The Rain Bringer Girl (うにうにうさぎ)
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The Rain Bringer Girl

 5月。午後。空座町。

 

 平凡な日常の影で、見えない世界では胸に大穴が空いた髑髏仮面の怪物と、派手なオレンジ色の髪を持つ全身黒い着物を纏った侍――死神が戦っていた。

 

「ふンッ!」

 オレンジ色の髪の青年は、怪物の背後に回り込むと、巨大な刀を易々と持ち上げ、軽く一太刀で両断した。

 死神の刀・斬魄刀で、心を喪くして以降の罪を注がれた怪物は、正しく導かれ冥界へ旅立っていった。

 

「――ったく……中間テスト中なんだ。カンベンしろよ」

 青年──黒崎一護は巨大な刀を、背中に背負う刀の鞘へ戻してぼやいた。

 さらしの形状をしたそれは生き物のように動いて刀身を包んだ。

 

 ポッ……

 一護の鼻先に雫が落ちた。

 

「ナンだ?」

 一護は鼻頭をこすった。空は青く澄んでいて、雨雲は見当たらない。雫はぱらぱらと一護に当たった。

 

「天気雨か──」

 

 キラッと空が光った。

 

「んあ?」

 

 何か落下している――。

 

 先週末、妹たちと観たアニメ映画の再放送のセリフが蘇った。

 

 ――親方! 空から女の子が!

 

 黒崎一護は惚けて落下物を見上げた。

 

 

 

***

 

 

 

「きゃぁああああああ!!!!!」

 

『ちみっこ! どーすんだ!? 早く何とかしないと落ちて死ぬぞ?』

 落下する少女の隣に浮遊する黒い妖精はニヤニヤ悪い笑みを浮かべていた。

「ふええ~ん! 浦原さんのバカ! こんな高いところから突き落として、いきなり死オチなんて、マリオじゃないんだから」

 少女は泣き言を口にしながら、ポシェットを引き寄せ、銀のカプセルを2つ取り出した。

 呪文を詠唱し、放り投げた。

 

盃よ西方に傾け(イ・シェンク・ツァイヒ)……」

 

緑杯(ヴォルコール)!』

 

 カプセルから圧縮霊子が溢れ、見えないトランポリンが現れた。

 

 ドン!

 

 

 

「くそ……!」

 一護は落下箇所に駆けつけた。

 

 

 

 

「あれ? っかしーな……ここのハズなのに」

 

 住宅街の空き地は何事も無かったように静まっていた。

 生えっぱなしの雑草の中からニャーと野良猫が横切った。

 

 

 

***

 

 

 

 夕方、一護は遊子に頼まれ、夕食の不足材料を買いに商店街にやってきた。

 

 いつもと変わらない日常の風景。――に、少しの違和感があった。

 

「何だコレ!? 偽札? 海外のカネか? 使えないよ、嬢ちゃん」

 ドーナッツの一坪店の前で、セーラー服姿の女子高生が店主と揉めていた。

「ええ!? れっきとした日本国紙幣ですよ! う~ん…じゃあ、ジャポカで。ついでにチャージもお願いします」

「ジャポカぁ? しらねぇな。ウチは現金払い限定だよ。お嬢ちゃん、その制服、聖桐の学生だろう? 世間知らずも大概にしないと。帰ったらパパとママにお金の使い方から教えてもらってきな」

「ジャポカは日本共通電子マネーなのに……」

 ガクリ……。少女はうなだれた。

 

 真っ直ぐな黒髪をボブカットにした少女は、いかにも世間知らずのお嬢様といった雰囲気だった。

 空座第一高校の制服よりもう1段暗い灰色地に白の大きなセーラーカラー。特徴的な後ろ襟の赤いリボン。聖桐学園女子部の制服。

 幼稚園から短大までのエスカレーター式私立校で、男子部の制服はカッコイいと人気がある。大学は外部受験で国公立大学・有名私立大学へ多数の生徒を送る名門校だ。亡くなった母の母校だった。

 

 少女はとりつく島がないと理解し、肩を落として店を離れた。

 一護は少し気になったが、この髪色で声をかけても怖がらせてしまうだろうと思い、スーパーへ向かった。

 

 

 

***

 

 

 

 買い物を終えて店を出ると、商店街で再び少女を見かけた。

 いかにもガラの悪そうな男2人組に声を掛けられていた。

 

「写真を撮るだけですね」

「ああ、スタジオのカメラの前でちょっと笑ってくれたらいいんだ。簡単だろう?」

 マズい……!

 世間知らずにも程があるだろう!

 一護は頭を抱えてから、少女の前に立ちはだかった。

 

「おい!」

「んあん?」

「コイツ、俺の連れなんで」

「ああん?」

 威嚇する男に一護は微塵も怯まなかった。虚やこれまで命のやりとりを交わした強敵たちと比べたら、ヤクザもチンピラも可愛いものだ。

 一護の髪色に、男の一人が気付いた。

「アニキ、コイツ、馬芝の黒崎です」

「ああん?」

「俺が中坊の頃、不良6人を一人で病院送りにした、真性クレイジーな奴です」

 威嚇にびくともしない一護から、寒気がするほどの殺気を感じ、男は怯んだ。

「ち……覚えてろよ!」

 男たちは去っていった。

 一護は一息つく。

 

「悪かったな? ああでも言わないと、アイツら引き下がらないだろう」

 少女は俯いて震えていた。

 当然だ。

 少女の人生で関わる筈ない人種に絡まれたのだ。

 

「馬鹿! せっかく現金入るところだったのに!」

 少女は叫んだ。

 一護は引いた。

「はぁ!?」

 少女はキっと顔を上げて、一護を睨みつけた。

 赤いメタルフレームの眼鏡をしても大きな瞳を持つ、色白でなかなかの美少女だ。

 真っ直ぐな黒髪をボブカットにして、長めの前髪を7:3に分けて、少ない方の髪を水色のハートが付いたヘアピンで留めていた。

 黒い瞳は日が射して淡く青色を滲ませた。

 初めて出会った筈だが、一護は少女の顔に既視感を感じた。一護の良く知る人物──

「……石田?」

「……え?」

 少女は片腕で顔を覆った。一護は思ったことが口に出たことに気付き、少女に詫びた。

「わりぃ、ダチに似てて、つい」

「ダチ?」

「ホントゴメン! アイツが女で美人にしたら、オマエみたいな感じかなって。他意はないんだ」

 一護は照れ隠しに後頭部を掻いた。

「さっき『現金』て、カネねぇの?」

「あるわよ。今までの貯金全額引き落として持ってきたのに、使えない紙幣だったなんて……」

 貯金を全額、使えない海外紙幣で持ってくるなんて、どれだけ世間知らずなんだ。一護の目の前で困っている人を放っておけない性分がムクムクと起き上がった。

「……家出か」

 少女は気まずそうに沈黙した。

 ぐぅ~。少女から空腹を訴える音が一護にも聞こえた。少女は頬を赤らめた。

「だからって、やり方があるだろう。オマエもう少しでAVデビューさせられるところだったんだぞ」

「えーぶい?」

 少女は知識がないようだった。

「わりぃ。忘れろ。とにかくスゲーアブナいバイトってこと。オヤとケンカして家出しても、それだけは絶対駄目だからな」

「……わかった」

「家、どこなんだ? 送ってやる。一緒に謝ってやってもいい。ハラ減っただろ?」

 少女は再び黙り込んだ。

 胸元で小さな手をきゅっと握りしめた。

「……まだ帰れない」

 絞り出すように言った。

「まだ?」

「やることやったらちゃんと帰る。ありがとう、助けてくれて」

 再びぐぅ~と音が鳴った。

 一護は少女に背を向けた。

「狭いし、煩いヒゲが居るけど、一応病院してるんだ。妹が二人いる。泊まっていくか?」

「……いいの?」

「カネねぇのにどこで寝るんだよ? オマエみたいなお嬢様が公園で寝てたら、すぐに――」

「すぐに?」

「ああっ! なんでもねぇ!! とにかく野宿もAVも駄目だ」

 一護は歩き出した。

 少女が後ろを付いて来るのを確認しながら、ゆっくり歩いた。

「……お兄ちゃんみたい」

「兄貴がいるのか?」

「うん……」

「仲いいの?」

「スゴく」

「家出の理由、兄貴に頼んでもダメなのか?」

「……お兄ちゃんのためだから」

「妹に家出させるなんて、ロクでもない兄貴だな」

「………ホントにね。……今ごろどこに居るのやら」

 少女の声が少し震えた。

「帰ろう」

 

「名前は?」

 一護は尋ねた。

「え?」

「オマエの名前。なんて紹介するんだよ」

「あ、そうか……」

 少女は少し言い澱んだ。

「みう、です……。美しい雨と書いて、美雨」

 石田と似た面立ちで、名前も一字一緒。一護は内心驚いた。石田の兄にしか見えない、よく似た若い父親を思い浮かべ、すぐに疑念を打ち消した。

「苗字は?」

「みょう……」

 少女はまた黙った。

「ワリィ。調べてオヤに告げ口しようとかじゃないからさ」

「いし………い。石井です、石井美雨です」

 一護は緩やかに立ち止まり、美雨に向き合った。

 

「黒崎一護だ」

 

 美雨の目が見開かれた。

「くろさき……いちご……。あの黒崎一護?」

「お? お嬢校でも俺のウワサ広まってんの? 不良6人病院送りにした『マシバの黒崎』って?」

「違います! それは今日初めて聞きました。写真と全然違うから……」

「写真?」

「あ……えっと……クラスメートの予備校の友達の彼氏の兄弟の卒アルで!」

「??? 嘘くせぇな」

 一護は美雨の目をじっと見据えた。

「ヒッ!」

「わりぃ! あの角曲がったらウチだ」

 

 相手は箱入りのお嬢様。

 自分のような見た目の男に凄まれたらひとたまりもないだろう。反省した。

 

 

 

***

 

 

 

 一護は家族に、美雨について、両親が仕事で海外に行き、鍵をなくして家に入れず、所持金も全額落として、泊まる場所がないと説明した。

 遊子は美雨の境遇に心底同情して涙ぐんだ。一心も、愛する亡き妻の後輩が困っているのに見捨てては母に叱られると、あっさり受け入れてくれた。

 美雨は先ほどとは一転、リラックスした様子で「お世話になります」と頭を下げた。

 

 慣れた様子で台所を手伝った。

 てきぱきと調理器具を用意する美雨に遊子は驚いた。

「調理器具の収納場所なんて、どの家も共通ですよ!」

 美雨は初めて笑顔を見せた。

 目尻と眉尻をぐっと下げた暖かい笑顔は石田には絶対出来ない顔だった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 夜、一護が遅い風呂から上がり、冷たいものを飲もうと台所へ入ると、ぼんやり灯りが灯っていた。

 美雨が明かりを消したリビングソファーで、スマートフォンをいじっていた。

 

 一護は照明スイッチを入れた。

「きゃあ!」

「明かりくらい点けろよ。益々目ェ悪くなるぞ」

「……うう~」

「家族に連絡取れたのか?」

「それが……繋がらなくて」

「明日ケータイショップ行ってこい」

「ダメだと思う」

「何で?」

「……外国のだから」

「親御さん、今ごろ心配してるだろうな」

「……うん」

 

「ねぇ黒崎くん」

「なんだ?」

「石田雨竜と井上織姫、どっちが強い?」

「知り合いか?」

「う~ん……。向こうは知らない」

「強いって訊かれてもな。強さって色々あるだろう」

「じゃあ、戦闘力」

「戦闘力!?」

「黒崎くんはどう思う?」

「聞いてどうするんだ」

「ナイショ」

「じゃあ言わねぇ」

「……そう…」

「美雨、俺が言えるのは一つだ。石田と井上は俺の仲間だ。2人に何かしようってんなら、オマエでも容赦しねぇ」

 一護は霊圧を上げて美雨を見据えたが、美雨は微塵も怯まなかった。レンズの奥の怜悧な目で見つめ返した。

 石田によく似ているが、目の形が少し違う。性差だろうか。

「……早く寝ろ。明日学校だろ」

「休みだよ」

「あ?」

「試験休暇」

「へぇ。金持ちは優雅なモンだな」

「そうでもないよ。ウチ大黒柱が10年近く居なくてね。学費も生活費も全額パパに出してもらってんの」

「パパって……お袋さん愛人でもしてんのか?」

 深刻な事情だ。母親が子供のために不本意な愛人をしているなら、兄の反抗や、美雨の家出という抗議法も頷けた。

「なんてカオしてるの? パパって、グランパ。お祖父様の意味よ」

 美雨はおかしそうに笑った。

「爺ちゃんかよ!! ヘンな呼び方しやがって。勘違いしただろう!」

 一護は美雨をソファから追い立て、予備ベッドを運び入れた妹たちの部屋に押し込んだ。

 ちくしょうめ。

 

 

To be Continued



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Chipmunk on the Chaahan

 翌朝、美雨は無料でインターネットが出来る場所がないか訊ねた。

 一護の高校と妹たちが通う中学校なら、PCルームで可能だが、他校の学生が使えるかは分からなかった。

 何を調べたいのか尋ねると、アルバイト情報だと言う。

「バイトならネットが無くても探せるだろう?」

「?? どうやって?」

「……えっと、バイト探してる店なら張り紙とか、駅やコンビニに無料バイト情報誌があるだろ」

「……わかった」

 不安だ。

「テスト終わったら昼過ぎに帰るから、貰ってきてやるよ」

 一護は後頭部を掻きながらぶっきらぼうに話した。

「ありがとう」

 

 

 

* * *

 

 

 

 ケイゴ、水色、チャドと三人で校門を潜ると、2階の教室から声がした。

「おっはよぉ! 黒崎くん!!」

「おはよ~いのうえさあぁん♪」

 隣のケイゴが投げキスして応える。織姫はにこやかに手を振った。

「おーす」

 一護も軽く手を上げる。

 織姫は、目尻と眉尻をぐっと下げて嬉しそうに笑った。

 

「お早う」

 後から来た石田がスッと通り過ぎていった。

「石田!!」

 石田が立ち止まった。

「なんだ?」

 不機嫌そうな顔で振り返った。

 石田は朝に弱い。血圧が低いのだという。

 

 白い肌。真っ直ぐな黒髪。眼鏡の奥の怜悧な瞳。

 似ている。

「僕の顔に何か付いているか?」

「わりぃ……なんでもねぇ」

「気持ち悪いな」

 石田はひょろりとした身体を真っ直ぐ伸ばして、大股で校舎に入っていった。

 

 

 

***

 

 

 

 テストを終えて、帰り支度をしていると、進学クラスから織姫がやってきた。

 一護と同じクラスのたつきを迎えに来たのだ。

 織姫はたつきと少し話してから、共に一護の席に来た。

「き・今日はどうだった?」

 ニコ……。

 織姫は時々酷く緊張した態度をする。親しくなって3年目になるが、まだ怖いらしい。

「ぼちぼちだな」

「ぼちぼちですかぁ~」

 えへへ……。織姫は何が面白いのか分からない笑顔を浮かべた。

「くっ、黒崎くん、今日これから、たつきちゃんと3人で勉強しない? ませんか?」

 用事が有るわけではない。

 帰りに無料バイト情報誌を貰って、家で待つ美雨に渡せば一護のお遣いは終了する。

 

 そういえば、昨夜美雨は織姫と石田について訊ねた。

 どちらの戦闘力が上かなんて、お嬢様らしからぬ物騒な質問を。

 

「井上、」

「はい?」

「オマエ、誰かに恨み買ったり……してねぇよな……?」

「ちょっと一護、どういう意味よ」

 たつきが食ってかかる。

「井上に訊いてんだ」

「どうなの、織姫」

「恨み……う~ん。身に覚えないなぁ」

 織姫は可愛く小首を傾げながらウンウン唸った。

「やっぱり思いつかないよ。ごめんね」

「謝ることないだろう」

「あ、そっか。こういう時は『ありがとう』だね。ありがとう、黒崎くん」

「おう」

 

 廊下の向こうから肩に通学カバンを提げた石田が歩いてきた。

「石田くん!」

 織姫が呼び止めた。

「石田くん、帰るの?」

「ああ。テスト期間中は、生徒会の仕事が休みだからね」

「いま、たつきちゃんと黒崎くんと、勉強会しないかって話しててね、石田くんもどう? 石田くんが入ってくれたら男女比2:2になるから嬉しいなぁ」

 あからさまな数合わせの誘いに石田の眉間のしわがぴきっと深まった。

 織姫は気にせず、ニコニコと笑い続ける。

「………仕方ないな。そこまで言うなら、チカラを貸してやらないこともない」

 明後日の方向を見上げ、ズレてもいない眼鏡のブリッジを指で抑えながら承諾した。

 

『折れた……!』

 一護とたつきは心の中で同時にツッコミを入れた。

 

 石田は織姫に『弱い』

 美雨が知りたがっている『戦闘力』が、2人の精神的関係性についてなら、間違いなく織姫が上になる。

 

 一護は石田にも織姫と同じ質問をした。

「石田くんも恨まれてるかもしれないの?」

「石田は同情の余地ないわね。あの口調じゃ、歩くだけで恨みの大セールでしょう」

「なに!?」

「たつきちゃんきっびしぃ~」

「フォローなしかい!」

 

 

 美雨の正体について、一護の中で消えない懸念があった。

 

 美雨と石田は似すぎている。

 名前も、

 

 石田 雨竜

 石井 美雨

 

 似ている。

 

 この世に、似た顔の他人は三人存在するというが、名前まで似ているのは珍しいだろう。

 

 美雨が石田の若すぎる父親の私生児で、美雨が探す『兄』が石田なら辻褄が合う。

 美雨の家庭は10年近く『大黒柱が居ない』状態だと話していた。石田の父親から、養育費なり援助が打ち切られて、母親の実家の世話になっている状況を変えるために、石田の父へ直談判に来た。

 ついでに、石田の父の実子として何不自由なく暮らしている石田へ復讐に来た。

 だが、この推理では、織姫の戦闘力を気にしたことについて説明できなかった。

 

 

 ハッキリするまで、織姫と、特に石田は美雨に会わせないようにしよう。一護は判断した。

 

 

 

***

 

 

 

 勉強会の誘いを丁重に断ると、途中まで一緒に帰ることになった。何故か学校近くで暮らす石田も、駅前に用事があると付いてきた。一護はコンビニに寄った。

 

「まだバイトすんの?」

 バイト情報誌を手にした一護にたつきは呆れた。

「俺じゃねーよ」

「え? 遊子ちゃんか夏梨ちゃんがってこと? 中学生はバイトできないよ」

「ちげーよ、知り合い。現金が要るんだと。放ってたらAVスカウトに騙されかけて、目ェ離せねぇんだ」

「AVって……! オンナ!?」

「ああ……」

 しまった……。

 一護は迂闊さを後悔した。時既に遅し。

 顔を見るだけだと押し切られ、皆で黒崎家に立ち寄ることになってしまった。

 

 自宅のインターホンを鳴らすと「はーい」可愛い声がして、扉が開いた。

 美雨は制服の上に遊子のエプロンを着ていた。

 家事をしてくれていたようだ。

「お帰りなさい……」

 扉の向こうに並ぶ人物に、美雨の表情が固まった。

 

「お昼ご飯できてますよ、皆さんもどうぞ」

 口角を上げて、笑顔を繕うとしているが、違和感があった。

 ウソが下手な女。

 一護は内心ため息を吐いた。

 

 昼食はチャーハンと春雨スープだった。

 お嬢様だから舌が肥えているのか、なかなかの腕だ。

 石田とたつきが「美味い!」と賞賛した。

 ダイニングテーブルには何故かケチャップとマヨネーズが置かれていた。

 何のために?

 一護たちが分からずにいると、織姫は迷わず手に取り、チャーハンにケチャップとマヨネーズでリスの絵を描いた。

「ちょっと、織姫……」たつきが洩らしたが、織姫は意に介さない。

 描き終えると、パクリと口いっぱいに頬張った。

 

「お~いしぃ~!!」

 織姫はほっぺを押さえながら、幸せそうに食べた。

 美雨は少し照れた様子で見守っていた。

 美雨は織姫のためにケチャップとマヨネーズを出していた。

 織姫と石田は美雨と本当に面識がない様子だ。

 昨夜の質問の意味が益々わからなくなった。

 

 

 一護たちがリビングで勉強を始めると、美雨はダイニングテーブルでアルバイト情報誌を読み始めた。

 

「黒崎くん、ちょっといい?」

 美雨が耳打ちした。

「なんだ?」

「この『リレキショ』って何?」

「履歴書知らないの?」

 たつきは驚いた。

「箱入りのお嬢様なんだ。オマエとはちげーんだよ」

「ふぅん……」

「……すいません」

 小さくなった美雨に、たつきは直ぐ言い過ぎたと気付く。

「ゴメン、そーゆー意味じゃなくてね。ちょっとびっくりしただけ。お嬢様なのに、働こうなんてエラいよ」

 

「履歴書は、勤務先に身元を証して、働かせてくれって頼む手紙みたいなモンだな。この本の巻末に、オマケで一部付いてんだ」

 一護は巻末の白いページを広げた。美雨は感嘆の声を上げた。

 履歴書の項目を見て、すぐに悲しそうな顔をした。

「どうした?」

「未成年者は保護者のサインと印鑑が要るって」

「まぁ、そうなるな」

「…………」

「心配すんな! やること終わるまでカネが無かったらずっとウチに居ればいい。家事手伝ってくれるだけで大助かりだ」

 一護はポンと美雨の頭を撫でた。

「――家出娘か」

 石田がポツリと呟いた。眼鏡のブリッジを抑えて俯く。

 

「……そうだね。やっぱり、長居は出来ないよね……」

 美雨は眉根を寄せて呟いた。

「話聞いてたか? 俺はずっと居ていいって言ったんだぞ?」

「うん、ちゃんと聞こえたよ」

 美雨は眉を八の字にしたまま笑顔を浮かべた。

 胸をなで下ろしたのも束の間――。

 

銀鞭下りて(ツィエルトクリーク・フォン・)五手石床に堕つ(キーツ・ハルト・フィエルト)

 

 石田が顔を上げた。

「逃げろ――」

 叫ぶが、間に合わない。

 

五架縛(グリッツ)!!!』

 

 一護たちの胸元に、小さな銀のカプセルが当たった。

 理解するより早く、カプセルは炸裂する。

 

 一護たちは霊子の棺に拘束された。

 

「美雨!? どういうつもりだ!?」

 一護は叫んだ。

 外の様子が全くわからない。

 

「美雨――!!!」

 

 

 

To be Continued



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新たな滅却師

 リビングに霊子の棺が3つ。

 

 1人棺入りを免れた織姫は息をのんだ。

 

「美雨ちゃん?」

 

 ヴン――!!

 

 織姫の鼻先にクロスボウが突きつけられていた。

 石田が作る霊子の光の弓ではなく、銀色に輝く金属質の弓。

 

「!?」

 

「立って。この家を血で汚したくない」

 

 美雨の瞳は揺れていた。

 苦しげな表情だ。

 殺気にむらがある。事情があるのだ――織姫は察する。

 

 正面から見据えると、眼鏡、髪型、顔、美雨は石田を女性にしたように似ていた。

 

「黒崎くん……たちは?」

「暫く動けない。雨竜は長く保たないかも。早くして」

 

 気付くと美雨は織姫の背中に回り込んでいた。矢を突きつけられて、織姫はおずおずと立ち上がり、玄関から黒崎家を出た。

 

 

 

***

 

 

 

 連れて行かれたのは、空須川の橋の下だった。

 広い遊歩道が整備された小野瀬川程ではないが、空須川も普段なら散歩の人が数人いる。何故か人気がない。

「結界張ったの。暫く誰も来ないよ」

 美雨が答えた。

「――どうして? 困っているなら相談して欲しいな。助けられるかもしれないよ」

 織姫は意識してゆっくり呼吸をしながら、話しかけた。

 美雨とは初対面だが、なぜか親近感を感じた。友人の石田に似ているからかもしれない。

 たつきも知らないチャーハンにケチャップとマヨネーズを掛ける習慣を知っていた。何も言っていないのに用意してくれた。

 

「織姫……ちゃんと、雨竜。どっちが強いか、黒崎くんは教えてくれなかったから、自分で考えたの。雨竜はああ見えてしぶといでしょう。織姫ちゃんは盾があるけど、私には攻略法があるから、織姫ちゃんにしたんだ」

「したんだ――て!?」

 

「井上 織姫! 恩しかないけど……世界のために、死んで!!」

 

 美雨は矢を放った。

「三天結盾!!!」

 織姫は即座に盾を展開する。

 初撃は防いだ。

 

「椿鬼くん!」

 美雨の口から思いがけない言霊が飛び出した。

 美雨のハートのヘアピンから見覚えのある黒い妖精が現れる。

「気が進まねぇなぁ~」

 椿鬼は面倒くさそうに織姫を見下ろした。織姫は胸元のヘアピンを確認する。使用中の、ヒナギク・梅厳・リリィを除いて揃っている。

 

「椿鬼――!!」

 織姫は言霊を紡ぐ。

 光らない。

「椿鬼!? どうしたの!? 椿鬼くん!!」

 反応しない。

「あー…ゴメンね。一つの世界に同じ存在は同時に存在出来ないの。私がここに椿鬼を連れてくるために、少し手入れして、織姫ちゃんの椿鬼とは一応違う存在なんだけど、世界の法則を犯すギリギリなんだ」

 美雨は再びクロスボウを構えた。

 

 盾に無数の銀の雨がぶつかり弾かれた。

「やっぱり私の矢じゃ三天結盾は破れないか。出番だよ」

「本当にいいんだな?」

「……いいよ」

「癪だがご主人様には逆らえないってな。今の主人はちみっこだ。悪いな、オンナ」

 人型から飛行機形態になった椿鬼が織姫の盾に突撃した。

 

 三天結盾VS孤天斬盾。

 

 椿鬼は事象の拒絶の盾に易々入り込むと、内側から結合を『拒絶』した。

 三匹の妖精が弾かれ、盾は消滅した。

「みんな!!」

 防御を失った織姫に、無数の銀の矢が襲いかかる。

 

 ――黒崎くん!!

 

 織姫は愛しい少年の名を念じながら目をつぶった。

 

 

 

***

 

 

 

光の風(リヒト・ヴィント)――!!!」

 

 後方から光が吹いた。

 

 美雨の矢と同数の光の矢が、美雨の矢を打ち落としていく。

 

「石田くん!!」

 石田は素早く織姫を背に庇った。

 

「はっや~い!! 何のために雨竜の五架縛(グリッツ)を3重掛けにしたと思ってんの!?」

 矢を撃ち続けながら美雨はぼやいた。

 美雨の矢は全て雨竜に撃ち落とされていた。

「まぁ、こうなるわな」

「椿鬼~~!!」

「もう一回行くか?」

「いいわ。戻って。雨竜は容赦ないもの。あなたが破損したら私には修復する術がない」

「帰れなくなっちまう~~」

 美雨は片手でヘアピンに戻った椿鬼を撫でて、自嘲の笑みを浮かべた。

 

 

「月牙ぁ……」

 

「天衝――――!!!」

 

 突如地に白い衝撃波が走り、美雨は慌てて避けた。

 

 避けても美雨を追撃する白い霊圧に、美雨は空に霊子で足場を作ってぴょんぴょんと飛び上がった。

 

 背後から羽交い締めにされた。

 

「捕まえたぞ」

「きゃああああ!! エッチ! チカン! ヘンタイ~~!! おにいちゃあああん!!」

「うおおぅ! どこも触ってねーじゃねーか! 誤解を招く物言いすんじゃねぇ!!」

 

 死霸装姿の一護が美雨を無理やり地へ引きずり下ろした。

 一護に拘束されたままの美雨に石田が駆け寄り、弓を向けた。

 少し離れて織姫が駆けつける。

 

「石田くん!」

 事情を訊いてあげようよ、織姫の次の言葉を待たず、石田は叫んだ。

 

「何者だ? どこの一族だ? 誰が師だ?」

 

 美雨は沈黙した。

「石井……じゃねぇのか?」

 石田の剣幕に、一護がフォローする。

「石井なんて一族、訊いたことないね」

「オマエが知らないだけかもしんねーだろ!?」

「少なくてもこの国の滅却師は僕が最後の一人だ。みんな死に絶えたんだよ。全員……ね」

 石田は苦々しげに言った。

 

「美雨、もう言っちまったらどうだ? 兄貴の1人として、兄妹が争うのを見たくねぇんだ」

「兄妹?」

 美雨は拘束され、弓を突きつけられた危機的状況に関わらず、きょとんとした。

 一護は言い澱んだが、他に事態を収集する手段を思い付かなかった。

「石田の……妹なんだろう? 親父さんに養育費を払ってもらいに、家出までして……」

 石田の顔が青ざめた。

「なっ……!! 本当なのかい!?」

 織姫はおお! と手を打った。

 石田がどういうことだと美雨につかみかかる。

「え!? なんでそうなるの!? え? ええ~!!」

 

 その時、空に亜空間が開いた。

 虚が2体、姿を現す。

 

「ち……こっちは取り込み中なんだぞ」

 一護は頭を掻いた。

「美雨!」

「なに?」

「井上に謝れ」

 ずいっと織姫の前に突き出す。

 ぽよんと胸元に鼻がぶつかり、眼鏡がずり落ちた。

「きゃん!」

 

「あ・や・ま・れ」

 

 美雨はおずおずと織姫を見上げた。

 織姫は戸惑った顔をしていた。

 眼鏡がずれた美雨の目は、さらに一回り大きく、石田より少し目尻が下がった優しい形をしていた。

 

 美雨の目が水に潤み、ゆらゆらと揺れた。

「……ごめんなさい」

 織姫は、いいよ。笑って許した。

 

「よし、もう井上にケンカ仕掛けんなよ」

 一護は美雨の拘束を解いて背を叩いた。

 頷いた拍子に美雨の目から涙が零れた。織姫は、そっと肩を抱いた。

 

「行ってくる」

 一護は空を蹴った。

 石田も何度も振り返りながら一護に続いた。

 

 

 

***

 

 

 

 虚を倒して戻ると、美雨と織姫は河原で楽しそうに話していた。

「黒崎くん、」

 織姫はニコニコしながら話した。

「今夜から美雨ちゃん、あたしんちに泊めることにしたから」

「ええ!?」

 

 一護と美雨と石田が同時に叫んだ。

 

「いっ、井上さん? 言ってる意味分かってる? 自分の命を狙った相手だよ??」

「そ、そのとおり!!」

「ウチで泊めるから気にすんな」

 

「だぁめ! 女の子には色々必要なモノがあるんだよ。黒崎くんちじゃ着替えもないでしょう? あたしなら、美雨ちゃんとサイズ近いから、服が貸せるし」

 サイズ……一護と雨竜の視線が美雨の胸元に注がれた。どう見ても……。

「こう見えてもCカップはあるんだから!! おかーさんが、大人になったらもうちょっと大きくなるって!」

 美雨は真っ赤になった。

「ムスメになんて話すんだ。どんなハハオヤだよ……」

 一護はひとりごちた。

 笑顔しか思い出せない太陽みたいな母を思い出した。おふくろは違う! 一護は首を振った。

 

「バイトも店長に頼んであげるよ。ね? いいでしょう!」

 織姫は美雨の手を握った。

 ぶんぶん振り回す。

「……あ……えっと……」

「『よろしくおねがいしま~す』」

 織姫は笑顔のまま、有無を言わせないオーラを放った。

「よ……よろしくお願いします……」

「決まり!」

 織姫は美雨の手を取った。

「今日は歓迎会だよ~」

 

 一護と石田は2人の後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。

 

 胸元にばかり目が行ってしまったが、確かに織姫と美雨の背丈は近かった。

 

 

 

To be Continued



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それぞれの夜

 ヒルサイドパレス403号室。

「さ、上がって上がって!」

 織姫に促されて、美雨はマンションに踏み行った。

 

「座ってて、お茶淹れるね。」

 織姫が台所へ直行するので呼び止めた。

 

「織姫ちゃん、手洗いとうがいは?」

「え? なんで?」

 美雨は目を丸くした。

「外から帰ったらするでしょう?」

「そうなの?」

 織姫は知らないようだった。

「そうなの~!! ハイ、まずは洗面台連れてって」

「美雨ちゃん、お母さんみたい~」

 えへへ……嬉しそうに笑う織姫に、美雨はため息を吐いた。

 

 織姫が台所で湯を沸かす間、美雨はクッションに座らされていた。織姫の兄の遺影が飾られた、古くも新しくもない小さな仏壇を見つけて手を合わせた。

 部屋はアジア調の雑貨と低めの家具で作られていた。祖父の屋敷に移り住むため引き払った前の家のリビングに少し似ていた。

 

 

 

***

 

 

 

 織姫が急須と湯飲みを持ってきた。

「あ! 制服しわになっちゃう、着替えないと!!」

「お茶飲んでからでいいよ」

「だぁめ! 一張羅なんでしょう」

 織姫はタンスからピンク色のTシャツと赤いラインが入った黒のジャージパンツ、白っぽい水色のカーディガンを取り出して、美雨に渡した。

「はい!」

「ありがとう……」

「着替えはえっと……」

 織姫は浴室に向かい、ドアの前でごそごそと動いた。

「はいっ!」

 織姫が立ち上がると、浴室のドアに『美雨ちゃん専用試着室』『広い!!』『快適!!』『はずかしくない!!』と書かれたカラフルな色画用紙が貼られていた。

「どうぞ、美雨ちゃん!!」

 美雨は目を丸くした。

「女の子同士だよ?」

 織姫はぽかんとした。

「あ、そっか! つい石田くんといる感覚で。女の子は同じ部屋で着替えていいんだ!」

 織姫は手を叩くと、苦笑しながら後頭部を掻いた。美雨もつられて笑ってしまった。石田によく似た面立ちの美雨の思いがけない笑顔に、織姫は心を震わせた。目尻と眉尻をぐっと下げた顔は暖かさと人懐こさがあって、石田には出来ない表情だった。

「やっぱり、せっかく作ったから今日は使って!」

 織姫は戸惑う美雨の背を押して、強引に浴室へ入れた。

 

「……もう……天然で強引なんだから」

 美雨はふぅと息を吐いて、眼鏡を外し、織姫に貸された服に着替えた。

 Tシャツを広げると、白い文字で『I'll be back』と書かれていた。美雨は胸が締め付けられた。

「ジョーダンキツイ」

 美雨は、ぺちぺちと頬を打って、よしっ! 拳を小さく握ると、眼鏡を掛け直した。鏡に映った石田によく似た面立ちの少女が映っていた。『滅却師の誇りに懸けて』とドヤ顔で虚に弓を向ける石田と違い、自信がなさそうな顔をしていた。

 

 美雨が浴室から出ると、織姫も同じ服を着ていた。

「か~わいい~!」

 織姫は目を輝かせた。

 美雨は頬を緩めた。

 

 

 美雨は夕食に冷蔵庫の食材からキャベツと豚バラ肉の鍋を作った。

 少し甘めに仕上げて、またも織姫の味覚に合わせたトッピング――アンコを添えた。キャベツの甘みと豚バラ肉の旨み、アンコの甘みが織姫の口の中でとろけた。

 口いっぱい頬張って幸せそうな顔を浮かべる織姫を、美雨は石田によく似た温かいまなざしで見つめた。

 

 食後は、美雨が織姫のテスト勉強を手伝った。

 年を訊くと、美雨は高校1年生だと答えた。付属短大があるが、殆どの生徒は高校卒業後に外部大学を受験するため、中等部後半から高校の内容を始めて、高校1年生のうちにセンター試験レベルまで終えてしまうのだ。織姫は未知の世界の話を興味津々に聞いた。

 美雨は歴史の問題だけ少し覚え間違えていたが、英語や数学は、3年生の織姫より進んでいた。

 

 

 夜になると、ソファーベットの隣に布団を敷いて、並んで眠った。

「美雨ちゃん」

「……はい」

「石田くんの妹って話、ホント?」

 答えられなかった。

「不思議なの。あたし、美雨ちゃんと初めて会ったのに他人の気がしないの。弓を向けられても、全然怖くなかった」

「………」

「いつか本当のこと、聞かせてね」

 

 織姫が寝入ってから、美雨は部屋を抜け出して、マンションの屋上でこっそり泣いた。

「ちみっこ……」

 椿鬼は美雨の肩に座った。

 

 

 

***

 

 

 

 一方、空座総合病院。

 竜弦は、院長室で終わらない書類処理に追われていた。

 良く知る霊圧が扉の前に立った。ノック音がする。

「……何だ?」

 雨竜が入ってくる。

 思い詰めた顔をしていた。

 

「見損なったよ」

「?」

「あんたはまだ若い。再婚しても不思議じゃないし、そういう話がずっと来ているのも知っている。あんたの人生だ。あんたが共に人生を歩むと決めた人なら、仕方ないと思ってた。だけど――」

「何の話だ!?」

 雨竜は止まらない。

「母さんが、まだ生きていた頃に、僕と年が変わらない他の子供を作っていたなんて!!!」

「――な!?」

 竜弦のポーカーフェイスが崩れた。

「何を言っている!?」

「とぼけるな!! 一目であんたの子供だと判ったぞ!! やっぱり純血統が良かったんだな!」

「雨竜!!」

「せめて養育費くらい支払ってやれ! 僕を巻き込むな!!」

 雨竜は顔を赤くして、踵を返すと一瞬で消えた。飛廉脚で飛んだらしい。

 竜弦は全く身に覚えがない話に動揺していた。

 デスクに飾る亡き妻の写真を手に取り呼び掛けた。

「どういうことなんだ? 叶絵」

 写真の妻は穏やかに微笑み続けていた。

 

 

 

To be Continued



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再襲

「いらっしゃいませ~」

 一年前、商店街の外れにオープンした ABCookie's では新人バイトが元気に働いていた。

 高校1年生だが、店のシステムをすぐに理解し、複数のパンを一瞬で会計していく。ベテランパートの働きぶりだった。

 一周年キャンペーンで忙しい中、学生バイトは試験期間でシフトに入れなかった。弱り顔の店長は、織姫が連れてきた助っ人に感謝した。

「こう見えても勤労学生なんですよ~」

 新人バイト――石井美雨は苦笑した。

 

 

 チリン――。

 来客を報せるベルに、美雨は元気に声を掛けた。

 

 妖精のような銀髪に全身白いスーツ姿の洗練された男に、美雨の笑顔が固まった。

 彼女の感情を取り繕う下手さは両親譲り。筋金入りで病気レベルだった。

 

 

 

***

 

 

 

「あ~ヒドい目に遭った~」

「ごめん~石田くんに、美雨ちゃんのクラスメートの予備校の友達の姉妹がフられた恨みを晴らしに来たけど、ちゃんと話し合ったら誤解だったの! 仲直りしたから、許してあげて、ね?」

 一護たちのクラスに来た織姫は、たつきに可愛く手を合わせた。

「やっぱり石田のせいじゃん」

「そうだね……えへへ」

 織姫は心の中で石田に詫びた。

 

「それでね、美雨ちゃんウチに泊まってもらうことにしたの。バイトも、お店が暫く一周年キャンペーンで忙しいから、助っ人に紹介してねぇ。良かったら、今夜遊びに来ない?」

「う~ん。アタシも昨日、あの子にちょっとキツいこと言っちゃったし、仲直りしようか」

「うん!」

 織姫は微笑んだ。

 

 

 学校が終わると、一護・織姫・たつき・ケイゴ・水色・石田で、美雨のバイト先を訪ねた。

「こんにちわぁ~! 店長、美雨ちゃんの様子見にきました」

「織姫ちゃん! あの子スゴいの! まるでウチの店で働くために生まれたような働きぶりでねぇ」

「おお~」

「さっき、知り合いが来たから、休憩入ってもらったの。30分後くらいに戻ると思うわ」

「は~い。じゃあみんな、行こうか」

 

 織姫に連れられ店を出ると、石田が眉根を寄せた。

「どうした?」

「……済まない。ヤブ用が出来た」

 早足で立ち去る石田に、皆で顔を見合わせ、すぐに後を付けた。

 

 

 石田は小さな公園に身を潜めていた。

「石田、」

 後ろから小声で呼び止めると、石田は動転して声を上げようとするので、一護は慌てて石田の口元を塞いだ。

「あ!」

 織姫が小声で囁いた。

 全身真っ白な洗練された男――石田の兄にしか見えない父親と、美雨が、ベンチで話し込んでいた。

「どういうこと?」

 ケイゴが無垢な表情を浮かべた。

 水色は無表情だが、悪いことを考えているに違いなかった。

 

 美雨は思い詰めた様子で、膝の上で両手を小さく握りしめて耐えていた。不意に身体を動かし、石田の父に抱きついた。

 石田の父は美雨を優しく抱き留めた。労るように、髪と背を撫でている。

 一同口元を抑え、声を出さないように耐えた。

 石田は青ざめて震えていた。

 

 

 黒崎家に集まり、話し合った。

 異母妹の出現に混乱する石田に、ケイゴは自分の姉のウザさと、一護の妹の可愛さを語り、妹ならいいじゃないかと慰めた。

 水色は、美雨自身が石田の父親の愛人かもしれないとからかった。似すぎているから芽生える愛情もあるんだよと言うと、石田は「あんもんか! そんな情」と否定した。

 

 一護と織姫は、昨日の河原で、石田の妹と言われて肯定しない様子を見ていたので若干違和感を感じていた。

 

 

 

***

 

 

 

「ただいま~」

 夜、仕事を終えて美雨が織姫のマンションに戻ってきた。

「おかえりなさい」

 織姫とたつきが出迎えた。

 美雨はたつきに気付くなり手も洗わず駆け寄って謝罪した。

 たつきは、うなだれる美雨の髪を撫でて笑った。

 

 美雨は、バイト先で貰ったパンを使い、給料で買ったチーズを溶かして、チーズフォンデュを作った。

 美雨の手料理にたつきは舌鼓を打った。

「お金なんとかなりそう?」

 織姫は訊ねた。

「う~ん……1ヶ月くらい暮らすのにどれくらい必要ですかね」

「1ヶ月も家出続けるの?」

 織姫の顔に憂わしげな影が浮かんだ。

「学校だってあるでしょう? 進学校で1ヶ月も欠席ってヤバくない?」

 たつきも気にした。

「やっぱり、用事が済むまでウチに泊まりなよ。黒崎くんじゃないけど、ほっとけないよ」

「……すみません」

 

 

 突如、部屋に重い霊圧が掛かった。

「なに!?」

 たつきが、貼りつくように卓袱台に突っ伏した。

「……あ…あが……」

「たつきちゃん!!」

 織姫はたつきを庇うように覆い被さった。

「三天結盾!!」

 ヘアピンが輝き、卓袱台の上に盾を張った。

「たつきちゃん! しっかりして、たつきちゃん!!」

 美雨は突っ伏したまま動かなくなったたつきの首元に素早く指を当てた。

「大丈夫、気絶してるだけ」

 

 美雨は胸元から銀のペンダントを取り出した。ペンダントは石田が持つのと同じ星形の滅却十字だった。ペンダントトップが輝き、美雨の手に銀の弓が現れた。

 

 

「美雨ちゃん……」

「織姫ちゃんは、自分とたつきちゃんの前に盾を張り続けて」

「美雨ちゃんは?」

「あたしは平気」

「どういう――」

 

 空間が割れて巨大な顎が美雨に襲いかかった。

「美雨ちゃん!!」

 織姫が悲鳴を上げた。

 

 ガンッ!

 

 顎が美雨の肩にかぶりつく。

「美雨ちゃん!!」

 

 美雨は顎に噛みつかれたまま顎の下にクロスボウを宛てると、ためらいなく引き金を引いた。

 0距離から圧縮霊矢が直撃する。

 顎から目に見えない黒い体液が吹き出した。

 

 顎から解放された美雨に織姫は息を飲んだ。美雨は傷一つ負っていなかった。

 

「……ね? 私こう見えて頑丈なの」

 美雨は織姫を向いて微笑んだ。

 

 再び空間が割れる。

 

「超速再生……ちょっと早すぎない!?」

 美雨はひとりごちた。

 出現に備えて弓を構える。

 

 ズ…ズズ……ズ

 

 蛇のような足が床を這う。

 

「来るよ、織姫ちゃん」

 

「美雨ちゃん、あたしの椿鬼は……」

 美雨は首を振った。

 

「――椿鬼!!」

 織姫の呼び掛けに、椿鬼は応えない。織姫は胸元で手をきゅっと握り締めた。

 

「ごめんね」

 美雨は俯いた。

「美雨ちゃん、なぜ美雨ちゃんが椿鬼くんを持っているの? 同じ世界に同じ存在が2つ存在できないって、どういう意味?」

 美雨は口を少し開いた。

 織姫は聞き耳を立てる。

 だが、望む声は聞こえない。

 

 次元の裂け目から全貌を表した異形の怪物。胸に大穴が開いた怪物――虚に、織姫は目を疑った。

 

「おいでなすったわね!」

 美雨は虚に弓を向けた。

 無数の光の矢が一斉に発射された。

 

 だが、矢は寸前で全て防がれた。

 美雨は振り返る。

 織姫とたつきの前に盾がない。

 織姫は泣きそうな顔をしていた。

 

「織姫ちゃん!」

 美雨は再度虚へ霊矢を放つ。

「三天結盾!!」

 事象の拒絶の盾の前に、美雨の光の矢はことごとく弾かれていった。

「織姫ちゃん!? 操られているの!? 目を覚まして!! アイツは――!!!」

「黒崎くんを呼んで!!」

 織姫は叫んだ。

「いますぐ……黒崎くんを!! 黒崎くんじゃなきゃダメなの!!」

 

 織姫は俯いた。

 美雨は虚の声を聴いた。

 ヤだな。まだ知能残ってるんだ。

 美雨は矢を構えたまま織姫とたつきを背に庇い、虚との間に立った。

 

「嬉しいよ……まだ覚えてくれていたんだね……織姫……」

「……どうして! 何でまた虚になっちゃったの!?」

 織姫は叫んだ。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 美雨は織姫と虚、仏壇の遺影を交互に見遣る。

「ウソでしょ……」

 呟きは虚の雄叫びにかき消される。

 

「逃げるよ!!」

 美雨は踵を返した。

 織姫と気絶したたつきを抱えて、部屋の外に向かう。

 

銀鞭下りて(ツィエルトクリーク・フォン・)五手石床に堕つ(キーツ・ハルト・フィエルト)盃よ西方に傾け(イ・シェンク・ツァイヒ)

 虚へ3つ銀のカプセルを投げつけた。

五架縛(グリッツ)! 緑杯(ヴォルコール)!!」

 一つ目の銀筒が虚を拘束し、2つの銀筒が炸裂して、美雨たちを扉の外へ押し出す。

 

 美雨たちは廊下に転がり出た。

 美雨はたつきの頬を叩いた。

「たつきちゃん、起きて! たつきちゃん!!」

 たつきは目を覚まさない。

「行って、美雨ちゃん」

 織姫が美雨の肩を掴んだ。

「あの虚はお兄ちゃんなの。あたしが食い止める! 美雨ちゃんは黒崎くんを……!!」

 美雨は織姫の手を取った。

「分かった!」

 

 美雨はマンションの4階から躊躇なく飛び降りた。

 

 空中に霊子の足場を作り、夜空を走った。

 

 

 

To be Continued



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再襲2

 一護は黒崎家の自室で勉強をしていた。

 ドンドン、窓を叩く音に、腐れ縁の訪問かと、高揚する気持ちを悟られぬよう、無駄にモデル立ちでポーズを決めてから、カーテンを開いた。

 

「黒崎くん!!」

 美雨が窓に張り付いていた。

「うおおおぅ!!」

 一護はのけぞった。

 

「美雨! オマエなんて場所から来てんだ! 登ったのか!? お嬢様のくせにはしたないことすんじゃねぇよ!!」

 隣室の妹たちに気付かれないよう、小声で叱った。

「ごめんなさい。こんな時間に玄関からお邪魔したら、家族のみんなに知られちゃうから……」

 一護は後頭部を掻いた。

「……っだからって、やり方があるだろう。どうした?」

「それよ!!」

 一護の目の色が変わった。

 

 

 

***

 

 

 

 死神になった一護が美雨と織姫のマンションに到着すると、織姫は虚に鷲掴みにされて喰われる寸前だった。

「井上!!」

 一護は叫ぶ。

「……ろ…さき、く……」

 織姫は呼吸もままならない状態で、一護の名前を呼んだ。

 織姫を襲う虚の姿に、一護は動揺していた。

「織姫ちゃん、あの虚をお兄さん、て。織姫ちゃんのお兄さんは尸魂界に導かれたんじゃなかったの?」

 美雨の問に、一護は頷いた。

「ああ……俺がこの手で魂葬した。まだ死神になりたての頃だ」

「魂葬!?」

「井上のアニキは、死後井上が心配で成仏しなくて、心を喪い、虚になったんだ。それから井上の魂を喰らおうと、色々な……それで親しくなった」

「……そんな」

「滅却師の弓じゃ、虚を完全に殺しちまう。なんで魂葬した井上のアニキがまた虚になっちまったのかはわかんねーけど、俺がもう一度魂葬すればいいだけだ」

 一護は斬魄刀を構えた。

「そうだね。手伝うよ」

「おう!」

 

 二人は宙を蹴った。

 美雨が矢で仕掛けて気を逸らし、一護が織姫を助け出す作戦だ。

 だが、一護の刃は虚の堅い鱗に阻まれた。

「ち…またかよ…!!」

 入れ替わりに美雨が虚の懐に入り、スカートの下から太ももに括り付けた銀の棒を取り出した。

魂を切り裂くもの(ゼーレ・シュナイダー)

 高速振動する霊子の刃で、対象の霊子結合を緩め、奪いやすくする霊具。

 美雨は血管に霊子を流し、一時的に腕力を上昇させて斬りつけた。

 如何に頑強な装甲を持つ虚も、霊子生命体である以上、ゼーレシュナイダーが触れて無傷では済まない。

 織姫を掴む腕部を切り落とし、織姫を取り戻した。

 

「織姫ちゃん!!」

「……みうちゃん…おねがい…おにぃちゃんを……」

 美雨は織姫の手を握り、深く頷いた。

「任せて。この人は、私にとっても大事な人。必ず助けるよ!」

 織姫は弱々しく微笑んだ。

 たつきは階段の昇降口に避難させられ、三天結盾と双天帰盾が掛けられていた。美雨は織姫を眠るたつきの隣に休ませた。

 

「椿鬼!」

 美雨の呼び掛けにハートのヘアピンから妖精が出現する。

「2人をお願い」

「出来ることなんてねーぞ」

「非常時に知らせるとかあるでしょう?」

「へいへい」

 

 美雨は戦場に復帰した。

 虚から切り落とした腕は再生し、一護は苦戦していた。

 

 一護の元に駆け寄る。

「前回はどうやって勝ったの?」

 美雨の問に一護は首を振った。

「勝ってねぇんだ」

 虚から吐き出された体液がコンクリート壁を溶かす。

「魂葬したんでしょう?」

「アニキに喰われかけた井上が、マジで死にそうになって、一瞬正気に戻ったんだ。自分から斬魄刀に斬られてくれた」

「なにそれ!? 不戦勝みたいなモノじゃない」

 美雨は呆れた。

「全くだ」

 一護の顔はなぜか清々しかった。

「でも黒崎くんは、それから卍解を習得して、虚化も身につけて、完現術も使えるようになった。初めて戦った時より、何倍も、何千倍も強くなったじゃない」

「……俺もそう思ってたんだけど」

 一護は顎で虚を指した。

 上半身が人・下半身が大蛇の虚は、白い縁取りがある黒い鎧を身に纏っていた。

 目を凝らすと、身体を守る鱗の一枚一枚も、薄く黒い装甲が重ねられていた。

 美雨は顔をしかめた。

「あんな鎧は着てなかった」

「パワーアップしたってこと?」

「悪い冗談だぜ」

 美雨は虚の黒い鎧が一護の手と首を守る装甲のデザインに似ている気がした。

 ドクン……心臓が嫌な音を上げる。

「……あの虚、私のせいかも……」

「あん?」

「私が、この世界に来たから……」

 美雨は胸元で手を小さく丸めた。

 美雨は緊張したり、思い詰めると、すぐにこの仕草をする。癖なのだろう。一護の良く知る少女が、自分の前でよくに似た動作をした。

 

「心配すんな」

 一護は美雨の頭に手を置いた。

「俺が強くなったから、虚も強くなった。オアイコだ。強くてニューゲームは効かねぇだけだ」

「黒崎くん……」

「今度こそ、ちゃんと俺のチカラで倒して、キッチリ魂葬しようぜ」

「うん!」

 

 美雨は一護の隣で新たに長弓を作った。

 ゼーレシュナイダーをつがえて撃ち放った。

 ゼーレシュナイダーは虚の鎧を火花を散らしながら滑るように掠め、壁に突き刺さった。

 鎧の僅かな傷から黒い霊子が漏れ出ていく。

 美雨はマーキングした鎧の霊子を集めた。弓の先に黒い鏃が形作られていく。

「黒崎くん!!」

 

「卍っ解ッッ!!!」

 

 一護の周囲に黒い霊圧の風が巻き起こる。

 次の瞬間、黒い細身のロングコートを纏った一護は瞬歩で虚の背後に回り込んだ。今度こそ迷いなく虚を頭から両断した。

 

 美雨のゼーレシュナイダーで若干だが結合が緩んだ黒い鎧が、一護の斬魄刀で砕かれていった。

 

 虚はいつものように霊子の光と化して冥界へ飛ばなかった。ひび割れ、濁った無数のパズルピース状に変形した。黒い風が起こり、砂粒になって消えていった。

 

「なんだ!?」

 一護は驚愕する。

 美雨は厳しい表情で見ていた。

 残った黒い鏃をポシェットにしまった。

 

 

 数分後、後始末をしに浦原たちが現れた。

 

 浦原は美雨の姿に「おや?」と呟き、表情が読めない反応を見せた。

 

 

「浦原さん、コイツは石田の生き別れの妹の石井――」

 一護が紹介しようとすると、美雨は静かに浦原の前に歩み出た。

 

「石田 美雨です」

「石井は偽名かよ!」

「浦原さん、私の世界の貴方から、言付けを預かっています」

「ほぅ……」

 

 

 

To be Continued



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特異点

 美雨は荒れた織姫の部屋を手早く片付け布団を敷いた。一護は織姫とたつきを織姫の部屋に運んで寝かせた。

 一護は黒崎家に帰らず、死神体のまま美雨と浦原商店にやってきた。店を見上げて、美雨は不思議な顔をした。

「? どうした」

「一応建て替えてたんだなぁ・て」

「?」

「私の世界では鉄筋なの。オンボロの」

「美雨、話してくれるんだな」

「場合によっては直ぐに忘れてもらうことになるけど」

「そりゃあおっかないな」

「終わったら皆に忘れてもらう。私の存在そのものが保護対象で、何もしなくても世界の修正がかかると思うけど」

 

 浦原が引き戸を開けて出迎えてくれた。

「さぁ上がってください、お二人サン」

 

 一護と美雨は敷居を跨いだ。

 

 

 

***

 

 

 

「どうぞ……」

 居間で待つと、(ウルル)が熱いお茶を出した。

 美雨は雨をしばし見つめた。

 浦原が入室し、一護・美雨と卓袱台を囲んだ。

 美雨はポシェットから、消しゴムのような小さな箱を出した。

「なんだ?」

「USBメモリ。本当は来たらすぐ、この店を訪ねて、渡さなきゃいけなかったの」

「カネ稼ごうとしたり、井上にケンカ仕掛けたりな」

 美雨は白い頬を赤くして、眼鏡のブリッジを抑えた。

 浦原はUSBメモリを摘んだ。

 テッサイが卓袱台に起動済みのノートPCを持ってきた。

 USBメモリを差し込む。

 

 画面から設定を超えた光が溢れた。部屋の中央に『浦原商店プレゼンツ』という、ダサい3Dホログラムが出現した。

 3D文字は回転しながらミラーボールのように七色の光を放射した。

 

『コンニチワース!』

 3D文字が唐突に浦原のホログラム映像に変形して、一護の目の前ににゅーんと迫った。一護はうおぉう! と声を上げてのけぞった。

 ホログラムの浦原は、目の前の浦原と寸分違わぬ姿で、寸分違わぬ胡散臭い笑顔を浮かべていた。

 

『美雨サンの事だから、散々寄り道してボロボロな捨てネコみたいになって拾われた所ですかねぇ~。オカネ使えましたかぁ?』

「使えなかったわよ!!」

 美雨は頬を赤くしながら忌々しげに答えた。

『美雨サンを送り込んだのは、そこにいる黒崎サンをちょっとお借りするためッス』

「俺!?」

『詳しくは美雨サンに訊いてください』

「丸投げなの!?」

『アタシたちの世界から生じた『歪み』は、徐々に他の時間、世界線に影響を与え、無数の不自然な分岐世界を発生せてしまうでしょう。あまり時間がありません。とは言っても、時空を移動するゲートはいつでもホイホイ開けるモノではありません。次のタイミングまでは、そっちでこき使ってやってくださいねぇ』

「ほぅ? イイ話ッスねぇ」

「もうバイト見つけましたから!」

『じゃあそういう事で! 宜しくッス~』

 

 プツン……。

 

「………これだけ?」

 美雨は愕然としていた。

「さっすが他の世界のアタシッスねぇ、アッハッハ」

 浦原は扇を開いて自らを仰いだ。

「……美雨、何があったんだ」

 美雨は胸元で手を小さくした。

 

 ポシェットから、白い長財布を取り出した。

 財布はパンパンで、被せ蓋の下からぎっしり詰まった紙幣が覗いた。一護は引いた。

 

 美雨は、紙幣を一枚引き出した。

 福沢諭吉が描かれた一万円札。

 だが一護の知る紙幣より一回り小さい。無数のホログラム紋が輝き、透かしより明確に半透明に透けている箇所が有る。

「触っていいよ」

 美雨に促されて手に取った。

 手触りは普通の紙幣だ。

 製造日を見る。

「30年後……」

 息を飲んだ。

 

「美雨、オマエ……」

「カオと名前で丸わかりでしょう。石田家の縁者だと隠すのは無理だって最初から分かってた。いっそ黒崎くんの誤解に便乗して、雨竜の生き別れの妹にしちゃうのもアリかなぁて思ったけど、こっちのパパに迷惑掛けたくなかった」

「パパは石田の親父さんだったのか。じゃあ、大黒柱が居ないって――!」

「うん。8歳の時、敵に倒されてから、ずっと意識不明なの。年が離れたお兄ちゃんが黒崎くんを、黒崎くんが居る別の世界に探しに行ったけど、帰ってこなくて……」

 美雨は俯いた。

「私が高校生になったから、お兄ちゃんの捜索と、生きている黒崎くんを連れてくるために、世界を渡る事になったの。私が渡れるのは過去だけだから、ここに」

「アニキは見つかったのか?」

 美雨は首を振った。

 

「雨竜を倒したヤツらは、私たちのチカラが通用しなかった。尸魂界が隊長格を派遣してくれることになったんだけど、お兄ちゃんが旅立ってから、穿界門が開かなくなって、死神の助力が得られなくなっちゃったの。空座町は、元隊長格が何人も移住しているし、偶然現世に来て帰れなくなった死神もいて、空座町を守っているけど、補給がなくて防戦で精一杯。やっと敵のサンプルを得て、浦原さんが分析したら、黒崎一護の霊圧が抽出されたの」

「どういう意味だ? そもそも、美雨の世界の俺は何してんだ?」

 美雨は気まずそうに目線を逸らした。

 一護の背に冷たいものが走った。

「……居ない。理由は訊かないで」

 小さな声で呟くように言った。

「石田を倒したヤツに負けたのか?」

 美雨は首を振った。

 

「黒崎サン、美雨サンが別の時間――未来から来たなら、無粋な詮索は『修正』対象になりますヨン」

「さっき美雨も言ったな『修正』て何だ?」

「パラレルワールドはご存知ですね。世界は1つではありません。ちょっとした選択の違いで、無限に分岐し、数は砂漠の砂粒より多いでしょう。ある世界で死ぬ運命の人物が、生きる世界もある。ヒト1人の存在は、その後の人口に関わり、世界に大きな影響を及ぼします。では分岐が早いほど、差違は大きくなるかと言うと、それほどでもなかったりします。何故か? 世界には、共通のおおまかな方向性が決まっていて、道を大幅に外れる影響力が現れると、世界による修正するチカラが働くんでス」

 死ぬ人間が生きる世界……一護の魂から永遠に喪われた欠落が奪われない世界。

 一護は強烈な魅力を感じた。

「美雨サンは、未来の『特異点』なのでしょう。全ての未来で特定期間に入れば誕生する。一つの世界に同じ存在は2つ同時に存在出来ない。だから、過去にしか渡れない。合ってますか?」

 美雨は頷いた。

「美雨サンの存在に関わる要素――美雨サンの両親の生死や、両親が結ばれるための支障になる影響が生じると世界の『修正』が掛かるんス」

「世界が石田、と……石田の嫁さんが結ばれるように、キューピットしてくれるってことか?」

「キューピット! 可愛い言い方しますねぇ」

「茶化すな」

「世界はエグいですよぉ。例えば美雨サンの両親が、別の相手と結婚して子供も設けたとしましょう」

「世界が定めた運命のカップルなんだろう!? 何で別のと結ばれるんだよ」

「世界が関わるのは『事実』のみ。『感情』は対象外なんです。世界が定めた相手以外と結ばれる可能性は充分有り得ますよぉ」

「はぁ?」

「特異点の両親が、それぞれ別の相手と結ばれるとします。そのままでは特異点が誕生せず、世界の方向性が変わってしまいます。世界が『修正』を掛けます。別の相手が死ぬんです。理由は病気や事故、事件や災害。世界は理。感情を操作する以外の不可能はないッス!」

「なんだよそれ!!」

「勿論、不都合な記憶を消すことも造作ないッス。今、美雨サンに関する記憶が消えたら、黒崎サン戦えなくなっちゃうでしょう」

「未来の詮索はするな・てことか」

「……ごめんね」

「美雨が謝るコトじゃねぇだろう?」

「……うん」

 美雨は俯いた。

「だから……ね、黒崎くんが、私たちの世界を助けてくれたら、終わったら私たちの世界の『修正力』が回復して、ちゃんとこの時間に帰れるの。全部忘れて、何事もなかったように」

「未来は『修正力』が弱っているんスか。だから世界を渡るなんて禁忌がまかり通って……」

 浦原は扇子を広げ、口元を隠しながら呟いた。

「さっきの戦いで確信した。敵の装甲は黒崎くんの霊圧でしか破れない。黒崎くんの霊圧なら、倒せる」

 美雨は一護に正座して向き合った。

「黒崎くん――!!」

 一護は美雨の肩を掴んだ。

「女の子が土下座なんてするもんじゃねぇ」

「………!!」

「石田は俺の仲間だ。美雨は石田の子供。お前を助ける理由にそれ以上ないだろう」

 一護は表情を緩めた。

「石田だって、俺が動けなくて俺の子供が困っていたら、迷わず助けると思うんだ。だから気にすんな」

一護は美雨の頭をポンと叩いた。

 目の前の一護は、写真でしか知らない黒崎一護と別人のような顔つきだし、ぶっきらぼうな話し方は穏やかな笑顔ばかりの兄と全く似ていないが、懐かしさがあった。

 美雨の視界が滲んだ。

「……ありがとう!!」

 美雨は一護に抱き付いた。

「うぉぉう! 女の子が気安く男に抱き付くんじゃねぇ!!」

 美雨から香る花のようないい匂いと、細いのに柔らかい身体に一護は慌てた。

「ヘーキ。お兄ちゃんにしかしないもん」

「アニキに見られたら、俺殺されるぞ」

「? たぶん大丈夫だよ」

 美雨は無邪気な笑みを浮かべた。

 石田が笑うとこんなに可愛い顔になるのか?

 一護は、常時しかめ面で嫌みが得意な眼鏡の少年を思い出した。

 

「あ~~オマエのお袋サンが気になるなぁ! あの石田と結婚するって、どんだけ人間出来てんだ」

「う~ん……黒崎くん、知ってるヒトだよ」

 美雨は唇に人差し指を当てて呟いた。

「まじか!?」

「それ以上は『修正対象』です」

 

 

 

***

 

 

 

 深夜まで浦原たちと相談した。美雨は、石田の父に、自分の存在を知られてしまったと報告した。石田の父は霊圧感知に優れるため、血縁を隠すことが困難だった。口が堅いから、事情を話しても終わるまで未来に影響を与える行動はしないと判断した。

 石田の父は驚いたが、紛れもない石田家の滅却師の霊圧と容姿、未来から持ってきた紙幣で信じてくれたと言う。

 美雨がこの世界に居る間は、石田の父の生き別れの双子の弟の娘という設定になったと話した。

「嘘くせぇ!!」

 一護は心の中で突っ込んだ。

 流石、石田の父と、未来から来た石田の娘。

 病的にウソのセンスがなかった。

 浦原は面白がって、世界の修正後に消える記憶だが、石田の祖母に簡単な記憶操作を掛けに行った。

 

 

 

 

 

 次に時間を渡れるのは、2週間後。新月の夜。

 新月の夜は理のチカラが少しだけ弱くなるのだと美雨は語った。

 それまで、引き続き織姫のマンションで過ごすことになった。

 

 一護は美雨を織姫のマンションまで送った。

 

「なぁ美雨」

「なぁに?」

「なぜ井上を狙った?」

「…………」

「井上が未来に関係してんのか?」

「…………修正対象デス」

 美雨は眉根を寄せ、瞼を落とした。しばらく逡巡して、口を開けた。

「あたしのお兄ちゃん、ね。お父さん違うの」

「……?」

「お母さん、再婚なの」

 

 一護は先刻浦原が語った『世界の修正』を思い出した。特異点の両親が別の相手と結ばれた場合、別の相手が死ぬ。

 

「送ってくれてありがとう」

 織姫のマンションに到着していた。

 

 

 

To be Continued



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雨を招く者

 美雨は石田の父の生き別れの双子の弟の娘で、消息不明の父親を探して家出をした設定に決まった。織姫たちはすっかり信じ込んだ。

 

 高校生の美雨が2週間も暇を持て余すのは良くないと石田の父の計らいで、時が来るまで空座第一高校に転入生として通うことになった。

 真新しい空座第一高校の女子制服を着た美雨は、石田の双子の妹のようだった。

 

 人を寄せ付けない雰囲気を纏う石田と違い、美雨はお嬢様らしい品を持ちながら、アルバイトで培った、人懐こい柔らかい顔で笑える少女だった。

 季節外れの美少女転入生に、男子は騒然となった。美雨がスマホも携帯も持っていないと話すと、大量のラブレターが届いた。美雨は目を丸くした。

 共学校に通うのは幼稚園以来だと話す美雨は、周囲がドン引きする女子の際どい話を平然とした。

 美雨は1日一回薬を飲んでいた。織姫が持病があるのかと訊ねると、生理が重いので親からピルを飲まされているのだと説明した。

 

 

 実の父と間違えて石田の父を訪ねてしまったと話す美雨を、石田は特に憐れんだ。「親戚のよしみで実の兄のように頼ってくれ」と美雨の両肩に手を当てて目を輝かせた。

 美雨は苦笑するしかない。

 

「雨竜てホント馬鹿」

 美雨は様子を見に来た一護にコッソリ毒付いた。

 

 一護は石田と石田の父との関係を照らし合わせた。

「美雨も親父さんと仲悪かったのか?」

「どうだろう? ニオイは気にならないけど」

「ニオイ?」

「クラスメートに居ない? お父さん臭いって女子」

「さあ?」

「お母さんは好きだって」

「親父さんの……体臭が?」

「そう。お兄ちゃんのパパとちょっと似てるんだって」

「へぇ……」

 お嬢様に不似合いな生々しい話だ。

 美雨は一護の胸元に顔を寄せ、すんすんと嗅いだ。

 一護は照れてしまう。

「ふつうかな」

 美雨は呟いた。

「それはドーモ」

 

 

 

***

 

 

 

 5月の第4日曜日。

 織姫の発案で、浦原商店で『美雨を励ますバーベキュー会』が開かれた。

 

 石田とテッサイで材料のカットと串打ちを行い、一護たちはひたすら焼いて食べた。

 美雨の指が焼き網に触れた。

「あつッ!」

「大変! 冷やさないと」

「いーよ、織姫ちゃん。これくらい……」

「だぁめ! あたし保健委員なんだよ」

 織姫はクーラーボックスから凍らせた保冷剤を一つ取り出し、美雨の指に当てた。近くに居た一護は美雨の手に目をやった。

 美雨の手指は、元はお嬢様らしい白いばかりだったのだろう。爪は短く切られ、古傷が多く荒れ気味なのを気の毒に感じた。もうひとつ気になったのが、

「美雨、結構しっかりした指なんだな」

 一護は見たままの感想を述べた。

 美雨の白い頬にさっと血の色が浮く。

「黒崎、女の子に失礼だぞ」

 石田が眼鏡を光らせた。

「え? 今のダメか?」

「太いって言われて喜ぶ女子がいるか?」

「太い!? しっかりしたって言ったんだ!」

「まぁまぁ落ち着いてよ、二人とも!」

 美雨が宥めた。

「痩せすぎとは言われてもデブって言われたのは初めてだから新鮮だよ~」

 手のひらをひらひらさせて苦笑する。

「だからデブじゃねぇって! なんで伝わらないかなぁ」

「ちがうの?」

「滅却師は弓で戦うだろう? 男の石田はともかく、美雨は身体が細ぇから大丈夫なのかと思ってたんだ。ちゃんと戦える指になってんだなぁと感心したんだよ」

「なぁんだ!」

「充分失礼だぞ」

「ん~ん。今まで必死に修行した甲斐があったよ」

 美雨はえへへと笑った。

 

 美雨は石田が使ったことがない武器や術を使いこなしていた。

 30年後の戦況は分からないが、時間を越えて助けを求める程度に厳しいのだろう。

 趣味で虚狩りをしている石田と違い、美雨は最後の滅却師として戦えない石田に代わって前線で町を護っているのだ。

 一護は美雨の頭を撫でた。

 美雨は大人しく撫でられて猫のように目を細めた。

 

 一方、織姫は少し離れた場所に移動して、なぜか落ち込んでいた。

「織姫ちゃん、どうしたの?」

 気付いた美雨が追いかけた。

「えっ!? あー……黒崎くん、太い指嫌いなのかなぁ」

 織姫は指を広げた。

 織姫は頭の上からつま先まで、よく出来た人形のように美しい容姿をしている。言われて注意深く観察すると指の関節が少し太いかもしれない。長い指にはきれいなオーバル型のピンク色の爪が並んでいた。手の甲もふっくらして荒れがない。

「きれいな手だよ!」

 美雨は笑いかけた。

 

 

***

 

 

 

『ごめんねぇ……美雨~』

 母は夕食を終えて、ソファーでうとうとしている美雨の荒れた手にハンドクリームを塗りながら謝った。

『どうしたの?』

『指だけあたしに似て太くなっちゃった』

『なぁにそれ~』

『けど指輪はぴったりになるよ』

『サファイアの?』

『うん』

『石田家の妻の指輪でしょう、譲るならコウくんのお嫁さんになる人じゃない?』

『ん~でも、アレは美雨に譲ると思うんだよ』

『またおかーさん不思議ワールド』

『石田家って滅却師してるからかな、指が太い嫁を求めてるのかもね』

『弓を引くために?』

『想像だけどね~』

 

 

 

「織姫ちゃん、黒崎くん好き?」

「ふぁあ!? みっみっみみみーちゃん!!」

 織姫は真っ赤になって両腕をばたつかせて慌てた。

 こりゃあダメだわ。

 美雨は眉を少し八の字にして苦笑した。

 おかーさん、お願い叶えられそうにないよ。

 

 

 

 五月晴れの空が急に暗くなり、雨が降り出した。一堂は慌てて食材とコンロを屋内に運び入れた。

 石田と織姫が洗濯物を干したままだと言い出し、バーベキュー会はお開きになった。

 

 

 

***

 

 

 

「おかしぃなぁ。今日、天気予報100%晴れだったのに……」

 半分濡れてしまった洗濯物を取り込みながら、織姫はむぅと頬を膨らませてぼやいた。

「……ごめんね」

 室内に濡れた洗濯物を掛けながら、美雨が謝った。

「なんで?」

 織姫はきょとんとする。

「私、雨女だから」

「美雨だから?」

「誕生日も殆ど雨ばかりの筋金入りなの」

「美雨ちゃん、誕生日いつ?」

「7月7日」

「うわぁ! 七夕なんだ!! へぇ~…すごいなぁ…えへへ…」

「織姫ちゃんは?」

「残念。あたしは9月3日なの」

(……知ってる)

「ウチのオヤ、9月生まれなのにどーして織姫にしたんだろうねぇ」

 織姫は寂しそうに仏壇の兄の遺影に目を遣った。

 遺影の織姫の兄は、変わらない穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

「めげずに頑張れ……て、意味じゃないかな」

「?」

「織姫は彦星と結婚してから、恋愛脳になって、毎日イチャイチャ遊び暮らして、オヤに叱られて離婚させられちゃったでしょう。でも、それから反省して人生立て直して、年に一度だけ逢うのを許されるようになったじゃない」

「……う、うん?」

「失敗しても、やり直せる。一度の失敗でめげずに、前回の反省を生かして前向きに頑張り続ければ、より良い明日がやってくるよ、て……意味かなぁて、私は思ったよ」

 織姫は美雨の話をぽかんと口を半開きにして聞いた。しばらくして、おお!! と手を叩いた。

「美雨ちゃん凄い!! 今度から由来聞かれたらそう答えるよ!」

 織姫は美雨の手を握って激しくブンブンと上下に振った。

 

 物心付く前の織姫に、育児を兄に押し付けて暴力ばかり振るった両親の記憶はない。

 だが両親も、織姫が誕生した時だけは、彦星と織姫のように人生を仕切り直したいと思ったのかもしれない。もう一度、心を入れ替えて、温かい家庭を築こうと頑張ろうとしてくれたのかもしれない。

 美雨の解釈に織姫は救われた気持ちになった。

「そ、そう!? 光栄だなぁ~えへへ……ヘヘ……」

 美雨は石田によく似た面立ちをふにゃりと崩し、白い頬を赤くして照れた。

 

「美雨ちゃんの名前の由来、聞いていい?」

 美雨は更に赤くなった。

 織姫は丸く大きな目を輝かせている。

 

「私の名前は……お母さんが付けてくれたの」

 美雨は窓の外を見た。雨は勢いが弱まっている。

 

「楽しみにしてる行事やお出掛けの日になると雨が降るのがイヤだった。そのうちクラスメートから、美雨って名前だから雨が降るんだ、て言われるようになって、益々イヤになって、お母さんに、何でこの名前にしたのって聞いたんだ」

 織姫は頷いた。

「雨は『絆』、なんだって」

「キズナ?」

「雨は、けして交わらない空と大地を繋ぐ唯一のもの。滅却師と死神が、憎しみ合うんじゃなくて、お互いに尊重しあって、お互いの世界を大事にしあって、協力して現世を守れるようになりますように……責任重大なの」

 美雨は苦笑した。

 織姫は、美雨の母親の願いが誰にも話したことがない自分の考えと似ていて、内心驚いていた。

 雨は止んでいた。

 

「それとね……」

 美雨は卓袱台に手を突いて立ち上がった。玄関まで小走りして、靴をひっかけると、ドアを開けた。

 織姫は美雨につられて外の廊下に出る。

 

 美雨の頭の上に虹が掛かっていた。

「虹は雨が降らないと現れないの」

 

 織姫は美雨と並んで虹を見上げた。

 

 

 

***

 

 

 

 一護と美雨の前には、その後も連続して一護がかつて戦った虚が出現した。

 

 フィッシュボーンD。

 シュリーカー。

 

 どちらも黒い鎧を身に纏い、防御・攻撃・再生能力が格段に向上していた。

 織姫の椿鬼は相変わらずヘアピンのまま。霊圧を飛ばすチャドの腕はダメージを与えられない。

 石田と美雨のゼーレシュナイダーが辛うじて鎧に傷を入れられた。

 

 一護の中で暗い予感めいたものがひたひたと近付いていた。

 

 

 

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餡子おじやカレー風味

 一護がかつて倒した黒い鎧の虚たち。

 

 現状、一護たちの力のみで対応出来るため問題と見なされていないが、夜一は調査のため密かに尸魂界へ渡り、浮竹に相談して、ルキアを応援派遣してもらうことにした。

 一護と共に虚討伐に立ち会った経験と、本当に一護が以前倒した虚なのか見極めるためだ。

 

 一護は押し入れを掃除し、中の布団を干した。

 貯めた金で密かにルキアのサイズの兎柄のパジャマと白くてふわふわしたワンピースタイプの家着を購入し、押し入れに置いた。

「これでよし。ユズもデカくなっちまったからな」

 頭を掻きながらひとりごちた。

 

 

 

***

 

 

 

 一方美雨は熱を出していた。

「頑張りすぎだよ~」

 織姫は布団から動けない美雨の額から冷えピタを取り替えて、熱い頬を撫でた。

「……ごめんなさい」

「いいって!」

 織姫が用意したおじやを美雨は美味しそうに食べた。黄色い米粒からはカレーのにおいが立ち、赤紫色の小豆が混ざっていた。見た目も臭いもグロテスクだが、美雨は熱が出た時に進む味なのだと言った。織姫は『熱がある時』という限定条件が少し引っかかったが、食欲があるのに安堵した。

 おじやを食べながら、眼鏡をしていない美雨の目から、ポロリと涙が落ちた。お母さん……美雨は母親を呼びながらひくひくと泣いた。

 織姫はどうしていいか分からず背中を撫でてやると、美雨は一層泣いた。

 

 美雨は母親に愛されて、大事に育てられたのが伝わった。美雨が父親を探しに家出して、母親はどれほど心配しているだろう。

 

 織姫にとって唯一の肉親で親は兄だけだ。実の両親は、織姫に愛情を注ぎ守るどころか、虐待して命を脅かす存在だった。

 

 織姫には夢が沢山ある。

 ケーキ屋さん、学校の先生、宇宙飛行士。

 なりたい仕事とは別に、欲しくてたまらないものがある。

 自分とは一番縁遠くて、心の奥底に大切にしまっている光景。

 

 父親と母親。子供は2人以上、男の子と女の子。赤い屋根、白い壁、季節の花が美しく咲く可愛い庭付きの一軒家で、幸せに暮らす家族。

 父親と母親は、いつまでも愛し合っていて、子供は可愛い。子供が野良犬を拾ってきたり、困っているお年寄りにお節介したりして、時々事件を解決する。

 自分の隣に居るのが、一護だといい。

 一護の明るい色の瞳に織姫だけが映り、織姫だけを世界で唯一想い、愛し、守ってくれる。

 幸せな世界が永遠に続くのだ。

 

 しかし、織姫の妄想の世界はすぐに水が入る。一護の隣にはルキアが立っていて、一護はたちまち黒い着物姿になり、織姫を振り返ることなく、後ろ姿のままルキアと2人で織姫の手が届かないどこかへ行ってしまう。

 織姫の隣には、いつも優しい笑顔でひたすら愛情を注いでくれる兄がいる。そうだ、兄さえいてくれたら他に誰も何も要らない。兄の横顔は、いつの間にか眼鏡を掛けた少年になっていた。

 織姫は、妄想の不完全を、自分がちゃんとした家庭を知らないからだと考えた。

 

 母親を知らない自分は、そもそも親になれるのだろうか?

 親になれても、ちゃんと育てられるのだろうか。

 

 泣き止んだ美雨に、寝るまで側にいると伝えて布団に戻し、頭を撫でると、美雨は落ち着きを取り戻して再び眠った。

 

 美雨のハートのヘアピンから椿鬼が出てきた。

 

「サンキューな、オンナ」

 美雨の椿鬼は、織姫の椿鬼と違い、赤い紋が白銀になっていた。

 

「コイツ、ガキの頃からプレッシャーに弱くてよ。今までよく保った方だぜ」

「椿鬼くん……美雨ちゃんとどういう関係なの?」

「あん? ちみっことは――子分みたいなモンだな。俺様が親分、ちみっこが子分」

「美雨ちゃんは小さくないよ」

 織姫は笑った。

「バーカ。ちみっこはちみっこだろう。オンナになってもババアになっても」

「椿鬼くん、近所のお爺ちゃんみたい」

「ああん!?」

 

 見知った霊圧が近付いた。

 チャイムが鳴る。

 はーい! 織姫が出迎えると、石田だった。

 美雨が欠席して、親戚なのに他人の織姫に看病を任せるのは忍びないと、訪ねてくれた。

 石田は夕食に鯖の味噌煮と味噌汁、キュウリの酢の物、ポテトサラダを作った。

 美雨は目を覚まさず、織姫と石田で食べた。

 

 

 美雨は夢を見ていた。

 父親が元気で、両親と兄、弟とダイニングテーブルを囲んで食事をしていた。

 母はリスのように頬いっぱいに食べ物を詰めて、美味しそうにモグモグ食べていた。

 父親は幸せそうに母を眺めながら、小さな弟が一度に多く口にしようとすると、素早く咎めた。

 

 うっすら目を覚ますと、懐かしいにおいがした。

 母は好きと言うが、そこまでいいにおいじゃないなと思った。

 これは夢だ。

 夢にうつつを抜かす間はない。

 早く体力を回復させないと……。

 美雨はそのまま寝入った。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日、美雨は昼前に目を覚ました。熱は下がっていた。

 織姫のたんすから、フリルの襟が付いたメリヤス編みのトップスと水色の膝丈スカート、ソックスを借りた。

 大きな胸を収めるために、織姫の服のトップスは胸のサイズに合わせて着丈や袖丈などが数倍大きい。余った布を隠すために、パーカーを一枚羽織った。

 美雨の世界の織姫は、胸のサイズに合わせた素材が良い高級なものを購入してリフォームしたり、祖父が服をオーダーメイドを頼むときに一緒に注文していた。

 この頃はリフォームやオーダーメイドが出来ず、既製品で苦労しているのが伝わった。

 

 卓袱台に、学校へ登校した織姫の書き置きが残されていた。冷蔵庫を開けると、鯖の味噌煮と味噌汁、ポテトサラダが入っていた。

 

 昨日の気配は夢ではなかった。

 石田は織姫の部屋に見舞いに来ていた。

 

 8年ぶりに食べた父の手料理は、美雨の知る味より少し濃く、しょっぱかった。当たり前に食べていたが、母や幼い自分たちの味覚に合わせて味を調整していたことを初めて知った。

 

 父が倒されて8年。

 現世の医療では肉体の命を保てず、浦原によって器子から霊子体に変換され、織姫と仮面の軍勢(ヴァイザード)のハッチ、テッサイの結界によって、倒された日から時間が凍結されていた。人間の織姫には負担が大きく、限界が近づきつつあった。

 織姫のふっくらした可愛い童顔は痩せて、自慢の長い栗色の髪には白いものが混ざるようになってしまった。

「四捨五入したら50代になっちゃったしね。護られるだけのお姫様はお仕舞い」と、短くしてしまった。織姫は長い髪に拘りを持っていて、美雨の髪をずっと長く保たせていた。織姫の心境の変化は、美雨に事態の深刻さを一層意識させた。その後、美雨が過去へ渡るための材料に髪を提供して帰ると、父の意識が戻った時に会わせる顔がないと泣いて悲しんだ。

 

 織姫は過去へ渡る美雨のために、痩せた力を裂いて椿鬼を貸してくれた。

 必ず自分たちの元へ帰れるようにと。

 

 美雨はまた少し泣いた。

 

 

 

To be Continued



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尸魂界からの使者

 昼を少し過ぎて、虚の霊圧の出現に美雨は出動した。

 中型の虚が1体。

 腕慣らしにちょうどいい。

 

 美雨は少し離れたビルの上でクロスボウ型にした霊弓を構えた。引き金に指をかけた時、虚の周囲に丸い結界が出現した。氷の円柱が出現し、一瞬で虚を葬った。

 美雨は身を隠した。

 

 

「ルキア!!」

 授業を抜け出し死神化した一護と、チャド、織姫、石田が走ってきた。

 

 小学生のように小柄な死神は、白いリボンがついた日本刀を鞘に収めると、顔を上げた。

 

「久しぶりだな、一護。皆」

 

 

 

「……あれが、朽木ルキア?」

 美雨は上から様子を伺う。

 母を苦しめ、両親の運命を歪めた張本人。

 幼い頃いじめられた赤毛の幼なじみと、なんとなく似ていて、美雨は身震いした。

 

 彼女が黒崎一護に『後付け』の平凡な人間としての人生など望まず、彼の運命を受け入れて死神として導けば、母の苦しみも父の昏睡状態も、美雨の世界が倒せない敵の脅威と戦い続けることもなかった。

 美雨は胸元で手を握りしめた。

 

――でも……。

 

 美雨の脳裏に優しい思い出が蘇る。

 

 暖かいオレンジ色の髪をした、美雨を常に守り愛してくれた大好きな兄。

 

 朽木ルキアの選択なくして、兄の誕生は成立しない。

 

 兄は特異点ではない。

 だから、兄が存在しない並行世界へ渡ることが出来た。

 特異点の美雨を座標に設定して。

 兄が存在しない世界の自分は、どんな暮らしを送っているのだろう。想像できない。

 

 なにが正解か、どうすれば皆が幸せに笑えるのだろう。

 過去へ渡ることになった夜、母から井上織姫を殺してくれと頼まれた。特異点の美雨自身が手を下せば可能かもしれないと泣かれた。

 

 美雨も疲れていた。

 

 昏睡状態の父。

 介護で疲れ切った母。

 消息不明の兄。

 生活は祖父が援助してくれて不自由しなかったが、何も出来ない自分が歯がゆくて、放課後は母が以前勤めていたパン屋でアルバイトをして働き、アルバイトがない日は祖父の手ほどきで滅却師の修行に明け暮れた。

 虚が出現すれば死神たちと討伐に出た。

 

 美雨は特異点。

 全ての並行世界で、期間に入れば誕生する。

 美雨が世界に誕生するための障害があれば、世界はあらゆる手段を使って排除する。

 どこにも逃げ場がない。

 

 美雨の世界から『黒崎一護』が喪われてしまったのは、特異点である自分が存在するからなのか、特異点を産む母が、黒崎一護に恋をして結ばれてしまったからなのか、分からなくなってしまった。

 

 美雨が特異点と知ってから、母は落ち込んだ。

 愛した黒崎一護の死因が他でもない、自分の一護への愛だったのだと、自分を責めるようになった。

 父の昏睡状態も、兄が帰ってこないのも、現世の脅威も、全て自分が原因だと考えるようになってしまった。

 父に愛され、家族に囲まれて、生活は何不自由なく、幸せしかなかったのに、長い間父の愛に気付かず散々傷付けて、最も愛する人を死に追いやって現世を危機に晒し、子供たちに過酷な戦いを強いてしまったと、苦しんでいる。

 

 美雨は母の苦悩を最も間近で見続けた。

 母はなにも悪くない。

 とても好きな人がいて、相手も同じ気持ちになってくれただけのことだ。

 黒崎一護の死因も、表向きは突発性の心臓発作とされているが、実は人間の身体に死神・虚・滅却師、三種の本来けして交わることがない相克関係の霊圧を宿して、世界を護るために強大な力を繰り返し奮い続けた後遺症だという。

 母の責任ではない。

 

 母を助けたかった。

 昔のような明るく可愛くよく笑う母に戻って欲しい。

 そのためなら、世界の理に逆らうことになっても、自分の存在が消えてしまうことになっても構わないと思った。

 この時代の特異点・石田か織姫、いずれかを殺害して、世界に修正不可能なイレギュラーを起こせば、世界は全く違う方向へ変わらざるをえない。

 結果として世界から滅却師が全員死に絶えてしまうが、生存競争に負けたようなものだ。

 

 しかし、美雨の手で石田か織姫を殺害するのは不可能だった。

 

 石田はとにかく『しぶとい』

 普通なら諦め死を覚悟するところでも、絶対に諦めないし、死なない。

 その諦めの悪さで未来で未亡人になった母と結ばれる。

 石田のしぶとさは、未来で特異点の父になるための、世界による『修正』も関係しているのだろう。

 

 石田の得意技は、霊矢を1200連射する『光の雨(リヒト・レーゲン)

 滅却師としての美雨は、次代の滅却師を繋ぐ者として、祖父から滅却師の術の全てを伝授された。稀有な結界能力を持つ母の血は、霊子を操る滅却師の力と相性が良く、美雨は教わった術を全て使いこなした。だが筋力はどうしても男性の石田に劣る。腕力の不足を動血装で補っているが、光の雨のような大技を連発するには不向きだ。圧縮霊子で作った高威力の霊矢を、腕への負担が少ないクロスボウ型の霊弓で撃ち抜く戦法を主力にした。石田と撃ち合っても霊圧の性質が似ていて打ち消されてしまう上に、圧倒的な矢の数の差で負けてしまう。

 

 織姫もまた、霊圧の性質が似ているために美雨の矢では三天結盾で完全に中和されてしまう。

 椿鬼で三天結盾を破っても、石田たちが織姫を守る。

 

 美雨はため息を吐いた。

 

 

 

 織姫と石田が織姫のマンションの方角へ移動しはじめたのに気付き、美雨は飛廉脚を使ってベランダからマンションに戻った。

 

 座布団に座って、適当な本を広げたタイミングで鍵が開く音がした。

「美雨ちゃ~ん、調子どう?」

 織姫が迎えに来た。

 

 

 

***

 

 

 

 織姫は美雨の額に手を当てて、自分の額の熱と比べた。

「うん、大丈夫そう。良かったね」

 目尻と眉尻をぐっと下げた暖かい笑顔を浮かべた。

「早速だけど、これから浦原商店に行くの。美雨ちゃんも一緒に来て」

 美雨は時計を見た。

「学校は?」

 織姫は左手首を返して腕時計を見た。

「わわ! もうこんな時間!?」

「浦原商店は放課後にしない?」

 織姫は頭の後ろを掻いた。

「う~ん……そうだね。じゃあ、4時に浦原商店に。場所はわかるかな?」

「うん、」

 美雨は頷いた。

 

「雨竜!」

 ドアの外で石田が顔を覗かせた。

「織姫ちゃん飛廉脚で学校まで連れてってあげて」

「言われなくてもそのつもりだよ」

 石田はずれてもいない眼鏡のブリッジを抑えた。

「それから……」

 織姫がクスリと笑うのが見えた。美雨は少し頬が熱くなる。

「昨日はアリガトウ。ご馳走さま」

「……どっ、どういたしまして」

 美雨と石田のなんともいえない雰囲気に、織姫は卓袱台に突っ伏して笑いをこらえた。

 

 

「じゃあ4時ね」

 織姫と石田は並び立った。

 美雨にとっては見慣れた光景。

 織姫は石田の制服の端を摘み、石田は織姫の肩を抱いた。

 

「行ってきま~す!」

 織姫が美雨に手を振ると、2人は風のように消えた。

 

 

 一人になった美雨は考える。

 この時代の石田と織姫の仲は良好。織姫は石田に触れられても気にしないほど信頼しているし、石田の織姫への気持ちは、石田の顔を見れば誰だって気付く。一護を犠牲にする世界のお節介などなくても、自然に結ばれるように思えた。

 この頃の織姫と石田と一護、朽木ルキアの関係について、浅野とたつきに聞き込んで調べておけば良かった。美雨は悔いた。

 

 黒崎一護の死は、家族、仲間たちの心に癒えることがない深い傷を残していた。母の最初の結婚時代は黒歴史とされ、美雨に語られることはなかった。

 

 美雨にとって唯一のヒントは、前の家でリビングの中心に置かれた小さな仏壇だ。

 母を親代わりに育てて28で亡くなった叔父。若い時に亡くなった祖母。祖母亡き後、多忙な祖父に代わり、幼い父の世話をして滅却師の修行をつけた曾祖父。そして黒崎一護の写真が飾られていた。

 

 写真の黒崎一護は、この世界で出会った黒崎一護と同一人物だと気付けない程、別人にしか見えない穏やかな顔をしていた。

 

 両親と兄は黒崎一護の遺影に毎日欠かさず祈っていた。

 黒崎一護は死して正規の死神となり、すぐに任務を与えられて、尸魂界に行かずに世界を守るために戦っている。無事を祈ることが、黒崎一護の力になると教えられ、美雨と弟も祈った。

 

 仏壇に祈る両親の姿を見続けて、両親にとって黒崎一護がどれほど大切な人か、黒崎一護を知らない幼い美雨にも理解できた。

 父は何かあると仏壇に向かい、物言わぬ黒崎一護と対話しているようだった。

 

 死んでも世界を守るために戦い続けるなんて、美雨はごめんだ。

 だが、滅却師の後継者として全ての世界で時期になれば誕生する美雨にとって、世界そのものに修復不可能な変更を加えない限り、戦いの運命から逃げることは許されない。

 世界そのものに修復不可能な変更を加えるとは、世界の修正力を完全に破壊し、現世・尸魂界・虚圏の境界が失われ、世界に混沌をもたらし、人類史そのものを消滅させることを意味する。

 自分が運命から逃げたいがために、全ての命、魂から生きる権利を勝手に奪うなど、絶対に許されない行為だ。

 

 大好きな母に泣いて頼まれても、やっていいことではない。

 

「出来もしないけどね……」

 美雨は呟いた。

 

 

 

***

 

 

 

 幼稚園から共に過ごす美雨の学友たちは、名門私立校に通うお嬢様らしく、資産家ゆえの複雑な家庭が珍しくなかった。

 入学時に両親が揃っている事が条件のため、必要時のみ金で父親を『レンタル』する家。経営者の高齢な母親とヒモの若い父親の家。毎年親が変わる家。

 彼女たちに比べたら、母親が元未亡人で、同級生の親友と再婚したなんて身の上は平凡そのものだ。

 複雑な家庭の友人たちに共通しているのは、恐ろしく前向きということだった。

 過去は変えられないが、未来は自分の行動と選択で、いくらでも変えられる。失敗したら、失敗の原因を考えて、別の方法に挑戦できる。七夕生まれの美雨に、祝い代わりに七夕の解釈を授けてくれたのは友人たちだった。

 

 友人たちは美雨に語った。親の前の家族について考えるなんてナンセンスだと。

 どんな経緯があったにせよ、結果として自分たちは命を貰った。精いっぱい人生を楽しまなければ損だと。

 

 

 父が寝たきりとなり、祖父の屋敷に移り住んで、母は仏壇を片付けた。母の寝室に与えられた、父が眠る部屋と繋がった広い部屋に、亡き叔父の写真を一枚飾った。

 

 母は父が眠る部屋に、前の家からコタツ付きのローテーブルとソファーとテレビを持参した。重厚な洋間に不似合いなカジュアルなラグを敷いて、前の家と似たリビングコーナーを作った。

 医療事務の資格を取って、空座総合病院で短時間のパート勤務と、ヘンテコなぬいぐるみやキルトを作ってネットで売り、僅かな収入にしていた。

 

 美雨は、父の結界を維持するために屋敷から長く離れられない母に、帰宅するとリビングコーナーで学校のこと、アルバイト先のこと、滅却師の修行のことを全て話した。母は目を細めて聴いてくれた。

 3歳下の弟は、高IQに恵まれ、特別な配慮が必要だった。母1人では、父を介護しながら弟の教育と心のケアをするのは困難で、3年前からアメリカで暮らす祖父の友人に預けられていた。

 

 母は長く伸ばした美雨の髪をよく手入れしてくれた。亡くなった叔父が、風呂上がりに母の髪を褒めて梳いてくれる時間が好きだったと懐かしんだ。天涯孤独だった母にとって数少ない『肉親との幸せな時間』の記憶だった。

 母は美雨の梳きながら語った。

「凄く凄く好きで、自分を三番目に好きと思ってる人と、自分を凄く凄く好きで三番目に好きな人、結婚するならどっちにする?」

「どちらとも結婚したお母さんとしては?」

「う~ん。お母さんは二番かな」

 母はたぶん後ろで寝ている父を見たのだろう。

「じゃあ、私も二番にする」

 背中の母から安堵した息遣いがした。

 

 滅却師から逃れられない自分と本当に結婚してくれる男などいるのだろうか?

 この世界で貰った手紙には、美雨のために婿養子になるという内容もあった。

 

 期末テストを終えて、新月の旅立ちを前に、美雨の誕生日を祝いに花束を持って兄の親友が訪ねてきた。兄が異世界へ渡って消息を断って以来、定期的に美雨たち家族を見舞ってくれていた。大学を卒業し、消防士になっていた。

 

 髪が短くなった美雨に、いじめを受けているのかと散々騒いだ後、いじめられて短くした訳ではないと理解して、大げさに安堵のポーズをとった。母も祖父も兄の親友も、美雨の身に良くない事が起きて髪を短くしたのだと疑い、誰も短い髪を褒めてくれなかった。美雨は今後よほどの事情がない限り、髪を短くしないと決心した。

 

 居間でバースデーケーキを食べ終えると、母が「5分だけよ」と意味深に呟いた。何か言いたげな祖父の背を強引に押して席を立った。兄の親友は笑顔で母に手を合わせて拝んだ。2人きりになったことを確認すると、急に真顔になった。2年後、美雨が高校を卒業したら結婚してほしいと告白された。

 美雨が名字を変えずに済むように婿養子に入る、子供は美雨が大学を卒業するまで待つと言う。それなら大学を出てからでいいじゃない? と、言おうとして、美雨が大学を出る年に彼は33歳になってしまうことに気付いた。母が美雨を産んだ年より遅い。

 なぜ突然、結婚なんて言い出したのか訊ねると「今日の美雨ちゃん、居なくなる直前のアイツに似てて、どこか遠くへ行っちゃう気がしたんだ」玄関で家族を見送る心細そうな大型犬のような目をしていた。

 

 

 

To be Continued



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美雨の正体

 浦原商店で、美雨は朽木ルキアと対面した。

 朽木ルキアは義骸を着て、身体を締め付けないデザインの白地に赤いリボン柄のワンピースに淡い紫色のカーディガンを着ていた。

 幼い頃から見下ろされっぱなしの赤毛の幼なじみと似た雰囲気の女性を見下ろすのは奇妙な感覚だ。よく見ると、紫色の大きな瞳以外、そこまで似ていない気もする。

 兄は幼なじみについて、どちらかというと父親に似ていると言っていた。美雨は幼なじみの父親に会ったことがない。

 兄は幼なじみの父について、長髪の赤毛で全身に入れ墨をしたヤクザのような男だと話していた。

 目の前の女性は、小学生のように小柄だが、頭が小さくて等身が高く、女性らしい気品が漂っていた。一護の隣に当たり前のように立っていて、お互いに気心を知り尽くした雰囲気を纏っている。

 数年後、何があってヤクザのような男と結婚に至ったか、全く理解できなかった。

 

「石……」

 偽名の石井で名乗るか、石田で名乗るか迷って詰まる美雨に、

「どっちでもいいだろう! 美雨だ、美雨」

 一護が助け舟を出した。

「美雨です、よろしくお願いします」

 営業用スマイルで挨拶した。

 ルキアは美雨の石田に似た面立ちに驚いていた。

 

 

 浦原商店の居間で、浦原を中心に大きな卓袱台を囲んだ。

 

「まず、先日美雨さんに渡された、鎧を着た虚の霊圧のサンプルですが……」

 浦原は切り出した。

「黒崎サンの霊圧が検出されました」

 部屋の空気が緊張する。

 

「先の完現術者(フルブリンガー)たちとの戦いで、彼らが一護の力を奪い、戦闘力を増したのと同じ現象が……」

 ルキアが呟いた。

 一護は眉間の皺を深くして俯いた。

 石田は眼鏡のブリッジを抑える。

 月島に操られ、戦いに関する記憶を全て失っている織姫とチャドは、戸惑っているようだった。

 

「黒崎サン、完現術者たちとの戦い以外に霊圧を奪われるようなことは?」

「……ねぇよ」

 一護は唸った。

「実は、黒崎サンの霊圧は代行証を通じて常に尸魂界が監視しています」

 一護の身体がピクリと震えた。

 ルキアが俯いた。

「尸魂界から、最近の黒崎サンの霊圧記録を取り寄せたところ、黒崎サンの霊圧に『奪われる』ような変化は見つけられませんでした」

「前振りはいいよ。浦原さんは、この現象をどう見立てる?」

 石田が急かした。

「鎧の虚と交戦した石田サンは?」

「……あの鎧は、通常の霊矢が通らない。茶渡くんの霊圧の衝撃波も。だが、僕と石井さんのゼーレシュナイダーで傷を付けることは出来た。ゼーレシュナイダーが有効なら、あの虚と鎧は通常の霊子で構成されていることになる」

 浦原は頷いた。石田は続ける。

「黒崎には、周囲の人間の霊的資質を引き出すチカラがある。完現術者として資質があったとはいえ、元々霊を視覚さえ出来なかった、井上さんと茶渡くんに、虚と戦うチカラを目覚めさせ、浅野くん、小島くん、有沢さんにも霊を視覚できる能力を与えた。霊を視覚する能力自体は元々全ての人間が持っているものだ。黒崎ほどの馬鹿デカい霊圧の側に居続ければ、潜在能力が刺激を受けて引き出されても不思議はない。だが、それらは全て、能力を開花させた者たちが潜在的に持っていた能力に目覚めただけと思われてきた」

「どういうことだよ」

 一護は若干苛立ちを滲ませた。

「完現術者たちとの戦いを通じて、君のチカラは他者に分け与えられる可能性が出てきたということさ」

「あれは銀城のチカラで奪われて分配されたんじゃねぇのか!?」

「あ~…因みに、死神代行として登録されていた時代の銀城空吾に、そのようなチカラはありませんでした。あれは、銀城が尸魂界から消息を断って以降に身につけた能力なのでしょう」

 

 石田は眼鏡のブリッジを抑えた。

「元々持っていた才能を『開花』させることと、『チカラを分け与えられて』得ることは、結果は似ていても全然違う。黒崎の影響が、開花を促すものではなく、黒崎自身のチカラを分け与えることで起きたことなら、悪用も出来るということだ」

「……石田くん」

「俺のチカラは、アブウェロに貰った黒い肌への誇りと、魂の誇りにチカラが応えた完現術(フルブリング)だ。一護に分け与えられたチカラじゃない」

「……うん。あたしも、あたしのチカラは、黒崎くんに貰ったものじゃないと思う」

「謎はまだあります。鎧を着た虚たちが、かつて黒崎サンが倒した虚という点です」

「ここは儂が話そうかの」

「夜一さん!」

 いつの間にか部屋に褐色の美女が立っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「夜一サンには、尸魂界へ調査に行っていただきました」

 浦原は胡散臭い笑顔でへらへらと扇子を仰いだ。

 夜一は壁に背を預け、腕を組んだまま語りはじめた。

「現世で一護たちが再びアシッドワイヤーと交戦した時間、アシッドワイヤーこと井上昊の所在について調べていた」

 織姫の手が膝の上で小さく握られた。美雨は織姫の手に自分の手を重ねて、柔らかく握った。

「井上昊は、アシッドワイヤーが現世に出現した時間も、その前後も流魂街の居住区から一歩も出ていないことが判明した」

 織姫の目がじわりと潤んだ。

 美雨たちも胸をなで下ろした。

「それだけではありません。現世に虚が現れると、虚の霊圧は直ちに尸魂界で捕捉され、地域担当死神と周辺の死神、黒崎サンの代行証へ討伐指令が出される仕組みです。だが黒崎サンたちと交戦した鎧の虚は、尸魂界で観測されていないようなんです」

「井上のマンションに来てくれたじゃないか」

「アレは虚の霊圧ではなく、黒崎サンが卍解を使った霊圧が感知されて向かったんス」

「何!?」

「指令もないのに黒崎サンが卍解を解放した。尸魂界で捕捉できない未知の霊圧の敵と交戦している可能性がありました」

「実際そうだけどよ」

 一護は腕を組んだ。

「心当たりは有りますか? 美雨サン」

 浦原は笑顔のまま笑わない目で美雨を見据えた。美雨の背筋に冷たいモノが走る。

 皆の視線が美雨に注がれ、一護は美雨の身体が強ばるのがわかった。

「浦原さん、」

 一護は口を挟む。

「『修正対象』に触れないように話せばいいんスよ」

「『修正対象』?」

 石田は怪訝な顔をした。

「じゃあアタシが話しましょうか? 美雨サンは、こことは違う歴史の世界から、次元を渡って来た存在なんです」

 流石に30年後から来たとは言わなかった。

「ちがう……世界」

 織姫が息を飲む。

「じゃあ君、竜弦の生き別れの双子の弟の娘じゃなくて、別の世界で本当の――」

「娘じゃないです!」

 美雨はつい言ってしまった。しまった、すぐに後悔する。

「……パパは……私たち家族の恩人で、大切な人。でも、娘じゃないです。よく親子に間違えられるけど」

「勿論血縁者ではありますよん」

 浦原が茶化す口調でフォローした。

「美雨サンの滅却師としての才能は、皆さんも見てきたでしょう」

 一同頷いた。石田は複雑そうだった。石田の知識では、美雨が使う滅却師の術や戦法は純血統滅却師(エピトクインシー)のみに許されたものが混ざっていた。当たり前だ。何の気まぐれか偶然か、死の運命を免れた石田以外の混血統滅却師(ゲシュミトクインシー)は9年前全員死に絶えた。

 

 美雨は不安そうに浦原を見た。

 浦原は卓袱台の下からペッツに似せた記憶消去アイテムを振って見せ、いざという時はこれを使うと美雨に伝えた。

 

「その……物凄く言い辛い話なんだけど……」

 決心がつかない。心臓がバクバクして、目の前が薄暗くなってくる。マズい、血が足りない。

 顔色が悪い美雨の肩を織姫が抱いた。

「美雨ちゃん、大丈夫?」

 織姫は美雨の背を優しくさすった。

 織姫の手の温もりが、緊張で冷えた身体に少しづつ血を戻していく。

 織姫に身体を支えられながら、数回深呼吸して、美雨は一護を見た。

 一護は頼もしい顔で美雨に頷き返してくれた。

 美雨は決心した。

 

「私の世界には……色んな事情があって……黒崎くんが……居ません」

 絞り出すように声にした。

 隣の織姫が息を飲むのが聞こえた。

 恐ろしい罪悪感が美雨の身体を再びぎゅうぎゅうと締め付け、美雨は震えを止めようと自分の胴を抱いた。

「黒崎くんが居なくなって、数年は平和な方だったけど、8年前、黒い鎧の虚が現れてから戦況が変わって……」

「石井……さん、石井さんの世界に僕たちは……?」

 美雨は首を横に振った。

「尸魂界は何をしている? 隊長格の派遣が必要な事案だろう」

 ルキアが問うた。

「8年前、突然穿界門が開かなくなりました。偶然現世に滞在していた死神と、駐在している死神、現世に移住した元隊長格しか居ないんです。現世で死した魂がどうなっているかはわかりません。一応魂葬できるみたいだし、出生率も下がってるけど子供は生まれてるから、魂の行き来は出来てるみたい」

「……な!?」

「穿界門は死神が使いやすいように手を加えただけの理側の存在。本来、開かなくなるなんて起きない筈なんです。でも、私の世界は理のチカラがとても弱くなっていて、そんなことがまかり通っちゃうみたいなんです」

「だから、美雨サンが次元を渡るなんて最高の禁忌を侵すことが出来た」

「鎧の虚の霊圧を採集して調べたら、居なくなった黒崎くんの霊圧が検出されました。私たちの力では、鎧に傷を付けるのが精一杯。傷を負わせても超速再生で回復してしまう。尸魂界との行き来が断たれて、結界が張れないから、町を巻き込む大規模な卍解は使えなくて、詰み状態なんです。それで、私の世界の浦原さんが、黒崎くん自身の霊圧なら、鎧を破れるかもしれないと言い出して、理のチカラが弱まっているのを利用して、他の世界から黒崎くんを連れてくる作戦を立案しました。私がこの世界にきたせいで、この世界にも鎧の虚が現れるようになって……。でも、浦原さんが言うとおりだった。黒崎くん自身なら、虚の鎧を砕ける」

「だから俺、今度美雨の世界をちょっくら助けに行くことにしたんだ」

 一護は胸を叩いた。

 石田は眼鏡のブリッジを抑えて呟いた。

「そういうことか」

「待って、美雨ちゃんの世界に渡るって……黒崎くん、ちゃんと戻って来られるの!?」

 織姫が顔を上げた。

 美雨は織姫の手を握る。

「大丈夫。世界には『修正力』があるの。並行世界は無限に存在するけど、共通した一定の方向性が存在する。世界の方向性に干渉するチカラが加わると、強制的に修正がかかる。黒崎くんが鎧の虚の源を破壊してくれたら、理のチカラが回復して、黒崎くんは強制的に、あるべき世界……この世界に戻れるから」

 美雨と過ごした時間を全て忘れて……とは言えなかった。

 織姫は表情を緩めた。

「心配しないで、織姫ちゃん。黒崎くんは私が絶対守る。ちゃんとこの世界に送り届けるよ」

「美雨ちゃん……」

「浦原さん、俺達も一護と美雨に同行することは?」

 チャドの申し出に、浦原は美雨を見た。

「ひとつの世界に同じ存在は2人居られないの。雨竜も一応まだ生きてるし、門を潜ってもここに戻るだけだと思う」

「一応……て」

 石田は絶句した。美雨は申し訳なさげに俯いた。

「聞きたい?」

「いや……遠慮しておくよ」

 

 美雨が一護を連れて元の世界に帰還する日まで、鎧の虚と遭遇したら、一護を呼び、時間を稼ぐことに決まった。

 

 解散後、浦原と夜一は美雨を呼び止めた。美雨を待とうとする織姫を一護とルキアに任せて先に帰らせ、美雨は、浦原と夜一、テッサイと面談することになった。

 

 

 

***

 

 

 

 (ウルル)が新しいお茶を交換すると、浦原は、美雨に渡されたUSBメモリーから、帰還用の次元を渡る門が再現出来たことを報告した。

 美雨は胸をなで下ろした。

 

「さて、それだけ話すために美雨サンを呼び止めた訳ではないと、おわかりっスね」

 美雨の肩が震えた。

「美雨サンの両親について、我々はもう掴んでいます」

「先日、美雨殿が口を付けられた湯呑みに残された霊圧を調べさせていただきました」

 仕事なんで、スイマセン。浦原は帽子を軽く持ち上げた。

「霊圧もDNAと同じように、親子、親族間で構成が似るんです。美雨サンが椿鬼を呼び出せる時点で、気付かない方が無理な話っスが……以前、黒崎サンたちは、全く血縁がない2人の死神が、同一の斬魄刀、卍解を手にして、片方が葬られる事件に関わりました。黒崎サンたちは、美雨サンの椿鬼を、同種の現象と解釈したのでしょう。真相はもっとシンプルなのに、ね」

 帽子の下の浦原の目がギラリと光った。

「美雨サンのお母さんは、織姫サン……ですね」

 浦原たちの眼光は鋭く、逃げられる雰囲気ではなかった。

 美雨は観念した。

「………はい」

 膝の上で、白い手をきゅっと握りしめる。

 

「浦原さん、母を……織姫ちゃんを、最初から雨竜と結婚するように出来ないでしょうか」

「美雨サンの世界で黒崎サンが失われたのは、未来で石田サンと結ばれて特異点の美雨サンを産む予定の織姫サンが、黒崎サンと結ばれたことによる、世界の『修正』によるものと?」

 美雨は首を横に振った。

「わかりません。黒崎くんの死因について、母には突発性の心臓発作と伝えられていますが、実は死神・虚・滅却師……本来交わらない相克関係にある三種の霊圧の負荷に、肉体が耐えられなくなったことによる多臓器不全らしくて……」

「先にお兄さんが世界を渡ったと言いましたね。そのお兄さんとは?」

「想像の通りです。兄は母の最初の結婚……黒崎くんとの間に生まれた子供です。兄は黒崎くんの霊圧を受け継いでいるので、鎧の虚に対抗するチカラがありました。でも母が戦うのに反対して、主力から外されていました。父が倒されて、なりふり構っていられなくなり、母に隠れて旅立ちました」

 美雨は俯いた。

「石田サンはなぜ昏睡状態に? 織姫サンが居れば肉体の傷で治せないものはないでしょう」

「私たちもそう思っていました。父の傷口は黒崎くんの黒い霊圧に覆われていて、母のチカラと黒崎くんの黒い霊圧は相性が悪いみたいなんです。私の世界のハッチさんとテッサイさんが助けてくれましたが、黒い霊圧を取り除けなくて……。肉体を霊子変換して時間停止結界で状態を留め置くことしか出来ないんです」

「じゃあ、石田サンはずっと年を取っていないと?」

「……はい。母はおばさんになっちゃったのに、雨竜は倒された日の姿のままなんです」

 美雨は鼻をすすった。

「美雨サンの世界の黒崎サンが亡くなったのはわかりました。でも黒崎サンはただの人間ではない。肉体が死を迎えても、霊体として……それこそ、死した瞬間から、真の死神として活動出来るようになると、我々は予測してます。その点はどうっスか?」

「当たり前ですが、私が生まれたのは、黒崎くんが人として死を迎えて、母が雨竜と再婚した数年後です。私と黒崎くんに面識はありません。ただ、家に黒崎くんの仏壇があって、黒崎くんは人として死んでから、正規の死神になって、尸魂界に行かずに世界を守るために戦い続けていると教えられていました。私たちが黒崎くんの無事を祈ることが黒崎くんのチカラになるからって、両親と兄、家族皆で祈ってました」

「なるほど……」

「可笑しいでしょう?」

「いえ。これはアタシの想像ですが、黒崎サンは、死神となってから、何者かに捕らわれているのではないでしょうか? 今の黒崎サンはまだ知りませんが、黒崎サンには、死神・虚・滅却師……本来交わらない3つ霊圧が全て宿っている。結果的に、それが黒崎サンの人としての寿命を著しく損ねてしまったのは残念ですが、黒崎サンの霊圧は、崩玉と融合した藍染惣右介を凌ぐポテンシャルを秘めています。底無し未知数の霊圧。神に等しいチカラっス! 石田サンが話すように、周囲の者に、潜在能力を引き出すだけでなく、ただ側に居るだけで新たな才能や能力を分け与えることも不可能ではないのかもしれません。一種の願望実現装置。黒崎サンを手に入れ、無限の霊圧を制御下に置ければ、新たな神を手にするのと同義なのかも――」

「喜助!」

 夜一が咎めた。

「スイマセン~、つい科学者の血が騒いじゃいました」

 浦原はへらへらと笑った。

 

 

 

To be Continued



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3人目の娘

 黒崎家では、遊子と夏梨が、ルキアとの18ヶ月ぶりの再会を喜んでいた。

 ルキアは中学生になった遊子と夏梨の成長に驚いていた。数日世話になりますと、ワカメ大使の人形焼きと、朽木家の塩を手土産に差し出した。

 なぜ手土産に塩を? 不思議な顔をする遊子に、ルキアはこの塩をぜんざいに入れると美味いのだと目を輝かせて説明した。

 遊子はルキアのために早速白玉ぜんざいを作ってくれた。

 遊子、夏梨、一護、ルキアの4人でダイニングテーブルを囲み、白玉を丸めた。

 遊子、夏梨、ルキア、皆楽しそうで、一護の頬も自然とゆるんだ。なんかいいな、こういうの。

 

 ダイニングテーブルの背後には、亡き母・真咲の巨大な遺影が今日も変わらぬ笑顔で見守っていた。

 一護はちらりと目を向けて、俯いて再び白玉作りに戻った。

 

「一護……?」

 一護の視線に気付いたルキアが大きな紫色の瞳で見つめた。

 

 

 

***

 

 

 

 朽木家の塩を加えたぜんざいは、店の味のように美味だった。診察を終えた一心が戻ると鍋は殆ど空になっていた。

 

「お兄ちゃんと一緒に白玉作れてスッゴく楽しかったぁ」

 遊子は一護に抱きつきながら満面の笑顔を浮かべた。

「ずるぅ~い! 父さんも遊子と夏梨とルキアちゃんとハーレムクッキングするぅ~!」

 一心は体をくねらせて悔しがった。

「キモイわ!」

 一護のツッコミが飛ぶ。

「何!? まさか男子禁制……一護、お前女装して参加したのか! 女装なら父さんの方が上だぞ!」

 一心は真咲の髪型に似せた、ウェーブがかかった茶髪のウイッグを素早く被り、真咲のポスターの前でポーズを決めた。

 ダイニングに笑い声が溢れた。

 ルキアも口元を抑えて笑いを堪えようとするが堪えきれないでいた。

 

「ルキア、後で俺の部屋来てくんね?」

 一護はルキアに小声で言った。

 真顔だった。

「ああ、勿論だ」

 ルキアは真っ直ぐ一護を見て頷いた。

「ああ~イチ兄、ルキ姉にエロいことしようとしてないよね!?」

 夏梨が目ざとく指摘した。

「夏梨ちゃん!!」

「バッカ! 勉強の相談だ」

「あたし後でお夜食持っていってあげる」

「ああ! いつでも遠慮なく持って来い!!」

 

 ルキアが加わり、賑やかさを増した黒崎家に、一心は真咲のポスターに目を遣って笑った。

 

 

 

***

 

 

 

 夕食後、早速ルキアが訪ねてくれた。

 勝手にベッドに腰掛ける。

「なんだ、話とは」

 17ヶ月ぶりに再会したばかりというのに、普段通りの調子だった。

 再会したルキアの髪は短くなり、左腕には副官章が巻かれていた。

 死神の副官がどの程度の難易度か全く分からないが、一護がチカラを失い、自暴自棄になっていた期間、ルキアは地道に鍛錬を続けていたということだ。

 

 17カ月も腐ってしまったが、一護も強くなった。

 成り行きで完現術を習得し、死神化しなくてもある程度虚と渡り合う戦闘力を得た。完現術のチカラは取り戻した死神のチカラと合わさり、一護に新たなチカラを与えた。

 

 忘れ得ぬ雨の日の記憶。

 今度こそ倒せるだろうか。

 

「ルキア、鎧の虚のことなんだけど……」

 ルキアは頷いた。

 

「井上のアニキ、初めてオマエと会った日に倒したサカナ顔の虚、チャドとインコを襲って地獄に送られた虚を倒した」

「ああ……」

「どういう仕組みかはわからねー。順番も少し違う。井上のアニキは流魂街を出ていない。でも、前に俺が倒した虚がパワーアップして現れているのは事実だ。それなら、次はアイツが来るんじゃないかと思うんだ」

 ルキアの大きな目に一護が写り込んでいた。

「一護……私も少し調べたんだ。貴様に伝えねばならぬ話がある」

「なんだ?」

「グランドフィッシャーは討伐されたんだ」

「……なに!?」

「討伐した死神は不明。石田ではない。2年前、貴様に受けた傷で弱っていたのかもしれない。倒されたのは、破面が初めて現世に襲来した頃だ」

「……なん…だと……」

「……済まぬ」

 ルキアは膝の上で、小さな手を重ね合わせた。

 一護は両手で自らの顔を覆った。

「……わりぃ……オマエのせいじゃねぇよ」

 ルキアは静かにベッドから立ち上がった。机の一護に歩み寄った。

「一護……」

 ルキアは机上に置かれた一護の手に、そっと小さな手を重ね合わせた。

「だから、グランドフィッシャーが再来する可能性は低いと思う。危惧すべきは、貴様がかつて倒した十刃……103十刃(シエントトレス・エスパーダ)・ドルドーニ、第6十刃(セスタ・エスパーダ)・グリムジョー、第4十刃(クアトロ・エスパーダ)・ウルキオラ」

「バロンのオッサンは見てねぇけど、グリムジョーは死んでねぇよ」

「じゃあ、第4十刃か……」

 石像彫刻のように白い肌と動かない顔をした痩身の破面。

 藍染の腹心であり、二段階の刀剣解放を持つ。

 一護は虚化を習得しても手も足も出ず、織姫の目の前で一方的に倒された。

 救援に来た石田も利き腕を切断されて殺されかけた。

 心を失った完全な虚とならなければ勝つことは不可能だった。

 だが理性を完全に失った一護の刃は、窮地の織姫と石田をウルキオラから護るために収まらなかった。

 暴走した一護は、止めようとした石田までも手にかけた。

 石田は何も言わないが、一護にとって完全虚化は、トラウマの一つに刻まれていた。

 

 ウルキオラが黒い鎧で力を増して再び現れた時、一護は今度こそ倒せるのだろうか。

 

 震える身体を誤魔化すように、一護は手を数度握って開いた。

 

「強くなるのだ、一護。敗北の不安も仲間を護れない恐怖も、己を鍛え続ける以外に克服する術はない。鍛えるのは戦闘力だけではない。心の強さもだ」

 一護はルキアを見上げた。

 ルキアの大きな瞳の中の一護は不安そうな顔をしている。

 一護は口角を上げてニッと笑みを作った。

「らしくねーな。オマエに慰められるなんてよ。わりぃ」

「全くだ。貴様は私が見て居ないと本当に腑抜けてしまうようだからな。いつまでもそんなでは、安心して現世を任せられぬではないか」

 

 母ちゃんみたいなこというんだな、と思って呑み込んだ。

 同時に、一護がルキアが居なくても1人で現世を守れるほど強くなると、ルキアは現世に二度と来なくなるのかと疑問が湧いた。

 

 ルキアは副隊長だ。身体が弱い浮竹を補佐して200人前後の隊員を統率し、彼らの命を守りながら現世を守る使命がある。平隊員のように空座町に止まって、一護たちと日常生活を送るなど、遠い話になったのかもしれない。

 

 一護とルキアは『繋がっている』。

 ルキアに貰い、一護の魂に融けたルキアの死神の霊圧だけではない。魂の絆と呼ぶような、心の深い場所でしっかり結ばれた縁だ。

 

 現世と尸魂界。

 生者と死者。

 

 理の禁忌に触れるかもしれない境界を隔てても、けして切れない、解けない絆。

 

 だから、住む世界が違っても、一緒に居ることが許されなくても、一護は耐えられた。

 身体が近くになくてもルキアの心は常に傍らにある確信があったからだ。

 

 だが、チカラを失った17ヶ月は堪えた。

 幼い日から望み続けた『霊が見えない』生活。死闘の末にやっと手に入れたのに、得たのは再び己の無力に心が挽き潰されるような苦痛だった。

 死神のチカラを得て知り合った石田、一護が死神のチカラを得た影響で霊が視覚できるようになり、更に強い友情を築いたチャド、ケイゴ、水色、たつき、そして織姫。

 一護1人霊が視覚さえ出来なくなったことで、彼らからも、どこか置いて行かれるような心細さに襲われた。

 彼らが一護に、虚や霊絡みの話題を避けて、触れないように気遣っているのが、ウソが苦手な石田と織姫は特に丸わかりで、申し訳なかった。

 彼らの会話から、ルキアが二度ほど現世に来ていたのがわかった。一護は霊力を失い、ルキアを視覚は出来なくても、自分たちの絆があれば、存在を感じることはできるかもしれないという淡い期待を持っていた。期待は願望でしかなかった。一護は一護の人生から『朽木ルキア』が永遠に失われる恐怖を初めて自覚した。

 

 心を鍛えれば、ルキアが居なくても耐えて生きられるのだろうか?

 人として懸命に生き抜いた果てに、尸魂界でルキアと共に立てる、第二の人生が待つのだろうか。

 一護は17歳。じきに18歳になる。死後の世界に期待して、人の生をやり過ごすと決めるにはあまりにも若い。

 

 一方ルキアは一護の10倍は生きていると言うが、見た目は初めて会った夜、10代中盤の少女と変わらない。時間の流れが違うのだ。

 150年生きて15歳程度までしか成長しないルキアと尸魂界にとって、一護に人としての残された50年は5年程度の感覚ではないか?

 5年くらい俺にくれないかな、身勝手な妄想が止まらない。

 

 

「ルキア、」

「なんだ?」

「オマエ、押し入れで寝るのか?」

「ああ……一心殿が遊子と夏梨の部屋に寝台を用意してくれてな、そこで寝るよ」

「そうか、押し入れ開けてみろよ」

「ん?」

 ルキアはとたとたと押し入れの前に立つと、静かに開いた。

 ウサギ柄の寝間着と白いルームワンピースの包みがぽよんと飛び出した。

「おお~!」

 ルキアの目が輝く。

「遊子もデカくなっちまって、着られる服ないだろう」

「貴様が用意したのか」

「俺、小金持ちだからよ」

 一護は鼻を鳴らした。

「朽木家と比べたら貧乏人だけどな」

 ルキアは、大きな瞳で一護を見た。きれいな色だ。

 白い頬が微かに紅潮していた。

「そんなことはないよ。ありがとう、一護」

 一護の胸を甘酸っぱい喜びが満たした。

 

 

 

To be Continued



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織姫と美雨

 美雨はとぼとぼと織姫のマンションに帰った。

 

 浦原たちに全て話してしまった。次の新月まで1週間。居られるのだろうか。

 

 美雨の世界の黒崎一護が何者かに捕らわれている可能性は、美雨の世界の浦原も指摘していた。

 捕らえた一護を利用して鎧の虚を生み出しているのなら、捕らわれた一護を解放・救出すれば、鎧の虚も父の傷を覆う黒い霊圧も消えて、美雨の世界は救われる。

 理のチカラが回復すれば、兄は強制的に戻される形で帰還するだろう。

 

 だが、黒崎一護が戻ると両親はどうするのだろう。この時代に来て、母が一護を心から愛しているのを痛感した。

 父が健康な頃、両親の仲は良好だったが、恋愛結婚ではなかった。幼い兄を抱えて未亡人になった母を、母が人妻になっても諦めきれなかった父が、親友として助けるためにした結婚だった。この時代と全く同じ調子で名前で呼び合い、仲の良い兄妹のような関係だった。

 ベッドだけダブルベッドにしたのは、それくらいはしないと夫婦だと忘れてしまうからだろう。

 父は母にベタ惚れだったが、母の最優先は常に兄と美雨と弟だったように思う。

 一護が戻り、父の健康が回復すれば、母は父と別れて一護とヨリを戻す可能性を美雨は否定できなかった。娘として母には幸せで居てほしいが複雑だ。

 

 

 

***

 

 

 

「ただいま……」

「美雨ちゃん!!」

 織姫が玄関まで出迎えてくれた。

 手を洗って居間に戻ると、どっと疲れが襲った。

 織姫は熱いお茶を入れてくれた。

 織姫が美雨のために用意してくれた、白地に水色の小花とレース柄のマグカップ。

 カップから上がる湯気とお茶の香りに美雨の心臓がきゅっと締められた。

 浦原商店では、口を付けたお茶から正体がバレてしまった。

 浦原たちに正体を隠すのははじめから不可能だったかもしれないが。

 

「いただきます」

 

 お茶には砂糖が入れられていた。懐かしい味だ。甘味が疲労に沁みる。

 父は美雨たち兄妹に様々な料理を食べさせて味覚教育をしてくれたが、美雨は疲れると母の作るあんことカレー風味の創作料理が無性に恋しくなった。母の味音痴は天涯孤独で幼少期にきちんとした味覚を育む訓練が出来なかったからだと父は考えたが、完全に血だ。兄と弟に受け継がれなかった母の二つ目のX染色体に、あんことカレー風味を好む因子が含まれているようだ。

 

「美雨ちゃん、大丈夫?」

 織姫は心配そうな顔をしていた。

 大きな丸い瞳。

 整った顔立ち。

 柔らかい身体。

 大きな胸。

 サラサラの長い栗色の髪。

 

 美雨が小学生の頃、授業参観や保護者会で皆が美雨の母に振り返って褒め称えた。自慢の母だった。

 

 若い頃の母は、瑞々しい美しさに溢れ、すれ違う男が皆振り返った。町のアイドル的存在だった。

 

 父に似た面立ちの自分が未来の娘だと知ったらどんな顔をするだろう。

 一護への想いが叶わなかったと悲しむだろうか。

 

 母と黒崎一護は、所謂『できちゃった婚』だった。しかし兄が生まれてから次の子供に恵まれなかった。黒崎一護の霊圧があまりに強すぎて、宿った霊圧に胎児の肉体が『器』として耐えられなかったためだ。

 天涯孤独だった母は複数の子供を欲しがった。父と再婚してから、早く次の子供を授かるようにと、きわどい神社に祈願に行くこともあったという。

 やっと授かった美雨に母は過保護気味だった。

 何度も生まれた日の話と名前の由来を話し、滅却師が死神と協力して世界を守る大切さを語った。

 美雨の隣には常に兄が居た。

 人間の身体で黒崎一護の血と霊圧を受け継いだ唯一で奇跡の存在。

 兄は高校生になるまで霊的能力がなかったが、朗らかな笑顔を常に浮かべて、美雨と弟を虚の脅威から遠ざけ守ってくれた。

 美雨と弟、兄には半分同じ血が流れている。

 母は、雨が天と地を繋ぐように、滅却師と死神を繋いだ。

 

 

「美雨ちゃん、一緒におフロ入ろうか?」

 織姫は美雨の背中から腕を回して提案した。

「いいけど、狭くない?」

「ウチじゃなくて、おフロ屋さん!」

 

 

 

***

 

 

 

 織姫は美雨を近所の銭湯に連れて行った。

 美雨の世界では銭湯は文化財のような存在だった。

 子供の頃、家族で行った温泉旅館と比べると、趣のある建物や可愛い洗面器、広い浴槽の背後に描かれたモザイクは古い映画セットのようだ。運よく人が居ない時間帯で、貸し切り状態だった。美雨は織姫と比べると圧倒的に貧相な身体を見比べられないことに少しほっとした。幼い頃は『いつか母親似の美人になる』と言われて育ったが、成長すると石田家の血が更に強くなり、肉が付きにくく少女らしい柔らかさに欠けた身体になってしまった。

 

 織姫はまだ美雨の母ではないのに、母と同じように背中を流し、髪を洗ってくれた。

 美雨も織姫の背中を流した。

 織姫が実は肩が凝っていることも、どこの部位が固まっているかも知っている。織姫は気持ちよさそうに目を細めた。

 広い湯船は疲労に効いた。

 

 ファミリーレストランで夕食を取って帰宅した。織姫は「たまにはいいよね」と、早くに美雨の布団を敷いた。美雨はすぐに眠りに落ちた。織姫は美雨の布団にするりと潜り込んだ。狭くなった布団に美雨はうっすら目を開けた。

 

「……織姫ちゃん?」

「美雨ちゃん、美雨ちゃんの世界に石田くん生きてるって言ったよね、美雨ちゃんの世界にあたしもいるのかな」

「いるよ~。雨竜も織姫ちゃんも茶渡くんもたつきちゃんもケイゴくんも……」

「石田くんのこと、なんで雨竜なの?」

「ん~~うりゅうは…うりゅーだから……」

 織姫はほくそ笑んだ。

 石田と同じだ。

 石田は血圧が低いためか、寝起きが異常に悪い。一度寝入ってしまうとなかなか起きない悪癖があった。

 尸魂界に潜伏した時はそのせいで危ない目にも遭った。

 半分起きて半分寝ている時間に話しかけると、普段聞けない話を聞くことができた。

「美雨ちゃんのお父さんてどんな人?」

「ん~…うりゅーはバカ。うりゅーがビョーイン継いだらビヨーゲカになっちゃう……だから…あたしがしっかりしないとダメなの」

 やっぱり……。織姫の中で美雨と石田が似すぎている謎が繋がった。美雨は石田の兄にしか見えない若い父親について、縁者だが父ではないと、娘説を頑なに否定し続けていた。しかし、この顔で近親者ではない方が不自然だ。石田の父の娘でないのなら、石田の娘と考えるのが筋だろう。

 石田の娘ならば、織姫にとって親しい仲である。美雨の世界で実の娘のように可愛がっているのかもしれない。美雨に椿鬼を貸し与えた理由が成り立つ。

 だが世界が違うだけで、17歳の石田と15歳の美雨の親子関係は無理がある。美雨の世界は織姫たちが暮らすこの世界より少し未来ということだ。

「良かった……」

 織姫は胸元で手を握った。

 ――助けられる。

 

 美雨の世界で一護は『居ない』。美雨が次元を越えて一護に救援を求め、敵に敗北した石田が辛うじて生きる状態に陥るほどの窮状だ。

 未来で一護は命を落としたということだ。未来の織姫は一護の命を『護れなかった』。

 しかし、美雨の世界が未来なら、織姫たちのこれからの行動次第で、この世界の一護は、救える可能性がある。

 一護の命を護れなかった未来の自分の絶望と悲しみは察するに余りあるが、この世界の一護は何があっても『護ってみせる』。一護に貰った盾舜六花のチカラを使って。

 織姫は誓いを新たにした。

 

「ごめん…みーホントねむいの……今日はおしまい…またあしたね……」

 美雨は油断しきった顔で織姫の大きな胸元に頬を寄せた。

「……おかーさん……」

 

 織姫は丸い目をさらに大きく丸く見開いた。

 聞き違いだろうか。

 

「美雨ちゃん、美雨ちゃんのお母さんはどんなヒトかなぁ~教えて欲しいなぁ~」

 織姫は美雨の肩を緩く揺すった。美雨は本格的に寝入ってしまったようで、静かな寝息が規則的に聞こえるだけだ。

 

 織姫は惜しいことをしたと心の中で頭を抱えた。

 石田の未来の妻という、一番面白い話を聞き出しそびれた。

 

 『死神』という滅却師の石田にとって最高に禁断の朽木ルキアへの片思いは実ったのだろうか。

 優しい石田は死神の女性に印象がいい。滅却師の石田が死神の女性と結ばれたのなら、分断された二者を繋ぐ意味でも素晴らしいと感じた。

 勿論、大病院の息子の石田だ。良家のお嬢様の可能性だってある。

 美雨は立つだけでお嬢様らしい品位がある。お嬢様なのにアルバイトに励む働き者で、家事と勉強が得意だ。滅却師として現世を守る使命感もあり、織姫より年下なのに、石田と同じくらい滅却師のチカラを使いこなす。才能があるのだろうし、努力の賜物だろう。

 なにより魅力的なのは笑顔だ。

 美雨は石田とそっくりの顔で、目尻と眉尻をぐっと下げて、とても可愛く笑う。申し訳ないが、石田にあの顔は出来ない。母親の方だろう。

 お嬢様で努力家で賢く家事が得意で笑顔が可愛い……美雨の母親は、非の打ち所がない素晴らしい女性に違いない。

 織姫の思いつく女性に、該当するのは、やはりルキアだ。

 だが、ルキアは美雨のような笑い方はしない。どちらかというと、石田のように、静かに口角を持ち上げて微笑むタイプだ。

 貴族の姫ゆえ家事能力は分からない。

 勉強は苦手そうだが、石田の頭脳を貰えば苦労しないだろう。

 

 織姫は脳内で、石田とルキアの間に美雨を並べてみた。

 しっくり来ない。

「おっかしいなぁ~」

 織姫は寝落ちするまでウンウン唸り続けた。

 

 

 

***

 

 

 

 夢の中で、大きな紫の目をした小柄で眼鏡の女の子が現れた。

「これだよ!」

 織姫は叫んだ。

「そうそう、石田くんと朽木さんの子はこーゆーカンジ」

 織姫は少女の手を取りぶんぶん振った。少女は怪訝な顔をしている。

「織姫ちゃん、なにしてるの?」

 背後から呼び止められて振り返ると、美雨が右手を腰に当てた姿勢で不思議そうに立っていた。

「いやね、あたしのオンナの勘が、美雨ちゃんは石田くんと朽木さんの子供だって囁くから、シュミレーションしてたの。やっとちょうどいい子が出来て……」

「……でも、その子私じゃないよね?」

「んっ? あれ……そういえばそうかも! あは~」

「も~織姫ちゃん意味わかんないよ!」

 美雨はふにゃふにゃと笑った。「ハッハッハ~面目ない~」

 

 

 

 背中の硬さに目が覚めた。窓の外が暗い。織姫は布団からはみ出して床で寝ていた。

「~~ったぁ~」

 隣のソファーベットに上がって布団をかぶり直した。

 下の美雨はあまり動かずすやすや眠っている。

 

 美雨との共同生活は、乱菊と冬獅郎を滞在させた時とは違う安心感があった。

 美雨の温かい身体に触れると、兄と暮らしていた頃の温もりと、兄を失ってから二度と埋まらない欠落が埋められるような気持ちになった。

 一護でしか埋められない、見えない心の穴だ。

 

 美雨とは黒崎家で本当に初めて会ったのに、古い親友と再会したような、気持ちを分かりあえるような不思議な喜びが身体の底から溢れる感覚になった。

 早く二人きりで話したいと思ったが、美雨はいきなり一護たちを拘束して織姫に弓を向けた。

 尸魂界で死闘に参加し、虚圏では敵に捕らわれて捕虜になった経験がある織姫だ。

 弓を向ける美雨の目に、本気の殺意がないのはすぐにわかった。美雨は迷って困っていた。

 元々困っている人がほっとけない性分ではあるが、助けになりたいと心から思った。

 

 

 

To be Continued



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戦いの序曲

「破道の三十三・蒼火墜!」

 ルキアの手のひらから青い炎が発射される。一護の斬魄刀が弾き返した。

「まだまだぁ!!」

 

 一護とルキアは、深夜、浦原商店の地下練習場で特訓をしていた。

 

 いつか再来するかもしれないグランドフィッシャー、ウルキオラとの戦いに備えて。

 

 

「黒崎サーン、朽木サーン、休憩しませんか?」

 

 浦原が自らお茶を持ってきた。

 一護はまだ体力に余裕があったが、ルキアのこめかみに汗が光るのを見て、霊子の足場から地に降りたった。

 

 ルキアは斬魄刀を鞘に収め、ふぅと息を吐いた。

 

 一護とルキアは近くの岩を椅子代わりにして腰掛けた。

 一護は浦原のお茶を喉に流した。

 

 

 

***

 

 

 

「なぁルキア」

「なんだ?」

「美雨の正体なんだけど」

「別の世界の石田の親戚だろう? あそこまで似ているのは驚きだが」

「娘なんだ」

 ルキアがぶはっとお茶を吹いた。

「きたねぇな! 養子でも朽木家の令嬢だろ!!」

「たわけ! 貴様が変なことを言うからだ!!」

「お茶の代わりは有りますヨン」

 浦原が急須を持ち上げる。

 ルキアは頬を染めて、死霸装の懐から懐紙を出して口元を拭った。

 

「……どういうことだ」

「美雨は30年後から来たんだと」

「30年……」

 ルキアは絶句した。

「……母親は?」

「世界の『修正』にかかるって、教えてもらえなかった」

「……そうか」

 浦原は答えなかった。

 

「48かぁ」

 一護は空を見上げた。

「美雨の世界で俺、生きてないんだってよ」

 ルキアは一護を見上げた。

「未来は現在の結果だ。今から気をつければ、死の未来など、いくらでも変えられよう」

 ルキアは胸を叩いた。

 

「死んでも『代行』から正規の死神になるだけだ。これまで死神の身体で3度ほどマジで死んだ。今更死ぬこと自体はそれ程恐怖じゃねぇんだ。めちゃくちゃ痛ぇけどな。ただ、ヒトとして一度きりの死ぬ時は、目の前で助けを求める誰かのために命を使いたいと思っただけだ」

 一護の脳裏に在りし日の母が笑っていた。

 幼い一護をグランドフィッシャーから守るために、身代わりに散った美しい人。

 

 浦原は、鎧の虚について調べものを続けると席を立った。

 

 盆に乗った急須が残された。

 

 

 グランドフィッシャーは討伐された。一護以外の死神によって。

 だが、一護は自分の手でグランドフィッシャーを討ちたいと願った。母の仇を自分の手で伐たなければ、一護の中で、永遠に雨は止まない気がした。

 

 これは天が与えたチャンスかもしれない。

 一護が知らない間に討伐されたグランドフィッシャーとケリを付けろ。戦って、勝って、雨を止ませろと。

 長年鎧の虚と苦しい戦いを続けている美雨には悪いが『護る』ために力を奮い、戦うことを信条にしながら、一護には、ただ強敵と『戦いたい』ために戦いを求める、戦闘狂の一面がある。これまで卍解習得や虚化、完現術を習得する修行の中で、イヤと言うほど思い知らされ続けた。

 

 グランドフィッシャーは、記憶に干渉する虚だ。敵にとって最も攻撃できない対象の姿に擬態する。

 

 3年前の一護は一人だった。

 死神としてチカラも経験も未熟だった。

 ルキアは戦える状態ではなかった。

 

「ルキア、昔話を聞いてくれるか?」

 

 一護はルキアを見つめた。

 ルキアの紫の大きな瞳に一護が写っていた。

 ルキアは頷いた。

 

 ルキアも静かに決心した。

 一護に似た面立ちの、尊敬していたあの人の、かつて左腕の副官章の持ち主だった男の話をしよう。

 

 

 

To be Continued



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ソウルメイト

「はぁ~つまんないなぁ」

 教室の窓で頬杖をついて、織姫はため息をついた。

「朽木さん、せっかく現世に来たのに、ちっとも学校来ないし、黒崎くんもまた学校休んでるしぃ~」

 織姫は瞼を伏せた。

「美雨ちゃんもうすぐ帰っちゃうんだよね……」

 キュウ~…お腹から音がした。

「あれ!? 今の音ナニ!? これがストレス!? すごーい!!」

 1人で浮かれる織姫に、周囲は全員心の中で、それは昼休み前だからだとツッコミを入れた。

 

 

 放課後、美雨はABCokiesへアルバイトに行く。

 織姫は手芸部の部室に。

 織姫が入部した頃は手芸好きな女子と、スポーツや音楽で活躍出来ない男子が、女子の注目を集めようと最後の可能性に賭けて集う部だった。石田が1年生で生徒会長になった翌年から、石田目当ての女子生徒の入部が相次いだ。石田が部活に参加する日はぬいぐるみの修繕や人形の服作りを頼む人だかりが出来ていた。石田は正確無比の手捌きで、機械ミシンより素早く大量の依頼をこなしていた。

 

 全ての依頼が終わり、一息吐いた時は、空がオレンジ色に染まっていた。

 

「お疲れ様」

 人が捌けて、織姫は石田の前の席に腰掛けた。

 

「井上さんも何か修理?」

 石田が顔を上げた。

 眉間にしわがない。どこにでも居そうな物静かな高校生の顔。眼鏡の奥の理知的な瞳は優しい光を宿していた。

 本当に美雨に似ている。

 

 織姫は首を振った。

「ん~ん、ちょっと相談」

「……石井さんの事?」

 美雨が別の世界、別の時間から来た石田の娘だと、石田は全く気付かない。気付いてはいけない気がする。

 

「美雨ちゃん、もうすぐ帰っちゃうでしょう」

 織姫は瞼を伏せた。

「お土産……持たせてあげたいなぁって」

「お土産?」

「そう、お友達になった記念に」

「石井さんが帰ったら、僕たちから彼女の記憶は消えるんだよ。まして君は最初の日に彼女から命を狙われたじゃないか」

 石田は眼鏡のブリッジを抑え、空いた腕を組んだ。

「事情があったんだよ! 石田くんは美雨ちゃんに何か感じない!?」

「……なにを?」

 石田は本当にわからないようだった。

 織姫は胸の中でモヤモヤした熱がコポリと沸くのを感じた。何だろう、この気持ち。織姫は胸元に手を置いた。

 

「井上さん?」

「あ、うんん、なんでもない」

 織姫は石田の前に両手を振った。モヤモヤを、ぎゅっと心の奥底に押し込んだ。

 

「井上さん、石井さんに入れ込みすぎてない?」

「はて?」

「親戚の僕が言うのも変だけど、世界は違っても血縁者の僕より、井上さんの方がよほど彼女に近いみたいだ」

 石田はため息を吐いた。

「ヘンかな?」

「変……というか……なんだろう。井上さんが傷付く結果にならないか心配なんだよ。彼女が椿鬼を使役出来る理由、君に矢を向けた理由について明かしたかい?」

 織姫は首を横に振った。

「事情があるにしろ、殺すための矢を向けた相手と、殺そうとした理由も分からず寝食を共にするなんて、なかなか出来ないと思うよ」

 正論だった。

 織姫は言い返せる言葉がなくて俯くしかない。

 ごめん、言い過ぎたね。石田は謝罪した。

「井上さんの博愛精神、僕は好きだよ」

 博愛精神?

「ちがうよ、美雨ちゃんは、そーゆーのじゃないの。自分でもわかんない、理由なんてないのかも。ただ、美雨ちゃんが好きなの。一緒にいると胸があったかくなって、安心するの」

 織姫は胸元に手を当てた。美雨は確かに初めて会った日、織姫を狙った。でも、織姫を傷付けなかった。織姫に家に帰ったら手洗いとうがいをする習慣を教えてくれた。七夕生まれではない織姫に名前の由来を考えてくれた。織姫の味覚を尊重した上で、バランスのいい食事を用意してくれた。織姫より年下なのに、なんだか『お母さん』みたいだ。

 

「……ソウルメイト、ってやつなのかな」

 石田は眼鏡のブリッジを抑えた。

「転生するたびに繰り返し出会って助け合う、魂の腐れ縁みたいな存在のことだよ。生まれる前から信頼関係が完成しているから、初対面なのに古い知り合いみたいな気分になったり、すぐに意気投合して仲良くなる。家族や親友、未来の結婚相手なんかに多いらしいよ」

 初対面なのに意気投合……織姫は真っ先に目の前の少年が思い当たった。

 

 知り合ったばかりの頃の石田は、親元を離れ、一人で滅却師として虚と戦っていた。

 殆どの人間には知覚さえ出来ない虚と戦うためか、気配を常に薄くして、そうでない時間は、自分は1人だとアピールするように、人を寄せ付けない棘のある言動で振る舞っていた。

 石田の見込み通り、周囲は石田を遠巻きにした。

 だが、織姫は石田は周囲が感じるほど厳しい人間だと思えなかった。

 入学式で初めて出会った日、石田は真新しい制服の肩に桜の花びらを乗せたまま気付いていなかった。指摘しても自分で見つけられなかったので、織姫が取ってやった。

 目が合った石田のレンズの奥の瞳に光が差して淡い青色に輝いた。黒目黒髪と思い込んでいた織姫は、不思議な色合いに思わず見入ってしまった。

 

 石田はカバンに付けたぬいぐるみが破れたと泣いている女子がいると黙って修繕してやった。

 話が広まり、多くの女子生徒がぬいぐるみ修繕を頼むようになると、文句も嫌みも言わずに直した。

 

 織姫はクラス内で回すプリントや連絡を石田に回すのを恐れる級友が居れば代わりに回しに行った。石田の棘のある態度はただのポーズ、本質ではない気がすると説明しても、周囲は理解しなかった。

 

 織姫が霊力を身につけ、石田と二人きりで行動を共にするようになると、石田は少し変わっているが優しい少年だと確信した。

 石田は尸魂界に行くまで、ただのクラスメート、クラブメートでしかなく、事務的な会話を交わしたのみだが、ずっと前から親しい女友達のような、親友のたつきと居るような不思議な感覚に陥った。

 

 生まれる前……尸魂界から縁があって、現世と尸魂界で何度も共に過ごしている仲ならば納得する。

 

 そして美雨は、石田より更に『近い』

 ずっと会う日を心待ちにして、やっと再会出来た大切な人のような感覚だった。

 未来で石田の娘になる少女だから当然か。

 

「カルトナージュはどうだろう」

 石田は立ち上がり、部室の本棚から手芸本を持ってきた。

 

「フランスの手工芸で、厚紙の箱を、包装紙や布で飾るんだ」

 織姫は眩しい笑みを浮かべた。

 

 

 

***

 

 

 

 織姫と石田はヒマワリソーイングに寄って材料を購入した。

 

 その足で商店街のABCookiesに行き、美雨と合流。帰宅しようとする石田を引き止めて、織姫のマンションで3人で夕食を作った。

 

 美雨はチーズ肉じゃがカレー風味を提案した。

 肉じゃがにカレー粉とピザチーズを入れる創作料理に石田は懸念を示したが、目を輝かせる織姫に気付いて飲み込んだ。

 美雨は苦笑した。

「お父さんのレシピだから雨竜も大丈夫だよ」

 

 織姫と石田が野菜を剥き、美雨は慣れた手つきで調理していった。

「美雨ちゃん、ずっと思ってたんだけど、お嬢様なのに料理や家事どこで覚えたの?」

「ウチ昔はオヤが共働きで、家事は当番制だったの。お母さんは料理得意じゃなかったから、料理はお父さんかお兄ちゃんが担当で、作るとこずっと見てたんだ。今はお屋敷に移り住んで、家政婦さんが全部してくれるけどね」

「うわぁ~家政婦さんなんて本格的だなぁ! ていうか美雨ちゃん、お兄さんいたんだ!」

 織姫は目を丸くした。

「うん」

 美雨は幸せそうな笑みを浮かべた。

 織姫の脳内で、石田に瓜二つの顔立ちをした美雨の兄が浮かんだ。当然眼鏡だ。

 石田と石田に瓜二つの兄と美雨が並ぶと、同じ顔が3つ。面白すぎる。美雨の世界の織姫は、愉快過ぎる光景に耐えられるのだろうか。

 織姫の中で美雨の母親への興味が益々止まらなくなった。

 

 

 仕上がったチーズ肉じゃがカレー風味は、見た目も味も良かった。美雨の父は相当の料理上手だ。

 織姫は芋をリスのように大量に頬張って何度もお代わりし、石田も不思議に箸が進んで2杯も食べてしまった。

 デザートは布袋屋のぜんざいだった。

「お金に余裕出てきたら我慢できなくなっちゃった」

 美雨は幸せそうに笑った。

 没落お嬢様のように振る舞う美雨から、ようやくお嬢様らしい一面が見えて、織姫と石田は少しほっとした。

 

 

 

To be Continued



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続・戦いの序曲

 浦原商店、地下練習場。

 日が沈まない空間で鍛錬を続ける一護とルキアの間に青い光の矢が飛んだ。

 

「石田!」

「また学校休んでこんな所に居たとはね」

 制服姿の石田が弓を構えて立っていた。

 眼鏡のブリッジを押さえる。

「次の新月まで時間ねぇからな」

 一護は左腕で額の汗を拭った。

 どこかさっぱりした顔だった。

 

 一護はルキアと共に石田の前へ降り立った。

「オメェは、学校帰り?」

「とっくに夜だよ。井上さんの相談乗って、石井さんと一緒に食事した」

「……どうだった?」

「どう、て……普通だよ。石井さんにお兄さんが居るとか、父親が料理上手で母親は料理下手とか」

「お袋さんの話出たのか! どうだった?!」

「井上さんも、そこ食いついたけど、口を割らなかったね」

 一護は残念そうに肩を落とした。

「君も興味あるのか」

「おめーはないのかよ?」

「竜弦に双子の兄弟が居るくらい差違がある世界だぞ? 考えるだけ無駄だよ」

「オマエ……結構マトモなんだな」

「今更気付いたのか」

 石田はため息をついた。

「どうせ数日後には『世界の修正』とやらで消えてしまう存在と記憶だ。彼女の世界を救いに行く君以外、彼女に振り回されるのは無駄だよ。ただ井上さんは彼女にかなり入れ込んでるみたいで、そこだけ心配」

「井上は優しい子だ。困っている美雨を放っておけなかったのだろう」

「僕もそれだけだと思っていたんだ」

「違うのか?」

「あー…ルキアには言ってなかったな。美雨は初めて井上に会った日に、俺らを棺桶に閉じ込めて、椿鬼で井上を襲ったんだ」

「なに!?」

「石井さんが椿鬼を使役出来る理由と、井上さんを殺そうとした理由は未だに不明」

「死神一人に一振の斬魄刀さえ、日番谷隊長と氷輪丸のような例外があったのだ。井上の盾舜六花はモノに宿った魂を使役する完現術(フルブリング)。霊圧に適正があれば他人でも使役出来るのだろうか……」

 ルキアは黙り込んだ。

 

「似ていないか?」

「あん?」

「井上と美雨の霊圧だ」

「彼女は石田の血縁者だ。顔だけでなく霊圧の質も。それくらいは僕にもわかるよ。それに彼女の母親は『純血統滅却師(エピト・クインシー)』だ。僕は竜弦とお婆様以外に生きている純血統滅却師と一族を知らない。井上さんの親戚である筈がない」

「エピ……? ナンだそれ?」

「古の時代から滅却師のみの間に生まれた滅却師ってこと。滅却師の力は血に宿る部分が大きくて、血が濃いほど霊圧耐性が高く、一度に操れる霊子の量が大きいとされてるんだ。霊的資質がない人間との混血は『混血統滅却師(ゲシュミト・クインシー)』と言って、肉体の霊圧耐性、操作できる霊子量、双方で、純血統滅却師よりチカラが落ちるから、混血統滅却師は純血統滅却師の尖兵として仕える立場なんだよ」

「へぇ。時代錯誤なことしてたんだな。石田の親父さんと婆さんは純血統滅却師てことは、オメーも純血統滅却師てやつなの?」

「僕は混血統滅却師だよ」

 石田は薄く笑った。

「僕で石田家の純血統は終わったんだ」

「………そうか」

 一護は呟くように相槌した。

「石井さんは純血統滅却師だ。彼女は僕に使えない滅却師のチカラを使いこなしていた。この世界で石田家の純血統は失われたが、別の世界では繋がっていたんだな。少し安堵したよ」

「石田……」

「うむ~…。石田の話は理解するが、井上と美雨の霊圧は似ていると思うんだ。2人の霊圧を採取して尸魂界の機器に掛けなければ確証は取れないが」

 

「ハイハ~イ! 皆さん~お茶休憩の時間ですよ~」

 浦原が狙ったようなタイミングで割って入った。

 

 浦原が出すお茶は霊圧と疲労を回復させる作用があるようだった。

 一護は死神体となってから、お茶と傷を癒す風呂以外の休息を取らずに特訓していた。

 相手はルキア、夜一、雨とジン太が交代で行った。

 

 石田は岩の上に鞄を置いた。

「僕も相手してやる」

「手加減しねーからな」

「石井さんの世界では無様に負けたようだからね。今度は遅れを取らないようにしないと、」

 石田は右手に霊弓を現出させた。

「いくぜ」

 一護は斬月を構えた。

 

 

 

***

 

 

 

 織姫は放課後、手芸部の部室で石田に手伝ってもらいながらカルトナージュを完成させた。

 円柱形の箱に、白地に淡い水色の花柄の布を張り、縁を薄青の飾り紐と白いレースで飾った。

 雫型でカットが入った銀色と透明のビーズを縫い、虹色のオーガンジーリボンを結んだ。

 内側はピンク色の包装紙を貼った。

 

「可愛いね」

 石田は優しい笑みを浮かべた。

「空にかかる虹なんだ」

「リボンのこと?」

「美雨ちゃんの名前」

 織姫はビーズを揺らした。

「雨は交わらない天と地を繋いで、二つの世界を渡すキレイな虹をかかるの。死神と滅却師が力を合わせて現世を守れますように……美雨ちゃんのお母さんの祈りが込められた名前なんだって」

 幼い頃の幸せな思い出。師匠は天気がいい日に病院の屋上へ石田を連れ出し、一緒にホットケーキを食べた。

 師匠は穏やかな笑顔を浮かべながら、石田に滅却師と死神が協力して現世を守る未来を語った。

 交わらない天と地。滅却師と死神。名前に雨を授けられた石田は、両者を繋ぐ存在になれるのだろうか。

 美雨の母親は、誇り高い純血統滅却師でありながら、師匠と同じ考えを持ち、滅却師の未来を美雨に託したのか。料理は下手でも素晴らしい女性なのだろう。石田は美雨の母親に会えないのを初めて残念に思った。

 

 

 織姫は箱に手紙とたつきたちに一言づつ書いて貰ったメッセージカード、包装紙に包んだ小物を詰めた。

 石田もメッセージを求められた。小さなカードに「素敵な女性になりますように」と書いた。

 織姫は「おじさんみたい」とゲラゲラ笑った。

 

 

 

To be Continued



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再戦

 一護とルキアは黒崎家の墓がある墓地に居た。日は大分傾いている。

 木の上に腰掛けていたルキアは、ぴょんと降り立った。

 

「今日も現れないよ、一護。良かったではないか」

 一護の腕を取った。

 そのとき、空から押しつぶされるような黒い霊圧が2人を襲った。

「――ぐ!!」

 2人は斬魄刀を解放する。

 浦原によってルキアの霊圧制限は解除され、周囲はテッサイが結界を張っていた。

 

 天が二つに割れ、赤黒い霊圧が吹き出した。

「来るぞ――一護!!」

「おう!」

 

 茶色い獣の皮の下に黒い鎧が鈍く光った。

 

「会えて嬉しいぜ」

 一護は右腕の斬月を突き上げた。

 

「――グランドフィッシャー!!」

 

 

 ――卍ッ解ッッ!!

 

 

 一護の周囲に霊圧の竜巻が吹いた。

 

 風が晴れると死霸装が黒い細身のロングコートに変化していた。

 

『イタム…イタム……キズが……ウズク……死神の……餓鬼……オノレ……』

 

「その死神の餓鬼が目の前にいるっつーの。このアタマの色も忘れたか」

 

 一護は眩しいオレンジ色の頭を掻いた

 

 グランドフィッシャーは獣のような雄叫びを上げた。

 空気がミシミシと軋み、一護たちの頬をビリリと震わせる。

 

「年寄りでも労れねぇぜ」

 

 一護は霊子の足場を蹴った。

 スピードに乗って、グランドフィッシャーに斬りかかった。

 

 ガンッッ!

 

 分厚い鉄板を叩いたような感覚が骨に響く。

 

「――ッ! やっぱ頑丈だな」

 一護は素早く下がり、間合いを取った。

 

『初めの舞――月白』

 

 グランドフィッシャーの足元が白く光り、一瞬で氷柱に捕らわれる。

 

 地上で待機したルキアが隙を窺いながら新たな草むらに隠れた。

 

 氷柱の中心に黒い亀裂が走った。グランドフィッシャーは唸りながら脱出した。

 

 グランドフィッシャーの背がむくむくと膨れ、茶色い体毛が針と化して一護に襲いかかる。一護は斬月を振るい、剣圧で打ち落とすも、幾つか肩と脚に突き刺さった。

「ぐぅ……!」

 一護は痛みに耐えて針を抜いた。

 針は細かい返しが付いていて、引き抜くたびに一護の身体をえぐり傷付けた。

 

 地表に赤い血が落ちていく。

 一護は呼吸を整えた。

 

 今まで鎧の虚と戦って学んだ攻略法はひとつ。

 虚の懐に潜り込み、一護の霊圧で鎧を覆う霊圧を中和しながらゼロ距離で月牙を二回当てること。

 一度目で鎧を破壊。

 二度目で本体を倒す。

 

 鎧に一度傷を入れなければ始まらない。

 

 だがグランドフィッシャーは接近すると、敵にとって最も攻撃出来ない対象の形を取る。

 

 一護はルキアに協力を頼むことを選んだ。

 

 二度の敗北は許されない母の仇。

 一護にとって最大のトラウマ。

 一人で倒したかった。

 だが、一人では倒せない。

 

 どうしても、他人の助力が必要な時、誰に声を掛けるか。

 

 仇を共有する父親。

 中学から背中を預け戦ってくれたチャド。

 死神と対立する滅却師でありながら、一護の危機には必ず駆けつけ、支えてくれる石田。

 拒絶の盾を張る織姫。

 

 候補は何人もいた。

 皆、一護が頼めば喜んで命を預けてくれるだろう。

 だが一護には、一人の死神以外有り得なかった。

 

 ルキア。

 

 己の無力という闇に囚われた一護を導く白い光。

 

 共に過ごした時間は、皆の中で一番少ないのに、初めて会った時から命を預けられると信頼出来た。

 現世・尸魂界。人間・死神。男・女。

 何もかも正反対なのに、心が、魂が繋がっていた。

 

 

 

To be Continued



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『ソウルメイト?』

 

 一護は地下練習場で石田の矢をかわしながら大声で聞き返した。

「――そう。井上さんが、あんな目に遭ったのに石井さんを信じるって言うから」

 石田は弓を引いた。

「オマエ、根に持ってるなぁ」

 一護は矢をなぎ払う。

「だって井上さんを殺そうとしたんだよ!? 僕が五架縛を破るのがもう少し遅かったら、本当に危なかったんだ」

「案外当たっても大したことなかったんじゃね?」

「なに……!」

 一護は迫り来る矢を避けなかった。

 ドドドッ!

 一護の肩に幾本の霊矢が刺さった。

 

「黒崎!!」

 一護は矢を纏めて掴み、引き抜いた。ビッと赤い雫が散った。

「何ともねぇ。オマエに手加減すんなって言っても出来ねぇだろ? 美雨もたぶん同じなんだ。井上が美雨を理由なく信じられるように、美雨も井上が大事なんだ」

 一護は霊矢を放り投げて肩を回した。

「いいんじゃね? ソウルメイト」

 一護は石田を見据えた。

「俺ら全員ソウルメイトみたいなモンだろう」

 一護に矢が当たり、動揺を見せる石田の目から震えが止まった。

「……でも! 石井さんはもうすぐこの世界から消える。僕たちの記憶からも。二度と会えなくなるし、会った記憶ごと無くなるんだ。井上さんはきっと悲しむ。彼女の心に認識出来ない感情の空洞が生まれるかもしれない。それが嫌なんだ」

 石田は美雨が30年後に必ず誕生する自分の娘だと知らない。気付いてもいけない。

 一護は頭を掻いた。

「案外……また会えるかもしれないぜ」

「どうやって?」

「俺とルキアを見ろよ。世界や理規模で分断されても、この腐れ縁だ。井上と美雨も縁が深ければ、記憶がなくなっても、どこかで再会して、また友達になるんじゃないかな」

 石田は眉を潜めた。

「美雨は向こうの井上から椿鬼を貸し与えられる程縁が深い。井上にとって、椿鬼は唯一の攻撃手段だ。単独で動けるから、井上のもう一つの身体として具象化させて側にいる時間が一番長い。向こうの井上にとって、美雨はそれほど大事な存在ってことだよ」

 二人の関係を言葉にする一護の脳裏に、ルキアの一言が蘇った。

 『井上と美雨の霊圧は似ている』

 美雨の少し目尻が下がった優しい形の大きな目。

 暖かく可愛い笑顔。

 同じ背丈。指の特徴。

 織姫の味覚を熟知した振る舞いの数々。

 

「……あ…!!」

 一護は思わず口元を手で覆った。

 石田は急に黙り込んだ一護に怪訝な顔をしている。

 

 石田とそっくりな美雨。

 だが男女の性差だけでなく、全てが完璧に重なり合う訳ではなかった。

 美雨の石田と重なりきらない部分に、織姫の特徴がパチパチとパズルが埋まるように重なっていった。

 

 織姫は鼻がいい。美雨から本能的に自分のにおいを感じて、親しみを感じたのだとしたら――。

 

 一護の頭の中で霧が晴れていくようだった。

 

「黒崎……」

「あん?」

「斬月の色が……」

 石田の指摘で斬月を見ると、切っ先が白く変わっていた。

「ナンダコレ? カビ?」

「馬鹿か! あるのか、そんなこと」

「しらねぇよ!! あとで浦原さんに聞いとくさ」

 

「それと、君と朽木さんはたぶんソウルメイトじゃないよ」

「ああ?」

「ツインソウルだ」

 

 

 

***

 

 

 

『月牙……ぁ…』

 

『天ッ衝――!!!』

 

 一護の斬月から赤黒い霊圧の衝撃刃が次々とグランドフィッシャーを襲った。

 

 ドッドッドッド!!!

 

 斬撃は鈍い音を立てて全て命中し、地面から砂埃を巻き上げた。

 

 一護は目を凝らす。

 

 砂煙から針千本が放たれ、一護は片腕で素早く撃ち落としていった。

「石田の矢に比べたら鈍いモンだぜ」

 

 煙の隙間から傷ひとつない鎧が覗いた。

 鎧に守られない身体のあちこちの皮が裂けているが、超速再生で瞬く間に塞がっていった。

 

「やっぱ懐に飛び込むしかねぇか……」

 一護は奥歯を噛んだ。

 足元には黒崎家の墓がある。

 真咲の遺骨が納められた墓石。

 魂は喰われて、虚の血肉にされた。

 

――母ちゃん、俺、頑張るから……母ちゃんをアイツから解放するから。見守っていてくれよ。

 

「ルキア!」

 

 一護は叫んだ。

 

「やるぞ」

 

 林の陰で白い刃が光った。

 一護は頷く。

 

「うおおおおおお!!!!!」

 

 一護は全速力でグランドフィッシャーに飛びかかった。

 

 グランドフィッシャーの針を超高速でかわし、怯まなかった。

 針の一本が一護の頬を切り裂く。

 グランドフィッシャーが右手を構えた。

 

「月牙――…

 

 斬月の刀身に赤黒い霊圧を込めていく。

 

「てんッ――!!!!

 

 

『一護!!』

 

 忘れられない声が耳元で囁いた。

 

 一護は反射的に振り向いた。

 

 二度と会えない、一護が世界から永遠に奪ってしまった太陽が、一番欲しい笑顔で微笑んでいた。

 

 緩く波打つ明るい色の長い髪をシュシュで結い、薄暗い雨空に映える淡い色のカーディガンを羽織り、ふわふわしたスカートを履いた、あの日のままの姿をしていた。

 傾いた太陽が一護の目を眩ませた。

 

 一護は息を飲む。

 

「一護!!!!」

 

『破道の三十三――蒼火墜!!』

 ルキアの援護射撃が間に合わない。

 

 スローモーションのように、グランドフィッシャーは一護の心臓めがけて爪の刃を突き立てた。

「があああっ!!」

 身体を捻り、ギリギリ心臓への直撃は避けた。だが肺を貫かれた。

 肉体ならひとたまりもないが、桁外れの霊圧を持つ死神体の一護には、重傷だが致命傷にはならない。

 ゴフッゴフッ。肺に溜まった血を吐きだして、鉄臭い口元を拭った。

 

 一護は地上へ降りた。

 ガクリと膝をつく。

 ルキアが駆け寄り、一護の前を守る。

 

「ルキア、打ち合わせ通りだ」

 ルキアは背中の一護を見た。

 薄茶色の瞳はギラギラと光り、強固な決心を物語る。

 二人の間に言葉は不要だった。

 ルキアは小さな顎をコクリと動かし、一護に向き合った。

 

 背後にグランドフィッシャーが迫っている。

 

 ルキアはひと思いに一護の目を斬った。

 

 一護は低く呻き、痛みに耐えた。

 傷口は即座に凍りつき、出血を留める。

 

「サンキュー、」

 一護は立ち上がった。

 

 たとえ疑似餌と理解しても、母の姿は一護の本能に働き、切っ先を鈍らせる。

 鎧を着たグランドフィッシャーは、霊圧、攻撃力、防御力だけでなく、疑似餌の再現率も上げていた。

 以前は繋がっていた本体と疑似餌を結ぶコードが見当たらない。

 本当に母本人が蘇ったようだった。

 

 視界を閉ざす。

 

 それが一護が考えたグランドフィッシャーの攻略法だった。

 

 暗闇の世界で白く輝くルキアの霊圧と、ルキアの霊圧に照らされた赤黒い糸で縛られたグチャグチャした霊圧の塊があった。

 

 赤黒い糸は紛れなく一護の霊圧だった。

 一護は奥歯を噛み締める。

 

 なぜこんなことになったんだろう。

 

 一護は糸の塊に向かった。

 

 絡まった糸を解くように、ピンと張られた糸の隙間に刃を入れた。

 

 糸は一護の残月と触れると、切れ味の悪いハサミで糸を切るようにじょりじょり細く解けていった。

 

 プツン。

 

 糸の一本が解ける。

 

 二本、三本……。

 

 無数の針が突き刺さるが、一護を止めることは出来ない。

 

 糸の要に辿り着き、一護は渾身の力を込めて切り裂いた。

 

 弾け飛んだ糸屑が一護の裂けた傷口に触れた。

 

 目の前に、昼なのに夜のように暗い雨の光景が広がった。

 

 ――な…?

 

 父が、遊子が、夏梨が、チャドが、たつきが、ケイゴが、水色が、石田が、恋次が、織姫が、幼い一護が、ルキアが……転がされていた。白い石畳に広がった血の海に浸されていた。処刑場だと分かった。

 大型虚と破面に囲まれて何度も刃を突き立てられていた。何度串刺しにされても彼らに意識を失うことは許されない。妹たちは貫かれる度にかすれた声で泣き叫び続けていた。

 一護は指一本動かせぬまま、その光景を見続けていた。

 

 なんだこれ?

 なんだこれ??

 なんなんだ???

 

 何が起こっている!?

 

 やめろ、やめてくれ、頼むから、俺の家族に、仲間たちに、愛する人に、ヒドいことしないでくれ。

 俺のチカラが欲しければくれてやる。

 俺の身体が欲しければくれてやる。

 だから許して――こんな景色これ以上見せないでくれ……!!!

 

 遊子が血塗れの顔を上げて虚ろな目で一護を見上げた。

 

「たすけ……て……おにぃ……――

 

 一護は絶叫した。

 

 

 霊圧が爆発し、グランドフィッシャーのコアを両断した。

 

 濁った霊圧は四散し、グランドフィッシャーは霊子のタイルになる間もなく黒い塵になった。

 

 だが、一護の霊圧の暴走は収まらない。

 一護の顔に白い仮面が現出し始めた。

 

「不味い!」

 

 結界の外で鎧の虚の霊圧を計測していた浦原は、場をテッサイに任せて結界内に入った。

 

 ルキアが一護の身体を抱き締めて霊圧を押さえていた。

 

 

「一護! グランドフィッシャーは倒された!! 母上殿の仇を取ったのだ、もういいんだ、一護! 一護――!!!」

 

 一護から溢れる赤黒い霊圧にルキアの死霸装が、白い肌が切り刻まれていく。

 だが、ルキアは一護をけして離さなかった。

 

「朽木サン!!」

 

 浦原が距離を取って呼び掛けた。

 ルキアが辛うじて顔を向ける。

 

「何が起きたんスか!?」

 

「わからぬ……グランドフィッシャーの鎧を砕いたら、突然この姿に」

 

「鎧に含まれる黒崎サンの霊圧が、黒崎サン自身に吸収……逆流したって所でしょうか……」

「私が力尽きれば結界で保つものではない。ここは黒崎家の人たちにとって大事な場所。どうすればいい!?」

 

 浦原は周囲を見渡した。

 

「そうっスねぇ……朽木サン、ちょっくら黒崎サンを連れ戻しに行ってあげてください」

「どうやって?」

「あるじゃないですか! 朽木サンと黒崎サンを繋ぐ――

 

 ――赤い糸が――

 

 

 ルキアは闇に引きずり込まれた。

 

 

 

To be Continued



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 ルキアは『海』を知らない。

 尸魂界に海が存在しないからだ。

 大地の合間を埋める、どこまでも塩水が続く巨大な湖。知識として知っているが、150年以上生きてきて、実物を見たことはなかった。

 

 一護の闇に引き込まれたルキアは果てなき青が支配する水の世界を落ちていた。

 これは海だと思った。

 

 水中にいると自覚した途端、息苦しくなって口を開いた。

 がぼっ! 銀色の柔らかい玉が無数に溢れ、水がルキアの口内に流れ込んだ。

 塩味はしなかった。

 ルキアは恐怖した。

 

 手足をばたつかせて暴れて、すぐに呼吸が出来ることに気が付いた。

 肺に満ちた水が酸素を取り込んでいる。不思議な感覚だ。

 

 見下ろすと、暗く青い水底に廃墟の街が広がっていた。

 

 屋根に見覚えがあった。空座町だ。

 

 霊子で足場を作っての移動を試みたが、霊子が集まらない。

 身体はふわふわと軽く、ルキアは宙を蹴った。霊子の足場程ではないが、僅かな移動力がある。

 腕で前を掻くと更に進む。

 ルキアは不慣れに水をかいて一護を探した。

 

 黒崎クリニック、いない。

 空座第一高校、いない。

 浦原商店……いない。

 

 ルキアの口からため息の代わりにごぽりと空気の泡が上がった。

 気を研ぎ澄ませても、一護の霊圧が感じられない。

 ルキアは頬をぺちぺちと叩く。

 弱音を吐いてる暇はない。一護を探さなければ。

 

 どうやって?

 

 ドォオン…!!

 

 遠くで地響きがした。

 『町』の端が崩落をはじめたようだ。時間は無限ではないらしい。

 

 ルキアは一護と過ごした時間、交わした会話、共に出向いた場所、思い出せる記憶を総動員して、水底の空座町をさ迷った。

「―――!!!」

 

 何度一護の名を叫んでも、水に浸かった声帯は、震わせど声を生み出さない。

 

 遠くで再び地面が落ちた。

 水全体がうねり、小さなルキアの身体は翻弄される。電柱に捕まって耐えた。

 

――一護……。

 

 ルキアは考え続ける。

 一護が居そうな場所。

 ルキアは探り続ける。

 一護の霊圧を。

 

 くんっ、何かに引っ張られた。

 死霸装の袖が壊れたコンクリート塀から剥き出しの金属の支柱に引っかかっていた。

 強く引くと、裾は僅かに裂けて塀から剥がれた。

 裂け目から死霸装を織る無数の糸が覗いた。

 

――あるじゃないですか!

――朽木サンと黒崎サンを繋ぐ……赤い――

 

 浦原の胡散臭い笑顔がパッと浮かんだ。ルキアは自らの霊圧を高め、赤い霊絡を視覚化する。

 馬鹿らしさに笑いが込み上げる。

 そんなことあるもんか。

 聞いたこともない。

 

 ルキアの霊絡はルキアの胸からすうっと上空に上がり、カクっと曲がった。

 ルキアは目を見開いた。

 

 霊絡の端を追って、地を蹴った。

 

 

 

***

 

 

 

 赤い霊絡が導いた場所は河原だった。

 

 左手に線路と踏み切りがある。

 黄色い雨合羽を着た幼い少年が座り込んでいた。

 明るいオレンジ色の髪をしている。間違いない。

 

「―――!!」

 

 ルキアは喉元を押さえた。やはり声は出ないままだった。

 

 だが、やるしかなかった。ルキアは一護の前に立った。

 

 幼い一護が顔を上げた。

 傷付いた、酷い表情をしていた。

 

 ルキアは一護にゆっくり歩み寄る。

 一護は逃げるそぶりを見せなかった。

 ルキアは一護に手を差し出した。

 一緒に帰ろう、ただそれだけを思って。

 

「お姉さん、死神?」

 ルキアは驚いた。

「なんでだろう。死神といったら黒いフードと鎌なのに。そんな気がしたんだ。オレを連れて行ってよ」

 

「―――――――!!」

 

 一護は小さな手を伸ばした。

 ルキアは咄嗟に手を背中に隠した。

 

「なぜ?」

 

 少年は困った顔をした。

 ルキアはぶんぶんと首を横に振り続けた。

 

 違うんだ、一護、違う。

 私は、貴様を死神として連れて行くために迎えに来たんじゃないんだ。

 

 ルキアの口が開く度に、声の代わりにゴポゴポと銀のあぶくが生まれて昇っていった。

 

 ――では、なんのために?

 

 背中から世界が壊れる音がした。

 

「本当は辛いんだ。もうイヤなんだ。母ちゃんが死んだのはオレのせいなのに、誰もオレを責めない。みんな辛いのにオレを心配している。オレがみんなをもっと辛い気持ちにさせてる。母ちゃんに護られた命で、母ちゃんの分も、生きて、ユズとカリンと父ちゃんを護らなきゃいけないんだ。でも……辛いんだ」

 一護は膝を抱えた。

 一護の苦悩は、海燕を手に掛けた後のルキアの苦悩と重なった。

 ルキアにとって、唯一の救いは、海燕の遺体を志波家に運んだ夜、志波家の家族から向けられた、ルキアへの憎しみの目だった。

 朽木家の養女という立場から、元々隊で孤立していたルキアは、海燕、都夫妻の殉職後、再び孤立するようになった。

 海燕の死について誰もルキアを責めなかった。全ての真相を知る浮竹からは、辛い仕事をさせたと詫びられ、労りの目で見られた。

 海燕は十三番隊にとって、大事な大事な存在だった。

 身体が弱い浮竹が夜の月なら、海燕は昼の太陽。

 十三番隊の隊員全員の心の中心だった。

 憧れた。眩しかった。温かかった。

 

 その太陽をルキアが奪ってしまった。

 到底償う方法が見つからない。

 罪の意識に苛まれるたびにルキアは、海燕が死んだ夜の志波家を思い出した。

 世界で自分の罪を責めてくれる者がいることに感謝した。確かに罪を犯したのに誰にも責められない世界は気が狂ってしまう。ルキアは海燕の家族によって、最期の最後まで救われた。

 

 一護は、他者から罪を責められる『救い』を許されなかった。誰も一護を責めないから、一護が一護自身を責めて責めて傷付けるしかなかった。気が狂いそうな世界で、家族の想いを裏切るまいと懸命に命を繋いだ。

 一護の『護る』ことへの異常な拘りと捨て身の姿勢は、母を失った癒えない心の傷と、狂気の世界を生き抜いた結果なのだろう。

 

 責められることが『救い』なんて、誰にも理解されない。誰も気付かない。

 同じ罪を共有する、一護とルキア、2人の間だけで成立し理解できる世界だった。

 初めて逢った日、不思議な縁を感じたのは、出会いは運命だと思ったのは、一護がルキアの、ルキアが一護の……違う世界で生きるもう1人の自分自身だったからなのだろうか。

 

 

『ツインソウル』

 

 一つの魂を二つに分かち、別に行動することで二倍の経験を積み、時が来て統合されることで高次元への到達を目標にする魂。

 

 

 ルキアは一護の隣に腰を下ろした。

 

 遠くで崩落音がドンと響いた。

 細かく砕けた瓦礫が煙のように上にあがっていく光景を眺めた。

 

「一緒に行くか、尸魂界へ」

 突然声が出た。口内から肺まで水に浸された状態で、どうやって声帯を震わせているのかルキアには理解できない。だが、どうでもいいことだ。ルキアは言葉を繋いだ。

 

「貴様は罪を犯した。だから、死神の私が罰として貴様を生きたまま死神にしよう。貴様は死ぬまで……死んでも、霊子の塵の粒になるまで、現世と尸魂界で暮らす、戦うチカラを持たない魂たちを護るために、戦い続ける」

 

 一護が顔を上げた。

 薄茶色の無垢な瞳がきらきらと光っていた。

 一護は水の中なのに涙を流していた。

 

「連れて行ってくれるの?」

 

 ルキアは胸が詰まった。

 己の罪深さに消え入りたかった。

 目頭が熱い。

 

 ルキアと一護の周りを赤い帯がプカプカ揺れながら、丸い弧を描いてたゆたっていた。

 

 帯は二本の端を固く結んで繋ぎ合わせたモノに見えた。

 くるくる回転を始め、つなぎ目が次第に解けていく――ルキアたちの目の前で、くつろがれた帯は、捻れて裏と表が織り合わされていた。

 裏が表で、表が裏。

 メビウスの輪だ。

 

 ルキアは決心した。

 

 一護の前に、白い斬魄刀を突きつけた。

 幼い一護が息を飲んだ。

「オレ、死ぬの?」

「……そうなるな」

 ルキアは薄く笑った。

「家族に別れを告げる暇はないぞ」

 幼い一護は、そっかぁ~お別れ言いたい人、沢山居るんだけどな、子供らしく指を折りながら顎を上げて大切な人たちを思い出していた。

 せっかく折った指をパッと開いて、両腕を上げた。

「や~めた! 仕方ないね」

 一護は呆気なく未練を捨てた。ルキアは間抜けな顔をしてしまった。

「い、いいのか!? 家族に二度と会えぬのだぞ?」

「いいんだ」

 一護は幼い面立ちのまま、ルキアにとって見覚えのある顔でルキアを見た。

「黒崎一護! よろしく、死神」

 一護の名乗りにルキアは笑った。

「死神ではない、朽木ルキアだ」

「るきあ?」

 

『ラテン語で【光】という意味だと――』

 

 馴染みのある一護の声がした。

 足下に地割れが入り、川が真っ二つに割れた。

 奈落の闇がすぐ側に迫っている。

 

 ルキアの尸魂界で最も美しい純白の刀身が、一護を貫いた。

 

 一護の胸元から強く輝く光が溢れ、ルキアは眩しさに目を瞑った。

 

 

 

***

 

 

 

 ルキアは空にいた。

 眼下で厚い雨雲が太陽を完全に隠している。

 ルキアは刀を構えた。

 

 ――舞え、袖の白雪

 

 斬魄刀は切っ先から白く染まり上がり、柄の頭から長い白いリボンが延びる。

 

『次の舞――白漣!!』

 

 白い刀影がルキアの周囲を囲み、ルキアの合図と共に氷雪が雪崩のように噴き出した。

 厚い雲を切り裂き、地上を明るい光で照らした。

 

 地上の景色にルキアは息を飲んだ。

 真っ赤な血の海が白い石作りの処刑場に広がっていた。血の海に横たわるのはルキアの知己たちと小さな一護だった。大型虚と破面に囲まれて、切り刻まれ続けていた。

 

 傍で四肢の自由を奪われ磔にされたもう1人の一護が、器具で瞼を見開かれされた状態で、その光景を見せられていた。

 

 

 ルキアは叫んだ。

 身体の内側から燃え上がる、渾身の白い霊圧を込めて、処刑場に一護ごと氷の刃を放った。

 処刑場の景色は突如平面化した。色を無くして無数にひび割れたかと思うと、濁った砂になってバラバラと崩れていった。

 

「──……?!」

 

 ルキアは真っ白な世界にいた。

 天と地も分からない。

 音もない。

 真っ白な空間だった。

 

 荒くなった呼吸を整え、刀を握りなおした。

「一護?」

 

 やっとの思いで連れ出したのに。

 少年の一護も青年の一護も、磔にされた一護も居なかった。

 

「一護!!」

 ルキアはもう一度名を呼んだ。

「ルキア、」

 突然背中から抱きすくめられた。

 ヒッ!

 ルキアは情けない声を上げてしまった。

 

 振り向こうとして顔を固定された。

 

「……一護?」

 背中の男からは霊圧を感じなかった。

 ただ、なんとなく、一護だと分かった。

 

「俺のせいで、みんなに迷惑かけてる。ゴメン」

「何を言っているんだ、迷惑なんて……。私たちは『仲間』だろう?」

 ルキアは男の腕に手を重ねた。

「お前は、俺をちゃんと尸魂界に『連れて行って』くれ、な」

「どういう意味だ?」

「お前は俺にヒトとして生きる人生をくれた。俺はどうしても家族に『母ちゃん』を戻してやりたかった。お前が俺にくれた7年、俺も、アイツも、ユズとカリン、オヤジも、皆……石田には悪かったけど、本当に幸せだったよ」

「何を言っている!?」

「俺たちの選択は、確かに世界の『災い』を作っちまったが、選択の結果として誕生したアイツらの存在だけは、どうか否定しないでやって欲しいんだ」

「分かるように話してくれよ!」

 

『じきに分かる』

 背中の男が笑うのが分かった。

 

 

 

***

 

 

 

「ぐああっ!?」

 身体全体に重力がのしかかり、ルキアは呻いた。

 背から倒れそうになるのを辛うじて耐えて、前のめりに膝を突いた。

 覆い被さったまま意識をなくした一護が仰向けに倒れた。

 

 はあ、はあ、はあ……。

 ルキアは呼吸を整えながら、ゆっくり腰を下ろした。

 

 墓地に帰っていた。

 夕陽が墓石を赤と黒に染めていた。

 

「お疲れさまース!」

 浦原が胡散臭い笑顔で近付いてきた。

 

「一護は?」

「暴走は収まりました」

 ルキアはふぅと息を吐いた。

「そうか……」

 ルキアは倒れた一護を見下ろした。

 ルキアが切り裂いた痛々しい目に胸が詰まった。

「井上に一護の目と傷を治してもらわないと」

 死霸装の袂を裂いて、一護の目元に巻いた。

 結界を回収したテッサイがやってきて、一護を軽々と抱え上げた。

「鎧の虚について何か分かったか?」

「霊圧の出元は掴めませんでした」

 帽子の下の表情は読めない。

「私は酷い夢を見たよ」

「黒崎サンの内在世界で?」

 ルキアは俯いた。

「井上や一護の家族、恋次、石田、チャド、一護の友人たちが、一護の目の前で処刑されていた」

「その世界を破壊したんスか?」

「滅多斬りにしてやったよ」

「黒崎サン、また朽木サンに借りが出来ちゃいましたねぇ」

「借り……か。全くだ」

 ルキアは疲れた顔で、笑みを浮かべた。

 

 黒崎家の墓に手を合わせて、ルキアはテッサイ、浦原に続いて墓地を後にした。

 

『ちゃんと尸魂界に連れてってくれ』

 白い世界で一護の声に頼まれた。

 

『ちゃんと』?

 ルキアは意味を理解できずにいた。

 

 一護はこのままでは30年後に命を落とす可能性がある。

 死の未来を回避するには、30年後の世界で選ばない選択をする必要があった。

 そもそも30年後の選択とは?

 ルキアは白い世界での記憶が急速に失われていくのを感じた。

 まずい――!!

 

「浦原!! 聞いてくれ、7ね……っ」

 前を歩く浦原が振り向いた。

「ナナネ? どういう意味ッス?」

「………!!!」

「『修正』ッス」

 ルキアは何か言おうとしたのに、突然言葉を奪われたように、頭が真っ白になって、がく然とした。

「なるようにしかなりませんよ、未来なんて。少なくとも、黒崎サンがこれから未来の理のチカラを回復させれば、美雨サンの世界よりはマシな世界になるでしょう」

「美雨の世界はそんなに悪いのか……?」

「向こうの石田サンは倒された日から8年時間凍結状態。目覚めても井上サンとの肉体年齢差は8年。若いままの夫と老いた妻。行方不明のお兄さんの消息も気になりますねぇ。井上サン──あっちでは石田サンですか。彼女にとっては充分『悪い』かと」

 ルキアは黙った。

「……美雨の母親は、井上なのだな」

「父親の見た目が濃すぎて母親は誰でも通用しそうですが、霊圧は誤魔化せません。彼女はどう見ても井上サンの娘ッス。気付かない方がどうかしてる」

「しかし、井上は滅却師ではあるまい。石田は美雨の母親は純血統の滅却師だと言っていたぞ」

「井上サンは藍染にも目を付けられた、概念に干渉する結界を張る完現術者(フルブリンガー)です。滅却師並の霊子操作能力を持っている。石田サンは混血統滅却師(ゲシュミト・クインシー)スが、近親交配が進んだ滅却師同士より、外から井上サンの血が入ることで、従来の滅却師にはない強い子供が生まれたのでしょう」

 ルキアは再び俯いた。

「……どんな顔をして井上に会おう」

「はて?」

「美雨が30年後の石田と井上の娘なら、今の井上の想いは叶わないということだ。結果を知っていて、応援してやるような不誠実なことはできぬよ」

「青春ッスねぇ」

「茶化すな」

「30年後、石田サンと結ばれて、美雨サンのお母さんになった井上サンは『不幸』でしょうか? 鎧の虚の脅威に晒され、子供が1人行方不明で、石田サンが倒されて昏睡状態なのは、確かに『不幸』スが」

「石田は不安視していたが、美雨と一緒にいる井上はずっと楽しそうだった。未来でも仲がいい母娘なんだろうな」

 ルキアは微笑んだ。

「石田は言われずとも井上を大事にするだろう」

「……ね? 初恋は実らないことに意味があるんスよ」

 浦原は開いた手をひらひらと振った。

 

 ルキアは一護に似た面差しをしたかつての上司、海燕を思い出していた。

 海燕への憧れは恋に似ていた。

 

 海燕は妻帯者だった。

 従って、ルキアの想いは生まれる前に死んでいた。

 

 海燕の妻・都は、強く、美しく、周囲に悟られぬように自然な形で気遣いを巡らすことが出来る、素晴らしい女性だった。

 美しい長い黒髪、長い手足、柔らかい身体、大人の女性らしい調和が取れた面立ちをしていた。

 子供のように小柄で痩せた貧相な身体、目ばかり大きい顔で成長が止まったルキアがどう足掻いても得られないものを持っていた。

 ルキアの理想の女性像だった。

 

 尊敬する義兄が未だに想い続けている姉の緋真は、ルキアによく似た面立ちをしていた。義兄のために、長い間緋真に似せて髪を切っていた。

 緋真は、ルキアと同じ髪型、大きな瞳、背も小さくルキアに近かったが、遺影に手を合わせる度に、落差に打ちのめされた。

 限りなく似た容姿を与えられたはずなのに、ルキアは緋真のようにはなれない。緋真のように死しても白哉を慰める花のように儚い微笑みを浮かべて佇むことも、かつて白哉を魅了した舞を見せることもできない。

 木に登ってキュウリと白玉を好み、死神として虚と死闘を繰り広げる。昔の家族はルキアを『高貴さを持っている』と言ってくれたが、彼らと何も変わらない。流魂街最貧民地区出身の粗野な娘だった。

 

 

 

To be Continued



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ルキアと美雨

 夜、織姫と美雨、石田、チャドが浦原商店に集合した。

 アルバイト先からそのまま来た美雨は空座第一高校の制服姿だった。

 一護の状態に織姫は青ざめ、ただちに双天帰盾で治療をはじめた。

 

 ルキアは密かに美雨を部屋の外に連れ出した。

 

 

 店の屋根に登ると、新月前日の空に月は無かった。現世の技術で作られた人工の光が昼のように明るく町を照らしていた。

「話ってなんですかぁ?」

 美雨は営業用の笑顔でルキアに声を掛けた。

 ルキアは隣に座るように促した。

 美雨は瓦屋根に慣れていないようで、スカートの裾を抓みながら、ルキアと少し間を空けて慎重に腰を下ろした。

 

「貴様の出自は気付いたよ。隠さなくて良い」

 美雨は目を見開いた。

「一護たちは霊力は強いが所詮20年も生きていないヒトの子供だからな。霊圧の性質までは分からなくて無理はない」

「……そうですかぁ~」

 美雨はため息をついた。

「未来について聞き出そうとしても無駄ですからね。どうせ『修正』対象です」

「ああ、体験したよ」

「マジですか……」

 美雨は眼鏡の奥の目をぱちぱちまばたきした。

 石田より少し丸みを帯びた優しい目元は井上似だな、ルキアは思った。

 

 美雨はまた少しルキアと距離を取った。

「私は死神だが、貴様を滅却師として捕らえたりはせぬよ」

 ルキアは孤立も遠巻きにされるのも慣れていたが、恐れられるのは初めてだった。

「……すいません。幼なじみのいじめっ子に似ていて、恐怖が根源に染み着いてるんですぅ」

 美雨は石田に似た面立ちでぷうと頬を膨らませた。ルキアは噴き出した。

「幼なじみ? 死神の?」

「『修正対象』デス」

 美雨は膝を抱えた。

「貴族のオヒメサマのくせに、市井の雇われ医師とパン屋の娘に嫉妬して意地悪したくなっちゃうんですって。小さい頃は貧乏人だと思って多目に見てやったのに、オヒメサマなんて詐欺じゃないですか」

「貴族は貴族で大変だからな。美雨の家族は暖かかったのだろう」

「そうだね。うちは両親と兄弟がいていつも賑やかでした。尸魂界から滅却師の生存を許してもらう代わりに虚と戦うお役目が課せられて命がけだったし、凄くお金持ちでもなかったけど、そこそこの家に住んで、そこそこの服を着て、そこそこの学校に通って……幸せだったなぁ」

「今は幸せではないのか?」

「……わかんない。黒崎くんが私の世界を直してくれた後、両親は元通り暮らせるのか、お兄ちゃんはどうなっちゃうのか……お兄ちゃんの同級生は大学出て社会人になっちゃった。8年は長すぎたかも。私のせいです」

「なぜ?」

「世界を渡るのが怖かったの。いつかお兄ちゃんが黒崎くんを連れて帰ってくるから私は行かなくていいって、信じ込もうとした」

「美雨はやっと高校生だろう。今より早く渡っても、身体が出来ていまい」

「だから今年まで待ってもらったんです」

 美雨は眉を八の字にして口角を上げた。

「私、ここに来る直前に16歳になりました。私の学校は金持ちが多くて、ウチみたいな中流じゃないホンモノには、生まれた時から結婚相手が決まってる子が本当にいるの。私も、結婚相手と職業を選ぶ自由はあるけど、運命が決まってるんです。滅却師の後継者として、重霊地・空座町を霊的に守護し続ける。だから一生空座町を離れられない。死ぬまで虚と戦わなきゃいけない。結婚は弟が居るから絶対じゃないけど、するならお婿さんになってくれるヒト。滅却師はこれからも続かなきゃいけないみたいで、私はどの世界でも、時期が来たら必ず……両親の幸せをぶち壊して人生をねじ曲げても誕生することになってるんです」

 美雨は世間話をするように話した。

 ルキアは、美雨の『両親の幸せを壊す』という表現が気になった。

「私と幼なじみは、滅却師と死神で住む世界と立場が全然違うし、年も離れていたけど、望む望まないに関わらず虚と戦う運命は一緒でした。お互いに面白くないなぁと思い合っているのに、根っこでは気持ちが分かっちゃうんです。尸魂界にもノブレス・オブリージュが存在して、貴族に生まれた幼なじみは2歳半……1人で歩いて言葉を話せるようになった途端に親元を離れて死神の養成校に入れられました。私が家族に甘やかされて、可愛い服を着て人形遊びや絵本を読んでもらっていた時期に、彼女は刀を握らされて虚と戦う訓練を受けていました。恨まれて当然ですね」

 美雨はルキアに視線を向けた。

「美雨は戦いたくないのか?」

「負けたら死ぬんですよ? 虚に魂を喰われる完全な消滅。現世を虚から守るために沢山の虚を滅却してるから、当然の末路だけど、父みたいに自発的に虚狩りする気にはなりません。」

「美雨は優しいのだな」

 井上と同じだ。

「……美雨の父上殿も優しい男だ。あれは誰より現世を守りたい気持ちが強いんだ。虚狩りなどと言ってやるな」

 美雨はため息を吐いた。

「知ってますよ~。あの人の本質こそ戦いに全然向いてないんです」

 ルキアはクスリとした。

 

「私、自分の運命を受け入れることにしたんです」

 美雨はルキアに顔を向けた。

 

「ここに来て、一度だけ運命を変えようと足掻こうとしました。でも、やっぱり出来ませんでした」

 昔からプレッシャーに弱いんです。美雨はケラケラと笑った。

 

 

 

To be Continued



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懐かしい未来(最終回)

 新月の日になった。

 

 一護は数日ぶりに登校した。

 3年間、担任として面倒をみることにした越智は、一護の進路を心から心配していた。

 

『家を出る』

 以外のことは、何も決められていなかった。

 霊力を失った17ヶ月、無力な自分を忘れたくて助っ人部員となり、何でも屋で働いて、ひたすら金を貯めた。

 

 国語が得意でシェイクスピアを好む一護に、越智は自分と同じ国語教師はどうかと提案していた。誤解されやすい外見で苦労している一護だからこそ、同じように迷っている子供に寄り添い助けてやれるのではないかと。

 教師になるためには、大学に進学しなければならない。

 

 霊力を失い、ただの人になったままの一護なら、そういう人生もあっただろう。

 だが、一護は死神のチカラを、護る刃を、誇りを取り戻した。

 

 ――護廷十三隊に就職しようと思います。

 

 頭の中でシュミレーションしてみた。

 頭の中の越智は、目を白黒させて口の端をピクピク震わせていた。

 

『復讐からは何も得られない』

 古今東西、映画やテレビの二時間ドラマでも嫌ほど描かれる結末だ。

 

 一護は遂に宿敵グランドフィッシャーを倒した。

 

 心は晴れたかというと、それほどでもなかった。

 

 死神として虚を倒した。

 それだけ。

 

 グランドフィッシャーを討伐しても、一護の身代わりに母が虚に喰われた歴史は変わらないし、母の魂は尸魂界に還らない。

 母は一護たち家族の記憶と思い出の世界だけで、永遠に若く美しい姿で生き続ける。

 

 かつてチャドとインコのシバタを襲った虚は、生前から快楽殺人犯で、一護に斬られて地獄に送られた。

 グランドフィッシャーの生前は知る由もない。

 討伐したグランドフィッシャーから放たれた霊子の光が、かつてグランドフィッシャーに喰われた母と数多の魂たちであればいいと思った。

 母の魂は大気を満たす霊子の一部となって、一護と家族たちを永遠に見守ってくれるだろう。

 

 教室の外に広がる梅雨入り前の空は明るく、窓から心地よい風が吹いて白いカーテンを揺らした。

 

 

 視界を閉ざした一護はグランドフィッシャーを構成する赤黒い霊圧の糸から、地獄を見た。

 糸は、一護の霊圧を、一護の『後悔』『護れなかった恐怖』『苦痛』『絶望』の感情で固めて依った繊維のように感じた。

 もう1人の一護は絶望を盾に取られて、自ら力を差し出した。

 

 闇の処刑場で光を見た。

 裂けた黒い雲間から刺した光がルキアだとわかった。

 

 黒づくめの死神のくせに、光の名を授けられた存在。

 魂の底に闇を抱える一護にとって、ルキアは紛れもなく光だった。

 

 

 美雨は、家庭の事情で転校する設定にされた。

 一護は美雨が別れを惜しむ男子生徒数人から花を贈られるのを目にした。

 白が多く、時々ピンクと、赤いバラが交ざっていた。

 花を抱えてはにかむ美雨は、いかにもお嬢様で、絵のように様になっていた。

 

 廊下で一護に気付き、軽く手を上げ駆け寄ってきた。

 

「この時代の男の子ってロマンチストなのね」

 美雨は笑った。

「美雨の世界は違うのか?」

「どうだろう? 雨竜はお母さんに、母の日と誕生日はいつも花を贈ってたかな」

「アイツらしいな」

 

 

 

***

 

 

 

 放課後、美雨と一護の旅立ちを前に、織姫のマンションで美雨のお別れ会と一護の壮行会が企画された。準備が整うまで一護と美雨は追い出された。

 美雨は来た時に着ていた聖桐学園のセーラー服に着替え、一護と商店街にやってきた。

 白く大きなセーラーカラーと、後ろ襟の赤いリボンは、美雨の黒髪によく似合っていた。

 

 美雨は一護に、ちょっと待って、とドーナッツの一坪店に駆けて行った。キルトで手作りしたウサギかイヌかわからないキャラクターの大きながま口財布から、この時代の小銭を出して、ドーナッツを購入してきた。半月前、未来の紙幣を出した美雨を追い返した店主は

「初めて買いに来た日は心配したが、ABCookieさんでよく働くし、安心したよ」と笑って、一個オマケしてくれた。

 休憩ベンチに座って2人でドーナッツを食べた。

 

「織姫ちゃんに、何かお礼をプレゼントしたいけど、私が帰ったら記憶が消えるでしょう。身に覚えがない品が残ってたら困らせちゃうよね」

 美雨は俯いた。

「少しだけど、残ったお金は織姫ちゃんの口座に入れてきたんだ」

「通帳で?」

「隠し場所なんてだいたい想像つくでしょう?」

 美雨は悪気なく答えた。

 

 美雨がこの世界での通貨を得るためにアルバイトをしたパン屋は、昨日が退職日だった。一護がグランドフィッシャーとの戦いで傷を負い、織姫が治療のために浦原商店に呼び出された時、織姫が美雨を浦原商店へ同行させたため、きちんと別れの挨拶が出来なかった。美雨は店長に改めて礼を伝えに行った。

 店長は涙を浮かべて別れを惜しんでくれた。

 

 次に美雨は布袋屋でぜんざいを3つ購入した。手土産を持って向かった先は空座総合病院だ。

 美雨は迷いなく奥へ進んだ。

 職員たちは、石田に似た面立ちから美雨を石田と見間違えたのか、誰も咎めなかった。

 美雨は院長室と書かれた部屋の黒っぽい重厚な扉をノックした。

 

「パパ、美雨だよ」

 気安さに一護は引いた。

 

 一護は院長室に初めて入った。

 石田は滅却師の誇りの色だと白を好む。石田の父はさらに重症で髪の色からスーツまで真っ白な姿をしていた。当然、白い内装を想像していた。だが部屋は、テレビドラマに登場する病院の院長室にありがちな、黒とダークブラウンを基調とした内装だった。

 

 一護は黒い革張りのソファーで視線を泳がせた。

 

 美雨は室内のエスプレッソマシーンで三人分のコーヒーと、ぜんざいを作った。

 

 一護の砂糖の量に、美雨と石田の父は目を丸くした。

 

「甘党なんだね」

「あん? フツーだろ」

「お兄ちゃんは1杯だったよ」

「なんでオメーのアニキと比較すんだよ」

 味覚は環境なのかぁ~、美雨はよくわからないことを呟いた。

 

 布袋屋のぜんざいは、石田の父の好物だった。

「私が生まれたら、沢山連れて行ってあげてね」

 美雨は織姫に似た顔でにこりと笑った。

 石田の父は、美雨が別れの挨拶に来たのを察した。

 一護は石田の父が幼い美雨の手を引いて、布袋屋の暖簾を潜り、喫茶コーナーでぜんざいを食べる風景を思い浮かべていた。

 きっと親子に間違われるのだろう。

 

 布袋屋のぜんざいは、一護には若干甘さが物足りないが、餡がつるりとして喉ごしがよい。老舗の名物手土産の味だった。

 ルキアと妹たちと白玉ぜんざいを作った記憶が蘇った。

 「朽木の塩」を投入した白玉ぜんざいは旨かった。

 

 

「お世話になりました」

 美雨は石田の父に頭を下げた。

「私の世界でも、この世界でも、パパは美雨たちをずっと助けてくれる。パパが居なかったら、美雨たち野垂れ死んでた。本当にありがとう」

 美雨は目を潤ませた。

「家族なんだ、当たり前だろう」

 美雨は石田の父に抱き付いた。

 石田の父は美雨を両腕で抱き留め、頭を撫でた。

 石田と父親の仲は険悪そうだが、美雨とのやり取りをみると、石田の父は家族愛に溢れた人物に見えた。

 

 美雨が顔を洗いに席を立ち、石田の父は複雑な表情をした。

「女の子はいいな」と呟いた。

「未来で会えるさ」

 一護の言葉に石田の父は僅かに笑ったように見えた。

 

 一護のケータイに、織姫からもう少し待つようにメールが届いていた。

 

 美雨は小野瀬川の河原を散歩すると答えた。

 夕方の小野瀬川は、広い遊歩道に犬の散歩やジョギングをする人が数多く行き来していた。

 

 川風が美雨の短い髪を揺らした。

 美雨は鬱陶しそうに抑える。

 

「短いと短いで大変だよ」

「あ?」

「私の髪、ずぅっと長かったの」

「へぇ……」

「ここに来ると、特異点の私自身が世界から『抜ける』ことになるでしょう。即『修正対象』だよ。だから浦原さんが、私の髪を使って、少しの時間、私の代わりをするダミーを作ったの。世界を騙す、最高の禁忌なんだって」

 

 『死神の限界を越える』研究から『周囲の心を取り込み具現化する』チカラを持つ『崩玉』を発明した浦原だ。

 『崩玉』は藍染惣右介の手に渡り、融合。災いの元凶となった。今更怖いものなどないだろう。

 

「浦原さんの装置が悪人の手に渡ったら、特異点を支配し、理に干渉して、全ての時空、並行世界を思うがままに出来るんだよ。怖いね」

 美雨は自分の身体を抱いて身震いした。

「まぁそれも今夜でおしまい。ひとつよろしくね、黒崎くん」

 美雨はポンと一護の腕を叩いた。

 

 織姫から準備完了のメールが届き、2人は織姫のマンションに向かった。

 

 

 

***

 

 

 

 織姫の部屋には、織姫、ルキア、石田、チャド、たつきが集まっていた。

 狭いワンルームは満室状態だ。

 

 壁には折り紙のモールや紙の花が飾られていた。

 

 たつきには、美雨の家族が帰国し、一護が付き添いで送るのだと伝えた。

 分かりやすい嘘について、たつきは何も言わなかった。

 

 

 

 織姫のぞっとする見た目の手料理を、美雨は美味しそうに食べた。

 一護とルキアは、石田が作った普通の見た目の手料理を食べながら、それぞれの心の中で、美雨と織姫の血縁を確信した。

 美雨が織姫の娘だと意識すると、石田と織姫の間に座る美雨は、2人の特徴を上手く混ぜ合わせた姿をしていた。

 当の織姫と石田は気付くことはない。

 

 パーティーの最後に、織姫は美雨にカルトナージュを贈った。

 箱を受け取った美雨は、ポロリと涙を落とした。

 織姫も、笑顔でお別れしたかったのに……と言いながら、釣られてわんわん泣き始めた。

 

 美雨は、この世界の通貨を入れるために作った、ウサギかイヌかわからないキャラクターのがま口財布を織姫に渡した。織姫は大事に胸に抱いた。

 

 

 

***

 

 

 

 深夜、死神化した一護と美雨は、浦原商店の地下勉強部屋にいた。

 尸魂界へ渡る門と同じ門が用意されていた。

 浦原は、美雨の世界の浦原から預かったデータを使い、チューンナップしただけと説明した。

 

 ルキア、織姫、石田、チャドが見送りに来てくれた。

 織姫はずっと泣き続けていた。泣きながら笑おうとぐちゃぐちゃな顔をしていた。

 美雨は困った顔で、織姫の背を優しく撫でた。

 石田とルキアが心配そうに見つめた。

 

「時間ッス!」

 

「じゃあ、俺ちょっくら行ってくるわ!」

 一護は門の前に進んだ。

 美雨が並ぶ。

 

「ム!」

「気をつけるのだぞ」

「せいぜい死なないようにね」

 

「皆さん、お世話になりました」

 美雨は頭を下げた。

「雨竜、」

 突然呼ばれて石田はびくりと肩を震わせた。

「なに!?」

 メガネのブリッジを抑えた。

「虚退治はいいけど、勉強も頑張ってね」

「……どういうことだ」

「ナイショ」

 美雨は石田がよくするようにニヤリと笑った。

 

「み、美雨ちゃん……」

 

 織姫が美雨の制服の裾を掴んだ。

 美雨は織姫をぎゅっと抱きしめて、そっと離れた。

 

「ありがとう、幸せになってね」

 

 美雨は迷いない足取りで、タンッとステップを踏むと、異界の門を潜った。

 素早く霊子で道を形成した。

 

「浦原さん、後のこと、くれぐれも」

「お任せ下さい」

 浦原はひらひらと手を振った。

 美雨は頷き、一護に手を伸ばした。

 

「行こう、黒崎くん」

 一護は美雨の手を取った。

「ああ!」

 一護が門を潜ると、固定時間の限界を迎えた門は、静かに閉じていった。

 

「美雨ちゃん──!!」

 門に駆け寄ろうとした織姫の肩を石田が掴んだ。

 織姫が振り向くと、石田は首を横に振った。

 

 次元の扉が閉まり、門柱に刺したUSBメモリーがボン!と爆発して四散した。

 浦原は「ほう!」感嘆の息を洩らした。

 

「皆さん、ご存知の通り、美雨サンはこの世界の存在では有りません。アタシたちが美雨サンと過ごした記憶、美雨サンに与えられた、美雨サンの世界の情報、残した形跡は、じきに『世界』によって『修正』――消える事になるでしょう」

 織姫は胸元で手を握った。

「黒崎サンは、美雨サンの世界の理のチカラを回復させた時点で、黒崎サンの不在に気付いたこの世界の理と、美雨サンの世界の理とで、向こうで何日過ごそうが、明日には戻ってきます。我々と同じく、美雨サンや美雨サンの世界の記憶を失った状態で」

 深刻な表情をする織姫たちを和ませるように、浦原はヘラヘラとした態度を取った。

 

「祈りましょう」

 

 ルキア、チャド、石田が頷いた。

 

 

 織姫は赤い目のまま美雨に貰ったがま口財布を開いた。

 

 赤いリボンを結んだ真新しい5円玉と、小銭が少し。折り畳んだ紙が入っていた。

 

 紙を広げた織姫はしゃがみこんで号泣した。

 石田とルキアが気付いて駆け寄った。

 石田は織姫の手の紙をそっと抜き取って目を通した。

 

『いつかまた、私と会いたいと思ってくれたら嬉しいです』

 

「……? どういう意味だ」

 紙をルキアに回した。

 ルキアは複雑な顔を浮かべた。

 

「どうしよう、あたし美雨ちゃんに手紙で同じこと書いた。バカだよ美雨ちゃん、嬉しいに決まってるじゃん……」

 ルキアはしゃがみこんだ織姫を抱きしめて、背中を叩いた。

「良かったな、井上。井上と美雨の縁が深ければ、また会えるかもしれないな」

 ルキアは織姫と石田を交互に見た。

 石田は織姫を心から案じていた。

 

 美雨は未来の特異点。

 時期が来れば、織姫と石田が結ばれて、必ず誕生する。

 だが、それは織姫の一護への想いが叶わないことを意味していた。

 

 ルキアは一護から修行中に、美雨の母親は再婚で、父が違う年の離れた兄がいると聞いていた。

 

 30年後の世界での、一護の不在、一護の霊圧を纏った鎧の虚、石田の敗北。

 ルキアは、美雨の世界で一護が『消えた』ことが、災厄の引き金に思えてならなかった。

 

 美雨の世界の災いは、美雨の世界だけに留めて解決させなければならない。

 この世界で同じ歴史を歩み、美雨の世界へループさせてはいけない。

 

 これから先、一護たちに美雨の世界とは違う選択を選ばせる。

 導けるのだろうか。

 ルキアは小さな肩に重い重責がのしかかるのを感じた。

 

──『導く』? 『誰』を?

 

――俺をちゃんと尸魂界へ『連れて行って』くれ、

 

 一護によく似た声だった。

 だが、一護とそんな会話を交わした記憶は全くなかった。

 

 ルキアは織姫を石田に託し、浦原商店に残った。

 

 石田と連れ添って歩く織姫の後ろ姿は、未来で似合いの夫婦になると、容易に想像させた。

 

 

 

 

 勉強部屋に残った浦原とルキアの元に、夜一、テッサイ、雨、ジン太が現れた。

「準備出来ました」

 テッサイが報告する。

「何だ?」

「後片付けッス」

 

 

 

***

 

 

 

 一護は、次元の狭間の中で美雨が作る霊子の足場の上をひた走っていた。

 次元の狭間は断界と黒腔を足して割ったような景色をしている。

 美雨と一護の前を椿鬼が導いた。

 椿鬼は、織姫を襲った時は赤い紋が銀白になっている程度だったが、今は身体の端が白く染まっていた。椿鬼は美雨の滅却師の霊圧で維持されている影響だと説明した。椿鬼が完全に白くなった時、美雨の世界の織姫との霊圧リンクが完全に途切れ、帰る手段をなくすという。一護は、修行中に石田の矢をわざと受けて、斬月の先端が白くなった現象を思い出した。カビが生えたのかと心配したが、翌日は元の色に戻っていた。一時的なものだった。

 

「オンナが近い、出るぜ」

 椿鬼がちらりと振り向いた。

「黒崎くん、捕まって!」

「あん?」

「浦原さんの門だもん。出た途端また空から落とされちゃう!!」

「お、おう!!」

 身に覚えがある一護は美雨の肩に手を置いた。

 美雨は織姫から貰ったカルトナージュをなくさないように、大事に腕の中に抱えた。

 

 

 

 バンッ!

 

 時空の門が開き、夜の空が広がった。

 

 美雨の予想通り、門は遙か上空に開いていた。

 地上の30年後の空座町は、人工の光で美しく浮かび上がっている。一護の世界の空座町と変わらないように見えた。

 

 一気に落下する。

 美雨は片手でポーチを引き寄せた。

 目を丸くする。

「どうした?」

「銀筒、全部使っちゃってた……」

 

「――どうすんだよ!!」

「えっと……霊子で足場を!!」

「間にあわねぇ!!」

 

 美雨は一護に抱きついた。

 

「ふえ~ん! やっと帰ったのにすぐ死ぬなんて……!!」

「諦め早すぎだろう!!」

 

 

 

 

 ――ヒナギク・梅厳・リリィ!

 

『三天結盾!!』

 

 

 地上に叩きつけられる寸前で、橙色の結界が一護と美雨を受け止めた。

 

「きゃああ!!」

 

 ぽよん……!

 

 一護と美雨の身体はトランポリンのように跳ね上がり、激しく地を転がった。

 

 

「……いたた…」

 一護を下敷きにして、美雨は腰をさすった。ハッとして、カルトナージュを探し、側に転がっている布張りの箱の無事を確認して安堵の笑みを浮かべた。

 

 草のにおいがした。背後には見慣れた石造りの洋館が、人工の灯りに照らされていた。

「美雨――!!!」

 柔らかい身体が全力で突進してきた。一護に乗ったままの美雨の身体は再び横に飛び、芝生の上をゴロゴロと転がっていった。

 美雨はズレた眼鏡を直すことなく、ぎゅうぎゅう締め付けられるがままでいた。芝生まみれになってすすり泣く声がする。

 

「ただいま、お母さん」

 

 

 一方、地に転がされた一護は伏せたまま首を捻り、息を飲んだ。

 美雨が「お母さん」と呼んで、美雨に抱きついて泣いている母親は、頭からオレンジ色の布……ハロウィンの仮装をすっぽり被った、異様な姿をしていた。

 

 

 

── The Rain Bringer Girl・・・The end

To be Continued next story




 最後まで読んでくださってありがとうございました。

 美雨の母親が仮装大会で登場したのは、季節がハロウィンだからではなく、女心です。

 一護はこのあと30年後世界をロクに見回らないまま、JK美雨と敵に捕らわれてアジトに連行される予定です。

 このお話での出来事は、美雨が未来に帰還すれば『世界』の修正力によって、キャラたちの『記憶』から消されます。でも肉体の細胞にほんっっの僅かに刻まれた『経験』によって、原作とは違う世界に分岐する感じです。※二周目以降前提)

 原作で並行世界が無数の砂粒の数実在していると明言されたので、並行世界の実在前提で書いていますが、世界を渡るルール『一つの世界に同一存在は一人しか存在できない』『並行世界間で著しい差異が起きないように”特異点”と呼ばれる、全ての世界線で共通して誕生する存在を設定して調整をしている』という設定は、私が勝手に考えた独自法則です。

 ブリーチの世界は、織姫を筆頭に概念に干渉する強力な異能がしばしば登場しました。どれだけ強力な異能を行使しても山本源柳斎の腕を使った犠牲破道以外、一切代償が描かれませんでした。描かれる機会がなかっただけで実は代償があるに違いないと楽しく考察していましたが(略。
 せめて自分の二次創作世界で、これまで考えてきた考察を描いていこうと思います。


 二次創作オリキャラ・美雨について。
 見た目はほぼ女体化した石田。目元や指の形など細かいパーツが織姫です。
 プレッシャーに弱く、いじけやすい性格をしています。
 石田家は身体は細いけれど強メンタルの楽天家だと解釈しているので、美雨も最終的に強い精神力を会得するポテンシャルを持っています。

 この話に登場する美雨は苦労したので他の世界の同年齢の美雨と比較してしっかり者です。

 ご趣向が合致される方にお楽しみ頂ければ幸いです。


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