私と神才の変奏曲 (在処彼方)
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私と神才の変奏曲

獣国の皇女のネタバレを多大に含みます。



01 

 

2018年 4月 ロシア ヤガ・モスクワ

 

 

何で私が悩んでいるのかを

優しい目をしたシルヴァンドル

そんな彼と出会ってから

私の心はいつもこう言うの

「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」

 

 

 

 終わるセカイ。

 終わったセカイ。

 そこに降り注ぐ星々が照らすピアノの旋律が極寒の大地に響き渡る。

 ──私、アントニオ・サリエリは愚直にとある曲を弾き続けている。

 かの天才はこの終末の大地で、二か月間休むことなく慰安の為に音楽を奏で続けた。

 英霊の身にあってなお、あの天才にしか適わぬ所業と言わざるを得ない。

 その天才の要望(リクエスト)は、この曲だった。

『きらきら星』

 イギリスの詩人ジェーン・テイラーが後世に歌詞を変えて世に広まったらしいが、当時を生きた私たちにはこのモーツァルトが編纂した名の方がより馴染みがある。

『ねぇ、ママ聞いて変奏曲』

 ──ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが当時流行していたジャン・フィリップ・ラモーが作曲したシャンソンを主題と12部の変奏からなる曲として発表した曲だ。

 この曲は恋する人間の気まぐれや戸惑い、可愛らしさや不安を表現しきっている。

 最初は、意味が分からなかったのだ。

「──全てが終わったら、きらきら星を弾いてくれ。」

 などと。

 だが、此処で引き続けているとこの終末のセカイにこれ程ふさわしい曲は無い。

 降り注ぐ星々の光は、そのままジェーン・テイラーの美しい歌詞が相応しい。

 銀河の果てまで見えるような割れたガラスの様に映る夜空の星にこれ以上合う詩はないだろう。

 同時に、ジェーン・テイラーが替え歌をするまでは、この曲は恋の歌だった。

 ──あの男は、人間を愛していた。

 大衆が、世間が、あの男の奏でる曲の凄まじさの真髄を何も理解できなくても。

 それでもいい、とあの男は持ちうる全てを曲に込めて、世に放ち続けた。

 ──何故か、と私は生前訝しんでいた。

 嫉妬や不理解から来る、高給の仕事を外されるようなイジメも。

 私がかの天才を憎んでいる等という風聞も、何もかにも彼の生み出す音楽に一点の染みさえも与えなかった。

 そんなこんなは、彼が人間を愛さない理由にはならないのだ、とでも言うかのように……。

 生前は理解の外であったが今なら分かる。

 アイツは、人間の美しさも醜さも愛したというだけなのだ。

 滅び行くこの世界に送るという意味合いですらも、この曲は相応しい。

 さらに。

 もう一つ、この曲には意味がある。

 この曲はあらゆる技巧が使われている。

 第四変奏の箇所など、その最たるモノだがそれも道理。

 この曲はかの天才が弟子の教育の為に創り上げたのだから。

 ──ベートーヴェン、ツェルニー、シューベルト、フンメル、モシェレス、リスト。

 私の教え子達の活躍など今さら言うまでもないことだ。

 そう、私は自身の音楽家としての名よりも多くの名音楽家を育てた師としての方が高名なのだから。

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 それが、ゴットリープがこの曲を選んだ理由の一つ。

 下品とさえ思われる諧謔だが、此処まで露骨であれば私であっても笑ってしまう。

 あぁ、そう──

 この悪趣味さは、生前に覚えがある。

 あれは、ゴットリープが死ぬ僅かに前の事。

 彼を見舞いに訪れた時のことだった。

 

 

02 1791年 11月 ウィーン

 

 

あの日、木立の中で

彼は花束を作ってくれた

花束で私の仕事の杖を飾ってくれた

こんなこと言ったの

「きれいな金髪だね

君はどんな花よりきれいだよ

僕はどんな恋人より優しいよ」

 

 

「やあ、君だったか。サリエリ。らしくない足音だ。」

 私は、こちらも見ずに何かに没頭しているゴッドリープの顔を見て愕然とした。

 ──病床に伏しているとは聞いていた。

「死んでしまう!」

 と言ったとかなんとかも。

 ──何を馬鹿な、と噂を聞いた時には一笑に付した。

 彼が創ったオペラ『魔笛』に招待されてからまだ三か月も経っていないのだ。

 病の気配など、微塵も感じさせない様子だった。

 それが

「……何を、している、ゴットリープ」

 動悸がやかましいほどに煩い。

 それもそうなる。

 彼の洋梨のようだった顔が、やせ細っていて専門外の私でも分かるほどのあからさまな死相が出ていた。

 否、まるで死者がいきているかの様ですらあった。

「作曲。レクイエムだ、まぁ遺作になるだろうさ」

 顔をこちらに向けぬまま、譜面を記し上げているその表情(かお)は真剣そのものだ。

「な……ぜ……?」

 なぜ。

 なぜ。

 なぜ、この神才が死ななければならない!

 その問いとも言えない問いを、アマデウスはこちらを見て、微笑しながら言った。

「泣いてるのかい? ははっ、凄いカオだ。君のその顔は、メイドの土産ってやつかな?」

 泣いている?

 そんな生易しいモノであるはずがない。

 世界は、この神才を失ってしまうのだ。

 これは絶望しているのだ。

「毒だか何だか結局分かりはしないが、僕が音楽に魂を売っているのが余程気に食わなかったのだろうさ。ま……向こうさんの予定を狂わしといてタダで済むと思ってた僕も迂闊だった。まったく、一音楽家くらいのさばっていても何も変わらんだろうに。ケツの穴の小さい連中だ」

 喋りながらゴッドリープは再び楽譜に向かい始めた。

 何を言っているのかまるで理解できなかったが、犯人たちに心得があるなら然るべき処置をするべきだ。

 世界がこの神才を失うという事の痛手を、身体で理解させるほか、ない。

「仕返しなんて似合わない事は考えるなよ? 代わりと言っちゃなんだけど、ホラ」

 書きあがった部分を私に見せて、ゴッドリープは言った。

「これの初演、キミが指揮をやってくれ。正直、書ききれるかどうかは五分でね……もしもの時はアイブラーに頼んでるけど、完成度は下がっちゃうもんなぁ……」

「君の……遺作のレクイエムを私が指揮するのか?」

 悪趣味という他無い。

 遺作を指揮するのはいい。

 だが、その曲がよりにもよって鎮魂歌(レクイエム)などと。

「あぁ、君とは色々あったけど……それで『仲直り』と行こうぜ」

 仲直り、など──。

 私は彼を嫌った事は一度もない。

 品性に欠ける振る舞いを苦々しい、勿体ないと周りに零したことはあった。

 それさえ改めれば、宮廷楽団長も夢ではないのに、と。

 だが、それは世間で流布される内に全く反対の内容になった。

 宮廷楽団長にモーツァルトが成れないのは、サリエリが妨害しているからだ、などという噂として。

「私は、別にお前を嫌ってなど、いない」

「じゃあ、『仲直り』しないのか?」

 私のその答えが心底不思議のような、それこそ子供の様な顔でゴッドリープは聞いた。

「……私が、お前の遺作のレクイエムの初公演を指揮すると、約束しよう」

「オーケー。これで僕たちの間にあった煩わしいアレコレも清算されるだろうさ。大衆っていうのは分かりやすさが欲しいのさ。それに関しちゃキミはド下手だな。レオポルトの馬鹿皇帝に僕が創ったの出すなんてさ。聞く耳持たないっていうのはヤツのことさ、僕の音楽は分かりっこないし、君だって冷遇されてる腹いせにモーツァルトのを出した……なんて思われるだけだぜ?」

「何を……私の曲ではかの方を慰安できないのであれば、私はお前の曲を持ち出すほかない……それだけの話だ」

 そうとも──私では君へは絶対に適わない……。

 だが、それでいい。それでいいのだ。

 そう答えた私をアマデウスは苦笑してみている。

「まったく……君のその馬鹿真面目さが心配でおちおち死ぬこともできそうにないや」

 私も少し微笑した。

 この神才がそれしきの事で、神から地上に居ることを許されるのならば安いものだ、と。

 だが、それから十日も経たない1791年12月5日。

 かの神才の訃報がウィーン中を駆け巡った。

 世界はゴッドリープを失った。

 

 

03 1825 5月 ウィーン

 

 

 キラキラ光る小さな星よ

 あなたは一体、何者なの?

 そんなに空高くにいて

 お空のダイヤモンドのよう

 キラキラ光る小さな星よ

 あなたは一体、何者なの?

 

 

「モーツァルトはサリエリが殺したんだそうだ」

「天才に嫉妬した秀才か、よくあるハナシだ」

「いいや、地位を守るためさ。あのままではいつかはモーツァルトに出し抜かれてただろうしな」

「……先生が、モーツァルトを殺したって本当ですか?」

 違う。

 違う違う違う違う。

 チガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ!!!!!!

 どうして!!!

 どうして!!!

 この雑音は消えないのだゴッドリープ!!!!!!!

 寝ても覚めても聞こえてくるのはこの呪いの言葉だけだ!!!!!

 今は夢の中なのか!?

 それともこの地獄が現実だとでも!?

 あぁ!!

 嗚呼!!

 私だ!!!

 私なのだ!!!!

 アイツの死を世界で一番悲しんだのは!!!!

 他の誰かであるものか!!!

 これから産まれる筈だった数々の名曲が世にも出ずに無くなって行くことに絶望したのは私なんだ!!!

 確かにその神才を妬んだ事もある!!!

 だが、それより大きな気持ちで尊んだ!!!

 彼我の決して埋まらない差に憤った事もある!!!

 だが、それは及ばぬ自分に対してだ!!!

 殺せる筈がない!!

 殺せる理由がない!!!!

 殺意など、ただの一片だって……!!!!

 分からない!

 わからないんだゴッドリープ!!

 ()が何故、貴様を殺さねばならないのか!?

 あぁ、あぁ!!

 憎い憎い憎い!!!!!!

 アマデウスを理解しない全ての余人どもが!!!!

 憎くて!

 憎くてっ!!

 堪らない!!!

 

 

 1825年5月7日

 アントニオ・サリエリ

 ウィーンの自宅にて、孤独死。

 

 

04 20■■年 ■月 永■凍土■国 ロ■ア ■■・モ■■ワ

 

 

 

 優しい曲が、世界に響く。

 世界の終末とは、こんなにも穏やかで、美しい──。

「いやっ流石はサリエリだ。依頼、よくぞこなしてくれた」

「去れ、我が妄執よ。私は今、私でいられているのだ」

 穏やかな、自分でも驚くほどの穏やかな声で、そう言った。

 妄執のアマデウスは、眼をぱちくりとした。

「アハハハハハッ! いやー! 変わらないな、サリエリは! 馬鹿真面目だ!」

 妄執が下品に大笑する。

 ──否、もしや妄執ではなく……?

「そう! っていうか気づくの遅くない? 僕、キミの大一番でも助言したりしたんだぜ?」

 あぁ、それなら覚えがあるとも。

 妄執が、自分以外はみんな下手くそなんだからだとかなんとか……

「そうそう。でさ、クールダウンした今なら分かってもらえるだろうけどさ。()()()()()()()()()()()?」

 ──それは、そうだな?

 ──うん、そうだ。

「君とのセッション、味わい深かったぜ」

 ──よし、殺そう。

 慟哭外装を0.2秒で着て、こいつを殺そう。

「いや、待て待て。流石にもう限界だ。霊核は99%吹き飛んでる。英霊だから外面だけは見繕ってるってだけで中身は綿あめよりもスカスカだ」

 アマデウスは隣に静かに座った。

「君と言葉でじゃれてるのも悪くは無いが、時間がもう無い。1分だけ、一緒に弾かせてくれよ」

 キラキラと、消滅しかけになりながら何でもない風にアマデウスは言った。

「──イイね。やっぱり、この世界はこの曲で僕と君とで終えるのが相応しい」

 一緒に弾きながら、私は泣いていた。

 世界で最高の『きらきら星』。

 我が霊基よ、どうか、どうかこの瞬間を刻み込んでおくれ。

 『灰色の男』に『無辜の怪物』に飲み込まれても、このセカイとこの曲の美しさだけは。

 どうか──

 決して適わぬ願いを込めて、氷に閉じた終末に彼らの音は響き渡る。

 永遠に続いて欲しいと願う一分間のきらきら星変奏曲が。

 

 きらきらひかる おそらのほしよ

 まばたきしては みんなをみてる

 きらきらひかる おそらのほしよ

 

 きらきらひかる おそらのほしよ

 みんなのうたが とどくといいな

 きらきらひかる おそらのほしよ




知りもしない音楽史を調べてるうちにX番煎じとなってしまいました。


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