Aqours〜恋愛物語〜 (ジャガピー)
しおりを挟む

蜜柑色ダイアリー #高海千歌

よろしくお願いします。



心地よい 日差しが 窓から差し込む。ずっと鳴り続ける 目覚まし時計の横で、朝の日差しに顔を照らされ やっとその少女は 起き上がった。

オレンジの髪をした その少女は まだ虚ろな目でその目覚まし時計を見る。

 

「うそ?!やっばい 遅刻だ!」

 

その少女こと 高海千歌は 大慌てで 壁に掛けてある制服に着替え、支度をし、下で待っているであろう3人の元へ走り出す。

 

 

「千歌〜〜 朝ごはん食べないの?」

 

 

そんな姉の声が聞こえるが それどころではない彼女は いらないと 大声で返し 家を飛び出した。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

いつものように 俺 柏木悠斗は ひとりの幼馴染を 待っていた。

 

「遅っいねー 千歌ちゃん。起こしに行った方がいいかなぁ。。」

 

そんな風に眉を潜めて心配する銀髪の少女 渡辺曜の横で俺は またか、と呟いた。

 

「最近は早起きできるようになったとか 言ってたのにね」

 

 

ワインレッドの真っ直ぐな髪を持つ 桜内梨子という女性は苦笑いしながらそう言った。

 

「こればっかりは 治らないんだな。もう 一種の才能だな」

 

そんなこんなで 最終乗らないと遅刻してしまう 時間のバスがバス停に着いた。

 

「仕方ない もう行こう」

 

俺はそう言い バス停の方に歩く。

 

「ダイヤさんに もう遅刻しませんって 約束してたのになぁ」

 

「え 千歌って そんな約束 ダイヤさんにしてたの?」

 

バスに乗りながらそんな会話をしていると 待ったぁー!っと一人の少女が大きな声で乗り込んで来た。

 

「ぎ、ぎりぎりセーフだ。」

 

「さっすが 千歌ちゃん!こういう所は 運がいいね!」

 

「まぁね! 寝坊しても 遅刻はしてないからね!」

 

へへん!と踏ん反り返っている千歌は俺の方を向いた。

 

「ゆーくん!おはよう!」

 

「おはよう 千歌」

 

こんな 危なっかしい少女とは もうかなり長い付き合いになる。

 

こんな子供っぽい彼女だが、ついこの間まで aqours という名前のグループで スクールアイドル活動をしていた。俺も少しばかり お手伝いさせて貰った。先輩達が卒業を迎え、解散となったのだが、全国に名を轟かせたグループであり、それなりの有名人である。

 

 

そして 俺の好きな人でもある。

 

 

「寝坊する癖は 治らないんだな 相変わらず」

 

「ゆーくんよ、人間というものは 欲望には勝てないのだよ。睡魔も同じなのさ」

 

「そんなポジティブ思考は 羨ましくない」

 

 

こんな 中身のない会話をしながら いつもの後ろの席に着く。

 

「私は 曜ちゃんの よこー!」

 

そう言い 千歌は 曜の横に腰かけたので 俺は桜内の横に座る。

 

「高校3年になって どうだ? 果南さんとか卒業しちゃったけど、うまくいってるのか?」

 

「前とあまり変わらないわよ 千歌ちゃんもずーっと 教室であんな感じだし、曜ちゃんは 飛び込みの部活に戻ったって言ってたし」

 

果南さん ダイヤさん 鞠莉さん 3年が卒業して すでに2ヶ月が経っていた。グループが解散して 卒業した後 どうなったか 気になっていた。

 

「今の2年生ちゃんは?今なにしてるの?」

 

「ルビィちゃんと花丸ちゃんはいつも通りな感じよ まぁ善子ちゃんも、、、相変わらずだし」

 

おい 桜内よ、津島の時だけ 変な間があったぞ。

 

「まあ、大方の予想はついた。」

 

 

「ああ そうだ 今度借りてた 本の件なんだけど 全部 読み終わりそうなんだけど、もうちょっと待って欲しいの。今度何か 奢るから」

 

「別にいいよ、本一冊くらい」

 

「そうはいかないよ。なにか欲しい物ある?」

 

「いいって、律儀だなぁ 桜内は」

 

「貸し借りは公平にしないとね。なにが欲しい?今度一緒になにか買いに行く?」

 

 

そんなこんな話を桜内としているが、前まではこうはいかなかった。転校して来た一年前の時は 内気でおどおどして 全然話してくれなかったが、ここ最近では バスの席二人でも なんの問題もなく 話せるようなった。

 

「あの内気な桜内が、俺に買い物に誘ってくれるなんて、一年で人は成長するもんなんだなあ」

 

「ねぇ なんか バカにしてない?」

 

「全くしてない してない」

 

そんな会話をしていると ふと 横から視線を感じ、見てみると 千歌とバッチリ目があった。

 

 

なんとも読み取りづらいというか、冷たさや 怖さを感じるような そんな表情をして 彼女は目をそらし 曜との会話に 戻った。

 

「どうしたの?外になにか見えた?」

 

「いや、そういう訳ではないんだけど、」

 

一体 何だ 千歌のやつ そう考えていると、浦の星にバスが着いた。

 

 

「じゃあね 柏木くん」

 

「おう 気をつけて」

 

「ゆうくん ヨーソロー!行ってきます!」

 

「ヨーソロー いってら〜」

 

最後に千歌の方に目をやると

 

「ゆーくん 遅刻しちゃダメだよ〜 じゃあねー!」

 

いや、遅刻しそうなのはお前の原因なんだが。千歌はいつも通りに戻っていた。

 

「気のせいかな?」

 

そう自分で答えを出し。一人寂しくなったバスの中 イヤホンを嵌めて 窓の外の海を眺めた。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

沈みかけた太陽が 水平線上を 幻想的な色に染め上げている。俺はそんな海の上を 定期船から見ていた。学校が終わり、ある人物に会うために、とあるダイビングショップに向かっている。

 

「やっ 悠斗 遅かったね」

 

「日直だったもんで」

 

海色の髪を後ろで縛り、ウエットスーツに身を包んだこのダイビングショップの店員が 会おうとしていた人 松浦果南である。

 

彼女は卒業して 大学には行かず、家督であるこのダイビングショップを継いだのだ。

 

「平日は お客さん あまり来ないんだよねー。だから早く暇だから 悠斗に来て かまって欲しくて待ってたんだよ」

 

「それで 話ってなんですか?」

 

「あぁ 千歌達の現状を知りたくてね、それから 敬語禁止ってずっと前から言ってるのに治してくれないね」

 

そう言い 冷たい目で俺を睨みつけてくる

 

「そう言うけど、果南さんは年上ですし。」

 

 

「あーあ。昔はあんなに 果南ちゃん 果南ちゃんって 呼んでくれてたのになぁ」

 

小学生くらいまで 特に 気にする事も無かったのだが、中学生という思春期が到来してから、周りの男友達とかに 冷やかされたりして、色々気にしたっけなぁ。

 

「悠斗に敬語使われると なんか 傷つくんだよ。なんか距離を取られてるみたいでさ」

 

「傷つく? そ、そんなに?」

 

「なーんか 意識しちゃってるみたいだけど、そんな事気にしてないし。千歌や曜ちゃんも 悠斗が前みたいに一緒に遊んでくれなくなったって 本気で悩んでたり するんだからね。」

 

「悩むって言ったって 今日もあいつのせいで 俺たち遅刻しそうになったところですよ?」

 

「女の子の悩みは 複雑なの 悠斗が思ってる以上に色々考えてるんだから。そ、れ、と、敬語禁止 さん付け禁止 。次したら 思いっきり 人前でハグしてやる」

 

 

「わかったよ。果南さん」

 

つーん。そんな効果音が聞こえるくらい あからさまにそっぽを向いた。

 

「返事しませーん」

 

子供みたいだな

 

「わっかったよ 果南」

 

「はい よろしい。それで 千歌達はどーなのさ」

 

「本人に聞いたら?そっちの方が詳しく知れるでしょ」

 

「こういうのは いつも横から見てる 第三者に聞くのが1番なの」

 

「いつもと変わらずだよ。なにも変わり映えしないし」

 

「ほんとうに?変わらない?」

 

果南が 真っ直ぐ俺の目を見つめて言ってきた。

 

「ほ、ほんとだって」

 

「ま、そういうのは 期待してないから いいけどね」

 

「なんの話してるんだ」

 

「ほんとうに気づかないの?」

 

 

それを聞いて 今日の千歌と目があった時のことを思い出した。

 

「いや、まぁ いいんだけどね、 悠斗の方はどーなの? 千歌達とうまくやってる?」

 

「それも 普通というか いつも通りというか、、、」

 

「いつ 千歌に告白するの?」

 

「ちょっ!なに言ってんのさ 果南」

 

「いやぁ まぁ 今は2人だし いいじゃない〜 こういう時にしか 悠斗をいじれないんだからさ〜」

 

果南は俺が千歌のことを好きだという事を 知ってる人でもある

 

「何というか、もう そこの所は いいんだよ。諦めてるというか そもそも 俺は 千歌とは 釣り合うわけないし。」

 

「そんなこと無いと思うけどなぁ?」

 

「諦めてるから 良いんだよ 」

 

「なんにせよ 悠斗は優しすぎるから、そういう意味で 周りが見えないっていうか、」

 

「なんの話?」

 

「鈍感だって事」

 

そういう 後味悪い会話をしていると 空がもう暗くなってきた。

 

「さ、もうお店も閉めるし、悠斗は帰る?晩御飯食べてく?」

 

「いや、いいよ 今日 恵 部活なくて 家で1人だから 帰るよ」

 

「そっか、恵ちゃんに宜しくね」

 

そう言い店の中に消えていく果南を後ろに 定期船乗り場に 足を動かす。忘れかけていた 今日の千歌と、彼女への気持ちを思い出し、はぁぁ っと 大きなため息を一つついた。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「あっ お帰り 兄ちゃん」

 

玄関に着くと リビングから1人の少女が顔をひょっこり出す。黒髪を肩のあたりまで伸ばし、スパッと切り揃え、動きやすそうなジャージに身を包んだ少女こそ 妹である 柏木恵だ。

 

「今日は俺が作るよ。夜ご飯何食べたい?」

 

「おっ 兄ちゃんが選択肢くれるとは、そーだなぁ やっぱりお肉かな」

 

「肉ね、生姜焼きでもいい?」

 

「もっちの ろーんよ」

 

舌を出して Vサインを俺の前で作る 恵の横をすり抜け、奥の和室へと向かう。そこには 仏壇があり、ある人の写真が飾ってある。朝出る時と、家に帰ってきた時 行ってきます と ただいまを言うのが 俺たちの日課である。

 

「ただいま 父さん」

 

父は俺が 中学生の時に死んだ。交通事故だった。都会に2人で買い物へ出かけていた時、スピードを出し過ぎた車から 俺を守る為に 死んでしまった。

 

「さっ、晩御飯作るか」

 

「はやくー はやくー」

 

「うるさいから 風呂でも入ってな」

 

 

横で騒ぐ妹にバスタオルを投げつけ、キッチンに向かった。

 

 

 

 

食卓に着き 食事を始める。

 

 

「新しい高校生活どーよ?楽しいか?」

 

「楽しいよ!友達もいっぱいできたしね」

 

「部活は?」

 

「あんまり 強い部活ではないけど、やっぱ充実するよね」

 

妹の恵は剣道をしている。そこまで目立った成績を残しているわけではないが。妹が中学1年の時、急に剣道やりたいと 母に言い出した。そういや、父さんが死んだあとだっけな。なぜ急に始めたかの理由を聞いても、「兄ちゃんには 教えなーい」との一点張りなのだ。

 

「兄ちゃんは どーなの 千歌ちゃんと」

 

「またそれか、変わらないっつーの」

 

「えー 面白くないなぁ もっとアピールしなきゃだよ」

 

「なんか デジャブを感じるぞ 今日の恵との会話」

 

「告っちゃいなよー」

 

「しないよ。そもそも あいつと俺とでは 住む世界が天と地ほど違うんだよ。俺が 手を出していいような人間じゃない」

 

「またそんな事言ってるー。あ、そういや 今日 夕方どこ行ってたの?」

 

「あぁ 果南のところに 顔出してたんだ。宜しく言ってたぞ」

 

「夏になったら ダイビング行かなきゃだね!」

 

箸で生姜焼きをつつきながら 恵は そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

彼を好きだと気づいたのは つい最近だ。

 

 

 

 

 

元々特別な人だとか 大切な人だとかそういうのは感じていたが、これが恋愛感情だとは分からなかった。スクールアイドル活動で 作詞をしたりする為に 色々な本を読んだり 友達から話を聞いたりして、今 彼に対して抱いている気持ちが 恋心だという事に 気づいた。

 

小さい頃から 一緒に遊んだり 中学生くらいの時に 距離感を感じた時に 悲しい気持ちになったり。他の女の子と 話していると機嫌が悪くなったり 後々考えれば、かなり前から 小学生とかの頃から 彼が好きだったのかもしれない。

 

 

「メールしていいかなぁ 今大丈夫かなぁ。でも忙しいとかで 断られたらやだなぁ。

 

自室のベッドの上で エビのぬいぐるみを抱えながら 携帯を見つめる。最近では メールひとつするのにも 悩み悩んでしまう。

 

「今日、梨子ちゃんと 朝楽しそうに話してたなぁ。。一緒に買い物がどーとかって、あーあぁ 私も ゆーくんと 買い物とか行きたいなぁ」

 

もっと ゆーくんと 親密な関係になるにはどうすればいいのか、幼馴染という利点が 逆手になって それを邪魔している気がする。

 

 

「こんな時こそ 果南ちゃんに相談しよう」

 

 

最近 果南ちゃんに この手のことで 相談に乗って貰っている。周りがよく見えている人であり、ゆーくんと 近しい関係という うってつけの人物だからだ。

 

電話を掛けると 3コール目で もしもし と返事がした。

 

「果南ちゃん。いつもの相談いい?」

 

 

「あぁ 千歌か いいよー」

 

 

まずはどうすれば 彼に近づけるか

 

 

「ど、どうすれば ゆーくんと もっと お近づきになれるかな」

 

「うーん。アピールしても いつもの感じじゃ ただの仲良しさんの幼馴染にしかならないだろうからねぇ」

 

「た、たしかに」

 

「千歌を女の子として意識させるにはどうすれば良いかってことだよね」

 

「う、うん」

 

「そーだなあ。うーん。。」

 

電話の奥で唸っている果南ちゃんのいう通り、いつも通りでは駄目な気がする。私も何かいい方法無いかなと 考えていると 果南ちゃんが、

 

 

 

 

「色仕掛け、、、とかは?」

 

「なぁ!何言ってるの 果南ちゃん!出来るわけないじゃん!」

 

突然の提案に 思わず 声を上げてしまう

 

「ちょっ、電話で大声やめてよ 耳がびっくりしちゃった」

 

襖の奥からも うるさい!と姉が怒鳴っている

 

「ご、ごめん。でも果南ちゃんが変なこと言うからだよ!」

 

「まぁまぁ 一つの案としてだよ。そうしなくても、軽くボディタッチとか 女の子として意識させる行動すればいいんじゃない?思い切って告白してみるとかさ」

 

「わかった 頑張ってみるよ」

 

「はーい また 報告してね」

 

切れたスマホを眺めながら 今度の休みに 遊びに誘ってみようかなと考えながら 布団に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

「おっはよー!ゆーくん!」

 

「おう おはよう 今日は 早いのな、まだ2人は来てないし 雨でも降るのかな」

 

いつも1番早く 家の前で待っていてくれるのは知っている。だから 今日は 携帯のアラームも何重にも掛けて起きたのだ

 

「あ、あのさ ゆーくんに 聞きたいことがあるんだけど」

 

「んー?どーしたー?」

 

家の前で 我が家の犬 しいたけを 撫でている彼が そう聞き返して来た。

 

「しゅ、週末って なんか予定ある?」

 

しいたけと戯れる彼が、こっちを見て不思議そうに答えた。

 

「空いてるけど、なんで?」

 

よし、第一関門突破だ。本題はここから

 

「一緒に お出掛けしたいなぁって 思ったもんでして、その、、」

 

ああ、もう デートしようって 言えばそれで万事解決じゃん!何してるの私!

 

「あぁ そういう事なら みんなを誘うか、最近あんまり 遊べてなかったしな」

 

違ーう!そうじゃないの!もう この鈍感!

 

「どこいく?やっぱ沼津で買い物とか?」

 

もうこうなったら!もうヤケクソだ

 

「その皆んなで遊びたいのは遊びたいんだけど、今回はそうじゃなくて、、」

 

「そうじゃなくて?」

 

「ふ、2人きりで デートしたいなって…」

 

しいたけを撫でていた手が空中で止まった。もっと撫でて欲しそうに しいたけは 彼を見る。返事を待つ間 ずっと ドキドキしているのだが、彼は動かない。

 

「あのー、聞こえて『おはヨーソロー!』」

 

「おはよう 千歌ちゃん 柏木くん」

 

私が ゆーくんに 返事を聞こうとしたら うまい具合に 2人がやってきた。

 

「あれ、なんか取り込み中だった?え?」

 

そう言うと曜ちゃんは 小声で聞いて来た。

 

「まさかだけど、邪魔しちゃった感じ?」

 

こくりと頷くと

 

「ごめん ほんとにごめん」

 

ちらっと梨子ちゃんを見ると 彼女も 申し訳なさそうな顔をしていた。

 

改めて彼を見ると まだ固まったままだ。失敗したなこりゃ、

 

「バ、バス来たし、行こうか」

 

「そ、そうね」

 

「ほら、悠斗もいつまで そうしてるの?置いてっちゃううよー」

 

曜ちゃんが そう諭すと フラフラと彼は立ち上がり 後ろからついて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあー 失敗したなぁ。あれ完全に引かれてたやつだよ」

 

昼休みに 元スクールアイドルの部室で皆んなでご飯を食べている。

 

「そんな事無いと思うけど。」

 

「だってさ ゆーくんってば、バスの中で 呪

文みたいに独り言呟いてたんだよ?」

 

「確かに 変ではあったけど、引いてるとかでは無い気がするけど…」

 

「千歌ちゃん 悠斗君と何かあったの?」

 

一つ下の後輩である ルビィちゃんが 心配そうな顔をして 聞いて来た。

 

「デートに誘ったんだけど…」

 

数秒の沈黙の後 えぇーー!っと後輩3人組が騒ぎ始めた

 

「千歌ちゃん ついにやったズラか?」

 

「で、悠斗は?私のリトルデーモンは何て言ったのよ?返答次第では 悠斗に ジャーマンスープレックス掛けてやる!」

 

ワーワー ギャーギャー はしゃいでいる後輩たちを 落ち着かせてから 話を再開した。

 

「まぁ 断られた訳では無いんだけど、なんか その後のゆーくんがおかしくなちゃって」

 

「あぁ それで ブツブツ呪文呟いてたってことね」

 

「なんで おかしくなっちゃったずらかね?」

 

うーん。と唸る皆んなの 横でルビィちゃんがボソッと呟いた。

 

「意識してるっていうことじゃないのかな」

 

はっと みんなが顔を上げて

 

「そうだよ!千歌ちゃん!悠斗は意識してくれてるんだよ!」

 

「ついに 千歌ちゃんにも 春が来たずらーー!」

 

「そうかな?そーなら嬉しいな。」

 

私は、そういう淡い期待を込め 冷めたお弁当を 食べた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

思春期は必ず何かしらで誰にでも来ると思う。

 

俺は父がずっと嫌いだった。父はずっと仕事していて 家にも 夜遅くにしか帰って来なかった。恵が 遊びたいと 休日に 父に頼んでも、父は休日も仕事があると 出掛けてしまう。

 

 

俺はそんな父が ずっと嫌いだった。

 

 

思春期の反抗期真っ只中の中学の時、母が 仕事先で倒れてしまった。元々貧血持ちの母だったが、今回は 検査入院も掛けて 1ヶ月入院するらしい。その時は流石に 父は1日だけ 病院に 居てれたのだが、また仕事に出かけてしまった。 家には 恵と俺2人で 小学生の恵は ずっと寂しそうに 泣いたりしていた。

 

母の入院が終わり 日常が戻ってきたある日 父が珍しく 休日に休みで、2人で 街へ買い物を頼まれた。大雨の中 2人で無言で歩いていたが、こんな機会は無いと 言いたいことを 父に言った。

 

「なぁ、恵や母さんと 仕事 どっちが大切?」

 

父は 急に 質問られた事に目を見開いたが すぐに答えてくれた。

 

「家族だ。家族の方が大切だ」

 

その答えに なぜが イラッとしてしまった。

 

「じゃあ、じゃあ なんで 母さん 入院してた時、俺と恵 2人しか 家に居なかったのに、休日も 仕事行ったりしてんだよ!おかしいだろそれ」

 

「すまない。」

 

「謝って終わりかよ サイテーだな あんた。もう知るか、帰る。」

 

そう言って 下を向きながら 早足で帰ろうと歩いたのだが、数秒後に 父に突き飛ばされた。殴られたのかと思い、

 

「いってぇな なんだよ」

 

振り向くと そこには 急ブレーキで転倒したトラックと、数メートル先に 飛ばされた ドス黒い血を流した 父が倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬式や通夜を終え、自室で一人で篭る。

 

前に母が言っていた事を思い出す。父は共働きにさせてしまった事を反省していて、休日も夜遅くまで 仕事をしていたんだと。いつか 俺や恵が 大学に必要なお金まで貯めていたと。それを頭の中で分かっていながら 父にあんな事を、言ってしまった。

 

いや、待てよ。あそこで俺が 父さんの話をもっとしっかり聞こうとしていれば 俺が 信号を無視して走って来る車に気づけていたのでは、そもそも、あそこで怒鳴り、帰るなんて事をしなければ こんな事にはならなかったのでは?

 

葬式のときや 通夜のときの 母や妹の顔を思い出す。虚ろな目をして 涙なんて出尽くすくらい泣き 腫れた目。恵の泣き顔。

 

俺は 涙すら出なかった。

 

 

そして 自分の中で 一つの結論を出した。

 

 

 

父は 俺が 殺してしまったんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、俺は、外に出なくなった。学校にも行かず、ましてや、窓を開けることもしなかった。心配した母や妹、千歌や曜や果南、学校の友達までが 何度も何度も扉越しから 話し掛けて来てくれたが、そんな事もどーでも良かった。

 

眠れず、眠れたとしても 父の倒れた姿、母や妹の絶望した顔。それが夢で出てくる。食事も喉を通らず 身体も心もどんどん衰弱していくのが 自分でも分かった。

 

病院に行こうと 扉を叩く母や妹、千歌達の声も無視して、3週間が経過した。

 

いっそ死のうかな。そんな事を考えたとき 扉ではなく、窓から コンコンと妙な音がして聞こえた。

 

ついに耳や頭まで狂ったか、そう思い 無視したが、やはりおかしいと思い、窓を開けると 突然視界が 真っ暗になる。それと同時に襲って来た衝撃に おもわず 床に倒れ込む。

 

その時、何故か落ち着く香りがして 心地よい温かさが 顔を覆った。何故かとても懐かしく感じた。

 

一体何なのか 分からないでいると 「ゆーくん ゆーくん」という 泣きじゃくる 声が聞こえた。

 

千歌が 部屋に入って来て 俺の頭を抱えたのだ。 おかしいぞ、ここは二階のはず と思い、千歌の体の隙間から身体を覗かせると はしごの 先端部分が見えた。

 

何危ない事をしてるんだと思い 何週間ぶりかに 人に話しかけた。

 

 

「何しに来たんだ。こんな人殺しの部屋に」

 

 

そう言うと 千歌の抱きしめる力が 強くなり、泣きながら 千歌は答えた

 

「人殺しなんかじゃない!そんなこと言わないで」

 

「俺は、俺は 本当の父さんの気持ちを知ってながら、子供みたいに意地はったせいで、父さんを死なせたんだ!そのせいで 母さんや恵が 悲しい思いをしてしまった、こんな人間を身を呈して守ってくれた人を…俺は 生きている 意味なんて無い ただの人殺しなんだよ!何もわからないくせに!帰れよ!」

 

危ない思いをさせてまで こうして会いに来てくれた人にさえ こんな事しか言えない 自分に 本当に情けなくなった。

 

もうこれで 俺は 本当の意味で サイテーな 人間になったと 思った時、千歌が 怒鳴りながら言った。

 

「ゆーくんは 人殺しなんかじゃ無い!ゆーくんは こんな おバカな 私に 嫌な顔一つせず 遊んでくれたり、勉強教えてくれたり、相手や 世話をしてくれる!この クローバーの髪飾りも、ゆーくんが くれたから ずっと付けてるんだよ!私は、私にとって ゆーくんは 大切な人だから、そんな人のことを 人殺しなんて言わないでよ!」

 

「でも、それでも、取り返しのつかない事を俺はしたんだ、母さんも 恵も きっと俺を恨んでるはず。もう俺は、1人でしか、生きていけない」

 

「私は、私はずっと ゆーくんの味方だよ?例え、本当に 取り返しのつかない事をしたとしても、私はずっと ゆーくんの側に居続ける。約束する」

 

嘘だとしても。それがただ 慰めてくれているだけだとしても、こんなに 危ない事をしてまで 味方だと 大切な人だと そう言ってくれる事が 凄く嬉しかった。

 

そして 父が死んで 一度も出なかった涙が溢れ出て来た。

 

 

俺は 千歌の胸で 長い時間 ずっと 泣き続けた。

 

 

 

 

 

この時に 俺は 千歌の事が 好きになったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

それからというもの、永遠と泣き続けた後、窓のはしごの下を覗くと 曜が 心配そうな顔をして立っていた。はしごを 支えてくれていたんだろう。

 

扉を開け、千歌に支えられながら リビングに出る。恵が 俺の顔を見るなり ワンワン泣きながら 抱きついてきた。母も 泣きながら 良かった 良かったと 言ってくれていた。

 

 

俺は ごめんなさいと 一言に 全ての意味を込めて 呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガバッと目を覚ますと そこは 昼休みの教室だった。クラスメイトに ヨダレ出てるよと 笑われ、それをぐいっと拭う。

 

「懐かしい 夢見たな」

 

 

思い出したく無いが 忘れてはならない出来事。そんな出来事を夢で見るとは、しかも昼休みの時間に。

 

「なんでまた」

 

そこで はっとする。そうか わかったぞ!あの千歌の デートしよう宣言も 夢だ。なーんだ。やっぱり おかしいと思ったんだよなぁ。そう思いながら 携帯を開けると

 

高海千歌からのメッセージ

 

 

『デートの返事 早くきかせてね』

 

「夢じゃないだとぉぉぉ」

 

ぬぉぉぉ なんなんだ一体 と唸っていると、柏木くん 気持ち悪いよ と 本気で 隣の席の女の子に言われてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ オラは この デラックスパフェと オレンジジュース一つずら!」

 

「ふっ、私はこの 悪魔が食す 暗黒なる デザート チョコレートケーキと コーヒーを一つ」

 

「私は チーズケーキと カルピスで」

 

「俺は アイスコーヒーで」

 

放課後、モヤモヤする気持ちを晴らしに 沼津を歩いていると、久しく 花丸ちゃん 善子 ルビィちゃんの 3人と ばったり 遭遇した。久しぶり 話でもしようということになり、近くの カフェに入ったのだ。

 

「悠斗くん 本当に奢って貰って いいずらか?!」

 

「うん なんでも 頼んでいいよ」

 

「さすがは 私のリトルデーモン第1号ね 分かってるじゃない」

 

「俺は お前の リトルデーモンになった覚えはないぞ しかも第1号て なんだ」

 

「悠斗くん、奢って貰っちゃって ごめんね」

 

ルビィちゃんが 申し訳なさそうな顔をして言った。

 

「こうして たまたま会う事でしか お前達と 話す機会 無いんだし 遠慮はいらないよ」

 

「オラ達は いつでも 暇ずら 話す機会は作れるずら」

 

「いつでも 会いに来てもいいわよ。堕天使が許可します」

 

「私達も 悠斗くんと 話すの楽しいしね」

 

「可愛いこと 言ってくれるねぇ お兄さん嬉しいよ」

 

そんなこんなで 注文した品が届き、みんな それぞれの物を パクつき始めた。

 

「それで 悠斗くん 千歌ちゃんと デートどこ行くずらか?」

 

急に 花丸ちゃんが パフェを食べながら そんな事を言い出した。アイスコーヒーを飲んでいた 俺は思わず 吹き出しそうになってしまい、むせてしまった。

 

「な、何故それを」

 

そう聞くと ニタァと 笑った 一つ下の後輩達が言った。

 

「千歌ちゃんから 聞いたずらよ〜」

 

「リトルデーモンも 青春してるわね〜いい事よ」

 

そう騒ぐ2人の横で ルビィちゃんが苦笑いしながら、聞いて来た。

 

「それで どこ行くんですか?ふつうにお買い物とか?」

 

「それが、まだ返事してなくて」

 

そう言った瞬間 騒いでいた2人が ピタッと静かになった。まるで 凍りついたかのように

 

「「えええぇぇぇぇ?」」

 

大声で 叫び出した。

 

「おい 声がでかい 周りに迷惑だろ?」

 

「だって、そんなこと言ってる場合じゃないずら」

 

「悠斗、なんでまだ返事してないの?!返事しなさい!今すぐ!ここで!」

 

「ふ、2人とも 落ち着こうよ」

 

ルビィちゃん、大人だなぁ。見た目とは裏腹に 1番 精神年齢が大人だ。

 

「なんで 返事してないのよ!」

 

善子が 少し 荒めに聞いて来た

 

「いや、だって 皆んなで 遊びに行くとかなら 分かるけど、2人きりで しかも デートって言うし、」

 

「いやずらか?」

 

「そういう訳ではないんだけど」

 

「悠斗くんは 千歌さんのこと 嫌いなの?」

 

「違うよ、むしろ その逆っていうか、、」

 

そう答えると 獣のような目で 質問して来ていた 善子と花丸ちゃんが 目を見開いて

 

「わぁ!ほんとずらか?! 青春ずら〜」

 

「いい 漆黒の世界から 恋という名のヘルフレイムが聞こえる」

 

「だったら なんで 返事しないの?」

 

痛いところをついてくる。

 

「なんていうか、申し訳なくて。千歌みたいな 高嶺の華が 俺なんかと。しかも デ、デートなんて。あいつは、スクールアイドルでもそうだし、常に 輝いて 光ってるような そんな人だし。身分違いというか、住む世界が違うというか、そんな感じ」

 

「めんどくさいわねー あんた」

 

 

「そんなこと考えるのは お門違いずら」

 

「考えすぎだと思うけど」

 

「それに 千歌の考えてることが 最近わからんというか、デートって なんだよ お出かけじゃないのか?」

 

「まぁ それは 自分で気づくべきね、しかも千歌が あんたのこと 身分違いとか 住んでる世界が 違うとか そんなこと思う人だと思う?」

 

「お、思わないけどさ、なんというか 俺の問題である訳で、」

 

「大丈夫だよ 悠斗くん。そういうことも含めて 話し合える 機会でも あるんだよ?だから 早く返事してあげて」

 

そういうルビィちゃん の言葉に うんうんと 他の2人は頷く。

 

「わかった。なんていうか ありがとうな」

 

ニッコリと笑った3人は 別の話に変わり ワイワイ話し出した。

 

俺は 少しぬるくなった アイスコーヒーを飲み、 行くと 一言だけ 千歌に メッセージを飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「うわっ、危ない」

 

「なにかあったの?」

 

バスの中 家に帰る途中 ずっと ゆーくんの メッセージを開いていた。返事遅いなぁっと メッセージを落とそうとした時 行く という返事が来た。ギリギリ 既読にはならなかった。

 

「いや、ゆーくんから 返事来たんだけど、危なく 既読つけそうになった。送ってすぐ既読ついたら 完全に 変な奴だと思われる」

 

「それで 柏木くんは なんて?」

 

「行くって 返事してくれた」

 

「良かったじゃない!どこ行くつもりなの?」

 

「普通に沼津で 買い物をと、」

 

「しっかりね 自分の気持ちをぶつけて来てね」

 

私は 一つ 気になったことがあったので 梨子ちゃんに聞いてみた。

 

「梨子ちゃんは ゆーくんの事 どー思ってる?」

 

「え?」

 

この間 仲よさそうに話してたから気になったのだ。突然の質問に戸惑う。そりゃそうだ。こんな事 急に聞かれたら。すると梨子ちゃんは すんなりと答えてくれた。

 

「私が 好きって 言ったら どーするつもりなの?それで諦める?」

 

「嫌だ」

 

「でしょ?だから 今はそういう事は 考えなくていいのよ。心配しないで。彼は 友達として、人として 信頼してる上での 好きだから。

異性って意味では 無いから」

 

「振られたら、もし ゆーくんに 好きな人が居て、どーしたらいいかな?私、そんなの嫌だよ。告白して振られたら、今みたいに仲のいい関係で居られるのかな」

 

考えるだけで 辛くなる。もしダメだったとしても 彼とは 今のような関係で居たい。もしそれが 叶わなかったら そう考えると 胸が痛くなる。

 

「千歌ちゃん」

 

「なに?」

 

「柏木くんは 千歌ちゃんを振ったとして、こんな関係は終わりだって そんな事 言ったり、考えたりする人だと思う?」

 

「それは、」

 

「それは 千歌ちゃんが 1番よく分かるんじゃない?」

 

「うん。、」

 

「だから、頑張って来てね」

 

 

梨子ちゃんは そう言って ニコッと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

本日は日曜日である。天気は快晴。まるで 今日という日を 神様が見ていてくれてるかのように。

 

千歌の家の前のバス停からバスに乗り 揺られている。集合は沼津駅前になっている。千歌の家の前での集合でいいじゃ無いかとおもうかもしれないが、こういうのは 雰囲気や、いつもと違う事をするのが いいらしい。と 千歌が言っていた。

 

席に座って 携帯をつけたり 消したりしている。つまりは 緊張しているのだ。

 

今日の俺の服装は 黒のパーカーに 黒のチノパン 黒のスニーカーである。全身黒ずくめじゃ無いかと 思う人もいるのでは無いか?実は ファンションには疎く、服というものをあまり持っていなく、買うとしても、無難に黒か白かくらい。

そんなこんなで 沼津駅にバスが着き、降りる。

今は集合時間の10時の15分前である9時45分だ。

 

千歌は 朝弱いから 若干遅刻気味に来るだろ。そんな事考えながら 歩いてると、

 

「おおーい!ゆーくん ゆーくん!」

 

俺を見つけた 千歌が ブンブンと大きく手を振る。その千歌を 周りの人たちが見ている。俺は思わず小走りで 駆け寄る

 

「来た来た! 待ってたよ!」

 

「大声で ゆーくんは 辞めてくれ。さすがに この年になると恥ずかしい」

 

「えー。でも すぐ私だって分かったでしょ?」

 

「まぁ そりゃそうだが」

 

千歌の服装を見ると 水色柄のチェックのワンピースを着ている。スラっとした足が スカートから出ている。

 

「服、似合ってるな それ」

 

「あ、ありがとう。。

 

なんか こう、可愛いすぎて 目のやり場に困る。しかも 千歌も何故か モジモジして 気まずい空気になる。こんな事 昔は無かったのだが、何を喋ろうか そう考えていると 千歌が 先に口を開いた。

 

「それにしても、相変わらず おじさんみたいな 格好してるね ゆーくんは」

 

「仕方ないだろ ファッションとか 分からんし、家にはこんなのしか無いんだし」

 

「まあ それも含めて 今日の デート 誘ったんだけどね」

 

デート、デートという言葉が いちいち 調子を狂わす。だから俺は思い切って聞いてみた。

 

「デートって その、カップルとかがやるやつだよな? お出掛けとかじゃなく?」

 

ピクッと 肩を少しだけ 跳ねさせた千歌が 急に俺の腕を掴んで 歩き出した。

 

「そんな事は 今はいいの。早く 買い物行こーよ!」

 

「お、おい」

 

そう言って 俺は千歌に 引っ張られて そこからデートと言う 名のものが 始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「服屋?千歌が買うのか?」

 

「うーん。私も服欲しいけど、今日は違うよ。ゆーくんの服買いに来たの」

 

「俺?!俺の服?」

 

「その おじさん臭い格好 どーにかしなきゃ」

 

「いいよ そんなの」

 

「良くないの」

 

なんか こう洒落た服屋ってのは 落ち着かない。服なんて チェーン店の安さ重視の店が1番 俺の性に合ってる。と言おうとしたが、ノリノリの千歌を見ていると まぁいいかとなってしまう。

 

なんか俺って 千歌に甘いな

 

「こんなのはどー?ピンクとか!」

 

「そんな派手なの着れんよ。俺には合わない」

 

「そんなの着てみなきゃ わかんないでしょー?」

 

「この犯罪者みたいな顔に 似合うわけが無い」

 

「顔が ちょっと 濃いだけでしょ?目元とかクリッとしてるから こういう色似合うかもだよ?」

 

「うーん。他の案を求む」

 

「ぶー。わかったよー」

 

なんか申し訳ないな けど 悪いがそれは却下でお願いします。千歌さん

 

「あ!これは?」

 

そう言って出して着たのは ネックレスだ。指輪のような リングが重なったような

 

「ネックレスかぁ、うーん」

 

「これなら 夏とか ゆーくんが着る 白シャツ1枚に 付けるだけで かなりお洒落感が出るよ!」

 

ピョンピョン飛び跳ねる千歌を見ながら考える。まぁネックレスくらいなら いいか そう決断した。

 

「ネックレスなら まぁ 試してみようかな」

 

「よし決まりだね」

 

そう言って 千歌が レジに向かう。俺は思わず止めた。

 

「待て待て。千歌が払うのか?俺のなのに?」

 

「うん まぁ 私が 連れてきたんだしさ」

 

「いや、いい 流石にそれは悪い」

 

「いいの こういうのは 黙って奢られるべき」

 

そうして強引に 持って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昼飯って ここなの?」

 

 

ネックレスを買った店を出て 昼ご飯を食べに来た俺たちだが、千歌が 安くていいお店を知っているというので ついて来てみると、これまたお洒落な 高そうなお店だった。

 

「待て、本当に 安いのかここ。そうは見えないんだが」

 

「本当だって まぁ ランチタイムの時だけだけどね。夜来たら とんでも無く 高くなるから」

 

そう言って入った店で ランチセットという物を2人で頼んだ。

 

「ここね ランチセットって言って すっごく美味しい ハンバーグが出て来るんだよ!」

 

嬉しそうに話す千歌に 今、素直に 思ってることを伝えた。

 

「千歌って こんなに お洒落な店とかって 知ってたんだな。今日の服装といい さっきの服屋といい、前からこんなんだっけ?」

 

そう言うと さっきまで嬉しそうだった顔が、ムスッとした顔に変わってしまった。

 

「なんか バカにしてない?」

 

「違う違う 本当に 純粋な気持ちで聞いたんだ」

 

はぁぁ っとため息をついた千歌が 俺の目を冷たい目で見ながら言った。

 

「服装とかファッションとかは スクールアイドルの研究とかしてた時、どんな服装とかが みんなの目を惹くかとかで 知ったり学んだりしたんだよ。お洒落な店とかは 安くてお洒落で美味しいとかって 学校の友達とかから聞いたりしたり、ネットで調べたりしたの!」

 

「な、なるほど」

 

「ゆーくんって 未だに 私のこと 子供扱いするよね」

 

「そんな事ないけどなぁ」

 

少し顔を赤らめた千歌が 目を逸らしながら 俺に聞いて来た

 

「私を 女の子として見てくれてる?」

 

「そりゃあ もちろん」

 

「その、異性として、だよ?」

 

「も、もちろん」

 

「そっか 良かった」

 

嬉しそうに笑う千歌にドキッとした時、料理が届いた。

 

「わぁぁ!美味しそう!いっただきまーす!」

 

美味しそうに 口いっぱいにハンバーグを頬張る千歌。とても嬉しそうな 笑顔。俺はやっぱり 千歌が 好きだ。そう改めて 感じた 時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本屋行っていいか?」

 

「いいよ!小説コーナーでしょ? 私漫画のところいるから!」

 

昼ご飯を食べて、特にすることもなかったので たまたま通りかかった大きな本屋さんで 好きな小説家の 新しい作品を買うことにした。

 

「えっと どこだ」

 

広い本屋の小説コーナーだけあって、かなりの量があった。

 

「あら、悠斗さんじゃないですか?」

 

どこか どこかと 探していると 聞き覚えのある声が後ろから聞こえたので 振り返ると、ダイヤさんと その横に鞠莉さんが 立っていた。

 

「悠斗ー!シャイニー!」

 

鞠莉さんは そう言って 抱きついて来た。

 

「人前ですよ!何してるんです?!鞠莉さん!」

 

この人はいつもこうだ。所構わず 抱きついてくる。初めは 恥ずかしさのあまり 気絶しそうになったりしたが、最近 ようやく慣れてきて、引き剥がしたり 出来るようになってきた。

 

ダイヤさんも 最近では この行為を ガミガミ言うのも 呆れて 落ち着くまで 見ている感じだ。

 

「こんな所で会うとは やっぱり 私と悠斗は シャイニーな関係なのね!」

 

「鞠莉さん 声がでかいですわよ。」

 

「ダイヤさん達も 久しぶりですね。大学生活はどうですか?」

 

「ようやく慣れてきてますわ。友達もできましたし」

 

この人たちは 果南と同じ 元aqours のメンバーで 今は 高校を卒業し、大学へと進学した。2人とも かなりの偏差値の同じ大学へと進んだ。会うのは2ヶ月ぶりくらいかな。

 

「悠斗さんも 本を探しに?」

 

「ええまぁ 好きな小説家の新作を探しに」

 

「お一人で?」

 

「いえ、千歌が 漫画のところで 待ってます」

 

そう答えた瞬間 2人が 急に後ろを向いて ヒソヒソ話始めた。

 

「あのぉ どーしました?」

 

「いえ、そういうことなら お邪魔しちゃいけないので、これで」

 

「グッバイ悠斗!またね!」

 

「また ルビィを宜しくお願いしますね」

 

そう言って 2人は そそくさと 行ってしまった。

 

「なんだったんだ 今の」

 

そう独り言を呟くと

 

「何が?」

 

「うぉぉ なんだ千歌か」

 

千歌が後ろから 急に声をかけてきたので 後ろに 飛んでしまった。

 

「本は 見つかったの?」

 

「あ、忘れてた」

 

「一緒にさがしてあげるよ!」

 

さっきの ダイヤさんと鞠莉さんの事に 疑問を感じながら 続きの本探しを始めた。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

夕方になり、遅くなっては 迷惑と バスに乗り私の 家の前まで来た。

 

「今日はなんていうか、ありがとうな。ネックレスも買ってもらったし。」

 

そう彼が 言ったので、気になることを聞く事にした。

 

「いいよ、それより、今日 楽しかった?」

 

「うん すごく 楽しかった」

 

「そっか、良かった。」

 

じゃあと 言い ゆーくんが 家に帰ろうとする。私は 彼の 服の袖を クイっと 掴んだ。

 

「どーした?」

 

「あのね、今日 遊びに誘ったのは、私から 言いたい事があったからなの」

 

「言いたい事?」

 

コクっと頷いた。

 

今日、言おうと思ってた。日に日に好きになる彼に。

 

「言いたい事って?」

 

5月の心地よい風が そよそよと吹く中、少しの沈黙が訪れる。

 

真っ直ぐ目を見て私は言った。

 

「昔から こんな おバカな私に ニッコリ微笑んで 遊びとか お勉強とか 色々付き合ってくれてありがとう。

スクールアイドルやるとか 突拍子のない事 今考えると ほんと何言ってんだって言いたくなるけど、そんな私を 嫌な顔せず 見守ってくれてありがとう。

今のaqours のメンバーとの楽しい時間や、思い出、そんなのも全て含めて、ゆーくんが 色々手助けしてくれたお陰で、あそこまでの物を完成させる事ができた。これはaqours の皆んなが思ってることでもある。」

 

彼は 身を見開いて こっちを見ている。突然こんな事を言われたら そりゃあ 誰でもびっくりするだろう。

 

それでも 私は 伝えたい。私の彼に対する 思いを。

 

「だから、私は そんな 悠斗くんが、、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      「大好きです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂した 空間。風の音だけが心地良く聞こえる時。彼の目を見ることも恥ずかしくなった私は、下を俯く。返事を待っていると 彼が口を開いた。

 

 

「命の恩人って その人にとって きっと忘れられないものを 教えたり 気付かせてくれたり、本当に命を救ってくれたり、忘れられない人の事だと思う。そして、救ってもらった人にとって 大切で 忘れる事のない事を 胸に刻んでくれる人の事だと思う。」

 

 

彼の言っている事が 理解できなかった。話を晒されたのかな そう思ったが、彼は続けた

 

「俺にとっての その人は 昔から 危なっかしくて、子供っぽくて 後ろから見ていて ヒヤヒヤするような そんな人だった。」

 

顔を上げると ニッコリ微笑んだ 彼が私の目を見て 口を開く。

 

「けれど、今では キラキラ輝いて 大人っぽくなり、もう別の世界に行ってしまった。

もう 俺なんかが 手の届かない人だと思っていた。

けど それは 間違ってるって たくさんの人が 教えてくれた。

なんとなくだけど、その意味が 今わかった気がする。」

 

遠まわしに 断られてるのかな。そんなことも頭をよぎった。彼は今 彼の好きな人の話をしているのだと。絶望感が押し寄せてきて 胸が痛くなる。けど、最後まで聞こう そう思って 彼を見続ける。

 

「俺は 俺の全てを 救ってくれた千歌が 大好きです。こんな俺だけど 宜しくお願いします。」

 

 

 

え?

 

 

 

夢を見てるんじゃないか?これは 妄想が肥大化して 現実世界との区別がつかなくなってるんじゃないか?そう思った。

 

けど 目の前にいる 愛しい人の笑顔。これを見ると 何故か 無性に 抱きしめたくなった。

 

「ゆーくん!」

 

 

この匂い、この感触 夢じゃない。私は ゆーくんに 選んでもらえたんだ。そう思うと 涙が溢れ出てきた。

 

「ち、千歌、泣いてるのか?なぁぁ どーすれば 、ハンカチとかないかな」

 

あたふたする 彼を 見て さらに愛おしくなった。

 

「ありがとう。ゆーくん。そして これからも 宜しくね」

 

ニコッと笑うと 慌てていた彼は ニッコリ笑い返し、彼も スッと 抱きしめてくれた。

 

この匂いも 感触も 笑顔も もう 私のものになった。そう思った矢先、さっきの命の恩人とやらの事を聞きたくなった。

 

「そういえば、ゆーくん 命の恩人ってなに?」

 

彼は 笑いながら 答えてくれた

 

「千歌には 未来永劫 分からないさ」

 

「むー!なにさ 気になるじゃん」

 

「いいんだよ 千歌は それで」

 

「えー!教えてよー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心地よいそよ風が吹き付ける。五月の夕暮れが 海を 濃いオレンジ色に染めているいる。そんな色の光が 2人の事を 強く 照らす。

 

そして、恐らく これから もーすぐ 来るであろう 雨の季節へと変わって行く。

 

これから こんな季節のように 綺麗だったり 雨が降ったり、2人の周りでは 良し悪し 様々な事が起きるのだろう。

 

それでも この人となら そんな季節も 出来事も2人にとって 良い 思い出に変えていける。

 

 

そう この情景が 物語っているようだった。

 

 




最後まで読んで頂きありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2年ぶりハグ #松浦果南

澄み渡った青い海。水中を魚たちが泳ぎ、水底の砂利を巻き上げている。

それはまるで 雪のように舞い散り、碧色の水と混ざり合い 幻想的な絵面を見せてくれる。

 

水の中は好きだ。心を無に出来る。嫌なことも全て この時だけ忘れられるから。

いっそのことずっと潜っていたい。いつもそう思う。

 

息が苦しくなってくる。人間は数分しか水の中にしか居られない。私の下で泳ぐ魚たちはみんなずっと潜って居られるのに。子供の時から羨ましいと思っている。

 

 

 

水面に上がり、身体を仰向けにプカプカと浮かぶ。足りなくなった酸素を身体に取り込む。海の中はあんなに綺麗なのに、空は灰色に曇り、冷たい雨が 痛いほど体に叩きつけていた。

 

腕につけた 防水時計の針を見る。時刻は午後2時前を指している。

 

そこで ハッとする。鞠莉がうちに来るんだったと思い出す。

 

近くに留めていた船に上がり込み、数メートル先のダイビングショップ兼私の家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「チャオ 果南」

 

「ごめん 待たせちゃって」

 

金髪を肩あたりまで伸ばした、日本人離れしたルックスの持ち主 小原鞠莉はショップの船乗場で傘をさして手を降っていた。

 

「いいけど、また一人でダイビングしてたの?」

 

「うん。平日だしお客さんあまり来ないしね。」

 

「雨だよ?」

 

苦笑いしながら 傘に入れてくれる。

 

「まぁ これぐらいなら 余裕だからね!」

 

「相変わらず、果南はマーメイドですね〜」

 

そう言いながら 家の中に入って行く。

 

濡れたウエットスーツを脱ぎ 軽めにシャワーを浴びて 私服に着替える。

 

鞠莉はその間にお茶やらお菓子やらを用意してくれていた。

 

「大学楽しい?」

 

「とっても エンジョイよ!いっぱい友達も出来たし!」

 

「花の大学生だねぇ。ダイヤは?大学ではどんな感じ?」

 

「あのまんまよ。友達にも しっかり者のヘッポコピーのダイヤさんで通ってるわ」

 

「いいなぁ 楽しそう。彼氏とか出来ちゃったり?」

 

「そんな訳でないでしょー。良い男が居ればねぇ。」

 

「そんなもんなんだ」

 

「それより果南は?どうなのよ」

 

ギクッとする。痛いところを突かれる。

 

「いえ、特には。そもそも私は大学行かず家業継いだんだから」

 

そう言うと鞠莉はジトっと私を見て言った。

 

「悠斗とは どーなってるの?」

 

やっぱりその話か。

 

「どうもこうも、何も無いです。たまに千歌や曜とかと遊びに来たりするけど。」

 

「はぁ。寄り戻したいとか思わないの?」

 

「それを、言われると。戻したいけど、どうすれば。」

 

私は 1つ下の幼馴染の柏木悠斗と中学生の時から高校一年の時に掛けて付き合っていた。

高校一年の時、鞠莉やダイヤとスクールアイドルのゴタゴタで別れる事になってしまったのだ。

 

「素直に寄り戻したいって言えばいいじゃない」

 

「そう言えれば苦労しないよ。あんなに酷いこと言ったんだから。」

 

私は、鞠莉との一件で、全てが嫌になり、大好きだった 悠斗に酷いことを言って無理矢理別れたのだ。

 

「でも、私達が仲直りして、aqoursに戻るきっかけ作ってくれたのは 彼よ?」

 

「そ、そうだけど」

 

「そんなウジウジしてると、私が取っちゃうよ〜?」

 

「それはダメ!」

 

「あ〜!やっぱりまだ好きなんだぁ」

 

鞠莉はそう言いクスクスと笑う。

 

はめられた。顔が赤くなり体温が上がるのが自分でも分かった。

 

「イッツ ジョーク。でも、顔はカッコ良さのかけらも無いけど、あの子美女とかになぜかモテるからねぇ…。大学行ったら それこそ 彼女とか出来ちゃって取り返しつかないことなるわよ?

 

悠斗が 他の知らない女の子と歩いてる姿を想像すると、胸がチクチクする。

 

aqoursが解散して、この事をちゃんと話し合いたいとずっと思っていたのだが、私の意気地なさでここまで伸びてしまった。

 

「でも、高3って言う大事な年だし、迷惑になるんじゃ無いかな」

 

「そんな事 ユートが考えると思う?」

 

「思わないけど」

 

「でしょ?」

 

「でも、私のこと 嫌いになってる確率の方が高いし。」

 

「リアリー?なんで?」

 

「付き合ってた頃とかは 居心地いい感じで、話しやすかったけど、今は さん付けで敬語だし、私と2人になるのを避けてる感じするし。」

 

「まぁ、仕方ないと言えば 仕方ないけどねぇ。あんなことがあったんだし」

 

「やっぱり、無理だよね。」

 

がっくり肩を落とす。

 

「無理かどうかは置いといて、果南がどうしたいかでしょ?このままじゃ 後悔して泣くことになるよ?」

 

「それも嫌だ」

 

こんな中途半端な優柔不断な女を誰が好きになると言うのか。自分で自分が嫌になる。

 

「まぁ、ユートの事だから、気を遣ってるだけだと思うけど?私達の仲を戻して、aqoursに戻す為に 1番裏で尽力してくれた子だし、嫌ってるとかでは無いと思うよ?」

 

aqoursが9人ででいられた理由は、間違いなく彼のおかげだ。

 

私達 初代aqoursの時も チラシ配りなど色々手伝ってくれたりしてくれたし、私と鞠莉とダイヤの関係を前以上に良く修復してくれたし、他のメンバーの良き理解者でもあった。

 

人見知りな ルビィちゃんや花丸ちゃんですら すっかり心を許している。

 

「千歌っちや 曜にも 取られるかもだよ?あの子ら昔から仲良いし。しかも梨子という新たな宝石まで すぐ近くに居るんだから、おちおちしてらんないわよ?」

 

「でも、」

 

「まぁどーするか決めるのは、果南の判断だし、とやかくは言わないけど、しっかり考えた方がいいよ?」

 

「うん」

 

そう、鞠莉に煮え切らない返事を返した。ここから気を遣ってくれたのか この話は一切せずに今日一日が終わった。

 

けれど、私はずっと胸の奥に引っかかっていた。

 

 

 

 

 

やっぱり、彼とやり直したいのだと。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久々に果南ちゃんの所に遊び行こうよ!」

 

朝から 眠たさが勝ち、学校にどんどん近づいて行くバスに、俺 柏木悠斗が嫌気がさしていた時、唐突に俺の後ろに座る千歌がそんな事を言い出した。

 

「久しぶりっていうか、つい2、3週間前に行ったくない?」

 

曜が苦笑いしながら 千歌にそう言うと、千歌は海の見える方の窓を指差した。

 

「最近暑くなってきたし、ダイビングしたいなっておもってさ!」

 

「私も行きたいな」

 

俺の横に座っていた 桜内梨子も千歌の言うことに珍しく賛同した。

 

「梨子ちゃん 分かってくれる?!私は今泳ぎたくてしょうがないのだよ」

 

「なら 私も 行くであります!」

 

もうすでにお馴染みの 敬礼ポーズを取ると、3人の目線がこっちに向いて来た。

 

「これは悠くんも行くって言う空気だよ!」

 

「そーだよ!悠斗行こうよ!」

 

「待て、曜。お前 毎日プールで泳いでるじゃん。何故そこまではしゃぐ」

 

「海とプールとでは勝手が違うのですよ!部活と遊びとではテンションも違うのです!」

 

「あー。それはなんとなく分かるけど。お前たち本当に泳ぐの好きだよな。」

 

「悠くん泳ぐの嫌いなの?」

 

「嫌いではない。むしろ好きな方だが、君たちが可笑しいくらいに好きすぎるだけ。ついこの前 プールに泳ぎに行ったろ?」

 

「あれから1週間経ってるじゃん!」

 

「もはや魚人だな」

 

「人魚って言ってよ。なんかやだそれ」

 

行こうよ〜と駄々をこねる2人を横で見守る桜内が苦笑いしている。

 

なんだかんだで桜内も行きたいようだ。ここに転校してきてもう彼女は1年以上経つ。すっかり千歌や曜に 内浦色に染められている。

 

「でもなぁ、最近梅雨で雨が降ってるし、危なくない?」

俺がそう言い放つと フフンと後ろの2人がドヤ顔をした。

 

「果南ちゃんというプロがいるではありませんか!」

 

「まぁ確かに あの人なら 無理なら無理って言ってくれるし、安全ね」

 

「果南さんね。分かったよ。」

 

「やったぁ!」

 

そう言うと2人はハイタッチをする。

 

後2つ先に千歌達が通う学校の前まで着くというところまで来た所で 桜内が俺に向いて話しかけてきた。

 

「そういえば、果南ちゃんや千歌ちゃんや曜ちゃんと柏木君って小さい頃からの幼馴染なんだよね?なんで柏木君は 果南ちゃんにさん付けで敬語使うの?いくら年上といえど幼馴染なんだし、なんか距離感じない?千歌ちゃんなんか普通にタメ口ではなしてるのに」

 

痛いところを突かれギクっとする。

 

後ろをチラッと見ると、千歌や曜は 目を見開いて 冷や汗ダラダラかいている。

 

「まぁ、それは、あれだよ!悠くんが恥ずかしがってるだけだよ!」

 

「そ、そうそう!悠斗さんは 恥ずかしがり屋さんだから!」

 

待て、その反応おかしいだろ。明らかに何かあるって感じモロ出してるぞ。

 

はぁと ため息を一つ吐く。

 

自分にとって 思い出したくないのに、忘れられない出来事がよみがえる。

 

「え?なに?聞いちゃいけなかったの?ごめんそうとは知らずに」

 

「いや、別に気にすることないよ」

 

焦る桜内を見て、そう笑って返す。別に悪気があって聞いた訳ではないのだ。逆にこんな空気にしてしまった俺たちが悪い。

 

そんなこんなで 彼女達の学校にバスが着く。

 

すると千歌が立ち上がって、ビシッと俺に指をさしてきた。

 

「ともかく、明日の土曜、果南ちゃんの所に行くのは決定事項だから!忘れずに!」

 

そう言うと 何故か威張った格好で バスをズンズン降りて行く。

 

桜内が 俺を見て 申し訳なさそうに 手を合わせているので、俺は それに手を振り返す。

 

1番最後に降りる曜が また連絡するね!とウインクして降りていった。

 

彼女達が降車すると 俺しか居なくなったバスが動き出した。

 

灰色の雲が空を覆っているのを見て、今日もまた雨が降りそうだと 自分で予想する。

 

傘を持ってきて正解だった。

 

ふと後ろを見ると、見覚えのある水色の傘が窓の所にかかっていた。曜が忘れて行ったんだなと思い それをこっち側に持って来る。一人で傘を2本持っているのって、学校で変に思われるかな。

 

そんな事を考えながら、再び外の海を見ると、明日の事を思い出した。

 

桜内が質問してきた事で思い出してしまったあの記憶。

 

そのせいで 明日 彼女の所に行くのに 今から緊張してしまう。

 

それを紛らわす為に、イヤホンを耳に挿し、千歌が おっさんが聞く曲みたいといつも言ってくる、自分のプレイリストの先頭の曲を再生した。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

「昔 果南ちゃんと悠斗君が付き合ってた?!」

 

「そうなんだよ。だからあの質問の後まずい空気なったの」

 

「つまり、私は禁句を言っちゃたって事か」

 

お昼休み。元aqoursのみんなでお昼を食べるのが日課になった今、私達三年生とルビィちゃん達二年生が毎日こうして集まる。

 

いつもなら たわいもない会話をするのだが、今日は 朝から気になっていた事を 聞いてみた。

 

「え?果南と悠斗ってそんな関係だったの?」

 

善子ちゃんが私と同じ反応をする。

 

「オラも知らなかったずら」

 

「千歌ちゃん、やばいよ。これ言っちゃって良かったやつなの?悠斗怒ったりしない?」

 

焦るように聞く曜ちゃんを 千歌ちゃんはなだめる様に答えた。

 

「まぁまぁ、悠君はこんな事で怒ったりしないよ。私達のこと信用してくれてるし」

 

「ほんとかなぁ。果南ちゃんにも怒られないかなぁ」

 

「大丈夫!aqoursに隠し事は無し!」

 

「そんな約束あったっけ?」

 

「今決めたぁ〜!」

 

えへへと笑う千歌ちゃんの横で ルビィちゃんがスッと手を挙げた。

 

「ちなみに私は 知ってたんだけど」

 

「そーなの?」

 

「はい。まぁお姉ちゃんが 果南ちゃんと仲良いから、チラッと聞いたことある程度だけど」

 

「元カノって事は 別れたんでしょ?なんで?」

 

善子ちゃんもが 痛い所を突いた。それを聞いた花丸ちゃんが キッと善子ちゃんを睨んだ

 

「ほんと善子ちゃんはデリカシーないずら。全然善い子じゃないずら」

 

「な、別にいいでしょ!気になっただけなんだから。あと、ヨハネ!」

 

「あの2人が2人きりで喋ってるとなんか 誰にも入れない様な 独特な雰囲気出すよね。それがずっと気になってたんだけど。そう言う事だったんだ」

 

「2人が別れちゃった理由は?」

 

再び善子ちゃんが聞き直すと、曜ちゃんは首を傾げた。

 

「それが、分からないんだ。」

 

「気になったんだけど、根掘り葉掘り聞くのはデリカシー無いし、聞かなかったんだよね」

 

下を向き、お弁当をつつく。何故か 暗い空気になり、少しの間 無言が訪れる。話題を振った手前、何か話さなきゃと思ってると、千歌ちゃんが沈黙を破った。

 

「でも、果南ちゃん 多分 悠君の事 まだ好きなんだと思うけどなぁ」

 

「え?そーなの?なんで?」

 

「鞠莉ちゃん達が aqoursに入って、元3年生達が仲直りしてから、果南ちゃんが 時々 寂しそうな目で悠君見てたし。特に最近 果南ちゃんの所に悠君と行くと ずっと見てる。」

 

「あ、それ私も思ってた」

 

 

曜ちゃんが続けざまに言う。

 

「今の果南ちゃん、すごく苦しそうなんだよね。多分、果南ちゃんにとって まだ悠君は忘れられないんだと思う。」

 

地面を見つめて 話す千歌ちゃんに 花丸ちゃんが パンをかじりながら質問した。

 

「肝心の悠斗君は どー思ってるずら?」

 

「それが、分かんなくて、今日も 梨子ちゃんがその話しした時、怖い顔してたから、もしかしたら、悠君の方は何も思ってないのかも。」

 

「それはそれで、なんか悲しいずら」

 

「果南ちゃん可愛そう。。」

 

花丸ちゃんとルビィちゃんも 下を向いてしまう。

 

「何があって 別れちゃったのかは、本人達しか知らない事だしね。」

 

「そうだ!」

 

急に何かを思いついたらしく、千歌ちゃんが立ち上がって言った。

 

「鞠莉ちゃんやダイヤさんなら知ってるかも!」

 

「その手がありましたか!」

 

「ルビィちゃん!」

 

千歌ちゃんが、ピギッと反応するルビィちゃんにビシッと人差し指を指した。

 

「ダイヤさんからの情報収集という任務を与えよう!お姉ちゃんを誘惑するのだ!」

 

「誘惑って、」

 

「私達は 鞠莉ちゃんに聞こう。今日、勉強教えて貰うって事で 夕方会いに行こう!」

 

「急すぎない?私部活あるけど」

 

「あちゃー。じゃあ曜ちゃん抜きで 私と梨子ちゃんで鞠莉ちゃんの所に、ルビィちゃん達はダイヤさんを任せた」

 

「くくくく。我に与えられし任務を しかと遂行するとしよう」

 

「いや、聞くだけだし、やるのはルビィちゃんだし」

 

そうしてると予鈴が鳴り、全然食べれなかったお弁当の蓋を閉め、来たる夕方に向けて、千歌ちゃんが 携帯電話を操作していた。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

小刻みに揺れる車内で 頬づえを突いて窓の外を見る。

 

朝はあれだけ騒がしかったのに、1人になると急にしんみりとする。

 

いつもは 彼女たちの時間に合わせて帰るのだが、今日は 『鞠莉ちゃんの所に行ってくるから 1人で帰ってていいよー!』とメッセージが来ていたので 1人寂しくバスに揺られているのだ。

 

予報通り 雨が降っている外は 薄暗く、気分まで滅入ってしまう。

 

「ちょっと お兄さん お尋ねしてもええかな?」

 

「なんですか?」

 

バスに一緒に乗り、前の席に座っていた おばあさんが 話しかけてきた。

 

「次の所でおりたいんやけど 目がなかなか見えんくて、停車ボタンと 横のカバンに入っとる 私の財布から220円出してくれると助かるんやけど」

 

言われた通りに 停車ボタンを押し、カバンの中から財布らしきものを取り出し、小銭をおばあさんの手のひらに 置いた。

 

「助かったわ。ありがとうな」

 

「いえ、外は雨なんで 転ばないように気をつけて帰ってくださいね。」

 

「優しいお兄ちゃんで 助かったわ。最近の子は無愛想って聞いてて、話しかけるかどうか迷ってたけど、ええ人もおるもんやなぁ。」

 

「ははは…それは、良かったです。」

 

そう言うと おばあさんは 杖をつきながら バスを降りていった。

 

無愛想か。恐らく、目が見えてて、俺の顔を見ていたら、話しかけるのやめてただろうな。なんせ顔が濃すぎるんだもん。友達には犯罪者だのテロリストだのって弄られるし。

 

バスが止まる。中には俺1人しか座っていないので 恐らく 人が乗ってくるのだろう。

 

後ろのドアが開く音がする。窓の外を見ているので、誰が入って来たのかなんて 分からないし、興味もない。

 

しかし、その人は 俺の近くまで来て 突っ立っているのを気配で感じた。うっすら窓に映る 車内の風景に 見知ったイルカの絵の服を見たとき、ハッとした。

 

横を向くと、ずぶ濡れの 松浦果南がこっちを見ていた。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

これぞまさに お嬢様。そんなイメージピッタリの 小原鞠莉ちゃんの部屋では、真ん中の大きな机に、マカロンや、エクレアやシュークリームといった 女の子大好きなお菓子達が並べられている。

 

千歌ちゃんはそれを うまいうまいと バクバク食べているし、鞠莉ちゃんはそれを紅茶を飲みながら 嬉しそうに見ている。

 

なんか 飼い主とペットみたいと 勝手に想像してしまった。

 

「それで?果南と悠斗の何が聞きたいデスか?」

 

本題を忘れていたのか ハッとした千歌ちゃんが、お菓子を置き 鞠莉ちゃんに向かいあった。

 

「なんで、2人が別れちゃったかって 理由を知りたくて」

 

「知ってどーするんデス?」

 

「それは…その。果南ちゃんが苦しそうな感じだし、このままじゃ、2人とも ダメになっちゃうような気がして。」

 

「それは同感デース」

 

「何かしてあげられないかな」

 

「梨子はともかく 千歌っちは 悠斗とずっと一緒にいるのよね?好きだったりしたことないの?」

 

鞠莉さん グイグイいくな。千歌ちゃんは ほけーっと聞いているが。

 

「いやぁ…まぁ 昔はあるよ。でも 悠くんが果南ちゃんの事ずっと追いかけてたから 諦めざるを得なかったっていう…あはは」

 

「じゃあ まさに今チャンスじゃないの?」

 

「うーん。なんか違うんだよね。そもそも、もう終わった気持ちの話だし、今は なんかお兄ちゃんって感じかな?」

 

千歌ちゃんがそうなら 曜ちゃんはどうなんだろう。もしかしたらって事もあるし。

 

いや 考えるのはよそう。昼ドラみたいな感じになってくるし。

 

女の子は怖いんだし。例え 曜ちゃんといえど。

 

「まぁ、あなたたちが どうこう言おうと、どーするか決めるかは当の本人達だから、そこは忘れないでね」

 

「うん。」

 

手に持っていた紅茶を 一口飲み、鞠莉ちゃんは口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「果南が もう好きじゃなくなったって そう突き放して 悠斗を 振ったのよ」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

バスの1番後ろの席に 彼の横に 一人分のスペースを空け 腰を下ろす。

 

ランニング中、急に雨に降られたものなので、仕方なくバスで帰ろうと 乗り込んでみると、悩みの原因である 人物が座っていた。

 

なんだか 気まずかったのだが、挨拶くらいはしておこうと思ったのだが、流れで 彼の横に1人のスペースを空けて中途半端に座ってしまった。

バスが走り出して 数分 お互い何も話さない。いつもは千歌や曜がいるから 会話が成立していたけれど、2人になると、こうも極端に話さなくなる。

 

いや、そもそも 2人きりになるのは 高校卒業してからは初めてかもしれない。何か話題をと考えていると、悠斗の方から話しかけてきた。

 

「なんでそんなにびしょ濡れなんですか?」

 

「いやぁ…ランニング中に雨に降られてさ 予報とか見てなかったし 傘もないし 帰りはバスに乗ろうと思って」

 

「風邪ひきますよ。これ、使って下さい。」

 

そう言ってタオルを渡してくれる彼を見て 胸がチクっとする。

 

やっぱり 敬語。距離を感じる。

 

「あ、あのさ…

 

「そういえば、明日 千歌達が ダイビングしに行くって 言ってましたよ」

 

話を遮られてしまう。

 

「そ、そーなんだ。準備しておくよ。」

 

「忙しいのに ほんとすみません。」

 

「それは別に良くて、その…」

 

私がそう続けようとすると なんですか? と首をかしげる。

 

「明日は 悠斗も来てくれるの?」

 

「はい。千歌が無理にでも連れて行くーって うるさいので、宜しくお願いします。」

 

良かった。明日も悠斗と会える。そうホッとしているとバスが停まった。

 

「じゃあ 俺はここで失礼しますね」

 

「あ、うん。」

 

彼が立ち上がると 私の前に傘を差し出して来た。

 

「まだ雨降ってるんで これ 帰りに使って下さい。俺は 朝 曜が忘れていった傘あるので」

 

「あ、ありがとう」

 

「では、俺はこれで」

 

そう言い 前の出口まで 歩き出した。それを見て 急に寂しく、切なくなる。

 

私は立ち上がり 彼を呼び止めた。

 

「明日 楽しみにしてるから」

 

それを聞いた彼は ニッコリと笑い はい と一言だけ残し バスを降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は 鞠莉の留学の為に、友達の為に 嫌われてでも 鞠莉の将来を優先した。

 

スクールアイドル活動は 私達にとって 輝くような時間だった。それを踏みにじってまでして 鞠莉を突き放したのは 正しかったのか 間違いだったのか それは今でも分からない。

もっと素直に 正直になっていれば良かったと心底思う。

 

私が意固地になったせいで 高校3年間のうちの1年間無駄にしてしまった。

 

しかし それをどうにかしようと もっと良い方法があるのではないかと 必死に考えてくれている 人が居た。

 

いつも 隣に居てくれた人。私を1番隣で見ててくれた人。

 

 

 

 

 

 

蘇るあの日の思い出。

 

 

 

 

 

ザーッという雨の音が より一層 その記憶を鮮明にさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日。砂浜の堤防の上で 私と悠斗とダイヤは話し合って居た。雨が降って来たのを 三人とも気づかないくらい 話はヒートアップしていた。

冷たく突き放す私の考え方を 悠斗は 珍しく 真っ向から否定した。

 

「そんな考え方 これからまだあるかもしれないチャンスを 壊すことになる。考え直した方が良いって」

 

「だから これが一番考えなの!冷たく突き放さなきゃ 絶対 鞠莉は ここに残るっていうに決まってる!」

 

「果南は 熱くなって 周りが見えなくなってるだけだって!一回落ちこうよ」

 

「悠斗さんの言うとおりですわ。ここでムキになるのは 間違ってます。」

 

悠斗にも そして、ダイヤにも否定されて そして、来る現実に周りが見えてなかった。

 

「だいたい、ダイヤはともかく 悠斗は これに関しては関係ないから いちいち でしゃばって来ないでよね」

 

「え?」

 

「な、果南さん 今のは 聞き捨てなりません!貴方のことを思って 必死に考えてくれてるものを」

 

「だから、うっとおしいんだよ。私たちの気持ちなんか知らないくせに 中学生が一人前に 首突っ込んできて。」

 

「俺は、その、彼氏として 果南の役に立とうと…」

 

「そんな時だけ 彼氏面するのやめて。普段は私に何もしてくれないくせに。」

 

「果南さん 一旦落ち着きましょう。ね?」

 

「悠斗なんて 大嫌い。今すぐここから 居なくなって」

 

「果南さん 貴方何を言って、

 

「それは、別れるってこと?」

 

下を向きながら ボソッと呟いた。

 

「そう。もう好きじゃないから」

 

私がそう言うと、雨の降る中 彼は わかったと一言 言い残し トボトボと歩いて帰っていった。

 

「貴方、本心でそれを言ってるのですか?!今のは いくら果南さんでも 味方できません!」

 

「でも、鞠莉の為、これじゃないと あの子は絶対残るって言う。だから ダイヤ あなたも協力して」

 

そして、彼女の将来の為に 私達は 鞠莉を冷たく突き放す事により、留学に行かせることができた。

 

しかし、その負い目はすぐにやって来た。

 

鞠莉が居なくり、ダイヤともあんな事があった為、2人ぎこちなくなり 距離ができ、 もはや 学校なんて楽しくなく どうでもいい毎日が来るだけ。

 

そしてもう一つ。

 

あれから悠斗から 一向に連絡が来なくなった。そりゃ、そうだ。あんな事を言ったのだから。

 

本心じゃない。熱くなって でまかせを言ってしまった。

 

彼は 真剣に 私たちのことを考えてくれていた。

よく考えれば、あの相談だって 悠斗に手伝って欲しいと打ち明けたのは私だ。

 

事が落ち着いてようやく周りが見えて来たときに気づいた私の愚かさ。

 

大嫌いなんかじゃない。ずっと昔から好きだった。幼稚園から小学生からずっと。

 

私が中学2年の時、悠斗も私の事が好きだと言ってくれた。

 

嬉しさのあまり 思い切り彼に飛び付いたのを覚えてる。

 

胸が張り裂けそうになる。私はあの時、一番大切な何かを忘れていた。

 

彼の行為に甘えていた。しかもそれを 周りが見えない私のせいで 断ち切ってしまった。

 

それから、彼は 私に 敬語を使うようになった。私と会うときは 常に千歌や曜が一緒。完全に彼は私と距離を取っていた。

 

なんとかして、関係を戻したいと何度も思った。

 

甘えたい。触れ合いたい。ハグしたい。キスしたい。

 

そう思っても、もうそれはもう遅かった。

 

だが、それから1年 千歌がスクールアイドル活動を始め、鞠莉も留学から帰って来た。

 

一筋の光がさした瞬間だった。

 

私と鞠莉とダイヤ。この関係はもう二度と戻らないと思っていた。

 

けれど、千歌や曜、aqoursのみんな、そして なにより、悠斗が 私達をaqoursに迎え入れてくれた。 地獄の底から引っ張り出してくれた。

悠斗はもう一度私たちの為に aqoursというグループを支えてくれた。

 

私の為じゃないのかもしれない。それでも嬉しかった。

 

辛かった日を忘れさせてくれるかのようaqoursでの活動は 楽しかった。

 

しかし、同時に こんな私にも もう一度手を差し伸べてくれた彼の事が もっともっと忘れられなくなっていった。

 

 

好きで好きでたまらない。

 

でも、私は、寂しい視線を彼に送ることしかできなかった。

 

満たされているはずの今の心も ポッカリと大きな穴が空いている。

 

走るバスの窓の外を眺め、そんな事を思い出し、 はぁとため息を吐く。

 

やり直したいというのは やっぱり ダメなのかなぁ。

 

そう思いながら 1人取り残されたバスの中で、貸してもらった 悠斗の匂いが若干残ったタオルを顔に押し当て、片方の手でギュッと傘を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

家に帰って すぐ風呂に入った。

 

なぜか 一人で考え事をしたくなったからだ。まぁ 考えることなんて決まっているが。

 

今日会った果南さんのことを思い出す。そういえば あの人と2人で話すのは あれから数える程しかないと思う。

自分なりにあれから気持ちに整理はつけたつもりだったが、桜内に聞かれて、果南さんと偶然会ってと 色々あり、あの事を思い出してしまった。

 

まぁ、俺がなんと言おうと あの人に嫌われてちゃ どうにもならないし。

 

そんな事を考えながら、風呂から上がると 妹が俺の所にかけ寄ってきた。

 

「お兄ちゃん 電話鳴ってたよ」

 

「おー。サンキュー」

 

「珍しくお風呂長かったね。私 傘忘れてびしょ濡れだから 早くどいたどいた」

 

そう言いながら 妹がシッシと手を振ると 脱衣所に入って行く。

 

妹に言われた通り 携帯を確認してみると 桜内から着信が来ていた。

何事かと掛け直すと 3コールで 彼女は出た。

 

「おー 桜内か?さっき電話もらったけど 何か用があった感じ?」

 

「あ、うん。その 今日のことを謝っておこうと思って。」

 

あの朝のバスでのことか。

 

「気にしてないよ。桜内は律儀だなぁ」

 

「それって褒めてるの?」

 

「もちろんもちろん。あなたの長所ですよ」

 

くそまじめだからな 桜内は。それが良いところでもあるんだが。

 

「その、それで 千歌ちゃんや 鞠莉ちゃんから話を聞いて、」

 

その言葉だけで 何のことか すぐ検討がついた。俺と果南さんとの事だろう。

 

「そうか。隠すつもりは無かったんだけどさ。まぁ そういう事だから って言っても どうすることもできないし」

 

「柏木くんは どーしたいの」

 

桜内がそんな事を聞いてくる。

 

「どーするも何も 嫌われてるんだから 何もできないし。」

 

あの日、俺は果南さんに 大嫌いだと言われ、拒絶された。

 

力になりたかった一心の気持ちが 彼女には疎ましく思ったのだろう。

ただ 自分なりに 整理はつけたし、1年後 果南さんを新生aqoursに加入させる事で 責めてもの罪滅ぼしはしたつもりだ。

 

そう考えていると 桜内の声が 電話から聞こえて来た。

 

「私は 果南ちゃんは 本心でそう言ったんじゃ無いと思う。」

 

「どーしてそう思うんだ。」

 

「女の勘ってやつよ。果南ちゃんとは 話したりするんでしょ?」

 

「仕方なくってことだろ。」

 

「そうじゃない。ただなんとなくだけど、果南ちゃんは 柏木くんと ちゃんと話したがってると思う。」

 

「話すって 一体何を。」

 

「もちろん 2人のことだと思う」

 

「嫌いだと言われて 他に何を言われるってんだ。心が持たん。勘弁してくれ。」

 

「違うそうじゃない。ただ単純に 果南ちゃんは 思っていることを 柏木くんに伝えたいだけだと思う。それから 柏木くんの事も聞きたがってると思う。」

 

「そう言われてもなぁ。あれから まともに話すことなんて 本当に無かったんだし。今更な感じが…いや、そういや今日果南さんと2人で久しぶりに話したな」

 

「そーなの?どんな話?」

 

「千歌が 明日行くからよろしくって」

 

「他は?果南ちゃん 何か柏木くんに言ってなかった?」

 

今日の会話を思い出す。本当に 事後報告みたいな事しかしてないし 俺に何か言ってたことなんてしれてるし。

 

「明日は俺もくるのか?ってのと、楽しみにしてるってぐらいかな」

 

電話の奥で やっぱりと呟く声が聞こえる。

 

「明日 果南ちゃんが 柏木くん何かに話そうとしてたら ちゃんと聞いてあげてね。2人で話せる環境も作るから。」

 

「待て。話ってなんだ。どーしてそんなこと分かる。」

 

「だから 女の勘よ。いい?これは 私 桜内梨子としてからのお願いでもあるんだからね?」

 

「うーん。納得した訳では無いけど とりあえず分かった。でも本当に話ってなんなの?」

 

「明日になれば分かるわ じゃあ切るわね?おやすみ」

 

そう言い残し 電話を切ってしまった。一体何だったんだ?

 

そう思いながら電話を置き、今日のことを思い出す。

 

あのバスの中。最後に呼び止められ 楽しみにしてると言った彼女の顔が 少し 自分の胸をドクンと脈打った。

 

俺はまだ 未練があるのか。

 

いや、考えるのはやめよう。変に期待を持たすと後で辛くなる。もうあんな思いしたくないし、させたくない。

 

どうなろうと もう 受け入れる覚悟はある。

 

ただ さっき電話して 思い出して 感じたことがある。

 

果南さん達がaqoursに戻った時に言ったありがとうの表情。そして、今日 バスで 楽しみにしてると言った あの顔が 少しばかり似ていると。

 

ふと窓の外を見ると 満月ではない 中途半端な 形の月が リビングの窓から見える。

 

その形に 何故か不気味さを覚え カーテンを閉めた。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「やぁ!来たよ果南ちゃん!」

 

土曜日の午後1時。お昼を食べてからの集合となった今日のダイビング。

 

果南さんの家でもある ダイビングショップに行くと もう既に 人数分のウェットスーツが用意されていた。

 

「待ってたよ。今日は晴れてるし絶好のダイビング日和だ」

 

「雨降ってても 果南ちゃんは一緒じゃん」

 

曜が突っ込む所に納得してしまう。この人 天気とかあんま関係ないし。

 

そんな事を考えながら すぐ隣にいる桜内に俺は声を掛けた。

 

「昨日のことなんだけど あれ やっぱ無しって事にならない?」

 

「果南ちゃんが 話したがってるから 話してあげてってやつ?どーして?」

 

「やっぱ色々考えると 今更感あるし、そもそも 向こうが話をしたがってるって根拠も無いだろ?」

 

俺がそう言うと 桜内は 分かりやすいように ため息をついた。

 

「ダメよ。約束したでしょ。もし向こうから何も言ってこなかったらそれでいいけど 話したいって言って来たら ちゃんと向き合う事」

 

「なんでそんな事わかるんだよ」

 

「まぁ、私たち aqoursの情報力よ。ルビィちゃん達に協力してもらって ダイヤさんや鞠莉ちゃんから色々な事聞いたから分かるの。それから私の勘」

 

俺の知らないところで なんか話が勝手に進んでるらしい。後 勘っていうのもよく分からんが。

 

うーんと唸っていると ジトっとした目で睨んでくるので 観念しする事にした。

 

まぁ 向こうから何も言って来なかったら 何も話さなくて良いんだし。その時考えよう。

 

そう勝手に自分の中で結論付ける。

 

 

ウェットスーツに着替え 果南さんの操縦する船に乗り、ダイビングポイントまで移動する。

千歌と曜、それから桜内が 海に入って行くのを見て 俺も入ろうとすると 桜内が指でペケ印を作って俺に言った。

 

「約束忘れてない?ちゃんと2人で話せる環境も作るからって言ったでしょ?あなたは果南ちゃんとここに残る事。いい?」

 

せっかく来たんだし 泳ぎたかったんだけど。と言おうとしたが また冷めた目で見られるので わかったと頷いて船で残る果南さんと ここに残る事にした。

 

「あれ?悠くん入んないの?」

 

そう言う千歌の耳元でコソコソと何かを話す桜内。それを曜も耳を近づけて聞いている。

 

すると それを聞いた千歌と曜は、ほうほうと頷いた後、ごゆっくり〜と早々に三人で潜っていってしまった。

 

必然的に2人になる船の上は 案の定 無言という世界が広がる。海の波が船底に当たる音が鮮明に良く聞こえる。

 

なんか気まずい。どーしたものかと考えていると、ジーッと視線を感じたので 振り返ると 果南さんがこっちを見ていた。目が合うと 何故か頬を赤く染め 彼女は目を逸らし、下を向きながら話しかけて来た。

 

「じゅ、受験勉強はどんな感じ?志望校受かりそう?」

 

「いやぁまぁ まだ6月ですし これからって感じですかね。」

 

「確か ダイヤや鞠莉と同じ大学目指してるんだっけ?」

 

「はい。」

 

会話が途切れる。桜内が言ってた 果南さんが話したい事とはなんなんだろう。今の受験の話じゃ無いだろうし。

 

「あ、あのさ。ダイビング終わった後 夕方に少し話があるんだけど。少しいいかな?」

 

ドキッとする。

 

「話って何ですか?ここじゃダメなんですか?」

 

「お願い。ちゃんと2人で話したい。」

 

桜内が言ってた通りになった。女の勘てのは怖い。

 

妙にドキドキする。果南さんとの事は自分から

無意識に避け続けてたのかもしれない。

 

それでも この事にはちゃんと話に決着をつけなきゃならない。

 

あの事は心に整理をつけたつもりだった。

 

しかし、まだウジウジと未練を残して引きずっているのが現実。

 

腹をくくろう…

 

「わかりました。」

 

そう一言言うと 果南さんは ありがとうと にっこり笑った。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「じゃあ 悠くん 先帰ってるね!」

 

「おう 気をつけてな」

 

「果南ちゃん また来るねー!」

 

そう言い帰って行く千歌 曜 梨子ちゃんの3人を見送る。私の隣には 話があるから残ってくれと頼んだ 悠斗がいる。

 

今日 私の想いを彼にぶつけるにあたって 色々観察してみた。

 

率直なところ 脈なし。

 

そもそも 私にもう 興味のかけらもない可能性もある。

 

そして何より気になったのが、梨子ちゃんとの関係だ。

 

2人で話している事が多いし、付き合ってるのかも知れない。内気な彼女が あそこまで男の人と話せているんだから。

 

玉砕前提かぁ。なんか 呆気ないなぁ。

 

鞠莉にも 昨日相談していたが、後悔するのだけは やめようと結論に至った。

 

振られるよりも、何もせずに誰かに取られる方がよっぽど辛いと。

 

それでも 振られると分かってて 告白するのはやっぱりきつい。

 

「残ってくれてありがとう」

 

「いえ。それより話って?」

 

彼の目を見る。くっきりと見える二重に焦げ茶色の瞳。

その目を見るだけで 幸せな気分になれるのは昔から変わらない。

 

満たされていたあの頃、告白されたときの事、一緒にデートした時の事。それら全部が私の一瞬の一言でこぼれ落ちた。

ポッカリ空いた穴。鞠莉やaqoursの皆んなでは恐らくこの穴は埋められない。彼しか埋められない。

 

だから 言う。全ての気持ちをぶつけようと。

 

「好きです。もう一度 私と付き合って下さい」

 

私にもう一度 チャンスを下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

ずっと嫌われていると思っていた。

 

小さい頃から ずっと彼女の後ろを追いかけていた。走る時も泳ぐ時も。

 

何もかも 彼女の方が 自分より前を行く。彼女の背中しか見た事なかった。

 

俺が告白して 付き合ってくれた時、とても嬉しかったのと同時に 彼女に何も勝てない自分が情けなく、怖かった。

 

何か一つ 彼女よりも優れたものが無ければ 呆れられる。そう勝手に思い込んでた

 

中学3年のとき 鞠莉さんが留学するかもしれないと話してくれた。

スクールアイドル活動をしている彼女達に 何か力になれないかと 果南さんに頼み込み お手伝いとして彼女達とは面識があった。

 

ただ 初めて 弱気な萎んだ果南さんの顔を見たとき 彼氏として 男として 何か出来ないかと思った。

 

それが 果南さんには 迷惑だと気付かず。

 

俺の勝手な考え方が 決心した彼女の心を揺さぶる事も知らず でしゃばって 強がってしまった。

 

「大嫌い」そう言われた時 無力さに情けなくなった。

 

その通りだと。俺は何も出来ない。彼女と対等になりたかったという考えは 現実を突きつけられたことにより 見事に打ち砕かれ そして、大きなものを失った。

 

 

 

 

俺なんかが 彼女に近づく事も おこがましい。

 

あの時 大嫌いだと言われた日、俺はそう結論付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

「今 なんて」

 

彼がそう聞き返して来る。

 

「もう一度 私と付き合って下さい。って言ったんだけど、」

 

私がそう言うと彼は 目を見開いて 口を開けて静止する。

 

そんな彼をジッと見つめ 私は返事を待つ。

 

真剣な眼差しを送ると 彼は少し目を逸らした。何か考えているようだ。

 

何を言われようと 覚悟は出来てる。それくらい酷いことをしたのだから。

 

数秒か数分かは分からない。私がまだかまだかと待っていると彼はようやく決心したのか口を開いた。

 

「俺はあなたの背中しか見た事無かったんです」

 

「ど、どう言う事?」

 

「何をしても あなたが俺の先を行く。それがすごく嫌だった。」

 

さっきまで逸らしていた目は 私の事をジッと見ている。

「あなたに釣り合う人になりたかったんです。でも あの日もそれが出来なかった。こんな情けない俺をずっと果南さんは嫌ってるんだと思ってました。」

 

聞いたことの無い彼の本心。

 

そうか、私が無意識に彼を悩ませていたんだ。

何も考えてなかった自分を 殴ってやりたいと本気で今思う。

 

何も言うことの出来ない私は、もう振られる未来しか見えないと 下を向いた。

 

しかし、少しの沈黙の後 ただ、と彼は続けて言った。

 

「aqoursと輝いている貴方を見て、あぁやっぱり 俺は 松浦果南という1人の人間が好きなんだなと 心の隅で思ってました。」

 

「え?」

 

信じられない言葉が彼の口から出て思わず 聞き返してしまった。

 

好き?私の事が?あんなに酷いことをしたのに?

 

「あんなに酷いこと言ったのに?私の事が?あ、ありえないよ そんなの」

 

「諦めてたって言うのが正しいですかね?ずっと嫌われてると思ってたから。今果南さんが告白してくれて ずっとモヤモヤしてた気持ちがこれだと気付きました。」

 

彼はそう言って笑う。

 

「じゃ、じゃあ。私と、その付き合ってくれるって事?」

「こんな情けない俺で良ければですが 宜しくお願いします。」

 

太ももをつねってみた。痛い。

 

同時に涙が止まらなくなる。

 

「うぇぇぇん。ごめんなさい。あんな酷いこと言ってごめんなさい。ずっと好きだったんだよぉ。胸が痛かったんだよぉ。」

 

 

膝から崩れ落ちてなく私の手を彼は優しく取ってくれた。

 

「釣り合うかどうかなんて 考えないようにします。俺はあなたに好かれていたと言う事実が今はすごくすごく嬉しいです」

 

「釣り合うかとかそんなこと考えなくていい。隣に居てくれるだけでいい。」

 

「はい」

 

「後、敬語禁止」

 

泣きながら 話す私を 手を繋いで、ニッコリ笑いながら返してくれる。

 

その笑った顔が ずっと好きだった。

 

私に向けられたその笑顔に トクンと胸が弾み 我慢できずに 思いっきり抱きついた。

 

彼とハグをしたのは何年ぶりだろう。

 

匂いや感触が さらに私の胸を弾ませ 熱くする。

ウエットスーツで 恥ずかしいけれど もういいや。

彼になら どんな醜い姿も見せれる。

 

あれだけ酷いことをした私を もう一度受け入れてくれたのだから。

 

 

 

 

2年間 出来なかった 彼とのハグは 今まで一番で誰よりも キツくがっしりと もう逃さないと言わんばかりの 強さだった。

 




最後まで読んで頂きありがとうございます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海風セレブレーション #黒澤ルビィ

「ルビィね 悠くんのことが好き!だから こんな私ですが 付き合って下さい」

 

2ヶ月前に 男性恐怖症の私がそう目の前の人言った。

Aqoursのお手伝いさんとして来た彼と出会ったのが3年前。

 

男の人という事で、初めはすごく怖かったし慣れるのにも時間が掛かった。

 

彼が来て、数日経ったある日、ふと彼と二人きりになるという日が来た。

 

なんてこった。ルビィは自我を保てるのか。そんな風に ビクビクしながら 部室の端で彼を覗いていた。

 

すると彼はそんな私を見て言った。

 

「大丈夫。俺もすごく女の子苦手だから。」

 

「え」

 

「平静を保ってても 内心ビクビクだし、手汗の量とか多分 黒澤さんには負けないと思う」

 

そこから、お互いの欠点だのここがダメだのと永遠と二人で自分を晒しまくったあと、二人で大笑いした。

 

 

 

こんな人は初めてだ。

 

素直にそう思った。

 

中学生の時、ずっと箱入り娘で習い事や作法そういったことをずっとして来た私は父以外の男の人と話す機会があまり無かった。

 

そのせいか、小学生の時は 端で本を一人でずっと読んでいた為、影の薄い子として捉えられそこまで問題にはならなかったのだが、中学生という思春期、強引に話しかけてきたり、名前のわからない男の子に 私のことを聞いてきたり、遊びに誘われたり。

 

それに怯えて男嫌いが酷くなり、近くに男の人がいるとビクついたり、話しかけられたりしようものなら奇声を上げながら逃げたり。クラスでも変な奴という目で見られるのがしょっちゅうだった。

 

一年生の時は、三年に姉がいたので学校生活はなんとかなったのだが。

 

そんな風に悩む私を見て、両親は 習い事も全て好きにして良いと言われ、習い事も辞めて、それまで姉と同じだったロングヘアを切りバッサリとショートヘアにした。

 

姉が卒業し高校生になり、どうして学校生活過ごそうかと スクールアイドルの本を読みふけっていた時 今の大親友 国木田 花丸ちゃんと出会った。

 

中学生活は殆ど彼女と過ごしたといっても過言ではない。

 

好きな本の話や、スクールアイドルの話もたくさんした。

 

そんな花丸ちゃんと話す内に彼女には 男の子の幼馴染の親友がいるんだと話してくれたのを覚えている。

 

会って欲しいと花丸ちゃんに言われていたけれど、断り続けていた。

 

そして高校1年、スクールアイドルaqoursにルビィと花丸ちゃんとで加入したと同時に花丸ちゃんが 男手が必要と言い連れてきた人物。それが柏木悠斗との初めての出会いだった。

 

 

それから、二人で自分達の事を話して以来、彼に対しての恐怖心は日に日に薄れていった。

 

花丸ちゃんやaqoursのメンバーの他に男の子の友達ができた。それだけでも嬉しかった。

 

この事を家で両親に話すとほっとしながら、今度家に連れておいでと言っていたのを覚えている。

 

彼にどんどん慣れていき、男性恐怖症も克服できたと、悠くん以外のファンの男の人と触れ合ってみたものの それは思い込みで、逃げ出してしまったこともあった。

 

アイドルとして、見られる分には構わないのだが、話したりするとなると 途端に ビクついてしまう。

 

そんな私は、スクールアイドルの話を彼にするのが好きだった。

 

ちゃんと私の目を見てお世辞ではない笑顔でウンウンと聞いてくれる。

 

aqoursの活動があるたびに、また悠くんに会える。そう思うと 胸が高鳴った。

 

これが恋心だと認識したのはaqoursが解散して、私も花丸ちゃんも 2年に進級してからだった。

 

単純な話、aqoursという活動が無ければ、彼とは会えない。そもそも女子校なのだから当たり前だった。ふとそれに気づいた時、言い様のない 気分に襲われた。

 

胸が締め付けられるようなチクチクと刺すような感覚。

 

単純に寂しいという感情と、それ以外の何かが私の心を突き刺した。

 

気を紛らわすために本やアイドルの雑誌を読んでも内容もそっちのけ。

 

授業中も内容なんて入ってこなく、気づけばボーッと彼のことを考えている。

 

そんな私を見た花丸ちゃんが私を心配してくれた。

 

今の気持ちを親友に打ち明けると

 

「そ、それは 恋ずら!何という文学的な表現!はぁぁ いい響きずら〜」

 

その言葉を聞いた時 頭が真っ白になり、恥ずかしさで顔が真っ赤になったのを覚えている。

 

それからというもの、aqoursのみんなの助けもあり、2年かけて やっとそれらしいデートなど 出来るようになり、卒業式の日、違う学校の彼を呼び出し、告白した。

 

 

 

 

「こんな俺でよければ よろしくね」

 

 

 

 

そう、顔を赤らめながら言った彼に抱きついたのを覚えている。

 

それから2ヶ月、同じ大学にも進み、両親にも紹介し、所謂、公認カップルとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

そよそよと風が木を揺らす。日陰はまだ涼しいが、太陽はギラギラと日に日に暑さを増していく。

 

日向に出れば薄っすらと汗ばむほどに。

 

そんな季節の変わり目を感じると同時に、幼馴染のカップルの事を考える。

 

順風満帆、まさにその言葉通りであると私、国木田花丸は思っていた。 彼女たちはとても仲が良く、他から見ても羨ましいと思うほど。

 

男性恐怖症というのも、幼馴染である柏木悠斗の横にいるとそんなもの 元から無かったかのように、親友のルビィちゃんは 彼に心を許して自然体で話せていると思う。

 

彼といる時のルビィちゃんの顔は、aqoursのみんなや、私ですら見た事が無い顔をしているし、嬉しそうで、悠斗も楽しそうにしている。

 

そんな相思相愛の彼女たち。そういう考えを 疑うべく事になったのは、大学のとある教室で、親友である ルビィちゃんからの相談だった。

 

「最近 悠斗の様子がおかしい?」

 

「うん。なんか隠している気がして。」

 

「心当たりあるずらか?」

 

「最近、先に帰っててって言うのが多くて、まぁ、友達と遊んでるのかなとか、思ってたんだど、」

 

考え込むルビィちゃんが下を向きながら首を傾げた。

 

「けど?」

 

「ここ最近、遊びも 用事があるって キャンセルされるし、大学でお昼ご飯も 用があるから一緒に食べれないとか、食べても すぐどこか行っちゃうし、誰かとコソコソ電話してるし、そのくせ 私と電話してくれないし、メッセージの返信も遅いし。」

 

「な、なんかおかしいずら それ」

 

「だよね。絶対 何か隠してると思うんだけど。この前 家に行った時 聞いても はぐらかすだけだし、答えてくれないし」

 

シュンとしぼむ ルビィちゃんを見て、可愛いと思ってしまった事は 黙っておこう。

 

「明らかに動揺してたんだよねぇ」

 

「なんかおかしい所はあったずらか?」

 

 

 

「匂い。」

 

 

 

そう言うルビィちゃんの目は 彼女の髪で少し隠れているせいか、目元に 影が出来ている。少し怖い。

 

「に、匂い?」

 

「そう、悠斗君の服から、嗅いだことない 香水みたいな匂いがするの」

 

「そ、そんな事 わかるズラか?匂いなんて、ちょっと難しすぎない?」

 

「簡単だよ。いつも悠斗君の横に居るんだから、」

 

 

ニッコリと笑うルビィちゃん。その笑顔は、今まで見たことないくらい 怖い。

 

「ほ、他には?もっと 確実なる証拠的なものとか 思い当たる?」

 

「今まで、おじさんみたいな服装だったのに、最近 お洒落してるところ」

 

確かにそれはおかしい。小学校の頃から 悠斗とは一緒だが、お洒落なんて彼が気にする訳がない。しかも、香水なんて、絶対に付けたりしない。10年以上一緒にいて、それは断言できる。

 

「それは、女ね」

 

声がした方に振り向くと善子ちゃんこと、津島善子がお決まりの厨二ポーズを取りながら立っていた。

 

「どこから聞いてたの?」

 

「最近おかしいから」

 

「全部ずら」

 

立ち聞きは良くないと叱ってやろうと思ったが、第三者的な意見は 聞いても損ではないかもしれないと思い、飲み込んだ。

 

「なんでそう思うずら?」

 

「おかしいでしょ。悠斗がお洒落とか、香水の匂いするとか、あんな暇人が 最近妙に忙しいとか、女絡みしか思いつかないじゃない」

 

「えー?あの悠斗が? 顔だって地味で 犯罪者みたいな顔してるし、服装とかおっさんみたいだし、ありえないずら」

 

「そうでも無いわよ。」

 

私は後に、ここで止めておけばと後悔する。

 

「あいつ、天然ジゴロよ。究極の優しさというか、包容力というか、話してても 悪い気しないし、ちゃんと目を見て聞いてくれるし、性別関係なく 邪な気持ち無しで 話しかけてくれたりするし、なんか、横に居ると、依存してしまうようなそんな 不思議な雰囲気でてるし、」

 

「そ、そうずらか?」

 

「ずら丸は 長く居すぎて気づいてないけど、あれ、結構モテるタイプよ。」

 

「全くそんなこと思わないずらけど」

 

「しかも 可愛い顔してる女の子は 顔だけ見て寄ってくるような 男どもに うんざりしてるから、ああいう 邪の気持ち関係無しで接してくるようなタイプに 惹かれるのよ。友達から聞いたりするけど、あの法学部の第2ゼミの子、あの清楚な可愛らしい子いるじゃない?あの子本気で悠斗に惚れてるみたいよ。ルビィが居るからって諦めては居るみたいだけど。」

 

「知らなかったずら」

 

「噂レベルなら まだあるわよ」

 

教えてあげようかと 言う善子ちゃんの顔が引きつった。何かに怯えてるようだ。

 

何事かと振り返る。

 

私は見てしまった。鬼を。

 

ルビィちゃんが ブツブツと独りで何かを呟いていた。ドス黒いオーラみたいな物が見える。目は一点を見つめていて、大きく見開いている。綺麗な瞳が色を失っている。

 

思い出した。この子 そういえば ダイヤさんの妹だった。あのダイヤさん曰く、怒ると家で1番怖いって言ってたっけ。

 

なんていうか、殺気を感じる。

 

「ルビィちゃん、お、落ち着いて。殺気を抑えて」

 

「そ、そうよ ただの噂とかだし、そもそも あいつが浮気なんかすると思えないし。ほ、ほら!レポートとかで忙しいのかも、最近あいつと同じ法学部の子が 忙しそうにしてたし!」

 

「そ、そうずら!まだ決めつけるのは早いずら!」

 

そう言うと ルビィちゃんは はっと我に返った。

 

「そうだよね!勘違いかもだよね!取り乱しちゃってごめんね。もう大丈夫!」

 

てへっと笑ったルビィちゃんを見て 善子ちゃんは 愛想笑いをしてる。

 

無理もない。こんなルビィちゃんを見たことがない。

「ねぇ それより2人に聞きたいことがあるんだけど」

 

「な、なんずら?」

 

「自白剤ってどうやったら買えるかな?薬局とか売ってるのかな?」

 

 

 

 

全然大丈夫じゃなかったずらぁぁぁ

 

 

もう一度問い詰めて話を聞いてみる。そう言う結論で、その場は収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

大学の帰り道の街路樹を歩く。緑色の木の葉がゆらゆらと踊っている。

木陰に入っては日向に出る。歩いてる為、その繰り返しをずっとしている。

 

こんな気持ちのいい初夏の陽気に浸りたいと思った。しかし、そうもいかない。

 

携帯がポケットの中で震えている。メッセージが来たんだと 自分で判断した。

 

すぐに見て返信したいところだが、今はそれどころでは無かった。

 

 

「そいつは いつ来るんですか?」

 

「わかんない。でも最近ほぼ毎日見かけるからやっぱり 付きまとわれてるのかなぁ」

 

「果南さんが 思わせぶりな事するからじゃないですかぁ」

 

「やんわりと 傷つけないように断っただけなのにぃ。もーう どーしてこーなるの!」

 

2つ年上の 松浦果南さん。aqoursの元メンバーでもある彼女と 俺は今一緒にいる。

 

「こんな事して、ルビィちゃんに嫌われるよね、絶対。」

 

「やっぱり伝えた方がいいですかね?俺も罪悪感に押しつぶされそうです。」

 

「鞠莉が 隠密に済ませるべきって言うからぁ。まぁ 確かに みんなに迷惑掛けるわけには行かないけどさぁ」

 

 

 

 

彼女は 今、大学のとある男性に付きまとわれてるらしい。果南さん曰く、告白して来て、やんわりと断った人らしいのだが、断り方が良く無かったらしく、気を持たせてしまっているらしい。

 

 

「なんで俺が 一緒にいることが 解決策なんですか?」

 

「鞠莉が言うには、男と一緒にいることで 相手に現実を見せつける作戦らしいよ」

 

「俺以外いなかったんですか。荷が重すぎます」

 

「し、仕方ないでしょ、こういうの 相談できる人って 男じゃ 悠斗しか居ないんだから。鞠莉もそれで 納得しちゃってるし」

 

「俺、ルビィちゃんにバレないか ビクビクしながら 毎日過ごしてるんですよ、」

 

「ほんと申し訳ない。終わったら私からもちゃんと言っておくから」

 

「それより、果南さん、最近思ってたんですけど、香水とか付けてません?」

 

「鞠莉が持ってる香水なんだけど、最近 私にもって つけてくるの。女のたしなみよーって」

 

そんなことするから 色気も出てしまって、こういう事になってるんじゃ無いか?という言葉が喉から出そうになった。

 

そんなこんなをしていると、果南さんの顔が引きつった。

 

「あの人だ」

 

「よし、いかにも 仲良しって感じで 話しましょう」

 

そう言い、グッと距離を縮める

 

「いやぁ、溢れ出る木漏れ日が眩しいわねえ!空が光って綺麗よー 」

 

「そ、そうだねー。よーし 2人でスキップでもしましょうかー!あはは」

 

そう言い、その男の人の横を通り過ぎていく。

 

「これで どうだ」

 

「如何にも バカのする会話っぽいけどねぇ」

 

それを聞き俺はそんなぁと、肩を落とした。

それを見た果南さんは 悪く思ったらしく、

 

「とりあえずは、今日も 何もして来なかったし、一応効き目はあるみたいだけど。」

 

「な、なら良いんですけど。」

 

「次は 明後日の日曜日ね、多分 家からつけて来ると思うんだよね。この前とかそれで やぁばったりみたいな感じで近づいて来たし。」

 

「鞠莉さん曰く、その日曜が勝負らしいですしね、」

 

「付き合わせちゃってごめんね、ルビィちゃんに構ってあげてね、」

 

「はい。」

 

そう言い、メッセージを、開くと、今から家に来たいと言うので、了解とメッセージを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日、悠斗くんのお母さん残業する日でしょ?だから、恵ちゃんと悠斗君に晩御飯作ろうと思って」

 

「あー、そういえば そうか。わざわざありがとう」

 

「ルビィちゃん ありがとうございます!」

 

そう言って さっき帰って来たばかりの 高校3年の恵は、部活動で使う剣道の竹刀の入った袋を リビングに置いた。

 

「恵ちゃん疲れてるし、ゆっくりお風呂でも入っててね。悠斗君はこっち来て 手伝って」

 

はーい と言い、風呂場に向かう恵を後ろで見ながら、なんだかいつもと雰囲気が違うルビィちゃんに 違和感を感じながら 彼女の横に立つ。

手際よく 手を動かしている彼女は、無言で 何も言わない。ただ横に立って 俺は できることをしているだけだ。

 

いつもなら 何か話してくれるし、俺もすぐ話しかけれるのだが、今日の彼女は 何かがおかしい。

 

果南さんとの事を隠していることもあって、むず痒くなり、関節をポキポキ鳴らす。

 

どーしたものかと 考えていると、ルビィちゃんが先に口を開いた。

 

「そういえば最近、人の癖みたいなのに気づいたんだ」

 

「癖?」

 

「うん。この前、大学で、心理学の講義があってね、まぁ それでなんだけど なんとなく 丸ちゃんとかを観察してみたんだ。」

 

「ほうほう。それで?」

 

「丸ちゃんや善子ちゃんとかと、トランプしたんだけど、丸ちゃんなんかは ババ来た時なんか、ポーカーフェイス保つんだけど、髪の毛をクルクル触り出すの。善子ちゃんは今まで 散々騒いでたのに 急に黙ったりとか 結構 観察してると面白いんだよ」

 

知らなかった。花丸って そーなのか。今度確認してみよ

 

「他には?なんか無いの? もっと面白い癖みたいなの」

 

「あるよ。」

 

こういうのって 知ってた方が 結構特だったりするよな。

 

これを機にもっと聞いてみよ。

 

「例えば?」

 

 

 

「悠斗君は 何か隠し事や嘘ついてる時、指の関節ポキポキ鳴らすの」

 

ビクッと 身体を動かす。

 

目を合わせず今まで下を向いて作業して居た彼女が 満面の笑みを浮かべ、こっちを向いた。

 

 

 

 

「ねぇ、悠斗君。なに かくしてるの?」

 

いつもは 可愛らしいはずの笑顔が、何故か今日のは 恐怖を感じる。

 

目だ。目が笑ってない。前髪で目が隠れて影になってる。なのに口はにっこり。

 

「えっと なんのこと?」

 

これは 不味い。明らかに 不審がられてる。果南さんは 他の人に迷惑かけたく無いって、隠密にしてるのに、ここでバレたら 不味い。

 

「怒らないから ほんとうの事 おしえて」

 

「る、ルビィさーん。怖いですよー。ほら!最近 レポート忙しくって 終わったら また 遊び行こうよ!ね?」

 

「今、ここで、全てを 話して」

 

「お、おこってる。?」

 

「違うよ、怒ってない。 これから怒るんだよ」

 

ドス黒いオーラが 背後に出ている。ダイヤさんの言ってたのはこれのことか。

 

 

まさに 鬼。

 

 

 

 

ジリジリと俺との距離を詰めてくる。

 

目の色を失ったルビィちゃんな顔を見て冷や汗が出る。

 

「動揺し過ぎじゃないかなぁ?悠斗君」

 

「な、何か 勘違いしてるんじゃ無いかな?」

 

「そんなわけ無いでしょ。最近、どこ行ってるの?今日も夕方何してたの?急にお洒落な服とか来て どこ行ってるの?私の知らない香水の匂いがするけど?」

 

「えっと、そ、それはー」

 

「日曜日も 遊べないって行ってたよね。何するの?」

 

「れ、レポートが進んでいないもので、それで、」

 

「言えないような事してるの?正直に話して」

 

怖い 本当に怖いよルビィちゃん!

 

でもバレるわけにはいかないし、どうしよう。

 

そう思っていると、

 

 

 

 

 

「ご飯だー!お腹すいたぁ!」

 

そんな 救世主の如く現れた我が妹は 水色のパジャマを着て、台所に寄ってきた。

 

「あれ?なんかお取り込み中だった?」

 

それを見た ルビィちゃんは はぁぁとため息をついた。

 

「この話はまた今度ね」

 

そういうと、ほぼ出来上がった 夕食の支度に取り掛かった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

思い出す。あの 確実に笑ってない笑顔を。ダイヤさんから聞いてはいたが、怒らせるとここまで怖いとは。

 

今日は日曜日。果南さんにとって勝負の日。

 

俺たちは、沼津のとあるショッピングセンターに来ていた。

 

果南さんが言うには、絶対に現れるとの事。

 

しかし、俺個人の問題があった。

 

「ねぇ、顔 やつれてるけど 大丈夫?」

 

「ルビィちゃんに 一昨日 問い詰められました。なんとか 凌げましたが、物凄く怒ってるみたいで、」

 

「その時に 本当の事 言ってくれても良かったのに。ルビィちゃんに悪いことしてる罪悪感、私にもあるんだからさ。」

 

「ここまできたら、隠密にしましょう。俺も首を突っ込んだだけに、ルビィちゃんや 他の人に迷惑かけたく無いですし。」

 

「それでもなぁ。ルビィちゃんに申し訳ないよ」

 

「今日の事が終わったら、俺から報告しますから」

 

「終わったら、ルビィちゃんに ちゃんと構ってあげてね。私からも報告しておくからさ」

 

「助かります」

 

とにかく、今日は 大学で、レポート書いてるって事にしてるし、多分 大丈夫だろう。

 

「それより、最近思ってたんだけど、悠斗もそういう服装、ちゃんと持ってるんだね。おじさんみたいな格好しかしてる所しか 見た事なかったしさ。」

 

「そーですか?周りの大学生の子とか見てると、まだかなり 地味だと思いますけど。」

 

今日はタイトな明るめの色のジーパンに、七分丈の白のシャツ、中にボーダーのTシャツと、かなり普通な格好なのだが、確かに 普段の俺では こんなのは着ない。

 

「自分で選んだの?」

 

「いえ、妹が、デートとか行く用にって、色々いつも 選んでくれたりするんです。母さんも 俺があまりにも服とかに興味ないから、買って着てくれたりとかで、一応 あるにはあるんですが、」

 

「なんで普段から 着ないのさ」

 

「なんか、気取ってるみたいで、性に合わないんですよねぇ。肩が凝るっていうか、」

 

「そんな事ないと思うけどなぁ。似合ってるよ、顔的に シンプルな白とか黒が似合うよね 悠斗は」

 

「周りの大学生の友達とか、もっとお洒落というか、こんだけ頑張っても、地味目な感じにしかならんし、諦めてるんですよねぇ」

 

「普通が1番だよ。地味な感じでいいの。これ、結構みんな思ってる事だからね。女の子とか特に。」

 

「そんなもんですか?」

 

「私は、チャラチャラしてるような格好より、そっちの方が、好感持てるよ。人によるだろうけど」

 

髪の毛を染めたり、確かに大学生らしいことは、しようと思えば出来るのだが、俺はそういう事したいとは微塵にも思わない。何故なら、確実に似合わないから。

 

なんせ 顔が濃いせいか、犯罪者みたいな顔してるし。

 

「少なくとも、ルビィちゃんは チャラチャラしたのは苦手だと思うよ」

 

「ルビィちゃん、なんでこんな 地味な俺の事を、、、。ますます分からない。」

 

「まぁ、確かに、顔は格好よくないし、お洒落でも無いしね」

 

笑いながら果南さんは クスッと笑いながら そう言った。

 

ガーンと肩を落とすと それを見た果南さんは 微笑みながら俺に言った。

 

「顔とかで 選んだんじゃ無いと思うよ。少なくとも、悠斗の良さは そこじゃ無い。もっと、こう、中身というか、言葉で表現できないような すごく魅力的な部分があるんだよ。これは、私やaqoursのみんなも 保証できるよ。」

 

だから 心配しないでと 笑う果南さんを見て、なんだか恥ずかしくなった。

 

この人は こういう恥ずかしい事を平気で言う。サバサバした性格だからか、それが嘘偽りなく、本心で言ってくれていると分かるから、余計に恥ずかしい。

 

「ルビィちゃんも 多分 そういう所を見てくれてると思うよ。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

「まぁ そもそも、あの子は 悠斗以外の男の人とはまだ 話すの苦手みたいだしね。」

 

そう言って果南さんは、よしっと呟いた。

 

「今日も来るであろう 一度振ったのに 付きまとって来る人 撃退大作戦 決行だ!」

 

「お、おー」

 

 

 

 

 

 

こうして、俺の日曜日は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?今日 ルビィちゃん 悠斗と遊ぶんじゃなかったの?」

 

花丸ちゃんにそう言われたのは、今日の朝、電話でのことだ。

 

レポートで忙しく 大学に行くからと 日曜日の遊びは キャンセルでお願いって 言われ、暇になったものだから、花丸ちゃんに電話をかけたのだ。

 

「キャンセルされたの。大学に行ってるらしいよ。ほんとか どうかは 定かじゃ無いけど」

 

「どこか 遊びに行く?ほら、ストレス溜まってるだろうし…」

 

確かに、ここ最近 彼の挙動不審な行動の原因をずっと考えていたせいで、疲れてる。

 

一回忘れて 遊びに行くのもいいかもしれない。

 

「そうだね!買い物行こうよ!沼津に」

 

「わかったズラ じゃあ 一時間後くらいに迎えに行くずら」

 

そう言い 電話が切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間後、沼津のショッピングセンターを私たちは歩いていた。

 

「買い物行きたいって言ってたけど 買いたいものでもあるの?」

 

「アイドルのライブDVDが出たから それが欲しくって!」

 

「ほんと好きずらね アイドル」

 

キラキラと輝くように 歌って踊るアイドルは やっぱり、形容しがたい 素晴らしいものなのだ!こればかりは 辞められない

 

「今日は とことん 遊びまくって 嫌なこと忘れるって決めてるんだ」

 

それを聞いた 花丸ちゃんは 苦笑いしながら、大変だねと言った。

 

「で、何隠してるか、わかったずら?」

 

「それが どれだけ問い詰めても はぐらかす ばっかりで、こうなったら 今日 自白剤でも買って、、、」

 

「ストップ!一回落ち着いて」

 

ハッとする、しまった また考えてしまった。

 

「今日は忘れるって決めたんだった。よーしレッツショッピングだー!」

 

それから数時間、私たちは 買い物をしたり、クレープを食べたり、充実した時間を過ごした。嫌なことは忘れて。

 

しかし、私たちは見てしまった。

 

 

 

 

 

 

そして、思い出すこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「さっきから 下向いて付いてきてる あのひとだよね?」

 

「そう。間違いない」

 

朝から 2人で 居て、ようやく元凶の人物が現れた。

 

ここ一時間、ずっとああして付いてきている。

 

仲良さげに 話したり、距離を詰めたりしているのだが、一向に立ち去る気配は無い。

 

どーしたものかと 考えていると、突然その人が 近づいてきて、話しかけてきた。

 

「やぁ 果南さん 奇遇だね」

 

なんだ この 如何にも キザッて感じの男は。

 

「君、前からそうだけど、付きまとうのはもうやめてもらってもいいかな。不愉快」

 

果南さん、えげつない

 

「そんなこと言って 照れ隠し?」

 

「そんなわけないでしょ」

 

「それより、最近 果南さんの横にいる君は 誰かな?弟さん?」

 

弟かよ!今まで、あれだけ頑張って、弟にしか思われてなかったのかよ!

 

「違うし、あんたに、諦めて貰うために 協力して貰ってるだけ」

 

え?それ言っちゃうの?果南さん

 

「照れ隠しはよしてよー そんな男より、僕はイケてる思うけどなあ」

 

おいおい 急におれに矛先向いたぞ

 

「ふざけないで、あんたなんかより、悠斗の方がよっぽど かっこいいし」

 

「いいから、そんな奴より 僕と ショッピングしない?」

 

そう言い、グイグイ果南さんの腕を引っ張る。

 

「ちょっとちょっと、流石にそれは待った」

 

「なに?邪魔するつもり?」

 

「邪魔というより、もう果南さんとは 関わるなって 言ってるのがわからない?」

 

「だから ただの照れ隠しだって」

 

うがぁぁ なんだこいつ 話通じないタイプかー!

 

「遠回しに言ってくれてるのに、気づけよ」

 

「そもそも 君 彼氏とかじゃないんでしょ?だったら どうこう言われる筋合いは無いなぁ」

 

「果南さんの 友達としてだよ。お前より 俺は果南さんの事分かってあげれてるよ」

 

「なんだと」

 

「果南さんの 性格とか好きなものとか 言ってみろ」

 

「そ、それは、可憐で 美しくて、」

 

「それだけだろ?」

 

「君は何がわかるって言うんだ」

 

「いっぱいあるぞ。まずは、サバサバしてて、ちゃんと本音言ってくれる 相談を1番しやすい。気が強そうに見えて 繊細で乙女。友達の為なら 傷ついても その子ために何かしてあげれるような優しい人だし、本音言いすぎて、毒舌。まだあるけど 言おうか?」

 

「ぐ、それなら 僕だって」

 

「いい加減にして」

 

そう言った果南さんは おれと腕を組んだ。

 

「私はあなたなんか 大嫌い。本音を言う毒舌な女だから なんでも言ってやる。気持ち悪いし、全然かっこよくなんかない。あんたなんかと付き合うなら 1億倍 悠斗と付き合う方がマシ」

 

「そ、そんな」

 

「もう この話は終わり、一切これから 関わってこないで」

 

チクショーっと 泣きながら去っていく。果南さん、えげつない。

 

「ふぅ。スッキリした。」

 

「なんとかなって 良かったですね」

 

「悠斗もありがとうね。さっきのカッコよかったよ」

 

この人は 本当にずるい。平気でそう言う事を言うから。

 

「いえ、役に立ててよかったです」

 

「さ、帰ろっか」

 

そうですね、と言おうとしたとき、後ろで 何か落とす音が聞こえた。振り返る。

 

 

そこで絶句する。

 

 

 

 

そこには、ルビィちゃんが 花丸と立っていた。

 

 

「悠斗君。ここで 一体なにしてるの」

 

「ち、違うんだ、これには訳があって、」

 

「悠斗君はレポート書いてるはずだよね?」

 

「いや、だから聞いて、」

 

「悠斗君のレポートは コソコソ私に隠れて、果南ちゃんとお出かけする事なの?」

 

「ちょ、話を」

 

「それが、悠斗君のレポートなの?」

 

目の色が スゥっと消えていく。これ、マジで怒ってるやつだ。

 

「一回落ち着こう!ね?」

 

花丸ちゃんがルビィちゃんの肩を掴む

 

「なんで嘘ついたの?嘘つくって事は、後ろめたい事があるからだよね?」

 

「ルビィちゃん、私からも話があって」

 

果南さんが そう言うが、聞いていない、

 

ルビィちゃんはおれの腕をがっしり掴んだ。

 

「怒らないから本当のこと言って。本当はなにしてたの でも最近の悠斗君は嘘つきだから、私に嘘ついて隠れてこっそり 何かしてるんだよね嘘つきだから。嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき」

 

 

 

掴まれた腕がミシミシいってる。

 

「落ち着いて、どーすれば話を聞いてくれる?」

 

「監禁して、薬 漬けにするとか?拷問するとか、水責めとか?骨の一本や二本ならいけるかな?不本意だけど、花丸ちゃんや善子ちゃんにも手伝ってもらわなくちゃ。痛みと恐怖で本当のこと聞き出すしかないよね。こんな事したくないけど 仕方ないよね?嘘つきだから」

 

だぁぁぁ!大変なことになったぁぁ!ルビィちゃんが壊れたぁぁぁ!

 

そんなこと本当にされたら死ぬ!死んじまう!

 

「あ、あのね、ルビィちゃん これには色々訳があって、大学で付きまとってくる 男の人を 撃退するって事で 協力して貰ってたの。私が頼んだ事だから 悠斗を責めないで」

 

「そう!そーなんだよ ルビィちゃんには 後で報告しようとしてたんだ!」

 

「なんで、その時言ってくれなかったの?」

 

「えっとそれは、」

 

「問い詰めた時とか、話す機会 あったでしょ」

 

「その、迷惑かけたく無かったから、、余計な心配かけるかもだし、」

 

「私って、悠斗君にとって、その程度なんだ。」

 

「え?ルビィちゃん、何言って、」

 

「私じゃ、相談するに値しないって事でしょ?私じゃ、力不足って事でしょ?私じゃ、悠斗君の本心を話す程の人じゃないって事でしょ?」

 

「ルビィちゃん、一回落ち着くずら、ね?」

 

花丸がそう言うと、ルビィちゃんは キッと 俺をにらんで言った。

 

「今日はもういい。花丸ちゃん ごめんね。私帰るよ」

 

 

 

そう言い、走って行ってしまった。

 

追いかけなきゃ、と走り出そうとしたが、花丸に腕を掴まれた。

 

「今は、多分 何言っても無駄ずら」

 

ちゃんと相談しておけばよかった。意固地になってカッコつけてた事に 後悔する。

 

脳裏に焼き付いたのは、怒ったルビィちゃんの顔では無く、睨んだときの 薄っすらと涙を浮かべた顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

道端で咲いている花を見る。アスファルトの上で力強く生きている彼らは、一体どこに そんな力があるのだろうと不思議に思う。

 

踏んでしまえば、折れてしまいそうな そんな姿をしているのに。

 

彼らは どこから来たんだろう。親や兄弟はいるのかな?

 

なんてらしくない事を考えたところで はっとして 正気に戻る。

 

いかんいかん。目的を忘れてはいけない。

 

そう思って、立派にそびえ立つ家の 門の前でインターホンを鳴らす。

 

これぞまさに日本の家の代名詞というような、そんな和の豪邸を見ると、改めて 黒澤という家は 名家なんだと実感させられる。

 

そんな事を考えていると インターホン越しに はい と返事がした。

 

「あ 柏木です。ルビィさんはいますか?」

 

「あら、悠斗さんですの?ルビィは今居ませんけど?」

 

インターホン越しにわかる この上品な話し方。これだけで誰かすぐ分かった。

 

ルビィちゃんの姉である、黒澤ダイヤさんだ。

 

「そうですか、ありがとうございます ダイヤさん」

 

あれから、1週間。ルビィちゃんは電話もメールも音沙汰ない。

 

大学で彼女を探しても、明らかに避けているようで、顔すら見れていない。

 

ガッくり肩を落として 帰ろうと思い、振り返ると、家の扉が開いき、ダイヤさんが 待ちなさいと 言いながら 出てくる。

 

「あなたに 話がありますから、上がっていってください」

 

「話、ですか?」

 

ええ、と言って、ダイヤさんはニッコリ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある和室の一室。そこには アイドルのポスターなどが貼られている。

 

俺はそこに 座って 出されたお茶を啜っていた。

 

目の前のダイヤさんもお茶を飲む。ただそれだけの事なのに、絵になるように美しい。

 

 美という文字が これほど似合う人を見たことが無い。

 

「貴方と ルビィの間で 何があったかという事は、果南さんから聞いて 知っています。」

 

「そ、そうですか。」

 

やっぱり、ルビィちゃん、相当怒っているんだろうなぁ。

 

「先週の日曜日。遊びに行くと行った後、帰ってきてから様子がおかしかったものですから。その後、果南さんが、迷惑をかけたと 謝罪と共に、その出来事の事を 報告してきましたので。」

 

妹思いの彼女からすると、俺にはやはり、怒りという感情を抱いているのだろう。

 

「その、俺の不甲斐ないせいで こうなってしまって、すみません。」

 

怒られる覚悟で頭を下げる。

 

しかしダイヤさんは 怒る事はなく、微笑みながら口を開いた。

 

「別に、怒ってなどいませんわ。」

 

「でも、」

 

「ルビィは、あの子自身で 貴方と恋人になるという事を望んだ。あの子も もう大人です。こういう辛い事もちゃんと考えた上で 貴方とお付き合いしているんですから、わたくしがどうこう言うのは間違いですから。」

 

それでも、人様の妹を、自分の勝手な行動で傷つけてしまった。

 

居た堪れなくなり、下を向く。

 

少し沈黙が続いた後、ダイヤさんが口を開けて 話し始めた。

 

「ルビィは、昔から 好きなものには とても素直な子です。自分が好きなものの話をしているルビィは、本当に可愛らしくて、綺麗でした。」

 

ダイヤさんは 少し下を向きながら そう話し始めた。

 

「しかし、家の都合というか、そのせいで、友達を作る事も出来ないほど、控えめな性格になってしまいました。男性が怖いと言い出した 中学生の時のルビィを見たとき、あの子はこれから、どうやって生きていくのだろうと、心配でした。」

 

聞いたことのない、ルビィちゃんの昔の話。

 

今の問題と何が関係があるかはわからないが、ダイヤさんは 俺を真っ直ぐ目を見て話していたので、聞き入ってしまった。

 

「私の硬い性格から、あの子の好きなものを縛ってしまい、好きなものを好きと言えず、ただひたすらに、男性や、嫌いなものに対して、苦手や怖いと思う感情が強くなっていたのだと思います。

 

しかし、aqoursの皆さんと出会い、彼女は 一歩前進した。そして、なにより、貴方と出会い、今まで嫌いだと意識してきたものを、本当の意味で好きだと感じるようになった。

 

男性という 苦手意識を 貴方と出会った事で、彼女なりにその意識を変えたんでしょう。それから 克服しようと 相談に来た事もありましたし。」

 

そう言い 笑いながら ダイヤさんは上を見上げた。

 

「貴方と出会った事で、自分を変えれたと ルビィは そう言っていました。嬉しそうに、顔を赤らめながら。あの子のあんな顔は見た事がありません。アイドルの話をしている時とは 比べ物にならないくらいに、幸せそうな顔をしていたのですよ。」

 

そう言い、俺に微笑みかける。

 

なんだか、恥ずかしくなってきた俺は 顔を晒す。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子は、恐らく、貴方に"依存"しているんだと思います。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想像もしなかった言葉が出て、思わず 目を見開く。

 

「悠斗さんが、今のルビィにとって、"好きなもの"から "無くてはならない必要不可欠なもの"に変わっているんだと思います。」

 

「あの、一体どういう、」

 

「貴方にとっては 何気ない彼女への行動が、あの子にとっては 自分の全てなんだと思います。家でも両親の前でも 悠斗さんの話が大半を占めていますし。」

 

だから、と言い、俺の目を見つめて 頭を下げて ダイヤさんは言った。

 

「これからも、あの子を ルビィを 大切にしてあげてください。よろしくお願いします。」

 

開けた窓から 入ってくる風に、すこし暖かさを感じた。

 

それが 近づいている夏のせいなのかは分からない。

 

俺はそんな事を考えながら、ダイヤさんに ただ一言 言った。

 

「もちろんです。」

 

 

 

 

 

今この時、吹き付ける風と共に、自分が本当に何をするべきなのかを 理解した。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

西の空が オレンジ色に染まっている。海の向こうで 夕日が 沈もうとしている。

 

今日も天気は晴れていて、日に日に気温が上がっている。

 

もうそろそろ半袖でも大丈夫な気温だな、と、大学からの帰り道に ふと一人で考えながら歩いていると、道端の花に目が行ってしまった。

 

アスファルトに咲く花は、こんなにか細いのに、どうしてここまでして、咲こうとするのだろう。

 

私の方が、この花よりも、弱いのかもしれない。

 

そんな風に花と私を比べてみる。

 

この1週間、自分なりに 考えるために、悠斗君と少し距離を取った。

 

別に、怒っているという訳ではない。ただ、私は、悠斗君に少し 甘え過ぎていたのかもしれないと思ったからである。

 

あの出来事で、色々な事を考えた。

 

でも もし、悠斗君が本当に私の所から 居なくなってしまったら。

 

そう考えるだけで、胸がチクチクして、頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。

 

あの事も、後に、果南さんから 電話で内容を聞いたし、すぐさま 誤解は解けたよと 悠斗君の元に戻る事もできた。

 

 

 

 

私は、悠斗君と出会えて、人生が変わった。

 

 

 

 

彼を見ているだけで、彼と話しているだけで、心が満たされる。

 

男性という 苦手なものを 少しずつ克服できたのも、そのおかげで、少しの間だが、アイドルとしてステージに立てたのも 彼のおかげなのだ。

 

大袈裟かもしれない。でも私にとって 柏木悠斗という存在は もう 無くてはならないものになっている。

 

しかし、それではダメだと気付かされた。

 

私はこれからも、彼と一緒に人生を歩んでいきたい。彼に私の全てを捧げたいし、彼の全てを私は欲しいと思っている。

 

けど、そうなるには 彼に相応しい人にならなくてはいけない。

 

いつまでも、悠斗君以外の男の人に怯えていては、彼に迷惑をかけてしまう。

 

それは、自分でも分かっている。

 

だからこそ、少し距離を置いて考えた。

 

1週間、自分から 彼を避けても、私にとっての彼という存在の大きさがどんどん増すなるばかり。

 

答えは出ない。どーすれば良いのかも分からない。

 

はぁぁ。と大きなため息を吐く。あれから、一人で考える為、駅からバスを使わず、歩いているが、考えはまとまらない。

 

どーすれば良いのだろうと考えながら 家の門が見えてくる。するとそこに、誰かが立っていた。

 

その人はこちらに近づいてくる。

 

歩き方、雰囲気ですぐに誰か分かった。

 

顔を合わせづらい。逃げようと 逆方向に走ろうとした時、その人は私に話しかけて来た。

 

 

 

「ちょっと待って ルビィちゃん」

 

「なに。悠斗君」

 

「話があるんだ、」

 

話。ただ日常的なことだけど、今の私には彼からの話がすごく怖い。

 

捨てられるんじゃないか。別れられるんじゃないか。

 

「黙ってた事はごめん。」

 

「怒ってない」

 

「俺さ、ルビィちゃんに 余計な心配かけたくなくて、こんな事したんだけど、この前、ダイヤさんと話したんだ」

 

「お姉ちゃんと?」

 

いつの間にそんな事が。そんなそぶり 一度も見せてなかったのに。

 

「どうすればいいか。この1週間ずっと考えてた。」

 

私と同じだ。

 

「俺は いつも笑顔で隣にいてくれる、愛情を注いでくれるルビィちゃんに甘えてた事に気がついてなかった。ダイヤさんと話して気づいた。」

 

そう言うと、悠斗君は少し離れた私との距離を縮めて来た。

 

 

「こんな 自分勝手俺に 不器用な俺に 愛想つかしてしまったかもしれないけど、もう一回チャンスをください」

 

考えてくれていた。

 

私だけじゃ無かった。

 

ちゃんと彼は私達の2人のことを考えてくれていた。

 

そう思うと、このシビアな状況だけれどニヤついてしまった。

 

「私も、ずっと考えてた。どーしたら悠斗君に相応しい人になれるかって、」

 

 

 

でも答えは得た。

 

「不器用な2人なりに これから考えていこうよ」

 

今すぐ完成形になる必要は無い。まだまだ焦らなくても、ちゃんと辿り着ける日が来るはず。

 

「うん」

 

私は彼の正面から抱きついてみた

 

この感触、この匂い。感じ慣れた物だけれど、やっぱり私は彼が好きだ。たった1週間という短い間だったけれど、何故か懐かしさを感じてしまった。

 

私ってやっぱり 依存してる?

 

まぁいい。彼は私のものだから。どう思うかなんて自由だ。

 

不意にキスをしたくなった。

 

「ねぇ チューしていい?」

 

こう言うと、いつも顔を真っ赤にするくせに、今日に限って 笑顔で頷いてくれた。

 

そんな彼の成長に少しムッとしてしまう。

 

 

いつもより長めにしてやろう

 

それは、普段の触れるだけのものとは違い、しっかりと彼の味を感じるキスをする。

 

予想とは違ったのだろう。ビックリして手をバタバタしている。

 

離してやるもんか。

 

1週間悩ませた罰だ。コソコソ隠れてしてた罰だ。

 

こんな事、前なら恥ずかしくて出来なかったけれど、今は恥ずかしさよりも幸せが断然上回っている。

 

この時間が永遠に続けばいいのにな。

 

そんな事を考えていると、ふと ここが外だったということに気づいた。しかも自分の家の前。

 

人に見られるんじゃないかと考えたが、まぁいい。

 

私達なら大丈夫。

 

不器用な2人なりに、これから起こる辛い事も きっと乗り越えて行ける。

何故か そんな自信に満ち溢れている。

 

 

 

 

今なら何にでも負ける気がしない。

 

 

 

 

 

だって、か細い花でも、アスファルトの上のような場所で、たくましく咲いてるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

だからきっと 大丈夫だと。

 

 

 

 

 

 

ほとんど沈みかけた太陽と 暗くなった空が混ざって幻想的な景色をしている。さっきまでの夕焼けとは全く違う景色に変化している。

 

フワッとした風が吹く。海の湿気を含み、温かくなった風が 近くの木と、私達の身体を刺激する。

 

夏の季節への変わり目と、私達が踏み出した小さな一歩を、まるで祝福してくれているかのようだった。

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます
誤字脱字ありましたら報告お願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

月明かりスポットライト #渡辺曜

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。


では、こちらは久しぶりの投稿になります。よろしくお願いします。


 

 

木枯らしが吹き付ける。その風は険しい程冷たい。

 

俺、柏木悠斗はそんな冷風に顔をしかめっ面にさせながら、2年目の冬の大学構内を歩いている。

 

 

等間隔に並んでいる人工の街路樹たちは、数ヶ月前に見せていた赤黄色の葉は見る影も形も無くし、白く、固く佇む枯れ木へと変化した。

 

 

 

一年で日が最も早く沈む季節がやってきたなぁ。

 

 

そんな何でもない事を考えていると、今度はさっきよりも強い風が吹き付けた。

 

痩せ細った枯木の枝が風に吹かれて苦しそうにたわむ。

 

 

寒いと思うと同時に、外に出していた手は、黒のコートのポケットの内側へと無意識に入って行った。

 

 

 

寒い寒いと頭で連呼しながら何気なくふと周りを見回した。

 

楽しそうに数人のグループでワイワイ話しながら歩く人もいれば、俺の様に一人でマフラーに顔を埋める人もいる。

 

あの賑やかなグループの子達の笑い声は聞き覚えがある。さっきの俺と同じ授業を受けていた同じ学部の人達であろうと推測する。

 

 

そんな楽しげな人たちを見ていると、一人でマフラーも手袋もせず、ガタガタ震えながら歩いている自分が恥ずかしくなった。

 

 

ズボンのポケットからイヤホンと携帯電話を取り出し音楽を聴こうとそれらを操作する。

 

 

駅へと続く道がある正門まではまだ距離がある。俺が所属する法学部棟は大学の中でもかなり奥の方に立地している。

 

 

この大学の学部遅刻率で、法学部が1番高いのはそのせいだと勝手に俺は思っている。

 

 

寒さのせいでこめかみの辺りがツンと痛くなり、顔をしかめる。

 

すると、ツンツンと後ろから肩を突かれる感じがしたので、肩越しに振り返った。

 

 

よく知った人物がヒラヒラと手を振っているのを見て、流したばかりの音楽を切りイヤホンを外してポケットの中へと放り込んだ。

 

 

「よっ。今帰り?」

 

 

「うん!ていうか、結構前から悠くんって呼んでたんだよ?気づきもしないから走って来たんだよ?」

 

そう言いながら、蜜柑色ベースの茶髪を肩のあたりまで真っ直ぐに髪を伸ばし、両側をクローバーの髪留めと三つ編みでまとめ、つむじからぴょこんと昔からある癖っ毛が可愛らしく立った 高海千歌は、ムスッと口を尖らせた。

 

 

「いやぁ。悪い悪い。全く気がつかなかった」

 

「いいもん。悠くーんって叫びながら走って来てやったもん。」

 

その言葉を聞き周りを見渡すと、クスクスとこちらを何人かの人たちが見ていた。

 

 

「前も言ったけど、人前でいつもみたく悠くーんなんて大声で叫ぶな!」

 

「だってぇぇ。聞いてないのが悪いんじゃん!」

 

ジトッとした目で見る。

 

 

「近づいてきて呼べばいいだろ…」

 

そう言いながら彼女を見る。

 

 

「あっ!曜ちゃんだ!おーーい!曜ちゃーーーん!!」

 

 

 

俺の忠告なんぞ全く無視するかの様に、ぶんぶんと手を振りながら大声で叫ぶその名前に俺はトクンと心臓が一つ鼓動を上げるのが分かった。

 

 

「千歌ちゃーん!悠斗ーー!」

 

 

少しウェーブのかかったこれまた癖っ毛のアッシュグレーのセミロングヘアを揺らしながら渡辺曜がこちらへ走ってきた。

 

 

わぁ と言いながら俺たちの前で急停止する。

 

 

「悠斗、千歌ちゃん、ヨーソロー!」

 

 

お決まりの敬礼ポーズを惜しみなく披露する。

 

 

「曜ちゃんヨーソロー!」

 

千歌も真似をするかの様に全く同じポーズを取り、ニマニマと笑っている。

 

 

俺、千歌、曜は同い年の小さい頃からの幼馴染だ。もう一人年上の幼馴染を加えた4人で小さい頃、よく遊んだりしていた。

 

 

「悠斗、寒そうだねえ」

 

ニッコリと笑いながら話しかける彼女を見て、先ほどと同じように心臓が少し跳ね上がるのが身に感じた。

 

「寒い。手とか感覚ない。」

 

 

「手袋とかマフラーとかしてないからじゃない?」

 

 

「悠くん、そう言うの付けないもんねぇ。昔から。」

 

 

「一応あるにはあるんだけどなぁ。今日こんな寒いとは聞いてなかった」

 

 

妹の恵にこの前選んでもらったマフラーと手袋を頭に思い浮かべながら、かじかんだ手に息を吹きかけた。

 

 

「この後、帰り?」

 

千歌が曜に向かって聞く。

 

 

「今日は室内プールで練習なんだぁ。寒いからあんまりやる気しないけど。」

 

 

練習と言うのは 高飛び込みのこと。

 

彼女、渡辺曜は 高飛び込みの全日本強化選手にも選ばれた事がある生粋のアスリートなのだ。

 

そして、昔からの夢であった、船乗りである父親の背中を追いかけて、今は理学部の海洋学科という特殊な学部に所属している。

 

 

「そっかあ、冬なのにプールって考えたら凍えちゃう」

 

千歌がブルブルと震える。

 

 

「まぁ、温水だから大丈夫だけどね。千歌ちゃんと悠斗は帰り?」

 

 

「うん!悠くんも終わりだよね?」

 

 

「え、あぁ。今日はこれで終わり」

 

 

「そっか、じゃあまた明日だね。あれそう言えば千歌ちゃんは明日は全休の日だっけ?」

 

 

「うん!まぁでも、どうせ旅館の手伝いさせられるから休みではないけどねぇ」

 

 

グデーっと千歌が項垂れる。

 

 

「頑張ってね。じゃあ私行くから!」

 

 

そう言い踵を返し、小走りで走っていくのを見ていると、曜はピタッ止まりくるりともう一度こちらを向いた。

 

 

「悠斗ー!明日一緒に学校行く日なの忘れないでよぉ〜!迎えに行くからぁ!」

 

 

ニッコリと笑いながら手を振り、もう一度走り出した。

 

 

「曜、わざわざこっちまで来なくても良いっていつも行ってるのに。駅で待ってりゃいいのに」

 

 

そう言うと、千歌が俺の顔を覗き込んできた。

 

 

「最近、曜ちゃんとどーなの?」

 

 

「なっ。ど、どーとは?」

 

 

「進展あったの?」

 

 

落ち着いていた心臓がまた鼓動を早める。

 

 

「別に、何もないし、俺と曜はそんな関係じゃないし」

 

 

「そんな事言ってたら、誰かに取られちゃうよ?好きなんでしょ?」

 

 

千歌は、そう言い首をかしげる。

 

彼女は俺が曜が好きだということを知っている数少ない人物である。

 

 

「好きだけど、それとこれとは話は別だって、前も話したろ、?」

 

 

「え、でも」

 

 

「もういいの。ほら、帰るぞ。」

 

 

俺は話を強引に断ち切り、いそいそと前へと体を進める。

 

 

「悠くん。ちょっと待ってよ〜」

 

 

千歌がそれに小走りで付いてくるのが背中越しに分かった。

 

 

 

 

 

 

夢のまた夢の話だ。 ずっとそう考えている。

 

 

そう一言で俺の気持ちは片付くのだ。

 

 

俺はそこで、考えるのを辞めた。

 

 

むず痒くなり、ふと空を見上げる。そこには空気が澄んだ冬らしい青空が広がる。

 

くまなく広がった真っ青な冬の空を見て、まるで海みたいだなと、そんならしくもない事を考えた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

下を見下ろす。

 

緑色に塗られたプールサイドには、白色の監視台と、数人の人たちが居て、私を見上げている。

 

ゆらゆらと揺れる水面を覗き込むと、薄っすらと私の姿が見えた様な気がした。

 

 

位置に着く。

 

 

深呼吸をして、心を無心にする。

 

1.2と少し跳ねながら助走をつけて 10メートル下の水面へと飛び込む。

 

 

空中で回転しながら、静かにチャプンと意識しながら入水する。

 

 

 

10メートル高飛び込み。開始の姿勢、ジャンプの踏み切り、空中での姿勢、回転数、そして入水時の水飛沫などで審査員が0〜10の点数を付けそれを競う個人競技。

 

10年以上も私はこの競技を続けている。

 

 

いい手応えだが、回転が乱れた気がする。

 

そう考えながら、水中で上の水面を見ながらゆっくりと浮き上がる。

 

水面から顔を出し、足りなくなっていた酸素を一気に体に取り込む。

 

 

「曜さん 今の凄かったです!」

 

 

「え、そう?」

 

「はい!」

 

プールサイドで見ていた後輩たちが、ワイワイと私の元へと寄ってくる。

 

 

「ひねりの回数がちょっと足りてない。入水は綺麗だった。」

 

タブレットを操作しながらコーチが そう私に告げる。

 

 

「こんなに上手なのに大会出ないの勿体ないですよー」

 

ショートカットの後輩が残念そうな顔で言う。

 

「いやぁ。別にプロになりたいわけじゃないしねえ。」

 

ザバッと水からプールサイドへと上がる。

 

勿体ない勿体ないと後輩たちが騒ぐ中、コーチがパチンと手を叩いた。

 

「ほらほら、お前たちは大会出るんだろ。自分の練習するの。次、中村、ジャンプ台上がれー」

 

そう指示するコーチの側に行き話かける。

 

「じゃあ。私、上がりますね」

 

 

「おう、お疲れさん。」

 

 

スイミングキャップを外し、髪の毛をぎゅっと握りしめて水を搾り出しながら歩く。

 

 

週二回のペースでだが、練習に参加させてもらっているのは、高飛び込みという競技を少しでも続けていたかったから。

 

 

プロになりたいわけでも無いし、彼女たちの様に毎日の時間を割いてまで打ち込もうとも思っていない。

 

 

 

ただ、高飛び込みというものを続けていたい。

 

 

『曜、今の凄く綺麗だね!凄いや!』

 

 

憧れの船乗りの父親の帰りを海を眺めながら待つついでに、私が飛び込んでいた時に幼馴染の彼が言った言葉だ。

 

 

その綺麗と言った意味は分からない。

 

姿勢だったのか、水飛沫だったのか、くるりと前回りしながら回った事なのか、それとも、私になのか。

 

もしかしたら後ろの夕焼けだったのかもしれない。しかし、何気なく言ったのかもしれないあの言葉が私が飛び込みという競技を始めたきっかけになっている。

 

 

更衣室のロッカーを開けて、水着を脱ぎ、私服に着替えながら、幼馴染であるその彼、柏木悠斗についてふと考える。

 

 

短髪。顔は濃い。犯罪者みたいな顔してる。でも目は案外クリッとして可愛らしい。笑うと目尻にシワができる。身長は普通。服装は地味。

 

顔は怖いけど優しい。一緒に居ると居心地が良くて落ち着く。彼の匂いが好き。彼の笑った顔が好き。話し声が好き。仕草が好き。嘘ついてる時は関節を鳴らすからすぐ分かる。鈍感。自己評価が低い。

 

 

そして、私の大好きな人。

 

 

ふふっと笑いながら着替えていると、鏡に映る 頬が緩む自分に気づき、恥ずかしくなった。

 

まぁ、1人だしいいか。

 

 

そんな事を思いながら携帯を取り出し、メッセージアプリを見ると、悠斗からのメッセージが返って来ていて心が踊る。

 

 

彼が好きだと確信したのは随分前だ。

 

 

彼は私の心を救ってくれた。

 

 

 

 

小学生の頃、小さな頃からしているプール塩素のせいで、ボサボサで色素の薄い癖毛を女の子なのに気持ち悪いと虐める女の子たちが居た。

運動が好きで、男の子たちと外で遊んでいた事も、気持ち悪いと、事あるごとに私にそう言って来た。

 

最初は気にも留めていなかったが、それは徐々に徐々にエスカレートして行った。

 

放課後、誰もいない教室に呼び出され、髪を引っ張られたり、叩かれたり。掃除道具入れの中に押し込まれたり。

 

ある日は、ある子の大切なハンカチが無くなったと騒ぎになった時、その子達に私が取ってるのを見たとあらぬ事実を広められたり。

 

 

泣きながら帰った日も何度もあった。

 

それでも、数ヶ月に一回のペースでしか帰ってこない大好きな船乗りのパパや、私を大切に育ててくれる大好きなママには、心配かけたく無い、強い子でありたいという気持ちから相談出来なかった。

 

 

千歌ちゃんにも、果南ちゃんという年上の幼馴染にも、意地はって相談出来なかった。我ながら面倒くさい小学生の女の子だったと思う。

 

 

父は家に普段からおらず、母は仕事に行っている為、鍵っ子だった私は、いつも、虐められた日はシクシクと学校から帰り、家で一人で泣いていた。何かあったの?と様子がおかしいと、ママや千歌ちゃんは聞いてきたが、何も無いよと普通を装って、一人で抱え込んでいた。

 

 

 

 

しかしそんなある日、毎日してきていたイジメがピタッと止んだ。

 

急に何があったのだろうかと、そんな事を学校帰りの家で考えているとインターホンが鳴った。

 

 

知らない人なら無視するのだが、カメラを除くと、そこには幼馴染の柏木悠斗が立っていた。

 

家を空けて、どーしたのと聞くと、彼はまだ袋に包まれた新品の 青いヨットの様な船のキーホルダーを無言で私に渡してきて、彼は言った。

 

 

『何があっても、俺は曜の味方だから。だから…それは俺からの約束の証。』

 

 

 

そう言って指切りをして帰って行った。

 

 

 

 

 

次の日、その悠斗との出来事を不思議に思いながら学校に行くと、いじめっ子達が先生に連れられ揃って謝りに来た。

 

誰にも言ってなかったのにどーしてと思ったが、一人の子が、

 

『隣のクラスの柏木君が、昨日みんなが見てる前で曜をいじめるのは許さないって怒っちゃって、その女の子たち泣いちゃって先生がたくさん来て騒ぎになってたんだよ』

 

と言ってくれた。

 

 

 

 

誰にも言ってなかったのに、心配かけたく無いと秘密にしていたのに、悠斗だけは私がイジメられていた事に気づいたのだ。

 

 

昔からそうだ。

 

悩んでいたりしても彼は一番早く気づいて心配してくれる。

 

 

今回もそうだ。どーして分かったのかは不思議だが、でも…。

 

 

 

 

 

私の為に、そんな事を…。

 

 

 

 

 

 

そう考えたその時、パチンと心の中で何かが弾ける音が聞こえた。

 

 

 

彼を、柏木悠斗を好きになった瞬間だ。

 

 

兄妹のように育った幼馴染から、好きな人へと変化した瞬間だ。

 

 

そこから、世界は一変した。

 

どうでも良かったボサボサの髪の毛も、母のトリートメントを使うようになったり、ファッション雑誌を読み漁るのようになったり。兎に角、今まで無頓着だった髪や服などの自分の女の子としての姿って言うのを、それから意識し出したっけ。

 

 

そう思い出しながら、リュックの少し色落ちした船のキーホルダーをギュッと握りしめる。

 

 

彼はいつも私の心に雨が降った時傘をさしてくれる。

 

 

 

彼を見ると、彼の事を考えると、私の胸が高鳴る。

 

いつも、幸せな気分にさせてくれる。

 

 

そして、彼を心から愛している。

 

 

私は、彼とずっと一緒居たいと思っている。

 

 

 

大学生2回生になった今、スクールアイドルや、色々な経験を経てそう思うようになった。

 

 

 

 

 

 

メッセージアプリを開ける。

 

 

『悠斗の事で、今日も電話していい?』

 

 

そう、蜜柑がアイコンの幼馴染にメッセージを送り、彼の事を考えながら、興奮気味にスキップしながら、更衣室を出た。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

透明のグラスにびっしりと水滴が付いている。

 

その滴る水滴のついたグラスの黒い液体をちびちびと啜る。

 

 

『最近、曜ちゃんとどーなの?』

 

 

今日の夕方、千歌が俺にそう言ったせいで、あれからずっと 曜の事が頭から離れない。

 

その後の帰り道にも、

 

 

悠くんは曜ちゃん好きなんでしょ?だったらもっとグイグイ行くべきだよ!

 

 

そう言ってバスの中でもヤイヤイ はしゃいでいた。また考えとくと適当にあしらったのだが…。

 

ここ最近、特に千歌は俺と一緒に居るとこの手の話をしてくる。

 

 

何故かは分からないが。

 

 

そもそも、何で俺が曜の事を好きだという事をあいつは知ってるのかすらも謎だ。

 

 

『曜ちゃんの事、好きなんでしょ?』

 

 

唐突に、何の前振りもなくそう言ってきた時は驚き過ぎて声も出なかった。

 

 

それに、高校の時、曜や千歌が所属し、俺も手伝わせて貰っていたスクールアイドルのAqoursの皆んなもこの事を知ってるご様子だし、俺って分かりやすのかと腕を組んで考える。

 

 

待てよ、皆んなにバレバレなくらい分かりやすいって言うなら、本人にもばれている可能性はなきにしもあらずだ。

 

 

そ、そうなると、俺は曜に気持ち悪い目で見られている可能性が…。

 

 

そうなったら絶望だ。この世の終わりだ。

 

 

ぐるぐると悪循環に陥る。

 

 

「ねぇ。食べないと冷めちゃうよ?」

 

 

目の前から発せられたその言葉にハッとし、自分の世界から現実へと引きずり出される。

 

 

「せっかくファミレス来たのに、ずーっとコーヒー飲んで腕ん組んでの繰り返ししてるけど。しかも、このクソ寒い冬にアイスって…。何かあったの?」

 

 

一歳年下の妹の恵が目の前のハンバーグをフォークとナイフで 器用とは言い難い不慣れな使い方で食べづらそうに食べながらそう言う。

 

 

俺と恵は、看護師の母が夜勤という事で、二人でファミレスに外食に来ていた。

 

普段なら家で作って食べるのだが、今日は二人とも早い時間帯に帰ってきたので、外食に行くことになったのだ。

 

そんな妹は、ハンバーグをゴクリと飲み込み、質問の回答を睨むように見ながら待っている。

 

 

「いや、別に。」

 

 

問い詰められている感じがしてむず痒くなり、誤魔化そうと、目をそらしポキポキと手の関節を鳴らす。

 

 

「あ、なんか隠してる。」

 

 

「か、隠してなんかないし」

 

 

怪しいなぁと下を向く俺を覗き込むようにして、無理矢理目を合わせて来ようとする。

 

 

「そ、それより、大学楽しいか?」

 

 

「急に変わるね。楽しいけど今はそんな話じゃないでしょ?」

 

 

「大学一回は一番楽しい時期だよなぁ。俺も去年は遊びまくりでさぁ」

 

 

「ねぇ、話逸らさないでって」

 

 

恵はジーっと一つも笑っていない目で見つめてくる。

 

 

「えっと、恵さん…」

 

 

「私に隠し事禁止って約束は?」

 

 

「そんな約束…」

 

 

「したからね。中学の時。忘れたとは言わせん」

 

 

揺れることも逸らすこともない、微動だに動かない彼女の俺と同じ色の瞳は、刺すように威圧している。

 

 

「そんな事言われてもなぁ。ただの、妄想というか…」

 

 

「あー。曜ちゃんの事ね。はいはい」

 

 

「分かってんなら聞くなよ!」

 

 

やれやれと言わんばかりに呆れた顔を見せて来る。

 

 

「もー、だから嫌なんだよ、からかわれるし」

 

 

「あー ごめんごめん。それで、曜ちゃんの何悩んでたの?」

 

 

「悩んでるというか。今日、千歌に進展はあったのかって聞かれたから…」

 

 

「ふーん。いっそ思い切って告白でもしてみれば?」

 

白けたように頬づえを突き聞いてくる。

 

 

「あのな、そんな簡単に言うなよ。今までの関係なんかが一気に崩れ去る可能性があるんだぞ?しかも、その可能性高そうだし…」

 

 

「えー。そう?どーしてそう思うの?」

 

 

「いや、ほら、曜って昔からモテるし。色々スペック高いし、スクールアイドルやってたし。大学で、ほら…こう、イケメンで高身長、超お洒落なハイスペック男子とかの子たちが話しかけてるの見るし」

 

 

「うんうん。それで?」

 

 

「だから、告白なんぞしたら、鼻とかで笑われそうで…」

 

 

「あのねぇ。曜ちゃんがそんな事をすると思う?まぁ、確かに可愛いしコミュ力も女子力も高いし、なんでも出来るからその考え方は間違ってはないけどさ…」

 

 

恵は途中で話すのを辞め、オレンジジュースを飲み、再び口を開く。

 

 

「そんなイケメン野郎たちは曜ちゃんの長所しか知らないでしょ?逆にお兄ちゃんは関わりが長い分、欠点も知ってて好きって言えるって事。この意味分かる?」

 

「いえ、さっぱり。」

 

 

分からなかったので素直にそう答えた。

 

 

「一つヒント。女の子はね、ちゃーんと内面も見て好きかどうかって判断してるの。ルックスも大事かもしれないけど、そんなのは二の次ってこと。私だって、イケメンで高身長の彼氏なんて憧れるけど、そいつが私の事全然わかってない、上っ面だけの人間だったら即別れるね。」

 

 

フンッと鼻息を盛大に出し、威張るように胸を張る。

 

 

そんなもんかなぁと、もう言う事を言い切って話に飽きたのか、目の前のハンバーグを冷めない内にとがっつく妹を見ながら思う。

 

 

そういえば、曜もハンバーグ好きだったよなぁ。

 

 

夜になり、室内の灯りが反射し鏡のようになった窓を月が見えないかと覗き込むように見る。

 

しかし自分の気持ち悪い動きだけが反射して写り、目当てのものは見ることはできず諦めて、もう冷めてしまった生姜焼き御前の残りに手を付ける。

 

 

空になった横のアイスコーヒーのグラスは、元の四角い形が崩れた歪な形大きめの氷が崩れ、カランと音を立てた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「それでね!秋葉の制服専門店って言うのがあってね そこで果南ちゃんに似合いそうなの見つけてね!…」

 

 

少し日が進み、12月の中旬のある日の夕方。

 

 

 

俺は冬休み前のレポートを終わらせる為に、午後の図書館でパソコンと参考資料を睨みつけて居た所、偶然図書館に来ていた曜から一緒に帰ろうと、後ろから声を掛けられたのだ。

 

曜もレポートの為の図書を借りに来ていたらしい。

 

 

そしてその帰りに、寒いから暖かくて甘いものが飲みたいと言うので2人で 駅近の喫茶店に来ている。

 

 

曜の前には、ミルクココアと食べかけのガトーショコラが置かれていた。

 

俺は、コーヒーだけ。貧乏大学生はこういう所でケチらなければならない。

 

小腹空いたなあと曜のガトーショコラを見て腹の虫が少しなった気がした。

 

 

楽しそうに、喜色満面な笑顔で目を輝かせながら話す曜を見ながらブラックのコーヒーを口に含む。

 

 

「それって美味しいの?」

 

 

「ん?コーヒー?飲んだことないの?」

 

 

「ブラックは苦手なんだよねぇ。苦いじゃん。」

 

 

曜はベーっと舌を出し、窄んだ顔でそう言う。

 

 

「んー。甘いのあまり得意じゃないからなぁ。こう言うのがちょうどいいや、俺的には」

 

 

「へー。ねぇ、今度秋葉行こうよ!悠斗もコーディネートしたげる!」

 

 

「まさか、コスプレじゃ無いだろうな?」

 

 

「あったりー!」

 

 

二人きりでこうやって曜とお茶しながら話すのはかなり久々な気がした。

 

大学に入って、ここ一年くらい無かったような気がする。

 

同じ大学に入ったといえど、違う学部だとそもそも会う機会も少ない。

 

ただ、水曜日の時間割が二人が1限で朝からなので、毎週一緒に学校に行っいるのだが…、やはり二人でこう言う機会は思い出そうとしてもかなり昔のことになってしまう。

 

千歌とはしょっちゅう一緒にご飯食べたりしているが…。

 

なんせ、曜は取ってる単位も多くて忙しいしなぁ。

 

チラリと目の前の意中の女性に目をやると、残りのガトーショコラを綺麗にフォークで崩していた。

 

 

『思い切って告白でもしてみれば?』

 

 

千歌だったか恵だったかが言った言葉を思い出した。

 

 

ダメだ。想像しただけで落ち着かない。

 

じっとりとかいた手汗をズボンでゴシゴシ擦るように拭く。

 

 

そもそも、友達だと思ってたとか、ありきたりの返事をされてみろ、心が持たないし曜との関係が崩れるでは無いか。

 

 

千歌、曜、果南さん。この3人とはずっと昔から育ってきたのに、それが一気に崩れ去る可能性だってあるのだ。

 

 

勢いは良く無い。本当に。

 

 

もっと、曜の気持ちを知らないと。

 

 

か、彼氏とかいる可能性だってあるんだ。

 

 

「よ、曜って彼氏とか居るのか?」

 

ガトーショコラをパクつく曜にボソッと呟くように聞いた。

 

「え…。急に?」

 

曜の美味しそうに食べて幸せそうな表情が一変し、夢でもみてるかのように驚く顔をする。

 

「なんか、気になっただけだ。うん忘れて」

 

 

「なにそれ、こっちが気になるじゃん。悠斗らしくも無い。」

 

 

むすっとした顔でこちらに乗り出して覗き込んでくる。

 

 

恥ずかしくなり目を逸らすと、曜の携帯電話が鳴った。

 

何度も鳴るのを聞き、メッセージじゃなく電話なのだろうと判断した。

 

 

「お母さんからだ。」

 

 

ちょっとごめんと言い残し、店の外へ出て行く。

 

はふぅっと背もたれにもたれる。

 

心臓の鼓動が少し早いのをそこで初めて感じた。

 

やはり、好きな人と二人だと、いくら幼馴染と言えど少しは緊張するのだと認識した。

 

そんな事を考えながら脱力していると、

 

「あれ、柏木?」

 

と声を背後から掛けられた。

 

振り返ると、よく見知った顔だった。

 

ガタイの良い体をした同じ学部の同じゼミの西だった。

 

 

「お前も寒すぎてコーヒーが飲みたくなったか。一緒だな。」

 

 

「まぁなぁ。寒いのはあまり得意じゃ無いしなぁ」

 

「めっちゃ分かるわ」

 

 

そんなたわいも無い会話をしていると、ニヤリと西は笑いながら俺に言った。

 

 

「そういえばお前、彼女出来たんだろ?」

 

 

「へ?」

 

 

「見たんだからな。この前すげぇ美人と一緒にメシ食ってたろ?」

 

 

「ああ。」

 

 

一瞬のその言葉に 何事だと言葉を詰まらせたがすぐに理解した。

 

 

「千歌だろ?何回も同じこと言うけど彼女じゃなくて幼馴……」

 

 

「違うよ。高海さんならすぐ分かるっつーの。そうじゃなくて、こうもっと清楚ないい感じに色気のある美少女と、いかにも親密だわぁ私達…みたいに見つめあってたじゃねえか。」

 

 

食い気味に、少し興奮しながら俺の話を遮るように話す。

 

見つめ合う。美少女。色気…。

 

 

「鞠莉さん…じゃないよな?」

 

 

「違う違う。Aqoursの人達ならすぐ分かるって。あれは俺の見たことない女性だったね。誤魔化せんぞ。」

 

 

ますます言っている事が分からなくなる。

 

Aqoursの人達じゃない人で、一緒にご飯食べてた?しかも美人と。俺が?

 

 

西の顔を見るに羨ましそうな、はたまた憎そうな顔を見るに冗談じゃないということは分かる。

 

 

「なぁ。見間違いじゃ無いのか?」

 

 

「違うって。ああ。高海さんといい、何で普通すぎるお前が美女と友達だったり彼女だったりする…」

 

そこまで言った所で、俺は何か嫌な空気を感じた。

 

 

西のゴツめの肩の背後から嫌なオーラが出ているの感じ取れる。

 

 

チラリとそれを見て、驚愕する。

 

 

しまったと、そう思った時にはもうすでに遅かった。

 

 

いつからか、電話を終え席に戻ってきた曜が、西のすぐ後ろで、ギュッと両拳を握りしめて立っていた。

 

 

待て、いつの間に。いつからそこに居た。

 

 

まさか聞いてたのか。

 

 

「えっと、曜、いつから…」

 

 

「うおっ。渡辺さん。気づかなかった。」

 

 

その曜は、ぼーっと虚ろな表情で俺と西の間の空間を見つめている。

 

 

聞かれたのか?

 

待てよ、聞かれた所で西が言ってる事は嘘なのだから、なんの支障もない。

 

ただの誤解だし、そもそも、もしそうだとしても曜がそんな事を気にするはずも…

 

 

「えっと…。聞くつもり無かったんだけど…聞こえてきちゃって、その、えっと…」

 

 

ぐるぐると頭の中で思考を整理していると、曜が歯切れ悪くそう言葉を発した。

 

 

「違う、これはただの誤解で…」

 

 

突然過ぎる出来事に俺と西がゴクリと息をのむ空気が漂う中、心なしか具合が悪いような顔をして、今度はハッキリと曜は言った。

 

 

「その。悠斗、彼女さんが出来たんだね。お、お、おめでとう」

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

家に帰って早々に俺は自分の部屋の床のカーペットにダイブした。

 

チラリと時計を見ると時刻は午後5時。

 

まだ夕方の時刻だと言うのに、もう外は暗闇へと変化している。

 

 

いっそこのまま寝てしまおうか。

 

 

いや、風呂に入りたい、部屋着に着替えたいし、寒いから暖房を付けたい。

 

そう思ったが、グデっとなった俺の身体は寝返りを打つ気力すらない。

 

 

なんだか色々萎えてしまった。

 

 

あの日、あらぬ疑惑をかけられた日。俺は曜と喫茶店を出た後、全身全霊を尽くして疑惑の誤解を解こうとした。

 

 

『ほんと、あいつ何言ってんだろうな。あはは。俺が美女と二人きりで飯だなんてあるわけ無いのになぁ。あはは。』

 

『うん』

 

『全く身に覚え無いんだよなあ。本当に無いから!な!全然!』

 

『うん』

 

 

と、うん という返事しか返って来なかったのだ。

 

 

あれから4日、曜とは話せず、会っても そそくさと何処かへ逃げてしまう。

 

 

しかも、他の同じゼミの子にも、彼女出来たんだって?おめでとう!みたいな事を言われる始末。

 

あいつめ、あらぬ噂を広めやがったな。噂が一人歩きしてるぞ。

 

 

「はぁぁ」

 

 

盛大にため息をつくことしかできず、無気力感がどんどん強くなって行く。

 

 

ブルリと身を震わす。

 

 

寒い。早く風呂に入って暖房をつけよう。

 

そう思い、ゆっくりと全身の力を使い立ち上がる。

 

 

フラフラと階段を下りている所に、自分の部屋で着信音が鳴っていること気づいた。

 

 

下りかけの階段を再び上り、部屋に置いてあった携帯のディスプレイを見ると、小原鞠莉と表示されていた。

 

 

「もしもし」

 

 

「あ、ゆーと?チャオ〜。今忙しかった?」

 

 

「いえ、忙しいどころかさっきまで床で突っ伏してました。」

 

 

「なに?具合でも悪いの?」

 

 

「いえ。そういう訳では無いです。はい。」

 

 

具合というより、精神状態が良く無い。

 

これならいっそ熱でも出た方がマシだ。

 

 

「まぁ、大丈夫ならいいけど、今ね果南とダイヤと居酒屋に居るの。ゆーとも暇なら来ない?果南情報だともう授業とか無いはずよ?」

 

 

「え。今からですか?まぁ、行けないことは無いですが、なにぶん今はちょっと色々とあり…」

 

 

「待ってるからねー」

 

 

断ろうとしていると、そう無理矢理電話を切られた。

 

 

まぁ、別にいいか。

 

 

そう思い、脱いだコートに再び手を通した。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「え。なにそんな事になってるの?」

 

 

居酒屋に着き、木の椅子に座って早々に曜との現状を聞かれたので数日前にあった出来事を全て伝えた。

 

 

「もう、訳わかんなくて。曜もまともに俺と話してくれないし。」

 

 

俺がそう言うと、3人が顔を寄せ合い、コソコソと何かを話し始めた。

 

なにを話しているか聞こうと耳を立てると、果南さんにダメと言わる。

 

「えー。呼んどいて仲間外れですか。良いですよ。俺なんかは変な噂立てられて、好きな人には嫌われて、挙げ句の果てには相談しようとしたら仲間外れって…」

 

そうぶつぶつと小言を言いながら、ショボくれていると、漆黒の黒髪のロングヘアを持つダイヤさんが眉をひそめながら背中をさすって来た。

 

 

「ま、まぁまぁ悠斗さん。そんなにネガテイブにならなくても」

 

 

「そうだよぉ。そもそも曜は怒ってないと思うけど?」

 

 

そう海色の髪をポニーテールにした年上の幼馴染の果南さんに言われる。

 

 

「そうですよね。よくよく考えると何で怒ってるってなるんだって事ですよね。俺が誰と付き合おうと、それがあらぬ噂だとしても、曜には関係ない事ですしね。そもそも曜がそれを気にするはずもない事ですしね。」

 

 

「こりゃダメだ。ショボくれモードになっちゃったよ」

 

 

「とりあえず、何か飲んだら?」

 

 

そう鞠莉さんがメニューを渡してきたので、生ビールを注文した。

 

 

そして出てきたそれを、勢いよく胃の中に流し込んだ。

 

 

「だ、大丈夫ですか?悠斗さん」

 

 

「酔いたい気分なんです。今は。」

 

 

「そもそも、なんでそんな噂立ったんだろうね。」

 

果南さんが頬づえを突きながら言う。

 

 

「火の無いところに煙は立たぬって言うわよ?」

 

 

鞠莉さんが梅酒の入ったグラスを傾けながら俺にそう言う。

 

 

「ほんっとに心当たりが無いんです。恐ろしいほどに。」

 

 

「そっかぁ。じゃあ違うんだろうねえ」

 

 

鞠莉さんのその予想外の返しに驚き、えっ と、声を裏返ししまった。

 

 

「信じてくれるんですか?」

 

 

「信じるも何も、初めから違うって分かってるし。」

 

 

「そうですわ。悠斗さんに、二股をかける器用さも度胸もないことも知ってますから。人畜無害。これが悠斗さんの売りじゃ無いですか。」

 

 

そのダイヤさんの言葉に、慰められてるのか貶されてるのか一瞬、ん?と分からなくなった。

 

 

「そもそも私は悠斗が昔から曜の事好きなの知ってるし」

 

 

「で、曜とはその後何話したの?弁明はしたんでしょ?」

 

 

「したんですけど、よく分からないんですよ。無関心ならそう言う態度で分かるはずなんですけど、表情がイマイチ分かんなくて。」

 

 

「具体的には?」

 

 

「ボーっとなんか考えてるような目をしたかと思ったら、キッと目力を強めたりとか。もう訳わかんなくて。」

 

 

俺がそう3人に、ビールを飲みながら伝えると、3人は目を合わせた。

 

 

「あー。」

 

 

「なるほど…」

 

 

「私も理解しましたわ」

 

 

「え、なにがですか?」

 

 

3人がウンウンと頷きながら話すので素直に何かと問い返した。

 

 

「えっとね。悠斗、曜の欠点って言える?」

 

 

「はぁ。欠点ですか。」

 

 

「うん。欠点というより、苦手な事っていうのが正しいのかな。」

 

 

「はぁ。」

 

 

そう言われたので曜のことを頭に思い浮かべた。

 

 

「外見じゃ無くて、中身でね。」

 

 

んー。と考え、俺が思う曜の苦手な事を一つ捻り出した。

 

 

「なんか、色々溜め込んじゃうところとかじゃ無いですかね?」

 

 

「と、言うと?」

 

 

「いや、ほら、昔からハイスペックでみんなに頼りにされてたりしてたから、誰かに弱い自分を見せるのが苦手んですよねぇ曜って。裏切っちゃうみたいな事考えて。だからなんか嫌なこととかあっても相談しないから、色々溜めちゃって、爆発するんですよ彼女」

 

 

俺がそう言うと、鞠莉さんが呆れたように口を開いた。

 

 

「そこまでわかってて、なんで分かんないのかしら。」

 

 

「鈍感だからねえ。ほんと」

 

 

「え。なんですか。」

 

 

あのね、と鞠莉さんが続ける。

 

 

「色々溜め込んじゃうの。ならちゃんと聞いてあげなさい。曜の気持ちを。」

 

 

「でも…」

 

 

「怒ってはいないから安心しなさい。それから多分曜は…」

 

 

そう途中で言いよどむので、何ですかとまた聞き返した。

 

 

「gelosiaよ。」

 

 

「へ?」

 

 

「また自分で調べときなさい。色々終わってから。」

 

 

「えー。なんですかそれ。」

 

 

「はい!この話は終わり!そういえばルビィはどうしてるの?」

 

 

「ああ。ルビィなら…」

 

 

鞠莉さんが無理矢理話を終わらせたので、その言葉の意味が理解できずに終わってしまった。

 

 

まぁまた調べればいいかジョッキの底に残った少ない残りのアルコールを再び胃に入れた。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

水曜日の朝。

 

インターホンが鳴り今か今かと待っていた俺は勢いよくディスプレイも見ずに玄関を開けた。

 

 

「おはよう。」

 

 

「お、おはよう。」

 

 

無表情かつ虚ろな表情で姿勢を綺麗に保ったまま立った曜が玄関前に立っている。

 

 

「行こうか」

 

 

「うん。」

 

 

曜の空返事を聞きながら玄関を施錠する。

 

 

「きょ、今日も寒いなぁ」

 

 

「そぅだね」

 

 

「はやく夏来ないかなあ」

 

 

「そだね」

 

 

 

ダメだ。会話が続かない。

 

 

しかも、変な雰囲気まで俺たちに漂ってるのが当の俺でも分かった。

 

 

バス停でベンチに二人で座る。

 

 

聞くなら今か。

 

 

「なぁ。喫茶店の事でなんか怒ってない?」

 

 

これでもかと言うくらい姿勢を正しく座っていた曜の身体がピクリと動いた気がした。

 

 

「怒ってない」

 

 

「え、でも…」

 

 

「悠斗はなにも悪いことして無いでしょ?」

 

 

「え、うん。」

 

 

そうだけど。そうだけれど、じゃあ何故。

 

 

何故、そんな表情をしてるんだ。

 

 

 

その答えはその場では分からず、いつもの見慣れたバスが目の前にやって来た。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

もうすぐ冬休みということもあって、構内がやけに騒がしい気がする。

 

 

そんな事を法学部棟の階段を下りながら考える。

 

 

最近、食欲がない。

 

 

そのせいか体調も良く無い。

 

 

会う度会う度におめでとうと言われ胃が痛い。

 

 

はぁぁと心の中で盛大にため息をつく。

 

 

「あ、おーい。悠くーん」

 

 

建物の一階に着くと、エントランスのベンチで千歌が座っていた。

 

 

「ん?帰りか?」

 

 

「うんそうだよ!ていうより、伝えたい事があ…」

 

 

千歌が話しているその後ろで、俺の体調を悪くさせている元凶の人物を見つけた。

 

 

「おい!西!」

 

 

「おー。リア充じゃねえか」

 

 

「お前のせいでこっちは大変なんだぞ!」

 

 

「まだしらを切ってるのか?諦めろ。あれは確実にお前だった。」

 

 

「それはいつだ!どこでだ!何日何時だ!」

 

 

俺がそう言うと西はニヤニヤ笑いながら、

 

 

「12月の初めの方。沼津のファミレスで、黒髪のショートボブの、クリッとした目の下に泣きぼくろがある美少女だよ。」

 

 

待て。

 

ファミレス。

 

黒髪のショートボブに、泣きぼくろ?

 

そこで全てを悟った

 

「俺の妹じゃねえか!」

 

 

「え。」

 

 

そう言い、目を見開きポカンとした西を見て、再び俺は元凶の元に言葉を発した。

 

 

「あれは妹。黒髪のショートボブに泣きぼくろ。似てないけど、西、あれは俺の妹だ。遺伝子レベルで妹だ!」

 

 

西はワナワナと顔を震わす。

 

 

「信じねぇぞ。お前の妹があんな美人な訳ないだろ!」

 

 

「千歌、言ってやれ」

 

 

「妹だよ。妹の恵ちゃん。ほら!」

 

 

そう言いながら、千歌とツーショットを撮った携帯の写真を見せる。

 

 

「似てなさすぎる…」

 

 

「悪かったな」

 

 

「お前の妹が、あんな美人…」

 

 

「えー。目とか悠くんと似てると思うんだけどなぁ。大きな二重の目!」

 

 

「ほんとだ。よく見るとそんな感じして来た」

 

 

ガタガタと震えながら俺の方を見て、

 

 

「すまん!あらぬ噂を立ててしまって!よくよく考えれば柏木にあんな美人なんておかしかったんだ」

 

 

と、謝った。

 

 

「謝ったのは良しとするが最後のはなんだ。それから、西 お前にはこの噂の火の消化をして貰おうか。」

 

 

アイアイサーと 敬礼して俺よりも身長のでかい西は走って行った。

 

 

 

「なんだ。そう言う事か。どうりで思い出せない訳だ。美人とか以前に、妹だもん。選択肢として入る訳が無い。」

 

 

全く。恵のやつ、大学生なったからって化粧とか覚えたせいで、妙に大人っぽくなったと思ったら…。

 

見つめ合うねぇ。見つめていたと言うより、あいつが俺の目を逸らさないように睨んでただけだろ。

 

はぁぁと今度は安心の溜息を吐く。

 

 

「良かったね!」

 

 

千歌がニッコリ笑顔で話す。

 

 

「あぁ。良かった。本当に良かった。悪いが、曜に言っといてくれないか?」

 

 

「ああ。それなんだけど」

 

 

千歌がそう続ける。

 

 

「悠くん、曜ちゃんが授業終わったら会いたいって。内浦の堤防で待ってるってさ。」

 

 

「え。曜が?」

 

 

「うん。だから、行ってあげて」

 

 

優しく千歌が微笑む

 

 

「分かった…」

 

 

そう言って、俺と千歌は寒い世界へと出て行った。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

冷たい風が強く吹く。

 

いつもより荒々しい波が堤防に打ち付けて、海面は穏やかでは無い。

 

 

私の心を表しているようだ。

 

 

「ごめん。待たせて。」

 

背後から聞こえてくる、聞き慣れた安心する声に鼓動が一つ上がった。

 

 

「ううん。こっちこそ急に呼び出してごめん」

 

 

少しの沈黙が生まれる。

 

波の音 風の音が私たちの空間を支配する。

 

 

言わなくちゃ。悠斗に。そう心で決心した時、

 

「あのさ」

 

 

悠斗が先に切り出した。

 

 

「あの変な噂。やっぱり誤解だった。この前言ってた西って子が俺の妹を見て勘違いしてただけだったんだ。」

 

 

迷惑かけてごめん。そう最後に彼は付け加えた。

 

 

「ううん。大丈夫。」

 

 

「それから、俺から曜に伝えたい事があるんだ。」

 

 

真剣な表情を私に向けて来る。

 

 

ゴクリと生唾を飲む。

 

 

「俺さ、曜の事が好きだ。」

 

 

太陽が沈みかけた薄暗い世界の、時が止まった気がした。

 

 

さっきまで聞こえていた、風の音も波の音も全て何もかも無くなった気がした。

 

 

するとどうだろう。

 

胸の底から何かが込み上げて来る。

 

「うっうぇぁ」

 

そんな嗚咽と同時に目から少ししょっぱい雫がポロポロと零れ落ちる。

 

 

「だから、気持ち悪くても、ただの友達でも良い。だから、」

 

 

そこまで言い淀み

 

 

「俺は曜に釣り合う人間になりたい。」

 

 

ハッキリと、彼は言い切った。

 

 

「悠斗…私…私…」

 

 

「曜は昔から、なんでも溜め込んじゃうから。今回も様子がおかしかったし、何か言いたい事があるんじゃ無いかって。曜が会いたいって千歌から聞いた時、ここしか無いって思って。ごめん、もっと早くに聞いておくべきだったんだけど、ここ数日、まともに会話出来てなかったから。だから、俺の悪口でもいい。今曜が思ってる事あったら全部言ってくれ。」

 

 

そう言って頭を下げる。

 

 

 

 

『曜ちゃんってなんでも出来て羨ましいなぁ』

 

 

『渡辺が居るから大丈夫だろ』

 

 

『渡辺さんに任せとけば大丈夫でしょ』

 

 

みんないつもそう言う。

 

 

期待とプレッシャー。私はちゃんと完璧にしなければならない。

 

 

あのイジメの時もそうだ。

 

 

相談出来なかった。誰にも。

 

 

完璧な渡辺曜を演じなければならない。

 

 

でも、でも、

 

 

「私の、弱い部分を見せれるのは悠斗だけ。弱音も愚痴もいつも二人の時に聞いて貰ってたのも悠斗だけ。でも、今回は…」

 

そこまで言い、言葉が詰まった。

 

 

「ゆっくりでいい。落ち着いて。ちゃんと聞いてるから」

 

 

そう言葉をかけられ、少し胸が軽くなる。

 

 

「悠斗に可愛い彼女が出来たって聞いた時、パニックになっちゃって。その後、ずっとモヤモヤした何かが胸にこびり付いてて、もう訳わかんなくなって…」

 

 

グスッと涙を袖で拭う。

 

 

「悠斗が知らない女の人と二人で居るのを想像したら、胸がチクチクして。もうこんな事ならいっそ、悠斗を取られないように閉じ込めちゃえばいいなんて事も考えて…。この気持ちが、嫉妬だって事も知って。」

 

 

目の前の悠斗は驚愕の顔をしている。

 

 

「そうだよね。気持ち悪いよね。ごめんね。」

 

 

そう言って、走り去ろうとすると、腕を勢いよく摑まれる。

 

 

「違う!その、ちょっとびっくりしただけで。曜と同じ気持ちだった事に。」

 

そして、私の目をしっかりと見て続けた。

 

 

「俺は曜を気持ち悪いだなんて思った事もないし、これからも無い。」

 

 

グズグズと堪えていた私の涙線はそこで崩壊した。

 

 

「ごめんね。ごめんね。嫌いになっちゃってた訳では無いの。この初めての感情が、嫉妬の感情が分からなくて戸惑ってただけなの。だから嫌いにならないで」

 

私はそう言い、彼の胸で泣く。

 

「なるわけない。何年俺は曜が好きだと思ってるんだ。」

 

そして、彼は頭を撫でてくれる。

 

 

「俺は、曜に釣り合う人間になりたい。曜に相応しい人間になりたい。だから、側で見守っててくれるか?」

 

 

優しい声でそう聞いて来る。

 

 

「いいの?私、ちょっと心配になっただけでさっきみたいな事考えちゃうよ?それでも良いの?」

 

「うん。」

 

「ちょっとでも私の側を離れただけで怒っちゃうよ?」

 

「うん。」

 

「私の事、ちょっとでも無視したら拗ねちゃうよ?」

 

 

「うん。」

 

 

「色々束縛とかしちゃうかもだよ?」

 

 

「うん。構わない。」

 

 

「私、重いよ?」

 

 

「いい。曜ならいい。」

 

 

ハッキリと淀む事なく言う。

 

 

それを聞き、勢いよく彼に飛びついた。

 

 

「ありがとう。ありがとう悠斗。私も、こんな私だけど、これからもずっとよろしくね」

 

 

そう言って彼の顔を至近距離で見る。

 

 

ニッコリと笑って目尻にシワを作る彼の顔を見て、無性に彼が欲しくなった。

 

 

いいや。もう私のものなんだし。

 

 

そして、思いっきり彼の唇にむしゃぶりついた。

 

彼は何か叫んでいるが辞めない。

 

意識が飛びそうなほど美味しい彼の味を堪能する。

 

 

顔を真っ赤にさせながら彼は驚いている。

 

 

そして、息が苦しくなり離れて私は、

 

 

「言ったでしょ?私は重いって」

 

 

と彼に満面の笑みで言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい冬の冷気が火照った体を舐めるように刺激する。真っ暗になった世界では月明かりが幻想的に輝いている。

 

街灯の光と月光が折り重なり、スポットライトの様に私達を照らしている。

 

それはまるで、これからの彼との甘く楽しい生活の幕が開けるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秋風チューリップ #国木田花丸

よろしくお願いします


紙面に連なる活字を一字一句漏らさない様に丁寧に読む。

その文字の内容を頭の中で思い描く。

 

本を読む。

 

この行為が 私、国木田花丸はとても好きだ。

 

一冊一冊のそれぞれの物語の中に、第三者として入り、その本独自の世界観を我が身で体験する。

 

全く同じ物語など無い。それぞれのその本の世界があり、違った面白さがあるのだ。

 

 

少し体制を変えると、キシッとパイプ椅子特有の音が鳴った。

 

チラリと時計を見ると夕方の5時50分辺りを針は指している。

 

 

そろそろ、来る時間かな?

 

 

そう思い、四葉のクローバーが挟まった、長年愛用の栞を挟んで優しく本を閉じる。

 

ふと周りを見回すと、数名の学生がまばらに座っていた。

 

ここに来た時よりも数名増えたらしい。

 

勉強をしている者もいれば、私と同じ様に読書をしている人もいる。

 

ただ共通して言えることは、シンとした静けさ、外の音やちょっとした物音が敏感に聞こえるほどの静けさが、私達とこの独特な紙の匂いが舞う空間を包んでいる。

 

 

これも好きだ。静かな所は落ち着く。

 

 

 

ガラリと図書館を出ると、廊下の開けた窓の外からソヨリと風が吹いた。

 

冷たくも暖かくも無い、感覚的に気持ちのいい涼しい風に、11月上旬という、秋の季節を肌で感じた。

 

賑やかな外の声を聞きながら、図書館を出てすぐの角の壁に背中を預けた。

 

 

その人とは、いつもここで待ち合わせている。

 

 

この廊下をこの時間に歩く人は少ない。

 

この棟は、図書館と実験室しかないから。

 

テスト期間などの時は多くの人がコピー機の前に列を作るが、テストも何もない11月の夕方の時間ともなると、本を読む人か、実験の準備をしに来る教授くらいしかこの棟は使用しない。

 

暇になれば図書館にいる私にとっては好都合。

 

ドタドタと廊下を走る人も居なければ、大きな声で話す人も居ない。

 

純粋に図書館を利用しに来る人だけが来るこの場所は私にとって平和な場所。

 

そして、毎日のように来ていると、この棟を利用している人の顔を少し覚えたりもする。

 

図書館あるあるだ。

 

 

そんな事を考えていると、来るのを待っていた人物と、もう1人良く知った人物が外からこの建物に向かって歩いて来た。

 

 

あれ、今日は2人一緒なのか。

 

 

そう思うと、胸がキュッと締め付けられた。

 

 

「ごめんマル。待たせちゃった?」

 

一緒に帰る待ち合わせをしていた、私の小さい頃からの幼馴染の柏木悠斗が申し訳なさそうに謝った。

 

「ううん。むしろ時間より早いずら。今日はルビィちゃんも一緒なんだね。」

 

 

「うん!さっき、悠斗くんにそこで会ってね、花丸ちゃんと帰る待ち合わせしてるって言うから、私もって思って!一緒に帰ってもいいかな?」

 

 

赤毛の髪をいつものツインテールとは違い、キュッと後ろで括り、クリッとした緑色の大きな瞳を持った私の親友の黒澤ルビィが可愛らしく首を傾げながら聞いてきた。

 

 

「もちろんずら。」

 

そう、素直に返すと、彼女はニッコリと嬉しそうに笑った。

 

 

じゃあ帰ろうかと、幼馴染の悠斗が言い、彼等が入ってきた入り口から外に出る。

 

「これくらいの気温が一番マルは好きズラ」

 

「秋って感じするよな。」

 

「花丸ちゃん秋好きだもんね。」

 

「そうズラ〜。だって秋は読書の秋、食欲の秋ズラよ!」

 

「ええー。ルビィは断然夏だけどなぁ」

 

「ルビィちゃんは夏好きかぁ。」

 

「うん!海とか泳げるし!」

 

「俺は冬かなぁ。」

 

「なんで冬??」

 

「んー。なんとなく、?」

 

「何それ〜」

 

そんなたわいも無い会話をしながらあるいていると、自分の靴紐がほどけていたことに気づいた。

 

すぐに自分の履いている黄色いスニーカーの靴紐を慣れた手つきでキュッと蝶々結びする。

 

そして、少し離された2人に追いつこうと、前を向くと、楽しそうに2人が笑い合って話していた。

 

彼女、黒澤ルビィは重度の人見知りで男性恐怖症。

 

そんな彼女が、なんの濁りも無い笑顔で、男である幼馴染の悠くんと楽しそうに笑い合っている。

 

その光景を見て、またズキリと胸が痛くなった。

 

「マルー。どうしたー?置いてくよー?」

 

 

悠くんのその言葉にハッと我にかえり、私は、少し離れた、親友と幼馴染との距離を小走り気味に詰めた。

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

考え事をしていると、思っていたより時間が過ぎている事がある。

今、まさにその瞬間だった。

 

目の前に置かれた一枚のトーストとホットミルクは、出来上がった当初よりも冷めてしまっているのだろうと言う事が、見た感覚で分かった。

 

インターホンのゆっくりとしたチャイム音がドキリと心臓を跳ねさせた。

手が全くつけられていないトーストと自分の間の空間を一呼吸見つめて、俺、柏木悠斗はゆっくりと立ち上がった。

 

モニターを見ずに、そのまま玄関先のドアへと足を運ぶ。この時間に訪ねてくる人は、1人しか居なかったからだ。

 

ガチャリという鍵独特の音を立て、ゆっくりと押しドアを開けると、眩しい日の光が差し込み、思わず顔をしかめた。

 

今日は快晴だなぁ、なんていつも思う事も、目の前の人物の存在せいか、周りの音も景色も消えてしまっていた。

 

「おはようずら」

 

栗色の茶髪のフワッととしたミディアムロングヘアの国木田花丸が、そう言ってニッコリ微笑んでいた。

 

「お、おはよう」

 

少しぎこちなかったかと、言葉を発してすぐ反省した。

いつも通り平常を保たなければならないと分かっていても、今日はそれが出来ないのは恐らく昨日のことが原因なのだろう。

 

彼女を家の中に招き入れ、リビングへと続く短い廊下を歩く。毎日のようにしている事なのに、緊張してしまっている自分が少し情けなくなった。

 

座ってと言うまでもなく、いつも通りに彼女は食卓の俺の隣の席の椅子を引いて静かに座った。

 

定位置、と言えば間違った表現になるのかもしれない。この家に住む家族でも無ければ、祖母や祖父のような関係でも無いから。

それでも、この席は彼女が自分の家に来た時に必ず座る席である事から、頻度的にも、あながち間違った表現では無いのかもしれないと思った。

 

「ごめん、ちょっと寝坊しちゃって。すぐに食べて用意するから。」

 

寝坊した事と、考え事をしていたと言う事実が重なり、いつものルーティンより数十分遅れてしまっているのは確かだった。

 

「ううん。時間、余裕あるからゆっくり食べて」

 

優しい声で話す彼女を見て、どうしていつも通りで居られるのか不思議になった。

 

だってあんな事があったっていうのに。

昨日の事が夢で、その出来事が無かった事かのように錯覚してしまう。

 

けれど、思い出せば思い出すほど、昨日の事が事細かに鮮明に頭に浮かんでくると言うことは、やっぱり現実に起きた事なんだと、昨日の夜から何度も何度も思ったことだ。

 

少し心の中で溜息をつき、目の前のトーストに手をかけ、頬張った。

 

「悠くん。今日、眠れなかったずら…?」

 

心配そうに眉を下げ、トーストをモフモフとかじる俺の目を綺麗なレモンイエローの瞳がジッと見つめている。

 

何故か目を逸らせず、数秒間お互いを目つめ合った。

しばらくの間見つめ合えたらそれは恋。だなんてどこかの心理テストが頭をよぎり、自分の方から目を逸らしてしまった。

 

「だ、大丈夫。ちょっと考え事してただけだから。」

 

考え事、と言う言葉がよく無かったのだろう。花丸は目尻を分かりやすく下げ、申し訳なさそうに謝った。

 

「ごめんね。昨日の事、だよね?」

 

「花丸は悪くない!その…なんて言うか…俺の問題だから花丸は気にしなくて良い。」

 

少し声量が大きくなってしまっているのが自分でも分かった。

 

「うん。それで…昨日の事なんだけど…」

 

昨日の事…という話の切り口で体が強張ってしまう。

 

「あんまり気にしないで欲しいずら。まるも、勢いみたいな感じで言っちゃたから。」

 

そう言って、何とも表現のしにくい笑顔を彼女はした。

後悔の有無。そのどちらが混ざり合っての笑顔なのだろうと勝手に解釈した。

 

俺はそんな彼女を横目に、味気のないトーストを口いっぱいにかじることしか出来なかった。

 

モフモフと半分以上無くなったトーストをホットミルクで胃の中に流し込む。

花丸は先程の顔とは違い、嬉しそうにそれを眺めている。

 

こんな、目つきの悪いだけしか特徴の無い顔を見て何がそんなに嬉しいんだか。

花丸は昔からこんな風に、話す時も、無言の時間を過ごす時も、何かをしている時も、嬉しそうに俺の横顔を眺めていた。

いつから花丸がこんな事をしだしたのかは覚えていない。ただ、こんな光景が日常の様に感じているという事は、相当昔からだったと言う事なのだろう。

 

思春期という異性に対して恥ずかしくなる時期に、さすがにどうしてそんな事をするのだろうかと気になり聞いた事があった。その時彼女は、マルがそうしたいから、としか言わなかった。

悪い気はしなかったので、無理に辞めさせるには至らなかったが…今でも少し恥ずかしいと思う時がある。

こちらを眺めている花丸の方を向くと、これまた幸せそうに微笑む。

こんな事が何年も続いている。

 

幸せそうに微笑む彼女を再び見て、また恥ずかしくなり残りのトーストを口の中に入れた。

 

時間を見ると、家を出ないと本当に遅刻してしまう場所に針を刺しているのを確認して、勢いよく立ち上がった。

 

ギィという椅子が床に擦れる音が静かに家の中に響いた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

後悔した時にはもう遅かった。

思わず口に出た、と言うのが一番正しいだろう。

彼の驚く顔を見た時に、今まで保ってきた筈の関係が崩れてしまったと理解した。

 

友達以上の恋人未満。

この言葉が一番しっくりくる自分たちの関係は、たった数文字の言葉で終わってしまった。

そう思えば、十数年の関係なんて呆気ないものだなぁと悲壮めいた気持ちになる。

 

 

 

 

恋は落ちるものだと、誰かがそう言った。

でも、私はそうは思わない。

だって落ちている時は気づかなかったから。好きという気持ちの底に辿り着いて、ようやく恋をしている事に気づく。

積み重ねた時間や、2人の思い出を辿って、そこで初めて、この人の事が好きなんだと気づく。

 

けれど、好きという感情をこの人に向けた時、否定されたらどうしようという気持ちが芽生えた。

彼とは友達以上だというのは確信も自信もある。

しかし、それ以上を求めるのは彼にとってどうなのだろうか。

 

彼の気持ちは私とは全く同じだなんて事はなくて、そんな奇跡も起きるはずもない。

好きだと気づき、その後どーするのが私にとって正しいのか。

成熟していない心で、誰にも相談する事なく導き出した答えは、この想いは消してしまおうという事。

 

そう決意した筈なのに。

 

時間が経てば経つにつれて、そうもいかなくなって。

友達以上の関係を演じている時、鋭利なもので心をなぞられているように切なかった。

私に向ける笑顔に、優しさにいちいち気持ちがときめいて、抑え込まなければという意思が逆に苦しくて。この気持ちに解放されたいのともっと求めたいのと、相反する感情に何度も何度も引き裂かれそうになった。

 

「好き」

 

そのたった2文字の言葉を言うまいと、今まで押さえ込んできたと言うのに。

 

ルビィちゃんと2人で仲良くしているのが嫌だったのか。なんとも情けない。

2人は仲がいいな。なんて考える度に心がえぐられる。

 

もういっそ、彼の前から居なくなってしまおうか。そうすれば、幾分か心が楽になれるのでは無いか。

なんて、不可能な事を考えては諦める。

 

 

 

スクールアイドルをしていた時もそうだった。どう言う風になりたいのかを何度も考えた。

輝けたら…なんて思っていたけれど、結局、行き着く答えは同じ終着駅。

 

彼の求める"何か"になりたい。

私の輝きは、あなたが笑ってくれるかどうか。私はあなたに笑顔でいて欲しいと思う。

だから、スクールアイドルを続けられた。私が楽しそうにしていると、あなたも笑ってくれるから。私がみんなと輝くと、あなたも嬉しそうにしてくれたから。

 

彼の求める"何か"。

 

大雑把で、おおまかで、答えになっていないと思うけれど、それで心が納得する。

 

もういっそ、なんてさっきも考えたけれど、居なくなってしまって困るのは自分の方なんだと、改めて気づく。

 

好き、という感情をぶつけ合い、受け入れ合い、共有できる関係になりたいというのは、叶わぬ夢なのだ。

友達以上恋人未満という関係以上を望むのは間違いなのだ。

 

彼の、より近くに入れるだけで良いのだ。

1番は無理でも、2番目や3番目の人になれたら、もうそれで満足だと思うことにしよう。

 

今までの、関係にはもう戻れない。それでも、よりそれに近い関係になら修復できるはず。

 

幼馴染の家が見えて来た。いつも通り、平然に振る舞おう。そう思い、快晴の朝空の下を軽快に歩く。

 

 

 

ふと、誰かの家の花壇に咲いた新芽に目が止まった。

 

理由は無い。何か、予感めいたものが、その一つの芽にある気がした。

どんな風に咲くのだろう。

 

ここを歩く一つの楽しみが増えたと、我ながら幼稚だと思うが、それでも喜んだ。

 

片手に持った新書に挟んだ栞は、昨日と全く同じページに挟んだままだった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「はい、これみかんジュース」

 

赤毛の髪を後ろでまとめたルビィちゃんが、ニッコリと微笑みながらオレンジ色の缶を差し出して来た。

 

「あ、ありがとう」

 

「ううん。私が呼び止めたんだし」

 

広い講義室の中には、俺たち2人しか居なかった。講義が終わり、先程まで賑やかだったこの大きな部屋は、講義を聞く部屋そのものの静謐さが広がっている。

 

さっきまで一緒に授業を受けて、一緒に帰るはずだった花丸には、ルビィちゃんと話があるから先に帰っていて欲しいと伝えた。

ジッと俺の目を見つめた後、分かったと微笑んで講義室を出て行った。

 

講義台に近い前の方の机に固定されたスライド式の木製の椅子に2人で腰掛けた。

 

ルビィちゃんのプルタブを開ける音がこだまする。

美味しそうに缶を傾けると、小さく息を吐いた。それを見た俺も続いて蓋を開け、中身の液体を喉に流し込む。

 

 

 

「花丸ちゃんと、何かあった?」

 

その言葉に飲んでいた液体が気管に入りそうになり、少しむせてしまった。

それを見たルビィちゃんは、クスクスと可愛らしげに笑って、分かりやすいねと言った。

 

「な、なんで?」

 

「そりゃ、見れば分かるよ。2人とも…ルビィの大切な友達なんだから」

 

恥ずかしげ無く優しく笑って答える。こっちが逆に恥ずかしくなり目を逸らした。

スクールアイドル活動をしていたという影響か、元々内気だった筈の彼女は、自分の気持ちをハッキリと言うようになった。個性の強いメンバーに囲まれていたからなのだろうか。

 

「えっと…、その…」

 

昨日の事を言って良いものなのだろうか。こう聞いてくると言う事は、花丸はルビィちゃんにも言ってないという事。他言されると、嫌なんじゃなかろうか。

そう、答えあぐねていると、ルビィちゃんは小さく笑った。

 

「言いにくい事なら、言わなくていいよ」

 

「ありがとう、助かる」

 

そう言うと、視線を逸らし、前の黒板の方を見つめながら間を数秒ほど空け、少し小さな声で言った。

 

 

「悠斗くんが思ってる以上に、花丸ちゃんは悠斗くんの事、大切に想ってるよ」

 

「え?」

 

反射的に返した言葉を尻目に、ジュースの缶を再び傾け、先ほどと変わらぬ表情で口を開いた。

 

「aqoursはみんな個性的で、それぞれやりたい事や目指すものがあって。あの時のルビィも、憧れだったものに全力で向かって走った。輝きって意味では皆んな一緒だったと思うけど。」

 

言葉の節々が重くのしかかる様な話し方をルビィちゃんはした。

 

「それぞれが全く同じ輝きを目指す…だなんて事は無かったと思う。それは、ルビィと花丸ちゃんも同じ。でも、それぞれの輝きに向かって切磋琢磨して協力しあって、それができる場所があの場所だったんだって今では思う。」

 

ルビィちゃんの言いたいことが見えて来ず、彼女の言葉に慎重に耳を立てる。

 

「じゃあ、花丸ちゃんの輝きって、なんだったんだろう。」

 

少し上向きに呟いた。

 

「花丸ちゃんは、花丸ちゃんなりの考えや目指すものがあって、それを目指して頑張っていたんだと思う。でも、それが何なのかずっと分からなかった。」

 

そこまで言うと、チラリとこちらに目線を向けて言った。

 

「悠斗くんはどう?aqoursとしてじゃ無くて、花丸ちゃん1人としての輝きはちゃんと伝わってた?」

 

表情を崩さず、ルビィちゃんは俺にそう問いかけた。

 

 

 

俺と花丸は長い時間を共に過ごした幼馴染。

運動が苦手で読書が好きで。周囲の人々に気を配る優しい性格。気遣いや場の空気を読むことに長け、思慮深く年齢の割にはどこか達観した女の子。

俺が彼女の側から離れると、彼女は一人で読書をしていた。

小学生の時、そんな風に周りと群れるなんて事はせず、端っこで静かにお人形の様に座っている花丸に、友達作らないの??なんて、今ではデリカシーのかけらもないと分かる様な質問を一度した事がある。

 

悠くんがいれば、マルはそれでいい。

 

そう言ってニッコリと静かに笑ったのを鮮明に覚えている。

そんな彼女を見て、何故か、一人にさせちゃいけない様な気がして、俺は出来る限り隣に居続けた。

 

俺の隣にいる彼女はいつも幸せそうで、ニッコリと笑いながら、その日読んだ本の話をしてくれた。楽しそうに、嬉しそうに。

きっと、花丸のこんな顔は、俺以外誰も知らないのだろうなと、思っていた。

 

そんな花丸は高校生になり、性格と真反対のはずのスクールアイドル活動がしたいと言った。

 

驚きはしたが、隣に常に居た彼女が、ようやく、自分の巣から抜け出し、飛び立つ事が出来たのだと理解し、素直に祝福した。

 

その後、成り行きで花丸のaqoursの活動を手伝うことになり、メンバーの皆んなとふざけ合い、戯れ合い、笑い合う花丸を見た。

こんな花丸の姿を知っているのは俺くらいのものだった。

花丸は普段は口数は少ない方だが、無口なわけでもないのだ。むしろ、話す事は好きなんだと思う。そして、aqoursに入って、よく笑い、話すようになったと思う。花丸と戯れ合い笑い合う相手が増えたことが、俺は素直に嬉しかった。

 

 

マルのこと、見ていてね?

 

ライブ前、見違えるほどに変わった花丸は、必ず俺にそう言いに来た。

舞台で可憐に踊り舞う彼女は、もうあの時の隣に居なきゃいけないと思った幼馴染では無かった。

 

けれど、花丸は俺にそんな姿を見せて、何を伝えたかったのか。

輝き、という大まかな意味では捉えられるが、彼女が本当にあの場所で伝えたかった事は何だったのだろうか。

 

遠くへ行ってしまったと。

隣に居たはずの彼女が、違う世界へと自らの足で行ってしまった。

 

そう思っただけだった。

 

 

 

 

 

「ごめん…」

 

その一言で察したのか、優しくルビィちゃんは答えた。

 

「そっか…。」

 

開けた窓から、秋風が入り込んでくる。

自分の顔を撫でるように刺激する風は、そこから何か大切なものを奪っていくかの様に颯と、消えて無くなった。

 

学生の賑やかな声が聞こえてくる。なんの話をしているかは分からないが、楽しい話をしているという事だけは、その音で判断できた。

 

そんな少しの沈黙を優しくルビィちゃんは終わらせた。

 

 

「もし、花丸ちゃんから求められたら、ちゃんと向き合ってあげて。」

 

その言葉に俺は、ルビィちゃんの方を見た。

考えている事を当てられて、心を読まれているような気がしたから。

ルビィちゃんは真剣でいて、そして優しい表情をしていた。

 

「俺は、どーすれば…」

 

俺の消え入る様な言葉に、彼女は変わらず、優しく笑って返してくれた。

 

「それに振り回される必要なんて無いよ。ただ、誠実に向き合うこと。それだけできっと、花丸ちゃんは納得してくれると思うよ」

 

優しいエメラルドグリーンの瞳は、揺れる事なく俺の瞳を見つめて、だからと続けた。

 

「だから…花丸ちゃんの想いから、逃げないであげて。断っても受け入れても良い。ただ、花丸ちゃんの想いに、怖がらず恐れないで欲しい。」

 

優しさと、願いが混ざり合った目をした。

 

まるで、全てを見て来た、母親のような。

 

 

 

「ルビィからの話は、これで終わり。帰ろ?」

 

声のトーンを一つ上げ、そう言って立ち上がると、リュックを手に取り背中に背負った。

 

気がつくと、いつの間にか飲み干していたのか、ジュースの缶の中身が空っぽになっている。

 

それでも、俺の口の中には、蜜柑の酸味が微かに残ったままだった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

先程まで話していた講義室のある第3講義棟を無言でルビィちゃんと出ようとすると、エントランスで西日の光に照らされた、よく知る栗色の髪の人物が小説片手にそこに立っていた。

 

「花丸」

 

俺がその顔を見るなり反射的に出たその名前に、その人はこちらを向いて反応した。

 

「あ、出てきた。待ってたずら」

 

軽く微笑みかけながら、花丸は言った。

 

「待たせると悪いから、先に帰っててって言ったのに…」

 

俺がそう言うと、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「うん。でも今日は、なんだか一緒に帰りたいなって」

 

そう言うと花丸は、西日の夕焼けの方を静かに見つめた。

 

いつも一緒に帰ってるだろ、と言う言葉が喉の辺りまで出かけて引っ込めた。

今、そう言う事は、言わない方が良いと感覚が教えるから。

 

「あ、ルビィこの後用事があるんだった。」

 

わかりやすく、ハッとした表情をしてニッコリ笑った。

 

「急がなくちゃだから、ルビィは御暇するよ。2人でゆっくり帰ってね?」

 

また明日。そう言って俺と花丸の間を抜けていく。足早に去っていく後ろ姿を少しの間眺めた後、2人で顔を見合わせて歩き出す。

 

拳一つ分。

 

いつもと同じ2人の距離を保ち、ゆっくりと言葉少なく、静かに歩く。

他愛もない話をして、時折流れる沈黙があって、また話す。

その、時折流れる沈黙は、決して話題が無く戸惑う空気では無い。無理に話さなくても、お互いに心地の良い空気感が漂うから、俺はむしろ好きだったりする。

 

「ルビィちゃんと、なんの話をしていたの?」

 

駅のバスターミナルまで差し掛かった頃、ポツリと花丸が呟く様に言った。

 

花丸の事。

なんて事は言えなくて、大した事じゃ無いよとはぐらかすと、何も言わずにコクリと花丸は頷いた。

 

 

バスが来ると同時に後ろの扉から乗り込んだ。後ろの2人がけの席の窓側に座ると、続いて俺の隣に花丸は腰掛けた。

運転手と合わせて3人しかいないバス内で、花丸の華奢な身体が俺の左側に密着する。

バスの中では、拳一つ分ではなく、ピタリと体を寄せ合う。

 

「今日、なんで待ってたの?」

 

西日に照らされた花丸がずっと頭から離れない。

 

「さっきも言ったずら。一緒に帰りたかったから。」

 

新書のページを一つめくり、ボソリと呟いた。

 

「花丸はさ、友達とか、遊んだり寄り道したりしないの?ルビィちゃんとか津島以外の。」

 

「大学内で、お話ししたりしてるずら。そんなに、友達が多いわけでもないし。」

 

俺が法学部で、花丸が文学部。今日の4限は、必修科目で同じだが、常に一緒にいる訳ではない。俺が居ない間、花丸が誰と何を話し、遊んでいるのかなんて知らないのだ。

 

「それに、悠くんの隣に居るのが一番落ち着くずら。」

 

花丸は、こう言う事を平気で言ってきたりする。だから、たまに恥ずかしくなって少し間の距離を取ろうとするのだが、花丸はいつもその距離を詰めて寄ってくる。

 

昨日の事を思い出す。

 

夢の中の出来事の様な、そんな感覚だった。モヤモヤした感情がずっと俺の身体に纏わりついている。

 

受け入れても断っても良い。ただ、逃げず、怖がらず、恐れずに誠実に向き合う。それが俺のするべき事だとルビィちゃんは言った。

 

受け入れても、きっとそれはそれで幸せなんだと思う。お互いの好みや嫌いなもの、何が苦手で何が得意で、長所や短所、そんなものはもう把握しているから。

この、居心地の良い空気が、今より長く続くのなら、それはすごく幸せな事なのだろう。

 

花丸が別の男の人と一緒に仲良く歩いている図を想像してみた。

あの笑顔が、他の知らない男の人に向けられるのだと、花丸が伝えたかった輝きを、その人は知っていたのだと考えてみた。

そこまで考えて、心臓を尖った何かで突かれる様な感覚になり、辞めた。

 

自分が酷い事をしているのだと。

 

きっと、花丸の方がずっと不安で悩んでいるに違いないのに。もしかしたら、傷ついているかもしれないのに。

 

花丸が伝えたかった輝きは何なのか。分かっていたようで、何も分かっていなかった。

俺は、花丸の事なら、何でも知っているつもりだった。でもそれはただのエゴで、実際には何も花丸の事を知らないのかもしれない。

 

ふと隣を見ると、彼女は表情変える事なく、新書をじっくりと読んでいた。

透き通った白い肌。薄ピンクに紅潮した頬。真剣な眼差し。

 

スクールアイドルをしてからの彼女が、とても遠く感じてしまっていた。

隣に居た筈の彼女は、もう、そこには居ない。

 

 

バスが、止まった。俺の家の近くのバス停だった。

 

「家、寄っていかない?昨日母さんが美味しい栗まんじゅう貰ってきてさ。」

 

咄嗟に出たその言葉は、少し早口になっていたと自分でも分かった。

 

変だと思われたかな。そう、花丸の顔を伺っていると、彼女は、うんと頷いただけだった。

 

定期券を運転手に見せて、バスから降りる。花丸もその後に続いて降りてきてくれた。

バスが走り去る音が遠くなるのを背中で感じながら、数分先の家を目指して再び歩き始める。

 

言いたい事がある筈なのに。それが口から出てこないでいる。

考えては口籠もり。思いついては口を閉じ。考えるフリをしているだけで、この問題から都合よく逃げようとしているだけなのかもしれない。

 

隣に違和感を感じて横を見ると、悩みの種はそこには居なかった。

肩越しに振り返ると、花丸は、俺の家の近所の家の花壇の前に、膝を抱えながらしゃがみ込んで居た。

 

俺は道を引き返し、数歩先の花丸の横にピタリと止まった。

 

「新芽ずら。」

 

「ああ、それ、チューリップだよ。春になったら赤やピンク色や黄色のチューリップが数本咲くんだ。」

 

「黄色い、チューリップ…」

 

消え入るように花丸が繰り返し言った。

 

「それが…どうかした?」

 

「この子、どんな風に咲くのかなって。ちゃんと、立派な花を咲かすのかなって。そう考えると、なんだか他人事とは思えなくて、気になって放って置けなくて」

 

秋風が吹き付けた。それは、花丸のフワリとした髪を静かに揺らす。

花丸の横顔が、寂しそうで弱々しかった。

もう一度風が吹けば、それに攫われて、目の前の幼なじみは居なくなってしまうような気がした。

 

「あのさ、」

 

そんな横顔を見ながら、俺は切り出した。

 

「なんで、俺の事…好きなの?」

 

自分でも恥ずかしい事を言っているのだと分かる。それでも、目の前の幼なじみにどうしても聞きたい事だった。

それが分かれば、俺の言いたいことも言葉にできるかもしれないから。

 

花丸はゆっくりとこちらを向き、優しく笑って返した。

 

「悠くんだから、かな…?」

 

 

俺は、恋愛をしたことも無いし、運命の人だなんてものにも会ったことが無い。

人を好きになるという感情が、いまいち理解できていない。

 

でも何故か、そう話す花丸の事を見ると、少しはその根幹が、ぼんやりとだけ分かった気がした。

 

優しくて、顔が好みで、面白くても、その人を好きになるとは限らない。

自分の理想の人間だとしても、その人のことを好きになるとは限らない。

一部分を見るのではなく、主観的に判断する。

 

その人だから、どうしても好きになるのだ。

 

 

俺は、俺の答えを、花丸に伝えなければいけない。

 

 

いざ言おうとすると、気持ちが高揚して上手く口が回らない。花丸も、昨日はこんな風だったのだろうか。

 

大きく深呼吸をした。その姿を見て、花丸は目をぱちくりさせている。

 

 

 

 

 

 

「昨日のこと。俺は、花丸の気持ちに、想いに応える事は出来ない。」

 

花丸は表情を変えず、俺をジッと見つめ返すだけ。

 

「花丸のこと、何でも知ってるようで、知らなかった。結局、自分の都合の良いように考えていただけだった。」

 

この答えが、2人のこれからにとって正しかった答えなのかは分からない。けれど、拙いこの言葉でも、俺の想いを花丸に知ってもらいたい。

 

「花丸の輝きが、俺に伝えたかったものが何だったのか。それが分からない俺には、今の花丸の隣に居るのは多分相応しく無いから。」

 

人を好きになる理由なんてものは、きっと後付けなのだろう。その人の事がどうしても好きになってしまった事実。その後に理由が付いてくるだけ。

 

「花丸の事を、本当の意味で理解しているわけでも無い俺が、俺にとって大切な花丸の本気の気持ちに、何となくで応えるのはきっと間違ってるから。だから、花丸の想いには、応えられない。」

 

この答えが、2人の関係を崩してしまうかもしれない、と言う心配もあるけれど、それ以上に、大切な花丸の気持ちに嘘をついてまで踏みにじる様な事はしたくなかった。

 

花丸が、また俺の前で笑ってくれると言う保証もないけれど、心地の良い関係はこれから先も続いて欲しいと切に願う。

 

でも、それを決めるのは花丸自身で、俺では無い。

 

自分勝手に、"昨日の告白"を断っておいて、その資格は無いから。

 

 

下を向き、花丸の返答を待つ。

 

また、そよりと風が吹いた。

 

目を開けたら、そこにはもう花丸は居ないかもしれない。さっきの風が、花丸を遠くへ連れて行ってしまったかもしれない。

 

ゆっくりと立ち上がる気配がした。

 

距離を数歩詰められる気配がした。

 

その気配に、あぁ、花丸はまだそこに居てくれたと安心する。

 

「そんなことずらか…」

 

「え?」

 

思いもよらぬ言葉が返ってきたので、目を開け、花丸を見た。

 

花丸は、頬を紅潮させ、うっとりと幸せそうな顔をしていた。

 

「そんな悠くんだから、好きになったずら」

 

そう言うと、ニッコリと目を細める。

 

「あなたを、好きになって良かった。あなたを好きで良かった。今、本気でそう思える。」

 

拳一つ分。

 

その距離をグイッと詰め、俺の顔に手を添え、身長の小さい花丸の鼻と鼻の距離まで顔を引き寄せられた。

 

 

「じゃあ、マルは勝手に待たせてもらうずら。」

 

そう言って、コツンとおでことおでこをくっつけた。

 

「あなたが、本当のマルを知るその日まで、いつも通りにずっと"あなたの隣"で待つことにするずら。そしてマルの事を知れた日に、また悠くんから告白してくれるのを待ってることにするずら。」

 

「い、いいの?」

 

「いいも何も、マルが決めた事。あなたの隣にこれからも居させてもらうんだから、マルがお礼を言わなくちゃ。」

 

そう言ってニカっと白い歯を見せた。

 

 

心の中で、表現したい言葉が浮かんでは、そうじゃ無いとを繰り返す。

 

 

「お腹すいたずら。栗まんじゅうとのっぽパンに緑茶が飲みたいずら。」

 

そう言って俺の横を通り抜け、俺の家の方へと歩き出す。

 

求めていた筈の気持ちが、分からなかった筈の気持ちが、曇り空の隙間から日の光が差し込む様に、パァっと鮮明になっていく気がした。

 

今日、ルビィちゃんに貰った、みかんジュースの酸味の様な。

 

遥か遠くの星の砂を掴む様な、はたまた、身近にある綺麗な花を摘もうとする様な。

 

その人の姿を見ると、燃え上がる様な熱を感じ、それが不快じゃなく、むしろ幸せだと感じる。

 

その人の事で、頭がいっぱいになったり。

 

その人の事を考えて、勝手に悩んだり憂いたり。

 

今まで悩みに悩んだこの気持ちを、どう表現しようかと考え、あぁでもないこうでもないと頭の中で何度も描き直す。

 

そして、幼なじみの背中を見ながら、形容し難い、この妙な気持ちに、あぁそう言う事なのかと、生まれてこの方初めて納得できた気がした。

 

 

 

 

 

 

フワリと秋風が三たび吹き付けた。チューリップの新芽が、それに震えるのを横目に、大切な人との距離を小走り気味に詰めた。

 

 

 

 

 




ありがとうございました。誤字脱字ありましたら報告お願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

錯覚ダイヤモンド #黒澤ダイヤ

こちらの投稿は7ヶ月ぶりくらいです。忘れていたわけではありません。

錯覚ダイヤモンドです、よろしくお願いします。


お互いに、愛し合っていると、錯覚していた。

 

「ダイヤ、俺たちの関係は、これで終わりにしよう。」

 

 

その言葉で現実へと戻される。

"偽りの恋人"だった事実へと戻される。

 

 

幻想は、一瞬の夢の中の出来事の様に。

彼のその言葉がそれを物語っている様に、あの時私が彼に強いた関係は、彼にとって辛い事だったのだろう。

 

 

 

 

ずっと隣居たい、と思うのは不可能で、許されない事。

 

返す言葉が見つからない。

 

一体彼に何を言えば良いのかも分からない。

 

何が正解なのかも分からない。

 

「あ、…」

 

そう呻くのがやっとで、彼の顔を直視出来ない。次に放たれる彼の言葉がすごく怖い。

 

嫌だ聞きたくない。

やめてそんな顔で私を見ないで。

 

もっと、もっと私に貴方の愛を…

 

 

そこまで考えて、ようやく自身の愚かさを知った。

 

勝手な都合に彼を付き合わせ、挙げ句の果てには私の自己満足を満たす為にと彼を縛って来たことに。

 

もしかしたら、彼自身に好きな人がいるのかもしれない。もしかしたら、もう心に決めたような人がいるのかもしれない、なんて今初めて考えた。

 

事情も省みず、私はこの1ヶ月もの間、文字通り彼の心を殺していたのかもしれない。

 

偽りの幸せの溺れて、幻覚を…錯覚を見ていたのかもしれない。

 

なんて、私は愚かなのだろう。

 

彼の瞳に映る私は、まるで鬼のように見えているに違いない。

 

 

でも…彼にとっては最悪の1ヶ月だったとしても…それでも、私にとっては幸せだった、大切でかけがえのない時間だった。

 

そう、儚く悲しげな表情をする彼の顔を見て、改めて思い起こすと同時に、やはり私は愚か者であると再認識した。

 

 

そうだ。

 

私は未だに…錯覚を見ているのかもしれないと、あの幸せだった時間を再び頭に巡らせた。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

数日前の事を、俺、柏木悠斗は最初から最後まで鮮明に思い出す事ができた。

 

その時、そのタイミングにいったいなにを考えて、なにを思って、どう返答したのかも事細かに脳裏に刻まれてる。

 

それを回想しながら、大きな講堂の固い木の椅子に座り、肘を突きながらペンを意味もなくクルクルと回す。

全く講義の内容なんて入ってこず、周りに聞こえないようにため息を吐いては、どうせなら寝てしまおうと顔を伏せの繰り返しをしていた。

「何かあったの?」

 

同じ講義を受けている一つ下の友達、渡辺曜が隣の席からこちらに顔を寄せ、こっそりと呟いた。

 

吹きかかった息が擽ったかったことは特に理由もないので言わないでおこう。

 

「いや、ほら…」

 

口籠もったのは、それ以上続けるのが非常に恥ずかしかったからである。

 

いやだって、だって…こんな事になるなんて誰も考えないでしょう普通は。

 

願ってもみなかった事だったのだけれど…、こんな予想外な形で長年の夢の様なものが現実になるなんて…。

 

数センチ首を動かして曜と目線を合わせた。

 

今か今かと俺の言葉の続きを待っているのか、ジーっと目を見て離さない。

 

こら、そんな可愛い犬みたいな目で見るんじゃない。他の男の子にしたら勘違いしちゃうでしょうが。

 

曜が大学内で男子からモテモテの理由が改めて理解できた気がした。うんそりゃあ人の目を見て、こんな近い距離で接されたら誰でも勘違いするし惚れちゃうよね?

 

この天然ジゴロめ。変な男にだけは引っかかるなよ。と目で訴えかけたが、曜は未だに続きを話さない俺を見て首を傾げた。

 

まぁ通じるわけないわな。

 

「その、色々あるんだよ。俺にも。」

 

彼女から目を逸らすと、少し先にある4層の大黒板に視線を移した。

 

講義の内容は全学部共通科目の心理学。面白そうという内容だけで取ってみると、やはり考える事は同じなのか一つ下の学年の曜と偶然に被った為、今日含めて4回の授業を共にこの端の席で受けている。

 

いや、なんで学内の男友達と受けないのか?だなんて質問が来そうだが、本当に偶々に友達が誰も履修していなかったのだ。

まぁ、4限目の授業だし?こんな夕方まで学校で心理学なんて講義受けるなら、帰って寝るかバイトに行くと言う思考になるのが確かに普通ではある。まだ2年だし、必修だけ取っておけばなんて友達もいるわけだから。

 

そしてそれは曜も同じらしかった。曜はこの後の5限目の生物学の授業までの時間潰しに、単位が取れるならと楽そうな心理学を選んだらしい。

 

ていうかなんだ5限目って。やっぱり理学部は忙しいらしい。聞くところによると1年で既に履修はギチギチだそうな。

 

「色々ってなに?教えてよぉ。」

 

「こら、深掘りするんじゃありません。」

 

「あ!わかったぁ!あれでしょ…

 

 

───"ダイヤさん"の事でしょ!

 

 

 

少し周りの人の視線が集まった気がしたので、慌てて口元に指を当てシッと曜に向けた。

 

もうこの子!ダイヤの名前出しちゃ目立つでしょうが!分かりやすい名前の上にただでさえあなたたちは目立つんだから!

 

ハッと気づいた曜は口に手を当て小さく萎縮した。

 

Aqoursというグループ名の曜を含めた9人で、高校時にスクールアイドル活動をしていた彼女達は、ラブライブという大きな大会で優勝して、解散後もそれなりに有名人なのである。

 

「ご、ごめん。」

 

「いや、別に構わないけど…、間違っちゃいないし。」

 

悩みの種はまさしくその人物との関係。

同じ小中学校で、昔からの縁で、彼女たちのスクールアイドル活動をその成り行きで手伝って、それで…、

 

「いくら昔からの幼馴染といえ、”付き合うと”それなりに悠斗とダイヤさんでも悩みは生まれるもんなんだね。」

 

何かに納得したようにうなずく曜を見て俺は小さくため息をつく。

悩み…と言えば悩みなのだが、いや、困っているという言葉の方が正しいのかもしれない。

 

再び、数日前の事象を鮮明に掘り起こす。

 

 

 

 

大学構内のコンビニでゼミのお供に飲む飲み物を、カフェオレにするかイチゴオレにするかという至極どうでもいい事で1人で悩みに悩んでいた時、ちょいちょいと後ろ袖を引かれ振り返るとそこには、学部は違えど同じ東京の大学に進学した幼馴染の黒澤ダイヤがいつものように涼しい顔、ではなく、深刻そうな顔をして立って俺を見つめていた。

 

どうした?と反射的に俺が問うと、夏らしく髪を後ろでまとめたダイヤは、自身の耳元に来るようにと手を小さくこまねいた。

なされるがままに耳元まで顔を寄せると、自身の心臓の鼓動が通常より数段階も上がっていることがばれないかという妙な緊張感に俺1人包まれていた。

 

「ここでは言いにくいので場所を変えましょう。」

 

はぐらかされたその内容がとてつもなく気になり、すぐそばにあったイチゴオレを手に取ると、外で待っていてくれと、俺は足早にレジに向かって数百円と引き換えにそれを購入した。

紙パックのそれだけしか入っていない小さなレジ袋を下げながら、無言で歩くダイヤの後ろについて歩く。

ゴールデンウィーク明けの大学内は多くの学生で賑わっていた。天気も良く、今日は気温もちょうど良い肌感覚。そんな日はやっぱりこうやって外のテラスやらに出たくなるものだ。

 

でもしかし、もう直ぐ来るであろう梅雨の季節でこの賑やかな光景も見れなくなることを俺は去年の1年の時に既に知っていた。

ゴールデンウィークが明け、梅雨で外にも出たくなくなり、ジメッとした暑さで身体が疎くなり、テスト前に授業に来れば単位くらい取れるだろうなんて考える学生は恐らく10を全てだとするならば、6はいるだろうなぁ。

 

最近暑くなった。なんて言う他の学生や友達の話を聞いたりすると、いやいや…海辺の街はもっとジメッとして纏わり付くような暑さだぞ、なんて言いたくなるが…、東京も夏は暑いというのは変わらぬ事実だ。

 

俺の生まれ育った場所がヌメっとした暑さなら、東京は蒸されるような灼熱。

まだ、大学やアパートが都会から少し外れた場所だから良いものの、夏場に原宿だの渋谷だのに行くと、茹だるような暑さで、嫌気が差したのが去年の記憶。

 

「ここでいいかな。」

 

昼を大きく過ぎた食堂は学生が先ほどとは違ってまばらだった。時刻は2時過ぎ。今頃お昼を取る学生は少ない。

ちらほらと談笑する男女の学生達が座っているだけの、静かな空間だった。

 

ギィと音を立てるプラスチックの安物であろう椅子を引いて腰掛けると、幼少期から見慣れた端正で美しい人形のような顔は、いつもより引きつっている気がした。

 

「付き纏われているの。」

 

視線を下に向けて言った彼女の言葉の意味があまり良く理解できなかった。

 

「え、付き纏われるって何が。」

 

「だから、ある男性に…。」

 

脳内でその言葉を処理すると同時に、え?!と言う大きな声が反射的に出てしまい、慌てて口を噤んだ。

周りを見渡し、今の事が聞かれていない事を理解すると、ふぅと安心したため息を吐いた。

 

「そんなに慌てなくても。」

 

「いや、だって、えぇ…。それってストーカー?」

 

「ストーカー、という言い方より、変に好意を抱かせてしまったが故の…という方が正しいわ。」

 

頭に手を当て肘を着いた。困っているという事が目に見えて分かる彼女の姿にモヤモヤとした気分が自身の身体を包む。

 

ダイヤに好意を抱いて…ってところが、こうなんだ…ムズムズすると言うか…。

 

いやしかし、こうも美という言葉が当てはまる人はそうは居ない。小さい時から彼女のことは知ってるつもりだが、才色兼備に秀外恵中という言葉はこのことであるというような女の子で、友達思いでもあって、でも少し抜けてるところというか天然というかおっちょこちょいな所もあってそれが可愛いというか…おっと、彼女のいい所を言い出したら1日あっても足りないから辞めておこう。

 

「なんか嬉しそうなのはなぜ?」

 

「いや、すまん。自分の世界に入ってただけだ気にするな。」

 

まぁ結局片思いだし?1人でダイヤとデートしたりする妄想をする事しかできない訳で。こんな気持ちの悪い事がバレたら嫌われるから言わないけど。

 

少し落ち着かない気持ちを収めるために、先ほど買ったイチゴオレにストローを刺し中の液体を吸い上げる。

甘ッ。やっぱりカフェオレにするべきだっか。と心の中で呟くと、目の前のダイヤに視線を戻した。

 

「で、その変に好意を抱かせてしまったとやらの男がどうしたの?」

 

「傷つけず、私を諦めて欲しい…って事で…」

 

そこまで言うと彼女は口籠った。え、その続きは?

 

少し顔を紅く紅潮させてモジモジと体を揺らしチラチラとこっちを見て何か俺の反応を確認しているようだ。

 

なに?十二分に可愛いよ?このまま連れ帰っちゃおうか?ん?そんな表情やら愛想やらを振りまくからそうやって変な男に付き纏われるんじゃないのか、と言ってやろうかと思ったが本題が本末転倒になってしまいそうなので辞めておいた。

 

「なになに?」

 

言葉の続きを言ってくれないダイヤに俺は催促した。ほら、そんな顔ずっとされてたらこっちの身が持たないしね?

 

「その…」

 

「…?」

 

「私の…私の…

 

 

 

 

 

───彼氏になって欲しくて。」

 

 

 

 

 

「───」

 

 

 

 

……

 

 

「はぇぇぇッ?!」

 

さっきの数倍の変な声が思わず出てしまった。流石に周りから目立った俺を見てダイヤは声がでかいと慌てて人差し指を口を当てて静かにしろと言うジェスチャーを取った。

 

「す、すまん。」

 

でも、え、なに?驚くなって言う方がむりな話でしょ?今さっき心の中で、やっぱりダイヤは可愛いよ好き好きぐへへってなってたばっかりだからね?君わからないかもだけどね?

 

「え、どどどどういう意味でしょうかぁ?」

 

「だから落ち着きなさいって」

 

そうだ、落ち着かなきゃ。うん。流石に今の感じは気持ち悪かったよ。あ、気持ち悪いのは元々か。

 

「……ッ、話を聞いて。その…、あれよ…、だから…、その男性に諦めてもらう為に一時的に彼氏になって欲しいって事よ。」

 

「あ…そ、そうだよな?!はは、あぁびっくりした。」

 

そりゃそうだ。ダイヤが本当に俺の事が好きで告白なんかするわけない。勝手に舞い上がって馬鹿なのか俺は。

 

「え、でも…」

 

幾ら一時的に仮の彼氏だとしても、俺からすれば10年以上も片思いしてる幼馴染の女の子。演じればそれでいいじゃないなんて思うかもしれないが、心臓と身が持たない未来が見えるのは分かりきった事である。

 

「貴方にしか…頼めなくて。」

 

それでも、憂愁がひしひしと漂う彼女の姿はそれ以上に見ていられない。彼女自身も、好きでもないされど幼馴染にこう言う事を頼みに来ている時点で、やはり悩ましい事態なのだろうから。

 

なら、俺のやるべき事は一つなのではなかろうか。彼女の為なら…ということで理由は十分である。

 

「分かった。俺で良かったら…」

 

 

その俺の返事に彼女はぱあっと表情を明るくさせた。

 

 

そんなこんなで、俺は長年片思いしている幼馴染の女の子と…願ってもいない状況と事象によって、一時的に付き合いことになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ。」

 

「またため息…!」

 

数日前のハッキリと鮮明に覚えていたその記憶と出来事を脳内で思い起こすと、思わず無意識に儚いため息を身体から外へと放出してしまっていた。

 

曜はそれを見てか、少し気を揉んだような表情をして机に突っ伏す俺の顔を覗き込んでいた。

 

「大丈夫…?ダイヤさんと何かあったの?」

 

憂慮に耐えない曜を見て、あぁ、無駄な心配をさせてしまっているなと自覚した。

この子は気配り上手な分、こういうところにかなり敏感だ。

 

「うん、まぁ…」

 

それでも、曜にこの悩みを打ち明ける事は出来ないのだ。ダイヤとは、付き合っているという事を周りに認識させる事が大切である上に、それが仮で一時的なものであるという事は、"2人だけの秘密"という約束をしてしまったから。

 

確かに、その纏わりついてくる男に諦めてもらうという事を目的とするなら、当事者だけの秘密にしてしまう方が理にかなっているし、情報が漏れてしまう事は絶対に避けなければならない。

 

ダイヤが言うには、海外にいる俺とダイヤの幼馴染で、高校時代に同じスクールアイドル活動をしていた小原鞠莉と、同じく幼馴染で、数ヶ月前に海外から帰ってきて実家のダイビングショップを営んでいる果南には相談したとの事だから、それ以外には言ってはいけないと言う事。

 

そして、いくら曜でも、こんなややこしい事態に巻き込むのは、ダイヤも出来る限り避けたいと言う考えで…、他のAqoursのメンバーや妹のルビィちゃんにも例外なくそうなのだろう。

 

ルビィちゃんなんて、あんな性格の上、姉のことだからきっとかなり心配するだろうし。

 

だからこそ…

 

 

「大丈夫だよ。」

 

 

そう言う事しかできなかった。

 

実際問題、その纏わりついてくる男が、諦めるという根拠もない事や、俺には荷が重すぎるという事の悩みが尽きない上、仮にでも彼女と言う関係になってしまった事によるこれから先の読めない事象と、"片思い"している事によるとてつもない罪悪感が自身の心を蝕んでいく事など、考え悩むことは多くあった。

 

机の上にぐったりと体を預けながら、前の視線の大黒板に再び戻すと、先程より板書の数が増えていた。

 

慌てて起き上がり、レジュメにそれを書き写す。

 

心理学とは、観察、実験、調査を重ねて一般的な人間に見られる傾向を解明していく。

赤ペンで、観察実験調査という文字を書き写すと、ふとある言葉が頭によぎった。

 

目は口程にものを言う。

 

表情や目の動き、視線、声のトーン、しぐさ、癖、色んな要素で人の心を判断する事ができると言う、この基礎心理学の授業を数回受けてもしかしたら俺も、意識して隠していたとしても相手にはバレてしまっているのかもしれない。

 

例えば、悩みの種でもあり意中のダイヤなんかは、嘘をつけば口元のホクロを掻く癖があるわけで…。

 

そう言う癖が、自分でも分からない所で判断されているのなら少し怖いなと感じたのは…、10年以上もダイヤへの想いを隠し通してきたと思っているからであろう。

 

俺には可能性なんてない事はもう既に前から分かっている。無理に伝えて、人間関係が壊れてしまう事は避けたかったし、これからもダイヤや果南、鞠莉とのこの関係を続けていきたかったから。

 

玉砕覚悟で臨め。だなんて事は俺にはできない。

 

損な性格してる自覚はある。

 

 

一定したリズムの鐘の音を模した聴き慣れたチャイムが鳴り響く。

 

来週までにレジュメ読んでおけよと、片づけ立ち上がり先程の静謐さとは違い賑やかになり始めた講義室内に教授の声が虚しく響いた。

 

「やっと終わったあ!」

 

そう言って伸びをした曜はそそくさとレジュメと筆箱を鞄にしまう。

 

この後にゼミがあるらしい曜を気の毒だななんて思うと、大きな眠気と欠伸が俺を襲う。

夜になると考え事をしてしまって、気がついたら夜中だなんて事がここ数日のルーティン。今日はバイトも無いし、帰ったら寝よう。

 

「あ、ダイヤさん!」

 

その名前にびくりと身体を震わす。

嬉しそうに笑顔で俺の背後に視線を向ける曜はふるふると手を振った。

 

「あら曜さん、同じだったのね。」

 

「そうなんだよ。この時間は悠斗と一緒なんだあ。」

 

ギギギと錆び付いた機械のように振り返ると、後ろでお団子にして艶のある漆のような黒の長髪を纏めたダイヤが立っている。

 

「ほら!迎えに来てくれたんだからシャキッとする!」

 

少し元気の無かった俺を無理矢理にでも励ますようにバチンと背中を叩くと、大きなリュックを肩に背負い、お決まりの敬礼ポーズを取った。

 

「じゃあ、また明日ね2人とも!ヨーソロー!」

 

足早に彼女はこの後に控えている授業がある教室であろう方向へと去っていく。

他の学生達が帰り出す流れの中にその背中が消えていくのを見届けると、俺も立ち上がった。

 

「帰ろうか。」

 

「ええ、帰りましょう。」

 

授業中に悩んでいたので、少しぎこちなかったかなと心配したが、いつもと変わらぬダイヤの反応に、杞憂だったと少し安心する。

 

 

そよりと開けた窓から外の空気が入り込んで来たのを肌で感じた。身体が心地良いと感じるその風は、言葉通りの涼風だった。

まだ風は涼しいけれど、日向に出れば暑いのだろうなと、帰り際の賑やかな学生の声が無駄にだだっ広い講義室内に無数に響いている中で、脳裏を意味もなく掠めた。

 

 

〜〜〜

 

 

 

青になった信号機の道路を私、黒澤ダイヤは渡った。

信号を渡り終えると、辺りが薄暗くなり始めた世界に煌々と輝きを放つスーパーの目の前を慣れたように歩む。

 

通り過ぎようとした時に、ピタリと歩みを止めて冷蔵庫の中身の記憶を探った。

 

「あ、」

 

1人でに出た小さな声が周りに聞こえてしまったかとキョロキョロと首を振って確認したが、今この周りにには誰も歩いておらずほっと胸を撫で下ろした。

 

卵と食パンを今日で切らしていた事を思い出したのだ。

 

朝は目玉焼きにトーストと相場が決まっている。まぁ、私の中での話なのだけれど。

 

くるりと踵を返し、通り過ぎたいつものスーパーへと向かう。自動ドアが開くと同時に、スーパー独特のひんやりとした空気が肌を突いた。

 

ゴールデンウィークが開けてから、衣替えをして半袖を着るようになったが昼は暑くても、この時間帯は外もまだ肌寒かったりするから、上に羽織るものを持って行かなきゃ…と思いながら、学校へ行くのに朝出ると結局暑いのでどうしても忘れてしまう。

 

プラスチックの買い物カゴを腕でぶら下げて、何度も行き慣れた卵の売り場へと歩みを進める。

 

値段を見て、今日はチラシの日だった事をまた思い出した。結果良しと思い、お一人様2つと書かれた注意書き通りに2パックをカゴの中に入れた。

 

後、食パンと、ついでにハムも買っておこう…、それから…無駄な出費は出来る限り避けるのが限られた資金で生きていく上で必要な事であると理解しているから、頭の中で何を買うかを浮かべてそれ以上は買わない事が節約の秘訣…

 

そんな事をムフフとドヤ顔で歩く私は、その途中の冷蔵のショーケースの前で足を止めた。

 

 

プリン特価、3つ入り80円?!それに加えて、ちょっと大きくて生クリームとか乗ってるやつも特価格で100円?!

 

こ、これは…。

 

 

どうするべきなのだろうか…。

 

 

買っちゃいなよ、先月も節約したんだしそんな数百円程度我慢する事ないさ。と耳の奥で何かが囁きかけて来たので、うんこれは買いだと、3つ入りプリンを3つと良いプリンを2つカゴに入れる。

 

食パンとハム、その他必要なものもカゴにいれレジで会計を済ませる。今日はポイント2倍の日だった事とその恩恵が受けられた事に少し嬉しくなりながら、先程と同じ自動ドアの下をくぐった。

 

外に出ると、先程より肌感が暑く感じたのは、スーパー内の独特の寒さと外の気温との寒暖差の影響だろう。

 

片手でレジ袋をぶら下げながらスーパーから歩いて数分の自宅である学生女子寮へ到着した。

 

重厚な押しドアを開け、数字の押しボタンが並んだ機械の前へ立つと、パスワードを慣れた手つきで打ち込み、ロックが解除されて開いたドアからエントランスへと入る。

 

故障中と書かれたエレベーターの前を通り過ぎ、4階上の部屋へ行くために階段を登る。

 

ゴールデンウィーク前に壊れてから、業者が修理にまだ来ないと使えなくなったエレベーターはいつ治るのだろうか。私を含め、上の階にいる人は不便なのだから早く治して頂きたいところだと内心に愚痴を吐露しながら、重い足をよっこらよっこらと一段ずつ上げる。

 

階段を登り切り、1番奥の部屋の鍵穴に鍵を差し込み回すと、ガチャリと音を立てた。引き戸のドアを開け、部屋の中へと入る。

 

台所でうがいと手を洗い、買った中身を冷蔵庫に仕舞うためにレジ袋を開けた。

 

 

 

どっさりと入った商品を見て、プリン…買いすぎた、と後の祭り的な後悔に襲われながらそれらを冷蔵庫へ入れ終えると、2人がけのソファに腰かけ、テレビをつけて、夕方のニュースを意味もなく眺めながら今日あったことを思い出した。

 

ついさっきまで彼と2人で肩を並べて歩いていた。今日はお互いに授業がぎっちりの日だったからあまり2人きりになれる余裕は無かったけど、それだけでも嬉しかった。

 

他愛もない話をして…肩を並べて…手を繋いで…ウヘヘ。

 

おっと、はしたない。と思ったが、一人暮らしの家の中で妄想するくらい自由の権利の範疇だと思い、癖でピシッと伸びた背筋をだらんとさせてグッタリとソファにもたれかかった。

 

まぁ、妄想なんか今に始まった事では無いですがね!

 

"10年以上も片思い"してる私から言わせれば、彼とデートしたり"あんな事やこんな事"をしたりする妄想なんてお手の物。

毎日の様に彼と2人で写った写真で1人で……ぐへへ。

 

だからこそ、ここ数日は正に私の望んだ世界だった。

あんな距離感で手を繋いでなんて、10年以上の妄想が現実になる事と同義。まるで求めたユートピア。

 

明日は2人とも夕方前には予定が終わって、彼もバイト無いはずたがら、少し都会で買い物に出るのも良いし、近くのカフェで2人でゆっくりするのあり。想像すればする程に明日が待ち遠しい。

 

 

 

と、こんな風に毎日幸せの世界に入り浸っているわけなのであるが、こうなる為に、ある一つの"嘘を"私はついた。

彼とお付き合いできたのは良いが、それがある嘘の建前の上で成り立っているのだ。

 

その嘘は…

 

『付き纏われている男に諦めてもらう為に、一時的に私と付き合って欲しい』

 

という事。

 

そう言った時の彼の驚いた顔はそれはもうすごいものだった。

そりゃあそうか。10年以上も幼馴染としての関係を続けて来たはずの女からそんな事を言われるなんて思いもしなかっただろうし。

 

まぁ、その驚いた顔も可愛らしかったわけでそんな顔も一生見ていれるわけでゲフンゲフン…おっと。

 

全部嘘なんですけどね?

 

そう考えると、罪悪感が身体を纏う様に蝕む。

 

 

 

事の経緯は、母に見合いを勧められたからというのが始まり。

大学生の間は自由の裁量が与えられているが、卒業すれば地元の旧網元の家系である実家の黒澤家へと戻り家を継ぐ為の準備とやらを進めていかなければならなくなる。

 

そんな事はもうずっと前から分かっていることで、敷かれたレールの上を歩いてやるべき事をしなければならない事も理解して生きて来た。

ただし、将来の伴侶や、人間関係は自分で決めて生きていきたかった。父も母もそれは了承し理解を示してくれているし、スクールアイドルという活動がそう言った弊害無く出来たのも両親のおかげである訳で。

 

しかし、母は早く将来の伴侶候補を見せてくれと高校卒業が近づくにつれて言うようになった。

 

母と父は、学生の時にお互い好き同士で付き合い、父が母側の黒澤の性に改姓した婿結婚へと歩みを進めた。家柄を気にしての結婚なんて考えないはずの母が、お見合いでもする?なんて言い出したのは、私に男性の匂いがまるでしない事を焦ったからだろう。

 

いや、好きな人ずっと前からいるんですけどね?

 

小さな頃からの幼馴染の関係の悠斗の事は、一時期好きなのかとか付き合っているのかとかを茶化し半分興味半分で聞いて来ていたのを、私が恥ずかしさのあまりに、頑なに幼馴染なだけだと認めなかったから、それを本当と信じてしまっているから、こういう面倒くさい事になってしまったのだ。

 

付き合ってないのに、付き合ってるからお見合いはよしてよ…なんて言えないし、だからって悠斗という10年以上も愛している人がいるから、お見合いは嫌だし…。

 

いっそ、悠斗に告白する勇気や、それが叶う見込みがあるのならなぁ、なんて無理な事を考えて、鞠莉さんと果南さんに相談したすると…

 

果南さんから本当の気持ちを伝えるべきとの意見と、鞠莉さんから、建前を作って付き合う様に促してみるという意見が出た。

 

鞠莉さんに詳しく聞くと、

 

『気持ちの悪い男にストーカーされてるから、付き合うフリをして一緒に撃退してくれない?とでも言えば良いデース!』

 

なんていつもの様にお気楽に言った。

果南さんはあまり乗り気ではなかったが、私がもろに向き合って告白する勇気なんてない事はすでに露呈していたので、とりあえずそうしてみようという事になったという経緯である。

 

罪悪感や、その後の事をどうするのかということを考えて行かなければならないのはわかっているけれど…。

 

仮に一時的にでも、付き合えた事が嬉しいし、毎日こうやって2人で恋人らしい事ができたと嬉しく喜んでいる。

 

まあ、またその時が来れば考えればいいかと、鞠莉さんの様に楽観的に見ることした。

 

内容なんて全く入ってこないニュースを消して、明日のことを考えながらお風呂にでも入ろうと心躍らせながら立ち上がる。

 

一人暮らしの部屋には、梅雨の到来の始まりであるというアナウンサーの声が、静かに響き渡っていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「罪悪感…?なんでさ。」

 

「いや、向こうの都合とは言え…この関係が続くのが…こう、なんか…」

 

机を挟んでプラスチックの椅子に腰掛け肘をつく果南を目の前に、俺は表現し難い心の中を手を使ったりして必死に伝えようとしていた。

 

「付き合えた…で良かったんじゃないの?」

 

はぁ、と面倒くさそうに溜息をつく果南を見て、なんだか妙な相談をしてしまっているなぁと自覚できた。

 

「いや、それはそうなんだけど…」

 

付き合えた。

所謂、恋人関係に俺とダイヤはなったわけだ。願ってもみない事なのだけれど…、何か引っかかる部分があってうまく表現できないでいる。

 

「そう言うのって、お互いがちゃんと好き同士でなるものなんじゃないかって…。」

 

今、俺が表現できるのはここまでだった。

勿論、俺はもうかれこれ10年以上もダイヤのことが大好きで、愛し合う関係になりたいだなんて数え切れないほどに願った事だ。

 

しかし、それが叶っている状況は一時的で、建前がある上に成り立っていると言う事実がある。そして俺はいつか近い内に来る、状況が良くなったのでこの関係は終わりだと告げられるのが日に日に怖くなっているのだ。

 

「嫌なの?ダイヤと恋人関係になるのが。」

 

「嫌じゃないさ。寧ろ嬉しい事だけど…。」

 

「けど?」

 

果南から目を逸らし俯く。

ダイヤと仮の恋人になってから、3週間が経とうとしている。一抹の悩みが日に日に大きくなる理由は、恐らく俺自身の心の問題なのだろう。

 

「この関係に依存しそうで…。」

 

好き合う関係が、俺にとっては心地が良すぎる。このまま続いていけば、近い日に来る別れに耐えられなくなる。

 

何かの間違いで、この関係がずっと続いて欲しいと、何度も願った。

それでも、冷静考えて、それは叶わないと現実に戻るの繰り返し。

 

彼女の温もりが、笑顔が、優しさが、全て俺に向けるものであって欲しいなんて、気持ちの悪いことを考えて、それが日を増して強くなる。

 

「ダイヤの気持ちって…考えた事ある?」

 

え、と思わず声が出たのは反射的なもの。

 

いや、そもそもダイヤの気持ちを考えてるから、こんな相談をしているんだけど…。

 

「そりゃあ…」

 

「それは自分勝手な考え。」

 

果南が何を言っているのかが、頭で理解できなかった。

 

「勝手に、自分でそうじゃないやって、決めるのは良くないよ。昔から私達、特にダイヤに変に気を遣いずきるのが悠斗の悪い癖だよ?だからさ…」

 

肘をついて達観した様な表情をして俺と向き合い話をしていた果南は、机に身を乗り出して、俺のすぐ前に顔を寄せた。

 

乗り出した彼女のTシャツからチラリと淀みのない綺麗な肌色の鎖骨が覗いた。

さっぱりとした清涼剤の様な匂いがするのは、昔から変わらない彼女の匂い。

 

「話し合う事が…大切なんじゃないかな。ほら、私と鞠莉がいい例だよ。」

 

目を細め、包み込む様に目の前の彼女は笑った。

 

確かに、果南の言う通りかもしれない。

今の彼女の状況を聞いて、それが解決した時の今後の事は、悩み揺れる自分の心で覚悟を決めて、しっかりと話し合わなければならない。

 

 

 

不定期にカモメが鳴く声と、均一に海の波の緩やかな音が混ざり合う。ゴールデンウィーク以来の、数週間前に帰ってきた筈のこの海辺の街に、懐かしさを感じた。

 

俺たちが座るテラスの横一面には、頭上に登った太陽の陽光が鮮やかに反射しているいつもの海があった。

 

ゆったりと、静かな風が吹くと潮の匂いがした。

 

目の前に置かれた、果南が入れてくれたグラスに入ったオレンジジュースを持ち上げると、氷が溶けてビッシリとついた水滴を左の手のひらで感じる。

 

ゴクリと一含み、その甘酸っぱい液体を喉に通すと同時に、この生まれ育った町に相応しい季節がやってきたなと、俺は濡れたグラスを静かに置いた。

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

「それで、昨日借りたこの映画がね?」

 

大学から帰る道。彼女の住む家の近くまで来ていた。

ピッタリと俺の右隣にくっついた距離でダイヤは俺の顔を覗き込むようにして、楽しそうに話している。

 

この距離感、この雰囲気、この関係、これが続いてもう1か月が経った。

 

西空を見ると、細かい雲たちが夕焼けに照らされ、茜色に色づいている。

 

昼間の暑さや熱気が徐々に引いていき、今日も一日が終わろうとしていることが肌で感じられた。

 

「あ、悠斗このあと時間ある?スーパー着いてきて欲しくて…」

 

純粋な、なんの濁りもない彼女の綺麗な瞳に俺が映っているのが分かる。

この、擬似的で仮の関係が、まるで本物であるかのように錯覚してしまうのは…、恐らくダイヤの態度や一つ一つの表情が原因なのだろう。

 

そして恐らくそれは、信頼の類いのもの。十数年、付き添ってきたからこそのもの。

 

ただ、彼女の向けるそれが、幼馴染みとしての愛であったとしても、異性に向ける愛ではない事は、もうわかりきったことだった。

 

俺の彼女に向けるものが、彼女を好きだという気持ちが、同じく共有できるものではない事も、そんな奇跡が起こらない事も、もう知っている。

 

だからこそ、この仮の関係を終わらせなければならないと…そう思う。

 

この仮の関係が本物だと錯覚して、幸福で満たされた空間に依存して、取り返しのつかない事になってしまう前に…。

 

 

 

「ダイヤ。」

 

 

俺は彼女と一定の歩幅で歩いていた歩みをピタリと止め、彼女の名前を呼んだ。

 

俺より少し前に出た彼女は、肩越しに振り返るように俺を見ると、体をこちらに向けた。

 

「なんでしょう?」

 

優しく微笑みながら首を少し傾けた。

 

その、一つ一つの仕草も愛おしく感じてしまうほど、俺の心は彼女に奪われてしまっている。

 

これ以上、錯覚に溺れてしまわない様に。

 

 

「付き纏われてるって…あの話どうなったの?」

 

「あ、え?えっと…それは…。」

 

ダイヤは考え込む様に目を逸らした。まだ付き纏われてるのかな。

 

「解決…しました。お陰様で、諦めてくれました…。」

 

ありがとうございます。そう言って彼女は行儀良く頭を下げた。

律儀だなぁ。と感心して、そういう所もやっぱり好きなのだと改めて思った。

 

「じゃあさ…。」

 

 

ずっと、この関係が続いていけばと思った。でも、それはダメな事で、自分の独りよがりのエゴであると分かっている。

 

楽しかった。

 

すごくすごく楽しかった。

 

一緒に行った映画も、一緒に飲んだカフェで何時間も話した事も、こうやって一緒に帰りを共にできた事も。

幼馴染みであった関係から、仮にでも一歩踏み込んだ関係へと進められたことと彼女と過ごしたその一ヶ月間は、俺にとっては桃源郷そのものであるかの様に、幸せで居心地の良いものだった。

 

それでも、この"錯覚"から、現実へと戻らなければならない。

 

 

 

 

 

「ダイヤ、俺たちの関係は、これで終わりにしよう。」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

その言葉で現実へと戻される。

"偽りの恋人"だった事実へと戻される。

 

その言葉を放つと、彼の顔が少し強張った気がした。

 

「あ、」

 

狼狽を漂わせ、右手を彼の方へと伸ばす様に上げると、私は空中でピタリと止めた。

 

 

幻想は、一瞬の夢の中の出来事の様に。

あの時、私が彼に強いた関係は、彼にとって辛い事だったのだろう。

 

彼のその言葉がそれを物語っている様に…。

 

ずっと隣居たい、と思うのは不可能で、許されない事。

 

そこまで考えて、ようやく自身の愚かさを知った。

 

勝手な都合に彼を付き合わせ、挙げ句の果てには私の自己満足を満たす為にと彼を縛って来たことに。

 

もしかしたら、彼自身に好きな人がいるのかもしれない。もしかしたら、もう心に決めたような人がいるのかもしれない、なんて今初めて考えた。

 

事情も省みず、私はこの1ヶ月もの間、文字通り彼の心を殺していたのかもしれない。

 

偽りの幸せの溺れて、幻覚を…錯覚を見ていたのかもしれない。

 

なんて、私は愚かなのだろう。

 

 

 

 

別段、何か特別な出来事があって彼を好きになったとかそう言う訳ではない。

 

家柄や、堅苦しい性格の私に、邪の気持ちなく普通に接してくれた事が、嬉しかった。

 

気づけば彼への愛しさが、滴に落ちた水面の様に広がって、私の身体を優しく包んでいた。

 

毎日が、色鮮やかに鮮明に見える様になって。

ずっと見ていたくて、声を聞いていたくて。

気分が跳ねたり、そう思ったら沈んで苦しくなったり。反応に一々一喜一憂したり。

 

彼のどこがとか、何が好きなのだとか、そう言う事を聞かれると、返答に困ってしまうのは、そう言う次元では無かったから。

 

彼という人が、存在が、好きなのだ。

 

隣にいると心が躍る。

話すと心が満たされる。

触れると身体が熱くなる。

 

 

思い続けた10年以上の年月は、静かにそれでいてしっかりと気持ちを増幅させた。

 

そして、この1ヶ月。

 

再びに、改めて彼への愛を再認識したと同時に、もっともっと欲しいと言う欲が強くなってしまった。

 

その笑顔は、私だけに向けて欲しい。

その温もりは、私だけの為にあって欲しい。

その声は、匂いは、視線は、私だけに…私のものに…。

 

 

だからこそ、この1ヶ月間は、嘘の建前で彼を縛ってしまっていた事を忘れてしまうほどに、幸せで満ちたものだった。

 

ジッと私の返答を待つ彼の目を見る。

 

何か寂しそうで、悲しそうな、形容し難い表情を彼はしていた。

 

果たして、ここで終わってしまっても、元の関係に戻れるのか。

元の、あの幼馴染みであった関係に戻れるのか。

 

戻る?

 

また、あの片想いに?

 

そんなの、そんなの嫌。

 

 

隣にいてよ。私のそばにいて離れないでよ。

その笑顔をわた時だけに向けてよ。

あなたの温もりを私だけに。

 

錯覚でもいい。この関係を、貴方との距離を私は…

 

 

「───嫌…。」

 

 

「え?」

 

 

「だから…」

 

 

理解できていない、何を言っているんだ、と言うような顔をして彼は反応した。

 

なんで、さっきまで肩寄せ合った距離だったのに。この、この距離は何。

 

 

「この関係を終わらせるのが、嫌…。私は貴方とずっと…」

 

目の前の彼の目が、どんどん開いていくのが分かった。

 

「でも、この関係は一時的にって…。」

 

「違う!私は、私は嘘をついてた…。」

 

そう言って私は目を瞑る。嫌われるかもしれない。愛想を尽かされるかもしれない。

 

それでも、前の関係に戻るのは嫌だった。

 

愛し合う、愛を共有し合いたい。

 

貴方と…これから先も…。

 

 

「私は…貴方が好きです。面と向かって付き合って欲しいと言う事ができなくて…こんな嘘の建前を…。ごめんなさい。」

 

 

この先から何を言うのが正解なのか…わかりかねた。

好き。この文字、この表現方法しか、今の私には伝える事ができなかった。

 

嘘をついてまで、こんな事をして嫌われるかもしれないのにって心のどこかでは分かっていたのに。罪悪感が薄れていく事に、危機感よりも幸福感の方が優ってしまっていたから。

 

目を開けると、彼はもう後ろを向いて去っているかもしれない。もう彼は私の前に居ないかもしれない。

だから、この先のことが…とても怖い。

 

 

 

 

「目を開けて…ダイヤ」

 

 

その言葉と同時に、手に何か触れる感覚があった。

 

恐る恐る、閉じていた目を開けると、先程まで開いていた2歩分の距離から、すぐ目の前の距離へと変わっていた。

 

「俺も…俺もダイヤの事が好きだよ」

 

私の手をギュッと握ると…私の欲しかった言葉と笑顔をくれた。

 

いいの?

 

本当に?

 

こんな私の事を?

 

 

「私…嘘ついて、騙して…こんな事をして…。それなのに、それなのに何故。」

 

心地の良い暖かさが手の感触から伝わってくる。

 

「何故って…。そりゃあ…

 

 

握り締めた手の強さを、彼はもう一段階強めると、優しく暖かな瞳は、私をジッと見て捉えた。

 

 

────ずーっと、ダイヤの事が好きだったから」

 

 

胸のときめきを感じた。

魂に刻まれたような喜びを感じた。

女としての幸福を感じた。

 

抑えていた欲が弾け飛ぶように溢れ出した。

まるで、飢えた獣のように、目の前の愛しい存在に飛びつく。

 

私の好きな温もりを感じる。

 

私の好きな匂いがする。

 

私の好きな音がする。

 

 

 

優しく抱きしめ返してくれた、その感触にまた欲を抑えきれなくなる。

 

あれ、私ってこんな、我慢の出来ないような人間でしたっけ?

 

一つ背伸びして、彼の顔を引き寄せ、唇を重ね合わせた。

 

いいじゃない。

 

好きだって、お互いに想い合っているって、そう確信したから。

 

突然の事で驚いたのか…、呻き声のような音を上げる。

ダメ、離してあげない。だって…何年この時を待ったと思ってるの。

この、身体も心も満たされるような彼との幸せが、一生続いていけば良いなと思う。

 

 

彼の味がする。

 

初めての、感覚がする。

 

初めての、昂りを感じる。

 

 

 

初夏の強い夕方の陽光を、歩道の真ん中で2人で浴びる。この、燃えるような暑さは、その光のせいか…それとも彼との温もりのせいか…。

熱いと感じる感覚が、不快ではなく寧ろ幸福でもっと欲しいと感じているのは…恐らく後者だからだろう。

 

 

梅雨が始まる。それが終われば…夏が来る。

 

 

私が大好きな夏が来る。

 

 

 

今年の夏もこれからも…、いや、寒くて凍えそうな日や暑すぎて溶けそうな日の様などんな季節やどんな日であっても、愛しい彼となら、"愛の錯覚"できっと幸せで満ちた素晴らしいものになるであろうと、これからの日常に私は胸を躍らせた。

 

 

 

 




ありがとうございました。誤字脱字ありましたら報告お願いします。

私が思うに、ダイヤさんは欲深く一途な子なんだなと言う認識でこのお話を書きました。

では、また次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幸せのカテゴリー #桜内梨子

 

 

 

 

 

初めて彼と出逢った時の事。

まだ冷たい4月の海に落ちて、びしょ濡れになった姿でドラム缶にくべた火の前で座って話をした。

 

私は男という生き物が少し苦手だった。

父親は浮気をして母と離婚して、中学校の時は静かな環境が好きな私にとって騒がしい男の子達にうんざりしていたし、挙句に私に好意を伝えてきた男の子にやんわり断った時にはプライドが傷つくのが嫌だったのか罰ゲームでやらされてだのと御託を並べられたり…、。

そんなせいか、兎にも角にも男という人のイメージがあまり良くなかった。

だから、初めの彼の印象は自ずと悪い方向へと向いていた。

 

その日初めてあった千歌ちゃんと海に落ちた私を引っ張り上げてくれた事もあって、邪険にする事も嫌な顔をする事もできずに、千歌ちゃんがタオルを取りに行ってくれている間の数分に、彼と他愛もない話をした。

そこが、彼との初めての出逢いでもあり、私にとっての人生の大きな転換期でもあった。

 

その日初めて会った同じクラスの快活な蜜柑色の髪の女の子の幼馴染。

最初はそんな認識で、それまでの関係なんだと思っていたけれど、千歌ちゃんやAqoursの皆んなとスクールアイドル活動をする事になって、その活動を色々と手伝ってくれた彼と自然と交流も深くなっていった。

 

そして自然に、なんの脈絡もきっかけも無く、気づいた時には彼を好きになっていた。

 

気がつけば横顔を眺めていたり、話したくなったり、距離を詰めたくなったり、触れたくなったり…。

男が苦手だのと言っていた私は初めて男の人を好きになった。

 

それから、運が良かったのか巡り合わせが良かったのか、彼と付き合う事になった。

恋愛というものをした事が無かった私は、分からないなりに好きと言う気持ちを伝えて、それが功を制したのだろう。

 

付き合ってからも私は手探りだった。彼もお付き合いは初めてだったらしく、2人で何がどう正しいかも分からない状態だった。

 

ただ、そんな中である感情が強く根を張り芽生えだした。

 

 

───独占欲

 

 

恋愛がどう言ったものなのか分からない私は、深く…より深くと彼を愛してしまったが故に、重く彼を自分だけのものにしたいという欲望に駆られてしまった。

 

束縛をして、私の側から離れないように工夫も施して、出来る限り彼の行動も監視して把握していた。

四六時中ずっと彼と一緒にいたし、電話や連絡の相手ですらも報告を義務付けた。

 

やりすぎだと、千歌ちゃんや他のみんなにも言われていたけれど、それ以上に彼が私のもとから離れて行ってしまうことが怖かった。

優しい彼は、度が過ぎていると分かっていながらもそれに付き合ってくれたし、そのおかげで関係が壊れてしまうほどの喧嘩やすれ違いも無かった。

 

 

ただ、今日の朝を迎えるまでは。

 

 

 

 

 

 

「………んっ」

 

目が覚めると時計は夜の10時を指している。

夕方に作った料理には眠る前と同じようにラップがかけられているままであった。

 

ああやはり今日の朝の事が響いているのだと桜内梨子は再び机の上に項垂れた。

項垂れた腕の隙間から自身の左手の薬指を見ると、ここ数年感じることの無かった焦燥感と一抹の怒りが胸の隅にこびりついている。

 

昨日の夜からあの人のの様子がおかしかった。

 

話しても目を合わせてくれないし、話しかけてもはぐらかされて早々に切り上げられるし、何かずっと考え事をしているようで、2人で居ても落ち着きがない。

兎に角、何かを隠しているのが肌で分かった。

 

それが何なのか知りたくて、梨子は彼に夜の営みを誘ったけれど、それをそっけなく断られて意気消沈。今日の朝までそれを引きずった上に、「今日の夜は帰りが遅くなるから夕飯は済ましてて」なんてことを言うものだから、昨日の夜からの静かな怒りと寂しさに加えて、仕事で溜まりに溜まった鬱憤や苛苛が弾けて幾年ぶりかの喧嘩をしてしまった。

 

結婚して5年…。もう新婚ホヤホヤというわけにもいかず、子供が欲しいだとか持ち家はどうするかとかそういうステージへと関係を進めたくて、常日頃から2人のことを考えているのに…。

 

「…はぁぁ」

 

梨子は大きく息を吐いた。

結婚してからは、恋人同士の頃に意図的にしていた束縛や監視を緩めていた。恋人という関係から夫婦という関係になり、結婚をしているという事実がこれまで以上に無い梨子と彼との繋がりだと感じられたからであった。

 

 

やっぱり、私のもとに常に居させるべきだっかなと梨子は頭を抱えた。梨子のプロのピアニストという仕事では、全国各地で公演やコンサートが全国あちこち飛び回る為、彼との家を空けてしまうことが多かった。

 

彼は生まれ育った沼津という地で仕事をしている為、梨子の仕事都合で振り回すことも出来なかった。

浴を言えば、私のマネージャーか何かにでもなってもらって、全国に飛び回る度に付いてきて欲しいところだけれど…本人はちゃんと仕事をしたいと頑なにそれを拒むのだ。

 

将来、海外などの講演やコンサートも目指している梨子にとっては、いつか彼と海外に移住してゆっくり暮らしたいという願いもあった。

 

 

昨日だって、2週間ぶりに彼のもとへと帰って来たと言うのにあの態度をするもんだからつい強い口調で当たってしまった。

もしかしたら早く帰ってきてくれるかという期待も虚しく、つくったハンバーグはお皿と共にラップの中で冷えてしまっていた。

 

 

ああ、何時に帰ってくるのだろうか。早く会いたい。

眠ってしまう前に送ったメッセージは無く虚しさだけが胸を浸す。

 

 

少し頭を冷やそう。

 

そう思いぐいっと伸びをすると、梨子は立ち上がり独りでに外へと出掛けた。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

賑やかな声が漏れる木取手の居酒屋の扉の前で、桜内悠斗は伸ばした手を止めた。躊躇いがあったからなのだろう、手を下ろして扉の前から一歩横へと移動した。

 

斜め後ろを振り返ると、少しだけ遠くなった見慣れたバスロータリーの明かりが見えた。やっぱり帰ろうかな…、と思い一歩踏み出したけれど再び思考を巡らせて立ち止まった。

 

そんな変な動きをしている悠斗をスーツを着た年上の男の人が怪しげな顔をしながら入るか入らないかと瞑想している目的の中へと足早と入っていく。

 

少しだけ…、居酒屋に入るだけだなんだから。

 

そう考えてまた行ったり来たりを繰り返す。

早く決めなければ店の前で変な動きをしている男がいると怪しまれてしまう。

 

でも、いや、けれども…なんて何度も思考を巡らせる。普段はまっすぐ家に帰ってお酒は金曜日の夜に家で嗜む程度の悠斗にとって、平日の木曜日に居酒屋に入ろうなんて気を起こさない。

 

ならば帰ればいいじゃない。

なんて思うけれどそれを躊躇してしまっている。

 

理由は簡単。妻の梨子と喧嘩してしまったからである。

要するに、今帰ってしまうと気まずいのだ。

 

今日の朝の出来事を振り返っては眉間にきつく皺を寄せると大きく息を吐いて左手で顔を覆った。

 

 

自分の馬鹿げたマイナス思考のせいで、梨子が悠斗と2人で住んでいるそこまで大きくもない3DKの部屋に3週間ぶりに帰ってくるとなって妙に気持ちが落ち着かなくなっていたのだ。

 

それで、モヤモヤしている気持ちで朝に梨子を迎え入れてしまった訳で、それからと言うもの……梨子が怒ってしまい、チクチクと言われるて、今この場所にいるのだ。

 

帰るのは気まずいなぁ。

 

そう思って辺りを見渡すけれど、こんな夜に時間を潰そうなんて事ができる事も限られてくる。居酒屋か、大人の夜のお店くらいしか無くなってくる。

大人なお店は流石に妻持ちの悠斗は入るわけもいかず、やっぱり居酒屋で少しお酒を嗜んで帰ろうと言う気になった。

 

木取手に手を掛け引こうとすると、

 

ーーあれ?悠斗じゃん!

 

 

聞き慣れた声が聞こえて後ろを振り向くと、見慣れたアッシュグレーの髪を背中の辺りまで伸ばした渡辺曜がラフな格好をして立っていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

「いつ帰ってたの?」

 

悠斗がそう尋ねると、曜は箸でパクりと唐揚げを頬張った。もぐもぐと口いっぱいの唐揚げを噛み飲み込むと、「今朝だよ!」と満面の笑みで笑った。

 

渡辺曜は、船乗りなのである。勤め先の会社は一流企業で、海上貿易を主に事業展開している貿易会社で、そこの船の乗船員、航海員をしているらしい。一度出て行って仕舞えば、1ヶ月も帰ってこないなんて多くあるのだ。

 

「だったら連絡ほしかったなぁ。」

「今日帰ってきてゆっくりお酒飲んでからって思ってたの…ごめんね!」

ぺろりと舌を可愛らしげに出す。

まぁでも、こうして会って話が出来ているのだからそこはもう良いというにしておこうと悠斗はジョッキを少し傾けた。

 

「どう?桜内って名字はもう慣れた?」

ふわりとアッシュグレーの髪を靡かせると満面の笑みで曜は笑う。

 

「いやぁ、まぁ5年もこの名前なら流石に慣れるよ。」

桜内梨子と柏木悠斗。この2人が結婚する事になって戸籍の名字をどうするかで話し合った時、

「桜内って、ピアノ活動でも桜内梨子って名前なのよ。今更変えたりするのもできるのだろうけどなんだか面倒くさい感じになっちゃうわね。」

なんて言っていたから、じゃあ僕が名字を桜内にすれば万事解決と言う事になって、桜内悠斗という名前になったのだ。

 

 

「梨子ちゃんの曲、この前カフェで流れてたんだよ!すごいよね、CDが10万枚も売れてるだなんて!」

 

桜内梨子は、その見た目の端正で目尻の上った超絶世美女ピアニストとして大変有名な人なのだ。

大学時代の能力が評価されて、国内でプロの音楽劇団チームの1人にも入っているし、作詞作曲の才能が認められて国内での人気は素晴らしいもので…、そして去年辺りからは演奏力を買われて音楽大学の非常勤の講師を務めると共に、音楽の都ウィーンで交響楽団のメンバーにも入り、近々ソロ公演が控えている様な国内外でも超人気のピアニストになったのだ。

 

 

そんな梨子は結婚していようがいまいが家を開けることが多い。その留守をごく一般の会社で平社員として働いている悠斗が家の掃除等をするのが日課なのだ。

 

「で、梨子ちゃん次はいつ帰ってくるの?」

ワクワクと目を輝かせている様子が目の前で見られる。

 

「昨日の晩に帰ってきた。」

 

「えー?!そんなの聞いてないよ!!悠斗のばかぁ、早く連絡しなきゃ………」

 

「それどころじゃ無くて…」

 

そう言うと曜は「何があったの?」と真剣な眼差しで悠斗を見ている。

 

「帰りづらい……」

 

「何があったのさ。」

 

そう言われて、悠斗は今日の朝と昨日の夜のことを思い出した。

 

確かに、彼女の言うように素っ気なかったのかもしれない。けれどあんなに怒るほどでもないだろう……。所謂、男と女の温もりを肌で感じ合う行為をしたかったのだろうだけれど、悠斗自身は全くもってそんな気分には慣れなかった。

もちろんそれには理由もあるし、悠斗自身それを考えている最中なのであるから。

 

という理由で断ったんだけれど、それが上手く伝わらず一方的に断ったというような受け取り方をしてしまって、彼女は怒ってしまったのたまろう。

 

「喧嘩、と言うより…なんて言うんだろう、こう…思いがなかなか伝わらなくてモヤモヤしてそれを勘違いされて……ええっと、」

 

「すれ違いかぁ」

 

「そうそれ。」

 

「私も梨子ちゃんと最近話せてないからなぁ。2人の事情も分からないけど……、」

 

「けど?」

 

「そんな時にこんなとこでお酒なんかなんでて良いの?」

 

そう言われるとやはり罪悪感を感じてしまう。しかし、そのまま直帰していてもまた2人ですれ違うだけだったかもしれないと悠斗は思った。

 

 

「結婚したのも数年が経つけど、長期間ずっと一緒に居られるわけじゃない上に、突然仕事だって出て行く事だってある。僕からしたら結婚ってなんだろとか訳の分からないことを考え出して、そして極め付けは………」

 

「極め付けは……?」

 

曜は続きを知りたそうに前へ乗り出す。

 

「テレビや音楽番組で梨子が出たり紹介されたりしていると、テレビの前で一体俺は何をやっているんだろうという気分になる。なんで彼女は僕と結婚しようと思ってくれたのかなとか。お金も地位も名誉も持ってない僕がお金も地位を持ってる梨子のどんな部分の支えになれるのだろうかとか、どんどんマイナス思考になっていくんだ。」

 

「考え過ぎじゃないかなぁ…」

 

考え過ぎ、と言われればそうかもしれない。

 

「ちょっとした気のすれ違いなんて人間なんだから誰にでもあるよ。梨子ちゃんだってきっと色々考えるんだよ。だから邪険にしないで向き合ってあげる事が夫婦ってものじゃない?まぁ、結婚してないから分からないけど!」

 

全くもってその通りだと反省していると、最後の曜の言葉で飲んでいたビールを吹きそうになった。でも、曜も心配してそう言ってくれているのだ。今言ってくれた言葉通り、向き合うことが大切だと思う。

 

 

「今日は早く帰って、寄り添ってあげてよ。梨子ちゃん、きっと待ってるよ。」

 

 

白い歯を薄ら見せると、曜は残っていた酎ハイを飲み干した。

 

 

〜〜〜

 

 

 

やっぱり言い過ぎたかなと1人で反省していた。

彼にだって彼の今日の気分だってある訳なのだから。断られたからと言って、変な勘繰りをして動揺してしまった。

 

梨子にとって夫である彼は生き甲斐以外の何者でも無い。彼がいるからピアノが続けられるし、彼がいるから頑張ろうと思える。

 

そんな私に2週間会えないというのはかなり辛かった。いくら仕事だから仕方がないと割り切っていても、その気持ちは昂って収まらなかった。

だから、早く会って彼の温もりを感じたかった。

 

海沿いのアスファルトの道をいつもより半歩遅い速さで歩いている。

波の音が静かに聞こえるこの街が梨子は大好きだ。16歳の時にここに来たけれど、綺麗な海と街の雰囲気はいつも心を癒してくれる。

夏は照りつける日射にうんざりしそうになるけれど、青い空と日光に反射される煌びやかな海、そしてその海の音が何よりも好きだ。

彼との家は借り家だけれど、今は実家とも近いし沼津の方に行けばそれなりに物は揃うし、不自由ではない。バスの本数が少ないのが玉に瑕だけれど…。

 

 

うん、心は落ち着いた。

 

そう思って、梨子は歩いてきた道を引き返した。

怒ってるかな、嫌われたかな、そんなマイナス思考が頭をよぎるけれど……ううん、大丈夫。私たち夫婦だから…。

 

 

そう考えてバス停の近くで…………止まった。

バスが停まっていたから、この時間ならもう終バスかそれに近いバスだ。

 

「また連絡してよね!私は千歌ちゃんに会いに行ってくるから、メッセージしたら、こんな遅くでも会いたいって言ってくれたの!うへへ。あ、梨子ちゃんにも連絡しとかないと。今したら来るかな。」

 

「来るんじゃないか、家にはいると思うし。」

 

「やっぱり明日にしとくよ。今はほら、夫婦でね?」

 

 

 

バスから降りて来た見慣れたスーツに身を包んだ見慣れた男と、バスの反射光で照らされる少し伸びたであろうアッシュグレーの特徴的な癖っ毛が見えてしまった。

 

変な勘繰り、変な動揺、あぁまただ…また気持ちがぐちゃぐちゃしてしまう。

 

そう思って梨子は咄嗟に道の木の方に身を隠した。彼らに見つかってしまわない様に。

  

落ち着いたはずなのにな。

こんなの、曜ちゃんとお酒飲んでるだけでしょ。

何もない、それ以上は何もないのはもう分かっている。

 

でも、2人のお互いの気持ちがぐちゃぐちゃになっている時に、そんなに楽しそうな顔をして曜ちゃんのお酒飲まないでよ。私の事は二の次って事で良い訳?

あぁ、頭がぐちゃぐちゃになる。

 

もうどうすれば良いのか分からない。話し合えば済むのだろうけれど、今はそんな気分じゃななくなってしまった。

 

 

くるりと踵を返してバレない様にバス停から遠ざかる。近くに十千万があるからその前をバレない様に通って、もう家に帰ってしまおう。

 

梨子は彼がバスから降りて帰って行く後ろ姿を立ちすくんで見ているだけしかできなかった。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

時計を見ると22時30分を指していた。

鍵を回して家に入ると部屋の中は真っ暗な世界。

 

あれ、梨子はもう寝たのかな。

そう思って玄関を見ると、朝出る時にはあった梨子のスニーカーが無くなっていた。こんな遅くにどこに行ったのだろうかと不安になりながら靴を脱ぎ部屋に入った。

 

 

「梨子」

 

 

一言、彼女の名前を呼んでみたけれど反応はない。

寝室を開けてみても静寂が広がっているだけ。

 

どこか出掛けたのだろうか。夜も遅く心配になるけれど、自分の様に何処かに飲みに行ったりしているのかもしれないと悠斗はジャケットを脱いだ。

 

ぐっと背伸びをする。

肩甲骨の辺りで関節が擦れる音がすると大きく息を吐いた。

シャワーを浴びようと脱衣所に向かおうとすると、閉めた玄関の鍵がガチャリと音を立てて回った。

「あ」

その反射的な声と同時に扉が開くと、髪を後ろで纏めた梨子が帰ってきた。

 

「おかえり。」

 

そう言うと梨子はただいまと鍵をかけた。

少し梨子の表情がぎこちなく何処か暗い気がして脱衣所に入ろうとした足を止めて梨子の方へ向いた。

 

朝のあの出来事が蘇る。曜にも言われた通り、梨子と話す機会を作らなければならないと悠斗は話し始めた。

 

 

「朝の、ごめんね。ちょっと考え事というか悩んでたと言うか…。」

 

「ああ、そうなの。」

 

「えーっと…、」

 

この自分の悩みを当事者の梨子にどう説明して良いのか分からず詰まってしまう。梨子の反応と思ったものではないというか、心ここに在らずという感じがして話し込む事が出来なさそうだった。

 

「それより、」

 

「ん?」

 

下を向いて梨子は悠斗の話題を遮った。

 

「曜ちゃん、帰ってきてたのね。」

 

「え、あぁ、そうなんだよ。ていうか、さっきまで曜と飲んでて今さっき十千万に行くって行ってたから…、」

 

「どうして。」

 

話を遮り虚ろ気味な目で悠斗の目を見る。

 

「どうして連絡してくれなかったの。」

 

「あ…」

 

そこまで言われて、しまったと悠斗は後悔した。

朝の件で頭がいっぱいで、寧ろ本末転倒なことをしてしまっていた事に気がついた。

 

昔から梨子はこう言う事になると少しだけ人が変わる。

行動把握や連絡の徹底、悠斗の事になると重く深く考え込んでしまう癖があった。

 

悠斗はそれ自体は嫌ではなかった。梨子に愛されている事と感じられたし、心配してくれているんだろうということを分かっていたから。たまにうんざりしてしまう事もあったけれど、その求められる行為自体が嫌と言うわけでは無かった。

 

けれど、それも最近は無くなっていた。

結婚をしてからだと思う。

 

 

「私の事は、二の次なの?連絡せず、曜ちゃんとお酒を飲む事の方が重要なの?今朝のことがあったから、ちゃんと話をしたかったのに……こんなの……」

 

そう言うと梨子はしゃがみ込んでしまう。

声を詰まらせて、涙を堪えているのが背中越しに分かってしまう。

 

何をしているのだろうと、悠斗は自分自身に情けなさを感じた。

学生の時とはもう違う…。自分達は大人なのだと。

 

どんどん違う世界に行ってしまう梨子を見て、自分はどうすればいいのか分からなくなって、求められる事に罪悪感を感じてしまって勝手に悩んで。

 

傷つく事と傷つける事が怖くて、大切な事を忘れてしまっていた。

ただ、結婚したと言う事実に収まって考える事を無意識に放棄していたのだ。

自分の幸せは何なのか。梨子にとっての幸せは何なのか。

 

「梨子」

 

悠斗がそう呟くと、しゃがみ込んでいた梨子は泣いてくしゃくしゃになった顔を上げた。

 

「梨子の幸せって、何。」

 

「それは…」

 

そう言うと、泣き腫らした緋色の綺麗な目をこちらに向ける

 

 

「あなたの側にいる事。」

 

 

その一言で十分だった。

だって、悠斗自身もそうだったから。

 

 

「俺も…そうだよ。」

 

 

どんどんと音楽で有名になって、梨子がどこか遠くへ行ってしまう気がして、結婚という事実に縋って考える事を辞めていた、2人の幸せというカテゴリー。

2人の考えていることが一緒なんだと言うなら、自分のやるべき事は一つしかないと悠斗は思った。

 

 

「梨子の側にいたい。その為には…俺はどうすればいい?」

 

 

その問いに梨子はしゃがみ込んでいた体勢から立ち上がって悠斗の前に立った。

ジッと見つめるその宝石の様な瞳に呑まれそうになる。

 

「私と、ずっと一緒に居て。どこに行くにも私の側にいて欲しい。簡単でしょ?」

 

そう言うと、触れるだけのキスをした。不意打ちで少しびっくりしたけれど、梨子の表情はいたって真剣そのもの。

 

「仕事、辞めなきゃいけなくなっちゃうね。ほら、梨子は色んなところに行っちゃうから。」

 

「マネージャーっていう名前の仕事があるわよ?」

 

「具体的に何するのそれ。」

 

「私と常に一緒にいる仕事よ。あとは適当なスケジュール管理とか電話の窓口とか。」

 

梨子に雇われる…と言う形になってしまう事に、男としてどうなんだと思ってしまったけれど、それを彼女が求めていることで、そうする事で彼女のそばに居られるのならそれで良いと悠斗は思った。

 

 

「それから」

 

そう言って梨子は悠斗の正面から優しく抱きしめると、小さな声で囁いた。

 

「子どもが欲しい。」

 

 

その言葉にドクンと心臓が大きく跳ね上がる感覚がした。

 

「あなたと私の子ども。幸せの愛の形。」

 

 

悠斗は優しく梨子を包み込んだ。

今朝まで、求められることが怖かったのに、今ではこんなにも幸せだと感じる。

うん、と頷くと梨子は抱きしめる力を少しだけ強めた。

小さな事も大きな事もこれから先育んで作り上げていく梨子との日常が楽しみで仕方がないと悠斗も梨子も感じていた。

何故ならそれが、ずっと互いの側にいたいと言う2人にとっての、大切な幸せの範疇なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。