駆逐艦「曙」のなんでもない休日 (とらいち)
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駆逐艦「曙」のなんでもない休日
駆逐艦娘曙は食堂で早めの昼食を取り、一度自室に戻った。自室と言っても4人部屋である。二段ベッドが二つと各自の机がある簡素な部屋だ。
一番奥の窓際にある姿見の前に立ち自分の姿を確認する。背は低く、手足はすらりと長い。しかし、身体のメリハリはない。瞳はぱっちりと大きく睫毛も長い。腰よりも長い紫色の髪を大きな花の髪飾りと鈴の髪留めでサイドにまとめている。他人から容姿を褒められることはないが、世間的にはなかなかの美人であろう。服は支給されたいつものセーラー服だ。
曙は一通り自分の姿を鏡で確認した。
この鎮守府では艦娘は基本的には鎮守府内に住み、生活している。では、提督はというと、外に部屋を借りて朝出勤してくる生活スタイルだ。
つまり、基本的に艦娘と提督は鎮守府内でしか顔を合わせないということだ。
しかし例外もある。ケッコンカッコカリした艦娘にだけ提督の部屋の鍵が渡され、自由に提督の部屋に赴ける。ケッコンしたなら一緒に住めばいいと思うだろうが、あくまで、結婚ではなくケッコンカッコカリである。
こんな真昼間に暇そうにしている曙は今日明日と休暇なのである。毎日毎日鎮守府内にいては気が滅入る。同僚は少女とはいえみんな戦場を駆ける艦娘だ。うるさいし血の気の多いものも多い。駆逐艦娘ならなおさらだ。
曙は昨日から予定していた行動をとることにする。彼女は自室の机の引き出しを開け、革製のキーケースを取り出し、大事に鞄にしまう。それから、あまり人に見られぬよう鎮守府の正面ではなく裏門から外に出る。
日差しは柔らかく、ツツジの花が鮮やかに陽を浴びている。
「あのだらしない男のことだから、部屋の掃除もろくにしていないだろうし、洗濯だって……。」
「これは仕方なくやってるんだから……。」
曙は呟きながら歩く。足取りは軽い。
今週は少し暑くなるかななどと考えながら軽やかに歩みを進める。
一旦、西へ進み、三つ先の角で右へ折れる。そのまま二町ほど進み今度は左へ曲がる。黄色味がかった外壁の軍関係者の集合住宅が見えてくる。一階の一番奥、慣れた足取りでドアの前に立つ。
曙は部屋の前で鞄からキーケースを取り出し、鍵穴に鍵を差し込み回す……。
はて、手ごたえがない。
鍵が開きっぱなしとは、あのだらしない男はなんと不用心だろうと考えるが、思い直す。いくらだらしないからと言って無施錠で出かけるだろうか。まさか泥棒でも入ったのではと薄気味悪さを感じ、背中に汗が伝う。
「まさかね。でも……。」
今日は非番であるし、鎮守府の外だ。武器になるようなものは何も持っていない。曙は一瞬逡巡したが、部屋の中を確認することにした。こんなことで怖気づいては駆逐艦娘の名折れである。戦場に真っ先に突っ込むのは我らが水雷戦隊である。
息を殺し、極力音を立てぬよう、静かに静かにドアを細く開く。
細く開いたドアの中に見えたものは、あっちを向いたりひっくり返ったりとそろえられていない靴たちだ。くたびれたサンダル、ランニングシューズ、黒いストレートチップのドレスシューズ、床に倒れた雨傘。そして、見慣れた軍艦色の靴。見慣れ過ぎていて仕方がない、自分が鎮守府で履いているものと同タイプのあの靴である。
色は薄めのグレイ。舞鶴グレイであることを見定める。
曙は大きく息を吸い込むと、乱暴にドアを開け、靴を脱ぎ、廊下を半分まで進んだところで立ち止まる。軍隊式に綺麗に回れ右をして一度玄関まで戻り、とっちらかった玄関の靴をきちんと整える。傘は傘立てに突っ込む。再度回れ右をして、今度はそのまま廊下をまっすぐ進み、勢いよくリビングのドアを開けた。
曙はリビングのソファでうつ伏せで寝そべっているセーラー服の少女を認め、ぶっきらぼうに話しかける。
「あんたさぁ…、今日は出撃してたんじゃなかったの?サボり?」
ピンク色の髪をツインテールにした少女はだらしなくソファーに寝そべり、曙の方をチラリとも見ずに漫画をめくりながら答える。
「ありゃ、ぼのたん早かったね。サボりじゃないですぞ。漣は優秀ですから、ちゃちゃっと片付けて帰投したわけですよ。」
「あー……、確かにあんたが要領いいのは認めるけど、なんでここに来てんのよ。」
漣はむくりと起き上がり、曙の方を向く。
「来ちゃダメ?」
漣はあざとく上目づかいになり声色を変え、さらに左手の人差し指で苺のキーホルダーが付いた鍵をくるくる回す。薬指にはシルバーの指輪が光る。曙の左の薬指にはめているものと同じものだ。
曙は呆れて、軽く目をつぶりため息をつく。
漣の人差し指で回っているのはこの部屋の鍵だ。つまりそういうことである。結婚ではなくケッコンカッコカリなのだ。複数の艦娘とケッコンしても問題はない。
曙は頭を軽く左右に振る。
「あ、あたしはちょっと気が向いたから掃除しに来ただけだから……、邪魔だからどきなさいよ。」
「えぇ~、今いいところだから~。」
漣はまた寝そべって漫画を読みながらしまりのない声で返事をする。
曙はつかつかとソファの前まで進み、漣のセーラー服の襟首をつかんだ。
「ぐえ~。」
わざとらしく変な声を出す漣を小突こうとしたところで、曙は玄関の人の気配に気づいた。
人の気配は二人。
曙は漣の襟首から手を放し、少し頭を下げ右手で額を覆う。漣の頭はソファに自由落下し「ぐへっ」と蛙が潰れたような声がしたが、曙は知らん振りをし右手で額を覆ったままため息をつく。
玄関のドアが開き、二人の足音が近づいてくる
「なんだ、やっぱり二人ともきてたんだ。」
まずは右頬に絆創膏を貼り黄金色の髪をした活発そうな少女が現れた。
曙・漣と同じセーラー服を着ている。手には大きなビニール袋を提げて、右肩には赤く小さいカニ。カニ。
絆創膏少女の後ろから、同じセーラー服に身を包んだ黒髪長髪で身長に見合わぬ大きな胸を持った少女が後ろ手を組みおずおずと顔を出す。
「あ、あの、朧ちゃんとはそこで会って……。」
曙は空を仰いだ。空を仰いでも見えるのは天井と蛍光灯だ。蛍光灯に小さい蜘蛛の巣が張っているのに気が付く。そして、ゆっくり大きく息を吸い、ゆっくり吐き出して、今来た二人に向き直る。
「……朧も潮も今日のこの時間にこんなところに来るのはおかしいんじゃないの?朧は昨日から北方海域に遠征に行ってたわよね。潮は今日は間宮さんの手伝いだって言ってなかった?」
絆創膏少女朧はまっすぐ曙の方を向いて答える。
「そうそう。遠征の帰りに良い蟹が獲れてね。新鮮なうちに鳳翔さんに渡したくて急いで帰ってきたの。で、残りは提督達におすそ分けしようと思って。あっ、このカニさんは食べちゃダメ。」
右肩に乗ったカニを指さす。
あまりにまっすぐな視線を向けられ、曙は少し言い淀む。
「……提督“達”ね……。あ、そう……。で?潮は?」
潮は大きな胸の前で紙袋を抱えながらおどおどしながら答える。
「あ、あの。間宮さんの手伝いだったんだけど、一生懸命がんばったら意外と早く終わっちゃって。あの、間宮さんがお手伝いのお駄賃にって5人分のお菓子をくれて、あの……。みんなで一緒にどうかなって思って。あの……。」
「……5人分……みんなで、ね……。」
曙は漣、朧、潮と順番に目を合わせ、大きな声でわめいた。
「あー!もう!わかった!わかったわよ!」
「まずは掃除!洗濯!朧はキッチン片付けてカニの下処理始めといて!あいつが帰ってくる前に全部終わらせるわよ!寝たふりするな漣ィ!」
曙は漣の耳を軽くつねった後、空気の入れ替えをするため窓を開けに行く。
窓を開けながら曙は独り言つ。
「まったく、この鎮守府のみんなは気が利きすぎるのよ……。」
やっとソファから起き上がった漣が囁く。
「でも、こうなるって薄々気づいてたんでしょ?」
曙からの返答はなかった。
開けられた窓から草木の若々しい緑の香りが入ってくる。まだ四月だ。陽はまだまだ長くなる。
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