戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー (風花)
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Fine0 終末へ至る平和Ⅰ

 終焉が過ぎ去った世界に鳴り響く終焉の唱。
 其の音は高らかに、然れど平穏を以てして終演へと誘わん。
 輪廻を断ち切りし者の応報は、如何に。

 Fine0 終末へ至る平和

 人は平和を求めても――辿り着こうとしない。
 其の手に抱くのは、泡沫の夢想のみ。


 ――少年と少女は、呪いを受け入れた。

 

「ああ、そうだ。“オレ”はもうやめる」

 

 ――然れど、呪いは光と影を産んだ。

 

「傍観を、諦めるのを、憎悪するのを――やめる」

 

 ――光は影に気付かない。影は気付かない光を見続けていた。

 

「別に世界に叛逆するわけじゃない。世界なんて、“オレ”にはどうでもいいからな」

 

 ――影が動くと決めた。それこそが、

 

「“オレ”の世界は君だけだ。君と二人きりでいられるのなら、他には何も望まない」

 

 ――終わりの始まりだ。

 

「オレは君だけを愛してる。だから、待っててくれ。きっと救ってみせるから――“奏”」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 新・リディアン音楽院。

 三ヶ月前に“とある事情”により全壊した校舎に代わり、一月(ひとつき)程前より別場所で再開した。

 元々、廃校となっていた建物を政府が買収し、リフォームや補強、足りない校舎や学生寮を新築するだけだったので、こうして移転にしてもかなり早い期間で再開する事が出来たのだ。

 

「……で? 詰まる所、そのデブ猫ちゃんを探し出して飼い主に届けて午後の授業に遅れたって言いたい訳ね?」

「そ、そうなんですよー! いやー、見つかってよかったです」

 

 それはよかったねー、と移転して担任に赴任した鏡華が言う。

 はいっ、と元気よく響は喜ぶ。しかし、隣で同じように遅れ、状況説明をしていた未来は全然よくないと思った。

 だって――目の前で笑う恋人兼担任である彼の眼は、これっぽっちも笑っていないのだ。

 

「って――言いたいけど、流石に限度があらぁ! 何だよ、ホームルーム帰還って! 俺が五・六限の先生にどんな眼で見られたと思ってんの!?」

「ど、どんな顔でしょうか……?」

「こ・ん・な・顔だよっ」

 

 まるで見下すような表情で、響の頭を拳で挟みグリグリし始める。

 

「あっ、あーっ! 痛いっ、これは痛いですよ遠見先生! 頭が馬鹿になりますぅ〜!!」

「立花の頭はしなくても残念だろうがっ! これ以上やったって馬鹿になるわけねぇだろっ」

「せ、先生。響も十分に反省してますし……それに、私だって同罪です」

「“小日向”は立花に付き合っただけだろう? 独りだと心配で」

「それはまあ……はい」

「未来っ!?」

 

 親友に見捨てられ、グリグリされながら身体全体を未来に向ける。

 ちなみに、クラスメートはその間、笑いながら楽しく見守っていた。こんな風景は、このクラスで日常茶飯事なのだ。

 担任である遠見鏡華と立花響の漫才のような掛け合いに小日向未来のフォロー。

 誰も突っ込まない。むしろ逆に楽しんでいる。

 しかし、今回は時間がもったいなかったので、クラスメートの一人が手を挙げた。

 

「センセー。作業の時間が減っちゃいまーす」

「む? それもそうだな。ほれ、立花、小日向。席に戻れ」

 

 仕方ないと云った様子でヘッドロックを解除し、戻る様促す。

 頭を抑え涙目の響と苦笑しつつも心配する未来が席に座り、コホンと鏡華は咳払いを一つ。最近掛けるようになった赤いフレームの眼鏡のズレを直す。

 

「んじゃ、話を『秋桜祭』に戻すぞー」

 

 秋桜祭はリディアン音楽院の学祭である。元々、学祭はもう少し先だったのだが、移転して緊張や戸惑いを覚えているであろう生徒達の不安を、共同作業による連帯感や共通の想い出を作るなどで解消出来ればいいと、開催を早めたのだ。

 もちろん、率先して企画したのは鏡華。

 

「一先ず、私が口を出す事はありません。君達が意見を出し合って決め、作ってください。――まあ、必要な材料の買い出しとか力作業などは言ってくれ。それぐらいは手伝ってやるから」

 

 はーい、と口々に返事を返し、作業に移り始める。

 それを見て、鏡華は「怪我だけはすんなよー」と言い残し教室を後にした。

 だけど、すぐに、

 

「あっ、センセー。ここに書かれた木材買ってきてくださーいっ」

「早速かよっ」

 

 パシリにされた。

 自分で言った手前、断れない鏡華は素直に女子生徒から材料の書かれた紙を受け取る。

 サッと流し読みだったが、どうしても訊きたかったので鏡華は訊いてみた。

 

「ちなみに。これ、何すんの?」

「コスプレ喫茶ですっ。後ついでに友達のやる出店の木材も少々」

「…………」

 

 突っ込むべきだったか、と思ったが、女子生徒は「じゃあお願いしまーす」と教室に戻ったので別にツッコミはいらなかったようだ。

 もう一度材料を眺める。

 ――これ、一度に全部買えるか?

 別に値段は気にしてない。ただ量が地味に多いのだ。少なくとも女子生徒だけだと五人は人手が欲しいくらい。

 

「ま、何とかなるか」

 

 軽い調子で紙をポケットに突っ込み、外へ出る。

 秋桜祭まで二週間ほど期間は残っているが、正直リディアンの生徒には二週間でも短い方だ。一応、男手は教師に数人いるので何とかなるだろう。

 重たい校門を押し開き、敷地から出る。

 

「どこかへ行くのか?」

 

 そんな鏡華に話し掛ける人物がいた。

 振り向く必要はない。だけど鏡華は振り向いた。

 学校の敷地を隔てる大きな壁に凭れている、特注品であるリディアン音楽院の男子制服の上から黒コートに身を包んだヴァン。風に靡くコートの内側でチラチラと白い布で巻かれた“何か”が見え隠れしている。ついでに真っ黒な服で見え辛いが、『警備員』と書かれた腕章がはめられていた。

 

「ああ。ちょっと、買い出しにな」

「そうか。後で金は返すから食い物(フード)を買ってきてくれ」

「それ、騎士が王に頼む態度じゃねぇよな。――まあ、了解」

「悪いな我が王(マイ・ロード)警備員待機室(ウェイティングルーム)購買(ショップ)にはロクなもんがないからな」

「らしいな」

 

 それじゃあな、と手を挙げて別れる。ヴァンも組んだ片腕をわずかに挙げて応じた。

 ――夜宙ヴァン。

 鏡華と同じく完全聖遺物の奏者にして、今代の“王”である鏡華のたった一人の“騎士”。

 もちろん、そんな関係は特別な時だけで、普段は冗談でしか使う事はない。

 ヴァンは現在、リディアンの学生兼警備員をしていた。普通科目だけ授業を取り、残りの時間は警備員として働いている。

 何故、そんな面倒な事になったのか。理由は簡単だ。弦十郎の「普通の日常を過ごして欲しい」と云う願いと「働き口が欲しい」と云う要求が混ざってこうなったのである。

 まあ、元々リディアンは実験を目的とした、人道的には褒められない裏側があった音楽院だ。凍結され廃止の道を辿っていると言ってもこれぐらいの裏口入学はわけないだろう。

 裏口ではなくとも、“お姫様”といるためにヴァンはどんな手を使っても入学してくるだろうが。

 そんなこんなで目的地に到着。

 

「うわ、金足りるかなー。すみませーん」

 

 ホームセンターで必要な材料を買い(どうにか所持金で購入出来た)、その前に近くのコンビニで適当な食べ物を買って、買い物は終了。

 後は――この大荷物をどうやって持って帰るかだけ。

 

「仕方ねぇか。――ふんっ」

 

 ホームセンターの店員に紐を貰い、外でまとめて縛り上げる。

 かなりの量を縛り上げているので、道往く人はチラチラと鏡華を見てくる。

 鏡華はそんな視線などお構いなしで完成させた。

 

「ふぃ、量が量なだけにしんどかった―――なっ、と」

「ッ――!」「――ッ!?」

 

 軽口を叩きながら――ひょいと、木材の束を持ち上げる。

 それを見た通行人は皆揃って絶句した。

 無理もない。大きさはそれほどでもなくとも、重量は軽く成人男性の十倍は重そうな木材の集まりなのだ。それを軽々と持ち上げれば、誰だって絶句する。

 

「ふんふん〜……お、良い歌詞が出来た。後で書き留めとこ」

 

 しかも歌詞を作る余裕さえ見せている。

 男性はショックを受け、女性は「あーいう人もいいわねぇ」と呟くのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 一時間程でリディアン近くまで往復で戻ってきた。

 前の校舎より街と隔絶されてるわけじゃないので、生徒には人気だが、大型店舗は地味に遠い。

 ――五十個百個なんだよな。

 もちろん、鏡華が言いたかったのは“五十歩百歩”。大して変わらないと云う意味だ。だけど訂正してくれる人が誰もいないので鏡華は間違っている事に気付いていない。

 

「ふんふふん。ふんふふん。ふんふんふ〜ん……っと」

 

 鼻歌混じりに角を曲がろうとすると、角で固まっている男子学生にぶつかりそうになった。

 邪魔だな、と思いつつぶつからないように避け、角を曲がる。すると、

 

「何だ? この人?」

「リディアンの教師じゃね?」

「マジかっ。羨ましくね?」

 

 そんな呟きが聞こえてきた。どうやら、彼らはリディアンの女子生徒目当てのようだ。

 ご苦労なこって、と思う一方、ドンマイ、と励ましの言葉も胸の内で投げかけておいた。いつもであれば多数の生徒が学校外へと繰り出し買い食いや買い物をするのでナンパするには絶好の時間なのだが、最近は秋桜祭の準備で学校外へ出る生徒は少ない。

 恐らく、彼らの見張りは無意味であろう。鏡華には関係ないが。

 

「ぅおーい、ヴァン。飯買ってきたぞー、って、誰? そいつ」

 

 ヴァンの前には、小柄な男子生徒が立っていた。

 男子生徒は振り返り鏡華の姿を捉えると、眼鏡の奥の眼を見開き、

 

「とお――」

「ほ、本物の遠見鏡華さんだっ!!」

 

 ヴァンより早く鏡華の名前を叫んだ。

 高等学校の一、二年生だろうか。きちんと制服を着て、真面目そうだがひ弱な雰囲気の男子生徒だ。

 

「あ、あのっ。僕、ソングライターを目指していて。それであの、用事でリディアンの近くに来たから遠見さんに一目会いたくて……!」

「あー、なるほど。うん、納得したわ」

 

 目の前の少年の事もだが、先程からこちらを窺っている男子生徒の事も分かった。彼らは目の前の少年の事が心配で、ああして隠れるように見守っていたのだろう。――ナンパも目的の一つだろうが。

 

「それで? 君は私に何の用かな?」

「よ、用ってほどじゃ……ただ、ちょっと会えればいいかなぁ、なんて思っただけで……」

「そうか。なら、目的は達成したな。申し訳ないが帰ってもらえるか」

 

 え、と固まる少年。

 まあ、無理もないだろう。それでも鏡華は冷たい雰囲気を“装って”言葉を続ける。

 

「私はこれでも忙しい身でね。新曲の確認、双翼との打ち合わせに加え、ここの教員の仕事もしなければならないんだ。君のために時間を()く事は出来ないんだ」

「……あ、ぅ……」

「君はソングライターを目指していると言ったな。なら覚えておいたほうがいい。――憧れの人と話をする暇があったら、その間に曲を作れるようにするんだ。作詞作曲家(私達)は曲を作れなければ生きていけないんだから」

 

 冷たく言い放ち、鏡華は敷地内へと入っていった。

 途中、屈強な男性とすれ違い、その後すぐにヴァンが追いついた。

 

「いつにも増して冷たいな」

「勝手な持論さ。……誰かに憧れると、どうしてもその人みたいになりたいと思っちまうんだ」

子供(ガキ)が特撮番組を見て、同じ事をしようとする――みたいなものか」

「良い喩えだ。――だけど、それは社会では盗作やパクリって言われてしまう。それじゃあ駄目なんだ。特に歌は作曲した人の、歌う人の心が籠められている。自分の心で書かなければ、絶対に成功しない」

「だから偽りの仮面をかぶり、わざと冷たく言った、と云うわけか」

「俺は元々嘘つきだからな」

 

 久し振りの嘘だ、と鏡華は笑った。

 

「だが、全てが(ライ)ではないだろう。教員の仕事はしているし、ソングライターの仕事もこなしている。三日後のライブに向けて、双翼の歌姫らと独奏(カデンツァ)の歌姫との調整も受け持っていると聞いた。……身体は保っているのか?」

「ヴァンが雪音以外を心配するなんて珍しいな。――特に問題はないよ。重労働に見えてそこまでじゃないし、睡眠も四時間は取ってる。何より、俺の身体は半不老不死だ。これぐらいどうってことないさ」

「それだけじゃない。貴様、ライブ当日に査問会を開かれるらしいじゃないか」

「……よく知ってるな。一応、旦那以外は知らない情報なんだが?」

「その旦那に聞いたんだ」

 

 余計な事を、と鏡華は毒突く。問い詰められるのが面倒だから周りには黙っていたのだ。

 この様子だと他のメンバーにも暴露されているかもしれない。

 そう考えていると、

 

「安心しろ、教えられたのは俺だけだ。他の奴らには教えないらしい」

 

 ヴァンが心を読んだように言った。

 

「そうか。――我が騎士、夜宙ヴァン。その情報を私以外に話す事をライブ開始まで開示する事を禁ずる」

御意(イエス)我が主(マイ・ロード)

 

 恭しく頭を下げるヴァン。

 頭を上げ、疲れたような吐息を漏らす。三ヶ月経ってもやはり慣れないようだ。

 

「クリスの許に戻る」

「ああ、頑張れよー」

 

 鏡華の声援に首を傾げつつヴァンは自分の教室へ戻っていく。

 ちなみにだが。クリスは恐らく教室にはいない。最近、クリスのクラスメイトから聞いたのだが、クリスは共同作業になると逃げ出すらしいのだ。作業が面倒――ではないだろう。三ヶ月経った今でもヴァンや奏者、未来ぐらいとしか上手く関われていない。

 早い話が人見知りだ。

 

「おう、雪音。ヴァンならあっち行ったぜ」

「ホントか? サンキュ!」

 

 予想通り、クリスが走って通り過ぎた所だ。

 

「おう、お前ら。雪音ならあっち行ったぜ」

「ありがとうございます、遠見先生!」

「今日こそ捕まえよう!」

「それじゃあー!」

 

 またまた予想通り、クラスメイトが走り去っていった。

 鏡華は二つの光景に苦笑を浮かべ、自分のクラスへと戻っていった。

 

 材料を女子生徒に渡し、鏡華は校舎の裏に設置されていたベンチに腰を下ろした。

 ここら辺にはあまり人が近寄らず、鏡華はお気に入りの場所としてたびたび訪れていた。

 

「ふぅ……」

 

 一息吐く。

 正直なところ、ヴァンにも嘘をついていた。

 疲れていない――わけない。疲労はかなり溜まっている。

 

「誰だよ。こんな過密スケジュール作ったのは――って言いたいけど、作ったの俺なんだよな」

 

 ツヴァイウィングの新曲『不死鳥のフランメ』の三人編成バージョンの作成。デビューわずか二ヶ月で米国チャートの頂点に昇りつめた歌姫マリア・カデンツァヴナ・イヴとの歌唱合わせ。教師として授業の準備に教員会議。今は秋桜祭の準備。

 いくら半不老不死でも、疲れないわけではない。むしろ疲労が溜まり、いつか倒れてしまいそうだ。

 尤も――“呪いで成長が止まったに等しい”この身体がこれぐらいで倒れる事などありえないのだが。

 

「とにかく――今は休むか」

 

 ベンチに凭れ眼を閉じる。

 だが、鏡華が休む事は出来なかった。

 警戒に鳴り響く携帯端末の音。鏡華の携帯端末の通話用の着メロだ。

 

「ったく……誰だよ」

 

 ぼやきつつ携帯端末を耳に当てる。

 

「はい。遠見です」

『あ、鏡華?』

「翼? どうした?」

 

 通話の相手は、珍しい事に翼だった。

 今日はライブの練習のために音楽院を休み、ライブ会場まで行っていたのだが、何かあったのだろうか。

 何かあるのなら、鏡華は一も二もなく駆けつける所存だ。

 

『あ、うん。実はね』

「おう」

『今日放送する時代劇を録画して欲しいんだが……』

「自分でやれよっ!」

 

 思わず叫んでしまった鏡華は悪くない。

 

「自分の部屋にテレビあんだから録れるだろ。どうして出掛ける前に予約しとかんかったの?」

『その……リモコンをどこかへやってしまっ――』

 

 ピッと通話を切ってしまった。

 切ってから、うーむと天を仰ぐ。未来との家事勝負で多少は成長したと思っていたのだが、どうやら掃除は出来ても日常生活は変わってくれないみたいだった。

 もう一度、今度は鏡華から電話してみる。

 ツーコールの後、繋がり――

 

『――ぐすっ、奏ぇ……鏡華に嫌われた。絶対に嫌われたぁ……』

『よしよし。泣くな翼。鏡華が翼を嫌うわけないだろ』

 

 スピーカーモードで逆に追いつめられていた事を知った。

 目の前で起こっていたら、鏡華にジト眼を向ける連中がいたはずだ。

 

『そうだろ? いきなりブチ切りしたきょ・う・か?』

「……いきなり切ったのは謝る。ごめん。だけど、片付けしてない翼も悪い」

『そりゃそうだ』

『うっ……』

 

 恐らく翼の表情は涙目で上目遣いになっているはず。

 見たい。今から《遥か彼方の理想郷・応用編》使ってでも見に行きたい。

 が――

 

「はぁ……もう、わぁーったよ。ちょっくら行って録画してくるよ」

 

 翼の悲しむ顔は見たくなかった。

 まあ、悲しむと云うか――ショックを受けてうなだれている姿なのかもしれないが。

 

『鏡華……』

「ったく……何だっけ? 『恋の尾張 〜信長の星〜』だよな?」

『うん。――鏡華』

「あに?」

『ありがとう』

「はいはい。どういたしまして。報酬は身体で払ってもらうからな」

『うん……って、ちょっ、それどういう――』

 

 今度こそ自分の意識で通話を切る。

 やれやれ、と呟きながら鏡華は辺りを見回して誰もいないのを確認すると、

 

  ――遥か彼方の理想郷・応用編――

 

  ―跳ッ!

 

 風鳴の屋敷へと跳ぶのだった。




 読者の皆様、お久し振りです。
 初めましての方がいましたら、作者のページへ行き「戦姫絶唱シンフォギア 〜遥か彼方の理想郷〜」をお読みください。
 この作品は「遥か彼方の理想郷」の続編であり、前作を読まないと意味が分からないものとなっています。原作が面白くて二次創作も読もうと思ってこの作品を見つけた初めましての方は是非、前作からお読みください。
 お久し振りの方は、お待たせしました。
 皆様の要望に応えられるかは分かりませんが、また頑張っていきたいと思います。
 遅々とした投稿ですが、これからよろしくお願いします。

 追伸。
 PCの機種によっては三点リーダーや棒線が所々変換出来ていない箇所があります。使っている機種では変換出来ないせいです。
 随時修正は行いますので気になさらずお読みください。


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Fine0 終末へ至る平和Ⅱ

 ヴァンっ、と名前を呼ばれて振り返る。

 可愛らしいシュシュ(だったか?)が跳ね――同時にたわわな果実も揺れていたが気にしない――少しはおしゃれをしてくれるようになってくれて、ヴァンは心の中で安堵する。

 だが、ヴァンの表情に変化はない。

 

「廊下は走らない方がいいぞクリス。誰かに注意(コウション)される」

「走らないと、あいつらから逃げられないだろ」

「走らなくとも逃げ切る事(エスケープ)は出来るぞ」

 

 そう言うと、クリスの腕を掴んで引っ張った。

 突然の事に声を上げる事も出来ないクリスは顔を赤らめる。

 クリスの身体を抱き寄せたヴァンは、近くの空き教室へ音もなく入り扉を閉めた。

 

 数十秒後。ガラリと音を立てて教室の扉が開かれる。

 教室に入ってきた数人の女子生徒。

 教室にはヴァンが“一人”で作業をしていた。PC端末に何やら色々と打ち込んでいる。

 

「あれ? 夜宙君一人?」

「何か用か?」

「雪音さんを探してたんだけど、見失っちゃって……。夜宙君は雪音さんを見てない?」

「見てないな」

 

 PC端末から眼を離さず即答するヴァン。

 

「そっか……。遠見先生がこっちだって教えてくれたんだけどなー」

「ちっ、あの糞王(ファッキン・ロード)。今度会ったら負かしてやる」

「え?」

「何でもない。遠見をどうやってシバいてやろうと思ってな」

 

 ヴァンの言葉に女子生徒達は絶句する。

 まあ、教師に対してこの言いようだ。絶句しても仕方ない。

 

「用はそれだけか? なら出ていけ。仕事の書類を今日中に仕上げなければならないんだ」

「あ、うん。邪魔してごめんね」

「雪音さんに会ったら、一緒に作業しようって伝えておいてくれるかな?」

了解した(オーライ)

 

 それじゃあ、と教室を後にしようとする女子生徒。

 ヴァンは出ていかれる前に彼女達を呼び止めた。

 

「力仕事があれば言え。特例とは云えお前達と同じクラスに在籍してる身だ。可能な限り手伝ってやる」

「あ……うん! お願いね!」

 

 今度こそ教室を出ていく。

 数十秒空けてから、ヴァンは「もういいぞ」と虚空に声を掛けた。

 すると、ヴァンの足下――机の下からもぞもぞとクリスが這い出てきた。

 

「もう大丈夫なのか?」

「多分な。――そもそもの問題だが、クリスが逃げなければ良い事だぞ。これは」

 

 ヴァンの正論に、クリスは不貞腐れたようにそっぽを向く。

 彼女自身だって分かっているつもりである。しかし、どうしても最後の一歩が踏み出せず逃げ出してしまっているのだ。

 もちろん、ヴァンはそれも分かっている。分かっている故に言葉で言っても無理には行動させなかった。

 

「明日はクラスメイトと共同作業をするんだぞ」

「……努力はする」

「なら今日は、課題を手伝ってくれないか? 少し量が多い上に難しいんだ」

「おうっ」

 

 笑顔で頷き隣の席でヴァンの課題を取り出しノートや教科書を広げるクリス。

 それを見てヴァンはふと、昔の記憶と重なった気がした。

 戦いなど知らぬ、幼き泡沫の過去。捨ててしまい喪ってしまった、あの頃の自分達の姿。

 平和な日常が、かけがいのない物だと気付かされる前のヴァンとクリス。

 だけど、いつの間にか幻影は薄れて消え、こちらを見ているクリスの姿が。

 ヴァンはうっすらと笑みを浮かべ、作業を終えたPC端末を閉じるのだった――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 風鳴の屋敷へ戻った鏡華は翼の部屋へ問答無用で入った。相変わらずの汚さに一瞬こめかみを押さえようとしたが、グッと堪え掃除を始めた。使用済み未使用関係なく、上着、ズボン、下着全てをちゃんと分けて洗濯籠に放り込み、ゴミ袋を取り出してゴミだろう物を処分する。使ったままで放置してあるコップや皿は帰ってから洗うと決めて流しに出して水に浸けておく。雑誌や新聞は面倒なので分けて山にした。

 そこまでやって――ようやっとリモコンが姿を現した。

 さっさと録画を設定して、予約出来た事を確認すると、鏡華は再度《遥か彼方の理想郷・応用編》でリディアンに戻ってきた。

 掛かった時間は――約三十分。

 

「録画ってこんな時間の掛かる作業じゃないはずなんだけどなぁ……」

 

 おかしい、と呟きつつ鏡華は三十分前に座っていたベンチに腰掛ける。

 

 余談だが、翼が録画を頼んだ連続ドラマ『恋の尾張 〜信長の星〜』は元を辿れば一曲の演歌から始まった時代劇ドラマだ。演歌は専門外である鏡華でも元ネタは知っている。演歌歌手、織田光子氏の『恋の桶狭間』だ。

 この人がいなかったらCD業界は崩壊していた――とまで言われているCD業界の救世主である。

 しかし、織田光子氏はそこまで凄い演歌歌手ではなかった。デビュー作である『この関係は尾張にして……』はかなりの不評だったと聞くし、それ以外の曲も鏡華はあまり知らない。

 ただ、『恋の桶狭間』だけは別だ。

 引退と云う背水の陣を以て歌ったシングル『恋の桶狭間』は、何と二千万枚ものメガヒットを叩き出したのだ。

 何故か。それはマイクではなく剣――しかも真剣である――を片手に歌うと云う斬新な映像がノイズに恐怖するだけだった観衆の心に勇気を与えたからである。

 また、CD特典PV映像には数多の必殺技が登場し、子供達の多くが真似をしたからであろう。

 かく言う翼の技である《千ノ落涙》、《蒼ノ一閃》もPV映像に登場した必殺技を模した技なのだ。

 そんな事は脇に置いておくとして――

 メガヒットした『恋の桶狭間』。これに眼を付けた企業(?)があった。ハリウッドだ。

 スティーブン・ゴールドバーグ監督が『恋の桶狭間』のPVのオマージュ作品として超大作時代劇SF『STAR NOBUNAGA』が作られたのである。

 そして、翼が録画しようとしていた『恋の尾張 〜信長の星〜』はそのハリウッド映画の日本ドラマ版なのだ。

 時代劇にしては視聴率は良いらしい。

 閑話休題。

 

 今度こそ休むぞ、と眼を閉じ、すぐにやってきた微睡みに意識を預け――

 再び耳に飛び込む着メロの音。

 

「ちっくしょー!」

 

 無視してもいいのだが、鏡華の携帯端末の番号を知っている人物は若干一名除き、無用で電話を掛けてこない。電話してくるのにはそれ相応の理由がある連中だけだ。

 残念ながら鏡華に居留守を使う選択肢はなく、叫んで睡魔を吹き飛ばして通話に出た。

 

「誰じゃー!?」

『……どうした? ずいぶんと機嫌が悪いじゃないか』

「ああ……旦那か。いや、ちょっと色々不運が重なってな……」

『そうか? ……まあ無理もないな。ライブ当日に査問会が開かれるんだから。お前にとって、何より不運だろう』

「それもあるけど……まあいいや。何か用?」

 

 弦十郎の言葉に、鏡華は眼鏡を外して対応する。

 彼と話す時は、何故だかいつも無意識に眼鏡を外してしまうのだ。

 

『知っているとは思うが、響君、クリス君、ヴァンはライブ前日からサクリストS移送の護衛任務に就く。査問会が行われる鏡華は参加できないが、念のために予定を覚えていて欲しい』

「りょーかい」

 

 サクリストS――正式名称ソロモンの杖。

 七十二種類のコマンドを用い、バビロニアの宝物庫よりノイズを任意召喚させるだけでなく、ただの災厄であるノイズを制御下に置く事が出来る完全聖遺物。

 あの戦いの後、回収し厳重に保管されていたのだが、米国連邦聖遺物研究機関――F.I.S.と共同で研究する事が決定したのだ。

 響、クリス、ヴァンが受けた任務が、このソロモンの杖を山口県、岩国にある米軍基地まで移送するのを護衛する事だった。

 本来であれば、万全を期すために全員で護衛するはずだったが、表の顔が超人気ユニット、ツヴァイウィングである翼と奏はライブを控えていたため、鏡華は査問会に呼ばれているため参加できなかった。

 

「けどさー、旦那。決定してから言うのも何だけど、やっぱソロモンの杖を渡すのはマズくないか? 米軍基地じゃなくても日本の研究機関で合同にすれば……」

『そうはいかないのが大人の世界って奴さ。今の日本は糾弾される側にある。どうにかその状況を覆そうとしてお(かみ)が出した結論がこうなんだ、下っ端の俺らは従うしかあるまいよ』

「ふぅん……」

 

 しかし、この案はいくら何でも米国に譲歩しすぎているのではないだろうか。

 ただでさえ大国である米国に聖遺物――それも、“あの”災厄であるノイズを操る完全聖遺物を解析され使えるようになってしまったら、最悪の状況である。世界を支配される可能性だって無きにしも非ずだ。

 どうにも誰かの作為が噛んでいるようでならない。

 彼に聞いてみるか、と思いながら話を続けた。

 

「悪い事にならないよう祈るだけだな、今は」

『ああ、そうだな』

「他には?」

『お前自身の査問会の事だ。――本当に何故呼ばれたのか分からないのか?』

 

 どうやら査問会へ呼ばれるのは教えられたが、その理由までは聞かされていないようだ。

 

「まあね。大人の考えなんて、馬鹿で子供な俺には分からないよ」

『……そうか。鏡華がそう言うなら、本当に知らないんだな』

 

 否――弦十郎は分かっているだろう。

 鏡華が嘘をついている事ぐらい。

 それでも嘘に合わせてくれるのは、ありがたかった。

 

『じゃあ最後だ。これが一番報告したい事だ』

「何かな?」

『了子君の研究室から――鏡華宛の物が見つかった』

 

 鏡華は息を呑み。

 わずかに俯き、そして――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「じゃあ、ライブ前は任務なんだ」

「うん! あ、でも護衛任務だから心配しなくていいよ未来」

 

 不必要な物を詰めたダンボール箱を運びながら未来と響は話していた。

 特に任された仕事がなかったので、彼女達なりの手伝いだ。

 

「……ん? 未来、あれ」

「あれは……鏡華、さん?」

 

 物置に運び終え、回り道をして教室に戻る途中、響が何かを見つけた。

 指差した方を向いてみると、そこにはベンチに腰掛けて腕を組んでいる鏡華の姿があった。

 近付いてみると――

 

「あ、寝てる」

 

 穏やかな吐息を立てて眠っていた。

 座って寝ると頭がカクカク上下に動くはずなのだが、鏡華はまったく動かない。むしろ、足も組んでいるのに身体がぶれない事に疑問を覚えた。

 

「相変わらず遠見先生の寝顔は可愛いねぇ」

「うん。女の子としてちょっと複雑だけど……」

「そう? 私はそうでもないけど?」

 

 親友の花より団子発言に苦笑を浮かべてしまう未来。

 一体いつになったら響に春が再来するのだろうか。親友としてはちょっと心配である。

 未来を真ん中に左から鏡華、未来、響の並びで座る。

 すると、座った些細な振動のせいで鏡華の身体がグラリと倒れた。

 

「ひゃっ」

 

 倒れた先は――未来の太腿。

 

「き、鏡華さん……?」

「……すぅ……」

「ね、寝てる……」

 

 驚き固まってしまったため、動くに動けなくなった未来。

 響はそんな鏡華を見て、むぅと頬を膨らませる。

 

「未来の膝枕は私のなのに……遠見先生、許せん!」

「いや、私の膝枕は誰の物でもないけど……響がしてほしいならしてあげるよ?」

「ほんと!? じゃっ、早速!」

「きゃっ! ひ、響、いきなり!?」

 

 えへへ、と未来を見上げながら笑う響。

 そんな彼女の笑みを見て、怒るに怒れなくなってしまった未来。

 

「もう。鏡華さんが起きるまでだからね?」

「うんっ」

 

 いつ起きるか定かではないが、暫くは起きないだろう。

 それまでは未来の膝枕を堪能できると笑みが抑えきれない響。

 ……友達以上に向ける笑顔だと、周りは見ているが敢えて何も言わない。言っても意味がないのは共通の考えなのだ。

 響に春が来ないのは、きっと既に春が来ているから。――それも共通の考えだ。

 閑話休題。

 

「……う、ん……」

 

 微かな呻き声。

 起きたかな? と未来は見下ろす。響は寝返りを打つ。

 鏡華は薄目を開き、妙に柔らかい感触に疑問を抱きながら寝返りを打ち――

 

「おはよーございます。遠見先生」

「…………うぉわっ!?」

 

 驚いて未来の膝から転げ落ちた。そのまま地面に激突する。

 

「いてて……」

「大丈夫ですか? 鏡華さん」

「あ、ああ。それよりも、今、目の前に立花が……」

「いましたよ」

 

 未来の膝から頭を起こして、鏡華の顔を覗き込む。

 頭を振って、どうにか状況の整理を行う。

 

「えっと……旦那と電話して、そのまま寝たはずだけど……」

「私と未来が通り掛かったんです。それで座ったら」

「鏡華さんが私に倒れてきたんです」

「そう云う事か……。邪魔なら起こしてくれてもよかったのに」

「いえ、邪魔じゃなかったし、鏡華さんの寝顔が見れたので良かったです」

「……そうかい。立花も悪かったな。未来の膝を独占して」

「一緒に堪能したのでモーモータイです!」

 

 親指を突き出して笑う響。

 

「モーモータイ?」

「違ぇよ。モーモータイじゃなくて、モモマンだろ?」

桃饅(ももまん)? 美味しそうですね遠見先生! 後で食べに行きませんか?」

「そうだな!」

「……あの、それって、問題なし――“モーマンタイ”じゃあ?」

「…………」

 

 未来の訂正に、口を閉ざし沈黙する鏡華と響。

 お互いに視線を交わし、未来には分からないアイコンタクト(みたいなもの)で語り合うと、

 

問題なし(モーマンタイ)!」

 

 同時に言い直した。

 それがおかしくて、吹き出してしまう。

 未来が笑うのを見て、鏡華と響はまた互いを見合い、二人も笑った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 玄関から聞こえた音と声に、鏡華は食器を洗う手を止めた。

 居間に入ってくる奏と翼。

 

「ただいまー」

「ただいま」

「お帰り、奏、翼。お疲れ様」

 

 自分用に淹れたお茶だったが、自分の湯呑みでなく二人の湯呑みに注ぎ、手渡す。

 

「夕飯は食ってきた? まだなら何か作るけど?」

「そうだなぁ……、夜も遅いし、お茶漬け貰おうかな」

「了解。翼は――ああ、食わないんだっけ?」

「ああ。夜九時以降は食事は控えてるんだ。鏡華は? 食器を洗ってたみたいだけど、食べたの?」

「いや食べてない。洗ってたのは、翼が部屋に放置してた食器。さっきまで洗濯物を洗って乾かしてからだいぶ時間が掛かっちまった」

「……ごめんなさい」

「いいよ。もう慣れた事だし」

 

 鏡華は優しく言ったつもりだが、翼はしょぼーんと暗い雰囲気を作ってしまう。

 ポン、と優しく翼の頭を一撫ですると、鏡華は台所へ戻り準備に取り掛かる。

 準備と言っても簡単な事だ。お椀に白米を盛り、急須に濃いお茶を注ぐ。冷蔵庫から数種類の漬け物を小皿に移し、それらをお盆に乗せて持ってくるだけ。

 

「はい、お待ちどう。一応、俺の分も出したから全部食うなよ」

「へいへい」

 

 奏と翼の真ん中に座り、鏡華は自分のご飯の上に漬け物を乗せ、一緒に食べる。

 奏は漬け物を乗せたご飯にお茶を掛けてサラサラと流し込む。もちろん噛む事は忘れない。

 

「ところで鏡華。その、録画はしてくれたか?」

「したよ。ついでに簡単に掃除したから」

「あ……ありがとう」

「透け透けの下着は自分で洗ってくれ」

「うん……って! 何故知っている!? それは箪笥の中に厳重に閉まっていたはずだ!」

「聞いたかい? 奏さんや」

「うむ。はっきりと聞いたよ鏡華さんや。翼も大人になったんだねぇ」

「あ、あうあう……!」

「強調するものはないのに」「強調する胸は小さいのに」

「誰の胸が小さいだっ!!」

 

 恥ずかしがっていたのに、禁句を言った途端防人モードになる翼。

 しかも視線は言った本人である奏ではなく、鏡華に向けられている。

 もちろん、対処法は簡単だ。

 

「安心しろ翼」

「何がだっ」

「小さくとも、俺は変わらず愛してやるから」

「あい……っ!?」

 

 ちょっとこんな事を囁いてやれば一発だ。

 即座に乙女モードに戻る翼。

 そこへ奏が追い打ちを掛ける。

 

「そういや鏡華。録画の報酬として、翼の身体を求めてたよな?」

「はうっ」

「ああ、そういやそうだったな。忙しくてすっかり忘れてた」

「わ、忘れてた……」

 

 またもショックを受ける翼。

 それはそうだろう。かなり大事な事だったのに、それを忘れられては誰でもショックを受ける。

 

「翼の奴、休憩中や帰宅中ずっとぶつぶつ呟いてたんだぜ? やれ服がどうとか、やれ一人でいいのか、奏はいいのかってさ」

「……いや」

 

 少し口籠もる鏡華。

 ちょっとニュアンスが違っただけでここまで“勘違い”させてしまうとは。

 

「あのさ……悪いけど、俺そういうわけで言ったんじゃないぞ」

「……え?」

「今日一日風呂掃除とか身体を使う事を任せようと思っただけなんだけど」

「…………」

 

 スクッと立ち上がる翼。そのまま居間を後にする。

 鏡華と奏が見合わせ首を傾げる。

 それから数十秒後。翼が戻ってきた。

 

「どう、し……たっ!?」

 

 その手に日本刀を握り締めて。

 しかも模造刀なんかじゃなく――正真正銘、鋭い刃を持つ真剣だ。

 

「……鏡華……」

「は、はいっ!」

「剣とは云え、乙女を辱めた罪――万死に値する」

「いいっ!?」

「大丈夫だ。鏡華を殺したら、私も後を追う」

「い、いや……俺、死ねないんだけど……」

「あの世でまた逢おう――愛しい夫ぉ!!」

「まだ夫じゃねぇー!!」

 

 吠え叫ぶ鏡華。

 だがそんな事はお構いなしに翼が刀を一閃!

 

  ―閃ッ!

 

「なんとぉ!?」

 

  ーガギィ!

 

 出るはずのない音を立てて刃を箸で掴む鏡華。

 真剣白刃取り――ならぬ真剣お箸取り!

 

「ちょっ、俺すげ!」

「鏡華……何故拒む。私を愛してると云うなら私の剣を受け取れ」

「受け取れない! 死ななくても痛いんだから! 奏も見てないで助けてくれよっ!」

「翼、暴れんのはいいけど、あたしのご飯を斬ったら許さないからな」

「分かった」

「分かってない! うおっ、腕がぷるぷるしてきたーー!」

 

 ――なんて。

 今日も今日とて、風鳴家は平和だった。

 そんな平和も終わりを迎えようとは、露も知らずに――



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Fine1 其れは終わりの名Ⅰ

この手が描くのは、天駆ける空への路。
小さく、儚き、言の葉を、
二人で奏で、調べ、空へと羽撃く双つ翼と成す。

Fine1 其れは終わりの名

終わりによって、満ち足りた日々は終わりを告げた。
辿り着きし理想郷は――再び、遥か彼方の理想郷へ舞い戻る。


 月の欠片が地球に“落とされてから”三ヶ月が経った。

 いや――“欠片を少女達の歌が破壊してから”三ヶ月が経った、と云うべきか。

 ルナアタックと呼ばれるようになったあの一件によって、世界情勢は大きく変わった。

 

 元々、水面下で囁かれていた対ノイズ兵器であるシンフォギアシステム。

 それが月の欠片を破壊すると云う盛大な花火によって、存在が露見された。

 数年前より、非合法な暗躍を行ってきた米国政府は、露見した途端日本を激しく非難し、国際世論を一気に煽ったのにも関わらず、日米安全保障条約に盛り込まれている“相互協力”を名目に掌を返して協力を強調した。

 また、非難は国外だけに収まらず国内からも生まれた。政府野党や市民団体を中心に“憲法違反”と叩かれるようになったのだ。

 このままでは批判の大合唱に変わってしまう事を恐れた日本国政府は、米国政府の要求を受け入れ、国際的平和活用を大々的にアピールせざるを得なくなった。

 同時に、ロシアと中国もこの機に乗じて露中共同声明を発表。

 ――日本が技術独占し、更に聖遺物から得られる利益を独占するなど、あってはならない――

 厚顔なコメントは、別方向へ波紋を拡大させつつあった。

 

 そんな状況の中、一部の者から英雄と称される存在となったシンフォギアを纏う者達――奏者達は以前と変わらぬ生活を送っていた。

 以前、と云ってもルナアタック後一ヶ月ぐらいの話も含まれるが。

 

 ルナアタックから三ヶ月。

 ノイズの脅威は尽きる事はなく、人と人との闘争はその身を潜めていた静寂で平和な三ヶ月。

 されど平和とは、次の闘争の準備期間でしかない。

 静寂と平和は破られ――再び、奏者はその身を闘争に置く事になる。

 終わりが始まりを告げる刻。

 語るべき物語の第二楽章が――幕を上げる。

 

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 

 ガタンガタン、と音を立てて闇夜を列車が駆ける。

 その列車を追い掛ける影が複数。人ではない。かと云って機械や兵器の類いではない。

 では何か――特異災害認定された、“人が人を殺すために造られた”化物。名称はノイズ。

 ノイズは人を殺すためにだけに特化された存在で、人間だけを襲う。

 だが今回、ノイズは列車を襲っていた。一応、列車の内部には複数の人間はいたが、それでもノイズが“人間以外”を襲うのはありえなかった。

 

(操っている奴がいる、と考えるのが定石(セオリー)だが――)

 

 冷静に状況を観察する騎士。彼が握る黄金の剣は内部に侵入してきたノイズだけを斬り捨てていく。

 だが――騎士は語尾にそう付けた。

 そう、“だが”なのだ。

 ノイズを操る事が可能なのは、三か月前、月の欠片を“人力で引っ張った彼女”が所有していた完全聖遺物・サクリストS――ソロモンの杖だけ。

 そのソロモンの杖は現在騎士や仲間の護衛のもと、この列車によって山口県、岩国の米軍基地に移送している。使われる事など皆無だ。

 

(……荒事(ライオット)になりそうだ)

 

 車両内に侵入したノイズを全て片付け、星剣を担ぐ。後ろを見れば、腰を抜かしたのか壁に凭れ掛かってソロモンの杖を保管したケースを抱えた護衛対象と雇い主の部下がいた。

 

「ノイズは駆逐した。そろそろ立て、Dr.ウェル」

「は、はは……すみません」

「オペレーター。バックアップは取ったか」

「ええ。ヴァン君が時間を稼いでくれたおかげでなんとか」

「ふん。今回はあちら側も随分と(マネー)を振り込んできたからな。それに見合う働きはするさ」

 

 マントをたなびかせ背を向ける夜宙ヴァン。

 すると、背後の扉から二人の少女が戻ってきた。

 

「大変です! 凄い数のノイズが追ってきてます!」

 

 亜麻色の髪をした少女の名は立花響。

 隣を歩くのは、雪音クリス。

 共にヴァンの仲間であり(ヴァンはクリス以外を仲間とは認めてないが)、今回の護衛任務に就いた“戦士”だった。

 

「分かっている。今も十匹そこらを始末した所だ」

「怪我ないか? ヴァン」

問題ない(ノープロブレム)。雑魚に遅れなど取らん。――それより、オペレーター。まだギア装着の許可は下りないのか」

 

 ヴァンは傭兵もどきと自称しており、政府の命令を一切聞いていないが、ヴァンが護ると誓った少女は日本国所属の奏者であり、シンフォギアを装着するには彼らからの許可が下りないといけなかった。

 

「ちょうど下りた所よ。二人共、迎え撃って頂戴!」

「了解です!」「おう!」

 

 響とクリスは頷き、聖詠を歌う。瞬間、彼女達の服が一変し、防護服が着装される。

 ガングニールとイチイバル。それが彼女達が扱う聖遺物の銘。

 ヴァンは背を向けながら、

 

「気を付けていけ。クリス。立花響」

 

 そう言った。

 

「おう! ヴァンも気を付けろよ」

「クリスちゃんには指一本触れさせません!」

「くく、それは心強い」

「だからヴァンさん! いい加減名字か名前、どっちかで呼んでください!」

 

 今、必要な催促かどうかは微妙だった。

 しかし、響は三か月も経ったんだからそろそろフルネームは勘弁して欲しかった。

 とは云っても友里や藤尭など、オペレーターと名前すら呼ばれない人もいるので“信用”はされているようだ。

 

「お前が、クリスだけでなく俺にとっても信頼に足る人間になったらな」

「むむむ……! クリスちゃんの保護者だけあって手強い! でも、諦めませんよっ」

「ああ。尤も、俺は未だにクリスの友だと認めてないが」

「保護者だけあって父親面も完璧にこなしてきた!?」

 

 響のツッコミにヴァンは喉の奥で薄く笑う。

 最初からヴァンの考えが分かっているのか、クリスは苦笑を浮かべているだけだった。

 

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 

 最後尾車両でクリスと響がノイズを迎撃してくれるのを爆音で感じ、ヴァンは友里とウェル博士を護衛しつつ少数のノイズを斬り伏せていく。

 車両を進んでいる間、ノイズに殺されたのか炭が床に散らばっているのを何度も目撃した。

 だが、ヴァンはそれ以外に不穏な空気を感じ取っていた。

 

「オペレーター」

 

 速度を落とし、友里の隣まで下がる。

 

「少し部屋で隠れていろ」

「どうしたの?」

「ちょっとな……」

 

 部屋のロックを解除し、その中に友里とウェル博士を押し込む。

 扉を閉め、ロックを施し、ヴァンは車両を出た。そのまま屋上へ昇る。

 

「ふん、塵芥が。だが、この空気は……」

 

 ――まあ、いいか。

 そう呟いて剣を天に掲げる。刹那、空に具現化されていく剣と云う剣。

 振り下ろすと同時に剣群が射出される。

 

  ――天降る(シュテル・)星光の煌めき(ザ・シューティングスター)――

 

  ―疾ッ!

  ―斬ッ!

  ―撃ッ!

  ―爆ッ!

 

 次々とノイズを射抜いていく。

 剣群を搔い潜ってヴァンを貫こうとするノイズ。だがヴァンは、そんな単調な攻撃に不敵な笑みを浮かべた。

 舞うように紙一重に躱し、屋根に突き刺さる直前に剣舞で両断する――まるで踊るような動き。

 だが、数が多い。防衛人数が三人に対して、あちらは百数、数百の塵芥。

 

「塵も積もればゴミとなる、だな。面倒だ――っと」

 

 呟くと同時に屋根を抉り車内に入る。刹那に列車はトンネルに入った。

 ヴァンはロックを解除し部屋にいた友里とウェル博士を出した。

 

「二人の状況は?」

「現在、ノイズを統率してる大型ノイズと交戦中です!」

「そうか……クリスと立花響なら任せてもいいだろう。俺達はこのまま先頭車両へ行くぞ」

 

 言ってから――自分の手で友里とウェル博士を制した。

 なるほど、とやっと自分が感じた空気の正体を知りヴァンは口を開く。

 

「出てこい、暗殺者(アサシン)

 

 声は虚空に発せられ、静かに溶けていく。

 だが確実に届いているはずだ。

 

「気配を消しているのだろうが――存在を消しきれてないぞ」

「――――」

 

 そして――隠れる場所のない車両の中に。

 溶け出すように現れる黒装束の人間。

 ヴァンは手振りで友里とウェル博士を後ろに下がらせる。

 手が隠れる程の黒装束の袖から見える白い篭手に隠れた手。握られているのは白い短剣。

 

  ――仄白く小さき剣――

 

 それを見て、ヴァンは防護服の一部を解除。篭手と脛当て以外を外し、あろう事かエクスカリバーを友里に渡す。

 

「ヴァン君!?」

「短剣相手に長剣は不利だ。オペレーター、誰にも星剣を触れさせるなよ」

 

 改造した私服の裾から短剣を取り出すヴァン。

 逆手で持ち、構える。

 それが会戦の合図だったのか、黒装束は床を蹴った。

 

  ―突ッ!

 

 繰り出してくる刺突を、掬い上げるような切り上げの一閃で防ぐ。間髪入れず腕の動きに合わせて跳び、斜めに蹴りを打ち込む。

 黒装束は空いている腕で蹴りを防ぐ。押し返し、短剣を奔らせる。

 押し返しに合わせて自ら跳んだヴァンは急所を狙う剣閃を躱し、持ち替えた短剣で突きを放ち返す。

 

「ッ――」

「……拍子抜けだな」

 

 一言呟き、ヴァンは“本気”を出した。

 父から数年に渡り身体に叩き込まれた、己ではなく親しき者を守るための護身術ならぬ――護親術。

 短剣を手足のように操り、黒装束を追いつめていく。

 

  ―戟ッ!

 

 防戦一方に回っていた短剣を執拗に攻め、ついに黒装束の手から吹き飛ばす。

 取りにいけない距離に落ちる。万が一取りにいけたとしても、その前に首に添えた短剣が閃く。

 

「甘い。長剣と同じ使い方で短剣を扱えると思うな」

「…………」

「まあいい。まずは貴様の正体――!」

 

 添えた短剣で黒装束を切り捨てようと腕に力を込めた。

 その瞬間だった。

 背後――車両の外から爆音が聞こえた。

 クリスと響がいるだろう最後尾とはかなりの距離がある。

 まさか何かあったのか――そう考え思考が刹那でも黒装束からズレた。

 黒装束は首が切れるのも構わず後ろに跳び、車両の扉から逃走を図った。

 ヴァンは後悔するよりも早く短剣を投擲しようとしたが、

 

「なっ……」

 

 閉まる扉の隙間から見えたのは。

 次の車両ではなく――高速で移動する車両から“飛び降りる”黒装束の姿だった。

 慌てて追い掛ける。

 扉を蹴り跳ばして見れば――もう、黒装束の姿はなかった。

 高速で走る列車から飛び降りる。普通は自殺と考えるべきだろうが、不思議とそんな事はありえないと思ってしまう。

 チカッと眩い光に眼を細める。山の谷間から朝日が昇るのが見えた。

 その朝日を見つめ――ヴァンはありえないと思ってしまった理由が分かった気がした。

 それはきっと――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 特殊な蛍光が施されたハンコを所定の位置に押すのを確認。

 これで移送護衛任務は終了となった。

 担当の者と握手を交わす友里の後ろで響とクリス、ヴァンは控えていた。

 だが、どうにもヴァンは機嫌が悪い。まるで米国兵士の視線からクリスと響を隠すように立ち、腕を組んで瞑目している。

 響がクリスに顔を寄せ小声で訊ねる。

 

「クリスちゃんクリスちゃん。ヴァンさん、えっらい機嫌が悪そうだけど、何かあったの?」

「大人が多いからだ。ヴァンの大人嫌いはあたし以上の筋金入りなんだよ」

「ほへぇ……師匠や緒川さんと結構話せてると思ってたんだけど」

「俺は信用も信頼も出来ない大人が嫌いなだけだ。特に兵士って奴は反吐が出る」

 

 聞こえていたのか、まったく動かず、普通の声量で言った。

 慌てたのはむしろ響とクリスだ。当然のようにヴァンの言葉は担当の後ろに控えている兵士に聞こえていたであろう。視線がヴァンに集まるのを、まるで自分に向けられている気分になり首を竦める。

 

「この眼で確かめさせてもらいましたよ。あなた方が英雄であるとね」

 

 そんな中、平然と一歩近付いてヴァン達に賞賛を贈る大人がいた。

 温厚そうな物腰の、ヴァン達や友里と共にいたウェル博士だ。

 

「いやー、普段誰も褒めてくれないから、もっと遠慮なく褒めてください! むしろ褒めちぎってください! ささ、りぴーとあふたみー?」

「調子に乗るな」「調子に乗るな、馬鹿」

 

  ―打

 

 相も変わらない響の頭にヴァンとクリスの声と手刀が叩き込まれる。クリスからはそれに加えて馬鹿と云う暴言を頂戴した。

 

「あだっ! 痛いよぉ、クリスちゃ~ん。ヴァンさ~ん」

「そう云う態度だから褒められねぇんだろうが」

「世界がこんな状況だからこそ僕たちは英雄を求めている。そう! 誰からも信奉される英雄の姿をっ!」

 

 ウェル博士の英雄と云う言葉に取り憑かれたような発言。その眼に映るヴァン達の姿は、まるで英雄のように神聖化されているのだろうか。

 目の前の男の本性を垣間見たような気がしたヴァンは背筋に嫌な汗が伝うのをはっきりと感じた。

 

「ッ、御託はそれだけか!」

 

 叫び、自分の中に生まれた恐怖を追い出しつつクリスをウェル博士の視線から隠すように目の前に立った。

 

「貴様が妄想(デリューション)をいくら語ろうと構わん。だが、その妄想(デリューション)に俺達を巻き込むな! こいつらが英雄だと? はっ、笑えんな。こいつらは“たまたま”この力を手にしてし、戦う事を強制されてしまった“被害者”だ。そこを間違えるな!」

「……では、君はどうなんですか? 君の言葉通りなら、君は違うように聞こえますが?」

 

 また穏やかな表情を浮かべたウェル博士が問い掛ける。

 ヴァンは自分が被害者だとは思っていなかった。クリスを守るために力を欲したのだ。クリスのように漠然とした願いで奏者になったわけではない。

 ふっと笑ったヴァンをクリスは心配そうに見つめる。

 

「当然――俺は、俺の意思で力を欲した。だが俺は英雄じゃない。俺は――ただの騎士(ナイト)だ」

「……今はそう云う事にしておきましょうか」

 

 クスリとウェル博士も微笑を浮かべ、胸に手を置いた。

 

「このソロモンの杖は、僕が必ず役立てて見せますよ」

「ふつつかなソロモンの杖ですが、どうぞよろしくお願いします!」

「……頼んだからな」

「……ふん」

 

 ソロモンの杖――引いてはそれを扱っていた側のクリスとヴァンは少し迷ったが、そう願った。

 もう二度とその聖遺物が悪用されない事を祈って。

 

 その場から立ち去る時、ヴァンは担当だった武官に呼び止められた。クリス達を先に行かせ、武官に向き直り英語で会話する。

 

「何の用だ」

「夜宙ヴァン。いや、ヴァン・ヨゾラ・エインズワース」

「だから、何だ」

「祖国に戻ってきたまえ。君は本来、こちら側の人間だろう」

「何を言っている? 俺は貴様らの人間では――」

「君は闇に生きる側、だと言ったのだ。我々と同じ――歴史の闇に潜む側の、な」

 

 目の前の武官の言葉を聞き、ようやく納得出来た。

 何故、今回の任務に自分宛に依頼料が振り込まれていたのか。

 要は――元々フィーネの配下であり、かつ完全聖遺物所有者である夜宙ヴァンを日本から――クリスから奪いたいだけである。

 まあ、奪うとは少し偏見があるかもしれないが。ヴァンにしてみれば奪うで合っているだろう。

 

「断る――とでも言えば?」

「君の情報を全世界へ流そう。同時に、君が守ろうとする少女の情報も共に」

「そうか。――まあ、貴様の言う通り俺は闇に生きる人間だ。陽だまりなど俺には眩し過ぎる場所かもしれん」

「では――」

「だが、貴様の国に属する気はない」

 

 バッサリと命令に近い誘いを両断する。

 

「俺は今の場所が気に入っている。それに、米国は嫌いなんでな」

「そうか。いや、残念だ。だが、これでよかったのかもしれない。これで、君の名前は世界中へ広まるのだから」

 

 後ろで組んでいた腕を挙げ、指を鳴らす構えを取る。

 だが、その音が鳴らされる事はなかった。

 

「ああ、そうだ。貴様らに贈り物だ」

 

 鳴る前にヴァンがポケットから何かを武官へと放り投げた。

 放物線を描いて鳴らそうと挙げた手の中に収まったそれを武官は見た。

 

「USBメモリ……?」

「ネーム『ジャン・テイラー』、『エドワード・レイエス』。認証コード――」

 

 複雑な数字と英語の番号を羅列していく。

 途端に武官の顔がサッと蒼褪めた。

 

「き、貴様。何故それを……ッ!」

「そのメモリーにはこれまで貴様らが日本に対して行ってきた事を記録してある。当然、闇に隠さなくてはいけない後ろめたい事も全てな」

「答えろ! 何故貴様が特務兵の暗証コードを知っている!!」

「正義の味方――だそうだ」

 

 明後日の方角を向いて、ヴァンはまったく別の回答を漏らした。

 

「あいつらは本気で正義の味方になりたかったらしい。弱気を助け強気を挫く、物語の中のヒーローみたいに」

「何を言っている……?」

「その夢を俺は永遠に叶えられなくしてしまった。なら、あいつらに対してせめての事はしなくては面と向かってあの世で会えない」

 

 武官に視線を合わせる。

 ひどく冷たい視線に、ヴァンの人生の倍ぐらい軍人として生きてきた武官がわずかに恐怖した。

 ――これが、こんなガキに、私が恐怖するだと……!

 

「分かっているとは思うがそれはコピーだ。それをお偉い奴らと一緒に見て、その後で俺の情報を公表するかどうか決めるといい」

「――――」

「ではこれで。――ああ、最後に一つだけ。俺の外国の血は――英国のものだ。勘違い野郎」

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 手続きを済ませ、米軍基地の敷地より出る響達。

 これで今回の任務は本当に完了した。後はどこへ行こうと自由だが――

 

「この時間なら、翼さんと奏さんのステージに間に合いそうだっ!」

「だな」

 

 既に目的地は決まっていた。

 東京で行われる風鳴翼、天羽奏のユニット『ツヴァイウィング』と孤高の歌姫、マリア・カデンツァヴナ・イヴのライブステージ。

 以前より大ファンの響はもちろん、夢が歌で世界を救う事であるクリスも最高峰の歌は是非とも聞いておきたかった。

 

「三人が頑張ったから、司令が東京までヘリを飛ばしてくれるそうよ」

「……元からその予定だったけどな」

 

 弦十郎の伝言に、ヴァンはぼそりと自分にだけ聞こえるように呟く。

 だいたい、今いる山口は本州の最西端に位置するのだ。今から東京まで、しかもライブが始まるまでに到着するには、ヘリや聖母の盾の空路か、遠見鏡華の“瞬間移動もどき”のいずれしかない。

 

「マジっすかぁっ!」

 

 だが、それに気付かない響は眼を輝かせて喜んでいた。

 気付かせる前に教えて、それしか方法がない事を隠す。なかなか手の込んだ悪戯である。

 もちろん弦十郎に悪気はないだろう。

 ――さっさとヘリポートに行くぞ。

 そう言おうと口を開いた瞬間、

 

  ―爆ッ!

 

 突然の爆音。

 驚き、振り返れば――爆炎に包まれた基地とノイズが見えた。

 

「マジっすかぁっ!?」

「マジだ!」

「マジだな!」

 

 ヴァンとクリスも驚きつつも防護服を纏い駆け出す。

 人はマジだけで意思疎通が取れる事にもヴァンは驚いていたが、そんな事今はどうでもいい。

 ――これはギリギリだな。

 溜め息を隠し、ヴァンは手近で兵士を襲おうとしたノイズを星剣の炭と化えるのだった。



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Fine1 其れは終わりの名Ⅱ

名前:遠見鏡華(隣に証明写真が貼られている。とても嫌そうだ)

年齢:二十

性別:男(横に女と書かれその上から二重線を引いてある)

職業:ユニット『ツヴァイウィング』専属作詞作曲家兼私立リディアン音楽院講師兼王様

聖遺物:アヴァロン(騎士王の鞘)

聖遺物の詳細:

 ・不老不死になっちゃいます。

 ・剣と槍と盾を使います。

 ・王様になれました。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

「君は私達を馬鹿にしとるのかね?」

 

 開口一番、鏡華はそんな言葉を査問会のお役人――お偉い様から頂いた。

 まあ、一時間も遅刻した挙句、正装などせずそこら辺で売っていそうなコートを纏って査問会の場に登場した鏡華を怒鳴る事なく穏かに言ってのけた辺りは流石大人、と言わざるを得ない。たとえ口元が引き攣り、不機嫌そうな顔をしていても。

 盛大な欠伸をかまし、眠そうな瞳で少し離れた半円卓の席に座るお偉い様を見回す。中には現防衛大臣の石田爾宗(よしむね)の姿もあった。

 

(ビッグなお方もいらっしゃるようで)

 

 頭の中は既に臨戦状態だ。鏡華は首を鳴らすと眠そうな雰囲気を一変、姿勢と雰囲気を正した。

 その切り替えに一部のお偉い様は息を呑む。

 

「遅れた事は謝罪します。何分、今宵に控えた宴の準備に手間取りまして」

「まあ、いい。急な要請だったのだ。今回は大目に見よう」

「寛大な処置、痛み入ります」

 

 大袈裟な発言と共に、胸に手を当て一礼する。

 

「今日、君を呼び寄せた理由は分かっているかね?」

「はい。シンフォギア――完全聖遺物の事ですね」

「分かっているなら話は早い。では早速、君の聖遺物、アヴァロンについて情報を開示してもらいたい。こんなふざけた物がいらなくなるくらいにな」

 

 そう言って石田大臣がピッとこちらに弾くように飛ばした紙には、鏡華の簡単な情報と写真、箇条書きで書かれたアヴァロンの説明が書いてあった。

 御意、とまた鏡華は浅く一礼する。

 

「アヴァロン――正式名称はありません。様々な物語・文献を調べても記述はあまり存在しません。固有名詞も騎士王の鞘などとしかなかったので、仮名としアヴァロンと名付けさせてもらいました」

 

 世に出回っている物語は後世にわずかに残された文献を元に書き上げられた創作物だ。故に所々空想が入り混じっているので正確な事はあまり分かっていない。物語を書いた著者もまさか実在するとは思っていなかったのだろう。

 

「発見したのは約十年前。場所は五年前より名所となっているコーンウォールのアヴァル遺跡。今は崩れてしまった最奥部にて壁に同化するように奉られていました」

「まるで自分が見つけたような言い方だな」

「発見したのは遠見鏡真(きょうま)――私の父です。発見時、私はたまたま両親に連れられ二課司令・風鳴弦十郎氏と共に遺跡に来ていました」

 

 思い出せる微かな記憶。鮮明に眼に焼き付いたあの時の輝きは幾星霜経ても忘れられないものだ。

 

「そうか。だから所有者になれたのか」

「だから?」

「大方、その場で覚醒させてなし崩しに所有者になったのだろう?」

「……聞かなかった事にしましょう。ノイズの襲撃によって所有者になってしまっただけです。現に両親を共に失っています。なし崩しだとしても――私が望んだのであれば、両親は生きていた」

「ふん、そう云う事にしておこうか」

「…………」

 

 鏡華は笑みを崩さず――半ばキレていた。

 当たり前だ。いくらガキ相手だろうと見下した態度のお偉い様。情報を知ってるかどうかさえあやふやなのに適当な事を言う始末。

 正直、神童と呼ばれていた時、親戚に言葉攻めに晒されていなかったら間違いなくキレてそれを口実に色々面倒な事になっていただろう。感謝したくないが、あの頃の親戚の行動に感謝だ。感謝したくないのだが。

 

「それと、私は名前や発見時の報告をしろと言っているわけではない。完全聖遺物としての能力を開示しろと言っているのだ。それぐらい察したらどうだ?」

「失礼。言葉が足らず思い至りませんでした」

 

 鏡華の許へ飛ばした報告書を手に持ち、嫌味の一つを言っておく。

 

「アヴァロンの能力は大きく分けて三つあります。一つは不老不死。言葉通り、老いる事も死ぬ事も出来なくなります」

「怪我はどうなるのかね?」

 

 訊ねたのは別のお偉い様。

 

「伝説通りであれば血を流す事はなくなるはずですが、私の場合、普通に怪我はします。その代わりに治癒速度が格段に上がっています。擦り傷や切り傷程度なら一瞬で治りますし、今ではある程度治癒速度は好きに設定出来るようになりました」

「ほう、それは便利だね」

「二つ目はアームドギアに関して。私が使用するアームドギア――つまり武器は剣と槍と盾。この三つは本物ではなく鞘が記録した贋作に過ぎません」

「偽物……報告には槍を大量複製して雨のように降らせたとありますが、剣と盾も可能なのですか?」

 

 今度は紅一点――とは云い難い年配の女性。

 

「はい。ですが、使用可能範囲は私を中心に範囲一キロ。それ以上離れれば自然消滅します」

「ふむ……距離がネックですか」

「三つ目は王様。まあこれだけは説明出来るものではありません。ご容赦を」

 

 それだけ言って王の話題を終える。

 次は何かとお偉い様達は耳を立てる。しかし鏡華はそれきり口を開こうとしない。

 

「どうした? 早く次を説明しなさい」

「次、と申されても……私が皆様に開示出来る情報は以上になります」

「……何だと?」

 

 片眉を吊りあげる石田大臣。

 

「すまない。歳のせいか君の声が聞こえなかったようだ。もう一度言ってくれ」

「我が社の開示は以上になります。お疲れ様でした。出口はあちらになります」

「ふざけているかっ!」

「いえ。言葉はふざけても真意は真面目です。何度でも言いましょう。――開示する情報はありません」

 

 直後、ドンッ! 石田大臣は机を乱暴に殴った。

 いくら握った拳とは云え、今の一撃は痛いんじゃないかと場違いに考えてしまう。

 溜め息を漏らし、鏡華は真剣に答えた。

 

「不老不死は人の手に余る最上の奇跡。神に匹敵する禁忌。それをほいほいと開示するわけにはいきません。どこに悪人の眼や耳があるか分かりませんし」

「ここには私達以外誰もいない」

「もしかしたら天井裏とか床下にいるかもしれませんよ?」

 

 それに、と鏡花は続ける。

 

「命令でもないのにぺらぺらと喋るわけないじゃないッスか」

「ッ、では国として命令する! 情報を開示しなさいっ!」

「ふざけないでくださいっ!!」

 

  ―発ッ!

 

 石田大臣の怒鳴り声にも負けない怒鳴り声。

 それはあたかも質量を持っているかのようにお偉い様達の耳朶を穿ち、恐怖を植え付けた。

 ガタンと音を立てて石田大臣が席から崩れ落ちる。

 

「あなたは何様のつもりですか! 自分を私の創造主か雇い主だと勘違いしませんか!?」

「わ、私は、この国の防衛だい――」

「君! 言葉を慎まんか!」

「お断りします!」

 

 鏡華の一喝で石田大臣の援護射撃したお偉い様を黙らせる。

 たった二言三言叫んだだけでこの場にいた大人は子供に圧倒されている。

 これが弦十郎や緒川であれば、逆に反撃してくると云うのに。

 それにまあ――叫んでしまったのだけはミスを犯したと言わざるを得ない。

 仕方なく、鏡華は鬼札(ジョーカー)を切る事にした。

 

「あなた達が極秘の会談でサクリストSを米国に売ったように、他の聖遺物の情報を開示すると称して売ろうとしている事。それを知らないで来たとお思いですか?」

「な、何をふざけた事を……!」

「私の知り合いがとあるお方の端末をハッキングして獲得した情報にありました」

 

 懐から取り出す数枚の書類とボイスレコーダー。

 滑らせるように石田大臣に渡す。目の前に滑ってきたそれを石田大臣は慌てて確認し、

 

「――ッ!?」

「どうやらヒットって所ですね」

 

 真っ赤だった顔を急速に蒼褪めさせていった。

 周りにいたお偉い様達もひったくるように書類を奪い、眼を落としてわなないている。

 

「それはコピーだ、差し上げますよ。無茶な事さえしなければ私も公に出す事はしませんし、知り合いにも合図を送るまで誰にも言わないように厳命させていますのでご安心を」

「貴様……二度と日が拝めなくなってもいいのか?」

「うわ、本気でそう言う人初めて見た。――っと失礼。無駄ですよ、私にそう云う類の脅迫は通用しません」

「ッ……ならば貴様ではなく、あのキーキーうるさいユニットを――」

 

  ―閃ッ

 

 石田大臣は最後まで脅す事は出来なかった。

 頬を掠めるかのような一陣の突風。眼の端に映る――空中に浮かぶ棒のような、

 

「ひぃっ!?」

 

 否――槍だ。

 椅子に刺さり、空中に浮いているだけだ。

 

「ちなみに、ですが」

 

 妙に落ち着いた鏡華の声が部屋の中を支配する。

 

「ツヴァイウィングを脅迫対象に変更した途端――死ぬ事が最上の喜びだと実感させてやる」

 

 暴言でも、脅言でもなく――ひどく落ち着いた声音で鏡華は言った。

 それが逆に現実味を帯びさせ、お偉い様はやけにすんなりとイメージ出来てしまった。

 殺される事、死ぬ事を諸手を挙げて歓迎する自分の姿を。

 顔に出ていたのか、鏡華は溜め息をつき、手で髪をくしゃくしゃとすると、部屋を出て行きながら、

 

「一応、あなた達が別に考えている事も知っているつもりです。ただで聖遺物を売ろうとしているわけでない事も。ですが、アヴァロンだけは駄目なんです。すみません、独りで喋ってしまい。では、これで失礼します。これからもお仕事頑張ってください」

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

「流石にアレはないでしょう。最悪、黒服がわらわらと……」

「その時は華麗に撃退して、テキトーな嘘も混ぜてさっきの情報をどっかの新聞社に売ればいい」

「テキトーな嘘って……」

「驚愕! 前大臣暗殺に現大臣が暗躍!? 的な?」

「テキトー過ぎますよ」

 

 東京永田町付近の建物から出た鏡華は、車の中で津山士長とそんな事を話していた。

 津山士長とは二年程前に起こった一件を契機に、二課に出向してから――当時は一等陸士だった――時々話すようになり、以来、自分のお目付役が必要な時は彼に頼んでいる。歳も然程変わらず、二年間不通だったが変わらぬ友好関係を築いていた。

 ちなみに、以前に未来を保護した時に鏡華が来るまで相手していてくれたのも実は彼である。

 

「だけど、自分にはまだ信じられません。いくら親米派議員とは云え、自国民を売る真似をしているだなんて」

「おいおい、“その情報を見つけた張本人”が何言ってやがりますか? 旦那も、緒川さんでさえ知らない隠れハッカーの津山士長?」

「おっと」

 

 口が滑りました、と津山士長はにやりと唇の端を歪めた。

 彼が隠れハッカーだと知ったのはつい最近だ。それまではどこにでもいそうな隊員だと思っていただけに知った当初はちょっとだけショックだったが、こちらの津山士長の性格も思いの外面白かった。

 まあ、周りにとんでもない大人ばかり存在しているため、適応能力が自然と身に付いていたのもあるが。

 

「その調子で米国の情報もちょろまかしてほしいんだけどね」

「無茶を言わんでください。ファイアウォールのレベルは石田防衛大臣の数百倍の厚さと堅さですよ。突破どころか侵入さえ出来ませんって」

「ま、だろうね。そっちは騎士がある程度知っているし……対価もなしに頼む事じゃないからな」

 

 背凭れに凭れ、ふぅと息をつく。ふと気になって、車両に取り付けられているCDプレイヤーの再生ボタンを押してみた。

 途端に流れてくる曲。鏡華は流れてくる曲を知っていた。いや、知らなければおかしい、この曲は――

 

「あいつらの曲か」

 

 ツヴァイウィングの曲。しかもここ三ヶ月の間に出した新曲『星霜のリーベ』、『innocent heart』の二曲が入ったCDである。

 嬉しそうに呟いた鏡華。津山士長は照れたように頬を掻く。

 

「あはは……最近は一日に一曲聞かないと調子が出なくて……中毒かな?」

「いや、いいよ。ソングライターとしてはむしろ嬉しいくらいだ。双翼の歌を変わらずに好きでいてくれて」

「忘れないと約束しましたから」

 

 二年前の一件――山梨県・北富士演習場での事は、参加してない鏡華は何があったのか知らない。だけど、奏と翼が彼に何らかの影響を与えたのは間違いない。

 そうでなければ、ツヴァイウィングのCD全てを初回生産限定版で集めたりしないはず。前からファンで集めていたのであれば話は別だが、彼は二年前の一件があるまでCDを購入した事はないらしいので、大体当たりだろう。

 

「そう言ってくれると、あいつらも喜ぶよ」

 

 ふふ、と鏡華は笑う。

 すると、胸に手を当て、まるで思い出したように胸ポケットを探り出した。

 取り出した時に握られていたのは、赤地のお守り。家内安全など祈願は書かれていない。

 

「それは?」

 

 津山士長が訊ねる。

 

「櫻井教授からの贈り物さ」

「櫻井女史から、ですか? でも櫻井女史は……」

「ああ、死んでるさ。研究室から見つかったんだ。手紙と一緒にな」

「手紙には、なんて?」

 

 訊ねられ、窓の外へ視線を移す。午後の日差しは眩しいが、それも直に彼方へ消える。

 見えてきた目的地を見つめながら、鏡華はまるで自分に言い聞かせるように答えた。

 

「『IFとして遺すわ。でも勘違いしない事。あなたが選ぶんじゃない、選ばれるのを待っているだけ。世界の選択はいつも非情よ』」

「……はぁ?」

「訳分かんねぇでしょ? 俺も分かんねぇ」

 

 昔から意味不明な言葉を発していたが、今回のコレは群を抜いてハテナだ。

 何を伝えたいのか、まるで分からない。

 

「中に何か入っているようだけど? 取り出してみないのか?」

「お守りの中身を取り出したり見たりするのは罰当たりだと教わったものでね、いくら櫻井教授からの贈り物だろうと出すわけにはいかないよ」

「また変な所で硬いな、君は」

 

 ほっとけ、と鏡華はお守りを胸にしまう。

 会場に到着し、人だかりの少ない場所に止めてもらう。

 

「そんじゃ、あんがとな津山士長」

「いえ、これも仕事ですから」

「真面目だねぇ。うちの片翼みたいだ」

「ははっ、もう片翼にも言われましたよ。その言葉」

「だろうね。――そんな真面目な津山士長に、俺からプレゼントを」

 

 そう言って取り出したのは一枚のCDケースと長方形の紙。

 

「これは……?」

「俺達が作った非売品、サイン付きアルバムだ。チケットは今日のライブの一般席だけど、俺が厳選した場所だからかなり良い席のはずだぜ」

「ッ――! 気持ちはありがたいんだけど、自分にはまだ仕事が……」

「そう言うと思って、勝手に有給取らせていただきました」

 

 笑みを浮かべたまま敬礼の真似事をする鏡華。

 呆気に取られた津山士長は、数秒後にやれやれと云った様子で肩を竦めた。

 

「まったく。上司に怒られるのは自分なんですよ?」

「上司のお墨付きでも? 聞けば、ここ暫く有給全く使ってないそうじゃないッスか。上司さんもここらで一回有給を消化して欲しかったみたいだぜ」

「……はぁ」

 

 ――だから私服で同伴させたのか。

 抜け目ない鏡華の行動――いや、多分きっと、あの歌姫も一枚噛んでいるだろう――に苦笑を浮かべざるを得ない津山士長はエンジンを切り、シートベルトを外す。

 

「ここまでされて断る事が出来る人間がいたら、“俺”は見てみたいね」

「ヴァンなら理由があれば断ると思うぜ」

「ははっ、なるほど。彼なら納得だ」

 

 笑い、差し出されたままだったCDケースとチケットを受け取る。封はされていなかったので早速開き、プレイヤーに入っていたCDと入れ替える。

 

「時間までたっぷりと聞かせてもらうよ」

「未発表の曲もあるからたっぷり楽しんでくださいね」

「家宝物だな、そりゃ」

 

 驚く津山士長に会釈し、その場を去る鏡華。

 鏡華を見送り、津山士長はシートを倒し再生ボタンを押した。流れ始めるツヴァイウィングの曲。

 津山士長は心地いい感覚に身を任せて瞼を閉じるのだった。



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Fine1 其れは終わりの名Ⅲ

 空は蒼く、果てしなく広がり続ける。

 眼下では決して表舞台に出る事のないスタッフが、せっせと機材を運んだりモニターの調整を行っている。

 空と大地。その中間でマリア・カデンツァヴナ・イヴは虚空を眺めていた。何を見ているか、それは彼女しか分からない。

 無意識に鼻歌を口ずさむ。小さな調べは余韻を残さず無へと消えていく。

 森羅万象、有象無象――全ての存在はいつかは無へと還る定め。だけど、無になる前に必ずどこかへ行くはず。そこへ辿り着いた存在は、何を想って消えるのだろうか。あの子は何を想って――

 

「ていっ」

「ひゃあっ!?」

 

 頬を伝うひんやりとした感触にマリアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。眼下でスタッフが見上げるが、マリアよりも早く理由に気付き、また元の作業に戻っていく。

 横を見れば、自分に缶ジュースを差し出している歌姫の片翼がしてやったりと云った笑みを見せていた。

 

「もしかしてマリア、緊張しちゃってたり?」

「まさか。そう云う事はあなたの相棒に言えばどうかしら? 天羽奏」

 

 奏から缶ジュースを受け取り、プルタブを開ける。

 喉を嚥下する炭酸がひどく心地よかった。

 

「そうしたのは山々なんだけどさ、いつの間にか克服しちゃってたんだよね。お姉さんは寂しかったのさ」

「お姉さんぶるのは構わないのだけれど、歳だけで云えば――私が一番年上のはずよ」

「ちっちっち。この場合の姉妹関係はあたしの基準なのさ」

「……無茶苦茶ね。でも、あなたのそう云うところ、嫌いじゃないわ」

 

 ふっと笑うと、奏もにししと笑って缶ジュースを呷った。

 

「それで? 鼻歌歌いながら何考えてたんだ?」

「別に……。あなたには関係のない事よ」

「おう、関係ない。気にはなるけどな」

「……お節介だって言われるでしょ」

「奏は俺のお父さんか! ってなら言われた事ある。あたしは鏡華の嫁だろ! って返したけどな!」

「ぶっ」

 

 呷っていた缶ジュースの中身を吹き出しそうになった。

 鏡華とはすなわち双翼の止まり木――少なくともマリアはそう見てる――である作詞作曲家(ソングライター)の遠見鏡華の事だろう。そして今の言葉が本当ならば、遠見鏡華と天羽奏は――

 

「遠見鏡華と付き合ってるの……?」

「おう? おう! あ、でも内緒にしてくれよ。世間はうるせーからな」

「え、ええ……」

「翼とあと一人――未来って言うんだけどな? 三人と付き合ってるなんて知られたらとんだ大スキャンダルだ」

「そうよね。三人と付き合っ――三人と付き合ってぇ!?」

 

 あっさりと最重要機密レベルの秘密をバラす奏。

 流石のマリアも驚きを隠せなかったようだ。彼女らしからぬ驚きを浮かべる。

 照れたように笑みを見せる奏。

 だがマリアは逆に怖い顔を見せた。

 

「本気で言ってるの? 三人と付き合うだなんて道徳的に破綻しているわ」

「……破綻してるな」

「分かってる上で付き合っているのだとしたら――それは偽物よ。メッキで塗り固められた虚構の関係だわ」

「人から言われるとむかつくんだけど……事実だから返す言葉がねぇんだよなぁ」

 

 マリアの厳しい指摘に、奏は後頭部を掻き、怒る事なく至って普通の態度で接する。

 胸の内ではキレてる――と云うわけでもない。

 自分達が間違っていると――認めていた。

 

「だけどさ、マリア。一対一(サシ)で付き合う事が正しい――なんて、誰が決めたんだ?」

「それは……」

「海外には重婚が認められている国、同性婚を許可してるすんげぇ国だってあるじゃんか。そりゃ日本限定で縛ったら法で許されないだろうけど、世界全部で見ればこれぐらい何て事ないだろ?」

「……そうね。でも、ここは日本。そしてあなたは日本人よ。日本の法律に従うのは当然じゃないかしら?」

「日本の法律が禁止してるのは重婚禁止であって、二股や三股は関係ないと思うぞ」

「……無理矢理なこじつけね」

「にしし、無理でも成り立てばいいんだぜ。ほら、昔の人も言ったただろ? 為せば成る。為さねば成らぬ、ならば成せ。やれば出来る。やらなきゃ出来ないんだから、とにかくやれって意味だ」

「へぇ……この国にはそんな格言があるのね」

 

 もちろん嘘だ。そんな諺も格言も存在しない。為せば成る、為さねば成らぬ何事も――が正しい。

 ある程度合っているのであながち間違いではないのだが……そこら辺は鏡華そっくりである。

 

「さて、と。そろそろあたしは戻るとしますか。マリアはまだ見てる?」

「そうね。どこかの誰かさんのせいで疲れたから、もう少しここで休んでいるわ」

「そっか。そんじゃな。今日は最高のステージにしようぜ!」

 

 そう言って後ろ手を振りながら去っていく奏。

 彼女の後ろ姿が見えなくなると、マリアはドカッと乱暴に席に座った。

 結局、はぐらかされたまま終わった。

 まるで嵐のような存在、天羽奏。でも、それが不思議と嫌とか迷惑とかではない。この感じは、そうまるで――

 〜♪

 携帯端末の無機質な音。しまっていた携帯端末を取り出し耳に当てる。

 ようやく来た報告にマリアは立ち上がり空を見上げた。

 

「オーケー、マム。世界最後のステージの幕を上げましょう――!」

 

 その瞳には、もう奏に感じたものを宿していなかった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ちょうどその頃。二課仮設本部には次の情報が届いていた。

 突如発生したノイズによる米軍基地襲撃。事態はどうにか収拾したが、死傷者はおよそ五十人弱。その中にはウェル博士の名前もあった。そして――ソロモンの杖も何者かに持ち去られた後で、現場にはケースしか残っていなかった。

 二課では一連の襲撃は何者かの手引きによるものだと推測している。

 しかし問題は、誰が手引きしたか――だ。

 三ヶ月前であれば聖遺物を欲する米国の自作自演である線が高いのだが、現在、日本と米国は協力関係にある。割に合わない作戦をしてくるとは思えない。

 また、中国とロシアが良い顔をしていない。そちらの線も無きにしも非ずだ。

 つまり――容疑者となる候補が多すぎるのだ。

 ノイズの脅威は尽きる事なく、人の闘争もまた終わりを知らない――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「――そうか。ソロモンの杖は奪われたのか」

『ああ。響君達のおかげで事態は迅速に収拾したが、ウェル博士も恐らく……』

「気に病む必要はない――ってのは、きっとヴァンが言ってるだろうな。この事を翼と奏には?」

『言ってない。今はライブに集中してもらいたいからな。……尤も、緒川に通信した時点でバレてる可能性は高いんだが』

「だろうね」

 

 長蛇の列が並ぶ受付の隣を端末を翳してあっさりと通過する鏡華。モニターを見上げれば、世界中のニュースのほとんどが今日のライブの生中継を行っている。

 それほど大人気なのだ。ツヴァイウィング――ではなくマリア・カデンツァヴナ・イヴは。

 そんなシンガーとの今日限定のユニット結成なのだ。ツヴァイウィングも名声を得る事になるだろう。

 

「じゃあ、俺からもあいつらから出されない限り黙っている」

『そうしてくれ。それじゃあまたな、鏡華』

「ああ、また」

 

 通話を切り、通路を曲がる。

 すると、とんでもない人だかりが道を塞いでいた。無理矢理進んでも通れない程人が(ひし)めき合ってる。

 

(おいおい、何だこれ?)

 

 背伸びして警備員を見ると、困った表情を浮かべていた。

 どうやら彼らは侵入可能な場所で立ち止まっているらしく、どうにも手が出せない状況みたいだ。

 暫く様子を窺っていると、微かに見える扉の上部分が開くのが見え――人だかりが一斉に沸いた。

 

「翼さん! サインください!」

「奏ちゃーん! こっち向いてー!」

「握手を! せめて握手を!!」

「……ああ、ファンか」

 

 侵入可能な場所で犇めき合ってサインや握手を求めるファン達。慌てて警備員達が壁となるが、あまりそれは機能出来てない。

 ソングライターとしては喜ばしいのだが、彼氏してはどうにも嫉妬してしまう。

 

(俺ってば、独占欲が強いのかね。三人もいる強欲な馬鹿だってのに)

 

 自分の感情に溜め息をつきつつ、鏡華は仕方なく大声で二人を呼んだ。

 

「翼!! 奏!!」

 

 途端、翼と奏に向けられていた視線がこちらに向く。視線には敵意が感じられた。

 まあ、高嶺の花を呼び捨てにしたのだ。ファンには許されざる行為だろう。

 

(怖ぇー……。ノイズよりも普通の人間の何倍も怖いわ)

「鏡華!」

「おっせーぞ、鏡華!」

 

 内心でビビっていると、今度は翼と奏から呼ばれた。

 ファン達は今度は絶句してツヴァイウィングの方に向き直る。

 

「か、奏ちゃん。今呼び捨てにした奴とし、知り合いなの……?」

「知り合いっつーか……あたしらのソングライターだけど?」

 

 知ってるよな? と小首を傾げる奏。

 口々にどもりながらも、知ってる、と言い始める。完全に忘れている、眼中になかったようだ。

 そうしてようやく道を空けてくれたので、鏡華は営業スマイルを浮かべて頭を下げながらモーセの如く割れた道を通った。

 

「遅刻じゃねぇか、馬鹿鏡華。もう時間ねぇぞっ」

「ごめんごめん。じゃあ急いで最終調整といこうぜ」

「うん。あ、と――ステージでまた会いましょう」

 

 営業スマイル全開で翼はファン達ににっこりと笑い、関係者以外立ち入り禁止の通路を歩き始める。

 程なくして、通路の奥から、

 

  ――つ、翼ちゃん、マジカワユス!! ――

 

 そんな至福の絶叫が聞こえてきた。

 余談だが、今日を境に翼のファンが急上昇したらしい。ついでに鏡華を妬むファンも急上昇したとか。まあそれはあくまで余談である。

 

「あはは、人気だねぇ。翼ちゃん?」

「や、やめてよ奏。これでも恥ずかしいんだ……」

「恥ずかしがる翼たん、マジ萌え〜」

「鏡華ッ!」

「あだっ」

 

 鏡華だけはたかれた。理不尽だ、と呟く。

 頬を赤らめつつそっぽを向く翼を見て、鏡華は苦笑を浮かべてポンと頭に手を乗せた。

 

「……そんな行為で私が許すと思ってるのか?」

「まあ、これもプラスして」

 

 通路に誰もいない事を素早く確認すると、前髪を掻き上げ、額に一瞬だけのキスをした。

 更に顔がトマトのように真っ赤になる。

 

「おまじないも兼ねてる。頑張れよ、翼」

「うっ……卑怯だ。馬鹿」

「鏡華ぁ、あたしにはしてくれないのか?」

「はいはい」

 

 おねだりされ、奏の額にもキスをする。

 珍しい照れた表情を浮かべ、奏はキスされた額を押さえる。

 

「えへへ、よしっ! いくぞ翼!」

「あっ、待ってくれ奏!」

「頑張れよ〜」

 

 ヒールを履いているにも関わらず走ってステージへ向かう奏と翼。

 見えなくなるまで見送った鏡華は近くの階段を利用して観客席へと向かった。

 観客席と云ってもただの観客席ではない。翼と奏が用意した個室だ。

 コンコン、とノックする。

 返事が聞けたので、鏡華は中へ入る。

 中では弓美、詩織、創世、そして未来がいた。

 

「あ、先生!」

「トミー先生も到着って事はいよいよ始まるんですね」

「楽しみです」

「はは、今夜限りのユニットだ。楽しんでいってくれよ」

 

 言いながら、誰も座っていない椅子に腰を下ろす。

 

「鏡華さん。響が遅いんですけど、何か聞いていませんか?」

「ああ、そっか。未来には言っといた方がいいな。――任務終了直後に襲撃にあったらしい」

「……それで、響は」

「ノイズだからな。サクッと片付けて、今は必死にこっちに来てるみたいだ。今頃、生で見れなくて頭を抱えてるんじゃないか」

 

 ありそうな行動に、未来は思わず吹き出す。

 弓美も「あの子は相変わらず期待を裏切らないわね〜」と楽しそうに言っていた。

 

「……おっ」

 

 電灯が自然に消える。

 会場全体の電灯が消え、明かりはステージ上のモニターだけになった。

 始まりを告げる合図に視線はステージへ注がれる。

 その時だった。

 

  ―鈴

 

「……ん?」

 

 鈴の音が聞こえた――気がする。

 だがこの部屋にはもちろん、この場にいる五人の私物に鈴に関係する物はない。

 気のせいだな、と決め、鏡華はステージに出てきた歌姫に眼を向けた。

 そして、『不死鳥のフランメ』が生まれる。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ステージに上がってきた三人の歌姫はそれぞれ似て異なる衣装を身に纏っていた。

 翼と奏は片腕がノースリーブ、もう片腕が長袖と云う――それも二人で左右反対の衣装。二人が並べば、まるで一着の衣装が出来上がるような衣装だった。

 マリアのは、その二つの衣装を一つにまとめた衣装。

 

「見せてもらうわよ。戦場(いくさば)を翔る――不死鳥の姿をッ!」

 

 一歩前でしゃがみレイピア型のマイクを構えている翼と奏に言い放つ。

 立ち上がり、歌いだすツヴァイウィング。双翼の間で独奏を奏でる。しかし今は独奏であって独奏ではない。

 三人の歌声が絡み絡まり――昇華して天上の調べとなる。

 互いにマイクを突き出し歌い合わせ、ステージへ切っ先を突きつけた瞬間、

 

  ―轟ッ!

 

 火炎が吹き出す。

 まるで大地が歌に鳴動しているかのよう。まるで産声を上げ誕生する歌を祝福しているかのよう。

 焰が創り出す道を三人は走り出す。

 共演にして競演――

 本ステージに辿り着いた三人が拳を突き上げる。

 同時に観客も歌詞に合わせて吠えた。

 共演にして競演――饗宴にして狂宴。

 最後の言葉を余韻に、歌姫を照らすライトは消え、モニターには不死鳥の姿が。

 

 観客の熱気も最高潮のまま、『不死鳥のフランメ』は終わった。

 構えを解いた翼が一番に一歩踏み出し、

 

「私もいつも皆からたくさんの勇気を分けてもらっている! だから、今日は私の歌を聞いてくれる人達に、少しでも勇気を分けてあげられたらと思っているっ!!」

 

 続いてマリアが、

 

「私の歌を全世界中にくれてあげる! 振り返らない、全力疾走だ! ついて来られる奴だけ――ついて来いっ!!」

 

 最後に奏が、

 

「今日だけはついて来られない奴がいようと関係ねぇ! あたしが――双翼が連れて行ってやる! だから皆――最後まで盛り上がっていこうぜぇっ!!」

 

 言い切った。

 もちろん観客はその言葉通りボルテージを上げていく。

 翼がマリアに近寄り、そっと右手を差し出す。マリアも拒む事なく右手を差し出し、翼の右手を握った。

 奏は見ているだけ。だけど、その顔には満足そうな表情が。

 

「私達が世界に伝えていかなきゃね。歌には力があるって事を」

「ああ。それは世界を変えていける力だ」

 

 互いを讃え合う。

 奏から見て、マリアは翼と波長の合う人間なのかもしれないと思えた。

 どんな事になろうと、歌を想う気持ちは一緒なはず。

 一緒なはず――だった。今の今までは――

 

「そして――」

 

 手を離したマリアは呟く。

 バサリ! とスカートを閃いた瞬間、

 

  ―輝ッ

 

 刹那の煌めきと共に現れるノイズ。

 ステージの前を囲うように、人を分けるために仕分けたブロックの間に、

 “呼び出されるように”ノイズは現れた。

 暫しの静寂の後、訪れる驚愕の声。逃げ出そうとする足音。

 熱気は冷め、絶望が支配する。

 ここに平和は終わりを迎えた――



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Fine1 其れは終わりの名Ⅳ

 目の前で起きている光景に、未来は「あ、ヤバい」と自分の本来の言い方ではないと気付かぬまま呟いた。

 あ、ヤバい。――何が? ツヴァイウィングの事か? 観客の事か?

 否、どれでもない。ヤバいのは――鏡華の機嫌だ。

 

「ふ、ふふ……ノイズ、ノイズか。“また”、ノイズか」

 

 ゆらりと立ち上がった鏡華。顔は俯かせたままなので感情は見えないが、見えなくてもある程度は分かる。

 これは確実に――キレてる。プッツンとキレちゃっている。

 

「こ、小日向さん。何だか遠見先生の様子がおかしいようなんですが……」

「皆、今の鏡華さんに話し掛けちゃ駄目」

 

 手振りで立ち上がってゆっくりと下がるように指示する。

 この場の四人には、ノイズよりも鏡華の方が危険だ。

 もちろんノイズは怖い。二年前の悲劇が繰り返されてしまうのではないかと考えてしまう。だけど“知ってしまった”四人には昔程恐怖はなかった。

 

「きょ、鏡華さん……?」

 

 一番鏡華と接している未来が話し掛ける。

 顔を向ける鏡華。瞳の奥にはゆらゆらと揺れている炎が見えた、気がした。

 

「ああ、未来達はここで待っててくれるかな? ちょっと俺、用事が出来ちゃってさぁ」

「あ、えと、はい。行ってきてください」

「行ってきます。……そうだ」

 

 扉の前で足を止めた鏡華は踵を返すと、未来の前に戻ってきた。

 胸ポケットからお守りを取り出すと、未来の胸ポケットに勝手に入れた。

 

「あの……」

「お守りだ。俺には必要ない物だから、未来に持っていて欲しい」

 

 にかっと笑うと、今度こそ部屋を後にする鏡華。

 未来は胸に手を当てる。固い何かが入ったお守り。

 振り返り、ステージを見た。そこには何故か衣装の変わったマリアが。

 

「響……」

 

 お守りを握りながら、未来は親友の名を呟いた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 愕然とした。開いた口が塞がらない。

 奏も同じように驚愕の色を見せている。

 観客を黙らせ、全世界の国家へ宣戦布告をしたと思えば、静謐に短い歌を歌った。

 それは聖詠だった。そして聖詠に記された聖遺物の銘は――

 

「ガングニール、だと……!」

 

 ガングニール。

 第三号聖遺物であり、グングニルとも呼ばれる北欧神話神話の大神オーディンが振るったとされる無双の一振り。本来の所有者は天羽奏。二年前の出来事によって、担い手は奏に加え立花響の二人となった異例のシンフォギア。

 それがマリア・カデンツァヴナ・イヴが纏うシンフォギアの名前でもあった。

 

「馬鹿な。こんな事があって……!」

「私は――私達はフィーネ」

「ッ――!」

「終わりの名を持つ存在(モノ)だっ!!」

 

 新たな自己紹介もまた、更なる驚愕を与えるに十分な言葉だった。

 再来のフィーネ。目の前の彼女がフィーネなのか、敢えてそう名乗ったのか、定かではない。

 だが、心理攻撃だったとするのなら、これほど傷を抉られる攻撃はない!

 

「我ら武装組織フィーネは各国政府に対して要求する。そうだな、差し当たっては国土の割譲を求めようかっ!」

 

 全世界が聞いている中、マリアの言葉に翼は耳を疑った。

 無茶苦茶だ。思わず「馬鹿な!」と呟いても誰も何も言わないだろう。

 あまりにも筋が通ってなさ過ぎだ。何をしたいのか――まるで分からない。

 予想が、仮説すら立てられず翼は混乱してしまう。

 

「もし二十四時間以内にこちらの要求が果たされない場合は、各国の都市機能がノイズによって憮然となるだろう!」

 

 更に訳の分からない制限時間を設けてくる。二十四時間以内に国土を割譲するかどうか決められるわけがない。しかもどれほどの国土かさえも決めていない。

 逆も然り。決められないのはほぼ世界全土。世界全ての主要都市にノイズを襲撃させる方法があるのだろうか。少なくとも翼が想像出来る範疇では、そのような事は不可能だ。

 

「――ふっ、あはは」

 

 そんな中、唯一、奏だけが声を上げた。笑い声を上げて片手で顔を覆っている。

 奏のその笑い方は見覚えがあった。――怒る直前の自分を抑制する笑いだ。

 

「あーはっはっは。――どこまで本気なのか」

「私が王道を敷き私達が住まうための楽土だ。素晴らしいとは思わないか?」

「思わないね。これぽっちも楽土だなんて思わないな、しゃらくせぇ」

 

 それより、と覆っていた片手をどける。

 

「そんなふざけた事を言うために、あたし達のステージをぶち壊したのか? 命が惜しくないのか?」

「それは今ここで私と矛を交える、と考えていいのかしら?」

「いいや。あたしじゃないさ。ましてや翼でもない」

 

 バッと剣型マイクの切っ先を反対のステージへ向ける。

 マリアはもちろん、翼、観客の視線も切っ先の先に注がれる。

 いつの間にか――ステージは下から上がってきていた。それは翼と奏、マリアが登場した時のように。

 しかし、ステージに立っていたのは誰でもない――裏方の人間。

 風にコートの裾が揺れている。右手には暗い中でもはっきりと見える棒状のような物。

 俯かず前を――前方のステージを見据える彼は、

 

「うちの止まり木(ソングライター)がマジギレしてんだ。怒るあいつは手がつけられねぇからな」

 

 奏がマイクで声を会場中に伝えながら呟いた。

 遠見鏡華は棒状の物――ロンを片手に携え、ステージから下りるとステージ間を繋げる道を歩き始めた。

 

「マリアさんさぁ、何してんの?」

 

 その声は耳に付けたマイクが拾い、会場全体に聞かせる。

 

「せっかく今日は何事もなく終わると思ってたのに……。二年前のように大惨事になる事も、三ヶ月前のように遅れる事もなかったってのに――マリアさん、何やっちゃってんですか」

 

 二年前のノイズ襲撃によって、ツヴァイウィングは解散になり観客にも大勢の被害が出た。

 三ヶ月前のツヴァイウィング復活の際は被害こそ出ないものの予定より遅れてしまった。

 晴れ舞台となる日はいつも何か厄介事が起きる。

 故に今日は念には念を入れて計画し準備を済ませ吉日に合わせたと云うのに――

 

「全てがおじゃんだよちくしょー。どうしてくれるんだアイドル大統領!」

「あ、アイドル大統領?」

「世界に喧嘩売って国土が欲しいって事は自分の国が欲しいって事でしょ? だったら大統領って事だ! だからアイドル大統領!」

 

 こんな危機的状況かに置いてもふざけた事を言う。

 それが功を制したのか、恐怖と緊張で固まっていた観客の一部に笑いを呼んだ。

 

「相変わらずやるねぇ」

 

 奏の呟きに翼も同意の頷きを返す。

 

「それで? 私に何を求める?」

「観客の解放。後は――話を聞くために、Go to Bed」

「……は?」

 

 妙に発音の良い鏡華の回答に、マリアは凍り付いた。

 いや、マリアだけではない。翼も奏も、それどころかこれを聞いている全世界中の視聴者のほとんどが凍り付いた。

 もちろん、鏡華はそう云う意味で言ったわけではない。

 固まった瞬間を狙って、自分が出せる限界速度を以てして槍の間合いまで詰め寄り、

 

  ―閃ッ!

 

「くっ……!?」

 

 一閃した。

 が、マリアは紙一重でギリギリ躱す。

 

「ちぇっ、意表を突いたつもりだったんだけど、無理だったか」

「な、なな何のつもりだ! い、いいいきなりあのような言葉……!」

「私の計算では、意表を突いて昏倒させてベッドに拘束するつもりだったんだけどな。見事外れたよ」

「――――」

 

 呆気に取られるマリア。

 すぐに顔を羞恥に染め、

 

「ふざけ――」

『ふざけんなぁーー!!』

 

 叫ぼうとした瞬間に、観客の叫び声に邪魔された。

 

「勘違いさせるような言い方してんじゃねぇよっ!」

「てめぇの(心の)嫁はツヴァイウィングだろうが! 浮気してんじゃねぇ!」

「変態! スケベ!」

「鏡華さん、私にも言って〜!」

「マリア様〜! むしろ僕とゴートゥーベッドを〜!」

 

 次々と鏡華に浴びせられる罵倒の数々。中には関係なさそうなのもあるが。

 もちろん翼と奏も、

 

「鏡華……変態」

「帰ったら説教もんだな、うん」

 

 ひどく冷たい眼で、冷たく言い放っていた。

 だが鏡華は気にも留めない。

 むしろ、煽っていく。

 

「変態? 何を想像したんですか? 嫌ですねー。年頃の男の人ってのは」

『お前もだろうがっ!!』

 

 また観客のツッコミが一斉に鏡華に降り掛かる。

 人質にされた事を忘れたかのように鏡華と観客による漫才のような掛け合いが続けられる。

 会場に設置されたモニターに映るニュースには、驚いて惚けてしまっているアナウンサーの姿が見えた。

 一瞬で会場の注目を奪われたマリアだったが、

 

『マリア。何をしているのですか?』

 

 シンフォギアを介した通信によって我に返る。

 

「鎮まれ……鎮まらんかっ!!」

 

 マイクを通した凛とした声に会場は静まり返った。

 鏡華はにやりと笑って視線を観客からマリアへと戻す。

 

「うるさいなー。マリアさんは私のお母さんですか?」

「始めたのはあなたでしょうがっ! ……ッ、もういいわ。これ以上場を荒らされたくない」

「荒らしたのはマリアさんが最初でしょう」

「……会場のオーディエンス諸君を解放する! ノイズに手出しはさせない。速やかにお引き取り願おうか!」

 

 マジですか?

 思わずそう呟いてしまうほどの発言。観客も戸惑いの色を見せている。

 それはマリアに通信を繋げてきた人物も同じだった。

 

『何が狙いですか。こちらの優位を放棄するなんて、筋書きにはなかったはずです』

「このステージの主役は私。人質なんて私の趣味じゃないわ。それに……」

『それに? 何ですか?』

「これ以上いられたら、奴の話術によって計画そのものに支障をもたらすわ」

『…………』

 

 スピーカーの奥から唸り声が微かに聞き取れる。

 あちらからもこちらの様子は見えているはずだろう。

 

「退場命令が出ましたー。観客の皆様、ノイズの警備員に触れないように、押さない、走らない、喋ってもいいけど小声で、を意識してお帰りくださーい。会場を出た後は警察などの指示に従ってくださーい」

 

 笑顔で注意を促しているイレギュラーの姿が。

 

「では、最後に一つ。ノイズがマスコットになったら可愛くありません? 私的にはブドウっぽいノイズがオススメです」

『ノイズなんか嫌いだよっ!』

「ですよねー! 今度のツヴァイウィングのライブには来てくださいねー!」

 

 最後の最後まで観客を一つにまとめる鏡華。

 最後の一組みが出入り口に消え、残ったのは翼と奏と鏡華とマリア、そしてノイズ。

 

「――さて、と」

 

 最後まで手を振り続けた鏡華は、手を下ろしマイクを切って振り返った。

 冷たい――極寒の焔を瞳に宿して。

 あまりの変化にマリアは息を呑んだ。

 これを、この威圧を、さっきまでヘラヘラしていた男が発しているの――!

 

「“俺”の双翼のライブ、ぶち壊しにしてくれた罪――どう贖ってもらおうか?」

 

 槍を肩に担いで、鏡華はそう言った。

 

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 宣戦布告を聞いてから、緒川は会場を走っていた。

 ツヴァイウィングのマネージャーである自分の役目は世界中の視線から風鳴翼と天羽奏を解放する事。

 今は鏡華が言い訳出来る程度の槍だけを顕現して、“視線を一時的に自分にズラしている”。だが長くは持たない。

 鏡華が時間を稼いでいる隙に自分は――

 その時、曲がり角に二人の少女が見えた。逃げ後れた観客だろうか。

 

「無視する、わけにはいきませんね」

 

 せっかく無血解放出来たのだ。犠牲者を出すわけにいかない。

 緒川は目的地に向かっていた足を止め、少女達が向かった先へ走った。

 

 

 〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 これまでの状況はヘリに搭載された小型テレビで把握していた。

 響は胸に手を当てる。何となくだが感じる撃槍の鼓動。間違いなくこの胸に撃槍は残っている。

 

「やっぱり私の胸からガングニールがなくなったわけではないようです」

『もう一振りの撃槍か』

「それが黒い――ガングニール」

 

 別モニターで弦十郎と会話する。

 二課にて検出されたパターンは登録されたガングニールと同種のものだった。

 

「ガングニールは欠片(ピース)だ。完全聖遺物(これ)と違って複数存在してもおかしくない」

 

 ヴァンは腰に提げたエクスカリバーを叩きながら言う。

 

「立花響。到着次第、お前はどうする?」

「どうするって……」

「奴にもクリスの時と同様、話し合いで解決するつもりか?」

「はい! 言葉が伝わるなら、私は戦うよりも話し合いでどうにかしたいです」

「ふむ……」

 

 顎に手を当て、テレビを凝視する。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴ――フィーネ――聖遺物。

 それぞれのピースがヴァンの脳内で当てはまり、一つの可能性を導きだしていく。しかし、完全な仮説に至るにはまだ最後のピースが欠けている。

 ――しかも、もし考えている仮説が正しいのなら俺は……

 

「ヴァン?」

「……気にしても始まらんか」

「何か気になる事でもあるの?」

「今はまだ仮説すら至ってない。答えが出れば雇い主(クライアント)に話す」

 

 それだけ言って入り口近くに凭れる。

 もし可能性が仮説通りなら俺は――守る事しか出来なくなる。

 過去に交わした契約によって。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ふんふふ〜ん、と鼻歌を歌い、鏡華は槍を振り回す。まるでバトンのようにくるくると回し裏方とは思えない身のこなしで舞踏を披露する。

 

「…………」

 

 翼は胸のスカーフを外し、隠していたシンフォギアを握り締め、マリアの動向を窺う。マリアの視線は鏡華に集中している。自分同様、自分と奏の動向をあちらも窺っているが動く分には関係ない。

 ――動く事など、出来ないのだが。

 シンフォギアシステムについては政府より各国に報告されている。だが、シンフォギア奏者が誰だと云う事は未だ秘匿されているのだ。翼と奏にしてみればそれぐらいの事で鞘走るのを躊躇うわけではないが、鏡華や緒川が許さなかった。

 ――双翼の歌は戦うだけじゃない。人々を癒し、勇気づけるためでもあるんだ。

 だから、戦うのは俺だ。裏方の、俺の仕事だ。

 鏡華はそう言っていた。会場に槍を携えて現れながら。

 

「……いつまでそうしているつもり?」

 

 痺れを切らして、マリアは鏡華に問うた。

 鏡華は隠す事なくあっさり教えた。

 

「中継が途切れるまで」

「そう、時間稼ぎと云うわけ。だったら――」

 

 そう言うや翼に向かって駆ける。剣型のマイクを翳して。

 当然、翼もマイクを構える。

 ――が、その間に鏡華は滑り込んだ。

 振るわれるマイクを槍で防ぐ。

 

「ッ――」

「翼は戦わせない。奏もだ」

「それは保身のためか! 私と戦わせないのは、その程度の覚悟しか持ち合わせていないからかっ!」

「ずいぶんと意地悪な問いだな。――まあ、保身って云うのは間違いないか」

 

 弾き返し、翼と奏を後ろに控えさせて鏡華は突撃の構えを取った。

 

「そうだな、好きな歌を捨ててまで悪の道を進もうとするあんたになら保身と蔑まれても否定は出来ない。俺はツヴァイウィングに歌を捨ててまで戦場に立ってほしくない。歌を捨てて戦場に立たせるぐらいなら、俺独りで戦うさ」

 

 突貫。自分ごと一振りの槍となってマリアに刺突を仕掛ける。

 

  ―閃ッ!

  ―撃ッ!

 

 避けそこなったマリアのマイクを刺突の衝撃で粉砕する。

 続けて手許でくるりと回して向きを修正。躱した方向へ往復。刺突の連打。

 

「くっ……!」

 

 奏、響のとは異なるマントを用い躱しきれない刺突を防ぐマリア。

 鏡華は口笛を吹き一笑を見せる。

 

「そう云う事も出来るのな、マントって」

「ッ、余裕そうに――!」

「いや? 全然余裕じゃないさ」

 

 言うがいきなりその場から飛び退る。

 刹那、鏡華が立っていた場所に槍状のノイズが突き刺さった。

 次々と鏡華に襲い掛かる。槍状となって、その身で突撃して、爆発物のような己の肉体を投げつけて。

 その(ことごと)くを鏡華は避け、躱し、逃げ続ける。

 

「勝手な事をっ!」

「雑魚も攻撃しちゃいけないとなると中ボス級だな……ッ!」

 

 四方八方から襲いくるノイズを攻撃出来ない事に舌打ちを打つ。本来であれば、ノイズなど塵芥。塵が積もって山となろうと所詮は雑魚。鏡華の敵ではない。

 しかし、今回だけは状況が違う。このライブ会場はほとんどの場所をカメラで全世界中へ繋げているのだ。準備中にカメラの場所は全て把握していたが死角はないに等しい。万が一、防護服を纏う――否、聖剣を出すだけでも奏者だと云う事がバレてしまう。

 そうなってしまっては各国から刺客、追っ手が鏡華を――最悪、翼と奏を襲うかもしれない。

 それだけは駄目だった。

 だから“準備が整うまで”は逃げ続けるしか――

 

「ッ――!」

 

 考え事をしながら逃げたせいだろう。

 周りから一斉にノイズが雨のように襲いかかってきた。

 逃げ場は――ない。

 

「鏡華ッ!」

 

 ステージから翼と奏の叫ぶ声が聞こえる。

 その声に応える間もなく――

 

  ―撃ッ!

 

  ―撃撃撃ッ!

 

 ノイズの雨が――鏡華を呑み込んだ。



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Fine1 其れは終わりの名Ⅴ

 鏡華がノイズから逃げ回っている場面は外に設置されていたモニターで見ていた。

 会場の外へ出た未来達は、外で着々と集まって待機していた警察や一課の隊員の誘導によって少し離れた場所で一カ所に集められていた。

 会場への道は隊員が全て封鎖して入れないでいた。さっき偶然会った津山士長も警備に協力するためにそちらへ向かった。

 封鎖し立つ隊員に詰め寄る多くのテレビ局のカメラマンやアナウンサー。彼らはどうしても入れないと悟ると、その場で中継を始めたりモニターを撮っていたりした。

 ――鏡華さん。

 胸の内で彼の無事を祈る。

 その時だった。リーン、と鈴がなるような音が頭の中に届いたのは。

 

「え――?」

 

 振り返っても、いるのはごった返した人混み。聞こえるのは人混みの声。鈴の音が聞こえるわけがない。

 だけど今、確かに聞こえた。まるで、自分の大切な何かに何かが起こっていると知らせているみたいな――

 

「ヒナ!」

「ッ――!」

 

 創世の声で我に返る。

 モニターに映る鏡華に槍となったノイズの大群が襲いかかろうとしていたのだ。

 

「鏡華さん!」

 

 誰もが全員、最悪の状況を頭にイメージした。

 それが今、目の前で放送されると思った。

 だが、その予想は覆された。

 槍となったノイズが刺さる直前――モニターがブツッと切れたのだ。

 モニターの中央には『NO SIGNAL』の文字が。

 辺りはざわつく。

 だが、未来達だけは違った。

 

「これって、つまり……」

「ナイスなタイミングで会場からの中継が途絶えたって事ですね」

「アニメ的な展開きたぁー!」

 

 弓美が喜ぶと同時に、会場の方角から盛大な音が聞こえた。

 いくら映像と実際の光景にタイムラグがあるからと云って、この遅延は鏡華がノイズに襲われた音ではない。

 未来は胸の前で手を組み、わずかだが瞳を輝かせた。

 頭の中に響いた鈴の音は、もうすっかり忘れてしまっていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 緒川から連絡が来たのはノイズが落ちる直前だった。

 視界の端に見えたモニターに映し出された真っ黒い画面。

 ――好き放題やりやがって。くれてやる、てめぇらの鎮魂歌(レクイエム)を。

 獰猛な笑みを見せ、瞬間に鏡華は歌った。

 

「Agios, avalon eleison imas――」

 

  ―煌ッ!

 

 鏡華の内から眩い閃光が溢れ、襲うはずだったノイズを炭すら残さず消滅させた。

 光が消え、そこに残っていたのは独りの騎士。

 過去に白色だったライダースーツのような防護服は漆黒へ変わり、銀色の鎧をその上から纏っている。

 その手に握るは既に槍ではない。

 過去に王を選定する聖剣とし、とある騎士を騎士王と認めた王の剣。銘をカリバーン。

 鏡華はカリバーンを地面と平行に構え――横へ一閃。

 それだけで光の刃が飛び、ノイズの軍勢へ放たれ――

 

  ――選定す煌めきの閃光――

 

  ―煌ッ!

  ―輝ッ!

  ―爆ッ!

 

 閃光と騒音を撒き散らして、ノイズだけを両断する。

 マリアは今の一撃を目の当たりにして絶句する以外出来なかった。

 当たり前だ。今の一撃、無造作に振るったようで――完璧に制御されたものだった。ノイズがいるのは大体真ん中。当然、ブロック板が存在する。なのに、鏡華が放った一閃はそれを――否! “会場の備品”を壊していないのだ!

 ――これが、

 

「これが、アヴァロンの――完全聖遺物の力……!」

「いーや。完全聖遺物の力だけじゃないぜ」

 

 ハッと気付いた時にはもう遅かった。

 拘束するようにマリアの首筋に槍と剣を構えた奏と翼。

 その身体に纏っていたのは衣装ではなく、シンフォギアの防護服だった。

 奏はガングニールとアヴァロン。翼は天ノ羽々斬。

 

「あの力は完全聖遺物を己の得物とした、鏡華の実力だ」

「あたしみたいな紛い物や借り物と違ってな」

 

 自嘲気味に奏は呟く。

 それがマリアの琴線に触れたのか。予備動作なしでマントを伸ばす。

 間一髪で得物で防ぐ二人。だが距離は大幅に離された。

 

「おっとっとー? あたし、何か言ったか?」

「呆けないで奏!」

 

 何かを見上げて叫んだ翼に、奏は槍を回転させて盾とした。

 聞こえてきた第三者の歌。二人に小さな丸形の何かが降り注がれる。

 

  ――α式 百輪廻――

 

 翼も二刀の柄を合わせて一刀とし奏のように盾とする。

 丸鋸のような攻撃は小さく攻撃力は大した事はないが数が多い。

 防ぐだけで攻勢に回れないでいると、

 

「いくデスっ!」

 

  ――切・呪リeッTぉ――

 

 緑色の防護服、大鎌を持つシンフォギア奏者が刃を放ってきた。

 動けないでいる翼と奏の側面から刃が襲い掛かる。

 このままでは刃の一撃を喰らう。――このままであれば。

 

  ――護れと謳え聖母の加護――

 

  ―破ッ!

 

 鏡華と奏が同時に発動する。鏡華が翼を守り、奏は片手で槍を回しながら片手で盾を翳した。

 刃を防ぎ、丸鋸を防ぎきり、鏡華、翼、奏はステージから飛び地べたの観客席に着地する。

 

「危機一髪だったデスよ」

「大丈夫? マリア」

 

 マリアの近くに着地する奏者二人。

 翼は新たな奏者の存在に思わず絶句する。

 

「そんな……奏者が三人……!」

「一気に増えたなぁ」

「いや――まだ増えるぜ」

 

 鏡華の言葉と同時に全員の耳に騒音が聞こえた。

 上を見れば――ヘリが、ヘリから飛び降りる三人の姿が。

 

「上か!?」

「土砂降りな! 十億連発ッ!」

 

  ――BILLION MAIDEN――

 

  ―発ッ!

 

  ―発発発発発発ッ!

 

 土砂降りとも十億連発とも相応しい弾丸の嵐をマリア達に上空から撃ち込むクリス。

 大鎌と丸鋸の奏者は跳んで回避し、マリアはマントを盾として防ぐ。

 そこへ落ちるのは響の鉄拳。腕部のパーツをオーバースライドさせてないにしろかなりの一撃は持っている。

 もちろん、響なりに手加減と修正はして当たらないように撃ち込んだ。

 回避するマリアに追撃する事なく響とクリスは鏡華達の場所まで下がる。

 ヴァンだけはそのまま鏡華達の場所に着地した。

 

「そうか……やはり……」

 

 誰に言うわけでもなくポツリと呟くと、エクスカリバーを腰に提げた。

 対峙するシンフォギアを纏う者達。

 響が一歩前に出る。

 

「やめようよ! 今日、出会った私達が戦う理由なんてないよ!」

 

 分かり合える人間同士だからこそ拳を交える前に対話を持ち掛ける。

 以前は叱咤した翼とクリスも今は何も言わない。

 だが、表情が乏しい丸鋸の奏者――月読調は響の言葉に反応を示した。

 

「そんな綺麗事をっ!」

「綺麗事で戦う奴の言う事なんか信じられないデスッ!」

 

 大鎌の奏者――暁切歌も大鎌の刃を向けて、響の言葉を拒絶する。

 

「そんな、話せば分かり合えるよ! 戦う必要なんか――」

「偽善者」

 

 遮り、調はそう響を呼んだ。

 ――あなたみたいな偽善者がこの世界には多過ぎる。

 そう言って、頭に付いたアームから丸鋸を射出する調。

 

  ――α式 百輪廻――

 

 躱せない距離ではない。

 しかし響は避ける事なく――避ける事を忘れたかのように突っ立っていた。

 響の前に躍り出る鏡華。プライウェンを顕現して丸鋸を防ぐ。

 

「何をしている立花!」

 

 翼が叱責し飛び出す。奏も翼に続き、マリアへ向かう。クリスは援護するようにガトリングガンで牽制する。

 マリア達三人も散開し、マリアは翼と奏へ、調は響と鏡華へ、切歌は大鎌を回転して弾丸を防ぎながらクリスへ、それぞれ向かう。

 

「はぁ……」

 

 億劫そうに溜め息をついたヴァンはクリスと切歌の間に割り込むと、大鎌を篭手で防いだ。エクスカリバーは提げたまま抜いていない。

 

「クリス、下がれ。近すぎだ」

「おう」

「何で、剣を抜かないデスかっ!」

 

 ガチャガチャと不協和音を立てて大鎌を押し通そうとする切歌がヴァンに叫ぶ。

 ヴァンは防御に使ってない腕でこめかみを掻き、「抜かないんじゃなくて抜けないんだ」と呟き、

 

「貴様らに刃を向ける事はしないと“あいつら”に約束してしまったからな。――暁切歌」

「なっ、何であたしの名前を知っているデスか!?」

「さあな。教えてやってもいいが――弾丸の餌食になるならの話だ」

 

 大鎌を弾き、その場から飛び退く。同時にクリスの弾丸がその場を荒らす。

 切歌も弾丸を防ぎながら飛び退いた。

 ヴァンは自分の篭手を見る。わずかに削られた傷は見えたが、それ以外の傷は見当たらない。

 

「不死殺しはなし。――ハルペーではないか」

 

 翼と奏の方を見る。あちらは二対一と云う有利な状況下で戦っているが、マリアのマントが存外に厄介な様子だ。

 全範囲をカバー出来るマントが連携を邪魔しつつ二人の攻撃を防いでいる。

 

 一方、響と鏡華は防戦一方で調の大鋸を躱し続けていた。

 反撃に出ればいいのだが、鏡華は何故響がここまで動揺しているのが気になっていたのだ。

 

「それこそが偽善!」

 

 響が戦う理由を話せば、調が偽善と両断する。

 ……自分が空気になっているように思えたが、気にしない事にした。

 

「痛みを知らないあなたに誰かのためになんて言ってほしくない!!」

「ッ――!」

 

  ――γ式 卍火車――

 

  ―投ッ!

 

 さっきまでアームを使って振り回していた大鋸を投擲してきた。

 鏡華はいち早く回避したのだが、呆けてしまっている響は避けようとしない。

 

「馬ッ鹿野郎!」

 

 闊歩で響の前に躍り出て、盾を出す暇もなく大鋸を篭手を付けた両腕で受け止める。不協和音を目の前で奏でられる上にガリガリと篭手を削り肉を裂いてくる大鋸の一撃に顔を顰める。

 

「遠見先生!」

「痛ぅ……! おい、そこのノコギリ女!」

 

 痛みを噛み殺し、鏡華は調に向かって叫ぶ。

 

「お前、立花の何を知っている? 立花の過去を知った上でのさっきの台詞か?」

「……」

「こいつの頭ん中は毎日お花畑かもしんないがな、過去に傷付いているかもしれないんだぞ! それぐらいは考慮して言ってやれ!」

「あ、あの遠見先生……フォローになってないですよ? 先生の言葉で地味に傷付いてます……」

「つべこべ言うな! 心で真意を感じ――とりゃ!」

 

 大鋸を地面に叩き付けて壊しながら言う。

 響は思わず「言ってる意味全然分かりません!」とおなじみの言葉を返してしまった。

 鏡華と響の元に翼と奏、クリスとヴァンが戻ってくる。

 

「大丈夫? 鏡華」

「相変わらずな。もう治癒しちまってるよ」

「あんま怪我すんなよな。あたしは、鏡華と痛みを共有(リンク)してるんだから」

「あいあい。今度から善処するわ」

 

 回復し傷痕すら残ってない手を振り、カリバーンを具現する。

 あちらも集まり通信に耳を傾けているようだった。

 ――つまり、彼女達に指示を送っている黒幕がいると云う事。

 しかし、二倍の戦力差を以てしても互角の戦いを見せる彼女達を倒し黒幕を吐き出させられるかどうか。

 とは云え、状況的には有利に変わらない。後は防戦一方だった鏡華とヴァン、響が攻勢に回れば――

 思考していると、会場の真ん中に突然ノイズが現れた。

 

「わぁぁ、何あのでっかいいぼいぼ!?」

 

 今までのようなノイズではなく、所々が肥大化し響達の身の丈の数倍はありそうな巨大なノイズ。しっかりとした形を保っておらず、響が表現したでっかいいぼいぼがまさに当てはまるだろう。

 

「増殖分裂タイプ……」

「こんなの使うなんて聞いてないデスよ!」

 

 切歌の言葉通りなら、このノイズの登場は彼女達の予定にもなかったようだ。

 マリアは通信で「分かった」と呟くとアームドギアを展開した。そのアームドギアは色こそ違えど形状は奏のアームドギアと同形の代物だった。

 ガングニールの穂先をノイズへ構える。穂先が形状変化しエネルギーが充填されると、

 

  ――HORIZON†SPEAR――

 

  ―煌ッ!

  ―裂ッ!

  ―波ッ!

 

 ノイズ向かってエネルギーによる光の槍が放たれた。

 これには鏡花達も驚いた。自分達で出したノイズを自ら破壊しようとする行動。

 だが、どうやらその行動はあながち間違いではなかったようだ。

 出力を抑えていたらしき一撃はノイズを消し去るには至らず、むしろ肉片を会場中にバラまいた。

 それを見る事なく撤退を始めるマリア達。

 

「ここで撤退だと!?」

 

 翼は驚愕するが、いち早く気付いた響と奏が背中合わせに構える。

 

「皆! ノイズがっ!」

「なーるほど。増殖と分裂ノイズを殿(しんがり)にした撤退だったか。こりゃ悪くねぇな。あたしらには最悪だけど!」

 

 試しに、とガングニールで《LAST∞METEOR》を放ってみる奏。バラまかれた肉片を千切り飛ばしたが、その千切り飛んだ肉片がまた別の肉片とくっつき増殖を続けていた。

 鏡華とヴァンも光の刃で消滅を試みたが、如何せん会場を壊さぬよう出力を抑え気味になってしまい、増殖のスピードが消滅させるより早く、焼け石に水のようだった。

 会場に損害を与えず、増殖と分裂のスピードを凌駕するスピードでノイズを消滅させる方法はたった一つ。

 

「絶唱――絶唱しかありません!」

「だけどあのコンビネーションはまだ未完成なんだぞ!?」

「未完成だろうとやるしかないだろう。ぶっつけ本番とは――私達らしいな」

「おいおい、マジかよ」

 

 三人で話を進める中、鏡華とヴァン、奏は既にその場から離れ、会場を三等分するように別れて立っていた。

 

『まったく。俺達置いてけぼりってのはどうよ? S2CAは今現在、三人が精一杯だから仕方ないけどさ』

『特に何も。それより、こっちも失敗(ミス)などしてくれるなよ』

『あいよ。こっちもぶっつけ本番だけど何とかしてみようぜ!』

 

 念話で話し合いつつ、自分の役割に集中する三人。

 アヴァロンを具現し、その内より飛び出る光り輝く何枚もの紙。鏡華はその中から一枚を手に取り、奏の元へ《遥か彼方の理想郷》を通じて送る。

 送られてきた紙――歌詞が書かれた譜面を奏は受け取り、滔々と歌い上げる。その歌はまるで絶唱のように力を持ち、会場全体へ拡がっていく。

 それをヴァンがただ拡がっていくのを防ぎ、手綱を操るが如く誘導し、会場を覆うようにして唱壁として固定する。

 これが響、翼、クリスの《Superb(S) Song(2) Combination(C) Arts(A)》をトレースしてアレンジを加えた鏡華、ヴァン、奏のコンビネーションスキル《Mind(M) Memory(2) Creation(C) Song(S)》である。

 

『立花響のように調律するわけではないが――くっ、やはり他者の歌を固定するのは至難の業か。遠見! 少し厚みを減らせ!』

『了解。奏、だんだん遅く(ラレンタンド)――そのまま静かに(カルマート)!』

 

 奏の歌を唱壁として操っているヴァンの指示を受け、鏡華が奏を指揮する。奏は言われた通りに歌い唱壁を改変させていく。

 準備が完了している間に響達三人の絶唱の聖詠も唱い終わっていた。

 

  ―輝ッ!

 

 三人を中心に光が混じり合い虹色の光となって膨れ上がっていく。

 だが決して唱壁の外へは漏れ出ない。漏れ出さないようにしていた。

 

「スパーブソングッ!!」

「コンビネーションアーツッ!!」

「セット! ハーモニクスッ!!」

 

 もちろん響達が唱壁の外へ出さないよう調整しているわけではない。そんな余裕は三人の誰にもない。

 出さないよう調整しているのはヴァンであり、奏であり、鏡華である。

 ノイズを跡形もなく、それこそ分子レベルまで消し飛ばしている絶唱のエネルギーを受け止めている三人にも絶唱の反動と相応のダメージが襲う。それでもなお指揮を、歌を、操作を、止める事はしない。

 

『ぐぅ……! 少し薄い! 厚く、重くしろ!』

『ッ、重々しく(グラーヴェ)! ……そこ! 五秒前の音を保持してくれ(ソステヌート)!』

『……ッ、……ッ、りょう、かいっ!』

 

 上空には二つの光が交わってオーロラのような幻想の光を醸し出しているが六人は気付かない。

 絶唱が巨大ノイズのいぼいぼを全て消し去り、本体を曝け出させる。

 瞬間、翼とヴァンが叫んだ。

 

「今だっ!」『凝縮させろ(カンデンセイション)ッ!』

「――レディッ!」

急速に(プレスト)音を結びつけろ(スラー)!』

 

 響の声に合わせ最後の指示を送る。

 あれほど会場全体を包み込んでいた絶唱のエネルギーが響の身体に、ギアに集中する。

 その上からまるで響を包み込むように奏の歌が凝縮される。

 各部位のアームを解放、加えて両腕のユニットを一つに合わせてそこへエネルギーを全て流した。

 余剰エネルギーか、腕部ユニットを囲うように虹色のリングが自然と発生する。

 ――その時だった。

 微かに響の全身を漆黒のナニかが染め上げた。

 しかし、それは一瞬の出来事で誰の眼にも映らなかった。

 

「これが私達の――絶唱だぁぁあああっ!!」

 

  ―撃ッ!

 

 腰のブーストもプラスしてノイズの本体へ迫り、響は握り締め絶唱を籠めた拳を全力で叩き込んだ。

 減り込む拳。追撃とばかりに腕部ユニットの一部がノイズに突き刺さり回転を始めた。

 

  ―轟ッ!

  ―煌ッ!

  ―波ッ!

 

 回転を始めた途端、溜め込んでいた絶唱のエネルギーがそれに合わせて解放。暴風を巻き起こして上空へと吹き荒ぶ。

 どこまでも――成層圏まで吹き荒ぶ一撃に、ノイズは耐えきれるわけがなく成層圏に届く前にその身を消滅させた。

 

 ボロボロになりながらも会場に静寂が訪れると、鏡華とヴァン、奏と響が防護服を解いてその場に膝をついた。

 同じく防護服を解いた翼とクリスが一番近くの、そして“三人分の絶唱のダメージを受けた”響へ駆け寄る。鏡華達もふらつく足を叱りつけてその三人の許へ歩いた。

 

「私のしている事って偽善なのかな……?」

 

 聞こえたのは涙を流しながら呟いた一言だった。

 誰もが問い返せない中、響は構わず呟いた。

 

「胸が痛くなる事だって知ってるのに……!」

「響……」

 

 思わずと云った様子で奏が涙を流す響を肩に手を置いたクリスごと抱き締めた。いつもであれば抵抗するクリスも空気を読んでかされるがままに、むしろ涙を目尻に溜め自分から響を抱き締めた。

 立ち尽くす翼、鏡華、ヴァン。初めて見た響の表情に言葉すら掛けられないでいた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 会場から放たれる虹色の閃光をマリア達はしっかりと見ていた。

 だが、見なければよかったかもしれない。

 

「な、何ですか、あのトンデモは!?」

「……綺麗」

 

 切歌は絶句し、調はその威力とは裏腹の輝きに眼を奪われていた。

 マリアは絶句も眼を奪われる事もなかった。なかったが、

 

「こんな化物をこれから相手取らなきゃいけない……」

 

 目の前ではっきりと実力を魅せつけられ、歯軋りしてしまいそうになる。

 彼我の実力差は決定的だ。

 しかし、目指すべき理想を、夢を叶えるためにはいつかは越えねばならない壁。

 大きく、険しく――天より睥睨する月まで届きそうな壁だ。

 その時、後ろで物音がした。

 振り返れば、黒装飾の人間が立っていた。

 敵ではない。味方ではあるが――

 

「見事なものだな。だが、正直人間が出していい光じゃない」

 

 黒装飾によって籠った声は年齢を計り辛い。

 唯一分かる事と云えば、彼が男だと云う事。自分を代替歌詞(オッシア)と名乗った事。

 

「頑張ってレベルを上げるしかないな」

「そんな事は言われなくても分かっている事よ」

「うん」「デス」

「それは失礼。――ヘリはすぐにでも飛べる。すでに“二人”は回収し、覚醒もした。撤退するぞ」

「……分かったわ」

 

 頷き、最後にもう一度あの光を瞳に焼き付けると、

 マリア達は黒装飾の案内によって夜の帳に姿を消すのだった。



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Fine2 狭間の標Ⅰ

理想と現実は、重なり交わるものに非ず。
然れど重ねるしかない――どんな非情が待っていようと。
喩え、慕う者に拳を向けようとも。
Fine2 狭間の標
悪を正義と貫く少女達が往く道に、
陽だまりへと進める標は、未だ見えてこず。


 S2CAトライバースト――

 “他者と繋ぎ合う”と云う希有な特性を持つ立花響を据える事によって絶唱の威力を増幅、更には奏者に掛かる反動を軽減する二重の効果を持つ奇蹟の一撃を奇蹟以下に抑え技と成したコンビネーションアーツ。

 録画を見たナスターシャが考えたS2CAの説明はこんな所だった。

 遠見鏡華と夜宙ヴァン、天羽奏が何をしたかは分からなかった。仕方ないとそれまでだが、できれば見ておきたかった。

 ――しかし、と呟く。

 本来、他者と繋ぎ合うなんて特性は彼女の持つガングニールには存在しない。絶唱は媒介となる聖遺物の能力の延長線上にある。考えられるとすれば立花響の特性と云うべきか。

 これではまるで立花響が聖遺物のようだ。彼女には、聖遺物と融合を果たした融合症例第一号とコードネーム化されているが、その言葉は正しいみたいである。

 別のモニターにはINCUATED(孵化)と表示されたネフィリムの休止状態と、現在の活動状態のネフィリムが映し出されている。

 

「旧約聖書にて『天より落ちたる巨人』と記され、人成らざるモノと人の娘から生まれたとされるネフィリム」

 

 後ろで扉が開かれる音と説明のような声が聞こえた。

 ナスターシャは振り返らない。

 しかし目の前に湯気を立てるカップを差し出され、邪魔なので受け取った。

 

「神の子、巨人、堕天使(グリゴリ)――説は様々だが、こいつのせいで彼の有名なノアの大洪水が引き起こされたらしいな」

「あくまで一説ですが。……ところで、これは何ですか? 人の飲むものでは――」

「うるさい黙れ病人。薬だけに頼ってないで青汁飲んでろ」

 

 オッシアは捲し立てるように言って、自分も青汁を飲んだ。

 慣れない味に顔を顰める。

 ナスターシャもちびりと口に含む。

 

「あー、不味い」

「…………不味い。ですが、もう一杯欲しくなる味です。不思議だ」

「けっ、爺婆の味覚は分からん」

 

 黒装飾の中に突っ込んでいた水筒を取り出したオッシアは、ドンとナスターシャの座る車椅子に置いた。

 

「そこにたっぷり詰め替えた。尿意を感じない程度に飲んでおけ」

「……感謝はしておきましょう」

「ふん。あんたに倒れられるのが一番厄介なんだ」

 

 その時、モニター内のネフィリムが暴れ出した。警報が鳴り始める。

 最近ではよくある事だ。ナスターシャもオッシアも慌てる事なくコンソールを操作し隔壁を閉じ、“餌”を放り込んだ。

 

「面倒だな。共食いすら厭わぬ飢餓衝動と云うのは」

「……やはり、ネフィリムとは人の身に過ぎた――」

「人の身に過ぎた先史文明期の遺産、とか何とか言わないでくださいよ」

 

 ナスターシャの言葉を遮ったのはまた新たな人物。

 部屋の奥から現れたのは――

 

「喩え人の身に過ぎていたとしても、英雄たる者の身の丈に合っていればそれでいいじゃないですか」

 

 笑みを浮かべてウェル博士は言った。

 ここにいる事に驚く事のないナスターシャとオッシア。

 彼らが協力関係である事が窺える。

 

「Dr.ウェル」

「マム! さっきの警報は!?」

 

 今度はマリアと調、切歌が部屋に入ってくる。

 シャワーを浴びていたのか、髪がわずかな光でも反射して輝きを魅せていた。

 部屋にナスターシャだけでなく、オッシアとウェル博士がいる事に気付き、マリアはガウンの胸元を隠した。

 

「いちいち恥ずかしがるな。誰もお前のデカパイに欲情なんかするか」

「でか……ッ! 余計なお世話よ!」

 

 オッシアの言葉に喰って掛かるマリア。

 そんなマリアを切歌と調はジトッとした視線を送っていた。

 

「心配してくれたのね。でも大丈夫。ネフィリムが暴れただけ。隔壁を下ろして食事を与えているから直に収まるはず」

 

 そんな視線を意に介さず、ナスターシャは安心させるように状況を説明する。

 説明が済む前に隠れ家を揺らすネフィリムの暴走。

 

「マム」

「やれる事はやってある。それでも駄目ならオレが黙らせる」

「ッ……」

「そんなことより、そろそろ飯の時間だぞ。ヘリに用意してあるからさっさと行け。ちなみにウェルのはない。てめぇは独りで草でも食ってろ」

 

 オッシアの言葉に眼を輝かせる切歌と調。

 ナスターシャは私はいりません、と言うが、

 

「うるさい黙れ病人。薬だけに頼ってないで栄養を取りやがれ」

 

 さっきと同じような言葉で黙らせるオッシア。

 

「マムも食べるデスよ。こいつ、口は悪いけどご飯は美味しいデスから!」

「一緒に食べよ、マム」

「……分かりました。視察の準備をするのであなた達は先に行って食べていなさい」

 

 すっかり胃袋を支配されてしまった二人に内心で溜め息を漏らしつつ、ナスターシャは部屋を出る。オッシアも部屋を出る。その後を三人が付いていく。

 オッシアの悪口にも笑みを消さないウェル博士は手を腹部に当てて恭しく一礼する。

 

「オッシア、オッシア! 今日のご飯は何デスか?」

「この前釣ってきた魚と、米にザバーッと掛けたアレ」

「アレ……オッシアのアレは美味しい」

 

 感情の起伏が少ない調もわずかに頬を染めて思い出すように呟く。

 彼が来てからと云うもの、フィーネの台所事情は彼に掌握されてしまったと言っていい。

 だが、正直なところ、マリアも食事に関してだけはオッシアに感謝はしている。

 これまでの武装集団フィーネの食事と云えば、日本で百円ぐらいの惣菜パンや麺類がいつもの食事。三百円ぐらいのカップ麺はごちそうになっていた。

 それがどうだ。オッシアが食事事情を見てから、三食のほとんどがごちそうを超える食事になったのだ。

 初めてオッシアが食事を作った時、切歌が、

 

「さ、最後の晩餐デスかっ!?」

 

 と、よだれを垂らしながら驚いたのは今でも鮮明に思い出せる。

 そんな事を考えていると、

 

「胸が大っきくなる料理ってないデスか? マリアぐらいに」

「牛乳でも飲んでろ並盛り。特盛りにはならないだろうがな」

「私は小盛り? 小盛りだよね? オッシア」

「……分かった。謝るから血の涙でも流せそうな顔をするな。お前は防人だ」

「やったデスよ調! 防人デス!」

「うん。小盛り以上」

「……小盛り以下だけどな」

「……それで、一体あなた達は何を言ってるの?」

「胸の事だ特盛り。マリアと雪音クリス、天羽奏が特盛り。立花響が大盛り。切歌が並盛り。調と風鳴翼が防人だ」

 

 当然のように言い返してくるオッシア。

 下ネタトークに関わらず誰もツッコミを入れない辺り、彼に毒されていると言うべきか。

 頭が痛くなり、思わずこめかみを抑える。

 何で顔をまったく見せない男にここまで振り回されるのだろうか。

 彼の個性と言えば聞こえはいいが、どうにも掴めない。

 

「それよりオッシア。あの子は?」

「外へ出た。流石に気分転換でもさせないと肉体は元より精神が持たないだろう」

「なっ……! 外へ出したですって!? 何を勝手な事を――」

「奴が頼んだんだ。それに、言っただろう。精神が持たないと。奴の好きにさせないと計画に支障をきたすぞ。それに、もしもの場合は連絡するよう厳命してある」

「ッ……そう。分かった。あの子の事はあなたに任せるわ。あなたにしか……」

 

 何か慰めの言葉を掛けるべきなのかもしれない。しかしオッシアは「行くぞ。冷めてしまう」と言って先を歩いた。

 自分はあくまで協力関係であり、居候みたいなものだ。食事事情を除けばそれ以外は深く関わるべきではない。

 それにこれぐらいの絶望は、自分で乗り越えなければ意味がないと思う。自らの力で絶望を打ち破り、標を見つけて理想郷へ辿り着かなければ。

 そして、自身が経験した絶望に比べれば――こんな奴らの覚悟や絶望など安いものだ。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 武装集団フィーネによる宣戦布告より一週間が経過した。それにより日常が変わる――事はなかった。

 一週間が経過した――何もない一週間が経過したのだ。

 宣戦布告以降、フィーネの行動は完全に闇に隠れ表立った情報は何もない。あの国土割譲と云う要求もデマだったのか、二十四時間が過ぎても各国の主要都市にノイズが出現する事はなかった。

 だが、表立った行動はなくとも裏立った行動ならば、緒川が見つけた。

 とあるヤクザと関わりを持って資金洗浄をしていたようである。そこに気になる情報があったらしいが、詳しい事は分かり次第また報告するらしい。

 

「マリア・カデンツァヴナ・イヴ。暁切歌。月読調。F.I.Sの研究対象だ」

 

 緒川の報告が済んだ後、ヴァンはそう切り出した。

 

「そも、F.I.Sはフィーネが米国と通謀したのを機に発足した研究機関だ」

「了子君が……だが、何故それを君が?」

「ジャンとエド――米国政府直属の暗部にいた知り合いの兵士に教えてもらった。奴ら、何を思ってかは知らないが文通相手になってほしいと写真まで見せて頼みこんできたんだ」

「それが彼女達か」

「どうやらあいつらはかなり特殊な階級だったらしく研究所にも行っていたらしい。しかも彼女達と戦わないで仲良くしてくれ、なんて約束をしやがって……まさかそいつらと戦うハメになるとは思わなかったが、手出し出来ないのは面倒だ」

「だから会場に到着してから星剣を抜かなかったんだな」

「約束を違えるのは俺の流儀に反するからな。――話が逸れた。正直、今回の件は米国は関わってないと見る」

 

 珍しく仮説の段階から断言するヴァン。

 

「ほう……そう言える根拠は?」

「後で遠見から聞いたんだが、暁切歌、月読調が纏う聖遺物はイガリマとシュルシャガナらしい。不死殺しがないのと翠と紅の刃が決定的だったらしい」

「イガリマ……シュルシャガナ」

「シュメールの戦女神(ヴァルキリー)ザババが持つとされる二つの武器だ。それらは元々F.I.Sにフィーネが送って研究していた聖遺物だったはずだ。そしてお前が事務次官から聞いたと言っていた聖遺物研究機関のトラブルと合わせ考察すれば――」

「辻褄は合うわけだ」

 

 納得したように腕を組む。

 だが、裏側が見えた所で表側さえ対処出来ないのだから、裏側に人員を割く事は出来ない。

 状況はまったくと云っていい程変わっていない。

 

「F.I.Sに圧力を掛けるカードにはなりませんね」

「だろうな。情報源が子供の言葉では信憑性も薄い」

「だが、俺達は信じるぞ。ヴァンの言葉」

 

 ポンとヴァンの頭に乗る弦十郎の手。

 ごつごつと固いはずなのに何故だが柔らかい感じだった。

 

「やめろ。俺の扱いをクリスと同じにするな」

「すまんすまん。性分なんでな」

「まったく……。一応、簡単な情報の開示はした。リディアンに戻らせてもらうぞ」

 

 手を振り払い、踵を返して出ていこうとする。

 扉から出る前に弦十郎に呼び止められる。

 

「すまないが、これを鏡華に渡しておいてくれないか?」

「何だこれは」

「緒川が頼まれていた情報らしい。詳しい事は聞いてないが、まあ鏡華の事だ。何か大事な事なんだろう」

「……緒川慎二以外動けないみたいだしな。――了解した(オーライ)

 

 投げ渡された茶封筒をコートにしまい、今度こそヴァンはその場を後にした。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「えーっと、因数分解ってのはアルファベット順だから、ma+mbはイコールすれば……あれ? 二つある奴はどうすれば……?」

「センセー、ma+mbの答えはこうですよ」

「あ、はい。すみません」

 

 教師のはずが生徒に教わっていた。

 誰であろう遠見鏡華である。

 

「でもセンセー。何で出来ない教科の代理してるんですか?」

「新米教師ってのはな、断る事は出来ないんだ。喩え出来ない教科の代理だろうと、新米には拒否権が存在しない」

「でも中学の数学も出来ないんだよね?」

「……はい、出来ません。馬鹿でごめんなさい」

 

 格好付けようとするが、鋭い指摘で鏡華は肩を縮こませるだけだった。

 まあ、当たり前だろう。小学生から学校をよく休み、中学生で中退したと云っても過言ではない鏡華の人生。高校生になってない鏡華が高校の数学を解けるはずがないのだ。

 

「仕方ないのでプリント配っときます。次の授業までにやっておくように、だそうです。次の授業までにやると約束するなら、今からの時間は自習とします。――いや、ほんと。馬鹿でごめん」

 

 もらっていたプリントを列ごとに配っていく鏡華。

 その時、窓際の一番後ろの席の生徒が心ここにあらずと云った様子であると気付いた。

 説明するまでもないが、響だ。

 あの一件からよく考え事をするようになったと思ったが、流石に授業中は注意しないと他の授業で面倒だ。

 仕方ないので注意する事にした。

 

「立花。考え事もいいが、授業だけは聞いた方がいいぞ」

「……はい」

 

 声を掛けてからちょっと後悔した。

 これはかなりの重症だ。響がここまで悩んでいる姿は初めて見る。

 ――他人に比べたら大した事のない状態だが。

 仕方ないので――イジって楽しむ事にした。

 

「授業聞かなくても頭いいんだったな」

「はい」

「小日向にデレデレなのは小日向が好きだから」

「はい」

「ぶっちゃけ、小日向ラブ?」

「はい」

 

 ただし、ネタが未来関係しかないのはご愛嬌ではない。決して。

 隣の席では未来が顔を赤らめて俯いている。周りの席ではクラスメートがクスクスと笑っている。中にはメモ帳に何かを書き込んでいるようだが気にしないでおく事にした。

 

「もう×の関係でいいです」

「はい」

響×未来(ひびみく)の薄い本が出たら三冊買う?」

「遠見先生とヴァンさんの薄い本ならお試しで購入しました」

「――――」

 

 ピシリと――いや、ビシッと教室が凍り付いた。

 それさえも気付かない響。

 

「ひ、響ッ!」

「ほえ?」

 

 未来の叫ぶような呼び声に、ようやく意識を現実に戻す響。

 そんな彼女が目の前で見たのは、驚愕を通り越したような最上級の驚愕の表情をしている鏡華。

 

「な……ん……だ、と……!」

「え? ど、どうしたんですか遠見先生!?」

 

 ふら、ふらとよろめいていた鏡華に驚いて立ち上がる響。

 鏡華はどうにか崩れるのだけは防ぐと、響に詰め寄った。

 両腕をがっちり掴み、キスしそうなくらいの至近距離で響を凝視した。

 

「い、いだだだ! い、痛いです先生!」

「立花……詳しく、説明してもらおうか……?」

「はいぃ! 私如きが説明出来る事なら何でも!?」

 

 鏡華に恐怖して自分でも何言っているのか分かってない響。

 

「俺とヴァンの薄い本を購入したって言ったな? 言ったよな?」

「え? ――あ」

「言・っ・た・よ・な?」

「ッ、で、でもですよ先生! 購入したと云ってもすぐに未来にあげましたから!」

「ひ、響ッ!?」

 

 あっさりと白状されて今度は叫びに驚きも混ぜて立ち上がる未来。

 だが、鏡華は「そんな事はどうでもいいんだよ」と言った。

 

「へ? どうでも、いいんですか……?」

「問題はそこじゃない。そこじゃないんだ立花。読んだか? 中身を読んだか?」

「は、はぁ……」

「どっちが攻めだ。いや、聞きたくない! 聞きたくないが答えろ! 受け攻めはどっちなんだ! 俺が受けだったら許さんぞっ!!」

 

 ――どっちなんだ。

 ズルッと椅子から滑り落ちそうになりながらクラスのツッコミは心の中でだけ重なった。

 

「う、受け攻め?」

「……鏡華先生。響はその類いの本の事なんか知りません。受け攻めだって何が何だか……」

「……だろうな。立花が知っていたらグラビアで驚くなんてしないもんな」

「あの、未来も先生も、私を子供扱いしてません?」

 

 響のツッコミに「いや全然」と異口同音する鏡華と未来。

 それ以上情報は手に入らないと分かり、鏡華は響を解放する。

 その代わりに―ー

 

「じゃあ、未来さんや?」

「ひゃっ!」

 

 質問対象が未来に変わった。

 響以外に見られない角度から極上の笑みを浮かべ、頤に触れる。

 

「あ、あのあの、鏡華、さ――先生?」

「知ってそうな君に教えてもらおうかな? どっちが受けなのか攻めなのかを」

「ふにゃ……」

 

 間近で見つめられている上に優しい手つきで撫でるように触れる手が未来の思考をとろけさせ、掻き乱す。

 後ろから聞こえるキャーと云う歓声さえ今の未来には聞こえてない。響の眼を丸くしぽかんと口を丸くしている光景さえ見えていない。

 

「そ、そんなに重要なんですか? その、受け攻めが」

「ああ、そんなに重要だね!」

 

 バッと手を離し、顔を離し、鏡華は声高に叫ぶ。

 

「考えてみろ。男同士の交わりなんて女同士の交わりに比べたら、まったく絵にならないし、気持ち悪い! だがそれはまだいい! まだ許せる! 問題は俺がヴァンに攻められると云う事だ!」

「は、はあ……」

「俺がだぞ! 普段は感情すら表に出そうとしない、精々雪音ぐらいに喜楽を見せるあのヴァンに攻められるなんて――想像しただけでも身の毛がよだつわ!」

「あのー、そこは人によって感性が違うと云うか……」

「Shut up! Be quiet! 人の感性なんか関係ない! ヴァンが攻めではない事だけが真実なのだっ!!」

「人の名前(ネーム)を喚くな」

 

 熱く叫ぶ鏡華と対照的な静かだがよく通る声。

 突然の声に、教室にいた全員が声のした方を振り返った。

 そこには今しがたまで鏡華が何度も叫んでいたヴァンがいた。

 

「何でいる!?」

「この学院の生徒だからだが?」

「授業中だぞ――って、そうだ。てめぇは普通科以外出席してないんだったな……」

 

 頭を抱える鏡華にヴァンは首を傾げる。

 すぐに「まあ、いい」と呟くと、ずかずかと教室に入ってきた。

 

「マネージャーから届け物だ」

「一応、授業はしてたんだけどな……。ま、いいや」

 

 取り出した茶封筒を鏡華に手渡す。

 受け取った鏡華は、開けようと封に手を掛けようとして、ピタリと止まる。

 茶封筒の上には別の薄い冊子があった。全部で二冊。

 問題は表紙を飾るイラストだ。片方には響と未来が描かれ、もう片方には翼と奏が、それぞれ半裸で描かれていたのだ。

 

「ところで、さっきから馬鹿に騒いでいたが、受け攻めとは一体何だ?」

「いや、その前に聞かせろよ! 何だよ意味ありげに乗せたこの二冊は!?」

「ごみ箱で拾ったものだ。お前の物だと思い持ってきてやった。感謝しろ」

「ごみ箱にあるなら持ってくんなよ! 迷惑だよ! つか、俺のじゃねぇよ!」

「何だ、貴様のじゃないのか。まあいい。それより、さっさと教えろ。受け攻めとは一体何だ」

「ああもう。実は俺達のどうじ――」

 

 最後まで鏡華は口にする事はなかった。

 

  ―撃ッ!

 

 木材やら教科書やら鉛筆やら、とにかく色々な物が四方八方から飛んできたのだ。

 間一髪でヴァンは回避し、気付けなかった鏡華に見事命中し、どうにも嫌な音を立てて鏡華は崩れ落ちた。死んではいないだろうが、かなり痛い――はずである。

 

「お、おいっ。遠見、お前何を言おうとしたんだっ」

「ヴァンさん。気にしては駄目です」

「こ、小日向未来――」

 

 後に、ヴァンはこの時の事をこう語った。

 ――あれが小日向未来とはな。いや、クラス全員が結託して口封じもとい記憶封じに取り掛かった時は絶句するしかなかった。やはり、女とはクリス以外よく分からん。

 

 ついでにヴァンが鏡華に届けた冊子もいつの間にか処分されており、鏡華の記憶も失われていたので、この時の騒動は響や未来達だけが知る事になるのだった。



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Fine2 狭間の標Ⅱ

「まだこの生活に馴染めないのか?」

「まるで馴染んでない奴に言われたかないね」

 

 飾りを作りつつ返された言葉に、翼は苦笑を覚えながら「確かにそうだ」と呟いた。

 放課後、少し遅れている準備の遅れを取り戻そうと一人空き教室へ向かっていたら、曲がり角でクリスとぶつかった。何かから逃げ隠れているようだったが、よくよく話を聞いてみるとクラスメイトから逃げていたらしい。

 日常を与えられたが、まだ馴染めないようだ。何年も疑い傷つけ合う環境で生きてきただけあり、普通に接する事は難しいようである。その点、クリスの騎士はなんだかんだ言って馴染んでいるのだが。

 それに、翼自身にも似て異なる時期があった。だから思わず逃げ場所を提供するように誘ってしまったのだ。

 

「それより片翼はどうしたんだよ? 大抵は一緒にいたじゃねぇか」

「さあて。今頃何をしているやら。好き勝手飛び回ってるんじゃないか」

「呑気なもんだ。王様もどっか行ってるみたいだし、ボケッとしてると色々と先を越されるぞ」

「ふふ、違いない。しかしだな雪音――」

 

 クリスの指摘にも、苦笑を交えて言葉を返す。

 しかし途中で教室の扉が開き、言葉は遮られた。

 

「あ、翼さん。いたいた」

「皆……もう帰ったのかと」

 

 クリスには見覚えがなく、翼と面識がある口振り。

 ああ、こいつの友達か。とあっさり理解する。

 

「案外、人気者じゃねーか」

「――すまない」

「何で謝ってんだよ」

 

 申し訳なさそうな翼を見て、今度はクリスが苦笑した。

 翼のクラスメイトは独りで作業を進めようとしていた翼を手伝いに来たと言う。

 二人から五人へ増えた作業ははかどりを見せ、あっという間に飾りの山が出来ていく。

 

「でも、昔はちょっと近寄り難かったのは事実かな?」

 

 初めは自分達と住んでいる場所が違うと思ってた、とクラスメイト達は言った。

 しかし、思い切って声を掛けてみればその考えは偏見だった。翼も自分達と同じなんだと。

 

「皆……」

「最近では特にそう思うよね」

「そうそう。なんて云うのかな? 私達風に云えば、恋に生きてるって感じ?」

「恋って言っても、彼氏なんてリディアン(ここ)じゃあ出来ないんだけどねー」

 

 言えてる、とクラスメイトは笑う。

 的外れとは云えない喩えに、翼は隠れて息を呑む。

 ただし、クリスにはバレバレだった。

 

「ちぇっ、上手くやってら」

「重ねてすまない。気に障ったか?」

「別にそうじゃねーよ。ただ――」

 

 頬杖をつき視線を合わせずにクリスは言葉を続けた。

 

「あたしも、もうちょっとだけ頑張ってみようかな」

「……そうだな」

 

 自分に対して向けた言葉でもありそうな台詞に翼は笑みを浮かべる。

 ちょっとの気持ちで世界は大きく変わる。

 身を以て知った翼だからこそ、分かる事だった。

 

「あれ? 君、指輪してるの?」

 

 クラスメイトがクリスの右手の薬指に嵌められた指輪に気付いた。

 クリスはさして恥ずかしがる事なく、「ああ、これ」と自分の指輪を見た。

 

「付けたはいいんだけど、小さかったのか外れなくてな。今じゃそのまんまだ」

「へー。誰から貰ったの? もしかして彼氏?」

「まーなー」

「いいなー。彼氏がいて。私も欲しいんだけどねー。どっかにいい男いないかなー」

「遠見先生や一学年下に編入してきた夜宙ヴァン君辺り格好いいんだけどなぁ」

 

 鏡華とヴァンの名前が挙がり、ピクッと反応を示すクリスと翼。

 クラスメイト達は気付く事なく、格好良い男子談義を続ける。

 

「あれは良物件だね。私、アタックしてみようかなー」

「無理無理。あれだけ格好いいなら絶対彼女いるはずだよ」

 

 その彼女が目の前にいる事は誰も知らない。

 

「えー、でも、ソングライターのお仕事をしてガードの固い遠見先生はともく、夜宙君辺りの情報なら乙女の情報網(ガールズ・ネットワーク)に公開されてもいいんだけど」

 

 ――何だそれは。

 クリスと翼の心のツッコミが重なる。

 ちなみに余談ではあるが、乙女の情報網(ガールズ・ネットワーク)とはリディアンの女子生徒で構成された囁きサイトの通称である。乙女に必要な情報、特に男関係なら二課すら敵わぬ伝達速度を持っているらしい。響は知らないが未来や弓美達も登録している。本当に余談であるが。

 

「じゃあじゃあ! 私試しにアタックするよ!」

「な……っ」

「命短し、恋せよ乙女! 次に会ったら作戦開始だ!」

 

 盛り上がっている翼のクラスメイト達。

 翼には苦笑ものだが、彼女であるクリスにはたまったものではない。

 本気でバラしてやろうか、と席を立とうとした時。

 

「ああ、ここにいたのか。クリス」

 

 開け放たれた扉から声を掛けられた。

 視線の向こうには、今しがた話題に上がっていたヴァンの姿が。

 

「ヴァン!」

「教室から逃げ出した事は聞いていたが……どうやら上手くやっているようだな」

 

 つかつかと教室に入ってくる。

 突然の登場に驚いて声も出ないクラスメイト達をよそに翼は吹き出しそうになる。

 ――図ったような登場だ。

 

「べ、別に、こいつが誘ったんだ。あたしから言ったわけじゃねぇよ」

「そうか。感謝するよ風鳴翼」

「なに、雪音の気持ちは分からないでもないからな。だが、感謝するのならいい加減名前で呼んだらどうだ?」

「ま、追々とな」

 

 クリスの横に立つとぽんぽんと頭を撫でて微笑を浮かべるヴァン。

 気恥ずかしい気分で身体を縮こませるクリス。だが満更でもないようで少しだけ嬉しそうだ。

 未だにぽかんと口を開けて目の前の光景に見入っているクラスメイトのため、翼は奏を真似て、わざとらしく呟くように言った。

 

「夫婦の営みなら自分達の部屋でやる事だ。ここには純な乙女しかいないからな」

「夫婦の営み!?」

「ばっ、ふざけた事言ってんじゃねぇよ!」

 

 当然の事、クラスメイトは素っ頓狂な声をあげ、クリスがバンと机を叩いて立ち上がった。

 ヴァンは「こいつの事も口走ってやろうか」と云うような表情だったが、沈黙を保っている。ただし念話で「前言撤回だ。貴様の名を呼ぶ気が失せた」とは言われたが。

 何となくだが鏡華や奏が自分をイジって笑ってた気分が味わえた翼なのだった。

 

「はは、すまない。ちょっとした余興と云うものだ。そう怒るな。可憐な顔が台無しだぞ」

「あんたに言われても嬉しかねぇよっ」

「え、えーっと。つまり……夜宙君は既にこの子が売約済みって事?」

「売約はやめろ。せめて契約済みにしてくれ」

 

 別方向の訂正を願うヴァン。まったく照れがない辺り、羞恥と云う感情がないと思う時がある。

 クリスと二人きりの時はどうなるのか是非とも見てみたい。

 

「はーっ、年下に先越されちゃうなんてなー」

「内容が気になるが――遠見が言ってたが、学院の外では大抵この時間、他校の男がいるみたいだが。男が欲しいならナンパすればいいんじゃないか?」

「夜宙君分かってないなー。ナンパみたいな軽い恋はしたくないんだよ」

「そうそう。好きな人のためなら全力を尽くすぐらいの人と付き合いたいじゃん」

「……? 今時の女と云うのはそういうのが好きなのか?」

 

 コテンと首を傾げて問い返す。

 何かに撃ち抜かれた気分のクラスメイト達は「ちょっと待っててね!」と言うと、クリスと翼を引っ張って教室の隅へ行き、彼に聞こえない声量で話し出した。

 

「後輩ちゃん! 何君の彼氏! すっごい純情そうなんだけど!?」

「は、はあ? いきなり何なんだよ!」

「言葉遣いは荒いんだけど、真っ直ぐな感じ! そこんとこ彼女としてどう!?」

「え、えっと……その……」

 

 知らない先輩達に詰め寄られ、クリスはしどろもどろになり答えられそうにない。

 代わりに翼が答えてあげる事にした。

 

「夜宙と雪音は少し前まで田舎に住んでたらしい。だから世間には少し疎いんだ」

「田舎育ちのイケメンかぁ」

 

 いいなぁ、とクラスメイトが夢想する。その間にクリスが小声で翼に話し掛ける。

 

「おい、あたしとヴァンは別に……」

「馬鹿正直に話すわけにゆくまい。かと言って孤児ですと言って悲壮感を煽りたくないだろう」

「むぅ」

「一先ず田舎育ちと云う事で夜宙と話を合わせておいた方がいい」

「……今日帰ったらヴァンと話しとく」

 

 女子がひそひそと話している間、ヴァンはずっと待機してたが、流石に時間も推していたので一段落着いたのを見計らって声を掛けた。

 

「すまないが、もういいか? これから買い出しの護衛(ボディガード)として同行しなければならないんだが」

「そ、そうだったのか? 何ならあたしも一緒に行くけど……」

心配するな(ノープロブレム)護衛対象(サブジェクト)は立花響と小日向未来だからな」

「あいつらか……」

「無理して行く事もない。その代わり好きなもの買ってくるが、何がいい?」

「ヴァンの手料理で」

分かった(オーライ)。あんぱんな。お前達も雪音と関わってくれた礼として夜食は選ぶぞ」

「……無視すんなよ」

「そうか。なら私もおにぎりで。具材は問わない」

 

 クラスメイト達も次々と自分が食べたいものを言っていく。繰り返し呟いて記憶したヴァンは「確かに」と頷き“窓枠”に足を掛けた。

 また眼を丸くするクラスメイト達。

 

「あの、何をしてるのかな? 夜宙君」

「正門へ向かうつもりだが……?」

「ここ二階だよ!? 怪我するって!」

「ああ、そんな事か。――行ってくる、クリス」

「おー、いってらー」

 

 おざなりな挨拶に苦笑を浮かべつつヴァンは窓から一息に飛び出す。

 クラスメイト達は慌てて窓から覗く。

 クリスと翼は背後でクラスメイト達が驚くのを聞きながら、

 

「さあ、残りも少ない。夜宙達が帰ってくる前に済ましてしまおうか」

「りょーかい」

 

 残った飾りを作る事に集中するのだった。

 

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 人は単独では空を飛ぶ事は出来ない。

 いつかの時代、鳥の羽を集め大きな翼を作った細工師がいた。細工師は息子に翼を与え、息子はその翼を以てして空を飛んだ。しかし、調子に乗った息子は空を高く舞い上がり、太陽の熱によって翼は燃え海へ落ちたと云う。

 

「今じゃ鉄の塊に大勢の人間を乗せて乗ってるんだもんなぁ。人間ってやっぱすげぇわ」

 

 プライウェンの上に胡坐を掻きPC端末で調べたギリシャ神話を見ながら、鏡華はそう言った。

 

「魔法の盾に乗って空飛んでる奴が言う事じゃないとあたしは思うけど」

「固い事言うなって。ま、そうなんだけどさ」

 

 鏡華の後ろに座り、足を投げ出している奏の言葉に鏡華は苦笑する。

 現在、鏡華と奏はプライウェンに乗り雲の上を飛んでいた。奏は目的地を知らない。プライウェンでどこかへ出掛けようとする鏡華にアヴァロンを通じて気付き、暇だからついて来たのだ。

 

「でもさ、鏡華。何で《応用編》で跳ばなかったんだ? あれは別に見知った奴がいる場所にしか跳べないわけじゃないじゃん。実際はアヴァロンの内包結界を“所有者限定に展開して、切り離された時間軸内を歩いて目的地に向かってる”だけだろ?」

「あのさ奏。ここには俺と奏しかいなくて、見張る眼も耳もないから別に構わないかもしれないけど、本当の事言うのはやめてくれない?」

 

 本来、《遥か彼方の理想郷》は《辿り着きし理想郷》と同じ絶唱レベルの技だ。発動には絶唱時に唱う詠唱と同じぐらい長い詠唱を必要としている。発動すれば範囲内にいる人間を全員結界内に閉じ込めたり、密談などに使えたりする。

 しかし、《遥か彼方の理想郷・応用編》は詠唱を必要とせずに瞬間移動みたいな真似をする事が出来た。それが結界領域の縮小である。結界を自分だけ入れるぐらい範囲や出力を抑える事によって、詠唱を必要とせず現実ではあたかも瞬間移動したかのような行動を取る事が出来るのだ。ただし、自分だけ動く事が出来ると云う事は自分だけの時間だけは止まらずに進むので、多用すれば他人よりも早く成長してしまう欠点を持っている。生憎と鏡華と奏の成長速度はかたつむり以上の遅さであるので関係はないのだが。

 

「ま、別に隠す事でもないからな。実は最近――《遥か彼方の理想郷》が使えないんだ」

「使えないって……どう云う意味だ?」

「そのままの意味だ。いくら詠唱を唱えても結界内に入れないんだ。物は入るんだけど、俺だけが入れない」

 

 その事実に気付いたのは音楽祭典「QUEENS of MUSIC」でのノイズからの逃走中だった。あの刹那の一瞬、結界内に逃げ跳ぶつもりだったが、どうしてか発動しなかったのである。緒川がギリギリの所で中継を切ってくれたおかげで事なきを得たが、本当であればノイズに串刺しにされていた。それから何度も試したのだが、物をしまう事は出来ても鏡華自身が入る事だけは出来ないのだ。

 

「原因は分かんねぇのか?」

「思い当たる節がない事もないんだが……多分、違うと思う」

「そっか……それじゃあ、あたしが分かるわけないわな」

 

 アヴァロンについてなら誰よりも詳しい鏡華が分からないと言うのだ。

 奏はあっさり思考を放棄して別の話題へ移した。

 

「なぁ鏡華。あたしら、どこへ向かってんだ?」

「ん? ああ、えっと――」

 

 茶封筒から出した書類に眼を通して、目的地の場所を言う。少なくとも奏は公私共に行った事のない場所の名前だった。

 何で行くんだ? ともう一度訊ねると、鏡華は書類を茶封筒に戻して奏に渡す。風で吹き飛ばされないよう注意しながら書類を出して、奏はそこに書かれた内容を読んだ。

 

「鏡華」

「なんだー?」

「漢字が少し読めない」

「そこは飛ばしていいから」

 

 言われた通り読めない漢字は飛ばして――中学レベルの漢字なのだが――読めるだけ読み込んでいく。

 読み込んで、奏は「これは……」と呟く。

 内容を理解したと判断した鏡華は頷くと、

 

「あの時、どうしても気になったからな。緒川さんに調べてもらったんだよ。立花の――過去を」

 

 雲の隙間から眼下に小さく映る街を見下ろして言った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ヴァンは買い込んだ食べ物の多さに少しだけ嘆息を漏らした。

 クラス全員から少しずつお金を集めてお菓子やおにぎり、サンドイッチなどを買ったのだが、

 

「貴様の場合、これはもう晩飯だろう。立花響」

「あ、あはは……気付いたら買っちゃってて」

 

 自分の食べ物だけで両手が塞がっている響は反論できず笑って誤摩化した。

 一応、袋で種類を分けており、ヴァンが一番重い菓子類とおにぎりの袋、未来がサンドイッチの袋、響が自分のを持っている。

 

「まあ、俺や貴様の場合、いくら食べてもトレーニングや任務で消費するから、当然と言えば当然だが……」

「ですよね!」

「だからと言って女としてどうなんだ? 小日向未来」

「好きなだけ食べられる響にちょっと嫉妬します」

「未来ッ!?」

 

 口を尖らせて言う親友に響は驚く。

 

「だって体型の維持ってすごく難しくて、お菓子やご飯を我慢しなくちゃいけない時があるのに……響はどれだけ食べても変わらないんだもん。羨ましいよ」

「い、いやー……そこは何と言いますか、日頃の鍛錬のおかげと言うか」

「胸もちょっとずつ大っきくなってるし」

「何で知ってるの未来!?」

「この前皆で服や下着を買いに行った時、見たじゃない」

「あ、そっか」

「お前ら。一応、男の俺がいる前でそう云う発言はやめろ」

「ヴァンさんは別に大丈夫ですし」

「うん。クリスちゃん一筋のヴァンさんが他の女の子に眼移りしないって分かってるから」

 

 嬉しいのか分からんぞ、とヴァンは複雑な表情で呟いた。

 珍しいヴァンの顔を見て響と未来は顔を見合わせて笑った。ヴァンは溜め息を吐く。

 

「お前達、本当に仲がいいな」

「そりゃもちろん! 私と未来は親友ですから!」

「ヴァンさんはクリス以外にいなかったんですか?」

「俺か……」

 

 自分の過去を思い出す。

 だが、クリス以外の子供で覚えているのはただ一つだけ。

 

「多少なりいたんだがな、全員いなくなった――いや、見捨てたと言った方が正しいか」

「見捨てた?」

「お前達も俺とクリスの過去は風鳴弦十郎から聞いているだろう」

 

 神妙な顔つきでこくりと頷く響と未来。

 

「俺達を監禁した場所から逃げ出す時、俺はクリスだけを連れた。他にも同じ団体の子供や地元民は大勢いたが、俺はその全員を見捨てたんだ。あいつらがどうなったかは俺も知らん。ああ、もちろん、言い訳はしない。ガキだった俺に出来る事なんて限られていたからな。正直、クリスを守る事すら当時の俺には今以上の苦行だった」

 

 だけど――

 ヴァンは夕焼けに染まった空を見上げて続けた。

 

「約束したんだ、俺とクリスの両親から。何があっても二人は生きて、と。だから俺はクリスだけは守り続けて来た。これまでも、そしてこれからも」

「ヴァンさん……」

「……暗い話になってしまったな、すまない」

「いえ、ヴァンさんの事が知れてよかったです!」

「響と同意見です。それと、クリスの事をすごく大切にしているんだって」

 

 響と未来の感想に、ヴァンは照れ隠しにそっぽを向く。

 ――少ししゃべりすぎたか。

 多くの人間を殺めてきた自分。闇に生きると決めていたが、どうやら思っていたより自分は暖かさを欲していたのかもしれない。

 変わったのか――変えられたのか。

 自分から意識を逸らすため、ヴァンはそっぽを向いたまま口を開いた。

 

「俺もそうだが、お前達はどうなんだ? アニソン同好会の連中はいいとして、リディアンに来る前の所では友人はいなかったのか?」

「ッ……」

「それは……」

 

 二人揃って言い淀む。

 その光景にヴァンは間違えたか、と思う。

 いつも明るい動の響とそれを支える静の未来。二人にならリディアンに来る前も友人はいたはずと思って言ったのだが、

 

「すまない、聞いてはいけない言葉(キーワード)だったか?」

「いやぁ……ううん、そうだね。少し、思い出したくない感はあったかな?」

 

 初めて――否、ライブの時と同じ表情を浮かべる響。

 すぐに無理に笑って誤摩化そうとする。

 

「その、大した事じゃないんですけどね。小学校に入学してすぐ幼馴染みが蒸発したんです」

蒸発した(イヴァプレイト)? 人間が気化したのか?」

「あっと……人に対して使う時は、突然行方不明になったって意味です」

「ああ、そう云う意味か。勉強になった」

「物心ついた時から未来と一緒に三人で遊んでた幼馴染みで……ノイズに襲われたわけでもなく本当に突然いなくなって……」

もういい(ストップ)。すまない、大切な友達だったんだな」

 

 響の悲痛な顔を見ていられず、話を無理矢理中断させる。

 きっと未来と同じくらい仲がよかったのだろう。でなければどんな時でも明るい響がこんな顔をするわけがない。

 

「クリスや遠見達には黙っておく」

「……ありがとう、ヴァンさん」

「礼を言われる筋合いはない。貴様らもさっきの俺の話、誰にも言うなよ」

「はい。クリス以外には」「うん。クリスちゃん以外には」

 

 息ぴったりに同時に返され、ヴァンは一瞬呆けてしまい、「好きにしろ」と返した。

 照れ隠し気味に「帰るぞ」と言い、早足に歩を進めようとした時だった。

 ガタッと建物の隙間から音が聞こえた。

 音に反応して振り向けば――そこには人が倒れていた。

 

「未来! ヴァンさん!」

 

 一番に駆け出したのはやはりと云うか響。

 響の人助けの精神は呆れる程分かっている未来と分かっているつもりのヴァンは止める理由がないので響に続いた。

 

「ねぇ、大丈夫!?」

 

 響が荷物を脇に置いて人を抱き起こす。

 人種は日本人。癖毛が多い茶色の髪。線は細いが男だろう顔つき。服の上から纏っているボロ布はコートの代わりだろうか。

 行き倒れのようだが、ヴァンから見ればこの日本で、しかもこんな街中で行き倒れと云うのは少し奇妙だった。

 ――と。

 息を呑む音が聞こえた。隣では未来が口許に手を翳し一歩後ずさりしていた。

 

「そんな……どうして……」

「どうした、小日向未来」

 

 ヴァンの問い掛け。

 それに答えたのは、未来ではあり――響。

 震える腕で少年を抱き、口許に翳した手を握り締め、乾いてしまいそうな唇でポツリと昔に置いていった名前を呟いた。

 

「――日向――!」

「――ひゅー君――?」

 

 過去に喪いしもう一つの陽だまり――日向。

 その再会こそ立花響にとって真なる始まりの鐘が鳴らされた瞬間だった。



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Fine2 狭間の標Ⅲ

  ―ハグ

 

 最初にそんな擬音がしたと思えば、

 

  ―ハグハグハグハグ

 

 止まる事なく擬音は一心不乱と音を立て続ける。

 手に持つのは、箸の時もあればフォーク、スプーン、レンゲと多種多様。目の前に並んでいる和食、洋食、中華何でもござれの状態が次々と運ばれては得物によって運ばれ消えていく。

 その光景をヴァンは絶句する以外出来ずに見入っていた。響や奏の食べる所は何度か見たので大食いには耐性がついていたと思っていたが、隣に座る同年代の少年の食事は大食いに加え早さも凄かった。

 

「――ごちそうさまでした」

 

 その言葉が口から放たれたのはメニューの半分を食べ終わった時だった。

 入ったファミレスは破格とも云える値段設定だったので金の心配はしてないが、少年の胃袋の方が心配だった。

 そんな少年を向かいの席から凝視している響と未来。彼の胃袋にも驚いているが、二人が驚いているのは別の事だろう。

 

「奢ってくれてありがとうございます。“響ちゃんと未来ちゃん”もありがとう」

「そんな事どうでもいいから!」

 

 ありがとうの言葉を受け取らず、響が押し殺したように叫ぶ。その眼にはわずかに涙が浮かんでいる。

 

「今まで何してたの? ひゅー君!」

「……久し振りに呼ばれたよ。その呼び方」

 

 ひゅー君と呼ばれた少年はやるせない笑みを浮かべて呟いた。

 少年の名前は音無日向(ひゅうが)――と未来が教えてくれた。響の幼馴染みにして、もう一つの日向。未来にとっても友達。そして――さっき言っていた蒸発した友達。

 驚きを捨て、もう一度響と未来と話をしている日向の横顔を見た。

 蒸発した――行方不明になってから約十年。何もなかった訳がない。少なくとも目の前の少年には何かがあったはずだ。嗅覚では感じ取る事の出来ない匂いがヴァンには感じられた。

 

「ごめん。本当に覚えてないんだ。僕がどこで何をしていたか、どうしてここにいるのか。気が付いたらこの街にいたんだ」

「……そっか」

 

 何度も確かめるように問い詰める響と未来に、同じように答える日向。

 これ以上は何も分からない、と二人は問い詰めるのをやめた。

 

「ところで、母さんは元気?」

 

 日向の言葉に響と未来は思い出したようにビクッと身体を揺らす。

 

「げ――元気かは分からないなぁ。ほら、私と未来って今年からここら辺にある学校に進学して寮生活だから会ってないんだ。夏休みも帰ってないし……」

「そっか。あ、いや、別に責めるつもりはないよ。それに僕も連絡するわけにいかないし……」

「どう云う事?」

「えっと……ほら、僕が音無日向だって云う証拠がないし、行かなきゃいけない所があるような気がするんだ」

 

 だから、と言った瞬間、日向は席を立ち頭を下げた。

 

「響ちゃんと未来ちゃんに最後に会えて良かった。ありがとう――じゃあね」

 

 響達が頭を下げた事に驚いている間に日向は早口に言って逃げるように店内から出ていった。

 止める間もなく店内から消えた日向を追い掛ける事が出来ず、響と未来は小さく声をあげる事しか出来なかった。

 

「ひゅー君……」

 

 虚空に伸ばした手は何も掴めず、響は右手を下ろした。

 膝の上に置いた手に、未来の手が重ねられる。

 

「未来……」

「大丈夫だよ。きっと、響の手は日向に届くから」

「――ありがとう。未来」

「さっきも言ったが、相も変わらず仲の良い事だ」

 

 目の前で見せつけられる光景にヴァンは苦笑を浮かべて呟いた。

 

「だが、音無日向とやらに届くかどうか」

「……?」

「奴は部類(カテゴリー)は違えど、俺と同じだ。あいつは拉致された場所で何かに遭ってる。それが何かは知らない」

「そんな……いえ、ヴァンさんが言うならそうなんでしょうね、きっと」

 

 同じように囚われ日常を失ったヴァンだからこその台詞。

 響と未来には彼の言葉が嘘を言っているとは思えず信じられた。

 

「それでも奴に手を伸ばすか? 立花響」

「クリスちゃんやヴァンさんとも分かり合えたんだ。ひゅー君とだって繋ぎ繋がれるはずです! それが私の戦いですからっ」

「だろうな」

 

 ――予想通りの言葉だ。

 そう言って立ち上がったヴァンは机に自分の携帯端末を置いて歩き出した。

 

「あの、これ……」

「奢りだ。電子マネーが入っているはずだからそれで勘定しておけ。後で返しに来い」

「でも……」

「仲間の言葉だ、素直に受け取れ――立花」

「あ……」

 

 初めて自分の事をフルネームでなく名字だけで呼んでくれた。

 その事に驚いている間にヴァンも店内を出ていく。

 外に出れば夕暮れが眩しく眼を細める。

 ――そろそろ戻らないとクリスにどやされるな。

 そんな事を笑みをこぼして胸の内で考えたヴァンは独り、袋を手にリディアンへと戻った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 正直、ここまでくると吐き気を覚えずにはいられなかった。目の前の光景に鏡華は胃が捻れ切れるような幻痛を覚え顔を顰める。

 目の前にある一軒家。その門に、扉に、外壁に、至る所に貼られたお札のような紙と云う紙。その全て呪詛の如く批難の文字が大きく紙一杯に描かれていた。

 

「これが――これが、奇跡的に生きて帰って来られたあいつに掛ける言葉かよ……!」

 

 拳を握り過ぎて爪が皮を破り、血が出ている事に気付きながらも握り続ける。

 奏も何も言えず、ただ家を見上げる。

 この家の表札に記された名字は――立花。

 そう、響の実家なのだ。

 緒川に調べてもらった事――それは立花響の過去。

 秘密を暴くようで気が引けたが、鏡華はどうしても響があんな顔をする原因を知りたかったのだ。

 結果的にその原因が――自分達のせいでもあると知ってしまったのだが。

 事の発端は二年前。鏡花達の始まりとも呼べる、あのライブ襲撃からだった。奏の必死の言葉によって生きる事を諦めなかった響は奇跡的にあの地獄から生還出来た。

 その後、リハビリを終えて戻ってきた響に待っていたのは――地獄だった。

 あの日、ライブ会場にいたのは約十万人。死者、行方不明者は約一万三千。およそ九割の人間は助かり、残り一割は命を散らす事となった。しかしここで勘違いしてはいけないのは“ノイズが殺したのが一万三千”ではないと云う事。一万三千の内、半数以上の死因は逃走中にドミノ倒しとなった圧死、逃走通路で優先権を巡って起こった暴行――傷害致死にあったのだ。

 過半数が人による事、それに遺族、被災者への補償金も加え、生存者に対するバッシングは関係ない人間も巻き込んだ一大騒動になったらしい。

 アヴァロンの制御と奏の治療のため俗世間から逃げていた鏡華はまったく知らなかったが、ネット上でかなり話題に挙げられ、間違った正しさを振りかざし、ある事ない事書かれていたようだ。

 

 当然のように生還者である響にもその矛先は向けられた。

 経緯は不明だが響と同じくライブに行っていた同学校の生徒は命を落とし、その事で攻撃され――当時、響の父親が勤めていた会社関係でも似たような事が起こったらしい。それによって父親は会社で干され、家では飲酒が増え、家族に手を挙げ、挙げ句の果てに蒸発したそうだ。

 そして――それらは今現在でも続けられている事が目の前の光景で証明された。

 

「ちょっと――そこのあんた」

 

 情報を頭の中で思い返していると、声を掛けられた。

 フードは被っていたが、逆に怪しまれる原因となったか。

 感情を無理矢理押し込め、話し掛けてきた中年の主婦へ向いた。

 

「はい。何でしょう」

「悪い事は云わないよ。その家に関わるのはやめな」

 

 てっきり怪しむのかと思ったが、吐き出された言葉はまるっきり違った。

 

「どう云う事でしょうか。私達は先程この街に来たばかりで何が何やら……」

「その家は呪われてんだよ。二年前、この家の一人娘がノイズに遭っても生きて帰ってからね。ほら、あんたも知ってるだろ? 二年前のアイドルのライブにノイズが出たあれ」

「ええ……あれは知ってます」

「何千人も死んだって云うのに大した怪我もなく戻ってきてらしいじゃない。しかもその後に父親は会社をクビにされて蒸発したとか。ああ、恐ろしい。周囲の人達は口を揃えて被害者の怨念が生き残ったこの家に呪いを掛けてるって考えてるのよ。本当に、近所に住んでいる身として迷惑しちゃうわ。だからあんたもさっさと――」

「御託はそれだけですか?」

 

 遮るように早口で捲し立てる鏡華。わずかに怪訝そうな顔になる主婦。

 奏は後ろを向いてギリギリと拳を握っているのが見なくても分かった。鏡華だって同じ気持ちなのだ。

 

「あの惨劇を生き残ってくれた奴に向かって言う言葉ですか? 何人も亡くなって、生き残ってくれた一握りの人間に向ける感情ですか? 実際に見て口にした台詞ですか?」

「ちょ、ちょっと……!」

「呪い? ふざけるな。あなた達のその態度が、言葉がっ、視線が! 呪いにさせたんだろうがっ!」

「ひっ」

「呪われてるって言うなら貴様らは化物だ! 人の皮を被った化物だろうがっ!!」

「落ち着きなっ、馬鹿ッ!!」

 

 後ろから羽交い締めにされる。

 ようやく自分が拳を振り上げている事に気付く。

 奏がいなければ、今頃天に向けられた拳は主婦の身体のどこかへ減り込んでいた。

 主婦は腰を抜かしたのか、中腰で這うように逃げ出し、あっという間に消えていった。

 対象を失った拳はやり場をなくし、真横のブロック塀に叩き付けられた。わずかにブロック塀がヘコみ拳からブシュッと血が噴き出た。

 

「馬鹿。あんな奴を殴っても、鏡華が捕まるだけだぞ」

「ッ――くそっ! くそ、くそっ、くそっ!」

「やめろよ。鏡華が怪我しても意味ないだろ。肉を斬って骨を断ってるだけじゃねぇか」

 

 奏の制止の言葉も意味を成さず、立て続けにブロック塀を殴り続ける。殴るたびに血が噴き出ては治癒されるが繰り返される。

 奏に言われるまでもなく分かっていた。こんな事をしても無駄だと。むしろ自分だけでなく奏にも痛みを与えているのだ。だけど、止められなかった。

 ――何で、こんな事になってもお前は人と分かり合えると思ってたんだ。

 誰かのため――なのに、その誰かに踏み躙られた過去を持つ少女、立花響。

 以前、翼が教えてくれた。鏡華の覚悟を立花は重過ぎると言っていた――と。

 だが、そんな事を言う響こそ想いが重過ぎる。どうすればこんな絶望の状況を乗り越えられたんだ。

 ――教えてくれ、立花……!

 

「ちょっと! 何してるのよ!!」

 

 その叫び声は奏のものではなかった。

 同時に殴っていた腕を掴まれ、無理矢理殴るのを中断させられる。

 鏡華が頭を上げ、掴んだ女性を見れば、髪型こそ違うものの顔はまさしく――

 

「立花――」

「ええ、私は立花よ。でも、年上に向かって呼び捨ては感心しないわね」

「――響の、お姉さん……?」

「あら嬉しい。でも残念。私は――響の母よ」

 

 笑顔を――響と似た笑顔を向けて、響の母親はそう言った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「――はい、手当はおしまい。これに懲りたら、もうあんな事はしないように」

「……すみません。家の前で変な事をしていた上に手当までしてもらって」

「いいわよ。響の友達なんだから」

「あたし達が本当は友達じゃないかもしれないのに? ただ、響、さんの過去を知って興味本位で来ただけのお調子者かもしれないじゃないですか」

「あら、これでも人を見る眼はあるわ。特に響の友達かどうかは」

 

 自信たっぷりの台詞に鏡華と奏は顔を見合わせ肩を竦める。

 流石は響の母親だ。響の親しい人に対する自信は彼女からの遺伝だろう。

 

「自己紹介が遅れました。私は遠見鏡華。響さんとは友達兼担任の関係です」

「天羽奏。響とは友達です」

「遠見さんと天羽さん……。もしかして、あの、ツヴァイウィングの?」

 

 頷くと、響の母親は多少なりとも驚いたようだ。

 

「あの子ったら、いつの間に有名人と友達になれるコネを持っていたのかしら」

「コネって……驚く所はそこですか」

「ふふ、冗談よ。でも、担任って云うのは……?」

「兼業でリディアン音楽院の教師を勤めていますので」

「あらそうなの? 今時の子はすごいわねぇ」

 

 実際は全然すごくないのだが。最悪、鏡華は響よりも頭が悪い。

 まあ、そんな事をいちいち補足したりしない。

 出されたお茶を飲んで一息をつくと、

 

「それで? どう云った用件で来たのかしら?」

 

 笑みを消し、真顔でそう訊ねてきた。

 

「娘が何か問題を起こしたのでしょうか?」

「とんでもない。響さんは優秀――とは言い難いですが、色々と頑張っています。友達にも恵まれて、私が見る限り楽しい学生生活を送っていると断言します」

「そうですか。ではどう云った理由で?」

「――――」

 

 目の前の母親に嘘は通用しない。そんな気がして、だけどどう誤摩化せばいいか。

 少し口を閉ざして考えをまとめる。

 

「響さんの趣味はご存知でしょうか?」

「……? いえ」

「響さんの趣味は――人助けです」

「…………」

「以前、問うた事があります。何故、自分に何の得もない事をしているのか、と」

 

 それは翼が入院していた時、聞いた質問。響が人助けする理由。鏡華は聞いた通りに喋っていく

 母親は黙って聞いていた。

 

「最近、彼女に向かって『偽善』と言った人がいました。その時の響さんの顔は忘れられませんでした」

「…………」

「正直に言ってしまえば私達がここに来たのは、天羽が先程言った通りただの興味です。知りたいと云う願望によって動いただけに過ぎません。それだけは謝罪します」

 

 ――申し訳ありませんでした。

 机に触れそうなぐらい頭を下げる鏡華。奏も鏡華に習って頭を下げる。

 母親は何も言わない。静寂が十数秒間支配し、

 

「知って、どうするつもりですか?」

 

 母親は口を開き疑問をぶつけた。

 

「あの子の秘密を知って、これからあの子との接し方を変えるつもりですか?」

「いえ――いや、もしかしたらそうしたかもしれません。もう少し付き合いが短ければ、私は同情していたかもしれません」

 

 ですが、と鏡華は続ける。

 頭を上げて。そんな事はない、と瞳で語りながら。

 

「あいつはそんな事を望んでいませんし、私も今の彼女が一番好きです。むしろ憧れました。あいつの、前向きな姿勢は――様々なものの見方を変えてくれますから」

「……ふふ」

 

 精一杯の言葉に、母親は思わずと云った様子で笑みをこぼしていた。

 

「ずいぶん、響の事を買ってくださってるみたいですね」

「それはまあ……紆余曲折ありましたので。それに、あいつには――」

 

 最後の方は自分にだけ聞こえるように囁く。

 しかし途中で、マナーモードの着信音が鳴った。鏡華は一言詫びて電話に出る。

 

『あ、遠見先生? 私ですよ私ー』

「……ワタシワタシ詐欺がお掛けになった電話番号は現在、使われておりません」

『タワシですよタワシー』

「タワシタワシ詐欺……だと?」

 

 ――なんて。

 目の前の母親の怪訝そうな表情を見て、コホンと咳払い。ついでにスピーカーモードにしてイジる事にした。

 先に母親に静かにするようにジェスチャーで伝え、携帯端末を机に置く。

 

『一体どこにいるんですか? 未来や翼さんも心配してますよ、もぐもぐ』

「食べながら心配する奴がどこにいる」

『私と小日向と立花だが? もぐもぐ……こら立花! それは私のいなり寿司だ!』

 

 どうやらおやつの時間のようでした。

 しかし、こんな時間から食べて、夕飯が食べられなくならないだろうか。

 

『で、一体どこにいるんですか? 近場だったらバイクで轢きに行くって翼さんが言ってるんですけど』

「怖い事をさらっと言うな。俺は今――」

 

 街の名前だけを伝える。

 瞬間、響はこれ以上ないくらい驚いた。

 

『それ私と未来の実家がある街なんですけど?』

「知ってる。今、立花の家に上がっているし」

『えっ……?』

 

 これには本気で驚いたようだ。

 後ろから「響? どうしたの?」と聞こえる辺り、固まっているのだろう。

 

『なっ、何で――や、そ、それよりも……!』

「見たぞ。お前の家の事なら」

『――――ッ!』

「だからそれを踏まえて言っといてやる。立花――お前、帰ったら抱き締めるから」

『――――は?』

 

 電話の向こうで響が呆けてしまった事が手に取るように分かった。母親も固まっている。

 隣で奏が笑っているが、鏡華は構わずに続ける。

 

「いやあ、お前が体験した事に比べたら俺の事なんて些細だなぁって思ってさ。無性に立花を褒めたくなっちまったんだよねぇ」

『言ってる意味、全然分かりません! って、翼さんどこから刀を出したんですか!? 未来は、め、めりけんさっく?』

「とにかく、だ。今云える事はただ一つだ。――生きるのを諦めないでくれて、ありがとな」

 

 そう言うと、相手の状況などお構いなしに通話を切る。

 携帯端末をしまい、響の母親に向き直ると、

 

「誰が何と言おうと、私は生きていてくれた事に感謝します」

 

 再び頭を下げた。

 

「すみませんが私達はこれで失礼します。――行くぞ、奏」

「あいよ」

 

 立ち上がってフードを被り、もう一度だけ会釈をして部屋を出ていく。

 玄関まで来た時、

 

「あのっ!」

 

 母親に呼び止められた。

 振り向けば、どこか心配そうな表情を浮かべていた。

 

「あの子は……響は、今笑っているのかしら?」

「はい。親友や友達と一緒に、毎日笑顔を浮かべてますよ」

「ッ……そう」

 

 目尻に溜まった涙を拭い、母親をぺこりと頭を下げた。

 

「娘の事――よろしくお願いします」

「お願いされました」

 

 そう言って外に出る。外は既に暗くなっていた。

 降り立った時同様、奏に《遥か彼方の理想郷・応用編》を使用してもらい、鏡華の体感的には一瞬で雲の上まで飛び上がる。

 

「あ、鏡華。はいこれ」

 

 奏が差し出してきたのは何十枚もの紙の束。

 受け取って裏返してみれば、それらが家に貼られた紙だと分かった。

 ナイスだ、と奏を褒めて頭を撫で、懐からライターを取り出して紙の束に火をつけた。

 半分以上が炭になると海へ投げ捨てる。

 

「さ、早く帰ろう。立花をもふもふしてやらねば」

「するのはいいけど、翼や未来が嫉妬しない程度にした方がいいんじゃね? なんかさっき物騒な言葉が聞こえたしさ」

「そう云えば……翼は刀を持ってたみたいだし、未来は、えーっと、めりけんさっく?」

「何だろ、米国の人間が持ちそうなそれって」

「さあ? まあ、未来が持ちそうなものなんだ、大したもんじゃねぇだろ」

「そうだな」

 

 そう言ってプライウェンを加速させ、帰路を急ぐ。

 ただ――少し気になった事があった。

 何か。主婦を怒鳴っている時、奏が自分を止めた事だ。

 常識的にはそれは正しい行為だろう。しかし、奏が自分を止めるとは思わなかったのだ。むしろ自分が止める側になると思っていた。

 響の家の状況は奏の逆鱗に触れるであろう代物。そこに主婦からあんな言葉を掛けられれば、確実に怒鳴っていたはずなのだ。なのに、怒鳴ったのは自分。止めたのは奏。

 まるで怒りと云う感情がなくなったかのように思う鏡華。

 でも、鏡華には怒らなかった理由が――分からなかった。

 そして、鏡華と奏は知らなかった。

 メリケンサックがかくも恐ろしい武器だと云う事を。そして、今加速させた方角は――リディアンとはまったくの正反対だと云う事を。

 これっぽっちも気付かなかった。



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Fine2 狭間の標Ⅳ

 ある読者様に数多くのご意見をいただき、設定に色々課題がある事が分かりました。
 なので、用語解説Ⅰは消去させていただきました。
 ご理解のほど、お願いします。


「おい、そこの馬鹿ップル」

 

 ヴァンはフードの奥から浜崎病院の敷地内に入ってきた男女に声を掛けた。

 掛けられた男女は怪訝そうにコートに隠れたヴァンを見る。黒のコートに隠れたヴァンの姿は少しだけ怖かった。

 

「ここは今、特別立ち入り禁止区域だ。季節遅れの肝試しならば、よそでやれ」

「はあ? いきなり何? 何なのボク?」

「もしかして正義の味方のつもりー? 超ウケルー」

 

 髪を染め、ピアスを付けた男女は馬鹿にしたようにヴァンの事を嘲笑う。

 正直、こいつらがどうなってもヴァンは構わないのだが、そこからバレたら面倒なのだ。特に今回は奇襲任務なので一課や二課職員を使って封鎖をする事もできない。仕方なく、ヴァンが後から合流する事にして見張り役を買って出たのだ。

 しかし、約三十分で辞めたくなった。

 ここ、浜崎病院はだいぶ昔に閉鎖され、立ち入り禁止になったのだが、怪人出没の噂が近隣で流れ心霊スポットとなってしまい、おかげで肝試しに来るカップル、暴走族、不良達が後から後から湧いてくるのだ。

 一応、潜入して相手が仲間達に気付けば、すぐさま職員が代わりに来てくれるのだが、

 

(少し先走り過ぎたな……)

 

 監視カメラは生きていると考えるのが妥当だ。これ以上、騒ぎ立てば潜入する前にバレるかもしれない。

 無意識に舌打ちを打つ。

 

「おいお~い、自分から話し掛けて置いて無視してんじゃね~よっ」

 

  ―打

 

 舌打ちが自分に向けられたものだと勘違いした――当たり前だろうが――男はヴァンに指輪をいくつもはめた拳で顔面らしき場所を殴った。(男にはフードに隠れてしっかりと見えてないのだ)

 女は「出た! タカシの必殺パンチ!」と喜んでいる。

 まあ――大した一撃ではないのだが。地味に指輪が痛かった。

 出来る限り穏便に済ませろ、と云うのが弦十郎からの指示だったがムカッときたヴァンにその言葉はすでになかった。

 一歩踏み出し、自慢気に今の一撃を語っている男の、所々破けたもうお洒落でも何でもない服の腹部へ――軽めに掌底を打ち込んだ。

 音もなく打ち込んだはずなのに――男の身体は一、二メートル“飛んだ”。

 

「……は?」

 

 打ち込んだ側であるヴァンも驚いた。この三ヶ月、鏡華や双翼、響に弦十郎、緒川、同僚の警備員と何度か素手だけで模擬戦をやった事があったが、今の一撃で飛ぶ奴なんて誰一人いなかった。

 ――ギアの影響、でもあるまい。

 と云う事は、目の前の男が弱すぎるだけ?

 

(ま、どうでもいいか)

 

 男に駆け寄っている女へ見下ろすように言葉を発する。

 

「さっさとその男を連れて家に帰れ。三度目はないぞ」

「ひぃぃっ!」

 

 しかし、女は情けない悲鳴を上げると男を置いて逃げ出した。男は女の名前を呼ぶが、女は脇目も振らずに一目散に地平線の彼方に消えた。

 最近鏡華や奏に借りて読んだ本にそんな描写があったが、まさか実際にあるとは思わずヴァンは驚きを隠せなかった。

 一先ず、呆然としている男を気絶させ、数分して音なくやって来た緒川に任せて、銃声や爆音の聞こえる内部へ駆け出すのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 内部へ入ると、すぐさまヴァンは身を潜めた。

 病院内から普通とは違う空気を感じ取り、口許を袖で覆う。

 

「オペレーター、内部の空気はどうなっている」

『詳細は不明、だけど奏者の適合係数を下げるものが充満しているみたいです! 先行した三人共、バックファイアを受けてます!』

 

 バックファイアを受けていると聞いた時点で、ヴァンは空気の事などお構いなしに駆け出した。完全聖遺物なので上がる事はあれど下がる事はないのでヴァンには関係ないのだ。

 ノイズはあちらに集中しているのか、出現する気配はない。嫌な汗が伝うのを感じながらオペレーターの指示に従って内部を駆ける。

 

『そこを左に曲がっておよそ百メートル先に……』

「クリス達か!」

『違う! 敵だぁっ!』

 

 オペレーターの言葉を勘違いして左に曲がるヴァン。その瞬間に弦十郎の叫びが届くがもう遅かった。

 

  ―迅ッ!

 

 曲がったヴァンを出迎える触手のような軟体。だがその速度は尋常ではなかった。

 弦十郎の叫びによって足を止められなかったヴァンは、逆に加速させ壁を蹴って宙に跳ぶ。躱し、戻ろうとする触手の隙を狙い、

 

  ―抜ッ

  ―閃ッ!

 

 エクスカリバーを抜きつ一閃。

 斬り捨てられた触手の先が床を転がり幾度か脈打つと炭化するように姿を消した。

 着地と同時に防護服と鎧を纏い、切っ先を闇へと向ける。

 

『無事か!? ヴァン』

「ああ。だが厄介だぞ、紛れている毒薬(ポイズン)は」

 

 ボロを出さないよう気を付けているが、今の動作だけでほんのわずかだが重さを感じた。これは聖遺物との適合を係数を阻害していると云うより“繋がり”を阻害しているようであると、完全聖遺物を使うヴァンには感じられた。

 だが完全聖遺物となれば阻害するのは困難なようで、先程感じた重さ以上は感じない。――尤も、現時点で、だ。

 短期で決める、とヴァンは決断し、闇へと駆けた。闇と云っても常夜灯程度の灯りは点いているので近くまで接近すれば闇は晴れる。

 

「はっ――!」

 

 動く気配のなかった存在に向かってエクスカリバーを振り下ろす。

 途端、存在は動き――剣を弾き飛ばした。

 その一撃の感触にヴァンは少なからず驚いた。驚くも弾かれた反動を使って横薙ぎに振るう。

 

「――――」

 

 闇から出てきた異形の全身鎧を纏った奏者は小さく呟き歌い出す。片腕だけで刃を防ぎ、爆発的な速度でヴァンへと迫った。

 その速度と技法にヴァンはまた驚いた。技法自体は知っている、《闊歩》と呼ばれる歩法だ。

 

  ――弓歩架冲拳――

 

  ―撃ッ!

 

 アキレス腱を伸ばした状態で片腕で剣を防ぎながら、もう片方の腕で拳を打ち込んだ。

 反動を利用した一撃だったのが致命的だった。放たれた拳を防ぐのが間に合わず、正拳突きは脇腹辺りに直撃し――ヴァンを吹き飛ばした。

 曲がり角だったのですぐに壁にぶち当たり、古びた壁が半壊した。

 

「ぐ……うっ、く……!」

 

 鎧を纏っていたが、今の一撃はヴァンの内蔵を存分に掻き乱してくれた。学祭準備の時に食べた食事が喉元まで迫るが、気力で押し止める。

 ーーなんて馬鹿力。

 よく見れば、拳を打ち込まれた箇所がごっそりと抉られるように砕け散っていた。生身で受ければ、確実に死へと誘う一撃だとはっきりと教えてくれたようなものだ。

 

「ブーストなしで立花以上か……」

 

 しかも、距離が離れると腕部や脚部にくっ付いている突起が変形し触手のように襲い掛かってくるのだ。

 斬ってもすぐに再生して襲い掛かる始末。面倒な事この上ない。

 

「ならば――!」

 

  ――天降る(シュテル・ザ)星光の煌めき(・シューティングスター)――

 

 物量で勝るこれならばどうだーー!

 数多の星剣を具現し、一斉に射出。流れ星が如く閃光の尾を引きながら星剣は奏者へ降り注がれる。

 ――にも関わらず、

 

「――……」

 

  ――喰らえよ巨人、百の腕を持つ者の如く――

 

  ―迅ッ!

  ―喰ッ!

 

 歌うのをやめた途端、四肢の突起から伸びた触手が肥大化し、

 あろう事かーー喰ったのだ。

 偽物であれ、星が鍛えし騎士王の星剣をーー!

 

「う、嘘だろ……! 聖遺物を喰らう、だと!?」

 

 流石のヴァンも同様を隠しきれない。聖遺物は現存している金属とは別格の未知の代物で作られている。完全聖遺物となればその防御力・耐久力は桁違いのはず。

 なのに、奏者の触手はいとも簡単に、まるで奏者の制御を離れた途端に野生の獣と化したように星剣を貪り喰らい尽くす。

 

「ッ――だからと云って!!」

 

 吠え、星剣をブンと頭上から振り、青眼に構える。

 歌を再開した奏者の気配は変わらず読み取りにくい。触手も威嚇するように口をわずかに開いて口内を見せる。

 汗が頬を伝い、雫となって瓦礫に落ちた瞬間――

 

  ―爆ッ!

  ―轟ッ!

 

 地面が突然爆発し床を崩す。ヴァンと奏者の間も轟音を轟かせて爆煙が視界を隠す。

 

「ッ、オオッ!!」

 

  ――今際に抱(ヴァルアヴル)く貴き夢(・ファンタズム)――

 

  ―煌ッ!

  ―閃ッ!

  ―裂ッ!

  ―波ッ!

 

 最大の隙をヴァンは見逃すわけがなかった。

 光の刃を奏者へと放つ。瓦礫を消失させ相手の確認をする事もなく階下へと飛び降りる。

 瓦礫が崩れて落ちてくる前にその場を駆け抜けた。

 逃げる事に羞恥などなかった。あのまま逃げず正体の分からない奏者と戦っていたら――確実に敗北し、聖遺物ごと喰われていただろう。

 

「ッ……そんな事は後だ。それよりも……!」

 

 今の爆発は現代兵器によるものだ。この病院にそんな火器が置いているとは考えにくく、一番想定出来るのはクリスのイチイバルの重火器である。しかし、重火器の扱いは奏者の中でトップクラスだ。がむしゃらに撃つなんて事はよほど大勢のノイズと戦っているか、何かあったかの二つしかない。

 前者ならばいい。響と翼が一緒にいるのだから。だがもし後者だとしたら――

 

「――クリスッ!!」

 

 果たして、答えは後者であった。

 全壊と云っても差し支えない場所で、クリスは響に肩を貸された状態だった。

 この場に翼はいない。代わりにいるのは――米軍基地で行方不明となったウェル。

 その彼が手に持つのは、アークセプター、サクリストS――ソロモンの杖。

 

「ヴァンさん!」

「おっせーよ……馬鹿ヴァン……」

「後で謝る。風鳴翼は!?」

「追い掛けました!」

 

 主語が抜けていたが、今のヴァンにはどうでもよかった。

 響からクリスを受け取り、自分に凭れさせながら切っ先をウェルに向ける。

 

「風鳴翼を追え、立花! この場は俺が受け持つ」

「分かりました!」

 

 クリスに比べダメージの少ない響を翼の救援に行かせ、ヴァンはウェルを睨む。

 彼は既に両手を挙げて降参の意を示している。ソロモンの杖も二歩先の地面に突き刺していた。

 クリスが荒い息を吐きながら状況を説明してくれた。

 ノイズが出現し倒しながら進んでいると、翼が追い掛けたよく分からないモノが現れたようだ。交戦していると今度はウェルが現れた。ウェルは護衛任務の時に既にソロモンの杖をコートの下に隠し、ノイズに教われるのを演出していたらしい。米軍基地も同様に。

 そして、ギアからのバックファイアを受けて自分はボロボロだと云う。

 

「少し休んでいろ」

 

 ソロモンの杖を抜き、クリスを近くの瓦礫に凭れさせソロモンの杖を渡す。

 抵抗する素振りさえ見えないウェルを拘束し、クリスを背負って翼と響の後を追い掛けた。

 日の出を迎える中、途絶えた橋に響はいつの間に来たのか、奏と一緒にいた。翼は海上で鏡華にお姫様抱っこされている。

 そして――鏡華と翼の目の前には、空中に立つガングニールの柄に乗ったマリアとその下には護衛任務の際に現れた黒装飾の男が。

 

「時間通りですよ、フィーネ」

「フィーネ、だと……!?」

 

 拘束されたウェルの呟きにヴァンとクリスから驚きの声があがる。

 

「終わりを意味する名は、組織の象徴であり彼女の二つ名である」

「そんな……それじゃあ、あの人が……!」

「新たに目覚めし再誕した――フィーネですッ!」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 時は少し遡る。

 ノイズが運んで行った謎の生物を翼は追い掛けていた。ウェルが病院内に撒いた謎のガスのせいでギアを纏う身体が重く、技を放てば逆にバックファイアがこちらに跳ね返ってきてしまう。クリスを一番バックファイアの少ない響に任せたが、いつ響が同じバックファイアを受けるか分からない。

 そう考えていると、後ろから足音が聞こえた。すぐに隣に追いつく。

 

「翼さん!」

「立花!? 雪音はどうした!」

「ヴァンさんが見てくれてます!」

「そうか!」

 

 遅れた理由がどうであれ、ヴァンがクリスを護衛するならば何の憂いもなく目の前の事に集中出来る。

 翼は謎の生物を運ぶノイズとの距離を把握しながら橋の先を見る。後数百メートルで橋は崩れ、行き止まりとなっていた。

 

『聞こえるか翼! そのまま飛べっ!』

「――立花、すまないが先行して踏み台になってくれるか?」

「わっかりましたっ!」

 

 腰のブーストと脚部のパワージャッキを使用して、一瞬だけ加速させて響は翼の前を行く。滑るように橋の崖ギリギリで止まると翼に向き直った。

 翼は止まる事なく距離を合わせて跳ぶ。着地地点には響がいる。地面に落ちる足を響が重ねた両手で受け止め、

 

「よい――っしょおっ!!」

 

 全力で翼を投げ飛ばした。

 翼の希望通りノイズへ投げ飛ばしたが――それでも距離が足らず、半ばで落下を開始する。

 だが、“それでよかった”。

 

『仮設本部ッ! 急速浮上ッ!!』

 

 弦十郎の声が通信機から聞こえた途端、海中から海上へ飛び出してくる巨大な物体――否、潜水艦。

 これがリディアン地下から移った二課の新たな本部である。

 先端が天を向いている間に翼は先端に着地し、そこからさらに飛んだ。

 しかし、それでもなお届かない。

 歯噛みした時だった。

 

「――翼ッ!」

 

 目の前に突然、防護服を纏った奏が手を翼に差し出しながら現れた。

 

「奏ッ!?」

 

 何故こんな所にいるんだ。いやしかし――

 理由がどうあれ、これ以上ないほどのグッドタイミングだ!

 間に合わない前に差し出された手を掴む。

 奏は器用に身体を捻り、

 

「飛んで、けぇっ!!」

 

 空中とは思えない膂力で翼を天へと飛ばす。自分は反動で落下するが、気にしていない。

 仲間の助力でノイズに届いた翼は、天ノ羽々斬を構え――ノイズを一刀の下に斬り伏せる。

 謎の生物を入れたケージは落下を始め、それを追うべく翼は脚部に付いたアームのブーストで追い掛ける。

 海に落ちる前に届き、手を伸ばした――瞬間、

 

  ―迅ッ!

  ―裂ッ!

 

 空を裂いて何かが飛来する。

 直前に気付いたが、回避は間に合わず翼は弾き飛ばされた。

 海に落ちる――と思ったが、その前に誰かに抱き締められるような衝撃を受けた。

 

「ッ……ギリギリセーフ、かな?」

「遅い。奏と共に遅刻だ」

「ごめんごめん。帰る時、方向間違えてオーストラリアに着いちまってな」

「どうしてそこでオーストラリアに着くのか腰を据えて話し合いたいところだが……」

「話は後で、だろ」

 

 お姫様抱っこのまま、前方を見る。

 朝日が昇ろうとする中、そこには空中に静止したガングニールの柄に乗るケージを持ったマリアと、

 足元の海上に、鏡華と同じように立っている黒装飾がいた。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅰ

世界が優しくない事は、ずいぶん前に知っている。
だけど、それでも私の陽だまりは優しき雨を降り注ぐ。
全てを曝け出した気持ちはひどく心地良い。

Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所

想いを伝える事が出来るなら、それならきっと大丈夫。
この世界が遺した意味、答えは既に、得ているのだから。


 遠見鏡華は目の前に立つマリア・カデンツァヴナ・イヴなど視界になかった。

 その下に、《阻む物無し騎士の路》を発動し海上に立っている自分と同じように海上に立つ“黒装束の男”を凝視していた。

 彼を見るだけで――否、彼がいるだけで頭痛がしてきた。眩暈がしてくる。腹の奥からふつふつと吐き気がこみ上げてくる。

 はっきり言って――嫌悪感しか生まれてこない。

 何故、ここまで初対面の相手を嫌悪するか、自分自身でも疑問だった。

 

「誰だ?」

「風鳴翼は初めてだな。一応、自己紹介しとく。オッシアだ」

「オッシア……代わりの名を持つ者……」

 

 抱かれたまま翼は呟く。

 

「翼……海に立てる?」

「……短い間だけならば可能だ」

「そうか。なら……」

 

 しかし、そんな疑問はどうでもよかった。遥か彼方へ投げ捨てるのも悪くない。

 何故なら――

 

「――――」

 

 黒装束――オッシアが海上を走る。

 同時に翼をマリアへと向けてお姫様抱っこの姿勢のまま、投擲した。

 オッシアは自分の頭上を越える翼に見向きもせずに鏡華へ迫る。

 彼に疑問を持つなんてどうでもいい。何故なら――

 

「――せやぁっ!」

 

 ――疑問さえも嫌悪するほど、彼の存在が気に喰わないだけだ!

 

  ―拳ッ!

  ―撃ッ!

  ―破ッ!

  ―轟ッ!

 

 合わせたわけでもないのにまったく同時に放たれた拳がぶつかり、水面を盛大に揺らす。

 

「拳を交える事がッ!」「言葉を交える事がッ!」

 

 互いに拳を弾き、ぶつけ――言葉を交わし、吐き散らし、

 世界が狭まり目の前の敵以外見えていない鏡華とオッシアは、

 

「ただ存在(いる)だけで気に喰わない奴がいるなんてッ!!」

 

 同じ言葉を叫び、拳を、蹴りを、額をぶつけ合う。

 鏡華とオッシアが逢ったのはこれが初めて――なのに、二人はまるで過去からの因縁でもあるかのようにナニかをぶつける。

 

「おいコラ。そんな黒装飾で隠してないで、顔を晒したらどうだ、うん?」

「はっ、誰が貴様の指図で晒すものか。三人も女を囲ってすっかり王様気分だな」

「好きな女が三人もいて悪いかっ」

「ああ、悪いねっ!」

 

 オッシアの拳が鏡華の頬を捉える。

 地面を転がるように海上を転がる鏡華だが、すぐに起き上がった。

 鏡華の代わりか、入れ替わるように奏が橋から転移してオッシアへガングニールを振るう。

 縦横無尽の連撃を、オッシアは受け止める事なく躱し続ける。

 

「どうした? あたし達の男を吹き飛ばしたように、あたしも吹き飛ばしてみろよ」

「女とは戦わん――なんて信条など持ち合わせていないが、君とやるつもりはないな。……天羽奏」

 

 心底嫌そうな声音で「君は風鳴翼と共闘でもしていろ」と続けると、袈裟に振ったガングニールを掴み、翼とマリアが戦っている場所に放り投げる。

 投げた瞬間、無理な体勢からオッシアは海を踏み抜き、こちらに向かっていた鏡華の一撃に自分の一撃をぶつけた。

 

「さあ――気に喰わん奴同士、仲良く殺し合おうか?」

「上等だ。ぜってぇ、その黒装束引っ剝がしてやる」

 

 不敵な笑みを見せて、オッシアと鏡華の殴り合い(殺し合い)は始まった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 鏡華の投擲で飛んだ翼はブーストを用い、体勢を簡単に修正してマリアへと迫る。

 渾身の一刀。しかし、ガングニールの柄を足場にしているはずのマリアはあっさり躱す。

 

「甘く見ないでもらおうか!」

 

  ――蒼ノ一閃――

 

  ー煌ッ!

  ー斬ッ!

 

 蒼の刃を振り向きざまに放つ。

 マントを展開して防いだマリアは謎の生物が入ったケージを頭上に投げ、そのまま後ろに跳び、浮上した二課の潜水艦に跳び乗った。浮いていたガングニールは自我を持つようにマリアの手に収まる。

 ケージはいつの間にかなくなっていた。

 

「甘くなど見ていない!」

 

 続けて翼が接近し振るう大剣と化した天ノ羽々斬をガングニールで防ぐ。弾き飛ばし、

 

「だからこうしてっ! 私は全力で戦っているっ!」

 

 歌を紡ぎながら今度はマリアが駆ける。大振りに構えたガングニールをあらん限りで翼に叩き付ける。慣性に片腕で逆らい、下段から逆袈裟に振るう。

 全てを防ぎきった翼。

 

『船体に損傷! このままで潜航に支障が出ますっ!』

『翼! マリアを払うんだ!』

 

 通信機越しに届く内部の状況。

 翼は船体に傷を付けないよう極力注意していたが、マリアにそんな事は関係ない。大振りに振り回すガングニールが、マントが、船体を傷付けていた。

 天ノ羽々斬をしまうと、逆立ちして脚部のアームを展開。

 

  ――逆羅刹――

 

 余裕そうに不敵な笑みを浮かべるマリアに向かって逆立ちし回転して立ち向かう。

 しかし、弾き飛ばされるだけだった翼の一撃は、逆に力を増してマリアの一撃とも渡り合えるようになった。

 

「勝機ッ!」

「ふざけるなっ!」

 

 一撃を与えるために、逆立ちの状態から起き上がろうとする翼。

 だがその瞬間、足に激痛が走りその場で足を抑えてしまう。

 ケージを掴もうとした瞬間にもらった一撃が、今になって痛み出したのだ。

 

「マイ、ターンッ!」

 

 お返しとばかりに、マリアは叫び突撃する。

 回避は間に合わないと悟った翼は天ノ羽々斬を出すが、

 

「でぇぇりゃぁぁああッ!!」

 

 その前に、飛んできた奏がマリアのガングニールを自分のガングニールの一撃で相殺した。

 色が異なるが、しかし同一のガングニール同士が火花を散らし合う。

 

「ッ、天羽奏……!」

「このっ、手が握る想いは! 幻でも夢でもなくっ!」

 

 歌を叫びながらガングニールを振るう奏。

 歌を口ずさむごとに力を増していく奏に、マリアも負けじと歌を歌いより雄々しくガングニールを振るった。

 荒々しく、他の行動を知らないかのようにガングニールをぶつけ合う。一撃がぶつかる度に辺りに暴風が巻き起こる。

 

「――っはあッ!」

「くっ――はぁっ、はぁっ...」

 

 最後の一合で衝撃が二人を襲い、距離を強制的に開かせた。

 奏は吐き出し続けていた酸素を大きく吐き出して、ゆっくりと整え始める。一方、マリアは肩で荒く息を吐いていた。

 

「……その辺にしとけよ。戦ってみて分かった、これ以上マリアは戦っちゃ駄目だ」

「知ったような事をっ」

「知ってるよ。知ってるから言うんだ。――LiNKERを使った時限式は、もうそろそろ制限時間のはずなんだから」

 

 奏の指摘にマリアは息を呑む。それは奏の後ろで見守っていた翼も同じだった。

 LiNKERは適合係数の低い人間でも聖遺物を使用する可能性を高められる制御薬だ。当然のように反動もあり、引き上げれば引き上げる程人体への負荷も大きくなる諸刃の剣である。

 過去に使用した経験のある奏だからこそLiNKERの利便性と恐ろしさの両面を身に染みて分かっていた。

 

「……貴様が――必要としなくなった貴様がっ、諭すように言うなっ!」

 

 吠え叫び、ガングニールの矛先を奏へ向ける。

 ガシャンと変形を見せ、ライブの時に見せた砲撃を放つ体勢を取るマリア。矛先にエネルギーが充填されていき光の槍と成っていく。

 

「奏ッ!」

「言うさ、何度でも! あたしは、あたしみたいに自分を犠牲にしてほしくないだけなんだっ」

 

 奏も気持ちを叫びガングニールを構える。

 ガングニールの矛先をマリアへ合わせつつ持つ手を目一杯引き絞り、重心を低くする。

 そして――

 

  ――HORIZON†SPEAR――

 

  ―煌ッ!

  ―裂ッ!

  ―波ッ!

 

 漆黒の槍から放たれる一条の閃光。

 前回、ノイズに放ったのより一回りも大きかった。

 だが、奏は一歩も引かないーー否、前へと出る!

 

  ――ASSAULT∞ANGRIFF――

 

  ―輝ッ!

 

 足を止め、突進撃の一撃を穂先に集中させる。

 自分を呑み込む前に、放たれた閃光へ槍を突き立てた。交差した場所から閃光は四散され、奏はもちろん、翼と潜水艦にも当たらず周りへ拡散されていく。

 閃光が全て放たれ――槍を持った手をだらりと下げて荒い息をつく。

 

「奏ッ、大丈夫!?」

「大丈夫――だけど、腕が痺れた。暫くは振れないな」

「奏はいつも無茶をする……!」

「返す言葉もないね。それより、マリアは……?」

 

 翼に肩を貸されながら立ち上がり、爆風を見る。

 そこにはガングニールを構えるマリア――はいなかった。

 いつの間にか――本当に、一体いつからいたのか、上空には大型ヘリが飛んでおり、そこから垂れたフックロープにマリアを担いだオッシアが掴んでいた。

 ウェルを担いだ切歌と調を担いだまったく初見の奏者らしき者も。ウェルの手にはソロモンの杖が。

 そして、六人を収容した大型ヘリは突然姿を眩ますのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 

 再び、時間はマリアが登場した時まで遡る。

 ウェルの口から放たれた驚愕の真実は一瞬でもヴァン達の思考を止める事になった。

 

「嘘ですよ。だって……了子さんはあの時……」

「リインカネーション……」

 

 ポツリとクリスが初めて聞く単語を呟く。

 え、と聞き返す響にヴァンが説明を引き継ぐように呟いた。

 

「フィーネの刻印を刻まれた遺伝子を持つ人間の魂を器とした永遠(イターニティ)の刹那に生きる、アヴァロンとは似て異なる輪廻転生システム――」

「じゃあ、アーティストだったマリアさんは……!」

「さて、それは自分も知りたいところですね」

 

 海上ではマリアと翼が戦いを始めたと同時に鏡華と黒装飾が戦いを始めていた。だが、まるでそれは戦いではなく、ただの殴り合いに見えた。

 黒装飾が鏡華を殴り飛ばす。瞬間、

 

「あんにゃろっ!」

 

 奏が飛び出し、《遥か彼方の理想郷・応用編》で距離を詰めていた。ガングニールを振るっていたが、しかしすぐに穂先を掴まれ翼がいる場所へ放り投げられた。黒装束はすぐに鏡華と拳を交える。

 

「ちっ、さっさと加勢する――躱せっ!」

 

 言葉の最中で、空を切る音にヴァンは反射的に叫んでいた。

 疑う事なく、クリスと響はその場から離れる。思わずウェルを放置した事――これだけは後で悔やむ事になる。

 

「なんとぉっ! イガリマァッ!」

 

  ――α式 百輪廻――

 

 さらにどこからか現れた大鎌を持った奏者ーー切歌が歌いながら大鎌をフルスイングしてきた。

 響を見れば、空から飛来してくる丸鋸を体術で破壊している。

 反対にクリスは未だギアの出力が上がらず思うように身体が動かせない状態。それに加え、片手はソロモンの杖で塞がっている。

 ヴァンはすぐさまクリスと切歌の間に滑り込みながら歌を口ずさみ、大鎌と自分の間に唱壁を展開させた。しかし、急拵えで展開したためか、すぐに亀裂が入り唱壁は砕け散る。

 

「ッ――!」

 

 クリスと共にバックステップで下がる。切歌は上段から追撃を仕掛けてき、ヴァンは腕を交差させて防ぐ。

 そんな受け身姿勢のヴァンを見て、切歌は叫んだ。

 

「またデスか! いい加減にするデス! あたし達を舐めているって事デスかっ!?」

「ッ――そんな、訳ないだろう! 俺は――ジャンとエドとの約束を違える訳にはいかないんだっ!!」

 

 ヴァンの叫びに、今度こそ切歌の動きが止まった。

 

「な、何であたしの名前だけじゃなくてあの人達の名前を知っているんデスか……?」

「ヴァン……?」

「一体、誰なんデスか! お前は!? 名乗るデスッ!」

 

 大鎌を突き付けられ、ヴァンは腕を下ろして答えた。

 

「――エインズワース」

 

 しかし、それは「夜宙ヴァン」でも「ヴァン・ヨゾラ・エインズワース」でもなく、

 エインズワース――ただそれだけだった。

 だが、切歌は衝撃を受けたように眼を見開いた。

 

「そんな……まさか……お前があの、エインズワースなんデスか……?」

「もう暫く隠すつもりだったが――まあ、そうだ。暁切歌、(バット)――Morn」

「ッ――!」

「ッ……一体、どう云う事だよヴァン!」

「俺とあいつらは知り合いだったと云う事だ」

 

 ヴァンは切歌から眼を離さず答えた。

 ――悪いが、説明は帰ってからな。

 クリスにそう続けたヴァン。

 

「過去に俺は二人と約束したんだ。お前達とは、レセプターチルドレンだったお前達とは戦わないでくれ、と」

「だから、どうだってんデスか! 第一、あの人達を殺したのはエインズワース! お前だって聞いたデス!!」

「ああそうだ。俺は、二人を手に掛けた。この手で斬った感触は未だ忘れられない」

 

 ――だからこそ。

 拳を握り締めたヴァンはキッと切歌を見やる。

 

「俺はあいつらとの約束を守らなきゃいけないんだ! だから、俺はお前達と戦うわけにはいかないんだ、Morn!」

「ッ――何なんデスか。お前は、一体――あの人達の何なんデスかッ!!」

 

 大鎌を握り締め、駆け出す切歌。

 ヴァンも拳を握り締め直し、防御の構えを取って叫んだ。

 

「俺の数少ない――信頼出来る友だっ!!」

 

 その――ヴァンの警戒が全て切歌に、クリスの視線がヴァンと切歌だけに注がれていた刹那だった。

 一陣の風が吹いた。瞬間、

 

  ――双掌寸勁打――

 

「がっ――っ!?」

「……な……」

 

 ヴァンの真横に全身鎧を纏った人間がいた。その手はヴァンの脇腹に添えられ、ただ触れていただけなのにヴァンは吹き飛んだ。

 呆けてしまったクリスも例外ではない。謎の全身鎧に足払いを掛けられ、体勢を崩した瞬間に腹部に手を添えられた。

 添えた――クリスにはそう見えた。なのに、添えた瞬間、凄まじい衝撃を腹部に受けたのだ。

 吹き飛ばされ、ソロモンの杖も衝撃で思わず手を離してしまっていた。

 

「クリスちゃん! ヴァンさん!」

「かっ――はっ――はぁっ」

「ッ――、ッ――!」

 

 響が慌てて駆け寄ってくるのを感じながら、ヴァンは乱れた息で咳き込む。真横を見て眼を見開いた。クリスが息をする事さえ困難な状態で吐血していたのだ。

 それだけで怒りが沸き立つ。だが身体は動いてくれない。だからヴァンは全身鎧の奏者をあらん限りの殺気を籠めて睨んだ。

 向けていない切歌がビクッと身体を震わせるのに、奏者だけは怯える様子もなくソロモンの杖を拾い上げ、ウェルに投げ渡した。

 

「時間ぴったりの帰還です。彼だけでは全てに手を回せなかったので助かりました。……ま、少し遊び足りない気分ですが」

 

 眼鏡のズレを直しながらウェルは呟く。

 彼の周りに調と切歌、全身鎧の奏者が集まる。

 

「ッ――何なんだよ、あの全身鎧の一撃は……!」

「クリスちゃん、喋っちゃ駄目だよ! ヴァンさんも無理に動こうとしないで!」

「くそっ――たれが……!」

「ッ――」

 

 クリスを担ぎながら、響は調達に問う。

 ――何のために戦っているのか、と。

 

「正義では守れないモノを守るために」

 

 答えたのは調。それだけ言うと、全身鎧の片腕に飛び乗る。切歌はウェルを抱え、大型ヘリから垂れるフックロープを跳んで掴んだ。

 マリアと黒装束もいつの間にか掴まっており、鏡華、翼、奏の三人は膝をついて見ているだけだった。

 

「…………」

 

 全身鎧はチラリと響を一瞥すると、何も発する事なく同様に跳びフックロープに捕まる。

 

「逃がす、かよ――!」

「あっ、クリスちゃん!?」

 

 無理矢理響から離れると、痛む身体を無視して武装を展開させる。イチイバルの形状を固定型狙撃銃として設置、衝撃で身体が吹き飛ばないように腰回りのパーツがスタンドのように背後で固定する。ヘッドパーツもだいぶ変化しスコープの役割を果たす。

 

  ――RED HOT BLAZE――

 

「ソロモンの杖を、返しやがれ……!」

 

 スコープで狙いを定める。照準をエンジン以外に合わせ、トリガーを引こうとする。

 すると、現れた時と同様に忽然と姿を眩ませた。

 

「なん、だと……」

 

 突然消えた大型ヘリに、驚愕を露わにする。

 結局、二課でも姿を消したフィーネの足取りを追う事は不可能だった。

 潜水艦に集まり武装を解いた六人は意気消沈した様子で座り込む。

 

「おい、糞王(ファッキン・ロード)。てめぇ、一体どこで何をしていた」

「空路を間違ってオーストラリアに行っちまってたんだよ」

「何でそこでオーストラリアまで行く。途中の海上で気付け、たわけ」

「雲の上だから分かんなかった」

「一度、雲の上から落下して死んでこい」

「気が向いたらな」

 

 共にダメージを受けており、些細な口喧嘩でやめる鏡華とヴァン。

 

「ッ――は、くぅ……っ」

「大丈夫!? クリスちゃん! もしかしてさっきの一撃が……」

「心配、いらねーよ。ギアのバックファイアがまだ残ってるだけだ」

 

 冷や汗を垂らして呻くクリスだが、響の心配する声に大丈夫だ、と返す。

 誰から見ても痩せ我慢にしか見えなかったが。

 

「無事かっ、お前ら!」

 

 ハッチから弦十郎が出てくる。

 船体の状況などを友里や藤尭辺りに丸投げして奏者である鏡華達を心配してやってくる辺り、彼らしい。

 それぞれに声を返したり腕を挙げたりする。

 

「風鳴弦十郎。クリスを医療室へ運べ。全身鎧の奴、間違いなくお前の好きな中国拳法を使ってたぞ」

「ああ、見ていた。あれは《寸勁》の一種だ。鏡華、奏。疲れている所悪いが、一番怪我の浅いお前達が“二人を”運んでくれ」

「うーっす」

「あいよー」

 

 疲れたように間延びした返事を返した鏡華と奏。立ち上がると弦十郎の指示通り、鏡華はヴァンを引きずり、奏はクリスを持ち上げた。

 

「なっ……何故俺まで……」

「見ていた、と言っただろうヴァン。お前だってその一撃に加えて《架拳》も喰らっていたんだ。恐らく、ヒビくらい入っているだろう」

「あんな一撃、何て事――ッ!」

 

 喋っている途中で、鏡華が軽くヴァンの脇腹に掌底を当ててみた。するとヴァンは呻き、顔を顰める。

 

「子供が我慢するな。たまには大人に頼っとけ」

「……ちっ」

 

 舌打ちを打ったヴァンはそれ以上抵抗する事なく、鏡華の肩に腕を回して自分の足で歩く。

 

「珍しいな。クリスが反抗しないなんて」

「うっせー……正直、抵抗する体力も痛みが奪ってんだよ。これがなけりゃヴァンみたいに自分で歩くっての」

「そうかい」

 

 奏は笑みを見せ、翼に一言言ってハッチを飛び降りた。

 後に残ったのは響と翼、弦十郎の三人。

 ポツリと響が呟く。

 

「了子さんと喩え全部分かり合えなくても……せめては通じ合えたと思っていました。なのに……」

「一度通じないからと言ってヘコんでいるタマか? 通じないなら通じ合うまでぶつかってみろ! 言葉より強い言葉(モノ)――知らぬお前達ではあるまいっ!」

 

 動揺すらしてない、気持ち良い程清々しい言葉ではっきり言ってくる弦十郎。

 相変わらず鏡華と同じで何を言っているのか、はっきりと分からない。だけど、何を伝えようとしているかは分かった――つもりだ。

 だから、

 

「言っている事、全然分かりません! でも――やってみますっ!」

 

 相も変わらず、響はそう言うのだった。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅱ

 壁の向こうから激しい物音が聞こえてくる。恐らく、切歌辺りがウェルを殴ったり怒鳴ったりしているのだろう。まあ、唯一のアジトがなくなったのだ。身を潜める場所がなくてはおちおちと寝てもいられない。

 ――オレには関係のない事か。

 オッシアは他人事のように呟くと、格納庫の片隅で蹲っている奴に声を掛けた。

 

「一先ず、その全身鎧を解除しろ」

「あ、はい」

 

 オッシアの言う通りに鎧を解除し元の服装に戻る。全身鎧が解けたその姿は――

 紛れもないその姿は――音無日向だった。

 全身鎧の解除と同時に格納庫にマリアが入ってきた。

 

「さっきからドタバタしてたが、切歌辺りがウェルを殴ってたのか?」

「色々問題が重なって少し苛立ってるの。じきに収まるわ」

「ご、ごめんなさい。アジトを守れなくて……」

「あなたが謝る事じゃないわ」

 

 マリアは笑みを浮かべて日向を抱き締める。

 

「あの状況下で二人も足止めしてソロモンの杖も取り返したんだもの。むしろお礼を言いたいわ。ありがとう日向」

「そんな……僕は、その……」

 

 マリアに抱き締められても表情が晴れる事はなく、明後日の方を見て呟いていた。

 

「それに……それぐらいしないと、僕の罪は赦されないし……」

「ッ……何度も言ったはずよ。あなたに罪はない。セレナだって日向を困らせるために助けたんじゃないのよ」

「ッ、ごめん、なさい……」

「日向……」

 

 何を言っても日向は「ごめんなさい」を繰り返すばかり。

 やるせない思いのマリアは一層強く抱き締める。

 

「ふぅ……マリア。そいつを部屋に連れて行け。幸い、料理はこん中でやってたから食材と料理器具は残っている。それまでそいつを落ち着かせておけ」

「分かったわ。行きましょ、日向」

 

 顔を俯かせたまま日向は頷くとマリアに付き添わされ格納庫を出て行く。

 オッシアは「面倒だ」と云う意味を籠めて溜め息を吐き、格納庫を出て使われてない方のブリーフィングルームへ向かう。

 その途中、頬を赤く張らしたウェルと会った。

 

「おや、オッシア」

「ずいぶんと盛大に殴られてたな。まあ、お前の面がどうなろうとオレには関係ないが」

「相変わらず辛辣な言葉ですね。そこまで僕の事は嫌いですか?」

「ああ、嫌いだね」

 

 間を置く事すらせず、断言するオッシア。

 

「お前に対して警戒は怠るなって本能が囁いているんだ。こいつは色々な意味でマズいってな」

「あはは。僕はまだソロモンの杖がなければ何も出来ない人間ですよ」

「……まだ、ときたか」

 

 こう云う所が警戒を解けないのだ。

 まるでソロモンの杖――聖遺物があれば何でも出来るような云いようが特に。

 

「まあいい。倒れられても困るし、一応、食事を用意してやるから二、三時間後にブリーフィングルームに来い」

「ありがとうございます。それでは」

 

 笑みを浮かべて一礼するとその場を後にする。

 その後ろ姿を見て、

 

「しかし……何故、あいつは“わざと情報を流しバレやすくしたんだ”……?」

 

 疑問を呟くのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 オッシアは別に料理が得意な訳ではない。ただ、フィーネの中で料理が出来るのがオッシアとナスターシャだけだからだ。そのナスターシャも現在は病気も一因し料理を作ろうとしない。結果的にオッシアが作るしかない。

 カセットコンロに乗せた鍋に水と適当に具材を入れて豚汁もどきを作るオッシア。豚肉など冷凍保存が必要な食材は買い出しに行ってない今は入ってないが。

 一応、オッシアが考えている今日の献立は豚汁もどきとフロンティア視察の際に釣ってきた魚の丸焼き、後はパン。

 後ろで扉が開いた音がして、オッシアは振り向かずに声を掛けた。

 

「あいつの様子は?」

「部屋で休んでいるわ」

 

 マリアはそのままオッシアの背後に立つと、肩から覗き込んだ。

 

「相変わらず、オッシアは調理が上手いわね」

「こんな事、大した事ない。順位的に云えば二位くらいだ」

「それ、何の順位よ」

 

 苦笑を浮かべるマリア。

 そのまま立ち去ると思ったが、マリアはオッシアの背中に額を当てて動きを止めた。

 

「……ねぇオッシア」

「何だ」

「私は、あの子に何をしてあげればいいのかしら」

 

 あの子――とは、云うまでもなく日向の事だろう。

 オッシアが見る限り、マリアは彼を“元の彼”に戻そうと必死で、日向はそんなマリアから一歩引いた感じで接しているようだった。

 

「さてな。お前達の間で起きた過去の事を知らないオレには何も言えん」

「ふ、ふ……そうね。あなたに言っても仕方ないわよね」

「だが、あいつが好きならどんな手でも使ってみる事だな」

「好、き……? 私が日向を? ……どんな眼で見ればそんな風に見えるのよ」

「好きな奴がいる存在として見たんだが?」

「――――」

 

 オッシアに好きな人がいると云う事に少なからず驚いたマリア。

 まったく顔を見せない彼が好きな人の前ではどうなるんだろうか。すごく知りたかった。

 それにオッシアは誰かに秘密をペラペラと話す人間ではないだろう。仕方なく、マリアは本音を漏らした。

 

「……そうね。きっと、私は日向が好きなのかもしれない。でも、それは恋じゃないわ。日向にはもう……セレナがいたんだもの」

「どうだか――ああ、以前から聞いていたが、そのセレナって奴はお前の関係者か?」

「妹よ。六年ぐらい前に……」

「なるほどな。色々と分かったよ」

 

 ――だからもういい。

 カセットコンロの火を切りながらオッシアはそう告げる。

 

「日向には変わらぬ態度を取ってやれ。無理に世話を焼こうとするな。それと、そんなに心配ならお前があいつを守ってやれ。いたって云うセレナの分までな」

「……ありがとう、オッシア」

「礼を言うんだったら――頭をどけてくれ。他の作業が出来ない」

「あっ……ご、ごめんなさい!」

 

 慌てて頭を離し距離を取るマリア。

 奏者の中では最年長のはずなのに、所々でポカをするマリアにオッシアは思わず苦笑を浮かべる。

 取り作るように咳払いをして、マリアは表情を改める。

 

「好きと云えば――少し相談していいかしら?」

「オレに答えられる事ならな」

「あなたは一人の男が複数の女を彼女とするのをどう思う?」

 

 ピタリ、と。

 包丁を持とうとするオッシアの動きが止まった。

 それに気付かずマリアはライブ準備中に奏と話した会話をオッシアに話した。

 

「それはただのごっこ遊びだ」

 

 マリアの言葉を聞き終わって、オッシアは吐き捨てるように言った。

 

「マリアは間違ってない、奴らの恋人関係はただの遊びで破綻している」

「……オッシア?」

「三人に好意? そんな事が人間に出来るわけないだろう。本気で愛する事が出来るのはその中でたった一人だけだ。あいつは溺れているだけだ。自分に好意を持ってくれる相手の感情に。自分が本当に好きなのは誰なのか気付かないまま仮初めの幸せに浸っているに過ぎない。許せないのはそれを真剣と言っている所だ。三人も好きな時点で真剣も何もあるわけねぇだろうが――!」

「オッシアッ!!」

 

 一人でぶつぶつと呟くオッシアを心配したマリアはオッシアの名前を叫ぶ。

 名を呼ばれ、オッシアはハッと我に返る。

 

「一体どうしたの? 突然呟きだして……」

「あ、ああ……いや、すまない。取り乱した。つまり、オレが言いたいのは三人と付き合うってのは間違っていると云う事だ。これでいいか?」

「え、ええ……」

「なら、悪いが一人にしてくれないか。用意出来れば呼びに行く。日向の所でも行って待っててくれ」

 

 有無を言わせない言葉にマリアは従うしかなかった。

 ブリーフィングルームを出て行く音を背中に聞き、オッシアは包丁を握る手を強める。

 

「ああ、そうだ。奴は間違ってる、間違ってるんだ。そうだろ――」

 

 自分に言い聞かせるように囁くオッシア。

 それでも、それはまるで誰かに言うかのようであった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 翌日――と云うか本日だったが、流石にそのまま授業に出るわけにいかず、クリスとヴァンを除く奏者組みは午前中を二課で治療及び睡眠に費やし、午後からリディアンに登校していた。

 

「はわ――あ。まだ(ねみ)ぃ……」

「仕方あるまい。私達防人に昼夜など気にしてられないのだからな」

「まあねぇ……」

 

 残り二日は授業は午前中で終わり、周りでは既に秋桜祭の準備を始めている。登校してきた鏡華と翼に気付いた生徒が次々に挨拶をしてくるので軽く手を挙げて挨拶を返した。

 

「翼んとこは準備は終わったの?」

「ああ。飾り物は昨日雪音やクラスメイトに手伝ってもらって片付いた。後は屋台の準備だけだ。鏡華が持っている立花達のクラスは?」

「あー、なんか一昨日から出入り禁止・閲覧禁止を喰らって見てない」

「……何それ」

「知らねぇよ。ライブ数日前に聞いた時はコスプレ喫茶するとか言ってたけど……」

「こ、こすぷれ?」

 

 思わずと云った様子で鸚鵡返しに聞き返す翼。

 一応、翼もバニーガールのコスプレをした事があったのだが、それがコスプレだとは知らないようだ。

 分かりやすく説明しようとして、視界の端に制服ではない赤髪の女子生徒を見つけた。よく見ればメイド服を着ていた。

 ちょうどいいや、と指差す。

 

「ほら、あそこにメイド服着ている女子生徒がいるだろ? あんな風に服を着てその仕事になりきるのがコスプレ」

「へぇ――ねぇ鏡華」

「ん? ――おう!?」

 

 翼の声に鏡華は「あ、人を指差すのはマズったか」と思って自分の指を見ようとしたその先――メイド服を着た女子生徒。

 女子生徒と思っていたのだが――よく見れば、あの羽みたいな赤髪には見覚えがあった。と云うか奏だ。

 

「鏡華。奏の年齢を教えてくれ」

「現在十九。今年で二十歳になる俺と同い年だよ」

「ならば通っているのは大学のはずだ。違うか?」

「留年さえしなければ大学生だな。それ以前に高校すら通ってなくて現在は歌姫だけど」

「そうか。ではあれは眼の錯覚だろう。五時間眠って寝ぼけているとは私も修行が足らないな」

「まったくだ。俺もちょっと寝付きがよくなかったな。夢見が悪かったのに覚えてないんだよ」

「覚えてないなら大した事のない夢ってことだよ。じゃあ私は自分のクラスに行くから。雪音と夜宙の欠席届は任せたぞ」

「了解。……さてと」

 

 こっちに気付いていない奏の事は思考の隅に追いやり、鏡華はそのまま学院内に入る。

 と云うか気にしたらフォローに回るのが眼に見えてたので、今回だけはスルーさせてもらう。

 職員室で“こちら側”の人間でもある教頭に隠語を交えて会話をしておく。ちなみに、元々リディアンは人道的に褒められない研究をしていたり二課本部が地下にあったので、教職員の半数には政府関係の人間がなっていた。

 まったく関係ないただの教師なのは元・響達の担任であり、校舎移転の最中にお見合いが成功し寿退社した女性教師やクリスやヴァンの担任、後は数人。

 ちょうどクリスとヴァンの担任が職員室に戻ってきたので、鏡華は二人が欠席する事を説明しておいた。

 一応、差し支えない理由を伝えたが、実際は二人共肋骨をやられており、特にヴァンは骨折寸前までヒビが入っていたので無理矢理休ませたのだ。

 

「分かりました。二人にはお大事に、と伝えておいてくれますか?」

「了解しました」

 

 とは言ったものの。

 その二人は今現在、安静にしていなければいけないのに、まったく療養せずにどこか行っているのだが。

 鏡華はやれやれ、と最近よく感じる頭の鈍痛に悩まされながら見回りに出るのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 肋骨骨折。安静にしていれば完治五日と二日。

 それがヴァンとクリスに言い渡された診断結果だった。ただし、あくまで診断名であり実際はヒビが入っているのだが。

 にも関わらず、ヴァンとクリスはバイクで我が家に戻っていた。ちなみに免許はヴァンが一ヶ月前に取得している。

 二課から寮に戻り、少し休んでから本来は禁止されているバイクに二人乗りで自然に囲まれた場所に来ていた。暫く昇ると頂上辺りに誰にも知られずにひっそりと屋敷が建てられている。

 知る人はその屋敷をフィーネの屋敷と呼ぶが、既に家主はいない。買い取ったヴァンとクリスも学業のために寮に入っているので今は誰もいなかった。しかし、週一回は必ず屋敷に帰っては掃除をしたり泊まっていた。

 屋敷に着くと、寄り添いながら中に入る。一階は修繕された大広間、フィーネの残した研究道具の内、政府が回収しなかった研究道具がある部屋がある。いつかは片付けなければいけないが、少なくとも今はやる気が起きなかった。

 二階へ上がり、寝室へ向かう。部屋に入るとヴァンはクリスから離れ、棚の一番下の引き出しを漁り始めた。その間にクリスはベッドに腰を下ろす。

 

「――ん、あったぞ」

 

 目的の物を見つけたヴァンは立ち上がり、クリスにそれを手渡した。

 ヴァンが手渡したのは数枚の封筒。

 

「それがあいつら……フィーネの連中と文通していた手紙だ」

 

 ――大した事は書いてないがな。

 そう言ってクリスの隣に腰を下ろす。

 ヴァンは軽く言うが、クリスにとっては内容なんて関係なかった。

 日付を見る限り、その頃の自分はイチイバルの制御に苦心していたのは鮮明に覚えている。だけど、

 

「気に入らねぇな」

「朝も言ったが、隠していた事は謝る」

「違ぇよ。いや、それもあるけどさ」

 

 気に入らないのは――自分の嫉妬深さについてだ。

 当時はイチイバルを覚醒させる事は出来ても制御するのには苦労し、失敗すればフィーネからお仕置きと云う折檻を受けて、それはもう荒れていた。ヴァンとも口を利かない日だってあったくらいだ。

 もちろんそれらは自分のせい――と云うかフィーネのせい――なのだから、ヴァンもジャンやエドに頼まれた文通をこっそりとしていたのだろう。

 そのこっそりしていた大した事のない出来事が、今のクリスには嫉妬してしまう対象になってしまうのだ。

 ――あたしってこんな独占欲強かったか?

 自分でも驚いている。こんな自分もいるんだ、と。

 

「ったく……ああ、そうだな。クリスの嫉妬は少しばかり強いな」

「るっせ。ヴァンだってあんな台詞を吐いたんだから、もっとあたしの事大事にしろよな」

「何を言ってる。俺はクリスの事は世界で一番大事に想っている。そんなのは当たり前の事だ」

 

 ッ――と息を呑む。

 相変わらず、心臓や体温に悪い台詞を恥ずかし気もなく言うものだ。

 

「ばっ、なに恥ずかしい事言ってんだよ! だ、だいたい、大事に思ってるなら行動で示せよ!」

「……お前それ、どこから仕入れてきた」

「――――」

 

 クリスは恥ずかしがっていたが、やがてか細い声で「あいつらの部屋」と答えた。「あいつら」だけの名称は響と未来の二人だろう。

 なるほど、あの二人の部屋にならそう云う漫画もあってもおかしくない。

 

「悪いが、俺は器用な性格をしてないのはクリスも知っているだろう。学校でやらない事を部屋の中で切りかえてやるなんて無理な話だ。それに――」

「それに? なんだよ」

「……一度行動に移したら、我慢(ペイショント)出来なくなる」

 

 明後日の方を向いて、呟くように答えるヴァン。

 わずかに照れている口調だったのはクリスだから気付けた。

 

「我慢、すんなよ。あたしはヴァンになら何されても……うん、いいから」

「――――」

「おい、何とか言えよ」

「……じゃあ、我慢しないぞ?」

「…………うん」

 

 そう言うとクリスの肩を抱き寄せ、自分の許へ寄せる。抵抗しないクリスはぽふんとヴァンの胸に身体を預ける。見上げれば、目の前にはすごく優しい表情を浮かべたヴァンの顔。

 ――やばい、それ反則だ。

 ヴァンの瞳に映るクリス。ちょっとばかり泣きそうで恥ずかしがっている――なのに、一度も見た事のない蕩けそうな笑みを浮かべているのには、クリスは心の中で待ったを掛けた。

 だけど身体は止まる事なく近付いていく。

 

「クリス――」

「ヴァン――」

 

 甘ったるい声に心の中のクリスは悲鳴を上げそうになる。まるで媚びるような声に、自分はこんな女だったか自問自答したくなってくる。

 でも――大好きな彼の瞳に映る女の子は、とても幸せそうで。

 近付く瞳。

 触れる吐息。

 唇に感じるヴァンの愛。

 何度もついばむように、深く強く重ね、永遠にも等しい時間が過ぎ、どちらともなく離れ――ヴァンはベッドに倒れた。

 

「ぇ……あ、れ……ヴァン?」

 

 見なくても分かるぐらい自分が潤んでいるのを感じているクリスは何もしてこずに倒れるヴァンを見て、思わず声を出していた。

 顔を布団にうずめて、ヴァンは一言。

 

「恥ずい。死ぬ」

「……おい」

 

 ちょっと待て。恥ずかしがるとか普通は女の子(クリス)がするはずだ。

 それを何でヴァンが演じているんだ。

 思わず素に戻ってしまうクリス。

 

「何でヴァンが倒れるんだよ。ここはヴァンがあたしを押し倒すシーンだろ!?」

「いや……俺達肋骨にヒビ入ってるから過度な運動は出来な――」

 

 自分で言っておきながら、「って、過度な運動とか何を想像してんだぁっ!」と叫びながらゴロゴロ転がり回る。

 その動きで悪化しないのか、とクリスは思うが口には出さない。むしろ頭の芯がスゥーッと冷えてきた。喩えるなら《RED HOT BLAZE》の訓練時の完全集中時や完全にキレた時の感じ。

 

「ああぁっ! やっさいもっさいっ!」

「なぁ――ヴァン」

「――はっ」

 

 バッと我に返るヴァン。だが時既に遅し。

 ほったらかしにしていたクリスは――それはそれは良い笑顔でした。

 

「く、クリス――?」

「ヴァンてさぁ……案外、ヘタレだよな」

「うっ」

 

 ある単語を強調して言うクリス。痛い所を穿たれ呻くヴァン。

 もちろん、これだけで許したりなどしない。

 

「しかもヘタレのくせにキスしてる間、けっこーあたしの胸を揉んでいたよなぁ」

「無意識にそんな大胆な事をしていたのか俺は!?」

「無意識に、ねぇ。あんなに捏ねくり回していたのに無意識かぁ。ヘタレで変態かぁ」

「ぐはっ」

 

 次々と突き刺さる言葉の矢。

 普段とは真逆の関係。もしこれを鏡華達の誰かが見ていたらと思うと、恥ずかしさで悶死してしまう。

 数分ぐらいの間だったが、ヴァンには数時間のように感じられ限界だった。

 

「……頼む、クリス。もうそろそろ、俺の精神的な体力が尽きそうなんだが……」

「ん〜? ま、もういっかな。そんじゃ……最後にヴァンの気持ちを聞かせてくれよ」

「お、俺の気持ち……?」

「そっ。あたしに対する気持ちとか、その、どうしてキスしたかった……とか」

「――は? そ、それは……恥ずかしいんだが……」

「何でだよ。いつもは素面で言ってるじゃねーか」

「それはそうなんだが……いざ、面と向かって言うとなると――な」

 

 そう云えば、とクリスは思い返す。

 ヴァンの告白を聞いたのはあの戦いの最中。指輪を貰って本当の告白をしてくれたのは昨晩言い合ってしまった翌日。

 日常では大事にされているが、言葉で聞いた事がなかった。

 つまり目の前の恋人は、真面目な時にしか言ってくれないのである。

 

「だ、だいたいだな、クリス。確かに恥ずかしがっているのは俺だが、クリスだって言葉にした事なんて一度ぐらいだろ?」

「……うん?」

「一応、周りには俺とクリスは恋仲だと思われているんだろうが、俺は胸を張ってクリスの彼氏だと言い辛いんだよ」

「た、確かに……」

「俺の気持ちは分かっているだろ? 俺はクリスの気持ちを分かっているつもりだ。あ、いや、さっきの数には入れない(ノーカン)なんだが……。だけど、それでも俺達は相手の気持ちを知りたがっている。お互い好きだからと云って恋人関係になるわけじゃない。覚えてないと思うけど俺の父のNGO団体にもいた。好きだけでは関係は進展しない。それ以外の何かがきっかけ(トリガー)になる。それが何かは気付かない。そう――だからだなんだ。だから相手にそう云う気持ちをはっきり言ってほしいんだ」

 

 いつになく長い説明にクリスは思わず聞き入っていた。

 いつの間にか、ヴァンの羞恥していた顔が元の無表情に戻っていた。でも、長い付き合いだからクリスには、笑みが浮かんでいる事が分かっていた。

 

「まあよく、言葉にしなくても伝わる気持ちと云うのもあるだろう。だけど、立花がクリスに言ったように、俺達は自分で伝える事が出来るんだ。言葉にして自分の気持ちを相手に伝えて、相手が受け取ってくれて、それを喜んでくれたら自分も嬉しくなると思う」

 

 ――うん。そうだな。

 そう呟くヴァン。まるで自分の言葉に自分で納得している感じで状態を起こす。

 ベッドの上で胡坐を掻いてクリスに向き直る。

 

「真面目な時だけ言っても駄目だな、うん。クリスの言う通り俺、ちゃんとクリスに想いを伝える。そうしたらさ、クリスも応えてくれないか? クリスが応えてくれたら、俺はきっと凄く嬉しいと思う」

 

 今日のヴァンは少しどうかしている。いや、クリス自身もどうかしていたのだが。

 だけど、クリスに断る理由などなかった。ヴァンと同じようにベッドの上で胡坐――を掻こうと思ったが、流石に思考がそれを止めて正座になる。

 

「クリス」

「うん」

「夜宙ヴァンは――雪音クリスを愛しています」

「うん」

「これからもずっと傍にいて愛していたい」

「うん」

「それを――許してほしい」

「当たり前だ」

 

 そっとヴァンの頬に手を添える。

 ヴァンが隠す事なく言ってくれた気持ちがクリスには凄く嬉しかった。

 答えを返せば、ヴァンも嬉しくなってくれるのだろうか。そうなら、いくらでも言えた。

 

「雪音クリスも――夜宙ヴァンを愛しているんだから」

 

 ――だから、嬉しさを幸せに変えてもいいよな。

 さっきのように熱に浮かされたように、本能に任せてではなく――全身を包み込む幸せを感じながら理性を保ったまま唇を重ねる。

 遥か彼方の未来の事なんて、今の二人には分からない。泡沫で儚いこの場所がいつ崩れ去ってしまうか分からない。

 それでも、これだけははっきりと確定している。

 未来永劫、この貴き場所に二人でいれば幸せ――だと。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅲ

 秋桜祭を前日に控えた今日。リディアンでは朝から生徒達が準備に勤しんでいた。

 授業がないのでより集中的に準備が出来、昼前には大方のクラスの出し物は完成されていた。出来てない出し物も終わった生徒が手伝っているので作業スピードは格段に上がって着実に出来上がっていく。

 

「でさでさ。未来は遠見先生と回るんだよね?」

 

 響達のクラスも食堂を借りた喫茶店の準備や不必要な物の片付けを終え、各自、自由行動に移っていた。響と未来、いつもの三人を合わせた五人は、試食も兼ねた紅茶とホットケーキを昼食として囲み、明日の予定を話している。

 ちなみに一番食べているのは、当然響。

 

「うーん、どうなんだろ。あ、誤摩化してるわけじゃなくて、本当に決まってないの」

 

 未来が鏡華と付き合ってる事を三人は既に知っている。もちろん一夫多妻(一男多女?)の付き合いをしていると聞かされた時は驚かれたが、現在は関係が良好なので然程気にしなくなっていた。

 

「弓美達は午前後半で、午後からステージに出るんだよね」

「まあね。アニソン同好会発足初めてのイベントなんだから張り切るわよっ!」

 

 胸を張って宣言する弓美。隣では詩織はいつものように微笑み、創世は顔を赤く染めて俯いていた。

 嫌、と云う訳ではないのだろうが、どうやら恥ずかしいみたいだ。

 

「そう云えば、立花さんと小日向さんもステージに出場すると係の人が言ってたんですが、本当ですか?」

「あ、うん。私は奏さんと、未来は翼さんとデュエットするんだ」

「ちょっと気後れするけどね、成り行きで出る事になったの。――ほら、ジャムついてるよ響」

 

 話している間、未来はポケットティッシュを取り出して響の頬についたジャムを拭き取る。吹き終わると「ありがと、未来」と響は何事もないようにお礼を言う。

 その光景に誰も突っ込まない。以前、仲が良いからと云って同じベッドで寝るのは度が過ぎているとツッコミを入れられても仕方ない、と云った事があったが、それは訂正される事になる。

 響と未来の度が過ぎたスキンシップは既に――クラスメイト達の日常となっていた。きっと二人で一緒に寝ていてもツッコミなどなく、「あ、やっぱり」程度で済まされるだろう。

 

「はー、現役の歌姫とデュエットかぁ。アニメっぽくて羨ましいけど、正直あたしは遠慮するわね」

「ええ。足を引っ張らないか心配して緊張したら、本当に足を引っ張っちゃいますもの」

「その点、ビッキーとヒナは度胸あるよね。何か秘訣でもあるの?」

「秘訣? んー? 奏さんと歌うのに秘訣なんていらないと思うけど……強いて言えば、楽しむ心かな」

「おお……あの響がおっそろしく真面目な答えを返すなんて。明日は雨が降るのかしら」

「ちょっ、酷い!」

 

 思わず笑みをこぼす未来や詩織、創世。

 

「でも、響の答えは間違ってないよ。奏さんや翼さん、歌を歌う事が凄く大好きで、どんなに下手でも楽しめればそれでいい、みたいな感じ」

「へぇー」

「少し前になるんだけどね、翼さんと鏡華さん、私と響で遊びに行ったの。その中でカラオケに行って、翼さん最初に何を歌ったと思う?」

 

 未来の問いに響はにんまりとちょっとだけ悪そうな笑みを浮かべる。

 弓美達は首を傾げ、三人共思い思いの答えを口にした。

 三人の答えは間違ってない。ただ、最初に歌ったジャンルではないだけ。

 答えが出揃った所で未来は答えを明かす。

 

「実はね、え――」

「私が何を歌っていたと?」

 

 ――と、その直前に後ろから声が掛かる。

 響と未来は驚いて、弓美達三人も前を見ていたので気付くはずなのに気付けなかった事に驚いた。

 振り向いて目の前にいたのは、

 

「つ、翼さん!?」

 

 まあ、分かってた事だったが翼だった。

 

「ど、どうしてここに……?」

「なに、休憩でもしようと食堂(ここ)に来たんだが、お前達が見えたものでな。声を掛けようとしたら面白い事を話しているではないか。――さて、小日向」

「は、はいっ」

「私が何を歌ってたか、答えを出すといい。なに、心配するな。事実なのだから答えても私が鞘走る事はない」

 

 ――それ、絶対に怒るって事ですよねっ。

 未来と響の心のツッコミがシンクロする。

 ちらりと弓美達に助けを視線だけで送る。

 ――助けてっ!

 ――無理ッ!

 ――酷いっ!

 アイコンタクトはコンマで拒否された。

 そんな後輩を見て、翼は仕方なく溜め息を吐く事で矛を収めた。

 

「……ふぅ。冗談だ、そう真に受けるな」

「じょ、冗談にしては眼が本気でしたよ!?」

 

 響の言葉を軽く受け流して、響の隣の椅子に腰掛ける翼。

 詩織がティーポットを手にして「飲みますか?」と訊ねる。翼が「いただこう」と言ったのでちょうど余っていたカップに紅茶を注ぐ。明るいオレンジ色の液体が入ったカップを翼の前に置く。

 

「……美味しい。これを明日の祭りに?」

「はい。ギャルと云う種類の茶葉です。人によって匂いは変わりますが、私は花のような香りだと感じるんですが……」

「紅茶の種類は詳しくないが……うん、確かに良い匂いだ」

「ありがとうございます」

 

 飾る事のない感想に詩織は嬉しそうに顔を綻ばす。

 

「ところで翼さん。奏さんは一緒じゃないんですか?」

 

 響の質問。

 翼は思わず苦笑をこぼしてしまった。

 

「あ、あれ? 私、おかしな事言いました?」

「そうではない。一昨日も雪音に同じ事を訊ねられたんだ。そこまで私と奏は一緒なのか?」

「うーん……何て云うか、翼さんと奏さんって二人で一人って感じがするんですよ。もちろん翼さんは翼さん、奏さんは奏さんなんですけど」

「私も響と同じです。翼さんと奏さんは、二人一緒が一番しっくりくるんですよね」

「……そうか」

 

 二人で一人。二人揃ってのツヴァイウィング。

 それが翼と奏の考えであり、それを他の人に指摘されるのは悪くない。

 悪くない――のだが。時々、そう最後に続けてしまう事があった。

 だけど、その先がどうしても浮かばない。今回もそうだ。

 だから、一先ずは思考の隅に押し遣って響の問いに答える。

 

「奏は次の新曲の時に着る衣装の相談に、鏡華と一緒に行ってるんだ」

「もう新しい曲ですか!? 最近、どんどん出しますね。お金足りるかなぁ……」

「次――と言ってもまだ先の話だ。歌詞とピアノで作った仮の伴奏しか出来てないし、忙しいからな」

「どんなテーマなんですか?」

 

 眼を輝かせて質問する弓美。

 しかし、翼はすぐに答えず、紅茶で唇を湿らして、

 

「構成にやや不満がある――ラブソングだ」

 

 まるで拗ねたように唇を尖らせて不満を言うように言うのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 ――クシュンッ

 盛大ではないが、静かな店内には十分響くくしゃみをしてしまった鏡華。

 店主が「冷房が効きすぎたでしょうか」と申し訳なさそうな顔つきで訊いてくる。

 

「いえ、問題ありません。誰かが噂しているんでしょう。ご心配をお掛けしてすみません」

 

 笑みを浮かべて逆に店主に謝る。

 店主は「そうですか」と言い、また相談に戻った。

 

「では、こちらの品はいかがでしょう。遠見様のご希望通り、動くのに裾やベールを持つ必要もございません」

「ふむ……」

 

 鏡華が来ているのはウエディングドレスの専門店。事前に話を通し、次の曲で纏うドレスの相談を店主としていた。

 鏡華としては別に店主でなくとも、ある程度知識がある人でよかったのだが、店側としては最近人気急上昇中のツヴァイウィングの衣装が自分の店で使われるかもしれないのだ。店主自らが相談に乗ってでも引き止めて自分の店の品を使わせて、客寄せにしたいのが本音だ。

 もちろん、専門店としての意地もある。客の要望に的確に答え、最高の品を提供する。鏡華は知らないが、創業してから三十年、ずっとウエディングドレスに携わってきた店主は今かなり燃えていた。

 店主が次に挙げたのは、胸元を強調するよう作られたホルターネックと呼ばれる赤いドレス。首と胸で服全体を支えているのが特徴だ。手元の資料に写っている女性は胸元にリボンを結んでいたりして綺麗の中にささやかな可愛らしさがあった。

 

「服を支えているのは首だけか……ほどける事はないんですか?」

「結ぶだけの品でもよほど軽く結ばない限り、ほどけることはありません。こちらは結ぶだけでなく目立たないホックも付いており、二重で留める事ようになっております」

「なるほど。……おーい、奏」

 

 向こうで放置していた奏を呼ぶ。だが返事はない。

 よく見れば、店に訪れていたカップル達に囲まれている。その手に持っているのは手帳とペン。

 

「しまったな。平日だからって過信してたわ」

「今から個室をご用意しましょうか?」

「いや、今引き剥がすのは得策じゃないと思うんですよ。私と奏はあくまで次の曲の衣装合わせで来ています。もしかしたら勘違いする方もいるかもしれませんし、今は彼女のアドリブに期待しましょう」

「なるほど。では、試着など最終的な決定はまた後日、と云う事で」

「すみません。それでお願いできますか?」

「もちろんです」

「ありがとうございます。では、今のは候補としておきます。別のドレスをいいですか?」

 

 久し振りの上客に店主は満点の笑みで答える。

 店主が薦めてくるドレスや記事を鏡華は公私半分ずつの気持ちで見ていた。

 仕事の衣装を考えながら、いつか着せられる事を夢見ていた。

 

「んー……候補もありすぎたらいかないし、後は、エンパイアラインとプリンセスラインのどっちかで決めるか。この二つでこう、胸元をちょっとはだけるって言えばいいかな……こんな感じにするとしたらどっちがいいでしょう?」

 

 携帯端末では小さかったのでPC端末を取り出して、保存されているツヴァイウィングの写真を見せる。以前、『逆光のフリューゲル』のCDジャケットにするために撮った写真である。二人いるので分かりやすく奏の胸元を指差す。

 

「そうですね……(わたくし)個人の意見で挙げるならば、やはりプリンセスラインかと」

「ほほう。一応、窺う前にちょっとだけ調べたんですが、プリンセスラインの物が一番人気なんだそうですね」

「ええ。プリンセスラインは日本人の体型を非常に美しく、可愛いらしく演出してくれるウエディングドレスです。背が低い事やぽっちゃりとした体型の方でも似合うと定評されています。また、胸元やスカート部分の刺繍、素材の重ねトレーンなど、バリエーションも豊かです」

 

 資料の衣装も人それぞれの個性が出ている。

 万能ドレスだな、と思いながらエンパイアラインも見る。

 

「エンパイアラインも捨て難いのですが、お客様の背と胸部の事を考えると……」

「ああ、そうですね。確かに一理あります」

 

 エンパイアラインは他のドレスと比べるとスリムで背を高く見せる。また、バストアップ効果もあるので初めから身体のスペックが高い奏が着れば、ちょっと露出や威力が強くなってしまうかもしれない。露出が強くなるのが分かって敢えて選択する鏡華ではない。

 それに、奏だけを目立たせるわけにはいかない。奏の美しさに加えて翼の凛々しさも魅せなければならないのだから。

 

「じゃあ、候補はこの二つで。次回は決めるのと装飾をお願いします」

「かしこまりました。またのご来店をお待ちしております」

 

 互いに頭を下げ、鏡華は奏を迎えに行く。

 

「奏ー、終わったぞー」

「おー、っと。それじゃあ、これからもあたしと翼のツヴァイウィングをよろしくなっ」

 

 全員分のサインを仕上げ、鏡華の許へ近寄る奏。

 店を出る前に振り返ると、

 

「そうそう忘れてた。早いと思うけど――結婚おめでとう!」

 

 満面の笑みで、店内にいたカップル全員に祝福の言葉を伝えた。

 ただ、やはり恥ずかしかったのか、言った途端足早に店を出て行ってしまう。鏡華は苦笑してカップル達に目礼すると奏を追い掛けた。

 ――おめでとう、か。自分は叶わないかもしれないのにな。

 

「――ッ?」

 

 不意に。

 そう、本当に不意に。

 声が聞こえた。蔑むような声音。

 振り返っても何もない。内と外を隔てる不透明なガラス。自動で動くガラス。

 内と外を隔てるガラスは当然の如く視界だけでなく声も妨げる。

 だから――聞こえない。聞こえないはずなのに――聞こえた。

 

「鏡華ー? 早く帰ろうぜー」

 

 遠くから奏が自分を呼ぶ。

 ああ、と返事をして鏡華は止めていた歩みを再開した。

 きっと空耳だったのだろう。だけど――

 空耳であろう声はいつまでも脳内に残り、

 蔑む声は、しかし――悲しそうな声音の余韻を響かせていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 武装組織フィーネの食事はシンプルかつ質素だ。だけどF.I.S.から離反したフィーネのメンバーにとっては最高の食事である。

 三食全てに視察や時間が空いた時などに釣ってくる魚を使っているが、オッシアの工夫で同じ調理方法の食事が連続で出来る事はあまりない。今日は魚を煮込んでダシを取ったスープに焼きそばの麺を入れたラーメンもどき。

 乾燥わかめとハムを入れて五人分のお値段、約三百円前後。

 

「激安デぇス!?」

「切ちゃん、ほっぺにわかめ付いてる」

 

 オッシアの算出した昼食の値段に切歌が驚きの声をあげる。そんな切歌の頬に付いたわかめを取って自分が食べる調。

 その場にはマリアと日向、ナスターシャもいる。ウェルだけは「考える事がありますので」と言って独りで部屋に籠って考え事しながら食べている。

 

「ありえないデス! ごちそうと同じ値段で皆一緒に食べる事が出来るなんて! オッシアは天才デスか!?」

「んなわけあるか」

「切ちゃん。喋ってると麺が伸びちゃうよ」

「おっと、そうでした!」

 

 調の言葉に、切歌は慌てて麺を啜る。

 ただ、慌てすぎてむせるわ、机や口回りに汁が飛び散るわ。

 

「ったく……てめぇに作法なんて――いや、なかったか」

「あはは……ほら、切歌ちゃん」

 

 笑う日向はただで手に入れてきたポケットティッシュで切歌の口回りを拭いてあげる。抵抗せず日向が拭くのが終わってから「ありがとデス、日向!」とお礼を言って麺を啜るのを再開する。

 

「日向はともかく、マリアと調が作法知ってんのに何で切歌だけ作法を知らないんだ。お前だけ時代の違う人間か? 中世の人間か?」

「何言ってるデスか? オッシア」

「……何でもない」

 

 またわかめを張り付けて訊いてくる切歌を見て、そっぽを向いて返すオッシア。

 ちなみに、彼が言いたかったのは、中世欧州の宴会風景だったりするのだが、それを知っているのがオッシアだけ――ナスターシャなら知っているかもしれない――だったので通じなかっただけである。

 余談として説明すれば、中世の宴会風景は、机に載せられた料理に我先にと群がり、ナイフを突き刺して肉を切り取り、手掴みでそれを取り上げ口に詰め込む。個人の皿はなくフォークもない。ナイフは自分で用意した物で、酔っぱらったらこれで宴会のメンバーと殺し合う。

 ――こんなものである。嘘だと思うが、本当の事だ。

 全員が机に着席し神へと祈り、家長が「では、いただきましょう」などと言って始まる食事風景を普通は想像するのではないかと思うが、そう云う風景は飢餓と戦争から解放され、農業が進化した後、最近二百年程度の話なのだ。

 閑話休題。

 

「まあ、これから覚えていけばいいか」

 

 そんな事を言っているオッシアの手許には料理はない。

 彼自身、食事はいらないと言っているのだ。

 

「ところで切歌、調。お前達、明日の潜入任務の事だが、何か作戦でもあるのか?」

「作戦、デスか?」

「こう、奴らに合わないよう変装するとか、奪う秘策とか」

「……」

 

 無言は何も考えていないと取っておいた。思わず溜め息が出る。

 あまりの無計画さに呆れた雰囲気を出すオッシアに切歌が慌てて口を開く。

 

「め、眼鏡を掛けるデスよ! これであいつらにはバレないデスよ!」

「眼鏡、ねぇ……日向君や?」

「あはは……似合うと思いますよ?」

 

 笑うだけで答えなかった。関係ない事は答えた。

 明らかに無理だと分かっている。

 ――いや、無理ではないか。

 切歌と調の顔を知っているのは奏者で六人。その数でリディアンの敷地内を見張るなんて難しいし、そもそも六人とも“秋桜祭”を楽しむはずだ。こちらが目立つ行動をしなければ見つかる事も少ない。

 

「ったく……何で協力者のオレがここまで面倒を見るんだろうな」

「あなたがお節介だからじゃないの?」

「まったく……否定したいのに事実だから言い返せねぇなぁ」

 

 立ち上がるオッシア。調の後ろに立つと、いきなり髪を弄り始めた。

 しかし調は首を傾げるだけ。もぐもぐと麺を啜るのはやめない。

 リボンをほどき、手櫛で軽く梳くと適当に髪を結ぶ。あっという間に三つ編みにすると、ポンと頭を撫でた。

 

「はい、出来上がり」

「……?」

「おおっ、調の髪型が変わったデス」

「ほんと、オッシアは何でも出来るわね。どこで習ったの?」

「別に、習ってなどいないさ。あいつらのを見ている内に――」

 

 言っている間に、ハッとして口許を抑えるオッシア。

 

「何でもない。食べ終わった食器は水に浸けておいてくれ」

「あ、オッシア――」

 

 マリアの言葉に振り向かず部屋を出るオッシア。

 通路を歩いている間、オッシアは顔に手を当てていた。

 

「らしくない事を……変わったのか、変えられたのか――いや、元に戻ってるだけ、か」

 

 くっくっと自嘲めいた笑みを漏らす。

 ふと、意識を向ければ――見慣れた顔が浮かんだ。声が聞こえる。

 

「おめでとう、か。自分は叶わないかもしれないのにな」

 

 思わず呟いていた。

 ああ、と呟いてオッシアは歩き出す。

 ――ああ、キミの願い、叶えてやりたかった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 オッシアが出て行き、マリアは日向に訊ねた。

 

「日向、私、悪い事言ったかしら?」

「いや、マリアは何も言ってないよ。僕達はオッシアさんの事をよく知らないんだから」

 

 知ってるのは、男だって云う事。料理が上手な事。他に二つ、三つぐらいだけだ。

 しかし、一番彼の事を知っているのはナスターシャだろう。

 

「彼を仲間に入れたのはマムだ。僕達よりオッシアさんの事を知ってるよね?」

「ええ。ですが、彼は時が来れば自分で教える、と言いました。私が教えるわけにはいきません」

「そう……」

 

 ナスターシャの言葉にマリアは頷いて麺を啜る。咀嚼し呑み込むとまた満足そうに頷いた。

 一先ず今は彼の素性がどうかは気にしないでおこう。しつこく聞いたら、ご飯作ってくれなくなるかもしれないし。

 そう自己完結させて詮索をやめた。

 

「それより、切歌。エインズワースの事は吹っ切れた?」

「んー、正直まだ納得はしてないデス。調とも話したんだけど、やっぱり答えは出なくて」

「まあしょうがないよ。僕はその頃、実験実験、また実験の連続だったから関わりがないからエインズワース――夜宙さんがどんな人だったか知らない。けど、少なくとも悪い人じゃないと思うけどな」

「否定はしないデス」

「イメージと本人は全然違ってたけど」

 

 確か、日向が覚えている限り、ヴァンからの手紙を一番楽しみにしていたのは切歌と調の二人だ。あの人達――ジャンとエドが持ってくるたびに引ったくるように奪っていたのを見ていた。

 手紙は叛旗を翻した際持ってこなかったが、大事にしまっていたのを覚えている。

 

「あなた達、隠れてそんな事をしていたのですね」

「あ、やば」

「マムにも秘密だった」

 

 本来、外界との接触は頑なに禁じられ――と云うか不可能に近かった。ジャンとエドが内緒で手紙を運んでいたのはナスターシャにも秘密だった。

 眼光が鋭くなったナスターシャに日向とマリアが慌てて庇う。

 

「わあっ、秘密にしてたのは謝ります! ごめんなさいマム! だけど二人の性格が落ち着いたのは、あの手紙のおかげでもあったんだよ!」

「そ、そうよ! それに、今は敵同士! 切歌と調だって折り合いはつけてるわ! そうよね? 二人共」

 

 話を振られ、こくこくと頷く切歌と調。

 暫く眼光が鋭かったナスターシャだったが、二人の必死の説明が功を制したのか、「まあ、過ぎた事をとやかく言うべきではありません」と矛を収めてくれた。

 ホッと密かに息を吐く日向とマリア。同じ事をした二人は互いに顔を見合わせ苦笑するように顔を歪ませた。

 

「手紙だけならば問題はありません」

「実は写真も入れた事が――もがっ?」

「駄目ですよ調!?」

 

 どうやらこれで終わってはくれないようだ。

 調がポツリと漏らしてしまった一言。

 一度は矛を収めてくれたナスターシャが怒ったのは――まあ、当然の事だった。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅳ

『――んじゃ、ここに秋桜祭開催を宣言する。今日一日、目一杯楽しめっ』

 

 放送によってリディアン全域に伝えられた実行委員と顧問の鏡華の宣言によって秋桜祭は幕を開けた。警備員は既に配置され放送を合図として正門を解放する。まだ朝も早いので外から来る客は少ないが、時期に来るだろう。

 放送を担当していた実行委員の生徒達を送り出し、鏡華はスケジュールが記されたガイドマップを取り出して予定を確認する。

 午前中はステージなど発表会みたいなものはない。午後から飛び入り参加有りの歌唱大会が開催が予定されている。一応、担当していたが司会進行役はいるので丸投げして任せている。

 夜中は後夜祭として定番の片付けも含めたキャンプファイヤーを囲んだフォークダンス。火を扱うので近隣の住民には事前に伝えてあるが、もしもの場合のために警護は強化してもらっていた。

 

「さて、と予定も確認した事だし……うちのクラスのでも行ってみるか」

 

 全ての予定も確認しガイドマップを懐にしまった鏡華はその足で自分の、響や未来達が準備している食堂へ向かう。

 食堂の半分を借りて、もう半分は普通に営業してる。

 まだ開いてないかなぁー、と云う気分で扉を開けて入ると――

 

「お帰りなさいませー! ご主人様っ」

 

 見目麗しい少女達が純白と漆黒が映えるフリフリの服――メイド服を着て、眩しい笑顔で鏡華を出迎えた。

 どうにも「ご主人様」と呼んだ語尾にハートマークが見えたような気がする。

 思わずバタンと扉を閉めてしまった鏡華は悪くない。――ええ、悪くないですとも。

 深呼吸を繰り返し、いつもの自分に戻った所でまた開けて、

 

「お帰りなさいませっ、ご主人様っ!」

「ただいまーっ! ――っておかしいだろぉっ!!」

 

 今度は「お帰りなさいませ」にもハートマークが付け加えて出迎えた。

 鏡華もちょっと乗ってみたが、思わず本音が漏れていた。漏れていたと云うより――叫んでいたのだが。

 懐に入れていたはずのガイドマップも真下に叩き付けていた。

 

「コスプレ喫茶なのに何で全員メイド服なんだよ! 他のコスプレはどうした!?」

「予算オーバーでメイド服と執事服、チャイナ服とゴスロリバニーしか作れませんでした」

「地味に多い! それで予算オーバーとか言うなし! って云うかメイド率高いなっ」

「この時間帯はメイドタイムなんです。後は自前でスクール水着を用意しました!」

「よし、すぐにスク水は教室に片付けてこい。何でか食堂のおばちゃんが俺を見る視線が痛いから!」

「えー? もう着ちゃってる子もいるんですよー」

「なん、だと……?」

 

 絶句しているが時既に遅かった。

 スタッフルームに「遠見先生来たよー」と別の女子生徒が呼ぶと、おずおずと出てくる女子生徒二人。

 胸元には「立花」と「小日向」と書かれている。つーか響と未来だ。

 

「チェンジで」

 

 二人の姿を眼にした瞬間、鏡華はヘッとした顔でカメラ目線で即答で言った。もちろんカメラなどないが。あったら確実に粉砕している。

 

「わっ、即答すか!?」

「ったりめぇだろ! 特にお前ら! 大盛りと上並盛りなのにスク水なんか着んなや!」

「大盛り?」

「上並盛り?」

 

 首を傾げる二人だったが、すぐに自分の胸だと気付く。

 

「遠見先生、変態です!」「鏡華さん、えっちです!」

「何でだよ! あ、こらそこ胸に手を当てながら俺を睨むな!?」

「もういいよ。響、着替えよっ」

「あ、み、未来っ?」

「胸が大きいと似合わないみたいだし」

 

 響の手を取ってスタッフルームに戻ろうとする未来。

 鏡華はそっぽを向いて止めない。

 ただ――

 

「……似合わない訳じゃねぇよ」

 

 そっぽを向いてポツリと呟いた。髪に隠れた頬が少しだけ赤かった。

 それを未来は聞き逃さない。ほんのりと頬を赤らめて着替えに行くのだった。

 

「ほら! てめぇらも露出の高い服は禁止だ! 着ていいのはメイド服と執事服、チャイナ服だけ! ついでに入り口と店内に撮影禁止の張り紙も貼っとけ!」

「はーい」

 

 パンパンと手を叩きながら叫ぶ鏡華に、女子生徒は楽しそうに指示に従う。

 どうやら、彼を困らせたかっただけらしい。

 一番端の席に座る。暫くしてメイド服を着込んだ響と未来が出てきて、緩む頬を隠すため、鏡華は溜め息を吐くのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 昼に差し掛かった時刻。入場者はようやく増え始めてきた。

 続々と正門から入ってくるのをヴァンは正門に凭れて見ていた。

 女子校の祭りなので男ばかりかと思っていたが、案外そうでもなく女性だけやカップル、家族連れも来ている。

 

「ヴァン君」

 

 ヴァンを呼ぶ初老に差し掛かっている警備員。しかし侮る事は出来ない。その歳で警備員を続けているだけあり実力はそこそこのものだ。何度か模擬戦を頼んだ事があったが、勝てた試しがない。

 悔しくて最近は敬語もなく話しているが、警備員はヴァンを孫のように扱ってくるのでおあいこだ、と考えている。

 

「何だ?」

「警備はもういいよ。君も年に一度の祭りなんだ、楽しんできなさい」

「別に。今は予定もないから好きで警備(こっち)をやってるんだ。あんたこそ朝から立ちっぱなしなんだから休んだらどうなんだ」

「ハッハッ、若いもんにはまだまだ負けんさ。それに、君みたいな子はもっと楽しい事を知るべきだよ」

「ちっ……どいつもこいつも子供扱いする――」

「そりゃ当たり前だ。ヴァン君はまだ子供なんだから」

 

 買い出しに行く女子生徒を手を振って見送りながら、警備員は続ける。

 

「大人と混じって仕事に励もうと、ヴァン君は子供だ。早く大人になりたがっているが、逸る必要は必要はない」

「別に逸ってなどいない。ただ独りである程度出来るようになりたいだけだ」

「それなら余計子供であるべきだ。子供でなければ大人は何も教えてくれないからね」

「…………」

「さあ、分かったら行ってきなさい。楽しむ事も勉学の一つだ」

「――ったく、分かった分かった」

 

 はあ、と深く溜め息を吐いたヴァンは投げ遣りにそう言って壁から離れる。

 しかし、それでもその場から動かなかった。

 

「どうしたんだい? 今ならステージでも……」

「行くさ。ただ、同行者が来ないと俺も動けないんだ」

「……ああ、クリスちゃんか。そうだったね」

 

 警備員も思い出したように納得する。クリスとはヴァンを迎えに来る度に話していたので知っていた。

 暫く待っていると、クリスがこそこそと隠れるように、しかし慌てて正門まで来た。

 

「どうした? クリス」

「説明は後だ! 急いでこっからズラかるぞっ!」

「おいっ?」

「ほっほっ、楽しんできなー」

 

 クリスに引き摺られるように連れて行かれるヴァン。

 警備員は笑顔で二人を送り出すのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「――よし。夜宙ヴァンはいなくなったな」

 

 ヴァンがクリスに引き摺られて正門から離れるのを、建物の屋上から盗み見る人影。

 ある程度離れたのを確認すると、手許の通信機のスイッチを入れた。

 

「それじゃあ切歌、調。予定通り普通に入っていい。俺は後から入るが、合流するまでは自由時間だ。奏者にバレないように楽しめ。だが大袈裟に隠れようとするな」

『了解デぇス!』

「……調、切歌のブレーキ役、頼むぞ」

『うん、分かった。切ちゃんは私が止める』

 

 通信を切り正門を見つめる。数十秒見続けると、切歌と調が初老の警備員に手を挙げて入ったのを確認した。警備員を兼任しているヴァンがいない事は幸運である。いくら変装しても奴ならば見抜く予想がついていた。

 ――尤も、あんな急拵えの変装を変装と呼んでいいべきか。

 調は昨日のように髪型を三つ編みにして眼鏡を掛けさせた。切歌に至っては眼鏡とたぬたぬパーカー(狸の耳が付いたパーカー。ワゴンセールにあった)を着せただけである。

 昨日の今日なのだ、オッシアでも用意出来ないものは用意出来ない。

 立ち上がり、刹那に“校舎の屋上に降り立つ”。

 

「さて、合流すると言ったが――俺はどうするか」

 

 切歌と調の変装を考えて自分の変装までは考えていない様子。

 秋桜祭を楽しそうに回る切歌と調を見守りながら、オッシアはその場に胡坐を掻いて考えるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 クラスメイトの好意で午前中だけで担当を外れ、翼は奏とのんびりと敷地内を巡っていた。

 正直、こう云う祭りに参加するのは久し振りだ。当事者となったのは初めてだ。昔は奏と鏡華の三人で一度か二度くらい祭りに遊びに行った事はあった。防人と云う肩書きはあったがまだ子供、特に予定もなかったのでずいぶんと楽しんだのは未だに記憶に残っている。

 

歌姫(うため)になり始めてから行く機会などなかったが……」

「そうだなぁ。忙しくてお祭りの存在自体忘れてたよな」

「うん。でも、それが凄く楽しくって。私は歌っている時はいつもお祭りみたいだった」

「あはは、まったくだ」

 

 翼の言葉に同意しながら冷凍うどんを啜る。

 冷たいうどんなのだが、何故か美味しい。

 

「それより翼もなんか食ったら? 結構いけるぞ」

「うーん……気持ちだけ食べておくよ」

「そんなんだからそんなんなんだぞ?」

「どう云う意味だっ」

 

 吠える翼。

 以前からやはり気にしている様子である。

 

「そんなんだから胸がそんなんなんだぞ」

 

 今度は主語を入れて言っちゃう奏さん。

 うがーっとまた吠える翼。ははは、と奏は笑って受け流す。空になった食器をごみ箱に捨てて翼に抱きつく。

 

「な、何のつもりの当てこすりだ」

「まあ、あたしは今の翼の胸が好きなんだけどな」

「うぐっ……! 何を言うかと思えば」

「やー、この手に収まるジャストフィット感がまた何と云いますか」

「ひゃあっ!? こ、こんな人の眼がある場所で揉まないでっ!」

 

 後ろから胸を揉む奏を気合一発、どうにか投げ飛ばす翼。奏は器用に空中で体勢を整えると足で着地した。

 

「か、奏は相変わらず意地悪だ……!」

「なら翼は相変わらず恥ずかしがり屋だ」

「のくせに、自分がされると恥ずかしがり屋になる奏」

「……さぁーって、そろそろステージが始まる時間だし、行きますかね」

 

 うーん、と身体を伸ばして時間を見ながら歩き出す。

 話を逸らしたのは明らかである。

 そんな奏を見て、翼は――

 

「……えいっ」

 

 鍛え抜いた歩法で音もなく近付き、背中に頬を当てて両腕を腰に回す。その際、掌は開いて胸を掴むように――いや、掴んだ。

 

「わひゃあーーっ!?」

 

 蒼い空に泳ぐ白雲。そんな清々しい青空に、

 奏の珍しい可愛らしい悲鳴が木霊するのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

  ―疾ッ

  ―破ッ

 

 空気を破るように一直線の突き。

 突き出した拳を引き戻しつつ次の構えに移行。

 

  ―疾ッ

  ―疾ッ

 

 架空の近接武器を片腕で防ぎつつ、もう片腕で敵の胸を貫手で貫く。

 ――避けられる事を想定。即座に防御に移行。

 倒した想定はせず、必ず全ての攻撃を防ぎ避けられると考える。しかし自分はかなりのダメージを負っている。

 イメージ相手は病院で戦ったあの黄金の剣を持つ騎士。自分はよろいを纏わずに戦う。あの時はたまたま“運が良かった”だけであり、今度もそう上手くいくとは思えない。

 だから日向は続ける。もう失いたくない一心で。

 

「――はあッ!」

「精が出ますね」

 

 最後の一突きを放った時、背後から声を掛けられた。

 振り返れば車椅子をマリアに押されたナスターシャがいた。

 

「マム」

「ですが、そろそろ休憩を取りなさい。いくら鍛錬を頑張った所で本番で疲弊しては元も子もありません」

「はい、分かりました」

 

 姿勢を正し、一礼して鍛錬を終える。

 マリアがタオルと緑色の液体が入ったコップを渡す。

 

「お疲れ様、日向」

「うん」

 

 タオルを剥き身の肩に掛けて、液体の色に気付かないまま一息に呷った。

 ――即座に吹き出した。

 もちろん誰もいない方角にだ。

 

「ひゅ、日向ッ!?」

「げほっ、げほっ……! まっず……!?」

「マ、マム! 日向に何を飲ませたの!?」

「青汁入れたのあなたですかっ、マム!」

 

 未だ咳き込みながらナスターシャに向かって叫ぶ。

 そんな当のナスターシャは口の端をわずかに歪めている。

 

「ふふ……やはり不味いものなのですね。ごめんなさい、他人の反応を知りたかったの」

「酷いや……」

「えっと……」

 

 日向が未だ持っていたコップを取り、マリアは底に残っていた青汁をちびりと飲んでみた。

 

「――ッ!?」

 

 数滴かそこらなのにコップを落とすマリア。

 心なしか顔が蒼褪めているように日向には見えた。

 

「――ッ、――ッ!」

「ああっ、マリアってば! 興味本位で飲んじゃ駄目だよ!」

「あ、ああ……セレナがそこに……見える気がする」

「それ幻影です! ああもう! マムのせいだからね!」

 

 マリアをお姫様抱っこしてエアキャリアに戻る。

 すれ違った時、ナスターシャが笑っているように見えたが、振り返らずに進む。

 ブリーフィングルームに入り、オッシアが常備している水をほんの少し分けてもらいマリアに飲ませる。

 

「…………はっ。私は何を……?」

「正気に戻ってくれて何よりだよマリア」

「日向……? ……ひゃあ!?」

 

 自分が抱きかかえられている事に気付いたマリア。

 慌てて日向から離れる。

 

「ああ、ごめん。ちょっと急いでたから……嫌だったよね」

「そ、そう云う訳じゃないのよ! えと、その……そう! 正気に戻ってすぐだったから驚いただけよ!」

「……そっか」

 

 にっこりと微笑む日向。

 そんな彼の顔を直視できず視線を逸らすマリア。自分の顔が火照っているのが嫌でも分かる。

 もう一つ理由はある。日向が上半身裸だからだ。

 別に何年も前から彼の裸は見た事があったが、ここ最近は見ていなく、ここまで鍛えられた肉体になっているとは思わなかった。

 

「にしても驚いたよ。マムがあんなドッキリをやらかすなんて」

「ええ……驚いたけど、昔みたいな一面で、嬉しかった」

「そうだね。……オッシアさんが一枚噛んでそうだけど」

「確か、あの苦い飲み物を用意したのもオッシアって言ってたわね」

 

 オッシアが来てからフィーネは変わったと云ってもいい。食事事情もそうだが、何より雰囲気が変わった。

 まあ、一部を除いてだが。日向が抱えている後悔も、ウェルの存在も、変えられないものはいくらでもある。

 

「ところで、日向は行かなくてもよかったの? 別にオッシアでなくとも日向がいればバレる心配はないはずなのだけれど……」

「……うん。オッシアさんに任せられるのなら僕はオッシアさんに頼りたい。今はあの街に行きたくないんだ」

 

 わずかに俯いて虚空を見つめる日向。

 そんな顔を見せられては、マリアは何も言えなかった。

 それに加えてズキン、と胸が痛む。何故かは分からない。でも、彼の寂しそうな表情を見ると胸が苦しいのだ。

 

「それに、僕まで行ったらマリアが独りぼっちだろうし」

「……――はあっ!?」

 

 突然の言葉に思わず素っ頓狂な声をあげてしまうマリア。

 日向は日向で「あれ? 僕変な事言った?」と首を傾げる始末。

 幼かったからとは云え、セレナの苦労が分かったような気がしてきた。

 

「どうしたのマリア? 突然こめかみを抑えて」

「何でもないわ。そう、何でもないのよ……」

「……? まあいいや。僕はもう少し鍛錬を続けるつもりだけど、マリアはどうする?」

「休んでいるわ。何かあれば呼んでちょうだい」

「ん、分かった」

 

 立ち上がり、部屋を出て行く日向。

 それを見送って足音が遠ざかるのを確認すると、深く息を漏らすマリア。

 オッシアの言う通り、普通の接していれば日向は大抵笑顔でいてくれる。鈍感にもとんでもない台詞を言ってくるのでこっちがたじたじになるが。

 

「私がしっかりしなくちゃいけないのに……」

 

 自嘲じみた笑みをこぼし、マリアは表情を引き締め立ち上がる。

 手に握り締めた欠けたペンダント。セレナが遺した聖遺物。

 

「セレナ……私に、日向を守れるかしら――うぅん、守るのよ。あなたが遺した意味、無意味にしないために」

 

 それはフィーネとしての覚悟ではない。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴとしての覚悟でもない。

 決して塗り潰される事なき――想いだ。

 

 そして、それは日向が秘めた想いでもあった。

 ――喩え全てを敵に回そうとも、この仲間達は護ってみせる。

 それが命を賭して救われた、音無日向の揺るぎない覚悟だった。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅴ

 戦姫絶唱シンフォギア三期決定おめでとうございます。
 まさかこんなに早く三期が決定するとは思いませんでした。


「イチャイチャデートかと思いました? 残念! 私と未来のデートでしたっ!」

「よしお前、殴られたくなかったら今すぐそのドヤ顔やめれ」

 

 目の前で口に手を当てて言われた一言にキレる寸前の鏡華。こめかみに血管で出来たバッテン印が浮かんでいるのは気のせいではない。むしろ悪そうに笑う響の顔を見ているだけで破裂しそうだ。

 顔を離した響だったが、笑みだけは消さず小姑の如く鏡華と未来の間に立っていた。

 

「にょほほ、遠見先生は私と未来が楽しんでいる様子を後ろから眺めていればいいんです! それはもうストーカーのごと――いだだだっ! こめかみ痛いごめんなさい悪ノリしすぎましたーっ!!」

 

 こめかみを拳で挟んでぐりぐりした途端に謝る響。やっぱり痛いものは痛い。

 今回は未来も止めない。仕方ないように溜め息を吐く。

 

「ったく……繁盛したせいで時間がねぇってのに、余計な時間を取ったな」

「鏡華さんが女装なんて悪ノリしたせいでもあると思うけど……」

「お前らが悪ノリして俺“に”女装させたんだろうがっ」

「ノリノリで給仕してたのは鏡華さんですが?」

「さーって、そろそろステージの方へ行くか。未来、立花を頼んだぞー」

 

 こめかみをグリグリしたおかげでへにょへにょしている響を未来に預けて、先に行く鏡華。

 明らかに誤摩化した。自分でもノリノリだったのは否定出来ないみたいだ。

 響の腕を自分の肩に回して未来は鏡華を追い掛ける。

 ――にしても、と未来。

 

「変わったね、響」

「はにゃほれ〜……な〜に〜が〜?」

 

 未だ呂律が戻らない響。

 三ヶ月前の一件から、響は積極的に自分の感情を表に出すようになった。いや、以前から感情を出す子であったが、負の感情だけは隠しているように感じていたのだ。

 今では負の感情――鏡華に対する嫉妬みたいな感情を特に見せていた。とは云っても真っ黒と云うわけではなく、さっきみたいな感じでだが。

 きっかけはきっと三ヶ月前の最後の戦い、その最中で感情をぶつけあった鏡華との戦いだろう。あの戦いがあったから響は自分でも気付いていなかった感情に気付き、隠す事なく吐き出す事が出来るようになった。

 未来はそれを好ましく感じていた。隠しているよりちゃんと言葉や態度で示し合えば、ちゃんと気持ちを確かめ合えるから。

 

「……えへへ」

「どうしたの響? 突然笑い出して」

「こうして未来を抱き締める事が出来て嬉しくてねぇ〜」

「……もうっ」

「遠見先生の前だと余計に!」

「えいっ」

「み、未来が殴った!?」

 

 こういう余計な一言が入るようになったのは頂けないが。

 まあ、それでも。

 響の想いはじんわりと胸を暖かくしてくれるので嫌いではなかった。

 

「うぉーい。イチャコラすんのは構わないけどよー、百合(ラブ)ってると遅れるぞー」

 

 鏡華の呼び掛けに我に返った二人は慌てて鏡華を追い掛ける。

 繋いだ手は離さず、二人で一緒に走る。

 未来は今の世界が一番大好きだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ――ミスったデス。

 それが現時点、切歌が思考の中で一番に考えている事だった。

 隣には調。まあ、これはよしとしよう。いなかったらイガリマってやるデス。意味が分からない? あたしもデス。

 問題は目の前。と云うか目の前にしか面倒事がない。

 

「んぐっ? うぉまえらふふぁないの? ふっへぇぞ」

「いや、何言ってるか全然分かんないデス」

「お前ら食わないの? うっめぇぞ――だって」

「何で調は分かるんデスか!?」

 

 目の前には――天羽奏がいた。

 ついでに対面する一人と二人の間には屋台で買った様々な食べ物が置いてある。

 奏は敵意を向ける事なく、食事に意識を向けている。ちなみにすでに三つ目を食べていた。

 ついさっきまで、切歌と調は祭りを楽しみつつ奏者達を見張っていた。そこまではよかったのだ。いつの間にか奏者達を尾行していた自分達を、尾行していた奏に気付くまでは。

 気付いた瞬間、距離を取る間もなく攫われ(?)――結果、こうなっていた。

 

「まあまあ、せっかくの祭りなんだ。敵味方関係なしに食べようぜ」

「敵を前にしてのんびり食えるわけないデス!」

「まあまあ」「まあまあ」

「って、調まで!?」

 

 さっきまでは学校側が配っていた『うまいもんマップ』を制覇しようとしていた切歌を頬を膨らませて睨んでいた調だったのに、捕まった途端、あっさりと食べていた。

 

「ジタバタしても始まらないよ切ちゃん」

「じー」

「ああもう、可愛いなお前らはー」

 

 よしよしー、と調の頭を撫で回す。

 されるがままに撫で回される調。抵抗するのか、腕を伸ばし――

 

「――だけど」

 

 その手を奏が掴む。

 腕を伸ばした方向には奏の胸が――もっと云えば、聖遺物のペンダントがあった。

 

「くっ――」

「悪いね。いくら可愛くても、ギアに触れさせはしないぜ」

「残念」

 

 腕を解放されると、調はそれ以上追撃せずフォークを掴んで食べ物をつついた。

 呆気に取られている切歌。

 

「ほら、えっと……キリちゃん、だっけ? 食わないとなくなっちまうぞ」

「切ちゃん呼ぶなデス! そう呼んでいいのは調だけデス!」

「オッケー、んじゃ切歌で。ほらほら」

「……もう、好きにするデス」

 

 これ以上抵抗しても意味がないと悟った切歌。

 悪いようにはされないだろう、と諦め、まだ食べていなかった食べ物に手を伸ばした。

 

「にしてもずいぶんと無計画だなぁ。そんな程度の変装じゃあ見つけてくださいって云ってるみたいだぞ」

「あなた以外には見つかってない」

「まあな。まあ、何が目的であれ、他の面子にバレない限り、あたしは黙っといてやるよ」

「……どう云う魂胆デスか?」

「別に? 強いて云えば、そうだな――笑顔だったから、かな」

 

 ――笑顔?

 鸚鵡返しに聞き返しながら、こてんと首を傾げる。

 

「尾行してた時、切歌は美味しいもの食べて嬉しそうだった。調はちょっと切歌を睨んでたけど時々笑みを漏らしてた。二人共楽しんでいて――そうだな、恥ずかしい話、自分達の昔を思い出したんだ」

 

 後ろに植えてある大樹に凭れ、未だ新緑の葉に遮られた青空を見上げる奏。

 

「正直、ここで二人を捕まえる事も出来た。でも、楽しそうな顔を見てそんな無粋な考えもどっかに飛んでっちまったみたいだ。だから、二人には楽しんでほしいな」

 

 邪心のない純粋な笑みを見せられ、切歌と調は思わず呆けてしまう。

 敵だと分かっているのに、ここまでされると本当に敵かと疑ってしまう。当然、次に会えば敵同士だけども。

 その時、風に乗って「奏〜?」と呼ぶ声が聞こえた。

 ギクリ、と身体を強張らせる。

 

「おっと、時間みたいだな。んじゃあたしはここらでドロンっとさせてもらうぜ。っと、時間があればステージに来いよ。楽しめるはずだからさ」

「仲間に教えないの?」

「言ったろ、楽しんでほしいって。年上の好意は素直に受け取っときな」

「……次会った時は、敵同士デス」

「おう。でもあたしは敵ってよりも――仲間がいいな」

 

 じゃあな、と言って奏は大樹をいきなり昇り始め、切歌達から視線を外させるように翼に抱きついた。

 まるで台風みたいだ、と云うのが二人の共通した天羽奏に対する感想だ。

 

「でも、少しだけ楽しかった」

「否定出来ないのが、何となく腹立つんデスけど……まあ」

「変な人だったけど」「変な人だったデスね」

 

 重なる声と声。

 直後に「くしゅん!」とくしゃみをする音が聞こえた。

 ちょっとした反撃が出来たみたいで、切歌と調は顔を見合わせ思わず笑ってしまう。

 

「仕返ししてやったデス」

「噂をすればなんとやら。かもねぎだったけど、ちょっと良い人」

「敵デスけどね」

「楽しそうだな。切歌、調」

 

 ――と。楽しんでいると、背後から自分達を呼ぶ声が。

 声の調子からしてオッシアだ。振り返りーー

 

「――――」

「――誰、デスか?」

 

 まったく知らないどこの誰さん? がいた。

 Vネックニットに踵まであるニットジーンズを身に纏い、首にマフラーを巻いた――“女性”がいたのだ。黒の長髪にサングラスを掛けている。

 だけど――

 

「ふむ、お前達にもそう言われるのなら変装は成功だな」

「そ、その声……まさか――」

「――オッシア、なの?」

 

 呆然と呟く二人。

 眼と口許はサングラスとマフラーで見えないが、絶対に笑っているのが分かった。

 

「ああ、“女装している”から声音も変えた方がいいな。――どうかしら?」

「――ッ!?」「ッ――!?」

 

 ちょっと高めに言っただけでテノールだった声がアルトになった。

 ここまで変化させられる事に、また、変化したオッシアに、切歌と調べは愕然として、オッシアが肩を揺らすまで我に戻る事はなかったのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 観客が面白そうに笑う中、弓美と詩織、創世はコスプレしてステージ上で歌う。

 タイトルは『現着ッ! 電光刑事バン』。

 一世代近い(響達の両親よりも少し上)前に放映されたテレビまんが「電光刑事バン」のテーマソングである。

 当然、今の世代でこのテレビまんがを知る学生は少ないが、楽しそうに、また恥ずかしくてヤケで歌っているのが面白く、笑顔で見ていた。

 一番が終わるといきなり音楽が止まり、ステージ横からてくてくと歩いて来る人影が。

 

「お、おやっさんっ!?」

「あら」

「いや、どうみてもトミー先生でしょ」

 

 板場が驚いたように叫ぶ。ちなみにおやっさんとは主人公バンの先輩刑事で紆余曲折の末にバン自らが手に掛けてしまった衝撃展開を生んだキャラの一人だ。

 ライトが当てられる中、おやっさん――もとい、おやっさんのコスプレをした鏡華はチューブラーベル(鉄琴を縦に並べたような打楽器)を引っ張ってきて、

 

  ―コーン

 

「えーっ!? 何で途中終了!? まだ二番歌ってないんですよ! 泣けるのにーっ!」

「……ふっ」

「笑った!? おやっさん今笑ったでしょ!!」

「死んだ身がこれ以上の出番は不要。そこなお嬢さん、後の司会は任せたよっ」

「あっ、こら遠見先生! おやっさんはそんなキャラじゃない! もういっぺん『電光刑事バン』を見直せー!!」

 

 怒るとこそこか、と敵役の置き引きカマキリのコスプレをした創世は思ったが、舞台裏に引っ込んだ鏡華を弓美が追い掛けて行ったので、ノワールと云う露出気味のコスプレをした詩織と共に笑いをあげる観客に一礼して追い掛けた。

 拍手がやむと司会担当の女子生徒が登壇する。

 

「楽しい同好会の三人でした! では次はっ、なんと今をときめく歌姫とのコラボ! 二年生、風鳴翼さんと、一年生、小日向未来さんのユニットだぁー!」

 

 わぁっ、と盛り上がる観客。

 出て来た翼と未来。いつも通りの翼と対照的に、未来は少し緊張気味に俯いている。

 

「緊張しているのか? 小日向」

「だ……大丈夫ですっ」

「上々。さあ――飛ぶぞっ」

「は、はいっ」

 

 マイクを構えた途端、鳴り渡る曲。二人が歌い出した途端、観客の声は驚きに変わる。

 タイトルは『ドラマティックラブ』。『電光刑事バン』同様、ファンを選ぶラブストーリー物のアニメのテーマソングだ。

 しかし、アニメの内容を知らない学生や両親世代にはただのラブソングにしか聞こえない。それが翼と未来の歌声によって同性でもうっとりとしそうな“味”を出している。

 今度は途中で止まる事なく曲が終わると、二人が腕を挙げた。

 

「金銀財宝、立場も誉れもいらない」

「欲しいのはただ――」

 

 背中を合わせ、腕を伸ばした先、無造作に見えて――実はそこに鏡華がいた。

 多分、彼は気付いてない。ただ届け、と願って、

 

「あなたの愛だけ」

 

 重なり合う声。

 まるで自分に向けられたような声音に、観客の心は奪われたように声をなくす。

 

「――――」

 

 鏡華がいる客席とステージは距離がかなり空いていたので、彼が何かを言っても知る事は出来ない。

 ただ、暗くても、遠くから見ても彼の顔は真っ赤に染まり、そっぽを向いているので真意は伝わっただろう。

 頷き合った翼と未来は一礼して降壇する。

 静寂が包まれる中、いち早く我に返った司会が登壇する。

 

「え、えー、迫真の言葉に思わず胸を撃ち抜かれてしまいましたっ。いや、同性もなかなか――はっ! 失礼しました!」

 

 ちょっと危ない発言が出そうになるが、すぐに持ち直し、咳払いをしてから司会に戻る。

 

「で、では! 次も歌姫コラボ! リディアンで何故か知らない人はいないであろう元気娘! 一年生の立花響さんとツヴァイウィングの天羽奏さんだぁーっ!」

 

 司会のハイテンションに乗ってるのか、登場した途端、「イエーイ」と盛り上がる奏と響。

 観客はさっきとは打って変わった調子でも変わらず乗って来ている。

 

「楽しんでるかー! ちなみにあたしは楽しみすぎてうまいもんマップを制覇しちまったぞー!」

「何ですと!? 朝一番に半分以上回って先制を仕掛けてたのに負けた!?」

「ふふっ、甘いぜ響。学生は仕事があっただろ? だがあたしはこの日のためだけに歌姫の仕事を休んで――響が仕事をしている間に食べたのさっ」

「ぬあっ、し、しまったぁ〜」

 

 歌を歌う事なく漫才を始めてしまう奏と響。ステージに四つん這いになって落ち込む響。

 だが、それが観客達に笑いを呼ぶ。まあ、ステージから観客席に移動した未来は「何やってるの……」と頭を抱えていたが。

 

「さあ、食後の運動がてら楽しむぞ響ッ!」

「ああもう! 立花響っ、自棄食いならぬ自棄……自棄、うた……? 自棄歌、いきますっ!」

「決めてから言えよ! 曲名は『百花繚乱☆舞えよ乙女』! 盛り上がっていくぜぇっ!!」

 

 合図と共に曲が始まる。

 やはりハイテンションで選んだだけあり、曲もハイテンションな音楽だ。しかも途中で観客と一緒に歌える歌詞もあるので選曲としてはなかなかのものだろう。響も自棄っぽく歌ってるがまったく音程がズレる事がない。

 ちなみにこの曲がテーマソングになったのは――言わずもがな、アニメである。アニメは万国共通、皆大好きだ。

 

「舞・え・よッ! 乙女ッ、百花繚乱ッ!!」

 

 サビを高らかに叫び歌いきると、荒く肩で息をつく奏と響。

 奏はライブの時と変わらぬテンションで歌ったし、響はこんな大勢で思い切り歌ったので彼女には珍しい緊張と疲労を受けていたのだ。

 だけどやはり――

 

「全力で歌うと、やっぱ楽しいなぁ」

「本当、ですね……えへへ」

 

 すごく楽しかった。

 それは観客も同じだ。翼・未来ユニットとは対照的に今なお盛り上がっている。

 奏と響は疲れても笑みを見せて降壇した。そのまま鏡華達が集まっている客席にやってきた。

 

「よっ、お疲れ。ほい水分」

 

 鏡華が渡してきたジュースを受け取り、ストローで吸う。

 

「やー、歌った歌った」

「ふふ、お疲れ様、奏。立花と小日向も私達と比べられながらも、よく頑張った」

「歌ってる時はもう全力全開でしたから。全然気になりませんでしたよ!」

「はい。それにすごく楽しかったです」

「奏さん、翼さん。今度、皆でカラオケに行きませんか? もっと盛り上がりますよっ」

「お、いいね。あたしはいつでもオッケーだぜ」

「仕事の事を忘れないでくれ奏。私と奏は時間が合えば構わないよ」

 

 全員でジュースを飲みながら、女子トークを続ける。

 のけ者っぽくなった鏡華は、然してそう思わず次は誰かな、とステージに眼を向ける。

 と、出てきた――押された? ――のはクリスとヴァンだった。

 

「ああ、次だったのか」

 

 事情を知っている様子の翼。奏も面白そうに乗り出すように眺めている。

 響と未来は、鏡華と同じく驚き顔。

 

「私立リディアン音楽院二回生雪音クリス及び、特待二回生夜宙ヴァンだ」

 

 そんな三人に翼は少し前の事を話すのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ――まったく面倒な事に巻き込まれたな。

 率直な感想を述べさせてもらえば、ヴァンはこう言いたかった。

 正門から逃げるように引っ張ってきたクリスだが、どうやらまた例の“鬼ごっこ”をしていたようだ。こんな時までしなくていいだろう、と思いつつ一緒に逃げていると、クリスが翼とぶつかった。

 まあ、それぐらいなら前回も同じ事をやらかしたみたいだったが、今回はそれが鬼に捕まる原因になってしまった。

 鬼役――同級生に囲まれ逃げ場を失った。翼と、後から来た奏が事情を聞いてみた所、クラスメイトは勝ち抜きステージでクリスに歌ってほしい、と説明。クリスは何で歌わなければならないのか、と反論。

 ――雪音さん、前に楽しそうに歌っていたから。

 クラスメイトの一言にクリスは赤面。翼と奏もしたり顔で頷き、自分に言葉を促していた。

 で、結局、ヴァンも乗ってしまいステージまで連れてきたのだが、

 

「おい、何で俺までステージに出してんだ」

 

 マイクを握っている事を忘れ、つい言ってしまう。言ってしまってから気付きバツの悪い表情を浮かべる。

 ステージ裏で見ているクラスメイトはジェスチャーで「頑張れ」と伝えていた。

 クリスは恥ずかしがって俯いている。と――

 

「頑張れー! おしどり夫婦〜!」

 

 茶化す訳ではないが、応援のつもりでもない声援。眼を凝らせば、送っていたのは以前会った翼のクラスメイトだ。

 ただ――ヴァンとクリスは恥ずかしがる事なく、難しい顔をしていた。

 

「あれ……? 無反応?」

 

 司会が思わずと云った様子で呟く。

 それをマイクが拾い、会場全体に届けられる。

 

「いや、だって……」

「……なあ」

 

 クリスとヴァンは淀む事なくはっきりと言う。

 

「だってヴァンは――」「だってクリスは――」

「あたしの未来の旦那だし?」

「俺の未来の嫁だが?」

 

 はっきりと――夫婦(めおと)宣言をしてしまった。

 硬直する観客――否、会場のほとんど。硬直しなかったのは精々いつも近くで見せつけられている響、同じくらいラブってる鏡華、翼、奏、未来ぐらいだろう。分かっているだろうが――奏は腹を抱えて爆笑を堪えている。

 ふぅ、と溜め息を吐き、ヴァンはマイクを下ろす。

 

「仕方ない。据え膳やらはなんとやらと言うしな――やるか」

「歌うのか? ヴァン」

「生憎と俺は戦闘以外では歌う気はないんでな」

 

 ステージ裏で固まっているクラスメイト達に近寄り、

 

「おい」

「……ひゃい!?」

「ヴァイオリン」

「へ?」

「ヴァイオリン、用意してくれないか?」

「あ……う、うん!」

 

 言われた通り、小道具として置いてあったバイオリンを急いで持ってくる。

 マイクと交換したヴァンは、ブレザーを脱ぎ捨てネクタイを外して楽な格好になってステージに戻ってきた。

 バイオリンを持ってきた事にクリスは少し驚く。

 

「もう辞めたんだと思ってた……」

「俺を誰だと思っている。バイオリニスト、雪音雅律の弟子――夜宙ヴァンだぞ」

「ったく――パパの弟子ってなるとずいぶん調子に乗るんだな」

「当たり前だ。雅律さんの弟子という誉れ(グローリィ)は、俺に取って自慢の一つだ」

「ははっ、じゃあ期待させてもらうぜ」

 

 マイクを通さずに語り合い、クリスは前を向く。すでに羞恥や緊張の色は見えない。

 音量を落とした曲が流れ始める。

 ――これなら、何とかなるな。

 一呼吸置いて、ヴァンは弦に弓を添え――弾いた。

 途端に曲の印象が生まれ変わる。穏やかな音に優しい音色が加えられ、曲により深みを与えていく。

 素人とは思えない旋律にざわついていた観客が一斉に口を閉じ静寂を生んで音色に耳を澄ます。

 

「おいおい、あいつ、あんな特技持ってたのか……!」

 

 初めて知った鏡華達も驚く。思わず眼を閉じて聞き入ってしまう程上手い。

 クリスも聞き入りながら、口を開く。

 

「――〜♪」

 

 段々と聞こえてくる歌姫の歌声。

 それがまた観客の心を揺り動かした。

 恥ずかしがっていた最初とは打って変わり、Aパートのサビに入る頃には身体全体を動かして表現する。

 誰もがクリスの歌声に魅了され、一言も発する事が出来ない。

 ――ああ、楽しいな。

 歌いながらクリスは眼を細める。

 自分は今でもこんなに楽しく歌を歌えるんだ、と。

 忘れていた自分の気持ち。だけど、きっと心には塗り潰される事なく大切に保管されていた感情。

 ヴァンを見る。片目を開いていたヴァンは頷くように高らかにバイオリンを演奏する。

 ああそうか――ここはきっと、あたしがいたい場所なんだ。

 最後まで歌いきる。ヴァイオリンの余韻が消える前に、観客は立ち上がっていた。

 スタンディングオベーション(観客による最大限の謝辞)。それがクリスとヴァンに贈られた。

 見れば、鏡華達まで立ち上がって自分達に惜しみない拍手を贈っている。

 ヴァンとクリスは思わず顔を見合わせ、笑みを浮かべるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 勝ち抜きステージ。優勝は満場一致でクリスとヴァンになった。

 照れて顔を俯かせるクリスとそっぽを向いて髪を掻くヴァン。

 

「さぁ! 新チャンピオンに挑戦する人はいるかぁ!? 飛び入り参加でもいいですよぉー!」

 

 司会の声に誰か挙らないか、と観客は見渡す。

 だが、なかなか挙らない。当たり前だ。あんなに心に響く歌だったのだ。気後れもする。

 しかし――その中で唯一挙げられる細腕。

 立ち上がるは――

 

「チャンピオンに」

「挑戦デぇス!」

「……やれやれ」

 

 フィーネに属する調と切歌ーーそして、妙に顔を隠す誰さん? だった。



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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅵ

 切歌達がステージに来たのはちょうど奏と響が終わった頃だ。誘った本人が終わっていたのは何気にショックだったが、それでも切歌達は暫く様子を見る事にした。

 聞けば、このステージは勝ち抜きステージらしく、優勝すれば何がしら願いを叶えてもらえるらしい。

 そこで切歌達はステージに優勝し、奏者達からペンダントを奪う事に決めたのだ。

 

「――あほか」

 

 思わず小声で呟いてしまったオッシアは悪くない。

 流石にそれは無理がある。願いと云っても精々、ツヴァイウィングのサインやツヴァイウィングからの抱擁――何故か双翼関連が集中しているが気にするな――など、それぐらいが関の山だろう。

 仮に優勝してどう言うか――

 

  ――ペンダントを寄越すデス! ――

 

 ――うん、無理だ。

 イメージして五秒以内に無理と判断したのはいつ以来だろうか。少なくともここ一週間はない。

 諭して諦める事を推奨しようと思ったのだが、

 

「ま、まあ、あいつが楽しめって言ったんデス。ちょっとぐらい楽しんだってバチなんか当たらないデスって」

「私と切ちゃんのコンビネーションがエインズワース達より上だって事、証明する」

 

 雪音クリスと夜宙ヴァンのコンビに感化されたのか、二人共ずいぶんとやる気のようだった。思わず声を掛けるのを躊躇う程――切歌と調は自分でも気付かない内に楽しもうとしていた。

 彼女達だって世界の敵、テロリストになっているだろうが、それ以前に青春真っ盛りの女の子だ。非情になどなりきれない。

 たまにはハメを外してもいいだろう。ここには口うるさく言う母親代わりはいないのだから。

 

「お名前をどうぞっ」

「月読調と」

「暁切歌デス」

「……オッシアとでも」

 

 ――本名言ったら駄目だろ。

 これからはこんな大舞台に立つ事はないだろうが、帰ったら色々と教えると誓いながらオッシアはいつも通り偽名を名乗った。

 瞬間――観客席から殺気が噴き出る。

 視線を向けなくても誰か分かる――遠見鏡華だ。

 敢えてスルーしオッシアは、

 

「あー、ちなみに。私は保護者なので歌いません。この子達の歌を聞いてあげてくださいね」

 

 それだけ言ってマイクを返し、ステージから降りる。

 ヴァンとクリスから少し離れた壁に凭れる。

 クリスを庇うように前に出るヴァン。

 その間に切歌と調が歌いだす。曲は『ORBITAL BEAT』。ツヴァイウィングの曲だ。

 

「そう身構えるな夜宙ヴァン。別にここでやりあおうとは思ってない」

「……お前、女の服を着るのが趣味だったのか? それか本当に女だったのか」

「変装の一環だ。オレは男だ」

「…………」

「警戒してくれるな。遠見鏡華の殺気だけで面倒だってのに、お前らの警戒にまで気を回していたら疲れる」

 

 両手を挙げて何もしない事を証明する。

 マフラーがずり落ちそうになると、慌てて持ち上げて口許を隠す。

 

「……お前はフィーネ――F.I.S.にはいなかった」

「ああ。オレは最近あいつらに協力し始めたからな」

「ならば問う。お前は何のためにあいつらに協力している?」

「オレの目的のためだ」

 

 間を置かず即答する。

 サングラスでヴァンやクリスには見えないが、オッシアの瞳は刃のように鋭かった。

 暫く睨み合っていたが、オッシアが突然視線を逸らし耳に手を当てた。

 

「……なんだと? 分かった、二人を連れてすぐに戻る」

 

 手を下ろし、歌い終わった二人の下へ近付く。

 点数を計算中だが、そんな時間さえも惜しく、オッシアは二人の腕を掴む。

 

「何デスか? オッシア」

「ヘリが奇襲を受けた。戻るぞ」

 

 限りなく小声で伝えた情報に切歌と調は驚き、すぐに頷いた。

 点数を聞かずにステージから降りていく二人。オッシアだけは司会に近付き、

 

「すみません。急用が出来てしまい帰らなければならなくなりました。得点は無効にしておいてください」

「あ、ちょっと……」

 

 司会の言葉を聞く事なくオッシアもステージを降り、ヴァンと眼を合わせる事なく通り過ぎて会場を出る。

 だが、出てすぐに鏡華が立ち塞がった。

 

「そこをどけ」

「どく。だが一つだけ言わせろ」

 

 鬼気迫る表情で鏡華は怨敵を睨むかのようにオッシアを射抜いて、

 

「二度と女装なんかするな。自分がしているみたいで不快だ」

「こちらとて二度とするか」

 

 それだけ交わして駆け出す。追ってくる気配はなかった。

 マフラーを外し、いつもの黒装束を纏う。

 校門前で響達と言葉を交わしている切歌と調を見つけ、二人の近くに飛び込んだ。

 

「わっ!?」

「取り込み中悪いが、二人は連れて行かせてもらう」

「なっ、待てっ!」

「待たん」

 

 翼の制止を即座に断ち切ったオッシアは二人を小脇に抱え、常人とは思えない跳躍力で外壁に跳び上がり、そのまま跳躍で先を急ぐ。

 

「オッシア、マリア達は……」

「無事だ、安心しろ調」

「仕掛けてきやがったのはどこのどいつデスか!?」

「米国の特務兵らしい。まあ、すでに撃退したそうだ」

「撃退……」

「正確には――日向が殺して、ウェルが証拠を隠滅したらしいな」

 

 オッシアの隠すことのない言葉に、切歌と調は絶句するのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 それはちょうど、リディアンで切歌と調が歌い出した時だった。

 休憩していたマリアとナスターシャは突然の爆発の音をヘリ内で聞いた。

 設置されたモニターには何度か見た事がある米国の特務兵の姿が映し出されていた。

 

「本国からの追っ手……! もうここが嗅ぎ付けられたの!?」

「異端技術を手にしたといっても私達は素人の集団。訓練されたプロを相手に立ち回れるなどと思い上がるのは虫が良すぎます」

 

 まるで予想していたかように達観して呟くナスターシャ。

 フィーネの戦力はシンフォギアとノイズ。単純な武力ではかなりのものだ。しかしそれ以外はナスターシャが言った通り素人の集まり。組織としての態勢としては貧弱最低ランクと云ってもいい。

 

「踏み込まれる前に攻めの枕を押さえにかかりましょう。マリア、日向と共に排撃をお願いします」

「排撃って……相手はただの人間ッ! ガングニールの一撃を食らえば!」

「マリアッ」

 

 鋭いナスターシャの声に、思わず怯んでしまうマリア。

 それを見てナスターシャはやはりと呟いた。

 

「ライブ会場占拠の際もそうでした。マリア、その手を血に染める事を恐れているのですか?」

「マム……私は……」

 

 言い返そうと言葉を探す。

 しかし結局言い返せず、視線を逸らすだけ。

 そうこうしている間にも爆発音は激しさを増していく。

 

『――大丈夫だよ。マリア、マム』

 

 その時だ、スピーカーから日向の声がしたのは。

 同時に、

 

  ―撃ッ!

 

 モニターに映っていた特務兵の一人が壁まで吹き飛び、動かなくなった。

 次にモニターが映し出したのは、

 

「ひゅう、が……?」

『優しいマリアがその手を汚しちゃ駄目だ。汚れていいのは、もう汚れている人間でいい』

 

 全身鎧――ネフィリムのシンフォギアをその身に纏った日向が構えの姿勢で立っていた。

 統率された動きで特務兵が日向を取り囲み、携帯していた拳銃を発砲する。

 

  ――喰らえよ巨人、百の腕を持つ者の如く――

 

 歌うのをやめた日向の周りを肥大化した触手が好き放題暴れ回り、放たれた弾丸を次々と喰らっていく。連続で発砲された弾丸は一弾たりとも日向に当たる事はない。

 驚く特務兵の隙を突いて、日向は《闊歩》によって懐に潜り込み、

 

  ―撃ッ!

 

 掬い上げるように腹部へ中指の関節だけを突き出した拳を打ち込む。ギアの出力も加わった一撃は易々と肉と臓器を貫通する。

 腕を引き抜き、隣の特務兵に駆け出す。狙われた特務兵の拳銃から弾丸が放たれ日向に命中するが、全身を覆う鎧が弾丸を通す事はなく、高い音を立てて跳弾した。跳弾した弾丸が偶然にも仲間を貫く前に、真っ直ぐに伸ばした人差し指と中指の指突が心臓を貫いた。

 跳弾に襲われ痛む肩を抑える特務兵との距離は空いていたため、逆方向の特務兵に突撃する。しかし腕から伸びた触手が先程以上に肥大化し負傷した特務兵を――

 

  ――貪れよ巨人、暴食を冠する者の如く――

 

 丸呑みにした。

 咀嚼し、口の端から涎のように血液が垂れるのも厭わず――人を喰らった。

 ペッとまるで意識を持つかのように吐き出したのは、真っ赤に染まった何丁かの拳銃とヘルメット。

 マリアは思わず吐き気を覚え、うっ、と口許を押さえた。

 日向の反撃はすでに相手の戦意を喪失させている。いとも簡単に二人を殺し、一人はあろう事か喰ったのだ。

 逃げ出そうとする特務兵も何人かいた。だが、誰一人逃げる事は出来ない。

 唯一の入り口には――ノイズと共にソロモンの杖を持ったウェルがいたのだから。

 

「ウェル博士……」

「逃走を図ろうとする者達はお任せを。君は未だ戦意のある者をお願いしますよ」

「……好きにしてください」

 

 拳銃を諦め、刃渡りが短いが分厚いコンバットナイフで顔辺りを狙ってきた特務兵の軌道を交差するように構えた腕で逸らし、広げるように放った拳が、特務兵の腕からゴキリと嫌な音を立てさせた。怯んだ瞬間に日向の掌底は腹部を捉え、

 

  ――浸透寸勁――

 

 音もない衝撃を全身へ巡らせ――特務兵の中身をズタズタにした。

 声にならない音を掠れるようにあげ、ずるりと崩れ落ちた。

 

「こちらは終わりましたよウェル博士――博士?」

 

 よく見れば、ウェルは倉庫内にいなかった。屋外に出てだらりと下げていた腕を挙げようとしていた。

 その顔は見えない。ノイズを搔い潜った特務兵を始末しようとしているのだろうか。

 だが、その考えを耳に付けた通信機から響いたマリアの叫びが塗り替えた。

 

『やめろウェル! “その子達”は関係ないっ!』

「――ッ!?」

 

 考えるよりもまず身体が動いた。

 外へ飛び出ると、ウェルの前方にはユニフォームを着て、野球の道具を持って自転車に乗っている少年達が。

 しかしウェルは止まらない。掲げたソロモンの杖から放たれるノイズ。

 

「――――」

 

 唐突にフラッシュバックする。

 もう何年も前の話。自分が訳の分からぬまま平穏から連れ去られたあの時を。

 あの時の自分と目の前の少年達が――重なる。

 

「やめろォォオオオオっ!!」

 

  ―疾ッ!

 

 絶叫と共に日向は地面を砕いて風となる。

 《闊歩》の域は超え、《瞬動》になっていると知らぬまま「もっと速く」と意識がせがむ。

 少年達とノイズの間に飛び込む日向。足が摩擦で燃えている事にも気付かずに振り返り、

 

「雄雄雄ォォオオオッ!!」

 

  ――双破冲拳――

 

  ―撃ッ!

 

 爆発的な速度を以てしてノイズを一撃で灰へと還す。

 肩で息をつきながら振り返る。

 少年達は呆けたように日向を見ていたが、我に返ると顔一杯に恐怖が浮かぶ。

 その表情に胸が締め付けられそうになるが、日向は安心させるように「大丈夫」と声を掛け、

 

  ――奪えよ巨人、簒奪し幻を呑み簒奪された者の如く――

 

 触手で少年達の上半身を咥えた。

 ジタバタともがく少年達だったが暫くして大人しくなる。

 

『いやっ、何をしているの日向ッ!?』

「大丈夫、心配はいらない。ウェル博士……ヘリに戻ってください」

「ふふ、君が処分してくれるのですか。まあいいでしょう。処理は頼みますよ」

 

 彼が少年達を殺しているのだと考え、ウェルは喉の奥で笑いながら倉庫の中に戻る。

 それを見届け、日向は咥えた少年達を吐き出させ、鎧を解除する。

 ぼうっとしていた少年達だったが、数秒すると意識がはっきりしてきたのか辺りをキョロキョロと見回す。

 

「あれ……? 俺達、一体……」

「気が付いた? よかった」

 

 日向は優しい声音で話し掛ける。

 

「お兄さんは?」

「ここらでお仕事していてね、帰ろうとしたら君達が倒れてたんだよ。身体は何ともないかい?」

「う、うん。……あれ? 僕達、どうしてこんな所に……」

「確か……大きな音がして、それで……」

「ああ、それは荷物を整理していた音だよきっと。ほら、ここには色んな荷物が置かれるからね」

 

 はっきりと言う日向の言葉に、少年達は生気のない瞳で見渡して、段々と生気が戻ってくると「そっかー」と納得していく。

 

「もう大丈夫みたいだね。さあ、もう帰った帰った。こんな所にいると、怖ーいおじさんが怒るからね」

「おじさん……あ! 監督に叱られる!」

「やべーよ! 早く練習に行こうぜっ」

「う、うん! ありがとお兄さん!」

 

 おじさん、と云う単語で自分達が野球の練習に向かっていた事を思い出した少年達は慌てて自転車を起き上がらせ自転車に乗ってこの場を後にした。

 姿が見えなくなるまで手を振った日向は、手を下ろし軽く息をこぼした。

 

『あの子達に何をしたの?』

「ちょっとした意識の錯乱。前後の記憶を混濁させて、言葉で記憶すり替えただけ」

『……よかった。あなたが無関係のない人を殺さないでくれて』

 

 心の底から安堵するマリア。優しいマリア。

 やはりマリアが汚れる事だけはさせたくなかった。

 

『聞こえますか日向。撃退ご苦労様。ですが、いつまでもここにいては、いつまた襲撃されるか分かりません。オッシアに連絡をしましたので、我々はすぐに移動します』

「分かった。すぐに戻ります」

 

 通信を切り、倉庫に戻る。倉庫内に残っていた特務兵の死体。

 それらは全て、ウェルによって炭素分解され、どれがどんな形で残っていたのかもう分からない。

 ――謝るつもりはない。僕らは殺し合ったんだから。

 だけど、それでも胸は痛かった。

 倉庫から出てヘリは飛び立つ。日向は開いた格納庫から中に入る。すぐにこのヘリに搭載された聖遺物、神獣鏡(シェンショウジン)の能力の一つ『ウィザードリィステルス』が発動して姿を隠す。

 上空から見える倉庫は内部から煙が上がっている。出火する事はないと思うが、それでも過去の記憶を思い出してしまう。

 剥き出しの両腕の二の腕に付けた髪留めを繋げて出来たりぼんに触れる。彼女が日向に渡した形見と呼ぶ物。

 

 ――六年前の事だった。

 機械装置を用いて目覚めさせたネフィリムを、日向の歌によって制御する実験が行われた。

 フィーネ自らが見いだし、拉致された音無日向は聖遺物を用いずに歌唱によるエネルギーの低下と云う稀有な能力を有していた。(さなぎ)状態から採取したネフィリムの欠片によって奏者となっていた日向の歌で、完全聖遺物であるネフィリムを制御し、操ろうとF.I.S――ひいては米国政府は計画していたらしい。

 しかし――計画は成功にして失敗。

 ネフィリムを目覚めさせる事には成功したが、暴走。まだ幼かった日向の歌も届かず、逆に日向を取り込んだ。

 このままでは日向どころか職員、関係者全員に危害が及ぶと思われたかに見えた。

 マリアの妹――類い稀なる才能で、日向と同じく正規の適合者であったセレナがネフィリムを止めたのだ。

 ――絶唱を用いて。

 セレナの絶唱特性はエネルギーベクトルの操作。それを絶唱によって最大限まで引き出し、見事ネフィリムを基底状態までリセットしてみせた。

 

『あはは……ちょっと無理しちゃったな』

 

 ネフィリムから解放された日向に聞こえたセレナの声。

 

『ねぇ日向。私、きっと日向が好きみたい。でも……』

 

 ピクリとも動かない身体。声すら掛けてあげられなかった。

 そんな自分の二の腕に何かを巻き付ける感触。

 

『日向……マリア姉さんをお願い。マリア姉さんを独りにしないであげてね……』

 

 もう、ほとんど聞こえない。最後に聞こえたセレナの声。

 

『ばいばい、日向。本当に大好きだったよ……!』

 

 泣きそうな、悲しそうな声音。

 だけど――日向はセレナとの約束を忘れてしまっていた。

 セレナは優秀すぎた。優秀すぎて、幼すぎた故に――日向の記憶までリセットしてしまったのだ。

 治療され目覚めた日向の記憶は、拉致され、F.I.Sに幽閉された頃まで封印された。

 その記憶を取り戻したのは――つい最近。

 ネフィリムが再び目覚めた瞬間、日向の記憶も戻った。

 そして――今があった。

 

「日向……」

 

 自分を呼ぶ声。

 振り返れば、マリアが心配そうに見つめている。

 

「マリア……大丈夫」

 

 何が大丈夫なのか、マリアには分からなかった。

 だけど彼が妹が付けていた髪留めに触れて、そう言っているのなら思い出しているのだろう。妹との思い出を。

 近寄って、マリアもセレナの髪留めで出来たりぼんにそっと触れる。

 

「マリア。僕にはセレナみたいに歌で誰かを守る事なんて出来ない。精々、この拳で誰かを傷付けて誰かを守るだけだ」

「……私だってそう。私の歌では誰も守れないかもしれない」

「うぅん、マリアは違う。マリアの歌はやり方を間違えなければきっとたくさんの人を救う事が出来る」

「慰めはいらないわ。さっきだってそう。日向が助けなきゃ、あの子達を救う事が出来なかった」

「うん、そうだね。でも、それでいいんだ。マリアがしたい事を、僕が全力でサポートする。僕だけじゃない、切歌ちゃんや調ちゃん、マム。協力してる間だけならオッシアさんだっているんだ。だから、マリアは――マリアのしたい事をして」

「私の、したい事……」

 

 うん、と日向頷いて外を見る。

 傾き始めた陽の下、草木すら生えてない荒野に仲間がいた。

 手を振っている切歌と調。後ろにはオッシアもいる。

 日向とマリアは顔を見合わせ、二人に手を振り返すのだった。



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Fine4 愛及屋鳥Ⅰ

月明かりの下、巨人の咆哮を伴奏とし、
一振りの槍は狂乱の歌を響き奏でる。
穿たれた月はただ、嘲笑うかの如く狂う歌姫を見下ろす。

Fine4 愛及屋鳥

知って尚叫ぶ言の葉に、君は遂に覚悟を決める。
不協和音を鳴らす彼我に、果たしてそれは本当の覚悟か?


  ―パン

 

 切歌の頬を張るナスターシャの平手打ちが荒野に響いた。何か言おうとする調も張った手の裏手で同様に張る。

 マリアと日向も何か言おうとするが、それはオッシアが肩を押さえ込んで止めた。

 

「いい加減にしなさい! マリアもあなた達ニ人も、この戦いは遊びではないのですよっ!」

 

 二課の奏者達と決闘すると言った切歌に向かって、また同様に受け入れた調。そして恐れによって戦う事の出来なかったマリアへ向かってナスターシャは毅然と叱る。

 

「オッシア、あなたには切歌と調、二人の護衛を頼んでいました。信用出来るからこそ任せたのに、何故そこで止めなかったのですか」

「無茶を言うな。その場にいなかったんだから仕方ないだろう。いたら即座に止めていた。それと、俺を信用なんてするな。俺はいつ裏切るか分からないんだからな」

「…………」

「そこまでにしましょう。まだ取り返しのつかない状況ではないですし。それに、その子達の交わしてきた約束、決闘に乗ってみたいんですが」

 

 ウェルが突然、打診する。

 最近、二課の奏者達を追い込んでいるのは他ならぬウェルの策略があってこそだ。

 ナスターシャは考える素振りを見せてから、了承する。

 しかし、日向には嫌な不安が拭えなかった。まるで、取り返しのつかない事が起きてしまうのではないかと云う不安が。

 

「一先ず、オッシアと日向以外はヘリに戻ってください。後の指揮は私にお任せを」

「……頼みましたよ、Dr.ウェル」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ノイズの出現場所は東京番外地・特別指定封鎖区域――カ・ディンギル跡地。

 三ヶ月前の戦いの余波によって未だ草木さえ生えてこない荒野となっている元・リディアン音楽院が建っていた場所だ。

 そこにやってきた鏡華達六人。

 待っていたのは、響達に決闘を申し込んできた切歌と調――ではなく、ウェルとオッシア、そして全身鎧の奏者だった。

 声もなくノイズを召喚するウェル。それより先に飛び出すオッシアと奏者。

 聖詠を唱い、ノイズには響、翼、クリスが。オッシアには鏡華一人で、奏者には奏とヴァンが向かう。

 

「ふん、一人でくるか。上等だ――!」

 

  ――仄白く小さき剣―― ――希望成る騎士国(ブリテン)の赤き竜――

 

 袖の中から取り出した短剣を構え、オッシアは不敵に笑う。鏡華は真逆で、険しい表情のままカリバーンを具現、構えつつ突撃する。

 袈裟斬りの一撃を短剣で受け止め、捌くと掌底を打ち込む。

 躱すと、握り締めた拳をオッシアへ見舞う。無理な体勢で躱したオッシアは一歩二歩と距離を取った。

 

「どうした? 今回はやけに引け腰だな」

「生憎と、貴様みたいに憎しみをぶつけたい時期が違うからな」

「言ってくれる」

 

 ちらりと仲間を窺う。

 響達はノイズを倒しながらウェルと会話している。奏とヴァンは奏者と戦っている。

 

「初めから考えていたが、お前達F.I.Sの目的は何なんだ。行動がおかしくてさっぱり分からない」

「俺はF.I.Sじゃない。だが……あいつらは、月の落下を止めようと考えているらしいな」

「月の……? だが、落下など今の技術なら簡単に計測出来る。分かっているなら――」

「対処法があるのか?」

 

 オッシアの言葉に、鏡華は押し黙る。

 奴を見るだけで、存在を感じているだけで嫌な気分になるが、奴の暗黙の意味には口を閉ざすしかなかった。

 月の落下――言葉にすればそれだけだが、それは未曾有の災厄だ。

 それが一般人に知られたらどうなるか? ――簡単な事。極度の混乱を招くだけ。

 今の人類の技術で月の落下を防ぐ方法など存在しない。それこそシンフォギアの力を以てしてもだ。

 唯一、完全聖遺物たる“あの武器”を用いれば、月を破壊する事で落下を防ぐ事は出来る。然れど、それによって引き起こされる災厄は落下以上に世界を壊してしまう。

 

「ふん、デュランダルか。確かにそれと貴様の鞘を組み合わせれば対処は可能だろう。だが、後処理で滅亡の危機は免れないがな」

「ッ――お前」

 

 まるで心を読んだかのように嘲笑うオッシアに鏡華が息を呑む。

 第五号聖遺物、サクリストD――完全聖遺物デュランダル。

 無限のエネルギーを有する希少な聖遺物だったが、フィーネとの戦いの時に消失――とされている。

 実際は違う。あの時、鏡華が極秘裏に回収したのだ。

 弦十郎や緒川、更には同じアヴァロンを扱う奏さえも知り得ない存在は現在、鞘の中で封印されている。

 にも関わらず、オッシアはさらっと言った。

 

「一体どこでそれを――いや、そもそも何故知っているっ」

「教える理由があると?」

「くっ――だったら、その身体に直接聞いてやる!」

「直接身体に、ねぇ。そんな言葉を吐いてるから学院で同人誌なんか作られるんだよ、馬鹿」

 

 見下すように言うオッシア。カリバーンを軽々と躱し、短剣を投擲、すぐに徒手で対抗する。

 薄皮一枚を犠牲に短剣を避け、徒手を剣の腹で防ぐ。

 

「ハハッ、マジで受ける。そうだな、いいぜ。教えてやるよ、近いうちに全てな」

「そんな予告を聞くつもりはねぇ! 聞くのは今だっ!」

「粋がるなよクソ野郎」

 

 途端、防御を捨てたオッシアが放つ一撃。

 捨て身とは呼びにくいただの一撃なのに、鏡華は防ぐ間もなく吹き飛ばされた。

 

「貴様がオレの予定を決めるな。だから貴様は――気付かないんだ」

「なに、を……」

「……ほら、今だってそうだ」

 

 倒れ臥す鏡華を見下ろしていたオッシアは視線をズラす。鏡華も痛みを感じながらも視線をズラせば――

 化け物と戦っている響と奏。過去に響も拘束したノイズに拘束されている翼と気を失っている様子のクリス。ヴァンもちょうど奏者に吹き飛ばされていた。

 

「何だ、あれ……」

「自立型完全聖遺物ネフィリム。貴様なら分かるだろう。あの化物の二つ名ぐらい」

「――――」

 

 必死に頭の中の記憶を探り、思い出す。

 ネフィリム――旧約聖書にて『天より落ちたる巨人』と記され、登場した人と天使、巨人、堕天使(グリゴリ)と云う人成らざる存在の間に出来た巨人。一説には彼の有名なノアの大洪水が引き起こされる原因の一つだとも云われている。

 確か、その二つ名は――

 

「――暴食」

 

 呟いた瞬間だった。

 

「立花ァァアアアアッ!!」「響ィィイイイイッ!!」

 

 翼と奏の絶叫が耳朶を貫いた。

 意識が思考から引き出され、目の前の光景に見開く。

 異形の化物――ネフィリムの口から滴り落ちる赤い液体。

 その眼前で腕を抑えている響。否――“ない腕”を抑えている。

 そこから推測されるのは酷く簡単な一つ――ネフィリムが響の腕を喰らった、ただそれだけ。

 

「あ、ああ……あああアアアァァアアアアアアアーーッ!!」

 

 痛みのためか、ショックのせいか、もしくはその両方か。

 響も絶叫する。ネフィリムがその絶叫に満足そうに口端を歪めた気がした。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 目の前で仲間の腕を喰われた事実に全員は驚愕するしかなかった。

 それは――敵でもある日向でも同じだった。

 

「な、なんだよそれ……!」

 

 鎧の下で愕然として動けない。

 何でこうなった? どうしてネフィリムは響の腕を喰った? ネフィリムの餌を聖遺物としていたのは覚えている。餌となる聖遺物が尽きたから切歌と調は敵地まで行って奪おうとしていた。だけど失敗して、今度は二人に変わってウェルが聖遺物を奪ってみせましょうと作戦を伝えてきた。ウェルが――

 

「イ――ッタァァアアアッ! ものの見事にパクついたッ! ハハ、シンフォギアを肉体ごとぉぉッ!! ヒャハァッ、これでぇえええ!!」

「ッ、ウェル……博士ッ!!」

 

 《瞬動》で嬉しそうに高笑いするウェルに接近し、胸倉を掴む。

 殴りたい気持ちを理性で必死に抑えながら。

 

「あんた……まさか初めからひ……彼女の身体ごとネフィリムに食べさせるつもりだったのか!?」

「当たり前でしょうっ! 彼女は初の融合症例! 聖遺物と融合している彼女ごと喰らわせれば、ネフィリムは予想以上の成長が期待出来るんですよぉぉっ!!」

「こん、の……外道がァアアッ!!」

 

 初めて見せる日向の怒声。

 きっとこれをモニターしているマリア達は不審に思うかもしれない。しかし叫ばずにいられない日向は気付かず、ウェルを乱暴に離すと成長するネフィリムの眼前まで駆けた。

 近くで響を見る。血は動脈を抑えているおかげで流れていないが、脂汗が彼女の額に浮かんでいる。奏が真横で支えている。

 

(ごめん響ちゃん……!)

 

 声を掛けられない事に歯噛みして、日向は歌を歌う。

 今の自分ならばネフィリムを抑える事が出来る。自分が持つ欠片を鎖としてネフィリムだけを拘束する。

 しかし――ネフィリムは咆哮で鎖を無理矢理外そうとする。

 

(成長によって抵抗力が出来始めている……!?)

 

 より力を籠めて歌おうとする。

 その時だった。

 

  ―煌ッ!

 

 背後から何か強い光を感じた。

 振り向くと、響の胸が輝いている。

 

「何が……」

「しまっ――ぐぅっ!?」

 

 驚いていると、突然奏が何かに気付いて距離を置こうとした。

 だが立ち上がるよりも早く胸元を押さえて蹲った。

 響の身体が輝いている胸の傷を中心に黒く、どす黒く染まっていく。

 

「これは……まさか、観測にあったって云う――」

 

 暴走。

 日向の頭の中にその二文字が浮かび上がる。

 生命の危機に融合した聖遺物が反応したのだろうか。

 

「奏ッ!? 奏ぇっ!!」

「ッ――」

 

 未だ拘束されている翼が悲痛な叫びをあげる。

 見れば、奏の身体も響と同じように黒く染め上げられようとしていた。

 だが何故? 奏は融合症例の響と違い、肉体と聖遺物が融合している訳ではない。

 思考が掻き乱されていると、背後に着地する音が聞こえた。オッシアだった。

 

「暴走したガングニールに共鳴して共に暴走しているのかっ」

「きょう、めい……?」

「立花響のガングニールは元々、天羽奏のガングニールだった! それ故に互いに曳かれ合う。近付きすぎた故に暴走まで共鳴したんだろう――!」

 

 説明を終えた途端、オッシアが「よけろっ!」と叫ぶ。

 ハッとして振り向いた瞬間、

 

  ―撃ッ!

 

 激しい一撃が日向を襲う。後ろからオッシアが受け止めてくれたが、すぐに止まらず最終的にウェルのいる場所で止まった。

 

「あっ……く、は……!」

 

 痛みに胸を押さえ、前方を見た。見て――驚愕に眼を見開いた。

 殴ったのは奏。全身を赤と黒で染め上げた姿。ただそれは――響も同じだ。

 

「なっ――ガングニールのエネルギーで腕を再生させた、だと!? まるでアームドギア――!」

「あっ……な、な……!」

 

 さっきまでの興奮状態はどこへやら。

 ウェルは打って変わったように顔を蒼褪めて驚愕し、声が声として成立していない。

 ネフィリムと対峙する響。奏は同様に黒と赤に染め上げたガングニールを構えて――

 

「マズい、逃げろっ――!」

 

 オッシアの絶叫。慌ててウェルを抱えてその場から跳ぶ。

 だが、日向はその場から回避出来なかった。

 投擲される槍。その速度は桁違い。歯を食い縛り、全神経を集中させて躱す。カ・ディンギルに命中する。

 完全に躱した――はずなのに、槍が通過した場所から鎌鼬のような真空波が日向を襲う。

 

「避けてこの一撃……!」

 

 以前、オッシアに二課の奏者の中で最強は誰か聞いた事があったのを今更ながら思い出す。

 ――天羽奏だな。以前こそ薬のおかげで時間と云う制限がされていたが、薬から解放された今、彼女の必殺の一撃を防ぐモノなどありはしない。

 まさにその通りだ。オッシアの言葉通り――天羽奏こそ最強の奏者であるとはっきりと分かった。

 だけど、負ける訳にはいかない。

 

「推していく――ッガ!?」

 

 意気込んだ瞬間、腹部に強烈な一撃を感じた。

 だが奏は動いていない。ガングニールもちょうど奏の手に戻ったばかり。

 ならば何故――答えはすぐに辿り着いた。

 

「■■■■――!!」

 

 暴走した響とネフィリムが戦って――いや、あれはもう戦いではない。ただの暴力だ。

 そして、自分が受けている衝撃。それは全て――ネフィリムが受けた一撃と同じ場所に感じている。つまり――

 

「成長したのが逆に繋がりを生んだのか――!!」

 

 驚きの連続。だがもう驚いてばかりではいられない。

 奏がこちらに向かって突撃してきたのだ。痛みを我慢して、突撃にカウンターを打ち込む。

 避けられるか、と予想していたがあっさりと打撃が通った事に日向は思わず次の一手を止めてしまった。

 

「馬鹿、止まるなっ!」

 

 遠くでオッシアが注意を促すが、時既に遅し。

 目の前に奏の顔があった。漆黒に染められ、紅に輝く眼光が目の前に。

 

「――ぁ――」

「■■、■■■■――!!」

 

 気付いた時には――日向の身体は吹き飛んでいた。

 為す術無くカ・ディンギルに突っ込む。その間にも幻痛は激しさを増していく。

 

「や、やめろぉぉぉ!! ネフィリムをっ、いやっ、それを、それをぉぉおおおっ!!」

 

 日向は気が付いていないが、錯乱気味の言葉遣いのままウェルはノイズを召喚してネフィリムの救援に向かわせる。

 しかし、結局数がいても今の響には関係ない。

 

「■■ゥ――」

 

 落ち着きを取り戻したかのように見えた刹那、響の姿が消えた。

 次に姿を現した時、今度はノイズが全て塵と還っていた。

 逃走を図るネフィリムに《縮地》で接近し、踵落としで地面に叩き付ける。馬乗りになると振り上げた拳がネフィリムの体内を抉る。その痛みに日向は鎧の下で吐血した。

 何かを探すように腕を動かしていた響。引き抜いた時に持っていたのは――ネフィリムの心臓。それを投げ捨て、跳び上がる。もうネフィリムに逃げ出す力は残されていない。

 腕のアームだった部分を槍に変化させ、響は落下のスピードも加えた一撃をネフィリムに与えた。

 

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

  ―裂ッ!

  ―波ッ!

 

「がっ……ァアアアアアッ!?」

 

 幻痛とは思えない痛みに、日向は叫び悶える。

 だが悶えていられない。すでに奏がこちらに駆け出しているのだから。

 

「くそっ、あいつまで暴走するなんて予想外だろ!」

「オ、ッシア、さん……」

「撤退する。流石に暴走二人は相手出来ん」

「ウェルはか――ウェルは?」

「一人で勝手に逃げ出したよ! 面倒な奴め!」

 

 逃走を図るオッシア。

 それを追おうとする奏だったが、それを鏡華が押し倒して防いだ。

 それだけ見て――日向は意識を放棄するのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

「■■■――!」

「ッ、落ち着け奏ッ!」

 

 馬乗りになって奏を拘束する鏡華。

 響は翼とクリスが両腕を抑えて拘束している。

 

「遠見!」

「傷が悪化してそうな所悪いが、足を抑えてくれ! このままじゃ地面が陥没する!」

了解した(オーライ)!」

 

 ヴァンもやってきて奏の足を抑える。

 獣同然に暴れるが、流石に先程以上に動き回れない。

 

「■■■■、■■――ッ!!」

 

 最後の一咆哮をあげると、染めていた色が薄れていく。段々と消えていき、最後にはギアが解かれ、私服に戻っていた。

 完全に戻ったと確信した鏡華は奏からどいて。その場に膝をつく。

 響の方も同じように戻ったらしく――いや、待て。

 

「左腕も戻っている、のか……?」

 

 翼が抱えている左腕。それは確かにネフィリムと呼ばれた完全聖遺物が喰った。

 だが、響の左腕は見るだけで判断するなら、何事もなかったように元の状態に戻っている。

 

「おい、遠見。立花の腕……」

「ああ、遠かったが、俺も確かに見た。腕は喰われた」

「何故だ」

「俺が知るわけねぇだろ。いくら俺と立花が“似て異なる存在”でも、あれは説明が出来ない」

 

 鏡華や奏の場合ならば、鞘が記憶し記録した肉体になるように傷付いた箇所を戻すのが、再生の秘密だ。

 しかし、響は融合症例。正直――訳が分からない。

 

「とにかく、今は奏と立花を医務室に運ぶのが先決だ。旦那が手配していると思うが、俺達も動くぞ」

「そうだな。天羽は頼むぞ。肋骨が痛む」

「分かっている。まずは三人と合流しよう」

 

 気を失っている奏をお姫様抱っこで持ち上げ、ヴァンに肩を貸す。ヴァンは鏡華の肩に手を置きゆっくりと立ち上がる。

 あちらも二人で響を抱えてこちらに向かっている。

 合流して、ヴァンをクリスに任せて鏡華はプライウェンを三つ具現化させ、飛び上がった。

 煌々と輝く月が自分達を見ている。

 鏡華には月が何も分からない自分達を嘲笑っているように見えた。




 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 前書きに新年の挨拶と思いましたが、章の始めとかぶってしまいましたので後書きにて挨拶させていただきます。
 休載報告として、来週と再来週は遅めの正月休み(本来は今日ですが)として投稿しません。
 次回の投稿は一月二十日とさせてもらいます。
 それでは良いお年を。


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Fine4 愛及屋鳥Ⅱ

 日付を間違えていました。
 二十日ではなく二十二日でした。申し訳ありません。


 運ばれてきた日向を見て、マリアは悲鳴をあげそうになった。

 既にギアは外れ私服に戻っていたが、その服は血で染まっていた。

 

「オッシア! 日向は!?」

「騒ぐな、命も肉体も別状はない。ただ、ネフィリムが成長しすぎたせいで繋がりが出来たんだろう。ネフィリムが受けた痛みを幻痛として受けたんだ。暫く安静にしていれば眼を覚ます」

「よかった……日向……」

 

 簡易ベッドに横たえた日向の手を握り締め額に当てるマリア。どれだけ彼を大切にしているか分かる。

 ふと視線を逸らせば、ナスターシャも横になっていた。

 

「おい、持病が悪化したのか?」

「ええ……今、切歌と調がドクターを探しに行ってくれてるわ」

「ちっ……だからあれほど注意したのに……とことん面倒な連中だよ、お前らは」

 

 盛大に舌打ちを打ちながら部屋を出て行こうとするオッシア。

 

「おい、マリア。暫く出掛けるから、出掛ける前に適当に飯を作っとく。一日で食ってくれるなよ?」

「出掛けるって……一体どこによ」

「詮索するな。お前はその二人に付いていろ」

 

 念を押して言うオッシア。そうして部屋を出て行く。

 部屋には眠り続ける日向とナスターシャ。そして二人の間に立つマリアだけが残された。

 ナスターシャの応急処置は済ませたし、日向の様子も落ち着いている。

 何もする事がないマリアは近くの壁に凭れた。

 ――私は、どうすればいいの……?

 耐えきれない現実を前に、マリアは弱音を吐く。

 ポケットから取り出すひび割れたギアのペンダント。生前、セレナが使っていたシンフォギアだ。破棄処分されるのをナスターシャが回収してマリアに渡してくれたのだ。

 

「セレナ……あなただったらこんな時、どうしてた? 私には分からないわ……」

 

 自分の正義を成すために悪を貫くと決めた。

 だけど、今では悪どころか正義すら貫けなくなっていた。

 日向は言った。マリアのしたい事をすればいいと。そのしたい事が分からないのだ。

 

「あなたの事だってそうなのよ? 日向」

 

 さっき、融合症例である立花響の腕が喰われた時、一番取り乱していたのは日向だ。

 優しい日向の事だ、そこまでする必要がなかったと怒っただけかもしれない。だけど、胸の奥で不安がずっと燻っているのだ。自分達のためでもあそこまで苛烈に怒った事などなかった。いや、マリアは日向が怒った所をこれまで見た事がなかった。

 

「融合症例第一号・立花響――日向にとって、あの子は一体何なの……」

 

 ポツリと呟いた一言。それは誰にも聞かれる事なく、虚空に溶けてなくなった。

 なのに自分の胸には鋭利な刃みたいに突き刺さってくる。自分の胸の、心の問題なのに、答えが見つからない。

 ――昔はもっと簡単だったのに。

 十年前、日向は突然F.I.S.の研究所に連れてこられた。

 最初は戸惑い、泣き続け、塞ぎ込むのが毎日だった。それを変えたのが妹であるセレナ。

 何をどうやったのかは分からないが、セレナは日向を部屋から連れ出す事に成功し、一緒に食事をしたのがきっかけだった。

 それから毎日、暇を見つけてはセレナは日向を説得して(時々強硬手段に出た事もあった)、一緒に何かをするようになった。

 数年経って、何となくセレナが日向を好きな事は分かった。自分も好きだと自覚したのも同じ時期だが、当時は異性としては見てなかった。むしろセレナを陰から応援していた。――暴走事故が起こるまでは。

 事故後、目覚めた日向は全ての記憶を喪っていた。

 後になって記憶は喪ったのではなく、セレナの絶唱によってリセット、封じられた事が分かったのだが。

 

『マリア姉さん……日向の事、お願い――』

 

 深紅の涙と共に託された約束。

 セレナと約束は出来なかったが、それでも約束を違えたくなかった。

 だから、マリアはこの六年間、セレナがやってきたように日向に関わってきた。

 関わって――日向を異性として意識するようになってしまった。

 

「この気持ち……どうすればいいのセレナ――」

 

 日向に向けたい気持ち。伝えてはいけないと云う罪悪感。フィーネとしての役割。背負いきれない覚悟。

 圧し潰されそうな自分の心。

 マリアはいつの間にか日向が眠るベッドの横に座り込み、眼を閉じていた。そこが安心出来るかのように。

 腕枕にした手は無意識か――日向の手と重なっていた。

 

 

 〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 夢を見ていた気がする。

 だけど、眼が覚めた今――覚えていない。

 自分の事じゃない、だけどとても大切な記憶。覚えておかないと、知っておかないといけない記録。

 

「――だけど、知りたくない自分がいる」

 

 知ってしまえば最後、自分が自分じゃなくなるかもしれない恐怖があった。

 訳が分からない、と言ってしまえばそれまでだ。それだけで済ませる事が出来たらどんなに楽か。

 それだけに出来ない理由があるのも事実である。故に自分はこうまで悩む。

 

「いや、もういいか。これ以上はただの呟きだ」

 

 勢いをつけて起き上がる。自分の部屋ではない。

 ここは二課の仮設本部――潜水艦内の一室。昨日の一件から帰らず、そのまま二課で一夜を過ごしたのだ。

 枕元に置いた携帯端末がメールが届いている事を知らせている。

 差出人は弦十郎。本文には奏が眼を覚ましたが響は未だ眼を覚まさない事が書かれていた。次いで、大事な話があるから部屋に来てほしい、と。

 起き上がり、軽く身体を伸ばしてから部屋を出る。

 奏と響の事で一番無力さを嘆いていたのは翼だった。

 ――私が不甲斐ないばかりに、立花ばかりか奏まで……。

 自分だけでなくクリスも励ましていたが効果は薄く、翼は部屋に戻るまで――きっと部屋に戻ってからも嘆き続けていた。

 ――不甲斐ないのは俺の方だ。

 前方から落ち着きを取り戻した翼が見えた。だけど髪が少し跳ねている。

 鏡華は苦笑しそうに表情を取り繕いながら、翼に声を掛けた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 大人のしがらみと云うのはいつ見ても不愉快な光景だ。

 それを目の前で見せつけられてうんざりするヴァン。見ようと思ったのは自分の意志だったが。

 

「状況は一刻を争います。まずは月軌道の算出をする事が先決です!」

『独断は困ると言っているだろう!』

 

 弦十郎の必死の説明も虚しく、モニターの奥で偉そうに座っている高官は弦十郎を叱責し、また別のお偉い様は事態を重く捉えていない。

 周りでは友里や藤尭、スタッフ総員で情報を集めたり協力を仰いでいたりしている。

 ヴァンにする事――出来る事は何もなかった。

 

「風鳴弦十郎、ふんぞり返っているお偉い様と会話中すまないが、少しいいか?」

「すまんヴァン。後にしてくれないか」

「こんな奴らに話す意味など、俺には見当たらないんだが」

 

 弦十郎の言葉も聞かず、ヴァンは自分の思った事を素直に口にする。

 もちろん弦十郎に近付いて言ったので、ヴァンの姿はモニター越しに高官達に見えていた。

 

『子供を組織内部に連れ込むとはどう云う事かね? 風鳴司令』

「申し訳ありません。ヴァン、下がってくれ」

「断る。むしろ、二課とも関わりのある政府の高官なんだろう? シンフォギアの担い手ぐらい記憶しておけ」

 

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言うヴァンに高官達の表情は見る見る険しくなっていく。

 相も変わらぬ物の言いように弦十郎は頭を抱えたくなる。

 普段、ヴァンは物事を冷静な判断で動くのだが、クリスと自分のしたい事となると好き勝手しまう欠点を持っている。過去が過去なだけに多めに見る事はあっても、流石に今回は引いてほしかった。

 

「……っと、馬鹿野郎、俺。――少し口が過ぎた……過ぎました。すま……すみません、でした」

「ヴァン……?」

 

 ヴァンの行動に弦十郎は内心、盛大に驚いていた。

 誰に対しても自分の態度は変えなかったヴァンが敬語を使い、頭を下げたのだ。

 

 それから数十分掛けて高官との話し合いは終わり(結局的、返事は保留となった)、オペレーター達は息つく暇もなく各機関に依頼を出したり情報収集を続けていた。

 弦十郎はヴァンとともに通路を歩いている。ヴァンは学校に戻るため、弦十郎は鏡華と翼に話があるそうだ。

 

「ところで……さっきはどうした? ヴァン」

「……やはり、大人と云う存在(モノ)はどんな立場であろうとああ云うしがらみに付き纏われるのか?」

「……ああ、そうかもしれないな。ま、普通の大人はもちっと楽だろうな、きっと」

 

 質問に質問を返してきたヴァンに、弦十郎はしっかりと質問に答えた。

 最近のヴァンは少し様子がおかしかった。体調が悪い、とかではなそうだが、考え込むとクリス以外の言葉が届かなくなるのだ。

 

「風鳴弦十郎、頼みがある」

「なんだ?」

「俺の父親みたいに、誰かを救うためにはどうすればいい」

 

 真っ直ぐな問い掛け。

 ヴァンの本音に弦十郎は一瞬言葉を失った。

 

「このままじゃいけない事は気付いていた。今はまだお前達の庇護下で生きてられる。学校に通う事だって、陽だまりにいる事だって叶っている。だが、いつまでも庇護に頼ってはいけないんだ。夢を叶えたいのなら――自分から動き出さなくてはいけないんだ」

「ああ、そうだな」

「俺は子供だ。警備員のジジイに言われた通り早く大人になろうと逸っている子供だ。だからこそ大人のお前に訊きたい。夢を叶えるためには、どうすればいいんだ」

 

 ――つまり、さっきの敬語はその意思表示と云う事か。

 不器用なヴァンに思わず笑みを漏らしてしまう。

 別に敬語はすぐに使えなくとも不便はせんと云うのに――

 ふと見れば、不貞腐れたようにそっぽを向いていた。

 

「笑うな。こっちは真剣なんだ」

「はは、悪い悪い」

 

 ぽんぽんと頭を撫でる。

 撫でてから、また拒絶されるかな、と思っていたが、ヴァンは珍しく抵抗せずに恥ずかしそうに顔を俯かせている。わずかに肩を震わせ、耐えているように見える。

 これまた――こいつなりの成長か。

 

「そうだな、今は――仲間を信頼してやるだけでいいと思うぞ」

「……は?」

「逸る必要はないと言ってたんだろ? なら焦るな。ゆっくりとその時その時、自分がしたいと思う事をしながら大人になっていけ。そうすりゃ、おのずと答えは出るさ」

「……それはつまり、自分で探せ、と暗に言っているのか?」

「ハッハッハ」

 

 笑って誤摩化された。

 頭に乗せていた掌も、いつの間にか腕が自分の首に回していた。

 もがき出ようとするが、思いの外弦十郎の腕は強く上手く抜け出せない。

 だけど、ヴァンは本気で抜け出そうとしなかった。こんな暖かな温もり。クリスが初めて、いてもいい場所と思うこの場所。

 ――存外、悪くないな。

 思わず笑みが漏れる。刹那――

 

「……ヴァンくんがデレとるわー」

「ッ――!?」

 

 ハッと顔を上げる。

 前方には翼と共に歩いていた鏡華がいた。

 覇気の籠ってない無気力な眼で。口調まで棒読みになっている。

 

「お、おおおっ!?」

 

 慌てて弦十郎の腕から抜け出し、《瞬動》もかくやと云う速度で鏡華に詰め寄る。

 

「お、おおおおま、おまおまおまお前っ、いいいつからっ」

「慌てるヴァンくん、カワユスー」

「かわゆすー」

「明らかに舐めてるだろっ!! あと、風鳴翼! 貴様も遠見に乗ってほざいてるんじゃねぇよ!」

「クリスもいたら言ってたな、カワユ――」

「いい加減にせんかぁっ!!」

 

  ―轟ッ!

  ―打ッ!

 

 マジでキレたヴァンの本気の背負い投げ。

 回避する事は考えていたのだが、受け身の事など考えていなかった鏡華はあっさりと担がれ――瞬間に床に叩き付けられていた。

 人間が出してはいけない音を盛大に上げ、床に倒れ臥す。

 ぎろりと翼を見る。既に翼は両手を挙げて降参の意を示していた。

 

「ちっ、相談するんじゃなかった。そもそも、何故俺はこんな時にこんな相談を持ち掛けたんだ……」

 

 未だ熱を帯びている頬を隠すようにずかずかと先を急いで去っていく。

 そんな後ろ姿を弦十郎と倒れたままの鏡華は、やれやれと云った様子で見ていた。

 

「あいつもほとほと面倒な正確だな」

「まったく、どっかの誰かさんにそっくりだ」

「二人共、時間が惜しい。鏡華はさっさと立って、司令はさっさと本題に入ってください」

 

 さっきまで鏡華に乗っていた翼さんはどこへやら。

 真面目な翼の指示に、男二人は「へ〜い」とダルめに返事を返し言われた通りにするのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「これは……?」

 

 弦十郎から翼に渡されたシャーレを見て呟いた。

 中には綿に包まれたあちこちから金色の突起が飛び出ている石のような物が保管されている。

 

「メディカルチェックの際に採取された響君の体組織の一部だ」

 

 は? と眼を丸くする。

 だが、当然だ。渡されたのは石のような結晶。人体で生成出来る物質ではない。

 それが分かっている弦十郎はリモコンを操作してモニターに誰かのレントゲンを映し出す。

 普通の身体――ではなかった。まるでレントゲンの上から黒のマジックペンで落書きされたように塗られている。胸元を黒く塗り潰し、そこから連なるように身体中に、まるで血管のように落書きされたそれは、

 

「身に纏うシンフォギアとしてエネルギー化と再構成を繰り返してきた結果、体内の浸食深度が進んだのだ」

「生体と聖遺物がひとつに溶け合って……この融合が立花の命に与える影響は……?」

「遠からず死に至るだろう」

「ッ――」

 

 誤摩化す事のない即答に翼は息を呑む。

 左腕の心配はしていたが、まさか「死」と云う単語が出てくるとは予想しておらず、翼も言葉を失う。

 

「立花が死ぬ、か……やっべぇな。んな事を正直に未来に言ったら殺されそうだ」

「ッ、戯言はやめろ鏡華!」

「分かってる。だけど、ちょっとふざけた事言ってないと冷静でいられないんだよ」

 

 怒鳴る翼だったが、鏡華の眼を見てすぐ「ごめん、取り乱した」と謝る。

 鏡華がこんな時に本気でふざけようと思って言ったのではないことぐらい、すぐに分かるはずなのに。

 ――ずいぶんと自分は熱くなっていたようだ。

 深呼吸を繰り返し、ゆっくりと自分を落ち着かせる翼。

 瞳を開き、天から睥睨する月を見上げる。

 

「立花をこれ以上戦わせるわけにはいきません。掛かる危難は全て防人の剣で払ってみせます」

「かあっ、面倒くさい性格だな、っんとに翼は。防人の剣で、じゃねぇ。皆でだ」

「鏡華……うん」

 

 自分だけで背負おうとする翼を苦笑混じりに言い直させる鏡華。

 弦十郎は独り頷くと、モニターを切り替えた。

 

「それと、鏡華。どうしても確かめておきたい事がある」

「なに? 旦那」

「翼がいる前でこんな事を訊くのはどうかと思うが――今、“お前の臓器は働いているのか”?」

 

 弦十郎の問い掛けに、再び息を呑む翼。

 今の発言――どう云う事だ。

 自分の肩に手を置いている鏡華に振り返る。

 鏡華は至って普通の顔で翼の肩から手を離し、その手を弦十郎に差し出した。掌を上に向けて。

 

「……?」

「脈、調べてみ」

「…………ッ、まさか……!」

 

 何かに気づいた様子の弦十郎は慌てて鏡華の手を取って手首に指を押し当て時間を計る。

 安静にしている時の男性の一分間の脈拍数は平均で六十から七十とされている。

 しかし――

 

「脈が……ない、だと……!」

 

 一分経過しても、二分経過しても脈を一回も数えられない。

 不整脈――それも六十を下回る場合は徐脈とされているが、鏡華の場合、それ以前の問題だった。

 弦十郎の絶句に、翼も手を取ろうとする。

 

「まあ、こっちの方が早いかな」

 

 鏡華はそんな翼をいきなり抱き締めた。

 何をするかと抗議しようとした翼だったが、ピタリと動きが止まる。

 ピタリとつけた鏡華の胸に耳を澄ませる。だけど、どれだけ澄ませようと――

 

「心臓の鼓動が……聞こえ、ない」

 

 脈どころか心臓の鼓動さえ聞こえなかった。

 

「……フィーネとの戦いの時、俺は心臓を抜き取られて潰された。その状態で“《辿り着きし永久の理想郷》を発動しちまった”のが原因みたいだ」

「……あ」

 

 確かにそうだ。鏡華の伸びた髪も《辿り着きし永久の理想郷》が原因だ。

 しかし、それだと疑問が残る。翼は抱き締められたまま見上げて訊いてみた。

 

「それだと鏡華。胸に空いた傷は……」

「いや、それはない。多分だけど、アヴァロンの再生ってトカゲの尻尾みたいなんだと思う」

「トカゲの尻尾?」

「なるほど、な」

 

 弦十郎が納得顔で頷く。

 

「トカゲの尻尾は外敵から身を守るために自切……つまり自分の意思で切断する。暫くすれば再生器官によって不完全ながらも再生される。だが、自分以外の何かに切断されると再生は出来ないようだ。鏡華の再生はそれの上位版なのだろう」

「詳しい事は目下、自分の身体で実験中なんだけど――アヴァロンはまず俺の肉体を記録して記憶する。怪我をしても記憶から再生してる。だけど、それは“同じモノ”が残っていて出来るんだと思う」

「心臓はフィーネによって“取り除かれて”、“破棄された”。回収もしてないから再生も無理。……そういう事なのね?」

「That's right。ま、実際は以前の記憶も混ざって再生されてはいるけど機能してないだけなんだけどな」

「そう。でも――」

 

 納得顔で頷いていた翼だったが、腕を伸ばし鏡華の襟を掴む。

 見上げた顔は――かなり険しかった。

 

「今、さらっととんでもない事を言ったよね。自分の身体で実験中?」

「あ、やべ」

「二度と実験しないと誓いなさい。今、この場で、私を好きだって言えるなら今すぐに」

「わ、分かった分かった。言う。言うから、無意識に揺らさないで!?」

 

 ガックンガックン揺らされ、鏡華は高速メリーゴーランドで馬に乗った気分を味わった。

 襟を離され、ふうと息をついた鏡華は翼を見下ろして、

 

「分かった、自分の身体で実験なんて二度としない。翼を好きって云う気持ちに誓う」

「……分かればいい」

「…………あー、ゴホン」

 

 甘ったるい空気が流れる中、弦十郎の咳払いで我に返る翼。

 ――お、叔父様の事、すっかり忘れていた。

 バッと鏡華から離れ、真っ赤になってる顔を俯かせる。

 

「ったく。時と場合を考えんか。今、泥水のように苦いコーヒーが欲しくなったぞ」

「で、ではっ、私が作ってきます! 指令は鏡華と一緒にごゆっくり!」

 

 冗談と気付いても、それを鵜呑みにして部屋を出て行く翼。

 あっという間の出来事で、声を掛ける事の出来なかった弦十郎は代わりに鏡華に話し掛けた。

 

「お前、分かって言っただろう」

「さて、何の事やら」

「まあいいけどな。……案外、上手く云ってるみたいだな」

 

 暗に三人と付き合ってる事を言われる。

 鏡華は静かに「うん」と頷く。

 

「最初は心配したが、上手くやってるようで何よりだ」

「ごめん、旦那には色々と迷惑を掛けてばっかだな」

「息子が遠慮するな。もっと義父親(ちちおや)を頼ってこい」

「相変わらずだなぁ。そんなに俺を息子にしたいのかよ」

「当たり前だ。しかもお前、後見人でもない了子君を義母さんと呼んだのに、俺の事は一向に義父さんと呼ばない。しつこくもなるさ」

「うわ、大人の嫉妬って見苦しいなぁ」

 

 呆れるが、その顔は笑顔になっている。

 暫くして、翼が本当にコーヒーを作って戻ってきた。それも二つ。

 俺のもあんのか、と呟きつつ鏡華も受け取って含んだ。

 

「にっが……」

 

 見れば、弦十郎も同じように顔を顰めている。

 翼はまだ火照った顔でふん、とそっぽを向いてしまう。コーヒーを淹れている間に、頭も冷え気付いたようだ。

 

「ま、眠気覚ましにはちょうど良い苦さだね。サンキュ、翼」

 

 それでも鏡華は嘘をついて笑みを見せた。

 だから――夢の事など、忘れてしまっていた。



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Fine4 愛及屋鳥Ⅲ

 目覚めた奏が一番に眼にしたのは、未来の顔だった。

 

「あ、奏さん。目覚めたんですね。よかった……」

「未来……あたしは……」

 

 起き上がろうと腕をベッドについた途端、痛みが走った。見れば、利き腕が内出血していた。

 昨日の事を思い出して――ああ、と呟く。

 ――あたし、暴走したのか。

 記憶がない事やベッドに寝かされている事から、ある程度の予想は簡単に出来た。

 

「傷が痛むんですか? 先生を……」

「いや、大丈夫。アヴァロンが暴走の余剰を消してるから、怪我の治りが遅いだけ。それに、あたしの身体を調べられるのはちょっとな……」

「そうなんですか? あ、でも、そっか。奏さんの身体って鏡華さんと同じ……」

「そゆこと。……ところで響は? 無事か?」

 

 響なら、と未来は真横を見下ろす。

 よく見れば、隣のベッドに響は眠っていた。暴走などなかったかのように状態は正常に見える。

 だけど――

 奏は立ち上がり未来とは反対側に腰掛け、左腕に触れた。

 あの化物に喰われ、暴走の引き金(トリガー)になった左腕は何事もなかったように響の肢体として綺麗な肌色をしている。

 

(再生……? でも、ガングニールにはそんな能力なんてないし……暴走している間に何があった……?)

「あの、奏さん。響の左腕がどうかしたんですか?」

「ん? ん、いや……相変わらず綺麗だなぁって思ってな。昨日だってギアを纏っているっつっても思いっきりノイズをジャブジャブストレート! だったし」

「そう、ですか……」

 

 軽い口調で誤摩化す。

 しかし、未来は暗い表情で響の顔を見ていた。そっと眠っている響の頬に触れる。

 

「……どうした?」

「私、時々分からなくなるんです」

「分からなく?」

「いつも響は、響だけじゃなくて鏡華さんや翼さん、奏さんやクリス、ヴァンさんが戦っているのに、私だけ戦わないんだろうって。もちろん戦わないんじゃなくて戦えないんですけど、なら私に何の意味があるんだって考えて……」

 

 ――ぐちゃぐちゃになって分からなくなっちゃったんです。

 少しだけ泣きそうに、葛藤を告白する未来。

 

「私には奏さん達みたいに戦う力は持ってない。だから、私は響の帰って来る場所でいたいと響に話しました。だけど――怖いんです」

 

 ベッドで眠る響を見て、話を続ける。

 

「響は私の許に帰ってきてくれる。ずっと、そう信じています。だけど、もしも帰ってこなかったら? ――そう考えてしまうんです……」

「未来……」

 

 思わず近付き、未来を胸に抱き寄せる奏。

 この役目は本来響の役割だが、眠っているので代わりだ。響が目覚めたら未来を突っ込ませて一緒に寝かせてやる。

 そう決めた奏は一先ず今は、と抱き締めて自分の考えを伝えた。

 

「悪いけど、あたしには未来の思いは一生分かんないと思う。何てったって、あたしは身体が拒絶してたに関わらず、無理矢理適合させたインチキ適合者だったからな」

 

 シンフォギア奏者、天羽奏と云う存在は、本来は存在するはずがなかった。

 低い適合係数。薬の投与でも引き上げられない適合係数に、周りは諦め――命が惜しいなら自分も諦めるべきだった。

 だが、奏は諦めなかった。命なんてその時は惜しくなかった。

 ただ、ノイズを殺す力が欲しくて、家族を殺した憎き仇に復讐したくて。

 結果的に奏者となったのだが、それだって奇跡のようなものだ。

 

「だけど、未来は戦っちゃ駄目だ。戦わない、戦えない――じゃない。戦っちゃ駄目なんだ」

「それは……どうして?」

「もちろん、未来が言ったじゃないか。響の帰る場所だって。ついでに言うと、鏡華やあたしにとっても帰る場所なんだ」

「鏡華さんや奏さんにとっても……?」

「ノイズと戦うなんて、非日常だ。身体を――精神(こころ)を休めるためには日常に戻らなきゃいけない。その日常に、未来。未来になってほしい。未来がいてくれれば、あたし達は非日常から日常に帰って来れるんだ」

「私が……響だけじゃなく、皆の……」

 

 考えるように未来は口を閉ざし俯く。

 奏は「深く考えなさんな」とデコピンを軽く未来の額に当てて笑う。未来から離れ、病衣を脱ぐ。ベッドの脇に自分の服が畳んで置いてあったのを見つけると、下着、服をちゃちゃっと着込んだ。

 

「もちろん、これはあたしが勝手に考えている事。受け止めるか否かは未来が決めな。だけど、帰る場所があるってのは――すっげぇ、嬉しいんだよ」

 

 上着を肩に担ぎ、振り返らずに呟く。

 後ろ手に振りながら「学校には遅刻すんなよー」と言って、奏は病室を出て行く。

 途中、職員と奏の会話が聞こえたが、検査を受けてください、面倒だぁ、みたいな口論だろう、きっと。

 未来はもう一度、眠っている響の顔を見る。

 自分が迷っている事。奏が今言った事。

 ぐちゃぐちゃなのは変わらない。だけど、少しだけ整理出来た気がする。

 

「じゃあ響。私、学校に戻るね」

 

 持ってきたレター用紙に伝言を残し、ベッドの隅に置いておく。

 自分が出来る事。それはまだ分からない。でも、今は――

 未来は響の前髪を梳いて、病室を出るのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 軽い痛みに日向は顔を顰めながら瞼を開いた。

 人工の灯りがやけに眩しい。頭痛や幻痛が身体を未だに蝕んでいる。

 

「……はぁ」

 

 溜め息のように息を吐き出し、開いた瞼をもう一度閉じて、意識を自らの内へ向ける。

 先の戦闘で溜まった不浄な気を呼吸と共に体外へ吐き出し、清浄な気を外から体内へ取り込む。

 外気功と呼ばれる技術を繰り返し、体内の掃除を行う。

 それを数分掛けて行い、今度は軟気功を用いて数十分掛けて治癒していく。

 二種類の気功を済ませるとベッドから上体を起こす。視線をズラすと、マリアが眠っている事に気付いた。無意識にか、自分の手を握っている。

 

「眼が覚めましたか。日向」

 

 他に誰もいないと思っていたが、反対側のベッドにはナスターシャが横になっていた。

 

「マム。……僕は一体、どれぐらい眠っていた?」

「さあ……私も先程、眼を覚ましたばかりで分かりません」

「……若い僕達と違って、マムは歳なんだから。お願いだから無茶はしないでよ」

 

 日向の苦笑に、ナスターシャも柔らかい笑みを見せる。

 その笑顔を見て、日向はやはりと思った。

 ――生き残るためにわざとあんな厳しく接しているんだ。

 フィーネの敵は全人類と言っても過言ではない。だからこそナスターシャはマリア達に厳しい言葉を投げ掛けて命を守ろうとしていた。

 そんなナスターシャだからこそ日向達はナスターシャをマムと呼び、慕っているのだ。

 優しくマリアの手をほどき、日向はベッドから起き上がった。血で汚れている服はその場で脱ぎ捨て代わりの服に着替える。

 

「切歌ちゃんと調ちゃんは? ここにいるの?」

「ヘリの中にはいません……多分、ドクターを探しに行ったと思うわ」

「そうか。じゃあ、僕も行ってきます」

「では、一度こちらに連絡するよう伝えてください」

「分かりました」

 

 部屋を出て行こうとする日向。

 出る直前、振り返り、

 

「さっきも言ったけど。お願いだから無茶だけはしないでマム。マムは僕の――僕だけじゃない、マリアや切歌ちゃん、調ちゃんにとって大事な人なんだから」

 

 そう言って部屋を出て行った。

 部屋に静寂が戻る。

 

(日向……優しい子。日向だけではない。マリアも切歌も調も……私は優しい子達に不必要である十字架を背負わせようとしている)

 

 それは赦される事ではない。

 それでも誰かが動かなければならなかった。

 月の落下――米国政府はいち早くその事実に気付き、情報を隠蔽した。

 理由など一介の研究者であるナスターシャには分からない。パニックを避けるだけだったかもしれない、そうではないのかもしれない。

 今やっている事が悪だと云う事は承知の上だ。無辜の命を救うためなら正義を悪だとも偽ろう。

 しかし――

 

(それでも――私は間違っているのかもしれない)

 

 本当にこれが正しい選択肢なのだろうか。

 無辜の命――それはマリア達の命だって数えられる。

 それも未だ幼い命を危険に晒してまで。

 ナスターシャは瞼を閉じて意識を手放す。

 このままでいいのか、と思案しながら。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

「たかが知れている立花の助力など不要だ!」

 

 二日後。

 そう言って響の前から立ち去っていく翼を見て、鏡華は顔を抑えたくなった。

 弦十郎から響の事を告げられ戦わせないと決めた時点から何となく嫌な予感はしていたのだが、まさかここまで面倒くさい事になるとは思わなかったのだ。

 ――本当、面倒くせぇよ翼。

 立ち去る翼を追い掛けるクリス。ヴァンは何故か追い掛けようとしない。

 

「……で? 真実(トゥルー)は?」

「…………」

 

 どうやらヴァンにはバレているようで、鏡華はこめかみを押さえた。

 ふぅ、と溜め息を漏らすと、鏡華は響に視線を合わせるように膝を曲げる。

 

「悪いな立花。翼の奴が面倒くさくてよ」

「いえ……事実ですから……」

「でも気付いてるだろう? 何か隠している事ぐらい」

「…………」

 

 黙り込む。

 それを肯定として話を進める。彼女を守りたいのは鏡華だって同意見なのだ。

 

「立花響。今後一切、シンフォギアを纏う事を禁止する」

「……え?」

「お前の身体と融合している聖遺物との侵食深度が、あの時の戦闘で急激に進んだんだ。診断の結果……今の状況のまま融合が続けば、遠からず死ぬぞ」

「ッ――」

 

 はっきりと言われた死の宣告に響は息を呑む。

 だが、すぐにいつもの表情に戻ると、

 

「で、でもですよ遠見先生! まだ先の事ですよね!? だったらまだ――」

「まだ使っても大丈夫、か?」

 

 響の言葉を先取りして言う鏡華。

 頷くと、鏡華は響の手に置いて懇願するように言う。

 

「馬鹿。使えば使うほど速度は速まるんだ、使えるわけないだろう!」

「あ……」

「頼む立花。俺達に――いや、俺達だけじゃない。未来に、もう一度失う悲しみを与えないでくれ」

「遠見先生……」

「……なるほどな。そう云う事か」

 

 やっと納得したヴァンも呟く。

 

「俺も同じ意見だ立花。お前はギアを纏っては駄目だ。お前だって、失う経験はしたくないだろう」

「――――」

 

 ヴァンが暗に日向の事を言っているのは分かった。

 そうだ、あの思いを誰かに味わってほしくない。

 響は暗い表情のまま、静かに頷いた。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 この場所に戻るのも少しだけ久し振りだった。

 すぐ近くまでは何度も来ていたが、ここまで来るわけにはいかなかった。今はまだ連中を連れてくるべき時期ではないし、教える事でもない。

 目の前すら漆黒の帳によって見えない闇の中を、オッシアは黒装束を脱いで肩に担ぎながら確かな足取りで進む。複雑な地形を進み続けると、闇の中にぼぅっと壁が浮かび上がった。

 否――それは壁ではなく扉。

 重厚そうな扉をオッシアは片手で押し開ける。

 扉の先には、闇によって常人には見えないが、広いドーム状になっている。

 

「――ただいま」

 

 この場所に“空気など存在しない”。当然の事ながら音も届かない。宇宙空間と云っても過言ではない。

 だが――オッシアの言葉は音となってドーム状の部屋に響いた。

 数秒して、声が帰ってきた。――お帰り。

 だけど、それは声であって声でない。超能力の分類に属する、そして“特定の人間には使える”念話だ。

 

「オレがいない間、静かにしてたか?」

『部屋を見れば分かるだろ』

「どうだか。ここは時間が経てば修復される材質の部屋だ。オレがいない間の時間ならば修復されててもおかしくはないからな」

『ひっでぇ。信用されてねぇな。これでも落ち着いたと思うんだけど?』

「オレが落ち着かせた、だろ」

 

 声の主は「違いない」とカラカラ笑う。

 オッシアも釣られて笑みを浮かべる。

 

「体調はどうだ? どこか痛い所や変に感じる所はあるか?」

『んー……今はないよ』

「今は、か。やはり、“影響が出たのか”?」

 

 心配そうな声音。

 念話の口調はそこからわずかに荒くなる。

 

『ああ、出てたね。頭をシェイクされたような気分だったぜ、くそったれ』

「……すまない。あの時、あいつの考えを読めてたら……」

『謝んなよ。思考を読むなんて、そんな事出来るのは自分だけなんだから』

「そうだな……」

 

 黒装束をそこら辺に投げ捨て、その場に仰向けに倒れる。固い地面はゴツゴツするが慣れていた。

 途端、覆い被さるように飛び込んでくる念話の主。

 

「どっせーい」

「ぐふっ……」

「よしっ、今回は上手く着地出来たぜ」

「オレは……危うく中身を吐き出しそうになった、けどな……」

「アタシ達に吐き出す中身なんてあんま“ないだろ”」

「…………」

 

 反論出来ず、その代わりとばかりに身体に手を回してゆっくりと抱き締めた。あの時から変わらない髪を優しく梳く。嬉しそうに喉を鳴らす。見えてないが、きっと眼も細めているだろう。

 

「ふぅ……」

「どうかしたのか? 溜め息なんか吐いて。空気なんかないのに」

「ああ……どうやら癖になってるみたいだ」

「そんなにフィーネの連中の世話は面倒なのか? だったら脅すなり何なりして楽にすればいいのに」

「そうはいかないのがオレなんだよ。言ったろ、オレは――」

「わぁーってるよ。忘れた事もない」

 

 オッシアの言葉を遮り、頬でオッシアの胸元を擦る。

 

「作戦の方はどうなんだ? 順調なのか?」

「ちょっとマズいかな。立花響の暴走でネフィリムは消滅。ウェルもソロモンの杖を持って逃走中。音無日向は幻痛を含め、かなりのダメージを喰らっている。あれは一日やそこらで動ける傷ではないだろう」

「他のフィーネの連中は?」

「高く見積もっても――甘いな。暁切歌と月読調は意気込みこそ評価然れど、空回りの連続だ。マリア・カデンツァヴナ・イヴに至っては問題外だ。優しいと云えば聞こえはいいが、はっきり云って――へっぽこだ」

「うわぁ……そこまで言うのは珍しい」

「一点、音無日向に関する事ならば即決即断出来そうだが……ほとんど戦闘に関係ないからな」

 

 そこだけはオッシアも評価している。

 あれほど一つの事を想う事はなかなか出来ない。

 どっかのハーレム王なんかに比べればずっとマシだ。

 

「異端技術とウェルの策略があればこそ、二課からアドバンテージを奪っていたんだ。さて、どうなる事やら」

「まるで他人事みたいな呟きだな、オイ」

「他人事さ」

 

 当然のように言ってのけるオッシア。

 そこに迷いなど微塵の存在もなかった。

 

「オレはたまたま、あいつらに遭遇して、あいつらのやる事が結果的にオレ達の目的の通過点にあると確信したからこそ、協力関係を持ち掛けたんだ。あいつらが壊滅するなら手を切るまで。ソロモンの杖と神獣鏡(シェンショウジン)だけを貰って消えるだけさ」

「そんな事出来ないって、自分が一番知ってるのに?」

「……言うな」

 

 分かっている事を指摘され、そっぽを向く。

 見捨てる選択肢を取れない事ぐらい、よく分かっていた。

 どうせ、マリア達が囚われるのを見れば嫌でも身体が動くはずだ。

 

「ま、ウェルだけは絶対に見捨てるがな」

「あはは、ものすっごい嫌われようだな。そのウェルって奴」

「奴の決断力や行動力は評価出来る物だ。身内から嫌われようとも自分の目的を果たそうとしているんだから。だが、どうにも、な。なんつーか……本能的に、生理的に駄目だな、奴は」

 

 ウェルは言動がおかしいだけで、彼もまた夢を追い掛けているだけの人間だ。

 行動こそ咎められるモノばかりだが、それでも止まらぬ彼の執着は、どれほど夢を叶えたいかを物語っている。

 その点だけならば――オッシアとウェルは同類だ。

 目的のために犠牲を払ってでも突き進もうとする意思。

 唯一違うのは――オッシアが出来る限り犠牲を最小限に抑えているのに対し、ウェルはどんなに犠牲を出してでも突き進もうとする点か。

 一を叶えるために千を見捨てる――そんな思想だからこそ、オッシアは無意識にウェルと分かり合う事を避けたのだろう。

 

「オレは……犠牲は暗殺しに来た奴とノイズに襲われ救えなかった一般人、そして――遠見鏡華だけで十分だと思う」

「遠見、鏡華……ああ、懐かしい響きだよ」

「あいつを殺せれば、鞘を継承出来れば、オレ達の目的は達せられる」

「だけど、そんな事は不可能だって、分かってるだろ。どうやっても殺せないし――鞘だけを盗む方法もない」

「――ああ」

 

 遠見鏡華は鞘によって不老不死と化している。いくら刺そうと、突こうと、斬ろうと、血を流させようと――殺す事だけは出来ない。

 だからこそ最速で最短、犠牲も少ない道を進む事は出来ない。

 

「ま――もう考えるのはなしにしようぜ」

 

 起き上がり、オッシアの腹部に馬乗りに乗ってくる。

 

「それよりさ――アタシ、溜まってんだよ」

「……溜まっているならしなくていいだろ」

「じゃあ、腹からなくなっちまったんだ。と云うか、分かって言ってるだろ」

「そりゃあ、オレって奥手だし?」

「あんだけアタシを啼かせておいてよく言うよ。――能書きはいいからさ、さっさとやろうぜ」

「はいはい」

 

 蠱惑的な笑みで舌舐めずりする姿に、オッシアは苦笑して手を伸ばす。

 光のない闇の中、オッシアと誰かの声だけがする。

 誰もいない――ダレかがいる部屋に、男と女の啼く声だけが響き渡った。

 その中で、こんな声も呟かれたのだった。

 

「なぁ……セレナ・カデンツァヴナ・イヴ、って聞いた事あるか?」

「……ああ? セレナ……? んー、ああ、あいつ?」

 

 少し考える素振りを見せた後、

 

「知ってるよ。いない間に――友達になった」

 

 そう答えた。



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Fine4 愛及屋鳥Ⅳ

「はぁ……はぁ――……っ!」

 

 荒野の中を歩く人影。誰であろう、ウェルだ。

 あの晩の戦いから逃げ出していたのだろうが、彼は短い間にずいぶんと老けていた。疲労困憊なのか、ソロモンの杖を杖代わりにして跡地をズル、ズル――と引き摺るように歩いている。

 それでもなお、足を止める事はしない――出来ない。

 ネフィリムは全ての作戦の要だった。それをいとも簡単に消滅させた。

 脳裏に蘇る獣と化した立花響――

 

「ひぃあっ――ああままままままッ!!」

 

 トラウマになっているのか、思い出した途端に全身を恐怖が駆け巡る。

 その際、足場が崩れ、崖から転げ落ちる。

 何度も視界が昼夜逆転し、約一日何も入れてない胃袋から胃液が逆流してくる。

 それでも吐き出さずにいられたのは――彼自身の夢への執着の強さだろうか。

 ほとんど力の入らない四肢を動かし、どうにか立ち上がろうとする。

 しかし、ウェルは研究者であり、体力など元よりあるはずがない。丸一日以上歩き疲労困憊の今、立ち上がる力も残されていないだろう。

 

「……う、ううう、うう、うううう、うぇうううぇ――!」

 

 それでも、ウェルはもがく事をやめない。

 子供の頃から夢見てきた英雄と呼ばれる瞬間。それが今、ただの妄想などではなく手が届く高みまで近付いているのだ。

 こんな所でもがいている場合ではない。是が非でも可能性を見つけるんだ。

 可能性――それはネフィリムの心臓。

 あの晩、立花響は成長したネフィリムを一瞬の内に消し飛ばした。しかし、消し飛ばす前に彼女はネフィリムの駆動路でもある心臓を引っこ抜き、どこかへ投げ捨てた。もし心臓が、投げ捨てられた心臓が、衝撃に吹き飛んだだけで死んでいなければ――

 その可能性だけを信じて、ウェルは力を振り絞って四つん這いの姿勢になった。

 

「はぁっ、はぁっ――なるんだ……僕は、英雄に――!」

 

 夢を叫ぶウェル。恐ろしいまでの執着。

 そんな彼に――神はきまぐれを起こし、祝福を与えたのだろうか。

 岩陰にキラリ、と陽の光を反射する何かが眼鏡を通して、ウェルの瞳に届いた。

 眼を細め何かと凝視し――あらん限りに眼を見開いた。

 四つん這いだけで精一杯だった四肢に力が入る。無様だろうと、関係ない。ウェルは赤ん坊のように四つん這いで這い寄り、反射していた何かを手に取った。

 異形の形、垂れ下がる千切れたコードのような血管だった物、奥で赤く脈動している。

 

「あひゃっ、あはは……!」

 

 それは見間違える事なく――ネフィリムの心臓。

 鼓動もはっきりと耳朶を打ってくれる。

 ウェルの表情が驚愕から歓喜へと変わっていく。

 

「こんなところにあったのかぁ……これさえあれば英雄だぁ……!」

 

 まるで思い出の品でも見つけたかのように囁くウェル。

 疲労の色は褪せ、眼鏡の奥の瞳には生気が爛々と輝いている。

 一頻り笑い、ウェルは一体どこに残っていたのか、勢いよく立ち上がると近くを転がっていたボロ布でネフィリムの心臓を包み、歩き出した。

 どこへ行くのか――それは神でも分からなかった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

『聞こえる切歌ちゃん。調ちゃん』

 

 ナスターシャを治療するため飛び出した切歌と調の通信機に掛けてきたのは、日向だった。

 

「身体の方はもう大丈夫なんデスか? 日向」

『うん。心配掛けたかな?』

「少し。でも日向なら大丈夫って分かってた」

『それはどうも。今、君達はどこにいる?』

 

 訊かれて、辺りを見回す。

 未だ復興の進んでない街。レンガで出来た道路もあちこち盛り上がっている。

 開店してる店もあるが、この街の事を知らないので、店の名前を言っても日向には分からないだろう。

 

「跡地の近くにある街デス。詳しくは説明しにくいんデスが……」

『そこか……。うん、分かった。あ、それと、マムも眼を覚ましたよ。後で連絡してあげてね』

「マム、元気だった?」

『うん。でも、応急処置で一時的に抑えただけだから……僕もウェルを探すから』

「分かったデス」

「また後でね。日向」

『了解。――あ、最後に一つ。ご飯は食べなよ』

 

 そう言って通信を切る日向。

 切歌と調はそのまま、ヘリに通信を入れる。

 出たのはナスターシャだった。

 口調は相変わらずだったが、どこか昔みたいな優しい感じがした。

 何より、「ありがとう」と言ってくれた。

 その言葉が二人にとって何より嬉しかった。

 

『では、ドクターと合流次第、連絡を。ランデブーポイントを通達します』

「了解デぇス!」

 

 通信を切って、胸を撫で下ろす。

 その時、くぅ、と可愛らしい音が切歌から聞こえた。

 

「あはは、安心した途端にこれデスよ」

「仕方ないよ。ずっとドクターを探してて、朝から何も食べてないから」

 

 キョロキョロと辺りをもう一度見回す。

 

「どうするデスか? ここらでご飯食べていくデスか?」

「うーん……」

 

 考える調。今すぐ食べてもいいが、早くウェルを見つけて帰って、オッシアの料理を食べるのも悪くない。

 すると、通信機がまた鳴った。

 出ると、また日向だった。

 

「日向? どうしたデスか?」

『あ、うん。言い忘れてたんだけど、オッシアさんも出掛けているみたいなんだ』

「なん、デスと……」

『あ、だからって誤解しないでね。オッシアさん、作り置きしておいてくれたみたいで、数日分あるんだ。帰ったら、皆で食べよ』

 

 今度こそ「それじゃあね」と言って通信を切る。

 調と切歌は顔を見合わせ、

 

「早く見つけて帰ろう、切ちゃん」

「デス! オッシアのご飯があたし達を待ってるデス!」

 

 空腹を思わず忘れてしまいながら、手を繋ぎ、切歌と調は駆け出す。

 また皆でご飯を食べるのを楽しみにしながら。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 一方、その頃。

 響は未来や弓美達三人娘と共に旧リディアン近くの街を偶然にも訪れていた。

 

「しっかし、うら若きJKが食べ過ぎなんじゃないのぉ?」

 

 弓美が愚痴りながらお腹を手でさする。とか言いつつ、その顔は満足そうに笑っていたが。

 しかし、響は暗い表情のまま歩き続ける。

 

「ねぇったら!」

「へぅ……?」

 

 弓美に声を掛けられ、我に返る響。

 慌てて笑みを浮かべる。

 

「あ、ああ。美味さ断然トップだからねぇ、おばちゃんのお好み焼きは。食べ過ぎても仕方ないよ」

「お誘いした甲斐がありました」

「トミー先生もくればよかったのにねぇ」

「仕方ないよ。いくらアニメみたいに仲がよくたって、先生は忙しいんだから」

 

 この場に鏡華の姿はない。

 だが、それでよかったかもしれない、と響は思った。

 鏡華から告げられた真実。翼が昔のように冷たくなってしまった理由。

 それを聞かされた後で一緒には、少し気まずかった。

 

「でもビッキー。これで少しは元気出たんじゃないの?」

 

 創世の言葉に、え? と返す。

 弓美は「ハーレム漫画の主人公並みに鈍感ねぇ」とぼやく。

 

「どっかの誰かさんがね、『最近響が元気ないー』って心配しまくってたから、こうしてお好み焼きパーティを催したわけですよ」

「未来が……」

 

 振り返り、未来を見る。

 少しだけ恥ずかしそうに肩を縮こませていたが、響に笑みを浮かべる未来。

 感謝の言葉を口にしようとして、ふと視線に入った人物に、発せられる言葉は変わっていた。

 

「……ひゅー君?」

 

 響の言葉に全員が響の視線の先を見る。

 見れば、塀に手をつきながら歩いている少年の姿が。

 日向も響達の存在に気付くと、バツの悪そうな、だけど少しだけ悲しそうな笑みを浮かべて手を挙げた。

 

「や、響ちゃん。未来ちゃんもお久し振り」

「ど、どうしたの!? すっごく辛そうだけど……」

 

 慌てて日向に駆け寄り、肩を貸す響。

 弓美達は事情を知っていそうな未来に顔を寄せる。

 

「誰さん?」

「えと、響の幼馴染で、私の友達だけど……」

「へぇ、ねね、もしかしてさ、彼って……」

「どうなんだろう。最近再会したし、響があれだから……」

 

 ああ、と同意するように頷く。

 さっきの「ハーレムアニメの主人公並みに鈍感」とは決して喩えではなかった。実際、響は色々と鈍いのだ。

 きっと――彼に対してもそうなのだろう。

 肩を借して、響は未来達の所に戻ってくる。

 

「大丈夫? 日向」

「大丈夫、大丈夫。えっと……そっちは二人の友達?」

 

 対象に向けられたので弓美達は順に自己紹介する。

 

「僕は音無日向。よろしくです」

「ひゅー君。どうしてこの街に?」

「ちょっと探し物を、ね」

「探し物……?」

 

 鸚鵡返しに呟く。

 日向はそれとなく響の左腕を見ながら訊いた。

 

「それを言うなら響ちゃん達も。こんな所で何をしてるの?」

「私達は近くの美味しいお好み焼き屋さんに行ってたんだけど……」

「へぇ、お好み焼きかぁ。懐かしいな」

「懐かしい?」

 

 もう一度鸚鵡返しに呟く。

 日向も「あ、やべ」みたいな表情を浮かべる。

 どう云う事か訊こうとした時、道路をものすごいスピードで走る車輌が響達の横を通り過ぎていった。

 過ぎたのは一瞬だったが、それでも車輌に乗っていた人は見えた。

 あれは――二課の……。

 考えた瞬間、道の奥から壮絶な爆発音が聞こえた。

 

「ッ――!」

 

 誰もが息を呑む中、日向は胸に手を当てる。

 不確かだが、それでも何となく感じられる気配。

 

(移動してるのは分かってたけど……いくら何でもタイミングが悪すぎる……)

 

 もしこの状況で会ってしまえば、間違いなく“奴”は関係のない響の友達を殺そうとしてくる。

 どうするか、考えが躊躇していると、

 

「未来、皆! ひゅー君をお願いっ!」

 

 響が日向を未来に預けて駆け出したのだ。

 未来も日向の手を掴んで追い掛ける。

 追い着くと――響とウェルが対峙していた。

 周りには大破し黒煙を上げる車輌、そして風に舞う炭。

 

「ウェル……博士――!」

 

 珍しく響が敵意を剥き出しにしている。

 帰る場所であったリディアンを全壊させたフィーネにもここまでの敵意は見せなかった。

 それは――剥き出しにした響自身も驚いていた。

 ――あれ? 私、こんな風に怒れるんだ。

 

「なッ!? 何でお前がここにっ!? ひ、ひえぇええええっ!!」

 

 響の存在にようやく気付くウェル。

 よほどトラウマなのか、と日向は思った。

 あの晩、ウェルは奏者六人を前にしても堂々と、そして不敵に、大胆に対峙していた。

 今ではその姿は見る影もない。そして、日向にも気付いていない。

 ソロモンの杖を構え、ノイズを召喚する。狙いは――非戦闘員である未来達。

 ――の前に、響が迷いなく躍り出た。

 

  ――もう一度失う悲しみを与えないでくれ――

 

 脳裏に鏡華の言葉がリフレインする。

 だけど、ここで纏わないと弓美が、詩織が、創世が、日向が、未来が。

 私の大切な人達がいなくなってしまう。それは嫌だった。

 ――ちょっとだけ。ノイズをちゃちゃっと倒して、ウェル博士をすぐに拘束すればいいんだ。

 そう自己完結させ、響は聖詠を唱う。唱いながら――

 

  ―撃ッ!

 

「響ッ!」「響ちゃん!?」

「ッ――!」

「ヒトの身で――ノイズに触れて……?」

 

 素手で、シンフォギアを纏わずに響はノイズを殴った。

 未来と日向の叫ぶような声。

 弓美達の息を呑む音。

 絶句するようなウェルの呟き。

 

「うおおおおお――ッ!!」

 

  ―煌ッ!

  ―撃ッ!

  ―風ッ!

 

 ワンテンポ遅れて防護服が響の身体に装着される。

 叩き込んだ拳をさらに《発勁》で減り込ませ、吹き飛ばす。

 

「この拳も! 命もっ! シンフォギアだッ!!」

 

 拳を構えて、自分が今思っている事を叫ぶ響。

 知ってなお叫ぶその言葉。それが無慈悲な真実である事を、響は気付かなかった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

「この拳も! 命もっ! シンフォギアだッ!!」

 

 そう響が叫んだ時、日向は言葉を失っていた。

 何故か、自分でも分からない。

 でも――今の言葉が、響によく当てはまる事。響に言ってほしくなかった事だけは、はっきりと理解出来た。

 聖遺物との融合を果たした立花響。その融合は少しずつだが深くなっていると、以前にフィーネの記録を見たナスターシャが言っていた。

 と云う事は、立花響にとってシンフォギアとはその身を守る道具ではなく――彼女自身がシンフォギアそのものになってしまう可能性がある。

 だけど、響はシンフォギア、奏者、適合者、融合症例などの枠組みの前に――独りの女の子だ。人間なのだ。

 そして――日向の初恋の女の子。

 普通の人間なら、ノイズと対峙した時、背を向けて一目散に逃げ出す。

 響は逆だ。逃げるどころか――目の前に躍り出る。

 おかしいと云うしかない。云うしかないのに、

 

(響ちゃん。君は何で――守るために戦う時、そんな風に輝けるんだ……!)

 

 ウェルが叫びながら召喚し続けるノイズを問答無用で倒していく響。

 その行動に迷いはない。だけど――

 

「日向……?」

 

 ふと、未来が呼ぶ声に振り向いた。

 心配そうな未来の顔。

 

「どうして泣いてるの?」

「え……?」

 

 指摘された初めて気付いた。

 ごしごしと眼を拭う。

 未来の言う通り、日向の瞳からは涙が溢れていた。

 

「あ、あれ……? おかしいな。どうして……」

「もしかして、響が戦ってるから……」

「違う、違うんだ……あはは、おかしいな」

 

 涙なんてずいぶんと久し振りに流した。

 何度拭っても、後から後から流れて止まらない。

 ――ああ、そうか。

 拭うのを諦めた頃、ようやく分かった気がする。

 これは涙であって涙ではないんだ。

 これは――無意識に流したこれは、

 

「思い出との決別なんだ、これは」

「日向……」

 

 未来が心配そうに声を掛けるが、日向は気にも留めない。

 このままいけば、響はノイズを殲滅してウェルを拘束できるだろう。

 正直、日向はあの晩の事もあってウェルが嫌いになった。

 ウェルだけが拘束されるなら別に構わない。

 しかし――それでは僕達の作戦に支障をきたす事になる。

 それだけは駄目だ。必要悪となり、世界を敵に回してでも世界を守ろうとするマリアの想いを踏み躙るような事だけは絶対に出来ない。

 優しいマリアがこれ以上汚れないよう――彼女の分まで自分が汚れると決めたのだ。

 なら――ウェルをこのまま拘束されては駄目だ。

 近くに切歌と調の気配はない。

 ならば――僕が動くしかないんだ。

 

「――――」

 

 未来を見つめ返す。

 自分がいなくなった後、きっと未来が響を支え続けてきたのだろう。

 だったら、もう僕がいなくても大丈夫だ。

 

「日向――」

「響ちゃんをこれからもよろしくね。未来ちゃん」

「え――」

 

 もう迷わない。

 日向は口を小さく動かす。唯一聞こえた弓美が驚いたように日向を見た。

 振り返り、視線を響に戻す。

 壁となるノイズは全て消え去っている。

 響は腕部を変形させて構えている。あれを喰らえば、ウェルはひとたまりもないだろう。

 ――させないよ、響ちゃん。

 

「ッ、うぉおおおおっ!!」

 

  ―撃ッ!

 

 足元の地面に拳を叩き付ける。

 それだけではただ地面を抉るだけだ。

 《浸透寸勁》と《畳返し》の要領で地面を通して――

 

「わっ、ととっ、と……っ!?」

 

 いざ飛び出そうとしていた響の足元の地面を崩した。

 突然足場を崩され、バランスも崩す響。尻餅をつくように後ろへ倒れてしまう。

 その時、見えた。

 真横を俯いて通り過ぎる――日向の姿が。

 尻餅をついてから、響は呟く。

 

「……ひゅー君?」

 

 我ながら情けない声だ、と思った。

 日向は一瞬足を止めたが、振り切るように響達に振り返った。

 その顔は――滂沱の涙でぐしゃぐしゃだった。

 

「ばいばい――響ちゃん」

 

 何故、そんな事を言うのだろう。響は理解出来なかった。

 やるせないように微笑み――日向は瞼を閉じて、口を開いた。

 

「Balwisyall fine Nephilim zizzl――」

 

 滔々と静謐な声で紡がれた声。

 それが聖詠だと気付くのに時間は掛からなかった。

 服の胸元から輝きながら飛び出るペンダント。

 光が日向を包み込むのを、響は立ち上がりながら見つめている。

 

「そんな……なんで、どうして……?」

 

 思考が目の前の現実を否定しようとしている。

 だが、真実は現実として瞳に映し出される。

 光から開放された日向の姿――何度か見た全身を鎧で覆い隠した奏者。

 

「どうして、ひゅー君がっ」

「決まってるよ」

 

 ガシャ、と全身鎧を鳴らし、日向は構える。

 

「僕がフィーネの仲間だからさ……!」

「ひゅー君ッ!!」

「さあ、戦おう響ちゃん。僕達は――敵同士なんだからッ!!」



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Fine5 私にとって暖かかった陽だまりⅠ

陽だまりとしての決別を胸に、巨人の拳は吹き荒ぶ。
涙が心を濡らそうと、それでも尚、君の拳は揺らがない。
内に宿す想いに気付かぬまま、滾る熱波が命を焦がす。

Fine5 私にとって暖かかった陽だまり

陽だまりの誓いに、鈴の音は応えるかのように鳴り渡る。
応えが最良であるかどうかは別にして――


「どうして……ひゅー君が……」

 

 呆然と呟く。

 自分の身体から膨大な熱量を発している事にも気付かないほど目の前の光景に気を取られている。目の前を散った木の葉が熱波に当てられ灰も残さず燃え散る。

 その事にウェルが驚きの声を上げるが、誰も反応しない。

 

「この鎧が証拠さ。僕はフィーネの一人。ネフィリムのシンフォギアを纏う――音無日向だ」

「ネフィリム……」

「それに、響ちゃんはウェル博士を捕まえたい。でも、僕はそれを阻止したい。だから――戦おう」

「ま、待ってよ! 確かに私はウェル博士を捕まえたいけど……でも、ひゅー君と戦う必要なんか……!」

「僕はもう後戻りなんか出来ない。響ちゃんも覚悟を決めた方がいい。じゃないと――」

 

 ――君を殺してしまうかもしれない。

 はっきりと言われ、響は息を呑む。日向がどんな顔をしているのか、鎧に阻まれて見えない。

 

「ふ、ふふうふふふ! いいですよ! 早く融合症例を倒して、僕を連れ帰りなよ、You!」

 

 日向が助けに入った瞬間から、ウェルはいつもの調子を取り戻した様子。

 けたけた、と笑いながら日向の肩を叩く。

 

「大方あのおばはんの容態が悪化したから、おっかなびっくりして僕を探しに来たに違いありませーん! 」

「――――」

「さあ! さっさと僕を、せっかく回収してやったネフィリムを――ぉおおうばばああっ!?」

 

 ウェルは最後まで言えなかった。いや、最後は変な口調になったが、別に狂ったわけではない。

 日向が最後まで言わせなかったのだ。裏拳をウェルの顔面に放って。

 軽い一撃だったのにも関わらずウェルは吹っ飛び、数メートル先まで転がった。

 これには響も驚いている。今気付いたが、未来達の姿はなかった。

 

「黙れよ」

 

 自分でも驚くほど冷たい声だった。

 振り返り、地面を転がり痛みに悶えているウェルを見下ろす。

 

「ああ、そうだよ。マムの病状が悪化したから僕も探しに来たんだ。あんたなんか好きで探そうとするかウェル。平気で無関係の人を殺そうとし、聖遺物が必要だからと云って響ちゃんの片腕をネフィリムに喰わせる外道なんかを」

「ッ……、ッ……!」

「……でも、そんな外道でも、僕達の作戦には必要なんだ。だから、助けてやる。そこで悶えながらじっとしていろ」

 

 最後に一度、ゲシと軽く蹴りを入れて日向は響と向き直る。

 振り向いた時――日向の気配が変わっている事に気付いた響。またも息を呑む。

 日向はゆっくりと構えを取った。

 

「それじゃあ響ちゃん――全力でいく」

「ひゅー君ッ!」

 

 もう日向は応えなかった。

 地面を踏み抜き、《闊歩》で響に接近する。

 

「く……ッ!」

 

 ――本当に戦うしか……?

 でも、日向の声音は聞いた事のない本気の口調だった。

 やらなければ――やられる。それだけは紛れもない事実だ。

 伸ばしてくる腕。掌底を手の甲で受け流し、逆の拳でカウンターのように胸を殴打する。

 鉄を打つような音と共に日向は衝撃で後ろに吹っ飛ぶ。だが、ダメージはないのか、体勢を立て直しあっさりと着地する。そのままもう一度突撃。今度は連撃。

 響は守りに入り、日向の拳を受け、躱し、流す。

 

「せっ――らッ!」

「ッ――!」

 

 だけど、いつまでも防御できる訳がない。

 次第に日向の速度が増していき、遂には防いできた腕を払われ、

 

  ―打ッ!

 

 がら空きの腹部に掌底を打ち込まれた。

 ズザザー、と地面を滑り、数メートルで止まる。

 

「ッ――」

「……どうして」

 

 構えを解いて、日向は呟いていた。

 

「どうして、戦わないの?」

「戦え、ないよ。ひゅー君と戦うなんて――出来ないよっ!」

 

 元より同じ人間同士で戦う事を良しとしない響。

 だからこそ自分の身は守れど、攻勢に出る事は出来なかった。

 

「そんな事を言わないでよ。まるで、戦う覚悟を決めた僕が馬鹿じゃないか」

「私達は言葉が通じるんだよ! だったら話し合えば分かり合える事だってっ!」

「それじゃあ駄目なんだ!」

 

  ―疾ッ!

  ―打ッ!

 

 駆け出し、正拳突きを放つ。

 真っ直ぐな拳を響は躱して肩からぶつかり、《鉄山靠》で弾き飛ばす。

 

「いくら話す事が出来ても――想いがすれ違えば、分かり合う事は出来ないんだ!」

「想い……」

「響ちゃんは、どうして戦おうと思った? 誰かに強制されて? 自分から?」

 

 突然の質問に響は構えを解いてしまう。

 日向は攻撃してこない。だから響は素直に答えた。

 

「自分から望んで、だよ。最初は誰かの助けになると思って軽い気持ちで。途中からは人助けだけじゃなく、私が守りたいものを守りたいって決めたから。今は――」

 

 自身の胸に手を当て、眼を閉じる。

 初めは覚悟も想いも中途半端な気持ちで戦場に立つ事を決意した。

 翼や鏡華の想いを知ってからは、奏の代わりとしてではなく立花響として戦場に立った。

 同じ人であるクリスとの戦いを経て――人と戦う時、自分がどうしたいか知った。

 暴走して、鏡華と殺し合いをした時、自分の胸の内には自分でも気付かない想いが潜んでいる事に気付いた。

 ――ああ、そっか。

 ようやく分かった。日向と戦えない理由。隠れて見えなかった自分の想い。

 切歌や調達のように同じ人だから戦えない――わけじゃなかった。

 日向は――自分にとって、大切な人なのだ。未来と同じくらい、“大切な――親友”。

 そして、彼に対する“贖い”のつもりだったのだ。

 それらが無意識にここまで戦う事を拒んでいた。

 

「今は――戦うよ」

 

 纏った時以上に火照る身体で構えを取る。やや前のめりの体勢で、右腕を正面に伸ばし手を握らず掌を日向に向け、左腕は腰に添えるように、しかし手は握り締めずに。

 それを見て日向も構える。両拳を握り締めて、体勢は響と同じように前のめりに。

 見る限り日向も同じ、拳をアームドギアとし武器を扱わない奏者。繋がれる手は握り締められて、繋ぎ合う事を拒んでいる。

 だったら――

 

「そっか。僕の想いは聞かなくても?」

「一先ずは繋ぐ事を拒んでいるひゅー君と繋ぎ合うために、喧嘩し(ぶつかっ)てみるよ」

「なるほど、懐かしいな。それなら僕は――拒むために戦うよ」

 

  ―疾ッ!

 

 消えた――刹那にぶつかり合う響と日向。

 互いの想いを交差させ――いざ尋常に勝負。

 

 

 〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 頭の中で鈴の音が何度も鳴り響く。正直、うるさいと感じてきた。

 それでも意識は響の心配をしつつ、弓美に引っ張られて足を動かし続けていた。

 ここまでずっと引っ張ってくれていたと気付いたのはさっき。それまで驚きでどこをどう走ったのか覚えてないのだ。

 

「ほら早く、未来!」

「あ……でも……響……!」

 

 弓美が急かすように未来の手を引っ張る。

 だけど未来は、響と――日向の事が頭から離れない。

 目の前で変身した日向。それだけであの時の――初めて響が目の前で変身した時の記憶が引き出されるのだ。

 せっかく再会出来たのに――また、あんな悲しい事を繰り返さなければならないのだろうか。

 考えれば考えるほど、足は鉄のように重くなっていく。

 

「ああもう! ほんと、あの音無って奴の言う通りね!」

「日向の……?」

 

 弓美のぼやきに、思わず反応する未来。

 

「あいつ、地面を殴る前にあたしに言ったのよ。『合図したら逃げて。たぶん、未来ちゃんが動かなくなるかもしれないけど』って!」

「日向が……」

「友達が敵なんてアニメみたいだって思ってたけど、敵になっても友達を心配する辺り、王道じゃない」

 

 それに、と弓美は続ける。

 その言葉を引き継いだのは創世。

 

「きっとビッキーが何とかしてくれるよ」

「ですね。立花さんなら大丈夫ですよ」

 

 詩織も同意するように頷く。

 三人から言われて、未来も一度振り向いて、ようやく頷く。

 響と日向の事は心配だ。でも、あの場にいたら邪魔でしかないのだ。

 ほら行くよ、と創世が先導するのに応えながら、未来も足を動かした。

 それでも――

 それでも、頭の中では鈴の音がうるさく喚き続けていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 響がガングニールを纏った事を二課はすでに把握しており、すぐさま全員に出動命令を下し、現場へ急行させていた。

 新曲の準備で出掛けていた鏡華と奏、フィーネの屋敷に戻っていたヴァンとクリスはそれぞれヘリで。歌姫としての仕事をしていた翼はバイクで目的地へ向かっていた。

 

「あの馬鹿...あれほどギアの使用は禁止だって言ったのに...!」

 

 ヘリの中で鏡華が吐き捨てるように呟く。

 

『だが、奴らしいと云えばらしいがな』

「否定はしねぇよ。まったく...あおいさん、状況は?」

『響ちゃんとF.I.S.、聖遺物不明の奏者が交戦中! それ以外に動きはないわ!』

「あいつか...」

 

 正体はオッシア同様不明。

 分かっているのは徒手空拳のエキスパートと鎧のスペックが完全聖遺物クラスだと云う事。

 バックファイアで響がどうなるか分からない状況に奏は舌打ちをかまし、パイロットにもっと早くと言うのだった。

 

 ーーまた、動いているのは二課だけでなかった。

 切歌と調もまた、爆発音に気付き、発生源へと向かっていた。

 マリアとマムもガングニールとネフィリムの反応を感知しヘリで来ているとの事だった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 先に動いたのは日向だった。

 《震脚》で地面を踏み砕く。突撃するのかと思えば、周りの地面が踏み砕いた反動で破片となった地面が浮かび上がる。それを次々と正拳や裏拳で打ち、弾丸の如く響へ撃つ。

 向かってくる石弾を響はジャブや裏拳、飛び上がった回し蹴りで破壊する。最後の石弾を腕部をオーバースライドさせ、石弾の中央を狙って、

 

「うぉお――りゃあっ!」

 

  ―打ッ!

  ―撃ッ!

 

 全力で殴る。即座にオーバースライドしたパーツが弾かれたように元に戻り、インパクトを石弾全体に伝えた。

 衝撃は瞬時に石弾を砕き、散弾の如く日向へ撒き散らす。

 いくら奏者が放ったものだろうと、銃弾より遅い散弾を躱す事は容易い。しかし、日向の後ろにはウェルがいる。躱せば――ウェルに当たる。

 

「喰らえ、ネフィリム――!」

 

  ――喰らえよ巨人、百の腕を持つ者の如く――

 

 歌をやめ、突起を触手へと変えて本能に任せる。

 触手の一本一本が意識を持っているかのように、散弾となった石に喰らいつく。

 全てを触手が噛み砕くと歌を再開。触手は突起に戻り、日向が駆ける。ズグン、と胸を掴むような痛みに鎧の下で顔を顰めた。それでも自分の射程に響を入れ、《鉄山靠》のモーションで肘鉄を仕掛けた。

 一つの鈍器の如く肘鉄を、響はよく鏡華にされているように両拳で挟み込む。それでも止まらない事は分かっていたので、拳を軸にしてひらりと飛び上がり前転。器用に日向の腕で体勢を整え蹴りを放つ。

 だが、腕を掴んでいた手を離したのは下策だった。日向が瞬時に腕を引き抜く。空中に取り残された響の蹴りに向かって拳をカウンターで打ち込んだ。

 

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

 

 逆立ちの姿勢で着地した響はそのまま腕を回し、翼の《逆羅刹》のように回転蹴り。日向は両腕をクロスさせ防ぐ。反撃を受ける前に、響はある程度攻撃すると足にしていた両腕をバネにして距離を置いた。

 日向は追撃せず、右腕を構える。突起が変形すると右腕を覆い、巨大な拳のようになった。

 それを見て響も腕部のパーツを変形させる。どうやって変形するのかはまったく以って不明だがブースターも後部に付いている。脚部のスプリングパーツも展開する。

 

「いっ――けぇぇえええッ!!」

 

  ―疾ッ!

  ―轟ッ!

 

 スプリングパーツで引っ張って、その反動で脚力を向上させ駆ける響。

 

「うおぉぉおおお――ッ!!」

 

  ―砕ッ!

  ―疾ッ!

  ―轟ッ!

 

 日向も《震脚》で地面を砕きながら《瞬動》で駆け、拳を振りかざす。

 刹那に二人の距離は縮み――五秒も掛からず、二人は地面に足を叩き付けて軸とし、

 

  ―撃ッ!

  ―煌ッ!

 

 ぶつかる拳同士。

 拳の間に発生する火花が威力を物語っている。

 

  ―轟ッ!

  ―破ッ!

  ―裂ッ!

 

 凄まじい轟音と共に衝撃が拳撃から漏れ出る。

 周りの地面にヒビが入り、砕け飛ぶ。

 地面と同じように吹き飛ばないように、響と日向は踏ん張りつつ拳を前に突き出すのをやめない。

 

「くぅ――ぅああ――ッ!」

「ッ――ぅらあ――!」

 

 自分が負けるとは微塵も思っていないが、それでも響と日向は左拳を握り締める。響はブースターを付けて、日向は腕部分を肥大化させた。

 火花を撒き散らして拳は振り抜かれ――踏み出すと共に用意していた左腕を解き放つ。

 

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

  ―破ッ!

 

 空気が切り裂かれ、空間が抉れるような錯覚を覚える。

 ぶつかる拳と拳。また拮抗。吹き飛ぶ瓦礫。周りの建物にも衝撃で亀裂が入る。

 たったニ撃だと云うのに、どれだけ凄まじいかを物語っていた。

 そして――永遠のようで刹那の攻防の末、

 

「うぉお――おおお――ッ!!」

 

  ―噴ッ!

 

 腰のブーストも用い――響が拳の鍔迫り合いを制した。

 ニ撃目も振り抜かれ、三撃目がぶつかる前に響が右腕を日向へ打ち込むのが早かった。

 最後の一歩で地面を踏み砕きながら――響は雄叫びをあげながら《発勁》を発動。

 

  ―発ッ!

  ―撃ッ!

 

 直撃を喰らった日向は鎧の下で嘔吐感を感じつつ、両足で踏ん張る。しかし、勢いを殺す事が出来ずに日向は地面を抉りながら滑り、近くの建物に吹き飛んだ。

 

「――か、はぁっ……! はぁっ、はぁっ……」

 

 かつて感じた事のない疲労感に響は荒い息を吐き、その場に膝をつきそうになる。それでも膝をつく事はせず、ふらつく足に無理を言って煙を上げている日向の元へ歩いていく。

 室内まで吹っ飛んだかと思ったが、ちょうど壁が分厚い場所だったのか、日向は上半身だけを建物に減り込ませて凭れるように倒れていた。

 

「は、は……ぐっ、まさか、僕が響ちゃんに負けるなんて、ね……」

 

 鎧は解除され、元の服に戻った日向は口の端から一筋の血を垂らして呟いた。

 

「子供の時から……ひゅー君に、負けた事ないもん」

「これでも、鍛えた方なんだけどな……銃弾を避けられるぐらいには」

「飯食べて映画見て寝るってのが、私の師匠の鍛錬方法なんだけど……」

 

 響の言葉に「何だよ、それ。無茶苦茶だ」とぼやく。

 だけど、その顔はわずかに笑みが浮かんでいた。

 そんな日向に響も笑みを見せて、手を差し伸べる。

 

「私の勝ちだよ、ひゅー君」

「……ああ、今回は僕の負けだ」

 

 まるで肩の荷が下りたように呟く日向。

 もしかして、と思ったが、日向は差し伸ばされた手を掴もうとしない。

 

「ひゅー君」

「その手を戻して響ちゃん。――鋸の餌食になりたくなかったら」

「……? ――ッ!」

 

 最初、日向が何を言っているのか分からなかったが、何かを感じ取った響は手だけではなく自分もその場から引っ込めるように飛び退いた。

 その瞬間、響がいた場所にいくつもの丸鋸が飛来して地面に突き刺さった。

 響が着地すると同時に日向の前に降り立つ奏者二人。

 

「シュルシャガナと」

「イガリマ到着デスっ!」

 

 調と切歌は自分の得物を構えてそう言った。

 日向は「図ったようなご登場だ」と呟き、立ち上がった。演技で倒れていたわけではない。倒れている間に《軟気功》で動ける程度には治癒したのだ。

 

「大丈夫? 日向」

「普段通り動くぐらいはね」

「よかったデス。なら――あいつを半殺しにするデスよ調」

「うん。日向を傷付けたから、当たり前」

「駄目だよ」

 

 意気込む二人。そんな二人の肩を掴む日向。

 え、と振り返る切歌と調が見たのは、初めて見る――日向の笑み。だけど笑みでも、その笑みは怖かった。

 何故、と問い掛けようとした時、呻くような声にまた振り返った。

 見れば、響が胸を抑え苦しそうに膝をついていた。

 

「ッ、ひび……ッ、大丈夫!?」

 

 いち早く日向が駆け寄る。触れようとしたが、まるで響自身が高熱を持っているかのように触れる事は叶わなかった。

 二人は日向が駆け寄る事自体驚きものだった。響とは敵同士。なのに、日向はまるで自分達と――否、自分達以上に親しいように響と接している。

 

「何がどうなってんデスか……」

「……説明は帰ってからしてあげる。だから、二人はウェルを連れてヘリへ」

「そのドクターはどこ?」

「そこに――」

 

 言って吹き飛ばした方へ顔を向ける。しかし、そこにウェルの姿はない。

 どこへ、と視線を切歌と調に戻すと――後ろにウェルが何かを構えて立っていた。

 

「切歌ちゃん! 調ちゃん! 後ろだっ!」

「え――」

 

 気付いた時には、ウェルはにやりと口角を釣り上げ、手に持っていた拳銃のような注射器を切歌と調に向かって――引き金を引いていた。

 プシュッと音がして薬物が投与される。慌てて離れるが薬物はすでに体内に侵入している。

 

「何しやがるデスか!」

「LiNKER……?」

「何故投与したウェル! 効果時間にはまだ余裕があるだろっ!」

 

 日向が吠え叫ぶ。

 ウェルはさっきとは打って変わったようにけたけたと笑う。

 

「だからこその連続投与デスよ! その化物に対抗するには今以上の出力でねじ伏せるしかありません。幸い、日向が手傷を負わせたみたいですが、二人の実力では無理矢理にでも出力を引き上げなければいけませんからね」

「ふざけんな! 何であたし達がお前を助けるためにそんな事を……!」

「私を助けたいんでしょう!? あのおばはんを助けたいんでしょう!? ならYou達、歌っちゃいなよ! やりたい放題歌いたい放題しちゃって、助けたいもん助けちゃいなよッ!!」

「ふっ――ざけやがってッ!」

 

 立ち上がり、ウェルの許まで駆け足気味で近付く。

 狂気の高笑いをあげていたウェルが気付く間もなく日向が意識を痛みを与えて意識を刈り取った。

 しかしLiNKERは投与され、体内洗浄するような技術は三人にはない。ウェルが開発した最新のLiNKERは負荷が小さく体内洗浄も簡単だが、反面、引き上げる速度も早かった。

 早くも現れたLiNKERの効果によってオーバードーズに苦しむ切歌と調を見て、日向は覚悟を決める。

 

「二人共、僕に向かって絶唱を歌うんだ」

「なっ!? 何を馬鹿な事を言ってるデスか!?」

「ガングニールは動けないようだから、向ける必要がない。僕ならダメージを与えずに戻せるから」

「でも……」

「大丈夫、僕が止めてみせる」

 

 気絶したウェルの懐から新たなLiNKERを拝借し自分に投与する。正規の適合者である日向には本来不必要なものだが、倒れないように絶唱を歌うとなるとさらに適合係数を上げなければならないのだ。

 それを見て、調と切歌も覚悟を決めた。互いに頷き合い、眼を閉じて唱を奏でた。

 透き通るような、しかし芯の通った、

 静かに、しかし激しく高ぶるような唱を。

 胸の痛みに苦しんでいた響もその唱に絶句する。

 

「だ、駄目だよ……LiNKER頼りの絶唱は、奏者の身体をボロボロにしちゃうんだ……!」

 

 以前、奏から聞いた事があった。

 二年前のノイズ襲撃の時、もし鏡華が自分を助けなかったら、自分は死んでいただろうと。

 LiNKERは適合係数を上げる代わりに負荷と云う欠点がある。それが限界まで達すると最悪――肉体さえ残らないのだそうだ。もちろん、そんな事が起こるのは適合係数の低さとLiNKERの効果低下時のみだが、今の響は知っていても気付いていない。

 そして――もう一つの唱も響の耳朶を打つ。

 日向も歌っているのだ。静謐なだけどはっきりと聞こえる唱――絶唱を。

 ――ひゅー君まで……!

 死なせたくない。使わせたくない。

 切歌を。調を――日向を。

 苦しみながらも響は立ち上がり、そして――響も歌った。

 

「ッ――! 響ちゃんまで!?」

 

 度は日向が驚きで歌うのをやめてしまう。

 しかし、“日向の”絶唱特性を知らない響が守るために歌うのは当然の事。

 日向がその点を把握出来ていなかった事がこの結果を招いたのだった。

 慌てて唱を再開するが、エネルギーレベルが絶唱発動まで高まらず、それどころか減圧する一方。

 切歌と調の絶唱はもちろん、聖遺物を使わない日向の歌も意味を成さなくなっていた。

 

「セット! ハーモニクス!!」

 

 それはライブ会場で使ったコンビネーションスキル。

 映像を見たナスターシャはそれを《S2CA》と言っていた。

 禍々しい黒いオーラを発しながら、響は腕部のパーツを右腕に纏め――

 

「三人に絶唱は……歌わせないぃぃいいい――ッ!!」

 

  ―煌ッ!

 

 絶唱四人分のエネルギーを束ねたそれを放った。

 日向達に――ではなく、天に向かって。

 虹色の絶唱は天高く舞い上がり――何を壊す事なく、消えるのだった。



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Fine5 私にとって暖かかった陽だまりⅡ

 虹色のエネルギーで出来た竜巻。

 それを未来は離れようと走っている時に見た。

 一言で言い表すことの出来ない、ライブ会場でも見た竜巻。

 だけど、どうしようもない不安を駆り立てられる。

 

  ―鈴ッ!

 

「あっ……? っう……!」

 

 その時、最近よく頭の中で聞こえる鈴の音が一際高く鳴った。

 一度ではなく連続して鳴る音に未来は足を止め、こめかみを抑える。

 一体何が起こっているのか、未来には分からない。だけど、この鈴の音と虹色の竜巻が嫌なイメージを与えるように感じてしまう。

 

「嫌だ……響が遠くに行っちゃいそうで……!」

 

 鈴の音は鳴り止む事なく、まるで警鐘のように鳴り響く。

 このまま逃げたら響とはもう会えなくなりそうで――

 そう思った時には踵を返して、響の許に向かって走り出していた。

 後ろから弓美達が自分に向かって声を掛けるのは聞こえたが、止まっていられなかった。

 弓美達も未来の脚力に追いつく事など出来ず、走っていくのを見ているだけしか出来なかった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 《S2CA》の余波が吹き荒れる中、日向は腕で顔を守りながら響を見ていた。

 自分を含めて四人分の絶唱をその身に引き受けたのだ。絶対に大丈夫なはずがない。

 

「日向! 今の内に撤退するデスよ!」

 

 気絶しているウェルを脇に抱えた切歌が言う。

 だが、日向は答えない。

 調も声を掛ける。

 

「日向!」

「先に撤退してて。僕は彼女の様子を見てから戻るから」

「どうして!? どうしてあいつの様子なんか見る必要があるんデスか!」

 

 わけが分からない、と云った様子で切歌が叫ぶ。

 調も叫んだり、疑問をぶつけたりしていないが、視線は切歌と同じように疑問に感じていた。

 日向にとって立花響はほとんど最近出会ったばかりの人物。何度も戦っていたが、彼女の前で素顔を晒したのは今回が初めてのはず。

 なのに、どうしてここまで響の事を気に掛けるのだろうか。

 フィーネのメンバーとはF.I.S.に連れて来られた時からずっと一緒。付き合いだったらこっちが長いはずにも関わらず、まるで響の方が付き合いがあるような雰囲気。

 訊いてみたかった。

 ――日向にとって、立花響はどう云う存在なのか、と。

 しかし、その質問はここで訊いては駄目な気がした。もし訊いてしまったら、日向が自分達の前からいなくなってしまいそうだったから。

 

「日向。戻ったら、教えてくれる?」

 

 だから、調はそれだけ訊いた。

 

「うん。約束する。ちゃんと戻って、ちゃんと話すよ」

 

 はっきりと宣言する日向。

 それを聞いて、調は安心したように「分かった」と言った。

 日向が迷いなく言ったのなら、それは間違いのない事。

 絶対に帰ってきてくれる。

 

「切ちゃん、行こ」

「でも……」

「大丈夫だよ。日向は約束は守ってくれる」

「……絶対に絶対デスからね! 約束破ったら槍千本デスからね!」

「分かった。すぐに戻る」

 

 それを聞くと、ヘリから垂らされたフックに掴まる切歌と調。

 格納庫に二人が入ると、姿を消す。

 だが、この場を離脱したのではないのだろう。姿だけを消して、バレない高さまで上がっただけ。

 そう云えば、この状況だったらマリアから何か言われそうだったけど、と思ったが、すぐに通信機がなくなっている事に気付いた。響に負けて解除した時に落としたのだろう。

 ――あれ、結構貴重なのにな。

 怒られるイメージしか涌いてこず、苦笑を浮かべて、日向は響に向き直った。

 挙げていた腕はだらりと下がり、表情も俯いてよく見えない。両膝を地面について、もう戦闘は出来ない。

 そして――金色の結晶が胸から飛び出していたのが何より印象的だった。

 にも関わらず――日向は落ち着いていた。

 本来であれば取り乱し、一目散に響に駆け寄っていただろう。

 何故か。日向自身にも分からない。

 もしかしたら、色々あって思考が麻痺しているのか。

 それとも、絶唱ごと響に持っていかれたのだろうか。

 或いは――その両方か。

 ――まあ、別になんだっていいんだけど。

 今からする事を阻害されなければ、それでよかった。

 

「――響ッ!」

 

 と、道路に撒き散っている瓦礫を避けながら未来が戻って来た。

 未来は立っている日向と両膝をついている響を交互に見て、響が負けたと思った。

 近寄ろうとするが、一定の距離まで近付くと響が発している熱気によって阻まれた。

 

「駄目だ、未来ちゃん。近付いちゃ」

「でも、響……響がっ!!」

 

 日向の注意も無視して近付こうとする未来。

 止めようと動こうとしたが、その前に赤い防護服を纏った奏者が未来を止めた。その奏者と自分の間に入るように立つよく戦う星剣の奏者。

 以前、怪我をさせたイチイバルとエクスカリバーの奏者だろう。

 

「すみません……そのまま、彼女を止めといてくれませんか?」

 

 戦い合った仲だが、それでも穏やかな声音で頼む日向。

 エクスカリバーの奏者――ヴァンは何かを察したのか、少し考え込んだがすぐに星剣を収めてくれた。

 一礼して――日向は歌った。

 もう一度――絶唱を。

 今度は誰も邪魔はしない。邪魔など出来ない。

 二課だろうと、フィーネだろうと、奏者だろうと――聖遺物だろうと。

 日向の能力は日向自身の能力だ。聖遺物の力に頼らなくてもある程度の効果は発揮出来る。

 それを、聖遺物を加える事によって効果を最大限まで引き上げる事が出来るよう――日向は“改造を受けた。”

 無論、日向に拒否権などなかった。何も知る前に改造を受けて、肉体(なかみ)を弄くり回された。

 その一つに――“体内に聖遺物で作ったペンダントを埋め込む”なんて実験もあった。

 ペンダントとして埋め込んだ聖遺物の銘は神獣鏡(シェンショウジン)

 聖遺物由来の力を分解、あるべきカタチを映し出す『凶祓い』と日向のエネルギー低下の能力を組み合わせた実験だったらしい。

 結果は――

 

「――――」

 

 日向は響の目の前でしゃがみ、片膝をつく。

 熱波は平等に日向を襲うが、日向は気にも留めない。

 腕が燃える事も厭わずに左腕を響の肩に置き、右腕で響の頬に触れる。

 

「ぅ――ぁ――……?」

 

 わずかに響が反応する。

 光のない瞳が日向を捉えようとしている。

 

「響ちゃん――好きだったよ」

「……ひゅ、う――」

 

 響は日向の名前を最後まで口にする事は出来なかった。

 言い終わる前に日向が唇を塞いだのだ――自身の唇によって。

 響がこのキスをどう感じているかは知らない。日向は眼を閉じているのだから。

 舌を響の口内に侵入させて閉じた口を開く。

 開いた瞬間を逃さず、絶唱を注ぎ込む。

 絶唱のエネルギーが響を傷付ける事はない。だから遠慮なく注ぐ。

 周りで見ている未来や奏者達も驚きで動いていない。

 拳を交えた時のように永遠のようで刹那の時間が過ぎ、日向は唇を離す。

 眼を開ければ、光が戻った眼を見開いて驚愕している響の顔が見えた。だが、何かを言う前に気を失う。

 防護服から制服に戻り倒れる響の身体を優しく抱き留め、ゆっくりと地面に横たえる。

 立ち上がり一歩後ろに下がる。瞬間――、

 

  ―ドクン

 

 胸が――いや、これは体内の聖遺物が鼓動を打った。

 途端に身体中を激痛が襲う。

 

「うぐっ……が、ああ――うぉえ……っ!」

 

 身体が灼けるように痛い。喉が潰れ、眼球が飛び出しそうで、爪が剥がれ、鼓膜が破れそうだ。

 臓器も千切れそうで、血管が破れて血が漏れ出る。感じた時には口から吐瀉物を地面に撒き散らしていた。

 吐瀉物は真っ赤な鮮血で、止まる事なく身体全部の血を吐き出している気分。

 あまりの痛みに涙も流す。拭えば涙も真っ赤だった。

 ――これが血涙、か。

 一度目はLiNKERを使っての絶唱だったので身体も耐えられた。だが、連続発動にLiNKERも意味を成さなかったみたいだ。反動がモロに身体を蝕んでいる。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……ぐ、ぅげっ……うえぇ……っ、う、く、は、は、ははは――」

 

 鮮血をぼたぼたと吐きながら日向はこみ上げてくる笑みを抑えられなかった。

 震える足で踵を返す。逃げようと思ったが、後ろにはツヴァイウィングとそのソングライターが防護服を纏って塞いでいた。

 

「どうやっても逃がさない、ってか……はは……」

 

 シンフォギアを纏う事は出来ない。

 纏えば最後、確実に身体が耐えきれずに壊れるだろう。

 しかし、日向に諦める選択肢はない。

 ちゃんと戻る――調とそう約束したのだ。

 それにセレナとの約束も違えたくない。

 痛みに泣き叫ぶ身体を無理矢理動かし、吹けば飛んでしまう落ち葉のように軽くなっている意識を約束と云う鎖で繋ぎ止め、構えを取る。

 平手を突き出し、握った拳は地面と平行に腰で構える。構えから逃げの構えではないのだが、日向にはこれが一番動きやすかった。

 

「やってみろ。何をしたってこの戦場(いくさば)から逃げ切ってやる――!」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ヴァンは鎧の奏者が日向だとは知らなかった。

 だが、だからと云って日向に刃を向けない、なんて事はなかった。

 クリスに怪我を負わせたのだ。それだけでヴァンの逆鱗には触れてしまっている。

 しかし――目の前の光景にだけは日向に賞賛を贈りたかった。

 日向の響に対する感情は本物だ。フィーネに対する感情もまた然り。敵対する組織に属しながらも行動する姿はヴァンには真似出来ない。

 

「だからと云って、見逃すわけにはいかないんだが」

 

 防護服を解除し、星剣を未来を庇っているクリスに預ける。

 倒れている響に近付き、抱き抱えると未来に渡して日向の前に立つ。

 隣に立つ鏡華。彼も同じ事を考えていたのだろうか。

 日向は女性陣が動かないのを見て、口角を釣り上げる。

 

「生身の、二人掛かりですか? それで僕に、勝てると……?」

「勝てねぇよ。つか、男として負けてるよ」

「俺は負けを認めた覚えはない」

「うっわ、やだねぇ。男の嫉妬って。こいつ、君があまりにも格好よかったから見え張ってるんだぜ?」

「はは……それは嬉しいですね」

「貴様から潰してやろうか? 遠見」

 

 会話だけならばただの雑談にしか聞こえない。しかし、現状は血だらけの日向を二人掛かりで倒そうとしている、卑怯卑劣と呼ばれても仕方ない構図だった。

 

「普通に出会いたかった……ですね。遠見先輩、エインズワース先輩」

「今、ぞくぞくってきたぞ! やめてくれ後輩」

「同意見だ」

「あは、はは……っ」

 

 笑っている途中、目眩がしたようにふらつく日向。

 もうあまり時間は残っていないだろう。

 鏡華とヴァンは笑みを納めて構えた。

 

「悪いが手加減はできねぇ。死人同然だが本気でいかせてもらうぞ」

「その、つもりです」

 

 ヴァンとの決闘のように奏が合図をする事はない。

 合図もなく鏡華とヴァンが駆けた。

 霞む眼では追いきれない。日向は気配だけを頼りに腰で構えた拳を打ち出す。残心を取る事なく跳び上がり蹴りを放つ。

 拳を鏡華は喰らい、ヴァンはギリギリで蹴りを防ぐ。ボロボロのはずなのに日向のスピードはまったく落ちていなかった。むしろ早くなっているようにも感じる。

 とにかく掴んでスピードを殺そうと腕を伸ばすが、日向は蹴りの反動を使って飛び退る。

 正直、生身で戦えば日向に分があるのは戦闘を見る限り明らかだった。それでもなお鏡華とヴァンは聖遺物に頼ろうとはしない。

 頼ったら本当に男として負けてしまう、と思ったのだ。

 

「くっそ、はっえーな」

「まったくだ」

 

 捉えきれず、攻撃を喰らうばかりの鏡華とヴァン。しかし、その打撃や蹴りに威力はない。

 当たり前だ。日向の身体は絶唱の反動でズタズタなのだ。スピードも無理をしているだろうに攻撃に威力が伴うわけがない。

 それに――日向の身体から力が抜けていっている事も眼に見えていた。だからと云って持久戦に持ち込む事なんてするわけがないのだが。

 それでも、次第に速度が落ちていく日向。暫くすればその場に膝をつき動けなくなっていた。

 足元や周りにはおびただしい鮮血が飛び散っている。

 

「もうやめろ、音無日向。これ以上は身体(ボディ)が持たんぞ」

 

 ヴァンも動きを止め、忠告する。

 返ってきたのは――笑顔だった。

 

「誰がやめるかってんですか。約束したんだ、帰るっ、て……」

 

 そう言う日向も限界が来ている事は分かっていた。それでもなお瞳だけは諦めない。

 その瞳も鉛のように重くなった瞼が閉ざそうとしている。

 鏡華とヴァンはすでに構えは解いていた。

 つまり――

 

(ああくそ――ここまでか)

 

 結局、約束は守れそうもなかった。

 自分に下される処分なんてどうでもよかった。どうせ何人も殺した身だ、死刑が相応しいだろう。

 日向が最後まで心配していたのは、

 

(マリア……セレナ――ごめん)

「日向に――近付くなあああぁぁぁぁっ!!」

 

  ―輝ッ!

  ―裂ッ!

 

 朦朧とする意識の中、聞こえた、

 優しい少女(マリア)の事だけ。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「操縦をお願い、マム!」

 

 ナスターシャの声も聞かず、マリアは操縦席から飛び出していた。

 脇目も振らずに通路を通り、格納庫へ急ぐ。

 格納庫には気絶したウェルを放っている切歌と自分の掌を見つめている調だけ。

 

「あ、マリア」

「日向は!?」

 

 叫びながら詰め寄る。

 切歌もマリアの心配が分かっているのか、取り乱したマリアに「落ち着くデス、マリア」と言ってから答えた。

 

「日向は残ったデス」

「どうして!?」

「あいつの――融合症例の様子を見てから戻ってくるって」

 

 調も答える。

 まただ。どうして日向は立花響の事となると打って変わるのだろうか。

 わけが分からずにいると、突如、ヘリが揺れた。

 ナスターシャが操縦を誤ったわけじゃない。この揺れは下からの衝撃だと分かった。

 近くのモニターを操作して、映像を見れるようにする。

 ノイズが混じって映し出されたモニターには、

 

「…………え?」

 

 日向が立花響とキスをしているのが映し出されていた。

 立花響が日向にキスをしているのかと思ったが、日向が立花響にキスをしていた。

 ――何で? 何で日向があの子とキスを……? 一目惚れ? いやいや日向は意外と鈍感なんだ、そんな事あり得ない。そう、あり得ないはずなのよ。え、でもキスしてるわよね? キス……接吻……口づけ、ちゅー……あれ? そもそもキスって? 唇と唇を重ねる事……うん、そうよね。そんな事忘れるわけないわよね。挨拶としても使われるんだからキスぐらい――でもそれって祖国だけの話。いや、私、祖国がどこかなんて知らないんだけど。ここは日本、JAPAN。日本にキスで挨拶する習慣なんて、そもそもこんな時に挨拶する必要が……? つまり、あれ? 何がどうで――

 

「――マリアッ!」

「ッ――!?」

 

 切歌の声に我に返るマリア。

 あまりの衝撃に思考が遥か彼方までぶっ飛んでいたようだ。

 

「マリア、何で泣いてるの?」

「え……?」

 

 言われて、頬に手を当てる。冷たかった。手を見れば濡れていた。

 最初は何で泣いてるか分からなかった。次第に――ああ、と納得する。

 ――私、嫉妬しているのか。

 日向が立花響とキスをしている事に。日向にキスされた立花響に。

 モニターを見る。

 日向は血反吐と血涙を流してなお立ち上がって構えを取っていた。

 もしかして、さっきのキスの前後に絶唱を発動したのだろうか。いや、そうとしか考えられない。

 立ち上がる事さえ困難なのに、震える足で立ち、二課の奏者達と敵対しアヴァロンとエクスカリバーの奏者と戦っている。

 彼はまだ――自分達の仲間なんだと気付いた。

 

「マリア? ――どこ行く気デスか、マリア!?」

「マリアッ!」

 

 気付いた時にはヘリから飛び降りていた。

 切歌と調の声は飛び降りた後で耳朶を打ったが、戻って聞き直す術はない。

 聖詠を歌い、ガングニールを身に纏う。腕部のパーツを合わせ槍を形成する。

 浮遊感と向かい風を感じながら、一直線に空を翔け降りる。

 数秒後、日向と二課の奏者が見えてガングニールを振りかざし、

 

「日向に――近付くなぁぁァアアアアッ!!」

 

 叩き付けるように投擲した。

 落下の速度も加え音速を超えた槍は一閃となって空気を切り裂き、地面に突き刺さる。

 マリアも遅れて着地し、倒れそうになる日向を片手で脇に抱える。

 爆風に紛れて相手からは見えていないはず。

 マントを二つに分け、遠見鏡華とエインズワースに向かって鞭のように突き立てた。肉を斬る感触はなかったが吹き飛ばした感じはあった。

 地面に突き刺さった槍を抜き、爆風が晴れないまま頭上へ矛先を突き立て球状のエネルギーを放つ。一定の高さまで飛ぶとそこで止まり、

 

「弾けろぉっ!!」

 

  ――FALL†SULPHUR――

 

  ―輝ッ!

 

 弾け、雨の如く降り注がれた。

 マリアだけは弾ける前にエネルギー球よりも高く飛び、ガングニールを使ってヘリに戻った。

 

「マリア! 日向!」

 

 切歌と調が駆け寄ってくる。

 マリアは脇に抱えた日向を抱き抱えるように持ち帰る。

 

「日向! 日向! 日向、返事をしてちょうだい!」

 

 ガクガクと日向の肩を掴んで揺さぶるマリア。

 普通、思いっきり揺さぶられれば、怪我が悪化するだろう。

 しかし、誰も止めようとしない。切歌も調もマリアが当然の事をしていると思って、自分達も起こそうと頬を張ったりお腹をぽんぽん叩いていた。――怪我を悪化させるだけだと云うのに。

 

「……い、痛い……やめ、て……」

「日向っ!」

「やめて……揺らさないで……後、お腹叩かないで……吐きそう――」

 

 顔を歪め――と云うより悪夢に魘されてる感じに歪め、日向はどうにかこうにか言葉を紡いでいく。

 薄目を開け、ぼやけた視界で三人の姿を確認し、眼に刺さる光が人工の物であると確認。今いるのがヘリなのだと分かるともう一度眼を瞑る。

 

「日向!?」

「大丈夫、だから……お願い、だから、叫ばないで……もの、すごく響く……」

「あ……ごめんなさい」

「僕も、ごめん……手間を掛けさせちゃって……」

「そんな事――!」

 

 あんな事、手間だなんて感じるわけがない。

 そう言うと、掠れた喉で笑う。

 

「すぐにドクターを起こして――」

「《外気功》と《軟気功》はもうやってるから、僕よりもマムの治療を優先して……」

「日向の方がずっと重傷」

「じゃあ調ちゃんに、問題……僕とマムの体力は、どっちが上……?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる調。

 答えなど最初から出ている。日向だ。

 調は答えなかったが、沈黙を答えとして日向は「正解」と言って血だらけの手で調の頭を撫でた。

 

「流石に、絶唱二連発は初めてだったから、予想は出来てなかったけど、思ったより大した事なかった……」

「た、大した事あるデスよ! あんなに血を……」

「血はね……とにかく、もう休むよ……オッシアさんが帰ってきたら、説明はお願い」

 

 ふぅ、と息をつく。

 そして、「ああ、最後に一つだけ」と言って、

 

「ウェルが起きたら、代わりに誰か殴っといて」

 

 ――殴り足りないから。

 そう言って意識を手放した。



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Fine5 私にとって暖かかった陽だまりⅢ

 眼を覚ました響に弦十郎が見せたのは、自分の身体のレントゲン写真みたいなものだった。

 そこに映し出された身体には赤い線が何本も書かれていた。

 

「体内にあるガングニールがさらなる侵食と増殖を果たした結果、新たな臓器を形成している。これが響君の爆発力の源であり命を蝕んでいる原因だ」

 

 以前鏡華から聞いた情報よりも新しい情報を見せられ、響は思わず笑っていた。

 本来、驚いたり恐怖したりするのが普通だろう。だけど響は笑った。

 無意識に響は笑ってしまった。

 そこに過去の出来事が未だ根強く残っているのだろう、と鏡華は思った。

 もしかすれば、響は誰かのためになら一生懸命になれるが、自分の事となると後回しにしてしまうのだろうか。

 

「な〜るほど。遠見先生があれほど強く言っていたのはこう云う事だったんですね。あはは、あははは」

「いい加減にしろ! こう云う事? 笑って事態を軽く見ようとするなっ!」

 

 ドン、とベッドを叩き翼が怒鳴りながら響に詰め寄る。

 

「へらへらと笑っている場合か!? このままでは死ぬんだぞっ! 立花ッ!!」

「ッ――」

 

 本気で翼は怒った。瞳に涙を溜めて怒る。

 響の笑いが気に障ったからではない。

 響が大切だからこそ怒ったのだ。

 面倒くさくて、不器用で泣き虫。

 だけど、後輩思いの良き先輩だった。

 響も翼の思いが伝わったのか、笑みを消した。

 

「そんくらいにしときな! このバカだって分かってやっているんだ」

 

 そんな二人の間に立って仲裁に入るクリス。

 離された翼は涙がこぼれる前に病室を出て行く。鏡華と奏は響に一言言ってそれを追い掛けるように出て行った。

 

「大丈夫さ。了子君の遺したデータもある。響君はしっかりと休んでおけ」

「師匠……」

 

 ぽん、と撫でるように頭に手を乗せた弦十郎も優しく言う。

 クリスと弦十郎も部屋を出て行く。

 全員が自分を心配してくれている事はうれしかった。

 だけど、自分が今考えているのはガングニールの事ではない。

 考えていたのは――

 

「……ひゅー君」

「やはり、音無日向の事で悩んでたみたいだな」

「はい――わひゃあ!?」

 

 突然の声に思わず返答してしまったが、すぐに驚き素っ頓狂な声を上げてしまう。

 死角にいたわけでもないのにヴァンの気配を感じなかった。喋るまでまったく気付かなかった。

 

「ゔぁ、ヴァンさん!? い、いつからそこに!?」

「最初からだ」

「気付きませんでしたけど!?」

「そりゃあ、気付かないように隠形もどき(インヴィジビリティ)で気配を消していたからな。知ってるか? 父から習ったの隠形。緒川慎二も驚きの気配遮断の技術だ」

「言ってる事、英語で全然分かりません!」

 

 正直な所、響は決して成績が良い方ではない。

 ヴァンが使う単語は習う範囲外の英語だったので、響には何を言っているのかちんぷんかんぷんだった。

 くくく、とヴァンは喉の奥で笑う。

 

「話を戻すが――音無日向の何に悩んでいたんだ?」

「…………」

「最後のキスの意味、か?」

「――……本当にヴァンさんってすごい。エスパーになれるんじゃないですか?」

「お前が顔に出しやすい表情だから読み取れたんだ」

「あはは、私ってそこまで顔に出るかな?」

「実際出てる」

 

 ヴァンに断言され、響はまた笑う。

 笑いを収めると、唇に手を当てて呟いた。

 

「何で、ひゅー君は私にキスなんかしたんだろ」

「好きだからだろ」

「うーん……キスする直前、そんな事を言ってた気がするんだけど、でも、あの状況でキスします? 普通。私だって、大好きな未来とおやすみやおはようのキスぐらいならするけど……」

「お前と小日向未来の行き過ぎた愛については遠見を交えて今度話すとして――それが理由だろ」

「え?」

「え?」

 

 響が驚く。思わずヴァンも驚いてしまった。

 ――もしかして、気付いていないのか?

 まさか、と思ったが、響の表情から見るにそのまさかだろう。

 

「好きだからキスするのは当たり前ですよね?」

「……お前は小日向未来以外にキスをした事があるのか?」

「えーっと……クリスちゃんにしようと思ったんだけど、おっぱいしか揉めませんでした!」

分かった(オーケー)。その話は後でじっくりと聞かせてもらおうか」

「まさかの地雷踏んだ!?」

 

 肩を掴まれ、万力のように力を籠めて笑うヴァンに、思わず響は叫ぶ。

 ふぅ、と響の鈍感さに呆れて溜め息を漏らす。肩を掴んでいた手を離す。

 

「はぁ……立花。お前、かなりぶっ飛んだ思考を持っているな」

「ぶ、ぶっ飛んでますか?」

「ああ。海外ならキスを挨拶とする国は何カ国も存在する。だが、ここ日本は別だ。日本のキスってのは本当に好きな奴にしかしないはずだ。それこそ男女関係の男女がするぐらいのはずだ」

「えっと……つまり?」

「鈍いにも程があるぞ――音無日向は立花響を異性として好きだと云う事だろう」

「――――」

 

 ヴァンが言った言葉に響は言葉を失った。

 それからたっぷり数十秒掛けて言葉の意味を噛み砕いていき理解出来ると、

 

「…………え?」

 

 思考がまた停止した。

 ヴァンはもう一回溜め息を吐きたくなった。

 同情したくなったのだ、日向に。

 

「ま、まっさかぁ! ひゅー君が、その、私の事を? いやいやいや、ありえませんって!」

「ありえない。そう言い切れるのか?」

「それは……言い切れは出来ないけど、だって、ひゅー君とは何年も会ってないんですよ? 何か理由があってキスしたのかもしれないし……」

「その可能性は否定出来ないな」

 

 そう呟いたヴァンは携帯端末を取り出し、どこかへ電話を掛ける。

 

「ああ、俺だ。仕事中すまないが今いいか? ……すまない。早速だが今から言う病室のモニターに侵入してくれ」

 

 素早く病室の番号を告げるヴァン。

 数秒後にはブン、と弦十郎が消したモニターに電源が入った。

 

「ん、入ったな。じゃあさっきコピーしたデータを映してくれ。ああ、一番新しい過去データも並べてほしい」

「あの、ヴァンさん。さっきから誰と――」

 

 ――話しているんですか?

 そう聞こうとしたが、その前にモニターに画像が送られてきた。

 画像はさっきも見た、自分の身体の画像だった。もう一枚も自分の身体のだ。しかし、新しい方には身体を蝕んでいると云うガングニールを示す赤い線が少なかった。

 

「ヴァンさん、これは……?」

「風鳴弦十郎は隠していたが、さっきも見たのは昨日の時点の浸食状況。そしてこっちが――戦闘後の浸食状況だ」

「え? でも……これは……」

 

 どう見ても、浸食が後退――と云うか巻き戻っているような気がする。

 響の表情を見て察したのか、ヴァンは「助かった。もう消してくれて構わない。今度、何か奢る」と言って通話を切った。モニターに映っていた画像も消える。

 

「見てもらっても分かるが、今現在、お前の浸食状況は“少し前の状態まで戻っているんだ”」

「でも、どうしてそんな事が……」

「分からない。仮説だけなら――音無日向の絶唱だろう」

 

 聞けば、響が《S2CA》を放った後、日向はもう一度絶唱を歌ったようで、歌い終わると響にキスをして、その後に絶唱の反動を受けたようである。

 

「奴の絶唱特性が何なのかは知らないが、そのおかげで立花の浸食状況はわずかばかり巻き戻されたんだろうな」

「じゃあ――」

「ギアを纏える、なんて事はさせないぞ」

 

 出端を挫かれ、うっ、と呻く響。

 何のために風鳴弦十郎が隠したんだ、とヴァンはジト眼で響を見やる。

 

「いいか? 巻き戻された、と云う事は治ったわけじゃない。少しだけ時間が先延ばしになっただけだ。それを忘れるなよ、立花」

「……はい」

「まあ、お小言とやらは後にして――この絶唱を立花限定に放つためにキスしたと云う可能性も否めない」

「そ、そうですよ。きっと、ひゅー君は私を助けるためだけにキスしたんだと思います!」

「それが、お前の考えか?」

 

 正面からヴァンに見つめられて問われ、響は同じく正面から見つめ――眼を逸らした。

 はぁ、と溜め息を吐いてヴァンも視線を外した。

 ――これ以上は自分で考えるのがいいだろうな。

 

「話は終わりだ。俺も戻る」

「あ、はい」

 

 そう言って病室を出て行く。

 出る直前、ヴァンは立ち止まり、

 

「ただな、立花。誰かのためはいいが、自分の事も考えろ。じゃないと――信頼した俺が馬鹿だからな」

 

 わずかに口だけを響に見えるように響の方を見て言った。

 それだけ言うと今度こそ病室を出て行く。

 見送った響は笑顔から反転、また暗い表情を浮かべた。

 無意識に指先で唇に触れる。

 生まれて初めて未来以外と、それも異性としたキス。

 大した事じゃないと思ってたのに――やけに色濃く感覚が唇に残っていた。

 それからふと思い出した。

 未来や詩織が持っている漫画や小説には初めてのキスは甘いと書いてあった。

 だけど実際は――鉄のような血の味だった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「待てよおい、翼ッ!」

 

 病室を出て行き、早足で歩く翼を追い掛ける鏡華と奏。

 翼は暫くの間鏡華の言葉に耳を貸さずに歩いていたが、回り込むように鏡華が前に立つと、ドンッと鏡華の胸を殴りつけた。

 

「うっ」

「涙など……剣には不要だ……!」

「痛いよ翼……」

「なのに、どうして溢れて止まらない。教えてくれ、鏡華ッ!」

「……翼」

「今の私は、仲間を守るなんて相応しくないと云う事か!?」

「そんな訳ないだろ」

 

 殴りつけた事を怒らず、そっと腕を回し抱き締める。

 

「涙が止まらないのは、立花を本気で心配してるからだろ。別に誰も翼を咎める事はしない」

「だけどっ」

「たーっく。相変わらず翼は泣き虫だなぁ」

 

 後ろから奏は仕方ないように呟く。呟いて、翼を挟むように抱き締める。

 鏡華はわずかに静かに離れた。それでも手は翼の髪を梳いてやる。

 

「でも、それが翼の良い所だ。仲間のために泣けるってのは特にな」

「奏……」

「夢の中で話したよな。誰かの命の価値は他の人が決めるって。今、翼が泣いたから響の命はすごく大切な価値になったんだ。翼のおかげでな」

 

 翼の涙は思い遣りで出来てるんだきっと、と奏は言った。

 奏の顔が見れないまま、翼は流れる涙に触れる。

 自分の涙にそんな思いがあるとは思えない。奏の勝手な考えだと思った。だけど、言われただけでそう思えてくる自分もいる事に気付いた。

 やっぱり、奏はすごい。少しの言葉で自分達を安心させてくれる。

 だから私は――

 ふと、そこで言葉が途切れた。

 私は、何だ? どうしてかそこから言葉が出てこない。

 喉元まであるのは分かっているのに、いざ言葉にしようとするとするりと逃げてしまう。

 

「翼? どうした?」

 

 覗き込んでくる鏡華の顔を見て、翼は「何でもない」と答えた。

 涙を拭い取る。今度はちゃんと拭い取れた。

 

「ここにいたんですね。翼さん、奏さん」

 

 その時、後ろから声が掛かった。

 振り向かなくても分かる。緒川だ。

 

「どうしましたか? 緒川さん」

「そろそろインタビューに行く時間ですが……」

「おっ、そういやそうだったな。んじゃ、あたしら二人で行ってくるから、緒川さんはゆっくりしてなよ」

「ですが――」

「いいからいいから。ほら、行くぞ、翼っ!」

「う、うん!」

 

 奏に引っ張られるように付いて行く翼。

 その場には鏡華と緒川が残された。

 

「大変ですね、鏡華君」

「慣れましたよ。翼の泣き虫は今に始まったわけじゃないですし」

「鏡華君も十分泣き虫でしたけどね」

「ははは――その記憶、抹消してくれません?」

「無理です」

 

 笑顔で即答され、鏡華も「ですよねー」と返すしかなかった。

 物理的に記憶を消したかったが、相手は今を生きる忍。到底叶うはずがない。逆に返り討ちに遭うだけだ。

 

「それより緒川さん。あれから二日ですけど、音無日向に関する情報は集まりました?」

「公式な事ならある程度は。見ますか?」

「見ます」

 

 緒川は懐からメモリを取り出して、鏡華に渡す。受け取った鏡華はPC端末にメモリを接続して中身を見る。

 

「音無日向。出身は響さん、未来さんと同じで現在十五歳。八年程前に突如、蒸発。警察にも届けが出されていました。昨年、失踪期間が過ぎて戸籍法上で認定死亡が確定しました」

「ええと……認定死亡、っと」

 

 意味が分からなかったので、ネットに繋いで意味を調べる鏡華。

 簡単に調べると、あれ、と首を傾げる。

 

「緒川さん、今のはおかしくないっスか? 失踪期間はどっちかって言うと失踪宣告の制度に分類されてて、認定死亡は類似の制度だって書いてあるんだけど」

「ええ。失踪宣告は家庭裁判の宣告が必要ですが、今回の場合、少々事情が込み入っていたようです」

「……? 続きをお願いします」

「失踪期間中に母親が自殺したそうです」

 

 思わず鏡華は息を呑む。

 緒川は分かっていても話を続けた。

 

「音無家は父親がすでに事故で他界しており、母子家庭だったようです。母親は行方不明になって暫くは気丈に待ち続けていたそうですが……」

「……緒川さん?」

「これは内密にお願いします。彼の母親が自殺したのは――二年前、響さんが退院した直後です」

「――ッ」

「災害に巻き込まれ奇跡的に生還した響さんの話を聞いて、今まで張りつめてきた糸が切れてしまったのでしょう。そのまま――」

 

 何と言っていいか分からず、鏡華はネットを見直した。

 確かに失踪宣告を成すためには利害関係人(恐らく親族だろう)の請求が必要と書いてある。しかし、その利害関係人がいなくなったら誰がそれを請求するのか。――答えは誰も請求出来ない。行方不明として警察に届けを出している以上、検察官が請求するんだと思ったが、どうやら検察官に請求権はないらしい。今回の場合、父方の祖父母が失踪期間を過ぎた途端に検察官に丸投げしてしまったため、認定死亡とされたようだ。

 

「この事を立花は……」

「たぶん、知っているでしょう。でも――」

「分かってます。あいつが言わない限り、公言したりしない。緒川さんもそのようにお願いします」

「分かりました。じゃあ、その記録はこちらで破棄しておきます」

 

 鏡華は頷くとメモリを抜いて緒川に渡す。

 

「それじゃあ、俺はリディアンに戻ります。お疲れの申し訳ないんですけど、今日一日、立花の話し相手になってもらえますか?」

「ええ、それぐらいならいくらでもいいですよ。鏡花君は未来さんのケアの方、お願いします」

「出来る限りやってみますよ」

 

 んじゃ、と後ろ手を振りながら背を向けて歩いていく。

 緒川はメモリを懐にしまい、まずは弦十郎の許へ報告をしに行くのだった。



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Fine5 私にとって暖かかった陽だまりⅣ

 戻ってきたオッシアは目の前の光景に、溜め息をたっぷりと吐きたくなった。

 事情を切歌と調から聞いて、もう一度溜め息を吐いた。

 

「どうしてこう面倒事ばかり起こすんだ、お前達は」

「オッシア、オッシア」

「あん?」

「作ってくれたご飯、汁だけになったデス」

「また作って」

「お前らは飯の方が大切なのな」

 

 んなもん後だ、とバッサリ断ち切る。まあ、この二人がこの調子と云う事は心配ない、と云う事で間違いないのだろう。

 それでも、一番まともなマリアに二人の様子を聞いた。

 

「マムはドクターの治療もあって危険は脱したわ。日向はドクターの治療と《外気功》、《軟気功》で治療しているけど……少なくとも一週間は動けないみたい」

「はぁ……それで、こいつが完治するまでは待機と?」

「そうなるわね」

「馬鹿だろ。止めなかった方もだが、絶唱をニ連続で放つとか馬鹿の極みか?」

 

 よく一週間動かないだけで済んだな、と心底呆れた様子で呟くオッシア。

 

「日向の絶唱は特別なの。聖遺物を頼らずに一定のエネルギーレベルを歌だけで維持出来るし、何より日向の絶唱は絶唱であって絶唱じゃないわ」

「聖遺物を使わないだけで絶唱かどうか疑わしいが……絶唱であって絶唱でないとはどう云う意味だ?」

「オッシアの言う通り、日向の歌は絶唱じゃない。だけど、他に納得出来る言葉がないのよ。日向の絶唱は聖遺物のエネルギーを下げる防御型の歌。けど、それは聖遺物の力じゃない――日向自身の力なのよ」

「あいつ自身……聖遺物を抑える人間、いや、記録を見る限り“聖遺物の力を殺す人間”か。ははっ、いや面白いな。音無くして英雄の武具、伝説の化物、神の神具を抑え付ける人間なんかが世の中にいたんだな」

 

 ははは、と高笑いを上げるオッシア。

 その喉辺りに突如、包丁の切っ先が突き付けられる。マリアが鋭い眼光で睨んでいた。

 最後に一笑いすると、両手を挙げて笑みを消す。これぐらい何ともないが、無駄な争いをする気は毛頭ない。

 

「次、日向の事で笑ったら、確実に刺すわよ」

「おお怖い。次から気を付ける」

「まったく……それより、聖遺物の力を殺すってどう云う事?」

「さてな。そこら辺は自分で考えな」

 

 投げ遣りに答えると、部屋を出て行く。

 扉が閉まる間際、「飯作る」と聞こえたので昼食の準備をしてくれるのだろう。

 ただ――食材がまだ残ってたかは微妙だ。

 案の定、すぐにオッシアが戻ってきて、

 

「食材を買いに行くぞ。誰か荷物持ちで付いて来い」

 

 と面倒くさそうに言うのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 食事が食べられない事に絶望したような表情で、荷物持ちに挙手した切歌と調を連れて、オッシアが買い物に出るのを見送ってから、マリアは日向の眠っている部屋に来ていた。ナスターシャの方に行こうと思っていたのだが、ウェルが最終チェックをしていたので入るのをやめたのだ。

 あれから二日が経過した。日向は一日の大半を寝て過ごし、身体の回復に努めている。そのおかげか予想以上の回復速度を見せ、予定よりも早く完治出来そうみたいだ。

 今は静かな寝息を立てて寝ている。

 マリアはベッドの横に膝立ちし、日向の顔を覗き込む。とても柔らかい表情だ。

 

「楽しい夢でも見てるのかしら」

 

 ベッドに頬杖をついて、日向の頬を指でつんつん突いてみる。くすぐったいのか眠ったままふにゅ、と鳴き声に似た声をあげ、マリアは思わず頬を緩めていた。

 つんつん、と眠りを妨げない程度に突つき続けていると、わずかに頭が動き指が唇に触れた。

 

「ッ――!」

 

 熱を帯びた物を触れたように反射的に手を引っ込める。一瞬だけの触れ合いなのに熱が奪われる気がした。

 もう一度触れたくて手を伸ばす。だけど途中で手を下ろした。

 触れたい。だけど、手で触れるのではない。

 恐る、恐る恐る――日向の顔を覗き込む。顔を下ろしていく。

 鼻先が触れるか触れないかのところで理性がブレーキを掛ける。

 ――何をしているの私はっ。

 そんな事自問しなくても答えはすでに出ていた。

 キス――しようとしているのだ。

 相手が寝ている最中にするなんて、と云う思考はマリアの頭の中にはなかった。心臓が早鐘のようにガンガン鳴り響いてそんな事を考える暇を与えてくれなかった。

 肌は身体の内から発する熱で乾き、喉は水分を欲している。だけどここには飲める物はなかった。

 

「――ん――ぅん」

 

 止める事は出来なかった。ナスターシャは治療を受けウェルは治療をしている。切歌と調はオッシアと買い物に出ている。止めようとする人もいなかった。

 だから――マリアは止まらなかった。

 触れるだけのキス。すぐに離れて、だけど離れたくなくてまた触れて。

 啄むキスを何回か続けてから、深く唇を重ねる。

 続けていると、自分のしている事が悲しくて泣けてきた。何故、自分はこそこそとまるで人の彼氏にキスするようにしているのだろうか。あの子は日向からしたのに自分は奪うように――

 数十秒のキスの後、唇を離して嗚咽を漏らす。

 

「ん――ッ、ぅ、ぅうっ……ぅくっ……!」

「――なんで、泣いてるの?」

 

 涙が止まらない瞼を開け、近距離で眼を覚ました日向と見つめ合う。

 こぼれる涙が頬を伝い、日向の頬に落ちる。

 

「……ひゅう、が……」

「マリア……どうして泣いて――んっ」

 

 最後まで言わせず、マリアは日向の唇を奪った。

 

「――どうして?」

「…………」

「どうして、日向はあの子を気に掛けるの? どうしてキスをしたの? どうして? どう、して……」

「マリア……」

「答えて……分からないのよ、もう。何が大切なのか、覚悟なのか、何もかも……」

「――――」

 

 少女のように嗚咽を漏らし涙を流すマリア。

 日向は頬を伝う涙を気にする事なく腕を伸ばし、マリアの後頭部を押して――唇を、今度は日向から奪った。

 眼を見開いたマリア。だけどすぐに閉じて、キスに没頭する。

 

「僕と融合症例――響ちゃんとは幼馴染みだった」

 

 唇を離して、至近距離で見つめながら日向はそう話し始めた。

 

「もう一人、友達と一緒に遊んで育った。囚われていた時の僕やマリア、セレナのように」

「…………」

「初恋だった。まだ、小さな子供で恋なんか知らない歳だったけど、間違いなく僕は響ちゃんに恋をしていた」

 

 初恋、と云う単語に胸が締め付けられる。

 日向はマリアの表情で分かっても話を続けた。

 

「連れてこられて暫くは響ちゃん達との思い出を拠り所として耐えてきた。――だけど、それを壊したのがセレナだった」

 

 ――思い出に縋ってないで、新しい思い出を作らない?――

 ――嫌って言っても、無理に作るけど――

 

 口調は穏やかなものだったが、言ってる事は無理矢理だった。

 手を払う暇さえなく引っ張られ、日向は閉じこもっていた世界を飛び出した。

 それからはマリアも知っている通りだった。セレナが日向を部屋から引っ張り出しては何かをする毎日。落ち込んでいたりしても慰める事なく前へと突き進む。

 

「セレナが僕に新しい思い出をくれた。記憶を失ってからはマリアが思い出をくれた。切歌ちゃんや調ちゃん、マムも思い出をくれた。楽しい思い出も、苦しい思い出も、全部」

 

 ――全部、響ちゃんとの思い出と同じくらい大切な思い出だ。

 胸に手を当て、自分に向けるように呟いた日向は起き上がる。

 まだ本調子ではないのか緩慢な動きを、マリアが支える。

 

「僕は響ちゃんが好きだ。だけど、セレナやマリアも好きなんだ」

「――――」

 

 あっさり告白されて、マリアは言葉を失う。

 そんなマリアの顔を見て、日向は苦笑を浮かべた。

 

「ごめんね、はっきりしなくて。でも、僕達の戦いに私情を一切挟むつもりはないし、いつかは誰かを選ぶ。それまで、待っててくれるかな?」

「それは……あの子を選ぶ可能性もあるって云う事?」

「可能性としては、ね。まだ決められないけど」

「そう……じゃあ、待つわ。日向が答えを出す日を」

 

 本当だったら自分を選んでほしい、と言いたかった。

 だけど、これはマリアだけの問題ではない。

 もし、日向がF.I.S.に連れてこられなければ、日向は立花響をずっと好きでいられたのだ。

 根本的な原因や責任はフィーネや米国政府にある。だが、好きになった自分にも責任はあると思う。

 だから、マリアは待つしか答える事は出来なかった。

 そして、その日を迎えるためには――

 

「日向。これまでの事を通して分かった気がする」

「何を?」

「私の覚悟の甘さ、決意の軽さを。その結末がもたらすものを」

 

 覚悟がないばかりに組織を危険に晒した。

 決意が足りないばかりに仲間に頼り切っていた。

 その果てに――何が待っているのか、ようやく分かった。

 

「だからね、日向。私は――」

 

 もう迷わない事を告げようとした。

 だけど、その言葉は日向の指によって塞がれてしまった。

 首を横に振る日向。

 

「もういい、もういいんだよマリア」

「なんで――」

「もう、マリアに“フィーネを演じてもらう必要はない”んだ」

 

 日向の言った言葉に、マリアは今度こそ絶句し驚愕した。

 

「ッ――、知って、たの? マムとしか話した事がなかったのに……どうして……」

「勘、かな。マリアを何年も見てきた僕の」

 

 マリアとの付き合いは切歌と調の方が長いが、切歌と調が一番見ていたのは互いーーつまり、調と切歌なのだ。だが、日向はずっとマリアとセレナを見てきた。だから、マリアの事ならばある程度理解出来た。

 フィーネの件だってそうだ。マリアの中でフィーネが覚醒したとはナスターシャから聞いたが、その頃からマリアの様子が少しだけ変わっていた。フィーネに覚醒したためか、と思ったが、見ていれば苦悩している表情だったのだ。

 

「だから早い段階で仮説を立てていたんだ。マリアはフィーネに覚醒してないんじゃないか、ってね」

「――――」

「はっきりと確信したのは、記憶を取り戻した頃かな。記憶を失ってから得たマリアの表情と取り戻した記憶にあったマリアの表情。それが決定打」

「ふ、ふ……相変わらず、変な所は鋭いわね」

 

 泣き笑いを浮かべ、マリアは認めていた。

 

「そう、私はフィーネなんかじゃない。フィーネの魂を宿す事の出来なかった、ただのマリア・カデンツァヴナ・イヴ」

「やっぱり……よかった」

「よかった? どこがっ!? フィーネの魂は誰にも宿らなかったのよ! これまで私達が動けたのはフィーネの観測記録が残ってたから! でも、月の落下を止める手立ては分からないまま! このままじゃ世界は――!」

「まだ時間はある。だからこそ僕達が動いてるんじゃないか。無辜の人達を助けるために」

「どうやって? あの奏者三人でさえ月の欠片を止めるだけで精一杯だったのに、偽物の奏者である私達がどうやってっ!?」

「さあ?」

 

 とぼけるように肩を竦める日向。

 さっきの感情はどこへやら、頭に血が昇ってくるのを感じるマリア。

 

「さあ、って、ふざけてるの!?」

「ふざけてないよ。本当に分からないんだから、そう言うしかないんだ。だけど、方法は必ずあるはずさ。それが見つかるまでは自分の成すべき事を果たすのが先決だと思う」

「自分の成すべき事? なによ、それ」

「二つ。一つは僕が本当に好きな人を見つける事」

 

 まったく関係のない、そして蒸し返した話題に不意を突かれたマリアは頬を赤く染めた。

 それを見ながら日向は指を折り、二つ目を言った。

 

「響ちゃんの身体からガングニールを取り除く――この二つだ」

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 郊外にスーパーがあって、本当に助かったとオッシアは思う。なかったら切歌と調の機嫌が悪くなってた。

 たまたま外から戻ってきた店員に「ありがとうございましたー」と言われながら外に出る。

 両手のエコバックにたっぷりと食材を詰めて、三人で持ち運ぶ。

 

「何でこんなにたくさん買うんデスか? 重いよ、オッシア〜」

「仕方ないよ切ちゃん。買える時にまとめて買っておかないと、いつ切れるか分からないもの。それに、過剰投与したLiNKERの副作用を抜ききるまではおさんどん担当」

「調の言う通り、一先ずお前達は身体を休める事に専念しとけ。……つか、よく知ってるな。おさんどんなんて言葉」

 

 余談ではあるが、「おさんどん」とは台所仕事をする下女の事を言うらしい。外国で育ったのに日本人が滅多に使わなそうな単語を使っていると、どうしても気になる。あっさりバラしてくれた二人の過去によれば、二人は一度たりとも閉じ込められていた施設から出た事がないそうだ。

 どこで覚えたのか、聞きたいオッシアだったが、敢えてスルーする事にした。

 ちなみに、オッシアは黒装束を脱いで、鏡華に「二度としない」と言った女装になっていた。長髪のウィッグに身体のラインが見えない服、眼にはサングラス、マフラーで鼻先まで隠していた。

 オッシアの隣から調を覗き込む切歌。気付かない何かを感じ取ったのか、「調の荷物、持ってあげるデス」と言った。

 

「ありがとう。でも、大丈夫」

「でも調、ちょっと調子が悪そうデス」

「そう? 平気だよ」

「んー……じゃあ、少し休憩してくデス! オッシアもいいですよね?」

「俺は構わんぞ……昼飯が遅くなるがな」

「はぅっ! そ、そうでした……」

 

 うーん、と本気で悩み始める切歌。

 そんな姿を見て、くく、と笑みを喉から漏らすオッシア。

 そんなオッシアを見上げる調。

 

「じー」

「ん、どうした? 調」

「オッシア……誰かに似てる」

「誰にだ?」

「ええと……誰か」

「分かってないだろ、それ」

「でも、誰かに似てる」

 

 調はそう言って、じーっとオッシアの顔を見つめる。

 オッシアはこれ以上見られまいと、マフラーで鼻まですっぽりと覆った。

 そう云えば、オッシアは口許と眼だけは頑なに見せようとしない。目立つ傷があるわけではなさそうだが、気になる。

 

「ご馳走が待ってるデスけど、ここは……調の体調も考えて、休憩を選ぶデスっ!」

「ずっと悩んでたのな、お前。まあ、いい。なら、休める場所を探すぞ」

「あ、それならいい場所を見つけておいたデス!」

 

 こっちデスよー、と駆け足で先導する切歌を追い掛けるオッシア。

 調も追いつくために早足で付いて行った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 切歌が見つけた場所は建設途中でノイズの襲撃を受け破棄されたと思われる廃墟だった。

 腰を下ろせる場所に座り、さっきオッシアに拝み倒して買ってもらった菓子パンを頬張る。切歌はメロンパンで調はチョココロネ。

 

「ったく……ただでさえ使える金は限られてるのにお前達は。いいか、菓子パンを買うのはこれっきりだからな。次、駄々を捏ねてもお兄さん、買ってやらんからな」

「分かってるデス。ありがとう、オッシア」

 

 袋からメロンパンを取り出してかぶりつく。未経験の味に切歌の頬は緩みまくっている。

 

「美味しいデスねぇ。嫌な事はたくさんあるけど、こんなに美味しい物が食べられるなんて、施設にいた頃には想像出来なかったデスよ」

「そんなに酷い食べ物ばかりだったのか?」

「うん。オッシアのザバーッと掛けたアレより見た目は酷いし、味も美味しくなかった」

「そうデスか? オッシアの手料理やこのパンよりは不味かったけど、あれはあれで美味しかったデス」

「美味しくなかったよ、切ちゃん」

「またまたぁ。美味しかったデスよ」

「美味しくなかったよ」

「美味しかったデスよ」

「美味しくなかった」

「美味しかったデス」

「美味しく――」「美味しい――」

「相手の事は?」

「大好き」「大好きデぇス!」

「それでいいだろ、このバカップル」

「そうだね。切ちゃんが好きならそれでいい」

「誰しも好き嫌いはあるデス。今回は調がそうだっただけデスね」

 

 あっさり和解する切歌と調。

 そんなんでいいのか、と思ったが、二人にはそれでいいらしい。

 笑顔で切歌はメロンパンを平らげる。調も手に持っていたチョココロネを開けようとして、

 

「……ッ、……ッ」

 

 荒い息を吐いて地面に落としてしまった。

 

「調ッ!? まさか、ずっとそんな調子だったデスか!?」

「大丈、夫……ここで休んだから、だいぶ……」

 

 心配させないように言うが、その口調は酷く辛そうだった。

 ふらつき倒れそうになるのをオッシアがいち早く回り込んで抱き留める。

 倒れる事は防いだが抱き留めた際、近くに置いてあった鉄パイプに当たってしまう。軽く触れただけだったが、連鎖的に鉄パイプとぶつかっていく。それらが台の柱に向かって崩れ、さらに多くの鉄パイプの山を崩してしまった。

 落下を始めた鉄パイプの下にはオッシアと切歌、調が。

 

「く……っ」

 

 回避――は不可能。オッシアに凭れている調を持ち上げないと移動出来ない上にそんな時間はない。

 迎撃――も不可能。今この場で出せるのは短剣のみ。とても全てを捌ききれる自信はない。

 となると選択肢は――

 

「切歌ッ!」

「え……!」

 

 近くにいた切歌を引き寄せ、二人の上に覆い被さるように身を屈める。

 切歌が何かを言う前に、鉄パイプが降り注いだ。

 

「ッ――……?」

 

 すぐにくるだろう痛みを予想し歯を食い縛るオッシア。

 だが、一向に鉄パイプは自分の身に落ちてこない。

 恐る恐る眼を開けてみると、

 

「何が、どうなってるデスか……?」

「なに……」

 

 上を見上げて呆然と呟く切歌の顔が見えた。

 視界の端で何かが輝いて見えた。

 後ろを振り返り、天を仰ぐと――

 

「これは……」

 

 発光する正体不明の障壁がドーム状に展開され、三人を守っていた。

 オッシアはこの障壁に覚えがあった。

 そう、これは――

 

「――《ASGARD》、だと……?」

 

 フィーネが使っていたあの障壁。

 それが今、目の前に展開されている。

 何故、と疑問が浮かび、ハッと二人を見る。

 未だ障壁を見上げている切歌と疲労によって気を失っている調。

 それを見て、オッシアはまさか、と呟くのだった。

 まさか――フィーネの魂は本当はこいつらのどちらかに……?



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Fine5 私にとって暖かかった陽だまりⅤ

 これで第五章は終了です。
 次回から物語後編の第六章ですが、その前にしばらく休載させてもらいます。
 次の投稿は未定ですが、四月・五月初めの間には再開しようと思ってます。
 これからも本作品をよろしくお願いします


「えー、今日の体育は、前回も言っていた通り護身術に関する実技を行います。今回は特別講師として二回生並び警備員の夜宙ヴァンさんに来てもらっています。この方から教わるよーに」

「いきなり連れてきて、何を抜かしやがる。この糞教師(ファッキン・ティーチャー)

「態度はアレですが、護身術の実力は中々のものです。――つか、今の説明で分かれよ馬鹿」

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。貴様の方が馬鹿だろうが」

 

 そんな言葉を投げつつ、身体は自然と動いていた。

 相手が放ってきた拳や蹴りを躱して逆に打ち込む。それの繰り返しを響を除いたクラス全員は呆然と見ていた。

 平然と鏡華は言葉を続ける。

 

「はい、まずは二人一組に分かれた分かれたばっ! ――てめ、マジで殴っただろっ!?」

「当たり前の事をして何が悪い!」

「いいだろ別に!? お前、今の時間授業ないんだから!」

 

 それとこれとは別だ、と巷でよくヤクザキックと呼ばれるフロント・ハイキックを放つ。

 鏡華は腕を交差して防ぐ。体育館だったので滑って後ろに下がった。

 そこで二人共構えを解く。生徒達はこれ以上やるんだったら止める気でいたが、

 

「ふぅ……準備運動はこれぐらいでいっかな」

「ああ。で、どの程度教えればいいんだ?」

「そうだな――」

 

 ――さっきのは準備運動だったんかい!

 ツッコミが心の中で綺麗に重なるのだった。

 話し合いを終えた鏡華はぐるりと見回す。すると案の定、未来が余っていた。今日は響以外休んでおらず、奇数だったので仕方がない。

 

「小日向ー。余ってんなら私とやるぞー」

「……あ、はい」

 

 言いながら手招きして未来を呼ぶ。

 一瞬、反応が遅れた未来は早足で鏡華の許までやってくる。

 鏡華は未来をその場で待機させつつ、ヴァンに近寄った。

 流石に女子生徒を練習台にさせるわけにはいかないので、鏡華が練習台だ。

 全員の視線が集まった所でヴァンが話し出す。

 

「……まず、第一に護身術とは自分の身を守る術であって襲われた際に対抗する術じゃない。あくまで抵抗して逃げるためだけの術だ。そこを間違えるな」

 

 常に逃げる事を頭の中で浮かべておけ、と言って少し離れる。

 第二、と中指を立てた。

 

「基本、女を襲うのは大抵の場合男だ。差別のような言い方だが、女に男を戦意喪失――つまり倒す力はないと考えろ。格闘経験者でも然りだ」

「どうしてですか?」

「どの武道でもそうだが、反復練習をしなければ技を完璧に覚える事は出来ないとされている。お前達はいつ使うか分からない護身術のために何度も練習するのか? 何回、何十回じゃない。何百回、何千回とだ」

「そ、それは無理そう……」

「だろう。それに男と女では初めから出せる力の違いがはっきりしている。女が男を真っ向から倒すのはアニメの中だけと覚えておけ」

 

 アニメ、と言われてうっ、と喉に詰まったような声を出す生徒が一名。と云うか弓美だ。

 アニメ好きなのを知っている創世や詩織、周りの女子生徒は苦笑を漏らしている。

 

「この馬鹿教師が言ったように一応、護身術は教える。だが、結局の所、襲う輩はノイズと一緒だ。逃げないと駄目だと云う事だ」

 

 ノイズ、と云う単語は分かりやすい喩えだったのか、ちらほら頷く女子生徒がいた。

 

「大きな違いは捕まった時だがな。ノイズに捕まれば死ぬ。人間に捕まればセクハラ、痴漢、果てはおか――」

「はい、そこまでー」

 

  ―打ッ

 

 とんでもない事を言いそうになったヴァンを素早く殴りつけて黙らせる鏡華。

 かなり本気だったのか、鈍い音が体育館全体に木霊した。

 

「何をしやがる!」

「止めるのは当たり前だろう。一応ここ、学校だからな。そう云う発言はなしにしてくれ」

「……それもそうだな。――果てはマワされるからな、気を付けろ」

「言い方を変えて言ってんじゃねぇよ! なしにしろって言っただろうがっ!」

「あだっ! ちっ、分かった(オーライ)。――じゃあ簡単なものを教えてく。広がれ」

 

 隠語のような言葉に気付く事なく、首を傾げながら女子生徒達は広がる。

 鏡華を痴漢と見立てて、ヴァンは護身術を披露して実践させていく。回っていき一組ずつ教えている辺り、真面目だなぁ、と鏡華は思い未来の許に戻る。

 

「ん、お待たせ小日向。んじゃ、やろうか。遠慮なく捻っていいぞ」

「……はい」

 

 朝から思ってたが、未来の表情はかなり暗い。

 やはり、前回の戦闘を目の当たりにして、ショックを抑えきれないのだろう。

 まあ、当たり前だろう。久し振りに再会した友人が敵だったり、響があんな事になったり――響の命が危ない事を知ってしまったのだから。

 平静を保て、と云う方が無理である。

 こんな未来を見たくないと思った鏡華は、

 

「なあ小日向」

「はい……?」

「今日の放課後、空いてるか?」

 

 いつかのように、誘ってみた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 買い取ったこのリディアンの校舎の中には、様々な理由によって使われない教室があった。そう云う部屋はもっぱら空き教室か物置とされている。

 その中で滅多に生徒や教師が訪れる事のない教室に放課後、鏡華と未来は並んでピアノの前に座っていた。その手は鍵盤の上を踊っている。連弾と呼ばれる演奏の仕方だ。

 

「――ふぅ。やっぱ、未来は上手いな。ついてくのがやっとだ」

「そんな事ないですよ。鏡華さんもすごく上手です」

 

 演奏を終え、互いを誉め称える。

 だが、何も連弾をするために未来をこんな空き教室に誘ったのではない。――だからと云ってそう云う事をするためでもなかったが。

 

「立花の事、気にしてんだろ」

「……はい」

 

 歓談を終わらせ本題に入る。

 未来も分かっていたのか驚いたりせず、ただ表情を曇らせた。

 

「でも、鏡華さんが思ってる程悩んでいるわけじゃないんですよ」

「あり? そうなの?」

「前に響と一緒に奏さんが運ばれた時、起きた奏さんに言われたんです。私は響が身体だけじゃなくて心を休める日常になってほしいって。響だけじゃなくて鏡華さん達も休める居場所に」

「奏がそんな事を……」

「自分が出来る事は決まってないけど、一先ず今は奏さんの言葉を実践してみようって思ってるんです。もしかしたら自分の役目が分かりそうな気がするんです」

「そっか……」

 

 奏が翼以外にそう云う事を言うとは珍しいな、と鏡華は思う。

 それぐらい未来も奏に気に入られたと云う事だろう。

 

「ただ……怖いんです。響が日向みたいにどこか遠くへ行っちゃいそうで」

 

 そう言うと、鏡華に凭れ掛かる未来。

 鏡華は止めない。この教室は場所的に見られる心配もなかった。

 

「そうだな。あのままだと、本当に遠くへ行きそうだ」

「……鏡華さん」

「なに?」

「以前……三ヶ月前の戦いの時、鏡華さんは鞘の力を使って代償なしで皆の傷を癒したんでしたよね」

「ああ、《辿り着きし永久の理想郷》の事だな」

「あれで響を治せないんですか?」

 

 凭れた未来の髪を優しく好きながら鏡華は眼を閉じる。

 それは以前から考えていた響治療の一つだった。だが――

 

「ごめん。たぶん、無理だと思う」

「どうしてですか?」

「あれは気軽に発動出来る技じゃないんだ。それにもし発動しても、立花を治せるかは微妙なとこだ」

 

 あの時、鏡華は叫んだ。「俺の鞘の能力」だと。

 少なくとも騎士王の伝説には相手を癒せるなど記されていない。恐らく、鞘の持ち主が自分に変わったからだと思っている。

 それに治療と云っても、どこまで治癒するものか鏡華には分かってなかった。そもそもアヴァロンは記憶し記録する鞘。本当に治癒しているのかさえ疑わしいものなのだ。

 

「流石に賭けみたいな能力を試す事は出来ないからなぁ」

「そうですか……」

「まぁ、今は未来が守ってくれ。それまでに旦那達が何か方法を見つけてくれるはずだから」

「そのつもりです。だけど――」

 

 凭れた身体をさらに密着させる未来。

 流石にこれには少し慌てる。

 

「お、おい……?」

「今はこうしていたいんです。響の代わり、なんて鏡華さんには失礼だけど……明日を頑張れるように」

「ああ……」

「それに、二人きりになる事なんてあまりないから……」

「うっ……それについては、すまん。優柔不断な馬鹿野郎で」

「謝らないでください。……むしろ、この選択をして私を入れてくれた事に感謝してるんです」

「いや、あれは……ぶっちゃけちまうと、未来の策があまりにも見事だったからで……」

「ふふ……あの時は必死でしたから。どうにか翼さんと奏さんと同じ場所に立ちたかったんです」

 

 まだ同じ場所に立ってはいませんけど、と何故か嬉しそうに未来は言う。

 鏡華の二人に対する感情は出会って(再会して)半年の未来には向けられない程強固で――本物だ。

 未来には未だそんな感情は向けられてない。でも、それでも付き合う以前に比べれば大切にされてる事は分かる。

 だけど今はこれでよかった。一先ずはこれで――

 

「手を出されないのは、少し妬いちゃいますけど」

「……少なくとも、俺から手を出した事はないな。奏に対しても……翼に対しても」

「つまり、手は出された、と?」

「――――」

「答えないと、制服を乱して『助けて』って叫びますよ?」

「間違いなく社会的に死ぬなぁ! それ!」

 

 ――翼にキスされました! と半ば悲鳴のように答える鏡華。

 今の鏡華に男らしさは微塵も感じられなかった。まあ、それが彼のよさでもあるが。

 ちなみに鏡華の中ではライブの時におまじない代わりに額にキスしたのはノーカウントになっている。

 内心で笑みをこぼす未来は頬を擦り付ける。

 

「キスしちゃいます? 今ここで」

「……うぇえ!?」

「何でそんなに驚くんですか……」

「い、いや……一応ここ学校で、教師と生徒なわけで」

「それが?」

「え、えーっと……その、な」

 

 しどろもどろに視線を彷徨わせ、言葉を濁らせる。

 暫くすると観念したように呟いた。

 

「ごめん、無理です」

「ふふっ、分かってました」

「やっぱ自分からの最初は――って、え?」

「初めは翼さんと奏さんとしたいんですよね」

「あ、はい」

「大丈夫です。それぐらいは分かってるつもりですから、でも――」

 

 ――あんまり待たせると、手を出しちゃいますから。

 少しだけやるせなさを含めた笑顔で言われ、鏡華は何も言えなかった。

 そんな鏡華の顔を見て、未来はわずかばかりの幸福感に包まれる。

 戦いなんて起こらなければいいのに、と思う。

 そうすれば、響が苦しむ事もなくこんなにも幸せな時間が続くのに。

 心から未来はそう思った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 存分に話し合って(イチャついて)いた鏡華と未来は陽が落ちる前に下校する事にした。

 人だかりの少ない校門までの道を一定の距離を保って歩く。

 

「小日向は帰ったらどうするんだ? たぶん、立花は明日ぐらいに帰ってくると思うけど」

「そうですね……する事もないし、宿題を済ませたら寝ちゃおうかなって思ってます」

「ふぅん……じゃあさ、風鳴の屋敷に来るか? 少なくても翼か奏はいるし、立花の迎えも出来るぞ」

「いいんですか?」

「ああ、別に知らない仲じゃないんだ。翼達も快く受け入れてくれると思うぞ。それに、迎えに小日向がいれば立花も喜ぶだろうし」

「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します」

 

 鏡華の好意を素直に受け入れる未来。

 んじゃ、行きますか、と鏡華は言って校門を出る。

 

「おい、遠見」

 

 校門を出た所でヴァンが鏡華を呼び止めた。

 

「よおヴァン。授業はサンキューな」

「あれぐらい何でもない。それより、お前に手紙だ」

「手紙?」

「ああ、クラスメイトが下校途中で受け取ったらしい。お前宛だったから俺が預かっておいた」

 

 その手紙を投げ渡すヴァン。風に流れる手紙を器用に掴んだ鏡華は封筒を裏表見る。だが、差出人は書かれていない。

 未来はそんな鏡華を見ている。

 封を開き、中身を見る。

 

「――――」

「鏡華先生……?」

 

 未来の背丈では手紙の内容を覗く事は出来ない。鏡華に声を掛けても反応しない。

 ヴァンはただ成り行きを見ている。

 一分ぐらい経過して、鏡華は便箋を封筒にしまいポケットに乱暴にねじ込んだ。

 

「鏡華先生……」

「ヴァン。頼みがある」

 

 未来の言葉には答えず、鏡華はヴァンに話し掛ける。

 

「なんだ」

「訳は聞かずに未来を風鳴の屋敷に連れて行ってくれ。野暮用が出来た」

了解した(オーライ)。クリスは当然連れて行くが構わないな」

「ああ。好きにしてくれ」

 

 そう言うと、未来に「ごめんな」と言い残して踵を返して校舎に戻っていく。

 声を掛ける暇もなくその姿が校舎に消える。

 あの手紙に何が書いてあったのか未来には知る由もない。

 だけど――だけどだ。

 

  ―鈴

 

 鈴の音が頭の中でまた鳴った。

 何かが起こる気がして――鏡華まで遠くに行ってしまいそうな気がして。

 未来は嫌な予感に、胸を抑えるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 満天の星々の中、一際大きく映り、強く輝く月。闇の帳を自然の灯りが蕩々と照らしている。

 月の迫力をはっきりと“感じる”場所に鏡華は独りで来ていた。辺りには草木一本生えてない。荒野の広がる場所にポツンと佇む塔。まるで原初の世界に迷い込んだかのような印象を与えた。

 カ・ディンギル跡地。少し前に訪れた場所を再び訪れていた。

 ザクッ、ザクッ――砂利を踏む音だけが荒野に木霊する。ただの足音なのに、まるで闖入者を拒むように聞こえて、鏡華は音を立てずに歩こうと努力する。だが、どうやっても音が出てしまう。

 諦めて顔を上げた時、鏡華は目的を見つけた。女子生徒に渡し、ヴァンが預かり鏡華に届けられた手紙の差出人。

 

「よお。待ったか?」

 

 見上げて、カ・ディンギルを見るように差出人に声を掛ける。

 鏡華に背中を見せ、カ・ディンギルを見ていた差出人らしき人物はゆっくりと振り向いた。

 黒装束に身を包み、身体どころか顔すら見せない――オッシア。

 

「約五、六時間か……。まあ、及第点の範囲だな。いや、よくぞ解けたと褒めておくよ」

「そこまで難しくなかったけどな。二課の監視網を搔い潜る方が難しかった」

 

 ポケットから取り出す一枚の便箋。

 それは封筒に入っていたオッシアからの手紙。

 

「『終わりが告げんとした言の葉。届けと穿った高みの存在は今や儚く脆く。影はそこで待つ。少年の唱には呪いが刻まれている事を知らしめんために』――最初の文はフィーネが創造主に対する恋の想い。次の文は高みの存在……そのカ・ディンギルの事。そして影……真っ黒クロスケなお前に合う言葉だよ。最後の文はまあ……十中八九、俺の事だろうな」

「少し簡単すぎたか。まあ、オレにそんな器用な芸当など出来るはずもない。上出来な作文だったな」

「くだらねぇ。んな回りくどい事なんかしなくても、てめぇからの誘いならいつでも受けてやってたぜ」

 

 くしゃ、と握り潰した便箋をそこら辺に投げ捨てる。

 

「ああでもしなければ、貴様と一対一(サシ)になれなかったはずだからな。機微に聡い奏と翼なら、すぐにでも追い掛けてきただろう」

「……てめぇがあいつらを親しく呼ぶのは気に障るが、否定はしねぇよ」

「だからこそ、手紙を用いた。夜宙ヴァンならよほどの事がない限り、手紙の中身を覗く真似はしない」

「本ッ当に回りくどい真似をしたな、お前。そこまで二人で話がしたかったのか」

「話? ――ハハっ」

 

 心底、おかしそうにオッシアは笑う。

 弓なりに身体を反らせ、掌で顔を覆う仕草を見せた。

 

「ハハハ――貴様、何度か交えてるのにまだ分からないのか? オレと貴様の間に話し合いなんてものは無意味だ。オレと貴様で出来るのは、戦う事と嫌悪感を身体一杯に感じる事だけだ」

「…………」

「……いや、このご託も不必要なものか。以前言ったな、遠見鏡華。全てを教えてやると」

 

 ――教えてやるよ、何もかも。

 笑みを消したオッシアは片腕を真っ直ぐに突き出す。

 何をするかと警戒する鏡華。しかし、その警戒はすぐに解かれる事になる。

 何故ならば――

 

  ―輝ッ

 

 眩い輝きと共に掌に具現される物体に眼を、意識を奪われたのだから。

 光が集まり輝きだし、それは少しずつカタチを成していき、最終的には、

 黄金に輝く逆二等辺三角形のようなカタチをそれは成した。

 それは――まさしく、その黄金の代物は、

 

「ア……ヴァロン、だと……!」

「まだ、その名でこの鞘の名を呼ぶか。まあ、いい。お前に取ってこの鞘は理想郷(アヴァロン)なんだろう」

 

 鼻で笑ったオッシアは鞘から剣を引き抜くように腕を動かす。

 まさか、カリバーンもか、と鏡華は想定した。だが、その想定は間違いであった。

 引き抜いた手に握られていた柄、刀身を見て、さらなる驚愕を与える事になる。

 鞘のように黄金に輝くそれは、鏡華が秘匿した――デュランダル。

 

「な、なんでデュランダルまで……!」

「――――」

「……答えろっ。お前は一体――アヴァロンを持ち、デュランダルまで手にするお前は、一体誰なんだっ!?」

「まだ、分からないのか」

 

 静かな、だけど怒りの混ざった声で呟いたオッシア。

 アヴァロンを消して、今まで隠し続けていたフードをパサリと下ろした。

 フードの下に隠れていた顔に鏡華の思考は止まる。

 

「……え……?」

 

 アヴァロンを具現化されたよりも。

 デュランダルを手に取った時よりも。

 鏡華の驚きは群を抜いていた。

 だって、フードの下に隠れていたその顔は――

 

「改めて自己紹介だ。オレの名は――遠見鏡華。遠見鏡華(オリジナル)の偽物にして――本物だっ!!」

 

 紛れもなく――遠見鏡華、その人のものだったのだから。



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Fine6 遠くを見ず、鏡の華を愛でるⅠ

真実は常に残酷な宣告を強いられる。
犯した罪の過ちを識り、暴かれる真実を前に、
少年は遂に最後の扉に手を掛ける。其処に選択の余地はない。

Fine6 遠くを見ず、鏡の華を愛でる

水月は王を糾弾する。王の選択は過ちであった――と。
過ちだったかもしれない――然れど、過ちでないと糺す為、王は月に吼える。


 緒川が手配した車両に乗った翼と奏、クリスとヴァン、そして未来が二課にやってきたのは夜遅くだった。

 全員、風鳴の屋敷に来ていたのだが、未来を誘った鏡華だけがいつまで待っても戻ってこず、未来も嫌な予感がすると呟いていたので、何かが起こってるのかと知れないと思って二課までやってきたのだ。

 未来達を出迎えたのは響だった。

 

「響! もう身体は平気なの?」

「うん! 心配掛けてごめんね、未来」

 

 いつも通りの響に安堵の息を漏らす未来。すぐに訊ねた。

 

「響、鏡華さんは来てない?」

「遠見先生? うぅん、朝会ってからは師匠や緒川さん、オペレーターの皆としか会ってないよ」

「そう……とにかく、一緒に行こっ」

 

 まだ理由を話してないが、響は未来の表情で何かを察し真剣に頷いた。

 六人にとなって到着すると、本部では友里や藤尭が作業に集中していた。

 

「師匠!」

「お前達……何故ここに」

「未来達が遠見先生の場所を知りたくて来たんです!」

「そうか。だがすまない、それは後に――」

 

 弦十郎が最後まで言う前に、藤尭の声がかぶった。

 

「高質量のエネルギーを検知!」

「波形の照合、急ぎます!」

 

 続いて友里も検知したエネルギーを調べる。

 すぐにモニターに表示される。

 ――DURANDALと。

 

「嘘……まさかこれって……」

「デュランダル……だと!?」

 

 モニターを凝視して弦十郎は絶句する。

 未来と奏以外、デュランダルの登場は驚いた。

 

「何故……デュランダルはあの戦いの際――」

「鏡華が隠したんだ。アヴァロンに」

 

 翼の呟きに

答えたのは奏だった。

 弦十郎も奏の方へ振り返る。

 

「奏、どう云う事?」

「あの戦いの後、鏡華は全員に隠してデュランダルを回収してアヴァロンの中に回収していたんだ。何の意味があるかはあたしも知んねぇけど、一応、鏡華のために黙ってたんだ。あいつ、あたしにも隠しきれてると思ってるみたいだからね」

「じゃあ、デュランダルが出た場所に鏡華が……」

「場所、特定出来ました! でも、ここは……」

 

 藤尭の声に弦十郎は再び視線を戻し、「どうした」と訊く。

 

「東京番外地、特別指定封鎖区域――カ・ディンギル跡地ですっ!」

「また、そこだと……友里!」

「監視カメラの映像をこちらに回します!」

 

 命じられる前に行動に移す。

 素早く監視カメラを操作して映像を自身のモニターにまず全てを送る。その中にデュランダルが映っているか探していると、無意識にえ、と声を出してしまった。

 

「どうした?」

「いえ……も、モニターに出します!」

 

 おかしい、と思いながら見つけ出した映像をモニターに出す。

 全員の視線が集まったモニターに映ったのは、絶句する鏡華の表情と、

 

「――え?」「な――」

 

 二課全員の表情を同じように唖然としてしまう。

 鏡華の視線の先、黄金の剣――デュランダルを手に持った黒装束の男、恐らくオッシアがフードを下ろした。

 下ろしたフードの中にあった顔は、見紛う事なく鏡華の顔だったのだから。

 

「な……鏡華が、二人……?」

「馬鹿な……そんな事が……」

 

 誰もが混乱する中、モニターに映るオッシアが怨嗟のように叫んだ。

 

『改めて自己紹介だ。オレの名は――遠見鏡華。遠見鏡華(オリジナル)の偽物にして――本物だっ!!』

 

 翼は、奏は、クリスは、ヴァンは、未来は、響は、

 オペレーターの二人はおろか、弦十郎でさえ、声を失うのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 目の前の状況に頭がついていかなかった。

 オッシアと名乗っていた黒装束が遠見鏡華と名乗った。遠見鏡華は自分の名前だ。何故、こいつが名乗るのだろうか。

 だが、顔も声も瓜二つ――いや、完璧に同じだ。

 だけど、何故? どうやって――

 

「状況についていけてないようだな。だが、貴様が混乱する時間などありはしない」

 

 淡々と喋り、歩み始めるオッシア。

 鏡華はその場から動かない――否、動けない。

 

「始まりは二年前。幾ら馬鹿な貴様だろうと何があったかくらいは覚えているだろう。――そう、ノイズによるライブ襲撃だ。あの時、翼と奏が戦場に立ち、ノイズと戦いそして――奏は命を落とした、はずだった。なのに、そうならなかった。遠見鏡華(オレ達)と云うイレギュラーが存在したからだ」

 

 風に髪が靡く。

 今、気付いた。オッシアの髪は伸びてない。昔の肩に掛かる程度の長さだ。

 

遠見鏡華(オレ達)は鞘の能力を使って、奏を救った。間違いじゃなかったかもしれない。だけど、それは間違いだった。奏はあの時、死ぬべきだったんだ。何故だか分かるか? ――LiNKERによる適合者だったからだ」

「死ぬべきだっ、た……?」

「かく言う遠見鏡華(オレ達)も本来、適合係数が低く適合するなんて不可能だった。なのに今こうして鞘を扱ってる、何故か。答えは簡単だ――鞘が遠見鏡華(オレ達)の感情に応えたんだ。ただただ奏を守りたいと云う――愛と云う感情がっ」

 

 目の前に立つオッシア。鼻先がくっ付きそうな程顔を近付ける。

 オッシアの瞳には憎しみの焰が煌めいている気がした。

 

「それによって鞘は遠見鏡華(オレ達)を仮の主と認め、力を貸与した。だがっ! だからこそオレと云う存在が生まれた!」

「――――」

「絶唱に似た解放のエネルギーは遠見鏡華に耐えられるモノではなかった。あの時、遠見鏡華は死ぬはずだった。だが、鞘がそれを許さない、許すはずがなかった。不死性の能力を以てして遠見鏡華を生かした。覚醒のきっかけとなった愛と云う感情を除いて、な」

「感情を……」

「除かれた感情は、死ぬはずだった遠見鏡華の代わりとして消滅した――消滅するはずだった。だけど、それさえも鞘は許さなかった。呪いの鎖によって縛りつけ、感情は消滅する事はおろか――表舞台で生かされる事さえ許さなかったんだ!」

「ッ――!」

「それがオレだ! お前が犯した過ちこそ、お前が失った感情(アイ)こそ――オレそのものだっ!!」

 

  ―打ッ!

 

 我慢しきれず、オッシアは鏡華の腹部を殴った。抵抗も出来ず鏡華は身体をくの字に折り吹き飛ぶ。だけど、倒れる事だけはしなかった。

 倒れたら――自分を支えているナニかがプツンと切れてしまいそうなのだ。

 オッシアはそれを分かっていて、言葉と云う名の鋏で断ち切ろうとする。

 

「オレの事はいい。オレだって奏を救えるのだったら、遠見鏡華の行動は正しいと思う。――鎖が縛ったのが“オレだけであればな”」

「俺だけ……ッ、まさ、か……」

「流石にさっき言った事は覚えているな。そうだっ、オレだけならば許せたっ! オレが最も許せないのは――奏を巻き込み、同じ咎を与えた事だっ!!」

「ッ――!!」

 

  ―閃ッ!

  ―戟ッ!

 

 デュランダルを袈裟に振り下ろす。

 その一撃をカリバーンを具現化して防ぐ。

 

「奏も感情によって聖遺物を起動させた奏者だった! その感情は鞘によって縛られ、オレと同じ運命を背負う事になったんだ! 奏の要因となった感情はノイズに対する憎しみ! 愛の感情であるオレと違って、あいつが割り切れるわけがないだろう! それを、貴様が――ッ!!」

「ッ――、ッ――!」

「何故あの時奏を助けた!? 助けなければこんな事にはならなかった! 一時の悲しみをっ、貴様のエゴが奏を永遠に苦しませる事になったんだっ!!」

 

 剣戟にだけ集中して疎かになった腹部へ、今度は膝を減り込ませる。

 唾液を吐きながら耐えた鏡華。オッシアへ向けてカリバーンを振るうが、適当な一撃をオッシアが喰らうはずもない。

 一歩下がって躱し、一歩踏み込んで回し蹴りを鏡華へ放つ。

 

「それともう一つ! 貴様の気に喰わない事がある。翼と奏、そして小日向未来を好きだと言っている事だ!」

「それの、どこが……っ」

「全てだ! 愛と云う感情を喪失しているのに人を好きになれるわけないだろう! 貴様の愛はただの偽物だ! 貴様はただ、あいつらの好意に甘えているだけなんだよ! 愛を失っているから“一番”を決めることが出来ない。愛が分からないから好きと愛の違いが分かってない!」

 

 吹き飛び、地面を転がった鏡華を追撃するように蹴りを加えていく。

 

「お前達の関係などごっこ遊びだ! それを愛だの恋だの抜かしやがる……反吐が出るんだよ、貴様の言動には! 本当に大切なら――何故“一番大切”な存在を決められないんだ!?」

「それは……」

「答えが出ない事など分かっている。貴様(じぶん)の思考ぐらい読めるからな。だからこそ――貴様は間違ってるんだよっ!!」

「ッ――!」

 

 最後の蹴りによって、鏡華は地面を転がる。

 起き上がろうと腕に力を籠めるが、震える腕は言う事を聞かない。いや、鏡華自身が無意識に立つ事を諦めていた。

 真実を目の前にして、鏡華の精神は崩壊寸前まで陥っていた。これ以上真実を聞けばすぐにでも瓦解してしまう。

 

「ッ……、ッ……」

 

 ――動け、動けよ。

 自分を叱りつけ必死に動かそうとするが、まったく応えてくれない。

 幾らアヴァロンが身体を治す事が出来ても、精神(こころ)までは治してはくれないのだ。

 オッシアはそんな鏡華を真上から見下す。見下して――デュランダルの柄を天へと向けて持ち上げる。

 

「安心しろ、お前を殺す事は出来ない。鞘を奪う術もオレは持ち合わせていない。これはただの――そう、ただの八つ当たりだ。だが、貴様に絶望を植え付けるにはちょうどいいだろう」

「――――」

「お別れだ。愛情(オレ)から――泡沫の理想郷から」

 

 デュランダルの柄から手を離す。支えるものがなくなってデュランダルは重力に任せて地面へと落ちてゆく。

 真下には倒れ臥す鏡華がいる。吸い込まれるように落ちていき――

 

「……のか」

 

 途中で落下は止まった。

 突き刺さるその瞬間、切っ先を鏡華が掴む。

 絶世の切れ味を誇る刃に触れた鏡華の手は瞬く間に紅に染まっていく。

 

「別れる……ものか。辿り着いた理想郷から別れて……たまるか」

 

 血で手が濡れる事を厭わず、鏡華は震える足でようやっと立ち上がる。

 デュランダルを放り、オッシアの足下に突き刺さる。新たにカリバーンを両手で握り締めた。

 

自分自身(てめぇ)の言葉に自分が屈してたまるか、ふざけんなよ、こんちきしょう――!」

 

 言葉の撃鉄を叩き落とし、折れかけた精神を奮い立たせる。

 刃で斬れた手の熱さと血の冷たさが鏡華の思考をようやっと現実へ追いつかせる。

 始まり――己が過ち――結果、そして今――

 奴の言葉を理解しきれてはいない。正直、あれだけの証拠で全部を信じろと云うのは無理だ。

 もしかすれば嘘かもしれない――本当の事かもしれないが。

 それでも。それでも今は、全力で目の前の(てき)を屠ろう。

 鏡華の思いに呼応するように鎧も変化していく。戦闘用とは思えない荘厳の鎧と絢爛のマント。響達がエクスドライブモードのギアを纏った時に成ったアヴァロンの完全聖遺物状態の防護服。

 ――奏、ちょっと返してもらうよ。

 念話ではないが、胸の内で奏に断っておく。

 

「……何も知らず、それを“完全と呼ぶか”。悲しきは無知である事だろうな」

 

 鏡華に聞こえぬ声量で呟き、大振りのデュランダルを片手で握り、空いた手には白い短剣を具現して握る。

 あの夜、今晩のようにこの場所で初めて見た白い短剣。あの時は何がしらの聖遺物だと思っていた。今なら短剣の正体が分かる。

 ――カルンウェナン。

 その銘は小さな白い柄手を意味する、彼の騎士王が所有していた短剣。

 自分が握るカリバーンと同じ、アヴァロンの記憶から創られた贋作、偽物だ。

 だが、侮るなかれ。彼奴のもう一刀は偽物ではない。

 聖剣デュランダルは紛う事なき真作、かつての英雄が扱い、伝説を築いた武具である。

 

「――――」

「だが、覚えておけ。オレとの戦いは殺し合う事じゃない、想いの深さで決まると云う事を――!」

 

 それでも、鏡華は臆する事なく一歩を踏み込む。

 じゃり、と砂が踏まれて泣くように音をあげる。

 ――それが開戦の合図となった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 気付いた時には、翼は飛び出していた。

 弦十郎が気付く前に奏が追い掛ける。思わず響も追い掛けようとして、

 

「馬鹿ッ、どこ行く気だよ!」

 

 それをクリスがギリギリの所で腕を掴んで止めた。

 

「まさか王様ンとこ行く気だったんじゃねぇだろうな?」

「…………」

「馬鹿、死ぬ気かよ! ……おめぇは大事な親友と一緒にいてやれ――な?」

「クリスちゃん……」

「……頼んだからな」

 

 足を止めた響の肩を叩き、クリスが代わりに追い掛けた。

 ヴァンも無言で頭をぽんと叩いてそれに続いていく。

 二人共、響が心配だからこそ止めたのだ。それぐらい分からない響ではない。

 追い掛けるクリスとヴァンの背中を見送って、響は未来と弦十郎の許まで戻った。

 

「響……」

 

 未来がそっと手を握る。

 小さな温もり。しかし、響にはこれ以上ない温もりを感じさせ握り返す。

 

「大丈夫だよ未来。私より遠見先生の事を心配しよ」

「うん。――でも、これだけは言わせて」

 

 響の手を掴んだまま自分の胸に近付け祈るように手を重ねて未来は言う。

 

「響は足手まといでもいらない子でもない。それだけは絶対に絶対だから」

「未来……うん、ありがと」

 

 未来の言葉を素直に受け取る響。

 弦十郎はそれを背中で聞きつつ二つに別れたモニターを見やる。

 左は鏡華とオッシアの戦闘を映し、右は先行する翼と追い掛けている奏を映している。

 翼の事は奏に任せればいい、問題は鏡華とオッシアに関する事だ。

 

(この可能性……君は知っていたのか、了子君……)

 

 自分で呟いておいて「いや、彼女でも予想外の事だろう」とすぐに否定した。幾ら先史文明期の巫女でも全ての聖遺物の能力を知っているわけではないはず。

 むしろ響の時のように研究対象にするかもしれない。昔から弄くる対象だったが。

 

(それでも……この現実は――)

 

 ――この世界は鏡華に、自ら人間(ヒト)を辞めたと言った人間に、痛みを与える。

 まるで人間でなくなった人間はこの世界にいてはいけないと暗に言ってるかの様に。




 大変お待たせしました。風花です。今夜より、物語後半を再開したいと思います。
 しかし、投稿速度は遅くなり、一週間で投稿できる分からなくなりました。
 完結はするので、これからもよろしくお願いします。


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Fine6 遠くを見ず、鏡の華を愛でるⅡ

 ――白の乱舞――

 

  —閃ッ!

 

 白銀の刃が夜を切り裂く。

 追撃を掛けるように黄金の閃きが白銀を追い掛ける。

 白銀の刃を姿勢を低くして避ける。そこまではいい。問題は次だ。

 避けられると分かった瞬間に、黄金の閃きは追尾の対象を白銀の刃から鏡華へと変更させる。

 

「っと――らあっ」

 

 傷を髪を一房奪われるだけに留め、カリバーンで反撃の刺突を繰り出す。

 喉元目掛けて放たれた刺突は白銀の刃――カルンウェナンによって受け流される。逆に格好の的となった鏡華へ黄金の剣――デュランダルの刺突を返された。

 

  —突ッ!

  —戟ッ!

 

 防いだのは掌をかざし具現したロン。

 だが切っ先にエネルギーを溜めていたのか、拮抗する事なく弾き飛ばされる。

 止まる事なくデュランダルの刺突は、篭手を物ともせずかざした掌を貫く。

 

「ぐ……ぁっ」

「武具の選択が甘いっ」

 

 突き刺したデュランダルを斬り上げ、掌を貫通させたまま裂いた。

 もちろん傷を負った箇所は即座に回復し、なかった事になる。流血まではなくならない。

 オッシアは斬り上げた刃を今度は身体を切断せんと振り下ろす。

 

  ――真・護れと謳え聖母の加護――

 

 プライウェンを具現して防ぐ。

 防御に特化した武具であり、さっきの槍のように弾き飛ばされる事はなかった。また、完全聖遺物としての能力も発揮され完全に衝撃を防ぎ切っている。

 これなら――

 

「これなら、とでも思ったか?」

「ッ――!」

「甘いんだよ馬鹿」

 

 急にプライウェンを通して感じていた重みが消失する。

 刹那、その事に驚きたたらを踏む暇もなく、背後から一撃を喰らった。

 思いがけない場所への一撃に成す術なく吹き飛ぶ。

 

「が――」

「てめぇは大事な事を忘れている」

 

 地面へ倒れ込む。

 はずなのに、今度は腹部への衝撃で地面でなく空へ舞い上がった。

 自分が吐き出した血が重力によって顔に降り掛かる。すぐに蒸発するかのように消えるが。

 さらに背中へ打ち込まれる一撃。

 やられたい放題かよ、と吐き捨て、プライウェンを船として具現。足場にして振り向きざまにカリバーンを振るった。

 

  —斬ッ!

 

 斬った――何もない空気を。

 オッシアの姿など微塵も見えない。

 

「どこを斬っている」

「どこ――がぁっ!」

 

 仕返しとばかりに背中を斬られ、鏡華は地面に倒れそうになるが気力を振り絞って耐える。

 片膝をつき、荒い息を吐く。ぽたぽたと血が垂れては地面に落ちる前に消えた。

 目の前に足が見えた。見上げなくても分かる。オッシアだ。

 

「無様だ、王が膝をつくとは。王様とかほざいときながら負けるとか、マジで滑稽だな」

「る、っせ……てめ、絶対ぶっ飛ばす」

「だったら攻撃が当たらない理由を見つける事だな」

「もう、見つけたよ。んなもん」

 

 身体が常に万全な状態に戻るとは云え、精神や気力までも戻るわけではない。

 剣を杖代わりにして立ち上がる。荒い息を吐いて呟いた。

 

「内包結界――あれを使ってんだろ。いくら何でも速すぎ」

「ご名答。ついでに教えてやると、貴様が内包結界に入れなくなったのはオレが原因だ」

 

 悪びれず答えるオッシアに、苛立たしく舌打ちを打つ鏡華。

 それでも思考は、冷静に目の前の現実を静観していた。

 目の前の敵が遠見鏡華(もう一人の自分)であるかどうかは、一先ず脇に置いておく。

 武装は完全聖遺物デュランダル及びアヴァロン。

 使用した武器はデュランダル、カルンウェナン、そして“アヴァロン”。

 

「むかつく事を……」

「出る杭は打たれる――強すぎる力は抑えなければならない」

「とか言いつつ、自分は使ってんのな」

「なんとでも」

 

 三度、姿を消すオッシア。

 即座に、身体を前方に投げ出して回避を試みる。

 だが、アヴァロンの瞬間移動もどきは本当の瞬間移動ではない。

 相手の動きに合わせて移動する。それがアヴァロンの《遥か彼方の理想郷・応用編》。

 回避して着地した場所に移動し、オッシアはデュランダルを振り下ろす。

 

  —戟ッ!

 

 弾き返すはカリバーンの刃。剣風を巻き起こし、鉄の音色で合唱する。

 前転の受け身を取るはずだった片腕で身体を支え、オッシアの動きを予想して剣を振るったのだ。

 

(オレの考えが分かって……いや、予測しただけっ)

 

 無理矢理な体勢で一閃を防いだ鏡華は、腕をバネにしてハンドスプリングの如く更に前方へ跳んだ。

 相手の居場所を確認する事なく、鏡華は剣を持った腕を一閃。空に具現する槍の群れ。

 

  ―疾ッ!

 

 音速を超えてオッシアへ放たれる。

 躱す事など不可能な数と速度。それらをオッシアは慌てる素振りすら見せず反応した。

 

  ――遥か彼方の理想郷・応用編――

 

 刹那、世界が動きを止めた。自分の色を忘れたかのように色褪せ、様々な色に変化する。

 鏡華と放たれた槍群も例外ではない。

 これに制限時間はない。歩いても問題はないが、歩く気など毛頭ない。

 全力で駆け出し、槍の合間を斬り抜けながら鏡華の前に辿り着く。

 振りかぶるモーションのまま、結界を解いた。

 騎士王の鞘だったからなのか、結界を発動しては人を攻撃する事は出来ないのだ。

 それでも、大抵の相手は驚いている間に倒される。弦十郎や緒川のような達人でも反撃には出にくいだろう。

 そう云う“反則技”なのだ。この技は。

 

「――ッ、うぉらっ!」

 

 ――なのに。

 

  —閃ッ

  —戟ッ

  —裂ッ

 

 この男は、達人の域に達してなどいない遠見鏡華は、その反則技に対応していた。

 一閃を弾かれ、オッシアは本気で舌打ちした。

 ――こいつ、慣れてきてやがる……ッ!

 たった数合なのに、オッシアの動きを予想して反撃に出ていた。完璧とは云えず未だ条件反射の域だが、それでも次第にはっきりと動きを合わせて反撃している。

 同じ存在だけありはっきりと鏡華の成長を感じてしまうオッシアは、悪態を脳内で吐き捨てた。

 口の端は嬉しそうに吊り上げられているにも関わらず。

 

「見える……動ける、戦える!」

「だからと言って、対抗できる訳じゃねぇがな!」

 

  —蹴ッ!

 

 自分を奮い立たせる鏡華に、オッシアはピシャリと言い放ち、斬るモーションで誘導し蹴りを放った。

 

「負けるかよ……っ」

「ぅ……くっ」

「負けてたまるか。オレ達(ココロ)を捨てて、平和を享受する俺達(おまえら)に――負けてたまるか、よっ!」

「ッ――!」

 

 装備をカルンウェナンに変え、接近戦を挑んでくるオッシア。

 長剣のカリバーンや槍のロンでは不利な距離。鏡華は即座に具現化を解いて徒手空拳で対抗する。

 しかし、いくら同じ存在だとしてもオッシア(偽物)鏡華(ホンモノ)に負ける理由がなかった。

 気持ちの上では負ける理由がない。然れど結局のところ、勝敗を分ける要因はたった一つ。

 腕っ節が、強いか――弱いか。

 たったこれだけの事なのだ。

 いくら想いを叫ぼうと、負けないと吠えても――実力が伴わない想いは無力なのだ。

 

「あっ……がっ、っう――!」

 

 伸ばした腕は空を切り、真横から圧し折られ、切り裂かれる。

 

「っぁ、がぁあ! ――ふぐっ!」

 

 蹴り放たれた足は受け止められ、蹴り返されて技となさない。

 

 いつもそうだ。

 いつだって、そうだ。

 防御さえままならなず、サンドバッグのように滅多打ちにされながら鏡華は思う。

 ここぞと云う時、自分の想いは必ず空回ってしまう。

 手を伸ばしても、歩を進めようと――届かず、辿り着けない。

 今だってそうだ。ようやく辿り着いたこの地で、己が罪によって打ちのめされている。

 

  ―裂ッ!

  ―斬ッ!

 

 空気ごと最後の一撃を斬り飛ばされ、

 

  ―破ッ!

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

 

 がら空きとなった胴体に、拳撃がぶち込まれた。

 吹き飛んだ身体は斜面にぶつかり、滑る事なく減り込んだ。

 

  ―疾ッ

 

 痛みを堪え立ち上がろうとした鏡華の耳に聞こえる飛来する音。

 トスッと地面に刺さった音が聞こえた瞬間、身体が急に動かなくなった。

 何かされた訳じゃない――否、“何かは”されたのだ。

 視線をズラせば、自身の周りに突き刺さっている短剣があった。

 周りに――いや、これは!

 

「俺の影……っつー事はまさか、影縫い……!」

 

 んな馬鹿な、と叫びたい気分だった。

 《影縫い》は本来、緒川が使用していた“現代忍法”の一つだ。その利便性に惚れ込んだ翼が、三年もの歳月を費やして習得した技。

 当然、鏡華も挑戦したが成功には至らず習得は出来なかった。

 その技を、目の前の遠見鏡華(オッシア)は今まさに使っているのだ。

 

「平和ボケしてた貴様と違って、オレは暇を持て余してたからな。飲まず食わず、寝ずに一年ぐらいで習得してやったよ」

 

 手元でカルンウェナンを器用に振り回しながら鏡華へ近付くオッシア。

 抜け出そうと必死にもがくが、そもそも、もがく事すら出来ない。

 

「一先ずは決着だ。死なない遠見鏡華(オレ達)の敗北は、相手の想いに屈した時。だからこの勝負は引き分けだ」

 

 オッシアの言葉に鏡華は憤りを覚えた。

 ――ふざけるな。引き分けだと? どう考えたって、お前の勝ちだろうがっ。

 だけど、そんな事を鏡華が言える筈もなく。

 カリバーンを具現したオッシアが切っ先が届くギリギリの距離で足を止め、ゆっくりと振り上げられる。

 

「だけど示しは必要だよな。だから――あばよ」

 

 そして、振り下ろされる。

 鏡華は最後まで眼を逸らす事はしなかった。

 だから見てしまった。振り下ろされるまでの一瞬を――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 二課の船内を飛び出した翼は、即座にギアを纏い船体を蹴り跳び出していた。

 自分達を迎えに来ていたので陸地とは然程離れておらず、脚部のブーストを使う事なく陸地に着地し、その姿勢を崩さずに跳躍した。

 人間の限界を超えた跳躍によって近くの倉庫の屋根に跳び乗った翼は、全速力で駆け出す。

 ――もっと、もっと疾くだっ。

 既に自分の限界を超えた速度に達しているにも関わらず、翼はなおも速度を己に要求した。

 何故ここまで焦るのか、自分でも分からない。

 だけど、とても嫌な予感がするのだ。

 焦る気持ちを歌にし原動力に変えて、翼は屋根から屋根へと跳び夜の街を駆ける。

 他の人に見られる可能性は――幸か不幸か、ゼロに近い。あまりにも速すぎるため、眩い夜の街でも視認は難しく、ほぼ不可能だった。

 

「――てよ! 待てよ、翼ッ!」

 

 風となっていると言われても不思議でない翼を追い掛ける影。翼は振り向こうとしない。

 影は――奏は少しして翼の隣まで追いつき並走する。その姿はガングニールだけの防護服になっていた。

 

「やぁっと追いついた……いきなりどうしたんだよ」

「……分からない」

「分からないって、翼ぁ……」

「分からないけど、嫌な感じがするんだ」

 

 別に翼は勘がいい訳ではない。

 ただ何となく、漠然と感じているだけだ。

 

「奏は何か感じない?」

「……翼が言ってる嫌な感じってのと同じかどうかは知んないけど、すごくどす黒い何かは感じるな」

「どす黒い?」

「おう。こう、負の感情って奴みたいな何かだ。はっきりとは翼同様、分かんないけど」

 

 二人同時に足場を踏み込み、ビルから跳躍て大通りに飛び出す。

 かなりの距離だったが、ギアを纏った奏と翼は軽々と飛び越えて反対側のビルに着地して駆ける。

 

「そういや、勝手に飛び出してきたけど、これって怒られねぇかな?」

「……それ、今考える事なの?」

「いやさ、弦十郎の旦那はともかく、緒川さんのお小言は面倒じゃん」

「まあ、それは確かに」

 

 緒川の事だ、弦十郎のお説教の後に「お二人はアイドルなんですから、もう少し慎んでください」などと溜め息混じりに言ってきそうだ。

 怒ると云う訳でもなく、注意に近いのだが、その注意が奏は少し面倒だった。

 

「ま、今回は鏡華のせいにすればいっか。鏡華だって勝手に敵と会ってたんだし」

「くすっ……そうだな」

 

 奏と話している間に、焦る気持ちはどこかに消え去っていた。

 そのおかげかどうかは定かではないが、走る速度が上がった気がした。

 

「奏はやっぱりすごいな」

「ん、どうした?」

「何でもない。――さ、急ごう!」

「おうっ」

 

 数分の間に街を抜け、カ・ディンギル址地の荒野に到着する。

 それでも逸る心を鎮め、足を動かす。

 だが、封鎖されたカ・ディンギルの根元が見えてくると、

 

「――ッ!」

 

 戦っているであろう二人の姿も見えた。

 地面に倒れ込んでいる鏡華とその目の前で黄金の剣を振りかざしているもう一人の鏡華の姿が。

 纏っている黒装束で判断するに、剣を振りかざしているのがオッシアだろう。

 つまり――鏡華が危なかった。

 瞬間、翼の思考はそこで途切れていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 目の前で何が起こったか。

 眼を逸らしたり閉じなかった鏡華は、最後の瞬間までその光景を眺めていた。

 オッシアの振り下ろしたカリバーンは真っ直ぐ自分に向かってきて、

 

「――ぁ――」

 

 何かで止まる事なく、その刃で斬った。

 その全てが、まるでスローモーションの出来事のように感じる。

 カリバーンは確かに斬った。だが、それは鏡華には届いていない。

 飛沫が鏡華の顔に掛かる。

 振り下ろしたオッシアの顔が見えた。驚愕した表情だった。

 きっと自分も同じ顔なのだろう。

 ポタポタと液体がこぼれ、それからすぐに液体をこぼしたモノは地面に崩れ落ちる。

 そこでやっと時が正常に動き出す。

 だからそこで鏡華は叫んだ。喉が破れんばかりに絶叫した。

 

「ァ、ァァ……ァアッ、翼ァァアアアア――ッ!!」

 

 自分の代わりに斬られた、翼に向かって。



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Fine6 遠くを見ず、鏡の華を愛でるⅢ

 《影縫い》の効果が切れたのか、影を縫い付けていた短剣は粒子へ変わって消えていく。

 拘束を解かれた鏡華はズルズルと斜面を滑り落ちた。しかし、その場所から動けずにいた。

 ようやく動いたのは数十秒後の事。放心したように緩慢な動きで倒れ臥した翼に近寄っていった。

 

「翼……?」

 

 倒れ臥すと同時に防護服が解除され、リディアンの制服に戻った翼。

 うつ伏せに倒れた翼の背中に触れて、ゆさゆさと揺する。

 翼は応えない。

 

「翼……!」

 

 今度は少し強く。声音も揺すりも強くして呼ぶ。

 それでも翼は応えない。

 

「翼ッ!!」

 

 叫ぶように呼び、抱き起こす。仰向けに抱き抱えて初めて気付いた。

 灯りの少ないこの場所でもシャツが真っ赤になりつつある事を。

 左胸から斜めに染み出したそれは、間違いなく先の一閃を受けたからである事を証明していた。

 

「あ、ああっ……ああ――っ」

「――翼ッ!!」

 

 取り乱しそうになる鏡華の前に、奏が現れる。

 彼女もかなり焦った様子で翼の名前を叫ぶ。

 

「オ、レは……っ、耐えろ。覚悟の上だったじゃねぇか……今更っ!」

 

 ジリジリと後ろに下がっていたオッシア。

 その手にカリバーンは既になく、手は頭を抱える様に抑えていた。

 だが、そんなオッシアの様子を奏と鏡華は気付きもしなかった。

 

「血が、血が止まらない……! 鏡華、どうすればっ」

「……っ、そうだ、アヴァロン。アヴァロンを埋め込めば……!」

「そ、それ! 早く、早く翼にアヴァロンを埋め込んでくれよ、鏡華!」

 

 明らかに冷静を欠いている鏡華と奏の判断。

 だけど鏡華と奏がそれに気付く様子は一切ない。

 ただ一人、オッシアだけは違った。

 

  ―閃ッ!

  ―破ッ!

 

 近くの地面が砕け飛ぶ。

 オッシアの一撃が地面を狙ったのだ。

 振り向き、怒りの眼差しを向ける鏡華と奏。

 ただ――オッシアも眼差しは一緒だった。

 

「ふざけるなよ……てめぇ、自分がした事をもう忘れたのかっ」

「…………」

「懇切丁寧に教えてやったってのに――また繰り返す気かっ!」

「ッ――」

 

 オッシアの怒鳴り声に、鏡華は我に返る。

 俯く鏡華と対象に奏が喰って掛かる。

 

「ふざけんなはこっちのセリフだ! 翼を斬った張本人が言うんじゃねぇよ!」

「翼が勝手に前に躍り出ただけだ。遠見鏡華(オレ達)は斬られた程度じゃ死なない事ぐらい分かってただろ!」

「それでも! それでも好きな人が傷付くのは見てられないだろっ!? オッシアは鏡華なんだろ? ならこの気持ちだって分かってるだろ!?」

「くっ――オレは、囚われた奏を救うと決めたんだ! それ以外どうなろうと、知った事か!」

 

 苦虫を潰した表情を一瞬浮かべるも、すぐに否定する。

 遠見鏡華であって遠見鏡華ではないオッシアの態度に、奏はそれでも言葉を続けようとした。

 しかし、その前に俯いた鏡華の言葉を聞き逃さなかった。

 

「……でも」

「鏡華……?」

「それでも、俺は……翼に生きてもらいたい」

「ッ、貴様は何も聞いてなかったのか!」

 

 鏡華の呟きを聞いていたオッシアは当然、反論し叫ぶ。

 それに答えたのは――

 

「……私も、埋め込んでほしい……」

「ぁ……翼っ」

 

 苦しそうに瞼を開いた翼は、荒い息を吐きながら小さくで、だけど全員に届く声で喋った。

 

「前、言ったよね、鏡華? 不老不死になるのは、考えてほしいって」

「あ、ああ……言った、言ったよ」

「あれから、ずっと考えてた……でも、やっぱり……」

 

 こほっ、と血を吐き出す。

 鏡華と奏が叫ぶが、翼は微笑みながら続けた。

 血に濡れた手を、そっと鏡華の頬に添える。

 

「一緒に、いたいんだ。ずっと……大好きな鏡華と奏と一緒に」

「翼……」

「もし……二人みたいに、咎を生んでしまっても……後悔など、しない……!」

「あぁ――」

 

 堪え切れず、ぐったりとした翼の身体を抱き締める。

 言いたい事を伝えて満足したのか、持ち上がっていた翼の腕が力をなくしたように血溜まりに落ちた。

 

「馬鹿野郎……それは、埋め込む側のただの言い分だ。埋め込まれ縛られる感情(オレ達)の事など考えていない勝手な自己完結だっ」

 

 吐き捨てるようにオッシアは言う。

 華奢な抱き締め、俯いたまま鏡華は呟いた。

 

「……そうだな。これは俺達の勝手な言い分だ」

 

 防護服を解除して、一部を金色の光と変える。三分の一を奏に返す。

 片腕にその光を持ったまま、翼の身体を斜面に凭れさせる。奏は翼の隣に付き添う。

 そして、金色の光を――翼に押し込んだ。

 すぐに立ち上がり、後ろに下がってオッシアの方へ向いた。

 刹那――、

 

  ―裂

 

 鏡華の胸辺りが一瞬にして裂かれた。

 誰も何もしていない。無論、オッシアもしていない。

 否――鏡華だけが何かをした。

 もちろん、オッシアと奏には何をしたのか分かっていた。

 

「埋め込んだか、呪いの鞘を翼に――!」

 

 刹那に鏡華が負った傷は、一寸違わずに翼が負った傷だ。

 つまり、翼に騎士王の鞘、アヴァロンを埋め込んだ証でもあった。

 

「ぐぅっ……くっ」

 

 翼が受けた痛みを一瞬の内に味わう鏡華は、痛みを噛み殺す。

 その代わり、背後の翼の呼吸は落ち着きを見せていた。

 ――大丈夫、奏の時と比べれば大した事ない。

 荒い息にならないように耐える鏡華は、そう確信していた。

 だが――

 

「……ッ?」

 

 身体の内側より感じる何か。

 涌き上がってくるようなこれは――何なのだろうか。

 

「鏡華……?」

 

 疑問を浮かべていると、奏が呟いた。

 それ何、と云った様子で自分を指差している。

 それ、と鸚鵡返しに聞き返しつつ自分の腕を見ると――

 ぼこりと何かが少し溢れていた。

 赤い、紅い点のような、だけど垂れる事ない泡だった。

 

「何だこれ――」

 

 鏡華自身も呆けたように見つめる。

 ぽこり、ぽこりと溢れてきた泡は、そして鏡華が気付いたと同時に急速に全身に溢れだした。

 

「まさか、ここにきてか……!」

 

 唯一、何かを知っていそうなオッシアだけが声を荒げる。

 誰もなす術もないまま傍観に徹してしまう。

 

「う、る、あ、あ……」

 

 鏡華は悲鳴に近い呟きを発しながら泡に呑み込まれていく。

 瞬間、紅の泡が全身を包み込み、肥大化して紅色の光が弾けた。

 

「ッ――! 鏡華ッ!」

 

 光が弾けると同時に舞い起きた暴風から翼を庇いながら奏は鏡華の名前を叫ぶ。

 砂煙が晴れ、光が消えていくと共に、そこに鏡華はいた。

 いや、鏡華であって鏡華ではなかった。

 喩えるなら響の暴走時の姿。それが漆黒ではなく紅に染まった姿。決定的に違う点を挙げれば、紅は全身を覆うだけでなく背中から伸びて翼の形を模し、手には泡が形成した鉤爪、尾の如く生えた泡。そして、全身を覆った泡がまるで竜の姿を成していた。

 

「きょ、う……か……」

 

 呆然と奏が声を上げる。

 生まれて初めてだった。鏡華を――“怖いと思ってしまったのは”。

 

「ルゥゥウォオオアアアア――!!」

 

 獣のように吠え叫ぶ鏡華。

 そんな鏡華を見ていた奏の胸に、ないはずの鞘がまるで応えるかのように言葉を刻んだ気がした。

 

  ――騎士国の(ウェルシュ・)赫き竜(ドライグ)――

 

 ただ、それだけを――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  ―吼ッ!

 

 天を(つんざ)く咆哮。大音響に、竜と化した鏡華の辺りを吹き飛ばし、砂煙を盛大に撒き散らす。

 飛んでくる砂煙や石礫をプライウェンで防ぐ奏は、呆然と見つめるしかなかった。

 訳が分からなかった。

 目の前の出来事が嘘のようで、何度も眼を擦り、まばたきを繰り返したが、現実は変わらなかった。

 

「暴走……なんでだよ……」

 

 明らかに鏡華は暴走している。それは一目見て明らかである。

 だけど、こんな暴走の仕方は初めてだ。どう反応していいか分からない。

 きっとモニター越しの弦十郎達も同じように絶句しているだろう。

 

「クソッタレめ……今頃になって継承され始めたのか」

「……? 継承、だって?」

 

 一方でオッシアは黒装束で身を守りつつ、状況を把握しつつある。

 冷静に言うオッシアの言葉に、奏は聞き返す。

 

遠見鏡華(オレ達)は鞘を真に継承してないっ。適合者じゃないんだ、遠見鏡華(オレ達)は!」

「ど、どういう事なんだよ! 適合者じゃないって……」

「オレ達は鞘の新たな――ッ!」

 

 最後まで答えず、オッシアは後ろに跳ぶ。

 今まで立っていた場所を、鏡華の鉤爪が抉り取る。《瞬動》なんて生易しい《縮地》の域の速度だ。

 オッシアの反応だって半ば反射に近い。

 

「うるるる……」

 

 パッ、パッ、と刹那の煌めきと共に具現化する槍群。鏡華の背後に展開された槍群の矛先は、オッシアへ微調整されていく。動けば必ずそちらへ向く槍群は、さながら獲物へ狙いを定める獣の如く。

 

「るぅおおおおっ!」

 

  ――貫き穿つ螺旋棘――

 

 咆哮がトリガーとなり、槍群が放たれる。

 オッシアも槍群を生み出して、放つ。

 槍群は互いに引き寄せられるようにぶつかり合い、貫き合う。

 

「嘗めるな、こちとらもう通った道なんだよっ」

 

 既に目の前まで跳び込んで来た鏡華に、オッシアの拳がカウンターの如く顔面に減り込む。吹き飛ぶ鏡華。しかし、遅れてオッシアも後方に吹き飛んだ。

 吹き飛ぶ瞬間、尻尾で殴打したのだ。

 地面を滑りながら器用に身体を捻り体勢を立て直すオッシア。四つん這いで動きを止めると、いや、四つん這いと云うよりクラウチングスタートの構えか。弾丸のように飛び出していく。

 

  ―撃ッ!

  ―破ッ!

  ―轟ッ!

 

 重なり合うデュランダルと鉤爪。

 振るわれる鉤爪をオッシアは空いた手の甲で払いのける。

 

  ―閃ッ!

 

 反対から閃くデュランダルの一閃。いつのもの鏡華であれば防ぐが、暴走している鏡華は防ごうとしなかった。抵抗せずに胸を斬られる。痛みを感じるのか鏡華は呻く。だが次の瞬間には身体をぐるりと回し、また尻尾で殴る。

 

「同じ手を二度喰らう――」

「るぅあっ」

 

 直後、鏡華の腕が伸びてオッシアの黒装束を掴む。

 尻尾による攻撃はブラフだったと、この時になって気付く。気付いた時には時既に遅し。

 

  ―打ッ!

  ―撃ッ!

 

 握り締めた拳の一撃。鉤爪と比べれば幾分かマシだろう。

 それでも、その一撃は先程暴走する前に受けたものより何倍も重かった。

 吹き飛ぶ一撃。それは黒装束を掴んだ鏡華が許さない。

 

「るぅう――」

「――キミの終焉」

 

 もう一撃、とばかりに拳を振りかざす。

 ――その時。オッシアが何かを小さく呟いた。

 ただそれだけなのに、静電気を感じたように鏡華がオッシアを離した。

 地面に着地する。ダメージを受けているはずなのに、その立ち振る舞いは何一つ乱れていない。

 

「これを唱う時は、貴様との決着の時だと思っていたんだがな。まあいい。よく、見てろ」

 

 ひゅう、と息を細く吐き、キッと鏡華を睨みつける。

 その姿に、奏は眼を疑った。

 彼の周りの空気が、彼を中心に螺旋を描く。

 集まってきた空気。それらが段々と金色に染められていく。

 

「これが――継承を済ませた、“お前の姿”だ!」

 

  ――キミの終焉、其れはいつか必ず――

 

 吹き荒れる金色の風の中、小さく囁かれた言の葉。まるでそれは聖詠のよう。

 だけど、世界にはっきりと、どこまでも静謐に届けられる。

 

  ―煌ッ

 

 途端、金色の風が爆発するように光となって視界を染めた。上空にオッシアを今まで覆い隠していた黒装束が弾け飛んでいた。

 そして、風が、光が、落ち着きを見せると、其れは姿を見せた。

 完全に露わになったオッシアの顔。それはまさしく遠見鏡華。唯一違うのは髪がかつての短さ。

 彼が纏うのは漆黒を基調とした防護服。その上から銀を基調とした胴鎧、手甲、脚甲が覆う。肩で留められたマントはなく、代わりに腰周りの鎧からコートの裾のように布が風に揺れている。

 その手に握り締めるのは、本来であればカリバーンであった。が、今は違った。黄金の剣ではある、しかし今握り締めているのはデュランダルだ。

 

「ぅるう、ぐるる……」

「――――」

 

 唸り声を上げる鏡華。だが、その場から動こうとしない。

 ゆらりと立ち上る紅いオーラを纏い、鏡華を見据える。その眼はひどく落ち着き払っているように、奏には見えた。

 同時に、彼によって圧迫されているであろう空気に奏は息を呑む。

 よくアニメや漫画、ドラマで、武闘家などが相手取った敵の実力を肌で感じると云う描写がある。身近に弦十郎やかつて戦った櫻井了子(フィーネ)の実力を感じる事があった奏は、そう云う“空気”を一般人に比べて多少強く感じられれていた。

 しかし、目の前のオッシアの気配は、それらを飛び抜けて異常だった――異質だった。

 まるで、そもそもが違う、ヒトの域を超えているような――

 まるで――まるで、書物・石碑・叙事詩に出てくる英雄のようで。

 

「来いよ――主役は違うが、竜殺しは英雄の役目だ」

 

 手招きするように、指先を天に向けてクイクイッと動かす。

 挑発と受け取ったのか、凍り付いた空間を壊すが如く、咆哮と共に飛び出す鏡華。付き従う従者よろしく槍群が具現していく。

 放たれた槍群にオッシアは、

 

「――しゃらくせぇ」

 

 ただ、左手を翳すだけ!

 それだけで、たったそれだけで突き刺さろうとした無数の槍が動きを止めた。

 鈍い音を立てて地面に落ち、粒子となって消える。

 それきり鏡華はロンを出さなかった、いや、出せなかったが正しい。己の身一つで突撃する。

 

「まさか、武器の使用を封じたのか!?」

 

 ありえない話ではなかった。

 同じ完全聖遺物を使用する者同士――この場合、恐らくアヴァロン限定だろうが――互いの武具に干渉できない訳ではない。きっと鏡華が使用できなくなっていた内包結界《遥か彼方の理想郷・応用編》と同じ原理だろう。

 その点、自分はちゃっかり使用しているところがまた“鏡華らしい”のだが。

 

  ―斬ッ!

  ―迅ッ!

  ―裂ッ!

 

 迅雷の速度を持って放たれた斬撃。

 速度とは裏腹に風切り音さえ聞こえない静かな斬撃は鏡華を覆う紅の衣を、翼を、斬り捨てていく。

 

  ―撃ッ!

  ―破ッ!

 

 剥き出しになった鎧と云うか防護服を拳の“余波”で弾き、破り捨てる。

 それでも止まらない鏡華の頭上へ《遥か彼方の理想郷・応用編》を使用して移動。回転を混ぜて威力を倍加させて踵を落とした。

 

  ―轟ッ!

  ―震ッ!

 

 まともに喰らった鏡華は当然、地面に叩き付けられる。

 常人、奏者であろうとすぐには動けないであろう一撃だと云う事は一目瞭然だった。

 にも関わらず起き上がる鏡華。破れている防護服は修繕されていき、紅の衣が全身を覆い尽くす。

 

「そうだ、立ち上がれ。立ち上がって、倒れろ。そうして――」

 

 ――気付くんだ。

 まるで、我が子を千尋の谷へ突き落とす親のように言い放つ。

 鏡華にその言葉が聞こえているのか、聞こえていないのか、それは定かではなかった。

 確かなのは――今の鏡華では自分自身(オッシア)には勝てないと云う事実だけ。



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Fine6 遠くを見ず、鏡の華を愛でるⅣ

 時刻は少し遡る。正確には翼が鏡華の許へ辿り着いた直後。斬られる瞬間まで。

 出遅れたクリスとヴァンも、防護服を纏って双翼と同じように夜の空を駆けていた。

 

「少し遅れただけなんだが……」

「あいつら、どんだけ足速ぇんだよ。愛とか言ったら……納得してやるか」

「納得するのかよ。大概だな」

「大概だろ、恋ってもんは」

 

 然もありなん、と納得するヴァンも大概なのだが、そこは脇に捨て置こう。

 

「にしてもよ、ヴァン。さっきのアレって実際のとこ、どうなんだよ?」

「生憎と、俺は生物学者でも遺伝子とかの研究者でもないから説明を求められてもな……」

「じゃあ感想で」

「ぶっちゃけありえない」

「……確かにあたしは感想を言えって言ったけどよ、だからって昔見たアニメの引用しなくても」

 

 ジト眼で見られるのを遠くのカ・ディンギル跡地を見つめる事で回避する。

 

「見えんな、双翼の姿は」

「分かりやすい話の逸らし方だな、オイ」

「本当にありえないんだから仕方ないだろう。世の中似た人間は三人いる、と云うが、アレは“似た人間”じゃない。“同じ人間”なんだ。遠見鏡華として測れても、常識では測れんよ」

 

 親に連れられ、幼い頃から世界を巡っていたヴァンは、自分にしろ両親の仲間にしろ、容姿の似ている人間に会った事が何度かあった。だけど似ているのは容姿だけ。人としての“中身”はいつも違っていた。

 しかし今回はその常識が通用しない。オッシアの説明を信じるのなら鏡華とオッシアは全てにおいて似通っている――否、まったくの同一人物。

 

「まあ、遠見鏡華を対象(オブジェクト)として考えるなら……」

「考えるなら?」

「嘘をついている――と云うのが感想だ」

 

 言い切って、ヴァンはクリスの腕を掴んだ。次に着地した建物で足を止めた。

 急停止にクリスは前のめりに倒れそうになるが、ヴァンは自分の許へ引っ張り体勢を整えさせた。

 

「っと……いきなりどうしたんだよ」

「唐突な登場……本質は同じなんだな」

「は……?」

「路上ライブでもするつもりか? ――天羽奏」

 

 灯りによって生み出された人造の闇夜に向かって口を開く。

 

「――おっどろいた。よくアタシが隠れてるのが分かったな?」

 

 心底驚いている声音。そこから出てきたのは、黒の防護服を纏った女性。形状は鏡華の防護服に似ているが胸元や腹部など露出が多い。

 奏の登場に驚いたのはクリスも同じだ。奏は先に翼と共に飛び出していったのに。そして初めて見る防護服。

 

「……偽物、か?」

「偽物じゃねぇよ、バーカ。そのデカパイ揉みしだくぞ」

「なっ……」

 

 殺気と共に両手をわきわき動かして、奏は脅す。

 顔を赤らめたクリスは殺気よりも胸を揉まれる事を恐れてか、両腕で自分の胸を隠した。

 

「てか、テメェにバレたのが気に食わねぇな。上手く隠れなかった自分に怒りが込み上げてくるぜ」

「あいつ同様、俺にとっては隠れている、とは言えないからな」

「ちっ、そうかよ。――まあいいや、改めて自己紹介だ。天羽奏改めフュリ・アフェッティ、天羽奏の本物にして偽物だ」

怒り(フュリ)……」

感情(アフェッティ)――それはまた、オッシア同様分かりやすい」

「オッシア? ……ああ、アイツ、外じゃそう名乗ってるのな。格好つけやがって」

「外?」

「アタシの前ではリート・アフェッティって名乗ってんだよ」

「リート……愛や美を讃える歌の意か」

 

 しかも、こいつの前限定で名乗る――

 そんなオッシアの行動にヴァンは苦笑を禁じ得なかった。

 リート――つまり、奏、いや、フュリを讃えるための名を他の人間に教えたくなくて、別の名を名乗っていると云う事か。オッシア――代替、代わりと云う意味での音楽用語。なるほど、オッシアとは偽名の偽名なのだろう。

 そう考えると、ますますオッシアが“鏡華らしく”見えてきた。

 

「あん? なに一人で笑ってんだよ。なんかイライラするな」

「貴様は貴様で、怒りっぱなしだな。ある時期のクリスみたいだ」

「ちょっ、おまっ、何をぶっちゃけてんだよ!」

「で? そんな怒ってばかりのフュリ・アフェッティは、俺達の前に現れて――何が目的だ?」

「簡単な話さ」

 

  ―輝ッ

 

 その時、遥か後方――方角からしてカ・ディンギル跡地の方向から黄金の柱が空へと昇る。

 普通の光ではない。ヴァンとクリスにはハッキリと感じ取れた。

 フュリも掌を虚空に差し出し、槍を具現化させる。ガングニールではない。ガングニールを持たない彼女の武器は、騎士王が使いしロンのはず。

 

「リートの許へは行かせない。通りたければ、アタシを斬って進め」

 

 戦闘態勢を取るフュリ。

 ヴァンとクリスもそれぞれの得物を構える。

 

「結局こうなるか……やるぞ、クリス」

「こんな事なら、槍の捌き方を習っとくべきだったぜ。胸は揉まれたかねぇけど!」

「天羽奏とだけ手合わせしないと思ったら、脳内エロ親父か、あいつは」

 

 まあいい、とその事については後で問い詰めるとして、ヴァンはクリスより一歩前に出た。

 

「やるぞ、エクスカリバー」

「……なんだ、お前もまだ“気付いてないのか”」

 

 唐突なフュリの台詞。

 どういうことだ、と視線でヴァンは訊ねる。

 

「アタシは聞かされただけなんだけどな――その剣はエクスカリバーじゃない、らしいぜ」

「……なんだと?」

「あいや、言葉が足らないな。“エクスカリバーであってエクスカリバーじゃない”。リートはそう言ってた」

「こいつが……?」

 

 思わず自分が握るエクスカリバーを見つめてしまう。

 

「馬鹿っ、よそ見すんなヴァン!」

「ッ……クリス」

「んな、いきなりのカミングアウトを真に受けてんじゃねぇよ。そんなもん後で調べればいいだろ!」

「ん……そうだな。俺とした事が、完全聖遺物だからと云って意識しすぎていたか」

 

 どうも自分は完全聖遺物(自分の武器)の事になると、少し気が逸れてしまうようだ。

 昔のように目の前の事以外の情報をシャットアウトし、フュリに視線を戻す。

 フュリは手元でクルリと槍を回し、体勢を低くして構えた。

 

「アタシもどうでもいいからな。さあ――感情の赴くまま、死合うとしようぜっ!」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「ねぇ、日向。オッシアを知らない?」

 

 真夜中、ガウンを纏ったマリアが日向に訊ねた。

 精神統一していたのか、岩の上で胡坐を掻いて眼を瞑っていた日向は眼を開き、首を横に振った。

 

「数時間前に出掛けたのは覚えてるけど……まだ帰ってないの?」

「ええ。夕食いなかった文句を言ってやろうと思っていたのだけど、一体全体どこ行ったのかしら」

「ああ、あれは酷かったね。皆が皆好き勝手に食べてたし」

 

 調はあまり肉類を食べず、切歌は切歌で野菜を食べない。ナスターシャは一応バランスよく食べるが肉類ばっかり食べるし、ウェルに至っては菓子類で済ます偏食家だ。

 オッシアがいないと栄養管理と云うものを知らないのだ、フィーネメンバーは。

 ちなみに、マリアと日向はバランス良く食べている。偏食もばっかり食べもない。

 

「なんで皆好きなものしか食べないのかしら。オッシアがいると素直に食べるのに」

「……料理できるできないの差、かな?」

「まったくもう……早く帰ってこないかしら」

 

 溜め息でも吐きそうなマリアの表情に、日向は苦笑を滲ませた。岩から下りてマリアの横に並ぶ。

 横に並んだ日向をチラリと横眼で盗み見る。

 

「……身体」

「え?」

「身体、もう大丈夫なの?」

「ああ、うん。LiNKERも洗浄できたし痛みもない。もう大丈夫なはず」

「そう……よかった」

 

 こてん、と日向の身体に寄り掛かる。

 その姿勢のまま、空を仰いで自分達を見下ろす月を見上げた。

 その時、ヘリから足音と声が聞こえた。

 

「マリア? 日向?」

 

 振り向けば切歌がこちらに来ていた。

 

「どうしたの切歌?」

「その……ちょっと眠れなくて、軽く散歩デス」

「そう。でも、もう遅いから寝ましょ。調は?」

「一緒に寝てたんデスけど、突然起きて『貧乳はステータスじゃないよ、切ちゃん』とか言い出して、牛乳飲みに行ったデス」

「どうしたのかしら?」

「……気にしないであげて二人共。それより、この時間に冷たい飲み物はお腹に悪いよ。ついでに寝る前に僕達もホットミルクでも飲もうか」

 

 どんな夢を見たのか定かではないが、調の心情が少し分かった気がした日向。

 ただ目の前の“勝ち組”には何も言わず、二人を誘うのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 気を失っている翼を抱き抱えながら、奏は目の前で起こっている戦いを傍観し続ける事しかできなかった。

 

  ――絶・貫き穿つ螺旋棘――

 

  ―撃ッ

  ―撃撃撃撃ッ!

 

 ロンが唸りを上げて、空気を捻りながら突き進む。

 紅に染まった拳が、くねる尻尾がそれら全てに対応して打ち込まれ、

 

  ―撃撃撃撃ッ!

  ―撃ッ!

 

 盛大な火花を散らして、硬い音を鳴らして弾いた。

 最後の一本を弾くのでなく掴むと、溜めなく投擲する。

 

  ―疾ッ!

 

「――ハアッ!」

 

  ―カラン

 

 オッシアは一喝で音速を超えていた槍を止めた。その場に乾いた音を鳴らし、落ちた槍は光となって消える。

 間髪入れず、手に持つデュランダルを一閃! 続けて返す刃でもう一閃!

 

  ――無尽の閃追――

 

  ッ閃―

  ―閃閃閃閃閃閃ッ!

  ―閃ッ!

 

 返す刃で一閃、更に一閃。往復の一閃が無尽と放たれる。

 

「るぅおおあああああ――ッ!!」

 

  ―ッ撃

  ―撃撃撃撃撃撃ッ!

 

 負けじと鏡華も鉤爪、尻尾で迎撃。

 閃光の刃を砕いては潰す。その繰り返し。

 しかし、永遠には続かない。

 閃光の数が鏡華の迎撃速度を超え――紅の衣を剥がし、肉体を斬り裂いた。

 

「るあ……るぅぅううっ!」

「遅ぇよ」

「るぅあっ」

 

 吠える鏡華の足元に現れるオッシア。気付かない刹那にパシッと足払いを掛ける。

 体勢を崩した鏡華。空中にいる刹那の間に、鏡華の瞳に映ったのはオッシアの足だった。

 

  ―轟ッ!

 

 振り落とした踵が鏡華の顔面を的確に射抜いた。

 

「ぐ、るぅ、がぁああ――!」

うるさい(るっせぇ)ッ! ほたえんなや!」

 

 自分を踏みつけるオッシアを両足、尻尾で退かせ、四肢をつけ、獣のように吠える鏡華。

 距離を取ったオッシアは深く息を吐いて、「面倒だ」と呟く。

 やはり、と云うべきか、自分の時とは似て非なる状態。

 この様子だと“外面だけでなく内面も”状況が違うはずだ。

 

「……本当に、面倒だ」

 

 ――だから、もう終わりにしてやる。

 デュランダルを鞘の内に戻し、オッシアは姿勢を整える。

 胸に手を当て、万感の想いを唱にして、オッシアは口を開いた。

 

「これって……絶唱、か?」

 

 唱の静謐さに、奏は呟く。

 だが、語尾には疑問符が付いていた。

 絶唱は聖遺物ごとに放たれた際の特性が違う。

 ガングニールであれば突破・貫通力に秀でた性質。

 天ノ羽々斬であれば圧縮したエネルギーに指向性を持たせて放つ性質。

 ただ、その事は今は関係ない。

 問題は、絶唱の特性は固有だが、詠唱する際の唱は等しく同じだと云う事。

 しかし、たった今オッシアが歌っている唱は奏達が歌う絶唱の唱ではない。

 その唱を聴いている内に、奏は知らずに涙を流していた。

 

「……何でだ。何で、オッシアの唱は――こんなにも悲しくなるんだよ」

 

 歌い切ったオッシア。

 その手に光が集う。

 光が固定化していき取っ手のような短い棒になり、両手で掴む。

 更に光は上へと伸び、形を変えて固定化していく。

 真っ直ぐの鍔、真っ直ぐの刃、切っ先へと姿を固定化していき、一振りの剣と成った。

 

「絶唱――カリバーン」

 

 神々しい光で創られた聖剣を前にして、鏡華はわずかに怯んだように「ぐるぅ……」と啼いた。

 本能で危険だと感じ取ったのだろうか。

 

「お前達の技で言うなら――M2CS・ver.剣と云ったところか」

 

 オッシアが自身の剣を見て呟くが、奏が見る限りそれ以上のモノとしか思えない。

 そもそもM2CSは鏡華の作詞、奏の唱、ヴァンの操作を以てして、扱える技だ。

 オッシア単独で発動させたその剣の前では、M2CSなどただの劣化型に過ぎない。

 

「さあ――いくぞ」

「るぅ……ぅぅおおああああ――!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!

 咆哮で大地を揺らし、踏み出した足で大地を砕く。

 一拍遅れてオッシアもその場から飛び出す。

 

  ―震ッ!

 

 大気が、大地が、カ・ディンギルが。

 赤子のように泣き叫ぶが如く震え続ける。

 

「なんだよこれ……。こんなの、もう人間技じゃない」

 

 震える大地に倒れない様、翼を強く抱き締める奏。

 鏡華を恐怖しているわけじゃない。目の前の光景に恐怖しているのだ。

 ――少なくとも、奏はそう思っていた。

 しかし、そう思っている奏は、鏡を見るべきだったろう。

 こんな場所に鏡など存在しない。鏡の代わりになるかもしれないカ・ディンギルにも少し遠い。

 奏の表情は――目の前の光景に、光景を引き起こしているモノを、恐怖していた。

 

 そして――

 震える大地を静かに走るオッシアと、

 震える大地を踏み砕き駆ける鏡華は、

 

  ―煌ッ!

  ―轟ッ!

  ―爆ッ!!

 

 爆音を先駆けとして、閃光に呑み込まれた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 疾風迅雷――

 疾過ぎる敵を前に、ヴァンは槍の一閃を防ぎながら脳内でそう表現していた。

 

「ほらほら、どうしたよ。胸揉んじまうぞ」

「それは、やめろっつんてんだろぉおおっ!!」

 

  ――QUEEN's INFEAND――

 

  ―発ッ

  ―発発発発ッ!

 

 速度を落とさずに、わきわきと動かす掌“だけを見せて”、フュリは言う。

 心からの拒絶の絶叫と共に、クリスはボウガンより深紫の矢を大量生成して放つ。

 フュリの身体を何発もの矢が穿つが、どれも残像ばかりで本体には一本も命中しない。命中しないのだが、フュリは矢の軌道を先読みして、ほとんどの矢を摑み取っていた。

 

「あああっ! やっさいもっさぃいっ!!」

「落ち着けクリス!」

「ハハハ! 純粋に笑ったのなんて久し振りだな!」

 

 キレる寸前、と云うかキレているクリス。

 フュリに立ち向かいながらも、クリスを落ち着かせようと声を上げるヴァン。

 そんな二人を見て、心の底からの笑みを浮かべ、フュリは掴んだ矢を捨て、ロンを振るう。

 足を止める数少ない行動。当然の如くヴァンは躱すのではなく、星剣で防いだ。防ぎつつ、相手の得物である槍を弾き飛ばそうとするが、その時にはもうそこにフュリはいない。

 

「ちっ……」

「遅い遅い。ムカつくほどおっそいな、ヴァン。まあ、アタシがズルい技使ってるだけなんだけど」

「しかも最後の一歩は踏み込んでこない。どう考えても時間稼ぎだ」

「おう。アタシは足止めが目的だから――」

 

 その時だった。

 ヴァンが“世界が”震えたと感じたのは。

 

「ッ、な、なんだ……」

 

 クリスも感じ取ったのか、辺りを見渡している。

 唯一、奏だけが口を閉じて、驚いた様子を見せていた。

 

「リート――唱ったのか?」

 

 背後を振り返り、カ・ディンギル跡地を見つめる。

 先程の黄金の柱はリートが解放した証。

 そして今、小規模な光ではあるが、身体に内側にズンと来るこの圧迫感(プレッシャー)のような感覚。

 間違いない――“あの”絶唱だ。

 

「……こりゃ、引き際だな」

 

 呟き、ロンを手放して消す。

 

「オネーサンとしちゃあもう少し楽しんでいたかったんだけどなぁ。残念、時間切れだ」

「なっ、それってどう云う事だよ!」

「言葉通りの意味さ。んじゃ、お先に旦那の所へ行ってるなー」

 

 軽い口調で言い、手を挙げたフュリは、瞬きをした時にはもうそこにいなかった。

 

「くっ、急ぐぞクリス」

「あ、ああ!」

 

 遅れて二人も飛び出す。

 全速力を以てして約数分。息を少し荒げながら到着した。

 到着した二人の前に広がっていた光景は、

 

「あーらら。また派手にやっちゃってまあ」

「仕方ないだろ。相手は継承前の暴走引き起こしてたんだから」

 

 武装を解いて目の前の敵“だった”相手を見ているオッシアとフュリと、

 

「はっ……はぁっ……うくっ、うぉえ……!」

「鏡華! もう動くなよぉ……!」

 

 紅の衣を完全に剥がされ、血溜まりに崩れてなお血を嘔吐するボロボロの鏡華。未だにオッシアを睨んでいる。

 奏は気を失っているらしい翼を抱えながら、鏡華を引き止めていた。

 ヴァンとクリスは飛び出してからの事は知らない。

 オッシアは、鏡華を一瞥して背を向けた。

 

「帰ろうフュリ」

「おっ、もういいのか?」

「ああ。そもそも、予定ではここまでするつもりなんてなかった。フィーネの奴らにバレないように、ヘリに搭載されているレーダーは切ってあるが、最後の一撃だけは安心できない」

「自分が悪いくせに」

「耳が(いて)ぇな」

 

 最後に一度だけ、フュリとの会話を中断して、オッシアは顔だけ振り返った。

 

「最後に一つ」

「……、……、……っ」

「オレは認めない。本当に大切な存在は、たった一人だけだ。だから遠見鏡華(オレ)は、貴様の行為を、お前の好意を、認めない。最初に言ったかもしれないが――遠見鏡華(お前)は間違ってるんだよ」

「っ……!」

 

 それだけを意識が薄れてきた鏡華に向かって言い放ち、今度こそオッシアは歩き出した。

 その腕に、フュリが自分の腕を絡ませピッタリとくっ付いて歩く。

 数歩進んだところで、《遥か彼方の理想郷・応用編》を使ったのか、その姿が消えた。

 

「っぁ……、待ち、やがれ……」

 

 鏡華は膝を上げようとする。だが、地面と少し離れただけでそれ以上動かす事はできず、

 

「……あ……っ」

 

 再び崩れ落ち、血溜まりに倒れ臥した。

 そのまま意識が遠のいていく。

 遠見鏡華とオッシア。

 こうして、二人(ひとり)だけの“本当の意味での”初めての戦いは、

 オッシアは引き分けと言い張るかもしれないが、

 オッシアの完全なる勝利で幕を閉じるのだった。



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Fine7 昏迷の心達Ⅰ

終わりある迷宮に紛れた君。
出口を探せど見つからず、より深みへ迷っていく。
すぐ傍に答えと云う出口はあると云うのに。

Fine7 昏迷する心達

迷う者、迷わない者。
差はあれど、答えを出す事が大切なのだ。


 それは一体いつの物語なのか。

 詳しい年月はまったくの不明。

 春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか。

 “今となっては”誰も知らない一人の少年の物語。

 

 カンタベリーと云う名の寺院に、突如として岩に刺さった剣が現れた。

 とある国の王が亡くなり、後継者を巡っての戦乱の最中だった。

 剣の刀身にはどこの言語でもない、不思議な文字が刻まれていた。

 それが読めたのは、きっとこれが“夢”だからなのだろう。

 『この岩から剣を抜いた者こそこの国の王である』――刀身にはそう刻まれていた。

 崩御した王に仕えていた魔法使いが教えた剣の文字に、何人もの屈強な騎士や知勇に優れた者が、「自分こそ王に相応しい」と名乗りを上げ、岩から剣を抜こうとした。

 しかし、誰も引き抜く事が出来なかった。様々な猛者、王、果ては領主や農民まで挑戦したが結果は同じ。

 いつからか、岩に刺さった剣は誰にも見向きもされなくなり、戦乱は続けられた。

 

 それからしばらく経ったある日。

 一人の少年が岩に刺さった剣の前に現れた。

 十五歳の少年は兄の従者として騎士見習いをしていた。

 ある時、馬上試合で剣を持って来るのを忘れた兄のために、宿へ戻る途中、その岩に刺さった剣を見つけた。

 少年は、岩に刺さった剣の事は知らなかった。噂には聞いていたが、これだとは思わなかったのだ。

 これ幸い、と少年は剣を抜こうとした。

 その時、背後から声を掛けられた。

 

「その剣を抜くかね?」

 

 振り向いた少年の視線の先にいたのは、ローブに身を包んだ老人が立っていた。

 老人と気付けたのは、ローブから出て杖を握っていた手が皺くちゃだったから。それほどまでに、ローブの中から発せられる気配は若々しかった。

 

「あなたは?」

「マーリン。王に仕える魔法使いさ」

 

 声もしわがれている。だが、口調ははっきりし、抑揚も付いている。正直なところ、声が枯れた若者でも通用するだろう。

 

「そこに刺さっている剣を、抜くかね?」

「ええ」

「そうか、抜くか。それはやめた方がいい」

「……?」

 

 マーリンは忠告しているのだろう。

 では何故、そんなに楽しそうなのだろうか。

 

「楽しそう、か。そうかそうか。私は楽しそうにしているのか。いやいや、ウーサーが死んでしばらくは聖剣を抜こうと頑張っていた連中を見て暇を潰していたが、最近は誰も来なくてな? すっかり暇を持て余していたのだよ。ほら、私はとても凄い魔法使いだから、ある程度の物事なんて退屈しのぎにもならないんだ。ずっと魔法使いやってるから、ちょっと剣士に転向しようかな、と思って剣術を学んだ事もあるんだ。一日で飽きたがな」

「……」

 

 なんだろうか。

 このうるさくて、五月蝿くて、煩い、魔法使いは。

 魔法使いとは誰も彼もこんなのばかりなのだろうか。

 少年は頭痛がしてきそうな頭を振って、まだ喋り続けるマーリンを止めようと声を掛けた。

 

「……あの」

「おっと、ついつい独り語りが長くなったみたいだ」

「私の質問に答えてもらえますか」

「そうだったな、答えよう答えよう――その剣を抜いた瞬間、君は人間(ひと)を辞める事になる。その覚悟はあるか?」

 

 急に真面目な口調で、突拍子もない発言をする。

 少年は訳が分からず、鸚鵡返しに問うた。

 

「人間を、辞める……?」

「そうさ。その剣を抜くと云う事は、この国の王になると云う事だ。王になると云う事は必然、人間を辞めてもらわなければならない」

「ではこれが、噂に聞く選定の王の剣……」

「なんだい、王の剣と知らずに抜こうとしたのかい。これは傑作だ。私が声を掛けなければ、この国は何も知らない子供が治める事になっていたのか!」

 

 明らかに少年を馬鹿にするような物言い。

 普段から温厚な少年も、この時ばかりは頭にきた。が、普段の自分が落ち着けと脳内で囁く。

 おかげで少年は、いつもの自分を取り戻しかけた。

 

「まあ仮に即位したとしても、その女顔じゃあすぐに引き摺り下ろされるだけか」

「誰が女顔ですか!?」

 

 数秒でそれは崩壊してしまったが。

 怒鳴られたマーリンは一瞬だけキョトンとしたが、すぐにカラカラとしゃがれ声で笑った。

 

「アッハッハッハ! 温厚そうな、なよなよした騎士見習いかと思っていたけど、そんな顔もできたんだね」

「私とて騎士の前に一人の男だ。ましてや初対面の者にそこまで言われたら、誰だろうと怒るだろう!」

「いやいや、流石はウーサーの息子だ。怒り顔までそっくりとはね!」

「当たり前だ! 私はウーサー王の息子――息子?」

 

 激情に任せて叫んでいた少年の声が静かになる。

 頭のてっぺんから奥底の芯まで一瞬で冷える。もしかしたら足先まで冷えたかもしれない。

 今、目の前の年齢詐称の魔法使いは今、何と言ったのだろうか。

 思考だけが働いている少年の表情を見て、マーリンは「しまった」と言った。

 

「しまったしまった。これ、まだ秘密だった。アーサー、今の言葉、忘れなさい」

「いや無理でしょう!? どう云う事ですか、ウーサー王が私の父とは! 私の父はエクター卿……それに私の名前は――」

「エクター卿はウーサーと私から頼んで君を引き取ったのさ。つまり養父。いやー、しかしここまで優しくも騎士道を貫きそうな少年に育って、魔法使いは嬉しいよ。よくぞ立派に成長した! ってウーサーに代わって褒めてあげたいよ。よし、褒めて上げよう。よくぞ立派に成長した!」

「あなたの言葉では、ありがたみも消え去りますけどね!」

 

 とは云え、言ってしまった以上隠す事などできない。

 笑い終えたマーリンは杖で地面を鳴らし、雰囲気を変えた。

 

「君がその剣を抜くまで隠すつもりだったんだけどね、言葉通りさ。サー・エクターは君の養父。本当の父はウーサー・ペンドラゴン。そして、アーサーとは君の本来の名。今の君の名は誰にも悟られる事のないように、エクター卿が名付けたのさ」

「では……私は……」

「先王ウーサーの実子。王になる星の下、存在と立場を隠され一人の騎士の許に預けられた運命(さだめ)の子さ」

 

 あまりの真実に言葉を失う少年。

 マーリンは数秒待ってあげてから、再び口を開いた。

 

「……さて。改めて問おう。今は名もなき騎士見習いよ。君はこの運命を受け入れる覚悟はあるか? 目の前の剣を抜き、戦乱を収め、この国の王になる遺志はあるか?」

「わ、私は……」

「もちろん、選択肢は自由だ。剣を抜き、王になるもよし。私の言葉に異議を唱え、この剣を抜かずに立ち去り、一人の騎士として人生を全うするのもよしだ」

「で、ですが、私は運命(さだめ)の子なのでは……?」

「そうさ、君は運命(さだめ)を決められた子さ」

 

 きっぱりと言い放つ。

 だが、と言葉は続いたが。

 

「人生は別に決められたわけじゃないがね」

「え……?」

「運命と云うのはあくまで君の人生の、ちょっとした道標さ。進む方向が変われば君の人生も変わる。剣を抜けば、王と云う道。抜かなければ、騎士と云う道」

「で、ですが……」

「要は君が何をしたいのか、だ。君自身が何をしたいかで、この先の人生は大きく変わるんだ」

「私のしたい事……」

「君が生まれてから、私は君の事はある程度見てきた。剣の腕は中々、教養もよろしい。人格は……少し優しすぎるのがキズだが、ま、合格点だ。だからこそ、君は“必然と”ここにやってきた」

 

 ――聖剣を抜くかどうかは別にして。

 そう、マーリンは言った。

 ずぶずぶと魔法使いの言葉が、少年の胸に、心に染み渡っていく。

 

「だからと云って、抜かない選択肢を選んだとしても誰も君を責めない」

「……それは何故」

「“君はサー・エクターの次男だから”。周りはそう判断する。そして、本当の正体を知っている私達も責める事はない。“それが君が選んだ人生”なんだから」

 

 少年は俯き、何かを考えているように見えた。

 数秒、数十秒、数分の沈黙の後――

 世界が突然離れていく。

 もがき、どうにか最後まで見ようと必死に足掻くが、それは無駄に終わる。

 だけど、最後の一瞬まで見ていた。

 声は聞こえずとも、少年は顔を上げて、岩に刺さった剣の柄に手を掛けていた。

 次いで、何かを叫ぶと同時に剣を引き抜いた。

 黄金に輝く聖剣。見紛う事のないその聖剣の名は――カリバーン。

 そして、少年は少年ではなくなり――アーサー・ペンドラゴンに成った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 音が聞こえ始める。いや、戻り始めると言った方が適切かもしれない。

 “今回は”ハッキリと憶えていた。だからこそ疑問しか残らないのだが。

 まあいい、と重くない瞼をゆっくりと開いていく。視界には真白い天井と眩しくない光量の灯り。

 深く、ゆっくりと息を吐く。微かに血の匂いがした。

 鈍く痛む頭を抑えながら上体だけを起こしして止めた。胸の上に奏が頭を乗せて寝ていたからだ。

 頭だけで周りを見回して二課の病室だと判断した。

 隣のベッドには翼が眠っているのが見えた。胸は規則正しく上下しており、ベッドサイドモニタも正常な値を示しながらピッ、ピッ、と音を鳴らしている。

 奏に気付かれないように、起こさないようにベッドから下りて、翼の許へ歩く。どれだけダメージを負っていたのだろう。歩くたびに肉体と云うより精神の何かがズキリと痛んだ。

 バレたら後で殴られるのを承知で病衣を脱がす。もちろん欲情したわけじゃない。

 健康的な白い肌。程よく付いた筋肉。本人がいつも気にしている小さな胸。

 理性を飛ばすのに十分な翼の上半身を見て、鏡華は安堵の息を漏らした。

 

「よかった。傷痕は残ってない」

 

 確認を終えて、脱がした病衣を着せ直す。

 今度は自分の病衣の裾をめくる。傷だらけの肉体。そこに今までなかった一筋の傷が新しく刻み込まれていた。

 

「傷痕は男の勲章とか言うけど……ここまでくると流石になぁ」

 

 苦笑を漏らし、病衣を脱いでいく。鞘を身体から抜き出して鞘内から自分の服を取り出して着る。

 予備に入れていた服がこんな所で役に立つとは思わなかった。

 着替え終わり、鏡華は眼を覚まさない翼の髪を優しく梳く。

 奏は肉体の消失とLiNKERによるダメージの反動から二年間眠っていたが、翼が負った傷は胸から腹部にかけての一閃。出血は多量だったが致命傷ではなかったようで、反動もその分抑えられているはず。

 数日で眼を覚ます、と云うのが鏡華の予想だ。

 

「ごめんな。翼が眼を覚ますまで待ってたいんだけど……今回ばかりは待ってられないみたいだ」

 

 髪を梳いていた手は下へ下りていき、頬に触れる。

 そのまま覗き込んでいた顔を近付け――唇を重ねた。

 卑怯だとは分かっている。それが自分の性分だと云う事も。

 

「……きょう、かぁ……翼ぁ……」

「奏も……ごめんな。アヴァロン、まだ返せないみたいだ」

 

 寝言で自分と翼の名前を呼ぶ奏の髪も丁寧に梳いて上げる。

 気持ち良さそうな声を漏らして静かになる。

 うつ伏せになっている奏の唇にキスは無理だったので、額近くと髪にキスした。

 うろ覚えだが額へのキスは祝福を。髪へのキスは思慕だったはず。

 

「じゃあ――行ってくる」

 

 その言葉とともに。

 彼は再び――彼女達の前から姿を消した。

 今度こそ、たった独りきりで。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  ―鈴

 

「――ッ」

 

 これまでに何度も響く鈴の音に、未来は眠っていた意識を無理矢理覚醒させた。

 鈴が鳴った時は決まって自分の大切な誰かに何かが起きた時だった。

 響は自分の隣で一緒に寝ていてくれた。今回はむしろ心配している側だ。

 つまり――消去法で考えて、残りはただ一人。

 

「鏡華さん――!」

 

 毛布を吹き飛ばし、駆け出す。

 途中、起きたばかりだからか何度も足がもつれ転びそうになったり、歩いていた職員にぶつかりそうになった。

 それでも未来は脇目も振らずに廊下を走り、病室へ突っ込んだ。

 

「鏡華さ、ん……?」

 

 病室にいたのは未だ眠り続ける翼と奏。それだけ。

 鏡華の姿はない。寝かされていたベッドにも、病室を見渡しても、彼の姿はどこにもなかった。

 

「そんな……」

 

 その場にペタンと座り込んでしまう。

 いくら傷が治ると云ったって精神はすぐに治らないと教えてくれたのは、鏡華本人だ。

 血まみれの状態で連れ戻された、と云う事は精神が受けたダメージは相当なはず。

 そんな状態で出歩くなんて自殺行為にも等しい。

 ハッとして、未来はポケットから携帯端末を取り出して鏡華の連絡先を入力する。

 スリーコールして、繋がった音が聞こえた。

 

「鏡華さん! 今どこにいるんですか!? 戻ってきてください!」

『……未来か』

「何を考えているんですか!? あんな傷で出歩くなんて……今なら私だけが説教するだけで済ましてあげますから!」

『ははっ……未来の説教だけでも怖いなぁ。でもごめん』

 

 いつもと変わらない笑い。即答される謝罪。

 

『戻る事はできない』

「どうして……!」

『時間がないから、かな』

「時間がない? それってどう云う意味ですかっ」

『さあてね。いやいや、誤摩化してるわけじゃないんだよ未来。本当に分からないんだ。ただなんとなく、なんとなくそう思うんだよ』

 

 ――曖昧で悪いな。

 スピーカーから聞こえる鏡華の声。覇気がない事に今気付いた。

 呼吸もわずかだが荒い。

 

『っと……そろそろ電話切るな。少し前に場所を探知機だか発信器を携帯に埋め込まれたから、これ以上は居場所を知られちまう。鞘の中に突っ込んどくから電話も繋がらないと思う』

「ぁ……ま、待って、待ってください!」

『……皆の事、特に立花の事、頼む。すぐに帰ってくる、約束だ』

 

 それ以上鏡華は言葉を連ねず、通信を切った。

 未来は何度か鏡華の名前を呼び、鏡華の携帯端末に通信を掛けるが、無機質な声で「お掛けになった――」と云う定型文だけが聞こえるだけだった。

 呆然と携帯端末を見つめる未来。

 どうすればいいのか、まったく思いつかない。

 その場にへたり込んでしまいそうになった時だ。

 

「――未来?」

 

 名前を呼ばれて、未来は振り返らなかった。

 振り返らなくても、誰が自分を呼んだかは分かる。

 未来を呼んだ響は、部屋を見てなんとなく事情を察せた。

 

「未来」

 

 答えてくれない親友の名前をもう一度呼び、後ろからそっと抱き締めた。

 

「……響」

「大丈夫だよ未来。遠見先生は嘘つきだけど、約束は絶対に破らない人だから」

「私、まだ何も言ってないよ?」

「未来に対する愛情パワーと遠見先生に対する嫉妬パワーで、なんとなく分かったよ」

「……あはは、何それ」

 

 本気で言っているのか分からない――おそらく響は本気で言っているはず――響の言葉に、未来は笑みをこぼした。

 そうだ、響だって分かっていた事だ。鏡華は約束を違えた事は決してない。

 どんなに時間が掛かろうとも絶対に守る。

 そう云う人なのだ、自分が好きになった人は。

 

「ありがとう、響」

「どういたしまして。お礼に今度デートに行こうよ未来」

「また唐突だね。それに翼さんと奏さんが寝てる前で言うのもどうかと思うよ」

「じゃあ師匠のとこに報告しに行こっ。それからも一回デートに誘うから!」

 

 立ち上がらせて未来を引っ張り出す。

 ぐいぐいと手を引く響に、未来は苦笑しつつ内心で感謝と謝罪をしていた。

 感謝は、“自分を”元気づけるために明るく振る舞っている事に対して。

 謝罪は、“自分も”悩みを抱えているのに然もないかのように振る舞っている事に対して。

 

「ありがとう、響」

「ほえ? 何か言った? 未来」

「うぅん、なんにも言ってないよ響」

 

 小声でもう一度感謝して、一緒に歩く。

 響も未来のペースに歩幅を自然に合わせた。



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Fine7 昏迷の心達Ⅱ

 眼が覚めた。これ以上ないくらいハッキリと。

 二度寝の心配なんてしなくていいくらいにパッチリと、調は起きてしまった。

 時計を見ると明け方近くの時刻を差している。

 横を見るとマリアと切歌が寝ていた。マリアは布団に入った時と同じ感じで寝ている。切歌はそうでもなかった。毛布を蹴っ飛ばして下半身が飛び出ていた。寝間着はめくれお腹丸出し、ズボンもズレて下着が見えそうだ。

 

「切ちゃん……寝相悪すぎるよ」

 

 布団から這い出し切歌の寝相を直してあげ、調は誰も起こさないように着替える。

 

「ん……早いね、調ちゃん」

 

 声を掛けたのは、部屋の隅っこで壁に凭れて寝ていた日向だ。

 昨日の夜、皆でホットミルクを飲んだ後一緒に寝ようと云う事になり女子三人は一緒に寝たのだが、日向だけは少し離れた場所で寝ていたのだ。

 よろしくない姿勢で寝ていたから、微かな音で眼を覚ましてしまったのだろう。

 とは云ってもまだ眠たいのか、こくりこくりと舟を漕いでいる。

 

「日向、日向」

「んあ……」

「もう皆起きるから、ここで寝て」

「ぅんー、そうする」

 

 調の誘いに素直に、疑いも躊躇いもなく聞いて、日向はのそのそと緩慢に動く。

 布団まで来ると、こてんと倒れるように調が寝てた場所ですぐに眠った。

 掛け布団を掛けて上げる調。そのまま少しの間だけ日向を観察。

 観察の結果、日向は切歌ほど寝相は悪くない。寝返りを数回打っている。しばらくするとマリアの腕にぶつかった。

 

「ぅん……」

 

 起きちゃったか、と心配するが、マリアも寝返りを打っただけで起きなかった。寝返りを打った方向が日向の方だったが。マリアの胸に顔をうずめるように日向は寝ている。マリアは胸に当たってる日向の頭を抱えた。

 

「……マリアの胸枕はどんな枕より柔らかい」

 

 自分も体験した事を淡々と述べる。

 だけどすぐに、

 

「でも胸か……胸か」

 

 ぺたぺたと調は自分の胸を触って二回呟く。大事な事なので二回呟いた。

 

「やっぱり胸が女の子のレベルを上げるのかな? 女の子レベルの頂が百だとして、マリアは文句なしの八十レベル。地味に足りない点はただの羨ましいからだけど。切ちゃんは九十九レベルだね、うん。切ちゃんが大きいなら満足満足。じゃあ私はレベルいくつなんだろ。五十? 四十? うぅん、きっとまだ下……レベル二十もない。防人は私と同じくらい……同じくらいなんだもん。だったらまだ私の方がチャンスはある。うん、きっとある」

 

 珍しく、本ッ当に珍しく饒舌で呟き続ける調。

 少しして溜め息を吐く調。起き抜けにしゃべりすぎてしまったようだ。

 散歩してこよう、と立ち上がり部屋を出た。

 まだナスターシャとウェルも起きてないのか、もしくは静かに何かをしているのか、ヘリの中はとても静かだった。

 ヘリを出ると、陽の光が眼に刺さる。すぐに慣れて緑のカーペットに下りた。

 空気が美味しかった。自分よりも早起きな鳥が元気良く鳴いている。

 湖は朝日を反射して綺麗だ。

 バシャバシャと水で顔を洗ってる黒衣さえいなければ。

 

「綺麗な湖が台無しだよオッシア」

「起き抜けだろう調に言われる言葉じゃねぇな」

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 

 挨拶を交わし調はオッシアの隣にしゃがむ。

 同じように水を両手で掬い顔を洗う。冷たくて気持ちよかった。

 

「どこ行ってたの?」

「女のとこに行って、夜の運動してた」

「夜の運動? 夜にする運動なんてあるの?」

「……悪い、嘘だ。いつも通りのお出かけさ」

 

 バツが悪そうな口調に、調は首を傾げる。

 調には聞こえなかったが「こいつらにアレ関連は通用しないんだな」とオッシアは呟いていた。

 バシャバシャとフード奥の顔を洗うオッシア。

 以前から――つい最近からだが、オッシアは誰かに似てると思う。誰、と聞かれると返答に困るのだけど。

 

「オッシア」

「なんだ?」

「オッシアと私って、素顔で会った事ある?」

「フードを取って会った事があるかって意味か?」

 

 こくりと頷く調。

 オッシアは即答した。

 

「ない」

「そっか」

「ああ、そうだ」

「でも、誰かに似てる」

「似てるって……顔を見た事ないのに誰に似てるって言うんだよ」

 

 苦笑混じりの声。

 調の交友関係なんて、フィーネのメンバー、F.I.S.にいた面子、後は精々敵である二課の奏者達ぐらいだ。

 そこから、ふるいに掛けていき、絞り込めたのは、

 

「遠見鏡華と天羽奏、に似てると思う」

「……嫌な奴に似ちまったもんだ」

 

 選別した名前に、嫌そうに呟くオッシア。

 共に生活している時、オッシアは必ず遠見鏡華の名前が挙がると機嫌が悪くなるのは知っていた。

 どうしてそこまで遠見鏡華を毛嫌いするのだろう。

 理由を聞いても「嫌う理由なんて色々あるのさ」と言って、いつもはぐらかす。

 

「さて、と。そろそろ全員起こしてメシにするか。昨日は何食った?」

「切ちゃんとマムはお肉。私はお野菜。ドクターはお菓子。マリアと日向はバランス良く」

「オーケー。今日は一日、マリアと日向以外、苦手なもんだけ作ってやる」

「心の音……ドンガラガッシャーン」

「ハッハッハ、覚悟しろ」

 

 悪ノリするオッシアに便乗する調。

 相変わらず色々と秘密を抱えていたり、時々冷たい態度を取るオッシアだが、なんだかんだ云ってこうやって乗ってくれる彼が調は好きだった。

 もちろん異性としてではない。日向同様、年上のお兄ちゃん感覚だ。日向の場合は家族と云う点もあるが。

 その時、ヘリから悲鳴が上がった。

 遅れて、もう一つの悲鳴も上がって鈍い音が盛大に聞こえた。

 

「今のは……マリアと日向か?」

「……忘れてた」

「ちなみに聞くが……起き抜けに何やらかした調隊員」

「座るように座ってた日向に私が寝てた場所で寝るように言っただけであります。そしたら日向はマリアの胸枕に顔をうずめて、マリアは日向の頭を抱えたのであります、サー」

「なるほど。んでマリアが先に起きて、胸に顔を埋めていた日向に気付き何がしらの制裁をしたと」

「日向はきっと、気付く暇もなかったと思う」

「だな。行くぞ」

「何しに?」

「弄りに」

「レッツゴー」

 

 二人共ノリノリでヘリに戻る。

 部屋に戻った二人が見たのは、毛布で身体を隠した(服は着ている)真っ赤なマリアと壁際まで吹き飛んでいる日向の姿だった。

 当然の如くオッシアは二人を楽しそうな口調と共にからかいはじめ、

 

「ご馳走デェス……えへへぇ」

「切ちゃん……やっぱり寝相が悪いよ。起きたら注意しよう。それとなく注意しよう。うん、そうしよう」

 

 未だに夢の世界に旅立っている切歌の服の乱れを直してから、オッシアに便乗するのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「何故、朝食を嫌いな物ばかりにしたのですか? オッシア」

「うるさい黙れ病人。好きなもんばっか食ってないで真面目に身体の事を考えろ」

「……話を戻しましょうか」

「何をオレが話を逸らした風に言ってやがる。テメェが切り出したんだろうが」

「確か日本には自分の事を自分(テメェ)と言う習慣があるとか……」

「今のは間違いなくお前に言ったんだよババァ。その皮引ん剝くぞ」

「…………いやん」

 

 崩れ落ちるオッシア。フードの奥に手を当て口許を抑えた。思いもよらない口撃によって、オッシアの精神にかなりのダメージを与えた。

 ――なんつー精神攻撃を……吐血どころかショック死する所だった。

 凄まじい動悸を必死に抑え込みながら胸中で呟く。

 ナスターシャはドヤ顔で四つん這いになっているオッシアを見下ろしていた。

 

「それで話を戻すのですが……昨晩は何をしていたのですか?」

「……ああもう、好きにしやがれ。女と夜の運動をしてきたんだよ」

「レーダーが切られていたのですが、切ったのはあなたでしょう」

 

 疑問系ですらない。

 つまりバレていると云う事だ。

 年寄り相手だと分が悪いな、とオッシアはまた心の中だけで言った。

 

未来(ミライ)を否定しに行っていただけさ。テメェらの不利益になる事はしてねぇよ」

「未来、ですか。私にはそうは見えない」

「へぇ、じゃあどう見える?」

「分かりません」

「……おいおい」

「分からないからこそ訊ねます。オッシア……いえ、遠見鏡華。あなたは我々に協力してまで、何を成そうとしているのですか」

 

 鋭い隻眼の眼光に、いや、自身を遠見鏡華と呼ばれて、オッシアは反射で殺気を放つ。

 目の前にいるのは戦闘力のない老婆だ。適当な武器の一撃を見舞えばすぐにその命は消え失せるだろう。

 だが、戦闘力はなくとも想いはあった。遠見鏡華に会いに行く前は揺らいでいた瞳が、今は確固たる意思を宿している。

 まるで初めて会った時、正体をすぐに見破った瞳のように。

 

「答える気はない。お前がマリアにフィーネを演じさせてるようにな」

 

 それでもオッシアは回答に対して黙秘を徹底した。

 ついでに仮説を返しの刃として放ってみた。

 ナスターシャは眉を僅かに動かしただけで大きな動きはしなかった。

 沈黙(それ)を是と取ったが。

 

「……そうですか」

「ああ。だが最後まで、とはいかないが、オレの目的を果たすに相応しい時が来るまでは、オレはお前達に協力してやる」

「分かりました。信じましょう、あなたの言葉」

 

 瞼を閉じて、空気を変えるナスターシャ。

 コンソールを操作してモニターを表示する。そこには英語で書かれた文章が載っていた。

 

「先ほど、米国政府に対してこれを送りました。もちろん発信元と簡単に解錠されないように厳重なプロテクトを張っていますが。まあ、米国の技術力ならすぐに解析できるでしょう」

「……これは」

 

 英語で書かれていたが、遠見鏡華(オッシア)にとってなんて事はない。流し読み程度で済ませるとわずかに驚きの色を見せた。

 要約すれば、「月の落下を止めたい。そこで講和を結びたいのでエージェントを東京スカイタワーに集めてほしい。我々の見の安全を保証する見返りに、異端技術のデータを提供する」と云う感じだ。

 

「テメェ……馬鹿か!? こんなもん出して何考えてやがる!」

「今必要なのは世界と戦うよりも、月の落下を防ぎ無辜の人々を救う事です」

「違う、オレが言いたいのは分かりきってる事じゃない! 米国が素直に承諾するわけないって意味だ」

「それも承諾の返信が来ました」

「馬ッ鹿野郎……そうじゃねぇ。米国がお前達の安全を保障するわけないって言ってるんだ!」

 

 オッシアの言葉に、ナスターシャは眼を何度か瞬く。

 だがすぐに眼を伏せた。

 

「私一人の命で済むなら安いものです。あの子達さえ無事なら……」

 

 ナスターシャの言葉にオッシアは軽い眩暈を憶えた。

 

「ああもう……何でこいつらはこう偏ってるんだ。性格が食事に出てるぞ」

 

 天井を仰いで、掌で顔を覆った。

 誰も彼もが好き勝手ばかり。協調性と云うものがこの組織には欠落しすぎている。

 

「それはいつだ」

「三日後の午後、東京スカイタワーです」

「はぁ……」

 

 溜め息を吐いて脳内で予定を作っていく。

 問題は山積みなのだ。鏡華には余裕ぶって戦っていたが、ぶっちゃけた話、以前のように休憩を取れないみたいだ。

 

(フュリにはしばらく会えないな……欲求不満だとか言って、あそこ壊さなきゃいいが)

「それと今晩、フロンティアまで行きます。それまでは待機してもらいますよオッシア」

「分かったよ。しばらくは買い出し以外で遠くに行く事はしない」

 

 予定を何度か修正しながら部屋を出て行く。

 扉が開いた所で、足を止めて振り返った。

 

「スカイタワーには一人で行くのか?」

「いえ、マリアと共に行きます」

「そこで何で、顔が割れてるただ優し()いだけの()マリア()を連れて行くんだよ。ついでに日向も連れてけ。聖遺物が使えない状況でもアイツなら対処できる」

「……分かりました」

 

 了承を受けてオッシアは部屋を出て行く。

 一人で廊下を進み、ふと立ち止まる。

 

「何気なく言ったが――たやマって意外とハマってるな。うし、休憩代わりに、たやマって呼んでイジってやる」

 

 なんて、どうでもいい予定も立てながら、

 オッシアは最終目標への道を頭の中で構築しはじめた。



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Fine7 昏迷の心達Ⅲ

 星剣エクスカリバー。

 かつて騎士国と謳われた国の騎士王が所有していた聖剣。所有するに至った経緯は諸説あるが、ある事情によって折れてしまった聖剣の代わりに、湖の乙女から借り受けた、と云う説が現時点では有力とされている。

 ――しかし、エクスカリバーと騎士王は創作物とされており、叙事詩と云うより文学の部類に分けられる。一般的には騎士国も存在してないし騎士王も架空の人物だ。

 もちろん、騎士国の舞台となった英国育ちの人々は割りかし信じているし、一部の人間は聖遺物と云う決定的な証拠を前に信じざるを得なかった。

 ただ、それが“本当にエクスカリバーだったなら”の話だが。

 

 そもそもエクスカリバーとは何か?

 創作物を一例として挙げれば、エクスカリバーの雛形、カリバーンからしてカリブルヌス、原形まで追究するならカラドボルグと云う武器まで遡る。

 カラドボルグとは「硬き雷」と云う意味であり、変節されて「硬き鉄」、つまりカリブルヌスになった。そこへ創作物を海外へ輸入する際に紆余曲折あり、エスカリボール、エクスカリボー、エクスカリバーとなったのだ。

 とは云え、これはあくまで創作物を例にしただけであって、本当かどうかは定かではない。

 先ほどは軽く済ませたが、騎士王が所有するに至った経緯は数多くあるが、信じられている説は主に二種類。

 一つは、湖の乙女にカリバーンの代わりとして借り受けた説。

 もう一つは、折れたカリバーンを鍛え直してエクスカリバーとした説。

 どちらも有力だが、決定的な証拠は何もない。

 当たり前だ、そもそも聖遺物とは本来“そういうもの”なのだから。

 

「――だからと云って、なし崩しに諦めるのは性に合わないんだが」

 

 数冊目のデータから眼を離し、身体を伸ばす。

 コキッと小気味良い音が鳴る。

 

「だからと云って、二日もデータとにらめっこするのはどうかと思うぞ」

 

 コト、と脇に湯気の立つマグカップが置かれた。

 頭だけで振り向けば、クリスが仕方ないなと云う表情で立っていた。

 

「悪いな。ココア助かる」

「べ、別に。自分の作った時に、たまたまお湯が余ったから作っただけだ」

「それ、昨日の言い訳と変わらないぞ」

 

 頬を赤く染めるクリスにヴァンは苦笑を浮かべる。

 ここは元フィーネの屋敷ではなくリディアンの学生寮。当然ながらヴァンとクリスの部屋は別々だ。ただ、学生寮にいる時は寝る時以外は大抵一緒にいるので、ここにクリスがいるのは不思議な事ではない。

 ついでに補足しておくと、ヴァンの部屋は元は物置部屋として扱う予定だった場所で、クリスや響、未来を含むリディアン生徒が住まう部屋よりも狭く、他の部屋と離されている。そのおかげに加えてちょっとしたボディーガード役にもなっているので男であるヴァンは、どうにか女子生徒しかいない学生寮に住まわせてもらえていた。

 閑話休題。

 

「で? まだ分からないのか、片よ……フュリが言った『エクスカリバーであってエクスカリバーではない』の意味」

「いいや。風鳴弦十郎からもらったデータを洗いざらい、しかも読み返してもさっぱりだ。そもそも聖遺物の記述が載った情報なんて、ごく限られている。少ないと踏んで高を括っていたが、少ないのが逆に(フォウ)になるとはな」

 

 鏡華とオッシアの戦いから三日が経った。

 ヴァンは鏡華がいなくなった事をさして気にする事なく、自分がやるべき事として調べ物をしていた。クリスは響達との日常を過ごしながらヴァンの補佐をしている。

 響と未来は互いを互いに支え合いながら、戦いからは遠ざかって日常に戻っている。人によってはそれを傷の舐め合いに見えるかもしれないが。

 一番変化がなかったのは翼と奏だろう。約一日程で目覚めた翼と起きるのを待っていた奏が、未来から鏡華がいなくなった事を伝えられても大した驚きを見せず、

 

「ああ、またいなくなったのね。帰ってきたら刀の錆にしてやるわ」

「今度はあたしも置いてけぼりか。ま、気長に待ってやるとするかね」

 

 なんて云うか、たくましくなった、と云うべきだろうか。

 鏡華がいなくなっただけで、二人の生活はまったく変わらず、学業と歌姫の仕事を謳歌していた。

 

「それだけ奴を信頼しているのか、或いは怒っているのか」

「両方だろ」

「かもな」

 

 どうでもいい、とばかりに上体を後方に投げ出し床に倒れる。隣にクリスが腰掛ける。

 ちらりと横に視線を向けた。壁に立て掛けたエクスカリバーが見える。

 

「エクスカリバー……彼の騎士王が最後の戦いまで持っていた剣」

 

 致命傷を負った騎士王は、一人の騎士にエクスカリバーを湖の乙女に返却してきてほしいと頼んだ。

 騎士は断った。だが結局断れずエクスカリバーを持って湖に向かった。

 

「そこで騎士はエクスカリバーを湖に投げ入れ――られなかった」

「なんで?」

「剣の美しさに見蕩れて、とか、騎士王足らしめる剣を捨てる事は王を捨てると同義と考えた、とか、色々だ」

「でも結局返したんだろ」

「騎士の嘘を騎士王が三度見破って、最後には騎士も投げ入れたようだ」

 

 そして、投げ入れた事が分かった騎士王は息を引き取った。

 この後も少しだけ話はあるのだが、今は関係ない。

 

「あのさ、ヴァン」

「どうした?」

「いや、あたしも前から気になってたんだよ。あの剣がエクスカリバーだって事に」

「……?」

「だって、ヴァンは以前からエクスカリバーの欠片を使ってただろ。ジャンとエドが探し出してきた完全聖遺物をあの戦いから使い始めたって聞いたけど、そもそも完全聖遺物として残ってる時点で欠片って存在するのか?」

 

 クリスの言いたい事は分かった。

 確かに完全聖遺物とはまさしく「完全」な状態を保っている聖遺物の事。少しでも欠けていれば、それは完全聖遺物ではない。

 なら、どちらかがエクスカリバーであって、どちらかがエクスカリバーではない、と云う事か?

 

「だが……どちらもエクスカリバー足りえる証拠はいくつかある。うぅん……」

「……そう考え込んでても煮詰まるだけだぜ。気分転換に散歩にでも行こうぜ?」

「そうだな……分からないまま考えるのはよくないな」

 

 データをしまい、コートを着込む。隠すように布を巻いたエクスカリバーを背中に提げる。

 クリスは制服の上に上着を着て、準備は万端だ。

 エレベーターを使わずに階段で階下まで降りる。あまり女生徒と鉢合うのを避けたかった。

 

「どこへ行く?」

「ぶらぶら〜っと適当に」

「ん、了解」

 

 寮母に出掛ける旨を伝え、学生寮の外に出た。

 ちょうど、寮に帰ってくる女生徒と会った。

 

「あれ? キネクリ先輩とゾラさんだ」

 

 ヴァンとクリスに気付いたのは創世。響や未来とよく話すメンバーの一人だ。

 一緒にいるのは弓美と詩織だったはず。

 ただ、呼ばれたヴァンとクリスは少し顔をしかめる。

 

「おい安藤創世。そのニックネームはどうにかならないか?」

「え? 結構いいよねゾラさん。あ、ゾラ先輩の方がいいかな」

「……もう、好きにしてくれ」

 

 勘弁してくれ、とばかりに放棄する。

 ちなみに、ヴァンとしてはニックネームで呼ばれる事に反対はしないが変えてほしくて顔をしかめたが、クリスの方は顔をしかめておかないと照れてしまうのが理由だったりする。

 

「それにしても、お二人はいつも一緒にいますね」

 

 風鳴先輩みたいです、と詩織は笑う。

 

「女子寮に男子一人ってのはアニメみたいだけどね」

 

 またアニメの話を持ち出す弓美も笑った。別の意味で。

 そうだな、とヴァンは適当に相槌を打って話を切り上げようとする。

 ――が、その手がピタッと空中で停止した。

 

「……ヴァン?」

 

 クリスが顔を覗き込んでも反応しない。

 ――いや、まさか。だが分からない以上、可能性は捨て切れない。

 

「ッ……板場弓美!」

 

 振り返り、詩織を呼ぶ。

 いきなりフルネームで呼ばれて弓美は盛大に驚いた。

 

「な、何!? いきなりどうしたの!?」

「お前アニメが好きだったな? ゲームもやる方か?」

「そ、そりゃ、やるけど……」

「そうか。なら――」

 

 ヴァンは聞きたい事を簡潔に訊ねた。

 彼女は、そんなヴァンの様子に訝しみつつ答えた。

 

「あるわよ。ネットを調べればすぐに見つかると思うけど……」

「そうか。助かった。今度、好きなアニメ一種類だけ全巻買ってやる。選んどけ」

「……はい?」

 

 返答を聞かず、ヴァンは踵を返して学生寮へと戻っていく。

 慌ててクリスも彼の後を追って学生寮へ、そのまま部屋へ戻る。

 ヴァンは星剣だけ壁に立て掛け、コートを着たままネットを開いていた。

 

「一体全体どうしたんだよヴァン。いきなり戻ってきてよ」

「エクスカリバーであって、エクスカリバーではない。ずっと星剣の事ばかり(そればかり)悩んでいた。風鳴弦十郎から貰ったデータもエクスカリバー関連だった。だから見つからなかったんだ」

「……さっきの質問が糸口って奴だったのか」

「風鳴弦十郎がくれたデータは最高だ。日本で最高クラスの組織が集めた情報だったんだからな。いや、組織に属した大人だからこそ、そして俺が固執していたからこそ見落としていたのかもしれない」

 

 キーボードを打つ音とクリックする音だけが響く。

 お目当ての情報に辿り着いたヴァンは「見つけた(ビンゴ)」と呟いた。

 

「なにせ――目的のモノは“存在してないんだからな”」

 

 にやりと口角を上げるヴァン。

 彼の肩から覗き込んだクリスの眼に映っていたモノは――

 

「恐らくこれが――星剣エクスカリバーの真銘だ」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 戦乱は少し前に終わった戦を以て終結した。

 だがそれはあくまで一時的であると、少年だった王は痛感していた。

 あの誓いから十の歳月が経った。精神的に王は成長したが、姿は十年経っても変わらない。

 

「だから時々、他の国から女猪とか言われているんだよね」

「言いたい奴には言わせておけ、マーリン。攻めてこないなら、陰口を叩くだけの小心者だ」

「やれやれ。いつの間にか女と言われても反応しなくなって。魔法使いはまた暇潰しを一個なくしたよ」

「当たり前だ。十年も女顔、女と言われていれば反応しなくもなる」

 

 十年――言葉にすれば、それだけだがこの十年、本当に色々な事があった。

 聖剣を抜いたあの日。数日と経たずに少年は王の座に着いた。

 当然、反発する者は何人、何十人といた。暗殺、毒殺なんて毎日あった。

 それでも今日まで生き抜いてきた。足りない知識を詰め込み、新たな仲間を迎え、十二もの会戦を駆け抜けた。

 苦手な魔法使いと。養父エクター卿と義兄ケイと。共に円卓を囲う勇猛なる十二人の騎士達と。そして――

 

「マーリンがくれたこの鞘が、私をずっと守ってきてくれた」

「それはそうだ。その鞘は守るために存在()るのだから。守る事ができなくなったら、それはただの剣を納めるだけのただの鉄さ」

 

 即位した日にマーリンから渡された黄金の鞘。銘は未だに教えてもらっていない。

 魔法で作られた鞘は、王をありとあらゆる災厄、危難から守ってきた。暗殺され短剣が突き立てられようと血は一滴足りとも流れず傷が塞がり、逆に暗殺者が潜みそうな場所を特定できた。毒を飲んでも身体の中で毒のみを消し去り、毒殺されそうな展開を知る事ができた。

 そして、世界中の誰もが羨望する不老と不死さえも与えてくれた。

 

「まったく不思議な鞘だ、これは。いくら魔法でもこれは奇跡に近い神の御技だ」

「だからと云って過信などしないように。過ぎたる力は己の身を滅ぼす刃でもある」

「分かっている。この鞘はあくまで守るための物。攻める剣ではなく守る鞘の方が大切だと教えてくれた事と同じくらい身に刻んでいる」

 

 以前、マーリンは王に「剣が大事か。それとも鞘が大事か」と問うた事があった。その時、王は「もちろん剣にきまっている」と答えた。しかしマーリンはそう答えた王をなじり、また嘆き、「剣は確かに強いけど、それまでだ。力はそれまで。だけどそれを収める鞘はもっと大事なんだよ。それは戦も治世も同じ事であるのだから」と諭した。

 それ以来、王はその話を戒めとして大切にいている。

 

「陛下!」

 

 城内から兵が叫びながら駆け寄ってくる。

 一定の距離で膝をついた兵士は息を荒げたまま言った。

 

「陛下に叛旗を翻す者が現れました! こちらに万の軍勢を率いて進軍しているとの事です!」

「またか……すぐに出る。準備に取り掛かれ!」

「はっ!」

 

 駆け出していく兵士を見て、王は溜め息を吐いた。

 

「マーリン。貴様、この事を知っていただろう」

「いやいや、まさか。魔法使いは万能じゃない。わー、また戦が始まるのかー」

「くっ、また心にない事を。そう云う所が苦手なんだ、私は」

「ふむふむ。どうやら魔法使いの暇潰しは、まだまだなくしてないみたいだ」

 

 しわがれた声で楽しそうに笑う魔法使いに、王は嫌そうに眉を潜める。

 

「気を付けなさい。君の実力はすでに国中に広まっている。にも関わらず攻めてくると云う事は何かしらの策を用意しているはずだ」

 

 こう云ういきなり真面目になるところも苦手意識を持たせる理由の一つだ。

 王は挙げた手をひらひらと振り、城内へと戻る。

 

 そこで景色が遠ざかっていく。

 何を見せたいのか。

 何を知らせようとしているのか。

 まだ何も分からない。

 それでもきっと、いつかは分かるだろう。

 彼が、魔法使いの言葉を大切にしていた彼が鞘を失ってしまった理由ぐらいは――



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Fine7 昏迷の心達Ⅳ

 雲も少なく、快晴と云っていい晴れた日。

 切歌は幹に凭れて、風に揺れる洗濯物を眺めながら物思いに耽っていた。

 それは数日前に自分達の身に起きた出来事――を回避するに至った出来事。

 

(アレは……本当に私のした事デスか……)

 

 自分と調を守るために覆い被さったオッシア。

 更にその上に三人を守るように展開された障壁。

 

(オッシアはアレを《ASGARD》と呼んだ。その名前は先代フィーネが使った技デス)

 

 彼はその名を呼んだ時、驚いていた。まるで予想外の事のように。

 調はLiNKERの影響で倒れて意識が朦朧としていた。何かをする事なんてできない。

 つまり、発動できるのは切歌だけ。

 しかし切歌には技を発動した自覚がない。

 それはもしかしたら、

 

「……ッ!」

 

 身体が悲鳴を上げたくなる程、両腕で身体を強く抱き締める。

 無意識に息を呑む。呼吸が荒くなる。

 リインカーネーション――フィーネの転生システム。

 日向を除く切歌達フィーネのメンバー、いや、F.I.S.に集められた子供達は全員、フィーネの魂が宿る可能性があるとされる器であり、そのためだけに生かされた孤児だ。

 そして、フィーネの魂はマリアの身体に再誕した――はずだった。

 

(もしかしたら、それは嘘かもしれないデスけど……)

 

 切歌は別に、マリアがフィーネが宿ったと云う嘘をついていた事に怒る気はない。マリアがフィーネの魂を継承したと言った時、切歌は心のどこかで「自分じゃなかった」とホッとした自分がいる事に気付いていた。そんな事を考えてしまった自分が許せなくて、そしてこれでマリアは消えなくなるんだと安心もした。

 でも――

 

(もし、私にフィーネの魂が宿っているのだとしたら、私の魂はいつか……)

「パンツが丸見えだぞ切歌」

「そう、私の魂はパンツになる……なるわけないデス!?」

 

 シャウトしながら視線を下げるとオッシアが立っていた。

 顔は見えないがキョトンしているのが分かったのは、気のせいだろう。

 

「は? 何言ってるんだ? お前」

「デ、デェース!」

「何でもかんでもデスで済ませられない、と調が言ってたな」

「デース……」

 

 最近習った四つん這いの姿勢でショックを見せるポーズを取る。俗に言う「乙……」と呼ばれるポーズだ。

 オッシアは喉の奥で笑うと隣の木に立ったまま凭れた。

 

「……何しに来たんデスか」

「調に料理を教えていたんだが、上達するのが早いおかげで少し暇になってな。外に出てみればお前がパンツ丸見せで落ち込んでたのが見えたんで、声を掛けただけだ」

「マリアと日向は……マムとお出掛けだった。ドクターの野郎はどこ行ったデス」

「知るか。俺はウェルのお目付役じゃない。おさんどんがやれ」

「おさんどんはおさんどんで忙しいんデス!」

「パンツ丸出しでボケッとしている奴のどこが忙しいんだ、あ?」

 

 オッシアのドスの利いた声に反射的に謝る切歌。

 

「まあそれは脇に置いとくとして――フィーネの魂の事を考えていたんだろ」

「……っ、オッシアはエスパーデスか!?」

「切歌が考え込むようになったのは、あれ以降だからな。事情を知ってる奴なら一発で分かる」

 

 けどま、と言って、オッシアは凭れていた木から離れる。

 切歌が凭れている木の反対側に腰を下ろした。

 少しの間だけ静寂が訪れる。

 黙っているのに耐え切れなくなった切歌が思い切って口を開いた。

 

「オッシア」

「なんだ」

「フィーネの魂が宿ったのは、マリアじゃなくて私かもしれないデス」

「そうかもしれないな。そうじゃないかもしれないが」

「仮にフィーネの魂が宿っていたとして、そうなったら私の魂は塗り潰されるデスか?」

「さあな。オレはフィーネじゃないから分からん」

 

 即答するオッシアに切歌は「そう、デスね……」と呟くように言った。

 今の切歌の状況は不安定だ。オッシア以外にこの秘密を喋る事ができない。魂が塗り潰されると云う悪い“もしも”の事ばかり考え、負のスパイラルに陥り始めている。

 仕方ないな。

 そう、オッシアは溜め息を胸中で漏らした。

 

「昔……」

「……?」

「昔、一人の男の子がいた。男の子はいつも独りぼっちだった」

 

 唐突に始まった独り語りに、切歌は静かに耳を澄ませた。

 

 ――男の子の両親は考古学者として遺跡を巡っていただけなので、天涯孤独ではなかった。それでも、まだ危ないからと一緒には連れて行ってもらえなかった。

 男の子は両親が出掛ける間、両親の知り合いの女性に預けられていた。

 女性は若いながらも一人の研究者だった。預かった男の子を研究室に置いて、忙しいにも関わらず色々な話をしてくれた。だから男の子は寂しいと云う思いはなかった。

 

「それから少し経って、男の子は初めて両親と一緒に遺跡に行く事になった」

「やっと行けるようになったんデスか。よかったデス」

「ああ。遺跡に行って――ノイズに両親を目の前で殺された」

「……ッ!」

 

 ――話を続けるぞ。

 ノイズに両親を殺された男の子は両親の知り合いの男性に引き取られた。

 ただ、男性も忙しい頃だった。だからそれからも時々、男の子は女性に預けられていた。

 そんな日々から十数年が経った。男の子は少年へ、青年へ成長していた。

 青年となった男の子はある理由から姿を消し、姿を現してからはある戦いに身を投じていた。

 何度も戦って――最後の敵が自分を預かり育てもしてくれた女性だと知った。

 否――気付いていた。

 

「それは何故デスか?」

「男の子はノイズに両親が殺された時から不思議な夢を見ていたんだ。ノイズを操る不思議な巫女の夢。その巫女が使う不思議な技の夢を。そして男の子はある時、女性が巫女と同じ技を使う所を見てしまった。だから気付いた」

 

 ――最終的に、男の子は巫女になった女性に勝った。

 負けた女性は消えようとしていた。だけど消える前に言った。

 私の、たった一人の息子(家族)――と。

 

「男の子はその時思った。女性は魂を塗り潰されてなかったのではないか、と。巫女が全てを塗り潰さなかったのか、それとも女性の魂が巫女よりも強かったのか、それは分からなかったがな」

「それってもしかして……昔のフィーネの話デス!?」

「さあな。まあ、長々と関係なさそうな昔語りしてなんだが、オレが言いたい事はただ一つだけ」

 

 立ち上がり、去っていくオッシア。

 

「魂が塗り潰されるかなんて分からないんだ。今気に病む必要なんてない。ヘコんでパンツ見せる暇があったら、もう少し空っぽの頭に知識を詰め込みな」

「……ッ! デースッ!!」

 

 慌ててスカートを抑えるが時既に遅し。

 何を言っていいか分からず、切歌はまた口癖の「デス」と叫んだ。

 声を上げて笑うオッシア。その姿が残像や歩法の動作なしで消失する。ナスターシャに言われているので遠くには行ってないだろう。

 はあ、と溜め息を漏らす。その息は少し前に吐いた息より熱かった。

 

「――切ちゃん」

 

 と、オッシアと会話している内に時間が経っていたのか、ヘリの方角からエプロン姿の調がやって来た。

 いつも可愛いけどエプロン姿は最終ダメージ値二倍デス、とどうでもいい(とても大切な)採点を脳内で判定して立ち上がった。

 

「お昼ご飯できたよ。オッシアに教えてもらったシチュー」

「お値段はいくらデス?」

「今回はなんと余り物だからタダ。ドンドンパフパフワーワー」

「最高のごちそうデェスッ!」

 

 涎を垂らし瞳を輝かせる切歌。

 嬉しそうな切歌を見て、調も嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「値段と食事に釣られやがって……現金な奴だよ、お前は」

 

 それを一本の木の上で眺めているオッシア。黒衣は纏っているがフードは外して素顔を晒していた。

 笑顔で昼食を食べにヘリに戻る彼女達を見て、オッシアは自然と口角を上げていた。

 

「それでいい。過去の遺物に囚われず未来を見つめ続けるんだ。だからこそ(アイ)は幸福を生み、(アイ)が悲愴を遠ざけてくれる」

 

 フードを被り頭部をすっぽりと覆い隠す。

 

「だから、あんな幸せそうな子“達”の未来を奪うつもりなんてないよな? ――養母(かあ)さん」

 

 ちょん、と僅かに跳躍して木の上で跳ねた。

 足先が木に触れる前に――オッシアは姿を消すのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 屋敷の鍛錬場で踊る翼と奏。

 今日の予定の一つとして新曲の打ち合わせ及び練習が前々から入っていた。しかし鏡華が不在の今、打ち合わせは緒川を交ぜた三人で済ませて、空いた時間で踊りの練習をしていた。

 勝手にいなくなったので、打ち合わせのツケは後で払ってもらうと三人で決定したのだが。

 キュッキュッと磨いた床が踊りによって鳴り響く。

 

「あ、奏。そこは一歩前に出るんじゃなかった?」

「おっとそうだった。サンキュ翼。けど、なんかこうした方がしっくりくると思うんだけどな。ほら、歌詞を読む限り次は翼を目立たせる所みたいだし、あたしの余韻を残すよりはっきりとさせた方がよくないか?」

 

 こうして鏡華が不在だったり他の事に手が離せなかった時は、翼と奏が互いに意見を出し合って曲を高めていく。

 最後に鏡華が二人の意見を聞いて完成させる。これがツヴァイウィングの作り方だった。

 もちろんこう云う場合じゃない事もある。『逆光のフリューゲル』や翼がソロで活動していた時に渡していた曲、アーティストフェスで翼が歌った『FLIGHT FEATHERS』は鏡華だけで歌詞、振り付けなどを全て手掛けていた。

 

「しっかしこれ……本当の本当にウェディングドレス着てやらなきゃいけないのかな?」

「この歌のためだけにドレス買ってるから着せると思うけど……もしかして奏、恥ずかしい?」

「あー……、恥ずかしいってのは否定しないけど、初めて着るのは結婚式がよかったってのが正直な感想。死んだ両親にもそう云う風に教えられた“はず”だし」

「ああ、叔父様曰く、天羽家のお嬢様教育と云うアレだな」

「ダンナ……何を翼に教えてんだよ。間違ってないけどさ……人様の教育方針を勝手にお嬢様とか決めるなよ。それじゃあ何か、あたしにわたくしとか何とかザマスとか言えってか」

「奏がお嬢様口調……」

 

 翼はぽわぽわとイメージしてみたが、すぐに小さく吹き出して笑い出した。

 それもツボに入ったのか、抑えようとしても抑えきれてない。

 

「なっ、ない! 奏がわたくしやザマスなんて……」

「……」

「あははっ、む、無理! 奏にザマスなんて似合わない……!」

「……翼」

 

 もしかして怒ったかな、と翼は出来る限り笑みを抑えて振り返る。

 奏は怒ってなかった。ただ、

 

「まったくあなたって人は、いくら親しくてもあまりに失礼な方ですこと。親の顔が見てみたいわ。ああ、本当に見せなくて結構よ」

「――」

 

 とっても気にしてた!

 頬に手を当て僅かに傾げた首。突然の口調の変化に、あんぐりと口を開く翼。

 ザマスは使ってない。わたくしとも言っていない。ただ口調が変化しただけなのに、

 ――誰だ、目の前のお嬢様はーっ!?

 知らない知らない。奏がこんなお嬢様、否、強気なお姫様になれるなんて知らない!

 それに違和感が微塵も感じられない。普段の口調でもいいくらいだ。

 

「さて翼さん。先ほどは似合わないと言ってらっしゃったようですけど、いかがです? わたくしの言葉は?」

「わたくしと言った! だがやはり違和感がない!」

「……あー、ダルい。やめやめ、肩凝るわ」

 

 あっさりと元の口調に戻す奏。

 溜め息と一緒に肩をグルグル回す姿は、とても様になっていた。

 

「どうだった翼。あたしのお嬢様っぷりは」

「素を隠しているのかと思った」

「“確か”親に叩き込まれたんだよ。理由は……忘れちまったけど」

「……ごめん」

 

 忘れていたのは翼だった。思い出して謝った。

 奏は家族――特に両親との記憶を喪失している。妹との記憶も残っているとは云え思い出せるのは少ない。

 

「あはっ、なぁに謝ってんだよ翼」

 

 にぱっと笑った奏はガシガシと乱暴気味に翼の髪を撫で回した。

 

「そりゃあ思い出をほとんどなくしたのはショックだったけどさ、別に悲しいわけじゃないんだ。記憶を忘れていたって、あたしって云う魂がどこかで憶えてるからな。今のお嬢様言葉だって言おうと思ったらスラスラ口から出せたんだし」

 

 いくら脳内で保存された記憶が喪失しようと、人は誰しも別の何かで憶えている。

 それは無意識だったり、条件反射だったり、奏が言ったように魂だったり。

 本当の意味での消去なんて、この世には存在しないのだ。

 

「ところで翼。がらっと話を変えるけど、アヴァロンを使えるようになったか?」

「あ、うん」

 

 話を変えられ翼は素直に頷く。

 胸に手を当てイメージする事およそ十数秒。

 

  ―輝ッ

 

 黄金の輝きを放ち、胸から引き抜くように出したのは逆三角形の物。

 先の鏡華とオッシアの戦闘で埋め込まれたアヴァロンだった。

 いなくなった鏡華は奏に埋め込んだアヴァロンは回収したままだったが、翼のだけは回収せずにそのままにしていた。

 

「二十四時間で眼を覚ましたのは我ながら僥倖だったけど、どうにもこの鞘を操るのは艱難辛苦になりそうだよ」

「まぁなんだかんだ言って、あたしと鏡華もここまで扱えるようになったのは姿を現すちょっと前だもんな。あっさり扱えるようになったらアヴァロン先輩の立つ瀬がないぞ?」

「……鏡華は分かるけど、なんで奏がその時期に使えるの? まだ眼を覚ましてなかったよね」

「アヴァロンの結界領域の中で頑張った」

 

 精神は健在でも身体は眠っているだけだった奏。

 ぶっちゃけてしまえば――暇だったのだ。

 だから色々やってみた。吐息言語然り。翼の夢に侵入然り。精神だけで修行然り。

 他にも様々な事をやってみたがここでは割愛する。

 

「上手くいけば、翼のアヴァロン使って鏡華の場所割り出したり、《遥か彼方の理想郷》発動して時間気にする事なく探せたんだけど……世の中上手くはいきませんな」

「うん……でも頑張ってすぐに扱えるようになってみせるから、奏」

「おう。待ってるぜ翼」

 

 突き出した拳をぶつけ合い、二人は笑みを浮かべる。

 そして、再び新曲の練習を始めるのだった。



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Fine7 昏迷の心達Ⅴ

 サブタイトルを変更しました。
 予定と話がだいぶ違っていき、結果、サブタイトルの意味が無くなってきてしまいました。
 それに伴って、前書きに書かれているテキストも変更します。
 ご理解の程よろしくお願いします。


『デートするべきです』

 

 数時間前、ヴァンは唐突に響に携帯端末越しに怒られた。

 単刀直入すぎる言葉に一瞬だけ呆けてしまったが、すぐに言葉を返す。

 

「いきなりだな。喧嘩打ってると見ていいか(オーケー)?」

『いやいやいや。むしろお二人の仲を心配してあげているんですよ、私と未来は。おーけー?』

「……続けてみろ」

 

 どうでもいい理由だったら通話を切ればいい。

 そう判断してヴァンは響を促した。

 

『ヴァンさん。最近クリスちゃんと二人でいるみたいだけど、出掛けてはいないみたいじゃないですか。それじゃあ、ダメダメですよ一緒にいるだけじゃ。適度なデート、それが大事なんです!』

「……経験上の言葉か?」

『いえすあいどぅー』

 

 ここぞとばかりに響は調子に乗る。

 英語の発音がなってないのは響らしい。

 

『それに』

「ん?」

『クリスちゃんに聞いたんですけど、昨日出掛けようとしてすぐ部屋に戻っちゃったそうじゃないですか。クリスちゃん、平気そうな顔してますけど、きっと寂しがってますよ』

「……」

 

 耳が痛い、とはこの事だろう。

 ここ最近はエクスカリバーの事ばかり調べたりしてクリスに構っていない。むしろ食事の準備や飲み物を出してくれるなど世話になりっぱなしだった。

 クリスは何も言ってないが、確かに響の言う通り寂しがっているかもしれない。

 

「まさかお前に注意されるとはな。だが、感謝する立花。そうだな、デートぐらい誘わないとな」

『そうですよ! かく言う私も今から未来とデートですけど。そうだ、ヴァンさんとクリスちゃんも一緒にダブルデートしませんか!?』

「だが断る」

『即答だった!』

「……お前はどうなんだ立花。嫌味のつもりで言うつもりじゃないが、音無日向の事はまだ迷っているんだろう?」

『たはは……それはこれから恋する乙女である私の陽だまり、未来にアドバイスしていただいてから、すっきりはっきりさせようかと……』

「そうか」

 

 スピーカー越しに「響、まだ準備できないの?」と声が聞こえた。

 恐らく未来だろう。出掛ける前らしく、冗談ではなく本気でダブルデートは狙っていたようだ。

 

「待たせてるみたいだな、もう切るぞ。助言は改めて感謝する」

『いえいえ! それじゃあクリスちゃんと楽しんでくださいね!』

 

 切れる通話。

 携帯端末をしまうとヴァンは吐息を漏らし――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「――とまあ、そんな理由だ」

「理由はどうあれ、ヴァンに誘われるのは嬉しいけど……どっか納得いかねぇな」

 

 自分を誘って出掛けたヴァンに、理由を問い詰めたクリスは頭を掻く。

 久し振りにヴァンからデートに誘ってくれたのは素直に嬉しい。しかし、誘わせる要因が響辺りにある事がクリスにはちょっと面白くなかった。

 とは云え、要因は響だろう。しかし、原因を究明すれば響や未来に現状を話したクリス本人にあるのだが、それは言わぬが花、と云うものかもしれない。

 

「まぁいいか。そんでヴァン。どこに連れて行ってくれるんだ?」

「あー……」

「……」

「……」

「……考えてないのかよっ」

 

 渾身のツッコミにヴァンは素直に「すまない」と頭を下げた。

 

「一応出掛ける前にどこへ行こうか考えてみたんだが、どうにもクリスが楽しめそうな場所が思いつかなくてな……」

「ちなみに聞くけど、候補として浮かんで却下した案は?」

「ふらわー。本屋。楽器屋。CDショップ。その他リディアンや二課と色々」

「分かった分かった。ヴァンはあんま外に出ないもんな」

 

 ヴァンに悪気なんてない。

 いきなり日常に帰ってこれた自分達には趣味と言える趣味はない。

 例えば、シンフォギア奏者として定期的に給金として渡されたお金がある。響の場合それらはだいたい食費で消え、翼の場合乗り捨て用のバイクを買っているだろう。もちろん共に勝手な想像だ。

 ちなみに奏と鏡華は特に何も買ってないらしい。

 どうでもいい閑話だが。

 ではクリスとヴァンはどうだったか。二人が相談して買ったのは――両親のための仏壇だったりする。

 それ以降は生活費として消えてるが大した金額ではない。溜まっている一方だ。

 

「しっかし、そうするとどうすっかなー」

「必需品は買ったばかりだしな」

「……」

 

 クリスは空を仰いでしばらく熟考。

 一分程して、よしと呟いて、

 

「前あいつらが話してた、ゲーセンってところ行ってみようぜ」

 

 そう提案してみた。

 良い案が思い浮かばなかったヴァンは反対する事もなく頷いた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 前々からゲームセンター、略してゲーセンにクリスは来たいと思っていた。

 店内や筐体から流れるBGMの音量に顔を顰めるヴァンとは対照的に、クリスは物珍しそうに見回していた。

 

「少しうるさくないか? クリス」

「そうか? あたしにはちょうどいいくらいだけどな」

 

 確かにクリスは戦闘中は銃撃の音を一番近くで聞いている。

 大音量は慣れているのかもしれないが、大きな音を聞き続けていると将来耳を悪くすると聞いた事があった。

 ガセかどうかは分からなかったがちょっと心配なヴァン。

 どんどん奥へ進むクリスを追い掛ける。

 

「おっ、これって銃を使ったゲームだよな。やってみようぜヴァン」

 

 ガンシューティングを見つけ、早速筐体に硬貨を投入するクリス。

 ヴァンもワンテンポ遅れて硬貨を入れてコントローラーであろう原色一色の銃を持つ。

 ルールをしっかり見てゲームスタート。

 

「む……」

 

 やはりと言うべきか、本物の銃のように反動や重量はない。操作スイッチも引き金だけと云うシンプルさ。

 ただちょっと狙い通りに当てるのが難しい。

 

(どうやってモニターとリンクさせているんだ? ちょっとズレるな)

 

 ヴァンが悪戦苦闘してる中、クリスは一発二発撃つと、

 

「……よし分かった」

 

 ある程度理解して頷いた。

 瞬間、BGMから三発の銃声が聞こえた。

 狙い違わずに敵キャラに命中して倒れるアクションを起こした。

 

「……凄いなクリス。流石はいつも銃を扱ってるだけある」

「まあな。これぐらいおもちゃだよ、おもちゃ」

 

 楽しそうに言って、敵キャラに撃ち込んでいく。

 しばらく画面に向かって撃ち続け、ヴァンは第二ステージの中盤でゲームオーバーになり、一人になったクリスは最終ステージでゲームオーバーになって終わった。

 

「あー、悔しい! 自分でよけらんねぇのが難しいんだな」

「俺に銃は似合わない事が改めて分かった」

「ははっ、何発も当たってなかったよな」

「放っとけ」

 

 不貞腐れたようにそっぽを向くヴァン。

 その方向に数人の男が集まって、ボクシングのグローブを付けた男を見ていた。

 グローブを付けた男は大きく振りかぶると、筐体に設置されていたミット(?)を思い切り殴った。

 するとモニターに数字が表示される。測定器みたいなものだろうか。

 

「クリス。あれ、やってみないか?」

 

 やっていた集団が離れて、ヴァンが指を差す。

 近寄ってみると、クリスはヴァンにやってみたら、と言ったのでヴァンが挑戦する事に。

 

「ぷっ……ははは! 似合わねーぜヴァン!」

 

 グローブを付けたヴァンを見てクリスが笑う。

 ヴァンは溜め息を漏らしながら、起き上がったミットを睨む。

 コツがあるかどうか分からない。分からないならただ殴ればいいだろう。

 息を整え、ゆっくりと腕を振りかぶり、

 

  ―打ッ

 

 筐体からの合図と共に拳を打ち込んだ。

 意外と大きな打撃音に、周りで別のゲームをしていた客が振り向く。

 

「ふぅ……これって、ストレス発散になるかも――なっ!」

 

  ―打ッ!

 

 二回目は若干日頃溜まったストレスの鬱憤を晴らすように叩き込む。

 また大きい打撃音に更に客が振り向く。

 

「ヴァン。あたしもやっていいか?」

「ああ構わない。日頃の恨みとか込めて打つとかなり気持ち良いぞ」

 

 ヴァンはグローブを外してクリスに渡す。

 ちょっとぶかぶかのグローブを付けて、クリスも殴った。

 女の子にしてはかなり良い音で殴った事だけは確かだ。

 

「……おっ、どうやらハイスコアが出たみたいだな」

 

 三発の合計はこの筐体の二位の記録を塗り替えたらしく、名前を入力する事を要求された。

 クリスは五文字まで入力できるのを見て、少し考えてから、ちゃっかり『夜宙クリス』と入力して決定ボタンを押す。

 

「……クリス」

「べっ、別にいいだろ! たかがゲームの中の記録なんだし!」

「別に構わないが……それにしても、一位は誰なん――」

 

 自分達より好成績を記録した相手が気になり、ヴァンは一位の記録を見た。

 数十程度の違いだが上の記録を出したゲームプレイヤーとして入力された名前は、

 

「遠見奏――クリスと同じ事する奴が他にいたとはな」

「つか、どう見てもあいつだろ」

 

 どんな風に想像しても笑ったままミットを殴っている光景しか浮かばない。

 ヴァンとクリスは顔を見合わせて苦笑した。

 その後、ヴァンとクリスは様々なゲームを楽しんだ。

 クレーンゲーム、音ゲー、格ゲー、レーシングゲーム――

 どれも初めての事ばかりで時間を忘れて楽しんでいた。

 楽しんで、楽しんで――昔のように遊んだ。

 

 数時間後、二人に出動要請の連絡が入る。

 東京スカイタワーにノイズが出現したらしい。

 遊びを切り上げたヴァンとクリスは、すぐに飛んできたヘリに乗り、現場へと急行した。

 こんな平和な時間を何度でも作るために――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ヴァン達をけしかけた本人である響は、未来と二人でデートに来ていた。

 場所は少し遠出して東京スカイタワー。その内部にある水族館である。

 そこでキャッキャッウフフと周りが微笑ましく、あるいは砂糖を吐きながら見ている中で、楽しくデートをしている――訳ではなかった。

 響は独りでぼーっと眼の前を泳ぐ魚の群れを見つめている。

 出掛ける直前までは楽しみにしていた。否、楽しもうとしていた。

 それでも頭を埋め尽くすのは様々な問題。

 

(死……それは誰にでも訪れる最期。ノイズと戦うって事は自分から死に近付いていく……はずだったんだけど、それがいつの間にか遠い事だと錯覚するようになってた。普通の人とは違って私はノイズと戦う事が出来る。きっと自分でも気付かない内に、戦える自分は大丈夫って考えてたんだろうな……)

 

 ノイズとは特異災害の総称。

 自然災害と同類の指定を受けた対象が現れた場合、人類は逃げる、隠れるしか対抗手段はなかった。

 響もシンフォギアを知るまでは逃げ回っていた。

 だけど、いつしか逃げるのではなく立ち向かっていくようになっていった。

 自分はノイズを倒せる。ノイズを倒せば困っている人を助けられる。なら戦うべきだ。

 

(戦える私が戦えなくなったら、私を必要としてくれる人なんているのかな……)

 

 もしこれが少し前の響だったら、こんな風に考える訳ないだろう。

 ――ノイズを倒せないなら、戦わない。戦えないのなら別に私が出来る事を探せばいい。

 前向きにそう考えていただろう。

 しかし、今の響は視野狭窄(しやきょうさく)に陥っていた。この数ヶ月の間に、響は戦士として染まりきってしまっていたのだ。

 故に今の響には自らの問い掛けに答える事が出来ないでいた。

 

(必要と云えば……ひゅー君に対する私の想いもそうか)

「――。……き」

(私のこの想い。幼馴染みとして好きなのか、それとも――)

「……えいっ」

「うわひゃーっ!?」

 

 ピトッと頬に何かが当てられる感触。感想、とても冷たい。

 刹那の内に反射で叫んでしまう。

 響を見つめ返していた魚は口をぱくぱくさせながら離れていき、周りのお客が何事かと振り向いていた。

 振り返ると、未来が冷えた缶ジュースを差し出していた。

 

「大きな声を出さないで、響」

「だ、だだ、だって、そんな事されたら誰だって大声出すよー」

 

 差し出されていた缶ジュースを受け取りながら言い訳する。

 とは云え、せっかくのデートなのだ。ぼーっとされていたら、いたずらしたくもなるだろう。

 あたふたした後に謝った響と一緒に見晴らしの良い展望台まで昇り、空いていたベンチに座る。

 

「さて、響がデートの最中に落ち込んでいたので、本当は喫茶店でするはずだった恋愛相談をここでしようと思います」

「なんと云う公開処刑!?」

 

 驚いて声を上げる響だが、未来は取り付く暇も与えない。

 スチャッと掛けていない眼鏡の縁を上げる仕草をして口を開いた。

 

「じゃあ響。まずは状況説明をして」

「あぁ、もう後には戻れない。呪われてるのかな私……」

「主人公補正と云う点でなら呪われてるね」

「主人公補正……?」

「気にしない気にしない。右から左へ受け流して、はい、スピーチ、スタート」

 

 この無駄の少ないスルースキル。

 とにかく話を進めようとする無理矢理感。

 ――未来が遠見先生に何となく似てきた気がする……。

 響は言わずにそう思った。代わりに逃げられないと判断し、ジュースで喉を潤してから口を開いた。

 

「ひゅー君に対する私の感情が友情なのか恋なのか、分かりません!」

「うん。確かに響の状況説明だけど、それに至った経緯の状況説明じゃないね。じゃなくて、どうしてそんな風に悩む事になったのか、説明して」

 

 あ、そっちか、と響は改めて説明するために口を開いた。

 とは云え、状況だけならば未来だって見ていたはずである。

 四人分の絶唱のダメージをその身に受けて動けなくなっていた時、日向が絶唱を唱ってからした告白とキス。

 それから響は悩むようになったので、原因は明らかに日向からの告白とキスしかない。

 

(多分、日向は必要だったからキスしたんだろうけど……そこで告白までしちゃ駄目だと思う)

「師匠が私の傷の説明をして皆が病室を出てから、ヴァンさんが教えてくれたんだ。ひゅー君は私の事が好きなんだろうって。私、全然気付けなかった」

「まあ、日向が響を好きなのって蒸発する前からだったから。響が気付けなくても無理はない、かな?」

「え、ひゅー君、昔から私の事好きだったの!?」

 

 驚く響を前に、未来は無言で眼を逸らして頷いた。

 

「うわー……ものすごぉく罪悪感」

「それは仕方ないよ。気付く気付かないは人それぞれだし。――それより、響は日向の事、理屈とか丸っと投げ飛ばして、どう思ってるの?」

「投げ飛ばすって……。えっと、恋とか抜きにすれば、ひゅー君の事は好きだよ。一緒に遊んでいた幼馴染みの仲だし」

 

 好意自体はある、と響は即答する。

 こう云う返答を、未来はある程度予想していたので次へ進んだ。

 

「仮に、だよ。仮に日向が蒸発する事なくあれからもずっと一緒にいたらどうなってたか、とか考えた事ある? もしくは今すぐに想像できる?」

「いなくなる事なく、か……」

 

 今度は即答はせず、考え込む響。

 いなくならないのならきっとあれからもずっと一緒にいただろう。思い出したくないライブ襲撃の後の事はまったく想像できないが、それを抜きにすれば、中学卒業後は進路は違っても友達でいたはず。

 

「遊ぶ時間は減っちゃうけど、それでも友達のままだったと思うよ」

「だろうね。……それで卒業前後に告白したんだろうな、日向の事だから」

 

 ぼそっと呟いた未来。日向の場合、鏡華と違い(決して悪い意味ではない)、大事な事はハッキリとしておきたい性格だ。告白しても響に意味が通じるかは分からないが。

 また、幸か不幸か、響の耳に未来の言葉が届く事はなかった。

 

「と云うかね、未来」

「うん?」

「恋する乙女って、どんな感じなのかな?」

「……」

 

 そう云えば、そうだった。

 未来の隣に座る未来の太陽である親友、立花響の最大にして最悪の弱点。

 それすなわち――女子力の低さだ。

 暴露する時に効果音を入れても問題ないくらいである。

 昔からスレンダーな身体の割に胸は平均より大きく、出るとこは出て引っ込む所は引っ込んでいる。謂わばボンキュッボンを地できている響。

 食事だって好きな物、特に炭水化物である白米を多く食べている。

 にも関わらず、本人の身体や精神はその自覚がこれっぽっちもない。

 

「また胸が大きくなってる。ブラ買い直すの面倒だよー」

「未来、帰りにふらわー寄って行こうよっ」

「ダイエット? 大丈夫だよ。太ってないから」

 

 などなど――正直、響相手じゃなかったら、キレていたかもしれない程の体質だ。

 後々に困らないように、時々少女漫画とかを貸したり、オシャレさせたりしているが、成果は上がってない。

 

(無意識なら、アイドルにも負けないぐらいのオシャレするんだけどなぁ……)

「……未来?」

「日向と会話したり、会ったりして、ドキドキとかしない? 響」

「あー、うーん……ドキドキってわけじゃないけど……あのね、未来」

「うん」

「ひゅー君にキスされた感触が――忘れられないんだ」

「……」

「未来とおはようのキスをした時とは違う、何て言うかな、思い出すとすごくはっきり思い出せるんだ。それで、思い出す度に頬が熱くなって、胸が締め付けられるみたいに痛むんだよ」

 

 一番重要な気持ちをさらっとぶっちゃけられてしまった。

 響の表情を一番近くで見てしまった。これには何もかも固まってしまう未来。

 ――どうしよう。どうしようっ。

 思わず、思考中の頭が焦りを見せ始め、表には出さず内情だけ狼狽してしまう。

 

(まさか、響の女子力がここまで残念だったなんて――!)

 

 うわぁ、うわぁ、と意識上の未来が頭を抱える。当然、そんな動揺も狼狽も響には一切これっぽっちも、片鱗の一欠片も見せはしない。

 何で気付かないのだろうか。鏡などで自分の顔を見ながら考えた事はなかったのだろうか。いや、考えよう。せめて相談とかする前に、自問自答とかするとかして自分だけで色々と悩んでほしかった。いやいや、別に響を責めている訳じゃない。響は私の太陽、一番の親友。響の行動とか性格とかは響以上に知っているはず。故に響が気付かない事なんて百どころか二百も三百も承知の上だ。いやいやいや、だけど、それにしたって、

 

(そんな顔して言う台詞じゃないよ、響――!?)

 

 そんな、熱に浮かされたような表情(かお)で言うものではない。

 響の表情はまさしく、恋する女の子そのものだった。

 

(どうしよう。教えるべき? それとも、それとなく言って自分で気付かせる?)

 

 むむむ、むむむ、と悩み続ける未来。

 ここまで掛かった時間は、脳内時間で数分間。現実時間でコンマ五秒も掛かっていない。

 そして最終的に、

 

「……あのね、響」

「うん? どしたの? 未来」

「それってさ、絶対に――」

 

 言わなかったら間違いなく気付かないであろう響のために指摘しようとして、

 

  ―爆ッ!

  ―轟ッ!

 

 何かが爆発する轟音が、

 デートを、

 響の気持ちの答えを、

 それら全ての事象を中断させた。



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Fine7 昏迷の心達Ⅵ

 遅くなって申し訳ありません。
 前回の投稿後、実習や書類作成などで時間を取られ、今日まで出せませんでした。
 これからも投稿のペースは落ちると思いますが、完結はさせるので、よろしくお願いします。

 *11月6日
 「白竜の騎士王」のルビを“グイン・アーサー”から“アルビオン・アーサー”に変更しました。


 ふぅーっ、とマリアは長い溜め息を吐いて、ここに来るまでに被っていたヘアピースを外した。小さく畳んで、ナスターシャが座る車椅子に備わった収納スペースに納める。同様にサングラスやマフラーも収納した。

 

「……暑かったわ」

「お疲れ様」

「どうして、日向は変装しないでいいのかしら」

「僕は人前に出てないし、素人程度なら《園境もどき》使えば欺けるだろうし」

「暑さを同様に味わって欲しかっただけよ。気にしないで」

「了解」

 

 乗っていたエレベーターが止まり、目的の階に到着する。

 日向を先頭にして歩いてく。その中で、マリアは三日前にフロンティア上空に行った時の事を思い出していた。

 フィーネと名乗り上げたマリア達の計画は、

 ネフィリムの覚醒。ネフィリムを成長させる。フロンティアを動かす。

 簡略化すれば、以上の三つが計画達成の重要事項だった。

 ネフィリムの覚醒は二課の奏者三人による絶唱によって成功。成長にはF.I.S.から離叛する際に持ち出した聖遺物の欠片、そして融合症例第一号(立花 響)の腕を食べた事で急激な成長を見せた。途中、腕を食べられた意趣返しなのか、融合症例第一号に肉体を消滅させられたが、ウェルによって必要な心臓は回収できたので、まあよしと云うべきだろう。

 三つ目のフロンティアを動かす。これが一番重要だった。フロンティアを動かすのに必要なのはネフィリムの心臓だが、隠されているフロンティアを出現させるためには、ヘリに搭載されている神獣鏡(シェンショウジン)の聖遺物由来のエネルギーを中和する力が必要なのだ。

 そして三日前、機械で増幅した神獣鏡の力で封印を解いた。

 解いた――はずだった。

 放たれたエネルギーは確かに照射された。しかし、起きたのは気泡が浮かび上がるだけ。それ以上の成果はなかった。

 

(マムは何故、あれを見せたの?)

 

 一緒に見ていたウェルは当然のように怒り狂っていた。

 

 ――あなたは知っていたのか!? ――

 ――知った上で見せたのか!? 今のフィーネでは、フロンティアの封印解放するにほど遠いという事実を知らしめるためにッ!

 

 ウェルの事は好きにはなれないが、先日の彼の言葉に間違いはない。

 ナスターシャはどうして意味もない事を知らしめたのだろうか。

 マリアにはナスターシャの真意が分からなかった。

 

「マム。ここまで来たんだ、そろそろ教えてくれないかな?」

 

 それは日向も同じだった。

 前を向き進みながら、ナスターシャに問うた。

 

「……今の私達では世界は救えません」

「マム!? 何を言うの!」

「私達がしてきた事はテロリストの真似事に過ぎません。真に成すべき事は月がもたらす災厄の被害を如何に抑えるか。違いますか?」

「……」

 

 ナスターシャの言葉にマリアは言葉を失う。

 日向は黙って、目的地である会議室の扉を開いた。

 開いて、視界に映った光景に呟いた。

 

「それが……目の前の奴らが、マムの答えってわけ?」

 

 え、と、マリアが顔を上げた。

 会議室には先客がいた。黒服に身を包みサングラスを掛けた男達が。

 両腕を腰で構えて臨戦の体勢を日向は取っている。

 

「マム、これは……!」

「二人共、私の後ろにいなさい。平和のための対話を始めましょう」

 

 ナスターシャの言葉に、今度こそマリアと日向は怪訝そうな表情を浮かべた。

 もう――何が何だか、何もかもが分からなかった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 風が吹く。心地良い風だった。

 それでも、この身が感じるのは痛み。そして――“回想”。

 巡る。巡る。

 始まりからの映像が、頭の中をぐるぐる――繰り替え(ダ・カーポ)し続ける。

 始まって、また始まって――何度“始まった”のか、もう数えていない。

 ただ、始まりは何度も見聞したが、何故か終わりだけ見当たらない。仮に始まりを一として、途中を二、終わりを三――と云った風に区切りを付けるなら、毎回必ず二で終わってしまう。

 始まりがあるのなら終わりは必ず存在する。それは森羅万象、有象無象に共通して言える事だ。

 この身だって始まりはあった。どれほどの年月が経過するかは分からないが、終わりは存在すると思っている。

 考えられるとすれば、終わりがなかったのか。或いは終わりだけ消されたのか。

 はたまた――“見る資格がないのか”。

 それを知る術は持っていない。

 だから、今は耐えるしかなかった。

 

「……ん」

 

 微睡(まどろ)みそうになる思考を繋ぎ止めて、気になった方角を見つめる。

 なんとなく気になった方向。いつもの如く突然その空間に現れるノイズ。見えるのは直線上からわずかに上下のみなので、飛行型が現れた事は確認できても地上に現れたかは確認できない。

 対処するか、と動こうとして、ふと気付く。

 現時点でノイズが現れるのはソロモンの杖を使用した時のみ。そしてそれを持っているのはウェル。更に彼のこれまでの行動から推測するに、ノイズを操作するためには比較的近い距離にいなくてはならない。

 これらから導き出される答えは――

 

「この下にいる可能性が高い、か」

 

 正直に云えば、あまり姿を見せたくない。

 ノイズが現れたなら、彼女達と鉢合わせしてしまうかもしれないのだ。

 ただ――それらを考慮した上でウェルを、F.I.S.を探そうと思う。

 探す価値がある、そう判断してその場から――“スカイタワーの展望台外部”から飛び降りた。

 同時にノイズが内部へと侵入していく。

 慎重に盾を足場として中を覗き込む。部屋にいたのは黒服の男が複数人とマリア、日向、そして恐らくは仲間であろう初老の女性。

 既に黒服の三人がノイズに炭化させられていた。

 続いて現れた人型のノイズ。それらが残った黒服の男を狙って歩みを始め、

 

  ―破ッ!

 

 鏡華は窓ガラスを蹴破って中に突入した。

 即座にカリバーンでノイズを一刀両断に斬り捨てる。

 

「……人が死ぬとこはあんま見たくないんだよ」

 

 けど、と鏡華は言葉を続けながらカリバーンを振るう。

 キンッと甲高い音が響く。視線の先には拳銃を構えた黒服の男。

 

「それが命の恩人に対する感謝の仕方ってなら、米国はクズだな」

 

 英語で返して踏み込んだ。

 黒服の男は発砲を続ける。それを躱す――事なく身体で受け止め、何事もなく剣から槍へ、カリバーンからロンへ武器を変更して、くるりと一閃する。

 一閃した穂先は拳銃の底を叩き弾き飛ばす。そのまま石突き――穂先とは逆の柄先――を腹部へ減り込ませた。

 

「このっ、化物め!」

「人間だよ、これでもな」

 

 近くにいた男も発砲するが、今の鏡華は痛みを感じても倒れも死にもしない。

 槍を手放し、瞬動で懐へ潜り込み拳の一撃を見舞った。

 ずるりと倒れる男。

 興味をなくしたように投げ捨てた鏡華は視線をズラし、

 

「迷惑だったか? マリアさんに音無くんや」

 

 薄く笑みを浮かべて言った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 突如現れた遠見鏡華。

 その出現に驚いて、マリアはわずかに反応が遅れてから警戒する。

 何もしないと判断し、日向が生身だが臨戦態勢を取っている事を見て防護服を纏う。

 

「警戒すんな……とは言っても無駄か」

 

 くく、と喉の奥で笑うと、鏡華は足元に放置した槍を消して両手を挙げた。

 何も持ってない、とでもアピールしたいのだろうか。

 ただ、それよりもマリアは、鏡華の笑い方がオッシアに似ていると場違いにも思ってしまった。

 

「時間もねぇし、単刀直入に問う。俺と取引しないか?」

「取引……だと?」

「俺はマリアさん達がここから逃げる手助けをする。マリアさん達は俺とオッシアを会わせる。これだけさ」

「オッシア、と……?」

 

 取引の内容にマリアは脳内にハテナマークを浮かべた。

 恐らく、米国からは回収部隊の他に、刺客として以前ヘリを襲った奴らと同じ部隊が控えているはずだ。逃げ出すにはその部隊と交戦する事が確実となるはず。彼もそれぐらいは考えているはずだ。なのに、その対価がオッシアと会わせる。たったそれだけ。

 どう考えても採算が合わない。

 

「駄目。最悪、あなたの仲間に連絡する可能性があるわ」

「じゃあ、携帯壊すわ」

「は?」

 

 そう言うと、携帯端末を取り出す鏡華。そのまま空中に放り投げ、

 

  ―撃ッ!

 

 両拳で挟むように殴り、携帯端末を壊した。

 呆気に取られるマリア。

 

「もったいない……」

「仕方ないだろ、音無くん。マリアさんが連絡するって警戒してんだし」

「うん、まあ……」

 

 それでも、もったいないなぁ、と云う視線で砕けた破片を見下ろす日向。

 

「これでいいかな?」

「え、あ、ええと……」

「構いません。その取引を受けましょうマリア」

 

 驚いて答えられなかったマリアの代わりに答えたのはナスターシャだった。

 マリアは更に驚いて振り返る。

 

「ただし、あなたには対面後、捕虜としてしばらく拘束させてもらいますが、それでも取引しますか?」

「ああいいよ。俺の肉体を調査、検査、解剖、その他色々しないなら、煮るなり焼くなりしてくれ」

「分かりました。マリア、日向。彼と協力して敵勢力を無効果、待ち伏せを避けるために上から脱出します」

 

 指示を出され、マリアは不承不承応じてナスターシャを担ぐ。

 日向は鏡華の横に並び、マリアの前に立つ。

 

「まさか血塗れで別れて、すぐに再会するとは思いませんでした」

「同感。一ヶ月経ってないけど大丈夫なのかい?」

「長時間の使用は無理な程度までは回復しました」

「そりゃすごい回復力だ」

 

 素直な感想を述べた鏡華。眼を閉じて防護服――と云うより全身鎧を身に纏う。

 

  ――凶り汚れ果てる理想――

 

 顔を含めて全身を隠した鏡華は、

 

「うし、行くか」

 

 散歩に行くぐらい気軽な口調で、部屋を出た。

 部屋の外には、既に武装した米国の軍人が銃を構えて待機している。

 人が出てきた瞬間、発砲してくる。

 

「準備がいいこって」

 

  ――護れと謳え聖母の加護――

 

 多数展開したプライウェンが全てを防ぎ、明後日の方角へ跳弾していく。

 軍人はそれでも発砲を止めない。

 目の前の鏡華だけに集中している間に、鏡華は軍人達の背後にロンを形成。

 

  ――貫き穿つ螺旋棘――

 

 狙いを定めて射出。背後からの奇襲に、軍人達が気付いた時には四肢を貫かれた後だった。

 地面に縫い付け意識を刈り取ってからロンを消し、手にしている機関銃とポーチを漁り予備の弾丸をアヴァロンの中に突っ込む。

 

「んじゃま、蹴散らすとしますかね」

 

 ガシャンと鎧を鳴らしながら、鏡華はゆったりと歩みを再開する。両手にカリバーンを握りながら。

 

「……味方にしてよかったね?」

「味方かどうかは分からないわね。でも、一応同感って言っておくわ日向」

「二人共、お喋りはそこまでです。背後に注意しつつ彼に付いて行ってください」

 

 ナスターシャの言葉に頷いた日向とマリアは顔を見合わせて頷き、先行する鏡華を追った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 いくつもの爆発音に人々は驚き、外を見て恐怖した。

 

「ノ、ノイズだっ!」

 

 誰かが叫んだ声を聞いた者は全員、一目散に非常階段へと駆け出していく。

 非常口は未来の後ろにある。

 人々は未来と向かい合う形で通り過ぎている。しかし、響だけは逆方向に駆け出そうとしていた。

 慌てて響の腕を掴む。

 

「待って! どこ行くの!?」

「未来……でも行かなきゃ!」

「行かせない! この手を離したら響は戦いに行くんでしょ。私は響を戦わせたくない! 鏡華さんのように遠くに行ってほしくないの!!」

 

 未来の言葉に、響は言葉に詰まった。

 胸のガングニールの一件を未来には教えた、と弦十郎から伝えられていた。

 分かっている。日向の事を相談する直前まで、響自身も悩んでいた。

 その時、階上から少年の泣き声が聞こえてきた。

 母親とはぐれてしまったのか、泣きながら非常階段とは逆方向へ歩いていく。

 それを見て、聞いて、響は“戦う”事に迷いを見せても“人助け”をする事に迷う事はしなかった。

 

「胸のガングニールを使わなければ大丈夫なんだ! このままあの子を、困っている人を見過ごすなんて私にはできないよ! 未来」

「響……」

 

 今度は未来が何も言えなくなる番だった。

 いくら未来でも、響の人助けを止める事はできない。

 手を離した響は少年の許へ走って行く。

 独りにしておけない未来は、その後に続いて走る。

 歩く速度が遅かった少年にすぐに追いついた二人は、あやしながら少年の歩幅で非常階段へと連れてくる。ちょうど最後の確認をしていた職員が三人を見つけ、すぐに少年を抱き上げながら非常階段で下りて行く。

 少年を連れながら辺りを見たが、少年以外に逃げ後れた人はいなかった。残りは自分達だけだろう。

 顔を見合わせ、笑みを浮かべる響と未来。

 二人も批難するために非常階段へ歩き出し、

 

  ―割ッ!

  ―壊ッ!

 

 何かを割る音と壊す音が真上から聞こえた。

 

「危ないっ!」

 

 同時に未来が響を押し倒す。

 いや、同時ではなかった。割る音と壊す音が聞こえる前に、

 

  ―鈴ッ

 

 未来には鈴の音が確かに聞こえ、反射的に響を守るために動いていた。

 立っていた場所に崩れてくる天井だった瓦礫。

 反射が結果的に響と自分を助けたのだ。

 

「ッ……ありがとう未来」

「うぅん。……あのね、響――」

 

 周りの瓦礫を見て、響は笑ってお礼を言う。

 もし未来が押し倒さなければ、二人共瓦礫の下敷きになっていただろう。

 出口は塞がってしまった。

 だからなのか、未来は想いを伝えようと口を開きかけ、

 

  ―崩

 

 ――どうして、なのだろうか。

 どうして、大切な事を伝えたい時はいつも伝えられないのだろうか。

 

  ―鈴ッ

 

「響ッ!!」

 

 響と未来を引き離すかのように床にヒビが入り、響の方だけ崩れていく。

 崩壊の衝撃で、響が外へ――数百メートルも上空へ投げ出される。

 未来は振動する中で必死に手を突き出して――

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 銃撃の音がやけにハッキリと聞こえた。

 背後を振り返る。投げ出すように倒れる一般人が二人。左胸と首から、それぞれ多量の血が流れている。

 助けられるかどうか――否、間に合わない。彼らは助けられない。

 ――冷たいな、俺も。

 冷静に判断を下す自分に呆れる鏡華。

 視線を兵士に向ける。その時、既にその場にいた兵士はマリアのガングニールによって崩れ落ちていた。

 ガングニールの穂先とマリアの頬には飛び散った血が付着している。

 

「全ては、フィーネを背負い切れなかった私の責任だ……ッ」

「マリア……」

 

 マリアの呟きに、ナスターシャは声を掛ける事ができなかった。

 日向は兵士の出現を警戒している。まだ後ろには生きている一般人が数人いるのだ。

 

「左通路から数人来ます! 遠見先輩、守れますか?」

「ああ。もう銃弾は通さない」

 

 ガシャンと鎧を鳴らし、兵士達を待つ。

 鎧の音に一般人は短い悲鳴を上げていたが、気になどしてられない。

 プライウェンを多数具現して、一般人の前とマリア、ナスターシャの前に展開する。

 

「……来ますっ」

 

 日向の合図と共に通路から兵士が飛び出し、機関銃を構えて撃つ。

 鏡華へと当たる弾丸は鎧に弾かれ、一般人へと向かう弾丸もプライウェンに防がれた。

 

  ―疾ッ

 

 弾丸の嵐を瞬動で躱して、日向は兵士の懐へ迫り、

 

  ――瞬浸――

 

 ぽんっとそれぞれの身体の一部に、瞬動で駆け抜けながら拳を押し当てる。

 

  ―撃ッ

 

  ―撃撃撃撃ッ!

 

 それだけで兵士の身体が“爆ぜた”。

 ある兵士は胸が。ある兵士は背中が。頭が。腕が。足が――

 たった一撃、拳を押し当てただけで兵士の身体は、殴られたかのように弾けた。

 《鎧通し》とも云われる《浸透勁》を使った極技。衝撃を伝導させる事によって、どこからでも好きな部位に衝撃を打ち込む事ができるのだ。

 

「ひ……ッ!」

「ッ、狼狽えるな! 今の内に逃げろッ!」

 

 兵士が倒れるのを見て、また悲鳴を上げる一般人。

 それを見てマリアが困惑したまま一喝。強い口調で命令する。

 

「後悔してるのか? マリアさん」

 

 逃げ出した一般人が通路の角に消えて行くのを見ながら、鏡華が訊ねる。

 

「後悔なんて……!」

「だが今の言葉、まるで自分に言っているようだった」

「ッ……確かに、私に向けて言った言葉だ。だけど、もう迷わない! 一気に駆け抜ける!」

「……そうかい。ならば行こう」

 

  ――貫き穿つ螺旋棘――

 

  ―撃ッ!

 

 数本のロンで天井を貫く。穴が空いた天井へ、鎧を解いて跳び上がる鏡華。

 途中でプライウェンを足場にした連続跳躍で上の階に着地する。

 瓦礫だらけだが、崩れた物を見る限り展望台だと分かった。

 

「――鏡華、さん……?」

 

 辺りを見回していた時、声が聞こえた。確かに自分の名前を呼ぶ声だった。

 もう一度辺りを見る。火の手が上がり、逃げ場などない崖のようになってしまった場所に、彼女はいた。

 

「未来……?」

 

 何故ここに、と思わずにはいられなかった。

 だが、そんな事を話している暇なんてない。

 同じように跳び上がってきたマリアと日向も未来を見つける。

 

「未来ちゃん……!」

「ッ、ここから逃げるぞ! 悪いがこの子も連れてく!」

 

 有無を言わせない声を出し、鏡華はプライウェンを三人分具現化する。未来を抱きかかえプライウェンに乗る。マリアとナスターシャ、日向も乗った事を確認して、階下で起こった爆発に紛れてスカイタワーから飛び出した。

 

「鏡華さん……」

「ごめん。本当なら立花の許に送るべきなんだろうけど、そんな事をしてる場合じゃないんだ」

 

 その代わりに、と、携帯端末を出してもらい、それをスカイタワーに近い、街を流れる川目掛けて落とした。

 

「壊れたらごめん。後は二課に見つけてもらうのを期待しよう」

「はい……。鏡華さん、これからどこへ行くんですか?」

「間に合うといいんだけど……どうしても“奴に”言いたい事があるんでね」

 

 最初の呟きは小さすぎて、未来には届かなかった。

 だけど未来には、鏡華が今にも壊れてしまいそうに見えた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 マリアと日向、ナスターシャが戻ってきたのは、日が落ちる前だった。

 調と切歌、オッシア、ウェルが出迎えた。

 三人は盾のような物に乗って戻ってきた。――予想外の人物を連れて。

 

「遠見、鏡華」

「な、なんでお前が付いてきているんデスか!?」

 

 二人の驚きに誰も答えない。

 マリアと日向は返答に困り、ナスターシャは答えず。

 荒い息をこぼす鏡華は、未来にその場にいるように言って、

 

「やっと会えたよ、この野郎」

 

  ―疾ッ!

 

 日向とオッシア以外が気付かない速度でオッシアに接近し、いつの間にか具現化していたカリバーンを振るった。

 

「オッシア!」

 

 調が叫んだ時には、既にオッシアの頭部を隠していたフードが斬られた後だった。

 フードが風に飛ばされ、オッシアの顔が露わになって、ナスターシャを除くフィーネの面々は絶句した。

 露わになったオッシアの顔は、鏡華と瓜二つだったからだ。

 周りで驚いているマリア達など気付かず、鏡華はふらふらとしながら言う。

 

「俺は、間違ったとは思ってねぇ。自分の、この、せん……たくは、絶対に……」

「御託はそれだけか?」

 

 オッシアは冷たく言い放つ。

 それをどう受けたのか、鏡華はにやりと笑い――地面に崩れ落ちた。

 

「鏡華さん!?」

 

 未来が叫び、駆け寄ろうとしたが、それをオッシアの言葉が止めた。

 

「もう目覚めているんだろう? さっさと起きろ――赫竜の騎士王(ウェルシュ・アーサー)

「――――」

 

 オッシアの言葉に、鏡華の身体が起き上がる。

 鏡華さん、と声を掛けようとして、そして未来は口を閉ざす。

 目の前で起き上がっているのは紛れもない遠見鏡華だ。それは間違いない。

 なのに、どうして“他人に見える”のだろうか。

 起き上がった鏡華は周りを見渡し、最後にオッシアを見て、

 

「なるほどな。貴様が一枚噛んでいたと云う訳か。白竜の騎士王(アルビオン・アーサー)

 

 鏡華の顔で、鏡華の声で――鏡華ではない雰囲気を出して、口を開いた。



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Fine8 騎士王Ⅰ

遠き彼の日、少年は人を捨て、王となった。
十の歳月、十二もの会戦を、一度も振り返らず、
勝利の為に駆け抜けた王に、敗北などありえなかった。

Fine8 騎士王

かつての王にして未来の王。然れど王になるべきでなかった少年。
優しき少年であった伝説は――今代の王に何を語り何を糺すべきか。


 アーサーと云う名前を、未来は鏡華から騎士王の鞘、アヴァロンを教えてもらってから何度か調べた事があった。

 ――アーサー・ペンドラゴン。

 岩に刺さった選定の剣を抜く事に成功し、騎士達の王となった少年。

 彼の許に集う、円卓の騎士と呼ばれる十二人の騎士。

 アーサー王が抜いた、もしくは湖の乙女から借り受けたとされる聖剣。

 カムランの丘と云う場所での最後の一騎打ち。

 そして、アーサー王の死。

 本で読んだ訳ではない。大まかな流れをネットで見つけただけ。

 客観的に見れば壮大な創作物であり現実味は薄い。

 まあそれも当たり前かもしれない。文学寄りの物語らしく、出てくる人物の設定や所持している武器も存在してるとは思いにくい。

 だが、未来はこれが本当にあった事だと知っている。何度か眼にした鏡華やヴァンの聖遺物が何よりの証拠だ。

 

 しかし、だ。どうしても目の前で起こった事だけは、肯定も否定もできないでいた。

 捕虜として扱われ、簡易な牢屋の中で座りながら未来は溜め息を漏らした。

 未来の隣では、さっきからジッと正座で瞑想している鏡華。しかし中身は鏡華ではない、らしい。

 

「……どうした?」

「何でもないです。――アーサーさん」

 

 鏡華の声で自己紹介してきた彼は、自分を“アーサー・ペンドラゴンと名乗った”。

 自己紹介して――それきり。

 それ以上の説明なんてなかった。

 状況がまったく理解できず、未来は一先ず日向の指示に従って、こうして牢屋で捕虜になっていた。

 

「……ふぅ」

「だから、一体どうした。溜め息は君らしくない」

「知ったように言わないでください」

「知っているのだから言っているんだ。私と君に接点はなくとも、宿主(キョウカ)とはあるだろう」

「……」

 

 何だろう。

 鏡華と真面目に会話した事は何度もあるが、それ以上に緊張してしまう自分を感じる未来。

 まるで下っ端職員がいきなり社長と対面してしまったようだ。働いてないからあくまで想像だが。

 アーサーはそんな未来の事を気にする事なく、口を開く。

 

「さて、彼に対する説明もウェルシュがしてくれるようだ。今なら君の質問に答えよう」

「彼に対する説明? それって鏡華さんの事?」

「ああ。彼――つまりは我が鞘の新たな所有者に“なりかけている”鏡華の事だ。彼奴は仮とは云え鞘の力を半分まで引き出した。しかし、流石に普遍の人の子が無理をしすぎている。故に一度休息を与えるため、強制的に私と云う人格を覚醒させて魂を眠りに就かせたのだ」

「無理を、しすぎている……?」

「うむ。私は生前、多くの精霊や湖の巫女の加護を得ていた。故に鞘の能力に対する最低限の“備え”はできていた。しかし、鏡華はそんなもの一切持ち合わせてない。よく二年の月日を耐えたものだ」

 

 アヴァロンの代償について、未来はあまり聞いた事がなかった。ただ、人間には過ぎた恩恵の反動だ、としか鏡華は言わず、それ以上は言いたくなさそうだったのだ。

 

「あなたは本当に……本当に、あのアーサー・ペンドラゴンなんですか?」

「あの、と云うのが鏡華の記憶にある『アーサー王伝説』などの書物に出てくるアーサーを指しているのであれば、肯定と頷こう。肉体を失い、鞘に記憶され記録だけの身になった存在だが、私は間違いなく円卓の騎士を率いた騎士王、アーサー・ペンドラゴンだ」

 

 閉じていた瞼を開き、初めてはっきりと自己紹介した。

 未来にも分かる堂々たる風格と態度。姿は鏡華だが、この空気は本当に別人だ。

 

彼の心(アルビオン)の方も説明を始めたようだ。こちらも語ろうか――私が知り得る鞘と、私の人生を」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「書物の中で、アーサーは選定の剣。ぶっちゃけてしまえば遠見鏡華が使うカリバーンを抜いて王座に着いた。詳細は省くが記された通り、十年の歳月で十二の会戦に勝利して、騎士国を平定したそうだ」

 

 素顔を晒したオッシアはマリア達フィーネのメンバーの前で、そう語り始めた。

 

「その中に登場しながらも簡潔な説明と結果だけが記された道具。それが遠見鏡華の完全聖遺物だ」

「騎士王の鞘……アヴァロンですね」

「それは奴が勝手に命名した名だ。本来、アヴァロンとはとある島の名。知っているかもしれないが、カムランの丘での戦いで死亡したアーサーの肉体が眠り、いつか目覚めるとされている約束の地らしい」

 

 また、アーサー王は死んだのではなく、あくまで身体と心を休めるために眠りに就いているだけとされる場合もある。

 どちらにせよ、共通している事は、『ここに、過去の王にして未来の王アーサーは眠る』と云われている。

 

「それが鞘によって復活した、と云う事ですか」

 

 ナスターシャの言葉に、オッシアは首を振った。

 

「いや、鞘に記録されたアーサーは記憶されているだけに過ぎない。復活とは程遠い」

「じゃあ、本当にアーサー王はいつか蘇るんデスか?」

「それは知らん」

 

 オッシアの否定に、質問した切歌と調は首を傾げる。

 

「切歌と調は知らないはずだな。ならちょっと『アーサー王伝説』の勉強だ。不老不死を与える鞘を持っているアーサー。ならば何故アーサーは最後の戦いで致命傷を負ったんだ?」

「それは……何でデスかね」

「あ……その時、鞘を持ってなかったから?」

「正解だ。アーサーは騎士国平定後から最後の戦いの間に、鞘を失っている。否、盗まれた、と云った方が適切か」

 

 一説ではアーサー王の鞘を盗んだのは彼の異父姉とされている。

 だが、オッシアはそこまで脱線はせず、話を元に戻すよう進路を進めた。

 

「つまり、だ。鞘をアーサー王が所有していたのはある時期まで。盗まれてからの事は鞘の記憶にはない」

「ふむ。とても興味深い話ですね。武器だけでなく過去の記憶まで残っているとは。これが本当の本物の完全聖遺物。英雄が使っていた武具の能力(ちから)……!」

「言っておくが、調べようと思うなよウェル。いくらオレが遠見鏡華(ホンモノ)とは違っていようと、鞘に関する事だけは奴と同じく不干渉させないつもりだからな」

 

 興味を示すウェルに、鋭い眼光と共に釘を刺しておくオッシア。

 奏者である調や切歌が背筋にぞくりと悪寒を感じるほどの眼光。にも関わらず、ウェルは気付いてないかのように仰々しく一礼する。

 

「……さて、と。残りは一番気になっているであろうオレの存在だろうな」

 

 ウェルの言動はいちいち気になるが、意味合ってやっているのか、はたまた無意識なのか、考えるだけ時間の無駄だろう。

 そう判断したオッシアは、視線を戻して自分と云う存在を話し始めた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 すごく心地良い気分だった。

 全身を熱くもなくぬるくもない、人肌に近い温度のお湯で覆われているかのようだ。

 今までの痛みとか疲労が洗い流されていく。

 ――あー、もう何か色々どうでもいいわー。

 この心地良さには誰もが抗えない。抗えないもん。

 自分にそう言い聞かせて、心地良さから脱却する、なんて考えを遥か彼方の理想郷のまた更に先にぶん投げてしまう。

 

「いや、投げるでない」

 

  ―撃ッ!

 

 耳にそんな言葉が届いた瞬間、背中に衝撃が襲い掛かった。

 以前、奏の全力ガングニール打法を無防備に喰らった時並みの衝撃だ。背中が爆ぜたのではないかと錯覚してしまう程である。

 心地良さから一転、身体中が痛みに悶える。

 

「痛ってぇ……!」

「ほう。今のを痛い“だけ”で済ますか。普遍の子がよくぞここまで鞘に適合したものだ」

 

 短い悲鳴を上げる鏡華は掛けられた声に、痛みを堪えながら視線を上げた。

 真っ白とも真っ暗とも、広くとも狭くとも感じる摩訶不思議な空間。

 そこに足を組んで座っているように浮いている一人の男。会った事のないはず、だけど鏡華は目の前の人物とどこかで会った気がしてならない。

 

「初めまして、とでも言おうか。これまでずっと共にいたが、言葉を交わすのは初めてだろう」

「……?」

「そうだな。混乱しても困る。今はアーサー・ペンドラゴンとでも名乗ろうか」

「アーサー、ペンドラゴン……? ――ッ」

 

 一瞬、誰の事か迷ったが、すぐに誰であるか導き出す。

 思考がフル回転して、仮説をいくつも立てていく。そして、一番可能性の高い仮説を鏡華は口にした。

 

「鞘に記録されたアーサー王の記憶」

「いかにも。こうして言葉を交わす事ができて嬉しいぞ。過去でも未来でもない今の王、遠見鏡華」

「初めまして、でいいのか? それともこうか? 拝謁できて光栄の至りでございます、陛下」

 

 痛みなど遥か彼方。鏡華は恭しく片膝をつき胸に手を当てて、臣下の如く頭を下げた。

 

「顔を上げよ。今の私は王ではない。王の記憶を持った偽物だ。陛下ではなく、そうだな、ウェルシュと呼んでほしい」

「……そうかい。だが、記憶だろうと、会う事ができて嬉しいのは本当だ」

「うむ。――さて、時間が惜しい。遠見鏡華、(しば)し話に付き合え」

「御意」

 

 だからやめよ、とウェルシュは微笑む。

 その顔はひどく穏やかで、とても鏡華が鞘の記憶で見たアーサー王本人に見えない。むしろ、その顔は少年のようで――

 

「ふむ、さて何から話そうか。……そうだな。では、先に鞘について話そう」

「鞘……アヴァロンの事を」

「少し確認だが、そなたは鞘についてどこまで知っておる?」

 

 ウェルシュの問い掛けに、鏡華は少し考えてから答える。

 

「王に即位したあなたに魔術師が渡した魔法の鞘。不老と不死を与える能力。途中で誰かに盗まれた事。これぐらいかな」

「うむ、少ないが間違いはあまりない。説明なく云えるのは、鞘の真銘は違うと云う事のみであろう」

 

 手を空中に差し出す。黄金の光と共に具現化するアヴァロン。

 

「順を追って話そう。初めに、この鞘は元々このような物ではなかった。マーリン――奴は魔法使いと自称したが、魔術師だな――が所持していた頃は、ただ記録する事ができる鞘であった。それが不老と不死を与える鞘なったのは――ヴォーティガーの時代だ」

「ヴォーティガー……? ……確か、ブリトン人諸侯だったか。それってアーサー王が生まれる、それこそウーサー・ペンドラゴンが王になってすらいない頃だよな」

「そなたは基本の学はからっきしのはずなのに、そう云った事に関しては詳しいな」

「身近にいた人がそう云う事に詳しかったんで」

「そうであったな。そなたの記憶も鞘から流れてきている。ならば『ブリタニア列王史』でヴォーティガーに関係のある箇所を話してみろ」

「『ブリタニア列王史』?」

 

 なんで彼がそんなものを知っているのか、鏡華は気になったが口には出さず、言われた通り話した。

 ヴォーティガーに関する箇所と云えば、赫い竜と白い竜からだろう。

 鏡華は眼を閉じて内容を思い出す。

 

 当時、大君主であったヴォーティガーは、傭兵として雇っていたサクソン人の反乱により退却した後、宮廷に仕えていた魔術師達の助言を受けて堅固な塔を建設しようとした。ところが、塔を築こうとしても基礎が一夜にして地中に沈んでしまう。

 そこでヴォーティガーは再び魔術師達に相談すると、

 

「生まれつき父親のいない少年を探し出してその血を礎石のモルタルに振りかけるがよろしい」

 

 ――と言われた。

 そして、当時、少年であった、将来の魔術師マーリンが生贄として見出された。

 ヴォーティガーが事情を説明すると、マーリンは、

 

「魔術師達を呼んできて下さい、彼らの嘘を証明致しましょう」

 

 恐怖する事も、生け贄に対する不満もなく、ただ笑ってそう言った。

 しばらくしてヴォーティガーと招集された魔術師達の前で、

 

「土を掘り起こすよう工人達に命じて下さい、そうすれば塔の基礎の地下に水溜りが見つかるでしょう、そのせいで基礎が沈んでしまうのです」

 

 と何事もなく告げた。

 ヴォーティガーが半信半疑のまま塔の下を掘らせてみると、マーリンの言った通り、水溜りが出てきた。

 マーリンはヴォーティガーの魔術師たちに向かってこう言った。

 

「嘘の上手なおべっか使いの方々、水溜りの下には何があるかご存じですか」

 

 皮肉たっぷりの問いかけに魔術師達は口々に叫ぶが、マーリンは異に介さず、今度はヴォーティガーに対して言った。

 

「池の水を抜き取るよう命じて下さい、すると水底には空洞があり、そこで竜が争っているでしょう」

 

 ヴォーティガーが水を抜かれた池の底に座していると、なんと赤い竜と白い竜が出現し、二匹は相手に接近して、互いの姿を認めると戦いを始めた。

 有利だったのは白い竜。しかし、一時は劣勢に見えた赤い竜は、しばらくして勢いを盛り返し、白い竜を退かせた。

 驚きで傍観のままだったヴォーティガーにマーリンはこう予言したらしい。

 

「赤い竜はブリトン人、白い竜はサクソン人。この争いはコーンウォールの猪が現れて白い竜を踏みつぶすまで終わらない」

 

 この予言は数十年後、コーンウォールの猪ことアーサー王がサクソン人を破るという形で当たる事になる。

 

 ――とまあ、ざっとこんな所だ。

 眼を開けて視線をウェルシュに移すと、ウェルシュは頷いてから口を開いた。

 

「それは紛れもない事実だ。そして、マーリンの予言通りヴォーティガーは討たれ、父上(ウーサー)が戦いの果てに王となり、私が彼らを破った。だがしかし、鞘とヴォーティガーはまったく関係ない」

「関係ないのかよ」

「関係するのは――赫い竜と白い竜」

 

 不意に鏡華は恐怖を感じた。背筋を嫌な汗が流れる。

 周りは見慣れた鞘内の内包結界。目の前には穏やかに微笑んだままのウェルシュ。

 どこに恐怖する理由があるのだろうか。

 

「遠見鏡華。両の竜の名を言ってみよ」

「……白い竜はドライグ・グインやドライグ・アルビオン。赫い竜は確か――」

 

 口にしようとして、ハッとした。

 待て。この名前、これは、なら、まさか――

 考えに考えて、答えは見つからず。

 鏡華は一度だけ息を吐いて、吸ってから答えた。

 

「ウェルシュ・ドライグ――あなたが呼んでほしいと言った名前」

「うむ。やはりどこまでも詳しいな、当たりだ」

「そんな……まさか、そんな、それが答え、なのか……?」

 

 鏡華の驚愕した表情を見て、ウェルシュは笑みを深めた。

 そして一度だけ頭を下げて言った。

 

「そなたには嘘をついたな。私はアーサー・ペンドラゴンではない。いや、正確にはアーサー・ペンドラゴンではあるが、アーサー・ペンドラゴンの意識ではない。我が真名はウェルシュ・ドライグ――赫い竜であり、鞘に封じられし騎士国の竜王(ペンドラゴン)の一匹だ」



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Fine8 騎士王Ⅱ

 世界は闇に染め上げられる。それでも人が造り上げた街は闇を嫌うかのように灯りを灯し続けている。

 そんな人工の光から離れた海中に潜航する二課。そこで待機していた響はあれからずっと後悔に苛まれていた。

 外へ投げ出された響を助けたのは響自身ではなく、未来だった。

 ギリギリの所で響の手を掴んだまではよかった。だが、未来の膂力では響を引っ張り上げる事は叶わず、更にはそのままでは二人一緒に落下してしまう。

 

『未来、手を離して』

 

 だから響は、未来にそう言った。

 自分なら落下しても聖詠さえ唱う事ができれば着地できる。そう判断した上での言葉だ。

 未来も分かっていただろう。だけど頑なに手を離そうとしなかった。それ以上に響の命を削りたくなかった。それ故に手を離さなかった。

 

『未来は頑張って私を助けてくれた。だから、次は私に頑張らさせて?』

 

 だから、響が手を離した。

 前も、さっきも、そしてこれからも助けてもらうために。

 未来を助けるために――

 涙を流し落下する響の名前を叫ぶ未来に薄く笑い、聖詠を唱い防護服を纏う。途端に火がついたように全身が熱を発するが無視する。

 脚部のパワージャッキをオーバースライドして、着地の衝撃を緩和して着地した。

 

『未来――!』

 

 着地の衝撃で地面がヘコんだが気にせずに上を仰ぐ。

 崩壊まで時間がない。急いで未来を助けないと。

 しかし、響は見上げるだけしかできなかった。

 

  ―爆ッ!

 

 見上げた瞬間だったのだ。その、崩壊の瞬間は。

 さっきまで未来と一緒にいた場所が見上げた瞬間に――爆発した。爆発してしまった。

 連鎖するように周りも次々と誘発していく。

 響達のようにシンフォギアを扱えるならばギリギリで何とか脱出できる。だが、未来は適合者でも融合症例者でもない。

 未来は――普通の女子高生だ。

 普通の女子高生が爆発に巻き込まれたら――辿る道はただ一つ。

 

『み……く……?』

 

 よろよろと体勢を崩し、その場に膝をつく。

 そこから先の事はあまり記憶がはっきりとしない。

 シンフォギアが解除され、囲んでいたノイズは翼と奏、クリスとヴァンが対処して、友里が運転する車両で二課に戻って――

 

「入るぞー、響」

 

 扉が開く音。明らかに事後承諾だが、咎める声もない。

 響は俯いていた顔を上げる。部屋に入ってきたのは奏だった。

 

「奏さん……」

 

 やっ、と軽く片手を上げる奏。

 だけど次に口を開いた言葉は重かった。

 

「いつまで現実逃避してんだ?」

「ッ……」

「いや違うか。現実は認めてヘコんでんだもんな。えーっと、いつまで塞ぎ込んでんだ?」

 

 返す言葉もない。返す言葉はない。

 いつもであれば冗談くらい言えるはずなのに、どうしても口が回らない。

 

「生きてるとは考えないのか?」

「私や奏さんのようにシンフォギアを持ってないんですよ未来は。普通の女の子があの爆発の中で生きてられるなんて……」

「まぁ確かにそうだ。可能性は限りなく低いな」

 

 奏だって馬鹿でもそれぐらい判断できる。

 それに目の前で大切な何かを失う経験を味わっている奏は、無闇に安易な事は言いたくなかった。

 

「ノイズの襲撃。高い場所の崩壊。逃げ場のない所での爆発。ぶっちゃけ助かる可能性なんてゼロに近い」

「ッ……!」

「でも、今回ばかりはゼロじゃない」

「え……?」

 

 奏の言葉に思わず言葉が出た。

 

「今、ノイズはF.I.S.の制御下だ。ノイズの出現イコール近くにF.I.S.がいたって事になる。んで、消火したスカイタワー内部を緒川さん達が調べる前にヴァンとこっそり入ったんだけどな」

「よ、よくバレませんでしたね」

「うんにゃバレた。さっきまでダンナにお説教されてた」

「あ、あはは……」

「で、だ。展望台の下の複数階、会議室や通路ばっかだったんだけど、そこに数人の一般人と武装した人間の死体がいくつもあった」

 

 いきなりの言葉に響は驚く。

 したい、姿体、肢体、死体――

 火災現場で見つかる「したい」と云えば、当然「死体」が妥当だ。

 

「あんまり気持ちいい話じゃないけど最後まで聞いてくれよ。ヴァンの見立てだと、一般人の死因は銃で撃たれたから。武装した人間……ヴァンは米国の軍人だって断言してた人間は、数人がものすごく重い一撃による即死で残りが爆発や瓦礫の下敷きとかだって言ってた」

「えーっと、ここは気持ち悪くなるべきですか? 鏡華さんの身体見た事あったから気持ち悪くなれないんですけど」

「安心しな響、それが普通。鏡華の身体見たら大概は平気になれる」

 

 からからと話している内容の割に軽い口調で笑う奏。

 響はどんな顔をすればいいか分からなかったので、一先ず奏に合わせて笑っておいた。それでもとても乾いた笑いだと云う事は自分でも分かった。

 

「それでついでに展望台にも行ってみた。幸か不幸か“一般人の死体”は一つもなかった」

「そう、ですか。よかった……」

 

 そこであれ、と気付く。

 奏は一つもなかった、と言った。

 

「奏さん。誰も死んでいなかったんですか?」

「うん? うん、誰も」

「それは——未来のも、ですか?」

「さあ」

 

 楽しそうな笑みを浮かべて奏は背中を向ける。

 

「ちょっと奏さん!?」

「知りたかったらおいで。ダンナが教えてくれるかもよー?」

 

 くるくると踊り、部屋から出て行く奏。上手くかどうかは知らないが、上手くはぐらかされた気がした響は立ち上がり、部屋を出て奏を追い掛けた。奏はいつの間に、と云う速さで踊り、歌を歌いながら廊下を進んでいる。聞いた事がない歌だったので新曲か即興だろう。

 にしてもだ。

 

「ちょっ、奏さん足はやっ! 私を置いてったら意味ないですよ!? 師匠の居場所知らないんですから!?」

「わ、わ、わ、分からず屋〜」

「誰が!?」

「わ、わ、わ、私がさ〜。勉強関連だけど」

「まさかの自虐ネタを歌にしてる!? 確かに奏さん、遠見先生と同じくらい勉強してないですけど!」

「鏡華よりは勉強できるさ」

「うひゃあっ!? 突然目の前に現れて言わないでください!」

「でも一割ぐらい上なだけなんだけどな」

「思いのほか謙虚だった! ちなみに一割の目安は……?」

「広辞苑一冊分」

「意外と分厚くて謙虚じゃない!」

 

 ——なんて。

 割とツッコミ役が定着してきたんじゃ、と思ってしまうほどの受け答えを続ける二人。

 それとなく奏が誘導して弦十郎の許に連れてきた時、響はいつもとそう変わらない表情を浮かべていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 文献や叙事詩などに記録される英雄は何人もいる。

 その中で、英雄と評される者の多くは誰しも強大な敵と戦い、勝利を収めている。

 特に人外なる存在、悪魔や大蛇、化け物——そして竜。

 しかし、エクスカリバーを所有した騎士王アーサー・ペンドラゴンは竜と関係あれど戦ったわけではない。

 ペンドラゴンとは竜の頭を意味し、『騎士の長』、『偉大な騎士』、『王』などの意味合いを持っている。これはアーサー王の父にして先王のウーサーが王になる前、戦いの最中に軍を率いていた時に突然空に明るく輝く大きな星が現れたらしい。その星は、まるで燃える火の竜のようだった。それをマーリンが見て、予言をウーサーに伝えた。予言の内容は割愛するが、その後マーリンの予言通りになっていき、ウーサーは王となった。ウーサーは王となる事ができた火の竜の星を記念して二匹の黄金の竜を作り、いつしか臣下からペンドラゴンという称号で呼ばれるようになり、彼もまた名乗るようになったそうだ。

 

「それは正しくあり、また間違いでもある」

 

 そう言って、アーサー、否、アーサーの姿をした赫い竜ウェルシュは鏡華と同じ目線に足を下ろした。

 

「ウーサーに二匹の黄金の竜を作るよう進言したのは魔術師だ。そしてペンドラゴンの名を広めたのもまた魔術師の仕業」

「本当のペンドラゴンってのは、白い竜と赫い竜の二匹……?」

「うむ。と、頷いてはいるが、私やアルビオンが名乗ったわけではない。全部あの魔術師が仕組んだ事だ」

 

 忌々しいがな、と最後に付け加えて腰を下ろす。いつの間にかウェルシュが腰を下ろした先には椅子があり、湯気を立てるカップとクッキーらしきお菓子が置かれた机も現れていた。

 ウェルシュに促されて、鏡華も対面に座った。

 

「……もしかして、ヴォーティガーの前に現れた時の事も仕組まれてた事だったり?」

 

 お茶を飲むウェルシュは鏡華の言葉に、笑みを浮かべてソーサーにカップを置く。

 

「我らと魔術師が出会ったのは……いつだったか。ああ、誤摩化してるわけではない。鞘に我らの一部を与える前の事は曖昧でほとんど憶えていないのだ。ヴォーティガーの件もそなたの記憶にあったものを見て思い出したのだしな」

「よーやるわ。……ん? でも、その話を信じるとマーリンは自分がヴォーティガーの前に連れてこられると知っていたのか?」

 

 カップに注がれたお茶を口に含みながら聞く。聞いた後で首を傾げ、机の中央に置かれたクッキーに手を伸ばして一口食べた。もそもそと咀嚼し残りを放り込んでお茶を飲み干す。

 そして、先の質問の答えを聞く前にもう一つ質問した。

 

「この紅茶とスコーン? 美味いな。英国って食事が不味いって聞いた事があったんだけど」

「……」

 

 ウェルシュは笑みを浮かべたまま。

 心なしか張り付いているようにも見えなくもない。

 しかしそれもすぐに解けて、ため息を吐いた。

 

「一応、先の問いに答えておこう、分からん。――我が国は紅茶と菓子類はとても美味い。スコーンは飲み物がないと食べ辛いがそれでも美味に位置している。問題は食事だ。ああ、先に言っておくが朝食“だけ”は美味いぞ。今だから言えるが一日の食事は全部朝食のメニューがよかった。よくもまあ朝食以外を食えていたものだよ、半身たるアーサーは。まあ朝食も朝食で味をつけずに食卓に出されていたから、あくまで調味料などで味をつけて食べた場合だったがな。さて、問題は夕食や宴の時の食事だ。あれを夕食や宴とは言いたくないが、一応あれは夕食や宴だろう。一応、一応、不本意だが、何故食事が殺し合いに発展するのだ。大体――」

「……」

 

 今度は鏡華が呆気に取られて言葉を失う番だった。

 ほんの少し前に関わったばかりだが、ウェルシュに食事の話を振ってはいけないとすぐに理解した。

 何故なら、目の前のウェルシュは未だに語り続けているのだ。それも笑みを浮かべて、だけど眼だけはまったく笑っておらず、むしろ冷めていっている。

 

(眼が語っているよ。——どんだけ嫌だったんだよっ)

 

 とはいえ、鏡華も何故ここまで彼が嫌悪しているのかは想像できている。

 中世の宴会風景は、机に載せられた料理に我先にと群がり、ナイフを突き刺して肉を切り取り、手掴みでそれを取り上げ口に詰め込む。個人の皿はなくフォークもない。切ったり突き刺したりするフォーク代わりのナイフは自分で用意した物で、酔っぱらったらこれで宴会のメンバーと殺し合う。

 たかが食事で殺し合うのだ。それも味方同士で。

 彼でなくともそんな食事認めたくないだろう。鏡華だって嫌である。嫌と云うか参加したくもない。

 

「そもそも——いや、すまない。話が逸れてしまった。食事の事になるとどうしても、な」

「まあ、大体の理由は知ってますけど……あれって事実だったのか?」

「非常に不本意だが……いや、もうよそう。話を戻そう」

 

 自分を落ち着けるために紅茶を口に含み、ウェルシュは息を深く吐く。

 それを見て、口にするのはもうちょっと勉強してからにしよう、と鏡華は深く思った。

 

「さて、話を戻すとは言ったが、一体何を話そうか」

「せっかくの機会なんだ。アヴァロン——鞘について、がいいな」

「ふむ……そうだな。そうしようか」

 

 ——時間は有限なのだから。

 そう言ったウェルシュの瞳はひどく優しく、同時に儚げであった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「騎士王の鞘、魔法の鞘、アヴァロン。呼び方に違いはあれどそれらが指しているのは、騎士王アーサー・ペンドラゴンが魔術師マーリンから譲り受けた所有した鞘である事。鞘は不老と不死を持ち主に与える事ができる」

 

 しかし——と。

 ウェルシュは紅茶をかき混ぜたスプーンを振った。

 

「本質だけを言ってしまえば、“鞘にそんな能力などない”」

「——は?」

「人の子が自然の理を簡単に書き換えられるわけない。それは魔術を扱える異端の子であろうともな」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。不老不死の能力はない? でも実際に……」

「そもそもだ。“不老不死などと誰が言った”?」

 

 誰って、と鏡華は口を閉ざす。

 誰、と指定されても鏡華には答えようがない。何故なら鏡華が、いや今現在においてそれらを教えてくれるのは——

 

「そう。不老不死などと“教えた者などいない”。そなたらの知識は全て書物から識ったもの」

「ああ」

「更に問う。それら書物は誰が書いた?」

「……あ」

 

 鏡華は思わず声を上げた。

 

「書いたのが誰だったかは忘れたけど、書かれたのは……だいぶ後だ」

「そう。後世の人の子が書いたと云う事はつまり、本当の事を知らない。無論、その者なりに調べたりしたのだろう。だがしかし、過去の事を正しく書く事など無理がある。支配者が残そうとする記録が支配者の都合によって改竄されるなどよくある事だろう?」

「……」

「詰まる所、そなた達は残らず騙されていると云う事だ。とは云え、そこに誰の善意も悪意もない。単純にそれが、人の子の歴史が積み上げた結果なのだろう」

 

 ミルクを注いだ紅茶を飲み干したウェルシュがそう締めくくる。

 ソーサーにカップを戻し、パチンと指を鳴らす。

 

「では語ろうか。赫い竜(ウェルシュ・ドライグ)が、騎士王(アーサー・ペンドラゴン)が、偶然なのか必然なのか鞘を抱くに至った遠見鏡華(新たな担い手)に、“我ら”が識る騎士王伝説を。過去でも未来でもない現代(いま)の王であるそなたは——」

 

 ——どのような運命を標にするのだろうな。



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Fine8 騎士王Ⅲ

 カチャカチャと食器を鳴らす音。

 普段は気にならない音も、今の翼にとっては不愉快に聞こえた。

 

「なんか食えよ。奢るぞ?」

 

 食器を鳴らす張本人、クリスがナポリタンを頬張りながらメニューを渡してくる。

 夕食は食べる気にならず抜いていたので空腹は感じていたが、翼は受け取ったメニューを元の場所に戻した。

 

「夜九時以降は食事を控えているから遠慮させてもらおう」

 

 それにしてもだ。

 翼は目の前で頼んだ料理とそれを食べるクリスを、薄く開いた眼で観察する。

 口には出さないがはっきりと思う。食べ方が非常に汚い。

 うどんやそばならともかくパスタをすすり上げて音を立てるわ、口をソースで染めるわ、フォークの持ち方がなってないわ、と、これっぽっちも食事の作法がなっていない。あと、頬にマッシュルームがくっついている。

 いくら治安の悪い国で子供二人で生活していたからと言っても、食事の作法ぐらい憶えているはずだろう。

 ちらりとクリスの隣を見る。

 クリスの隣に座るヴァンは黙々とステーキを食べている。持ち方も間違ってないし、ナイフが食器に当たる音も小さい。

 一体、何がどうなってここまで違いが出てくるのだろうか。

 翼は苛立ちを無意識にその疑問で抑えていた。

 

「そんなんだから、そんななんだよ」

「……用がないなら帰るぞ。あとその話題、今度口にしたら捌くからな、憶えておけ」

「そんなんだから、胸がそんななんだよ翼」

「確かに今の言葉は雪音に言ったものであって、奏に言ったわけじゃないけど。それでも奏、だからと言って奏が言っていい理由にはならないぞ?」

 

 溜め息と共に吐き出した言葉を、隣でクリスのように色々食べている奏は軽く流して食事を続けている。

 まともに話を聞いてくれそうなのがヴァンしかいなかった。そのヴァンも聞きに徹していて口を開こうとしない。

 

「まあ、呼び出したのは一度一緒に飯を食ってみたかっただけさ。腹を割っていろいろ話し合うのも悪くないと思ってな。だけど片翼、それ食った分は自分で払いやがれ」

 

 ナポリタンを食べ終えたクリスはフォークを片手に、翼と奏に言った。

 

「えー、奢ってやるって言ったのはクリスだろ」

「食い過ぎなんだよ馬鹿。——なあ、あんたは感じないか?」

「……何がだ?」

 

 クリスの問い掛けに質問で返す。

 

「少しずつ何かが壊れてきてるって事に、だよ。決定的に大事な居場所は無事だけど、それでも外側から着々と蝕んできやがる」

「……」

「蝕むのは誰だ?」

 

 再度、問い掛けるように呟く。

 しかし今度の問いにクリスはすぐに首を振った。

 

「なんてな。本当(ほんと)は気付いてんだよ。蝕んでるのはノイズだ。そのノイズが発生するのは、あたしがソロモンの杖を起動させたから。——自分で自分の居場所を壊してるんじゃねぇか、あたしって奴は」

 

 あの頃はフィーネの言葉を鵜呑みに聞いていた。もちろん、その事を聞いた相手は大抵、仕方ないなどと言ってクリスに非はないと言うかもしれない。しかし、フィーネの言葉であろうと、ソロモンの杖を起動させたのは他ならぬクリス自身だ。

 その事は、クリスの中に未だ後悔として残っている。歌による平和を夢と見ながらも、その歌で争いの火種を生んでしまったのだ。後悔するなと云う方が無理だろう。

 

「今回だってそうだ。あたしが起動させたノイズのせいで、あいつらは……」

「雪音……」

 

 クリスの本音に、翼は思わずと云った様子で呟く。同時に先ほどまで胸の内の苛立ちが薄れていくのが感じられた。

 自分の不甲斐なさに苛立っていたが、それと同じくらいクリスも悩んでいた。

 気持ちを共有できる仲間がいたから、などでは断じてない。

 今のクリスの告白に比べれば、自分の苛立ちなんて、天と地ほどの差がある。

 

「……」

 

 翼は考える。

 本来であれば、適当に話題を逸らして店を出るつもりだった。

 しかし、翼は席を立っていない。

 代わりに考えて、考えて——メニューを手に取った。

 

「……なんか食うのか?」

「確かに雪音がソロモンの杖を起動させたから、頻繁にノイズが現れるようになった。それは紛れもない事実だ。覆しようがない」

「ッ……」

「だが、私が言うのもおこがましいかもしれないが言わせてもらおう。——だからどうした?」

「——は?」

 

 思いもよらない翼の台詞に、クリスは変な声を上げた。

 ヴァンも手を止めて翼を見ているし、奏はひゅう、と小さく口笛を吹いた。

 

「どうした? 雪音。それが雪音が背負う罪か? 違うな、それはミスだ」

「み、ミスって……そんなんで片付けるモンじゃねぇだろ!」

「そうか? 私から見れば些細なミスにしか見えないな。奏と夜宙はどうだ?」

 

 メニューから顔を上げ、翼は視線を向けた。

 

「聞けば、司令に怒られたみたいだな。私にはそっちの方が悪いと思うけどな、うん?」

「にししっ、確かになー。しこたま怒られちまった」

「別に。必要があるからやったまでだ。悪いとは微塵も思わないな」

「反省の色がまったく見えないな」

 

 つまりはこう云う事だ、とクリスへ視線を向けつつ、呼び鈴を押して言葉を続けた。

 

「あまり背負い込みすぎるな雪音。二人のように……なってはほしくないが、もう少し私達を頼れ。仲間のミスぐらい、カバーしてやるさ」

「仲間……」

 

 驚いたように眼を丸くするクリスの表情を見て、笑みを見せる翼。

 やって来た店員に料理を頼みながら、翼は胸の内で何かがスッと溶けた感じがした。この言葉で上手く表現できない気持ちは、前にも感じた事がある。その時はするりと逃げてしまっていた。

 しかし今は違う。まだ上手く言えないが、少しはこの気持ちに近づく事ができたはず。

 

「さしあたってはそうだな——いい加減、夜宙以外を名前で呼んでもらおうか?」

「……はあっ!? や、いや、それはおめー……」

「どうした? ああ、難度が高いと言うのなら鏡華や奏みたいにあだ名でも構わないぞ」

 

 慌てふためくクリスの百面相。

 そんな彼女を見て自分の笑みが悪いものだと自覚しながら、笑みを消そうとはしない。

 隣で奏とヴァンもにやりとしている。

 それを視界の端で気付きながら、さしあたっては、と心の中だけで呟いた。

 ——さしあたっては、食の作法かマッシュルーム、どちらを先に教えるべきかな。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 誰にも気付かれないようにマリアは通路を歩いていた。

 今日は色々な事がありすぎた。独りになってから、どっと疲れが身体に重くのしかかった。

 だが、あんな事があった以上疲れた様子を見せるわけにもいかず、マリアは独りでも気丈に振る舞いながら進む。

 

 そうなった理由はおよそ一時間ほど前。オッシアの話が終わってからの話になる。

 スカイタワーでの一件の顛末。それをウェルが話したのだ。

 何故あの場にいなかったウェルが知っているのかは疑問だが、ノイズが現れた以上ウェルもあの場のどこかにいたのだろう。

 

「ナスターシャは十年を待たずに訪れる、月の落下より一つでも多くの命を救いたいという私達の崇高な理念を米国政府に売ろうとしたのですよ。加えて、マリアを器にフィーネの魂が宿ったというのもとんだデタラメ。ナスターシャとマリアが仕組んだ狂言芝居だった」

 

 ウェルに言われるのは腹立たしいが事実しかなく、マリアは何も知らない切歌と調に謝罪しかできなかった。

 調子に乗っているのか、ナスターシャの言葉に一応正当な返事を返しながら、ウェルはナスターシャを批難し、作戦の修正を勝手に進める。

 その案やウェルの行動に我慢の限界だったのか、切歌と調が敵意を見せる。

 本来であればマリアもそちら側につくのが正しかったのかもしれない。

 

「偽りの気持ちでは世界を守れない。セレナの想いを継ぐ事なんてできやしない」

 

 だが、マリアがついたのはウェルの側。ウェルを守るように二人の前に立ち塞がった。

 視界の端では流石の日向も驚いている。

 それでも決めたのだ。

 

「全ては力——力を以て貫かなければ正義を為すことなどできやしない。世界を変えていけるのはドクターのやり方だけ。ならば、私はドクターに賛同する!」

「マリア……」

「それ、本気で言ってるデスか……?」

 

 ウェルの意見に、本音を言えばマリアだって賛成できるものではない。しかし、このままでは世界を救うどころか正義を為す事さえできないのだ。

 ならば、自分は悪の道に堕ちようとも、世界を救う。そう、決めたのだ。

 

「……それがマリアが決めた、マリアの道なんだね」

 

 そう、決めた。なのに——

 

「分かった。マリアが決めたのなら僕は何も言わない。僕はできる限り協力する」

「日向!?」

「だけど」

 

 どうして、どうして日向(あなた)は、

 

「僕も僕のすべき事をするよ。後悔しないためにも」

 

 そんなに悲しい表情(かお)をしているの?

 そう言って日向は咳き込み始めたナスターシャを連れて部屋を出て行った。切歌と調も何度もこちらを振り返りながら二人に続いた。ウェルも忙しくなる、と部屋を出る。オッシアはいつの間にかいなくなっていた。

 独りになるマリア。それはまるで本当の意味で孤独のような——

 

「——あの」

「……ッ!?」

 

 声を掛けられて、我に返った。

 通路を歩いていたはずが、いつの間にか倉庫の壁に凭れていた。

 気付かぬ内にここまで来てしまっていたようだ。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

「え、ええ。ちょっとボーッとしてただけ、大丈夫よ」

 

 自分を心配そうに見る捕虜——と云うべきか、客人と云うべきか。

 目の前に置かれたケージの中に入っているのは遠見鏡華とあの場で助けた少女。確か、「未来」と呼ばれていた。

 そして、遠見鏡華は——いや、“今は”遠見鏡華ではなく、アーサー王らしい。

 

「大丈夫には見えないがな。人とは大丈夫と言う時ほど大丈夫ではない生き物だ」

 

 以前から聞いた事のある声。しかし、圧倒的に違う何かを感じる。

 同じ声音なのに、何故ここまで違いが出るのか、これが『王』と呼ばれる所以(ゆえん)か。

 

「本当に大丈夫よ。それより寒くないかしら?」

「はい。暖かくはないけど、寒くはないです」

「そう。……一つ、訊いていいかしら?」

 

 未来が頷くのを確認して、マリアは質問した。

 

「日向の言っていた友達って、あなた?」

「響……立花響と一緒に挙げた友達なら私ですね、間違いなく」

「……そう」

「……マリアさんって呼んでもいいですか?」

「ええ、好きに呼んで構わない」

「じゃあマリアさん。あなたは日向の何ですか?」

 

 逆に質問されたマリアはわずかに答えを躊躇った。

 迷いを見せるマリアを見て、

 ——この人、日向が好きなんだ。

 乙女のカンで確信してしまう。

 

「……家族よ」

「そして日向の事が好きなんですね」

「ええ……ッ!? や、ち、違うわ! 日向の事は好きじゃ! ……なくないけど、その、えっと……」

「……」

「そ、そう! 家族として好きよ! 義弟(おとうと)を嫌いな義姉(あね)はいないわ!」

 

 あせあせ、と漫画であれば効果音が周りに出ていただろう。

 それぐらいマリアの慌てっぷりは見事だった。

 と云うか、ドヤ顔で胸を張らないでほしい。たわわに実った脂肪の塊が強調されてイラッとしてしまう。檻の中に閉じ込められておらず、こんな状況でもなければ、未来は間違いなく恨みを込めて掴んでいたと思う。

 閑話休題——まあ詰まる所だ。

 

(マリアさんもある意味で女子力が残念なんだ……)

 

 そこは照れて俯きつつ頷いたり、顔を真っ赤にしながら「どうしてあなたに教えなきゃいけないのよ!」とか言ってほしかった。いや、少女漫画のような展開的に。

 さて、胸を張ってドヤ顔しているマリアに対する一声はどうしようか。

 響の恋愛相談に乗った時よりは短い思考時間の末に、

 

「巨乳なんてただの脂肪の塊なのに」

「は——?」

 

 思いついた答えはかなり黒いものだった。

 アーサーは眼を瞬いているし、マリアなんてそのままの姿勢で固まっている。

 

「あ、ごめんなさい。つい悪口……いえ、本音が」

「本音!? と云うか言い直す前に悪口って言ったわよね!?」

「ポロッと出ちゃいました。ほら、マリアさんだってありますよね?」

「え、ええまあ、あるかないかと言われればあるけど……」

「胸が大きすぎて服からポロッとするなんて、マリアさんってうっかり屋さんなんですね」

「ないわよ!? バスタオルからならまだしも服はないわよ!」

「つまりバスタオルではあったんですか。……マリアさんのえっち」

「そこでどうしてあなたが顔を赤らめるのよ!? 最初の大人しそうなあなたの印象が薄れていくわ!」

「慣れましたから」

「どうやったらこんな状況に慣れるの!?」

 

 未来の暴走についていけないマリア。

 アーサーも「こんな子であったか?」と内心で疑問を抱くもマリアのようにツッコミを入れる事はなかった。

 ぜーはー、と肩で息をするマリア。反面、未来は普段の調子を取り戻しかけていた。

 

「とまあ、冗談はこれぐらいにして」

「……もう何も言わないわ」

「大変ですよ? 日向の隣を得るのは」

「……」

 

 ——そんな事。

 そんな事、分かっている。

 それでも日向の事が好きなのだ。以前のように自分の感情にフタをする事はできない。

 

「いいのかしら? そんな事を私に言って。あなたは融合症例第一号の味方でしょう?」

「少なくとも響の事をそんな風に言う人の味方ではありませんけど、私は恋愛に関してだけは誰の味方もしないって決めたんです」

 

 そう決めたのは約三ヶ月前。

 鏡華に告白して、無茶で無謀な真似をして無理を通したあの日から。

 未来は自分の事を鏡華達の関係に割り込んだ部外者だと思う時がある。もちろん、そんな事を鏡華や奏、今ならば翼が知れば「何考えてる」などと言って怒るだろう。

 しかし、客観的に見ればそう見えてしまうのだ。まあ、思う事はあってもそこに後悔はないが。

 ただ、だからこそ未来は他人の恋模様に深く関わらないと決めたのだ。

 クリスとヴァンのように一対一なら応援する。

 三角関係のように複数だったら、相談くらいには乗るが応援も味方もしない。

 それが友達や知り合い、親友の響であろうと変えない。

 

鏡華さん(好きな人)を取り合わなかった私に、そんな資格ありませんから」

「そう……あなただったのね。天羽奏が付き合ってると言った最後の一人は」

「何で言っちゃってるんですか奏さん……」

 

 恋仲の事はシンフォギアと同じくらいのトップシークレットなのに、どうして簡単に言っちゃうのだろうか。

 この件が終わってから奏とその事についてじっくり話し合おう。そう心に決めた未来。

 

「奏さんがぶっちゃけてるのだったら隠す必要はありませんね。はい、私が鏡華さんと付き合ってる最後の一人です」

「彼女にも聞いたけど、本気なの? 私から見ればそんな関係は道徳的に破綻してるわ」

「破綻してますね。もしかしたら偽物って言うかもしれませんけど、私達はそれでいいんです。間違ったまま正解を探し続けるだけですから」

「呆れた……でも、強いのね。私とは大違い」

 

 羨ましそうな声音に、未来は「後に退けないだけですよ」と苦笑を浮かべて返す。

 

「マリアさん。日向の事を好きな子は他にいますか? 例えばここにいた二人の内どちらかとか」

「切歌と調は違うわ。……昔だったらセレナがいたんだけど」

「セレナ……?」

 

 胸に掛けたペンダントを見つめながら呟かれた名前に、未来は鸚鵡返しに呟いたが訊いてはいけない気がして追求はしなかった。

 

「……あなたと話せてよかったわ。こんな状況だけど、お礼を言うわ。えっと……」

「小日向未来です。捕虜の間は愚痴でも恋愛相談でもしに来てください。暇ですから」

「普通の少女がこんな状況で言う台詞じゃないわね。でも、それは遠慮しておく。私には為すべき事があるから」

「そうですか。昔の日向の事とか話そうと思ってたんだけど……」

「…………気が向いたら愚痴でも聞いてもらうわ」

 

 ——案外根は乙女なのかもしれない。残念だけど。女子力は残念だけど。大事な事だから二回言った。

 そう思ってしまった未来は悪くない。だって未来も同じ立場であればそうするから。

 

(あれ? と云う事は私も残念な乙女になる?)

 

 まあいいや、と遥か彼方に投げ飛ばす。投擲は割と得意だったりする。

 そんな風にマリアと雑談していると、入り口が開き、

 

「あれ、マリア? どうして君が?」

 

 日向が入ってきた。後ろにはオッシアもいる。

 マリアは何故か眼に見えて狼狽えている。いや、気まずいと云うべきか。

 何があったか、未来は知らない。

 と云うか、さっきからまったくアーサーが口を開いておらず、空気よりも稀薄になっていると思うのは自分だけかと考えてしまう。

 今も日向とオッシアが入ってきても、薄く眼を開いて確認した後はずっと黙ったままだ。

 まあ、彼の事は放っておこう。今はまず日向に挨拶をしようと未来は考え、

 

「あ、残念女子を次々と落としてる日向だ」

 

 空気が見事に固まった。

 ——あれ? 何でこんな事言ったんだろう?

 自分の言葉に自分で首を傾げる。

 どうやら自分でも気付かない内に、ストレスを溜め込んでいたらしい未来であった。



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Fine8 騎士王Ⅳ

「オッシアさん、お願いがあります」

 

 マリア達との会話を終えた日向は、フードをかぶったオッシアと共に森の中に来ていた。光が届きにくい森林は落ち着ける昼間とは打って変わり、人によっては恐怖を抱かせる場所になっている。

 

「ちなみに二つか三つほど」

「内容による」

「一つ目。これはアーサーさんにも頼もうと考えてる事ですが、僕や切歌ちゃん、調ちゃんの練習相手になってください」

「理由は?」

「単純に戦力差がありすぎるんです。僕らと二課には」

 

 現在、フィーネの戦力はマリア、日向、切歌、調、オッシアの五人。対して二課は捕虜になっている鏡華を除いても風鳴翼と天羽奏、雪音クリスと夜宙ヴァン、そして戦わないでほしいが立花響。最悪の想定をすれば忍者と響の師匠もいるかもしれない。人数的にも厳しいのに、こちらのほとんどがLiNKERを使用しての奏者。

 更に云ってしまえば、全力の風鳴翼と天羽奏、あと一人を加えたメンバー相手だと確実に負ける。

 それぐらいの差がフィーネと二課には存在した。

 

「そうだな。真正面からぶつかれば、間違いなく負けるな。そもそも今までがラッキーだった。運とウェルの作戦が上手い具合に重なってたからな」

「はい。まあ、付け焼き刃みたいなものになるだろうけど、ないよりマシだと思うんです」

「そこらへんは直接アーサーに聞いてみるんだな。奴が許可しないなら、面倒だからオレもパスだ」

「了解です」

「二つ目」

「未来ちゃんの事です」

「寝取りなら他を当たるんだな」

「なんでやねん」

 

 ピシッと裏手を虚空に打ち込む。

 

 ——打ッ

 

 近くの木の幹がヘコんだ。

 ツッコミの力加減間違ってるぞ、とオッシアは大して驚かずに返す。

 

「響ちゃんの親友である未来ちゃん……ウェルがこの状況を見逃すわけがありません」

「だろうな。考えられる策と云えば……神獣鏡(シェンショウジン)、か?」

「恐らく。マリア達は自分のシンフォギアだけで精一杯だろうし、僕自身も胸に入れてるとは云えシンフォギアとして使う事はできない。そしてフロンティアの鍵として機能させるために機械ではなく——」

「強制的に奏者にして能力を高めて発動、か。まあ、あいつらしいと云えばあいつらしい」

 

 軽い口調だがオッシアは苦虫を潰したような顔で呟く。

 

「阻止する程度なら構わん。だが、計画は破綻するがな」

「いえ、阻止しません。むしろウェルの思惑通りにさせます」

「ほう?」

 

 日向の言葉にオッシアは今度こそ驚いたように片眉を上げる。

 

「最初だけですけどね。ただし——」

 

 真っ暗な森の中で日向は自分の考えを伝える。

 全てを聞き終えたオッシアは考え込むように眼を閉じた。

 

「なるほど面白い。だが賭けに近いぞ? 確率としては半分、いやそれ以下になるかもしれない。無茶だろうし、無理かもしれんな。最悪、無駄になる可能性もある。それでもやるか?」

「大して勉強しなかった僕が必死に考えた策です。確率なんて知りません」

「オレの前で勉強言うな」

 

 苦笑を浮かべ握り締めた拳を胸に当て、

 

「無茶? 無理? 無駄? ——それこそ知りませんよ。僕の拳は今壊すためにある。マリアの障害になる物を、人を、友達を、壊し壊そうとしてきた。そんな僕を止める言葉なんて——無意味です」

 

 オッシアの否定の言葉を一蹴に伏す。

 

「……クッ。ククッ、ハハハハッ!」

 

 日向の決意にも似た言葉に、オッシアは笑みを抑えきれなかった。

 失笑してるわけではない。むしろ認めていると云ってもいい。そして驚いていた。

 同じ場所に同じような人間が三人もいるとは思ってもみなかったのだ。

 

「いいだろう、その案に乗ろう。これはフィーネとではなく音無日向個人との契約だ」

「ありがとうございます」

「それで、残り一つは? あるなら言え」

「最後は——」

 

 口を開いた瞬間、風が吹いた。

 木々が揺れ、日向の声は森の中に聞こえる事なくオッシアの耳にだけ届いた。

 

「——ください」

「……それは」

 

 初めて。

 初めてオッシアは答えを渋った。

 別に叶えられない事ではない。むしろさっきまでのお願いよりずっと簡単なモノだ。

 しかし、オッシアは返答に迷う。知ってるからだ、その願いの果てを。

 

「いいんです。どんな事になっていようと受け止める覚悟はあります」

「……」

「……受け止めなくちゃ駄目なんです」

「……分かった」

 

 日向の言葉と眼差しを、オッシアはフードを脱ぎ真正面から受け止めた。

 

「遠見鏡華の『愛』の感情を司るオレ、オッシアがその願い、叶えよう」

 

 もしも、もしも己を形成する感情が『愛』でなければ。

 こうまで他人の様々な『愛』を感じる事なんてなかったのに。

 オッシアは胸の内だけで悪態を吐くのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 時刻は、未来が入ってきた日向に口を滑らせた時まで進む。

 いきなりの発言に日向は言葉を失っていた。

 一方、フードを再びかぶったオッシアはククッ、と笑みをこぼす。

 

「ずいぶんと口が悪くなってるな? 小日向未来」

「ですね。響みたいに笑えば許してもらえますか? 鏡華さん」

「……やめろ、オレはテメェが惚れた男じゃねぇ」

「あ、そうですね。じゃあ……真っ黒鏡華さんで」

「何故に色で決める。オレが言ってるのは遠見鏡華と云う名前を使うなって事だよ」

「でも鏡華さんなんですよね? 根本的な所は」

「まあ、そうだが……」

「じゃあやっぱり鏡華さんは鏡華さんです。ブラック鏡華さんでオッケーです」

「だから……! いや、もういい」

 

 うんざりとばかりに頭を振って言葉を中断する。きっと平行線になるだろう。

 鏡華の記憶を有してはいるオッシアだが、鏡華の記憶にも未来のこんな様子は見られなかった。

 いや、一度だけあった。確か、彼女が鏡華から告白の返事を返した時もかなり舌が回っていた気がする。

 

「ねぇ日向。この子、昔からこんな性格だったの……?」

「い、いや、昔はこんな風に口が回る子じゃなかった……それにちょっと前に会った時もこんなだったっけ?」

 

 日向も日向で未来の変化に驚きを隠せない様子。

 

「それでこんな時間にこんな場所に集まってどうしたの?」

「あ、うん……明日の朝からちょっと出掛ける事をマリアに報告」

「出掛けるって、一体こんな時にどこへ行くつもりなの!?」

 

 驚いたマリアの言葉に、日向は「ごめん、それは言えない」とだけ返した。

 

「だけど、どうしても確かめておきたいんだ」

「確かめる……?」

「うん。……未来ちゃんは薄々勘付いてると思うけど」

 

 マリアの視線が未来に移る。未来は日向に視線を注いでおり、ややあって逸らす。

 日向の言葉通り、未来は確かに何となくだが気付いていた。だが、素直に頷く事はできないでいた。

 

「何も言わないでいいよ未来ちゃん。どんな光景が広がっていても、僕はそれを受け止める」

「……そう、うん。なら一つだけお願い」

「何かな?」

「真実を知っても、絶対に響に、うぅん、響の家族に何も言わないで。響はきっと今も苦しんでるから」

「……分かった。約束する」

 

 マリアには伝わらない主語のない会話。

 二人の会話を理解できたのは、事情を知っているオッシアだけだろう。アーサーは何も言わない。

 そんなアーサーにオッシアは話し掛ける。

 

「おい、ウェルシュ」

「今の私はアーサーだけだ。——なんだ? アルビオン」

「生憎と白竜の意識はだいぶ前に沈めた。今のオレはオッシアだ」

「そうか」

「オレ達が出掛けている間、ここのメンバーを鍛えておけ」

 

 そこで初めてアーサーは薄目を開く。

 

「久方振りの肉体だろう? もう一度記憶に戻る前に身体を動かしてみたらどうだ」

「ふむ……それに(かこ)つけて、戦力差を埋めるつもりか?」

「流石は鞘の所有者。さっきのオレ達の話も筒抜けだな」

 

 ふむ、と眼を閉じてアーサーは「よかろう」とあっさり快諾する。

 

「どうやらキョウカの肉体に休息は必要ないようだ。精神だけならば肉体を動かしても構わないからな」

「そうか。ならオレと日向はもう休む」

 

 そう言ってオッシアは倉庫を出た。

 日向も「じゃあマリア、未来ちゃん。おやすみ」と言って出て行った。

 マリアは彼らの背中を見送る事しかできず、言葉を発する事ができなかった。その後、溜め息を漏らす。

 その時、再び入り口が開く。そこから入ってきたのは、

 

「おや、あなたもいたのですか?」

「ッ……ウェル」

 

 ひどく穏やかな笑みを浮かべているウェルだった。

 ウェルはにこりとすると未来の前にしゃがんだ。同時に未来は警戒を瞳に宿す。

 

「そんなに警戒しないでください。少しお話でもしませんか?」

 

 優しい口調で未来に話し掛ける。

 そんなウェルを未来は見上げ——ながら、気付かれないように背後のマリアを見た。

 ——き・お・つ・け・な・さ・い。

 読唇術なんて大層な術は持ち合わせていないが、マリアの口の動きからそう判断した未来は視線をウェルに戻す。

 何を気を付ければいいかは分からないが、警戒は解かない方が——

 

『……小日向未来』

「……へ?」

 

 その時だった。頭の中で鏡華の声が響いた。

 思わず声を上げてしまう。

 

「どうかしましたか?」

 

 ウェルが訊ねるが、未来は無意識に手をこめかみに当てていたので「なんでもないです」と誤摩化した。

 

『今から言う事を聞け。ちなみにオレはオッシアだ』

「そうですか。では少しお話しましょう。きっと、あなたの力になってあげられますよ」

 

 頭の中の声とウェルの声。

 ごっちゃになりそうだが、どうにか分割してどちらの言葉にも耳を貸す未来。

 ただどちらかと云えばオッシアの言葉に集中した。

 そしてオッシアの話を聞いて未来は、

 

「……分かりました」

 

 そう、口に出して答えるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 翌日、マリアに伝えた通り日向はオッシアと外へ出掛けた。

 交通機関は使わない。その場からオッシアが具現したプライウェンを使用した空路で向かう。

 

「風が気持ちいい……。これ見られる心配はないんですか?」

「さてな。見つかった事がないから分からん」

 

 一つのプライウェンに二人で乗っている日向とオッシアは雲の上にいた。近くに飛行する旅客機などは見えないがレーダーなどに引っかからないのだろうか、と日向は考えてしまう。

 

「このスピードだとどれくらいで到着できるんだろう」

「以前遠見鏡華が“行った”時はもう少し速度が遅かったからな。はっきりとした時間は知らん」

「……行った事がある?」

「オレがじゃない。遠見鏡華が、だ」

「そうなんですか……」

 

 何か言い足そうな口調だったが、日向はそれ以上何も言わずに口を閉じた。

 オッシアも何も言わず、

 

  ——遥か彼方の理想郷・応用編——

 

 結界領域を自分と盾に展開する。それ以外は動きを止め、色を忘れる。オッシアは動かなくなった日向とプライウェンを掴み速度を倍以上に引き上げた。風のような感覚を身体全体で受けるが、結界領域なしでの飛行に比べれば大したことない。

 そのまま高度を下げていき、記憶にある場所が近づくとそのまま飛び降りる。

 着地して日向を地面に下ろし発動を解除した。

 

「——あれ?」

 

 辺りをきょろきょろ見渡す。一瞬で風景が変わって驚いていた。

 

「一体……」

「出血大サービスだ。お前の感覚だと一秒にも満たないだろう」

「すごい。これが完全聖遺物の力……」

「さて、ここまでくればある程度は分かるだろう? ここは——お前の故郷なんだから」

 

 やや間があってから日向は「はい」と頷いて立ち上がった。

 三つ目の願い、それは自分の故郷に連れて行ってほしい、と云う願いだった。

 自分の思い出に残っている風景。それを照らし合わせて見る今現在の風景。

 変わらない風景。変わっている風景。区別はその二つしかできない。

 約七年——それが長いのか短いのか、日向自身でもどちらか決められなかった。

 ただそれでも、

 

「ああ……懐かしい」

 

 それだけは呟けた。

 ここは間違いなく自分の故郷なんだ。それが実感できた。

 

「好きに動け。オレも好きにさせてもらう」

「はい、ありがとうございます。オッシアさん」

「礼を言うのは間違ってるかもしれないな。もしかしたら後悔するかもしれないんだから」

 

 そう言って姿を消す。頭を下げ踵を返した日向も町の中へ歩き出した。

 思い出せる場所、知らない家や店。全てが懐かしく、新しい。思い出と比べながら街を見て回る。やはり朝だけあって、ほとんどの店は開店準備に追われている。買い物客もほとんどが年配の女性ばかりだ。

 そう云えば、と思い出す。この時間帯に子供は学校へ行っている。自分も何もなかったら近くの中学校、そして高校へ行っていたはずだ。

 

「……あ、やべ」

 

 思い出してから気付いた。いくら成長したからと云って、いや逆に成長したからこそ、この時間帯に日向のような少年がこんな場所にいるのはおかしいだろう。

 誰かに声を掛けられる前に、日向は早足でその場を立ち去った。

 

「危ない危ない。流石に声掛けられたら誤摩化しにくいな。ここら辺の中学や高校の名前知らないし」

 

 ふぅ、と息を吐いて日向はふむと考える。

 あまり人がいる場所には行けなくなった。なら人気のない場所に行けばいいが、どこへ行くか。

 

「……いや、もう時間もないし、ゴールに直行しよう」

 

 懐かしいと思える風景はいくつも見れた。

 残る思い出は残り一つだけ。ならば逃げずに行くだけ。

 

「よし、行こう」

 

 路地裏から出て、目的地へと向かう。

 だが、それは声を掛けられる事によって中断させられた。

 

「ねえ君」

 

 さっきの予想通りに声を掛けられてしまった。

 どうしよう、と必死に頭の中で言葉を探しながら日向は顔を向けた。

 

「はい、なんでしょ——!」

 

 最後まで言葉が言えなかった。

 それぐらい驚いたのだ。

 まさか最初に声を掛けてきたのが、

 

「見た所高校生みたいだけど、学校はどうしたの?」

 

 立花響の母親だったなんて。

 流石にこの鉢合わせはないわ、と心底思った。

 

「い、いえ、僕は大学生でして。授業は休みなんです」

「あら、そうなの? ごめんなさい、ここに大学はないから間違えちゃったわ」

「いえ、実家がこの街なので週末分も入れて帰ってきたんです、はい」

「じゃあ知ってるかもしれないわね。名前を教えてくれる?」

「えと……、ひ、日向(ひなた)です、日向調です」

 

 思わず本名を言ってしまいそうになったが、寸前の所で偽名を呟く。調の名前が男でも使える名前でよかったと感謝した。

 帰ったら調ちゃんに何か買ってあげよう。あ、その時は切歌も一緒だろうな。

 

「日向……ごめんなさい、記憶にないわね」

「い、いえいえ。全然構いませんよ。……あの、それじゃあ僕はこれで」

「あ、そうね。ごめんなさい、引き止めちゃって」

「いえ……それでは、立花さん」

「ええ」

 

 どうにか切り抜ける事ができた。

 胸中だけで安堵の息を漏らし、日向は不振にならない程度に早足でその場を去った。

 否——去ろうとした、が正しいか。

 

「待ちなさい」

「くえっ!?」

 

 襟を掴まれ、変な声を上げてしまう。

 

「どうして、私の名字が立花だと分かったのかしら?」

「……あ」

 

 しまった、と思った時には遅かった。

 無理矢理に身体の向きを変えられ、真正面から顔を覗き込まれる。

 

「さて、色々と話してもらいましょうか? 日向調君?」

「……」

「うぅん、違う。君は——音無日向(ひゅうが)君でしょ?」

「……ッ」

「やっぱり。顔だけだったら半信半疑だったけど、名前で分かったわ」

 

 そう言って微笑んでくる。響と似た笑顔に日向は言い訳を全部忘れてしまった。

 昔からだった。この人には一生敵わないと思っていたのは。

 

「その……お久し振りです。響ちゃんのお母さん」

「ええ、本当に」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 あのままで話し込んでいるわけにもいかず、日向は響の母親の誘いで響の実家にきていた。何かを書き込まれていた壁の跡が気になったが、彼女は何も言わず家に入ったので同様に入った。

 響の祖母が淹れてくれたお茶を礼を言いながら口にする。

 

「それにしてもあなたが生きてるなんてね。響が知ったら泣いて喜ぶわ」

「いえ、実はこちらに出掛けてくる前に偶然会いました」

「あらそうなの」

 

 泣かれましたよ、と苦笑を浮かべる。

 嘘は言ってない。ただ、これ以上の事は言えなかった。

 

「日向君はあの時から今日まで、どうしてたの?」

「……」

 

 どこまで言ったものか、と日向はお茶で唇を濡らしながら考える。

 

「……あの時、僕は誘拐されました、誰かは分かりません。それから最近までどこかの施設で過ごしてました」

「今は解放されたの?」

「脱走した、が正しいですね。同じ施設の仲間と一緒に今は逃亡生活の真っ最中、かな?」

「そうなの……。この街に戻ってきた理由は……、聞かなくても一つよね」

「はい」

 

 湯呑みを置き、日向は真剣な瞳で響の母親を見据えた。

 ここへ戻ってきた理由は思い出に浸る事でも、懐かしむ事でもなく、ただ一つ。

 

「母は、どうしてますか?」

 

 響の母親も湯呑みを持って口許で傾ける。

 中身を全て飲み干して、湯呑みを脇へ置いた。

 

「響から聞いてないの?」

「ええ、聞きましたがはぐらかされました。薄々気付いてはいますけど、はっきり口にしてほしいんです」

「そう……」

 

 日向の嘘偽りのない言葉に、響の母親も姿勢を正す。

 

「分かった。日向君がそこまで聞きたいんですもの。正直に言います」

「はい、お願いします」

「日向君のお母さん——子日(ねのひ)さんは二年前に亡くなっています」

「——死因や理由を知っていますか?」

「ええ。私は知っていなければならないからね」

 

 それはどういう。

 そう訊く前に、響の母親が話しだした。

 二年前のツヴァイウィングのライブ事故、その後の響に対するバッシング、そして日向が行方不明なのに生還した響の事を知り、自ら命を絶った事を。

 

「そう云う事か……」

 

 響が誤摩化した理由が今ようやく分かった。

 ただ、日向は母親が死んだのに、自分の心は一瞬たりともブレてない事の方が問題だった。

 それはつまり、死と云う事象に慣れてしまっていると云う事だ。

 

(まあ、死体を見るだけじゃなくて自分でも殺してるからなぁ)

 

 まあ、とは云ってもここまで落ち着いていられたのは予想外だった。

 

「ありがとうございます。聞けてよかった」

 

 だけど、取り乱したり心配される事がないのはありがたい。

 

「最後に、母のお墓の場所を教えてくれますか?」

 

 だから、最後までこのままでいよう。

 日向は響の母親から場所を聞きながらそう決めるのだった。



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Fine8 騎士王Ⅴ

 ——朝焼けが眩しい。

 ヴァンは手で朝日を遮りながら“意識的に”現実逃避していた。

 できる事ならこの光景を誰にも見られたくない。仮に見られたとしたら、全力で他人のフリをしてやる、と決めていた。

 

「いやー、他人には見えねぇだろ」

「うるせぇ、話し掛けるな。隣で走るな」

 

 隣で走る奏を一蹴する。

 

「それに、眩しいのは朝日だけじゃなくて目の前の光景もだろ?」

「……」

「むふふ」

 

 唸るだけのヴァンに奏は悪そうな笑みを浮かべる。

 否定はしたい。だけど否定したら言い返される未来しか見えない。故にヴァンは口を閉ざすしかなかった。

 ただまあ、ぶっちゃけ否定しない自分もいないわけではない。

 目の前を走る四人。弦十朗と響、翼とクリスだ。弦十朗は良しとしよう。だが、他の三人の服がいけなかった。三人とも学院指定の体操服を着ている。上は半袖、下は長ズボンと云うまあ一般的な服装だが、半袖と云うのがいけなかった。

 何がいけないってそりゃ、

 

(揺れてるんだよ……! 隣で走れるかっ)

 

 で、あった。

 特にクリスと響なんか、たゆんたゆんと擬音を付けてもいいくらいに揺れるし、残念とよく言われる翼でさえ多少揺れるのだ。

 クリス以外興味のないヴァンでも流石にこの光景は直視できるものではない。

 

「やー、眼福眼福」

「……唯一の救いは、一番が長袖を着ていると云う点か」

「あっはっはっ、あたしは衣装でもない限り露出は控えてるんでね」

「衣装はいいのか(オーケー)?」

「公私をわけてっからなー。あ、ついでに水着とかは関係ないけどな」

 

 横目で奏を見る。奏は学院に在籍しているわけではないので体操服は着ていない。自前の赤いジャージだ。長袖長ズボンで身体のラインはそこまで出ていない。

 ついでに云えばヴァンも体操服は持っていない。ジャージもなかったので、今は鏡華のジャージを借りていた。

 

「……にしても、だ。何故俺達は走ってるんだ?」

「ダンナが響を励ました結果だろ?」

 

 数十分前まで遡る。

 奏の誘導で弦十朗の許にきていた響は、彼から壊れた携帯端末を受け取った。それは二課から未来に渡されていた物だった。

 落ちていたのはスカイタワーより離れた街を流れる川。壊れる直前までのデータから、携帯端末は一定の速度でスカイタワーから離れている事が判明。未来は爆発に巻き込まれたのではなく、何者かに拉致されたと云う事だ。

 つまり、これらの事から未来は爆発に巻き込まれておらず、まだ生きている可能性が高まった。

 それを聞いた響の表情には昨日までと同じ笑顔が浮かんでいた。

 それを見た弦十朗が「気分転換に身体でも動かすか」と言って——現在に至る。

 

「ああそうか、そうだったな」

「そゆこと。ま、ヴァンも気分転換だと思っとけよ」

「そうだな。——前方でよく分からん歌を熱唱している奴がいなければな」

 

 気分が乗ってきたのか、突然歌いだす弦十朗。それに釣られてかどうかは分からないが、響も同様に歌い始めた。曲名はどこかで聞いた事があるが、名前が思い出せない。と云うか、日本語でなく何語なのだろうか、と首を捻るヴァン。

 クリスも「何でおっさんが歌ってんだよ!?」と呟いていた。翼はまったく気にも留めず無言で走っている。

 しばらくすると、クリスがスピードを落としてヴァンの隣に並ぶ。

 

「おいヴァン。あれ何の歌だ?」

「知るか。あいつらが見てる映画の一つだろ」

「いやまあそうなんだろうけど……大丈夫か? 色んな意味でよ」

 

 クリスの言葉に「大丈夫大丈夫、何とかなるって」と奏は明るく返し、スピードを上げて翼の隣に並んだ。

 

「ったく、慣れたもんだな……」

 

 他にもツッコミを入れたそうなクリスだが、元気よく前を走る響達を見て呆れたように呟くだけだった。ヴァンがちらりとクリスの顔を見れば、どこか嬉しそうだった。

 

「お前もな」

「は? 何がだ?」

「さて、なっ」

 

 誤摩化してスピードを上げるヴァン。

 慌てて追い掛けてくるクリスの声を後部から聞きながら、ヴァンは前方のメンバーを追い掛けるのだった。

 しかし、ヴァンは知らなかった。

 この後に待ち受ける訓練の数々に。

 板場弓美がよく口にしていたキャラ崩壊と云うのが、まさか自分でする事になるなんて。

 気分転換と云う言葉はどこへ行ったのだ、と言いたくなるなど、様々な事が襲い掛かるまで後——

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「どういう事だ、これは」

「ほら、手が止まってるぞヴァン。残り二百と七回だ」

「どういうっ、事かと、聞いているっ!」

 

 動きを再開しながらヴァンは吠えた。

 今現在、ヴァンは風鳴の屋敷の敷地内で逆さになっていた。ただ逆さになっているのではない、木で造った鉄棒のような物に自分より高い位置にある横棒に足を縛られていた。

 足下——現在は頭の下か——に置かれた水の入った(かめ)、尻辺りの高さに固定された桶、そして手には大人が酒を飲む時に使う小さな器——お猪口(ちょこ)だったか——を持っている。

 

「何故、気分転換のはずがこんな修行になっている!?」

 

 叫んで問い詰めつつも、真下の瓶からお猪口で水を掬い、腹筋する要領で身体を折り曲げて桶に注いでいく。

 

「……」

 

 弦十朗は竹刀を持ちながら腕を組み、考え込んでから数秒、

 

「それが終わったら、ヴァンは皆より長く站椿(たんとう)をするか」

「考えるフリして無視するなっ!」

 

 どうやらメニューを考えていただけであった。

 もちろんヴァンは叫んだ。ただし水を移すのはやめていない。

 ちなみに、ヴァンの背後では女性陣が縄跳びをしていた。翼と奏はジョギングするように跳び、響は普通に両足を揃えて跳び、クリスはへろへろと縄を揺らしながら跳んでいた。

 それを見ながら——なんて余裕は一切なく、ヴァンは弦十朗に叫びながら残り回数を全てこなす。

 

「よしっ、次だ!」

「聞けよ! 人の話!」

 

 休む間もなく次のメニューに入る。

 空気椅子の要領で膝を曲げ、腕を真っ直ぐ前に伸ばす。両膝、両腕、頭に水の入ったお猪口を乗せてジッとする。内容とか効果とかは一切知らないがこれが站椿と云うものらしい。

 

「きっ、つ……」

 

 姿勢もそうだが、これを持続すると云うのもかなり過酷だ。一分も経ってないはずなのに身体が少し悲鳴を上げ始めた。

 

「うっ……、っぅお……おお……!」

 

 何分経過したかは分からない。時間の感覚がズレているのを感じたのは久し振りだった。

 

「おっ、先に始めてるみたいだな」

 

 話し掛けられて視線だけを動かす。集中力が切れそうだがどうにか持続させながら声を出す。

 

「だ、まっていろ……」

「だ、大丈夫か? ヴァン」

「……む」

「む?」

「むり……死に、そう……」

「……!」

 

 何年振りだろうか。ヴァンの弱音を聞くのは。

 いや、それよりも。

 

「あのよ……これ、あたし達もするのか……?」

「当たり前だ」

 

 然も当然のように準備を始める翼。

 真剣な表情なのにノリノリで同じように準備する響。

 

「嘘だろ……」

「そんなに嫌なら、さっきまでヴァンがやってたのやるか?」

 

 チョイチョイと奏の指差した先。そこに設置されている鉄棒のような物体。

 ヴァンがやっている所なら遠目から見ていた。見ていたからこそ、

 

「いや、あたしには無理」

 

 即答するしかなかった。

 

「なら諦めるこった」

「……あんたはやらないのか?」

「やるさ……嫌だけど」

「ああ……あんたでも嫌なんだな」

 

 この後、しばらくその場から一歩も動けないヴァンと、何度も倒れてはお猪口の水をこぼし、ずぶ濡れになったクリスがいたとかいなかったとか。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「寒いっ!」

「何で冷凍庫に連れてこられるんだよっ!?」

 

 弦十郎の案内で連れてこられたのは、冷凍室。長袖を着てきたがそんな服で寒さが軽減されるはずがなく、両腕を擦るヴァンとクリス。

 

「許可は貰ってきたぞ。寒かったら打ち込んでこい」

「はぁ? 何言ってんだおっさん……?」

 

 意味が分からず聞き返すクリスとは対照的に、響は嬉々として、翼は黙々と、奏は肩を竦めながら、ずらっと並べられている凍った肉の前に移動しボクサーよろしく殴り始めた。

 

「そういう奴かよ!」

「とことん映画を踏襲しているな……」

「さあお前達もやってこい! 寒いなら身体動かせば暖まるぞ」

「うぐぅ……」

 

 寒いのは事実だが、こんな事が修行になるのかなんてクリスには分からなかった。仕方なく近くの肉をへろへろと殴る。

 凍っているので硬く、拳が地味に痛い。寒いので余計にだ。

 

「……」

「ほらヴァンも行ってこい」

「……蹴りは大丈夫か(オーケー)?」

「おお、構わん。だがな——」

「ならやってやるっ」

 

 どこか吹っ切れたヴァンは話の途中で駆け出し、一つの肉に向かって蹴りを放った。

 サンドバッグのように柔らかくないが、ストレスの発散にはちょうどいい。

 フォームなどお構いなしに殴る蹴るを加えて、しまいには吊るしていたフックから外れて落下した肉に向かって、踵落としを見舞った。

 

「はぁっ、はぁっ、……」

「おーいヴァン」

「……何だ」

 

 息を整えているヴァンに弦十郎は言った。

 

「落としたら自腹で購入だぞ。しかも生だから腐りやすい」

「……」

「そんな肉を長期保存できる場所はないからな」

 

 床に視線を落とす。たった今自分で落とした肉の塊がある。

 削れも割れもしてない肉が、ただの肉の塊のはずなのに、むしろそんな姿が「ザマぁ」とドヤ顔で自分を馬鹿にしているように見えた。

 

「うがぁあっ!!」

 

 心の底からただの肉の塊にムカついたヴァンの叫びは、冷凍室に響くのだった。

 ちなみに落とした肉はヴァンが購入。その日からしばらくヴァンの食事は肉と野菜だけだったとか。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「はぁーっ、はぁーっ……!」

「だ、大丈夫か? クリス」

「ヴァンゥ……教えてくれよ。何であたし達、雲の上まで行くほど山登ってんだよぉ……」

「知らん……俺が教えてほしいぐらいだ」

 

 荒い息でクリスとヴァンは必死に山を登っていく。ちなみに服装はジャージで登山道具など一切持っていない。

 先導する弦十郎は軽々と登っている。それに続いて響、奏、翼の順に登っていた。

 誰もこの状況に文句どころかツッコミを入れる事すらしない。

 

「俺達か? 俺達が間違っていると言うのか……!?」

「知らねぇよぉ……それよりさヴァンー」

「何だ?」

「なんか荒い息吐いてると、家で長くキスしてたの思い出す……あん時もすっげぇ息が乱れて……ああそういや、思考も乱れてたなぁ……」

「今のクリスの思考が乱れてるぞ!? しっかりしろっ、今思い出さなくてもいい事だろ!?」

「その話詳しくっ!」

「片翼てめぇは前を走れ!!」

「やー、そん時のヴァンてさー……、無意識にもん——」

「やっさいもっさいーーっ!!」

 

 誤摩化すために思い切り叫んだ。叫んだ後に何を叫んだのか気付いたが、事実を言われるより「やっさいもっさい」の方がダメージが低い。そう判断してヴァンはネタにされるのを覚悟する。

 

「ヴァンは無意識であたしの胸揉むんだぜー」

 

 ただし、慣れない山登りで思考がおかしくなっていたクリスにはそんな事お構いなしに、ヴァンが叫んだ後に言い直した。もう一度言おう。思考はブレてんのに息が切れても舌ははっきりとした言葉で言い直した。

 

「うわぁお、だ・い・た・ん♪」

 

 奏は頬を赤らめながらも不敵に笑い、

 

「不潔……だが、鏡華もするのかな?」

 

 翼は冷えた眼でヴァンを見下ろしながらも小声で呟き、

 

「あわわ、や、やっぱりヴァンさんも男の人だからそう云うえっちなの好きなんですね!」

 

 響は奏同様、頬を赤く染めて一人で納得している。

 弦十郎は弦十郎で「ヴァンも男だな」とばかりに振り向き、親指を立て腹立つ表情(いいえがお)を浮かべていた。

 

「うがぁぁあああ——っっ!!!」

 

 泣きたくなるより死にたくなったヴァンは、遠くで頭だけ雲から出している山へ向かって吠えた。

 誰も味方がいない。せめてここに鏡華がいれば——

 

『胸揉むんだー。へぇ、ヴァン君もエロいんだねー(笑)(かっこわらいかっことじ)

 

 ——いなくて助かった。

 ちょっとだけホッとするヴァン。

 

「んでんで? 他にもそこのヴァン(けだもの)は何かしたかい? お姉さんに話してごらんよクリクリ〜」

「いい加減にしてくれーーっ!!」

 

 それでも彼の精神が助かるわけではなかったが。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「死にたい……」

 

 ジョッキを片手にヴァンは落ち込んでいた。表情は絶望に染まっている。

 あの後、結局頂上まで登りきるまで話のネタにされ続けられていた。しかも響と奏は興味津々に聞いてくるわ、特訓に集中していそうな翼もちゃっかり聞き耳は立てているわ、クリスは正直にぶっちゃけてしまうわで、ヴァンの精神は光の速さで削られていた。

 

「わはは、これも青春の一つだな!」

「何が青春だ……」

 

 叫ぶ余裕すらなく、隣に立ちジョッキの中身を一気に呷る弦十郎の言葉に力なく答える。

 

「しかし、そう云う事に興味のなさそうなお前にも、性欲はあるんだな」

「……性欲ぐらい俺にだってある。ただ普通の奴と比べて関心を持てないんだ」

 

 遠巻きに女性陣を眺めながら投げ遣りに答えるヴァン。

 彼女達は一人を除きジョッキを呷っている。

 

「ところで、だ。何故ジョッキの中身が……生卵なんだ?」

 

 ジョッキの中には四つほどの生卵が入っていた。始めは各自で卵料理でも作るのかと思ったが、入れ物はジョッキだし翼と響は躊躇う事なくゴクゴク飲んでいる。何とかは飲み物だとか言うが生卵は飲み物ではない、はず。

 

「食べ過ぎなきゃ身体にいいんだぞ。栄養の事なんて知らなかっただろう」

「知らん」

 

 さっきから飲むのを躊躇っていたが、投げ遣りな気分で一息にジョッキを呷った。半熟のゆで卵なら食べた事はあったが生のままは生まれて初めてだった。フィーネに拾われるまでの生活でも生卵は食べていない。

 感想としては——美味しくはないが不味くもない、とだけ言っておこう。何度も食べたくなる味でもない。

 

「はっはっはっ、良薬は口に苦しってな」

「薬じゃないだろう。それに苦くもない。ただの卵の味だ」

「だがそれがいい!」

「そう云えば板場弓美がいい言葉を知っていたな。——訳がわからないよ、だったか」

 

 そう呟いて立ち上がった時だった。

 ガシャンとガラスを割った音が聞こえる。

 視線を向ければ——クリスが顔を真っ青にして倒れていた。

 

「お、おい! どうしたクリス!?」

 

 慌てて駆け寄る。響達も心配そうに覗き込んでいた。

 抱きかかえられたクリスは真っ青な顔のまま、

 

「ヴァン……」

「何だ!?」

「しばらく、卵は食べない、かんな……」

「あ、ああ……」

 

 そう言って気を失ったクリス。

 当然ヴァンは冷静に——

 

「クリス? クリス! おい誰か衛生兵を呼べ!」

 

 ——冷静に、焦っていた。

 もちろん彼がクリスに関してのみこうなる事は数ヶ月の関係を経て熟知していた。

 ただし、今回は彼も疲れていたのだ。故にいつもの彼らしくない。

 

「いやいや衛生兵いないから」

「メディック! メディーックッ!!」

「私呼んできますねヴァンさん! すみませーん! メディックって名前の方はいらっしゃいませんかー!?」

 

 のはずなのに、響は素でメディックの意味を勘違いしていた。

 

「立花まで……」

「あはは、まあ知らない奴は知らないだろうしな」

「本当よ、もう」

「メディックって、どっちかって言えば名字だろ」

「待って奏。あなたもおかしい」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 うへぇー、とクリスがベッドに倒れ込むのを見ながらヴァンも倒れ込む。

 下山後に解散し、ヴァンのバイクに乗り、フィーネの屋敷に一時的に帰宅した二人。ちなみに下山も当然ながら徒歩である。

 

「疲れたー」

「右に同じだ。……精神的にもだが」

「ほんとマジごめんなさい」

 

 顔を上げずに喋る。

 謝ってくるクリスに、いつもであれば彼女の顔を見て対応するヴァンも今回ばかりはそのままの姿勢で「別に構わん」と答えた。

 

「あー……、寒いな。ちょっとシャワー浴びてくる」

「おー……」

「……そう云えばクリス。帰り際に風鳴弦十郎から何か貰わなかったか?」

「そういや貰ったな。お菓子かな?」

 

 ごろごろとベッドの端っこまで転がり鞄に手を伸ばす。がさがさと探している内にヴァンは着替えとタオルを持って部屋を出て行く。

 少しすると部屋から「期ッ待させやがってっ!」と叫ぶ声が聞こえた。恐らくクリスの考えていた物ではなかったのだろう。まあいいか、とヴァンは部屋に戻る事なく浴室に入った。

 流石に寒い山頂にいただけあって、熱湯が心地よく冷えた身体を伝う。

 しばらく浴びていると、

 

「うひょぉおおーーっ!!」

 

 クリスの奇声が聞こえてきた。

 彼女らしくない叫びに、ヴァンは慌ててタオルを腰に巻いて部屋に戻る。

 

「どうしたクリス!?」

 

 部屋に飛び込んだヴァン。彼が見たのは、

 

「おいおっさん!」

 

 ヴァンに気付いた様子もなく弦十郎に電話を掛けているクリスと。それと付けっぱなしになったテレビ。

 

「飛び道具で近接戦って、ありなんだな!?」

(一体何の話だ……?)

 

 話がまったく見えてこないヴァン。

 ふと視線を落とすと、無造作に置かれた包みの上に置かれたDVDのパッケージ。

 それを拾いタイトルを見てみれば、

 

「ああ、納得」

 

 至極あっさりと納得してしまう。

 弦十郎が渡したDVDは反乱や反逆を意味するタイトルの映画。そして流れている映像を見る限り、クリスが涙を流さんばかりに感動している理由が分かる。

 

「はぁ……奴らが動き出すまでは、これの特訓だろうな」

 

 濡れた髪を掻きながらヴァンは呟くのだった。

 彼と彼女の特訓はもうしばらく終わらない——



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Fine8 騎士王Ⅵ

 大変お待たせしました。最新話です。
 前回投稿してから最近まで、実習や学校のシステム変更などでまったく執筆ができない状況でした。
 シンフォギアGXが始まるまでには本作も原作話「デステニーアーク」付近までには入りたいです。

 それではどうぞ。

 *6月28日
 GXの放送日を勘違いしておりました。一週間では流石に何話も更新できません。
 一話か二話、投稿したいと思います。
 申し訳ありません。


 ——暗転。

 

 王となる前、己の運命を知らなかった若き騎士がいた。

 正面には岩に突き刺さった聖なる剣。その隣に佇むローブを纏った魔術師。

 聖剣を前に若き騎士と魔術師は言葉を重ねる。何を言っているのかは聞き取れない。それでも耳を澄まして一文だけ聞き取る。

 

『私が王となる。それでこの国に平穏を与えるならば、喜んで抜こう。だが魔法使いよ、憶えておけ。私が剣を抜くのは運命によって定められているからではない。私がそう決めたからだ!』

 

 騎士の宣言と共に引き抜かれる剣。

 何人たりとも抜く事が叶わなかった王を選定する剣が無名の騎士によって抜かれた出来事は瞬く間に国全土に広まっていく。

 

 

 ——暗転。

 

 

 どこかの広間に何十人もの人間が中央を囲うように集まっていた。

 屈強な騎士がいれば見目麗しい騎士もいる。騎士ではない者、一戦を退いた齢の者もいた。

 その場に集まった者の視線は一点に注がれている。

 広間の中央。そこでは二人の騎士の剣の腕が披露されていた。

 片や名の知れた騎士。

 片や選定の剣を抜いた若き騎士。

 剣戟はそれほど長く続かなかった。若き騎士が相手の剣閃を抜けて首筋に聖剣を押し当てた事によって幕を閉じた。

 若き騎士の勝利。しかし場は静寂だった。勝った事を告げる声もなければ、彼に対して悪態を吐く声も、彼の勝利を喜ぶ声もない。

 剣を納めた若き騎士は広間の奥に一段高く鎮座する椅子——王座に座る。

 同時に今まで観戦していた者は、剣を交えていた騎士も含めて、一斉に膝を折り頭を垂れた。

 

 その日、国に新たな王が生まれた。誰よりも若い王が。

 

 

 ——暗転。

 

 

 即位の日から何年経ったのだろうか?

 もしかしたら一年も、一月も経っていないのかもしれない。即位が決まる前かもしれない。

 部屋には若き騎士と魔術師の二人だけ。

 魔術師は持っていた黄金の鞘を若き騎士に渡す。

 何を言ったのか、それは聞き取れない。

 二言、三言、言葉を交わして鞘は若き騎士の中に消えた。

 

 

 ——暗転。

 

 

 苦悩する若き騎士であった騎士王。

 姿は変わらずとも、成熟した彼の表情は決して良い顔ではない。むしろ苦悩に満ちている。

 彼がいる豪華だったろう部屋は見るも無惨に荒れ果てている。家具は壊れ、布製の物は千切れ、書物は破れ、部屋中に飛び散っていた。

 それでも騎士王は顔を手で覆いながら部屋の中で暴れ回る。彼の“背中から生えた”(アカ)く白い翼と尻尾が、家具を、布を、書物を破戒していく。

 そんな彼を部屋の片隅で見守る魔術師とローブを着て頭だけ見せている女性。

 一頻り暴れ、落ち着き、翼と尻尾が消えた騎士王は崩れるように床に座り込み、荒い息を吐いている。

 騎士王の許に近付き何かを話す魔術師と女性。

 頷いた騎士王は自分の胸に手を当て鞘を取り出し、それを女性に渡した。

 女性は受け取った鞘に手をかざし、何かを唱える。

 

 それを最後に視界が暗闇に染まっていく。

 これまでのように暗転するのではないのを感じ、これが最後の記憶だと分かった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 世界に色が戻ってくる。だがはっきりとした色にはならない。それがこの世界だ。

 全てを見て、識った鏡華は閉じていた眼を開き、正面を見据えた。

 

「それが、騎士王が鞘を所持した間の記憶だ」

 

 ウェルシュがティーカップを傾ける。

 

「この後、鞘はどうしたんだ?」

「あの女が施したのは鞘の封印だ。あれ以降の記録はそなたが所有した時からのしかない」

「女……文献とかに従えば、あの女性はモルガン・ル・フェイなんじゃないか?」

「そうだ。モルガン・ル・フェイ、アーサーの異父姉であり魔術師の弟子」

「奪われたって書いてあったけど、実際は違ったのな」

「だから言ったであろう。覆せぬ人の記憶と都合の良いように記せる書物等の記録は違うと」

「そこまでは言ってねぇけどな」

 

 スコーンを口の中に放り込み、ティーカップに注がれたお茶で流し込む。

 行儀の悪い食べ方だが、ウェルシュは何も言わずスコーンを食べる。

 

「さて、遠見鏡華。そなたはこれからどうする?」

「ハッピーエンドで一連の事件を解決する。もちろん俺が、なんて言わない。皆でだ」

「即答か。しかし、アルビオンが邪魔をするぞ」

「あいつは何とかする。そのために……」

 

 立ち上がり、鏡華はカリバーンをその手に顕現させる。

 

「お手合わせ願います、騎士王」

「だから私は肉体は騎士王であっても精神は竜なのだが……まあよい」

 

 口許をナプキンで拭い、ウェルシュも立ち上がった。

 同時にテーブルと椅子、食べ物が消える。

 

「先に言っておく、そなたがここにいるのは決して会話するだけでない。そなたの魂に休息を与える事も含まれているのだ。手合わせなどすれば休息どころではなくなるぞ?」

「休息しなかったら日常に害はあるんですか?」

「すぐには出ない。だが、確実にいつか肉体的にも精神的にも障害が現れるだろう」

「すぐじゃないのなら今休む理由にならないな。この一件が終わったら休ませてもらうさ」

「軽く考えるでない。そなた以外の所有者はアーサーしかいない。そのアーサーでさえ“途中で手放した”のだ、どんな障害がそなたの身を脅かすのか、いくら騎士国の竜王(ペンドラゴン)だろうと分からないのだ」

 

 口調の変わらない、それでも自分の身を案じてくれているウェルシュに、鏡華はわずかに笑みを見せた。

 確かにウェルシュの言葉は正しい。最後まで鞘を所持すると決めた以上何が起こるかなど分からない。鏡華自身がある意味で実験体、被検体なのだ。

 それでも、今は立ち止まるわけにはいかない。

 

「ウェルシュ。知ってるかどうかは知らないけど、俺はちょっとばかり“ズレ”てんだ」

 

 唐突な会話。

 顕現させたカリバーンを下す。表情は前髪に隠れて伺えない。

 ウェルシュは何も言わない。

 

「俺が鞘を手に入れた時——いや、正確には片腕を炭化されて死にかけた俺を、父が助けるために鞘を埋め込み、目の前で両親が炭化した時、俺を構成する何かが壊れた」

 

 それは鏡華だけでなく奏やヴァンにも当て嵌まった。

 奏ならば、家族の死を見た事による両親の記憶の消失。

 ヴァンならば、家族(クリス)の死と守るために犯した殺人による死に対する抵抗感の消失。

 そして鏡華は——

 

「両親の死、自分の腕が炭化してから再生した事による、傷付く事に対する恐怖の消失」

 

 身体に受けるダメージはしっかりと通る。痛いものは痛いと感じる。

 しかし、それだけだ。

 

「何度も自分で自分の首を絞めている事に気付いた。……そう、“気付いたんだ”。始めるまで気付かない、傷付けていても気付かない事だってある」

 

 以前、旧リディアン校舎の屋上から地上へ飛び降りた事がある。着地したら足が痺れるとか痛そう、とは思う。ただし思うだけ。

 フィーネとの戦闘でノイズに身体中を串刺しにされた事がある。かなり痛かったし気絶もしてた。そんな感想を後になって口にしただけ。

 立花の家を見て、八つ当たりで拳を自分の血で染めた事がある。地味に痛かったし、奏にも痛みを与えてしまった。奏に言われるまで殴っている事さえ気付いてなかった。

 

「安心しなよウェルシュ。いつか壊れるじゃない。もう壊れてるんだ。だから、これ以上壊れても問題はない。それ以上に大切な事があるんだ」

 

 やらなければならない事がある。

 終わらせなければならない事がある。

 置いてきてしまった愛しい人達がいる。

 守らなければならない人達がいる。

 だからこそ、

 

「今は、立ち止まるわけにはいかないんだ」

 

 自分はこれ以上負けるわけにはいかない。

 これ以上、終わりを遅らせるわけにいかない。

 これ以上——待たせてるわけにはいかなかった。

 

「何度でも言うぜ、俺は。すぐに身体に障害が出ないなら今休む必要なんかない。後で休めるんなら、全部片付けてからいくらでも休むさ。遥か彼方の理想郷へ辿り着いてからな」

 

 カリバーンを構え、騎士甲冑を身に纏い、堂々と宣言する。

 その姿は——かつて選定の剣を抜く直前のアーサーそっくりだと、ウェルシュは感じた。

 

「……これ以上の言葉は不要か」

 

 溜め息に似た吐息を漏らしたウェルシュ。指を鳴らして世界を創り替える。

 新たな世界は色や形を持っていた。鞘の記憶にもあった大広間だ。

 

「ならばもう止めぬ。“貴様”の好きな様にするがいい」

「ありがたき幸せ。彼の騎士王直々にお相手してくださるとは、恐悦至極の至り」

「フン、何を勘違いしている? 誰が貴様の相手をすると?」

 

 その場からふわりと吹き上がるウェルシュ。

 高い位置で止まり、背中から赫い泡が漏れ出し翼の形を成す。泡は更にウェルシュの身体を包み込んでいく。

 

「貴様の相手は騎士王と云うだけの人間ではない。——最後にもう一度だけ名乗ろう』

 

 泡が全身を覆い、いや全身以上の大きさで形を成していく。

 その形が固定され泡が泡でなくなった時、その場に存在したのは間違いなく、

 

『我は赫き騎士竜王(ウェルシュ・ペンドラゴン)——赫い竜(ウェルシュ・ドラゴン)であり騎士王(アーサー・ペンドラゴン)である記録されし記憶だけの存在。然れど伝説は伝え往く者がいてこそ、その者が存在してこそ生まれる物語。伝え紡がれてきた故に我はここに立つ。さあ()を担いし新たな人の子よ、喜ぶがいい、嘆くがいい——竜と戯れる機会を得た貴様の幸運をっ』

 

 ——英雄の相手となった竜そのものだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「遅い、相手を見てから行動するな! 武器の軌道を予測して振るわれる前に動くのだ!」

 

  —閃ッ

 

 横への一閃。空気ごと斬り払った一撃は突風を発生させた。

 エネルギーを込めていないただの横へ払った一閃にも関わらず、切歌と調は二メートル程後ろへ吹き飛ばされる。

 

「デース!?」

「うっ、く……。ただ剣を振っただけなのに吹き飛ばされるなんて……!」

「でも、負けてたまるかってんデス!」

 

 空いた距離を埋めるために切歌は駆け出す。その手に握り締めているのはイガリマの大鎌ではない。どこにでもありそうな木刀だ。鋸を使用する調も木刀を持っている。当然、アーサーが使っている得物も木刀だ。

 流石に聖遺物は二課や米国に発見される恐れがあるために使用を控えている。

 

「それにしても、今この世を守ろうとしているのが王でも、ましてや男でもなく、年端もいかぬ少女達とはな……世も変わった」

「そりゃアンタが生きていた頃から何百年も経ってるデスからっ、ねっ!」

「剣が強くても勝てなくなっ、てるよっ」

「確かに鏡華の記憶を見る限りそのようだ。しかし勝てない事はないぞ、銃弾は弓より速いだけで躱せぬ速度ではない。戦車やヘリなども操り手を倒してしまえば鉄の塊だ。——踏み込みが甘い、攻撃が正直すぎる」

 

 ——躱せぬ速度はではない、って普段はおかしいデスから!

 足払いを掛けられながら、切歌は心の中で叫んだ。

 ——あ、でも日向ならできるか。うん、日向ができるからおかしくない。

 同じ事を考え、その続きを調は、攻撃を初めて避けて、次の一撃で吹き飛びながら思った。

 

「ふむ……」

 

 約一時間。二人と打ち合った騎士王は一言、

 

「弱いな。攻めよりも受けの方がいいか」

「もっと早く気付け!!」

「アーサーって、教えるの下手……?」

 

 自分より弱い娘達に駄目出しを出されて、ちょっと傷付くのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 切歌と調、アーサーの鍛錬の音が意外と聞こえてくる。

 

「デェェェス!!? 死ぬ! 死んでしまうデスッ!!」

「よっ……ほっ、ほぁあっ!?」

「ああっ! 調に飛んできた枝が直撃したデス!」

「ハッハッ、意外と楽しいものだなっ」

「楽しむなーっ!!」

 

 ……どこか違う気もするが、気にしないでおこう。

 日向は聞こえないフリをして拳を打ち込む。型をなぞるように同じ体勢で何度も打つ。

 

 音無日向の戦闘スタイルは初めから披露しているように立花響と同じ武器を持たない徒手拳術。とは云え、彼女のように映画を見るなどと云った予想外な習得方法でない。彼の拳はF.I.S.にいた頃に肉体的に教え込まれたものだ。

 実験、食事、マリア達と関わる以外にできる事の少ない施設では、日向にとって武術の修練は娯楽の一つに数えられていた。

 教えられた型を身体に染み込ませるように何度も反復練習を繰り返す。

 それによって身体が動きを反射と同レベルにまで覚えたが故に日向の拳や蹴りは速く、重い。

 

 (それでも、響ちゃんには敵わなかった)

 

 実際には互角、それも聖遺物の暴走に近い状態であったからこそなのだが、日向は気付いていない。

 気付いてないから、次は負けないように鍛錬を繰り返す。

 そんな彼に、マリアが声を掛ける。

 

「そろそろ休憩にしたら?」

「もうちょっと」

 

 マリアの方を見ずに言葉少なく答え、日向は一心に拳を振るう。

 溜め息を吐くのが聞こえた。呆れているのか、諦めていたのかは分からない。

 

「オッシアは? 調や切歌と修行中?」

「いないよ。二人はアーサーさんに吹き飛ばされてる」

「…………そ、そう」

 

 深くは聞かなかった。それは正しい、それが正しい。

 最後に少し力を込めて打ち込み、日向は鍛錬をやめた。

 

「未来ちゃんの様子は?」

「拒絶反応はなかったわ。それにあの子自身の身体能力が高いおかげで、アレの浸食がだいぶ抑えられていたわ」

「そう、よかった。……にしてもマリアが心配するなんてね」

「小日向未来には借りがあるの。それに日向の友達が壊れるのは見たくないのよ」

「そっか。ありがとうマリア」

 

 額の汗を拭い、微笑む日向。

 感謝の言葉にマリアはわずかに顔を赤らめるも、暗い顔で視線を逸らした。

 

「……ヘリに戻ってるね」

 

 それを分かっている日向は、その事には何も問わずマリアの横を過ぎる。か細い声で「……あ」と聞こえたが、聞こえないフリをしてそのまま歩く。

 ぎくしゃくしているのは分かっている。それでも互いに譲れない(もの)があるのだ。

 

(一つ目の目標はこの件が終わってからに持ち越しかな……)

 

 自分の不器用さに溜め息を漏らしつつ、日向はヘリに戻る。

 迫る決戦の日に備えて。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 決戦の日に備えているのは、何もマリア達フィーネだけではない。

 響達も二課に寝泊まりし、出撃命令が出るのを待っていた。

 

「うくっ……はぁ……はぁ……っ!」

 

 大人達がF.I.S.の動向や月の落下に関する情報を集めている夜、奏者達は全員身体を休め、部屋で就寝していた。

 そんな中、響は誰にも気付かれないように必死に胸の痛みを隠していた。

 日向が戻してくれた融合による障害も日数が経つにつれて戻ってきたのだ。

 最初は鈍い痛みだった。それも段々と強くなっていき、聖遺物を使用していないにも関わらず痛みが定期的にやってくる。一瞬だったのが数秒、今では数十秒まで伸びていた。

 それでもそれを誰かに伝える事はしなかった。

 

(伝えたら……きっと、私は戦場に出られなくなる)

 

 今も控えているのだ、悪化しているのがバレでもすれば絶対に出撃させてもらえなくなるのは眼に見えていた。

 最後に出られなくなるのは構わない。でも、未来を救い出すまでは戦ってみせる。

 

「大丈夫……絶対助けてみせる。だから待ってて——未来」

 

 ここにはいない親友に、なにより自分に対して約束する響。

 胸の痛みが引いていくと同時に、眠りにつくのだった。



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅠ

過ぎ去りし日々はもう遠く、夢幻(ゆめまぼろし)と残るだけ。
星霜の果て、辿り着いた先で待つのは、
繋ぎ合う為の手? ――それとも断ち切る為の拳?

Fine8 未来、日向に立つ花よ

あなたと交わした永遠(トワ)の約束。
大丈夫、きっと大丈夫だから。だから、ゴメンナサイ。


 海上の一角、そこは既に戦場と化していた。

 数隻の船——米国所属の哨戒艦艇。その全ての甲板にはノイズが出現している。だが、一隻だけは駆逐され、甲板には対峙している複数の戦士。

 シンフォギアを解除して拘束されている調と調を拘束している防護服を纏ったクリス。ここはもう決着がついているらしく、私服姿の調は抵抗する素振りを見せず大人しくなっていた。

 防護服を纏い、共に天ノ羽々斬とエクスカリバーを構えている翼とヴァンの前には、イガリマを担ぐように構える切歌とプライウェンに腰掛け、場の空気など気付かないかのように瓶に入った酒を飲んでいる私服の鏡華が。

 そして、その全員が視線を同じ方向へ向けていた。

 

「————」

 

 だらりと槍を持つ腕を下げガングニールの防護服を纏った奏が、とある奏者の前に立っていた。

 彼女の表情は鬼気迫るモノがあり、いつもの雰囲気など微塵も感じさせていない。

 

「——答えろ」

 

 呻くような声。

 それに誰も答えない。奏が声を向けたであろう奏者も答えない。

 奏ではお構いなしに言葉を続ける。

 

「その聖遺物を、神獣鏡(シェンショウジン)をどこで手に入れた」

 

 奏の目の前に立つ奏者。

 下半身を隠す布が少ない中華風の防護服。それを補うように足には鎧のような脚部ユニットが装着されている。左手には分厚く平らな扇を閉じたような武器が握られている。

 そして頭部に付けられたヘッドギア。そこから覗く顔は、

 

「それを――どうして未来が神獣鏡(そんなもの)を纏ってるんだっ!!」

 

 見紛う事なく——小日向未来、その人だった。

 しかし、奏が憤怒の殺気を周囲に放ってなお、未来の光ない瞳に変化は見えない。

 それを見て彼女の怒気はますます膨れ上がる。ビリビリと艦艇自体が震える。

 

「な、何なんデスか。あいつのキレ方は……!」

 

 翼とヴァンの前で油断なく構えていた切歌。今では奏の怒気によって震え上がっていた。

 しかし、それは切歌だけに限った話ではない。切歌だけでなく、翼とヴァンも気付かない内に武器を握る手を振るわせている。

 それほどまでに奏から発せられる怒気の重圧は重く、激しい。

 

(……ほんと、なんだってんだ。あたしの怒り(これ)

 

 そしてそれは、奏自身も驚くほどだった。

 どうしてここまで怒るのか。今まで怒る感情なんて“忘れていた”のに、今になって湧き上がってきた。

 疑問は尽きないが、奏はこの激情を止められない。

 

「応えないってのなら——力づくで剝がしてやる」

 

  —閃ッ

 

 槍を回し、体勢を低く構える。

 それはまるで奏自身が一振りの槍の如く。

 

「奏ッ!」

「馬鹿野郎! 本気で貫くつもりかよ! そんな事して、あの馬鹿になんて説明すんだ!!」

 

 後ろから翼とクリスの声が聞こえるが、声を発する時間すら惜しい。

 

「——ぅうおおぉおおおぉおぉおおぉぉおおおおっっ!!」

 

 重圧に今気付いたかのように未来は敵愾心を剥き出しにして吼える。頭部のヘッドギアが変形しバイザーとなって未来の両目を隠した。

 両足の脚部ユニットが唸り、ホバーで未来は駆ける。

 同時に奏もその場から飛び出す。

 もう誰にも二人を止められない。どちらかが倒れるまで傍観してるだけなのだろう。

 そう——誰もが思ってた。

 

  —戟ッ!

 

 しかしそれは、誰も予想しない人物に止められた。

 未来の扇形の武器を槍で受け止め、奏の槍は穂先を素手で掴んでいる。

 

「なっ……」

 

 その驚いた声を上げたのは誰だったか。

 しかし、そんな事を詮索する者は誰もいない。

 

「ギャーギャーとうるせーな。近くにいたからってアタシの感情を“引き出してんじゃねぇよ”」

 

 顔を顰めながら、“彼女”は口を開く。

 

「……こうして、あたしと会話すんのは初めてだよな。最初会った時は無視しやがって」

「どっちも旦那が一番だからな。別にいいだろ、なあ?」

「そーだな——フュリさんや」

 

 奏の槍を握り締めながら、天羽奏は、フュリ・アフェッティは笑う。

 その瞳はこれっぽっちも笑みを浮かべず、怒りに燃えていたが。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 一体、どういった経緯でこうなったのか。

 始まりはほんの十数分ほどまで遡る。

 同海域上空を飛行していたフィーネのヘリを米国所属の哨戒艦艇が見つけ追いかけているのを、見つけた時から始まる。

 どうするか迷う調や切歌をよそに、ウェルが半ば己の享楽のために艦艇殲滅を提案。

 調が真っ先に反対したが、マリアが賛成の意を示したのだ。

 以前は防衛のための出撃さえも躊躇ったマリアが、だ。

 それに調は戸惑い、言葉を返す事ができなかった。代わりに日向を見たが、

 

「好きにすればいいさ」

 

 その一言だけで、それ以上何も言ってはくれなかった。

 オッシアも同様に、口を閉じたままだ。

 ウェルの操作でノイズが放たれ、しばらくはヘリで傍観していた調だったが、いつしか我慢できずにマリアに話し掛けていた。

 

「マリア。こんな事がマリアの望んでいる事なの?」

 

 マリアは何も答えてはくれない。

 それでも調は問い掛ける。

 

「世界中の人達を、弱い人達を救うために本当に必要な事なの?」

 

 マリアは答えない。

 でも——応えてくれた。

 ツゥ、とマリアの口の端から流れる一筋の血。無理矢理の笑顔。

 それを見て、調は気付き、勝手に理解した。

 

「うん、分かった」

 

 そう言うと調は操縦室から出て、近くのヘリのドアを開いた。

 

「調!? どこ行く気デスか!?」

「私は世界を救うとか、守りたいわけじゃない」

 

 調を見つけ疑問をぶつける切歌に、調は答えでなく自分の想いを喋る。

 

「マリアがフィーネだからじゃないよ。マリアのお手伝いがしたかったから」

「調……?」

「身寄りがなくて泣いてばかりの私達に優しくしてくれたマリア。弱い人達の味方だったマリア。だから、マリアが苦しんでるんだったら私が助けてあげる。そのために——私はここにいるんだ」

 

 最後にふわりと微笑むと調はヘリから飛び降りた。一瞬だけ、切歌の声が聞こえたがすぐに風が声を掻き消した。

 調は聖詠を歌いシンフォギアを纏い艦艇に丸鋸を放つ。

 ノイズが炭化するのを確認せず着地しつつ頭部のアームを変形させ巨大な鋸にしその場で身体ごと回転。近くにいたノイズは上半身と下半身に両断された。

 ノイズを攻撃を避けながら炭化させていく調。

 彼女の背後から攻撃しようとしたノイズがいたが、それは別の誰かの一閃によって攻撃する前に炭化した。

 

「……切ちゃん」

 

 切歌も同じ気持ちだったのだ、と調は思った。だからこそ後を追ってノイズを倒してくれた。

 ——ありがとう。

 そう言いたかった。切歌が首筋に何かを突き立てなければ。

 プシュッと軽い音と共に自分の身体に何かが注入されるのを理解した調はよろよろと切歌から距離を取った。

 

「切ちゃん……どうして?」

「あたしだって、マリアのあんな姿みたくないデス」

 

 壁を背に凭れ、身体から抜けていく力を必死に押さえ込みながら、切歌の声に耳を傾ける。

 それでも力を抑えるどころか、抑える力も失われていってしまう。

 

(LiNKER? でも、この前とは違う。適合係数を下げてる……?)

「でも、あたしには時間がないんデス。あたしが……あたしじゃなくなるかもしれない。そうなる前に何かを(のこ)しておかないと。そうしないと、調に忘れられちゃうかもしれないデス」

「切ちゃん……一体、何を……?」

「ドクターの事は嫌いデスけど……世界を守るために、調との思い出を遺すために——あたしはドクターのやり方で世界(おもいで)を守るデス!」

 

 そう言って切歌が手をこちらに差し伸べてくる。

 でも、調はその手を掴む事ができなかった。立っている事も厳しく、ズルズルと凭れたまま座り込んだ。

 その時、海上から突然ミサイルが飛び出してきた。ハッチのような扉が開き、そこからクリスとヴァンが跳ぶ。

 迎撃しようと大鎌を構える切歌だが、今度は反対の海からも気配を察し慌てて振り向く。

 そこには翼と奏が海から跳び込んできていた。切歌は知りもしなかった《阻む物無し騎士の路》を使って海の上を、二人は海上を“走って”きたのだ。

 まさかの挟み撃ちに、切歌の対応が遅れる。

 その隙にクリスが無抵抗の調を拘束し、翼が切歌に向かって剣を振るおうと構える。

 

(回避、いや防御——どっちも間に合わないデスッ!)

 

 絶体絶命。はっきりと感じた切歌は思わず眼を閉じる。

 

  —閃ッ!

  —戟ッ!

  —轟ッ!

 

 激しい音。

 だけど、痛みはなかった。

 恐る恐る眼を開けると、目の前で剣と剣が火花を散らして拮抗していた。

 

「な……何故っ!」

 

 翼が驚愕の声を上げる。

 まあ、そうだろう。だって、彼女の剣を止めているのは彼女の味方なのだから。

 

「ふむ……女にしては()い腕だ。やはり世界は変わったな」

「オーサマ……何で」

「助けてはならなかったか? 鍛錬の成果を披露できずに終わるのは忍びないと思ったのでな」

「あ、ありがとうデス」

 

 うむ、と頷いた鏡華——アーサーは腕に力を籠めて翼を弾き飛ばす。

 距離が離れると、アーサーは剣を消して宙に具現したプライウェンに座り、懐から瓶を取り出した。

 

「……ジュース?」

「記憶にあったニホンシュと云う酒だ。飲みたくてわざわざ買ってきた」

「こんな時にどこ行ってやがるデスかっ!」

 

 切歌の怒鳴る声に、笑って誤摩化し瓶を呷り酒を飲むアーサー。

 そんな様子を見て、剣を構えたままの翼が問い掛ける。

 

「鏡華……いえ、違う。あなたは誰だ」

 

 鏡華が纏う雰囲気とは違う。それよりもっと重い何か。

 だから、翼は無意識に目上と接するような感じで話していた。

 

「……ああ、そうか。そなたが鏡華の想い人の一人か。そうかそうか、それは少し悪い事をした」

「……あなたは」

「アーサー・ペンドラゴン。鞘の元担い手であり、かつて騎士を束ね、後世に騎士王と呼ばれている者だ」

 

 もっとも生前にそう名乗った覚えはないがな。そう付け加えて酒を呷るアーサー。

 まさかと翼は思ったが、奏と視線を交わして頷く。

 アヴァロンは記憶する鞘と鏡華は言っていた。ならアーサーとしての記憶も残っていたのだろう。まさか鏡華の身体を乗っ取っているとは露にも思わなかったが。

 

「さて、この場にほとんどの奏者は揃ったが……どうする?」

 

 寛いだ姿勢のまま、アーサーは全員に向かって問い掛ける。

 クリスは調を拘束しながらウェルを探している。ヴァンはその近くで周りを警戒している。翼と奏は切歌とアーサーと対峙。そして、今奏者達が立つ哨戒艦艇以外はノイズの襲撃に未だ晒されている。

 

『今、そっちに緒川が向かっている! それまで奏者の拘束を続けてくれ!』

「……あたしがノイズをぶっ飛ばしてくる。翼、ヴァン! 切歌と騎士王の相手を頼む」

 

 弦十郎からの通信を聞いて、奏が他の艦艇へ向かうために踵を返す。

 ヴァンもクリスから離れ翼の横に並ぶ。

 これでアーサーはともかく切歌は奏を止めるのは難しくなる。奏は一度息を吐いて跳ぼうと足に力を籠めて、

 

  —輝ッ!

  —轟ッ!

 

 閃光と爆音によって、跳ぶ事はできなかった。

 アーサーを除き、何事だと辺りを見回していると、歌が聞こえてきた。

 普通の歌ではない歌を、この場の誰もが——モニターしている誰もが、その歌が何か知っていた。

 そして——奏はその歌詞に含まれた単語に反応していた。

 

(シェン)獣鏡(ショウジン)……だと?」

 

 爆心地を覆っていた煙が晴れていく。誰かがそこに立っている。

 完全に晴れた時、誰なのかがはっきりと分かり——

 そして、時は初めに巻き戻り、正常に動き出す。



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅡ

 今回はかなりオリジナル設定が組み込まれています。
 賛否は両論かもしれません。
 ただ一つ間違いないのは、中二病みたいなのは元からです(苦笑)

 それではどうぞ。


「——それじゃあ、翼の感情体(ゲフュールノイド)は生まれてないんだな?」

 

 奏の言葉に、槍の軌道を槍で逸らしながら頷く。

 

「あれから何日か経過したが、鞘の分裂やここに変化はない。翼の感情体(ゲフュールノイド)は生まれないんだろう」

「でも、何でだ?」

「知るか……と言いたいが。彼女は遠見鏡華(オレ)天羽奏(フュリ)と違い正規の適合者だ。感情で奏者になったんじゃない。だから司る感情がなかった、だと思う」

「そっか。あの子に対して怒りはないけど……やっぱ、正規じゃないってのはキツいな」

 

 オッシアの槍を手から弾き飛ばし、膝を付いたオッシアが降参を確認したのを見てフュリは首に突きつけていた槍を消した。

 突かれていた喉を擦りながらオッシアは立ち上がる。

 

「オレは戻る。フュリ、全覚共有を入れておいてくれ。近く必要になる」

「あいよ」

 

 スイッチを入れる感覚で全覚共有を使う。これで奏の五感、今の記憶を共有できる。入れた瞬間、フュリの脳内に濁流のように様々な感覚が感じられる。これらは全て遠く離れた本物の天羽奏の感覚や記憶。

 自分ではしていない事をしていると云う感覚は、二年経った今でもフュリには慣れるものではなかった。

 

「うへ……やっぱしたくねーなこれ。段々とムカついてきやがる」

「我慢してくれ。恐らくこれが最後なんだ」

「最後……ねぇ」

 

 最後とは一体何なのだろうか。フュリは最近よくそれを考える。

 人生としての最後なら、フュリとオッシアには恐らくそれは存在しない。この肉体は騎士王の鞘が構築した物で、タンパク質から作られた人間の身体ではない。カリバーンやロンのような記憶と記録から具現化された謂わば偽物。生命としての死はないだろう。

 

(例外はありそうだけどな)

 

戦いとしての最後なら、それは何との戦いなのか。今回の事件は本来フュリとオッシアには関係ないし参加する必要はない。本物の鏡華や奏との関わりだって、あちらはこっちの存在に気付いていなかったし気付かせる必要もなかった。ここから出てオッシアと一緒にどこか海外でひっそりと暮らせばいいのだ。

 

(同じ場所に五年くらい暮らして転々としながらいけば、同じ場所で暮らすのは何十年と先だろうし)

 

 怒りで形成されたフュリでも、日常茶飯事で怒ってるわけじゃない。胸の内で燻らせてはいても表に出さなければいいだけだ。そうすればどこからどう見ても普通の少女だろう。

 

「なあ、リート」

 

 考えている間に、フュリはオッシアに話し掛けていた。

 振り返るオッシアにフュリは訊ねてみた。

 

「アタシ達の最後って——どこなんだ?」

「————」

 

 フュリの問いに、オッシアはすぐに答えられなかった。

 少し悲しそうな表情を浮かべ、視線を彷徨わせて。

 そんな彼をフュリはジッと見つめる。

 数分経って、オッシアは迷った末に口を開いた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「——愛ッ! ですよっ!!」

「何故そこで愛ッ!?」

 

 自分を構成する感情の名前が聞こえ、オッシアは意識を回想から現実へ引き戻した。

 事態はシンフォギアを纏った未来の出現によってわずかに戦況を変化させている。いや、アーサーが戦場に出ている時点で戦力だけならフィーネ(こちら)が逆転しているが。

 

「LiNKERがこれ以上級友を戦わせたくないと願う想いを神獣鏡(シェンショウジン)に繋げてくれたのですよ! ヤバいくらいに麗しいじゃありませんかっ!!」

 

 確かに小日向未来は奏者として不適合で、奏者になる事はなかった。ウェルの処置と感情によって無理矢理適合させた。

 しかし、ウェルのあの表情で「麗しい」なんて言葉は、逆に彼女の想いを穢しているようにしか思えない。

 

「それもあの娘はマリア達よりもLiNKERを使って仕立て上げられた消耗品。急拵(きゅうごしら)えな分、壊れやすい……」

「なっ……ウェル! あの子は私達より適合係数が高いと言っていたでしょう!?」

 

 調の前で仮面を張り続けていたマリアも流石に、ウェルに向かって叫ぶ。

 

「ええ。ですが実践投入レベルまでに引き上げるには時間がありませんでしたからねぇ! 限界ギリギリまでLiNKER詰め込んでここまで成長させたんですよっ!」

「くっ……」

 

 たまらずマリアは眼を背ける。

 また守れなかったのか。目の前で監視していたのに、たった一人の少女さえ救えないと云うのか。

 その時、新たな聖遺物の反応を知らせるアラームが鳴る。

 モニターを確認すると、ぶつかり合おうとしていた未来と奏の間に、もう一人の奏がいたのだ。

 これにはオッシアも驚いた。

 

「っ、誰!?」

「フュリ……? どうして出てきた」

「フュリ? まさか」

「天羽奏の感情体(ゲフュールノイド)——早い話がオレと同じだ」

 

 だが、何故ここにいるのか。

 フュリは外には出ない、ラスボスみたいに待ち構えると言っていた。

 にも関わらず、こうして外に出て天羽奏(じぶんじしん)と対面している。

 考えられるとすれば——

 

「感情の相互共有……か?」

 

 モニターで未来が神獣鏡(シェンショウジン)を纏っているのを見てから奏の感情が爆発していた。あの感情はまさしく怒りであり、奏が失ったはずの感情だ。それが感情として出ているとすれば、それはフュリから感情を共有するしか方法はないだろう。

 だが、これまで共有化は偽物(こちら)から一方的に本物(あちら)の感覚や記憶を共有するだけだった。

 

「無意識でそれを行うか……やっぱり天才だよ、君は」

 

 薄く笑うオッシア。

 そして始まる——天羽奏同士の戦い。

 相手がいなくなった未来は再び吼え、それに対してクリスが動く。

 

(そろそろ動く時か……)

 

 戦場の変化にオッシアは脳内で計画を一つ進める。

 

「マリア。小日向未来の動向を別モニターに映せ。お前達の作戦の好機を見逃すなよ」

「わ、分かったわ」

 

 マリアが頷くのを確認してオッシアは操縦室を出る。

 戦場には出ない。今回オッシアの役割はほぼないと云っていい。

 しかし役割がないからと云って何もしないわけではない。

 

「ここが正念場だ。ミスを犯すなよ」

 

 ——小日向。

 そう呟いたオッシアの声は誰にも届く事はなかった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ——すまない。

 憎まれ役を買って出たクリスに胸中で謝りながら、翼は目の前の存在を警戒して動かない。

 アーサー・ペンドラゴン。遥か過去に生きた、本物の騎士にして一国を纏めた王。

 今も自分の身体に埋め込まれている鞘、アヴァロンの本当の持ち主。

 

「はぁ、やはり静かに飲むというのはいいものだ。宴や食事の何倍もいい」

 

 ——なのだが。

 目の前で酒を盛大に呷っている人物が本当にそんな高名な者なのか、と疑ってしまう。

 まあ、纏う雰囲気は間違いなく別人だが姿は鏡華なのだ。そう思っても仕方がないと自分を納得させる。

 

「んくっ……ん、なくなったか。まだ少し掛かるか……なら、最後に一暴れして還ろうか」

 

 空になった瓶を甲板に置き、アーサーはプライウェンから下りて立った。

 たったそれだけの所作なのに、翼は思わず半歩引いて剣を構え直す。

 敵はまだ何もしていない、立っただけだ。にも関らず大げさな反応。その自らの行動に翼は自分を恥じた。

 

「くっ……!」

「恥じずともよい。格上の敵に対する警戒はするに超した事はない」

「っ……敵でありながらこちらへの配慮、痛み入ります」

 

 構えたまま、ほとんど誰にも使わない最上の言葉で礼を言う。

 いくら過去の人物であり敵であっても、彼には言葉は選ぶべきだと、無意識に判断した結果だ。

 

「陛下。彼は……鏡華はどうなったのですか?」

「彼は今、鞘の内にいる。なに心配するな、もう少しで鏡華は目覚め肉体も返す事ができよう」

「そうですか……よかった」

「だが今は、私がこの肉体の主だ」

 

 プライウェンを消し、鎧を纏う。彼の前に現れる鞘と鞘に納まった聖剣。

 柄に両手を乗せて立つその姿は、まさに王者そのもの。

 全身を悪寒が走る。剣を握る手が震える。息もできない圧力に、この場から逃げ出してしまいたかった。

 

「全力で来るがいい、我が鞘の欠片を預けられた娘よ。アーサー・ペンドラゴンの名とこの聖剣に誓い、全力で相手しよう」

「——っ!!」

 

 アーサーの言葉に総毛立つ。震えが手だけでなく足にもきた。

 彼に対して恐怖したのでは決してない。さっきは逃げ出したいと思ったが、これは——武者震いだ。

 この身は一振りの剣。そう自分に暗示のように言い聞かせて、これまでずっと鍛錬に励んできた。同年代ならば、男女関係なくほとんどの相手に勝てる自信がある。年上相手でも決して一方的な戦いにはならないはずだ。

 しかし、この剣は相手を屈服させるものでも、ましてや自慢するためではない。

 この剣は守るためだ。防人として、一人の人間として、大切な人達を守るためのものなのだ。

 

(だけど……だけど今だけはそれを忘れたい)

 

 この瞬間、アーサーとの一戦だけは別にしたい。

 相手は本当の戦場(いくさば)を駆け抜けた戦士——騎士だ。全てにおいて自分を凌駕しているのは明白である。

 それでも、どこまで彼に通用するか翼は知りたいのだ。

 負けてもいい。今まで積み重ねた努力が完膚なきまでに崩されても構わない。

 それに、この一戦を通して何か掴めそうなのだ。

 何かは分からない。でも、今まで掴めなかった何かを今なら掴める気がする。

 

(戦場で私情を持ち出すとは……奏や鏡華に染まってきたかな)

 

 くすりと笑い、翼は一度構えを解き深く息を吸って、吐いた。

 青眼の構えから、居合いのように剣を構え腰を深く落とし前傾の姿勢を取る。

 誰にも教えず、独りで編み出したこれを披露する相手に、アーサーは申し分ない相手だ。

 鏡華のように分かりやすく(ぶっちゃけて)云えば——伏線も匂わす発言もない、今ここで見せる新設定。

 

「我が身は剣と成り無辜の民を守る防人。然れど此度、己が為に剣を振るわん」

 

 芝居がかった台詞。

 言霊として、そして“(ウタ)”として、己に、聖遺物に刻み込む。

 

「民よ赦せ。友よ赦せ。我よ赦せ。我もまた、人の子(なり)

 

 これは(ウタ)であり(うた)ではない。

 翼が完成に至らせた新たなシンフォギア・システムの境地。

 

「闘神よ、我が身に武運を。我が身に汝の守護を。我が栄光は汝に捧げ奉らん」

 

 凛と響き渡った声は空気を伝わり、アーサーの、鏡華の鼓膜を打った。

 言葉一つ一つに力が宿っているかのように力強く、かつ清廉さを感じさせる。

 刹那、天ノ羽々斬の刀身に変化が起きた。わずかに光り、その刀身を同色の鞘が包み隠した。

 

「これは……なるほど。そう云う仕組みか。いや、見事だ」

「お待たせいたしました」

「さあ、来い。(ことごと)く凌駕されてなお、清濁呑み込み汝の糧とするがいい!」

「はい。絶刀・天ノ羽々斬と奏者・風鳴翼——推して参るッ!!」



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅢ

 GXもかなり盛り上がる展開でした。
 相変わらず忙しい毎日ですが、毎週のシンフォギアを糧に更新速度を以前の週一か二週に一回できればいいなと思います。

 それではどうぞ。


「な、何なんデスかあんた達は……」

 

 呆然とした切歌の声を聞きながら、ヴァンは切歌を見張りながら目の前の光景を静観していた。

 アーサーが翼の相手をすると言ったまではいい。だが、その後だ。翼が何かを言い始めた途端、彼女の空気が変わった。絶唱かと思ったが以前見たようなものではなかったし、何より歌っている歌詞が違う。絶唱の歌詞はほぼ全員が同じものを歌う。そもそも今歌っているのは、歌と云うより()に近い。

 歌い終わると、居合いに構えた剣が突如現れた鞘に納刀される。同時に翼を中心に風が吹き荒れる。

 

「エインズワース! 何なんデスか、アレは!?」

「知らん。こちらも教えてもらいたいくらいだ」

 

 とは云え、あれが何なのか予想を立てるのは決して難しい事ではない。

 あれが絶唱でないと云う事は、彼女が口にした歌詞から判断できる。それにもし絶唱を使っているのなら風鳴弦十郎から止めるように通信が入るはず。翼が無視しているならば距離的にもヴァンに止めろと云う命令を下すだろう。

 考えられるとすれば、祝詞が一番近いかもしれない。

 祝詞とは早い話、神に奏上して加護や利益を得ようとするための文章の事だ。ただ、あまり神職について知っているわけではないヴァンが知っている事と云えば、それぐらいなのだが。

 

(しかし、この場で神頼みと云うわけでもないか。可能性があるとすれば聖遺物に対しての祝詞。奴の聖遺物は天ノ羽々斬、記述がある持ち主は——)

 

 そこまで考え、ヴァンは一歩横に移動し剣を突きつけた。

 突きつけた剣の切っ先の先には、わずかに仰け反る切歌の姿。

 

「隙あり——ではないデスね」

「悪いな。通すわけにはいかない」

「くっ……エインズワース!」

 

 叫ぶと同時に大鎌を振るい突きつけた剣を弾く。

 振り上げた体勢からそのままヴァンに向けて振り下ろした。

 

  —戟ッ!

 

 その一撃を剣で防ぐヴァン。

 両者の間に火花が高い音と共に舞い散る。

 

「ッ、その剣を振るわないのなら、そこからどけッ、デスッ!」

「……いいや。もう振るわないとは言わん。あいつらとの約束を破る事になるが、お前の希望通り、このエクスカリバーを振るおう」

 

 宣言した途端、先ほどのお返しとばかりに大鎌を弾く。

 体勢を崩した瞬間を見逃さず、ヴァンは斜め上から斬り下ろした。

 だが、切歌はそれを身体を捻り躱す。

 

「オーサマに稽古付けてもらってなかったらヤバかったデス」

 

  ——切・呪リeッTぉ——

 

 オーサマより遅いデスッ!

 鎌の刃を放ちながら、ヴァンへ接近する。鎌の刃を避ける事はできる、しかし後ろには調がいるのだ。いくら約束を破ったとは云え、傷付ける事までは破るわけにいかない。むしろそれを分かって放っている切歌に対して驚いた。

 ヴァンは剣で弾き、斬り落とし、篭手で受け止める。それは切歌の接近を許してしまうが、それぐらいは許容範囲内。大鎌の刃に合わせて剣を振るう。

 

「デースッ!」

「——っ!?」

 

 嫌な予感にヴァンは、切歌の叫びに間髪入れずに背面跳びのように上体を反らしながら跳んだ。刹那、背中をギャリィと嫌な音と共に何かがこする。片手で地面に着地、腕のバネで更に一歩分後ろに跳ぶ。両足で着地してそこで何が通過したのかを知った。

 

「鎌を“引いたのか”……真っ二つにする気か」

 

 流石に今のはシャレにならん、とヴァンでも焦る。

 

「エインズワースだったら、真っ二つになっても平気デスよねっ」

「あの糞王(ファッキン・ロード)と一緒にすんな」

 

 鏡華なら真っ二つになっても回復するだろう。痛いのは痛いだろうが。

 そう考えながら立ち上がった時、甲板に何かが落ちてきた。更にそこへ追い打ちを掛けるミサイルが降ってくる。

 軌道を予想して振り返ると、クリスが甲板に着地していた。と云う事は先に落ちてきたのは未来だろう。

 

「くっそ! やりづれぇ!」

「とか言いながら、撃ち放題だな」

「やりすぎだったら、後であの馬鹿の前で頭地面に擦り付けてやる!」

 

 顔を向けずクリスは吐き捨てるように言い、壊れた甲板に倒れた未来に近付く。シンフォギアを剝がすつもりなのか。

 大丈夫かと思っていると、ふと気付いた。翼とアーサーがいない。

 どこに行った、と辺りを見渡した時、海上からの轟音と近くのクリスの驚く声が聞こえたのは同時だった。

 

「クリスッ!」

 

 振り返れば、立ち上がった未来が円状に展開した武器からビームを放ち、クリスが紙一重で回避していた。

 

「まだそんなちょせいのをっ!」

 

 武器を仕舞った未来は両手を広げ、姿勢を正す。脚部ユニットからミラーのような物が展開され、円を描く形になった。同時に未来が歌いエネルギーのチャージが始まる。

 その場から躱せ、と言おうとした口が直前で止まる。

 クリスの背後には調がいるのだ。回避すれば動けない調に直撃するだろう。クリスも気付いているからこそ下手に動けないでいる。

 

「どん詰まりにさせるかっ!」

 

 即座にクリスの許へ走る。クリスの前に立ち、ヴァンは歌を紡ぐ。クリスもヴァンの意図を読み背中の下部に付いたユニットを起動させる。広がったユニットから金色の宝石のような物が次々と飛び出て、ヴァンの前に浮かぶ。

 早口で、しっかりと歌を完成させたヴァンは宝石を纏うように唱壁を何枚も展開させた。

 

  ——流星——

 

  —煌ッ!

  —発ッ!

  —轟ッ!

 

 チャージが終わった一撃が容赦なくヴァンとクリスに放たれる。極大のレーザーは真っ直ぐにヴァンの展開した唱壁に直撃。弾かれたレーザーの一部はドーム状に拡散する。だが、弾かれていないレーザーはミシミシと唱壁を圧迫していく。

 

「くうっ……! 唱壁は壁とか云ってるが、実際は逸らす事の方が特化してる。月を穿つ一撃もイチイバルのリフレクターで偏向した後なら九割方逸らせた……」

「何が言いたいんだヴァン!」

「まあ要するに——そんな硬い守り(ブロック)でも防ぎきれないとか、どんな聖遺物なんだ神獣鏡(シェンショウジン)ってのは!」

 

 叫んだ瞬間、唱壁が破られリフレクターも砕けていく。

 

「ヴァンの唱壁どころかリフレクターも分解されていく!?」

「無垢にして苛烈。魔を退ける輝く力の奔流。これが神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギア……ッ!」

「説明はいいが、まったく意味が分からんぞ、くそったれっ!」

 

  —砕ッ!

 

 残りの唱壁とリフレクターが破られる直前、ヴァンがその身を翻し、クリスと調の襟を掴んで思い切り投げ飛ばす。

 

「なっ——ヴァンッ!?」

 

 驚きつつもクリスは空中で調を掴まえて体勢を立て直す。

 ヴァンはそれを見届ける事なく腰に提げたエクスカリバーの柄に手を掛ける。

 

「灼き払えッ、エクスカリバー————ッ!!」

 

  —閃ッ!

  —煌ッ!

 

 振るわれる剣が、ヴァンを呑み込もうとするレーザーよりも輝きを魅せる。

 呑み込まれた、と誰もが思った瞬間、レーザーが縦にパックリと割れた。二つに分かたれたレーザーは甲板の壁を蒸発させ海上へと飛び出し霧散していく。

 

「あ、あのトンデモを斬り払うって、あいつもとんだトンデモデス!?」

「……くっ」

 

 驚いている切歌に何か言ってやりたいヴァンだったが、何も返せずにその場に蹲る。

 ダメージを負ったわけではない。かなり本気で斬り放ったにも関わらず、神獣鏡(シェンショウジン)の一撃がかなり重かったのだ。

 

(聖遺物の力そのものを分解(ディバイド)するのが恐らくあれの特性……だが、同時に俺がこいつの“全力”についていけていないのも理由だな)

 

 あの一瞬の攻防、切歌はトンデモと言ったが、ヴァンには不満の残る一撃だった。

 深く息を吐き、ヴァンは立ち上がる。そこへクリスと調が近付いてくる。

 

「無茶すんじゃねぇよ、馬鹿ヴァン!」

「すまないな」

「敵同士だけど……ありがとう、エインズワース」

どういたしまして(ユーアーウェルカム)。だが、お前が言葉を掛けるのは暁切歌が正しいだろ」

「うん、それはそうだね」

 

 煙が晴れる前に調は切歌に声を発する。

 ドクターのやり方では弱い人達を救えない、と。

 

「調……」

『ここまでくれば月読調を庇う事などできはしない。彼女は立派な裏切り者だ』

 

 突然、砲撃を終えミラーをしまった未来からウェルの声が聞こえてきた。恐らく、彼女をスピーカー代わりにしているのだろう。

 

「違うデスっ! 調は仲間ッ! あたし達の大切な――」

『仲間と言い切れますか? 僕達を裏切り敵に利する彼女を、月読調を仲間と言い切れるのですか?』

「ッ……違う。あたしが打ち明けられなかったから……あたしが調を裏切ってしまったんデス……!」

 

 俯く切歌に調は駆け寄って抱き締めたかった。

 でも、今それはできない。そんな事をしても何の解決にもならない。

 

『シンフォギアと聖遺物に関する研究データはこちらだけの専有物ではありませんから。アドバンテージがあるとすれば——せいぜいこのソロモンの杖ッ! だけでしょうか!?』

 

 スピーカー越しのウェルの声と共に一瞬の閃光が何隻もの艦艇や空に照射される。途端に溢れ出るノイズ、ノイズ、ノイズの大群。今まで傍観しかできなかった兵士が驚きつつも冷静に銃器をノイズに向け発砲する。だが、ノイズに対する効果は零にも等しい。ある兵士はノイズに拘束され、またある兵士は空からノイズに刺し貫かれ、共に最期は兵士ノイズ共々炭化していく。

 

「くそったれッ! ここは任せたぞッ!!」

 

 すぐにクリスが跳び、全方位へとガトリングとミサイルを浴びせるように放つ。

 やはりソロモンの杖がある限り、宝物庫への扉は開けられたまま、ノイズは召還し放題か。

 そう判断しながら、ヴァンは横薙ぎに振るわれた大鎌を、今度は大鎌を引かれないように場所を瞬時に計算して剣で防ぐ。

 

「こうするしか遺せないモノだってあるんデスッ! あんたなら分かるはずデスッ、エインズワース!」

「否定はしないがな……お前と一緒にするなよ暁切歌ッ」

 

 叫んだはいいが、反撃にも回避もできない状況にヴァンはやや手をこまねいていた。

 第一の問題として、後ろで何の恐怖もなくこの状況を傍観している肝の座った少女(調)を、このままにしておけない。誰かに任せたいが、誰一人として手が空いている仲間がいなかった。

 

「そんな時は僕の出番です」

「はっ?」

「デス?」

 

 いきなりの声にヴァンと切歌は揃って変な声を上げた。

 振り返れば、そこには調を横抱き——つまりはお姫様抱っこしている緒川の姿が。

 

「人命救助は僕達に任せてください。ヴァン君は皆さんの援護、及び未来さんの捕捉をっ!」

「あ、ああ。……と云うか、いつの間にいた?」

「これでも忍の端くれですから」

 

 そう言うと、残像を残しながら緒川は甲板から消えた。

 訳が分からない、と頭を振り周囲を確認する。

 

「調を——返せぇッ!!」

 

  —閃ッ!

 

 驚いていたせいで緒川に対して言えなかったからか、激昂した切歌は刃の峰側を前に大鎌を振り、途中で大鎌の向きを変えて遠心力を加えた一撃を放つ。防げない、瞬時に判断して大鎌の一撃を剣で防いだ瞬間に甲板を蹴り、剣を軸に吹き飛びつつ姿勢を整えた。くるりと空中で一回転し壁に着地する。甲板に降りようとした時だった。

 

「マストォッ! ダァァイッ!!」

「——!」

 

 着地するほんの一瞬の隙を狙って、切歌が放った肩のアームが変化して拘束具としてヴァンを壁に張り付けにする。しまった、と悪態を吐く暇なくヴァンは抜け出そうとするが、アーム先の(やじり)のように尖った箇所が壁と甲板に突き刺さり固定されていた。しかも、更に突き刺さる音が聞こえた。見れば、ヴァンの左右に二本のアームを突き刺している。アームを辿れば巨大な刃の左右両方の端に繋がっており、切歌は刃の上に乗っていた。

 

(——ヤバいッ)

 

 この状況は、どんなに馬鹿でも結果が分かる。

 故にヴァンは動く手首と手を全力で動かし剣を自分に向けようとする。

 だが、切歌がヴァンの行動を待ってから行動するわけがない。肩のユニットからブースターを吹かし、刃をアームと云うレールを走らせた。

 

  ——断殺・邪刃ウォTtKkK——

 

  —轟ッ!

  —疾ッ!

 

「こん、のっ! 灼き尽くせッ!」

 

  —発ッ

  —燃ッ!

 

 自分を絡め拘束するアームに剣を突き刺した途端、アームに火がついた。刹那に燃え上がりアームを灰へと変えていく。全てが焼ける前にヴァンは緩んだ隙を逃さず無理矢理引き千切り、刃をしゃがみながら前方へ滑り込む事で紙一重で回避する事ができた。

 しゃがんだ姿勢を足のバネで跳び、距離を置きながら剣を構える。

 

「逃げるなッ。逃げるなら調を返してから逃げやがれデスッ!」

「無茶を言ってくれる。だったらお前も投降すればいい。そうすれば、月読調と一緒になれるぞ?」

あんた死ぬべし(M u s t D i e)ッ、デスッ(Death)!!」

 

 無駄に発音の良い英語で言われ、流石のヴァンでもほんの僅かに苦笑を浮かべる。

 このまま切歌を放って他のメンバーのサポートに向かう事も可能だ。だが、そうした場合、切歌の注意が連れ去られた調に向いて二課に強襲されるのは悪手だ。

 かと言ってこの場で倒すのは厳しい。地味にレベルアップしていて、回避が上手くなっているのだ。

 

(このまま、注意を俺に向けさせて他が終わるまで耐えきるのが一番最善か)

 

 面倒だが仕方ない。胸中だけで溜め息を漏らし、ヴァンは剣を構え直す。

 切歌は既に大鎌を振るい突撃してきている。

 ヴァンは切歌の行動に合わせて踏み出し、エクスカリバーを振るった。



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅣ

 翼の戦闘に力を入れすぎて、章が四話経った今でも、響や未来が空気になってます。
 これではタイトル詐欺になりかねませんね(苦笑)
 ついでに、前作の修正をゆっくりとしていきます。変更点としては書き方をこちらと同じようにしたり、ルビの振り直し、などなどを予定しております。

 それではどうぞ。


 9/5:最後辺りに「風輪火斬」を追加しました。


  —閃ッ!

  —戟ッ!

  —轟ッ!

  —裂ッ!

 

 槍同士の一撃が衝撃が海面を震わせ、海水を周囲に弾き飛ばす。ノイズが“彼女達”に襲い掛かってきていたが、その余波に巻き込まれ一体として彼女達に近付く事さえできないでいる。そも、彼女達は自分達に襲い掛かってくるノイズに気付いていなかった。

 共に一歩も退かず、腰を捻り、槍を持った腕を後ろに引き絞り——

 

  ——ASSAULT∞ANGRIFF——

 

  —輝ッ!

  —閃ッ!

  —裂ッ!

 

 一条の閃光となって奔る!

 切っ先はミリ単位もズレる事なくぶつかる。先ほど以上の衝撃が海をクレーターのようにヘコませる。

 技が終了した後も奏とフュリは槍を引くどころか、更に前へ突き進もうとしていた。

 

「——ぺっぺっ。うへぇ、海水飲んじまった」

「しょっぱい……頭からかぶっちまったし、イライラしてくるぜ、クソッ」

 

 衝撃で吹き飛んだ海水をまともに全身で浴びた二人は、腕の力を抑える事なく会話していた。

 

「イライラばっかじゃん、フュリ(あたし)。カルシウム取りな」

天羽奏(アタシ)に言われたくないよ、天羽奏(アタシ)の感情なんだから。——ところでカルシウムって何から取れるっけ?」

「ん? ……牛乳とかにぼし、じゃなかったっけ?」

「そんなん引きこもってる奴が取れるか馬鹿ヤローッ!」

「逆ギレ!? 流石のあたしも驚くぞ!?」

「だいたいリートもリートだ! いつも一人でどこか行きやがって、たまにはアタシも外に出させろってんだ!」

「……思ったんだけど、フュリ(あたし)っていつもどこで生活してんだ?」

「どこだっていいだろ。しかもアタシから誘わないと抱いてくんないし……クソっ、色々と欲求不満でイライラしてくる」

「あらら……ん? 抱いて?」

 

 思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう奏。

 同時に腕の力がわずかに抜け、その一瞬の隙をフュリは逃さず拮抗を崩し、奏の槍を弾き横に薙いだ。槍で防げない奏はプライウェンを具現するが、プライウェンごと吹き飛ぶ。

 

「いてて……。って、違う。おいフュリ! 抱かれたってどう云う意味だ!?」

「え、そっち重要? いやまあ、どう云う意味って——そう云う意味?」

「ま、まさか……まさかっ」

 

 驚いている奏に、初めてフュリは照れたように——顔はまったく赤らめていないが——分かりやすく言った。

 

「えっち」

「へぅっ! あ、あわわわっ」

 

 自分を含め周りが戦闘中にか関わらず顔を真っ赤に染める奏。狼狽しすぎて槍を落としてる事に気付いていないし、リンゴやイチゴ以上に真っ赤に染めた頬に手を当てぶんぶんと振っている。

 とは云え、この場の二人しか聞いていない、と言えば嘘になる。戦闘が開始された当初から二課がずっと奏者全員の事をモニターしているのだ。当然、この会話も聞かれているが、奏とフュリは気付いていない。

 

「な、何やってんだーッ!?」

「何って、ナニだけど……」

「い、いくら何でもえ、えええっちするなんてっ、天羽奏(フュリ)にはまだ早いっ!」

「いや、天羽奏(アタシ達)って今年二十じゃん。早いってわけでもないんだけどなぁ」

「でもでもっ」

「生娘かっ!」

「花も恥じらう純血乙女だよっ! 生娘の何が悪いっ!?」

「いやその反応はおかしい」

 

 うがーっと天に両手を突き上げて叫ぶ奏に、フュリはその場で裏手でツッコミを入れる。

 すぐに額に手を当て溜め息を吐くと、手に持っていたロンを消して奏に背を向けた。

 

「怒ってないのに頭痛いぜ……興も削がれたし、アタシゃここでドロンさせてもらうわ」

「お、おいっ、話はまだ終わってないぞ! さっきの話を聞かせて……いや聞きたくないけど、聞かせろよっ」

「どっちなんだ……」

 

 ——まあどっちでもいいや。

 振り向かずフュリは肩を竦める。

 

「それを聞きたかったから、アタシの寝床まで来るんだな。大したもてなしはできないけど、ま、頑張んな」

「……フュリは、オッシアみたいにあたし達を恨んだりしてないのか?」

「そりゃ怒りがないっつったら嘘になるな。でも、いくらアタシが天羽奏の怒りの感情体(ゲフュールノイド)だったとしても——」

 

 ——天羽奏(アタシ)天羽奏(アタシ)だしな。

 そう言って、フュリは《遥か彼方の理想郷・応用編》でその場を後にする。

 周りが未だ戦闘中の最中、奏はバリバリと髪を掻きながら、

 

「……まいった。色んな意味で負けたわ」

 

 やれやれ、と云った様子で呟くのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  —閃ッ!

 

 同海域・海上。そこを翼は疾走していた。同様に駆けるのは鞘の記録から具現した鎧を纏ったアーサー。

 互いに《阻む物無し騎士の路》を永続発動させ、波立つ海を地面同様に走り、交わる刹那に太刀となった天ノ羽々斬とカリバーンを振るう。

 

  —斬ッ!

 

 ぶつかり合う刃と刃。振り切られ、周りを衝撃が迸りより強い波を発生させる。

 すれ違い、翼もアーサーも振り返らず海の上を滑る。だが、次の瞬間に翼はその場で跳んだ。

 

「イメージ……」

 

 呟き、翼は体内のアヴァロンを発動。空中に具現化したプライウェンを逆さになった空中で着地する。即座に踏み込み真下へ急降下。

 鞘に納めた天ノ羽々斬を抜き放った。

 

  ——空ノ轢断——

 

  —閃ッ!

  —斬ッ!

 

 真上からの強襲、そして居合いによる一閃。

 それをアーサーは一歩後ろに下がって回避した。瞬間、

 

  —断ッ!

 

 パックリ——そう、説明するのが一番適切なほど、“海が割れた”。

 海底は見えないが、それでも数十メートルほど下が見える。

 それはさながら——海を割ったモーセの奇跡の如く。

 

「まだ……もっと。もっと聖遺物の力を引き出せッ」

 

 海に着地した翼は己を叱りつけるかのように呟き、刀を鞘に納め、再びアーサーへ駆ける。

 以前、作詞作曲家と云う裏方仕事のくせに、完全聖遺物をその身に保有している鏡華から聞いた事がある。

 聖遺物を、完全聖遺物並みに力を引き出すにはどうすればいいのかを。

 鏡華は答えてくれた。

 

『完全聖遺物並みか……。聖遺物を本来の在り方に近付かせる、かな』

 

 首を傾げ疑問符を浮かべる翼に、鏡華は頭を掻いて棚から本を探し始めた。

 

『いい? 聖遺物ってのは、神話や伝承に登場する英雄たらしめる、神たらしめる武具の事を指している。武具イコール誰なのか、みたいに、人によっては武具から伝承や神話を連想させる事ができるほど、武具は重要な意味合いを持つ事が多い。例えば、ヴァンのエクスカリバー。知ってる人はすぐに騎士王伝説の武器、アーサー王の武器、などと連想できる』

 

 反面、マイナーな武具は分からないけど。

 目当ての本を見つけたのか、取り出した本をパラパラと捲り眼を落としながら鏡華は言った。

 

『翼の場合、使用している聖遺物は天ノ羽々斬。正直この武具は有名かどうかと問われたら、有名じゃないと俺は思う。神話で天ノ羽々斬を使っていた神、素戔男尊(すさのおのみこと)と云えば八岐大蛇(やまたのおろち)草薙剣(くさなぎのつるぎ)が関連づけ易いだろ?』

 

 話が脱線したな、と鏡華は続きを紡ぐ。

 

『シンフォギア・システムは歌によって聖遺物の力を引き出している。でも、それは聖遺物本来の力じゃない。奏者の実力に合わせられるように三億近いロックを掛けて抑えている。絶唱も膨大なエネルギーだけど、それでも全力じゃない。それに加えて、聖遺物は認知されているかも重要な意味合いを持ってくる。認知度が低い聖遺物は特性を理解されにくい。それ故に十全に力を発揮されないんだ。……うん? 今の天ノ羽々斬のロックはどこまで解除されたか? いやいや翼さん、俺は確かに養母さん……櫻井教授の知識を覚えてはいるけど、研究者じゃないんだ。シンフォギアのロック解除なんて分かるわけありませんって。——まあ、エクスドライブ込みで三割近く解除されてたら儲けもんだろ』

 

 予想外の少なさに落ち込みそうになる。

 そんな自分を鏡華は慰めるように頭を撫でて笑って続ける。

 

『さて、ロック解除されていないから聖遺物は本来の実力を発揮できない。でも完全聖遺物並みに力を引き出したい。ならどうするか。——簡単だ、使用者が枷を解いて、聖遺物の認知を上げて、本来の力を引き出してやればいい』

 

 呆気に取られ顔を上げる自分を見下ろし、ニヤッと笑う。

 

『枷はシステムだけが解けると思っていたか? それが違うんだな。現に翼達はすでに一度、限定的に解除した事があるんだぞ。……そう、エクスドライブだ。アレを纏う事になった要因と、初めに俺が言った言葉を思い出して、翼自身で強制解除の方法を探してみな。認知はその過程である程度なんとかなるから。でも、無理はしちゃ駄目だ。強制的に解除すると云う事は代償をその身に受ける、と云う事に他ならないんだから』

 

 翼はその話を聞いてからずっと強制解除の方法を模索していた。実際に強制解除するのは危険すぎて、実際に行ったのは昨日、初めて鞘の内包結界に入れた時だけだった。やりすぎて血の水溜まりを作ったのは奏にも秘密だったが。

 

(だが、限界を知る事ができた。結果的には良かったと云える)

 

 アーサーの連撃を紙一重に等しいほどのタイミングで弾き、反撃せずに“わざと”蹴りを防いで吹き飛ばされる。宙を飛ぶ最中に海を蹴り、後方に跳び身体を反らし回転しながら距離を取った。

 ただ強制解除しただけではアーサーに届かない。この攻防の一合目で分かっていた。

 一息では届かない距離まで離れ、翼は切り札を更に切る。

 

「八雲統べる闘神よ、かしこみ、かしこみ、申し上げる」

 

 朗々と張り上げた詩による詠唱に、天ノ羽々斬が反応した。

 刀身が震える。胸元のコンバーターも微弱だが震えていた。同時に身体の内側からミシリと嫌な音が聞こえる。

 まだ聞こえただけだ、と翼は不敵に笑う。これはまだ序の口だ。

 

『ザザッ……——をしている、翼ッ!』

 

 不意に、切っていたはずの通信が入り、弦十郎の怒鳴り声が耳をつんざく。

 大方、藤尭さん辺りが復旧させたのだろう。見事な手並みだ。

 

『天ノ羽々斬、更にエネルギー増大! このまま増大すれば数分以内に臨界点を迎えます!』

『翼さんとの適合係数、未だ上昇中! なのにバックファイアが……嘘、バックファイアが奏者を蝕むと同時に治癒されていきます!』

『聞こえているだろう! 返事をしろっ、翼ァッ!!』

 

 通信の回復と同時に様々な情報が耳に入ってくる。

 天ノ羽々斬に意識を向けつつ、通信に答えるために口を開く。

 

「問題ありません司令。強制解除した影響です、周りに被害が及ぶ事はありません」

『強制解除、だと? ……ッ、天ノ羽々斬のギアはどうなってる!」

『……そんな。天ノ羽々斬のロック、解除(アンロック)されていっています! 一万……三万……八万……解除、止まりませんっ!!』

『こちらからの操作、受け付けません!』

 

 操作できないのは当たり前だ。聖遺物自身が解除していっているのだから。

 鞘から手を離し両手で柄を握り締める。途端に刀身をしまっていた鞘が砕け散り、一回り刀身が大きくなった刀——否、剣が姿を見せる。

 

(強制解除させるための詩と詠唱一節で解除できるのは、身体のバックファイアも考えて少し……十万ぐらいが妥当か)

 

 全体の一割未満のロックが解放されただけなのに、聖遺物の力をこれまで以上に感じる。

 弦十郎達オペレーター達は対処に必死になっているが、本当にまだ大丈夫なのだ。

 まだ“詠唱はいくつか残っている”のだから。

 

  —震ッ!

 

 海上を踏み抜き、アーサーに迫る。その速度は詠唱の前よりも格段に早い。翼も数歩だけ自分の早さに置いていかれそうになったが、すぐに身体を慣らして自分の速度とした。

 

  —斬ッ!

 

 右上からの斬り下ろしの一閃。

 アーサーはそれを受ける事も、剣で捌く事なく、剣の軌道をジッと見つめながら躱した。頷いて、剣を振るう。

 

  —斬ッ!

  —戟ッ!

 

 剣閃裂光!

 今度はどちらも得物を振り切る事なく鍔迫り合いに持ち込む。

 

「……詩によって主を偽り、元の主と誤解させて力を引き出しているのだな」

「誤摩化しと言ってほしいです。それに代償は支払っているので」

「鞘の力ですぐに直しているがな」

「それは大目に見ていただき、たいッ!」

 

  —戟ッ!

 

 一瞬、互いに剣を離して、一呼吸置かずに一撃を打ち込む。

 今度は振り切る。ならば、と翼は左足を踏み出し、右下から振り上げた。今度は右足を踏み込み一閃。

 

  —斬ッ!

  —斬・斬・斬・斬・斬斬斬斬斬斬ッ!

 

 何十、何百の斬撃がアーサーを襲う!

 しかし、その斬撃を、全ての斬撃を、アーサーは、

 

  —戟ッ!

  —戟・戟・戟・戟・戟戟戟戟戟戟ッ!

 

 躱す事なく鏡合わせのような、まったく同じ軌道を描いた斬撃で防いでみせた。

 化け物め、と内心で叫ぶ翼は、それでもなお攻撃の手を休めない。

 アーサーも遊んでいるわけではない事は鏡華の顔と瞳を見れば分かる。いくら人が違っても、肉体は遠見鏡華のものなのだ。翼が見間違えるはずがない。

 

  ——蒼ノ一閃——

 

  —煌ッ!

  —斬ッ!

 

 目の前で蒼い斬撃を放つ。

 そこで初めて、アーサーは初めて斬撃を防ぎながら後退した。

 好機ッ、と翼は詠唱を重ねる。

 

「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠に、八重垣作る、その八重垣を」

 

 ミシリ、と、更に身体が悲鳴を上げる。

 喉から口へと込み上げてくる液体を飲み込む。鉄の味がしたので血だろう。

 

(内包結界で試した時より、限界が早い……。ならばッ!)

 

  ——蒼ノ一閃・追滅——

 

  —輝ッ!

  —轟ッ!

 

 極大の斬撃を連続で放つ。

 距離を取っていたアーサーは躱さずに盾を具現化、全斬撃を受け、余波が水飛沫を巻き起こす。水飛沫に隠れてアーサーの姿が見えなくなる。

 追撃を加える一瞬を放棄した翼は、一度だけ深呼吸をして、眼を閉じて、詠唱を更に加えた。

 

「駆けよ、雷光より最速なる風の如く」

 

 ——隠せよ、無の境地に誘わん林の如く

 ——破れよ、怒濤なる閃きは烈火の如く

 ——鎮めよ、動じぬ鎧纏い正に山の如く

 

 四節もの詠唱を一息に言い切る。

 響く言葉は、翼の心象を表す言葉。普通にシンフォギアを纏っている時に歌っていた歌詞にも含まれる翼の言葉。天ノ羽々斬に元の主と誤認させていた二節の詠唱とは違い、翼自身の詠唱だ。

 姿を変えていた天ノ羽々斬が再び刀の形に戻る。同時に、ただでさえ少ない鎧と呼べる部分である二の腕と太腿の鎧が弾け飛んだ。

 激痛が体内を襲っているはずなのに、翼は静かに閉じていた眼を開いた。その眼は充血によってか赤く染まっている。

 赤く、朱く、紅く——彼女とは正反対の色。

 翼は静かに一歩、右足だけ動かした。その身を覆い立ち上る蒼いオーラも、ゆらり、と揺れる。

 水飛沫が消え、姿を見せたアーサーに、ややあって翼は、口を開いた。

 

「——参る」

 

 瞬間、アーサーが何もない所へエクスカリバーを振るった。

 

  —戟ッ!

 

 なのに、その音はしっかりと響き渡った。

 そこには、刀を振り下ろした翼の姿。一息では届かない距離を詰めて、翼はアーサーに迫っていた。

 

  —閃ッ!

 

「ッ……まさか、これほどまでに速度を上げてくるか」

 

 聖剣で防いだアーサー。だが、その表情は今までのような穏やかなものではない。

 彼のこめかみから顎へ一筋の水が流れ落ちる。それが冷や汗なのか、海水なのか、彼自身でも分からなかった。

 

「ハハ……まさか女性と死合いまで発展するとは。我が騎士達が知ったら、驚くであろうな」

 

 かつて、アーサーはほぼ無敵の騎士だった。

 即位当時は誰も彼に勝つ事は敵わなかった。円卓の騎士として選ばれた騎士も、アーサーに勝つ事ができたのはほんの一握り。

 それが、たった今、一人の少女が、騎士王を追いつめているのだ。

 

  —閃ッ!

  —戟ッ!

 

 刀と剣がぶつかり、甲高い音が響き渡る。

 今度こそ、海がヘコんだ。衝撃の余波だけで、二人が立つ場所から半径五メートルの海が陥没したのだ。

 

  —裂ッ!

  —轟ッ!

 

 そこだけは、さながら小さな台風。翼とアーサーが台風の目となり、周囲が刃の風で吹き荒ぶ。

 相手の一撃を躱し、防ぎ、得物を振るう。互いに一つの剣舞となり、海の上で斬り結ぶ。

 騎士王相手に拮抗している——もし二人の剣舞を見ている者がいたら、そう思うだろう。だが、実際の所は——

 

  —疾ッ!

  —斬ッ!

 

「くっ……!」

 

  —疾ッ!

  —斬ッ!

 

「くぅ……っ! ここまで速くなるかッ!」

 

 徐々に、しかし確実に翼が押し始めていた。

 音も予備動作もなく移動し、アーサーの死角から斬り込む翼に、アーサーがコンマ数秒遅れて反応し苛烈な一撃を防ぐ。

 これの繰り返しだが、僅かコンマ数秒の遅れがアーサーを劣勢に追い込んでいた。

 

(まだ、まだ加速するか……!)

 

 天ノ羽々斬のシンフォギアは機動性に優れている事は、鏡華の記憶から識っている。だが、ここまで加速するとは予想もしなかった。

 流石のアーサーも驚きながら、死角からの一撃を全て弾き返す。それでもなお、翼は神速とも呼んでも過言ではない速度で死角に入り、天ノ羽々斬を振るう。

 

  —斬ッ!

 

 加速。また加速。

 次第にアーサーの眼に、翼の姿はブレ始め、いつしか彼女の姿自体見えなくなる。唯一、充血し紅に染まった瞳と蒼いオーラの描く軌跡と騎士としてのカンだけで剣舞を防いでいく。

 気付けば、アーサーはその場から動けなくなっていた。翼の速度がオーラの残像を残し、いつしかアーサーを覆う結界のようになっている。

 

「っぅ、おおっ——!」

 

 ここでアーサーは己が失策に気付いた。生前であれば、“こう云う”敵の場合、盾なり槍なり使って、相手の行動を阻害していた。にも関わらず、彼女との決闘ではほぼ聖剣しか使っていない。相手の戦闘スタイル、武装、シンフォギアのタイプを理解した上で判断したのだ。

 ——成長はすれど、聖剣で対応できる。

 そして、その判断は見事に外れ——追い詰められていた。

 

  —閃ッ!

  —戟ッ!

 

「ッ——!」

 

 度重なる連撃についにアーサーの手から聖剣が弾き飛ばされる。通常であればすぐに具現化すれば問題ない。

 だが、今回は相手が速さに特化した翼だった。

 

「風鳴らせ刃、輪を結べッ! 火翼以て斬り荒べッ!!」

 

 アーサーが気付く前に、彼を覆っていた結界のような蒼いオーラの残像が色を変える。

 蒼から——緋色へと。

 そして、数秒か数十秒か。剣戟の間、捉えきれなかった翼の姿をようやく見る事ができた。

 二刀の柄を合わせ、炎を纏った天ノ羽々斬を構えている翼。充血しすぎて血涙を流し、更に口や身体のあちこちから流血している翼。だが、その瞳はまったく揺らいでいなかった。

 それを見て、アーサーは確信した。

 

「ああ——私が、負けるか」

 

 何かしらを具現化する事はできる。だが、その前に翼の刃が確実に身体を斬り裂くだろう。

 内包結界を使えば、確実に躱せる。だが、騎士であるアーサーはそんな卑怯な真似はできなかった。

 そしてついに、

 

  ——風輪火斬——

 

   —斬ッ!

 

 決着が、ついた。



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅤ

「未来……皆……」

 

 二課仮説本部内で、響はモニターに映る仲間の事を見ているだけしかできなかった。シンフォギアを纏えない響は戦う事ができない。藤尭や友里のようにオペレーターをする事もできない。だから、モニター越しに翼やクリス達を応援、祈る事しかできない。

 

「……天ノ羽々斬はどうなってるっ!」

 

 そんな響に、弦十郎は声を掛ける事もできず、藤尭と友里に向かって叫ぶ。

 二人の手元のモニターには、翼の身体情報と天ノ羽々斬の情報がいくつものモニターになって現れては消えていく。

 

「天ノ羽々斬、依然、解除が止まる兆しが見えません! ——ッ、ロック解除、百万を超えましたっ!」

「翼さんが戦闘の途中で詠唱する詩がギアのロックを解除しているようですっ! でも、こんな速度で解除していくなんて……!」

「ぼやかない!」

「分かってるよっ!」

 

 会話をしながらも視線はモニターから一切動いていない友里と藤尭。

 響はモニターに映る“翼の反応がする”場所を見た。モニターは二人を映しているのだろう。だが、二人の速度が速すぎてモニターでもはっきりと映し出す事はできていない。

 クリスは海域に放たれた大量のノイズを一人で駆逐している。いくら倒すのが容易なノイズだろうと、対応しているのがクリス一人では、すぐには全滅できないし、クリスも疲労してくる。

 ヴァンは切歌と戦っている。ヴァンの様子を見ていると、切歌を倒すと云うより自分に引きつけて時間稼ぎをしているように見えた。別モニターには調を抱えて海を走る緒川がいるので、多分そちらへ行かないようにだろう。

 奏は甲板から移動して海上へ場所を移したが、移動した海上からは一歩も動いていない。フュリと名乗ったもう一人の奏と槍を突き合わせ、火花を散らしていた。

 そして、未来は——

 

「未来……」

「なら、お前が助けるか?」

「へ……?」

 

 自分の呟きに反応してくれた人がいた事に驚く。

 振り向こうとした瞬間、後ろから抱き締められるように拘束された。

 

「へあっ!?」

 

 変な叫び声を上げてしまったが、それを笑う者は誰もいない。むしろ響の叫び声に弦十朗達が今気付いたかのように振り向いて驚いていた。

 

「き、鏡華ッ!?」

「鏡華さん?」

「オレからしてみれば久し振り、と云うべきだな。だが、残念ながらオレはオッシアだ、アイツと間違えるな」

 

 後ろから拘束されている響からは拘束している人物の顔は見えない。だが、こんな時、鏡華であればうっすらと笑っているだろうな、とは思う。

 ゆっくりと立ち上がる弦十朗。その拳は硬く握り締められている。

 

「……響君をどうするつもりだ? 鏡華」

「だから——」

「どっちも一緒なんだ、二人同時にいないならどう呼ぼうと変わらんだろうが」

「ちっ……相変わらず、アンタはアンタだよ」

 

 ククッ、とオッシアは敵陣にいるにも関わらず、不敵に笑う。

 

「ちょっとデートのお誘いにな」

「この浮気者が」

「ハッ、残念な子に惚れるなんざ百年経ってもありえねぇよ」

 

 なにそれひどい、といつもの調子でツッコミを入れてしまいそうになる響。

 だが、オッシアの次の一言で空気は一瞬で引き締まる。

 

「立花響。小日向未来を助けられると言ったら、お前は戦うか?」

「ッ……! どう云う事ですか!?」

「言葉のままだ。お前に戦う意思があるのなら、ほんの少しだが知恵を授けてやる」

 

 すぐに頷こうとした響だが、口を開く直前にふと気付く。何故、敵対しているはずのオッシアがここまで手助けするのだろうか。もし、鏡華がこう云う風に誘いを掛けた時は決まって——何かあった。

 

「……何が目的ですか?」

「おや? すぐに信じて頷くと思っていたが」

「鏡華さん相手だと疑り深くなってしまったので」

「クク、確かにな。確かに目的はあるが、別に大したものじゃない。——契約だよ、オレと誰かのな」

「そうですか。なら信じます」

「響君!?」

 

 弦十郎は驚いていたが、響はオッシアの言葉で契約と云う単語で信じると決めた。

 契約とは謂わば約束の事だ。そして、鏡華は約束だけは決して破らない。オッシアも遠見鏡華なら契約を破る事はないだろう。そしてF.I.S.に属して未来に関連する契約をする人物なんて一人しかいない。

 

「それで知恵ってのはなんですか?」

神獣鏡(シェンショウジン)は聖遺物でありながら聖遺物殺しと云う希有な特性を持つ。対ノイズだけでなく対シンフォギアも可能な最凶のシンフォギア。それを強制的に解除するにはどうすればいいと思う?」

「聖遺物殺し……ッ、それって」

「おっ、日頃残念と云われているが頭は回るようだな。そう——神獣鏡(シェンショウジン)の攻撃をぶつけてやればいい」

「それを私が……?」

「さあ、どうする? やり方は教えないが、お前次第ではオレの契約も達成するんだが」

「やりますっ! でもまずは離れてください!」

 

 その言葉が聞きたかったのか、オッシアはあっさりと響を離した。

 若干よろめいてた響だが一歩で立て直し、弦十郎に視線を向ける。

 

「師匠! 私に出撃許可をください! 死んでも成功させてみせます!」

「ッ、死んでも成功なんて許さんッ!」

「じゃあ死んでも生きて成功させます! それは——絶対に絶対ですッ!!」

「くっ——藤尭!」

「もう計測終わりました! 響さんの活動限界はおよそ七分四十一秒です!」

「この限られた時間内で成功させる勝算はあるのか!?」

「思いつきを数字で語れるかよッ!!」

 

 それは以前、弦十郎が了子に言った言葉だった。

 まさか自分の言った言葉を言い返されるとは思わず、言葉に詰まる弦十朗に、響はにやりと笑った。

 

「鏡華さん! 未来がいる場所に案内してください!」

「どいつもこいつも……まあいい。先に準備しろ、すぐに送る」

「はいっ!」

 

 司令室から出て行く響を見送りながら、オッシアは深く溜め息を吐いた。

 そして、

 

  —撃ッ!

 

 その頬に拳が打ち込まれた。

 打ち込んだのは弦十朗。

 

「俺にできるのはこの一発だけだ。さっさと自分のやりたい事を終わらせてこい馬鹿息子」

「クク、親の愛の拳ってか? お優しいこって」

 

 オッシアは打ち込まれたにも関わらず——否、打ち込まれてはいるが、それはオッシアの頬に届いていなかった。頬の前で白い泡のようなオーラが彼を守るように具現していた。

 

「だが、オレには届かんよ。打ち込むなら、本物にやれ」

「さっきも言っただろ、どっちも一緒なんだ」

 

 拳を引いた弦十朗の言葉に、オッシアは嫌そうに顔を歪めると、刹那にその姿を暗ませるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

『今から言う事を聞け。ちなみにオレはオッシアだ』

 

 ウェルが話し掛けてきた時、頭の中で聞こえてきたブラック鏡華もといオッシアの声。

 未来は神獣鏡(シェンショウジン)を纏って移動しながら思い出していた。

 

『ウェル……今お前に話し掛けている男がいるだろう。そいつは甘い言葉でお前に何かを提案してくる。恐らくそれはギア関連だとは思うが、一先ずその案に乗れ』

 

 オッシアの言葉に重なって、ウェルの言葉を聞き逃しそうだった未来は気付かれないように二人の話を聞けるように頑張った。

 確かにウェルは甘く、優しい言葉をこちらに投げ掛けてシンフォギアを差し出してきた。未来は考える仕草を見せてから、オッシアの言った通り、ウェルの誘いに乗った。

 その日から液体の入ったカプセルに入れられ、シンフォギアに適合できるよう調整された。ただ、不思議とそれだけで変な事はされなかった。後から聞けば、ウェルは脳にダイレクトフィードバックするプログラムを埋め込もうとしたらしいが、それは日向とオッシア、それとマリアが止めてくれたようだ。

 そう云えば、待遇も決して悪くはなかった。カプセルに移動する以外は牢の中だったが、食事は三食出たし、マリアや日向、ごくまれに見た目年下の女の子——マリアから切歌と調と聞いた——とも話して然程退屈はしなかった。

 閑話休題。

 ただ、夜になり誰もが寝静まった頃になると決まってオッシアが現れた。そこで今後の目的を聞いたり、どう動くか命令されたり、大切な事を教えてもらった。

 失敗はできない。失敗すれば、全てが終わる。自分は壊れるまでウェルの道具にされ、響は——死ぬ。例え一つ成功しても、最後まで上手くいかなければ、ウェルに用済みと処分される。

 そんなのは絶対にごめんだ。だからこそ未来は戦場に立った。

 

「——未来ッ!」

 

 意識を内から外へ戻すと、海面へ出た二課の仮説本部の上に響が立っていた。

 どうやら、ここまでの予定は順調のようだ。

 

「一緒に帰ろう! 未来ッ!」

「帰れないよ。私にはやらなきゃいけない事があるから」

「やらなきゃいけない事?」

 

 ウェルが誘いを掛けた時に言った言葉、こちらを懐柔しようと言ってきた言葉を未来は口にする。

 このギアが放つ輝きは、新しい世界を照らし出すんだと。

 そこには争いもなく誰もが穏やかに笑って暮らせる世界なんだよ、と。

 

「私は響に戦ってほしくない。だから、戦わなくて済む世界を作るの」

 

 前者はまぎれもない本心。後者はまぎれもない嘘っぱち。

 ごちゃごちゃに混ざり、絡み合い、どれが本当なのか。どれが嘘なのか、自分でも分からないようにする。

 もちろん、これで響が諦めるとは思っていない。予想通りだし、響の性格上当然だ。

 だから、歌う前に言える事は言っておく。

 

「ねえ響。今この戦いは、人助け?」

「そうだよ。未来を助けるために戦う」

「でも、私はそれを望んでない。助けてほしいとは思ってないし、むしろ邪魔しないでって思ってる。それでも響は戦うの? これはもう人助けじゃないのに」

 

 我ながら意地の悪い問い掛けだ、と、未来は自分の発言に腹が立った。

 響が戦うのは、ノイズから人々を助ける事ができる——誰かの助けになるからが理由だと云うのは本人から聞いた事があった。でも、今回は響の人助けを真っ向から否定した。

 本来ならこんな事を言うべきではない。言ったら響が戦えなくなるかもしれない。それでも未来は聞いておきたかった。響の口から——響の言葉で。

 

「……そうだね」

 

 そう言って、響は笑った。

 いつもと変わらない、苦笑いのような笑み。それでもその眼はまっすぐに未来を見据えていた。

 

「戦うよ未来。繋ぎ合う事を拒んでいても、人助けじゃなくても——戦って(ぶつかって)でも、繋がりたいんだ!」

 

  —輝ッ!

 

 自分の思いを叫び、聖詠を唱った響。

 防護服を展開した途端、響の身体が急激に熱を発し始める。侵蝕限界(タイムリミット)がどれくらいなのかは分からないが、それでも早急に終わらせなければいけない。

 

『立花響の活動限界は七分四十一秒だ。その間にケリをつけろ』

(ありがとうございます——ブラック鏡華さん)

 

 念話は使えなくても、未来は胸の内で礼を言いながら、バイザーで眼を覆い隠す。扇型の武器を取り出し、艦艇から飛び出した。響も二課から跳躍し、二人は空中で激突した。

 

  —撃ッ!

 

 扇と拳がぶつかり合う。

 未来は脚部のホバーを使い空中に浮き続け扇を振るう。一方、響は脚部のパワージャッキを使い転換、腰のバーニアも併用して、その場で回し蹴りを放つ。

 

  —撃ッ!

 

 落下しないよう蹴りを放った逆の足でパワージャッキを使用。インパクトハイクを用いて衝撃波で“空気を蹴り込み空中に停滞する”。もちろん一発のインパクトハイクで浮かんでいられる時間はごく僅か。その僅かな時間で、響は拳を打ち込む。

 

  —撃ッ!

 

 打ち込まれた拳を扇で防ぎ、振るい返す。拳とぶつかり鈍い音が響く。

 上段からの一撃を浴びせ、防いだ響を哨戒艦艇へ叩き落とす。

 ギシッと嫌な音が走りバイザー内で顔を顰める。

 

(やっぱりブラック鏡華さんの言う通りダイレクトフィードバックがないから害は少ないけど、上手く動かせない)

 

 元々、神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアにはウェルの手によって、脳にダイレクトフィードバックしてあらかじめプログラムされたバトルパターンを実行させるシステムが備わっていた。だが、それは撤去され、今は奏者の動きが全てに繋がる。

 扇を使っての近接戦やホバーによる空中移動は慣れた。だが、ミラーを使う攻撃はどうしても一拍遅れてしまう。どうしても自分のではないシンフォギアは動かしにくかった。

 

  ——煉獄——

 

 円形の鏡を複数空中に散布し、周りへ散らす。その一つ一つからレーザーが放たれる。それを響は、インパクトハイクを使って躱しながら駆け上がってきた。

 

  ——閃光——

 

 扇を広げレーザーを放つ。響は全てを躱すが、別に構わない。

 躱されたレーザーは全て先に空中へ散らした丸鏡に命中し——反射した。

 

「んっ、くっ!」

 

 身体を捻ってレーザーを躱し、インパクトハイクでその場から飛び出す。未来よりも高い位置まで上昇して、腕部ユニットをオーバースライドさせ、上に向けて撃つ。衝撃で落下を早め、未来に向かって踵落としを放つ。

 扇で踵落としを威力が付いていない振り抜かれる前に防ぎ、ホバーで下半身を上に上げ蹴りを放つ。それを響は腕部ユニットで防ぎ、弾き飛ばす。インパクトハイクで逆上がりのように全身を回し、足が下、頭が上の元の体勢に戻った瞬間に腰のブーストで未来に迫る。

 

  ——撃ッ!——

 

「くぅぅ……ッ!」

 

 振りかぶった拳の一撃。何度も戦場を通して鍛えられてきた一撃が未来の扇に直撃する。完璧に防ぎホバーを使って後退しないようにした。

 だが、響の拳はとても重かった。戦いの中で強くなっていったのかもしれない。だけど、それ以上に——想い(おもい)

 

(だけど、負けられない)

 

 勝てなくても負けられない。

 ちらりと響の背後を見上げる。光の線が規則的な軌道を描いている。アレを響も確認していた。

 オッシアの言葉通りに周りも事が動いている。

 後は自分達だけ。上手く行くかは全てこの戦闘に掛かっているのだ。

 高度を下げて、火の手が上がる艦艇に二人で降り立つ。

 しかし——

 

「二人がケンカしてるなんて珍しいね」

「……え?」

 

 想定外の事態は何事にも付きまとっている。

 彼女にとってはそうであっても、他の人には予想通りなのもまた然り。

 

「でも、そろそろ止めさせてもらうよ」

「ひゅ、ひゅー君……」

 

 艦艇にはいつの間にか、ギアを纏った日向が立っていた。ただそのギアは以前のような鎧ではない。響達、奏者の防護服と同じような鎧部分の少ない軽武装に変化していた。そのおかげで彼の顔も露出している。

 響は驚いているようだが、未来は驚くよりも焦っていた。

 

(日向が来るなんて聞いてない……ブラック鏡華さんの嘘つき)

 

 オッシアから、響との戦闘は二人だけで行う。日向はギアを纏うにはまだ体調が万全じゃないと言われていたのだ。

 それがまさかこの大事な時に嘘をつかれるとは——流石はブラックだ、お腹も黒い。

 

「……邪魔するなら、日向が相手でも剥ぐよ」

「いや何を……本当に未来ちゃん、黒くなったね」

「遠見先生のせいだ、遠見先生許さず」

「二人共、きるゆー」

 

 そう言って、未来はバイザー越しに二人を睨みながら突撃した。

 響は自身の発する熱に顔を顰めながら構え、少し離れた所にいた日向も響と未来に向かって駆け出す。

 三つ巴の戦いが終わるまで残り——三分と五秒。

 ここでの戦いが終わるまで残り——



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Fine9 未来、日向に立つ花よⅥ

 やっと更新できました。
 忙しくてほとんど時間が取れませんね。誰だ、三期終わる前に二期終わらせたいって言っていた奴は。はい、紛う事なく私です。
 三期終了までに本作を完結するのは無理になりそうです、申し訳ありません。

 それではどうぞ。


「——何故、止めた?」

 

 静かな海上。先ほどまで斬撃の嵐が吹き荒れていた場所は、今はそんな痕跡を一切残さずに元の静寂を取り戻していた。もちろん、周りからは未だ戦闘音が聞こえてくる。

 

「何故、止めた?」

 

 再度、アーサーが身動きせず問い掛けた。

 海面に立つアーサーと翼。全身から血を流し荒い息を吐きながら立つ翼。反面、既に呼吸を整えて平然と立つアーサー。

 

「……、……、……」

 

 血涙を拭おうとせず、翼は荒い息のまま答える。

 

「……、愛する者を斬り捨てる事など、できるものか」

 

 彼女が握る天ノ羽々斬。その刃は首元でピタリと止められていた。彼女の身体は痛みで震えていたが、天ノ羽々斬だけは固定されているかのように動かない——動かさない。

 

「この身体が果てる事はない。それを知っていてもか」

「知っていても、です」

「……私には分からないな。愛と云うものは」

「……。誓約(うけい)——彼の心清く明し。故れ、彼の生める子は、手弱女を得つ」

 

 穏やかな口調で呟いたアーサー。その眼が自分を映していないと、翼は気付いた。

 天ノ羽々斬を引き、詠唱を歌い再び天ノ羽々斬のロックを閉じていく。身体中の痛みと徐々に治っていく感覚を覚えながら、翼は以前書物で見たアーサーの記録を思い出していた。

 アーサー・ペンドラゴンには妻がいた。妻の名前はギネヴィア。アーサーがまだ王に即位し後ろ盾が必要だった若い頃に婚約したらしい。

 だが、彼らの間に愛情が芽生えたのかは分からない。もしかしたら、そんな感情はなかったのかもしれない。

 何故ならギネヴィアはその後、偶然に出会った円卓の騎士の一人に一目惚れしてしまったのだ。騎士も彼女を愛し、二人はすぐに不倫関係になってしまった。

 そしてその関係が、アーサーを、騎士国を滅びに至らせてしまう。

 当時は他国との関係を結んだり強固にすると云った理由で政略結婚させていたのは知っている。だけど、いくら政略結婚だったとしても愛を育む事はできるはずだ。

 

「……くっ……そろそろ限界、だな」

 

 身体を襲う痛みが回復より強くなり、立っていられなくなる翼。よろけ、ギアが解除されながら倒れていく。その手に持つ刀は具現化したまま。

 アーサーがその身体を抱きとめる。

 

「慢心していたとは云え、よくぞ私を超えた。今はもう休め」

「……」

「眼が覚めた時には鏡華が戻っているだろう。そこで自慢してやれ、騎士王に勝ったと」

「あな、たは……」

「私は鞘に戻る。が、こうして私と云う記憶が表に出る事はもう二度とないだろう。なに、未練はない。数日であったが、様々な事を見て、聞いて、味わう事ができたのだ。満足だ」

「……なら、私から……ひとつ」

 

 今にも眠りそうな眼を閉じてしまわないよう、全力で身体に抵抗しながら翼は言葉を紡ぐ。

 

「あなたは愛を知らないんじゃない。“愛し方”を知らなかっただけだ」

「……!」

 

 戦いに明け暮れていた。

 婚約も後ろ盾を得るためのもの。

 教養も武芸も秀でていた。

 だけど、愛し方は知らなかった。

 誰にも教わらなかったし、誰も教えてくれなかった。

 翼の言葉に、アーサーはわずかに眼を開き、そして優しく、悔しそうに微笑んだ。

 

「そうかもしれぬな。そうか、私は愛し方を知らないだけだったのか。ハハッ、本当に時代は変わった。同じ騎士でも、高名な先達でもない、どこにでもいる娘に指摘されるとは……否、心は、感情は、どんなに時が移ろいでも変わるものではない」

「……」

「娘よ、どうしてくれる。未練ができてしまったではないか。……いつもそうだ、私はいつも大事な事に気付くのが遅い」

 

 翼はもう何も答えない。

 そこに響くのはアーサーの乾いた笑い声のみ。

 いつしかそれも聞こえなくなり、次に聞こえたのは、

 

「————ああ、分かってるよ。俺の手が届くなら護ってみせるさ」

 

 彼の声。

 抱きとめた腕に力が込められる。

 

「ありがとう、さよならだ——■■■■」

 

 意識を手放した翼を抱き上げ、彼は海を走り出す。彼が最後に呟いた言葉を掻き消して。

 向かう先は——助けを求める彼女の許。小さく聞こえる悲鳴の声は、“奴の記憶で理解していた”。

 彼と、自分と交わした約束のために——遠見鏡華は再びその足で駆ける。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  —撃ッ!

 

 一歩早かった日向の拳を、拳で迎撃し弾いて、未来の扇の一閃を紙一重で躱す。

 段々と熱く、痛み出してくる胸の痛みに顔を顰めるが、響は苦しんでられなかった。未来だけでなく日向まで乱入してきて戦いを始めるなんて予想外もいい所だ。

 

「ひゅー君! 身体はもう平気なのッ!?」

「ご覧のッ、通りさッ!」

 

 言葉を交わしながら放たれる拳や蹴り。そのどれもが疾くて重い。完治したかどうかは分からないが、だいぶ良くなっているのは確かだ。だが、翼でさえ完治まで一月近く掛かったのだ、完治だけはしていないだろう。

 

「日向だけを見ていると危ないよ、響ッ!」

 

  ——閃光——

 

  —煌ッ!

  —閃ッ!

 

 扇から放たれるレーザーを躱す。日向も身体を右へ半歩移動して避ける。

 飛び上がり空中に浮かび上がる未来を追って日向も跳ぶ。頂点まで到達した瞬間に空中を“蹴った”。何もないはずなのに日向の身体は、地面を蹴ったかのように更に跳び上がった。そのまま未来に辿り着き拳打を叩き込む。

 

  —撃ッ!

 

 振るった扇で拳を弾き、至近距離から《閃光》を放つ。

 未来もLiNKERで無理矢理仕立てられた急拵えの奏者だとオッシアから聞いた。なら身体に掛かる負担がないわけではないはず。

 ただ——

 

「日向、そこ邪魔! 響が躱せちゃったじゃない!」

「未来ちゃんこそ素人なんだから引っ込んでてよ!」

「そっちが勝手に奏者にしたんでしょ!」

「勝手にウェルに乗ったのは君じゃないか!」

「日向の馬鹿!」

「未来ちゃんのアホッ!」

 

  —撃ッ!

  —轟ッ!

 

 どう考えても、自分よりも他に対する攻撃が苛烈なような気がしてならない響。

 と云うか、未来も日向も怒鳴って悪口言うなんて初めて見たような。

 

(この隙に……ってのは無理だけど、どうにか未来を抱き締める事ができればッ!)

 

 甲板で二人の戦いを見ていた響は片足を後ろへ引く。腰を落とし膝を屈めながらパワージャッキを限界まで引き伸ばし、

 

  —撃ッ!

 

 パワージャッキの撃鉄に合わせて跳び上がる。空中を疾駆している間に両腕のアームユニットもオーバースライドさせて、二人との距離が手が届くまで近付くと同時に、

 

「私も——混ぜろぉオオッ!!」

 

  —撃ッ!

 

 未来と日向を引き離すように拳を二人に打ち込み吹き飛ばす。

 体勢を整えられる前にインパクトハイクで日向を置き去りに未来を追い掛けた。身体の内側から何かが食い破って出てきそうな痛みに叫びそうになるのを、腕を振りかぶりながら吠える事で代用する。

 

  —撃ッ!

  —轟ッ!

 

 反撃させない怒濤のラッシュ。

 防がれるのを前提で打ち込んでいく。扇で防ぐのが間に合わず身体に当たる一撃は、打ち込む直前に掌底に切り替えてダメージを減らす。

 

「このままッ!」

「ぁうっ——……響にも嫉妬の気持ちがある、みたいッ」

「何のっ、話ッ!?」

「さぁて……後ろからくるよ響ッ」

「ッ——ごめん未来ッ!」

 

  —蹴ッ!

 

 未来の言葉に謝罪を返して、インパクトハイクで加速させた蹴りを叩き込む。

 防いだかどうか確認する暇もなく、響は蹴りに使った足でそのままインパクトハイクを使用。その場で前転するかのように身体全体で回り、踵を振り落ろした。

 

  —撃ッ!

  —轟ッ!

  —震ッ!

 

 放たれた拳撃とぶつかり合い、すさまじい音と共に空気を震わせる。

 互いに振り抜けずに一歩下がり、引いた足で空気を蹴り飛ばす。

 

  —打ッ!

  —打・打・打・打・打打打打打打ッ!

 

 拳と拳の応酬。

 攻撃の一撃が防御となり、防御の一手が攻撃へと目紛しく変化していく。

 防がなかった拳を身体に受けるが、日向は当然の事響も一歩も退かずに——むしろ前へと進んでいく。

 そして、数秒の、されど数えきれない拳打の末——

 

「うぐっ——うぁあがあああぁああッッ!!!」

 

 この連撃を制したのは誰でもなかった。

 振りかぶった一撃を響が放とうとした瞬間、響の全身から黄金の結晶のような物が飛び出してきたのだ。

 流石の日向も想像していなかった事態に拳が止まる。

 

『響ちゃんのタイムリミット、まもなく危険域に突入しますッ!』

「ああぁあああッ——ァァあアアぁアあああッ!!」

 

 これまでとは比較にならない痛みに響は絶叫を上げる。

 いつもであれば、ここで気を失ってもおかしくない。それでも今は、今だけは気を失うわけにいかない。

 動きを止めた日向の懐に入り、全身全霊で拳をぶちこむ!

 

  —撃ッ!

 

「ごぼっ!?」

 

 一切の防御行動を取らなかった日向はなす術無く吹き飛ばされる。

 響は膝が折れそうになるのを必死に押し殺し、脚部のパワージャッキを引き絞り両腕もオーバースライドさせ、打ち放つ。

 その速度は日向を追い抜き、蹴り飛ばした未来を身体全体で掴まえた。

 

「掴まえた! もう離さないッ!」

「……うん、掴まった。私も離さない」

「こうなる事、予想してたでしょ? 未来」

「日向が出てくる以外は」

「ぐっ……たはは、未来には敵わないなぁ」

「色んな人に協力してもらったからね。それと……」

 

 抱き締められた未来は響の脇の下から両腕を突き出し、腕に付いた帯を伸ばした。

 帯が伸びた先には響に吹き飛ばされていた日向が。帯は日向を拘束すると縮んでいき、

 

「先に言っておくね。響は日向の事、男の子として好きなんだよ?」

「……うぐっ?」

「こっから先は自分で判断」

 

 引っぱりこんだ日向を、未来と響で抱きとめる。

 

「はい、これで昔の私達」

「……はは、本当に二人には敵わないな」

「でしょ。流石、私のお日様ッ!」

 

 自分の痛みなんか放り出し、三人は素直に笑い合う。

 くるくると抱き締め合いながら少しずつ落下していき、そして——

 

  —輝ッ!

 

 最後まで笑いながら、三人は閃光に呑み込まれた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  —輝ッ!

 

 一点に収束されていくレーザーが一つになって撃ち放たれたのを、ヴァンは切歌と相対しながら見ていた。

 切歌も攻撃の手を止めて、同じように見ている。

 そして、空中を飛んでいたレーザーは急に角度を九十度曲げて海へ落ちていく。遮蔽物も立ち塞がる者もいない状況で、レーザーは真っ直ぐに海へ吸い込まれていき、強烈な閃光と衝撃を生み出した。

 閃光が消えると同時に何かが海の中から浮上してくる。岩石かと思ったが、建造物のようでその規模はかなり巨大だった。

 一体何なのか、と推理しているヴァン。

 

  —パン

 

 そんな乾いた音と共に鈍い痛みが背中を伝う。

 何が、と呟く前に身体が硬直し、甲板に倒れ込む。

 切歌の驚く声が聞こえるが、そんな事にヴァンは構ってられなかった。痛みを無視して倒れたまま背後を見た。

 見て——眼を見開く。

 

「クリ、ス……?」

「……さよならだ」

 

 無表情で拳銃をヴァンへ向けるクリス。

 何かを言う前に、パンと乾いた音がヴァンの耳にやけに強く響いた。

 それ以上何も言えず、応える事ができず、ヴァンの意識は闇に沈んでいった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  —鈴ッ

 

「……——ぅぁ?」

 

 

 響いてくる音に、未来はゆっくりと眼を開いた。

 鈍い痛みが身体中から感じられる。ふらつく頭を振りながら、うつ伏せだった上体を起こす。

 

「……気付いたみたいだね、未来ちゃん」

「ひゅう、が……?」

 

 下から日向の声が聞こえ、見下ろす。

 日向は仰向けで未来の真下に倒れていた。どうやら気を失っている間、日向をクッション代わりにしていたようだ。視線をズラせば、ギアが解除された響も日向の腕を枕に気を失っている。一番疲労しているのは響だ、しばらくは目覚めないだろう。日向は持ち前の耐久力で耐えたが、未来自身は二人がレーザーとの壁になったので気付くのが早かっただけだ。

 

「ここは……」

「米国の哨戒艦艇。海に落ちなかったのは不幸中の幸い——または不幸中の不幸なのか」

「……どう云う事?」

「周り見てみなよ」

 

 日向の言葉に視線を周りへと移す。

 自分達の周りには——十や二十では済まされないノイズの群れが、ぐるりと囲んでいた。

 朦朧としていた意識が一気に覚醒する。

 

「ッ——!」

「どうやら、ウェルが発生させたみたいだ。相も変わらず、奴のこうした行動は早くて腹が立つよ」

「……敢えて聞くけど、突破する策はある?」

 

 響を起こさないように身体を起こし、立ち上がる日向。

 笑いながら「あるわけないよ」と言いながら、見回していく。

 

「ざっと見て五十じゃ数えたりないな。……僕らのシンフォギアは神獣鏡(シェンショウジン)の力で消滅した。ノイズに対して生身で対抗なんてできるわけがない——邪魔はできるけど」

 

 じりじりと囲いを狭めてくるノイズ。

 日向は臆する事なく構えを取った。

 

「僕が時間を稼ぐ。未来ちゃんはどんな方法でもいい、二課に連絡して」

「……」

「万が一、僕が倒れても諦めないで。死んでも二人は助けるから」

「うぅん、それは駄目」

 

 日向の意見を否定した未来は立ち上がり、日向よりも前に立つ。

 

「未来ちゃん……?」

「守るのは私の役目。日向は響のそばにいて」

「何を言ってッ!?」

 

 驚きの声を上げる日向に、未来は何も言わずに胸ポケットからずっと入れていたある物を取り出す。

 それは以前、クィーンオブミュージックで鏡華が彼女に渡したお守りだった。着ている服は煤などで汚れているだけなのに、お守りだけは所々が焦げている。

 

「響はいつも傷付きながら戦ってくれている。私はそんな響を守りたい。響が戦うなら——私は護るんだ!」

 

 F.I.S.で未来はオッシアに毎晩教えてもらった。

 目的を聞いたり、行動を命令されたり、大事な事を教えられた。

 そしてそれには、このお守りの事も教えられた。

 袋から中身を取り出す。取り出したのは、シンフォギアのペンダント。

 

「それは——!」

「——halten schützen Ochain tron」

 

  —輝ッ!

 

 ——ようやく理解した。

 輝きに包まれた未来は装いを新たに輝きから現れた。

 軽鎧に身を包み、その手に持つのは未来の身の丈よりも巨大な盾。四本の黄金角と四つの黄金の覆いが特徴の盾で、それ以外の武装はない。

 ——私の願い。護るためにどうしたいのか。このギアは初めから私の本当の気持ちに気付いて応えてくれていた。

 聖遺物のエネルギーに引き寄せられ、一気に飛び出すノイズ。先頭辺りは駆け出し、後方のノイズは槍へと変化して襲い掛かってくる。

 

「——〜♪」

 

  —叫ッ!

 

 未来が歌い始める。途端に手に持っていた盾が金切り声で叫び出し、四つに分裂して宙を疾る。滑るように盾は、未来を貫こうとするノイズの進行を妨げる。残り三つの盾も同様にノイズの前に立ち塞がるように空を舞う。

 それでもノイズは恐れを知らず、次々と襲い掛かる。

 

  —叫ッ!

 

 また盾が叫ぶ。

 一つだけでない、全ての盾が一斉に叫ぶ。

 

「ッ、分かってるッ!」

 

 未来は盾の叫びに応えるかのように更に強く歌う。

 共鳴していく叫びに盾が分裂していく。八つ、十六——更に増える!

 分裂していくごとに盾は小さくなっていき、最終的に大人の掌ぐらいのサイズになった時、盾の数は五十を軽く超えた。

 

  ——Fortissimo Shout——

 

 五十以上の盾による叫びの合唱。

 大音量の金切り声に日向は耳を塞ぎ、ノイズも無意識に何かを感じ取ったのか後ろへ下がっていく。

 

(このまま時間を稼げば……でも)

 

 ノイズは盾の発する叫び声に積極的に襲い掛かってこない。だが、未来は歌いながら、語尾に胸の内で「でも」と付けた。

 この叫びは敵だけでなく味方にも被害を及ぼしている。かく言う未来自身も耳が痛い。加えて、神獣鏡(シェンショウジン)を纏って戦場に出る前に打たれたLiNKERの効能がいつまで続くか分からないのだ。確かに適合率は正規適合者より低いものの多少高い数値を示していたのは知っている。だが、奏者となれるほどの適合率は出していない。故にシンフォギアを未来が纏うにはLiNKERが必要だった。

 ——ドクン、と。

 身体の中で何かが鼓動した。

 同時に全身を電流のような痛みが走る。思わず歌を中断して胸を抑える。

 

「制限時間……でも、まだッ」

 

 助けは来る。未来はそう信じていた。だから痛みを我慢して歌を奏でる。

 しかし、確実に盾の叫びと防御は弱くなっていた。後退していたノイズが再び攻め始めたのがその証拠。

 ノイズの攻撃を全て盾で防いでいくが、次第に崩されていく。

 盾が砕かれる前に少しずつ数を減らし大きさを元に戻していくが、出力が落ちていき完全に防ぐのが難しくなってきている。

 

「未来ちゃん!」

 

 甲板を《震脚》で砕き、蹴りや拳で吹き飛ばしノイズの行動を阻害する日向。未来のサポートに入るが、それでもそれは焼け石に水のものだった。

 痛みが限界を超え、とうとうギアが解除される。

 まだ助けはこない。

 未来は血涙を流す眼を閉じて叫んだ。

 

「助けて——私達を助けてくださいッ、鏡華さんッ!」

「ああ、任せろ」

 

  —斬ッ!

 

 短い返答と風を斬る音。

 それだけで未来は眼を開いた。

 目の前に立つのは、半透明の赫い何かを纏い、気を失った翼を横抱きに抱える——

 そして、未来が響と同じくらい好きな、大事な人。

 

「遅いですよ……鏡華さん」

「これでも急いだんだけどな、でも間に合って良かった」

 

 いつもと変わらない口調で笑う鏡華。

 それを聞いて、未来は響の方へ倒れ込むように意識を手放した。

 最後に鏡華の声を聞いて。

 

「二人を頼むぜ、音無後輩。こっからは——ただの蹂躙だ」



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Fine10 定め重なる運命の柩Ⅰ

 遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
 まさかGX終わるまで書けないとは思っていませんでした。

 遅くなりましたが、どうぞ。



運命は命を運ぶ人の道であり、人の生き方であり、
誰かと交わるための、終わりのない道標。
二重螺旋と絡み合い、歴史は創られていく。

Fine10 定め重なる運命の柩(デスティニー・アーク)

光と影、片翼と独翼、愛し合う者達。
その胸に、ぶつかる理由があるのなら——


 フロンティア——正式名称は鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)

 日本神話にて登場する、天翔ける船の名前で同時に一柱の神でもある。

 そも鳥之石楠船神とは、神産みの際に伊耶那岐(いざなぎ)伊耶那美(いざなみ)の間に生まれた神であり、鳥のように空を飛べるらしい。神名にある、石は船が強固である所から、楠は船の素材が腐食しにくい楠だったからと云われている。

 武御雷神の副神として出雲に降下したと神話には記され、日本書紀の一書では大己貴命(おおなむちのみこと)——分かりやすく云えば大黒天。七福神の一柱だ——の海の遊具にこの名称が記されてもいる。また、同書には大己貴命が御子神事代主命の意見を聞くために、使者として稲背脛命(いなせはぎのみこと)を鳥之石楠船神に乗せて遣わしたともある。

 鳥と船が結びつく理由としては、船と鳥の形の相似の説や、鳥も船も死者の霊魂を運ぶものである説、 古代人は航海の際、鳥を船上に積み込んでいたとする説など複数存在する。

 

「——で。あの馬鹿でかい遺跡の実態は分かったわけだが、肝心のF.I.S.の目論みは何だ?」

「さあ? 馬鹿でかい遺跡(フロンティア)使って世界救済とかは記憶にあったけど、それ以外はさっぱり」

 

  —打ッ!

 

 とぼけた口調の鏡華の脳天に、硬く握り締められた弦十郎の拳骨が落ちる。

 頭を抱える鏡華と盛大な音に、その場にいたほとんどのメンバーがうわぁ、と一歩引く。

 

「〜ッ()ぇ……旦那の拳骨は響くなぁ」

「本来は謹慎処分ぐらいの所を拳骨一発にしたんだ、ありがたく思っとけ」

「へーへー。多大なご迷惑と寛大な配慮に痛み入りますよー、いたた」

 

 メディカルルームの床でうずくまる鏡華に、弦十郎はやれやれと云った様子で溜め息に似た吐息を漏らす。

 

「そ、それより師匠。どうしても気になっちゃうんですけど」

 

 壁際に奏やヴァンと並ぶ響が指差した先には、鏡華の隣に正座して、刀として具現化している天ノ羽々斬を膝の上に置いている翼がいた。

 頭の上に大きな大きなたんこぶを作っていたが。

 

「翼さんの頭にある、大きなたんこぶは一体……」

「自業自得だ、まったく。説明は未来君の状態を確認してからゆっくりとしてもらうからな、翼」

「了解です」

「ところで翼さんや、旦那の拳骨のお味はどう?」

 

 頭を抱えたまま鏡華が問うと、

 

「……剣に涙は無用だ」

 

 薄目を開ける翼。ちょっぴり涙眼だった。

 痛いもんなぁ、と呟く鏡華に、翼は再び眼を閉じてこくこく頷いた。閉じた拍子で涙が頬を伝ったが何も言わない事にしてあげた。

 

「さて、馬鹿二人の説教も終わった所で、未来君の件だが」

 

 弦十郎の言葉を一歩後ろで控えていた友里が引き継いだ。

 未来に注入されていたLiNKERの洗浄は無事終了。ギアを纏った事による後遺症もなく、戦闘で負った怪我も大した事がないものばかりだったと報告していく。

 その報告に、響は自分の事のように喜び、未来に抱きつく。

 

「わっ、とと……響は? もう身体は大丈夫なの?」

「うん! 未来のおかげで胸のガングニールはなくなって、元の普通の身体に戻ったよ!」

「そっか……」

 

 よかった、と思う一方、未来は内心で悩む。

 胸に宿るガングニールを除去した事で、響が苦しむ事はなくなった。しかし、その代わりに響は戦う術を失った。

 戦う事がなくなったのは嬉しいが、響の人助けの心を考えると、どうしても諸手を挙げて喜べない。

 悩んでいると、弦十郎がそして、と言い、掌を差し出す。手にはギアのペンダントが乗せられている。

 

「未来君が新たに纏ったこのギア……説明してもらえるか?」

「あ、はい。そのシンフォギア——聖遺物の名前はオハンだと、ブラック鏡華さんが教えてくれました」

「ブラック……ああ、オッシアの方だな」

 

 全員の視線が鏡華の方へ向けられる。

 聖遺物関連の説明担当になってる気がしてならない鏡華だが、その事には触れず、オハンの説明を始める。

 

「アルスター伝説に登場するアルスターの王、クルフーアの持つ盾の事。四本の黄金の角と四つの黄金の覆いが付いた盾で、持ち主に危険が迫ると金切り声で叫び出すってのが一番の特徴だな」

「そう云えば鏡華さん。シンフォギアだと気付かない頃から鈴の音みたいな音がよく聞こえていたんですけど、あれは何だったんですか? それに鳴る時は自分の危険の時だけじゃなくて、大切な人の危機を知らせる事もありましたし」

「あー……鈴の音は聖遺物としての力が弱かったからじゃね。後者については学者じゃないから分かりません」

「……その口振りからして、未来君は前からこれを持っていたみたいだが、これをどこで手に入れたんだ?」

「クィーンオブミュージックの時に、鏡華さんから貰ったお守りに入ってました」

 

 じろり、と再び弦十郎の眼が鏡華をロックオンする。

 慌てて弁解する鏡華。

 

「待った待った! 俺だって中身がギアだったなんて知らなかったんだよ! 知ってたら流石に渡さねぇって」

「なら、これをどこで手に入れた?」

「櫻井教授から俺へ宛てた贈り物。手紙と一緒だった」

「物だったのなら知らせないか!」

 

  —ズゴンッ!

 

 頭に叩き落としたとは思えない鈍い音。

 悲鳴も上げられず床をのたうち回る鏡華に、まったくと弦十郎はまた溜め息を吐いた。

 

「これは一時的にこちらで預からせてもらう。後日、未来君に返却するが……」

「本当に、それこそ命の危険にならない限り使いません。ギアのままでも十分役に立ちますし、それに……私は戦う側じゃなくて、皆の居場所を護る側ですから」

 

 そこで奏を見て微笑む未来。

 元々、この考えに至らせる切っ掛けを作ったのは奏だ。奏が話してくれた言葉を自分なりに考えた結果がこれなのだ。

 笑みを向けられた奏は一瞬、きょとんとしていたが、すぐににやりと笑みを返した。

 

「確かにオハンは守る事に重きを置いているみたいだしな。あれ、アームドギアは盾だし、見た感じ攻撃手段持ってないしな」

「そう云う意味じゃないんですけど……まあ、そうですね。オハンに攻撃手段はありません。言えて、盾の叫びが攻撃とも言えない事もないですけど」

「あー、私聞いてなかったから、さっき映像見たけど、すっごくうるさかったよ。未来、よく耳塞がなくても平気だったね」

「平気じゃなかったけどね」

 

 正直、奏者である未来もうるさかったのだが、あの時はそんな事を言っている場合じゃなかった。

 未来の話が終わり、弦十郎はオハンをしまうと、さて、と今度は翼の方へ向いた。

 

「今度はお前の番だ、翼。時間はないが、先ほどの戦闘時について話せ」

「もう少しだけ待ってください。天ノ羽々斬がそろそろなので」

 

 そう言っている間に、膝に置いていた天ノ羽々斬が粒子となって消えていく。

 完全に消えると、翼はふぅ、と身体から力を抜くように息を吐いた。

 

「お待たせしました。強制解除は再ロックも時間が掛かるので」

「……その強制解除とは何だ?」

「文字通り、聖遺物の力を抑えているギアのロックを解除する荒技です。ちなみにこの技の大元は鏡華の発案です」

「鏡華ァッ!!」

 

  —撃ィッ!!

 

「うっぎゃぁああああ!?」

 

 もう拳の一撃ではない凄まじい音と衝撃は、確かに弦十朗の拳が落とされた鏡華の頭から響き渡る。喰らってから悲鳴を上げる鏡華。戦闘時にもこんな情けない悲鳴を上げた事はないはず。

 頭蓋骨割れたんじゃないか、と響はひぃっと悲鳴を上げながら考えてしまう。

 

「と、ととっ、遠見先生ィッ!?」

「いだいっ!? 痛い通り越して痒い! 死ねないけど死ぬっ!?」

「言ってる事、全然分かりませんよ!? それより傷は深いですよ! がっかりしてくださいーっ!」

「いや、まずは響が落ち着けって。鏡華なら大丈夫だし。ほら、服が汚れっぞー」

 

 頭部から噴水のように血が吹き上がる鏡華。

 慌てて駆け寄ろうとする響。

 鏡華よりも響の服を心配して、猫のように響を摘まみ上げる奏。

 ——何だろう、外は大変なのに。いつも通り過ぎる。

 呆れながら目の前の光景を見ながらそう思った未来は、すぐに堪えきれない笑みを漏らしてしまう。そんな未来を見て、響や奏、鏡華までも笑い出してしまう。

 笑わなかったのは翼とヴァン、大人組だけ。

 閑話休題。

 ある程度、緊張が解れた所で、翼が説明に入る。

 

「分かりやすく言えば、エクスドライブを一人でやるようなものです。ギアのロックを歌で強制解除して聖遺物の力を元来まで引き上げる……引き戻す、と云った方がいいですね」

「だが、エクスドライブには大量のフォニックゲインが必要だ。それはどうやった」

「言葉では説明できません。防人としてのカンで成功させましたから」

「……」

「当然ながら正規の解除方法ではないので代償はあります。解除している間や(ウタ)を重ねるごとに身体を激痛が襲いますが、アヴァロンの治癒でよほど詩を重ねない限り問題はありません」

 

 痛みがあるのに問題ないと言う翼に、弦十郎は問題大ありだ、と一番の溜め息と共に呟く。

 鏡華や奏もそうだが、アヴァロンを身に宿している者は痛みに対する感覚が鈍ってきている。ここ最近に身体に宿し始めた翼ならまだ大丈夫かと思っていたが、手遅れに近いかもしれない。

 一連の事件が終わったら一度、そこらへんに対する意識を再認識させないといけない、と弦十郎は固く胸に刻むのだった。

 

「……そう云えばクリスは?」

 

 翼の説明が終わり、事務的な報告も済んでから、未来はこの部屋にクリスがいない事に気付く。

 それを口にした途端、全員が眼を逸らしたり口を閉ざす。

 

「問題ない」

 

 誰よりも速く口を開いたのはヴァンだった。

 今まで口を開かなかったが、未来の言葉には、否、クリスと云う単語には即座に反応して閉じていた眼を開く。未来には、ヴァンの瞳の奥が酷く冷たく感じられた。

 

「ああ、問題ない。問題などありはしない」

 

 まるで自分に言い聞かせるように呟き、ヴァンは部屋を出て行く。

 彼が出て行った後、他のメンバーを見る。誰もが視線を逸らしたり言葉を濁すばかり。

 しばらく無言が続き、ようやく鏡華があのな、と呟いた時、

 

「実はーーッ?」

 

 唐突に言葉が切られた。

 未来が首を傾げているのを見る事もせず、片目を手で覆い俯く。

 

「……マジかよ。何で率先して面倒な事を増やすかね、オレって奴は」

 

 まるで何かに語りかけるようにぶつぶつと呟き、溜め息を吐く。

 顔を上げ話を戻すのかと思ったが、鏡華はいきなり空中に黒いローブのような物を出して身に纏う。フードを被れば、大きすぎるのか頭がすっぽり入りまったく見えなくなった。

 

「わり、話はまただ。ちょっくら行ってくる」

「どこへ行く気だ、鏡華」

「外だよ、旦那。安心しな、この前のようにどっか行くわけじゃない。ただの自分の尻拭いって奴さ」

 

 そう言った途端、姿を消す鏡華。

 何が何だか分からない未来や響達が困惑していると、突然大きな揺れが部屋全体を、否、二課全体を襲うのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 かつかつと海中から浮上したフロンティアの遺跡内部を歩く。

 その足音は五。それと駆動音が一。

 駆動音は当然の事、車椅子に乗るナスターシャ。足音はマリア、切歌、ウェル、オッシア、そして——

 

「本当に私達と一緒に戦うことが戦火の拡大を防げると信じているの? ——雪音クリス」

「信用されてねえんだな。ま、当たり前か。気に入らなければ鉄火場の最前線で戦うあたしを後ろから撃てばいい」

 

 先頭を歩くクリス。隣をオッシアが歩き、後ろにマリア、ウェル、ナスターシャ。最後尾を切歌が歩き、クリスに対する警戒を示している。

 それが分かっているクリスは、肩越しに背後を見ながら薄く笑う。

 

「それにそこの緑には言ったが、あたしは周りに未来の旦那と宣言してもいい男を撃って証明代わりにしたんだ。信頼はなくても道具程度には信用が欲しい所だな」

「もちろん、そのつもりですよ。道具程度には信用はしてあげますから」

 

 ウェルの言葉に、クリスはそいつはどーも、と返す。

 しばらく歩くと、縦に広い場所に出る。ナスターシャ曰く、ここがジェネレータールームらしい。石柱にはいかにも訳ありそうな球体が設置されている。ウェルは持っていたケースからネフィリムの心臓を取り出すと、その球体へ近付ける。ネフィリムの心臓は触れた瞬間吸い付くようにくっ付き、脈動を始めた。脈動に呼応するかのように球体は輝き始め、周りの水晶も光を灯していく。

 

「うぇっ、眩しいなぁ……」

 

 すると、水晶近くからそんな嫌そうな声が聞こえてきた。マリアと切歌はナスターシャの前に立ち、声の主を警戒する。

 オッシアは溜め息を吐き、声の主へ声を掛ける。

 

「眩しいなら出てこい、フュリ」

「だってー、ここで昼寝すんの気持ちいいんだよ」

「もう昼寝なんかできねぇよ馬鹿。いいから出てこい」

 

 不満そうにブツブツ言いながら水晶の影から出てくる声の主。長い髪を掻きながら出てきたのは天羽奏——否、天羽奏の感情体(ゲフュールノイド)であるフュリの方だった。

 一応、オッシアとフュリがここを隠れ家にしていたのは説明を受けた。だが、マリアと切歌はすぐには警戒を解く事はできなかった。

 

「おっ、デカパイ仲間のマリアとデス子がいるじゃん。おいーっす」

「デカ……ッ!?」

「デス子って、あたしの事デスか……?」

「……ん? あんれ、クリスもいるじゃん。きりしらも片方いないし、もしかしてトレードでもした? とにかくおいーっす!」

「おいーっす。あんたは相変わらずの独奏っぷりだな」

 

 フュリの言葉にマリアと切歌は戸惑い、元を知ってるために諦め口調でクリスは投げ遣りに言葉を返す。

 とは云え言葉は奏と変わらなくても、身体だけはだいぶ違っていた。身体と云うより——身体に纏っている物が。私服でもガングニールの防護服でもない、どちらかと云えばアヴァロンの防護服に似ている。だけど、どうしてかボロボロなのだ。所々にヒビが入り、一度でも攻撃を受けたら崩れてしまいそうなほどに。

 

「あなたがオッシアと同じ存在の天羽奏……」

「アンタが保護者? あんま変な所に連れてくなよ? 迷ったり、アタシがキレるかもしれねぇから」

「……こことブリッジ、制御室は入らせてもらいます」

「ん、そこらへんはいいよ。——リート、アタシは広間で天羽奏(アタシ)を待つけどアンタは?」

「後一つ済ませば契約は終了する。その後は、オレも眠りの間で奴を待つさ」

「そっか。じゃあ、ここでお別れになるかね」

「ああ、そうかもな」

 

 事務的に答えるオッシアに、フュリは何も文句を言わずに背を向ける。

 

「なら、さよならだリート。この二年間、怒ってばっかだったけどさ、リートがいてくれたおかげで、悪くない二年だったぜ」

「そうか……なあフュリ。オレはお前との約束を果たせたか?」

「果たせたよ、当たり前じゃないか。アタシはもう満足だ。だから……さ」

「ああ。終わらせよう……このクソッタレな運命を」

 

 オッシアの言葉に満足したのか。フュリは一つ頷くと、振り返る事なく光のない遺跡の奥へ歩いていった。

 その姿を最後まで見届けるオッシア。フードを深く被り深く息を吐き、

 

「さあ、始めようかF.I.S.の諸君? 人類救済の最終楽章をッ!」

 

 フードを脱いでそう叫ぶのだった。



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Fine10 定め重なる運命の柩Ⅱ

「あは、あははッ! いいですよ! 楽しすぎて眼鏡がずり落ちてしまいそうだぁ……!」

 

 案内されたブリッジの中央で、ウェルが高らかに笑うのをマリアは一抹の恐怖を感じながら見ていた。

 オッシアに案内されたブリッジ。そこでウェルは自身の腕にLiNKERを打ち込んだ。効果はすぐに現れ、腕がネフィリムのような異質なものに変わる。なのにウェルは変化した事に驚く事なく、むしろ喜んでいるようだった。それでフロンティアを動かし始めた。

 ウェルの言動が段々とおかしくなっている事には眼を瞑るが、それでも不安からは眼を逸らす事はできない。

 

(果たしてこれが人類を救済する道なの……?)

 

 もちろん否定したくない。否定してしまったら、これまでの自分のやってきた事が無駄と云う事になる。

 でも、それでも——

 

「おやぁ? またぞろときてるじゃないか。くふふ……っ、フロンティアの、いや、僕の力を知らしめるには恰好の相手ですね。そう思いませんか? マリア」

「……ッ、何を」

 

 悪い予感が頭だけでなく背筋まで汗のように伝う。

 まるで新しいおもちゃを手に入れた子どものように、ウェルは異形の腕でコントロールし何かを作動させた。操作していないマリアには何をしたのか分からない。

 そんなマリアのためなのか、球体の周りにモニターが現れる。モニターには浮かび上がったフロンティアに向かって砲撃を放つ米国の艦隊が映し出されている。

 何をした、と問う前に、艦隊が突然海から浮かび上がった。自力ではない、恐らく空へ浮かぶフロンティアの重力制御装置を使ったのだ。艦隊は浮かび上がり、何もできないまま——ヘコんでいき、爆散した。

 

「な……ッ!?」

 

 分かりやすく例えるなら、紙を手で丸め込み潰すと云った感じか。それぐらい簡単に、あっさりと艦隊はその数を減らした。

 ただ、マリアが驚いたのはそこじゃない。爆散した中に、明らかに民間のヘリが含まれていた事だった。

 

「ふふ、くふ、ふくく……ふくはははははッ! 手に入れたぞッ! 蹂躙する力ッ! これで僕も英雄になれるッ! この星のラスト・アクション・ヒーローだぁあッ!! いっやったああぁぁーーッッ!!!」

 

 なのにウェルは絶叫して喜びの声を上げている。

 そこまで英雄になりたいものなのか。マリアにはこれっぽっちも分からなかった。

 

「ふっふふふふ……。おっと? 行きがけの駄賃に月を引き寄せちゃいましたか?」

「月をッ!? まさかさっきの上昇で月の落下を早めたのか!?」

 

 そんな事は聞いていない。

 今思い出したように呟いたウェルを押しのけ、マリアは球体に触れる。

 

「救済の準備は何もできていない! これでは本当に人類は絶滅してしまうッ!!」

 

 だが、マリアが触れても球体は何も反応しない。むしろウェルが離れた途端に光が消えていっている。

 

「LiNKERが作用している限り、制御権は僕にあるのです。人類は絶滅なんてしませんよ、僕が生きている限りはね。これが僕の提唱する一番確実な人類の救済方法です」

「ッ……そんな事のために私は悪を背負ってきたわけではないッ!!」

 

 思わず叫びウェルに詰め寄る。

 ウェルはそんなマリアをあっさり払いのける。

 

「はん! ここで僕に手をかけても地球の余命があと僅かなのは変わらない事実だろ! 駄目な女だなぁッ! フィーネを気取ってた頃でも思い出してぇ、そこで恥ずかしさに悶えてな!」

「ッ、私は……ッ!」

「私は? 私は何だい、マリア? 他人がいるだけで自分の気持ちが揺らぐ、フィーネでもないただの優しいだけのマリアが何だってんだいぃッ!?」

「ッ……私は……私はッ……セレナ……日向ぁ……」

 

 決して間違いではないウェルの言葉は、的確に彼女の心に穴を空けていく。マリアは言葉が槍となって自分の心を抉っていくのがまるで物理的のように感じてしまい、隠していた感情を崩壊させ涙を流す。

 支えである妹と好きな男の名前を呟く事で最後の一線を保っているようにウェルには見えた。どうでもよかったが。

 嗚咽を漏らすマリアを見下ろし肩を竦めたウェルは背を向ける。

 

「気の済むまで泣いてなさいな。帰ったらぁ、僅かに残った地球人類をどう増やしていくか一緒に考えましょ」

「……流石にその発言はどうかと思うぞウェル」

 

 ブリッジから出て行くウェルの後ろに付いて行くオッシアとクリス。

 

「そぉですか〜? 人類を増やす方法なんて一つしかないんですから別にいーいじゃないか。それともアダムとイヴと言えばよかったのかな?」

「……好きにしろ。貴様と問答したら、十割で負ける。それより、外へ出るなら先にオレの用事を済ませるぞ。ソロモンの杖を貸せ」

「ふぅん、何をしに?」

「面倒事を増やしに、な」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 外では何が起こっているのだろう。

 腕を拘束する手錠を俯いたまま見つめたまま調は考える。

 自分がこの選択を選んだ事に後悔はない。少し前まで二課とは敵だったのだ、シンフォギアを取り上げられ、拘束されるぐらいは当然の対処だろう。日向もそれを理解した上で治療を断わり、自分が腰掛けているベッドで寝転んで自己治癒している。

 だけど、他の皆は大丈夫なのだろうか。

 自分をここまで運んできた緒川と呼ばれていた黒服に、助けを求めた。皆を止めてほしかった。

 「助けて」は自分に向けての言葉なのか、それとも切歌達に向けての言葉なのか。自分でも分からなかった。

 でも、ウェルを除いて全員が追い詰められている。

 自分で追い詰めてしまった——ウェルに追い詰められてしまった。

 ウェルを悪と断じるのは簡単だ。だけど、自分達はこの道を正しいと信じて進んできたし、何よりウェルがいなければ自分達はとっくの昔に壊滅していた。

 

「私達はどこで間違えたの……」

「何も間違えていないよ、調ちゃん」

 

 独り言に近い調の言葉を日向はちゃんと聞き、言葉を返す。

 

「僕達は自分が正しいと思って悪に身を染めた。それは間違いなんかじゃないし間違いにしたくない。それでも間違いと言うなら、道を変えればいいだけさ」

 

 今の調ちゃんのようにね、と日向は微笑む。

 

「私のように?」

「調ちゃんは自分がやりたいと思ったからノイズを倒した。それが正しいと信じて」

「正しいって思ったわけじゃないよ。だけど、こんなのがマリアの望んだ事じゃないって思っただけ」

「それでいいんだよ。例え偽善と言われても思いを貫き通す。それは決して間違いじゃないんだから」

 

 上体を起こした日向は、調の頭を撫でる。

 大して年は変わらないのに時々お兄さんぶる日向。けど撫でられるのは嫌いではなかった。

 ふと日向の言葉で気付いた。

 

「偽善……私と立花響は同じだって事?」

「いいや。この問題に僕は入れない。確かに昔の響ちゃんの事はわりかし知っているつもりだよ。F.I.S.に連れてこられる前までだけど」

「……そっか。だからあそこまで関わっていたんだ」

 

 納得するように頷く。ようやく日向と立花響の関係性が繋がった。

 それならこれまでの日向の行動に納得がいく。

 

「日向は立花響の事が好きなの?」

「好きだよ。その想いは変わらない」

「マリアも日向の事が好きなはず。意味は違うけど私も切ちゃんも大好きだよ」

「はは、ありがとう。僕も皆好きだよ」

「でも、私達と彼女は敵同士」

 

 顔を上げる調。

 日向も撫でていた手を下ろし、隣に腰掛ける。

 

「……そうだね。僕も響ちゃんの敵だ」

「もし、もしだよ? この戦いがハッピーエンドで終わったら、私達はきっと拘束されると思う」

「まあ……だろうね。日本か米国か……違うのは国だけか」

「その後、日向はどうするの? 私達と一緒に来るの? それとも——元の居場所に戻るの?」

「それは……」

 

 調の問い掛けに日向はすぐに答えられなかった。

 一瞬だけ言葉に詰まってしまったのもある。同時に激しい揺れが会話を中断させたのだ。

 

「きゃっ!」

「おっと」

 

 突然の衝撃によろめいた調を日向が支える。

 外で何かが起こったのだろう。地震にしては衝撃が長い。それにここは海の中、ここまではっきりとした衝撃を感じられるものなのだろうか。

 収まるまでこのままでいると決め、日向は調を抱きとめたまま口を開く。

 

「……多分、マリアや調ちゃん、切歌ちゃん達といると思うよ」

「戻らないの?」

「戻りたいけど……戻れない、かな。僕の手は奪った命で汚れちゃった。日常に戻る事ができても罪からは逃げられない」

 

 贖罪と云う言葉がある。行動を以て自分の罪や過失を償う事を意味している。

 しかし、罪を償うなんて本当にできるのだろうか。

 一度した事を取り消す事なんてできない。そんな事がしたければ過去に戻ってやり直すぐらいの不可能を可能にしなければならない。いくらシンフォギア——聖遺物の力を以てしても無理だ。仮に可能な聖遺物が存在したとしても、それを操る奏者や制御する技術がなければ意味がない。

 結論——罪を償う事などできない。

 罪を滅ぼす事などできない。

 罪は——どんな事をしても絶対に消えないのだ。

 

「だから、僕は君達と一緒にいると思うよ。別々の道を進むまでね」

「最後までじゃないんだ」

 

 そりゃあね、と日向は笑った。流石に大人になっても一緒にいようとは考えていない。可能性としてマリアは別だが、調や切歌はいつまでも自分達に付き合ってほしくなかった。調と切歌は一緒にいそうだが。

 揺れが収まってから調を離す。一緒にベッドに腰を下ろした。

 

「さ、もう少しだけここで待っていよう。きっと動けるようになるはずだから」

「なんでそんな事が分かるの?」

「カンかな。ちょっとばかりイカサマしてるけどね」

「じゃあ、動けるようになったら……」

 

 当然、と片目を瞑りながら日向は言った。

 

「自分がしたい事をしよう」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 人の口に戸は立てられぬ、と云うことわざがある。家の戸を閉めるように、人の口の戸を閉める事はできない。つまり世間に噂が広がっていくのはどうにもしようがないという事を指す。

 情報伝達が急速に発達した今の世の中では、人の口だけでなく世界中の口を閉ざさなければ、いとも簡単に情報が伝わってしまう。

 仮に誰かが隠しても、必ず誰かが暴き情報として流してしまう。

 今回、フロンティアが浮上した海域も政府からの発表では「地殻変動による揺れ」として取材などを阻み、情報の漏洩を防ごうとした。しかし、簡単に諦めないのがマスコミというもの。禁止と言われてなおヘリを飛ばし生放送を試みている。

 

「——」

 

 目の前の光景に、ベテランであったリポーターも言葉を失っていた。なんだこれは、と。カメラを前にして呟いてしまったのは仕方がないと言えよう。

 丸められたかのように潰れ、崩壊している米国の艦艇。中空に浮かぶ謎の超巨大遺跡。

 一体何をどうすればあんな風に壊れるのだろうか。いやそれよりも、あの巨大な建造物は何なのか。

 分からない事だらけだったが、リポーターは我に返って自分を映しているカメラに振り向いた。

 ありのままを伝える、それが自分の仕事だ、と自分に言い聞かせてカメラに向かって、カメラからテレビなどで見ている人々に向けて、リポーターは口を開いた。

 

「ご覧ください! 政府の発表では大規模な地殻変動によるとされている海域では、軍事衝突が起きていました! 米国の艦艇が一瞬で——!」

 

 だが、リポーターは最後まで伝える事はできなかった。

 大きな要因は二つ。

 一つはヘリがフロンティアに近付きすぎた事。彼らが知っているはずがない。フロンティアが空に浮いていられるのが巨大な重力装置によるもので、それは今ウェルが操作した事により近付いた物を容赦なく操った重力によって潰してしまう事を。

 ミシミシと彼らが気付く間もなくヘリが小さくなった。

 そして——

 

「う、うわぁああッ! ————ぁ?」

 

 リポーターは潰される事に恐怖し眼を閉じた。

 しかし圧迫感は一切なく、むしろ強風が自分の身体を殴っているような感じだった。恐る恐る眼を開ければ、目の前には海と空の境界が広がる。

 きっと理解が早かったのは視聴者の方かもしれない。

 潰れそうになるヘリの中を映していたのが突如外を映していたのだから。

 第二の要因。それは——

 

「こんなに早く嗅ぎ付けるとは……やっぱ嫌いだ、マスコミって奴は」

 

 無事だった米軍艦艇に着地し愚痴をこぼす。

 黒装束に身を隠し、フードの奥からフロンティアを睨む——遠見鏡華が助けたからだった。



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Fine10 定め重なる運命の柩Ⅲ

 鏡華がリポーターとカメラマンを助け出したのは偶然だった。

 元々、オッシアが何かしようとしているのを感じ飛び出したのだが、近くを見慣れないヘリが飛んでいるのが見えたのだ。ヘリは躊躇う事なく重力装置の範囲内に入り、案の定潰されかけた。

 呆れながらも鏡華は目覚めてからは使えるようになっていた《遥か彼方の理想郷・応用編》を発動、二人を抱えて脱出した。

 ただ、ヘリの操縦士を助ける事はできなかった。操縦室に挟まれいたし、何より鏡華はリポーターとカメラマンの二人しか持てなかった。

 

(すみません、助けられなくて)

 

 自分でもはっきりと分かるほど、“心の籠っていない”謝罪と黙祷を捧げる。

 そんな鏡華へと、今しがた助けたリポーターが声を掛けた。たった今死にかけたと云うのにすぐに職務をこなす姿は逆に感心してしまう。

 

「あ、あなたは一体? それよりどうやって助けたんですか?」

 

 やれやれと肩を竦めたくなって、

 

「死にそうになってたのにこれだ。いやはや流石ですね、マスコミ魂とやらは」

 

 思わず毒を吐いてしまった。

 やべ、とフード越しに口を抑えたが時既に遅し。言葉は発せられた後だ。肩越しに眼だけ向ければ、リポーターだけでなくカメラもこちらへ向けられている。恐らく生放送で全国——最悪、世界中に届けられているかもしれない。

 

「……質問に答えていただけますか。あなたは一体誰ですか? ここで何が起こっているのかお答えください」

「はぁ……答える理由があると? 大体、聞くのはパイロットの生存が先でしょう?」

「それは……」

「ちなみにパイロットは死にましたよ。助けるよりも先に操縦室が潰れてたので」

「なっ……見捨てたのですか!? まだ生きていたかもしれないでしょう!」

「まあ、かもしれないですね」

「あなたは救えたかもしれない人を見殺しにした。そう捉えてもいいんですね」

「そうっスねー」

 

 まあ、と鏡華は言葉を続けながら、フードの奥からリポーターを睨んだ。

 

「見捨てたからこそ、あなた方は助けられたんですけど」

「それは詭弁です! あなたなら全員を助けられたはずです! 私と彼女が気付く事なくヘリから助け出したあなたなら!」

「間違うなよ」

 

 マイクを突きつけながら叫ぶように詰め寄るリポーターの胸ぐらを掴み上げる。

 

「今回はあなた方を救う事ができた。だが、パイロットは救う事はできなかった。もしかしたら逆だったかもしれない。或いは誰も助けられなかったかもしれない。助けた奴を糾弾する前に、助けられた事を喜べよ! あなた方は喜ぶ前に助けた奴を責めろと教わったのか?」

「ぅぐっ……それ、は……」

「頼むから、選択するものを間違えないでください。……そうじゃないと今の俺みたいな立場の奴が馬鹿みたいじゃないですか」

 

 その場にリポーターを下ろす。鏡華はゆっくり下ろしたつもりだったが、彼はその場で尻餅をついて咳き込んだ。

 鏡華が最後に呟いた言葉は聞こえなかったかもしれない。聞こえたとしても、受け取ってくれるとは到底思えないが。

 溜め息を吐いて、そろそろカメラを壊すか、と思い視線をカメラマンに移すと、

 

『さあ、まずは序曲(プレリュード)と洒落込もうか?』

 

 念話とは違う、自分自身が喋ったような言葉が響いた。自然な動作でカメラマンではなく背後を振り返る。

 視界には空に浮かぶフロンティア。それを覆い隠すかのように蠢く斑点。距離が遠くともノイズと分かった。数十数百ではきかない数である事は考えなくとも気付く。

 降り立った艦艇の内部で海兵が騒ぎだす。背後で助けたカメラマンがカメラで何が起きてるのかを知ったのか、恐怖に声を上げる。恐らくカメラで確認したのだろう。と云う事は放送でも流れていると云う事。

 確かにあの数は面倒だ。アーサーが表に出ていた際に放たれていた数の比ではない。さっきまでの数でも一般の人間が抵抗しても意味がなかった。恐らく過去最高に近い出現数ではないのだろう。

 

「面倒だけどまあ……厄介ではないな」

 

 大群である敵の一群を眺め、鏡華はフードの奥で小さく溜め息をこぼした。

 前菜と言っていたが、鏡華にとって眼前の敵は「厄介ではなく面倒」で済ませられる程度の存在でしかなかった。どちらも難しい場合に用いる言葉だが、その意味合いはだいぶ違ってくる。片方は実力以内の困難を示し、もう片方は実力以上の困難を示していた。

 未だはっきりと視認できない群勢の端に向かって、無造作に手を伸ばす。

 

「騎士王の名槍ロン、改め——聖槍ロンゴミアント」

 

  ——貫き穿て白聖槍——

 

 呟き、ノイズに沿って手を横へ滑らせた。

 ただそれだけで——黒い斑点は消えた。

 はっきりと見えない。だがカメラを通して見ていたカメラマンは見えただろう。ノイズ一体一体に槍が刺さり灰へとなっていく様を。

 鏡華はそれに対して何も言わない。彼の視線はフロンティアの一点に注がれいる。

 

『なるほど、序曲にもならんか』

 

 再び聞こえてくる声。その声に驚きはなく、むしろ当然と云った声音だった。

 

『貴様は貴様のやりたい事をやれ。後は——』

 

 そこまで聞いて、鏡華は握り締めた右拳を背後へ打ち込み、左の掌で横腹に迫るモノを受け止めた。

 

  —撃ッ!

 

 打ち込み、受け止めたにしては派手な音がその場を支配する。

 打ち込んだ先には掌が。受け止めたのは手の甲を下に握り締められた拳が。

 

「オレがやろう」

「言う相手間違ってるだろう」

 

 同じくローブに身を包みフードで顔を隠したオッシアがいた。

 

「さっさと終わらせようか? ここまできたら巻き戻り(ダル・セーニョ)繰り返し(ダ・カーポ)もないだろう」

「ああ。会話は合間でも可能だからな」

「何度言えば理解する。オレと貴様の間に会話などないッ」

「そう言うなよ。こちとら赫竜と()り合ってたからコミュニケーション不足なんだよ」

 

  —打ッ!

  —撃撃ッ!

 

 拳打の応酬。互いに片手で攻め、片手で守る。

 戦い自体はそれほど苛烈ではない。むしろ地味とも云えるほど、動かすのは四肢のみだ。駆け回らず、その場で一歩踏み抜いては一撃を放つ。踏み込んだ逆の足で防ぎ攻める。

 目の前で突如始まった戦いに、リポーターとカメラマンは何もできず立ち尽くす。しかしその光景をカメラを通して世界中へ届けていた。

 

「……やはり上がっているな。先に確認して正解だった」

「やっぱてめぇ、本気じゃなかったのか」

「当たり前だろう」

 

 鏡華の一撃に合わせて、オッシアは拳を受け止めながら距離を取る。

 

「貴様との決着の舞台は既に決まっている。こんな場所で終わらせてたまるものか」

「……そうかよ」

「序曲は終了だ。オレを探せ、そこで遠見鏡華(オレ達)鎮魂歌(レクイエム)を創るとしよう」

「鎮魂歌なんて嫌だね。俺が創るのは未来へ続く唱(アヴニール・セクエンツィア)だけだ」

 

 鏡華の言葉にフードの奥から視線をぶつけ、オッシアはその場から消え去った。

 すぐに意識して眼を細める。左眼が映す風景が切り替わる。場所は分からないが既にフロンティア内部に戻ったようだ。

 相互共有を切って、フロンティアを見る。翼と奏に分けたアヴァロンの反応はフロンティアから感じ取れる辺り、運良くフロンティアに乗ったのだろう。弦十郎の考えを予想すれば、恐らく突入したのはヴァンと奏の二人か。

 

「さあ——往くか」

 

 一歩を踏み出し、ああそう云えば、と思い出す。振り返り、カメラマン——その腕に持つカメラへ腕を突き出し、

 

「————」

 

 小声で何かを呟き、広げていた掌を握り締めた。

 途端に嫌な音を立ててカメラが潰れる。テレビでは突然中継が途切れ砂嵐が吹き荒れていたが鏡華には関係ない事だ。

 今度こそ鏡華は、驚きながらカメラを破棄したカメラマンとリポーターに背を向けると、甲板から飛び降りる。

 

  ——阻む事勿れ湖精の加護——

 

 音もなく海上に降り立ち、身を屈める。

 我に返ったリポーターが甲板から身を乗り出して海上を見下ろせば、もうそこに鏡華の姿はなかった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 フロンティアの上昇に半ば巻き込まれる形で二課は潜水艇ごと打ち上げられていた。

 現状、二課で動く事のできる奏者は奏とヴァンのみ。響と未来は謂わずもがな、翼はまだ完治できていないと云う理由で弦十郎が出撃を許さなかった。

 

「頼むぞ。奏、ヴァン」

 

 弦十郎の言葉に、奏は笑顔で親指を立て、ヴァンはいつも以上にそっけない返事を返す。

 

「どうしても許可してくれないのですか!」

「どうしてもだ。完治したら出撃を許可すると言っているだろう!」

「くっ……」

 

 悔しがる翼に奏はまあまあ、と肩を叩く。

 

「待ってりゃ自然に回復するんだからさ、我慢しなよ」

「奏……」

「それに昔は翼独りだけでステージに上げさせちまってたからな。今度はあたしの番さ」

 

 んじゃ行ってくるぜー、とまるでコンビニに行くような軽い調子で手を振る。ふと立ち止まり、

 

「あ、そうそう。響におねーさんから一つ」

「はい?」

「思い立ったら吉日なんだってさ、覚えときな」

「言ってる意味分かりませんよ!? それ今関係ある事なんですか? ……あったぁッ!」

 

 訊ねて、答えを聞く前に自分で答えを見つけたのか、響は笑顔で奏に向かって親指を立てた。どんな答えを見つけたのかは知らないが一先ず笑顔を返す奏。

 今度こそ司令室から部屋を出て行く。それに続いてヴァンも司令室を出た。

 

「何か思いついたの響?」

「ふっふっふっ、思いつきを数字で語れるかよッ! 的な閃きだよ未来」

 

 響の悪そうな微笑みに、未来は苦笑するようにそっか、と頷いておいた。響も響で言ってる意味が分からなかったが悪い方向へいくわけではないので深くは聞かなかった。

 だんだん鏡華と奏に感化されてきたな、と弦十郎は隠れて溜め息を吐くのだった。

 

「——と云うわけで、露払い頼むぜ」

「何がと云うわけだ」

「いやー、おねーさん面倒くさくてさー。頼むよ後輩」

「……貴様、俺の機嫌(ヒューマ)が悪いの分かってて言ってるだろ」

「うん」

「……」

 

 ただでさえクリスが真偽がどうであれ敵についた事にショックで自傷してしまいそうなのに、奏の言葉に頭のどこかがプッツンしてしまいそうになっている。いやむしろ彼女の頼みを聞いて、攻め入ってきているノイズを相手に発散するのも悪くない。だがそのまま言葉に乗せられるのは性格的に嫌だった。

 

「まーまー、いいじゃんいいじゃん。ここで“ガラティーン”の肩ならしをするのも悪くないとあたしは思うんだがねぇ」

「…………いつから知っていた」

「さっき。ヴァンが独りで自分を抑えていた時に星剣から炎が見えて、鏡華に無理言って鞘もらって調べ直した」

 

 こいつ、ストーカーなんじゃないか、とヴァンは本気疑ってしまう。

 だがこいつ相手に隠し事なんて六割がた筒抜けのようなものだと諦め、肯定の意を示した。

 

「そうだ。星剣(これ)はエクスカリバーだったがエクスカリバーじゃなかった。エクスカリバーの兄弟剣であり陽の加護を得た星剣。正式名称はエクスカリバー・ガラティーン。それがこの剣の本当の姿だった」

 

 エクスカリバー・ガラティーン。

 騎士王アーサーに仕えた円卓の騎士の一人、ガウェインが所有者と云われている星剣。ガラティーンの事が記されている書物は僅かで、鏡華が持つアヴァロン——騎士王の鞘の情報と同じかそれ以下だろう。

 加えて、ガラティーンは担い手の死後の所在が不明だった。エクスカリバーは湖の乙女に返却され、騎士王の鞘は異母姉モルガンによって盗まれた。だがガラティーンの最後は分からない。

 だからこそ、ガラティーンの存在はエクスカリバー以上に空想だと考えられていた。

 

「……なるほど。フィーネん時から最近まで半覚醒だったって事か」

「みたいだな。俺が気付いた瞬間から変化したみたいだが……物は試しだ。貴様の誘いに乗ってやるよ」

 

 腰に提げたガラティーンを抜き放ち会話中も止めなかった歩みを加速させる。歩みから走りへ変わり、遠方に豆粒のように見えていたノイズがはっきりと視認できた。

 

「——焔装(えんそう)

 

 歌う事なくそれだけ呟き炎を身に纏い、消え去ると同時に身に纏っていた物が鎧へと変わる。

 速度を上げノイズへ肉薄し、星剣を振るった。

 

  —斬

 

 静かな斬撃。だが斬られたノイズは斬られた箇所から燃え上がり、十秒もしない内に文字通り炭化して散っていった。

 ヴァンは止まらず虚空へ星剣を振るう。対象がない一閃は空を斬るだけ——ただの一閃であれば。

 

  —轟ッ!

 

 一瞬刀身を覆った炎が一閃と共に放たれ、軌跡の先を走っていたノイズに命中した途端にノイズを灼き尽くした。さらに連続で炎の斬撃を閃き放ち、一撃ごとに確実にノイズを炭へと変えていく。

 

「ははっ、予想以上に凄いな」

 

 視界に映るノイズ全てを灼き尽くしてなお走るヴァンを、プライウェンに乗って併走する奏は感想を口にする。本気で人に任せて傍観に徹している辺り、腹が立って仕方がない。

 腹いせも込めて十体ほど纏めて炭に変えてやった。

 

「そう怒るなって。仕方ないんだよ、この後に控えている一戦が予想以上にやばそうなんでね。ちょーっち万全かつ本気で挑まねぇとサクッと終わっちまいそうだし」

「……自分自身との決闘(デュエル)か。想像もできんな」

「あたしもさ。それもまったく別の成長を遂げた、謂わば別人のような自分——ははっ、言ってて余計に対抗策が消えてくぜ」

 

 まったくそう思ってないような笑みを浮かべる奏は、ヴァンはどうすんだ? と問い掛ける。

 二課へ進行していたノイズを全て灼き尽くしたヴァンは、ガラティーンの剣先を後ろへ向けて答えた。

 

「当然——勝手に出て行った(クリス)に、説教してくるだけだッ」

 

  —轟ッ!

 

 刀身から炎が勢いよく噴き出し、ヴァンが地を蹴る。空へ跳んだヴァンをさながらロケットのエンジンの如く推力を与え、移動する速度を加速させていく。

 以前から使っていた移動方法だが速度が格段に上がっているようで、すぐにヴァンの姿が小さくなった。

 

「さて、あたしも行かねぇとな」

 

 そう呟いた奏はプライウェンからガングニールに乗り換える。

 柄に腰かけ穂先裏のブースターを駆動さえ速度を上げる。向かう先は——自分の許。



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Fine10 定め重なる運命の柩Ⅳ

 大変お待たせしました。
 忙しすぎて、一月に一度しか更新できない状況です。
 せっかくのクリスマスでしたから番外編でも出そうかな、と思いましたが、無理でした(苦笑)
 それではどうぞ。

 おっと、遅いかもしれませんが、メリークリスマスです。


「くっ……先陣できないとは口惜(くちお)しい」

「まあまあ翼さん。ここは落ち着いて、お茶でも飲んで回復を早めてください」

「はいどうぞ。翼さん」

 

 翼を響きが宥めつつ、未来が紙コップに入ったお茶を渡す。

 響の正論と二人の見事な連携に、翼は「むぅ」と黙り込み受け取ったお茶を飲む。その間に精神を静かに落ち着かせる。

 アヴァロンを埋め込み肉体的なダメージは鏡華や奏に比べて遅いがすぐに治る。いや、実際には戻ると云った方が適切かもしれない。怪我をすれば傷はできるし痛みもはっきり感じる。だが、その傷や痛みが長続きしない。まるでその時間だけ巻き戻ったと云うべきか。

 いや、どちらかと云えばパソコンのダウンロードに近いかもしれない。

 分かりやすく説明すれば、アヴァロンと云うホストコンピューターから風鳴翼と云うパソコンにデータを渡している、と云う感じか。事前に「風鳴翼」と云うデータをアップロードし、傷を負ったらダウンロードして元の状態に戻す。

 鏡華自身がアヴァロンに記憶し記録すると言っているため、あながち間違いではないだろう。

 では肉体的なダメージは元に戻るが、精神的なダメージはどうなのか。

 まだ埋め込まれて日の浅い翼だが、精神的なダメージは治らない——戻らないと確信している。

 これについては過去に何度も鏡華が言っていたので確証はあったし、実際に自分自身が受けてみてはっきりとした。

 痩せ我慢をしていた訳ではないが、アーサーとの戦いで消耗した体力は半日も経過していない現時点では回復しきってないのが本音だったりする。とは云え出撃できないほどではないし、報告するものでもなかったので黙っているのだが。

 

「……だいぶ無理してますね翼さん」

 

 未来の声にお茶を揺らす波紋から視線を上げる。

 翼を見る未来の瞳は真っ直ぐに翼を射抜いていた。まるで容姿を見るのではなく内面を見ているような感じだ。

 出入り口の横に立っている翼と向かいに立っている未来の声は弦十郎達には聞こえていない。響は驚いて声を上げようとしているが、未来が先んじて抑えていた。

 

「眼が重傷の傷が治った後の鏡華さんそっくりです」

「むしろそっくりって分かる方がびっくりだよ!」

「響も私の調子を見るだけで分かるでしょ? あんな感じだよ」

「あ、それなら納得」

 

 納得するのか——とは言わなかった。翼も奏の調子ならある程度分かるので、それぐらいは当たり前だと思ってた。

 

「囚われている間、かなりの時間ブラック鏡華さんの眼を見てましたから。覚えちゃいました」

「ふむ……、具体的な時間は?」

「だいたい一時間から二時間です」

「なるほど。……くっ、私は一時間も直視できないのに。やるな小日向」

「いやいやいや」

 

 何故か負けを認める翼に響のツッコミが入る。

 

「伝説に名を残した騎士王との真剣勝負だったのだ、無理ぐらいするさ」

「そういえば身体は遠見先生だったけど、心は違ったんでしたね。遠見先生とヴァンさんの聖遺物の本来の持ち主……アーサー・ペンドラゴンでしたっけ?」

「ああ。眼を見るだけで圧倒されるほどの覇気。類稀なる剣の腕――正味、“手加減されていても”勝ちを得られるとは思わなかった」

「手加減って……あ、あれで手加減されていたんですか!?」

 

 驚く響の言葉に翼はこくりと頷いた。

 アーサーは別に剣だけを扱う騎士ではない。鏡華の戦闘を見れば分かるが他に槍や盾を武器にしている。場合によっては鞘も使うだろう。

 そんな相手が全ての力を総動員させて殺す気できていたら、翼は何分持ち堪えられたか分からなかった。

 もちろんアーサーが全力で戦ったのは他ならぬ翼本人が知っている。

 その事を廊下に出て歩きながら響に説明した。

 

「ほへー。やっぱり昔の偉人さんは凄く強かったんですね」

「立花のガングニールは神が使っていたしな。……ところで、立花と小日向はどこに向かっているんだ?」

「それは到着すれば分かりますッ」

 

 にししと笑顔——と云うか何かよからぬ事を考えていそうな悪い笑みを見せる。

 その笑みに翼は苦笑を浮かべていた。

 

(こういった笑顔の時の立花の行動は、いつも私の予想の斜め上をいってくれるからな)

 

 だが、時としてその斜め上の行動が戦況や心情を変える切っ掛けを作る事になっていた。

 戦場にいる今、冗談や悪ふざけをしている場合でない事ぐらい響も心得ているはずだ。故にこの行動はプラスに繋がるはず。……と、願いたい翼。

 着きました、と響が足を止めた前には閉じられた扉。確かここには——

 

「しっつれいしまーすッ!」

 

 思い出すよりも早く、響が扉を開ける。

 部屋には先の戦闘で拘束されたシュルシャガナとネフィリムの奏者——調と日向がいた。

 二人も響の入室には驚いたのか、眼を丸くしている。

 

「これは驚いた……」

「カンで知ってたんじゃないの?」

「響ちゃんが来るとは思ってなかったんだ」

 

 とは云え、ここまでくれば翼にも響の考えている事が何となく読めた。

 

「二人……いや、彼女に出撃を要請するのか」

「ひゅー君と調ちゃんの二人共に要請するんです!」

「む、何故だ? 彼はギアを失っただろう」

「それでもです!」

 

 自信満々に答える響に、翼は手を自分の額に翳してしまう。

 それは日向達もそうみたいだったが、日向は苦笑を浮かべて受け入れているようだった。

 

「風鳴さんの様子から見ると、響ちゃんの独断専行みたいですね」

「ああ。しかしその冷静さ……君は立花が迎えにくると知っていたのか?」

「まさか。予想できたのは、響ちゃんが僕らに出撃をお願いしそうって事ぐらいまでですよ」

「なるほど」

 

 立ち上がった日向は何度か深呼吸して、憤ッと気合いを込めて、膝で手錠を真ん中から破壊した。

 それを見て、「本当に身近の男は何かと異常だな」と翼は呟いてしまう。自分達女性陣の異常を見て見ぬ振りしてるのは言わぬが華と云うものだろう。

 

「僕は構わないよ。元からマリア達を助けに行くつもりだったし。ただ、調ちゃんが納得いくようにはしてね。この子は響ちゃんを信じてるわけじゃないんだから」

 

 枷が付いたまま自由になった両手を振って言う日向。

 そのつもりの響は一歩前に出て、調の前に立つ。

 

「……捕虜に出撃命令って、どこまで本気なの?」

「もちろんどこまでも。遠見先生ならスタイリッシュ土下座するくらい本気」

「オッシアはそんな事しない。……しないと思う」

「うん、言ってなんだけど、私もしないと思った」

 

 たははー、と笑う響。釣られて笑えず、かと云って怒る気もなれない調は溜め息を漏らした。

 

「偽善者……あなたの正しさを振りかざす、そう云う所が気に喰わない」

「……自分が正しい、なんて思った事はないんだけどなー」

 

 調の言葉に、ちくりと胸が痛むのを感じながら笑みを消す。

 

「こんな事調ちゃんに聞かせるべきじゃないんだけどね? 私、何年か前に事故にあって大怪我をしたんだ。たくさん人が亡くなった事故の中私は生き残れた。家族にも心配かけちゃったから、頑張ってリハビリして家族に喜んでほしかったんだ」

 

 だけど——。

 だけど、待っていたのは喜びではなかった。

 

「色々あって、私が家に帰ってもお母さんとお婆ちゃんはずっと暗い顔をしてた。でも……それでもね。私は自分の気持ちを偽りたくなかった。偽ったら、私が私じゃなくなっちゃう。誰とも手を繋げなくなる」

 

 自分の胸に手を当てもう片方の掌を見つめながら、響はありのままの本心を返した。

 自分の気持ちに嘘をつきたくないと云うのが響の答えなのかもしれない。未来とのすれ違い、そして無意識での感情を知ったからこそ、余計に自分の気持ちを貫き通すと決めたのだろう。

 手を伸ばし、調の手を拘束している手錠を持ち上げ、ポケットから解除キーを取り出して手錠を外した。

 

「何故立花が手錠の鍵を持っている?」

「奏さんが出る前に渡してくれました」

「奏ぇ……」

 

 外した手錠をベッドに置き、自由になった調の手を両手で包み込む。

 

「別に仲間になってほしいわけじゃない。調ちゃんのやりたい事をやり遂げてほしいだけ。もし、それが私達の目的と同じなら——私達に力を貸してほしいんだ」

「私の、やりたい事……」

 

 優しく包み込むように握られた手。それを振り払うのは簡単だ。

 だが、調はそれを振り払う事ができなかった。

 あれほど嫌悪していた相手だったのに。調は響の真っ直ぐな視線と自分の手を握った手を見つめる事しかできなかった。

 ——そこに、ナニかを幻視した。

 一瞬で何か分からない。だが、我に返った時、調は響の手から離れ、

 

「……皆を助けるためなら、手を貸してもいい」

 

 眼を逸らして、そう言った。

 響は喜んでいた。本当に嬉しそうに。

 

「でもどうするの? 響ちゃん。僕はいいとして、調ちゃんのギアは取りに行かないと」

「あー、そうだった。うーん……翼さん、取りに行ってもらったりできません?」

「何故そこで私を指名する。いくら私でも司令や緒川さんに気付かれずに取ってくるなんて不可能だ」

「そこはほら、遠見先生も使ってるアヴァロンの瞬間移動で何とか」

「私は未だその領域に至ってないんだ」

 

 そして自分で行け、と手刀を響の頭に落とす。

 

「あだっ! ……うー、どうしよう未来?」

「弦十郎さんに日向をけしかけてみれば? 良い戦いになると思うよ」

「弦十郎さんが誰かは知らないけど、やめて。絶対敵わない気配を二人感じるし、絶対それさっきの忍者とその弦十郎さんだと思うから」

「そう云えば、前に完全聖遺物纏った鏡華さんとヴァンさんが本気で挑んでたけど、一分で沈んでたよ響」

「え、何それ怖い」

「あー、確かにあったね。護送任務が始まる前に」

「うむ。付け足せば、司令が攻勢に動いたのは最後の十五秒だった」

「それ本当に人間?」

 

 外では大変な事が起こっているのに、調を除く四人はわいわいがやがやと騒いでいる。

 特にほんの数十秒前までシリアスに自分の過去を語っていた響が一番笑っていた。日向も笑っている。

 調にはまったく理解できなかった。

 

「——どうして?」

 

 無意識の呟きは響達にも届き、声が止む。

 

「どうしてそこまで信じて、笑い合えるの? さっきまで敵だったのよ?」

 

 調の問い掛けに、響は周りを見回す。

 未来と眼が合い、笑顔を返された。

 翼と眼が合い、頷かれた。

 日向と眼が合い——微笑に眼を逸らした。ほんのりと頬が赤かったのは気付いていない。

 最後に調と視線を重ね、口を開いた。

 

「敵とか味方とか言う前に子供だろお前達は。子供は自分のやりたい事をやればいいのさ」

 

 ——が、声を出す前に低い声が響の発生を遮った。

 ビクぅッと響が跳び上がりそうになりながら恐る恐る振り返れば、入り口には予想通り弦十郎の姿が。

 

「そして、そんな子供を支えてやれない大人なんて格好悪くて敵わないんだよ」

「し、師匠ーーッ!!」

 

 弦十郎の言葉に響は一転して嬉しそうに眼を輝かせた。

 彼の言葉は言外に許可を出した事を意味していた。

 

「とは云え、お説教はしてやらんといかんがな」

「上げて落とされた!?」

 

 ジロリと睨まれた響はツッコミを入れてからしょんぼりと俯く。

 そんな響の頭をがしがしと乱暴に撫でながら、弦十郎は部屋へ入り握った拳を調に差し出す。拳にはギアのペンダントが巻き付いていた。

 

「これは君のだ」

 

 手を受け皿にした調にペンダントを渡す。

 それを呆然と眺め、次いで流れ出そうになった涙を拭い、苦笑するように微笑を浮かべ無意識に呟いた。

 

「……“相変わらずなのね”」

「甘いのは分かっている。性分だ」

 

 返された言葉に、弦十郎は呟いてから驚いた。

 調とは接点などない。顔見知りですらない。

 なのに前から知っているかのような言葉。そして、前にも同じような応答をした事があった気がする。

 この流れ、どこかで——?

 

「格納庫まで案内するよ! 翼さん、ひゅー君をお願いしまーす!」

「あ、こら待て立花! まったく……行こうか、音無」

「お願いします」

 

 考えている間に、響が調の手を引いて部屋を出て行く。その後に翼と日向が続いた。

 残った弦十郎は未来と共に司令室へ戻る。

 

「あ、司令! 大変です、シュルシャガナとネフィリムの奏者が!」

「二人の許可は出した、問題ない」

「ですが、一緒に響ちゃんと翼さんがッ!」

「なに……?」

 

 モニターを確認すれば、中心を空けた鋸を車輪のように変形させて中に立っている調の背中に掴まるように響が鋸に乗り込んでいた。

 調の横をギアを纏わずに日向が併走し、反対側にはギアを纏った翼が同じように走っていた。

 

「響ッ!?」

 

 流石の未来も予想外だったのか、驚きを見せている。

 

「何やっている! 響君を戦わせる気はないぞッ!」

『戦いじゃありません——人助けですッ!』

「減らず口の上手い映画など見せた覚えはないぞッ!! それと翼もだ! まだ完治してないだろう!」

『問題ありません。そもそも体調は初めから万全でした』

「だからお前は……アヴァロンを埋め込んでからお前ら三人無茶と云う言葉を忘れているぞッ!」

 

 モニターに向かって怒鳴る弦十郎。

 そんな弦十郎とは反対に、驚いていた未来は思わず笑っていた。

 

「ふふ——弦十郎さん、行かせてあげてください」

「未来君」

「人助けは、何よりも一番響らしい事ですから」

 

 戦えないのに戦場へ出た響。それを一番心配していた未来が笑って送り出した。

 これには弦十郎も何も言えなくなってしまった。

 

「まったく……子供ばっかに良い格好させてたまるか」

 

 ゴキリと笑いながら指を鳴らす。

 それを合図に友里と藤尭も笑いながら今ここで出来る限りのサポートを開始する。

 子供ばかりには任せていられなのだ。大人として出来る事をする。

 それがここに残った大人が出した答え。

 

「帰ってきたらお説教ですか? 司令」

「当たり前だ。一人一人と思ったが、まとめて特大のを落としてやらんとなッ!」

 

 緒川の言葉に当然のように返す。

 しかし、二人の顔はまったく怒っておらず、むしろ笑っていた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「いぇい、突入成功〜」

「まったく。立花の考えは本当に斜め上過ぎる」

 

 出撃できた事を喜ぶ響を見て苦笑を返す翼。

 駆ける速度はまったく落とさず、かなり速いスピードを出す調に並んでいた。

 とは云え驚く事ではない。翼は二課から飛び出した時から一節《駆けよ、雷光より最速なる風の如く》を詩っていた。四節《風林火山》の詩は翼の心象を表したものであって翼に掛かる負担は少なく、一節だけなら戦闘以外でも使う事が出来た。

 むしろ、ギアを纏わず自然な脚力だけで並んで走っている日向の方が驚くに値するだろう。

 

「付いてくるのはいいけど、あなたはどこへ向かうの?」

「当然、マリアさんのところ!」

「……そう。日向と天ノ羽々斬は?」

「僕も同じだね」

「私は後輩達の許へ往く。頼むぞ立花」

 

 そう言うと調達から離れて駆けて行く翼。その姿は十秒も経たずに小さくなった。

 

「相変わらず響ちゃんの仲間はすごいね。本当に戦いたくないよ」

「日向も乗って。体力は温存しとかないと」

 

 調の提案に頷き、タイミングを合わせて鋸の車輪に乗り込む。

 

「後ろ失礼するね」

「あ、うん……」

 

 調と日向で響を挟むような形になり、日向は響の上から被せるように調の肩に手を置く。

 鋸の車輪は決して大きいとは言えず、自然と二人は密着する。

 

「……」

 

 日向に密着されて響は何も考えられなくなる。

 いつもなら密着されようが手を繋ごうが平気だ。抱きつくのだって平気でやっていただろう。

 しかし、先ほどの戦闘の終わりに未来から言われた一言。

 

 ——響は日向の事、男の子として好きなんだよ。

 

 どうしても頭から離れない、離れてくれない一言。

 状況的にすぐに相談できずそのまま出てきてしまったのを今更ながら後悔している。

 

(男の子として好きって事は、あれだよね? 未来が遠見先生の事を好きと同じ好きだよね? え、そうなの!? 私、ひゅー君の事好きなの!? いやいやいや、何かの間違えだよきっと! でも恋愛としては未来は先輩だからなぁ……。遠見先生とどこまでいったんだろ、キスかな? キスかな? キスかな? いやーでも遠見先生へたれなとこあるしなぁ……それ以上言ってたらお祝いに熱々の赤飯を遠見先生の顔にプレゼントしよ。うん、そうしよ。って、あー違う違う。今は私の問題。でもきっと未来の勘違いだよ。うんそうに違いな——)

「……響ちゃん?」

 

 どうしたの、と耳元で日向の声が聞こえた。

 至近距離の声がまるで実体を持ったかのように耳朶を打ち、身体の密着率も心なし増えた気がしてしまう。

 それだけでドキンと胸が早鐘を打ち締め付けられる。頬が燃えるように熱くなってきた。

 こんな異常を響は知らない。いや、それは嘘だ。

 知っている。立花響は——この身体の異常を知っていた。

 未来にも話した。

 それは——日向とキスしてから、思い出した時の痛みだった。

 

(あー……さっすが、私の日溜まり。本当に未来はすごいや)

 

 どうやら。

 親友の言葉を否定できる理由がなくなってしまったようだ。

 ああ——認めるしかない。私は本当に残念な女の子だ。

 本気でそう思う響。こんな場違いな状況で気付いてしまうのも含めて。

 どうやら立花響は、音無日向の事が——



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅰ

 本当に大変遅くなりました。
 実習が重なったとは言え、年末から書けないと思いませんでした。
 しかも、気付けば原作も四期、五期の制作が決定しているなんて……
 まだ忙しいのでとても短いですが、完結はさせますのでどうかよろしくお願いします。





あの時から、いつだって傍には君がいた。
差し伸ばされる手は温かく、このままでいたかった。
だけど、今は伸ばせない。伸ばしたら——

Fine11 遥か彼方の理想郷

感情の瀑布に、君はようやく答えを曝け出す。
剥き出しの想いに、終に奇跡は伝説を創り出す。


「——立花と風鳴翼が月読調、音無日向と出た、か。予想を裏切らないとはこう云う事を言うんだろうな」

『俺と緒川も出撃()る。ヴァンはクリス君と共に合流してくれ』

了解した(オーライ)。少しばかり叱ってから向かう」

 

 通信を切って、さて、とヴァンは呟く。地面に突き刺したガラティーンを抜き肩に担ぐ。

 

「……と云うわけだ。今回は惚れた相手だろうと約束(プロミス)だろうと関係なく斬り捨てるからな——クリス」

 

  —轟ッ!

 

 燃え盛る炎を周りに纏わせながら振り返るヴァン。

 彼が見上げる視線の先。そこには言葉通りクリスが立っていた。

 既にギアは纏っている。無言で無数の矢(Q U E E N ' s)による射撃(I N F E R N O)を放つ。

 

  —閃ッ

  —灼ッ!

 

 数十もの矢に対してヴァンは後方へ跳びつつガラティーンを閃かせる。軌跡を辿るように炎が生まれ矢を呑み込みながら灼き尽くす。

 

  —発

  —発発発ッ!

 

 崖から跳躍し矢を放ちながら、クリスは片方の武装をボウガンからハンドガンへ切り替える。着地の瞬間まで矢を周りに撃ち放って砂煙を巻き起こす。

 彼女が何をするのか予想しヴァンは砂煙の中を駆ける。砂煙から出るのと、クリスが地面に着地し手に握ったハンドガンを向けるのはほぼ同時だった。

 

  —弾ッ!

 

 銃声の音。続いて聞こえたのはグジュッと云う溶けるような音。

 

「ちっ……苦手分野に片足どころか全身突っ込まねぇといけないなんて……とんだ厄日だぜ!」

 

  —弾ッ!

 

 心底嫌そうな声音で吐き捨て、前へと駆けながら引き金を引く。完全聖遺物の発する膨大な熱量の前では普通よりも強固であろう銃弾でさえ容易に溶かされてしまうだろう。ましてや太陽の恩恵を受けたとされるガラティーンだ。一瞬の熱量でも計り知れない。

 基本距離が遠距離のクリスにとって天敵は近距離型だ。銃弾を躱す乃至(ないし)防げる相手は特に。

 それでも、前へと足を動かす。実践では初めての距離だが、相手がヴァンの場合、距離感はある程度掴めている。加えて、無意識なのか意識的なのかは知らないが、距離が空いているのを剣を放つのではなく駆ける事で詰めている。普段ならば《天降る星光の煌めき》を放っていてもおかしくはない。

 

  —斬ッ!

 

 振り下ろされる一閃。

 普段であれば避けて距離を取るが、今回は剣に向かって腕を振るう。握り締めた回転式拳銃(リボルバー)で刃の腹を流すように滑らせる。剣の軌道を無理矢理変更して、もう片方の手に握った自動式拳銃(オートマチック)で、

 

  —発ッ!

 

 至近距離から撃つ。

 炎が銃弾を溶かす——事はせず、ヴァンは身体を捻り躱した。

 足を軸にして最小限の動きから剣を横に薙ぐ。グリップの底で受け止め、刃がグリップと弾倉を切り裂く前に自ら弾かれるように離れる。その勢いで屈んだ姿勢を回転、横薙ぎを躱しながら屈んだ姿勢から引き金を引いた。

 

  —発

  —発発発ッ!

 

 同時ではないとは云え、微妙に位置を変えての射撃にヴァンは後方へ跳ぶ。範囲からクリスが外れ、即座にガラティーンの炎熱を発動して銃弾の雨を灼く。

 全ての銃弾を灼き尽くすのにおよそ四秒。恐らく弾倉に弾は二丁とも残されていないだろう。

 ——にしても、とヴァンは思考する。この短期間でここまでガンカタをモノにするとはな、と。

 修行の後、弦十郎がクリスに渡したDVD。内容は映画だったのだが、その主人公が飛び道具で接近戦をすると云う珍しいアクションをしていたのだ。弦十郎はそれを知った上で渡したのだろう、当然クリスの食い付きようはそれはもう凄かった。疲れていたはずなのに、その日から暇な時間は全てガンカタの練習に注ぎ込んで習得しようと特訓したのだ。

 結果は見ての通り。初の実践である程度使えるようになっている。

 本来であれば褒めてあげたいのだが——

 

「まずは止める——!」

 

 銃弾を溶かしきった炎を突き抜け駆ける。

 弾倉は恐らく空のはず。その隙を——

 炎を抜けながらそう考えて、剣を振り上げて。

 

「——は?」

 

 戦闘中なのに固まってしまった。

 クリスは動いていた。銃を構え、身体を回転させながら。

 揺れる胸の谷間から予備の弾丸を空へ跳ね上げていた。自由になった六発の弾丸が宙を舞う。

 

「……おいこら」

 

 ヴァンの小さな呟きはクリスに届く事なく、重力に従い落下を始めた弾丸は吸い込まれるように回転式弾倉(シリンダー)に装填された。

 

「誰が教えたそのリロードッ!!」

 

 吠えるヴァン。

 表情を変える事なく、装填し終えた拳銃の銃口をヴァンに向けてクリスは言った。

 

立花響(スクリューボール)

「天も……って、そっちかよっ!!」

 

 絶叫するヴァンに言葉を返すようにクリスは引き金を引いた。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅱ

 本当に、本当に遅くなりました。
 本当に申し訳ありませんでした。心から遅くなった事をお詫び致します。
 自分でもまさかほぼ一年近く投稿できなくなるとは思ってもいませんでした。ですが、やっと(ほそぼそとですが)再開する事ができます。
 言い訳にしか聞こえませんが、就職活動や卒業論文があまりにも難航し、また、時間が空いて書こうにも筆が止まってしまい、ここまで放置しまいました。
 また、再開してもかなりゆっくりですし、一話が短くなっています。そこはどうかご了承下さい。

 それでは、どうぞ。


 奏は灯りのない地下を“迷う事なく”進みながら、自分と云う存在を振り返っていた。

 ——天羽奏。

 現在十九歳。数年前より、ツインボーカルユニット「ツヴァイウィング」の一人として活動中。その裏では五年前のノイズ襲撃より、憎しみを抱いてシンフォギア奏者になった。二年のブランクはあるものの、実力は奏者の中で一、二を争うと自他共に認められている。

 所有聖遺物は撃槍・ガングニール。加えて借り物ではあるが聖鞘・アヴァロンの二種。アヴァロンは完全聖遺物と云う事もありすぐに使う事ができたが、欠片であるガングニールは違った。

 そもそも自分は適合者としては不採用だった。それを薬で無理矢理合わせて、かつ自身のノイズに対する憎しみと云う感情を使って適合させた。

 ——そう、憎しみと云う感情。

 今はそんな感情で戦場に出る気など更々ないが結局の所、天羽奏の原点は「憎しみ」なのだ。

 家族を殺したノイズを憎み、力のない自分を憎み——その純粋な想いに聖遺物(ガングニール)は応えた。

 自分にとってきっと一番大事な感情を、奏はここ最近ほとんど表情どころか感じる事さえなかった。

 その理由が——目の前にいた。

 

「流石に想像できるわけないよなぁ……こんな事」

 

 かなり広い場所に出たと、慣れてきた眼と空気で感じながら奏は見る。

 暗闇の中でさえはっきりいると見えた。露出の多い防護服で腕を組みながら仁王立ちをしている。眼を閉じたその雰囲気は二度会った頃と比べ、ひどく重い。

 

「——来たか」

「おう、来たぜ」

「待たせんじゃねぇよ、クソッタレ」

 

 空気が更に重くなる。口が悪くなり、フュリの態度が悪いだけなのに、周りの空気は彼女に呼応するかのように重圧を増していく。

 

「言っとくが今のアタシをさっきまでと同じだと思うな」

「……具体的には」

「感情を抑えない。感情の赴くまま——蹂躙する」

 

 感情の籠らない声音で淡々と告げる。

 

「さっきの事は教えてくれないんだな」

「アタシから攻めればアイツは抱いてくれる。感覚共有してるから、アタシでも感情の限界。以上だ」

「なんつーレベルの高い事を……あんた、本当にあたしなのか?」

「黙れ、さっさと構えろ。本当に本気で限界なんだ。アタシが構える前に準備しやがれ」

 

 段々と怒気を籠めていくフュリに、奏もこれ以上の言葉は無理と判断しガングニールを構える。

 構え終わった瞬間、フュリの瞼が開き、同時に暗闇に光が灯る。突然の光に眼が慣れてくると、ここがドーム状の広間だと分かった。ライブ会場に比べれば小さいが、いるのが二人だけだと十分に広い。

 

「あたしは戦いを望んでるわけじゃねぇんだけどな」

 

 自分の髪を掻きながら呟き、ガングニールを構えた。

 

「アタシが望んだ。それだけで()り合うには十分だ」

 

 奏とは思えない低い声で呟き、ロンを構える。

 

「本物にして偽物。感情体(ゲフュールノイド)、フュリ・アフェッティ——八つ当たりに付き合ってもらう」

「……ったくよ。ツヴァイウィングが片翼、天羽奏——デュエットの申し込み、受けてやる」

 

 先に動いたのはフュリ。その場から跳躍してロンを振りかぶる。

 奏は動かない。その場でガングニールを引く。

 

「アタシの感情、怒り妬み恨み悲しみ憎しみ全部——受けやがれぇぇエエエエエッッ!!!」

 

  —撃ッッ!!

 

 想いを込めた絶叫と共にロンは振り下ろされる。

 その一撃を躱す事なく奏は真正面からガングニールを振り上げる。

 

  —戟ッ!

  —轟ッ!

  —震ッ!

 

 槍同士の衝撃は、全方位へと木霊する。

 救われた者と救われなかった者の戦いが三度目の邂逅で遂に始まった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「——始めたか」

 

 遠くから聞こえてくる戦闘音を聞きながら、オッシアはコートを脱ぐ。上半身をインナーだけで隠し、防護服は手甲のみで他に何も付けていない。下半身も防護服のみで鎧の類いは纏っていない。他に挙げる点があるとすれば口許をマフラーで、眼を小さな面のような物で隠しているぐらいか。

 彼がいる大広間はフュリと奏が戦っている広間よりも一回り広く、光源がないのに周りを見渡せるほど明るい。ドーム状の壁には埋め尽くすように正方形の穴が空いており、そこには長方形の石が全ての穴に鎮座していた。

 

「オレ自身の拙い調査によれば、フロンティアはカストディアンの星間航行船だったらしい。今は遺跡と化しているが、生活できるように造られていたようで、所々に居住区跡が見つかった。まあ、ウェルやナスターシャ達は機能等に意識が向いて気付いていなかったみたいだが」

 

 ところで、とオッシアは続ける。

 

「この大広間は何に使われたと思う? ヒントは壁にある」

 

 分からない。無言を貫き、オッシアの答えを待つ。

 

「ま、分からんだろうな。ここはな——墓だ。だがただの墓じゃない。英雄や神と云った聖遺物の担い手だけの墓だ」

「——」

「オレも理由は知らない。だが、聖遺物を使ったオレやフュリが目覚めたのはここだ。あの子も——いや、この話は必要ない。貴様もこの大広間に入った時から感じているだろう? オレ達と同等、それ以上のナニかを」

 

 もう一度全体を見渡す。

 確かに言われるまでもなく、ここは空気が違っていた。神聖でいて、しかしどこか悲しげな空気。正直、今すぐにでもこの部屋を壊したかった。

 

「だが壊す事はほぼ不可能。可能なのは何も入っていない墓と入れられたばかりの墓だけだった」

 

 言葉と共に一振りの槍が壁に向かって放たれる。棺桶だろう石に直撃した途端に響くのは甲高い金属音のような音。細かい傷は分からないが、棺桶には傷一つ付いていなかった。

 

「……さて。何故こんな事を話したのか。——貴様のしたがっていた会話をしてやっただけだ。これでもう満足だろう?」

 

 そう言って白い短剣を出して構える。

 

「アイツが我慢の限界だったように、オレ自身も我慢の限界なんだ。いい加減——終わらせようぜ、遠見鏡華(オレ)

「会話って、お前が一人で喋ってただけじゃねぇか……ったくよ」

 

 ずっと話を聞くだけだった鏡華は、溜め息と共に構える。

 その手には何も持っていない。

 

「ま、お前の提案には賛成だ。終わらせようぜ——あの日からの事、全部」

 

 二年前、全てが始まった。

 終わらせたと思っていた。だけど終わっていなかった。

 鞘の真実を知らなかった。今もまだ全ては分かっていない。

 それでも、この呪いにも等しい奇跡は——そろそろ幕引き(カーテンコール)の時間だ。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅲ

 ここまで来るのにかなりの時間が掛かった。

 遠回りもしたし、偶然が味方をした事もあった。だが、ここまで来た。

 

「うふ、ふふふ、くふふふ——!」

 

 小躍りしたくなる気持ちを口端を吊り上げるだけに抑え、ウェルは双眼鏡で戦場を見続ける。双眼鏡で覗く先には、剣と銃を交える二人の男女——ヴァンとクリスがいた。遠距離からの攻撃をヴァンの炎が寄せ付けないため接近して戦っている。

 根っからの研究者なので、ウェルには戦闘の有利不利の判別はできない。圧倒的な状況なら見れば分かるが、双眼鏡の先の状況は違う。一見、炎で銃弾を守るヴァンが有利に見えるが、クリスに焦った様子は見られない。剣の軌道を先読みしてるかのように動き、引き金を引く。

 暫し眺めていたが、変わらない状況に双眼鏡を眼から離す。

 

「いいねぇ、いいねぇぇ。愛し合う二人が想い合う故に戦う! お話にでもすれば、僕の話の幕間ぐらいにはなるんじゃないかな?」

 

 でも、とウェルは言う。

 

「なる、だけで僕の話にはいらないんだが」

 

 手元の通信機を操作する。

 

「いつまでチャンバラごっこをしているんですか? 早くしないと、愛した人の前で首がボン、ですよ」

『——ッ』

 

 通信を切り、再びにやりと歪める。

 

「早くしてくださいよぉ。まだやる事が山ほど残っているんですからぁ……」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 頭部を狙った弾丸を躱しながら、ヴァンは頭が熱してきたのを感じていた。ガラティーンの熱量に肉体が耐えきれなくなった訳ではない。

 ヴァンは戦闘中、ずっとクリスの姿を見つめていた。四肢はもちろん、視線や口許、身体の全てを。次の動きへの予測、弾道の軌跡、そして——防護服の変化。

 唯一変化していたのは、首に巻かれた首輪。一見すればただの装飾だが、どうにもそうは思えなかった。

 

「なぁクリス。その首輪はどうしたんだ? まさか、番犬(ドッグ)になったとか言わないよな?」

「犬、か……。汚れ仕事には相応しい役職だな」

「……」

「んで、犬は室内じゃなくて敷地の外で十分だろ。違うか?」

 

 クリスの言い分に、また頭が熱くなる。いや、熱くなるというか——

 

『いつまでチャンバラごっこをしているんですか? 早くしないと、ギアスで愛した人の前で首がボン、ですよ』

 

 どこからか聞こえるウェルの声。肉声ではなく機械を通してと云う事を踏まえても、どこからか見ていると云う事だろう。

 しかし、ヴァンにはそんな事は“どうでもよくなった”。熱量がウェルの一言で瞬時に限界を迎える。

 ギアスと云うのは間違いなく、新たに付いた首輪(あれ)

 つまり、俺の女(クリス)に首輪を巻いたのは、あのクソ野郎(ウェル)と云う事で——

 

「ふ——ッざけんなよッ! あの■■(ピー)野郎ッ!!」

 

  —轟ッ!

 

 感情の爆発と共に衝撃が周囲を震わせる。

 一歩下がったクリスは衝撃に驚いたが、ヴァンの言葉に眼を丸くした。

 

「英雄英雄と喚くだけならまだしも、人の女に首輪させるとか、何を考えている!?」

「……は?」

「あれか!? 寝取り趣味とか間男のつもりか!? あの■■■(ピー)■■(ピー)野郎がッ!!」

「お、おい……」

「だいたい——クリスは俺の女だ! 首輪を掛けていいのは俺だけだッ!」

「んな……ッ」

 

 想像もしていなかった言葉にクリスの顔が赤く染まる。

 言いたい事を口走っているヴァンが落ち着いたのは、一分程たってから。溜め息に似た吐息を吐いて、

 

「決めた。誰が何と言おうと首根っこ引きずってでも連れ帰ってやる」

「ッ——」

「拒否権はないぞ。俺の居場所にはクリスがいないと居場所なんて言えないからな」

「……どうして」

 

 顔をそらして問い掛ける。

 その問いに、ヴァンは優しく微笑んで答えた。

 

「約束しただろ。俺は二度とクリスから離れない。一生、クリスのために生きると」

「……でも、あたしは……」

「ええい、しつこい。これ以上言うなら本気で首輪付けて、いつか連れ回すぞ」

 

 迷う素振りを見せるクリスの言葉を両断し、ヴァンはガラティーンを構える。

 

「構えろクリス。殺す気でなければ倒れると思え」

「ッ……、ヴァンッ」

「ああ」

「次で決める。あたしと添い遂げたかったら——あたしを殺さずにヴァンが沈んでくれッ」

「ああッ」

 

 短い肯定。同時に地を蹴る。

 真っ直ぐに駆けるヴァンの額に銃口を向け、確実に殺せるよう狙いを定める。

 

  —弾ッ!

 

 放たれる銃弾をヴァンは躱さない。銃口の位置から着弾点を予測し、最低限の動きで弾く。距離を詰め、ガラティーンを頭上から振り下ろす。

 盾にした拳銃が鈍い音を立てるが、ガラティーンの熱量に耐えきれず溶解する。完全に溶け落ちる前に、クリスは手放し後ろへ跳びながら腰の装甲からミサイルを射出。ヴァンの足止めをしつつ新たに二段、三段と形成した弓床に短矢(ボルト)を配置して次に備える。

 

「燃えろ、想いを糧に——ガラティーンッ!!」

 

  —轟ッ!

 

 刀身から吹き上がる炎が、ヴァンの想いに答えるかのようにその量と質を上げていく。誰も計らない熱量だが、近くのくぼみに溜まった水が蒸発している事からどれほどのものか伺えるだろう。

 自分に迫るミサイルを一刀に伏し、歩を進める。次第に駆け足に、刀身の炎を使って加速していく。

 

「ッ——!!」

 

  —発ッ!

  —発発発発ッ!

 

 ヴァンが一刀両断し、遅れて爆発したミサイルの爆風の中を駆け出すのを見つけると同時に引き金を引く。三段に分かれた弓床のボルトが一斉射出され暴雨の如くヴァンに降り注ぐ。

 いくら熱で溶かそうとも絶え間ない弾幕ならば——

 

「——ゥ雄雄雄雄雄雄ッッ!!!」

 

 ヴァンは止まらなかった。

 クリスでも滅多に聞かない咆哮を上げ、鉄の暴雨に突っ込む。

 

  —斬ッ!

 

 斬る。雨はやまない。

 

  —轟ッ!

 

 灼く。雨は炎を溶けてなお貫く。

 

  —貫ッ!

 

 貫く。雨を薄皮一枚の差で躱すヴァン。躱しきれていない証拠として、鎧で覆われていない頬や腕から血が流れる。

 それでもヴァンは駆けた。

 駆けて——斬って——灼いて——負って——駆けて——

 ついにはクリスが得物の間合いに入った。

 

  —閃ッ!

 

 下からの斬り上げでボウガンを灼き斬る。

 振り上げたまま構え直し、振り下ろす。

 

「まだ……!」

 

 振り下ろす——直前、クリスが動いた。

 胸元の防護服を掴み——“真ん中から裂いた!”

 

「ッ? ——ッ!?」

 

 この戦闘中、クリスは何度か己の肉体を使った谷間からのリロード(こうどう)をしていた。慣れたわけではないが、新たな行動にヴァンは驚きや呆れこそ見せるもすぐに対処しようとして——今度こそ驚いた。

 自分で引き裂いた防護服から溢れ出たもの——それは年不相応の乳房であり、

 

「さっき言ったよな? 連れて帰るって。なら、“これ”はどうする?」

 

 乳房を潰して入っていた——時限式のグレネードだった。

 動いているデジタルの数字が示す残り時間は、二秒を切っていた。

 

「ば——ッ!」

「はは、護ってくれよ? 愛しの旦那様」

 

 普段では絶対に言わない茶目っ気たっぷりのクリスの台詞を、しかしヴァンは気にする余裕などなかった。

 攻撃を即座に中止、片手でクリスの喉を突き、もう片手でグレネードを引き寄せようと伸ばしたが、

 

  —爆ッ!

  —轟ッ!

 

 それよりも早く、グレネードが爆発。

 爆風と爆音で二人を包み込んだ。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅳ

 お久し振りです。
 また期間が空いてしまって申し訳ありません。
 不定期ですが投稿していきます。AXZ始まるまでには完結……(めそらし


  ――非常Σ式 禁月輪――

 

  ―駆ッ!

 

  ――双斬・死nデRぇラ――

 

  ―斬ッ!

 

  ―戟ッ!

 

 日向の視線の先で、調と切歌の得物がぶつかり嫌な音が辺りに響く。車輪の形状にした鋸の一撃を持ち手を二つにした、さながら巨大な鋏のような大鎌で防ぎながら鋸の軌道を逸らす。軌道を逸らされ地面に着地した調は、鋸を元に戻して小型の鋸を撃ち放つ。大鎌だけでは捌けない量の鋸を、切歌は肩のユニットの切っ先全てを鋭利な鎌の刃に変え捌き飛ばす。

 

「――」

 

 言い争いと共に繰り広げられる過去含めて最大の“喧嘩”を前に、日向は何もせずに傍観していた。

 響は既にこの場にいない。調と切歌の戦闘が始まる前に先に行かせたのだ。日向と違い、ギアを喪った響に戦う術はないし、戦わせる気は更々なかった。

 今頃はこの一件の中心点であるマリアのいる(であろう)場所に向かって走っているはず。何をする気かはあまり予想できないが。

 

(それよりも、かな)

 

 響の事は一旦脇に置いとくとして、日向が今対応すべきと考えているのは目の前で喧嘩する二人。

 現時点で分かっている事を纏めると、

 一つ、争う原因は意見の相違。

 一つ、自分でいられる内にナニかを遺したいという、切歌の言葉。

 大雑把に二つ。この場での遣り取りからの纏めなので、他の事は含めてないが。

 

(一つ目は、まあ仕方ない。意見が合わないなんてよくある事だし、互いに“間違っていない”)

 

 ウェルの考えがどんな方法かは聞いていないが、ある程度の予想はできていた。月の落下阻止は最初から放棄し、フロンティアにいる自分と従う人間だけを救う案。ウェルの救済方法は人道的ではないにしろ、やり方としては一つの手段だと日向は考えている。無論、賛成も賛同もしないが。

 切歌がLinkerを調に投げ、自分にも投与するのを眺めながら二つ目について考える。ちなみに二人を止めると云う考えは既に無く、本当に危なくなった時のために眼だけは二人を追っていたりする。

 

(さっきの切歌ちゃんの言葉。真正面から受け取れば、自分と云う存在の証を遺したいって事。それはつまり、切歌ちゃんがフィーネの魂を引き継いでいるって云う可能性。どこかでそれを証明するナニかを見てしまったから、今の状態を作った……?)

 

 これに関しては、情報も少なく疑問系で終わらせるしかなかった。ただ、マリアがフィーネの魂を継いでいない事は分かっていたので、可能性は高いと云えるだろう。

 

 一方、日向が考えを巡らせている間に、切歌と調は絶唱を歌い終えた。切歌の身の丈以上の大鎌は更に巨大になり、宙に浮いたそれに切歌は跨がる。調のギアは四肢のユニットが巨大化し四肢の先に大鋸を付けた姿は、さながらアニメに出てくるロボットのようなものだった。

 そろそろかな、と日向は身体を動かした。絶唱までして自分の想いをぶつけるのは構わないが、大怪我をしてまでするものではない。

 ぶつかり合う大鎌と大鋸。数合は拮抗して火花を散らしていたが、競り勝ったのは――

 

「――ッ、ぁ」

 

 切歌の大鎌だった。

 右腕の大鋸を鍔迫り合いの末に砕き、一回転しての一閃で左腕の大鋸を破壊した。

 いくらLinkerを使用していても絶唱の発動で他の事はできない。慣れない巨体に加え、両腕の武具が破壊されては調に防御の手段は失われたに等しい。

 そんな無防備の調に切歌はとどめの一撃を与えようと大鎌を振りかぶっていた。当然ながら殺しなどしないだろうが、それでも防御の手段のない調にはかなりのダメージが入るだろう。

 日向は駆け出すが、すぐに急ブレーキをかけることになった。

 

「――え?」

 

 その声は一体誰のものだったか。切歌か調、はたまた一番冷静な日向だったかもしれない。もしかしたら三人全員と云う事もあり得る。

 何故なら――

 

「何、これ……?」

 

 調の目の前に広がる網のような障壁。困惑する調をよそに、大鎌を振り上げていた切歌と走り出した日向を止めていた。

 調と日向は見た事のない物だったが、切歌には見覚えがあった。

 

「《ASGARD》……そんな、本当は調だったんデスか?」

 

 呆然と大鎌から地上に降りた切歌が呟く。

 だが、切歌が《ASGARD》を見た時、調と共にオッシアに覆いかぶさられていた。そんな時に見た光景では自分がフィーネの魂を継いでいるのだと勘違いしてもおかしくない。

 その事を教えられる人物は――ここにはいなかった。

 

「あは、あはは……」

「切ちゃん?」

「フィーネの器になったのは調なのに、私は調を……調に悲しい想いをして欲しくなかったのに、できたのは調を泣かすことだけデス……私、何やってるんだろ」

 

 馬鹿にするような笑いを浮かべる調。その眼には滂沱の涙を溜め、こぼしていた。

 ゆっくりと腕を挙げて、力なく振り下ろす。

 その動作に放り出していた大鎌が宙に飛び上がり、回転を加えながら落ちてくる。

 落ちてくる先には、

 

「今すぐ消えてなくなりたいデス」

「切ちゃん!?」

 

 大鎌の向かう先に気付いた調が慌てて駆け出す。しかし、LiNKERと戦闘の影響か、躓いて膝から崩れ落ちてしまう。切歌の名前を叫ぶが、切歌は受け入れるかのように眼を閉じている。

 

「ッ……、日向ァッ!!」

 

 自分では間に合わないと悟った調は立ち上がりながら日向の名前を叫ぶ。

 呼ばれた本人は当然の如く切歌の前に立っていた。

 

「――憤ッ!!」

 

 高速回転する大鎌の刃を両の掌で挟み込むように止める。止められた大鎌は意思があるかのように更にブーストして日向の手から離れようとするが、日向の手は震えるだけで捉えた刃を逃がそうとはしない。

 

「っとと、流石にギア無しで捉え続けるのは痛いな……」

「……日向? ッ、素手で何やってるんデスか!」

「そう思うなら止めてくれないかな?」

 

 遅れて気付いた切歌が慌てて大鎌を止める。完全に沈黙したのを確認してから日向は大鎌を脇に投げ捨てた。

 

「切ちゃん!」

「し、しら――」

 

 切歌の許に辿り着いた調。切歌の声を聞く前に彼女は呆然としている切歌の頬を叩いた。

 

「切ちゃんの馬鹿!」

「調……」

「でも、大好きだから!」

 

 ギュウッと抱き締める。しばらく動けなかった切歌も両手を調の背中に回して抱き締めた。

 

「私も……調の事が大好きデス」

「うん。でも、大好きだからすれ違っちゃった」

相手(しらべ)を想うあまり、自分だけで何とかしようとして……こうなっちゃったんデスね」

「私達は独りじゃ何もできない。今だって、私一人じゃ切ちゃんを助けられなかった。皆に助けてもらってる」

 

 切歌から離れて周りを見る。

 だがどれだけ見渡しても、さっきまでいた日向の姿はない。

 きっと、もう助けにいったのだろう。

 

「だから、今度は二人でマリアを助けよう? 切ちゃん」

「うん……うん! 今度こそ、今度こそ皆を助けるデス。調と一緒に!」

 

 誓いを互いの胸に。

 そうして、調と切歌はもう一度抱き締め合うのだった。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅴ

「怒り、猛り、狂い――狭い世界の中で」

 

 それはきっとワタシの心。

 

「恋い焦がれた、優しい日々は消え去り」

 

 ただ感じるしか、見ている事しか出来なかった。

 初めは仕方ないと思った。彼の行動に間違いはない。もし自分が逆の立場でも同じ事をする。

 

「手を伸ばしても、そこに私はいなくて」

 

 眼が覚めてからずっと見ていた。

 だけどいつしか――見ているだけが辛くなった。

 あの子に触れたかった。声を届けたかった。

 でも、届くのはいつも私自身(べつじん)の声や手だった。

 

「失った日常が、貴いモノだと気付いた」

 

 我慢できなくなった時、自分の中から抑えの効かない怒りが湧き上がっていった。

 

 自分の事に気付かずに平穏な日常を送っている私自身(ほんもの)に。

 行動に間違いはなかったと自分が認め、共に生き、私だけを愛すると言った彼に。

 人が手を出すべきではなかった過去の遺物たる鞘に。

 そして何より――こんな事を考えてしまっている自分自身(ワタシ)に。

 かつて家族を殺され、復讐すると誓ったあの時と変わらないーー否、それ以上の怒りを感じてしまっていた。

 

 抑えきれずフロンティアの一部を無意識に具現化した槍で壊した。海水が入ってこなかったのは奇跡だろう。

 彼がいる時は、彼に八つ当たりのように思いの丈をぶつけた。ぶつけるのが言葉や武器だけでなくなるのに、然して時間は掛からなかった。

 気力で抑え付けても、感情自体が実体を持つかのように怒りの炎で内から焦がすかのような痛みを与えてくる。

 我慢する事は可能だが、その分反動は大きい。

 

「アアアアァアアッ――!!」

 

  ――捻れ狂う螺旋棘 (RAGING∞SPEAR)――

 

  ―閃ッ!

  ―轟ッ!

 

 咆哮と共に放たれる一本の槍が、空間を切り裂いて走る。

 自身へと到達する前に奏はその場から駆け出す。ワンテンポ遅れて立っていた場所に、投擲された槍が着弾し爆裂する。足を止めようとした奏は、しかし、すぐに回避するために跳んだ。

 

  ―爆ッ!

 

 爆風が回避行動に移り宙に浮いていた奏の身体を吹き飛ばす。空中で体勢を整えつつ奏は、手にした槍を構え、

 

「遅ェッ」

「んぐっ!」

 

 目の前にいたフュリに殴られた。地面をバウンドし壁に着地する。ガングニールのブーストと共に壁を蹴り、フュリへ接近し、

 

「おらあッ!」

 

 ガングニールによる一閃。

 フュリはまだ空中におり、回避は難しいと踏んでいた。しかし、フュリはあっさりと躱し、蹴りを放つ。それを槍で弾き飛ばし距離を取る。

 

「だから、遅ェんだよォオッ!!」

 

 フュリが吼える。同時に宙へ弾き飛んだ彼女が正反対――つまり、奏のいる地面へと飛び込んできている。

 驚く奏の視界に、フュリの後方に一瞬だけ映った物によって理由が判明した。

 

「プライウェンを足場にして……!」

 

 だが驚いているだけの時間はない。刺突を躱し、槍を横薙ぎに一閃する。本来回避できない一撃だが、フュリの足下には既にプライウェンが具現化していた。回避する事なく前へと踏み込み、槍を回す。奏の一閃を柄で防ぎながら更にもう一度回転。ガングニールを弾き飛ばしながら穂先が奏に向かって襲い掛かった。

 

  ―閃ッ!

 

 流れるような動作に奏は息を呑みながら後ろへ下がる。が、ワンテンポだけ“ズレた”。

 穂先は阻む物のない奏の顔の右側を切り裂いた。

 

「ッ、がっ!?」

 

 一閃によって、一瞬の冷たい感覚と共に真っ暗闇に染まる視界の右半分。わずかに遅れてじくじくと熱を帯び痛みが呼び寄せられる。痛みを噛み殺し、フュリを片目で見据え、奏は言葉を失った。

 

  ――捻れ狂う螺旋棘(IMITATION∞METEOR)――

 

 奏が見たのは、フュリが炎の旋風を宿した槍を振り下ろしていた姿。

 槍が叩き込まれたのは奏の足下。だが、攻撃を誤ったのではない。直感でそう気付いた奏は後退しながら盾を具現化し、更に両腕を顔の前でクロスさせた。

 

  ―轟ッ!

 

 はたして――奏の直感は正しかった。

 吹き荒れる炎の嵐は、容易く奏を盾ごと呑み込んだ。あまりの熱量に声にならない悲鳴を喉の奥から上げながら必死に耐える。

 何秒経過したか、奏は分からない。

 

「……、……、……」

 

 炎の嵐から解放された奏はその場で膝から崩れ落ちた。回復は始まってるが、痛みは収まらない。

 

(くっそ……ワンテンポ遅れただけでこのザマか。はは、流石に笑うしかないなぁ)

 

 それにしても、と、奏は荒い息のままサッと身体を見回す。

 回復はまだ継続中だが、傷の中に火傷の痕が見当たらない。既にそれだけ治った、と云うわけでもないだろう。しかし、内側から身を焦がす痛みはまだ残っている。

 ――何故?

 

「さっきの炎はアタシの感情のによる概念精装。だから肉体にダメージはない」

 

 そう、奏の疑問を分かっているかのように話し出すフュリ。

 

「これを受けたのが天羽奏(あたし)以外なら、何のダメージもない。だけど、天羽奏(あたし)に対してだけは有効だ。アタシがこれまで耐えた怒りと云う感情を、痛みを、そのまま受けてもらう」

「つまり早い話が、対自己に特化してるって事か。やってくれる」

 

 悪態を吐きながら手をかざし、弾かれたガングニールを呼び寄せる。槍を杖代わりに立ち上がる。概念精装のダメージはまだ残っているが、続行不可能と云うほどではない。

 

「そうだ、立ち向かってこいよ。その悉くをブチ壊して、今までの怒りを全て教えてやるッ!!」

「受けてやるのはや、やぶ……やさぶか? じゃないんだけど、なッ!」

 

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

 

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 調と切歌の戦闘をモニター越しからマリアは見ていた。

 

「どうして……仲の良かった調と切歌までが……」

 

 モニターから二人へ声を伝える事は出来ない。この場所にウェルはいなくなっていたが、未だシステムの操作等はウェルが握っていた。

 この場からでは何もできない自分にマリアは悔しそうに顔を歪める。

 

「私の選択はこんなものを見たいがためではなかったのに……ッ!」

 

 世界はおろか大切な人すら護れないと感じたから、マリアはウェルに賛同し、調や切歌、日向やナスターシャを抑えて行動したのに。なのに何故こう裏目に出るのだ。

 膝から崩れ涙がこぼれる。

 

『……リア。……マリア』

 

 ナスターシャの声が聞こえたのは、そんな時だった。

 

「マム!?」

『フロンティアの情報を解析して月の落下を止められるかもしれない手立てを見つけました。最後に残された希望――それにはあなたの歌が必要です!』

「私の……歌?」

 

 立ち上がったマリアにナスターシャが説明を始める。

 曰く、これらの一件のそもそもの原因は、数ヶ月前のルナアタックによって月機能の一部が機能不全に陥ったからであると。月はかつての支配者(カストディアン)が地球人類より相互理解を剥奪するために構築、配置した監視装置。そして今では引力の関係で地球にとって無くてはならない衛星。

 その月を――敢えて再起動させる。

 機能が不全で人類の危機となるなら、もう一度起動させる事によって人類を危機から救うのだ。

 ナスターシャの見解では、月の機能は歌によって再起動させる事ができると云う。

 

『かはっ……マリア、あなたの歌で世界を救いなさい……!』

 

 吐血と共に告げられる言葉。

 信頼の籠められた言葉に、マリアは胸のペンダントを握り締め。そして――



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅵ

 それは突然だった。

 数十分前に放送され、黒いコートで姿を隠した誰かによってカメラを破壊されてから、ニュースは現場の状況を映す事なく報道していた。

 屋内やネット、路上でそれを見ていた人々の中で少なくない人数が新たに入る情報を待っていた――そんな時だった。

 

『私は、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。月の落下による被害を最小限に抑えるため、フィーネの名を語った者だ』

 

 突如としてモニターに映し出される女性の姿に誰もが足を止め、モニターに視線をやる。

 それはテレビ等だけでなく、映像を流す事が出来る機器全てに及んでいた。否、日本だけではない。全世界の機器全てから映像が流れ始めていた。

 映し出された女性の名前は、見ている半数以上がすぐに思い出せた。デビュー二ヶ月で米国チャートの頂点に上り詰め、しかし一、二ヶ月ほど前のライブで突如テロリストになったマリア・カデンツァヴナ・イヴ。

 そんな彼女が全世界へ向けて語り始めた。

 語る内容は月の落下と各国の陰謀。

 完全に理解できる者は、ほとんどいないだろう。しかし、マリアは必死に伝えていく。

 

『全てを偽ってきた私の言葉がどれほど届くか自信はない。だが、歌が力になるというこの事実だけは信じて欲しい』

 

 そう言ったマリアが突如服装を変化させた。私服だったはずなのに、テロを起こした際の武装を身に纏っている。

 

『私1人の力では落下する月を受け止め切れないッ! だから、貸して欲しいッ! 皆の歌を届けて欲しいッ!』

 

 歌い出すマリア。その歌が何なのか、見ている人々は分からない。

 ただマリアが必死になって世界へ自分の歌を届けているのは分かる。

 しかし――駄目なのだ。

 

 何故かは分からない。もしかしたら、テロを起こした時のしこりが残っているのかもしれない。

 人によっては突然説明されて、歌を歌われても、わけが分からないと云う人もいる。

 或いは――“マリアの歌ではないからか”。

 どちらにせよ、今のマリアが奏でる歌には、見ている人々の心を打つ何かが足りなかった。

 

 必死に歌うマリアだが、それが月の遺跡へ伝わる事はなかった。

 膝から崩れ落ちるマリアを画面外にいるだろう誰かが声を掛けるが、彼女が立ち上がる事はなかった。

 

「この人、ビッキーたちと一緒だね」

 

 そんな中、偶然通りがかり一部始終を見ていた安藤創世達三人。

 

「うん」

「誰かを助けるために歌うなんて……」

 

 彼女達は知っていた。

 誰かのために歌う友達の事を。知っているからこそマリアのやっている事もほんの少しだけ分かる。

 彼女がどれだけ一生懸命なのかと云う事を。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「シンフォギア奏者はこれから僕が統治する世界には不要、っととぉ……」

 

 クリスとヴァンが巻き込まれた爆発によって、地上と繋がった地下の空洞に滑り降りながらウェルは呟く。

 

「そのためにぶつけ合わせたのですが、こうもそうこうするとはチョロすぎるぅ……」

 

 悪い笑みを浮かべながらウェルは二人の生死を確かめるために姿を探す。その間に思考だけは次の一手を考えていた。

 元々、頭の中には月を落とす計画が最初からあった。そして、落とした後はソロモンの杖で武力による統治を図る算段だが、そうなると邪魔になるのはシンフォギア奏者なのだ。そのシンフォギア奏者に武力で抵抗するなど、はなから不可能だと結論づけている。だからこそ対抗するためにAnti_LiNKERを開発した。効果も十二分に満足のいく物だった。

 後は残りの奏者の始末だが、ウェルはこれに一番頭を悩ませていた。通常のシンフォギア奏者は問題ない、融合症例である立花響も既に無力化できた。だが、アヴァロンの奏者である遠見鏡華と天羽奏、そして感情体(ゲフォールノイド)であるオッシアとフュリだけは考えが浮かんでは却下されていく。

 最初の頃は不老不死を得る事の出来るチャンスだと思っていたが、持ち得る手段では体内から排出する方法がなく、調べる事もほとんどできなかった。加えて相手取るにしても、確実に消す方法がない。今は同士討ちを狙うしかないのだ。

 そこまで考えて、ウェルの足は止まった。

 

「うわぉっ!? お、お前……生きて……はぁあああっ!?」

 

 ウェルの視線の先には、ボロボロの防護服を纏ったクリスがしっかりとした足取りで立っていた。

 近くにはヴァンが倒れている。

 

「約束通り二課所属の装者は片付けた。だから、ソロモンの杖をあたしに」

「……はっ! こんなままごとみたいな取り引きにどこまで応じる必要があるんですかねぇ?」

 

 当然ウェルは約束など初めから守るつもりなかった。握り締めていたギアスの起動ボタンを押す。

 だが、カチっと押し込む音だけが聞こえるだけで何も反応しない。

 ウェルが何度も押しても変化はない。

 

「え、あれ!? 何で爆発しないっ!?」

「壊して“くれた”んだよ! 約束の反故なんて、初めから知ってたしな!」

「分かっていて、取引を……っ!」

「悪党のやり口なんて、昔からどれもこれも同じなんだよ、分かりやすい」

「ッ、だったらぁあ!!」

 

 スイッチを投げ捨て、ソロモンの杖を使う。大量のノイズがクリスを取り囲む。

 

「今更ノイ――ッ!?」

 

 銃を構えようとしたクリスだったが、激痛に似た何かが身体を走った。

 顔を歪めるクリスに、ウェルが勝ち誇ったように叫ぶ。

 

「Anti_LiNKERは忘れた頃にやってくるッ!」

「ちっ……! 舐め、んなッ!」

 

 吐き捨てるように言うクリスは、痛む身体を押し殺して落とした銃を拾い、回転輪胴(シリンダー)から銃弾を抜く。握り締めた銃弾を頭上に放り投げた。

 

「ぶっ飛べ! アーマーパージだッ!!」

 

  ―爆ッ!

 

 咆哮と共にイチイバルの防護服やアーマーがパージされ、周りのノイズを襲う。それだけでなく頭上にパージされたアーマーが先に放り投げられていた銃弾の雷管に直撃し弾頭が放たれた。飛び出した弾頭は計算されていたかのようにアーマーと共に周囲のノイズを襲った。

 一方、全方位にパージされたアーマーはノイズだけでなく地面や柱にも直撃し爆風を巻き起こした。

 爆風を腕で庇い辺りが見えないウェルへ、クリスは裸のまま駆ける。爆風で姿が見えないのはクリスも同じだが、場所は覚えている。影が見え、クリスは腕を思い切り振り切った。

 

「ふげらぁっ!?」

 

 予想通り拳はウェルに直撃し吹き飛ぶ。同時にその手からソロモンの杖が離れた。後はソロモンの杖を拾いノイズを制御して自壊させればよかったが、思いのほか殴打の一撃が強かったのか、ソロモンの杖が吹き飛んだのはノイズの後ろだった。

 

「くそ……ッ」

 

 ミスった、と胸の中だけで呟いた。無理矢理パージしたイチイバルはすぐには纏えない。ヴァンも気を失って行動不可能。ウェルは最初から戦力外だ。

 ――どうする?

 必死に頭を回すクリスだったが、ふと、以前の会話を思い出した。

 

 ――あまり背負い込みすぎるな雪音。二人のように……なってはほしくないが、もう少し私達を頼れ。仲間のミスぐらい、カバーしてやるさ。

 

「ぁ、ぅ……ッ、助けてくれ――先輩……ッ!」

 

 思えば、クリスがヴァン以外に明確に助けを求めたのはこれが初めてだったかもしれない。

 わずかに躊躇しながらもはっきりと助けを求める。この場にいない、届くはずのない声。しかし――

 

「――先輩、か。なかなかどうして、新鮮な呼び名だ」

 

  ―閃ッ

 

 辺りを漂っていた砂煙が晴れた。

 その真ん中に立っていたのは――たった今助けを願った彼女だった。

 

「馬鹿なッ!? Anti_LiNKERが充満した場所で、何事もないかのように、いや! それ以上の動きをするだとぉっ!? 何故!? 何故ギアとのシンクロ率を“上げている”のに動けるッ!?」

「そういう先輩だ、気にすんな」

 

 ありえない光景にウェルは敵のはずなのに疑問を次々と叫ぶ。

 そう、翼はAnti_LiNKERが充満する中を、騎士王と剣を交えた際にロックを強制解除し軽装になった防護服を纏っていた。

 驚愕するウェルに、色々と慣れてしまったクリスは平然と答える。こんな事で驚いていたら、天羽奏の対応等で立花響(あのバカ)と同じツッコミ役になってしまうのだ。

 怯え、慌てて逃げるウェルをクリスは追わない。ウェルよりもソロモンの杖であり、先輩の方が重要だった。

 

  ――空ノ轢断――

 

  ―閃ッ!

 

 抜刀からの一閃。それだけで翼が納刀した後に、上下に分かれなかったノイズは一体もいなかった。

 クリスはそれを見届けて、ソロモンの杖を拾い、裸だった身を制服に通した。

 

「回収は完了したようだな」

 

 ギアを纏ったまま翼が言う。

 

「……」

「どうした?」

「えっと……その、一人で飛び出して、ごめんなさい」

 

 恥ずかしがりながら、クリスは素直に謝った。

 それに翼は小さく笑う。

 

「気に病むな。それに最後は頼ってくれた」

 

 それに、と翼は再び同じ接続語を繋げた。

 

「私もやっと、胸に燻ってたモノに気付けたしな」

「燻ってたモノ?」

「……防人の先輩として、な。奏のように……なりたかった、のかもしれない」

「やめてください今のままでいてくださいお願いします先輩」

 

 本気で嫌だったのか、敬語で棒読みと云う珍しいクリスの言葉に、翼は笑った。

 

「それでは私はもう行く。奏を見たか?」

「ちょうどこの奥の遺跡で2Pカラーなら見た」

「そうか。ああ、雪音は夜宙が起きるまで休憩してから、立花と合流してくれ」

「了解だ、先輩」

 

 頷くと、空洞の奥へ駆けていく翼。

 それを見届けて、クリスは倒れているヴァンの元へ歩いて――蹴りをいれた。

 

「……痛いぞ」

「うっせー馬鹿ヴァン。先輩と会話してるときから狸寝入りしてやがって」

 

 はぁ、と溜め息を吐きながら、クリスはその場に腰を下ろし、ヴァンを仰向けにした。正座を片側に崩し座りやすいようにしてから、ヴァンの頭を膝に乗せた。

 

「ったく……無茶しやがって」

「クリスが言うな。首に爆発物巻かれてやがって……心底腹が立った」

「悪かったって。帰ったら何かしてやるから」

「……そうか」

 

 わずかに上がったヴァンの口角に、クリスは問うた。

 

「あんだよ、にやにやしやがって」

「いや、お前が帰ったら、なんて言うからつい、な」

「あー……かもな。どうかしてやがるぜ、あたしって奴は」

 

 ヴァンの髪を撫でながら、クリスは満更でもなさそうに返す。

 これまでクリスには帰る場所を見つける事が出来なかった。数ヶ月前に帰る場所を与えられたが、それを完全に受け取る事ができなかった。

 だが、どうやらいつの間にか、帰るべき場所を受け入れていたようだ。

 

「うるさくてしつこくて、時々ベタベタしてくる事があって、余計なおせっかいを焼いてきたり、色々と面倒な奴らだよ」

「そうだな」

「でも、それでも――そんな面倒なのがどうしようもなく嬉しくて、あったかいんだよな」

「ああ」

 

 きっと、クリスは気付いていないだろう。見えているヴァンは何も言わなかった。

 クリスの顔が自然と笑みを浮かべていた事を。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅶ

 息も絶え絶えに昇降機に辿り着いたウェルはネフィリムの腕で昇降機を動かし、そこでようやく一息をつけた。余裕が戻ってくると、ウェルの思考は一瞬で怒りに染め上げられた。

 

「くそッ! ソロモンの杖を手放すハメになるとはッ!」

 

 初めからF.I.S.、ひいてはウェルの持ち得た戦力の大半はソロモンの杖によるノイズだったのだ。残りの戦力はシンフォギア奏者のみだが、そのほとんども使い物にはならない。唯一残されているのはマリアとネフィリムだけ。オッシアも恐らく契約を終えているためアテにはできないだろう。

 

「こうなったらマリアをぶつけてやる……!」

 

 マリアが他の奏者に勝てる可能性は限りなく低いが、それならそう考えて動けば問題はない。そう考えて昇降機の速度を上げ、ブリッジへと急ぐ。

 ブリッジに着くと、ギアを纏ったマリアが蹲っていた。通信越しに聞こえるナスターシャの声から何かやっていたのだろう。

 怒りの収まっていないウェルは、自分の思い通りに動かないマリアに臨界点を超えた。簡単に言えばプッツンしたのだ。

 

「――――ッ!!」

 

 早足でマリアに近付き言葉にならない早口で罵倒しながら、マリアを殴り飛ばした。まったくの無抵抗だった彼女は受け身も取らないまま床に倒れ伏した。

 

「誰も彼も僕の言う通り動かない! 痒い所に届かない肩叩き以下の役立たずがぁっ!!」

『マリア!?』

「あん? ……やっぱりオバハンの仕業か」

『お聞きなさいDr.ウェル! フロンティアの機能に向かって――』

 

 ナスターシャが事態を収拾できる案を説明していくが、ウェルは取り合う事なく手元のスフィアを操作する。

 

「だいたいなぁ、月が落っこちなきゃ好き勝手できないだろうがっ!」

『Dr.ウェルッ!!』

「遺跡を動かす〜? そんならあんたが月に行って好き勝手動かせばいいだろう! 小五月蝿い姑がッ!!」

 

 ドンとネフィリムの腕を叩き付けるようにスフィアに押し付ける。何をしたのか、マリアには分からない。しかし、外から噴射音が聞こえると最悪の想像をしてしまった。

 

「マムッ!?」

「有史以来、数多の英雄が人類支配を為し得なかったのは人の数がその手に余るからだッ! だったら支配可能なまでに減らせばいいッ! 僕だからこそ気付いた必勝法ッ! 英雄に憧れる僕が英雄を越えてみせるッ!」

 

 ウェルが自分の計画を口にしているが、マリアはほとんど聞こえていなかった。

 宇宙へ行く事など計画のどこにもない。対Gスーツなんて上等な物なんて用意していない。しかも乗り物は航行船と呼ばれる物とは云えその一部だけ。一瞬で大気圏を突破するのにどれだけの推力で射出されたのか。また射出された制御室に圧し掛かるG――加速度はどれだけものか。

 その加速度に制御室が――生身のナスターシャが“耐えきれるのか”?

 

「あ、あぁあああッッ!! マムをッ! よくもマムをぉおおッ!!」

 

 誰が考えても耐えきれる訳がない。

 その答えを即座に導き出し絶叫するマリアは、その手にガングニールを槍として握り締める。

 

「手に掛けるのか!? 英雄たるこの僕を! この僕を殺す事は全人類の――」

「殺すッ!」

 

 英雄? 全人類の?

 

 ――だ か ら ど う し た

 

  ―斬ッ!

 

「うひぃっ!?」

 

 振り下ろしの一閃をウェルはギリギリで躱す。

 もうウェルの言葉は聞き飽きた。奴の話す全ての言葉が耳障りだ。

 殺す、ころす、コロす――奴さえ殺せれば、後の事なんて知るか。

 確実に殺せるために槍本来の突く構えを取る。

 

「――しね」

 

 一歩を踏み出す。

 

 

「駄目ですッ!!」

 

 

 その一歩を止めたのは。

 同じガングニールの聖遺物を使っていた融合症例の少女。

 そして、日向のかつての幼馴染み。

 立花響がウェルの前に立ち、マリアの前に立ち塞がった。

 

「そこをどけ! 融合症例第一号!」

「違う! 私は立花響、十六歳! 融合症例なんかじゃない!」

「なにをッ!」

「ただの立花響がマリアさんと色々お話したくてここに来たッ!」

 

 この場に似合わない自己紹介から始める響のお話。

 それはかつてクリスにもした、響の人助けの第一歩。

 

「お前と話す必要はない! マムがこの男に殺されたのだ! ならば、私もこいつを殺すッ! 世界を守れないのなら私も生きる意味なんてないッ!!」

「あります! 私はマリアさんとたくさんお話したい事があるッ!」

「知るかぁッ!!」

 

 我慢しきれずマリアが槍を振り抜いた。

 響はその鋭い穂先が自分に当たる前に横へ半身動かす。これでウェルに当たる。そう思っていた。

 

「お前……ッ」

 

 避けたと思っていた響は、素手で槍の穂先を掴まえ握り締めていた。

 掌から血を流し痛みで手が震えているのに、響は槍を離そうとしない。

 

「意味なんて後から考えればいいじゃないですか。聞きたいんです、マリアさんの事とか、私の知らない、マリアさんの知ってるひゅー君の事を」

「ッ……」

「まだ告白とか大事な事終わってないんですよ? だから――生きる事を諦めないでッ!!」

 

 叫ぶと同時に、真逆の静かな声で聖詠を唱う。

 

「聖詠!? 何のつもり!?」

 

 その意味はすぐに現れた。

 叫ぶように唱いきると共に槍が光と消え、マリアの纏うガングニールも同様に光となり辺りに膨大な粒子として散っていく。

 纏う物がなくなり裸体を晒す響とマリア。

 

「何が起きているッ!」

 

 訳の分からない現象にマリアは戸惑いを見せる。

 

「こんなことってあり得ないッ! 融合者は適合者ではないはずッ! これはあなたの歌? 胸の歌がして見せたこと? あなたの歌って何ッ!? 何なのッ!!?」

 

 響が何かしたのは明らかだ。

 狼狽が言葉と共に吐き出される。

 

「マリア。響ちゃん……」

 

 遅れて日向が到着するが、二人とも気付かない。

 次第に光が響の元に集まっていき、そして告げる。

 

「撃槍!! ガングニールだぁあああッッ!!!」

 

 光が消えた時、響はガングニールのギアを纏っていた。

 その姿は紛れもなく適合者としての姿だった。



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Fine11 遥か彼方の理想郷Ⅷ

  ——キミの終焉、其れはいつか必ず——

 

 広い部屋に、狭い“世界”に静謐に響き渡る。

 金色の風が包み込み、視界を覆い尽くす。残光を伴ってオッシアは姿を現した。

 漆黒を基調とした防護服。その上から銀を基調とした胴鎧、手甲、脚甲が覆う。肩で留められたマントはなく、代わりに腰周りの鎧からコートの裾のように風に揺れている。握られているのは、フランスの叙事詩に登場し、無限の力と高い切れ味を誇る聖剣デュランダル。

 

「——シッ!」

 

 駆けると共にノーモーションで《遥か彼方の理想郷・応用編》——時止めを発動。死角に入りデュランダルを振るうと同時に時止めを解除する。

 誰も止められない角度からの一撃。それを鏡華は振り向く事なく対応した。

 

  ―閃ッ!

 

 ——オッシアと同じ時止めを用いて。

 オッシアが振り抜いた時には鏡華はその場にいなかった。即座に時を止めて距離を取りながら槍を放つ。十数本もの槍が襲い掛かり、鏡華は盾を具現化させて防ぐ。視界が覆われた刹那、背後から強烈な圧が発生するのを感じ、

 

  ―撃ッ!

 

「ぐぁ——ッ!」

 

 躱すために捻った身体に、拳撃を打ち込まれた。

 内部から嫌な音を耳にしつつ、鏡華は時止めで距離を置く。が、上手く発動できず予想より近距離で時が動き出す。一瞬で距離を詰めてデュランダルを振り下ろされるのをカリバーンで受け止めた。

 

「……、……、……ッ!」

「……」

 

 鍔迫り合いの中至近距離で相手の顔を見る。拳撃のダメージに荒い息を吐く鏡華に対し、オッシアの顔は仮面に隠れて表情を伺う事はできない。

 何故か今にも力を抜いてしまいそうな腕に力を入れながら、鏡華は無理矢理距離を取ろうと後ろへ下がった。至近距離だと理由は分からないが気を抜いてしまいそうだったからだ。まるで心地よい気持ちになっているかのような——

 

「考え事とは余裕だな」

「ッ……」

「その余裕、終わりまで持たせてみろ」

「言ってろ、この野郎!」

 

 考えている事ごとカリバーンを振り払う。考えるのは後だ。

 後ろへ跳んだオッシアが着地すると同時に地面を蹴る。

 鏡華はその場から動かず待ち構えるかのように構え、

 

  ―戟ッ!

  ―轟ッ!

  ―裂ッ!

 

 空気が破裂する音が木霊した。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 その身を包む防護服。それは間違いなくガングニールを纏った姿。

 私服に戻ったマリアは目の前の現象に言葉を失っていた。

 

「う、ぉおんッ! こんなところで——うわぁあぁッ!?」

 

 目の前の光景で忘れていた事を、悲鳴じみた叫びで思い出す。

 

「こんなところで……ッ! こんな所で終われる、ものかッ!」

 

 響の後ろにいたはずのウェルが階段から転がるように降りていた。

 だが、マリアにはもうウェルを殺す力を持っていない。

 

「ウェル博士ッ!」

「ウェルッ!」

 

 入り口からは緒川を引き連れた弦十郎が。別口からは日向がウェルへと向かう。

 床を踏み抜き、《闊歩》で急接近した日向がウェルに手を伸ばす。しかし、ウェルは不敵な笑みを浮かべネフィリムの腕で床を操作し自身の真下に穴を空けて、日向の手を躱した。

 日向は舌打ちをして、響とマリアの元へ向かう。

 

「響ちゃん! マリア!」

「ひゅー君」「……日向」

「……そのガングニールは?」

「マリアさんのガングニールが私の歌に応えてくれたんだ!」

 

 なるほど、と日向は頷く。

 さっとマリアを見回すが外傷はない。力なくこちらを見上げているだけだ。

 

「フロンティアの制御はウェルの左腕のネフィリムがしている。フロンティアの動力はネフィリムの心臓……それを停止させればウェルの暴挙を止められる……。お願い——戦う資格のない私に変わって、お願い……ッ!」

 

 俯きながらマリアは響に縋る。ガングニールを喪った今、マリアに戦える手段はない。だからこそ縋るしかなかった。

 

「調ちゃんにも頼まれてたんだ、マリアさんを助けてって。だから任せてッ!」

 

 項垂れるマリアに響は即答で励ます。

 その直後、轟音と共に何かが吹き飛んできた。

 響達が音の方へ顔を向ける。弦十郎がウェルが逃げた床を破壊した音と思ったが、弦十郎も腕を振りかぶりながら音の方に顔を向けていた。

 誰もが視線を向けた先にいたのは、床に倒れ伏している鏡華だった。

 

「遠見先生!?」

「……ぁ? ぁあ……たち、ばな、か」

 

 響の声に反応を返すと、振らつきながらよろよろと立ち上がる。怪我は無いように見えるが、着ているコローブはボロボロになっていた。

 どうしてここに、と誰かが疑問に思っていると、鏡華が吹き飛んできた穴からもう一人飛び出してきた。

 

「——」

「お前は……」

「どうした。もう終わりか?」

 

 顔はマフラーや仮面に隠れて見えないが、誰もがオッシアだと気付いた。

 

「勝手に終わらせんな、この野郎ッ!」

 

  ―駆ッ!

 

 叫びと共に地を駆け、一歩でオッシアの懐に迫り掌打を繰り出す。それを片手でいなし、もう片手に持ったデュランダルを振り下ろす。刃の腹を手の甲で弾くようにズラし、サマーソルトの要領で自身を一回転させ蹴り上げる。

 

「立花ァッ! あとの事は全部任せるぞッ!!」

「わっかりましたぁッ!!」

 

 宙に飛ばしたオッシアに追撃する事無く、鏡華は自分が空けた穴へ飛び込んだ。

 オッシアは何事も無いかのように着地し辺りを見渡す。こちらを見るマリアを見つけ、

 

「……マリア」

「オッシア……?」

「自分のしたい事を思い出せ。行動はそれからだ」

「え……?」

「そうすれば、……いや、余計か。——頼むぞ」

 

 一方的に言って鏡華を追いかけるように穴へ飛び込んだ。

 呆然と何も言えなかったマリア。

 

「師匠ッ!!」

「おう、ウェル博士の追跡は俺達に任せろ。だから、響君はネフィリムの心臓は頼むぞ」

「はいッ!!」

「僕もウェルを追うよ」

 

 飛び降りようとした弦十郎に、日向がそう告げる。

 弦十郎は何も言わなかったが、ただ頷いた。

 追おうと背を向けた日向に、

 

「あ、待ってひゅー君!」

 

 響が止めた。

 なに、と振り返った日向に、響は一度深呼吸してから、

 

「わ、私ッ! ひゅー君の事が、男の子として好きだからッ!」

「……はい?」

 

 この場に最も関係ないであろう感情を言葉として告白した。

 これには日向だけでなく弦十郎や緒川、マリアも「は?」と云った表情を浮かべた。

 

「え、今? 今言う事なのそれ?」

「い、勢いって大事だから!」

 

 恥ずかしげに視線を逸らした響は、マリアの視線に合わせるようにしゃがみ、

 

「ちょーっと行ってくるから待ってて。終わったらひゅー君の事教えてくださいねッ!」

 

 えへへ、と照れながらウィンクをして外へ飛び出していく。

 弦十郎と緒川は苦笑を浮かべて床を拳打で破壊して降りていった。

 日向は額に手を当てて呆れながらもマリアから背を向ける。

 

「マリア、僕も行ってくる」

「日向……」

「オッシアさんみたいには言えないけど、マリアがしてきた事に無駄な事なんて何一つない。それを忘れないで」

「あ……」

 

 告げる言葉を言い放つと、日向振り返る事無く破壊されて出来た穴に飛び込む。

 残されたマリアは手を伸ばすが、その先には誰もいない。伸ばされた手は力なく下ろされるのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 オッシアが地下の広間に降り立った時、鏡華は静かに佇んでいた。

 

「ずっと——ずっと、お前の言葉を考えていた」

 

 オッシアが動く前に、鏡華の口が開く。

 

「俺の愛は偽物。好意に甘えてる。愛を喪ってるから一番を決められない」

 

 それはかつてカ・ディンギル跡地で言われた言葉。言葉で否定しようとも胸の中ではずっと燻っていたもの。

 

「ああ、確かにそうなのかもしれないな」

 

 鏡華はこれまでの否定が嘘のように、あっさりと肯定した。

 

「でも、それは絶対に駄目なのか? 一番を絶対に決めなきゃいけないのか?」

 

 そして、あっさりと掌を返した。

 

「当たり前だ。本当に愛する事ができるのは一人だけだ。複数に分けられるものじゃない」

「そうか。じゃあ、俺は愛と云う感情なんかいらない」

「……なんだと」

 

 鏡華の言葉にオッシアの殺気が格段に増す。

 それを感じていないかのように鏡華は言葉を続ける。

 

「愛と云う感情なんかいらないって言ったんだよ。このまま間違った感情を持つ俺でいい」

「ふざけるなよ、貴様……!」

「ふざける? ——それは俺の言葉だッ!」

 

  ―轟ッ!

 

 胸を掴み叫ぶ鏡華。同時に彼を中心に圧が生まれた。

 

「いくらお前が俺だろうと——いいや、俺だからこそ一方的に考えを押しつけんじゃねぇ! 感情(アイ)で構成された遠見鏡華(オレ)が否定するなら、俺はその感情(アイ)なんかいらないッ!!」

「——」

「間違えてる? んな事は百も千も万も承知の上だッ! だけどなッ、その間違いを受け入れてくれる奴らがいてくれるんだ! その間違いが自分達にとって最良であると信じてくれているんだッ! なら他人にとって間違いであろうと俺達には正しい事なんだよッ!!」

「詭弁だッ!! そんなものはただの甘えだと言っただろうッ!」

「詭弁で結構! 甘えで結構!! 誰にも認められなくても結構ッ!!」

「——ッ!」

 

 胸を掴む手とは逆の腕を正面に伸ばす。

 何かを掴むように。

 何かに応えるように。

 何かを受け入れるように。

 

「もう迷わない。世界が受け入れなくとも、愛を知らずとも、俺は幾星霜紡いでいこうッ! 彼女達への気持ち(うた)をッ!! 間違えながら辿り着こうッ! この胸に抱く理想郷へッ!!」

 

 瞬間、何かが変わった。

 世界中の誰もが気付かない、小さな変化。

 しかし、世界は識って(おぼえて)いた。かつて存在したモノの事を。

 世界が祝福するか恐怖するのかは定かではない。ただ確かな事は。

 “もどき”ではなく、正しく継承した者が顕れたのだと云う事だけ——



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Fine12 理想郷はこの胸にⅠ

解き放たれる想いは、願いを象り映し出す。
二人で奏でる童歌。世界へ届け、独奏の歌。
繋いで紡ぐ絆は、世界を包む歌に成らん。

Fine12 理想郷はこの胸に

彼方の果てに在りし小さな一欠片。
それは誰の胸にもある、何時かに夢見た儚き幻想。
小さく小さく——収斂されたちっぽけな光の、ああ、なんと眩しき事か。
さあ往こう。理想郷はこの胸に——確かにあるのだから。


『継承者——暫定的に私が勝手に名付けた呼び方だが——そなた等の文献に残された聖遺物の持ち主以降の担い手の事を私はそう呼んでいる。ただし、条件として完全聖遺物の所有者である事。そして、聖遺物に認められた者だけがそう呼ばれる』

 

 以前、鞘の中で騎士竜と交わされた会話。鏡華は息を整えながら聞いていた。

 

『現代において希少な存在である完全聖遺物は個人の物ではなく国所有になる事が多い。しかし、危険・解析不可・未覚醒の三拍子のせいで所有者がとんと現れない。加えてヒトとしての劣化、堕落によって更に担い手は生まれなかった。故にそなたと夜宙ヴァンは第一段階は越えたと言っていい。そなたは父から鞘を命を救われる形で託された。夜宙ヴァンはエクスカリバーへの宣言と……ふふ、かつての担い手と似ているから、かもしれないな』

 

『性格ではなく在り方がな。ああ、あと好みの女の姿形もか。——っと、脱線したな。第二段階、聖遺物に認められる事については、そなたは既に越えている。夜宙ヴァンもある程度は認められているはずだ』

 

『なに? そんな簡単に認められるのか、だと? 本来はありえんよ。しかし、そなたの聖遺物は(わたし)だ。記憶されたモノとは云え、いや、鞘に記憶されたからこそ稀有に存在する意思持つ聖遺物であると言うべきか。故に私が認めた以上、それは鞘が認めたも同じ事。夜宙ヴァンについては先程と同じ、ガウェイン卿に似ているからであろう。流石に他の聖遺物までは知らぬ』

 

『ん? ああ言ってなかったか? 夜宙ヴァンの持つエクスカリバーは兄弟剣ガラティーンの方だ。——さて、条件を全て越えた者に最後の条件が発生する。それは聖詠の獲得だ』

 

『そうではない。奏者が口にする聖詠は多少の違いはあれど、あくまで“聖遺物の聖詠”だ。獲得するのはそなた“だけ”の、遠見鏡華“だけ”に許された聖詠だ』

 

『そも、聖詠とは、適合性を有するヒトが抱く強い想いに聖遺物が共鳴・共振し、想いの送り主の胸に起動言語(コマンドワード)——つまり聖詠を反響させる。その聖詠を口にする事で適合者にギアと云う形で纏わせる。これが聖遺物の聖詠』

 

『ヒトとしての聖詠とは、己の在り方を示すモノであり心象を表現する、謂わば、自己暗示の詠唱言語(スペルワード)だ。故に一つとして同じ聖詠は存在せず、他者の聖詠を唱えた所で意味の無い言葉になる』

 

『元々、力は聖遺物(ぶき)から“借りる”ものではない。担い手が“引き出す”ものだ。だからこそ聖遺物(よそ)聖詠(うた)ではなく、己の聖詠(うた)が必要なのだ。同時に己を護るためでもある。そなたら現代の者の肉体は、過去の英雄、ヒトと比べても数段脆弱に劣化してる故、己が聖詠によって限界値を決めておくのだ』

 

『だが決して軽く考えるでないぞ。聖詠は考えて浮かぶものではない。そなたの聖詠(うた)はそなただけのもの。別のそなた(オッシア)が獲得していようとも、既に存在は大きく違えている。ふむ……そなたは一度聞いた事がある言葉を贈ろうか』

 

『——胸の(うた)を信じなさい』

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  ——我が終焉、黄昏より遥か彼方——

 

 先程までの叫んでいた言葉とは真逆の静謐な言葉。どこまでも、静かに、滑らかに響いていく。

 それはオッシアが発したあの言葉とひどく似ていて、しかし、まったく異なる言葉。

 

  ——然れども理想郷はこの胸に——

 

 鏡華の口から流れるように紡がれた言葉。響く言葉はまさしく鏡華“だけ”の聖詠。

 彼を取り巻く圧が風へと変わり、弾け飛んだ先に、オッシアは見た。

 全身を覆い隠していたローブは消え去り、全身を見せた遠見鏡華の姿を。

 今までの防護服の上に着けていた鎧は一切纏われてなく、見ようによっては私服と捉えられてもおかしくないライダースーツ。その上には黒のフレアコート。服にはどちらにも幾何学な紋様が描かれている。

 開かれた眼。眼前の敵を見据える眼に、オッシアは一歩後退していた。

 

(これが……これが真に継承された鞘。同じ存在だとしても、もどきでしかないオレとは違う完全な継承者)

 

 過去に英雄と呼ばれた者が使用していた聖遺物。起動させただけで今の人類には十分な力を持っているのに、十全の力を引き出す事の出来る所有者の手に渡ればどうなるのか?

 その問いの結果が目の前に存在している。

 かつてフィーネがシンフォギアを玩具と称したが、まさしくその通りである。敢えて付け足すのであれば、継承者のいない完全聖遺物は戦車や爆撃機と云った所か。

 では継承者を得た完全聖遺物は? ——単体で国を滅ぼす事の出来る核兵器以上だ。

 

「——さあ」

 

 ややあって、鏡華は口を開いた。

 

「幕を下ろそう。二年前から続く俺達の物語(のろい)に」

「ッ——!」

 

 オッシアは弾かれたようにその場から飛び出す。真っ直ぐ鏡華に突き進み、

 

「終わらせてみろッ! 終わらせられなかったオレを超えてッ!!」

 

 デュランダルを振りかぶり、一気に振り下ろした。

 首筋へ吸い込まれる刃は鏡華に叩き込まれ、

 

  ―撃ッ!

 

「——がはぁッ!?」

 

 “殴り飛ばされた”。

 地面を二、三回バウンドして体勢を整え着地する。

 ——今、何をされた?

 オッシアは分かりきっていても問わずにはいられなかった。

 鏡華がしたのは実に単純だ。デュランダルの刃が触れる前に時止めで回避し一撃入れただけ。

 そう、一撃“入れた”だけなのだ。だが、疑問が枠には十分だ。

 

「どうして内包結界が解除されない……!」

「単純な事だ、オッシア」

 

 オッシアの問いに鏡華はあっさりと返答した。

 

「内包結界で攻撃が禁じられているのは騎士王の鞘だったからだ。だけど、そんな制約は継承した時点でなくなった。この鞘は——俺の鞘だ」

「ッ……!」

「外せる不利な条件なんて取っ払って当たり前だろ? 俺は騎士じゃないんだから」

 

 にやり、と笑う。悪戯が成功した少年のような笑みだった。その笑みを見て、オッシアの見えない口角は僅かに釣り上がった。

 笑みを消して構える。オッシアは仮面とマフラーで表情を隠したまま構える。

 

「……それでも、オレのやる事は変わらん」

「今度こそ、超える。それは絶対に絶対だ」

 

 二人の膨れ上がる気配に空間が――広間が軋みを上げた。先程まで傷一つ付く事のなかったのに、空間が悲鳴を上げている。

 

「アヴァロンが継承者、遠見鏡華」

「遠見鏡華の感情体(ゲフュールノイド)、オッシ——否、リード・アフェッティ」

 

 名乗りを上げる。

 

「我が理想郷へ辿り着くため」

「我が望み、我が愛、すべからく彼女のため」

 

 そして、同時に告げた。

 

「推して参る」「押し通す」



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Fine12 理想郷はこの胸にⅡ

 意味を成さなくなったブリッジに、マリアは一人、階段に腰掛けていた。

 歌による人類救済は自分の歌では不可能だった。

 ウェルによる英雄による統治はきっともうすぐ二課の奏者、調と切歌、日向によって潰える。

 何物も貫き通す槍は立花響に応え、自分の手から離れた。

 もうマリアの手には何も残されていない。

 力も願いも——歌も、全てを喪った。

 

「私は何も出来なかった。セレナの歌を、セレナの死を無駄にしてしまった」

 

 こぼれる涙を拭おうとせず、マリアは空っぽになった手を差し伸ばす。石壁のくり抜かれた箇所から見える空。近付いている月がやけに大きく見えた。

 

「私は……どうすればよかったの? セレナ……」

「素直になればよかったんじゃない?」

 

 あるはずのない返答。反応が遅れながらマリアは隣を見た。

 視界に入った姿に眼を見開いた。

 隣で階段に座り足を投げ出しているのは、その少女は、

 

「……セレ、ナ」

「はぁい。久し振り、マリア姉さん」

 

 見間違える事なく、かつて死んだセレナだった。

 何度も眼を擦るが、セレナは妄想と消える事なく存在していた。

 立ち上がったセレナの頬を恐る恐る撫でる。温かくはなかったが確かに実在している。

 

「どうして……」

「偶然と偶然が重なった奇跡、かな」

 

 頬を撫でるマリアの手に自分の手を重ねて言う。

 

「奇跡……」

「より詳しく言うなら、ここのお墓に死んだ後に囚われてたんだけど、たまさかフュリさんに会って実験に付き合ってたの」

「フュリ……天羽奏ね。それより実験? お墓ってどう云う事なの?」

「お墓については内緒。鞘の能力を所有者以外に使用できるかどうか? あと不死性を付与させる事なく治療に使えるかどうか? とか。おかげでフロンティア内部限定だけど実体を持って動けるようになったよ」

 

 あまり時間は遺されてないけどね、と舌を出して微笑むセレナ。

 それより、と続けて、

 

「お話を戻すけどね、マリア姉さん。マリア姉さんがやりたい事はなんだったの?」

「それは……」

「もうマリア姉さんは何も持ってない。力も、役割も、使命も。だから、ただの優しいマリア姉さん、略してたやマ姉さんとして答えて」

「それは……待って、たやマって何よ!?」

「オッシアさんに聞いたのよ。マリア姉さんはたやマさんだって。ほらほら、言っちゃいなよユー」

「もう! まったく……私のやりたい事はね」

 

 死んでからも相変わらずな妹にマリアは苦笑する。

 でも確かにセレナの言う通りだ。今の自分はフィーネでも奏者でもない。ただのマリア・カデンツァヴナ・イヴだ。

 ただ、面と向かって話すのは恥ずかしいのか、マリアは視線を逸らして答えた。

 

「歌で世界を救いたかった。月の落下がもたらす災厄から助けたかったの」

 

 初めて口にした、素直な自分の願い。

 それは間違いなく、誰もが対象は違えど願う人助けの願いだった。

 

「はい、よく言えました。——マリア姉さん。塗り固めた本気の嘘はもうおしまい」

「セレナ……」

「生まれたままの感情を隠さないで。ね?」

 

 マリアの両手を優しく握ったセレナは歌を紡ぐ。

 それは『Apple』。かつて祖母に教えてもらった故郷のわらべ歌。

 優しく穏やかな旋律に釣られるようにマリアも眼を閉じて歌う。

 昔はよく二人で歌った。

 住む家もなく身を寄せ合った時に。

 F.I.S.で調や切歌、同じ境遇の子供達に。

 久し振りだった。こんなにも無心で心が穏やかに歌ったのは。

 

 ——もう、大丈夫だね。

 

 一緒に歌うセレナの声が聞こえた。

 

 ——マリア姉さんと話せてよかった。

 ——ええ、私も。

 ——こんな奇跡、二度と起こる事はないと思う。でも、見えなくても、声が届かなくても、私はマリア姉さんの側にいるわ。

 ——セレナ。ええ、側にいてくれるなら私はいつでも強くあれる。

 ——さようなら、マリア姉さん。いつかどこかで、また。

 ——ええ……ッ、また、いつかどこかで。

 

 握っていた手がするりとすり抜ける。

 眼は閉じていても感じる、そこにいたセレナがいなくなるのを。

 閉じた眼から涙が止まらない。それでもマリアは独りで歌い続けた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 マリアはすっかり忘れていた。

 ブリッジの様子を全世界に中継していた事を。

 だが、むしろそれでよかったのかもしれない。

 マリアとセレナの歌は世界中へとモニターを通じて届けられる。セレナの姿が風のように消えマリアだけになっても続く歌に、人々は最初から見ていた者、興味がなかった者問わず魅了され聞き入っていた。

 誰もが嘘のない優しいマリアの歌に耳を、心を澄ます。

 一人、また一人。誰かがマリアの歌を口ずさむ。旋律を、歌詞が分からなくとも、聴いた者は自然とマリアに合わせるように紡ぐ。

 一人、また一人。誰もが歌い、次第に中継を見ていた人々が。世界各地から響き渡る。

 人種も、性別も、宗教も、大人も子供も関係なく——歌は共鳴していく。

 そして歌は届く。

 人々の心に。

 国を超えて。

 世界を包んで。

 そして——宇宙(そら)へと。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 ——歌が、聞こえる。

 雑音混じりで聞こえ辛いが、聞こえる歌は間違える事なくあの娘の歌だった。

 身体がひどく重い。病魔に冒された痛みだけでない。

 痛みが段々と記憶を引き出しから引っ張り出してくる。

 ウェルに射出された後、迫り来る大気圏突破による加速度に、車椅子の機能を起動さえ耐えたが、半壊した瓦礫に生き埋めにされていた。

 恐らく凄まじい加速度によって身体のあちこちが内外問わずボロボロになっているはず。だが、そんな事はどうでもよかった。

 車椅子を瓦礫の中で動かす。大気圏突破にも耐えた車椅子はその機能を発揮し、一体化していたナスターシャの身体を瓦礫から助け出した。

 制御室は半壊していたが機能は未だ健在。その機能が情報を展開している。

 

「世界中のフォニックゲインがフロンティアを経由してここに収束している。これだけのフォニックゲインを照射すれば月の遺跡を再起動させ公転軌道の修正も可能……ッ!」

 

 ならばする事はただ一つだけ。

 眼から血が流れるナスターシャは痛み震える手でシステムを操作した。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 声が聞こえた。また、聞こえるはずのない声。

 

「マムッ!?」

 

 歌う事をやめスフィアへ近寄る。

 

『あなたの歌に世界が共鳴しています。これだけフォニックゲインが高まれば月の遺跡を稼働させるには十分です。月は——私が責任を持って止めますッ!』

「マム……でも、それじゃあマムがッ!」

『帰還する手段も無く、命も燃え尽きようとしている私が適任でしょう』

 

 手で口を抑える。

 通信越しに聞こえるナスターシャの覚悟の声に、マリアはこれ以上何も言えない。

 

『マリア』

 

 次いで聞こえたのは、いつもの優しい声。

 

『あなたを縛り付けるモノは私を含め何もありません。行きなさい、あなたの心のままに』

「マム……ッ」

『行って、あなたの歌を私に聴かせてちょうだい。こんな私を(マム)と慕ってくれた可愛いマリア』

「ッ……!」

 

 通信が切れる。

 操作は未だウェルの支配下のためにできない。

 流れる涙をマリアは今度こそ拭う。涙の痕が残りながら不敵な笑みを浮かべ、

 

「OK! マム! セレナ! 世界最高のステージの幕を開けましょうッ!!」

 

 ここに宣言した。

 さあ、全ての準備は整った。

 今度こそ、嘘偽りのない本物のステージの幕開けだ。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅢ

 時間と場面は奏とフュリへと遡る。

 身体の一部かと思うほど巧みに操る聖槍ロンゴミアントを、紙一重で躱し、受け流し、弾き飛ばす。奏が行動するたびに周囲の壁や床に衝撃が奔る。

 ワンツーと思考でリズムを即興で構築して、足と手をテンポよく動かす。一瞬の気も緩められず、奏の額からは雨に打たれたのではないのかと錯覚させるほど汗を流していた。

 

「ああァああ"あ"ッ!! イッッライラさせる真似すんじゃねぇよぉッ!!」

 

 湧き上がってくる苛立ちを怒声で表し、槍を振るう速度を更に上げる。

 

 ——叫びたいのはこっちだっての。

 

 胸中で叫びながら、奏は難易度が上がる槍の連撃を躱し防ぎ続ける。だが、フュリの加速は止まらず、少しずつ——本当にミリ単位で擦り、受けきれなくなってきた。

 このままでは遠からず直撃する。必死に躱す足が後ろへ下がりたいと無意識に訴えてくる。

 

「そんな事はフュリ(あたし)に対しての侮辱だぁッ!!」

 

 更に前へ! 一撃を躱すたびに前へと足を踏み出す。

 近付くたびに槍は一撃ごとの重みが増していく。受け流せず防ぎながら前へと進む。

 

  ―バキリ

 

 不意に手元から割れる音が響いた。ガングニールの柄が半ばで折れていた。一瞬だけ穂先に眼を向ければ何カ所にも罅が入っている。

 何十何百と槍の一撃を防いでいたのだ。この結果は当然だった。

 

「「だからどうしたッ!!」」

 

 同時に吼える。

 奏は迫り来る槍に穂先と柄の二振りで殴りつける。砕け散るガングニールを手放し、

 

「うぉらあッ!!」

 

  ―撃ッ!

 

 蹴りをブチ込む!

 脚甲が砕ける。槍も真っ二つになってフュリの手から離れた。

 吹き飛んだ槍を一瞥して奏に視線を戻した、次の瞬間、フュリは初めて表情が固まった。

 眼前に吐息が掛かる程の距離まで詰め寄った奏の顔を見て。

 固く握り締めた拳を腰溜めに構え、撃ち抜いた。

 

  ―撃ッ!

 

「——」

「〜〜ッ!!」

 

 拳を叩き込まれ、呻き声を上げながら吹き飛ぶ。

 受け身を取れぬまま壁に叩き付けられた。肺に残っていた酸素が衝撃で吐き出される。

 流石にこれは予想外だった。まさか、あそこから一撃を喰らわせてくるなんて。

 

「どういう、反射神経してんだよ——“フュリ”」

 

 一撃を貰っていたのは、奏の方だった。

 間違いなく最高のタイミングで不意を突いたはず。なのに、フュリはノーモーションで奏よりも早く、そして重い拳打を放ったのだ。

 

天羽奏(アタシら)の戦闘センスは自分自身がよく知ってるだろ? “たかが”体術の不意打ち程度、対処できないと思ったか」

「んな真似、流石に無理だっつうの……」

「だろうな。アンタと違ってアタシは怒りの感情によって動いている。つまり、過去のアンタと同じだよ」

「……ああ」

 

 奏は納得した顔で頷く。元々、フュリは自分自身の感情なのだ。なら、自分の力をどうやって手に入れたかなど、歌詞を覚えるよりも簡単に思い出せる。

 

「ノイズが許せなくて、感情の赴くままノイズをぶちのめしたあの頃の天羽奏(アタシ)。LiNKERの痛みも、ギアとの適合も、戦うための実力も、全て——全て、怒りと云う感情(アタシ)で乗り越えた」

 

 目の前でノイズに父を、母を、妹を殺された。

 怒りを覚えた。ノイズに、“自分自身に”。

 だから力を欲した。何もかも喪った後に知った、ノイズを殺せる力を。

 

 ギアとの適合係数が低い事に何度も呪った。力を持つ事さえ許されないのかと。

 

 LiNKERの痛みに負けそうになる精神(こころ)を何度も叱りつけた。痛む程度で眠てぇなんて言ってんじゃねぇと。

 

 修行で悲鳴を上げる肉体を酷使し続けた。こんなもんでノイズが殺せるものかと。

 

 そうして手に入れた奏の強さは確かなものだった。

 ノイズを殲滅し、あの日助けられなかった家族と同じ人々を助けられた。

 代償を無視して真っ直ぐに最短で手に入れた。何物も顧みないからこそ強くなれた。

 

「今のアタシはまさにその時の天羽奏(アタシ)だ。だからこそ——アンタより強い」

「……」

「宣言してやる。——今の奏(アンタ)昔の奏(アタシ)に勝てない」

 

 突きつけられた言葉に、奏は俯いた。

 フュリの言葉に嘘偽りはない。奏の戦う理由の根幹は復讐だ。当時を思い出せば、どれだけ命を削っていたのかと、呆れるものばかり。だが、奏は否定しない。

 ——あの時のあたしは間違っていなかった。

 と、胸を張って笑顔で答えられる。

 

「——くっ、はは」

 

 だからこそ、

 

「あーはっはっは——ッ!!」

 

 こう言ってやろう。

 

「眠てぇ事言ってんじゃねぇぞ、天羽奏」

 

 髪を掻き揚げて、凄絶な笑みをフュリに向ける。

 

「あたしがあんたに勝てないだ? はっ、手抜きだか突貫してんのか知らねぇけどよ、あたしはまだ動いて(いきて)るぜ? あんたが昔のあたしなら、とうに指折り五周は殺してるはずだ」

「——ッハ」

「何考えてる知らねぇけど、久し振りのパーティと洒落込もうぜッ!!」

 

 壊れたガングニールの代わりにロンゴミアントを具現化し構える。

 まるで昔のように吠える奏にフュリは、

 

「ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハ、ハハハハハ」

 

 笑い——嗤い——ワラい。

 

「■■■■■■■■■■■ッ!!!」

 

  ―轟ッ!

 

 己の喉を潰し殺さんばかりの咆哮を上げた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 歌を歌う職業をやっていれば、声で空気が震えるなんてよくある。

 だが、目の前の咆哮はそんなレベルではない。最早それ自体が武器として使用可能と云う威力と化していた。大抵の攻撃など、この絶叫だけで弾き飛ばされてしまう。

 そんな錯覚を覚えてしまう程、空気が——否、世界が震えた。

 長い咆哮の末、ピタリと声がやむ。

 

「——っが!?」

 

 刹那、奏の胸に激しい衝撃が襲った。身体がくの字に折れ、再び吹き飛ばされる。悲鳴さえ上げる暇もなかった。

 壁に激突し“めり込む”。口から大量の血を吐き出し、焦点の合わない眼でフュリを見る。

 殴られた、とは理解した。だが、

 

(なんだ——今の速度)

 

 まさか、と奏は嫌な予感に呆然と胸中で呟いた。

 

(今までのが全力じゃなかった?)

 

 愕然とした奏の視界を、目の前に迫ったフュリの拳が覆う。回避など間に合わず、奏は両腕をクロスさせる事しか出来なかった。

 

  ―撃ッ!

 

 だが、ガードごとブチ抜かれた。ミジィッ、と腕の筋肉が千切れる嫌な音を聞きながら、

 

  ―撃ッ!

  ―撃撃撃撃ッ!

 

 その身を拳によって壊されるのを実感していた。傷を負うたびに“直って”いくが、痛いものは痛い。

 反撃に転じようとするも、四肢が壁にめり込んでしまい動けなかった。

 

「ルゥゥウオオオォオオオオオッッッ!!!!」

 

 咆哮を上げるフュリ。動けない奏の髪を掴み、奏の身体を引きずり出し放り投げる。

 受け身も取れずにごろごろと転がる。

 身体がうつ伏せで止まる。今更溢れ出した血が奏を中心に池を作り出した。

 それでも奏の意識は途切れる事無く、焦点が合わずにフュリを見据える。

 所々ぼやけるが、今のフュリは少し前に見た鏡華の暴走に似ている。違う点は白い泡のような身体の節々から少しずつ発生している所か。だが自我は半分以上呑み込まれかけている。獣のような声の他にいくつもの単語が聞こえた。

 

「許さない許さない許さない「ムカツクムカツクムカツクムカツク「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして「イライライライララライライライイイライライ「殺「許さ「ムカツ「殺「どうし「イライ「ゆる「どう「むか「いら「殺「殺す「ノイズなんて「殺す「殺す「殺す殺すコロス殺す「どうして「おまえ「殺す

 

「何も知らず翼の側にいたお前を——殺す」

 

 奏はこの時、やっとフュリの気持ちがほんの少しだけ分かったかもしれない。

 たった一つの感情によって存在する。それがどんなものなのか理解は出来ない。だが、きっと、この二年の間ずっと目の前の気持ちをほとんど吐き出す事無く過ごしてきたはず。自分達の前で見せた普通の感情を出すのにどれほど我慢が必要なのか。考えただけでもぞっとする。

 そんな環境の中を我慢する事が出来ていたのは、きっと——

 それでも、奏は立ち上がった。流血のせいで震える足を叱咤し、穂先を下に向け槍を構える。

 

「……負の感情で奏者始めたあたしにすれば、フュリの方があたらしいと思う。けどさ、やっぱ今のお前はあたしじゃないわ」

「■■■■……」

「だって今のあんた、あたしが手に入れた気持ち持ってないし」

 

 復讐のために手に入れた歌と力。そのためだけの武器でしかなかった。

 だけどその歌を、復讐の歌を、助けた人に感謝された。

 歌が聞こえたから諦めないでいられたと。

 歌が聞こえたから絶望の中で希望を捨てなかったと。

 それは自分のためにしか歌ってこなかった奏にとって、その言葉は十分に考えの転機となった。

 

「自分の力は負の感情が似合うって思うけどさ、そんな感情でも誰かのためになれたんだ」

 

 自分の掌を嬉しそうに見下ろし、拳を握る。

 

「だから、もう一回だけ言うぜ。——眠てぇ事叫んじゃねぇよ。そんな咆哮(うた)歌ってないで、あたしとパーティと洒落込もうぜ?」

「■■■■ッ!!」

 

 自我をほぼ失ってなお奏の言葉が聞こえているのか、声に合わせて膝を曲げ、伸ばす。刹那、フュリが跳び、床が爆ぜた。

 真っ直ぐ奏に向かって突進してくる。奏は槍を防御に構え、足を踏み込み、

 ズルゥ、と足が滑った。

 何が、と慌てて下を見れば——なんて事は無い。さっきまで自分が流していた大量の血がまだ残っており、それに足を取られたのだ。

 

「く……ッ!」

 

 忘れていた自分に奥歯を噛み締める。

 既にフュリは奏の眼前に迫ってきている。ここから回避は不可能だった。

 槍が振り上げられ、ただ振り下ろされるのを見て。

 

「——鎮めよ、動じぬ鎧纏い正に山の如く」

 

 静かな声を聞いた。

 

  ―轟ッ!

 

 衝撃で発生する風圧に眼を背ける。風が晴れ、視線を戻して眼を見開いた。

 

「どうしてここに……」

 

 目の前に見える背中に呆然と呟く。

 いつも後ろに隠れていた——今は隣に並び立っている。だから、奏は初めて知った。いつの間に、こんなにも頼もしい背中になったのか。

 その背中の主の名を、奏は呟いた。

 

「翼……」

「奏の危難を前に、鞘走らない双翼がいると思うか?」

「……ああ」

 

 まったく、これだ。

 ずいぶんと強くなったものだ、と奏は場違いながら嬉しいような寂しい感情を浮かべて笑う。

 

「……ツば、さ……?」

 

 受け止められたフュリも呆然と名前を呟く。

 双翼のままの二人と。

 片翼になった一人が。

 これまで接触の無かった者が、全ての決着の直前についに、ここに邂逅を果たすのだった。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅣ

 偶然か必然か。翼と天羽奏(フュリ)の邂逅は何らかの原因で果たされなかった。

 初めてフュリが表へ姿を見せた時、翼はアヴァロンによって治療され眠りについていた。二度目の哨戒艦艇では、翼はアーサーに掛かりきりだった。

 そして都合三度目の奏とフュリの決戦。そこでようやく翼はフュリと対峙する事を果たした。

 

「初めまして、になるのか。それとも久し振りかな。フュリ」

「う、あ、う……」

「ああ、呼び名はフュリにさせてもらうからね。流石に奏ワンとかツーは私が嫌だ」

 

 翼の戦場には場違いな優しい言葉に、フュリは怯えた様子で後ずさる。先程まで奏に向けていた烈火の如き感情など、どこにもない。奏には今のフュリは、怒られる事に怯える子供にしか見えなかった。

 

「み、見るな……見ないで、翼……」

 

 感情を抑えたのか、意味のある言葉を発する。

 肩を落とし身体を縮こませながらフュリは距離を取った。

 アームドギアをしまい、翼は訊ねる。

 

「それは何故?」

「こんなアタシなんて……負の感情に囚われて自分を見失ってるアタシなんて……翼に失望される。拒絶されてしまう……!」

 

 ああ、と奏は胸中で頷いた。

 その気持ちは分かる。かつてはそんな事など考えた事もなかったのに、翼と鏡華の三人で過ごしている間に芽生えてしまった、二人を喪い独りに戻ってしまう恐怖。

 もし、かつてのライブ会場の惨劇で鏡華が存在せず絶唱を翼が歌い、死んでしまったら——間違いなく、奏は堕ちていただろう。歌を捨て、復讐だけの人生になっていた。

 奏が自答している間に、翼がフュリに一歩近寄った。フュリは一歩離れる。

 

「私はフュリに失望なんてしない。拒絶する事もないよ」

「……」

 

 一歩。

 

「……信じられないのは百も承知。だけど——」

「違う! 翼を疑う事なんてしない!」

 

 一歩。

 

「だけど……」

「だけど?」

「アタシ自身が信じられないんだ。アタシは怒りの感情体(ゲフュールノイド)。ここに囚われて、翼と一緒に過ごす天羽奏(アイツ)に嫉妬し怒ってた。——違う」

 

 フュリが俯く。

 一歩。

 

「アタシは、“翼にも怒ってたんだ”。見当違いの怒りだと分かっていても、アタシは嬉しそうにアイツと過ごす翼に」

 

 ——怒りを覚えてたんだ。

 掠れるような声で懺悔にも近い告白を翼は確かに聞いた。

 全力でその場を蹴り抜く。フュリが気付くがもう遅い。

 

「——ぁ」

 

 フュリが気が付いた時には、翼に抱き締められていた。

 じたばたと抜け出そうとするが、翼はより強くフュリの身体に手を回す。

 ——ああ、そうか。

 嫌がるフュリを見て、気付いてしまった。奏は勘違いしてた。いや、考えを放棄していたのかもしれない。初めからフュリとの決着はフュリに勝つ事でしか着かないと決めつけてしまっていた。誰もそんな事を言っていない、オッシアやフュリが言っていた事をただ鵜呑みにしていただけで深く考えなかった。

 ただ——

 

「あ、やっ、離せ……ッ!」

「離さない! 離すものかッ! もう弱いままの私じゃないッ、いくら嫌がっても“奏と”離れるものかッ!!」

「ぁ——その、名前……」

 

 もう捨てた名前。天羽奏(オリジナル)を呼ぶ事はあっても、呼ばれる事などないと思っていた名前。

 翼に呼ばれただけでフュリの胸が温かくなる。ないはずの、怒りとは別の感情が込み上げてくる。

 

 ただ——彼らが救われれば良かったのだ。

 翼に抱き締められ、フュリ自身が気付いていないであろう表情を見て納得した。

 

「帰ろうフュリ。元に戻りたくないなら、フュリとオッシアを含めて四人でも五人でも構わない。また、昔見たいに」

「ッ——」

「どうよフュリ。翼の胸の中は」

「ッ、アタシ……」

 

 目の前に奏が立つ。その手に握る物は何もない。

 

「あたしはさ、力でなんとかしようと思ってた。フュリは昔のあたしだからな、今の方が強いと思わせればフュリも大人しくなるんじゃないかって予想してたんだ」

「……」

「でも、翼は違った。戦うなんて選択肢を初めから用意してない。ま、流石に連れ帰るってのは予想の斜め上を行ったけどさ」

「……ああ」

 

 フュリは抱き締められたまま眼を閉じる。

 瞼の裏に浮かぶ。懐かしい風鳴の屋敷で過ごす三人。そこに加わるオッシアと自分。

 昔みたいに馬鹿やって、鏡華とオッシアが喧嘩して、翼が仲裁しながら叱り、奏が茶々を入れる。

 それを自分が縁側で見つめる。時には奏に便乗して翼も巻き込む。もし、感情に支配されそうになっても彼らがなんとかしてくれるはず。

 容易に想像できた光景に、フュリは涙を流す。

 ——ああ、それはなんて。

 同時に自分の(なか)から何かが喪われていく。しかし、恐怖も怒りもない。

 手を持ち上げる。

 きっと、翼を抱き締めれば想像は現実になるだろう。だけど——

 

「——フュリ?」

 

 抱き締めてくれた翼を優しく引き剥がす。

 何か言おうとする翼の口を人差し指で封をして、フュリは立ち上がる。

 

「ありがとう翼。——でも、ごめん」

 

 差し伸ばされた手。それをフュリは掴まなかった。

 歩き出す。奏は何も言わず、通り過ぎる。

 

「アタシはその手を掴む事はできない。いや、しない」

 

 アタシはもう救われていた。差し伸ばされた手を掴んでいた。

 共に縛られたオッシア——リートの手を。

 

「それでもなお、アタシの手を掴みたかったら——」

 

 こんなアタシを愛してくれた。

 こんなアタシだけを見てくれた。

 こんなアタシのために動いてくれた。

 

「羽撃きを以てして、アタシを超えて飛んでみろツヴァイウィング——ッ!!」

 

 だったら、最後までアイツに付き合うのが惚れた女って奴だろう?

 振り向き様に槍を具現し構える。

 翼が口を開こうとしたが、奏に止められる。俯き、泣くかなとフュリは思ったが、上がった顔にもう迷いはなかった。

 天ノ羽々斬を二振り構え、奏の隣に立つ。奏も修復が完了したガングニールを構えた。

 そして歌う。戦闘の歌ではない。名を『逆行のフュリューゲル』。

 誰も何も言わない。けど、示し合わせたかのように駆け出す。

 

  ——双翼ノ唱—— ——Zwei∞Wing——

 

 翼と奏の技が重なり、どこまでも羽撃く不死鳥と成る。

 フュリは眩しそうに見つめる。さっきまでの出力が出せず、力も段々と失われている今、拮抗も敵わないだろう。

 それでも残った全ての力を槍に込め、振り下ろす!

 

  ―撃ッ!

  ―轟ッ!

  ―煌ッ!

  ―爆ッ!

 

 羽撃きを前に、フュリの技は呆気なく弾かれ吹き飛ばされる。

 消えゆく意識の中、フュリは視界に映る不死鳥に手を伸ばす。

 

 ——ハハ、やっぱり楽しそうだな。羨ましい。

 

 閉じゆく視界の中で誰かが手を伸ばす。翼? 奏? それともリート?

 誰かは分からなかった。

 

 ——なあ、今度はアタシも一緒に歌って、いいか?

 

 それでもフュリは満足そうに笑みを浮かべ、爆風と光の中に消えていった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「——フュリ?」

 

 戦闘中、無意識に呟いてしまった。

 ここに彼女の姿はない。今頃、同様に戦闘中のはず——

 

「ああ、還ったか」

 

 なんの根拠もなかったが、言葉にするとストンと胸に収まる。同時に胸を締め付けられる。

 つぅ、と涙が頬に一筋の跡を残す。すぐに拭い、迫り来る槍をデュランダルで斬り落とし駆ける。

 ——ああ、やっと。

 咆哮を上げながら胸中で安堵をこぼす。

 

(やっと——目的を“果たせた”)

 

 全てはこの時のためだった。

 F.I.S.に接触し協力関係になり、フロンティアの情報を提供したのも。

 遠見鏡華に自分達の存在を明かし、言葉で解決方法を限定させたのも。

 あの暗闇の場所から、立ち上がったのも。

 全て——フュリを解放するため“だけ”の賭けだった。

 最初から明確なレールも終着点もなかった。やる事成す事全てが仮定であり、行動後の予測も予測でしかない行き当たりばったりのありえない計画。だが、奏者達が選択する斜め上の行動は、賭けに勝算を付与させてくれる。鏡華を通して見た、その奇跡の可能性に賭けた。

 そして賭けにオッシアは勝った。これで目的は完遂され、残されるのはただの偽物。ただ、やるべき事は残っている。

 

  ――キミの終焉、其れはいつか必ず――

 

 聖詠を唱え、聖遺物の力を引き出す。

 槍を構え突撃してくる姿を黙視して、オッシアはデュランダルを振り下ろした。

 心の底から気に喰わない遠見鏡華(めのまえのてき)のために——



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Fine12 理想郷はこの胸にⅤ

「クリスちゃんッ! ヴァンさんッ!」

 

 上空から聞こえた声に視線を向ける。建造物や突き出ている地面を飛び移り近くに降り立ったのは響。喪ったはずのギアを纏っているが、二人は何の疑問も浮かばなかった。響ならばそれぐらいやってのけると云う信頼の証か呆れているのか、それとも両方か。

 着地した響はクリスの手に握られたソロモンの杖を見ると、

 

「やったねクリスちゃん! ソロモンの杖を取り返しに行ってたって思ってたよ!」

「お、おう。ったりめーだ。……まあ、心配をかけたのは、わ、悪かった、けどよ……すまん」

 

 クリスの両手を自分の両手で包んで、自分の事のように喜んだ。

 無防備なまでの喜びように、クリスは照れて視線を逸らしながらも、包まれた手を払う事なく答えた。

 クリスの返事に響は驚いて、すぐに眼を輝かせた。

 

「——」

「……な、なんだよ?」

「クリスちゃんがデレたーッ!」

 

 わーい、と抱きつこうと飛びつく響。

 もちろん、手を振り払わなかったとは云えクリスはクリス。ソロモンの杖の先端を響のおでこにブスリと突き刺した。

 

「いだぁッ!? ちょっ、クリスちゃん!? 先端は痛いって!」

「調子に乗んな! まだ決着がついてないんだからな」

「うぅ……そういえば翼さんや奏さん、遠見先生は?」

「あいつらは自分達の決着をつけに行ったんだろう」

 

 様子を見守っていたヴァンが答える。

 同時に、先程から続く地鳴りがより大きく響く。

 

「だから、戻ってくるまでこの場は俺達でなんとかするぞ。クリス。立花」

 

 地鳴りだけの地面が急激に盛り上がる。崩れたりせず土人形のように形を形成されていく。

 完成されたモノは響達の何十倍もありそうな怪獣だった。

 

「こいつ……いつかの化物、か!」

 

 かつて響の腕を喰らった自立型の完全聖遺物ネフィリム。大きさやフォルムは違うが、姿に若干の面影が残っている。

 

「お、大きくなり過ぎじゃないですかッ!?」

「はッ、栄養が行き届いてるみてぇだが、おつむの方はどうだかなッ!」

 

 その場から飛び去り距離を取る三人。咆哮を上げるネフィリムを見上げる。

 

「まずは前菜喰っとけ——ッ!」

 

  ――CUT IN CUT OUT――

 

  ―発ッ!

 

 腰部アーマーから放たれた小型のミサイル。十数個の弾幕はネフィリムの顔へ突撃していき、

 

  ―爆ッ!

 

「■■■■■ッ!!」

「——はあッ!?」

 

 顔の周りに着弾した。ただ、半分近くのミサイルはネフィリムの開かれた口に吸い込まれて、“食べられた”。

 

「確かに喰らえって言ったけど、ほんとに食う奴がいるかぁッ!?」

「内部で爆発してない所を見ると、エネルギーに変換できるみたいだな」

「そんな暴飲暴食は、この馬鹿だけで十分だ!」

「クリスちゃんひどい! 量だけなら未来の方が食べるのに!」

「お前はお前で、親友の秘密暴露ってんじゃねぇよ! ……今度、メシ誘うか」

 

 どうにも空気が締まらない。

 それもこれも鏡華と奏のせいだとクリスは思った。あの二人のせいで、どうしてもいつもの調子で会話を挟んでしまう癖ができていた。良いか悪いかで言えば、悪い、はず。きっと。多分。メイビー。

 

「……」

「どうしたクリス? ダメージが残ってるのか?」

「……思い出し頭痛が痛いだけだよ」

 

 頭を抱えてしまったクリスは悪くない。

 

「ああもう……ったく、遠距離はあたしが撃ち落とす! 好きにやりやがれッ!!」

了解(オーライ)

「うん!」

 

 突撃していく二人を後ろから見ながら、武装をボウガンに変えクリスタル状の矢を一本(つが)える。

 近付く羽虫の如く響とヴァンへ、ネフィリムは腕で叩き潰さんと腕を振り下ろす。

 もちろん、そんな事を許すクリスではなく、

 

  ――GIGA NADEL――

 

  ―発ッ!

  ―貫ッ!

 

 撃ち放った矢が狙い違わず腕を貫いた。

 軌道が逸れ響の横に叩き付けられた腕に、響が飛び乗り更に跳躍。腕部をオーバースライドさせた一撃を放つ。

 

  ―撃ッ!

 

「——、ッ!?」

 

 一撃は間違いなくネフィリムの体内を抜けて背中まで届いた。にも関わらずまるでダメージを負った素振りを見せない姿に、響は一瞬呆然とするも、すぐにネフィリムから離れた。

 

  ―閃ッ!

 

 そこへ続くヴァンのガラティーンによる一閃。

 斬撃は通るが、すぐに再生し元の状態に戻ってしまう。

 

「面倒な……!」

「だったら、全部マシマシだぁッ!!」

 

 クリスの叫びにヴァンと響は後ろへ下がる。腰部のミサイルと、持ち替えたガトリング砲からフルバーストで叩き込む。爆風で見えなくなり、もう一度ボウガンを天へ構えた。

 

「おまけにトッピングもサービスしてやらぁッ!」

 

  ――GIGA ZEPPELIN――

 

  ―発ッ!

  ―煌ッ!

 

 放たれた一射。天へと撃ち上げられたクリスタル状の矢は、減速するにつれて分裂していき重力によって一瞬だけ停滞した時には何百何千と分かたれていた。

 降り注ぐ矢の雨。ほとんどの矢がネフィリムに突き刺さり、全身がハリネズミのようになっていた。

 だが、それでもネフィリムは健在だった。いや、むしろ突き刺さった矢を吸収するかのように体内へ呑み込み、咆哮を上げる。

 

「……効いてないね」

「むしろ力を増大(パワーアップ)してる風に見えるな」

 

 身体を揺らし「ファッファッファッ」とでも笑い声を上げそうなネフィリムを前に、響とヴァンも攻撃の手を止めざるをえなかった。

 クリスはクリスでまったく通らなかった事にショックを隠せない様子だった。

 

「——」

「お、落ち込まないでクリスちゃん!? 皆攻撃通らなかったから!」

「おっ、落ち込んでなんかないやいッ! これはあれだ、思い出しショックって奴だ!」

「言ってる事全然分からないよ!? クリスちゃん最近そんなんばっかりだよ!?」

「るせーッ! 次だッ、次はマシマシから気合いマシにしてやらぁッ!!」

 

 半ば自棄気味にドッカンバッカン撃ちまくるクリス。

 爆風と巻き添えが恐ろしくて見ているだけしかできない響とヴァン。

 

「あわわ、ヴァンさん! クリスちゃんを止めてくださいよぉッ!」

「無理だ……むしろやらせておいた方がいいかもしれん。ネフィリムも動けないでいるし」

「そうかもしれないけど……って、ああッ!? クリスちゃんがミサイルに乗ってライフルで殴りに行った!?」

「…………大丈夫だ」

「大丈夫そうに見えないんですけどぉッ!?」

「……何やってんデスか、あんた達」

 

 背後から急に声をかけられ、驚きながら振り向く。

 そこにいたのはジトッとした視線を向ける二人の奏者の姿が。

 

「シュルシャガナと」

「イガリマ到着デス……っと、派手に決めたかったんデスけど、あんなかに突撃するのは無理デス」

「じー……戦闘中に何を遊んでるの?」

「来てくれたんだッ!」

 

 切歌と調の登場に響は喜ぶ。

 同時に爆発音。ネフィリムの咆哮と共にクリスが吹き飛ばされて戻ってきた。

 

「ははッ! どうだ、デカブツ! 馬鹿盛りの味はッ!!」

「満足した? クリスちゃん」

「おうよ!」

「ならよかった!」

「……二課の奏者ってこんなのばっかりなんデスか?」

「世界の危機なのに、凄い余裕」

「そうでもないがな」

 

 ヴァンは静かにネフィリムに視線を飛ばす。切歌と調もそれに釣られて視線を移す。

 爆風に隠れていたネフィリムの姿が徐々に明らかになってくる。遠目から見てもオーバーキルな攻撃を受けたにも関わらず、ネフィリムの身体に傷らしい傷は付いていない。ノーダメージな訳がないが、それでもダメージを与えられているとは思えなかった。

 

「相変わらず非常識」

「あいつを相手にするのは骨が折れそうデスね」

 

 ネフィリムの脅威は、恐らく二課所属の響達よりもF.I.S.の切歌達の方が知っている。

 溜め息をこぼすが、そこに負の感情はない。

 

「ええそうよ切歌」

「ッ、その声——!」

「だけど、私達には歌があるッ!!」

 

 誰もが声の方へ顔を向ける。

 段々と宇宙空間へ近付いているせいなのか、宙に浮いた岩の上に立つ一人の女性。

 切歌と調が一目散に跳び上がる。響達もそれに続いた。

 

「マリアッ!」

「ごめんなさい、切歌。調。でも、もう迷わない。マムが命がけで月の落下を阻止してくれてるもの」

 

 胸元に揺れるギアを握り締めながら、切歌と調へ微笑む。

 

「マリアさんッ!」

「今はまだ無理でもいずれ。後悔がないように戦いましょう、立花響」

「……はいッ! 負けませんから! でも今はッ!」

「ええ」

 

 交わす言葉はこれでおしまい。だが、今はこれでよかった。

 ネフィリムから放たれる灼熱の爆炎。直撃すればギアを纏っていても無傷ではいられない業火の塊。

 

  ―爆ッ!

 

 奏者達は躱す姿を見せず、爆炎に呑み込まれた。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅥ

 ネフィリムの爆炎。接近してくる業火の塊に、マリアは構う事なく聖詠を歌う。

 歌う聖詠に組み込まれた銘はアガートラーム。かつて、セレナが纏っていた聖遺物だ。

 本来、一人の歌に起動できる聖遺物は基本的に一種類とされている。マリアはガングニールを纏っていた事から、これは異例と言えた。

 だが、マリアはそう考えなかった。

 側には切歌と調がいる。

 ナスターシャとセレナも姿がなくともいてくれる。

 ならば——

 

「これぐらいの奇跡——安いものッ!!」

 

  ―煌ッ!

 

 装着時のエネルギーでバリアフィールドを展開させ、ヴァンを除く五人を包み込む。

 

「借りるぞ、カデンツァ」

 

 唯一バリアフィールドに入らなかったヴァンは、一瞬だけ手を翳し爆炎に向かって唱壁を発生させる。防ぎきる事など不可能だが、ほんの少しだけ止める事はできた。それだけでヴァンには十分だった。

 

  ―閃ッ!

 

 ガラティーンを爆炎に一閃。衝撃で固体を維持していた爆炎が爆発を起こす。爆風が襲いくるが、ガラティーンで斬り払う。

 次いで第二波が放たれる。

 

「S2CAセットッ——ヴァンさん! 形状ランスッ!!」

了解(オーライ)ッ、M2CSver.(ランス)ッ!」

 

 背後から聞こえる響の声に、ヴァンは横にズレた。

 立っていた場所に響が飛び出し、拳を振るう。腕には繋いで束ねたフォニックゲインがオーラのように纏わり付いている。

 ヴァンは響のフォニックゲインの形状を変化させて槍のように固定させる。

 

「フォニックゲインを力に変えて、ブチ抜けぇえええッ!!」

 

  ―撃ッ!

 

 打ち込まれた迎撃の一撃。爆炎を貫き、内側からフォニックゲインで破裂させる。

 第三波の爆炎はこなかった。爆炎では無理と判断したのか、ネフィリムはフロンティアの遺跡や自身と同じサイズの巨岩を投げつけてきた。

 だが——それが届く事はなかった。

 

  ―撃ッ!

 

「真打ちは最後に登場ってな!」

 

  ―斬ッ!

 

「——遅ばせながら、槍と剣も今を以て戦線復帰するッ」

 

 ネフィリムと奏者達の中間辺りの中空で、砕かれ、斬り裂かれ、弾け飛ぶ巨岩。

 それを成したのは、一瞬置いてバリアフィールド内に着地した。

 

「翼さんッ! 奏さんッ!」

「おしっ、ギリギリセーフだなッ!」

「遅刻した身の上話は後だッ。立花、あとは——」

「はいッ、任せ下さいッ!!」

「よし、奏。夜宙と共に頼むッ!」

「オーケィ、任されたッ」

 

 奏はすぐにバリアフィールドから飛び出しヴァンと並び立つ。そして、ヴァンと共にネフィリムへ突撃を始めた。

 留まった翼は調の隣に立ち、手を差し出す。

 

「共に歌ってくれるか?」

「……本当に二課の奏者は、突拍子すぎる」

「違いない。が、慣れると存外悪くないものだ」

 

 差し出された翼の手に、調は呆れながらも自分の手を重ねる。

 

「悪いな、あいつらにつける薬はないんだわ」

「お互い様デスよ。普段のあたし達も多分変わんないはずデス」

「そうかい。んじゃま、もう一つだけ」

「なんデスか?」

「ようこそ、ツッコミ側へ」

「……よろしくしたくなくなったデスよ」

 

 苦笑いを共に浮かべて、クリスと切歌も手を重ねる。

 

「切歌ちゃん! 調ちゃん!」

 

 中央にいた響が切歌と調の手を重ね、握り締める。

 敵対や誤解、すれ違いを続けていた二課とF.I.S.の奏者が遂に手を取り合う。

 そして重なる——歌。

 

「あなたの行為が偽善かどうか、私にはまだわからない」

 

 歌う響に調は自分の気持ちを伝える。

 

「だから、近くで見せて、そして信じさせて。あなたの人助けする姿を、私達に」

「——」

 

 歌を歌っている響は、調の言葉に頷き握る手に力を込める。

 それが答えになったのか、調も歌を奏で、フォニックゲインを高めてゆく。

 

  ―煌ッ!

 

 大ダメージになるであろう攻撃はヴァンと奏が抑えてくれているが、腕や胴体から放たれる光線がバリアフィールドを浸食しようとしていた。奏者自身にダメージは入ってないが、バリアフィールドの減少と共に奏者が纏う防護服が溶けていき形のないエネルギー体に戻っていく。

 

 ——ああ、これが。

 目の前の調と響の言葉に、マリアは納得するように呟いた。

 

「繋いだ手だけが、紡ぐもの——」

 

 誰かが指示したわけではない。それでも奏者達は聖詠だけでメロディを紡いで歌とする。

 ほんの少し前まで敵同士だったのに、歌は確かに続き、奏者の心が一つとなっているのがよく分かる。

 

「私が束ねて繋ぐ、この歌は皆の——七十億の絶唱——ッ!!」

 

 フォニックゲインを束ねられる響は気付いていた。

 奏者達の歌だけでなく、全世界からフォニックゲインが高められている事を。

 世界中の想い——だからこそ響は七十億と言った。

 

  ―輝ッ!

 

 束ねられたフォニックゲインが奏者の力と変わり。

 気付けば、奏者達全員のギアの形状が変化していた。ロックが解除され、エクスドライブモードへと。

 調や切歌だけでなく、マリアも白銀のギアをその身に纏っていた。

 六人の側に、ガングニールとアヴァロンを混合したような防護服を纏いプライウェンに立つ奏と、ガラティーンの刀身から噴き出す炎で浮かぶヴァンが並び立つ。

 ——さあ、反撃開始だ。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅦ

「お、おおッ、おおおおぉぉ……」

 

 モニター越しの光景に慟哭の叫びを上げ膝を付くウェル。

 ジェネレータールームまで逃走したウェルは、ネフィリムを心臓と融合したフロンティアから造り出し奏者を攻める武器とした。序盤は一切ダメージを受けない一方的な展開だったが、マリアが展開した聖詠によるバリアフィールド、資料にあったエクスドライブ化したシンフォギアの出現によって攻勢は一気に逆転。

 八人の奏者の攻撃によって一撃で撃破されてしまった。

 

「何で……どうしてネフィリムが……」

 

 ぶつぶつと絶望の中でも思考を止めないウェル。しかし、考えれば考える程泥沼に嵌っていく。

 抜け出せない思考からウェルの意識を引き上げたのは、

 

「ウェル博士ッ! お前の手には世界は大きすぎたようだなッ!」

 

 逃走したウェルを追いかけてきた弦十郎と緒川、そして日向だった。

 ここまでのルートにウェルは幾重にも封鎖と罠を仕掛けてきた。にも関わらず三人に外傷は見当たらない。

 

「くそ……ッ!」

 

 ここまできて、とウェルは足掻く。

 ここまできたのだ、諦められるわけがない。端末に手を伸ばすが、

 

  ―弾ッ!

 

「あ……ぐっ!?」

 

 それを許すほど誰もお人好しではない。

 緒川が捻りながら撃った拳銃の弾丸。それは山なりの弾道を描き、ウェルの肉体ではなく影に撃ち込まれる。

 瞬間、ウェルの身体が動かなくなる。

 

  ——影縫い——

 

 かつて翼達に教え翼が会得した《影縫い》——それのオリジナルにして現代に合わせて改良を重ねた現代忍術。

 

「あなたの好きにはさせません!」

「ぎぃぃ……奇跡が一生懸命の報酬なら——」

 

 動かない身体。

 それでも力を籠める。力みすぎた腕、そして両目から血を流す。

 それでも——諦めない。

 

「このッ、僕にこそ――ッ!!」

 

 《影縫い》は奏者でさえ抜け出る事が至難の業。

 にも関わらず、ウェルは力ずくで抜け出た。それほどの想いに弦十郎と緒川も一瞬動けなかった。

 その一瞬でウェルのネフィリムと一体と化した腕が端末へ届く。ネフィリムの腕を通してウェルの命令がフロンティアへ伝わる。

 

  ―輝ッ!

 

 妖しい輝きと同時に動力炉が一際強く輝き出す。

 

「何をしたッ!」

「ただ一言ッ!」

 

 弦十郎の問いに、ウェルは血涙を流しながら叫ぶ。

 

「ネフィリムの心臓を切り離せと命じただけッ! こちらの制御から離れたネフィリムの心臓はフロンティアの船体を食らい、糧として暴走を開始するッ! そこから放たれるエネルギーは1000000000000℃だァッ!!」

 

 両手を広げ高笑いを始めるウェル。

 それを見て、近付こうとする弦十郎だったが、その歩みは日向の広げた手に止められた。

 

「……」

「ここは、僕に」

「……任せた」

 

 こくりと頷き、日向はウェルへと歩く。

 日向の歩みに気付かないウェルは高笑いをやめない。

 

「僕が英雄になれない世界なんて蒸発してしまえば——」

「なら、英雄にしてあげるよ」

 

 高笑いをやめて振り返る。

 日向が落ち着いた様子で近付いていた。

 

「賭けをしようウェル」

「……あぁん?」

「勝てば英雄として祭り上げてやる。負ければただの人間として裁きを受けろ」

 

 わずかに腰を落として告げる。

 

「勝負は英雄らしく一撃の拳打。一歩でも引けば負けだ」

「……」

「もちろん、お前はネフィリムの腕でもLiNKERでも使えばいい。僕はギアはないし、ただ殴るだけ」

「はん、そんなもん——」

「ちなみに受けない選択肢はないぞ。受けなければ、待つのはただの人として死ぬか、ただの人間として裁きを受けるかの二択だけだ」

「……」

「逆境ぐらい撥ね除けてみせろよ英雄。さっきの一生懸命のように」

「……いいだろう。だが僕の勝利に条件追加だ。お前が主犯格として全ての罪を被れ」

「上等。構えろよ、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスッ!」

 

 日向の叫びに応えるように、ウェルは懐から注射器を取り出し腕に注入する。ネフィリムを取り込んだ事により肥大化した腕が更に一回り膨れ上がる。

 ミチミチと音が聞こえてきそうな腕をウェルは振りかぶる。

 日向は端末に拳打を打ち込み、砕いた瓦礫から手頃なサイズの礫を拾い、放り投げた。

 ウェルにもその礫が合図と云う事は読めた。握る手に更に力を籠める。

 通常であれば敵うわけがない。ウェルは科学者であり武に関しては素人なのだ。それでも勝算はあると科学者としての計算が彼に告げていた。

 ——乾いた音。

 

「きぃええぇえええぇぇえええッ!!!」

「——ッ!!」

 

  ―打ッ!

 

 奇怪な絶叫に続き打撃音がジェネレータールームに響く。

 拮抗する拳。いや、わずかにウェルの拳の方が押していた。

 計算通りの結果にウェルの口角は釣り上がっていた。

 本来であればウェルが武で日向に勝てる確率などゼロだ。コンマを付け加えてもゼロしかない。ウェル自身がそう理解していた。

 だが、今日この時だけは勝率をゼロから引き上げる事ができる。

 数時間前の海上での一戦。もっと言えば街中で絶唱を使ってから。日向はまともな治療を受けていない。こちら(ウェル)が善意で治療を促しても、意識がある時は断って《外気功》と《内気功》で自己治癒をしていた。しかしウェルにしてみれば、気功術など回復速度は上がれど、所詮は応急処置並の処方だと考えている。

 それからほとんどを自己治癒で済ませて、海上での一戦、そして捕虜となり休憩なしでフロンティアに上陸したのだろう。どう考えても体力が落ちていないはずがない。

 ほら、現に——

 

 ——拳が“拮抗する”なんて事になるんですよぉ……ッ!

 

 普通であれば、そんな事はありえない。

 だが、治癒しなかったツケがここで自身に返ってきているのだ。

 自業自得だと、ウェルは胸中のみで嗤いをこぼしていた。

 ジリ、ジリ、と日向の踏ん張る足が徐々に下がっていく。

 

 ——勝てる! 僕こそ世界に認められた英雄なんだッ!

 

「……お前の並々ならぬ英雄への渇望は認める」

「……あん?」

 

 俯いた日向の口にしたセリフ。

 ウェルは力を抜かないよう細心の注意を払いながら口を開く。

 

「ハン、負けた時の言い訳か? ガキだからと云って泣いてごめんなさいして許してもらえると思うなッ!」

「違う……いや、違うのが違う。これは確かに言い訳だ——主人公(ヒーロー)みたいですまないって云う意味のな」

「何を……ッ、なに、を?」

 

 俯いていた顔を上げる。

 言い返そうとしたウェル。しかし、直後、語尾になったのは疑問の声音。

 顔を上げた日向。その表情は——微笑んでいた。

 それだけならば、疑問は浮かんでも声にも出さなかった。問題はその後だ。

 日向の顔の隣に、まるで空気から生まれたかのように現れた少女の顔。そして抱きつくかのように日向の身体に回された手。

 誰だ、と思案してすぐに記憶から引きずり出される。

 馬鹿な、ありえない。何故、“死人”が——

 

「ウェル……英雄(ヒーロー)には帰りを待ってくれたり側にいてくれるお姫様(ヒロイン)が付き物なんだよ」

「せ、セレナ……カデンツァヴナ・イヴ……ッ!?」

「お前にいるか? そんなヒロインが」

 

 僕にはいる、と日向は迷う事なく告げる。

 日向の言葉に、セレナは微笑み頬擦りをして溶けるように消える。

 セレナの消失に日向は何も言わず、しかし片目に一筋の煌めきを残し、高らかに“唱う”!

 

「Ur shen shou jing serenade tron——!!」

 

 馬鹿な、と今度こそウェルは叫んだ。

 その聖詠はなんだ。何故ギアを持たないのに唱うッ。聖詠に刻まれたその銘は——!

 

「かつて僕はフィーネに僕も知らない才を知られ、フィーネ自らの手によってF.I.S.に連れてこられた」

「ッ、う、腕がッ!? 僕の、ネフィリムの腕がぁッ!!?」

 

 ギアを纏った日向の独白。

 同時に膨張したウェルの腕がボロボロと崩れ始めた。

 

「数ヶ月前、ある試みをフィーネは極秘裏に僕に施した」

 

 それはマリア達ですら、知っているのはナスターシャを含めごく少数。

 融合症例のデータを元に、“擬似的に融合症例を生み出そうとした”なんて、非道な事を知っている者は。

 結果は変化なしとされ無いモノと扱われ、フィーネはその後更にデータを集め、(つい)にはネフシュタンの鎧を自らに融合させた。

 しかし、確かにもう一人融合症例はいたのだ。

 フィーネの指示を受けた科学者が“被験者の安全”を考慮した処置を施した故に。

 被験者の名は音無日向。

 科学者が選んだ聖遺物の銘は神獣鏡(シェンショウジン)

 結果は全てにおいて処方前と変化無し。

 よってフィーネも、処方した科学者すら忘れてしまっていた。

 その後はマリア達と共にF.I.S.を抜け、再びネフィリムの奏者となった。

 だが、ナスターシャだけは忘れていなかった。

 

 さて、この時に疑問が出てくる。

 フィーネは何故自分の手で見つけた日向を手元に置かずにF.I.S.に送ったのか。

 クリスの時のように自分の手駒として手元に置いて管理なり調教などして操ればいい。なのに何故か?

 答えはナスターシャの手によって解明されていた。そして秘匿されていた。

 かつて鏡華の身に宿った聖遺物を隠した弦十郎のように。

 

「この身に宿す神獣鏡(シェンショウジン)の特性は聖遺物由来の力の分解」

 

 それは以前、響との一騎打ちの末に、融合した聖遺物によって危機に陥った響を救うために日向が使った能力。

 融合による症状を一定の位置にまで戻した能力。

 マリアが聖遺物のエネルギーを下げると称した能力。

 オッシアが聖遺物の力を殺す人間と言われた日向の、日向だけの能力。

 

「あぁっ、ああッ! なぜ? なぜなぜ、なぜなぜなぜぜなぜぜぜぜ——ッ!!?」

「教えてやるよウェル」

 

 ネフィリムの腕が元の細腕に。

 ただの腕にギアが纏われる。

 逆転した立場に、日向は躊躇いなく腕を振り切る。

 元の細腕で敵うはずがなく、ウェルは吹き飛ぶ。尻餅をついたウェルに日向は見下ろしながら言った。

 

「僕の能力の名前は——バラルの呪詛」

「ば……バラルの呪詛だとぉ……ッ!?」

「相互理解を阻害する月の機能と同じく、僕の能力も相互理解を阻害する。だけど僕のは人と人を阻害するものじゃない。人と聖遺物(ぶき)のシンクロ率を阻害するものだ」

「ぁ……ッ、ま、まさか……そんな事まで」

「まあそのせいで神獣鏡(シェンショウジン)とのシンクロ率はかなり低いんだけど……それはどうでもいいか」

 

 ギアが強制的に解除され元の私服に戻る。それでも日向はウェルへと一歩踏み出す。

 

「僕の勝ちだ。裁きを受けろ、ウェル」

「……裁きだなんて面倒な事を。この場で僕を殺せば簡単なものを……」

「いいや、そんな事はさせない。例え二課の人や奏者、そしてマリア達がお前の死を望んでいたとしても、僕はお前を絶対に殺させない! お前は僕達と一緒に裁かれるんだウェル。一人の人間として、法によって裁かれるんだッ!!」

「……くそッ、くそ、くそくそッ、くそッ! ちくしょう! 殺せよ! 殺して僕を英雄にしてくれよぉッ!!」

 

 一回りほど年下の少年の言葉に、ただの人間と思い知らされたウェルはただただ喚き立てる。

 英雄を願望した男の末路は、どこにでもいる一人の人間として裁かれる。

 それこそウェルと云う男に与える罰として最大のものだろう。

 喚くウェルの意識を刈り取って、日向は肩に担ぐ。

 弦十郎と緒川は何も言わずにただ頷く。

 

「さあ、急いで本部に戻るぞ緒川」

「はい。音無君も一緒に」

「分かりました」

 

 ウェルとのやり取りの間に取り込まれていた心臓がついに暴走を始めるのか、発光がさらに強くなる。

 日向は弦十郎と緒川と共に急ぎジェネレータールームを後にした。

 部屋を出る直前、日向は立ち止まり振り返る。

 部屋には吸収を始めているネフィリムの心臓以外誰も、何もない。

 それでも日向はただ一言、口にした。

 

「ありがとう——セレナ」

 

 そう言って今度こそ走り出す。

 ——だから気付かなかった。

 

「——」

 

 呑み込まれそうな部屋で一瞬、手を振る少女の姿があった事を。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅧ

 

  ―閃ッ!

 

 音が鳴る。

 

  ―戟ッ!

 

 鋭く澄んだ風の高音。続く旋律は重く鈍い鋼の高音。

 

  ―裂ッ!

 

 二つの音によって周囲を引き裂き、空間を震え上がらせる。

 一合斬り結ぶたびに、音は生まれ、軋みを起こす。

 だが、もしここに第三者がいれば、一つの音をそれぞれ聞く事ができず、むしろ三つの音が重なり耳を塞ぐだろう。

 

 剣士が剣を振る速度は公式の記録は残されていない。しかし、それに似た競技——野球選手が振るうバットなら、およそ百五十キロ近い速度が記録として残っている。バットは剣より軽いが、先端近くに重心があるので、参考としてもいいだろう。

 そんな速度で振るわれる剣同士がぶつかれば、聞こえてくる音はよくあるキン、キンではなくキキンと重なるだろう。

 閑話休題。

 しかし、音の発生源である鏡華とオッシアが生み出す剣戟の音はそんなものではない。

 二人の剣速が以上に速いわけではない。速さであれば翼の方が速い。

 ならば何故か。答えは単純、鏡華の持つアヴァロンの時止めによるもの。

 鏡華が継承者となり、時止めの制限が変更された事で時止め内でも攻撃が通るようになった。ただし、一撃ごとに時止めが解除されるが。

 ここで鏡華だけが時止めを使っていれば一方的になっていた。しかし、オッシアもアヴァロンを所持しており、なおかつ時止めの制限も変更されていた。

 故に止まった時の中で斬り結び、解除された瞬間に遅れて音が空間に響く。そして、音が溶けて消える前にまた時止めを発動して斬り結ぶ。それが続けば——自然、音が鎖のように連鎖していき、秒よりも短い時間、刹那に近い時間のズレで重なっていく。

 その時間、一刹那——およそ七十五分の一秒!

 

  ―閃ッ!

  ―戟ッ!

  ―裂ッ!

 

 ほぼ止まった時間の中で、鏡華とオッシアは大広間を駆け、斬り合う。

 重力を無視し、空中に具現化させたプライウェンを踏みつけ相手へ迫る。振り抜いた刃は相手へ届かずに得物が絡み付くように間に割り込む。

 

  ―戟ッ!

 

 黄金の剣に黄金の剣が鋼の音を立ててから“減り込む”。一瞬の抵抗ののちに刀身を両断される黄金の剣。

 斬られるのはカリバーン。斬ったのはデュランダル。

 分かりきっていた事だ。カリバーンは聖剣と呼ぶに相応しい物だが、元は儀礼用の剣であり実用に足る物ではない。一方でデュランダルは無限のエネルギーを生み出し凄まじいまでの切れ味を持つ、数々の伝説を残した聖剣だ。

 カリバーンの分が悪い事など、知っている者ならば当然の事だった。

 

  ―閃ッ!

  ―戟ッ!

 

 だが、そんな事は鏡華も承知の上だ。

 振り抜いたカリバーンを即座に手放し、逆の腕を振るう。

 その手に握られた得物もカリバーン。

 鏡華の武器は全てアヴァロンの記録から具現化する、謂わばコピー品。だが質は本物となんら変わらない。

 だから——“替えが利く”。

 両断されたのなら破棄、新しいコピー品へ切り替える。

 究極の一に対して無限を以てして対抗する。それが鏡華が取れる手段。——その一つ。

 

「雄ォ雄雄雄——ッ!!」

「覇ァ亜亜亜——ッ!!」

 

  ―斬ッ!

  ―断ッ!

  ―裂ッ!

 

 止めて、斬って、両断し、具現させ、軋ませ、止めて——

 幾度も同じ行動を重ねる。

 正常の時間(トキ)でたった一時間にも満たない間に幾百幾千もの交差を、飽きる事なく両者は続ける。

 だが——

 

「ぅが……ッ!」

 

 それがいつまでも続くわけがない。

 オッシアの口から苦悶の声が漏れる。防護服の腕の箇所が切り裂かれ、奥から血が流れる。

 すぐに治り傷自体は問題ない。問題なのは鏡華の方だ。

 

  ――我が終焉、黄昏より遥か彼方――

 

 もう何度聞いたか分からない聖詠によるブースト。

 そのせいか、ほんの少しずつだが速度が増してきているのだ。

 制限の解除したアヴァロンの時止めはオッシアも使用可能だった。にも関わらず、鏡華に対して一撃が入らないのにオッシアには少しずつ一撃が入ってきている。

 実力や武器を見ればオッシアの方が有利だ。継承者としての差はあっても、デュランダルで相殺できるレベル。

 なのに何故——

 胸中で問い続けながら、振り下ろされたカリバーンへデュランダルを叩き付ける。

 

  ―戟ッ!

 

「——なッ……!?」

 

 今度こそオッシアは驚愕に言葉を失った。

 あれほど両断していたカリバーンの刀身が、

 ——両断できない、だと……ッ!?

 

「——隙あり」

 

  ―閃ッ!

 

 一撃で両断できなかったカリバーンを横に薙ぐ。

 

「うぐぅ——ッ、ぜあッ!!」

 

 反応が遅れ、横腹に刃が食い込む。しかし、数センチ食い込んだ所で刀身が折れた。オッシアはその瞬間に鏡華に蹴りを入れて吹き飛ばす。

 吹き飛んでいく鏡華を見て、膝を折りデュランダルを杖代わりにして荒く息を吐く。

 

「……そういう、事か」

 

 遠見鏡華(我が事)ながら滅茶苦茶だ、と吐き捨てる。同時に理解してしまった。

 鏡華は——否、鏡華とアヴァロンはこの短い時間で“成長している”のだ。

 鏡華自身はオッシアの動きを見て。

 アヴァロンは折れた時に触れるデュランダルの切れ味を記憶し、カリバーンの切れ味の記録を上書きを行って。

 無論、すぐに成長しているわけでも、完璧に上書きができているわけでもない。何百何千と斬り結んだ中で少しずつ、本当に少しずつ覚え、上書きをしていたのだ。

 

「お前はどこへ行く気なんだ……」

「どこまでも」

 

 独り言をこぼしたオッシアの目の前に鏡華が現れる。

 

「自分が納得できるまでは歩き続けるさ」

「分かっているはずだ。それがどんな道になるのかを」

 

 立ち上がり、オッシアは静かに鏡華を見据える。

 オッシアを見る鏡華の瞳に感情の揺らぎは見えない。

 

「どんな道になるかは歩いた後に俺自身が決める。だけど、きっと、後悔なんてしない」

「奏と翼を巻き込んでもか」

「独りだったら後悔するかもしれない。でも、あいつらとだからこそ、余計に後悔なんかする暇ないだろうな」

 

 その光景を思い描いたのか、オッシアの前で笑う。恐らくオッシアは気付いていないだろうが、鏡華の「あいつら」とは翼と奏、そして未来の意味を持つ。今では未来も大事な一人なのだ。

 素直に笑う鏡華の姿を見て、あれほど溜まっていた糾弾の言葉を失う。

 大広間に地鳴りが響いている事に、今やっと気付いた。恐らくフロンティア全体が鳴動しているのだろう。

 

「——なら、証明してみせろ」

 

 トン、とオッシアは距離を取る。デュランダルを胸の前に掲げ、告げる。

 

  ——キミの終焉、其れはいつか必ず——

 

  ―煌ッ!

 

「貴様の想いに偽りがないか、オレを超える事で立証してみせろッ!!」

 

 手に握るデュランダルに光が集まる。

 それはかつてカ・ディンギル跡で暴走した鏡華にトドメを差した絶唱。

 以前は光だけでカリバーンを形成したが、今回はデュランダルを骨子として組み込んでいる。

 

「——」

 

 肌に打ち付けられる絶唱の余波を前に、鏡華は息を吸って、吐き出す。

 カリバーンをもう一振り具現化し、逆手で二振りを握り締め鏡華も告げる。

 

  ——我が終焉、黄昏よりも遥か遠く——

  ——然れども理想郷はこの胸に——

 

  ―煌ッ!

 

 鏡華の手にも光が集まる。

 カリバーンを骨子とし鏡華が思い描く姿に形を成していく。直剣から片側に反りができ、刀のように刀身を変える。

 その場で一振りすれば形を成した光が舞い散る。その光景はさながら光の羽。そして剣の形は二本合わせて見れば双翼の如く。

 

「絶唱——フリューゲル・ゾネ」

 

 与えた銘は日向の翼(フリューゲル・ゾネ)

 まるで日が双翼に姿を変えたみたいに鏡華の周りを暖かく照らす。

 

「……どこまでもあいつらに尽くすか。ブレなさすぎて逆に引くわ」

 

 初めて、鏡華の姿に苦笑を見せるオッシア。

 だが、すぐに笑みは消える。

 

「さあ——いくぞッ!!」

「ああ——今度こそッ!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!

 自分に、敵に、世界に向けて吼え叫ぶ!

 咆哮とエネルギーの奔流で空間を揺らし、踏み出した足で床を砕く。

 ほぼ同時に駆け抜ける。

 

  ―震ッ!

 

 大気が、空間が、フロンティアが。

 赤子のように泣き叫ぶが如く震え続ける。別の理由で上げる軋みも合わさって、とうとう壊れる事のなかった広間が崩壊を始める。

 そして――

 デュランダルを振りかざし駆けるオッシアと、

 双翼の光剣を握り締めて駆ける鏡華は、

 

  ―煌ッ!

  ―轟ッ!

  ―爆ッ!!

 

 爆音を先駆けとして、大広間ごと閃光に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奏でろッ、フリューゲル・ゾネッ!!!」

「——ッ!!?」

 

 視界は完全聖遺物同士のエネルギーによって白く染まりきっていた。聴覚も爆音によって一時的に封じられていた。

 それはオッシアだけでなく鏡華にも平等に降り注いでいた——はずなのに。

 鏡華の声が鮮明にオッシアの耳に届いた。背中で羽撃く双翼を宿した姿もはっきりと両目で見えている。

 

「オッシアァアアアア——ッ!!!」

「ッ、オォオオオオ——ッ!!!」

 

 吼えながら飛び掛かる鏡華に、オッシアも吼える。互いに握る得物はない。即座に具現化し、共にカリバーンを振りかぶる。

 鏡華は横に振りかぶったまま刺突の構えから。

 オッシアは頭上に掲げ振り下ろす構えから。

 

  ―閃ッ!!

  ―斬ッ!!

 

 同時に最後の一撃を放つ!

 

  ―輝ッ!

  ―裂ッ!

 

 国すら滅ぼせる一撃が混ざり合い、生命が存在する事など許されない空間で、刃を激突させる。

 衝撃に身体をボロボロになりながら直後に完治しまた光の衝撃を受ける。ループする激痛の中で、鏡華は絶叫する。

 

「お前には負けられないッ! 死んでもッ、負けられないんだよぉ——ッ!!」

 

 今まで負ってきた傷口が開く。それでも叫ぶ。

 

「たった二年で全てに絶望したようなクソガキがッ! そんなに俺が憎かったか! だったらこんな回りくどい真似せずに直接乗り込んでくればよかっただろうが! それを何だ!? えっらそうに能書き垂れて! こんな事で、てめぇは全てを捨てたってのかよッ!」

 

 俯く鏡華の叫びにオッシアは何も答えない。

 鏡華も答えを貰おうと思っていない。

 いや——、

 もしかしたら鏡華はオッシアに叫びながら自分に言っていたのかもしれない。

 答えは本人以外に、否、鏡華にも分からないのかもしれない。

 全てが曖昧な中で、鏡華は喉を潰さんばかりに吠え叫ぶ。

 

「いつもそうだ! 大人ぶって振る舞おうとしてよ! ただちょっと歌作るのと武術が得意なガキの分際でッ、何様のつもりなんだ! 何もかも背負ったように生きて! 他人に迷惑かけて! 大概にしろってんだ!」

 

 ギチギチと火花を散らしながら切っ先と刃が震える。

 その奥から、仮面が砕け素顔が露になったオッシアが見つめていた。痛みがあるはずなのに何の感情も浮かんでおらず、口も閉ざしている。

 

「どれだけの人に迷惑かけたか分かってるのか!? 奏を見ろよ! 不老不死と云う呪いを掛けた! 承諾も何の相談もなく一方的に! 翼を見ろよ! ずっと心配して泣いてたんだぞ! ずっと独りで戦ってたんだぞ! 未来を見ろよ! こんな関係なのに笑ってくれてるんだ! 間違ってるはずなのに! 旦那を……養父(とう)さんを見ろよ! 司令として大変なはずなのに俺を育ててくれた! ガキの我が儘に何度も付き合ってくれた! 死んだ両親にも……養母(かあ)さんにも……数えるだけでこんなにも大勢に迷惑かけてんだぞ!!」

 

 身体中から血が流れ、流す涙も水分なのか血涙なのか、鏡華にはもう分かってない。それでも構わず、叫ぶ。叫び続ける。

 

「誰かのため、なんて理由を付けるな! てめぇの行為は全部自分のためだ! 全部……全部自分の都合の良いようにするための言い訳だ! 詭弁だ! 弁解だ! ただのまやかし……幻想だ! そんなもんを語るぐらいなら、初めっから表に出てくんなよ……消えろ、消えろ……」

 

 まるで駄々っ子のように鏡華は叫ぶ。泣きながら、喚きながら、中途半端だった腕を、鏡華は、ありったけの慟哭の叫びと共に押し出した。

 

「もう、消えてなくなれよぉおおおぉぉ……ッ!!!」

 

 最後の想いを吐き散らし、鏡華は動きを止めた。荒い息で体内に酸素を送る。

 全てを出し終えて、初めて鏡華は顔を上げた。

 目の前にオッシアが立っていた。折れたカリバーンを持って。

 ——胸に黄金の剣が突き刺さりながら。

 

「——それでいい」

 

 オッシアは、なんともないかのように呟いた。

 

(オレ)はお前を否定し続ける。だが、お前はお前を肯定し続けろ」

 

 それでも無事ではいられなかった。

 鏡華は見つけた。見つけてしまった。オッシアが、身体の端から光となって消えていっている事に。

 それでも——オッシアは変わらず告げる。

 

「間違い続けろ。悩み迷い続けろ。後悔し続けろ。だけど——決して過去を、後ろを見て進んでいくな」

 

 今まで溜まっていたツケが一気に清算されているのだろうか。鏡華が消滅を見つけた途端、消滅する速度が速くなり、既に四肢の半分が消えていた。

 

「人間の感情はひどく複雑で、ひどく単純なものだ。後ろばかり気にする人間には不幸を。前を見て進む人間には幸福を」

 

 四肢は消え、残りは胴より上のみ。

 

「——まあ、要はお前はそのまま生きやがれって事だ。己が感情(オレ)にあそこまでの啖呵切ったんだ、途中で諦めるなんざ許さんぞ」

「ま、まて……」

「嫌だね。——遠見鏡華(オレ)自身気に喰わん事ばかりだったが……まあ、この最期は悪くない」

 

 たった今気付いたかのように、鏡華は慌てて手を伸ばす。

 だが、届く前にオッシアの全てが光へと還る。

 

 ——オリジナルに勝ち越しのままだと、特にな。

 

 姿が見えなくなった後に虚空に響く幻聴に近いオッシアの最期の言葉。

 何も掴めなかった手を手元に戻す。傷だらけの掌を見下ろし、強く握り締める。

 

「……負けたくないって言いながら、結局あいつの勝ちかよ。俺ってやっぱ弱ぇなぁ……」

 

 膝から崩れ落ち立ち膝の姿勢で、ようやく鏡華は辺りを見回した。

 元は大広間だった場所は、何も無くなっていた。壁も、ほとんどの床も、壁一面の墓石も——何もかも。

 鏡華が膝を付いている周囲数メートルの床が残っているだけ。それも直に崩壊するだろう。

 下を覗いてみれば青と緑の星が——地球が。光の粒子が地球の全てを巡っている。

 それを鏡華は素直に美しいと感じた。ツヴァイウィングのためにしか曲を作らない事を信条としている彼が、視界に広がる美しさを曲にしたいと思う程に。

 

「ったく……ペンと紙が、あれば……な……」

 

 ガラッと形を保っていた床が遂に崩れる。

 何の対処もしないまま鏡華は落下に身を任せる。今の彼に指一本動かす力も盾一つを具現する力も残ってなかった。

 無重力の中、ゆっくりと地球の重力によって落ちていく。

 鏡華は視界に赤いナニかを捉えながら、意識を闇に任せるのだった。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅨ

 ネフィリムを倒し、弦十郎から伝えられたネフィリムの心臓の暴走をその眼で確認しながら、奏者六人はフロンティアから離脱。成層圏からネフィリムの心臓の暴走に呑み込まれるフロンティアの最期を見届けていた。

 弦十郎ら二課メンバーは弦十郎の帰還を以てフロンティアから脱出したと連絡を受けている。

 ならば問題はネフィリムのみだが、

 

「司令、そちらに鏡華はいないんですか!?」

『ああ。本部には戻ってきてない。反応も上手く探れん』

「……奏」

「駄目だ、念話も反応しない」

『鏡華の探査はこちらで行う。奏者達は——』

「あのデカブツをなんとかすんのは任せな、おっさん!」

 

 通信をしている間にフロンティアを呑み込み形を固定したネフィリム。或いは別物としてネフィリム・ノヴァと呼称するべきか。

 赤く染まった異形の姿の奥で、更に紅いマグマが煮えたぎって今にも爆発を起こしてしまいそうだった。

 

「さて、と。ヴァン、あのマグマどうにかなんない?」

「無茶を言うなクリス。無理に決まってるだろうが」

 

 いくら炎を操れるからと云っても、今のヴァンにはまだできない。

 否定しながらも物は試しと先陣を切る。

 

「切ちゃん」

「あたし達も行くデス!」

 

 続いて調と切歌も飛び出す。

 

  ——終Ω式 ディストピア——

 

 腕と足のユニットを分離させ、変形、巨大化、そして合体したユニットに乗り込む調。

 どこからどう見ても、小さな武具ユニットがロボットに変形した。

 

「……アニメ好きなら嬉しがるだろうな」

 

 場違いな一言を漏らしながら、ガラティーンを一閃する。

 

  ——今際に抱(ヴァルアヴル)く貴き夢(・ファンタズム)——

 

  ―煌ッ!

  ―閃ッ!

 

 極大の光刃が放たれる。

 大抵の敵は防御の上からでも灼き斬れるが、ネフィリム・ノヴァは大抵には入らなかったようだ。

 ダメージは入ったのだろうが、それ以上に光刃から何かを吸い取っている。

 

「やぁああッ!!」

「デェェェスッ!!」

 

  ——終虐 Ne破aァ乱怒——

 

  ―斬ッ!

 

 光刃が消える前に調が操るロボットの手先である鋸と、切歌のかぎ爪に変化した大鎌がネフィリム・ノヴァを切り裂く。

 ダメージは入ったはず。しかし光刃と同様に、今度は調と切歌の身体から何かを吸い取っていく。

 

「ちっ……下がれ、お前等!」

 

  ―弾ッ!

 

 剣群を射出しネフィリムを阻害しながら切歌を掴み調が乗るコクピットらしき場所に乗せ、ロボットごと引っ張る。

 

「切歌ッ! 調ッ!」

「問題ない。だが、少しばかり吸われたみたいだ」

「くっ、聖遺物を喰らうばかりか、エネルギーだけでも呑み込む悪食……ッ!」

 

 なまじネフィリムの知識を持つが故に、すぐにどういう理屈か理解する。目の前の化物は生半可な攻撃は受けてもそれ以上にエネルギーを吸い取る事も。

 だがこのまま手をこまねいてはいられない。ネフィリム・ノヴァが臨界に達したら——確実に地上は蒸発する。

 

「どけッ、ヴァンッ!」

「——? ッ、そうか」

 

 クリスの言葉に、ヴァンは意図を察しすぐにマリア達と共にクリスとネフィリム・ノヴァの間から離脱する。

 飛び出したクリスが格納しており、取り出したのはソロモンの杖。

 

「人を殺すだけがッ! お前の能力(ちから)じゃないって証明してみせろよソロモンッ!! バビロニア——フルオープンだぁああッ!!」

 

 かつて自分の歌で覚醒させたソロモンの杖。

 使い方はフィーネから叩き込まれた。

 ノイズの出現方法。操作方法。自壊方法——そのほとんどを。

 その中にはバビロニアへの入り口を開ける方法もあった。

 ネフィリム・ノヴァの背後に入り口が作られる。

 

「そうか! XDの出力でソロモンの杖を機能拡張したのかッ!」

「バビロニアの宝物庫にネフィリムを格納できればッ!」

 

 開かれていく入り口。奥に見える光景は現代では摩訶不思議なもので、普通ではないとはっきりと感じられる。

 それをネフィリム・ノヴァも感じ取ったのか。ヴァンと切歌、調が攻撃した時はまったく動かさなかった腕を振るう。巨体に反して素早い動きに、クリスは気付くも回避する暇もなく吹き飛ばされる。

 クリスはすぐにヴァンが抱きとめたが吹き飛ばされた際にソロモンの杖を手放してしまった。

 どこかへ紛失する前にマリアが掴み操作する。

 

「明日を——ッ!!」

 

 発動自体はクリスが行っていたので、マリアは出力を調節する。ネフィリム・ノヴァを格納できるサイズまで入り口を広げ固定する。

 成功した事に、ほっと一瞬だけ気を抜いてしまう。そこをネフィリム・ノヴァは狙った。

 腕から生み出した触手でマリアを拘束しようと伸ばす。マリアはすぐに回避行動に移るが一瞬の隙は大きく、触手に掴まってしまう。

 

「「マリアッ!」」

「ッ、問題ないッ! 格納後、私が内部よりゲートを閉じるッ! ネフィリムは私がッ!」

「自分を犠牲にする気デスかッ!?」

 

 切歌と調の叫びにマリアは不思議と穏やかな笑みを浮かべる。

 自分を犠牲にする事に迷いはなかった。F.I.S.からの決起によってこれまで散らしてしまった多くの命は数知れない。

 米国兵士、スカイタワーの客と敵味方関係なく何人、何十人といる。

 こんな事で罪が消えるはずはない。

 それでも、マリアは護ってみせると誓った。今ある世界を、今を生きる全ての命を。

 

「それじゃあ、マリアさんの命は私達が護ってみせます」

 

 拘束されながらネフィリム・ノヴァと落ちていくマリアに響が伝えた。

 英雄でもない自分達が護れるものは数えるしかない。けど、仲間を助ける事ならできると。一人じゃできなくても一人じゃないなら。

 

「できない事もできる。それは絶対に絶対です」

「——」

「それに約束しましたから。全部終わってからひゅー君の事聞かせてもらうって」

「立花響……」

 

 周りの仲間も頷く。

 まったく甘いと思う。それ以上に嬉しいと云う気持ちが込み上げる。

 縛られながら気を引き締め直し落ちゆく入り口に眼を向けた。——まず眼を疑い、驚き、叫ぶ。

 

「風鳴翼ッ! 天羽奏ッ! 先にバビロニアへ行けッ!!」

 

 自分の見たものを伝えるために。

 

「オッシア……遠見鏡華が——バビロニアへ落ちたッ!!」

 

 翼と奏が息を呑み即座に入り口を見回す。だが、鏡華の姿は見えない。

 

「一瞬だが間違いない! 早くしないと見失うわよッ!」

「ッ、すまない! すぐに戻るッ!」

 

 マリアの叫びに、翼と奏は先行してバビロニアの宝物庫内に飛び込む。

 端が見えない摩訶不思議な空間。内部に浮かぶ建造物。そして、そこかしこに存在するノイズ。恐らく万とか億では足りない数だ。

 

「くっ……どこだ鏡華ッ!」

 

 宝物庫に侵入した時間差はほとんどゼロに等しい。

 しかし鏡華の姿は見えない。むしろノイズがわらわらと近付いてくる。

 

「邪魔だぁッ!」

 

  ——LAST∞METEOR——

 

  ―轟ッ!

 

 寄ってくるノイズを塵と化え、辺りを見回す奏。

 何度もノイズを暴風で吹き飛ばし視界を一カ所にとどめずに探し、

 

「——翼ッ、あそこッ!」

「ッ!」

 

 半ば確信を持った声音で指差す。

 翼は疑問を持つ事なく指差された方へ翔る。

 ノイズを斬り捨てながら進み、ある建造物にノイズが積み重なっているのが見えた。

 

「はッ!」

 

 横薙ぎに振るい、積み重なるノイズを慎重に、かつ迅速に斬り払う。

 数秒で全てのノイズが塵と消えると、そこに確かに鏡華が倒れていた。

 

「ッ、傷口が……ッ!」

 

 大量の血で汚れる事を気にも止めず抱き起こす。血自体は止まっているが傷口は開いたままで塞がっていない。意識がないが息はしているので死んではいないだろう。

 手荒だが脇に抱え奏と合流する。

 

「鏡華は回収できたッ! 露払いは任せた!」

「任されたッ!」

 

 槍を構え一直線にノイズの群れを突破する奏。槍の突撃から逃れ翼と鏡華を襲うノイズだけを斬り捨て奏の後ろを翔ていく。

 すぐに響達の許に辿り着く。

 切歌がダメージ覚悟でネフィリム・ノヴァの気を引き、調がマリアを拘束している触手を切断しようとしている。響、クリス、ヴァンの三人は二人の邪魔をさせまいと周囲のノイズを狩っていた。

 奏は響達の許へ向かい、翼は鏡華を背負い、切断に難航している調の許へ向かう。

 

「調ッ! まだデスかッ!」

「もう少し……!」

「半分請け負う! 残りに全ての鋸を集中させろ月読!」

「ッ!? ——はいッ!」

 

 調が鋸をひいた触手に接近し、腰溜めに構え、

 

「——破れよ、怒濤なる閃きは烈火の如く」

 

  ―閃ッ!

 

 ただ一度、天ノ羽々斬を振るった。

 それだけで容易く触手は両断された。——否、“両断ではなかった”。細切れにされたのだ。

 

「くっ……流石は防人」

「半分以上月読が削っていたがな」

 

 悔しがりながら、調もロボットの鋸で残り半分の触手を削り切り、マリアを触手から救い出す。

 

「助かったわ」

「礼は後だ。マリアはソロモンの杖で再度開いてくれ。その間の露払いは私達でする」

 

 解放されたマリアに翼は告げると答えを聞かずにノイズに向かった。

 敵であるはずなのに全面で信頼を置かれている事に、マリアは苦笑いを浮かべると共にソロモンの杖を掲げる事で応えた。

 

「——ッ!」

 

 叫びと共にノイズがいない場所に向かってソロモンの杖を起動させる。放たれた光線は空間に地球へゲートを開く。ゲートの奥には場所は不明だが砂浜と海が見えた。

 

「——マリアッ!」

「ッ!?」

 

 後は固定するだけ、と云ったところで切歌の声。

 その声音でマリアはその場から離れた。瞬間、通り抜けるネフィリム・ノヴァの触手。

 知能を持っているのかと思わせるほど執拗にマリアを狙う。

 

「くっ……これではゲートの固定が……ッ!」

 

 どうにか回避しながらゲートの座標を固定しようとするが、上手くいかない。

 切歌と調が割って入ってくれているが、それでも追いかけてくる。

 こうなったらまた——と考えた時だった。

 

 

「——仕方ないわね、本当にもう」



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Fine12 理想郷はこの胸にⅩ

「——仕方ないわね、本当にもう」

 

 唐突に聞こえた声。

 声から調だとすぐに分かった。だが、その声音はマリアの知っている調のものではなかった。

 乗っていたロボットをネフィリム・ノヴァへ特攻させ、自分はすぐに降りてマリアの許へ近付く。

 

「誰の魂も塗り潰す事なく傍観してるつもりだったけど……放っておけなくて思わず出てきてしまったわ」

「出てきてって……まさか、あなたは……ッ!?」

「どうだっていいじゃない、そんな事は。それより貸しなさい」

 

 マリアの想像を言葉で両断して、ソロモンの杖を手から奪い取る。

 使った事のないソロモンの杖を、調は迷い躊躇う事なく扱う。ゲートの固定化をやめ、閉じるよりも早く別の命令を下す。

 何の命令を発したのか分からないまま、調はゲートの固定化も終わらせた。

 同時に周りからノイズが狙いを奏者からネフィリム・ノヴァへと変更して攻撃を始めた。

 

「はい、おしまい。後は頑張りなさい」

「待ちなさい。調は……本来の魂はどうなったの!?」

「安心なさいな。今回は一時的な憑依だけ、すぐに引っ込むわ」

「やはり……フィーネ。まさか調に宿っていたなんて……」

 

 マリアの言葉はノイズとの戦闘から集まっていた奏者全員に聞こえた。

 

「了子さん……?」

「……二度と出てくるつもりはないけど、それでも邪魔だと思うならイガリマでこの身体を突き刺しなさい。魂を両断する一撃持つ鎌なら亡霊の私でも両断できるわ」

「ちょっ、待って——」

「——まったく」

 

 響の制止を聞かず、調——フィーネは調の手で翼に背負われている鏡華の頬に触れた。数回、上下させて口角を上げる。

 

「いつかの時代、どこかの場所で今更正義の味方を気取ることなんてできないわ」

「……あ」

「だって数千年も悪者やってたのよ。いつか未来に、人が繋がれるなんてことは亡霊が語るものではないわ」

 

 それはいつか語った願いへの答え。

 頬へ添えた手はそのままに。フィーネは調の瞳で響を見つめた。

 

「未来の事なんて、今日を生きるあなた達でなんとかなさい」

 

 響を中心に奏者達を見据え、眼を閉じた。同時にカクッと調の身体から力が抜け、切歌が慌てて支える。

 すぐに調の眼は開かれ、

 

「……あれ? 私、どうして……?」

「よかったデス! 調ぇ……」

「切ちゃん?」

 

 何が何だか分からない調は、切歌に抱き締められながら首を傾げる。

 

「説明は後よ。今は——」

 

 脱出が先。そう言おうとしたマリアの声は最後まで続かなかった。

 ノイズの総攻撃を受けていたネフィリム・ノヴァが奏者達とゲートの間に割り込んできたのだ。

 

「迂回路はなさそうだ」

「ならば往く道は一つッ!」

「手を繋ごうッ!」

 

 迷う事も恐れる事もない。

 響、クリス、そして鏡華を背負ったまま翼が手を繋ぎ合う。

 

「マリア」

「マリアッ!」

 

 手を繋ぎ合った調と切歌はマリアに手を差し伸べる。

 マリアは頷き、ギアから銀の剣を引き抜く。

 

「奏さんッ!」

「それじゃあ、お手を拝借」

 

 そう言って奏がマリアと響の手をそれぞれ手で繋ぐ。

 響は笑って。マリアは真面目な顔で、

 

「この手——簡単には離さないッ!!」

 

 握り締めた手を強く、更に強く握った。

 七人が手を繋ぎ合う後ろでヴァンがガラティーンに集中しながら目の前の光景に微笑を浮かべる。

 誰もが初めは敵対していた。それが今はどうだ、敵味方の垣根など超えて繋ぎ合っている。

 たった七人。然れど七人。それがヴァンには太陽以上に眩しく見えた。

 

「さあ行くぜッ! ——最速でッ!!」

 

 奏が。

 

「「最短でッ!!」」

 

 響とマリアが。

 

「「「「真っ直ぐにッ!!」」」」

 

 翼とクリス、調と切歌が。

 叫びながらネフィリム・ノヴァへと飛翔する。

 同時に響とマリアの防護服からアーマーが分離していき、巨大な手に変化していく。

 響のアーマーは黄金の手に。

 マリアのアーマーは白銀の手に。

 そして、奏が、自身のシンフォギアを混ぜた時のように防護服のアーマーで二つの手を繋ぎ合わせる。

 更に後ろに控えていたヴァンが繋ぎ合い拳となった両手の上に乗り手を添える。そこから太陽を思わせる熱と焔が拳を覆う。

 

『   一 直 線 に ィ ィ イ イ イ ッ ! ! !  』

 

  ——Vi†aliza†ion——

 

  ―煌ッ!

  ―爆ッ!

  ―轟ッ!

 

『うぉおおおおぉおおおおぉぉおおッッ!!!!』

 

 奏者全員の力と心が一つとなった拳がネフィリム・ノヴァの腹部に減り込む。

 徐々に押していくが、それでもネフィリム・ノヴァの身体を貫く事ができない。

 奏者達は気付かなかったが、ネフィリム・ノヴァはノイズの力も呑み込んで力を増大させていた。しかも接触しているので拳のエネルギーも呑み込もうとしていたのだ。

 それでも全員諦めてなどいない。だからこそ少しずつ減り込んでいる。

 だが、後一手。それだけ足らない。

 そして、唯一状況を分析できたものがいた。何もできず、“背負われて”いたからこそ動けた者が。

 

  ——我が終焉、黄昏より遥か彼方——

 

 轟音だけが響く奏者達の耳に届いた声。

 翼は気付いた。背中にいた人物がいなくなっている事に。

 

  ——然れども、

 

 誰もが気付く。握り締めた拳に双翼がある事を。

 

「理想郷はこのッ、胸にぃいいいぃいいいぃいッ!!」

 

  ―輝ッ!!

 

 一層輝く巨大な双翼が羽撃(はばた)き、拳を焔ごと覆い隠す。焔は双翼に燃え移るが、それが余計に幻想的な輝きを生み出す。

 減り込む速度が上がる。

 好機はもうここしかない。全員の思考が揃い、咆哮を上げる。

 痛みを感じているのか、ネフィリム・ノヴァが身体を捩る。拳の位置がズレ、拳がネフィリム・ノヴァから離れる。

 瞬間、覆っていた双翼が広がり流星の如く後ろへ飛ぶ。煌めきの尾を引き、翻った拳は更に速度を上げて再度ネフィリム・ノヴァに突撃する。

 

「これが」

 

 誰かが言った。

 

「想いの強さだ」

 

 

  ―轟ッ!!

 

 今度こそ、ネフィリム・ノヴァの身体を突き破り一直線にゲートに飛び込むのだった。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅩⅠ

「フォニックゲイン照射継続……月遺跡、バラルの咒詛――管制装置の再起動を確認……」

 

 カハッと血を吐き出しながら、ナスターシャは最後の入力を終えた。

 モニターに表示される月遺跡の表示を確認して、

 

「月起動のアジャストを開始……」

 

 確信を持って月軌道の修正を完了させた。

 本懐を遂げた——故か、ナスターシャは自分の身体から力が抜けていくのがはっきりと分かった。コントロールしていた石台にもしがみついていられなくなり、受け身も取れぬまま地面に崩れ落ちる。

 これでいい。これで世界は救われる。

 ナスターシャに後悔などなかった。

 

『——本当にそうか?』

 

 声が聞こえた。

 誰もいない宇宙空間に漂う石室。いるのはナスターシャ一人なのに、確かに聞こえた。

 

『月遺跡の再起動成功おめでとう。悩み、迷い、寄り道の連続だったが、それでも成し遂げた。大した人だよアンタは』

 

 オッシ、ア……?

 何故、ここに……。

 

『オレも目標達成したんでな。消え去る前にアンタに挨拶しとこうと思っただけだ。——ほら、かけつけ一杯』

 

 呑めるわけないでしょう。気持ちだけ頂きます。

 そうですか、あなたもお疲れ様でした。これで契約は満了です。

 

『ああ。——話を戻そう、時間もないしな』

 

 ……後悔など、挙げたらキリがない。

 ですので言葉にする後悔は、ただ一つだけ。

 マリア達のこと。

 私はこのまま死ぬでしょう。しかし、あの子達は解決後に法の裁きが待っています。

 

『だろうな』

 

 どうなるか、できるなら罪を全て私に被せてできる限り幸せに……。

 

『そうなるといいな。……最後にマリア達に残す言葉はあるか?』

 

 残す言葉。そんな言葉は……。

 孤児だから、フィーネの血を引く可能性があるから、そんな言葉を並び立てて攫ってきた子供達。

 連れてきた子供(マリア)達……残してきた子供達。

 ああ、でも……。

 

「しあ、わせに……なりなさい」

 

 どんな困難が待っていようと、どんな不幸が舞い降りてこようと。

 小さくてもいい、自分の幸せを見つけなさい。

 マリア。

 切歌。

 調。

 日向。

 そして、ありがとう。こんな私をマムと慕ってくれた可愛い子供達。

 

『その言葉、聞き届けた。オレが司る愛の感情に誓って確かに伝えよう』

 

 そうですか。お願いしますオッシア。

 ああ、それにしても美しい。

 

「星が……音楽、となっ……て——」

 

 ……。

 

 …………。

 

『お休み、ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤ。アナタの愛は間違いなく母親(マム)として呼ばれるに相応しいものだったよ』

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

  ―轟ッ!

 

 轟音と共に砂浜に叩き付けられる奏者達。幸いにも季節外れの砂浜だったため一般の目撃者はおらず、また、叩き付けられた衝撃もコンクリート等に比べ優しいものだった。

 しかし、それでも奏者達は皆その場から起き上がれずに蹲っていた。纏っている防護服はボロボロで服としての機能しか発揮できていない。

 唯一立ち上がる事ができたのは、一番ボロボロのはずである鏡華と比較的傷の少ないヴァンだけ。

 

「……、……、ゲート、閉じねぇと……!」

「く……、俺が……!」

「大丈夫ですよ、遠見先生。ヴァンさん」

 

 ふらつく鏡華とヴァンを止めたのは座り込んだ響。

 翼とクリス、奏も起き上がりながらもその顔は笑みが浮かんでいる。

 

「まだ、いるッ」

「心強い仲間が……!」

「マリア達にもいるだろ? もう一人」

「……ああ」

 

 視線を向ける。

 偶然か必然か。戻ってきた砂浜には先客がいた。奏者達が戻ってくる前に砂浜に着陸していた二課本部。

 そこから走ってくる人影が二つ。

 

「私の——親友」

 

 足場の悪い砂浜を未来はしっかりとした足取りで駆けてくる。

 その後ろから日向が続く。

 

「私だって護るんだ……ッ!」

 

 ゲートからネフィリム・ノヴァの腕が伸びてくるのが見える。

 それでも未来は立ち止まらない。砂浜に突き立つソロモンの杖を抜き放ち、振りかぶる。

 その横を日向が駆け抜ける。

 

「皆が帰って来れる場所を——ッ!!」

 

 踏み込んだ足でブレーキを掛け、上体の回転を利用してソロモンの杖を投げる。

 狙いは当然——バビロニアの宝物庫。

 未来の投擲の直前に合わせて日向も跳躍。放たれたソロモンの杖が通過する位置まで到達すると、

 

「おおッ!!」

 

  ―蹴ッ!

 

 蹴り飛ばす!

 勢いを増したソロモンの杖は真っ直ぐにゲートへ向かう。

 

「あとは……!」

 

 落下しながら日向は視線を移す。残りの問題はゲートを超えてしまっているネフィリム・ノヴァの腕のみ。

 宝物庫に引っ込める事は現状では難しい。なら取れる手段は——

 

「——ぐあッ!?」

 

 そう、考えていた時だった。

 ネフィリム・ノヴァの腕が日向を掴んだのだ。不意に接近されたのと生身では空中で動く事ができず、日向は回避する事さえできなかった。

 

「ひゅー君!」

「日向!」

 

 響とマリアが叫ぶが、動けない身で助けに行く事はできなかった。

 止まらないソロモンの杖。宝物庫に入ると誰もが願った通り宝物庫へのゲートを閉じた。

 これで同等の能力を持つ物が現れない限り、ノイズが現れる事はなくなった、はず。

 ——ただし、ゲートの外に出ているモノは別だが。

 確かに宝物庫への出入り口は封じた。だが、既にこちら側へ出てきてしまっているネフィリム・ノヴァの腕は、ゲートが閉じた瞬間に切断されこちら側に残ってしまった。

 四肢の一部だけ。これだけ聞けば問題ないと思うかもしれない。しかし、腕一本と云えども周辺に甚大な被害を及ぼすだろう。

 ましてや腕に掴まった者、真下で動けない者にとって——待つのは避けられない死。

 

「そうは——させるかぁッ!!」

 

  ―轟ッ!

 

 吠え叫んだのは鏡華。

 ボロボロのはずの身体を無視して動く。

 

「応えろアヴァロン! 騎士竜王の力を呼び覚ませッ!!」

 

  ―轟ッ!

 

 荒れ狂う風が鏡華を中心に巻き起こる。

 同時に身体から溢れ出る赫い泡。

 それは、かつて暴走した時に現れたモノ。

 翼と奏が声を上げようとするが、

 

「——悪いな」

 

 色彩のなくなったモノクロの世界で鏡華は呟く。

 動くものが鏡華以外に存在しない世界で、鏡華は砂場を蹴った。

 宙を翔る鏡華を覆う赫い泡。形を成したソレはまさに竜。

 

「返してもらうぞ暴食の巨人。もうこいつはお前の継承者になる事はないんだ」

 

 竜の腕で日向を腕から抜き取り砂場に降ろす。

 

「さて、と……時止めもずっとは無理、か」

 

 体調が万全であれば永久に時止めは可能だったが、回復していない今はあと数秒が限界。

 はっきりとそう感じた鏡華は、

 

「行けるとこまで行ってみるか」

 

 気軽にそう言ってのけた。

 双翼を広げ地を離れ、ネフィリム・ノヴァの腕を掴み高く飛ぶ。

 誰もが一飛びでは届かない距離まで飛んだ所で時止めが解除される。

 

「ッ……あ、あれ?」

「ひゅー君!?」

「日向!? どうして……」

 

 日向は急に手の中から砂場にいる事に戸惑い、響とマリアは日向が目の前にいる事に驚く。

 

「ッ、鏡華は!?」

「……あそこだッ!」

 

 翼と奏は消えた鏡華を探し、空高くに浮かぶ赫い竜とネフィリム・ノヴァの腕を見つける。

 その瞬間、時間だったのだろう。鏡華に掴まれたネフィリム・ノヴァの腕が輝きを見せた。爆発するだろう腕を鏡華は赫竜の身体全てを使い覆い隠す。

 

「まさか、爆発を抑え込む気か!?」

「鏡華ッ!」

「遠見先生ッ!」

「オッシアッ!」

 

 誰もが彼の名を叫ぶ。だが、彼には届かない。

 輝きが増し、ついに——

 

  ―輝ッ!

  ―爆ッ!

  ―轟ッ!

 

「遠見鏡華ッ!」

「オーサマッ!」

「遠見ッ!」

「遠見先輩ッ!」

 

 普通では出せないエネルギーの爆発が覆い被さっていた鏡華を中心に広がる。

 赫竜化した赫い泡を吹き飛ばしていく。

 眼を開けていられない光量と鼓膜を震わせる轟音、吹き荒ぶ爆風。

 光が弱まり、視界が戻った時、誰もが空を見上げた。——ただ一人を除いて。

 

「皆動けない……私しか助けられないんだ……!」

 

 誰もが頑張った。頑張ったからこそ動けない。

 なら、動ける自分が今度は頑張るんだ。

 砂場を走る。方角に確証はない、カン頼りで駆ける。

 姿を隠していた砂煙が晴れていく。

 空を見上げて——見つけた。

 受け身も取らぬまま落ちてくる——鏡華の姿を。

 

「とどッ、けぇええええ——ッ!!」

 

 最後の踏み込みで飛び込む。

 地面に直撃するほんの直前、そこで鏡華の身体を掴んだ。引き寄せて抱き締める。

 鏡華を抱えたまま背中から地面に落ちる。ごろごろと砂場を転がり、止まる。

 

「……大丈夫ですか? 鏡華さん」

「…………ああ。ありがとな未来」

「どういたしまして」

 

 鏡華の身体を支えながら座り込む。

 笑い合い、聞こえてくる足音に視線を向ける。

 そして、飛び込んでくる響に驚きながら——しっかりと受け止めるのだった。



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Fine12 理想郷はこの胸にⅩⅡ

「——暇だ」

 

 頬杖をついて鏡華は呟いた。

 場所は風鳴の屋敷、鏡華の部屋。布団に座り込んでいた。

 

「暇だ。暇すぎる」

「はいはい。暇ならリンゴでも食べな、剥いたから」

 

 ニュッと横からリンゴの乗った皿が伸びてきた。

 ウサギの形に剥かれたそれを鏡華は一口食べる。シャクリと良い音がして心地良い。

 

「美味い……けど」

「そうか。なら、もう一羽食べな」

「いや、もういいから」

「なんでだよ〜。あたしの剥いたウサギが食えないってのか?」

「いやいや、毎日食べたら飽きるからね? あとは奏が食べていいから」

 

 差し出された皿を押し返す。

 奏は押し返された皿を胡座の上に置いてシャクシャクと残ったリンゴを食べる。

 

「ったく……いつまで自宅待機させんのかね。あのクソ親父め」

「そう言うなって。旦那だって鏡華の事を考えて自宅療養させてんだから」

「分かってる。分かってるんだけどなぁ……理解しても身体が訴えてくるんだよ。暇だーって」

「まあ確かにな」

 

 あの戦い——フロンティア事変と呼称される事となった一連の出来事から、鏡華と奏は弦十郎から自宅待機の命令を受けていた。ダメージが他の奏者と比べて甚大なものを記録されており、普通であれば死亡。よくて全治数年は掛かるであろう傷を負っているはず。

 アヴァロンの能力で完治しているが、本来なら集中治療室に直行しているはず、というのがダメージの記録を見た医師の判断だった。

 とは云え完全完治しているわけではないのだが——

 

「にしても、あれからもう一月(ひとつき)か。マリア達は今頃何してんのかね」

「さてね。案外、俺らとそう変わらない生活でもしてんじゃね?」

 

 頬杖をついたまま窓から空を見上げる。

 眩しい陽の光を見ながら、鏡華はあの時の事を思い出していた——

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「あは、あはは……間違ってる。僕が英雄になれないこんな世界……間違ってるんだ……」

 

 ぶつぶつと繰り返される独り言を呟きながらウェルは拘束されたまま、用意されたヘリに連れて行かれた。

 弦十郎と緒川は端末のデータを見ながら話し合っている。遠くなので会話は聞こえないが、恐らく問題となっていた月の落下だろう。

 視線を戻した鏡華は、海を、空に浮かぶ月を見つめていたマリアに視線を移す。

 

「ありがとう——母さん」

 

 月を止めたナスターシャにお礼を呟くマリアに近付く。

 

「マリア」

「……」

 

 振り返る。てっきり泣いているかと鏡華は思っていたが、顔には一筋の跡もなかった。

 鏡華は真っ直ぐに見つめ返し、アヴァロンに記憶されていた言葉を口にした。

 

「幸せになりなさい」

「え……?」

 

 突然の言葉に眼を丸くする。

 気にせず鏡華は言葉を続ける。

 

「どんな困難が待っていようと、どんな不幸が舞い降りてこようと。小さくてもいい、自分の幸せを見つけなさい。マリア。切歌。調。日向。そして——ありがとう。こんな私をマムと慕ってくれた可愛い子供達」

「それは……」

「ナスターシャ教授からの最後の言葉。オッシアが聞きに行ってたみたいでな、アヴァロンに記録されていた」

 

 自分で伝えろよまったく、と鏡華はようやく眼を逸らす。

 

「そう……そう、ありがとう。オッシ……いえ、」

「好きに呼んでもらって構わねぇよ。呼びやすい名前で呼びな」

「そう。オッシア、ありがとう。マムの最後を看取ってくれて。独りで逝かせないでくれて」

「看取ったのも、最後の言葉を聞いたのも俺じゃないけどな……ん、そんだけだ」

 

 ぶっきらぼうに言い放ち、後ろに下がった。

 代わりに響が前に出る。

 

「マリアさん。これ——」

 

 差し出す手。掌にはガングニールのシンフォギアが乗っていた。

 だが、マリアは首を横に振り、差し出された手を自分の手で閉じた。

 

「ガングニールは、君にこそ相応しい」

「——」

 

 響から視線を移し、空を見上げる。

 空に浮かぶ月。軌道は修正されたが、壊れた箇所は戻らない。

 世界は救われた。しかし、その代わりに月の遺跡は再起動された。それはバラルの呪詛も再起動されたと云う事。

 人類の相互理解は再び遠退く事になった。

 

「へいき、へっちゃらです」

 

 それでも、響はそう言った。

 

「だって、この世界には歌があるんですからッ!」

 

 一時的とはいえ世界は一つになった。

 それは紛れもなく歌の力があったからこそ。

 

「そうね……」

「はい!」

「立花響——君に出会えてよかった、と思う」

 

 ただ、とマリアは続けた。響の耳元に口を寄せて。

 

「日向だけは譲れないから」

「あはは……私も同じ気持ちです。ただ、しばらくはひゅー君の事お願いしますね」

「……ええ、任されたわ」

 

 そう言って下がる。

 代わりに近付いてきたのは日向。

 

「響ちゃん……」

「また、ね……だね」

「うん……そうだね」

「……」

「……」

 

 いざ面と向かって口を開くと、互いに出てくるのは言葉にならないものばかり。

 視線もいったりきたりで重ならない。

 それを少し離れた所でヴァンは切歌、調と共に見ていた。

 

「何やってるんだ、あれは」

「さあ、デス」

「お見合いみたい」

「……手紙を交換してた頃から思ってたが、月読のセンスはどこで覚えたんだ」

「昔の事は覚えてないから……」

「そうデス。手紙で思い出したデス! また手紙交換するデスよエインズワース!」

「お前は唐突だな暁。許可が下りたらな」

「約束デスからね」

「ああ」

 

 響と日向とは逆につつがなく会話を終える三人。

 一方、当の二人はまだ会話が進んでなかった。

 

「えっと……」

「あー……」

「あーッ! 沈黙が長い! 万里の長城並みに長いッ!」

 

 そこに割って入ったのはクリス。

 むんず、と二人の肩を掴み、無理矢理近寄らせる。

 

「はいチーズ!」

「え、え……え?」

 

 響と日向が戸惑っている間にシャッターを切る。

 

「よし。今度写真送ってやる! だから今はもう行けスクリューボール二号!」

「は、は!? うわっ」

「ちょっ!? クリスちゃん!?」

「まどろっこしいんだよお前ら! 待ってる奴がいる事を覚えとけ!」

 

 げしげし、と日向のお尻を蹴っ飛ばす。

 

「えっと、じゃあ、ひゅー君。またね」

「う、うん。また、いつか」

「うん……」

「……」

「ループしてんじゃねぇって!」

 

 クリスのツッコミが入る。

 今度こそ日向はマリアの許へ戻り、ヴァンと別れた切歌と調と共にヘリに向かった。

 響は恨めし気にクリスを見ていたが、すぐに背を向けたF.I.S.の四人へと視線を向けたのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「——それから、ウェル博士含めF.I.S.五人は拘束されて国内で裁かれる事になったんだよな」

「まあ、すぐに米国が介入してきたんだけどさ」

 

 思い出に耽りながら、飽きたと言ったリンゴを齧る。

 ——フロンティア事変、その後の顛末は語るべきだろう。

 奏と鏡華の会話通り、F.I.S.のメンバーは行方不明のナスターシャを除いた五人全員が逮捕され身柄を拘束された事によって事態収束とされた。

 あくまで表向きは、と入るのかもしれないが。

 当初はF.I.S.の活動がほぼ日本国内だったので裁判も日本国内で行われる予定だった。しかし、米国が介入、裁判を日本ではなく国際法廷での審議を要求してきたのだ。

 理由として、彼女達が宣戦布告したのは全世界。前代未聞のテロ行為に対して、裁判を開くならば国際的にした方がいい、と云うのが米国の要求理由。

 無論、それは表の理由であり、不都合な真実を隠すためなのが裏の理由なのは、ある程度予想できた。

 ただ流石に、「テロリストだから」とだけでウェルやマリアのみならず、未成年の切歌や調、日向までも死刑を適用させようとしたのは、各国に疑惑を抱かせる結果になったが。

 加えて、日本政府が行っている、水中に没したエアキャリアと水中に残っていたフロンティアの遺跡跡の調査にも介入しようとしていた。

 

 そんな米国政府に仕掛けたのは日本外務省事務次官・斯波田賢仁だった。

 彼の働きによって、月落下の情報隠蔽や、F.I.S.の組織経緯などが激しく糾弾されることとなる米国政府は、国際世論の鋭い矛先をかわすため「そんな事実などない」と終始主張することになった。

 更に追い打ちを掛けたのは、匿名からの情報提供。内容は明かされていないが、米国は提供された情報を開示せず即座に死刑適用を撤回。隠蔽等を否定、情報開示や調査介入全てを拒否し続けるだけの守勢に回り、F.I.S.並びに日本に対して今回の件に関してのみ攻勢に出る事はなくなった。

 日本政府もそれ以上の追求をする事なく、半ばうやむやの結果に落ち着いてしまった。

 ただ、そのおかげでF.I.S.のメンバーに掛けられた罪状は消滅。国連の特別保護観察下に置かれる事になった。

 

「結局、渡したデータには何が入ってたんだ?」

「ん? ……これまでの悪事が事細かに入ってたらしいよ。ヴァンが知り合いの兵士から貰ったって言ってた」

「それを津山さんが米国に送った、と。バレないの?」

「送信程度なら問題なしだと」

 

 ふーん、とリンゴに手を伸ばす奏。

 

「まあ、否定しまくってグレーゾーンで誤摩化すつもりだった米国はこれで各国からの信用が即座に賛成を得られない程度に下がった。よほど悪い手を打たない限りは米国——ひいてはよその国も日本に手出しができなくなったわけだ」

「すぐに協力プレイで攻められないのは旦那や翼の“お父さん”的にはありがたいかもしれないけど、それぐらいでいいのか?」

「漫画とかにもあるだろ? 追い詰められた奴はなんとやら……世界一の本気を相手取るのは大人達でも、大人達だからこそ分かってるんだろうよ」

「ふーん、わからん」

「俺もわからん。俺は最後にゃきっと力で黙らせちまうだろうしな」

 

 鏡華も手を伸ばす。

 皿はからっぽだった。最後の一個はちょうど奏の口の中へ。

 何も掴めなかった手を引っ込め、鏡華はごろりとベッドに横になる。

 

「……寝る。腹も膨れたし」

「あいよー。ふて寝でも昼寝でもやけ寝でもお好きにどーぞ」

「……」

「あたしも少ししたら寝るし」

「……お好きにどーぞ」

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「ただいま」

 

 夕方。歌姫としての仕事も防人としての仕事もなく、普通に学校から帰宅した翼。

 返事が返ってこない。いつもであれば首を傾げるだろうが、翼は静かな廊下を無言で進み鞄を自分の部屋においてから、鏡華の部屋を訪れた。道中で奏の部屋も覗いたが、部屋にはいなかったので二人とも鏡華の部屋にいるだろう。

 

「鏡華、いるか?」

 

 ノックをしてから扉を開ける。

 部屋にはベッドで眠っている鏡華と椅子にもたれて眠っている奏がいた。

 

「……」

 

 翼は静かに部屋に入り、椅子で寝ている奏を抱き上げ鏡華の隣に移した。

 物音は多少出てしまっているが、二人が起きる様子はない。

 いや——外部からの理由で“起きるわけがなかった”。

 

「納得してはいたが……やはり、少しやるせないな」

 

 胸に手を当て二人を見つめる。

 鏡華と奏が無茶をした事は知っていた。それ故の代償がある事も“聞かされた”。

 ——マリア達F.I.S.と別れた直後、鏡華は倒れた。

 それから五日間彼が目覚める事はなく、昏々と眠り続けた。

 奏も時々だが起こしても起きない眠りに落ちる事があった。

 誰もが無茶をした結果だと思っていた。——翼自身も、“彼”から聞くまでは。

 

『彼奴の不調の理由は魂——精神的に傷を負ったからだ』

 

 いつかの就寝前に目の前に突如聞こえた声と共に現れた人物。

 初めは飛び上がり臨戦態勢を取ったが、すぐに誰なのか気付いた。

 

『……アーサー王』

『厳密には違うが、今は詮無き事だな。夜分失礼するぞ』

 

 礼儀正しく一礼したアーサーは口を開く。

 構えを解き翼は布団の上に座る。

 

(われ)を分け与えられたそなたには伝えておくべきと判断してな、今宵限り自らの意思で具現させてもらった』

『それが鏡華の負った傷……の事か』

『ああ。我の忠告を無視した結果故に迷ったが、彼奴を支えるそなたには伝えるべきだろう』

 

 ふぅ、とアーサーは溜め息を漏らして翼に伝えた。

 騎士王の鞘について。

 鏡華が成った継承者について。

 そして——

 

『いくら傷が元通りになるとは云え、何十何百と詠唱言語(スペルワード)を唱え自身が耐え得る限界値以上に完全聖遺物から力を引き出したのだ。傷を負わん方がおかしい』

 

『結果、彼奴は魂に傷を負った。鞘による修復も、ヒトとしての時間経過による治癒も不可能。文字通り一生癒える事はほぼない』

 

『流石に全てが分かるわけではないが、少なくとも今のような休眠はこれからも定期的に起きると覚悟しておくといい。それ以上の弊害は共に過ごし理解しろ』

 

 伝える事を全て伝えたアーサーはすぐに消えた。

 聞かされた言葉に、翼は絶望よりも安堵が広がっていた。

 再開するまでの絶望に比べれば優しいものだったから。

 いなくなるわけじゃない。それだけで翼には十分だった。

 そう思ってから約一ヶ月。

 

「私もわがままになったと云う事か」

 

 そばにいてくれるだけでよかった。

 なのに、今では眠っている鏡華達に対し寂しいと思ってしまう。

 もっと構ってほしい。もっと触れてほしい。もっと——

 挙げればキリがない。

 ——こんなに欲深かっただろうか、私は。

 自分の願いに思わず笑みをこぼしてしまう。

 翼は寝ている二人に歩み寄り、鏡華を挟んで奏の反対側で横になる。

 

 

 鏡華に言いたい事、叶えてほしい事、やりたい事。

 それらは数えきれないほどたくさんある。

 だけど、一先ず今だけはこれぐらいでいいだろう。一人足りないが、それも明日に変化を加えるアドリブだ。

 たくさんの願いに埋もれそうになるほど小さい——けれど何よりも大切で純粋な願い。

 

「ずっと一緒に」

 

 子供の頃からの小さな小さな願い。

 だけど、今だからこそわかる。

 小さな願いこそ——最も大事な、理想の未来絵図だと。

 この一瞬にも等しい時間こそ——理想郷だったのだと。

 遥か彼方にあるんじゃない——誰もが持っているのだ。

 

 

 収斂され輝きに満ちた理想郷を——この胸に。

 

 




 これにて本編は終了となります。
 原作シンフォギアGが始まった時期に始まり、完結に至るまで四年も経過してしまいました。
 最後の方は空白期間がだいぶあり、展開が駆け足気味になってしまいましたが、なんとか完結まで持っていく事ができました。
 かなり長い間でしたが、読んでくださった皆様には感謝の念でいっぱいです。
 四年間お付き合い下さり、本当にありがとうございました。

 次回作以降、三期・四期についてですが、書くかどうかは現段階では決まっておりません。……と云うか、現時点の戦力だと、どう考えても敵に対してオーバーキル気味なんですよね。それに書けるならXDも加えて書きたいし……
 そんな私自身の事は置いときまして、改めてもう一度。
 本作を読了して下さり、誠にありがとうございました。


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