ビアンカ・オーバーチェスト (竹内緋色)
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1 叡智のスペルマ
すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上に二人の男女がいた。
一人は短いブレザーのスカートを風になびかせていた。その右手にはおもちゃのようなものが握られており、それをこめかみにピタリとつけている。
「本当に行ってしまうのか」
ええ。止めても無駄よ。
そう言うなり、わたしは右手のトリガーをひく。目はつぶらない。全てを真正面から俯瞰して、全てを盗み出してやる。
そして、わたしの体はこの世界から跡形もなく消え去ってしまった。わたしの手からこぼれ落ちたおもちゃのようなものがコンクリートに叩きつけられて、プラスチックのような軽い音を立てる。
「本当に行ってしまうとはな」
男は溜息を吐いて空を見上げた。水色の淡い色調のキャンパスには芸術的なまでに美味しそうな白い綿菓子が浮いている。そして、男は前を見る。
「俺も実験をしなくちゃな」
男は私の落としていったおもちゃのようなものを拾って手に取る。
「TSTをあまり乱暴に使わないで欲しいな」
男はわたしと同じようにこめかみにTSTを当て、トリガーをひく。
「さらば、世界。さらば、ビアンカ」
男がいた場所には何も残されはしなかった。だが、唯一残されたものが、時間をおいて、地面に音を立てて落ちる。赤い色のおもちゃ。トリガーのついた装置。TST。
そしてわたしは過去に跳ぶ。
1 叡智のスペルマ
「ねぇ、あなた。聞いているかしら」
そんな声が聞こえた。
ああ。聞こえているけど。
「そう。じゃあ、今からわたしの言うことを忘れずにいて」
続きを待つが声は何も言わなかった。答えを待っているのだと気が付く。
忘れない。約束はできないけど、善処する。
「絶対に覚えて居なさい。これは命令よ!」
強い語調だった。
はい!決して忘れません!
つい、命令を聞くような反応をしてしまう。
「よろしい。それでこそあなたよ。じゃあ、きちんと聞いていなさいね」
声は調子を取り戻そうとしているように一呼吸置いた。
「今からわたしの大切な人があなたに迷惑をかけるわ。でも、その子を大切にしてあげて。あの子はわたしに似て、凄く破天荒だから」
柔らかなベールに包まれているような、優しさに満ちた言葉だった。
俺は急速に目を覚ました。
目を覚まして一発目。
「やっちまった」
俺は己のせりあがった息子を見て、下着の中を覗いた。すると息子は赤ん坊のように白い涎を垂らして笑っていた。
「ガキじゃねえんだからさ」
俺は仕方なく、ティッシュで息子の小さな口を拭いてやる。俺が息子に触れるたびに息子は嫌がるような、それでいて喜ぶような様子を見せる。右に左に春先の土筆が揺れていた。
「もうすぐ春ですね」
頭の中にキャンディーズの歌声が響いてくる。まだあの頃のあどけない歌声だ。窓を見ると春らしい、陽気な光が差し込んできていた。柔らかな黄色い光を見た瞬間、脳内の歌声がヴァイオリンの奏でるイントロへと変化する。俺は息子の頭を撫でながら、新たな世界の行く末を気にした。俺は学校に入学したばかりなのだ。
俺の息子は再び白い吐息を吐いた後、ぐったりを俺の膝枕に倒れ込む。
「いい夢見ろよ」
俺は息子にそう言って、ふと、何かを忘れていて、それは決して忘れてはいけないと言われていたことを思い出す。だが、それが何であるのか思い出せない。なので、ほったらかしにした。
今には家族の姿はない。何故なら、みんな俺を置いてどこかに行ってしまった。だから、俺は独り暮らしになった。朝ご飯なんて作れないから、学校に行くついでのコンビニで朝飯と弁当代わりのパンを買うことにする。
俺はそそくさと着替えて学校へと向かった。
誰も学校へと続く道を歩いてはいない。何故ならば、俺一人だけが登校しているからだ。それは何故。ただ単に俺が登校するのが早いだけ。どうして早く登校するのか。俺は他の誰かに居場所を取られる前に居場所を確保しておかなければならない。
校舎はひたすらに静かに灰色のかんばせを俺に向けていた。来るものを拒んでいるような気がして、俺は一歩後じさる。でも、学校には行かなければならないから、少し辺りを警戒しながら入って行った。
県立南学園の朝は何もなかった。校門が空いているのだから誰かいるのだろう。でもきっと、生徒は俺だけ。授業が始まる一時間も前に登校する。どうしてこんなに早く学校に来るのか。確かに、大勢の人間が渦巻いている中の教室に入ることに抵抗があるというのもある。でも、それ以上に俺は家にいたくなかった。いたら嫌でも嫌なことを思い出さずにはいられない。
だが、教室にいてずっと本を読むのにも飽きていた頃だった。本を読む場所は何もない場所よりも何かある場所の方が良い。喧騒の中の方が何故か俺は読書がはかどった。よっぽどひどいときは除くのだが、でも、物凄く静かな図書室よりは教室の方が本は読みやすい。俺はしばらく独りぼっちの教室にいて本を読みながら、左手の感触を確かめる。本の厚さが薄い。それは本の残りのページ数が少ないということで、俺は本がないと少しパニックになってしまう。人がごった返す教室の中、ただひたすらにぼーっと窓の外を眺めるなんてできない。
俺が今の時間図書室は空いているのかを確かめようと時計を見た時、教室の戸を引いて、誰かが入って来た。
「ひっ」
化け物を見たみたいに、教室に入ろうとした少女は顔を引き攣らせていた。俺はそれほどに気持ちが悪いか。なんだ、人の姿を見て悲鳴など上げて。
少女はしばらく俺の姿を教室の戸で姿を隠しながら見ていた。そして、決心が付いたようにさっと少女自身の机に向かって行く。それがなんと俺の横の席だったのだ。残念ながら俺は隣の少女の姿を覚えてはいないし、そもそもに名前さえ知らない。自己紹介の時名前を名乗りあったはずだが、俺はクラスメイトの名前を誰一人覚えてはいないのだ。
気さくな高校生なら、互いに挨拶をしたのだろう。だが、俺は気さくでもなんでもなく、あいさつなどあまりしたくはなかった。学園という閉鎖空間の中、妙に人と親しくなるのは良い事ではない。中学生に上る時、この中高一貫の学園に来て、俺は誰一人友達を作らずに過ごしてきた。それ故、今はとても気まずいのである。隣の少女は怯えているように体を震わせ、俺はその姿が気になって読書どころではなかった。仕方がなく、俺は教室を出ることにした。
廊下の空気は静かだった。まだ図書委員は登校していないだろうから、俺は手持ち無沙汰だった。このまま図書室の前で図書室の開室を座りながら待つのはみっともなくてできない。アキバじゃないのだからそこまで根性を見せつける必要もない。
なので、俺はがらにもないお散歩をすることにした。入学して間もないので、教室の場所などを知るのにはちょうどよいだろう。邪魔な先輩たちはいない。ゆっくりと校舎を回っていける。
課外活動のための校舎は奥にあった。
俺は校舎の一階を歩く。運動場に面した、清潔な朝の廊下を俺は歩く。
俺は二階への階段をあがる。
二階には生物学教室とその隣に小さな実験室があった。その実験室を誰かが使っているところを俺は見たことがない。きっと、先生たちが実験の練習でもするのだろうと考えていると、がらり、と実験室の扉が開いた。
中から出てきたのは、日に灼けてたくましく、浅黒い顔に白い歯の笑顔が素晴らしい男の子だ。実験室とは全く相性がよさそうには見えない。そして、その腕には一匹の蛇が巻き付いている。
「うわっ」
「ぷぎゃあぁあああ!」
前者が実験室から出てきた少年のもので、後者が俺のものである。だって、驚くではないか。急に目の前に可愛い小さな舌をチャーミングに出した爬虫類の代表格がいたりしたら。
「大丈夫かい?」
「ちか、よらない、でェ!」
「うわぁ!」
少年は俺が最後だけ声を張り上げたので驚いているようだった。だが、その顔の輝かしいばかりの笑顔は変わりはしない。
「ああ。こいつは別に人を襲ったりしない。アオダイショウって言って、この辺りでもみかける代表的な蛇なんだ。毒はもちろんないよ」
「そういうことではなくて」
たしか、学園内は盲導犬以外の動物の持ち込みは禁止なはずである。と、そういうことでもなくて。
「あなたは何をしているんですか」
「えーっと、俺は生物研究部の千原信忠って言うんだけど」
それだけで、なるほど、と俺は納得した。生物の研究をしているから、ヘビを持っている。うん?あまりイコールでつながらない気もするが、それはそれでいいか。深く考えると余計な面倒が増える気がする。
「一人しかいない生物研究部員でね。この時間から学園にいるのは俺くらいなものだから、君に会うとビックリしてしまってね。どうも俺は君を俺以上にびっくりさせてしまったようだけど」
「ええ。とても心臓に悪うござんした」
ようやく心臓の鼓動が戻り始めて入るものの、目の前のつぶらな瞳はずっと俺を見つめ続けていて、やっぱり、心臓の鼓動は収まらない。あれか。これが恋の衝動というやつか!
「どうもビアンカも君のことを気に入ったようだよ」
「名前なんて付けているんですか」
実験する動物に名前を付けると、情が映って実験に使えなくなってしまうと聞いたことがあったので、俺は不思議だった。
「ああ。でも、俺とこの子はもうお別れだ。彼女は行かなければならない。だから、俺は今から裏山に帰しに行くところだったんだ」
「そうですか」
千原信忠は俺に別れを告げ、廊下を歩いていった。俺はその後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
あの滑らかな鱗模様は
時に怪しくうねる鱗模様は
どんなにあまやかな香りに満ち
どんな安らぎの匂いに満ちていることか
ゴマ粒ほどのつぶらな黒い瞳が
ほんの一瞬こちらを向くと
心臓は熱く泡立ち
気が付けばその恐ろしさに涙しているのだ
ああ ああ
この学園にただ一人の
爬虫類の血を持つその人こそは
わが天使 わが女神
頭に浮かんで来た詩を一蹴して、俺は校舎を巡ることにした。この校舎の四階に図書室はあった。
図書室の前まで来て、やはりまだ開いてはいないのかと踵を返したところに、俺は声をかけられた。
「塩崎?」
後ろから聞こえたので図書室の方から聞こえたのだろう。俺は面倒に思いながら、またも踵を返す。そこには一人の少女がいた。名前は思い出せない。
「図書室、今開けたから、入っていいわよ」
「あの……どこかでお会いしましたっけ」
会ったことは覚えている。だけど、いつ、どこで会ったのかは覚えていない。誰なのかも分からない。そんな人間が俺の名前を知っているということが、何とも不気味であった。
「私よ。神代爪身。同じ文芸部でしょう?」
その時、俺は文芸部に所属していることを思い出した。入ってから一度も顔を見せてはいない。となると、この神代と会ったのは歓迎会の一時間だけであり、俺のことを覚えているのはどうにも妙であった。
「塩崎さ。文芸部に入って一度も顔見せてないからどうしたのかなって」
「別に毎日行かなくてもいいだろう。作品ができた時、持っていけばいいだけなんだから」
俺は神代にムッとしていた。それほど知った仲でもないのに呼び捨てしてきて、妙に馴れ馴れしい。こいつは嫌いだ、と俺は思った。
「でも、みんな毎日来てるよ。誰も書きものをしてないけど。塩崎は真面目ね」
俺は放課後を無意味に過ごすつもりはなかった。そうやって意味のない会話をするよりも、一人で読書をしている方がまだマシなのではないのか。
でも、俺は一つの現実を実しやかに隠ぺいしていた。俺には有意義に時間を過ごすための目標がないということを。それが故に、文芸部に所属し、詩を書いているということを。
適当に本を選んで借りる。そのまま教室に帰ろうかと思ったが、久々に舞い降りてきた詩を書き留めておこうと思った。あのビアンカという蛇に刺激されて思い浮かんだ詩だ。神代に紙とメモ帳を借りて書きとめた。
「どう?いい詩ができた?」
俺は無視をして教室に戻った。
なだらかな丘陵のように日々は過ぎていく。なんの代わり映えもしない、退屈な日々。そんな中で人は退屈を紛らわそうとフィクションを創り出した。今ではそのフィクションに世界は征服されていた。アニメやラノベの女の子に萌える男たち。かく言う私もその一員でね。
俺は学校で女子生徒から恋を打ち明けられたことも、ほんのちょっとしたちょっかいをかけられたことすらない。
まあ、あるわけないのだ。そんなこと。そして、あるはずがないからホッとしている自分もいる。面倒ごとなど、空想の中だけで十分なのだ。
昼休みの次の授業は体育だった。なので、体育館の中にある更衣室に急ぎ、着替えをした。
男子更衣室からは女子の声が聞こえてきている。別にアニメみたいに胸がどうのこうのとか、官能的な叫び声が聞こえたりはしない。だが、それでも俺たち男子の顔は赤くなり、丹精込めて育ててきた息子たちは敏感になっているようだった。
「どこか、覗ける場所はないものか」
俺は呟いた。そして、女子更衣室の方の壁をじろじろと検査する。そう。声は物凄く聞こえてくる。つまり、壁は思いのほか薄い。だが、どこにも、穴は、空いていない!
「おい。アイツ、バカだぜ」
初め男子は俺のことをバカにしていたが、俺があまりにも真剣なものだから、次第に口数が減り、ついにはつばを飲み込む音が聞こえた。
「この部屋と向こうの更衣室は構造的に同じではないか」
「お、おい。お前、塩崎だろ?何をしようと考えているんだ」
「そこに更衣室がある。それだけで、男が命を懸けるには十分ではないか?」
俺の言葉に男たちは猿のような声を上げる。
「塩崎。お前は草食系かと思っていたぜ」
「俺たちはお前についていく!」
そんなこと、どうでもよかった。俺は俺の望みをかなえるまでなのだから。
男子更衣室の窓を調べる。カーテンはない。窓は曇りガラスで、外の様子はおぼろげにしか分かりはしない。内側から鍵がかかっている。つまりは窓からのぞくのは無謀ということだ。だが、あと入り込めそうな場所と言えば、出入り口しかない。命を懸けるに値すると豪語しながらも、社会的に死にながら生きて行くつもりはない。
「勝利の方程式は決まった!」
俺は更衣室を出て、外から女子更衣室の方へと回り込む。男子更衣室の窓を越え、女子更衣室の窓を越え、そして、角を曲がる。すると、そこは校舎の壁であり、その壁の向こうには女子更衣室がある。
「塩崎。どうかしたのか?」
追いかけてきた男子生徒たちは心配して俺に声をかけてきた。俺は思わず漏れてしまった笑みを堪え切れないでいたのだ。
「諸君、我々は偉大なる先輩方に敬意を払わなくてはいけない。彼らの尊い犠牲により、俺たちの勝利は決まった」
校舎の壁はコンクリートである。だから、それを壊して女子更衣室を覗くのは難しい。しかし、その校舎の壁には小さな亀裂があった。それは自然にできたものではない。壁には仄かに削った痕がついている。俺たちはその隙間から女子更衣室を垣間見る。
だが、やはり、その先は真っ暗だった。つまりは、この夢のノゾキアナはまだ未完成なのである。では、どうすればいいのか。簡単だ。開けてしまえばいい。
「俺、折り畳みナイフ持ってます」
男子生徒の一人が俺にナイフを差し出した。どうして折り畳みナイフなど持っているのか不思議ではあったが、コルク開けとかいろいろついている七つ道具タイプのものなので、使い勝手が良いのかもしれない。
俺は最後の一撃を、栄光への架け橋を渡そうと、壁にナイフを突き立てた。その時である。
「お前ら、何してるんだ?」
芯の通った女の子の声。俺は恐る恐る声のした方を見る。そして、間違いないと思っていた回答とその答えが一緒であるので満足しつつ、俺はあと数秒の命だと知れた。
俺たちを睨むように少女が立っていた。
その少女は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。この少女は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
そんな彼女が眼をいからせて俺に詰め寄ってきたんだから恐ろしい。
「えーっ。本日はお日柄もよく――」
そんな口上を述べた瞬間、俺の頬は景気よくはたかれた。
「何やってんだ?哲也ァ?」
少女は笑っているのだろう。だが、その表情は般若の面そのものであった。背後から禍々しい何かが立ち上っている。
「耀子。これには深い事情があるんだ」
俺は必死に弁解する。ちなみに、先の言葉は考えてさえいない。ちなみに、俺以外の壁の前にいた男子は耀子によって既に倒されている。
俺は再びはたかれる。
「これは生物の実験なんだ。どれほどの刺激で精子の精製が活発になるのか、というね――」
「そうか。実験の邪魔をして悪かったな」
二度と実験をできないようにしてやるよ、と言わんばかりに、俺の股間に鎮座するDARKER THAN BLACK――留精の双子――は耀子の華麗な足によってこの世から葬り去られた。
その後、耀子からの告げ口によってクラスの男子全員が晒し者しされた。そして、その日のうちに壁の亀裂は埋められてしまった。
ちょっとしたハプニングがあった後の放課後。別に何かが起きることもない。
俺は久々に文芸部に顔を出そうと考えた。例え駄作であろうとも、詩を残しておきたかったのである。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、放課後の廊下を俺は歩く。運動場への出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先ざきでそれまでの話し声が続く。時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「唯ちゃん」「あずにゃん」と名をささやき交わす声が聞こえる。
俺は二階への階段をあがる。
ふと、今朝の千原という少年が気になって、俺は二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室へ俺は行く。実験室の中を扉の小さな窓から覗こうとした時、ガラリ、と実験室の扉が開いた。
そこから出てきた人物を見て、俺は思わず、
「シュワちゃん!」
と叫んでいてしまっていた。
「こら。先生をあだ名で呼ぶんじゃありません」
アメリカの元カリフォルニア州知事の俳優にそっくりな30代の男性教師が笑顔で俺に言った。俺はこの先生が怒っているところを見たことがない。
「すいません。工藤先生」
俺は素直に謝った。謝ったけど、残念ながら、思い浮かんで来たのは苗字だけで、名前は思い出せない。
「どうした、塩崎。実験室に何か用か?」
「いえ。用というわけではありませんが……」
ただ、俺の担任の先生がどうして実験室にいたのかは気になった。
「どうして先生が実験室にいるのかな……と」
すると、シュワちゃん、もとい、工藤先生は暑苦しいほどの笑顔で笑った。
「HAHAHA!俺は生物の教師だぞ。来てもおかしくない。今日はその用事で来たのではないがな」
アメリカ風に笑われると、在りし日の、ターミネーターで敵として出てきた時のシュワちゃんにしか見えない。体も鍛えているのか、生物学教師にはみえないほどの肉体である。
「俺は生物研究部の顧問だから、部員の様子を見に来たんだ。部員が一人だから、塩崎が入ってくれると助かるがな」
「遠慮しときます」
俺は廊下をスケートするようにシュワちゃんから逃げ出した。
文芸部の部室は図書館の横にある倉庫の一室にあった。
「こんにちは。塩崎くん」
先輩の一人が俺に言ったが、俺は挨拶をしない。今日書いた詩を無言で渡して去っていこうとした。
「あ!塩崎じゃん!」
今朝の少女、神代が俺を見つけて、顔を輝かせる。面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりだ。俺は神代から目を逸らして逃げようとする。
「待てよ。塩崎。ちょっとくらい楽しんでいけよ」
何を楽しんでいけと言うのか!
俺の血管はストレスで浮き出ている。そろそろヒステリックに叫びだすところだ。
と、そんな時、部室の隅で本を読んでいる少女を見つけた。その少女は俺の隣の席の、俺を極端に怖がった少女だ。
「秘愛と知り合い?」
神代はしつこく俺に話しかける。
「教室で隣の席なだけだ」
「へえ。彼女は千代女秘愛。あまり話さない子だから、仲良くしてあげてくれるとうれしいな。」
「それはお節介じゃないのか?」
苛立った俺は神代にそう言ってしまっていた。
「千代女が友達を欲しいとも言っていないのにお前はどうして友達を作ってやろうと思っている。そういうのをお節介と言うんだ」
神代は一瞬泣きそうな顔になったが、もとより気丈な性格なのか、すぐに俺に食ってかかる。
「友達は多い方がいいじゃない!塩崎のバカ!嫌いだ!この童顔野郎!」
「誰が童顔だ!」
俺は自分が童顔だと思っていなかったが、辺りが急にしんと静まりおかしな雰囲気になるので困ってしまった。とにかく、この場に長くいるつもりはないので、俺は早々に逃げ帰った。
俺は帰って己の顔を鏡で見た。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。スマートフォンで童顔の特徴を検索すると、ばっちりと俺の顔の特徴とあってしまっていた。
つまり、俺は童顔なのだ。まだまだガキであるのだ。
そう気が付いた瞬間、女子が俺に馴れ馴れしく話しかけてくることへの理由がついた。つまり、俺は男として見られてはいないのだ。俺はただの可愛いマスコットキャラなのだ。可愛い顔なのかどうかは分からないが、女にとって俺は侮っていい存在であることに気が付き、深く傷ついた。
さて。私は今、恐怖に駆られている。このような作品を世に出していいかである。いや、別に傑作がどうのとかそう言っているのではなくて、世の中、二次創作が違法だと言われていたりする。そして、今回あの生ける文豪、筒井康隆と生ける鬼才、筒城灯士郎の作品をパクって、新しい物語を、それもネタバレかもしれないものを書いたわけである。
これは、男たちの物語。
ビアンカシリーズというのは未だ明かされていない謎が多く、きっと筒井康隆はそれを明かさないということが文学だと心得ているに違いない。つまり、私のしたことは文学界に対する侮辱のほかにならないのだけれど、書いてしまったものは仕方ないのである。私は生れ出た赤ん坊をミイラのままにしておきたくはない。だから、ネット小説にアップし始めたのだ。
ごめんなさい。皆々様。
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2 遺伝のスペルマ
すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上に二人の男女がいた。
一人は短いブレザーのスカートを風になびかせていた。その右手にはおもちゃのようなものが握られており、それをこめかみにピタリとつけている。
「あれは君のせいじゃないし、そもそもこの世界から切り離されてしまった事象だ。俺たちの世界とはもう関わり合いがないじゃないか」
例えそうであっても、わたしは許せないのだ。大切なあの子が苦しい目に遭っているということが。だから、助けに行くのだ。彼女を。
「彼女はこの世界では平和に暮らしている。なのに、どうして過去にまで行って、助けようとする。それは確実にタイムパラドクスを引き起こす。時空警察どころではなく、最未来人さえも呼び寄せるだろう。それでも君は行くのかい?ビアンカ北町」
わたしは目の前の男に向かって大きく頷いた。そして、言葉を紡ぐ。
あなたにやって欲しいことがあるの。わたしがこの世界から去ってしまった後に。
わたしの右手にはTSTという装置が握られていた。その手が少し汗ばんでいる。
「いいだろう。でも、無茶はしないと約束してくれるかな」
男は輝かんばかりの笑顔で私に言った。
2 遺伝のスペルマ
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまているのだ。女の子たちの視線に。みんなが俺を見る。その何かを可愛がるような視線、愛し撫でたがるような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
俺は知っている。俺がこの高校で一番醜い、一番童顔な男の子だというこを。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、朝の廊下を俺は歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先々でそれまでの話し声が続いていく。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「にこちゃん」「マキちゃん」とささやき交わす声だけ。
俺は二階への階段を上る。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。俺は平気になってしまったのだ。だって、俺には関係ない。ちゃんとしたスラックスだし。スカート穿いてないし。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室に俺は行く。朝はここへ来るのが俺の日課だ。たった一人しかいない生物研究部の、俺は部員でもない。
ああ。また、あいつがいる。
ドアの前の廊下、ドアの向かいの窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいるのは、文芸部の塩崎哲也。可愛いやつだ。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。この子は文芸部で詩を書いているらしく、クラスメイトが教えてくれたところではそれは恋愛の詩ばかりだそうだ。
まあ、それは全て俺のことなんだけど。
俺が塩崎哲也その人なのですがっと。
俺が書いた詩が文芸部の通信に載せられ、学内に掲載されてから三日たったころだ。
俺はあの日以来、どうも実験室の前の窓に腰かけるのが癖になってしまっていた。そこでいつも本を読むのが日課になっていた。じっくりと時間をかけて、一文を読み、ページの上の黒い虫たちの作る芸術を全て堪能し終えると、静かにページをめくった。そこには再び黒い虫たちの作る芸術が――
「うわぁ」
この間聞いたセリフが飛び出し、俺は文庫本から目を離し、顔を上げる。
「そんなに驚かなくても――ひえぇぇぇぇ!?」
俺は自分でも恥ずかしいくらい素っ頓狂な声を上げる。何故ならば、千原さんの持っている虫かごの中には大量の細切り青ネギみたいなものが入っていて、それがもさもさ動いているのだ。
「千原さん。動いてる!というか、共食いしてます!」
俺は千原さんが三年生だということをあの後知ったので、今は敬語である。
「嘘っ。共食いなんてするのか。これは貴重なデータだぞ。ああ、それと俺に敬語を使わなくてもいいよ」
「千原さんは何をしてるんですか?」
「ノブでいいよ」
「そんな歩く阿鼻叫喚を持ち歩きながら、笑顔を向けられても困るんですが!」
「ああ。ちょっと、これどうしようかなぁ」
千原さんは急いで実験室に戻り、虫かごと格闘していた。もう俺のことは眼中にないようだ。久々に会ったかと思えば、やっぱりどこかおかしな人だった。
神代と図書室で言い合いをしたあと、俺は教室に帰っていった。最近は神代と会えば喧嘩ばかりしている。これで神代が殺されれば、俺が犯人にされかねない。そんな物騒なことはノンフィクションには起こりはしないのだけど。
「それ。面白いですよね」
「あん?」
教室で本を読んでいると声をかけられた。俺は思わずガラの悪い返事をしてしまう。
「うぅ……すいません」
隣の千代女が話しかけてきたようだった。
「いや。怒ってないからいいけど。でも、まだ読み始めだから。しかし、鈍器に使えそうなラノベだな」
俺の手の中にはステーキだと物凄く高そうなほど分厚く、鈍器として売られていると言われれば確かにそうだと納得せざるを得ないとあるライトノベルレーベルの出したライトノベルがあった。並の辞書なんかよりも太いかもしれない。
「毎巻太くなってきているんです……」
千代女は耳まで顔を赤くしていた。この女の子はあがり症なのである。
「そうか。楽しみにしておくよ」
きっと俺はこの巻以降読まないだろうと思った。
「その……最近神代さんと仲が悪いみたいですけど、どうかされたんですか?」
俺と神代との仲の悪さはとんでもないもののようで、隠者的生活を送っている厭世主義の千代女でも心配するほどのものらしかった。
「いや、別に何かあったわけではないけど」
よくよく考えると、俺と神代との間には喧嘩するほどの何かはない。ただ、目を合わせるとどちらかが初めにどちらかの悪口を言わなければ済まない。主に神代が先に悪口を言うんだけど。
「仲良くしていただけると……うれしいです」
どうも目の前のメガネをかけた内気な三つ編みに少女は俺を非難しているようだった。鼻の周囲にゴマ粒のようについたそばかすはとても内気に見えるのに、その実、本当は結構度胸があるのだと思った。
「努力はするよ」
俺と神代の仲の悪さは相性の悪さとしか言えそうもない。俺と神代は前世で蛇とカエルだったに違いない。もちろん、カエルは俺だ。
結局その日千代女と話したのはそれだけだった。
意味のない時間はただひたすら、無為に比例するように加速していく。
昼休みにあまり出会いたくない人物に出会った。
体育のため、着替えをしようと体育館に向かっていた時、ばったりと出くわした。
その少女は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。この少女は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
そんな彼女が眼をいからせて俺に詰め寄っては来なかったけど恐ろしい。
沼田耀子はカバンを持ってどこかに行くようだった。
その時俺は――
a. 気さくに声をかける。
b. 見てみぬふりをする。
俺は耀子に声をかけていた。無視したとバレると後が怖いことを俺はよく知っている。
「どうしたんだ?帰るのか?」
俺がそう言った瞬間、廊下の空気は一瞬で凍り付く。目を疑う光景なのだが、この時間の凍り付いた空間では、廊下にいた生徒の吐く息が真っ白になっていた。きっと耀子の出すオーラが物凄くて、そんな錯覚をしたのだろう。
「文句あるのか?」
足先から頭のてっぺんまで舐めるような視線であった。舌で嘗められているのなら興奮するが、耀子の場合、刀で体中を撫でているような感触なのだから、俺の息子もいろいろと命の危機を覚える。
「いや。どうして帰るのかなーっと」
「お前には関係ないだろっ!」
物凄く怒って、耀子は廊下の窓を蹴り飛ばす。パラパラと細かくなった窓ガラスが外に流れ落ちた。
「ふんっ!」
耀子は俺を一瞥すると、そのままどこかへと去っていった。
「恐ろしいねぇ。本当に」
俺は震える声で陽気に言ってみたものの、背中から這い上がる悪寒に抗えそうもなかった。
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまているのだ。女の子たちの視線に。みんなが俺を見る。その何かを可愛がるような視線、愛し撫でたがるような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
俺は知っている。俺がこの高校で一番醜い、一番童顔な男の子だというこを。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、放課後の廊下を俺は歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先々でそれまでの話し声が続いていく。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「ハルヒ」「長門」とささやき交わす声だけ。
俺は二階への階段を上る。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。俺は平気になってしまったのだ。だって、俺には関係ない。ちゃんとしたスラックスだし。スカート穿いてないし。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室に俺は行く。朝はここへ来るのが俺の日課だ。たった一人しかいない生物研究部の、俺は部員でもない。
ああ。また、あいつがいる。
ドアの前の廊下、ドアの向かいの窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいるのは、文芸部の塩崎哲也。可愛いやつだ。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。この子は文芸部で詩を書いているらしく、クラスメイトが教えてくれたところではそれは恋愛の詩ばかりだそうだ。
まあ、それは全て俺のことなんだけど。
俺が塩崎哲也その人なのですがっと。
「うむ?塩崎。こんなところで何をしているんだ?」
本を読んでいた俺に声がかかる。その声はシュワちゃんもとい、工藤先生のものだ。俺は文庫本から目を離し、顔を上げる。
「うわっ」
俺は思わずシュワちゃんの手に握られている二つの果物に目が釘付けになる。全体的に白い色合いに、ほんのりと染まるように淡いピンクが映っている。果物の割れ目の先はとんがっていて、俺は官能的な余韻を味わった。
今や我が官能は不滅
その保証は我が秘所にあり
そこにあるのは白色
そこにあるのは桃色
そこにあるのは割れ目
そこにあるのは突起
そこにあるのは濃厚な匂い
―――
「ダメだ!」
俺は頭を抱えて煩悶する。こんなのはダメなのだ。
「ど、どうした。塩崎。性衝動が抑えられなくなったのか!先生のことはいい。早くトイレに駆け込んで息子をあやしてやるんだ!」
「違うんです。先生。俺はまだ先が思いつかないんだ。このままいってしまっては後悔します!」
「何か、俺に協力できることはないか!塩崎!」
シュワちゃんは俺の肩をがっちりと掴んで言った。ちょっと唾が顔にかかる。
「先生。俺は桃が欲しいです……」
俺はシュワちゃんの手の内にある艶やかな桃を凝視する。どう見てもエロい何かにしか見えない。
「そうか!是非とも持っていってくれ」
シュワちゃんは俺に桃を一個渡す。
「先生。ダメなんです。一個では。二つないと、俺は……」
「そうか!分かった!これで大丈夫なのだな!」
「はい!」
シュワちゃんは安心したような笑顔を見せ、階段を降りていった。
残された俺はまた文庫本を開く。ふと、いつ帰ろうか、と考えていた時である。
「やっと見つけた」
どこかで、とても遠いどこかで聞いたような声が俺の耳に聞こえたような気がした。でも、きっと風の悪戯なのだろう。本のページがペラペラとめくれる。もう、どこまで読んだのか分かりはしない。俺は適当な所に栞を挟んで、文庫本を無理矢理尻に押し込み、窓の桟に置いてあった二つの桃を手に取った。
「むふふふふふ」
思わず笑みがこぼれる。
「あのさあ、実験、手伝ってくれないかなあ」
俺に話しかけてくる人がいるようなので俺はそっちをみた。
うっとりするほど甘美な栗色の髪。
白雪のように溶けてしまいそうな絹の肌。
頬は薄く桃色で、心をくすぐられる。
唇は小振りながらも赤く、情熱的で。
屹とした大きな黒い瞳が印象的だった。
そこにいるというのに現実味がなく、異国人の血を引いているような余韻を残している。その怪物じみた顔は生きた人形なのだよと言われたら信じてしまいそうであった。
俺は目の前の女の子の美しさが怖かった。
「あ、あ、あな、たは、」
声が裏返った。それでもやっとのことで言葉にする。ジープで物凄いデコボコ道を走り抜けたような気分だった。
「わたしはビアンカ。ビアンカ北町」
俺はビアンカ北町と名乗った女の子をまじまじと眺めようとして、それができずに目を逸らす。
俺は女の子の名前を聞いた瞬間、感じ取っていたのだろう。
俺はこのビアンカを殺さなければならないということを。
何故だかビアンカと名乗る女の子は俺の後をついてきた。
「ねぇ。人探しを手伝って。いえ。手伝いなさい」
「うるせえよ」
俺の後ろをついてくるビアンカ北町はどう考えても美少女だった。でも、どう考えても俺に話しかけてくるのはおかしい。どう考えても俺の後ろをしつこくついてくる理由が思い当たらない。
「どこに行くの。ねえ、教えなさいよ」
俺はビアンカを無視して、学校のプールに向かった。この学校には水泳部というものはなく、とても残念だった。最近のスクール水着というのは女子はこう、T型になっているもの、つまりはコマネチじゃなくて、男の短パンみたいな形になっている。それも中学生しかプールの授業はなく、俺はこの学園に入学したことを心から悔やんだものだった。
「何をするの?」
どこか冷めたような声が背後で聞こえる。でも、俺は気にしない。女の子に年頃の男の子の気持ちなんか分かるまい。
俺は辺りを入念に見回し、ビアンカの他に誰も何も見ていないことを確認する。そして、素早くフェンスを乗り越えた、と言いたいところだけど、運動神経の悪い俺はぎこちなく、まるで獲物に狙われているトカゲのようにフェンスを上る。そして、フェンスを越える時、少し服を引っかけ破いてしまった。
「ふふふふふ」
俺はこれから起こることを想像して笑いが収まらない。これから起こることは男のロマンの結晶なのだ。
すると、ビアンカもフェンスを上ろうとした。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
そのスカートの中から淡いピンク色の布切れが見えた。
「ちっ」
俺は思わず舌打ちしてしまった。俺は不機嫌だった。パンツの色が桃のようなピンクだったからではない。パンツをモロに見てしまったからだ。パンツはちらと見えるのが良い。もろに見えてしまったら、興ざめなのだ。たくしあげとか、マジ興ざめなんですけど。
「何見てるのよ!」
ビアンカは顔を赤くしてスカートを押さえる。フェンスを上りこちら側に来ることは断念してくれたようだ。
俺はプールに手を浸す。初めは冷たくて手を引っ込めそうになったけど、春の陽気で温められたプールの温度は少しぬるくてすぐに慣れた。
俺は持ってきた桃をプールに浮かべる。
「むふふふふ」
「塩崎。何やってるの?」
「実験さぁ!」
俺の顔を見たビアンカは青ざめていた。俺はそれだけひどい顔をしていたのだろう。でも、こんな顔にならざるを得ない。
今や我が官能は不滅
その保証は我が秘所にあり
そこにあるのは白色
そこにあるのは桃色
そこにあるのは割れ目
そこにあるのは突起
そこにあるのは濃厚な匂い
ああ しあわせの双丘よ
我が青春の夢を秘めた双丘よ
白きふくらみは我が手の中
赤き先端もまた いずれは我が手の中
湖上の双丘は揺れ動く
ああ それは湖に浮かぶ桃
たとえ我が身が危うくなろうとも
おお それも一つの青春のロマンなのか
「これって、あれよね。女の子の裸よりも制服姿のままの方が萌えるとかいう、現代の若者の病よね」
俺の横顔は光悦に浸され、蕩け始めていた。世界はかくも美しく、意味があるものだとは思っても見なかった。一匹の白鳥が湖から飛び立つ姿が二人の男女の運命を大きく変えるように、俺の人生もまた、プールに浮かぶ二つの桃によって大きく変わってしまった。
プールに浮いた桃は飛来したカラスによって連れ去られてしまった。
「おお!俺は見たぞ!カラスが桃を奪っていく瞬間、両の足で桃を鷲掴みしていったのを!」
「ごめん。見なかったことにしてあげるから、かえってきなさーい」
黄昏時。それは逢魔が時とも呼ばれ、この世ならざる者とこの世のものとが相見えるひと時だと言われている。一日の天気の良い日の夕刻にしか現れない。世界を橙に染めていく。俺はその世界の所業に、神という存在を信じてみたいと思った。
「で、どうしてついてきているんだ」
寂れかけた商店街を進みながら、俺はビアンカに聞いた。ビアンカは悪びれもせずに俺の横に並んでいる。
「帰り道が一緒なだけよ」
ビアンカが通り過ぎるたび、会社帰りのサラリーマンも、買い物帰りの主婦も疲れを忘れてしまったかのようにビアンカをもう一度見ようと振り向く。彼らにとっては美少女であるビアンカは逢魔が時よりも美しい存在なのかもしれなかった。
そして世界はまた一枚めくれあがった。
『ロッサを殺せぇええええええええええええええええ!!』
俺が気がついたときには辺りには人がいなくなっていた。商店街に立っているのは俺とビアンカと、そして、もう一人。その姿は禍々しい霧に包まれて何者なのか判然としない。ただ分かるのはそいつがこの世のものではなく、そして、息が詰まるほどの殺気を有しているということだった。
『ロッサァアアアアアアアアアアアアア!』
そいつが俺たちに向かって走り出してくる瞬間、俺は強い力に腕を引っ張られた。
それはビアンカだった。ビアンカが俺の手を引いて、走り出していた。
「一体何が――」
何一つ理解できなかった。いいや、理解できていることは一つだけあった。俺は逃げなければいけないということだ。
「あいつはわたしを追っている」
「でも、ロッサって――」
俺は走りながらしゃべっているので危うく舌を噛みそうになった。
そう。俺が美少女であるビアンカに心を惹かれなかったのには理由がある。
ビアンカには不審な点が多すぎるのだ。それが故に、俺はビアンカに心を許せないでいたのだ。
『うぉおおおおお!ロッサぁあああああああああ!』
謎の存在は俺たちを死に物狂いで追ってきていた。俺は背中から恐怖しか感じない。何がそこまで人を狂気に陥れ、何がこれほどまでの殺意を抱かせるのか俺には決してわかることではなかった。
「やつが現れるのはマジックアワーの間だけ。だから、頑張って逃げるのよ」
マジックアワーとは逢魔が時の別称である。つまりはあと一時間ほど逃げなければならない。それほど走るということは、マラソンよりもつらい。そう思うと俺には不可能な気がした。
「無理だ。俺には無理だって」
俺は泣きそうな声で言った。俺の手を引く女の子はただ前を見て必死で進んでいるというのに、男である俺は情けない声を上げている。
そんな時、俺の横の店が爆発した。
「うっ」
風圧に押し倒されそうになる。それでもビアンカは止まらない。
次々に何かが爆発していき、背後から地獄の炎を連想させる息吹が背中に降りかかる。
「嫌だ。俺は嫌だ」
俺は泣いていた。何がどうなっているのかも分かっていないし、そもそもにどうして命を狙われているのか分かりはしない。進まなければ、進み続けなければ死んでしまうというのに、俺はそれすらも放棄しようとしていた。
死んだ方がマシだ。
「わたしはあいつらにまだ捕まる訳にはいかないの。まだ、あの子に会っていない。命よりも大切な、とっても大切なあの子に!」
商店街を抜けた。その先には道路がある。道路には車一台止まってはいない。そして、その道路を横断した先は川だった。つまりはまっすぐ行けば行き止まりで、俺はビアンカが右か左かに向かうのだとばかり思っていた。
「その先は行き止まりだよ!」
ビアンカはそのまま真っ直ぐ突き進もうとしていた。その先は川で、三メートルほどの崖だ。例え川に無傷で降りることができても、その先はまた三メートルの壁がある。つまりは、川の中を移動するほかになく、それは何を意味するかというと、余計に逃げ道がなくなるということで――
「いっけぇえええええええええっ!」
ビアンカは川に向かって飛んだ。
ビアンカにしっかりと手を握られている俺も飛んだ。
その先には終わりしかない。物語はここで終わる。
ビアンカはたくしあがるスカートなど気にせずに飛び上がり、重力によってもうすぐ落下が起こる。
俺の留精の双子は縮み上がる。
終わりだ。
そう確信した瞬間――
世界はまた一枚めくれあがった。
気が付けば、空は青く、いや、青より蒼く輝いていた。黄昏時が終わりを告げていたのだ。
そして、目の前には見覚えのある景色が広がっている。
「俺の、家?」
俺の手にはまだ温かい感触が残っている。謎の存在に追われている時には気がつかなかった柔らかな感触。乙女の肌の感触。
「なんとか逃げられたみたいね」
ふう、とビアンカは息を吐いた。そこには驚き戸惑っている様子はなく、むしろ、慣れているといった印象を受けた。
「何が一体どうなってるんだ」
俺はビアンカの手を強く握り問いただした。
「痛い」
ビアンカがそう言うので俺は手の力を弱めてしまった。するり、と絹のような触り心地がして、ビアンカの手が俺の手から離れていった。
「説明してくれよ。何が何だか」
「聞かない方がいいわ」
ビアンカの横顔はゾッとするほど美しかった。まるで作り物のような造形は薄暗い居間の中では畏怖という原感情を奮い立たせる。
「塩崎を巻き込んだのは悪いと思ってる。だから、これ以上関わらないために聞かない方がいい。あの『最未来人』が狙っているのはわたしだもの。だから、ここでおしまい」
ウェットティッシュで顔を吹いた後のように爽やかにビアンカが言った。
その横顔を見るとなんだか心がざわつく。嫌な予感しかしないのだ。
「あいつはロッサと言っていた。でも、君はビアンカだ。もしかしたら人の名前じゃないのかもしれないけど、俺にはそうも思えない」
「首を突っ込むの?塩崎らしくない」
まるで俺のことを知っているかのような口ぶりだった。俺たちはまだ数時間しか過ごしていないというのに。そのことがひどく俺の敏感になった心を刺激する。
「俺には何が何だか分からないよ。そう、何も分からない。だから、説明くらいしてくれていいんじゃないか?俺だって襲われるかもしれない。あいつは、何かに取り憑かれていた。何もかも見境がないという感じだった。だから――」
「わたしのことが心配?」
ビアンカは俺の顔に自分の顔を近づけて言った。甘い吐息が俺の顔にかかる。いい匂いがした。ラベンダーの香り。それはトイレの芳香剤のようにきついものではなく、ビアンカの体臭がその臭いであるかのように滑らかで、それでいて濃厚で、妖艶な香りだった。
「別に――」
俺は目を逸らした。だって、そんな美しい笑顔を見せられたらどうしようもなくなるじゃないか。
「あなたはわたしの真実を知ると引き返せなくなる。だから、どうするかはあなたが決めなさい。わたしは今から話す。聞きたくなかったら、耳を塞ぎなさい」
俺は耳を塞ぐ。
ビアンカは寂しげな笑顔でその様子を見て、口を動かし始めた。
「わたしは未来の世界から来たの。未来の世界ではあなたとわたしは出会っていて、だから、あなたのことを知っている。わたしはわたしのとっても大切な人を探していて、その人とかかわりのある人のもとにあの子は現れると思ったの。だから、あなたに近づいた。でも、それは世界の掟を破る行為だった。だから、あの『最未来人』はわたしを殺すことで世界を元通りにしようとしている。でも、あの『最未来人』はわたしの大切な人を狙っているみたい。わたしにとても似ている、いいえ、瓜二つだから見間違えても仕方がない。『最未来人』があの子を見つけて殺してしまう前にわたしはあの『最未来人』を殺さないといけない。もしくは先にあの子を見つけて逃げ出すか、だけど、あいつはしつこく追ってくる。だから、いずれは倒さないといけないの」
俺は耳を塞ぐふりをしていた。全て聞いていた。ビアンカの言っていることはよく分からないけど、それはビアンカにとって命を懸けるほどの価値があることなのだということだけは分かった。
「聞いてしまったからにはもうわたしの実験に付き合ってもらうわよ」
「強引だな」
どうも俺が聞いていることはばれていたらしい。俺は手を耳から離し、床に置く。
「なんだ。やっぱり聞いてたんだ」
なるほど。かまをかけたと。
これだから女は侮れない。
さて。私は他の二次創作投稿サイトに投稿しようとした。でも、連載環境が整っているサイトがない!ということで、現在4章の途中で止まっている。全五章の予定で、実はオーバーチェストの続編を二つも考えていて、一つはハーメルン、もう一つは別のサイトで、と考えていたのだが、物事はうまくいかないらしい。
どうして私は小説を書こうと思ったのか。それは時折小説を読んでここはもっとこうしたらいいんじゃない?とか思うことがあったからというのもあるが、実は、私はある才害を抱えていた。執筆能力が臨界まで達すると、我を忘れて書いてはいけないことまで書いてしまうのである。つまりは、その才害をコントロールするために書いているのだが、果たしてコントロールできるのか。これは当時の私には本当に重大な問題で、私は一度大学の教授に呼ばれてお叱りを受けたことがあった。簡単に能力を捨てられればよかったものの、そうはいかないので、ひとりでに小説を書いて能力が暴走しないようにした。
まあ、そんだけなのである。
原作者の方々には申し訳ないほどの駄作だが、どうかご寵愛を。
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3 美のスペルマ
すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上に二人の男女がいた。
一人は短いブレザーのスカートを風になびかせていた。その右手にはおもちゃのようなものが握られており、それをこめかみにピタリとつけている。
「君はTSTの正体にいつから気が付いていたんだい?」
初めから。
「恐れ入る」
男は少しも恐れてはいない様子だった。ただ、悪びれもせず、輝かしいばかりの笑顔を見せている。
「じゃあ、俺の正体にも初めから?」
ええ。初めから。
「君は本当に鋭い。この世界に来てしまったのは間違いだったのかもしれないな」
タイムリープというのは常に矛盾を抱える。だから、そもそもにその理論からおかしい。何故なら、誰かが未来から過去に訪れた瞬間に、その未来はどこにもなくなって消えてしまう。だから、TSTはタイムマシンなんかじゃない。
「ということは、君は初めから『ウブメ効果』のからくりにも気が付いていたと言うんだね」
ええ。
ウブメ効果などというものは初めからない。それはそうあると信じさせただけで存在すると認識させられたもの。『ウブメ効果』という現象は実際にあれど、効果などどこにもない。
そして、今、わたしの手の中には、その『ウブメ効果』の根源が握られている。
「この世界の人間のタイムマシンに対する興味が深かったというのが俺の失敗か。でも、それでどうするんだい?そのTSTを使って君は妹を助けに行くとでも?」
ええ。当り前よ。
わたしは手の内にあるTSTを深く握りしめた。
3 美のスペルマ
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまているのだ。女の子たちの視線に。みんなが俺を見る。その何かを可愛がるような視線、愛し撫でたがるような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
俺は知っている。俺がこの高校で一番醜い、一番童顔な男の子だというこを。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、朝の廊下を俺は歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先々でそれまでの話し声が続いていく。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「ビアンカ」「ビアンカ」とささやき交わす声だけ。
俺は二階への階段を上る。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。俺は平気になってしまったのだ。だって、俺には関係ない。ちゃんとしたスラックスだし。スカート穿いてないし。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室に俺は行く。朝はここへ来るのが俺の日課だ。たった一人しかいない生物研究部の、俺は部員でもない。
ああ。また、あいつがいる。
ドアの前の廊下、ドアの向かいの窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいるのは、文芸部の塩崎哲也。可愛いやつだ。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。この子は文芸部で詩を書いているらしく、クラスメイトが教えてくれたところではそれは恋愛の詩ばかりだそうだ。
まあ、それは全て俺のことなんだけど。
俺が塩崎哲也その人なのですがっと。
健全な男子生徒の反応を見て分かる通り、俺の後ろにさっきまでビアンカなる謎の自称未来人がついてきていた。だが、校舎へと入り、二階へと行く時になってビアンカは足を止めた。どうも二階へは行きたくないらしい。だから、俺はドアの前の廊下、ドアの向かいの窓のしたにべったりと腰を下ろし、本を読む。やっと一人になれたのだ。今日は朝から大変だった。
俺はビアンカの秘密を知ってから、記憶があやふやだった。目を覚まして辺りを見回し、そこが俺の部屋で、俺がベッドに寝ているということを認識して、俺はあの後疲れて部屋に入って寝たのだと結論付けた。もう、何が何だか分からない頭を奮い立たせて、ベッドの暑苦しい布団を拭い去る。
うっとりするほど甘美な栗色の髪。
白雪のように溶けてしまいそうな絹の肌。
頬は薄く桃色で、心をくすぐられる。
唇は小振りながらも赤く、情熱的で。
屹とした大きな黒い瞳が印象的だった。
そこにいるというのに現実味がなく、異国人の血を引いているような余韻を残している。その怪物じみた顔は生きた人形なのだよと言われたら信じてしまいそうであった。
俺は目の前の女の子の美しさが怖かった。
「あ、あ、あな、たは、」
声が裏返った。それでもやっとのことで言葉にする。ジープで物凄いデコボコ道を走り抜けたような気分だった。
「わたしはビアンカ。ビアンカ北町」
俺はビアンカ北町と名乗った女の子をまじまじと眺めようとして、それができずに目を逸らす。
俺は女の子の名前を聞いた瞬間、感じ取っていたのだろう。
俺はこのビアンカを殺さなければならないということを。
「って、違う!どうしてビアンカ北町が俺のベッドに寝ている!」
ベタだ。ベタ過ぎて、もう、何とも言えない。
「あら。息子さんがいきり立ってますわよ。わたしが元気にしてあげる」
「やめんか」
俺は素早くビアンカから体を退けて、部屋の隅に避難する。
「なにを、して、おるのじゃ、きみは」
ぐるぐる嫌な音を立てて、脳が変な回転をする。
「この前は喜んで精液を提供してくれたのに」
「未来の俺は何をしとんのじゃ」
例え美少女だからといって、息子を明け渡していいわけではない。俺はそんな子に育ては覚えはありません!
「大便だって提供してくれのに」
「嘘だ。絶対に嘘だ」
窓ガラスごしにみえた、
部屋の隅に置かれたおまる。
初夏の斜陽に晒されて、
頭を垂れる地上のスワン。
「嘘だと言ってよ、ばーにぃ……」
未来の俺に何があったのだろうか。俺は目の前の美少女、栗色の髪の美少女が恐ろしくてならなかった。
「どうして俺の家に転がり込んでいるんだ。帰る家くらいあろうに」
「未来人に帰る家なんてないわ。わたしはまだこの町に来ていないのだもの」
なるほど。正論である。だが、だがしかし――
「ホテルに泊まればいいだろ」
「ホテルには一人じゃ入れてくれないもの」
親の同伴か許可がなければホテルには泊まれないと聞いたことがあった。そう言うことにしておこう。確かに、さびれたこの町じゃ、碌にホテルなんかなくて、あるのは昔で言うモーターインホテルか一発小屋しかないわけですが。
「早く学校に行きましょう?ご飯は?」
「適当にコンビニで買うほかないだろう」
「親は?」
ビアンカは無邪気に聞いた。その無邪気さに非常に腹が立って、そして、無性に悲しくなった。
「いないよ。みんな俺を置いて出て行った」
「……」
ビアンカはしばらく黙ったままだった。のしのしと部屋の外まで歩いていったあと、ビアンカは言った。
「わたしたちもおなじよ。親はいない。そう、いないの」
そして、自分の家かのような態度で下の階へと降りていった。
俺の親はとんでもない親だった。暴力は日常茶飯事、手に入れた金は子どもからも巻き上げ、パチンコや競馬に費やした、とかいうわけじゃない。ただ、人間としてとんでもなく高性能なだけだった。
父親は遺伝子工学の権威で、数々の論文を発表しては、そのどれもが世界中に話題になるほどだった。母親の方は医学の権威で、薬学の分野は特に目覚ましく、新薬を開発しては、ばんばん設けていた。俺たち子どもはそんな偉大な親から生まれたより美しき人間のカタチ(デザイナーズ・チルドレン)だった。とんでもない親から生まれた子どもは三人いた。長男は出来損ないで、勉強も何もできず、ただ、詩を書くことだけを理由に生きてきた。長女は成績優秀で、すでに外国の大学の博士号を持っている。まだ小学生の次男は神童と呼ばれ、世界の常識を覆す発見を何度もしていた。
俺は一番初めに生まれた出来損ないで、常に家族から無視されてきた。いるのにいないような生活を送り、親の作った食事など生まれてこの方食べたことがない。この家に住んでいるのに住んでいないので、俺はどこにも生きていなかったと言える。
そんなある日、俺が親が絶対来ない入学式を終えて帰宅すると、そこには何もなかった。人のいた記憶は全て消されている。初めから家族などいなかったかのように全てが真っ白に抹消されていた。俺は泣きながら喜んだ。ここからはこの家が俺の居場所だ。家族なんかいなくったて、どうでもいいんだ。
涙は決して止まることを知らなかった。
いつも通り朝早く起きてしまった。さっさと学校に行こうとも、きっとビアンカはついてくる。カモの雛のように親の尻にかぶりついてついてくるだろう。
俺の親は俺が死ぬまでに十分な金と家を残してどこかに消えた。それはみっともなく生きろと言われているのだと俺は感じた。
早く学校にたどり着いてずっとビアンカと過ごすのは苦痛以外の何者でもない。だから、時間ぎりぎりまでテレビでも見て時間を潰そうと思った。
「はあ。いいお湯だった」
バスタオルを体に巻いたビアンカが俺の隣に座る。ボディーソープの残り香が俺の官能の鼻腔をくすぐる。
「青少年の育成に悪いとは思わんのか」
長い髪をタオルで拭きながらビアンカは楽しそうに俺を見ている。どうも俺はこの栗色の髪の美少女に弄ばれているらしい。
「ねえ、塩崎。知ってる?」
少し尖ったような声だった。俺の胸がざらざらする。
「昼間にも月が出るんだよ。白い月が」
「でも、いくら美しく丸い白月であっても誰もその月を見ていない」
「でも、月はまだ見られるだけでいいんじゃないかな。太陽なんて眩しすぎて、誰もまじまじと見ないよ」
「太陽も日々様相を変えているというのに」
「神の世界に月はない」
その言葉はぞっとするほど美しい響きを持っていた。俺は時折ビアンカに恐怖心を抱いていた。それは何が故か。きっと美しさのせいではない。彼女の美しさの源にあるなにかだ。
「それでも月はおだやかだ」
俺はビアンカと意味の分からない会話をして一つだけ分かったことがある。ビアンカはいつも俺の前に立っているものとばかり思っていた。いつも俺を振り回すのだと。でも、ビアンカは俺の後ろに立っていたり、前に立ったりする。でも、それは違うんだ。違う。俺がビアンカの前に立ったり後ろに立ったりするからだ。星はいつも動きはせず、その場にいるだけなのに、地球が、俺たちが動くから動いて見えるように。
俺はビアンカの隣にはいられない。そんな度胸が俺にはないからだ。ビアンカと同じ位置に立って同じ世界を見る資格がまだ、俺にはない。
「さて、と。着替えよう。どう?覗く?」
「覗かない」
女の裸体に興味はない。今やネットでヌーディストビーチと画像検索すれば体格のいい異国のお姉ちゃんたちが笑顔で俺を迎えてくれる。
「いくじなし」
神の世界に月はないとビアンカは言った。でも、それは月のある世界に神はいないということにはならない。月のある世界にも神はいて、その神は栗色の髪の美少女で、俺の触れていいものではないのだ。
だから、俺が栗色の髪の美少女と触れ合うのは遠い遠い世界のお話だ。
「ということがあったわけなのですよ」
俺は実験室でコーヒーを飲みながら千原さんに今朝のことを話した。
「なるほど。あのビアンカ北町がね」
コーヒーはビーカーで沸かしたお湯にインスタントのものを入れて作った。千原さんが作ってくれたのだ。ちなみにカップもビーカーで、健康上大丈夫なのかと思ったりもする。
「大丈夫。きちんと洗ってある。うちの顧問は遺伝子学会の事務をやらされているちょっと変わった人だから、そこにはうるさくてね」
それゆえなのか、実験室には様々な機械があった。中には見たこともないようなデザインのものもある。
「千原さんはビアンカのことを知っているんですか?」
あれほどの美少女がいれば、中学部から通っている俺が知らないはずがないので不思議だった。
「ノブでいいって言ってるのに。まあいいや。うん、知ってる。ずっと学園のアイドルだったじゃないか」
「ずっと?」
そんなはずはなかった。だって、ビアンカは未来人らしいし、それだといろいろと矛盾が起こる。その時になって、俺はビアンカの言葉を全て信じ切ってしまっていることに気が付いた。昨日の最未来人との遭遇が夢だとは思えない。今も背中が少し痛む。でも、その最未来人という情報やらなんやらは全てビアンカから聞いた情報であり、それがすべて真実であるのかは俺が知るところではない。つまりは、ビアンカはずっとこの学園にいて、未来人でさえもないのかもしれない。
「狐につままれたような顔をしているね」
千原さんはコーヒーを飲む。とても苦い顔をしていて、ブラックコーヒーが苦手なのだと思った。なら、砂糖やミルクを入れればいいのだろうが、そんなものは実験室に……あるかもしれないが、間違って変な薬品を入れちゃうとやばいもんなぁ。
「じゃあ、もし俺がビアンカよりも未来から来た未来人って言ったらどうする?」
俺はコーヒーを噴き出す。千原さんはその姿を見て、ビアンカみたいに笑った。
「信じられるわけないじゃないですか。もう」
俺は手元の雑巾で汚れたテーブルを拭く。もうこれ以上話が面倒臭くなってなるものか。
「ははは。君は面白い」
「そうですか?」
俺は割と普通な思考の持ち主だと自負していたのだが。普通の人間は未来人がどうのと言われて信じるわけがない。
「うん。君には超現実願望がない。つまりは超能力者や宇宙人、未来人ひいては神と呼ばれる存在にも興味がないということだ。それはとってもいい。だから、みんな君が好きなんだ」
程よく焼けた肌が可愛らしい靨を作る。そんな真正面から好きだと言われると、男の子であってもドキドキしてしまう。
胸のドキドキ、止まらないよ。
あり得ない邂逅の記憶
生涯忘れることのないえくぼ
わが心 わが親愛の徒となる
わが魂の困惑
その焼けた肌がわれを包むとき
わが猛り立つものの猛り立ちはいや増し
目は昏く 胸は躍り
半ば未来の潮風をなびかせる人の誘いによって
解き放たれた欲望の血潮は
輝ける笑顔の君への贈り物
かくて我が人生は
もはや未来のそよ風の中に置かれ
わがすべては潮風に捧げる供物
ああ ああ 気高く香しき新星の
われこそは愉悦なり
われこそは愉悦なり
「大丈夫かい?」
「違う!断断断じて違うぅ……」
驚いた。これじゃあ俺が千原さんに心を奪われかけたことがバレバレじゃないか。
そんなことはないのだ。ない!
「すいません。調子が悪いみたいで」
俺は頭を抱え、実験室からしっぽを巻いて逃げ出した。
下の階を見に行く気にはなれなかった。きっとそこにはトマトのように怒りで顔を赤くした栗色の髪の美少女、ビアンカ北町が待っている。結局のところ、俺がビアンカの探す人物と未来で関りがあるというだけでまとわりつかれている状態なわけで、とどのつまり、俺はそのビアンカの探す『とっても大切なあの子』というのが誰なのか知らない訳なのである。
しかし、ずっと探していて見つからないのなら、この学園にビアンカの探す『とっても大切なあの子』はいないのではないのか。
そう考えた瞬間、昨日の最未来人との遭遇を思い出す。
誰もいない世界。そこはひどくさめざめとして、そして、何故だか懐かしい気分にもなってしまった。ビアンカの探す『とっても大切なあの子』とあの世界は何か関係があるのではないかと俺は考える。もしくは、ビアンカの探し人はすでに最未来人に捕らえられているのではないのか。最未来人に捕らえられればどうなるのか。
そんなの簡単だ。殺されるに決まってる。だって、ころせぇ、って言ってたしね。
未来を覆すというだけであれほどの怨念を引き寄せるとは俺にはどうも思えなかった。ビアンカは嘘を吐いている。それもどうしようもなく決定的な嘘を。もしかしたら全てが嘘なのかもしれない。でも、ビアンカ北町という女の子だけはきっと本物だろう。彼女が彼女であるということだけは俺は信じていたかった。
そんなこんなで、俺は退避するために図書室へ来た。
時代を濃縮して、発酵させたような紙とインクのにおいが漂う。図書室の匂いというのは図書室でしか味わえない嗜好の一つだ。
だというのにである。
「図書室で香水振りまいてんじゃねえよ」
俺は本を吟味しながら片手間に首周りへと霧を吹きかけている女の子、神代爪身に文句を言う。
「香水じゃないもん。オーデコロンって言うんだもん」
「トロンボーンかコロンブスかは知らないが、臭いからやめてくれ」
決して不快な匂いではなかったが、本の渋みとラベンダーの爽快さは決して相なれないのだ。やはり文学にはバニラの香りだ。
「ラベンダー?」
俺は前にもどこかで嗅いだような気がして、頭の中にベッドの中の栗色の髪の美少女を思い出し顔を赤くする。どうして思い出すのだか。
「ええ。今流行りなの。ビアンカ北町がつけてるから」
恐るべき栗色の髪の美少女である。だが、そのビアンカ北町がなんちゃって未来人だと知っている人間はどれほどいるのだろうか、と俺は考える。
「そのビアンカ北町よ!」
図書室で図書委員出るというのに神代という少女は大声を出して俺に詰め寄ってくる。
「急に仲良くなっちゃって、一体どういう了見よ、アンタ。あんな学園のアイドルとなんか接点でもあったの?放課後は一緒だし、プールではしゃいじゃってるし、今日も一緒に登校してきてるし、アンタの家からビアンカ北町が出て来るし」
どうも全て一部始終を見られているようであった。ビアンカネットワーク、おそるべし。
「地下帝国って言うのよ」
神代は尋ねてもいないのにそう答えた。
「どうしてアンタみたいなさえない童顔があのビアンカ北町と一緒にいられるのよ。訳が分からない」
それは俺も同感だった。どう見たって、俺とビアンカは釣り合わない。それは太陽と月と地球の様な関係で、でも、三つも出したらどれが俺とビアンカの関係なのか分からなくなってしまった。
「アンタはね、私みたいな普通の女の子が分相応なの。」
その言葉に俺は息を詰まらせる。だが、勘違いしてはいけない。神代は俺に気なんてないのだから。
「その通りだ。お前は太陽で、ビアンカは月。そして俺は地球なのだから。」
何故そんな結論に至ったのかよく分からないし、文学脳は時折変に飛躍する。だから、そういうことでいい。
「なによ、馴れ馴れしく名前で呼んじゃって!」
神代は逃げるように奥の文芸部の部室のある書庫に走って行った。業務はいいのかと思ったけれど、この時間に来るのは俺くらいなものだったから、問題はないだろう。
「け~ん~か~は~だ~め~で~す~」
「うおっ。」
このところ、毎日のように誰かに驚かされているように感じるのは気のせいであろうか。
「千代女」
俺は急に背後から忍び寄ってきた女の子の名前を呼ぶことで、幽霊なんかじゃないと現実に折り合いをつける。
「けんか……いけないです……」
「分かったから、そんな恨めしい顔をしないで」
本当に危ない感じだったのでもう少しで土下座するところだった。
「どうして喧嘩するんですか」
今度は保育園の先生のように説教される。
「申し訳ありません」
そうとしか言いようがなかった。
「塩崎君は鈍感です。神代さんが可哀想」
それは千代女の買いかぶり過ぎだった。俺は誰かに好意を寄せられることなんてない。なにせ、欠陥品なのだから。それに、誰かが自分に好意を持っていると思って接してそうでなかったら残念過ぎる。
「塩崎君はいつも恋の詩を書いているのに、どうして女の子の気持ちが分からないんですか?」
俺はいつも恋の詩を書いているのだろうか。そんな自覚はなかった。それに、女の子の気持ちなんて、宇宙の原理くらい俺には分からないものなのだし。
「それは……」
きっとそれは、俺が、誰かに、愛されたいと、願うからだ。
親に、愛されず、一人で、孤独に、生きて、しまった。だから、なのだろ、う。
「それより、千代女はどうして文芸部に入ったんだ?」
俺がちらと見る限りでは、千代女はあまり文芸部で居心地がよさそうに見えなかった。
「それは……塩崎くんがいるから……です……」
「ごめん。今さらフラグ回収が間に合わないからさ」
「がびーん!」
千代女はおもちゃの人形のようにふらふらとした。どこかはるか宇宙にトリップしているようだ。
「でも、本は嫌いじゃないんです。それに人も好きなんです。だから、どちらとも触れ合える文芸部が好きです」
千代女は笑顔で言った。俺の考えは間違っていたのだと知った。千代女はきっとあの中でも楽しそうに生きている。どこにも居場所のない俺とは違って。
「居場所なんて、どこにでもあるのだよ。塩崎くん。だから、悩まなくてもいい。きみがそこにいるだけできみの居場所になるのだから」
俺の心を見透かしたように千代女は言った。それも何故かベーカー街の探偵風に。
「初歩的な推理だよ」
「さいで」
そろそろ授業が開始になるので、俺は急いで図書室を出て行こうとした。
「さっき言ったこと忘れないでね」
千代女は俺にそう声をかけた。少しだけ励まされた気がして、少しずるいと思った。
ビアンカは二年生で先輩であるらしい。ベタにベタを重ねて、同学年で転校生という流れにならなくてほっとする。でも、その安堵も本当に束の間なのでした。
一限目の授業が始まって五分後、教師が世間話を終え、さあ授業だぞ、とチョークを手に取り黒板に文字を書こうとしたその時である。
「どうして沼田耀子が登校してないのさ!」
ものすごい勢いで聞きなれた声が聞こえて、教室の扉が開かれた。俺は扉の方を見る気も起きなかった。
コトン、と教師が驚いたとき黒板に勢いよくチョークを叩きつけてしまって、折れたチョークがパタンと軽い音を立てて教台の上に落ちていった。
バタバタと怪獣のような足音を立てて何かが近づいてくる。
「どうして沼田耀子が登校してないのさ!」
俺の耳の傍で声が浴びせられる。耳がツーンとして頭が痛くなるのさ!
「ビアンカ北町。今は授業中だぞ。」
教師の声ではない。俺の声だ。教師を含めたクラスの俺以外の人間は時間が止まったようにあんぐりと口を開けて唖然としていた。状況が飲み込めないのであろう。
授業中に突然謎の人物が乱入してきた。
それは上級生らしい。
それは栗色の髪の美少女、学園で一番かわいい美少女、ビアンカ北町だ。
それだけで混乱だろうに、こともあろうか、学園で一番美しいと評されるあの沼田耀子をビアンカ北町は探しているときた。
もう本当に訳が分からない。
「なあ、ビアンカ」
「話は後!」
ビアンカは問答無用で俺の手を引っ張って、教室から連れ去っていく。誘拐案件ではなかろうか。美少女ならば、それも許されるのでしょうか。もう、何が何だか分かりはしない。
「どういうことなんだ。」
俺は疲れてため息が出る。昨日から色々と事件が続いてもう色々とこんがらがる。
俺たちは堂々と真正面から校門を出ていた。その姿には誰もが唖然としていただろう。俺もこんなヒロイン、二次元でさえ見覚えがない。
「沼田耀子はどこ?」
ビアンカは辺りをキョロキョロと見渡すが、当然そんなところに沼田耀子はいない。
「どうしてよりにもよって耀子なんだ?」
沼田耀子は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。耀子は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
「彼女とあなたが鍵なの」
「あれか。『とっても大切なあの子』のことか」
「そう!」
どうもビアンカは大分焦っているというか少し狂乱気味であった。どうしてそのようなことになっているのか俺には分かりはしない。
「沼田耀子はどこに行ったのか知らない?」
「知らない」
少し身に覚えはあるけれど、でも、あまり近寄りたくはないし。
ビアンカは俺の考えを読むようにじっーっと俺を見つめる。
「何か知ってるのね?」
「いいや?」
まずい。声が上ずってしまった。
「知ってるのね!」
俺はもう何も言うまいと口を紡ぐ。
「お願い、塩崎。沼田耀子の居場所を教えて。教えてくれたら何でも言うことを聞くから」
そう言ってビアンカは自分のブレザーのスカートをゆっくりと持ち上げ始めた。
「やめんか!」
校門の前でそんなことをされたら、社会的に死ぬ。ただでさえ、俺は男たちが秘密裏に構築する地下帝国に睨まれているかもしれないのに。
「教えるから、スカートを下ろせ」
すると、ビアンカは簡単にスカートを元に戻す。少し残念だったりする。
「じゃあ、行きましょう。どこにいるのかしら」
「俺も正確な場所は分からないけど、それらしい場所に行けばわかるだろう」
あまり近寄りたくはない場所なのだが、もうどうにでもなれと思い始めていた。
どこの町にも不良のたまり場というのが存在する。都会のことはよく分からないが、田舎は遊ぶ場所が少ないので不良のたまり場自体あまりない。
「ウエストゲートパークとかが危ないのかね」
「デュラララで例えた方がいいんじゃない?」
俺とビアンカは制服のまま堂々と町を歩く。ここは駅の近くで、コンクリート橋の下になんかいると、一時間に一本しかない電車の騒音に頭を揺さぶられたりもする。
「ともかく、不良がいそうな場所をあたるわけだけれど」
どんな場所にだって、自分の居場所が無くて町にとどまっている奴らがいる。俺はそういう奴らを悪く思ったりしない。むしろ、俺と境遇は近いどころか、俺がちょっとだけ気性が荒かったら、きっとあんな風になったのだろう。
「不良って暇なのかしら」
残念ながら暇なのである。学校に通っているうちは職業として不良をやっている方々から多少のスカウトがあるものの、あまり仕事をさせてもらえないので、とにかく暇なのだ。真面目にバイトなんてダサいぜというやつはホームレスのごとく、橋の下の公園ではしゃいでいる。
「少し頭が残念だがな」
不良は橋の下で電車の通る騒音がするたびはしゃいでいた。
「さっきのはキハだな」
「バカ。どう考えたってハシダテだろ」
「はぁ?バカ言ってんじゃねえよ。バードに決まってんだろ。ここを通るったらさ」
蛍光色のモヒカンを揺らしながら、鉄道談義に花を咲かせている。俺なんかより趣味に走っているので、少し羨ましい。
「とにかく話しかけましょ」
「度胸あるよな」
確かに頭がよくなさそうでちょろいと思うかもしれないが、世紀末よろしくなヒャッハーたちなのだ。俺は恐ろしい。
「あなたたち、沼田耀子について知っているかしら」
「ヒャッハー!なんだと……」
ヒャッハー!まではハイテンションだったのに、急に顔を青くする。三匹のモヒカンは一体どうしたというのだ。
「あの悪魔と知り合いなのか……」
不良の間で名の知れている耀子の名前を出すのはよくなかったのかもしれない。モヒカンはション便を漏らしそうに足をがくがく震わせている。
「どこにいるの?沼田耀子は」
「おい、嬢ちゃん。一つ警告しておいてやろう。その名前を簡単に言うんじゃねえ。あいつは俺たちなんかより汚物は消毒主義なんだ」
どうもモヒカンたちは知らないようである。それも当たり前だろう。耀子を見た瞬間死んだと思え、と三国志でいう呂布のあつかいを耀子は受けているのだから。
「ビアンカ。行こう」
俺は一応モヒカンたちに頭を下げてその場を後にした。
「ねえ。沼田耀子って一体何者なの?」
歩きながらビアンカは聞いてくる。
「知ったら後悔するぞ」
「じゃあ、耳を塞いでおくわ」
仕方がないので俺は話す。
「耀子は不良の仲間だとか言われているけど、それは正反対なんだ。不良殺しの悪魔と言われている。不良を見ると倒さずにはいられないんだ。だから、あのモヒカンは耀子を恐れていた」
「どうして沼田耀子は不良を目の敵にしているのかしら」
「俺のせいだ」
そう。耀子が不良狩りを始めた瞬間に居合わせたのは俺なのだった。
俺は中学の時、不良たちに絡まれていた。俺は力がないから仕方のない事だったが、幼なじみである耀子はそれを見過ごせなかったのだ。俺が暴行を受けているところに出くわした耀子は不良たちをボコボコにした。でも、それが悪かった。不良の世界には報復というものがあって、不良たちは日夜耀子を狙うようになった。耀子は並の不良なんかよりもはるかに強いのでどんな奴が来てもボコボコにして返したけど、不良たちはそれを絶対に許さない。だから、あの日以来、ずっと耀子は不良たちと戦い続けていて、だから、あまり学校にも来れていないのだ。
「なるほどね。つまり、塩崎が弱いから沼田耀子が迷惑しているのね」
グサリ、と胸に刺さる。
「でも、今はどうなのかしら」
俺たちは不良なたまり場を巡った。角刈りのグループはめんこやベイゴマをたしなみ、全国大会出場までしたというどうでもいい情報を手に入れた。格ゲーをたしなむ現代風のチャラ男グループは、この町から世界大会出場者が出たんだと自慢した。どう見ても外国人の集団にしか見えないグループは女児向けアーケードゲームに夢中だったが、幼女が現れた瞬間、席を譲った。
でも、どこにも耀子の姿はない。
「どういうことだ」
俺は空を見上げながらビアンカに尋ねた。もうすぐ昼で、そろそろお腹が空いてきた。
すると、ビアンカは俺のほっぺたを柔らかい手で両ばさみし、俺を無理矢理自分の方へと向けさせる。
「逃げるな!」
ビアンカは思いっきり怒鳴った。その声が薄暗い路地裏に反響する。
「あなたは一度沼田耀子から逃げた。助けられたはずの彼女を助けなかった。今度もまた逃げ出すの?」
「お前には関係ないだろ!」
俺は顔を振ってビアンカの手から逃げ出す。また、声が上ずった。
「なにもかも怖いじゃないか!俺は何もかも、全てが、全部が、怖いんだよ!」
だから逃げた。何もしなかった。耀子が苦しんでいるのを知っていたくせに、なにもしなかった。親からも逃げた。探せば何とかなったかもしれない、勉強を少しでも頑張っていれば何とかなったかもしれない。でも、俺は何もしなかった。そうすることで何もかもから逃げられたような開放感を得た。
でも、問題は解決しないまま、ずっと空に浮かぶ太陽のように俺を見つめ続けているんだ。
「俺のことなんか放っておけよ。俺の問題はビアンカの問題とは関係ないだろ」
「いいえ。今気が付いた。関係がある!」
無茶苦茶だった。何をどう考えればそうなるのか、俺には少しも理解できない。
「あなたの問題を解決しないと私の問題は解決しない。そう。ずっと引っかかっていたんだわ」
ビアンカはよく分からない自分だけの理論でそう結論づけた。
「だから、戦わなくちゃいけないの。あなたも、わたしも」
ビアンカの芯の通った黒い瞳は俺の心を締め付けた。そんな目をされたら、俺がとんでもなく矮小な存在に思えてしまう。どうしてビアンカはこれほどまでに強いのだろうか。
ビアンカは扉を開けた。そこはインベーダーゲームが置いてある喫茶店。顔に傷のある本職の方々がコーヒーを飲みながら、ゲームにふけっていた。
そんな中、一人の少女がいた。
その少女は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。この少女は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
そう。沼田耀子だ。
「なあ、耀子。次はめんこクラブをぶっ壊してくれないか」
人相の悪い男が耀子に詰め寄っていた。ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべている。
「矢間。そいつらは潰す必要があるのか」
「ああ。この町の脅威だ。だから潰してくれ」
耀子は返事もせず、机に立てかけてあった太刀を掴み、立ち上がる。そして、俺たちのいる、喫茶店の扉に向かって来た。
そんな彼女が眼をいからせて俺に詰め寄ってきたんだから恐ろしい。
「どけ。哲也」
でも、俺はどかない。
「耀子。どこに行くんだ」
「不良を狩りに」
そんなことはさせたくなかった。耀子も気が付いているはずなのだ。自分がヤクザのいいように使われていることが。そんなこと、させるわけにはいかないんだ。
俺の足は震えが止まらない。もしかしたら、もう漏れてしまっているのかもしれない。でも、どかない。
「そんなことはさせない。耀子。もういいだろう。不良だって精一杯生きてるんだ。俺やお前と同じように行き場がないけど、それでも頑張ってる。だから、行かせない」
俺の声なのかと思うくらいの大声で俺は叫んでいた。やっぱり声は裏返るけど、でも、絶対に耀子を外に出させてはなるものか。
「どけ!」
「どかない!」
「おい、坊主。邪魔するんじゃねえぞ」
「黙れ、クズ」
口を挟んできた矢間という男に俺は怒鳴っていた。矢間の顔がみるみる怖くなっていく。ああ、やってしまったな、これは。
「えらい口聞くじゃねえか、ボケ。いてこましたろか!」
「うっせえ!耀子に比べたらお前なんかカエルみたいなもんなんだよ!」
それを言うなら、俺だって蛙だ。この場にいるのは大勢の蛙と二匹の蛇。耀子とビアンカだ。
「おんどりゃあぁあ!誰がカワズじゃあぁあ!」
矢間は逆上して俺に襲いかかってくる。その手にはどこに隠してあったのかドスが握られている。俺は目をつぶった。きっとラノベの主人公なら見事な体術で敵を倒すのだろう。でも、俺にはできない。だから、目をつぶって、終わりの瞬間の恐怖を和らげることしかできなかった。
瞼の裏で一筋の帯がなびく。それは白銀色をしていて細長い。
目を開けた瞬間、何もかもが終わっていた。
喫茶店には力なく倒れたヤクザたち。そして、そいつらの亡骸を冷たい目で見つめる耀子の姿。その手には太刀が握られている。太刀は白銀の帯のようにきらめいていた。
「あたしの哲也に指一本でも触れさせはしない」
耀子は忌々しくそう言い放った。
「まさか、殺したのか……」
ヤクザたちはピクリとも動かなかった。息をしていない。
「いや。これは切れない。模造刀だ」
耀子は俺に向き直った。その姿は悪魔のように美しい。
「で、そこの異国の血を引いたような美少女はなんなんだ?哲也」
ドクンと心臓が跳ね上がる。どうしてだろうか。今まで以上に俺は命の危険を感じている。
「説明してあげたら?わたしの塩崎?」
ビアンカの言葉を聞いた瞬間、耀子の顔は一段と険しくなる。これ以上険しくなったらどうなってしまうのか。
「ええっと、こちら、ビアンカ。なんだか無理矢理学校から連れ出されたんだけど」
「呼び捨てとは、仲が良いのだな」
「ひっ。そんなことは――」
「二人で抜け出して逢引きしてたのよね」
「へ?」
「そうなのか、て・つ・や?」
きらり、と太刀が光った。
「ひえぇええええええ!」
その後のことは本当によく覚えていない。恐怖が勝手に記憶を消し去ったのだろう。
気が付けば、俺とビアンカ、そして耀子は公園に来ていた。面積が五十三ヘクタールもある大きな公園だった。近くには地域密着型のちいさな信用金庫がある。
気が付けば、俺の顔には包帯がグルグル巻きに巻かれている。顔の中がどうなっているのかは想像したくもない。
「そういえば、耀子を見つけたけど、この後どうするんだ」
目の前にビアンカの探し人の姿はない。そんなゲームみたいに仲間を集めたらイベント発生ということはないのだ。
日はもう傾き始めていた。
「後は、戦うだけ」
その言葉を聞いて、俺は戦慄する。戦うというのはとどのつまり、あの最未来人と戦うということなのか。
「手伝ってくれるわよね。耀子」
耀子はこくりと頷いた。俺の記憶がない間に二人の間に何があったのかは分からないが、とりあえず協力体制は出来上がったようだった。
「でも、あんな化け物とどうやって戦うんだよ」
俺にはできることなんてない。よく分からない理論で建物を爆発させる敵にどうやって立ち向かえばいいのか皆目見当がつかない。
「――大切なのは、あなたが最後まで、見守るということ。」
そして世界はまた一枚めくれあがった。
キィエエエエエ!
空にかかる屋根をも貫く奇声が響き渡る。昔の特撮のように切って張ってつなげたように突如として何者かが現れた。
黒い靄を身に纏う、怨念の塊。それが何であるのかは分からない。だが、少なくとも、この世界を構成する一因ではないことが分かる。
「なるほど。ここ最近急に人が消えると思っていたらそういうことか」
耀子は納得したように言った。どうも事態が飲み込めたらしい。俺でさえ未だ目を疑っているというのに、俺の周りの女の子はとてもたくましいようだった。
「で、北町。どうするんだ」
最未来人は目のない目で俺たちを睨む。口のない口で言葉を叫ぶ。
『ころせぇ、ロッサを殺せぇええええええええええええええええ‼』
ロッサとは何であるのか分からない。だが、きっと、ビアンカの探す、『とっても大切なあの子』なのだろう。
「行き当たりばったりで!」
ドラクエの作戦よりもひどい作戦だった。せめてガンガン行こうぜくらい言ってくれても……いや、それはそれで恐ろしいのだが。
最未来人は靄のかかった恐らく腕のようなものを体の前で動かす。まるでなにかとんでもないものを放とうとしているようだった。その腕から赤黒いプロミネンスのような炎柱を吐き出す球を創り出す。それはだんだんと大きくなり、スイカほどの大きさになった後、こちらに向かって来た。
「メラだよ!」
冷静に指摘している暇はない。というか、規模的にメラゾーマではないか。メラガイアー?そんなの知らない。
全てを焦がす灼熱の太陽が驚くべき速さで向かってくる。もう、何度目の走馬灯だろうか。でも、死ぬ間際に見ると言いながら、未だ見てはいないのが不思議であった。
「せいっ」
だが、その後目の前で起こった光景の方が驚きだった。なにせ、耀子が俺たちの前に躍り出て、太刀でメラゾーマを切り裂いたのだから。
俺の頬に炎がかすり、顔を覆っていた包帯に小さな炎が灯る。
「ヤバ!」
俺は手で炎を消すが、包帯を手で押さえた後に後悔する。物凄く熱い。
真っ二つに切り裂かれたメラゾーマは俺たちのすぐ両脇を焦土にした後に消え去った。地面がぶくぶくと泡を立てている。
「いや。これは切れない。模造刀だ」
どこからツッコめばいいのか分かりはしなかった。
「こんなの、どうやって倒せばいいんだよ」
「大丈夫」
ビアンカは立ち上がり、声高らかに叫んだ。
「アルト!」
その瞬間、草むらの中から最未来人に向かって、人影が飛び出す。銀色のツンツン頭に猫のような鋭い目つき。その少年は体中から稲妻を発生させて、最未来人を殴りつけた!
「キルアじゃん!」
キルアよりは成長しているようだが、どう見ても長期休載で有名なマンガのキャラクターにしか見えない。
「やったか?」
「まだよ」
最未来人は少しもダメージを受けているようには見えなかった。アルトと呼ばれた少年は何度も打撃を繰り出すが、最未来人はびくともしない。そして、とうとう最未来人はアルトの頭を黒い手で捕らえる。
「まずい」
耀子はアルトを助けようと最未来人のもとに駆け寄る。だが、遅かった。アルトの頭部はまるで手品を見ているかのように白い煙に覆われた。その後、爆発音が響く。
「耀子。離れろ!」
俺の言葉に耀子は動きを止める。そこに先ほどよりは小柄のメラが飛んでいく。耀子はそれを簡単に切り伏せるが、散弾のようにメラは耀子に飛んでいき、前へと進むことを拒んでいた。
『ロッサァアアアアアアアアア‼』
アルトの体は光り輝き、イチとゼロのきらきらとなる。
アルトは消滅した。
「ビアンカ……ビアンカ!」
俺はビアンカを呼ぶ。だが、泡を立てた牢獄の中にはビアンカの姿はどこにもなかった。一体どこへと消えたというのか。
嫌な汗が背中を伝う。
『――こっちよ! 最未来人! わたしはここにいる!』
ビアンカの声だった。俺は懸命に近くを探す。でも、近くを探してもいるはずがなかった。何故なら、ビアンカは最未来人のすぐそばにいたからだ。
「ビアンカ!」
いくらビアンカでも最未来人を倒すのは無理だ。
俺はビアンカの言葉を思い出す。
『――大切なのは、あなたが最後まで、見守るということ。』
それは分かれの言葉なのではないか。自分の最後を看取れということなのではないか。
俺の心臓が嫌な音を立てる。
バク、バク、バクバクバク――プチン!
耀子はメラを全て防ぎ切ったものの、満身創痍でビアンカのもとへとたどり着けそうもない。
俺は泡を立てる地面の上に一歩踏み出した。
ジュウゥウウウウウウ⁉
靴底が焼け、その上の皮膚が嫌な音と嗅ぐことは滅多にない人間の肉の焼ける粗野な臭いを放出する。
また、一歩。
ジュウゥウウウウウウ!
痛くないはずはない。もう痛みを通り越して、表現できないような乱雑で暴力的な刺激が俺の足全体を襲う。
また、一歩!
ジュウゥウウウウウウ‼
一歩進むたびビアンカへの距離は近くなる。俺はそれが嬉しかった。近づいて行ってなにかできるわけでもない。でも、俺はビアンカのもとへと行かなければならないのだ!
ジュウゥウ!ジュウゥウ!ジュジュジュジュジュウゥウウウウ!
膝が、腰が、腹が、胸が痛む。それでももっともっとビアンカのもとへと行かなければ。
最未来人はメラゾーマを放った。全てを無に帰す一撃。それに晒されれば骨も、灰さえも残らない。
「ビアンカ!」
俺は目をつぶろうとした。俺にとっていつの間にか大切になっていた女の子が消えてしまう姿など見たくはなかった。でも、ビアンカは見ていてくれと言った。何もできない俺にそう言ったんだ。
ビアンカに向かってメラゾーマが放たれた。
そして――ビアンカもまた特大の熱球を放ったのだった。
それらはビアンカと最未来人の中点でぶつかり合い、互いを相殺して消え去る。残ったのは暴風だった。
その瞬間、俺の頭は嫌な音を立てた。メキ、ペキ、バリン。
何かがズレて、壊れていく音がしたのだ。
暴風にビアンカは晒される。栗色の髪がたなびき、ブレザーの短いスカートはパタパタと音を立てる。ちらりと淡いピンクのパンティーが見え隠れする。
そして、最未来人の体を覆っていた靄も一瞬だけ吹き飛ぶ。栗色の髪がたなびき、ブレザーの短いスカートはパタパタと音を立てる。ちらりと淡いピンクのパンティーが見え隠れする。
耀子は最未来人に向かって突進していった。
もう、最未来人は黒い靄で覆われている。
耀子は太刀を天高く掲げた。
「やめろ――」
炎をも切り裂く一閃は最未来人を捕らえ、切り伏せた。
黒い靄は爆発し、俺たちを吹き飛ばす。
そして世界はまた一枚めくれあがった。
さて。昨日勝手に投稿させていただいて、なんの文句もないので一安心なのだ。できればゴールデンウィークまでに書き終えたいところだが、どうなるかはわからない。
あと、通信制限来たから、作品の精度が落ちるかもしれない。もーまんたい。
今回はどんなあとがきを書こうかと迷っている。とりあえず、現代の青少年の文化について書き記そう。
現代の若者の文化は大人がびっくりするほど薄情なのである。連絡はスマホのアプリ、『LINE』で済ませ、メアドの交換などよっぽどのことがない限りしない。人と向き合うよりもスマホと向き合うことのほうが多い。そんな世の中。そして、最近気が付いたが、スマホが主題になっている作品以外でスマホはあまり登場しない。それすなわち、スマホは小説の敵なのである。というか、そこそこ表現しづらい。
『ビアンカ・オーバースタディ』『ビアンカ・オーバーステップ』は両作ともに時代設定や場所の情報が少ないので、いろいろどうするか迷ったりしたけれど、趣味で書くならもうなんでも改変しちゃおうぜと思い、好き勝手させていただいている。
なんか文句が出たら太田が悪い。太田って誰よ。
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4 待望のスペルマ
すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上に二人の男女がいた。
一人は短いブレザーのスカートを風になびかせていた。その右手にはおもちゃのようなものが握られており、それをこめかみにピタリとつけている。
男の手にはさっき私が投げ渡した未来の天体望遠鏡『エイダ』が握られている。
「なるほど。こいつで未来の様子を垣間見たということか」
未来ですって?バカにしないでよ。
「ははあ。君には本当に感心するよ。ビアンカ、君は全て理解したというのか。これで見ることができるのはごく少ない情報のはずだが……そうか。これは『エイダ』とつながっている。ロッサ北町と出生を同じとする君なら、それ以上の情報も引き出せるということか。」
御託はいいの。わたしがあなたをここに呼び出した理由くらい分かっているでしょう?観測者、いえ、二ノ宮HAL斗と呼ぶべきかしら。
「好きにしてくれればいいさ」
にやり、と男は輝かんばかりの笑顔を見せる。
わたしはこの先待ち構える冒険への不安を払拭するために大きく息を吐いた。
4 待望のスペルマ
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまているのだ。女の子たちの視線に。みんなが俺を見る。その何かを可愛がるような視線、愛し撫でたがるような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
俺は知っている。俺がこの高校で一番醜い、一番童顔な男の子だというこを。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、朝の廊下を俺は歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先々でそれまでの話し声が続いていく。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「ビアンカ」「ビアンカ」とささやき交わす声だけ。
俺は二階への階段を上る。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。俺は平気になってしまったのだ。だって、俺には関係ない。ちゃんとしたスラックスだし。スカート穿いてないし。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室に俺は行く。朝はここへ来るのが俺の日課だ。たった一人しかいない生物研究部の、俺は部員でもない。
ああ。また、あいつがいる。
ドアの前の廊下、ドアの向かいの窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいるのは、文芸部の塩崎哲也。可愛いやつだ。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。この子は文芸部で詩を書いているらしく、クラスメイトが教えてくれたところではそれは恋愛の詩ばかりだそうだ。
まあ、それは全て俺のことなんだけど。
俺が塩崎哲也その人なのですがっと。
俺は文庫本から顔を放し、大きくため息をつく。一冊五百ページを超える文庫本を持つのが疲れたということもあるが、そのためだけではない。
多くのことがあり過ぎた。そのため、俺は物事の整理がついていない。何がどうなっているのか、そんなこと、もとより分かっちゃいなかった。問題なのは、どこかで歯車がおかしな音を立てて軋み始めているのを感じ取っているからで、でも、その歪みをどうにかする方法が俺にはよく分からないからだった。
二度目の最未来人の襲来の後、ビアンカは何事もなく帰っていった。俺の家に。そして、おまけとばかりに耀子までついてきた。
「あたしの哲也の家はやはり懐かしいなぁ」
「いや、来たことなかっただろ」
「でも、わたしの塩崎の家は少し変わったんじゃない?」
「知ったような口を聞くなよ」
先ほどまでの死闘が嘘のようにビアンカと耀子は俺の家の所有権について火花を散らす。でも、俺の家なんですけどね。不動産は登記とか色々面倒なことがあるみたいなので本当に俺のものなのかは判然としないけど、少なくとも、目の前の栗色の髪の美少女と悪魔のように美しい美少女のものではないということだけは明らかなのだった。
「とりあえず、ピザでもとろうか」
くたびれた俺は二人にそう提案する。
「何を考えているの塩崎」
「そうだ。哲也」
俺は二人の美少女に鬼のような形相で睨まれる。良かれと思ってしたことが誤解を招いてそりゃないぜ。
「女の子は男の子にご飯を作るものでしょう?」
「そうだぞ、哲也」
「今は男女平等の世の中だから、そういう偏見はよくないと思うんだ」
これでは立場が逆なのだ。これは男が女性に言う言葉じゃない。
「料理は実験。任せなさい」
「料理は暴力。任せろ」
どうにも嫌なことが起こりそうであった。起こってもいないのに簡単に想像できる当たりが実に恐ろしい。
俺は疲れた風を装って、部屋に戻る。そして、スマホを取り出し、秘密裏にピザの宅配を頼んだ。そして、戻ってきたときには阿鼻叫喚だった。
「ふんふんふーん」
この家に食材などないはずなのに、ビアンカは鼻歌を歌いながら底の深い鍋をお玉でかき回している。その鍋からは色のついた湯気が立ち込めていた。
「食材は何を使ったんだ……」
俺の知らない間に買って来ていたのだろうか。お金はあったのだろうか。
「トカゲにネズミに塩崎の陰毛よ」
「魔女か!というか、俺の陰毛ってどういうことだよっ!」
「顔面通り、薄かったから、ちょっと大変で」
「おい。おい!」
俺は涙目になりながら、ビアンカに訴えかけるが、ビアンカは鍋をかき混ぜつつ「右に1000回、左に2000回かき混ぜて……」と楽しそうに呟いている。それは科学じゃない。錬金術だ。賢者の石の作り方だ。
「で、耀子は何を作ってるんだ?」
「肉じゃが」
だが、まな板の上にはとてつもなくカエルが乗っている。どうして、どうしてぼくが……とカエルはつぶらな瞳で俺に訴えかけている。
「アマガエル、じゃないよな」
「アフリカツメガエル。矢間がバイヤーに横流しにしようとしてたんだ」
つるりとした光沢を持つ彼に起こった惨劇を想像するのは容易だろう。
「右右左左上下AB!」
「うげぇえ」
K.O.つまり、ノックアウトである。
「肉じゃがにはならないだろうな……うげぇえ」
耀子は顔にぬめりとしたものを引っ付け、手には包丁を持ちながら、「卵がうめぇんだよ、卵がよぉお」とゾンビのようなことを言っている。
「味見をしたほうがいいんじゃないか」
二人の美少女は俺に作ったものを載せたさじを渡す。
「自分でやれよ!」
すると、二人は顔を見合わせ、スプーンをポトリと落とす。スプーンが落ちる金属音が響いた。
「わたしの塩崎。わたしの作ったものを食べられないっていうの?」
「あたしの哲也。あたしの作ったものを食べられないと言うんだな」
食べられるわけないだろう。毒味もしていないものを食べさせるなんてどうかしている。
すると、インターホンが鳴った。
「ピザをお届けに参りました」
二人の美少女は俺のノックアウトした後、待ってましたとばかりに俺の財布から金を抜き取って玄関へと向かって行った。
「ということがあったわけなのですよ」
俺は実験室でコーヒーを飲みながらシュワちゃんに昨晩のことを話した。
「なるほど。あのビアンカ北町がね」
コーヒーはビーカーで沸かしたお湯にインスタントのものを入れて作った。シュワちゃんが作ってくれたのだ。ちなみにカップもビーカーで、健康上大丈夫なのかと思ったりもする。
「大丈夫。きちんと洗ってある。俺はは遺伝子学会の事務をやらされているちょっと変わった人だから、そこにはうるさくてね」
それゆえなのか、実験室には様々な機械があった。中には見たこともないようなデザインのものもある。
「シュワちゃんはビアンカのことを知っているんですか?」
あれほどの美少女がいれば、シュワちゃんでも知っているのだろう。俺は全然知らなかったけれど。
「工藤先生だろう?うん、知ってる。ずっと学園のアイドルだったじゃないか」
そのずっととはどのくらいずっとなのだろう。これも未来人の技術か何かでコントロールされた所以なのか。でも、ビアンカは未来人なんかではないと俺は思い始めていた。昨日の最未来人との戦いで、俺は何か気付いたのだ。
苦笑いしているシュワちゃんに俺は言った。
「先生。先生なら知っているはずですよね。ビアンカ北町の正体(パンティーのいろ)を」
「生まれのこと(ピンクいろ)か?」
シュワちゃんはやはり苦笑いしていた。シュワちゃんも気が付いているのだろう。俺が本当は何を聞きたいのかを。
「先生。先生なら知っているはずですよね。俺の両親のことを」
「居場所か?」
シュワちゃんは笑顔のまま困った顔をする。どんな顔と言われても、笑って困っているのだとしか形容できない。
「どうして聞こうと思ったんだ?お前にどんな心境の変化が起こった」
「俺は一人の女の子に出会ったんです。その女の子はいつも自分の目的に向かって真っすぐで。それが俺には眩しくって。でも、どうやらそうでもないらしくって、俺が女の子をまぶしいと思っていたのは気のせいみたいで。でも、それでもやっぱり女の子は女の子なんです。女の子は絶対に無理だと思ったことでも恐れず立ち向かったんです。そして、女の子の敵を倒した。でも、その敵は女の子の影みたいなもので、それで――」
俺は何を言っているのか分からなかった。浅漬けにされるキュウリのように頭が揉みしだかれる。
「俺も立ち向かわなきゃいけないと思ったんです。大切なのは俺が最後まで、見守るということだから。俺はその子といるためにはその子と同じく俺の敵と立ち向かわなくちゃいけないから」
「それが決して勝てないと分かっていてもかい?何も解決しないとわかっていてもかい?」
俺は首を縦に振った。たとえ勝てなくても、立ち向かわくちゃ、何も変われないままだから。
「そうか。塩崎も男の子なんだな。でも、両親の居場所は教えられない」
「どうして」
「そこは色々とあってだな。まあ、俺自身の保身のためでもあるんだが」
シュワちゃんは胸のポケットから一枚の新聞記事を取り出して机に置いた。
「去年の夏に京大の連中が、キンタマの中で精虫ができる様子を観察して、撮影するのに成功したんだけどさ、おおもとの細胞が分裂して、一匹から二匹、二匹から四匹って、手をつなぐみたいにして、あっという間に増えて広がっていくんだよ」
「ありがとうございます!」
俺は急いで実験室を後にした。
荷物をまとめて学校を飛び出したところで、俺は別にいますぐ会いに行かなくてもよかったんじゃないかと気が付く。でも、気がついた頃にはもう駅に近く、授業も始まっていた。俺もビアンカと同じく破天荒だと思った。ほんと、人のことは言えない。もしくは俺がビアンカに影響されたのか。ビアンカが俺に学校を抜け出すなんてことを教えたんだ。そんなビアンカは実験室の下の階段にはいなかった。ずっと「わたしの」「あたしの」と言い合っていた耀子もいなかった。
ただ、暇を持て余して教室に戻っただけなのかもしれない。でも、昨日の二人の所業を見る限り、警戒する価値はありそうだった。
俺は普通車か特急かで迷い、普通車で行くことを決めた。目的地には三時間ほどでつくだろう。ちょうど昼頃だ。親は一体何をしているのか分からないけど、行く価値はあるだろう。
親にあってどうするのか、俺は何の考えも持ってはいなかった。でも、会うことから始めないといけない。家族の仲を取り戻すなんてことはできないだろう。なにせ、向こうから俺を捨てたのだから。捨てたことに理由なんてありはしないだろう。ただ、引っ越しの邪魔だからというだけしかない。俺は粗大ごみなのだった。
切符を買って、電車に乗る。昼間の電車はガラガラで、老人が数人座っているくらいのものだった。俺は特急に乗らなかったということもあり、スペースを広々と使おうと四人掛けの向かい合う席に座った。腰を下ろし、自分が意外と疲れていたことに気が付く。尻が張り付いて、もう動けそうもない。足が少し震えている。俺は窓の景色を眺める。しばらくすると、ゆっくりと滑り出すように景色は動き出す。そして、次第に景色は早く流れていく。ほとんど緑の景色。森は針葉樹だらけだった。この国にはもうほとんど広葉樹なんてないのだろう。あって植えられた桜くらいしか思いつかない。
目まぐるしく過ぎていく景色を眺めながら、俺はここ数日の変化についてじっくりと考えたいた。別に何かが起こったわけではない。ただ、急に美少女が接近してきて、俺に実験を手伝えと言った。その実験とは何であるのか俺には分からないけど、それは人探しであって、実験とは程遠い。その人探しに巻き込まれるにあたって、俺の抱える問題は次々に解消されていった。それは俺が知らぬふりをしておけば何事もなく過ぎていったものだった。いずれは消えてしまうもの。でも、そうなってしまったら俺は後悔したかもしれない。耀子と疎遠になり、親との関係もなくなり、そして俺は独りぼっちのまま生きて行ったのだろう。でも、たった一人の少女が全てを覆した。栗色の髪の美少女は、俺の問題を解決するためだけに使わされた天使か何かなのではないかと俺は考えた。馬鹿々々しいけど、ビアンカの抱える問題は少しも解決せず、俺の問題ばかり解決しているような気がする。でも、俺の問題を簡単に解決してしまうビアンカでも、手こずるのがビアンカの人探しのようだった。ビアンカは誰かを探している。でも、俺には詳しいことを教えてはくれない。俺にはビアンカが少し呑気であるようにも思える。だけどきっとそれは違う。ビアンカはずっと何かを待っている。まるで今は見えないその人が見えるようになるまで。
俺は軽い溜息を吐いた。何かビアンカのためにしてあげたいと思うのに、俺にはなにもできはしないのだ。それが少し悔しかった。
「相席よろしいですか」
「はい」
景色に見とれていた俺は疑問も持たずそう答えていた。目の前に二人の美少女が座った時、ことの異変に気が付いた。
「お前ら――」
「誰がお前らだ」
耀子が睨んでくる。吊り上がり細くなった目は獲物を狩る獣の目をしているが、体全体の美しさがそれを相殺している。耀子の胸は大きかった。俺の見立てだとDだろうけど成長しているからもしかしたらEくらいまでいってしまっているかもしれない。
「視線がいやらしい」
濃厚でむさくるしい視線を批判するようにビアンカは言った。
「どうしているんだよ」
そう。少しは予想してかかるべきで、実はこの電車に乗り込んでいるのではないかと出発する前からずっときょろきょろと辺りを見渡していたのだがどうも俺の死角に入り込んでいたようだった。盲点星か。
「これも大切な実験。だってあなたは献体だもの」
俺はビアンカに体を捧げた覚えはないがごく自然と口に出したビアンカにつられて、俺は本当に身を捧げたのでないかという錯覚を起こしてしまう。いかんいかん。
「ついてくるのはいいけど、面白くもなんともないぞ」
無表情で俺を見下す視線を思い出し、吐き気がする。あの冷ややかな視線を浴びるたび、俺は蛇に睨まれるカエルのように身動きが取れなくなる。
「少し興味があるものね」
ビアンカの言葉に耀子は少し嬉しそうにふっと笑う。二人は仲が良くなったのだろうか。
「駅弁とかはないのかしら。ジュースは?」
「新幹線じゃないんだから」
「でも、三時間もあるんだったらあってしかるべきじゃないの?」
「田舎をなめるなよ」
三時間、ただ揺られるだけの旅なのだ。どの景色もあまり変わり映えがしない。なのだが――
「すごい。沼田耀子。高いわ。遊園地のアトラクションみたい」
高い位置を行く電車の景色を見てビアンカは興奮していた。
「長いトンネル。何度も来る。あ、耳が変な感じ。ねえ、塩崎。すごくないかしら!」
「そうだな」
ビアンカはまるで子どものようにはしゃいでいる。ビアンカは少し子どもっぽいところがあった。まるで俺よりも年下のようだった。未来人だから、年齢はよく分からない。もしかしたら、未来ではアンチエイジングが盛んで、この美少女も四十代なのかもしれない。
ごとん、ごとん、と小気味よく電車は揺れる。ビアンカのはしゃぎようとそれを面白そうに見る耀子を見ていながら、俺はまどろみに身を委ねた。
「塩崎。ついたわ」
俺はビアンカの声に目を覚ます。そこは終点の駅だった。
「あ、ああ」
どうも三時間以上寝てしまっていたようだった。目を覚ますとそこは都会だった。田舎に比べれば都会で、でも、他の大きな都市と比べればそれほどでもないのだろう。俺は都会に遊びに行くことなんてないから、そういうのはよく分からない。
「どうやって京大に行くのだ?」
電車を降りて耀子は尋ねてきた。俺はスマートフォンで場所を調べる。
「バスで行く他ないな」
「じゃあ、行くのです!」
ビアンカは興奮しすぎてキャラが崩壊し始めているようだった。右も左も分かるのか、と呆れつつついていく。
改札を一歩出れば、そこは都会だった。車は多いし、背の高い建物が立っている。目の前にはそそりだつような大きく白い塔が立っていた。
「ガメラに壊された建物だな」
「あれは仕方がなかっただろ」
映画の中で大怪獣たちの争いに巻き込まれて崩壊していた建物は無事にそのままである。
「早くバスに乗りましょう?どのバスがいいかしら。いっそ全て乗ってしまおうか」
「アトラクションじゃないんだぞ」
ビアンカならば本当にしてしまいそうなので、俺は必死に止めた。俺は目当てのバス停へと向かう。その道中、俺たちの姿は通行人たちの目を引きつけた。やはり、都会でもビアンカと耀子の美しさは群を抜いているらしい。
「あれだろう。樋口先輩の頼みを聞くために伝説のたわしを探すのだろう」
「耀子、地味に詳しいな」
町の風景はどこかで見たような気がするものばかりだった。ずっとこの町に住んでいるような気さえしてしまう。テレビやアニメで映し出された景色なのだろう。この町は、様々な物語の舞台となってきた。何がそこまで人々を惹きつけるのか。とにかく、神社や寺が多いというのだけはよく分かる。
「川よ。川が流れてる!」
「どこにも流れているって」
鴨川の橋を渡りながら、ビアンカは時折立ち止まり何かを見つけては興奮していた。
「人よ。人がゴミのよう」
「お前がそれを言うと冗談にもならないんだが」
春だというのに日差しが強く、少し汗ばむ陽気だった。
ああ、もうすぐだ。もうすぐ俺は立ち向かわなくてはいけない。決して抗ってはいけない象徴と。その決心がついていなかったことに気が付き、呼吸が荒くなる。心臓の鼓動がいや増す。
「ひゃ」
急に手に冷たい感触が伝う。ビアンカが俺の手を突然つないだのだ。
「大丈夫。わたしの塩崎は一人じゃないわ」
すると、もう一方の手にも冷たい感触。
「そうだぞ。あたしの塩崎。あたしが、ついている」
耀子は『が』を強調して言った。ビアンカと耀子は俺の目の前で睨みあう。そんな姿を見ていると、変な緊張もどこかへと吹き飛んでしまった。俺は二人の手を握り返す。
「いざゆかん。わが親の元へ」
少し面食らった顔をして、二人は俺から手を離す。
「まったく、大きくなったな」
目を細めて懐かしむように耀子は言った。
京大の前には無数の看板が立っていた。その多くはクラブやサークルの勧誘のものだが、ときに政権を批判するものもある。
「未だ学生運動が盛んだなんて」
「まあ、この辺りはな」
今も目の前で多くの学生が警官に取り押さえられていた。何ゆえなのかは分からないが、時折学生寮に警察官が押し入るということがあるから、京大では日常茶飯事なのだろう。しかし、ここまで来て困ったことがあった。親の居場所を誰に尋ねればいいのかわからない。そこらの学生に聞いても分からないだろう。警備員に聞いて分かるものだろうか。やはりどこか窓口で問い合わせるほかない。だが、約束もなしにそう簡単に会えるものだろうか。
そんな折だった。
「桃井め。許さん!俺の息子を勝手に実験に使いやがって」
「桃井?」
俺は顔をしかめる。そして、警官に話を聞く。
「すいません。先ほど桃井と聞こえたんですが」
「もしかして、桃井教授に御用でしたか?」
警官の顔が曇る。あまりよくないことが起こっていることを表していた。
「どうしたのさ。哲也」
耀子が心配して駆け寄ってくる。
「どうも母さんが事件に巻き込まれたようだ」
俺の父親と母親は別姓を名乗っていた。そちらの方が研究者としてなにかと都合が良かったらしい。
「詳しく話を聞かせてもらえるかしら」
警官は詰め寄るビアンカに顔を赤くする。ロリコンなのではないだろうか。しかし、同世代の男女が付き合わなければならないという理屈はおかしいし、そもそも今俺が同世代の女の子に興味があるのなら、きっと、十年二十年後も、一億と二千年後も同じくその世代の女の子に興味があるのではないだろうか。
「はい。どうも研究室棟を学生が占拠したみたいで、そこに塩崎教授と桃井教授のご夫妻が監禁されている状態で」
「何故そんなことに?」
「それがもっぱら要領を得ないんです。息子がどうの、子どもがどうのとみな喚くばかりで」
「なるほどね」
ビアンカはどこかに向かって歩いていこうとしていた。
「どうするんだよ」
「別に、野次馬をしに行くだけ」
ビアンカは自信満々に人だかりのある方へと進んでいった。
辺りは騒然となっていた。占拠された建物の前には警官が立っており、それぞれせわしく連絡を取り合っている。野次馬たちは何があったのだろうと足を止めるが、そのどれもが興味本位のものだった。俺たちは建物を睨む。外からの様子は平凡そのもので、中でどれほど恐ろしいことが行われているのか窺い知ることはできない。逸る気持ちを必死で抑えようとするものの、より鼓動は速くなった。
俺たちは野次馬と野次馬の垣根の隙間を縫って前へ前へと進む。そして、目の前に警官たちの作る壁が迫って、俺たちは何食わぬ顔でその壁を通過した。
警官はさぞ気の抜けた顔をしていただろう。なにせ、通行するくらいの気持ちで俺たちは建物へと進んでいったのだから。
「おい――君たち!」
どたどたと警官たちが走ってくる気配を感じると、俺たちは一斉に建物に向かって走り始めた。警官たちはある程度建物まで進むと近づいてこなかった。学生たちを刺激すると判断したのだろう。正面玄関の扉を開けようとする。だが、やはり鍵がかかっている。ビアンカと耀子に軽く目配せをして、俺は建物の窓に向かって仮面ライダーよろしくの必殺キックを繰り出す。パリン、と音を立て、窓が割れる。それとともに俺の体は建物内に侵入する。異変に気が付いた大学生が俺を捉えようと近づいてくる。俺は窓の鍵を開けた。俺に覆いかぶさろうとしている学生に向かって、太刀の鞘が投げつけられる。
「あたしの哲也に触るんじゃない」
きらり、と太刀は耀子の腕の延長線上できらめいていた。その姿は悪魔のように美しかった。
「あら。でも、そういうのもありなんじゃない?」
「確かにな」
「ありなわけないだろう」
耀子は迫りくる学生たちを流れるような動きでさばいていく。右に軽く重心をずらすだけで攻撃を避け、隙のできた腹部に一撃を食らわせる。少ない動きで相手を倒すという雑魚向けの技術であった。
「こういうのって大抵最上階にボスがいるのよね」
「少なくとも、この階にはいないだろうな」
ボスの有無はともかくとして、最上階の一番到達しにくい部屋に人質がいるだろうことは明らかだった。
「一体何の目的で母さんたちを監禁したんだ」
「それは辿り着けば分かることでしょう?」
迫りくる学生にビアンカはすっとその細腕を前に出す。それだけで大の男がワイヤーアクションのように後方へと吹き飛んだ。
(サイコキネシス……)
念動力と呼ばれるもので、つまりはスターウォーズでいうところのフォースなのであった。ビアンカはあの逢魔が時の奇妙な空間内でしか超能力じみた力を使えないと思っていたけれど、そうではないようだった。
「大丈夫か。ビアンカ」
力を使った後、ビアンカは顔を歪ませていた。苦痛を必死にこらえているようだった。
「どうかしたのか」
「いいえ。なんともないわ」
ビアンカは気丈に耀子に言ってのけ、先へと進んだ。
俺たちはそれぞれの階に存在していたフロアマスターを倒し、四階へとたどり着く。フロアマスターがどれほどの強さなのかはわからないが、念動力美少女と日本刀の悪魔の敵ではないようだった。
四階はこれまでの騒がしさが嘘のように静まり返っていた。学生たちの姿はない。三人分の靴音が高い音を立てて反響する。小気味のいい音楽を聴いている気分であった。俺たちは桃井、塩崎の研究室に向かう。俺は研究室の扉をゆっくりと開けた。
中にいたのは母親と父親だけだった。二人は俺が入ってきた瞬間眉を驚いたように釣り上げたが、すぐに興味をなくし書類に目を通し始めた。
「監禁されてたんじゃなかったのかよ」
俺は少し警戒しながらあたりを見渡すが、学生の姿はない。
「主犯格は学外に散歩に出かけたよ。どうせ捕まっているだろうが」
俺の脳裏には初めにあった学生の姿が目に浮かんだ。つまり、問題は初めから解決していたのだ。
「父さん、母さん」
両親は俺の方を向こうとはしない。書類に目を通したり、パソコンでタイピングをしている。それでもかまわなかった。初めから話を聞いてもらえるとは思っていない。
「あなたたち。聞く態度がなってないんじゃない?」
挑発的なビアンカの言葉に親は眉を顰めるが、ビアンカを見ようとはしていなかった。
「ビアンカ。いいんだ」
俺は自己満足のためだけに親に会いに来た。ただ、自分の中で折り合いをつけるために。
「なあ。俺たちやり直せないのかな。一緒にまた暮らすことはできないのかな」
父親は鼻で笑った。
「そんなことのために学校を休んできたのか」
丸メガネがきらりと冷たく光る。
「そうだ。俺に気に食わないところがあるのなら、頑張って改善する。父さんたちが求めるようにはできないだろうけど、それでも必死で頑張るからさ」
「出来損ないが何を言っているの?あなたは私たちにとって粗大ごみでしかないの。まだ、実験用のカエルの方が役に立つわ」
前に進もうとする耀子をビアンカは腕を伸ばして止めた。そして発する。
「ゴミが何を偉そうなことを言っているの?」
その言葉に親は二人ともビアンカを睨んだ。そのことにビアンカは満足そうな顔をする。
「わたしの塩崎はね、あなたたちの子どもかってほどどんくさいかもしれない。でもね、少なくともあんたらみたいなゴミくずのように人を外見や肩書で見はしないの。しっかりとその人自身と向き合って、そして、その人の本心と語り合おうとしている。あんたらには到底できないことを、普通の人でもなかなかできないことをあんたらの息子はできるのよ」
「あたしの塩崎だ」
耀子はあたしの、を強調した。強調された胸がたゆんと弾む。
「何を言うかと思えば」
父親は俺たちを睨んだ。それだけで俺は動けなくなってしまう。
「こんな社会の役立たずどもに守られていい気味だな。哲也。生きているだけ無駄なミジンコどもが」
「謝れ!」
俺は叫んでいた。腹の底からすさまじい声が弾きだされた。
「こいつらにそんなことを言ったのを謝れ!くそ野郎ども!」
俺は親たちを睨んだ。どうしても許せなかった。ビアンカたちをそんな風に言われて、我慢できるはずがない。親は驚いたような顔をしているが、謝るそぶりはない。俺は殴ってでも謝らせようと思った。
「必要ないわ。塩崎」
ビアンカはそう言って踵を返す。
「こんな親なんかにお願いなんてする価値もないもの」
俺はもう一度親を睨んでから研究室を後にした。
帰りの電車の中は、みな終始無言であった。それぞれが思いつめたような表情をしている。そのうちに秘めた思いはなんであるのか、俺には想像がつかない。帰りは特急電車なので、行きに止まった駅をすっ飛ばして電車は高速に過ぎ去っていく。緑一色の景色を見ながら、大人になるってのはこういうことなのかもしれないと思った。なにもかもをすっ飛ばして、見えないようにして、子どもの頃の善良さを失って。俺には大人という存在がわからなかった。人は何を目指し歩いていくのだろう。ただ一人だけが生き残ればいいなんて考えがヒトという動物の行きつく先なのだろうか。
電車は滑るようにプラットホームに入っていく。終点であった。背中によくわからないなにかを抱えながら、街に戻っていく。まだ空は青く、逢魔が時には早かった。けれども、敵はやってきた。
初め、そいつらを見たとき、冗談か何かだと思った。ぴっちりとした全身タイツを着た男三人が立ちはだかった。
「最未来人なのか……」
今時アニメでも見ない、昭和風の未来人の姿がそこにあった。最近見た古い特撮ドラマで似たような人を見たことあるぞ。スタートレックだ!
「俺たちをあんなやつらと一緒にするな」
ガキっぽい声で三人の全身タイツは言った。
「時空警察のやつらよ」
「ソノトーリ!」
鼻を高くして時空警察が言う。
「お前を逮捕しに来た。過去の改変は大罪である。よって、お前を処刑する」
途端、時空警察の背後に黒い大きな穴が空いた。そして、そこからキーキーという声とともに、汚らしいフードを被った人間が大量に現れる。
「さあ、大ネズミたち。憎き大罪人を処刑せよ」
大ネズミたちはドラキュラのようにフードの裾をたなびかせ、腕を大きく広げて空を翔ける。空をぐるぐると滑空した後、狙いを定めて地上の敵、つまり俺たちに襲い掛かってくる。
『キィキィー!』
その顔の下はねずみだっだ。顔に毛はなく、人間でいう鼻の下に何本かの大きなひげがついている。その上の鼻は豚のようになっていて、皮膚全体がピンク色だった。皺がたるんだようになっていて、大きな出っ歯が口からはみ出している。けれども、体はヒト型をしている。
耀子は迫りくる大ネズミに刃を通す。それだけで大ネズミは左右対称に頭から真っ二つになる。
「お前たち、一体何をした!」
俺の頭には嫌な考えが浮かんでいた。未来というのは価値観そのものが違うだろう。でも、俺はその考えをぬぐいたかったのだ。
「何って?ああ、大ネズミのことか。別にネズミの遺伝子に人間の遺伝子を組み込んだだけさ。この時代でいうキメラというやつかな。これがなかなか働き者でね。死体を骨だけ残して食ってくれるのさ。だから、とっても重宝していてね」
当たり前のように時空警察は言った。それはつまり、これに準ずる技術が未来では当たり前になっているということだった。吐き気がした。これが世界なのか。これが未来なのか。こんなこと許されてもいいのか。
大ネズミが炎に包まれる。大ネズミは苦しそうに地面を転がり、やがてあきらめたように動かなくなった。そのあと、大ネズミはあっという間に炎に飲み込まれた。
「ビアンカ」
ビアンカは無言で大ねずみたちに向かって走っていった。口から白い歯が見える。ビアンカの表情は喜びに満ちていた。狂気に彩られた喜びで。
その後は地獄だった。一面が炎の紅で染め上げられる。町の人は驚き狂い、そそくさと避難していく。そんな中、ビアンカは叫んでいた。
『愛している。愛している。愛しているから殺す。殺す、殺す、殺す。この世界にはわたしとあの子以外いらないの。わたしとあの子の仲を引き裂くというのなら殺してあげる。愛して憎んで殺してあげる!』
キィエエエエエ!
ビアンカは最未来人と同じ叫び声をあげていた。いや、もうビアンカはビアンカじゃない。最未来人、ロッサなのだ。
「ひ、ひぃいいいい!」
すべての大ネズミを殺し、ロッサは時空警察たちのもとへと歩みを進める。時空警察たちは恐怖の声を上げた。
『憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎憎憎憎憎憎憎憎!』
「やめろ、ビアンカ!」
ビアンカの腕に赤黒いエネルギーの塊が集合する。
それは破壊。それは暴力。それは憎しみ。そして、愛。
ビアンカの拳は三人の時空警察へと振り下ろされた。
「あ、あぁ……」
ビアンカは倒れた。体から黒く禍々しいオーラが抜け出る。ビアンカが倒れた場所には耀子が立っていた。耀子は冷静に溜息を吐く。まるで何もかも初めから知っていたかのように。
「く、クソ。覚えてろよ!」
時空警察は黒い穴に入り、姿を消した。残ったのは一面焦土と大ネズミの死骸のみ。
「知っていたのか。何もかも」
「初めから、な」
そう言って耀子は俺たちの前から姿を消した。
複数のサイレンの音が鳴り響く。今さらながら、この戦いはあのおかしな世界ではなく現実世界で起こったことなのだと気が付く。俺はビアンカを抱え、家に帰った。
ビアンカは目を覚まさなかった。目を覚ましそうになると、苦しそうにもがく。その姿は見て居られないほどのものだった。そして、眠ると満足して穏やかな顔になる。ビアンカは目を覚ましたくないのだと思った。きっとそうだ。ビアンカは無理をしていたに違いない。俺と同じく現実から目を逸らしたかったのに、そうしなかった。けど、限界が来て、ビアンカは現実へと目を覚ますことはなくなった。病院に連れて行くべきだと思うけど、きっとこれはお医者さんには治せない。そして、俺にはもっと無理な話だった。
ピンポーン。
そんな時、玄関のインターホンが鳴る。耀子かと思い、ドアから覗くと、そこには予想外の人物が立っていた。
「やあ。また会ったね」
玄関に立っていたのは千原信忠だった。どうして千原さんが俺の家を知っているのか。そもそも何の用事で来たのか。
「驚いた顔をしているね。未来ではレトロゲームを貸し借りしてた仲なんだけど」
「まさか!」
「そう。前にも言っただろう?俺はビアンカよりも未来から来たって。ビアンカが危機と聞いて来たんだ」
それでも俺は千原さんを通しはしない。何故なら、話には一つ矛盾がある。
「それではおかしいです。千原さんがビアンカよりも未来から来たなら、ビアンカを直接知らないはずだ」
千原さんは困ったように頭を掻く。嘘がばれて、という感じではなく、説明が面倒臭いなという風だった。
「信じてくれないのは分かるけど、俺は確かにビアンカや君よりも未来から来た。そして、実はまだ直接ビアンカを知らない」
「どういうことなんですか」
「時空警察に知り合いがいてね。それで教えてもらったんだ。俺とビアンカたちは未来で出会い、俺の未来の問題を解決してくれるんだって。その証拠に、ほら」
千原さんは一枚の写真を取り出した。そこには俺やビアンカ、耀子に千原さんまで載っている。
「そいつは信用が置ける奴だから、俺は来たんだ。そして、色々と事情も知った。少しビアンカに会せてくれないか」
「ビアンカは目を覚まさない」
俺はそう言って千原さんを居間に通す。
「なるほど。これが君のビアンカなわけか」
千原さんはビアンカを眺めながら、何かを考えているようだった。
「昨日、最未来人を倒した。そうだね」
「はい。耀子がビアンカそっくりの少女を切り伏せて……」
「で、今日は一体どうなったんだい?」
「時空警察をビアンカが殺そうとしたんです。そこを耀子が切り伏せて……」
こう説明していると耀子がすべて悪いような気がしてきた。でも、耀子は悪気があったわけじゃないだろう。
「なるほど」
「ビアンカは助かるんですか?」
俺は考えこんでいる千原さんに尋ねた。藁にもすがる思いだった。
「きっと今度は現実世界に最未来人は現れる。そして、今度こそ彼女自身で決着をつけなければならない。でも、彼女が目を覚ます前に最未来人は襲ってくるだろう。彼女を狙って」
「どうすればいいんですか」
「そんなこと分かっているだろう?」
そう。俺は今度こそ戦わないといけない。決して敵わないと思うあの最未来人に。
「彼女が目を覚ますまで時間を稼ぐんだ。そうすればきっと彼女が何とかしてくれる。だから、頑張れ」
千原さんは俺の肩をたたいて励まし、帰っていった。
俺は眠れないままだった。時計を見てはいないがもう、次の日にはなっているだろう。千原さん曰く、この世界はビアンカが訪れたせいで徐々に狂い始めているのだという。世界から切り離され始めているらしい。それ故に、最未来人の再襲来は予測できないそうだ。
俺はビアンカの顔を覗き込む。その顔は人形のように整っていて、美しく、口から吐息が出ていなければ本当に人形と間違えてしまうそうだった。とても気味が悪い。目の前の女の子は生きている心地がしないのだ。
大ネズミの件はニュースになっていた。大火傷を負って入院している人がいるそうだ。千原さんは辛そうにこうも言った。
ビアンカが死ねば全てが終わる。最未来人の襲来はなくなる、と。
俺は手に持っている包丁を高く上げる。暗いというのに隣の家から漏れ出る光で包丁は艶めかしく輝いた。
ビアンカが生きていればきっとこれ以上に被害が出る。全ての原因はビアンカなのだ。
俺はビアンカに怯えていた。あの狂気に満たされた表情はもう人間のものではない。この世界の人間は彼女の存在を表現する言葉を見つけられなかったのだろう。だから、誰もがこう呼んだ。血の色(ロッサ)と。
俺は初めから分かっていたのだ。出会ったときから、彼女を、ビアンカを殺さなければならない、と。ビアンカは美しすぎた。それ故に、俺が醜くなる前に殺してやらなければならないと思った。世界の敵となる前に。なのに――
「できるわけ、ないだろ」
直前まで、「またね」という別れの言葉を考えていたのに、度胸のない俺はなにもできなかった。言うべき言葉が違うのだろうか。いいや。そういうことじゃない。
「死ねば、殺してしまえば全て簡単なんだ」
そうすれば全てが終わる。全てがなかったことになる。でも、それでは意味がないのだ。俺はビアンカとの出会いをなかったことになんかしたくない。
「だから、生きて行く他ない。戦って勝ちとるほかない」
そんな愛国心の塊のような、右翼な様なこと俺は言ってしまっていた。
さて。次回はいよいよクライマックスフォームなのである。この作品を自分で読んで、実は猛烈に吐き気を催したということを覚えている。文法がおかしい?素人に細かいことを要求しないでください。
さて。そもそもにビアンカオーバースタディとはいかなる作品か。その派生作品はいかなるものなのかということについて説明を。
ビアンカ・オーバースタディとは、昭和を代表し、もう平成まで代表しちゃうSF系文豪なのである。その人の作風はSFと純文学の融合という感じなのであるが、いかんせん、エロなのだ。その大文豪が書いたラノベというのがビアンカ・オーバースタディである。内容だけで世界中に衝撃が走ったわけであるが、その数年後、さらなる衝撃が世界を襲う。なんと、ビアンカ・オーバースタディの続編を勝手に書いた新人?作家が文学賞を受賞し、書籍化されるという事件があった。その作品名はビアンカ・オーバーステップ。作者名は難しいので割愛。
それほど衝撃的なことが起こったのですが、UAを見てると知名度はいまいちっぽい。そんな作品のパクリを作るのがどれだけ冒涜的か。ああ、甘美だなぁ。ちょっと今考えると牛のふんの方が使い道のありそうなへぼ小説ではありますが、もう少しお付き合いの方、よろしくお願いいたします。
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5 愛のスペルマ
すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上にわたしはいた。
短いブレザーのスカートが風に揺られている。
わたしの高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。わたしは平気になってしまったのだ。
わたしは全てを見た。それはこの世界と切り離された世界の話。だから、今一緒に過ごしているあの子とは直接関係ないはずだった。けれど、あの子と同じ姿をした子が苦しんでいるのを放っておくなんて絶対にできない。
だから、行動を開始した。
実験室にあるはずのTSTを奪って屋上まで来たのだ。もうじきTSTの持ち主が来るだろう。
タイムマシンというのはその存在から矛盾している。未来から未来人が来たとする。すると未来からタイムマシンが来る。すると、もとよりこの世界になかったものがあったことになる。未来人も、タイムマシンも。それはおかしいのだ。わたしはこの時代の常識で物を語るほかにないけれど、今の科学者もバカじゃない。タイムマシンはタイムマシンが存在した時までしか遡れない。そう結論付けられている。だって、もとよりこの時代にないものが突然現れるとどういうことが起きるか。きっと未来人は過去にゴミを捨てまくったりする。まあ、それが未来まで残るのかもしれないけれど。でも、もしその原料となる素材がまだこの世界にあって、作られた製品までこの時代に送られるとすると。地球の質量は倍に増える。未来の補正力、とか未来人は非科学的なことを言うけれど、そんなこと魔法じゃないと実現できない。
つまりはタイムマシンなんか存在しないし、この世界に物は増えない。となると、TSTとは何か。それはとても簡単だ。そして、TSTがいつから存在していたかなど、より簡単なのだ。
「なあ、君。俺の大切なものを持ってはいないか」
「これかしら」
わたしは屋上に現れた男に手の中の赤いトリガーを見せる。これがTSTの正体。
「ずっと待っていたのよ。最未来人。いいえ、工藤先生だったかしら」
男はシュワルツェネッガーのような笑顔を見せる。一部の生徒からはシュワちゃんなどという愛称で呼ばれている生物学の教師だった。そして、わたしの入っている生物研究部の顧問。
「何をするつもりなんだ」
きっと目の前の男は何もかも知っているのだろう。なにせ、このTSTの真の持ち主なのだから。
「わたしは妹を助けに行く」
トリガーを自分の頭につける。ふんわりとカールのかかった栗色の髪にTSTが触れる。
「シュワちゃん。一つお願いがあるの」
男は困った顔をして頭をぽりぽりと掻く。
「丁度いいタイミングで大ネズミを解き放ってくれないかしら。きっと妹の助けになるから」
その時、一陣の風が吹いた。夏を知らせる心地の良い風。空は青く澄み、雲はわたあめのようにおいしそうに浮かんでいた。
5 愛のスペルマ
男というのはいつだって遊び心を忘れないものだ。いつだって忘れないから、女の子にバカにしたような顔をされる。だけど、俺たちにしてみれば、急速に大人になっていく女の子は化け物のように思えていた。
「そちらはどうだい、オーバー」
「異変無し。オーバー」
俺と千原さんは無線でやり取りをしていた。短距離でしか使えはしないけど、長時間使用するとなるとスマホの電池はネックだ。それに、格好いいし。軍隊みたいだ。ぶっちゃけ、二人ともそう言う理由で無線機を使っている。
俺と千原さんはそれぞれ最未来人が現れるかもしれない場所にいた。千原さんはクジラ公園。俺は昨日ビアンカが倒れた場所である。どこに現れるのか分からないけど、その中でも少しだけでも可能性が高いのがその二つだそうだ。まだ、外は暗い。もうじき陽が上る。
「千原さん。千原さんから見て俺たち現代の男の子はどう思う?オーバー」
「ノブでいいよ。うん、健康的なんじゃないかな。オーバー」
俺たち男の子の文化というのも最近は変わり始めているように思う。昔は硬派な男の子がモテただろうし、俺たちより男の人はあまり話さない人が多い。でも、今は違う。今はバカみたいに笑い合って、笑わせて、そんな男の子の方が人気がある。そして、交わす内容というのも中身のないものばかり。趣味に関するものが多いけど、話終わった後、一体俺たちは何を話していたんだろう、と時間を無駄にしたような虚無感に襲われる。俺も男の子たちのグループでそういう中身のない会話をすることがあるけど、あまり好きではなかった。自分のことを話せるということがないのだ。自分の悩みを打ち明けると、雰囲気が悪くなるから。だから、自分の悩みとは明後日の方向の話をするのだ。
「ノブ。俺たちはなんだかいつの間にか女の子みたいになってるんじゃないかなって。オーバー」
無線では短い内容の方がいい。だから、俺は千原さんをノブと呼ぶことにした。
「きっとそうなんだろうね。俺たちのところの男の子も今の女の子と似ている。難しい話をすると、社会に適応する能力としての進化じゃないかって思う。昔のように明確な天敵はいなくなって、むしろ、天敵は社会とかよりも身近な友達や家族となりつつあるからかもしれない。でも、そんなこと気にしなくていいと思うよ。オーバー」
無線は基本的に一方通行だった。一方が話して、オーバーという掛け声で、以上でお話が終わり、ということを示すのだ。
「どうして。オーバー」
「君も気が付いているんじゃないかな。君はそういう風潮に流されたくないと思ってる。でも、そうしなければ生きて行けないなんて思ってもいるけど、実はそうではないと気付かされている。未来から来た少女によって」
ビアンカは強かった。周りの目なんか気にせず、自分の目的にまっすぐで。きっと、俺はビアンカにずっと憧れていたんだ。世界を敵に回しても胸を張っていられるあの強さに。
「そうですね、」
オーバー、と返そうとした時に、突如として無線が切れる。俺は何かがあったのだと予想した。顔に光が当たる。陽が上ったのだ。
「最未来人が現れた。俺はなるべくビアンカの居場所から遠退く。君は来るな」
そうとだけノブは言った。けれども――俺はノブが最未来人に襲われる姿を想像して身震いをする。あの存在だけには勝てない。
とうとうでやがったか。
ノブは公園に降り立った悪魔を目にして、それだけで自分の手には負えない存在であることを知った。ノブは塩崎以上に身体能力がない。未来人は身体能力が低下しているのだ。それでも、ノブは作戦をためらわなかった。
「塩崎を頼むと言われたからな」
数日前、ノブは不思議な夢を見た。その夢で少女に頼まれたのだ。だから、諦めない。
「こういう時どういえばいいのか」
相手の注意を惹きつける言葉をノブは必死で考える。未来の言葉ではダメだろうから、今の言葉で――
「おまえのかーちゃん、デーベソ!」
ドラえもんでいたずらっ子たちが言っていた言葉だ。ノブの大きな声が大きな公園に響き渡る。
最未来人は首をノブの方へと向けた。それだけで、ノブの睾丸は縮み上がる。
「行くぞ!」
ノブは己を奮い立たせ、最未来人に背を向けて走り出した。ノブのいた場所に爆風が巻き起こる。ノブはひやひやしながらも少し楽しんでいた。
「こんな俺でもヒーローくらいにはなれる」
最未来人は寝起きに弱いのか、覚束ない足取りだった。ノブは最未来人の視界から外れないように注意をしながら走る。だが、あからさまに立ち止まるというのも悪い相談であった。
「ん――」
ノブは慌てて民家の影に隠れる。途端、今までノブのいた場所に火柱が立った。ノブは始めに攻撃を受けた時、ある程度最未来人の攻撃の特性を掴んだ。最未来人は視覚に頼り、攻撃を放つ。つまりは、見えていないところでは攻撃の精度が落ちるのである。だから、逃走経路をなるべく遮蔽物の多い、そして、塩崎の家と塩崎の待機している場所から遠ざかるルートを一晩で考えた。よっぽどのイレギュラーがない限り、どうにでもなるルートだった。そのイレギュラーは、最未来人が彼女の居場所を知ることと、ノブが殺されることと、塩崎が駆けつけてしまうこと。最後の二つは大いに可能性が高いし、ノブは己の死を覚悟していた。
どうして自分は何の変哲もない男の子を守ろうとしているのか。それはきっと、夢の中で助けを乞われたわけではない。
ノブは責任感の強い男の子だった。未来では実験で生まれてしまった巨大なカマキリが暴れており、それをどうにかするためにこの時代にやってきた。それをしようとしたのはノブただ一人だった。他の未来人は確かにどうにかしたいという気持ちはあったのだろう。けれども、過去の、野蛮な時代では何が起こるか分からない。だから、誰もこの時代へ来ようとしなかった。誰しも自分が可愛い。そんなこと、ノブは分かっていた。自分を犠牲にして世界を救うなんてできることではないし、ノブにだって、出来はしなかった。でも、誰かがしなければならないし、誰もしようとしないものだから、ノブがするほかになかったのだ。
ノブは塩崎の言った言葉を思い出す。
この時代の男の子は女の子みたいだと。それは未来でも言えることだった。己を犠牲にするということを極端に嫌がり、誰かがやってくれるだろうという風潮がある。その風潮はこの時代からすでに始まっていた。だから、ノブは塩崎を助けるつもりなど初めはなかった。
けれど――
ノブはポケットから小型のおもちゃの銃のようなものを取り出す。それはパラライザーというもので、未来人はこの光線を受けると体が麻痺してしまう。だが、この時代の人間には効果がない。ほんの少しイラッとさせてしまうだけなのだ。
それを最未来人に向けて撃つ。効果はない。きっと、少しイラッとしただけだ。だが、その他のものから注意を逸らすには十分である。
ノブは再び最未来人に背を向けて走り出した。
塩崎哲也という少年はなよなよとしていた。それは未来人のノブから見てもそう思うのだから、とてもなよなよとしているのだろう。彼は自分のせいではないのに、多くの運命に翻弄された。彼自身は気が付いていないのだが、それは塩崎が問題から目を背けようとすれば、逃げ出そうとすれば、簡単に逃げられたはずだった。ノブの仲間の未来人のように。でも、塩崎は逃げなかった。たった一人の女の子を守るために。それをだれしも愚かだと思うだろう。たった一人の女の子のために世界を敵に回すのだ。でも、ノブはそれを美しいと感じた。塩崎は自分可愛さに戦うのではなく、女の子一人のために戦うのだ。ノブにはその姿が、未来の世界を救うために戦っている自分よりも素晴らしいように感じた。
この男の子だけは死なせてはならないとノブは覚悟を決めた。
だんだんと最未来人の攻撃は感覚が狭まってきた。どんどんと覚醒を始めているようだった。せめてこの町から最未来人を出してしまいたいとノブは考える。息を切らしてアスファルトを蹴り飛ばす。運動靴はとてもぼろくなっていて、このまま走り続ければ穴が空くだろうと予測する。世界各地へと飛び、問題解決の手掛かりを探す苦労を知っているのはノブとこの運動靴だけだった。
俺はノブが襲われていることを知って、急いでノブのもとに行こうとした。だが、それを遮るものがいた。
その女の子は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。この少女は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
手には模造刀である太刀を手にしている。
「どうして邪魔をする」
俺は沼田耀子に詰め寄る。
「お前が行ってどうなると言うんだ」
正論だった。けれど、注意を逸らすくらいできるはずだ。
「お前が行けば、誰が北町を守ると言うんだ。お前は千原が命を懸けて守ろうとしたものを無碍にするつもりか」
「でも……」
「でも、じゃない。あたしの哲也。あまり無茶はしないでくれ」
その時の耀子はまるで女の子のようだった。
「お前は何もできないやつだ。運動神経はないし、人付き合いも苦手だし、性欲は強いのに女の子に声もかけられない。そんなお前がどうして戦おうとするんだ」
「性欲は余計だよ」
性欲に関しては生物学的な不可抗力だ。俺のせいじゃない。
「確かに、耀子の言う通りだ。でも、ここで待っていても仕方がない。無茶はしない。俺が死んでビアンカが喜ぶわけがないからな」
「ふん。あたしのことはどうでもいいと言うんだね」
耀子は何故だか不機嫌になる。
「俺はさ、自分が生きてても死んでてもどうでもいいような存在だと思ってた。でも、ビアンカに出会って変わったんだと思う。俺はずっと待ってたんだ。誰かのために戦うことを。でも、それはなかなかやってこなかった」
「男の子だねえ。哲也も」
耀子はニタニタ笑いながらも少し寂し気だった。
「哲也にはもうあたしは要らないのだろうね。ま、あたしがあんたに頼れる日はまだまだ遠そうだけど」
今度は少し嬉しそうな顔をする。
「いなくならないでくれよ。耀子。俺にはお前が必要なんだ」
「告白かい?」
そう言われて俺は急に恥ずかしくなる。耀子は美人だ。悪魔のように美しい。
「冗談だよ。ま、こんなところにいても仕方がないか。千原がどのあたりにいるのか見当はついてるか」
「詳しくは分からないけど、ノブならきっとビアンカと俺から遠ざかるように逃げるはずだ」
俺の家は北にあって、この場所は家から南東にある。クジラ公園は南西方向だ。つまり、ノブはクジラ公園から西か南に逃げた可能性が高い。
「公園から南西ね……ずっと行くと山じゃないか」
俺たちは最未来人の放った炎のおそろしさを思い出す。この町は北の方角の海以外は山で囲まれているわけだから、どちらにせよアウトなのだ。
「でも、山までには隣町がある」
市街地を南に抜けた先には隣町があった。そして、恐らくノブは山に突き当たる前に決着をつけるつもりだろう。それは命を落とすということを意味していて……
「そんなの、ダメだ」
その時、ここから南西の方で火柱が上がる。遠くからは何が起こっているのかわからないけど、きっと、ノブと最未来人が戦っているのだ。
「急ごう」
空はもう大分明るくなっていて、昼へと入りかけている。今日で決着がつくという確証はどこにもない。それでも、被害が広がらないように陽が落ちるまで最未来人を引きつけなければならない。あと九時間。走り続けても体力はどこまでもつのかわからない。初めから無茶なのかもしれなかった。でも何もせずに被害が広がり続けることだけは避けなければならないのだ。
息をしている実感がノブにはなかった。走り続け、意識も遠退き始めている。最未来人と遭遇して一時間近く走り続けた。未来にいた頃と比べ、現代では身体能力の向上が必須だったので、ノブは運動を頑張り続けてきたのだが――
「やっぱきついなぁ」
ノブは汗を垂らしていた。鼻先からさらさらとした汗がこぼれ落ちる。その顔は笑っていた。
「でも、まだまだ」
数秒の間休憩した後、再び走る。走って休むという行為は体力の消耗が激しいのだが、逃げながら、攻撃を回避するという活動は長距離走をしながら短距離走をしているのに等しい。だから、どちらにせよ体力の消耗は激しいのだった。ノブは自分の体力が思いのほか向上していたことに満足していた。誰かを守るという行為がこれほどまでに充足感に満ちたものだとはノブは知らなかった。
再び炎の柱がノブの背後で煌めく。最未来人は大した知能を持っておらず、ノブを追い込むことなどをせず、逃げるウサギをひたすら追うように攻撃していた。
「これなら、時間稼ぎくらいはできるだろう」
最未来人の知能の低下は例の女の子の意識がないことに起因しているのではないかとノブは考えた。女の子と最未来人は表裏一体。最未来人は女の子の影。それは女の子自身の一部でありながら、否定した心の側面。
「こういうのは俺の領分じゃないんだけど」
その時、ノブの呼吸が乱れた。走りながら独り言を話しているからこうなるのだと、自身を諫め、呼吸を取り戻そうとしたが、喉が張り付き、吐き気を催して、その場にひざをつく。ずっと水分補給をしていない。春にしては少し気温が高まり始めていたので、余計に水分が不足していたのだった。だが、それだけではない。最未来人の炎がノブの喉の水分を乾いた空気によって奪っていたのだった。
まさか、それを予測して?
一度膝をついてしまうと、一時間以上走り続けた疲れがこみ上げてくる。体中に幕のようなものが張り付き、体を不自由にする。足はぴりぴりと痺れ、命令を受け付けない。少しでも力を入れると足は痙攣をおこして激痛が襲うだろうとノブは思った。それでも、彼の顔から笑顔は消えない。
「うおぉお!」
短く気合を入れて、体をアスファルトの上に転がす。ぐるぐると何回転もして道路の端まで転がったころ、今までノブが倒れていたところに炎の柱が出来上がる。バチバチと破滅の音を柱は立てる。その柱からはアスファルトの焦げる、濃厚でむさくるしい臭いが立ち上った。
ノブは急いで立ち上がり、クラウチングのように道路をかけ始める。一瞬、細い路地が目に入り、そこに逃げてしまいたい衝動に駆られる。入り組んだ路地へと入れば最未来人から逃げられる。だが、それは最未来人を世に放つということを意味していた。
それだけはできない。
真っ当な未来人なら、過去が変わるとか未来にも影響があるだとか考えるのだろう。でも、ノブはそういうことをあまり考えなかった。研究上、人間の生み出す歴史には必ず重要な分岐点が存在して、必ずと言っていいほどその場所を通ることになっている。だから、人間の歴史は過去にどれほどのことがあっても変わりはしない。それが時代の補正力というものであって、第二のウブメ効果と呼ばれるものだった。だから、ノブにはこの時代で何人人が死のうともあまり関係のない話だが――
「いやに決まってるだろさ!」
誰かが目の前で死ぬのは辛い。
ノブは命というものの価値を羽よりも軽いものだと考えていた。そう考えざるを得ない時代に生まれた。日々、大カマキリが進行し、町がなくなった。人の死体なんてどこにでも転がっていた。大カマキリは肉食で、人の肉を好んで食べた。だから、仲間が死のうともなんとも思わなくなっていた。
ノブは人があまり死ぬことのない、平和な時代に来た。それだけで新鮮で、それ故にこの時代は狂っているとさえ思った。何故ならば、人が死ぬことのないこの世界は人を人が殺す世界であった。ひょんなことから人が人を傷付けるこの時代をノブは愚かだと感じた。人が人を殺した時の刑罰があるなんて滑稽極まりない。でも、そんな彼の考えが変わるできごとがあった。
この時代で一人暮らしを始めたノブを心配するように声をかけてくれるおばあさんがいた。ノブは少し戸惑った。何故なら、彼の時代では自分が生きるので必死で、誰かを心配するなんて贅沢なことをする者はいないからだ。
おばあさんは独り暮らしだった。子どもは都会に行き、夫には先立たれ、一人で死んでいく哀れな存在だったけれども、おばあさんのつくる筑前煮は美味しかった。現代の食事はノブの舌に合わない。この時代の食品は全て塩っ辛いのだ。それに栄養バランスも悪い。けれども、おばあさんのつくる料理はそのどれもが美味しかった。研究がうまくいかず、辛い時にその筑前煮を食べた時、ノブは涙を流した。宇宙食のような未来の食べ物とは全く違う美味しさだった。だから、おばあさんにいつも感謝していて、よく世間話をするようになった。
いつかはおばあさんに恩返しがしたい。未来旅行などいいかもしれない。俺の未来はまだ見せられるものではないけれど、いつか、平和な未来を見せてあげるんだ。
そう思うと研究に熱が入った。そして、恩返しはいつも遠回りになった。
ある日、報告のため未来から帰還した時、おばあさんの家の周りが騒がしかった。何があったのだろう、と覗くと、黒い衣装を身に纏った人々がおばあさんの家に入り込んでいる。十人以上が玄関を開けっぱなしにしてなにやら家を物色しているようだった。盗みにしては白昼堂々としている。
「一体どうしたんですか」
ノブは不審に思って黒い衣装の一人に声をかける。
「この家の方がなくなったのです」
だが、それにしてはおかしかった。この時代では葬式というものがあって、はた目から見れば葬式の風景にも見えるが、家族らしきものの姿はない。
「私たちの宗派に入っておられたのです」
だから、独自の葬式をしている。
でも、ノブの目から見れば、それは略奪のようにしか見えない。タンスを漁り、札束を懐に入れているものがいた。業者が到着し、家の家財道具を根こそぎ持っていった。
妙なお経が唱えられた後、人々は家を後にした。おばあさんの家には何一つ残ってはいなかった。おばあさんの残り香すらない。
その日は何が起こったのか分からず、一日ぼーっとして過ごした。そして、次の日、おばあさんが声をかけてくれないことに気がついて、ああ、おばあさんはこの世界から消えてしまったのだとノブは気付いた。気付いた途端、涙があふれてその場でむせび泣いた。
おばあさんになんの恩返しもできなかった。
ノブの頭にはTSTが映った。でも、それは意味のないことだ。どれだけ頑張ってもおばあさんはずっと生きていることはない。何もかも無駄なのだ。どれだけ未来へと進んでも不死というものは得られない。
人が死ぬということがこんなにも悔しい事だとはノブは知らなかった。この時、始めて知った。もう、目の前で誰かが死ぬのを見たくはない。
だから――ノブは走り続ける。
「だぁああああ!」
ノブは駆ける。速さは始めの頃よりも落ちていて、服が炎の柱に触れて焼け焦げる。背中にはもう服はなく薄皮がめくれた赤くじゅるりとした皮膚が見えていた。風が触れるたび痛みがこみ上げてくるが、ノブは歯を食いしばり痛みを堪える。
自分が倒れたら誰かが苦しむという一心で。
だが、ノブにも限界が来た。
膝がガクンと落ちる。その瞬間、顔面からアスファルトの上に落ちる。腕で顔を守ったが、腕の服は破れ、赤い生々しき血液がどぼどぼ溢れている。もう一度立ち上がろうとするものの、もう体は動かなかった。
ここまでか。
日没まであと八時間。せめてあと一時間でも時間が稼げれば――
「こんなにぼろぼろになって。見てられねえぜ」
倒れたノブの前に三人の男たちが現れた。その頭上には高らかにモヒカンが引っ付いている。
「君たち……は」
「外に出るニートとでも呼びやがれ」
男の一人が乗っていた自転車にノブを載せる。
「二人乗りってのはワルだなぁ!」
「ヒャッハー!!」
男たちは楽しそうにさけびごえをあげた。
「止めるんだ。君たちまで巻き込んでしまう」
「そんな体で何言ってやがる」
ノブは乗車を拒否する力さえ残ってはいなかった。
「この町はみんなのもんよ。それをこんな年端もいかないガキに全部押し付けるなんて、ヒャッハー組の名が汚れちまう」
モヒカンたちは自転車で最未来人から逃げ出す。
「彼女が俺たちを見失ってしまっては意味がない」
「心配するなって」
ノブが最未来人を覗くと、最未来人は宙に浮き、ゆっくりと動き出していた。つまり、手加減をされていたことになる。
「アイツの狙いは俺たちじゃない。ずっと何かを待っている」
モヒカンたちは道路を右に左に蛇行していき、最未来人を翻弄した。その自転車は改造されているもので、とはいえ、それほど凄い代物でもない。車輪のあるところにプラ板を貼って、車輪のフレームにかませることでブンブンとバイクのエンジン音を真似たり、ハンドルを曲げてバイクのハンドル風にしたりしている。ベルの代わりにおもちゃのラッパをつけていて、ゴムのところ握るとけたたましい音が鳴る。それが癇に障るのか、最未来人の炎の威力は増していた。
「おい。どうして町をでないんだ」
モヒカンたちは町の出口まで来ると、南にハンドルを切った。
「馬鹿野郎。よそにはよその縄張りがあるし、そもそもに、この町以上に被害を広げるつもりはねえ!」
「君らは町を守りたいんじゃないのか」
「俺らはな、親やら人様やらに大分迷惑をかけた。今さらだけどよ、これ以上迷惑はかけらんねえのよ」
モヒカンたちは息を切らせていた。もう一時間近く走っている。それも蛇行しつつ、坂道を上るものだから、より消耗は激しい。だが、最未来人は容赦なく炎の柱を叩きつける。自慢のモヒカンはそのほとんどが焼け焦げていた。
「俺らはここまでの様だぜ、あんちゃん」
モヒカンは静かに言った。
「どういうことだ」
ノブの言葉など聞かず、モヒカンは自転車からノブを下ろす。
「この町の平和は頼んだぜ。未来人!」
ノブはまた何者かに引っ張られる。
「あんたらは――」
「めんこクラブのもんよ」
角刈りの男たちは竹馬に乗っていた。男の一人がノブを背負い、竹馬に乗る。
「待ってくれ。モヒカンが――」
そんな時、ノブの背後で炎の柱が立ち上った。
「ヒャッハー!汚物は消毒だ!」
モヒカンたちの叫びをよそに、角刈りは竹馬で道路を駆ける。
「君たちはどうして俺たちのことを知っているんだ」
「知ってなんかいねえよ」
角刈りは不愛想に答える。
「ただな、町の危機にゃ、みんなで対処しねえとな。それはいつの時代でも一緒だろうよ。ま、俺らはヒーローになれるってことに酔いしれてる馬鹿野郎と思ってくれればいいさ」
角刈りたちは炎の柱を横跳びすることで回避する。どうやってそんな芸当ができるのかノブには皆目見当がつかない。
「竹馬三段跳びで優勝するくらいの腕はあるっつーの!」
ばねでもついているように右に左に飛びながら、角刈りは道路を疾走していく。その速さは自転車よりも早い。
「不良の底力、嘗めんじゃねえぞ!」
体力の尽きた角刈りたちは最未来人に特攻を仕掛け、散っていった。次に現れたのは一輪車の現代風の不良たちだった。不良たちはぶっきらぼうにノブを担ぐと、何も言わず走って行く。
「どうして簡単に命を捨てようとするんだ」
ノブは憤慨していた。モヒカンも角刈りも無事では済まない。そのことをノブはよく分かっていたのだ。
「それはそのままそっくりお前に返すぜ」
一輪車の不良たちは20人ほどいた。そのスピードは竹馬よりも早い。もうじき自動車の速さに追いつくのではないかと疑うほどであった。だが、一輪車は簡単に方向転換はできない。なので、
「行くぞ」
「おう」
炎の柱を避けることはできない。だから、不良はノブを投げ飛ばし、もう一人の不良がノブを受け取る。そして、先ほどまでノブを掲げていた不良は炎に飲まれた。
「男に別れはつきもんだ。だから、前だけ見ていろ」
不良はそう言ってノブを抱え走って行く。
「こんなこと、あっていいはずがない」
「男は弱音を一人で吐くもんだ。少なくとも、女の前で吐いちゃいけねえ」
不良はノブを投げ飛ばす。新たな不良がノブを受け取る。そして、ノブを投げ飛ばした不良は炎に飲まれた。
「もう、止めてくれよ」
ノブを引っ張ったのはいかつい外国人たちだった。三輪車を漕ぎながら、山道を駆ける。その速さは車以上だった。
「やめまセーン。どうもアイツはあなたをねらっていマース」
片言の日本語で外国人が言った。その髪は金色で、腕はポパイのように太い。
「だから、俺を放せって言うんだ」
「あなた、震えてル。そんなこと、できナーイ」
多くの命を犠牲にして、一体なんの意味があるというのか。
「ワタシタチは町に行かされている。だから、アナタを利用しているだけなのデス、未来人」
「どうして俺のことを」
「シュワルツェネッガーが言ってました」
シュワルツェネッガーの発音だけが絶妙で、ノブはうまく聞き取れなかった。
「それに、きっとみんな生きてマース」
「どうしてそんなことが言えるんだ」
「だって、約束しマーシタ。絶対に生きて帰ってクルーって」
「そんなこと……」
「信じてマース。誰かを信じること。それはとても大切。あなたも一人で戦うのではなく、誰かに頼って、そして、信じてミーテはいかがデースか?」
炎の柱を後ろが見えているかのように外国人は華麗に避けていった。
「それがこの時代のヒトの生き方デース」
「アイルビーバック」
それだけは片言の日本英語だった。ドスを聞かせて、親指を立て、外国人たちは花と散る。
ノブは後ろを振り向きはしなかった。振り向いてはならなかった。振り向いてしまえば多くの人々の託した希望が水の泡となる。みんなが紡いだ四時間が無駄になる。だから、走った。折れそうになっていた心は回復した。体はまだ不完全でも、前へと進める。前へと進めるのなら、それで十分だった。逃げて逃げて、そして、次へと紡ぐ。ノブにできるのはそれだけだった。
「はあ、はあ、はあ……!」
ノブは倒れた体を無理矢理立たせ、炎の柱を避ける。だが、それで精一杯だった。たとえ生きられなくとも、時間を稼げればいい。だが、ノブにはそのような手段もない。自分が倒された後、最未来人がどこに行くのか。それは簡単な答えだった。潜んだネズミをおびき出すには煙で燻りだせばいい。だから、最未来人は炎で町を焼き尽くすだろう。
最未来人は冷ややかな目でノブを見ていた。腕を高く掲げ、掌に灼熱の炎を集めていく。それはどんどんと掌に集まっていき、スイカほどの大きさから、さらに大きく、大きくなっていく。天高く上り詰めた太陽と同じ大きさまで膨れ上がる。そして、ノブを太陽が飲み込んだ。
「え?」
ノブにはその光景が信じられなかった。
ノブの目の前には一人の女の子がいる。その女の子が灼熱の太陽を防いでいた。女の子の頭の黒い三つ編みのおさげが揺れる。
「君は?」
「これだけ派手にやってたら気がつかないわけがないでしょう」
ノブの顔に水しぶきがかかる。ノブは炎を防いでいるものの正体を知った。それは水である。女の子の周囲から熱せられた湯気が噴き出していた。
女の子は炎を防ぎ切った。
「これはいぶされて死ぬパターンね」
もう一度あれを食らうと女の子の命が危ないとノブは察した。
そんな時である。
「最未来人(ロッサ)!俺はここにいる!」
時刻は一時を回ったころ。俺と耀子は最未来人から逃げていた。あと三時間で逢魔が時が訪れ、一時間後には日が落ちる。それまでの辛抱だった。
「前より過激になってねぇか?」
息を車の排気ガスのように絶え間なく吐き出しながら、俺は言った。
「そんなこと、知るか」
耀子も必死で逃げているが、常に俺の背後で火の玉を弾き飛ばしていた。弾き飛ばされた火の玉がそれ、炎の柱を作る。
ノブは俺たちの予想以上に移動していた。追いかけるのはやっとだった。いつの間にか町の南端にまで逃げていたのには驚いた。実に五時間も逃げたのだ。フルマラソンなみの活躍だった。だが、
「うぅ!」
最未来人はエンジンが入ったのか、絶え間なく炎を吐き出している。一体どれほどの体力があればあれほどパワフルになれるのか分かりはしない。
「精力をつけるには赤マムシが一番」
「へ?」
そんな声がした。そして、俺たちの前には神輿を担いだ人々が現れる。担がれている神輿は二つで、担いでいる若者はそのどれもが白いワイシャツとメガネといういで立ちだった。
「母さん?」
「なにを腑抜けた面をしているんだ。妹たちに情けない姿を見せるんじゃないぞ」
二つの神輿にはそれぞれ俺の父さんと母さんがいた。どうしてこんなところにいるのか。そして、どうして最未来人に向かって突っ込んでいこうとするのか。
「なにを勝手なことをしてくれてるんだ!」
俺は今生の別れにそんなことしか言えなかった。
夢だと思った。夢だと思いたかった。
お前はお前のやりたいことをやればいいんだ。
父さんの口はそう言っているように見えた。
父さんと母さんは時間を稼いだ。それでも最未来人は止まらない。転んだ拍子で俺のGショックは壊れてしまった。何がGショックだ。簡単に壊れてしまうじゃないか。
「二手に別れよう」
地面に伏している俺を見て、耀子はそう言った。手には大太刀。それを抜き身にして最未来人の方へと向かって行く。
「冗談だよな」
俺は耀子の意図していることが分かって、悪い冗談だと思わざるを得なかった。もう、最未来人はこの前のような強さではない。いくら耀子であっても無事では済まない。
「あたしの哲也。あたしは今、あんたに頼ることにするよ」
耀子は笑顔を見せた。寂し気な笑顔。まるでお別れのような、そんな笑顔。
「ダメだ、そんなの!」
ノブが死んで、両親も死んで、それで耀子まで死んでしまったら、俺はどうすればいいんだ。
「あたしの哲也。可愛い哲也。お前は知らない間に強くなった。もう、男の子なんかじゃない。れっきとした少年だ。だから、少年。北町のことを頼んだぞ」
最未来人の姿が見えた。その瞬間、耀子は最未来人に向かって突っ込んでいった。
追ってくる。追ってくる。追ってくる。狩人は小さな獲物も逃がさない。たとえ世界に何の影響もない小さなイレギュラーであっても、ネズミ一匹逃がしはしない。
逃げる。逃げる。逃げ続ける。
逃げ続けるということがこれほど辛い事だと俺は知らなかった。体はとうに限界で、未だ走っていることが奇跡だった。俺は手足や心臓よりもこみ上げる吐き気を堪えるので精いっぱいだ。胃が締め付けられる。頭痛がする。目の奥が槍で刺されたかのように痛み続ける。逃げる、逃げる、逃げて逃げて逃げて。逃げるたび、吐き気は増していく。このままずっと逃げ続けなければならないのかというプレッシャー。もう俺しかビアンカを守れる者はいない。テレビのヒーローはなんでもそつなくこなす。一人きりになっても戦い通す。俺にもなれるかななんて思ったのが間違いで、ヒーローというのは意外と根性があるものだと思った。俺には背負いきれない。一人の女の子の命さえ重くて手放しそうになる。でも、俺は夢ができた。それは、笑顔を見ることだ。ビアンカが未だ見せたことのない満面の笑みを俺は見てみたい。きっと、見られるはずだ。ビアンカが大事な人と出会う時に。だから、俺はビアンカも守って、俺も生きて――
爆音とともに、俺の背中に衝撃が走る。背骨に鈍い音が響く。ただの爆風に吹かれたのではない。最未来人は建物の壁を破壊し、俺にぶつけたのだ。
何度も爆風に吹かれながらも立ち上がっていた俺はとうとう立ち上がれなくなった。それでも前へ行こうと手を伸ばす。藁にもすがりたい思いだった。
俺の体は宙に浮く感覚を得た。ジェットコースターのように景色が目まぐるしく変わって、気がついたときには民家の壁に押し付けられていた。サイコキネシスというやつなのだろう。ビアンカが使ったあれだ。
頭の後ろからつーっと生温かい感触が伝わる。
「おい、ロッサ」
俺は苦し紛れに最未来人に話しかけた。命乞いでもしようと思ったのだ。
「お前はどうしてビアンカを狙う」
命乞いなんてできなかった。俺がとったのは、時間を少しでも稼ぐことだった。もうじき逢魔が時が訪れる。夜まで一歩手前だ。せめてトークで一時間ほど延ばさなければ……
『わたしはロッサではなーい!』
ぎゅっと重たい何かが俺に押し付けられる。ずっと磔のままだったのが、少し体がレンガに沈んだようだった。レンガよりも俺の体の方が柔らかいだろうから、俺の体がへこんだのだろう。
『ロッサ!ロッサ!ロッサを殺せぇええええええええ‼』
怒りと憎しみとそれと何かが同時に噴き出した言葉だった。人間がどうしてここまで怪物じみてしまうのか。俺には少しも理解できない。
「お前の望みはなんだ。お前はどうしたい」
『うるさいうるさいうるさいうるさい‼』
ぐっとさらに俺の体に力が入る。嫌な音がして、視界が暗くなっていく。星がちらちらときらめいている。
俺の目の前には星が広がっていた。きっとそれは本当の星じゃない。今は田舎だって、街灯があるから、こんなに一面の星空を見ることなんてないのだ。それは季節外れの星空だった。頭の上にミルキーウェイ、つまり、天の川が浮かんでいる。でも、その星々の輝きを邪魔するように月が光っている。精一杯自分がここにいることを証明するように。
月はきみ。俺は地球。俺はずっときみのことを見守っていたい。だから、常に寄り添う地球になりたい。
その時、オレンジ色の光が世界を包んだ。逢魔が時。決して出会うことのない者たちがひと時だけ出会う、不思議な時間。
「お母さんは言ってたの。男と言うのは初めが肝心。会った瞬間から首輪をつけなさいってね」
その声を聞いて、体の底から湧き上がる何かを感じる。それは喜びだ。彼女が現れたのだ。
「現れたわね。わたし」
キィェエエエエエエエ‼
最未来人はもだえ苦しむように、目の前の現象を否定するように炎の玉を放つ。
『ロッサァ!ロッサァ!ロッサを殺せぇええええええええ‼』
炎の玉はビアンカの目の前で消滅する。クーニャンみたいに頭の両側で渦巻き状にくくられた栗色の髪が大きく揺れる。
「あなたはわたし。わたしはあなた。どれほどあなたがわたしを憎もうとも、わたしがあなたであることには変わらないの。もう一人のわたし」
最未来人はビアンカに向かって走り出す。それと同時にビアンカも最未来人に向かって走り出していた。そして、互いに細い腕で打撃を打ち出す。最未来人の拳を避け、ビアンカは拳を突き出す。それを最未来人は避け、ビアンカの腹に金づちのような一発をくれてやる。超能力で強化された最未来人の拳に飛ばされたビアンカは俺の目の前まで転がっていく。
「ビアンカ!」
俺は必死で手を伸ばす。腕がちぎれてもいい。今は、いち早くビアンカのもとに行かなければ。
「まだ、わたしのことを純潔(ビアンカ)と呼んでくれるのね」
ビアンカは苦しそうに腹を抱えながら立ち上がった。俺はビアンカの言っていることが分からない。決定的な瞬間が訪れようとしているのを悟って、耳が栓をしたように聞こえなくなっていく。この後に続く言葉を聞くまいと。
「わたしの本当の名前はロッサ。ロッサ北町」
ロッサと名乗った栗色の髪の美少女はキッと最未来人を睨む。
「わたしを憎むわたし。もうわたしではあなたに勝てないのは分かっている!だから、わたしだけを憎みなさい。わたしを否定するわたし。血塗られた呪いをなかったことにしようとしたわたしを責めるわたし。でも、あなたも紛れもないわたしなの」
『うるさぁああああああい‼』
ロッサに向かって火の玉が飛ぶ。それをロッサは手で軽く弾き飛ばす。そして、赤黒い光を携えた拳を最未来人に突き出す。最未来人の顎にロッサの拳が突き刺さった。
だが――
『ロッサァアアアアアアアアア‼』
最未来人は倒れなかった。突き刺さったままの拳をもろともせず、ロッサに拳を叩きつける。頬に、顎に、鼻に。そして、ロッサを蹴り飛ばす。ロッサは俺のもとに戻ってきて、そして、俺にぶつかった。俺の体にはロッサの小さくやわらかな体が覆いかぶさっている。
「ビアンカ!ビアンカ!」
「わたしはビアンカじゃないって言っているのに」
俺は返事があることにホッとした。
「あはは。こんな顔。きっとひどい顔よね。嫌いになったでしょう?」
ロッサの顔はひどかった。殴られたところは赤黒く変色し、パンパンに腫れている。そこにはかつての美しさはどこにもない。
「ビアンカがどんな姿になっても、本当は違う名前であっても構わない。俺にとってきみはきみだ。世界を敵に回しても、命をかけてもいいと思った存在だから」
パス。パス。
最未来人はロッサにとどめをさそうと近づいてくる。俺はロッサに覆いかぶさり、最未来人から守ろうとする。
「ねえ。塩崎。最期にロッサって言って」
「最期なんて言うんじゃない」
ロッサと俺の顔の距離は近かった。互いの息が吹きかかり、変な気分になる。こんなときに俺たちは一体何をしているのだか。
バチバチバチ。
俺の頭上で物騒な音が響く。別れの時が近づいていた。せめてロッサの、栗色の髪の美少女の盾となれたことを誇りに思おう。世界を敵に回した結果がこれであるならばこんな終わりでもいい。
俺は目をつぶって終わりを待った。
でも、俺の人生は終わらなかった。
『――こっちよ!最未来人!わたしはここにいる!』
俺は最未来人の呟いた言葉を聞き逃さなかった。
最未来人は震える声でこう呟いた。
ビアンカ、と。
最未来人は突如現れた女の子を恐れるように後ずさりしていく。
うっとりするほど甘美な栗色の髪。
白雪のように溶けてしまいそうな絹の肌。
頬は薄く桃色で、心をくすぐられる。
唇は小振りながらも赤く、情熱的で。
屹とした大きな黒い瞳が印象的だった。
そこにいるというのに現実味がなく、異国人の血を引いているような余韻を残している。その怪物じみた顔は生きた人形なのだよと言われたら信じてしまいそうであった。
俺は目の前の女の子の美しさが怖かった。
「あ、あ、あな、たは、」
声が裏返った。それでもやっとのことで言葉にする。ジープで物凄いデコボコ道を走り抜けたような気分だった。
「私はビアンカ。ビアンカ北町」
俺はビアンカ北町と名乗った女の子をまじまじと眺めようとして、それができずに目を逸らす。
俺は女の子の名前を聞いた瞬間、感じ取っていたのだろう。
この人は俺の運命の人だと。
ビアンカとロッサはとてもよく似ていた。背丈も声色も顔つきさえ瓜二つだった。唯一違うのはビアンカは髪をまとめず、ゆるりとした艶のあるウェーブがかかっていることだった。
「ロッサ。ロッサ。わたしの可愛いロッサ。迎えに来たわよ」
ビアンカは俺とロッサの元へと向かってくる。そして、ロッサの腫れた頬に小鳥のついばみのようなキスをした。
「わたしの妹をこんなにするなんて」
ビアンカは怒りをあらわにして言った。
「塩崎。わたしの妹を頼むわね」
俺が呆気らんとしていると、ビアンカは苛立ったように俺に言う。
「返事は?」
「はい!ビアンカ様!」
俺は思わずビアンカ様にそう答えていた。
ビアンカ様は最未来人を見据える。
「悪い夢なんか食べてしまいましょう!」
ビアンカ様は天に手を伸ばす。すると、天から何かがぼとりぼとりと鈍い音を立てて落ちてくる。それはまるで犬かと疑うほどの大きさで、とても野性味あふれる色合いをしていて、何より艶が吐き気を催す。それはカエルなのだろう。でも、本来愛らしい顔のあるところには、人の顔のようなものがある。そして、そして。何故か巨大ガエルはぼそぼそと人語を話しているではないか。
「カエルちゃんたち!行きなさい!」
人面ガエルは最未来人に襲いかかった。
『おねえちゃん。おねぇちゃぁあああああああん‼』
最未来人の断末魔の声がこだました。後に残ったのは人面ガエルだけで、最未来人の姿はどこにもない。
「ありがとう。塩崎」
ビアンカ様は俺からロッサを引き取り、俺に背を向けて歩き出す。
「ロッサ!」
俺はビアンカ様を引き留めていた。だって、このままお別れだなんて悲しすぎる。ビアンカ様は言った。
「あなたのわたしたちに関する記憶はなくなってしまうわ。残念ながらそうするしかないもの。ありがとう。塩崎。わたしに似て破天荒な妹を大切にしてくれて」
俺の記憶は確かに薄れつつあった。ロッサとの思い出がどんどんとなくなっていく。その度に目から涙がぽとりと落ちていく。
「ご褒美はわたしとあなたが本当に出会ってからあげるわ。楽しみにしていなさい」
ビアンカ様とロッサは光に包まれ、そして、何もかもが嘘のようにこの世界から消えてしまった。何やら俺の近くに大きな生き物もいた気がするけれど、もう覚えてはいない。
俺は走った。どうしてか、体がとても痛んでいる。俺は走っている。何のため?忘れないため。一体誰を?俺は一体誰を忘れたくなかったんだ?
目の前に川が現れる。俺は何のためらいもなく川に突き進み、そのまま川に向かって飛び上がる。
「いっけぇえええええええええっ!」
大好きだったあの子の元へ飛んでいけ。あの子のように場所も世界も時代さえ飛び越えて。
俺は頭から川に落ちた。相変わらずの逢魔が時で、俺はきっとタイムスリップとかしてはいない。俺は自分のどんくささに呆れて笑ってしまう。どうして俺は川なんて飛び込もうとしたのだろう。もう、忘れてしまった。何もかも忘れてしまった。
でも、忘れない。俺には命に代えてでも守りたい存在がいたことを。
「ビアンカ。俺だけのビアンカ。俺は決してきみを忘れたりなどしない」
さて。とうとうこの茶番も次回で終わりである。長かった。次回はエピローグ。いろいろとお楽しみいただけたであろうか。今回この小説を書くにあたって、何個か制約をつけた。一つはラノベの王道をいくこと。別にラノベ書きでもないので、うまく書けたかはわからない。次にビアンカ?をもっと出すことである。初めはビアンカを主役にと考えていたのだが、筒井先生。意外と難しいです。急に口調が変わったりもするし、私は理系でもないですから、なかなかに。次になるたけビアンカシリーズのキャラを出すということである。オーバーステップもなかったことにはしたくなかった。ゆえに、少しオーバーステップの延長上になってしまったかもしれない。最後に、キャラクターを特に男子を格好良く書きたかった。塩崎のキャラ、全然違うじゃんと思われる方もいるだろうが、実は全然変わらないのである。なぜならヘタレの塩崎は本格ミステリの語り手ほど信用してはならないのだ。ノブは絶対に格好いい。だから、最後に見せ場が作れてよかったです。ぶっちゃけ、主役を奪われた気もするけどね。
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きみは月で俺は地球 お前ら全員太陽だ!
マルペスのスペルマ 0
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
気がつかないふりをしていると思われてもかまわない。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまっているのだ。男の子たちの視線に。みんながわたしを見る、その何かを恋い願う視線、慕い寄るような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
わたしは知っている。わたしがこの高校でいちばん美しい、いちばん綺麗な女の子だということを。
わたしは校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、放課後の廊下をわたしは歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていくわたしの姿を見ている。行く先々でそれまでの話し声がやみ、沈黙の中でわたしを見つめる。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「ビアンカ」「ビアンカ」とわたしの名をささやき交わす声だけ。
わたしは二階への階段をあがる。
その階段の下からも、わたしを見上げている男の子がいる。踊り場にも何人かがべったりと座っていて、前を通り階段をあがっていくわたしを見つめる。
わたしの高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。わたしは平気になってしまったのだ。そんな男の子たちの視線も、もういやらしいとさえ思わなくなってしまった。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室へわたしは行く。放課後はここへ来るのがわたしの日課だ。たった二人しかいない生物研究部の、わたしは部員なのだ。
ああ。また、あいつがいる。
わたしが生物学教室へ来る時間にはいつも、ドアの前の廊下、ドアの向かい側の窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいる彼は一度もわたしに話しかけたことはない。わたしも彼に話しかけたことはない。
でも、今日はなんだか気分がいい。きっと妹のロッサがいつも以上に元気だから、わたしもうれしくなったのだ。なんだかしあわせをお裾分けしたくなって、わたしは彼に笑顔でうなずきかける。すると彼は挙動不審にあたふたとしはじめた。もう、どぎまぎとかいう程度ではない。わたしは少し笑いそうになりながら、実験室へと入って行った。
色の白さや睫毛の長さや黒眼ぱっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。
名前は知らないので、今度クラスメイトにでも聞いてみようと思う。
スペルマのマルペス
……え?なになに?このままじゃ物語のしまりが悪いって?もう、しょうがないなあ。でも、あなたは忘れてはだめよ。これはわたしの物語。題名にも書いてあるじゃない。こう、デカデカと、「ビアンカ」って。でも、また妹に出番を取られちゃったな。理系女子は考えていることが分からないのかしら。これでも乙女なんだけど。
でも、いいわ。最高、とまではいかないけど、そこそこのエンドを見せてあげる。
これは、胸を張り過ぎて何もかも忘れる羽目になった男の子たちの物語。そして、最後には女の子たちをハッピーエンドにしてしまった男の子の物語の続き。
――大切なのは、あなたが最後まで、彼を見守るということ。
0 マルペスのスペルマ
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにさせられてしまているのだ。女の子たちの視線に。みんなが俺を見る。その何かを可愛がるような視線、愛し撫でたがるような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
俺は知っている。俺がこの高校で一番醜い、一番童顔な男の子だというこを。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、朝の廊下を俺は歩く。運動場の出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先々でそれまでの話し声が続いていく。聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「ビアンカ」「ビアンカ」とささやき交わす声だけ。
俺は二階への階段を上る。
俺の高校の制服はブレザー。その制服のスカートは短い。
でももう困ったり、顔を赤くしたりすることはない。俺は平気になってしまったのだ。だって、俺には関係ない。ちゃんとしたスラックスだし。スカート穿いてないし。
二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室に俺は行く。朝はここへ来るのが俺の日課だ。たった一人しかいない生物研究部の、俺は部員でもない。
ああ。また、あいつがいる。
ドアの前の廊下、ドアの向かいの窓の下にべったりと腰をおろして本を読んでいるのは、文芸部の塩崎哲也。可愛いやつだ。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。この子は文芸部で詩を書いているらしく、クラスメイトが教えてくれたところではそれは恋愛の詩ばかりだそうだ。
まあ、それは全て俺のことなんだけど。
俺が塩崎哲也その人なのですがっと。
朝から耀子にたたき起こされるわで、大変だった。でも、その大変さを補えるほどの感動がもうすぐ待っている。
あの流れ落ちる栗色の髪は
時に束ねられるあの栗色の髪は
どんなにあまやかな香りに満ち
どんな安らぎの匂いに満ちていることか
屹とした大きな黒い瞳が
ほんの一瞬こちらを向くと
心臓は熱く泡立ち
気がつけばその美しさに涙しているのだ
ああ ああ
この学園にただひとりの
異国の血を持つその人こそは
わが天使 わが女神
その女の子、ビアンカ北町と出会った瞬間、俺は運命を感じた。そんなわが女神がもうすぐこの実験室にやってくるのだ。
階段を駆け上がってくる音が聞こえる。甲高い上履きの靴音と俺の心臓が同じリズムで鼓動する。うん?いつもより心臓の鼓動が遅くなっているってことじゃないか、それ。
俺の前を一人の女の子が走って行った。その制服は中学部のものだ。彼女に似た栗色の髪。同じ背丈。一瞬彼女が変装したのかと疑ってしまう。
「あれ?おねえちゃんいないのかなぁ」
女の子は実験室を覗いて、誰もいないことを確認すると肩を落として廊下を歩いていく。ビアンカとそっくりな声。違うのは制服と髪をクーニャンみたいに頭の両側でまとめていること。
俺は何故か無性に声をかけたい衝動に駆られた。思わず女の子の肩に手を伸ばす。手を伸ばして、結局触れることができずに女の子は去っていく。
俺の頭の中にこんな詩が浮かんで来た。
きみは月で 俺は地球
そしてお前ら全員太陽だ
お前らは常に輝いていて 暑苦しくて敵わない
眩しくって 触れることも見ることもできないさ
でもきみは月だった 夜になると姿がくっきり見える
でも俺と同じく太陽じゃなかった
だからこそ一緒にいられたんだろう
俺はずっと月を見守る
そのために地球になったんだから
人々に踏み荒らされるだけの地球
でも太陽になってきみを見つめられなくなるより
何万倍もマシなのさ
俺は地球できみは月
赤いきみが一番好きさ
白いと偽るきみでなく
赤いままのきみがいい
下手くそな詩だった。売れないミュージシャンだってもっといい詩を書けるだろう。でも、不思議と俺の心の中に染み渡っていった。
きみは月で俺は地球。お前ら全員太陽だ!
Bloody Moon and Small myself meet in a White Moment.
Fine.
さて。これにて完結である。実は続編とかをひそかに考えていたけど、しんどいっすわ。それに続編はオリジナル色が強くなりそうですし。
今回なるべく忠実にビアンカを再現しようとして感じたことがある。私はもう自分の色というのを見つけ始めていたのだなということである。私は意外とテンプレな書き方だと思っているが、模倣というのはうまくないらしい。それと、だいぶ小ネタはさんだなぁ。ともかく一流になるにはもっと腕を磨かねばなるまいと感じた。私の能力は現状ここまでが限界のようだ。最近はプロットをしっかり描きだしたりし始めている。でも、その原題が「異世界はポケベルとともに」なので、どっかから文句が飛びかねない。実は全くかぶりもしていなくて、題名だけなので、題名を考えればいいだけなのだが、それがなかなかね。
私は主に小なろで書いていて、見てくださっている方はそちらからいらっしゃったのかもしれない。(少ないながらいつも一定数は閲覧いただいている。同じ方々かは存じ上げないが)その方々にお知らせすると、近日中にゾンビはレベルが上がったの続編を上げることができるかもしれない。それより前に公開設定しておいた「糸」という作品が浮上してくるだろう。意外と長くなったラブコメ作品である。
(でも、就活で選考全部落ちたから書いてる暇もないんだけどな)
(まあ、なんとかなるって)
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