藍緋反転ストラトスフィア (しばりんぐ)
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プロローグ
龍虎相博(りょうこそうはく)




 強い者同士が、激しい闘いをすること。




 それは、猛烈な嵐だった。

 まるで台風が凝縮されて、龍の形に押し留められたかのような、そんな姿。それが口を開いては、次々と竜巻を創り出す。大地を穿つ掘削機を思わせる、無慈悲な暴風だった。

 

「……クシャルダオラ、すっげぇ……っ!」

 

 白色と、紫色と、淡い蒼色。様々な色を混ぜ返したかのような結晶の山に隠れつつ、その様子を窺っていた俺は、そのあまりの風圧に顔を(しか)めていた。

 ()の龍の名は、クシャルダオラ。鋼の如き鱗を身に纏い、体格に不釣り合いなほど巨大な翼を振り撒いている。特殊な形状のその翼は、羽ばたく度に乱気流を生み出して。強靭な肺は、飛竜の息吹をも軽々と打ち消すほどの質量の息をもたらして。

 生物の中でも異質な存在――そして今、国が喉から手が出るくらい欲している存在である。

 古龍、と呼ばれているカテゴリー。彼は、その一人だった。

 

 舞い上がる結晶の欠片が、荒く俺の頬を撫でていく。いつの間にか曇天へと変わっていた空は、遠く、遠く。付近の火山を、この大陸ごと包み込んでいた。降り注ぐ豪雨は、俺の着込む調査用のフードを荒く叩き続ける。

 

 ――――そんな雨を、同じく受ける存在がもう一つ。

 あまりにも肥大化した二つの角を備え、強靭な四肢で大地を強く貫いている。その全身を、これでもかと言わんばかりに棘で覆い、怒りを露わにするかのように唸るその姿。

 怒りの対象となった彼――鋼龍に剥がされたと見える頭部の棘は、じわりじわりとその鋭角を露わにしていって。不気味なほどに白い棘を新たに生やし、剥がれた部位を瞬く間に再生させていった。

 

「……あれもマジでやばいな」

 

 正体不明の、龍――なのだろうか。シュレイドの本土からは遠く離れたこの大陸に、突如舞い降りたその姿。

 それはまさに、悪魔そのものだった。古くからある教本に描かれた存在が、そのまま飛び出したかのような。奴はそんな姿をしていた。

 

 研究結果から、奴は他の生物とは比較にならないほどの再生能力を有していることが判明している。

 国が求める『次世代の兵器』の開発のためには、奴の能力が欠かせない。そのため、今回の出動は奴の回収が目的なのだが――。

 

「……ところで、あいつ、どこ行ったんだ?」

 

 その次世代の兵器(あいつ)が、消えていた。俺は重弩こそ担いでいるが、あくまでも回収班。そして、本業は次世代の兵器(あいつ)の整備士だ。本計画の戦力の大部分は、あいつの能力に集中している。あいつがいなければ、この計画は実行できないのだ。

 しかし、そんな俺の心配をも薙ぎ払うかのように、クシャルダオラは吠える。その巨大な翼を振り抜いては即座に舞い上がった。

 そうして吐き出した、極太の竜巻。目の前への古龍への威嚇か、もしくは奴を仕留めるための切り札か。

 しかし、その竜巻を前に、もう一方の古龍はといえば。

 一切の躊躇なく、飛び込んだ。

 

「うおっ……!?」

 

 あの乱気流に突っ込んで。全身を、あの風の刃に曝け出して。

 瞬間、凄まじい轟音がこの地を駆け巡った。機械仕掛けの鋸を金属に擦り付けたかのような、そんなけたたましい音だ。全身の棘を激しく剥がしながら、しかし奴は一直線に、クシャルダオラへと襲い掛かる。

 その光景は、あまりにも異常だった。クシャルダオラも危機感を覚えたのだろうか。その身の鋼にいくつもの傷をつけた目の前の外敵は、自らを(かえり)みることなくひたすら襲い掛かってくる。異常とも言えるその攻撃本能に、彼は翻るように飛んで距離を離した。かの棘の古龍の牙は奴に届くことなく、そのまま宙をえぐる。

 

「……おっそろしい……けどすっげぇ……っ!」

 

 本当に、本音が漏れた。凄まじい暴風雨にフードがずれて、藍色の髪が露わになる。危うく吹っ飛んでしまいそうな眼鏡を慌てて押さえつつ、目の前の光景にもう一度ピントを合わしたら。心の底からの声が、漏れた。

 全身血塗れにしながら、両者は再び向かい合う。これは縄張り争いなのか、捕食行動なのか。それともただのじゃれ合いなのか。俺たち人間には、彼らの真意は分からない。しかし、彼らが少しじゃれるだけで、人のようなか弱い存在は死んでしまう。生物としての性能の差を思い知らされている気分だ。その光景は、この言葉に尽きる。

 だが、逆に言えば。逆に、彼らの力を利用することができるならば。そうすれば、人類の天敵となるものは何一つなくなるのではないか。シュレイドが大陸全土を統治することも、夢物語ではないのかもしれない。

 

 そんな、俺が思考の海に溺れかけた瞬間だった。

 唐突に、風が吠える。今度は、クシャルダオラが飛び出した。その全身を風に乗せ、棘の龍に向けて滑空したのだった。

 暴風の具現化とも呼べるそれは、棘の龍の翼を激しく穿つ。何かがへし折れるような、嫌な音が響いた。それに奴は顔を顰めるものの、クシャルダオラを捉える瞳だけは逸らさない。そうして、第二波とも言える滑空を仕掛けるその鋼の龍に向けて、真正面から向かい合った。

 

 黒く染まった棘が、鋼龍の甲殻を深々と突き刺して。

 全身の鋼を、棘で覆い尽くして。

 滑空の勢いを、渾身の力で全て呑み込んで。

 

 ――あの棘の古龍は、クシャルダオラの滑空を、あろうことか真正面から受け止めたのである。あまりにも超常的なその光景に、俺の開いた口は塞がらなかった。

 それも束の間。奴は、そのまま背負い投げでもするかのように、クシャルダオラを投げ飛ばす。乱雑に結晶を砕きながら大地に体を擦りつける彼は、酷く苦しそうな声を上げた。穴の空いた鱗からは鮮血が溢れ返り、立ち上がる手足も弱々しい。もはや満身創痍とも言える状態だろう。その様子を見ては、棘の龍は満足そうに唸る。

 奴も奴で、大怪我しているというのに。まるで血が固まったかのようなその黒い棘を鳴らしながら、一歩、また一歩と鋼龍との距離を縮めていく。

 

 イタチの最後っ屁という言葉が、その光景には最も相応しいだろうか。

 クシャルダオラが突如鎌首をもたげ、大量の空気を吸い込んだ。渾身のブレスを。圧倒的質量の吐息を、奴にぶつけようと。彼は、最後の賭けに出たのだった。

 

「やべ……っ!」

 

 襲い来るであろうあの暴風に耐えるため、俺は慌てて結晶の影に飛び込んだ。重弩に付けられたベルトを無理矢理そこに巻き付けて、自らが吹き飛ばされないように対策を講じる。だが、それが飛び出るその前に。棘の龍が、大きく身を掲げて吠えた。まるで慟哭のような声で、吠えた。

 瞬間、舞い上がる奴の体。急上昇しては、先程の鋼龍の如く滑空を繰り出すその巨体。そこに、あまりにも激しい乱回転を加え――――。

 

「おっ……おおぉぉぉぉッ!?」

 

 まるで散弾だ。この結晶の地に激しく穴を空けるそれは、数え切れないほどの黒い棘たち。それが乱回転によって弾け飛び、この周囲一帯に穴を空けたのだった。

 風圧対策に躍起になっていた俺は、防弾の対処など全くしておらず。慌てて全身を丸めて、頭を覆うしかなかった。多少強化訓練を受けていると言っても、本業は整備士だ。戦士や兵器のように、飛び交う銃弾を躱すことなど、できる訳がないのである。

 

「…………ひゅぅ、ビビったぁ……」

 

 幸い、俺の体に穴は空いてなかった。右頬だけはどうも掠ったようで、血が溢れ出ていたが、それもこの際大した問題じゃない。その影響で罅の入った眼鏡を持ち直しながら、もう一度あの龍の決戦の場へと目を向ける。罅割れたレンズの向こうを注視した。

 

 地に伏せる、クシャルダオラ。その頭を叩き潰す、あの棘の龍。全身の棘を全て散らし、奴もまた満身創痍だというのに。されど、勝利を得たことを強く主張するかのように、高く高く吠え上げていた。

 敵に勝利した瞬間。それは、筆舌し難い喜びを勝者に与えてくれる。それは人間だけでなく、彼ら龍も同様らしい。まるで自らの強さを誇示するかのように吠える奴の姿は、歓喜の念で満ち溢れていた。

 

 ――しかしそれは、数少ない油断の瞬間でもあって。

 一戦を終え、一呼吸する瞬間。その瞬間は、隙だらけの的そのものなのである。

 

「漁夫の利は、いただくぜ……!」

 

 結晶に巻き付けたベルトを剥がし、その銃身を大地に寝かす。自らも伏せては、スコープへと目をやった。天高く吠える奴の頭部。それが上下する様を確認しながら、俺は照準を合わせる。

 頭部、胴体、臀部、尻尾。それらが一直線になる瞬間だ。まるで針の穴に糸を通すような、あの瞬間。それを狙っては、俺は重弩の引き金を引いた。震える体を、息を止めては抑えつけ、奴の体を穿つ一閃を撃ち放った。ドスンと、俺の体に重い衝撃がのしかかる。

 銃声をも、置き去りにするようなその衝撃。クシャルダオラのブレスよりもさらに早いその文明の賜物(狙撃弾)は、奴の体を深々と射抜く。貫通性を極限まで高めたそれが、あの龍に悲鳴を上げさせた。

 

「……やったかっ!?」

 

 一直線に風穴を空けられて、その弾道が瞬く間に炸裂して。その衝撃に、彼の龍は抗いようもなく倒れ伏す。

 と思った瞬間。奴はその剛腕で体勢を保ち、どころかぎょろりと俺の方を見た。

 

 まさか、仕留められなかったか。

 この狙撃弾を使えば、もしかするとあいつの力を使うことなく龍の回収ができるかもしれない。そんな浅はかな俺の考えを、容易に打ち砕いた瞬間だった。

 クシャルダオラに全身を剥がされ、俺に穴を空けられていても。それでも奴は、倒れない。どころか俺の姿を確認して、走り出した。効いていないことはない。確かに、奴は足を引きずっている。それでも、あれは決定打にはならなかった。あの悪魔が、こちらへと駆け寄ってくる――――。

 

 

 

 

「……ローグ、危ないよ」

 

 その奴の体が、唐突に転がった。

 まるで足払いのように剣が走り、それが奴の前脚を斬り裂いた。重い音を立てながら転倒する巨体を余所に、小柄な影が俺にそう声をかけてくる。

 

「……今まで、どこにいたんだよ」

「結晶の影に隠れながら、機を窺ってたの。そしたら……ローグが、勝手に手を出すから」

 

 少女が、俺を名指しで諌めては不満げに頬を膨らませた。

 長く伸びた銀の髪を棚引かせ、深緑の外套に身を包む彼女。その顔立ちは、少女という言葉が過不足なく似合うほどに幼い。形の良い唇を尖らせながら、その澄んだ青い瞳をジト目にし、不満げに俺を睨んでいる。

 こんな荒地には、不釣り合いなほど可憐な少女だと、長いこと一緒に過ごしている俺でもそう思う。しかし、その銀の髪から垣間見える長く鋭い耳に、後頭部下に取り付けられた機械の接続器。そして一対の剣を握る四本の指が、彼女がただの人間ではないこと物語っていた。

 

「……ッ、ミュー! 危ない!」

 

 だが、それも束の間。転がった勢いを生かし、体勢を持ち直した棘の古龍。奴は、俺よりも彼女――『ミュー』を脅威と認識したらしい。その全身を振り上げて、先程鋼龍の頭を叩き潰したように、その剛腕を高く高く掲げ始めた。

 

「――大丈夫、だよ」

 

 奴の怒号に溶け込んでしまいそうなほど、小さな声。それで俺に応えつつ、彼女は駆け出した。ふっと、彼女の姿が消える――かと思いきや。瞬間、棘に包まれた奴の足が弾け飛ぶ。

 それに驚愕し、なおかつ痛みのあまりよろける奴のその背中に。ミューは、激しく回転しながら飛び込んだ。

 緑の刀身に、しかし赤黒い光を差したその双子の剣で。

 それを逆手に握っては、独楽のように回転して。

 背中の甲殻を、どころかその下の肉までを。激しく斬り結び、鮮血の花を舞い咲かす。

 そうして、駆け登った彼女は。天に歯向かうかのように吠える龍の、その頭に向けて、二本の剣――『滅龍剣【天絶一門】』を振り下ろした。刀身に塗りたくられた龍属性の光が、奴の脳天を穿つ。天への咆哮は、断末魔へと変わっていた。呻き声のような、弱々しい断末魔へと。

 淡い色で輝くこの結晶の地が、薔薇の如く濃い裂傷の血で濁っていく。その一瞬で事切(ことき)れた巨体は、呻き声すら掠れに掠れ。糸が切れたかのように倒れ伏しては、二度と起き上がることはなかった。

 

「……はは、手負いとはいえ、ここまであっさり龍を仕留めるたぁ……」

 

 鮮やかな紅色で銀の髪を染め、無表情で龍を一瞥する少女の姿。ただの少女のように見えて、その中身はまるで異なる者の姿は、美しくもあって、恐ろしくもある。

 

 彼女は人間ではない。竜人族だ。そして、類い稀な才覚を見出され、兵器の役目を担っているという一面ももつ。俺とは根本的に違う、この国の未来を左右する存在だ。

 

 次世代の新兵器。モンスターの脅威から人々を救い、この世界を人のものにする。シュレイド王国の繁栄を成就させ、人々を幸福へと導くために開発されたもの。

 

 ――――人は、それを竜機兵(イコール・ドラゴン・ウェポン)と呼ぶ。

 

 






 分かりにくいですが、一応竜大戦時代です。


 平均文字数は読みやすい範囲で頑張ってみます。ということで書いてみました、竜大戦。
 竜大戦時代とか古代文明についてかなり独自解釈が強めで考えてみたんですが、こういう解釈も面白いんじゃないかって思って書いてみました。自分なりにイメージした竜大戦と竜機兵、古龍を考えている内に、是非とも書いてみたいシチュエーションが浮かびまして。そう長くはしないので、折角だから書いたろ、みたいな。滅龍剣は、風化双剣の風化する前の本来の姿、的な。詳しい世界観説明は、次話でします。
 ここまで読んでくださり、有り難うございました。



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主題 ~他愛ノ無イ兵器ノ御話~
泰然自若(たいぜんじじゃく)




 落ち着いていて、何事にも動じない様。




「ここ最近の情勢は、どうなった?」

 

 団服のほつれた糸を引き千切りながら、俺はそう尋ねた。

 灰色の雲が覆う、薄暗い空。このシュレイド王国の中枢であるシュレイド城。その城下町を見下ろしつつ、煙草を一つ口に咥えて。

 同じく城下を見下ろす、金髪の竜人族の青年。彼は、そんな俺の問いに、快く応じた。

 

「ローグさん、しばらく『結晶の地研究所』に行ってましたもんね。『ゲイボルギア』の話は、まだ聞いてませんか?」

「だからこうしてお前に聞いてるんだろ。あの国、また領土侵害でも起こしたのか?」

「いやー、いつそうなってもおかしくない状態ですね。それこそ、今そんな報告が入ってきそうなくらいに」

「ふーん、それくらい緊迫した状況……なのかねぇ。マジで、今来てもおかしくないレベル?」

「はい。ここんとこその調査してましたけど、今日にでも武力衝突するんじゃないですかねぇ」

「よし、じゃあ賭けしようぜ。俺は来ない方に一食分賭けるわ」

「いいですよ。じゃあ僕は、来る方に一食分」

「……いつもは歯切れの悪いお前がそこまで言うなら、相当なもんなんだな。ラムダ」

 

 ラムダ、と呼ばれた目の前の青年は、困ったような表情ながらも小さく頷く。無造作に首元まで伸ばした髪からは、長い耳が伸びており。金の髪の中に、銀色のパーツが垣間見える。それは、彼もまた兵器であることの証でもあった。

 吸い上げた煙を、口の中から鼻へ、喉へと撒き散らす。胸のうちがすっと軽くなるその煙を、充分に味わっては勢いよく吐き出した。先日のクシャルダオラの如く、猛烈に。先日といっても、あれは既に数か月前の出来事なのだが。

 

「領土内のモンスターの扱いで、いつも揉めてます。特に飛竜(ワイバーン)なんかは、領土の中を行ったり来たりしますからね。それがどちらの国の資源かって争ってて、武力衝突の一歩手前なんです」

「相変わらずめんどくせぇなあの国……」

 

 ゲイボルギア。

 それは、シュレイドの東側に位置する広大な軍事国家だ。規律ある騎士団が国を統治し、多くの領土と国民を従えている。その領土は大陸の東側のほとんどを覆うほどとなり、シュレイド王国にとって目の上のたんこぶとも言える存在だ。

 シュレイド王国と、ゲイボルギア。この大陸の覇権を争うこの二大強国は、常に戦火の火種が音を立てている状態である。周辺にはいくつか中小国家が存在するものの、その国々も各々でシュレイド、もしくはゲイボルギアと協定を結んでいる。つまり、多くの飼い犬を従えた飼い主同士が火花を散らしている状態。今の状況を例えるなら、まさにそんな状態なのだ。

 

 シュレイド王国の領土は、森と丘が豊かな大陸の西側。また、西の大洋からその奥にあるあの結晶の地を有する大陸へと手を伸ばし、南部の大砂漠の国々とも着々と提携を進めていた。

 一方で、ゲイボルギアという国は湿地帯を境に大陸東部を広く統治している。北の雪山や、中央部の火山、さらに東の端の密林までと、非常に広い領土を有しているのだ。

 

「今仮に武力衝突したら、どうなるんだろうな」

「彼らは騎士団が主力、僕たちは弩の技術による中遠距離戦に秀でた兵士たちが主力です。彼らとの間合いを保つことができれば、我々の方が強いとは思いますけど……」

 

 そう言ったものの、彼は表情を曇らせる。彼は穏やかで気の良い青年だが、自分に自信を持てない傾向にある。そのため、歯切れの悪い発言をすることは珍しくない。先程言い切ったことの方が、むしろ珍しいくらいだ。

 

「けど?」

「けど、何だか不穏な雰囲気といいますか、なんていうか……」

「――――彼らの動向に不審な点があるのだよ」

 

 突然、そこに割って入ってきた人物。俺やラムダよりも背は低く、言っては何だが小太りなその男が、ラムダの言葉を補足するかのように言葉を繋ぐ。

 

「以前より騎士団で構成されていた彼らの宿舎に、妙に大きな建物が建造されるようになってね。そう、まるで馬小屋のようなものだ。それが、明らかに馬のためではないような大きさになっている。非常に不審なことだ。……君はどう考える? ローグ君」

「……エンデさん。お久しぶりです。馬小屋……ですか? 納屋とかではなくて?」

「そうだ。例えるなら、あれは馬小屋だよ。まるで何かを飼育しているかのような」

 

 葉巻を口から離しては、独特の香りのする煙を吐くその男。頬と擦れそうなほど寄った眼鏡が、光を淡く反射させた。

 彼――エンデは、このシュレイド王国の軍部を取りまとめる人物の一人である。その階級は、シュレイド兵団のナンバーツー。つまり、兵団副長だ。俺やラムダからすれば、超がつくほどの上司。それを証明するかのように、ラムダはといえば、緊張で岩のように固まってしまっている。

 

「……飼育、ですか。一体何を企んでいるのやら。して、貴方は何用で?」

「いやなに、こちらに君が戻ったと聞いてな。元気かどうか気になってね」

「それはどうも、この通り元気ですよ」

「しかし君、その隈はなんだね。睡眠や休息はしっかりとっているかね。君が担当している計画は、このシュレイドを左右する重大なものだ。ベストな状態を維持して欲しい」

「……善処します」

 

 そんなに隈が出ていたかな。なんて思いながら、目元を擦る。最近はしっかり休息をとっているつもりなのだが。睡眠をとる際も、ミューに邪魔されない限りは多く時間をとっている――――。

 が、あくまでもつもりなのかもしれない。

 一方で、彼は矢継ぎ早に質問を並べ始めた。その様子は、まるで好奇心を抑えられない子どものようだった。

 

「結晶の地研究所はどうかね? ミュー計画、及びラムダ計画の進行は? そう、ラムダ。お前の計画のことだよ」

「へっ!!? は、はい! が、頑張っております!」

「……えーっと、どちらも順調です。自分がこのシュレイドに帰還する際、二機とも移送させました。……といっても、ラムダ。君のは大きすぎるからパーツごとだけど」

「えっ、あっ、はい! 光栄であります!」

 

 緊張のあまり、俺にまで凝り固まった応対をし始めるラムダ。こんな彼も竜機兵(イコール・ドラゴン・ウェポン)の一人なのだが、大丈夫だろうか。何だか、妙に心配になってくる。

 

「ということは、ミュー計画はもう?」

「はい。ミューなら、いつでも出動できますよ」

「そうか。はは。いや、そうか。それは素晴らしい。重畳(ちょうじょう)、重畳」

 

 そう言って、彼は満足そうに微笑んだ。

 二重顎が二つの曲線を描き出す様子。これが見える時は、大抵彼がご機嫌な時である。

 

「研究所の方も、順調ですよ。火山の地熱も、結晶のエネルギーも十分です。第三機目の竜機兵も、作成しております。……と言っても、こちらはやや難航気味ですが」

「うむ、うむ。おそらく、この流れが歴史を変えるだろう。やはり、この件を君に託したのは正解だったようだ。これからも期待しているよ」

 

 いつもは薄笑いを浮かべている彼が、今日は珍しく満足そうに微笑んでいた。ラムダのことといい、今日は不思議な日だ。普段のようにはいられないほど、激動の時期が近い――なんて、考え過ぎだろうか。

 そんな淡い思考に耽っていると、兵団副長は突然、革の靴を鳴らしながら踵を返した。そろそろ会議の時間だ、と葉巻を据え置きの灰箱に落としては、小さな一歩を重ね始める。

 そんな後姿を見ながら、ラムダは俺に小さく声をかけてきた。ひそひそ話でもするかのような、そんな素振りで。

 

「……どうしてローグさんって、副長と物怖じせずにそんな話せるんですか? 僕緊張しっぱなしなんですけど」

「お前と俺だって、付き合い長いだろ? それと一緒だよ。俺が今の地位にいられるのはあの人の後押しのおかげだし、随分長いこと世話になってるんだ」

 

 かつての父と同様に、故郷にいた俺を抜擢したエンデ副長。俺のことを高く買い、この竜機兵計画の中核へと推薦してくれた。彼なくして、今の俺はない。彼には感謝しかないのだ。

 一方で、気難しい顔のまま目を伏せるラムダ。根本的な部分で違う。そう言わんばかりに重い感情を乗せた溜息を、彼は小さく吐き出した。

 

「そういうもの……ですか。僕は、いつまで経ってもあの人が苦手です。僕ら竜人を見る目が、怖いです」

「あー……まぁ、それは、な」

「ローグさんは、僕らを道具として見ませんから。だから、ローグさんとは接しやすいんですけどね」

「……むしろ、俺の方が少数派な気もするけど」

 

 竜人は、出自が出自なだけ(・・・・・・・・)に、扱われ方に大きな差がある。俺と彼が、そのいい例なのかもしれない。

 なんて思いながら言葉を返したものの、しばらくの沈黙が俺たちの間に走る。城を吹き抜ける風の音と、空を駆ける飛空船の駆動音だけが耳を揺さぶっていた。

 少し、空気が重くなってしまっただろうか。ここは、話題を変えた方がいいかもしれない。なんて思った俺より早く、ラムダは新たな話題を口にする。そう思っていたのは、彼も同じだったようだ。

 

「……にしても、三機目の竜機兵、難しいんですか? ベータ計画でしたっけ」

「あー……そう、だな。二種類の属性の混合があれのテーマなんだけど、そう簡単にはいかなくてな。結局現段階の竜機兵は二機だけだ。いや、正確にはミューのしか完成してないけど」

「僕のって、どうなってます? パーツごととか何とか言ってましたけど」

「各パーツは完成したよ。今はそれをこっちに持ってきてるから、近いうちに結合させるわ。その時、お前にも試運転してもらうからな」

「は、はい……! 楽しみです!」

 

 嬉しそうに微笑む彼の様子を見ながら、俺も頬を綻ばせる。昔から変わらない邪気のないその笑みに、俺は心のどこかで安心しているのかもしれない。

 

 結晶の地研究所は、今も絶賛稼働中だ。

 シュレイドの海洋進出計画。大陸には多くの国が存在するため領土を軽々と広げることはできないが、海域ならまた別だ。それも、未開拓の海――さらにその先の未開の地ならなおのこと。

 そうして我々が進出した先が、あの新大陸である。人類未踏のあの地には、長大な蛇の亡骸が横たわっていた。まるで山に巻き付かんが如きそれを苗床にすることで、あの大陸は独自の生態系を有することとなったらしい。

 成分から察するに、あれは間違いなく古龍(ドラゴン)である。その他にも、あの地には数多くの古龍が訪れ、また果てていることが分かった。その結果、大地に染み付いた龍のエネルギーが溢れ、奥地の火山で結晶化したもの。それが、あの大地を埋め尽くす結晶の正体だ。

 古龍を含めた数多くの生き物が集まり、強大なエネルギーを有する大規模な火山があり、古龍の力を濃縮した結晶がある。あの地は、竜機兵を作るのにこれ以上ないほど適している環境だったのだ。

 

 

 

 

 

「……あべ、もう煙草ねぇや」

「相変わらずのヘビースモーカーっぷりですねぇ。体に悪いですよ」

「うるせぇな。家じゃミューが嫌がるから吸えないんだよ。こんな時くらい気ままに吸わせろ」

「口が寂しいなら、飴玉でも舐めます?」

 

 差し出された飴を渋々受け取って、包み紙を開ける。その瞬間だった。

 シュレイド城の鐘が、高らかに鳴り響く。それも、時刻を告げる鐘の音ではない。緊急時に鳴る鐘の音。何か異常事態に陥った際にだけ鳴る、召集の合図だった。

 

「……これって」

「もしかすると、もしかするかもですね」

「……はぁ。何を奢ってほしい?」

「揚げ物の美味しい店が、西通りにあるんですよ。そこでお願いします」

 

 軽口を交わしながら、踵を返す。先程エンデが消えていった回廊に向けて、俺とラムダは歩き出した。

 

 ――――集まった先で伝えられた内容は、ラムダの予想そのもの。とうとう、ゲイボルギアとの武力衝突へと、事態は発展したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ミュー! ミュー! どこだ!」

 

 召集の鐘が鳴り響いていたというのに、全く姿を現さないミュー。彼女の整備やメンテナンスを任されている俺は、必然的に彼女の捜索も任されることとなった。そのまま、シュレイドの街を東奔西走。インドア派の俺が、ここまで走らされることになるなんて。

 もしや、未だに自宅にいるのではないだろうか。なんて嫌な予感が走り、俺は自宅へと一直線に駆け出して。我が家の扉を、勢いよく手にかけた。

 玄関はもちろんのこと、リビングにその姿はない。トイレも空で、キッチンにも人の気配はなかった。ここでもないのか、なんて思いながら寝室のドアを開けた時、俺の体は思わず急停止する。

 

 ベッドにばら撒いた銀色の髪。あの青い瞳を、長いまつげと小振りな瞼で包み込んでは、幸せそうに眠る少女。陽も昇り切ったというのに、彼女――ミューは自宅で惰眠を貪り続けていたのだった。

 

「……マジかこいつ。いや、元々今日は訓練も入ってなかったもんな……あーでも今は非常時だしな……つか、こいつ」

 

 藍色の我が髪を掻き乱しながら、目の前の銀色の塊に目を向ける。

 むにゃむにゃと言葉にならない寝言を漏らしながら、寝返りをうつ彼女。そんな彼女が着ているのは、俺が今朝脱ぎ捨てたはずの寝間着用のシャツであって。

 ――どうして、こいつが着てやがる。

 

「おい、ミュー! ミュー! 起きろ!」

「……んぁ。……むぅぅ、おはよぅ……ろーぐ……」

「なーにがおはようだ、もう昼だぞ。ほら起きろ」

「うー……眠い……」

 

 何とか起こして、ベッドの上に彼女を座らせた。座らせたのだが――。

 それでも、彼女の意識は未だに朦朧としているようで、首をかくんと振り下ろす。サイズが合ってないためか、シャツの首元はどんどんずり下がり、左肩が露わになった。

 

「非常事態だ。ゲイボルギアの騎士軍とドンパチやるんだとさ」

「うぁー」

「奴ら、どうやらシュレイドの領内のモンスターに手を掛けたらしい。モンスターは、国の重要な資源。それの強奪は領土侵害に等しい行為だ。後は分かるな?」

「はにゃー」

「……とにかく、お前の出番だぞ。竜機兵の力、見せてやれ」

「…………くぅ」

 

 ぱたんと、俺に倒れ込むように。ミューは意識をなくしては、再び夢の世界へとダイヴする。

 

「だああぁぁ! 起きろぉ! 寝るなぁ! 大体お前、何で俺の寝間着着てやがんだ!」

「むぅー……うるさいなぁ……。だって、ローグいなくてつまらなかったんだもん」

「つまらないからって、人の寝間着着るか普通!? いいから起きろ! 顔洗え!」

「うー、分かったよぉ……」

 

 気だるげに起き上がり、洗面所に向けて歩き始めるミュー。起き上がったはいいものの、ここからが長かった。

 顔を洗わせ、髪を整えて、戦闘着へと着替えさせ。人形のように無抵抗な彼女をあれこれと世話をしていると、俺は竜機兵の整備士なのか、それとも彼女の保護者なのか、分からなくなってくる。

 ――出動が大幅に遅れてしまったのは、言うまでもないだろうか。

 

「パパー。歯磨き粉、もうないよ」

「誰がパパだ、誰がッ!!」

 

 






 時代設定って、難しいですよね。


 モンハン世界の各地で見られる古代文明。その現役時代が、本作品の時代設定となっているんですけど、これがまた難しい。スーパーサイバーチックなのは何だか似合わないし、どれくらいの科学水準なのかが何とも言えない。
 個人的には、遺伝子工学や生物学系の科学技術だけ異様に発達した、現実とはまた違った文明ってイメージです。だから町並みとかは欧州ファンタジー的かなぁ。ジブリ版ゲド戦記の街並みとか、あんな感じのが好きです。
 現代的なビルとかがあれば、それが残ってるはずですもんね。遺跡とか見る限り、そんな文明ではなかったのかな? あと旧時代らしく、古龍はドラゴン、飛竜はワイバーンって呼んでて欲しいです。文字数嵩むから、表記は漢字のまま書きますけども。
 本作における竜大戦は、人対竜ではありません。人対人、国家間の戦争です。それについて、これから少しずつ語っていければと思います。
 次回からは、ちゃんと竜機兵らしくいきたいなぁ。

 あっ、この世界の地図作りました。イメージの助けになれば幸いです。

【挿絵表示】

 周辺諸国は、多分作品内ではほとんど明記されないとは思います。まぁこんな感じの名前って捉えていただければ。名前の元ネタに気付いてもらえたら、嬉しいな。イタさましましなのが少し辛いけど(´・ω・`)



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銀鱗躍動(ぎんりんやくどう)



 勢いよく活動することの例え。




 重弩の弾ける音が響く。

 引き絞られた弩が雷管を蹴り上げ、中に詰められた火薬が炸裂する。その衝撃によって勢いよく筒から飛び出したその弾は、目の前で列を組む騎士団へと襲い掛かった。

 それを、落ち着いた動きで受け止める騎士たち。全身を白銀の鎧で身を包んだ彼らは、重厚な盾を構えながらも少しずつ進軍を開始する。列を組んだ彼らの、もう片方の手には。砂漠に生息する飛竜の如く、長く鋭い槍があった。

 

 シュレイド王国の東の端。同時に、ゲイボルギアの陸の端ともなるこの場所は、起伏の激しい山岳地帯だった。ゴツゴツとした岩肌が至るところに見え、何事かと言わんばかりに高台の上からは竜たちがその様子を窺っている。

 ――戦っているのは、人と人。片や、重弩で編制を組んだシュレイド軍。片や、騎士団で列を組んだゲイボルギア軍だ。

 

「くっそ……あいつら、無駄に固い鎧着てやがる。ただの弾じゃ穴も空かねぇぞ」

「馬鹿野郎、防具の隙間を狙えよな。目元や関節部分にゃ必ず隙間があるんだからよ」

「いや、ここでこそあの狙撃弾だよ。飛竜の甲殻すら軽々と貫くんだぜ? あんな鎧、紙みたいなもんだぜ」

「おいおい、それは竜を仕留めるために使えよ。コストが馬鹿にならないんだからさ。俺たちの本来の役目は、大量の資源を掻き集めることなんだからよ……」

 

 岩陰に隠れ、騎士団に向けて弩を向ける竜人たち。彼らはシュレイド王国の回収班である。それも、竜の素材を集めることを命じられているはずの。

 しかし今は非常事態。先日から非常に不安定だった両国間の関係は、今は大きくこじれていた。

 ゲイボルギアの討伐隊が、シュレイド領内の飛竜に手をかけた。それが発端となり、とうとう両国の部隊は武力衝突へと至ったのである。

 

 領内、と一口に言っても、そこに明確な線が引かれている訳ではない。両国の国境はただの山岳地帯となっており、非常に曖昧なものなのだ。そのため、自国の資源が侵害されたという理由でシュレイド王国が重い腰を上げたの対し、ゲイボルギア側からすれば突然シュレイド側から因縁をつけられ、それに応じたという形となる。

 ひょっとすると、この戦いは必然のものだったのかもしれない。

 

「ダメだ……やっぱ狙撃弾使おうぜ! このままじゃ埒が明かねぇ!」

「いや待て、機関弾はどうだ。これでハチの巣にするっていうのは」

「それよりも、岩を影に回り込もうや。背後に回れば、チャンスがあるんじゃないか」

 

 起伏が激しく、同時に死角も多いその環境。それを真正面から、列を組んでは進軍するゲイボルギア軍。一方で、シュレイド側といえば、重弩を持った兵士たち数人で隊を為している。それがいくつも、岩陰から騎士団を迎え撃っている状態なのだ。

 端の部隊は、少しずつ騎士団の横へ、そのまま後ろへと回り込む。この均衡した戦況を変えるために、彼らは動き始めたのだった。

 ――――その、瞬間。

 

「……ッ!? 上を見ろ! 竜だ!」

「ひ、飛竜っ!? 何でこんな時に!」

「畜生が! 撃ち落としてやらぁ!」

「……あれ? おい待て! あいつ、ただの飛竜じゃないぞ!」

 

 部隊の一人がそう声を荒げたのが早いか。隊員たちは、その飛竜の奇妙な風貌に眉を顰め始めた。

 燃え上がるような赤に染まったその甲殻。一対の翼には勇ましい模様が浮かび、一対の足からは毒液に滴った爪が伸びている。吐息の如く火炎を漏らすその姿は、火竜と呼ぶのが相応しい。後の世にて、リオレウスと呼ばれるようになる飛竜。それが力強く羽ばたいていた。

 しかし、その出で立ちは、本来の姿とは少々異なる。くすんだような鋼色に、反射する紫色の淡い光。あの騎士団の如く鎧で身を包んだその姿は、ただの飛竜でないことを如実に証明していた。

 

「……避けろっ!」

 

 回り込もうとしていた竜人部隊に向けて放たれた、灼熱の吐息。威嚇射撃と言わんばかりに直撃を避けたそれだが、衝撃と熱は容赦なく彼らに襲い掛かった。

 

「今だ! 突撃!」

 

 その瞬間、空を駆けるその竜から声が上げる。いや、正確には竜の、その背中から。

 それを契機に、ゲイボルギアの騎士団は槍を構えた。あの盾を利用した構えは軒並み捨て去り、その鋭利な槍を地面と平行になるよう振り下ろす。そのまま、彼らは駆け出した。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 誰が吠えたか早いか、彼らは一斉に声を上げる。隊列を為したその槍は、たった一つの言葉によって刺突の壁へと変貌したのだった。

 それが走り出した時、火炎を受けた竜人族たちは隊列を崩しては倒れ伏していた状態で。気付いた時には、その槍は回避不可能な距離にあり。

 

「……無駄な抵抗はよせ、造られし民よ」

 

 串刺しになる。そんな思いで顔を覆う竜人族たちに向けて、再び飛竜の上から声が飛ぶ。彼らが恐る恐る目を開けると、そこには寸止めされた槍があった。

 一方で、そんな彼らの前に舞い降りる飛竜。人を見ても暴れようとはせず、ただ唸るように喉を鳴らすだけであった。そう、まるで飼い慣らされたかのような。

 

「……っな!? 竜に、人が……!?」

 

 驚愕の声が上がるや否や、竜人たちは飛竜に向けて視線を注ぐ。

 その先に佇む飛竜の、その背中。鎧を纏った竜にまたがる、もう一人の騎士の姿が、そこにあった。

 

「我々ゲイボルギアは、竜を制し、竜と結び、竜を操る技術を得た。貴様たちシュレイドに、もはや後れをとる要素などない。即刻退却せよ。でなければ、その槍をそのまま突き刺そう」

 

 竜を制する?

 竜と結ぶ?

 竜を操る?

 そんな疑問の声が、口々に飛び交った。

 

 シュレイドの人々は、竜を資源として捉えている。

 一頭解体するだけで、多くの武器が並び、大量の雑貨が生み出され、良質な食材を得ることができるのだ。故に人にとって、竜は生活のために欠かせない資源であると。それが、彼らの認識だった。

 その一方で、ゲイボルギアといえば。彼らの一人は、何と飛竜に乗って現れた。その言葉はにわかには信用できないものの、しかし目の前の現象を否定できるかと言われればそうもいかない。気性が荒いはずの飛竜を手懐けるその姿は、竜を操ると言っても過言ではないのだろう。

 

「造られた民よ。即刻退却し、国に戻るがよい。そして我々ゲイボルギアの技術を、あの愚かな王に伝えよ」

「…………」

「我らは、慈悲深き騎士の国。背後から突こうなどというつもりは毛頭ない。さぁ」

「……生憎だけどさ、ここで降伏しても、俺たちは国から許してもらえないんだよ!」

 

 説き伏せるような口調のその騎士に向けて、槍を向けられていた竜人はそう応え――即座に、弩を構えた。

 しかしそれが火を吹く前に、槍が彼を軽く貫く。悲鳴が出る間もなく、彼の胸には穴が空いた。

 

「嘆かわしい……が、仕方ない」

「てめっ……ぐはっ!」

 

 それを契機に、騎士団の手の槍は唸り始める。諦めたかのように飛竜は舞い上がり、それを抑えようと周囲からは激しい弾幕が展開された。

 

 飛竜を狙った重弩は、激しい火を吹かせては質量の塊を撃ち出すものの、軽々と宙を舞うその巨体には掠ることもなかった。特殊な音色を放つ笛を口にして、その背の騎士は飛竜を縦横無尽に走らせる。そうして、生まれた隙には飛竜にブレスの指示をして。

 一つ、また一つと。戦場に火柱が上がり、戦士の悲鳴が上がる。

 一人、一人と影が消えていく。その中には鎧を着込む者の姿もあったが、それ以上に耳が長い者の方が多かった。

 

 いよいよ、シュレイド軍も残り僅か。この勢いのまま全滅させようと。飛竜は高く舞い上がり、その口元に激しい炎を燻らせる。

 

 ――その瞬間だった。

 轟音を立てながら空を貫く一陣の銀風が、その赤い鱗を穿ったのは。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……おー、やってらぁ」

 

 高速飛行船から、真下の戦場を見下ろした。シュレイドの航空技術の結晶とも言えるこの飛行船は、シュレイド城からこの国境まで、ものの数時間での渡航を可能にする。

 しかし、それをも超える速度であいつは飛び立った。あの眩しい銀鱗を躍動させながら、あいつは飛び出した。

 

 燃えるように息吹を撒き散らす、翼の先に付いた器官。いや、もはや翼と呼んでいいのか分からないほど歪なそれが、轟音と共に暴れ出す。

 その反動を利用して、銀色の体躯は勢いよく空を駆ける。空気抵抗をできる限り減らそうとデザインしたその体は、重力などまるで気に留めないままに飛竜へと突進した。明らかに出力の違うそれに、飛竜は戸惑うばかり。背に乗せた人間に気を回すこともできず、その射線から逃れようと急降下して。

 それを逃さず追撃する、銀色の影。突進、同時に翼に喰らい付く。

 

「うわっ……無茶するなぁミューの奴」

 

 その轟音は、翼から溢れる龍の炎によるものか。それとも、巨体が大地に叩き付けられた音によるものか。

 岩肌を抉るようにその身を転がした飛竜は、痛みに悶えるように大地を転がっていた。纏っていた鎧はもはや使い物にならず、彼が転がる度に音を立てては剥がれていく。

 その背に乗っていた騎士は、強く大地に叩き付けられ、ピクリとも動かなかった。打ちどころが悪かったのか。それとも、もう――――。

 

「隊長! おのれぇ!」

 

 突如乱入してきた謎の生物。そう解釈したのだろう一人の騎士が、槍を構えて走り出す。その先には、ホバリングでもするかのように羽を広げ、ふわりと舞い降りた影があった。

 

 龍と呼ぶべきか、竜と言うべきか。

 もしくは正しく、『竜機兵』と呼ぶべきだろうか。

 

 銀色の鱗に身を包んだそれは、鋭い流線形を描き出す。四肢を大地と繋ぎながら、長い尾で草を薙いで。赤く光る胸を唸らせると、翼から炎を噴出する。その姿は、あまりにも異様だった。自然界とは似ても似つかぬその風貌に、製作者の俺でも戦慄してしまう。

 それが、翼を掲げた。手でも挙げるかのように、その翼を掲げ――凄まじい速度で薙ぎ払う。炎で加速したその翼は、平手打ちの如く、駆ける騎士を弾き飛ばした。虫でも払うかのような、そんな素振りで。

 

「ミュー、その飛竜は持って帰ろう。仕留めてくれ」

 

 飛空船の上から拡声器を持っては、彼女に――竜機兵の中に入った彼女にそう指示をする。

 その言葉を受け取った彼女は、少し哀しそうな声を上げながらも俺を見上げた。青い瞳の中に、豆粒のような俺の影が映り込む。澄んだ青色に、くすんだ藍色が浮いていた。

 

竜機兵(イコール・ドラゴン・ウェポン)としての役目だろう? 頼む」

 

 渋々と。そんな言葉が似合う、彼女の素振り。その先で、怒りを露わにする飛竜が唸る。

 口元に燻らせていた炎を、彼は激しく撒き散らした。そのまま首を持ち上げて、喉の奥から灼熱の塊を捻り出す。それがばちばちと弾ける音を立てながら、まるで引き金を引いた重弩のように、大気に向けて駆け出した。

 

『――ごめんね』

 

 そう、ミューが呟いたような気がした。

 届くはずのない声が響いたかと思いきや、それは翼の炎が燃え上がる音へと変貌する。

 焼ける大気に、爛れる空気。そんな炎を、ぐるりと翼を旋回させ、飛竜へと向けるミュー。まるで手首のように、柔軟に向きを変えたその翼は、銀色の照準を飛竜へと合わせていた。

 そこから溢れだした、緋色の炎。

 単純な炎の塊を軽々と呑み込むその龍光が、この山岳地帯に瞬いた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……おつかれ、ミュー」

 

 対象を沈黙させ、戦況を一変させた竜機兵。その目の前に降り立って、彼女に向けて手を差し伸ばす。

 目の前の機竜は首を俺の腕の中まで下ろしつつ、ぐりぐりと頭を押し付けてきた。その少しひんやりとした鱗を撫でると、喉元からは心地よさそうな声が飛んでくる。

 そうやってミューを適当にあやしつつ、俺は戦況の方へと目をやるのだが――。

 死者多数、負傷者数人。敵大将を討ち取り、多くの捕虜を得た。しかしシュレイド側も、大きな痛手を負う結果となってしまったらしい。

 

「……あー、大将までやっちまったのはまずかったなぁ。とりあえず、飛竜と、その飛竜用の鎧を回収できただけでもマシとするか」

 

 顔を顰めていると、ミューがくるると哀しそうな声を漏らすから。そう気持ちを持ち直しては、もう一度彼女の額――といっても機竜の頭なのだが――を撫でる。

 

「まさか我々のところに救援が来るとは思いませんでした……感謝致します」

 

 そう言って、丁寧に敬礼をしてくれる竜人族。その後ろには、生き残った兵士たちが並んでいた。立場が立場なだけに、救援など期待していなかったのだろう。それだけに、喜びの反動は大きいと見える。

 

「あん? あぁ……来るのが遅くなってすまなかった。まさか、奴らがあんな妙なことをしてくるとは思わなくてな」

 

 わざわざそんなことを言いにくるなんて、随分丁寧な竜人だ。人格者なんだろうな、と思う。

 いたわりの思いを込めて言葉を返せば、彼らは照れくさそうに鼻の下を掻いた。そのまま、感嘆するような声色で言葉を並べ始める。

 

「それにしても、あれがシュレイドの最新兵器なのですね……凄い」

「俺たちが回収したものが、あんな形になってくるとはなぁ」

「貴方が、あの機竜の整備士ですよね? 本当に、凄い技術だ」

 

 自分たちの命を救ってくれた救世主。彼らにはミューが、そう見えているようだ。

 浴びせられる尊敬の眼差しは、何だか妙にくすぐったくて。でもそんな生やさしいものじゃないと、心の中で反論する。とはいえ、別にここで事を荒げる必要もない訳で。

 

「……いやいや。ただの、『他愛のない』兵器だよ」

 

 会話を切り上げたい。

 そんな思いを込めて適当に言葉を返しつつ、俺は焼け爛れた飛竜の亡骸を一瞥した。

 

 ――――人が、竜に乗っていただと? 気性の荒い飛竜を、従えていただと?

 

 にわかには信じ難いことだ。竜を操るなど、聞いたことがない。なんて馬鹿げた話なのだろう。しかし、彼らの話を聞いても、俺が見た光景を思い出しても、それはまごうことなき真実のようだった。エンデが言っていた、馬小屋のようなものというのは、もしや――――。

 

「……今回のこと、帰還してからより詳しく聴取するからな。負傷者も多い。とりあえず、全員飛空船に乗ってくれ」

 

 

 

 

 

 ぞろぞろと、飛空船へと乗り込んでいく竜人族の一団。一方で、ロープを伸ばしては飛竜の亡骸を回収する乗組員たち。

 その様子を眺めながら、竜機兵が喉を鳴らす声に耳を立てる。

 

「ミュー。『バルク』の調子はどうだ?」

 

 そう尋ねてみると、目の前の竜機兵――バルクの胸に亀裂が入る。縦に走ったそれを沿うように、その銀色の甲殻はゆっくり開き始めた。同時に開いたあばら骨の奥から、銀髪の少女が顔を出す。

 不満なのか、満足しているのか。どちらともとりにくい微妙な表情が、口を開いた。

 

「……少し、出力が強いかも。でも、まぁまぁ動きやすいよ」

 

 回路が閃き、導線からは光が漏れる。それらが肉で埋められた空間の、その奥で。ミューは、竜機兵(かのじょ)は薄く微笑んだ。その後頭部下からは、太いチューブが四本伸びており。それが、彼女と龍を力強く繋いでいて。

 

「そうか。じゃあ、計画は上々……かな」

 

 髪を後ろでひとまとめにして、肉と機械で構成された世界に身を埋めたミュー。そんな彼女に向けて、俺も口元を綻ばせる。

 

 

 

 

 

 ――――彼女は。ミューは、兵器だ。

 

 古龍の骨格をベースとし、結晶のエネルギーを投与し、機械工学の技術の下に多数の生命を繋ぎ合わせた存在。それを操作することのできる、唯一の存在。

 この世界に現れた最初の竜機兵は、適性のある竜人族と繋ぎ合わせて稼働する。そう、設計されていたのである。

 

 






 バルファルクほんとすき。


 時代が一体いつなのか、正確な年代は分かりません。その時代に、モンスターは一体どのような姿だったのか。それも分かりません。古代文明と現文明には、文化的に確固とした断絶があるため、一般的なモンスターの呼び名は、当時と今では異なるのかな、と私は感じます。そのため作中では、明確にモンスターの名を呼ぶことはないかもしれません(今回の前半は三人称で書いたので一応セーフ……のつもり)。古龍に関しては、古代文明から情報を得て(例えば遺跡に刻まれた内容から、とか)呼び名をつけてるっぽいんで、彼らの呼び名だけは共通で。個体にもよりますが。
 ついでに第一話に出てきた、クシャルダオラを討った古龍。あれはネルギガンテのつもりです。あれに関しては全く情報がなかった感じがしたので、明記はしませんでした。

 何故竜人族は、自分のことを卑下するような発言をするのか。それに関しては、次話で説明していきます。
 あとミューちゃん描きました。イメージはこんな感じ。

【挿絵表示】

 閲覧有り難うございました。



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志操堅固(しそうけんご)



 自分の志を一貫して守り、容易に変えないこと。




「――ローグさん。この前の国境の事件で、多くの竜人兵を救助したそうですね」

「あん? ……おう、ラムダか」

 

 シュレイドの城の、食堂横。王族やら、衛士やら、議会の連中が利用するこの大規模な食堂での一服を終え、その横のバルコニーへ出ていた俺とミュー。食べ過ぎて眠くなったとかいう彼女を膝に寝かせ、俺はベンチで夜空を眺めていた、そんな時だった。

 先日飯を奢ると約束した青年――ラムダ。彼が、妙に嬉しそうな顔をしては、俺の横に立っていた。

 

「何だ変な顔して」

「いや、ローグさんはほんと、ローグさんだなぁって」

「はぁ……?」

 

 何言ってるんだこいつは、なんて思いを乗せて彼の方に目をやれば。ラムダは、妙ににこにこと笑っては俺の横に腰かけてくる。

 

「今日は煙草吸わないんですね」

「ミューもいるしな。寝てるけど、吸ったら多分怒る」

「ほんと、ミューちゃんには甘いですよねぇ……飴舐めます?」

「おう、サンキュー」

 

 気さくな様子で、彼は俺に飴を差し出した。それを受け取りつつ、俺はもう一度空を眺める。

 珍しく棒付きのその飴は、俺の口の先からその棒を突き出そうとしていた。口の中でころころと飴を転がせば、その棒はくるくると曲線を描き始める。

 

「……で、ローグさん、竜人の兵たちを助けたんでしたっけ?」

「どうして話を振ってきた奴がそう確認してくるのか、俺には全く分かんないけど。まぁ、そうだな」

「竜人なんて放っておけばよいものを、なんて叱られませんでした?」

「あー。まぁ、小言は言われたなぁ。あんな言わなくてもいいのになぁ」

 

 ――いくらでも変わりがいるのだ。捨てておけばよかっただろうに。

 ――穀潰しどもを回収する方が、より不利益ではないか?

 ――適性がある者ならいざ知れず、ただの名もなき兵ならばなぁ。

 ――奴らは道具だ。道具は、消耗品だ。あとは分かるな?

 

「……思い出したら苛々してきたぞ。あれが国のために働いてる奴らへの言葉かよ」

「しょうがないですよ。だって僕らは、竜人族なんですから」

 

 困ったように、宥めるように。そこに、悲しい気持ちを必死に隠した、寂しげな笑顔。同じく竜人族の彼は、それで俺の気持ちを抑えようとする。

 

 そもそも竜人族とは何か。

 何故、竜人族はこうもシュレイド国民に蔑ろにされるのか。

 

 少しだけ人間より耳が長く、指の本数が一本少なく、足は竜の面影をよく残している。寿命が長く体は頑丈で、また知性に関しても申し分ない。それが、竜人族という種族の特徴だった。

 しかし、何故彼らは人間からこのような扱いを受けるのか。それは、彼らのルーツによるところが大きい。

 俺の膝で眠りこけるこいつも、この目の前の青年もまた竜人族だ。同時に、辛い思いをたくさんしてきた竜人族でもある。竜機兵に選ばれるだけの存在であっても、そこは変わらない。

 なんて思い返していると、ラムダは小さく息を吐いた。人が安心した時に胸を撫で下ろす時の、淡い息を。そうして、その赤い瞳で俺のことをじっと見る。

 

「……どうした?」

「ローグさんって、ほんとに優しいですよね」

「何だよ急に。気持ち悪いな」

「あの兵士たちを助けるし、僕なんかにも気にかけてくれるし。ミューちゃんのことも、凄く大事にしてますよね」

「あー……そう、かな。そうなのかなぁ」

「……素朴な疑問なんですけど、お二人はどうしてそんなに仲がいいんですか? もしかして、そういう関係?」

「いや、別にそんなんじゃないけど」

「あ、そう……ですか。へー……」

「兄妹みたいな感じだよ。いや、親子かな」

「えぇ……。一体なんでそんな……」

「うーん……語ろうか? 二人の出会い的なやつ。まー長くなるけどな!」

 

 面倒くさかったから、適当にそう返した。冗談めいたその口調で、ラムダがやっぱりいいですという姿をイメージしながら。

 けれど返ってきたのは、何だかわくわくとした表情で。とても興味を掻き立てられているような、目を輝かせた表情で。

 

「それちょっと気になります。聞きたいです」

「……マジ? 断ると思ったのに」

 

 予想外だった。予想外の返しだった。面倒くさかったことを、さらに面倒くさくしてしまうなんて。我ながらこれは悪手だったと感じてしまう。

 けれど、自分から振ってしまった手前、それを無下にする訳にもいかない訳で。俺は渋々と、顎を擦った。

 

「まぁいいや。えーっと、これは七、八年は前の話かなぁ――――

 

 

 

 

 

 ――繁華街を歩いていた。

 まだこのシュレイド城下町に越してきたばかりの俺は、目に映る物が全て新鮮で、輝いて見えていた。

 

「ローグ君、あんまりキョロキョロするな。君はこれからこの国の要となるのだから。この世界を変える幹となるのだから」

「あっ、はい。すみません、エンデさん」

 

 俺を抜擢してくれたエンデ副長補佐(・・)に連れられ、このシュレイドの町を横断して。就職祝いということで、何か好きなものを贈ろうじゃないか。そう言ってくれた彼の言葉に甘え、街を散策していたのだった。

 ステンドグラスが美しい教会は鐘を鳴らし。

 商店街には果物や野菜など、数々の品が立ち並び。

 それらを照らす街灯は、淡い電気の光を映していて。

 ジォ海よりさらに南下した、砂漠の国から出た俺にとって。文明の中枢といえるこの街は、未知のもので溢れていた。いずれこの世界を統治するであろうシュレイド王国。その光景が、うっすらと浮かんでくるような、そんな気さえする。

 

「……おぉ、凄い。エンデさん、あれはなんですか?」

「ん……あぁ、あれは回収班が仕留めた竜だよ。カノプスという、固い甲殻が特徴の飛竜だ。まぁ、甲殻が堅すぎるせいで機動性が失われていてな。俗に言う、間違った進化をしてしまったもの、とでも言おうか」

 

 どこか冷めた目でそう話してくれる、彼の視線の先。そこには、水色の光沢が特徴的な竜の姿があった。

 一般的な竜らしい姿形をしているが、幾分か小柄な飛竜だ。板状に広がった甲殻は非常に頑丈そうだが、あまりにも枚数が少ない。隙間も大きく、充分に体を守ることはできないだろう。その結果、こうしてシュレイドの人々に仕留められてしまったのか。

 そんな竜を荷車に乗せてはせっせと運んでいる者が数人。一見人かと思いきや、耳や指など、明らかに人間とは違う特徴が垣間見える人たちだった。

 

「……あの人たちは」

「おや? 君は竜人を見るのは初めてだったかな?」

「……竜人……」

「そう。我々シュレイドの技術の先駆けとも言える存在だ」

「……仰る意味がよく分かりません」

 

 どういう意図の発言か分からない。そんな意図で言葉を返すと、彼の口から放たれた言葉が飛んできた。全く予想していなかった、冷たい言葉が。

 

「――彼らは人の手で生み出された(・・・・・・・・・・)種族なのだよ。我々シュレイドが、人に竜の遺伝子を組み込むことでより良質な労働力を作ろうと。そう画策した結果な」

 

 人造の種族。彼は、何か特別な色を込める訳でもなく、普段通りの素振りでそう答えた。

 彼の話はこうだ。

 武器や生活用品、食材に建築物。あらゆるもので、竜は良き素材となる。

 これからは、竜を如何に資源として活用するかが国の技術力を左右するようになる、と。そんなことが議論の中枢となったのが、既に数十年前。

 そこから、竜をより効率よく集めるために、より能力の高い人種を作ろう。そんな考えの下、生み出されたのが竜人族という種族らしい。

 元が人の手で作られただけあって、彼らは商品として扱われている。俗に言う、奴隷階級だ。目の前で繰り広げられる竜人族の競りを見て、俺はそう察した。

 

「大柄な竜人族の雄だ! 力仕事から竜の回収など、何でも使えるぞ! さぁ最初は五百センからいってみよう!」

「七百!」

「いや、千だ!」

「千五百セン!」

 

 十数人の竜人族を並べては、彼らを名指しして数字を唱える人々。矢継ぎ早に数字を立て並べては回収し、竜人を譲渡する。そうして、次の竜人の競りへと移行していくその手際は、どこまでも作業的だった。

 先程までの華やかさとは一転し、暗い影が姿を現した瞬間だったかもしれない。しかし、この国の人々はそれを特に気に掛けることはなかった。エンデの話を聞く限り、これが数十年単位で行われていたとなると、それもまた当然なのかもしれない。

 

「最後の品はまだまだ小さいが、銀の髪が綺麗な雌の竜人だ。お子さんの遊び相手にするのもよし、お兄さん方の遊び相手にするのもよし! さぁ、いくら出す!?」

「よしっ、二千だ!」

「いや、二千六百セン!」

「三千出すぞ、三千!」

 

 残り一人となった竜人は、齢十二を越えたかどうか。それほどまでに幼い少女だった。

 伸びた前髪で見えない瞳。それで競り合う人間たちを眺めては、毛先の痛んだ銀の髪を風に揺らしている。

 

「……あんな子どもまで」

「竜人は長く使えるように長寿に造られていてな。あぁ見えて、あれも君と同年代か、もしくはそれ以上だよ」

 

 エンデは興味なさげにそう補足しつつ、踵を返す。俺はこの状況がどうしても胸に引っ掛かったが、彼にはついていかなければならないという葛藤に襲われた。だから、そのもやもやとした思いを何とか喉の奥に呑み込んで。

 自らを優先し、彼の後を追う。背後からは、あの少女が譲渡される声が響いていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 エンデによるこの街の紹介が終わり、新居への帰路に俺は立つ。

 緋色の光が目を照らし、その向こうからは藍色の空が滲み始めていた。もうすぐ、陽が沈む。

 

「……なんだか、なぁ」

 

 頬を撫でる風は、妙に湿っていて。色が反転しつつある空が、妙に気持ち悪くて。

 あの光景が頭から離れず、俺は少し気が抜けてしまったようだ。エンデの厚意にも応えることができず、結局祝いの品は先送りという形になってしまった。そうして解散した、夕暮れ時。

 家に帰る気も湧かず、ぶらぶらと路地を歩く。色褪せた路地を抜け、人通りのない噴水広場へと足を踏み入れて。

 そんな時だった。

 背後から、どん、と。何かが俺にぶつかってきたのは。

 

「あん……?」

 

 振り返った先に、小さな影。

 銀色のその髪は、沈みゆく緋色の光を映し。空の藍色を、優美に吸い込んで。少しずつ反転していくその色が映る姿は、何とも美しかった。文句を言うのも忘れ、その色に吸い込まれそうになる。

 

「ごっ……ごめんなさい……」

 

 ぶつかった少女はおずおずとそう言葉にし、慌てて走り出す。しかしその足取りは何とも不安定で、竜らしさが垣間見えるその裸足を交差するようにもつれさした。

 

「おっと……」

 

 危うく倒れそうになるその小さな体を、俺は慌てて掬い上げる。腕に、軽い重みが乗った。

 再び目の前に少女の姿が映り、そこで俺はその姿を思い出す。よくよく見れば、先程競りに出されていたはずの少女ではないだろうか。伸びた前髪から垣間見えるその顔に、俺は見覚えがあった。

 

 ボロボロでシンプルなワンピース。

 首に取り付けられた質素な枷。

 まるで海のように光を映す、澄んだ青色の瞳。

 

 いずれも、見覚えがある。見たことがある。先程の競りで、だろうか。

 近付いた顔に、よく見えるようになった表情で。彼女は慌てて、足を持ち直そうとする。しかしそれが裏目に出て、へたりと腰が落ちてしまった。

 

「おい、大丈夫か。ていうかお前、なんで一人に……?」

「……たっ……ほ、ほっといてください……」

 

 俺も腰を落としつつ、彼女の目線に自らの目線を交えさせる。しかし彼女はその目を逸らし、俺を拒絶するように顎を引いた。

 そもそも、何故この子がここにいるのだろう。この子はさっき、競りに出されていたのではないだろうか。誰かに買われたのではなかったのか。そんな疑問が次々と浮かぶが、カタカタと体を震わせるその姿を見ていると、いちいち質問する気にもなれなかった。

 そこへ、突然鳴り響く足音。金属特有の高く鳴り響く音に、俺は首を少し持ち上げる。丁度この少女がやってきた方向から、それが鳴っているような――。

 そう感じた、その瞬間。腕の中の少女は表情をより一層青ざめさせた。怯えるかのような素振りで、肩を首に近付ける。四本の指が、俺の服を強く握っていた。

 

「……お前、もしかして……」

 

 そう話しかけたものの、それは彼女には届いてないようで。

 とにかく、このままじゃまずい。俺の頭の中では、そんな警報が鳴り響いた。何とかして、彼女を隠さなければ。

 

「こっちだ!」

「ひゃっ……」

 

 あまりにも軽いその体を持ち上げて、広場の繁みへと身を隠す。その背後には丁度良い木箱があり、その影へと身を寄せた。

 その直後になだれ込んでくる、鎧の集団。近衛兵らしい団体が、荒々しく広場を踏み荒らした。

 

「どこだ! いるか!?」

「いや、こっちにはいないです。道を間違えましたかね……」

「逃亡した竜人、別方向に逃げた模様。とにかく、道を戻りましょう」

「人に背く竜人だ。反乱因子にならないとも断言できん。とにかく走れ! 絶対に逃がすな!」

 

 声を荒げる彼らはそう言い残し、再び雑踏の中へと消えていく。

 物騒な物言いだったが、彼らは確かに彼女を追っていた。それも、『逃亡』とも――――。

 

「……もう、行ったよ」

「…………」

 

 殺していた息を吐き出して、広場の方に目をやって。再び人の気配をなくしたその場を確認しつつ、小さく(うずくま)った彼女に向けてそう声をかけた。

 不安げに俺を見る彼女に、出来る限りの優しい表情を意識しながら。そっと頷いては、彼女の小さな頭をそっと撫でる。

 

「……君、逃げちゃったんだな。そうだよな、怖かったよな。辛かったよな」

 

 無言でされるがままの彼女に向けて、俺は言葉を並べ続けた。彼女がどう感じていたのか分からないけど、それでも俺が思ったことを。

 そんな言葉を少しずつ並べるうちに、彼女からは小さな嗚咽が漏れ始める。小さな小さな、抑え込むような嗚咽が。

 

「竜人は、そういう立場なのかもしれないけど。でも、やっぱり割り切れないもんな……」

 

 これは、彼女に向けてというより、自分に向けた言葉だろう。カルチャーショックもいいところで、どうすればよいのか分からない。もやもやとした思いが、胸の内に巣食うような、そんな気がした。

 その一方で、小さな声を漏らしていた少女。彼女は、突然。本当に突然、俺に飛び付いてきた。飛び付いたかと思いきや、俺の服を強く握って声を張る。心の内から訴えかけるような、悲痛な声で。

 

「あっ、あのっ……私のことはほっといて……ください……。このまま、見逃して、ください……私、『廃棄場』には送られたくない……っ」

 

 涙をぽろぽろと流してはそう言葉を連ねる少女。嗚咽のその向こうから、必死に引き絞るように。懸命に主張する彼女の言葉に、俺はすぐ返すことはできなかった。

 

「助けて……父さん、母さん……」

 

 名前も知らぬ少女だけど、このまま放っておいてはいけないような気がする。

 この胸のもやもやの原因となった少女が、今目の前で泣いていて。

 何もかも気怠く感じたきっかけが、今必死に俺に懇願していて。

 

 ――ふと、エンデの顔が浮かんだ。

 あの小太りの男の、どうしたものかと顎を二重にする顔が。

 

「……ダメだね。君にはちゃんと戻るべき場所に戻ってもらおう」

 

 ちょっと悪戯っぽくそう言った。

 きゅっと喉を鳴らす彼女に向けて、そう言った。

 

「取り敢えず、名前を押さえとかなきゃな。さぁ、君の名前を教えてくれ――――

 

 

 

 

 

 ――ってな感じでな」

「いやちょっと待ってくださいよ、これじゃローグさんただの悪い人でしょ」

「まぁ、悪いことはしたよな。エンデさんの贈り物を何とかミューにしてもらって、無理矢理彼女を引き取ったんだから。そりゃあ、ミューの買い手には悪いことしたよなぁ」

 

 少しばかりの引き笑いも含ませつつ、そう言った。膝の上で小さな寝息を立てる彼女の頭を、そっと撫でながら。

 銀色を彩る髪飾りが、しゃらんと綺麗な音を立てる。

 

「でも、やっぱり放っておけなかったよ。衝動的だったけど、ミューをこうして引き取ったことに後悔はしてない」

「……まぁ、ミューちゃんもローグさんと一緒の時が一番活き活きしてますしね。なんだかんだ、相性はいいんだと、外野の僕でも思いますよ。嫉妬しちゃうくらいに」

「そういうもん? そっかぁ」

 

 そう言われると、少し嬉しいかもしれない。

 少し口元を綻ばせて、もう一度彼女の頭を撫でる。少し鬱陶しそうな色を含んだ寝声が漏れてくるが、それもまた御愛嬌だ。

 

「しかし、話聞く限り本当衝動的ですよね。ローグさんって、もっと思慮深いと思ってたんですけど。買い物とか時間かかりそうだし」

「何だそれ。そんなことは……あるかもしれないけどさ」

「それともあれです? その時から、ミューちゃんの才能を感じ取ってた的な」

「あー……どうだろ」

 

 あの競りに出されていた少女は、今やこの国の最大戦力へとなっていた。

 竜機兵計画が発動され、国内の竜人に適性検査を行なった際。ダントツの適正値を叩き出したあの姿は、今でもよく覚えている。むしろ、俺がびっくりしたくらいだ。

 

「……何となく、懐かしい感じがしたからかなぁ」

「え? 何て?」

「いや、何でもない」

 

 ふと思ったことを呟いてみたけれど、自分でもいまいち釈然としないものがあった。聞こえなかったらしいラムダを適当にあしらいつつ、俺はすっかり無くなってしまった飴玉の棒を口から抜く。

 

 ミューを引き取ったことは、本当に急なことだ。俺にしては思い切ったことをしたと、我ながら自負している。けれど、今こうして彼女が彼女らしく生きている姿を見ていると、やっぱり引き取って良かったと思うんだ。後悔は、していない。

 

 ――――このことをエンデに話した際に、童女趣味だと疑われたことを除いては。

 

 後悔は、していないのだ。

 

 






 はいきました本作品の超独自設定要素くんその1


 竜人族ってそもそもなんや?
 そう思ったのが、全ての始まりでした。人から進化? 竜から進化? まずどうやって分化したのかも分からない。両者が繁殖するのも無理があるかなぁ。
 なんて考えてるうちに思い付いたのが、「竜機兵も作れる技術力があるなら、人造の人間だっていけるんじゃね? あの世界倫理観とか死んでそうだし」でした。その結果人類に生み出された新たな人種にして安く上質な労働力、それが竜人族。さらにその特性を生かし、彼らを核にして竜機兵を設計した……ってなったら凄く綺麗に収まったなぁと個人的には感じました。竜の体に入ってその操作をするのも、竜の遺伝子が組み込まれているのならやりやすいんじゃないかなぁって、思います。
 この作品はかなり独自設定の色が強いので、そこは謝ります。申し訳ありません。要素その1ってことで、まだまだあるんですけどね()
 閲覧有り難うございました。

 あと、一応の主役のローグさん。こんな感じです。
 
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緊褌一番(きんこんいちばん)



 気持ちを引き締め、覚悟を決めて取り掛かること。




 ここ最近、竜の動向に異変が確認されるようになった。

 

 我が国の領土は、そこまで広くない。ゲイボルギアと比べれば、その差は歴然だ。大陸の東――西竜洋から湿地帯を含み、ジォ海を挿む程度しかない。その南の砂漠地帯の国々とは友好条約を結んでいるものの、領土ではないのだ。

 一方、ゲイボルギアといえば。

 北の雪山から大陸中央部の火山地帯、南東の密林までという広大な領地を有している。その所々に小さな国を含むものの、依然としてあの国は非常に強大な存在だ。

 

 それなのに、我が領土の竜たちはここ最近奇妙な動きをしている。

 それはまるで、このシュレイドを畏れては逃げるかのように。領土から、少しずつ竜の姿が消えているのだ。

 ゲイボルギアが領内の竜に手を掛けている、からではない。彼らは先の一戦以降沈黙しているために、目立った武力衝突などは起きていないのである。両国の関係は、さながら水をかけられた焚火のように、しばし燻っていた。

 縄張り意識の強い大型の飛竜まで、少しずつその縄張りをずらしている。数週間前は飛び回っていた空域を、今では飛ぶ様子は見られない。まるで怯えているかのように、この国から離れていくのだ。

 

「――というのが、現在の我が国の深刻な問題だ」

 

 その一連の現象の説明をしたエンデ兵団副長は、そう締め括った。

 

「竜は、諸君らの知っての通り欠かせない資源である。そう、それは鍛冶の都市にとっての鉱山のように。海洋国家にとっての海産資源のように。我々は、竜を兵器に変える力を得た。故に、この事態を見逃す手はない」

 

 彼のかける眼鏡が、電灯の光を映しては妖しく光る。やや興奮気味に話す彼の顎は、いつも以上に揺れていた。

 

 竜機兵は、古龍や飛竜などを利用して造られている。先日結晶の地で回収することができた正体不明の古龍――『オーグ』と名付けられた――をベースにし、そこに数多の飛竜や古龍素材で肉付けしていく。さらに電子回路なり基盤なりを用いて神経組織を構成したもの。それが、竜機兵だ。

 本当に、オーグを回収することができたのは幸運という他ない。あの龍は、類稀な再生能力を有していた。ただの損傷ならば軽々と癒し、細胞を凄まじい速さで増殖、さらに結合させる力。それが奴の特性だった。

 その細胞を培養し、数多の部品と部品の間に植え付ける。それがバラバラの素材を繋ぎ合わせる決定打となったのである。それも、機竜の頭部に仮初の脳組織を構築させるほどの。

 

 今現在、活動可能な竜機兵は二体だ。

 一つは、我が家のミューが駆動させる銀鱗の機竜。オーグをベースに、クシャルダオラの銀鱗を用い、さらに空中制御能力に優れた飛竜の素材を投与した。

 そこに龍結晶のエネルギーを出力に変換させる機関を搭載したのが、あの機竜――――『バルク』である。

 本機竜のコンセプトは、スピードと遊撃性だ。それに応えるかのように、先日のミューは窮地に陥った国境戦に滑り込み、凄まじい性能を見せてくれた。

 

 もう一つは、オーグの骨格を参考にしつつ大量の素材を投与して造ったもの。

 骨格こそバルクと共通しているものの、こちらは殲滅力重視で建造したために大型化してしまった。あまりに大柄なために結晶の地で完成させることはできず、パーツごとにシュレイドに移送してはこちらで繋ぎ合わせたのである。

 先日には試運転を重ね、問題なく実用化ができた。適応者であるラムダとの相性も、上々である。

 

「――今我々は、『バルク』と『ゴグマゴグ』という二機の竜機兵を得た。この竜機兵技術は、今後シュレイド王国の主戦力となるだろう。この力をもって、我々はこの資源流出の問題を解決しなければならない!」

 

 そう、エンデが吠える。その力強い演出に、議会の連中は両掌を叩き合わせた。中には、席を立ち上がる者までいる。このシュレイド城の大ホールに、空気を含んだ破裂音が強く響いた。

 そんな彼の奥から、白い髪と髭の目立つ男が現れる。重厚なローブに身を包んだその人物は、頭に厳かな金の冠を乗せて。我が国の最高権力者――シュレイド王だった。

 

「以上の通りである。ここに、我らシュレイド王国は領土拡大を宣言する!」

 

 厳格なるその響きに、大ホールに集まった要人たちは拍手する手を収める。王の宣言に、緊張の雰囲気が漂い始め、ところどころから息を飲むような音が響いた。

 

「彼の国、ゲイボルギアの動向は皆知っての通りであろう。それも先日、彼らは竜に跨って現れた。彼らは『竜操術』と呼んでいたそうだが、深刻な不穏因子となりかねない動きである!」

 

 彼が話す度に、長く伸びた髭が揺れる。そう様子を眺めつつ、俺は彼の言葉に耳を傾けた。

 

「かの国の民は竜に魂を売り、人としての誇りを捨てた! 彼らは竜と徒党を組んだ畜生の輩共である。もはや、人に非ず! 討て! 竜共を討ち、新たな資源を創り出せ!」

 

 その声を引き金に、大量の歓声が上がる。溜まり切った鬱憤を晴らすかのような大声が、この城の中で反響した。

 内部のほとんどの者が、けたたましい歓声を上げている。多くの人物が主戦派であるとよく分かる、そんな光景だった。それを、俺は座りながらじっと眺めていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「戦争になりますね……」

「そうだな」

 

 あの集会が終わって数刻。藍色の空に黄金の月を輝かせる、妙に明るい夜だった。

 ミューは相変わらず集会に顔を出さず、自宅で眠りこけていた。訓練も重なって疲れているのだろう。俺は彼女を起こすこともなく、趣味の釣り道具を持っては家を出た。

 そんなこんなで、城下町の掘りの横。大きくも小さくもない水路の横にアウトドアチェアを展開しては、釣糸を水面に垂らしている。

 そこへ声をかけてくる存在。またこいつか。

 

「ラムダ、最近よく俺のとこ来るなぁ」

「いやー、僕ってあんまり友人いないんですよ」

「……人間はともかく、竜人同士でもいないのか」

「竜機兵の適応者って、肩身が狭いもんです。あいつ調子に乗りやがって、みたいな」

「あー……」

 

 水に揺れるルアーを眺めながら、そんな声が漏れる。考えてみれば、ミューも俺の他の誰かと親しくしているところなど見たことがない。ラムダと話すことこそあれど、少なくとも彼女はあまり関わろうとはしていない。

 確かに、彼らは竜人族の中でも浮いた存在なのかもしれない。人間からは道具のように扱われ、同族からは嫉妬の目で見られてしまう。彼ら適応者は、自らのあるべき場の縮小に繋がってしまうのだろうか。

 ――いずれ、竜機兵の中にしか居場所を見出せなくなってしまうのではないか。なんて、一抹の不安がよぎった。

 

「そう考えると、ミューもお前も俺のとこの居心地がいいって解釈していいのかな」

「僕はどうか分かんないですけど、ミューちゃんは間違いなくそうだと思いますよ」

「いやそこは逆だろ普通。何で自分のこと分かってないんだよ」

 

 相変わらずどこか抜けた返答をする彼に呆れつつ、俺は小さく息を吐く。彼は彼で、愉快そうにたははと笑っていた。

 

「……話戻しますけど、戦争ですね」

「あー……みんな乗り気だったな」

「しょうがないですよ。資源が流出していってしまうのなら、それを何とかしないといけませんですから。そうしなきゃ、国家が成り立ちません」

「そうは言ってもなぁ……戦争かぁ。この前みたいな、軽い小競り合いじゃ済まないんだろうなぁ」

「多分、多く死にますよ。……竜人族が」

 

 先程までの笑顔を収め、どこか悲観的な色を表情に差す。

 シュレイド王国の回収班、実動部隊のほとんどは竜人によって構成されている。元々が、それらに活用するために造り出された存在なのだから、それは致し方ないことなのかもしれないが。

 

「……竜人のことも考えなきゃ……だけど」

「だけど?」

「あいつら、ゲイボルギアの……何だっけ、あれさ」

「竜操術でしたっけ」

「そうそう、それそれ」

 

 ミューが相対したあの飛竜。あれは、不思議なことに鎧を纏い、鞍を乗せ、手綱をつけていた。

 人に使役されていることが明らかなその特徴に、背に人を乗せ、さらにその指示に従っていたという報告。エンデの言っていた、馬小屋のような建物が確認されるようになったという事実に照らし合わせるならば、その小屋は竜のためのものなのは明らかだ。

 王は、彼らを人ではないとした。彼らは、竜と徒党を組んだ竜同然の存在。掃討の対象となるのだろう。実際、先の小競り合いも彼らが先に手を出したとの報告を受けている。それが、戦争の口実だろうか。

 

「……あ、何か釣れた」

「ローグさん、釣り好きですよね」

「まぁな。確かにこうしてよくやるし」

「ミューちゃんも呆れてましたよ。ローグさんの釣り好きには困ったって」

「マジで? 確かに昔、深入り過ぎて遭難したこともあったけどさぁ」

「えっ……」

「いやー、のめり込んだ挙げ句川に落ちて流されてなぁ。死ぬかと思ったわ」

「……でも、そんなことがあっても、やめられないんですね」

「そういうこと。夜釣りはいいぞ、ほんと」

 

 何て言っていると、竿の先いが小さく揺れる。ふと感じた重みに、リールを手早く巻いた。

 重みといっても、身体を引っ張られるほどのものでもない。針先についていたのは、中指程度の小振りな魚だった。

 

「うーん、あんまり腹の足しにはならなそうだな。キャッチアンドリリースだ」

「夜釣りっていっても、こんな街の掘りじゃいいの釣れないと思いますよ」

「別に今日は大物狙いじゃないしな。ぼんやり考えごとができたらそれでいいかなって」

「あー、そういう……」

 

 アウトドアチェアに座る俺の向かい。そこに設置されたベンチに腰掛けては、ラムダはぼんやりと空を見上げる。妙に明るい月が、自らを強く主張しているような空だった。鮮やか過ぎて、逆に気持ち悪くなってくるような、そんな気さえする。

 彼の整った横顔を見ていると、ふとこの前の実験風景が頭をよぎった。あの巨体が研究所の敷地を闊歩する、雄大な姿を。

 

「『ゴグマゴグ』は、どうだ? 良い感じか?」

「あ、はい。凄くいいです。自分が何だか、凄く大きくなれたような気がして」

「それは何より……だけど、足元にはちゃんと気をつけろよ」

「大丈夫ですって。ちょっと油臭いのがあれですけどね」

 

 最近完成した竜機兵の二機目。ゴグマゴグと名付けられたそれを、ラムダは先日試運転していた。

 バルクと比べれば、見上げるような巨体をもつ機竜だ。それでも彼は、見事にそれを操作していたらしい。接続も、上手い具合にいっていたのだと思う。

 

「いいよなぁ、竜機兵。あれをバリバリ操ってる姿見ると、羨ましくなるよ」

「そういうもんですか? 結構しんどいんですよ。接続したり、動かしたりすると」

「そりゃ、あれ着て戦場行かなきゃならんだろうから、大変なのは分かるけどよ。でも、すっげー格好良いと思うんだ、俺は」

 

 様々な命を繋ぎ合わせ、新たな存在を作り出す。なんて深いテーマだろう。さらに、それに適応できた者は自らを機竜の中に組み込んで、内側からそれを操作する。それに、俺はロマンを感じずにはいられなかった。

 

「結構憧れがあるんだよ。ミューに適性があるのが判明して、強化訓練受ける際にさ。俺も可能性感じて一緒に頑張ってみたりしてな」

「はぁっ、そんなことしてたんですか!?」

「まぁ、デスクワーカー気質だから全然ダメだったけど。元々が竜人を対象にして造られてるし、人間じゃ一筋縄ではいかないだろうなぁ」

 

 人間用にカスタマイズすることを研究してみた日々が懐かしい。

 竜人の身体能力は人間より幾分か高いため、出力を抑えて人間でも搭乗できるようにするか。はたまた、人間そのものを竜人族並の性能に作り替えるか。色々と研究してみたものだ。

 コストが馬鹿にならないから、実行には移せなかったが。そもそも上から許可が下りないだろうけど。

 

「ローグさんも、結構変なとこあるんですね」

「変ってなんだよ。男だったら憧れるだろ、あぁいうのに」

「はぁ……そう、かなぁ」

 

 同調とまではいかないが、一定の理解を示そうとしてくれるラムダ。若干頬が引き攣っているが、今は言及しないでおこう。

 再び釣竿へと視線を滑らせる。今はルアーは沈黙し、静寂が続いていた。今日の引きはいまいちだろうか。

 

「……ローグさんは、どう思います? この戦争に」

「どう……って?」

「僕は、この戦争が正しいのかどうか、分からなくて。どう向き合えばいいのかなぁって」

「……正しい戦争なんて、あるもんかねぇ」

 

 少し引きを感じて、パッとリールを巻くも空回り。引き上げてみれば、餌は消えてなくなっていた。してやられたか。

 

「ラムダは、正義とか悪とか、結構気にするタイプ?」

「え? え、えぇ、まぁ」

「そっかぁ。聞いといてなんだけど、俺はそういうの気にしないタイプなんだよね」

 

 彼の考えと、少し反りが合わないかもしれない。それを先に主張しつつ、言葉を繋げる。彼の問いに対する、返答となる言葉を。

 

「俺らが領土拡大を図って、ゲイボルギアと戦争するのは正義だ。でも、それは彼らにとっても正義かって言われたらそうでもない。どっちかっていうと悪だよな。その逆もそうだろ。正義も悪も、戦争には関係ない。強いて言えば、どっちも正義でどっちも悪だ」

「…………」

「何が正しいかなんて、分かんないよな」

 

 ラムダが、どう返せばいいかと言わんばかりに顔を伏せた。何か思うところがあるようだが、それは言葉にならないようだ。

 一拍置いて彼の様子を窺うが、返答は難しいようだったから。俺は、もう少し言葉を繋げた。

 

「正しいかどうかって、疑ってみたら答えなんて出ないんだぜ。俺はな、最初に色を疑ったんだ」

「……? 色、ですか?」

「そう、色。目に見えてる……例えば、この空とかな。あれは本当に藍色なのかなって小さい頃に疑った」

「藍色かって……藍色でしょう」

「俺たちはみんな、物の色をその固有のものとして認識してる。けどそれは、目で見て脳で処理した情報でしかなくてさ。つまりそれは実像じゃなくて虚像なんだよ。だから、本当に夜空は藍色なのかどうかは分かんないのさ」

「えっ……えっ?」

「俺たちにとっては藍色に見えるこの空も、本当は何色なのか。虚像ではなく実像を捉えることができたなら、本当は何の色なのか分かるかもしれない。そう考えると、頭が凄く熱くなったよ」

 

 何を言ってるんだこの人は。なんて言わんばかりに、彼は首を傾げた。何だか困惑しているような表情だった。

 

「色への疑いは、ちっさい頃に持ってた積み木とか粘土とか、いろんなものに向かってな。んで、大きくなって視覚も触覚も全部脳で処理されていることを知ると、今度は触る感覚すら疑わしくなった」

「……え、えぇっと? 触る感覚……?」

「例えば、釣竿に触れるとするじゃん。ひんやりしてて、細くて。でも頑丈で頼りになる。そんな感覚もまた、脳で作り出されたイメージに過ぎないんだよ」

 

 そうして、言いたいことを言うために息を大きく吸って。言葉を、胸の中で反芻して。

 

「結局俺たちは、個々の感覚でしか物事を測れないんだ。俺たちにとって、ゲイボルギアとの関係は死活問題かもしれない。けど、この世界は、この宇宙は……実はプレパラートの上に乗った細胞液に過ぎないのかもしれない。世界として見れば、俺たちの問題なんてほんの些細な出来事なのかもしれない」

「……話が飛躍し過ぎてて、よく分かんないです」

「あー、だよな。ごめんな。つまり俺が言いたいのは、あんまり深く考えすぎてもどうしようもないってことだ。戦争に意味を見出だすなんて、それこそ無意味な行為だよ。それよりも、そこに生き甲斐を見出して生きていった方がいい……ってな」

 

 ローグさんの話は、時々意味の分からないことになる。そう言っては、ラムダは溜息をついた。

 確かに、これは俺の価値観に基づくことだから彼には理解しにくいだろう。しかし、これだけしんどい世の中なんだ。少しは何か、心にゆとりをもてるような何かがある方がいいと、俺は思う。少しでも心を依らせることのできる、何かが。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 この数日後。

 ローグとラムダが何ともなしに話していた、この正義でも悪でもある戦争は。いよいよ、現実的な存在となってこの世界に降り掛かった。

 シュレイド王国は、領土拡大を宣言し。ゲイボルギアはまた、シュレイド王国は我が軍を不当に侵害したとして。

 

 ――――誰かが『竜大戦』なんて呼び始めた戦争が、勃発したのである。

 

 






 次回から、いよいよ竜大戦突入です。


 竜大戦といえど、構図は国対国ですよね。しばりんぐ式解釈の竜大戦は、こうなりました。
 ハンター大全の竜機兵の項で、竜が徒党を組むっていう記述がありますけど、正直これ違和感があるんですよね。あくまでも生物な彼らが、縄張りの奪還こそすれど徒党を組んで襲い掛かるっていうのは不自然すぎると思いました。古龍なら亡骸回収の特性でまだ分かるけど、それ以外については違和感が強かった。個人的にはですけど。
 個々の縄張り奪還なら分かりますけど、それじゃ徒党を組むとも言えないですよね。帝征龍のように統率を図れる龍がいたのか、なんて思ったりもしましたけど……竜操術とかいう古代技術も無関係じゃないんじゃない? ていうのが、超独自設定要素その2。ついでにゲイボルギアって名前は竜操術と関連のある某ランスからきています。
 現場からは以上です。


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梟盧一擲(きょうろいってき)



 思い切ってさいころを投げる、大勝負に出ることの例え。




「おー……すっげぇ集まってんなぁ」

 

 双眼鏡を用いて、目の前の景色を覗く。

 かの国境となった山岳地帯。その奥にある平原からは、大多数の鎧が群がっていた。あの白銀の鎧に身を包み、重厚な盾と鋭利な槍を握ったその姿。ゲイボルギアの騎士たちが、鎧の壁と変貌してはこちらに向けて進軍しているのである。

 

 山岳地帯の上部。そこに設立された簡易拠点から目の前の光景を眺めていた俺は、そんな感嘆の声を漏らした。まさか、あれほどの大群を用意することができるとは。数にして、千にも届くのではないだろうか。

 一方で、あの竜操術なる力を行使する者の姿はない。純粋な槍使いたちの集まりである。まだ大量に用意することはできないのか、はたまた控えているだけなのか。

 

「竜操術……か。あの鎧を纏った竜は確認されているかね?」

「いえ、今のところは」

「そうか。奴らめ、出し惜しみでもしているのか」

 

 部下の報告を聞き、エンデ兵団副長は不快そうにそう吐き捨てた。

 出し惜しみ。その可能性は否めないだろう。楽観的に考えれば、手懐けた竜を軍備に回すことができるほどに技術が確立している訳ではない、ともとれる。しかしそう考えた場合、もしそうではなかった場合の対応に大きく後れをとることとなる。

 

「ミュー、ラムダ。いつでも出撃できるように、準備だけはしておいてくれるか?」

「……うん、分かった」

「はい、ローグさん」

 

 普段着ではなく戦闘服に身を包み、髪を高い位置でひとまとめにした二人。後頭部下の機械部分が、太陽光を反射する。

 

「竜機兵を即座に使えば、そりゃあの軍勢は楽に倒せるかもしれないけど。でも、エネルギー消費量は馬鹿にならないし。その後もし部隊を組んだ竜の集団が現れたら、ひとたまりもないかもしれない。今は準備だけして、待機しててくれ」

「……確かに、あれだけの兵を相手しようと思ったら結構消費させられますよねぇ」

「結晶をエネルギーに変えたのだって、あんまりたくさんはないもんね」

 

 俺の言い分を二人は納得してくれたのか、準備はしつつも機竜の中へは入らない。沈黙する巨体を前にしながら、じっとその時を待っていた。

 

「……よし。では、作戦を開始する!」

 

 そうエンデが声を張り上げて、それに機械仕掛けの信号を持った伝令係が反応して。

 ちか、ちかと。その手に持った信号を数回瞬かせる。電気を宿したその箱は、操作に応じて光を放つ仕組みとなっていた。その光のパターンを暗号化させ、各地に命令として伝える――それが、我がシュレイド軍の方式だ。

 その光に応じて、各地に集まっていた竜人の部隊が集結する。盾のついた巨大な重弩をもつ部隊が大きく横に並び、予め作成した堀と棘の壁の後ろを陣取った。その背後からは狙撃弾に特化した重弩を構える部隊が並び、左右には軽弩を持った遊撃部隊が散開する。

 戦法は単純。地形とシールドガンナーを壁として、背後から狙撃班が狙う。遊撃部隊は、その補助だ。

 

「おおおおぉぉぉぉッ!!」

 

 怒号が飛び交い、いよいよ戦火の狼煙が上がる。騎士たちは一斉に槍を構え、突進を繰り出した。大量の銀色が、様相を変えながら流れる様は圧巻と言えよう。

 それを迎え撃つはシールドガンナー部隊。不利な地形も薙ぎ払うかのように距離を詰める彼らに向けて、渾身の銃弾を撃ち放つ。解き放たれたそれは、空中で炸裂しては内部の細かな弾を一挙に押し出して。俗に言う散弾と言われるそれで、目の前の鎧をハチの巣にしようと大気を裂いた。

 

「まさか、あの重弩の壁にも臆せず突っ込むなんて……ゲイボルギアってやばいな」

「彼らは、槍こそ至高と捉えた騎士団の国家だ。例え竜に堕ちたとしても、その誇りは忘れんか。救えない奴らめ」

 

 その有様を見て、エンデは冷笑的に眉を歪める。如何に鎧が分厚かろうと、重弩の前では倒れるまでは時間の問題と言えた。このままでは、我が軍のシールドにすら到達できないだろう。倒れていく鎧を見ながら、俺は小さく鼻を鳴らした。

 しかし、当然奴らも馬鹿ではない。その先陣を切った槍の壁は、あくまでも囮。そう言わんばかりに彼らの隊列は少しずつ変化していく。

 

「ローグ、見て。騎士たちの動きが変わってる……」

「お、ほんとだ。……さては、左右から槍を伸ばす気かな」

 

 隊列は徐々にV字型へと変貌し始めていた。先鋒がその身を犠牲に重弩の部隊を引き止める傍ら、左右に部隊の足並みは少しずつずれていく。それが遠回りしつつも堀や棘の壁を避け、真横から重弩の壁を貫こうとしていた。

 その姿を確認しては、エンデは右手を上げる。無言のそれに素早く反応した伝達係は、再び信号を数回光らせた。各地から応答の光が飛び、それに合わせるかのように遊撃部隊が散開する。

 

 騎士の進撃を、遊撃部隊が塞き止めた。この展開は、その一言に尽きるだろう。

 彼らの持つ軽弩は、シールド部隊や狙撃部隊のように威力ある弾を撃つことはできない。その代わりに、比べ物にならないほどの機動性を有している。それを生かし、彼らは騎士団との距離を抑えながらも、彼らの散開を封じていた。槍の流れは、大きく停滞する。

 

「で、でも遊撃部隊じゃ防ぎ切ることはできないですよね……!? これじゃ抑えられないかも……も、もう出ましょうか!?」

「そう急くな、ラムダ。その時はこちらから指示をする。勝手な言動は控えろ」 

 

 慌てふためくラムダを、エンデはそう一蹴する。そうして興味無さげに彼から視線を逸らし、戦況を凝視した。

 叱られた犬のように落としたラムダの肩へ、俺はぽんと手を置いて。不安げにこちらを見る彼に、そっと頷いた。

 

「大丈夫。確かに、騎士団の進軍の力は凄いけど、でもそれは予想の範囲内だ。そろそろ、あれに触れるはず」

「あれ……?」

 

 俺の言葉に疑問を感じたであろう彼が首を傾げたその瞬間。

 どん、と。火薬が激しく燃え散る音が響き渡る。

 

「ひゃっ、爆発した……?」

 

 驚いてその長い耳を塞ぐミューの、その視線の先。

 遊撃部隊を追い込むように走る騎士団が、大きく弾け飛ぶ姿が見えた。彼らが踏んだ地面が、槍を擦らせた砂利が、激しく炸裂したのだった。

 

「起爆弾っていってな、地雷みたいなのを仕込んでるんだ。遊撃部隊もろとも貫いてやるなんて、そうテンション上がっている奴らを下からドン、だ。まぁ、隊列は崩壊するわな」

「いいぞ。そこからだ。そこから、抑え込め……!」

 

 エンデは、瞳孔の開いた瞳で戦場を凝視し、呪詛のようにそう漏らす。それが彼らを駆り立てるかのように、遊撃部隊は徐々に距離を詰め始めた。隊列が崩れ、突進力を失った騎士団へと。

 起爆弾の誘発は、左右どちらの部隊にも発生した。周りの状況を見て、地雷原を踏み越すことを留まった部隊もある。しかし、そうなれば彼らは急停止しなければならず。停止した騎士団は、狙撃犯にとって格好の的であり。

 

 左右から攻めるという騎士団の戦法を抑え込んだシュレイド軍は、徐々に徐々に、彼らを南東へと押し込んでいく。シールドガンナー部隊は堀を超え、狙撃弾は敵を撃ち抜いて、遊撃隊は少しずつ出る杭を圧迫する。そうして隊列の崩れた騎士団は、南東のジォ海沿岸へと抑え込まれる形になった。

 周囲を重弩で囲まれて、周りから少しずつ撃ち抜かれていく。隊列が崩れているために突進を繰り出すのに時間が掛かり、さらに倒れた同胞たちが足枷となっていた。あれは、もはや簡易的な肉の壁だ。

 そう、それはアンを包むパンのように。アンがパンに触れるのは、パンと接する部分だけだ。大部分のアンはパンに触れることなく、中身の奥で沈黙を余儀なくされる。今目の前で出来上がりつつある構図も、それと同じだった。

 シュレイド軍と交戦できるのは、周りを囲う騎士ばかりで。その騎士団丸ごと囲おうとするシュレイド軍に、アンさながらに中でもたつく騎士たちは何もできず。少しずつ、戦力が削られていく状況。これは、王手ではなかろうか。

 

「……僕たち、出撃しなくても大丈夫だったかもですね」

「だな。まぁ、それに越したことはないけどさ」

「…………」

 

 ほっと胸を撫で下ろすラムダ。俺も、彼らが出なくても良いならばと思うと自然に頬が綻んだ。

 しかし、そこに加わろうとせずに渋い顔をする人物が二人。一人は、相変わらず瞳孔を開けたエンデ。そしてもう一人は、何かに集中するかのように目を閉じているミューだった。

 

「ミュー、どうした?」

「…………」

「ミューちゃん、どうしたの?」

「何だそんな仏頂面してよ。良かったじゃないか、出撃せずに済ん――」

「うるさい、黙って」

 

 突然伸びた彼女の小さな手が、俺の口をぎゅっと抑えつけた。

 突然どうしたと言おうとして、しかし彼女の何かに耳を澄ませているかのような顔を認識する。だからそれをぐっと抑え込んで、彼女が何か言い始めるのを待った。

 

「……来る」

「あん?」

「……上から、来る。地を搔く音……羽ばたく音が聞こえる……。それも、十数頭……」

「……ミューちゃん、それって……」

「ローグ君! 来るぞ!」

 

 意味深な彼女の言葉を掻き消すように、エンデが突然声を張る。

 そんな彼が見上げていたのは、憂鬱な様子で曇った灰色の空。そこから、橙色に輝く何かが煌めいた。

 

「うおっ……!」

 

 反射的に腕を掲げては顔を守ろうとして。ともすれば突然、か細い腕が俺を抱え込んで。少女の柔らかい胸に庇われながら、俺は必死に眼鏡を抑えた。

 同時に、炎が弾けるかのような衝撃があの戦場の中で瞬く。それがシュレイドの部隊を力強く掻き乱し、騎士団を覆う隊列を著しく崩壊させた。

 火柱が数本上がったその上からは、赤や緑、中には蒼色や桜色をした飛竜が舞い降りて。

 そのどれもがあの奇妙な鎧を纏い、またその背には重厚な騎士を乗せていて。

 

「やはり来たか……」

 

 それは紛れもない、竜操騎兵――竜操術を行使した騎士だった。

 あの雑多の騎士たちよりも、明らかに階級が上な彼ら。先日の小競り合いから考えると、隊長クラスか、もしくはそれ以上か。

 いよいよ、奴らが姿を現した。エンデが唸る通り、彼らは出し惜しみしているだけだったようだ。で、あれば。こちらとしても、出し惜しみをする必要はない。

 

「ラムダ、ミュー! 出撃だ!」

「はい!」

「……分かった」

「うん。分かってくれるか。分かってくれるなら、いい加減その手を放してくれないかなぁ」

 

 出撃だ、なんてかっこよくいったものの、それはミューにぎゅっと抱きしめられたまま言っていた訳で。俺からは見えないけれど、ラムダの目線で見たそれは相当に滑稽だったんだろうと思う。

 それでもなお、ミューは俺を離そうとしない。まるで充電中のからくりのように、俺の頭を抱き続けていた。

 

「……怖いか? 大丈夫だ。お前はあんな奴らに負けないよ。俺が保証する」

「別にそうじゃないんだけど……ローグも、気をつけてね」

 

 名残惜しそうに彼女はそう言って、俺の頭をそっと離す。密着していた温もりが消えて少し寂しい気もしたが、今は非常時だと心を奮い立たせた。

 二人の竜機兵は、整備士の補助もあってそれぞれの機体に乗り込んでいく。

 まるで機械のように沈黙していたその肉と金属の塊は、あばら部分を待ちわびていたと言わんばかりに開いた。そこから四本のチューブが伸びて、各々の頭に突き刺さる。

 

「んっ……」

「うぁ……」

 

 二人曰く、この瞬間が結構気持ち悪いとのこと。神経組織が一時的に繋がるのだから、それは俺では想像もできないような感覚なのだろう。今のところシンクロ率は八十パーセントを目途に設定しているが、それを加味しても気持ち悪いそうだ。

 そうして両者が接続されて、初めて機竜の目に光が灯った。金属が音を立てながら回転し、それと同時に継ぎ接ぎの肉が脈動を始める。

 まるで臓器のようにどくどくと揺れるそれらは、一種の不気味さと奇妙な勇ましさを俺の心に植え付けた。

 

「……じゃ、行ってくるね」

「行ってきます……!」

「あぁ、いってらっしゃい。……気をつけて」

 

 背後から伸びた、機械のアームと肉の腕。それらに掴まれて、二人は徐々に機竜の肉の中に埋もれていく。段々見えなくなる二人に手を振りながら、俺は竜機兵の本格的な出陣を目に焼き付けた。

 開いたあばらが締まり始め、隅に寄せられていた甲殻はゆっくりと閉じ始める。そうして二人の姿が全く見えなくなったところで、世界でたった二機の竜機兵は咆哮を上げた。

 片方、まるで鳥のように甲高い咆哮を。もう片方、まるで壊れた機械のようなおどろおどろしい咆哮を。

 

「……お前らなら、大丈夫。無事に戻れよ」

 

 翼を広げては飛び立つ機体を、ゆっくり腰を上げては巨体を滑らせる機体を見送りながら、俺はそう呟いて。二人が向かう戦場の方へと、ゆっくり視線を滑らせる。

 戦況は一転。先程まで有利にことを進め、隊列を崩したゲイボルギアを削っていたはずのシュレイド軍。今では彼らの方が隊列を崩し、騎士の操る飛竜に追いかけ回されていた。

 人にも竜にも穴を空ける狙撃弾は、反動が大きく取り回しも良いとは言い難い。シールドも耐久力こそあれど、飛竜が数体襲い掛かってくる場合は話が異なる。遊撃部隊も飛竜のブレスに尽く焼かれ、戦場はもはや混乱状態だった。

 一方で状況が一転したことを好機と見なし、竜に乗らない騎士団も再び槍を掲げ始める。包囲網は崩れ、これ以上ないほどシュレイド側が不利な状態へとなっていた。竜人たちの悲鳴が、各地から溢れ始め――。

 

「――――ッ!!」

 

 そんな状況を蹴散らすような、その吐息。弾ける寸前の火薬を、さながら液体の形に留めたかのような光が降り掛かる。

 それは、尾を振っては竜人兵を薙ぎ払う飛竜の、その足元に。足元に広がった草原を塗りたくるように、地面に吸い込まれていく。

 

 液状だ。その様相は、どろどろの粘液のようだ。緋色に染まったその粘液は、熱線状に地面を焼いてはそこに滞留していって。

 直後、炸裂。滞留し切ったそれは、さながら熱膨張の如く。その真上で怯む飛竜ごと包み込む、巨大な衝撃波へと変貌した。

 

 熱炎を口から撒き散らす飛竜でさえ、問答無用で火だるまにしてしまうその熱量。それを放射した張本人は、大地を薄く震わせながら戦場へと顔を出す。

 黒ずんだ粘液に全身を浸した、おぞましい風貌。見上げるような巨体に、要塞のような鱗をもって。鉄柱の如き翼脚で、大地を強く踏み締めて。

 

 対人兵器の真骨頂。

 ――ラムダが適応せし竜機兵『ゴグマゴグ』が、あの重低音の咆哮を轟かせた。

 

 

 

 

 

「……素晴らしい。素晴らしいよ、ローグ君! あの熱線、あの火力! これぞ、世界を統べる者に相応しい力だ!」

「は、はぁ……」

「これだよ……これを待っていたんだ。この力があれば、世界はシュレイドの物になるだろう。他国にも、龍にも脅かされない、強靭な支配者に……!」

 

 唐突に響く声。それが聞こえた方に首を動かせば、喜びに打ち震えるエンデの姿があった。ゴグマゴグが早速竜操騎兵を討った姿を前に、口角が上がるのを抑えられないようだ。

 狂気的な笑みを浮かべては、子どものようにはしゃぐその姿。俺も大概だが、この人も竜機兵にかなり魅入られていると見える。

 

「竜は、力の象徴だ。それを模した竜機兵は、我が国の象徴ともなる。それはつまり、我が国の力の象徴に……世界の王の象徴に! 素晴らしい……!」

 

 湿った引き笑いを口から漏らす視線の先。そこには十数頭の竜が、突如現れた二体の機竜に翻弄される姿があった。

 あまりに大きな体は、飛竜の吐息などまるで大した反応を見せず、軌跡を描く銀色の光は飛び交う竜を執拗に落としていく。何とも異常で、また心が沸き立つような光景だった。

 

 ――それに見入ってしまったせいだろうか。

 俺は、背後から聞こえた音に反応が遅れてしまった。

 大気を焦がすような臭いに、赤く焼けたような鱗。あまりにも肥大化した前脚の爪が、簡易拠点の背後の岩を削るその音。

 

 俺が、はっと背後を振り返った瞬間には。

 その、瞬間には。

 

 






 前半がマジて原作詐欺。ごめんなさい。


 マジで謎の人対人。これFEの二次創作だったかなと錯覚しかけました。あの世界にはドラゴンナイトとかいますしねぇ。マジで竜操術ですよねぇ。
 ということで、ついにラムダさんの竜機兵が登場しました。みんな大好き、それマジオス?先輩です。
 いや、正直あれは竜機兵だと思ったんですけどね。カプコンは尤もらしい説明を乗せて、私も確かに納得はしましたけど。ただどうしても穿った考え方をしてしまって、それもギルドが人民を混乱させないために流布したデマなんじゃないかなって。ドンドルマという、大衆にどうしても知られてしまう場に出てきてしまったからこそ、存在自体を隠し通すことはできないから。だから、虚偽の情報で数ある古龍の一種としたんじゃないかなぁって。そんな風にも考えてしまうんです。
 この作品の竜機兵も結構な独自解釈をしてますが、とある法則性があるんですよね。あと個人的に好きな古龍だから、単純に文章にしてみたいっていうアレ。
 長々とすみません。閲覧有り難うございました。


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撼天動地(かんてんどうち)



 目覚ましい活動。また、大事業を為すこと。




 飛竜が、足先の爪を振るう。空中だというのに、その巨体を思うがままに制御して、獲物を掴むかのように振るわれたその穂先。

 しかし、銀色の光はそれを軽々と躱す。

 背中――いや、翼の尻から溢れ出た、緋色の光。澄んだような、濁ったような。どちらともとれないその光は、淡い火の粉を撒き散らしては銀の体を押し上げた。そのまま急激に加速して、飛竜の上へと躍り出る。彼の毒爪など止まって見えるかのような、そんな圧倒的な速度差で。

 上をとった銀色の機竜――バルクは、その異様な翼を大きく広げた。まるで人間の掌のようなそれを、張り手の如く限界まで開いて。飛竜を指差すかのように、広げた先を輝かせて。

 直後、銀の体を押し上げていた光が、飛竜へと降り注いだ。

 

 墜ちゆく蒼き飛竜を背景に、油まみれの機竜は唸り声を上げる。そうして両手を――いや、翼を。まるで鉄柱のように武骨で巨大なその翼を、力強く振り上げた。

 その翼の先には、前脚とよく似た複雑な手がついている。それを、大地を割らんとする勢いで、足元にまとわりつく外敵を蹴散らすように、振り下ろした。

 瞬間、草原がえぐれ、大地が爆ぜる。あまりの力にその翼脚は大地へと吸い込まれ、同時に大量の土砂が降り注いだ。それに白銀の騎士たちは何とか応戦するものの、次第にその巨体に薙ぎ払われていく。

 

 戦況は、またもや拮抗の状態へと突入した。

 たかが並の飛竜単体では竜機兵はまるで相手にならず、複数で隊を為してはバルクへと襲い掛かる。多数の火球で動きを牽制しつつ、滑空と爪で会心の一撃を狙う様。竜たちの入り乱れる空中戦には、多くの兵が見惚れていた。

 一方でシュレイド軍を庇うように立ったゴグマゴグ。彼には、数多の騎士が襲い掛かる。翼脚を激しく大地に擦らせて、極太の尾で周囲を薙ぎ払った。

 ちまちまと足元を突かれるのが鬱陶しいのか、彼は低い唸り声を上げるものの、それは大したダメージにはなっていないようだ。ただ、その刺突の数が徐々に減っていく。

 

 領地を拡大し、さらなる資源を自らのものにしようと牙を剥いたシュレイド王国。

 自らの資源を守るため、その牙を防ぐゲイボルギア。

 両者が正式にその牙を競い合った最初の日。国境地帯を激しく削るその戦いは、さながら人と竜が争っているようにも見えた。

 

 そんな国境を囲う山岳の、上部。シュレイド軍の簡易拠点が築かれた頂で。真紅に染まった竜が、その厳かな岩を荒く削り取る。

 その直後。何の脈絡もなく、彼らの簡易拠点は弾け飛んだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 本当に、唐突だった。

 背後に何かが現れて、それが唸り声を上げる。はっと気付いてそちらを振り向いた瞬間。あまりにも太すぎる爪が、目の前に迫っていた。

 我ながら、あの強化訓練を受けておいてよかったと思う。本当に突然だったけど、何とか脚は動いた。肉がつき過ぎて動けないであろうエンデを抱えて、その爪から逃れることはできた。そうしてゴロゴロと、彼と共に簡易拠点から転がり逃げる。

 その直後のことだった。簡易拠点が突然爆発したのは。

 

「……えっ……!?」

 

 それはまるで、もやのように。

 奴の体から零れ落ちたもやが、爪の火花に反応したかのように。

 あまりにも唐突なその爆発に、俺もエンデも言葉を失ってしまう。

 

 赤黒い鱗。血走った眼。よく発達した前脚に翼膜が伸びたその姿は、飛竜の中でもとりわけ原始的な色をよく残したもの。地層の奥に眠っていた古き化石――レックスと酷似した姿の奴は、その直後に凄まじい咆哮を上げる。

 またもや爆発が起こったのかと、そう錯覚してしまうほどに凄まじい衝撃だった。あまりの音圧に、俺たちは再び弾き飛ばされる。

 

「なっ……!」

「うわっ……!」

 

 吹き飛ばされた先には、荒く肌を剥き出しにした岩があって。その岩肌に打ち付けられては、そのまま重力のままに地面へと滑り落ちる。

 肺が膨らみ過ぎたかのような、変な感覚だ。パンパンになったそれがあばらを押し付ける、嫌な感触。

 それが息になって溢れ出てきたかと思えば、どろっと胃の中のものが零れ落ちた。

 

「げほっ……エンデさん、エンデさん! 大丈夫ですか!」

 

 その嫌な感覚を何とか抑えつけ、無理矢理体を起こす俺。

 その真横で、エンデは痛みにうずくまっていた。耐えるように顔を歪める彼の額には、嫌な色の脂汗が浮かんでいる。

 

「……何だよ、こいつ。どっから……」

 

 信号を持ち歩いていた、伝令も。

 エンデの補佐に尽力していた部下たちも。

 竜機兵の整備に勤しんだ、整備士たちも。

 みな、あの竜に薙ぎ払われたようだった。張り幕と机程度で構成されていたあの拠点は、今や燃え盛る業火と変わり果てている。竜の怒りを具現化したような、重苦しい紅色へと。

 そこへ差し掛かる、澄んだ緋色。

 顔を上げれば、銀色の巨体が空を駆け上がり、俺の真横へと降り立つ姿が目に入った。猛烈な風に危うく飛ばされそうになるのを何とか抑えながら、俺は目の前の巨体に向けて驚愕の声を投げかける。

 

「ミュー!? お前……こっち戻ってきたのか!?」

 

 普段はどこか藍色が差し掛かったような、そんな薄暗い銀に染め上げた彼女の体。

 それが、今は紅蓮の竜の光を浴びては淡い緋色を差している。そんな、色が反転した彼女が、心配そうに俺に擦り寄ってきた。

 

「わっ、ちょっ……待て! 大丈夫っ、俺は大丈夫だから!」

 

 くるる、なんて可愛らしい声を上げながら。彼女は何度も、その頭を俺の頬に擦り付ける。

 どうやら、俺のことを心配して戻ってきてくれたようだ。その気持ちは嬉しいのだが、その銀鱗に擦られるのは嬉しくない。

 元々クシャルダオラの鋼の鱗を加工して作り出したもんだから、それでぐりぐりと擦られるのは結構痛いのだ。その気持ちを声に変えては、彼女の行為を何とかやめさせる。

 

「……あいつ、何なんだ? 鞍も鎧もないし、野生の飛竜……らしいけど。たまたま乱入してきたのか……?」

 

 レックスの姿をよく残した飛竜は、各地で確認される。それこそ俺の故郷の砂漠に行けば、彼の横暴っぷりを嫌でも見せつけられたものだ。

 しかし、目の前の奴は、俺の知るレックスとは少し違っていた。

 本来のレックスは、砂漠に溶け込むような色でその身を染めている。しかし奴は、真紅の塗料でも被ったのか、なんて。そう感じさせられるほど、あまりにもかけ離れた体色をしていた。

 そして何より、その体格。

 一回り、いや二回りは大きい。それこそバルクなど悠に超える体格だ。それを振りかざす奴は、あの空を飛んでいる飛竜たちより数倍は上回る脅威だと、デスクワーカーの俺でさえ本能的に感じた。同時に、それに伴う資源としての価値の高さにも。

 

「……ミュー、いけるか。もしできるなら、あいつを仕留めたい。頼めるか?」

 

 この前の、ゲイボルギアの所有する飛竜を狩った時のように。

 ミューはまた、哀しい声を上げるかもしれない。優しい彼女に、また辛い思いをさせてしまうかもしれない。

 

 なんて心配は杞憂だった。

 ミューは、力強い唸り声を上げながら、その竜に向けて襲い掛かる。先程の竜操騎兵との戦いよりも、幾分か本腰を入れたようにさえ見える炎。それはそのまま、超速度の突進へと成り変わった。

 あの竜は、並外れた強さをもつ個体だろう。ミューのあの突進を紙一重で躱し切るその動きに、俺はそう感じざるを得なかった。

 人と竜が入り乱れるこの戦場にためらいなく乱入し、その全てに向けて宣戦布告の咆哮を上げる。何とも豪胆な性格をした奴だ。それだけ、自らの力に自信があるのか。敗北という概念をも、知らないのだろうか。

 

「……いけ、ミュー。あいつに教えてやれ。敗北の味を……っ!」

 

 そんな彼の背後にて。

 空を貫いたミューは、あの掌のような翼を再び展開する。それで巨体を急停止させては、今度は来た道を戻るかのように再び炎を撒き散らした。

 直後、音が弾ける。赤い鱗に食い込む、彼女の鋭い牙。それが巨大なレックスを咥え込み、緋色の炎が勢いよく噴射された。

 そうして、奴を岩肌に擦り付けながら大地に向けて爆走。奴の悲鳴と岩が剥がれる音が、この山岳地帯に木霊する。

 

 どん、と音を立てて、大地に転がるあの巨体。それと同時に投げ出されたならば、全身を使ってその怒りを露わにした。あの太い爪で大地を搔きながら、ミューに相対するように首を持ち上げる。

 その際に轢かれた騎士たちには目もくれず、彼はその太い喉を最大限震わせた。大地も揺らしかねない咆哮を、再び撃ち出した。

 

 戦場は正に、阿鼻叫喚だ。

 突如として謎の竜がシュレイドの設置本部を襲撃する。それだけでも我が軍の兵の士気を下げるというのに、その本人ならぬ本竜が、流れるように同じ土俵へと転がり込んできたのだ。混乱するのも無理ないだろう。

 一方でゲイボルギア軍も、巨大な機竜だけを相手してはいられなくなった。訳の分からない紅蓮の竜に、動揺が走っているように見える。ただの咆哮で多くの兵が木っ端微塵になるその光景が、なおさら拍車をかけているかもしれない。

 

 でも、大丈夫。

 ミューと、ラムダなら。

 お前たちなら、こんな事態も覆せるはずだ。

 

『……逃がさない』

 

 そう言わんばかりに、バルクが甲高い咆哮を上げる。それに反応するかのように、紅蓮の竜は飛び出した。激しく大地を掻き回しては、その巨体を前へ前へと押し進める。

 あまりにもシンプルなその突進は、見る者に原始的な恐怖を植え付けていくような、そんな気さえした。

 しかし、ミューはそれを軽く躱す。翼から炎を噴射しては、レックスの手が届かぬ上空へと退避して。

 ――そこへ襲い来る、飛竜の毒牙。数頭分の鋭い爪が、意識を偏らせていたミューの背中を穿つ。

 

「……っ! ミュー!」

 

 声が飛び出るが、それが彼女に届くはずもなく。

 思わぬ衝撃に彼女は体勢を崩し、大地に向けて落下しかけた。それを追い掛けるように、紅蓮の竜は走り始める。墜ちた彼女に襲い掛かろうと、その鋭い牙を露わにした。

 そんな奴を叩き潰さんと。ゴグマゴグは、巨大な翼脚を奴に向けて振り下ろす。そうはさせない。そう言わんばかりの、敵意を剥き出しにした顔をしていた。

 ラムダにしては珍しい、白黒のはっきりした意思の強さ。戦場が彼にそうさせるのか。それとも、竜機兵がそうさせるのか。

 それに叩き付けられ、されどその衝撃から何とか逃れ。背中に亀裂を入れたその竜は、転がりながらも翼脚から逃れた。

 彼を、新たな敵と認識したのだろうか。喉を低く唸らせ、自分よりさらに巨大な影を睨む。

 

 直後、奴は跳んだ。目の前の機竜に向けて、跳びかかった。

 その厳つい牙はゴグマゴグの首元へと吸い込まれ、それを受けたラムダが驚愕の声を上げる。全身からは重油のような黒い液体が漏れ、ボタボタと大地を湿らせ始めた。

 そこへ降り注ぐ、飛竜の息吹。騎士が操る竜たちは、一斉のその喉元を弾けさせた。空気を裂くような鋭い火球が、一挙に竜と機竜へ襲い掛かる。

 

「ラムダっ……!」

 

 火に油を注いだのなら、その燃焼はより苛烈なものへと変貌するだろう。

 ゴグマゴグの油もまた、同様だった。大量の火球はゴグマゴグへと触れることで、その巨体を包み込む火柱へと変貌する。その首元に喰らいついたレックスごと呑み込む、巨大な炎へと。

 一瞬で大気が焼けて、周囲一帯を衝撃波が襲った。その猛烈な光は一時的に飛竜たちの瞳も潰し、彼らは驚愕の声を上げる。思った以上に燃え過ぎた。彼らに跨る騎士たちは、そう感じただろう。

 ――そこへ現れる、銀色の光。先程穿ったはずの彼女が、翼を強く唸らせた。

 

「……ろ、ローグ君……これは……」

「エンデさん、意識が戻りましたか! 良かった……」

「……あれは?」

 

 息も絶え絶えの声でそう言うは、背後で沈黙していたエンデ。ようやく意識を取り戻したらしく、への字に曲がった眉毛で俺にそう話しかけてきた。

 そんな彼の眉が、劫火に吠える紅蓮の竜を見ては、驚愕の色に染まる。

 

「恐らく、レックス系統にあたる飛竜です。あんな体色の奴は見たことありませんが」

「まさか、あれが我々の本部を襲撃し……ぐっ」

「無理に喋らないでください! 大丈夫です。ミューとラムダが対処に当たってくれています」

 

 持ち合わせていた包帯や応急薬で、彼の処置をするその傍らに。俺はもう一度空を見上げる。

 ミューは懸命に戦っていた。流石に、飛竜十頭を相手に一人で応戦するのは難しいらしい。如何に古龍にも迫る性能を有しているといっても、徒党を組んで連携をとる飛竜を相手にするのは限界があるか。彼女自身もまだ竜機兵としての経験は乏しいために、これが限界と決めるには早計だろうが。

 それでも、ミューは負けていない。一匹一匹確実に、宙を羽ばたく竜を墜としていく。草原を焦がした大爆発の渦中にいたラムダも、元気な様子で咆哮を上げた。表面が炭化したのではないか。なんて思ってしまうほど焼け爛れたあの竜を、力強く踏み締めながら。

 しかし、それはとどめとは成り得なかった。直後、その翼脚を弾き飛ばされる。

 ――火薬もないのに、突然爆発が起こった。遠巻きの俺には、そう見えた。

 

「何だ……っ!? ゴグマゴグの体液漏れか……っ!?」

「……いや、今のは……」

 

 そこにあったのは、あの赤いもや。拠点を軽く弾き飛ばした、あのもやだった。

 まさか。

 まさか、あの飛竜は爆発性の物質を有している――?

 

 その反動に体勢が崩れ、ゴグマゴグは横転した。あの巨体が転げ回り、大地が激しく掘削される。もはや竜同士の争いと化したその戦場に、両軍の兵や騎士が入り込む余地はない。両者はそれぞれの国境側へと退避し、目の前の地獄絵図を睨んでいる。

 その結果、幸いなことにラムダに踏みつぶされる竜人族の姿はないようだった。あるのは精々、竜から墜ちた敵側の騎士――の亡骸くらいだろうか。

 

『ラムダ……っ』

 

 ミューが、焦っているように感じた。横転したその巨体を助けるために急遽方向転換しては、紅蓮の竜へと突っ込むその姿。残り五、六頭となった飛竜に目もくれず、彼女は血走った竜と相対する。

 激昂に激昂を重ねた奴は、もはや満身創痍といっても過言ではない状態だった。

 ミューに引きずられ、飛竜のブレスに焼かれ、ゴグマゴグに叩き伏せられる。鱗や甲殻は剥がれ、息は絶え絶えで。それでも憎々し気に銀色の機竜を見ては、その太い顎を引く。

 渾身の大咆哮。それを放とうとしているようだった。

 

『させない……っ』

 

 そう、ミューが呟いたような気がした。

 あの音圧をモロに喰らいかねないその距離で、バルクは小さく鼻を鳴らして――その翼を、勢いよく引く。引いて、バネのように伸縮させて。そうして研ぎ澄まされた切っ先を、さながら投げ槍のように鋭く射出する。

 いよいよ大気が弾け飛ぶ、まさにその瞬間だった。

 それが弾ける前に、爆轟の竜の喉が。圧縮した咆哮を溜め込んだ、その口が。空気に穴を空けんとする翼の槍によって、貫かれたのである。それを解放する前に、ミューが奴の頭部ごと穿ったのだった。

 

「……凄い。ミュー……いつの間にあんな……」

 

 溢れ出る鮮血。

 咆哮とは成り得ずに、掠れ掠れに抜けていく奴の声。

 力なく崩れる、紅蓮の体。

 

 その頭部から槍を抜いては、彼女は再び翼を元の形に戻す。

 学習したのだろうか。自らを追い詰める竜操騎兵の持つ槍を、その鋭利さを。身に染みて感じたそれを、自らのものにしたのだろうか。

 もしそうだとすれば、俺は彼女のセンスに脱帽せざるを得ない。

 

 勝利の咆哮だ。

 そう言わんばかりに首を(もた)げるミューの、その背後から。突然ゴグマゴグががばりと起き上がる。そうして、祝福の花火を上げるかのように喉元を赤く濁らせた。

 直後に撒き散らされる、熱線。空を焼き付ける黒ずんだ緋色が、容赦なく雲を、その上の飛竜をも焼いた。一頭が直撃し、地面へと吸い寄せられていく。

 

「……笛の音だ」

 

 唐突に鳴り響く笛の音。竜を指揮する騎兵が、聞き覚えのある音色を奏でていた。先の小競り合いで聞いたような、甲高い音色だった。

 それが合図となったのだろうか。

 大地を埋める騎士たちは、少しずつ撤退をし始めた。まるで睨む機竜から身を隠そうとするかのように、彼らはじりじりと山岳の闇に溶け込んでいく。

 

 

 

 

 

 シュレイド王国とゲイボルギアの第一回目の交戦は、予想外の事態に大きく苦戦させられたものの、何とか勝利を得ることができた。

 

 大量のエネルギーを消費させられ、苛烈な傷をつけられて。竜機兵の負った負担も少なくはない。しかし、それ以上の戦果を得たことも、間違いないだろう。

 

 同時に、世界に広く知らしめることともなった。竜機兵という、強大な存在を。

 

 






 ということで、戦争初回終わり。


 モンハンというより、ドリフターズとかでやった方がいいんじゃねとすら感じます。ドリフ新刊まだー?
 今回の状況を考えると、非常に広大なフィールドに、千にも届きかねないランサーがいて。数百人のガンナーが集まって。その上を十数頭のリオスたちが徘徊しつつ、バルファルクとゴグマジオス、ティガレックス希少種が暴れ回ってる状況です。ゲーム上ではまず考えられないカオスな状況ですよね。こうやって文字に起こすと、痛小説感が凄い……。改めて感じさせられる……辛い。
 そう、爆轟の竜もしくは紅蓮の竜とはティガレックス希少種のことです。古文書を見る限り、古の時代にも確認されてるっぽかったんで出てきてもらいました。こうやって、人同士の争いを無頓着なままに掻き乱してくれてこそ、モンスターな感じもする。それも、自分が一番強いと思い込んでしまったガララワニの如く、ね。ネタが古いか。
 こんな痛小説を閲覧してくださって有り難うございますね!


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不撓不屈(ふとうふくつ)



 どんな困難にもくじけないこと。




「先日の戦いだが、竜機兵のエネルギー消費量はどうだね? 多いかね? それとも、かなり多いかね?」

「……まぁまぁ、多いです」

 

 あの国境地帯での戦いから数週間後。

 包帯やらガーゼを体に貼り付けたエンデは、執務室でふんぞり返っては俺にそう尋ねてきた。手に持った資料を持っては、眼鏡を鈍く光らせる。

 ミューの操作したバルクに、ラムダが操ったゴグマゴグ。その両機は非常に芳しい戦果を上げてくれた。

 ゲイボルギア軍を打ち破り、乱入してきた紅蓮の竜を討ち、世界に竜機兵の脅威を知らしめて。多くの国々が、シュレイドの技術に畏怖の念を送る。そんな事態にまで、事を発展させることができたのだ。

 ここまでは、いい。ここからが問題だった。

 

「結晶エネルギーの在庫が、既に半分尽きちゃいましたね。結晶の地研究所に手配しては、追加分を急ぎで輸送させてますが、まだまだ……」

「ふむ……やはり、燃費が問題だな」

 

 ずれ落ちる眼鏡を指で支え、手に持った資料から一度目を離してから。彼の、橙色の瞳が俺を捉える。

 

「結晶エネルギー以外に、補給する手段はないのか?」

「元が龍属性エネルギーなので、それを摂取できればあるいは……ですけど」

「不可能ではない、ということか。具体的にはどうするね?」

「……捕食です」

 

 竜機兵は、機械による構成こそされているものの、半分以上は生体由来の素材から造られている。どちらかと言えば、バラバラの命を機械という膜で包み、神経を通わしている状態だ。

 そのために、物質の違いこそあれど、身体の大部分は生物のそれに近い。消化器官も呼吸器官も、脳機能でさえ、あの機竜たちに備えられているのである。

 

「バルクに関しては、生物由来のエネルギー……とりわけ龍属性をよく含んだものを捕食できれば、結晶エネルギーに頼らなくてもよいでしょう。ゴグマゴグは、火薬や硫黄などの物質の消化にも対応しているため、理論上ではありますがそれらを摂取すれば結晶の補給は必要ない……かもしれません」

 

 そう言葉を締め括りつつも、俺は目を伏せた。

 理論上。それは、ただの理論上の話である。やろうと思えば可能だろう。

 しかし、ミューもラムダも、人間とそう変わらない竜人族だ。それなのに、まるで竜のように。欲求に駆られるままに、他者を喰らうなどという手段を取らなければならないのなら。俺は、出来ることなら二人にそうはさせたくはない。

 

「……まぁ、君がどう思っているかは大体察している。相変わらずだな、君は」

「すみません。割り切らなきゃとは、思っているんですけど」

「いや、いい。さすれば、新たな計画を打ち出すだけだ」

 

 そう言っては、彼は手元の資料を俺に押し付けた。

 何かと思ってそれを見てみれば、そこには予想外の文字が連ねられていて。

 

「……竜機兵の、新世代計画……?」

「あぁ、そうだ。バルクとゴグマゴグに続く、新たな戦力だ」

 

 古龍の素材は、あくまでもベース部分のみに用いて。

 体の大部分は、飛竜を筆頭とした竜種で構成し。

 一機あたりに三十頭の竜を用いる、新型の竜機兵。

 

「三十……となると、相当巨大なものを造るつもりですか」

「ゴグマゴグほどのものを、な。とはいっても、あれのように内部機関のために巨大化させる訳ではないのだが」

「それに――量産、とは」

「バルクとゴグマゴグ。そうだな、これらを第一世代とするならば、彼ら第二世代は量産機だ。知っての通り、先の戦闘で二人は飛竜の群れに苦戦を強いられた。如何に個々の性能が高くとも、そこには限界がある……というのが我々の見解だ」

「故に、量産機で軍備増強を図るということですか」

「あぁ、そうだ」

「いやでも、一機あたり三十頭というのは、かなりの量の竜が必要となりますよ」

「そのための、竜人族の回収班。そして第一世代の竜機兵ではないか。ゲイボルギアは、竜の集団だ。資源の宝庫だ。丁度良い、狩場があるではないか」

 

 卑屈そうに、エンデは笑う。

 どこか冷めた笑みを浮かべる彼の思わぬ計画に、俺は動揺せずにはいられなかった。

 そのまま彼から目を逸らし、資料の方を凝視する。俺が気になってなまないその一文を。

 

「……竜人をそのまま組み込むとは、どういうことでしょうか」

「言葉通りの意味だよ。第一世代のように接続型にするのではなく、初めから結合型にするということだ」

「そんな……じゃあ適応者は……」

「この国の礎になれるのだよ。たかが竜人であるというのに。名誉なことだ。大変めでたいことだ」

 

 ミューやラムダを、接続型にする。そう提案し、通したのは俺だった。

 兵器が兵器たる由縁は、人が操作することだ。如何に竜を使役したとして、それが必ずしも指示の通りに働くとは限らない。それはどちらかといえば、兵士という分類の方が適切になるだろう。

 兵器が兵器たる由縁は、意志をもたないことだ。そこに、人の意図による操作が加わるのだから。竜機兵は――ミューたち第一世代の竜機兵は、内部に操作者が組み込まれることによって操作する、紛れもない兵器だった。

 しかし、これはどうだ。竜人をそのまま兵器に組み込んでしまうということは、兵器でもあり、同時に兵士でもある。第二世代とは、兵士を造り出すものなのか。

 

「……そもそも、竜人も人造の兵士だったっけ。馬鹿馬鹿しい……」

 

 そうなれば、彼らの思考能力はどうなってしまうのだろう。兵器から分離できるミューたちとは異なり、完全に一つのものとなるのだから。兵器の機能を兼ね備えた、理想の兵士へと。

 またこの特性は、エネルギーの供給を第一世代と大きく変える点となるかもしれない。

 もう人の姿に戻ることなどできないのだとしたら。そうしたら、彼らは結晶エネルギーに頼る必要も、なくなってしまうのかも――――。

 

「……まぁ、これが君の考え方に沿うものではないことは、私としても把握している。だが、これは戦争だ。どうか私情を呑み込んでほしい」

 

 エンデがそう俺を諭しては、憂うような素振りで手を組んだ。

 

 確かに、これは戦争だ。俺なんかが口出しできる状況ではないだろう。

 でも、こんなやり方に、俺は加担したくない。できることなら、竜人族をも犠牲にする形すら、取りたくはない。

 

「……考えさせて、ください」

「……時間はないというのに。言ってしまうが、もう第二世代の計画は発動している。もし君がどうしても嫌だと言うのなら、外すことも――」

「いえ、そうではなくて」

「……そうでは、なくて? では、どういう意味でだね?」

 

 心底不思議そうな顔だった。一体どういうつもりなのか、なんて顔に書いてあるかのようだ。

 そんな彼に向けて。俺は口を開く。胸の内で描いていた、新たな計画を。

 

「――新型を。第二世代の、その次を。考えさせてください」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 夕暮れの街を、歩き続けて。

 緋色の光が街並みに隠れつつあり、途切れそうな光の奥からは薄い藍色が顔を出していた。

 時刻は、夕刻だ。それも、夜に変わる一歩手前の。街には買い物に勤しむ客がちらりほらりと顔を出し、晩餐の品にあれこれと頭を唸らせている。もう少しすれば、民家からは鼻をくすぐるような良い香りが溢れ出してくるだろう。

 

「夕飯……そういえば、お腹空いたかも」

 

 気付けば、昼飯を摂ることも忘れていた。エンデの話と、新たな竜機兵計画に頭が一杯になっていた。

 第二世代の量産型は、この城下町付近の研究所を利用して開発するらしい。計画自体は既に発動されているようで、今は骨格の組み上がりにも入りかねない段階なのだとか。ミューたち第一世代の竜機兵を参考にしているというのに、俺に計画を伝えるのが些か遅くないだろうか。いや、エンデのことだから、俺が口出しするのを見越してのことだろうが。

 その対抗馬とも言える、新たな計画。何とかエンデを説得し、資金を捻出することには成功した。しかしそれは、同時に俺が結晶の地へと行かなければならない事実でもあって。そう思うと、少し気が重くなる。

 

「……何だか、なぁ」

 

 何だか、竜機兵が。俺の憧れだったものが遠のいていくような気がした。今は戦争中なのだから、個人の願望を優先することはできないけれど。それでも、割り切れない思いがあった。

 

「とりあえず何か飯食って、エネルギー貯めとこっと」

 

 今日の夕食当番は、ミューだったはずだ。

 奴隷時代から家事などはやらされていたのか、彼女はあぁ見えて料理が得意である。反面俺は、簡単に作れれば何でもいいと思う性格なので、俺が当番の日はよくダメ出しをされているが。

 そんな彼女だが、もしかしたら今の時間に買い出しに行っているかもしれない。時刻は夕方だ。訓練を終え、あのお寝坊さんが少しばかり休憩をとって。そうしたら、今くらいの時間に買い出しに出るのではないか。

 何て思いながら、商店街にそのまま脚を踏み入れた、その瞬間。

 

「あれ? ローグさん?」

 

 そう声をかけてきたのは、金色の髪を無造作に垂らした竜人族の青年だった。

 

「……おう、ラムダか」

 

 夕焼けの光をその金の髪に映しながら、手を振っては俺に駆け寄ってくるその姿。それは、つい先日巨大な機竜を自在に操っていたあの青年。ゴグマゴグの適応者、ラムダだった。

 

「どうしたんですか、今日は」

「あのなぁ……俺だって普通に買い物とかするんだぞ」

「いやぁ、ローグさんが買い物してるのって、なんか珍しいなって。ところで、何か探してるみたいでしたけど」

「あぁ。ミューも、もしかしたら買い物してるかなって」

「あー……さっき、ミューちゃんに会いましたよ」

「お、ほんと? どこで会ったんだ?」

「僕らが来た通りを、まっすぐです。このまま行けば会えると思います」

「そうか、助かる!」

 

 妙に親切なラムダに感謝しつつ、俺はそのまま路地へ駆け出す。

 いたらいいな、程度に思っていたが、彼によればミューはこの先にいるらしい。で、あるならば、ここで足踏みしている意味もないだろう。

 何かを言いたそうに、しかしその手を引っ込めるラムダ。そんな彼を横目に、俺はその固い路地を踏み付けた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 それから数分歩き続けて。一向にミューの姿が見えない路地を、俺は踏み続けている。

 ラムダは、嘘でもついたのだろうか。それとも俺が道を間違えたのか。次第に薄暗くなる路地に顔をしかめつつ、歩き続けて。ミューの姿を探しながら、目を何度も泳がせて。

 そんな時だった。

 

「――――ッ!」

「……っ」

 

 誰かが怒鳴るような声が、聞こえた。

 それはこの商店街の奥からで。されど、商店街に目を向けてもそれらしき姿は見えなくて。

 枝分かれした、小路の方かな。

 なんて思いながら、俺は脚を踏み出した。

 

 こういう時に働く好奇心は、何て言うんだろう。野次馬根性、だろうか。

 自分が関わる気も、何かする気も毛頭なく。ただその面白い事態を眺めていたいなんていう、身勝手な感情。でも、折角ならば。折角ならばと、いつも考えてしまう。そんなことをしている場合ではないと、分かっているというのに。

 そんな思いで踏み続ける商店街。品を切らしては店を閉めようとする人々を横目に、俺はその声のする方へと近付いていく。足を動かす度に、その声は徐々に大きくなって。少しずつ近付いていっているのが、より一層感じられた。

 

「……この路地、かな」

 

 いよいよ近くに来たと思い、商店街から垂直に伸びた小さな路地に目を向ける。建物と沈む日差しに囲まれて、妙に薄暗く染まったその先に。

 そこには三人ほどの男性と、一人の少女の姿があった。薄暗くて顔までは分からなかったが、そのシルエットだけは分かった。

 

「お前なぁ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

「人間様を敬えよ! なぁ!?」

「ほら言ってみろ! 竜人の分際で調子に乗ってすみませんでしたって! ほら言えよ!」

 

 そう声を荒げては、男は少女の頭を荒く掴んで。少女は小さな悲鳴を上げて。

 どうやら、少女は竜人のようだ。買い物かごを携えた彼女が、こうして人間に因縁をつけられているのだとしたら。買い物の関係で何かトラブルになったのだろうか。

 

「お前が買った竜肉はな、俺が買おうと目星をつけてたんだよ! あぁ!? それなのにお前、勝手に買いやがって。竜人の癖にっ」

「そっ、そんなの……分かる訳ないっ、じゃないですか……っ」

「分かる分からないじゃねぇよ! 竜人なら、(わきま)えろっていうんだよ!」

 

 苛立ちを露わにする男の声に、少女は怯えの色を露わにして。

 その声が、妙に聞き覚えがあって。

 というか、この声って。

 

「竜人はなぁ、人間の邪魔しないように生きていけよ、なぁ! お前らは道具だろ!? 人間様の邪魔すんじゃねぇよ!」

「おらっ、謝れ! 謝れよ! 人間様に謝れっ!」

 

 そう言っては荒く、彼女の髪を引っ張る男。街灯が灯り、その淡い光を映す銀の髪。

 藍色にも、緋色にも。様々な色に染まる、あの銀の髪。

 

「ちょっと。もうやめてください」

 

 それに気付いた時には、俺はもう踏み出していて。

 彼女――ミューの頭を握ったその手を振り払い、両者の間に滑り込んだ。

 

「……何だお前」

「やめてあげてください。彼女、怖がってるじゃないですか」

「あぁ!? 竜人が人間様に反抗しておいて、それをやめてくださいで済ませるか普通!?」

 

 荒れくれ者だ。どうせ大した社会的貢献も出来ない、社会のゴミ。

 人間という身で生まれたために、何か大したことを為した訳でもないのに。好き勝手に生きることを許された屑共。社会に一定層いる存在だろう。

 その武骨な手が俺の胸倉を掴んで。それに驚いては、ミューはひしっと俺の腰にひっついてきて。

 

「この子が貴方たちの機嫌を損ねたのなら、謝ります」

「あぁ? お前、何だ……? こいつの所有者か?」

「えぇ。サーロインがどうとか、でしたよね? ミュー、この人たちにそれを渡しなさい」

 

 そう、背後の彼女に声をかけると。彼女はどうしたらいいか分からないと言わんばかりに肩を震わせている。

 

「で、でも……私……」

「いいから。出しなさい」

「……うぅ……」

 

 小さく唸っては、おずおずとパック詰めになった竜のサーロインを取り出した。

 分厚く程よい脂身を含んだその身は、確かに上質なものだ。その上、表示された値段も高くない。ミューは良いものを選ぶ目があるなぁと、顔には出さなかったが感心した。

 それを、不機嫌そうな様子で俺を見る男たちに手渡して。それから、頭を深く下げて。

 

「この度はうちのミューが申し訳ありませんでした。それはそのまま受け取ってください」

「当たり前だ馬鹿野郎。さっさとそうすればいってんだ」

「眼鏡くん、そいつをよく躾けておけよ!」

 

 それでも、彼らは悪びれる様子もなく。去り際に、そんな言葉を残していって。唾を吐き捨てつつ、路地の奥へと消えていった。

 彼らが見えなくなるまで下げていた頭をそっと起こす。すると目に入ってきたのは、涙ぐむミューの姿。

 

「……大丈夫か? ごめんな、辛い思いさせて」

「あぅ……お肉、いいのだったのに……」

「お前肉のこと気にしてんのか? つかお前、また肉なんて買ってよ。ベジタリアンの癖に」

「だって……だって。ローグが最近大変そうだったから、ステーキとか作ったら喜ぶかなぁって……」

 

 ぽろぽろと涙を溢しながらそう言っては、彼女は顔を覆ってしまう。

 なんだこいつ、健気か。

 

「そっか……。有り難うな。その気持ちだけでも、俺はすっごく嬉しいよ」

 

 しゃがんで、彼女の背丈に合わせて。そうして両手を広げては、彼女を優しく包み込む。その小さな頭を肩に押し付けたら、そこが少しずつ湿り出した。

 可哀想だから食べれないとか言って、彼女は肉類を口にすることはほとんどない。それでもこうして、俺の好物が肉類だと知っているためか肉を買ってくることはよくある。

 それが、こうした事態を引き起こしてしまうなんて。なんて皮肉な話だろう。

 

「……俺な、所有って言葉がな。大っ嫌いなんだ。竜人たちを物みたいに扱う風潮が、本当に嫌いだ」

「…………くすん」

「躾けろって、なんだよ。ミューはペットなんかじゃないっての」

 

 腕の中の温もりに向けたのではなく。ただ胸の内のもやもやを吐き出すように。そうして漏れた言葉に、ミューはゆっくり顔を上げた。腫らした赤い目で、その澄んだ青い瞳で。俺の顔を、じっと見る。

 

「ごめんな。俺が不甲斐無いばかりに」

「ううん……ありがと、ローグ……」

 

 そうしてもう一度、その小さな体を包み込んで。彼女が泣き止むのを、俺はじっと待った。

 

 

 

 

 

「――落ち着いたか?」

「……うん、もう……大丈夫」

 

 嗚咽の声も収まって、肩の震えも感じられなくなって。

 そう声をかけてみれば、彼女はおずおずと俺から体を離した。

 

「ローグはほんと……優しいね」

「何だよ急に。俺はいつだって優しいだろー」

「そう……だね。……ふふっ」

 

 伸ばしてきた彼女の手を取って、再び商店街へと踵を返して。いつの間にか沈み切った夕陽を感じながら、俺は藍色の空へと息を吐く。

 

「……夕ご飯は、何がいい……?」

「竜肉食いたいなぁ」

「……お肉ね。ローグはほんとに、お肉が好きだよね」

「そりゃあ、竜は最高だかんな。旨いし、歯応えあるし。その上武器や兵器にも何でもござれだ。本当に凄い資源だよ」

 

 そう返した言葉が、彼女の表情に少し影を差したかのような気がして。

 それでも彼女は、「そっか」と小さな笑顔を浮かべて。

 電灯の光を映すその銀の髪が、何とも言えない光を帯びていた。その光景が、何故か俺の脳裏に強く焼き付いていくような、そんな気がした。

 

 






 竜人の立場はこんな感じだよ……っていうお話。


 奴隷少女ものって、いいですよね。何か凄く萌えますよね。あぁいう、庇護欲を掻き立てられる力って凄いって思うの。そんな私の趣味が全力投与された、藍スト式竜人族の設定。彼彼女らは、人間たちにこんな扱いをされてるのかなんて。そう捉えていただければ。
 さて、竜機兵についても流れが変わりましたね。なんでバルファルクやゴグマジオス? なんて思っていた読者様の疑問に、やっと応えられたような気がします。
 それでは、また来週。



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暗雲低迷(あんうんていめい)



 向上の兆しが見えず、前途不安な状況のこと。




 

 結晶の地は、今日も眩しいくらいの輝きを見せていた。

 大地を裂くように生える結晶たちは、南の森や荒れ地の岩を悠に超えるほどの巨体を誇る。それが一つじゃない、何十も、何百も連なっていた。

 小ぶりな結晶は大地を細かく削り、洞窟の奥も淡く照らしている。それらに囲まれていると、何か奇妙な力が俺にも宿ってくるような――そんな錯覚さえ覚えた。

 

「あれの調子はどうだ?」

「うーん、芳しくないですね」

 

 そんな結晶の地の地下深く。鋼の足場で構築されたその洞穴の奥に、目を閉じては深く眠る機竜の姿があった。

 首を高く持ち上げたかのような体格は、大柄な翼に包まれて。大地を力強く踏み締めるその四肢は、どんな岩盤も砕きかねないほどの強靭さを有している。鞭のように撓る尾もまた、チューブを多数生やしながらも独特の輝きに満ちていて。

 ぱっと見れば、この結晶の地で運よく入手することができたあのクシャルダオラである。鱗は剥がされ、内蔵された機械が剥き出しになっているために、ありのままの鋼龍の姿とは言い難いが、しかしその骨格は間違いなく彼のものだ。

 

「属性の配合とか、どう?」

「いやー、これが本当に難しいです。大気中の水分に作用する力とか、温度変化から対流を作る力とか、酸化を促し燃焼作用を促進する力とか。そういうのを配合するのって、無理がある気がしますねぇ」

「ほー。でも、結構解析が進んだんだな。前まで、氷を操るとか炎を操るとか、ざっくばらんなことしか分かってなかったのに」

「これだけ分かっても、兵器として生かせないなら無意味ですよ。もういっそ注ぎ込めるだけ属性を注ぎこんでみたら、むしろ安定したりして。あはは……」

 

 そう控えめに笑うのは、この研究所で俺の代わりを務めている女性。

 浅黒い肌と黒い髪が特徴的な、後輩研究員だ。真面目な彼女がそんなつまらない冗談を言うくらいなのだから、この機竜に関しては難産という言葉でも足りないくらい苦労していると見える。

 

「……ベータ計画は、頓挫か」

「えっ?」

「上からの命令だ。多大なコストを要するというのに成果を発揮できないなら、その計画は凍結せよ、だって」

「えっ、ええぇぇ……この子、解体ですか?」

「いや、大丈夫。いつか使える時がくるかもしれないし、こいつはこのまま保存だ。それに、これからの仕事は竜をばらして貼り合わせるのとは、少し異なってくるし」

 

 どういう意味だろう。なんて言わんばかりに首を傾げる後輩を後に、俺は踵を返した。そのまま、上部の研究所本棟の方へと歩き出す。

 後ろからパタパタと足音が響くが。

 沈黙している筈の竜から、言いようのない視線を感じたが。

 今は、あえてそれを無視した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 先の国境線。ゲイボルギアによる竜操騎兵と竜機兵の戦闘は、苛烈を極めた。

 しかしその影響は非常に大きく、この大陸全土に竜機兵という力の象徴を知らしめるにまで至っている。そのまま、撤退したゲイボルギア軍を追うかのように、シュレイド王国は着々と勢力を伸ばしていた。国境の山岳地帯を越えれば、そこはもう彼らの拠点だ。首都を落とすのも、もはや時間の問題なのかもしれない。

 とはいっても、そこには避けられないエネルギー問題があり。肝心な竜機兵は燃費の悪さ故、満足に出陣できているとは言い難い。今の領土拡大は、竜人兵たちによる働きの方が大きいのだ。

 そんなエネルギー問題を解決しようと、結晶エネルギーの追加分をつい先日彼女――後輩研究員に要請したばかり。その要請した本人が唐突にこっちにやってきたのだから、彼女の心労は何とも言葉にしにくいものになっているとも思う。

 

「……で、ローグさんは一体何用でこちらに?」

「あぁ。竜機兵の新計画は知ってる?」

「えっ……? 新計画……?」

「だよなぁ。本土の方で勝手に進められた奴だから、まだ伝わってないよなぁ」

 

 なにそれと言わんばかりに目を開く彼女を横目に、俺は召集用のベルを鳴らした。取っ手を持っては引っ張ったそれから、研究所内にけたたましい音が鳴り響く。

 そうしてパイプやチューブで覆われた廊下をくぐり抜け、会議室のドアノブに手を掛けた。

 

 

 

 

 

「さて、みんなに集まってもらったのは他でもない。俺たちの、新しい仕事の話だ」

 

 会議室に結集した、研究所の科学班たち。

 豪快な髭を生やした大男に、丸眼鏡をかけた小柄な男。不潔そうな格好をした者もいれば、あの後輩のように身なりを整えたものもいる。

 そんな個性豊かな研究員たちを前にして、俺はそう口を開いた。

 

「実は、本土の方で新たな竜機兵計画が始まっている。上層部は第二世代と銘を打った。手元の資料を参照してくれ」

 

 エンデから借りた設計図。そこには第二世代竜機兵の大まかな材料から細かな特徴まで、概要の一つ一つが丁寧に記されている。それを研究員たちは興味深そうに眺めては、感嘆の息を吐いた。

 

「ほーう……古龍の素材は、あくまでも基盤のみ、と。この前提供したオーグ細胞かねぇ?」

「まァ、部位の結合に関してはあの再生機能が役立ちますからねェ……向こうの有象無象も中々頭が働くじゃないですかァ」

「しかしこれ、どうなってるんだ? 飛竜を三十頭使うだって? どれだけ大きいのを造るつもりなんだ」

「体格はゴグマゴグに迫りますね……兵装の方は、どうするんでしょう」

 

 その内容をぱっと把握しては、彼らはしきりに議論を始める。相変わらずの頭でっかちな彼らの様子に、俺の頬は思わず綻んだ。

 

「国としては、力の象徴である竜機兵をなるべく大きく見せたいんだとさ。でかい分、体格そのものが脅威になるとか、何とか。あとは……口かなんかに砲台突っ込むかもしれないな」

 

 そう俺が補足すると、彼らはより一層食い入るように設計図を睨む。

 

「……ふぅむ。俺らの竜機兵――第一世代になるのか? それより火力面やコストを劣らせて、大量に造る方針なんだな」

「まぁ、ゲイボルギアの領土を少しずつ侵略しているんでしたっけ? 飛竜は、そりゃあたくさん入手できるでしょうけど」

「おっとォ……待ってください。あの問題はどうなりました?」

「あの問題……?」

「あっ……もしかして、アレですか?」

 

 眼鏡を光らせる細身の研究員の、核心に触れるその一言。それによって、会議室には緊迫した空気が流れた。

 そう、今のシュレイド王国が無視することのできない、非常に深刻な問題。国内に生息する竜が何故か国外へと縄張りを移していくという、謎の流出現象だ。

 この国は、軍備から建築技術、造船加工に食糧事情など、何から何まで竜で賄っている。兵器を造るには竜の素材を必要とし、建物を増やすにも竜の素材が欠かせず、船や飛行船を造るにも、竜が要求される。食卓に並ぶ食材でさえ、竜の肉が一般的だ。

 シュレイド王国は、竜がいるからこそ発展し、今現在も成り立ってる――そう表現しても、過言ではない。それ故に、彼らの流出というのは非常に深刻な問題なのだ。

 

「……流出現象は、今だに収まっていない。どいつもこいつも、まるで夜逃げでもするかのように移動し続けている」

「やっぱり、大量に回収してきたからじゃねぇのかな。ツケが回ってきたってな」

「……うーん、じゃあ今までは奇跡的にそうならなかったってことですかね……」

「ふざけないでください。そんな非科学的な物言いで片付けようなんて、笑止。彼らの動向は、ツケとか奇跡とか、そんな人間の勝手な解釈では測れないんですよォ……」

 

 研究者というのは、どいつもこいつもこだわりが強い。自分の信条に沿ったものをとことん崇め、それ以外のものは蹴落とそうとする。目の前の彼らも同様だ。

 危うく罵詈雑言の嵐になりそうなこの状況を何とかすべく、俺は少し咳払いした。

 

「ごほん……あー、まぁ、とにかく。それについては、本土でも調査中だ。この前なんて有名な(まじな)い師を呼んでな、占ってもらったんだとよ」

「ま、呪い師ってよぉ……」

「……そ、その結果何が分かったんです?」

「まず一つ。何か、近い内に皆既日食が起こるらしい」

「……日食?」

「あぁ。それが何に関係あるのかは分かんないけど。二つ目は、どうも城に不吉なことが起きるとか何とか」

「……ざっくばらん過ぎて何とも……」

「だよな。そんなの結局何も分かってねぇだろって話だよ。最後に、どうも流出現象にはあるパターンがあることが分かった」

「……あるパタァン……?」

 

 研究者からすれば、呪い師の話などペテンでしかない。みな、そう感じているだろう。俺もこんな占いはまるで信じていない。日食ならば、天文学の分野だ。これは信憑性があるかもしれないが、二つ目は言語同断。不吉って。何だよ不吉って。

 しかし、三つ目。パターンという言葉は、彼らの研究者魂をくすぐった。データのみを信じる彼らの心を、くすぐった。

 

「どうやら、あるポイントが中心になっているようなんだ。それを中心に、竜が流出している。まるで、そこを避けるかのように」

「あるポイント……」

「もしかして、首都ですか?」

「ピンポーン。そう、シュレイド城。それを中心として、放射状に奴らは移動しているようだ。各地の観測隊も、それを確認している。どうやら事実のようだぜ」

 

 データによる裏付けがある以上、彼らも安易には否定しない。その事実を呑み込んでは、各々で分析をし始める。

 

「……城に何か起こるってか? 何かって何だ? そもそも何を根拠に起こるって……でも流出はしているし。いやそもそもそれが関連する出来事とは限らないし。いやでも、うーむ……」

「うーん……新天地の資源という可能性も?」

「竜たちが避ける……もしや古龍? 不吉とは、古龍のことでしょうか」

「さぁな。俺はそこまで分からない。でも、城はクシャルダオラ程度じゃびくともしないから問題ないだろ。強固な城壁があるし、それに第二世代の竜機兵がもうすぐ完成して、何機か配備されるそうだし」

 

 いつの間にか話題が逸れていた。そう言わんばかりに、彼らははっと設計図を再度見る。第二世代の話から流出現象に一転し、そこからさらに反転。第二世代について、彼らは再び脳を加速させた。

 やはり、あの言葉が目に付くらしい。我々が手掛けた竜機兵より、一歩踏み込んだ様式に。

 

「そしてこれは……なんでしょう。結合型……?」

「何って、考えれば分かることじゃないですかァ。竜人との接続形式じゃなくて、最初から埋め込むってことでしょォ?」

「ってことは、司令塔となった竜人族は、もう人に戻れないじゃねぇか……」

「まぁ、その方がローコストだけどねぇ」

「そもそも、接続型にする意味が私にァ分からなかった。ねェ? ローグさん……」

 

 丸眼鏡の彼は、窺うように俺にそう話しかけてきて。俺もまた眼鏡を整えながら、言葉を返す。

 

「接続型は確かにコストはかかるが、正常な思考のまま操作できる。意思疎通ができるんだ。暴走の危険性は、限りなく減るメリットがあるんだよ。それに、あの子たちの尊厳も守ることができる。俺は最適な方法だったと思うが」

「尊厳……竜人なのに?」

「結合は……人柱ととるか、礎ととるか。まぁ、今は四の五の言ってらんねぇしなぁ」

「私は賛成ですねェ。この上ない良策です。そもそも、接続型自体が必要なかったんですから」

 

 大柄な彼は渋々と顎を擦り、丸眼鏡の男は満足そうに頷いて。

 他の研究員も、表情にも言葉にも何も出さなかった。肯定も否定もしない。現状維持。事実上の、肯定となるか。

 

「……まぁとにかく。この竜機兵は本土の方で建設される。必要素材のほとんどは飛竜で、材料の入手も本土の方が利便性が高い。また、これだけの巨体故に輸送船では運べない……などの理由でな」

「……じゃあ、私たちの新しい仕事って何です?」

 

 こてんと首を傾げた後輩に。俺は少し口角を上げながら、胸の内に溜めた言葉を吐露した。

 

「オーグ細胞ってさ、その再生能力に特化させたらどれくらいまで進化すると思う?」

 

 何が言いたいんだと言わんばかりに、彼らは眉を(ひそ)める。そうして、俺の言葉の続きをひたすらに待った。

 

「オーグ細胞の再生力に、他者と機械を組み合わせてきた。けれど、何らかの方法でエネルギーを与えてその再生能力を極限まで高めたら? もしかしたら、それは全く新しい進化を遂げるかもしれない」

 

 突拍子もない話かもしれない。培養した接着剤のようなそれを、そのまま単体で生かそうというのだ。接着する対象ありきの接着剤をそのまま使う方法など、かなり限定されるだろう。

 しかし、これはオーグ細胞だ。接着剤のようで、接着剤ではない。古龍の有する圧倒的な再生力を押し留めた、命の塊。こればかりは、一体どうなってしまうのか。それは俺にも分からない。

 

「だから、俺は新たな兵器の開発に手掛けたい。協力してくれるか?」

「その新たな兵器というものは、もしかして……」

「あぁ。『第三世代』の、竜機兵だ」

 

 

 

 

 

 

 元々、オーグ細胞というキーとなる素材は既に培養して管理できているのだ。

 その異様な再生能力――いわば細胞分裂能力を用いて、新たな胚を造り出す。いや、新たな生命そのものを。

 竜人を犠牲にしない、全く別の戦力。機械を用いない、ゼロからの生体兵器。細胞単位の大きさから、大型の龍へと変異させることができるような。そんな、新たな試みだ。

 

 計画案は二つ。

 一つは生体兵器らしく、他者のエネルギーを吸い取って増殖する、量特化タイプ。

 もう一つはこの結晶の地に炉を建造し、そこで結晶エネルギーをじっくり吸収させる、質特化タイプだ。

 

 ――古代語にちなんで、俺はこいつらにこんな名称をつけようと思う。

 前者は、『フィリア』。

 そして後者は、『ゼノラージ』だ。

 

 






 ゼノ・ジーヴァ好きだけど嫌いだけど好き。


 相変わらず人間は竜人に厳しいよってことで。
 あんまり触れられなかった結晶の地研究所と、今の情勢についての説明回となってしまいました。刺激が少なくて申し訳ありません。
 さて、この辺は独自解釈というより、独自設定って感じですかね。もうこれではっきりしましたよね、竜機兵の法則性。そう、マガラ骨格です。
 ちょっと無茶苦茶じゃない? って思われた方も多いと思います。でも、マガラ骨格って本当にルーツが不明だし、ゴグマに関しても古い姿を保ってるとかそんな風にしか説明されないし。まるで生物兵器のような特徴をもつマガラとか、みんなひっくるめてネルギガンテをベースとした竜機兵の成れの果て……なんて考えてみたら面白いかなぁって。えっ、厨二こじらせすぎ? 分かる。
 閲覧有り難うございましたっ!


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獅子博兎(ししはくと)



 簡単なことにも全力で取り組むことの例え。




 その姿を言葉にするならば、翼と尾の生えた巨人に見えた。

 

 統率が為され、列を組んでは歩き出すその巨体。

 そこらの飛竜の二倍――いや、三倍はありそうなその体躯は、一歩踏み出すだけで大地を揺らす。その腕一本だけで、人間の何倍の重さなのだろうか。極太の肉に、それを包むように張り付けられた鉄鋼。局所局所には銀色の輝きが光り、唸るような声が響く。

 その数は、たった十五体。隊列を組んだ彼らの背後には、焼け野原となった山々が連なっている。

 その山に囲まれたゲイボルギアの首都『クナーファ』は、本日をもって陥落した。

 この、たった十五体の悪魔たちによって。

 

「……まるで、この世の終わりでも見ているような気分だぜ」

 

 大地を漆黒に染めるその巨大な影を眺めながら、俺はそう漏らした。

 渋味と酸味を不均等に混ぜ合わせたかのような、タバコの煙。お気に入りの銘柄のそれが、ふっと風に溶けていく。

 

「一機あたりに飛竜三十頭。それを計二十機建造し、五体は城へ。残りは戦線に。なんて言いますけど、十五体でこれなんて……恐ろしいですね」

 

 そう、冷めた目で言葉を漏らすのは、金の髪を風に(なび)かせる青年。

 彼らの先輩にあたる、世界で二人目の兵器。背後に漆黒の巨体を眠らせては、涼し気に地に降り立った。そう、ラムダである。

 

「ゲイボルギアは……どれくらいもったんだ?」

「そりゃ、まぁまぁいい戦いしてましたよ。国境戦での僕らは、囲まれて一方的にやられることもありました。でも、物量でってなると話が異なりますよね。それに僕らは、とにかく相手の拠点ごと攻撃すればいいんですし」

 

 ズタボロになった石の山を見つつ、煙を漏らすその筒を咥え込んで。鼻孔を埋めるその味を呑み込みながら、廃墟となったクナーファを見る。

 ゲイボルギアにとっては、最大の防衛線。しかし我々シュレイドからすれば、攻略対象の一つでしかない。我々が有効活用するのは二の次で、今は勢力を広げることが優先だ。

 被害を抑えれるなら抑えろ。無理だったら構わず薙ぎ払え。そう命令された彼ら――『第二世代竜機兵』は、必要以上の力をもってこの街を攻め落としたようだった。

 

「制空権は、どちらにもありました。僕みたいに、油を引火させられることもないですし。空を覆ったのは両軍ともです。でも……」

「でも?」

「彼らは、破損しない限り動きに支障をきたしません。いくら火球を浴びようが、平然と戦い続けてました」

「…………」

「反面、飛竜たちはそうもいきません。怪我を負えば動きが制限されますし、そうでなくとも痛みに体を捩らせることも多かった」

「察するに、彼ら第二世代は痛覚を有していない……ということか」

「……えぇ、おそらく」

 

 苦虫を噛み潰したように、彼は表情を歪ませる。

 いくら攻撃を受けようが、痛みは感じない。それは、彼らが命の境界を捉えられないということだ。引き際を知ることができず、壊れるまで戦うことを強いられる。そんな同胞の仕打ちに、彼は心を荒げずにはいられないのだろう。握り拳が、震えていた。

 ミューとラムダ。二人の竜機兵は、頭部に装着された接続機器を通して竜機兵を操作する。俗にいう、接続型タイプの竜機兵だ。設計者は俺であり、当然痛覚も残している。二人が壊れないように。二人が、生きて戻って来られるように。

 けれど、これはなんだ。これこそが兵器だと、そう言いたいのだろうか。

 

「……えげつねぇなぁ」

 

 心の底から、そんな思いが。思いが言葉になって、漏れた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……何なんだろう、この成分」

 

 ゲイボルギアが行使する、竜操術という技術。その技術の原理を解明するために、俺は顕微鏡とにらめっこしていた。レンズをじっと凝視すれば、レンズの向こうの鎧の破片も、俺の瞳をじっと見る。やや紫がかったそれは、静かに光を反射していた。

 

 ――あれから。

 シュレイド軍がクナーファを落とした、その日から。

 第二世代竜機兵が実践投入されたあの日から。

 

 既に、二月(ふたつき)ほどの歳月が流れている。季節は移ろい、呪い師の言う日食の日というものが近付きつつある日々。

 このシュレイドの街では次から次へと竜機兵が建造され、灰色の空に羽ばたいていく姿が見えた。その数は、あの街を落とした頃の倍に既に超えただろうか。戦線は未だに拡大し、領土はさらに広がっている。

 それでも、この街は何も変わらない。人間たちは優雅に暮らし、今が戦争中であることをついつい忘れてしまいそうになる。それほどまでに、この街は穏やかだ。

 南方で大きな地震があったとの報告を受けたが、その影響を受けている様子も特にない。的外れだが、しかしそれ以上に平和という言葉が的確だった。

 

「ローグ……つまんない」

「つまんないってなんだ。今俺は仕事中なんだよ」

「今日訓練ないし、出撃要請もないし。ひまー。構ってー」

 

 棒読みで、無表情で。

 ミューがそう主張し、俺の服の裾を引っ張ってきた。

 

「だから今仕事中なんだって! 大事な研究サンプルの解析してんだよ。ほっといてくれよ」

「……ローグは、私をほっとかなかったくせに」

 

 それは、あの噴水広場で会った時のことを言っているのだろうか。

 そう意味深に言ってくる彼女に、俺は唸りながら頭を抱えつつ。でも、そう言われたら断るに断れないために。渋々と、自らの膝を空け放った。

 

「……しょうがないな。大人しくしててくれよ」

「わぁい。えへへ」

 

 相変わらずの微笑だ。満足しているのか、していないのか。それすら全く分からない彼女の微笑。それで顔を埋めながら、彼女は俺の膝に座ってくる。しゃらしゃらと髪飾りを鳴らしながら。

 思えば、この子の満面の笑顔なんて見たことがあるだろうか。うっすらと、見覚えのあるような気がして。でも、どうもそれに思い当たるものがなくて。まるで砂嵐に呑まれたかのように、そのイメージは思考の波に溶けていってしまう。

 いつも微笑だ。口元を少し綻ばせるだけの、微笑。大人しい彼女らしいが、それは過去の生活からによる自我の抑圧からきているのかと思うと、胸が痛くなる。

 

「……もっと笑っていいんだぞ」

「え……笑ってるよ……」

 

 こてん、と。不思議そうに首を傾げる彼女。

 今のは押し付けになってしまったかな、とも感じた。

 人の手によって無理矢理作り出された笑顔になんて、竜糞ほどの価値もない。それよりも、彼女が心から笑えるように、見守っていく方がずっといいのかもしれない。そんなことを思いながら彼女の頭を適当に撫でつつ、俺は視線を顕微鏡に戻した。

 見たこともない鉱石だ。成分も、輝きも、そこらの鉱床のものとはまるで異なる。少なくともこの鉱石は、シュレイド国内では非常に入手困難なものだとも思う。彼らの領内には火山地帯もあるし、そこから得られたものだろうか。

 

「ローグ……何見てるの?」

「ん? これか? これは、竜操騎兵とその竜が使ってた鎧の破片だよ。何だか見たことない材質っぽくてなぁ。これが奴らの技術の鍵になるかもしれないってことで、調べてるんだ」

 

 その淡い輝きに、ミューは少し目を細めた。

 いつもの、俺のシャツを勝手に着ている時のような、リラックスした顔。何となくだが、そう見える。

 

「何だか、不思議な光……。少し心が落ち着くような、そんな気がする」

「え……そうか? 全然分かんねぇんだけど」

 

 俺はそれに全く共感できなかった。こいつ、適当なことを言ってやがるかな。

 なんて思ったが、ミューは嘘を全くつかない子だ。もう十年近く一緒に過ごしているが、彼女が嘘をついたことなど一度もない。

 で、あるならば。ミューがそう感じているのも、本当のことだという可能性もある。

 

「マジで何か感じるのか?」

「うん。今は心がふわふわする感じ」

「……その感覚は、他のものでも感じたりする? 例えば……うーん、ぬいぐるみとかさ」

「ううん……こんなの、はじめて。何でだろう……」

 

 少し目を細めつつ、彼女はそう言った。不思議な感覚があるものの、それが何かは分かっていない様子だった。

 しかし、それはこの鉱石の光のみのものらしく。彼女が、他のものからこのような感覚を得ることは、どうやらないようだ。

 つまり、この光は本当にこの鉱石独自のものなのだろうか。そして、何故俺にはそれが分からない?

 

 俺とミューの違いは何だろう。

 

 年齢?

 

 性別?

 

 性格?

 

 ――種族?

 

「竜……竜操術……」

 

 竜人は、強靭な竜の遺伝子を組み込まれて造られた。故に、竜の特性や感覚がないとは、言い切れないだろう。

 じゃあ、俺が何も感じないで、逆に彼女には何か感じられるのは、竜の遺伝子の有無という違いによるものなのだろうか。

 つまり、この光は竜に作用する――?

 

「……ミュー。この光、どう思う?」

「……うーん。何か、上手く言えないんだけど……色に……」

「……色に?」

「色に、感情が見える気がする」

 

 何とか言葉を組み合わせて。

 緩やかな頭を働かせて。

 そうして彼女は、その不思議な感覚について語り出した。

 

「この色は、凄く穏やかな感じ。でも、赤くなったりするととってもむかむかして……青くなると、何だか寂しくなる……」

「……色が、感情を左右させてるってことか?」

「んー? ……よく分かんない」

 

 彼女が竜機兵となって、もう数年が経つ。竜人族として三十年弱の歳月を生き抜いて、今再び竜機兵(りゅう)の感覚をその身に宿す彼女。さらに、この不思議な鎧を纏った竜との交戦経験もある。そう考えると、彼女の感覚は一際竜に近いところにあると仮定しても、良いのかもしれない。

 彼女自身、その感覚についてはよく分かっていないだろう。言っていることも意味不明だ。でも、もしそれが本当ならば。この鉱石は竜の感情を見せるものであって――――。

 

「……呼応する……竜の感情と呼応する……なんて、どうだろう」

「……??」

「例えばさ、これが竜の感情の影響を受けて色を変えたり、逆にこの光で竜をリラックスさせたりとか、さ」

「……よくわかんない」

 

 彼女は、振り出しに戻ったように首を傾げる。

 

「……だよな、あほらし。そんな非科学的なものがある訳ないか。竜操術は、多分刷り込みかなんかだろ、普通に考えて」

 

 考えるのも阿保らしくなってきた。科学者であるのに、なんてバカみたいな考えをしているのだろう、俺は。

 どっちにしろ、どうでもよいことだ。

 彼らは竜を使役する。竜と徒党を組んでいる。

 しかし我々は、竜を資源として余すことなく使う。竜を使役するのではなく、使用するのだ。そちらの方が圧倒的に有意義で、圧倒的に生産性がある。それは明白なことじゃないか。

 

「これが産出する鉱山も制圧できたら、何か分かるかもしれんけど。まぁ、どっちでもいいか」

「……シュレイド王国は、どこまで領土を広げるんだろう」

「そりゃあ、竜を満足に得られるくらいまで……だろうなぁ。欲を言えば、大陸全土だろうけど」

「……戦わなきゃ、ダメ?」

「そりゃあ、ミューはこの国の最大戦力だぜ? しかも、最速の竜機兵だ。国の英雄にだってなれる。肩身の狭い思いをしなくても、よくなれるんだ」

 

 悲哀の色を含んだ瞳で、そう目を伏せる彼女に向けて。

 俺は少し胸の内を開けては励ますものの、それでも彼女はその顔を上げることはなかった。まるで気持ちのすれ違いのように、彼女の表情に影が差していく――。

 

 丁度、その時だった。

 

「失礼しますっ! ローグさん! 至急、第一世代の出撃を! 古龍です! 古龍が現れました!」

 

 近衛兵が扉の向こうからそんな悲鳴のような声を上げる。

 それが部屋に反響し、俺もミューも、勢いよく顔を上げた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……で、状況は?」

「先日制圧したクナーファに向けて、四肢と翼を生やした青い古龍が迫ってきているとの報告が入りました。急を要するようです」

「あっちには何機か竜機兵いるだろうに」

「第二世代は古龍との戦闘は想定しておりません。複数で望めば或いは……ですが、それより個体としての性能の高い第一世代の方が適任、だと」

「……エンデさんだな、どうせ」

 

 相変わらずの合理的な考えな考えだ。

 竜人は、あくまでも道具。竜機兵も、あくまでも道具。故に最も効率よく使う。そんな彼の語り口調が耳元で囁いているかのような、そんな錯覚すら覚えた。

 ミューの飛行速度なら、ここからクナーファまであっという間だ。スピードが売りの彼女に、遠方の古龍を当てさせる。それは確かに合理的で、設計者の俺としても嬉しいことなのだけれど。何だか、気持ちは複雑だった。

 しかし、命令は命令だ。任務を遂行しなければ。

 

「……じゃあ、ミュー。急で悪いけど、行けるか?」

「……うん」

 

 戦闘服に身を包んだ彼女は、髪飾りをそっと外す。それを大事そうに手に持って、俺にずいっと突き出して。しゃがんでそれを受け取った俺は、彼女に改めてそう尋ねた。

 おずおずと頷く彼女は、何だかとても寂しそうで。何故だか分からないけど、心残りがあるかのような、そんな顔をしていた。

 

「心配すんな。ミューは本当に強い。オーグだって、生身のまま仕留めただろ? 大丈夫。お前なら勝てる」

「…………」

「英雄になれるんだ。向こうのみんなは、お前のことを待ってるから」

 

 独特な意匠のラバースーツ。抵抗力を極限まで減らしたその戦闘服に身を包んだミューは、ひとまとめにした銀の髪を、不安げに揺らしている。

 戦うことは、苦手ではないはずだ。

 竜のことを気遣うような素振りを時々見せるものの、あのオーグ然り、あの紅蓮の竜然り。戦う時には、彼女は容赦なくその牙を振るう。だから、大丈夫だと。俺はそう思うのだが――。

 

「……ローグは、来てくれないの?」

「えっ」

「…………ローグ」

 

 上目遣いで、懇願するかのように。彼女は、そう訴えてきた。

 考えてみれば、今までは彼女が出撃した時に俺も一緒に出向いていたような気がする。そう考えると、彼女単独での出撃というのは、今回が初となるのかもしれない。

 

「……悪い。俺は城の方での仕事が控えていてな。でも、バルクの整備はばっちしだ。俺がいなくても大丈夫」

「…………」

「さっと飛んで、ばばーって倒すだけだよ。ミューならできるさ」

「…………ばか」

 

 突然の罵倒。それだけ言うと、ミューは大きくバックジャンプする。そのまま、胸が開いたバルクの中へと飛び込んだ。

 

「……は? 何だ、急に」

 

 思わずそう漏らしたら、返ってきたのは精一杯口から顔を出した彼女の舌。俗にいうあっかんべーを、渾身の力で繰り出している。接続される痛みにも負けない、全力のあっかんべーを。

 それだけやって、彼女は一言も発することもなく。銀色の胴に吸い込まれて、バルク自身の目が青く光る。

 そうして、そのまま。まるで俺から逃げ去るかのように。彼女は翼の火を噴かせ、一目散に飛び去ってしまった。

 

「……何なんだ、あいつ」

 

 俺も、近衛兵たちも。唖然とその様子を見送っている。

 緋色の光が灰色の空の中で瞬いている様子を、言葉もなしに見守っていた。

 

 






 あっかんべー可愛い。


 クナーファは、トルコなどのお菓子の名前です。ピンときた方もいらっしゃるかなぁ。そう、ここは未来のドンドルマ。ドンドルマもトルコの甘味だから、それにちなんだ名前にしたろっていうことで。クナーファ、クナーファ。かっこいい響き。
 ドンドルマと言えばドンドルマアイスですけど、トルコアイスって何であんなにみょーんみょーんってするんでしょうね。不思議……食べたことないけど。食べてみたい。
 ほいでは、また次回の更新で会えることを願っております。閲覧有り難うございました。


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傾蓋知己(けいがいちき)



 初めて出会った者同士が、非常に親しくなること。




 ――なんで、この人は私を引き取ったんだろう。

 

 ボサボサと手入れの行き届いていない藍色の髪に、同じ色に染まった気だるげな瞳。少しばかり隈が出来たそれを眼鏡で覆うその姿は、不健康な人間そのものだ。団服を適当に着崩したその人は、一言で言うと『よく分からない人』だった。

 でも、その雰囲気がどこか懐かしい気がして。最初にぶつかってしまった時は、この人にすがりつきたくなってしまった。それが何故かは、私もよく分かってない。

 

「……自己紹介がまだだったなぁ。俺の名前はローグ。よろしくな」

 

 そう言っては懐から煙草を取り出して、それを色の薄い唇に挿み込んで。手で覆うように、マッチをかざす彼。

 そっと目を細める仕草をじっと見ていると、途端に鋭い煙が私の鼻を穿ってきた。

 

「……っ、こほっ、こほっ」

「お前は、何て言うんだ?」

「けふっ……」

「おいおいおい……もしかして、煙草嫌い?」

 

 涙が浮かんできてしまう。目が充血してくるのが分かる。

 煙草なんて、大嫌い。

 目が痛くなるし、煙たいし、苦しいし。私を買い取った人たちはみんな煙草を吸っていて、その煙を直接私にかけてきて。凄く、凄く苦しかった。

 

 ――どうせ、この人も同じなんだろう。

 

 なんて、どこか他人事のように目を伏せた。

 結局、誰に買われても同じだと、私は心の中で引き笑いをした。

 ところが、そこに返ってきたのは予想だにしない彼の言葉。

 

「わり。消すわ。ごめんな」

「……え」

 

 今、この人は何て言ったんだろう。言葉が、頭に入ってこなかった。ううん、入ってきたんだけど、理解が出来なかったんだと思う。

 半ば信じられない思いで顔を上げると、彼は火を付けたばかりの煙草を灰皿へと押し付けていた。そうして火を消しては、窓を勢いよく開ける。

 

「吸わない人からしたら、臭いだけだもんな。ちょっと換気しようか」

 

 そう言って、申し訳なさそうに彼は笑った。

 まるで。まるで私を、いるものと扱うように。私に気を遣ってくれているかのように。そんな、あまりにも非現実な(・・・・・・・・・)その光景に、私は言葉を失ってしまう。

 

「さて。もう一回聞くけど……君は、なんて名前なの?」

 

 ちょっと照れくさそうにそう尋ねてくる彼の声が、何だかとっても優しくて。

 ――よく分からないけど、心がうるさく鳴った。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 竜人族は、道具。

 私はそう教えられてきた。人間からも、そう扱われてきた。

 女で、まだ三十を過ぎたかどうかというくらいに私は幼い。お父さんのように労働力として使われることはなく、お母さんと同じように誰かの家に買い取られ、そこで家事手伝いなどの雑務をさせられることがほとんどだ。

 けれど、その生活は本当に苦しくて。人間には絶対服従しなくちゃいけなくて。お父さんも、お母さんも、別々の人に買われてしまったから。もう、二人ともどこへ行ってしまったのか分からない。

 頼れる人なんて、誰もいなかった。

 誰も――――。

 

「おまっ……ベジタリアンか!? ほんとに肉、食えねぇ感じなの?」

「……っ、は、はい……」

 

 好き嫌いはしちゃいけない。したら、罰を与えられてしまう。

 依然買い取られたところでは、奥様からこっぴどく叱られた。私の作った物が食べられないなんて、許せない。そんな風に怒鳴られては酷い折檻をされて。その後は、家畜用の餌なんかが出されたりなんてして。

 でも、この人は――ローグは、むしろ心配してくれているかのような、そんな顔をしていた。

 

「……昔からダメなのか?」

「……ごめんなさい」

「いや、いいんだ。好みは人それぞれだしな。代わりに俺のサラダやるよ」

「えっ、で、でもそんな……」

「いいっていいって。俺はお前の分の肉もらうから」

 

 そう言っては、彼は自分のサラダを私の方へと差し出して、逆にお肉を持っていってしまった。

 正直、肉の方が好きだし。なんて言いながら、彼は私のお肉をかじる。屈託のない笑顔を浮かべながら。

 

 

 

 

 

「……うぉ、マジか!? お前……めちゃくちゃ料理上手だな!?」

「そ、そうですかね……あぅ」

 

 伸びてきた大きな掌に、私はされるがままに頭を撫でられながら。

 彼は、私の作ったサンドイッチを口にしてはそう大声を上げた。

 別に、私はとりわけ料理が上手い訳じゃない。ただ、こう言ってはなんだけど、これまでの彼の食生活があまりにもあれなんだろう。

 それでも、料理を含めた家事はこれまでもずっとしてきたから。下手ではない――と、思う。

 

「こりゃあれだな。料理当番交代制を採用したいな」

「え?」

「一日交替で、料理を作る……なんてどう?」

「え、いやその……ローグさんも、作る……んですか?」

「……それは、俺の飯が不味いと言いたいのか……」

「いっ、いえ、その、そうではなくて――」

 

 ――私が休みなんてもらって、いいんでしょうか。

 

 そんな思いを、言葉に変える。

 生憎か細い声になってしまったけど、彼はそれを聞いては口元を引き締めた。そうして、ずいっと私の瞳を彼が覗き込む。藍色の中に、青色が浮かんだ。

 

「……俺な、嫌いなんだよ」

「……え?」

「竜人を奴隷みたいに扱う風潮。俺、あれ大っっっ嫌いなんだよ」

 

 どこか酷く冷めた目で。冷笑的に、彼はそう吐き捨てた。突然変わった声のトーンに、私は思わず怯えてしまう。

 だけれど、彼はそんな私の手をとって。冷えた指先を、彼のあったかくて大きな手が、ぎゅっと包み込んで。

 

「君を迎え入れたその日から、俺たちは家族だ。君は奴隷じゃない。そんな風に思わなくて、いいんだよ」

 

 何だか、物語でも見ているかのよう。

 彼の言葉の一つ一つがあったかくて、心を優しく受け止めてくれる。

 顔が熱くなった。頬が焼けるよう。目元に、何かあったかいものが溜まってくるような――。

 嬉しさで泣くなんて、初めてだった。

 

 

 

 

 

「この部屋自由に使っていいからな」

 

 そう言って彼が案内してくれたのは、彼の家にある使われてなかった小部屋。ベッドや棚、さらには可愛らしいラグまで用意されている。

 

「休日の朝にいっつも掃除してるんだけど……それでもいい?」

 

 手が空いた時に、私はいつでもやりますよ。なんて、私は控えめにそう返して。

 

「買い物行くならさ、おすすめの店があるんだ。案内するよ」

 

 そのまま、彼は私の手を引いてくれて。

 

 

 

 

 

 シュレイドの街は、何だかこれまでとは違って見えた。

 いつ怒鳴られるか分からない怖さ。それは主人にか、道行く人にか、近衛兵にか。本当に、誰にいつ怒られるか分からない。私の一挙一動で、激しく叱られることもある。

 でも、彼と歩く通りにはそんな息苦しさなんてなくて。私の手を引いては、私の歩幅に合わせてくれる。道行く人に文句を言われても、彼は優しく庇ってくれる。

 ――この前の、私の引き取り方といい。彼は、結構位の高い仕事をしているんだと思う。彼の着る団服の腕章を見ると、文句を言う人もいそいそと去ってしまうんだから。

 何だか、安心してしまう自分がいた。いつ廃棄場送りにされるか分からないような、そんな生活だったのに。往来の真ん中で晒し刑にされても、不思議じゃない生活だったのに。彼の横にいると、何だかそれが凄く無縁な気がして。

 こんなんじゃいけないと、思うのに。気付けば、彼の傍が私の居場所になっていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ローグ、さん。あれは何?」

「あれはな、星座っていうんだよ」

 

 それから、暑い日々がしばらくやってきて。

 深い緑色の葉っぱが、そのうち紅くなっていって。

 その葉が落ちたら、急に寒い日が続くようになって。

 そんなある日のこと。彼の出張についていって、山奥の山荘に宿泊した時だった。

 空が、凄く澄んだ空が。藍色に染まった絨毯に、光る点が無数についているかのような。そんな凄い輝きが、私の心を掴み取る。

 

「星座……?」

「そう、星座。星が集まって、絵を為したものを言うんだよ。あれは飛竜座だ」

「飛竜座……」

「んで、あの長い奴。あれは海竜座っていってね。海に住んでるでっかい竜に見えるんだってさ」

「……よくわかんないです」

「ははは、違いない。俺だってどう見ても星の集まりにしか見えねぇもん」

 

 率直な感想を言ったら、彼はそう笑っては私の頭を撫でてくれた。

 彼の足の間に収まって、防寒着を一緒に羽織って。包み込まれるかのように空を見ながら、彼に体を預ける。最近こうしてるのが、すっごく落ち着くことに気付いたの。

 そんなこんなで、空を見上げていたその時。星の合間の藍色に、ふと興味が湧いた。

 

「……あの空の向こうには何があるのかな」

「ん? 何だそりゃ。哲学的な話か?」

「ううん。そういうのじゃなくて……本当に向こうには何があるのかなって」

「あー……」

 

 何となく思ったことを口にしてみれば、彼はどうしたものかと頭をぼりぼり搔いて。それでも、その返答となるものと考えてくれているようだった。

 数秒、あーとかうーとか喉を鳴らしたものの。形にならない言葉を、彼は何とか形にしてくれた。

 

「難しい話になるけどな。あの向こうには分厚い壁があるんだよ。この空と大地を隔てる壁がな」

「壁……?」

「そ。その向こうには、宇宙っていう場所がある。なんとな、そこには空気がないらしいんだ」

「……息が、できないの?」

「らしいな。んで、それらを隔てる壁があってなぁ……んー、『成層圏』って言葉は聞いたことあるか?」

「……ない、です」

「ないかぁ」

 

 聞き覚えのない言葉にそう返すと、彼はまた愉快そうに笑って私の頭を撫で回す。

 

「壁だよ、壁。決して交わらない、分厚い壁さ」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ローグ、それ、なに?」

 

 一緒に暮らし始めて、何年が経っただろう。

 もう何度も世界の色は緑、青、赤、白と反転していって、それを何度ローグと見てきたか。私ははっきり覚えていない。

 いつしか、私は彼のことを名前だけで呼ぶようになった。彼も、しっかり私の名前を呼んでくれる。彼は私のことを、お前だとか、それとか。そんな呼び方はしない。ちゃんと、私として、私のことを呼んでくれる。それがたまらなく嬉しかった。

 

 この日にローグが持ってきたのは、見覚えのないチラシ。あまり賢くない私には、読めない文字も多かったけれど。代わりに彼がそれを読み上げてくれて、私はようやくその内容に触れることができた。

 

「……竜機兵適正調査っていってな。全竜人対象のテストだよ」

「テスト……?」

「近々、新しい兵器が開発されることになる。それを操作できる適応者を探してるんだ、俺たちは」

「……兵器?」

 

 長いこと彼と過ごしたことで、いくつか分かったことがある。

 彼は、この国の研究者だった。それもとても凄い研究者。新しいものを造るのに、彼は引っ張りだこで。あっちこっちに飛び回って、その度に私もついていった。

 おかげでこの国の色んなとこを見ることができたけど、仕事が大変だからゆっくり観光することもできなくて。いつか、ゆっくりこの国を回ろうな。なんて言うのが、彼の癖だった。そのいつかはいつになるか分からないけれど――何だか、とっても楽しみ。

 いつか、行けたらいいな。彼と一緒に、遠いどこかへ。

 

 そんな彼が新しく開発しているのが、何やら『りゅーきへー』っていうものらしい。それが一体何なのかは、よく分かんないけど。

 

「その、りゅーきへーっていうのは……なんなの?」

「竜の素材を掻き集めて、新たな存在を造り出す……ていう、次世代の新兵器だよ」

 

 何だか、嫌な感じがした。竜を集めてって響きに、嫌な予感がする。

 

「古龍をベースにさ、機械の部品を詰め込んで生きる兵器を造ろうって計画でなぁ。これ図案なんだけど、見てくれよ。格好良いだろ?」

 

 目を輝かせながらそう言う彼は、まるで少年のようだった。子どものような見た目をしている私が言うのも、変かもしれないけど。でも、その表情に邪気はなくて。ただ自分の思い描くおもちゃを造ろうとしている、子どもみたいに見えた。

 ローグは優しい。竜人族を差別することなく、平等に扱ってくれる。私のことも、凄く大切にしてくれている。

 でも、彼の優しさが向かうのは人間と竜人族だけ。竜に対しては、決してそうはならなかった。この国の人らしい、竜は資源とする考え方。それを聞くと、私は少し暗い気持ちになる。

 彼は、成層圏を決して交わらない壁だといった。空と宇宙がそうであるように、彼の竜人と竜への態度の差も、決して交わらないのかもしれない。

 

「……どうして、なのかなぁ」

 

 憂うような溜息が、漏れた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――ューさん、ミューさん」

「…………んぅ」

 

 ふと、呼び掛けられる声がする。私の通名が、耳の中に鳴り響いた。

 その声を聞いて、私は重い頭を持ち上げる。目に映るのは、荒涼とした景色。そして、動かなくなった青い古龍――――。

 

「お疲れ様でした。無事テスカト種の雌を討ち果たしたようで。お見事です」

 

 そう言うのは、武装した竜人族の男性。あの古龍の出現を知らし、私を要請した竜人兵部隊の、リーダーさんだと思う。

 彼らもようやく峠を越えたからか、安心したような顔で水を飲んでいた。鉄の色に染まった水筒が、夜明けの光を帯びては眩しく光る。

 

「少しは休まったでしょうか」

「はい……大丈夫です」

「そうですか、それはよかった。いやぁ、鬼神のような戦いぶりでした。古龍をも討ち果たすなんて」

「……有り難うございます」

 

 感慨深そうにそう言っては、彼は大きく息を吐いた。どっと疲れた。そう言わんばかりの、大きな深呼吸だ。

 

「これから私たちはあの龍を大型飛空船に乗せて、とりあえずクナーファまで飛びます。貴女は、どうされますか?」

「……私は、一旦簡易拠点に戻ります。そこでもう少し休んでから、この子とシュレイドに帰りますね」

 

 そう言っては、背後で沈黙していた銀色の機体を撫でる。

 この子は、死んだように眠っていた。私が接続を外せば、この子はたちまちのうちに意識を失ってしまう。この子の頭にも脳はあるけれど、自我がない。自我を担うのは適応者。この子は、私がいないと動かない。

 あの時ローグが持ってきたテスト。あれが一体何かはよく分からなかったけど、その結果こうしてこの子といられるのだ。そう考えると、ちょっぴり嬉しくもある。

 

 

 

 

 

 そうして彼らがせっせと古龍の亡骸を運ぶ様子を、私は何ともなしに眺めていた。

 

 ――ごめんね。あなたが何を思っていたのかは分からなかったけど、私はあなたを倒さなきゃいけなかった。

 

 本当は、モンスターと戦いたくなんてない。できることなら、互いに過度に干渉し合わずに、平穏に共存したい。兵器を造るから、計画の妨げになるから。そんな理由で、何も悪くないモンスターを狩るなんて、ほんとは嫌だ。

 でも、今は戦争中だし。そうしなきゃ、私を保護してくれてるローグにも迷惑をかけてしまう。我儘ばかりは、言ってられないから。

 

 私の使命と想いの間には、きっと成層圏みたいな壁が広がってるんだろうな、なんて。

 この薄暗くも澄んだ空を見上げては、そう思った。

 

 






 何か既視感ある感じ。


 多分、私が投稿しているもう一つのモンハン二次作品を読んでくださってる方は、こう思ったと思います。私も、書いてて思いました。相変わらず、こういうヒロインが性癖にぶっささるんだろうなぁと我ながら自己分析してしまいます。
 大気圏には、いろんな層がありますけども。私はやっぱり成層圏って響きが一番綺麗に感じますね。多分、この先も壁のイメージで何度も出てきます。成層圏って、ほんと響きが綺麗。英語にしてみても、本当に綺麗。凄い。
 閲覧有り難うございましたー!



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豪宕俊逸(ごうとうしゅんいつ)



 豪快で、才能が優れていること。




「……急すぎて、心の準備がまだできてないや」

 

 そう声を漏らしたのは、金の髪を無造作に伸ばした青年だった。

 上に伸びた背丈を風に浴びさせながら、彼はその赤い瞳を前方へと向け続ける。

 その先には、深い霧があった。灰色の岩場と、無造作に造り上げられた砦。それを浸すかのように、濃霧が淡い光を照らしている。

 ふぅ、と彼は息を漏らした。緊張を逃すかのように。凝り固まった自分を、解き解すかのように。

 

「ラムダさん。もうすぐそこまで、奴は迫ってます」

「……うん、足音がここでも聞こえてるから」

 

 竜人兵による報告を受け、彼――ラムダと呼ばれた青年は、覇気のない返事をした。

 そんな彼の見る霧の向こうからは、重々しい足音が聞こえてくる。それはまるで、重厚な資材を地面へと叩き付けているかのような。地鳴りにさえ聞こえてくる、重苦しい震動だった。

 

「巨大龍、か。本当にいるんだね」

「ラオシャンロンについては、過去の書物から記述はあります。でも、まさか我々の代で見られる日が来るなんて」

 

 感嘆した様子でそう話す竜人兵。あの地鳴りの主の名を聞いて、ラムダはぴくりと眉を動かした。

 ラオシャンロン。まるで峰のような体躯を有し、それを強靭な四肢をもって運びゆく。そこらを飛ぶ飛竜や、ミューが討伐したような古龍とは比較にならない巨体をもつ、まさに巨大龍という名が相応しい存在だ。そのあまりの大きさは、ラムダの操るゴグマゴグさえ超える。

 誰かが言った、歩く天災という言葉。それはまさに、言い得て妙と言えるだろう。

 

「……進行ルートは?」

「相変わらずです。ジォ海の南西側から出没した数日前の予想通り。そのままここ……ジォ海の北を通るようにして、クナーファを目指して歩いているようです」

「……なんだか、さ」

「えぇ……まるで王都を避けるかのようなルートです。実に気味が悪い」

「……まぁ、足取りが分かりやすくて助かるけど。急ピッチで建造したこの仮設砦も役に立ったし」

「ですね……ただ、ジォ海西側は、壊滅状態だそうです。平らに踏み慣らされた道が、巨大な道が続いているのだとか」

 

 ――ラオシャンロンが現れたのは、数日前の出来事だった。それも、ミューが出撃する前の話。

 ジォ海の南西。丁度砂漠地帯に差し当たるかというほどの鉱山地帯で、突如地震が起こる。その直後に、奴は姿を現したのだった。そう、シュレイドの街には特に影響が及ばなかった南方の地震。彼は、その震源地そのものなのである。

 

 地面からあの巨体が飛び出てくるというのは、非常に面食らう状況だろう。事実、予想外の地震の正体に、シュレイド王国の対応は非常に遅れてしまった。しかし、一度出てきてしまったのなら、あまりの巨体故に観測自体はそう難しくない。

 大地に刻まれた痕跡や、奴の行動の特徴から進行ルートを割り出して、その予想される地帯に砦を建設する。さらに、そこにゴグマゴグを操る第一世代竜機兵、ラムダを送り込む。それが、シュレイドの打ち立てた対巨大龍作戦だった。

 今、目の前に奴は迫ってきている。あとは、このまま奴を迎え撃てばよい。首都に迫ってきている訳ではない。しかし、このままクナーファに踏み込まれるのは避けたい。

 そして何より、巨大龍という貴重な資源をみすみす逃す訳にはいかない。それが、シュレイド軍の最終的な判断だった。

 

「……よし、作戦開始だ。いこう」

 

 ラムダがそう言うと、背後で準備していた竜人兵たちが力強い返事を連ねた。この圧倒的な存在を前に、彼らが拠り所とするのはこの巨大な竜機兵。普段は嫉妬に溺れる者もいるが、この状況下においてはこれほど頼りになる存在はない。みな、そう感じていた。

 砦を跨ぐように伸びた吊り橋。その背後に鎮座する、ゴグマゴグの胸殻。それががばっと開いては、彼はその中へと飛び込んだ。跳ねる瞬間蹴り上げられた橋が、ぐらぐらと濃霧を掻き乱す。

 そうしてゴグマゴグの瞳に光が灯り、漆黒の機体が持ち上がって。ボタボタと油を撒き散らしながら、巨人は歩き出した。

 

「砲撃部隊、準備!」

 

 そう竜人兵が声を上げると、鈍い足音が響き渡る。首を掲げた、四足歩行の気高き獣。奇蹄目に分類された生物――『馬』が、隊列を組んでは走り出す。そんな彼らの背後には、大柄な荷車と黒光りする砲身の姿があった。

 それによって運ばれた大砲は、およそ二十丁。それが砦の高台に等間隔で並び、迫りくる巨体に照準を当てた。同時に運ばれた砲弾が着々と詰められる中、部隊長の竜人は静かに右手を天へと掲げる。

 

「砲撃班、構え――――」

 

 震動と共に、霧が薄められる。そうして露わになる視界。そこから見える、錆びついたような赤茶色の甲殻。あまりにも巨大な龍が、その姿を現した。

 

「――――撃てぇっ!!」

 

 続く、砲撃音。

 火薬の弾ける音が、この砦の中で響き渡る。谷状のこの空間の中でその轟音が反響し、野太い呻き声が混ざり込んできた。

 総弾は百を下らないだろう。それだけの量の砲弾を埋め込められ、凄まじい量の煙が上がる。衝撃波に濃霧は消し飛ばされたものの、火薬の黒々しい吐息が、またもや巨大龍を覆い尽くした。

 

「……やったか?」

 

 誰かが、そう言って。そんな淡い期待を、口から溢して。

 

 現実はそう甘くない。そう言わんが如く、舞い上がる黒炎の中から巨大な頭が飛び出した。

 いつの間にか立ち上がっていたらしい奴は、その立派な尾を支えに何と二足歩行をし始める。そうしてさらに高く舞うその頭から、もはや衝撃波の塊と言える咆哮を吐き出した。あの砲撃音を遥かに上回る、大咆哮を。

 

 刹那、反り合う衝撃波。丁度ラオシャンロンと向かい合うかのように。砦の奥に潜む黒々しい影が、これまた悍ましい咆哮を放つ。

 赤茶色の巨龍を、黒々しい機竜が捉え。そうして、一直線先へ。悠然と闊歩する巨龍のどてっぱらに向けて、機竜はドス黒い吐瀉物を撒き散らす。

 

「うおおぉぉっ!?」

 

 そのあまりの勢いに、竜人兵は驚愕の声を上げた。

 如何に液体であろうと、超速度で射出されれば、それは固体とそう変わらない威力をもつ。そうして撃ち放たれた吐瀉物は、ラオシャンロンの腹部を荒く叩き付けた。奴は倒れはしないものの、悲鳴のような声を上げる。

 

「……作戦通りだ! 門を守るゴグマゴグに近付く前に、奴を仕留めるぞ! 射撃班、オイル班、準備!」

 

 部隊長の声に反応して、多くの兵士が声を上げる。そうして、射撃班と呼ばれた者たちは重弩を掲げ、砦の端へと並び立った。

 一方、オイル班と呼ばれた者たちは、再び馬を駆けさせる。先程砲身を運んだものと、同型の荷車。それが、ガタガタと石造りの砦を掻き鳴らす。しかし、彼らが引く荷車の上にあるのは、砲身ではなかった。重弩をさらに巨大化させた、重厚な射撃装置。そこに備えられた巨大な矢には、黒く濁った液体を溜め込んだ筒が供えられていた。

 

「ってぇっ!」

 

 掛け声と共に、発砲音が響き渡る。巨体を穿つために射撃班は重弩を鳴らし、オイル班はその矢をラオシャンロンに向けて撃ち放った。オイルをたっぷりと詰めたその筒を、勢いよく風に乗せたのだった。

 そんな竜人たちの努力も、奴はまるで気にも留めない。全身が油まみれになっているのにまるで気にせず、彼は優雅に前脚を地へと付けた。そうして、再び歩き出す。大地を揺らすあの震動が、再び兵士たちに襲い掛かった。

 歩き始めたラオシャンロン。その瞳の向こうで鎮座する、漆黒の機竜。ドロドロに溶けたかのような黒が、濃霧を吸い込んで。かと思えば彼の胸元が、その喉元が、淡い橙色に染まり始めた。

 

「全員、伏せろぉ!」

 

 そう部隊長が言うが早いか、兵士たちは攻撃の手を止めその身を守る。

 次の瞬間、大気が爆ぜた。黒々しい油が真っ赤に染まり、そのまま大気ごと緋色に染める。一瞬で気化することで膨大な質量を撒き散らしたそれらは、次々と連鎖反応を引き起こした。ラオシャンロンの体を覆った黒い油が、瞬時に弾け飛ぶ。

 

 悲鳴。それは悲鳴だ。突然、身体を纏った液体が、凄まじい熱と衝撃波に成り変わった。その凄まじい旋風は、確かに奴に痛みを刻んだのだった。

 興奮のあまり吠えるゴグマゴグと、痛みのあまりに吠えるラオシャンロン。その光景はあまりにも異常で、またあまりにも恐ろしい。龍と人が戦っているのか、龍と龍が戦っているのか。それすらも定かではなくなってしまう。

 

「……すげぇ……なんて威力だ」

 

 オイル班も、少量とはいえ油を重ねた。しかし、奴を覆っていた油のほとんどは、ゴグマゴグが吐いたもの。ラムダはそこに赤熱させた油を熱線として放ち、大量に引火させたのだった。

 それによって、ラオシャンロンの甲殻は大きく焼け焦げる。ところどころ、剥がれては肉が見えていた。しかし、それでも奴は動きを止めない。どころか、その足並みを早め始める。

 

「なんだ……何故急に急ぎ出した?」

「へっ、ゴグマゴグにビビったんだろ!」

「いや、それだったらゴグマゴグから離れようとするんじゃないか……?」

「むしろ、手早く距離を詰めて接近戦に持ち込もうなんて、そんな腹なんじゃ……っ!」

 

 兵たちは意表を突かれながらも、再びそれぞれの獲物を構えた。そうして、ずんずんと歩むラオシャンロンに向けて、それぞれの獲物に火を吹かせる。

 奴の足は速かった。攻め込もうとしているかのように。はたまた、逃げ出そうとしているかのように。人によってその捉え方は様々なものの、彼は確実に、ゴグマゴグとの距離を詰めていく。

 響く瀑布の音色。再び、ゴグマゴグが体内の油を奴に叩き付けた。内容量は多くないために、そう何度も放てない。しかし、迫りくる巨体を止めるには、出し惜しみをしている場合ではなかった。

 その油を受けて、ラオシャンロンは暴れ始める。先程の痛みを思い出したのか、奴は全身を砦に擦り付けては身じろぎした。その度に砦が激しく揺れ、その上で重弩を構えていた兵たちが巻き込まれていく。

 

「うぁっ……!」

「ひぃ……っ!」

「狼狽えるな! 攻撃の手を緩めるな!」

 

 巨大な背中に弾き飛ばされたものは、そのまま全身を石に叩き付けられて沈黙する。砦と甲殻に磨り潰される者もいれば、崩れ落ちた瓦礫に埋もれる者もいた。巨体に踏み付けられ、挽肉のように成り果てた姿。それが、次から次へと大地を赤く染め上げていった。

 その光景に兵たちの士気が下がり、部隊長が大声を上げては彼らを奮い立たせる傍ら。再び、オイルの矢が注ぎ込まれた。同時に、ゴグマゴグのあの熱線も。

 

「総員、身を守れ!」

 

 襲い来るあの衝撃に、兵たちは慌てて身を屈めて。その瞬間に、大気が赤く弾け飛ぶ。

 先程までとはいかなくとも、これまた大規模な爆炎が奴を包んだ。巨大な火球ともなったそれはこの砦を激しく焼いて、散らばる肉の塊を溶かしていく。

 それでも、奴は止まらない。

 

『これでもダメなのか……。こうなったら、接近戦でこれ(・・)を撃ち込む他はない……!』

 

 その光景を前に、ラムダは悔し気に唇を噛んだ。

 なお加速するラオシャンロン。不自然なほど慌てた素振りで、奴はゴグマゴグに向けて駆け出した。足の震動は最早地震へと変わり、兵たちはまともに動けない。

 体内の火薬を大量に消費したゴグマゴグは、その大振りな翼を持ち上げて、ラオシャンロンを迎える意志を見せた。中で歯を食いしばるラムダは、最終兵器の使用を決意したようだ。

 いよいよ、ラオシャンロンが吠える。邪魔だと言わんばかりのその声のままに、奴はゴグマゴグへと突っ込んだ。折れた鼻先を、躊躇なしに叩き付ける。

 その巨体を、機竜の太い翼腕が受け止めて。それでも衝撃を抑えられず、彼は背後へと弾かれた。そのままもつれるように砦の門へと流れ込み、分厚い鉄の壁が激しく軋む。

 

「……すげぇ、あの巨体を押し留めやがった」

 

 一瞬の沈黙。それを打ち破ったのは、竜人兵の感嘆するような声。

 その門を背に、ゴグマゴグは踏み止まった。背後を壁にして、彼は巨大龍の突進を殺し切ったのだった。

 そのまま、両者は相撲でもするかのように押し合いを繰り広げる。その余波が砦を崩し、大量の瓦礫が零れ落ちた。それでも彼らは手を引かない。互いに譲らず、押しては引いての繰り返し。

 巨大龍が唸り声を上げる。そこを通せと言わんばかりの鬼気迫る表情。それに、ゴグマゴグは負けじと吠えた。

 

『お前は――ここで死ぬんだよ』

 

 そう、ラムダが吠えて。ラムダの声は、ゴグマゴグの行動へと移り変わって。

 ふっと、彼は力を抜いた。巨体を支える力を抜いて、ラオシャンロンを前進させる。

 

「……あっ!?」

「マズい……ッ!」

 

 思わず竜人兵が焦る瞬間だった。彼らが重弩を構え直そうとする、その瞬間だった。

 前進するラオシャンロンの、その首下に。ゴグマゴグは、自らの巨体を器用に動かして、するりと滑り込んで。そのまま、巨大龍の首元に、機竜の背中を擦り寄らせる。

 その背中に搭載された、黒光りするもの。

 体表よりもさらに黒く染まったそれは、舞い上がった火の粉の色をうっすらと滲ませていた。その先にあるのは、柱のように伸びた鈍重な矛先。それを、彼は巨大龍の首筋へとあてがった。

 

『止まれえぇぇっ!!』

 

 ラムダが、吠える。

 彼の声は、外へは届かない。

 それは代わりに、機竜の口から飛び出した。あの重苦しい声が飛び出した。

 

 瞬間、凄まじい爆発音が鳴り響く。砲台によるものでも、油が弾ける音でもない。密閉された空間から何とか逃れようとするかのような、締め付けられた爆発音。

 その音と同時に、ゴグマゴグの背中にあった切っ先が飛んだ。内包した火薬を自身の熱で引火させ、その衝撃を砲身の中で凝縮させる。無駄なく衝撃を全て注ぎ込んだその雷管は、巨大な槍を射出。轟音が鳴り響いた。

 これが、本作戦の最終兵器。ゴグマゴグの背中に取り付けられた、『爆裂槍』という新兵器だ。

 

 尋常ではない量の、血飛沫。鮮やかな赤色に染まったそれが、まるで噴水のように噴き上がる。灰色の空を真っ赤に染めては、両者の体表をも塗り潰していった。

 赤い霧を撒き散らしながら、巨大龍は天へと吠え上げて。まるで何か訴えるかのように、彼は吠え続けて。やがて事切れたかのように声を断てば、そのまま横倒しに身を投げる。必死に起き上がろうとしたものの、もうその体に力は入らないようで。そうして、微細な運動すら掠れ掠れになった。

 

 

 

 

 

 しばし、沈黙。やがて沸き起こる、大歓声。

 倒れ伏した巨体を前に、兵士たちは雄叫びを上げた。

 

 あの巨大龍を、自分たちの力で止めたのだ。それは、筆舌し難い喜びだろう。ゴグマゴグから飛び出したラムダも、これまた清々しい笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 人の力は、巨大龍の命を奪うものほどにもなった。その証明となった瞬間だ。

 竜機兵の力が、古龍に迫るほどのものであること。龍に等しくある者(イコール・ドラゴン・ウェポン)である証明が、クナーファの近隣でも、そしてこのジォ海北の砦でもなされた、歴史的な瞬間だった。

 

 

 






 ――キョダイリュウノ、ゼツメイニヨリ。


 ラオシャンロンVSゴグマジオスという物凄い光景。書いてみたかった。
 私自身、重度の世界観厨なんですよね。もう世界観気にし過ぎて、古龍も安易に仕留める描写が書けないタイプです。別の作品では、その辺凄く気を遣ってまして(一部某馬刺しという例外がいますけど)、それはそれで楽しいんですが、古龍のことをもっと描写したいって気持ちも強いんですよね。この作品を書こうと思ったのも、絶対に見られないであろうとあるモンスターたちの縄張り争いが見たかったから。ワールドで古龍同士の縄張り争いが見れることには、ほんとに感動しました。
 爆裂槍は上質な火薬が動力になった撃龍槍って感じ。銃弾の原理の超巨大バージョンかなぁ。やっぱり、こういう兵装は欲しいかなと思います。パイルバンカーみたいでかっこいい。
 趣味の話に付き合わせてごめんなさい。閲覧有り難うございました。


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青天霹靂(せいてんのへきれき)



 突発的に起こる、予想だにしない出来事のこと。




 巨大龍ラオシャンロンが無事討伐されたとの報告が入って、二日後の今日。

 シュレイドの城は、本日も非常に慌ただしい。

 

 何と言っても、あの巨大龍だ。言い伝えには名を残していた、山の如き巨龍。動く霊峰とも例えられるその龍は、まさに伝説上の存在だった。人の手で仕留めたなんて話も記録には存在しない。

 それを、ラムダは――竜機兵は、なんとやってのけたのである。

 

「すげぇなぁ、あいつ……」

 

 報告書を読みながら、俺はそんな感嘆の息を吐いた。

 燃え尽きた煙草の先を灰皿に落としながら、それをもう一度口へと持っていって。少し甘いような香りを充分に味わいながら、もう一度報告書の方に目を通す。

 

 ――ジォ海北の砦にて。多数の犠牲を出しながらも、ゴグマゴグ、見事巨大龍の命断つ。

 

 多くの竜人兵が殉職した。

 砦も大きく破損したらしい。

 門を破られる、本当に一歩手前だったとか。

 それでも、彼らは任務を遂行した。ラムダが首元に抉じ開けた穴が、決定打となったらしい。となると、あの新兵器を上手く使いこなしたのだろうか。

 

「ローグ君」

 

 ぼーっとそんなことを考えていると、不意にマグカップが寄せられる。

 深い香りに満ちた黒い飲料。豆を炒ったそれを手にしたエンデが、俺の横に立っていた。

 

「エンデさん……有り難うございます」

 

 そのカップを受け取りつつ、俺は少しだけ口にする。

 熱さに溶け込んだ苦味と、鼻孔を突き抜けるような酸味。旨さとはかけ離れた味なのに、何だか癖になってしまう。何とも不思議な飲料だ。

 

「君の竜機兵、大活躍だな。いやなに、素晴らしいことだ。やはり、性能に関しては第二世代とは圧倒的に差がある。埋められない差がある。ラムダも、ミューも素晴らしい」

「……二人が強いからこそ、です」

 

 満足そうに頷くエンデにそう言いつつも、俺は心の中でガッツポーズを(えが)いた。

 あのエンデが二人を褒めている。竜人である二人を、褒めているのだ。それが何だか、たまらなく嬉しかった。

 二日前のラオシャンロンの撃破。それとほぼ同時期に、シュレイドから飛び立ったミューに関する報告も入ってきていた。ゲイボルギアの旧首都、クナーファ近郊に現れた古龍を、無事撃破したという報告が。

 

「テスカトの雌……そして巨大龍。ふむ、思いがけない収穫となったな。君の計画の方でも、これらの素材はいるかね? いらなければ、量産機の方に回させてもらうが。これだけあれなら、かなりの量が作れる」

「あー……じゃ、少しだけいただいてもいいですか? また書類を提出します」

「そうか。うむ、そうか。できるだけ早めにな。あぁ、そうだ。新しい計画はどうだね? 第三世代というのは、どうだね実際?」

「うーん、ぼちぼち……ですね」

 

 第三世代竜機兵。再生能力に優れたオーグ細胞に様々な遺伝子を付与することで、新たな存在を作り出すその計画。

 口で言うのは簡単だが、要は一から命を造り出すということだ。その胚が一つの生物になるように細胞分裂を促す技術。中々に、計画が難航している。特に代謝。その代謝のシステムを構築することに、非常に困難なのだ。

 

「老廃物を撒き散らすテスカト種のデータは、喉から手が出るほど欲しいもんです」

「ふむ……テスカトの方が優先的、と」

「はい、ラオシャンロンは少しあれば大丈夫です。詳しいことは、また書類に書いときます。……あ、そうだ。結晶の地はもちろん、こっちの方にも手配していただけたら幸いです」

「こっち……?」

 

 不思議そうに、彼は眼鏡を持ち上げた。俺も同じく眼鏡を持ち上げながら、頭で立て並べた文字を言葉にする。

 

「本土の方に、研究所を新たに建設したんですよ。『フィリア』のために」

「あぁ……そういえば、そうだったな」

 

 書類を捲ってはその確認に勤しむエンデ。細かくは認識していなかったその姿から、彼はこの計画に関してはあまり興味を抱いていないということが感じさせられた。

 フィリアは、寄生して他者のエネルギーを吸収して成長する。そうして生まれ出た個体が、新たに生殖細胞を撒き散らし、次から次へと竜を、そして人を喰らっていく。フィリア計画は、そんなシステムの構築を目指すものだ。今はまだ研究段階だが、それをあの大陸の、しかもあのようなエネルギーに満ちた地で育てるのは危険極まりない。

 故に、国内の東部。山脈を越えた先にある寒冷地。そこに新たな研究所を設立したのである。あの場所でなら、仮に事故などによって誤って散布されてしまっても、被害を食い留めることができるだろうから――――。

 

「もう一つあったな……アレの方はどうだね?」

「『ゼノラージ』ですね、こちらは結構順調ですよ」

 

 もう一つ。新大陸に横たわっていた大蛇から、地脈を通してエネルギーを供給する。その先に結晶の炉を造り、オーグ細胞を培養した。それが、ゼノラージである。

 この新たな兵器はエネルギーに満ちた炉の中ですくすくと育ち、細胞分裂も確認された。フィリアに比べれば、随分と順調に開発されている。

 

「そうか。それは何よりだ。君の言うように、いつか竜機兵の世代交代というものができるといいな」

「……はい、有り難うございます」

 

 その口振りは、やや皮肉を孕んでいて。俺はそう返しながらも、内心で舌打ちした。

 やはり、彼らにとっては手軽に竜人を使いたい。そう考えていることが、はっきりと分かる口調だった。

 

「まぁ、考えてばかりでは煮詰まってしまうよ。少し外の風も浴びて来たらどうだね? あぁそうだ。今日は丁度あの日じゃないか」

「あの日……?」

(まじな)い師の言う、皆既日食の日だよ」

「あぁ……そういえば」

 

 思い出したかのように、エンデはその言葉を口にした。呪い師という言葉をわざわざ強調するあたり、彼はあの占いのことを全く信じていないようだ。

 まぁ、それは俺も同様であるが。日食と、不吉なこと。如何にも占いらしい、曖昧で無根拠な言葉だった。天文学的には、確かに周期としては合っているだのなんだのと、国の観測隊が騒いではいたのだが。

 

「……そう、ですね。少し、見てきます」

「あぁ、そうしたまえ。私は執務室に戻る。書類は今日中に頼むよ」

「はい……」

 

 まるで興味ない。そう言わんばかりに彼は踵を返し、廊下の方へ姿を消した。

 相変わらずの現実主義者(リアリスト)だ、なんて思いながら、俺はマグカップに残った飲料を一気に喉に通す。苦味が口いっぱいに広がって、脳を無理矢理蹴り上げた。掠れ掠れだった思考が鮮明になったような、そんな感覚が走る。

 

「よし、行こう」

 

 席を立ち、机の合間をくぐり抜けて。相変わらず騒がしい城のホールを抜け出し、本日は図書館脇の外廊下へ続く扉を開いた。そのまま外階段を昇りつつ、城の二の丸に当たる小振りな塔へと身を寄せる。

 ふと城下を見れば、広場には多くの人々が集まっていた。これから起こるであろう日食を見ようと、常日頃活気づいている街が、いつも以上に騒がしくなっている。

 それにつられるように空を見上げると、既に太陽の端が月に食われかけていた。

 

「おー……すげぇ。日食なんて初めて見たわ」

 

 日食の話など、話題になることの方が珍しい。竜を資源とした技術で発展したこの国にとって、日が形を変えることなどさした問題ではないのだから。

 そのため我が国の天文学はあまり進んでいるとはいえず、こうして呪い師によって示唆されなければ、このような注目を浴びることもなかった。

 

「ミューも、ラムダも。向こうでこれを見てるのかねぇ」

 

 手に持ったままだった煙草を咥え、一服。喰われゆく太陽を見ながら吸うこの味も、なかなか格別じゃないか。

 徐々に、半分ほど喰い始めた月。まるで太陽が、三日月のような輝きを見せる。その奇妙な輝きに見とれながら、俺は遠方にいる二人の兵器に思いを馳せた。

 

 ラムダは、凄い奴だ。あのラオシャンロンを仕留めるなんて。そのための作戦と、そのための兵装を用意したけれど。それでも、それをやってのけるのは本当に凄いと思う。技術者冥利に尽きるってもんだ。

 ミューも、無事古龍を討つことができたらしい。

 別れ際に何故か不機嫌な様子だったが、今はもう機嫌を直してくれているだろうか。怠惰な彼女のことだから、向こうの拠点でじっくり休んでから帰ってくるだろうけど。帰ってきたら、あいつのお気に入りの菜食店に連れていってやろうかな。

 

「……もうすぐで出来上がりそうだなぁ」

 

 月は、いよいよ太陽を食い尽そうと牙を剥く。この街も、巨大な影が差したかのように、徐々に身を黒く染め始めた。

 これよりもさらにドス黒い色に身を染めたゴグマゴグは、エネルギー切れのために活動停止となった。今はラムダともども砦に待機し、エネルギーの供給をされるのを待つばかり。明日には、再び活動できるだろう。

 ラオシャンロンとは、それだけしなければならない相手だった。そう考えると、古龍という生物が如何に化け物めいているのかを感じさせられる。

 

「……ミューは、今日にでも帰ってくるかなぁ」

 

 なんてぼやきながら。咥えた煙草を揺らし、目映い空を眺めて。

 月が太陽を覆い尽くし、黒く染まったその向こうから光が漏れる。眩しい金の輪が生まれ、街の至るところから歓声が上がった。

 

 綺麗だ。確かに、これは美しい。

 もしタイミングさえあれば、ミューと一緒に見て、それから彼女の反応を見たかった。なんて、煙の味を感じながら考えてしまう。

 それほどまでに綺麗だった。

 

「おぉ……すっげぇ」

 

 天地を覆い尽くすような金色の光。大地を染め上げる漆黒の闇。

 それらを生み出すその黒々とした穴は、まるで深淵に繋がっているかのような。地獄の門のようとさえ、感じさせられた。

 

 ――その深い深い黒から、鈍い色をした影が舞い降りる。

 

 黒く、ただひたすらに黒い影が、舞い降りた。

 

 

 

 

 

 直後、轟音。

 まるで何かが崩れるかのような音が鳴り響く。それは分厚い震動へと姿を変え、この城に――いや、この街に襲い掛かった。

 

「……っ!?」

 

 突然のその衝撃に、俺は慌てて手すりを握り締める。

 二の丸が激しく揺れ、俺の視界も激しく荒れた。もし手すりを握り締めていなければ、俺は宙へと投げ出されていたのでないか、と。そう感じさせられるほど強い揺れだった。

 

 地震か? まさか、先日のようにラオシャンロンがまた現れたってか?

 

 なんて思いながら、何とか身を起こして。阿鼻叫喚の声に埋まる城下に押されるように、俺は顔を上げた。

 本丸の、絢爛豪華な天守閣。このシュレイドの象徴とも言えるそれを、俺は見上げた。

 

 ――黒い、影?

 

 一瞬、影が差しているのかと思った。しかしその影は天守閣を軽々と穿ち、その度に大量の瓦礫を撒き散らしていた。

 ただの影に、このようなことはできるはずがない。

 これは影では、ない。

 

「……(ドラゴン)……」

 

 その姿は、まさに物語に出てくる龍のような姿だった。

 一番近いのはクシャルダオラかな、なんて。俺は置いてけぼりになった思考を振り回す。

 大きな翼に、四本の手足。細く鋭い尾に、長い首。その先には、悪魔とも龍ともとれない恐ろしい顔がついていて。べろんと伸びた舌が、城を見回しては妖しく舌なめずりをする。まるで獲物を前にして、かぶりつくのが楽しみでたまらないなんて言いたげな、不気味な動きだった。

 クシャルダオラに近いかもしれない。でもそれは、あくまでも他の生物と比べたらという話で。あれにはあそこまで長い首と尾はなく、また姿勢も全く異なる。四肢を用いて器用に本丸を囲うその姿は、まさに黒き龍という呼び名が相応しい。

 日食と共に舞い降りた、黒き龍――――。

 

「……っっっ!!」

 

 それが長い首をもたげ、その悍ましい口を開いた。

 同時に飛び出した、聞いたこともないような咆哮。鳥の甲高い断末魔のような、聞く者を戦慄させる恐ろしい声だった。気が狂ってしまいそうだなんて。咆哮を聞いてそう感じるのは、この時が初めてだ。

 それがこの城に、この城下町に反響する。この世の終わりのような声が、反響する。

 

 ちょっと待て。

 

 思考が追い付かない。

 

 これは、なんだ?

 

 何故ここに、龍がいる?

 

 ここはシュレイド城だぞ? シュレイド王国の中枢だぞ?

 

 クシャルダオラ程度にはびくともしない。そもそも、龍が接近していれば観測隊が気付くはずだ。

 

 ゲイボルギアが隠密行動していたって、それを瞬く間に察知できるほど、シュレイドの観測隊の精度は高いのに。

 

 ――なのに、こいつはなんだ?

 

 どこから来た?

 

 どうやってここに来た?

 

 何故、ここに来た?

 

 

 

 

 

 こいつは一体、何なんだ。

 

 

 

 

 

 天守閣が、砕ける。

 龍の力に耐えられず、本丸はとうとう倒壊した。

 凄まじい土煙を撒き上げながら、我が国の象徴が音を立てて崩れていく。街を撫でるあの大きな鐘が、勢いよく転げ落ちた。

 そのけたたましい音が気に障ったのか、その龍は苛々した様子で尾を振り回す。その細く長い尾は、極限まで(しな)った鞭のように。本丸どころか、その周囲の壁や門を瞬く間に薙ぎ払った。レンガや石は散弾のように飛び交って、他の建物や城下に穴を空けていく。

 

「お、おぉ……これは、どうしたことだ……」

 

 掠れたような、絞り出すような声。必死に体を守っていた俺に耳に、そんな声が入ってくる。

 その声は、聞き覚えのあるものだった。恐らく、シュレイド国民ならそのほとんどが知っている声。厳格さと自尊心を強く孕んだ、重々しい男の声。

 

「……王っ! そこは危険です! こちらに!」

 

 反射的にそう叫んで、俺は通りに躍り出た。

 本丸に続く、舗装された道。城外を覆うように刻んだ道は、今や変わり果てた姿になっており――。

 その向こうで。本丸の、目の前で。王は呆然と佇んでいる。その周りには瓦礫の山が降り注ぎ、不自然なくらいに鮮烈な赤色が滴っていた。あんな塗料、使われていたかななんて、そう錯覚してしまいそうだ。

 

「王! 退避しましょう! 今そちらに向かいます! 王も、こちらへ!」

 

 邪魔な瓦礫を踏み付けて、俺は彼に向けて歩き出す。一転非常に歩きにくくなってしまったその道を、懸命に踏み締めた。そうして、こちらに気付いてはよろよろと歩き出す王に向けて、懸命に手を差し伸べる。

 早く、速く。本丸から。奴の傍から、王を離さなくては――。

 

 

 

 

 ここでの、俺の反省点は何だろう?

 

 思うに、あの龍の動きを全く考えてなかったことではないだろうか。

 俺は王を退避させることに躍起になって、頭上を全く見ていなかった。

 ようやく王が歩き出して、安心してしまう俺がいた。

 ――あの龍が、彼を追い掛けてこないなんて。そんな保証、どこにもないというのに。

 

 瞬間、弾け飛ぶローブ。赤く染まったそのローブが、より鮮やかな赤に染められる。一瞬前まで目の前にいた人物は、黒く染まった腕へと変わっていた。俺の頬に、団服に。まだ温かみを残す赤が、染みついていた。

 

「……王……」

 

 返事をしたのは、彼ではなくて。何事もなかったかのように彼を踏み潰した、かの龍で。

 唸る双眼を前に、俺は悟る。

 

 ――――シュレイドの城は、今日で落ちるのだと。

 

 

 






 書けたあああぁぁぁぁぁ!


 シュレイド城がミラボレアスくんの手によって落ちるところ。それがめちゃくちゃ書きたかった! ミラボレアスくんhshs
 ミラたんは、使いにくいんですよね。禁忌のモンスター故に軽々と登場させれないし、強大過ぎて討伐させることも難しい。本当に、扱いにくいモンスターです。
 そんなミラたんを描写するなら、シュレイドの落ちるところとか書くのはどうかな、とか。それと竜大戦を無理矢理繋げればどうかな、なんて思った手前でした。
 いやぁ、13話目という不吉な数字にこの話を持ってこれてよかった。それでは、また次回の更新で。閲覧有り難うございました。


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気息奄々(きそくえんえん)



 息も絶え絶えで、今にも死にそうな様。




 嫌な感じがした。

 まるで黒い渦が覆い被さるように。

 私の大事な人を引き千切ろうと、何かが牙を剥くような。

 何だか、凄く嫌な感じがするの。

 

 その感覚に慌てて飛び起きて、空を見上げたら。いつもは灰色の空が、今日は妙に澄んでいて。だけれど、奇妙なくらいに薄暗くて。太陽が消えて、黒い何かが光り輝いていた。空に、白い光の輪ができている。

 その空の向こう。大事なあの人がいるはずの、シュレイドの城。それが、何だか凄く嫌な感じがして。空が燃えているような、そんな奇妙な錯覚すら覚えた。

 

「……ローグ……」

 

 居ても立っても居られないなんて言葉は、こんな時に使うのかな。

 私は、何も言葉にまとめることができず、ただバルクの胸に飛び込んだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ミューさん……ミューさん!?」

 

 竜人兵が声を上げる。しかしそれは、炎の噴射音で掻き消されてしまった。

 浮き上がる銀色の巨体。日食の影響で影が差した身を輝かせながら、その鋭角体は空へと滑り出す。

 そうして、そのまま翼の尻を爆ぜさせて。

 爆音。続く軌跡。空を区切るように残った緋色の影が、薄暗い空を走っていった。

 

「……一体、どうしたんだ。ミューさん……」

 

 クナーファ近郊の簡易拠点。

 そこで待機しては日食の様子を眺めていた竜人兵は、困ったような声を上げた。他の兵たちも、みな動揺した様子で空を眺めている。彼女が飛んでいった、シュレイド城のある方角を。

 

 それは、突然の出来事だった。

 古龍回収の任を果たし、この簡易拠点で休んでいた第一世代竜機兵、もといミュー。そんな彼女が突然飛び起きる。それだけでも珍しいというのに、彼女は何も言わずに竜機兵へと飛び込んでしまった。

 そうして、この日食の空へとまっしぐら。兵たちも、唖然としたことだろう。

 

「……伝令っ、伝令!」

 

 そこへ躍り出る、若い竜人兵。

 非常に焦った様子で現れた彼に対し、拠点の兵たちは訝しむような視線を投げかけた。今度はなんだ、と言いたげな視線である。

 

「今し方信号が届きましたっ、古龍です! 正体不明の古龍が、シュレイド城に現れました!」

「城……城に!? んな馬鹿な!」

「観測隊が気付くだろうそんなの!」

「それがどうも、本丸を直接叩かれたようで……第二世代では相手にならないから、バルクを至急出撃させよとのことです!!」

「……そんな、マジか……」

「城に直接なんて……一体……」

 

 みな、思考が追い付かない様子だった。

 無理もない。あの堅牢なシュレイド城が、この国の中枢が攻撃を受けたのだ。動揺するなという方が、無理な話だろう。

 そんな兵たちを前に、伝令を伝えた竜人は恐る恐る口を開く。周りを伺いながら。ここにあるはずの巨体がないことを、不審に思いながら。

 

「……それで、バルクはどこに……」

「……多分、もういった」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ここは、火山地帯だろうか。

 そんな馬鹿げた問いが、脳を駆け巡った。

 

「はは……ははは」

 

 乾いた笑い声が漏れる。

 もはや人とも竜人とも判別ができない肉の山に囲まれながら、俺はただ笑うしかできなかった。もう、頭がおかしくなりそうだ。

 肌が溶け、どろどろと液体を滴らせる顔。皮が剥げたのか、彼らが伸ばす手には奇妙な垂れ幕のようなものが靡いていて。腰から太いチューブを垂れさせる人もいた。いや、あれはもしかして腸だろうか。

 地獄絵図だ。水を求めて歩き回る、幽鬼のような影。緋色の炎のカーテンに、まるで影絵のように痕を残す彼らの姿は、もはや形容出来ないほど恐ろしい。

 それが一つ、また一つと丘を作っていく。肉を積み重ねたかのような丘が、無造作に出来上がる。

 

 龍は、その丘を踏み付けた。天高く舞い上がっていた体勢から一変、悠然とその肉の上に舞い降りる。

 何を考えているのか全く分からない表情で、奴は低い唸り声を上げた。

 その下では、奴の表皮に密着する肉塊が悲鳴を上げる。肉が焦げる嫌な臭いが、鼻を突いてきた。

 

「……うぇっ」

 

 そのあまりの光景に、何かが喉の奥から込み上げる。抑えようにも抑えられず、それを無理矢理吐き出して。しかし、この胸の気持ち悪さは収まらない。もうどうしようもなくて、狂ってしまいそうだった。

 ――このまま狂ってしまえたら、どんなに楽なのだろうか。

 

「はぁ、はぁっ……こんなっ、こんな……!」

 

 焦げた肉は、次第に黒く染まっていく。それはこの黒き龍の如く、光を逃さない漆黒へと堕ちた。いや、どころかそのまま結合してしまったかのような――そんな気さえする。

 再び喉奥が膨れ上がる衝撃に、思わず俺は空を見上げて。

 すると、燃え盛る橙色の何かが見えた。

 大型飛空船よりもさらに大きい、鋼鉄の体。翼と尾の生えた巨人の姿。

 

「……あ」

 

 鋼色の身が、燃え盛る緋色を映して墜ちてくる。ゴグマゴグにも劣らないその巨体が、ゆっくりと。

 その腕はとうに消え、腹は深くえぐれていた。継ぎ接ぎの肉を覆うために造られた鋼の皮。それが無造作に剥がされ、合成の肉がずるりと顔を出す。その奥に注ぎ込まれた機械の内臓は、我先にと溢れ出していた。

 巨体が、大地へ墜ちる。シュレイドの絢爛な城下町を、激しく磨り潰す。

 

 大破。

 戦闘不能。

 つまるところ、その竜機兵は既に事切れていた。

 指の一本すら動く素振りを見せない。時折内部回路が弾けてスパークは飛び出るものの、もう起き上がる様子は一切なかった。それが、大地を覆う炎に呑まれていく。

 

 ――――もう既に、四機目だろうか。あの龍に破壊された竜機兵は。

 

「……こんな、こんなのって……」

 

 怒りに身を任せるように。

 快感に溺れるように。

 苦しみを吐き出すかのように。

 嘆きのあまり慟哭をするかのように。

 如何様にも捉えられるかの龍の咆哮に、俺の腰は思わず落ちた。

 

 城下はもう火の海だ。人々はこの突然の事態に、慌てふためいた。そんな彼らをまるごと呑み込んだ、無慈悲な吐息。それが撫でるように、この街を焼いていく。

 シェルターのようなものは、当然この街にも設置されている。人々は、詰め放題の野菜のように、そこへと詰めかけた。

 しかし、そんなものはまるで意味がないと言わんばかりに。あの龍が吐いた炎の波は、そのままシェルターへと流れ込む。シェルターごと、この街を覆い尽くしていた。

 

 日食を楽しんでいた人々の姿は、もう見られない。空が、燃えていた。

 

 凄まじい咆哮音が響き渡る。拡声器がハウリングするかのようなその声は、鋼色の巨体を押し上げた。シュレイド城の防衛のために配備された竜機兵。五機目となる、最後の竜機兵だ。

 

 ひしゃげた機体。ズタボロになった合成筋繊維。あまりの熱に溶け始めた外殻。

 同胞が呑まれるその大地と、それらを満足そうに眺めるあの龍に向けて。最後の竜機兵は飛び出した。

 ――けれど。

 

 轟音。

 まるで、蝿でも払うかのように。あの黒き龍は、自らより大きなそれを軽々と薙ぎ払う。その細く長い尾を撓らせて、鞭のように機竜を薙いだ。

 弾き飛ぶ巨体。大地を転がる鉄の塊。たったそれだけで胸の装甲は剥がされ、人口の肉が露わになる。それでも、彼は止まらない。まるで痛みを感じていないかのように、何事もなく起き上がった。

 そうして、口元を開く。飛竜の吐息を機械的に模した、特殊な機構。熱炎を機械に押し留め、電流によって制御する。口元に灯る緋色の炎の中に、鮮やかな青が差した。青い炎が、あの漆黒の体に向けて注がれて――――。

 

「……かぁ! 誰かいますか! 無事な方はいらっしゃいますか!?」

 

 その先で。唐突に、人の声が響く。

 炎の揺らめきの中で走る、近衛兵たちの声。火の粉の中で、まるで地面から這い出したかのように。

 人間の影が、複数人見えた。動揺と困惑を含んだ声が、燃焼音に混ざり込む。

 

「馬鹿っ、出るな! 地下に潜れ!!」

 

 元々は、三の丸と城の土台を繋ぐ階段だった。しかし今では三の丸は影すら残さず、天井を失った階段だけが生きていた。

 それを通して地上へと顔を出した近衛兵たち。生存者の捜索へと出向いた彼らを、無慈悲にも射線に入れる黒き龍。

 

「そこは駄目だ! 死ぬぞッ!」

「えっ――――」

 

 彼らの体が、橙色に染まる。

 シュレイドの誇りを色に変えたかのような、爽やかな青。その色に染まった彼らの装備は、次第に暖色へと色を変えていった。

 その色は徐々に、しかし確実に。揺らめく炎のような真紅へと色を変える。

 服の色が変われば、当然彼らの色のも変わる訳で。

 彼らの体は、それに耐えられないかのように、少しずつ黒へと移り変わっていった。

 

「逃げっ……」

 

 そんな俺の声が飛ぶ前に。機竜の熱線を掻き消すかのように、黒龍の吐息が弾け飛んだ。

 様々な物質を無理矢理融合させたかのようなそれは、一直線に竜機兵へと飛び込んでいく。その射線にいる近衛兵たちも、有無を言わさず呑み込んでいく。

 直後、炸裂。ゴグマゴグの熱線をも超える、巨大な爆破の渦へと変貌した。

 その音はもはや形容出来ず、ただひたすらに振動の塊となり。

 その光は、もはや眼球を焼く熱と化し。

 その衝撃は、爆薬にしたら一体どれくらいの重さになるのだろう。

 吹き飛ばされる衝撃の中で見えたその爆炎は、まるでキノコが生えるかのように。頂点が異様に膨らんだ、何とも不気味な煙を生んでいた。

 

「……がはっ」

 

 凄まじい衝撃と、その風圧。それによって吹き飛ばされた俺の体は、壁か柱かに激突することで急停止した。

 一体、どこを打ったのか分からない。視界が反転したかのように、目の奥がチカチカと瞬く。全身が痺れるように痛い。肺が焼けてしまったかのように、呼吸が苦しかった。

 それでも何とか身を起こして、目の前の光景を捉えようとした。彼らは、あの近衛兵たちは逃れられたのか――――。

 

 崩れた大理石の壁に、黒い影が乗っていた。

 いや、影ではない。

 染みだ。黒い染み。

 彼らがいたはずのその場所には、まるで黒の塗料を噴射したかのような染みだけが残っていた。それ以外、影の一つもない。

 

「……そんな、まさか」

 

 一瞬で、蒸発した?

 それとも体の芯まで炭化させられて、あの壁に叩き付けられた?

 

 もはや何かの形すら留めなかったその姿を前に、俺の膝は音を立てて崩れ落ちる。

 こんな、こんなの。

 こんなのは、人間の死に方じゃない。

 こんなの――あんまり過ぎる。

 

 あの火球を吐いた後でも、何事もなかったように黒龍は前脚を地に付ける。そうして、少しずつ地を這い出した。その這いずる音は、少しずつ大きくなっていく。

 見れば、最後の竜機兵もまたその姿を保ってはいなかった。融解しては、鋼も肉もドロドロに混ぜ返したように。さながら溶岩の如く、大地を赤く染め上げていく。あの火球の爆心地にいたのだ。そうなるのも、致し方ないのだろうか。

 

「……あぁ、そうか。残っているのは、俺だけなのか」

 

 滴る涎。狂気的な舌なめずり。怖気が走る音を立てながら、かの龍は俺の前に立った。

 突然の事態に遅れながらも出撃し、俺を守ってくれた竜機兵たち。そんな彼らも、もはやあの炎と変わり果てている。状況は振り出しに戻り、俺は再び奴の前に投げ出されたのだった。

 王は、死んだ。

 竜機兵たちも、一機すら残らず鉄の塊と成り果てた。

 エンデや他の幹部たちも、どうなってしまったのか分からない。

 この崩れ落ちた城を前に、俺はどうしようもなく両腕を投げ出した。

 ――それ以外、何もすることができなくて。

 

 こんなところで終わるのか。

 呪い師の言う不吉とは、こいつのことだったのか。

 こいつは一体なんなんだ。

 こんな化け物、見たことがない。文献にも全く情報がない。

 まさか。まさか。こんな突然、全部終わってしまうなんて。

 だって、あんな馬鹿馬鹿しい占いを信じる奴なんている訳ないじゃないか。

 下らない妄言だって、普通鼻で笑うだろ?

 それが、まさか。こんな奴が現れるなんて――――。

 

「もう、どうしようもないじゃんか……」

 

 奴が唸る。こんなちっぽけな存在に向けて、その牙を振るう。俺を引き千切ろうと、悍ましい口が空間を走った。

 

 あぁ、こんな突然終わるんだったら。せめて、ミューを笑顔で送り出してから死にたかったなぁ、なんて。

 俺はその喉奥の漆黒を見ながら、静かに目を閉じた。

 

 






 エグめ描写目指しますた。


 ローグの主観描写になってしまうために描写不足のところがありますが、まぁ首都が落ちてます。日本で言えば東京都壊滅、みたいな。結構シンゴジラっぽいのイメージしながら書いてましたね。内閣総辞職ビームも凄いけどあのビームに収縮する前の火炎放射みたいなのもやべぇと思う。ミラさんはビーム吐かないもんね。螺旋火炎ブレスはするけど。あれされるといつも避けられないからあれ嫌い。
 正直、ここまで大規模な描写はしたことがなかったので若干空回り感が強いです。でも、何となくでもイメージが伝わっていたら嬉しいな。
 ゼロんさんからイラストをいただきました!! 城が燃え落ちる絶望感がすき。ミラたんhshs

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 閲覧有り難うございました。


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堅忍不抜(けんにんふばつ)



 意志を固くもち、どんな困難にも耐えること。




 体が引き千切られる。

 あの鋭い牙が俺を裂いて、そのまま呑み込んでしまう。

 竜機兵のあの装甲ですら、易々と噛み砕いてしまうあの顎だ。俺なんて、簡単に引き千切ることができるだろう。

 

 ――だけれども、何故その牙が振り下ろされない?

 

 俺は、少しずつ瞼を持ち上げた。もう死ぬかもしれないと、心がそれを止めようとするけれど。疑問に思ったらそれを何とかせずにはいられない、科学者の性質が心を押し潰している。

 そうして光を取り戻した俺の視界。そこに映っていた光景は。

 

 揺らめく炎を映した、銀色の体。漆黒の体にも染まらない、力強い輝き。シュレイドを覆う炎よりもさらに濃い、澄んだ緋色の炎。

 その姿は。俺が会いたくて仕方がなかった、その姿は。

 

「――ミュー……?」

 

 随分とか細い声が出たものだ、なんて我ながら呆れてしまう。しかし、今はそんなことに気を回してはいられなかった。

 翼を鋭い槍に変えて黒龍の首を逸らした彼女が、健気に返事をしてくれたから。

 絞るような声で、俺に応えてくれたのだから。

 

「……ミュー、お前……どうしてここに」

 

 そう問いかけ始める俺を、彼女は突然抱え込んだ。その鋭い前脚が俺を優しく包み込んで、そうかと思えば視界が激しく暴れ出す。

 流動する線を描き出したことと、耳の奥がぐらぐらと軋み始めたこと。それらを感じて、ようやく俺はミューに抱きかかえられながら飛んでいることに気付いた。

 

「……っうおっぇッ! おまっ、は、速すぎ……っ」

 

 ようやく止まったその体に、俺の内臓は肋骨に叩き付けられる。慣性が働き過ぎて、頭も腹もスープの如く掻き回されたかのような。そんな気さえした。

 吐きながら悪態をつく俺を、ミューは地面へと下ろす。どころか地面に空いた地下へと続く階段へ、そっと俺を横にした。

 

「……おま、え……まさかっ、戦う気か……ッ!?」

 

 くるる、なんて心配そうな声を上げていた彼女だが、キッとその目を凄ませる。そうして、随分と距離が空いた黒龍に体を向けた。

 並々ならぬ気迫だ。龍を睨む彼女の瞳は、いつも以上に鋭く見える。ここまで敵意を剥き出しにした彼女は、初めて見た。それとも、そうせざるを得ないほど危険な敵だという事実の表れだろうか。

 

 ――けれど。

 第二世代とはいえ竜機兵たちが束になってかかってもまるで傷を負わせられなかったのだ。ミュー一人で何とかなるなんて、到底思えない。

 

「ダメだッ、ミュー! 逃げろ! そいつと戦っちゃダメだッ!」

 

 思わずそう叫ぶけれど、その声はまるで彼女に届かない。

 飛び立った彼女の軌跡を見ながらも。龍と機竜の揉み合いが始まってからも。それでも俺は、叫び続けた。

 

「ミューッ!! 頼むっ、逃げてくれ……っ!」

 

 首を(もた)げた黒龍の吐息。小振りな火球の形をしたそれは、二個、三個とその数を増やしていく。しかし、ミューはそれを軽々と回避した。

 四肢を折り畳み、翼を大きく開いた後に、勢いよく炎を噴射する。それによってさらにスピードを上げた彼女は、瞬く間に黒龍へと接近した。奴の吐く火球など、掠りもしない。俺の背後にあるシュレイドの街に――いや、街だった場所にいくつもの火柱が立ち昇る。

 

「ぐっ……ッ!」

 

 爆音と、同時に響く衝突音。彼女は、その鋭角体を利用しては黒龍へ突撃したようだった。あの速度をそのまま衝撃に変えたのだ。その威力は、あの爆裂槍にも迫るほどかもしれない。

 しかし、それが有効打と言えたかどうかは、判断がつかなかった。あの黒き龍は若干仰け反ったものの、大きなダメージを受けたようには見えなかったのである。まるで強靭な四肢が衝撃を受け止めたかのように、下半身は微動だにしていない。そうして、憎々し気に喉を震わせて。そのままカウンターの如く、牙を振りかざした。

 ミューはすかさず飛んで、黒龍の上をとる。舞い上がっては、宙を喰らった奴の頭に向けて、空中からの急襲攻撃へと器用に繋げた。それを言葉にするならば、翼から噴射する炎の勢いに乗った、ムーンサルトといったところか。

 

「うおッ……!?」

 

 黒龍も負けじと、前脚を振りかざす。その鋭い爪と大気を薙ぐ尾が擦れ合い、猛烈な衝撃波が生まれた。それがこの崩壊した城を弾き飛ばす。燃え上がる炎が、大きく揺らめいた。

 その炎と競うように、さらに炎を噴出させたミュー。今度はその翼を、先程のような槍型へと変貌させる。両翼のそれらが射抜くような音を立てて、黒龍の両肩を鋭く穿った。

 

「……おっ、おぉっ! ミュー、お前……ッ!」

 

 血飛沫が上がる。炎のように澄んだ色ではない。血液特有の重く濁った鈍い色。それが、その漆黒の体から飛び出した。第二世代たちがいくら戦ってもつけられなかった傷を、彼女はたった一人でつけたのである。少しばかりの希望が、俺の胸の中で芽を出した。

 ――しかし、黒龍は激しく咆哮する。

 激昂したかのように吠えては、その体を城へと擦り付けた。翼を突き刺したミューごと、奴は乱回転をし始める。

 

 悲鳴を上げる前に、振り飛ばされた彼女。刺突が抜け、それによってさらに血飛沫が飛ぶものの、龍は構わず顎を開く。

 それが、一閃。先程と同様の小振りな火球を吐き出して、横転するミューを撃ち抜いた。あの巨大な火柱が、今度こそ彼女を包み込む。

 

「ぐっ……やっぱり、あいつは……」

 

 普段の速度では当てられないと考えたのか。故に、受け身がとれず隙を晒したところを狙って吐息を吐き付ける。奴は学習しているとでも、いうのだろうか。

 

 再び嫌な予感が顔を出し始める俺を余所に、ミューは勢いよく飛び出した。炎の渦を切り裂いて、翼から激しく炎を噴出して。ところどころ焼け焦げた鱗を剥がしながら、彼女も負けじと乱回転する。

 伸ばした翼は、まるで一対の剣のようだった。あの滅龍剣を振るうかのように、彼女は翼を走らせる。それが激しく城を掘削し、黒龍の肌を切り裂いて。

 それにも怯まずに、ぐんと伸びた龍の首。それが後足を掴んでは、振り回すように彼女を大地へと叩き付けた。

 翼を剣のように振るうあまりに、体勢を立て直し切れなかったミュー。そんな彼女は、倒壊した城をさらに砕いた。

 そこへ追い打ちをかけるように、龍は尾を振るう。上から打ち付け、そのまま薙ぎ払う鋭い打撃。彼女は、悲痛な声を上げた。

 

「やめろ……やめろッ! ミュー! ダメだっ、逃げろ!」

 

 悲鳴を上げる彼女だったが、それでもなお龍に食いつく。今度は翼の向きを変えて、掌の如き翼尻(よくこう)を前へと向けた。そこから炎を撒き散らしながら、黒龍の頭を打ち抜いて。その様は、まるでビンタでもしているかのよう。

 それによって奴は仰け反り、勢いよく首を振り回す。大きなダメージが入ったかのようにさえ見えた。状況は、一進一退なのかもしれない。

 なんて、浅はかな期待をする俺を嘲笑うかのように。奴は口元を燻らせる。そこから溢れ出す、淡い色をした火の粉。それが、翼を振り被ったミューをゆっくりと包み込んで――――。

 

 直後、凄まじい光が目を焼いた。粉塵のように舞ったそれらが、連鎖しては激しくその身を破裂させる。小さな衝撃の塊は、波打つように広がっていって。瞬く間に、ミューをも包み込む巨大な炎へと変貌した。

 炸裂音。響く、彼女の悲鳴。

 

「頼む……逃げてくれ……ッ!」

 

 ――どうしようもできない。

 俺なんかじゃ、彼女のために何もしてやれない。

 ただ彼女が逃げるように、懇願することしかできなかった。

 なんて情けない。

 ミューが必死に戦ってくれているのに、俺は何も出来ないなんて。

 何が、家族だ。何が、整備士だ。

 

 あの爆破は、流石にミューも堪えたのだろう。彼女はよろよろと、足取りが不安定になっていた。それでも必死に立ち上がり、忌まわしき龍に相対する。

 一方で、未だに余裕そうに佇む黒き龍。次はどうやって(なぶ)ろうか。そう言わんばかりに、奴はその不気味な舌で口元をべろりと舐めた。

 

「ミューッ! 俺のことはいいからっ! お願いだっ、逃げてくれよ! 頼む……っ!」

 

 空に向けて、吠えた。もうこれ以上、彼女が苦しむ姿を見たくない。もう役目も何も放りだしていいから、彼女には逃げてほしかった。

 だけれど、それは彼女には届かないかもしれない。だとしても、俺は叫ばずにいられなかった。

 

 その声を聞いたからだろうか。それは俺には分からないけれど、彼女は小さく唸り声を上げる。まるで何かを決意したかのように。俺に返事をするかのように。

 と思いきや、再び翼から炎を吐き出して。初速から全速力で、彼女は飛び出した。

 

「っ!? 何を……っ」

 

 黒龍の顔の前に飛び出して、その翼の向きを瞬時に変えて。掌のようなそれを、まるで龍の目を覆うように広げる。

 直後、閃光。今まで動力として使っていたその炎を、今度は奴の目に向けて吐き出したのだった。

 今までにない攻撃方法に、目という急所を狙ったその一閃。それには流石の黒龍も悲鳴を上げた。両目が焼かれたためか、身体を激しく仰け反らしては鳴き叫ぶ。今までの落ち着いた様子とは一転し、彼は激しく暴れ始めた。

 

 その苛烈な動きには、流石にミューも近づけないだろう。暴れ回る尾は瓦礫を乱雑に薙ぎ払い、大地を搔く爪は深い痕を刻んでいく。あんな巨体が暴れ回っていては、手の出しようがない。

 しかし、彼女は踏み込もうとはしなかった。むしろ、翼から弱く炎を噴かしては、ふわりと宙に舞い上がる。そうして、俺の横へと着地した。瓦礫と誇りが舞い上がり、目の前を銀色の巨体が包み込む。

 

「……ミュー」

 

 くるる、と彼女は喉を鳴らしながら俺に擦り寄ってきた。

 どこもかしこも傷だらけだ。鱗は剥がれ、内部の部品も見え隠れしてしまっている。焦げ付いた体は非常に痛々しく、俺は涙が溢れ出そうな目元を何とか留めながら必死にその頭を擦っていた。

 そこへ、カシャンと機械音が響く。慌ててそちらの方を見れば、機竜の胸が開いていた。その奥の肉からは、ミューが静かに顔を出す。

 汗ばんで、息苦しそうで。それでも俺を見て、彼女はふっと頬を綻ばせた。儚げながらも強く、そして優しい表情だった。

 

「ローグ……ごめんね。私、あの子に勝てない、かも」

「……馬鹿、馬鹿野郎っ、勝てなくていい! 戦わなくていい! 頼む、頼むから逃げてくれ! 早く、アイツの目が治る前にっ」

 

 肉に埋もれた彼女の手を握りながら俺はそう言うけれど、彼女は小さく首を振る。

 

「だめ、だよ。それじゃ、ローグが……。それだけは、やだ」

「俺なんかいいだろ! 別に俺が死んだって、造竜計画に支障はねぇさ! でも、でもお前が死ぬのは駄目だ! お前はこの国の希望なんだから――」

 

 なんて言う俺の頬を、彼女は唐突にはたいた。不機嫌な時によく見せるあの顔で。小さな頬を、少しばかり膨らましたあの顔で。

 

「……ばか」

 

 俺を罵倒する彼女の瞳。あの澄んだ青い瞳は、今は潤んだような光を帯びていて。

 

「私は……この国なんてどうでもいい。滅んでも、いいと思ってる」

「……は?」

 

 突然、何を言い出すんだ。何を言ってるんだ、この子は。

 そんな思いが溢れ出すけれど、彼女の瞳を見ては俺は何も言えなかった。

 

「でも、でもね。ローグが酷い目に遭うのだけは、絶対いや。私は、ローグさえ守れたら、それで……いいの」

「な……んだ、そりゃ……」

「あなたが、私の手を握ってくれたあの時から……たぶんこうなんだと思う」

 

 若干細めた瞳を少し逸らしながらも、彼女は俺の右手を両手で包む。

 

「……城の下……この下に、生き残ってる人はたくさんいる。音がする」

「生存者は……まだいるんだな」

「……ローグ。ローグは、その人たちと一緒に逃げて。ここから、逃げてね」

「あ? 何を……」

 

 包まれた右手を胸の押し当てながら、ミューはそう言った。

 柔らかくて温かいその感触を通して、彼女の思考が俺の頭へと流れ込んでくる――。

 

「……んっ、くぅ……っ」

「ッ!? おい……まさか。まさか、ミュー……っ!?」

 

 それはきっと錯覚なのだろう。

 目の前で突然起こった現状が、そう思わせた。そうに決まっている。

 

 苦し気に目元を歪ませるミュー。

 耐えるように体を強張らせて。

 俺の右手を、ぎゅっと握り締めて。

 ――そんな彼女の、その背中に。より太い肉の腕が絡みついていた。より太い血管のようなチューブが、その肉を通して彼女に突き刺さっていた。

 

「……んな。駄目だ……駄目だっ、ミュー! シンクロ率をそれ以上上げるな! そんなっ、そんなことをしたら……ッ!」

 

 八十パーセント。俺が定めたその壁を、彼女は自らの手で破壊した。

 それはつまり、バルクの性能を最大限発揮できるようになるということで。

 ――それはつまり、彼女とバルクは完全に『結合』してしまうということで。

 

「やめろっ、やめろ! それだけは……やめてくれ……ッ!」

 

 絞り出すようにそう懇願する。それでも、彼女は首を振ることもしない。ただ、その両手をきゅっと握り締めていて。

 

「……こうしたら、私は龍になっちゃうのかな」

 

 小さく、言葉を溢す。

 

「……龍になったら、私も解体されちゃうのかな」

 

 それはまるで、自問自答のような。

 

「……私も資源、なのかな」

 

 俺の返事も待たないで、彼女はそう呟きを重ねて。

 

「……でも、竜人も元々資源みたいなもんだもんね」

 

 そう自嘲気味に笑う彼女の肩を、俺は勢いよく掴んだ。

 

「そんな、そんな訳ないだろ!? ミューは、竜人は! 竜とは違うッ、人と変わらない! 資源なんかじゃない……ッ!」

 

 後半は、もう言葉にもなってなかったと思う。

 ただ、母親にすがる子どものように俺は泣いた。もうどうしようもできなくて、ひたすら泣いた。その細い胸に頭を押し付けて、半ば自暴自棄になって。

 そんな俺の頭を、彼女はそっと撫でてくれる。藍色の髪を、優しく梳いてくれた。

 

「……私、解体されたくない。怖い……怖いよ」

 

 ぽたぽたと、何かが零れ落ちる。彼女の瞳から溢れ出す、涙。

 

「だったら、やめてくれよ……お願いだ……っ!」

 

 俺は必死に、そう言うけれど。でも、俺の言葉は彼女に届かなくて。

 

「どうせ解体されるのなら……ローグにされたい、な」

「……何言ってんだよ。本当に、やめてくれ……頼むよ……っ!」

 

 子どものように、俺はそう泣きじゃくるけど。きっと、彼女は覚悟を決めている。俺が何を言っても、彼女はその決意を曲げないだろう。

 その決意をなおさら補強するかの如く、咆哮が鳴り響く。ようやくあの目の痛みが治まったのか。それとも完全に回復したのだろうか。黒龍は目に見える怒気を撒き散らしながら、天高く吠えていた。

 

「……今、下から誰かが上がってくる音がする。多分、近衛兵さんたちだと思う」

「……ミュー……」

「私は、いくね。もう、時間がないから……」

 

 苦しそうに、しかし強がるように。彼女は必死に笑顔を浮かべた。しかし伸びた肉の腕はいよいよ彼女の体のほとんどを覆い尽くしてしまう。

 増えたチューブに痛みが伴うのか、それとも龍となることへの恐怖か。彼女の笑顔はとても弱々しくて、とても儚かった。

 

「嫌だ……駄目だ……行くな……行かないでくれ……」

 

 溢れ出る言葉。締め付けられる心。

 どうしようもなくなった俺はひたすらに涙を流すけれど。

 目の前の彼女は、辛そうに。それでも、必死に笑顔を浮かべ続けた。いつも微笑しか浮かべなかった彼女の、精一杯の笑顔。花が咲くような、とはとても言えないけれど。それでも、とても綺麗な笑顔だった。

 

 

 

「ローグ。私……私ね、あなたのことが、あなたのことが――――」

 

 

 

 その先の言葉は、全て奴の声にかき消されて。切なげにそう言う彼女の声は、全てあの甲高い咆哮に呑み込まれてしまって。

 その先を求めて、俺は必死に手を伸ばす。

 けれど、彼女の両腕は既にバルクに呑まれていた。何かを伝えようと瞳を見開いているものの、それが何かを伝えてくれることはない。

 俺は何もできなかった。バルクに呑み込まれる彼女を見ることしかできなかった。

 

「ミュー……ミューッ!」

 

 俺を庇うように、彼女は再び飛び出して。そうして、その四肢を大地に縫い付けてはあの黒龍と再び相対する。

 今度は、全身から赤い炎が噴き出した。翼だけでなく、頭や四肢、甲殻の隙間から。

 バルクの本領発揮。シンクロ率が完全なものとなった状態。藍色を帯びた銀の体躯が、鮮やかな緋色へと反転する。

 

 ――――竜機兵が、龍に成り果てた。

 

 そんな彼女に必死に伸ばした右手。もう届かない彼女に向けて、それでも何とか引き戻そうと。どうしようもなく、ただ願望に身を任せたその行為。

 それごと、俺は取り押さえられる。背後からきた何かに、俺は無理矢理押さえつけられた。

 

「ローグさん! 危険ですっ、何してるんですか!」

「エンデ殿、ローグ殿の無事を確認しました! ただいまより連れ戻します!」

「ローグさん、落ち着いてください! 退避しますよ、分かりますか! 退避しますよ!」

 

 矢継ぎ早に言葉を並べる男たち。あの青い団服に身を包んだ男たち。

 近衛兵たちだ。ミューの言っていた通り、近衛兵が来たようだった。

 

「くそッ……離せ! 離せよクソ! ミューッ! ミュ――――ッ!!」

 

 必死に悪態をついて、必死に彼女のことを呼ぶけれど。

 彗星のように飛んだ彼女の姿を最後に、俺は城の下へと引き連れられた。数人の男に押さえられては抜け出すこともできず、エンデの指示の下に強制的に退却させられる。

 

 

 

 

 

 ――もう、彼女に会うことはできないのかもしれない。

 

 俺と彼女の間に、分厚い壁が生まれてしまったかのような。成層圏の如く、交わらない壁ができてしまったと。

 離れゆく燃える世界を眺めながら、俺はそう感じざるを得なかった。

 

 






 さよならローさん。どうか死なないで。


 結局文字数が嵩み過ぎて彗星アタックが書き切れなかった。無念……!
 このシーンもかなり書きたかった瞬間なのですが、こう会話を色々と考えすぎてしまってね。文字数気にしながら書くとなかなか難しかったです。むむむ、執筆って難しいなぁ。
 閲覧有り難うございました~。


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心慌意乱(しんこういらん)



 心が乱れ、何が何だか分からなくなること。




 ――ローグ……おはよ……ふあぁ。

 

 朝起きたら、銀の髪が目に入る。朝日を映した淡い輝きが、優しく俺の瞳を撫でてくれた。

 

 ――え? 布団、勝手に入ったら……ダメ? ダメなの?

 

 その髪を指で梳きながら俺はそう諌めるけど、彼女はどこか不満そうで。

 

 ――もう、起きるの? もうちょっと、寝たい。

 

 休日だったらまぁいいかなんて思いながら、俺は体を大の字にする。平日ならば、そんな彼女のほっぺたを引っ張っては無理矢理起きるのだ。

 

 ――ローグ。

 

 人懐っこい猫のように、彼女は俺に頭を摺り寄せて。それでいて、唐突に俺の名を呼んでくる。

 

 ――えへへ、呼んでみただけ。

 

 ちょっと悪戯っぽく微笑を浮かべる彼女の頭に軽くチョップしながら。でも、俺の頬もついつい綻んでしまって。

 

 そうして迎える朝に。横で小さく丸くなるミューに。俺は、今日も頑張ろうなんて思えるんだ。

 

 彼女が、いてくれたあの日までは。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 シュレイド王国は、分裂した。

 

 あの突然の来襲。王国の中枢であったシュレイド城に突如舞い降りた黒き龍によって、我が国は国としての機能を失いかけた。

 シュレイド城を中心に東西で栄えていた都市は、先日の一件によって関係を断裂させてしまう。生き残った首脳部が身を寄せた西シュレイドには、東側の情報がほとんど入ってこない。それほどまでに、あの黒龍の爪痕は深かった。

 

「……事態は非常に重い。国家の危機と言っても過言ではないだろう」

 

 エンデは、深い溜息をつきながらそう溢す。

 二重顎には、嫌な脂汗が浮かんでいるようにさえ見える。

 

「何ということだ、城が落ちるなんて……資源も、造竜所も大赤字だ!」

「ゲイボルギアとの戦争もまだ終わっていないというのに……どうすればよいのだ」

「大体あの龍はなんなのだ! バルクは、バルクはどうなった!?」

 

 皺の深い大臣がそう声を張り上げる。口々にこの状況を嘆いていた首脳部も、その言葉を聞いては押し黙った。そうして、竜機兵の管理を任されている俺の方へと視線を寄せてくる。

 

「……バルクは、ミューは……行方不明です。しかし、現場にはバルクのものと思われる銀の尾と、それを捕食する黒龍の姿が確認されました」

 

 絞り出すように、俺はそう言った。その言葉を聞いて、この会議室の中に重々しい空気が流れ始める。

 第一世代竜機兵にして、シュレイド王国の最高戦力。そんな彼女――バルクが、黒き龍を掃討することができなかった。むしろ返り討ちに遭い、行方不明。現場の痕跡を見る限り、おそらく捕食されたのだろうと。実動隊はそう判断した。

 

「何故だ!? 何故竜機兵が負ける!? 竜機兵は龍に等しい兵器ではなかったのか!?」

「第二世代竜機兵五機に、バルクの喪失……そんな馬鹿な……」

「あの龍が、それほど強いというのでしょうか? 大体あれは何なんです?」

「あんな龍、記録にないぞ。それに、何故観測隊は奴を察知できなかったのだ!?」

 

 この事態を前に、大臣たちはとりとめのない言葉を撒き散らす。阿鼻叫喚、なんていう言葉が相応しいような。そんな気さえした。

 

 黒龍。

 その姿を言葉にするなら、その呼び名が相応しいだろう。

 蝙蝠のような巨大な翼に、蛇のように長い首と尾。その首の先には悪魔のような頭部が唸り、不気味に舌なめずりをする。強靭な四肢は、バルクの突進もまるで堪えない。

 あまりにも強く、そしてあまりにも大きすぎる存在だった。このたった一頭の龍によって、シュレイド王国は危機に瀕しているのだから。

 

「とにかく、国王亡き今は我々がこの国を何とかしなければならない。王族の安否も分からないとなれば、我々軍部が国を主導しゲイボルギアとかの龍の撃破を行なわなければな」

 

 そう、エンデが話を締めて。

 西シュレイドという名で、我が国が再編されたのはこの僅か二日後の出来事だった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ひでぇなぁ、これ」

 

 旧首都、シュレイド城下町。馬車でその端に足を踏み入れた俺は、眼前に広がった光景を前に思わずそう漏らした。

 華やかだった商店街は、黒ずんだ何かの塊と化し。

 厳かで立派だったあの城門は、さながら地獄の入り口のように焼け爛れ。

 絢爛豪華なあの城は、今や悪魔の居城のように悍ましい風貌となっていた。

 

「ローグさん、ここまでが限界です。これ以上は、本当に危険です……」

「あぁ、分かってる……分かってるよ」

 

 付き添いの竜人兵にそう諌められながら、それでも俺は街を見続ける。

 

 廃墟だ。城下町が、丸々廃墟と成り果てていた。凄まじい業火で焼き尽くされ、ここら一体は最早焼け野原である。融解した鉄と肉の塊を爆心地に、放射状に崩れ落ちた一角も見えた。

 たった一日で街を廃墟にするなんて、ありえるのだろうか。この光景は、夢なんじゃないかって。そう思ってしまいたくなる。

 けれど、もうあの温もりはない。俺の手を握ってくれる、あの小さくて柔らかい手は、今はもういないのだ。それが、夢を現実へと変えてしまう。

 

「ミュー……」

 

 先日の調査隊の報告と、回収された銀の鱗。その鱗は間違いなくミューのものだった。報告を聞く限り、ミューは奴に捕食されてしまったのも十中八九間違いないだろう。

 しかし、彼女はバルクと結合することでその性能を余すことなく使いこなした。これまででは不可能な動きを身に付けたのだ。そんな彼女が、易々と負けてしまったとは俺は思えない。

 ――人には、製作者贔屓だ、なんて言われるだろうか。

 けれど、人の身を捨ててまで彼女はそうしたんだ。じゃないと、彼女が浮かばれない。

 

「……馬鹿野郎。俺は、お前に……」

 

 目を閉じれば、彼女の姿が浮かび上がる。それが万華鏡のように、くるくると表情を変え始めた。

 初めて会った日のこと。

 一緒にシュレイドの街を歩いた日のこと。

 山を登ったり、海に入ったり。飛空船に一緒に乗ったこともあった。

 星空を眺めながら一緒に夜を越えた日のことも、よく覚えている。

 彼女が竜機兵に選ばれた瞬間と、その感動も。

 髪飾りを贈った、あの日のことも。

 

 ミューには、生きていてほしかった。

 兵器が戦場から逃げ出すなんてことになったら、糾弾する奴はたくさんいるだろう。それでも、俺は彼女に逃げてほしかった。今は駄目でも、いずれ挽回することができるだろうから。それが難しくても、俺はあの子に生きていてほしかったんだと思う。これからも、ずっと一緒にいたかったのだと思う。

 せめて。せめてあの時、彼女を『名前』で呼んでやれば、なんて。何度そう後悔しただろう。

 

「……ローグさん」

 

 灰色と紫色、そこに藍色を加えたような鈍重な色。そんな色に染まった空を見上げていると、付き添いの竜人が俺に声をかけてきた。

 

「……何だよ」

 

 ハンカチを取り出しては鼻を拭くふりをしながら、俺は彼の方に視線を移す。彼は言いにくそうに口の端を歪めていたが、それでも意を決したようにその口を大きく開いた。

 

「……僕、ミューさんは生きていると自分は思います」

「……え?」

「だって、見つかったのは尻尾だけなんですよね。尻尾以外は、見つかってないんですよね」

「……だから、喰われたって。そう判断されただろ」

「逆に考えてみてくださいよ。尻尾以外見つからないってことは、尻尾以外は無事ってことにはなりません?」

「……なんだ、そりゃ」

 

 突拍子もない飛躍した話だった。

 見つかってないから、食べられた。

 見つかってないから、逃げられた。

 何だか、酷く無茶苦茶な響きに聞こえる。

 ――聞こえるけれど。

 

「……どっちかわかんねぇよな。この向こうの、城にまで踏み込まない限り」

 

 そう言いながら見上げた、かつての天守閣。今や廃墟の頂点と化し、遠目からでも黒い影が時折動く姿が見える。

 結局、あの黒い龍は積極的に人を襲おうとはしてこなかった。シュレイド城を落とした後は、満足そうにあの地に居座っている。街を丸ごと焼いておいて積極的かどうかなんて考えるのも馬鹿馬鹿しい話だが、退却した俺たち西シュレイドへ追撃してくることはなかったのだ。

 それは当然、未だあの場所に奴は居続けているということになり。ミューの安否を確認しようと思ったら、奴の懐に入らなければならない訳で。

 

「……あいつは、何がしたかったんだろうなぁ」

 

 あの城を我が物顔でうろつく奴に向けて、そんな言葉が漏れた。

 シュレイド王国が気に入らなかったのだろうか。

 竜機兵が許せなかったのだろうか。

 それとも、ただ単に縄張りのためにシュレイドを選んだのだろうか。

 奴が何をしたかったのか、それは俺には分からない。

 

「……ローグさん。ダメですよ、これ以上向こうに行くのは」

「分かってるよ。先遣隊も、もう既に何人か犠牲になってるからな。俺が行ったところで丸焼きになるのがオチだ。俺じゃ、無理だ」

 

 俺では、無理。

 ――――俺じゃあ、無理ならば。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「駄目だ。そんなことは許可できないよ、ローグ君」

 

 エンデは、俺の申し出を一蹴した。

 俺のようなただの整備士では、あの龍の傍に寄ることもできない。

 ならば、竜機兵を用いて城跡を探索する。

 例えば、龍の注意を引く役目と探索する役目に分担するのはどうだろうか。龍を撃破の対象としないのであれば、如何様にも対応できるとも思う。

 ミューは、この国になくてはならない存在だ。ミューがいなければ、竜機兵という存在は不完全である。ミューの捜索は、絶対に欠かせない――――。

 

「情勢は不安定だ。西側に流れ込んだ竜人族はあまりにも少ない。廃棄場が東側にあったのも大きいだろう。早急に、東側との交流及びその経路の確立をしなければならない。あぁそうだ、君の運営する第三世代竜機兵の研究所もそちらにあるだろう? 君はそちらに勤しんでくれ」

 

 エンデは、冷静にそう言った。きっと、俺が心の内で考えていることを分かった上で、そう言った。

 

「……しかし、ミューは。バルクは重要な戦力です。このまま放置なんて、それは……」

「確かにあれは大きな戦力だったが、今は行方不明のものに手を掛けている余裕はない。リスクが高すぎる。それは君も分かっているだろう?」

 

 溜息をつきながら、彼は眼鏡を整え直して。

 そうして俺の顔をじっと見ながら、呆れたように言葉を繋げていく。

 

「第二世代の工場も、かの龍の影響でしばらく活動停止状態だ。今は非常に困難な状態なのだよ。結局、第二世代は五十機にも満たない量しか残っていない。そしてゴグマゴグ。今はこれだけだ。いたずらにあの龍の領域に踏み込んで、竜機兵の数を減らすことは避けたい」

 

 それは確かに、彼の言う通りだった。

 クナーファ近郊に配備された量産型竜機兵を呼び寄せたところで、まともにあの龍と戦っても返り討ちに遭うのがオチだろう。ゴグマゴグなら対抗できるかもしれないが、完全結合したミューですらあの龍には勝てなかった。それを考えると、ゴグマゴグでも流石に厳しいと感じてしまう。

 

「では……城は放棄するということでしょうか」

「そうは言っていない。ただ、時期ではないということだ。君も、もうあの兵器のことは忘れろ」

「……忘れろ、なんて」

 

 忘れられるか。ミューのことを忘れてたまるものか。

 エンデは、確かに間違ったことを言っていない。幹部としては、非常に正しいだろう。むしろ、俺の方が不純だ。本当に国のことを思うならば、俺も彼の意思を汲み取らなければならないのに。

 だけど、今胸の内にあるのは何だ。まるで初めて竜人の競りを見た時のように、もやもやとした何かが胸の内に巣食っている。それが、たまらなく不快だった。

 

「数ある一機の竜機兵が撃墜された。ただそれだけだよ。もしくは、あれはこの国のために犠牲となったのだ。礎にな。それよりも、君がやるべきは新たな竜機兵の開発だ。違うかね?」

「…………」

「あの龍をも(ほふ)れるような、より強靭な竜機兵を。フィリアとゼノラージは、いけるかね?」

 

 そう確認してくるエンデに、俺は控えめながら頷いたものの。

 何だか、奇妙な感覚が俺を支配していた。

 

 空気と真空を遮る見えない壁のようなもの。それが、俺と彼の間に少しずつ出来上がっていくような――そんな気が、した。

 






 場面切り替えが多過ぎました、反省。


 シュレイド王国分裂。領土も大きく変更してしまうんでしょうか。
 ローグとエンデの間に、不穏な感じが生まれていってしまった。哀しいなぁ。
 ミラボレアスくんは、ほんとに何がしたいんでしょうね。人間の敵だなんて言われてますけど、本当に彼は邪龍なのかと考えたりしています。
 それでは、また次回の更新で。閲覧有り難うございました。



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焦眉之急(しょうびのきゅう)



 危険が切迫していること。




 自分の想いは、表に出さないようにしていた。

 僕は兵器だから。無粋な感情を抱くのは、間違っているから。

 彼女も兵器だから。僕らは、それ以上でも以下でもない。

 それでも、よかった。これ以上の関係が望めなくても、同僚として、同じ第一世代としてずっと近くにいられればいいと、自分を言い聞かせていた。

 

 ――けれど、彼女はいなくなってしまった。

 あの黒い龍と呼ばれるものが現れて。傍にいた整備士も何もできないまま、彼女はいなくなってしまったのだ。

 

 僕は、僕はどうすればいいんだろう。

 思い描いていた未来は、真っ黒になってしまった。

 もう何もない。

 僕には、何もない。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 シュレイド王国は分裂した。

 

 分裂から、既に一ヶ月。それは今日に至るまで、環境的な要因でそう言われていた。シュレイド城とその城下町。その王都を挿み、西と東に大きな都市が(そび)え立つ。それが、このシュレイド王国の中枢だった。

 

 しかし、先日の一件で。突如城に謎の古龍が舞い降りて、その全てを焼き尽くしてしまった。民も、王も。竜機兵も、ミューすらも薙ぎ払ってしまった。

 その結果我が国は首都を失い、多くが死に絶えた。何とか生き延びた者は、それぞれで西と東に流れ出たのである。

 西の都と、東の都。それらを繋いでいたのは、他ならぬシュレイド城下町だった。それが今や龍の巣窟となり、突破は不可能なものとなっている。つまり、西と東は環境的に関係が断裂してしまい、新たな連絡経路を開発しなければならない状況だったのだ。

 ――けれど。

 

「……は? 今、なんて?」

「言葉のままです。東シュレイドが、クーデターによって竜人共に占拠されました」

 

 クーデター。

 そんな言葉を、耳にすることになるなんて。

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、目の前の部下は書類を読み上げる。そんな彼の話は、こうだった。

 

 東側へ、多くの民と、これまた多くの竜人たちが流れ込んだこと。

 王国という機能を失った今、国を統制するものがあちらには生まれなかったこと。

 今こそ好機と、長年虐げられていた竜人たちは手を取り合ったこと。

 ――あちらには、『廃棄場』と呼ばれる竜人族の収容所があったこと。

 

「どうやら、彼らは廃棄場から多くの同胞を解放したようです。当然、彼らは人間より丈夫に造られていますから。国の統制がない今、竜人が東を制圧するのもおかしくない話ですよね」

「……いつかはこうなるかも、とは思ってたけどさぁ」

 

 廃棄場は、人間に反抗するなり罪を犯すなりした竜人が送られる巨大な施設である。そこに収容されたものは、基本的に終身収容を強いられる。ミューが恐れていた廃棄場が、まさにそれなのだ。

 第二世代竜機兵に組み込まれた竜人も、恐らくここに収容された竜人を使っていたのだろう。あれもまた、実質的に終身刑なのだから。いや、もっと残酷な刑なのかもしれないが。

 

「んで、彼らはどうしようとしてるんだ?」

「えぇっと、竜人の人権を我々に認めさせようとしているようです。道具の癖に、何を傲慢なことを……」

 

 部下は憎々し気にそう吐き捨てた。きっと、この国のほとんどの人間がそう感じていると思う。

 竜人族は、人間に造り出された人工の種族だ。より安価で、より上質な労働力を造ろうと。人間ではなく、竜人に竜の回収をさせようと。竜機兵という強力な兵器のコアに用いようと。

 様々な用法で、我々は竜人たちを虐げてきた。その溜めに溜めた力が、今になってようやく解放されたのだろう。

 

「具体的には、我々西シュレイドを制圧し、全ての竜人を解放することを掲げております。少数ながらも、こちらに残っておりますしねぇ」

「エンデ……首脳部の方はどう考えてるんだ?」

「当然、我々はそんなことは認めませんから。真っ向から、奴らを叩くと思いますよ。あるべきシュレイドの姿を取り戻しましょう」

「…………」

 

 相変わらず、か。

 国が落ちるほどの危機に陥ったというのに、それでも竜人に対してはそうなのか。この国の相変わらずな様子に、思わず呆れてしまった。

 

「……で? 報告はそれで終わりか?」

「いえ、ここからが結構ローグさんにとって重要な話でして」

「は? なんだそりゃ」

 

 ただの部下の報告かと思いきや、唐突に名指しをされて。

 若干引き攣りながらも話の続きを待つと、冗談では済まされない言葉が飛び出した。

 

「――奴らに、フィリアの研究所が真っ先に狙われています」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「どうして、こんなことに……」

「つべこべ言うな、命令だ。ゴグマゴグよ、奴らを殲滅しろ」

 

 勇ましい髭で口元を覆った、西シュレイド軍幹部。彼に諌められながら、ラムダは極寒の地に立った。

 東シュレイドの深奥。雪に包まれた山が連なったこの世界は、ゲイボルギア北東にある雪山を彷彿とさせる。

 そんな雪に囲まれる中に、淡い光を反射させる建物が一つ。第三世代竜機兵計画の、フィリア。それについて研究、及び培養を行なっている研究所である。

 

 そこを取り囲む数百人の影。クーデターを引き起こし、東シュレイドを制圧した竜人族たちだ。

 彼らは竜人解放運動の手始めに、この研究所の襲撃を目論んだようだった。

 

「しかしまた、何故ここを狙ったのだろうか」

「それは十中八九我々の戦力低下を狙っているのでしょう」

「竜機兵を失うのは、かなり痛いですからね」

「そんな竜機兵狙いの奴らを、竜機兵の力をもって薙ぎ払う。なんと愉快なことか。さぁ、行けゴグマゴグ! 奴らを全て消し炭にしろ!」

 

 幹部の男が、ラムダの背を強く叩く。

 迷うような、葛藤するかのような表情で顔を満たしていたラムダは、小さな悲鳴を上げた。

 

「どうした。奴らはお前の敵だ。我々シュレイドに害を為そうとする、敵だ」

「……敵……」

「ここで我々が奴らにやられてはどうする? そうなればいよいよ我々は終わりだ。あの城も取り戻せない」

「……城……」

「バルクごと全て消し去ったあの龍の、思うがままになってしまうなぁ?」

 

 その言葉は引き金になったのか、ラムダは口元を強く引き攣らせる。

 溢れ出そうな何かを抑えるかのように。感情の奔流に必死に抗うように。彼は、強く歯を食い縛った。

 

「いいか、奴らは竜だ。人類の手を噛む、不躾な獣だ。排除せねばならん。分かるな?」

「うっ……うぅぅ……」

「……どうしたッ! ミューの仇を取りたくはないのか!!」

「うっ、うぅぅ……うああああぁぁぁぁぁッ!」

 

 ラムダは、絶叫して。悲痛な声を、この雪山に響かせて。

 彼の瞳は、酷く憎悪に満ちていた。何もかもを恨み、憎み、まるで幼子のように怒りを訴えている。

 その感情に身を任せ、彼はゴグマゴグの胸の中に入り込んだ。

 

『全員……殺す……殺さなきゃ……あいつらは、敵だ……!』

 

 そう言い聞かせて。自分に、これこそが正しいと言い聞かせながら。

 ゴグマゴグが、動き出す。雪の中にカモフラージュさせていたその巨体を、彼は勢いよく起き上がらせた。

 突然雪山に聳え立った巨人。その恐ろしい風貌に、東シュレイドの竜人たちからは悲鳴が上がる。

 しかし、それが全員に伝わる前に。ラムダは無情にも、喉元を橙色に染め上げて。

 

 直後、轟音。

 甲高い風の音だけが響いていたその雪山を、鈍い爆発音が包んだ。爆熱と血飛沫が、雪を赤く染め上げる。

 

「ははは……はははははっ! 凄いっ、凄いぞラムダ! さぁ、もっとやれぇ!」

 

 そう髭の男が声を張り上げて。それに負けじと、ゴグマゴグも吠えて。

 再び、熱線。純白の世界が、緋色に爆ぜる。

 

 ラムダは、血走った眼でその光景を眺めていた。同胞が弾け飛ぶ姿を見ては、その亡骸を踏み付けて。そうして、散り散りになる竜人に向けて爪を振る。

 

「何だあいつらは! ははは! 重弩ならまだしも、剣などを持ってくるとは! あんなもので、竜機兵を破壊できるとでも思っているのか!」

 

 懸命に、竜人たちはゴグマゴグの足に向けて剣を振るうけれど。方向転換した竜機兵の尾は、何かを考えることなくその多くを薙ぎ払った。悲鳴が上がり、鮮血が舞う。

 

 東側は、重弩もろくに揃わなかったのかもしれない。

 ここに集まった竜人兵の半数は、何かしらの刀剣類を手にしていた。片手に収まる片刃の斧に、両手を要する強大な広刃剣。隣国のような槍に、鈍重な鎚。

 それらを手にしてゴグマゴグへと襲い掛かるものの、彼らは尽く弾き飛ばされる。お話にならない、なんて思いながら、幹部たちは口角を上げた。

 ――その、瞬間。

 

 突如鳴り響く爆発音。同時に響き渡る、建物が倒壊する音。

 その音源はゴグマゴグ――では、なかった。

 

「なっ……!?」

 

 その先には、崩れ落ちる研究所があり。その奥には、煙に紛れる何かの影があり。

 一面の銀世界に咲いたその輝きは、不気味なほど鮮やかな緑色の甲殻と、奇妙な鎧の光で満ちていた。

 その鎧の主が、吠える。背に乗せた人間にまるで遠慮などせず、天高く吠える。

 強靭な後足。丸みを帯びた太い腕。奇妙な頭部は、まるで粘着質の何かがこびりついたかのように、緑色に染まっていた。その巨体を鎧に包んだその竜は、拳を再び振り上げて――――。

 直後、再び研究所が爆ぜる。倒壊した研究所は拳によって砕かれ、さらにその衝撃に火がついたかのように爆発した。

 それが、研究所を文字通り瓦礫の山へと変える。

 

「なっ、なっ……なんだ、あれは! なんだあれは!! どういうことだ!」

 

 そう、髭の男が声を張り上げたが早いか。吹雪の音に溶け込むように、風を裂く音が響き始めた。それは風に乗るかのように、この銀世界へと降り注ぐ。

 咆哮音。低く野太いそれが反響し、同時にいくつもの冷気の塊が雪を穿った。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 それと同時に、竜人たちが吠える。その咆哮は勢いとなり、その勢いは力となり。その力はゴグマゴグへと牙を剥いた。

 鬱陶しそうに唸るゴグマゴグの前に降り立つ、五つの影。白い色にその身を染めた飛竜たちが、荒々しく雪を掻き鳴らす。

 唸るその口からは、琥珀色の牙が勇ましく伸び。その身には、他のものと同様のあの鎧を纏っており。

 

「……馬鹿な! なんだあれは!」

「武装した竜……竜操術!?」

「そんな、まさか! ゲイボルギアか!?」

 

 そう声を張り上げる幹部たちの視線の先では、竜人兵が大きな旗を振り回している。光をよく反射するそれは、竜操騎兵たちにとっての明確な信号となった。

 そうして、彼らは隊列を組む。竜人兵の並びを考慮しつつ、ゴグマゴグを囲む隊列を。

 

「ど、どういうことだ! どういうことだこれは!」

「何故、東の奴らがゲイボルギアと……? こ、これは一体……」

「えぇい! 薙ぎ払え! 薙ぎ払えゴグマゴグっ!」

 

 その掛け声と共に、ゴグマゴグは口元を再び橙色に染めた。

 溜まり切った油は燃え上がるような色に染まり、それが熱線となって雪山を刻む。触れれば溶け、溶けては爆ぜる雪の塊。その雪の上に立つ竜人を、さらには武装した竜もろとも。目に見える敵を全て消さんと、ラムダは渾身の力で首を振った。

 兵士が血飛沫となり、白い竜は飛んで避ける。そして緑の竜といえば、なんとゴグマゴグに向けて飛びこんだ。藍色の尾を揺らし、その緑色の拳を紅蓮の色に染め上げて。ゴグマゴグのドス黒い表皮に向けて、一直線にそれを振り抜く。

 

 一面の銀世界が、鮮やかな緋色に染まる。

 

 竜の拳が爆ぜて、その熱が機竜の油に降り注いだ。瞬時に沸点へと到達したその油は、体積を大幅に膨張させては爆破の渦へと変貌する。恐らく、背中の騎士の予想以上の爆発となったそれは、機竜も竜も全て巻き込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

 シュレイドの幹部も、竜人兵も、竜操騎兵も。そのあまりの衝撃に顔を(しか)める。白い飛竜は恐怖のためか逃げ出そうと翼を翻すものの、鎧が突然熱を帯びてはその動きを阻害した。焦げるような臭いが、吹雪の中に溶けていく。

 一方で、ゴグマゴグは。あの爆破の衝撃にもまるで堪えず、その翼脚を叩き付けた。鉄骨の如きそれが、緑色の竜を鈍く穿つものの────

 全身が、緋色に。その竜の全身の色は、緑色から燃えるような緋色へと変貌していた。それが、火打石の如き機竜の爪に触れる。触れた、その瞬間。

 

「なっ……また爆破……っ!?」

 

 再び沸き起こる爆発に、ゴグマゴグは悲鳴を上げた。同様に悲鳴を上げていたあの竜も、再び緑色へと戻る。爆発の衝撃で鎧に傷が入るものの、奴はそれを気にする素振りなどは全く見せていなかった。ただ、鬱陶しそうに唸り声を上げる。爆風を浴びては咳き込んでいる、背中の騎士に向けて。

 咆哮。直後に、背中を搔こうとするかのように暴れ始めた。その衝撃に、騎士は慌てて背中にしがみ付く。そうして笛を鳴らしては、何とか竜を鎮めようと奮闘して。竜の鎧は、不気味なほど紅い色を映していた。

 

 燃え上がる研究所。

 

 舞い上がる、淡い色をした粒子。

 

 それらを包み込む、白銀の絨毯。

 

 フィリアの研究成果を全て呑み込んだ、白い闇。

 

 その白い闇の中で、ゴグマゴグは吠えた。

 

 ――ラムダは、己を殺すかのような形相で、吠え続けていた。

 

 






 ラムダさんが病んでるパート。


 彼についての詳しいことは、次回で説明します。
 緑の竜っていうと分かり辛いですよね。あれです、臨界ブラキのあれです。一応古文書に記されてた奴だから、この時から存在していたんだとは思うの。白い方は、ベリオロスに進化するやつ(ベリオロスとは言ってない)
 とりあえず、フィリアさんはご退場。ほとんど燃えちゃって、ばら撒かれても凍死してそう。僅かながら休眠期とかに突入してそう(意味深)。とりあえず、お疲れ様でした。
 出来事の羅列というか、淡々と進めてしまった感はある。むずかしす(´・ω・`)


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心機一転(しんきいってん)



 何かをきっかけに、気持ちを入れ替えること。




「諸君。……諸君は、何を望む」

 

 西シュレイドに急遽設立された仮説司令部。西の都一の大きさをもつホールを丸々利用して、彼――エンデ兵団長(・・・)は、演説をし始めた。

 ホールの奥のステージに立つ彼は、拡声器も持たずに前を見る。その先にいるのは、西シュレイドに集結した兵団の面々。その多くが人間で、俺と同じく青い団服を身に纏っていた。肩身が狭そうにその中に混じる竜人は、困惑の表情で兵団長を見る。

 

「東シュレイドは、完全に竜へと堕ちた。哀しいことだ」

 

 そう、彼は唐突に声を震わせた。

 

「ゲイボルギア。かの竜の輩と、東シュレイドは協定を結んだそうだ。友好条約だ。竜の分際で、人の真似をしているようだ。全く度し難い」

 

 その言葉に、多くの兵団員は首を振る。

 

「奴らは我らの誇る竜機兵の研究所を卑劣にも襲撃し、開発途中のフィリアを水の泡と化した。許し難い行為だ。竜の知能しか持たぬものには、あの価値は分からぬと見える」

 

 嘲りを含んだその物言いに、ところどころからは同調する嘲笑が飛び出して。

 

「そして、あの黒き龍。あれは、徒党を組んだ竜共の親玉だ。奴はあろうことか日食に紛れ城を落とすという暴挙に出た。到底許し難い行為だ」

 

 その言葉は、嘲笑を呑み込んだ。彼らの心を、静かに煮え滾らせる。

 

「――さぁ、諸君は何を望む」

 

 改めて問い直した彼は、狂気的な笑みを浮かべた。

 

「私は、奴らを滅ぼそうと思う」

 

 その笑みは止まることを忘れた馬のように、収まることなく走り出す。彼の二重顎が、不気味な曲線を描き出した。

 

「我々西シュレイドの手で。軍事的に。物理的に。環境的に。情報的に。戦略的に。自然的に。圧倒的に。謀略的に。高圧的に。悪魔的に。力に溺れた竜に、制裁を加える我らシュレイドらしく! ……奴らを、滅ぼそうと思う」

 

 曲線は、止まらない。彼の言葉も、止まらない。

 

「我々西シュレイドの力で。拳で。ナイフで。重弩で。大砲で。射撃装置で。砲馬車で。実動隊で。回収班で。大部隊で。……竜機兵で。ありとあらゆる手をもって、奴らを滅ぼそうと思う」

 

 彼の語り口調につられるかのように、多くの兵たちは顔を歪めていった。

 頬が吊り上がる。

 興奮に乗って冷や汗が溢れる。

 拳に力が入り、険しい皺が走り出す。

 

「さぁ! 諸君は何を望む! この世界に! 我らシュレイドに! 諸君は、何を望む!!」

「この世界を!」

「シュレイドこそ世界!」

「世界を、シュレイドのものに!!」

 

 とうとう、声が張り上がった。堪え切れなくなったと言わんばかりに、野太い声が反響する。立ち上がった男たちから飛び出した声は、薄く笑うエンデへと一直線に飛び込んだ。

 

「ゲイボルギアを滅ぼせ!」

「東シュレイドを潰せ!」

「シュレイドを、あるべき姿に!」

「この大陸を、シュレイドに!」

 

 冷や汗を垂らす竜人兵も巻き込むほどの歓声。それによって、ホールは熱気に満ち溢れ出す。

 もはや慟哭にも似たその大声に、ニタリと笑ったエンデはその口を開けた。糸を引くような唾液が宙を裂く。その奥の赤々しい咽喉から、彼の問いが顔を出す。

 

「――では、諸君は、そのためにどうする」

 

 一瞬の静寂は、その反動をバネのように弾けさせて。

 それはまるで、竜の咆哮のように。

 彼らの歓声は、もはや喉を焼き潰すような叫び声に変わり果てていた。

 

「戦争だ!」

「力をもって、力で制す!」

「我らの力で、この大陸を征服せよ!!」

 

 その言葉を待っていたよ、なんて言いた気な顔だ。兵団長は薄ら笑いにさらに狂気を差しながら、白い歯茎を剥き出しにする。そうして、妙に甲高い引き笑いをしながらも頷いた。

 

「うむ。――――ならば、戦争だ」

 

 振り上げられる拳。それが描き出すのは、まるで弩を構えるかのような素振り。

 

「我々は、重弩だ。込められた弾を今にも撃ち放とうとしている重弩だ」

 

 厳かな口振りでそう言うものの、彼はしかしと言葉を濁す。構えた腕を解いては、だらりと宙に投げ出した。

 

「……しかし、我らは拠点を追いやられた。数にしてゲイボルギアの竜共にも及ばない。取るに足らない負け犬かもしれない」

 

 哀愁を漂わせる表情でそう言って。されど、彼はその表情を一変させる。しかしと切り出したその言葉を、再びしかしと切り返した。

 

「しかし私は、諸君を一騎当千の(つわもの)たちであると狂信している。竜機兵は、飛竜の集団すら薙ぎ払う存在だと確信している!」

 

 投げ出した手を、振り払う。彼の叫びに呼応したその動きは、彼の背後をも呼応させた。

 垂れ幕が上がり、壁が走る。ホールの裏が露わになり、そこに並べ立てられた竜機兵は人々の視線を吸収した。

 湾曲した角に、厳めしい鋼色の翼。太い手足に、長い尻尾。そして何より、あの巨大龍の如き紅蓮の体躯。

 全身を鋼で覆ったその機竜は、兵団長の進めるままに開発された第二世代竜機兵だ。それらが、列を成して立ち並んでいた。新たに建造された無垢な兵器(いのち)が、唸り声を上げている。

 

「もはや、犠牲を惜しむ必要はない。この世の全ては、我らシュレイドのためにある。その全てを用いて、我々は世界を取るのだ!」

 

 そう、高く掲げた彼の手に。多くの兵が同調しては、その腕を同様に掲げ始めた。半ば自暴自棄のようにエンデを湛える声が沸き上がり、それがこのホールを包み込む。

 青ざめながらも同調する竜人をも、容赦なく巻き込むその熱気。それは誰の目から見ても、明らかに異常だった。

 

「滅ぼせ!」

「道具風情が粋がりおって、竜を滅ぼさなければならぬ!」

「黒龍を、ゲイボルギアを、竜を許すな!」

 

 エンデは、それらを受け止める。まるで泣き喚く子を優しく見守る親のように、静かに受け止めた。

 

「さぁ、諸君。人の、人による、人のための世界を……創り上げよう」

 

 全てを受け止めた上で、彼はそう締め括って。

 和平を結んだ東シュレイドとゲイボルギア。その徒党を組んだ竜たちを制圧すること。とどのつまり、戦線をなお拡大することを、ここに宣言したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「戦争になりますね」

「……とっくの昔から始まってるだろ」

 

 会合を終え、いよいよ慌ただしくなったこの司令部。そのテラスで煙草をふかしていた俺に、ラムダがそう声をかけてきた。

 

「……申し訳ありません。フィリアは、守れませんでした」

「いや、いい……。状況が状況だ。仕方ない」

「……いえ……申し訳ありません」

 

 もう、何日も満足に眠っていないのだろう。俺よりも酷い隈を刻んだその顔で、それでも彼は気丈な笑みを溢した。鈍いはずの俺ですら、彼が相当気を病ませていることが分かる。それくらいに酷い顔だった。

 

 留守中に首都が潰されたこと。

 ミューを、そこで失ってしまったこと。

 そして、フィリアの研究所での出来事。

 

 ――まさか、ラムダが同胞に手を掛けるなんて。

 

 報告書を見て、俺は目を疑った。ラムダが、東シュレイドの竜人族を薙ぎ払ったという文言。それが、俺にはどうにもこうにも信じられなかった。

 だって、しょうがないじゃないか。ゲイボルギアとの初の交戦の時には、必死に同胞を守ろうとしていた彼が。あの優しいラムダが、大量の同胞を雪に溶かしたというのだから。

 でも、今こうしてラムダと会って。城が落ちてからようやく会えた彼の顔を見た時、俺は納得した。いや、納得してしまった。

 

「……ラムダ」

「僕のことはいいんです。それより、ミューちゃんが……」

「……あいつは、よく頑張ってくれたさ」

 

 それ以上先を言おうとして。でも、それは言うに言えなくて。そんな言葉を表したかのような顔で、彼はその続きを呑み込んだ。俺もその姿を見るに耐えず、再び視線を滑らせる。清々しいくらいに澄んだ、藍色の夜空へと。

 

 ミューはもういない。

 あの子も、この夜空の中に溶けてしまった。会う術は、もうどこにもないのだ。

 

「……ミューちゃんは、どうして……」

「……あいつは、俺を守ってくれたんだ。俺を逃がすためにバルクと完全結合して……でも……」

「……そんな。ミューちゃん、そこまで……」

 

 愕然とした様子だった。信じられない。彼の目が、そう訴えかけてくる。

 しかしそれは、嘘でも誇張でもなんでもない。そんな意図を込めて、俺は顎を小さく引いた。

 

「……僕」

「あ?」

「僕、ミューちゃんが好きでした」

「……は?」

 

 突然の、ラムダのカミングアウト。愕然としたのは、今度はこっちだった。

 

「別に、結ばれたいなんて高望みはしてなかったです。一緒に第一世代としていられれば、幸せでした。ちょっぴりローグさんには嫉妬とかもしちゃいましたけど、でも幸せでした」

「……初耳なんだが」

「あんまり表に出さないようにしてましたから。ほら、僕らの立場って厳しいですし」

「…………」

「でも、もういいんです。ミューちゃんは、もういないから……」

 

 そう言って、ラムダは引き攣った笑みを浮かべる。自嘲するような、呆れ返るような、そんな乾いた笑い声だった。

 奇しくも、俺たちは互いに大事な存在を失ってしまった訳で。構図こそラムダの初陣前の夜とよく似ているが、顔つきも心持ちも随分と変わってしまった。もう、夜釣りをしようとも思えない。

 

「……すまない」

「……ローグさんが悪い訳じゃ、ありませんよ」

 

 それから、沈黙。

 何を言えばいいのか分からない。それはきっと、彼も同じだろうけど。どうしようもなくて、ただ夜風の音だけが響いていた。

 話題を変えよう。このままじゃ、きっともっと心が落ち込んでしまう。

 

「黒龍は、竜操騎兵の親玉……か」

「……兵団長がそのようなことを言ってましたね、確か。あれって、どういうことなんでしょうか……」

「あんなの、ただの扇動だよ。全てを共通の敵にすればまとめやすいだろ。話も、国民も」

「じゃあ、無根拠にあんなことを言った……ってことですか?」

「先に言った者勝ちだ。それに、あれが敵であることは間違ってない」

「それは……そうですけど」

 

 不服そうだ。ラムダらしい、真面目な精神が垣間見える瞬間だった。やっぱりこいつはラムダなんだって、俺は少し安心する。

 だから、何の気もなしにこう呟いてしまった。昔のようなとりとめのない言葉を、深く考えずに溢してしまった。

 

「……この戦争は、どうなるんだろうな」

 

 ――――それが、自らを貶めることになるなんて知らずに。

 

「敵を全て薙ぎ払うだけです」

 

 即答。それは、即答だった。

 

「…………え?」

 

 思わず、耳を疑った。彼が何を言ったのか、一瞬分からなくなる。

 だって、あの「この戦争が正しいかどうか」と悩んでいた青年が。今となっては、随分と色の冷めた瞳で、そう吐き捨てているのだから。

 

「邪魔する奴らは全て殺す。……そして、あの龍も。絶対に、殺します」

「……ラムダ……」

 

 そんなことを言う奴では、なかったはずなのに。でも、今俺の目の前でそう言う彼の瞳は、間違いなく人殺しの目をしていた。

 やろうと思えば、人間もただの肉の塊として見ることができる。そんなどこか非現実的な目。いや、むしろ人間が理性と引き換えに置いてきてしまった、野生という現実的な目だった。

 

「竜も、竜人も、人間も……龍も。もう、何も関係ない。僕は、ミューちゃんの無念さえ晴らせればそれでいい」

「……お前は、それでいいのか。本当に」

「もう、決めましたから」

 

 ――あの雪の中で、同胞を焼き殺したあの時から。僕は、もうこうするしかないと悟ったんです。

 彼はそう言って、寂し気な笑顔を浮かべた。大切な何かを失った時の、触れれば割れてしまいそうなほど儚い笑顔を。

 

「……ローグさんは、言いましたよね」

「……何を」

「生き甲斐を見出して生きた方がいいよって」

 

 それは、今は亡きシュレイド王が領土拡大宣言をして。ゲイボルギアに、正式に宣戦布告をしたあの時に。

 戦争の正否について問い掛けてきたラムダへ、俺は自分の思想を吐き返した。疑ってしまえばきりがない。目の前の色も、これが本当の色なのかさえ分からない。この戦争が正しいかどうかなんて、考えるだけ無駄なことだ。

 

 ――――だったら、少しでも心を依らせるものをもって、それを生き甲斐にして生きていった方が楽に生きていける。

 そんな意味を込めて、俺はそう答えたのだった。

 だけれど、ラムダは。

 

「僕は、僕の生き甲斐を……(しるべ)を見つけました。彼女の命を奪ったあの龍を。あいつを殺すためなら、どんな犠牲も厭わないこと。それだけを思って、生きていきます」

「…………」

「量産型竜機兵の拡大も、僕は賛成ですよ。同胞を屠ることも、厭いません。だって、そうすればそうするほど、早くあの龍を殺せるでしょう?」

 

 そんな言葉は、聞きたくなかった。

 そんな笑顔を――俺は見たくなかった。

 

「あいつが今ものうのうと生きているだなんて、許せない。だから……お互いに頑張りましょう。仇を、討ちましょうね」

 

 あの儚い笑顔はあっさりと砕け散り、やや冷めた瞳で彼はそう言い残して。そのまま、司令部の虚へと踵を返す。

 夜闇に溶けていく彼の後姿を見ながら、俺は喉の奥に閉塞感(へいそくかん)を感じていた。やりきれない思いが、たばこの煙に乗りかかる。吐き出される息は、気持ちの悪いくらいに白かった。

 

「……そんなつもりで、言ったんじゃないんだよ」

 

 彼への謝罪は、言葉にもならず。言葉を置いてきてしまった息だけが、ただ俺の耳を浅く撫でていく。

 

 また一つ、大事な何かが無くなってしまったように感じた。手を伸ばしても、届かないところへ行ってしまったかのような。そんな喪失感が、俺の胸を酷く掻き回すのだ。

 心を依らせることのできるもの?

 それって、一体何なんだ?

 俺はあの時、何を思ってそんなことを言ったのだろう。

 

 ――――目を閉じれば。

 空の色を鮮やかに映した銀の髪があって。

 口元を少しだけ綻ばせたような笑顔を見せる少女が、俺に向けて声をかけてくる。

 

 薄幸そうな表情も。

 困ったような表情も。

 悲しそうな表情も。

 何を考えているか分からない無表情も。

 ようやく見せてくれた、優しい表情も。

 決意を固めたように、健気に笑う彼女のあの顔が。

 

「……馬鹿野郎。生き甲斐を失ったのは、俺の方じゃないか……」

 

 どん、と壁に拳をぶつけて。壁に当てられたひ弱な拳は、小さな悲鳴を上げていた。

 胸の内から込み上げる思いが、ただひたすらに喉を震わせる。

 

 俺は、何だ。

 何であの時に、そんな大口を叩けたんだ。

 ラムダがどうして、そうも割り切れるかが分からない。あの龍に復讐したところで、ミューが帰ってくる訳でもないのに。

 

「……そんなの、ただの自己満足じゃねぇかよ」

 

 あの龍を殺したら、ミューは喜んでくれるだろうか?

 

「――――どうやって戦えばいいんだ」

 

 目の前の暗闇に溺れそうだ。もう、何もかもどうでもよくなってしまいそう。俺は何をすればいいのか、本当に分からない。いっそ、このまま微睡(まどろみ)に沈んでいってしまおうか。

 

「君は、戦わなくていい。戦えるものを、造ればいい」

 

 そう言っては、俺の手を握る誰かの手。

 目の前の暗闇から俺を掬い上げる、怪しげな表情。奇妙な曲線を描いた二重顎。

 

「……エンデ、さん」

「混乱しているな。無理もないことだ。このような状況なら仕方のないことだ」

「……すみません、俺……」

「しかし、そうもゆったりはしていられない。君には、するべきことがある」

「……? するべき、こと?」

 

 俺の手をとった男――エンデ兵団長は、悲壮感のある笑顔を浮かべながらも、俺の手に紙の束を置いた。それは、いつかの量産型資料を思わせる分厚い紙の束だった。

 

「……これは」

「して、ローグ君。『ゼノラージ』の方はどうかね?」

 

 俺の思考がまとまらないのに、エンデは俺にそう急かしてきて。働かない頭を何とか回しながら、問いの答えを何とか形にする。

 

「……残念ですが、実用化は程遠いです。未だ虫のサイズにすら届いていません。正直、我々の生涯を通しても完成させることは難しいかも……しれません」

「ふむ……」

 

 培養したオーグ細胞を胚として。そこに、あの龍の力が浸透した地脈を利用してエネルギーを送る。無作為に散らばった地脈に手を加え、火山地帯の最深部に収束するように加工して。それをあの結晶炉へと繋いだのだ。まるで栄養分を送る、へその緒のように。

 卵に見立てたあの結晶炉で、命の輝きを見せているゼノラージだが、その成長速度は想像以上に緩やかだった。成長するには百年、いや千年単位を要するのではないかと。最近の研究では、そんな計算すらされている。さらに、城が落ちるという想定外の事態だ。とてもじゃないが、ゼノラージは実用化はできないだろう。

 まさか、こんな結果となるなんて。せめて、せめてフィリアが無事だったのなら良かったのだが。

 

「ゼノラージは凍結だな。もうあれはいい。それより、その資料を見てくれ」

 

 想定内と言わんばかりにエンデは眉一つ動かさず、俺にそう促してきた。そんな彼に言われるままに、目を通したその資料には。見慣れない文言が、静かに自らを主張している。

 

「……これは」

「いつか君が言ったな。城は放棄するのか、と」

「…………」

「そして私はこう答えたな。時期ではない、と」

「……はい」

「これが、その時期だ。時期、そのものだよ」

 

 エンデが、ニタリと笑った。竜機兵の力を目の当たりにした時のような、狂気に満ちた薄ら笑いだった。

 

 ――――『第四世代竜機兵』。

 

「君には、『神』を造ってもらいたい。あの黒き龍をも屠ることのできる、黒き太陽を」

 

 神のように、人々を救うもの。

 太陽の如く、人々を照らすもの。

 頓挫したベータ計画をベースとして、ありとあらゆる古龍素材を注ぎ込んだ竜機兵の最終形態。龍殺しの神を生み出すというその計画。

 

 別名、『アルファ計画』。

 

 

 

 機体名――――『エスカドラ』。

 

 

 






 エンデのキャラモチーフがバレバレ過ぎる件。


 何だこのクソ鬱小説は。俺じゃなきゃ見放しちゃうね(念魚喰並感)
 でも、鬱シーンってこう、書く方は楽しいんですよね。私は書くの好き。何かこう、滾る。今私のこと変態だと思った人、先生怒るから大人しく手を上げなさい(迫真)
 エンデのところは、こう、書いてみたかった。単純に趣味ですわ。これで大体起承転結でいうところの転までは終わりました。あとは、結するのみでさァ。
 それではでは。


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往事渺茫(おうじびょうぼう)



 朧げな過去の出来事。昔を回顧して使う言葉。




 湿地帯付近に位置するその集落は、立ち並ぶ木造建築が特徴的な村だった。

 組み合わされた焦げ茶色の木材は、日の光を充分に吸収して。その建物に沿うように大地を縫った大河には、いくつもの船が浮かんでいて。船の上を彩る様々な果実や野菜、魚介類。そんな水上マーケットを前に、ミューは感嘆の声を上げた。

 

「……凄い。船がお店になってる」

「面白いだろ、この村。巨大な河が恵みになってな、色んなものが集まってくるんだ」

 

 俺が少し補足するも、ミューはそれには耳をくれず、ただひたすらこの村の姿を凝視している。

 人々は、魚を釣ったり、もしくは潜り漁で獲ったり。岸に寄った船から果実を買う若い女性もいれば、たらいのようなものに乗って河を裂く子どももいた。そんな活気づいた村の様子に、ミューは釘付けになっているようだ。

 

「ローグ、子どもがたらいに乗ってる」

「ここの子たちはさ、みんなたらいを持っててな。それで河を行ったり来たりするんだ。大人は重くて乗れないから、子どもの時限定の乗り物ってことで、この村では親しまれてるんだぜ」

「……凄い。王都とは、全然違う……」

「まぁ良くも悪くも田舎っていうか何というか。さ、宿探そうか。明日のためにも、俺は早く寝ときたい」

「明日も仕事……だったよね。うん、いこ」

 

 その村の様子をもっと眺めていたい。そう言いたげなミューだったが、その思いを押し込めては、俺の横にとてとてと歩み寄ってくる。

 まだ、ミューが竜機兵として選ばれたばかりだった。季節は夏の始まりを感じさせるもので、からっとした日差しが肌を照り付ける。夕方だというのに、日差しは収まることを知らないのだろうか。湿地特有のじめじめとした湿度もあってか、肌触りも悪い。早く宿に行って休みたいものだ。

 

「ローグ、明日はどんなことするの?」

「この村には潜り漁の達人がいてな。その人と交渉しに行くのさ」

「交渉?」

「ミューが竜機兵になるための訓練に、な。重力訓練のために色々と手を借りたいんだ」

「ふーん……」

「……あんましよく分かってないだろ」

「うん、よく分かんない」

 

 こてんと首を傾げる彼女の頭をわしゃわしゃと撫でながら、この舗装していない路地を歩き続けて。

 宿が見えたのはものの数分後のことだったが、これがまぁ随分と趣きのある宿だった。

 

「……オンボロ」

「違う。こういうのは、風情あると表現するんだ」

「ふぜー」

「うぜーみたいに言うな」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 宿に荷を置いて。村を散策して。

 夕暮れの光を吸い込む大河は、何とも美しい。細かな宝石が我先にと光を漏らすかのように、水面は眩しい光を撒き散らしている。夕陽の穏やかな緋色を差して、波打つ影を幾重にも描く。

 時折跳ねる魚が、優美な音を奏でた。時間があったら、ここで釣りをしたいなぁ。なんて思うほど、美しい景色だった。

 

 そうして適当に店を決めて、夕飯としゃれこんで。

 折角河がトレードマークの村に来たんだ。ここは一つ、魚料理を食べたいなって。そう思いながら、俺たちはこの村一番の食事処の暖簾をくぐった。そうして店の顔をあれこれと頼んで、その一つ一つにフォークを伸ばす。一方のミューは、簡素なサンドイッチを注文し、それを小さな口で頬張って。

 

 ――――異変が起きたのは、その時だった。

 

 

 

 

 

「……ごほっ、けふっ」

「……大丈夫かよ。ほれ、水」

「あうぅ……えうぅぅ……」

 

 突然えずいては、口に含んだものを吐き出したミュー。店から飛び出して、栄養素をそのまま河へと垂れ流しにしてしまう。苦しそうに息を途切れ途切れに吐き出すその姿は、何だかとても痛ましかった。

 一体どうしたのかは分からないが、とりあえず水を持ってきて。それを何とか口に含んだミューは、絶え絶えの息で深呼吸する。

 

「どうしたんだよ……。もっと水いるか?」

「いら……ない……」

 

 水を詰めたビンを差し出すと、ミューはそっとそれを押し返してきた。どうやらもう水はいらないようだが、相変わらず顔色は悪い。サンドイッチであたったのだろうか。

 

「もしかして、中身腐ってたか? 文句言ってやるぞあのハゲ……」

 

 食べた途端に猛烈な吐き気が襲ってきたのなら、それはきっと腐っていたに違いない。そんなものを提供するなんて、ここの店主は腐ってやがる。

 文句を言ってやろうと自らの腰を上げると、突然服がぐっと引っ張られた。そちらの方を見れば、ミューが俯きながらもか細い腕を伸ばしている。その腕の一体どこに、そんな力があるのかと。そう感じてしまうほど強い力が、俺を引き止めていた。

 

「……なんだよ?」

 

 そう問いかけてみても、彼女はふりふりと首を振って。しかし下を向いているから、今どんな顔をしているかが全然分からなくて。

 

「離せ、文句言ってくるから。ちょい待っててくれ」

 

 言葉を重ねてみても、彼女はまるで手を放そうとしない。ただその手の力が強すぎて、無理に引き剥がすと俺の服が破れてしまいそうだった。

 だから、俺は仕方なく腰を下ろす。彼女が何を言いたいのかは全く分からないが、とりあえず彼女の隣に座り込んだ。

 

「…………」

 

 それから、無言。

 俺を引き止めた癖に何か言い出す訳でもなく、ただただ彼女は無言を貫き通した。一体何をしたいのかが分からず、俺はほとほと困ってしまう。

 

「……まぁ、なんだ。あのサンドイッチは腐ってても、俺が頼んだ奴は旨かったぞ」

「…………」

「カルパッチョとか、ソースが凄く爽やかでなぁ。串焼きもあれだ、炭火の匂いがして香ばしかったし」

「…………」

「スープもほら、魚介の香りがうっすら溶け込んでるっていうか。なんかほっこりする味だった」

「…………」

「いやー、そんな魚の村で食べる竜肉。これがまた旨いんだ。魚を餌に育てるのかなぁ。風味がいい。うん」

「…………りゅう、にく」

「うん?」

 

 ようやく、彼女から言葉が返ってきた。と思ったら、それは何ともか細い呟きで。竜肉と言った彼女の瞳は、焦点が合わさらないままに水面を眺めている。

 

「……竜肉が、どうしたんだ?」

「…………ハム」

「……はむ?」

「……入ってた」

「入ってた? 何が?」

「……ハム」

「ハム……あぁ、サンドイッチにか。……それで?」

「……お肉、食べれない……」

「……はぁ?」

 

 ようやく喋り出した彼女が語るのは、あの嘔吐の真相で。それも、腐っていたとか、食材じゃなかったとか、そんな理由じゃない。

 肉が食べれない。ただそれだけだった。

 

「……好き嫌いか? 確かに、ずっとこれまで肉避けてたけどさ。けど、そんな理由で?」

 

 そう聞くと、彼女は哀しそうに眉を歪ませる。そうして、折り畳んだ足を抱きかかえる腕に顔を埋め始めた。

 

「……アレルギーか何か?」

「……違う」

「じゃあ……なんか嫌な思い出でも、あるのか?」

 

 そう尋ねると、彼女はピクリと耳を動かして。その長い耳が月明かりに照らされて、柔らかい光を映す。

 そのまま、彼女は組んでいた腕を解いた。と思うや否や、彼女はすがりつくように俺の裾を握る。頭を俺の胸へと預け、どうしようもなさそうにもたれかかってきた。

 

「……食べたく、ない」

「……いやいやいや。そんな、そんな肉ダメだったのか? 昔腹壊したとか?」

「…………」

 

 露骨に眉間に皺を寄せるミュー。失言したか。これは、思ったより深刻そうだ。

 彼女と暮らし始めて長いことになるが、確かに彼女は頑なに肉を食べようとしなかった。いつも野菜や果物をかじり、魚にすらも手をつけようとしない。料理する分にはいいみたいだが、自分で食べることはしなかった。いや、以前は料理することもままならなかったが。

 俺のため、とか言って何とか肉を焼くことはできるようになった彼女。だが、依然として食べることはできなくて。俺の前で、ハムの欠片とはいえ肉を口にした姿を見せたのは、今日が初めてかもしれない。この通り、リバースしてしまったが。

 

「……嫌なことが、あったのか?」

「…………」

「いや、悪い。話さなくていいんだよ。ちょっと、休もうか」

 

 そう言いながらミューの頭を撫で続ける。彼女は抵抗する素振りも見せず、ただされるがままに俺に体を預けていた。掌に触れる銀の髪がとても柔らかくて、妙にくすぐったい気分だった。

 それから、数分。互いに何も発さずに、ただ穏やかなに水面を眺めていた頃。夕陽はとうに山に呑まれ、月明かりが大河を照らしていた頃。

 

「……ローグ」

「うん?」

「……私は、道具?」

 

 唐突に、ミューがそう尋ねてくる。じっと、その碧い瞳を俺に向けながら。

 

「馬鹿、道具な訳あるか。竜人で、俺の家族で……とっても大切な存在だよ」

「……私を私にしてくれたのは、ローグだもんね。……でも、その前の私は、確かに道具だったよ」

 

 少し俺から体を離して、しかし寂しそうな瞳で彼女はそう切り出した。

 その前の私。つまり、俺が匿う前のミュー。ミューという名前が与えられる、ずっとずっと前のこと。

 

「砂漠を流浪してた私たちは、竜人狩りの人たちに捕まっちゃった。それで、私は道具としてあるお家に売られたの」

「……家族の人とは?」

「ばらばら。もう、お母さんもお父さんも、どこにいるのか分からないもん」

 

 哀しげに彼女が目を伏せるから。俺はもう一度、その小さな頭を優しく抱き寄せて。

 腕の中から、彼女の語りが繋げられる。声がくぐもってはいたけれど、その言葉は確かに耳に届いた。

 

「でもね、そこにはあるモンスターがいたの。モンスターって言っても、飛竜みたいなのじゃない、よ。草を食べる、おっきな子。私、その子の世話係になったの」

「もしかして、草食竜か?」

「うん、そう。丘にたくさんいる、あの竜だよ」

「ふーん……要はペット係みたいなもんか。それで?」

「私ね、大事に大事に世話したの。ご飯とか、寝床とかみんな、頑張った。そしたら、ミーヌも……あ、その子の名前ね。ミーヌも、私のことを慕ってくれたの」

「仲良しに、なれた?」

「うん、とっても」

 

 そう尋ねてみると、ミューは少し嬉しそうに微笑んだ。けれど、それもほんの少しだけ。思い出したかのように、その表情に影を差していく。

 

「……でも、ミーヌはペットじゃなかったの」

「……食用だったんだな?」

「…………うん。ご主人が、一から育てたお肉を食べたいとか、で……」

 

 ぎゅっと。彼女の手に力がこもった。それが、俺の服に皺を描く。

 

「私は、食べたくなかったよ……っ。ミーヌを、食べたくなんて……でも、奥様が無理矢理……食べないと、凄く怒って……私、私……」

「……辛かったな」

「私は、大切な友達を……食べちゃったの。もう、それ以来――――」

 

 ――肉を食べれない。

 彼女はそう締め括っては、ポロポロと涙を流し始める。許しを乞うように。謝罪するかのように。

 ミューが肉を食べれない理由。それを聞いたのは、今日が初めてだ。けれど、その内容は俺の思いもしなかったものだった。知らなかったとはいえ、無神経な言葉を彼女に浴びせ続けてしまったと、今更ながら実感させられる。

 

「……ミュー」

「え――――ひゃっ」

 

 とりあえず、彼女を抱き上げて。涙ぐむ彼女に、ハンカチを押し付けて。

 小さくて軽いその体を抱えては、さっさと店に会計を済ます。その足で、露店の方へと踵を返した。

 

「ろ、ローグ……ど、どうしたの……?」

「ミュー、悪かったな。今まで無神経なことばっか言っちまった」

「そ、そんなこと……」

「俺は馬鹿だからさ、あんまり人の気持ちとか、考えなくて……ごめんな」

 

 腕の中の彼女にそう語りかけると、彼女はそんなことないと頭をぶんぶん振ってくれる。銀の髪が舞い、それが柔らかく俺の頬を撫でた。

 

「ミューは、好きだったんだろ? ミーヌのことが」

「う、うん……」

「で、大事に大事に接したんだろ? ずっと一緒に、過ごそうとしてたのかな」

「うん……私、あの子の友達だもん。……ううん、友達だった……」

「だった、なのか?」

「だって、私……裏切っちゃったんだよ。ミーヌのこと、裏切って……」

「ミューが、自分から食べようとした訳じゃないんだろ? 押し付けられて、強制されたんだ。それはまた違うよ」

「でも……でも……っ」

「俺はそのミーヌって子のことを知らないけど、不幸な話だと思う。もちろん、ミューにとっても」

「……私も?」

「うん。お前は自分のことを加害者みたいに言ってるけど、被害者だよそれ。お前は悪くないと、俺は思うぜ」

「…………」

「もちろん、だから気にするなとか、そんなことをは言わないさ。忘れちゃいけないことだし、ちゃんと背負っていかなきゃいけないことだ。それは、ミューがゆっくり折り合いをつけるべきだな」

「……折り、合い……」

「それに、無理に肉を食べる必要もない。ただ、ただな」

「……ただ?」

 

 じっと見上げる、青い両目。潤んだそれが、俺の瞳を映し出す。

 

「ただ、少しでも、自分のことを許してやっていいと思うよ。仕方のないことだったんだって。それでも、今も忘れずちゃんと背負ってるんだって」

「……許す、なんて……私……」

「……まぁ、すぐにはいかないかも、しれないけど。でも俺は、ミューが納得できるまで傍にいる。お前を導けるようにな」

 

 そう言っては、彼女を露店の前に下ろす。煌びやかな装飾品が並び立つ、エキゾチックな雑貨屋に。

 危うい足取りで地に降り立ったミューは、未だ俺の裾を掴みながらも何とか両足を伸ばした。そうして戸惑った様子で俺を見る。一方の俺は、そんな彼女を横目に雑貨に手を伸ばした。

 澄んだ麗水を思わせる爽やかな青。透明度の高いそれを、まるで結晶のように固めたその姿。そんな、青水晶のような硝子細工を俺は手に取った。三つの水晶を果実のように並べたそれは、どうやら髪飾りのようだ。持ち上げれば、しゃらしゃらと涼し気な音が鳴る。

 

「……ミューは、頑張ってるよ。いつも一緒にいる俺が言うんだ、間違いない。だから、俺はそんなミューに、少しでも。少しでも、もっと笑っていてほしいと思う」

「……あぅ」

「だから、そんなに自分を責めないでくれ」

 

 絹のように美しい彼女の髪に、俺はそっとその髪飾りを結び付けて。銀の海に、青い月明かりが差したような。その光景は、物語の挿絵のようにとても綺麗で、神々しかった。

 

「……うん、よく似合ってる」

 

 しゃらら、と音を立てながら、恥ずかしそうに俺を見上げるミュー。その頭を撫でながら、俺はもう一度彼女に向けて微笑んだ。

 すると、彼女も困ったように、でも少し落ち着いたかのように微笑みを見せてくれる。決して、幸せそうな微笑みではなかったけれど。でも、少しだけ気持ちの整理が始まったかのような、どこか柔らかな笑顔だった。

 風に乗っては音を立てる髪飾りの音色が、妙に耳に残っていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ん」

 

 しゃらら、という音が耳を撫でる。目を覚ませば、司令部の机。竜機兵やらゲイボルギアの資料が散乱した、自分の机だった。

 

「……畜生、今になってこんな夢……」

 

 窓が開いて、夜風が部屋を撫でる。手に持っていたのは彼女の形見。

 出撃する前に受け取ったあの髪飾りが、俺の掌で優しく(さえず)っていた。この音を聞いていたからだろうか、あんな懐かしい夢を見たのは。

 

「……ミュー」

 

 傍にいる、なんて言ったのに。いつの間にかそれは果たせずにいて。

 何だか、昔に戻ったような気分だ。母親を失った時の喪失感にも、よく似ている。何だか胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのような――そんな気がした。

 父親の時は俺が小さすぎて覚えてはないけれど、その時もこんな感じだったのかも、なんて。どこか他人のようにそう思った。

 

「……俺は……」

 

 あの時、俺はどういうつもりで彼女にあんな言葉をかけたんだろう。

 どうして、彼女を支えるはずだったのに、今俺はこうももやもやとしてるんだろう。

 傍にいると、言ったのに。気付けば彼女はいなくなっていて。

 ただ馬鹿みたいに、外でも家でも煙草を吹かす俺がいる。

 いつの間にか部屋の壁が黄ばんできた、なんて。こんな感覚、今までなかったというのに。

 ――支えられていたのは、俺の方だったんだろうか。

 

 

 

 

 

 不意に、扉を叩く音が響く。

 慌てて身を起こせば、扉の前に人影が二つ。丸みを帯びた影に、見慣れない姿がもう一つあった。

 

「……いいかね、ローグ君」

 

 そう口を開いたのは、この西シュレイドのトップとなったエンデ兵団長。開いた扉に当てていた拳をそっと下ろしつつ、その眼鏡を薄く光らせる。

 

「……はい、どうぞ。どうされましたか」

 

 手にしていた髪飾りをそっとポケットにしまいつつ、腰を上げては彼に体を向けた。そうすることで次第に見えてくるのは、エンデの奥に立つもう一人の人物。

 長い耳が見えた。ミューやラムダのように、長く鋭い耳だった。

 

「決まったよ。彼が、新しい竜機兵だ」

「それって……もしや……」

「はじめまして、ローグ君」

 

 俺が言葉を繋げる前に、彼が唐突に口を開いた。まるで遮るかのようなその口調に思わず言葉を失うと、彼はずんずんと前に躍り出始める。

 

 黒い髪を、襟足でまとめた長身の男だった。切れ長の瞳に、少しばかり口角を上げる形の良い唇。男前な顔立ちだが、その雰囲気は少し気味が悪い。何だか、蛇のような男だと、何ともなしに思った。

 そんな彼は俺と向かい合って、その四本の指を差し出してくる。握手を求めるかのようなその素振りに、俺は戸惑いながらも応じるが――――。

 薄く笑うその表情は、何とも不愉快だった。

 

「エスカドラの適応者として、君の世話を受けることになった。リアだ、よろしく頼むよ。……くれぐれも、バルクのような失敗作にならぬように、ね」

 

 本当に、不愉快だ。

 

 






 ミーヌはタミル語で魚です。だからどうしただけど。


 ちょっとした過去編。ミューがつけてる髪飾りと、彼女がお肉を食べれない話でした。
 めちゃくちゃ主人公いじめが捗るこの小説……楽しい!!
 あと新キャラ登場です。たぶんめっちゃヘイト集める系のキャラです。私はこういうの好きだけど。
 それではでは。





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一念発起(いちねんほっき)



 あることを成し遂げようと決心すること。




 戦況は、混沌を極めていた。

 かつてのゲイボルギアの首都クナーファは、今や最前線の街となっている。量産型の竜機兵が何機も配備され、新たな竜機兵はそこを拠点に空へと飛び立っていった。

 巨大龍、ラオシャンロンの素材をふんだんにつかわれた新たな量産型は、赤みの帯びた甲殻を夕陽で染める。戦線を拡大するために、今日も何機と製造され、その分だけ墜ちていった。

 

 湿地帯で。

 凍土で。

 山岳地帯で。

 活火山で。

 雪山で。

 砂漠で。

 海を隔てた、さらに奥の深き樹海で。

 

 大陸全土を包んだ戦火は、この世界を惨たらしく焼いていく。

 飛竜も、牙獣も、どんな生物でもおかまいなしだった。使えるものは全て使え。そんなエンデの指示の下、西シュレイドはあらゆる資源を費やして火に薪をくべていく。

 

 この結晶の地で、ひたすら兵器開発に臨む俺の耳にも、今の戦況は伝わっていた。

 東シュレイドの竜人たちはゲリラ的な作戦へとシフトし、西シュレイドの進軍を著しく阻害している。数が少ない彼らは、広い領土をかつて有していたゲイボルギアからの知識を基に、随所随所で細かな火種を燻らせた。

 ゲイボルギアもまた、以前とは比べ物にならないほどの竜操騎兵を投入している。これまでの飛竜に加え、二足歩行をする翼のない竜まで使役し始めたのだ。

 一体どのような手段で戦力を拡大しているのかは分からないが、兵の報告では背中の騎士に牙を剥く竜の姿も見られたらしい。どうにもこうにも、純粋な絆なんていう綺麗な方法ではないように見える。

 竜操術とは、一体何なのか。

 

「……で、この素材は?」

「はい、本土の方から送られてきたものです。エスカドラを至急完成させよ、と」

 

 竜人の作業員たちが持ち運んできてくれた大量の資源。それを確認し始めるは、後輩研究員。

 相変わらずの活発な様子で、彼女は眼鏡を光らせていた。少し熱気のこもった部屋に、彼女の浅黒い肌はやや汗ばんでいるように見える。この部屋に並んだ素材たちも同様に、それぞれの色を熱に照らしていた。

 

 炎龍の素材。燃え盛る炎を封じ込めたような、不思議な玉。

 幻獣の雷尾。落雷を固めたかのような厳かな角。

 幻獣の霊毛。氷柱を凝縮したかのような澄んだ角。

 鋼龍の大量の甲殻に、状態の良い爪。

 巨大龍の強靭な筋繊維と、あまりにも巨大な一本角。

 その他に、オーグのものと思われる肥大化した角や爪。

 さらには、大砂漠を遊泳する巨大な龍の太い牙のようなものまでも。

 

 何をとっても、古龍の素材だった。価格をつけたら、一体どれほどになるのだろうか。そう考えると恐ろしいくらいのその資源。

 これまでの雀の涙のような財政事情とは打って変わり、多額の費用をこの研究に投入できるという事実を、如実に表している光景だった。

 

「あの頭の固かった本部が、こんなに投資してくれるとはなぁ」

「それだけ、切羽詰まってるってことですかね……」

「……かもな。まぁ、おかげでエスカドラ開発は捗るけどさ」

 

 第四世代の竜機兵、『エスカドラ』。別名アルファ計画と呼ばれるそれは、あの黒き龍を仕留める最終兵器だ。

 第一世代の竜機兵でもまるで対抗できず、ミューを撃墜したあの龍をどうやって仕留めるか。考え付いた結果は、ありとあらゆる古龍の強みを両立させた兵器という答えだった。

 熱と冷気の混合を目指し、しかし技術・コスト面から凍結となってしまったベータ計画。それをベースに進められているアルファ計画は、過去の課題点など見る影もない。これだけ大量の素材を得られるならば、研究速度も格段に上がるだろう。エスカドラの完成も、決して夢物語ではないはずだ。

 

「どうも、ラムダが頑張ってくれるみたいですよ。この資源の多くは、ラムダが仕留めたものみたいです」

「……ラムダが」

 

 あいつが、あの引っ込み思案だったラムダが――――。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 報告は聞いている。

 ラムダは休息も惜しんで、とにかく大陸を東へと進んではそのルートを開拓していっていると。

 進行ルート上に現れた古龍を、積極的に仕留めていると。

 その猪突猛進ぶりが功を奏し、とうとう海を隔てたさらなる奥地へと足を踏み入れたらしい。ゲイボルギアの祭事らしき催しを行う場所とのうわさは聞いたが、どうやら非常に高い塔があるのだとか。

 俺は正直、彼のことが心配だ。自身を省みない行動だと、あまりにも無謀な考えだと思う。とにかく邪魔するものは全て排除すると語っていた彼の瞳は、とても疲弊していた。

 

「……俺はどうしてやればよかったんだろう」

 

 ラムダは、ミューのことが好きだったと語った。本当は俺に嫉妬するくらい、ミューのことが好きだったと。

 それなのに、その彼女がいなくなってしまったのだ。彼女は、あの黒い龍に殺されてしまった。憎む気持ちはよく分かる。無論、ただ見ていることしかできなかった俺に対しても。

 

「くだらないな」

 

 パタンと。本を閉じては、目の前の男はそう吐き捨てた。

 

「……あ?」

「くだらないと言ったんだ。一時の感情に支配される彼のことをね」

 

 黒い髪を襟足でまとめたその男――リアは、垣間見える長い耳をそっと撫でた。

 筋の良い背丈を椅子に置きながら、ゆっくりとした仕草で足を組む。

 

「ラムダといいミューといい、君の作る竜機兵は……性能はいいものの、感情面で難があるな。僕に言わせれば失敗作だよ、ほんとに」

「なんだと……」

「竜機兵は、兵器さ。兵士でもある兵器。故に、国のために尽くさなければならない。ラムダはまぁいいだろう。今はこうして努力をしているのだから」

 

 前髪を掻き分けながら、彼は一拍置いて。そうして、嘲笑うように息を吐き出した。

 

「ミューは、なんだろうな。結局城を守ることもできず犬死だ。本当の失敗作はあれだよ」

「……ミューは奮闘したんだ。城を守るために、その身を犠牲にしたんだよ。あの子は失敗作なんかじゃない」

「君は製作者だから贔屓目で見てしまうだろうね。だけど、客観的に見ればあれは任務に失敗した。つまり失敗作なのさ。まぁ、あの程度の性能じゃ黒き龍には敵わないというデータがとれたことは、良い働きだったと認めるけどね」

「……いい加減にしろよ」

 

 分かったような口振りでそう言うリアの胸倉を、思わず掴む。それが功を奏したのか、単純に癪に触ったのか。リアは、一度その口を閉じた。

 

「お前にミューの何が分かる。あの子が何に悩んで、何を選んだのかを知ってるのかよ。知らない癖に、分かったようにベラベラほざいてんじゃねぇよ」

「……じゃあ、逆に聞くけどさ、君はそれを知ってるの?」

「そんなの――――」

 

 ミューが何を選んだのかは知っている。彼女は龍となることを選んだ。俺を守るために、人であることを捨てたのだ。

 彼女の悩める姿も、ずっとずっと見てきたつもりだ。

 過去のこと。

 竜人という立場のこと。

 自身に巣食うトラウマのこと。

 自らに課せられた使命のこと。

 彼女はずっと苦しんできた。

 けれど。

 

 ――――ローグ。私、私ね。あなたのことが……あなたのことが――――

 

 あの時言いかけた言葉は、何だったんだろう。

 あの時、彼女の言葉は俺の耳には届かなかった。一体何て言ったのか、全く分からない。あそこに、彼女の本心が表れていたはずなのに。

 

「……ほらね。やっぱり分からない。けど、それが普通だよ。他人がどう思ってるかなんて、知りようがないんだから」

 

 思わず力の抜けた俺の手を、リアは振り払った。そうして、自らの首元の皺を丁寧に伸ばし始める。

 

「あぁは言ったけどね、基本的に僕は君のことを信頼しているよ。真に竜機兵を造る技術は、君なしでは成り立たないだろう。第二世代のような下らない水増しとは違う。ラムダを見ていれば、よく分かる」

 

 そうして腰を上げて、読みかけの本を手に取って。俺の肩に触れるかのような距離で、リアはすれ違いざまに言葉を残した。

 

「君は、エスカドラを完成させることに集中してくれ。なぁに、僕は失敗作とは違う。感情に捉われずにあの黒龍を果たすし、ゲイボルギアや東シュレイドなんて粗雑な存在も潰そう。なんたって僕は、エンデ兵団長から直々に選ばれた竜人だからね。他の奴らとは違うのさ」

 

 なんとも尊大な口振りだった。誰もを見下すような、驕りに満ちたその言葉。

 

「大量の資源が届いてるんだろ? 竜は資源……もちろん、龍もね。シュレイドは竜を資源としてきたんだ。それに則って、これからもどんどん竜を使っていこう。期待してるよ」

 

 そう締めては、彼はドアに手を掛けてこの部屋を後にした。人を食ったようなその態度に、俺は何も言い返せなかった。

 

 竜は資源。

 シュレイドは、竜を資源としてきた。

 これからもどんどん使っていこう。

 

 ――まるで、これまでの俺が何度も吐いてきたようなその言葉。

 聞き覚えのあるそれが、いつまでも俺の頭の中で反響していた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 結晶の地の夜空は、満点の星空で埋め尽くされていた。

 白色、黄色、橙色、そして緋色。藍色の空に穴を開けるかのように、そのひとつひとつがまぶゆい光を放っている。

 そんな藍色の空に、白い煙を溶かす。煙草から吹き出るそれと、正反対の部分。そこを咥えては、すっと静かに吸い上げた。俺の吸う空気の量に比例して、煙草の先は赤く燃え盛る。より一層、煙が膨れ上がった。

 清涼感だ。辛くも甘いその香りは、柔らかい清涼感を喉にもたらしてくれる。仄かな熱さが喉元に留まって、それをゆっくり味わいながら少しずつ息を吐く。その息もまた、柔らかな白色に染まっていた。

 

「綺麗だなぁ」

 

 満点の星空だ。近隣の火山の光を浴びてもなお、星空は静かに瞬いていた。ひとつひとつが精一杯、その命を輝かせている。

 死者は星になるなんて言い伝えがある。星になって、地上に生きる大事な人を見守っていると。そんな言い伝え、馬鹿馬鹿しいと感じてしまうけれど――――。

 

「ミューも、そこにいるのかな」

 

 揺れる。着火機の光が、吹き出した炎が、静かに揺れている。

 その揺らめく光を見ていると、輪郭がぼやいていくように感じた。光がずれて、重なっていくような。何もかもがぼやけていって、俺は思わず瞳を閉じる。眼前の景色が瞼の裏へと変わって、あの焼き付いた光景がぼんやりと浮かぶ。

 

 泣き腫らした瞳。

 怯えたように震える唇。

 それでも、必死に笑顔を浮かべている彼女。

 上擦った声で、俺の名前を呼ぶミュー。

 

 目の前には誰もいないはずなのに、それでも何だかミューがいるような気がして。だから俺は問いかけた。この星のどれかとなった、ミューに向けて問いかけた。

 とはいえ、返事なんてくるわけもなく。ただ虚しいまでの風の音が、この研究所を掻き回した。

 

「馬鹿馬鹿しい……疲れてるわ」

 

 普通に考えて、そこにミューがいるはずがない。

 死んだら、その肉体は分解されるのだ。自我を収納した脳ごと、無に帰すのである。それが星になるなど、非科学的にもほどがある。

 ミューは、もういない。彼女はきっと、もうこの世のどこにも存在しないのだ。ラムダは、無我夢中で任務をこなしている。彼も、ここにはいない。

 これまで一緒にいた者は、今やずっとずっと遠くに行ってしまった。俺だけ、俺だけが未だに変わらない場所で変わらない作業をしている。過去に囚われたかのように。馬鹿の一つ覚えのように。結局今まで通りの生活を送ってしまっている。

 

 竜は、資源。

 

 リアの吐いた言葉が、今もなお脳裏にこびりついていた。俺が何度も、ミューに向けて言った言葉だ。この国は竜を資源とすることで、武器や家屋、雑貨に食材を賄ってきた。シュレイドは、竜を利用して発展してきたのだと。

 

「……俺は……なんで、何も思わなかったんだろ」

 

 吸い上げた煙が、喉奥で溢れ返る。鼻孔を埋めるその香りは、白い煙となって零れ落ちた。鼻息が、白く染まる。

 ミューは、俺がその話をするといつも表情を変えた。取り繕ってはいたけれど、確かにその表情に影を差していた。あの時は、俺はそれを特に何とも思っていなかったけれど。

 

 ――――龍になったら、私も解体されちゃうのかな。

 

 ……私、解体されたくない。怖い……怖いよ――――。

 

 怯えた表情で、それでも健気に笑顔を浮かべようとしていたミュー。そんな、彼女の最期の姿が瞼に映る。

 

 きっと、彼女にとっては他人事ではなかったのだろう。

 自分も、いつその立場になるか分からない。ミューにとっては、同胞が解体されているようなものだったのだと思う。そして、いざ自分の番が迫ってきた。それが、彼女の心を強く締め付けていたのかもしれない。

 なるべく竜と戦いたくないと、瞳が訴えかけていた。開戦前の国境での諍いの時が、最も印象的だっただろう。彼女は竜と戦うことに積極的ではなかった。できることなら傷つけたくないと、彼女はきっと強く願っていた。

 

 俺は、そんな彼女に、ずっと竜は資源だと語ってきたのだ。俺はどれだけ、彼女の心を蔑ろにしていたのだろう。

 

「……今更気付いても、もう遅いっていうのに」

 

 燃え尽きた先が、黒く崩れ落ちる。灰を寄せ集めたようなそれは、荒涼とした結晶の山々に溶けていった。舞い上がる煙は、俺の目を淡く焼いてくる。煙が、目に沁みるのだ。どうしようもなく、目に沁みるのだ。

 

 

 

 空を見上げると、満点の星空が広がっている。どこまでも広がっている空が、どこにでも繋がっている空が。

 あの空の向こうには、我々西シュレイドの拠点が今も着々と戦争の準備を進めているのだろう。ゲイボルギアは、領土奪還のために強靭な竜を調教しているのだろう。今や廃墟となったあの城には、かの黒龍が今も我が物顔で居座っているのだろう。

 その全てが、ミューの犠牲があって成り立っている。ミューが犠牲になったから、誰も彼もが今ものうのうと息を吸えるのだ。

 

 ミューは、龍に成り果ててでも俺を守ろうとしてくれた。そのおかげで、俺は今もこうして生きている。けれど、彼女がどうでもいいと吐き捨てたこの世界もまた、皮肉にも生き残っていた。

 彼女を蔑ろにしてきた俺と、彼女を犠牲にしたこの世界。

 残った俺は、何をするべきか?

 一体、どうすればよいのだろうか?

 

 ――答えは、きっといくつもある。俺のやるべきことも、きっとたくさんあるだろう。それでも、俺の思いは。本当に望むことは、一つだけ。

 

「ミュー……俺は、お前に会いたいよ」

 

 満点の星空の中で、一際輝く彗星が瞬いた。

 まるで、流れ星に願い事をするかのよう。

 そんな俺のか細い声は、この星空に吸い込まれるように溶けていった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 夜も更けた結晶の地研究所。

 作業は中断され、各々が休息を取っている時間帯だった。作業の音は一つと響かず、誰かの寝息が立っているその最中。

 

 格納庫の奥で、静かに佇む影が一つ。彼以外、誰一人認知していないその研究室で、彼――ローグは静かに横になっていた。

 そんな彼の腕には、脈動する細いチューブが数本。深く深く、その体の内側へと入り込むそれらは、鮮明な色に染まっている。まるで血潮のように赤い何かが、我先へと彼の血管へと流れ込んでいた。

 

 混ざる血流は、まるで胎動のように跳ねる。血管をなぞるように、彼の腕には赤い線が刻まれていく。

 

 目が、開いた。

 まるで夜空のように深く染まった、その藍色の瞳は。

 その藍色は――――。

 

 






 四字熟語縛りそろそろきつくなってきた。


 盛り上がりにかける展開が続いてしまって申し訳ないです。今回で第二十話ということで、これで三分の二を何とか超えたらしい。早く完結させたいです。
 実はこの作品を考えるに当たって、テーマとなった楽曲があります。今までもちょくちょくヒントは入れたつもりですけど、たぶん、今回はそれが一番色濃く出てると思います。答え合わせは、完結後の活動報告でできたらなぁ、と。
 それではでは。


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涸轍鮒魚(こてつのふぎょ)



 危機や苦難が目の前に差し迫っていること。




「ぐっ……!」

 

 目を覚ませば、猛烈な痛みに襲われた。体を動かすと、まるで電流が走るかのように全身が痛む。起き上がる前に、その痛みで意識が一気に覚醒した。すると、痛み以外の感覚も次第に目を覚まし始める。

 物凄い倦怠感だ。まるで脳みそが慣性から逃れてしまったような、違和感に近い感覚が俺を支配していた。

 なんだこれは。まさか、こんなに顕著に影響が出るものなのか。

 

「きもちわる……」

 

 何とか身を起こしながら、俺は悪態をつく。

 しかし、それで体がよくなるという訳でもなく、むしろ空になった袋から伸びたチューブがとてもうざったく感じた。だから、俺はそこに手を伸ばす。

 引き抜いたチューブに、続いて飛び出る太い針。それが俺の肌の穴を広げ、赤い血が溢れ出た。

 

「……畜生が」

 

 そこに無理矢理ガーゼを貼って、血を止める。とりあえず塞がってくれるのを待つしかない。

 時刻を確認すれば、とっくに朝を迎えていた。火山の熱気に煽られた太陽光が、この部屋に淡く差している。

 今日は、白く分厚い衣に袖を通す。本来は服が汚れないために全身を覆うものだが、変に傷痕を指摘されたくない今、この衣はとても好都合だった。

 

「さて……いくか」

 

 鏡を見ては、あからさまに変わってしまった俺の目。目に映る色も、形も、これまでとは何か違うように感じる。眼球が、脈動しているかのようだ。

 誰かに何かを言われたくはない。だから、俺は黒く塗り潰された眼鏡を手に取った。俗にいうサングラスをかけて、ドアノブに手を掛ける。

 体の調子には辟易とするが、そのうち慣れるだろう。今は、とにかくできることから始めなければ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 リアは、西シュレイドにより選ばれた名誉貴族だった。

 

 先の黒龍の出現で、シュレイド王国は王国としての機能を失った。

 国の中枢を一日にして廃墟とされ、東西は分断。残った国民はそれぞれ分かれたものの、西には人間の多くが、東には竜人の多くが流れるという結果となった。

 しかし、リアは西シュレイドの竜人だ。彼のように東へと流れようとせず、シュレイドのためにその身を捧げようとする竜人もいる。そんな彼らには、エンデ兵団長直々に名誉貴族という階級を与えられることとなった。それはつまり、これまでのような弾圧から解放され、人間と同等の市民として扱われることとなる。市民権を得るということだ。

 このリアという男も、その貴族の一人だった。どころか、エンデから最終型の竜機兵に選ばれている。他の竜人を下に見るのも、尤もかもしれない。

 

「我々はこのシュレイド王国によって生み出された。つまり、シュレイドは僕たちの親といっても過言じゃない。親孝行するのは、当然のことだろう?」

「それでも、今までの弾圧を帳消しにできるほどのものなのか? それは」

「ふふ、する側だった君がそれを聞くんだ?」

「…………」

 

 ダメだ。話が平行線だ。どうもこいつとは話がうまく通じない。

 

「個々を重んじていては、国がダメになるだろう。我々は今こそ国に尽くすべきなんだよ。今にも崩れ落ちそうなシュレイドを救うために」

「……それは確かに、避けては通れない道だけど」

「竜人の僕がそう言うのは、おかしいかい?」

 

 どこか蔑むのように、リアはそう笑った。

 ここまで達観した意見を述べる竜人族は見たことがない。何をとっても、こいつは異質だ。

 

「変わり者とはよく言われるさ。僕も自覚している。それに、雑多なやつらと一緒にされても困る。僕は奴らのような無能とは違うから」

「……無能じゃないだろ」

「ふん……どいつもこいつも無能だよ。僕は、他の竜人とは違うんだ。東シュレイドの奴らとも違う。『新廃棄場』に送られるような奴らとはね」

 

 なんていったって、名誉竜人だから。兵団長から直々に、アルファ計画の主幹に抜擢されたのだから。と、彼は誇らしげにそう付け加えた。

 確かに、能力面を見れば驚異的な数値を叩き出している。運動面、知能面、センスとあらゆる点において非常に好成績だった。ラムダは運動面は優れているものの、センスに課題がある。ミューは抜群のセンスの持ち主だったが、他の面においては二人に後れを取っていた。

 リアは、能力面を見れば竜機兵にこの上なく相応しい人物だ。精神性に関しても、今の首脳部と波長が合うと思われる。何故なら、俺はこいつと合わないからだ。

 

「ミューもラムダも、敵を前にためらうことが多かったと聞くよ。兵器として、それはどうなんだろうね。僕なら、僕なら躊躇なく殺せるけどさ」

「……二人は、優しいからな」

「優しい? 優しい兵器? ふふ、なにそれ」

 

 嘲りを含んだ引き笑い。それが、俺の神経を荒く掻き回す。

 

「兵器に感情なんてなくていいんだよ。その点、第二世代はいいものだ。まぁ僕は、自分をコントロールできるから問題ないけれど」

 

 随分な自信家だ。自分はそうはならないと、心から確信しているようだ。

 

「とにかく、僕に任せてくれ。最強の竜機兵として、大量の資源を集めてきてやるからさ。あの黒龍も、軽く屠ってみせるよ」

「…………」

「だから、君は最高の機体を作ってくれれば、それでいい」

 

 まただ。大量の資源。竜を資源にすること。

 こいつは、過去の俺のようなことを言ってくる。いや、違う。自分の信じるものだけを信仰して、それ以外は見下して。竜は資源と信じて疑わずに、道具のように扱うその姿。

 ――こいつは、過去の俺そのものだ。

 こいつに対する嫌悪感は、同族嫌悪の気持ちからきているのかもしれない。本当に、昔の自分を見ているかのようだ。

 

「……そもそもさ」

「うん?」

「お前はどうして、そうなったんだ?」

 

 かなり突拍子のない質問だったかもしれない。心に咲いた疑問を、思いのままについ吐き出してしまった。

 それに彼は少し目を丸くするものの、それを徐々に細め始めた。ふぅんと、小さな息を漏らす。

 

「変な質問だね。それは、どういう意味なんだい? 心の問題かい? それとも、思想かい?」

「……どっちもだ」

「……ふーん」

 

 どう話してやろうか。そう言わんばかりに眉を顰める彼だったが、意外にも話し始めた。ひとつ、ひとつと思い出したように言葉を並べていく。

 

「僕は、いわば第一世代の竜人族だ。もう、百歳近くになる」

「……えっ」

「驚いたかい? こう見えて、僕はかなり年上なんだよ。竜人族というのは、本当に長寿なんだ」

 

 見た目は三十歳前後。俺と同じくらいか、もしくは少し年上か。

 なんて思えるが、かつてのエンデの言葉を思い出す。彼の言葉通り、あの少女の姿をしたミューは、実は俺より四つ年上だったのだ。であれば、リアがそれ以上の年上なんて、分かり切っていたことなのに。

 

「竜人計画が始まって、まず僕らの世代が生み出された。初の検体ということで、それはもう重宝されたさ。様々な実験に参加したが、何分僕らが今後のベースとなるからね。手厚く扱われたんだ」

 

 リアの話を鵜呑みにすれば、彼はその検体のなかでもとりわけ優秀だったらしい。後に血を残すという名目で、竜機兵の対象からは除外され、王都で穏やかに暮らしていたそうだ。

 

「……だが、先のシュレイド城陥落でね、全てが変わった。積み重ねた歴史が言ってるよ。僕の出番だとね」

「なんだそりゃ……」

「その結果、僕はここにいる。それが何よりの証明なのさ」

 

 何が言いたいのか分からない。そう言いたげだね、と彼は薄く笑う。

 

「つまり僕は、僕の価値を世に知らしめたいんだよ。竜人の中でもとりわけ優れた僕が、この危機に瀕したシュレイドを救う。僕は救国の英雄だって、証明してやるんだ」

「……はぁ」

「そのために、使えるものは何でも使わないと。失敗作も、無能共も、君自身も。そして、我が物顔でこの世界をうろついている畜生共も」

 

 長年の夢が叶う。彼の狂気染みた笑顔は、そう言っているかのようだった。

 その姿は、シュレイドの縮図のよう。彼の思想は、シュレイドのそれだ。自らを崇高なものとする姿勢。それ以外は全て見下す様子。生命を生命と思わぬその態度。

 

 本来、生命は奪い合うものだ。自分が牙を剥くということは、向こうからも牙を剥かれるということ。こちらが相手を奪おうとすれば、逆に自分が奪われることだって当たり前だということ。

 しかし今のシュレイドはなんだろう。我々人類はなんだろう。

 命を命とも思わず、ただ一方的に虐殺する。

 その亡骸を好きに使って、それを踏み台にしている。

 自らが殺されるというリスクから逃れ、竜人という手足にそれを肩代わりさせている。

 ――どころか、奪った者たちを集め、新たな命すら造り出そうとしている。竜機兵という新たな手足すら、思うままに操ろうとしている。

 なんだ。もしかして、神にでもなったつもりだろうか。

 

「……また変なこと考えてるね。顔に出てるよ」

「…………」

「まぁいいさ。君が何を思おうが、僕には関係ないし。やることだけしっかりやってくれればいい」

 

 話は終わりだ。なんて言いたげに、彼は席を立った。

 本当に、興味がないのだろう。特に何か思う訳でもなく、至って事務的に話を済ませ、彼はこの部屋を後にした。本当に、自分以外に興味がないらしい。

 

「……ちっ」

 

 あんな奴が、最後の竜機兵だなんて。俺の最後の大仕事は、あいつに尽くさなければならないなんて。

 ――――そんなこと、まっぴらごめんだ。

 

「……前途多難ですねェ」

「あ?」

 

 唐突に響く声。何かと思って再び扉の方へ目をやれば、今度は別の人物が立っていた。

 第一世代及び第三世代竜機兵の製造に尽力していた研究員――丸眼鏡の彼だった。

 

「相変わらず竜人のメンテナンスも欠かさないんですねェ。貴方らしいといえば、貴方らしいですけど」

「……そんなんじゃねぇよ」

「ところでそのサングラス、どォしたんですかァ?」

「……イメチェンだよ。どうでもいいだろそんなこと」

 

 リアが触れようともしなかったそれに、彼はさも自然に触れてきた。

 今まで眼鏡だった奴が突然サングラスに変えたんだ。聞きたくなる気持ちも、分からないでもないが。

 

「そォですかァ。……それより、彼とはどうですゥ?」

「……リアか。難しい奴だな、あいつは」

「ほほォ。竜人の扱いに長けてるローグさんでも、難儀するんですねェ……」

 

 相変わらず、棘のある言い方だ。本当に、心の底から竜人を蔑んでいるのが分かる。

 人間は、竜人の生みの親。

 竜人は、人間にとっての新しい道具。

 それがこの国の一般常識だ。リアのような特異な竜人でもない限り、その人格も市民権も認められていない。この男もまた、シュレイドの縮図のようだった。

 

「……なんだよ」

「いやァ、相変わらず変な人だなァって。貴方はどうしてそんなに竜人を気にかけるんです?」

「……それは」

 

 それを聞かれると、まず始めに水が頭の中で溢れ返る。

 視界一杯に、夜闇に照らされた水面が映るのだ。それが泡を、いくつも彩るように差していて。いや、むしろそれらは俺の口から零れていって。

 そう、水の中だ。俺は水の中にいたんだ。夜釣りをしていたら、誤って転落して、急流に呑み込まれたんだ。俺は、溺れていたんだ。

 

 もう死ぬのかもしれない。志半ばで。趣味にのめり込みすぎて。まだ成人もしていないのに。昔の俺は――まだガキだった俺は、そう思いながら、目を閉じた。

 

 けれど、ふと手に奇妙な感触が走る。ひんやりとしてるけど、でも仄かに温かくて。柔らかいけどとっても小さな、何か。いや、手だ。誰かの手だ。絡む指に少し違和感があるけれど、それはまごうことなき人の手だった。

 水の中で薄目を開ける。一体何かと、俺は目を開けた。

 揺れる水面。

 ぼやける視界。

 水にとける、銀の髪。

 ――鋭く伸びた、形の良い耳。

 

 大丈夫だよ。そう言わんばかりに、目の前の少女は優しい笑顔を浮かべていた。まだ、七歳に届くかなんて思うほどに、幼い少女だった。

 

「……昔さ、竜人に助けられたことがあるんだ」

「……ほゥ?」

「ミスで、死にかけたんだけど……竜人に助けてもらって、彼らのキャンプに迎え入れてもらって。そこで、初めて竜人に会った。辺境に住んでたから、竜人なんて名前は知らなかったけど。でも、彼らはとても……とても温かったよ」

 

 思い出すと、懐かしい。俺の中での、竜人との最も古い記憶だ。

 

「種族は違っても、とても気の良い人たちだった。俺は本当に、彼らに救われたんだ。……だから、成人して、王都に来て……現実を知った時は本当にショックだったよ」

「ふゥん……」

 

 きっと、彼からしたら至極どうでもいいことだろう。そんなことを聞かされたからって、何かが変わるなんてことはない。ただ、俺は俺としてこんなことがあって、彼は彼としてそれを彼なりに受け止める。そこに大きな変化はないと思う。

 ただ、聞かれたから答えた。それだけだ。

 

「君の価値観は、若い頃に歪められたんですねェ……それは、不幸としか言えません」

「…………」

 

 そら、見たことか。

 これだ。これが、俺と彼らの間に広がっている壁だ。

 本土にいる連中も、ここの研究員も、そして竜人であるリアでさえも。俺と彼らの間には、決して交わらない壁が広がっているんだ。

 ――きっと、変わらない。一度滅んだりしない限り、この壁は絶対に交わらない。

 きっと、きっと――――。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

『ここは……』

 

 大陸を越えたその先へ。狭い海を越えた、その先へ。

 クナーファから遥か東方にあるその土地は、雪山をも越えた先にある新たな陸地だった。大地を覆うように広がった樹海。そして、天を貫くように建てられた古き塔。

 ゲイボルギアの宗教か。それとも何かの観測のためか。不自然なほどに高く積み上げられたその塔は、いつも分厚い雲に呑み込まれている。

 しかし、今日の空は妙に澄んでいた。夜の闇を思いきり吸い込めるような、澄んだ空だった。

 

 そんな樹海を、地響きを立てながら歩く影。

 紺色と灰色を混ぜ合わせたようなその体色は、まるで重油を被ったかのようにどろどろと滴っている。鉄柱の如く太い翼は、その先から伸びた爪で大地を荒く掻き乱す。あまりにも太い尾で木々を薙ぎ、充血したような瞳を転がすその頭部は、厳めしい龍の形をしていた。

 第一世代竜機兵。機体名『ゴグマゴグ』。ローグが案じる竜人、ラムダが搭乗するそれは、低い唸り声を上げる。

 

 大陸を横断した。

 遭遇した古龍を積極的に討った。

 ゲイボルギアを薙ぎ払った。

 この大陸までのルートを開拓した。

 叛逆する同胞を、まとめて消し炭にした。

 生かした者は、みな南の島に送り込んだ。

 新廃棄場と呼ばれるその島に、全て押し込めた。

 

 ラムダはとても不安定だった。

 疲労困憊で、余裕がない。しかし一刻も早く黒き龍を討たなければと、その思いがひたすら彼を動かしていた。強迫観念染みたそれが、彼を操っていた。

 

 ――――そんな彼を嘲笑うように、大気が震える。

 雷雲だ。赤黒い雷雲が、空を覆い始めた。この塔を撫でるかのように、空が重々しく染まっていく。

 

『……なんだ!?』

 

 異質な空気。それを感じ取り、機竜の中のラムダは顔を上げる。

 

 そこには――塔の頂上には、何かがいた。何かが、地を這う機竜を見下ろしていた。

 雄大な翼に、長く伸びた尾。四肢と翼は分かれ、他に類を見ない姿勢で二足歩行をしている。上半身を持ち上げ、そこから伸びた長い首をもたげたその龍(ドラゴン)は、血に染まったかのような舌でべろんと口周りを舐める。

 

 その姿は、報告のものと瓜二つだった。寄せられたスケッチの姿、そのものだった。あの黒き龍と、非常に似通った姿だった。

 ――――ただ一つ、ある点を除いては。

 

『……白い……?』

 

 そう、白いのだ。全身の鱗が。その翼膜が。首周りから伸びた体毛も、溢れる霊気のようなものですら。何もかも、白い。報告とは全く違う――――。

 

『お前も……アイツの仲間か……ッ』

 

 違う。しかし、無関係ではない。あまりにも似通ったその姿は、ラムダの心を強く刺激した。

 仕留めることができれば、研究が進むだとか。

 竜機兵のパーツにできるだとか。

 彼は一切そんなことを考えない。ただ、不満の捌け口を。自らの不幸をぶつける対象として、その『白き龍』を選んだのだった。

 

 ゴグマゴグが、咆哮を上げる。壊れた機械のようなその音が、この樹海の中で反響した。

 一方の白き龍。その者もまた、甲高い叫び声を上げる。体表が、まるで血染めのように赤く染まった。

 

 






 ミラルーツさんおっすおっす。


 相変わらずの説明回。いやほんとすみません。盛り上がりに欠けてほんますみません。
 ローグさんとかリアさんの掘り上げ回です。あと病んだラムダさんパート。
 ハンター大全2の地図を見ると、フォンロンの地は別の陸地にあるんですよね。遠いんだなぁ。
 それではでは。閲覧有り難うございました。


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談論風発(だんろんふうはつ)



 話や議論を活発に行うこと。




 轟音が響く。

 それに伴って弾けた熱線は、樹海を激しく焼いた。

 

 しかし、白き龍はそれに掠ることもなく、悠々とその身を翻す。

 同時に、霊毛を湛えた厳かな顎を解放。再び熱線を放つゴグマゴグの、その対角線上に。龍は、稲妻を丸く押し留めたかのような光を放った。

 熱の塊と、雷の塊。それらがぶつかり合い、強烈な爆風を生む。そのあまりの勢いに、樹海の木々は勢いよく吹き飛んでいく。

 

 要は、相殺だ。機竜の渾身のブレスを、白き龍は神雷をもって相殺したのだった。どころかその反動を受け流しつつ、旋回。急激に加速し、曇天の渦へと消えた。

 空を覆い隠すように広がった雲。その灰色が、鮮やかな緋色へと反転する。火花のような光が瞬いて、そうかと思えば刹那、地表を貫いた。落雷という範疇を凌駕したその光。もはや鉄槌の如きそれは、大地を捲り、機竜を叩き潰す。あまりの衝撃に野太い悲鳴が上がり、体表の油は一瞬で沸点を迎えた。

 

『ぐぁッ……!』

 

 内部のラムダが吐き出した血反吐。

 ミシミシと軋む機竜の体が、紅く染まっていく。

 

『こいつを殺すには、もっと……もっと……っ!』

 

 樹海を無差別に襲うその鉄槌は、地表を覆うそのカーペットにドス黒い穴を空けていった。

 そんな中で、さらに黒い色を撒き散らす影。まるで蒸気のように体から黒い湯気を浮かせ、機竜は重苦しい声を上げた。

 ――それはまるで、嘆きのような。慟哭のような。

 

 鋭い音を立てて、翼が開く。ズタボロに破けた翼膜が、あの油で固まっていたはずの翼膜が開き、巨体を覆いかねないほどの闇が広がった。

 蛹が羽化するかのような素振りで。

 ぎこちなく、壊れた機械のように。

 ゴグマゴグは、空へと羽ばたいた。

 

 口元を焦がす熱線。それが白き龍を、この世界ごと焦がすかのように解き放たれる。

 樹海に、紅蓮の花が咲いた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……む、また地震か」

「地震……ですね。これは一体……。また、とは?」

 

 執務室。

 西シュレイド司令部の、兵団長の執務室。

 そこで言葉を交わす影が、二つ。

 

「ここ最近、地震が頻初しているのだ。それも、そこそこ規模の大きいものがな」

「今のもまぁまぁ揺れたようですが。このシュレイドの地に地震なんて……珍しい」

 

 憂うように話す兵団長のエンデと、その話を聞いてはやや辟易とした声を漏らす竜人、リア。

 頻初する地震に、二人は忌々しそうに眉を顰めた。

 

「震源地はどこなんです?」

「正確な位置は分からない。何分、地殻の運動というのは観測が困難を極まる。シュレイドの技術をもってしてもな」

「そう……ですよね。失礼しました」

「ただ、おそらく東の方だとは思うが。地点ごとの揺れの大きさによる推測に過ぎんがね。精度が荒く、使い物になりやしないよ」

 

 不甲斐無い。

 そう言わんばかりに、エンデは目を伏せる。

 

「何だか、日に日に震度が大きくなっているような気がするな。何か良からぬことが起きないといいが」

「それは随分と貴方らしくない。そんな些細な自然現象、気に留めるまでもないですよ」

 

 西シュレイドにとって今重要なのは、城の奪還と戦勝だ。地震は直接的な被害を残した訳でも、大きな影響がある訳でもない。

 そんな言葉を孕んだリアの主張に、エンデはそれもそうだと納得しつつ、手元の書類へと意識を戻した。

 

「ゲイボルギアと東シュレイド。なかなかどうして、我々の手を煩わせる」

 

 その資料とにらめっこしては、溜息と共にそう溢すエンデ。

 それに、リアは嘲笑うように頬を引き攣らせた。

 

「ふん……やはり第二世代では、手が余るのでしょうかねぇ」

 

 執務室を含むこの司令部を有するは、西シュレイドの集中都市だ。短い期間で対飛竜用の防壁を築き上げ、シュレイド城には及ばずとも高い守備力を誇る都だった。

 地理的な条件もあってか、またはあの黒龍の影響か、このあたりに生息する飛竜はほとんど残っていない。そのためここは比較的安全で、西シュレイドの実質的な本拠地となっている。兵団長であるエンデがここにいることが、その証拠とも言えるだろう。

 

「ここ最近の戦況はどうですか?」

「ゴグマゴグの奮戦もあって、奴らの深奥までのルートが確立しつつあるよ。南東の密林、北東の雪山に関しては奴らの勢力圏でな、次の攻略対象はここになる。まぁ、今のところ優勢だ」

「密林に雪山……東側のゲリラ戦法が厄介そうですね」

「うむ……こちらの兵も、あれには苦戦しているなぁ。もっと竜機兵を増やすことができればいいんだが」

「……その様子だと、そろそろ巨大龍の素材も尽きてきましたか?」

「……残念ながら、な」

 

 第二世代の竜機兵は、膨大な巨大龍の素材をメインパーツとして再製造された。

 しかしいくら巨大といっても、その数には限りがある。今やその在庫も底が見え始め、第二世代の製造速度は非常に緩慢になりつつあった。

 

「これまでは有利にことが進んだが、これからはどうだろうな。竜操術も、未だに全貌が見えない技術だ。これからどう変わるかも予想ができない」

「おや、以前まで謎と称していたのに、今は全貌が見えない、ですか。ということは、少しは分かったのですかね?」

「……大陸中央部を南下すれば、活火山があるだろう。他にも、樹海の奥に潜む滝つぼや、凍土の氷の中にな。ある特殊な鉱石があることは認められた。どうも、奴らが竜に着せた鎧と、同じ素材のようだ」

「ほう……素材元が分かったのですね」

「分かったと言っても、それをどう使っているかは皆目見当がつかんよ。まぁ、我々には分かったところで関係ないがね」

 

 とはいえ敵の情報を得ることは、戦争では欠かせない。そう卑屈気味に言いながら、エンデは眼鏡を整える。

 それを見ながら、リアは間違いないですねと小さく返した。

 

「間違いない。間違いないですが、仰る通り関係がないですよ。もはや時間の問題です。エスカドラができるまでの、時間の問題です」

「……ローグ君は、どうかね? エスカドラは、進んでいるかね?」

「報告書の通りですが、進んでますよ」

「報告書だけではなく、君が見たままのことを聞きたい。君が見て、そして感じたことを」

 

 エンデの眼鏡が、妖しく光る。書面だけでは伝わらないことを、私に伝えろと。血走った眼が、リアを鋭く射抜いていた。

 リアは、ふぅっと小さく息を吐く。久々に本土へと帰ってみれば、すぐにこれか。なんて、若干の呆れを込めた溜息だった。

 しかし、アルファ計画は確かに国の命運を左右する最後の手段である。エンデがそれだけ強く思うのも、致し方ないことかもしれないと、彼は自分に言い聞かせた。

 

「……そう、ですね。計画はとても順調です。費用面、素材面とこれまで以上に手厚い待遇だ、とどの研究員も嬉しそうですよ。ベータ計画という土台もあって、着々と機体は出来上がっています」

「……ほう」

 

 古龍の角には、説明の出来ない力が秘められている。

 神経回路を中に内包しているのか、それとも結晶のような作りなのか。理由は不明だが、古龍の力をコントロールする、重要な部位となっている。

 そんな角を、数多な古龍から集め、一つにまとめあげる。まるで、天を統べるかのように勇ましい角を。様々な属性を配合した、この世に二つとない角を。

 全身逆巻きの鱗と甲殻で覆うその姿は、生物としてあまりにも異質に見える。

 巨大龍を始めたとした大量の素材を投じたことで、ベータ計画の機体より二回りほど巨大化したその機体。黒く染まった太陽の如く、力強くも優美な姿だった。

 

 エスカドラの大部分は、完成間近だ。八割方出来上がっているといっても、過言ではないのかもしれない。

 

「……ただ、ここ最近ローグの動向が不審ですね」

「……何?」

「夜な夜な、一人で整備を続けています。それに、一体どこで眠っているのか不明というか。夜の、多くが寝静まる時間に彼は人知れず姿を消しています」

「それは遅くまで作業しているというのではない、ということか? 明らかに怪しい動きなのかね?」

「明らか、とまでは言い切れませんが、少々不審ですね。何故わざわざ深夜に一人で作業をするのか」

「仕事が終わり切らなかった、という可能性はありそうだがな。真面目な彼のことだから」

「いえ、足りない分を補うというよりは……何か手を加えているようにも見えます。まぁ、彼なりのカスタマイズなどをしているのかもしれませんが」

「……ふむ」

 

 リアの報告を受けて、エンデは深々とその言葉を反芻する。

 長年信頼してきたローグだ。彼の仕事熱心な様子を長い間見てきたエンデは、そう思い直す。もちろん、彼もこのシュレイドの方針はよく理解しているはずだ。竜人への認識については少々課題が見られたものの、あの黒き龍を討ち果たしたいという気持ちは痛いくらい伝わってきたのだから。

 そんな、エンデの思うローグの姿。それとは少しずつ逸れていく、リアの話すローグの姿。

 

「彼は一体どこで休んでいるのか、僕には分かりません。まぁ、あの研究所はとても広いですし、僕自身まだ全容を把握できてないんですけどね」

「そればかりは致し方ないな。あの全容は、私も把握し切れていない。それは仕方ないだろう」

「うーん。あとは、最近サングラスをつけ始めたことかな。彼曰く、意識を改めた、だそうですが」

「……確かに、少し不審だな。引き続き監視を頼むよ。彼の様子を、今後もよく見ておいてほしい」

 

 エンデは、少し複雑そうな面持ちだった。一方のリアは、任されましたよと受け応えつつも、興味なさげに小さく笑う。

 

「まぁ、彼が仕事のできる人物であることは間違いありませんから。現に、エスカドラも直に完成します。そしたら、僕に任せてください。ゲイボルギアも、東の奴らも、あの黒龍も。全て薙ぎ払って差し上げます」

 

 全く。全くためらいなく、彼はそう言った。

 ゲイボルギアの竜操騎兵も。東シュレイドの同胞たちも。城を落としたあの黒龍も。彼にとってはただの通過点に過ぎない。そう言わんばかりの面持ちだった。

 

 相変わらずだ、とエンデは心の中で軽く溜息を吐く。

 相変わらずだった。リアの態度は、あまりにも相変わらずだった。仕事のパートナーの変化にも大した興味も抱かず、同胞の惨状にも情を示さない。

 ゲリラ作戦へと傾向した竜人族の多くは、捕虜として捉えられた。ゴグマゴグが進軍した、あの樹海の南に浮かぶ小さな島。そこに、多数の竜人が収容されている。

 かつての廃棄場に代わる、新たな廃棄場。反逆者を追放した、新廃棄場だ。

 そんな同胞の有様にも、彼はまるで興味がない。異質なようで、相変わらずだと。エンデは少し呆れながらもリアを見た。

 

「……君は、どう考える?」

「はい?」

「あの黒龍は、一体何か。君はあれをどう考える?」

 

 唐突な問いだった。エンデから漏れ出た、唐突な問い。それを前に、リアは少しばかり目を丸く開く。

 

「……質問の意図がよく分かりません。申し訳ありませんが、兵団長の考えを先に聞かせていただければと思います」

「……ふむ」

 

 困ったように、というよりかは、むしろ試すかのように。一体何が聞きたいのかという好奇心が表に出ないように抑え込みながら、リアはそう切り返した。

 それにエンデは軽く考える素振りを見せたものの――――。

 一つ、また一つと言葉を並べ始める。

 

「私は、あれは恒常性そのものだと思うよ」

「……はい?」

「この世界には、恒常性、もしくは整合性とも言うべきか。均衡を保とうとする力がある。捕食者があまりに多過ぎては、被食者は消えてしまう。そうならないように、捕食者は少なく、被食者は圧倒的に多い。というようにね」

 

 抑えきれない言葉を前に、次第に早口になる彼の口調。豊満な二重顎が、忙しなく震えた。

 

「あの黒龍は、まさにそれかもしれない。彼がそれを意識していなくても、増えすぎた人間を減らすためにシュレイドの中枢へと舞い下りたのかもしれない」

「…………」

「生態系というのは、時に多くの命を削っても均衡を図るものだよ。疫病や、飢饉のように。あの黒龍は、人間によって崩れ始めた均衡を保つために、たまたまこの時期に、シュレイドで活動し始めたのかもしれないな」

 

 一通り話し終えては、エンデは眼鏡を拭き直す。少し興奮気味な様子で、その額には汗が浮かんでいた。その熱気に煽られて、レンズはうっすら白く濁ったようだった。

 一方でその話を黙って聞いていたリアはといえば。少しばかり、その表情を曇らせる。反発的な態度を露わにして、その形の良い眉を歪ませた。

 

「……お言葉ですが、僕はそうは思いません」

「ほう……。というと?」

「まるでこの世界に意思でもあるかのような口振りですね。ですが、星は星。人は人。別のものですよ」

「……ふむ。意思、か」

「均衡を保つ力……そんな恒常性があるのなら、そもそも人間なんて生まれなかったと、僕は思います。今も木の上で木の実でも食べてる、下らない生き物のままだったと思います」

 

 リアは強く、はっきりとそう言った。真摯に目を向けるエンデに向けて、そう言った。

 

「今の環境は、人類の思うままです。如何なる生物も、我々の思うままです。我々が生態系から脱しているのは、火を見るよりも明らかでしょう。で、あれば。そのような恒常性など存在しない……仮にあったとしても、その作用は非常に弱い」

 

 すっと息を吸ってから。「この世界の事象は、全て積み重ねである」と。彼はそう主張した。

 環境も。

 生物も。

 文化も。

 知性も。

 時間も。

 災害も。

 全て、積み重ねとなっている。積み重なる度に崩れて、そこからさらに積み直して。そうして、この世界は出来上がった。

 

「――――だから、我々は竜機兵へと至った」

「……!」

「我々は、積み直しを重ねた到達点だと思うのですよ。積み重ねは言わば、進化の過程そのものです。そして竜機兵は、人間の頭脳を龍の力に宿した新人類。つまり人類は自らの手で進化を掴んだのだと」

「……到達点、か。確かに、今我々は最高の一個体の生命を造り出そうとしている。そうか。進化をも掴んだ、か。その捉え方はとても興味深いな」

「……まぁ、一竜人としての考えです。特に深い意味も、真理だという証拠もありませんけどね」

 

 そう、リアは笑った。口角を伸ばして、薄く笑った。

 エンデもまた、思いがけない意見を聞けたからか。興味深そうに、小さな引き笑いを繰り返した。顎が二重の曲線を描き出す。

 

「あの黒龍は、恒常性そのものかもしれませんし、ただの生物の一つかもしれません。自分の寝床を得るために、先に住んでいたものを薙ぎ払う。竜や獣、虫にだってよく見られる光景です」

「確かにな。やっていることは変わらない。あの龍も、ただそれだけの存在かもしれん」

「えぇ。しかし、そんなことは関係ない。我々の邪魔をするから、とにかく殺す。それで良いですよね?」

「あぁ。それでいい。それでいいのだ、結局我々は。都合の悪いものは全て消す。それで良いのだよ」

 

 妙に清々しい顔だった。

 二人とも、目的や思いを共有できたからだろうか。とても清々しい顔でそう笑った。

 

「近い内に、エスカドラは完成するのだったな?」

「はい。もうすぐですよ、きっと」

「そうか。いや、そうか。うむ、素晴らしいことだ。……君の出陣には、私も赴くとしよう」

「ほう、ということは……」

「そうだな、結晶の地に私も行く。是非とも、この国の最高の機体が飛び立つ姿をこの目で見たい」

「……分かりました。お待ちしていますよ」

 

 清々しい笑顔は、少しずつ影を差していって。人間特有の悪意を孕んだそれへと、いつの間にか色を変える。

 

 ――――エスカドラ完成まで、残り僅か。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 煙が、樹海の木々を撫でた。

 見るも黒々しい煙だ。まるで石炭を燃やしたかのように。砲身ごと弾け飛んだ、不良品の砲台のように。恐ろしいまで黒い煙が、この樹海の闇に呑まれていく。

 

 そんな煙を吐き出しているのは、これまた黒い巨体だった。

 継ぎ接ぎの翼は、見るも無残に破り捨てられ。黒い塞鱗は赤く焼け焦げて。爪は剥がれ落ち、城殻は樹海の中へ零れ落ちる。

 

 不気味な機械音が響いた。もはや動かぬ巨体が、それでもなお何とか動こうと。壊れた機械のように耳障りな音が、風に溶けていく。

 

『……そ……んな……』

 

 機械の鱗に包まれた、人口の肉。その内部で、肉の中に体を埋める影。人のような姿をしたそれは、息も絶え絶えな様子で虚空を見つめていた。

 

『これでも……勝てない……なん、て……』

 

 人のような姿をしていながら、人ではない。もはや原型は留めていない。腕も、足も、首でさえ。人口の肉に溶けるかのように、その境界線をなくしていた。この機竜――ゴグマゴグとのシンクロ率を、限界以上まで上げた状態だった。

 それでも、この巨体はもはや動かぬ鉄クズと化している。力なく項垂れる彼は、どうしようもなく目を閉じた。

 

『……ちく、しょう……』

 

 そんな鉄クズの前に舞い降りる、憤怒に燃えた白き龍。

 白い鱗に白い体毛。塔を包むが如く広がった翼膜も、長く伸びたその尻尾も。何もかも白い。頭部には四本の角が美しく伸び、まるで王冠のように月の光を浴びている。

 しかしそんな優美な姿も、血染めのような色を帯びていた。そこにはもはや神秘的な色も残っておらず、ただただおぞましさだけが這い出ていた。べろりと舌なめずりするその姿は、見る者を戦慄させる。

 

『……せめて、せめてあの槍があれば――――』

 

 いつかの巨大龍を仕留めた、あの爆裂槍。機竜の背中から伸びたあの鋭い切っ先を求め、彼は形を失った手を伸ばす。

 しかし、それが何かを掴むことはなかった。

 

 






 次回で物語が大きく動き始めます。


 なんか論争みたいになっちゃった。ミラボレアスってなんぞやみたいな話。こういう解釈を聞くの、めちゃくちゃ好きなんですよね。好きすぎてつい書いちゃいました。
 ガイア理論ってとても面白い考え方だと思います。恒常性というあえて生物の用語を使ったのもそれです。ホメオスタシスって、なんかの技名みたいで好き。厨二全盛期だった頃の私は、時間操作能力にクロノスタシスってつけたけど、それに似てる。あーかっこいい!!
 失礼しました。次回から説明回をやっと脱出します。波乱万丈にいきます! 
 それではではん。


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知小謀大(ちしょうぼうだい)



 力もないのに大きなことを計画すること。




 深い深い、結晶の奥地。

 透き通るような青。全てを見通すような紫。何もかもが光を映し、飲み込んでいる。

そんな結晶に満たされたその空間は、今日も生き物の胎動のような音を響かせていた。地上の研究所にすら届かないほど微かな、けれど確かな鼓動だった。

 

「……お前は、本当に目覚めるのかな」

 

 そんな結晶の、さらに奥。そこには、俺の体をも悠に超えるほど巨大な結局が一つ。

 ――いや、結晶とは安易に呼べないかもしれない。その見た目は、どう見ても球だった。

 鋭い結晶に囲まれて。伸びきった結晶は、緩やかな曲線を描いていって。そうして構成されたその結晶は、さながら炉のようでもあった。命の灯火を燃やす、温かな炉。

 

「このお寝坊さんが。……どことなく、あいつに似てる……かも」

 

 そう思うと、ふっと笑みが溢れる。

 何度呼んでもなかなか起きようとしない姿は、まるでミューのよう。なんだか、とても懐かしく思えた。

 

「……まぁ、お前はまだゆっくりしててもいいよ。もうちょっと寝てな」

 

 ゼノラージ。この中で眠っている奴の名前だ。

 結晶の地の、奥の奥。研究所のさらに地下で、こいつはずっと眠り続けている。まだまだ小さなその体は、細胞分裂の黎明期と言えよう。とても兵器運用は出来ず、研究も凍結されてしまった失敗作────それがこいつだった。

 とはいえ、フィリアのように研究所ごと燃やされたのではない。成長が遅すぎるために凍結されたのだ。そこで見限るのも、馬鹿馬鹿しい話だと思う。

 

「食いもんは、ずっと流れてくるからさ……」

 

 蜘蛛の巣の如く張り巡らせた龍脈は、今日もこの地に染み込む龍の生体エネルギーを送ってくれた。ゼノラージは、それに満たされてすくすくと育っている。

 

「飯が足りなくなることはないと思うけど、もしあれだったら……なんか、呼び寄せたりしてみてくれ。……なんて、無茶ぶりか」

 

 少し冗談っぽくそう言うと、中の命は微かに揺れた。何かを訴えているようにすら見える。俺の無茶ぶりに、困っているのかもしれない。可愛い奴だ。

 ――俺が残せるものは、なんだろう。下手したら、こいつくらいしかないかもしれない。

 

「……もし俺がダメだったら。そしたらさ、代わりに……お前が――――」

 

 まるで懇願するかのように。そっと、その炉に俺は手を触れた。

 分厚い膜のような感触の奥から、心臓のように揺れる鼓動を聞いた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 その日は、西シュレイドにとって記念すべき日となった。

 それもそうだ。人々が望んでいたものが、ついに完成したからだ。この国の救世主が、とうとう目を開けたからだ。

 

「エスカドラ……とうとう、完成させたな」

「はい、エンデさん」

 

 格納庫で眠るその機竜を前に、エンデ兵団長は嬉しそうな顔でそう言った。彼の二重顎が、慌ただしく揺れる。

 

「とうとう明日となった、か。残りの整備も頼むぞ。丁寧で確実な整備をな」

「本当に微調整ですが、手は抜きません。ところでエンデさん、どうしてこちらに?」

「愚問だよ君。これはこの国の最後の希望なのだから。我々シュレイドの集大成なのだから」

「……集大成……」

「そうだ。明日は、出撃セレモニーだ。となると、国の代表が出席しない訳にはいかないだろう? この国の希望を、見送らない訳にはいかないだろう?」

 

 もっともらしい言葉だった。

 確かに、今本土の戦況は非常に芳しくない。南東の海は急激に水温が上昇し、生態系に異常が発生していることが確認された。それに伴ってか飛竜や海竜の活動も活発になり、敵対国だけの対応では終われない状況と化している。

 どころか、ゲイボルギアも非常に活発だ。ここ最近の竜操騎兵は熟練度が増しており、過去のようにはいかないほどの戦力となっている。第二世代の竜機兵も、部隊相手には撃墜されることもあった。

 

 ――――いよいよ、エスカドラが必要だ。

 

 そう、エンデが口にしたことが印象深い。それほどまでに戦況は悪化し、竜機兵はその数を減らしているのだ。

 そして何より、ゴグマゴグとの通信が途絶えたことが大きかった。

 ゴグマゴグの適応者、ラムダは行方不明。

 ゲイボルギアの奥地――あの海を隔てた樹海の果てに、彼は突然行方不明になってしまった。死んでしまったのか、生きてはいるのか。それすら分からない。

 

「エスカドラで、世界は変わるのでしょうか……」

「変わるさ。あれは到達点だ。新世代の幕開けとなるだろう」

「……それは、新たな竜機兵の、ということですか?」

「その通りだよ。さぁ、時代を繋いでいこうじゃないか」

 

 そんな俺の問いに、エンデは意味深に微笑みながら、するりと踵を返した。そうして、研究所の奥へと身を溶かしていく。

 

「……ラムダ。お前は、どうなっちまったんだ……」

 

 竜人は、依然として立場が変わらない。

 南東の小島に寄せられた反逆竜人は、処刑によって少しずつその数を減らしている。奮闘するラムダは消息が途絶え、しかしその捜索は行われず世間はエスカドラしか見ていない。

 相変わらずだった。この国は、本当に相変わらずだ。馬鹿は死んでも治らない。その言葉を体現しているかのようだ。

 

「……死ななきゃ、だったかな」

 

 だから。

 だから俺は。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「おや、ローグ君。君も星を見に?」

 

 足を踏み入れたその先は、満点の星空で満たされていた。

 日の落ちて、月明かりを浴びているこの研究所。大地の静かな胎動を聞いては、白い壁を薄く震わせている。

 そんな、研究所の屋上に。俺より先に訪れていた、人影。

 

「……リア」

「嫌だなぁ。僕のことは、『アルファ』って呼んでって言ったのに」

 

 その人影――リアは、わざとらしく眉毛をへの字に曲げた。

 

「アルファ計画は、明日をもって完全に発動する。そう決定されて、今日付が変わった。……だから、僕のことは計画名で呼んでほしいな。ラムダや、ミューみたいに」

「……お前は二人の本名を知ってるのか?」

「知らないよ。興味もないし」

 

 心底どうでもいいと言いたげに、彼は俺から目線を外す。そうして、藍色の空に輝く金の光をうっとりと眺め始めた。

 

「綺麗な月だよね。僕の門出を祝っているみたいだ」

「はぁ……?」

「君も機竜ばっか見てないで、たまには空をじっくり眺めてみたら? 少しはその凝り固まった思考が柔らかくなるかもよ」

「……余計なお世話だ」

 

 少し風の強い夜だった。月を囲う雲は慌ただしく流れ、その金の光を薄く遮ろうとしている。俺の着る白衣も、ばさばさと大騒ぎしていた。

 

「ところで、今夜はあれこれしなくていいのかい?」

「……何?」

 

 唐突に、リアがそう切り出して。まるで核心に迫るかのようなその問いに、俺は少し息を飲む。

 

「毎晩、エスカドラを熱心に整備してるよね。それも一人で、人目を忍ぶみたいに。あれはもういいのかい?」

「……お前」

「僕が何も気付いていないとでも思った? 残念、見てるんだなぁこれが」

 

 そう言って、リアはもう一度俺の方を見た。蛙を睨む蛇を思わせる、勝ち誇ったような笑みだった。

 

「何かいらない手を加えてるって、何となく察してたんだけど……その顔は図星っぽいね。はぁー、やめてくれないかなぁそういうの」

「…………」

「僕が口添えして、出撃日を遅らせてやってもいいからさ。変なことしたとこ、直しておいてくれない? 今ならお咎めなしで許してやってもいいし」

 

 ばれていた。あれだけ自分のことを高く見ていた彼だが、どうたらそれは誇張ではないようだ。まさか、俺の動向にも気付いていたなんて。

 俺が竜機兵に手を加えていて、それを疑うとはなかなかどうして物事をよく見ているらしい。素人目で見たら俺がいらない手を加えているなんて、判断出来るとは思えないのだが。むしろ、この場合はカマを掛けられた、と判断するべきか。

 ――まぁ、今更お咎めがどうかなんて関係ない話だけど。だから、あえて無言を返した。

 

「……? あれ、どうしたの?」

 

 何も答えない俺に、リアは少しばかり眉を歪ませる。

 

「何とか言えって。おーい……おい?」

 

 一歩、また一歩とリアに向けて脚を差し出して。それを重ねる度に、彼の表情はより一層歪んでいって。

 

「ローグ君? 君、一体どうし――――」

 

 白衣の内側で腰に携えていたものを、俺はそっと抜いた。それをそのまま、リアに向けて突き出した。

 

 

 

 月明かりの石舞台に咲き誇る、真っ赤な花。

 

「――――え?」

 

 ぼたぼたと、その花は花弁を広げていく。水滴が垂れるように、新たな花びらを増やしていく。

 石の床に、花畑の如き赤い色が添えられた。らしくもない間の抜けた声を漏らすリアの、その下腹部から。ぼたぼたと、赤い種が落ちていく。

 

「……ローグ、君……?」

「気付いたのなら、しょうがない。お前に恨みはないが……ってそんなこともないけど」

「……君……まさか……」

 

 彼が言い切る前に、俺は右手を引き戻した。それにともなって、鮮やかな刃が線を描く。赤い血潮の流線を。

 

「悪いな。俺の凝り固まった思考は、とうにほぐれてたんだわ」

 

 そう言いながら、俺はサングラスを投げ捨てた。

 裸眼でも驚くほど鮮明に見える目を、外へと曝け出した。薄暗さから反転、今度は仄かに赤いその視界を、彼の前に曝け出したのだ。

 

「……そ、その目……!? 君は……一体何を……!?」

「毎度毎度の『どうでもいい』、じゃないのか?」

「……ぐっ、くそ……くそッ!」

 

 挑発するようにそう返すと、彼は歯を剥き出しにして唸り始める。

 憎々し気という言葉と、痛みに耐えるという言葉を上手く混ぜ合わしたかのような、そんな表情だ。歯が擦れ合う音を立てながら、腹から大量の血を溢れ出させながら、彼は恐ろしく歪んだ顔で俺を見る。

 

「謀反……!? 謀反か!? まさか、ここまでするのかお前……!? この国の英雄となるはずの僕を、さ、さささっ、刺した……!? なんだ!? なんだその剣は!!」

「あぁ、これか? お前が散々失敗作って吐き捨てた子の片割れだよ」

 

 湾曲した刀身は、青くもあって緑でもあった。しかし刃の中心には、流し目のような赤い模様が輝いていて。リアの真っ赤な血で薄汚れたこの剣は、かつてミューがオーグを討ったあの剣――滅龍剣【天絶一門】だった。

 

「謀反っちゃあ、謀反だな。俺はもう嫌気が差した。竜も、竜人も。命をまるで道具のように使い捨てるこの国に、嫌気が差したんだ。俺自身もそうだから、嫌になった。それをミューに押し付けていた自分に、腹が立って仕方ない」

「何を――――」

「許せないのは、黒龍もだ。どいつもこいつも、ミューを犠牲にしてのうのうと息を吸ってやがる。あの子は全てを(なげう)ったのに誰も彼もそれを当たり前としてやがる」

 

 大きな溜息をついて。胸に巣食う不満を吐き出そうと、一思いに大きな息を吐き出して。

 

「……だったら、こんな世界滅べばいい。あんなに大きな傷を負ったのに、まるで変わらず愚行を繰り返す。何も学ばなくて、何が到達点だ。だったら俺はこの世界をぶち壊してやる。こんな文明、無くなった方がいい」

「……君は……君は馬鹿か!? 馬鹿なのか!? 竜を、竜をまるで道具のようにだと!? それで、それでいいじゃないか! あんな心も何もない化け物を、命と扱う!? 下らない! 下らないよそんなこと!」

 

 そう言うが早いか、リアは俺に向けて拳を振り上げた。腹に穴が空いているというのに、それも気に留めず風を鳴らす。

 今度は、左の剣を抜いた。その刀身で、彼の拳を防ぐ。骨と金属が反響して、けたたましい音が夜空に響いた。

 

「道徳心とか倫理観とか、そんな下らないものは捨てた方がいい……! 竜は道具! それでいいだろう!? そんな、そんな下らない理由で君は叛逆するのか!? おかしいだろう!?」

「俺からしたら至極真っ当な理由だよ」

 

 左の剣を打ち上げて、彼の拳を振り払う。そうして足を刻もうと、今度は右の剣を薙いだ。遠心力を上乗せするために、独楽のように体を回す。靴が擦れ、耳障りな音が木霊した。

 

「ちぃっ!」

 

 それを、リアは跳んで躱す。あの傷を持ちながらも、彼は跳んだのだ。ごぼっと、再び血潮が宙を舞う。

 宙を斬った剣を引き戻し、俺も負けじと跳んだ。跳びながら、その軌道に両の剣を置く。宙を跳ねるリアの真横を抜けるように。視界が縦横無尽に跳ね回った。

 

「ぐあっ、ぐああぁぁッ!」

 

 右のつま先を押し付けて。左の踵を擦り寄せて。そうして膝を曲げて、全身の衝撃を逃がしながら着地する。

 跳ね回った視界がようやく固定されたところで、俺は両腕を振り払った。刀身に乗った血糊は風に乗り、そのまま石床に赤い花を咲かす。

 背後に響く、鈍い音。リアの、悲痛な叫び声。

 

「くそ……くそっ、くそッ! なんで! なんでそんなに動ける!? どうして、竜人の僕を捕捉できる!? 人間の癖に……人間の癖に! 人間じゃあ、僕らの身体能力に届くはずなんてないのに!」

「けっ……その怪我でよく喋りやがる」

「はぁ、はぁ……ローグ……君は、一体何を、何をしたんだ!? その目は、その目は一体……!?」

「したさ、何もかも。俺がしたいことのために、やるべきことをさせてもらった」

「くそっ、ふざけるな! 質問に答えろ!」

 

 未だにうるさく吠え続けるリア。そんな彼の胸に、俺は剣を突き付けた。

 

「……っぁ、ぃや……嫌だ、僕はっ、こんな、こんなところで死ぬ器じゃないんだ! こんな、こんな人間に……っ!」

「……残念だったな」

「僕は、僕は竜機兵に……最高の、一個体の生命に! 強靭無比で知性を持った、究極の存在に……!」

「なぁーに言ってんだお前。究極の存在? はっ、笑わせんな。あんなの、故障だよ。歴史という大きなからくりの中の、故障部分さ。あんなのがあるから、この世界は破綻するんだ」

「違う……違うッ! あれが、新世代の先駆けなんだ! これから人類は、龍と同等のものになる……優れた個体が、その知性を龍へと落とす……完全無欠の生命体に、量ではなく質の繁栄に……それが、我々の未来の形なんだ……! 僕は、その第一ご――――」

 

 白が、赤に染まる。毒々しいまでに鮮烈なその赤色が、俺の白衣にこびりついた。

 剣先を呑み込んだ体が、諤々と震えている。好き放題、訳の分からないことを語っていたその口からは、泡が溢れ出した。この国の希望とまで謳われたこの竜人は、今俺の目の前で境界を越えようとしている。

 

「……ぁ、ぁは……緋、色の満月が……二……つ……」

 

 ぱたん、と。

 伸ばしかけた腕が落ちた。

 四本指のそれが、石床の上で跳ねる。

 

「……悪いな。俺は前からお前のことが嫌いだったけど――」

 

 肉と刃の隙間から、我先にと溢れ出す血潮。

 その噎せ返るような血の臭いに、思わず胃の中のものを吐き出しそうになった。

 

「――傷つけるって、こんなに気分の悪いものだったっけ」

 

 今なら、お前の気持ちも分かるような気もするよ。

 掌に収まった彼女の双剣に、心の中でそう語りかける。

 

 刀身に移った俺の瞳は、この血糊にも負けないほどに鮮やかで、『緋色』だった。

 目が、緋色(あか)い色。

 






 第一話ぶりの滅龍剣ちゃん。


 ローグさん叛逆の巻。リベリオンローグ。ガン=カタ使えそう。持ってるの双剣だけど。
 彼のやったよく分からんことは、次かその次くらいで回収されると思いまする。あと単純だけどリアとその計画名がアルファで、アルファリアっていうオチ。はい何でもありません。
 それではん。


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忘恩不義(ぼうおんふぎ)



 受けた恩を忘れ、義理に背くこと。




 この世界は、なんて理不尽なんだろうって。僕は幼いながらに感じた。

 

 第一世代の竜人として、僕は試験管から生み出された。物心がついた時には、ずっと光の入ってこない部屋にいたんだ。後から知ったけど、そこは竜人を造るための研究所で、実験室だった。

 試験管にフラスコ。材料となる竜と、人間の遺伝子。僕は母親の顔と父親の顔を知らない。母体となった人間はいたそうだけど、研究者が言うには名前もない奴隷だったそうだ。

 

 来る日も実験。来る日も実験。初の検体の一人となった僕は、体中をくまなく調べられた。本当に、死ぬんじゃないかって。そう感じるくらい酷い実験ばかりだった。何人か、動かなくなった兄弟もいた。

 

「お前は一際丈夫だね。知性の方も問題ない。成功体だな」

 

 一体どれだけの月日が流れたかは知らないけど、突然僕はそう告げられて。そこからは、唐突に実験から解放されたんだ。充分データが取れた、とか。もう実験は不要だ、とか。

 後から分かったことだけど、それは竜人の身体能力が如何なものかを調べるテストだったらしい。そして、僕ら第一世代の多くを犠牲にしたその結果をベースに、続々と新たな竜人が造られるようになった。僕らとは違って、生殖機能も持たされながら。

 

 でも、そこからは変わった。名誉ある存在ということで、僕は王家に引き取られたんだ。貴重な竜人の祖となったことで、丁重に扱われるようになった。勉学、武術、兵法、経済――僕はその才能を、如何なく発揮するようになる。

 

「僕は、こんなにも色々できます。名誉竜人とか、そういうのはいい。僕にも、国を担う仕事をさせてほしいです!」

 

 そう王に頼み込むほど、僕は自分の能力に自信を持っていた。今国を動かしている人間たちより、もっと上手くできると確信していた。

 ――――けれど。

 

「この国は、人間が動かすんだよ。君は名誉ある竜人として、苦労することなく生きることが許されているんだ。だから、そんな仕事をしなくてもいいんだよ」

 

 深い皺と白い髭に満たされた王は、まだ子どもの姿をしていた僕に、そう告げる。優しい口調ながらも、それははっきり僕の思いを拒絶していた。竜人には、国の役職を与えないという事実を叩き付けられた。

 

 

 

 子どもの頃に感じていた理不尽が、僕の中で再び湧き上がる。

 

 何故、何故僕は駄目なのか?

 竜人だから、駄目なのか?

 じゃあ、何故僕は竜人なんだ?

 人間が造ったのに。より高い能力を持った人種を造ろうと、人間が自らの手で生み出したのに。

 

 僕には、人間が頭の悪い生き物に見えた。見た目は似ていても、知性も思考も、僕より遥かに劣っているように見えたんだ。

 けれど、より優れているはずの僕が、彼らの上に立つことは許されない。何故なら、僕は竜人だから。

 

 

 

 それから何十年か経って、竜機兵というものが生み出された。ただの安上がりな労働力として譲渡されていた竜人の、新たな使い道だ。

 竜人の兵器運用。これもまた、僕は対象から除外されてしまう。名誉竜人は、そのデータを残すための枠。僕のような才気のあるものしか認められず、逆に兵器として国を担うことを認められない。そのために、僕は竜機兵の候補にもなれなかった。

 国の抱える最新の兵器。国の命運を握るそれに選ばれたのは、名も知らぬただの竜人だ。能力を見れば、僕が真っ先に選ばれるはずなのに。

 

 ――そのためだろうか。黒龍が城を落とした時、僕はむしろ好機だと感じたんだ。

 国が窮地に陥って、もう名誉竜人だとかデータの保存だとか、そんなこと言ってられなくなったのだから。僕が出ることも、僕の才能を世間に知らしめることだって、可能になるかもしれないのだから。

 

 そうだ。

 僕はこんなところでくすぶっているような男じゃない。

 生殖をして子孫を繋ぐような、僕に続いた世代の竜人とも違う。

 僕は僕。唯一無二の存在なんだ。

 僕という存在は、竜機兵として――龍に知性を宿す者として、これからずっとこの国にあるべきものなんだ。

 

 だから、誰か。誰か、僕の存在を認めてくれ。認めて、くれよ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……まだ意識あるんだ。なんかブツブツ言ってやがる」

 

 ずるずると引きずっているそいつは、悪夢に(うな)されているかのように口を動かしていた。

 言葉にならないその声は、何を言っているのか全く分からない。

 

「俺への恨み言、かもなぁ……」

 

 研究所の、奥の奥。格納庫へと続くその廊下を、俺はリアを引きずりながら歩き続けていた。

 歩けば歩くほど、リアは呻き声を上げ、廊下に赤い筋を刻んでいく。胸に滅龍剣が刺さっているというのに、彼は未だに息をしていた。無論、虫の息のようだが。それでも、竜人の頑丈さには恐れ入る。

 

「折角だからよ。一緒に乗ろうぜ、エスカドラ。せめて、せめてな……」

 

 ずるずると。俺の声と引き摺る音が、混ざり合って反響した。

 

「実はこれも、お前の言ういらない手を加えたの一つなんだよ。滅龍剣の龍属性エネルギーを、エスカドラのキーにする。この剣がなきゃ、エスカドラは飛び立てないのさ」

 

 別に、彼に聞こえているとは思っていない。それは独り言だった。罪悪感を逸らすための、独り言。

 俺とてこれが正しいとは思わない。叛逆、どころじゃないだろう。西シュレイドからすれば、最後の一手を横取りされるようなものなのだから。

 つまりは、エスカドラの奪取。

 そしてその改造。

 最後の竜機兵を、その製造者自身が奪うことで、この竜機兵の技術を失わせる。

 ――最後に、憎き黒龍をこの手で殺してやる。

 

 だから、こんなとこで迷ってられない。

 やると決めたのだから。俺はやるだけやるんだって。ミューを苦しめたものを全て消し去って、それから彼女に会いにいくんだって。

 

 

 

 

「……ローグ君」

「…………エンデ、さん……」

 

 廊下を抜けた先。格納庫へと出た俺を、驚いたようなエンデの声が迎え入れた。

 視界の先に。金網で組まれたこの足場に立つ、エンデの姿。

 

「……どうして、ここに。てっきりもう就寝されたものかと……」

「なに、飛び立つ前に、その雄姿を見ておこうと思ってな。……ところで、それは」

「…………」

「ふむ……そうなったか」

 

 俺の姿を見られたなら、このリアの姿だって彼の目には映るだろう。もう、言い訳のしようもない状態だった。

 だったら、今ここで彼を止めるしかない。ここで彼が俺を止めようと兵を呼んだら、全てが水の泡になる。

 だから。

 

「――――ッ……」

 

 右手に、熱いものが伝わってきた。どろりと、剣を伝ってそれが降り掛かる。

 一瞬で距離を詰めたために、手を離すのも忘れていたリアは、金網に擦られ悲鳴を上げていた。一方で、俺が刺した目の前の彼はというと。

 

「ぐっ……くはっ、ははは……君の、様子が……変だとは、彼から報告を、受けて、いたよ……しかし、こうなるとはな……ふふ、面白いものだ」

「……何が、おかしいんですか」

「ふふ、おかしいさ……。君が、ここまでする、なんて……少しは、予想はしていたがな……けれど、ふふ、ふははは……」

 

 笑っている。目の前のこの男は、エンデは。刺されたというのに、その刺した張本人に向けて笑っている。

 

「気付いて、ないのか、ね……」

「何、が……」

「君……泣いて、いるじゃないか……」

 

 ぽたぽたと、何かが零れ落ちる。それはエンデの腹から溢れ出るものよりは幾分か小振りで、随分と透き通ったものだった。それが、俺の瞳から落ちていく。

 

「……え」

「ふふ、慣れないことを、するもんじゃない、さ……」

 

 泣いている。

 誰が。

 俺だ。

 

 泣いている。

 なんで。

 なんで――――。

 

「……すみません。俺、本当は貴方を刺したくなんてなかった。ほんとは、貴方に知られずにやりたかった」

「ふっ……君は甘い。本当に、甘い。そんなんじゃ、ダメだろう。もっと、芯を強く持たねば、ダメだろう……?」

 

 ミューを見捨てた人なのに。竜人に冷たく当たっていた人なのに。あんなに、考えが合わなくなったのに。

 それでも、俺はこの人に信頼を寄せてしまっていたみたいだ。どうしても、嫌いにはなり切れなかった。手が、震えてしまう。剣を持つ手が、諤々と震える。

 

「……君に、無理させているのは、分かっていた……。これは、それが返ってきたようだな……」

「そんな……そんな、つもりじゃ……」

「ぐふっ、いや、良い……。苦労を、かけたな……」

 

 その微笑みは、今までみた彼の笑顔の中でも特に優しくて。俺の瞳からは、どうしようもなく涙が溢れ返ってきた。

 

 父親の友人として、昔から親交のあったエンデ。

 俺の上京を支えてくれて、仕事を与えてくれた。

 シュレイドでミューと出会った時には、彼女を匿う手助けをしてくれた。

 俺を竜機兵計画に抜擢して、ずっと後押ししてくれていた。

 俺には、父親の記憶なんてほとんど残っていない。だからこそ、もしかしたら彼は、俺にとっての父親の代わりとも言える存在だったのかもしれない。

 

「君は、どうする……つもり、かね? リアも、こうなった以上……」

「……エスカドラは、俺が動かします。そう改造しました」

「……それは、機竜の方を、か……? それとも、君自身をも、か……?」

「……両方、です」

「だから、その目……なの、だな」

 

 俺の目元を、彼の手が撫でる。納得がいったかのように、彼は笑った。

 

 リアの言う、俺が夜な夜な施したこと。

 それは単純だ。俺が搭乗できるようにエスカドラをカスタマイズすること。ただそれだけだった。

 言葉で言うのは簡単だが、実際はそう単純なものではない。竜機兵は、元々が竜人の能力に合わして造られているのだから。故に俺は、その設定を少しずつ、矛盾が出ないように変更した。他の研究者に気付かれないように、丁寧にカバーをしながら。

 しかし、人間の能力では対応し切れないために、俺自身も変わらなければならなかった。だから俺は、自らに龍の血を混ぜたのだ。この瞳は、その副作用だった。

 

 視力も上がり、身体能力も上がる。体の節々の痛みは、龍の血による活性化へと変貌していた。俺がリアに勝てた理由も、これだ。

 とはいえ、元々がひ弱な人間である。この活性化も一時的なものだろう。近い内に、必ずガタがくる。だから、その前に俺はやるべきことを果たさなければならない。

 

「……俺は、行きます。この機竜を奪って、竜機兵の技術をなかったことにします。……それと、せめて。せめて、宿敵を……あの黒龍を討ち果たします」

「……それが、君の答え、か。ふふ……それも、いい」

 

 決意を固めてそう言うと、エンデは静かにそう笑った。彼の腹から剣を引き抜いても、彼はその笑顔を崩さなかった。血飛沫を上げて、金網へと倒れ込んでも、口角をずっと上げ続けている。

 やっぱり、分からない。俺はこの人が何を考えているのか、やっぱり分からない。

 

「……一つ、聞いてもいいですか」

「ほう……なん、だね……?」

「何故貴方は、シュレイドをこうしたのですか?」

 

 何故、シュレイド王国をこのような形に導いたのか。

 何故、ゲイボルギアとの関係をこうも悪化させたのか。

 何故、竜機兵というものに手を出したのか。

 何故、黒龍に襲われなくてはいけなくなったのか――――。

 

「何を。そんなの、生きるため……だろう」

「……生きる、ため?」

 

 返ってきたのは、とてもシンプルな一言だった。

 

「生きるためには、誰かの命を……貰わ、なくてはならない……もしくは、奪ったりな」

「…………」

「国という、巨大な生き物を生かすためには……それ相応の餌が、求められるのだよ。私は至って、自然に従順だった、さ……」

 

 絶え絶えな息で、彼はそう語る。悔いはないとでも言いたげな、清々しい表情だった。

 

「そろそろ、この国の命も果てようとしている……のかもしれないな。だが、それは同時に、新たな国を生む瞬間になる。そうやって、国は国を繋いできた……生き物の如く」

「…………」

「それとも……どう、だろうな。この国は、既に死んでいたの……かもしれん。ぐっ……城が落とされた、あの時に……。さしずめ我々は、亡霊……か」

「亡霊……」

「闘争のみが……残った亡霊さ。もう、もういいだろう……。さぁ、行くとよい、ローグ君。最後の竜機兵が、飛び立つ瞬間を……私に見せて、おくれ……」

 

 待ち切れない。そう言わんばかりに、彼は口角をさらに歪ませる。

 あぁ、そうだった。彼もまた、竜機兵に囚われた人の一人だったんだ。竜機兵という存在に心を奪われたんだった。

 せめて。せめてそれが、手向けとなるだろうか。

 

「……有り難うございました」

 

 仰向けで、苦しそうに胸を膨らませる彼。その体を、布団を掛けるかのように白衣で覆い、俺は小さくお辞儀をする。

 そうして、踵を返す。格納庫で眠るエスカドラに向けて、一歩ずつ歩み寄った。

 

 滅龍剣が光る。右手のそれが緋色の光を灯し始め、それに伴いエスカドラの逆鱗の隙間が妖しく光り始めた。その光が太い線へと伸びていくと、いよいよその胸の甲殻が唸り始める。

 ガシャンと、口を開けるその胸。露わになる、エスカドラの内部。

 

 試運転どころか、神経の接続すら今回が初めてだ。まともに動く保証なんてどこにもない。それでも、やらなければ。俺は、やらなければならない。

 

「行ってきます、エンデさん」

 

 そう言って、その内部の肉に滅龍剣を刺した。迸る赤い光。龍属性エネルギーが、神経を駆け巡る。

 

 唸る細胞。

 響く龍鱗。

 巨体が震えだし、眠るように閉じていた瞳は、ゆっくりと開いていく。

 

 内部からは、肉の腕が伸びてきた。それが俺の体に穴を空ける。皮を剥ぎ、肉を裂いて。血管と神経を無理矢理接続させる。想像を絶するような痛みだった。

 

「ぐっ……!」

 

 ミューは、いつもこんな感覚だったのだろうか。俺の指示で仕方なく、彼女はずっとこうしていたのだろうか。

 

 ――すまなかった。本当に、苦労ばかりかけちまった。

 

 今度は、俺の番だ。全ては俺の不始末だ。だから、俺が蹴りを付けなければ。

 

 機械音が格納庫の中で響き渡る。エスカドラが動き出すにつれて、それを繋いでいたワイヤーが音を立てて千切れていく。しかし、どうも出力が不完全だった。

 

「……あぁ、片割れを取り入れるのを忘れてた」

 

 金網の上で転がるリアと、その胸に刺さっている滅龍剣。エスカドラのキーのもう片方を取り入れなければ。

 

「……悪いな、リア。俺のことは、恨んでくれていいから」

 

 右手を伸ばした。大きく開いた掌を、リアに向けて伸ばす。同時に、俺の真上から唸るような声が響く。

 それを、そのまま振り下ろした。振った右手の掌を、渾身の力で握り締める。

 同時に、唸り声が弾けた。俺の真上の、唸り声を漏らしていたもの――エスカドラの頭部。それが、リアに向けてその牙を振るった。滅龍剣を、彼の全身ごと、一口で取り入れたのだった。

 

 機竜の喉を、大きなものが通る。滅龍剣はそのまま体内に流れ落ち、機竜の内部に吸収される。

 溢れ出した龍属性エネルギー。細胞の隙間が妖しく光り、龍鱗はさざ波のように脈動した。頭部の角は大気を震わし、翼は風を飲む。

 

 出力万全。

 

 状態良好。

 

 エスカドラ、出撃準備完了だ。

 

「さぁ……やる、か」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 その夜、結晶の地の火山は突如噴火した。

 あまりにも突然で、あまりのも予兆がなかった。

 それはまるで、何かの力に呼応して突然暴発したようだったと。おそらく、その姿を見た者はそう感じただろう。

 

 唐突にして恐ろしく規模の大きなその噴火は、結晶の地の火山地帯を一夜にして数倍の範囲へと増大させた。流れ出るマグマが、切り立った山の麓まで溢れ出したのだった。

 

 ――シュレイド王国がかつて用意した研究所をも呑み込む、大規模な溶岩の津波。

 人間を一人も逃がすことなく、研究所は一瞬にして溶岩の底へと沈んでいった。

 

 その日の夜空は、清々しいまでに澄んでいたという。空一面に広がる藍色と、大地を覆う緋色。それらに満たされた世界の中で、甲高く吠える影が一つ。

 

 龍の姿をしたその影は、慟哭のような咆哮を、この反転する世界に轟かせていた。

 エスカドラが、絶望を差したような声で鳴いていた。

 

 

 

 後の世で、その爪は「龍を守り、人の世界を破壊するための武器」と噂されるだろう。

 

 後の世で、その角は「人の世を終わらせ、龍の時代をもたらす武器」と噂されるだろう。

 

 後の世で、その翼は「終末の時に人としての生を捨て、龍として生きなければならない標」と噂されるだろう。

 

 後の世で、誰かが彼をこう呼んだ。

 

 黒い太陽。またの名を、「煌黒龍(アルバトリオン)」。

 

 






 藍緋反転えすかどらー。


 はーい、もうクライマックスです。もうラスボス戦です。
 反逆するローグさんは悪なんでしょうかね。国を守ろうとしたエンデさんは、正義だったんでしょうかね。なんて考え始めると、5話目くらいの内容を思い出す今日この頃です。
 アルバ及びその武器の説明欄はなんかこう、竜大戦のこと示唆してる感じがして好きでございます。最後のものはその引用です。上から順に、ハンマー、スラッシュアックス、大剣から持ってきました。
 それではではではではん。


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臨終正念(りんじゅうしょうねん)



 死に挑んでも、冷静でいること。




 その日は、エスカドラが出撃する日。

 結晶の地の研究所では、西シュレイドの兵団長が直々に開催するセレモニーが行われることになっていた。

 西シュレイドにとっては、反撃の切り札そのものである。ゲイボルギアと東シュレイドの連合軍に攻め入られ、苦境に立たされていた彼らを救う、唯一の手立て。西シュレイドの国民が、心待ちにしていた日だった。

 そんな西シュレイドを、早朝から猛烈な寒波が襲った。

 

「あぁ、今日は何だか凄く冷えるわねぇ……」

「不思議よねぇ、まだ温暖期なんだけどねぇ。それに地震! そっちは大丈夫だった?」

「今日も揺れたわねぇ。嫌になっちゃうわ」

「日に日に、揺れが強くなってる気がするの……。あーやだやだ」

 

 早朝から、子連れの母親は井戸端会議を始める。

 いつもと変わらない日常。そう信じてやまない西シュレイドの住民たちは、いつも通りの生活を営もうとしていた。

 

「今日、なんでしたっけ。セレモニー?」

「そうそう、この国の命運を握るものらしいわね」

「それのおかげで、もう他国に怯えなくてもよくなるかしら?」

「あの城を落とした龍も、討伐できるように造られたらしいわ」

「有り難いわねぇ。あんなけだもの、早く死んでしまえばいいのに」

「野蛮な竜人も、まとめて消してほしいわねぇ」

 

 早口でまくしたてる母親たちは、何気ない世間話に花を咲かし。かと思えば、ふと頭上から降ってくるものに気が付いた。

 

「……あら? 雪?」

「やだわ、なんでこの時期に雪なんて……気味が悪いわ」

 

 西シュレイドを覆う雲。そこから降り注がれる細やかな雪。温暖期だというのに、粗い雪が大量に街に積もり始める。

 

「嫌ねぇ、何だか不気味だわ」

「観測隊の人たちは何してるのよ! ちょっと文句言ってやろうかしら」

「水分補給とか言って、サボってるんじゃないかしら。全く、ちゃんと働いてよねぇ」

 

 口々に文句を言って、皺に深みを増した母親たち。その頭上を迸る、閃光。

 

「ちょっ、何よ!?」

「嘘、雷!?」

「あらやだ、ほんと……!」

 

 雪を吐き出すその雲は、随分とどす黒く染まっていた。それがところどころから光を漏らし、重々しい音を打ち鳴らす。重厚な太鼓の音色の如きそれは、家屋のガラスを激しく震わせた。

 

「雪に雷って、なんなのよ!」

「ちょっとこれどうなってるのよ! 観測隊は何してるの!?」

「ねぇ、なんかやばくない……? 家に帰った方がいいかしら……?」

 

 そう不安げに眉を曲げる母親の裾を引っ張る、幼い子ども。

 突然我が子に呼ばれ、母はしゃがんでは幼気な声を待つ――。

 

「……お母さん、あれなぁに?」

 

 その小さな指の先には、街へと舞い下りる黒い影があった。

 

 大小様々な角を、無理矢理結合させた歪な頭部。

 空を覆うかのように大きく、見るも邪悪な翼。

 処刑台のように重々しい、鋭く光る爪の山。

 妖しく揺れる、大蛇のような尻尾。

 あまりにも不自然な、逆鱗で満たされたその姿。

 

 龍だ。どう見ても、龍である。機竜のはずが、救国の存在であるはずの竜機兵は、まさに龍そのものだった。名前の通り、龍に等しきもの(イコール・ドラゴン・ウェポン)であった。

 

 その龍が、吠える。陽炎のように揺れるその龍が、吠える。

 それが点火させたかのように、突如街が燃え上がった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 竜機兵を動かすことは、思ったより難しかった。

 何せ、自分の体にはない器官がいくつもあるからだ。翼に尾、そして前脚の使い方。どうにもこうにも、これが上手くいかない。体勢も四つん這いで、さらには首も長いのだ。本当に、自分の体のようにはいかなかった。神経を繋いでいても、この様だ。何とか飛び立てたのが、自分でも驚いたくらいなのだから。

 

『ぐっ……でも、これ以上は……』

 

 俺の声が、肉の中で反響する。血肉が弾け、体勢が歪んだ。

 シュレイド城まで届くことは叶わず、仕方なく大地へと地を付ける。間の悪いことに、それは西シュレイドの都市だった。

 

 仕方ない。ここからは歩いていこう。あの黒龍に挑むためにも、体力は温存しておかなければ。

 

 そう考えて、一歩一歩踏み締める。レンガで舗装された道を、太い爪で掻き(なら)していく。

 歩けば歩くほど、足跡が出来る。その足跡は、焦げるような臭いと共に白い煙を噴き上げていた。

 どころか、空は暗雲が立ち込めて、白い雪が降り注ぐ。だというのに、雷鳴が轟き、鋭い閃光が街を走り抜けた。

 極めつけは、自然発火だ。木造の家屋が、俺が近付くと燃え上がる。火の手が徐々に、この街に広がっていった。

 

『……これは……』

 

 まさか、俺の周囲で異常現象が起きている?

 あまりの熱量に自然発火が起こり、雪が降り注いで、雷が起こるだと?

 

 そんな馬鹿な。まさに、天変地異じゃないか。

 龍は確かに、まさに自然現象の具現だ。暴風雨だったり、陽炎だったり。雷だったり、吹雪だったり。その性質は個々によって異なるが、どれも自然現象を押し留めたような特性を有していた。

 それらを混ぜ合わせたことによって生まれたエスカドラは、その特性も同時に引き継いでいるのだろうか。どころかそれを押し留めることもできず、こうして溢れ出させているのだろうか。

 

『……ははは、まさか、ここまでになるとはなぁ……』

 

 完全に、自然法則から逸脱している。こんな、まさかこんなことになるなんて。自分の体から溢れ出るエネルギーを、コントロールすることすらできないなんて。

 

 ――やはり。やはり、こんな技術は無くしてしまった方がいい。

 

『……早く行こう。城はこの先だ』

 

 吹雪に霞むようにして、しかしその存在を懸命に主張するかのように。白く染まる空の向こうには、灰色の影が顔を出した。その輪郭は、かつて黒龍に呑み込まれたあの城を想起させる。いや、むしろその城そのものだ。形こそ大きく変形していても、たくさんの思い出が詰まった地がそこにある。

 いよいよだ。とうとう、ここまできた。まさか自分自身が竜機兵に乗り込むことになるとは思わなかったが――かつてミューと一緒に受けた強化訓練が、こんなところで生きてくるとは。

 

『むしろ、このためにやってたとでも言うべきか?』

 

 そんな自嘲を込めた笑いを置いてから、深呼吸。肉とチューブに満たされた空間で、大きく息を吸う。

 咆哮。吸い込んだ息を勢いよく吐き出すと、それに呼応するかのようにエスカドラは吠えた。キンと、金属が張り裂けるような音が響く。西シュレイドの街を、強烈な音波が荒く撫でた。

 

 周囲から、ガラスの割れる音がする。倒壊の音色が響き渡る。

 咆哮と同時に暴風が発生して、燃え盛る火炎を先に先にと吹き飛ばして。巻き上げられた火の粉は炎の雨となって街に降り掛かって。

 

「……なっ、これは一体……!?」

 

 ふと、聞き覚えのある声が響いた。司令部のテラスに慌てて滑り込んだ、威厳ある髭を肥やした男。確か、ラムダと共にフィリア防衛線に出撃した幹部だったような気がする。

 

「エスカドラ……!? エスカドラかッ!?」

「何故だ、何故このような……まさか、暴走か!?」

「リア……いや、アルファ!! 何をしている!! 一体、何を――――」

 

 次々と幹部が顔を出し、口々に動揺を漏らしていた。

 過去形だ。一瞬で、彼らの口は塞がってしまったのだから。

 俺が何かしたとか、そういう話ではない。むしろ、何もしなかった。何もしなくても、彼らは一瞬のうちに全身を凍てつかせてしまったのだ。司令部が、瞬く間に氷像と化す。

 

『……嘘だろ』

 

 天を統べるが如きこの角が、静かに震えている。全身の逆鱗が、妖しく輝いている。

 自分が何かしようとした訳でもない。全く考えてすらいなかった。けれど、エスカドラの力は、自分の意思とは無関係に溢れ出している。ただいるだけで、天変地異を引き起こしてしまう。

 ――――これが、シュレイドが最後に造り上げたものか。

 

『散々投資して、全力で作り上げたペットに手を噛まれるってか……皮肉が効いてるなぁ』

 

 内部の俺の声は外に届かない。仮に届いたとしても、関係がなかった。音を立てて崩れ落ちる司令部を前に、俺の声なんて些細なものだ。氷の塊となったそれが、炎の波に包まれる。

 何もかもが、燃えていく。西シュレイドの人間も、街並みも、数々の資料すら。街を覆うように広がっていく業火に呑まれ、燃えていく。もう、人の声は聞こえなくなっていた。

 

『……大量殺人者か、俺も』

 

 こんなつもりじゃなかった。なんて言っても、もう許されない。

 分かっていたじゃないか。俺がエスカドラを、こんな運用をすればどうなるかなんて。竜機兵という技術を無くすには、こうするしかないなんて、分かり切ったことじゃないか。

 

 国も、民も、恩人でさえ。全てを裏切って牙を剥くその様は、まさに畜生だろうか。鬼人と、罵られるだろうか。

 それでも、俺はいくよ。黒龍をこの手で殺して、ミューに会いに行くよ。

 

『ミューを犠牲にしなきゃ成り立たない世界なんて、意味がない。……そんな世界にいる意味も、ない――――』

 

 突然の事態に、量産型の竜機兵が出動する。この暴風雪を裂いて、列を為しながら俺の前へと現れる。

 そりゃそうか。こんな異常事態、対応せざるをえないだろう。

 名目は、なんだろうか。謎の龍の討伐か、それとも暴走した機竜の対処か。

 

『この感じ……』

 

 ゾロゾロと、顔を出す機竜たち。あの鋼で覆われた表皮を外気に晒しながら。燃やされて、凍らされながら。俺の動向を警戒するように、ジリジリ距離を詰めてくる。

 そんな彼らより、何倍も異質な風。それが俺の肌を撫でた。機竜の鱗を、厭らしく撫でた。

 

 土が焼ける。

 (くろがね)が溶けていく。

 水が煮立つ。

 風が起きる。

 木が薙いでいく。

 炎が生まれる――――。

 

 唐突に、空気が弾けた。

 凍て付いた街の一角が、激しく火を吹き上げる。まるで噴火のように、凄まじい規模の火柱が立ち昇った。

 

『……来たか』

 

 その炎は、蔓延る量産型たちを呑み込んだ。俺を注視していた彼らを、背後から丸呑みにするその火柱。巨大龍の甲殻も、特注の装甲だって容赦なく融解させていく。

 鳴り響く、機械のような悲鳴。劫火に溶ける、からくりの故障音。

 曇天の雲を切り裂いて、黒い影が現れた。その巨大な翼で雲を掻き回しては、瓦礫の山の上に舞い降りる。

 

 あまりにも太い爪に、びっしりと全身を覆う悍ましい鱗。

 蝙蝠の如き黒い翼は、暴風の中でもまるで関係ないと言わんばかりに風を鳴らす。

 長すぎる尾には細かな角が連なって、燃え盛る建物を次々と薙ぎ倒した。

 

 べろりと、あの忌々しい舌なめずりをする奴――憎き黒龍。

 そんな奴は、左目におびただしい傷が刻み込まれていた。どころかその上から伸びる角には折れた痕があり、それを隠すかのように妙に長い角が伸びている。それはまるで、損傷した部位に現れる仮骨のように――――。

 

『……ミュー……』

 

 調査団の報告では分からなかった、間近で見る黒龍の姿。それは一言で言えば、手負いのようなもの。

 あのまま退却した俺たちには分からなかったが、ミューは確かに一矢報いたのだった。完全結合しても何も為せなかったなんて、そんな訳がなかった。彼女は確かに、奴に癒えない傷を刻んでいたのだ。

 

『……ごめんな、ミュー。あとは、俺がやるから』

 

 一瞬のうちで数十体の量産型を蹴散らした奴は、畏怖を込めたような目で俺を見た。

 前会った時にような、ただ餌を見るような目ではない。縄張りを争うために、俺を敵と認識してここに現れたのだと。その目が、そう訴えかけてくる。

 そりゃそうか。こんな、街を覆う規模で嵐と吹雪と火災と雷雲を呼んでいるんだ。字面だけ見たら、冗談なんじゃないかって。どこかの面白可笑しい物語なんじゃないかって思わせられる。

 けれど、エスカドラにはそんな馬鹿みたいなことができてしまった。それは確かな脅威だと。龍であろうと、俺は確かな敵であるのだと。この黒龍は、そう証明しているようだった。

 

『……会いたかったぜ、お前に。お前を殺したくて仕方がなかった』

 

 一歩、足を踏み出して。

 

『お前はなんだ。なんで、こんなことした』

 

 翼をはためかせ、吹雪を荒く掻き乱す。

 

『縄張りが欲しかったのか? (ねぐら)が欲しかったのか? そのために、俺らの城を落としたのか?』

 

 低い唸り声を上げる黒龍の前に、俺は少しずつ歩み寄った。奴もまた、後退することなく俺を睨み続ける。

 

『お前にとっては、俺らは虫みたいなもんなんだろ。自分が快適に生きるために、害虫は殺して殺虫剤を散布する。そういうことなんだろ』

 

 相手の出方を窺っているようだ。まるで円を描くように、俺と奴は睨み合いながらも少しずつ一歩を刻む。

 

『それで、俺たちは無意味に死んだ。民も、竜人も、竜機兵も。……ミューも。みんな、無意味に死んじまった』

 

 藍がかった銀の逆鱗に、光を全て呑み込むような黒が差した。

 

『それが悪いとは言わないさ。お前はお前のためにそうしたんだから』

 

 黒龍が、鎌首を擡げる。その妙に青い色をした口内に、橙色の光を灯し始め――。

 

『――だから、お前も無意味に死ね』

 

 全身から解き放たれる、血のように赤い光。紅蓮の炎よりも濃い、くすんだ緋色が顔を出す。

 氷塊を全て溶かすように、凄まじい熱線がこの街を焼いた。

 

 牙と牙が、擦れ合う。

 






 某漫画の復讐論好き。何の漫画か知らないけど。 


 ミラボレアスという言葉の意味は、「運命の戦争」の他に「避けられぬ死」という意味があるそうですね。その「死」を踏まえ、今回のサブタイトルはこの四字熟語にしました。ローグさん、(ミラボレアス)に挑むの巻。
 ラスボス戦じゃー! 閲覧有り難うございましたじゃー!


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龍攘虎搏(りょうじょうこはく)



 強い者同士が激しく戦うこと。




 燃え盛る火炎の螺旋は、遠く遠く、地平線の山々を撫でるように焼いた。その道中にあるもの全て、家屋も兵団拠点も、森も川も、あるものを全て無慈悲に焼き払った。

 丘は見るも無残な姿となって、山はまるで山焼きでもしたかのようにその肌を露わにする。

 そんな炎を吐いた張本人――ならぬ張本龍は、忌々しそうに唸り声を上げる。この西シュレイドの地を原型も残さず焦土へと変えた奴は、再びあの螺旋を口から吐き出した。

 

『ちっ……!』

 

 右から左へ、焼け焦げた木々をボロボロになるまで燃やすそれを、荒々しく薙ぎ払う。飛んで躱した俺には当たらないものの、大地は音を立てて崩れ始めた。

 

『なんて火力だ……ミューは、こんな奴と戦っていたのか……』

 

 あの緑豊かだったこの地は、もはや見る影もなかった。

 焦土だ。まさに、焦土だった。世界をも燃やす吐息。まともに喰らえば、如何にエスカドラといえどただでは済まないだろう。

 

『だったら……!』

 

 燃え盛る大地とは対照的に、曇天は激しい豪雨をもたらした。目を貫くような閃光と、大地を打ち鳴らす振動。凄まじい規模の雷雲だ。

 一瞬の静寂。続く閃光。

 雷神が落とした杖の如く、一筋の光が瞬いた。大量のエネルギーを蓄えた、青い稲妻だった。

 それが、俺の体に落ちてくる。あの幻獣などとは、比べ物にならないほどの電力が、俺の逆鱗に滞留した。

 

 その全身を、翼で持ち上げて。螺旋を吐き終えて唸り声を上げる黒龍に向けて。一直線に、俺は滑空する。

 奴の体格にも劣らないこの全身を砲弾に変えて。

 逆鱗に包まれたこの全身を矢じりに変えて。

 一直線に、黒龍へと突進したのだ。

 

 流線を描く視界は、即座に黒に染まる。青い電光の全てを、俺の全身で蓄えたそれを解放する。激しいスパークは、そのまま奴をも転がす衝撃へと変貌した。

 大地を焼き焦がしながら、俺と奴はもみくちゃに横転する。かつてのシュレイドの領地を横断するかのように、巨体が大地を激しく掻いた。

 

 甲高い悲鳴だった。黒龍から飛び出た、甲高い悲鳴。

 大丈夫、奴に効いている。俺はこいつに傷をつけることが出来る。こいつを殺せる――――。

 

『……うッ!?』

 

 突然、尾を噛み付かれた。一つ一つがあまりにも太いその牙で、俺の尾を咥えられる。逆鱗の一部が割れるほどの、強靭な咬合力だった。

 直後、視界が再び反転。腹の中が掻き回されるような、耐え難い感覚が走り抜ける。

 ――あぁ、俺、振り回されてるのか。

 

『離せ……離せクソッ!』

 

 力を込めると、逆鱗の隙間から炎が噴き出した。奴の口ごと焼く炎が、傷の隙間から溢れ出した。

 再び、悲鳴。思わぬ反撃に奴は驚愕し、俺の尾を手放したのだ。

 しかし、凄まじい勢いで振り回されていた俺はといえば、その遠心力に従って大気を滑り始める。まだ飛び慣れない俺にはその勢いを制御することが出来ず、岩のような何かに激突した。

 

『くぅ……馬鹿力が……』

 

 痛みに視界が暗転する。目の奥がチカチカとした。

 しかし、奴は待ってくれない。視界の端から、橙色の光が弾けるのが見えた。

 

『やべっ……!』

 

 慌てて跳躍。続く背後からの、爆裂音。あの城での出来事を想起させる火柱が、いくつも立ち昇る。

 そこらの飛竜の吐息など、まるで比較にならない。シュレイドの誇る砲台ですら、児戯のようなもの。岩肌を容赦なく融解させるその温度に、俺の奥歯は思わず震えた。

 

『くそ……当たったらダメだなこれは……!』

 

 吠える。自分を鼓舞するために、吠える。

 黒龍に飲み込まれないように。あいつを殺すために。

 

 その咆哮は霜となり、大気が瞬時に凍てつき始めた。

 空気中の水蒸気が氷塊と化して大地へと牙を剥く。鋭いその切っ先は、黒龍ごと大地を食い荒そうと――――。

 

 瞬時、咆哮。黒龍も負けじと、天高く吠える。あまりの音圧に氷塊は割れては塵と化していく。大地は荒れても、奴の鱗に傷はつかなかった。

 

『うるせぇんだよ……いいから食らっとけ……!!』

 

 あんな氷、たまたま生まれた副産物でしかない。あんなので奴がどうにかなるとは思っていない。

 ただ、単純に。明確な殺意をもって、その冷気を吐息へと変える。氷点下の世界で吐き出した息は、絶対零度の螺旋となって奴を襲った。

 

 黒い鱗が白く染まる。半透明なそれが、奴の黒を塗り潰すかのように。黒龍は悲鳴を上げて、その冷気から体を逸らす。

 その程度で、これを避けれるものか。そんな程度で逃がすものか。このまま、このままお前を氷像にしてやるよ――。

 

『……ッ!?』

 

 仰け反っていた奴が、唐突に口元を赤く光らせて。氷の礫と冷気の塊を全身に受けながらも、奴はその長い首を勢いよく振りかざした。

 瞬間、溢れ出る炎の螺旋。俺の吐き出す吹雪とは対極的な、熱量の塊を奴は吐き出した。

 

『……受けて立とうってか……』

 

 その強烈な温度変化によって、奴は全身の霜を振り払う。それに留まらず、俺に向けてその炎の螺旋を解き放った。

 竜巻の如く大気を焼く龍の吐息。機竜の放つ絶対零度の渦。それらがぶつかり合って、空が割れる。

 

 爆ぜる大気。

 凍て付く大地。

 反転する世界。

 

 その相反した性質は互いを貪り合って、ついには衝撃の塊へと変動した。炎は冷気を燃やし尽くし、冷気は炎を塵へと変える。それぞれがそれぞれの方向の温度を反転させたのだ。

 俺に届く強烈な熱線。奴を凍えさす絶対零度の吐息。溢れ出た衝撃を受け止め切れずに、割れる世界。

 

『うおぉぉ……いってぇ……』

 

 全身が薄く焼けていた。一部の逆鱗が零れ落ちる。喉が焼けたかのような、奇妙な感触が残った。

 しかし、奴も同様だろう。忌々しそうに唸り声を上げる。少しばかり、その声が震えていた。

 急激な温度変化のせいか、大地や岩には大きな罅が入っている。空は陽炎と霜が同居しており、非常に奇妙な色をしていた。透明な水に、橙色と水色の絵の具を溶かしたかのようだ。

 

 羽、まだ動く。

 両手足、問題ない。

 尻尾、噛まれたところが痛むけど、大したことはない。

 ――まだまだ、全然いける。

 

『……まだまだ。こっからだろ? 黒いの』

 

 そう気を引き締めると、今度は全身から激しい光が迸った。

 それはまるで、雷が黒く染まったかのよう。純粋な龍属性エネルギー。古龍の血が気化して溢れ出したかのような、異質な光だ。

 

 黒い光に駆り立てられるまま、俺は大地を蹴る。その溢れる光を、奴に向けて叩き込む。

 

 轟いたのは、過去最高の、悲鳴。ミューの突進をもものともしなかった奴が、悲痛な声を上げた。飛び上ろうとした瞬間に打ち付けたそのエネルギーは、そのまま奴を叩き落としたのだった。

 

『……なんだこれ、すげぇ効く……』

 

 全身の逆鱗を包むその光は、両前脚の爪にも及ぶ。その爪を振りかざして奴の鱗に叩き付ければ、さながら豆腐のように奴の鱗に穴が空いた。龍属性エネルギーは、奴によく通るらしい。まるで拒絶反応のように、奴の血肉は悲鳴を上げる。

 響く怒号。負けじと、奴は首を振るった。まだ倒れているというのに、俺に向けてその牙を向ける。

 

『うぜぇ!』

 

 それを、今度は左の爪で振り払った。奴の右頬を打ち抜いて、そのまま角に切り込みを入れる。不自然なほど伸びたその角に、嫌な線が走った。

 

『お前がミューを……』

 

 両腕が止まらない。ただひたすら、奴を乱打する。

 

『お前が……ッ!』

 

 人間のような動きには、留まらなかった。抑えられず、牙が出る。奴の長い首に、勢い余ってかぶりつく。

 そうかと思えば、奴も牙を剥いた。ただされるままには、やはり終わらなかった。俺の後脚にその牙を立て、そのままずぶりと穴を空ける。鋭い痛みが脳へと届く。

 

『ぐっ……この……ッ!』

 

 それを振り払おうと体を浮かして、しかし思うように動かない。どころか、視界が大きく反転する。空と大地が入れ替わった。

 慣れないことはするもんじゃない。飛んで体勢を立て直そうとしたら、奴にそのまま組み伏せられてしまったのだ。俺の上をとった奴は、俺を煽るかのように喉を鳴らしては――再び、その喉を赤く灯す。

 

 おいおいおい。

 まさか、ここでブレスを吐くつもりなのか。

 こんな至近距離で、お前だって焼けるような距離で。

 

『――――あああああッ! いってぇえぇッ!!』

 

 視界が真っ赤に染まったかと思えば、主に顔を中心に激しい痛みが走る。斬られるとか、殴られるとか、そんな痛みとは全く別ベクトルの痛み。皮膚が剥がれるみたいだ。中の肉が抉られてるみたいだ。とにかく、痛くて痛くてたまらない。

 ミューが何度も浴びていたブレス。

 こんなに、こんなに痛かったのか。

 それなのに、ミューは。

 ミューは――――。

 

『……嘘だろ』

 

 分厚い瞼のおかげで、機竜の両目は無事だった。それを何とか、薄目を開けて、未だに俺の上で鎮座する奴を見る。

 奴は、再び喉元を赤く染めていた。顔まわりの皮膚が焼け爛れているというのに、まるで気にせず再びあの炎を吐こうとしていた。

 

『そう何度も、喰らってたまるか……ッ!』

 

 距離にして、せいぜい八メートル前後。

 角度およそ八十度。

 到達時間、一秒未満。

 

 それでも抗おうと、俺は全身に力を込める。奴がその吐息を放つ前に、何とか、何とかしなければ。

 

 天をつらぬくようなこの角の一部が光った。透き通るように青い色をしたそれが、淡く光ったような気がした。

 その瞬間、空が爆ぜる。古龍の咆哮でも比較にならないような轟音が、世界を叩く。雷雲が叫んでいた。

 

『……雷……ッ』

 

 稲妻が、奴に落ちる。その黒い甲殻を覆い尽くす、凄まじい光だ。

 それに触発されたかのように、俺の全身も光り出す。先程までの赤黒い光とは一転、今度は青白い光だった。さながら、あの幻獣のような、眩い光だった。

 

『喰らえクソ……ッ!』

 

 溢れ出たそれを、収める必要などない。ただひたすら、それを解放した。馬乗りになった奴に向けて、全身の逆鱗を広げる。

 瞬間、閃光が空を覆った。空も大地も、目も開けられないほどの光が包み込んだ。溢れ出るスパークは、行き場をなくしたかのように大地を掻き鳴らす。まるで意思があるかのように、執拗に地盤を剥がした。

 

 その衝撃と熱量は凄まじいものだ。俺の上に乗った黒龍が撥ね飛ばされ、その巨体を横転させる。元々の色か、はたまたその熱量からか。焼け焦げたかのように黒いその鱗からは、白い煙が湧き上がっていた。

 

『はっ……ざまあみやがれ……』

 

 何とか身を起こして、動かなくなった奴に向けて歩を進める。一歩、一歩。足取りが、何だか妙に重い。

 

『……つっ……!?』

 

 突然、頭痛が走った。それに呼び覚まされたように、全身が痛む。血管が、赤く腫れ上がっていた。

 

『……あ……? なんだ、これ』

 

 ぽた、ぽたと。俺の下半身を呑み込んでいた肉に、血が滴り落ちる。

 鼻血だ。鼻から血が垂れている。それが肌を伝って、この内部の肉に零れているのだ。

 

『……ぐっ……いてぇ……こんな時にッ』

 

 酷い頭痛だ。まずい、頭が割れそうだ。

 体が動かない。全身が火照るように痛い。指先が委縮して、徐々にしわがれていくような。そんな感覚だ。

 

『────まさか』

 

 まさか、もうタイムリミットなのか?

 人体を酷使した、古龍の血の摂取。その限界が、もう訪れたのか? 俺の体には、やはり竜機兵は重すぎるのか?

 早すぎる。想定以上に早い。せめて、せめてもう少しもつと思ってたのに――。

 

 響く唸り声。黒龍が、ゆっくりとその巨体を起こす。

 確かに、あの雷光は奴にとって大きなダメージとなった。けれど、それだけだ。致命傷には至っていない。ゆっくり起き上がる奴の姿が、その証明だった。

 首を擡げて、咆哮。ただひたすらに、奴は咆哮する。

 その声は、怒りか。それとも嘆きか。

 全く分からない。色の分からない声だった。ただ、まるで何かを訴えるかのような声が天高く響く。

 

『……ぐっ……地震……?』

 

 突然の振動。大地が、激しく揺れる。

 最近、本土の方で地震が頻初しているとの話は聞いていた。大地が激しく振動していると。震度が徐々に、徐々に増していると。

 

 それが、この揺れだ。龍の体をもってしても、立っているのがやっとである。雪の山は崩れ落ち、家屋は倒壊し、罅割れた大地はその形をほどいていく。

 

『おいおいおい。まさか』

 

 過ぎる不安。まさか、なんて思いながら、後方を見る。痛む頭を抑えながら、大陸中央部の火山に向けて、視線をずらす。

 

『――――噴火、する?』

 

 そんな、まさかの事態。それが今、目の前に訪れた。

 ――まるで、黒龍の叫びに呼応したかのように。

 この大陸の礎の如く、中央に(そび)える火山地帯。地上にも地底にも伸びているらしいその火山は、いよいよ今日をもって炸裂した。天高く伸びた火口が、凄まじい叫び声を上げる。赤黒い溶岩が、音を立てて飛び出したのだった。

 

『……うわぁ』

 

 終末の時、なんて言葉が物凄く似合う光景だった。

 溢れ出た溶岩は、徐々に大地を埋め尽くす。傾斜に乗って草木を容赦なく呑み込み始めた。

 舞い上がる噴煙は、この雷雲を覆っていく。空が光る度に、空に舞った岩がそれを反射して。大地に降り注ぐ岩のあまりある量を、如実に物語る。

 

『やっべ、逃げないと……ッ!』

 

 噴石が、大地を掘削した。機竜の体躯にも迫るほど巨大な岩が、雨のように降り注ぐ。いくらなんでも、こればかりはまともに喰らえない。喰らっても壊れることはないだろうが、絶対痛い。ただでさえ全身が痛いのに、あんな岩を喰らったらどうなることか。

 そんな意思を力に変えて、何とか翼をはためかす。巨体を浮かし、宙へと難を逃れた。

 

 未だに、頭痛は治らない。視界が妙に赤い。全身が痛いし、ところどころが裂けて血が流れている。見れば、指の爪は剥がれ落ちていた。

 

『……いよいよ、時間がないってか』

 

 黒龍は、未だ吠え続けている。多くの傷を刻むことは出来ても、弱らせるには至っていない。致命傷は、まだまだ遠そうだ。

 リアなら、もっとスマートにやれただろうか。俺は人間だから、本来竜機兵への適正など持ち合わせていないから。付け焼刃のこの体質じゃあ、きっと彼には追い付けない。俺では、エスカドラの性能を存分に発揮できない。

 事実、こいつの力をコントロールできていないのだから。

 

 呼ばずとも勝手に雷雨が起こり、暴風が地を撫でる。

 大気は氷結と発火を繰り返し、辺りに甚大な被害を与えてしまった。

 龍属性エネルギーが全身から溢れ出て、いつの間にか消えている。

 どれもこれも、俺の意思とは無関係だ。溜め込んだ属性エネルギーがあまりにも膨大で、しかもとてつもなく不安定。エスカドラは、完成品とは程遠い存在だった。

 

『……でも、それでも――――』

 

 それでも、俺がやらねば。俺があいつを殺さないと。

 リアには、絶対に任せられない。こんな間違った技術をあいつに委ねることなんてできない。

 ――こんな技術の、こんな人道から外れた力の犠牲になるのは、俺が最後でいい。

 

 頭痛がなんだ。拒否反応がなんだ。

 どうせ、俺は生き続けるつもりなんてない。ミューを犠牲にしてのうのうと生きてたのは、俺もだから。やること全部終わらせて、早くあいつの顔が見たいんだ。

 

『こんなとこで終わってられるか……ッ!』

 

 そう、意気込んだ。痛みも無視して、吠える黒龍を睨んだ、その瞬間だった。

 

 一際大きなものが、一つ。光の筋を大気に描く何かが、空を駆けているのが見えた。それは燃え盛る岩のようで、冷気を帯びた氷塊のよう。さながら、空を区切る流れ星をそのまま巨大化させたもののようだ。

 

『……は?』

 

 あまりにも大きな火山弾か。それとも、空から落ちてきた巨大な岩か。

 それすら判断つかず、ただその圧倒的な姿を前に、素っ頓狂な声が漏れる。

 

 それはそのまま、西シュレイドのさらに奥。海岸線を呑み込む草原地帯へと吸い込まれていって。

 直後、凄まじい閃光が走った。あの雷撃なんて比べ物にならない光が、俺の全身を焼いた。

 

 






 前半戦。


 さぁ昼休憩とって後半戦に臨むぞー。お昼ご飯は幕の内メテオガーリック弁当でお願いします。
 やってみたかった。ミラボレアスとアルバトリオンのドリームマッチ。あの禁忌モンスが縄張り争いしたら、マジで世界がえらいことになると思うんですよね。さぁ大暴れしてくれぃ!
 閲覧ありざまんもすでした!


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天変地異(てんぺんちい)



 自然界に起こる異変や災害。




 何かが崩れ落ちる音がする。

 それは熱を帯びた炭が、耐えられなくなって朽ちるような。そんな、乾いた音だった。

 

 目の前を覆う、橙色。揺れる光は、あの清涼感ある煙草を思い出す。口に咥えてはその先を手で覆い、風を遮りながら遮力を入れる着火機。その先で揺れるあれを思い出すんだ。

 すぅっと吸って、あの爽やかな味を楽しみたい。胸のうちに溜まった不満をするっと落としてくれるあの感覚。あれをまた味わいたいなんて。夢うつつながらもそう感じた。

 

『……あれ? 俺、どうして――――』

 

 視界が乱雑に乱れた。橙色が揺れる、明るい世界。血みどろの色が映る、暗い暗い世界。その二つが混ざり合ったように、曲線を描いて溶け合っていく。

 俺は、俺は一体何をしていたんだっけ。

 

 ゆっくり身を起こそうとすると、ぶよぶよとした何かに阻まれた。肉の塊のようなそれは、俺の足の動きを緩やかに呑み込んでいく。動こうにも、上手く動けない。

 おかしいな。なんだこれ。真っ暗だし、変な感触が俺を邪魔して動けない。一体何がどうなって――――。

 

『……つっ!』

 

 全身を走る鋭い痛み。血管が裂けるような鋭い痛みに、俺は我に返った。

 

『うあっ……そうだ、そうだった……』

 

 揺れる光は、炎だ。

 炎が、俺の前で揺らめいている。ローグという体を内包した機竜の目の前で、静かに揺らめいている。

 

 俺は竜機兵。この世界で最後の竜機兵。数多の古龍を寄せ集めて造った、最後の竜機兵だ。

 目的は?

 黒龍を殺すこと。そしてこの造竜技術をこの世から無くすこと。

 一体何があった?

 黒龍と対峙して、激しく揉み合って。そしたら地震が起きては火山が暴発し、黒龍はずっと吠え続けていて。

 

『……吠え続けていて……確か……』

 

 岩だ。巨大な岩。氷の塊のような。燃え盛る火山弾のような。ただあまりにも規模の違うそれが、西シュレイドの奥へと墜落したんだった。

 それから――それから、どうなった? ただ、あまりにも強烈な光に俺は平衡感覚を失って。そしたら、とても受け止め切れない衝撃が襲い掛かってきて。

 

『……あぁ、そうか』

 

 どうやらあれは、あの黒龍の吐息をも超える爆風となってこの大地を覆ったようだ。

 ――大地が、燃えていた。

 

『……ぐっ、いってぇ……!』

 

 俺の肉体だけじゃない。エスカドラ自身が、大きな怪我を負っている。見れば爪はいくつか砕け、翼の逆鱗はところどころ剥がれていた。黒龍に噛まれた部位は深い傷が刻まれており、どくどくと中から体液を押し出している。

 その体に何とか鞭を打って、上昇。今まで以上にぎこちない動きになってしまったが、ゆっくりと巨体は浮き上がった。何だか、挫いても無理して走っているような、そんな気分だ。

 

 ようやく空に昇ったことで、その惨状を目の当たりにした。

 焼野原。

 焦土。

 そんな言葉がよく似合う。

 シュレイドの大地は、もはや火の海だった。「ここは火山地帯です」なんて説明がされたら、そう信じ込んでしまいそうなほどの、ただひたすらの赤。東も西も巻き込んだその現状に、俺は思わず息を呑んだ。

 

『なんだ……これ……』

 

 大地が深く陥没している。

 地盤が、まるで重いものを受け止めたガラスのように、凸凹を描いて割れていた。

 それが放射状に広がって、この大陸を塗り替えるように炎を差す。その影響はクナーファのさらに奥まで届いており、大地のほとんどを更地に変えていた。

 山岳地帯に囲まれたクナーファ自体は、その自然の壁に遮られたおかげか倒壊で済んでいる。瓦礫の山となっているのに、それでもまだ被害はマシだ。あまりの被害の規模に、頭がおかしくなりそうだ。

 

 あれはなんだったんだ。噴石? 火山弾?

 嘘言うな。これはそんな規模じゃない。こんな、大陸を更地に変えるような衝撃が、ただの火山の排泄物にあってたまるか。

 間違いない。あれは隕石だ。この空の向こうで漂っていたものが落ちてきたんだ。あの、決して交わらないはずの成層圏に穴を空けて、この大陸の西端に落ちてきたんだ。

 ――だけど。

 

『……なんで、こんなタイミングで……』

 

 俺がエスカドラを強奪して、あの黒龍と牙を競って。そんなタイミングで、前から不穏な動きを見せていた火山が爆発。それに加え、天体が墜落した?

 馬鹿な。そんなの、針に糸を通すような、ほとんどありえない確率だ。これらが一斉に起こるなんて、そんな――――。

 

『がっ……!?』

 

 唐突な衝撃が、俺の全身を襲う。

 天高く飛来した黒龍が、滑空の姿勢で俺に突進を繰り出していた。それを死角からもろに喰らった俺は、体勢を崩してしまう。

 天地がひっくり返って、耳が振動で裏返った。

 

 こいつか。こいつが、呼び寄せたのか。

 いや、それはないだろう。馬鹿馬鹿しすぎる。

 笑い話もいいところだ。たかが一匹の龍が、空から隕石を呼び寄せるなんて。これは偶然が重なっただけで、ただ上手い具合にこいつが叫んでいる時に落ちてきただけで。この状況は、偶然の重なりそのものなはずだ。

 ――火山の爆発も、偶然。偶然、だよな?

 

 そんな俺の問いに応えるように、黒龍は灼熱を吐き出した。火山弾にも負けない、燃焼現象の塊。それが質量となって、俺へと襲い掛かる。

 痛みと耳鳴りによって俺は体勢を直すことができず、ただひたすらにその灼熱を受け止めた。落下運動に横からの加速が重ねられ、俺はいよいよ彗星の如く地に墜ちる。

 クナーファのさらに奥、旧ゲイボルギア領だった寒冷地帯へと着弾。白い雪が逆鱗の隙間に入り込み、ひやりとした感覚が全身を駆け巡った。

 

『あぁくそッ、冷てぇなぁ!』

 

 冷たいのは冷たい。しかし、ブレスの高熱を即座に逃がすことができたのは運が良かった。九死に一生を得たなんて、よく言ったものだ。

 このあたりの詳しい地理は分からないが、おそらくここは大陸の東側。北に登ればすぐ雪山の麓に着き、南下すれば密林に至る。まさに、激戦区そのものだ。よくよく見れば、至る所に機竜の部品が、同胞たちの亡骸がある。

 

『……上っ!』

 

 俺の上空で、獲物を見下ろすかのように。黒龍はその隻眼で俺を睨んでいた。

 

『……あ? あいつ……なんだ、その色』

 

 「黒き龍」なんて言葉は、いまいち噛み合っていない。確かに、全身は総じて見れば黒ないし黒に近い色をしているだろう。しかしその腹や首、手の先などがうっすらと紅色に染まっていた。翼膜が、鮮やかな朱色を帯びていた。

 あれじゃ黒き龍じゃない。「紅き龍」だ。

 

 空中から、奴は灼熱のブレスを放つ。より赤々しく、黒々しいそれ。それが大地で爆ぜて、凄まじい規模の火柱を生んだ。さながら、地面が突然溶岩を噴き出したかのような。そんな、猛烈な勢いだった。

 

『うっ……あいつ、一体!?』

 

 周辺を爆風が満たして、積もった雪を溶かしていく。この白い世界だからこそ、奴の異様な姿は際立って見えた。

 龍鱗が、黒く焼けている。膨大な熱量を呑み込んだ証だった。あの隕石の熱エネルギーか、それとも火山の高熱か。原因は分からないが、奴の鱗は熱を得た結果変化したようだった。俺が放った雷よりももっと濃く、もっと純度の高い熱を。

 そして何より、奴の様子は怒り心頭。ミューの前ですら、あのような顔は見せなかった。俺を睨む目は何とも憎々し気で、怒りに満ちている。

 

『……キレて、紅くなってやがる……?』

 

 龍の中には、形態変化をするものがいる。これも、その一種なのだろうか。

 あぁもう、何が何だか分からない。全身が痛いし耳鳴りも酷いし、何だか目が霞んできてるようだ。あいつのことだって、どうでもいい。とにかく、とにかく――――。

 

『……殺してやる』

 

 痛む体に鞭を打って、本来ないはずの器官に力を込める。

 翼膜が力強く開き、その衝撃で滴る体液が飛び散った。白い大地を、どす黒い赤が染める。

 

 それをも吹き払いながら、上昇。逆鱗から電流を撒き散らし、俺はあの黒龍――いや、紅龍に向けて突進した。

 奴はそれを瞬時に躱す。しかし、腕を伸ばした電撃は躱し切れずに、青い電流をその身に移した。

 悲鳴、されど墜ちはしない。

 

『墜ちろっ……!』

 

 翼を無理矢理旋回させて、奴の真上を陣取って。全身に回っていた電流を、前脚の爪へと掻き集める。それをそのまま、奴に向けて振り下ろした。

 

 一撃目。甲高い悲鳴が上がる。

 

 二撃目。奴の翼膜の一部が破れ、体勢が崩れかけた。

 

 三撃目。頭部へと吸い込まれたそれは、奴の角の根元を穿った。

 罅の入ったその角は。不自然なほど伸びたその角は。甲高い音を立てて、この赤黒い空に舞う。細かな欠片が、空に呑まれていく――。

 

『……なっ……!?』

 

 体勢を崩して、落下する。そうかと思いきや、奴はその長い尾を俺の胴へと巻き付けた。それによって翼が阻まれ、俺も奴に巻き込まれるまま重力に掴まれる。

 

『くそ……離せ! 離せクソ!』

 

 奴の首元に牙を這わせ、何とかその拘束を振りほどこうとした。けれど、その尾の力はあまりにも強くて、どれだけ顎に力を入れても奴は離そうとしない。

 奴に触れている箇所が、焼ける。凄まじい温度だ。機竜の鱗が焼けるほどの熱さが、その身を通して俺に伝わってくる。

 

『あっつ……いい加減にしやがれ……ッ!』

 

 いよいよ牙は奴の鱗を貫いて、そのまま肉へと到達する。さらに熱い血が飛び出して、エスカドラの皮膚も悲鳴を上げた。

 とはいえ、奴といえども首元に噛み付かれるのは、それ相応の痛みが伴うようだ。苦し紛れな様子で、口元を燻らせる。怒りのあまり無我夢中で、その橙色を弾けさせた。

 

『ちょっ……おまっ!?』

 

 危ういところで、俺の体には触れなかった。その橙色の塊は重力に引っ張られるように、ゲイボルギアの大地へと吸い込まれていく。

 直後、炸裂。あの量産型の竜機兵をドロドロに溶かした、太陽の如き吐息。あらゆる物質を問答無用で融合させてしまうんじゃないかって、そう思うほどの強烈な光が、この燃える大地を駆け抜けていく。

 吐息は巨大な火球へと変わり、それが草木を呑み込んでいく。逃げそびれた竜も獣も、何もかもを巻き込んで一瞬のうちに灰へと変えた。そしてそのまま、笠の大きなキノコ雲へと変貌する。

 

『おい……おいおいおいおい……!』

 

 一つ街を滅ぼせる威力だ。事実、あれでシュレイド城は完全に廃墟となった。

 そんな、そんな超威力の塊だというのに。奴は間髪入れず、再び口元を光らせた。

 

 二発、三発と乱射。そのどれもが大地へと吸い込まれ、その地盤を溶かしていく。

 一つは俺の前脚に擦れ、着弾点が逸れた。大陸南東部の海洋――東竜洋に落ちたそれは、強烈な爆風とともに海面を隆起させる。打ち揚げられた水は空と海で反芻されて、その運動エネルギーを凄まじい速度で膨らませた。

 こんなの、どうなるかなんて考えるまでもない。海面があんなに激しく揺れたら、それはそのまま大陸に牙を剥くなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

『……ぐあっ……』

 

 直後、凄まじい痛みが走る。見れば、あの吐息が掠った機竜の前脚が酷く損傷していた。逆鱗は全て溶け、中の肉までこんがりだ。熱に強い炎龍のコーティングがされているというのに、それを易々と突き抜けるなんて。

 痛みに悶えるのも束の間、今度は落下の衝撃が俺に襲いくる。

 奴の上をとっていた俺は、直接大地に叩き付けられた訳ではない。しかし如何に黒龍がクッションになったとはいえ、痛いものは痛かった。

 

『てめぇ……』

 

 流石に、今のは奴も堪えたようだった。

 息を切らした様子でぎこちなく首を擡げ、俺を睨む。その口元は赤黒く焼け焦げていた。

 そりゃそうだ。大地に衝突した上に、あんな超威力の塊を何度も撃ったんだ。負担が大きいに決まってる。というか、そうでなくちゃ困る。

 

 火山の麓に墜落したらしい俺たちは、再び怒号を上げる火山を見た。奴のあの吐息を浴びたのか、一部が抉れてしまったその岩肌。そこが溢れ出るように隆起して、中から大量の溶岩を吐き出した。まるで、まるで瘡蓋(かさぶた)から血が溢れ出ているみたいだな、なんて。そう思うほど、どこか非現実な光景だった。

 

 空はその噴煙に覆われていく。

 黒い雲が太陽を隠し、先程まであった雷雲を呑み込んでいく。

 あまりの熱量に雪は消え失せて、ただ赤い雷だけが時折顔を出していた。

 

『……赤い』

 

 赤い。

 紅い。

 緋色。

 まるでバルクから噴き出るあの炎のようだ。あれくらい透き通っていて、随分と綺麗な色をした雷だった。

 

『――本当に、この世の終わりみたいだ』

 

 大地は揺れ、その中身を(こぼ)れさせる。空は墜ち、暗雲が立ち込める。各地でキノコ雲が沸き上がり、陸地を覆おうと海は高い壁を反り立たせた。

 天変地異だ。人も、竜人も、竜たちも。みんな平等に命を奪う、変革の流れ。ここまで来てしまったら、もうどうしようもないのかもしれない。

 

『……俺がしたかったのは、こんなのだったのかな』

 

 竜機兵という技術をなくすために。あの憎き黒龍を討つために。

 俺はただそれだけを考えて、ここまでの準備をしてきた。

 機竜を改造して。

 自身の体にすらメスを入れて。

 国も組織も恩人も、全てを裏切った。

 けれど、その実はただの殺戮者でしかなくて。到底許されない行為なんだと、今になってそれが現実味を帯びてくる。

 

『ミューに顔向け……できないや』

 

 幻滅されるだろう。

 反発されるだろう。

 もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。

 

 もういないはずなのに、それでもやっぱりこう思ってしまうんだ。

 『彼女がいてくれたら、俺はこんな風にはならなかったんじゃないか』って。

 歴史にもしもなんてないけれど、もしも。もしも彼女が生きていてくれたら――。

 

 

 

 唸り声が上がる。ボロボロの体を引きずって、唸り声を上げる黒龍がいる。全身を紅く染めて、流れ出た溶岩に身を浸しながらも俺を睨む奴がいる。

 

 こいつが、ミューを殺した。

 

 国が、ミューを殺した。

 

 世界が、ミューを殺した。

 

 ――――俺が、ミューを殺した。

 

 全てが悪い。

 ミューを喰らったこの龍も。

 竜機兵を生み出したこの国も。

 戦争を終えられなかったこの世界も。

 それら全てに加担した、俺自身も。

 

 終わらせよう。その全てを、もう終わらせよう。こんな悲しい連鎖は、なくしてしまうべきだ。

 そして、謝りたい。顔向けはできないけれど、俺はお前に謝りたい。お前に会って謝りたいよ。

 

『さぁ、来いよ赤いの。最後に、一緒に舞おうぜ』

 

 そう、俺が飛び立つと。奴もまた、俺に続くように飛び出して。

 激しく火を吹く火山の上で、俺と奴は再び相対する。

 

 暗雲を覆う赤い稲妻に反発するように、俺は吠えた。

 全身の隙間から青い電流と、赤黒い光が湧き上がる。周囲には霜を帯びた強風が生まれ、火山雷は金切り声を上げて紅龍へと襲い掛かった。

 一方の奴もまた、咆哮。

 薄ら紅だったその鱗は、もはや鮮やかな橙色へと変貌していた。溶岩をその身に押し留めたかのようなその色は、否応なしに周囲を焼き払っていく。

 大地が盛り上がっては火を吹いて、蛇のようにうねる炎の渦を撒き散らした。

 

 電光が走る。

 紅焔が揺れる。

 

 瞬間、俺の視界は岩に埋まった。突進してきた奴の勢いに押し負けて、そのまま火山の岩盤に叩き付けられたのだった。溶岩が、俺の鱗に襲い掛かる。

 

 反動。岩石を蹴った反動に、電撃を乗せる。滑空姿勢で突き立てた角を、唸る奴の胸へと叩き込んだ。鮮血が空に溶けて、奴は滑るように宙を裂く。

 それを狙っては、引き絞る喉元。すると飛び出る、小さな火球。

 奴のものほどではない。しかし威力がない訳でもない。炸裂と同時に火柱を立てるそれが、奴を奥へ奥へと撃ち抜いた。

 

『まだまだ……ッ!』

 

 それを追うように、俺も翼を大きく広げる。衝撃のあまりに点のように小さくなった黒龍との距離を縮めると、いつの間にか雪山へと辿り着いた。俺の周りの風は、猛吹雪へと成り変わる。

 急激な温度変化。強風が強烈な氷点下の嵐となり、黒龍へと牙を剥いた。奴の鱗は徐々に白く染まり、罅割れるような筋を描いていく。

 

『うっ……!?』

 

 それが、直後に暴発。まるで、雪に閉ざされたこの山が突然噴火したかのような、そんな光景だった。

 雪が融け、吹雪が止んで。陽炎に揺れるこの空間で、忌々しそうに奴は唸り声を上げる。至るところから血を流しながらも、それ以上の量の溶岩を垂れ流すその姿。怒りに我を忘れたかのようなその姿。

 旋回して、飛び上がる。俺も奴も、互いの後ろを取るように空を舞った。強烈な気流の乱れは生み出すのは、極太の竜巻だ。それが容赦なく大地を削り、逃げ遅れた生き物をズタズタに切り裂いていく。

 

 埒が明かない。そう判断した俺は、速度を上げた。一度引き離して、ブレスの弾幕を張ろう。そして隙を狙って、その首をえぐってやろう。

 凍て付く視界は一瞬で溶け、燃える密林が目に入る。勢い余って、南下し過ぎただろうか。その炎の奥には、高い壁を寄せる海が見えた。

 

『……あれは』

 

 大多数の竜が集まっている。火から逃れるように。隊列を組むかのように。

 竜操騎兵。竜操騎兵だ。背中に人を乗せた、竜の群れ。その奥には、白い壁が美しい大きな建物が見えた。荒れる海に触れる、荘厳な建物。

 そうか。クナーファが落ちた今、彼らの拠点はここだったのか。ゲイボルギアの拠点は、ここにあったんだ。

 

「おい、アレを見ろ!」

「竜機兵だ! シュレイドの飼い犬だ。相変わらず、歪な姿をしてやがる」

「奴ら……奴ら、なんてもんを造ったんだ……!」

「この密林に雪を降らすなんて。赤い雷だなんて。信じられない……」

 

 俺を見て、口々に言葉を漏らす彼ら。畏怖と侮蔑を込めた目で、奴らは俺を見る。

 ミューやラムダも、こんな気持ちだったんだろうか。敵として見られる視線というのは、こうも痛いものなのか。

 

「仕留めるぞ!」

「世界を守るぞみんな!」

 

 飛竜が列を成して、飛び立ってくる。

 いくつもの火球が、俺に向けて撃ち放たれる。

 当たったところで大した威力でもない。俺は避けずに、ただひたすら彼らを見た。

 

 竜を制御して操る技術。竜の力を借りて戦う技術。

 きっと、彼らの技術もまともなものではないだろう。竜と絆を結ぶだとか、そんな輝かしいものじゃない。まるで枷のように全身を覆うその鎧が、そう主張しているように見えた。

 でも、きっと。きっと、造竜技術よりはマシだ。

 

『……戦う理由は、ないよな』

 

 見ていたくない。向き合いたくない。戦いたくない。

 思わず飛び上がる。奴らと距離を置くように、上へ上へと舞い上がる。

 しかしそれを好機と見たのか、奴らはさらに勢いを増した。飛竜の部隊が後続して、徒党を組んだ群れとなった。

 

『ちっ……しつこいなぁ!』

 

 撃ち落とすつもりなど、毛頭ない。ただ、されるがままになる訳にはいかないので、翼を広げて突風を放つ。何でもない、ただの足止めだ。

 翼がもつれ、体勢が崩れる。飛竜の群れは危うい羽捌きで、その突風から逃れようとした。それを一瞥しつつ、もう一度あの紅き龍を探す。あいつ、一体どこに――。

 

「ぎゃあっ!!」

 

 突然の、悲鳴。人間の野太い叫びと、飛竜の甲高い声。

 意識を外した、その瞬間だった。何事かと、そちらの方に振り返る。

 

 墜ちる竜。黒く焼き焦げた鎧。朽ちた人間。

 それが一つや二つじゃない。俺を追う部隊を、尽く炭に変えていった。

 

『……何、が』

 

 そう言いかけた、その瞬間。それ(・・)が、俺の目の前を走り抜ける。

 赤い稲妻。澄んだ緋色に染まった、雷光の柱。それが一瞬で、容赦なく肉を焼いた。

 

 見れば、空が瞬いている。あの赤い稲妻が、空と大地を繋いでいる。

 まるで鉤爪だ。鋭い爪を伸ばしたその光は、大地を穿ち地盤をえぐる。裏と表がひっくり返り、地表が瞬く間に荒地となった。

 空を覆う雲は、もはや大陸ごと覆っている。噴煙なのか、雷雲なのか。エスカドラが呼び寄せた雷雲なのか、はたまた別のものなのか、それすら分からない。

 

 ただ、俺に向けて瞬いた光。透き通るような色をしたそれが、全てを真っ白に染めた時に。

 その奥に、何か白い影が見えたような――――。

 

 

 

『ぐあっ……ッッ!?』

 

 凄まじい衝撃だった。

 目の奥で電球を灯されたかのような感覚だ。何も、何も見えない。

 耳は割れて、甲高い音が鳴り響く。イカれた機械のような音だ。

 全身が激しく焼き焦げて、何だか異物を入れられたかのように痛む。妙に覚えがあるような、そうでもないような。

 

『……っあ……これ……』

 

 何となくだが、龍の血を注射してるあの倦怠感――あれに似ているような気がした。

 何故だか分からない。だけど身体に纏わりついた嫌な感覚は、まさにあれだ。血管の中を蟲が這い回るような、掻いても掻いても収まらない痛み。翼に力が、入らない――――。

 

 鳥のように響く咆哮。迫る牙。

 意識を失いかけた俺を喰らう、あの紅い龍の顎。

 

『……ッ……こいつ……!』

 

 唐突に飛来してきた奴は、あの赤い光を掻い潜っては俺に牙を突き立てていた。

 まるで中に俺がいることが分かっているかのように、エスカドラの胸部を砕こうとしている。

 微睡(まどろ)みのような感覚だったが、あまりの痛みに意識が覚醒する。逆鱗も逆殻も、その下の装甲すらも軋み始めた。

 

『いってぇぇ……なッ! こんの!』

 

 全体重を乗せて、俺は奴の首へと牙を剥く。

 鱗の薄い、首裏の皮膚。されど分厚いその皮膚に、全力で顎を突き立てた。上手く力を込められないが、それでも俺は緩めない。

 悲鳴。されど奴は俺を離さずに、高度を上げる。俺も負けじと、翼を震わした。もつれるように、空を掻く。半ばこの龍に持ち上げられるような形で、俺も空を舞った。

 

 全身の感覚が、とても曖昧だ。眼前が揺れては焦点が合わなくなる。平衡感覚もよく分からず、天地が逆転しているようにさえ見えた。

 内部の肉ですら起きていた、体液の漏出。チューブの一部が裂けて、時折火花が顔を出す。あの雷のせいなのか。もしや、回路がショートしてしまったのか。

 いまいちエスカドラと同調できていないのは、もしやそのせいか?

 

『くそ……固ぇ……ッ!』

 

 歯が上滑りしていくようだ。分厚いステーキを噛んでいるかのように、顎がひりひりと痛み始める。

 もつれ合って空を舞って。

 

 海洋に浮かんだ小さな島々の上を過ぎる。津波と地震によって街は崩れ、海に呑まれ始めていた。円形の街並みは、潮へ沈む。

 ――少しずつ沈み始める、エスカドラの牙。

 

 砂漠の上を舞った。かつての故郷が見えた。もはや砂嵐と熱波にやられ原型も残っていないそれは、阿鼻叫喚の渦そのものだ。

 ――分厚い皮膚は、まるでゴムのよう。

 

 崩落したクナーファ上空。爆破の衝撃で全てが崩れた今、もはや焼き窯のような状態だ。第二世代の亡骸が、大地を塗り替えしているように見えた。

 ――あの熱い血液が、牙の先に届き始めたような。

 

 そうして辿り着いた、この活火山。轟々と唸り声を上げるその上空へ、俺とこいつは互いを噛みながら辿り着いたのだった。

 一体、どれだけの時間が経っているのか。随分と長いこともつれ合っていたような気がするし、一瞬だったような気もする。

 

 いよいよ、俺の装甲が割れそうだった。ミシミシと軋み、罅が走る。穴を空ける奴の牙から、まるで稲妻が走るかのように。枝分かれした罅は、俺を外へ晒そうとしていた。

 

『あああぁぁぁ……ッ!』

 

 だがそれは、奴も同様だ。力の入らない顎であれど、その牙の鋭さにものを言わせる。その結果、ドクドクと奴の皮膚から熱い血潮が漏れ始めたのだ。

 もう少し。もう少し。

 もう少しで、こいつを――――。

 

 

 

 何かが、砕ける音。

 

 

 

 装甲の一部が剥がれた。

 上顎の犬歯──特に鋭い奴の牙を中心にして、走行の右上部が音を立てて割れる。それが崩れ、外の逆鱗ごと空に落ちた。

 俺と奴との壁。決して交わらない、交わらせなかったはずの壁に、穴が開く。外と中が繋がって、俺は奴を、奴は俺を見た。

 身も凍えるような目が、俺を睨む。黒龍の魔眼が、俺をじっと捉えた。

 

「うッ……うわああぁぁぁッ!!」

 

 この感情は、なんだろう。

 

 生身で黒龍と対峙した時のことが、頭の中で溢れ返る。

 

 何もかも、もう分からない。

 

 たぶん、この感情の名前は。

 

 

 

 ばつん、なんて音が響いた。

 半狂乱になった俺の代わりに、エスカドラが顎を閉める。力が入らなかったはずのその顎が、奴の首筋ごと歯を重ね合わせた。

 

 血飛沫が舞う。

 

 奴の皮の下で蠢くそれが、一挙に大気を染める。

 

 敗れた皮袋のように。中の水を勢いよく溢す皮袋のように。

 

 この黒く紅い龍は、断末魔のような声を上げた。本当に、この世の狂気を全て詰めたかのような声だった。気が狂いそうになる。いや、もう狂ってしまっているのかもしれないけど。

 

「……うっ……」

 

 ずるりと、奴の力が抜けた。俺の胸に穴を開けた牙が、力なく抜ける。どころかその全身を持ち上げることもできなくなり、この火山の真上で身を投げた。

 あの巨体が空を滑り始め、火口へと墜ちていく。地獄の入り口のようなそこへ、吸い込まれるように墜ちていく。

 ようやく牙を離されて、随分と軽くなったエスカドラ。もはや感覚のない機竜の口からは、奴の血液らしきものが垂れ落ちていた。熱気に負けじと、大気を赤く染め上げる。

 

 ――勝った?

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 勝った。

 勝ったのだ。

 あの黒龍は、ミューの仇は。この燃え滾る火口の中へと墜ちていった。首筋を食い千切られ、全身から力をなくして墜ちていった。あの出血量はきっと致死レベルだろう。

 俺はあいつに、勝ったんだ。

 

「……強かったよ、お前」

 

 そう、言葉を溢すけど。けれどなんだか、その声は妙に上擦っていて。

 

「……クソ……」

 

 勝ったのに。勝ったというのに。

 どうしてこんなに気分が悪いんだろう。

 宿敵をやっと殺すことができたのに、どうしてこんなにもやもやとするのだろう。

 

 勝った。

 

 だから何なんだ?

 俺がしたかったのは、こんなことだったんだろうか。

 

「……っ! 畜生……!」

 

 翼が、筋肉が断裂したかのように痛む。羽ばたけない。動かない。翼も、足も、尻尾も。体の全身が、動かない。

 故障だろうか。大破してしまったんだろうか。それとも、接続不良だろうか。神経が千切れてしまったのだろうか。

 分からない。もう何も、分からない。

 気付けば、あの痛みは俺の全身を殺そうとしていた。もう、指先すらろくに動かない。血が止まらない。戦闘の興奮が冷めた今、俺はもうこの拒絶反応から逃れられそうになかった。

 

 ――あぁ、そうか。

 結局さ、仇を殺したところで、何にもならないんだよな。

 本当に、無意味なことなんだよな。

 いやいや、俺は分かってたじゃないか。どうせ何にもならないって。

 分かってた。理解してるつもりだった。

 でも、もしかしたら何か変わるんじゃないかって。心のどこかで期待してる俺がいた。

 あぁ、でもやっぱり、現実はこうなんだ。

 俺もこうやって、あいつみたいに死ぬのかぁ――――。

 

 そしたら、ミューに会えるかな。

 

 

 

 

 全身に力が入らない。ただされるがままに、重力に引きずり降ろされる。あの地獄の入り口へと、引き寄せられる。

 まぁ、やるだけやったんだ。もういいじゃないか。

 このまま、このまま眠ってしまおう。もう、もう疲れた。無意味に生きるのは、もう疲れた。

 

 ぼやけた目を開けば、暗雲を泳ぐ流れ星が見えた。緋色の尾を残す、鮮やかな流れ星。いや、隕石だろうか。それとも彗星だろうか。はっきりとはもう見えないから、判断の仕様がない。

 

 でも、何だかあの時を思い出す。研究所で今日のことを決めた夜。あの一念発起した夜を。

 あの時も、流れ星にお願い事を、なんて考えてたっけ。

 はは、なんだか阿保らしい。俺は科学者なのに、そんな迷信にすがるなんて。

 

 でも、もし願うことでミューに会えるんだったら。俺はそれにすがりたいなって、今ならそう思うよ。

 だって、君の声が聞きたくて仕方がなかったんだから。ずっと、ずっと――――。

 

 

 

 徐々に、その光は輪郭を増していく。まるで近付いてくるかのように、その光の帯を太くさせた。

 

 何故か、その光には手があった。

 銀色の鱗に包まれた、されどボロボロの手が――機竜越しに、俺の手を掴んだ。

 

 






 ラスボス戦終了。


 文字数が伸びてしまいました。申し訳ない。ラスボス戦×天変地異レベルの戦いということで、気合を入れ過ぎてしまいました。大陸を駆け回るという訳の分からない規模の縄張り争い。あたまおかしい。一万字越え。あたまおかしい。あと厨二すぎる。あたまおかしい。
 最後のところは、あえて語りません。
 それでは、また来週。



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萍水相逢(へいすいそうほう)



 浮き草と水のような偶然の出会い。




 父さんが死んだのは、俺がまだ物心がつく前だった。

 

 その頃の俺は、生きるとか死ぬとか、そんなのがよく分からなかった。自己中心の世界のど真ん中にいた。俺が生まれる前は、父さんも母さんもいなかったとすら思ってた。

 なんで母さんが泣いてるかが分からない。

 なんで、みんな黒い服を着てるんだろう。この砂みたいな、白いものはなんなんだろう。

 今なら分かる。あれは骨だったんだと。火葬された父さんの、遺骨だったんだと。

 

 だから、俺には父親との思い出というものがない。父親の顔も、俺の頭の中には残っていないんだ。どんな人だったのか、今ではもう知りようがない。

 ただ、父はシュレイドで研究者として働いていたということは、母から聞かされていた。国の中枢を担っていたんだって、母は自慢げに話していた。遠方で何かを開発していた、くらいにしか、俺はその話を覚えていないけれど。

 ――その研究で、事故にあったらしいけど。

 その話を聞いた俺は、母と俺を残して死ぬくらいなら、なんて感じていた。

 

 

 

 父は、釣り好きな人だったらしい。俺が生まれる前や、生まれてからも。家族で河や湖に出掛け、釣りをする。そんな休暇を過ごしていたのだとか。

 

 それ故、家には彼のコレクションが残されていた。

 釣竿、リール、ルアーに魚拓。釣りに関する本から、自慢げな釣りの記録なんてものも。随分と大きいものを釣ったことを、でかでかと写真まで用意して飾ってすらいた。

 それらは、まだ幼かった俺の心を奪った。その俺には想像も及ばない様々な道具を前に、俺は釣りというものに対して夢中になった。

 

 図鑑で魚について調べたら、陸地では、というかこの砂漠の集落ではまず見られない世界があることを知ったのだ。

 俺の故郷は、鉄に囲まれた息苦しい街。それに反して、魚たちは色鮮やかな世界を悠々自適に過ごしている。その様を想像すると、俺は居ても立ってもいられなくなった。

 釣竿に糸を張り、リールを取り付ける。糸の先にはルアーがあって、魚がそれに食い付いて。狙って、待って、ここぞとばかりに糸を巻く。

 真剣勝負の世界だ。そこには、ただひたすら真っ直ぐ向かい合う世界があった。

 俺はそれに、ただひたすらに心惹かれたんだ。

 

「母さん! おれ、釣りしてみたい!」

 

 そう母に言ってみれば、あの人は父のことを懐かしく思ったのだろうか。少し涙ぐみながらも、快く応じてくれた。

 砂漠と言っても、付近にはオアシスがある。巨大な河が、荒れ地を遮ってすらいる。大陸西南部の砂漠地帯は、とてもとても広大だけれど。俺の住んでいたこの街は、まだ北の方――シュレイド王国の比較的付近にあったのだ。

 

 休みの日には、オアシスに行って。お弁当をもって、俺は小さな釣竿を担いでいって。

 ボウズの日ばかりだったけれど、それでも何だかとても楽しかった。父の本や母のアドバイスを基に、毎度毎度奮戦して。悪戦苦闘だったけれど、だったからこそ、初めて釣れた時は本当に嬉しかった。嬉しかったんだ。

 

「ローグ、釣れたわね! あなたはやっぱり父さんの息子よ」

 

 それは本当に、小さな魚だったけれど。母がそう褒めてくれて、余計に嬉しかった。

 それからだ。俺はそれから、本当に釣りに没頭した。来る日も来る日も、釣りのことばかり考えて。学校に行っても、俺の頭の中には釣りという言葉しかなかった。

 そうやって、父の残したものを通して趣味に没頭していると。何だか父と会話をしているような、そんな気がして――――。

 

 

 

 体が大きくなれば、親の同伴がなくても外出が可能になる。

 十五を超えた頃には、一人で釣りに行くことも増えた。

 魚によっては、特殊な時間帯に活発になるものもいる。そういう珍しいものを求めて、夜釣りに出ることも度々あった。

 

「……河釣り、したいな」

 

 比較的安全なオアシスにそろそろ飽きを感じていた頃。

 少しばかりの刺激と、新たなる獲物を求めて、俺は何となくそうぼやく。

 

 夜釣りは好きだ。

 夜釣りは良い。

 暗く静まった外の世界と、ひんやりとした空気。星空と街の光がディレイを効かせて、まるで緩やかな水面のように流れていく。その光景に包まれていると、なんだかとても心が落ち着いた。

 今日はなんだか、何もかも忘れられる気がして。

 今日はなんだか、何かが起こるような気がして。

 だから俺は、あえて河を選んだ。未だ慣れておらず、夜釣りもまだ挑戦していない河の方を、あえて選んだ。

 

 この河は、随分と大きい。端から端までは、とても泳いでは渡れないだろう。流れも場所によって様々で、その分栄養も豊富だった。

 オアシスではまず見られない、随分と大きな魚が目に映る。その様相に、思わず目を見張った。

 

「気分が上がるなぁこれは……!」

 

 随分な大物だ。俺の腕の長さほどはあるんじゃないだろうか。

 こんな凄いもの、親父の魚拓にもなかなかない。これを釣れたら、俺は親父を超えたって言い張れるかもしれない。

 

「よし……やるか!」

 

 そう意気込んで、釣り糸を張って。

 どのようなルアーの動きが注意を引けるか。どのように投げれば、より彼らに深く届くか。

 竿の調子はどうだ。リールの部分は擦れていないか。

 そんなことを一つ一つ確認しながら、俺はそっと竿を振る。重みのあるルアーが、ゆったりと宙を舞った。流れが穏やかな水面に跳ね、淡い水の音色が鳴り響く。

 

 それから、沈黙。

 川のせせらぎと、夜風の声だけが響いた。ただただ穏やかで、柔らかい。風がとても心地いい。

 時折リールを巻いて、ルアーを少し揺らしながら。魚がかかるまで、待つ。ただその時を待って、ひたすら待つ。

 

「あー……」

 

 ぼーっと空を見上げた。

 やっぱり、星空が綺麗だ。田舎の数少ない取り柄の一つだろう。夜空を見れば、星の絨毯が広がっている。この光景は、街灯の多い都会ではなかなか見られないと思う。

 

 もし釣れたら、どうしようか。

 魚拓をとってみるのもいい。色んな人に自慢して回るのもいい。捌いて食べてみるのも、いいかもしれない。

 最近、母が病気がちになってきた。体調もあんまりよくないみたいだ。一つ、これで精の付くものでも作れればいいのだけど。

 

「……でも俺、料理苦手だしなぁ」

 

 あんまり料理をしたことはないし、してみても失敗した覚えしかない。無謀な挑戦だろうか。それとも、誰かの手を借りるべきだろうか――。

 

「……ん? 引いてる?」

 

 不意に、腕に力がかかる。竿の先が、徐々に孤を描き始める。

 

「かかった! きたきたきた……!」

 

 自分でも、口角が吊り上がっていくのが分かる。嬉しい。この瞬間がたまらない。

 両脚を開いて、全身に力を込める。どんどん引っ張られる糸を、逆にこちらが引っ張り返すように。一対一の綱引き勝負だ。ただひたすら、相手の呼吸を読んでリールを巻いた。手に汗握る瞬間とは、まさにこのことか。

 

 重い一戦だった。なかなかリールを巻き切れない。腕が軋む。相当な大物だ。俺が今まで出会った魚の中で、とびきり力の強いものだと思う。

 釣りたい。

 なんとしてでも、こいつを釣りたい。

 大物を釣って、親父の墓に見せびらかしたい。

 さぁ、巻け。どんどん巻け。あいつを削り切れ。あいつの全てを削ぎ落として、この水の中から出してやれ――。

 

「――――え?」

 

 唐突に、足場が崩れた。

 普段踏み慣れていないその足場は、思った以上に崩れやすかったようだ。ずるりと、その土の塊を勢いよく崩してしまう。右脚がすり抜けて、身体が宙を舞った。あの魚に引き寄せられるように、俺の体は宙を泳ぐ。

 

「あっ……」

 

 釣竿すら離れた手は、もう何も掴むものがなくて。

 慌てて振り回した足も、何も踏み抜けなくて。

 ただひたすらに、水へと落ちた。どうしようもなく、水に引き込まれた。

 

 河の中は、砂漠とは全く違う世界を見せてくれる。

 月夜に照らされて、深い藍色を差した透明な景色。丸みを帯びた石がいくつも並んだ川底に、ゆらゆらと揺れる水草。自由気ままに泳ぐ魚の群れ。力強く水を蹴る、とても大きな魚。

 

 凄い。

 とても砂漠では見られない、俺がずっと夢見ていた景色がそこにある。こんな、自然のありのままの景色を見れるなんて、本当に凄い。

 

 凄いけれど、俺は重大なことに気付く。

 河には流れというものがあって、それはとても速く、とても激しくて。

 ――とてもじゃないが、泳ぐことなんてできないということだ。

 

「がぼっ……ッ!」

 

 水面から必死に顔を出す。しかし、水面が激しく揺れて満足に呼吸が出来ない。顔を出す度に水が口になだれ込んで、その度に酷く(むせ)た。

 だんだん力が抜ける。必死に水を掻くけれど、身体はどんどん沈んでいく。顔を上げれる高さが、徐々に低くなっていくのが分かった。

 冷や汗でもかいているような。頭の奥が冷たくなるような感覚が広がっていく。水の中だから、汗も何もないけれど。

 

 ダメだ。もう、ダメそうだ。力が抜けていく。息が苦しい。頭が働かない。もう何も、何も見えなくなる。眼鏡も急流に流れて、景色も何も分からなくなってきた。

 まさか、まさかこんなところで、こんなことになるなんて。ちょっと背伸びし過ぎただろうか。頑張り過ぎただろうか。

 

 失敗、したなぁ。

 

 でも、こうやって魚の世界に溶けていけるなら、それはそれで本望なのかもしれない。

 

 そう思いながら、目を閉じた。

 

 体の力を抜いた。

 

 全身が水にされるがままに流されて、奇妙な感覚が全身を覆う。

 

 ゆったりと、まったりと。何もかもスローに思える感覚の中で、俺は意識を少しずつ手放した――。

 

 

 

 

 

 不意に走る、奇妙な感触。

 柔らかいものが手に触れる。それはまるで、人の手のようだった。絡む指に少し違和感があるけれど、それは確かに人の手のよう。

 

 なんだろう。

 

 一体何が――――。

 

「…………」

 

 ぼやけた景色の中に、一人の少女がいた。銀色の髪を月明かりに照らした少女が、じっと俺を見ている。俺の手を握って、何かに気付いたように頷いた。

 それから、上昇。シルエットはとても幼い少女のはずなのに、俺の体を持ち上げながら彼女は泳ぎ始める。少しずつ、水面が近付いてきた。

 

 ――君は、誰?

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 喉に流れ込んだ水を必死に吐き出して、何とか体を起こす。頭の奥がきんきんと鳴り響いて、とても苦しかった。呼吸も荒々しくて、本当に苦しい。

 しかし、小柄な癖に俺を持ち上げた少女は、何とも涼しい顔をして俺を見ていた。長く伸びた髪がとても綺麗で、されど未だに繋ぎ続けていた手はとても小さくて。

 どう見ても、七、八歳くらいの少女。俺にはそう見えた。

 

「はぁ……き、君は……」

「……大丈夫?」

「あぁ、うん……えっと、まぁ……」

 

 頭が痛くて、言葉がまとまらない。何が何だか分からなくて、あやふやな言葉しか顔を出してくれなくて。

 

「――――フィーニャ!」

 

 唐突に、低い男の声が響く。

 

「フィーニャ! どうした、何があっ――人間!?」

「フィーニャ! あんた、何して……」

 

 背後から響いた声は、二人組の男女。まだ若い二人は、驚いた顔で俺を見る。

 女性の方は、フィーニャと呼ばれたこの少女と同様に、美しい髪をしていた。その面影も、どこか似ているように見える。

 

「人間……人間がここに……」

「フィーニャ、お前まさか、人間を助けたのか!?」

「……うん」

 

 そう、少女が頷いた。俺の手を繋いだまま、その小さな顎を縦に振った。

 

「苦しそうだったから」

「苦しそう……溺れて、いたのか……?」

「どうしよう……追っ手……かしら? 私たちが逃走したの、ばれてる……?」

「……いや、どうだろう」

 

 男の方が、じっと河を見る。

 その視線の先には、散乱した俺の釣り道具が見えた。俺と一緒にダイブして、そのまま河に持っていかれてしまった道具たち。それがどんどん、視界の奥に消えていく。

 

「……釣りをしていたのか? それに、まだ若い少年だ。追っ手……なんてことはないだろう。軽装すぎる」

「……お兄さん、王都の人?」

 

 少女が俺に、そう尋ねてきて。それがどんな意図なのかは分からなかったが、俺は田舎の、ただの釣り好き少年だ。

 だから、力の入らない首にものを言わせて、小さく横に振った。

 

「……じゃあ、安心だね」

 

 息も絶え絶えの意識の中で、そう笑いかけてくれた少女。その優しい微笑みが、何より印象的だった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 下流にある小さなオアシスには、数人の人影があった。

 誰も彼も、耳が長い。手の指が、四本しかない。人間のような姿をしているが、人間とは少し違うようにも見える。

 

「……そうか。君は南の方の、あの自治区の人間なんだな」

「はい、鉄と砂しかないですけど」

「ぎこちない対応しちゃってごめんね。はい、お茶」

 

 納得したように頷く男性と、謝罪しながらお茶を出してくれる女性。そのお茶を、空いている方の手で受け取りつつ、軽く会釈する。

 もう片方の手はといえば。未だに、少女に握られていた。

 

「それにしても、フィーニャがそんなに懐くなんて。不思議よねぇ」

「全くだ。普段は人見知りなんだけどなぁ」

 

 どうやら二人はこの子の親らしく、感慨深そうにそうぼやく。二人とも随分と若いというのに、親なのか。

 

「一体どうしちゃったのかしら」

「フィーニャ、彼のどこがいいんだい?」

 

 なんだか棘のあるその物言いに、少女は少しばかり首を傾げて。

 

「……目?」

「目?」

 

 出てきたのは、思いがけないシンプルな言葉。

 

「私を見る目が、とても自然な感じがしたの。変なものを見る目じゃないから、何だか不思議。この人は悪い人じゃないって思う」

 

 そう少女が繋げると、彼女の両親は感嘆するような声を漏らした。

 

「そうか……うんうん。そうだねぇ……」

「確かに、そうね……。あぁ、本当」

「……目って、そんなもんなんですか?」

「視線というのは、思ったより感情がこもるものだよ。君も、私たちくらい長く生きてみれば分かる」

 

 諭すような口振りだ。そんなに、年は離れていないと思うのになぁ。

 言う前に呑み込んだその言葉。それを吐き出そうとした瞬間に、少女が俺の手をぐいぐいと引いた。

 まるで俺を呼ぶかのようなその仕草。それに遮られ、俺は彼女の方へと顔を向ける。

 

「……どした?」

「あなたは、私が嫌じゃない?」

「……え?」

「気持ち悪く、ない?」

 

 とても奇妙な問いだった。

 この子は何を言い出すんだろう。たかだか十五年程しか生きていない俺には、彼女が何を言いたいのかが分からなかった。突拍子がなさすぎる。脈絡もなさすぎる。

 ――けれど。無視する訳にもいかず、俺はぐちゃぐちゃの頭をぎゅっと絞った。バラバラの言葉を、何とか繋ぎ合わせた。

 

「……気持ち悪くなんか、ないよ。それより、すっごく感謝してる。助けてくれて有り難う」

 

 もう片方の手を添えて。両手で彼女の手を包み込んでそう言うと、彼女は驚いたように目を丸くした。

 その目が、徐々に細くなる。花が咲くような笑顔。本当に、とても可愛らしい笑顔を浮かべてくれた。幼い少女のはずなのに、その笑顔は何だかとても美しくて。思わず俺は見惚れてしまう。

 月夜に照らされた銀色の髪が、どこまでも澄んだ光を映していた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 あの時の、月明かりの河の中。あの感覚が蘇る。

 深い深い藍色。この肉に包まれて生まれた暗闇。

 水面に映る月の光。装甲の割れ目から入り込む、外の光。

 水を掻き分けて、俺の体を掴んでくれる小さな手。エスカドラの肉を掻き分けて、遮る壁を剥がしてくれる大きな手。

 

「うぉ……っ」

 

 遮るものがなくなって、外の光と熱気が入り込む。

 火山地帯だった。

 どこを見ても、溶岩の海。未だに大地は活発な胎動をし、ところどころから火を吹いている。

 あの彗星に導かれるままに、流れ着いたこの場所。もうエスカドラとの神経も途切れてしまって、一体どうやってこの場所に辿り着いたのかも分からない。周り全てが溶岩だから、ここはきっと火山地帯の深奥なのだろうけど。

 

 そして、その彗星だ。何故か腕のあるその彗星は、あの巨体を持ち上げた。俺が溶岩に沈まないように、必死に俺の手を握ってくれた。

 その彗星本人が、目の前にいる。ボロボロな体で、俺の前に立っている。

 

 溶岩の光を浴びて、淡く輝く銀色の鱗。

 まるで流線形のように鋭い線を描いたその体躯。

 特徴的な翼からは、緋色の光が溢れ出て。槍のように長い尻尾は、優しく機竜(俺の体)を包み込んで。

 その姿は、あの消えてしまったはずの光だった。手の届かない遠いところに行ってしまったはずの、あの小さな命。

 

「……そんな、嘘、だろ……」

 

 カシャン、と音が鳴り響く。

 全身が赤黒く焼け焦げていた。あの赤い稲妻を浴びたのだろうか。どこもかしこも傷だらけで、回路が断裂してしまっている。音も不協和音に満ちており、とても正常な状態とは言えないだろう。

 

 ――だが、何故かその胸が開いた。決して開かないはずのそれが、完全に一体化してしまったはずの『彼女』が、俺の前に現れたのだ。

 あの昔懐かしい笑顔が、そこにある。

 さながら、溺れた俺を掬い上げるような。

 何もかも見失った子どもを、抱き上げるような。

 そんな眩しい笑顔が、目の前に咲いていた。

 

「……フィーニャ」

 

 意識してか、無意識か。

 零れ落ちた。彼女の本名(・・)が、俺の口から零れ落ちた。

 

「……ローグ」

 

 ミューは。いや、フィーニャは。優しく、愛おしそうに俺の名前を呼んでくれた。

 

 






 感動の再会編。


 ということで、ミューさん復帰。はい、まぁ察しだとは思いますけど、しっかり生きており申した。良"か"っ"た"ね"ぇ"(´;ω;`)
 ローグさんが昔溺れたという話は、実は彼女との出会いなのでしたの巻。あのあとローグさんは故郷に帰ることができましたが、ミューたちは竜人狩りに遭って一家離散してしまいます。そうして上京したローグさんと、再び再開する訳です。たぶん、二人とも何となく察していたけど、あえて切り出しはしなかったんだろうなぁと思います。そういう微妙な距離感が好き。尊い。
 閲覧とうとりがとうしました!(意味不明)


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海誓山盟(かいせいさんめい)



 決して変わることのない誓。




 どちゃっと、小さな体が落ちてくる。

 焼け焦げたバルクの体から。赤いスパークが弾ける、ボロボロのバルクの体から。

 

 どんな色も淡く映す銀色の髪。

 空のように、澄んだ色をした瞳。

 長い耳に、四本の指。

 どこか覚束ない足取りで、俺の方にまで歩み寄ってくる、一人の少女。

 

「……ローグ」

 

 少女は、愛おし気に俺の名を呼んだ。噛み締めるように、呼んでくれた。

 

「……フィーニャ……」

 

 目の前に、バルクがいる。

 目の前に、ミューがいる。

 目の前に、フィーニャがいる――――。

 

「……懐かしい呼び方」

 

 彼女は、そう微笑んだ。あの今よりもずっとずっと幼かった頃と変わらない表情で、その小さな頬を綻ばせる。

 そうして、俺の方に手を伸ばした。指先の振るえた手でエスカドラの肉を掻き分けて、ぐっと俺の体を掴む。

 

「……ミュー、お前……」

「……ミュー、じゃなくて。本名で呼んでほしい。昔みたいに」

 

 未だ上手く動かない俺の体を、抱き寄せながら。彼女は悪戯っぽく、そう囁いて。

 エスカドラとの接続は既に断裂していたらしく、俺の体に張り付いていた肉の腕はたやすく剥がれ落ちた。チューブは簡単に千切れ、ポタポタと中の液体を滴らせていく。

 そうして俺は、あの肉の空間からようやく解き放たれて。気付いた時には、彼女の温かい胸に包まれていた。小さいながらも確かな鼓動が、俺の鼓膜を優しく叩く。

 

「……フィーニャ。お前、どうして……」

「……生きてたよ、私。……勝てなかったの、あの子に」

 

 口元だけの微笑で言葉を溢すフィーニャ。されど、少し悲しげにその眉を曲げた。

 

「あの後、頑張って戦ってみたんだけど。やっぱり勝てなくて、私は逃げた」

 

 尻尾も千切れちゃった、と彼女は目を伏せる。

 その目が指していた先には、少々短くなったバルクの尾があった。オーグ細胞の影響か少しずつ再生が始まっているものの、やはり短い。

 

「死ぬのは、やっぱり怖い。ローグと会えなくなるのは、本当に怖いよ」

「……生きてたんなら、それを教えてくれよ……っ」

 

 半ば悪態を込めてそう言うと、彼女はその首をふるふると横に振る。

 

「だめだよ。だって、会いに行ったら……私はもう、素材だもん……」

 

 ――あぁ、やっぱり。

 竜は道具。

 竜は素材。

 竜は資源。

 この国では至って常識のそれ。常識故に、罪悪感もなしにミューを殺してしまうそれ。

 彼女は分かっていた。完全結合した上で、人間のコントロールを失った上で俺に会いに来たらどうなるか。資源として回収されてしまうことなんて、百も承知だった。

 だからずっとこうして、行方をくらましていたのか。流れ星と見間違うほど、天高くにいたのか。

 

「……ごめん。そうだな、そうだよな……ほんとに、ごめんな」

 

 血塗れになったその手を彼女の頬に添えた。上手く力が入らなくて、小刻みに震えてしまう。血に塗れているせいで、彼女の白い肌を赤く汚してしまう。

 それでも、彼女は嫌がる素振りなど見せなかった。心の底から安心しているかのような表情で、その柔らかい頬を擦り付けてくる。

 

「懐かしい……ローグの手。あったかい」

「……フィーニャ」

 

 一体何日ぶりだろう。

 何か月ぶりだろう。

 それとも、年単位にも届いていただろうか。

 

 本当に、久々な気がする。こうして彼女と触れ合うのは、まるで昨日のことのような気もするけれど。それでも、随分と久しぶりのような気がした。

 ダメだ。頭が働かない。嬉しい気持ちと困惑する気持ちが溢れ返って、感情に名前を付けることが出来そうにない。

 あぁ。この見えてる景色は、本物なんだろうか。

 

「……ローグ」

「んあ?」

 

 むっとした顔で表情を満たしたフィーニャは、ぎゅっと俺の頬をつねった。両手でつねって、そこから優しく掌で包み込む。

 

「夢じゃ、ないよ。私、ここにいるよ」

「……俺の心読むなよ」

「えへ、なんかぼーっとしてたから」

 

 相変わらず、何も見てないようでよく見ている奴だなぁって。呆れ半分ながらも安心してしまう。

 

 確かに、ミューだ。

 間違いなく、フィーニャだ。

 いなくなってしまったはずの彼女が、いなくなってしまったと思っていた彼女がここにいる。

 そうなると、湧いてくるのは別の疑問。

 

「フィーニャ。お前、どうして人の姿に……?」

 

 尤もな疑問だった。

 彼女は、バルクと完全に結合した。シンクロ率を最大値まで上げたのだ。であれば、彼女はバルクと一体化してしまった訳で。

 

「もう、もうその姿にはなれないんじゃなかったのか? どうして、どうしてバルクから出れたんだ?」

 

 そう尋ねてみても、彼女はこてんと首を傾げる。

 薄々予想はしていたが、やはり彼女はよく分かっていないらしい。

 とりあえず出れた。彼女側の言い分としては、それに尽きる。

 これじゃあ埒が明かないな。質問を変えてみよう。

 

「……結合してからは、どんな感覚だったんだ?」

「んーっとね……なんか、まどろみのような感じ。意識はあるんだけど、眠っている……みたいな?」

「微睡み……」

「でもね、あの空の雷ね。あれが当たった時に、急に目が覚めた。からだの違和感も、すごかった」

「雷……赤い色のか?」

 

 そう尋ねると、彼女はこくんと頷いて。その響きには、俺も心当たりがあって。

 あの雷雲に見えた白い影は、一体なんだったんだろう。俺たちが浴びたあの稲妻は――――。

 

「それでね。結合、解けちゃったみたい。たくさん、背中にチューブが刺さってたはずなんだけど」

 

 するりとボロボロになった戦闘服を解いて、彼女は背中を露わにする。その白い肌には、痛々しい傷の痕があった。

 少女の体には、あまりにも重いその傷痕。つくづく、俺がやったことを思い知らされる。

 

「……ごめんな」

「ううん。ローグが謝ることじゃないよ」

 

 彼女は、優しい声でそう言った。はだけた服を肩までかけ直して、前留めをゆっくり締め始めて。そんな彼女の姿を見ながら、俺はもう一度その傷痕を思い浮かべる。

 確かに、結合が解けていた。

 バルクの肉とは、確かに繋がっていたはずだ。しかしそれは、今や完全に外れてしまっていた。空いた穴は、竜人の驚異的な回復力によって既に塞がれようとしていた。

 これは、これは一体どういうことだろう。

 

「あの雷撃が……接続を無理矢理中止させた? それとも、機竜の回路を強制遮断させるほどの電力……とか?」

 

 少し考えてみるけれど、まるで答えが浮かばない。ダメだ、情報が少なすぎる。

 

「ローグ」

「んおっ」

 

 ひしっと、ミューが俺の腰に抱きついてきた。少し頬をむくれさせながら、俺の瞳をじっと見上げてくる。

 無視しないで。こっちを見て。

 なんだか、目がそう言ってるみたいだった。

 

「……悪い。ついクセが出ちまった」

 

 そう言いながら彼女の頭を撫でると、あの懐かしい感触が手に走る。

 絹のように柔らかな髪。その髪に包まれた、形の良い頭。撫でると小さく漏れ出る、彼女の可愛らしい声。

 

「あの雷な、俺も浴びたんだよ。そしたら途端に上手く動けなくなった。……まるで、異物を混入させられたみたいにさ」

「いぶつ?」

「あぁ。あれ、もしかしたら機竜の回路を阻害する性質があるのかも。ただの雷じゃないみたいだ」

 

 その言葉を区切らないように、そっと彼女の頬に手を添えて。

 

「……でもまぁ、なんだ。こうしてミューと触れ合えたなら、悪いだけじゃなかった、な」

 

 本音をうっかり溢してしまう。それを聞いては、彼女が嬉しそうに顔を綻ばすのを見て、俺はつい口を滑らしてしまったことに気付いた。

 今日のミューは、よく笑う。微笑が最大限だったあの頃じゃなくて、初めて出会った時のような無邪気な笑顔。久しぶりに会ったことがそうさせるのか。それとも、ここには俺たち以外誰もいないことがそうさせるのか。

 

 ミューとまた会えるとは思ってもみなかった。

 本当に、奇跡のようだ。夢じゃない。現実だ。俺もミューも、まだ生きている。生きて、こうして触れ合えている。

 心の底から願っていたけれど、でも絶対にありえないことだって。ずっとそう自分に言い聞かせていた。

 でも、そうじゃなかった。そうじゃなかったんだ。

 

「…………」

 

 いまいち表情が読み辛い顔で、ミューは俺から目を逸らす。俺が入っていたあの肉の塊を、じっと見た。

 

「……気になるか?」

「……うん」

 

 こくんと頷く彼女の顔は、少し苦しそうだった。

 信じられない、という色と、やっぱりという色。それらを溶かしこんだような、そんな顔。

 

「昔、一緒に竜機兵の特訓やったよな。覚えてるか?」

「……うん」

「あれからな、ミューがいなくなってからな。俺は最後の竜機兵を造ったんだよ。自分用にさ」

「ローグ……人間なのに?」

「あぁ、人間なのに」

 

 そう言うと、彼女はその細い手を伸ばしてくる。俺の目元を擦るように、そっと。

 

「……目」

「……これは、その副作用」

「……自暴自棄に、なった?」

「……結構、な」

 

 藍色だったはずのそれが、緋色になっている。古龍の血を摂取して、無理矢理適合させた結果だ。

 エスカドラから外れた今、身体の負担は随分とマシになってきた。やはり、人の力であれを動かすのは無理があるんだろう。こうしてミューに出してもらわなければ、俺はどうなっていたか。想像するだけでぞっとする。

 

「――なぁ、フィーニャ」

「……なぁに?」

「空から、見てたんだろ? じゃあ俺が何をしたか、分かってるよな」

「…………」

 

 切り出した言葉に、彼女はそっと目を伏せる。沈黙を選んだ彼女の心を受け止めつつ、それでも俺は言葉を繋げ続けた。

 

「……ミューは、俺のこと……嫌じゃ、ないか?」

「……え?」

 

 そんな言葉は、考えてもなかった。そう言わんばかりに、彼女は素っ頓狂な声を上げる。

 それでも、俺にとっては避けられない問い掛けだ。だって、何故なら――――。

 

「俺はさ、全部全部裏切ったんだ。国も、恩人も、全部。それで世界をめちゃくちゃにしちまった。本当に、本当にどうしようもない馬鹿だと思う」

 

 言葉が溢れ出す。感情が、堰き止められない。

 

「竜機兵をさ、なくしたかった。もう、こんなものに誰も巻き込まれないようにしたかった。でも、結果はこれだ。俺はただの、ただの大量殺人者なんだよ」

 

 ――――だから、俺が気持ち悪くないのか?

 

 少し赤い色が混じった涙が、瞳から零れ落ちる。

 小さい頃の、母親の叱責を恐れながらも自分の行いを白状する瞬間。なんだかそれを思い出すなぁと、なんだか他人のように感じた。

 そんな俺の言葉を前に、ミューは。ぎゅっと、その手を自分の胸に当てて。

 

「……たぶん、ローグのしたことは悪いこと。許されないことだと、思うよ」

 

 彼女は、そうはっきり言った。ばっさりと、俺を悪だと言った。

 頭の芯が冷たくなる。

 分かってはいたが、そう指摘されると余計に苦しい。

 動悸が荒くなる――――。

 

「でも」

 

 きゅっと。

 ミューは、その小さな手で俺の手を握った。

 冷えたそれを、柔らかな温もりが包む。

 

「でも、私のために戦ってくれたのは……嬉しかった。世界を敵にしても、私の味方でいてくれて……本当に嬉しい。だって、世界は最初から、私にとっては敵だったから」

 

 優しい表情。なんだかとても優しい顔だ。俺のことを受け入れてくれる、とても温かな表情だった。

 吐き出される言葉には、それはそれは黒いものが詰まっていたけれど。でも俺を見る目は、本当に優しい色をしていた。

 

「竜機兵は、やっぱりこの世界にあっちゃいけないと思う。人が好きに命を造り出すなんて、自分を神様と勘違いしてるみたい。竜機兵は、そんな完璧なものじゃないよ」

「……だな。なんたって、心があるからな」

「うん。人間や竜人だけじゃない。竜にだって……心はある。人間の目には見えないかもしれないけど、みんな感情があって心があるの。だから、道具なんかじゃないもん」

「……そうだ。そうだよ、な」

 

 この世界は、人間のものじゃない。人間とて、ただの生き物に過ぎないんだ。

 それでもシュレイドは、世界は自分たちのものだと信じ込んでいた。全て支配して、自分たちの好きなようにコントロールできると確信していた。そして俺も、その一人だったのだ。

 けれど、世界を占めるのはむしろ人間以外の存在ばかりだ。

 竜も、牙獣も、古龍でさえも。みな心をもっている。彼らはただの道具ではない。ただの資源ではない。人間と同じ、生物なのだから。

 

「ローグのやったことで、この世界はどうなっちゃうか、私には分からない。でも、何もしなかったら、きっと何も変わらなかったと思う」

「何も……」

「うん……だからね、ローグ。あなたはそのつながりを断ち切ってくれたんだよ。私たちを、解放してくれたんだよ」

「……解放?」

「そ、解放。だから、だから。ローグがみんなの敵になったとしても、私は……私だけは、あなたの味方でいる」

 

 そう言いながら、ミューは俺の襟をぎゅっと引く。昔と変わらない、しゃがんでアピールだ。背丈の低い彼女の、昔懐かしいその仕草。

 それに応えて腰を低めると、視界が唐突に埋まる。彼女の柔らかい胸に、埋まる。

 

「……やっぱり私ね、この世界のことは……この国のことはどうだっていいの。ローグが、ローグだけいてくれれば、もうなんでもいい」

 

 愛おしそうにそう言って。俺の両頬を包み込んでは、そっと顔を近づけてきて。

 

 ――――重なり合う、薄桃色。

 

「……フィー……ニャ」

「…………だって。だって、私は……ローグのことが、大好き……だから」

 

 花が咲くような笑顔だった。

 こんな、火山という武骨な世界の中なのに。あまりにも不釣り合いな少女は、柔らかな笑顔を見せる。照れくさそうで、それでいて満面の笑顔を描くその姿は、まさに火山に咲いた一輪の花のようだった。

 

 あぁ、そうか。

 あの時、あのシュレイド城で。

 最後に溢した彼女の言葉。黒龍に掻き消されてしまった、あの言葉。

 その続きは、これだったんだ。彼女の想いは、これだったんだ。

 思えば、あの時聞けなかった言葉の先が知りたくて、ずっとずっともがいてきたような気がする。それをようやく知ることが出来て、なんだか強張ってた心がほぐされていくような、そんな気がした。

 

「……あー、そうだったんだなぁ……」

 

 今度は、俺の方から抱き締めた。

 その小さな腰回りが、すっぽりと腕の中に納まってくる。抵抗もなにもなく、ただひたすら俺に触れようとするかのように。彼女は、ぎゅっと俺に身を寄せてくる。

 答えは、シンプルだ。

 シンプル故に、複雑だ。

 それでも、とっても温かい。凄く、凄く幸せな色をしているようにも見えた。

 

 いつかの戦場で、俺はミューを他愛のない兵器と言った。

 でも、本当に他愛のない兵器だった。

 当て字なんかじゃない。他者への愛などまるでない。その感情は、ただひたすらに、俺へと向けてくれていたんだ。

 俺は(アイ)()に反転して、もう何もかも滅茶苦茶になってしまったけれど。彼女の愛は、そのままだった。一寸違わず、今もその形を保ってくれている。

 相反しているようで、パズルのピースのよう。俺たちはまさに、それだったんだ。

 

 

 

 

 

「――じゃあ、そろそろいこっか」

「……え?」

 

 一体どれくらいの時間、抱き合っていたかは分からない。

 ただ唐突に、ミューのくぐもった声が響いた。

 

「こんな熱いとこに、ずっといるの? 他の場所にいこうよ」

「あ、あぁ……そう、だな」

 

 もう、と言わんばかりにミューは笑う。

 困ったように、それでいてしょうがないなぁと優しい微笑みを浮かび出して。ミューは腰に回していた手を解くと、俺の両手をぎゅっと掴んだ。まるでしばらく水に浸けたかのようにしわくちゃになったその手が、温もりに沈む。

 

「あの子は、どうするの?」

「あの子?」

「ほら、あのとげとげの子」

「あー……」

 

 エスカドラは、静かに地に伏せていた。

 もう動かないだろう。きっともう、目は覚まさないだろう。

 ここまで付き合わせちまって、ごめんな。こんな場所で悪いけど、ゆっくり眠ってくれ。

 せめて人の手が届かないこの場所で、もう人間に振り回されないように。

 

「ここが、あいつの墓だ。あいつはもう動かないから、ここでゆっくり眠ってもらいたい。ここなら、誰にも邪魔されないと思うから」

「……うん。ローグが、そう言うのなら。おやすみ、ね……」

 

 ミューはやや不満そうに、それでも折り合いをつけるように自らを納得させて。そうして、横たわる巨体に向けてそう囁いた。

 相変わらずだ。相変わらずの、優しい奴だ。

 短い時間ながらも俺の半身となってくれたその存在に気に掛けてくれて、少しばかり報われたような気がする。あいつも、俺も。

 

「……でもさ、行くって言ったって、どうやって?」

「バルクが、いるよ。この子の力を借りれば、どこへだって行けるよ」

 

 一方の、銀の機竜。

 ミューの背後で、まるで眠っているかのように目を閉じる機体。

 この世界で最初に生まれた竜機兵は、傷だらけでありながらもその風格は失っていなかった。溶岩の光を反射しては、淡い緋色を身に灯す。

 

「――そうか、そうだな。俺たちなら、どこへだって行けるよな」

「……どうせなら、行けるとこまで行っちゃおっか?」

 

 そう、ミューが俺の手を引いて。

 彼女の思わぬ誘いに俺は応じながら、ぎゅっと、その手を握り返した。

 

「あぁ。どうせなら、成層圏まで」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 空が見たかった。

 あんな、最後の兵器に詰まったままの景色じゃなくて。ミューと一緒に、ミューが見ている景色を、俺も見てみたかった。

 

 ミューは、優しく飛んでくれている。

 あの黒龍の毒牙から俺を庇ってくれた時のような、内臓を全て置いていかれるような速度ではない。俺が、俺の体が悲鳴を上げないように。優しく、優しく飛んでくれている。

 軽々と俺の体を抱き上げて、その翼から火を吹かすバルク。

 以前と変わらないその仕草に、俺の心はどうしようもなく(ほだ)された。

 頬を撫でる優しい風が、とても心地いい。俺ごと包む、ミューの緋色の炎がとても温かい。寒さも、突風も、熱い太陽光も。何もかも遮って、俺を守ってくれるその光。

 本当に、温かいのだ。

 

「うっ……眩しっ」

 

 唐突に、光が差し込んだ。

 淡い色をした雲の、その出口の方から。

 鋭い光が、瞼を貫くように差し込んでくる。

 

「クォ……」

「……もしかして、もうすぐ雲を抜ける感じか?」

 

 心配そうに俺を見るバルクにそう尋ねると、機竜はこくんと頷いた。

 そのまま、翼を展開。

 重力に強く抵抗するように、大きく開いたその翼。轟々と音を立てながら火を吹く反面、上昇する速度は少しずつ緩慢になっていった。

 ゆっくり、ゆっくりと。ミューは、ゆっくりバルクを上昇させる。

 雲の色がさらに薄くなり、透き通った空の色が混ざり始めた。まるでわたあめの端のようなそれは、霧のように霧散していく。光が、徐々に徐々に強くなっていく――――。

 

 

 

 

 

 火山を越え、雲を抜けて、天地が逆さまになって。

 ようやく抜けた雲海を前に、世界は大きく、その目を開けた。

 

 空は、夜明けを描き出している。

 雲が、少しずつ白色に染まりつつあった。西の空には星が瞬いて、藍色の絨毯を大きく棚引かせる。しかし東から溢れる緋色の光を前に、その絨毯は少しずつ空の色に溶けていって。尾を引くその光の帯が、眩しい朝日を大地へと反射させた。

 夜の藍色と、朝日の緋色。それらが反転して、成層圏を描き出す。

 そんな光に包まれた世界は、何とも美しかった。全く別の色が同居して、なおかつ反転していくその様子は、本当に美しかった。

 

「……凄い。これは……言葉を失うな……」

 

 ダメだ、何も出てこない。

 ここで少し、気の利いたセリフでも言ってやりたかったけれど。どうも俺は、こういうのは向かないらしい。凄い、という言葉しか、口から零れ出てこなかった。

 

「クウゥ……」

「……フィーニャ、凄いな。お前の見ていた景色は、こんなに綺麗だったんだな」

 

 手を伸ばして、その頬を撫でる。

 機体越しに撫でたその手に、ミューは嬉しそうに喉を鳴らした。くるる、なんていう可愛らしい声が、この銀色の喉から聞こえてくる。

 ミューは、ずっとここにいた。立場も居場所も、全て追われてしまって。そうして辿り着いたこの世界。ミューがずっと見ていた景色。

 

「……なんだ。世界も、悪くないじゃん」

 

 一人だったら、もう何もかもどうでも良かった。

 世界がとても汚く見えた。無くなってしまってもいいとさえ思ったこともあった。

 でも、ミューが見せてくれた景色。この景色は、本当に美しい。

 これをミューと、フィーニャと一緒に見られるんだったら、もう少し生きてみてもいいかもって、今はそう思う。

 

 

 

 ――――俺は最初に、色を疑った。

 

 目に見えてる景色は、本当に本物なのかって。

 人間の目にはこんな色に映るだけで、実際には全く違う色なんじゃないかって。

 小さい頃は、ずっと考えていた。

 色は、目を通って脳で処理する。実像ではなく、虚像でしかない。肉体という枷に縛られている以上、俺はきっと、本当の色というものを知ることはできないだろう。

 

 だから。

 だから、せめて。

 この美しい景色が。フィーニャと一緒に見ているこの景色が。

 実像であってほしいと、本物であってほしいと。

 俺は心から、そう願うよ。

 

 






 タイトル回収。


 ロシアでは何百万か積めばジェット機による成層圏飛行ツアーができるらしいですね。ローグさん生身でそれやるの巻。
 書きたかったシーンは、このミューの見ていた景色をローグが見るところ。これを見たいがために、この作品を書いたのでした。『藍緋反転ストラトスフィア』は、実はこういう意味でしたっていうね。
 藍ストは、実質この話で完結です。次のエピローグは、後日談というか、歴史の整合性に努めたお話です。
 よろしければ、最後までお付き合いいただけるとうれしゅうございますm(_ _)m


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エピローグ
未来永劫(みらいえいごう)




 将来にわたって、いつまでも。




 二匹の龍の争いは、各地に大きな爪痕を残した。

 

 シュレイド王国の中枢、シュレイド城。そこへ突如舞い降りた黒き龍は、シュレイド王国を東西で分裂させるほどの被害をもたらして。

 一方の片割れ――西シュレイドは、その城を奪還するためにあらゆる素材を投じた最高の竜機兵を造り出して。

 

 その二匹の龍は爪を競い合った結果、癒えない傷を世界に残していった。

 東西のシュレイドを焦土に変え、ゲイボルギアの土地を燃やし、凍て付かせる。それに加え、大陸中央部の火山地帯――後にラティオと呼ばれるその山は、まるで龍の叫びに呼応するかのようにその身を弾けさせた。それだけに収まらず、大陸の西端には小さな星が零れ落ち、大地を赤い稲妻が覆ったのだった。

 

 森は焼け、山は崩れ、河は枯れ、海は爆ぜる。

 多くの国が、国としての機能を失った。

 

 

 

 天地を繋いだあの赤い光。それが人類の目に焼き付いている。

 降り注ぐ雷光は、まるで鉤爪のようだった。大地を裂いて、地盤をめくり、空と大地を入れ替える。世界中を覆ったその雷撃に、電力を利用したからくりは全て鼓動を失ってしまった。光を失った人々は、夜闇の中に放り出されることになったのだ。

 

 こうして、人の手で始まった戦争は、最後には世界をも巻き込んだ。文明を失う結果となった。

 

 

 

 巻き込まれたのは、当然人類だけではない。人も竜も、滅亡に瀕するほどその数を減らしてしまった。

 そうなれば当然、食糧不足という名の死神が付きまとう。竜からすれば、か弱い人間は格好の餌だ。国という後ろ盾を失った人類に、その牙から逃れる手段はあまりにも少ない。絶滅の危機は、まさに眼前だった。

 

 その状況を見兼ねた竜人たちは、彼らに向けて手を差し伸べる。かつて自分たちを虐げていた人間たちに、圧倒的弱者の人間たちに、救いの手を差し伸べた。

 西シュレイドが崩壊した今、彼らを弾圧するものはない。いや、弾圧する者はみな死んだと言っていい。弾圧する余裕のある者もまた、存在しないご時世だった。

 

 竜人族は、人造の種族だ。

 人間をベースに竜の遺伝子を組み入れて、人間より丈夫で長寿で、なおかつ知性を併せ持つ。そんな、使い勝手の良い労働力を造ろうと。

 新たな兵器の核として、国の覇権争いに利用しようと。

 そんな考えの下生み出されたのだった。

 

 しかし、その大元となった国は既に崩壊してしまっている。

 今や、彼らを遮るものは何一つとない。

 竜人は、その身体能力や知恵をもって、この世界に適応していた。長年の経験や、あまりある適応能力で、みな逞しく生き延びていた。

 しかし、人間がそのまま滅びゆくのは忍びない。だから彼らは、手を差し伸べた。

 もちろん、誰もがという訳ではない。人を許すことが出来ず、それをよしとしない者もいた。

 

 ――わざわざ人に(くみ)しようとは、物好きな奴らだ。

 

 そう言い残し、多くの竜人は南東の島へと消える。新廃棄場が解放された今、それは雅な島だった。宙に浮いたような不安定な山が風を鳴らす、摩訶不思議な島だった。

 それは、後に『シキ国』と呼ばれるようになる。

 

 

 

 一方の、大陸に残った人々は。

 その知恵を人に授け、その力をもって人を守っている。

 元々少数だった竜人は、一定の人数をまとめ上げては各地に点在するようになる。

 ――――竜人を長とした、小さなコミュニティ。この一連の流れは、後にココット、ポッケなどと呼ばれる各地の村へと繋がっていく。

 

 過去の文明のものは、一切残らなかった。都市は燃え、施設や崩れ、全て自然の奔流に呑み込まれていく。しかし、竜人はそれでよいと考えていた。

 自然と一体化すること。それが彼らの理念である。過去の遺物というパンドラの箱には不用意に触れず、ただ自然のなりゆきに任せる。彼らは、風化を望んだ。

 

 いつしか、過去に大きな大戦があったことも、忘れられていた。

 ただ、「竜が徒党を組んで人類と戦った」という言葉のみが、その言葉通りの意味として細々と言い伝えられただけとなった。

 

 

 

 

 

 かつて巨大龍が通ったとされる谷。踏み均された巨大な道が続くそれは、メタペタットと呼ばれるようになる。

 かつて天体が落ちたとされる大陸西端には、大きな湖があった。それはメルチッタと呼ばれ、後に新たな集落となる。

 忘れ去られても、あの戦火の爪痕は各地に点在していた。

 あの星の降った夜のことは、今では伝説上の出来事だ。おとぎ話にもなれなかった、荒唐無稽な言葉の羅列だ。

 しかし、かつてこの大地で実際に起こったことである。今や、それを知る人物も一握りであるが。

 

 あの天地が逆さまになった夜。全てを失った人々は、明け方の空に、天へと昇る緋色の光を見た。

 白銀の龍が、人を抱いたその姿。まるで人と竜が融和したかのような姿を、竜人たちは見た。赤い翼を棚引かせる、天使のようだと。誰かがそう言った。

 明け方の空を斬ったその星が飛び立ったのは、大陸のどこかにある火山地帯の深奥だ。

 ただそこには、穏やかさがあった。

 ただそこには、認め合う心があった。

 ただそこには、包み込むような愛情があった。

 人々はその地を、不可侵の地とする。元より人が入れない過酷な地だったことも、その一因だった。だがそれ以上に、人と龍が寄り添ったその地を、人々は神聖なものと考えたのだ。

 融和の証。終戦を告げる融和の証として、その地は『親域(しんいき)』と名付けられた。

 親しみの園。人と龍の、寄り添いし地。

 

 

 

 

 

 ――――遠く、遠く離れたあの地では。別の大陸として海に瞬く、あの結晶の世界では。

 眩しい光を放つ炉の中で、小さな小さな命が、静かに揺らめいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ローグ。ここなら、どう?」

 

 夜明けの直前。太陽が顔を出す寸前の、美しい空。

 そんな色の下、俺を乗せたバルクが降り立ったのは、雲海を見下ろせるほどに切り立った山だった。不自然なほど高い、奇妙な形をした山だった。

 そこで俺を下ろし、フィーニャはバルクの胸から顔を出す。どうかな、と可愛らしく首を傾げた。

 

「……随分、凄いところに来たな」

 

 もはや高すぎて、シュレイドのあった大陸と陸続きなのか、はたまた別の大地なのか、それすら見当がつかなかった。

 一際大きなこの山は、さながら塔のように鋭く、そして不安定だ。それらを覆う亀裂には、緋色の光がうっすらと走り、少しずつ朝を迎えようとする空を淡く彩っていた。

 

 高い。

 あまりにも高い。

 資料でしか確認していないが、フォンロンの地で確認されたという塔――それよりも、さらに高いような気がする。あまりに高すぎて、夜明けの光と月の模様が同時に見えた。

 

「ここ……結構居心地いいの。私、この子と一緒になってからは、ずっとここにいたの」

「えっ……こんな辺鄙(へんぴ)なとこにいたのお前?」

「高いところ、好き……」

 

 バルクからその身を出して、後頭部の接続器をぷつんと断って。

 フィーニャは、そんなことを呟きながら俺に飛び付いてきた。

 

「ここね、下の方は遺跡になってるんだ。誰かが住んでいたような跡が、ある」

「えっ……それは、今もか?」

「ううん……あんまりしっかりは覚えてないんだけど、人はいないよ。ただ、何かの建物があるだけ」

「……そうか」

 

 人がいるならば、より生活がしやすいと思う。

 その一方で、もう誰にも会わずに、彼女と二人きりで静かに暮らしたいと思う自分がいる。

 ――たぶん、俺に残された時間は、もうあまり多くはないから、だろう。

 

「紋章みたいなマークもあって、山の下にはもっと大きな町があって。でも、誰もいなかった」

「ちょっと待て。紋章だって? それって……シュレイドのか?」

「私、その形しっかり覚えてないから……ごめんね、どこのかはよく分かんなかった。でも、ここにはもう誰もいないよ」

 

 確信をもって、彼女はそう告げた。

 龍の感覚だろうか。俺には思いもよらない感じ方で、彼女はそれを捉えているのだろう。

 フィーニャがそこまで言うのだったら、俺もこれ以上食い下がる理由はない。

 だから彼女の手をとって、ただ静かに微笑んだ。

 

「……フィーニャがそう言うなら」

「信じて……くれる?」

「もちろん」

 

 お互いに頷き合って、会話を区切る。

 そのまま踵を返し、彼女と手を繋ぎながら、切り立った崖の方へと歩み寄った。武骨な表皮の岩肌を、丁寧に踏みつける。

 割れ目から見える赤い光は、明らかに謎の現象なのだが――どこか、覚えのある感覚だった。

 そうだ。結晶の地に満ち溢れていた、あの(まばゆ)いエネルギー。それに近いんだ。

 

 自分の供給源と似た雰囲気をもった光。おそらく、彼女がここを選んだ理由はそれだろう。本能的に、ここが居心地がいいと察したのだろう。

 では何故、ここにそのような力があるのだろうか。

 この遺跡が群れを成したような山嶺に、なぜ龍のエネルギーが満ち溢れている?

 

「ローグ」

「ん……わり、考え事してた」

「……むー」

 

 ついつい考え込んでしまう癖に、ミューは不満そうに頬を膨らませる。

 そんな可愛らしい膨らみを軽くつつくと、彼女はくすぐったそうに頬を綻ばせた。

 

 ――そう、だな。

 もう、俺には関係のないことだ。

 この場所が一体なんであろうと。もしかしたら、かつてシュレイドが手を伸ばしていた場所なのかもしれないけれど。それとも、全く別の者による遺物なのかもしれないけれど。

 今の俺には、もうどうでもいいことだ。

 俺はもう、竜機兵の整備士じゃない。最後の竜機兵の適合者でもない。

 フィーニャと一緒に生きる、ただの人間だ。

 

「……あ」

「……朝、か」

 

 頭頂部を少しだけ見せているような。そんな形だった太陽が、少しずつ、その顔を出し始めた。

 眩しい光が放たれて、その日差しに思わず目を覆うけれど。

 それでもとても温かい、柔らかな光だった。幾重にも連なる光輪が、世界の目覚めを教えてくれる。

 

「……綺麗だな」

「……うん」

 

 こんな世界でも、フィーニャと一緒に生きれるんだったら。もう少し生きてみてもいいかなって、あの反転する景色を見ながら思った。

 いや、生きてみてもいいかな、じゃないんだ。

 俺は、彼女と一緒に生きたいんだ。

 

「……なぁ、フィーニャ」

「ん……」

「返事、しそびれたけど……俺も、フィーニャのことが好きだよ」

「……!」

 

 はっと息を呑んだフィーニャは、その碧い瞳をまんまると広げて。

 それを少しずつ細めては、大粒の涙を溜め始めた。潤った瞳が、嬉しそうに満たされる。

 ひしっとくっついてくる小さな体を抱き寄せて、眩しい朝日に俺も目を細めて。

 

 この世界は、そしてその色は。

 こんなにも美しいんだって、心の底から思ったんだ。

 






 藍スト、完ッ!


 これにて正式に完結です。ちょこっとだけ二人の続きを追加しました。もう一度読みに来てくれた方への、ちょっとしたサービス(?)です。
 約半年と、長いようで短い期間でしたが、お付き合いしてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。かなり趣味と性癖と独自設定&解釈を注ぎ込んだ作品でしたが、それでもこうして読んでいただけたというのが、本当に嬉しいです。
 ぜひとも、感想や評価などでお声をいただきたいです。この作品は、少しでもエモいと思っていただけたでしょうか。作者的に、反応がとても気になるところです。

 完結記念ということで、かにかまさんからいただいたイラストを貼り貼りします。

【挿絵表示】

 優しく微笑むミューが素敵。二人がこれからゆっくりと暮らしていけるような、そんな感じがします。

 全30話、お付き合いくださって、本当に有り難うございました。


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