この度書きたくなって書いてみました東方二次小説。後悔はしていない。
第一話のためとても短いですが、どうか気に留めてもらえればと思います。
それでは、どうぞ。
孤独は寂しい。寂しいのは嫌だ。
拒絶は痛い。痛いのも嫌だ。
皆僕を拒絶する。皆が僕を忌避している。
ならば、僕は独りでいい。
それが誰も傷付かない、最善の方法だから。
◇◆◇◆
「ここかしら……?」
緑の髪に赤く鋭い目。花を模した日傘を所在無さげにゆらゆらと揺らす少女がいた。
名を風見幽香。
可憐な姿とは裏腹に人々から恐れられている大妖怪である。本人的には、さほど興味がない、らしい。
目の前にあるのは、もとは普通の家だったのであろう建物の成れの果て。の一歩手前くらいに古びて壊れかけているもの。もとの家としての役割を果たしているのかさえ怪しい。
だがまあ、それ自体は別段変わったことではない。使われなくなって朽ちていった家など探せばいくらでもある。
それが異質であるのは、それが建つ場所にあった。
周りは一面木。つまりは森の中。それでも家の周囲だけは綺麗に、とまではいかなくとも邪魔にならない程度には木や雑草は刈り取られている。
森の中に好んで住もうとする奴なんて、よくて出家とか言って山で修行する僧ぐらいだろうか。仕事の関連で森に立ち入る者はいるが、その大半は別に森に住んでいる訳では無いし、自殺志願の人間だって、別に森に住みたい訳じゃない。
なぜか。
森、ひいては山中というのはあまりに危険だからだ。それこそ、自殺の場所の選択肢になるくらいには。
猪や熊などの猛獣はまだいい。いや危険ではあるのだろうが、まだいい。
もっと恐ろしいのが、幽香のような、妖怪である。
狐や狸に化かされるなんて可愛いもので、普通に食われて死ぬ。自衛能力がないのなら尚更。
そんな危険地帯である森の中で、誰かが住んでいるとしか思えない程に明らかに人の手が加わっている場所がある。
怪しい。果てしなく怪しい。
と言っても、彼女がここにいるのはまた別の理由があるのだが。
(近くに人が住んでいる気配は無い。妖力は若干感じるけど、森の中なら不思議なことじゃない)
辺りに気を配りながら、一応玄関へと近付き、戸を開く。
いくら古びてるとはいえ、家そのものは大きく、それなりに広く感じる。
しかし、たとえ死角から襲われたところで幽香ならなんの心配もない。
知人であるあの胡散臭いスキマ妖怪程の力が無ければ、幽香に敵うことはできまい。下手に襲ったら最後、相手との力量差を読み切れなかったその存在は、彼女に殺されるだろう。
尤も、彼女が大妖怪風見幽香だというのは人妖問わず有名で、姿を見れば即座に分かる。そんな彼女に襲い掛かる輩などいるはずもないのだが。
「ふうん……?」
断言しよう。
ここに人は住んでいる。
僅かにする人間の匂い。埃を被っていない床や家具。今は無人のようだが、何処かに出払っているのだろうか。
そして何より、新しい。
家の外観はあれほどまでに古いというのに、こうして中を見てみると、そこからは想像つかないほど、それこそ狐や狸に化かされたかと思うほどの変わりよう。
あくまで外観の割に、であるので中そのものが新品のよう、という訳ではないのだが。
考えられるのはやはり幻覚や幻術の類の妖術。しかし幽香にそれを仕掛けられるほどの技量と度量がある妖怪ならば、少なからず噂立つ筈だ。そんな話は聞いていない。
ならば人間が使う霊術や陰陽術の類か。それこそ有り得ない。そんな腕の立つ人間ならばこんな森の中ではなく都の方へと行く筈だからだ。
一番可能性として高いのは、ここに住んでいる人間の仕業。どんな理由があるかは知らないが、それが一番しっくりくる。こんな森の中に住んでいるのだから、噂にもならないのも道理だ。
「誰……?」
「ッ!?」
声がした。
発生源は後ろ。
振り向かずに妖力弾を放つ。
「わわっ」
地面が擦れる音がした。声の主が驚いて後退りしたか、尻餅を付いたか。
違うそうじゃない。
何故そんな小さな音が聞こえたのだ?
「…………」
警戒し、辺りに妖力を放ちながら振り向く。
そこらの妖怪ならそれだけで恐れを成して逃げ出す。殆ど存在しないが、もし格上だとしても十分警戒させるに足る濃密さで妖力をぶつける。
「え……?」
声の主は玄関にいた。
それは、齢二桁に満たないような、幼い白髪の少年であった。
次回からは文字数が増える予定です。
幽香SSが書きたかったので書きました。また別作品のSSも書いているのですが、それはそれ。これはこれ。
基本的に文章力が無いので、何か変な所があっても生暖かい目で見てやってください。
不明な点、矛盾点等ございましたらご指摘お願いします。
それでは次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
評価、感想等があると作者はやる気とか何か色々湧き出ます。
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第2話
この作品は東方projectの二次創作小説です。原作との差異や改変等ございますので、苦手な方、お嫌いな方はブラウザバックをお勧めします。
急いで書き上げることにしました第二話です。
それでは、どうぞ。
家に帰ってきたら見慣れない
声を掛けたら攻撃された。
「…………」
「…………」
互いに無言。
少年は見知らぬ誰かに警戒を。
幽香は自分の攻撃にも威圧感にも動じぬ少年に懐疑と驚愕を。
(無傷、ですって……?)
いくら咄嗟の攻撃とは言え、そこらの野良妖怪程度なら木端微塵にする程の威力を先の妖力弾を持っていた。
なのに少年はそこに立っている。
傷は無い。どころか、周囲にも奥にも被害は出ていない。
そしてなにより、
「えと、初めまして、お姉さん」
名も知らぬ少年は自然体であった。
それこそ、大妖怪風見幽香にご丁寧にも挨拶し、あまつさえ『お姉さん』と呼ぶ程には。
「……ええ、初めまして、人間さん」
そんな少年に幽香が次に抱いた感情は好奇心だった。
自分の妖力を前にして怯まぬその丹力、自分の攻撃を耐えた謎の力。
果たして、今目の前にいる人間は本当に人間か?
長い妖生だが、今のこの力を手にした自分に敵う存在など見たことなかった。ましてや、まるで自分を知らないように振る舞う存在など想像もしなかった。
自分の名前や姿が広く知れ渡っている自覚はあるが、誰もが自分を見てすぐにあの風見幽香だと分かるとは流石に思っていない。
しかしこの少年は異常だ。
その自然さが、平常心が、今大妖怪と対峙しているというのに何の変哲もないその態度が。
あまりにも普通で、どこまでも異常だ。
「私は風見幽香。花
「へー」
「へーって、それだけ?」
「?」
可愛らしく小首を傾げる少年。さらりと流れる少年にしては長い髪。
そこで幽香はその髪色に疑問を持った。
少年の髪色は人間らしからぬ白色。若干くすんではいるものの、白と言って差し支えない程には白い。
「白いのね」
「? うん、白いのですよ」
「は?」
「え?」
会話が噛み合っていない。
「髪のことよ」
「……ああ、これね」
少年は髪の先端をくるくると弄り、少し疲れた表情をした。
髪の色が普通の人間のように黒色ではないのは、特殊ではあるものの不思議ではない。
ただ、不思議ではないというだけで、異常ではあるが。
髪色が特殊と言えば自分もだが、人間側にも特殊な髪色をした存在は目にしたことがある。
しかしその全てが退魔師や陰陽師と言われる者で、その中でもさらに外法に触れた者が特殊な髪色をしていた。あのスキマ曰く、そういう奴らは大抵人間社会にも居場所を無くしてしまったような存在らしい。
少年もまたそんな人間なんだろうか。
「生れ付きなんですけどね。生まれた時なんて覚えていませんけど」
先天的なものらしい。ならば外法に触れて髪の色が変わったという訳ではない。
じゃあ何故だ?
普通の人間の子がそんな髪色をして生まれるとは思えない。いや、そうして生まれてきたからこそこうしてこんな森の中にいるのか?
そもそも親はどこにいる? 捨てたのか、死んだのか。どちらにしろ、捨てたのなら何故少年は人の住む場所へと移動しない?
人間の子供がこんな所に一人でいること自体がおかしい。動物や妖怪に今まで襲われなかったのだろうか。こうして分かりやすく生活しているのに?
一度目の前の少年に興味を持つと、次から次へと疑問が湧いてくる。
最近面白いことも無くなってきたので、丁度いい暇つぶしにはなるかもしれない。
「そろそろ貴方のことも教えてくれないかしら?」
「僕?」
「ええ、貴方は人間? それとも人外?」
直球で投げつけてみた。
「さあ?」
返ってきたのは予想していなかった回答。
はて、自分で自分の種族が分からない?
「自分が何者か分かっていないの?」
「僕にとっては周りが誰でも、自分が何でも、どうでもいいですから。あんまり意識したことはありません」
本当にこの少年は人間なのだろうか。
こう、もっとこう、子供というのは無邪気で小生意気なものだと聞いた。自分の強さもあり、赤子や童と接する機会などありもしないが、目の前の少年の言葉が普通の子供と大きく違うことぐらいは分かる。
「そういうお姉さんは、大妖怪って言っていましたよね」
「ええ、それなりに有名だと思うけど、聞いたことないかしら」
「残念ですけど、僕は知りません」
無知故に今なお放っている妖力に怯えないのだろうか。
いや、そもそも妖怪とは恐れの象徴。その妖怪が放つ妖力を一身に受けて恐怖ないしは少なからず不安や焦燥にも似た感情を抱かない筈はない。
しかし少年は相変わらず玄関先で自然体のまま立ってこちらを見つめている。
「……妖力は感じないのかしら?」
「妖力?」
「そのまま妖怪の力のことよ。今も貴方に向けて妖力を浴びせているのだけど……寒気とか、得体のしれない不安とか感じない?」
「特にありませんね」
そもそも妖力を感じていないのだろうか?
そう思い、自分が放っている妖力を追ってみる。
(あら……?)
妖力は問題なく放たれている。
だが、その流れは少年に届く前に全て消えていた。
妖力に形はない。色もなければ姿もないので、感じることは出来ても目視することはできない。幽香程の大妖怪や、妖力ではないが似たような力を使う神仏の類にはそれを目視できる程に濃密にすることが出来るが、今はそんなことはしていない。
そんな性質故か、何の目的や用途も考えずにただ放出するだけでは妖力はすぐに消えてしまう。力があればその分遠くへと飛ばすことはできるが、今のこの近距離でわざわざそれを考える必要もあるまい。
考えられるのは一つ。
「貴方、何か能力を持っているのね」
「! すごいですね。お姉さん分かるんですか」
少年は一瞬驚いた顔をした後、無邪気に笑った。
年相応なその表情にそんな顔もできるのかと、どうも自分の中の子供のイメージと合致したことに僅かに安堵し、一つ息を漏らす。
一切の予備動作無しで妖力弾を放ってみた。
「わわっと」
「……ふうん」
案の定、妖力弾は少年の元に届く前に霧散した。
先の咄嗟に放ったものとは威力は桁違いに強い筈だが、少年は驚くだけで、衝撃も何も届いた様子はない。
実際にこうして目にするとその異常性が際立つ。
何度も言うが、幽香は並び立てるものなど殆ど存在しない程の大妖怪である。
そんな幽香の攻撃を何の動きも見せずに無力化する。これがどれほど常識離れしたことか、当の少年自身はイマイチ理解していないらしい。
「びっくりするじゃないですか、もう。お姉さんも僕を殺したいんですか」
「随分とませたことを言うのね。貴方の命に興味なんてないわ。私が興味を惹かれているのは貴方の能力、強さだけよ」
「そんなに僕は強くありませんよ?」
「私の攻撃を二度も防いでおいてよく言う」
しかしまあ、ここまで来たなら幽香にも分かる。
あのスキマが言っていた面白い存在というのは、まず間違いなくこの少年だろう。
幽香がこんな森の奥にやって来たのには理由がある。
それは、あの胡散臭いスキマ妖怪、八雲紫からこんな話を聞いたからだ。
曰く、人間も妖怪も関わろうとしない禁忌の存在。
曰く、下手したら大妖怪にすら届き得る程の実力。
曰く、どこまでも心優しい人格。
当初はそんな言葉など気にも留めなかったが、もしかすると幽香を超えかねない程の実力を持つと言われれば、まあ顔ぐらい見に行ってもいいかなと思うくらいには興味を持つ。
それが紫の思惑通りであったとしても、実害は無いのだから無視する。
さて、
「もう少し、私と遊びましょう?」
少年の足元から植物の蔦を伸ばし足を絡めとる。そのまま壊してしまっては人間(?)の子供などそれだけで死にかねないので、あくまで巻き付く程度に力は弱めておく。
同時に妖力弾を多数展開させ、多方面から一気に少年へと放つ。少年の能力の効果範囲を推し量るためだ。前方だけなのか、もっと広いのか。
家など知らない。壊れてしまったところで自分には関係無い。
「うっひゃあ!?」
流石に今度は破砕音が響いた。
倒壊する家、粉塵が舞う中で少年が驚いて逃げ出す姿が見えた。やはり効いてなかったっか。
……
「これならどうかしら」
外に逃げ出したなら好都合。ここは森の中。植物溢れるこの場は、幽香の独壇場である。
花が少ないのは玉に瑕か。
もう一度蔦を伸ばす。葉に妖力を込めて飛ばす。
粉塵が晴れたその先には、やはり無傷の少年が立ち竦んでいるだけだった。しかし今しがた飛ばした蔦や葉が少年を取り囲むように一定の範囲で空中で静止していた。
(質量があるのなら消えないということ? 無効化するような能力という訳でもないみたい)
「来な、いで!」
少年が叫ぶと、幽香が放った植物達は何かに振り払われたかのように吹き飛んだ。
これには幽香も驚いた。
この少年は今、数多の退魔師や陰陽師が挑戦しては為し得ることのできなかった幽香の攻撃を耐えるという偉業を打ち立てたのだ。
一歩、少年へと近付く。
「あ、あはは……僕は逃げた方がいいですかね?」
「そうね。逃げる方が賢明だわ。逃がす気はないけれど」
もう一歩踏み出す。
「お姉さんは、僕が怖くないんですか?」
「貴方より私の方が怖い存在よ。貴方なんかに恐怖を抱く程私は臆病じゃないわ」
さらに一歩。
「……そんな人、じゃありませんでしたね。そんな妖怪さんはお姉さんが初めてですよ」
「あら、それは運が良かったのね。貴方を怖がらない妖怪は腐るほどいるわよ」
もう一歩を、
「?」
「うん。そうですね。でも、それ以上は近付いてほしくないです。僕にとっても、お姉さんにとっても」
踏み出せなかった。
少年との距離はまだまだある。日傘を伸ばしても届くことは無い。
ならばと腕を伸ばそうとするが、自分の体より前に出すことが出来ない。一歩下がり、ようやく伸ばせた腕が掴むの虚空。
『何か』があった。
成程、これが少年の能力の正体か。
「結界の類かしら」
「僕に聞かれても困ります。自分の能力なんて分かっていませんから」
握り潰そうと力を込めると、電流が走ったような衝撃と、バチィッ! という音がして咄嗟に手を離してしまった。
「名前を付けるとしたら、そうね……『拒絶する程度の能力』といったところかしら?」
「拒絶する、ですか。はは、僕にピッタリですね」
自嘲気味に笑う少年。子供離れしたその表情にやはり人外ではないのかという思いが高まる。
まあ少年が人間か人外かなんて幽香にとってはどうでもいい。大事なのは、自分の力が少年には通じていないという一点である。
内側からならと結界のようなものの内側から、しかも少年の背後の地面から蔦を伸ばし絡みつかせようとしてみる。しかし妖力そのものが内側に届かないので、植物どころか妖力弾の生成すら不可能であった。
今まで様々な奴等と戦ってきたものの、こんなことは初めてだ。
「貴方、面白いわ」
「そんなことを言われたのも、お姉さんが初めてですよ」
少年は一歩後ろへ下がった。能力の効果範囲は動かない。
どうやら、自分の力は効かないようだし、これ以上の戦闘行為は無駄だろう。
久方振りの敗北は若干悔しい思いはあるものの、今はそれより少年への興味が強い。
「ねえ」
「はい?」
幽香はなるべく笑顔を意識して、
「少し私とお話ししないかしら。貴方のことが知りたいわ」
少年は、驚いた顔をして、何故か、痛ましい笑みを浮かべた。
◇◆◇◆
家は壊れてしまったので、その場凌ぎとはいえ植物を操って壁や屋根を修復しておいた。
家財道具はどうしようもないが、もとより物は少なかったし、修復後の方が前より見た目は新しいのはどういうことなのか。
まあ自分がここまでしてあげる義理はないのだが、話を持ち掛けた手前場所ぐらいはどうにかしようということである。
感謝するよう少年に言うと、
「いや、お姉さんが壊しましたよね?」
と冷静に返されてしまった。可愛くない奴だ。
少年は自分と一定の距離を保ちながら、一応家には上げてくれた。むしろ何ももてなすことが出来ないことに引け目を感じているようであった。
やはり見た目に反して思考がやけに成熟しているのに違和感を感じる。これもまた、少年を人間とは思えない一因なのだろうか。
まあ話せる程度に近付けるようになっただけマシか。
「それで、幽香さんはご友人に」
「知人よ」
「……知人さんに話を聞いて、ここへ来た、ということですか」
断じて胡散臭いあのスキマが友人などということはない。
「私が怖くないの? 曲がりなりにも、貴方を攻撃した妖怪なんだけど」
「襲われそうになることは何度もありましたから。幽香さんが特別という訳ではありません」
まさかこの風見幽香をそこらの野良妖怪と同等に扱うとは。
不敬だとか身の程知らずだとかを通り越し、一周回って面白い。
「それにしても」
「?」
「よく貴方みたいな幼い人間が一人でこんな所で生き延びられるものね」
「まあ幽香さん曰く『拒絶する程度の能力』がありますから。安全については大丈夫ですしね。食事もそこまで必要ではありませんし」
「食事の必要がない?」
「これまであまり食べなくても何とかなっているので、そういう体質なんじゃないでしょうか」
それは単純に食事そのものの量や回数が少ないのに体が順応してしまっているだけでは。
だが餓鬼のように腹だけが出ている訳でもないし、衣服越しだが、そこまで栄養失調特有の体形でもない。むしろそこらの貧困や飢饉に苦しむ村の子供と比べたら十分にしっかりとしている。
少年が戻ってくる前に家を見渡した感じでは、微量とはいえ子供一人には十分量の備蓄もあった。
「貴方、生みか育ての親は?」
「親というものがどういうものか分かりませんが、僕は前からここに一人で住んでいますし、最初から一人ですよ」
物心付く頃にはもう一人だった、ということだろうか。
なら、一人で立ったり歩いたり、言語の習得も含めて、肉体的精神的問わずにある程度成熟するまで誰が面倒を見ていた?
もし最初からという言葉通りに赤子の時からここに一人だというのなら、妖怪等に襲われなかったのは能力が先天的に備わっていたということで説明はつくが、今こうして生きていること自体が非現実的になってしまう。一応食事は量や回数が要らないだけで必要ではあるようだし。
少し厳しい視線を向けると、少年はイマイチ理解していないのか、にこりと笑いかけた。
はあ、と溜息を一つ。少年のことが訊けば訊く程分からなくなってしまう。
「……ああ、そう言えば貴方の名前を聞いてなかったわね」
「名前、ですか」
「ええ。私は貴方を何と呼べばいいのかしら」
「お好きに呼んでください。僕に名前はありません」
……なんだと?
いや、不思議なことではない。今まで一人だったというのだから、そりゃ自分の名前なんて持ち合わせている筈がない。
しかし、まあ。
「無いなら無いで別にいいわ。気が向いたら好きなように呼ぶから」
個人の名前に興味は然程無い。いつか、少年に名前が必要になった時にでも呼び名を決めればいい。
自分が知りたいのは少年の素性であって少年そのもののことではない。
ただ、
「……うん。うん、そうですね。でも、僕のことはあまり気にかけないでほしいです」
そのどこか虚ろな笑顔は気になった。
訂正。
気にすることができなく
本当にこの主人公はショタなのか。
主人公の精神年齢が見た目の割に高すぎ問題。誰だよ敬語キャラにしたやつ……
一応取り敢えずまず疑問に感じる筈のことについては答えさせたと思いますが、何かご不明な点がございましたらご連絡下さい。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとっせていただきます。
途中まで主人公の白髪設定を忘れてたなんて言えない……
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第3話
主人公のことを少年と書きながら、でも少年と言うには幼いんだよなあという思考のもとこんな疑問を持ちました。
尚、ある友人曰くショタと答えられました。
ちなみに調べる気は特にありません(オイ)
それでは、どうぞ。
今のは何だ。
自分は今目の前の少年に関心を寄せている。
寄せているのに、興味を持てない。
どうでもいいと思う気持ちと、まだ少年のことが知りたいという相反する思いが衝突する。
「……そろそろ帰るわ」
「はい、分かりました。どうかお気を付けて」
自分が道中に気を付けることなど有りもしないが。
意志とは裏腹に少年への関心が急激に薄れていく。少年のことを思えば思うほど、それ以上に思いを向けることが出来なくなってしまう。
そこで幽香はこの違和感の正体に見当が付いた。
少年へと興味を持つことが出来ない、つまり、少年へと踏み込むことが一定以上出来なくなってしまうということは、それ以上を少年が拒絶したということか。
少年の能力が、幽香の物理的な攻撃だけでなく、内面的な部分にまで作用したのだ。
(そうまでして自分に関心を持ってほしくなかった? いや、
なかなか厄介なことをしてくれる。
自分はまだまだ知りたいことがあるというのに、少年の能力の所為でそれ以上踏み込む気が強制的に失われてしまう。
なんなら明日にでもまた少年の元へと行けばいいのだが、今の自分は行く気が起きないし、明日よしんば行ったとして、また同じように能力を使われてしまっては話すことも出来るか怪しい。
(あのスキマならなんとか出来るかしら。向こうから振ってきたんだし話位は聞いてもいいわよね。いや、別にやらなくて……チッ)
なんとまあ面倒なことか。
◇◆◇◆
風見幽香と名乗った妖怪はもう目の届く範囲にはいない。
少年は玄関を出たところで離れていく幽香を見送っていた。
能力を操作してこれ以上関心を持つことが出来ないようにしたので、もうここに来ることはないだろう。ここに来るということを実行する程の意志も持つことは出来まい。
これでいい。
久方振りの他人との会話に思うことが無い訳ではないが、それ以上に自分と関わってほしくなかった。
自分と一緒にいれば必ず傷付いてしまう。傷付けるのはまた別の誰かからもしれないし、自分かもしれない。
誰かが傷付くのはもう嫌だ。誰かが傷付いてしまうくらいなら自分が傷付くことを選ぶ。
大妖怪だから傷付くことはないだとか、そんなことを気にする程弱い存在などではないだとか、そういう思考は少年にはなかった。
良くも悪くも、少年にとっては世界は自分と他人しかいなかった。
そういえば。
(何で僕と一緒にいると傷付くんだろう……?)
今までそういうものだと勝手に思っていたが、はて、自分にそんな経験はない筈だが……?
「久しぶりの他人との関わりは如何でしたか?」
「えっ?」
後方、家の中から声がした。
不思議に思い振り向くと、見たことのない鮮やかな金髪を持った少女がこちらを見つめながら座っていた。
有り得ない。
自分は今、というより常時能力を発動している。物理的にも精神的にも自分にある程度近付けなくなるものだが、その範囲は今家の中全体を含んでいる。
それに、今しがた幽香に使ったように、今は自分に興味を持つことも殆ど出来なくなっている筈なのだ。
なのに今目の前にいる少女は何時の間にか家の中に侵入しているし、わざわざ自分に会いに来たということは興味もそれだけ持っているということだ。
色々と疑問は残るが、
「……初めまして、ですよね」
「はい、初めまして。ふふ、思った通り変な子ね。最初に出る台詞が挨拶だなんて」
興味を持たれないようにするには悪感情も持たれてはいけない。
故に少年は誰に対しても敬語であり、礼儀正しい。相手が人間でも、妖怪でも。
そんな態度こそ人間に忌避されることの一因であったり、余計に目の前の妖怪等から興味を持たれる原因であったりするのだが、悲しいかな、少年がそこまで行き着く程思考は成熟していなかった。
「ふふ、そんなに警戒なさらずともよろしいですわ。
「先程も同じような言葉を聞きましたね」
なるべく距離を取りながら家の中へと戻る。
どうにも信用できないのは何故だろうか。しかし、変に反発してしまっては悪い意味で興味を持たれてしまうので、素直に話す体勢へと移行する。
「私の名前は八雲紫。先の風見幽香と同じく、大妖怪と言われる者です」
「紫さん、ですか」
「はい。ああ、貴方は名乗らずとも結構です。名前をお持ちでないのは把握していますので」
何が可笑しいのか扇で口元を隠してくすくすと笑いながら、少女は自身の名前を告げた。
自分に名前が無いのを知られているのは少し意外に思ったが、どうやって知ったのだろうか。自分のことを話すことなど、それこそ先程の風見幽香という妖怪が初めてだというのに。
それに、どうやって能力の効果の影響下にある筈の家の中に侵入したのだろうか。
少女のサイズでは窓からというのは考えにくいし、玄関は自分がいたのだから有り得ない。
何も分からない。
「意味不明、という顔ですわね」
「あ、いえ……」
「お気になさらず。意外でしょうが、幽香が『拒絶する程度』と名付けた貴方の能力は、私には効きません。こう、ちょちょいと貴方の私に対する拒絶と許容の境界を弄らせていただいたのですわ」
「境界、ですか?」
聞き慣れない単語に鸚鵡返しで問い返してしまった。
「私の能力は『境界を操る程度の能力』と言いまして。自分のことながら、神にすら届き得ると自負しております」
「は、はあ……」
そう言われても、どれ程凄いことなのかイマイチ理解出来ないのだけれど。
まあ、それならこの不可解な状況にも説明付けることが出来る。
「と言いますと、この家の中に入ってきたのも、僕が気が付かなかったのも、その能力があったから、ということですか」
「……驚いたわ。こうもすぐにその答えに辿り着くなんて」
なにか小声で呟いたようだが、少年には届かなかった。
境界を操ると言われたところで何が出来るのか、どうやって使うものなのかなど皆目見当もつかないが、きっと出来るのだろう。むしろそれしか説明付けることが出来るものも無いし。
しかし、参った。
少年にとって能力が効かないというのは、深刻な問題となり得る。
少年は誰にも興味を持たれず、独りでありたいと願っているのに、これでは彼女には関心を持たれてしまうではないか。
「……僕と話したいこととは何でしょうか」
「うーん……硬いわねえ。もっと楽にしていいのよ?」
「そう言われましても。僕にはこれが普通です」
紫は困ったように苦笑しているが、変えろと言われたところで変えるようなものもない。
まあいいでしょう、という言葉と共に紫は真っ直ぐにこちらの目を見つめながら口を開いた。
「話というのは他でもありません。――――貴方には、これからも風見幽香に会っていただきます」
「……はい?」
「幽香には、私が動いて貴方の能力の影響を受けないように致しましょう。それでこれからも幽香と会い、会話し、親密になって―――――」
「いやいやいや、待ってください。僕は誰かと仲良くなんて、」
「知っています」
言葉を被せて紫は言った。
言葉にできない迫力に呑まれ、少年は口を噤んだ。
紫の今の一言には、そうさせるだけの圧力があった。
「貴方が自分と関わることで誰かが傷付くことを恐れていることも。傷付けない為に自分が孤独になることを選んでいるのも。誰かが傷付いてしまうなら自分が傷付きくことを選んでしまうことも。全てなどと大それたことは言えませんが、ある程度は貴方の心情を理解しているつもりです」
「ならどうして」
「それでも」
それでも、
「……貴方には、幽香と関わりを持ってほしい」
「……どうしてですか」
少年は理由を問うた。
目の前の少女は少年の健気で歪な願いを理解していると口にした。
なのに、彼女が告げた言葉はその願いと相反している。
少年は分からなかった。
彼女がそう言う理由が。
少年は嫌だった。
当然だ。自分は孤独でありたいのだから。
しかし、少年は。
(…………?)
何かが少年の心に浮かんだ。
それはまるで泡沫のように浮かんではきたものの、形になる前に消えてしまうような儚いものであった。だが、少年の心をざわつかせるには十分なものであった。
だが、少年にはそれを言葉にする術を持っていなかった。
「私にも目的があります。それを実現する為に、貴方を利用させてもらうのです」
「……それは、僕に直接言っていいものなんですか?」
考え事をしていた所為で少し反応が遅れてしまったが、不自然にならない程度のものであった筈だ。
言葉にすることができない泡はやがて少年の心の隅へと追いやられてしまい、いつしかそのまま消えてしまうだろう。
果たして、少年がその正体に気付くことが出来る時が来るのだろうか。
「最初から教えることで信頼を得られるのなら構いません。それに、貴方の意思に関わらず無理矢理利用させてもらうつもりですので」
くすり、と紫は笑みを溢した。
少年は彼女の真意を探るようにじっと目を見つめていた。
彼女の意図はどこにある? 目的とは? 自分と幽香が親密になることで何にどんな影響があるというのか。自分と関わったら傷付くだけだというのに、わざわざ近付く必要などないだろう。
しばらくそうして見つめあっていた二人だが、先に折れたのは少年の方だった。
溜息を一つ漏らす。
「……はあ。僕に拒否権は無いようですね」
「あら、目的の中身とかは訊かないの? 理解が早くて此方としては助かるけれど」
「訊いて教えてくれるようなものなんですか?」
「いえ、お断りさせていただきますわ」
「ならいいです」
少女から感じる胡散臭さにそんなことだろうと予想はしていたが、全く、強引な
少年は再度溜息を漏らすと、紫を見据え、
「ご自由にどうぞ。ですが、僕は独りでいたいということを忘れないでくださいね」
「ええ。私の目的に抵触しない範囲では最大限貴方の意思は尊重します。それは私の名前に誓って絶対に守ります」
◇◆◇◆
「どうだったかしら、私の言っていた少年は」
「……今私に能力を使おうとしたわね」
「何で分かるのよ」
「分かるからよ」
「……まあ、いいけど。ほら、悪いことはしないから大人しくする。貴方だって、まだあの子と話してみたいのでしょう?」
「……ふーん。なら早くしなさい。どうも気分が悪くて苛々するのよ」
「おお怖い怖い――――はい、終わったわ」
「そうみたいね。はあ、ようやくあの気持ち悪さが消えた。今日は……もう遅いか。また明日行こうかしら」
「……ふふっ」
「気色悪い」
「直球ッ!?」
少しくどい感じがします。
主人公が見た目の割に言動が冷静過ぎて書いてて違和感しか感じません。下手にこういう性格にした所為ですね。
つまるところの自業自得。
そして紫さまの能力が便利過ぎる。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
ご不明な点や誤字、矛盾などございましたらご連絡ください。
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第4話
早くもネタ切れ感。書きたいシーンはあるのに、そこに行き着くまでを殆ど考えずに書き始めてしまいましたからね。
それでは、どうぞ。
幽香と少年が関わるようになって暫くの月日が経った。
初めの方こそ幽香に能力を使い、何度も遠ざけた少年であったが、その度に紫によって解除されて次の日には再び訪れる彼女にいつしか諦めが付いたのか、気が付けば少年が幽香に能力を使うことは殆ど無くなった。
それでも、物理的には一定以上近付けないのは変わらないままであったが。
敢えて変わったとすれば、その距離が最初と比べ格段に近付いたということぐらいか。
「それで、今日はどんな御用ですか?――紫さん」
そんなある日、この日は珍しい客がいた。
少年を孤独から無理矢理引っ張りあげ、幽香を何度も少年の元に向かわせる張本人。
八雲紫である。
彼女は滅多に顔を見せることは無い。何処で何をしているのかなど知らないが、今のところ少年の周りの環境に直接的な変化がそれこそ幽香と会うようになったこと以外見受けられない以上、そこまで気にしなくてもいいだろう。
「いえ、それなりに時が経ちましたし、ただ様子を見に来ただけですわ」
くすりと笑うその姿は、可憐さや美しさといった言葉が似合うものであったが、如何せん少年の中で紫への評価が低いため、薄く反応するだけだった。
その様子に少し残念そうな顔をする紫であったが、すぐに取り繕うように表情を引き締め、少年を見据えた。
「見ての通り僕は普段通りですが」
「いえいえ、私が見たいのは健康状態だとか、そういうものではありません」
「では、何を?」
「貴方は幽香と会うようになり、何か変わりましたか?」
少年は無言を返した。
少年自身にも、思い当たる節が無い訳ではないのだ。
例えば、自分はいつからか幽香がいつ頃来るのかを気にするようになった。例えば、自分はいつからか幽香のことをさらに知りたくなった。例えば、彼女に感化されて花に興味を持つようになった。
どれもこれも、幽香の所為であり、幽香の影響だ。
しかし、それでは駄目なのだ。
自分は一人でいなければならない。誰かと関わるわけにはいかない。
半ば強迫観念のように頭から離れないこの思考は、少年の言動を束縛していた。
何故こんな思考に至るのかという疑問はある。しかし答えはない。少年の中でこれはもう確定事項なのだ。
自分と関われば、絶対に、傷付いてしまう。
「――いえ、何も変わりませんよ……何も」
「……そうですか」
紫は何か言いたげだったが、それを口にすることなく、少年の言葉を受け止めた。
「さて、もうすぐ幽香さんが来ると思いますが、紫さんはどうされますか?」
「そうねえ、少しお邪魔しようかしら。普段貴方達が何を話しているか気になるわ」
「面白いものはないと思いますが……」
◇◆◇◆
「なんだ、アンタも居たのね」
「酷い言われようね。別に私が居たっておかしくはないでしょうに」
「おかしくはないけど不審ではあるわね」
「本当、酷い言われようだわ」
少年の言う通り、四半刻程してやって来た幽香は、紫を見るなり開口一番そう言った。
その表情に嫌悪感は無く、興味無さ気であったので、本当に不審に思っただけなのだろう。
幽香は慣れた動作で座敷を上り、少年と角を挟んで斜め前に座った。ちなみに、紫は少年の正面である。
「…………」
「何よ?」
「いや、随分と親しくなったみたいだと思ったのよ」
幽香は何に対してそう思ったのか分からないらしく、何言っているんだコイツは、という顔で紫を見た。
座る位置というのは、当人達との心理的な距離を表すという。
少年を中心に、今この状況から見れば、正面にいる紫とは一番心理的に離れていて、ともすれば対立していると言える位置。斜め前の幽香は、程よく距離を取った互いにその近さが気にならない程度の距離となる。
少年と初めて会った頃と言えば、専ら正面ばかりで、少年の方から距離を取っていたことを考えると、今の少年と幽香の位置関係は劇的な進歩と言えよう。
「ふうん、ま、いいわ。さ、人間、今日はどんな話をしようかしら」
「また、幽香さんの知人さんの話をしてくれませんか? 昨日は確か、伊吹萃香さんという話でしたが」
「そうね……それじゃ、とある悪魔の話でもしましょうか」
紫を存在しないものと捉えたのか、一切目もくれずに自分の友人の話を始める幽香。
少年は少々分かりにくいものの、その顔を好奇心で一杯にしながらその話を聞いていた。
紫はと言えば、スキマから取り出した外国由来の飲み物を取り出して静かにその様子を見ていた。ついでに言うと、幽香が語る悪魔のことは紫も知っている。
規格外の強さを持つ姉妹であったが、幽香は彼女達を友人と認めているらしい。いや、自分が友人だと思われていないだけか。
自分でこの答えに行き着いておいて若干へこんだ。
「――へえ、そんなに強い方々なんですか」
「――そうね、それは私も認めるわ」
会話に華を咲かせる二人。
その様子に、紫は目を細めた。
(これで、目標の一つは達成出来そうね)
その視線は、どかか優しげであった。
◇◆◇◆
またある日の夜。
星々が天に煌めき、完全に満ちた月が地を照らす幻想的な夜であった。
満月は星に代わり人々に明かりを与えると同時に、数多の人外達の血を大いに騒がせる。
月の魔力とはよく言ったものだと、幽香は一人満月を見上げ夢想した。
場所は少年の家の屋根の上。今にも倒れそうではあるが、その実少年と初めて出会った時に補修してあるので、見た目以上の頑丈さを誇っていた。
(今日も気が付けば食糧が増えていた)
幽香はある疑問を解消するために、こうして一人夜空を見上げていた。少年は今頃夢の中だろう。
その疑問というのは、少年が摂取するための食糧の出処、である。
近くに田畑は無いし、少年自身も農耕作業をしている様子はなかった。かと言って少年は人の住む地には行こうともしないため、購入したということも有り得ないだろう。
時折少し歩いたところにある川で釣りをしていたり、森の中で山菜採りなどはしているようだが、それだけでは説明がつかない種類の食べ物がこの家にはある程度備蓄されている。
そう、釣りや山菜だけなら、米やその他野菜がある訳がないのだ。
一度、少年に尋ねたことがある。
その時の答えは、
『定期的に家の前に置かれているんですよね。持ってきてくれてる誰かにお礼を言おうと思ったんですが、見張りをしているとやって来ないみたいでして』
その時は特に興味を抱かなかったが、なんとなく、今日は気になった。
というのも、何度か少年の家で食事をしている以上、一度くらいは話してみるかと思い立ったのである。食事といっても、少年か自分が話す時のつまみ程度に軽いものを作るだけなのだが。
意味はない。強いて言うならば、本当になんとなくなのだ。
定期的に、と少年は言っていたのだから今日来るはずだが、来なければ来ないで別に構わない。そこまで強い意志ではない。
何故夜なのかと問われれば、日中来なかったからという単純な理由だ。
こうして遅くまで起きているのも、単純に眠気に襲われないからというだけで。
〈こんばんは〉
「っ!?」
女性の声がした。
発生源は後ろ。それなりの距離があるようだ。持っている日傘を振っても届かない可能性が高い。
妖力弾を放つか? いや、自分に気取られず後ろを取る実力、存在を認知して尚感じない人外所以の力。
妖力の類を感じないからといって、自分がこうして後ろを取られている以上、感じない程弱いということはまずない。
取るべき行動は一つ。
相手に侮られないように余裕を持って相対しろ。
「ええ、こんばんは。素敵な夜ね」
〈ふふ、そう構えずに。私は貴方と話したいだけなの〉
立ち上がり、振り返ると、そこには一匹の狼がいた。
少年の髪より白い、銀に近い毛色をした狼である。
その銀の毛並みは月光を照り返して神秘的に狼の姿を夜に浮かび上がらせる。
幽香がその狼を見て最初に抱いた印象は、美しい、であった。
「……狼?」
〈そうね〉
喋る、狼?
漸く、その狼への疑問が湧いてきた。
狼自体がいることはまあ不思議ではない。一匹でいるのも気にはなるが、有り得ない話ではない。
不思議なのは、喋るという点とその毛並みである。
ここは森の中だ。森の中に、白銀の毛並みの狼など存在する筈がない。理由は明快で、動物というのは狩る側にしろ狩られる側にしろ、基本的に生活環境に紛れるような色を持つからである。
森という土の茶色や植物の緑で構成される場所で、雪のような白さはあまりにも目立ちすぎる。
そして、動物は普通言語を解さない。
言語を解すとするならば、そして銀色の狼というならば、真っ先に白狼天狗を思い浮かべるが、妖怪特有の妖力等は感知できない。
「……貴方、何者?」
幽香が出した答えは、理解不能であった。
構えないで? はっ、その姿で言われて警戒しない奴がいるものか。
〈そう警戒しないでってば。敵対するつもりはないの〉
「信用すると思う?」
〈どうすれば信じて貰えるかしら?〉
「首を出しなさい」
狼は素直に自分に首元を晒した。
それがあまりに自然に行われるものだから、言った本人が一瞬呆気に取られる程であった。
その姿に毒気を抜かれ、幽香は溜息を一つ漏らした。
「はあ……」
その場に座り直し、狼を手招きする。
〈そっちに行っても?〉
「どうせ来るんでしょう。私の知り合いにお前みたいな物腰柔らかそうに見えてその実強引な奴がいるから、なんとなく分かるわ」
〈あらそう〉
とことこと屋根の上を身軽に歩いてきた狼は、幽香の隣に陣取ると一緒になって夜空を見上げた。
その狼に獣臭さはない。良い匂いがする、という訳でもないが、不快になることはなさそうだ。
〈貴方が風見幽香さんでいいのよね?〉
「どうして私の名前を?」
〈最近あの子の話し相手になってくれているんだもの。名前ぐらい知らないと失礼でしょう?〉
あの子、というのは間違いなくあの白髪の少年のことだろう。
彼とこの狼は一体どんな関係にあるのだろうか。少年から喋る狼の知り合いがいるという話は聞いたことがないので、彼が意図的に秘密にしていたということでなければ、この狼が一方的に少年のことを知っているということだろうか。
「それで、どうして私に話しかけてきたのかしら」
〈そうねえ、食べ物を持ってきたら、屋根の上に貴方が見えたものだから、つい話しかけちゃっただけよ〉
「ということは、いつも食糧を持ってきていたのはお前だったのね」
〈ええ〉
なら、と幽香は続ける。
「どうして、あの人間に頑なに会おうとしないのかしら」
今まで撞けば鳴る鐘のように返答していた狼が初めて口を噤んだ。
ふうん、と内心幽香は狼の心情を推し量る。
返答を渋ったということは、それだけ答えにくい質問であったということだ。一方的に知っているだけのようであるこの狼に、果たして答えを渋るような何かがあるのだろうか。
〈…………私は〉
漸く、狼が口を開いた。
……声帯は無いと思われるのだが、どうやって発声しているのだろうか。
いや、それどころじゃない。
〈私には、あの子と一緒にいる資格がないから……〉
「え?」
〈お願いがあります、幽香さん〉
今までの狼の姿はそこになく、在るのは一種の神格を漂わせる佇まいをした一匹の獣であった。
姿が変わった訳ではない。しかし幽香はソレを狼と言うことは出来なかった。
神秘的では足りない。これは神秘そのものだ。
幻想的では足りない。これは幻想でしかるべきだ。
超常的では足りない。まさしくコレは常識を超えているのだから。
どんな形容詞を付けようとも足りない程の存在感。これほどまでの重圧は、幽香のこれまでの経験上にはなかった。
目の前のコレは、何だ?
「……何かしら」
どうにか喉の奥からそれだけを絞り出した。
恐怖ではない。しかし、どの感情とも当てはまらない。
敢えて言葉にするのなら、圧倒的なまでの息苦しさだろうか。
〈あの子を、これからもお願いします〉
目の前のナニカは、まるで人間のように此方に頭を下げた。一瞬、理解が追い付かなかった。
〈私は、あの子達を一人にすることしか出来なかった。あの子達を孤独から掬いだすことも出来なかった。だから、今まで待ち続けました〉
それは果たして懺悔なのだろうか。
幽香には、それが己の過去を悔いて告白しているようにしか見えなかった。
それと同時に、自分へと希望を託すようにも見えた。
〈どうか、もう、あの子を一人にさせないであげて。もう、あの子の心をこれ以上殺さないで上げて。あまりにもあの子は、傷に慣れ過ぎてしまった〉
その声は、どこか濡れていた。
〈痛い筈なのに。苦しい筈なのに。あの子はもうそれを感じることすら出来なくなってしまった。そんなのは……そんなのは、あまりにも辛すぎる! あの子達はただ優しかっただけなのに!〉
バッ! とナニカは顔を上げた。
此方を見詰める両眼は、溢れ出る存在感とは裏腹に、まるで人間のようで。
幽香はその眼が、やけに頭に残った。
〈お願いします幽香さん! あの子を、どうか、どうか、救ってあげて……っ!〉
もう一度ナニカは頭を下げたことで、幽香の視界からその眼は消えてしまった。
しかし、分かったことがある。
目の前のナニカと少年の関係性は未だに不明のままだ。だが、ナニカは誰よりも少年のことを想っていた。
比べる対象は殆どいない。だが、ナニカの熱意は、想いは、そう幽香を確信させるだけのものがあった。
言ってしまえば。
幽香にそこまでしてやる必要はないのだ。
少年と会っているのも、興味が湧いただけ。それも、少年自身ではなく能力についてだ。
どれほど頼まれようとも、何かに縛られることを忌避する自分は断ってしまえばいいのだ。
(……と、前なら思ったのでしょうね)
目の前の銀を見遣る。
ナニカは頭を下げたままだ。答えを待っているのだろう。
さて、自分にとって少年とは何だ?
興味の湧く存在と思っていたが、ちょっと前からそれだけでない感情を有し始めたことに幽香自身気が付いていた。
いくら見た目と分不相応とはいえ、まだ子供っぽさの残る少年への母性? 違う。
素性も何もかもが未だ謎なままの少年への興味? 違う。
言葉にすることができない。自分の感情を整理することができない。
だから、自分の直感に従うのならば。
「――分かったわ」
ナニカが顔を上げた。
未だこの感情を何と定義すればいいかは分からない。
だが、ただ一つ言えることがある。
どうあっても、自分は少年とまだ会っていたいらしい。
会っていたい。話をしたい。少年のことが知りたい。
だって、まだ自分は、彼のことを何も知らないのだもの。
忘れないで、とナニカに釘を刺しておく。
「貴方に何を言われたからとか、そんなものは関係無いわ。私は私の直感に従って、あの人間と関わりを持ち続ける。孤独から救うだとか云々なんて、知ったことじゃないの」
〈いえ……いえ……! それでも十分です! もうあの子達は、独りじゃないのだから……っ〉
突然ナニカは顔を背けた。
幽香は時折聞こえる女性のようなその声を聞いて、暫くの間、美しいその毛並みを撫でていた。
読み辛くなっているのは自覚しております。
また次の日、みたいにただただ日常編を書くか、一気に時間を飛ばしてイベントだけ書くか迷い、結局後者になった結果です。
本来は前半の紫登場部分で終わらせるつもりだったんですが、あまりにも短すぎたので急遽予定変更。書きたいシーンの一つをぶち込ませていただきました。
結果、大変読み辛い構成になってしまったこと、ここに深くお詫び申しあげます。
ごめんなさい。またすると思います。
ちなみに、狼の正体だとか、少年の素性はきちんといつか明かすので、ご心配なく。
とりあえずイベントシーンを重点的に書く方針なら、割と話数そのものは少ないうちに出会い編は終わりそうですかね?
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
矛盾点や疑問点、誤字脱字等ございましたらご連絡お願いします。
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第5話
高校までは日常生活での消費があったからか、筋肉量がそこまでなくてもある程度体型維持していたんですが、独り暮らしを始めて、近くに大体のものが揃っているからか、全然動かなくなりましたねえ。
どうにかしないといけないとは思っているんです。思っているだけ。
それでは、どうぞ。
豪邸であった。
広大な敷地に、壮大な屋敷。家の内外を問わず忙しなく働いている何人もの使用人。
今幽香が居る場所は、そんな身分の高そうな人間が住んでいる所であった。
刺さる警戒と恐怖の視線。同室にいるのは一人だけだが、部屋の外に何人も待機させてあるようだ。どうやら隠れているつもりなのだろうが、幽香の前ではあまりにも無意味過ぎた。
一口、出されたお茶を口に含む。ふむ、どうやら毒は盛られてないらしい。どうせ効きはしないが。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
「ここって、色んな妖怪の情報を収集、書物として編纂しているのでしょう?」
「ええ、まあ。それが御阿礼の子に課せられた使命ですから」
ここは稗田という一族の屋敷だ。
稗田という家系は特殊な立場にある。
幽香も詳しくは知らないが、妖怪の辞典のようなものを編纂してるだとか、転生して何代もその作業を続けるだとか、求聞持とかいう能力を持っているだとか、その程度だ。
幽香がそのような場所に訪れたのには理由がある。
先日、あの月のような白銀の毛色をした狼にあの少年を頼まれて以降、気になっていたことを調べようと思ったのである。
その内容とは、少年の素性のことである。
これまで接してきていて、既に幽香は少年を人間ではないと断定していた。
確たる証拠はないが、どうもあの少年には人間という要素がどうにも薄いような気がしたのだ。
「少し、情報が欲しい妖怪がいるのだけど」
「情報が欲しい……?」
不審な目を向けられたが、それも致し方ないだろう。
今の構図を分かりやすく言えば、妖怪が人間に頼み事をしている図である。風見幽香という大妖怪が、あまりにも弱い存在である人間に。
本来ならば、わざわざ遠出してまでここに来ずとも、何か事情を知っているだろう八雲紫から聞き出すつもりだったのだ。
それなのに、アイツはそんなに気になるなら自分で調べるといい的なことを言って、稗田という一族の話だけして何も語りやしなかった。
頭を下げてまで教えを請いたくはなかったので、こうして自ら足を伸ばしたというのが、ことの詳細である。
一切の連絡を入れずに来たからか、まず都の近くに来たところで退魔師達が何人も退治しに来たが、妖力で威圧しただけで半分が脱落。残り半分も軽く黙らせて、紫から得ていた情報を頼りにここまでやって来た訳だが、道中、そしてここに着いてからも色々と悶着があったとはいえ、結果的にこうして御阿礼の子と二人で対面できているのだから良しとしよう。
死人はいない筈だ。重傷まではいるだろうが。
「名前は分からないわ。特徴を言えば、貴方なら分かる?」
「ものにも拠りますが……どのような妖怪ですか?」
幽香は、あの白髪の少年の姿を思い浮かべながら、彼を特定できそうな情報を伝えていった。
「一番大きな特徴と言ったら、白い髪を持っていることかしら」
「白い紙……いや、髪? ということは、その妖怪は人の形を?」
「ええ。それも言った方が良かったわね」
「いえ、お構いなく。どうぞ、続けてください」
「他には、幼い男の姿をしていること。森の中に住んでいること。近付くものを拒む能力を持っていること……といったところかしらね」
「幼い男性、森林でよく見かける、拒む能力……ですか」
言って御阿礼の子は後ろの書棚を探し始めた。他に特別伝えるような特徴も無かったと思う。
それにしても、自分という存在に背を向けているということがどれ程危険な行為なのか理解しているのだろうか。声の調子から判断するに、自分に恐怖していないということは無いと思うのだが。
忙しなく右に左に、書棚と此方を移動して自分が述べた特徴に合致する妖怪について書かれた書物を集める姿に、どこか少年に似た何かを感じた。
(……単純に、お人好しなのかもしれないわね)
そういえば、同じ丁寧な物言いだというのに、少年とどこか受ける印象が違うのは何故だろう?
目の前の人間が書物を集め終えるのを待つついでに、少し幽香は考えてみた。
声色や声の調子というのは中々惜しい所を突いているような気がする。
しばらくして、ああそうか、と答えに行き着く。
(あいつには、恐怖が無かった。警戒はあっても、決して私を恐れていなかった)
それなりの時間を少年と過ごしていて忘れていたが、本来なら自分は恐れられるべき存在なのだ。
先程の自分に向けられていた恐怖をどこか懐かしく感じていたのは、自分がそれだけ少年と一緒にいたということだろうか。
この思考に何故か若干の気恥ずかしさを感じながら、もう一度お茶を啜って気を紛らわせることにした。
全く、自分に恐怖を感じない方が異常だということを、異常な存在である少年と出会っていたからこそ忘れるなど。
「――お待たせしました。人の姿をしているとのことでしたので、大分情報は絞り込めたと思いますが、能力については省いています。似たようなことができる妖怪も入れてはいますが、そうでないものも含まれています」
「十分よ。感謝するわ。……中を見ても?」
「え、ええ……あ、私が該当する箇所を開きます」
どうしてそこで驚いた顔をするのか。
自分と対面することでその恐怖が再度呼び起こされたのか、手も声も震えて、こちらになるべく近付かないようにしながら、目の前の人間はその書物を開いて寄越した。
指差された妖怪の姿を見て、幽香は即断した。
「コイツじゃないわ」
「え……では、こちらは?」
続いて出されたものを見て、再度否定。
「それでは――」
またしても違う。
「こちらは――」
やはり、違う。
「どうでしょう――」
違う。
そして。
「……こちらで、能力以外の該当する情報を持つ妖怪は全てですが……」
「……いえ、違うわ」
収穫は無かった。
どれもこれも、少年と同じ特徴はしているものの、決してその姿は少年ではなかった。
それに、厳密に全ての特徴を持つというのも殆どいなかった。例えば、髪色は白ではなく灰色だとか、白く見せるだとかばかりだったし、幼い少年というのも、そういう姿に化けることが多いだとかばかりで、本当にそんな特徴を持つものはいなかった。
それについて文句を言うつもりはない。むしろ、たったあれだけの情報でよくここまで絞ったものだ。
もう一度、提示された妖怪の書かれた所を読み直し、やはり違うことを確認して、書物を閉じた。
「世話を掛けたわね。情報が得られないなら長居するつもりはないわ。あまり貴方に気苦労をかけるのも忍びないし、私は帰るとしましょうか」
「ま、待ってください!」
「?」
近くに置いていた日傘を手に取り、立ち上がろうとしたところで呼び止められた。
はて、自分をわざわざ呼び止めるなど、まだ何かあるのだろうか。
「実際に目にしたことも、媒体も見たことも無いのですが、先程の特徴と似たような特徴を持つ妖怪の噂話を一つ、聞いたことがあります」
ふむ、とは立ち上がりかけた姿勢を元に戻した。
中々興味深い話を知っているではないか。
それが少年のことであるという確証はないが、聞いてみるだけなら悪くないかもしれない。
「いいわ。話してみなさい」
「はい。では――」
○●○●
その子供は、普通の人間とは違う姿をしていました。
新雪のように穢れなく、月のように不気味な、白い髪を持っていたのです。
人間達は口を揃えて言います。
『ああ忌み子だ。触れるな近付くな』
『こっちへ来るな呪い子よ』
実際にその子供を目の前にして言う度胸は人間達にはありませんでしたが、皆、影でその子供を恐れ、忌み、避けたそうです。
その子供は白い髪を持つというだけで、時には女にも、時には男にも見えました。
人間達は思います。
これは祟りだと。
これは呪いだと。
かつて討伐隊が組まれたこともありましたが、その人達は殆ど帰ってこなかったそうです。数少ない生き残りの言葉によると、その子供の元に辿り着く前に、何体もの人外の存在に襲われ壊滅したのだとか。
この結果は、人間達に共通の認識を持たせることになりました。
あの存在は触れてはいけないものだ、と。
幸いなことに、その後白い髪の子供の姿は殆ど見ることはなくなったそうですが、今でも、時折森の中で、その子供を見ることがあるとかなんとか。
○●○●
「――と、私が聞いた話をまとめるとこうです」
「ふうん……」
取り敢えず話だけ聞いてみたものの、目ぼしい情報は得られなかった。
まあ噂話と最初から言っていたし、何か得るものがあるかと思っていた訳でもないのでそれは別にいい。
「すみません。何分、私もあまり詳しくは知らないのです……」
「いえ、気にしなくていいのだけれど」
今聞いたものと、少年の特徴とを比較してみる。
白い髪というのは一致している。あくまで見たという人間の主観だが、大きくかけ離れているということは無いだろう。
男にも女にも見えると言われれば、少年は髪を結わえていないので、遠目に見れば女に見間違えることもある……かもしれない。
しかし、忌み子だとか、呪いだとか、祟りだとか。随分と物騒だが、それが少年に当て嵌まるだろうか?
少年の気質を考えれば、どうも違うような気もするが……人間から見れば、髪色が違うというだけでそう呼ぶのもおかしくはないか?
もしかすると、ここらに少年の出生に関わる事項が隠れているのかもしれないが、如何せん情報が無さすぎる。
「ど、どうでしょう……? 何か、お役に立てたでしょうか……?」
「……そうね。なかなか面白い話だったわ」
ほ、と分かりやすく安堵の息を吐く御阿礼の子。別に、面白くなかったからと言って取って食う訳でもないのだが。
まあ人間からすれば、自分のような大妖怪なんてそんなものだろう。今こうしてたった二人で対峙し、あまつさえ会話、なんなら先みたく行動を阻害してまで呼び止める豪胆さを褒めてしかるべきだ。
「ありがとう御阿礼の子。私はこれで帰るけど、何かあったら、あのスキマ妖怪に言いなさい。どうせ知り合いなんでしょう?」
「分かりました。外まで見送りします」
「いいわ、そんなの。あんまり私みたいなのと居る所を見られたくないでしょう? 気紛れな妖怪が気紛れに稗田の家に来た。そういうことにしときなさい」
御阿礼の子は暫く呻っていたが、結局は分かりました、と言って座り直した。
その姿を見て軽く微笑み、幽香は部屋を、そして屋敷を後にした。
◇◆◇◆
「あっ、こんばんは、幽香さん。今日は遅かったですね」
「ええ、まあね」
稗田家の屋敷を後にして、都からも大分離れた所で紫に会った。
出てきて早々、あの胡散臭い笑みに腹が立ったので一発妖力を込めて気持ち強めに殴ってみた。スキマに逃げられたが、スキマごと破壊したら出てきたのでとりあえずもう一発殴っといた。
傷を負わせることは出来なかったが、まあ気分は晴れたので良しとしよう。
そのまま近くにスキマを繋がせ、折角だからと少年の家に寄ったのである。
それなりの時間を稗田家の屋敷で過ごしたらしく、出る頃には既に日は沈みかけていた。
ちなみに、やはり紫は少年について、どころか今回の幽香の行動について話にさえ出さなかった。
幽香の方からも、別に話そうという気は起きなかったので口にしなかったが、今思うと、何か知っている筈のあのスキマ妖怪をもう一発くらい殴るべきだったかもしれない。
「待ってくださいね。今何かお出ししますから」
そう言って台所に立つ姿に恐怖は無く、最早警戒心さえ無くなっていた。
「…………」
どことなく嬉しそうに軽食の用意をする少年の姿と、先程御阿礼の子から聞いた噂話に出てくる妖怪とが一致しない。
いや、そもそもその噂の妖怪の正体がこの少年だという証拠は一切ないのだから、一致しないのは当然なのだ。
しかし、それでも。
――なんとなく、気にかかる。
「? どうかしましたか、幽香さん?」
視線に気付いたのか 少年が振り返ってこちらを見る。
丁度良い、と思った。
「ねえ、人間」
「はい。何ですか?」
「――貴方、忌み子とか、呪い子って呼ばれたことあるのかしら?」
果たして、答えは、
「ええ、ありますよ?」
あまりにもあっさりと、あっけらかんと、拍子抜けする程に。
少年はごくごく普通に頷いた。
でも大学生の間に筋肉だとか色々対策しとかないと将来苦労するのは目に見えてるんですよねえ……。
ということで、ほんの少しだけ少年の情報が明かされました。
まあ、あれだけでどんな奴か分かるかと言われても困るとは思うんですけど。
もう暫くは、ある日のこと~みたいな時系列で動くと思います。
ちなみに、今回御阿礼の子が出ましたが、明確に何代目とかは想定していないです。まあ阿一以降ということで。
主人公の原作時点での想定している年齢から逆算すれば出るとは思うんですが、メンド――えふんえふん。明確にこの時代とするのを避けるためにこのような形になりました。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
誤字脱字や矛盾、疑問点等ございましたらご連絡下さい。
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第6話
GWは実家に帰省してぐうたらしていたら気が付いたら終わってしまいました。でも、たまにはそんな期間があったっていいはず。
というわけで前回からの続きです。
設定だけあるのにストーリーが大分行き当たりばったりな所為できちんと書き上げれるのかマジで不安。
それではどうぞー。
「は……?」
一瞬、思考が止まった。
今、少年はなんと口走った?
「え、何か驚くようなことがありましたか? 虫か何かでもいたんですか」
「違う、違うわ。貴方、あんな呼び方をされていたの?」
見当外れな少年の質問に頭を横に振りながら答え、再度先の質問を訊き返した。
聞き間違いでなければ、少年は先程肯定していてように聞こえたのだが……?
何を焦っているのかは自分でも分からない。当たるとは思っていなかった情報がまさか本当に少年のことである可能性が濃厚になったことに対しての驚きだろうか。
「今は人のいるところには滅多にいきませんし、会うこと自体も殆どありませんので、現在もそう呼ばれているかは分かりませんが、昔は、はい。そんな呼び方もされていましたね」
「どのくらい前なの?」
「……さあ、具体的な年数は分からないですね……」
少年は少し考えたが、頭を振ってそう答えた。その表情からは嘘を吐いている様子はなく、どうやら本当に分からないようだ。
すこし不審に思ったものの、取り敢えず後回しにして、御阿礼の子から聞いた情報を少年に尋ねてみることにする。
「昔、陰陽師とかがこの森にやって来たことはなかった?」
「そもそも人間に会うことがあまりないので、それが陰陽師かどうかと言われましても……」
「複数人、もしくはもっと多数の人数で行動してて、変な恰好してる人間達のことよ」
「み、見覚えはないと思います……」
あまりにざっくりした説明だったからか、少年は少し困り気味だったが、とりあえず見たことはないようだ。
そう言えば、あの時言っていた討伐隊とやらは目標、今のところ可能性として高いのは少年へと行き着く前に妖怪の群れに襲われて壊滅したのだったか。もしそうなら、少年が見たことないのは当然かもしれない。
人間そのものを見たことはないと言うのなら、他はどうだろう。
「ある日、人間の血の匂いが濃くなったり、妖怪達がやけに活発化したりしたことはなかった?」
「いや、知らないです、ね……?」
突然、少年は首を傾げた。
「……いえ、多分、知って……? でも、僕にそんな記憶はない……じゃあ、この景色は……?」
ぶつぶつと少年は虚空を見つめて何か呟く。聞こえる単語から推測するに、どうやら幽香の言ったような光景に覚えがあるようだが……?
その様子に妙な違和感を覚えた幽香は少年を呼んだ。
「人間?」
「え、あ、はいっ。ごめんなさい。やっぱり、多分知っていると思うんですけど、なんだか妙に気分がざわついちゃって」
「ふむ。よければ、もう少し詳しく話してくれるかしら。無理にとは言わないわ」
大丈夫です、と少年は返し、作り終えたらしい軽食を手にこちらへ戻ってきた。
ことりと置かれたそれを一瞥し、ありがとうと礼を言ってから一口手を付ける。手抜きという訳ではないが、言葉通り軽く作っただけだというのに、結構美味しいものだ。
嚥下して、少年を見据えた。
少年も取り敢えず落ち着いたのか、幽香の視線を受けて身動ぎをする。
「えっと、先程も言いましたが、幽香さんの言ったようなことに覚えはありません」
「でも、知っているのね?」
「はい。少なくとも僕が経験したことは無い筈ですが、確かにその言葉に当て嵌まる光景が記憶にあります」
少年は途切れ途切れながらも、頭に思い浮かんだらしいその光景を語りだした。
「そこは森の中だと思います。木が一杯あります。それに、赤い……真っ赤です」
「ふんふん」
森の中だというのに赤いというのなら、それは血液の色に違いないだろう。
それが人の血液なのか妖怪の血液なのかは定かではないが、残っているというのなら人間の方が可能性は高いか。
「見渡す限り赤いです。咽るような、臭い……血の臭い……唸り声、悲鳴、怒号……色々聞こえます。色々感じます……」
「?……ねえ」
少し、少年の空気が変わったような気がした。
少年の口から漏れたように、赤い色とはつまり血の色で間違いないだろう。唸り声や悲鳴といった単語が気になるが、丁度戦闘中だとでも言うのだろうか。
だが、今はそれより。
虚ろな目で虚空を見詰める少年の姿に、幽香は妙な不安感を覚えた。
「これは、死体……? 人の手でしょうか……足も、内臓も、首もありますね……ああ、誰がこんな……違う、僕じゃない…………私じゃない…………っ!」
「ねえってば」
幽香の呼び掛けに、少年は応えない。
「違う……誰がこんな……僕じゃない……気持ち悪い……私じゃない、こっちに来ないで、皆死んでる、誰も殺さないで、こっちを見ないで、人間がした、妖怪がした。痛いよ。何も知らない。何も分からない。全部分かってる。痛い、痛い痛い痛いいたいいたい……あ、あぁぁぁ――」
「ねえ!」
再三の呼び掛けにようやく応じてこちらの顔を見遣る少年は、ひどく憔悴した表情をしていた。
何かに怯えるような。何かを恐れるような。そんな表情に、幽香は驚く。
こんなに表情を露にする少年を、彼女は初めて見たのだ。
少年はいつも、どこか儚げに、薄く笑みや困惑した表情をするばかりで、今のように大きく感情の揺れ動いたような顔を見たことがない。
少年がここまで取り乱した原因は何だ。
そして、少年が途中から人が変わったように呟いていた内容も気になる。
おそらく、推測通りに討伐隊の人間が妖怪に襲われた名残の風景ではある筈だ。
内容は物騒ではあるものの、それなりの規模の戦闘になり、尚且つ妖怪側が勝ったというのなら、その後が凄惨な光景になるのはおかしくはあるまい。
では、何に少年はこうも取り乱しているのだ?
「大丈夫かしら? 酷い顔をしているわよ」
「ゆう、か……さん」
どうも虚ろな目で幽香の顔を見る少年。
じっと見詰め合っていると、徐に少年は立ち上がり、覚束ない足取りで幽香のもとに歩いて来た。
これまで少年と幽香は、最初の頃に比べれば格段に縮まったとはいえ、一定の距離を取っていた。何度か幽香の方から近付こうとしてみたものの、全て阻まれた。少年の方から一定以上近付くこともなかった。
そうであったというのに、こうして少年の方から近付くことがあるとは、幽香は思いもしなかった。
ましてや、こうやって抱き付かれるなんて。
「…………」
「ゆうかさん……私は、ここに……」
「――ッ!?」
幽香、再びの思考停止。声が出なかっただけ自分は頑張った。
え? 今これはどういう状況だ? 今まである程度距離を取り続けていたというのに、何故急にこうやって距離を縮めてきた? いや、それが嫌なのかと言うとそんなことはないが、では嬉しいのかと言われれば違うと思う。そう、急なことで、不審なだけだ。そうだ、きっとそうだ特に深い意味は無いに違いないいやでも傍に来るだけならともかく抱き付くとは一体どんな理由が――
「ぅぁぁ……ぁ、ぁぁ……ぅぇ―――」
「――うん?」
少年は涙を流していた。
普段はあまり感情の分かりにくい少年が、こうも感情を露にしている。
それがどれほど異常なことか、いくら幽香でも分かるくらいには短くない時間を過ごしてきたつもりだ。
それに、少年が見せるのは、それこそ薄い笑みや困惑顔ぐらいなもので、今のように明らかな感情表現というのは少年の普段の様子からは想像出来ない。少年がその見た目程度の人間の子供と比べて精神年齢が高く思えるのもその一因だとは思うが、それを差し引いてもこの状況は異常だと言えるのではなかろうか。
「違う……私は、僕は、こんな……こんなこと……」
幽香の服を硬く掴む少年の手は震えていた。力んでいる故の震えではないことは、流石に幽香にも分かった。
鳴き声は小さくも聞こえるが、顔を埋めているためその表情は伺い知れない。しかし、この震えから、先程見せたあの表情の通り、何かに怯えているようである。
何に怯えているのかは分からない。ただ、先程から一人称が何度も崩れていることから、その程度はなんとなく予測は出来る。
だから、こうする。
恐怖に震えているのなら。こうして抱き締められているのなら。
こうするのが普通なのだろう。
「大丈夫。私はここにいるわ」
「ぅ……」
強く。そして、優しく。全力だと壊れかねないから。
抱き締め返した。
頭を撫で、その恐怖を和らげるように、背を軽く、トントンと等間隔で叩く。
大丈夫だと、何も怖がる必要はないのだと。
「貴方が何に怯えているのかは分からないけれど。私に吐き出すことで薄れるというのなら、いくらでも吐き出しなさい。貴方がどれだけ泣こうとも、私は貴方を責めたりしないし、全部受け止めてあげる」
「ゆう、か……さん」
「辛いことがあったのね。悲しいことがあったのね。全部、吐き出しなさい?」
一瞬、間が開いて。
少年は、容姿の年齢相応に大声をあげて泣いた。
「……よし、よし?」
どうにも慣れない子守りだと。
幽香は少年の頭を、彼が落ち着くまで撫で続けた。
◇◆◇◆
泣き疲れたのか、幽香の腕の中で眠ってしまった少年に膝枕をして、幽香は一人息を吐いた。
今まで子供の面倒など見たことなかったので、ああいう状況でどうするのかいまいち不明だったが、間違った方法を取ってはなかった筈だ。
手持無沙汰なのでぽんぽんと頭を軽く撫でていたら、少年はむずがるように僅かに身動ぎをした後、余計に自分の体に擦り寄せてきた。
くすぐったいが声を我慢して、今度は柔らかそうな頬を突いてみることにする。
「随分と楽しそうですわね」
「うっさい。張り倒すわね」
「開口一番暴力宣言は流石に酷いと思いますの」
スキマからするりと体を出した紫は、幽香と角を挟んで隣に座った。
まあ、どのみち少年が膝で寝ているので、動くことはできないのだが。
紫が突然現れることに、今更驚きはしない。それに、なんとなくスキマが開く予兆みたいなものもなんとなくだが感じ取れるので、言う程不意を突かれるということもない。
全く、昨日の今日で、またコイツと顔を合わせないといけないなんて。
「あらあらあら。今日はまた、随分と懐かれたようで」
「懐かれた、と言うより、私以外に縋るものが無かったんでしょう」
「いいえ。彼は、貴方だから縋ったのよ」
少年から視線を外し、紫の方を見ると、彼女は普段見ることのない慈愛に満ちた表情で少年を見ていた。
その顔に一周回って不気味ささえ覚えたので、一言、顔が気色悪いとだけ言っておく。
「あら酷い。大体、そう言う貴方だって、さっきは似たような顔してたでしょうに」
「さあ。知らないわね。残念ながら私は自分の顔を見れないもので」
鼻で笑って一蹴する。
丁度その時、少年が軽く唸ったので、幽香と紫、二人して口を噤む。
しばらくしてただの寝言だと判断した二人は、同時に深く息を吐いた。
「……何か、あったのね」
「……ええ」
言っていいものなのだろうか。
紫の言葉では、少年は自分だからこそこうして感情を爆発したのだと言う。もしそれが真実であるならば悪い気はしない。
しかし、本当に自分だからこそだと言うのなら、先程の少年の様子を第三者である紫に伝えていいものなのかは判断しかねる。
暫くそうやって迷っていたが、自分だけでは解決出来ない問題だと判断し、起こさぬよう小声で少年に謝ってから紫に向き直った。
「さっき、御阿礼の子から聞いた噂話についてこの子に訊いてみたわ」
「……続けて」
「結果は十中八九、当たり。ほぼ間違いなく噂の妖怪とこの子は同一人物……いえ、人ではないか」
そうして、それからの経緯をなるべく細密に紫に伝える。
噂について詳しく訊いてみたところ、どうやら記憶がある様子であったこと。しかし、経験には無く、両者間の混濁があること。
そして、急に精神的に動揺し、不安定になったこと。
原因は分かりきっている。その謎の記憶だ。
その詳細については少年に聞いてみなければ分からないが、しかし、こうして精神的な負荷になるらしいその記憶について、少年に問い質していいものなのだろうか。
いくら傍若無人な幽香とはいえ、気が引けるものがある。
「でも、それがこの子の傷だというのなら……」
癒してあげたい、治してあげたい、と。
そう、切に願う。
……よし。
「――八雲紫」
「何でしょう、風見幽香」
決意した。
どんなに辛いものであっても、決して少年を見捨てないと。
覚悟した。
その先に少年が自分から離れようとも、決して後悔はしないと。
「手を貸しなさい。私は知らなければならないの。この子がこんなになる程の辛い何かを、私は知らないままで過ごしたくない」
「……それは、どうして?」
どうして?……はて、何故だろうか。
確かに、これはもう、興味があるという範疇を超えている。こうも深くまで相手のことを知りたくなる程、自分は少年に対して強い関心を持っていた訳ではなかった筈だ。
だと言うのに、今こうして、この胡散臭いスキマ妖怪に頼んでまで少年のことを知りたがるなんて。
ああ、これを、言葉にするのなら。
「――さあね。なに、少し情が移ったのよ」
「……ふふ」
その言葉に、紫は軽く噴き出した。
その反応にそこはかとなく馬鹿にされたような気がしたので、殺意を視線に込めて睨む。
「おお怖い怖い――いいわ。力を貸しましょう。いえ、力を貸すだけじゃない。これは協力よ。一方的な手助けではなく、相互的な助力関係なの」
「どうだっていいわ。私の力が必要だと言うのなら、いくらでも言いなさい。貴方、こういうことは得意でしょう?」
いくら信用ならないとはいえ、彼女の実力は本物だ。
彼女の力があれば、或いは。
幽香は一人、強く拳を握った。
いつの間にゆうかりんはヒロインになっていたのか。いいえ、最初から。
あまり得意な方はいらっしゃらないと思うんですけど、この短い話数の中で早くも幽香がヒロインになっています。
いやまあ、作品内ではそれなりに時間が経っていますし、その間毎日顔を合わせていたら、そりゃ精神的な変化とかもありますよね……? え、ない、かなあ……?
そして始まる幽香&紫の無双。ヒロインとしての立ち位置を確立しつつある幽香と、チート能力な紫様が合わさることで最強に見える。
尚、どんな内容にするか実はまだ全く案がないという。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
文章にもっと深みが欲しいと願う今日この頃。
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第7話
ということで東方心届録第7話です。
このタイトル、付けておいてなんですが、初見で一発で読める人いるんですかね……?
なかなか話が進まなくて申し訳ございません。
それでは、どうぞ。
『境界を操る程度の能力』
八雲紫が持つこの能力は、並び立つものもいない程の強力無比な力だ。
全ての物事には必ず境界が存在する。
それはある地点とある地点を結ぶ距離であり、水面や地面と天を分ける境界線であり、そこに在ることとそこ以外に無いことの境界である。
八雲紫は、そのようなあらゆる境界を操る。
場所と場所の境界を操り遠くの地へ一瞬で移動したり、水平線や地平線の境界を操ることでどちらかの領域を広げたり、存在の有無の境界を操ることで万物の創造や破壊を意のままにする。
そんな能力の使い道の一つに、夢への侵入というものがある。
現実と夢の境界を操る、もしくは誰かの夢とまた別の誰かの夢の境界を操ることで、他人の夢へと干渉するのだ。
「――そうすることで、貴方をその子の今見ている夢の世界へと送り込むことができる」
「そうすれば、この子が何に苦しんでいるか分かるかもしれない、ということね」
「どんな夢を見ているかは定かじゃないから、先にそれを確認する必要はありますが」
それもまた、紫の能力があれば容易いことだろう。
そこで、幽香はあることに気付いた。
「そもそもこの子の記憶を直接読み取ることとかって出来ないの?」
「出来なくはないけど……あまりしたくないわ」
視線でその理由を問うと、
「彼にだって知られたくないことだってあるでしょう。記憶を直接覗くというのは、そういう過去のあれこれも一緒に見てしまうということなのよ」
「そう……」
幽香は少し気まずげに目をそらした。
言われてみれば確かに、夢に介入することで少年の過去を覗くことですら本来ならば少年にとっては望まないことであろうに、それ以上を見ようとするなど、言うまでもない。
幽香が欲しいのは少年がこうも取り乱す要因だけだ。それ以外には、まあ、興味が無い訳ではないが、今はいい。
しかし、そうか。
「なら、夢に入るのも後日にして、予めこの子に訊いた方がいいのかしら」
「貴方がそうすべきだと思うのならばお好きに。私は待ちますので」
暫し逡巡する。
道理に則るのなら、今自分が言ったように、少年が起きた後にその意思を聞いて、その答えに応じて行動を選択するべきである。その結果自分の欲する少年の過去について知り得なくなっても、それが少年の望みだと言うのならば仕方あるまい。
恐らく、最も望ましいのは、少年が起きた後に自分達が記憶を覗くことを承諾し、欲しい情報を必要なだけ探す、というものだ。
少年がどんな返答をするか、いまいち読めない。
はあ、と一人溜息を吐く。
いつから自分は、こう誰かの事情を慮るようになったのだろうか。
「……」
いや、そうやって気遣うのは、この少年だけだったか。
それだけ自分が少年にご執心という訳だろうか。
そして、幽香は答えを出した。
「……そうね。一度この子が起きるのを待ちましょう。その方が道理に適っている気がするわ」
「道からも理からも外れた私達のような存在が、道理を気にするなんてねえ」
「何か文句でもあるのかしら?」
「いえ別に」
まあいいでしょうと紫はスキマから扇子を取り出して自分を仰ぎ始めた。どうやら起きるまでここで寛ぐ気であるらしい。
自分も中断していた少年の柔らかそうな頬を伸ばしてみるという作業に戻る。起こさないように、優しく。
少年の表情は読み取れないが、少しくぐもった声が小さく聞こえた。
◇◆◇◆
遠くから、人の叫び声が聞こえた。
ばっ、と顔を上げ、そちらの方向を見つめる。
深い森の中。見ている方角に何か変わった様子はない。動物と、植物と、ようやく形を取り始めたかのような小さな妖怪と。普段通りの光景が広がっていた。
花でも摘んでいたのか、その手にはいくつかの草花が握られていた。
「――?」
その存在は首を傾げた。さらり、と伸ばしっ放しの髪が顔にかかった。
「――、……? ……。……、――」
ソレ以外に言語を解する存在などいないというのに、ソレは何かに声をかけた。決して呟いた、などと言えるものではなく、明らかに誰か話しかける相手がいることを想定している内容であった。
さらに、ソレ以外の声は無いというのに、ソレの台詞だけを取れば、どうやら会話が成立しているようである。
「――、……、――ッ!?」
ソレは走り出す。
手に持っていた花を放り出して、道なき道をまるで庭のように軽やかに駆けていく。
その顔は焦りに包まれていた。
制止する声を無視して、驚いて逃げ出す小さな妖怪を気に掛けることもできないで、後先考えずに全速力で走る。
今聞いた話が本当なら。
さっきの声は。
この先には。
きっと。
「―――――――――――――――――――」
地獄絵図と言うのは、このことを言うのだろうか。
近付くにつれ強くなるその匂いに薄々勘付いてはいた。だが、認めたくないという意思が働いて考えないようにしていた。
だけど、これは。
『……』
『――ァァ』
『ォ……』
まず目についたのは、そこら一帯を覆いつくす赤色だった。
べっとりと、幹に、葉に、大地に飛び散るその色は、あまりにも鮮やかで。
生命を意味するものでもある赤は、そこにあるが故に、今目の前で広がっている故に、何よりも絶対的な【死】を彷彿とさせた。
「…………ぁ」
次いで見つけたのは、白だった。
無意識に目の前の赤色から注意を逸らそうとそれを見てみると、どうやら硬質的で、その端には何か桃色とも肌色とも付かない物体がついてい
「――うぇっ」
喉の奥からせり上がってくるものに耐え切れず、その場で嘔吐する。
びちゃびちゃと、水音が鳴る。
酸っぱい臭い。周りの生臭さ。両者が混ざり合ってさらに嘔吐感を増幅させる。そもそも出すものがあまり無かったのは幸いと言っていいのかどうか。
視線を戻す。
先程はそれが何かを認識する前に吐いてしまった。が、もうその正体は分かり切っている。今更再度見ようとは思わない。
だが、それでも。
その光景を見ようとする限り、決して見ないでいることなんてできやしないというのに。
「……」
次に目に映ったのは、布。
幹に縫い付けられているのか、宙に浮くそれは、周りの赤に染められて一目では布だと分からなかった。
しかし、おや?
一体どこで、どのように幹に縫い付けられているのだろうか?
「っ」
その答えに辿り着く前に視線をずらした。
駄目だ。この惨状は、あまりにも酷過ぎる。
すると、
『――れか』
「!?」
どこからか、掠れた声がした。
急いで周囲を見渡すと、黒い何かが、もぞもぞと動いているではないか。
足や服が汚れるのなんて構わず、その黒い何かに近寄る。
「――!……、――ッ!」
『お……誰か、いんのかい……、ハハッ、陰陽師に、やられてなあ……目は……見えないし、……耳も、聞こえねえ』
黒い何かはどうやら人に近い形をした妖怪であるらしい。
しかし、その半分はもう失われていた。
思わず息を呑む。
いや、違うはず。元々こういう形で、地面に倒れこんでいるから、綺麗に半分ではなく斜めに切り口があるから失われているように見えるだけで、別に何もおかしなことなんて、
――何故、元からその形なら地面に倒れているのか。
――何故、斜めなんて日常を過ごすなら不便な形なのか。
微かな希望を否定するそんな疑問が頭を過った。
『けど、まあ……あの
それっきり、目の前の黒い妖怪は動かなくなった。
あまりに自然に動きを止めたため、息絶えたことを咄嗟には分からなかった。
何も喋らず、少しも動かないことに疑問を覚えたソレがその妖怪に触れた瞬間、ぼうっと消えてしまったが為に漸く死を判断できただけで。
そして、それが。
ソレ――
◇◆◇◆
目を覚ました。
目を開ければ、暗い。
遅れて、何か良い匂いが鼻腔をくすぐる。さらに言えば、若干息苦しい。
頭を撫でられる感触と、片頬に伝わる柔らかさ。
さて。
今はどういう状況だ?
それを明確にするため、あとついでに単純に覚醒したため、むくりと身を起こした。
すると、なにやら後頭部に弾力性のある感触が。
起き上がるのが止まる。
「目が覚めた?」
「幽香さん……?」
上から届いたその声は、聞き間違えでなければ風見幽香のそれであった。
後頭部の感触を避けるようにして身を起こし終えると、確かにそこには風見幽香の姿があった。
思ったよりも至近距離に。
「おはよう、人間」
「あ、おはようございます……」
少年の頭の中には大量の疑問が飛び交っていた。
ついさっきまでどういう状況だったのか。どうしてこうも近いのか。先程の感触や香りは何だ。今の今まで眠っていたのか。今の時間は。どのくらい寝てしまっていたのか。
――あの夢は、一体。
「あら」
「?」
「貴方、泣いていたの?」
幽香の細く柔らかな指が少年の頬に添えられた。
さらに近くなる距離に少年が戸惑っていると、その指が頬を撫でた。
そこで、少年は自分の顔の違和感に気付いた。
触れられていない方の頬を指で触ってみると何やら乾燥したようなカサリとした感触がして。それが泣き跡だと気付くのに少し間が開いた。
「あれ、僕、どうして……あ、あはは、ごめんなさい。すぐ顔を洗ってきますね」
「……いいわ」
少年が立ち上がる前に、その頭を掴んで幽香は自身の胸に抱き寄せた。
驚きに声の出ない少年を置いて、その髪を幽香は撫で始めた。その感触が目覚めた時に頭に感じていたものと同じと気付いた少年は、自分が寝てしまっている間もこうやって頭を撫でてくれていたのだろうかとなんとなく理解した。
それに、やけに落ち着く。
心が緩んでしまう。
再び、目の奥が熱くなる程には。
「おほん」
「っ!?」
突如聞こえた第三者の声に咄嗟に少年は幽香から身を離した。
きょろきょろと見渡すと、すぐ近くに八雲紫の姿を発見する。こんな近くにいたのに気付かないとは、注意散漫だったようだ。
何か面白いものを見つけた、という顔の紫に、とりあえず。
「あ、えと、その……お、おはようございます、紫さん」
「おはよう。あまり、夢見は良くなかったようね」
「ええ、まあ」
良いか悪いかで言えば最悪の部類ではなかろうか。
紫の言葉に表情を暗くする少年。
その顔を見て、やはり何かあったのだろうと、紫は察した。
恐らく幽香が欲している情報だ。どれ程重要なものなのかは分からないが、知るべきことなのだろうと、直感が告げている。
実を言えば、紫はそこまで少年の事情を知ろうという意欲は無い。
そもそも、この少年を幽香に紹介したのは自分だ。面識は幽香の方が先だが、一方的にでも知っているという点では、ずっと前から紫は少年のことを知っている。
否、少年よりもずっと前から。
だが、それを話す気もまたない。いずれ話すことはあるかもしれないが、幽香と少年の仲を深めるのならば、今は時期じゃない。
「人間」
幽香が少年を呼ぶ。
「はい。なんですか、幽香さん」
「話があるわ」
「話?」
軽く首を傾げる少年。
幽香と紫は互いに目線で意思疎通を行うと、両者一つ頷いた。
「私達は、貴方を苦しめているものを知りたい」
「……はい」
「貴方にとって辛いこと、苦しいことも思い出させてしまうかもしれない」
「…………はい」
「それでも、私達は貴方のことをもっと知って、他人だなんて立ち位置をやめてしまいたい。貴方の傍に立っていたい」
「………………はい」
「お願いがあるわ」
幽香は少年の目を真っ直ぐに見つめた。
少年のその瞳には、普段笑顔であってもどことなく昏いその眼には、赤い目をした自分が映りこんでいた。
一息分、間を挟む。
無理なお願いであることは重々承知している。断られればそれまでだ。
でも、勝手に自分達だけでことを進めるのには躊躇いがあった。
だから、たとえ断れる可能性の方が高いとしても。
こうしてきちんと聞いておきたかった。
「貴方の過去を、覗かせて頂戴」
「――――」
少年はすぐには答えなかった。
ただ、幽香から目線を外すこともしなかった。
幽香もまた、真っ直ぐ少年の目を見詰め続ける。
「……僕にも、よく分かりません」
ぽつりと、少年は言葉を漏らす。
「自分の正体も。自分の出生も。自分の過去も。僕には何もありません。何も、知らないんです。でも、理由が分らなくても、根拠なんてなくても、誰かに傷付いてほしくない。誰かを傷付けたくないなんて思うんです」
それに、
「僕は独りを選んだんです。動機も、経緯も分からないのに、心はいつも孤独でいることを望んでいるんです。僕と一緒にいると傷付けてしまうから。独りでいれば、誰も傷付かないから」
――前まではそうだったんです。
「幽香さんに出会ってから変わった。変わってしまった。誰にも傷付いてほしくない、独りでいたいっていう思いは変わらないのに、同時に、幽香さんだけには傷付いてほしくない、幽香さんにまた会いたいっていう気持ちが日に日に強くなるんです! 僕は独りでいないといけないのに、独りを望んでいる筈なのに、独りでいることが寂しいって思うことがあるんです!」
もう、
「もう、僕にだって、どうすればいいのか、どうしたらいいのか分からないんです。でも、幽香さんが望むのなら、そうしたいと思うのなら、――僕の傍にいたいと思ってくれるのなら」
少年は、一つ頷いた。
「僕の知らない僕を、知ってください」
頬を濡らし、声を震わせて。
それでも少年は。
どこまでも真っ直ぐに幽香を見詰めていた。
もっと惨く描写出来たのでは?……自分の文章力じゃ無理ダナ。
ということで主人公の夢の内容がメインですね。今回。
そして終盤忘れ去られるゆかりん。どんまい。普段から主人公に会ってないからそんなことになるんだよ。
しかしまあ、幽香が明確にデレ始めるのは一体いつになるのやら。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
そういや当初過去を覗くなんて案無かったんだよなあ……どうしましょ。
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第8話
約半月ぶりの更新となります。
親知らずが痛んで色々と手が付けられませんでした。今度抜きます。
しかし、他の東方SSを読ませていただいていると、自分の雑魚っぷりが嫌になりますね……
それでは、どうぞ。
紫が言うことには。
人の見る夢とは、自らの記憶の整理なのだという。
今までの記憶が全て混在するため、どこか見たことのある物や場所、人を見ることもあれば、記憶の中のそれらが混ざり合った結果逆に全く記憶にないものが現れることもある。
しかし、これは一説でしかないのだとか。
実際のところ何故夢を見るのか、どんな意味があるのかなど、明確なことはまだ判明されてないらしい。
幽香にとってそんな内容は専門外なので正直どうでもいいのだが、少なくとも今は、少年の過去を知るのに有用なのならば問題無い。
「それで、これがあの子が見ていた夢?」
「ええ、恐らくは。細部まで完璧に一緒ということは流石に無いと思いますが、大方は同一のものかと」
ふうん、と辺りを睥睨する。
居るのは地上。周りには多数の樹木。上を見上げれば木葉が覆い被さるように生い茂って、日の光が地上に届き難くなっていた。気温は涼しく、不快を覚える程ではない。
風にそよぐ葉の音や、特有の植物の匂いも、夢であることを忘れる程に現実的だ。
五感に訴えかける情報量にまず驚いたが、しかし、これが夢である証拠を一つ見つけた。
「……静かなものね」
一切の『声』が聞こえないのだ。
生まれ持った特性か、後天的なものかはもう忘れたが、幽香は植物全般と意思疎通、もしくは操作が出来る。趣味もあって花をつけるものを対象にすることが多いが、別に花に限った能力な訳ではない。
しかし、この場においてこの能力が一切作用しない。
何も聞こえない。何も語らない。何も届かない。
生命に溢れるこの場所は、ある点において何よりも無機質であった。
「――これが、夢……? それにしてはあまりにも現実味が強すぎる……」
横で紫がすぐ近くの植物の葉を触りながら何かブツブツと呟いているが、自分が関与することではない。
さて、と。
「それで、肝心のあの子はどこかしら?」
◇◆◇◆
「境界を弄って、夢を覗く……?」
「完全に理解される必要はありません。これは誠意を示すために説明しているだけですので」
未だ疑問符を表情から読み取ることは出来るが、とりあえずは納得したようだった。
あれから、流石に羞恥心に耐え切れなくなったのか、逃げるように外へと向かった少年は、言っていたように顔を洗って戻ってきた。まだ顔を赤くしているのはどうにも愛らしいものだったが、揶揄うのは止めておいた。
しかし幽香にとっては関係無いらしく、戻ってきたそばから抱き締められ、今は彼女の腕の中で落ち着いていた。
幽香は妖怪であることを除けばかなり女性的な体つきをしているので、そんな彼女に抱き締められているとなれば抱き心地ならぬ抱かれ心地は相当なものだと思うが、少年の顔には抱かれているという事実を認識している以上の感情は読み取れない。
まだ、
いや、今は関係ないけれども。
「貴方に要求することは殆どありません。強いて言うならば睡眠を取ってくだされば」
「はい」
「しかし……」
少し、言い淀む紫。
しかしきちんと説明すると決めているからか、再度口を開いた。
「私がするのは夢を覗くことまで。そこから関連する記憶を遡ることはあると思いますが、少なくとも初めは貴方自身が見ている夢から始まります」
「それがどうしたんですか?」
「……貴方には、まず貴方が先程見ていた、貴方が涙を流すほど苦しい夢を見てもらう必要があるの」
少年は無言だった。
紫の能力を使えば、別にわざわざ特定の夢から過去を覗くなんて面倒で遠回りな方法を取らずとも、欲しい情報を手に入れることは出来る。
だが、紫はあくまでも少年に対して誠実でいたいのだ。
もし手段を選ばないのであれば、さっさと少年の過去を覗いて欲しい情報を手に入れるまで探し回ればいいのだ。
だが紫はそうやって無作為に少年の過去を明かすことはしたくなかった。
『境界を操る程度の能力』は万能だが、全能ではない。
彼女のこの能力では、ただ欲しい分だけの過去の情報を手に入れることは出来ないのだ。
故に、少年の負担になることは分かっていても、彼には先程の夢をもう一度見てもらいたかったのだ。勿論、夢とは意識的に見れるもので無ければ、内容を指定できるようなものでもないので、もし夢の内容が望むものでなければ機会を改めるつもりだ。
しかし、少年の負担になるのもまた事実。
少年がそれを望まなければ、また別の手段を、あるいは本当に過去を直接覗くという手段を取らねばなるまい。
「……分かりました。出来るかどうかは保証しかねますが、紫さんがしたいようにしてください」
「……自分で言っておいてアレだけど、本当にいいの? 貴方にとってあまりに辛いと思うのだけれど」
「それが貴方の誠実さの表れであるなら、僕が何か言うことはありません。それに、幽香さんや紫さんが傍にいてくれる為だと言うなら、尚更」
少年はえへへ、と照れくさそうに笑った。
少しだけ、少年を後ろから抱く幽香の腕の力が強くなる。くすぐったそうに少年は身動ぎするが、お構いないようだった。
紫もまた、少年の言葉に驚いていた。
前々から少年の見た目と言動の年齢が一致しないとは思っていたが、これでは精神的に成熟したというには、あまりに達観が過ぎる。普通の成人した人間でも、この流れで今のような台詞を吐ける人物はそうそういないだろう。
ふふ、と小さく笑みが零れる。
「――ありがとう」
「? 何か言いましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
扇子で口元を覆い隠し、そう言って秘密にする。改めて言うのは、こちらとしても少々気恥しい。
さて、と仕切り直すように音を立てて扇子を閉じる。
「それでは、私達が今するべきことをするとしましょうか」
「するべきこと、ですか。何か準備があるんですか? 出来ることがあれば最大限努力しますが」
「あら、言ったわね?」
ニヤリと、口の端を上げる。流石にわざとらし過ぎたか、幽香からは早速冷ややかな視線を向けられた。
まあ、彼女はいい。逆に少年は一体何が待ち受けるのかと少なからず緊張し始めたようで、可笑しくて笑いを堪えるのが辛い。勿論、顔には出さない。
あたかも何か怪しげなものを出すかのように、思わせぶりな所作を意識してスキマを開く。
固唾を飲んで見守る少年を可愛らしく思いながら、ゆっくりとスキマに手を入れる。
そして、取り出すのは、
「――お腹一杯になるまでご飯を食べましょう!」
大量の、本当に大量の、三人では到底消費しきれない量の食糧であった。
少年は驚きに瞬きを。幽香は呆れた様子で溜息を。紫は何故か得意気な顔をしていた。
結局三人で仲良く料理を作り(少年が一番手際が良かった)、言葉通り満腹になるまで食べて、少年は暫くすると再び眠りに就いた。食後、味を占めたのか幽香が再度少年をその腕で抱き締めたので、彼は今幽香の腕の中で眠っている。
むにーっと軽めに頬を伸ばし、どことなく満足気な幽香。それを見守る紫。
数刻、そんな無言の空間が、だが決して苦ではない、穏やかな時間が過ぎた。
どちらからともなく、口を開く。
「……そろそろかしら?」
「……そうね」
幽香の腕の中で、少年が再び辛そうに呻き声を上げる。彼女の手を掴むその手に、微力ながら力が篭る。
私はここに居る、と。だから大丈夫だ、と。そう言い聞かせるように、幽香からも手を握り返した。ついでに、さらに強く抱き寄せ、自分の心音もこの少年に届かせようとする。
少し、ほんの少しだけ、少年の呼吸が落ち着いたように思う。
だが、依然として顔色は優れない。
「紫、私はどうすれば?」
「その子の夢の共有は私が全て行います。貴方にしてもらうことと言えば……覚悟を決めてもらうことくらいね」
「覚悟?」
ええ、と紫は頷く。
「これから見るものがたとえどんなに惨いものであったとしても、必ず全てを見届け、受け入れる覚悟を」
「……今更ね」
不敵に幽香は笑った。
全てを見届け、受け入れる覚悟など、少年の傍に居ると決めたその瞬間からできている。
苦しかったのならその分癒す。辛かったのならその分慰める。他人という立場をやめる為、少年の傍に立つ為、これくらいの気概は持ったつもりだ。
「一度伸ばした手を引き戻す気なんて更々無いわ。そもそも、この程度、貴方なら分かっていたでしょうに」
「……ええ、そうね。私としたことが、余計な心配だったわ」
それじゃあ、と向き直る。
「――それでは一つ、その子のことを知りましょう」
数瞬の浮遊感。
見慣れた黒と赤、そして目玉の見えるスキマの背景。
暗転。
◇◆◇◆
そして、冒頭に戻る。
いつの間にか閉じていた目を開くと、飛び込んでいたあまりの情報量に暫く言葉を失ったが、割とすぐに回復した。
他人の夢なんて見たことないので、ここはこういうものだと認識したのだ。
紫にしてみれば、この夢はあまりにも異質なのだが、それを幽香が知る術は無い。
「これがあの子の夢だって言うなら、何で近くにあの子がいないのよ」
「確かに、変ですわね……と、あら」
ちょいちょいと幽香を手招きする紫。
訝しく思いながらも、その手招きに従い紫のもとへ近寄ると、彼女は少し先を指差した。
そちらへ視線を移す。
紫が指差す方向は、この森の中でやや開けた所になっており、日差しを遮る木葉も無いため今自分達がいる場所に比べ各段に明るくなっていた。
そして、そんな場所で座り込んでいる白の髪を持つ人間。ここからは、その横顔しか見ることは叶わない。
服装は現実の方の少年の恰好とそう違いはないように思える。座り込んでいるせいで全体像は掴めないが、まあ人間の服装なんてそうそう変わるものでもないだろう。
では、一体何をしているのだろうか?
よく見れば、その片方の手には花が数束握られていて、もう片方の手で近くに咲く花を物色しているようだった。
「……」
「あら、貴方なら突撃していくのかと思いましたが」
「表情を見るに悪意は無いようだしね。今回は見逃すことにするわ」
言外に、次はどうなるか分からないと言う。
幽香は何よりも花を愛する妖怪だ。最近そこに少年が入るようになってきたが、基本的には花である。故に、彼女にとって花をただ摘むという行為は少々耐え難い行為であるのだが……悪意や悪戯心ではなく、純粋に綺麗に思っているだけのようだし、怒ることでは無いか。
それにしても、と視線の先の人間を観察する。
白い髪は少年のソレと同じだが、こちらは現実の方と比べてやや長い。少年は肩を過ぎるくらいの長さだが、こちらは肩甲骨をやや過ぎる程。
それに、ちらりと覗ける顔はどことなく女性的で……?
「紫、あれって本当にあの子なの?」
「やはり、貴女もそう思いますか。どちらかというと少女のような気はするのよねえ」
「取り敢えず、近付いたら分かるでしょ」
「一応言っておきますと、私達からの干渉は一切出来ませんので。あくまで覗いてるだけですから」
「何となく察してはいたわ」
先程チラリと見ていた様子だと、紫は葉に触れているようで触れてなかった。指が透過し、周りの環境に干渉することができていなかったと思う。
あくまでこれは夢なのだと、そういうことだろう。
実際、足元をよく見れば、いくつかの植物が自分達の足を透過してその存在を示しているのだし。あ、弱小とはいえ妖怪もいるようだ。足元を過ぎ去っていく小さな影が。
それを見送った後、幽香と紫は前方の少女(暫定)に近寄ろうと足を一歩踏み出した。
直後。
『――』
バッと顔を上げ、ある方向を見詰める人間。やはりその顔立ちは幼い容姿ということを除いても、少年と言うよりは少女と言うべきだろう。
そして、二人もまた、ほぼ同時に少女と同じ方向を見ていた。
妖怪であるが故、彼女達の視覚や聴覚は人間と比べたら優れている。
あくまでも、集中すれば人間よりは鋭くなる、という意味での『優れている』だ。例えば五感に優れているという特性を持つ妖怪や、そもそもそういう種族である妖獣の類に比べれば劣るであろう。
だが、今回に限っては周りの状況把握等の為に感覚をそれなりに研ぎ澄ませていた。故に、二人には聞こえたのだ。
苦痛に塗れた叫び声が。
『――?』
少女は幻聴かどうか判断しかねているのか、不思議そうに首を傾げている。
しかし、二人にしてみればそれは決して勘違いなどではなかった。
視線を鋭くし、その方向へと強く意識を向ける。
「……紫」
「ええ、間違いありません」
そんな二人の耳に、また新しい音が届く。
『――、……? ……。……、――』
それは、明らかに人間の言語であった。
先の叫び声と違う、明確に意味と法則性を持った、言葉。
発生源は、白髪の少女。
きょとんとした顔のまま、声のした方向を見据えたまま、目の前に誰がいる訳でもないのに何かを呟く。この場所では何を口にしているかまでは分からない。
じっと観察していると、少女の顔がみるみる青くなり、酷く焦りに染まった顔で立ち上がった。
走り出す。
「っ。追いかけましょう」
紫の言葉に頷きを返し、二人して宙へ浮かぶ。紫の手引きか、そもそも飛行が可能な空間なのか、一応夢の中とはいえ空は飛べるようだった。確認はしていなかったが、飛べたのならそれで充分。
持っていた花を捨て、樹の幹や行く手を邪魔する葉を難なく避けて、息を荒げながらも全力で走る少女。
花を放ったことに対して幽香のこめかみがぴくりと僅かに動いたが、彼女は何も言わなかった。ここでとやかく言っても仕方ないと理解しているのだろう。
二人は少女の背を追いかける。
進むにつれ段々と強くなるある臭いに、二人は顔を顰めた。
「これは……酷いわね」
「どうやら、人間だけじゃなくて妖怪のも混じっているようだけど……これ、ちょっとした小競り合いって様子じゃなさそうね」
血の臭い。
妖怪であるが故、嗅ぎ慣れたものではあるが、今回は事情が異なる。
山や森に迷い込んだ人間が食い散らかされるなんてものじゃない。例えるなら、村一つが丸々壊滅するようなもの。規模は小さいが、所謂、濃度を表すならば、決して比喩ではない。
一箇所に大量の死体が纏められているようなもの。人間だけではなく、妖怪も混じっているのがさらに凄惨さを増幅させている。
妖怪は死ねば消滅するだけだが、殆どの妖怪には肉体があり、血や内臓器官がある。
妖怪が発生する仕組みの関係上、妖怪の身体の作りは大抵人間に準拠する。中にはその妖怪特有の構造を持っていることがあるが、基本として人があるのには違いない。
人型でなくとも、何かしら動物や植物に似るだけである。
そして人間に準拠し、肉体がある以上、傷付くこともあれば血を流すこともある。
完全消滅までの間、人間と妖怪の死体や血の臭いが混ざることだっておかしくはない。
『―――――――――――――――――――』
唐突に少女が立ち止まった。様子を見るに、言葉を失っているようだった。
二人が回り込み、少女の目に映る光景を視界に入れる。
「うっ」
「…………」
咄嗟に袖口で鼻や口を覆う紫に、顔を顰める幽香。
辺りは一面血の海で、最早人間の血なのか妖怪の血なのか判別は付かない。
ごろごろとそこら中を転がる身体の一部や死体。いや、地面だけではなく周りの樹に打ち付けられたり引っかかているものまである。
成程、と二人は理解した。
これは確かに、心の傷になってもなんら不思議ではない。少年が幽香の言葉で思い浮かべた光景や、夢で見たものがコレだと言うのなら、ああも取り乱したのにも納得がいく。
自分達でさえ進んで見たいとは思わない光景なのだ。であるならば、少年の方は……。
微かな水音に振り向けば、少女が自らの胃の中身を吐き出しているところであった。
見るべきではない。視線を戻した。
はあはあと息を整える少女の声は、あまりにも苦痛に塗れている。
すると、
『誰か……』
『!?』
掠れた声がした。今にも消え入りそうな声で、その主がもう長くはないことがはっきりと理解できた。
だが、少女にとっては違うようで。
急いで周りを見渡し、声の主を探し当てると、服が汚れるのも気にせず走り寄った。
どうやらそれは妖怪のようだが……もう、身体の半分は失われていた。
必死に声を掛ける少女の姿があまりに痛々しくて、二人は目を背けた。
『ハハッ……目は……見えないし、………耳も……』
間違いなく、人間と戦って負った怪我だ。まだ息がある方が不思議だ。
幽香や紫でさえ身体の半分も失えば回復にそれなりの時間を要する。見た所力がそれ程強い妖怪ではないようだが、いずれにせよ、じきに消滅するだろう。
その妖怪は、けど、と言った。
『あの嬢ちゃんを守れたなら……悪い、気は、しねえ……』
ぱたりと、それきり動かなくなる。
少女は暫くその妖怪が息絶えたことに気付いていないようだったが、一切動かなくなったことに疑問を覚えたのか、彼女が手を伸ばしてその身体に触れた瞬間、妖怪は霧散してしまった。
少女は状況を理解できていないようだった。
手を伸ばした姿勢で固まってしまって、呆然としている。
だが、段々と現実を認識したようで。
『う、ああああああああああああ――――――――!!』
そこが、少女の限界だった。
「ッ! 紫!」
「……次に見るべき過去に繋ぎました。移動しますわ」
怒ったような幽香の呼び声に応じて、紫はスキマを開いた。
夢の世界に来てから、ずっとこの夢から繋がる過去を探していた。勿論、無闇矢鱈に覗くような真似は断じてしてない。あくまで、傷として繋がっている別の過去を探しただけだ。
別の傷があること自体は最初から気付いていた。
だが、それは同時に、少年の心の傷が一つではないことも表していた。
紫の言葉で幽香もその結論に思い至ったのか、愕然とした表情を作る。
紫は目を伏せながら、スキマで自分達を呑み込んだ。
幽香の能力は『花を操る程度』ですが、『程度』ならこのくらい出来るだろ、と勝手に解釈してます。
まだ主人公の過去(厳密には違う)話は続きます。
本来はこの話で終わる予定だったんですが、予想以上に長くなったので分割しました。
っていうか、紫様の能力万能過ぎませんかね。大抵のことは紫様だからで説明つくのズルいと思う。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
矛盾や報告や内容に関する質問がありましたら気軽に仰ってください。話していい内容までならお答えします。答えることができれば、ですが。割と設定ガバガバなので。
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第9話
今回で主人公の夢の話は終了します。
とりあえず伝えるべき内容は書かれているかと。
それでは、どうぞ。
次に目を開けると、そこはまたしても森の中であった。
しかし、つい先程の凄惨な光景はそこになく、静かな、そして清涼な空気が漂っていた。
葉の付き方や量から季節が秋の下旬から冬の初旬あたりだろうと予想はつく。だが、流石にここが前の夢と同じ森なのかどうかまでは判別がつかない。
主だった樹木の種類は同じだが、それだけならば全国そこら中にある。流石に気候帯が変わる程離れた場所だとは思わないが、同じ気候帯でも北端と南端では全然様相は変わってくる。
まあ恐らく同じだろうと根拠はないがそう思うことにして、一つ大きく息を吐き、心を落ち着かせる。
あの少女の悲鳴はあまりに聞くに堪えなかった。
咄嗟に紫の名を呼んでしまったが、逃げるように別の夢に移動することが果たして正解だったのだろうか。
いや、どのみち自分達はあの夢の中で何にも干渉出来なかったのだから、たとえ残ったとして、出来ることは何もなかった。それは分かっている。
だが、あの子が、少年に似た空気と容姿を持つあの少女が泣き叫ぶのを見て、何もせずに立ち去ってしまうのはどうにも後味が悪い。
違う。
後味が悪いなどではなく、もっと単純に、嫌だった。
自分にしてやれることは何もないと頭では分かっていても、心の方がそれを拒絶する。何かしてやれないかと、せめて少年の時のように抱き締めてやれないかと。
「……ごめんなさい、幽香。あの時、あの場所で、私にはこれしか取れる手段がなかった」
「分かってる。そんなの分かってるわ……。どんなに辛いものだって、ちゃんと私は受け止めるって決めたもの。……それに、私には手段そのものが無かった。それに比べたら、アンタの行動は迅速で正しかった。むしろ逃げてしまった私の方が……」
「いいえ。貴方はきちんと全てを見届けてみせた。どのみちあの夢はあそこで終わっていたのだから、私の行動は迅速でも正しかったのでもなく、言った通り、それしか取れる手段が無かっただけなのよ」
二人の間に沈黙が流れる。
後悔する暇などないのは分かっているが、仕方がなかったで割り切れる問題などでも決してなかった。
幽香の少し冷静になった頭が、こうして未だに夢が続いている以上、少年の傷の原因はまだまだ大きく、深いものであるということを理解し始める。
意外、とは思わない。確かに先の夢、即ち過去の出来事も、少年の人格形成の原因だと思いはしたが、まだまだ残っていると言われたら言われたらで納得してしまう自分もいた。
それに、
「結局、あの少女は一体何だったのかしらね」
「――さあ。もしかすると、こうやって過去を遡る内に何かしらその謎を解く手掛かりがあるかもしれませんわね」
じっ、と紫に視線を移した後、そう、とだけ返す。
何かしら隠し事があるのは気付いていたが、明かさないなら明かさないで今はいい。彼女がそう判断したのならそうするだけの理由があるのだろう。
幽香にとって紫は胡散臭く信頼するには色々と欠けている妖怪だが、その実力と慧眼は確かだ。その点においてはある意味信用している。
周囲へと意識を向ける。
ここがまだ夢の中だというのなら、少年ないし先程の少女の姿がある筈だと判断したからだ。紫もまた、人の姿を探し始める。
そんな二人の耳に、一つの音が届く。
『――っけるな!!』
怒号。
まだまだ幼さの残る、少し舌足らずな声。
二人が顔を見合わせたのは一瞬。直後には彼女達は飛び出していた。
音の発信源に進む間にも、段々と鮮明になりながら声は届いてくる。
『これ以上関わらないで! もう分かったよね!? 皆いなくなった! 俺といる所為で、皆いなくなっちゃったんだよ!?』
『違う、違うんだ少年。別に、お前さんの責任なんかじゃ――』
『でも現に、皆退治されてるじゃないか!』
どうやら言い合いをしているらしい。
少し違うか。言い合いというには、一方が激しく怒っているのに対し、もう一方がそれを宥めている構図であるため、喧嘩の時のような殺伐とした空気が薄い。
現場を覗くと、予想通り白髪の少年と、数体の妖怪。声を荒げているのが少年で、それを宥めているのは妖怪の中の一体であった。
白髪であるため、少年または先程の少女と関係がある存在であることはすぐに分かった。逆に、本人だと断定することは出来なかった。
少年の髪は短い。顔立ちからしても、少女であるとは到底思えない。
そして、現実の少年だと言うには、どうにも違和感があった。その口調もそうだが、一人称が違うというのが理由だろうか。
妖怪の方も、それなりに力のある存在のようだ。姿は人間に近いが、何の妖怪かまでは判別できない。周りで顔を俯かせる他の妖怪も、言い合っている妖怪に比べれば劣るが十分な実力は持っているように見受けられる。勿論、普通に比べると、であり、幽香や紫と比べては断然弱い部類に入ってしまうが。
『もう、嫌なんだ……! また誰かがいなくなることが。昨日まで笑っていた友達が、次の日から急に会わなくなるなんて!』
『だからといって、お前さんが原因だとは誰も思っとらん』
『じゃあ何で、俺と関わってからいなくなっちゃうんだ!? 俺の所為だよ。俺といたからなんだよ!』
『違う、違うぞ。単にその時だっただけで、相手が自分より強かっただけのこと。少年に非など、』
『あるに決まってる!!』
子供らしい、一方的な思い込みであった。
台詞から推測するに、少年と交友のあった妖怪がある日人間に討伐されたのだろう。
この場合、妖怪の言う通り少年に非は全くない。妖怪が討伐されるのなんて日常茶飯事で、退治できる力を持つ人間と遭遇するかなど、結局はその日の運だ。
だが、少年にとっては違うらしい。
自分が関わらなければ、自分さえいなければ、その妖怪が討伐されることなんてなかった。その日の運だと言っても、自分と出会った所為でその日になったと解釈してしまうだろう。何を言っても、どう言おうと、少年は自分を追い込むに違いない。
では、果たして。
少年の怒りは、誰に向けたものだろうか。
『頼む、頼むから……俺ともう、関わらないでくれ。もう誰もいなくなってほしくない。人間だとか、妖怪だとか関係ない。誰かいなくなるくらいなら、俺は独りでいいから……』
『独りなんかにさせん。人であれ妖怪であれ、孤独より辛いものなど無いのだぞ』
『最後に皆いなくなるくらいなら! せめて皆がいるっていう安心が欲しいよ!』
泣きそうな顔で訴える少年と、悲しそうな表情をする妖怪。
片や皆がいなくなってしまうから独りになりたくて、片やそんな寂しい思いをさせたくない。
あまりにも優しく、そして痛ましいすれ違いに、幽香も紫もやるせない思いを抱く。
目の前の少年の言葉は、現実の方の少年の言葉と似ていた。他人を気付けたくないから自分から孤独を選ぶ。そんな歪な優しさは、両者に共通してる。
「紫、これは」
「ええ。あの子の傷の一つ……なのでしょうね」
傷が一つではないのは先程なんとなく理解した。現実の方の少年の性格は、先の夢や、今のこの状況など、複数の要因が重なりに重なった結果だということだろう。
なんて酷い現実だろう。
妖怪側がこれからも少年から離れなかったとして、少年は余計に苦しむだけだ。
逆に少年が独りになったからといって、問題が解決することもなければ、望まぬ孤独に少年が辛い思いをするだけ。
どちらも悪意は無く、純粋な優しさ故の行動だからこそ、救いがない。
『もう、お前らとは会わないようにする……お前らも、俺なんか忘れて、気侭に生きてくれ……お願いだから……』
『少年……』
『もう行こう、兄者。これ以上は不毛だ』
段々と語気が弱弱しくなる少年に妖怪が声を掛けるのに被せるように、後ろに待機していた別の妖怪の一体が口を開いた。
前に居た妖怪が振り向くと、声を掛けた妖怪はゆっくりと頭を振りながら、妖怪にだけ聞こえるよう小さな声でこう続けた。
『形だけでも離れよう。オレ達は、少年に気付かれないように遠くから見守るとしよう』
『だが、それではこの子は……!』
『大丈夫。見捨てろなどと言っているんじゃないんだ。ただ、距離を改めようっていうだけだ』
前の妖怪はそれでも尚渋るように唸っていたが、やがて一つ大きく息を吐くと、少年に向き直った。
片膝を地面に付け、少年に目線を合わせる。
その眼に少年の潤んだ瞳が映った瞬間、その身を抱き寄せた。
『――分かった。私達はこれからお前さんと会わないようにする。偶然に会っても、互いに知らぬ関係だ』
『っ。う、うん。そうして……』
『……では、さらばだ、少年。……元気でな』
その場にいた他の妖怪を連れて、その妖怪はそこから姿を消した。見えなくなるその時まで、何度も何度も少年の方へ振り向くその姿には、こんな選択に納得してないという思いがありありと見て取れた。
見えなくなって暫くして、妖怪達の進んでいった方から鈍い音がした。メキメキと何かが折れ、倒れる音が響く。あの中の妖怪の誰かが、怒りに任せて手頃な樹を殴り飛ばしたのかもしれない。
対して、少年の方は。
視線を移すと、彼は静かにその場で佇んでいた。
何かを堪えるように、一切動くことなく。
何かに耐えるように、服の裾を握りしめて。
『…………ひぐっ』
が、少年はその情動に抗えるほど強くはなかった。
『う、ああぁぁぁ――』
ぼろぼろと、大粒の涙が少年の瞳から零れ落ちる。
決して大きくはないその叫びを聞いて、紫は目元を隠してしまう。幽香もまた、強く奥歯を噛み締めた。
『あ、あ、ぁぁぁぁ……嫌だ、嫌だよぅ……あぁぁ……っ』
「……」
彼は確かに言った。
『嫌だ』と。
当たり前だ。誰であれ何であれ、孤独を許容できる存在などいない。先の妖怪も言っていた通り、孤独より辛いものなど存在しない。
もしこれが現実の方の少年にも根付いているというのなら、あの子だって孤独は嫌な筈なのだ。
幽香は、いつかの狼の言葉を思い出す。
〈あまりにもあの子は、傷に慣れ過ぎてしまった〉
〈痛い筈なのに。苦しい筈なのに。あの子はもうそれを感じることすら出来なくなってしまった〉
〈そんなのは……そんなのは、あまりにも辛すぎる!〉
嫌なのに、誰かといたいのに、それを我慢し続けた結果、嫌だという思いも誰かといたいという願望すらも忘れてしまった。
さらに少年は、会って間もない頃は自ら幽香を遠ざけようとしていた。
それこそ、自分から孤独を望むように。
『何で……皆いなくなるんだよぉ……あの妖怪も、村のあの子も……何で、俺は、皆を――』
成程、と。幽香は納得した。
どうやら目の前の少年はかつて、妖怪だけでなく人間の子も失ったことがあるらしい。いや、今となっては少年自身の経験かどうかは不明だが、少なくともそういう記憶はあるようだ。
妖怪は拒絶するなら人の住む場所に行けばいいというのに、何故こんな森の奥に留まって動こうとしない理由はこれらしかった。
おそらくかつて人の子と関わりを持っていたことがあり、そしてその時もまた今回のように自分の責任だと思い込んで自ら人の世から離れたのだろう。
確かに、一般的な人の子が少年のような白髪を持つ人間かどうかすら怪しい存在と関わっているとなれば、その人間の子も同じように拒絶されるか、元凶だけを遠ざけるかのどちらかの行動を他の人間達が取る可能性は高い。そして、その時は前者に近い状況となったのだろう。そう考えると、少年の思い込みも強ち間違いではないと言えないこともないが……そもそも白髪の理由を少年自身も知らないであろうことを考えれば、そんなことはないか。
人間の子が少年の前からいなくなり、人の世を離れ、その先でまた人外ですら失う。
それが夢に潜る前に少年が口にした、自分が独りでいれば誰も傷付かない、という台詞に繋がっていくのだろうか。
「……紫、次に行きましょう」
「そうね。既に準備は出来ています。この夢ももうすぐ終わるようだし、次に繋ぎましょう」
もう、この夢は十分だ。これ以上残っていたとして、ただ少年が悲しむ姿が夢の終わりまで続くだけだ。
紫がスキマを開き、三度目の境界移動。
最後にちらりと見た少年の顔は、やはりあの子に通ずるところがあって。
ああ、どうして。
――どうして、この手で抱き締めてあげることもできないのだろう。
◇◆◇◆
次の場所は森の中ではなかた。
竪穴式の家屋が点在し、広々と田畑が広がる。道もある程度整備されている。
明らかな、人の暮らす気配。
今までの場所が場所だっただけに、少しだけ体に力が入る。ここが夢の中だと分かってはいるのだが。
「どうやら、夢としてはここが最後のようですわ。まだ続き自体はあるみたいだけど……繋がりは薄いし、この夢で切り上げていいかと」
「アンタがそう判断するなら従うわ。どうせ、私一人じゃ夢の移動なんて出来ないのだし」
もう少し、周囲を観察する。
人間の存在は疎らだ。住居の数や田畑の大きさからして、中規模程度の村ではあると思うが、その割にはあまり人を見かけない。
日は高い。身分の高くない庶民ならば、今の時間帯農作業に従事するか昼食の準備にとりかかるか、殆どの大人はそのどちらかをしている筈だ。まだ幼い子供ならばそこらを走り回っていてもおかしくはない。
なのに、やけに閑散としている。
それに……どうも、結構な時間を遡っていないか?
今まで森の中だったから分からなかったが、なんとなくそんな気がする。人間の文化などあまり興味を持ったことがないので不明とはいえ、流石に勘違いとは言えない程の違和感を覚える。
何かないかと、二人はその場から動く。そんな彼女達の耳に、どこかから声が届いた。
『こ、こっちに来るな!』
その声は明らかに異質であった。
明確な何かを拒絶する声。発生源は……後ろか。
三度目ともなれば、この声がした場所にあの白髪の少年もしくは少女がいるということは予測できる。問題は、今までと周囲の空気が違うということだ。
一度目はそもそも周囲には誰もいなかった。二度目は口喧嘩のようなものをしていたとはいえ、根底にあるのは優しさであった。
しかし、三度目、今は違う。
先程の声に優しさは微塵も感じられない。あるのは恐怖か、怒りか、何にせよ良くない感情であるのは確か。
足を止め、二人は振り向く。
視線の先にはやはり、遠目で分かりにくいが、白髪を持つ誰かの存在は見て取れた。
「ッ!!」
――その身に、石が投じられる光景も。
一瞬で幽香の妖力が爆発。数多の妖力弾が形成され、石を投じたと思われる人間の元へ殺到する。
逃がしはしない。確実に殺す。たとえ威力過多であろうとも、その子にしでかした事を後悔させる間もなくこの世から消し去ってやる。
だが。
「駄目よ、幽香」
妖力弾が着弾する直前、見慣れたスキマが開かれる。幽香の放った妖力弾は全てそれに呑み込まれてしまった。妖力弾同士がぶつかり合いでもしたのか、直後に爆発音と軽めの振動が二人を襲った。
キッと殺意の篭った目線で隣のスキマ妖怪を睨む。
「どういうことよ?」
「……一応、スキマからこっちに干渉することは無い筈なんだけど。軽くとはいえ、何で振動がこっちに届くのかしら」
「答えろ」
「ここはあの子の夢の世界です。暴れて、もし壊れでもしたら、どんな影響が出るか予想できません。干渉出来ないとはいえ、貴女程の力を持っていればそれも絶対とは言い切れませんし」
紫の視線は冷たかった。
だが決して、その視線は幽香に向いておらず、石の投石者の方を見ているあたり、紫もまた怒りを覚えているようであった。
その様子を見て、幽香も冷静になる。
ここで暴れたところで何も変わらない。分かり切ったことじゃないか。
目を閉じ、一つ大きく深呼吸して心を落ち着かせた。
そして再度、先の方向を見る。
『?――?、?』
『ひ……っ』
白髪の子は、今までで一番性別が判別できない顔立ちだった。髪も中途半端で、はっきりと区別できない。
幼いということではない。いや十分幼いが、今まで見てきた姿に比べれば大した差は無いように思える。
そんな白髪の子は、怯えるように石を投げた人間から後退りで離れていた。向き合う形になったその人間は、目が合うと同時に家の中に引きこもった。
白髪の子が周囲を見渡すと、皆一様に視線を外し、家の中へと逃げこむ。気が付けば、数少ない外に出て農作業していた人達も姿を消していた。
そして、幽香と紫の目の前で、再度石が投げられた。
思わず一歩踏み出すが、紫は腕を横に伸ばしてそれを制した。
踏み出した一歩を戻し、力んでいた身体から力を抜く。
『っ?、?……?』
投げられた石は、白髪の子に届かなかった。空中で、何かに弾かれるように見当違いの方向へ飛んで行ったのだ。
しかしその子は投げられたということは分かったのか、投げられてきた方向を見て、顔を強張らせていた。
その様子に、二人は疑問を覚えた。
というのも、今まで見てきた白髪の子の様子と比べて、その反応が異質に見えたのだ。変に幼い、何も理解していない様子……そう、言い表すなら例えば、年相応、と言うべき反応。
思いを馳せる二人の視線の先で、白髪の子は走り出した。
石を投げた人間に報復するために走り出すのではなく。
その逆。
人間達から逃げるように――幽香と紫のいる方向へと、必死な形相で飛び出したのだ。
『っ……っ! っ!』
速度はない。
同年代の人間の子供と大差無い、ただただ普通の速度。
しかし、幽香達にとって、それは少々おかしな事であったのだ。
彼女達は一つ目の夢で、森の中を軽やかに走り抜ける少女の姿を目にしている。慣れてる慣れていないに関わらず、平坦な道と森の不安定な道も言えない道を走るのでは、ほぼ間違いなく前者を走る方が速い。
だが、今走っている白髪の子の速度は、どう見ても先の少女より遅い。
実年齢は不明だが、見た目で判断してそう離れていないとすれば、年齢差という線も消える。
こちらへ向かってくる少年を半ば無意識で受け止めようとして、すり抜ける。
「……」
幽香は、その身体を掴めなかった自らの手を見下ろし、拳を作った。
すぐに後ろを振り向き白髪の子の姿を追うと、まだその後ろ姿が見える。
追いかけ、追い付くことは容易い。だが、そんな気は全く起きなかった。
すり抜ける直線、あの子が浮かべていた表情は、
「……あの子、怯えていたわ」
「そのようですわね」
「現実のあの子は、私を前にしても恐れることなんて無かったのに、あの子は怯えていたわ」
「……そう、ですわね」
「……どうして」
どうして、人に怯えるのか。
だというのに。
――どうして、人にも優しいのか。
現実のあの子は、人を憎んでいる様子はなかった。誰も傷付けたくないという言葉には、人間も人外も含まれていた。
それなりの時間を過ごしたからか、彼が人を憎んでいることはないと言える。
だがそんな彼の様子は。
たった今見た光景と相反している。
つい今しがた走り抜けたあの子は、明らかに人に怯えていた。人から向けられる敵意を、恐れていた。
現実でまだ寝ているであろう彼は、見た目の年齢と不相応にも、誰に対しても平等な優しさ故に孤独を受け入れていた。
違う。何もかもが違う。
では一体、この光景は、この過去は、少年にどんな影響を残したというのだ?
そう考える幽香の脳裏に、優しさという単語が浮かんだ。
……まさか。
「――拒絶されるから、自分から離れたというの……?」
拒絶されるが故に離れざるを得なくなるのとは違う。その場合は、人の感情が、空気が、拒絶される者が離れていくことを強く後押ししているものだ。
だが、あの子は違う。
あの子は自分から、人間達から離れることを選んだのではなかろうか。
まさしく、優しさ故に。
前者だと必ず禍根が残るというのに、あの子の場合は怒りも恨みも存在していない。
当然だ。
人を恨んで離れるのではなく、人を想って離れることを選択しているのだから。
あくまで予想の範囲に過ぎない。幽香は今の子の性格や人格を知らないし、現実の方の彼の思考から推測しているだけなので、それが今の子に当て嵌まるという可能性は低い。
だが、もし。
もしそれが事実であったなら。
それはなんと――なんと、悲しいことであろうか。
二つ目の夢で見た少年と妖怪の口論の時に感じたものにも似た、やるせないこの感情。
本当に、救いがない。
「……幽香、もうすぐ夢が終わるわ。現実に戻るけど……何か、ありますか?」
「……いいえ。貴方が見るべきだと判断したものを見終えたというのなら、もう戻りましょう」
「あら、いつから気付いていたの?」
「夢の移動は全てアンタに任せていた。どの夢を、どの場所で、どの時点で見るか、アンタならどうとでも変えれるでしょ」
紫は一度大きく息を吐き、それを返答とした。
「確かに、貴方に見せていない内容はいくつもあります」
「それで?」
「ですが、その中で今までの三つの夢を見せたという理由をお忘れなく。貴方だって、これらの夢だけであの子の負っている傷を十分理解した筈です」
「私は全てを受け止める覚悟を持ったのだけれど」
「……本当に、三つの夢以外を見る必要は無いの。それらは傷足り得なかったから」
傷にはならなかったからといって、痛みが無い訳ではあるまいに。
今度は幽香が息を吐く番であった。と言っても、それは溜息と言われるものであったが。
だが確かに、もう今までの夢で少年が抱えているものは自分なりにとはいえ理解出来たと思う。
紫を見据え、一つ頷く。
紫はそれに自分も頷きを返すと、スキマから扇子を取り出し、横一文字に薙いだ。すぐそこに、スキマが開く。
「では、そろそろ帰りましょう」
「ええ、そうね」
呼びかけは短く、返答も簡素。
開かれたスキマにまず幽香が飛び込み、次いで紫が入る。紫が入ったすぐ後に、スキマは閉じられた。
いくつもの目玉が浮かぶスキマの中で、幽香は現実の方の少年へと思いを馳せた。
そうだな、現実に戻ったらまず、あの少年を気の済むまで抱き締めよう。彼は、愛されるべき存在なのだ。たった独りを望み、そして独りになってしまったあの子は、誰かに愛されるべきだ。
それに、あの抱き心地をもう愛おしくなるほど、どうやら自分は少年に入れ込んでいるらしい。
ふふ、と小さく笑いをこぼす。
さて――彼は自分を愛してくれるだろうか。
ふっ。二話に分ければいいものをまとめた結果やけに多くなってしまったぜい。
ということで夢編完結しました。
本来なら前半の最後で少し触れた、主人公(?)と人の子が別れる話も書きたかったのですが、カット。無理矢理詰め込みました。
人間との関わりの話になると、後半の夢と内容が被りかねなかったんですよね。
夢の内容を出た順にまとめると、
・人と妖怪が殺し合った惨状を見た。
・妖怪を、妖怪が傷付かないように(思い込み)、自分から遠ざけた&人の子との別れの経験もしくは記憶。
・人から拒絶されたが、恨みではなく優しさ故に拒絶を受け入れた
です。
これが現実の主人公の思考の元となります。
最後に紫が言っていた、他にもある、というのは、単にたった三つじゃ少なくね?内容も薄いし……と作者が思ったので保険をかけたためです。物語にあまり関係ありません。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
既に幽香は落ちていた。
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第10話
途中で書き詰まってしまい、大変時間がかかってしまいました。
申し訳ありません。
それでは、どうぞ。
目を開けると、夢に入る前にはなかった光が目に入った。
少し眩しくて、数度目を瞬かせる。
どうやらそれは朝日が部屋に差し込んでいるからのようで、夢に入った時間から、既に数時間は経過したことを表していた。
若干俯きがちになっていた背を伸ばし、座ったままだったからか凝ってしまった筋肉を動かせる範囲で解しながら、幽香は周囲の状況を確認した。
時間は朝。日の光の角度や色を見るに間違いはないだろう。
少し距離を置いたところに、自分と同じように寝起きのような仕草をしている紫。果てしない違和感を感じるが、自分と一緒に夢に潜っていたのだから、寝起きだとしても不思議ではない。
そして、腕の中に感じる少々高めの体温。
自分にもたれかかるように脱力し、規則的な寝息を立てる少年の姿があった。
繋がれた手は微かに力が篭っており、その弱々しくもしっかりとした少年の力が、どうしようもなくくすぐったい思いを感じさせる。
それにしても、
「……首が痛くなりそうな恰好ね」
もたれかかるように体重をかけていたということに加え、幽香自身も若干俯きがちになっていたからか、少年は幽香の上を滑って体の半分以上が投げ出されており、しかし中途半端に上半身が起こされているからか体の殆どは横になっているというのに首から上は立っているという体勢であった。どうやら、少しずつ滑り落ちているようでもあった。
空いていた手を少年の脇に差し込み、引き上げる。
だが、やはり片手では安定せず、少年が軽く呻いた。
「ん……ぅ?」
「あら、起こしたかしら?」
「ああ、いえ、大丈夫です……」
のろのろと身を起こそうとする少年。
眠たげに半分閉じた目で、今の自分の体勢を理解し、幽香の姿を認識し、次いで覚醒したらしき紫の姿を認識し、ゆっくりと身体を起こそうとすれば首の痛みからか変な位置で停止し、そして再度動き出す。
んんーという言葉と共に身体を伸ばし、振り向き、幽香と向き合う。
「幽香、さん……」
「おはよう、何かしら?」
おはよーございますと、未だ眠気の抜けていない声色で挨拶を返し、しかしその状態から動かない少年。
一分、五分と経ち、そろそろその倍の時間が経とうかというところで少年が動いた。
ちなみにその間、紫は面白そうに二人を観察しているだけであった。
「……幽香さん」
「なに?」
「幽香、さん」
「ええ」
「幽香さん」
「聞こえているわよ」
何度も、何度も幽香の名を呼ぶ少年。その都度、しっかりと返事をする幽香。
少年は何度も何度も彼女の名を呼んだ。
幽香は何度も何度もその呼びかけに応えた。
そこにどんな意味があるかは分からない。いや、そもそも意味があるのかどうかすら怪しい。
だが、少なくとも二人の間には何かはあった。
「――幽香さん」
「どうしたの?」
「僕は」
いつの間にか、眠気は綺麗さっぱり抜けている眼差しで、少年は真っ直ぐに幽香の眼を見詰めていた。
「ここにいます」
「そうね」
「私も、ここにいます」
「知っているわ」
「俺も、ここにいます」
「分かっているわ」
「――僕は、貴方の傍にいます」
「――ええ、貴方は私の傍にいるわ」
おいで、と言うかのように幽香は少年に手を伸ばした。
普段の彼女からは滅多に見られない慈愛に満ちた笑みを湛え、飛びつくようにその腕に飛び込む少年を抱き締め返し、その銀にも近い純白の髪を持つ頭を撫でる。
少年の存在を自分に、自分の存在を少年に、何度も髪を梳き、刻み付ける。
少年の居場所はここだと。貴方はここにいていいのだと。
違う。
少年の居場所は、自分の腕の中であるべきなのだと。
もう独りになんかさせない。させるものか。彼は、彼女は、白髪を持つあの子供達は、もう十分過ぎる程に孤独に傷付けられてきた。これ以上、傷を増やす必要も、痛みを我慢する必要もない。
その傷も、痛みも、自分が癒してみせよう。
「うああぁぁ……えぅっ……幽香、さん……ゆうか……さん………っ」
何度もしゃくりを上げ、肩を震わせ、涙を流しながら、幽香の名を呼ぶ少年。
少年が何を思ってこのような言動に至ったのかは幽香には分からない。幽香や紫が少年の夢を辿って記憶と傷を遡った時に、少年もまた同じ夢を見ていたのかもしれないし、全く違う夢を見ていて何か少年の心に響くモノがあったのかもしれない。そもそも夢とは定義できない摩訶不思議な現象であった可能性もなくはない。
それでも変わらず言えることは、少年は今幽香を求めているということだ。
この腕の中の温もりを、ここにいてもいいのだという安心を、少年は欲している。
ならば幽香は、ただただそれに応じるまでだ。
(――ん?)
ぞわり、と心が波立った。
直後、ある感情の奔流が幽香を襲った。
(っ!?)
その感情の名は、喜び。
確かに今自分は言葉にできない程の歓喜に満ちているのは認めよう。こうして少年が自分の腕に来ることを拒まなくなったのだ。嬉しくない筈がない。
だが、これは異常だ。
今感じている喜びは、自分が抱く歓喜とは何かが違うような気がする。
そして、気付いた。
(これは……この子から?)
なんとなくだが、力の流れを感じる。腕の中の少年から、自分へと流れる力が。
妖力ではない。法力とも違う。霊力ですらない。
この力は一体何だ?
……いや、どうでもいい。
彼が何であれ、自分は傍に居ると誓ったのだ。どんな力を持っていようが振るおうが、それで何か変わるわけでもない。変化することはないのだから、気にする必要もない。
そう結論付け、いまだ感じている二つの喜びに浸っていると、存在を半ば忘れていた紫が口を開いた。
「良かったわね、幽香。この子はもう、貴方の傍が自身の居場所だと認めたわ」
「わざわざ言わなくてもいいわよ、そのくらい」
「つれないわねえ。本当は嬉しいくせに」
「勿論。狂いそうなほどに嬉しいわ」
「あら」
幽香の発言に、紫は目を丸くした。
紫にとっては揶揄い半分で言った台詞であったし、幽香もまたそれを分かって適当な返答をするだけだろうと思っていたのだが、返ってきたのは予想に反して紫の言葉を紫以上に肯定する内容だった。
幽香の表情は変わらない。現在進行形で涙を流す少年の頭を撫でたまま、薄い笑みを浮かべている。
親子……というよりは、姉弟に近いその姿に、紫もまた嬉しそうに目を細めるのだった。
(良かった……本当に、良かったわね)
その思いがどちらに向けられたものなのか……語る必要はあるまい。
こじんまりとした部屋に、少年の泣き声が響いた。
◇◆◇◆
一つ、話をしましょうか。
とある人形の昔話を。とある異形のお伽噺を。
そんな胡乱げな眼をしなくたっていいじゃない。ただ懐かしくなって、なんとなく思い出しただけよ。別に意味も目的もありゃしないわ。
とある山奥に、小さな村がありました。
村人達は皆懸命に働き、裕福ではなくともそれなりに落ち着いた日々を過ごしていたわ。立地の関係上他との交流も少なく、さらに日常に必要な殆どの物品をその村で賄えていたのもあって、その暮らしが大きく変化することもなかったの。
でも、そんな村人達にだって恐れるものがあった。
田畑を荒らす害獣や天災? まあそれもそうなんだけど。人間達の恐怖の対象と言えば、私達みたいな妖怪、人外の類でしょう。
その村人達も、普通の人間と変わらず妖怪を恐れていたのよ。
でもある日、ある子供が生まれたわ。
成長し、赤子から童と呼ぶようになるくらいになると、その子はとても強い正義感を持つようになったの。
それと同時に、彼は行動力があり、才能と肉体に恵まれていた。
妖怪に恐れる村人達を憂い、襲われる理不尽に怒り、まだまだ非力で無力な自分を嘆いた彼は、強さを求めるようになったわ。
ただただ自分を鍛え上げ、追い込んでいった。
彼が大人と周りに認められる頃には、村一番の強さを持った男として、頼れる存在になっていったのよ。
時に山に入った者の護衛を、時に偶然入り込んでしまった獣の退治を。
――そして時に、村人を脅かす妖怪の討伐を。
その村に陰陽師だとか、そういう専門知識を持った存在はいなかった。他との交流もなかったからわざわざ助けを呼ぶにも労力と時間がかかり過ぎる。だから、必然、彼にそういった荒事が回ってくるようになったのね。
彼も、元々その為に強くなったのだから、それを拒むことはなかったし、実力もきちんとあったからそこらの野良妖怪程度に敗けることもなかった。
最初の頃はその力強さを見込まれて力仕事を任されることも多かったけれど、次第にそれも少なくなっていってしまったわ。
恐ろしいわよね。ただの腕っぷしの強さだけで妖怪と渡り合うなんて。
やがて彼は英雄と崇められ、戦士として讃えられた。
若干不愛想ではあったけれど、それを気にするような人間はいなかった。
さらに彼は無欲であった。村人達の安全だけを望み、贈られるお礼やお供え物は生活に最低限必要なものだけ受け取り、他は拒んでいたわ。
さて、そんな彼にも転機が訪れたの。
そんな妖怪退治と偶の力仕事をこなしていたある日、一人の女性を拾ったの。
その女性はとても美しかったわ。見るもの全てを惹き付けるような美貌と、少女のような純真さを兼ね備えた、不思議な魅力を持った女性だった。
拾ったって言い方はアレかしらね。普通に出会った、とかにしときましょうか。まあどのみち同棲することになるんだから拾った、でもあながち間違いでもないんだけれど。
ともかく。
そんな美しい女性であったけれど、村人達はその女性を歓迎しなかった。理由は簡単。そんな何処から来たのかも分からない、出自も不明の存在なんて、良くも悪くも閉鎖的だったその村の社会には馴染めなかったのよ。
でもね。彼だけは違った。
村人達に拒絶されていたその女性を、彼は引き取ることにしたの。どうやら彼女は記憶障害を起こしていたらしく、帰る場所も住む場所もないと分かったら、彼は一時的に、という条件で引き取ったのよ。
村人達の反応は様々ね。女に絆されたと非難するものもいれば、まあ彼ならばと納得するものもいた。中には、ようやく女が出来たかと囃し立てる人もいたわね。
彼の家は村の中心部からは少し離れた所にあって、仕事を頼む時以外は村人もあまり来ないから、丁度良かった、ていうのもあったかもしれないわ。
そして、彼と彼女の生活が始まったってわけ。
彼女はどこまでも人間だったわ。命が散ることを誰よりも悲しみ、新しい命が誕生すればまるで当人達のように喜んで、辛いことに涙して、嬉しければ笑う。どこまでも普通の人間だった。
彼もまた、そんな彼女を見て変わっていったわ。彼女が泣いていれば慰めて、笑っていれば共に笑う。自分でも気付かない内にその女性に惹かれる程には、一緒に時間を過ごしたの。
そうやって少しずつ変わっていく彼を、最初は女性を訝しんでいた者達でさえ、村人達は歓迎したわ。
さて、ここで少し時間が飛ぶわ。
彼と彼女はただただ平穏な毎日を過ごしていた。男の方はいつも通り妖怪退治もこなし、女性はそんな彼を家で待っては料理をしたり怪我の治療をしたり、村人からはまるで夫婦だと言われるような生活を続けていた。そのまま何年かの時間が経ったのよ。
そしてある日。一つの噂が村で流れ始めるの。
『あの女性は人の道を踏み外したものである。この村の英雄を誑かし、自らの安全を手に入れたのだ。早急に討伐せねばならない』ってね。
閉鎖的な村だったからね。噂が広まるのは早かったわ。一週間も経てば村人全員がその噂を知っているくらいには。勿論、当の二人にもね。
その噂を信じる者は最初は少なかった。でもね、この噂を流した人物が少々特殊でね。
都の方からやってきた、ていう陰陽師だったのよ。
さっきも言った通り、その村に陰陽師のような専門職といったものはない。でもそこは彼のお陰で必要がなかったのね。
でもある日やって来た陰陽師がそう言った。ここで専門的知識を持った人がいない、っていうのが裏目に出たの。
その陰陽師の言葉の真偽が判断出来なかったのよ。
今まで過ごしてきてあの女性に敵意や害意が無いをは思っていた。だけど専門の人が言うのならば違うのかもしれない、ってね。
勿論女性は反対したわ。私は確かに怪しい存在かもしれないけれど、決して悪意は持っていない、って。でもそれが女性本人の口から言ったところで、陰陽師は逆にこう言い返すわけ。
騙されてはいけない。自分が攻撃されないよう、嘘を吐いているのだーって。
じゃあ男の方はどんな行動を起こしたのか。
てっきり女性を弁護するものなのかと思ったら違う。彼は村人と陰陽師、そして女性に向かってこう言ったのよ。
『その御仁がそう言うのなら彼女は確かに人外なのだろう』って。
でもね、その後にこう続けたの。
『だが、決して誑かされたのでもなければ、彼女を討たねばならない存在だとも決して思わない』ってね。
勿論陰陽師も反論したわ。その言葉こそ、妖怪に誑かされている証拠ではないか、って。
でも彼はただ、『仮にそうだとして、彼女が来る前に比べて何か変わったか』とだけ言い残して、女性を連れて家に帰ったわ。
村人も、結局は信頼の差か、殆どは陰陽師の話を聞き流すことになった。
そう。殆ど、がね。
陰陽師の言葉を信じるものだっていたのよ。それは男が英雄視されているのを良く思っていなかったり、女性への不信感を募らせている人だったり。まあ村人だって人間だもの。全員が全員良い感情を持っている訳無いわよね。
変化を明確に感じ取り始めたのは、さらに数か月が経った頃。陰陽師は空き家に相変わらず居座っていて、若干妖怪退治の依頼が減りつつあった男も、村から離れた生活とは言え、女性と一緒に平穏に暮らしていた。
ただある日、男はとある違和感を覚えたの。
村の人々から向けられる視線が変わっている。
もとより何となくとは言え変化は感じ取っていた。ただ、それがその日になってはっきりしてきた。
感じ取るのは恐怖。畏怖。不信。
だけど、それも仕方がないことだろうとも男は思っていたわ。妖怪退治を続けていれば、いずれそうなることは読めていた。
妖怪と言う人智を超えたものを生身で討伐しているんだもの。その力を恐れ、人と言う尺度で測れないものと遠ざけ、その力は果たして自分達に向けられないかと疑う。
今までは男の人格が認められてたからか、そういったことは見受けられなかったけど、最近になって目に付くようになった。それが今まで見えてなかったものが表面化しただけなのか、村人達の中で何か心情の変化があったからなのか、男には判断が付かななかったけれど、性格の所為かそれを気にすることもなかったわ。そうなるのも自然だろう、ってね。
だけど、その変化を不審に思う存在もあった。
男と一緒にいた女性ね。
男の方はこの変化を仕方のないことと静観していたけれど、女性にとってはそれは異常だった。
ついこの前までは普段通りであったというのに、ここ最近になって急に表面化するのはおかしい、って。普通に考えればその通りなんだけど、この時第三者の視点を持てたのは彼女だけだったのね。
だから調べたわ。男の方があまり良い目で見られていない以上、自分はもっと酷いだろうて思い、密かに、隠れて、目立たないように調べ上げた。
すると、一人の人間の存在が浮かび上がってきた。
変化が急に訪れたのなら、その変化はこの村にとっての異端分子が原因であるのは明確。
そう、あの都から来たという陰陽師ね。
どうやらこの陰陽師が裏で何か工作しているらしい。村人の中で男の認識を改悪させ、自分を敵対視させる。その先に目指すのは陰陽師自身の立場の安定か。
取り敢えず大まかにここまで調べ上げた女性は、すぐに男に報告したわ。
でも男は、
『気にしない。いずれはそうなっていた結末だ。それが早まっただけのこと』
って特に動こうとはしなかった。その頃には、村人から依頼が来ることも殆ど無くなり、自分の持つ畑や山菜で採れたもので食を繋ぐような状況になっていたのにね。実際のところは殆ど生活の内容自体は変わっていないのだけれど、取り巻く環境が激変していた、という訳。
そして、男の方が動く気が無いというのなら、自分が動かなければならないと思った女性は、どうにか陰陽師の粗を見つけられないかと一人で動くようになった。
でも、それも遅かった。
陰陽師は既に村の中で自身の立ち位置を盤石なものにしていて、つまりは外堀を完全に埋めた状態で、最終段階としてはっきりと男と女性を陥れにきていた。
彼女はそれを打開する術を持っていなかった。大っぴらに動けない彼女には、裏から崩すことしかできないというのに、既にそれが手遅れとなってはもう為す術は無かった。彼女はただ、段々と壊れていく男を取り巻く環境を、陰陽師の思うように動いていくこの状況を、指を咥えて眺めていくしかなかったの。それをどうにか打開しようにも、彼女にそれだけの影響力はなかった。
だから、終焉が訪れるのは早かった。
焦げたような臭いと、妙な明るさを感じた。
既に誰もが寝静まった夜中。人間の生活する時間はとうに終え、妖怪跋扈の時間帯。
目を開け、むくりと身を起こし周囲を見れば、すぐに臭いと明かりの元は判明した。
家が、燃えている。
一瞬、妖怪の仕業かと思ったが、そもそも妖怪ならばこのような遠回しな方法を取らず、単純に寝込みを襲えばいいだけの話だし、もしそんなことになろうものなら自分はその気配や殺気を感じ取ることが出来る。事実、以前はそういうこともあった。
だが、覚醒した今でも妖怪の気配を感じ取れないとするならば、この事態を招いたのは人間だということになる。
居候のあの女性のことも一瞬頭を過ったが……誰かを憎んだことのないようなあの性格では、このようなことが出来るとは思えなかった。
「……そうか」
一言、溢す。
「――そう、か」
覚悟を決めると同時、家の壁が吹き飛んだ。もう崩壊が始まっているこの家では、その際の轟音はあまり気にならなかった。
開いた穴に視線を移すと、聞き覚えのある女性の声がした。
「だ、大丈夫かしら!?」
「む……今日も外に居るのなら良かったと思ったんだが、戻って来たのか」
穴から身を出した女性は、部屋の中央で座り込むこちらの姿を確認すると同時、飛ぶように寄ってきた。
必死の形相の彼女は、こちらの腕を掴み、必死に開けた穴へと持っていこうとする。
だが、動く気はない。
それを察した女性が、驚愕の表情で詰め寄った。
「ど、どうしたの!? ここに居たら死んでしまうわ! 気付くのが遅れて、家はもう諦めるしかないけど、今なら貴方は助かる! 裏にあの胡散臭い陰陽師がいた。貴方はここで死を受け入れる必要なんてない!」
「いいんだよ」
優しく、自分の腕を掴む彼女の手を払う。
手が離れると、軽く彼女の身体を押してやる。
お前だけが、逃げなさい、と言うように。
「いつかはこうなっていただろうさ。確かにあの陰陽師に扇動されていたんだろうが、それを踏まえて彼らは俺を討つことを選んだんだ。ならば俺はそれを受け入れるよ」
「どうして!? 村人達は言わば一種の洗脳状態、思考誘導されているような状態というだけ! 貴方が選ばれなかったとか、陰陽師を選んだとか、そういう話じゃないのよ!?」
「そういう話さ。俺には討たれるような要素が揃っていたから、彼らを誘導することが出来た。要素が揃っていたのなら、いずれはこうなっている可能性は高かった。ほら、お前だけでも逃げな。お前なら逃げれるだろう?」
「だから……!」
「行け!」
「っ」
一言、強くそう命じると、彼女は息を呑み、一歩、また一歩と穴へと後退りしていく。
普段殆ど動かさない表情を必死に動かし、最期はせめて笑おうかと、彼女に笑みを見せる。
そういえば、こうやって笑うのもいつ以来だろうか……。
彼女はなぜかそれを見て辛そうな表情をしてしまった。自分としては、笑えとまでは言わないが、少なくともそんな顔で別れを告げたくないのだけど。
ああ、そういえば、最期だと言うのなら。
「なあ」
「な、何?」
「愛している」
言い終えると同時、彼女の姿が目の前からいなくなる。
姿が消えたと認識する頃には、嗅ぎ慣れた彼女の匂いが、見慣れた彼女の髪が、すぐそこにあった。
唇には柔らかな感触。
珍しく、イマイチ状況が分からないと困惑していると、彼女の身体は離れた。
「――私も愛しているわ、
「――ああ」
涙を浮かべながらも精一杯の笑顔を見せた彼女の顔に、自然とこちらも口角が上がる。
無理のない、自然な笑顔を今度は浮かべることができていたはずだ。
最期になってしまうのだから、やはり別れはこの方がいい。
いつの間にか家の中から姿を消した彼女の名をもう一度呼び、死を迎えるとしよう。
「じゃあな――
直後。
轟音と同時に灼熱が身を襲った。
◇◆◇◆
「――そして、男に助けられて女性は村から離れて逃走。男は焼け死に、村人と陰陽師だけが残ったって訳」
「……それで?」
紫がそう締めたので、そもそもの疑問をぶつける。
何故自分にそのような話をしたのか、だ。
「いやまあ? あの子に風見の名を与えてそれなりに経ったし、なんとなく思い出したから話しただけよ?」
「その話をする必要性のことなんだけど」
まあ、何となく分かる。
間違いなくあの子の出自に関する話だ。
紫はあくまでも昔話と言う体だからか個人名や姿形の情報は一切出さなかったが、女性が何かしら人外の類というのは推測出来るし、男もまたそれを分かったうえで彼女を愛したのだということも。
そして、紫は意図的にその情報を隠していたし、その上、
「それで?」
「うん?」
「話はそれで終わりじゃないんでしょ? その後はどうなったのよ」
紫は数度目を瞬かせると、薄く笑って口を開いた。
「――男が死んだ後、とある噂が立つようになったわ」
「…………」
「白い髪を持つ幼い子供。その髪は男と一緒にいた女性の髪色に酷く似ていて、村人達は口々にこう呼んだわ。――『呪われた子』ってね」
沈黙。
正真正銘、今の話でこの昔話は終わったのだろう。
だが、その呼び名には聞き覚えがあった。
そう、それは――あの少年が、かつて呼ばれていたという名称にそっくりではないか。
いや、気にすることなどない。そう呼ばれていたのは昔のことで、今はもう、彼自身の名前を与え、孤独からも脱したのだ。今の昔話と後日談を聞いたところで、何かが変わるようなことでもない。
「最初から何かを隠しているとは思っていたけど……このことだったのね」
「あら、何のことかしら?」
クスクスと笑う紫の顔が非常に腹立たしかったので思い切り睨みつけてやる。
だがあまり効いた様子でもなかったので、視線を外し、溜息を一つ溢して、すかっり温くなってしまったお茶を口に含む。
日本のお茶とは全く違う風味に最初は慣れなかったものの、今ではすっかり慣れ親しんでしまった。あの子も、美味しい淹れ方を研究中らしい。
と、そこで話題のあの少年の嬉しそうな声が耳に届いた。
「紫さん! お姉ちゃん! 出来ました!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる白髪の少年。
その手には人の形を模した紙が握られており、額には軽く汗が浮かんでいた。
その紙は、簡易的な式神。
紫が与え、訓練させていたものである。
「見ててください!」
少年は手を開き、式神を掌に乗せる。
数秒少年が念じるように唸ると、その式神がゆっくりと宙へ浮かび、少年の周囲をぐるぐると旋回し始めた。
その様子に、紫と幽香は驚嘆する。
「流石ねえ。才能はあると思っていたけれど、まさか数刻でここまで出来るとは思っていなかったわ」
「式術以外にも才能を開花させてるし、教えておいて正解だったかもしれないわね」
幽香は、少年へと手を伸ばし、褒めるようにその頭を撫でた。
「凄いわね――
昔話の場面で、必要最低限の情報は出せた筈……。
昔話の前後で、現在の時間が一気に進んでいます。
次回は、その間の出来事を書いていくかと思います。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
そもそも神綺様ならどうにかできたんじゃね? っていう疑問は遥か先で回収されると思います。何で出来なかったかを今の三人では知り得ることが出来ませんしね。
(11/19 紅茶の部分を訂正。時代的に考えてこの時に紅茶は流石に無理がありすぎる)
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第11話
っていうかこの前書き書いてるの三回目なんですが。エラーで投稿できなくて消えちゃったんで書き直しているんですが。何故だ。(後でクリック場所間違えてたことが発覚)
とりあえず一段落です。
正直、深夜どころか徹夜テンションで書き上げたものばかりですので、当初の予定よりだいぶ離れたものになっているような気がしなくもない。
後で読み返して、「あ、あの情報書くの忘れた」とか「伏線忘れてた」、もしくは「回収してねえ!」ってなるんですよね知ってますとも。
それでは、どうぞ。
少年が幽香に真に心を許したその日の夜。
幽香の姿は、少年の家の屋根の、さらにその上に在った。
虫や獣の鳴き声に、木の葉が風に揺れたり擦れたりする音が夜の静寂に響き、頭上には、雲一つない、遮るものの無い満天の星が輝いていた。
いずれ季節が過ぎ、動植物の音は絶え、こうして外に居ては凍える程の気温になってしまうだろう。しかしそれは、死と終焉ではなく、次の生と誕生の季節への準備期間である。
その先には花が咲き誇る。さらに先には緑が生い茂る。もっと先には紅や黄といった色に染まり、また、散らす。
人間達はこうしたことに何かと酒を飲む理由を欲するようだけれど……まあ確かに、今なら、風情というものが少しぐらいなら理解できるのかもしれない。
幽香はこちらを見下ろす月を見詰め、そう思った。
何故幽香がこんな時間に、こんな場所にいるのか。
その為には、この日の朝から今の時間まで何があったのか、少々時間を遡ってみた方が良い……のかもしれない。
◇◆◇◆
「う、うぅ……すみません。一度ならず二度までも、お見苦しい姿を……」
「別にいいわよ。それを責めたりなんてしないから」
恥ずかしそうに身を縮こませる少年に、幽香は苦笑気味にそう言った。
少年が涙を流した理由に理解と納得はあるし、そもそも見た目だけなら齢二桁に満たないようなこの子が、泣き疲れるでもなんでもなく、泣いていたことを縋っていた相手に謝るという行為自体が異常である。
気にしないとは言ったものの、流石に少年の素性ぐらいは少しぐらい知りたくなってしまう。
「紫さんも、今回は僕の為にわざわざ――」
「そう固くならなくても、畏まらなくてもいいわよ。あれは貴方の為と言うより、私達の自己満足に近いから」
にこりと紫は笑って返す。
夢を介して過去を覗くという行為は、元はと言えば少年が取り乱すほどの辛い過去を、幽香と紫は知りたいという思いで少年に頼んだものである。少年はそもそも拒否したっていい立場であるのだから、本来礼を言うとしたら二人の方なのだ。
少年の涙のせいで機会は逃してしまったが、彼女達としては、特に幽香にとっては少年に頼られるようになったという結果も含めて十分な成果であったと言えるだろう。
だが、謎はまだ残る。
当然だ。あの夢の内容は事実しか映しておらず、それぞれの関係性や少年自身への影響などは未だに不明なまま。
何かを隠していると思しき紫に訊けば分かるのかもしれないが、彼女が素直に話してくれるとは思えない。
「それで、これからのことだけど」
「これから、ですか?」
ええ、と紫は少年に頷く。
「急な話だけど……貴方、幽香と一緒にここを離れる気はない?」
「……?」
「ちょっと、どういうつもりよ」
少年は言っている意味が分からない、というように首を傾げ、幽香は紫を軽く睨む。
紫の今の台詞は、彼女の言う通り本当に急な話であった。
そもそも、彼女は今しがた、幽香と、と言ったが、そんな話は当の本人すら聞いていない。少年どころか、幽香ですら混乱するというものだ。
誤解してほしくはないのだが、別に幽香自身はここから離れること自体には別に異論はない。やろうと思えば、場所さえ残っていればいつでも戻って来れるのだし、幽香が執着しているのは少年であって、場所ではない。
だけど、と幽香の脳裏にいつか話をした、神秘がそのまま具現したかのような美しい銀の毛並みを持つ狼が浮かんだ。
あれ以来一度も姿を見てないが、変わらず食糧が運ばれているのを見るにいなくなった訳ではない筈だ。
あの狼は少年のことを大層気にかけていたし、せめて話は通すべきかもしれない……と、なんとなくそう思ったのである。
「きちんと理由はあるのよ?」
「ふうん?」
「主な理由としては、この子には外の世界をもっと知ってもらいたい、というものね」
今度は無言で続きを促す。
「この子はあまりに長い間をここで過ごし過ぎた。私は、もっと世界の広さを、他人の優しさを、大切なものの尊さを、この子に知ってほしい。勿論、相応に、世界の不条理を、他人の醜さを、何かを失う痛みも伴うでしょう。ですが、そういう然々を含めて経験を積んで欲しいと思うのです」
「……まあ、それには少し同感するわ」
紫の言葉通り、少年の世界は狭い。
夢で覗いた内容を含めても、少年を形作った世界はこの森と、近辺に存在する村で終わる。
普通の子供であるならば、それで十分だろう。たとえ知識としてさらに外を知っていたとしても、そこに体験、経験はない。
だが、少年は普通ではない。
見た目にそぐわない思考に言動、一身に受けるには辛すぎる背景。
さらに、彼の世界は偏っている。
誰かから受けた恐怖や嫌悪、忌避で作られていて、そこに少年自身の優しさによってそれを誰の所為にするでもなく全部自分で抱え込んでしまっている。
少年は幽香や紫に出会うまで、他人から負の感情以外の感情を直接受けることもなかったのだ。
あの狼は……何故か少年と直接会おうとしないみたいだし、取り敢えず除外。
とまあ、少年に色んな経験をさせたいという紫の意見には賛成だ。
「それで、他には?」
紫は、これが主な理由、と言っていた。ならば他にも少年を連れ出したい理由がある訳で。
訊くと紫は、じっと幽香を見詰めてきた。
何だろうか。
「幽香……貴方、この子と逢うようになってから花を見に行けてないでしょう?」
「……確かに、そうだけど」
幽香の数少ない趣味が、季節や土地に合った花や植物を全国各地に見て回る、というものだ。
同じ春でも、北と南では咲く花は違うし、逆に同じ雪国や南国であったとしても季節によって咲く花は違う。もっと言えば、海を渡りどこか遠い国へと行ったのならば日本では見られない特別な草花がある。
流石に国を超えるのは難しい、というか紫の力を借りなければいけないだろうが、たとえこの国の中だけでも、幽香は今まで各地を転々としてその風景を楽しんできた。
幽香が大妖怪として全国に名を馳せているのは、その結果付いてきただけなのである。
だが、少年の元に訪れるようになって、その趣味は封じていた。
毎日毎日ここに来るのだ。そんなに遠く離れてしまっては、また訪ねるのにも一苦労だ。紫の能力があれば即解決なのだが、残念ながら幽香は、紫がスキマを通して近くに現れることは察知できても、こちらから接触を図る手段は持ち合わせていないのである。
そしてその趣味の話は、少年には言ったことはない。
もし言えば、心優しい少年は、自分が独りになることを厭わず、そして一緒に行くなんて考えもせずに幽香を見送ったに違いない。もし幽香がそれを断って訪れ続けたとしても、なにかしら罪悪感じみた感情を少年が持つであろうことは想像に難くない。
「趣味、ですか? それはどんな?」
「彼女ね、色んな所に旅して、可憐に咲く野花や色づく木々を眺めるのが趣味なの」
「おい」
そんなことを考えていたら、紫があっさりと暴露しやがった。
人の遠慮をなんだと思っているのだろうか。
「え……そんな。僕にわざわざ逢いに来てくれなくても、幽香さんの趣味を優先してくださってよろしかったですのに」
「いいの。私がそうしたいと思って来ていたんだから。アンタが気にするようなことじゃないわ」
「ですが」
ほら、やはり想像していた通りの展開だ。
幽香は内心で溜息を溢す。
少年がこれを明かせば今のように口にすることは容易に想像できていた。自分ですら分かっていたのだから、頭の回る紫がそれに気付いていないとは思えないのだが。
「ええ。ですから、これからは貴方も一緒に行かれてはいかがです?」
「え?」
「……ああ、そういう」
紫が少年の台詞を遮ってまで口にした内容に、少年は困惑、幽香は納得を返した。
少年が一緒に行こうとしないのは、もう既に以前のことだ。自分と一緒に居れば傷付けてしまう。誰も傷付けたくない。だから孤独であろうとする。そうした少年の思考は、もう幽香には適用されない。
だって、少年は言ったのだ。自分の居場所は幽香の傍であると。
ならば、今更撤回なんてさせない。もし自分が遠くへ行くのならば少年も連れて行くし、少年が別のどこかを望んだならば当然のように自分も付いていく。
それを一切苦とは思わない。
「もし貴方がこの地に未練ややり残しが無いと言うのなら、私は色んな場所へ旅することを強くお勧めしますわ。勿論、幽香も連れてね。機会があれば、海の向こうへ行ってみるのもいいでしょう。その時はお供しますわ。どうしょう……悪くない提案だと思うのですけれど」
「ええと……」
少年は突然このような話になってどうにも思考が追い付いていないらしい。
まあ無理もあるまい。少年の閉じた世界では、急に外へ、と言われてもあまり実感が沸かないのだろう。
しどろもどろに答えを探す様子の少年が、幽香をちらりと見やった。
「ゆ、幽香さんは……どうなんですか?」
「どう、って?」
「その、僕が付いていくとか、そういう話について……」
「大歓迎よ?」
少年は大きく目を瞬かせた。あら可愛い。
だが、その反応は少し頂けない。
「なに、私に付いていくのは嫌だと言うの? 自分で自分の場所は私の傍だ、って言ってたくせに」
「いえ! そ、そういう訳ではなくてですね。ただ、その、僕が一緒だと――」
「そんなの気にしないし、興味もない。ソイツが言っているのは、そして私も気にしてるのは、貴方がどうしたいのか。それだけよ」
僕が……と、少年は一人考え込む。
少年の言葉の続きを推測するならば、『僕が一緒だと幽香さんが傷付いてしまう』とかそんな感じの台詞だろう。
何を今更、と思う。
今までこうしてずっと逢ってきたというのに、今更何を気にする必要があるというのであろう。確かに、真に一緒だった、とい訳ではないが、毎日ここに来てはいたし、何なら何度も寝泊りもしたのだ。本当に、今更である。
「えと、それでしたら……」
視線が彷徨い、身体を揺らし、続きを言いにくい様子の少年。
暫く二人は少年の言葉を待ったが、それも致し方ないという思いもあった。
少年は今まで、所謂、我儘を言ったことがなかったのだ。より正確に言うならば我儘を言うという行為自体少年の中にはなかった。
他人に迷惑を掛けることを極端に避け、痛ましいほどに自分を殺してていた少年には、我儘という、つまるところは自分の要望を押し付けようとする行為は、するしないではなく、有り得なかった。最早それが『普通』になってしまい、疑問を覚え無くなる程度には。
それが変わったのは、幽香と出会ってから。
はっきりと少年が要望を口にしたのは……夢を覗く直前のアレが初めてだろうか。
と、益体もないことを考えていると、遂に意を決したらしい少年が口を開いた。
「その、迷惑でなければ、僕も連れて行ってください……っ!」!
「――ええ、勿論。私からもお願いするわ」
「――ふふふ、そう答えてくださると思っていましたわ」
幽香と紫、二人して微笑んでそう返答すると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
へにゃりと安心しきった表情を浮かべる少年を見て、随分と感情表現が豊かになったものだと感じる。決してそれは悪いことなどではなく、良い変化だと言ってもいい筈だ。なんとも喜ばしいことではないか。
きっとこれから楽しくなる。
自分自身が意識しない程に自然に、幽香の顔には笑みが浮かんでいた。
またしても紫が唐突にその話題を口にしたのは、三人でこの地で最後の夕食の時間であった。
「そう言えば幽香、そろそろこの子に名前を付けてあげたら?」
「名前? あー、そうね。名前ね……」
「そうそう。それにいつまでも、人間ー、だとか、この子ー、だとかいう呼び方はしないほうがいいでしょ」
ふむ、とちらりと少年の方に視線を移す。
行儀よく米を口に運ぶ少年は、自分の話題だという認識が無いのか、きょとんとした顔で幽香の顔を見返してきた。
今までは名前が無くても会話は成立していたし、幽香も少年も名前を付ける必要性を感じていなかった。
だが、そうか。折角今までの生活を捨て、新しい人生への出発点へと立ったのだ。心機一転、という意味でも名前を付けるのはいいかもしれない。
それに、幽香自身も名前について考えが無いこともない。
そのうち機会を見つけて少年と二人きりの時に切り出そうと思っていたのだが……紫に聞かれながらというのも嫌だし。
だが、折角話題に上っているのにこの話をしないというのも、違和感がある。しなかった理由を後で問い詰められても面倒なので、今言うしかないのだろう。
「あー、と……人間?」
「ん。もぐもぐ……んく。はい。何ですか?」
急いで口の中に入っていた分のご飯を嚥下し、箸を置いて返事をする少年。
「貴方、『風見』の
「?」
「あら」
少年はあまり意味が理解できていない様子で首を傾げ、紫はわざとらしいまでに驚いた顔で口元を手で覆い隠した。
若干顔が赤くなっていることを自覚しつつ、幽香は少年の返答を待つ。
「姓って……何か特別な意味があるんですか?」
「えっ? あ、いや、特にそういう意味がある訳ではないけれど……」
「ふふ、幽香はね、貴方と家族になりたいって言ってるのよ」
「はっ倒すわよスキマ」
「おお怖い怖い。私はそれほど遠回しでもないのに全く伝わってない貴方の裏の心情を代弁してあげ――ごめんなさい許して貴方の妖力弾は洒落にならない待って待って待って」
傍に何個か妖力弾を生成すると紫はそそくさと元の位置に戻っていった。
不機嫌さを装って息を一つ漏らし、視線を少年に戻す。
少年は今の紫の台詞の意味を理解しようとしているのか、小さく呟きながら思案している様子だった。
「家族……家族……? 僕が、幽香さんと……?」
あの、と少年は思考を一段落つけたのか、明確に二人に呼び掛けた。
しかしそれは幽香への返答ではなく、少年自身の疑問の答えを欲しての台詞だった。
「家族って、何ですか?」
即答は、出来なかった。
「僕には家族というものがいません。最初から僕は独りでしたから。だから、家族になるという意味が、そもそも家族というものが何なのか分かりません。幽香さん、紫さん。――家族って、何ですか?」
幽香と紫は顔を見合わせた。
家族とは何か。
それは、親も子もいないという意味では少年と同じ立場である幽香と紫では、あまりに難しい問いであった。
一般的な答えは簡単だ。
夫婦と、もしいるのならその血縁関係者の集団、ないし共同生活を送っている者達の集団、といった答えを返せばいい。
だが、それは欲している答えではない。
家族とは何か。
例えば、適当な村の男に訊いたら妻と子供ですと答えるのだろう。例えば、言語を解する程度に育った子供に訊けばお父さんとお母さんと答えるのだろう。
だが、三人にはそう言える存在はいない。
少年に限っては、そもそも何かしらの関係性を持っていると言える存在は幽香と紫しかいないまである。
二人は少年の問いに対する答えを持っていない。
だから、きっと、これは。
家族のことではなく、自分と少年のことだ。
「――愛し合っている人達のことよ」
視線が幽香に集まる。
「互いに互いを愛し合い、求め合い、助け合う。近くにいても、離れていても、それぞれがその誰かを思いやることができる。言うならば、そうね。気持ちで繋がった存在のことかしらね。血だとか名前だとかは、それを物的に表すものでしかないわ」
少年のことを愛しているかと訊かれれば、迷わず是を答える。
少年のことを求めているかと訊かれれば、首を大きく縦に振ろう。
少年のことを助けたいのかと訊かれれば、逆に訊いてきた奴を、失礼だと殴り飛ばしてやろうか。
自分は少年と気持ちで、絆で繋がっていたい。
だからこそ、風見という姓を少年には名乗って欲しかったし、それを誇って欲しかった。
そうだ。もう遠回りする必要もないだろう。最初から真っ直ぐこう言えばよかったのだ。どうせ紫に言われてしまっているのだ。
「少年」
「は、はい」
「私の所に来なさい。私と同じ『風見』を名乗りなさい。私は貴方を愛しているわ。だから、そう――家族になりましょう?」
手を伸ばす。
この手を取って欲しい。自分の思いに応えて欲しい。
その思いを乗せて。
心拍数が上がる。顔が熱い。紫の面白がるような笑みがうざい。
だが、視線は真っ直ぐ少年に。
「……」
少年は無言で差し出された手を見詰めていた。
こうして直接言葉にしたのだから、幽香がその言葉に乗せた意味や、要求は理解できている、と思う。
なのにこうして反応が無いのは、もしや拒否の意味なのだろうか……?
その考えに行き着いた途端、急に不安になってきた。何に不安になっているのか自分で分からないが、この感情は不安と言うのが正しい筈だ。
ああどうしよう。もし拒絶されたら。もしこの手を跳ね除けられたら。自分はこれからどうすべきだろうどう過ごせばいいのだろう。少なくとも今まで通りとはいくまい。ああ早く答えをくださいもう承諾でも拒絶でもどっちでもいいから何か動いて――
「……僕には、愛するということが分かりません」
ようやく、少年が口を開く。
「同じ姓を名乗ることの重要性を、意味を、多分僕は、幽香さんや紫さんのようには捉えきれていないと思います。僕の言葉には、思いには、きっと重みがない」
「っ」
やはり、少年は。
「ですが」
「……?」
「それでも僕の抱くこの感情が幽香さんのいう愛だと言うのなら、僕はこうするべきなんです」
恐る恐ると言った様子で、でも真っ直ぐ幽香の手へと少年は自身の手を重ねる。
そして幽香と紫が見つめる視線の先、少年は一番の笑顔でこう言った。
「――はい。僕はこれから、『風見』の姓を名乗りましょう。そして……僕はもう、幽香さんの家族です」
◇◆◇◆
あの後、無性に恥ずかしくなって、照れ隠しに止まっていた食事を再開させたのだが、紫のにやにやとした笑みが腹立ったのでこっそり蔦を足に絡ませてやった。立ち上がろうとしてつんのめる姿はそれなりに滑稽だった。
少年が風見を名乗るからと言って、それだけでは名前足り得ない。ということで、食事しながら、そして終わった後も暫く少年の名付け会議が開催されていた。
そして激しい議論の末遂に決まったのが、『幽綺』という名前だった。
『幽』という漢字はそのまま幽香の『幽』から取っているのだが、『綺』に関しては、様々な候補が挙げられる中、少年……幽綺がこれがいいと指定したものだ。さらに言えば、『ユウキ』という呼びも幽綺によって決められた。彼が直接その名前を挙げたのではなく、候補の中でそれを指定したのだが。何でも、しっくりくる、らしい。
紫は何か言いたげだったが……結局は何も口にしなかった。
ともかく。
これで少年は、名も無き孤独の存在から、風見幽香の家族である風見幽綺という一存在となったのだ。
紫の計略によって関係性は姉弟ということになってしまったが……そもそも幽綺は兄弟姉妹に関していまいち理解していないようだった。まあ対外的なものだし、気にするほどでもない。
それに、試しにと紫に言われて呼ばれた『お姉ちゃん』という呼びが、なかなかどうして、くすぐったいものがあったし、悪くないとも思ってしまったので……取り敢えず、姉弟という関係はそのままにしておこう。
ふう、と一つ息を吐く。
今幽香は、昼間の時に脳裏に浮かんだ、あの白銀の狼を待っている。
明日にはここを発つのだから、今晩中には会っておきたいのだが……残念ながら今日は食糧を補充しにくる日じゃない。
だからこうして待っていても会える可能性は限りなく低いのだけれど、
(ずっと幽綺を、どころかさらに前から見てきただろうあの狼が、今日という日を逃すとは考えにくい)
自分や紫が幽綺に何か変化を生じさせたという情報は、もう握っていたとしても不思議ではない。
あの狼は正体が全くの不明なのだし、下手すれば自分達以上の実力を持ちかねないのだから、無理矢理でも納得はいく。
それでも、だからと言って会えるということでもないのも確かだが。
だから、今この状況は幸運だった、と言ってもいいのだろう。
〈こんばんは。月が綺麗ね〉
「ん、久し振り。そうね。今なら月見酒をする気分がより理解できる気がするわ」
いつの間にか、幽香の隣にはいつかの狼が居座っていた。
気配はなかった。声を掛けられるまで気付きもしなかった。だが、以前も気取られずに幽香の後ろを取ったのだし、この程度出来てもおかしくはない。
「今日は、別れを告げたくてね。待っていたのよ」
〈ええ。その件については存じています。貴方と、そちらの境界の妖怪に、最大限の感謝を〉
「……まさか、本当に気付かれるなんて」
「だから言ったでしょうに」
幽香の隣、狼の反対側。空間に穴が開いたかと思うと、するりとそこから紫が姿を現した。
ここに上る前。幽香の行動を不審に思った紫が尋ねたところ、合いたい奴がいるというので彼女は同行することにしたのだ。
幽香は狼の実力なら紫のスキマを察知できるだろうと一応伝えたのだが、警戒の意味か、紫は姿を隠していたのだが……あっさりと見抜かれてしまっていた。
「まずはお詫びを。先程の失礼な真似、大変申し訳ありません。こちらの都合で姿をお見せしなかったこと、深くお詫び申し上げますわ」
〈や、やめてやめて。そういうのあまり好きじゃないの。私も気にしていないし、私のことを幽香さんから聞いていたのなら警戒するのも当然だわ〉
「あと単純に気持ち悪い」
「幽香、流石にそれは酷いわ……ですが、まあ、はい。貴方がそう言って下さるなら、崩させてもらおうかしら」
よいしょ、と小さな掛け声と共に腰を下ろす紫。
……何でこの二人、というか一人と一匹はわざわざ隣かつ至近距離で腰を落ち着けるのか。近い。
〈それで、あの子のことだけど〉
「あの子、じゃないわ。今は風見幽綺って名前がある。そう呼んであげてちょうだい」
〈っ!……そう、風見幽綺、ね。ふふ、良い名前ね――本当に〉
幽香には、今の狼の心情は読めない。覚り妖怪なら或いは、と思うが幽香は覚り妖怪じゃないし、覚り妖怪であってもこの狼の心の内を暴けるのかと訊かれればなんだか無理のような気もする。
だが、少なくとも何かしら思う所はあるようで、頻りにその名前を呟く。
少しして、狼が顔を上げる。
〈ああっ、ごめんなさい。一人で考えこんじゃって〉
「気にしないでくださいな。貴方にも思う所があるのは十分理解していますので」
〈ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ。それで、ええと……幽綺は、ここを離れてしまうのね?〉
「本当、どこまで知っているのかしら……ええ。ですから、最後に貴方に挨拶を、と」
紫は立ち上がり、自身の南蛮風の服の裾を摘まんで一礼した。
「今まで、彼らを見守ってくださり、ありがとうございました。これからは、私達が幽綺の世界を広がることをお約束致します」
「私からも。幽綺はもう、風見の姓を持つ私の家族よ。死が私達を別つまで、いえ、たとえ死が訪れようとも、もう二度と彼を孤独にしないと誓いましょう」
幽香も紫に合わせて向き直り、目の前の狼へと告げる。
狼は数秒、呻くような声を上げると、
『――私からも。あの人の忘れ形見を、そんなに大事に思ってくれてありがとう。そして、本来私が果たすべき責務をお二人に負わせてしまい、本当にごめんなさい』
そこに居たのは、薄く夜空を透かして見せる、半透明の女性だった。
白いレースの付いた真っ赤な外套に、長い白銀の髪を一房結った髪型。背は幽香達とそれほど変わらないだろうが、圧倒的な存在感を示すのは、背にある六枚の翼。
生物的要素はそこにはなく、薄い黒に赤い文様を浮かべた、ともすれば禍々しいと形容すべき翼だった。
だが、彼女の顔は慈母のような優しさに包まれており、こちらを見る眼は暖かい。
成程。只者ではないと思ってはいたが、狼の正体は彼女だったか。
幽香と紫が息を呑む先、その女性は気にせず言葉を続ける。
『でも、これだけは本当に伝えたかったの。出来れば直接が良かったんだけど……そっちの世界には今は行けそうにないから、こんな形になって、ごめんなさい。だけど、気持ちは変わらないから。――本当に、ありがとう。でも、そっかー。私はもう必要ないのね。うふふ、いつかまた逢える時を楽しみにしてるわ』
何かを言う暇もなく、悲しそうな微笑みを浮かべた女性は霧のように消えてしまい、狼の姿も後には残らなかった。
残ったのは二人、幽香と紫のみ。
呆然とする中、先に沈黙を破ったのは紫であった。
「彼女、まさか神格を持っていたとはね……私としたことが、全く分からなかったわ……」
「無理もないわ。私も気付けなかった。それくらい、あの神は色んなものを隠すことに長けていたってことよ」
「ああ、でも、そうか。そういうことね……成程」
「何かしら?」
「いえ、お気になさらず。こちらの話よ」
怪しい、とは思うがわざわざ武力行使しようとも思わない。やるだけ無駄な気がする。それに、いくら実力はほぼ互角と言えど、紫が逃げに徹しられたら追いかける術は幽香は持ち合わせていない。
そう言えば、名前を聞くのを忘れていた。向こうも頭から抜けていたようだし、仕方ない。
もし、遥か先、本当に再会できたら、その時は積もる話でもしようではないか。
「さ、もう思い残すことは無いわ。朝が来たら出発しましょうか」
「そうね。以前貴方が使っていた家はそのまま残してある筈だから、まずはスキマでそこに行って取り敢えずの拠点としましょう」
「拠点?」
「流石に旅続きは幽綺には辛いものがあるでしょうし、一つくらい帰ってくる家は必要だと思うわ。宿、ではなく、正真正銘新しい自分の家がね」
「む、一理あるわね」
どうやら、まだまだ考えないといけないことは山積みのようだ。
だけど。
「ふふ、嬉しそうですわね」
「ええ。楽しみで仕方ないわ」
旅がこうも楽しみなのは、初めてだ。
今までも、色んな風景を見に行くという期待や好奇心、興奮はあったが、これは違う。
ああ、これからは自分の隣にあの子がいるというだけでこうも世界が変わってしまうのか。
その感覚がどうにもくすぐったくて、嬉しくて、幽香はまた笑みを溢した。
なんか最終回みたいなノリになってしまった……何故。
気が向けば章題つけます。ですが自分にはネーミングセンスが皆無ですのでやっぱり付けないかもしれません。
というか、夢というか過去(厳密には少々違うんですが)の話の神綺様に触れるのは一体いつになるんですかねえ。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
これからは、特に中身も何もない、キャラも新しく登場するか怪しい、そんな無駄話が続きます。
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第12話
ちまちまと書き進めていたらこんなにも遅くなってしまいました。申し訳ありません。
本来この話は二、三話くらいに分けて書こうと思っていたんですが、書いてる途中で冗長になるor短くなりすぎるのどちらかになる予感がしたので急遽合体。一つに纏めました。
それでは、どうぞ。
少年が風見幽綺として新たに歩み出してから、それなりの年月が経った。
幽綺と幽香は全国を旅し、四季折々の花々や土地特有の植物を観光した。それは時には海を越え、この国にはない独特の進化や成長を遂げた草木を見に行くまでであった。
少年にとっては全てが真新しく映るのか、見たことのない程目を輝かせていたのが、幽香にとってひどく嬉しかった。
あれは何、これは何、どんな生態なのか、どんな名前なのか。事ある毎に幽香を呼び、跳ね回るその姿が、初めて見た幽綺の見た目相応の行動で、それが普通だというのに見慣れていなくてなんだか変な気分だった。
そして旅をしているうち、幽綺について分かったことが大きく三つある。
一つは、彼の能力。
幽香はかつて他を寄せ付けようとしないその能力を、『拒絶する程度の能力』と名付けた。
だが、いつの間にかその能力が変質していたのだ。
いや。これでは語弊があるか。
十中八九、彼の能力が変質したのは夢の件が片付いたその日。幽綺が幽綺という名前を与えられ、彼が孤独から解放された日。
変質した能力を名付けるのならば、『届かせる程度の能力』
思えば。
元の能力である『拒絶する程度の能力』は、彼自身、ないし夢に出てきた過去の誰かの在り方によって生み出された能力なのだと思う。他人を誰もかれも拒絶し、自分から孤独を選び、誰も傷付けまいとする優しさと自己犠牲によって形作られた能力。
それが、幽香に出会い、孤独の苦しみを思い出し、誰かと共に歩みたいと決意したその日、その能力は反対の性質を得た。
即ち、何かを一定以上寄せ付けないようにするものの逆。何かを必ず何かに届ける力。
それは他者に触れることを恐れた少年自身であり、少年の傍に居ると約束した幽香自身なのかもしれない。
それは誰かと関係を作ることを避けて交わさなかった言葉だったかもしれない。はたまたその全てに乗せた想いなのかもしれない。
そうして彼は、心を交わすことを知ったのだ。
「より正確に言うのならば」
だが、紫曰く。
「彼の能力は
どうやら彼の能力は元々『届かせる程度の能力』ないし酷似した能力である可能性が高いらしい。
証拠として、紫は幽香と共通するある記憶の断片を語った。
少年の夢の内容の一部分。最初の夢の少女の行為。
彼女は何もない虚空に向かって話しかけていた。あれは恐らく、近くの植物に話しかけていたのではないか、と。
幽香にとってその可能性は間違いないと思われた。と言うのも、少年の能力が変質していたことが発覚した時の理由も、少年が明らかに植物と会話していたからだ。幽香も植物と意思疎通が出来るので、しっかり会話が成立していたことは確認済みである。
そして紫の推測の続きによると。
幽綺の能力が『拒絶する程度』に一度変わってしまったのは、少女の様子から察するに彼女より後。その時点で幽綺の元となった人格は殆ど出来上がっていたのだろう。
それが元の能力に似たもの、もしくは元の能力そのものに戻った経緯は、幽香の推察通りで間違ってはいないだろうとのことだった。
少年にとって喜ばしい変化であることには違いないので、能力の変質については素直に喜んでいいのだろう。
それに、思い返せば。
あの時、泣きじゃくる幽綺を抱き締めた時。少年から感情の奔流が流れ込んできた。つまり、その時点で幽綺の能力は変質して、能力によって彼自身の感情が幽香に『届いた』のだろう。
それから暫くは能力の把握と特訓の期間を設け、さらに今も日々の特訓をきちんとこなしているからか能力の扱いは随分と上達した。
そしてこの時期にもう一つの事実を知った。
能力の特訓の折、幽香と一緒に居る、即ち妖怪としての生活をしている以上、必ずどこかで誰かと争わなければならない時が来るということで戦闘訓練も実施したのだ。
最初幽綺は戦闘行為にあまり良い表情をしなかったが、必要性はきちんと理解していたし、さらにそこは男としての意地なのか、幽香を守るためという理由もあって最終的にはその提案を受け入れることにした。
だが、やはり傷付けるという行為に忌避感があるのか、彼は比較的傷の付きにくい棒術を主に指南してもらっていた。それに関しては、紫や幽香の古い伝手を使わせてもらった。一応剣や槍も実践に使える程度には鍛えたが、積極的に使おうとはしなかった。勿論、棒術であろうと怪我はするものなのだが。そもそも棒術と言ってもあくまで動きの基本や体捌き等が主で、流派だとかに則っているわけでもない。
長くなったが、今はそういう肉弾戦に関することは置いておく。
幽綺の才能は、紫が主だって師事した、陰陽術や式神等の術式に関する分野で開花したのだ。
平たく言えば、彼はあまりにも才能があった。それこそ、紫達は超える程に。
一を聞いて十を知る、程度の話ではない。十どころか百、なんなら虚数や文字式に到達してもおかしくない……は言い過ぎかもしれないが。とにかく、彼の才能には目を見張るものがあったのだ。
何故か、と訊かれれば、分からない、としか答えようがない。
なんとなく察しはつくものの、明確な答えなど持ち合わせていない。
極論を言えば、才能なんて個人差で片付けてしまうようなものだ。流石に幽綺の場合はそれでは収まり切れないとはいえ。
因みに、紫にとって一番驚いた出来事というのが、
「紫さん、新しく術式を編んでみたんだけど……見てくれない?」
「―――へっ?」
それは確か、あまりの成長速度に紫が教授する内容に悩んでいた時だ。
当初教える予定の無かった自分なりの術式の編み方を教えてみるかどうか決断しかねていたら、急に幽綺がそんなことを言い出したのだ。
幽綺は今、新しく編んでみた、と口にした。つまりは紫が教えていないものまで自力で辿り着いたということだ。
そして、自分独自の術式を編むというのがどれ程難しいものか、紫はきちんと理解している。何せ自分も通った道だからだ。今でこそこうして教える側に立っているが、当時は独学で学ぶしかなくて大変だったのを覚えている。
それが、教えてそう月日も経っていない幽綺がこうして成し遂げてみせた。
自分とは違い先生として自分がいるというのもある。だが、それでもこの成長速度は異常だ。それこそ、素っ頓狂な声を上げてしまう程には驚いた。
でも、それは良いことなのだろう。才能があること自体は別にいいのだし、幽綺にはそれを腐らせない人格が備わっている。ならば、心配することはないのだ。ただ本当に、驚くべきことなだけなのだ。
「え、ええ。分かったわ。見せてちょうだい」
「これなんだけど……取り敢えず、札に込めてみた」
……いや確かに、札を使った術式や戦い方は教えたけれども。自分の術式を札に込めるなんて教えていないのだが。
という思考を押しとどめ、顔に出さないようにし、受け取った札から術式を読み取る。
「ふむ……やっぱり粗は目立つわね」
「まあ、そうだろうね」
「けれど、誰にも教わらずにこの段階まで来たのは正直びっくり、なんて言葉じゃ足りないわ。それに、術式自体も問題なく発動するようだし」
はい、と札を幽綺に返す。
それから改善点や伸ばすべき点などを話し合ったが、内容は置いておく。
ともかく、幽綺が才能を惜しげなく開花させた結果、彼は紫が得意とする式神に関する術式だけでなく、陰陽術、結界術、空間術など、なんだか紫ですら下手すれば手の付けられない境地にまで辿り着いてしまった。流石に相性があるのか、式神に関しては紫の方がまだ上ではあるが、それも術式の系統が分岐してしまい、断言できるとは到底言えない。
それに、性格によるものかまだ研鑽を積み、さらなる高みを目指そうとしているのが空恐ろしい。戦うこと自体は好きではないが、こと術式を学ぶという点においては彼はそこにやりがいを見出しているようだった。
そして、彼が会得したのは体術や棒術、陰陽術等に留まらない。
幽綺はそれと並行して、妖術を扱えるようになっていった。
そう。妖術である。
無論彼は妖怪ではないし、妖怪の血が混ざっていた訳でもない。
では何故妖力が扱えるのか。
それは彼について知った最後の一つ。彼を構成するものについてにも繋がっていく。
厳密に言うのならば、彼が何者かを特定したのではなく、少なくともこれではない、という形で理解したと言うべきだろう。
ほぼ確信していたとは言え、やはり彼は純粋な人間ではなかった。
もう幽綺と旅をするようになって一世紀近く経っただろうか。
今は一時旅を止め、すっかり定着してしまった『我が家』での旅の休憩且つ幽綺の術式と肉体の鍛錬を兼ねた空白期間。
幽綺はもう少年から青年と言える程に成長し、人間でいう所の十六から十八あたりの見た目へと姿を変えた。
齢二桁にも満たないような容姿から、人間ならばもう元服してもおかしくない程の年齢へと。
……約百年の月日を経て。
なるべく気にしないように、その話題に触れないようにはしてきたが、流石にそろそろ興味を我慢するのも限界が近付いてきている。
彼の正体。彼を構成する何か。
……そして、曲がりなりにも彼は成長している、つまり、老化はする、という事実。
彼自身がそのことを気にしている様子はない。こうして気にしているのは、幼少期(と言ってもいいのかすら微妙だが)から彼を知っている幽香と紫の二人だけ。
いつだったか、もう随分前に彼の出生の秘密に関わる昔話を紫にされた覚えがあるが、あれは本当に話だけで何か謎が解明されるようなものではなかった。
その紫はと言うと、幽香の目の前で紅茶を飲んで寛いでいやがる。特に何かをしに来たわけではなく、幽綺の様子を見に来ただけらしいが……まあ、今の所本当に変な動きはしていないし、放置でいい。
だが、そうだな。折角居るのだし、どうせいずれ話してみようとは思っていたのだ。それが今になったところで問題はない。
「ねえ、紫」
「? なに、改まっちゃって」
「結局、幽綺ってなんなの?」
紫の方は見ない。視線は術式で作り出した長物を素振りしている幽綺に注いだまま、表情も特に変えずに尋ねる。
「……やっぱり、気になるわよねえ」
「その言い振りだと、そっちも知らないのね」
「ええ、まあ。私だって全知という訳ではないし」
「私も彼の素性や出生を一切気にしてこなかったのだから、何か言うつもりはないわよ」
でも興味は尽きないのも確かな訳で。
だが実のところ、幽香の関心は彼が何者であるかという話とは別の所にあった。
彼は成長する。
どれだけその速度が遅かろうと、肉体的な意味で彼は成長し、老化する。つまり、ほぼ間違いなく寿命がある。 確かに人間よりは断然長いだろう。今までの経過年数と姿の変わりようを見るに、およそ十倍近くの差があるのだろうか。
だが、それでも幽香や紫のような妖怪と比べてしまうと、その生涯は短いと言えるだろう。
いつか別れが来る。
最近幽香の心によく過るようになったこの思いは、たとえただの独善、我儘であったとしても、どうにかしたいと思うほどには日に日に強まるばかりだった。
彼にはもっと永い時を生きて欲しい。その隣に自分を置いて欲しい。死んでしまったところで冥界や地獄まで追いかけてしまえば何か別の手立てがあるのかもしれないが、できれば生きて現世を共に居たいと思うし、閻魔等面倒な奴らに目を付けられるのも避けたい。
「幽綺を妖怪化させて半妖にさせてしまえば……」
「幽香」
「分かってるわよ。冗談だっての」
「……その気持ちは大いに理解できるけど」
幽香の呟きに紫は顔を顰めた。
彼を構成するものに妖怪を混ぜてしまえば、寿命の問題は解決するだろう。
だがそれは、あまりに勝手が過ぎる。
妖怪という要素を混ぜるというのは、いや、妖怪に限らず元あるものに別の要素を混入させるということそれ自体が、その者への冒瀆に他ならない。その者自身が望んだのならともかく、こちらの都合で勝手に混ぜるのが決して褒められる行為ではないというのは、いくら幽香であろうと理解している。
だが、一度思い浮かんでしまった禁断の蜜の味に似た誘惑は中々頭から抜けなくて。
「…………」
「幽香?」
言ってみるだけだから。断られたのならそれでいい。色んな言い訳が頭を駆け巡った。
だから、そう、どっちに転んでもいいのだから。
「は、」
「?」
「話くらい、してみてもいいんじゃないかしら……?」
幽香の躊躇いがちの言葉に、紫は目を丸くしてしまった。
幽香が倫理的に反していると分かった上でそう提案したこととか、こんなにも幽綺に入れ込んでいることだとか、理由は様々なれど、それが普段の幽香らしくないことであるのは確かだった。
いやまあ軽く一世紀近く一緒に過ごしていて尚別れもせずにいるのだから、幽香が幽綺を、そして幽綺からもまた幽香を悪くは思ってないどころか、家族愛を通り越した絆で繋がっているのは簡単に分かるのだけれど。
相互依存、とでも言えばいいのか。
幽綺にとってもこの変化は決して悪いものではない筈だ。
……だからこそ、幽香がこの話をしてしまえば、彼は断らないということも容易に想像がつく。
紫は溜息を一つ溢して、やれやれという雰囲気をわざとらしく発しながら、
「……私から話をしてみる。貴方からだと、まず間違いなく受け入れるでしょうから」
「悪いわね」
「いいわよ。言ったでしょう? その気持ちは理解できる、って」
一度立ち上がり、彼の名を呼ぶ。
「幽綺ー、ちょっといいかしらー?」
「――はーい、少々お待ちくださーい」
視線の先で彼は長物を形作っていた術式を解き、身体を宙に浮かせ、まっすぐこちらへと飛んでくる。
この百年の間で、幽綺は既に飛行術を習得している。高所にも慣れ、自在に旋回や加速も出来るようになっている。流石に天狗のような存在と比べれる程ではないが、随分と上達したものだ。
幽香達の前で着地し、汗を拭いながら穏やかな笑みを湛える。
「どうかしましたか、二人とも」
「ええ、少し。大事な話があるのだけど……いいかしら?」
「私は構いませんが……それならば、先に湯浴みをしてきても? 汗や汚れを落としたいのですが……」
「分かったわ。急ぎじゃないから、ゆっくりしてきてもいいわよ」
分かりました、という言葉と共に軽く一礼して、幽綺は家の中へと戻っていった。
幽綺が湯浴みから戻ってきたところで、紫は早速その話題を切り出すことにした。
「貴方、自身の寿命についてどう考えているの?」
「寿命……ですか?」
首を傾げる幽綺。
「ええ。もう分かっていると思うけど、貴方は人間じゃない。自分の成長が人間より遅いのは、自覚しているわね?」
「はい。それについては把握していましたが、それが、何か?」
「……成長速度がどうのっていう話じゃなく、たとえ遅くとも貴方は成長しているという点についてなんだけど」
一息。
ちらりと幽香に視線を移せば、見た目では分かりにくいものの若干身体に力が入っているし、呼吸も少々浅いような気もする。緊張、しているのだろうか。
おそらく幽香自身に自覚は無いのだろうが、無意識で、この話の結末を不安に思っているのかもしれない。
仕方あるまい。何しろ、幽綺の将来的な生死に関わってもくるのだから。
「貴方、生きて幽香と一緒に居るのと、死んだとしても一緒に居る、の二択があるとしたらどちらを選ぶ?」
「急ですね……んー、どちらかと言われれば、死ぬよりは生きていたいとは思いますが」
「でも、今の貴方は成長している以上いずれ寿命を迎えてしまう、ということは理解している?」
「ええ、まあ。ですが、命というのはそういうものでは? 姉さんや紫さんのような人外の存在でもない限り、寿命による死は避けられぬ宿命でしょう」
「……ここに、それを解決する手段があると言えば、貴方はそれに乗るのかしら?」
幽綺の返答が、止まった。
その言葉の真意を探ろうとする視線が、二人を射抜く。不審に思っている様子はない。だが、その真意が読めず、困惑はしているようだった。
互いに見詰め合って暫くして、ようやく幽綺が口を開いた。
「……それは、どういう?」
「貴方に妖怪という存在を混ぜて、半不死、少なくとも寿命による老衰や見た目の成長を無くしてしまうことができます。……これが独善であることは理解しています。ですが、こういう提案をしてしまいたくもなる私達の心情も、理解してくれないかしら」
「ええ、ええ。お双方がそれ程までに私に生きて欲しいと願っている、愛してくれているというのは、私の自惚れでなければ確かだと思います。それを自覚できるくらいには長年一緒に居ましたから」
「ええ。私も、幽香も、貴方を愛しているのは事実よ。特に幽香は、いつの間にやら家族以上の愛情を向けて痛い。痛いわ幽香。真面目な話しているんだから抓らないで痛たたたたた」
ふん、と鼻を鳴らして幽香は腕を組んだ。
一見不機嫌そうにも見えるが、彼女なりの照れ隠しであることは、この場に居る残りの二人も理解していた。大方、紫に余計なことを言われそうになったからだろうが……隠したところで今更であろうに。他人に客観的に言われると何となく恥ずかしく感じるような、複雑な乙女心とかいうものだろうか。残念ながら紫は幽香が居る以上幽綺にそういう感情を向けることは控えているし、他に経験がある訳でもない。幽綺自身にとっては、その愛情を理解していても、一から十まで把握している訳でもない。ここらは幽香自身にしか分からない心の機微だろう。
話が逸れた。
ともかく。
幽綺も、妖怪という存在を混ぜるというのがどういう行為であるのかは分かっている。
だが。
「私は、別に構いませんよ?」
「それは、提案したのが私だからとかいう理由ではなく?」
「はい。どうせ私は人間ではありませんし、今更何を混ぜようと、私は風見幽綺のままです。お二人が私をそう扱う限り、私は私のままですから」
「……そう」
もう一度、そう、と息を吐く。
杞憂であった、のだろう。
彼は紫や幽香が思っている程自分という存在、自分を構成する中身について執着していなかった。いくら二人が心配事を並べた所で、彼自身がこう言うのなら、そこまで思いつめることはなかったのだと思う。心配しなくていい、悩まなくていいということでは決してないが、やはり胸のつかえが取れるような感覚はあった。
それを現金な奴だと、浅ましいものだと思うほどには、まだ自分は倫理観や道徳を捨ててはいないらしい。
「じゃあ、今から貴方に妖怪を混ぜて、貴方を半妖にしてしまうと言っても……貴方は了解するの?」
「ええ。寧ろ、私からもお願いしたいぐらいです。そこに生きて幽香姉さん達と一緒にいられる手段があるのなら、私は喜んでその方法に手を伸ばしますよ」
紫と幽香は互いに目を合わせる。
朗らかに、軽やかに微笑む幽綺の姿に、彼女達が想定していたような感情は見受けられない。憂いも不安もない、こちらに全面的な信頼を寄せているのが分かる。
全てを委ねている訳ではなく、彼の性格から考えても、しっかりと半妖となることの意味も危険も考慮した上でそれを受け入れることにしたのだと思う。
信頼を得られているのは嬉しい。出会ったばかりの頃と比べたら考えもしなかった変化だろう。少し過去に思いを馳せていたからか、もう数十年も経つと言うのに思い出してしまう。
そして。
彼が半妖となることを受け入れてくれるのならば。
……ここから先は、幽綺と幽香、姉弟で話を進めるべきなのだろう。
「……幽綺」
「……はい、姉さん」
「――本当に、良いのね?」
「――こちらからも、お願いします」
幽香もそう思っていたのだろう。紫が何かせずとも、彼女は自ら口を開いた。
名前を呼び、最終確認。
薄く、優し気な笑みを浮かべている幽綺の表情は、普段通りであるように見える。
だが彼の眼には、決して揺るがない決意が見受けられた。
その眼を見て、幽香は一つ頷く。
「分かったわ。それじゃあ――」
そして。
ここが。
遠い未来、人外達の楽園の地、忘れ去れた者の安寧の地にて、姉と共に名を馳せることになる、
――――大妖怪 風見幽綺の誕生だった。
いちいちストーリー考えるのがだるくなったので一気に出したとも言う。
とりあえず、今出してもいいかつ、これからの話で必要な情報は出したと思います。
主に三つ。
・能力『届かせる程度の能力』
いつもの。程度の能力。紫様曰く、〈元に戻った〉能力。何故変質したのかは文中にあった通り。変質する前から能力を持っていた理由についてはいずれ。
・戦闘力
つおい。陰陽術や式神、妖術を問わず、主人公はそういう術式関連に対して高い適正を持っています。格闘等近接については、術式程ではないにしろ鍛錬を重ねて上達。その道の達人ほどではないにしろ、トップクラスであるのは確か。棒術が基本だが、剣や弓等の普通の武器も扱えないことはありません。
・在り方
結果として、彼は半妖という立ち位置に落ち着きます。ですが、残り半分が人間でないことが確実のため、現時点で全容は明らかでありません。少なくとも半分は妖怪。さらに本編では書いていませんが、幽香の力を受け継いでいるので、妖怪部分としての実力も相当。
とまあこんな感じでしょうか。割と、というかめちゃくちゃガバガバ。
どうやって半妖になったのかとかも一応考えてはいたのですが、いや要らねえわ、となったのでカット。というよりも考えていた内容に自分の文章力が見合っていません。悲しい。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
Twitterで見た、目だけ肥えている状態な気もしなくはないが、いやでもがばがばだわこれ、と思う今日この頃。
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第13話
この話から、原作の時間軸に至るまでに関係を持たせたいキャラの話になります。
ちなみに、先のキャラソートでどの順番で出すか決めました。
そしてこのあたりから作者が何も考えずに書き始めた故の弊害が出始める。
それでは、どうぞ。(注:オリキャラ要素あります)
人間の恐怖の象徴である妖怪の中でも、とりわけその代名詞として有名な妖怪……厳密には、種族が存在する。
圧倒的膂力、妖力。妖怪としての格。
総じて酒好きで、勝負好き。
嘘を嫌い、『人攫い』による人間との真剣勝負も好む。
鬼。
その逸話は全国各地に轟き、人であろうと妖怪であろうと恐れる程の存在。
さて、では何故ここでその種族の名が出てくるのか。
「――さあ半端者! この伊吹萃香が相手になるぞ! いざ尋常に、私と真っ向勝負と行こうじゃあないか!」
山の四天王の中で、酒呑童子の名で知られる鬼の中でもさらに力が強いとされる鬼がいる。
名を、伊吹萃香。
童女にしか見えない容姿に、紅く爛々と輝く瞳。頭の左右からは見た目に相応しくない程大きな捻じれた角が生え、それは彼女がまさしく鬼という種族であることの証左。
そんな彼女は今、挑戦的な笑みを湛え、こちらを睥睨している。
場所は、妖怪の山と呼ばれる、鬼と天狗、河童が主として生息する、妖怪蔓延るこの国で尚その名が付けられる程恐れられる山の頂点近く。
周囲は無数の鬼が集い、酒を呑み、料理を食らい、天狗や河童のような手下を弄ぶ。
宴会の体を為すこの状況に、彼ら彼女ら鬼のことを詳しく知らない幽綺は圧巻される他ない。
「……えと、紫さん?」
「……ごめんなさい。こういう、宴好きな性格なの。彼女が、というか、鬼が」
「気にしなくていいわ。冷やかしはしても、邪魔立てはしないから」
ここに連れてきた本人ですら溜息を漏らす始末。
始まりは、紫の友人を名乗る童女が風見邸に突撃してきたことからだった。
◇◆◇◆
昼食も終え、まったりとした時間帯。
幽綺は今、姉の幽香と共に、少し前に外国から仕入れた……確か、向日葵と言う花の世話をしに庭に出ていた。幽香は大層この花を気に入ったらしく、何かある度にこうして様子を見に来ている。
向日葵達もその愛情は分かっているのか、幽綺や幽香が近付くと、一様に嬉しそうな声を掛けてくれるのだ。それがまた何ともくすぐったい。
「……ん」
「? どうかしましたか、幽香姉さん」
唐突に顔を上げた幽香。不審に思い、幽綺は声を掛ける。
幽香は不機嫌そうに溜息を吐くと、
「……はあ。隠れてないで出てきなさい。散らしても、そこに植物がある限り私には分かるわよ」
『ハハッ。なんだ、情に絆されたと思ったが、いやなに、やっぱあんたは強いよ』
どこからともなく、声が聞こえた。
若干呂律の回ってない声の調子。それはどこか、幽綺の記憶の限りで言うならば、酔っている、と言うのが一番適切なように感じる。だが、酔うと形容するにはその声は幼く聞こえる。
誰かがいる。
それを認識した瞬間、幽綺は懐に手を伸ばした。
だが、術を発動する前に、幽香に尋ねる。今の調子だと、どうやら幽香とその誰かは面識があるようだが……?
「幽香姉さん?」
「警戒しなくていいわ。面倒だけど、敵ではないから」
「わかりました」
そう言われ、素直に幽綺は懐の札から手を離した。
『しししっ。私は別にそのまま戦ってみてもいいんだけど?』
「馬鹿言うんじゃないわ。一本でもここの花を折ってみなさい。いくらお前だろうと私は殺しきるわよ?」
『お、いいねえ。ならちょいと一本適当に折ってみ――」
「――見つけましたよ」
幽綺の傍らの空間が裂け、そこから無数の簡易的な人形の式神が飛び出してきた。
それらはこの花畑に散らばったかと思うと、幽綺達の目の前で再度集いだす。
『おおう? 何だ何だ、何だこの紙切れ。っとと、あら? あらららら?」
次第に声が実体を帯びていく。
集まった式神が縄のように繋がり、ある存在を縛り上げる。
童女のように小さな体躯。近くにいるだけで酔いそうになる程の強い酒気。頭から生える、大きな角。
幽香はその姿に、やはりか、という思いで再度溜息を。
幽綺は、初めて見るその妖怪の姿に驚きを。
圧倒的妖力と共に、彼女はそこにいた。
「――へえ。私を縛り上げるなんざ、やるじゃないか。混じり物」
その赤い瞳は、獰猛に幽綺を見据えていた。
「最近、風の噂で聞いてね」
あの大妖怪風見幽香が男を作った――っていう噂。
「しかし正しくは、男じゃなくて姉弟。直接血を分け合った同胞ってことかい。実力は相応にあるみたいだけど」
「何しに来たの。ここには貴方の望むものなんて無いわよ」
観察するような、面白がるような萃香の視線を受け流し、幽香は直接本題を切り出す。
この酔っ払いには、根本的に話は通じない。
彼女は鬼だ。
自由で、豪胆で、驕っていて、見下している。何もかもを自分達より弱い者と断ずるこの種族に話を聞いてもらおうと言うのならば、相応の強さを見せるか、それ以外の何かで気に入られる他ない。
だが、彼女らは鬼であるが故に、その強さは絶大だ。
まあ間違いなく、下手な態度を取ろうものなら殺されかねない。
そんな彼女達相手に実力を示し、対等だと認められた数少ない存在が、風見幽香や八雲紫といった大妖怪のさらにごく僅かの者達だ。
幽香にとってすればどちらが上だとか下だとかに頓着はあまりしないとはいえ、見下すように『認められる』と言う彼女達鬼の認識に多少なりとも思う所はあるのだが。
「何も無いってことは無いさ。鬼が興味を示すと言ったら、酒か、肴か、強者と決まっているだろう」
「お生憎様、貴方が満足する程の強い酒は置いてない。花見酒と言うにも季節は過ぎた。強者が望みなら、私じゃなく他をあたりなさい」
「いやいや、アンタとの闘いも心惹かれるものはあるけど、今回の目的はお前じゃない。横に居るソイツさ」
その言葉に、内心舌打ちをする。
萃香が視線を向けるのは、未だ警戒を解いていない幽綺。一応捕縛は解いたものの、いつでも何かしらの術式を発動できるように備えてはいる。
彼の実力は、幽香や紫でも認めるところだ。
その才故に、彼の持つ手札は数多い。陰陽術、式神、妖術に体術武術。霊力も妖力も持ち、さらにその総量も多い。妖怪も混じっている、さらに言えばその混ざった妖怪部分の元が幽香という大妖怪であるため、肉体の頑丈さ回復力も極めて高い。
流石に肉体面や妖怪としての一側面だけでは幽香達に劣るものの、彼の強さをそれ以外もひっくるめて評するなら、彼はもう幽香達と同じ域にまで達している。
ただ、性格故に幽綺は幽香に手を上げないし、紫は能力との相性上どこかで負けざるを得ないのだが。(そもそも紫の能力を前に相性が良いと言えるようなものは存在するかどうかすら怪しい)
だが、だからと言って鬼に目を付けられるのは良くない。
彼女達は加減を知らない。もしくは、知っていても無視している。
そんな相手に、新しい強者を――獲物を――放てばどうなるか。
「さあ半端者。私と勝負しよう。さっきから血が騒いで仕方ないんだ」
「そんなに強い奴と戦いたいなら、神無にでも挑みなさいよ」
言った瞬間、萃香の動きが止まった。
「あ、あは、ははは。冗談がきついよ、花妖怪。そんなことしたら次こそ殺されかねん」
先までの威勢はどこへやら。本気で怯えた様子の萃香に、幽香はまたしても溜息を溢すのであった。
萃香は、鬼という種族の中でもさらに強い部類に入るが、決して一番ではない。
さらにその上に、彼女よりもさらに力のある鬼が存在するからだ。
名を、
萃香達鬼の四天王の中でもずば抜けた実力を持つ、妖怪の中でも随一の強者。
時折、妖怪達の間でも誰が一番強いのか、という話題になることがある。すると当然、風見幽香や伊吹萃香などの名も挙げられるのだが、その中でさらに、
それが鬼子母神こと、神無。
彼女は人外達の間では有名だが、こと人間達にはあまり知られていない。
彼女は人間を相手にしないからだ。
彼女の在り方は、鬼としては異端だ。
確かに、強者との闘いは好む。酒も好きだし、嘘を嫌う。
だが、彼女は理性的だ。
人攫いをしてまで人との闘いをしようとは思っていないし、強いと噂されれるのならば自分から手合わせに行く。力を過信せず、油断も慢心もせず、正々堂々としている。
萃香を含めた鬼という種族が騒げれば良し、という性格であるのに反し、彼女だけは純粋に力を求めていた。
「……実は連絡手段を持っていたりしないよね?」
「そこまで怯えられたら私としても流石に困る。本当に冗談だから、安心しなさい」
「本当だね? 信じるよ? こんな所で嘘を吐いたら本気でお前の首を獲るよ?」
「鬼相手に嘘なんて吐かないわよ」
彼女が、というより彼女達鬼が神無を恐れるのには理由がある。
かつて、神無が妖怪の山で萃香達と一緒に四天王と呼ばれるよりも前。
強き者を求める故か放浪癖のある神無は、偶然か運命か、既にその山を根城にしていた萃香達鬼の集落へと足を踏み入れた。
勝負好き同士が邂逅したのだ。こうなることは誰もが容易に想像できるだろう。
彼女達は戦った。
呑み比べに知恵比べ、最後は力比べまで、あらゆる勝負事を行った。
当時の様子を知るある天狗に(今は天魔と言われていたか)その時の様子を語らせると、遠い目をして、
『地獄。ただ、それだけしか言いようは無いよ……ありゃ律する者がいない分、本物の地獄より質が悪い……』
そして乾ききった笑い声を上げるのだ。いつもはおちゃらけた態度の彼が、それすら無くしてただただ虚空に笑いかけるその姿はあまりに痛々しかった。
ともかく。
彼女達の勝負は、一週間の間夜通し続けられた。
結果は、神無の圧勝。自らの力を信じていた鬼の中には、その圧倒的実力差に心をすっかり折られた、どころか砕かれた者もいたとかなんとか。
神無は、その場に居た萃香含む鬼全員と同時に相手した上で、事も無げに勝ってみせたのだ。
呑み比べでは、一人で他の鬼達全員分と同じ量を飲み干し、
知恵比べでは、何人もの鬼が突き付ける難題に全て答えてみせて、
力比べでは、一対全で暴れまわって一人残らず投げ飛ばし、
言ってしまえば。
『彼女は規格外。鬼どころか妖怪という括りで語られるものではない』――というのが、結果残った彼女への認識であった。
恐ろしき鬼がたった一人の鬼に敗けるという噂はたちまち全国に知れ渡り、今ではもう、鬼子母神の名を知らぬ妖怪はいなくなったのだった。
彼女と相対した者は口を揃えてこう言う。
規格外。理解不能。歩く災厄。そして――最強。
ちなみに、幽香は彼女と戦ったことはない。戦うだけ無駄だからだ。……だって、勝てる未来が見えないのだし。
「と、とにかく! 今山には神無はいない。ここ暫く暇だったんだし、私と勝負してくれよ!」
「嫌よ。私も幽綺も、アンタ達程酒に強い訳でもなんでもないのよ」
「そんなことないだろ? 事実お前は私となら張り合えるだけの強さを持ってる。そんな奴の血を引いてるんだ。ソイツが弱い訳がない! それに、お前だけじゃなく、紫も目を掛けてるんだろ? なら尚更引けないねえ!」
こうなってしまっては、彼女は言うことを聞かないだろう。
「……幽綺、貴方はいいの? コイツと、鬼と戦うことになっても」
「そもそも私は鬼という種族を見ることすら初めてなんですが……」
「そう言えばそうだったわね」
少し考えて、
「大体こんな感じよ」
「私らの説明雑や過ぎないかい!?」
「分かりました。覚えておきましょう」
「お前さんもお前さんで納得しないでくれよ!」
不服なのか、萃香は自分達鬼のことを、そして、鬼子母神のことも幽綺に教えていた。
意外と誇張なく教える萃香と、それを真面目に聞いている幽綺を尻目に、幽香はある妖怪を呼ぶ。
「見てるんでしょ? 出てきなさい」
「……ねえ、本当に何で分かるの? まだ理解出来ないんだけど」
「感覚と慣れね」
「お、紫も来たのか! なあ、お前からも言ってくれよう。私と勝負しろってさぁー」
なーなーと紫の服の裾を引っ張る萃香の姿はまさしく童女のそれだが、なまじ鬼の膂力で引っ張ているが故に紫の身体はぐらぐらと大きく揺れ動いていた。
その手を軽く叩いて離させると、するりとスキマから身体を出して、疲れた様子で萃香を睨む紫。その視線の意図が分からないのか、呆けた表情の萃香。
「……貴方、彼のこと、どこで聞いたの?」
「うちの山には耳が早い奴は一杯いるからね。風見幽香が男を連れているって噂は前から聞いてたけど、ここまで強くなったのなら自然、私の耳にも入ってくるさ」
「彼をどうするつもり?」
「言ってるだろ? 私は戦えさえすればいいんだ。他の奴らがどうするか、戦いの中でどうなるかは知らないけど、どうこうするつもりはないよ」
鬼は嘘が嫌いだ。だからこそ、彼女の言葉に裏はあろうとも、嘘はない。彼女が戦いたいだけと言うのならば、事実それが主目的なのだろう。
だが、と幽綺を見遣る。
彼の気性はとても穏やかだ。半妖になったばかりの頃こそその血に振り回されていたものの、今ではそれを抑えれるようになっているし、彼の怒りの琴線にさえ触れなければ争い事を起こすことはまずない。
ただ、それを萃香に伝えた所で、彼女が引き下がるかと言われればそんなことはないだろう。あの手この手で彼を戦いの場に連れ出そうとしてくるのは簡単に想像できる。
「もし、断り続ければ?」
「諦めるまで、何度も。妖怪の生は長いんだ。何回だって来てやるし、なんなら、戦わざるを得ないようにだってしてやる」
「例えば?」
「ここの花を折ってやれば、花妖怪も混じり者も、どっちも怒ってくれるだろう?」
「死にたいのならそう言いなさい」
何よりも早く、幽香が殺気を纏った。その圧力に、さしもの萃香も冷や汗を垂らす。
だが彼女は、それでも獰猛に笑って、
「じゃあ勝負しようじゃないか。最初からそう言っているだろう?」
隠しもせずに舌打ちをする。
幽綺を戦わせたくはない。だが、戦わなければ大事な花々に被害が出る。
そう、両挟みになって懊悩する幽香を見て、幽綺は、一つ息を吐いて覚悟を決めた。
「いいですよ」
「……ほう?」
「いい、って……でも、幽綺。貴方、鬼という種族がどれ程強いのか――」
「負けたのなら負けてしまったで構いません。私が強くなったのは、護りたいもののためですから。決して、誇示するためではありません」
「よし! 本人がこう言っているんだ。もう文句は言わせないよ!」
我が意を得たりと、萃香は笑った。
言質は取った。あとは、勝負の内容や規則を決めればもう準備は終わる。
今から戦うのが楽しみで仕方がないという雰囲気を全身から発する萃香を見て、幽香と紫は顔を見合わせた。
口を開いたのは、紫だった。
「……時間を頂戴。鬼を相手に、それじゃいますぐ、なんて無謀に過ぎる」
「いいよ。そのくらいは強者の余裕の見せどころってね。慣例に則って、どんな勝負をするかもそっちが決めて良いさ」
「三日後。三日後に、私が伝令役として妖怪の山に向かいましょう。その時に、内容や日時、決まり事を伝えるわ」
「あんまり待たせるんじゃないよ? 私が待つことに飽きたその日の内に、ここは更地になるぞ」
「そんなことになれば貴方を現世から消してやる。相応の覚悟を持って来なさい」
妖力を滾らせ睨む幽香に、酒を呷って嗤う萃香。
申し訳なさそうに謝る紫に、変わらぬ笑みで返す幽綺。
向日葵が咲き誇るある夏の日。
こうして、幽綺が初めて遭遇した鬼は、闘争を連れて来たのだった。
逆に短すぎて不安になる。
ということで、まずは鬼編。
鬼を出すなら、というか、新キャラ出すなら基本的に戦闘させた方が何かと話が作りやすい。
でも主人公は本来争い事を好まない性格なのです。今回は花畑が人質……花質?に取られたので致し方なくです。ええ。仕方ないのです。
オリキャラとして、鬼子母神と天魔を出しました。名前だけですが。
この話の舞台が舞台なだけに、その内二人とも出します。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
自分知ってますから。鬼子母神はどれだけ強くしてもいいって知ってますから。(中二病の詰め合わせみたいになりそう)
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第14話
新年一発目の投稿です。本当は年内に投稿できればよかったんですが、無理でしたね。ちゃんちゃん。
今回はVS萃香。別の見方をすれば、主人公の実力紹介。
それでは、どうぞ。
山の頂上近く、周囲に木々もなく、開けた場所にて幽綺は萃香と対峙していた。
どうやら鬼同士が争い事をする際に使われる闘技場のような場所らしいが、そもそも鬼は呑んではその場で殴り合いを始めるような連中ばかりなので、ここがその用途で使われることは滅多にないのだとか。
もっぱら、下っ端天狗の訓練やその他妖怪の賭け勝負のような時に使うらしい。
「いやー、この日を待ち望んだよ。あれからあれから待ち遠しくて、酒も喉を通らない日々さ」
言って、伊吹瓢と言うらしき瓢箪を呷る。
思い切り酒を呑んでいた。
「……何か言った方がいいんですか?」
「そう訊く前に言ってくれた方が嬉しかったな」
そうですか、と軽く相槌を返す。
会話の弾まない幽綺の態度に残念そうな顔をする萃香だったが、すぐに気を取り直したように表情を明るくした。
「さて、始める前に規則や勝敗条件の確認といこう」
「はい」
「私からは殺さない。殺しはしない。だが、お前は私を殺す気で来な。その位が丁度いい。そして、それ以外は基本的に何でもありさ。とは言え、殺さなくてもやり過ぎだと審判役が判断したらその時点で強制終了。審判役は、鬼から一人、天狗の奴から一人、そして紫。勝敗は、どちらかが降参する、審判役に止められる、のどっちか。ここまではいいね?」
「審判役のお二人を確認させて貰っても?」
「あいよ」
萃香が視線を闘技場の外へと向け、手招きする。
視線の先は岩場を崩して簡易的に木材を組み立てた観客席のようになっており、そこには四つの影があった。ここは真っ直ぐと闘技場を見下ろすことができ、高さもあるため闘技場全体を見渡せる、所謂特等席と言える場所なのだ。
四つの影の内二つは幽香と紫である。
そして、萃香の呼び出しを受けやって来る影がもう二つ。
その二人は幽綺達の傍らに降り立つと、萃香に促されてそれぞれ自己紹介を始めた。
「初めまして。私は茨木華扇。一応山の四天王の一人よ。今回は萃香の我儘に付き合わせてしまってごめんなさい」
「初めまして、華扇さん。風見幽綺と申します。いえ、鬼が強者との闘争を求めるのは仕方のないことでしょうし、強いことで有名な鬼に私の実力が認められてた思うことにしますよ」
「そう言ってくれるとありがたいわ」
片方は、赤みがかった桃色の髪に、萃香と比べて小さな二本の角を持つ鬼。胸元に花の飾りを持つ服の前掛けには、茨の絵が描かれている。
茨木華扇。萃香と同じ、山の四天王と呼ばれる鬼の内の一人である。
彼女は生真面目な性格だ。鬼らしく豪胆な部分はあったりするものの、今回のような勝負事の審判役だと言うのならば、彼女は確かに適任だろう。
「んで、俺がもう一人の審判役。天魔、御影。
「よろしくお願います、御影さん。天魔と言いますと、貴方が……?」
「そ。なんだかんだで天狗の長やってんのよ。と言っても、名ばかりで、実態は鬼の完全統治だがね。でもまあ、鬼っつーのは組織の運営には向かないらしくてね。こうして柄にもねえ役職背負ってるわけよ」
「ですが、それも貴方の実力あってのことでしょう?」
「はっはっは。自慢じゃないが、四天王の奴らならともかく、そこらの鬼程度には負けねえよ」
もう一人は、どこまでも黒いその髪を首の後ろで一つに纏め、自然に流す男の天狗。その髪色よりもさらに明度を減らした漆黒の大きな翼が、彼の強さを証明するかのように一度大きくはためいた。
紫の話によれば、彼は天魔という名を冠してからまだ日が浅く、ここ数百年程度なのだという。しかし、彼が天魔となった経緯は壮絶で、元の天魔に正面から喧嘩を吹っ掛けて実力でその座を奪ったのだとか。元の天魔も決して弱くはなかった筈だが、彼はその上をいっていたのだ。その時点で他の妖怪に力を示すことは完了した。その後は統治者に相応しい指揮能力等の戦闘力以外の面を示し続け、こうして今もその地位を揺るぎないものとしている。
ただ問題があるとすれば、実力を示せばそれだけ、本来のこの山の統治者である鬼に目を付けられるということ。
それでも未だこうして天魔として健在なのだから、言葉通り、凡百な鬼程度では相手にならないのだろう。
鬼の完全支配であり、天魔という地位も名ばかりだったと言うのに、それでもその地位に居ることを維持し続けるのには彼なりの理由があるのだろうが、幽綺はまだそこまでは知らない。
「この二人と紫ならもしもの時でも止められるだろうさ。と言っても、止められるのは専ら私の方で、お前の方は止めなくていいと言ってある。だからもう一度言おう。――殺す気で来な」
挑戦的且つ獰猛な笑みを湛えて、萃香はそう言い放った。
「……」
その言葉を受け、幽綺は一度大きく深呼吸をした。
この戦いに関して、彼は幽香からある言葉を受け取っている。
つまり、勝て、と。
彼自身はそこまで勝敗に拘ってはいない。というか、そもそもこういう荒事は避けたかった。今回は花を折られるだとか、庭を荒らされるだとか言われていて、自分が萃香の挑戦とも挑発とも取れるあの発言に乗ればそれが回避できたが故にこうして戦うことになっているだけなのだ。
だから、負けるのならばそれはそれで仕方ないという思いがあった。全力は出すつもりだが、その上で敗北してしまうのならば自分の実力はその程度だったと受け止めて改めて精進するつもりであった。
だが、幽香がそう言うのならば話は違う。
彼女は言った。どうせ戦わざるを得ないのならば彼女を打ち負かしてこい、と。誰に喧嘩を売ったのか、分からせてこい、と。
幽綺に喧嘩を仕掛けただけでなく、花を荒らすと挑発、脅迫されたことは、彼女にとって相当頭に来ていたらしい。
だからだろうか、彼女は幽綺に対して勝てと言った。
ならば、自分は勝たねばなるまい。
実力差などひっくり返して、勝利を残さなければなるまい。
何より固い決意と覚悟を決めて、幽綺もまた、相手を真っ直ぐに見返した。
「――勝たせて、いただきます」
「ししっ。良い眼だ」
萃香は手振りで審判役の二人を下がらせると、幽綺との距離を開けるために後退した。背中は向けず。笑みも消さず、彼を正面に見据えたまま。
幽綺もまた、二人の去り際に一礼だけを返し、一度だけこちらを見下ろす自分の姉に視線を移すと、萃香と同じように距離を取った。
互いにとって十分な距離を開けて、両者は静止する。
紫が下りてきて、華扇と御影も含めて三人が位置に着く。
誰が始まりの合図を出すのかは事前に決めてある。だから、彼女は最後に両者の準備が終わっていることを確認すると、
「――始めッ!」
鋭い声が、辺りに響いた。
◇◆◇◆
先手を取ったのは、萃香であった。
「それじゃあまあ、小手調べと行こうかね」
彼女が手を振り上げると、その動きに釣られるように彼女の周囲の砂や岩が空中に浮かび上がり、その手の先へと集いだした。
彼女の能力は、『疎と密を操る程度の能力』。あらゆるものを、有形無形問わず萃めたり、散らせたりする能力だと言う。
予めその能力を聞いていた幽綺であったが、この能力に対する有効な対抗手段は殆ど思いつかなかった。どうしても、後手に回ざるを得ないのだ。
だが、後手に回ってしまうだけ、対抗手段が無いだけで、対処が出来ない訳ではない。
故に。
「まずは一発、受けてみな!」
発射された攻撃がたとえ幽綺の身の丈を優に超えるものであったとしても、動揺することなく。
「……」
彼はただただ手を翳しただけだった。
だと言うのに、萃香の放った攻撃は彼に当たる前に、何かに阻まれるようにしてその手前で弾けた。
轟音が鳴り響き、砕け散った岩石の破片や砂が周囲に散る。
その細々とした礫でさえも、幽綺には届かない。
「『届かせる程度の能力』……、まあこの程度じゃあ届かないか」
「――式神『白虎』」
幽綺の傍らの空間が裂け、中から大量の札が飛び出してくる。
空間術によって物を収納する術式は既に扱えていた。それを転用して、こういった荒事の際に使うための道具も一緒に入れておき、必要に応じて取り出すという術式と、大量の札で新しく式神を作り出すという術式。
空間術の使い方は紫の能力を参考にし、式神に関しては逆に紫とは違う方向へと伸びたものだ。
「はっ!」
飛び出した三桁は下らない札の奔流は萃香へと一直線に向かいながら、ある動物を形作っていく。
その姿は虎。大きさは、一丈と五尺程とかなり大きい。
四神の内、西を司る霊獣の名を冠されたその獣は、大きく口を広げ、牙を覗かせながら標的に噛み付かんとする。
迫る巨体を前に、萃香は獰猛に笑って、
「舐められたもんだぁねえ!」
正面から殴り飛ばした。
いくら札、つまりは紙で出来たものとはいえ、霊力を込め術式として完成された存在だ。濡れない、燃えない、破れない等、凡そ紙故の弱点は無いし、鋼鉄だって噛み砕く程度の硬度はある。
それを、力任せに。
霧散し、辺りに散らばる札をつまらなさげに一瞥すると、視線を正面に戻した。
しかし既にそこに幽綺の姿は無い。
「……そこかぁッ!」
「っ!」
後ろに向かって全力で腕輪に繋がれた鎖を振る。
手応えは、あった。
弾かれる感覚と共に一歩分距離を取りながら振り向く。すぐそこに何か細いものが迫っていたので、咄嗟に顔をずらして避ける。
見ればそこには、先の虎の式神と同じように札で構成された杖を手にし、低い姿勢からそれを突き出した形の幽綺の姿。
成程。虎の式神は目眩まし。その影でこの杖を生成。何らかの手段、もしくは単純に地力で後ろへと回り込み、突き。こちらの攻撃を防いだのは、能力によるものか。
確かに速い。が、足りない。
一瞬、視線が絡み合って、
「らァッ!」
「シッ!」
突き出された杖を打ち払い、強く踏み込み、拳を繰り出す。
対して幽綺は、打ち払われる直前で杖を一度札に戻し、すぐさま再度構成し直す。振るわれる拳に杖を当て、逸らそうとして、
「ぐっ!?」
押し通された。
幽綺の威力を逸らそうとした技など知ったことかと、まるでそう言うかのように、強引に。
咄嗟に能力を使って直撃は免れたものの、弾かれた杖から伝わる衝撃で、同じ方向へ腕も弾かれる。
見縊っていた訳ではない。だが、それでも萃香の拳の威力は想像以上であった。
「甘いねえ! 我が拳、その程度で弾けるとでも思ったのか!?」
「つい今までは、ですがね!」
「ならばその能力をこの拳、どっちが強いか力比べといこうか!」
再度迫る拳と鎖に繋がれた重りを防ぎ、杖で足払いを掛ける。態勢を崩した萃香は受け身を取ると、すぐに身体を回し、蹴りを交えながら起き上がる。
幽綺はその蹴りを防ぎ、起き上がるのを阻止しようと軸足を再度払う。
しかし、その攻撃は空を切った。
視界に映るのは、膝から下が無くなった、否。
「……疎の能力!」
「ご名答!」
弾かれるように顔を上げると、凄絶に笑みを浮かべた萃香の表情。
幽綺は理解する。彼女は今、自分の足払いが当たる直前で、掛けられる筈だった脚を霧のように分散させたのだと。彼女の能力は疎と密。それを自分に適用したという話だ。その使用方法も、事前に聞いてはいた。
だが、こうして目の当たりにすると、その発動を見切ることは困難を極めそうだ。
しかし、外してしまったのは仕方ない。次の一手を。
「ふっ!」
杖を分解し、逆の手で持つように再度構築。相手が腕を引き絞るのを視認し、振るわれる前にその拳を防ぐために当てる。次は直接的な殴打ではなく、霊力を込めて。
先程は弾かれてしまったが、本来拳とは腕が伸び切る瞬間、当たる瞬間が一番威力が大きくなる。逆に振るわれる前ならば、その威力は大きく減衰する。
先を取れ。
少しでもいい。全力を出させるな。
能力で防ぐことができるのは拳まで。相手に流れを掴ませてはいけない。相手だって防がれることは分かっている筈だ。その先を読まれている可能性も高い。ならば、まずは出鼻を挫いてやらなければ。
そして、杖が散った。
「……ッ!」
一瞬の思考の硬直。だが、すぐに答えに辿り着いた。
(杖を、散らされた!)
それを証明するかのように、周囲にはその残骸である札が散りばっていく。
萃香の前で何度も札を集めて構築させていたのだ。木製、金属製の普通の杖ならともかく、札を集めて杖の形にしているだけのこれならば、もっと容易に散らせることができるのだろう。魔道具としての用途に拘るあまり、普通の木や金属で杖を作らなかった故の穴か。まあ、札ではない普通の物であるからといって、萃香の能力が効かない訳ではないだろうが。それでも、こうも容易くはなかっただろうに。
それに杖と一緒に霊力も散らされた。これでは有効打になり得ない。
仕方がないと大きく下がる。
だが、それを許す相手でもない。
すぐにその距離を詰められた。
「逃げるなァ!」
迫る鬼に対し、幽綺は一度自分の場所と周囲の状況を確認。さらに下がることを決断。
まだだ。ここでは、止めない。
萃香の拳を避け、空振りし、振り切られたのを確認してから下がる。
次の一手。
「式神『朱雀』」
先の白虎の式神と同様に、傍らの空間を裂いて大量の札が飛び出した。
次は、鳥。南方を守護する四神。尾を靡かせ、力強く翼を打ち鳴らしながら、かの鳥は大空へと羽ばたく。
そして、一直線に萃香へと急降下する。
「ふん!」
萃香が手を振るうと、先の杖と同じく、ただ数が多いだけの札へと散らされてしまった。
「おいおい。芸が無いぞ半端者。お前の実力はこんなものじゃないだろう?」
「いえ。私は私の出来る限りのことをしているまでです」
つまらなさそうに萃香がぼやく。
気にする余裕はない。
素早く状況を把握。散らされた式神……札が、どうなっているかを視線を巡らせて確認する。
「……」
萃香の周囲の足元に無造作に散らかった無数の札。霊力は散らされてしまっているようだが、術式自体はまだ生きている。
闘技場全体を確認。札の散らばり具合を確かめる。
自分が元々居た位置、萃香が元々居た位置、自分達が動いた跡、それぞれを中心に札は拡がっている。そこから、通る必要がある経路と地点を思い描き、萃香の動きの予測と合わせて立ち回りを考える。
札の貯蔵は十分にある。術式の準備も着々としている。相手に気取られている様子はない。
「…………」
そもそもの話として。何も相手の全力に付き合う必要は無いのだ。
萃香は多少機嫌を損ねるかもしれないが、鬼、しかも四天王なんて呼ばれている存在の全力に一々付き合っていてはいくつ命があっても足りない。
故に、今回は相手になるべく全力を出させたくはない。仕方なく受けなければいけない時はあるだろうが、能力で防げることは証明された。だが、安心はできない。自分でもこの能力に関しては不明な部分があるのだ。破られる可能性だって無い訳ではない。
一度息を吸い、飛び出す。
萃香を大きく右に迂回し、つい今しがた特定した地点へと向かう。萃香は余裕の表れか、その場からは動かず、ゆっくりと視線と体の向きを合わせるだけであった。動かないのならば多少こちらの動きに修正を入れなければならないが、取り立てる程のことでもない。想定範囲内である。
そして、その地点へと辿り着くと、札を一枚取り出して、
「――裂ッ!」
その札は拳三つ分ほどの一球の火炎弾となる。それを萃香に目掛けて直線状に投げつける。
ふん、と鼻を鳴らして今まで同様にその炎を散らそうとする萃香。だが、今回は違った。
散らすことには成功した。だが、炎は消えなかったのだ。
「んっ!?」
散らした分だけ数を増やし、だというのに大きさは変わらない炎の雨が萃香を襲う。なまじ元が炎で固形でなかったがために散らした際の分裂数は極めて多い。それら一つ一つが一切減衰することのない熱と威力で迫るのだ。
燃料となるものが尽きるまで決して消えぬ炎。勿論、術式によって生み出された炎であるので、本来の炎とは若干性質の異なるところがある。
その最たるものが、この炎が燃やすのは物質ではなく妖力や霊力といった力であること。
幽綺が込めた霊力と、萃香が炎を散らす際に用いた妖力を糧にしているが故に、この炎は分裂してなお衰えない。
ただ、ただ増殖するだけという訳ではない。
いくら妖力を吸収したからと言えど、元々込めた霊力が分散してしまっているため、そもそもの燃料が少ない状態になっているのだ。つまり、燃える時間が短くなっている。
しかし、散らされたのが比較的萃香の近くであったため、消えてしまう前に彼女の元へとその殆どは届くだろう。
「あっつう!?」
着火。
霧になって逃げようとしたようだが、この炎は妖力すら食らう。萃香の能力は散らすことはできても無にすることはできない。彼女がそこにいる限り、能力を使う限り、あの炎は燃え盛り続ける。
さて、今の内に仕込みを出来得る限り終わらせておくべきか。
幽綺は消えぬ炎に苦戦する萃香からは決して目を逸らさず警戒しながらも、この場所でやるべきことは終え、また移動を開始した。
目指すべき地点は残り二つ。さらにそこから数本ずつそれぞれの地点を結ぶような経路も繋げなければならないが、こっちは比較的容易に済むだろう。
能力を使い、目的の場所へと一気に自分を届かせる。
先程萃香の周りを迂回する時にこのように能力を使わなかったのは目視されるのを避けるため。一度見せた手札次から警戒されてしまう。しかし今の状況なら彼女は炎にかかりきりで注視はされていない筈だ。絶対の保証はないが、火達磨の身体の向きが変わっていないところを見ると、こちらの姿は追えていないらしい。
札を取り出し、目的地点にばら撒く。しっかりと術式は込められていることを確認。
次いでそこから線となる術式を使い、霊力を込める。
よし、ここでの準備は完了。萃香の妨害等を無視すればこんなにも早く終わるものなのに、勘付かれることを避けるために大分遠回りなことをしてしまっている。
仕方ないことだが、少しの焦燥感。
さあ、最後の地点へと、
「だっしゃあああああっ!!」
熱源が、消えた。
「……強引に打ち消しましたか」
「はあ……はあ……面倒なもん編みだしやがってェ……お陰で妖力を半分以上失う羽目になっちまった。ちと熱かったが、まあ、私を灰にする程ではなかったな!」
「無理矢理力押しで打ち消したとでも言うのですか。出鱈目な力ですね……」
あの炎の術式は紫にも通用していた。最終的に彼女はスキマを利用して炎を消していたが、スキマそのものも燃えていた。ただし、燃えたのは境界面だけで、スキマの中身にまでは燃え広がらなかったのだが。
その炎を、強引に。
鬼の出鱈目さというものを痛感する。
元々目眩まし程度、あわよくば傷を、とは思っていたが、あまりにも早い。
だが、まだ間に合う!
「ふっ――」
最後の目的地点へと飛び、札を取り出し、その術式を完成させる。萃香にとってこの能力の使い方は初見である筈だ。対処はできないだろ、
「見えてたよ?」
「な、ん」
「そいやァッ!」
目の前に迫る萃香の拳。
咄嗟に能力で防ぐ。
文字通り目と鼻の先で、彼女の拳が静止した。
「妙な霊力の流れは感じていたが、何を企んでいるんだろうねえ? 鍵はばら撒かれた札のようだけど」
全て、見られていた。
着々と進んでいた準備も、先の能力を使った移動法も、全て。
幸いにして萃香は札には触れていない。炎の件があったからか、無闇に触れようとはしたくないのかもしれない。
まだ、大丈夫。手遅れではない。
しかし、最後の保険は使わなければなるまい。
これは既に露見している術式。萃香にとって一度経験したことのある捕縛術。
つまり。
「――式神よ!」
空間を裂き、人形の札が無数に飛び出す。
これは萃香があの花畑に、幽綺や幽香の家の庭へとやって来た時にも使った式神の応用。対妖怪用の捕縛式。庭にあるのは所謂警備のような役割だが、今回は少々違う。
前者が一定範囲内の侵入者に対し任意で発動するものに対し、こちらは存在を確認した一体のみを追跡する。
だが、元になっているのは同じ術式。
さらに言えば、似たような術式はもう既に二度、彼女の目の前で使用している。
だから、結末は、
「式神か……なら」
霧散。しっかりと同じ轍を踏むものかと幽綺の前から距離を取って回避行動もした上で、だ。
顎を引き、こちらを真っ直ぐ見詰めるその姿勢から、今までの慢心や油断が消えたことが窺える。
幽綺にとって少々厳しい展開である。
元々鬼故、強者故の傲慢さに付け込んでいるような部分があった作戦である。それが無くなったとなれば、それだけで難易度は跳ね上がる。さらに言えば、何か仕込んでいることも見抜かれているのだ。
一応他の手も考えてはいるものの、どれも彼女に対しては決定打とは成り得そうにないものばかり。ならばこのまま最初の策を押し通した方が勝率はまだ上だろう。
「……四天王奥義」
声が届く。
身体を低くし、真っ直ぐこちらに突き進まんとする姿勢の萃香。
拳は、固く握られている。
「っ」
急ぎ、最終地点へと跳ぶ。
空間術で札を取り出し、経路も形成する。
「一歩――」
彼女と勝負するにあたって、紫や幽香から特に注意すべき技をいくつか教えられている。
うち一つが、霧化。これは先程部分的に使用していた。
もう一つが、巨大化。単純に膂力が上がるというだけで、彼女が鬼であるということも加味すると大きな脅威となる。
最後が、四天王奥義。彼女達山の四天王全員がそれぞれ持つと言う切り札的存在。
ある鬼の奥義は、三歩の内に拳に全ての力を溜め込み、最後の踏み込みと同時に放つ拳で全てを壊すものだと聞く。
そして、萃香のものは。
――萃香の拳と、幽綺の能力が激突した。
「二歩――」
しかし怯むことも、止まることもせずに、二回り以上も巨大化した萃香が再度拳を振るう。
ぶつかる。
止まる。
さらに巨大化し、三度拳を引いて、
「――三歩壊、」
「捕縛式『蛇蝎の鎖』」
今度は、振るわれることなくその拳が、否。萃香の動きの全てが止まった。
「……あ?」
萃香の素っ頓狂な声が、巨大化に合わせて周囲に重く響いた。
見れば、彼女の動きを阻害するのは、中空から射出された何本もの鎖。先の式神の応用のように札で使われている訳ではなく、かといって金属でもない。半透明の青みがかった色のそれは、すぐに霊力で創り出されたものだと理解できた。
成程。
「――私を、またしても縛れると思ったか!」
力を込める。萃香の奥義がそもそも、三歩であらゆる『力』を萃めるという特性を持っている以上、今の自分には自分自身のみの全力よりも強大な力が宿っている。
それを余すことなく出し切って、無理矢理引き千切ろうとする。
だが。
「無駄ですよ。その鎖は力では破れません」
「なら!」
全身を霧状にして拘束から抜け出す。即座に実体化、今度はもう拳を振り上げた状態で実体化し、振り下ろす。
その前に。
霧状になり、どんなものでも自分を縛ることなど出来ない筈だと言うのに、その鎖は霧となった萃香を縛り上げてみせた。
いや、これに驚くことはない。幽綺と初めて会った時だって、彼は霧になった状態のままの萃香を式神の方の捕縛術式で拘束できていたのだ。こちらで出来ない道理はない。縛られることは無いと思っていたが、どうやら彼の方が一枚上手だったか。
だが、まだ手はある。
結局はこれも術式であり、霊力が用いられている。
ならば、それを散らしてしまえばいいだけのこと。
そして萃香はその通りに霊力を散らそうとして、
「……消えない?」
「種明かしは、この勝負が終わってから致しましょう」
いつの間にか霧の状態から実体化させられてしまい、倒れ伏し、再度抜け出そうにも妙に力が入らない。そんな弱った萃香に、幽綺が近付く。手には、萃香をたった数秒の間でも苦しめることを成し遂げた霊力や妖力を燃料にする炎の札。その数、十枚以上。さらに逆の手には、札で作られた杖も一振り。
最後の足掻きだともぞもぞと踠くも、どんどんと力は抜けていき、能力すら使えない程に弱体化していた。
「萃香」
「……紫かい」
倒れている萃香の上から声が掛かる。
審判役をしていた紫であった。大方、これ以上は無理だと思ったのだろう。視線だけ移せば、その後ろには天魔と華扇の姿もある。
萃香は、ここから逆転できる手を模索して、やっぱり思いつかなくて、せめて一矢報いれないかと考えて、やはり無理そうで。
そして。
「――降参だ」
上げられない手を雰囲気だけで上げて、自らの敗北を認めた。
紫は一つ頷くと、固唾を呑んで見守っていた観衆達に向けて、大きく声を上げた。
「勝負あり! 勝者、風見幽綺!」
一瞬の静寂。
直後。
場は、大きな歓声に包まれた。
防御特化&デバッファーVS回避型&超火力。
主人公の能力も萃香の能力もめんどくさすぎ。どっちも決めきれないという。
盛り上がり的には萃香の全力を正面から受け止めて欲しかったところなんですが、どう考えても主人公に術を準備するだけの余裕がある&別に受ける必要は無いんだよなあ……・ということで三歩壊廃が三歩目まで出し切る前に決着。
正直、作者自身消化不良。
主人公が何していたか、どんな術式を使っていたのかの解説会はまた次回。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
んー……やっぱ戦闘描写って、むつかしい。
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第15話
東方新作出ましたね。鬼形獣。
もし山の四天王の設定とか出てきたら軽く死ねる。その設定無かったころに考えてた内容なので。
ですのでもし新作との矛盾が出てきても軽く流してください。お願いします。
それではどうぞー。
幽綺と萃香の勝負は幕を閉じ、それを見ていた者達は元より宴会のように騒いでいたからか、彼らが戻ってくるとそう時間も経たずにその場は酒の匂いと喧噪に包まれることとなった。
勿論、萃香に見事打ち勝った幽綺はその騒ぎの中心にいた。
「いいねえあんちゃん! あの伊吹嬢を下すとは。いやいやどうして、ひょろい割になかなかの実力じゃねえか! ささ、呑みな呑みな」
「ええと、はい。有り難うございます。んっ……」
「おお、いい呑みっぷりだ。肴も一杯あるからな、食え食え」
「何だ。全然呑んでないじゃないか。もっと呑め呑め」
「いい加減にしなさい鬼共。邪魔よ」
幽香の一声で、幽綺に群がっていた鬼達は蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた。
あの鬼達は萃香や幽香に比べれば力の弱い鬼だ。幽香に睨まれればそりゃ逃げる。平時であればまた別であろうが、ここはもう宴会の場。負けると分かっていて挑む勝負など、酒の肴にもなりやしない。
鬼達の絡みから解放され、一息吐く幽綺。
半ば強制的に飲まされていた筈だが、その顔に酔いの字は見えない。幽綺自身試したことはなく知らなかったのだが、どうやら自分は意外と酒に強いらしい。……まあ、視界の端で幽綺の記憶の中では瓢箪を呷っていない時間の方が短いような気もする萃香などと比べれば、まだまだ下戸であろうが。
「有り難うございます、幽香姉さん」
「いいのよ。これは貴方の勝利の美酒よ。無粋な輩に邪魔なんてさせないわ」
「……ふふっ、今日は一段とよく呑みますね」
いつもより近い距離。いつもより早い間隔で盃を傾ける姉の姿。どうやら少々分かりにくいが、彼女は自分よりも自分の勝利に喜んでいるらしい。それがまた嬉しい。
互いに酌をしあい、幽香が酒を呷るのに合わせて、自分もまた盃を傾ける。
鬼達という邪魔ものがいなくなったことでもたれ掛かるように体重を預ける幽香に、それを支えつつ、先の鬼達が自由についでいった肴に気侭に箸を伸ばす幽綺。時折、酔っているのか口を開けることで、自分にも食わせろ、と催促する幽香に適当に取ったものを運ぶ。
遠巻きに見ている者達があまりのその甘さに、辛味を求めてさらに酒を飲むくらいにはその空間は他を寄せ付けない、二人特有の雰囲気がそこにはあった。
だが、それをまた打ち壊す存在もある訳で。
「や、呑んでるかい、幽綺……っと、こりゃ珍しい。あの風見幽香がこうも酔ってるなんて」
「あら、本当ですわね。それほど幽綺の勝利が嬉しかったのかしら」
「当の本人よりも喜んでるたあねえ。随分と惚れ込んでるもんだ」
順に、萃香、紫、そして幽綺とは面識のない女性の鬼が一人。
額から星の模様の付いた赤い角を一本伸ばす鬼。その姿は萃香は言わずもがな、女性の中でも身長が高い部類である紫と比べても遜色ない程には大柄な体躯。筋骨隆々という訳ではないが、やはり幽香や紫と比べると少々骨太な印象を受ける。彼女は幽綺達が使っている盃よりも一回り以上大きな盃を持っている。
彼ら姉弟独特の空気を気にもせずに乗り込んできたのは、今この場に居る者の中でも随一の実力者達。というより、審判役を務めていた残りの四天王の華扇と、天魔である御影は我関せずとそれぞれ別の場所で飲んでいた。
誰だろうかと、視線をその知らない鬼へと向ける。
「こうして顔を合わせるのは初めてかね。私は星熊勇儀ってんだ。萃香や華扇と同じ、山の四天王さ。よろしく」
「風見幽綺と申します。申し訳ありません、姉さんがこうですので、このままの体勢での挨拶で……」
「いいさいいさ、気にしなさんな」
勇儀と名乗った鬼は、そう言うと彼らの傍に腰を下ろした。続くように、萃香や紫も料理やつまみを囲うように腰を下ろす。
「……何よ、アンタら」
「そう不機嫌になんなって、幽香。宴会なんだから楽しまなきゃ。ほれ、もっと呑め。もっと食え」
豪快に笑う勇儀につられ、彼女の持つ大きな盃に注がれた酒を呷る。
持つだけでも一苦労しそうなそれを両手でどうにか持ちつつ、溢さぬよう気を付けつつ口に含む。
一口で気付いた。
「これは……」
「ししっ、流石に気付くか」
してやったりという顔の勇儀。
盃に注がれていたのはいたって普通の酒だった筈だ。それを幽綺は視認している。
だが、今自分の舌が伝えてくるのはそれよりも明らかに上等な味。それこそ、今まで生きてきた中で五指には入る程度には。
鬼が飲むもの故に相当に度数は強いものの、各段に飲みやすいのは確かだろう。
「星熊盃って言ってね。注いだ酒を瞬時に純米大吟醸へと格上げさせる鬼の名器さ。時間とともに一気に劣化しちまうからすぐに呑まなきゃならねえのが欠点だが……私らは鬼だからね。これくらい一息に呑んでみせるさ」
「星熊盃……成程、道理で」
「ちなみに私が持ってるこの瓢箪が伊吹瓢って奴。入れた水を酒に変える酒器だ。本当は酒虫が直接欲しいところなんだが、これまた難しくてねえ……」
「幽綺、幽綺、早く次をちょうだい」
「……驚くくらいに酔ってるわね、幽香ったら」
催促されるままに何かの肉だと思われる料理を一つまみ、幽香の口へと運ぶ幽綺。いつもより表情が緩んでいるのは決して勘違いではなかろう。
他の三人は何とも複雑そうな表情でそれを見ていたが、おほんと萃香が一つ咳払い。
どうしたのかと視線を寄越す幽綺に、それで、と切り出す。
「結局、お前は何をして、私は何で負けたんだい? 種明かしをしてくれよ」
「……本来、自分の手札はあまり明かしたくはないのですがね」
「いいじゃないか。拳を交え、同じ席で酒を酌み交わしたんだ。もう私達は友人だろう? そう警戒しなくてもいいだろうに」
その眼に裏の意図は感じ取れず、純粋な好奇心、友人関係だと言うのも萃香の本心で間違いないだろう。
それに元々鬼は嘘が嫌いな種族だ。そんな種族の言葉に嘘はまず有り得ないだろう。
一つ息を吐く。
「――順に解説致しましょうか」
「おお。頼む」
さて、まずはどこから説明したものかと少し考え、
「貴方の拳を止めたのが私の能力によるものというのは気付いてましたよね?」
「ああ、そうだな」
「ならば、その次。貴方の後ろにすぐに移動できていたのは?」
「それも能力によるものだろう? 途中でも同じようなことしてたから、流石に分かるよ」
そうですか、と一つ相槌を打ち、さてこの次はどんな手を打っていたかと思い出す。
次は確か、式神を喚び出したのだったか。
「式神『白虎』に『朱雀』……これを喚び出した意味、というのは?」
「最初は普通の攻撃だと思った。虎の方で効かないと分かった上で鳥の方を呼び出したのはただの牽制だと思った。だが実際は、最後の捕縛術のための布石だった訳だ?」
「そこまで気付いていましたか……ですが、はい。その通りです。その術については、最後に」
順番に話すと言っていたし、萃香は頷いて続きを促した。
「次は火炎術でしたか」
「そうだな。あれは熱かった。久しぶりに燃えそうな程、火傷しそうな程の熱ってのを味わったよ」
「あれは霊力や妖力を燃料にします。散らしたところで貴方の妖力が消える訳ではありませんし、私が込めていた霊力もそれぞれに残ってはいましたから。それを力技で打ち消していた時点で大概ですよ」
流石にその時は鬼の出鱈目さというのを実感したものだ。
次の、萃香が燃えている間の移動についても彼女は理解しているようだから、それは割愛してもいいだろう。
ならば、この術式についての説明が最後になるか。
「最後、『蛇蝎の鎖』についてですか」
「そうだな。結局はそれだ。あの捕縛術式が無ければ、まだやりようはあった筈なんだから」
「先程萃香さんが推測していた通り、それまでの式神等は全てこの術式のための準備でした」
一息。
「あの鎖は、指定した空間内において対象を永遠に追跡し続けるという特性を持っています」
「空間内……成程。あの花畑にある術式が侵入者という一存在に対して掛ける術式なら、今回のは侵入者、お前さん言葉を借りるなら対象のいる空間そのものに作用する術式って訳か。効果は同じであったとしても、性質の違いっていう話かね」
「はい。ですから、あの鎖は抜け出すことも、壊すことも、霧散させることも不可能だったのです」
空間に術式を掛けているため、その中に存在している限り、萃香が霧状になっていようと縛り上げることは容易い。そもそも、花畑の方の術式も、不意打ち気味だったとはいえそれには成功している。
鎖そのものを霧散させようとしても、所謂術の根幹部分は別にあり、鎖は実体化しているだけのものであるため霧散させることもできなかった。鎖を消したかったのならば、その元となるものを無効化させるしかない。膂力だけで無理矢理引き千切ることができない理由もここにある。
そして、この術式も花畑の方の術式と同様、弱体効果を持つ。縛られている限りその対象は段々と力を奪われていき、能力を使うことすら、身体に力を込めることすらできなくなっていくのだ。
この術式の肝となるのは、戦闘中、何度も召喚していた式神。より正確には、それに混ぜられていた別の意味をもつ札。
元々『白虎』や『朱雀』は壊されることが前提。ただ、壊された時に意図的に構成していた札をばら撒いていただけ。ばら撒いた上で幽綺自身が陣を作成さえすれば空間の設定と術式の発動が完遂する。
だが、今回は運が良かったとしか言いようがないだろう。
鬼故の慢心や油断に頼り切っていた術式に戦術。この様で勝利と言うのは、烏滸がまし過ぎる。
「『蛇蝎の鎖』……蠍のような毒に、蛇のような執念深さ、か。かかっ、なんとも厭らしい術式だこと!」
「そうでもしなくては貴方には勝てませんから。それに、ばら撒いていた札をどこか別の場所に吹き飛ばされていたりしていた場合、その時点で別の手を考えないといけませんでした」
「いやいや、称賛してるのさ。私の戦い方や能力なんて、紫や幽香に口伝で聞くしかなかっただろうのに、こんな術式を持ち出してくる上に、まだ手札はあるときた。あの術式自体はパッとしないが、なに、これだって立派な勝利さ!」
背中を向けて膝の上に座って、幽綺を背凭れのようにしながら、伊吹瓢を呷る。
どうやら当の鬼にとってはそれもまた一つの勝利の形であるらしく、幽綺の心の内など知らぬとばかりに騒ぐ。
「勇儀ー、コイツにもう一杯呑ませてやろうじゃないか」
「あいよ。ほれ、もう一回貸してやるよ」
「有り難うございます」
返していた星熊盃を再度受け取り、萃香が瓢箪を傾けてそこになみなみと酒を注ぐ。
期待の篭った視線を受けてそれを一気飲みし、盃を置く。そろそろ、流石にこの量は堪えるようになってきた。
「おおー、いい呑みっぷりですねー」
「いえいえ、他の鬼の方に比べたら――」
――誰だ?
「――ッ!?」
「? どうしたんですか? 急に固まっちゃって」
――この声の主は、誰だ?
脳が、体が、今すぐに逃げろと警鐘を鳴らしている。
だが、動けない。
一周回って何も感じないというのに、それを超越した何かが、動いたら終わると告げている。
せめて他に何かこの声の主に対する情報を得られないかと、無意識的に視線が周りに座っている他の者達へと向けられる。
そして、目に入ってきたのは。
――先程までの酔いは何処へやら。幽綺を挟んで自分と反対側を驚きに顔を染めて見つめる姉の姿。
――今まで見たことがない程に顔を青褪めさせて、幽綺の隣を見て固まっている紫の姿。
――いままさに口を付けようとしていた瓢箪が中途半端な位置で止まり、視線も動かずに硬直している萃香の姿。
――顔は笑っているものの、どこか引き攣っており、よく見れば手が少し震えている勇儀の姿。
「あ、そう言えば、挨拶がまだでしたねー」
誰もが動けない中、場違いなまでに明るい声色で、その声の主は言葉を発した。
横で、誰かが立ち上がる。
そして彼女はこう言った。
「
固まる幽綺達を他所に、彼女の声はどこまでも朗らかに響いた。
◇◆◇◆
神無という鬼について話をしよう。
鬼子母神などと呼ばれてはいるが、彼女が何か他の鬼と違う存在であるという訳ではない。ただその強さ故に、普通の鬼と区別するかのようにいつからかそう呼ばれるようになっただけなのだという。
一応山の四天王の一人として数えられているが、強者を求めて各地を彷徨う放浪癖と、他の三人の鬼と同時に相手をしても引けを取らない別格の強さから、名ばかりのものとなっている。
さて、そんな彼女を言葉で表すなら、『化物』の一言に尽きる。他に規格外、常識の範囲外、災厄の権化……等々、例を挙げれば限がないのだが、どれも共通して彼女を桁違いの実力者であるとする認識は一貫している。
さて、そんな彼女だが、ここ数ヵ月の間は妖怪の山を不在にしていた。
それ自体は然程不自然な事ではない。先述の通り放浪癖があるため、ある日唐突にふらりといなくなっては、またある日ふらりと戻ってくる。
紫も萃香も神無がまだ戻ってくる気配がなかったのは確認済みだったし、万一戻ってきても察知できると思っていた。
なぜ彼女を警戒するか。
そこに、萃香ですら目を付けた幽綺という存在が居るからだ。
もし彼の噂が神無の耳に入れば。そして興味を持たれてしまえば。強者との闘いを好む彼女がどういう行動に出るかは、一連の萃香の言動を見れば火を見るよりも明らかだろう。
だが、たった今それらが全て水泡と帰した。
宴会の席だったというのもある。ほんの少しだけ油断していたのも認めよう。
だが、誰にも察知されることなく幽綺の隣を陣取っていた神無の姿を見て、そしてその声を聞いて、誰もが思考を一瞬止めてしまったのは致し方あるまい。
彼女にとって、距離とは彼女を縛るものなりえない。
故に、誰も気付けなかった。一応と警戒していた紫や萃香も、感覚の鋭い幽綺でも、彼女の接近に気付けなかったのだ。
「ほうほう。名前は幽綺さんというのですかー。中々の美丈夫ですねー……」
さてどうするかと、彼らだけでなく、少し離れた場所に居た華扇や御影も思考を巡らして下手に動けない中、当の神無は繁々と幽綺の顔を覗き込む。
彼女の背格好は、決して大きい部類ではない。流石に萃香程幼い見た目はしていないが、女性の中では高い身長を持つ紫や勇儀と比べると、神無は幾分か小柄だ。
角は二本。目の上、眉の上あたりから生えていて、萃香や華扇とは違いどこか鉱物を思わせる。
目の前にでこちらを見詰める彼女の顔はまだどこかあどけなさを残すというのに、見詰められている幽綺はいつも浮かべている微笑のまま動けない。
「もー、紫さんも萃香さんも、華扇さんや勇儀さんだって、皆して私の事除け者にするんですからー」
「……あ、貴方は」
「そういえば自己紹介がまだでしたかね? 私、神無ですー。以後お見知り置きををー」
「私は、風見幽綺です。はい、こちらこそ……」
なんとか口を開けるぐらいにはなった。だが、依然として息の詰まるような緊張感はなくならない。
「風見……? ってことは、幽香さんのー……お婿さん?」
「弟よ」
「弟さんでしたか! 成程、道理で幽香さんの匂いが半分だけする訳です」
咄嗟に訂正した幽香だが、納得の意を示した神無の言葉に幽綺と一緒に目が軽く見開かれる。
萃香のように、初見で幽綺が半妖だと見抜く存在は今までも何人かいたが、今しがた彼女が言ったように、その妖怪部分が幽香の力であると見抜いた存在は神無が初めてだったのだ。こういう超感覚も、彼女が強者たる所以なのかもしれない。
神無は幽綺の顔を見るのには満足したのか、一度幽綺の左隣に座り直し、並べられている料理へと手を伸ばした。
「それで、神無はまた急に帰ってきたわね」
「なんだか面白そうなことが起きてる気がしたのでー。急いで戻ってきたら宴会やってますし、見知らぬ方がいますし、これはもう何かあったのと思うしか」
「へ、へえー……それで、神無はどうしようってんだい? 幽綺に何か?」
萃香の台詞に、誰もが非難の目を向けた。当の萃香も、しまった、という顔をしているあたり、失言だったという認識はあるらしい。
折角誰もが触れなかった話題だったというのに、なぜ自分達から話題にしてしまうのか。
萃香の質問を聞いた神無は、それはもう楽しそうに、恍惚とした、そしてどこか狂気的な笑顔で、
「それは勿論――幽綺さんと戦うに決まってるじゃないですかー!」
嗚呼、それは。
それはなんという、凄惨な死刑宣告なのだろう――と。
神無と幽綺以外の全員が隠しもせずに溜息を漏らした。
「ふっふー。ねえ幽綺さん? 私と戦いましょう? 互いに互いの死力を尽くして、死合いましょう? ああ、安心してください。殺しはしませんから。死にかけるとは思いますが、まあ上手くやれば大丈夫な筈です! さあ、そうと決まれば早速――」
「待ちなさい神無」
「むっ、何ですか幽香さん。邪魔をしないでくださいよー」
暴走気味の発言と共に無理矢理連れて行こうと幽綺の手を取った神無に、幽香が待ったをかけた。
むっ、と少々不機嫌な顔をする神無。
「この子はついさっき萃香と闘ったばかりなの。鬼、しかも萃香の後に貴方との連戦なんて誰であってもまず無理よ。……幽綺、どのくらい休めればいけそう?」
「私は明日でも大丈夫ですが。元より身体的外傷はありませんし」
「大事をとって一週間ね。いい、神無? もしこの子と闘いたいというのなら一週間待ちなさい」
「んー……まあ私としては闘えるというのなら何でもいいですよー?」
「決まりね」
神無から離すように幽綺を抱き寄せる幽香と、これといった抵抗を見せずに素直に手を離す神無。
ふうと息を吐く幽香に、紫が声を掛ける。
「いいのかしら、幽香。彼女と闘わせても」
「しょうがないわ。ああなったらもう誰も止められないもの。幽綺も、ごめんなさい。貴方抜きで勝手に決めちゃって」
「いえ、私は姉さんがそう言うのであれば進んで争いに身を投じますから」
「もう少しは自己を持ちなさいよ貴方……まあ二人が良いのなら良いのだけど。それならそれで作戦や戦術を考えなくちゃね」
そこでちらりと神無の方を見やる紫。今から神無についてどう立ち回るか、勝つことはほぼ不可能にしても、せめて何かできないかという話をするというのに、相手本人がその場に居ては何の意味も無い。
だが、別にこの宴会が終わってから話し合うだとか、自分達が移動すればいいだけの話でもある。そう思い、紫は立ち上がろうと身体に力を入れようとする。
だが、紫の視線を神無は別の意味に勘違いしたらしい。
「作戦ですかー。じゃあ、私の能力を教えておきますねー」
「「え?」」
紫と幽綺から驚きの声が上がる。
「幽香さんや紫さん達ならもう知っていると思いますけど、こうして直接聞くのもいいですよね。どうしますか、幽綺さん? 知りたいですかー?」
「え、ええ、はい。教えていただけるというのならお願いしたくはありますが……」
「では教えてしんぜましょー!」
どうやら彼女的には自分の能力を教えるということは大したことではないらしい。
確かに、彼女の能力は他の者も知ってはいるが、そのうち相対するというのに、わざわざ自ら自分の能力を話すことがあるだろうか。
或いは。
自ら不利になることで、少しでも実力差を埋めてやろうという強者故の気遣いなのかもしれない。
「私の能力は『あらゆる障害を無視する程度の能力』と言いまして。それが私にとって邪魔である限り、私はそれを無視します」
「障害を無視する……」
「彼女の場合、地力がただでさえ化物じみているのに、その能力の所為で誰も手が付けられないのよ。彼我の距離が邪魔だと思えば彼女は一瞬で距離を詰めれるし、相手の防御や回避行動が『攻撃を当てることへの障害』ということで無視される。逆に、まず有り得ないとは言え、彼女が攻撃を受けたとして、その痛みや傷が邪魔だと思うのなら、それも無視する。まあ能力の関係のない膂力や回復力でも大体同じことが出来るとは言え、それに能力も加算するとなると、どれだけ化物なのか分かるでしょう?」
「あーん、台詞が全部取られちゃいましたー……」
神無の代わりに紫が主だった能力の使い方を説明してくれた。神無自身は不満気だったが。
最も、紫の言葉にもある通り、彼女の真価は能力ではなく地力である。距離を一瞬で詰めることなど彼女の脚力なら可能であるし、傷に関してはなんなら回復力や再生力で癒せる分地力の方が上まである。先の例で能力がないとできないことと言えば、相手の行動の無視くらいだろうか。
それだけではない。様々な攻撃に対する単純な耐性。脚力に限らない膂力。幽綺の妖怪の部分が幽香だと見抜けるほどの超感覚。彼女を構成する何もかもが彼女を強者たらしめている。
どう彼女に対抗すればいいのだろうか。いや、対抗するということそのものが間違いなのか。
残った一週間でせめて何か案が思い浮かべば、その準備ができればいいのだが……。
「んふふー、楽しみですねー」
幽香や紫たちの苦悩を他所に、神無の顔は純粋な期待に満ちていた。
山の四天王(3人+1)
そういえば茨歌仙の方ももうすぐ最終回だそうで、華扇ちゃんのあれやこれやが明かされているそうですが、本作ではあまり触れません。ええ、触れません。
なので鬼子母神について。
能力はいわば、主人公の攻撃特化ver。彼女が相手を殴り飛ばすためだけの能力です。
作中にある通り、まず地力で誰も手が付けられないのに、能力も合わさって最強に見える。
そのうち、もし殺し合いが起きたとして、不死の特性が殺すのに邪魔、となった場合無視して殺せちゃうんでしょうか。どうなんでしょ。言葉遊びで何でもできそうな能力。
性格や口調は手癖で書きました。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
最初は『相手の分まで強くなる』とか、『相手に合わせて強くなる』とかいう能力案もありました。
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第16話
お話書いてる時が一番別のお話のネタが思い浮かぶことってありますよね(盛大な目逸らし)。
……だって、ヒロアカ書いてて楽しいんだもん。
ということでお待たせしました。VS神無編です。
大変長らく開けてしまい申し訳ありません。エタるつもりはないですがどうしても遅筆……言い訳は一杯あります。
それでは、どうぞ。
時が経ち、一週間。
萃香との戦闘の際にも使われた闘技場にて、幽綺と神無は向かい合っていた。
幽綺が幾許か緊張の面持ちをしているのに対し、神無はまるで子供のように期待に満ちた表情で眼を輝かせていた。
審判役はいない。いたとして、もしもの場合に神無を止めることが出来ない以上、居たとしても意味がない。一応紫がその判断はするが、わざわざ近くにいる必要はない。
「うふふー、楽しみですねー?」
今にも小躍りしそうな様子の神無。油断でも慢心でもなく、真に心から楽しみにしているのだろう。
「開幕の合図をする方はいません。幽綺さんが術式なり、体術なり、一つ技を使用させた時点で私も動き始めます。なので、お好きな時に、お好きなように動いてどうぞ?」
「……分かりました」
目を閉じ、深呼吸。
初手で使う術式を脳内で確認。相手の動きを約十通り程想定。それぞれの対応策も準備済み。
だが、相手は規格外を呼ばれる鬼子母神。まず間違いなくこちらの想定をなにかしらの形で超えてくるだろう。それは単純な速度か、力か、はたまた方法か。
「――式神『白虎』」
萃香の時と同じ手。用途は目眩ましと、別の術式の下地。
対する神無は、その笑みをさらに濃くして、足を一歩下げた。上半身も落としたその姿は、まさしく走り出す一歩手前。
瞬間、神無の足元の地面が爆ぜた。
「そりゃ」
「っ!?」
想定していた動きの一つではあった。だが、いざ直接相対すると、その段違いの速度に驚かざるを得ない。
神無がやったことは単純。
ただの力押しである。
迫りくる虎の形の式神に対し、真正面から突撃して札ごと爆散させながら正面突破しただけ。そのまま幽綺の目前へと迫り、拳を振るう。そこに一切の淀みは無く、式神による邪魔立てなどまるで意味がないと言うようだった。
幽綺の方も判断は早かった。
次の術式が間に合わないことは明白。故に取れる手段は一つ。能力で止めるしかない。
止めたと思った時には既に、幽綺の姿は壁に衝突していた。
「が、あ……っ!?」
「? なーんか妙な感触でしたねえ」
不思議がるように振るった右手を動かす神無だが、驚きようで言えば幽綺の方、強いては彼の能力を知る者達の方が大きかった。
彼の能力は決して弱くない。神無と同じように、彼自身の地力が優れているためやや目立たないが、能力そのものは強力だ。
萃香の拳に留まらず、幽香の力だって『届かせなくする』その能力が弱い筈がない。
だと言うのに、それを発動させた筈の幽綺をただの拳で吹き飛ばす神無。そんなことを成し遂げたのは、後にも先にも彼女だけであろう。
(『あらゆる障害を無視する程度の能力』……! 強力だとは思っていましたが、私の能力すらも無視するとは)
「んんん、成程成程。幽綺さんの能力ですね? 確かにそう考えれば、今ので貴方がまだ五体満足なのにも頷けます」
(……能力を使っていなければ、私は四肢が千切れ飛んでいたかもしれないのですか)
神無は幽綺の能力のことを知らない。というよりも、神無自身が知りたがらなかった。彼女としては、少しでも自分に不利な状況になるようにしたかったのだろう。
だからと言って、目の前で使用された能力を推測しない訳ではない。
「防御系の能力……だとすると私はそれを無視しますから、もうちょっと捻った能力ですかね。もしくは、能力そのものに優位性を持つ性質があるか……」
「……はっ!」
「あまーい!」
能力を使い神無の背後に回り込むが、それと同時に回し蹴りが飛んできた。
咄嗟に能力を使うが、やはり先と同様に吹き飛ばされる。蹴りの軌道の先にあった頭に強く何か打ち付けられたかと錯覚する程の衝撃。
縦方向に一回転するもののなんとか着地だけは決め、しかし勢いは殺しきれずに転がり、さらに何回転かしてようやく止まった。
「おぉー! 私の攻撃を二回も耐えた方は貴方が初めてですよー!?」
「そ、それは……光栄です、ね……」
「これは昂りますねぇ。腕が鳴りますねぇ!」
まだ、遊び半分だとでも言うのか。
ぶんぶんと肩を回して笑うその姿は、どこか狂気的。生粋の戦闘狂としての血が騒いでいるらしかった。
「そうそう。私も技名とか考えてみたんですよー」
「?」
「よく人間さん達が高らかに叫んでいるので、私も真似してみたらかっこいいかなーと思いまして」
何を言っているんだ?
頭の中で、この台詞の意味を理解してはいけないと警鐘が鳴っている。その言葉自体に力はない。言霊のような、もしくは呪力が込められている訳でもない。
ただそこにあるのは。
「神出鬼没、って言葉あるじゃないですかー。あれの鬼って、本当は幽霊とかの類の意味なので厳密には違うんですけど、字面だけ見ると私達鬼を馬鹿にしてるようにも見えますよねー? 鬼が没し神が
「……」
「っていうのはまあ別にどうでもよくて。単純に命名の元にしてみましたっていう話なだけなんですけど――」
――隠者『神没鬼出』
直後、三度目の衝撃を背中に感じた。
それを認識する頃には既に視界は反転していて、ようやく吹き飛ばされたと理解したかと思えば視界は空色を映すばかり。
警戒して常時能力を使用していたのが幸いした。でなければ今頃、自分の背骨は粉砕されていたかもしれない。
腹部に衝撃。地面に激突する前に空中で静止したが、その減速の隙に真横に吹き飛ぶ。
ようやく神無の姿をしっかりと視界に捉えることができたのはお手玉のように吹き飛ばされること六度目の時であった。それも、身体を捻るなどして見た訳でも、偶然視界に映り込んだ訳でもなく、単純に神無が攻撃の手を一旦止めたからなのだが。
「あは、いくら幽綺さんと言えど、これを攻略するのは厳しそうですか?」
「……能力による座標転移。私の視界から常に外れ続けていたのは、私の身体や顔の向きから視界を推測していたから。それは余裕を見せている、ということでしょうか。やろうと思えば正面から攻撃し続けることも貴方ならできるでしょう」
「その程度なら簡単に読めますよねー」
「殴打にしろ蹴撃にしろ、移動と同時に攻撃はできません。見ていないので『引く』という動作が存在しているのかは判断できませんが、少なくとも『打つ』という動作分の余裕はあります」
「――驚いた。あの六度の攻撃の間でそこに気付けるとはな」
一瞬、神無の目から悦楽の色が消える。
だが言い終えると同時に、先程までと同じ、この場にそぐわない屈託のない笑みへと戻ってしまう。
しかし、その一瞬の間に感じた威圧感は、鬼子母神の呼び名に相応しい重圧があった。
「ですが、それに気付いた所でどうすると言うんですかー? 貴方の能力はこの世で数少ない私の能力をある程度相殺できる稀有な能力ですが、貴方自身が私に届いていない」
「…………」
幽綺はただ、札で杖を創り出しそれを構えるだけであった。
「……まー、貴方がそれでいいならいいですけ、どっ!」
少しの落胆を滲ませながら、再び神無は『跳んだ』。
狙うのは先と同じ背後。今度は根競べだ。幽綺が少しでも気を緩めれば、その瞬間に決着を付けてやろう。
幽綺の言っていたことは正しい。能力で距離という障害を無視して任意の場所に移動することができるが、やはり打つと言う動作分、ほんの一瞬にも満たない間は存在する。引くと言う動作に関しては、するもしないも自由と言ったところか。
能力のせいか想定よりも少々後ろになってしまったが、拳の衝撃は届く。
穿つ。
「――あら?」
肘に強く刺突の感覚。
狙いがずれ、幽綺の姿はそこから動くことはなかった。
何があった?
彼が振り向く。
「――」
振り向く前の正面に移動し、死角へ。まだ余裕は崩さない。
「そこです!」
「っ」
脇腹に殴打の感覚。
痛みはそこそこ。だが、気にする程でもない。鬼として破格の耐久性を誇るこの身体に傷を負わせることは叶わない。
気にせず拳を振りぬき、
「……あは」
突風に煽られ、神無の身体は壁面へと激突していた。
完全に対応が遅れたため吹き飛ばされてしまったが、受けた感じ、次は耐えれる。激突の際の痛みも傷もない。敢えて言うならば殴打の感覚があった部分の服が裂けてしまっているが、これはいつでも直せる。
成程、成程。
「……あはは」
わざわざ視界から外れる動きをする、などと言う相手が自分の動きを読みやすくするための行為など挟まない。正面突破。
だが。
顎を横から打ちぬかれる感覚。次いで下から。拳を握った右の肩に突き、背中に強打、最後に先とは逆の横腹。
計五度の衝撃により、神無はまたしても拳を振りぬく前に動きを阻害されてしまった。
「あははははは」
動きが止まったところに鳩尾に衝撃。
いくら耐えきれると言えども、ほんの一瞬だけ息が詰まる。しかし、笑い声は止まらない。
「あはははははははは!」
喉を狙った一撃。殺意高めである。
だが、流石にもう分かった。
なんとなく喉を狙っていたのは感知できた。だから、触れられる感触と同時に腕を払った。
視界の先、
「……早い」
「けほっ。いやー、驚きました。まさか私が攻撃できないなんてことになるとは。しかし種は割れました」
幽綺が手にしていた杖が爆ぜた。
より一層笑みを濃くしながら、神無はこの不可視の幽綺の攻撃の正体を語った。
「貴方の能力、概念にすら作用する距離に影響する能力ですね? 私と少々似通っているところがあります。私の拳が届かないのも、それが理由でしょう」
幽綺は反応しない。警戒を解かず、再度杖を創り直すのみ。
「『鬼出神没』から着想を得たのか、元々技として持っていたのかは知りませんが、先の攻撃。貴方の杖による刺突や殴打という攻撃を私に届かせましたね? 加えて、術式もでしょうか。であれば、私は当たると同時にそれに拳を当てるだけです」
「……そういった才能も含めて、鬼子母神と言われる所以なのでしょうね」
この方法自体は前より考案していたものだ。
杖にしろ術式にしろ、幽綺の能力があれば振るわれた時点で標的に届かせることで当てることができる。普段は手札をあまり晒さないという意味を込めてこのような使い方はしないが、今回は別だ。これがなくても勝てるなどとは決して思っていなかったが、もっと使う場面は先だと、選ぶことになるだろうと思っていた。
幽綺にとって攻撃を届かせるこの手段は奥の手に近しい。
そして、能力の性質所以の突破口というのも存在するのであった。
攻撃を『届かせる』とい言う以上、届かせたその瞬間だけならば相手もまたこちらに『届く』のである。
勿論、そんな芸当を成し遂げることができる存在などそうそういない。幽綺自身その対策もしてある。
だが、相手が悪かった。
神無だけであろう。幽綺の攻撃が届くと同時に反撃をきちんと当てることができたのは。
「対応の仕方が分かればあとは簡単です。同じことをすればいい。ですが、これで終わりだなんて言いませんよね?」
「……」
「むう。もう少し会話を楽しんだっていいじゃないですかー」
神無は不満気だが、幽綺に何かしら反応を示せるような余裕はない。
彼女に攻撃を当てることは可能だが、有効打にならない。
……ただ一点、無効化している訳ではない、というのが突破口になるだろうか。
自分の持つ手札の確認。神無に効きそうなものを模索。可能性があるものを試すにはどのような準備が必要で、どのような前提条件があるか。それをするだけの隙をどう生み出すか。
細く、息を吐く。
「――はっ!」
「そんな一つ覚えで私に届くお思いですか!?」
杖による物理攻撃では一度対処されている以上二度目はない。届かせるのなら術式の方。
動きを一瞬でも阻害できれば上々。打ち払うにしろ、上から消し飛ばすにしろ、その動作分の隙が生じる。
だがこれはそれ程の効果があるとは思ってはいない。そちらに反応させることが目的。
その瞬間だけ、そちらに意識を向けらればいい。
「あは」
――そんな、『普通の相手』をしているのと同じ感覚で戦っていい相手ではないというのに。
「さあ、届きましたよ?」
札を放った右腕に、何かが掴まれるような感触。
いや。焦ることはない。こういうことも起こり得ると以前から想定していた。自分の能力は物理的な距離に縛られない。届かせた瞬間は相互に干渉し合えるなどという出鱈目を有言実行できるのは神無一人くらいのものだ。そちらの方が例外中の例外な筈で
「はーい、握手」
「うぐ……っ!?」
『あらゆる障害を無視する程度の能力』
一度届かされた以上、彼女の前ではもう逃げられない。距離を取ることを許さない。彼女から逃げることを許さない。
決して、逃がさない。
掴んだ腕を振り上げ、地面に叩きつける。
どちらかと言えば小柄な部類な神無と、線は細いがそれでも男性である幽綺。体格差、体重差を感じさせない軽々とした動きだったというのに、叩きつけた地面に罅が入った。
戦闘狂であると同時に、戦闘に対する才能もずば抜けた神無。戦闘中の幽綺にこんな短時間で触れられる程に至ったのは、それだけ地力が優れていたという証左だろう。紫のような能力を持っていないというのに、だ。
神無に直接能力を使った訳ではないのに、近くで能力によって術式が届かされたのを自前の超感覚で察知し、それと同時に幽綺へ文字通り〈手を伸ばした〉。
そして掴まれた時点で幽綺に勝ちの目は限りなく薄くなった。一度手を離せばまた面倒になると分かっているのか、殴り飛ばすのではなく掴んだまま叩きつけるという手を取った時点で、そこから脱却しようとするのは、彼女の能力もあってまず不可能に近い。
ならば、掴まれたまま戦うしかあるまい。
「ふっ!」
「んー? その程度では私に傷をつけることすらできませんよ?」
下半身に力を込め、能力を使って神無ごと壁に激突する。彼女を間に挟み、壁に埋まるほどの力をもって、だ。
同時に空間術で付近に術式を込めた札を展開する。だが、こちらは神無が少し脚を振っただけで辺りに散らばってしまった。引き戻そうと思えば引き戻せるが、そうしたところで神無の前では無意味だろうし。わざわざする理由もない。
この札の意味は萃香戦の時の式神と同じ。そして神無は、先の戦いの詳細を知らない。
「そぉれ!」
「っ!」
引き絞った拳から打ち放たれる衝撃に身を任せ、そのまま別の壁にまで移動する。能力を使って、神無ごと巻き込む。
「ふーむ。私という個体ではなく、拳は拳で別の判定なんですねー。こうして掴んでいるのに、今のは届かないなんて」
今度は神無の頭上から式神を呼び出す。妖力による圧だけで霧散してしまった。
上々。
「……何を企んでいるんですかねー?」
「…………」
「面白くない男性は嫌われますよ?」
「……私が慕っているのは一人だけ。そして私には、その人さえいればいい」
「一途ですねー」
会話の隙に要所要所にて札を配置。神無の視線の動きを見るに気付かれてはいるみたいだが。
だが彼女は動かない。受け止める気なのか、警戒して下手に触れないのか。鬼という豪胆さを鑑みるに、前者の方が可能性としては高そうだ。
あとは霊力を流し込むだけ。それだけでこの術式は発動する。
変に気付かれないように後から霊力を流し込む形の札を使ったが、はたして意味はあったのだろうか。紫のようなそちらの方面に強い相手だと、準備段階でどんな効果かを大まかに把握するくらいはやってのけるが……。
深呼吸。思考を切り替える。
来ると分かっていても、分かっているからこそ、それを許容しようとするのは難しい。未だに慣れたものではない。
「――!」
「あはっ! 私相手に近接戦闘、肉弾戦を挑むとは!」
先と同じように拳の衝撃のみを届かせることで相手の狙いをずらす。しかし神無が相手では下手に能力を使うと〈合わせられる〉。彼女が拳を振るうという動作であるからこそ、手を伸ばす動作ではないからこそまだ対応されていないが、彼女の前ではそれもいつまで保つか。
片腕を掴まれているため距離は取れない。さらに言えば、相手は自分を好きな時に体勢を崩させることができる。能力の使用には影響はないが、一瞬の反応の遅れが命取りなこの状況ではそれすらも厳しい。
簡易術式で小さな円筒をいくつか創出し、肩や肘といった動作の要になる箇所に打ち込む。視界に収めていることを条件にした追尾術式も込めているので、外すことはない。
……決して、直撃するということでもない。
一瞬の視線の動き。腕の動きの変化を見るに、円筒を破壊することで打ち消そうとしているようだ。
その隙に鳩尾へと膝蹴りを打つ。意識がこちらを向き、術と自分との間でどちらに対応するかを逡巡したその瞬間に腕を掴み返し、捻り、足払いを掛けた上で神無を地面へと俯せに押し倒す。同時に展開させていた円筒が打ち込まれ、肉を叩く鈍い音がする。
「ありゃ?」
鬼故の出鱈目さは、こうした『弱者の技』を蔑ろにする。
だからこそ、こうして体術が決まる訳だ。
勿論、普通の人間、どころか存在ならば、神無に腕を掴まれた時点で敗北ないし死は決定している上に、そもそも初撃を耐えられる存在を見つけることすら難しい。
そしてその出鱈目さは、こうして発揮される。
「んー……よいしょー!」
腕を捻り、神無自身の身体で押さえつけていたもう一方の腕が僅かにだが動き、地面を叩いた。
それだけで自分達を中心に地面が陥没し、壁や観客用の座席を崩壊させる。
能力で眼前に迫る瓦礫を防いだところで、横からの衝撃。関節の可動域を無視して身体を回転させた神無からの裏拳だった。
吹き飛ぶ。
だが、着地による減速はできた。
「それっ」
軽い掛け声と共に迫る神無。拳は握られている。
放たれるまでの僅かな間に周囲を確認。取るべき一手を選択。流すか、受け止めるか。
選ぶのは――
「――――――ごぶっ」
抑えきれず、口から血を吐き出す。
半身の感覚がない。霊力、妖力ともに不安定になっている。半妖故に絶命には至らないが、再生、回復には時間が掛かる。
「……あは」
神無の拳によって左肩から脇腹までが消し飛んだ。心臓にまで至らなかったのは、ひとえに能力による微調整の賜物。ただ受け止めていただけでは、恐らくもう、ここに幽綺の姿は無かった。
膝から崩れる。平衡感覚が崩れる。膝立ちですら怪しい。
「いやあ、凄いですね。まさかここまで粘られるとは」
神無の声は未だに明るい。
「貴方は英雄の素質を持っていますよ。ええ、本当に。私を相手にここまで立ち回れたのは、貴女が初めてです」
彼女はまだ拳を握っている。今の幽綺では、彼女の軽い一撃を貰うだけでも簡単に動けなくなるだろう。
視線の遥か先では、自分の姉や観戦に来ていた妖怪が全員一様に目を見開いて固まっている。
膝に力を込める。
次の一手を用意する。
何故ならば、神無は。
「――本当、腕を持っていかれたのはいつ以来でしょうか」
吐血。
神無には既に、左肩から先、そしてそこから脇腹にかけての肉体は存在していなかった。
そう、幽綺と全く同じ欠損を神無は負っていた。
先の拳の直前。食らうことを選択したその瞬間に、幽綺は準備していた術式を発動していた。
十分量ばら撒くことは終了していた。あとは霊力を流し込むだけ。それだけならば、神無の拳が届くよりも早く完了させることが自分なら可能だった。
発動した術式の内容は、効果内にいる相手との傷の共有。
主に装甲が固い相手を想定して作った術式だが、効果は絶大である分、条件は厳しい。
一つは予め術式を発動させるための『場』を用意しておくこと。それがそのまま効果範囲内となる。それを幽綺は札をばら撒き、その札に術を込めておくことで発動させた。
二つ目はその効果内には、自分と相手との二者しかいないこと。たとえ複数存在していても、標的を絞るという段階を挟めばこれは比較的容易に成し遂げられる。
そして三つ目。術の内容が『傷の共有』である以上、自分自身が傷を負うこと。
自傷他傷は問わないが、自ら痛みに飛び込まなければいけないという点では変わらない。そんな感覚、いつまで経っても慣れる気はしないし、慣れようとも思わない。痛みに何とも思わなくなった時、それはもう、何かが決定的に終わった時だ。
「傷が再生しない……傷の負い方を見るに、貴方の傷がそのまま私に反映されているのでしょうか。傷口は回復を始めていますが、一向に進まない」
「……何でものの数秒で分かるんですかね」
流石の幽綺でもぼやかずにはいられない。
この術式の存在を知っているのは、自分を除けば、姉の幽香と術式関連の師でもある紫の二人だけ。特訓以外で使用したのは今回が初めてであるし、そもそも冷静に分析できる程の余裕があることがおかしい。
神無の、鬼としても別格の耐久力や回復力を鑑みてこの術式の使用に踏み切ったが、それでも尚、まだ彼女は動ける。
「ですが、それで貴方が瀕死になり、かつ私が未だに動けるようではもうお終いです」
その通りだ。
だから、こうして、最後になるであろう一手を残しているのだから。
「降参するならしてくださいねー? 私だって、死に体の相手に追い打ちを掛けたがるほど残酷ではありません」
「…………」
「……それが貴方の選択ならば応じますけどー」
再度、解いていた拳を握る神無。
一歩を踏み出した。
「――はっ!」
「――やぁっ!」
拳が届く直前に最後の一手となる札を取り出す。枚数は一枚。掴む。
神無の表情にはもう余裕はない。そして恐らく、札を取り出した時点で能力を使うことは予想されている。となると彼女のことだ。能力をわざと食らい、術札が届いたその瞬間に合わせて拳を届かせることぐらいならもうやってのける。
だが万全の状態であっても彼女の拳の衝撃は防げなかった。身体の四分の一近くが欠けた今の状況では、その衝撃ですらもう決着を付けるに足る。
ならばせめて、一矢。
もう幽綺に勝利の目はない。故に、半ば捨て身。
だから幽綺は。
◇◆◇◆
目を覚ませばそこは、見知らぬ天井だった。
差し込む日差しと、外の喧騒から、今は昼なのだと把握する。
どうやら自分は寝かされていたらしい。身体を起こす。
固くなった身体を解そうと腕を伸ばしたところで、自分の両腕が揃っていることに少し違和感を覚えた。
そしてようやく思い出した。
確か。
「……結局、あの後どうなったのでしょうか」
随分と嗄れた声が出た。そこで自分が酷く空腹であること、そして何か飲み物を身体が欲していることにまで気が回った。どうやら随分と自分は眠っていたらしい。頭の回転もなんだか遅い。
半妖である自分には数日程度食事を抜いた所で影響は少ないが、やはり精神衛生上良くない。それに神無との戦闘で上半身の半分近くを吹き飛ばされ、その回復も完了していることを考えると、相応に消耗はしている筈だ。
はてさてどうしたものかと、自分の置かれている状況を把握しようとしたところで、この部屋の襖が開いた。
そこに立っていたのは、なんだか久し振りに会ったような気さえする自分の姉。
なぜだか、ひどく安心した。
「……姉さん」
「……おはよう、幽綺。身体はもう大丈夫かしら?」
自分が目を覚ましていることに驚いたのだろうか。一瞬目を見開いたが、すぐに優しげな微笑みに移り変わり、すぐ横に座った。
身体は大丈夫か、と訊かれれば、まずこう答えるしかあるまい。
「……お腹が、空きました。ええ、はい。とても、空腹です」
「ふふっ、分かったわ。何か胃に入れる物を持ってこさせましょうか。あと飲み物もね。貴方、酷い声よ?」
「姉さんの作ったものが食べたいです」
「……仕方ない。お喋りはもう少し後かしらね」
言って、立ち上がる。
幽綺にしてみれば少し幼稚が過ぎただろうかと思わないでもなかったが、幽香にとってはそれは彼からの珍しい、そう、本当に珍しい我儘である。内心では場違いながらも嬉しくて仕方なかった。
憔悴している彼に普通の食事は酷だろう。手料理がいいと言ってくれたのだから、果物類も違う。
はたしてどうしようかと、自然に鼻歌が漏れているが、それに気付く者が居なかったのは彼女にとって幸いただろう。
「一週間……ですか」
簡単な食事も終え、食器類も片し、一息ついた所でようやく自分の状況を確認する精神的な余裕ができた。
取り敢えず自分がどれだけの時間眠っていたのかを訊いた所、返ってきたのはそんな答え。
「肉体の損傷よりも、体力的な意味での消耗が激しすぎたのよ。その左腕も見かけだけ。日常生活に支障は無いだろうけど、中身はまだ空っぽよ?」
「全く。どうして瀕死だったというのに、いくら術式を当てるためとはいえ、神無の攻撃の直撃を避けないのかしら」
いつの間にか現れていた紫も加え、三人で談笑する。
幽香は何やら不満そうであったが、食事中は二人きりで居られたからあろうか。何か文句を言う程のことはなかった。
「いえ、あれはあの瞬間に蹴りの衝撃を肘部分に届かせたので、直撃はしてませんよ」
「直撃じゃなくてもあの傷ならどっちにしろ同じでしょう」
「ごもっともで」
説教じみた二人の言葉に、幽綺はただ頷くしかできなかった。
しばらく談笑が続いていたが、不意に、どたどたと騒がしい足音が三人の耳に届く。否、足音と言うには感覚が短い。これではまるで、大きな一歩を轟音、より具体的には床を踏み抜く破砕音と共に近付いているような――
「――幽綺さぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
ぐしゃりという破壊音と共に襖が開いた。
蹴破って来なかっただけまだ良しと言うべきなのか、部屋の開放感を生みながら酒気と共にやってきたのは鬼子母神・神無。
聞いた所によると今は宴会(幽綺と神無の戦闘の後、この一週間ずっと続いているらしい)の最中、かつここは妖怪の山の頂上付近にある天魔の家であるらしい。しかし神無にとってはどうでもいいのか、壊した襖と道中の床には見向きもしなかった。
「おはようございます起きたんですねうふふ良かった良かった最後に逸らされたので直撃してはいないとは思っていたんですがやはり心配で心配で身体の方は大丈夫ですか私の方は大丈夫じゃありませんけど大丈夫です気合でも持ち堪えてますおやもう食事はお済みの様子ではどうでしょうここらで宴会に参加しませんか初めて私と実質的な相討ちに持ち込めた貴方ならばそれはもうあと一月はお祭り騒ぎになるで――」
「うるさいわ」
「あう」
捲し立てる神無に幽綺が目を白黒させていると、横から伸びた手が神無の角を軽く叩いた。
叩いた張本人である幽香は胡乱気な視線で神無を射抜きながら、口を開く。
「貴方、宴会は? 一緒になって騒いでなかった?」
「なんとなく幽綺さんが目を覚ました気がしたので抜けてきました」
頭痛でもしているかのように頭を押さえて溜息を吐く幽香に、今度は幽綺が心配そうな目を向ける番であった。
しかし、幽綺としても神無のこの様子には疑問を抱かずにはいられない。
あの時確かに幽綺は、彼女を殺す気で術式を選び、そして当てた。そこまで確認したのは覚えている。正直神無相手ではどれほどの効果があるかは不安だったが、それでも弱らせることぐらいは、と思っていた。
だが今のこの様子を見る限り、彼女は至って健常だ。
故に、訊かねばなるまい。
「神無さん?」
「なんですかー?」
「
ぎょっと、幽香と紫が幽綺の言葉に驚く。
彼にしてはあまりに直接的な言葉。内容も不穏。
しかしその質問を投げかけられた神無は対照的にあっけらかんとしていて、
「だから言ったじゃないですかー」
「?」
「気合でなんとかしてます、って」
「……冗談を」
笑えない。
「……えーっと、幽綺? それに神無も。どういうことか訊いても?」
紫の疑問もいたく真っ当だ。端から聞いているだけでは何のことを言っているのか分からない。
神無から話してはいないようだと、紫の言葉から察した幽綺は、先の戦闘、その最後を思い返す。
あの一瞬。拳と術式が交差するその瞬間。何があったのか。
「……私が最後のあの瞬間、一枚の札を用意していたのは見えていましたよね?」
「ええ。捨て身の相討ち覚悟のあの術式ね。一瞬過ぎて何の術式かまでは分からなかったけど……」
「あの術式は〈心蝕符〉です」
「ぶっふう!?」
丁度良くお茶を飲んでいたせいで紫は噴き出してしまった。
幽香と神無に険しい顔をされながらも、それらを無視して幽綺に詰め寄る。
「え、あの術だったの!? いや、それなら何で神無がここに……え? あれ!?」
「落ち着いてください、紫さん」
彼が放った術式〈心蝕符〉。
効果は文字通り。『心』臓を『蝕』む『符』で心蝕符だ。
発動条件は一つ。相手の血に術式を込めた札を接触させること。
対象の血液に触れた時点で発動し、幽綺の制御から離れる。どこまでも追跡し、相手の心臓を締め上げることで生命活動を停止させる、捕縛術式の応用の際に生まれた偶然の一品。さらに言えば、既に効果はより残酷になっており、心臓を締め上げて殺すのではなく、心臓を締め上げた時点で対象を殺すという次元にまで達しているのだ。
事の経緯は確か、捕縛術式に追尾性能を付与できないか試行錯誤してた段階で、より霊力の消費を抑えられるようにするにはどうすればいいかも一緒に色々と実験していた時に生み出されたのだったか。本来はただの捕縛用だったものが、何故か気が付けばこうも攻撃的になってしまった。紫の入れ知恵があったのは否定しない。
現状、これを防ぐ手段は一つ。血を流さないことの一点のみだ。さらに手が加えられたこの術式は一種の呪いにも似た性質を持っており、発動すれば最後、対象が生きている限りはどこであろうと届く。幽綺が頻繁に使う『場』を設定する術式とは効果範囲という点において段違いだ。
全く同じ術式、しかし殺傷力を傷を負う程度に弱めたもので試したところ、紫のスキマ内でも発動していた。つまり、この術式に空間的な距離は意味を為さない。発動した時点で既に対象に届いている。実験の際に見せた紫の怖がる様は確かに面白いものではあったことも追記しておく。
この術式の真骨頂は、効果の内容そのものではなく、消費量や発動条件に対する効果の大きさにある。
それこそ、左上半身を欠損し、霊力が不安定になっていた状態であっても問題なく発動するくらいには。
今回は神無という肉体の耐久性能も規格外の相手にまず傷をつける為に傷の共有という大分遠回りな方法を取ったが、彼の『届かせる程度の能力』も相まって、この術式は切り札の一つだ。
だというのに。
「まあ、そこはほら、こう、気合で?」
「…………」
「そう何度も見比べられましても。取り敢えず口は閉じたままにすることをお勧めします」
金魚のように口を開閉している紫に嘆息気味に返す。
神無の出鱈目さならもしや、とは思っていた。しかしこうも元気にされていては、むしろ自分の術式の発動が失敗しただけなのではと思いたくなる。残念ながらしっかりと発動したのを確認したのでそれはないのだが。
「と言っても割といっぱいいっぱいなので、早く解除していただけると有難いんですけどぉー……」
「……そうですね」
どこか諦観を込めて、幽綺はただそうとだけ呟いた。
出した結論は一つ。
彼女だから仕方ない――と。
「それでは、服を脱いでいただけますか?」
「は?」
「いやん」
紫は訳知り顔で、幽香は怒りを込めて、神無はわざとらしく恥ずかしがるという、三者三様の反応が返ってきた。
幽香の怒気混じりの声で自分の言葉が説明足らずだったことを察した幽綺は、彼女に納得してもらえるよう説明するしかなかった。
「この術式の解除法は二つ。対象の血液に触れさせた解除術式を込めた札を使ってを同じように打ち込むか、心臓の上から解除術式を使うかのどちらかなんです。決してそれ以外のことは……」
「……まあ貴方が私以外に
「……姉さん、その……あまりその手の話は、外では……」
「?」
神無と紫の『あらあらまあまあ』とでも言いだしそうな
姉弟揃って顔を紅くしつつ、姉の方は一つ咳払い。なかったことにしたいらしい。
「と、ともかく。つい声を出したけど、それしか方法がないならとやかく言うつもりはないわ。私達は外に出てるから、終わったら呼びなさい。ほら、行くわよ紫」
「ねえねえ幽香、その手の話ってなあに? 聞いてもいい? 聞いてもいいかしら? 答えなくても聞いちゃうけど!」
「ふんっ」
「いたたたたた耳が、耳が千切れる待って本当にいたたたたたた」
騒がしくも席を外した二人を見送って、視線を神無に移す。
「ええと、では」
「ん。分かりましたー……優しくしてくださいね?」
「……そういった類への面白い返答は残念ながら持ち合わせておりません」
「むーもうちょっとお茶目にいきましょうよー」
あまり羞恥心を感じさせない神無の姿に少し首を傾げたが、誰であろうと殴り飛ばそうとするお転婆娘な彼女では、服がはだけて素肌が見えている程度の認識なのだろうと納得した。
ちなみに余談だが、鬼の一部の男衆がそれでも神無の直の胸部を見たいと躍起になって、服がはだけることを狙って勝負を挑んだらしいが、敢え無く失敗に終わったことを、そして彼女にもそれなりには肌を晒すことに羞恥心を覚える程度の感情があることを彼は知らない。
酒が入ってて良かったと言う少女の内情を知らぬまま、幽綺は解除術式の用意を進めるのであった。
何でこんなに強いんだこの鬼。
戦闘描写って難しいですね。腕切れようが頭吹き飛ぼうが身体が上下で半分に分かれようが秒すらかからず再生・回復する奴との戦闘なんて考えるだけ無駄では? と思わなくもなかった。
今回は神無の慢心や能力の相性があったからこそこういう結果になりましたが、最初から幽綺を殺す気で戦っていれば、さらに苦戦、もしくは一瞬で死んでます。多分。
主人公の能力使用に合わせて『手を伸ばして』無理矢理つかみ取るって……自分で書いてて「何言ってんだコイツ?」ってなりました。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
次は二人で一つなあの姉妹か、はたまたこんこん油揚げ……(疲れています)
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