻撃は時間を止めた意味すらなくなる。故に刹那の一瞬を全力の殴打に変えて、分厚い本をアルベドの頭に振り下ろした。ハードカバーは時として人を殺し得る。本棚から落ちた辞書が小指の爪を砕く事すらあるのだ。防御に秀でた前衛職とはいえ、無傷では済まない威力だろう。

 

「(()った…!)――なっ!」

「ざん――…ねんっ!」

「へぶっ…!」

 

 果たして、殺人本はアルベドの意識を刈り取る結果と――ならなかった。武技“不落要塞”の発動により、その衝撃のほとんどを無効化したのだ。それが意味するところは、時間停止による攻撃のタイミングの完全看破。つまり……戦士としての『格の差』だ。

 

「くふぅぅーーーーーー!!」

「くっ、このままではアルベドの野望を打ち砕いたモモンガ様に面目が立ちません…!」

「ボ、ボク達じゃ止められない…」

「うん、マーレ。あの状態のアルベドを止められるのは――」

「ただ一人でありんす…」

「ああ! 我が神よ! 我が無力をどうかお許しください!」

 

 一人だけ別のゲームに生きているアルベド無双。止められる者はもはやたった一人。彼女に対し絶対の命令権を持つ、死の支配者のみであった。彼に忠誠を誓う者達が目を閉じ、両手を合わせて祈る。それは神に捧げる尊い祈りのようで――とんだ茶番でもあった。

 

「(あ、あいつらぁ…! 絶対に俺がここに居るって解ってやってるな…!)」

 

 百年の時間はあらゆるものに変化を促す。創造主の不明を受け入れた。人間という存在への理解を更に深めた。そして、最後に残った主との関係も。彼等は絶対の主従であり、しかし――“仲間”であった。モモンガがユグドラシルで深めた友人との絆。十年前後も轡を並べて戦い、遊び、切磋琢磨した大事な時間。しかしNPC達と過ごした時間は既にその十倍となり、大切な宝物はいつしか逆転していた。

 

 彼等はモモンガのことを誰より知っていて、モモンガは彼等のことを誰より知っている。どこからがハプニングで、どこまでが茶番劇なのかは知る由もないが――『こうすれば出てくるだろう』という確信が彼等にはあるのだろう。そしてそんな不敬を主は許してくれると、彼等は知っている。百年前よりもずっと、ずっとずっと気安い関係になったからこそ。

 

 モモンガはため息を一つ吐いて、横にいる男へちらりと視線をやった。今日は厄日だ……そんな重い気持ちと共に壇上へ登る決意を固めた。

 

「すいません……変な国ですよね、ほん――」

「ぶはっ――あははは! やばいやばい! 見ました? モモンさん! この国最高!」

「――っ……最高、ですか?」

「国を治めてる人たちがアレでしょ? めちゃめちゃ面白いじゃないですか!」

「は、はぁ」

「それにみんな――みんな、笑ってます。この国にきてから、暗い表情をした人を見てないです。そりゃあ探せば悲しい思いをしてる人はいるんでしょうけど……“諦めてる”人がいません。()()()()()()()()って人がいませんよ!」

「…」

「きっと()()()()がきても、()()()()にあったとしても、この国なら笑い話にできるんでしょうね。ねぇ、モモンさん――」

「…なんですか?」

「俺、この国にこれて――ええ、たとえこの体験が夢だとしても……本当に良かったです」

 

 碧羅(へきら)の天のように晴れ渡った笑顔で、男はそう言葉にした。偽りなき、まごうことなき本心だろう。ビッチが暴れ、ビッチが投げ飛ばされ、ビッチが壇上で祈っている、ふざけた国をそう評している。

 

 客観的な視点というものはどうしても他者が必要だ。どれだけ国を良くしても、それは自己評価と自己満足に過ぎなかった。酷い目にあってきた人たちだからこそ幸せだというけれど――

 

 そんな思いは常にあった。自信がないからこそ仲間達の来訪を恐れている部分が少しはあったのだろう。けれどそんな恐れを吹き飛ばすかのように、国を、仲間を、民を語られた。嬉しそうに語ってくれた。ああ、ならもう()()()だ。此処は――とても良い国なんだろう。

 

「《フライ/飛行》」

「…うわっ!? ちょ、どこに行くつも――」

 

 男の手を掴み、壇上へと飛ぶモモンガ。

 

 着慣れた神器級の装備で。ワールドアイテムを体内で輝かせて。レプリカのギルド武器を携えて。

 

 爆発的な歓声が上がり、国そのものが震えたかのように場がうねる。

 

 威風堂々と立つ姿は、かつて十大ギルドの内の一つを率いた魔王そのもので――

 

「……あ。思い出した……この紋章、アインズ・ウール――」

 

 降りた勢いで膝をついた男に手を差し出して、モモンガは嬉しそうにこういった。

 

 ――ようこそ、魔導国へ。




最後までお付き合いありがとうございました。


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